文教・科学委員会 第15号
- 発言数
- 57 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 2000/05/09
会議録
○委員長(佐藤泰三君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 昨日までに、佐藤泰介君、林紀子君及び山本正和君が委員を辞任され、その補欠として小宮山洋子君、橋本敦君及び菅野壽君が選任されました。 ─────────────
○委員長(佐藤泰三君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に参考人として「昭和の日」推進国民ネットワーク会長鈴木英夫君、國學院大學日本文化研究所教授大原康男君、専修大学経営学部教授嶺井正也君、立命館大学名誉教授岩井忠熊君及び評論家佐高信君の出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(佐藤泰三君) 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、参考人の方々から御意見を承った後、質疑を行います。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。 皆様方には、ただいま議題となっております国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 議事の進め方でございますが、まず、鈴木参考人、大原参考人、嶺井参考人、岩井参考人、佐高参考人の順序でそれぞれ十分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。 それでは、まず鈴木参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。鈴木参考人。
○参考人(鈴木英夫君) ただいま御紹介いただきました「昭和の日」推進国民ネットワークの会長を務めさせていただいております鈴木英夫でございます。 まず、トップバッターを承りましてお話をさせていただきます。 かねがね、みどりの日というもの、それを昭和の日にしたいという多くの方々のお話を承りまして、私もそれに同調、そしてさらに賛意を表してその活動に参画してまいりました。まず、激動の日々を経まして復興を遂げたという昭和の時代、それを顧みることによりまして、そして国の将来を思うということに最も格好のことではないかなというような気持ちから昭和の日を持ちたいという気持ちがあったわけでございます。 御承知のとおり、六十四年という日本史上最長の一人の天皇の治世を持ちました昭和の時代。この時代は、未曾有の変革と激動、それから苦難と復興の時代でございました。恐らく国民がありとあらゆる初めての体験をした時代であったと思います。しかし、今日、いろいろなことはございますけれども、まず平和で、そして我々がこの繁栄をエンジョイしているということ、これはとりもなおさず昭和の時代というものがあったからこそ、それが礎となったからこそである、私はそう考えている次第でございます。 そして、もう既に二十一世紀が目の前に参りました。恐らくこの二十一世紀は、コンピューター、インターネットを含めましてあらゆる変革の時代が怒濤のごとく押し寄せてくるだろうと思います。この際に我々は、この日本の永久の平和と繁栄を望むために何をするか。それは、平和の礎となった昭和を教訓として、それを酌み取っていくということが一番大事なことではないかということでございます。 昭和の日を実現したい、これが私の原点でございまして、たまたま、緑のさわやかなゴールデンウイークのみどりの日を昭和の日に変えてはどうだろうか、こういうお話がございまして、私はそれに賛意を表した次第でございます。もちろん、みどりの日というものも大事でございますので、これをまた、今の我々の考え方、先生方の考え方も、五月四日にしてはどうか、こういうお話があるわけでございます。そういうことで、みどりの日を昭和の日にするということの意義ということを私は皆様に強く訴えて、賛意をいただきたいと思うわけであります。 この運動は平成になってすぐから始まったということでございますが、形をなしたのは、平成六年に東商ホールでまず第一回の国民集会が行われたようでございます。それ以後、現在に至るまで五回にわたる国民集会を、東條会館あるいは靖国神社の会館とかいうところで満員の盛況をもってしてまいりました。私は、平成十年に会長にさせていただきまして以来来ておりますけれども、毎年この集会は非常に盛会で、その都度感激を新たにしているわけでございます。 そして、我々の事務局の方々ももう本当に身を粉にして活動して、毎月運営委員会というものを開いておりますし、それからさらに、国民集会とは別に、女性による母親の会とか、あるいはいろいろな有志の会が日本各地で行われているわけでございます。そしてそれと同時に、一方、皆様御存じのとおり、衆参両院におきまして平成十年四月に超党派の与野党による「昭和の日」推進議員連盟が結成されまして、綿貫民輔先生が会長をおやりになっていらっしゃいますが、現在も四百名を超える議員の方々の御賛同を得て積極的に運動を展開しておるわけでございます。 また、我々の仲間のボランティアによる署名運動、これも既に百七十万の署名をいただいております。百七十万が多いか少ないかという問題、これはそれぞれのボランタリーの方が仕事を持ちながら余暇に集めた票でございまして、人を雇って駅頭で署名をとるというようなことは一切しておりません。そういうようなことでございますので、百七十万の署名は、実際には数倍、数十倍の国民の賛同があるものと私は理解いたしております。 そして、この国民の間の運動がいかに広範囲にわたって、そして国民の総意というものであるかという一つの証左といたしまして、私は、ただいま持ってまいりました「昭和の日」推進国民ネットワークの役員の方々の一部を御紹介したいと思います。 役員は全部で会長の私以下約八十名いらっしゃいますけれども、まず副会長は、元同盟会長であります天池清次さん、それから拓殖大学総長の小田村四郎さん、それからユニークな漫画家で有名な加藤芳郎さん、お三人が今副会長でおるわけです。 その他、参与が九名おりますが、代表委員としてまた皆様に御存じの方を羅列いたしますと、まず、作曲家の船村徹さん、あるいは明治座会長の三田政吉さん、あるいはファッションデザイナーの森英恵さん、あるいは落語家で落語協会顧問であらせられる柳家小さんさん、あるいは皆様御存じの上智大学の渡部昇一先生、それからさらに、今話題をにぎわしております都知事の石原慎太郎さん、それから服飾評論家の市田ひろみさん、元大使で外交評論家の岡崎久彦さん、それから皆様御存じの小野田寛郎さん、それから外交評論家の加瀬英明さん、それから建築家の黒川紀章さん、それから日本相撲協会の境川理事さん、あるいは落語家で日本演芸家連合会長の春風亭柳昇さん、あるいはゼンセン同盟名誉会長の滝田実さん、あるいは日本医師会会長坪井さん、それから歌舞伎俳優で人間国宝の、きょうお見えになっております扇先生の御主人様の中村鴈治郎さんというような方々、それこそ日本の全職域すべてを網羅した方々がこの役員となって活躍しておるわけでございます。 そういうことから、我々の運動が単なる一握りの人たちの運動ではなくて、全体の人々の盛り上がる国民運動であるということを御理解いただきまして、何とぞ皆様の御理解を得てこの法案の成立を特にお願い申し上げまして、私の発言を終わりたいと思います。 御清聴ありがとうございました。
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。 次に、大原参考人にお願いいたします。大原参考人。
○参考人(大原康男君) 大原でございます。 まず、今回の祝日法改正に賛成する立場から私の意見を述べさせていただきます。 平成の御代がわりの年、たちまちにして、昭和天皇のお誕生日を何とか祝日として残したいという国民の大きな動きがございまして、その意味で、この四月二十九日を何らかの形で祝日として残すためにさまざまな動きがございました。 当初、政府の発想では、新緑の季節にふさわしく、自然を愛した昭和天皇をしのぶことができる、そういう祝日にするということで始まったわけでございますが、結果的に、改正された祝日法によりますと、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。」、この趣旨は結構でございますが、実際は昭和天皇とは全く関係のない趣旨に変えられてしまったわけでございます。 その本来の趣旨が変えられた祝日をもともとの正しい名称と内容にするための国民運動が、先ほど鈴木参考人がるる申し述べたとおりでございます。 その結果、今回、昭和の日が、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」という形になりましたのは、まさに天皇と国民が一緒になって生きてきた激動の昭和を思い起こす記念の日として、四月二十九日に最もかなった名称でありますし、またその趣旨であろうかと思います。 これは、今回の法律の立法の趣旨には祝日として加えるとございますけれども、私どもの理解では、むしろ、新しい祝日を設けようとしているのではなく、本来の意義にふさわしい名称並びに趣旨に戻そうとしているということをまず御理解いただきたいと思います。 そこで、祝日という事柄について一般的に申し上げますと、ふだんの日とは区別され、人々がこぞって祝い、記念する日。これは祝日法の第一条にございますけれども、いわゆる晴れの日であり、英語で言うホリデー、ホーリーデーであって、単に仕事をしない休日ということではございません。大切なことは、その休日に何を行うか、あるいはそこまでいかなくとも何を考えるかというところに祝日の意義があろうかと思います。ただ、今日残念なことに、祝日が単なる休日としてのみ扱われているところに私どもは深い遺憾の意を覚えているところでございます。 その祝日は、大きく分けまして二つのグループに分けられると思います。これは時間感覚によって分けられるわけでございますけれども、一つは、循環する時間感覚の中で、一定の周期で繰り返される季節祭としての祝日。これは祝日法に言いますところの祝い、感謝する日に当たります。これは例としましては、成人の日だとか海の日だとか勤労感謝の日がそうだろうと思います。 もう一つは、流れ去る一回きりの直線的な時間感覚の中で、歴史上で一度しかあり得ない出来事を記念する記念祭としての祝日でございます。つまり、季節祭としての祝日と記念祭としての祝日、この二つに大きく分けられるだろうと思います。この祝日法に言う記念する日は、建国記念の日だとか憲法記念日などがそうでございます。 そこで、この祝日の二つの区分から考えますと、四月二十九日は本来は昭和という時代をしのぶ記念祭としての祝日として構想されたのでありますけれども、実際上、みどりの日となったその趣旨などを考えてみますと、季節祭としての祝日に変えられてしまった。祝日の性格がこういうふうに大きく変えられてしまった。この内容を本来の姿に戻したいというのが我々のコンセプトの根底にあるところでございます。 御存じのように、本年からいわゆるハッピーマンデー、あるいはアメリカで言いますトリプルバカンスという制度が採用されまして、祝日の一部を現在の日指定から曜日指定に変更して三連休とする、そうした制度が発足いたしまして、御存じのように成人の日と体育の日がそれぞれ第二月曜日に移されたわけでございます。このようなトリプルバカンスの制度は、これはアメリカなどが元祖でございますけれども、本来は季節祭としての祝日が対象のはずでございます。それはそれで意味がないわけではございません。 がしかし、本家の米国の月曜日祝日法によりますと、二月二十二日のワシントン誕生日や、コロンブスがアメリカ大陸を発見した日までがこうした三連休の月曜日に移されるということになってきまして、アメリカという国の歴史が浅いということもありまして、季節祭的なものが祝日を見ましても少ないということもありましょうけれども、先ほど私が申し上げました単なる休日ではないという祝日のあり方から見ますと、このハッピーマンデーあるいはトリプルバカンスといった事柄につきましては、祝日の本義をさらにまたゆがめる可能性もある。 その中で、もしも四月二十九日がみどりの日のままでは、つまりそれが季節祭としての祝日のままで置かれたといたしますれば、いずれかの日に、この四月二十九日ではなく、例えば四月の第三月曜日だとか第四月曜日とかいう日にかえられるおそれも私はあろうかと思います。 私自身は、休日がふえることにつきましては根本的に反対するわけではございません。しかし、休日と申しますのは申しますまでもなく労働・厚生政策やあるいは経済政策等によって決められるべきものであろうと思います。しかし祝日は、休日とはなっておりますけれども、祝日イコール休日ではございません。その意味では、祝日というものを意義あらしめる意味も考えますと、この本来の趣旨であります昭和の日にみどりの日を改めるということは私は最も大切なことだというふうに考えます。 今、鈴木参考人の方からもいろいろございましたように、この昭和の日実現のための国民運動につきましては国民の広範な賛同者がおられるわけでございます。我々といたしましては、既に六年以上の歳月はたっておりますが、この運動が政界のみならず民間団体におきましても広範になされており、それが新聞等で報道されているにもかかわらず、私どもの知る限りにおいては、これに対する積極的、組織的な反対運動を耳にしたことはございません。少なくとも、その意味でも私は国民的な大きな支援があるものと考えております。 あともう一点だけつけ加えておきますと、この事柄に対する反対運動の中には恐らく、昭和の歴史に対するいろんな見解があり、その観点から昭和の日に反対するというお考えもあろうかと思います。私は昭和史の見方はそれぞれいろんな見方があって差し支えないと思います。そのそれぞれの立場から昭和を顧みるところに私はこの意義があろうかと考えておりますので、今までるる述べてまいりましたけれども、このような趣旨から、今回の国民の祝日に関する法律の改正に心底から賛成する次第でございます。 よろしく御理解のほどお願いいたします。
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。 次に、嶺井参考人にお願いいたします。嶺井参考人。
○参考人(嶺井正也君) 嶺井でございます。 私は二点、参考意見を申し上げたいと思います。 先ほどから国民の幅広い理解があるというお話がありましたけれども、私は、残念ながらこの法律案は極めて突然に審議にかかったような気がしております。私は教育学を専門にしておりますから、本委員会に三十人以下学級推進法案が議員立法として審議にかけられておりますことは承知しております。しかし、この子供の教育にかかわります重要な法案がほとんどマスコミでも報道されず、国民の幅広い論議にも付されていないということを非常に残念に思っておりますけれども、学校教育における歴史教育にかかわるばかりではなく、国民意識に深く関係してきますこの国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案がほとんど国民に知られていないのではないか、そういう段階で、私にすれば非常に突如として審議にかけられているということに関しましてまず懸念を表明しておきたいと思います。 御存じのように、一九四八年、昭和二十三年に制定されました国民の祝日に関する法律の第一条は、先ほど大原参考人も申されましたけれども、国民がこぞって祝う、そういう旨が規定してございます。この観点からしますと、今回の一部改正に関する法律案は、まず国民の関心を呼び、幅広い意見がくみ上げられるような手続がもう少し必要ではなかったかというふうに考えております。 私自身は、三月七日付の読売新聞朝刊の小さな記事でございますが、「「昭和の日」法案成立の公算大」という記事を読みました。私はそのときに、今まで余り国民的な論議に付されていなかったので、公聴会その他、国民の意見を幅広く聴取する機会が当然設けられるものというふうに思っておりましたけれども、そういう手続がなくて今回、参議院にかけられたことに関しまして驚いている次第であります。 なお、私、参考人として要請された折に、学生にこういう動きがあるけれども知っているかというふうに聞きましたけれども、学生はだれ一人として知っておりません。最近の学生は新聞を読まないということかもしれませんが、それにしましても、私自身が知る限りにおいては新聞でほとんど報道されなかったという、そういう状況にあったかと思います。 しかしながら、今回こういう参考人意見という形で機会が設けられましたことについては非常に結構だと思い、こういう機会がもう少し広がるようなことをお願いしたいと思います。 手続的にはそういうことでございますが、内容的に見ましても、提案理由が、「昭和の時代を顧み、歴史的教訓を酌み取ることによって、平和国家、日本のあり方に思いをいたし、未来への指針を学び取ることは、我が国の将来にとって極めて意義深いことであります。」というくだりがございますが、先ほど大原参考人もおっしゃっていましたけれども、昭和の時代の歴史的教訓というのは一体何か。これはいろいろ見方があっていいとおっしゃいましたけれども、そうであればなおのこと、もう少しこれを幅広く一緒に考える機会を設けるべきではなかったかというふうに考えております。 私自身は、父親が沖縄の生まれで、沖縄師範を出まして、朝鮮で敗戦を迎えるという個別史を持っておりますし、教育を専門にしておりますから、戦前日本が行いました植民地教育政策でありますとかそういう問題を考えますと、この歴史的教訓というのは何かということは相当に重い課題として受けとめる必要があるかと思っております。 続きまして、私は、対案という形で私の考えを述べさせていただきたいと思います。 現在、二十九日はみどりの日になっておりますが、それはそのままにしておく、しかし、五月四日を、みどりの日ではなくて共生の日、ともに生きる日というふうにしたらどうかという意見でございます。 以下、その理由を申し上げます。 日本におきまして国民の祝日に関する法的な措置が定められましたのは、一八七〇年、明治三年でございます。根拠法令が何であるかはちょっと定かではありませんが、そのときの祝日は、旧暦ですが、元旦、小正月、桃の節句、端午の節句、七夕、お盆、田の実の節句(八朔)、重陽の節句、それと明治天皇の誕生日、旧暦の九月二十二日となっておりました。 それが、わずか三年後の一八七三年、明治六年に、太政官布告三百四十四号によりまして、新暦への転換とともに、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭、紀元節、神武天皇祭、神嘗祭、天長節、新嘗祭というふうにがらっと変わっております。つまり、日本の民俗的なものから皇室中心のものへと大転換をしたわけでございます。 これに基づいて出されました祝日大祭日儀式規定、一八九一年、明治二十四年。文部省令第四号にのっとりまして、戦前の日本の学校におきましては、教育に関する勅語の奉読などを含む学校儀式がとり行われましたことは御承知おきかと思います。 第二次大戦後、国会におきまして祝祭日の改正に関する件が審議され、最終的には今回の国民の祝日に関する法律となるわけですが、衆参両議院でかなり時間をかけて審議されております。当時、参議院では文化委員会で長時間かけて議論されておりますが、一九四八年、昭和二十三年二月二日の委員会で、当時の山本勇造委員長が、祝祭日を選ぶ基準として、第一に、国民の生活感情に溶け込んでおるところの古いしきたり、風習がある、ただし、それは新憲法の精神に沿うものでなければいけない。第二の基準として、今までにはなかったが、これから新しい国家を築き上げていくのにふさわしいものが必要だということを示しております。計二点挙げていらっしゃいます。 私は、第一の憲法の精神に即しているという点と、第二の点にかかわって次のような趣旨が提言されていたことに注目しております。こう述べられております。「特に今日の世の中でありますから、国際的なことということが考えられるだろうと思います。」。つまり、第二次大戦後、日本が新しい国家として出発するときに、国際的な視野を入れた祝日を設けたらどうかというようなことが話されています。結果的にはこれは設けられておりません。 そこで私は、二十一世紀を間近に控えた今日、五月三日の憲法記念日、五月五日のこどもの日に挟まれました五月四日を、両祝日を発展的につなぐものとして、共生の日、つまりともに生きる日にしたらどうかと考えた次第であります。 憲法の精神であります主権在民、平和主義、基本的人権の尊重の趣旨をこれからのグローバル化社会の中で考えていくという視点、つまり、文化、国家、国籍を異にする者同士がお互いの文化、人権を尊重し合い、違いを豊かさにして生きていける地球社会をつくり出す、こういう精神。こういうことを日本が世界に示していく、そういうことが二十一世紀を担う子供たちにふさわしい祝日であろうと考えた次第であります。つまりは、主権在民というものを開かれた観点から見直すということにもつながりますし、昭和時代の歴史的教訓を考えるということにもつながっていくものと私は考えております。 日本の祝日制定に関しまして、今まで見られなかった新しい視点を取り入れるという方向での議論を期待しております。 蛇足ながら、共生という考え方は、人間と自然、女性と男性、障害のある人とない人、国籍を異にする人たち、そういう人たちがともに生きていくという視点で、これからの新しい時代にふさわしい祝日ではないかと考えております。子どもの権利条約の精神を踏まえて、子供と大人がどうやって新しい社会をつくっていくかという観点も含まれているのではないかと考えております。 以上でございます。
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。 次に、岩井参考人にお願いいたします。岩井参考人。
○参考人(岩井忠熊君) 私は、昭和の日制定に反対する理由を述べます。 昭和は、一八六八年、明治元年に始まる一世一元制による単なる年号で、一つの時代を示す言葉ではありません。封建身分制を廃止した維新に始まる明治期やデモクラシー運動の顕著だった大正期と違い、六十三年余の昭和を一つの時代とする歴史学的な根拠はないのです。 一九四六年の日本国憲法制定で、天皇主権の国から国民主権の国に変わり、議会制民主主義が確立され、国の名前も大日本帝国から日本国に変わります。それまで国民の半分を占める女性には参政権がなく、参議院も存在しませんでした。まさか参議院を貴族院の連続とは言えないでしょう。 戦前歴代内閣の総理大臣は、資料一を見るとあるとおり、重複を二人と数えて、明治期十四名中五人が軍人、大正期十一名中五人が軍人、昭和期、敗戦までは十七名中実に半数以上の九名が軍人です。昭和戦前期とは、つまり軍人が政治にも大きな支配力を持った軍国主義の時代でした。総理が国会で指名される今日とは大きな違いです。 今、国会は国権の最高機関です。戦前昭和期とその後の日本をひっくるめて昭和で一括するのは、国会みずからが自分の権威を引き下げる行為にほかなりません。 一九三七年、昭和十二年には、浜田国松代議士が軍の政治関与を攻撃したため、寺内陸軍大臣が強硬に解散を主張して内閣は倒れ、広田内閣は総辞職しました。資料二。 一九四〇年、昭和十五年には、斎藤隆夫代議士が戦争政策を痛烈に批判したため、軍部の圧迫で衆議院が除名するに至りました。資料三。 気に入らぬ内閣は、軍部大臣現役制を盾にとって倒すことも、成立を妨害することもできたのです。明治、大正期には見られなかった軍部の政治支配が、戦前昭和期に極端になりました。旧憲法の帝国議会も機能不全に陥ったのです。議会演説さえ圧迫されたのですから、選挙や言論は官憲の厳重な監視と干渉を受けました。演説会場には警察官が臨監し、しばしば弁士注意や中止を命じています。内務省警保局は、全国警察の取り締まり報告を集約して内閣に報告をしました。今も残る公文書に明らかです。資料四。 政党と議会は、軍人の関与が見られた相次ぐテロ事件や、時にはそのうわさにまで脅かされて、自由な政治活動を展開できなくなります。真っ向から戦争反対を掲げた日本共産党やその他の反戦運動は、治安維持法、出版法、新聞紙法等によって弾圧されました。こうして反対勢力を封じ込めておいて、昭和初期から軍国主義の大陸侵略が急速に活発化します。 一九三一年、柳条湖事件以後の大陸侵略は周知のことですからあえて述べません。 対米英戦以後はアジア民族解放戦争だったと言う人がいますが、四三年の御前会議決定は、マライ、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベスを帝国領土として決定しています。 シンガポールには、英国の侵略を代表するラッフルズの名を記念するラッフルズ広場が現在もあります。その広場に、皮肉にも日本軍の住民虐殺を悼む数十メートルの高さの記念碑が建てられ、毎年、その碑の前で、独立したシンガポール人による追悼の式典が続けられています。 中国は、香港、マカオの植民地支配を非難し続けましたが、武力を使うことなく、条約期間の満了を待って平和的に復帰を実現しました。日本を盟主とする大東亜共栄圏なるものを軍事力で実現しようとした歴史と余りにも対照的です。 アジア諸民族は、悪夢のような記憶の残る時期を、日本が今さら昭和の日にひっくるめて祝日とすれば、それらの民族からまたまた日本の歴史認識を問われるのは明らかだと思います。 昭和の日が昭和天皇の誕生日にちなんだことは明らかですが、死者の命日はともかく、死者の誕生日を記念したり祝う風習は古来からの日本にはありませんし、亡くなった天皇の誕生日を祝った先例も近代以前にはもちろんありません。他国では、昭和天皇をただ第二次大戦との関係で記憶しているだけです。 第二次大戦で日本と同様に敗戦国になったのはドイツとイタリーです。ドイツには敗戦前と現在を断絶としてとらえる歴史認識が定着していますから、昭和の日のような発想も記念日もありません。もしつくろうとしたら、国民及び周辺諸国の猛烈な非難にさらされるでしょう。 イタリーには戦時中にレジスタンス運動があり、バドリオ政権後は連合国に加わったという経過がありますので日本、ドイツと事情が違いますが、戦後に国民投票で、ムッソリーニに協力した王制が廃止され共和制となりました。ですから、王制時代と戦後を一くくりにした国家的歴史認識は生じ得ませんし、あるのは共和国宣言記念日となります。 昭和期は激動の時代だったという言い方は正しくありません。激動というのは、本体が変わりのないまま、ただ激しく揺れ動いたという意味です。実際は、日本という国家・国民にとってその時代は、天皇主権の大日本帝国から国民主権の日本国憲法への劇的な変化、激変の時代だったのです。敗戦直後の政治史家は、悠久二千六百年と言ってきた日本の歴史も幕を閉じたと断言しています。資料六。 このような激変を挟んだ時期を、年号が同じだからと言って一つにくくって祝日をつくるのは、国民の歴史認識を誤らせ、後世に災いをもたらすことになるでしょう。 国民の休日をふやしたいのなら、事情を説明して新しい休日を制定すれば済むことです。無理な理屈と歴史認識を理由とすることは、国民主権のもとにおける国会の権威を失墜させる結果となるのではないかと恐れます。 忘れてならないのは、世界の人々は、柳条湖事件が火種となって戦争が連鎖反応的に広がり、第二次大戦になったことを記憶していることです。謀略をやった当の軍人も、火元が自分たちの起こした事件だったことを語っています。資料七。 その結果、世界でおよそ五千五百万人の死者、三千五百万人の負傷者、三百万人の行方不明者が出たと推定されています。日本では約百二十万人の戦死、官民にも約七十万人の死者、ほかに戦災の罹災者が八百七十五万人に達したと言われます。大変な犠牲者です。 私はいわゆる学徒出陣で海軍に入り、敗戦時に海軍少尉でした。私の乗った船はアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、私は三時間泳いで僚艦に助けられましたが、生き残れたのは二割弱です。血だらけになった人たちが甲板上でのたうち回っていた光景が、今も脳裏にまざまざと刻まれています。私は、水上特攻隊員として任地の石垣島へ送られる途中でした。 そのような経験を持つ私にとって、戦中、戦後の区別は、自分の生死を分かつ痛烈な体験と結びついているのです。今生きている、しかも近代日本史を研究してきた自分にとって、あの時期と戦後をひっくるめて一つの時期とした上で昭和の日を制定するということは、理性と感情の両面から容認できることではありません。その道理は多くの国民の共有するところでもあると確信する次第です。 以上です。
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。 次に、佐高参考人にお願いいたします。佐高参考人。
○参考人(佐高信君) 昭和の日というのは、私などから見ますと、天皇というものを何か利用しようとしているのではないかという感じがいたします。 というのは、昭和の前、大正というのがあるわけですけれども、国史大辞典というのを調べてみましたら、大正天皇については、誕生日は八月三十一日であったと。それを、八月三十一日というのは夏休みにかかるので、移動して十月三十一日にしているわけですね。そういう何か非常に便宜的なことをやっている。さらには、大正天皇祭というものが後に設けられまして、大正の天皇の命日というものをそういうふうにしている。そうしますと、誕生日とか命日とか、次々とそれがふえていく。 そして、それを天皇自身が喜ぶのか。私は、昭和五十年ですか、天皇在位五十年の祝典みたいなものを行ったときに、たしか筑波常治さんという皇族に連なる人だったと思いますけれども、筑波さんが、こういうことを天皇は喜ばないだろうと。大変に天皇自身もいろいろ苦労した、それをお祝いするというのは、非常に心ない人たちのなせるしわざであるというふうに批判した文章を書いたのを読んだことがありますけれども、天皇という存在をむしろ利用するものではないかという感じがいたします。 昭和という時代をどう見るかというのは、いろいろ論議があっていいというふうに大原さんは言われましたけれども、私はたまたま石原莞爾という満州事変の張本人と言われる人と同郷でありまして、今度、石原莞爾についての本を出すわけですけれども、その石原莞爾についての本を書く過程でちょっとびっくりしたことがありました。どういうことかというと、例えば日本民族というふうなものをどういうふうに考えるかと。 大抵、例えば三島由紀夫さんとかあるいは今脚光を浴びている石原慎太郎さんなんかは、当然日本民族は単一民族だということからいろんな論議を展開されているわけですけれども、その単一民族説というのは、戦争中はそうではなかったわけですね。 御年配の方はむしろ御承知だと思いますけれども、その三島由紀夫とか石原慎太郎的な考えを持っていた戦争中の国体論者穂積八束というふうな人は、例えばこういうふうに言っている、戦争中ですね。国家は民族を基礎として成立するが、「一国ハ必シモ限定セラレタル一個ノ民族ヲ以テ成ルト謂フニハ非ス」、「民族ノ別ハ固ヨリ絶対ノモノニ非ス。大民族ハ能ク異種ノ人ヲ混シ其ノ子孫ヲ同化シ其ノ民族範囲ヲ愈々大ナラシムルコトアルナリ。蓋民族ノ観念ハ同祖ノ自覚ニ生ス、此ノ自覚ハ歴史ノ成果タリ。同種ノ人、此ノ自覚ナキカ為ニ史上ニ一民族ヲ為サス、異種ノ人、此ノ自覚アルカ為ニ史上ニ同民族ヲ為スコトアルヘシ」。民族の観念というのは同祖の自覚によって生まれ、その自覚は歴史的につくられるものだというふうに穂積八束という人は主張しているわけですね。 その後、この穂積の東京帝国大学の講座を受け継いだ上杉慎吉、岸信介さんなんかの師匠だったと言われるわけですけれども、この上杉慎吉という人も、民族とは構成員の主観の産物であり、「人種の同一に非ず、言語の同一に非ず、宗教の同一に非ず。」「各人相互に同胞兄弟なり同一民族なりとの信念感情に基づく」と。つまり、自分たちが同じ民族だと思えば全部同じ民族だという主張をしているわけです。これは、現在の三島由紀夫とか石原慎太郎の考えとは全く逆ですよね。 そしてさらに、その上杉慎吉という人は、日本も太古には「天孫民族あり、出雲民族あり、其の他先住諸民族あり、又は皇別神別蕃別ありしも、皆一家の如く、同胞兄弟たるの感情意識信念を一にして離るべからざる一体を成した」と。 じゃ、なぜこういう主張が戦争中にはなされたのかといえば、満州に五族協和の王道楽土をつくるんだという主張がされるわけですね。漢民族、朝鮮民族、日本民族、蒙古、満州ですか、この五つを一体化した国をつくるんだという五族協和の観念、その思想を進めるためには、日本民族は単一民族だという主張ではぐあいが悪いわけです。だから、一番のいわゆるタカ派というか、国体論者たちが率先して混合民族説を主張したということをどういうふうに考えられるのか。穂積八束や上杉慎吉と同じ国体論の哲学者井上哲次郎という人も、日本人は混合民族だということをはっきりと主張しているわけです。 そういう主張とは全然別に、ひっくり返って、今、日本民族というのは単一民族だというふうな三島・石原流の主張が出てきているわけですけれども、その食い違いというふうなものをどういうふうに考えるのか。 また、天皇という人が、自分の誕生日というふうなものを象徴として昭和を考えるというふうなことを果たして望んでいるのかどうか。私なんかは、それだったらむしろ五月一日のメーデーなんかを祝日にしたらいいだろうという感じもしますけれども、何かこういうふうに、昭和の日とかというふうなものにみどりの日から改めたいという人たちの中に、余りに狭い愛国心というふうなものを押し出してくるという感じがしてならないわけです。 私はさっきから、自分に近い主張の人ではなくて、むしろ穂積八束とか上杉慎吉とかいうふうな人の主張をここで紹介しているわけですけれども、あるいは亀井勝一郎という人なんかも、「現代史の課題」という本の中で、日本の歴史を学んで、国を愛する心と同時に国を憎む心が沸いてきてもいいんだというふうに、非常に幅広い、ゆとりのある愛国心のとらえ方をしている。そういうせめて亀井勝一郎さんぐらいのゆとりというふうなものが持てないのか。そのゆとりこそがむしろ、さまざまな論議を生み、その国を豊かにしていくものなのではないかというふうに私は思うわけです。 さっきの大正天皇の祝日移動あるいは命日というふうなことを考えても、余りにそういう天皇利用というふうなことは、むしろ愛国心というふうなものをゆがめていくものだというふうに私は思いますし、そういう観点から、この唐突な変更というものに反対したいというふうに思います。
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。 これより参考人に対する質疑に入ります。 なお、各参考人にお願い申し上げます。御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。 また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔におまとめください。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○亀井郁夫君 自由民主党の亀井でございます。 きょうは、参考人の皆さん方には大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。 昭和の時代を振り返ってみますと、お話ございましたように、まさに激動の時代であったように思うわけでありますが、数多くの国際的ないろんな問題を克服しながら、先進欧米諸国に伍すべく近代国家への道を真っすぐに突き進んできたわけでありますけれども、その中で、たび重なる戦争、そして敗戦、そうした厳しい苦しい時代もありましたけれども、国民の英知と努力によって苦難を克服して、そしてすばらしい経済発展を遂げ、現在の平和で豊かな日本の基盤を築いたのがこの昭和の時代であったと私は思うわけであります。 文字どおり激動の時代であった昭和の時代をしのび、その意義を改めて理解し、そしてまた反省すべき点を反省し、日本のあすへの思いをしっかりとかみしめるために、現在のみどりの日であり、また昭和天皇の誕生記念日であった四月二十九日を昭和の日と定めることはまことに意義あるものだと私は思うわけであります。しかしそのためには、昭和の時代の歴史を国民の一人一人が正しく理解する必要があるのではないかと思います。 いずれの国の歴史にも日の当たる光の部分と暗い影の部分があるわけでありますが、両者を正しく理解する必要があると私は思います。しかし、小学校、中学校、高等学校の歴史の教科書をひもといてみますと、敗戦までの二十年間については、日本が常に悪の根源であるかのごとく、一方的な立場で暗い影の部分を中心に記述されているのも事実であります。 先ほど、国を憎むようなことがあってもいいんじゃないかという話がございましたけれども、私はその意味では、一方的に記述されている点についてはまことに遺憾に思うわけであります。 もちろん、国際紛争の解決手段として安易に戦争を選ぶということは許されないことでありますけれども、当時の世界の政治的なまた経済的な背景や、あるいはまた第二次大戦を契機にしてアジアの諸国が白人支配から脱して次々と独立を実現することができた、こうしたことについても子供たちには教えてやる必要があるんじゃないかと思うわけでございます。 個人に例えて言えば、自分の家の先祖が殺人犯であったということを繰り返し親から教えられた場合、子供たちは自分の家に誇りを持つことができなくなってしまうと私は思います。そういう意味では、昭和の時代について日本の国民として誇りを持つことができるような正しい日本の歴史を子供たちにしっかり教える必要があると私は思います。 そういう観点からきょうは参考人の皆さん方にお聞きしたいのでございますけれども、先生方が学校の歴史の教科書をお読みになったことがあるのかどうかと同時に、小中学校における昭和の時代を中心とした歴史教育のあり方について御意見をお伺いしたいと思います。 時間がわずかでございますので、申しわけないんですけれども、鈴木先生、大原先生、嶺井先生という順番でできればお話をお聞かせ願いたいと思います。時間があれば、岩井先生、佐高先生とお願いしたいと思います。
○参考人(鈴木英夫君) ただいまのお話でございますが、現在の日本を見ますと、先ほどの参考人の方々から間違った愛国心というようなお話もございましたけれども、我々これを見ますと、何か間違った行き方になっているんじゃないかと。 先ほどの話で、戦争時代に軍国主義というものが国民を抑圧したと。ところが、最近では自由放縦主義が国民を抑圧しているんじゃないかと。教育の荒廃、最近見られる青少年の不登校あるいは凶悪犯罪、こういうようなものを見ますと、とてもいても立ってもいられないという気持ちがあるわけでございます。 これはやはり、日本人の魂をもう一度呼び返す必要があるんじゃないかと。頭で考えてばかりいて、偏った愛国主義はいけないとか、あるいはある先生のおっしゃるように、国民と国家というものに執着する余り、これが戦争を誘発すると。それは確かにそうでございます。しかし、人類の歴史というものは、戦争と侵略と虐殺、これの歴史でございます。これを今言ったように、国民と国家の執着を取り除くことができればこれにこしたことはない。日本がそう思って我々が努力することはいいことなんですが、隣にはいろいろな国がございます。新しい国家となった新しいロシアのプーチンさんも、強いロシアをつくろう、こういうようなお話もしております。 一党独裁の国々と違いまして、我々はいろいろな意見もございます。しかしながら、その選択の中から最もいいということ、これが国民の総意とは申しません、総意ということは全体でございますが、大部分の方がそういうプラスのものを持って昭和を回顧するというような気持ちを持っているということで、それが昭和の日を持ちたいという気持ちであるわけでございます。 以上でございます。
○参考人(大原康男君) 簡単に申し上げます。 昭和史を一貫した歴史としてとらえるのはどうかという御意見がございましたけれども、私自身が現在の教科書を見た限りにおきますれば、歴史的事実として確定されていない事柄がそのまま教科書に記述され、しかもそれは、日本が一方的に悪いことをやったということの記述がほとんどでございます。さらに、戦争にしても外交にいたしましても相手のあることでございます。相手と日本との国の間のバランスのとれた視野が現在の教科書に反映しているとは私は感じません。 その意味から、昭和史というものも今かなり研究は進んでおります。いずれそのような研究の成果が教科書に反映することを私は期待しております。
○参考人(嶺井正也君) 私は、昭和の時代の戦争の問題を反省するにまだ十分ではないと考えております。そういう反省をした上で再出発するということ、これは、子供たちが過ちを犯したときに、自分が再出発するときに、自分の非を認めてそこから自分の感情をつくり直していくという、そういう過程と同じように国の歴史も考える必要があるだろうと思います。 もう一つ、光と影の両面が必要だというお話ですけれども、これは日本だけで考えることではなくて、やはり相手との関係の中で、相手の国、相手の民族の方たちとの相互検証の中でやっていく必要があるだろうと思います。それがまだ不十分であろうと思います。ドイツ、イタリアは相互に歴史を検証し合っております。そういったものを見習うべきかと私は考えております。
○参考人(岩井忠熊君) 歴史教育というものは、一方的に一つの解釈を押しつけることではございません。史実を明らかにしながら、それに対する多様な解釈を許容するところに正しい歴史教育というものが成り立つというふうに思います。 しかしその場合、正しい歴史事実というものを必ず押さえなきゃいけない、これは明らかです。満州事変の始まりになった例の柳条湖事件は、関係した首謀者が戦後、明らかに自分がこういうふうにやったと言っているんですね。こういう事実を無視していくことはいけない。これは当時の陸軍刑法に対する違反であり、当然軍法会議に処せられるべき事案であったわけですね。それを、昭和天皇は関東軍を嘉賞するという勅語まで出した。その結果、関東軍関係者は論功行賞をもらい、関東軍司令官、陸海軍大臣は男爵になりました。こういうことによって謀略が公認されて、日本が際限もなく大陸に侵略戦争を進めていったという事実、これは客観的な事実です。いわんや、御前会議において、アジアのこれこれのところを日本の領土にするという決定までしているんです。ここに資料を出しました。この事実を無視することはできないということを私は言っているんです。
○参考人(佐高信君) 私もかつて教師でしたから、その教育の現場云々ということは私なりに体験しましたけれども、歴史教育については、住井すゑさんが言った言葉が私はちょっと忘れられないんです。住井さんは、教育勅語と水平社宣言、「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」という、それを両方教える教育をしなきゃならないというふうに言っているわけですね。教育勅語だけでもだめだし、水平社宣言だけでもだめだと。私の立場からすれば、水平社宣言によって教育勅語を読み破るというふうになるんでしょうけれども、その両方を教えなきゃならないというふうな住井さんの考え方というのはなかなか的を射た考え方ではないかというふうに思っています。
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
○小宮山洋子君 民主党の小宮山でございます。 きょうは、参考人の皆様、いろいろな御意見をありがとうございました。 持ち時間が十分しかございませんので全員の方に伺うわけにはまいりませんので、私は嶺井参考人を中心にお話を伺いたいというふうに思っています。 嶺井参考人は、手続面、それから内容の面、それから対案を含めて祝日のこれからのあり方ということでお話しいただいたと思いますけれども、その手続が突然であって、学生さんたちもほとんど知らないと。確かに、これからの祝日というのは特に若い人たちがその中で長く生きていくわけですから、若い人の意見も幅広く聞いて意見をくみ上げてという御意見に私も賛成ですけれども、それに加えて、個人史も含めて昭和の時代の歴史的な教訓とは何か、深く重い課題なのでもっと時間をかけてということから伺いますと、今回のこういう形で昭和の日を祝日にするということには賛成ではない御意見だと承りましたけれども、もう少しそのあたり、思いがおありになりましたら伺わせていただければと思います。
○参考人(嶺井正也君) 今御指摘のとおり、私自身はこの法律案につきましては反対の立場でございます。 手続的なことも、再度繰り返しになりますけれども、先ほど、昭和の日にするということに賛成の立場ですと、この日の意義を多くの人が知っているというお話だったんですけれども、どうも最近の若者を見ますと、こういうことに関する意識というのはないわけで、しかもそれに対する啓発活動も余り行われていないということを見ますと、私はやっぱり大きな問題かなというふうに思っております。 それから、内容的な面でございますが、先ほど佐高参考人もお話しになりましたけれども、私は教育学の立場から、例えば教育に関する勅語というものが国民の祝日、大祭日という日に戦前の学校では行われていて、それが戦前の日本の植民地あるいは侵略戦争に加担していくような大きな役割を担っていたということに関して、もう少しきちっと議論をすべきではないかというふうに思っています。 私はまた、昭和の歴史の中では特に差別の問題、被差別部落の問題もそうですが、アイヌの方々、沖縄の問題、障害のある方たちの問題、女性の問題、そういう虐げられた人たちが日本の国民という中でどういう存在であったのかということも含めてこの問題を考える必要があるだろうというふうに思っておりますので、今回の法案に関しましては、非常に拙速に過ぎるというふうに判断しております。
○小宮山洋子君 これまでも別に明治の日とか大正の日とかがあったわけではなくて、昭和の日だけをなぜこういう形で祝日にするのかというのは、心のうちの問題も含めて各人の個々の思いをしっかりと検証した上でなければ、特にこういうような形の日を設けることは、私もこれは反対だというふうに考えているのですけれども、今お話しになったような嶺井参考人の御意見から、もしこれから新しく祝日をつくるのであればこういう形のをということが共生の日という対案になったと思うんですが、おっしゃったように国際的な視点とか、これからみんながその日を祝日としてきちんと位置づけていく意味合いを持った日をもし新たに設けるのであればという御意見、大変傾聴に値するというふうに伺ったんですけれども、そのあたりについてもう少しお話をいただければと思います。
○参考人(嶺井正也君) 私は、やはり教育の立場から、子どもの権利条約というものをこれからの学校の中できちっと位置づけていくべきだというふうに常々考えております。 子供たちをめぐるさまざまな問題が起きておりますけれども、今、本当に日本の社会がこれからの二十一世紀を担う子供たちが伸び伸びと生き生きとできるような社会になっているだろうかということに思いをいたしますと、改めて、こどもの日と憲法記念日との間をつなぐ、新たな社会の担い手を育てていくという趣旨の日があってもいいんではないかということで、あえて対案という形でお話をさせていただいたわけでございます。
○小宮山洋子君 もう一点伺いたいんですが、もう一回戻るかもしれませんけれども、相手国との関係も含めて相互検証した上でなければ昭和ということを位置づけられないという、それはかなり時間のかかることだと思いますけれども、どのようにそういう形を進めていけばいいというふうにお考えになっていますか。
○参考人(嶺井正也君) 例えば歴史教科書をアジアの諸国の方々と一緒に検討し合う、そういう機会をつくっていただきまして、お互いどういうふうにそれぞれの歴史を見ていたのかということの突き合わせをしていく中でそれは深められていくことだろうというふうに思っております。 足を踏んだ人は踏まれた人の痛みがなかなかわからないように、足を踏まれた人たちが私たちのことをどう見ているのかという検証が必要だろうと思います。そういうことは今まで機運としてはあったんでしょうけれども、まだ組織的にはこれまでほとんどなされていなかったのではないかというふうに思っていますので、ぜひ今後の課題にしていただきたいと思っております。
○小宮山洋子君 一点だけ佐高参考人に伺いたいというふうに思います。 先ほど御意見をお述べになった最後に、国を愛するというのは、愛するだけじゃなくて憎む心も含めて、そういうゆとりのある形でなければというふうにおっしゃって、私もそういうふうに思うんですけれども、そのことと今回のこの昭和の日を祝日にするということとの関係をもう少しお話しいただけますか。
○参考人(佐高信君) 天皇の誕生日を昭和の日にするというふうなことだと、昭和というものについてさまざまな見方があっていいはずなのに、やっぱり天皇の問題というのはのけて考えざるを得なくなるのではないかと、そういうふうに昭和の日というふうに限定するとですね。それは、さっき紹介した亀井勝一郎というすぐれた批評家があえて言った、歴史を学んで愛する心と同時に憎む心がわいてきてもいいんだというふうな示唆深い提言を無にするものだろうというふうに考えます。
○小宮山洋子君 終わります。
○松あきら君 本日は、参考人の先生方、お忙しい中をお出ましいただきまして本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。 私も先ほどからいろいろお話を伺っておりまして、まさにそう思うという気持ちとかいろいろございますけれども、元号を冠した祝日制定は国民祝日法制定以降初めてのことでございます。 私の個人的な気持ちといたしますと、やはり歴史の見解というのはいろいろあって当たり前だというふうにも思っております。この昭和というのは、激動ではない激変だとおっしゃった先生もおりましたけれども、まさに激動であったことは国民にとって間違いないことだというふうに思うわけでございます。私はまた、いろいろなきちんとした反省があるから進歩もあるというふうに思いますので、そういった意味では、若い人たちに誇りも持たせると同時に、日本のやってきたこともまた正しく教えていかなければいけない。ですから、愛する心、そして憎む心、両方が必要だと佐高先生は先ほど亀井先生へのお答えの中でおっしゃいましたけれども、私も個人的にはそれは非常に大事な観点ではないかなというふうに思います。 しかし、残念なことに今の日本の若者たちは、自分の国を愛したり誇りを持ったりということとともに、過去にどういうことをやってきたかもすべてがわからなくなってしまっている。これも今の教育の中で非常に残念であるし、きちんと大事なことを教えていかなければいけないというふうに思うわけでございます。 そこで、このみどりの日が制定された折に衆議院で、緑だけではなくて太陽という字を入れたらどうかという議論もございました。五月四日の日、これをみどりの日にするということでございますが、先ほど嶺井先生が共生ということをおっしゃいまして、私もこれは非常に共感をいたしました。つまり、五月四日がみどりの日ということは、緑と太陽ということを考えますと、これはやはりいろいろな自然環境であり生活環境であるということが連想されるなというふうに思うわけですね。 そうしますと、四月二十九日、この昭和の日を顧みるということは、いろいろな意味で反省もし、また新たな希望と繁栄を願う、こういった意味で昭和の日とする。これは、昭和の日を振り返る、顧みるという日。そしてまた五月三日は、これは憲法の日ですけれども、平和を祈る日。また四日は、水、空気、土、緑、また世界の中で人間がともどもに生きる、環境という意味も含めてともどもに生きる、そういった広い意味の環境の日。そして五日は、私たちの後継者の健全育成に心を配る、こういったこどもの日。 こういうふうに考えますと、一連の哲学的な主張というものをつくれるんじゃないかなというふうに私個人的に思うわけでございますけれども、鈴木参考人、大原参考人、嶺井参考人、岩井参考人、佐高参考人、各先生から御意見を賜りたいというふうに思います。
○参考人(鈴木英夫君) 先ほどからいろいろ共生というような、お祝いの日とかいうようなのがございますが、私のつたない知識でありますと、祝日法によりますと、祝日というものは、祝って、感謝をして、それから記念するものを祝日とする、こういうように定義されていると理解しております。 今のお話もございますけれども、私は、特に太陽にも我々は大きな感謝を持っていると思います。しかしながら、太陽をどうして記念するか、あるいは太陽をどうしてお祝いするかというような問題がございます。 そういう意味におきましても、例えば昭和の日というものは、最も大きなものは記念するということがございますけれども、私は大正十一年の生まれでございますけれども、昭和に育った本当の昭和っ子でございまして、天長節、天皇誕生日、そしてそれが六十四年間も続いてきたということで大きなお祝いの気持ちと感謝を持っております。 そういうような気持ちを持っている国民が非常に多いということで、それも私が昭和の日に固執する一つの理由でございます。
○参考人(大原康男君) ただいまの一つの哲学的な発想、大変私も興味深く聞かせていただきました。 私も、ちょっと思いつきでございますけれども、みどりの日をテーマにして考えますと、実はそれ以外に、最近制定されました海の日という祝日がございます。それから、現在勤労感謝の日と呼ばれている祝日がございます。かつて勤労感謝の日は、当時の候補では新しい収穫を感謝する日だというようなことであったのが勤労感謝の日ということになってしまったわけですけれども、実はこの三つを合わせて考えますと、新穀感謝の日となるべきであった勤労感謝の日は、いわばこれは農業にかかわる自然の恵みを感謝する、それから海の日はまさにこれは水産業にかかわる、みどりの日が林業にかかわるというふうに考えますと、日本における豊かな自然の恵み、あるいは収穫を感謝し、さらには環境というものを大切にしていこうという意味で、みどりの日というのも、この三つの祝日に合わせて考えますと一つのコンセプトができるんじゃないか。 そうしますと、その恵みのすべては太陽から生まれている。海の恵みも、それから山林の恵みも、それから豊かな収穫を上げる農業におきましても。その意味で私は、太陽はすべてそれにまたがっているということを考えますと、私はみどりの日のままでもよろしいんじゃないかと。 そういうコンセプトを込めてもしも祝日の趣旨を改めるのでしたら、そういう文言に改めることは決して私は反対申し上げませんですけれども、そういうふうに考えれば、太陽というものが単にみどりの日だけではないということで私は理解できるんじゃないかと思います。
○参考人(嶺井正也君) 緑と太陽の日という発想は私は賛成でございます。 ただ、私が共生の日というふうに五月四日をさせていただきましたのは、自然と人間との関係だけではなくて、それこそ昭和と名づけられた時代に私たちが行ったさまざまな問題をどう反省するかということも含めて、アジアの人々との共生でありますとか差別された人たちの差別の問題をどう考えていくかという、そういう人と人とのかかわりの問題を根底的に考えていく、その両方を込めてこどもの日と憲法の日をつないでおいたらどうかという提言でございますので、単に環境の問題というだけにとどまらないものを私は考えております。
○参考人(岩井忠熊君) 私は、みどりの日とか太陽の日、あるいは環境の日というふうなものをつくること自体には反対でございません。ただ、それを昭和天皇の誕生日というものを継承してつくるということには反対です。 例えば、海の日というものは七月二十日ですが、これは、明治天皇が東北巡幸をしてその帰りに軍艦に乗って横浜に着いた、そういう記念日ですね。それにちなんで七月二十日というふうに選ばれた。ところが、宮内省が編さんした明治天皇紀というものを見ますとどうなっているかといいますと、明治天皇は軍艦に乗るのが嫌いで、そのたびに嫌がって、ふだんは大変寛容な人だったそうですが、そういうときに限って事前に怒りを周辺の人間に当たり散らして大変困ったということが書いてある。 あるいは、観艦式のために水雷艇に乗って海の上に出なきゃならないときに、海が荒れたのでそれが中止になったら大変喜んだというふうなことを、当時の侍従を務めた日野西子爵という人が宮内省の職員に対する講演の中で言っているわけですね。 こういうことを知りますと、明治天皇というのは本当に海というのが好きだった天皇か何かのように思えるのが大変白けて聞こえる。こういう白けというものを至るところで子供は歴史教育の中で感じるわけです。あれは建前だよ、大人の言う道徳と同じように建前だよ、実態は違うんだということがわかると、青少年の思想が大人の言うことなんか信じないというところへ流れていくんだと思います。 だから、やがてはいろんなことがわかってくるような歴史というものがあるんですね。歴史というのはそういう性格がありますのは後でわかるんですね。だから、それを単純に、昭和天皇の誕生日を新しいみどりの日とかなんとかにするということには反対なんです。そう言うと、またこれは子供たちは白けていく、私はそう考えます。
○参考人(佐高信君) 私も、緑と太陽の日というか、そういうものを持ち出して昭和というふうなものをある種毒消しするような考え方には反対です。 昭和というものはさまざまな使われ方をしているわけで、例えば、私なんか昭和銀行というのがあったなというふうなことを考えるわけですね。昭和二年に次々と銀行がつぶれていって、その中で昭和銀行というのが誕生して、その銀行もつぶれるわけです。そういうふうなものを含めていろいろ考える場合には、やっぱり余り昭和の日なんというのはふさわしくないというふうに思います。
○松あきら君 平成十年には、民間の企業・団体や大学教授、芸術家を初め文化人による「昭和の日」推進国民ネットワークが発足をいたしまして、先ほども鈴木先生からそういうお話はありましたけれども、超党派で衆参両院議員の「昭和の日」推進議員連盟も結成をされまして、全国会議員の過半数の四百名近くが参加をされたわけでございます。 私は、みどりの日から昭和の日に変えるきょうは質疑でございますけれども、例えば今、文化の日が明治天皇の誕生日にちなむというようなことも忘れ去られているわけでございまして、また、天皇云々ということもそうですけれども、昭和の時代ということをいろいろな意味で顧みる日としての昭和の日ということではないかなというふうに思うわけでございます。 そういう意味で、鈴木先生、大原先生、嶺井先生にそのあたりの、国会議員、大勢賛同者が集まりましたけれども、これも含めて御意見を賜りたいと思います。
○委員長(佐藤泰三君) 時間です。
○松あきら君 わかりました。ちょっと時間を私勘違いいたしておりました。 終わります。
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝です。 きょうは、お忙しいところ本当にありがとうございます。 先ほども、一九四八年の祝日法に向けた参議院での論議も紹介をしていただきました。その中でも、何よりも選定基準として、国民がこぞって祝い、感謝し、または記念するという祝日法に向けて、参議院では、やはり第一に「新憲法の精神にのつとること」ということが確立されましたし、また三つ目に「世論を尊重すること」、それから四つ目に「国際関係を慎重に考慮すること」等々、十項目選定基準が立てられております。 それに関連して伺いたいと思うんですが、この参議院の報告の中でも、新憲法によって主権在民になった、そのことが何よりも大事だということが祝日に当たって言われております。ここはまさに国会の参議院の場ですから、こうした法案を審議するときにも、厳密に一つずつ吟味をしていくということ、討論していくということが大事なんですが、その点でまず岩井参考人に伺いたいと思います。 先ほど、法案の昭和の日について、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、」ということについて岩井参考人から御意見がございました。これは、新憲法の精神にのっとるということでは、昭和といっても戦前と戦後があるんだ、きちんと区別しなくてはいけないということが言われております。 新憲法の精神にのっとって国民こぞって祝う、こういった場合に、昭和の日とすることについての問題点について伺いたいと思います。
○参考人(岩井忠熊君) 国会議事堂のすぐ横に憲政記念館がございます。あれは憲政の神と言われた尾崎行雄さんを記念した施設だというふうに伺っています。 あの尾崎行雄さんは、戦争中に選挙演説で明治天皇を褒めたたえて、そうしてその次に川柳を引用して「売り家と唐様で書く三代目」という言葉を使って、不敬罪だというので告発され、そして一審は有罪、大審院は最後に無罪になりましたが、そういうことを言われた。そのときに尾崎さんは、この川柳は卑俗かもしれないけれども、千古の真理を含んでいるということを言われた。 ここでは明らかに昭和天皇を、ここで言う売り家と書いた三代目に当てて言ったと言わざるを得ない。これはもちろん警告です。こんなことをしていたらそうなりますよという警告なんですね。私はこれは非常に勇気ある発言だったと思います。そして、あの時代の真相というものをまさに言い当てたと思うんです。そのことを敗戦によって我々は本当にしんから自覚することができたんですね。 こういう人たちがおり、そしてこういう認識がそのときにされた、そこまでどん底に日本は陥れられていたんだというその事実を忘れてはならないんです。それと戦後と一緒にしてこれを昭和というふうなことは、およそ歴史学上の時代の観念というものとは全く違う。そういう点で、昭和というものを一括して一つの時代としてとらえたような昭和の日という考え方に私は反対だというふうに申し上げておるわけでございます。
○畑野君枝君 その点で伺いたいんですが、先ほど明治節の話もございました。戦後はもちろんございません。 先ほど岩井参考人の方から、近代以前には亡くなった天皇の誕生日を祝った先例がないというお話がございました。明治というところでこういった誕生日を祝うというものは新しいものだったんですか。そういう点では今の憲法と照らしてどのような問題点があるんでしょうか。
○参考人(岩井忠熊君) 私の知る限り、亡くなった天皇の誕生日を祝日として設けるということは、昭和になってから明治節ができたのが初めてでありまして、日本の歴史上全く前例のないことでございます。我々の民間におきましても、死んだ家族の誕生日を死後に祝うというようなことは全くないんです。これは日本民族の伝統にないことなんですね。こんなことをわざわざやったのは昭和の初年、つまり日本の軍国主義というものが新しい勢いを得てくるその時期に行われてきたということが、私にとっては大変関心の深いことなのであります。 だから、そんなことを今さら考えるべきではない。それと似たことが、今度は昭和天皇の誕生日をもう一遍祝日として復活させようというふうな考え方にあらわれているというふうに私は思います。日本の歴史上こういうことはなかったんです。あったのは昭和の初めからなんです。このことを私は記憶しておく必要があると思います。
○畑野君枝君 あわせまして、選定基準の中では国際関係を慎重に考慮するということが言われているんですが、この点について、特にアジアの関係。この間、日の丸・君が代の法制化やあるいはガイドラインの法制化等が行われてきましたが、そういう流れとの関係で岩井参考人と佐高参考人に伺いたいと思います。
○参考人(岩井忠熊君) 実際、アジアの人たちにとって見たなら、昭和天皇ということは、これは戦争とのかかわりでしか記憶されていないんです。全くそうなんですね。つまり、歴史の上で蒋介石とか毛沢東というふうな人物はどこでも出てくるんです。ところが、昭和天皇というのはどういう文脈で出てくるかというと、あの第二次大戦との関係でしか出てこないです、外国では。 そういう昭和天皇を中心とした祝日というものを新たに設けるということが、よその国の人の歴史認識から見てどんなふうに受けとられるのか、これは重大な問題であろうかと思います。しばしば外国からも歴史認識について日本は批判を受けました。それについて進退された政治家もおられます。こういう愚かなことを繰り返してはならないというふうに私は考えているということでございます。
○参考人(佐高信君) 小渕恵三さんが尊敬する日本人ということで、たしかタイムだったと思いますけれども、昭和天皇を挙げて、ところが向こうの編集部の方では、写真が軍服姿の天皇。小渕さんは随分不満だったという話が出ていましたけれども、イメージとしては、やはり昭和天皇というのは軍服姿のイメージ、特にアジアからはそういうふうに見えてしまうのではないかと思います。
○畑野君枝君 選定基準では世論を尊重するということもあるんですが、先ほど嶺井参考人の方から若い人の声も紹介されました。 それで、参考人がおっしゃるように、もっともっとこういうのは国民の中での論議も必要ですが、残念ながらこの委員会では十一日採決という予定でもう既に進んでおります。ですから、参考人の皆さんの御意見を聞いてからということでいえば失礼なことになってしまっているというふうに思うんですけれども、そういう点で、この世論をどういうふうに大事にするべきかという点について先生のお考えを伺いたいと思います。
○参考人(嶺井正也君) 先ほど、「昭和の日」推進国民ネットワークのいろんな代表の方々のお名前がありましたけれども、やはり若者を代表する方が全然いらっしゃらないというのが非常に気になったところでございます。 そういう意味では、二十代、三十代、あるいは十代の子供たちの意見を幅広く聞くようなことが本来ならばあってしかるべきだったろうと私は考えております。
○畑野君枝君 どうもありがとうございました。
○日下部禧代子君 社会民主党の日下部禧代子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 きょうは、大変重要な課題でございますのに、わずかなお時間しか差し上げることができませんでしたことを各参考人にまずおわびをしておきます。 ところで、先ほど大原参考人が、みどりの日を昭和の日に変えるということは、これは最初、みどりの日を最も本来の意義に、あるいは趣旨にかなったものに戻すことになるというふうに御発言になりましたが、私はやはりその辺のところが納得がいかないわけなのでございますね。なぜ今、昭和天皇の誕生日を昭和の日とするのかというその理由には納得できないところがあるわけでございます。 と申しますのも、昭和天皇が亡くなられまして、それまでの天皇誕生日の四月二十九日の名称を変更してみどりの日が国民の祝日とされた場合に懇談会が開催されております。平成元年の一月十九日、皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会、ここにおきまして二十五人の方々が御発言になっておりますけれども、そこで一番多かったのがやはり緑にちなんだものということでございまして、その次が科学・学術にちなんだもの、それから三番目が平和にちなんだもの、そして平和の日、福祉の日なども出されましたけれども、やはり緑にちなんだものが一番多かったということで、その日に、そこで議論された場合に昭和というのにこだわる方はいらっしゃらなかったという経過がございます。 そのことを踏まえますと、なぜ平成十二年、それから十二年もたった今、昭和の日ということに変更しなければならないのか、その点に関しまして納得のいくような御説明をいただきたいなと存じます。
○参考人(大原康男君) その私的懇談会のことはよく存じております。確かにみどりの日という日が多かったことは事実であります。しかし、昭和の日を設けようという意見がなかったわけではありませんが、少数であったことも事実であります。 しかし、なぜ四月二十九日を祝日として残すかということにつきますれば、当時の国民世論一般、そして国会の中におけるさまざまな質疑も当時ございましたけれども、これはあくまでも昭和天皇がお生まれになった日を記念する日として残すということがあったわけです。ただし、その趣旨をどのような形にするかにつきましてはいろんな議論がありましたけれども、当初の政府側の説明では、やはり新緑の季節にふさわしく、自然を愛した昭和天皇をしのぶことができるという趣旨で始まったものが、でき上がった段階ではまさに換骨奪胎としか言いようのないような、昭和天皇あるいは昭和とは全く無関係な日にされてしまった。 したがいまして、その当初からみどりの日ではやはり祝日の意義に沿うものではないという国民の声があり、それがそのころからほうはいとして起こり、たまたま私どもは六年間ほどの運動でございますけれども、もうそのころから国民の声は広がり始めておりましたので、今急に、十二年たってここで突如としてみどりの日を昭和の日に改めろと言っているわけではございません。 私は、その懇談会は懇談会の答申として尊重すべきものでありましょうが、これは政府提案として、その懇談会の意思を参考としながらも政府がみずから責任を持って提出した法案でございます。そういたしますと、それはあくまでも参考意見であって、別段それに拘泥するわけではありません。がしかし、国民のそうした一般的な声なき声というものと離れた形のものができてしまったがゆえに、このような昭和の日制定運動が起こったものだというふうに私は理解しております。
○日下部禧代子君 次に、佐高参考人にお伺いいたします。 佐高参考人は、かつての国体論者が混合民族説であったと。私はこれ勉強しておりませんので大変新鮮に聞こえたわけでございますが、先生がおっしゃりたかったのは、かつての国体論者の混合民族説というのも、天皇を利用するという意味において、その一つの戦略として使われたというふうにとらえてよろしいのでしょうか。その辺のところも含めましてもう少し御説明をいただきたい。 それとあわせまして、その特定の年代を祝日とすることの影響でございますね、昭和の日と。そうしますと、文化の日はかつては明治天皇の誕生日でございましたでしょうか、それをまた明治の日とするのか。そういう特定の年代を祝日にすることへの影響ということもあわせまして先生の御意見を承りたいと存じます。
○参考人(佐高信君) 私自身も、単一民族と混合民族の何といいますか、今で言う何か取り違えみたいな、現在それを主張している石原さんなんかの先輩格の人が逆にかつては混合民族だったというのはびっくりしたわけですけれども、日下部さんがおっしゃられたように、逆に日本民族が混合民族を主張して全部抑えるという天皇の、天皇信仰といいますか、そういうものを押しつけるというふうな意図から生まれたものだったと思いますけれども、そういうふうな昭和のいわば陰の部分ですね、陰影というふうなものを隠した形で麗々しく昭和というのをうたい上げていいのかというふうに私はやはり思うわけですね。 さっき岩井さんが川柳を引用されましたけれども、例えば鶴彬という川柳作家がおりまして、この人は二十九歳で反戦川柳をつくって獄死した人ですけれども、その人は、「万歳とあげていった手を大陸へおいてきた」、「手と足をもいだ丸太にして返し」とか「修身にない孝行で淫売婦」というふうな非常に痛烈な川柳をつくって、そして捕まえられて獄死した。この獄死には、官憲が赤痢菌を注射したんじゃないかといううわささえある人なんですけれども、そういうふうな昭和というものを天皇の誕生日ということで押し立てるということについては、やっぱり大きな過ちとなるのではないかというふうに思うわけですね。 さっき紹介した、大正天皇の誕生日が移動したり、あるいはそういうふうなことについてはどう思うのかと。昭和の日の次は大正の日というふうなものを持ってくるのかということも含めて、やっぱり象徴天皇という人は民主主義の上に立った天皇であるわけで、一人一人の国民のなりわいというか生活というか、そういうものを大事にした上で成り立っていくものであると思うので、そのためには、何か誕生日を祝うということはおかしいというふうに思うわけですね。 こうなってみますと、いろんな形で特定宗教のお偉いさんを持ってくるとか、そういうふうにもなりかねないということを私は非常に危惧します。
○日下部禧代子君 佐高先生にもう一度お伺いしますが、明治憲法下の天皇と現在の憲法における天皇との位置というのは、当然のこと違っておりますよね。全く異なっております。いわば戦後は明治憲法を否定したことからスタートしたと言ってもよろしいのではないかなというふうに思うわけですね。 それともう一点。昭和天皇在位の間というのは、これは戦前と戦後で評価は全く異なるであろうというふうに思うわけであります。特に一九三一年から一九四五年までの昭和の時代、それは多くの国民にとって、お祝いするあるいはおめでたい日と言うことは絶対できないような日、むしろ耐えがたい日々であったということではないかと思うのですね。戦争で空襲あるいは原爆で亡くなった方々、あるいは言論統制、学問の自由もなかった、特に女性にとっての参政権もなかった、そういうことを考えますと、祝日としてその昭和の日をおめでたいと言うことはどうしても考えられない。 国民の祝日に関する法律の第一条に、その意義として、国民こぞって祝い、感謝する、その日であるというふうに規定されているわけでございますが、この点に関しまして佐高先生のお考えを伺いたいと存じます。
○参考人(佐高信君) おっしゃるように、明治天皇と昭和天皇の位置づけ、戦後の昭和天皇は全然違うんだと思うんですね。私はこの間「司馬遼太郎と藤沢周平」という対比させた本を書いたんですけれども、その中で、司馬遼太郎と藤沢周平の違いというのを端的にあるジョークというかそういうもので象徴させたんですけれども、江戸城はだれがつくったかといった場合に、例えば受験勉強的には太田道灌というふうになるわけですね。いや違う、大工と左官がつくったんだというと、これがある種の笑い話になっちゃうわけですけれども、しかし、司馬遼太郎という人は太田道灌と答えて何の疑問も持たなかった人だろう、藤沢周平という人は大工と左官という答えを笑わなかった人だろうというふうに私は対比させたんですけれども、司馬さんには随分厳しい書き方で、いろいろ司馬ファンからけしからぬみたいな手紙ももらいました。 しかし、本当に象徴天皇というか、天皇自身の精神というか、そういうことであるならば、一人一人の大工さん、左官さんというふうなものをむしろ大事にする、それがまさに天皇を尊重する人たちもやらなければならないことではないかと。だとしたら、天皇個人の誕生日を麗々しく祝うというのはその精神に全く反するものだろうというふうに思います。
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
○委員長(佐藤泰三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。 午前十一時四十七分散会