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142回国会参議院1998/04/02

予算委員会公聴会 第1号

発言数
213
登壇者
24
会派数
8
開催日
1998/04/02

会議録

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成十年度一般会計予算、平成十年度特別会計予算及び平成十年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人の方々から項目別に御意見を伺います。  まず、景気・経済について、公述人、株式会社三和総合研究所取締役理事長原田和明君及び日本労働組合総連合会事務局長笹森清君にお願いいたします。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、原田公述人からお願いいたします。原田公述人。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) おはようございます。御紹介いただきました三和総研の原田と申します。  きょう、先生方のお手元に公述人としての冒頭陳述のメモを用意させていただいたと思いますが、それにのっとりながら私の考え方をまずお話しさせていただきたいと思います。  第一は、九八年度予算案に関する評価という問題でございますけれども、私は、財政再建の視点からとらえますと、九八年度の予算案は高い評価を与えられる内容ではないかと考えております。  それは、あえて申し上げるまでもございませんけれども、キャップ制という制度のもとにおきまして一般歳出は一・三%の減という過去最大の削減が実行されたわけでありまして、経費のめり張りという点から見ましても、社会保障関係費を大幅に伸び率を削減した、あるいは公共投資がマイナス七・八%である、防衛費、ODAなどについての削減も実行されておるわけであります。国債の前年度比の増額部分も建設国債では八千百億円の減、それから赤字国債については三千四百億円の減というふうなことが実行されておりまして、これは財政再建という視点から考えますと私はかなり思い切った対応がなされたと思うわけでございます。  もちろん、その反面におきまして問題点を挙げれば、例えば整備新幹線の問題であるとかいろいろな課題はあろうかと存じますけれども、財政再建という視点から見る限りはそういった評価が可能であると私は判断いたしております。  しかしながら、問題はむしろ後者にあるわけでございまして、深刻な景気の現状というものを考えますと、この内容が景気についての配慮という点では大変不適切なものであったというふうに言わざるを得ないと考えております。そのことは、財政構造改革法の改正によります景気対策が不可欠という問題と絡んでくるかと思うわけでございます。  そこで、私に与えられております主題でございます景気の現状につきまして御報告を申し上げてみたいと思います。  ここに書きましたとおり、私は九七年の十一月以降におきまして我が国の経済は典型的な下降局面に入ったと判断いたしておるわけでございまして、この時点から資産デフレ色あるいは金融システム不安の深刻化というものは一段と進展し始めておるわけでございます。現時点においては、金融システム不安は小康状態にございますけれども、実物経済の面では依然として下降局面をたどっているというふうに考えております。  もう少し具体的な形で見てまいりますと、実はけさ八時五十分に日銀の短観が公になったわけでございますが、悪いということは私も想定しておりましたけれども、これは言うなれば未曾有の悪さということでございます。  ちょっと数字で申し上げますと、企業の業況判断指数というのがこの調査の一番の基本になるわけでございますけれども、その内容を見てみますと、昨年の十二月時点、マイナス一一、これはマイナス幅が大きくなるほど厳しさが増すということでございますが、これは製造業を挙げてみますと、昨年の十二月の時点でマイナス一一でございましたのが、きょう発表の数値ではマイナス三一と、実に二〇ポイント低下しているわけでありまして、これは未曾有の落ち込みというふうに言わざるを得ないと思うわけであります。そしてさらに、三月から六月にかけましての見通しにつきましても、大企業はほぼ横ばいという状態でございますけれども、中小企業の場合にはさらに六月にかけての景気の悪化がはっきりと読み取れる内容になっておるわけでございます。  かような短観の姿が非常に端的に示しておるわけでございますけれども、もう少し個別具体的な形で御報告を申し上げてみたいと思います。  言うなれば、現在の状況で我々が経済指標等から判断いたしまして、多少とも昨年の秋以降明るい面がないかという視点でとらえましても、全く発見することができないという現状でございます。あえて申せば、先日、七年連続の地価の下落という調査報告が出たわけでございますが、その中で、東京都などの本当の一等地に関しまして、海外からの需要があったという要因もございまして、若干前年比上昇した分野があったというくらいでございまして、その他少なくとも私のチェックしている範囲では、多少とも明るさが出てきている指標というのは現状では全く見られないわけでございます。  もう少し昨年の四月以降の姿で振り返ってみますと、四月以降において、御承知のとおりの消費税の三から五への引き上げ、それから特別所得減税の廃止というふうな問題、それから医療費の二〇%への引き上げというふうな問題がございまして、全般的な景気は悪くなってきたわけでございますけれども、政府の担当官庁、これは端的にいえば経済企画庁であり大蔵当局ということになろうかと思いますけれども、そういったところの見通しが昨年の春以降においてずっと楽観的な見方でございました。基調的には我が国の景気は回復方向に向かっている、こういう判断をとっていたわけでございます。  端的に申し上げまして、私ども、私も含める民間のエコノミストの間では、政府のこの判断というのは極めて楽観的に過ぎるということはしばしば指摘していたわけでございますけれども、政府の姿勢は昨年の十月まで、景気は基調的には回復方向に向かっているという文言を続けていたわけでございます。そして、十一月に入りましてようやくその文言を除きまして、そして景気が停滞局面に入っていることを認めたと。認めるというとおかしいですけれども、そういったトーンに変わったわけであります。ところが、現実の経済の方は御承知のとおり、これは十一月十七日と記憶しておりますが、北拓の破綻、さらには山一の破綻という問題が生じまして、事態はまことに厳しい方向に向かい始めたわけでございます。  私は、十一月以降の我が国の経済は一段と実物経済の面において厳しさを増したとともに、金融システム不安を初めとするいわゆる資産デフレ的な面が極めて深刻な事態に立ち至ったというふうに認識しておるわけでございます。この意味からいいますと、政府のとられた、第四次になるかと思いますが、これに対する景気対策並びに金融システム安定化対策というものは、これは適時適切に行われたというふうに思うわけでございます。しかしながら、今申し上げましたとおり、十一月以降の景気の状況というのは一段と下降色を強めてきたと言わざるを得ないと思うわけでございます。  個人消費、住宅建設、設備投資、企業収益、そして雇用情勢につきましても、最近では失業率が三・六という従来の最悪の状態になっておりますけれども、実態はその数字以上に、例えば中高年の世帯主の失業問題であるとか、そして一方においては女子のパートタイマー的な職種はやや明るい方向が見られるとか、そういった内容をチェックしてみますと、単に失業率が三・六に上昇したということのみならず、雇用情勢は実態的にはより悪いというふうに考えるべきではなかろうかと思うわけでございます。  こういう中で一つだけ問題を抽出して申し上げますと、個人消費でございますけれども、今私は十一月を転機にして一段と悪化してきたというふうに申し上げたわけでございます。例えば、自動車なども十一月の前半においては比較的回復基調が見られたわけでありますが、北拓の破綻という問題、その後相次いで金融破綻が続くことによりまして後半からは自動車の売れ行きなどもがたんと落ち込んでしまったわけであります。たしか十一月の自動車の登録台数で見ますと、前年に比べて二三%近く落ち込むというふうな結果が出てまいりました。その後もそのような厳しい情勢は続いておるわけでございます。  こういう中で一つ具体的な形で御注目いただきたいと思いますのは、十月以降に入りまして我が国の全体の消費性向、つまり所得の中でどれだけを消費に使いどれだけを貯蓄に回すかという比率でございますけれども、この消費性向が十月以降著しく低下しておりまして、ことし一月の時点ではこの数値は六八・六というところまで低下しております。これは、過去四年間の平均値が七二・三%という数値でございますから、この両者を比べますと、四%弱という極めて大きな消費性向の低下が見られているわけであります。そのことによる消費購買力の減というものは、大ざっぱに申しまして年六兆円近くにも達するというふうなものでございまして、現状の消費がいかに落ち込んでいるかということを示していると思います。  もう一つこれに関連する特色として申し上げますと、消費性向が全般的に大変下がっておるんですけれども、その内訳を住宅ローンなどの借金のある家庭と借金のない家庭というふうに分けて考えますと、借金のある家庭におきまして消費性向が大幅に低下しているという姿、こういう点が歴然とあらわれているわけでございます。これらの問題を考えてみますと、いかにいわゆる資産デフレという問題が国民の大きな関心事になっているかということであり、そしてさらにの日本経済の先行きに対する不信感というものがあり、このことが消費を抑え、そしてゆとりがあれば一刻も早くローンの返済を図ろうというふうな国民のムードに変わってきているという点を示していると思うわけであります。  ともかく、実態面とともにこういったムード的な側面からも我が国の景気の悪化が見られるわけでありますが、やはり最大の焦点は消費の低迷という点にある、かように考えてよろしいかと思うわけでございます。そのことは、やはり現状一般に言われておりますような消費減税、所得減税、こういったようなものの必要性を示唆しているのではなかろうかと思われるわけでございます。  次に、財政政策のあり方について私自身の考え方をお話しさせていただきたいのでありますが、財政面からの景気対策を打たなければ現状の姿、私は日本発の同時不況の懸念を排除することはできない、その可能性はもちろんそれほど高いものではございませんけれども、かように考えざるを得ないと思っておるわけでございます。そういう意味では、橋本さんが絶対的に日本発の問題は起こさないというふうにおっしゃっておられるわけでありますけれども、そのためにもやはり新しい景気対策の必要性はかなり強いのではないかと思うわけでございます。  ただ、この問題につきましては、ここにメモってございますけれども、中長期的な視点から財政構造改革は依然私は不可欠の問題であろうと思います。しかしながら、当面の対応としては大規模な有効需要、私どもは真水ベースで七兆円以上の必要性があろうかと考えておりますけれども、これを創出いたしまして、日本経済が構造改革に耐え得るような体力をまず回復することが先決ではなかろうかと思っておるわけであります。  中長期的な視点とそれから目先の問題というものを峻別するべきではないか。そして、現状において構造改革という血の流れるというんでしょうか、あるいはかなりの痛みを伴う政策を行うには余りにも日本経済という病人の体力が落ちているわけでございますので、まず当面はやはりその体力をカンフル等々も使いまして回復する、そして大手術に耐え得る状態になってから基本的なこの財政構造改革を推進する、こういうスタンスが必要なのではなかろうかと思うわけでございます。  それから、さらに今の状態というのは私は景気が下降方向に向かっていると考えるわけでございますけれども、そういう中でデフレスパイラルから脱却していくためには、ここに挙げましたような情報インフラとか生活基盤というものの整備を中心にしました強力な公共投資の増額という問題も否定できないと思うわけでございます。それに加えまして、税制面では法人減税それから所得減税、政策減税などを決断するべきではなかろうかと考えておるわけでございます。この際、最も重要な一つのスタンスとしましては、こうした景気対策というものがグローバルな世界の流れに即しまして、二十一世紀の活力ある国家の再構築に役立つ公共投資であり、そして税制改革であるべきだろうと思うわけでございます。  この点、より具体的な形で申し上げれば、公共投資にいたしましても、これは従来のような橋、道路、港湾というふうな比率は大幅に引き下げまして、情報インフラ──現状のアメリカ経済好調の基本的原因というのは、これは情報化、通信分野におけるアメリカの官民一体となった推進が基本的な条件であろうというふうに私は認識しておるわけでございますが、我が国の場合もこの公共投資というふうなものを活用して、そして情報化関連あるいは生活基盤整備、そういったところに資金を使っていくということであれば、これは二十一世紀の活力ある国家形成に資するものではなかろうかと思うわけでございます。もちろん、これをやっていくためには、今度は財政構造改革法のみならず、財政法四条の改正の問題も絡んでまいりまして、いろいろ問題は難しい点もあろうかと思うのでありますが、基本的にはそのような方向で進むべきだろうと思うわけであります。  そのような視点に立った場合には、税制面に関して申せば、法人減税については、先進主要国の中で日本はドイツと並んで極めて法人税率は高いわけでございまして、前回の補正予算において形式的には三%の減税が行われたわけでありますけれども、しかしながら、引当金等々の問題を考えて実際上の法人減税は三千三百億にすぎなかったわけであります。大ざっぱなところ、めどとしましては、一%の法人税の引き下げというのは実効税率ベースでいえば四千億円くらいになるわけでありまして、そういう意味からいえば四〇%くらいまで、つまりアメリカ並みの税率まで引き下げるということでございますと、仮に七%近い引き下げであれば、それは三兆円近いお金が必要になるというふうなことも言えるかと思うわけでありますが、今ビッグバンが進み、これから海外からの外国企業もどんどん受け入れなければいけないというふうなことを考えた場合に、我が国の法人税率の高さというものが非常に大きなネックになっているという点もお考えいただきたいというふうに思うわけでございます。  それから所得減税でありますけれども、これは実のところ、我が国の所得税率というのは国民所得に対する比率から見ますと八%前後くらいでございまして、米英独が一二%から一四%くらいということから見ますと、決して所得税率は高いわけではない。にもかかわらず、これが大きな問題になりますのは、余りにも我が国の累進税率が高過ぎるという問題と、それからもう一つ、これも率直に申し上げれば、統計上の対比からいえば先進国の中で我が国の課税最低所得水準というのが非常に高い。このことのために税金を払う人々が限定されておるというふうなところにも一つの問題があるわけでございまして、長期的な視点からグローバルスタンダードの流れに沿った税制改正ということであれば、そのような視点についても十分な御検討をいただくべきではなかろうかと思うわけでございます。  加えまして、政策減税としては、住宅ローンへの優遇強化とかあるいは教育減税というものが望ましいのではないか。なかんずく、住宅関連につきましては、現状における住宅建設が非常に落ち込んできているということ、それからローンを借りるということが現状のような資産デフレのムードの強い中ではなかなか国民がその方向に向かないということから、住宅建設を促進するためにはアメリカ並みの、アメリカ並みと申しますとセカンドハウスまでは借り入れた金利の部分を所得から控除することができるというのが基本でございますが、こういったたぐいの政策減税も必要ではなかろうかと思うわけでございまして、こういった一つの長期的な視点も踏まえた形での景気対策とあわせた対応策を御検討いただきたいと思う次第でございます。  最後に、財政構造改革法案の改正をめぐってということでございます。  財革法改正の検討問題、これは仮になされるとしてということでありますけれども、その場合には、弾力条項の挿入であるとか建設国債と赤字国債の区分廃止などいろいろの論点が出てくると思うわけでございます。今度の財革法案、長期的に私は必要であるというふうに申し上げたのでありますが、基本的な方向づけといたしまして、現行法に全くないという意味ではございませんけれども、小さな政府を志向して歳出の削減を徹底する、こういう視点をより強めていく、小さな政府志向という点をもっと強めた形の法案であるべきではないかというふうに考えておるわけでございます。  この問題とそれから景気対策の時期的な問題というのもいろいろ絡みまして、私は素人でわかりませんが、大変難しい点もいろいろございますけれども、当面のところ、弾力条項というふうなものを付与いたしまして、そして自民党のおっしゃっておられるような事業規模十六兆円、かなりの大きな真水、これを具体的な形で決定できるようなはっきりした対応策が打ち出されますれば、外から見た日本についての評価、あるいは国民の意識も随分変わってくるのではなかろうかと思うわけでございます。  以上、私の意見を述べさせていただきました。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。  次に、笹森公述人にお願いいたします。笹森公述人。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) おはようございます。連合事務局長の笹森でございます。  きょうは参議院の予算委員会で意見を申し述べさせていただく機会をいただきましたことを心からお礼申し上げておきたいと思います。  私は、一九九八年度の予算を考えるに当たりまして、まずその前提となります昨今の経済情勢、これについてどう認識をしているのかという考え方について述べた上で、一九九八年度の予算の内容について、働く人たちの代表的立場にあります連合の見解と要求を申し述べさせていただきたいと思っております。  また、付随いたしまして、先ごろ与党が示されました総合経済対策の基本方針、加えて財政構造改革法の改正問題、そして時間がもし許されれば労働基準法の改正の問題について触れさせていただきたいと思っております。  まず最初に、予算の前提となります経済情勢に対する認識についてでありますが、二つございます。一つは、今、原田理事長も触れられておりましたが、深刻化の度合いをますます深めている不況の状況、それから二つ目は、後手後手の政府の対策という部分について見解を述べさせていただきたいと思います。  まず一つは、深刻化する不況の問題でありますけれども、もう既に先生方御承知のとおり、未曾有の危機的な状況にあるというのは過言ではないというふうに思っております。九七年度の経済成長率は二十三年ぶりにマイナスという極めて憂慮すべき数字になっておるわけでありまして、景気屈折の根本的な要因は九七年度の予算であったというふうに思っております。  御承知のように、消費税率の引き上げ、特別減税の停止、医療費の負担増、こういったことから九兆円に及ぶ国民の負担増になった。このことが強行されたことによって個人消費が急速に減退をした。負担増で可処分所得が奪われた上に、社会保障の部分についても将来不安がかき立てられたということについては、国民が財布のひもをかたくするのは当然ではないかというふうに思っております。その意味で、今日の経済不況はまさに財政デフレであり政策不況だというふうに御指摘を申し上げておきたいと思います。  さらに、昨年の秋以降、こういった景気後退の基調に加えまして金融不安が重なってまいりました。銀行の貸し渋りも発生をするなど、不況は一層決定的なものになったというふうに思っております。  こういった景気動向の中で雇用情勢も悪化の一途をたどっておりまして、総務庁が発表した三月の完全失業率三・六%、先ほど原田さんも御指摘になりましたように、内容的に見ますと、生計を支えるいわゆる一番中心的な年代の人たちがこの問題について危機的な状況にさらされ始めているという状況になっているわけでありまして、統計をとり始めて以来最悪の記録、先行きの見通しはもっと悪化をするのではないか、こんなふうな想定もされております。  さらに、労働省が発表いたしました二月の有効求人倍率につきましても、六カ月連続をして低下しており、現在〇・六一倍という円高不況以来の低水準になっている、そういう実態にあるということをまず共通認識として我々としても持ち合わせておりますが、その上で政府の対策について申し上げますと、先ほど申し上げたように後手後手に回り過ぎているというふうに思わざるを得ません。  政府の見当外れの経済認識という言葉を使うのは不穏当かもしれませんが、経済企画庁の月例経済報告の中で見ていきますと、昨年の十月までは回復過程にある、こういう表現をとっておったはずです。私どもはそのときに、そんな状況ではないのではないかということを何回も御指摘申し上げました。その後も若干表現は変わりましたけれども、まだ先月段階までは足踏み状態にあるという表現をとっているわけです。  先ほど原田さんも御指摘になったように、けさ発表された日銀短観の状況認識の中では未曾有の悪さという表現になっているわけで、こういった情勢認識の違いが政府の経済政策についての非常に後手に回るという根本的な要因になっているのではないか、そういうふうに思っております。政策の失敗を認めたくないという強弁であるということにいたしましても、今回の予算編成を含めてこの間の政府の対応は経済情勢から大きく外れたものになっている。政策転換のタイミングを失って、打たれた政策も小出しで、後手後手で効果が上がらないものになっているという御指摘をせざるを得ないというふうに考えております。  二つ目には、九八年度の予算の問題についてでありますが、特徴と問題点ということで御指摘をしたいと思います。  九八年度の予算に要請をされている課題というのは、先生方御承知のように、国民負担の軽減を図って景気を回復させるということであります。特に、景気という言葉を分析させていただきますと、景気の景の字は状況をあらわす言葉であります。気の字は気分、気持ちの気であり、景気を浮揚させるというのは、状況を回転して国民の気持ちをどういうふうに浮揚させて、それを消費に結びつけるのかという対策を打たなければいけないわけでありますが、財政構造改革のもとで編成された現実の予算案の姿というのは極めて緊縮抑制型になっているということであります。  問題点を幾つか例示いたしますと、まず社会保障費の関係についてであります。  従来どおりであるならば八千億円余りの増額、これは当然増となるところでありますけれども、財政構造改革法によって三千億円未満の増加に抑えるというキャップがかけられております。五千億円余りが削減をされたわけでありまして、その結果、老人保健拠出金の被用者保険への転嫁ですとか年金保険事務費のカットが図られて、将来の追加的な負担増が避けられなくなっております。  私どもは一貫して、二十一世紀における少子・高齢化のもとで確固たる福祉、社会保障のビジョンをどういうふうに明示するのか、そのもとで給付と負担のあり方を検討すべきであるという主張を各党に対しても政府に対してもお願いしてまいりました。しかしながら、政府は将来ビジョンを示さないままに、国の負担を切り詰めようとするだけの予算編成になっているのではないか。加えて、医療の問題につきましては、昨年負担増を強行いたしましたけれども、供給体制を含む医療制度の抜本改革はまたしても先送りをされた現状になっております。こうしたことが社会保障システムに対する国民の不安をかき立てている。  本来、年金制度についても医療制度についても、国民に対する安心をどう提供するかというのが最大のテーマであったわけでありますが、今の政策状況から見ますと、安心の提供ではなくて不安の提供になっているというふうに申し上げてよろしいのではないかというふうに思います。  それから、公共事業費の問題につきましては、九八年度の予算では七・八%の大幅削減が行われることになりました。しかし、削減の手法は公共事業に係る各種の長期計画の年限を二年間延長しただけの内容でありまして、仕組みや内容の見直しには踏み込んでいないというのが実態ではなかろうかと思っております。言うなれば、依然として既得権型の公共事業が健在である。これでは構造改革はできないというふうに指摘をいたしたいと思います。  経済が危機的な状況にあるときにこういった緊縮抑制型の予算を組むことは、景気を一層悪化させることは自明の理でありますし、このままでは再び政策不況の愚を繰り返すことにつながってしまうというふうに考えております。  それから二つ目に、予算の中で景気の状況を回復させるための最善の手段は何か。これは、減税こそ最善の選択肢だというふうに申し上げておきたいと思います。  今、何より求められておる施策は減税であります。GDPの六割を占める個人消費の回復なくしてこの消費不況から脱出する道はないというふうに考えております。  九七年度の補正予算で二兆円の特別減税が実施されましたが、これでは景気対策としてはもう手おくれであり、不十分であります。二兆円ではデフレギャップを埋めるには少な過ぎるし、また一年度限りの特別減税では消費を刺激する力は非常に弱いというふうに思います。  連合は、四兆円規模の所得税減税、内訳は三兆円の制度減税と一兆円の特別減税、トータル四兆円の所得税減税を中心にいたしまして、教育、保育、住宅などに係るいわゆる政策減税、さらには日経連との調整の中で法人税減税なども合わせまして、総額六兆円規模の減税の実施を求めております。  意見としては、減税を行っても貯蓄に回るだけで消費には回らないというふうに減税を否定する意見もありますけれども、確かに一時的な特別減税だけでは消費刺激力が弱いことは事実であります。減税をきょうの消費拡大に結びつけるためには、社会保障や雇用などあすの生活不安の解消を図ることも大切だ。そういう二つの意味合いを結びつけながら、国民が安心して消費ができるという減税の実現が今こそ求められているのではないかというふうに思っております。  さらに、予算の関係につきましては、衆議院段階で連合としては参考人、公述人ということで、私と連合の高木副会長とそれぞれが意見を述べさせていただきました。その中では、予算の修正、組み替えを連合としては御要請いたしました。  箇条的に申し上げますと、一つは、四兆円の所得税減税を中心に総額六兆円の減税を図っていただきたい。二つ目には、社会保障関係費については、総合的な福祉ビジョンづくりを先行させて、制度の効率化を図りつつ当然増に対応した予算の確保をしていただきたい。三つ目には、失業率が二%台に低下するまでの間、新規雇い入れ助成金の拡大など緊急雇用対策の実施を図っていただきたい。四つ目には、公共事業については、事業内容や仕組みの見直し、コストの削減を図っていただきたい。  こういう意見を申し上げておきましたけれども、残念ながら衆議院段階では予算の修正、組み替えは果たし得ませんでした。でき得れば、参議院ではぜひ取り入れていただいて、予算案の修正を図っていただければというふうに思っております。  三つ目には、貸し渋り対策について触れさせていただきたいと思います。  まず一つは、横行する銀行の貸し渋りの状況ということであります。  現在、銀行の貸し渋りが横行しておりまして、その背景には金融不安や早期是正措置の導入に対応して自己資本比率の引き上げを図るという金融機関の事情があるということを考慮いたしましても、大変多くの中小、中堅の企業は、経営状態には問題がないのに十分な資金提供が受けられず困難を来している。私ども傘下の組織の企業も、黒字倒産を余儀なくされているという実態が続々と寄せられているという状況にございます。  特に、九七年に入りましてからは貸し渋り型倒産は二百件以上と報じられておりますが、雇用問題の深刻化の一因となっている状況だということも御指摘をいたしたいと思いますし、私どもが最大の生活基盤にしたいと願っております春の賃上げ交渉の中にもこの貸し渋りの実態が非常に影響して、交渉の状況が困難化をしているという実態もございます。  連合は、現在、各地方の詳しい実態を調査中でありますし、また初めての試みではありましたけれども、銀行協会、地方銀行協会、第二地銀協会、信金協会に対しても連合との政策協議を行わせていただきました。さらに、中小企業団体中央会とも初めて中小の経営側の方々との話し合いを持たせていただきました。各県ごとの大変深刻な実態が中小企業中央会の中からも私どもと同じように浮かび上がってまいりました。銀行の方にもいろいろな要請は行っておりますが、なかなか実効が上がりません。  貸し渋りの実例としては、もう既に御承知かと思いますけれども、貸し渋りどころか引っぱがしがある、金利の上乗せがある、担保の上積みがある、さらには各企業の個別労使関係の中の労務費の問題にまで銀行が口出しをする、そういうような状況が軒並みあらわれておりまして、経営の状況を組合側の方が配慮して、賃金分については労金からの融資を組合担保で借り入れてしのいでいるというような実情もあるわけでありまして、銀行の実態については非常に私どもとしては憂慮しているということを申し上げておきたいと思います。  二つ目には、金融安定化法はそういう意味で貸し渋りの解消につながっていないということを御指摘したいと思います。  本国会ではさきに金融安定化の二法案を可決、成立いたしましたけれども、反対意見もあった中で公的資金を使って金融機関に資本注入することを決めたわけであります。早速、都銀など約二十一行、総計一兆八千億円余りの資本注入が行われることになりましたけれども、私どもの現場からは、資本注入をしてもそれぞれの中小や中堅の企業に対する融資にはつながっていない、そういう疑問の声が寄せられております。そういう意味で、政府の貸し渋り対策は必ずしも効果を上げていない、地域では貸し渋る銀行からはこうなったら抗議行動を含めて預金の引き揚げ運動でも起こそうかというような声まで寄せられている深刻な実態にあるということをぜひ御理解いただきたいと思います。  それから三つ目には、政府系金融機関の融資の拡大の問題についてであります。  頼りといたします政府系金融機関も、円滑な資金供給が行われていないというふうに思っておりまして、中小企業への融資条件のさらなる緩和を行っていただくとともに、中堅企業への融資の道を一段と開いていただきたい。  具体的には、四つ御要望申し上げたいと思いますが、一つは、中小企業金融公庫、国民金融公庫の融資額の拡大、融資条件のさらなる緩和、二つ目には、信用保証協会の保証枠を拡大して中堅企業も保証の対象に入れていただきたい、三つ目は、中小企業信用保険法の特定業種を追加指定していただきたい、四つ目は、開銀の融資対象が設備投資というふうに限定をされておりますが、運転資金にも拡大をしていただきたいという四つを御要請したいと思います。  それから四つ目は、自民党の総合経済対策の問題について触れたいと思いますが、規模は最大だけれども中身は果たしてどうなのかということであります。  自民党を初め与党三党は、三月二十六日の段階で総合経済対策の基本方針を発表いたしました。内需拡大を中心に必要十分な財政出動を含めた総額十六兆円を上回る経済対策を実施するという内容だったというふうに承っております。  十六兆円の事業規模は景気対策としては過去最大であることは間違いありません。しかし、規模だけが強調されて中身がどうなのかというと、特段の目新しさはない。さらに、私ども働く者が非常に切望しております減税は今の段階では検討にとどまっているという状況にあるのではなかろうかと思っております。  それから、社会資本の緊急整備の問題として環境、新エネルギー、少子・高齢化対応、情報通信の高度化などへの集中的な投資がうたわれておりますけれども、思い切った減税が中心になくて、規模の面からも従来型の土木中心の公共投資が中心にならざるを得ないという今の政府の政策ではないか。したがって、参議院選挙等を意識したややばらまきではないかというような国民の声が非常に私どもに寄せられているという事実について御指摘を申し上げておきたいと思います。  それから二つ目には、なぜ今補正なのかという問題であります。  橋本内閣は、これまでも九八年度予算が最善だというふうに主張されてきたわけでありますが、この経済対策の発表は事実上それを否定しているもので、九八年度予算に欠陥があることを認めたというふうに言わざるを得ないのではないかと思っております。国会の審議に入る前からいろいろな意味で各議員の先生方が補正予算を公言してきたというような事実も、これはマスコミ報道を仄聞している内容ではありますが、だとすれば、これまでの政府の誤りを認めた上で九八年度予算をみずから修正するのが筋ではないかというふうに思っております。  それから、財政構造改革法の改正の問題ですが、財政構造改革をやらなければならないという現実認識については私ども全く共通であります。しかしながら、有効な減税を中心とするような選択がとれないとするならば、財政構造改革法というのは凍結あるいは修正をすべきではないかというふうに思っております。  財政構造改革の問題点につきましては、二十一世紀の少子・高齢化に対応するために政策の優先順位を明らかにしていただいて、限られた財源を必要な分野に効率配分していただかなければならないというふうに思います。しかしながら、昨年秋の臨時国会で成立をいたしました財政構造改革法は、歳出の量的削減に偏重して少子・高齢化社会に向けた構造改革とはなっておらないというふうに受けとめております。  また、経済成長なしに財政再建はあり得ないわけでありますし、経済の状況と無関係に財政均衡至上主義に陥ることは不況を深刻化するだけだということを申し上げ、そのことはかえって財政再建を不可能にするというふうに申し上げたいと思います。  どこをどう改正するかという問題ですが、三つございます。一つは、社会保障費まで一律に縛るキャップ制は改めていただいて、政策の優先順位に基づく歳出構造の改革というふうに規定をすること、それから二つ目は、特例公債の毎年度の減額及び二〇〇三年の特例公債発行をゼロとする財政再建目標は見直すということ、三つ目は、景気動向に対応した弾力条項を設けることなどが検討されるべきだと思います。  そういう意味で、予算審議とあわせて論議をしていただかなければならないし、必要な予算修正と法律改正を行っていただきたいというふうに考えております。  以上、御意見として申し上げさせていただきます。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 自由民主党の北岡秀二でございます。  原田公述人そして笹森公述人におかれましては、大変貴重な御意見をいただきましてまことにありがとうございます。  私は、これから日本の経済と景気ということに関連いたしまして、原田公述人を中心に数点質問をさせていただきたいと思う次第でございます。  まず、先ほど日本経済の状況、そしてまた本年度予算の対応等についていろいろな御意見をお伺い申し上げたわけでございますが、私は、日本経済と特に非常に関連が深いということで、アメリカ経済とアジア経済についてまず最初に原田公述人からお伺いを申し上げたいと思う次第でございます。  アメリカ経済は大変な好景気ということで、株価ももう九千ドルに迫る勢いと。個人消費から始まりまして、さらには設備投資あるいは製造業の数値等々、経済指標にまつわるいろいろな数値は大変すばらしい数字ができ上がっておる。一説には、これから好景気、不景気の波はもうなくなったんだ、ニューエコノミー論まで飛び出しておるというような現状でありますが、私は、このアメリカの経済の状況というのには一抹の疑問と、そしてまた不安も持っておるものでございます。  これはもう一般的に言われておりますとおり、既に賃金上昇の傾向も出てきておる、インフレ傾向も出てきておる、そしてまた何よりも基本的にアメリカの経済自体が絶好調の株価によってかなり支えられておる部分があるんじゃなかろうか。これもアメリカの経済の今の実態から考えてみますときに、多少行き過ぎの部分もあるんじゃないか。これはいつか是正される時期も来るような感じもしないでもない。  このアメリカの最近の株価、実体経済を過大評価し過ぎておるというような点について原田公述人の御意見と、そしてまた、先ほど申し上げましたニューエコノミー、景気循環が消滅するというような歴史的な構造変化が本当に起きているものなのかどうなのか。そしてまた、それによってアメリカの強固な経済基盤がつくられつつあるのかどうか。そのあたりをお伺い申し上げたいと思います。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 北岡先生からは、第一の問題といたしまして、アメリカ経済についての判断という御質問をいただいたわけでございますが、実は、私自身はこの二、三年来ずっとアメリカにつきましては強気と申しましょうか、そういった視点からとらえております。  これは、一九九二年を一つの転機といたしまして、日本はその時点から遺憾ながら凋落傾向をたどった、アメリカの方はその後少なくともマクロの面から見る限りにおいては極めて順調であるし、それから企業収益も明るさを、ずっと増収増益を続けてきている姿が全体像としては見られるわけであります。  私は、アメリカがこのように強くなった点では三つくらいの要因が指摘できると思っておるのであります。  その第一点は、一九八〇年代の後半は、先生も御承知のとおり、アメリカは経営環境も非常に厳しい状態に置かれまして、その過程においては、リストラをするとともに、例えば我が国の労使関係であるとか品質管理の問題とかかんばん方式であるとか、そういったものを一生懸命彼らも勉強して日本のよい点を受け入れたというふうなこと、これが九〇年代に入りましてアメリカ経済が強くなった、努力が結実したというふうな面が一つ言えると思います。  二つ目は、中央銀行総裁であるグリーンスパンの金融政策が非常に見事に行われたということが言えると思うわけであります。  私が最も重視しておる三番目の問題は、先ほども一言だけ触れましたけれども、アメリカが情報化あるいは通信分野の独創的な体制というものを、独創的というのは、ヨーロッパや日本に対比して独創的な体制を確立したというところにあると思われるわけであります。これは細かに分析してみると、いかにアメリカの設備投資が従来なかったように安定的に伸び、かつ高い水準を維持しているかという点がクローズアップされるのでありますけれども、その主たる要因というのは、情報化関連の投資が高い伸び率を示したというところにあろうかと思うわけであります。  言うなれば、いろんな要因がございますけれども、一言だけで言えと言われましたら、私はアメリカ経済の現状の強さ、国際競争力も高まっているという点の最大の原因は、クリントン、ゴアによりますところの情報スーパーハイウエー構想というふうなものに民間も共感をして、そしてアメリカ挙げてその面にシフトしていった。これが根本的な力になっているというふうに認識をしておるわけでございます。  しかしながら、今アメリカを経済の面から見れば大変強いと思うわけでありますが、先生御指摘のような株価につきましては、このところ八千八百ドルとか九千ドルを指呼に入れるような動きになってきておるわけでありまして、これは最近の情勢の中ではちょっと上げ過ぎの傾向はぬぐえないのではないかという感じがいたします。  従来、私はアメリカ経済だけについて言えば手放しの楽観をしてもいいと考えておったのでありますが、このところちょっとアメリカの株価については上昇テンポが速過ぎるというふうに認識しておりまして、一割くらいの下落が生ずる可能性はやはり念頭に置く必要はあろうかというふうに思っております。  ただし、このところの株の上昇の背景としては、アジアの問題がこれだけ厳しさを増しておるんですけれども、当初はそのことがアメリカの株価下落要因として一時働きました。しかし、現状におけるアメリカの認識としては、アジア問題から受けるアメリカの影響というのはそれほどマイナス面は大きくなく、逆にアジアからの安い商品が入ってくるというふうなことによりまして、物価の安定に寄与する側面もかなり大きいのではないかという楽観論が株高の一つの背景にもなっているように思うわけでございます。  そういう点から申しますと、今私は余りにもアメリカを賛美し過ぎたようでありますが、あくまで経済の面で申し上げたわけでありまして、アメリカを社会全体ということで見れば、例えば麻薬の問題であるとかエイズの問題であるとか、それから非常に殺伐な銃砲社会であるとか、さらには日本以上に教育問題の荒廃も激しいように思うわけであります。そういう点で、アメリカにはクリントンが解決しなきゃならない課題というのは山積していると思うわけでありますが、ただ経済の面だけについて言えば、私はやっぱりアメリカは非常に強くなったなと思うわけでございます。  先生がニューエコノミー論ということをちょっとお触れになったわけでありますけれども、私自身は、今統計的にアメリカの強さ、具体的に言えば生産性の向上というふうなものが表面に出てきておりませんけれども、しかしながら、やはりアメリカがデジタル革命という動きの中において非常に強くなってきているのは事実であります。  そして、そういう中で一つの重みのある発言といたしましては、昨年、先ほど例示しましたグリーンスパン連銀議長が議会における発言の中で、もしかしたらということで、断定はしておりませんけれども、冒頭には、原文で見ますとアイ・ドント・ノーという言葉を使っているんですけれども、もしかしたらアメリカ経済は百年に一回か二回しかないような大きな変革期に、いい意味での変革期に直面しているのではないかというふうな発言をしております。  グリーンスパン議長自身は大変慎重な言い回しをする人でありますので、その本当の意味での真意というのはなかなかわからないのでありますけれども、しかし、ともかくもグリーンスパンがアメリカ経済について、もしかしたら大変な構造改革が起こって、これからも安定成長が持続できるのかもしれないと言った、この発言の重みはかなりあるのではなかろうかと思っておるわけでございます。  したがいまして、私さっき冒頭の中で、もし世界同時不況というふうなものが起こるとしたらということで、我が国発のそういった姿も否定できないと申し上げたんですけれども、アメリカ発でそういった世界同時不況が生ずる可能性は現時点においても極めて小さい。  したがいまして、もしそういう事態が起こるとしたらその震源地はどこかという御質問をいただきましたら、私は、遺憾ながら、一つは我が日本、これからの政策対応を誤った場合にはその可能性も、比率は小さいにせよ否定できないということ。そしてもう一つの震源地というのは、今あらしの前の静けさと申しましょうか、香港ドルとそれから中国の元、この辺の為替制度がどのように動いていくのか、進展していくのか、これが非常に大きなかぎを握っているんではないかというふうに考えております。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 ありがとうございました。  ただいまの最後の方のお話でアジアの金融の話も出てまいりましたが、アジアについてもちょっとお聞き申し上げたいんですが、もう御承知のとおり、昨年のタイのバーツの大暴落からアジアの非常なる金融不安と経済不安が起こってまいった。これもいろいろな方々の御意見によりますと、日本経済もいろんな意味でこれから非常に影響を受けていくであろうし、なおかつ日本がリードしていかなければならないという期待と不安と両方まじっているわけでございます。  こういう状況の中で、将来のアジアの中の日本ということを考えてみますときに、現状の中で、アジアの金融不安も一応一段落してやや落ちつきつつありますが、今のアジアの経済情勢が日本経済に与えておる影響をどういうふうに認識されていらっしゃるか。そしてまた、今後日本経済あるいは日本政府として、これからどういうふうな役割を担っていかなければならないか。そのあたりも簡単に御所見をお伺い申し上げます。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) アジアの問題についての御質問でございますけれども、私は基調的には、アジア経済につきましては今まで七、八%という高い成長率を続けまして世界の成長センターというふうにみなされてきたわけでありますが、それが今御指摘のとおり、昨年のタイ・バーツの投機筋による売りによりまして大きな混乱状態に入ったわけでございます。しかしながら、結論を先取りして言えば、恐らくアジア経済は二、三年のうちに六ないし八%くらいの成長路線に再び復帰することは不可能ではないだろうというふうに思っております。  ただし、先ほども申し上げましたように、これから香港のドルペッグシステムが動揺を来す、あるいは中国の貿易黒字が大幅に減少あるいは赤字化するような状態になって中国の元の動揺が生ずるということになりますと、これは国際的な金融不安につながるという懸念もございます。これは、私自身はその可能性は非常に小さいと思っておりますので、除いて考えた場合には、この二、三年のうちにアジア経済は世界の成長センターに復元できる力は十分に持っているだろうと思うわけでございます。  現状においては、御指摘のとおり私も若干の小康状態に入ったと思いますが、現時点での要注目はインドネシアでございまして、インドネシアの場合にはスハルト大統領をめぐる政治的な不安定さというものも一つございますけれども、何せ一億九千万というふうな人口を持っておりまして、このところの情報では、例えば輸入しておりますお米についても備蓄はもう二、三カ月しかなくなってきているというふうなことも伝えられておるわけであります。ルピアの下落率というのは、このところやや回復はしてきているものの、アジア通貨の中では最も激しい落ち込みを記録している。そして物価の上昇、インフレ懸念は非常に高まってまいりまして、ことしは大幅なマイナス成長になりそうだというふうな事態であります。  さらに、現象的に言えば、これからアジアの国々、私の知る限り大変懸念しておりますのは、シンガポールとかあるいはマレーシアとか、そういったところにインドネシアからのボートピープル、難民が大量に流れ出すような懸念というのはあり得るわけであります。こういう事態が起こってくると、経済問題を離れた意味での混乱が生ずる可能性もあろうかというふうな情勢かと思います。  しかしながら、当面のところは落ちつきましたし、それからもう一つ注目された韓国についても、金大中大統領に対する国民の信頼というのは次第に高まってきているような傾向がございまして、その意味での当面の懸念は大分小さくなったかと考えております。  そういう中で、これからの日本の果たす役割ということになりますが、インドネシアまで橋本首相も行かれて大変御苦労なさったかと思うわけでありますけれども、今後の方向としては、私は、この通貨ないしは経済危機というものを契機にしまして、日本がアジアの中でリーダーシップをとっていくというふうな体制づくり、これは経済のみというよりか金融のシステムにおいても言えるのではなかろうかと思うわけであります。  つまりそれは、今までのドルペッグ制というものは、御承知のとおり八〇%まではアメリカのドルとリンクするような、いわゆるマーケットバスケット方式というのをとっておったわけでありますが、しかしながら貿易比率からいえばむしろアジアにおいては日本の方が中心であって、アメリカのシェアは少ないわけですね。その意味では、新しい例えばマーケットバスケット方式の中で、日本の円をもっとウエートを高めていって、アメリカのウエートは例えば三割とか四割に下げて日本の比率をもっと上げるというふうな形で、円をアジアの実質的な意味での基軸通貨に持っていくというふうな方向づけも、事態が安定してまいりましたら十分検討に値するのではなかろうかと思うわけであります。  それからまた、かつて、一九八五年以降の円高局面においては我が国の産業がアジアに直接投資を大幅にした。そのことがアジア発展の大きな原動力になったわけでありますが、現状を非常に悲観的に見ますと、もうアジアの商売は難しいというふうなネガティブな感じになろうかと思います。  しかしながら、現実には、今アジアの通貨が非常に下がりまして、八五年のときと同じような、対アジア通貨においては円高基調になっているわけでございます。こういう中においてはむしろ、総合的な情報判断をした上ではありますけれども、日本が再びアジアに対して積極的に打って出るということも一つの可能性としては十分考えられると思うわけであります。その意味では、今回の混乱状態というものを一つの転機にして、むしろそのピンチをチャンスにして日本の企業が海外に進出していくというふうな一つの考え方も成立すると思うわけであります。  現実に、今アジアには、アメリカ並びにヨーロッパの資本はこのチャンスにということでかなり前向きの姿勢をとっておるわけであります。日本の場合にはどちらかというと消極的な姿勢がむしろ目立つわけでありますが、この辺の発想の転換ということも今度のアジア問題については私は必要ではなかろうか、かように考えております。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 もう時間があっという間に経過しましたので、国内問題に移ります。  不良債権の処理についてちょっとお伺いを申し上げたいんですが、先ほど日本国内の経済状況、原田公述人の方から大変な深刻な状況であるというようにお伺いしました。そしてまた、なおかつ、レジュメに現状判断の中での資産デフレというのも大きな要因であるというようなことも書かれておりますが、この資産デフレの中のとりわけ不良債権が非常に大きな要因でもあろうかと思うわけでございます。  この不良債権一つとってみましても、金融機関の不良債権の総額が今までいろんな角度から判断される。二十数兆からあるいは百二十兆ぐらいあるんではなかろうかと。そのあたりの実態がなかなかつかめていないのも現状だろうと思うわけでございます。さらに、過去数年間に不良債権の処理がどれだけなされたかということに関しても、このあたりの統計数字もどの数字を信用していいのかというような実情でございます。  過去のことはさておき、これから日本経済を考えていく上で、将来を見通したときに、この不良債権の処理というのは一体どの程度まで進めば実体経済への悪影響がなくなるのか。また、実体経済への影響がなくなるまでの処理の中でどのぐらいの期間が必要なのか。そしてまた加えて、政府が、今までいろんな対策を立ててきたわけでございますが、これまで行ってきた対策のほかに今後どのような施策をとる必要があるかというような点で、原田公述人の御意見がございましたらお伺い申し上げます。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 大変難しい御質問をちょうだいしたわけでございますが、今度の三月決算期におきましても、大手行はトータルで十兆円を超える償却を実行するというふうなことに現状はなっておるわけでございます。これからは、情報開示という観点から、不良債権の定義につきましてもアメリカ流の定義を適用するということもほぼ固まったようでございます。それは具体的な形で申せば、今までは六カ月間延滞したものを不良債権とみなしておりましたものを、金利の支払いがアメリカ流に三カ月以上滞った場合にはバッドローンとみなすというふうなことに変わってくる。こういう形で、かなり世界標準に近づくということが言えると思いまして、これがかなり実態に近づいてくることの一つの要因になろうと思っております。  しかしながら、一体どれだけの不良債権があるかということは本当に地価自体の動向がどうなっていくかということともかかわるわけでありまして、率直に言えば、恐らく当事者である銀行自体も、一体これは不良債権かどうかということについてはなかなか判断が難しいのが現状でございます。  したがって、土地の問題につきましては、新しい土地政策ということで、これからはむしろ従来のような価格の引き下げというふうな時点から、土地の有効活用ということに重点を置いた政策路線が出ておられるわけでありますが、これはもう大変結構な、的をついた方向であろうと思うわけでございます。  要は、やはり基本的には日本の景気がある程度回復いたしまして、今七年連続して下落している地価が底打ちから多少とも強含みの方向に転ずるということがなければ、いつになってもそこからはい出すことが難しいのが現状ではなかろうか。そして、端的に言えば、やはり今の日本の経済の回復のためには、地価がある程度底打ちから強含み、暴騰というのはもちろん避けるべきですが、強含みの方向にいかなければなかなか景気の回復は難しいだろうというふうに認識をいたしておるわけでございます。  そういう意味から言えば、やはり土地の流動化等々を進める一方におきまして、最も重要なことは、日本の実体経済そのものを改善していく、そして地価動向にも明るさの見られるような方向に持っていく。さらに、土地そのものについては、例えば具体的な政策として言えば土地の証券化というふうな、アメリカ等ではむしろ当たり前の手法でございますけれども、こういったものを日本の中でどんどん取り入れていくとか、そういう総合的な対策によっていかなければなかなか、単に銀行が不良債権の処理だけに追われていてもいつになっても泥沼からはい出ることはできないのではなかろうかと考えております。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 いろいろお聞きしたいことがあるわけでございますが、もう時間が大分迫ってまいりましたので、先ほど御説明いただいた資料の中で、関心のある数字が二点出ておりますので、この根拠についてお伺い申し上げたいんです。  「財政政策のあり方」についての部分で、「大規模な有効需要(真水七兆円以上)を創出して、」という部分のその七兆円という数字の根拠というのはどういう観点でお考えになられたのか。そしてまた、「情報インフラ、生活基盤整備に大幅にシフトした公共投資の増額」という部分で、ここに括弧の二兆円という数字を出されておりますが、このあたりの数字は、それなりに日本の今の経済現状を考えた上での根拠ある数字だろうと思いますが、そのあたりをお伺い申し上げます。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) ここに挙げました数字自身はそれほど厳密におとりいただくようなものではございませんけれども、まだ今の状態では余りにも不透明な面が多いという意味合いでございます。  ここで私考えておりますのは、公共投資の増額、真水ベースで二兆円、形の上ではいわゆる真水の定義そのものも変わってまいりますから、地方を含めた場合の三兆円だとかいろんな見方がございますけれども、現状において、情報インフラとかそれから生活基盤整備というふうな面にこれからの投資を向けるとしても、我々の感触ではせいぜい一兆円くらいしか難しいのではなかろうかと思うわけであります。その意味では、ここでは最大限一兆円くらいを新しい分野の投資に上乗せしていく、そして残りの部分は、できるだけ効率性は考えながらも従来型の方向になるのはやむを得ないのではなかろうかというふうに考えております。  それから、法人減税については、今回三%の法人税率の引き下げがあったということを今度の予算案の中でも非常に大蔵当局も強調しておられるわけでありますけれども、実態的な減税額は三千三百億円と言っておるわけでありまして、これは法人税の一%減で約四千億円というふうに考えますと極めて小さなものであったと思います。したがいまして、これをアメリカ並みの四〇%ベースまで実効税率ベースで引き下げるということになりますと、二兆円強ぐらいの資金が必要になってくるだろうと思われます。  そして、所得減税ということでも、累進税率の緩和を中心にして、これは恒久減税という意味でありますが、減税を行うとすれば二兆円前後の金額が、資金が必要になるのではなかろうかと思います。  そして、政策減税等については、住宅ローンへの優遇措置とか教育減税というものを残りの部分で考えるというふうなことで、ごく大ざっぱに申し上げまして七兆円くらい真水ベースで、事業規模ではなくて真水ベースでその程度のものが必要になってくるんではないかと思うわけであります。  ただ、この数字を実際に実現させるには財政構造改革法のいろいろ法的な難しい問題等が絡んでくることは申すまでもございません。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 あとわずか時間が残っておりますので、一点だけ質問をさせていただきます。  ちょうど昨日からいよいよ金融ビッグバンの開始ということで、もう本当にここ数日間、ビッグバンに関連するいろんな角度からの分析、そしてまた将来像等々、いろいろな形で語られておるわけでございますが、特に私は、俗に言われる個人金融資産千二百兆円、この行方がどうなっていくかという部分に多少関心がございます。  これは、今までは間接的に海外の方に金融資産は流出しておっただろうが、これからどんどん外国の金融機関が入ってくるにつれて、もう本当にありとあらゆる角度で自由に日本の国の個人の金融資産が海外流出していくんじゃなかろうか。  この海外流出をしていくに当たって、これは将来的に日本の国の経済にもいろんな意味で影響が出てくるんじゃなかろうか。そしてまた、こういう流出に対して、もし日本の国の政府として、これはもう一たん一つの制度をつくって解き放った以上、なかなかそういう部分の対応というのはすぐにはとれないだろうと思うわけでございますが、政府としてどういう部分を心しておかなければならないか、対応しなければならないか、お考えをお伺いして、質問を終わらせていただきたいと思います。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 原田公述人、時間がございませんので、簡潔にお願いします。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 率直に申し上げまして、これからビッグバンの影響がどういうふうに出てくるかということは、いろいろ専門家の中でも意見が分かれておるわけでございます。直ちに日本の、一般国民生活には若干の影響はあるにしましても、経済全体を見てこれがすぐに大きな変革をもたらすということではないんですが、これからじわじわと影響が出てくるし、特に日本の周りを囲っておりました城壁がすべて取り払われるということになるわけでありますから、したがって、日本の金融機関にしても海外の金融機関との間の熾烈な競争が行われて、英国のビッグバンと同じように日本の中でもどんどん海外資本にテークオーバーされるような企業が出てくることはこれは恐らく避けがたいのではないか。  いずれにいたしましても、公正な競争のもとで世界的なメガコンペティションをやっていく、その覚悟を我が国全体、特に金融界などが持って対処していくしかないんだろうと思っております。

北岡秀二自由民主党

○北岡秀二君 ありがとうございました。

広中和歌子民友連

○広中和歌子君 民友連の広中和歌子でございます。  きょうは原田公述人、笹森公述人両氏から大変貴重なお話を伺いまして、どうもありがとうございました。  最初の質問はお二人にお伺いさせていただきたいと思います。  昨年暮れ、私は財政金融構造改革特別委員会において財政構造改革法の審議に参加いたしましたし、またことしも予算委員会で予算の審議に携わっているものでございますが、私は、笹森さんがおっしゃいましたように、この財政構造改革というのは二つの点で出すべき法案ではないと。まずタイミングの問題、非常な不景気の中で今そのタイミングではないということ、そしてまた構造改革の名に値しないということを理由に反対をしたわけでございますけれども、原田公述人はむしろ構造改革という点では評価されていらっしゃるということでございます。  しかし、私は実際に、自民党の総合経済対策、これから出されます十六兆円にいたしましても、それから宮澤政権以降ずっと出されておりました経済対策にいたしましても、新社会資本整備といったような新たな言葉が出て、情報インフラみたいな新しい分野に公共投資がなされるべきだと言われながら、それはかけ声だけに終わってしまって、そして実際の構造改革というのはできていない。今までの縦割りの省庁の枠の中でほとんど動きのないままに予算が組まれているということを感じるわけでございます。  今のような日本の現状におきまして、果たして構造改革ができるのか。そして、できないとしたら、そのがんになっているもの、それは何なんだろうかということが第一点の質問でございます。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 財政構造改革法についての広中先生の御意見でありますが、私も、タイミングとして極めてまずい時期に行ったということと、それから余りにも赤字国債の減少というところに重点を置き過ぎているという点では批判的でございます。  その背景としては、我が国の役所の景気判断というものが、冒頭で私が陳述いたしましたように、非常に昨年の四月以降の我が国の景気というものを楽観的に見過ぎていた。そして恐らく橋本さんもその政府関係当局の楽観的な見通しをもとに判断をした。その場合には、最優先の課題は景気対策ではなくてむしろ財政構造改革、財政再建にあるというふうに判断されたのではなかろうか。こういった認識を私自身は持っておるわけでございます。  その意味では、やはり実体経済の景気判断というものの誤りがタイミングのミスにつながったということ、それにあえてやや高い面での甘い評価をするとすれば、アジアの通貨問題がこれほど厳しい事態で発生するということが視野になかったということも言えるのではないかと思いますが、いずれにしてもこの財政構造改革がタイミングとして不適切であったことは事実であろうと思います。  そしてもう一つ、内容について言えば、ただいま申しましたように、赤字国債の減に余りにもとらわれ過ぎたということもございますけれども、ともかくも景気動向とのバランスの中で政策運営をしていく。  つまり、財政政策は私は三つのポイントがあると認識しているわけであります。一つは、日本の資源の適正な分配ということ、そして二つ目は、我が国におけるいわゆる所得の分配構造を変えていくというふうな問題、そして三つ目には、景気対策の視点というようなものがあると思いますけれども、三番目の問題についての視点がやはり景気判断を誤ったがゆえに極めてリジッドな内容になってしまったということではなかろうかと思います。  その意味で動きがとれなくなってきている。今の財政構造改革が極めて大きな自縄自縛の法律になってしまっているということは否定できないと思うわけでありますが、ただ基本的な考え方として、私は、将来の日本を考えた場合に、財政構造改革というものに歯どめをかけるという意味でこの法律の意味合いというのは必要なものであろうと考えております。  したがいまして、その意味からいえば、先ほども申し上げたのでありますけれども、基本的な認識として、赤字国債云々というふうなことではなくて、いかにして歳出の増加に対してはそれを相殺するような形での他の分野における歳出の削減を図っていくか、いわゆる常に小さな政府を目指すという方向づけをもっともっと強く打ち出す、そういう理念的なものを持った法案であってほしいというふうに考えておるわけでございます。  余談でございますけれども、ことしのアメリカの大統領経済白書、私もちょっと必要がありまして原文を読んでみたのであります。今アメリカの財政は御承知のとおり非常に順調に回復しておりまして、恐らく九九年などは黒字になるんではないかと思うんですけれども、その中においても、歳出をふやした場合には必ず同額は別の分野で歳出を削減して、そして財政の健全化を続けるべきだということをクリントンは非常に強く言っておるわけでございます。そういったようなことが我が国の財政面においても必要ではないかと考えております。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) タイミングの問題、それから内容的に構造改革の名に値しないという広中先生の認識は、私も全く同感でございます。  この経済問題の中で、政府は一九九〇年代に入って二回同じ政策の間違いを起こしたんではないかというふうに思っておるんです。一つは一九九五年の段階、このときにはちょうど経済状況が回復過程に入るという状況だった。そのときにもやはり財政再建という大命題をやりたいということで、せっかくの景気回復の状況を腰折れさせてしまった。二回目は今回だったと思うんですね。同じように財政再建を急ぎ過ぎて不況を招いてしまった。そういう意味では全くタイミングが悪い。  九八年度の予算以降同じような政策をとり続ければ、これはもう取り返しのつかない経済状態に立ち入ることは全く救いようがないというふうに思っておりますので、言うなれば今の段階では、財政再建は、正常な経済状態に復帰をする、そのことが確保されない限りはやるべきではないというふうに私どもは判断をしております。  アメリカやイギリスの例を見てみますと、景気回復をさせるためにどんなことを考えただろうかというと、財政の健全化というのは当然しなければいけないけれども、その場合に経済成長が二%以上の成長を持続する、それが二、三年以上続いた段階で初めてそのことに手をつけていった。その基盤がなければやれないんだというのが外国の例でも明らかになっているわけです。日本の場合には、今物すごく重病人の患者が、体力がない、その中でさらにまた弱るような施策をとるのか、今必要なカンフルや栄養剤を投与するのかということになれば、政策としては当然わかり切ったことではないかというふうに思っております。

広中和歌子民友連

○広中和歌子君 このデフレスパイラルでございますけれども、私は脱するのに非常に時間がかかるんじゃないかという感覚を持っております、経済学者じゃございませんけれども。  その点を含めて原田公述人にお答えいただきたいわけですけれども、私は一九七〇年代から八〇年代の初めぐらいにかけて普通の生活者としてアメリカに暮らしておりました。今アメリカ、ヨーロッパなかんずくイギリスの経済発展ということがいろいろ言われておりますけれども、実に実に長い不況のトンネルを通ったわけです。そして、そのトンネルの苦しみの中から構造改革ということをやったわけです。日本に果たしてその構造改革ができるか、それが今問われているんじゃないかと思います。  構造改革というのは、先進国どこの国でもそうですけれども、経済のグローバル化、アジアNIESを初めとして、中国、いろいろな国の追い上げで経済構造が変わっていかなくちゃならないわけでございます。当然痛みが伴う。MアンドAみたいなこともございますし、その経済構造の転換の中で失業そしてまた再雇用が起こる、つまり労働市場のフレキシビリティーというのが求められてくるわけでございます。  イギリスの今の成功にいたしましても、サッチャー政権がそうした構造改革を果敢に取り入れたこと、そしてブレア首相もむしろそうしたサッチャーの政策を引き継いだということがあるわけでございます。  これは笹森さんにもお答えいただきたいわけですけれども、こうした痛みが伴う構造転換に企業もそして労働市場も耐えていけるんだろうか、どのように受けとめられるんだろうか、その点についてお伺いいたします。  まず笹森先生からお願いいたします。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 痛みを分かち合うという部分でお答えをしたいと思うんですが、政府も経営側も痛みを分かち合うということをすぐ求めます。今の財政構造改革と経済政策の関係から言うと、先ほども申し上げましたように、弱い人たちや働いている立場の人たちに負担増というのを全部押しつけてくるわけです。政府みずからが何をやるのか。行革のスリム化にしてもいろんな問題にしても、みずからの痛みを伴うことは全く横に置いて負担増を押しつけるという一方的な痛みの押しつけになる。  もう一つ。経営側は何か。ちょうど私ども今賃上げの交渉をやっておりますが、雇用か賃金かという二者択一を迫られたわけです。本来賃金と雇用というのは二者択一問題ではないんです。特に三・六%を超えていくというような失業率の状況からいきますと、もう構造的な問題というふうになるわけでございます。しかしながら、賃上げはある部分抑制しても我々は我慢をしよう、そのことで雇用が保障されるならということなんだけれども、賃金がある程度カットされて、しからば雇用不安を解消して雇用保障ができるんですかと。このことについては経営側は何も答えない。言うなれば、物を言わない弱い立場の人、特に高齢の低金利にあえいでいるような方々と、それから働いていてこれ以上の生活条件は見込めない、その中でさらに失業の不安が出ているという部分。  三方一両損の痛みの分かち合いなら私どもは理解ができるけれども、働いている人やそういう人たちに対しては一方的な丸損だという今の政策については、これは我慢ができるはずがないというような認識を持っておりまして、それをどういうふうに直していただくかというのが今回の経済政策でなければいけないし、そのためには今構造改革というのはやるべき時期ではないし、やってはいけないというふうに考えております。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 私は、先ほど広中先生のおっしゃられたことの大部分について賛成でございます。世界の大きな変化ということを我々はまず認識しなきゃいけないわけでありまして、そういうグローバルな流れの中において、我々としたら、好むと好まざるとにかかわらずフェアな競争を自由市場経済の中でやっていく、この立場に立って物事を考えざるを得ないと思うわけであります。  その上で、いろいろ出てきている問題、失業の問題であるとか弱者救済の問題であるとかいうことは別個の視点からとらえるべきであるけれども、もう日本がフェアな競争下における自由主義体制というものの中に巻き込まれて、そしてそれが既に昨日からビッグバンという形でスタートしておるわけでありますから、これを受け入れた中において、痛みを伴う点についてはどのような、それに対しては部分的な対応策も講じていかなきゃいけないか、そういう認識に立った政策路線が基本的に私は必要であろうと考えております。

広中和歌子民友連

○広中和歌子君 最後に、日銀金利のことでございますけれども、〇・五%、二年半続いております。超低金利でありまして、それがある意味では消費を抑えているということも言えるんじゃないかと思いますが、この点について、いつまでこの超低金利を続けるべきだとお思いでいらっしゃいますか。要するに、銀行、金融機関を救うという名目で所得の移転が個人から金融機関に流れている、そういうことでございますが、お考えをお伺いしたいと思います。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 私、銀行出身でございますので、その低金利というのが銀行を救うためという点では、端的に申しますとかなり異論があるのでございますけれども、それを別にして、今金利を、確かにマイナス面がたくさんございますから、高齢者の方々のためにも上げるべきだという意見があるのです。  しかし、今例えば〇・五を一%に上げるというふうなことをいたしましたら、これはかなりゼネコンを初めとする多くの企業の中でばたばたと倒産が起こってきて、それこそ日本の経済も泥沼の中に落ち込む可能性もあるというふうに考えますと、プラス、マイナスの総合点から申しまして、今の時点では企業救済という視点からも金利はまだちょっと上げにくい、やはりある程度底をついて日本の景気に明るさが見えてくるまではちょっと金利の引き上げは難しいというふうに判断しておりまして、その点では日銀総裁の考え方に私は同感でございます。

広中和歌子民友連

○広中和歌子君 どうもありがとうございました。

魚住裕一郎公明

○魚住裕一郎君 公明の魚住裕一郎でございます。  両公述人、御苦労さまでございます。貴重な御意見、ありがとうございます。  まず、笹森公述人にお聞かせをいただきたいんですが、現在の経済情勢に対する認識あるいは九八年度予算に対する評価、さらには貸し渋りについての状況をお話しいただきました。本当にそのとおりだなと思いますし、私ども公明とほとんど同じような主張といいますか政策だなと思ってお聞かせをいただきました。  ただ、その中で一点だけ違うところがあるなというふうに思います。それは結局減税の部分なんです。笹森さんもおっしゃいました。とにかく国民負担を低減させて景気をよくする必要がある、この負担を軽くして国民の気分も変える必要があるんだという中で六兆円ということをおっしゃいました。そして、減税しても消費には回らないのではないか、そういう批判、疑問点に対して、それじゃ、どう消費拡大をさせるかという中で、不安の解消、将来に対する漠然とした不安の解消が必要であるというお話をされました。全く私も同感ではあります。ただ、社会保障制度であるとか人口の問題であるとかいろんなことを考えて漠とした不安もありましょうし、それを待っているだけではやはりいけないのではないか。  そんな中で、我が公明は、要するに何兆円の減税をすべきかという中で私どもは十兆円を主張している。連合とは四兆円の差がある。それは我が公明では戻し金をやるべきだ、一人頭三万円、一家お父さん、お母さん、子供二人で合計十二万円。そしてそれは有効期限つきの商品券、これはデパートだけではなくして商店街でも使える、バス、タクシーでも使えます、こういうやり方ではどうだろうかということを提言しているわけでございます。一気に気分が変わりますし、それから、消費に回らないのではないかという疑念にも一気にこたえ得るというふうに私ども考えておりますが、こういう点につきまして御意見を賜ればと思いますが、いかがでしょうか。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 魚住先生の御質問についてお答えをいたしたいと思いますが、金額的には私どもも多いにこしたことはないという気持ちは一緒です。  ただ、今回、連合が減税要求をいたしましたのは、経済界とも調整をさせていただきました。これはまた初めての経験です。昨年の十一月の段階で、経済界代表ということで日経連と政策協議を行いまして、当時は五兆円規模というような内容で日経連とは一致をしたわけですが、政府要請も共同で行わせてもらいました。  年が改まりまして、その状況ではやや足らないだろうと。私どもとしては、法人税の問題については、組織的に非常に問題を抱えている組織もありますのでなかなか組織統一をさせるというのが難しかったんですが、今の個人の収支の状況でどういうふうに消費マインドを喚起させるのか、そして法人が基礎体力をどのぐらいつけるのか、こういう二つの観点からいうと、個人部分と法人部分と両方セットにしようという考え方の中で総額六兆円という規模にしたわけです。  財源の裏づけを考えてみたときに、どこまで可能なのかという判断をしたときに、私ども専門家ではありませんからぎりぎり限界点というのはないんですが、今まで過去の景気回復に結びついたであろう減税の効果、三・五兆円とか二兆円とか実行された時期がありましたが、あのときに、サラリーマン、働く人たちに対する負担が物すごく減ったことによって、景気との連動を考えていきますと大きくカーブが上がったという実績は上がっておりませんが、下降をとめて上昇線に切りかえたという実態があるわけです。  そうなると、今の状況で財源問題を考えると、ぎりぎり三兆円と一兆円の特別減税というプラス四兆円が私どもとしては適正な要求になるのではないか、こういう根拠で一応算出をしております。もちろん、財源問題が解決をすれば、公明さんがおっしゃられているような規模の部分が可能であるということならば、私どもも大歓迎をさせていただきたいというふうに思っております。  それから、具体的な扱いなんですが、商品券問題も私ども論議をいたしました。そうすると、具体的に三万円なら三万円、五万円なら五万円の商品券を出しました。それじゃ、買ったときのおつりは現金でくれるのか。それから、共通するということになれば、全くお金と同じような、兌換券と一緒ではないか。その発行は政府が紙幣と同じような扱いで出せるのか出せないのか。そういう問題を考えるとやや難しいかなというような状況もありまして、できれば現金化の方の減税という部分の踏み込みの方がよろしいのではないか、こんなような判断をしたという経過もありますので、御説明申し上げておきたいと思います。

魚住裕一郎公明

○魚住裕一郎君 今、細かいやり方の点について私どももちろん意見を持っておりますし、単に現金であればたんすに行ってしまうということを考えれば、やはり商品券ということも考えていただきたい、またしっかり詰めさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。  原田先生、三和総研としてはどういうお考えを持っておるのかということで、実はきのうホームページを開かせていただきました。その一番新しい「今月の問題点」という中で「九八年度経済見通し」というのがあります。この日付が昨年十月二十八日の段階で、「日本経済の現状」、「九七年度の姿」、「九八年度の展望」、それから「今後の政策課題」ということで載っております。  十月末の段階でございまして、財政構造改革法を衆議院で一生懸命やっていた時期かなとは思うんですが、その中では、財政構造改革をしっかりやりながら逆に公共投資や減税への依存は避けるべきである、したがって政策運営のスタンスとしては、財政構造改革路線の堅持とともに、現行の低金利政策の維持云々というふうな御主張で載っておったのです。  先ほどのお話を伺うと、変わられたのかなというふうに思ったんですが、それは十一月以降急激に下降局面に入った、そういうことから変わったというふうに認識してよろしいんでしょうか。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) おっしゃるとおりでございまして、それは十月の時点での私どもの判断で、新しいのはちょうど昨日当たりにおおむね固まったというところでございます。成長率もその中ではたしか九八年度は一・一%という数字が上がっているかと思いますが。

魚住裕一郎公明

○魚住裕一郎君 一・八。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 一・八ですか。いや、実質成長率は一・一じゃなかったでしょうか、あるいは私の間違いかもしれませんが。  いずれにしましても、御指摘のとおり十一月から、北拓それから山一問題が生じてから我が国の実体経済の方も非常に悪くなってきたということがございまして、その意味では、その見通し自身は今はほとんど意味がなくなってきているものと申し上げてよろしいと思うわけであります。  さっき先生のおっしゃった金券という問題、私、これは本当に技術的に可能であれば大変おもしろいアイデアではないかと考えるのでありますけれども、経済の方では恒常所得仮説というふうなものがございまして、これはかなり実証的にも認められているわけなんですけれども、つまり一年限りの減税というふうなものでは実際上一般大衆はお金を使わない、やはりこれから恒常的な形の減税でなければ消費への効果に結びつかないということが言われております。  その意味で、さらに九九年度においても特別所得減税を続けるというふうなやり方では余り効果がないように思われるわけでありますが、しかしそれが、今お話のような商品券だとか金券とかいうふうなものを使って、期限を限って使わざるを得ないような状態が可能であれば、これはもう全額が消費需要に結びつくという意味では大変おもしろいアイデアであろうと考えます。

魚住裕一郎公明

○魚住裕一郎君 力強い御意見をいただきまして、ありがとうございます。  それで、昨年十月以降著しく消費性向が低下したというお話がございました。年にかえると六兆円にも達する。そういう話のいきさつの中で、住宅ローンのある家計は資産デフレでさらに厳しくなっているよというお話でございます。住宅ローンのない家計ももちろんあるわけですが、多くの方は家賃を払っているわけですね、そういう場合は。そういう方は今の経済状況の中で生活費が大変苦しくなってきているんだろうというふうに思うわけでありまして、そういう面からいっても、今言ったような大減税はやはり必要かと思いますが、その点についてもう一度お願いいたします。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 御指摘のとおりでございます。  今の状態でここまで消費が冷え切ってまいりますと、やはりこれにはかなり強いインパクトを与えて、国民の先行きについての不安感を取っていく、これと実際の有効需要というものの両方のバランスを考えた形の政策路線をできるだけ早期に発動することが、今の情勢を変えて日本の経済を回復路線に乗せていくための必要条件であろうというふうに私は認識いたしております。

魚住裕一郎公明

○魚住裕一郎君 終わります。

及川一夫社会民主党・護憲連合

○及川一夫君 両公述人には、常日ごろお会いをしていろいろ御意見をお聞かせいただいておるところでございますから、きょう、こういう場で相まみえるとは実は率直に言って思っていませんでした。大変幸せに存じます。  与えられた時間が六分でございますので、こういう国会での運営は一つのルールで決まったことですからやむを得ないんですが、できれば忌憚のない議論を時間をかけてやらなきゃいかぬなという思いがいたします。  なお、お二人の公述された内容については、この予算委員会でもかなり問題の指摘があることでございますから、的確なそれぞれの御指摘だというふうに思っています。  問題は、これをどうするかということが我々の任務ということになるわけですが、これまではどうしてもやはり批判、現状に即した形のものではないという立場からの御意見というものが非常に強かったと私は思っております。ただ、そういった点では別に認識上問題はないんですけれども、実際問題としてこれから一体本当にどうしてそういう問題を克服するかというのが非常に大事だと私は思っているんです。そういった点では、余り悲観的なというよりも、もっとよさをお互い見出して、だからこうしようじゃないかというふうにすべきではないかと私は思うんです。  そういう立場から、まず原田先生にお伺いしたいんですが、要するに日本の現状は五百兆を超える中央、地方の借金があるということがあります。それから、GDPについては五百兆を超えるものが見込まれてきたし、また実績を上げてきた、こういう状況にもある。さらには千二百兆の個人金融資産というものが存在する。さらには七十兆を超える国の財産あるいは資産というものがあるということも言われる。  さらに債権国日本ということからいいますと、対アメリカだけで三千億ドル、こういうわけですから、おおむね日本円にして三十九兆ぐらい計算できる。さらにはドルの保有高という問題では二千億ドルあるということになると、これはやはり二十一兆ぐらい計算できる。こういうふうに足していきますと、一体負債と資産ではと、そういう計算のやり方から見ますと、日本の経済は強いんだということが盛んに強調される。  そういう中で、確かに不況になっている、深刻だ、こういう中で構造改革の問題を扱うのはどうかということがあるんですが、一方で加藤政府税調会長は、十兆円ぐらい減税ということを言いました。これは私は、あの方とのおつき合いからいうと、初めての発言、よくぞ言ってくれた、事ここまで来れば結論が出ているじゃないかというぐらいの重みがあるというふうに思っております。したがって、原田先生には、この御発言についてはどう受けとめられているかということをお聞きしたいと思います。  それから、連合の事務局長の笹森さんにお伺いしたいんですが、予算の組み替えあるいは修正という御発言がございました。お聞きいたしております。  問題は、事務局長が言われた内容をやっていこうとすると一体トータルで幾らになるのかということを大ざっぱに計算してみますと、少なくとも七十七兆六千億の三分の一ぐらいは最低でもいじくり回さないとできないということになるんです。しかし、予算を組んでいる以上は、それを待っている方々がおるということになれば、組み替えれば組み替えたところで新たな摩擦が起きるという問題もあります。  したがって、財源をどこに求めるかということになるんですが、七十七兆六千億の枠内ですべてのことについてやれというふうに言われるのか、国債発行してでもやるべきではないかという立場をとるのか、いずれかということについてお聞きしたいと思います。  原田先生からお願いいたします。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 今、加藤寛先生の提言についての御質問があったわけでありますが、私も大変いろいろと加藤先生には御指導いただいている一人であります。  十兆円という規模は、内容を見ましたときにいささか驚いたわけでございますけれども、それは背景としては国有財産の処分というふうなことも含めて考えておられるようでありまして、今の状態で本当にデフレスパイラルの方向に行きつつある懸念のある日本の経済にとって、あれくらい実効のあるものをやっていくということは日本の経済回復の起爆力としては大変に望ましいものではないかと思います。  ただ、私自身まだ日本の国有財産の問題をどこまで実際上処理が可能なのかとか、そういう細かな点はわかっておりません。しかし、財政学者として非常に現実論にも詳しい加藤先生の意見でございますから、決してこれは口先だけのものではなくて、いろいろ検討されておられると思います。私もそれをいろいろとチェックしながら自分の考え方を持ちたいと考えております。  ただ、いずれにしても、御指摘のとおり日本は別の面から見れば非常に強い国でございます。ですから、日本の持っている資産というものをフルに生かしてビッグバンの中で積極的にやっていけば、二十一世紀の日本、決して悲観的に見る必要はないということは言えると思っております。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 時間もゼロになっているようですから、簡潔にお答えをしたいと思います。  一つは、枠内でやるべきだというのが基本的な筋論なんですが、現実問題とするとかなり難しいかなと。ただし、中でやるとすれば、公共事業の問題とか、そういうものについての今までの見直しというのは当然あってしかるべきである。そこの中でぎりぎり可能な範囲があるんじゃないか。  だめな場合の国債等、建設国債も含めての発行の問題なんですが、財政法四条の問題をどういうふうに考えるかというところがあると思うわけで、そこのところは時代の流れですとか状況の変化、そういったものに応じて検討した上でというような見方と、二つあわせるべきではないかというふうに思っております。

及川一夫社会民主党・護憲連合

○及川一夫君 ありがとうございました。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 原田公述人、笹森公述人、きょうは本当に御苦労さまでございます。私は日本共産党の須藤美也子でございます。  限られた六分間の中での質問でございますので、簡単にお聞きをしたいと思います。  まず、先ほど原田公述人が経済企画庁の発表された経済白書について触れられました。十一月の経済企画庁の経済報告によりますと、景気は自律軌道からこのところ足踏み状況になった、こういうふうに表現を変えました。しかし、原田公述人もおっしゃいましたように、足踏み状況どころか大変厳しい状況に、消費大不況に今陥っているというふうに私は考えております。  国内総生産の六割を占める個人消費、これをここまで冷え込ませた要因とその原因についてお聞かせをいただきたいというふうに思います。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) その点は先ほどもちょっと触れたつもりでございますけれども、政府自身は日本の大手金融機関がつぶれるというふうなことは一切しないという姿勢をとっておりましたし、十一月に生じました北拓、山一というふうな問題についてはこれはもう本当に青天のへきれきであったと思うわけでありまして、その意味ではお役所の経済に対する認識が非常に甘かったということは否定できないと思うわけでございます。  やはり経済というのは生き物であるという面とともに、繰り返しになりますが、昨年の十一月以降から国民の間の消費についての非常な先行き不安というものと絡んで、消費の急激な落ち込み、そしてさらにはお金を郵便局にどんどん預けていくというふうな日本の金融システムに対する不安感も台頭してきたという悪循環の中に入りまして、特に十一月以降における情勢が先ほど来申し上げておりますように極めて厳しい事態になってきている。そして、きょう発表の短観などを見ましても、企業家の判断も未曾有の厳しさを増しておりますし、それからいろいろな調査を見ましても設備投資自身も盛り上がらなくなってきている。  要するに、それは先行きについての見通しが立たない、不安感があるというところに根本的な原因があるわけでございまして、それを認識した上で新たな対処をしていくべきなんだろうと考えております。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 消費税率が三%から五%になってちょうど一年たちました。この五兆円の負担というのは国民の消費を冷え込ませる大きな原因になっているのではないか、私はこのように考えております。  そういう点で、笹森公述人にお尋ねをいたします。  先ほど今の不況を打開するためには所得税減税が必要だ、こうおっしゃいました。あわせて、国民的な声となって今大きく高まっているのが消費税減税であります。この点についてどうお考えになっているのか。  また先ほど来、雇用不安について、社会保障の後退についても触れられました。今度労働基準法を改悪して、八時間労働を崩す労働法制の見直し等も浮上しております。この点についてもお聞かせをいただきたいと思います。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 消費税との関係、それから所得税減税の打ち切りの関係、医療費のアップの関係、すべてが景気の足を引っ張ったという要素になっていると思うんですが、税制上の問題からいいますと、直間比率の関係をどういうふうに見直すかという部分が非常に大きな要素として私どもは重要視をしておりました。  したがって、直接的な所得税と間接的な消費税の関係についてはあるバランスがあることが望ましい、こういうふうに思っております。何%が適切かというのは必ずしも数字的には持ち合わせておりませんが、そういうバランスの中でどう見直しをするのかということを重点に考えるべきで、すべて消費税のためだというふうには受けとめていない部分もあるということを申し上げておきたい。  それから、労基法の関係につきましては、一連の労働問題に関する政府等の考え方が大変ゆゆしい事態になっているんではないかという危機的な状況と私どもは受けとめております。  例えば、パート労働法の問題、派遣法の問題、そして労働基準法の問題もしかりですが、司法試験の中で労働法を受験科目から外すというようなことも現在出ております。団体争議や個人的な紛争というのはこれから数が減るのかといえば、逆な状況になるということからいえば、そういう問題について扱う裁判官や弁護士がこれから出なくなるんだということを見た場合に、一体労働というものをどう考えているのかということを根本的に問い直さなければいけないんではないか。その象徴的な部分が労働基準法の改悪につながりかねない今の政府案だというふうに思っておりまして、そのために連合としては、対案を用意しながら各党の先生方と御協議をさせていただいて、でき得れば主要な三つの部分についての修正をお願いしていきたい、こういうふうに思っております。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 ありがとうございました。  時間ですので終わります。

星野朋市自由党

○星野朋市君 自由党の星野でございます。  時間に制約がございますので、端的に質問させていただきます。  私は、財政・金融委員会、昔の大蔵委員会で橋本総理に、あなたは高々とビッグバンを唱えられたけれども、今の状況で多くの血が流れるのを覚悟しているのかという質問をしたんですよ。マスコミはきのうからビッグバンが始まった始まったと言うんですけれども、本当のビッグバンは、これから金融システム改革法案を整理して、十月からが本番になるわけですね。それで、その質問に対して総理は何と答えたかというと、私は高らかには言わなかった、おずおずと言った、それで多くの血を流さないようにしたいと。ところが、私はやっぱり多くの血が流れると思うんですよ、今のままだと。金融関係に従事している人たちは、都市銀行から信金、信用組合、生保、損保、全部含めて大体百二十万人と言われているんですけれども、私は少なくともこのうちの二割、これがひょっとすると問題になるかな、こんな感じを持っておるんです。  ちなみに、きょう、東京市場の前場の引け値は三百九十四円安です。残念ながら私が予言していた四月になったら一万五千円台という状況になってしまいました。  こういう状態を見ながら、原田公述人はどういうふうな御感想をお持ちか、おっしゃっていただきたい。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) ビッグバンの問題は、これは大きな流れからいえば、他の先進国はほとんどこういったものは実行しておる、日本はおおむね十年近くも先進国の中ではおくれているという事実がございますから、したがいましてこの四月一日からのスタートでも遅過ぎるという言い方もできると思います。  ただ、スタートの時点において日本の経済がここまで悪化するということを見逃していたということは、これは官民ともに責任のある問題でございますけれども、ここまで来ましたら、これはもうノーリターンですね、戻ることができないと思うわけであります。その意味ではもうこの中で、先ほど来私は、本当に激しい競争に打ちかつという意識変革を我々、そして日本の国民がやってこれに対処していく以外にはないのではないかと。今さらこれを全くもとの状態に戻すということは全く不可能になってきているわけでありますので、前向きに進んでいく以外には手はないだろうと考えております。

星野朋市自由党

○星野朋市君 笹森公述人にお伺いしますけれども、私はこの予算委員会の前の補正予算の締めくくり総括で、金融問題が一番重要なあれであったんだけれども、これからは失業の問題がかなりウエートを占めますよという形で労働大臣だけに質問したんですね。要するに、製造業がこれだけ減って、今まではその受け皿として建設業とサービス業がそれを受けていたけれども、これは間もなくそういう形で受け切れなくなりますよ、失業率が高まって。だから労働省、どういうふうに対処するんだと。残念ながら、それもこの間三・六%という形の数字になりました。  今、それに対する一番有効的な対処は何か。減税だろうと。減税減税という声もきょう随分ありましたけれども、単に減税ではだめなんですね。これは制度減税でないと全く効果がない。この間の特別減税は雪のように消えちゃったんですよ。ということは、あれは仕組みとして九年度と十年度、一般の人にはわからないような形でもって行われたからなんですね。その点、いかがお考えでしょうか。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 先生御指摘のように、実行の年が年度と年という使い分けをされるというのは一般的な人は全くわかりません。したがって、九八年中というのと九八年度中というのは違うわけですから、我々としては、この間の補正については効果がなかった、こういう二兆円の現実でありますので、効果があるようにするためには、もちろん根本的に制度的な減税をまずやってもらう、それも九八年内と、こういうふうなことをぜひお願いしたいと思うんです。  それから、失業の問題については構造的な問題だというふうに先ほど申し上げましたけれども、今本当にどこの層がどうなんだということについて、政府、経営、労働が三者構成による対応策を抜本的にやらないとだめだと。しかし、その危機感を今の労働省等も含めて余り持っていないのではないかという気がいたします。  私どもは、現実に相当雇用のミスマッチによって失業がふえてきておりますので、そこをどうするか。基本的には一つあると思うんですが、日本の経済を今まで完全に支えてきたのは何か。これだけ資源のない国において最大の資源は人だったわけですね。この人的資源を支えたのが、特に物づくりを中心とする製造業の人たちが基盤にあったからそのことがあったわけで、韓国の経済実態を見ると、そこの部分が非常に薄かったので危機的な経済状況、日本はそれをぎりぎり支えられるかどうか、そこのところにどう焦点を当てた雇用の開発をしていけるかどうか、これが最大のポイントではないかというふうに思っております。

星野朋市自由党

○星野朋市君 ありがとうございました。

栗原君子新社会党・平和連合

○栗原君子君 新社会党の栗原君子でございます。  私の立場からいたしますと、働く者や社会的弱者にとって不利益になると思うことに対しては今までとにかくこれは反対だということで通してきました。  そこで、一言でお答えいただければ結構でございます。これは笹森さんにお伺いいたしますけれども、先ほど原田さんから日本円はアジアではウエートを高める、そして八五年と同じ対アジアには大変強いと。それで、企業はアジアへ積極的に打って出ることも必要であるということになってまいりますと、企業は海外へ出てでも生き残るということになります。しかし一方、国内においては労基法の見直しなどもございましてますます不安定雇用が高まってくる、そして人的資源というものが大事にされなくなる。こういう状況の中で、連合とすればこれから生き残り政策としてどういった政策を打ち立てられるのか、これをお伺いいたします。  それからもう一点は、原田さんにお伺いいたしますけれども、金利を上げないということをおっしゃっておられましたが、今日の低金利政策で家計の利子所得は十三兆円から十五兆円も減ってきたわけでございます。一方で金融機関は低金利政策を利用いたしまして年間八兆円に近いもうけを確保しているわけでございます。そういたしますと、今日、年金生活者などを見ておりますと、何とか金利を上げてほしいという声が大変強うございます。そのために、少額の預金の金利を引き上げる、あるいはまた中小企業には低利の融資枠を大幅に拡大する、こういう金利政策をとるべきだと思いますけれども、いかがでございましょうか。  それぞれ一言ずつで結構です。

笹森清日本労働組合総連合会事務局長

○公述人(笹森清君) 雇用の面から申し上げますと、労働運動の生命線は雇用の保障、雇用の確保でありますので、そのことを第一義とした対応というのを考えなければいかぬ。その場合に、産業の空洞化というのはどうなのか。アジアの労働組合の仲間からも日本のリーダーシップについて非常に求められておりますので、経済的な進出、資本的な進出、そして人的な進出、そういうものを含める中で、日本の雇用保障をどうさせるかということを最重点にしながら、日本のリーダーシップがアジアの中でどう発揮をされるのか。その場合に、日本の円の強さというのはアジアの中ではまだまだあるわけでありますので、そういう経済政策上の進出の仕方というのを重点に考えていくべきではないかというふうに思っております。

原田和明株式会社三和総合研究所取締役理事長

○公述人(原田和明君) 事の是非を別にいたしまして、今私は、世界の大きな流れの中においては、これは公正な競争の中で市場経済原理を貫いていく、この流れを否定することはできない、したがってその大前提に立った中での政策というものも考えていかなきゃならないし、積極的にこれに対応していくということが必要なんだろうというふうに基本的に考えております。  それから、金利の問題でございますけれども、これは高齢者その他の方々に対する優遇措置をさらに拡大するというふうなことも一つのアイデアだろうと思いますけれども、私の立場からは、金融機関の利ざやが従来に比べて低金利の中でふえているということでは全くございませんで、言うなれば一〇〇の低金利の影響というものは、それを本当に謳歌しておられるのは住宅ローンを借りている人々であり、そして巨額の資金を借りている企業というところにほとんどの低金利のプラス面というものが行っているわけでございます。その点で、先ほど申しましたように、金利を上げますと巨額の借入金をしているような先で破綻が相次ぐという懸念があるという点から、現時点においてはなかなか金利を引き上げることは難しいというふうに判断しているわけでございます。

栗原君子新社会党・平和連合

○栗原君子君 ありがとうございました。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時まで休憩いたします。    午後零時九分休憩      ─────・─────    午後一時二分開会

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十年度総予算三案につきまして、公述人から御意見を伺います。  まず、教育について、公述人、教育研究家内藤宏君及び日本教職員組合中央執行副委員長西澤清君にお願いいたします。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、内藤公述人からお願いいたします。内藤公述人。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) ただいま御紹介にあずかりました内藤です。  長い間あちこちで講演して歩いていますと、大抵演壇で話をするのが講演で、僕は講演するのが好きでないものだから演壇をおりて大概下まで歩く、それが話なんですね。だから、きょうは話をしに来たというんですが、このごろ年のせいか怒ったりするもので、話じゃなくてしかりに来たなんというときがありますから、話が乱暴になることがありますので、ひとつよろしく御容赦ください。  そこで、早速ですが、「参考のために」として、参考資料とするのが好きでないから「参考のために」と書いたので、きょうは教育改革のことについて具体的な話をしたいと思っています。  まず、どうすることが教育改革なのか。教育改革改革と言うけれども、一番基本になるのは教育の意識改革だということです。その意識改革があって、その絵でいいますと、その上にあるのが制度の改革、さらに大人自身の自己の改善。大人がさんざっぱら悪さをしていて、そして子供によくなれと言ったってこれは無理な話なんで、泥棒が泥棒をするなと言っているようなものなんだから、そんなむちゃな話はない。この意識改革と制度の改革、さらに大人の自己改善、この三つのことが並行していかなきゃだめだということです。あちこちばらばらではだめだということです。  制度の改革だけでだめだと言っているのは、四角いいすを丸いいすに変えてみたところで、座る人間がだめならこれは同じことなんです。金がかかるばかりでどうにもならない。でも、制度の改革をしてはいけないと言っているんではない、それほど効率は上がらないと言っている。人を変えなきゃだめなんです。  そこで、普通講演をして歩くときに最初に言うことなんですが、この二番目のところに書いておきましたように、おととしですからもうこの五月で二年になると思いますが、おととしの五月三十一日の午後四時です、名前は言いませんが文部省に電話をして、何を聞いたかといいますと、知育に対する定義を聞いたんです。  なぜかといいますと、出版社の辞書によって全部違うんです。ここに書いておきましたが、ある出版社は知能のことだけが書いてあって、ある出版社では知能と知識のことが書いてある。僕もぼんやりしていたんですが、こんなことを五十年間このままほってあったということが大体基本から間違っている。おととし、二年も前に言ったのに、いまだに文部省はそのままほってある。そんな精神で教育改革ができるわけがないんです。  僕は、そのときにその人がまともに言ってくれたらば、知育の中に知識というものを入れたところが間違いなんだと言うつもりでいたんです。すなわち、知識を与えるということは教育ではないんですよ。知識を与えることが教育だと思っているからこうなった。もし知識を十分に与えることが教育であり、教育というのは教養を身につけさせることなんですから、それなら大蔵省だの日銀だのであんなややこしいことが起こるわけないんです、みんな教養があるんだから。知識はあっても教養がないからああいうことになるんです。  それでは、なぜ教養がないかというと、教えることを間違ったんです。いわゆる教養に当たるところのものを教えていないんですね。すなわち、知識というのは頭に入るもの。もっとわかりやすく言いますと、子供に食事を与える、これは与えるんですから飼育なんですよ。だから、それは人間に知識を与えるのと同じことなんです。これは精神的飼育なんです。その子供に食事のマナーとか食事の仕方を教える、これが教育なんです。  仕方を教えたけれどもさっぱり、例えばひじをついて食べている者に教えて一向に直らなければこれは教育の効果が上がらなかっただけであって、しかし一度言ってすぐ直ればそれは効果が上がった、その場合にその子供には教養が身についたということになる。教養は身につくのであって、頭につくのじゃない。知識は頭に与えるもの。この二つがはっきりと区別できていないからこういうことになるんです。  ですから、知育の中に、知能を磨き知識を増すための教育なんというふうに小学館ではなっていますけれども、知識を増すこということは外に取り出さなきゃいけない。教育は、ですからそういったような、そういう意味の知育、徳育、体育のこの三つが教育の基本だということになる。  そして、育てられた子供には教養があるのだから、ちょっと言い方を間違えましたが、要するに教養のない人間に印刷の知識を与えるからにせ札をつくるんですよ。そんな者にそれを教えちゃだめなんだ、余計なことは。教養を身につけさせることが先なんです。  そこで、昔の北海道のいわゆる札幌農学校ですけれども、あそこで傑物を出したクラーク博士は何と言ったかというと、実りある教育はどれだけ多くの知識を与えるかではなくて、どれだけすぐれた人間を育てるかにあると。乱暴な言い方をすれば、猿を人間にするのが教育なんですよ。猿のまま知識を与えるからろくでもないことをやるんです。それだけのことなんです。それを既に間違っていたということです。要するに心、教養を身につけさせるためには心の発達をさせなきゃいけない。  では、その心の発達に何が一番重要かというと、遊びと言葉なんです。私の言う遊びというのは、手足を動かすことはすべて遊びです。ですから、手足を動かしてよく運動をさせる、いろんな仕事をさせる。草むしりでも何でもいい、家の手伝いもさせる。そういうことをさせながら会話をする、言葉の交換がある。動作と言葉が同時に並行していったときに、初めて人間というのはそこに心が発達するんです。いわゆるそれが心の発達の三要素、言葉と遊びと家事手伝い、こういうことになるわけです。  その中で一番重要なのは言葉なんです。言葉の使い方を失敗すると、まず今のような問題が起きます。  ちょっと話が飛びますけれども、私は大分あちこち長いこと講演して歩いていますが、最近数年間やった中でのことを言いますと、もうどこも教育の意識改革をしてくれないから僕は自分でやっているんで、何年間か一人で意識改革しています、今言ったような考え方で。そうしますと父兄が大変喜んでくれて、もっと十五年も早く聞いておけばよかったとか、大変気分がさっぱりしたとか、元気が出たとか、安心したとか、仮に講演が終わって三十分ぐらいお茶を飲んで外へ出ると、三十人も四十人もお母さんたちがいて、わざわざ待っていてお礼を言って、あいさつまでしていってくれる。握手して帰る。それくらい喜ぶんですよ。  なぜ喜ぶかといったら、心の話をしているからです。物の話なんかしていないんですよ。今言ったように、何を間違っているかということで、そこでよく言うことはこういうことなんです。話がさっさと飛んで申しわけないですけれども、頭のいいところで後で整理してください。こういうことなんです。  教育の真の目標は思いやりの心のあるたくましい人間を育てること、これが真の目標です。だが、これは真の目標なんであって、思いやりのある子になりなさい、我慢強い子になりなさい、いじめちゃいけないと言ったって直らないんです。いじめちゃいけないと言っているから、いじめなんか直らないんですよ。我慢しなさいと言ったって、我慢なんかするわけないんです、子供は。この言葉は使ったらだめなんです。  では、どうして思いやりのある子にするかというと、その次にある友達をたくさんつくろうということを具体的な目標に置くんです。しかも、学校の目標はそれ一本でいいんです。余計なことをごちゃごちゃ欲張ってくっつけるものじゃないんです。全国の学校全部がこの目標一本に絞るんです。あっちの学校はこう、こっちの学校はこうではだめなんです。全部の学校をその目標一本に絞って、そして党派を超え、衆参両院の議員の皆さんがたくさんいるんですが、国民がみんなでそのことに向かって進んでいけば、必ず意識改革なんかできるんです。  教育の意識改革ということはできるのですか、できませんかと聞く人がいる。できるできないじゃないんです。しなきゃならないんです。そんなこと考えている暇なんかないんですよ。一日延ばすと、事故が一日に百六十五件起きていますからね。そういうふうなときに、のんびりしていられないんだということです。しなきゃならないということを頭に入れておいてください。  そこで、二つのその目標、例えばこれだけは言っておきますけれども、友達をたくさんつくるためにはいじめていてはいけない。明るくて元気な方がいい。優しくて思いやりがある、約束はよく守る、それから得手なものを一つつくっておくということが大事なことです。人の話をよく聞いてあげる。でないと、友達になってくれないんです。  じゃ、みんなが友達をつくろう。親もうちへ帰ってきて、子供が帰ってきたら、おまえ、友達できたかと聞く。先生は、おい、おまえ、学校じゅうの者をみんな友達にしろと。駅に行けば、友達をたくさんつくろうなんという垂れ幕が下がっていたら、友達をつくらないのがおかしくなっちゃうから一生懸命になる。それでいいんです。  そして、やたらに勉強しろ勉強しろと言うけれども、これはちょっと時間がありませんから省略しますが、僕の方針は、僕は幼稚園から小学校、中学校、高等学校、大学とやってきましたから全部知っています。大学に行ったやつもいる。一番いいのは、悪さをして手に負えなかった、これが一番思いやりのある優しい子になっている。そして、ストレートでもって東大、東大と言っちゃ失礼ですけれども、東大はいっぱいいるかもしれないが、優秀なる上等な学校を出られた、これがまた実に冷たい。遊びと勉強とはそこの違いがある。これは説明すると時間が長くなりますから省きます。  ですから、突っ張りの中から傑物を見つけるのが教師の仕事なんです。優秀な人間に教える、そんなものは隣のどこかのおじさんにやってもらえばいいんです。ストレートで優秀な学校へ行くやつは好きにさせときゃいいんです。もっとほかに傑物がいるんですよ。明治を動かした傑物なんというのはみんなその系統ですよ。今ああいうのがいないからおかしくなっちゃったんです。そういうことなんですよ。  まず、そういう目標を持つということ。そして、もっと先まで言ってしまいますが、教育改革という問題になっていますけれども、これは過去に例がないんです。教育史上にもないんです。諸外国にももちろん例なんかありゃしない。今は英国だの米国だの一生懸命やっていますけれども、これからこの教育改革に成功した国がもし日本であれば、日本は初めてここで二十一世紀をリードできる。二十一世紀をリードできる国は教育をかち取った国なんです。だから早く考えなきゃだめだと言っているんですよ。  それからもう一つは、友だちをつくろうということを言っていくときに一緒に、学校ですから、あるいは親でも言っておいてやったらいいんですが、二十一世紀は友だち、すなわち人が財産だということを教えなきゃいけない。物の財産、金品が財産、お金が財産だという時代はもう終わりなんです。お金が財産だなんて言っているから人を殺して金をとるんです。お金が財産だと言っているから悪さをするんですよ。悪さ、知っているでしょう、たくさんいる。あれは物が財産、金品が財産だという教育をされているからああなっちゃうんです。  では、人が財産だと言うと本当に財産価値があるのかということになりますけれども、簡単な話が、友だちのところに行けば物が安く買えるから物理的な財産価値があるんですよ。フォードはどうしたかというと、あの人は自動車のことしかわからなかったために、友だちをいっぱいつくって、そして自分の知らないことを知っている者をうんと集めてそこに頭脳協力集団というのをつくって、それであそこまで行ったんです。  ですから、友だちが多いということはそういう意味で精神的な財産価値がある。では、財産を失うのが嫌だから人を殺すわけないじゃないですか。そういうことも洗脳していかなきゃだめなんです。  それで、私が講演して歩いているところはみんなそうです、みんなもうよくわかっている。書名は言いませんけれども、去年の八月にある本を出しました。遠慮なく威張って言っておきますけれども、ある本を出しました。その本を読みまして、ここにいろんな、あいつ、うそを言っているなとなると困っちゃうから、資料も持ってきたし、それから手紙をもらったのもみんなこうして持ってきています。  それはどういうことを言ってくれているかというと、親も先生も僕のあの本を読んで大変感動しましたと。それから、生徒。私はその本は中学生、高校生が読めるように書いたんです。だから、高校生、中学生が読んで、その連中が言ってきます。お母さんにこう言っている、これを学校の先生に読んでもらうように言ったらいいと。そんなの当たり前なんだ。そういうふうにつくったんです。それから、若者がいると、若者はこの間手紙をよこして、先生の本を読みました、納得、納得といって手紙が来るんです。  では、親が納得して子供が納得して先生が納得しているんだったら、僕に言わせればそれを、何も売らんかなで言っているのではなくて、傍らに置いておいてやれ。きのうも、先生、五回読み直しましたとある銀行の支店長が言ってきた。それを傍らに置いておけばいいと言う。  ところが、最近、大和市で講演をしたら、こういうことなんです。僕は僕の本を前に読ませておきます。でも、そうでない人もいる。それで、読んだ人は感動しましたと言うからそれでいいかと思うと、すぐその本を使って実行に移す人とすぐに行動しない人がいるわけですよ。そのときに、後から講演する、講演といってもそんな寝ぼけた講演なんかしたってだめなんですよ。相手を感動させるような講演をしなきゃだめなんです。相手がそのときになるほどと思うと、今度はその父兄がこう言っていました。先生、きょうから私は実行します、やっていきますと、そういうふうになる。  ですから、僕の考えでは全国をつじ説法して歩けば教育改革はできるんだと言っているんです。したがって、これは命がけの仕事だと言っているんです。そんなのんきな顔をしてできるものじゃないです。いいですか。  ただし、実際にやっていくとなれば、手足になる者を各都道府県に育てながらでなきゃできることじゃないんですが、そういうふうにしていけば必ず改革はできる。僕が今までやってきた間でも、十や二十は講演して歩いていますが、全部そういっている。  この間、大和市でやったのは三月三日ですけれども、アンケートをもらったらば、先生の言われたとおり、これからは思いやりの心を持って子供に接します、言われたように、先生のその言葉遣いを、言葉遣いにはうるさいですから、一生懸命勉強しますと、そうなるんですよ。  さらに絞っていきますと、言葉遣いが出てきましたから言いますが、言葉の使い方を誤っているからだめなんです。ですから、徹底して言葉の使い方を教えないとだめです。心の教育というのは、結局は言葉の教育なんですよ。言葉をしっかりと教えないといけないんです。  この間、生徒の女子教師殺傷事件がありましたね。あの人のときでも間違っているんですよ。そんなに時間はかからないでしょうと言っている。そんなに時間はかからないでしょうということは、既にもう心の持ち方が冷たいんですよ。女の先生は、でしょうと言うから、そんなに時間はかからないでしょうとしり上がりになっちゃう。しり上がりになると心の冷たさが伝わるんです。だから、むっとくるわけです、子供は。  せめてそこでやめておけばよかったんですが、これは結果として管理者が悪いんですよ。女の先生が悪いのでも何でもない、先に言っておきますよ。文部省から教育長から校長、教頭に至る管理者が悪い。そういうことを教えないのが悪いんだ。  その次に悪いことには、また授業が終わってから呼んでいる。これは追い打ちといって、追い打ちの悲劇なんだ。追い打ちをするともっと悪くなる。  さてまた、追い打ちをした後にその次には何と言ったかというと、トイレに行くなら先生に言ってからにしなさいと言った。行くのならという、ならという言葉を使ったのが悪いのが一つ。  それから、先生に言ってからにしなさいといった命令形は絶対表現になるんです。こういう絶対表現をすると、ここでまたしり上がりになって感情が入ってくる。すなわち言葉が負わせた傷は刃物のそれよりも深いといって、そういう傷を負わせている。で、子供はかあっとなる。切れるというのはそのことです。  ところが、その子供は、子供の時分からテレビゲームとばかり遊んでいるから言葉の使い方を知らない。スズメでも三十の言葉があって、スズメの言葉を使ってスズメ同士が遊ぶからスズメらしくなるんですよ。人間も人間の言葉を使って人間同士遊ばせれば人間らしくなるに決まっているんだ。ところが、テレビゲームと遊んでいるんだから言葉がない。だから、言葉を知らない。どんな言葉に対してでも、親の意見、だれの意見に対しても返す言葉を知っていない。だから、何で返したかといったらそれがナイフなんです。  ただ、バタフライナイフは一小節の中に入りますから、音楽で言いますと。普通のナイフはあけるまでが一小節で、刺すまでが二小節なんです。あれはあけて刺すまでが一小節だから、あんなものは、ナイフではあれはだめなんです、刺すまでが一小節なんだから。だから、ああなっちゃった。だから、すぐあれを禁止するのは当然なんです。その他のナイフはどうということはありません。  あっちこっち、とんでもない方へ行ったり来たりしてわからなくなったかもしれませんが、頭のいいところでまとめてください。普通、三時間も四時間もしゃべる材料を二十分でしゃべれというのが無理な話なんです。  どうも御清聴ありがとうございました。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。  次に、西澤公述人にお願いいたします。西澤公述人。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 西澤でございます。よろしくお願いします。  初めに、きょうは予算委員会という場でありますので申し上げておきたいんですけれども、政府が教育をその改革の重要な柱に挙げておりました。ですから、私たちは、去年の財政構造改革の議論のときには、教育は違う形、いわば公共投資型から二十一世紀は教育と福祉を重視する構造に変えるんだろうと思っていましたけれども、聖域なしということで教育も削減の対象になりました。極めて残念だと思っております。  今、日教組の立場で申し上げますと、日教組はさまざまな政党、とりわけ与党であります自民党さんとはもう十回にわたる政策協議を行っておりまして、一致した問題についてはぜひ統一して進めたいと思います。それから、文部省さんとは非常に一時期不幸な時期があったのでありますけれども、二十一世紀を前に極めて教育が国民的な課題であるということの中で、やはり行政の立場の文部省と教育の現場を預かる教職員の代表である日教組が一緒になって教育改革を子供の立場に立って進めようということを話し合って、今実際にいろいろな形で連携をとっているということをまず申し上げまして、話に入りたいと思います。  さて、きょうの予算委員会でもそうだろうと思いますけれども、いわゆる子供のいきなり型、突発型という事件、事故が起こっております。その事故のあり方について論じられて、その中でいわば人の命を奪うようになったということから、厳罰に処せば暴発に歯どめがかかるんではないかとか、あるいは問題が解決するのではないかという議論がありますけれども、私たちは決してそうではないというふうに考えております。  それは、事件を起こした子供たちの行動がいかに衝動的なものに見えようとも、必ず子供の背後には大人社会があって、そして大人の生きざまがある。子供はよく大人の背中を見て生きると言っておりますけれども、まさにそうであろうと思っております。この種の事件はあくまで結果であって、その結果を導き出した大人社会にこそ問題があるというふうに私どもはまず押さえるべきだと考えております。  いわばバスに乗りおくれるなとばかり言っていまして、今遊ぶことをやめて、今の競争に勝てということで、いい学校を出て、そしていい会社に入ってというレールを敷いて競争に走らせてきた。そうしたことをまず問い直しをしなければならないし、一定の点数を学力として、その子の実力、人格までもあらわすようにとらえてしまったというようなことについても私たちは反省しなければならないと思っております。  このような社会に対して、恐らく子供たちがまるで真綿で首を絞められているような圧迫感を感じているということは事実であろうと思いますし、子供たちをそういうところに追い込んでしまったこの社会のあり方について、まず私たち自身がその責めを第一に問われなければならないと考えております。  そして、そういうことはさきに発表されました中央教育審議会の中でも、父親も子育てにもっと参加しようとか、異年齢集団の多彩な体験を子供に保障しようとかいうことがあります。総花的ではありますが、ここにある危機意識は、恐らく問われているのは大人社会だという意識が委員の方におありになったからだと思います。  ところが、さて問題なのは、この意識を実現できる要素が大人社会にあるかどうかというのが次に問われるべき問題だと考えています。  今、大人が人としての生きる姿を見せる余裕が本当にあるのだろうか、異年齢集団の子供たちを集めて、そしてその中で大人たちと子供たちが出会う場面というのが本当に社会の中にあるのだろうかというふうに考えてみますと、今の世の中では非常に少ないと思います。  大人たちは働いて働いて、あげくの果ては仕事に命を奪われる。あるいは、いわゆるいい学校と言われているところから一流企業、中央官庁へと勤めながら、破廉恥な行為や反社会的な儀礼的社交にしか目が向かないで、家庭を顧みる余裕のないエリートがいる。そういうことの中で、子供たちは漠然とした寂しさを感じているのではないかと思います。私たちはそうした社会をまず見直すべきだと考えております。  もう一つは、この日本が築いてきた企業文化であろうと思います。この企業文化というのは頑健な壮年代の男性を対象としてつくられてきた。そこには女性や子供の居場所は想定されていなかったのではないかと思います。そして、女性や子供は頑強で働く男性の文化の中にひたすら引きずられていたんではないかと思っています。  例えば、今子供たちの目から見たその日常をちょっと読み上げてみます。   お父さんは毎日、朝早く、ご飯もかき込むように食べて、会社に出かけていく。でも、どんな仕事かは分からない。夜もたいてい夕ご飯には間に合わない。時々はお酒を飲んで帰ってくる。それも仕事だとお父さんは言っていた。お客さんのご機嫌をとってお酒を飲むのでちっともおいしくないと言っている。お母さんがそれなら早く帰ってくればと言うと、きっとけんかになる。   休みの日も時々ゴルフとか行って、朝早く出かけたりするし、遊園地に行く約束したときも、金曜日になって、ごめんね、また今度ね、と言ってゴルフだった。   でも、お父さんは四月から遠いところに仕事で行くから、僕たちと一緒に暮らせない。僕は転校してもいいって言ったけど、お姉ちゃんが受験だから無理だって言われた。だからもう遊園地も無理だと思う。  大方こんな姿が今の子供たちの気持ちじゃないかと思います。  ここには、家庭人として、あるいは趣味に打ち込んだり地域のもろもろの仕事を引き受けたりする、子供にとって目に見える父親の姿は見えないと思います。私たちはこれをまず改めない限り、中教審の言っている、本当に地域ともどもに子育てを引き受けようということにならないんではないかというふうに考えます。  さて、もう一つは、この切れ目のない長時間の労働というのが子供の世界にもあるということであります。  もう一つの子供の世界というのを作文で申し上げたいと思います。   今日、社会科で、子どもの権利条約というのをやった。国連で決まって、日本も賛成したから、日本でも効力があるというのが先生の話だった。いろんな権利が書いてあったが、休息する権利というのが一番気に入った。中学に入ってから、部活は朝練とかあるし、塾も行き始めたから、宿題はいっぱいあるし、なんだかひとつきが過ぎるのがとても早い。ゆっくり寝たことがないし、いつも眠い気がする。  各種の調査の中で、子供たち、とりわけ中学生の休みたいという声は切実です。自我の形成に当たって、さまざまに思い悩むことが必要なこの時期に、悩む暇すらない猛烈な会社員ばりの生活というのが人間的成長に大きなマイナスになっていると私たちは考えています。  一方で、学校で働く教職員も、ゆとりを持って子供に耳を傾ける物理的、精神的な余裕も少なくなっております。  それから、学校の施設設備も極めてそのことに対しては、多分、議員の皆さんは御存じだろうと思いますけれども、学校に設置されている電話の数は一・三台であります。今、インターネットという話がありますけれども、子供がインターネットに使ったらもう電話は外から通じないという状況があります。私たちは緊急要求で、ぜひ保健室に電話を一台引いてほしいというのを出しました。学校の中には校内電話がありません。プールで事故が起こると走ってこなければならない、そういう状況であります。  さらに、公務員の規則によって、四キロ以内は旅費が出ないということになっておりますから、警察やあるいは家庭訪問など四キロ以内に行くときは先生が全部自前で持っている、こういう状況が今あるということであります。  そういう中で、私たちはいろんな会議で、教育は未来への先行投資であるという視点に立って、学校に集う大人と子供たちの破裂寸前にあるストレスをぜひ解消してほしいということを強く訴えております。  さて、角度を変えて子供の内面から見てみたいと思っております。  人は生まれてから死ぬまで、だれかに認めてもらいたい、そして認められることによって自己を確立する社会的な動物だろうと思っております。その意味で、いじめの中でシカトするというのがありますけれども、これは極めて残酷なことでもあります。自己の確立は、言うならば自分の存在に相応の自信を持つことであり、その自分が他人に認められて初めて他人を自分が認めることができると考えております。  しかし、今の教育がそうした場を提供しているかというと、残念ながらありません。受験圧力のもとで、特定教科の点数がイコール人格という形であらわされることはさきに申し上げました。そして、子供たちのみずから考える力やあるいは生きる力を総合的に伸ばすのでなく、多くのエネルギーが受験教科の学習に費やされてしまうということであります。そして、受験教科以外はやらなくてもよいと言われております。そして、それらの科目の不得意な子供はおよそ褒められることがないというわけであります。  九年間、普通の子供はかたい木のいすで黙って座っている。僕は高校の定時制の教師でありますが、九年間本当に木のいすに座っていてつらかったな、そういう思いを子供がつぶやくときがあります。そして、その認められない子供たちがさまざまな形で、おれは生きているんだ、ここにいるんだということをあらわす、そうしなければ自己が崩壊されるというのが、中学校を中心に起こっているさまざまな事件だと考えています。弱い子供、追い詰められた子供は、自分が死ぬことによって生きているあかしを立てる子供もおりますし、規則を破ったり暴力を行使することによって存在を示す子供もおります。こうした受験圧力の吹きだまりが中学校にあらわれている。  私は定時制の教師だと先ほど申し上げました。東京の下町にある工業高校なんですけれども、一月、二月の時期に中学校に参りまして、ぜひうちの学校に子供をよこしてほしい、全日制の高校に行かない子供をよこしてほしいといって回るわけでありますけれども、一月、二月の中学校の中は非常にひんやりとしています。どの子も追い詰められている、そうした表情を見せております。ぜひそうした子供に笑いを取り戻させたい。そのためには、私たちは高校の入試はもう廃止した方がいいと思っております。進学率が九七%を超した今、高校入試をやることにはほとんど意味がないと思っております。  さらに、新制高校が発足したとき、本来なら中等教育は一貫で続けようという話があったんですけれども、これに対して、財政事情で高校で選抜を行った。選抜制度が教育に好ましい影響を与えないということはわかっていたわけであります。そういう意味では、二十一世紀を迎える今、ぜひ二十一世紀に向けて高校入試を廃止していただきたいと考えている点であります。  さらに、子供たちがさまざまな困難な状況で、それを支援する教員の体制であります。その教員の体制の中で何としても必要なのは財政的裏打ちであります。三十人以下学級ということを実現していただければ、学校かくあるべきというような百の提言よりも、教職員あるいは子供は勇気づけられ、学校はよくなると考えております。にもかかわらず、財政改革の中で第六次定数改善計画は見送られております。おくれています。  ぜひお願いしたいのは、十六兆円の予算がこれから審議されると思いますけれども、この私たちの計画が延びた予算は二百億であります。そうした予算の中で、財政構造改革法の見直しがあるならばぜひお願いしたいのは、二百億の予算をつけて定数の計画を完結していただきたい、そして学校を、教職員を、子供たちを、保護者を励ましていただきたいと考えております。  さて、最後に申し上げたいのは情報化社会の問題であります。  情報化社会というのは大人と同じ情報を子供が持つということであります。大人社会と同じような情報を子供たちは皆持っている。しかし皆さん、どうでしょうか、私たちは子供社会に起こっている情報を持っているでしょうか。大河内君の不幸な事件が起こったとき、学校は事を見ていた、家庭も見ていた、地域も見ていた、しかしだれも知らなかったということが起こりました。また、コンビニの店先で中学生が四、五人おしゃべりをしていただけで近所から警察に通報があり、さも問題を起こしたかのように扱われたという話も聞きました。  さきに引いた中教審の報告も含めまして、この一、二年、学校だけで子供のことを考えるのはやめようという話が出てきております。それは、子供を見るときに、その子がどこの子か、何年何組のだれか、どの学校のだれかという以前に、やはりどこそこの保護者の子供であるということをきちんとすべきだと思います。  私たちの会合でも、ある親から言われました。子供が事を起こすと警察は学校に電話をする、学校からうちに来る、話が違うんではないか、この子はうちの子だ、まず家庭がそれを見るべきだという声がありました。そのとおりだと思います。そして、その陰にあるのは、子供を見守るのは教職員だけであってはならないということだと思います。当然であります。  しかし今、子供のこの不幸な事件をきっかけにして、地域と学校が連携するのではなくて、学校は警察と連携するということが議論されております。これは筋が違うと私は考えています。警察は捜査機関であり、教育機関とはまずおのずと役割が違っているという問題であります。教育と捜査機関を同一の主体が行うことは警察の役割の範囲を超えると思っております。子供を地域で見守ろうということは地域で公権力の監視の目を強めようということとは違うと思っております。  先ほど紹介したコンビニの中学生のような状況が蔓延してしまえば、子供たちは自我形成の場も時も奪われることになります。不幸な事件や自殺などというのがそれらのことによって決して少なくはならないと私は思います。そして、何よりもこの子供社会と大人社会をどのように交わらせるかということが重要であります。  子供の居場所をどのように確保してやるか、これは具体的な物の問題もありますけれども、精神的な問題も含めてであります。何も予算をつけて地域の町づくりをしろと言うわけではありません。私たち大人が利を受けている地域サービスを子供にも受けさせたらどうか。そして、子供のための施策をやるならば、その主体である子供たちの意見を聞いたらどうか。子供たちはそうしたものをつくり上げる中で鍛えられ、そして成長していくものだと考えております。これに参加して責任を持っていく中で、子供たちは責任とその役割を身につけていくと考えております。  今、確かに議論になっていますけれども、警察は捜査の専門家であります。心理学者は心のメカニズムを探求する専門家であります。しかし、子供について言えば、子供の専門家というのがいるんでしょうか。私は専門家というのはいないと。しかし、逆に言えばここにおるすべての方も専門家だと思います。子供はすべての私たちの将来であります。未来であります。そういう意味では、専門家たちが大勢いるわけでありますから、学校任せにはしない、私は賛成であります。学校をぜひ地域に開かなければいけないと思っております。  私たちは今まで学校が閉鎖的であったということについて反省をしております。ぜひ学校を地域に開き、地域の人たちと、そして家庭の人たちと、本当に開かれた学校、開かれた地域、開かれた家庭の中で子供たちとともに話をしていければありがたいと思います。  以上であります。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 内藤先生、西澤先生、本当に含蓄のあるお話をお伺いできましてありがとうございました。お心の問題と、それから今現状がどうなっているかというお話をいただきまして、いろいろと考えさせられるところがございます。  この教育の問題につきましては、いつの世も同じだろうと思っておりますが、特に今我が国は高齢・少子社会というものを目の前にいたしております。その中におきましては、世代間のきずなというものが最も大切なものではないかなと思っております。  子供や高齢者、特にその祖父母に対する親の考え方、行動、その後ろ姿は子供たちのかがみになっているものと思われます。家庭における親子の関係は学校における児童生徒と先生との関係と類似するものでなかろうかなと思っております。  子供は親を選べない。選ばれないままに生まれてきておりますが、それがいつの日かまた、高齢者になってからでもいいと思いますが、子供から選ばれる親として認め合う間柄がつくっていけるならば一番好ましいのではないかなと思っております。  学校におきましても、先生の手から巣立つときに認め合えるきずなが結ばれることを期待いたしておりますが、そのような子育て、はぐくみはぐくまれる間柄というものはどのようにしてつくり出していけるものでしょうか。  内藤先生にまずお伺いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 非常に抽象的な難しい問題ですが、要するに教育の、ちょっと的は外れるかもしれませんが、こういうふうな現状になってしまっているのは──こういうことでいいんですね。具体的にちょっともう一回言ってくれますか。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 簡潔にお願いいたします。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 簡潔にというのは難しいんですがね。僕の簡潔は、言葉を教えるということです。それだけなんです。言葉の崩壊が社会を全部崩壊しています。それだけです。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 ありがとうございました。  では、それに関連いたしまして、西澤先生いかがでございますか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 親子のきずな、そして私たち教職員と子供たちが卒業した後につくられるきずな、私たちは何よりもそれを大切にしておりますし、私たち教員が本当に苦しい中でやっているのは、卒業した後子供たちと本当に面と向かってつき合えるということであって、きずなが重要であると思います。  このきずなというのは世代間を超えて、おっしゃるとおり、確かにこの高齢化社会でもやはり高齢者を思いやる、子供を含めて世代間に継承されるべきと考えています。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 それでは、次に西澤先生にお伺いいたします。  これは高齢社会とも関連することかなというふうに思いますが、世間の間でも荒れというものがあるのではないかなと思います。  親孝行に対して、かつては「親孝行、したいときには親はなし」という言葉が言われておりました。今どのようなことで言われているでしょうか。「親孝行、したくないのに親がいる」、このような悲しい荒れの社会をどのように私たちは見ていくのだろうか、それをどのように直していったらいいのだろうかなと思っております。  先生方の悩み、学校における荒れという問題につきましては、きのうもこの場で参考人の方からお話がいただけました。また、夜のテレビでも、違うものでございますけれども、同様の問題が放映されておりました。これらと関連をさせながら、家庭文化と学校教育とを結ぶ先生とPTAとのかかわり、望ましいあり方を教えていただきたいと思います。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) おっしゃるとおりです。  ただ、「親孝行、したくないのに親がいる」というのは、ちょっとそうじゃなくて、私たちが実際に扱っていますと、子供たちというのは実に思いやりがあります。それが、やはり社会に出てなかなか親も一緒に住めないようなさまざまな状況の中にほうり込まれちゃうということで、子供たちの本質は非常に優しいものを持っていると僕は思っております。  さらに、学校の中の荒れで、保護者と私たち教職員とのつながりでありますけれども、御指摘のとおり、非常に私たちも反省しているわけでありますけれども、今まで教職員はどちらかというと学校の中に閉じこもりがちであって、学校がすべてを抱え込むということであったと思います。そうではない。先ほど申し上げましたとおり、まず子供は唯一、保護者の子供であります。そういう意味で、学校を開いた形でPTAの意見を多く聞きたい。  私たちは、学校協議会というものも提案しておりまして、そこで学校と保護者と地域と子供と学校のさまざまな問題について話し合ったらどうかという提案をしているところでございます。そうした場ができれば、今の社会教育法におけるPTAよりもさらに一段進んだ連携ができるのではないかというふうに考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 PTAの方々と学校との連携の中で、参観日というのはあるんですけれども、そのほかにPTAの方々と教師及び子供との関連はどのような形で今つくられているでしょうか。また、今後つくっていこうとしておられるのでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 一般的に言いますと、多くの学校で学期の終わりに保護者の方と一緒にその一学期の子供たちの状況について話し合う場を学級ごとに設けたりしております。  ただ、今PTAから指摘されているのは、それ以外にPTAのPの方が話をしたいというふうに学校の門をたたいても非常に閉ざされていると。一般の先生が出ないで、どちらかというと幹事役の先生ばかり出てきて、そういう先生に限られてしまう。そういう意味で、一般の先生ともっともっと交流したいという声が出ておりますし、私たちもそれを受けとめてどのようなことができるかということで、これもPTAの方と話し合っているところでございます。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 そうしますと、参観日以外にもPTAの方が来られて、そこで自由にクラスも開放されていくということも今後していかれるおつもりなんでございましょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たちは授業について、PTAの方も含めてやはり普段からそうしたことについて自由に参観できるようにという希望を持っております。しかし、なかなか学校の今の状況の中で十分その期待にこたえられないような状況もありますものですから、そういう意味では、今父親も含めて企業の方に、まずとにかく休んで学校に行ける日をつくってほしい、そして自由に学校に行けるようにしてほしいということもお願いをしているところでございます。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 特に児童生徒にとりましては、夏休みの前とかまた夏休み期間中とかはやはり学校に来れないという状況があって、みんなで健康かどうかという心身の健康の確かめ合いができない場合というのがあるんですが、そのような、夜になったらちまたに出るような子供さんたちがおられるとするならば、そこら辺もPTAとの協力というものも必要になってくるだろうと思いますが、学校の先生とPTAの方々との対話、会話、またそういう場面での、補導というのはおかしいですけれども、注意というものがなされているでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 多分、私の地域の学校でもそうですけれども、僕の子供が学校にいるときには、PTAが班をつくりまして、もちろん学校と連携をとってではありますけれども地域を回りまして、夜八時、九時に子供たちがいるとお話をしていくということをやっております。大体多くの学校でそういうことをやっているんではないかと思いますし、繁華街では駅前で補導をやっているというところも多くあります。  そういう意味では、非常に気を使って遅くまでPTAと先生方は、例えば夜の行動と今限定されましたけれども、そういうところではやっておるんじゃないかと思います。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 では、少し話題を変えますけれども、不登校の問題をちょっと指摘してみたいと思っております。  これは国公私立の小中学校におきまして、三十日以上欠席の届け出があることにつきまして、統計的には平成八年度で小学生が一万九千四百九十八人、中学生が七万四千八百五十三人、合計しますと九万四千三百五十一人、もう十万人に近い子供たちが不登校という現状がございます。そのうち五十日以上欠席しているという児童、小学校では一万五千三百十四人、中学校では六万二千二百二十八人、合計しますと七万七千五百四十二人の方々が不登校をしているという小中の問題があるわけですが、それらのきっかけについても統計の中で出ておりました。  そのきっかけにつきましては、小学校の場合は本人の問題というのが一番多い。本人の問題というのはどういうものかと見ますと、極度の不安、これは中を見てみればもっとあるんでしょうけれども、不安だとか緊張、無気力というところがまず挙げられております。  そして、二番目には親子関係をめぐる問題。親子関係をめぐる問題というのは何かといいますと、親がしかる。先ほど先生もおっしゃっておられましたけれども、親の言葉、または態度というものが子供にそういう状況をつくらせる二番目の原因だと。中学生の場合は学校生活での影響ということを言っております。これは友人をめぐるいじめだとかけんか、そういったものが不登校の原因になっている。  三番目は教師との関係。それもしかられる、注意されるというところが課題になっているのでございます。  このような現状について西澤先生はどのようにお考えでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 状況はおっしゃるような状況だろうと思います。そして、不登校の八〇%の原因がいじめということも私たちの開いております相談室の統計でも出ております。  おっしゃるように不登校の原因は、昔は一般的には子供に非常に問題があると言われましたけれども、今文部省の方も登校拒否という言葉を使っておりますし、私たちは子供が学校に不適応ではないんだ、学校そのものが子供に不適応になったということをもとにして、学校そのものも見直そうという立場で今学校の改革というものを推し進めているところであります。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 それと関連いたしまして、適応指導教室というのがございます。これで指導を受けた児童生徒数というのは平成八年度中で八千二百四十人おられる。  この適応指導教室というのはどういうものかといいますと、登校拒否の生徒に対する指導を行うために教育委員会が学校以外の場所に設置している施設で、児童生徒の在校生と連絡をとりつつ個別カウンセリングとか集団で活動、教育指導を行うものであるというように、ただ単に相談を行うだけではないというようなところでございますが、それが九十七カ所も含まれているというところでございます。  そういう子供たちについてはどのようにお考えになっておられるでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) ある意味では非常に、先ほど内藤先生のお話にもあったんですけれども、自分の主張のはっきりした子が学校という場からいたたまれなくて出るということがあると思います。  私たちは、先ほど申したように、学校そのものを見直すと同時に、いじめその他でさまざまな問題がある子について、学校に来ない、いわば休む権利を認めていいんじゃないかということや、あるいは先生が今言った学校について、私たちはフリースクールと呼んでおりますけれども、そうした場で学習する、その学習した結果について認めてやってもいいんじゃないかという立場でありますし、そうした子のさまざまなつながりを持っていろんな意見を聞きながら私たちは学校の改革に役立てているということでございます。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 私の知人もそのような学生さんたちが集まってくる学校で学院というものを形成いたしておりますが、一条校としてはいろいろな規制があってそれができない。そこを卒業する子供もいるんだと。落ちこぼれた学生でありながらその学校ではちゃんと卒業していくという姿を見た場合に、では公立学校ではどのような体制をこれからとっていかなければならないとお考えなのか、教えていただきたいと思います。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 第一番に私たちが考えているのは、これは先ほど申し上げたのでありますけれども、学校が余りにも点数主義になっております。今、年間二百二十日開校日がありまして、一番多いところで年間の標準時間は千五十時間です。学校におる九二%が授業に出ているという状況であります。  子供たちは非常に多忙な中にありまして、本当に子供は希望を持って好きなことができているかということについては、十分そうしたことではありませんし、総合的な学習というふうに中教審も言っておりますけれども、私たちも総合的な学習の中で子供たちの個性が十分伸ばせるようなカリキュラムを組むべきだと考えておりますし、学校五日制を契機にして、私たちはぜひゆとりのある学校の中でさまざまな子供の希望や要望にこたえていきたいと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 今のような問題点がいっぱいあるわけでございますけれども、やはり両サイドとも二十一世紀の主役であるというところを私たちが考えるならば、もっともっと気を入れて我々大人がいい手本を示さなければならない時代だというふうに思っております。そのためには、家族の中の両親が認め合っているのかどうかというところが一つ問題になっております。  最近の離婚ということも子供たちにそのようなつらい思いをさせていることがあると思いますが、離婚の発生率は、今何分間に一組起こっているでしょうか。ことしは二分二十秒で発生しております。今、このように時間を持たれている中でも何人かの子供たちが不幸になっていく。そのことを考えるならば、我々は子供の一生というものをむだにしたくないというふうに思っております。また、思いやりというものもそこら辺に出てくるわけでございます。  もうちょっと悩みを申し上げてみたいと思うんです。  今、受験勉強をしている子供のお部屋にはテレビがあると思われますか、ないと思われますか、西澤先生。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 大体、子供の居部屋にはテレビがあると思っております。僕らはそのことを個室の王子様、お姫様と呼んでおりますけれども、あるんではないかと思っております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 王子様、お姫様はよろしいんですけれども、その子供が学校から帰ってきます、塾に寄って帰ってきます。そして、家の中ではお食事を済ませていわゆる自分のお部屋に行く、これはホテル家族と申すと思います。  ホテル家族があったり、いろいろな家族の形態があるわけですけれども、そういう家族の中で子供が勉強しているだろうと思うと、今七時、八時の時間帯にどのようなテレビが流されているか。これは大人の娯楽番組ではありますけれども、子供にとってはいじめの番組ともとられるような番組があります。それから、風俗のテレビというのが十時、十一時、そのあたりに流されております。親は子供に見せたくないと思っても、王子様、お姫様がテレビをひねったらその画像が全部見られるのです。  今、そのありさまを大人が知らないままに子供との対話をしているのではないだろうか。対話があればまだいいんですけれども、そのテレビを私も勉強のために見ておりますが、これは子供たちには見せられない、またそれを笑いとする大人にどう立ち向かわなければならないのかということもありますが、何か御意見はございますでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) おっしゃるように、先ほど私も申し上げましたように、情報化社会というのはいや応なく情報がすべての国民、年齢を問わずすべてに飛び込んでくる時代だろうと思っております。これは大人の側で意識してやらなきゃいけないと同時に、学校教育で私たちが今非常に反省しておりますのは、情報化社会にあって情報リテラシー、情報とはどういうものか、どのようにするかということや、メディアリテラシー、メディアとは何か、受け手と送り手はどういうようなモラルが必要かということについて、まだ日本社会では十分検討しておりませんし、教育の場でも学校でも欠けていると思っております。  ぜひその辺については、私たちはこれから意見を申し上げて、それを少し中心的な教科の組み方の中に入れるようにしていただきたいと思っております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 テレビなどでございますけれども、もう一つの場面では、何回切られても生きて、そして活動する場面がいっぱいあるんですね。人間は一たび殺されたら、一たび死を迎えたら、もう生というものは永久に返ってこないというようなものを、子供たちはそのテレビを見ながら、いやこれは違うんじゃないかと思ってしまうことはまた大変なことでございます。  死生観というものを子供たちにどのように教えておられるでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たちは人権ということを極めて重視しております。人権の基本は、まず自分の嫌なことを絶対に人にしないことと、人を傷つけることはしない、これが基本だろうと考えております。そういう中で、今テレビゲームを含めて御指摘のあったような点については、もちろん非常に好ましくないと考えております。  そういう中で、私たちは教科の中で反省をしますと、例えば物理というのがあります。物理の中で力学を教えるときに、私たち自身も反省をするんですけれども、鉄砲の弾を撃ったら初速はどのくらいで、どのくらい飛ぶかというようなことを必ず教えてきたわけでありますけれども、そうではない、私たちの意識の中でそうした死生観ということ、生きることの大切さということ、そうした日常的な言動の中でまさに私たち自身が意識を変えなければならない課題である。これは大人としての私たちの気持ちでありますけれども、そういうふうに私たちは努めるべきだと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 学校におきます性教育というものは、これは人間教育であろうと私は思っております。生きる力を与える、そのためには人間男女がいかにして人間としての生き方をするのか、そのようなところを学校の中ではどのようなかかわりを持ってどなたが教えておられるんでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 一つは、今、性教育という言葉と性の教育という言葉があります。  性教育というのは極めて限定された生殖に関する知識などでありますけれども、性の教育というのは、今御指摘にあったように、男と女の役割だとかあるいはジェンダーの問題とか、さまざまな問題について私たちの社会にあります男女の平等でない部分をどのようにするか、両性がお互いに尊重してどのようにやるかということであります。  性教育というのは保健とか養護教諭の役割であるわけでありますけれども、性の教育、男と女の問題は、一つは全体でやらなきゃいけないと考えております。特に今重視しているのは、隠れたカリキュラムということで、正課の教科ではないというところで教えている。私たちが今お願いしているのは男女混合名簿にしたらどうか、男と女の役割を一つはそうした立場からでも見直していこうと。しかし、これは問題提起であります。  今の社会で男がどのように生きるか、女がどのように生きるか、また共生してどのように生きるかということをやろう、これはすべての教職員がかかわってやるべきだと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 また少し話題が外れるんですけれども、かつて資料を見ておりましたら、先生方は自分たちを教育労働者というふうに思っておられるようでございますが、その中身、意味を教えてください。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 日教組ができたのが今から五十年前であります。最初にアピールというのが出たわけでありますけれども、その中にこういう文書があります。戦前の教師がいわば戦争に加担したという反省のもとに私たちの組合は生まれたわけでありますけれども、そういう中で教師の生活が非常に貧しかった。そういう意味では、やはり働く者の立場に立って、古い言葉ですから御容赦願いたいんですけれども、妻子を路頭に迷わせて何が教育かというところがあります。私たちの結成の綱領というのがあるんですけれども、一番目はやはり教職員の生活、そして教職員の権利、それから社会的地位を高めようではないかということもあります。  そういう意味では、私たちは働く者の一員として、この社会に生活する者の一員として、そういうところに身を置いて物を考えていこう、そういう精神で、多分そういうことができていると私は認識しております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 労働者という部類を見てみますと、ホワイトカラーだとかブルーカラーだとかということがございます。その中で教育労働者と。私は教育者は労働者という意識を持たないでほしい。私も教育に携わってきました。学生たちの中に入って本当に寝食を一緒にしたこともございます。でも、最近の先生の考え方というものは、昔の方からずっと流れてきているわけですが、どのような考えをお持ちの先生方が普遍的な先生なんだと思われますか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 一つは、労働者と今おっしゃった意味は僕にはちょっとわかりかねます。私たちが労働者と言っている意味は、いわゆる労働者階級とかそういう言葉ではなくて、働く者の一員、最近は生活者というふうに多くは言われているんですけれども、そうしたものから子供に接しようということであります。  多くの先生たちはやはり非常にまじめであります。子供たちと接触しているこの仕事をどのように生きがいを持って生きるか、自己実現するか、そのための条件は何かということであります。私たちの組合で先生方から一番出る要求は子供の教育についてであります。どちらかというと賃金だとかそういうことに対する要求は余り出ないのが現状でありまして、恐らく先生たちはこの世の中でどのような子供たちを育てるかということに一生懸命ではないかというふうに思います。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 それと、またお尋ねしたいことは、今の子供たちは私の国は日本よと、これを誇りに思っているでしょうか。私の国のアイデンティティーをどのように思っているのでしょうか。  よく高校野球などが始まりますとそこで君が代が流れますが、口の動いている学生はほとんど見かけません。お相撲があるときに国歌が流れます。そのときには私はテレビでじっと口の開いている人を探しているんですが、そのようなことがございます。自分の国を誇りに思う子供たちにどのような教育をなさろうとすることが一番いいことなのかと思っていらっしゃいますか。  これからの国際社会はなおさらでございます。自分の国を自分が納得して出ていって、そこでの話し合いの中で自分の国が誇りにできなければ、これは悲しい国民になってくるのではないかなと思いますので、その御所見をお伺いします。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たちは、子供たちがこの日本に住んで、日本に生まれて、そして日本民族としての誇りは持っていると思っております。それは、外国で会った子供たちが私たちと接する、おれは日本人なんだよ、私は日本人だよという気持ちは何より持っていると思っておりますし、私たち自身もやはり日本人として生きるべきであるというふうに考えております。  そうした意味で、私が心配しているのは、今御指摘のあったことよりも、僕は先ほど下町の工場だと申し上げたんですけれども、工業高校ですけれども、私たちの周りには本当に日本の持っている伝統的な文化というのはいっぱいあります。小さな町工場があって金属加工をやっているんですが、人間文化とか文化と指定はされるけれどもお金が一銭も出ない。その中で後継者がいないでつぶれていくという極めて残念なところです。  ですから、よき日本の文化伝統というのはいっぱいあるわけですから、そうした意味では本当に町の中にはいつくばっているさまざまな思いをぜひ吸い上げていただければありがたいと思っています。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 これから学校図書館の開放というものがあります。または学校図書館の充実というのがございます。そのような下町にも小学校、中学校があるはずでございますので、その学校図書館の機能をもっと活発にしながら、その学校から発信できる情報というものを出していきながら日本の文化というものをよその国に御示唆いただける、または姉妹校をつくって提携する、そういったこともこれからの問題点ではないかなと思っておりますが、学校図書館についての御意見、いかがでございましょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 大変ありがとうございます。  学校図書館が二十一世紀の学校の中の中心になるべきというふうに考えています。学校図書館は、おっしゃるように情報化社会において、子供たちが教室の中でやる授業ではなくて、さまざまな情報を取り入れながら、先ほど言ったメディアの問題も含めて収集できたり選択できたり、その能力を養うためには極めて重要だと考えています。  しかし、残念ながら、今図書館には専任の方がいないんです。専任の司書教諭を置いてもらいたいということで私たちはずっと文部省さんにもお願いしております。やはり学校図書館に一人専任の人を置く、そして学校図書館の中で情報教育というのをきちんとできる体制をつくっていくことが恐らく二十一世紀の学校教育の極めて中心的な課題と考えています。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 学校図書館における司書教諭というものの誕生も見ました。この数もふえていかなければならないと思います。  それから、子供のいじめ、心身の健康ということに関連しましては、養護教諭、養護教室の人たちも複数化することができましたが、それが三十クラス以上ということで、それをなるべくいい方向で早く複数にしていきたいものだと考えております。  先生の周りの下町の中で、日本の文化の伝統を持っていかれる、その中では日の丸の国旗は時々揚げておられるんでしょうか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たち、日の丸については、日教組の見解としましては国のシンボルとしてこれを認めておりますから、ある意味ではその議論はないわけであります。  それで、卒業式とか入学式とかあるいは運動会その他については、学校行事の中で、私は一番いいのは、やっぱり子供たちを送り出すときに、子供たちが企画して先輩を送り出していく卒業式とか、あるいは新しい子供を迎えるときに本当に誇りを持って迎えることがあると思います。その中には、例えば日の丸がないときもあるかもしれませんしあるかもしれません。  そういうことについて、私たちはそれを殊さら政治問題化するということについては避けるべきだと考えておりますし、それについては学校で子供たちと一緒に進めるべきだという考えに立っているのであります。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 御自身の御家庭ではいかがでございますか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私の家では、日の丸はありますけれども揚げておりません。私の町内で揚げているのは多分病院一つだけじゃなかったかと思います。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 これからお揚げになる御意思はございますか。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 家族と十分相談したいと思います。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 優しいパパ、優しいママが子供にとっては一番幸せでございます。先生の後ろ姿を見ながら二十一世紀のすばらしい子供たちが育っていくわけでございます。  我々の環境というものをどう整備していくか。家庭環境を整備し地域の環境を整備し、それが学校と一体となった環境がつくられていけば一番うれしいことだと思います。  子供にとりましては、胎児のときから母親がすべての環境なんです。その母親、いわゆる母体をどのように我々が注視し守っていってあげるのか。その母体を守る環境は父親でしかないわけでございます。そのような父親と母親が一体となったすべての子供に対する環境を我々はもっといい形で構築していかなければならないと思います。  二十一世紀の子供たち、我々にとっては宝の存在であろうと思います。一人でも不幸な子供を出さないようにするというのが我々政治家の役割であろうと思います。  本日はありがとうございました。  終わります。

小林元民友連

○小林元君 民友連の小林元でございます。  本日は、内藤公述人、そして西澤公述人、本当に貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。短い時間ですので簡単に質問をさせていただきたいと思います。  今回いろいろと、栃木県の黒磯市あるいは埼玉県、そしてまた神戸の事件、大変凶悪といいますか残念な事件が起きました。そういう中で、いろいろ難しいんだと思うんですけれども、対策を立てる上でやっぱりその原因を究明する、それがわかって初めて正確な対応ができるということになるんじゃないかと思います。その辺、大変直接的な質問でございますが、両公述人からお願いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) これもまた、世間でしょっちゅう言われていることですけれども、いつも私はもう決まっているので、遊びが足りないことと言葉が足りないということ、これだけなんです。これを全くやっていないからなんです。もうその一語に尽きるのであって、今世間で騒がれているあれは現象面なんです。ああいう現象面を幾ら追求しても答えは出てこない。親の生き方、教師のあるべき姿、親の姿、それを教えていかなきゃだめなんです。それを僕は教えていくんだと、それで講演して歩いているわけです。そうすると、そういうことにはならないんです。  ですから、あそこで起きたああいう事件は、どっちがいい悪いではなくて、女教師の方も不幸なことにああいうことになったのは、僕がさっき言ったように、管理職が悪いんだ、教えないからいけない、子供までそのために罪人になっているんです。  どっちがいい、先だ後だというんではなくて、両方の心の持ち方、人間は人に対してどんな心を持って当たるか、要するに冷たい心を持って当たれば冷たくなるし、温かい心を持って当たればそういうことはないんです。それだけのことなんです。それを教えるか教えないかの問題だと思います。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 学校としてすぐにやらなければならないことというのは、私は、その前後を含めたさまざまな経過について、やはりその子供の親も含めてさまざまな方と一緒にすべてを議論する場をつくることではないかと思います。  そういう意味では、今まで閉ざされた学校と言われて、学校の中で起こったことが十分社会全体で議論されなかった。そうしたことではなしに、まずそうしたことをやるべきだというふうに考えておりますし、そのことの一つの結果であると思いますから、そうしたことの中から、罪人を出すということではなくて、私たちは問題を考えていきたいと考えています。

小林元民友連

○小林元君 確かに、現象としてそういうことがあったということだとは思いますが、それでは、教育のいわゆる危機といいますか、そういう状況なのかどうか。あるいは二十一世紀に向かって、そういうこととは別に、これからの日本のあり方として、教育は国家百年の大計であるという観点で、やはりそういう時期的な問題もあって改革をしなきゃいけないというのか。やはりそういうものも含んでこれから改革をする必要があるのか。要するに危機的な状況というか、改革の必要性、緊急性というか、その辺の御認識をお願いしたいと思います。二方からお願いいたします。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 前と同じ話になりますが、僕が言う意識改革というのは、これは原因療法なんです。それから制度の改革とか、ナイフを持ってくるな何するなといろいろなことを言っていますけれども、これは対症療法なんです。対症療法は幾らやってもそれだけのことなんです。要するに、風邪を引いて風邪薬を飲んでいるのは対症療法なんです。風邪を引かないような体をつくるのが原因療法です。意識改革の部分は原因療法なんです。しかし、そうは言っても、意識改革ですからそう簡単にはできません。やり方は知っていますけれども、そう簡単にはいきません。  ですから、事故は起こりますから、そのときには多少、風邪薬を飲ますじゃないですけれども、対症療法をしていかざるを得ないからしていいと思いますが、それは手段ができるだけ軽く済むということが大事だと思います。やればいいというものじゃないんだということです。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 今、議論されている教育改革は、ちょうど車が古くなったから買いかえようというような物理的な問題ではなくて、今までこの五十年間進めてきましたさまざまな教育のひずみ、とりわけ私は受験教育だろうと思います。  点数で子供たちが輪切りをされるという、その中に学校のシステム、そしてシステムそのものにすべてのものを帰着していった結果が、何回かのいろんな問題がありましたけれども、戦後に校内暴力やいじめの問題がありましたけれども、そうした中で学校のシステムそのものを変えなければ新しい時代に対応できなくなっている。  そして、情報化社会やさまざまな新しい日本社会の状況の中で、そういう時期が来ているからさまざまな問題が噴出しているんだと考えておりますので、そうした物理的な問題ではなくて、いわゆるさまざまな内容を含めた検討をすべきだというふうに思っております。

小林元民友連

○小林元君 いろいろなことが言われております。時間がないものですから余り私の意見を述べるあれはないと思いますけれども、要するに、戦後民主主義の教育といいますか、あるいは平和主義を求めてきた教育というものは破綻をしたんではないか。自由とか平等とか人権だとか、いろんなことをその教育の中へ取り入れていこうということではあったんですが、自由というのは、やりたいことをやる。ところが、やりたいことをたくさんの生徒がやったらどうにもならないという、いわば放らつ性というんでしょうか、そういうものに誤解され、あるいは平等というものは、生まれながらにして人間は平等に扱われるということが、個性差も能力差もあらゆる面で平等である、運動会で一等賞は要らないんだというような極端な平等主義といいますか、そういうものが限界に、限界といいますか、破綻をしたのではないかということであります。    〔委員長退席、理事岡部三郎君着席〕  そういう中で、成績一点張りの偏差値教育といいますか、内藤先生からもお話がありました知識の詰め込みがあるとか受験競争ですとか、そういうことで落ちこぼれたりといいますか、そういう中でいろんな現象が出てきているのかなと。やっぱりこれは核心のところから改革をしなければいけない。私も内藤先生の御意見に同感でございます。  今までは教育というものについて、日本は、明治のときは富国強兵ということで五十年前まで来ました。戦争に敗れまして、その後先ほど言いましたようなことがあったわけでございます。しかし、たまたまそれは戦争に負けた後、平和を求めるという気持ちが国民の中にはもちろんあったわけでございますけれども、そういう中でアメリカやヨーロッパに、何とかああいう国になりたいという国民の気持ちがあったんじゃないか。それが五十数年間、ここまで来ました。しかし、追いついた途端に目標がなくなった。これは教育もまた同じだと思います。政治家も役人も同じかもしれません。  どうも大人が、世界でかつて日本人ほど立派な人間はいないというふうに欧米諸国からも評価されていたわけでございますけれども、それが何かなくなってきまして、恥の文化といいますか、そういうものはどこへ行ったんだろう、武士道精神はどこへ行ったのか、こういうことだと思います。  そういうことで、これからの教育目標、そこをしっかり立てれば、意識というものは教師の側も親も地域社会も変わるんじゃないか、日本も変わるんだと。その辺どういうような理念というか目標というものをお考えでしょうか、お二人からお聞かせをいただければ。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 毎度同じことになりますが、少し物理的なこともつけ加えないといけませんからつけ加えますけれども、学校では、要するに昔の話じゃなく、道徳教育という言葉を使ってもいいし、あるいはどういうふうにしたらいい人間関係をつくれるかという時間をつくってもいいし、そういうふうなこと、あるいは歴史、そういうこととかあるいは人物伝などいろいろありますね。そういうふうなことはもうずっとやっていかなきゃいけないんです。  僕はきょうここでそんなことを言ってもしようがないから言わないんであって、基本は前から言っているように教師と親を変えなきゃだめなんです。  問題は、私は教師というのは聖職だと思っていますから、給料を上げろの下げろの、そんなことはどうでもいいんです。僕はそんなつもりで今まで教師なんかやってきたんじゃないんです。まず子供を見て、この子をどうするかを考えてみる。ですから、生徒指導は生徒が百人いれば百通りあるんです。一人一人真剣に考えて、僕は今までの間に一人として落としたのはいないんです。練馬の鑑別所に行ったのは今新橋で社長をやっております。喜連川の少年院に行ったのは、僕は先生をこのごろ仏様だと思っています、そういうふうになるんです、それは。悪だからそうなるんです。いいのはそこまでにならない。そこがわかっていないんですよ。だから、そういうのをやるのが教師としての、こんな誇りのあるものはないんですよ。そこを教えていかなきゃいけない。そこまでやらないから本気にならないんです。親も同じことです。僕はそこが基本だと言っている。  それを立て直すにはどうしたらいいかというのは同じ話です。言葉の教育をしないとだめです。言葉を立て直さなかったら絶対に教育改革はできません。  以上です。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 戦後の日本の教育がいわゆる平等主義という名のもとでかなり均質的な教育をやってきた、そのことが今の日本の社会の基盤をつくってきたということは間違いないと思うんです。  ただ、おっしゃるように追いついた段階で、そうしたことではない新しい尺度が必要になってきたと思います。今、私たち社会全体で求められているのは、もう一度二十一世紀に向かった価値観の統一だろうというふうに思っております。そして今、その価値観の統一はもしかしたらそれぞれ尺度が違うという価値観かもしれない。それぞれの人たちが、障害者も含めてさまざまな個性を持っている。その個性を持っている人がそれぞれの個性でそれぞれ生きていくものが新しい価値観ではないかとも思っております。そういう意味では、今までの平等がともすると画一主義ということに流されたことへの反省が今全体にあると考えております。  二十一世紀は、恐らくそれぞれの子供たちやそれぞれの大人がそれぞれ個性を持って生きて、それぞれ違う立場で共生していく社会、そうした社会を目指すべきだというふうに思います。

小林元民友連

○小林元君 親を変えると内藤先生はおっしゃいました。これはなかなか大変なことだと思います。今の世の中といいますか、日本の社会はサラリーマンが非常に多いわけでございます。親の背中を見て育つということは大変難しゅうございます。先ほどもお話がありましたけれども、普通の日はお父さんはどこで何をやっているかわからない。そして、夜遅く酒を飲んで帰ってくる。子供とろくに口もきかない。朝は疲れたから、子供は先に学校へ行く、そういう中で休みになるとゴルフ場へ行ってしまうというお話がありました。  しかし、そういう父権といいますか、父親の復活こそがやはりこれからの家庭の一番大事なポイントではないか。そして、子供たちと一緒に遊ぶなり勉強するなり生活をするということが一番大事だと思います。  しかし、それを言うとなかなかこれは大変でございます。やはり当面こういう中で一生懸命頑張らざるを得ない、頑張ってもらうほかないのは教員だと思います。そこで、先ほどもお話をしました。学級定員とか教員数が足りないとかいう話はわかっておりますし、我々も頑張らなくちゃいかぬというふうに思っております。  ただ、そこで教員のやはり質といいますか、どういうふうに教員の資質──昔はいろんな先生がいました。あだ名をつけられていました。今はあだ名がつかない先生しかいない。個性がないわけでございます、残念ながら。私の仲間にはそんなことは言いたくありません。しかし、あだ名がつかない先生ばかりいるということは大変悲しい現実でございます。時間がありませんのでそれ以上は申し上げません。  しつけはまさに──けさちょっとコピーしてきました。これだけ読みまして終わらせていただきます。  「子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。」と。  これは、福沢諭吉の「中津留別の書」というところに書いてございました。これを読みまして、私の質疑を終わらせていただきます。

高野博師公明

○高野博師君 お二人の貴重な御意見を伺いまして、大変参考になりました。  それで、内藤先生と西澤先生に一つずつお伺いしたいと思うんです。  最近の新聞で、これは三月二十七日の読売新聞の社説に、「「荒れる学校」に外の支援も」という表題で論説が出ておりました。もう一つは、これは産経新聞ですが、都の教育庁が校長の権限を強化するという報道が出ていたんですが、最初に内藤公述人の方にお伺いしたいと思うんです。  これは私の教育観に対するコメントというか、御意見を求めたいと思うんですが、この「「荒れる学校」に外の支援も」ということで、先ほど西澤先生もおっしゃいましたように、警察等の協力も得るというようなことなんですが、この中で荒れる学校というか、これはもう学校は万能ではない、学校限界論ということを言っておるんですが、これは生徒に対する指導をより厳しくするような、厳重な管理下に置くような方向に行っているではないか。警察とか児童相談所とか少年鑑別所との連携が必要だと。  これは根本的な考え方に問題がないかなと私は思っておりまして、ある意味で学校限界論というのは文部省とか学校教育の敗北論ではないか、そういう印象を持っております。本来、子供というのは危険な存在ではないと思います。文部省とか学校が一方的に子供を支配し管理するとかあるいは保護するという考え方に問題がないかどうか。  よく言われますように、戦後の教育目的というのが国の経済発展に役立つような画一的な人間を、これは学校を通じて選別して訓練し、いわば大量生産をしてきた、こういうことがよく言われます。偏差値教育というのは、例えば生徒全員を百メートル全速力で走らせる、競争をさせる、序列をつくる。一定の速さ以上の人間はよい子だ、しかしそれ以下の子供については落ちこぼれだ、あるいはだめだという決めつけをしてきたのではないか。子供の中にはマラソンが得意なものもいるし、あるいは高跳びが得意なものもいる、いろんな多様性を持っている。そういう個性とか人間性を無視してきたのではないか。多様な人間を育てることをやってこなかったのではないか。  この戦後の教育の弊害が今あらわれている、あるいは破綻しているということは、現在、いろんな経済社会問題が如実に示していると私は思っております。それにもかかわらず、依然として百メートルを全速力で走らせることをやっているではないか。それを強要している。  大人社会もまさに同じことをやっているんだと私は思っております。子供たちが自由を奪われているとかあるいは遊びを奪われている。大人社会からの圧迫、支配、管理、これに対して今必死の抵抗、抗議をしている。子供たちは疲れ切って息切れしている、倒れそうだと。先ほど言われましたように休みたいという子供が大半でありまして、子供たちの抵抗というのが自殺とかあるいはナイフ事件とか不登校とかいじめとかさまざまな形であらわれているけれども、本質は同じではないかと私は思っております。  八〇%以上の子供が勉強は嫌いだ、こう言っておりまして、希望とか夢を持っていない。子供が絶望を感じるような国に将来というか未来はないんではないか、私はそう思っております。  子供の人権とかあるいは人間としての尊厳とか自由とか、何よりも遊ぶ時間、考える時間、これを与える必要があるんではないか。これについていろんな、中教審なんかのこれを見ても子供の意見そのものが反映されていないんじゃないか、そういう印象を持っております。これについて内藤公述人から御意見を伺いたい。  もう一つ、西澤先生に、時間が余りないんですが、自分の勝手な意見で申しわけないんですが、校長の権限を強化するということは、校長先生はずっと教師でやってきた、教育者であったんですが、校長になった途端に行政官としての能力を求められる、指導力とか管理能力とか。  こういうことを問われることになると、教育者として、一教員として、あるときから教育者としての能力とか努力、これが後退してしまうんではないか。私はそういう危惧を持っておりまして、人事あるいは予算の面で校長の決定権、権限が強くなるということは、ほかの教師が校長先生の顔色をうかがうような、そういうことになりはしないか。これは校長の資質そのものにかかわってくるんですが、そういう危惧を持っておりますので、これについて西澤公述人の御意見をお伺いしたいと思います。  以上です。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 教育に限界があるというんですが、そんなことはどうでもいいですね。そう考える人は勝手に考えさせればいいんであって大した問題ではないと思います。要するに中教審の問題もそれから警察を入れるとか入れないとかというそういう問題も、これは今さっき言ったように対症療法で、こんなことを幾らやっていたって教育にはならない。これでもって事が解決したなんて思ったら大間違いなんです。  教育というのは生き物なんです。教育は生き物であって学問ではないんです。学問でもって論理を進めていけば、まあまあおもしろおかしくおさまるのは経済か。経済とかそういうのは学問をやっていればいいんでしょうね、ちょっと人間らしい感情が入るのは相場論みたいなもので、教育というのは生きた人間を扱っているんですから、生き物を扱っているので学者が考えた結論ではできないんです。  中教審でも学者が考えている。僕も大学にいたから遠慮なく言っておきますけれども、頭で考えて出てきたことが口から出る、それだけのことなんです。教育というのは、心と体で勉強したことを心と体で教えるのが教育なんです。その論議が全然進んでいないんです。ですから、まずそれからいかなきゃいけないんです。  今おっしゃったようなことは、そうはいってもすぐ親も教師も教育できませんので、事故も起こりますから、やむを得ずする手であって、仕方なしの手であって、それは最善の策ではなくて、それは策ではないんです。間違いなんです。そんな間違ったことを堂々と言われているのでは困るんです。そういうことです。  ちょっと乱暴な言い方で済みません。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 一番目の問題は、高野先生御指摘のとおりだと思います。  二番目の問題なんですけれども、私たち校長は、一つは学校の責任者であると同時に教職員に対する服務権限を持っておると思います。そして、おっしゃるとおり、教育者であると同時に行政官としての役割を持つ非常に難しい立場であろうと思いますし、非常に高い資質が要求される職だろうというふうに私は考えています。しかし、残念ながらそうでない方もおられますので、権限の問題を議論するときに本当に資質の問題を裏打ちされなければ、とてもそのことはできないと思います。  私たちはPTAと話し合いをするわけでありますが、PTAの方も、どうも校長さんの中にはしんの欠けている人がいる、資質に欠けている人がいるんじゃないかという声があります。というのは、校長の一番重要な役割は、その学校における子供の問題や、教職員がいかに働きやすくするかということにあるべきであるけれども、それに対する、例えば教育委員会で予算を獲得してくるとか、そういうものが重要な役割だけれども、十分それをしないで、むしろ逆に管理監督ばかりに走っている人もいるよということをPTAから言われております。しかし、私たち校長は仲間ですから、そういう意味では、立派な資質の高い、教養の高い人であってほしいと思っております。  そういう意味で、ぜひ議論するときには、権限強化と同時に資質の問題も議論していただければありがたいと思っております。

高野博師公明

○高野博師君 内藤先生にお伺いいたしますが、先ほどの遊びと言葉が足りないという点は非常に重要だと思うんですが、遊びが足りないということに関しては、遊びを与える余裕がないと、今の学校のカリキュラムは。学習指導要領とかいろいろあると思うんですが、そこは具体的にどうしたら遊びを与えることができるのか、御意見をお伺いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 指導要領の問題がありますのであれですけれども、指導要領をもっと楽にすればいい。あんな勉強勉強で追い込んだものをつくってもだめなんだ。どうしてこう頭が悪いのかと思うんです。  自分のことを言いますけれども、私は自分の子供に一度も勉強しろと言ったことはないんですよ。遊べと言っている。そして結局、入学試験の近くになってから、高校から大学に行くときに試験勉強なんて大急ぎでやって──余計なことを言って悪いですけれども、それで結局入ったんです。何カ月勉強したのか。三カ月です。そして、僕に何て言ったかというと、あんたが勉強しろと言わないから苦労したと。結局は高校の勉強なんて三カ月もあればできるんだね。これでいいんですよ。  傑物というのはよく遊んできているんですよ。だから傑物が育たない。今でもいないでしょう、政府を探しても。何でいないのか。そうでしょう。総理大臣なんか、僕は新宿ののんべえ横丁に焼き鳥を食いに連れていってやりたいぐらいだ。そのぐらいしなきゃ傑物にならない。  だから、うんと遊ばせてください。遊ぶ時間は指導要領じゃないから、うんとつくることです。それから、昔のあれじゃないですけれども、午前中勉強して午後から遊びとか、いろいろ変えなきゃだめです。これは制度の改革なんて僕は今触れていないんですけれども、頭の中では入っています。

高野博師公明

○高野博師君 それでは、最後に西澤公述人に。  先ほど価値観の統一ということをおっしゃられたんですが、私の理解がちょっと十分ではないかもしれませんが、むしろ多様な価値観を受け入れる社会をつくっていく必要があるのではないかという点に関していかがでしょうか。    〔理事岡部三郎君退席、委員長着席〕

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) おっしゃるとおり、私が申し上げましたのは、これからもし価値観の統一というのがあるとするならば、それぞれ違う価値観を持った人たちが共生する、そうした社会を容認する、そうしたことこそ新しい価値観ではないかと申し上げましたので、趣旨は多分同じことだと思います。

高野博師公明

○高野博師君 もうちょっと時間がありますので、もう一つ。  これは私のアイデアなんですが、今の教育、問題はやっぱり文部省に相当あるなと私は見ているんです。文部省は教育現場での経験が全くない人ばかりが役人でやっているわけで、あれは例えば四、五年教育の経験を積んだ人から文部省の職員を採用するような、そういうことをやったら随分変わるのではないか。これは私のアイデアなんですが、ちょっと一言ずつ御意見をお伺いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 全くそのとおりなんです。  僕が文部大臣をやれば一番いいんですよ。何にも考えていないんだ。だって、僕ほどわかっていないんでしょう。わからない者があんなトップにいたってどうしようもないじゃないですか。第一、ナイフの事件が起きたなんといって、悪いけれどもあの人は知っているからはっきり言っているんですが、ナイフを持たせないようにしてくれと、あんなことを言うのに原稿を見ている。僕は今さっき原稿なんか見ないで話しているでしょう。このくらい力がなきゃだめなんですよ。そうでしょう。だから、だめ。そのかわり政務次官と事務次官には優秀なのを置かなきゃだめです、こっちは専門家ですから。そうでしょう。僕なんかがやるようなものなら、何もわからないんだから。いいですね。そういうことです。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) まだ組織としてはそういう大胆不敵なことを考えたことはないわけでありますけれども、できればそういう提起もして一緒に現場の悩みを共有できる官庁があればすばらしいと思います。

高野博師公明

○高野博師君 ありがとうございました。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 きょうはお二人の先生方にそれぞれの教育の現場から説得力のある御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。  ところで今、学校に行きたくない子、あるいは行けない子、気持ちはあっても、行きたくても行けない子、あるいはまた学校に行っても保健室に逃げ込んでしまう子、あるいは中途退学の子、そういった子供たちが非常に増加しております。そのことの意味というのは、やはり多くの子供たちが学校に対して拒絶反応を示しているというふうに私は受けとめなければならないと思っております。  私たちは、このような子供たちが自分たちの行動を通して大人たちに訴えているその気持ち、その思いを全身で受けとめねばならないというふうに思うわけでございます。時間がわずかでございまして、その思いを述べているだけで時間はなくなってしまいそうなので簡潔にお二方に質問をさせていただきたいというふうに思います。  学校嫌いということの大きな原因というのは、やっぱり成績が悪い、つまり授業についていけない、授業がわからないということではないかなというふうに思うわけでございます。そうでなくても、数学の成績はよくても数学は好きになれない、つまり学校嫌いということの多くはそういうところにもあるのではないかなというふうに思うわけでございます。  その大きな原因というのも、やはり日本の学校における授業の形というものがどうも十九世紀型のような気がするわけでございます。つまり、両先生がおっしゃいましたように、知識を詰め込むというのはやはりこれはもう十九世紀型であります。やはり知識の詰め込みよりも、たくさんの知識を持っている人──知識は今コンピューターとかインターネットで自分の中に仕入れることはできるわけであります。しかしながら、それをもってどう自分が判断するのかというふうなこと、そして他との違いをどのように認めるかというふうなこと、つまり自分でつくり出していく力がこれからの二十一世紀に求められている資質ではないかというふうに思います。  いわば知識から知性へ、あるいは品性へというふうに言ってもいいのではないか。そうなりますと、やはりそういう子供たちを育てていくにはそれなりの条件が必要ではないかなというふうに思うわけであります。  ところが、どうも日本の授業の仕方はいささか十九世紀型、そこから抜け出ないのじゃないか。内藤先生のお話でも、やはりこれはいわば二十一世紀型の子供たちをつくるという、そういうお言葉ではないかなというふうに私は思います。西澤先生も私はそのように受けとめさせていただきました。  それでは、それを実現するためにまず具体的にどうすればいいのか。例えば、学校の中での授業の仕方、一人一人の存在を認めることのできるような授業の仕方が今できているとは思えないわけであります。やはり、それには手間暇かけなきゃならない。そういたしますと、授業の仕方をどういう授業の仕方に変えていったらいいのか。それに対して先生方はどのように対応しなければならないのか。  一人一人をきめ細かくということになりますとどうしても先生は忙しくなると思うんですね、ある意味では。そうしますと、よく聞くことですけれども、先生方の忙しさということが非常に聞かれるわけであります。ところが、一体どうして、どのように忙しいのか、どこを変えればそうじゃなくなるのかということを私たちに示していただけないかということが第二点目でございます。  時間がございませんので、その二つに関して、まず西澤先生からお願いいたします。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) おっしゃるとおり、今の授業は、本当に戦後五十年たつわけでありますけれども、依然として黒板とチョークが主流であります。そして、教科を詰め込む。受験教育の場合にはそれでいいと思います。ただ、個性を尊重してそれぞれの子供たちの個性を伸ばすとするならば、授業の仕組みを変えなければならないと考えております。先ほど南野先生が図書館のことをおっしゃいましたけれども、要するに図書館が中心になる学校というイメージを私は賛成しているわけであります。  それからもう一つは、教科の組み立て方が、先ほど内藤さんがおっしゃいましたように、午前中を教科にして午後はもう本当に子供たちがいろんなことができるような大胆な軽減をやるということも重要であるし、カリキュラムの編成について言えば、まず小学校の低学年では手仕事、いわゆる水泳だとか自転車乗りだとかいろいろ体で覚えるようなことを中心にしてやるし、小学校の中高年になったら一つの教科の中の原理原則を教えていく、中学校や高校になったらこれを結びつけた一定の法則、世界観や社会観や人間との関係あるいは宇宙観みたいなものを教えるというような形で整理する必要があると思っています。今はとにかく詰め込みでありますので、これをやらなきゃいけない。  そこで、個性を尊重して子供たちを一人一人伸ばすとなりますと、どうしても教職員が必要です。教育は人です。人がなければ教育というのは成り立たない。どんなことをやっても、コンピューターで代替できるところは知識をそこに入れるだけです。それを引っ張り出して子供にやること、さらに知識を知能まで高めて、知能からアイデンティティーまで高めるには、それはどうしても人です。そういう意味では、先ほど財革法の問題でぜひ定数計画を改革してほしいと、同時に三十人学級を申し上げましたが、これは絶対必要だと思っておりますので、ぜひそうした条件整備をよろしくお願いできればと思います。  以上です。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 簡単に申し上げます。  教科書の問題ですが、先生が間違っているのが一つあるんです。それは、教科書を教えるのではなくて教科書で教えるんです。だから、そんな文部省のカリキュラムにぎすぎすぎすぎすとらわれる必要ないんですよ。腹が小さいからだめなんです。僕なんかいつもそういうふうにやってきた。みんなそれでよくなった。生徒に余裕ができるからですよ。余裕のない子供をつくったら、何をやらしたって物にならないんです。それが一つです。  それから、教師は校門の中では先生と生徒、これはきちっと、そのかわり門を過ぎたら、五時半過ぎたらただの人にならなきゃだめなんです、社会人になる。そして、休みとか休日がありますね。ですから、こういうことなんですよ。授業をやっているときは、あれはただ飼育をしているんですから、えさを与えているだけで大したことないんです。大事なのは、十分休み、昼休み、放課後、学校の行き帰り、それから休日、夏休み、あと休暇がありますね、これが教育の場なんです。  以上でございます。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 ありがとうございました。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 内藤先生、西澤先生、本当にきょうは御苦労さまでございます。日本共産党の須藤美也子でございます。  限られた時間でありますので、まず最初に西澤先生にお聞きしたいと思います。  せんだってアメリカのクリントン大統領は一般教書演説の中で、来年度から予算をふやして、新規採用十万人の教師を新たにふやすことを発表いたしました。それによりますと、小学校低学年は二十二人から十八人に、こういう方向を示したわけです。それに反して日本は、先ほど来おっしゃっていましたように、財革法に基づいて九八年度予算の中で教職員は八千四百三十三人削られることになります。いつも私どもも、一人一人の子供たちに心の通う教育をという立場で、先ほど来先生がおっしゃっておりました三十人学級、教職員をふやして三十人学級をしてほしい、こういうことを強く求めてまいりましたが、その立場に立つならば西澤先生たちは、たちはと言うとおかしいんですけれども、日本教職員組合の方では、現在の政府が出している教育面でも大きな影響を与えている財政構造改革法についてどのようにお考えになっているのか、その点をお聞きしたいと思います。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たち、三月十七日に臨時大会をやりました。その議案では、私が書いたんですけれども、財政改革はとんざしたと書きました。今そういう状況に財政改革があるんではないかという認識を持っております。  同時に、定数法について私たち三十人学級の試算をしてみました。そのときに、全体的にふえる数が二十七万六千人であります。そして今、小学校、中学校、大ざっぱに申し上げまして一人の子供の教育費としてかかっているのが大体八十万ぐらいの感じです。ですから、一人の子供に対して二十万上積みしていただければ三十人学級が実現できる。簡単に言えば、年間二十万円ですから、ある意味ではコーヒー一杯のお金を本当に上積みしていただければ子供たちに伸び伸びと教育ができると思って、ぜひそうした実現を夢見ているところであります。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 文部省は、三十人学級をしたらどのような効果が上がるのか、そういう調査はしておりませんというふうに答えております。  そこで、まさに西澤先生がおっしゃるように、本当に今の荒れを防ぐ前に、一人一人の子供の苦しみや悩みと面と向かってあらかじめ教師が心を通い合わせる、荒れる前にそういう子供たちの状況を把握するということは非常に重要なことだと思いますので、私どももそういう立場に立って三十人学級を一日も早く実現させていかなくちゃならないんではないかというふうに考えます。  そこで内藤先生に、先ほど大変おもしろい、おもしろいと言っては失礼ですが、何か文部大臣になれば違うとかというようなことで、なってみたらいかがかなというようなことも私もふと思ったんですけれども、先ほど配付されました中に、「「心を込めて子供を観、心を込めて子供の話しを聴き、心を込めて子供に話してあげる」ただそれだけでいい。」と、こういうふうに書いております。  これはそのとおりだと思うんです。ただ、現場の先生たちがどう言っているか。本当はこうしたいんだ、しかし雑用が多くて一人一人の子供の状況をよく見ることができない、悩みを持っている子供あるいは不登校になっている子供たちのそういう苦しみや悩みを本当に聞く時間さえない、それほど雑用に追い回されていると、こういうふうにおっしゃっております。  ですから、教育研究者として、そういう現場の状況も踏まえて、こういうことを本当に教育で実践していくにはどうしたらいいのか、その点についてお聞かせをいただきたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 自分のことを言って悪いんですけれども、私は学校で教員をしている間、土日に休んだことはありません。夏休みも休んでいません。朝は六時ごろから夜十時ごろまで働く。それでいいんです。それが教師の仕事なんです。それでいけるから、人がちゃんと小遣いをくれるからいいんですよ。それは冗談ですけれども。  どういうことかといいますと、忙しい忙しいと言うのは、あれはだめなんです。忙しがっているだけなんですよ。忙しくないんですよ。本当に僕のように忙しい者は時が足りないと思うんです。大体心構えが間違っているということが一つ。基本が間違っているんですよ。そんな教師がいっぱいいるからおかしくなったんだ。僕のようなのがいたらそうならないんですよ。  僕は一人として落としていないんです。当然刑務所や何かに世話になる者が、全部働いて社長になって税金を納めているんですよ。全部の者が税金を納める方に回ったら、少子化、高齢化なんか関係ないじゃないですか。これからほうっておくとどんどん刑務所を各市町村につくらなきゃいけなくなっちゃうんですよ。そんなことやったら、日本がつぶれるに決まっているじゃないですか。ですから、それは忙しがっている。僕らはガリ版刷りでやってきたんですよ。今は輪転機で出てくるじゃない。あんなに時間、幾らもつくってもらったら忙しいわけがない。教師という仕事はやったら切りがない、怠けたら切りがない、その怠け者の話なんですよ、それは。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 本当はその反論を西澤先生にお聞きしたかったんですけれども、時間が来ましたのでこれで終わりにいたします。どうもありがとうございました。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 自由党の田村と申します。両先生、本日は大変いろいろありがとうございました。  戦前のものはみんな悪いと、そういうふうに今日まで来たような気がするんですが、明治二十三年にできた教育勅語というのがございまして、これは内容を読んでみると非常にすばらしい。ソ連もそれを取り入れたというふうに聞いておりますが、戦後の教育で失われたもの、また欠落しているものはどのようなものかということを両先生にお伺いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 思いやりの心が欠落している。思いやりの心とは儒学で言う──儒学に凝っているわけじゃないんですよ、僕は教育者としては白紙ですから、教育者というのは白紙でなきゃいけないから。思いやりの心というと、思いやりとは仁です。この心を育てることなんです。医者も昔は仁術といいまして、だから医者は今医術を学んでいるから下手くそなんです。みんな基本は仁なんです。政治だろうが何だろうがみんな仁ですよ。言ってみれば、仁の心を持ったらどうにでもなる。それが僕の答えです。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 戦後の日本の中で、私たちは経済成長に走ってきたと思っています。その中では、人間としての思いやりと今申し上げましたように、温かみやそうした他人を思いやる心、とりわけそうしたものを失ってきたのではないか。同時に、学校の中では、受験教育の中でやはり成績重視主義であって、それ以外のものについて私たちは価値を認めてこなかった、そうしたことが今の大きな問題につながっていると考えています。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 御専門でありますので、西澤先生にお尋ねしたいんですが、今の日本の教師というか、聖職におつきになっている人たちのレベルというのはどの程度か、ちょっと教えていただきたいと思います。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 極めて難しい御質問じゃないかと思います。教師というのは、子供に対するとき、私は非常に多様な先生がいていいと思っています。ある意味では、先ほど内藤さんがおっしゃったように、刑務所とまでは申しませんけれども、一定のいわば人生経験を踏まえてきた方がいいと思います。  そこで、私は非常に心配しているんですけれども、最近、教職員の採用が減っています。選考試験でありますから、ある意味では一流の高校、一流の大学、そしていわゆるペーパーテストで優秀な人に非常に限定されてきている。だから、子供に教えるときに、子供がわからないということがわからない。僕らみたいにできの悪いのは、何がわからないとかいつも考えていますから、わからないことがわかるんですけれども、子供の痛みがわからない先生がふえています。  私が一番心配しているのはそういうことでありまして、教師は学力レベル、いわゆる受験学力レベルでは余り優秀でない方がいい、人間的に温かみのある教師の方がいい教師ではないかというように考えています。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 戦後、文部省は道徳教育について指導要領で書かれておりますが、現場ではどの程度実施されておるのか、両先生にお伺いしたいと思います。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) 私の経験では、高校にいたときの経験ですけれども、道徳の時間をちゃんと設けてあったんですが、教えられるのは一人もいない。ですから、高校三年生の道徳教育の指導書を僕が全部つくった。だから忙しかった。先生も育てながら生徒もやる。  これから本当に教育を立て直そうというんだったら、みんなその気にならなかったらできませんよ。だから、僕ならできると言っているんです。僕以外にできる人はいないじゃないですか。だれができるんですか、いれば手伝ってあげますよ。そういうことで、何を言っているんだか忘れましたけれども、とにかくそうなんですよ。もうよくわかっている。  要するに、前に言ったように、これをきっちりしなきゃいけない。教育は生き物だということです。それから、自分も、教える方も生き物です。でも、生き物の人間には必ず冷たい心と温かい心が共存するんですよ。それが言葉の使い方、感情の持ち方で冷たさが出る。それを気をつけていけば、何か話がとんちんかんになりましたけれども、いいじゃないですか。そんなに難しくないですよ、本当に。難しがっているだけです。みんな学者さんが、ここまで勉強しているからここまでのことを言っているんですよ。ここから先、勉強していないからわからないんですよ、僕の言っていることが。今、体を張って勉強しなきゃわからない話をしているんですよ。そういうことなんですよ。おっしゃることはわかります。どうも何か変なことになりましたけれども。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 私たち教職員は、いわゆる市民道徳としての道徳は非常に重要だと思っているわけであります。ただ、これを教えるのにすべてのところで教えなければいけない、貫かれていないと考えていますから、一定の授業で教えるというのはなかなか本物にならないと考えているんです。  例えば「天に輝く星よりも、地に輝く人文律」というカントの言葉を実は道徳の時間に私も教わったんですけれども、それはそれきりです。しかし、そのことがどのように生きるかということになりますと、すべての教科やホームルームやいろいろなことを通じて子供たちと教師がそれこそ生きざまを通じて向き合っていかなければ教えられないなと思って、非常に難しい課題ではありますけれども、しっかりした生き方を教えていきたいと思っております。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 ありがとうございました。

佐藤道夫二院クラブ

○佐藤道夫君 私は、ややタカ派的な立場に立ちまして私の意見を申し述べたいと思いますので、後ほどこの意見についての御所見を承れればと思います。  私は、一言で言うならば、現場の先生方に教育者としての自信と権威をぜひにも取り戻してもらいたい、それから職業人としてのプライドをこれまた取り戻してもらいたい、こう切に思うわけであります。  先生というのは教育のプロであります。プロというのは自分の仕事にアマチュアに介入されることを大変嫌います。父母はアマチュアでありますから、学校の先生にお任せした以上はもう余計な口出しはしない。父母のやることは何か、こういえば、先生は立派な人たちです、先生の言うことに従いなさい、先生を心から尊敬しなさいと、それを繰り返し繰り返し子供たちの頭にたたき込む、それで私は十分だろうと。PTAなんという余計なものには余り出ないで、出ていきますとどうしてもちょっと言いたくなる、学校教育はなってないなんということを言い出したくなるものですからね。  端的な例を挙げますけれども、二年ほど前に茶髪騒動というのがありました。ある学校が校則で茶髪を禁止しておる。そうしましたら、ある生徒が茶髪にして登校してきたので、保健室に連れていって本人の了解もとってこれをきれいさっぱり洗い落とした。そうしたら、両親が怒ってどなり込んできまして、何だ、こんなことは子供たちの自由ではないか、学校は余計なことを言うなと。こういうことで、学校は何をやったかというと、その生徒を連れてパーマ屋に行ってもう一回きれいに茶髪に染め上げた。そして、その子供を連れて両親のところに校長以下そろっておわびに行きまして土下座をして謝ったら、謝り方が足りないといってけ飛ばされてけがをした。こういう事件で、まことにもって情けない次第と私は考えたわけであります。  それから、今現在、所持品検査が問題になっておりますけれども、あれはすぐれて私は教育の現場の問題だろうと思うんですよ。学校の先生方がプロの目で見渡しまして、大体一割ぐらいがナイフを持っておる、じゃひとつ所持品検査をしようと。個別指導にはもう限界があると思えばやればいいんです。文部省が言うからやるとか、教育委員会が言うからやるとか、そんな問題ではありません。  それから、昨日の委員会で、広島県の先生が来られまして大変衝撃的なことを言いました。学校で生徒に殴られると決して殴り返さない、抵抗はしない、殴り返すとこれは体罰だといって非難されるのでそういうことはやらない、すきを見て逃げてくるんだと。これまた情けない話であります。  文部省は正当防衛の理論を持ち出してきまして、いかにも小役人の考えそうなことでありますけれども、正当防衛というのは、凶悪な犯罪者に襲われた場合に善良な被害者がどうするかという問題であって、教育の現場に持ち込んで、生徒は凶暴な犯人であるからして襲われたらこうしろああしろと。こんな理論は通りません。要するに、教育の問題ですから、抑えつければいい、自分の力で足りなければほかの同僚の援助を頼めばいい、それでも足りなければ警察官をとりあえず導入して現場を静める、これで十分なわけであります。  どうも物事の本質が今の教育から見失われているのではないか、こういう思いがあるものですからこういうことを申し上げましたが、遺憾ながら時間でございますので、申しわけございませんけれども二十秒ぐらいずつで簡単に御意見を。

内藤宏教育研究家

○公述人(内藤宏君) それでは、まとめます。こういうことです。  今までの話や何かは全部おっしゃるとおりです。少し父兄も出過ぎていますが、学校の教師も悪いんです。教師ばかりじゃないですが、要するに生徒が悪いというそれを基準に置いて物事を発想するから、今まで新聞見てきたりなんかするとああいう発想しかしないんですよ。僕が見てきたので悪い生徒は一人もいないんですよ。僕はそういう発想で人を動かしてきているんです。悪いと思って発想するから、何これ、こうしろ、小言が出るんです。それだけです。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 学校現場で、しかも非常に特殊な例が挙げられる、残念だと思っています。  おっしゃるようにさまざまな問題点がありますけれども、ただ一言申し上げたいのは、生徒に殴られて教師が殴らない、まずそういうことじゃないんです。先ほどありましたけれども、必ず教師の方に原因がある。恐らく教師が何をやっているかということを問われなきゃいけないというふうに私たちは考えているということを申し上げたいと思います。

佐藤道夫二院クラブ

○佐藤道夫君 終わります。

栗原君子新社会党・平和連合

○栗原君子君 新社会党の栗原君子でございます。  私は、教育というのは子供たちに生きる力を身につけさせてやることだと、このように考えております。  そんな中で、私は広島出身でございますけれども、混合名簿のことがございまして、かなりこの混合名簿が進んでまいりました。全国的にはどういった状況になっているのか、一言お答えいただきたいと思います。  それからもう一点は、先ほど西澤先生がおっしゃいましたけれども、休む権利を認めていい、こうおっしゃったわけでございます、学校に来ない子供に対して。けれども、そうするということは、教師というのはプロでございますから、子供たちにわかる授業をしてやる、あるいはまた楽しい学校づくりをしていく、こういうことをやっぱりやっていただきたいし、そして学校に来ない子がいるならば、学校は楽しいんだから、みんな待っているから来るようにということで家庭にも出向いていって、そしてまた保護者と一緒になって学校へ行くように説得をするといいますか、そういう活動も重要なのではなかろうかと思います。  この休む権利を認めていいということになりますと、うっとうしい子供、また手のかかる子供は切っていくということになりはしないかということを思うんですけれども、西澤先生、お願いいたします。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 混合名簿は二年ぐらい前の調査で一七%というのが、私たちの調査ですけれども、今は既に四〇%を超していると思います。  それから、休む権利は、これはあくまで緊急避難的に子供がどうしても学校に来られなくなったときに認めていこう、それは、私たち、学校を否定するんではないか、教職員のあれを否定するんじゃないかとありました中から生み出しました。  そして、子供を迎えに行くこと、僕らは登校刺激と呼んでいるんですけれども、そうしたことをやることが余計子供を追いつめてしまう、そして死に追いやった例もあります。  そういう意味では、子供を優先に考えたら、あくまで緊急避難的ではありますけれども、そこはきちんとした態度でやろうということで、今私たちの到達点というふうに御理解いただければありがたいと思います。

栗原君子新社会党・平和連合

○栗原君子君 緊急避難的というのはわかりますけれども、その休む権利を認めていいということになって休み続けますと、学校へある日突然行こうというきっかけが子供たちはなかなかつかみにくいんではなかろうか、こんなところを心配するんですけれども、こういうことは余り心配しなくてもよろしいものでしょうか、西澤先生。

西澤清日本教職員組合中央執行副委員長

○公述人(西澤清君) 子供たちが学校から離れて少し休む中で、また学校に帰りたいということで帰ってきた例は、これが一番多いのであります。それからもう一つはフリースクール、先ほど出た話がありますけれども、そこで子供たちが学習する、そこでもう一度子供が生き返るということがあります。  私たちは、あくまで子供がどういうふうにその後の人生を過ごすかということに焦点を当てて考えていきたいと思っておりますし、さまざまなケースが用意されていいんではないかということも思っております。

栗原君子新社会党・平和連合

○栗原君子君 終わります。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  速記をとめてください。    〔速記中止〕

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 速記を起こしてください。     ─────────────

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) それでは次に、社会保障について、公述人、全日本民主医療機関連合会事務局長前田武彦君及び一橋大学経済研究所教授高山憲之君から御意見を伺います。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、前田公述人からお願いいたします。前田公述人。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 平成十年度総予算に関して参議院予算委員会公聴会で意見を述べる機会をいただきました全日本民医連事務局長の前田と申します。  全日本民医連は、全国に百五十四の病院と四百十の診療所、五十八の歯科診療所を初め、訪問看護ステーションなど千四十二の事業体が参加する連合会であります。阪神・淡路大震災の救援活動に際して、延べ一万二千人を超える医師や看護婦が真っ先に駆けつけ、不眠不休の救援活動に対して、時の厚生大臣より国会の場で感謝の言葉をいただいた組織でございます。  平成十年度総予算に関連して、社会保障、とりわけ医療分野について意見を述べる前に、昨年四月一日からの消費税率引き上げや九月一日から実施された医療保険法改定によって、全国各地で命にかかわる悲惨な事態が生まれていることをどうしても報告せざるを得ません。  糖尿病を患い、京都のある料理旅館の仲居をしていた六十四歳のひとり暮らしの女性は、九月以降インシュリン自己注射の負担が倍以上になる中で、十月の中旬から治療を中断、十二月二日にインシュリンも切れて意識消失で自宅で倒れているところを友人が発見し、救急車で搬入いたしましたが、既に時遅く左下腿切断となりました。  岡山では、これも三十二歳の糖尿病の女性で、仕事は派遣社員。八月まで定期的に受診していたけれども、九月以降は中断。十二月に自宅で死亡していました。家族の話では、会社の人に糖尿病がわかると、よいところに紹介してもらえない、月収十万円、医療費をわずかながら両親から援助を受けていたがと語っています。  また、京都のある話ですが、脳梗塞後遺症の妻の症状が悪化して入院したけれども、十二月にIVHをつけたまま退院。夫も病弱で介護しており、二人で十万円弱の年金収入では保険外負担の大きい老人病院に入院させることもできない。福祉事務所に生活保護の申請に行きましたが、百万円の預貯金があること、郵便貯金、簡易保険を解約して、それがすべてなくなったら申請に来なさいと返されました。  長野県のある病院の待合室では、きょうの御飯がカップラーメン、お母さんがめんを食べ、自分は御飯にラーメンの汁をかけて食べたの、この薬代の負担がなければおかずが食べられるのにねというつらい会話がありました。  こうした事例が全国各地から寄せられています。とりわけ、昨年の秋から自殺者や自殺未遂者が増加しているのも特徴です。朝日新聞一月三十一日付の夕刊でも、東京大田区で無職の夫が妻の遺体と三日間過ごして、自殺をはかったけれども死に切れずに自首したことを報道しています。二人とも心臓病を抱え、年金は月十三万円で、家賃を払うのがやっとだったそうです。警察庁保安部防犯企画課の調査でも、自殺理由の第一は病苦であり、六八・四%に達しています。  三月二十三日の日経新聞によれば、総務庁がまとめた九七年家計調査で、病院に支払う診察費が大幅に減少し、昨年九月以降、一世帯当たり診察費は実質で前年同月より一〇%以上減っている。そのかわりに医薬品への支出がふえている。医療費の患者負担がふえたため、病気になっても病院には行かず、市販の薬で治そうという動きが広がったことを裏づけていると報じています。社会保険診療報酬支払基金の月別統計を見ても、九月以降は前年より一〇%前後減少しています。  これらの統計をどのように見るのか。経済効率からの視点のみで見るのか、人の命の尊厳という視点で見るのか、今、国民は政治のあり方を厳しく問うているのではないでしょうか。九兆円もの国民負担増がいかに国民を塗炭の苦しみに追いやり、まさに病人が患者になれない、必要な医療が受けられない事態が進行しているかを示すものです。  さて、平成十年度総予算案を見ますと、財政構造改革法で言う三年の集中改革期間の初年度として設定され、医療関連で国庫負担を四千二百億円も削減することを前提とした内容であり、到底容認できるものではありません。今必要なことは、だれでもが安心して医療が受けられる温かな施策であります。財政難を理由に国民の受療権を制限することは逆行しています。深刻な不況の打開という点からも医療や社会保障の圧縮をやめて、将来の不安を取り除くことだと考えます。  一九七三年に制度が創設されて以来、初めて難病医療に自己負担が導入され、六十二億円の国庫負担が削減されました。老人入院医療費が一日千円から千百円に引き上げられました。さらに、昨年九月からの医療保険法改定での受診抑制効果を九百四十億円の国庫負担削減と見込んで、一昨日から衆議院で審議が始まった老人医療費への国保からの繰り入れを労働者保険に振りかえることで五百六十億円の国庫負担削減など、どれも国民に負担を押しつける内容だからです。冒頭に紹介した深刻な事例は、高木保険局長が三月十七日に衆議院で明らかにしたように、既に一兆三千億円もの医療費抑制が行われた結果だと考えられます。  また、医療費適正化対策として、審査、減点を強化し六百億円の国庫負担削減を行うとしています。必要な治療さえ認めない指導が強化されようとしています。  しかも、九八年度予算が国会で審議中であるにもかかわらず、九八年四月一日より、昨日からですが、診療報酬改定や薬価基準の改定が実施されました。医療機関への支払いの面から医療費削減が先行されています。今日の政治のあり方に憤りを感ずるものです。法律改正によらないで、できる限り診療報酬改定でという厚生行政のあり方を是正すべきではないかと考えます。  昨日、四月一日より実施された診療報酬改定は、九八年二月二十三日に中医協が答申した一・五%の診療報酬引き上げという宣伝とは裏腹に、大幅なマイナス改定となっています。厚生省がみずから試算した医療費で、一九五四年に統計をとり始めて以来、初めて前年より一・一%減少するとしています。薬価の引き下げ、診療材料価格の引き下げ、検体検査料の引き下げ、病衣貸与加算の廃止、高血圧減塩食の特別食加算の廃止など、私どもの幾つかの病院で試算しても一・九から二%の医療収入マイナスであり、医療機関の経営にとっては深刻な打撃を与える内容になっています。  さらに重要なことは、介護保険導入と関連させた老人いじめの内容になっていることです。  その第一は、平均在院日数をこれまでの三十日から、二対一看護では二十五日に、二・五対一看護では二十八日に、これまで制限がなかった三対一や三・五対一看護にも六十日ないしは九十日の制限を加えました。病院は、必要がないのに長期間にわたって患者さんを入院させているわけではありません。患者さんができる限り早く家庭に戻り社会復帰を目指せるよう、日夜奮闘しているのです。平均在院日数の短縮は、まさに必要な治療を求めている老人や障害者を病院から追い出す何物でもありません。  第二に、病院から追い出されたお年寄りが在宅医療でデイケアを頼みにしていたけれども、これも週三日に制限されたという内容です。病院から在宅に追いやりながら、在宅サービスも取り上げるという内容になっています。  第三に、少しでも老人の薬代負担を軽減しようと、病院が選択した老人慢性疾患外来総合診療料を二百床以上の病院には適用しないとする改定は、医療現場での混乱と老人患者の苦しみと怒りを生まずにはおかないでしょう。まさに朝令暮改の厚生行政にあきれ果てるばかりであります。  医療保障制度を抜本的に変質させるために、一部の不正を行った医療機関の事件を利用し、新聞や週刊誌で意図的なキャンペーンが行われていることも無視できません。  例えば、九五年度不正請求三千二百二十二億円とある新聞で大きく報道されました。しかし、よく調べてみますと、そのうち千八百三十七億円は被保険者の保険が変わったり切れたりなど資格移動によるものであり、残りの相当部分は事務上のミスが含まれています。これは、医療保険財政の危機の根本原因を覆い隠して、医療機関に対する不信をあおるものにほかなりません。  すなわち、医療保険財政の危機は、国が医療費への国庫負担の割合を減らし続けたこと、労働者の収入が伸びず保険料が伸びないこと、政官財の癒着構造の中で、不当に高い薬価にしてきたことなどが原因です。人口の高齢化などによる増加もありますが、国民負担割合をもとに戻すだけでも、これまで行われたような患者負担増は必要ありません。ゼネコン奉仕の公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円という逆立ちした政治のあり方こそただすべきだと考えます。参議院の良識に心から期待したいと思います。  さて、財政構造改革の初年度予算は、さきにも述べましたが、社会保障、とりわけ医療の分野で歴史上かつてない国民負担増を強いてきました。さらに、九九年は年金制度の抜本的な改革が行われようとしています。掛金を二三・四%引き上げるとの報道もされています。現在、百五十兆八千億円ある積立金を二〇六〇年には九百八十二兆三千億円にまで積み増すという中身を聞き、驚くばかりであります。財政構造改革法によれば、医療分野は九九年も二〇〇〇年もさらなる改定を行うとしています。二〇〇〇年は介護保険が導入される年でもあります。  これまでの医療保険審議会などの論議内容を見てみますと、四つの問題点が浮かび上がってきています。  それは第一に、増大する無保険者の問題です。  国民健康保険料や健康保険料のさらなる負担増と新たな介護保険料の徴収は、今日の不況も重なり、無保険者を増大させることです。九七年十一月、参議院厚生委員会における厚生省答弁では、保険料を滞納している世帯は二百九十六万世帯となっています。介護保険法が採決されたときに、保険証の取り上げや給付の差しとめを市町村の義務とした内容に国保法も改悪されました。一世帯三人として九百万人近い人々が公的保険のカバーを受けられなくなります。介護保険の導入や老人保険の創設は、新たな無保険者を生み出すことは明らかです。最も困っている人が保険証を取り上げられ、国民皆保険による医療保障制度が崩されようとしています。  第二は、患者負担の強化と公的医療・介護の制限という問題です。  小泉厚生大臣は、老人医療の定率負担導入を示唆しています。介護保険は一割負担で、さらに家事援助は自由料金となり、従来より六千円から二万九千円負担増になるとも言われています。特養ホームに入所している半分以上が費用負担に耐えかねて退所を迫られることにもなります。既に給食や歯科医療には差額徴収が導入されていますが、あらゆる分野に拡大する方向です。薬の分野では、給付基準額制度、日本型参照薬価制度とも言われますが、一律一定額しか保険で支払わない制度です。診察料にも専門医には差額診療費を、ほとんどのベッドに差額室料を導入するなど、ひどい内容です。  政府・厚生省の基本政策は、公的保険医療や介護を最低限にとどめて、保険のきく医療ときかない医療を一緒に行わせる、すなわち混合診療を拡大しようとしています。保険ですべての医療を賄うという原則が崩され、医療保障の空洞化が進むことになります。  第三は、医療内容の制限と供給体制の再編成の問題です。  入院や外来の慢性疾患をすべて定額制にし、入院も一定期間が来れば一日定額制を考えています。出来高払いが医療費を伸ばしてきたという論拠はありません。むしろ、日本の医療費が外国に比べて低く抑えられたのは、国民皆保険制度で国民が医療機関にかかりやすかったこと、病気の早期発見が促され、結果として長寿を支えてきたと言えます。  医療審議会では、地域医療計画を見直し、さらなる病院つぶしをねらい、医師数の削減や保険医インターン制度の導入も計画しています。地域に手術をしてくれる病院がなくなった、救急受け入れの病院がなくなってしまったという事態が生じます。とりわけ、過疎地域では悲惨な事態が続出するでしょう。介護保険料を払っても特養ホームにも入れません。まさに、保険あって医療なし、介護なしの深刻な事態が供給面からもつくり出されようとしています。  第四は、国民の健康と安全を脅かす医療分野の規制緩和の問題です。  今、日本でも世界でも規制緩和が経済困難を解決する万能薬のように叫ばれています。薬の分野に規制緩和が導入され、胃腸薬として医師が処方すべきH2ブロッカーが市販されるようになりました。既に胃潰瘍が悪化して入院という患者さんも生まれています。副作用など、国民の健康と安全に重大な影響を与える規制緩和は許されるべきではありません。また、政府の諮問機関である規制緩和小委員会では、病院経営や特養ホーム、訪問看護ステーションなどに企業の参入を認める方向です。  資本主義においては、利潤追求や自由競争が当たり前の社会です。しかし、人の命や健康の問題を市場原理に置いてはならない。だからこそ、医療の公共性は医療法でも明確にされてきたと思います。この面でも医療保障制度が根底から崩されようとしています。  以上、述べましたように、国民の命と健康を守る立場から、国民がつくり上げてきた世界に誇るべき医療保障制度を根底からこれ以上崩さない立場から、九八年度の総予算案を修正されることを要望し、意見陳述とさせていただきます。  以上です。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) ありがとうございました。  次に、高山公述人にお願いいたします。高山公述人。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 高山でございます。  私、昨年の四月からことしの二月中旬まで実はアメリカとイギリスに長期滞在をしておりました。そこで、社会保障について皆様にお話し申し上げる前に、英米のマスコミが昨年の日本をどう取り上げたかということについて、少しお時間をいただいて紹介させていただきたいと思います。  何といっても世界を驚かせたのは、ティアズ・オブ・アポロジーといいますか、昨年の山一証券の店じまいといいますか、それに伴って社長が涙の記者会見をいたしました。社長ともあろうものがなぜ涙の記者会見をしなければいけないのかということで、いろいろ議論があったところでございます。  ツーリトル・ツーレートというのは、昨年十二月、橋本総理大臣が二兆円の特別減税を発表した直後のマスコミの反応でございます。内容が実質的に乏しい、決定が遅過ぎるということであります。このツーリトル・ツーレートというのは日本の特に景気対策について、常に欧米のマスコミが常套句のように使う評価の言葉でありまして、もう手あかのついたような言葉になっておりますが、これがまた使われてしまったということでございます。  ザ・ニッケイ・エフェクトというのは、日本の企業の株価がバブルの崩壊後、半分以下に下がってしまい、その後、長期的に低迷を余儀なくされておりまして、この日本の株価の変動自体をザ・ニッケイ・エフェクトというふうに称しております。世界の関係者が共通用語として使っている言葉でありまして、日本の経済が不調なこと、株価がなかなかもとに戻らないことについて使う言葉でございます。  あるいはジャパン・ナッシングという言葉がございます。これはかつて日本たたきといいますか、ジャパン・バッシングという、今となっては懐かしい言葉でございますけれども、そういう時期があったのでございますが、そのうちにジャパン・パッシングといいまして、日本飛ばしといいますか、もう日本は外すということになったんですが、今やジャパン・ナッシングという、中身は何にもないというふうに見て、マスコミの関心はアジアについてはむしろ中国一辺倒でございます。日本はもう関心さえないというところまでいっているということであります。  次に、ヤマハと書いてあります。これは、昨年世界で一番視聴率の高いテレビの番組は何だったか御存じだと思いますが、実はイギリスのダイアナ妃の葬儀のライブ中継でございます。そのときにアメリカはヒラリー大統領夫人が参列いたしまして、ちゃんとBBCのテレビに映りました。あるいはイタリアの有名なテナー歌手ルチアーノ・パバロッティはひざが思わしくなかったんですが、両腕を抱えられて会場にあらわれたときには、大きなどよめきが起こったわけでございます。あるいは、葬儀開始直前にエリザベス皇太后が九十七歳の高齢であるにもかかわらず、かくしゃくとした姿で御参列になった、これもBBCのテレビが敬意を表する形でずっと放映をなさっておりました。  残念ながら、日本から参列されたイギリス駐英大使、今は前駐英大使ですけれども、この藤井さんをBBCはカメラにおさめてくださいませんでした。日本人としてテレビにあの段階で映った人はだれもいなかったということでございます。かわりに映ったのは何かということですが、これはエルトン・ジョンがキャンドル・イン・ザ・ウインドという歌を彼女にささげたわけですけれども、そのときにピアノが画面に大きく映し出されたわけです。これがヤマハ製のピアノでありまして、あの歌は比較的長めでして、その歌っている間にヤマハのピアノのブランド名がずっと放映されていたということであります。日本の存在感を示したのはこのヤマハというブランド名だけなんです。日本の外交としてこれでよかったのかどうか、私はいたく考えさせられたものでございます。  アメリカにいたときにはCNNの番組にたまたまチャンネルを合わせましたら日本のソープランド特集をやっておりました。あるいは別の番組では援助交際について取り上げている番組、これもCNNでございますが、ありました。BBCは、夏の終わりのころですが、日本の電車内における痴漢行為、これを三十分にわたって事細かく報道しておりました。  ことしの一月、ブレア首相が日本に来たときに、日本の方々はもしかしたら御存じないかもしれませんが、イギリスでは戦争の時期、南方、シンガポールでイギリス人が実は捕虜にたくさんなったわけでございます。この人たちがふんどし一つの姿で整列させられまして歩かされている姿というのがあるんですが、ブレア首相が日本に滞在している際、絶えずBBCが流したのはこの映像ばかりでございます。トヨタを訪問して三百五十人の雇用創出をイギリスでやるという約束を取りつけたというのは同時に放映もされておりましたけれども、実際日本のイメージを形づくっていたのは、ふんどし一つの姿のイギリス人捕虜の姿でございます。  日本では昨年、失楽園というのが流行語大賞になったそうなんですけれども、このニュース等を聞いて私のあるイギリスの友人は、日本はかつてエコノミックアニマルだというふうに言われてきたんだけれども、今やセックスアニマルに変わったんではないかというふうにやゆした発言をしておりまして、全く悪いニュースばかりというのが実態でございます。世界のマスコミの関係者が日本をどういう形で報道しているかということについて、ぜひ御理解をいただきたい、こういう状態で一体いいのかどうかということを先に皆様に申し上げたいということでございます。  さて、昨年における日本の政治でございますが、外から拝見している限り、財政構造改革問題と省庁再編問題にエネルギーが集中していたように思います。沖縄の基地移転問題もございましたが、この二つが中心であったというふうに思います。  財政構造改革の必要性、これはもう議論をする必要はないと思いますけれども、例えば昨年のニューヨーク・タイムズ、三月一日付のトップニュースで、日本の公共事業費はアメリカの国防費より実は多いんだということが書かれておりました。年間セメント使用量は日米でほぼ同じだということです。人口はアメリカがほぼ二倍です。国土面積は二十五倍です。しかし、セメント使用量は日米で差がないという記事が載っておりまして、日本は土建国家だ、土建国家というのがアルファベットで表示されているんですね。これはもう英語で通用する言葉になったわけであります。  そういうことで、財政構造改革をしなければいけなかったことはこれにも端的にあらわれているんですけれども、確かに平成十年度末で公債残高が約二百七十九兆円に行ってしまうということで、先進国の中では財政状況が最も悪い国の一つになってしまったということで財政構造改革の危機が叫ばれ、いろいろな議論があって財政構造改革法が成立したわけでございます。  ただ、あそこで行われた議論はやはり一部バランスを欠いていたんではないかというふうに思わざるを得ません。例えば、国の借金については確かにいろいろな形で説明がなされましたけれども、国の保有している資産についてのバランスのとれた評価というものがあったかどうかということでございます。  例えば、公的年金の積立金残高は、平成十年度末に合わせて百八十兆円強に達するはずです。これは差し引きしますと百兆円のネットの負債なんです。GNPの規模は実はもう五百兆円ですから大分違った話になるわけでございます。民間部門は今貯蓄超過でありまして、国債を発行しても利子率が大幅に上がってクラウディングアウトにつながるというふうな状況にはございません。財政構造改革はまさに中長期の課題で非常に大事なんですけれども、今のような景気状況のもとで短期的な政策の自由度を大きく縛ってしまうことが果たして妥当であったかどうかということでございまして、この点は改めてお考えいただきたいというふうに思う次第でございます。  国庫負担についてはいろいろと議論が行われましたけれども、社会保険料については一体どうなのかとか、あるいは利用者負担についてはどうなのかということについては余り議論がなされませんでした。事実上、国庫負担については非常に抑制的な形で走る、かわりに社会保険料は引き上げても構わないといいますか、引き上げざるを得ないといいますか、それができなかったら利用者への負担のつけかえをするんだという方法しか解決方法がないんです。それでいいのかどうか。  社会保険料といってもこれは年金に使うお金であると、年金保険料は確かにそうなっております。ただし、これは支払う人から見れば税金と同じなんです。もう払わないというわけにいかないものなんです。強制力を伴うお金でありまして、社会保障目的税、年金特別税なんです。医療保険料もそうです、あるいは雇用保険料もそうです。税金と何ら変わりがないんです。ところが、大蔵省管理でやると、社会保険料の話が抜け落ちちゃって、専ら国庫負担の話ばかりになっているということでありまして、全体としてのバランス、これをもうちょっと考えていただきたかったというのが率直な印象でございます。  二番目の省庁再編問題でございますけれども、これは行政機能の見直し、縮小にはほとんど触れられなかったというのが実情ではないでしょうか。やはり行政改革というのはまさにそこがポイントでありまして、私は非常に乱暴な意見を申し上げますけれども、公務員の数をとにかく減らせば役人は自分のやる仕事を減らさざるを得ないんです。そうすると、規制緩和は自動的に進むわけです。役人の数を減らすことが大事でありまして、私は、例えば十年とか時限を限って役人の数を半分にするということが大事だというふうに思っております。そうすると、自分たちの持っているエネルギーでできることは限られますので、今までやっていた仕事を手放すわけです。簡単に規制緩和できるんです。そういう戦略の方がよかったんではないか。  中央省庁については、今マスコミから大きなバッシングが起こっておりますけれども、特に不祥事等がありまして、私も実は国家公務員なものですから非常に胸の痛む思いが強いのですけれども、ただ国家公務員の、特に中央省庁に勤める人たちには、いわゆる月給とか給与については同窓会相場というのがあるんです。皆さん、例えば大学を同期で出た人たちと、あるいは同じサークルの仲間とかゼミの仲間だったという人たち、大体今は大手町だとか丸の内に勤めているわけです。この人たちは、若いときは大体国家公務員の二倍から三倍のペイを実は享受しているわけです。安月給で我慢させて、日々生活不安を抱えている、老後の不安は大きいという人が実は中央省庁に勤める人にもう圧倒的に多いわけです。  こういう人たちがいろいろ民間の人たちから変な誘いを受けてしまって、それに乗ってしまうというのは非常に問題が多いのですけれども、彼らの生活保障をちゃんとしてやるということが重要でありまして、今の民間準拠の考え方をぜひとも改めていただきたい。これは丸の内、大手町相場ということで民間準拠をやれば中央省庁の公務員の月給はもっと上げてやっていいはずです。数を半分に減らすかわりに月給を倍にしてやるということでプラス・マイナス・ゼロです。それでやれば、きっと汚職なんてものはすぐになくなるということではないかと思っておりますが、これもぜひとも検討していただきたいというふうに思います。  ところで、平成十年度の社会保障予算は、もう皆さん御案内だと思いますので特に説明申し上げませんけれども、前年度当初予算のおおむね二%以内に予算増を限定するという上限枠が設定されました。その大半は医療分野で引き受けたわけでございます。薬価の引き下げ、窓口負担の引き上げ、被用者保険への負担振りかえということでとりあえず予算が組まれたわけですけれども、実はこの財政構造改革法によりますと、平成十一年度、十二年度もこの上限枠は設定されておりまして、また同じことを結局繰り返さざるを得ないということであります。さらに患者の窓口負担を上げなきゃいけない、あるいは被用者保険への負担の振りかえもしなきゃいけない。  年金改革が平成十一年ということになっておりますので、ここでも基礎年金については国庫負担を抑制するということをせざるを得ない。基礎年金の場合は給付水準を落とすか支給開始年齢を引き上げるか等々の対応しかないんです。そうしますと、特に専門家の間で最近ちらちらと出ておりますけれども、給付水準を落として従前額を保障する。年金は今の水準を下げる、金額的に下げるということはないけれども、少し我慢をしてもらう、まあ事実上スライド停止ということなんですけれども、それをやるしかどうもこれは対応不可能なんですね。公的年金というのはスライドすることがある意味で柱であったわけで、その精神であったわけですけれども、それさえも放棄しないとこの財政構造改革法に協力できない。それを本当に皆さんやるんでしょうかということでございます。あるいは雇用保険についても国庫負担を抑制する、これはもう平成十年度からやっております。  年金保険料についてはいろいろなところから年金保険料の引き上げスピードを上げたらどうかという提案が出ております。これは今まで、前回は五年間で二・五%上げるということをやりました。今回例えば三・五%上げたらどうかという意見もございます。三・五%厚生年金の保険料を上げますと、これは七兆五千億円の増税と全く効果は同じです。今のような景気の状況で年金だけの論理で七兆五千億円の大増税を本当にできるんでしょうか。年金は年金だけで考えていいという問題ではもうなくなっているんですね。全体を経済とのバランスの中で見なきゃいけないということでありまして、その辺の議論がまだ抜け落ちているような気がいたします。  結果的に、今の財政構造改革法のもとで走るとすれば、現役で働いている人々の手取り所得は明らかに低下するおそれが強い、あるいは企業経営も社会保険料の引き上げ等で圧迫されてしまう、将来の生活不安も増幅するということになって、社会保障、これはもう国民にとってはラストリゾートであります。国への信頼を担保するものなんですけれども、ここがもう揺らいでしまうおそれが強いのではないかというふうに思っております。  では、社会保障制度を今後どう変えていくかということでございますけれども、私は長期的には今の政策優先順位でいいのかどうかということを改めて見直していただきたいということを申し上げたい。これは高齢者対策偏重、高齢化対策というのは実際は高齢者対策であったと思います。これを改めていただきたい。    〔委員長退席、理事岡部三郎君着席〕  むしろ、これからは長期戦略としては、日本はもう人口は減り出します。百年たてば人口は四割に減ってしまうかもしれない。老人ばかりになってしまうということであります。それでいいのかということですね。今はもう日本の地方自治体でも子供の声が聞こえない、若者がいない、それによってコミュニティーが崩壊しているというところが出てきておりますが、こういうのは次々にもっと出てきてしまう。それで日本の成長は担保できるのか、日本はもう衰退をしていくということではないかということでございます。やはりこういうことではよくないということでありまして、政策の優先順位をぜひとも変えていただきたいということであります。  あと、社会保障給付の併給調整だとかいうことも同時に進めていただきたい。社会保険料を上げる形で企業いじめをするのはもうやめてほしい。成長が大事だということでございます。あるいは若者を社会保険料等でいじめないということもそうです。  いずれにしても、負担増は必要なんですけれども、今の路線はみんな社会保険料を上げようとしているのですが、それでいいかどうかということであります。負担増が必要であったら、消費税の方がいいのか社会保険料がいいのかということをやはりお考えいただきたい。公私の役割分担を見直さざるを得ません。  西欧諸国では今、二十一世紀のモデル国家を目指して政治家の皆様が懸命になってアイデア競争をしております。日本もぜひその仲間に入ってほしいということであります。アメリカの上院議員であったポール・ソンガス氏は、人に愛されるだけではだめだ、尊敬されたいと思わなければいけないとおっしゃっております。日本も尊敬される国家にぜひともなってほしいというふうに思います。  御清聴ありがとうございました。

岡部三郎自由民主党

○理事(岡部三郎君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 自由民主党の佐藤泰三でございます。  ただいま前田公述人、高山公述人から貴重な御示唆ありがとうございました。  なお、高山教授から、外から見た日本列島を承りまして、我々政治に携わる者も、預貯金が一千二百兆あると油断していられないなということをしみじみ感じまして、国の財政の厳しい中にも今後の方針を検討しなきゃいかぬと改めて考えるわけでございます。  社会保障でございますが、平和国家日本は社会保障が国の大きな政策の柱でございます。保険、年金、医療、あるいは児童、老人とございますが、主として少子・高齢者時代で今一番大きな課題は老人対策でございますので、介護保険制度についてひとつお話ししたいと思っております。  医療につきましてはいろいろ前田公述人からございましたけれども、考えますと戦後五十二年、あの焼け野原から、平均寿命が五十歳、現在七十歳を超しました。世界一のこれは驚異的な伸びでございます。これはやはり日本の国民の勤勉と同時に政府の指導よろしきを得た、そのために短期間で平均寿命が世界一になった。しかも、乳児の死亡率も世界最低と。経費の点においてはGNPの六%ですか、約三十兆というのが現状でございます。それは個々には細かくあるかもしれませんけれども、今どこへ行っても、日本列島どんな交通事故に遭いましょうと病気になりましょうとも、お金が一銭もなくても医療に困ることはございません。国の手厚い保護がございます。その点はこれは安心してかかれる。このような医療天国は世界にないと確信いたします。  昨年の十二月に介護保険制度が厚生省当局、また関係者、日本看護協会の皆様の非常な御努力で成立いたしました。これの導入まで余すところ二年となりましたが、それまでに解決しなければならないもろもろの問題がございますので、それらにつきましてひとつ高山教授の広い見識で御指導賜れればと思うわけでございます。  実は私は特別養護老人ホームの責任者として、理事長としまして十数年お預かりしております。その原因は、昭和四十七年無形文化財的な鋳物師でございました方が、奥さんが亡くなられ、親子離別して、単身でアパートにいて、亡くなって約一週間わからなかった。当時、昭和四十七年ですから、今は珍しくないのですが、そのころは非常に大きな問題で連日新聞をにぎわしていました。市当局とも相談しまして、どうしたらいいか、単身のお年寄りを預かるのには特別養護老人ホームがよかろうというので設立して、現在まで私がお預かりしております。それの経過がありますので、その点をつぶさにお話ししながら御意見を賜りたいと思うわけでございます。  この十年間の経過を見ますと、五十床でございますが、百二十四名入所しました。そのうち、家族がうちも改築になったのでおばあちゃんを迎えに来ました、孫が会いたいというから迎えに来ましたといって引き取られた方は二人しかいません。あとの百二十二人は一切迎えに来ません。そのうち七十二人の方は天国に昇天しました。現在五十人おりますけれども、平均年齢八十四歳でございます。  七十二人の方が昇天したのでございますが、連絡をしてもナシのつぶて、適当に処分してくださいというような子供も多いし、また来たと思ったら四、五人で預金をまず調べて預金の山分けをして争っている。甚だしいのは献体してくださいと。献体というのは医科大学に献体でございます。かつては医科大学の力は献体の数で決まると言われましたけれども、今は非常に献体が多くなって大学当局もなかなか献体を受けてくれません。逆に献体でもって苦労する始末でございます。  考えますと、若いころに社会、国家のため、家族のために血みどろの努力をして今日の繁栄を築いて、七十、八十歳になって老人ホームに入り、孫も会いに来ない。かつてはこんな国じゃなかったと思うんですけれども、これでよろしいのかと、いつも私その点の大きな悩みに駆られます、社会の変革かなと。  私なりの偏見かもしれませんが、日本の家族制度が崩壊した、そのための証左じゃないかなというふうに思うわけでございます。何とか家族制度を考え直さなくちゃと。いわゆるマッカーサー憲法により核家族になった、その影響がある。また、相続財産も平等に分ける。どんなに面倒を見ても見なくても同じにもらえる、その点が子供たちの不平不満の原因になっているのじゃないかなと。この点の財産贈与というものもある程度税制を考えなきゃいけないのじゃないかというふうに思うわけでございます。  ちなみに、現在、昨年の十月でございますが、六十五歳以上の老人が千九百七十六万人、このうち要介護老人が二百四十万、いわゆる寝たきりの方が百五万人いらっしゃいます。このうち特別養護老人ホームあるいは養護老人ホーム、老人保健施設に収容されているのは約四十六万でございます。そうしますと、寝たきり老人の四割しか収容できない。収容された方は非常に運のいい方でございます。あとの六十万は家庭で呻吟して寝たきりになっている。これからますますふえますので、それではいけないというので介護保険法が導入されたわけでございます。  それはそれとしまして、最初の質問としまして、ドイツでは家庭で介護した場合には等級別によって面倒を見ているお嫁さんに現金給付をしてやっておる。日本は現金給付をしないといっていますけれども、これは百万人からの人を収容する施設は大変です。お一人収容しますと措置費が年間大体三百万ちょっとでございます。ですから、十万人を収容しますと三千億、百万人を収容すると三兆でございます。二百万を収容すると六兆。医療費全体が三十兆ですから、今後まずそうなりますから、なかなか収容し切れません。そこで、なるべく在宅看護が中心と。  また、よく私行って聞くんですけれども、異口同音に、どんなに汚いうちで貧しい部屋でもいいから、うちへ帰って孫と一緒に暮らしたいよ、ここにいればホテルみたいな白いシーツで食事もいいし、ホテルにいるようでありがたいけれども、我々はそうじゃない、孫と暮らしたい。これがほとんどのお年寄りの生の声です。しかし、家庭の主婦はパートに行ってうちは留守になる、見切れないという問題がございます。  そこで、介護保険制度があるのでございますが、パートを多少減らしてもいいから家庭で見ていただく、それに対する現金給付をするようにしてやったらどうかといろいろ考えるんですが、その点ひとつ高山教授のお考えをお教え願いたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) これは、既に法案が成立した後の話なものですから、今後どうするかというのはなかなかお話ししがたいんですけれども、ドイツでは確かにおっしゃるように現金給付が実施されるということになっておりますが、日本の法律の中にはそれが明記されておりません。  結果的に、これだったら施設介護をお願いした方がいいのではないかという人が制度実施後極端にふえるおそれが強いのではないかというふうに思います。それは実際に在宅介護サービスがどういうふうに提供されるかという具体的な内容にかかっていると思うんですね。在宅介護についても当局はいろいろ準備をなさっているようでありまして、今いろいろな形で二十四時間介護といいますか、必要に応じていつでも行けるような体制をくしくもというふうに私自身期待しておりますが、とりあえずそれがうまく成功することを願うしかないわけであります。  ただ、現金給付がないということによって、施設へ入りたいという人たちが一挙に顕在化するというおそれが今のところ強いので、そこをどう解決するかというのが難題ではないかというふうに私自身は推察しております。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 現段階では現金給付はない、当然ではございますが、将来の見通しとしてお聞きしたんです。しかし、施設といいましたら、現時点で百万人の寝たきりがございますから、やっぱり四十万ですから、とてもとても収容の問題は無理ですし、今後ますますふえますからどうしても在宅というものを、奨励といったらおかしいんですけれども、自分の親を自分が見るのは当たり前でございますからね。ところが、おむつからお世話になった親を年とったからここへやってしまう。極端に言いますと、いわゆるうば捨て山的になる。亡くなったら電話くださいといって十年間も来ないのもあります。  現にこの前、私も思わず涙を流したんですが、品のいいおじいちゃんがいて亡くなった、八十歳ぐらいですか。だんだん調べてみましたら、ベルリン・オリンピックの冬季大会のキャプテンなんです。しかも、長野オリンピックの顧問になっている。せがれさんは東京の大会社の部長をやっている。八年前に連れてきたときに、おやじ、だめになったら迎えにくるからなといって、それっきり八年間来なかったそうです。相当インテリ家庭なはずなんです。  これらを考えますと、今議会で心、心と言いますが、人間の心の問題があるんじゃないかなと。親孝行といいますか、親の面倒を見ないというのがやはりあるんじゃないかなというふうに思います。  昔、貧しいころ、子供が半ダース、一ダースは狭いうちでもおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活していたものです。今は非常に少なくなりました。しかも住まいが狭い、できないということがありますが、どうしても人間の心の問題で核家族になった。相続の問題もありますし、その辺が問題じゃないかなと。  やはりこの辺で、日本は日本独自の文化と伝統、心もありますから、何とか在宅看護を少しでも奨励するようにしなきゃいけないんじゃないか。いかに頑張ってもこの施設はとてもとても国で、地方自治体で賄い切れないと思います。あるいは国の方では実施主体の市町村に任せればできると思っているかもしれませんけれども、非常に自治体、市町村でまた抵抗がございます。その市町村では、新ゴールドプランで目的達成までは市町村の格差も出るでしょうし、マンパワーとか施設の問題で、二年間といいますが、どの市町村も頭を抱えています。国が決めても地元は大変だといいますが、その点に対する見通し、いかがでございましょうか。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 確かに、施設整備が十分行われるかということについては私も心配をしている人間ですけれども、施設整備がうまく進まない場合、病院におけるいわゆる社会的入院が依然としてまだ大きく残るということじゃないんでしょうか。  心の問題は、私は専門家でないものですからお答えする立場にないんですけれども、家族、当事者としてできること、精神的なサポートというのは家族にとって非常に大きな役割が期待されていると思います。ただ、介護のサービスを具体的にすることについて家族にかなりの部分を頼るような体制で今後走れるかということにつきましては、それはむしろ専門家の方々に任せた方が家族の関係もかえってうまくいく可能性があるのではないかというふうに私は申し上げたいと思います。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 確かに、施設整備は言うはやすく行うはかたしと。厚生省、中央では施設整備といってぽんと法律をつくりますけれども、実際、二千何カ所の市町村では、これは大変なる今事態です。ましてや、マンパワーとか施設、これはちょっと厳しいと思います。その点をどうするかという問題なんでございます。  その反面、病院に入る、お年を召しますからどこかしら何か欠陥がございます。そのために病院がお年寄りで多くなってベッドがふさがる。ですから、老人医療費が八兆ですか、医療費全体の四割近くなっている。老人は何らかの欠陥がございますから、その点が一つの大きな問題になってきていますし、また医療費の今後の研究課題になっているのでございます。  いずれにしましても、医療の問題と長生きの問題とを考えますと、施設整備と同時にやはり在宅というものを奨励しないと追いつきませんから、現金給付が無理ならば、ほかに減税対策とか何か考えていかないといけないんじゃないかなと思うんですが、外国あたりの例を御存じでしたら、どうぞ御教示願いたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 私、必ずしも介護について集中して勉強している者ではないものですから、諸外国がどういう形で税制上対応しているかということ、必ずしも承知しておりません。  ただ、今、日本の制度の中にも医療費控除の制度がありまして、特例的にその中で介護部分が入っているはずなんですけれども、これをもう少し、例えば介護に対する控除というようなものをつくることを検討するとか、工夫の余地はあるというふうに思います。あるいは医療費控除の枠組みをもうちょっと中身を変えるとか、そういう形での対応は税制上可能だと思いますが、これも一つの検討課題だというふうに考えております。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 そこで、結局病院に入っていれば安心なんですけれども、といって病院は、本当の病人ですから重症もありますが、単にお年を召して肝臓が悪い、血圧が高いという形で長期入院するとベッドもふさがるというところにまた病院の悩みがあるのでございます。今度の保険法がこの議会に間に合わないというのも、そういう老人の医療を定額制にしないと追いつかないんじゃないかなというような思惑もあっただろうと思うんですが、その点で多少延期になったんだと思うんです。  ドイツで定額制をやっているとちょっとだけ聞いたんですけれども、実際は現金給付ですか、私はまだ勉強していないんです。ただ、現金給付をしているということだけをちょっと本で見ただけなんです。ドイツの状況を御存じでしたらお教え願いたいと思うんですが、在宅の状況ですね、何か等級をつけて現金給付をしていると聞きましたけれども。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) ドイツの医療については、私、残念ながら存じ上げておりません。  ただ、独立した高齢者の医療保険にはなっていないというふうに理解をしておりまして、普通の現役のサラリーマンと同じような扱いになっている制度だと思います。  現金給付という話があったんですけれども、ちょっと私自身、そこのところは承知しておりませんので、お答えできません。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 私は、本か何かで、ドイツは五等級に分かれて、軽い場合には幾らと金額を分けて、重症度によって現金給付をして在宅で介護をしてもらっているということを見たものですから、これは確かにいいなと思って聞きましたら、いや日本じゃしませんということを言われたので、それは今はそうですけれども、そうしないと将来施設がとても追いつかないし、困るんじゃないかな。  考えますと、小さいおむつのときは一生懸命子供を育ててきて、大きくなって嫁さんをもらって、やれやれ孫の顔を見られると思ったら、おじいちゃん向こうへ行ってくれとやられる、これは残酷だと思うんですね。その点を考えますと、いずれ若い人もみんなそういう運命が来るんじゃないですかね。その点、心の問題も大きな問題かなと思うのでございます。  次に、介護認定でございますが、そのために介護保険をつくり、あなたは病院に入院しなさい、あなたは特老に行きなさい、あなたは家庭でやりなさいと区分けをして、家庭でやるからには訪問看護しますと。そのために今度つくったのが介護保険で、随分厚生省も追い詰められて苦労した保険だなと思って、その点は敬意を表するものでございますけれども、介護の認定を各市町村ごとにやりますと、認定において条件がいろいろまだ決まっていないわけですから、またこれは市町村の大きな頭痛の種になるんじゃなかろうか、認定する人によって不公平があってもいけませんし。  現在、私、特別養護老人ホームで五十床しか預かっていないんですけれども、亡くなる、入れる、絶えず八倍から十倍の待機者があるんです。それを市役所の担当者と保健所とうちの理事かなんか行って、三人で公平に見て入れているわけでございますので、今度介護認定になるとますますその点が非常に複雑になるし、始まったら大変だろうなと思うんです。そういう点、もし外国の例がございましたらいかがかなと思うのでございます。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 介護の認定について不服がある場合には、しかるべき措置といいますか、訴えができるように日本の法律もなっているというふうに私は理解しております。  恐らく、私が予想した一番起こりやすい事態というのは、次のようなことになるんじゃないかと考えております。それは、介護保険というのは保険料を払って初めてサービスを受けることができるということであります。そうすると、自分は保険料を払ったんだということになりますと、どうして自分に介護サービスを届けてくれないんだという不満というのは今までと違って極端に大きくなるおそれがあると思います。  したがいまして、各地方自治体の当事者は介護サービスについてあなたは認定しないというふうなことを言うことは極端に難しくなる。特に市町村長さんは自分の首をかけちゃうことになりかねません。そうしますと、結果的に大勢の人をサービスについては認定するという誘因が大きいと思います。結果的には、予算に縛られている、人員も縛られているということですから、一人ずつに提供されるサービスの量とか質がその結果制限されるということだと思います。  要するに、多目に認定はされる、みんな保険料を払っているからだということです。保険料を払っているから介護サービスを受けられるんだとみんな思っているわけですから、それに対する期待というのにはある程度こたえざるを得ない。その結果多目に認定されてしまう。結果的に供給が伴わない場合には、一人一人に提供されるサービスの量とか質が制限を受けるということだと思います。  それで一番危惧されるのは、障害の程度、介護の必要度が最も高い人たち、本当はこの人たちが一番優先して介護サービスを受けられなきゃいけないんですけれども、その人たちが割を食ってしまうおそれが出てくるということではないかというふうに思っています。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 ところで、教授は経済の方の非常な専門家でございますから、経済面で日本の医療が、先ほどちょっと何か医療で金が足りないと聞きましたが、そんなことはないと私は思うんです。医療保護もありますし、少なくとも日本列島どこへ行ってけがをしても最高の医療が受けられる、そういうふうになっているはずでございます。大体今GNPの五%、三十兆でございますが、外国の例からはどうでございましょう、医療費の枠としては。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 日本の医療費は、先進国の中ではマクロのレベルでは決して今の段階で高い水準にあるとは思っておりません。みんなが健康になることに一生懸命努力した結果だと思います。お医者さんの日々のいろいろな活動の結果、あるいは教育面を含めて栄養状態の改善とか健康増進運動、あらゆるものが相乗効果を発揮して、結果的に長寿国でありながら医療費が総体的に今は安く済んでいるということだと思います。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 GNPの五%で世界一の長寿国をつくるし、また乳児死亡を抑えている。かつては死亡率のトップが結核でございました。結核はもう十何番になって、その次は脳溢血、これまた減りまして、現在トップはがんですが、がんだけは予防法がないのでやむを得ないと思っています。死亡のトップはがんで、心臓も血圧も年間十三、四万減ってきましたから、非常にその点は日本の医学は、私、世界でも安い経費の割に大きな力を発揮しているなと自負するものでございます。  先日、北京の日中友好病院に行ってまいりました。あれは日本の予算で一切合財つくって提供した病院でございまして、中国ナンバーワンの病院でございます。先日の休みを利用しまして一日行って見てまいりましたけれども、最高の医療機関でして、中国十何億ですか、高度な病人を診ているというのでございます。あれなどは極端な病院でございますけれども、その点非常に感謝していました、日本にこの病院をつくってもらって。中国トップの病院ですという形で院長は感謝しておりました。そんな形で日本の医療というものは非常に高く評価されておりますし、今シベリアにつくろうという話もございますけれども、そういうことでやっています。  医療費全体の枠としては、五%で間に合っているのだから決して高くないし、アメリカと比べても医療費は、大体手術料はアメリカの半分以下でございますから非常に安い。保険のために非常に安く医療費はやられていると思うのでございます。しかし、その反面、昔のように結核になったら家屋敷を売らないといけないということはございませんし、その点は福祉国家で事病気に関しては本当に安心していられるなと思うのでございますけれども、外からごらんになっていかがでございましょうか。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) アメリカは医療費が世界で最も高い国でございます。医療過誤をめぐる裁判等がありますし、医療技術の水準も日本よりは高いというふうに聞いておりますけれども、他方で医療サービスを受けられない人たちが三千数百万人という規模でいまして、ああいう国になってほしくないなというのが実際のところであります。  イギリスは、かつてナショナル・ヘルス・サービスという世界に誇る制度を持っていたんですが、これはもう予算のキャップ制のもとでずっと走ってまいりまして、今や民間の医療保険がなければ安心していられないというような国になってしまったわけです。  予算の上限がセットされておりますので、例えば一年間に腎臓の人工透析を受ける人の数は決まっているんです。ウエーティングリストが年度末、イギリスは日本と同じで三月ですけれども、年度末になると大体二百万人に達しちゃうんです。病院における医療を受けたいという人たちのウエーティングリストが二百万人です。人口は半分ですから、日本でいうと四百万人です。その人たちを予算がないからといって放置しているわけです。四月になると予算化されて、またその人たちがやる。待てない人は、そこで民間の医療保険がない人は、はっきり言えば死んでくださいという制度になっているわけであります。  そういう国と比べても日本は、先ほど医療天国というお言葉をたしか御使用になったと思いますけれども、今まではそれにかなり近かったのではないかというふうに私は思っております。

佐藤泰三自由民主党

○佐藤泰三君 今のお話を伺って非常に意を強くしましたけれども、しかしやはり医療費というものも、年々人件費が上がりますからどうしても追いつかない。今の保険財政、医療制度を守るためには、ある程度保険料の値上げと患者さんの可能な範囲の御負担は我慢していただかないと守れないんじゃないかなというふうに思います。といって、今高額医療がございますから、一カ月一千万かかったとすると、六万八千円以上は全部保険でございますから、六万八千円あれば最高の医療を受けられるわけです、何百万でも。  この制度を守るためには、やはり可能な範囲で千円、二千円の月の徴収はひとつ勘弁していただきながら、この制度を守っていきたいなと思うのが今度の予算でございますし、当然であろうと思うのでございますが、その点、また先生にいろいろな形で御指導賜りたい。自分の商売のことをそんなふうに言っちゃおかしいんですけれども、この制度をよく守るためには、ある程度国民に御理解いただきたいと思うのがこの制度でございます。  と同時に、またこの介護保険法が立派に実るように今後二年間、いろいろな形でお世話になると思うのでございますけれども、特に地方自治体の長の方の苦情、不満が非常に多いようでございますから、どうぞ先生にもまたいろんな御高説をいただきたいし、私どもも頑張りたいと思っておりますので、よろしく御指導をお願い申し上げます。  どうもありがとうございました。

齋藤勁民友連

○齋藤勁君 民友連の齋藤勁でございます。  前田、高山両公述人、ありがとうございます。前田公述人は医療の第一線で御活躍ということで大変生々しい御指摘もいただきましてありがとうございます。また、高山公述人はアメリカ、イギリスということで、この間のいわゆる外から日本を見られたということは大変貴重で、また別な機会にいろいろなお話も伺えればありがたいなということをまず感想として冒頭申し上げさせていただきます。  今、後段でアメリカの例が出ましたので、私も冒頭、医療問題について入らせていただきたいというふうに思います。  私も医療の専門家ではございませんから、なかなか日本の厚生行政、医療行政がどうあるべきかということについて、ある意味では非常に的外れな点になるかもわかりません。いわゆる日本の厚生行政の中で、医療保険とか医療費とかそういう政策については、確かに問題点はあるにしても、いろいろ目が行き、いろんな議論も活発だと思うんですが、医療技術政策というのがどうも抜け落ちてきたのではないかということで、今アメリカの極端な例といいましょうか、事例があったんですが、アメリカでいいますと、医療技術政策というのは非常に進んでいるということで、それは明るい面とそれから影の両方の部分もあるかもわかりませんが、アメリカは二十一世紀のリーディングインダストリーということで、情報化の次の産業だということで、医学あるいは生命科学というふうに位置づけているようでございます。一方では、クローンとか、牛とか人間というのがありますので、これについてはやっぱりきちんと倫理規制をしなきゃならないと思います。  したがって、進行をしていくということ、評価をしていく、規制をしていくということでのいわゆる推進面と規制、それから体制の強化と、このことがこれから最も私は大切な点ではないかなというふうに思いますが、もし高山公述人からアメリカの医療技術政策、そして日本と比較した点、そしてまた前田公述人にもこの医療技術政策について常日ごろの仕事の関係上、御所見がございましたら、冒頭お伺いしたいというふうに思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 私、医療技術についてはアメリカの実態を存じ上げておりません。申しわけありません。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 私も医師ではありませんので詳しくは申せませんが、一つに今一番国民に求められているのは、何のためにどのように技術を医療の中で高めていくかという技術のための技術、いわゆる患者さんや病人を物体としてではなく人間として見ていく、そういうような形での技術というものをどのように生かすかという観点が一番大事ではないかなということ。  それからもう一つは、技術がどんどん進みますと、先生おっしゃいましたように倫理の問題が伴ってまいります。この倫理の問題は、私は多くの人たちの国民的合意でもってもっと活発な論議をする中で、全体の合意でもって進めるというのが基本ではないかなというふうに思います。  それぐらいでよろしいでしょうか。

齋藤勁民友連

○齋藤勁君 恐縮でございます。  医療技術の基礎からの開発とかあるいは安全性ということの評価がともすると我が国ではなくて諸外国にゆだねられて、そして日本としてはそういった医療技術をうまく普及していくということについては一生懸命やってきたけれどもと、振り返ってそんな総括的な点があるのではないかなということを思いまして、冒頭アメリカということもございましたので、お尋ねをさせていただいた次第でございます。  次に、いわゆる少子化対策、これからの政策優先順位の変更ということで高山公述人のお話の中で触れられておりました。時間の関係上、具体的には触れられていなかったのは無理もないと思うんですが、少子化ということ、これはもう言うまでもないと思うんですが、私どもが対象といいましょうか、よく勉強する国としてスウェーデンと比較をいたしまして、ここが一番高齢化率が高いということで、また社会保障が非常にある意味ではケアをされているという、そんなことだと思います。  私も、短時間ですけれども、改めていろいろ勉強させていただいた中では、数字でもスウェーデンの三倍の速さ、量的にもそれを上回る規模の高齢化率だというのが我が国の実態のようでありまして、高齢化率も日本は最高で三〇%を超す、こういうふうに見られており、加えて高齢化だけではなくて少子化ということが合わさってくるわけであります。これは我が国のこれからの政策として大変重要な点で、前のお二方の公述人も教育の問題でその点についていろいろ意見も交わされた部分がございました。  そこで、少子化対策、一つはいわゆる税源ベースというんでしょうか、高齢者あるいは障害者、そして女性にも就労機会を拡大すべきではないかという一つの考え方を持っているところであります。労働人口の構成が大きく変わっていくわけでありまして、このことによっていわゆる税が負担をする、そういう対象の国民が非常にいわゆる税源ベースが広がっていくということにもなっていくわけで、結果的には一人一人の国民の税負担というのは軽減をされていくということに私はつながっていくのではないかというふうに思います。  就労機会の拡大とあわせて必要なのは今申しました少子化対策ですが、少子化対策の中で出産、子育てに携わる男女の労働者の育児休業制度というのはやっぱり私はもっともっと充実をしていかなければならないというふうに思いますし、そして所得の給付率を高める必要があるだろう。  そしてまた、イギリスでもアンペイドワークということで、社会的に大変有用だ、必要だというにもかかわらず不払い労働、アンペイドワークということで言われているわけですけれども、こういうことで自営業者とか専業主婦にも育児手当を払ってみたらどうか、払うべきではないか、こういう政策的な見解を持っているんです。  先ほどの政策優先順位の変更、高齢者対策偏重から人口減少社会対策重視へ、こういうところでとどまっておりますので、より具体的に少子化対策、税源問題あるいはアンペイドワークの点について触れさせていただきましたけれども、高山公述人から御所見があれば伺いたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 先ほど時間の関係で基本的に余り中身のあるお話ができずに申しわけなく思っております。  御質問がございましたのでお答えいたしたいと思います。  日本は戦後、いわば子供は勝手に産んで育てなさいといって、子育てあるいは出産についてはほとんど支援を行ってこなかった国だというふうに私は考えております。    〔理事岡部三郎君退席、委員長着席〕  それにもかかわらず、子供二人時代がそれなりに長く続いたわけでありますが、昭和五十年を境にいたしまして出生率が落ち始めまして、今のところ下げどまっておりません。今の日本の社会というのは子供を産まない、あるいは子供を育てない、それは一つは選択の自由だと元気のいい女性のグループは言っておりますけれども、実はその裏側にはすごいエゴイスティックな理解、子供を産まない、育てない方が楽であり、得だということなんです。こういう社会を今まで日本は放置しているわけでありまして、それでよろしいんでしょうかという問題提起をさせていただきたいということでございます。  子供というのは手がかかるものである、お金もかかる、時間ももう惜しみなく奪うものであります。煩わしいというふうに考える人たちが少なくない。子供ができたら地獄だという言葉さえございます。そういう社会を今放置していて、日本は子供がだんだん少なくなってくる、若い人がいなくなる、中年と年寄りばっかりだ、そういう社会に今向かっているわけです。それでいいんでしょうか。やはり、これはもうはっきりと流れを変えていただかなければいけないということだと思うんです。  確かに、お金の面での対策も重要ですし、今までの子育て支援というのは保育所を充実させることと育児休業という制度、この二本柱であったと思いますが、事実上見るべきものはそのくらいしかなかった。児童手当はありますけれども、あれはもう一人一カ月五千円、しかも三歳までということでして、ほとんど中身がないわけであります。  お金のことも大事ですけれども、基本的にやらなきゃいけないのは、今男女の役割分担がかなり固定的でありまして、どうしても子育てが女性の重荷になっているということであります。父親がほとんど参加しないし、参加できない。これは、会社に長時間拘束されている男性、若い父親が圧倒的に多いということであります。ここの仕掛けを変えないといけない。会社の長時間拘束を改めるということが一つのきっかけになるんではないでしょうか。  一つには、長時間労働、時間外労働に対する割り増し率の制度がございます。今、日本では二五%ですが、国際標準で五〇%だと言っているんです。仮に時間外労働に対する割り増し率を五〇%に引き上げますと、企業サイドとしてはこれはかなりの人件費負担になるわけです。そうすると、ちゃんとそれに伴ってペイするようなしかるべき時間外労働しか頼まなくなるということですね。もっと密度の濃い仕事を朝九時からちゃんとするようになるということだと思うんです。  もう少し言えば、時間の長さで労働の報酬を決めている制度でいいのかどうかということです。これは単純労働の物づくりの世界ではそれでよかったんです、何時間働いたかで生産物の量が決まっていたわけです。ところが、今はそういう社会ではないんです。むしろ、どれだけ労働時間が拘束されたかということを基本にしないでその人の業績を評価するような仕掛けもつくっていかざるを得ない。そういうふうな改革を積み重ねていかないと、これはなかなかできない。要するに、男性も子育てに参加する社会をつくらないとなかなか子供が生まれない。そのためには、長時間拘束というのをやめるような仕掛けをつくっていかなければいけないということがまず基本的に重要だというふうに私自身は考えております。  それから、スウェーデン等のお話が先ほどございましたけれども、スウェーデンは子育てと徴兵というのは全く同じ取り扱いなんです。日本でもかつて徴兵制度があったんですけれども、兵隊にとられた後帰ってきて職場復帰したときに何か差別を受けたかというと、そういうことがあったという話はほとんど聞きません。日本も子育ての間はいっときなんですけれども、あるうち、子供が小さいときだけなんですが、これはある意味では徴兵されたようなものだというふうに考えれば、今の制度の仕掛けというのはもうちょっと考え直す余地が出てくるんではないか。  要するに、子育てとはどういうことなのかということについての理解を国民全体で深めるような機会がぜひともセットされることを私は願っておりまして、その中で男性が子育てにも参加する、時間の拘束も緩くなる。そうした中で、女性も働きやすくなるし子育てもできるというふうな形に持っていくということが今後極めて重要だというふうに思っております。お金の問題も当然ございますし、保育所等の規制を緩和するとか、いろいろやらなきゃいけないことはいっぱいあると思います。  あるいは、児童手当が非常にみすぼらしいということでありまして、これをどうするか。今のような財政状況ではなかなか難しいんですけれども、例えば所得税だとか地方の住民税で子供がいると扶養控除の制度をしております。この扶養控除の制度も、減税総額は恐らく一兆五千億円ぐらい国と地方であると思うんですが、児童手当の予算というのはたしか千五百億円行っていないはずです。イギリスは税制における扶養控除の制度を取っ払いまして、事実上増税になるんですけれども、その財源を全部児童手当に回したんです。そうすると、今の児童手当の事実上十倍なんです。そういうようなものを例えば年金制度の中に仕組んで給付をすればもうちょっと若い人は年金に貢献する気持ちも起きてくるし、というようなことになるんではないでしょうか。  以上でございます。

齋藤勁民友連

○齋藤勁君 用意をしましたけれども、時間も来ましたので終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。

牛嶋正公明

○牛嶋正君 私は公明の牛嶋正でございます。きょうは前田それから高山両公述人、貴重なお話をいただきましてありがとうございました。  私は、十一という数字が出ておりますように非常に限られた時間でございますので、まずとりあえずお二人に一問ずつ質問させていただきまして、もし時間がありましたらまた次の質問に移りたいと思います。  まず、前田公述人にお尋ねしたいんですが、先ほどからもいろいろ議論がありましたけれども、四十年間高度成長が続いてきて、私は日本における医療資源というのは十分蓄積されているというふうに思います。特に人的資源につきましては十分ではないかなというふうに思っています。これももし意見がありましたら御指摘いただきたいと思います。  その上で、これからの我が国における医療体制というのはどうあるべきか。私は、この十分な医療資源を公正でかつ有効に活用していく、こういう体制をつくっていくというのがこれからの課題ではないかなというふうに思っています。先ほどいろいろな悲惨な例をお出しになりましたけれども、それはやっぱり公正を欠いたりあるいは有効な資源利用ができていなかった、いわば摩擦の部分がああいう形で出てくるんではないかなというふうに思っております。  しかし、資源の効率利用ということになりますと、いつも市場メカニズムといいますか市場原理が議論されるわけですが、私は医療サービスに関しては余り市場メカニズムを適用すべきでないと思っております。  そして、私が考えております条件といたしましては三つございまして、一つは、医療保険財政の健全化であります。それからいま一つは、地域医療を中心にした医療体制の確立、そのベースにやはり医者とそれから患者の信頼関係、これを回復しなければならない、こういうふうに思っております。それから三つ目は、今も存在します地域間の医療サービス水準の格差、これをできるだけ是正していく、こういうふうに考えております。  きょうの公述人のお話もそうでしたけれども、私は医療保険財政の健全化だけにどうも何か議論が集中しているような気がするわけです。私は、保険財政のあり方というのは、やはりそのベースにきちっとした医療供給体制がなければならないと思っております。そして、保険制度の中でだんだん失われてきた医者とそれから患者の信頼関係の回復、これが前提ではないかと思っております。これをどういうふうに進めていったらいいのか、できましたらお教えいただきたいと思います。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 今、先生の方から保険財政だけに偏っていないかというお話でしたが、おっしゃるように、保険財政と医療の仕組みがどのように形づくられて、医療がどのように営まれていくのかというのが相関関係できっちり結びついていないと、やはり本当の日本における将来の医療の体制というものを確立していくことは難しいんじゃないかなと思います。  まず一つは、保険財政は先ほども言いましたのでさておいて、二つ目の地域医療の体制との関係で、先ほど私がいずれひょっとすると地域の中に手術をできるような病院がなくなっちゃうよということを言ったと思うんですが、それはどういうことかといいますと、今行政的に、例えばこの病院は老人病院になれば定額制ということで枠がはめられます。そうしますと、その枠内で医療をやろうと思えば、手術はまずスタッフをそろえたり体制を整えるのは財政上困難で、その医療機関自身はもういわゆる外科を導入して救急医療体制を仕組めるようなシステムにない。すみ分けが今厚生省の政策の中でどんどん進められていっている、いわゆる地域医療ネットワークというものを抜きにしてそのような行政が一方的に組み立てられつつあるというところにまず一つ私は非常に危惧を持っている。だから、これをやっぱり正していく必要があるというふうに思っています。  それから、二つ目の地域間格差、医師と患者の関係ですが、私は医療は医師、医療従事者だけがやるのが医療ではないと。おっしゃるとおり、よくインフォームド・コンセントという言葉がありますが、医療というのは医療従事者と患者さんたち、地域の人たちのやはり共同の営みである。だからネットワークである。共同の営みとしてそれぞれのところに医療というものを技術的にもどう立派なものをつくっていくのか、どんな医療技術をその病院につくるのかというのが住民と一緒に医療機関が考えられるような、そんなことが論議されていくような体制というのがむしろこれからもっと求められるんじゃないかなというふうに思います。  以上です。

牛嶋正公明

○牛嶋正君 それでは、次に高山先生にお尋ねいたしたいと思います。  先ほど非常に興味のある、海外から見られた一年間の日本の経済の状況を興味深く聞かせていただきました。ある意味でもう少し、今消費の低迷がいろいろ議論されておりますけれども、そのことにつけ加えさせていただきますと、四月に入りましてから消費税率引き上げの駆け込み需要の反動で落ち込みました。それが五月、六月と落ち込みました。七、八と回復を若干いたしました。ところが、九月に入りましてまた落ち込んで今日に至っているわけですね。九月の落ち込みがどうして起こったのかということですが、そのときいろいろな説明がなされましたけれども、結局は景気の先行き不安感というのが説明の一番のポイントになっていたわけです。  私は、先行き不安という場合、時間的にいろいろあると思うんですね。差し当たって去年の九月の段階で申しますと、この九年度の景気はどうだろうか。その場合に、金融不安はさらに深刻化するのかどうかというふうなこと。もう少し中期的に考えると、自分の雇用の問題なんか出てくると思います。もう少し長く考えますと老後の不安。いろいろ見ておりまして、私は老後の不安というのはかなり大きく作用したんではないかなというふうに思っております。それは、九年一月に発表されました我が国の将来人口推計、この結果が五年前の推計よりも一段と少子・高齢化が進んだと。先ほどお話のありました人口の減少時期も七年早まりましたね。私は、この影響が、はっきりした形じゃないけれども、漠然と人々の気持ちの中で不安を広げたんではないかなと、こんなふうに思っております。  そういう意味で、先ほども議論がありましたように、それを早めたのは合計特殊出生率でございますけれども、これについてスウェーデンなどは反転いたしましたね、いろいろなことが理由であったと思いますけれども。日本の場合、先ほどの先生の、男女の家庭における役割分担も含めてお話しをいただきまして、非常に興味のあるお話で、二十四時間だれにもひとしく与えられているこの時間をどういうふうに夫婦で使っていくか、その使い方の中で共通部分というのは、私は子育てが非常に共通の部分になると思うんです。  ですから、役割分担と先ほどおっしゃいましたけれども、むしろ役割分担というよりも共同の時間を持つ、共通の目的の時間を持つというふうな時間の使い方を考えていけば、案外また我が国の場合でも反転するのではないかなというふうに思います。先ほどのお話を聞きながらそういうふうに私は感じたんですけれども、もしこの点について何かコメントをいただけるならば聞かせていただきたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 子育ては私はそんなに経験が豊富ではないんですが、一人子供を育てた経験があるんですが、実はあれは楽しい作業なんですね。それがなかなか今の人たちにはうまく伝わっていない。まさに夫婦で子育てを共同作業として行うということは非常に大事なことでありまして、そういう時間をとれるような工夫を政策的に今いろいろな形で誘導していくということが極めて重要だというふうに私自身考えておりまして、議員おっしゃるとおりだと思っております。

牛嶋正公明

○牛嶋正君 もう一点だけちょっと専門家の意見を聞きたいんですが、先ほどから議論になっております財政構造改革の議論のときに、私は、社会保障関係の予算につきましては一般会計と独立した社会保障会計といいますか、そういうものでもう少し負担と給付の関係を国民にもっときちっと明示すべきではないかと。そうしますと、先ほどおっしゃいましたような保険料で外していくということもない。保険料も全部含めて、そこで負担と給付をはっきりさせるような社会保障会計といいますか、あるいは勘定と申しますか、そういうものの独立を私はこれからも議論していきたいと思っておりますが、これについて一言だけコメントがありましたらいただきたいと思います。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 時間ですので、高山公述人、簡潔に願います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 検討課題として十分意味のあることだというふうに考えております。

牛嶋正公明

○牛嶋正君 ありがとうございました。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 きょうはお二人の公述人の方々、どうもありがとうございます。  高山先生にお伺いしたいと思います。  公的年金制度につきましては、この将来像、我が国の二十一世紀に向けての一番大きな課題の一つと言ってもよろしいかと存じます。厚生省は、昨年末、五つの選択肢を出しております。  先生は、きょうのお話の中で、社会保険料の引き上げか消費税率の引き上げかと問題提起をなさっていらっしゃいます。また、先生の論文を拝見しておりますと、社会保険料はいわゆる社会保障の目的税である、そして、これからは保険主義では国民皆年金制度は破綻するのではないかというふうな御意見をお持ちでいらっしゃるように私は伺うのでございますが、この点につきまして、本当にわずかな時間、五分しかございませんが、お話を承れればと存じます。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 今の財政構造改革のもとでは保険料を引き上げていくしかない、あるいは大幅に年金給付を下げていくしかないということしか選択肢がないんですが、例えば基礎年金について今の国庫負担を全額消費税で賄う場合どうなるか。当然それは今の年金保険料を引き下げることができるんです。かわりに税負担はふえる。ただし、年金に対する総負担としては国民全体として見れば変わらないということです。どっちがいいかという議論を最初からオフリミットにする今のような動きについて、大変心配をしているわけです。  たまたま外国に私はいましたけれども、社会保険料、特に年金保険料を今後とも引き上げていくというようなことを悠長に言っている国は、主要国の中ではもう日本だけになってしまったんです。今まで実はドイツがそうだったんですが、ドイツももうその路線を放棄したわけです。年金保険料はむしろ下げなきゃいけない、かわりに付加価値税を上げるんだといって与野党合意ができているんです。年金保険料を上げるというのは、これは結局企業いじめであり、若者いじめだということがもう世界で共通の理解になったんです。  日本だけまだその路線を走っている。しかも年金保険料の引き上げを早めようとしている。例えば三・五%上げると先ほど申し上げましたように七兆五千億円、これは大増税です。こんな景気の環境の中で本当にそれをやるつもりですかというふうに申し上げたいわけです。  そういう形がとられるのは、財政構造改革の中でいろいろ縛りがあるわけです。その縛りを外さないと、もうちょっとオープンな議論ができないということではないかというふうに私自身考えております。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 先生は、国民保険のいわゆる保険料というのは非常に、今度定額制の方でございます、逆進性が高いんだというふうにおっしゃっておりますが、この点につきましても御説明を伺いたいと存じます。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 国民年金の定額保険料はまさに人頭税でございます。世界のだれもが認める最も悪税でございまして、それを今もって日本はやっているわけです。消費税もいろいろ御批判があるんですけれども、逆進性の程度はこの人頭税よりはるかに低い税金でございます。  以上です。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 例えばスウェーデン、フランスの場合に、保険料を下げて先生のおっしゃるような形態が採用されているというふうに先生の論文で拝見いたしましたけれども、もう少し、二分しかございませんが、よろしくお願いいたします。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) まず、ドイツでお話しいたしますけれども、ドイツは昨年の十二月に与野党間の合意ができまして、両院でも合意ができたということでございます。年金保険料は今二〇・三%です。これを来年の一月一日から一%下げると言っているんです。かわりに付加価値税、これ一五%だったんですが、ことしの四月一日、ちょうど昨日になりますけれども、この時点から一六%に引き上げるというふうに言っているわけです。  ドイツは今まで、将来まだ高齢化のピークは大分先、高いと。これは日本と同じように段階的に保険料を引き上げていかなければいけないとずっと言っていたんです。ところが、その路線は雇用問題と衝突してしまう。今四百万人以上の失業者をドイツは抱えておりまして、保険料を上げると失業者がまたふえてしまう。これがまた重荷になってしまう。どっちを選ぶか。失業の解決の方が先だという、そういう選択になったんです。保険料はむしろ下げる、かわりに付加価値税を上げるということになったわけです。  フランスもそうです。世界で最も社会保険料の高い国の一つです、フランスは。事実上の社会保障目的税、これを導入いたしまして、社会保険料はむしろ下げるということをやっております。スウェーデンは社会保険料固定です。これは高齢化が今後進んでも年金保険料は一切引き上げないということです。一八・五%と固定です。そういう選択をしたということでございます。  以上です。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 その方式によりまして、いわゆる給付の方はどのような形になるのでしょうか。税方式の採用をすると能力に応じて年金負担が可能になるというふうに先生はおっしゃっておりますけれども、それもあわせて。本当にごめんなさい、時間がございませんので。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 給付は今後の経済成長次第でありまして、うまくいかないとやはり徐々に水準は下がるおそれが強いと思います。

日下部禧代子社会民主党・護憲連合

○日下部禧代子君 ありがとうございました。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 まず、前田公述人、高山公述人、きょうは本当に御苦労さまでございます。  日本共産党の須藤美也子でございます。よろしくお願いいたします。  私も、限られた時間でございます。まず最初に、前田公述人にお聞きをいたしたいと思います。  先ほど、昨年九月以来の患者負担の引き上げなど、医療保険法の改悪で全国各地で命や健康が切り刻まれている悲惨な実態のお話がありました。きょうも、七十六歳の糖尿病の女性の方が、三カ月通院をやめた結果孤独死をしたという事実がマスコミで取り上げられております。  そこで、民医連の方では訪問看護ステーションや在宅介護支援センター、また在宅医療や福祉の分野にも取り組んでいると思います。介護保険が二〇〇〇年に実施されるようになれば、介護者や家族の方々の思いがどうなるのか、どのような思いでこの介護保険法をとらえていらっしゃるのか、その点についてお尋ねをしたいと思います。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 私どもの民医連は、今訪問看護ステーションを約二百四十カ所近くやっております。そこで出される意見は、主には三つかなという気がします。  例えば、一つには、介護保険に入っていればサービスが本当に受けられるんだろうか、施設が十分あるんだろうかということと負担がどうなるんだろうかということです。先ほどもお話がありましたけれども、今何といっても特養ホームだって八万人があぶれちゃうという状況です。九八年度と九九年度の二年間の中でどれだけ施設拡充に予算が配分されるかというのが、私は国民が一番期待しているところではないかなと。  二つ目は、やっぱりマンパワー。ホームヘルパーさんとかそういった人たちを育てる。地方自治体で、私も前に経験があるんですが、準公務員として採用するといってホームヘルパーさんを募集したら、わあっと来たんだそうです。パートだと言ったら、ざあっと引いちゃって余り来ない。この現実を、国が、地方自治体がどう援助していくのかという体制ができないと、なかなか在宅も中身が伴わないんじゃないかなという感じがします。  あとは、費用の問題は、先ほども話がありましたけれども、負担を国民におっかぶせないような形で考えていく、余分に保険料を取るわけですから。もう既に消費税も上げているわけですから、そういったところをやはり高齢者に回していくということが私は必要ではないかと思います。  以上です。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 先ほど、今入所者の中にも負担に耐えかねて半分ぐらいは退所せざるを得なくなるだろうというお話がありました。  半分以上の退所しなければならなくなるお年寄りの方々、こういう方々は結局はどうなるんでしょうか。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 結局は、費用が払えないために特養から出ざるを得ない。出たらどこへ行くかといったら、やっぱり在宅でしょう。  しかし、ほとんどの方が、先ほどのお話にありましたように、身寄りのない方とかそういった方々ですから、まさに悲惨な実態がどんどん生まれてくるんではないか。行きどころがない、ついの住みかがなくなってしまう、こういう時代ではないかと思います。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 となりますと、二〇〇〇年からの介護保険というのは、介護保険があっても介護が受けられない、こういう状況になるわけですね。どうでしょうか。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) そうです。  制度的にできても、それがむしろ逆に、先ほど顕在化させていくと言われましたけれども、まさに困難な弱者がどんどんと追い詰められていくシステムに入っていくというふうにとらえていいんじゃないかと私は見ています。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 こういう状況の中で、お年寄りや弱者がどんどん切り捨てられていくような施策というのはやっぱり考えなければならない、改めなければならないと私も考えます。  そこで、最後になりますが、高山公述人にお尋ねをいたします。  財政構造改革の中で、日本の公共事業費はアメリカの国防費よりも多い、こういうふうにあります。この点について、財政構造改革の必要性と問題点というようなことでるる述べられているようですが、私はむだな公共事業を省いて、今、前田公述人からもおっしゃられたように社会保障、そして医療や福祉に回すべきだと考えますが、いかがでしょうか。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 公共事業で浮いた金をどうするかということはまたいろいろ選択肢がありまして、全部社会保障に回すべきかどうかは改めて皆さんに御議論をいただきたいというふうに思います。

須藤美也子日本共産党

○須藤美也子君 時間ですので終わります。  どうもありがとうございました。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 自由党の田村でございます。本日は、先生方、大変御苦労さまでございます。  まず高山先生に、私は日本人の誇りというのは国が与えるものであるとかたく信じているものなんですが、先生ちょうど一年弱アメリカとイギリスにおられて、一番初めに言われたバッドニュース、どうしてこういうニュースがアメリカやイギリスで報道されるのか、なぜなのかということについてどのようにお考えになっているのか、ちょっとお尋ねしたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 私は報道担当者でございませんので、彼らがどういう判断でこういうニュースを流し続けるのかよくわかりませんけれども、日本の最近の動きあるいは政治家の皆さんの御発言とか行動を含めて、いろいろと何か物足りない思いを皆さん抱いているのではないかということだと思います。  もう少し日本が世界に向けて情報発信し、世界の共通ルール、一つのスタンダードをつくることに日本人がもうちょっと積極的に貢献していく、そういう努力をしないといけないというふうに私自身は考えております。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 社会保障というのは安全保障と一対の言葉だというふうに私は理解しておりますが、社会保障のいろいろな制度というのが高度成長期にたくさんできて、その後、安定成長期に入っている今、見直しその他がなされているわけでございます。  両先生に、国民が社会保障によって安心が提供されなきゃいけないわけですが、不安が提供されているというのが現実でございます。今後二十一世紀に向かって、社会保障のあり方というか基準というのはどのようにお考えになっておられるのか、お二方にお聞きしたいと思います。

前田武彦全日本民主医療機関連合会事務局長

○公述人(前田武彦君) 一言で言うのはなかなか難しいんですが、私は、最後まで人間が生きていく上での保障を全体として社会的にお互いに認め合っていくようなものをどうつくり上げていくか、そしてとりわけ国家が、国がどのようにそこに対する予算的措置を組んで、そして同時に国民的合意でもってどのような財政的保障を形取っていくのかというようなところが最大のポイントではないかなと。GDPとかいろいろ言われますが、それとの兼ね合いをどのようにそれぞれが見ながら持ち分を分かち合っていくのかということとあわせて、国がどこにどのように配分するかというのは、今、むしろ将来の二十一世紀の社会保障にとっては最大のポイントではないか。公共事業にこれだけ投資するようでは、恐らく社会保障の充実というのはほぼ望めないだろうというふうに思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 今の社会保障構造改革は、要するに、一体社会保障で将来何が動かないものでどこまでやってくれるんだということに対する確たるものが与えられていないんですね。財政状況が苦しくなってとにかく切り詰めますと、その場しのぎで来年になったらまた同じような状況になる。その連続なものですから、一体どこまで後退するんだということで非常に将来への不安が高い。国としてここまでは最低限やりますよ、ここは絶対譲れないものですよということをもうちょっとしっかり御説明なさった方がよろしいんじゃないかというふうに私は思っております。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 高山先生に最後に。  「財界」で、九七年の六月二十日号だったと思うんですが、先生が書いておられる中で、民間部門への役割というものについてお述べになっておられるんですが、社会保障の民間部門への役割というのはどのようにお考えになっておられるのか、もう一度、現段階において御説明していただきたいと思います。

高山憲之一橋大学経済研究所教授

○公述人(高山憲之君) 社会保障と市場メカニズムとは合わない、福祉と市場メカニズムは異質なものだという理解が日本ではこれまで非常に強かったと思います。ただ、諸外国の動きを見ますと、市場メカニズムをうまく利用すればかなりのことができるということがいろいろわかってきているというのが私の現在の認識でありまして、日本もそちらの方向に向けていろいろやらざるを得ない、やっていく価値が十分にあるというふうに私自身は考えております。

田村秀昭自由党

○田村秀昭君 ありがとうございました。

岩崎純三自由民主党

○委員長(岩崎純三君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  明日は午前十時から委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時八分散会

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