本会議 第28号
- 発言数
- 5 件
- 登壇者
- 2 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1999/05/11
会議録
○議長(伊藤宗一郎君) これより会議を開きます。 ————◇—————
○議長(伊藤宗一郎君) 御報告することがあります。 議員石橋一弥君は、去る三月五日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 石橋一弥君に対する弔詞は、議長において去る四月二十四日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに地方行政委員長の要職につき また国務大臣の重任にあたられた議員従三位勲一等石橋一弥君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ————————————— 故議員石橋一弥君に対する追悼演説
○議長(伊藤宗一郎君) この際、弔意を表するため、臼井日出男君から発言を求められております。これを許します。臼井日出男君。 〔臼井日出男君登壇〕
○臼井日出男君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員石橋一弥先生は、去る三月五日、多くの人に惜しまれつつ、享年七十六歳をもって御逝去されました。 先生は、昨年の十二月に病を得られ、東京女子医大病院に入院、以来、御家族、同僚議員、地元の方々、その他多くの関係者が、一日も早い御回復と議員活動の再開をお祈りしておりましたが、その願いもかなわず、ついに不帰の客となられました。まことに痛惜の念にたえません。 私は、諸君の御同意を得て、本院議員一同を代表し、ここにありし日の先生の面影をしのび、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 石橋先生は、大正十一年、千葉県山武郡公平村で、代々名主、村長を務めてきた旧家の豪農石橋家の第十九代として生まれました。そして、県議会議員を務められた父弥氏のもとで、房総の豊かな自然に囲まれ、地域の伝統と細やかな人情に包まれ幼年期を過ごし、健やかに成長されました。 長じて先生は、もっと土を知れというお父上の勧めに従って、日本農士学校に学ばれ、農は国の基礎という農本思想のもと、農業経営者としての英才教育を受けられました。 昭和十六年に同校を卒業された後、陸軍に入隊されました。 終戦、除隊後は、戦後政策により大きくさま変わりした公平村にて、家を守り立て、若き農業指導者として農業経営に打ち込んでおられましたが、間もなく、昭和二十二年に、周囲に推されて、二十五歳の若さで村議会議員に初当選されました。 そして、農業を中心とする村の議員となって初めて、当時の政府の中央偏重を、また中央と地方の格差の大きさを痛感され、政府の過酷な供米割り当てに対して、農家の方々の先頭に立って、地方事務所をむしろ旗で包囲する等、格差の是正運動に奔走されたのであります。 先生はその後、村長として公平村をリードされ、同村の町制移行、東金市への合併等に大いに尽力されました。 昭和四十三年からは東金市長を二期務められ、合計二十八年もの長きにわたり、一貫して地方行政の最前線にあって、郷土の発展に活躍されました。 さて、先生は、故千葉三郎先生の後を受け、昭和五十一年十二月の第三十四回総選挙に、当時の千葉県第三区から立候補されました。このときは、降ってわいたようなロッキード事件の影響により、国民の政治不信は高まり、中道・革新勢力が大いに勢いを増し、加えて第一次石油ショックにより、日本の経済はかつてない危機に瀕するという、まさに政治、経済、社会ともに大混乱の様相を呈している時代でありました。 いわば、自由民主党にとっては大逆風が吹いたこのロッキード選挙ではありましたが、先生はこの選挙において、初出馬にして第二位という見事な高位当選を果たされたのでありました。(拍手) 先生は、この選挙のときから、地方が栄えなければ国は発展しない、現制度はすべてのことが余りにも中央に偏っている、行財政の権限を大幅に地方に移譲すべきであるという主張をしておられます。 その後も終始変わることのなかった、「国の源はふるさとにあり」という先生の信念、すなわち地方分権の理念が、現在、政治の日程に上がり、その実現に向かって大きく歩み出そうとしているのは、先生が二十三年も前から一貫して主張してこられたことが、やっと具体化してきたものであり、まさに石橋先生が、当初から、すぐれた先見の明と卓越した政治家の資質を持っておられたことのあかしでありましょう。(拍手) 本院に議席を得られた先生は、初当選の翌年には早くも本会議場において演説を行う等、当時としては破格の大活躍をしておられます。 その後、地方行政、文教等の多くの委員会、特別委員会の委員あるいは理事として、各分野で積極的に活躍されました。 特に、文教委員会の委員、理事を長く務められ、私立学校振興助成法改正、外国人教員任用等特別措置法などの議員立法に腐心され、自分の皮膚の一部であるともおっしゃっておった文教行政の発展のために、全力で努力されたのであります。 昭和六十一年七月には、地方行政委員長に選任され、在任中の地方税法の改正に際しては、「地方の権利は一歩たりとも後退させてはならない」との強い信念で職務に当たり、地方自治の発展に大きく貢献されたことは申すまでもありません。 また、内閣にあっては、昭和五十五年七月、鈴木内閣において田中龍夫文部大臣のもとに文部政務次官に就任、その後、平成元年八月、第一次海部内閣においては、文部大臣として初の入閣を果たされ、多くの業績を残されました。 中でも、芸術文化関係者の長年の悲願であった芸術文化振興基金を予算計上し、その創設に強力なリーダーシップを発揮され、さらには、児童、青少年の豊かな人間形成を図る上で極めて重要な、道徳教育の充実に努力をされたばかりでなく、私立学校経常費補助金の増額、また、科学技術系の人材育成のため、諸大学の科学技術系学部の創設等に大きく貢献されました。 また、自由民主党にあっては、部会長、各調査会長、筆頭副幹事長等々の多くの要職を歴任され、党の運営や政策立案に、多大な尽力をされたのであります。 とりわけ憲法問題については、まず国民の代表たる国会においてオープンな憲法論議を目指すべきであるという信念に基づき、平成八年、党憲法調査会長に就任以来、衆議院における憲法調査のための機関設置を生涯の使命として尽力されたところであり、そして今、この設置問題が各党間において真剣に検討されるに至っておりますことは、御承知のとおりであります。 かくて、石橋先生は、本院に在職すること八期二十二年四カ月の長きに及び、この間に先生が残された功績は、まことに偉大なものでありました。 先生は古武士の風格を持つ人でありました。それは、単に武人のような顔立ち、太いまゆ、真一文字に結んだ口元などの風貌や、酔えば黒田節を歌うからばかりでなく、日ごろから口にされていた、「政治家は武将のごとく生きよ」という言葉どおり、信義を重んじ、筋を通すことを旨としていたからにほかなりません。(拍手) 本院議員になる前の、東金市長に初当選をしたとき、御自分の出身地区に対して、これでこの地区の道路舗装は最後になるので覚悟してほしいと宣言し、減反政策に当たっては、まず隗より始めよと、御自分の水田一町二反歩を真っ先に休耕田にされたという話が、地元では語りぐさになっております。 この姿勢は、本院議員になってからも終始一貫しておりました。このゆえに、地元選挙区の方々も先生に絶対的な信頼を寄せ、また国会においても、身を潔くし発言に重みのある政治家という定評がなされ、同僚、後輩議員から慕われたゆえんでありましょう。 私は、同じ千葉県出身ということもあり、先生には大変お世話になり、政治の先輩として多くのことを教えていただきました。 中でも特に印象深いのは、平成三年、先生が党文教制度調査会長、私が政務調査会文教部会長のときのことでした。当時、幼稚園の就園奨励費を三歳児まで引き下げるということを提起し、私と先生とで夜明けまで大蔵省当局と折衝したときのことであります。このときの先生は、御自分の信念をじゅんじゅんとして述べられ、一歩も引かぬ毅然とした態度と気迫で調整に当たり、ついに見事、就園奨励費三歳児支給の道を開かれたのであります。 私は、ふだんは柔和な先生が、一たび事に当たるや不退転の強い信念で事を進める、その真摯なお姿に接し、さきの道路舗装、休耕田の話等とあわせて、政治家とはかくあるべしという無言の教えを受け、強い感銘を受けたものでありました。(拍手) また一方では、先生は深く茶道をたしなまれ、芸術、文化に幅広い造詣をお持ちでした。さらに、身だしなみに細やかな気遣いをされ、会う人に涼しさや暖かさを感じてもらうため、眼鏡を夏と冬とでかけかえるというソフトな一面を持つ、まさに教養人であり、文化人でもあられました。いずれも、大正生まれらしい、先生のまじめで誠実な人柄を如実に物語っているものであります。 さて、今、国会には、いよいよ地方分権の推進を図るための法律案が提出され、その審議が期されているところであります。さあ、石橋先生の出番がやってきた、そう思っていたやさきの訃報であり、残念至極であります。そして、だれよりも無念に思っているのは、天にある先生御自身でありましょう。 先生のような有為の人物を失いましたことは、地元の皆さんはもとより、自由民主党にとっても、本院にとっても、さらには国家にとっても、大きな損失であると申さねばなりません。(拍手) 石橋先生、私どもは、もはやこの議場で先生のお顔を見ることはできません。しかし、先生の残された幾多の功績とそのお人柄は、私ども同僚、後輩議員の心の中に長く生き続けることでありましょう。そして、先生の御遺志を体して、国のため、国民のための国会議員としての本分にもとらぬよう、真摯に活動していくことをお誓い申し上げます。 ここに、故石橋一弥先生の生前の御功績をたたえ、その御遺徳をしのぶとともに、心からの御冥福をお祈りし、名残が尽きませんが、謹んで追悼の言葉といたします。(拍手) ————◇—————
○議長(伊藤宗一郎君) 本日は、これにて散会いたします。 午後零時四十七分散会