行財政改革・税制等に関する特別委員会 第2号
- 発言数
- 51 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1998/12/09
会議録
○委員長(吉川芳男君) ただいまから行財政改革・税制等に関する特別委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 昨八日、奥村展三君が委員を辞任され、その補欠として岩本荘太君が選任されました。 —————————————
○委員長(吉川芳男君) 財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律案を議題といたします。 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。宮澤大蔵大臣。
○国務大臣(宮澤喜一君) ただいま議題となりました財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律案につきまして、提案の理由及びその内容を御説明申し上げます。 現下の経済情勢は、個人消費が低調であるほか、設備投資も大幅に減少するなど、景気は低迷状態が長引き、極めて厳しい状況でございます。こうした我が国の経済の状況を踏まえれば、財政構造改革を推進するという基本的考え方は守りつつも、まずは景気回復に向け全力を尽くすために、財政構造改革法を当分の間凍結することが必要であります。 本法律案は、こうした考え方を踏まえ、財政構造改革法についてその施行を停止する等の措置を定めるものであります。 以下、この法律案の内容につきまして御説明申し上げます。 第一に、財政構造改革法について、別に法律で定める日までの間、その施行を停止することとしております。 第二に、財政構造改革法の再施行に当たっては、財政構造改革法の施行が停止された後の我が国の経済並びに国及び地方公共団体の財政の状況等を踏まえて必要な措置を講ずることとしております。 以上がこの法律案の提案の理由及びその内容であります。 何とぞ、御審議の上、速やかに御賛同くださいますようお願い申し上げます。
○委員長(吉川芳男君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(吉川芳男君) 速記を起こしてください。 暫時休憩いたします。 午後零時四分休憩 —————・————— 午後五時四十一分開会
○委員長(吉川芳男君) ただいまから行財政改革・税制等に関する特別委員会を再開いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 本日、谷本巍君が委員を辞任され、その補欠として三重野栄子君が選任されました。 —————————————
○委員長(吉川芳男君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律案の審査のため、本日、参考人として日本銀行総裁速水優君の出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(吉川芳男君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 —————————————
○委員長(吉川芳男君) 休憩前に引き続き、財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律案を議題といたします。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○脇雅史君 自由民主党の脇雅史でございます。 小渕内閣発足以来、閣僚の皆様方、経済再建ということで本当に大変な御努力をいただいておりますことに心から感謝を申し上げますとともに敬意を表する次第でございます。また、本日は朝早くから質疑の連続で大変お疲れだと思いますが、もうしばらくおつき合いを願いたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。 私は、冒頭に大蔵大臣にお尋ねしたいわけでございましたが、実は井上国土庁長官がよんどころのない御用事がおありだということで、急遽順番を変えさせていただきまして、井上長官にまずお尋ねいたしたいと思います。 緊急経済対策というものができたわけでございますが、私これを見まして、通常、緊急経済対策といいますとすぐ目先のことをやるといったイメージなんですけれども、実に二十一世紀、遠くを見ながらすばらしい計画ができているのではないかな、すばらしい計画の芽があるというふうに思うわけでございますが、とりわけその中の生活空間活性化策という中で総合的な地域戦略プランというところがございます。 これは全国を四百地域ぐらいに分けて、それぞれの地域で独自に地域の特性に合った計画を立てて、二十一世紀にふさわしい生活空間をつくり出そうという意図のようでございまして、実はこれをうまくやれば歴史に残るようなすばらしい仕事があるいはできるのではないかなというふうに期待をしているわけでありますが、これを従来型の霞が関でマニュアルをつくってモデルをつくって各地域ヒアリングをして、それを審査するというようなやり方でやりますと、相変わらず金太郎あめみたいな、あるいはこう言っては言い過ぎかもしれませんが、新幹線の駅みたいなものがまた全国各地にできてしまうということになりかねないわけで、せっかくのこのすばらしい芽を、五年間という計画のようでございますから、しっかりと育てていただきたい。とりわけ中央官庁のこれに対する関与の仕方というのを国土庁を中心に十分にお考えいただきたい。まさに地方自治の、地方分権の芽が出るわけでございますから、そういう意味で、私はこれに極めて注目をしておりますので、国土庁長官のこの総合的な地域戦略プランに対するお考えをお伺いしたいと存じます。
○国務大臣(井上吉夫君) 大変脇議員の御配慮ありがとうございます。 今お話にありましたように、総理が新経済対策の中で特に生活空間倍増プランなるものを打ち出されまして、その実際上の役目を担う大きな役割の一つに、今お話がありました地域戦略プラン、これをもう脇議員から既にお話しありましたような仕組みの中で進めていこうというぐあいになっておるところでございます。 改めて申し上げますと、地域戦略プランというのは、都市と地方の各地域、近接した大体八、九ぐらいの区域というのが想定されると思いますが、そういう区域が一つのまとまりとしてみずからテーマを選ぶ、そして活力とゆとり、潤い空間の創造のために複数の、今申し上げましたようなぐらいの市町村が広域的な連携のもとに関連施策間の連携が図られた総合的なプランを自分たちでしっかりまとめ上げてそして実行に移す、主体的に策定するというのが第一であります。脇議員が言われたような進め方がまずこの地域戦略プランの原点にあるわけであります。 これに対しまして、国といたしましてはどういうかかわり方をするかと申し上げますと、国土庁を総合窓口として関係省庁が一体となってこの成功のために応援をしていこう、都道府県事業等もありますので都道府県も一体となって最大限の支援体制をこのことに向けていこうではないか。 言うまでもありませんが、今まで箱物を含め、あるいは屋体だとか総合体育館だとかというのをそれぞれの町ごとに年度は違っても次々つくっていったために、どちらかといえば余り利用度の少ない同じような施設があっちにもこっちにもずっとつくられているというのが実態ではなかろうかなという感じがいたします。そういうものもある程度行き渡ったというよりも、むしろ有効にこれが生かされるという点から見れば多少むだな施設等もあるのではないか。今度はそういうむだを起こさないように、関係の区域が一緒になってテーマを選び、そういうことで仕事を進めていこうというのが考え方の原点であり中心でありますので、おっしゃられましたように、国からこういう事業をこういう企画でこういう要綱に従ってというようなことは一切考えておりません。今申し上げましたように、関係の連帯した区域の皆さん方でしっかりとテーマを選び進め方を考えていただきたい。大体五年ぐらいを一つのめどといたしまして、一地域百億ぐらいの事業として考えております。 関係の省庁一体となってこの事業の円滑な推進のために、それぞれの省庁はそれぞれの省庁が持つ補助事業その他の支援体制もできるだけこの事業に集中をして応援をしていただく、そういうことの総合的な調整の窓口を国土庁にとらせていただくという形で進めていきたい、このように考えております。 どうぞ、この道の専門家であります脇議員の応援もお願いをしながら、ぜひこの事業を私は成功させたい。このことがこれから先、言われましたように地方分権の具体的な進め方であり、むだなくいろんな事業を単にハード事業だけでなくてソフト面の事業もしっかり組み込んだ形でやっていくというぐあいに考えておりますので、脇議員を初め関係の皆様方の御協力をお願い申し上げて、答弁といたします。 ありがとうございました。
○脇雅史君 どうもありがとうございました。今、長官が述べられましたような趣旨を踏まえて霞が関の各役所の皆さんも対応していただきたいというふうにお願いをしたいと思います。井上長官はあれですから、これでどうぞ。 それでは、大蔵大臣にお尋ねをしたいと思うわけでございます。 一昨年ごろから国の財政危機ということが大変に叫ばれておりまして、このまま行ったら大変なことになるということで、ちょうど一年ほど前に財革法が制定をされました。あらゆる歳出分野、聖域なく削減をしていくという方針がこの法律の制定によって立てられたわけでございます。そして、その後さまざまな状況の変化によって、本年五月にこの法律の一部改正がございました。そして、今般また停止をする法律というのが提出をなされたわけでございます。 国の最も根幹的な施策であります財政政策といったものが、どうも大方の国民の目から見てみますと、余りにも振れ過ぎるのではないかという印象を持たれている方が多いのではないか、私自身も若干そのように思うわけでございますが。これは、宮澤大蔵大臣というこの道の大変な専門家がおられるわけでございますから、ぜひとも余り難しくなく、国民の皆様にこの間の経緯がこういうわけでこうなったんだ、決して政府が悪かったかいいかということではなくて、その都度最善を尽くしたと思うわけでありますが、その間の経緯を御説明いただければと思います。よろしくお願いいたします。
○国務大臣(宮澤喜一君) 財政改革法の制定、改廃をめぐりまして政府の経済政策が甚だしくその間に揺れ動いたということは、まことに残念でございますけれども事実であったと思います。別の言葉で申しますれば、我が国の経済の持っております問題の難しさ、あるいは我が国をめぐります国際経済の動きというものが政策当局者の意識あるいは認識をはるかにこの数年超えたものであったというふうに申し上げるべきかもしれないと思います。 平成八年十月に総選挙が行われましたときに、各党とも総選挙の主たるテーマは、二十一世紀に向かっての我が国をどのように改革をするかということでございました。その一つとして財政再建ということがやはり大事な問題として言われた。そのときには、たまたま平成八年という年は我が国のGDPが比較的順調な成長をしておりましたために、多くの人々が我が国の経済の問題もほぼ出尽くしたのではないかというような、後に至ってこれは誤った認識と判明しますが、そういうふうに思いましたし、自民党自身がこの選挙に当たりまして、そういう財政の事情でもあるから消費税の引き上げということもある程度やむを得ないのではないかということを、議員さんの中には否定的なことを言われた方もありますけれども、大まかにはややそれを党としては基本的な政策として考えるというようなスタンスで選挙に臨んだように思います。 したがいまして、そういう状況の中で選挙が終わり、平成九年に入りまして、橋本総理大臣のもとに財政構造改革会議が開かれまして、これは政府首脳のみならず、かつて総理大臣の前歴者であった政府・与党の人々、したがいまして村山元首相にも御参加願ったわけですけれども、私も参加いたしましたが、そういう大きな仕組みのもとに一月から随分何回か会議を開きました。 その会議の主たるテーマは、将来我が国が老齢化、少子社会を迎えて、いわゆる長期計画というものはこの際見直さなければ、到底二十一世紀に安定した計画を維持できないといったようなことを初め、財政改革のためには、ある年には我が国の累積債務というものはGDPの一定割合にとどめるべきである、これはECのひそみに倣った点もございますけれども、及び、したがって毎年毎年の特例公債というものは減らしていくべきである、こういったような問題意識のもとにこの会議はかなり何回も、十回近くにわたって行われたと思います。 その間でほぼそのようなコンセンサスが生まれた。といいますことは、少なくとも会議の前半ぐらいの間は、そのようなことが可能である、殊にこの財政赤字の圧縮というようなこと、あるいは長期計画の見直しもしたがってやむを得ないというようなことがこの会議参加者の多くを支配しておった認識ではないかと思います。 しかし、その年の十一月になりまして、三洋証券の破綻を初め、北海道拓殖銀行あるいは山一証券というような事態が次々に起こります。また、その年の夏にタイを発端といたしまして東南アジアの金融危機が発生をいたしまして、それはインドネシア、やがて年末に韓国に及び、非常な急変がございました。急変がございましたが、しかしながら、それにもかかわらずこの財革法そのものはその年の十一月に成立させております。 これは、目先ではいわゆるキャップと申します部分、予算編成に直接に関します部分がございますものですから、やはり財革法が成立することによって平成十年度の予算編成が行われておりまして、したがいまして、平成十年度の予算というのは今考えますと非常に珍しいと申しますか、一般歳出は五千何百億円減っておりますし、公債の発行額も一兆円超減額をされておるといったような、本当にこれは財革法によって一点だけこのような成果が予算として成立をいたしますけれども、しかし、この予算は成立するかしないうちに補正予算が必要ではないかということが、野党のみならず、与党、政府当局者によってすら言われるような状況に急変をいたしまして、そして翌年、ちなみに平成九年度はGDPはマイナスになったわけでございますが、翌年になりまして財政構造改革法の一部改正をせざるを得なかった。翌年と申しますのはことしでございます。 したがいまして、その改革のポイントというのは、先ほど一つの目玉でございましたターゲットの年度における累積債務のGDP比を少なくするといったようなターゲットを延ばさざるを得ない、あるいは毎年の国債発行、特例公債は漸減しなければならないといったような二つの目標は事実上変更せざるを得なかったし、また、たまたまそのときに社会保障について一つ問題がございましたが、大まかにはそういう改正であったわけです。 大変長くなりましたが、そのようなことが行われましたが、他方でしかし政府としては平成十年度予算成立早々にいわゆる十六兆円という大きな経済対策をやり補正を組まざるを得なかった、そういう状況の中で参議院選挙が行われました。そして、その参議院選挙において政府のこの政策、殊に前年度に消費税の引き上げが行われたこともございまして、激しく批判を受けて内閣が退陣をいたします。そして、これは私どもの党の中の出来事ではありますけれども、公党でございますのであえて申し上げますが、こういう政策運営についてのリーダーシップのディベートが行われまして、小渕候補がリーダーとなり、首班指名を受けられました。 したがいまして、小渕候補の主張でありましたところの財政構造改革法の事実上の凍結あるいは廃棄、したがってまた所得税、法人税等の継続的な大幅減税、あるいは今金融のことは申し上げませんでしたが、金融改革というものは当然伴っておりますのですが、そういうことで小渕内閣がこの八月にスタートをいたしました。 そして、八月に平成十一年度の予算編成方針を決めましたこと、所得、法人両税にわたって大幅な減税の方針を定めましたこと、金融措置についての方向を決めましたこと、並びに財政改革法の凍結という決定をいたしましたこと、大変長くなりましたが、これがこれまでの経緯でございます。
○脇雅史君 大変難しい問題を簡単にと言った私の質問が悪かったのかもしれませんが、率直な御答弁ありがとうございました。 私、持ち時間が三十分でございますのであと十分ぐらいしかもうないのでございますが、ぜひとも五問ばかりお聞きしたいと思っておりましたので、以下、まことに不本意でございますが手短に御答弁を賜ればと思います。 まず、今回の法律の停止ということの意味でございますが、余り過去に例はないようでございますが、法律が停止されるということでございますから財革法そのものが一応効力を停止すると。そういう目でこの法律を読んでみますと、中には大変すばらしいことがいっぱい書いてございますね。もちろん、キャップを定める部分と、理念的な部分で従来のやり方をきっちりと考えなさい、検討すべきことは検討しろということがたくさん書いてございます。 そして、私のような素人が考えると、その検討する部分まで今回の停止によってしなくなっちゃうのではないかということを心配するわけでありますが、これは事前にお聞きしましたところによりますと、決してそういうことはなくて、やるべきことは今後ともきちんとやっていくんだというお話のようでございますので、それをお願いしたいと思いますし、一言で結構でございますから、その御決意をお願いいたします。
○国務大臣(宮澤喜一君) 先ほど大変長くなりまして、御迷惑をおかけいたしました。 この法律の中には、したがいまして、将来あるターゲットの年に累積債務を少なくしようといったような、どうしても将来財政として考えなければならない一種の理想も持っておりますので、そういう部分は廃止をしない。やはり停止をして、将来そういう時を期さなければならないという気持ちが出ておりまして、ちなみに我が国の法律で停止という例は陪審法にあるそうでございます。
○脇雅史君 ぜひ各役所の皆様方もその趣旨で引き続き検討すべきことは検討していっていただきたいというふうに思います。 それから、先ほどから大蔵大臣がお触れになりましたが、そもそも財革法が出てくるに当たりまして大変な財政危機という危機感があったわけであります。 大蔵省の方でこういう冊子をつくられまして、このまま行ったら日本は破綻しますと、まるで日本が破産をするのではないかというような恐怖感を国民に抱かせたわけでありますが、私思いますに、日本という国は一億二千万強の大変すばらしいやる気の十分な能力のある立派な方々がたくさんいるわけでありますし、また貯蓄高も非常に多く、千二百兆円と言われておりますからドルに直せば十兆ドルなどという大変べらぼうなお金もあるわけで、力もお金もやる気もあるこの日本という国が破綻するわけがないんで、きちっとした政策運営さえすれば必ず将来はよくなるはずでございます。 それを、余りに危機だ危機だと言い過ぎたのではないかという気が私はするわけでありまして、ぜひともここは、みんなできちっとやれば明るい未来があるんだということをひとつお述べいただきたいわけでありますが、一言よろしく。
○国務大臣(宮澤喜一君) 私も、今おっしゃったようなことを時々考えざるを得ないので、二十一世紀になると少子・高齢化が大変なことになる、したがって今のうちにという、そう言っていてあたかもその危機が今来たかのごとき状態を実はつくってしまったのではないかということは反省いたします。そのときに考えればいいとも思いませんが、先のことを今つくってしまったということにちょっと間違いがあったかもしれない。 おっしゃいますように、しかし我々はこれだけ五十年国を築き上げてきた民族が二十一世紀に沈み込んでしまうはずはない、それはおっしゃるとおりと思います。
○脇雅史君 まさに政治は未来に対して明るい夢を国民の皆さんに提示して、それに至る道筋をどうしたらいいか、それを与えるのが政治でございますから、未来は沈没ですと言ってそれに目がけて縮小するんだといったような政策は、これはもう政治ではないんじゃないかとすら思うわけで、ぜひとも明るい未来を描いて、それに向かっての施策をお願いしたいと存じます。 それから、企画庁長官にお伺いしたいのでございますが、先ほど来予算委員会でも失業問題ということが言われております。現在、平成十年十月で二百九十万人失業者がいる。二百九十万人というのは大変な数でございまして、二百九十万人を超える県なんていうのは我が国でも十県ぐらいしかないんです。一県丸々、遊んで暮らしていると言っちゃ悪いですけれども、何もしないでやっている、そういう状態にあるわけです。 これは、もちろん失業者御自身の立場から見ても、御家族の立場から見ても大変なことではございますが、私はちょっと別の観点、国力という観点から見ると、そういう人たちをちゃんと働かせる、働く意欲があるわけですからちゃんと働かせるということが将来の日本にとって大切なことなのではないか。会社ですと余分な人間はリストラできますが、失業者をリストラなんということは国はできないわけでありますから、将来必要な仕事をその人たちにやっていただくという観点で仕事をつくり出していくといったようなことが必要だと思うわけでありますが、この点に関して、企画庁長官の御意見を伺いたいと思います。
○国務大臣(堺屋太一君) 御指摘のように失業者がこのところふえまして、八月には二百九十七万になりました。十月には二百九十万人でございまして、そのうちで非自発的な失業者というのが百万人を上回る数になってまいりました。この中には仕事のミスマッチ、仕事、人を探しているのが片一方にありながら適材がうまく合わないというような部分もございますので、それを解決することが第一の問題だと思います。 もう一つは、やはり営々といろんなお仕事をしてこられた方でも、これから発展する仕事に向くような技術を持っていない。そういう意味で、このたびの失業対策ではそういう職業訓練、これを民間企業の教育機関にまで含めて広げていく。そしてもう一つは、新しく起業をする方に保証をつけるという新制度を発足させました。 こういうことが相まって百万人程度の雇用が創造できるんじゃないかと期待しております。
○脇雅史君 引き続いて企画庁長官にお尋ねしたいわけでございますが、一部で公共事業はもう要らないんだという説がよく言われます。私は、公共事業というのは未来に対する投資でございますから、安全でそして安心して暮らせる豊かな国土をつくるためにはぜひとも将来とも必要だ。中には要らないものもあるかもしれませんが、それは個別な議論であって、総論としては必ず必要なものだと思っておりますし、これは教育や科学技術といったものと一緒で、国の未来にとって必要な投資だというふうに思うわけでございます。 そして、ちょっと諸外国がどうなっているかということを、私は直接最近外国に行っていませんので人のものを引用するわけでございますが、実は東京大学の森地教授という先生がおられるわけでありますが、ちょっと引用させていただきます。 世界中がグローバライゼーションに向かって国際競争力を持ち、それぞれの地域をどう二十一世紀に向かって再構築するかという脈絡上でインフラ整備のことを議論している。それに比べると、日本は「もうインフラはいらないのではないか」とかいう議論がかなりのところでされていて、なんとなくそんなものかなという雰囲気があり、大変に特殊な状況にあると思います。世界の中で特殊な議論をしているということ位は国民に伝えないと、ますます特異な国になりそうです。 こういうふうに言われております。 これは私は同感なんですが、人の意見ですから実際どうなっているかわかりませんが、ベルギーとかオランダとかフランスとかドイツとかアメリカの例を挙げてそういうことを言われております。 そこで、そういう意味からも財革法の十四条で公共事業を一方的にといいますか一律七%を減らすと決めてしまったこと自体、当時も私は間違いでなかったかという気がするわけでありますが、先ほど失業者のためにも仕事をつくり出す必要があるといった中で、ちょっと前までは外国人労働者を本当に使っていたわけです。外国人労働者をどうするかということが大議論になったような時期もあったわけですから、やや長いレンジで考えれば失業者も出る、外国人労働者が必要なときもあるということですから、まさにその調整弁として将来必要な公共事業を先倒ししてやるということがあらゆる意味で合理的ではないかというふうに思うわけでありますが、いかがでございましょうか。
○国務大臣(堺屋太一君) お説のとおり、公共事業にも不要になっていくものもございますが、ますます必要になってくるものもあると思います。特に、このグローバリゼーションの中では都市間競争、大都市がお互いに競争する、あるいは産業競争、競争力の問題が非常に重要でございまして、インフラストラクチャーが整備されているかどうかがその国にとって優劣が非常に影響すると思います。 したがって、不要なものを厳しく評価して除きながら新しいものをつけていくべきだと思います。今度の緊急経済対策におきましても二十一世紀先導型のものを入れておりますし、また新しく高齢化社会に対応した町づくりというような考え方も入れております。こういうものはやはり重要でございますので、財革法で一律に、公共事業に限らずいろんなものを一律に決めたのはいかがなものであったかと私は考えております。
○脇雅史君 それでは次に、建設大臣にお尋ねいたします。 公共事業を実際に実施するという観点からのお尋ねなんですが、いずれも大変な仕事でございますから、調査の段階、計画の段階、設計の段階、そして実際に工事を施工する段階、それぞれに時間もかかります。また、用地買収にも時間がかかるわけです。公共事業を要らないからやめろと言っておいて、さあやれと言われても、現場は大変な混乱が起きているのではないか。しっかりとした時間を与えなければ、しっかりとした仕事はできないわけです。 そういう意味でも安定的な計画的な仕事の仕方が必要だと思うわけでございます。とりわけ工事を施工する立場に立ちますと、私も発注者の経験がありますので思うわけでありますが、自分の家を建てる場合には工務店に電話して、忙しいから待ってくれと言われればそういうものかなというふうに思うわけでございますが、公共事業の発注者として、そんなこと言ったら、ばか者、嫌なやつは入れないぞと。発注すれば必ずやる人はいるものだというふうに思い込んでいる節がありまして、ある意味でそれが受注者の立場に非常におもしになってかかっているのではないかというふうに思うわけであります。 最近、大変建設関係の業界が厳しい状況にございます。ですから、とりわけ健全な建設産業を育てるという立場から行政をやってまいりませんと、実際に公共事業をさせたくてもやる人がいないということになってしまうわけでありますから、そういう意味での行政のかじ取りが大いに大事だと思っております。幸い建設省は最近そういったことにかなり気をお使いになられてやっているようでございますが、その辺の状況について大臣の所信をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(関谷勝嗣君) 先生はもともと建設省にいらっしゃった方でございまして、何か逆の立場のようで大変答弁しづらいのでございますが、その前に私はこういうようなことをいろいろ考えております。 今、脇先生が大蔵大臣あるいは経企庁長官にも御質問されましたけれども、この財革法を凍結するというようなこと、それは余りにも変化が激しいことではないかというようなお言葉、あるいは公共事業が景気回復にそれだけ大きな効果が出ないようなときではないか、公共事業に対する必要論が大分弱っているんじゃないかというようなこともございました。 そういうようなことをいろいろ含めまして、私、常日ごろ考えておるわけでございますが、確かに戦後五十三年たってきたわけですから、もういろいろなことが私は、そのことを取り巻く環境は変わってきておると思います。ですから、当然変わってきたものに沿うように変えていかなければならない。そして、変わるという意欲のない者は、今度はこちらからアクティブにそれは変えていかなければならないことだろうと思うんです。 ですから、先生の今御質問ございました公共事業にいたしましても、今までのような、特に地方などは不景気になれば公共事業を大きく膨らませば景気がまた盛り上がってくるというようなことが事実ありましたけれども、その度合いは確かに私は少なくなってきておると思います。しかし、今の日本の社会資本の整備というのはまだまだ十分ではありませんから、これは私は、当然公共事業というものは今後とも進めていかなければならないと思っておるわけでございます。 そういう中にありまして、先生御指摘の、現在大変建設業が厳しい経営環境に直面をいたしております。倒産も急増しておりますし、雇用状態は依然として厳しいという状況でございます。その中で、ことしの一月とちょうどきょうでございますが、大きな対策を講じてまいりました。ことしの一月三十日には、建設業の経営改善に関する対策というものを出しまして、経営改善等に対して機動的に対応してきたところでございます。そして、きょう十二月九日に建設業の経営改善に関する緊急対策というものを取りまとめたところでございます。 これは細かく御報告いたしますとちょっと長くなりますので省かせていただきたいと思いますが、いずれにいたしましても、どうしても今、年末にかけまして資金繰りが厳しい状態にあるというようなことでございまして、連鎖倒産防止の対策であるとかあるいは建設業者に対する円滑な資金供給や信用補完の確保ということで、信用補完には一千億円の枠をきょうのところ決めたところでもございます。あるいはまた公正な競争と適正な取引関係を確保する。あるいはまた建設業の構造改革を進めていく。いわゆる企業の連携、協業化の促進等々を行いまして、発注者と受注者がお互いが安心し合ってその仕事を達成することができるように、今後あらゆる角度から強力に指導をしていきたいと思っております。
○脇雅史君 終わります。(拍手)
○久野恒一君 自由民主党の久野恒一でございます。 何せ二人で持ち時間が一時間ということでございますので、四十三分までには終われということでございます。なるべくお答えの方は簡潔にお願いいたします。ただし、きょうの昼間、会議がございまして、財革法の問題の話でございましたけれども、この中に私が言おうと思っていたことが全部、全部でもないんですけれども書かれてございます。そうなりますと、質問することがなくなっちゃいますもので、あえてそこの部分を質問させていただきたいと思います。多少は的が外れるかもわかりませんけれども、それは新人でございますので御容赦願いまして、質問に入らせていただきたいと思います。 まず、地方財政の問題について早速入らせていただきます。 地方財政は、平成六年度から景気が低迷してまいりまして、平成十年度末において借入金残高は、一般歳出の二倍にも相当する百六十兆円にも達しているわけでございます。このような中で地方分権を叫んでいるわけでございますが、果たして地方分権がうまくいくのかどうか、この問題をまず自治大臣にお伺いいたしたいと思います。
○国務大臣(西田司君) できるだけ簡潔にお答えをいたしたいと思いますので、また不足がございましたら答弁をいたします。 今御指摘のように、現在の地方財政というのは、一つは地方税の低迷、伸び悩み等によりまして多額の財源不足が続いておるわけでございます。その上にもっていきまして、数次の景気対策のため、特別減税やそれから先ほど来御議論になっております公共事業の追加等によりまして、借入金残高というのが大変ふえてまいりました。今年度、平成十年度末にはその借入金総額というのは百六十六兆円に達する、こういうことが見込まれておるわけでございます。個別の地方団体の財政状況についても、公債費の比率が非常に高まってまいりまして極めて厳しい状態になる。言葉を少し力んで言いますと、容易ならざる状態である、このように私は考えております。 いずれにしても、御指摘のように地方分権の時代、そして地方や地域が将来に夢を持ち希望を持ち、安全で安心して住める地域社会をつくっていかなきゃいけないわけでございますから、地方財政の運営に支障が生ずるようなことがあったら大変でございます。そういうことを最大限に努力をして対応していかなきゃいけない、これが私の基本的な考え方でございます。
○久野恒一君 どうもありがとうございました。 本当にそういう中で不景気がなかなか改善してこない。そういう中でもって、次の国会では六兆円を超えるような、法人税、個人税含めましてそういう減税をする。そうなりますと、地方に対しましてもそれなりの影響が出てくるのではないか、私はそう思うわけでございます。 したがいまして、その辺のところを地方に対してどうお考えになっているのか、大蔵大臣にお尋ねいたしたいと思います。
○国務大臣(宮澤喜一君) 私も簡潔に申し上げますが、今、自治大臣の言われましたような地方財政の実情でございますので、このたびの所得税、法人税の減税に当たりましても、国税の持ち分を大きくいたしましたし、また、その上でたばこ税を一部国からお渡しするとか、あるいは富裕団体に対して特別の交付金を差し上げるとか、あるいは法人税につきましては交付税の税率の上乗せをいたしますとか、いろいろなことをいたしまして、ともかく自治大臣には、御満足ではありませんでしたが、御辛抱いただける程度の施策をいたしました。 ただ、これは今年度のことでございまして、それによって自治体の財政が直るというわけではございませんので、これはやはり将来に向かって、本来は経済が正常化いたしますときに基本を考えなければなりませんが、問題が残っているというふうに思っております。
○久野恒一君 どうもありがとうございます。十分でございます。 次に進ませていただきますけれども、そういう財政難の中でもって介護保険法が平成十二年からスタートするわけでございます。御承知のように、御承知のようにと言っては失礼なんですけれども、公費負担が半分ございます、二兆一千億円。その公費負担の内訳は、国が二分の一、県四分の一、市町村四分の一となりますと、市町村の財政状況が非常に苦しいのではないかな、そういうふうに思うわけでございます。 それに関しまして、厚生大臣に聞いてよろしゅうございますか。よろしくお願いします。
○国務大臣(宮下創平君) 十二年実施の介護保険制度のスキームでございますが、これは今、議員の御指摘のとおり保険者は市町村でございますから、この介護総費用の半分は公費で負担する、そのうちの二五%を国が持つ、その残り二五%を県と市町村で折半する。国は、二五%のうち五%部分は、諸状況によって保険者間の相違がございますし、その特殊事情に着目して調整交付することにしております。 それから一方、被用者保険の方からも、二号被保険者といって四十歳から六十四歳までの方々も保険料をいただきますから、これは一緒に納めていただきましてプールして、総保険料の三分の一、つまり三三%をどの保険者にも交付するということになりますから、一七%というものが各市町村で残りの一号被保険者、六十五歳以上の方々とかそういう方々からの徴収になると思われます。 一方、その徴収については、年金の基準を今決めておりますが、ある一定以上の年金の受給者の方々からは年金から天引きさせていただくというようにしておりまして、そのような制度を構築したところです。 なお、調整の問題としては、地方自治体が負担すべき部分につきましては、地方財政法におきまして交付税の額の算定に用いる財政需要額の方にも算定するということが一つございますし、それからもう一つは、財政安定化基金というのを国の助成と都道府県の拠出によってつくりまして、これは収納率低下による赤字が生じたような場合とか給付費増による赤字がある場合には、その安定化基金の方から調整して給付するというようなスキームも考えております。 いずれにいたしましても、私ども、これは円滑に実施できなければ困りますので、あと一年有余でございますけれども、全面的に準備をして円滑なスタートができるようにしたいと思っておるところでございます。
○久野恒一君 財政安定化基金、そういうものがあるから大丈夫だと今お聞きしたわけでございますけれども、しかしながら高齢化率というのは物すごい勢いで伸びております。医療とか介護とか、そういう費用がどんどん伸びていく。そういう中におきまして、やはりスムーズにスタートする必要はあるとは思うんですけれども、少子化が進んでまいりまして労働人口がだんだん少なくなってまいりますと、どうしても税収が入ってこないんじゃないか、安定化基金だけでは間に合わなくなっちゃう、そういう意味で財政的な裏づけというものをもう少し後押しをしないと市町村では本当に大変なんではないかな、そういうふうに思うわけでございますので、ひとつここのところは大臣もう一度念を押して、それから自治大臣にもお願いいたします。
○国務大臣(宮下創平君) 私どもも委員の御指摘のような視点で、今町村長会でも多少懸念は持っておる向きもございますので、よく精査してまいりたいと思っております。 そんなことで、あと今やっておる福祉介護の問題と保険切りかえた場合の対比の問題等も町村長さん方の一応懸念の材料になっておりますから、そういうのは保険の中へ入らない、そういうサービスについてはまた何らかの対応措置を講じて市町村をきちっとサポートしていかなきゃいかぬ、このように思っております。
○久野恒一君 同じ問題なんですけれども、自治大臣にもちょっとお答え願いたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
○国務大臣(西田司君) これから地域、地方にとって、よく新しい自治ということが言われますけれども、この中で介護保険制度というものは大変私は重要な問題である、このように考えております。特に、都道府県それから市町村の公費負担というものは、どのように財源を確保し、そして運営に必要な、例えば人件費の問題であるとか事務費の問題であるとか、そういうような地方団体の財政負担については、自治省においても地方財政計画の中でこれをきちっと位置づけていかないといけないだろう、こう考えております。そして、今、厚生大臣もお話しになりましたけれども、個々の団体に対して、地方交付税等の問題を通じて適切な財政措置を講ずる必要がある、このように考えております。 今後、自治省といたしましても、また各省の、特に大蔵省等の御指導もいただきながら、各省と連携をとりながら、それからもう一つ、地方の意見というのをよく聞いていかないとなかなか霞が関だけではいけない問題があります。そういうこともひとつ我々も努力をして、この介護保険制度というのが円滑に運営されるように知恵と汗を出していかなきゃいかぬ、このように思っております。
○久野恒一君 ぜひそのようにお願いいたしたいと思います。 次に、年金の問題についてちょっと触れさせていただきたいと思います。 年金には現在いろいろな種類がございますけれども、最近伺う話では基礎年金が三分の一国庫負担から二分の一になる、そのためには二兆二千億円ばかり余分にかかる、こういうお話も漏れ伺っているわけでございますが、この基礎年金をしっかりとしたものに固めていかないと本当にこれからの高齢化社会を迎えるに当たっては、基礎年金の確立ということに対してぜひとも厚生大臣、しっかりとした御答弁をお願いいたしたいと思います。基礎年金、まずそこをちょっとお尋ねいたします。
○国務大臣(宮下創平君) 基礎年金について今三分の一の国庫負担をいたしております。それを少し引き上げるべきではないかというのが今の年金財政再計算期における問題の指摘でございます。 私ども、年金だけの立場といいますか、そういうことからいたしますと、やはり全額税方式で見ることは私はこれはいかがなものかと。つまり、そうなりますと、生活保護が全額税で行っておりますから、それと区別がなくなりまして、これは資力調査等をやって、資力のある人は排除するということになると生活保護的なものになっていくということで、社会保険ではなくなります。私は、そういう制度はやっぱりぐあい悪いと思いますので、ぎりぎり二分の一、三分の一を二分の一にするということであれば、制度としてはより補強されてきちっとなるかなと思います。 しかし一方、それには今、委員の御指摘のように来年だけで二兆二千億、これが毎年累増していくわけです、給付が上がりますから。そうなると、ずっと恒常的にそれがふえるという前提で設計をしなければなりません。ちなみに、今まで余り言っておりませんが、二〇二五年の推計でありますと、今の四兆七千億が八兆三千億になります。その場合に、よしんば二分の一にいたしますと、二兆二千億でなくて三兆九千億くらいの増になるという試算が、我々は長期計算やっておりますから、なされます。そのようにずっと継続的なものになるわけですね。 それで、私どもとしては、やっぱり全体の財政事情ないし国民の負担率の問題として税とか社会保険が一体どうあるべきか、それからまた、税の財源が本当に確保できるのかどうかという検討を抜きにしてはなかなか結論が得られないのではないか。 来年度やってほしいという意見もございますけれども、これは総理も本会議等でたびたび両院で申されておりますが、これは莫大な財政負担を要するし、当面は困難であるということをはっきりと申し上げておるような次第でございまして、私もそのように存じております。
○久野恒一君 ありがとうございました。本当に大変な資金がかかることでございますので、何とか景気を一刻も早くやっていただきたいなと。 そこで、いろんなことを聞くわけでございますけれども、部分年金ですね、定年が六十、それで六十五歳から支給する、六十過ぎたらば部分年金でもって今対応している。それが将来六十五歳から本当に完全支給という形になりますと、そういう間が五年間あるとすると、全然収入がなくなってまいります。シルバー人材センターとかなんとか多少はあるにしても、収入がなくなってきた場合、これから医療にかかれば一部負担金がかかってくる。それから介護保険も介護を受けると横出し、上乗せの部分が出てくる。 そうなりますと、高齢者の不安という、これから年をとっていくといろいろお金がかかるんじゃないかなと。それが消費マインドを落としているんじゃないか。しっかりとした社会保障制度を国民に明示すべきであると私はそう思うわけでございますが、そういう意味で、これからもぜひいろんな年金をそういう切れ目のないような方策でやっていただきたいと思うわけでございます。お答えは結構でございます。 最後に、そういう意味でこれから年を我々がだんだんとっていったときに安心して老後を迎えることができる、そういう制度づくり、いわゆる年金だけで大丈夫だよと言っていただければ、本当に我々としては安心して消費、貯金があるわけですから、そういうものが出てきて、そして景気も幾らかはよくなっていくんじゃないかなというふうに思うわけでございます。 そういう点を踏まえまして、まとめて年金制度全体を補完するという意味でお答えを願えればありがたいなと思うわけでございます。
○国務大臣(宮下創平君) 年金制度はやっぱり長期的な制度でございますし、私どもは多少保険料の調整、負担増といいますか、そういうことが行われても、また給付総額を多少抑制しませんと、少子・高齢化が急速に進んでまいりますから保険財政はもちません。 そして同時に、今御指摘のように、比例部分の基礎年金部分はもう既に前回の平成六年の改正で二〇〇一年から二〇一三年までかけて六十五歳になることが決定しております。これは、国民年金は今六十五歳の支給でございますから、それと合わせようということです。その上の比例報酬部分を二〇一三年から始めて、遠い先の話のようだけれども、十六、七年後ですね、それから始めて二〇二五年までに六十五にしようという提案を申し上げているわけです。 なるほど理論的には、定年が六十歳であればその間賃金がなくなってしまうじゃないか、生活保障をどうするんだという懸念がございますが、私どもとしては、これから高齢化社会が進んで長寿になって労働力率も高まると存じますし、よしんば所得がない場合はそれを減額して減額年金という制度で調整することも可能でございますから、これは先の話のようですが、年金はそういう設計全体の中での収支を考えませんと安定した制度になりませんので、そういう提案を申し上げているところでございます。 それから、最後に先生のおっしゃられた点はまことに重要な点でございまして、私どもは、例えば今非常に国民の間に不安感があるのは、今もらっておる人たち、つまり既裁定年金者がその年金額をカットされるのではないかという懸念をよく聞きます。これは間違いでございまして、私どもの今の設計では、退職時における年金額は必ずその実質額を保持しようということで、物価がスライドしますと必ず物価スライドで上げていきますから年金は下がることはありません。これはもうはっきり申し上げておきます。 そんなことで、国のやる所得保障方式ですから、これがいささかも揺るぎがあったり不信感を持たれるようなことがあってはなりませんので、私どもはその点をよく留意してきちっとした制度にしたい、こう思っております。
○久野恒一君 どうも厚生大臣ありがとうございました。もう本当に心強い、また力強いお答えをいただきまして、本当に心から感謝申し上げる次第でございます。 時間でございますので、この辺でやめさせていただきます。
○伊藤基隆君 民主党・新緑風会の伊藤でございます。 宮澤大蔵大臣が就任されて以来、ぜひともお聞きしたいと思っていたことがございまして、さきの国会ではそのチャンスがございませんでしたので、私は財政・金融委員会にも所属しておるのですが、きょうまでいわば待っておったわけでございます。ぜひとも大蔵大臣の率直な御見解をお伺いしたいと思います。 八月十一日の参議院の本会議で、我が党の本岡昭次参議院議員が、大蔵大臣在任中の八六年七月から八八年十二月までの間にバブルが発生した、また大臣が首相在任中の九一年十一月から九三年八月までの間にバブルが崩壊し、多額の不良債権が発生する結果となったということで、大臣の責任について質問いたしております。 大臣はこの質問に対して、八五年のプラザ合意後の円高是正のために政府は何度か補正予算を組み、しばしばドル買いの市場介入を行った。このドル買いで発生した過剰流動性が不動産、株に向かってバブルが発生した。九〇年に総量規制を行ったが遅過ぎたというふうに答弁しております。そして、その後記者の質問に答えて、時間がたち、振り返ってみてわかることもある、うまくいかなかったことについては責任があると答えたと新聞で報道されました。 私は、バブルの発生から崩壊、そして大量の不良債権の発生、そして、それが現在の日本の経済失速の最大の要因になっていることについて、少し視点を変えて、大蔵大臣及び日銀総裁に質問したいと思います。 少しくどくなるかもしれませんが、経過について話をしていかなきゃならないと思っています。 まず、なぜバブルが発生したかでございます。それは、プラザ合意当時の経済政策にまでさかのぼって検証する必要があると思います。 当時、双子の赤字を抱えたアメリカは金融・財政政策の遂行能力を失っておりました。主要先進国に対し全面的な対米協調を要求し、これはドル切り下げによる競争力回復が目的だったというふうに見られております。しかしながら、単独利下げは日本、ドイツへの大量資金環流を起こして、ドル暴落の危機という状況のもとで主要先進国の同時的な金利の低下、ドル安へのソフトランディング、かつ日本、ドイツの内需拡大、世界経済への指導力の分散を目指したというふうに見られております。 一九八五年九月、先進五カ国蔵相会議が開かれ、ドル高是正に向けたプラザ合意がなされました。これにより急激なドル高修正局面に入って、円レートは八五年九月の一ドル二百三十円から一年後には百六十円と急騰いたしました。しかし、経常収支の黒字は縮小しなかったため、国際協調のための経済構造調整研究会は、経常収支の黒字是正を国民的課題として掲げ、内需拡大に向けた経済構造調整を提起しました。いわゆる有名な前川レポートでございます。 他方、急激な円高は、一九八五年六月をピークに下降に向かっていた我が国の景気を一層この円高によって悪化させることになったわけでございます。円高不況に対応するために、日銀は八六年一月以降公定歩合を五次にわたって引き下げ、八七年二月には史上最低の二・五%となったわけでございます。今から思えば夢のような話でございます。また、財政の面においても公共投資拡大が実施され、景気は八六年の十一月を底に回復に向かったというふうに思います。 こうして迎えた景気回復は内需主導型のものでございまして、家計消費を見てみると、円高を背景にNIES諸国などからの安価な製品の流入が増大するとともに海外旅行も大幅に増加いたしました。さらに、消費の高級化の動きも顕著になりまして、当時開かれた日銀の支店長会議で各地の景気動向が報告されましたが、その中である支店長が、何といいましょうかシーマ現象とでも申しましょうかと地方の好況と消費の高級化現象を報告した話は、当時大変話題になりました。消費の高級化現象ということは、まさに社会的な熱に浮かされたような状況になったんだと思います。 内需拡大のための六兆円規模の緊急経済対策、金融緩和は、内需拡大で貿易黒字を減らすためでもありましたが、結果、低金利と過剰資金は土地投機に向かい、地価の上昇を呼び起こしたのでございます。 当時、東京が世界の情報金融センターになるという話題は、株式市場の活況と相次ぐ外国金融機関の東京への進出、外国企業の東京市場への上場などと相まって現実味を帯びて、これがさらに東京の土地高騰に拍車をかける結果となってしまったわけであります。そして、これが日本全土に波及し、バブル経済は全国を席巻し、日本全体が熱病に浮かされたような様相を呈したのであります。 金融緩和によって、株価の大幅上昇、地価の大幅上昇、土地と金融資産に偏ったストック化が持てる者と持たざる者との資産格差を広げ、土地問題への対応の緊急度を高めたわけでございます。 超低金利と過剰資金の洪水は、地価の上昇となりました。土地は投機対象となるとともに、融資担保として過大評価を受けながら不動産業者が強い担保能力を持って、土地投機、担保力増大、資金膨張、土地投機の循環状況となり、他方、企業からの資金需要は激減をし、銀行の資金が大量に不動産市場に流出し、ノンバンクを含め全国銀行総貸し出しに占める不動産融資のシェアは三〇%近くになりました。 一方、八七年当時の土地政策を見てみたいと思います。 政府は、異常な高値取引を防ぐため、土地取引監視区域制度や土地臨調を設けて土地対策に具体的に乗り出しました。 一九八七年当時の土地政策を見ますと、土地臨調がありますが、一九八七年七月、行革審の中に土地対策検討委員会、いわゆる土地臨調を設置して、一九八八年六月、最終答申で次のように述べております。地価高騰の責任として一部の不動産業者と金融機関の融資等の行動は批判さるべきだ、政府、地方公共団体も総合的施策を欠き、対策は遅きに失するなど責任は厳しく指摘される、地価はなお高水準である、今後地価の引き下げを目指すというものでありました。 一方、一九七四年に施行された国土利用計画法がございます。この法律は、土地の取引規制によって土地を凍結してしまうことが可能な強権を持っております。土地の取引の届け出制を定めた監視区域、土地取引の許可制を定めた規制区域がありますが、土地取引について一定基準以上の取引はやめるように勧告する監視区域制度は八七年当時の地価高騰において広く適用されました。しかし、土地価格が高騰し、またそのおそれがあって、かつ投機的取引が集中的に行われている場合、都道府県知事がその地域を規制区域に指定することができる、これは知事の権限で議会の議決が不要という強権でございますが、この制度は一度も指定は行われませんでした。 大蔵省は、不動産業向け融資に関して、金融機関をヒアリングいたしました。これが総量規制の原型とも言われているわけでございますが、九〇年四月に金融機関に対する不動産業向け融資の総量規制、これによって土地高騰はおさまっていったわけでございます。大蔵省による不動産融資規制で資金を絶たれた開発案件は軒並みつぶれて不良債権となりました。このとき、住専、農協系金融機関の資金ルートだけがあいたまま残されておったわけであります。これが後の大問題に発展するわけです。 一方、日銀は、八七年二月以来続けていた二・五%の公定歩合を八九年五月に三・二五%に引き上げ、その後も利上げを重ね、九〇年八月には六・〇%となりました。日経平均株価は、八九年末、三万八千九百十五円八十七銭でピークを迎え、年明けから下がり出しております。株価が急落してからも日銀は利上げを続けました。株価のことだけを考えれば、金利を上げて株を買う資金の流れを細くしたというふうに言わなきゃなりません。 そこで、大蔵大臣にお尋ねします。 バブル発生から崩壊に至る財政政策、金融政策、土地政策に相互の関連性が見られません。例えば地価抑制一つとっても、政府にその意思があれば八七年から九〇年までのバブル膨張は防げたのではないかというふうに思います。八七年の政策に矛盾があると言わなければならないと思います。大蔵大臣にお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(宮澤喜一君) プラザ合意以後の経緯につきましてかなり詳しくお話をいただきましたし、また一遍おまえの考えていることも聞いてみたいというお尋ねでございますので、多少お時間をいただいてよろしゅうございましょうか。 一九八五年九月のお彼岸がプラザ合意の日でございますが、当時の円は二百四十二円でございます。今日の円は百二十円絡みでございますから、十何年間で円は価値としては倍になっておりますが、その間に一九九五年の四月には七十九円までございましたことは御承知のとおりです。 それで、これだけの短い十数年の間に一国の貨幣価値が二倍になったということは余り例のないことでございますから、それによって我が国そのものが変貌をした、せざるを得なかった、悪い方にとは申しませんが、ということは恐らく余り歴史に例のない、しかし事実であったと考えます。 それに対して政治が巧みに間違いなく対応したかといえば、さようなふうには申せません。今日、我が国がまだその後遺症に悩んでおることだけをとりましても、この間の対応が誤りでなかったということは私はなかなか申せないと思います。その都度その都度まじめに対応してきたというつもりはつもりとしまして、結果としてはうまい対応はしていないというふうに申し上げざるを得ませんし、殊にその間、おっしゃいますように、ブームがありバストがありまして、それで余計今日の我が国の経済をわかりにくくしておるだろうというふうに思います。 まず、最初の部分について申し上げますが、八五年の九月に二百四十二円だった円は、その年の暮れには二百円になっております。翌年の夏に私が大蔵大臣になりましたときは百五十円がらみになっております。非常に急速な上昇であります。プラザ合意の当事者たちがドルをどれだけ減価させようと考えたかは、今関係者に聞きましてもよくわかりません。二割も減価すればいいと考えたのではないかとも思われますが、結果は全く異なった結果となりました。 それで、八六年の夏に私が大蔵大臣として専ら言われましたことは、毎日円が上がりますので、日本の企業は日本に立地することはできない、海外に逃げなければならない、また現実そうなりましたけれども、それに対して大蔵大臣は全く円の上昇に対して無力であるという批判でございました。 私はその間、おっしゃいますように、多少時間はかかりましたが、財政措置をやったり、あるいは円を売り、ドルを買ったりいたします。多い日には二十億ドルぐらいのドルを買っておりますから、円にいたしますと三千億円ぐらいでございますが、しかし夕方になって、二十億ドル買ったけれども相場は少しも動かなかった、円は泥沼に、ブラックホールに入ったようだという報告を何度も受けております。 したがいまして、そのような努力にもかかわらず円は上昇し続け、やがて日本の企業は国外に出まして、それは東南アジアの繁栄につながりますので我々にとっても決して悪いことばかりではありませんでしたが、国内の空洞化とかいう問題には関係があったと思います。 いずれにしても、そのような財政措置とドル買い、円の放出によって非常な過剰流動性が生まれまして、私は一九八六年いっぱい大蔵大臣としては無能として非常に批判をされましたが、八七年のある段階になりますと少しずつ日本の対応ができるようになってまいりまして、そして八七年の十月十九日がブラックマンデーでございますが、このときにはアメリカは非常なろうばいでございましたが、我が国はアメリカを助けてやろうかという程度の落ちつきを持っておったわけでございます。この辺が我が国のブームがバストになりません間の一番いい時期であったんであろうと思います。 その間、だんだんにしかし過剰流動性は積もりまして株は上昇いたします、土地は上がります、他方で財政は税収が非常にふえてまいりまして、当時ずっと赤字国債を出しておりましたが、ある段階になりまして赤字国債が要らなくなりまして打ち切ることになりました。そのときには経済の成長率も、仮に三%ぐらいございますと税収の弾性値は普通一でございますけれども三を超えまして、税収が前の年に比べて十何%ふえるというような状況で打ち切ることができたわけでございます。この辺までは今から考えますと夢のような話でございます。 それから後、九〇年、九一年、そのころからバストが始まりますが、その間に、調べてみますと政府は何度か土地取引に対して警告を発しておりますし、銀行に対しても金融の規制をしようといたします。しかし、経済の動きというのはとてもそんなことではとまりませんで、どんどんそっちの方へ動いてまいりました。 一九九二年の夏にたまたま私は総理大臣をいたしておりました。そのころには株が暴落をし始めておりまして一万三千円台を割りそうになりまして、私は危機感を感じまして緊急措置を講じますとともに、その一九九二年の夏に、今の不動産の状況は非常に異常であるので銀行に不良債権が発生しつつある、このことについて、必要があれば国は介入するのにやぶさかでないので、早く措置をとるべきものであるということを申しましたけれども、これは実は顧みられませんでした。 顧みられない理由の第一は、今になるとわかりますが、産業資本家は銀行を救うということを本質的に嫌悪いたしました。経団連は反対でありました。銀行は、内容のいい銀行は余計なお世話をしてもらう必要はないと考えたし、内容の悪い銀行は必ず政府が関与すれば干渉されるであろう、それはやがて責任問題に発展するであろうと考えた。今になってわかったこと、後になってわかったことですが。 役人の世界は、何となく、このような異常な状況はいつまでも続かないであろう、土地もやがて上がるはずであるしというようなことがあり、あるいは多少各省庁間にその間のやりとりがございまして、それは表向きはわからなかったのでございますけれども、後に住専との関係でわかってまいったということがございまして、それは先ほどおっしゃいました農協等との関連も含めてでございますけれども。したがって、そこからも指示を受けることはなく、私の申しましたことはそのままになってしまったわけでございますが、それが大体ざっと申しまして経緯でございます。 振り返りまして、何度か土地に対しても規制をしようと試みましたが、経済の波、怒濤のような動きには抗することができませんでしたし、日銀の金利の引き下げもこれも私はやむを得なかった。ある程度で引き上げればよかったということが言われます。そうかもしれません。 しかし、全体といたしまして、私は今こういうブームからバストへ、そして今日でもなお後遺症を引いておる、この間の私も一人の関係者としてどうすればこういうことが防げたであろうかということは何度も実は反省をいたしております。責任があることは明らかでありますけれども、しかしどの段階でどうしたらこうならなくて済んだかということがなかなか自分にいまだに思い至らないというのが、これは正直何度思いましても何度反省しましても、そのぐらいやはり大きな変化であった。これは責任逃れをするつもりはございませんで、それは本会議にも自分に責めのあることであると申し上げておりますけれども、どうすればこのような状況を防げたかということがいまだにどうもはっきり申し上げることができない。 ただ、もう一つ申せますことは、しかしこれは我が国にとって非常に大きな変化であって、今こういう後遺症がございますから何となく悪いことが後に残ったという印象をお互いが持ちますけれども、しかし東南アジア一つとってもそれは決してそうであったばかりではありませんし、また我が国の輸入物資あるいは自由化というものが行われ国民は自由に海外においでになるという、円が強くなったことがデメリットばかりであるはずはない、必ずメリットはあるはずだと思いますし、またそのメリットは二十一世紀に向かって生かされなければならないということは恐らく間違いのないことだと思いつつ、しかしこの間の経緯は私は関係者の一人として自分に大きな責任のあることだというふうにやはり考えております。
○伊藤基隆君 私は参議院議員になって三年と少しでございまして、この間の歴代大蔵大臣に実は同じテーマでずっと聞いてまいりました。議事録に残っておるわけでありますが、ほとんどが正確に答えてくれませんでした。きょう初めて率直な事実に即した当事者としての答弁をお聞きしまして満足しております。 それはなぜかといいますと、結果論はだれでも批判できるわけでございますが、私は、特にバブルの発生と崩壊が金解禁ということかそれ以上の日本の危機状況をつくったものであって、今後に生かしていかなきゃならない最大の反省点というふうに思うからでございます。 私は労働組合の役員をやって今日までずっと来たわけでございますが、庶民という側から見ますと、戦後一貫して低金利政策が続けられてきた、それは日本の商業復興という面から見ればそのこともやむを得ないというふうには私たちも思っておりましたが、低金利政策が続けてこられて狂乱物価を迎えました。狂乱物価の中で貯金の目減りということが起こってきまして、当時ゼンセン同盟が目減り訴訟を起こしたという事実がございます。しかし、一方で狂乱物価は企業の収益が異常に上がって、当時抱えていた借金棒引きのような状況が企業に生まれたわけで、これが大企業の銀行からの融資を必要としない資金ストックになってきたと思います。 そういう底流があって、プラザ合意以後の金融政策を迎えてくるわけで、中小企業、非製造業、不動産業へと銀行の融資が大量に流れていくということが今日を招来した最初の動きでありました。ということからすると、国民の側から見ると、低金利で我慢させられていた、我慢もいいと思っていた、仕方がないと思って我慢していた、しかしそれが金融政策の失敗というかボタンのかけ違いで今日の生活の苦しさを招いた遠い原因になっているということになると、これは大変せつない話であります。 そういう意味からくどくも辛くも時の大蔵大臣に尋ねてきたわけでございまして、きょうの大蔵大臣の答弁は私は大変感激してお聞きいたしました。責任あるということについて、責任追及という立場じゃなくて、そのようにきちんと言われたことについて、私は今後この質問を今後の大蔵大臣にする必要はないんじゃないかというふうに思います。 さて、多分に感想めいて言うんですが、製造業は東南アジアへ進出していっても、基礎的技術を渡していったわけじゃなくて労働力を生かしていったということであったろうと思います。しかし、円高にきちんと製造業は対応して、昨年の本会議でも私は触れたんですが、昨年の輸出が、総輸出のうち自動車、電気の耐久消費財を加えた消費財が二〇%、あとの八〇%は機械、中間部品その他の生産財といいましょうか、そういうものであった。すなわち日本の製造業は毎月一兆円の黒字を上げている。なお健在。これがストップすれば世界の製造業が立ち行かなくなるだけの実力を持っているというものがあって、じゃ金融システムは何をやっていたのかというのは、私は製造業からのうらみがあると思いますね。これだけの努力をして脱皮したのに金融システムはどうにもならなかった。これは大蔵行政の失敗であったろうと私は思います。 しかし、調べますと、後で財政・金融委員会でちょっとまた質問で出したいと思いますが、大蔵省は指導していますね、経営体質の改善を急げということを。しかし、民間金融機関は反応しなかった。これは先ほど大臣が答えられた、不良債権処理についての産業界の冷たい態度、または金融界の事なかれ主義のようなものがあって達成されなかったという残念さがそこにあるわけでございますが、そういうことになってきたんだと思います。今回の法案審議ということはまさにここに根幹があるわけでありまして、今後さまざまな施策がやられていくと思いますけれども、ぜひその辺については十分な留意をきちんとやっていただきたいなというふうに思うわけでございます。 さて、日銀総裁においでいただいておりますが、一九八〇年当時の政策目標として、為替レートの安定、つまり貿易黒字をふやさないことと、もう一つインフレを起こさないことがあったと思います。日銀はこの二つの課題のうち為替レートの安定という目標を選定したのであります。国民生活にとって厳しい選択をしたと言わざるを得ません。結果、資産インフレを生じさせてしまって、その後一転して日銀はバブルつぶしに乗り出しました。これは、資産価格の急激な上昇を看過できないというふうに日銀が判断したんだろうと思います。この判断は日銀の本来の機能として容認される判断であったのかということについてお伺いしたいと思います。
○参考人(速水優君) 御質問にお答えしたいと思いますが、日本銀行は、金融政策の目的というのはあくまでも物価の安定ということにあるということはずっと貫かれてきていると思います。そうした目的は時々の情勢に応じて変わっていったものではないと思います。先ほど御説明があった八〇年代後半におけるバブルの発生、あのころはちょうど自由化、国際化といったような経済環境の大きな変化がありまして、経済全体がいわゆる右肩上がりになっていったわけです。しかし、長期にわたるこういう金融緩和でも、その原因の一端があったことはやはり否定できないと思います。 当時、振り返ってみますと、景気の回復が次第に強まっていく中で物価の安定基調というのが、これは円高の影響であったとも思いますが、物価は基調として安定が維持されていたということが指摘できると思います。そうした中で、国の経済政策面では大幅な経常黒字の是正とか円高の回避というのが優先的な課題のようになっていったんではないかと思います。このようなもとで金融政策運営面でもぎりぎりの選択を迫られたものと理解しております。 その後、景気が急速に拡大してまいりましたために、日本銀行は物価上昇力の高まりに対処するために、八九年、先ほど御指摘がありましたように、金融の引き締め、金利の引き上げを続けて行っていったわけで、八九年五月二・五%から三・二五、三・七五といって、九〇年の八月には六%まで上げていったわけです。 これは、引き締めが遅過ぎたかどうかということは私も一概に判断がしにくい。私は民間の部門におりましたので客観的にそれを言うことは非常に難しいんですけれども、九一年以降になりましてバブルはじけが始まって金融の緩和が実施されていくわけですが、景気の低迷が長く厳しいものになっていったことは明らかであったと思います。これは、やはりバブル時代の経済の行き過ぎが極めて大きかったためにその調整もどうしても深く長くかかったと言わざるを得ないのではないかと思います。 九一年の七月から金利が六%から下げ始めて、九五年の九月が〇・五%、それからさらにそれが今日まで続いておるわけでございますが、このころ財界ではやはり円高デフレといったような言葉が非常に有力に支配していたことは間違いないところだと思います。 本来、戦後の日本経済というのは輸出製造業が中心になって、三百六十円当時から輸出を伸ばしていくことによって急速な経済成長、日本経済の高度成長、国際化が実現されていったということは間違いのないところでございまして、その結果というとおかしいんですけれども、輸出製造業の意見なり発言というものが財界の中では非常に強かったことは、自分自身非常にそれを感じております。私は、むしろ円が強いということは国益に決して反するものではない面があるんだということを繰り返し繰り返し申しましても、なかなかそれがマジョリティーにはなり得ない、輸出産業中心の円高批判というのが非常に強かったことを身をもって感じております。 こういうふうにバブルの発生と崩壊が経済に大きな振幅をもたらした経験というのは、私ども金融政策のあり方についても非常に重い反省をもたらすものと受けとめております。私どもとしては、当時の経験を踏まえて、為替相場の安定とか対外不均衡の是正ということのために過度に金融政策に依存した対応をとっていくということは適切ではなくて、あくまでも物価の安定とそれを通じた持続的な成長というものを目標としていくべきであるということ、そしてその際に、資産価格につきましても、金融政策の目的ではありませんが、十分にその動向を留意していく必要があるということなどを教えられたということは今になって言えようかと思います。 こういうことを念頭に置いて適切な金融政策運営を行うように心がけてきている次第でございます。そのことだけを言わせていただきます。
○伊藤基隆君 今の日銀総裁の御答弁をお聞きしまして、質問通告していないんですが、大蔵大臣にちょっとお聞きしたいと思います。 財政・金融分離ということが盛んに言われて、そのように推移してきております。今、大蔵省に部分的に金融部門の危機管理でしょうか、あるのかもしれませんが、大蔵省はなべて金融監督庁にその部分を移した方がよかったのではないかというふうに私としては思っています。それで、日銀と金融監督庁という二元にした方がよかったのじゃないか、二元に近づいていくのかと思いますけれども。 ただ、バブルの発生から崩壊の経過を見ますと、財政主導であったか金融主導であったかと。財政主導で行くべきであったのが、しかしそれはやはり大蔵省の金融部門の力が強くて金融に偏ったというふうに一般的に言われているわけですけれども、さまざまな金融危機がこれからまた想定される。例えば有力な国の有力な銀行のクラッシュが起こったときに、それは今の世の中ですからあっという間に日本の金融システムを直撃してくるかもしれない。というときに、分離で対応できるのかという実はおそれがありまして、これは我が党の考え方とも違うのでありますけれども、世の中の潮流とも違うのかもしれませんが、私はこれが大変な次の危機要素になるのじゃないか。 だから、金融と財政を統括する何かのシステムというか、一人でもいいからいる必要があるのじゃないか。それが今度の再生法でなるのかどうかわかりませんけれども、そういう経済的な活動の中で起こってくる危機に対応できるという機能が国として厳としてあるのだろうか、またはつくろうとするのかということについて、質問通告していないので大変恐縮なんですが、大蔵大臣でありますので、ぜひ現段階の考え方をお聞かせ願います。
○国務大臣(宮澤喜一君) そのお話は、いろいろな経緯もございましたし、また国会の御意向もありましたし、大変にお答えしにくい問題でございますが、基本的に今の金融のこういう問題の一つの遠因は、大蔵省がいわゆる護送船団行政をやったということに遠因があることは、これは否定することができないと思います。 ただ、その気持ちのもとには、実は戦後我が国を立て直しますときに、金融界も、おくれて証券界もそうですが、ともかく一緒に手を握って日本を立て直そうという、そういう意識があったことはこれも事実でございますから、そこはそういうものとして認めてやらなければなりませんけれども、それがやがて護送船団行政になり癒着になったということも否定できないことですから、それについて世の中の批判があって、大蔵省は金融を手放すべきであるということになったいきさつは、私はやむを得ないことであったなというところまでは申し上げておるところであります。 しかし、さてそこで今のようなお尋ねでございますけれども、現実にこの金融危機の中で、先般の国会で二つの立法をお願いいたしまして、今仮に倒産の起こります銀行に対しましては、当然のことでありますが、預金者は全額を保護されておりますし、また銀行の処理あるいは早期是正、健全化については公的な資金を使うといったような、決して自慢のできることではございませんけれども、やむを得ずこういうこともやって国際的な信用を回復し、また国内の血液であるところの金融の循環も正常化したいと考えているその努力の中で、それは納税者の力をかりなければならなかった、そういう意味では財政がそこへ関与せざるを得なかったというのも実は事実であったと思います。 そして、私たまたましばらくぶりで大蔵省で行政をやってみまして、その辺のところはいわば機構の変革の最中でございますだけに、現実に深刻な事態が幾つか起こってまいりますと対応がなかなか難しい。昔だったらなと思うことは何度かございましたけれども、しかし、そう思ってはならないのであろう、やはりここはこういう分離体制をとったということに意味があるのだと、これが国会のお考えでもあったというふうに考えまして、そこはやはりそういう新しい改められた体制のもとで対処しなければならない、できないことはない、対処しなければならないと思ってやっております。かたがた、こうやって公的な介入を金融機関にするなんということは何度もあってはならないことでございますので、そういう意味で将来金融は金融として分かれていくということも、これもまたやむを得ないのであろうか。 いろいろ昔を考えておりますといろんな思いはございますけれども、しかし私どもとしては、危機のときの立法とかいうような問題が実は御承知のように残っております。残っておりますから、それはそれとしてお認めいただかなきゃならない部分もございますけれども、大きな流れとしては、やっぱりこういう体制のもとで、かつてのような戦後考えられましたような一種の保護あるいは護送船団と申しますか、そういう時代はもう過ぎ去っていくのだというふうに考えなければならないと思っております。
○伊藤基隆君 なお伺いたいわけでございますが、きょうはその問題はここにとどめておきます。 さて、日本の今日の不良資産の問題や景気の動向はアメリカとの関係においてかなり色濃く出てきているわけでございまして、その辺について少しお聞きしたいと思います。 私は、アメリカの為替政策はいつでもアメリカのために行われているのであって、国際要請にこたえて行ったことはただの一度もないというふうに思っております。 クリントン政権が続いているわけですが、第一期クリントン政権では、内需主導型だったアメリカが輸出拡大による景気浮揚と雇用創出を宣言して徹底的な円高ドル安政策を進めました。カンター通商代表を中心とする激しい対日経済政策、特に規制緩和と内需拡大要求を突きつけてきまして、ちなみに対ドル円レートは九二年は一ドル百二十四円台だったわけですが、九五年には九十六円台から、先ほど大蔵大臣も言いましたが、この年の四月に最高の一ドル七十九円七十五銭ということを記録しました。カンターさんはどこへ行っちゃったんだろうか。赤字と黒字が日米間にあるのに、カンターさんは全然今出てきません。 第二期クリントン政権は方針を大きく変えたわけでございます。物とサービスの規制緩和や対日輸出拡大路線から金融戦争に焦点を絞ってきた。 まず為替政策では、それまでの円高ドル安政策から一転してドル高円安ということでギアチェンジをしました。九七年は百二十二円台、九八年は百四十円台に突入、今は百二十円台、理想と言われる線だという話もありますが、そういうところになっております。すなわち、ドル高政策というのは強いドル、強いアメリカの象徴となって、インフレ抑制、低金利に役立って、株式市場空前のブームに盛り上げました。 一方で、物とサービスの実体とかけ離れた巨大なマネー経済の投機が規制緩和と情報通信の発達でグローバル化した市場を席巻して翻弄したという状況であります。 どんなにファンダメンタルズがしっかりした国でも、徹底的な直撃を受けたらもたないという状況であると思います。特に、アメリカ側の対日要求はまさに一体となりまして、政府、議会、マスコミまで含めて、学者も動員されて、日本包囲網をしいたと思わせるほど昨年の秋からずっと続いてきました。財務省が前面に立ってきたわけでございます。 まず、橋本内閣の財政再建路線を批判し、大型減税を中心とする内需拡大策と経済構造改革を陰に陽に求めて、内政干渉ではないかというふうに私らも歯ぎしりするほどの内容がずっと続きました。アメリカが日本に何を言ったかという当時からの新聞をずっと積み重ねて私は持っておりますけれども、一々そういうことを言ってきた。アメリカの国益のためだと私は思います。 その結果、橋本内閣は小出しに補正予算をやって、期限つきで減税をやって、恒久減税と次々に約束させられて、G7蔵相会議やサミットの場でも国際公約的に扱われてきた。最後には、まさに当時の内閣のシンボルであった財政改革法の凍結まで迫ってきた。私は、この段階で政府は譲歩したんだというふうに思っています。あるいはそうでないと言うかもしれません。 一九九五年の超円高に直面した日本は、超低金利をもたらすほどの金融緩和で対応しております。日本の過剰流動性はアメリカに流出しています。アメリカに流入した資金は、アメリカの貿易赤字をファイナンスして余りあるほど大きくなって、株、債券、ドルのトリプル高を演出して、アメリカ経済はバブル的に拡大を続けてきました。しかし、アメリカのバブル崩壊の前兆と見られるさまざまな動き、株価の下落、企業収益の悪化がことしの秋からあらわれてきました。強いはずのドルが下がり始めました。ドルの下落は、一九九九年一月のユーロ登場に前後して加速する懸念があります。 昨年夏から始まったアメリカの日本金融市場への攻撃が明らかに行き過ぎであったという反省があったのではないか。この間クリントンさんが急に来たのはそういうことで来たのではないかというふうにうがって私は見ております。今、株価の動きとか為替の動きとか一進一退を続けておりますけれども、大きな流れとして、アメリカ経済にバブル崩壊の懸念がつきまとっているのは事実でございます。 金融経済の膨張が実体経済をはるかに上回って、もともと金融が動き始めたときには需要というものを金融の力によって創造して、その成果として経済が大きく膨張してきたという経過があると思いますけれども、今や制御不能というところまで大きくなってきたのではないかというふうに思っております。この金融経済をどう静めるか、マーケットの安定化に向けて政治が取り組むべき最大の課題ではないかというふうに思っています。短期的な投機に対する検討、研究が日本のイニシアチブによって進められ始めたというふうに国会での大蔵大臣の答弁もお聞きしております。 しかし、私は、日本の構造改革も重要ですが、アメリカも構造改革をしなきゃならないんじゃないか。アメリカこそしなくちゃならないんじゃないか。ヨーロッパもそうかもしれない。日本とヨーロッパとアメリカが政策協調をして、金融に対して自由経済を信奉する以上は規制一本でいくわけにいかないかもしれないけれども、できるならもう少し経済政策の基軸を実物経済に合わせていくべきじゃないか。そのための政策協調をする場を日米欧の協議によってつくるべきじゃないか。早くやらなきゃ間に合わないんじゃないか。 日本の努力だけでは日本の景気はよくならない。アメリカは日本に依存してばかりいたんでは基本的なところが狂ってしまうんじゃないか。大きなお世話とアメリカは言うだろうし、応じないかもしれませんけれども、その努力はぜひする必要があるんじゃないかというふうに思います。このことについての大蔵大臣の御見解をお聞きしたいと思います。
○国務大臣(宮澤喜一君) おっしゃいますように、アメリカ人はドルをどこへ持ってまいりましてもドルで用が足りますので、基本的に為替という観念はございません。したがって、長期にわたって見ますならドルは減価をしてまいりましたけれども、その減価は、アメリカ人と同じくドルを基軸通貨として使っておった我々自身が何十年の間にその減価を甘受してきたということになります。甘受と申しますのは、我々が我々自身の通貨をそのかわりに使うだけの力も意思もございませんから、そういうことであったというふうに考えています。 この間、アメリカの為替政策というのは、今のお話を私、大変関心を持って伺いましたが、私は余り一貫したものがあるようにはきょうまでどうも思えません。ただ、言えることは、アメリカの産業が非常に強いときにはドルが強いということについて彼らは比較的強気でございますし、競争力が弱いときにはドルが弱くなる、その逆になるわけでございますけれども。ですから、一番いい例はプラザ合意のとき、一九八五年、これはアメリカの金融も産業も非常に弱っておるときでございますから、アメリカとしては弱いドルを当然のことながら望みました。また、それに対して我々は対応してプラザ合意の通貨調整を行ってきたわけでございます。 しかし、その後、いわゆる金融もそうでございますけれども、産業も非常なリストラが行われまして、ちょうど我々がブームを調歌している時代がアメリカがリストラを始めた時代でございます。その時代は、我々日本の銀行が世界の十指のうち十を占めておったような時代であったわけですが、その間アメリカのリストラがついに終わりまして、そのころ我々はブームからバブルバストの方に入りましたので、圧倒的な企業差がつきましたというまでが今日の大体の姿だと思います。 したがいまして、今はアメリカは産業も金融も圧倒的に我が国に対してもヨーロッパに対しても強うございますから、通貨というものに比較的寛大であると申し上げてよろしいんだと思います。円が百四十円ぐらいまでいきましてもかなり寛大でございましたし、きょう程度になりますと、これはもとより、恐らく今アメリカ人は円が百十円とか百二十円とかその辺のところであればともかくカンファタブルであると考えておるのではないだろうかと想像いたしますけれども、比較的何も言わない、寛大である。それはアメリカの金融も製造業も競争力が強いからであると思います。 ただここで、先ほどおっしゃいましたようなことが傾向であるとすれば、明年度はアメリカの貿易赤字が三千億ドルに達する危険があると思います。そうしますと、これは今おっしゃいましたようなことがやはりあるとしますと、あるかもしれません、そうすると、今度はその三千億ドルの赤字というものはかなり問題になってくるであろう。そこから我が国に対していろんな要求が出てくる、また為替についてのあるいは何かの要求が、要求というのは言葉が悪うございますけれども、出てくることはあるかもしれない。 いずれの場合にも、しかしアメリカの競争力ということを考えますと、常に自由化の要求というのはドルが弱い強いにかかわらずずっと続いてまいりました。したがいまして、今アメリカの貿易赤字が三千億ドルになるかもしれないといったような状況におきまして、我が国に対して、例えば鉄鋼の問題でございますとか、少しずつ兆しが出ておりますけれども、いろいろな自由化の要求がまた強まってくるということは、これは我々としても考えておかなければならないのではないか、こういうふうに思っております。
○伊藤基隆君 時間が余りありませんので、日銀総裁に今の大蔵大臣の御答弁と関連してお聞きします。 貿易赤字が三千億ドルを超えるかもしれない。いわば債務超過状況にアメリカがあるわけで、そのファイナンスのために海外からさらに資金が入ってくる必要があるわけですが、基調がドル高であればそれなりに資金は入ってきますが、そこが今揺らいできているということになると、協調利下げということが起こるんじゃないか。ユーロは応じないだろうということになれば、日米協調利下げということが、まあ利下げをする余地があるかどうかはありますけれども、考えられるんじゃないかと思いますが、この辺について日銀総裁、いかがでしょうか。
○参考人(速水優君) 私ども金融政策の運営についてほかの国のことを考えるということは、少なくともG7各国の共通の理解として、ほかの国の情勢を見て金利を動かすというよりも、やはり中央銀行というのは物価の安定と、それを通じて自国の持続的な経済成長を維持していくということが目標であって、各国の中央銀行がそれぞれの国の経済実勢、実態を踏まえて、それぞれ判断して実施しておられると思いますし、またそうでなければいけないというふうに思います。 私ども、公定歩合は〇・五、もうかなり低いところへ来ておりまして、市場金利を、コールレートをオーバーナイト、無担保物で今〇・二五%というふうに、これまたかなり低いところへできる限りの金融緩和を今やっておるわけですけれども、この九月九日にこれの引き下げを決めたとき、しばらくしてアメリカも下げたわけで、協調利下げではないかというふうに書かれたり言われたりしたわけでございますが、これは決してそうではございません。私どもは日本の行き詰まった景気動向、経済実態を見て、ここはもう思い切って金融緩和をしていかないと、九月の期末あるいは年末、金融が詰まってしまうことが起こるかもしれないといったような危惧を持って九月九日に決断をしたわけでございます。 その後も思い切った金融緩和スタンスを続けてきておりますが、これも我が国の経済が悪化を続けていて、物価も軟調を持続しているという情勢を踏まえて実施している政策でございまして、アメリカをおもんぱかってやっているということでは決してございませんので、そのことだけははっきり申し上げておきたいと思います。
○伊藤基隆君 以上で終わります。
○委員長(吉川芳男君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。 次回は来る十一日午前九時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後七時四十一分散会 —————・—————