文教・科学委員会 第14号
- 発言数
- 83 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1998/04/14
会議録
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 昨日、山下栄一君が委員を辞任され、その補欠として山本保君が選任されました。 —————————————
○委員長(大島慶久君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 教育職員免許法の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に参考人として明海大学副学長・筑波大学名誉教授高倉翔君及び全国私立大学教職課程研究連絡協議会事務局長・中央大学文学部教授奥田泰弘君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 —————————————
○委員長(大島慶久君) 教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、二名の参考人から御意見を賜った後、質疑を行います。 この際、高倉参考人、奥田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。 両参考人には、ただいま議題となっております教育職員免許法の一部を改正する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。 それでは、議事の進め方でございますが、まず高倉参考人、次に奥田参考人の順序でそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。 それでは、まず高倉参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。高倉参考人。
○参考人(高倉翔君) 御紹介をいただきました高倉でございます。 本日は、本委員会で後日審議予定の教育職員免許法の一部を改正する法律案が、教育職員養成審議会、通称教養審でございますが、の答申を踏まえたものであるということで、特別委員会の主査として答申の取りまとめに当たった私に意見陳述の機会をいただいたものと理解しております。 時間も限りがございますので、以下、私の考えを簡潔に申し述べることといたします。 申し述べる柱立ては、第一番目、答申の趣旨。第二番目、答申までの審議経過。第三番目、答申に対する問題指摘、あるいは御批判と言ってもいいかと思いますけれども、それに対する見解、その三本柱になっております。 まず、答申の趣旨についてであります。 昨年の七月二十八日に文部大臣に提出いたしました教養審の第一次答申、「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」は、その前年の八年七月二十九日に当時の奥田文部大臣からいただいた諮問に対する教養審としての最初の答申でございます。 諮問当時は、学校教育について、個性を生かす教育の実現、社会の変化への対応、さらには児童生徒の問題行動への対処などさまざまな課題が指摘されていたわけでございます。とりわけ、いじめが関係したと考えられる自殺が繰り返し起こるなど、極めて憂慮すべき状況にございました。こうした中で、現場教員の先生方は日ごろの教育活動に大変な御苦労をしながら取り組んでいらっしゃる。そのようなときにへ大学における教員養成についても、力量のある教員を養成するため何かやるべきことがあるのではなかろうか、そういう問題意識から諮問をいただいたものと認識しております。 ただし、この諮問は大学のみに対応を求める趣旨ではもとよりございません。教員の資質向上に関しましては、大学の養成とあわせて、当然のことながら、採用試験で教員としての適格性を十分に検証し、さらにその後の初任者研修やさまざまな専門研修の充実を図らなければならないわけでございまして、教育委員会や学校現場も日々そうした努力をしてくださっております。 しかし、教員は、よく言われておりますように、採用後直ちに一人前の専門職とみなされ、クラス担任や教科担任を一人でこなしていかなければなりません。したがいまして、それにふさわしい資質・能力、すなわち実践的指導力の基礎とでも呼ぶべき必要最小限の資質・能力を大学の養成段階において確実に身につけさせなければならないと思います。こうした大臣のお気持ちが諮問に際してのごあいさつから強く察せられたわけでございます。そして、このことは、子供を持つ保護者を初め国民大多数の率直な気持ちにほかならないのではないでしょうか。 さきにお話しした学校教育をめぐる深刻な問題状況は、今日においても依然続いております。また、未来を担う子供たちにはぜひしっかりとした生きる力を身につけさせていかなければなりません。答申は、このようなさまざまな課題に大学が適切に対応すべく、教員養成カリキュラムにつきまして、単なる理論ではなく、子供たちとの触れ合いや教科の教え方などを重視する、いわば教職重視の観点から具体的な改善方策を示したものにほかなりません。そして、今回の教育職員免許法の一部を改正する法律案は、答申に掲げられたこれら改善方策を実現していく上で不可欠のものであり、私はこの法律案に示された内容を高く評価するものでございます。 第二番目の柱でございますが、答申までの審議経過をお話しさせていただきます。 教養審は、第一次答申に至るまでの一年間に、総会及び特別委員会をそれぞれ十七回、合計三十四回開催。いたしました。月に三回近いペースで、しかも一回につき三時間というような長い時間の審議をすることもまれではありませんでした。このように慎重かつ精力的な審議を行いました。 答申に掲げた教職重視の方向性については、大学や学生の負担増等を懸念する意見が一部の委員から出されたことは事実でございます。しかし、審議会全体としてはおおむね合意が得られ、答申において具体的な改善方策を盛り込んだものでございます。 審議の過程では、大学や教育委員会を対象に、昭和六十三年に改定した教員養成カリキュラムの定着状況や、教員に求められる資質・能力に関する調査を実施いたしました。その結果、とりわけ採用権者である教育委員会からは、大学における教職教育の内容について学校現場の要請との乖離が指摘されるとともに、今後は実践的指導力の育成をより重視し、充実した内容のカリキュラムに改めるべきであるとの意見が多数寄せられた次第でございます。 また、答申に先立って昨年五月に世に問いました特別委員会の審議経過報告書、これの取りまとめを私が中心にさせていただいたわけでございますが、これにつきまして大学、教育委員会、校長会、職員団体などの関係団体から意見聴取をいたしましたところ、全体として教職重視の方向性を支持する意見が大多数を占めたように思います。 しかし、全国私立大学団体連合会初め幾つかの団体から、大学や学生の負担増等を理由に反対または慎重にとする意見があったことも事実でございます。答申におきましてはこれらのさまざまな御意見に対する配慮措置を盛り込んだところでございます。このような審議会の対応については、関係団体からも一定の理解が得られているものと確信しております。 第三番目の柱、答申に対する問題指摘、あるいは御批判と言ってもいいかもしれませんが、につきまして私の考え方を述べさせていただきたいと思います。 問題指摘の第一。まず最も基本的な問題として、教職重視、すなわち教科の教え方や生徒指導、教育実習などを重視する方向性が、教員養成を行う理学部や文学部などの一般大学にとって過重負担となり、結果として専ら教員養成を行う教員養成大学・学部に有利になるのではないかという御指摘についてであります。 教職に関する科目の単位増につきましては、確かに担当教員の確保を初め科目開設に伴うそれ相当の事務量が発生するなど、いろいろな問題が出てくることも承知しております。しかしながら、校内暴力、いじめ、登校拒否など学校教育をめぐりさまざまな問題が生じ、教職重視の方向性が強く求められている中で、ぜひ大学の教職関係の方々のみならず、大学全体にも御協力をいただかなければならないというように思っております。 開放制と呼ばれるすべての大学に教職教育の機会が開かれた教員養成制度は、私は今後とも当然に維持されるべきものと考えております。しかし、そのもとで充実した教員養成を行うべく関係者に最大限の努力と工夫が求められているということは言うまでもないことでございます。 なお、このことにかかわりまして、答申においては、教職科目の卒業要件への算入、大学間での教職科目に関する単位互換を可能にしたり、あるいは専任教員基準を緩和するなどの措置を求めております。今後、行政による適切な配慮を希望しているところでございます。 また、教職重視に伴う問題として、教科に関する科目の単位減により教科の専門性が低下するのではないかとの御指摘があります。 しかし、このことにつきましては、教職課程で修得が必要な教科に関する科目が、通常は卒業要件百二十四単位中の専門教育科目そのものであることを考えると、今回の改正が教科の専門性の低下につながるとは考えておりません。免許基準の改定後、専門教育科目の多少の変動はあるにしても、最低でもたっぷり二年間が専門教育科目の履修に充てられている学部教育の現状が基本的に何ら変わるはずはないと考えているからでございます。 問題指摘の第二。今回の教職重視の改正内容は、むしろ採用試験や初任者研修を通してチェックしたり身につけさせるべきで、大学の養成段階で一律に義務づけるべきではないという御指摘についてでございます。 このことにつきましては、教職重視の方向性、とりわけいじめ、登校拒否等の問題への対応については、むしろ採用や研修の段階の方が、地方議会等での厳しい指摘を受け、既にかなりの対応をしている実績があることは十分承知しております。このような状況を考えると、大学の教員養成教育につきましても、採用後すぐに教壇に立つ若者を送り出す側の社会的な責務として当然に適切な対応が求められるものと考えております。 問題指摘の第三。現行基準、すなわち昭和六十三年改正の基準の評価が不十分である、また、現行基準で免許状が出るようになってわずか四年後の改正は問題だという指摘についてでございます。いわゆる朝令暮改に対する御批判ということになろうかと思います。 まず、現行基準の評価に係る指摘につきましては、先ほど申し上げました教養審答申に至る過程で実施した二つの調査において、前回の基準改正により新設された科目、具体的には生徒指導、特別活動、教育方法に関する三科目でございますが、この評価を問うたところ、大学からは一応基準どおりの科目開設がなされているとの回答があったわけでございますが、新規採用教員のこれら科目に対応する資質についての教育委員会側の評価は、決して芳しいものではございませんでした。 その理由としては、当該分野を専門とする大学教員が数的に不足していること、あるいは大学教員の教育内容、方法が未成熟である、こんなことは言いたくないわけでございますが、であることなどが考えられるわけでございますが、今後は大学教員間の連携や教育現場での豊かな教職経験を有する先生方の参加を求めるなど、積極的な改善努力が必要と考えられます。また、そのためにも、大学関係者による教員養成カリキュラムの実践研究、開発研究がぜひ必要であり、このことも答申において指摘しているところでございます。 次に、基準改定の時期に関する御指摘につきましては、前回の改定に係る法律改正が昭和六十三年に行われたことを考えると、既にそれから十年が経過しており、その間の状況変化等にかんがみれば、今回の改正は当然に必要なものと考えております。 問題指摘の第四。新基準による開設科目等について、教員を確保することの困難さやそれら科目等の意義が不明確であるとの指摘についてでございます。 新設科目に係る教員の確保につきましては、大学教員相互の連携協力や教育現場で豊かな教職経験を有する先生方の参加などを考慮しつつ大学において適切に対応する必要があると考えております。学校現場の状況を考えれば、大学で教える教員がいないから科目開設ができないというようなことでは到底国民の納得は得られないと思っております。こうした教員確保、教授体制確立の工夫も考慮しつつ、大学は新設科目の内容の充実を図ることがぜひとも必要なのでございます。 また、新設科目の意義や内容は、法案を見ただけでは明確ではありませんけれども、この答申にはそれがかなり詳細に示されておりますので、どうぞ委員の先生方、お時間がございますればぜひ御一読いただければとお願い申し上げます。 問題指摘の第五。教育実習に関し、四週間の欠課、つまり授業に出席できないということによる学生への影響や受け入れ協力校の確保に対する懸念についてでございます。 答申では、中学校教諭の免許状取得のための教育実習について、従来の二週間から四週間に延長すべきと提言されておりますが、その方法については、例えば一年次において二週間の観察実習を取り入れて三、四年次の本実習と区別したり、あるいは特殊教育諸学校を初め他校種で教育実習の一部を行うことなども提言しているところでございます。四週間連続しての欠課、授業を休むことが学修士著しい支障になるのであれば、このような弾力的方法によることも十分考慮すべきであると考えております。 また、受け入れ協力校の確保については、全日本中学校長会も、教養審での意見聴取の席上、全面的な協力を表明しているところであり、その言葉を信すべきであると考えております。 問題指摘の第六。最後になりますが、大学の主体的創意工夫こそが大切であり、形式的な基準の引き上げは効果がないとする意見についてであります。 教職課程における教育内容の充実については、大学の意欲的な取り組みこそが何よりも大事であり、その意味ではこの御指摘は的を射たものであると思います。しかしながら、今回の答申における科目新設等の提言につきましては、いずれも学校が当面している深刻な現状を踏まえれば、必要最小限のものにほかならず、その意味で教員養成を行うすべての大学共通の基準とすべき性格のものであることを御理解いただきたいと存じます。 最後でございますが、以上私の考え方を箇条書き的に述べさせていただきました。繰り返しになりますが、教養審の答申及びそれを踏まえた今回の改正法案は、学校教育をめぐるさまざまな問題状況を踏まえ、教員養成に責任を有する大学に可能な対応を求めるべく必要最小限の基準改定を提案したものでございます。 本委員会の大島委員長を初め委員各位におかれましても、このような趣旨を十分に御理解くださるよう切にお願い申し上げ、終わりのごあいさつにかえさせていただきます。ありがとうございました。
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。 次に、奥田参考人にお願いいたします。奥田参考人。
○参考人(奥田泰弘君) 奥田でございます。 全国私立大学教職課程研究連絡協議会の事務局長としてこちらへ参っております。座って失礼いたします。 私は、この法案に反対の立場から意見を申し述べたいと思います。 まず最初に、法改正をするときの原則について二点申し上げたいと思うんです。 その第一は、法改正をするときには当事者を含んだ審議会で審議をすべきだと思っています。教育職員養成審議会が当事者を排除した形で第一次答申を審議、決定されたことは大変遺憾なことだというふうに思っております。すなわち、日本教育学会、日本教師教育学会、国立大学協会、日本私立大学団体連合会、それから私たちの組織であります全国私立大学教職課程研究連絡協議会など、当事者が組織をしている組織から一人も推薦委員が出ていないというのは問題だと思います。 第二点目は、教育職員免許法の改正を考える場合には、養成におけるあるべきカリキュラムを考えるということと、法律によってすべての大学を規制する最低基準を決めるということとは分けて考えるべきだというふうに思います。 それから三番目として、今、高倉参考人の方からもおっしゃられたんですが、現在の学校の教育現場がいろいろな問題を考えているから、だから教員養成のカリキュラムを変えなければいけないという考え方の中には大変距離があるんじゃないかというふうに思います。教員養成の中身を変えて、そのカリキュラムに従って育ってくる学生たち、新しい教師は五年後ですし、その五年後から学校の中でそれ相当の力を学校運営の中で発揮するまでにはまたさらに五年ないしは十年かかっていくわけです。ですから、教員養成カリキュラムを変えることがすぐ現在の教育現場を変えることになるんだという発想はおかしいというふうに思います。 次に、反対意見の骨子ですが、この法律案はいろいろなことが書かれてはおりますけれども、結果的には教員養成から一般大学・学部、これは国立、公立、私立を含みますけれども、一般大学・学部を排除する法律だというふうに読み取っております。その結果、国立の教員養成系大学・学部のみに教員養成を独占させる危険性がある。そのことは結果として開放制教員養成制度の崩壊を招くおそれがあるというふうに強く憂慮しております。 この答申の中には、得意分野を持つ個性豊かな教員を育てたいんだ、だからカリキュラムを豊富にするんだという意味のことが見出しにもありますし、随所に書かれておりますが、得意分野を持つ個性豊かな教員というのはどこから出てくるのかといえば、それは一般大学・学部を卒業した人たちの中から優秀な人が教員になってくれて初めて得られることなんだというふうに思うんです。 次に、ではなぜこの法案が一般大学・学部を教員養成から締め出すことになるのかについて私どもの考え方を三点申し上げたいと思います。 第一点は、教職に関する科目を今度三十一単位にふやすと言っております。時間の関係上、中学校教員免許状に限って申し上げさせていただきます。高校の場合は二十三単位になっているわけですけれども、この教職に関する科目三十一単位は、おおよそ大学で勉強しなければいけない一年分の単位数に相当するわけです。つまり、百二十四単位が卒業の最低単位で、それを四年間でやりますとちょうど三十一になるんです。大学を卒業することが教員免許状を取ることの最低条件ですから、百二十四単位を四年間で取った上に、丸々一年分の三十一単位の教職に関する科目を余分に強制することになるわけです。このことは学生にゆとりのない生活を送らせる。 今、ゆとりを持たせるということが日本の教育改革の大事な指標になっているわけですけれども、多感な青年時代の学生たちにゆとりのない生活を強制することになるのではないかというふうに大変憂慮しています。 二番目は、教育実習を現行の二週間から四週間にふやす、これも中学校教員免許一種のことですが、というふうに言っておりますけれども、それは一般大学や学部にとっては大変不可能に近いことだというふうに認識しております。 お手元にお配りしました資料の右側の資料二とあります図表をごらんいただきたいと思うんですけれども、国立の教員養成系大学・学部では教職科目あるいは教科に関する科目はすべて卒業単位百二十四単位の中に含まれています。ところが一般学部は、これは何度も申し上げますけれども、国立大学も公立大学も、そしてほとんどの私立大学も教育学部以外は皆これに該当するわけですが、それぞれの専門科目を四年間勉強した上に教職の単位を取るわけです。それは百二十四単位の外にはみ出して取るわけです。これが現行では十九単位、十年前の法改正で十四単位から十九単位にふえたわけですけれども、それを三十一単位にしようということになるわけです。これはやはり学生たちにゆとりのない生活を強制することになると思います。 そこで、もとへ戻りますけれども、教育実習の二週間を四週間に延ばすということについては、次の三点の問題点があるというふうに思っております。 第一は、教育実習は実習校側の要望でほとんどが六月に集中するように経験的になってきております。実習生を中学三年生に当てるということはほとんどどこの中学校でもいたしませんが、秋は大変行事も多いし、三年生が受験を控えていて大変な時期だから前期に、入学式の後すぐにというわけにいかないから、とにかく中間テストをやるまでは実習生は引き受けない。中間テストが終わった後でというふうに、大体六月の中旬に教育実習を受け入れるというのが一般化してきております。そこで、四週間ということになりますと、これは中学校側も大変ですし、大学生側も大学の普通の授業が行われている上に教育実習に出るわけですから、大学の通常の成績に大きく影響をしてきます。 二番目は、これは文部省の方も今大いに進めていらっしゃることですけれども、多くの大学がセメスター制をとり始めております。セメスター制と申しますのは、前期で単位を出す、後期でも独立して単位を出す。通年で単位を出すという今史でのやり方を前後期に分けるというやり方です。その場合に、前期の六月という一番大事な時期に一カ月近く休まなければいけない教職履修者は、恐らく前期の試験全部がだめになる可能性を含んでいる問題だというふうに思います。 三つ目は、先ほどの高倉参考人もおっしゃいましたけれども、二週間ずつ分割してやればいいではないかという案があるというふうに伺ってはおりますが、その場合には、教員志願がまだしっかり固まっていない学生を実習校に出さなければいけません。これは実習校にとっては大変迷惑な話だというふうに思います。そして、二年後は人数からいえば、二週間が四週間になるわけですから、実習生の数がふえることは間違いないわけです。 三番目に、新設が予定されている総合演習というのがございますが、この総合演習というのを良心的に実施しようとしますと大変な数の授業時間数と教員数が必要になってまいります。私の大学の場合を申し上げますと、私の大学は二年生から教職課程をとれるようにしておりますが、大体少なくて千人ぐらいがまず教職課程にノミネートをしてきます。多いときには千二百人ぐらいになるんですが、仮に千人として、演習ですから、一クラス二十人のクラスをつくるとしますと五十こま必要です。五十人の教員が必要になるわけです。仮に三十人に水増ししたクラスをつくるとして三十三人強必要になってきます。これだけのことをすべての大学に強制するということが問題なのではないかというふうに考えています。 次に、その他に心配される事柄を三つ申し上げたいと思います。 第一は、優秀な若者が教職離れをますます起こすのではないかという心配です。現在、東京の小学校で申しますと一年間に百人ぐらいしか就職できません。東京じゅうの小学校です。一番多いときは、今五十歳ぐらいの先生方が一番多いんですが、一年で千五百人就職されたんです。千五百人就職されたものが今百人ぐらいずつしか就職できていないんです。しかし、これはまた数年たちますとふえてくるんです。それだけでも教職離れを起こしておりますのに、このようにゆとりのない大学生活を強制されるのならということで教職離れがますます進むのではないかと心配します。 二番目は、先ほども申しましたように、あと数年たちますと教員を必要とする時期が来ます。毎年たくさんとった教員があと数年しできますと退職していきますので、数年後、十年前後までは、また先ほどの東京都の小学校の例でいいますと最低八百人から千二百人ぐらいを毎年とらなければいけなくなります。それに対応できるのかなという心配を持ちます。 三番目は、この法案で生き残りが策されていると私どもは考えておりますが、国立教員養成系大学・学部自体にも大きな心配があります。それは、教科に関する科目を現行の四十単位を二十単位に減らすわけですが、先ほど高倉参考人もおっしゃいましたけれども、専門学科を勉強しているから大丈夫だとおっしゃるんですが、それは私ども国立、公立、私立の一般大学・学部はそこが減ろうがふえようが卒業単位として七十単位ぐらい取りますから変わらないんです。ところが、国立教員養成系大学・学部の場合には、それが学科の力を支える単位になっているわけです。それが卒業単位の中に含まれているわけですから、それを四十から二十に減らして、それ以外にその減らした分を教職に充てるというのは教科に対する力を落とすのではないかとむしろ心配しているわけです。 最後に、ぜひお願いしたいことは、慎重な審議をしてくださいましてこの法案を一度廃案にした後、先ほど申しましたように、日本教育学会等、私ども当事者を含めてもう一度検討し直していただきたいというふうに強く要望しておきます。ただ、どうしてもそれがかなわない場合には、せめて以下の修正をお願いしたいというふうにも考えているわけです。 それは、中学校教諭一種免許状の教職に関する科目三十一単位となっておりますが、それを二十五単位ぐらいに減らしていただきたい。そして、減らしていただいた六単位分については、先ほども申しました教育実習の増加分二単位、総合演習新設分二単位、それから教育課程及び指導法に関する科目のうちどれか二単位、それは大学の判断でいいと思うんですが、合計六単位を選択科目としていただきたい。それをやるということが大事だと考えられる大学がそれをなさればいい。それをやろうという大学はやるということになります。しかし、それをすべての大学に強制する必要はない、そういうふうに考えております。 以上でございます。
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。 これより質疑に入ります。 なお、両参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○北岡秀二君 自由民主党の北岡秀二でございます。 お二人の参考人の先生方におかれましては、それぞれの立場から大変見識ある御説明をいただきまして、まことにありがとうございました。 まず私は、トータルの部分で最初簡単にお聞きしたいんですが、お二人の先生方のお話の中にもあったかと思うんですが、最近、小中高校、子供、青少年を取り巻く教育環境は非常に深刻な状況を迎えておる。ある意味でいうと学校の環境自体が非常に激変をしておるというような状況だろうと思うんですが、こういう状況の中で求められる教師像というのも、基本的な底流は変わらないのだろうと思いますが、おのずと変わりつつあるような感じもする。ともすると、先生の思っている教員としての姿、あるいは子供が学校に求めること、さらには父兄が学校に求めること、それぞれ多少の価値観のずれがあるような感じもいたします。 そういう観点から申し上げると、こういうふうな法律の改正によって、今後求められる教師像と申しますか教員の使命というか、そのあたり、お二人の先生のそれぞれの立場で御見解がございますれば、非常に大ざっぱな質問なんですけれども、お答えをいただきたいと思います。
○参考人(高倉翔君) どうもありがとうございました。 この答申の中で今の北岡先生がお尋ねのことに直接関連するものとしては、教師に求められる資質・能力というものを、いつの時代にも求められるものと、今後特に求められる具体的な資質・能力に書き分けたというのがこれまでになかった答申のつくり方だったわけです。そして、今後特に求められる具体的な姿の中にかなり書き込んであるというのが一つでございます。 二番目に、簡単に言ってしまえば、変化への対応力とかいろいろ言われると思いますが、やはり学力中心よりも人物中心へという方にかなりシフトされているということが言えるのではないか。 第三番目に、さらに社会的な経験というものを、ボランティア活動であれあるいは教職についた後の研修等々についてであれ、そういった教職以外の経験というようなものを求めていく、幅広い経験を持った教師を求めていく、そんなことになろうかと思います。 簡単でございますが、以上でございます。
○参考人(奥田泰弘君) まず第一に先生に求められる資質といいますのは、子供と一緒に成長できる、子供と一緒に成長したいというふうに願っている先生だというふうに思います。 二つ目は、実は私も高等学校の教員の経歴が八年、それから中学校が一年あるんですが、先生の仕事というのは一人でできるものではないというふうに考えています。先生方がチームワークを組んで子供たちと一緒に物事を考えていく、これが大事だというふうに思うんです。今、先生方が御苦労なさっている一つの大きな理由に、先生方同士のチームワークがとれないというんでしょうか、それにはいろいろな問題があろうかと思うんですが、それを感じます。とれていないことが問題をこじらせてきているのじゃないかというふうに感じています。 それからもう一つは、ぜひ申し上げたいことなんですが、若い先生が必要だというふうに私は思います。 こういう話を聞いたことがあるんです。小学生にとって三十代の先生というのはもう自分の親の年だ、二十代の先生がいて初めて先生にちょっかいを出して構ってくれるかなというふうに思う。では四十代、五十代の先生はどうなるんだという質問が出て、額縁に入った偉い方々だとかいう答えが返ってきました。実にリアルな表現だと思うんです。だから、そういう年輩の先生が必要でないなどと私は考えておりません、もちろん。ただ、若い先生がいて初めて子供たちの情報が教師集団の中に入ってくる。その子供たちの情報を若い先生を通じて教師集団が集団として受け取る、これが僕は学校の中で大事なことだというふうに思います。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 続きまして高倉参考人に、先ほどの説明、もう一つ具体的にお聞き申し上げたいんですが、後段にいろいろお話しされていた部分で、このたびの法改正で当然大学サイドも受け入れ体制をどんどん変えていかなければならない。その変えていかなければならない部分にはハード的なものとソフト的なもの、ソフト的なものでは当然、先ほどおっしゃられたような求められる教員像をつくり上げていく過程の中で、教えるサイドもある程度意識改革をしていかなければならないということもあるだろうと思います。 なおかつカリキュラム上も、先ほど先生ちょっと具体的な部分も一部申されていましたが、いろいろな努力もこれからされていかなければならないということであろうかと思うわけでございますが、これから変えていくということに関して、現在抱えている問題と今後ある程度長時間かけて解決をしなければならない課題、それこそ目先のものと長期的なものと二通りあるだろうと思うんですが、先ほどおっしゃられた部分に加えて、もう一つ具体的にこの法を施行するに当たって大学サイドが抱える課題、そのあたりをお伺いしたいと思います。
○参考人(高倉翔君) 具体的にお答えさせていただきますと、現在抱えている問題というのはたくさんありますが、先ほどもちょっと申し上げましたように、六十三年の法改正によって設置された科目等々の担当者というものが、必ずしもその担当と自分の専門というものが一致してないというような場合というのはかなりあるんです。そういうことになってきますと、授業それ自体がかなり形式的になっているというような点一これが非常に私の目につくところでございます。 こういった点をどういうふうに変えていくのかということがこれからのことでございますが、その先生を首にしろと言っているんじゃなくて、先ほど申し上げましたのは、現場で経験豊かな先生方の御協力を得るなどいろいろな努力の仕方があるだろうと。 それからもう一つは、先生、意識改革の問題、カリキュラムの問題をおっしゃってくださいましたけれども、やはり大学教員の組織の中で、大学を挙げて教員養成に取り組むんだというような協力体制ないしはシステムをつくっていきませんと、奥田参考人もおっしゃられました総合演習など、あるいはそういった総合的な学習などとてもそれに対応できない。教育学と心理学の先生だけでは絶対にそれに対応できない、全学的な対応が必要だと、こういうことでございます。私ももう既にそのことの地ならしに取りかかっております。 最後に、カリキュラムにつきましてですが、今度新しいカリキュラムがうたわれておりますけれども、その中身についてはなかなかぴんとこないところがあるというのがやはり実態ではないかと思います。これにつきましてはさらに研究開発を進めていくということで、今度予算も通過したようでございますので、その予算の中でかなり大幅な研究開発のために使える予算をとっておいていただいているというふうに伺っておりますので、早速そういった新しいカリキュラム開発、研究開発に取り組んでいくと、こういうふうな姿勢でおります。 以上でございます。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 これから施行をしていって学内でそのあたりの体制をつくっていくに当たっていろいろな問題もあるだろうと思いますので、ぜひとも積極的に問題を指摘していただいて、提案をしていただきたいと思います。 奥田参考人に別の一点をお伺いしたいんですが、このたびの法改正の中には学校での社会人の活用の促進という部分もあるわけでございます。もう既に社会人の活用、非常勤講師としての社会人の活用というのは採用されて既に実施をされておるわけでございますが、それをなお一層促進していこうというような形での方向づけがなされておるわけでございます。学校の現場の中にそれぞれの分野の専門家の社会人を採用するということに関してはどういう御見解をお持ちでしょうか。お伺いいたします。
○参考人(奥田泰弘君) 社会人の活用の件につきましては、私は例外的にはあり得ることだというふうに思っております。しかし、それをどんどんふやしていくことと、大学で養成するべき教員は大学で物すごい量の単位を強制されるということとは矛盾するんじゃないかというふうに思うんです。 ですから、そこのところは、社会人をお願いするということは例外的にあり得ることだし、望ましいことだとは思いますけれども、あくまでもやっぱり例外だと思います。今までだって、対あるいは町の有識者や古老や、いい仕事をしていらっしゃる人に来ていただいて授業をやっていただくということはやっているわけです。そのことと、今度のように教免法を変えてまで免許状を持たない人を教員に採用していくということとは異質なんじゃないかというふうに私は考えています。 それと、せっかくですので、先ほどの高倉さんへの質問について一言述べさせていただきたいんですが、よろしいでしょうか。 私は、すぐれた先生というのは教職科目だけで育つのではないというふうに考えていますし、皆さんにもそのようにお考えいただきたいと思っているんです。先ほど私、高校の教員の経験があると申しましたが、世界史を教えました。そのときにフランスの権利宣言を教えるわけです。私は教育学科卒業でしたから、権利宣言をフランス語の原語では読んできていないわけです。授業をやっているときに、ああ西洋史を出た人だったらここは原語で読んできてニュアンスもちゃんと持っているんだろうなと思うんです。 例えば、地理を教えました。地理のときの河岸段丘や海岸段丘を教えるときには、地理学科の学生たちは毎年必ず二回か三回実地研究でその場へ行くわけです。私は図面だけで河岸段丘を理解して生徒に教えていますが、後ではもちろん見学に行きましたけれども、地理学科の人たちは毎年それを臨検と称してやってきているわけです。それは教職に関する科目にある科目ではなくて、専門の科目としてそういうのをやってきているわけです。それがいい教師を育てるんです。そのようにぜひお考えいただきたいというふうに思います。
○北岡秀二君 最後に、もう時間になりましたので、お二人が教職員の養成の専門家という前提でお伺い申し上げますが、最近のちょっとした、ちょっとしたというか、かなり社会的には注目されていますが、埼玉県の所沢高校の卒業式、入学式の一連の事件の問題について、それぞれの立場からどういう御認識をお持ちか簡潔にお伺いを申し上げまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
○参考人(奥田泰弘君) 事件とおっしゃっていただきたくないというのが第一の感想です。ああいう高校生が今やっぱり育っているんだということに日本の未来の明るさを感じます。校長先生がもう少し生徒たちと一緒になって、先ほど私申しましたけれども、生徒と一緒に成長するんだというのが教師の原則だと思いますので、生徒と一緒に話し合って、どうしたらいいかということを、もっと生徒の気持ちを酌んでやっていただきたいというふうに思っています。
○参考人(高倉翔君) 一点は、やはり学校の組織風土みたいなものに関係があると思うんです。したがいまして、当該高等学校がどういう組織風土を持っているのかということと絡め合わせて考えていかないと簡単に答えを出すのは難しいのかなと。 それから第二番目は、三月の末に中央教育審議会が、「今後の地方教育行政の在り方について」の中間報告の中でもって、まだ詰まっていないようですが、「学校の自主性・自律性の確立」ということをうたっておられますので、その方向で考えていくというのが基本的に適切なのではなかろうか。そして、その場合に著しく法制度に違反するということがなければ、やっぱり弾力的に対応していくというのが賢明な方策ではないかというように感じております。
○北岡秀二君 ありがとうございました。
○本岡昭次君 高倉参考人にお聞きします。 直接免許法のかかわりがございませんが、最近何か民間人を小中学校の管理職に登用できるとかするとかいう問題がありますが、これは免許法とのかかわりからどう思われますか。
○参考人(高倉翔君) 免許法とのかかわりで申しますと、免許法の方では、免許を持っていること、あるいは教職経験というようなきちっとした規定があるわけで、そちらの方を緩めていかないことには今の制度では話にならないと思うわけです。 ただ、民間人を校長に云々という場合に、やっぱり答えは二つに分かれてきてしまって、非常にはっきりと賛成と反対と分かれるのと、今度は一人の人が賛成と反対の考え方があるのを念頭に置いた上で両方を何とかインテグレートしようとする努力をしている、そんなところであがいているのが今の状況じゃないか、こういうように思うわけです。 ただ、一点私が指摘しておきたいのは、民間人を校長、教頭に迎えるといった場合に、単なる民間人ということではなくて、よく読んでみますと、社会教育あるいは地域の生涯学習等にいろいろな御経験を持った方というようなことで一種の限定をつけているということに着目していけば、どんどん進めると言っているわけじゃありませんが、可能ならばやはりそういう形態もあっていいのではなかろうかというように私は柔軟に考えております。
○本岡昭次君 私は、文部省の現場不信だと思っているんですがね。余りそんなことはせぬ方がいいと思っています。 それから次に、教員養成の問題で、特に奥田参考人の方は、奥田さんの資料を読んだんですが、やっぱり一番の問題は、戦後新しくつくられた開放制教員養成制度が崩壊してしまうんではないかという危機感を持っておられます。私も同じような危機感は持っておるんですが、この点については大丈夫だということについてひとつ的確に御指摘いただけませんか。高倉さんの方から。
○参考人(高倉翔君) 基本的には大丈夫だということでございまして、開放制というものをどういうふうに定義するか、人によってさまざまなようでございますけれども、条件さえ整えば教職課程の開設が認可されるということで、そういう意味で開放制は大丈夫だと、こういうふうに思っております。 二番目に、開放制がこれまでアンダーグラデュエート、学部課程でもって教員養成大学・学部と一般大学との間の仕切り線をどうするかというような議論に集中しておりましたけれども、何か私は最近の議論を見ますと新しい開放制というようなものを感じ取っているわけでございます。つまり、アンダーグラデュエートでは特に教職のための勉強はしていない。いろんなコースを出てきていいから、上に重ねた、これがポストグラデュエート、大学院になるのか、あるいは四年プラスアルファというプロフェッショナルスクール的なものを意識するのか、そのあたりは多様な対応が可能と思いますが、四年制の上に重ねた、そこで教員の養成をまた考えていくべきだという議論も出てきているわけで、そのポストグラデュエートに進んでいくときに、どんなコースを出てきていてもこれは引き受けていきましょうという、そういった新しい形の開放制が出ているように思うわけでございます。 以上でございます。
○本岡昭次君 今のお話に関連してお尋ねしますが、教員養成が短大の二年と学部の四年ということで、免許状が一種、二種ですか、そういうことで分けながら今渡されておりますが、全体の高学歴化、あるいはまた教職につく若者たちが、今の多様化した子供たちは別に学校に行かなくても、教員と接しなくても多様な知識を得る立場にあるわけでして、そういう意味で、教員になる資格を四年というよりはむしろ延ばして、さらに二年上積みするぐらいのことが今必要ではないかと私は思っているんですが、いかがですか。
○参考人(高倉翔君) 非常に難しい議論でございますが、率直に申しまして、今度の教養審の答申にしましても、免許法の改正にしましても同じでございますが、四年間というもの、つまり一種免許状が標準的な教員の免許状であるということを前提にして、四年間の中で何ができるかということを精いっぱい考えて書き込んでいったのがこの答申であり、今度の法律の改正案だと思うんです。 しかし、やはりそこの中でかなり無理が出てきているというのが私の偽らざる認識でございまして、将来的にはその無理をどういうふうにして解消していくか、それをプラスアルファというところで解消するのか、あるいは採用、研修というようなところで解消するのか、いろいろな解消の仕方はあろうかと思いますが、いずれにせよ、四年間でもってきちっと、仕上げていくという言い方はちょっと語弊がありますけれども、やはり教員養成をきちっと行っていくということにはかなり窮屈さを感じているというのが私の実感でございます。
○参考人(奥田泰弘君) 高倉参考人への質問でしたが、私もぜひ発言させてください。 開放制についてなんですが、答申には何も書いてありませんけれども、答申をつくるのにかかわられた方はどなたも開放制は堅持するとおっしゃっています。しかし、実質を見れば、開放制を放棄したとしか考えられない文面なんだというふうに私は読んでおります。私たちは読んでおります。ぜひ答申のその部分、一々指摘する時間がございませんのでごらんいただきたいと思っております。もっとフェアに開放制はどうするのかという議論をしてから今のような答申を出すなら出すというふうな手順を踏んでいただきたいと思いました。 それから、二番目の六年制の件ですが、私も実は修士課程を出ておりますので、今の専修に当たるわけですが、修士課程で勉強を積んでくる人が教員に多くなってくるということを歓迎します。別に否定はしません。しかし、そうでなければ、修士課程を出なければ教員になれないという考え方にはとても賛成できません。それは、教師にはいろいろな人がいるべきだと思いますから。それで短大もやはり教員を供給すべきだというふうに私は考えています。その最たる理由は若さです。教師集団にはどうしても若さが必要です。ことし、来年の運動会もうやめようかなんというような、そういう話が職員会議で出るようなのは教育の危機だと思うんです。
○本岡昭次君 いや、運動会やるのやめようかというような学校なんてないんじゃないですか。ちょっとそれはオーバーな表現だと思いますよ。そこの議論はやめておきますが。 教職課程をふやすということの中に、やはり心の教育が必要であるとか、若干カウンセリングのようなものを教師も身につけていかなければならぬではないかとか、さまざまなしつけの面であるとか、いわゆる教科の面を教えるよりももっと他の面をというふうなことの要請があるとすれば、私はちょっとまずいんじゃないかと思うんです。やはりそうした分野は別の教育スタッフを学校に配置するということでもってやるべきだと思うんです。 例えば臨床心理士とか、あるいはまた社会福祉士とか、教員も含めてそういうカウンセリングをやれるような教育スタッフをきちっと配置して、そして教職員が安心して子供に教えることができる条件整備をどうするかということが大事であって、教員にすべての資質を身につけさせて、神様のようにとは言いませんけれども、そんなことを求めたってどだい無理な話でして、そういうようなことだけはぜひとも求めないようにお願いしたいと思うんですが、高倉さん、いかがでございますか。
○参考人(高倉翔君) おっしゃることはよくわかります。 それで、この答申の中に盛り込んだことは、一口で言ってしまえば、カウンセリングの技術などを一人一人の先生に持ってもらおうというようなことは書いていないのであって、カウンセリングマインドこそ大切なんだということを強調しているわけでございます。 それからもう一つ、教員以外に専門の職員などを配置すべきだと。そのとおりと思いまして、いろいろ行政当局も学校カウンセラーの配置などについて御努力をされているということを十分に承知しております。 この答申の中では、むしろオーディナリーティーチャーと申しますか、クラスルームティーチャーと申しますか、カウンセリングマインドは必要であると。そういう先生方にとってもっと大切なのは、学校カウンセラーや養護教諭や、あるいは学校外のさまざまな組織または専門家と連携協力していく、そのことこそが大切なんだというようなことを強調しているわけでございます。 以上でございます。
○参考人(奥田泰弘君) 運動会をやめようかという話については大げさでも何でもございません。ぜひお調べください。
○本岡昭次君 どこの学校か言ってください。
○参考人(奥田泰弘君) それは申し上げられません。 ただ、こういうふうに申し上げたいと思います。二十代の先生がいない学校がかなり今出ているんです。一番若い人で三十一、二という学校が今かなり出ているんです。小学校でです。これは大変なことじゃないでしょうか。
○本岡昭次君 それではもう一点伺っておきますが、私は小学校も専科制を導入すべきだと、こう思っているんです。 それで、小学校に専科制を導入することといわゆる免許法上の問題、単位を取得することについては特段関係がないんじゃないかと思うんですが、それはどうですか。文部省がやろうとすれば、免許法上関係なく小学校にも専科制を導入してもいいというふうに私は思うんです。そこの御見解はいかがですか。
○参考人(高倉翔君) 免許法上は特にそういった規定はございませんけれども、個性豊かな得意分野を持った教員を育てるということをうたって括りますので、それとのかかわりで実質的な専科制の重視ということをお考えいただければよろしいのかなというように考えております。
○本岡昭次君 最後にちょっと奥田参考人にお尋ねします。 教育実習の問題なんですが、非常にこれの考え方難しいんですね。ここに書いてありますように、二週間を四週間とすれば、受け入れる学校はどうなるか、またそれを実習する学生はどうなるのか、非常に大事なところの指摘がございます。そのことと、二週間というのでは余りにも短過ぎるんじゃないかという発想もあり、現場で対応する教師が、二週間ということで、本当に新卒で出てきたときに、教員としてクラスを担任したり子供をきちっと教えることができるのかという心配もある、こう思います。 しかし、そのことと新卒で子供を教えられるか教えられぬかというのは私は別の問題だというふうに思うんです。教育実習やらなくったって、逆に教えられる力を持った人はたくさんおるんじゃないかと思うんですね。そういう意味で、二週間でなければ、四週間でなければということにそうこだわらないんです。 どうですか、二週間と四週間ということに対する効果の問題ですね、実習の効果。するとこういう弊害があるということと別に、二週間やったことの効果と四週間の効果はどうお考えですか。
○参考人(奥田泰弘君) ほぼ同じ考え方を持っていると私思いましたが、二週間で私は十分だと思います。しかし、ゼロじゃない方がいいんじゃないかと考えております。 それはなぜかと申しますと、私の大学は六学部で構成しております。法、経、商、それから理工、文、総合政策の六つなんですが、それらの学生が先ほど申しましたように千人近くノミネートしてくるわけです。しかし、そのうちだんだんにやめていって、最終的には四百五十人ぐらいになるんです。免許状取るのは四百五十人ぐらいになるんです。 その過程で一番大事な課程は何かといいますと、私はやっぱり教育実習だと思います。何ということなしにという言い方は変なんですが、教職課程に何となく捨て切れないものを感じて三年間勉強してくるわけです。そして、教育実習に行ってみて、あ、これはおれの仕事だと感じる学生はいっぱいいるわけです。それと逆に、十八歳で入った段階からもう既に教師になるんだ、親も教師だからというふうに来ていて、それで教育実習をやってみたら、待てよ、これは私に向いていないんじゃないかと感じる人もいるんです。そのことは二週間やろうと四週間やろうと全く同じです。それで、長ければいいじゃないかという考え方は、それはやっぱり成り立たないんじゃないかという感じがします。
○本岡昭次君 どうもありがとうございました。
○山本保君 公明の山本保です。 実は私、もう高倉先生とは二十五年ぐらい前からお教えいただいているということもありまして、今回急にお願いをいたしました。御出席いただきましてありがとうございました。ものこともございますので、主に高倉先生に御質問したいと思います。既にもうお話が出たことかもしれませんけれども、その辺は御容赦ください。 最初に、今、本岡先生からもお話があったんですけれども、私も実は教育学を勉強してから今度は福祉の方へ行きまして、教育学以外にもいろんな形で子供の専門家、広い意味での教育の専門家がいるということ、そしてその原理的ないろんな対応というのは、教授、学習という方法とは違う方法がまたあって、なかなかこれが効果があるものだということを、自分でもそのことがつかめたなと、そういう経験をさせていただいたわけでございます。 そういう目から見ますと、まさに教師がスーパーマシになっていくというやり方というのはちょっと問題があるのではないか。最近も文部省の初中局の方から研究協力者会議の意見が出まして、さまざまな専門機関、専門家と連携するようにと、こういう方針が出ております。私もまさにそのとおりだと思うわけでございます。 そうしますと、今お話にもあったんですが、もう一度お聞きいたしますが、今回、教職課程、教職分野をふやすということは、何か教員としていろんなことができる人を持ってくるのだ、こういうような考え方になるのではないかというおそれもあるんですけれども、高倉先生、この辺についてはどうお考えでございますか。
○参考人(高倉翔君) もちろん一人前の先生として教壇に立たなければならないという責務をできるだけ十分に遂行できるようにという願いがあるわけでございますけれども、教職科目をふやして、そのことを通して教員の個性伸長とかあるいは得意分野づくりということを考えていく。その基礎に、決して教職科目だけをふやすということじゃなくて、教科または教職に関する科目、そのいずれからでも自由に選択履修しなさいという選択の幅を認めている。そういったことを考えてみますと、教職の科目をふやしたことは確かに事実ですが、それは一方では、得意分野あるいは個性伸長というものを図っているというように考えることも可能だし、またそういうふうな方向に向けていく努力が必要かなというように思っております。 連携協力のことにつきましては先生御指摘のとおりでございまして、この答申にも随所に書き込んでおりますし、またその後、十二月十八日だったか、養護教諭の養成につきまして追加して報告をいたしましたけれども、その中でも連携協力については十分に書き込んであるつもりでございます。
○山本保君 せっかくの機会ですので、ちょっと踏み込んでその辺についてお伺いしたいんです。 考えてみますと、先ほどカウンセリングマインドというお言葉も出ましたけれども、例えばカウンセリングということと教授という行為は、これは実は全然違う方法ですね。単純に考えましても、例えばカウンセラーというのは人の秘密を漏らさないということがまず大原則でして、そうでなければだれも安心して相談できませんが、教員というのはまさにチームワークであり、子供の多様な面を多様な専門家が協力し合うということになっております。 ですから、これは非常にその辺難しい関係になります。この辺まで本当にきちんと教職課程で、勉強で教えられるのかどうか。私は、むしろこういうのは実践の場に出てから研修などでやった方がいいのではないかという気もするんですけれども、この辺いかがでございますか。
○参考人(高倉翔君) 先生おっしゃるとおりだと思います。 カウンセリングマインドなどというものは口で言うのは簡単ですけれども、そういうマインドを簡単に育て上げていくというようなことはそうたやすいものではございません。あるいはカウンセリングの技術などというものは、特に下手に生半可なことでもってカウンセリングの技術などを振り回されたら大変なことになってしまう。そういうことを考えて見ますと、やはりカウンセリングについて十分な見識を持っていこう、そしてある程度のカウンセリングに対する対応はできるようにというところまでが養成の段階で求められることであって、それ以後は、採用ないしは研修というそれに続くコンテニアスプロセスの中でもって十分に育てていってほしいというようなものだと思います。
○山本保君 ありがとうございます。 それでは、ちょっと今度は方向を変えまして、先ほどからもお話に出ております、まさに戦後教育改革の柱の一つが教員養成の開放制である、こういうふうに私どもも習ったわけでありますけれども、先生先ほど、今後ともこの開放制は維持されるべきであると、こういう言葉があったわけでございます。ただ、今回の改正は、そういう面で言えば事実上、専門の教育学部を持っていない単科大学などにとってはなかなか難しくなるんじゃないかという気もいたしますが、まず最初に、このことの理論的な整理といいますか、どのようにその開放制を見ていったらいいのか、またはもう既に意味がないものなのか、この辺についてお考えをお願いします。
○参考人(高倉翔君) いろんな御議論が可能かと思います。 開放制は、確かに戦前のクローズドな、閉鎖的なものに対する反省から出てきたという歴史的な経緯を持っていることは一つ事実でございます。しかし、今日的お開放制の意義を考えていった場合に、かなりオープンな教員養成の場から多様な人材を教育の世界にインバイトする、そういう仕掛けとしてやはり開放制は堅持していくべきだと、私はそういうふうに考えております。 だからといって、制度としての開放制というのは堅持していくべきであるけれども、その開放制というものが非常にやすきに流れると申しますか、運用上あるいは運営上非常にイージーなものになって、言葉は悪いけれども、あるいは国会でそういった発言をするというのははなはだ申しわけない、申しわけないというのは非常識かもしれませんけれども、国家資格の中で教員の資格というのは非常に取りやすいものの一つだというようなことが言われるということに対しては、私は大変残念に思っております。 そういうことを考えていきますと、制度としては開放制は堅持するけれども、やはりこれも熟した言葉ではありませんが、節度ある開放制というようなものを真剣に求めていくという責務が私どもにあるんではないかというように私は思っております。 以上でございます。
○山本保君 そうしますと、実際の運用において、教育大学ですとか、そういう学部のある大きな私立大学以外の学生さんも教員免許状を取りたい、しかもそれは、本来六年ぐらいがいいのではないかという意見は私も実はそう思うんですけれども、しかし現実には四年制で取れるわけですから、四年間のうちにその大学にいたから取れない、こういうことになってきますと、実際にはなかなか難しいし、私立大学の方の経営的に考えましても、そんなことになれば学生が来ないということになってくるわけでありまして、先生先ほどいろんな配慮措置を提案したとございましたが、どんなものがあって、今実際文部省の方でそれは受け入れられそうな感じなのかどうか、その辺についてお願いします。
○参考人(高倉翔君) ありがとうございました。 その配慮措置、先ほど私は三つほど申し上げたわけでございます。先ほども説明をさせていただきましたけれども、私が特別委員会の主査として取りまとめた報告書を提出し、そしてその後、ヒアリングあるいは総会での議論等々を踏まえ、最後の最後の段階になって答申に三つ書き加えたということでございます。 それが弾力的措置で、一つは、先ほど奥田参考人もおっしゃっておりましたけれども、百二十四単位の内数で考えるか外数で考えるか、教職科目を。それを内数で考えでもよろしい、そういったことに変えていこう、これが第一点。第二点は、単位互換制度のようなものを地域の大学で連携して考えていくというようなことをしよう。しかし、これも実際に実施していくとするならば、じゃ自分の大学で取得する単位が半分を下回っていいのかというような、理論上はそんなことも言えるんでしょうが、常識的に考えてみて、半分は自前で取るというようなことがまあ落ちつきどころかなというように私は考えておりますけれども、そんなことが第二点。第三番目は、今度は課程認定をもう一度し直していただくという行政手続をとるわけでございますが、そのときの認定の基準というものをかなり緩やかなものにする。そのことにつきましては文部省が、この法律の本法の方ではなくて、施行規則もしくは課程認定の基準、そのレベルで弾力的な対応をするというようにおっしゃってくださっておりますので、私は行政のそういった対応を希望しておりますし、また、必ずそういった対応をしてくださるものと確信しております。 以上でございます。
○山本保君 そうしますと、これは先生の方の単位とは直接関係ないかもしれないことを三つほどお聞きしたいんです。時間のことおありますので三つまとめてお聞きしますが、先ほど他の委員からもお話ありましたように、今非常に教育において問題がある場合、この教員養成課程で今手を打つということであれば、この効果というのは大変先になるわけですけれども、実務研修とか現任の訓練というような研修課程というようなものはどの程度進んでいるのかどうか。言うならば、大学の方が先行するようなことでは私は実はおかしいんじゃないかという気がするんですね。まず、現実の先生たちにいろんな力をつけていただいてということじゃないかと、順番がそんな気がするんですよ。その辺、ちょっとはっきりしないところもあるのでお聞かせいただきたいというのが一つです。
○参考人(高倉翔君) その点につきましては先ほど奥田参考人のおっしゃったとおりだと思います。 ただ、この答申の方では、養成、研修の並行的充実の必要性ということで、やっぱり両方一緒に進めていくんだと。まず養成、続いて研修とは言っていないんで、並行的充実の必要性ということをきちっと書き込んでいるわけでございます。第二次答申が十二月に予定されておりますので、そのときにはきちっとここらあたりの具体的な書き込みがなされるものと考えております。 以上でございます。
○山本保君 もう一つ、今度は実習で四週間が大変だということになって、実は自分の経験からなんですけれども、先生にちょっと御意見、御感想をお聞きしたいんですが、教護院などのような施設もございまして、学校教育法で言う学校ではないけれどもいろんな形で子供たちの教育にかかわる仕事をしている他の施設、またはそれに類似するようないろんな機関があります。 こういうところを実習の先に入れるというようなことは私はいいんじゃないかと思うんですけれども、先生、どうでしょうか。
○参考人(高倉翔君) 私は、将来的にはそういう弾力的な対応というのは必要になってくるのかなと思っております。 ただ、現行の法制で申しますと、実習というのは、学校教育法第一条に書き込まれている学校、そのどの学校へ行っても構わないわけですが、そこで行うということに法の建前がなっておりますので、それを前提にして今度の答申も書き込みをしている。 ただ、今度の答申の場合には、特殊教育諸学校における実習を非常にエンカレッジしているというような点で非常に特色があるのではないか。そこのところをもう一歩進めていきますと、ちょっと今の法制度にはなじまないかもしれませんが、先生御指摘のような弾力的な措置に進んでいくのかなと。これは次のステップかなというふうに思っております。
○山本保君 免許法を見ましても、上級免許を取るときの実習にはそういう少年院も入っているわけでございまして、ですから、この辺はもっと文部省は緩やかに見ていただいた方がいいと。今度の審議のときにちょっと追及しようと思っております。 奥田先生、時間がありませんのですけれども、一つだけお聞きしたいんです。先生の全般の中の流れでございますが、先生はいわゆる教員養成の専門大学というものについては非常に批判的な感じがしたんですけれども、これについてはいかがお考えでございましょうか。
○参考人(奥田泰弘君) 私も教員専門大学出身なものですから、別に批判的でも何でもございません。そういう学校があっていいと思っております。いろんな学校があることが大事だというのが主張です。 ですから、そういうふうに専門的な勉強をしてきた先生と、教育関係の勉強は少ないけれども、別の分野で専門的な勉強をしてきた先生とが混然一体となって教師集団を形成するということが大事だ、これが開放制だというふうに思っています。 もう一つ、内数で考えるという件について発言したいんですけれども、よろしいでしょうか。
○山本保君 一般大学じゃなくて教員養成大学こそもっと教科を重視すべきじゃないかということもこれに関係する、私もそう思うんですけれども、内数カウントについてどうぞ。
○参考人(奥田泰弘君) 私立大学団体連合会という、私大懇話会と私大協会と私大振興協会と、三つが一つになっている団体がありますが、その団体は教養審のヒアリングに対して、教職に関する科目の増加には賛成できない、それから教育実習の四週間化には賛成できないというふうにはっきり述べているわけです。それに対して文部省の方から来た話が、今、高倉参考人がおっしゃった三項目なんです。 これまではそうしなかったけれども、教職に関する科目を卒業単位の中に認めるということで私大団体連合会の方々は納得されてしまったんですが、私たち現場にいる者は、それはできませんと申し上げるしかないんです。つまり、法学部で教育原理が卒業単位になるとお考えですか。法学部、経済学部で生徒指導に関する科目が卒業単位になるとお考えですか。そんなことはあり得ないわけです。 例えば、今、大綱化によって自分の専門の教科を強力に集中的に勉強させようというふうに大学はだあっとそっちの方向へ動いているわけです。その法学部に教員になる人が一%か二%いるから、教職に関する科目を卒業単位に認めろというふうに言って認められると思われますか。私は思えないんです。 それからもう一つは、単位互換制度というのはそんなに簡単に決まらないです。来年課程認定しなきゃいけないんです。単位互換制度というのを決める前に課程認定が通らないということは起こりませんか。現場にいる者はそういうふうに感じ ているわけです。 以上です。
○山本保君 どうもありがとうございました。
○日下部禧代子君 きょうはお二人の参考人、本当に現場からの御意見をいただきまして、また御見識のある御意見をいただきまして、ありがとうございました。 まず最初に、教育に関する一般的な質問をさせていただきたいと思うんです。 現在、不登校の子供たちがふえております。また学校中退者もふえておりますし、保健室に逃げ込む子供たちもふえております。また、授業がおもしろくない、授業がわからないという子供たちもふえております。成績はよくても、その学科が必ずしも好きではないという子供たちがふえております。いわば学校離れ、学校嫌いがふえていると言ってもいいんじゃないかなというふうに思うんです。 そういう中で、もともと学校が持つべき役割、つまり学ぶことへのわくわくするような知的な興奮、あるいはまた友達とか教師とのコミュニケーションを通した人間理解の場としての学校、つまり学校の活性化ということが今考えられなきゃならないと思うんですけれども、その学校の活性化のために一番何が求められているとお考えでいらっしゃいましょうか。そして、そこでの教師の役割は何かということをまずお二人の参考人にお聞きしたいと存じます。
○参考人(高倉翔君) 大変全般的なことで恐縮しております。 もちろんこれは学校だけで対応できるものではなくて、今の言葉で言いますと、学校、家庭、社会の連携協力云々というようなことがよく言われますけれども、まさに国民的な課題として日本人が、あるいは世界の人類が一致して取り組まなきゃならない非常に大きな今日的な問題かというふうに考えております。 それで、ひとつ思い切って、規制緩和の延長線ということではございませんけれども、義務教育という考え方を非常に大きく転換させていってしまう。つまり、義務教育というのはもともとコンパルソリーエデュケーション、ドイツ語でシュールツバングなんて言っていますから強制教育なのであって、ある一定の意図のもとに、ある一定の型にはめ込んでいくというのがもともとそのスタートであった。それが今日では大分変わってきて、そこで言う義務というのは、教育を受ける権利を保障する、むしろ公共の義務なんだというようなことが言われます。 しかしながら、日本の法制では就学義務というものが基本になって考えられていることは確かなのであって、その就学義務の上にいろいろな義務やら基準やらが積み重なってきて、非常に息苦しい状況が出てきているんだということも一つの原因ではなかろうか。 そういうことを考えていきますと、義務教育というものをもっとやわらかなものにするというような大きな方向で考えられないのか。ただその場合に、風穴をあけるというような考えではなくて、制度それ自体を弾力化するんだというようなかなり思い切った発想でお考えいただくということができないんだろうか。何かこれは中教審で発言するようなことで申しわけございませんが、そんなことを感じております。 もちろん、その中で教師はやっぱりキーパーソンの役割を果たすということは確かでございましょうが、しかし教師が何もかも抱え込むというのはやめようというのが最近の御主張に多く見られることでございますので、そのことには私も賛成でございます。
○参考人(奥田泰弘君) 楽しくなければ学校じゃないと私は思います。子供たちは学校へ行くことが楽しくてしようがない、そういう学校にすべきだと思うんです。 じゃ、学校でどんなことが楽しいんでしょうか。それは私は、学校行事だとかクラブ活動だとか生徒会活動だとか、あるいは遠足だとか、そういうものが年間を通してゆったりと、自分たちの意見に基づいて行われるというところが楽しい学校だというふうに思います。先ほど所沢高校のことを申し上げましたけれども、何をどういうふうにやったかということではなくて、あれをやる求めに生徒たちがどういうふうに知恵を出し合ったのか、そして自分たちが出し合った知恵で何ができたのか、そこに成功感があるから楽しいんだと思うんです。 私は田舎の学校でいい子ちゃんの秀才だったんですけれども、中学校の二年生のときには学校へ行くのが嫌になりました。そのときにどうしたかというと、テニスのラケットだけ持って学校へ通ったことが三週間ほどあります。授業は一応出ましな。でも、教科書も何も持っていかないで、持っているのはテニスのラケットだけでしたけれども、それがあって私は学校嫌いにならないで済んだという面があります。 どの子にだってそういう時期が必ずあるんじゃないでしょうか。やっぱり放課後のおしゃべりなんというのも実に楽しいものなんだと思うんです。そういうものを保障する学校が大事だというふうに思います。カリキュラムを変えないで週五日制にしてしまったために何が犠牲になったのかといえば、楽しいはずの行事が犠牲になったんです。それがさらに悪化させたんじゃないかというふうに私は考えています。
○日下部禧代子君 今求められる子供たちの姿として、自主的な個性を持った子供たち、それを育成する教育というのが必要だというふうに言われているわけなんですが、子供たちの自主性、個性を生かす教育ができるためには、まず教師自身がやはり自主的であり創造性が豊かでなければならないというふうに思うわけです。教師自身の魅力ということ、これはかなり子供にとってすばらしいことではないか、大きな意味を持っているんじゃないかなというふうに思うわけです。 そういう中から子供たちがやる気を起こしていく、そのことが私はやはり教育の原点じゃないかなと。そのためには、今までのように与えて与えてというのではなくて、引き出すといういわば今までとは逆さまの方向に働いていくような方法ということが教師には求められるんじゃないかなというふうに思うんです。 私、ヨーロッパの子供たちと日本の子供たち、自分の経験からなんですけれども、日本の子供たちは号令では動くんです。ところが欧米の子供たちというのは、号令をかけられないけれどもきちんと並ぶときには並んでいるし、黙れと言わないでも黙るときは黙っているというふうな、この違いというのは非常に私は大きな違いだなというふうに体験的に思うわけです。 今申し上げたような教師と子供たちができ上がっていくためには、今回の法改正というのはどのように意義があるのか、あるいはまた問題点もあるのかということでございます。 つまり、教職課程の履修科目を大幅にふやすということは、確かにこれは教えるということのテクニックということに関しては今までよりは単位がふえるわけでございます。しかし、教科一般に対する科目の単位は減らされるのです。そうすると、言い過ぎかもわかりませんが、ある意味で画一的あるいは固定的な教師像というものができ上がってくる可能性もなきにしもあらずというふうな気がするわけでございますが、この点に関しまして両先生に御意見を承りたいと存じます。
○参考人(高倉翔君) いろいろありがとうございました。 教育が詰め込むことから引き出すことへ、そのとおりと思います。 エデュケーションというのは、よく私たち教えられましたけれども、引き出す、エアツィーエンというのは引っ張り出すことなんだということをいろいろ教わったわけですが、実際にはエデュケーションの中身というのがインドクトリネーション、注入するということになっていた、だから本来のエデュケーション、引き出すという点に、つまり原点に戻っていく、そういうスタートラインに今度の制度改正がなっていくということを期待しているわけでございます。 ただ、制度はどんなにいじっていっても、やはり一定の効果を上げることはできるにしてもそれで万能だというふうには私は思っておりません。したがいまして、今度の制度の改革というものを契機といたしまして、それの持つインパクトによって、教員の意識を含めて日本のすべての人々の教育に対する意識というものが大きく変革していく、そういったことを期待するわけでございます。
○参考人(奥田泰弘君) 生徒たちが自主的な、自由な生活が送れるためには教師がそうでなければいけないとおっしゃることも全くそのとおり、同感です。 じゃ、今の先生方がどうなっているのかということが問題点なんだろうと思うんです。今の先生方は、聞くところによりますと、余りお互いに相談なさらないようですね。こういうときにはどうなのかということを隣の先生に、あるいはちょっと先輩の先生に相談をなさるという体制になっていないというふうによく聞きます。 それはやっぱり、世の中でよく言われるいわゆる管理体制が行き届き過ぎたことなんじゃないかと私は考えているわけですが、例えばこういう言葉があります。教師は最初に就職した職場で決まるというような言葉があります。 私は都立高校の定時制に最初に就職したんですが、そこの職場はとってもいい職場でした。どういう点がいいかというのを一言だけ申しますと、クラス担任をしています。ある子の問題が起こりました。私はどうしたらいいかなと考えたときに、きょうちょっと相談したいんだけれどもと隣の先生に言えば、定時制ですから終わるのは九時半か十時なんですね、十時過ぎにただ隣にしゃべっただけのことで五、六人の先生が集まってきてくれて相談に乗ってくれるわけです。そのときにこの子の問題についてこう思うという話をしましたら、それはおれの授業のときにはこうだよ、私のクラブ活動のときにはこうだよというような情報を出してくださって、それが私を支えてくれたんです。 そういう職員集団がなければ教育というのは成り立たないと思うんです。そういう職員集団を個別に分断しているのではないかという心配を私は合しています。 それからもう一つ、今度の法改正との関連は一言で申しますと、そういう有能な先生が教壇に行く前にシャットアウトしてしまう法改正だと理解しております。
○日下部禧代子君 大変な法改正になってしまうと、これは大変な問題だなというふうに思いますけれども、教員採用試験のあり方についてお伺いしたいんです。 非常に人間的に魅力ある、自主性のある、個性豊かな、そういった教員を採用できるためには、今の採用試験のあり方というものに関して、私はこれは全面的に今でよしというふうには言えないんじゃないかなというふうに思うんです。試験問題を見ますと、教育法規の暗記が必要であったり、あるいはテクニックの暗記が必要であったりというふうな試験問題がかなりたくさんあるわけでございます。本当にすばらしい、望ましい先生が欲しいわけですけれども、まずその採用のところでそれこそ門戸が閉ざされるというのでは非常に残念でございます。 今回の法改正もございますけれども、それにつながるものとして、採用試験のあり方について両先生に御意見を承れればと思います。
○参考人(高倉翔君) 採用試験あるいは採用のあり方につきましては、文部省の教職員課とは別に、地方課が中心になりましてかなり積極的に協力者会議等で新しい方針の提言をし、それに基づいて各都道府県及び政令指定都市がかなり思い切った採用方法の改革をなさっているわけでございますね。その報告書なども出ておりますし、また私もある県のそういったプランニングに携わりました。したがいまして、これまでの採用試験というのは言ってみれば余りよくない、もう思い切ってそれを変えようということで、出題の方法あるいは面接の重視、あるいはその面接をする人あるいはそういった採用にタッチする人に民間の方々を加える、あるいはさまざまな本人からの得意分野を一つ売り込んでもらう等々、いろいろな改革努力がなされている。私はこれは大変結構なことかと思います。 今度の法改正との関係で申しますと、これもなかなか難しいわけですが、採用の問題についてもやはりいろいろな工夫が必要だということを書き込むと同時に、特に個性豊かな得意分野を持った教員の養成ということをうたっておりますので、そういった先生方を採用するような方法、それを積極的にとってほしいと。 その前提の一つといたしまして、採用選考に当たり重視する分野などを公表してくださいというようなことを書き込んだわけでございます。これに対しては御意見が二つありまして、こういうようなことを書き込むことによって教育委員会が大学を支配下に置く、言葉は悪いですが、それは大学にとって大変な問題だというような御意見もあります。私はこの点についてはあっさりと、これは情報公開をしなさいということだというように考えておりまして、そういった公開された情報をどう利活用するかというのは大学の見識の問題だと私は考えているわけです。しかし、それに対していろいろな御反対があることも十分承知しております。
○委員長(大島慶久君) 時間が過ぎておりますので、できるだけ簡明にお願いいたします。
○参考人(奥田泰弘君) 教員採用のあり方については、今、高倉参考人もおっしゃったように、いろんな形でいろんな努力をなさっておられると思います。そして、それは大変御苦労さまなことでいいことだというふうに考えております。 ただ、どうも私、短い言葉で言う場合に誤解されるようなことを言っているような感じで気にはなっていますが、一番急所は校長先生だろうと思います。教員採用に当たられる、面接をなさる校長先生の見識の問題だというふうに思います。そして、それはもとをただせば、どういうルートでどういう先生が校長先生になられる時代なのかによって随分違ってくるんじゃないかという気がします。
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代といいます。きょうは貴重な御意見を聞かせていただき、どうもありがとうございました。 最初に、高倉参考人にお伺いします。 先生、教養審の答申にも深くかかわってこられたと思うのでお伺いしたいんですけれども、答申の中でも冒頭に触れているように、審議会の審議期間中に、いわゆる財政構造改革による教職員の配置改善計画の二年間繰り延べ、先送りですね、その計画と、それから国立教員養成系大学・学部の教員養成課程の入学定員を今後三年間のうちに五千人削減するという計画、これは大学教員の数でいうと五百人削減に当たるそうですが、こういう計画が打ち出されています。こうした計画は審議の中でどのように取り扱われたんでしょうか。また、私は今回の教職員免許法の一部改正案にもこの問題は相当程度影響を及ぼしているように思うんですけれども、この点に関してはどんなふうにお考えになりますか。
○参考人(高倉翔君) 審議の大きな流れの中で考えてみますと、特に影響を及ぼしていないと。むしろ、この答申というのはクオリティーの面に中心を置いて議論が進んでいってしまった。そして、数の問題というのは後から出てきたということもありまして、どちらかといえば副次的に、あるいは軽視されたとは言いませんけれども、かなりマイナーなものであったというふうに感じております。 ただ、私、一言だけ言わせていただきますと、五月に報告書をまとめる段階で、この数の問題についても教養審で議論をする必要があるだろうということを書き込みまして、それについてマスコミ等で、そのとおりだ、大変いい指摘だというようなサポートする御指摘もあったことは事実でございます。しかし、やはり全体の流れの中でもって一つはマイナーな問題になっていってしまった。その背後にはいろいろなポリティカルな事情もあろうかと思いますが、私は残念だったというふうに思っております。 ただ、そのことについて最後の最後、後書きのところで、やはり関係者のこれからの一層の努力を期待するということだけはきちっと書いておいていただいたというわけでございます。
○阿部幸代君 教員免許法については八八年にも改正されているんですね。それで、この改正に基づく養成教員というのは、実際には九三年からことしの九八年三月までの卒業者しかいないわけですね。実際の審議期間中に限って言いますと、九三、九四、九五年の三月までの卒業生じかいないことになると思うんです、三年分しか。ですから、私は随分と長期的な展望を欠いた法改正だなというふうに思ってしまうんですね。つまり、実質的な検証のしようがない改正だということです。 それで、教養審答申の中に、冒頭、「学校教育を巡る動きは極めて急であり、とりわけいじめや登校拒否などの深刻な問題を契機として、教員の指導力が国民から強く問われている状況にある。」等々、こういうふうにあるんですけれども、こうした問題は前回の改正のときにも強調されていました。参考人質疑の議事録を私きのう読んだんですけれども、先生は参考人として意見陳述をなさっていでこういうことをおっしゃっていました。ですから、前回と今回との間に何が差し迫った違いがあるのかしらということに当然なるんですけれども、そうすると、この定数改善の先送りと教員養成課程の入学定員の削減計画ですか、これが随分大きく出てくるんですね。 それで、それがマイナーな問題としてしか扱われなかったのは残念ということを伺ったんですが、客観的には、今、日本の教育をどうするかという問題を考えるときに、養成の立場からのカリキュラムのこういう改正の問題だけではなくて、当然教育条件整備、よくしていく、こういうことが検討され、教養審でも言及されるべきだったなというふうに思うんです。これは私の感想といたします。 もう一つだけお伺いしたいんですが、中学校の教員のほぼ五割、それから高等学校の教員のほぼ七割が国立の教員養成系大学以外の私学や一般大学・学部の出身者になっているという現状があります。こうした現状からして、私は、教員養成における私学、また一般大学・学部の果たしている役割は極めて大きいものだというふうに思うんですが、この点について先生どうお考えになりますか。
○参考人(高倉翔君) そのとおりでございます。そういう数字もちゃんと指摘していただき、そしてそういった数字に基づいて教養審でも全く同じような認識をしております。 以上です。
○阿部幸代君 ところが、今回の免許法改正を実際実施するとなると極めて困難だということは奥田参考人の方からお話があったと願うんですね。総合演習なども、演習らしい演習にするためには二十人クラスですか、そうすると時間割表で五十こま分、先生の数で五十人ふやさなければいけないという大変な問題になるということも含めて大変困難だということをお話しになったと思うんですが、先ほどそういう私学や一般大学・学部のことも考慮して三つのことを配慮するとしたということをおっしゃいましたね。卒業要件の中に単位を算入していけばいい、それから単位互換に大いに取り組んでいったらいい、それから専任教愚の比重を緩和する、こういうことを打ち出しているんですが、これも私はよく考えますと、卒業要件に入れるというのは不可能だということを奥田参考人の方からお話があったと思うんですが、単位互換とか専任教員の比重を緩和するとかいうのは結局、本来、今回の教員免許法の改正の趣旨であるすぐれた資質・能力を持つ教師を養成するということに反する、よからぬ条件を固定したまま、単位さえ取ればいいでしょう式の養成を強いるようなやり方で、矛盾しているなというふうに思うんです。 ですから、こうならないためにも、やはり法律というのは最低基準を設定して、あとは大学の自主性で大いによりよい方向がとれるようにするのがいいと思うんですが、どうですか。
○参考人(高倉翔君) おっしゃるとおりでございます。 今度の基本的な考え方も、負担として感じるかどうかということとは別に、やはり最低限必要なものをきちっと整えたという基本的な考え方に立っているわけでございます。 もう一つは、前半におっしゃられたことに対してでございますが、先生おっしゃられるとおりで、これまでの教員養成も含めまして大学の管理運営等々というのは、やはり規制と保護の間でもってかじ取りがなされてきたというのは否めない事実だと私は思うんですね。これからは大学の裁量と自己責任というその中でもって大学がどういうふうにかじ取りをしていくか、それが求められているんだと、こういうふうに私は認識しております。 そういった考え方に基づいてなるべくこの答申をまとめようというように努力したわけでございます。
○阿部幸代君 教育職に社会人の活用も強調されるくらい、さまざまな分野の専門性に秀でた人材が必要だというふうに思うんですが、そういう意味からも、発達学を踏まえた指導力という意味での専門性以外の、その道その道の、例えば国語でしたら国文学、理科でしたら地質学とか物理学とか、あるいは数学でしたら解析学とか、こういう専門性に秀でた人を受け入れていくという意味でも、私学や一般大学・学部から教育職を志す学生たちの道を狭めないようなシステムを保持することが教養審に課せられた課題だというふうに思います。 では、奥田参考人にお願いします。昨年、教員免許取得希望者に介護体験等を義務づける法律がつくられたんですけれども、このことで教員養成現場ではどんな問題が起こっていますでしょうか。
○参考人(奥田泰弘君) 今大混乱しております、というのが一言で言えばです。どうやればいいか暗中模索をしているというのが現状です。 一月七日に文部省が全国の大学、短大を集めて虎ノ門ホールで説明をされまして、三月いっぱいにはマニュアルを各大学に送るからというふうに言われて、それを待っている段階です。しかし、三月が過ぎましたけれども、それは出ていないんです。ですから、一週間ほど前に私たちの組織で調べましたところ、こういう手順でやるということが要綱として出せているところは東京都と大阪府だけです。あとのところは全く文部省のマニュアル待ちで、どうしていいかわからない、それが来るまではとても手がつけられませんという感じです。
○阿部幸代君 何か一つの制度をつくるとき、改めるときというのは、本当に先の見通しを持ってやらないと大変なことになるということが、この介護体験等の義務づけでもよくわかるんです。 それから、奥田参考人にもう一つお願いしますが、教育職員の社会的地位、ひいては子供たちにとっての、国民にとっての教育条件にもかかわる問題になると思うんですが、伺いたいと思います。 教育現場のさまざまな問題について、まずは教師にその責任が問われます。批判の対象になるわけです。そこから勢い教師の資質の向上ということも言われる傾向があると思うんですね。もちろん私は教師の資質向上という側面を全否定するわけじゃないんですけれども、現場に必要とされることはもっともっとほかにもありそうな気がするんです。 教え子を現場に送る立場から、何が今必要とされているのか。教育職員の地位向上にもかかわるし、あるいは子供によりよい教育を保障する教育条件の整備にもかかわると思うんですが、そういう問題についてどんなことをお考えになっているか、お聞きしたいと思います。
○参考人(奥田泰弘君) 一つは、もっと先生を励ましてあげてほしいというふうに思いますね。悪いところはかり指摘するのじゃなくて、もっと励ましてあげてほしいというふうに思います。それで、励ましてあげるためには、励ます側に教育についてのやはり理解がないといけないんです。そういう意味では、開放制の教員養成制度のところでぜひ発言したかったんですけれども、開放制の教員養成制度では、ペーパーティーチャーというふうにさげすまれたような言い方をされますけれども、教育学あるいは心理学の素養を身につけた一般社会人がたくさん育つわけです。そのことも開放制教員養成制度の非常に大事なメリットだと思うんです。 そういう教育の応援団が社会にいっぱいいて、しかも教育という仕事は、お薬を盛る医者だとか、物すごくややこしく入り組んだ法律を解いていく弁護士とは違って、教育は親ならだれでもやっているわけです。昔なら隣近所の人が、親はなくとも子は育つという言葉はそういうことだと思うんですが、隣近所の人たちがその周りの子供たちを育てたわけです。そういうみんなで育てるという感覚を持つ。だからこそ、先生方がどういう状況に置かれているのか、私は日本の歴史の中で今の先生方が置かれている条件というのは非常に厳しい時代の最たるものだというふうに認識しているわけですが、その認識を母親たちも社会の人たちも持ちながら、一緒に悩み一緒に励ましてあげてほしいというのが一番強い願いです。
○阿部幸代君 教育条件整備に関して。
○参考人(奥田泰弘君) 教育条件の整備で第一のことは、私はクラスサイズの縮小だと思います。一学級に四十人も入れていたのでは、もう目が届かない時代になっているというふうに思います。 その一つの事例だけ挙げますと、最近の子供たちの特徴は一対一じゃないと聞いてくれないんですね。例えば数人で悪いことをしている子がいるとしますね。それで、集めてきてお説教をするわけです。そのとき、同じことをしていて同じようにしかられているはずの数人が、先生が目を向けてしゃべっている子だけしか聞かない。あとの子は自分に言われていないと思っているという傾向があるわけです。つまり、今の子供というのは一対一の対応を教師に求めてくるんです。それは親にそういうふうにずっと育てられてきたからだろうと思うんです。 ですから、一対一の教育だったら一学級三十人だって多過ぎるんですが、それは一対一の教育を基本にしながら、やがてはみんなで物を考えられるようなクラスづくりをするということを前提にして、それでもやっぱり三十人を超えるクラスを一人の教師に任せるのは無理がある、条件整備で一番大事に考えなきゃいけないことはそこだというふうに私は思います。
○阿部幸代君 クラスサイズを小さくするということで、これは教員の数もふやす必要があって、そのことが教員養成系の大学や学生を励ますことにもなるというふうに私は思っているんですけれども、今日の政策的な課題の非常に大きな部分を占めているというふうに私も思っています。 どうもありがとうございました。
○扇千景君 高倉また奥田両先生にお忙しいところおいでいただいて、貴重な御意見をいただいたであろうと思いますけれども、ちょっと政治的混乱のために拝聴できなくて申しわけございません。拝聴していないのに質問するのも気が引けますけれども、せっかくおいでいただきましたので、基本的なことを一問ずつお伺いしたいと思います。 私ども今、政府もそうですけれども、中高一貫教育というものを目指しております。けれども、中高一貫教育というものを志向するに当たっては、中高免許同時取得というこの問題に対して、果たして可能性としてはどういう点が問題点としてあるのかということをまず高倉先生にお伺いしておきたいと思います。
○参考人(高倉翔君) 中高一貫の教員免許状をどういうふうに考えていくかという場合に、中高一貫のカリキュラムについて教育課程審議会の答申を待って作業を始めるというのは、これは筋道からいえばそのとおりなんです。しかし、そうやっていった場合に、恐らく肩先生のお考えの中には、中高同時に免許を取得するという場合に、片や実習が四週間、片や二週間というそこのあたりの整合性をどう考えるのかというのが恐らく御質問の趣旨かなというふうに思っております。 このあたりは大変難しいところでございますけれども、今の状況ではやはり中学については四週間、高等学校については二週間ということでお願いするということでございますが、何かそのあたりに弾力的な対応ができるのかどうか、これからの検討課題だと思っております。 ありがとうございました。
○扇千景君 ありがとうございました。 奥田先生にお伺いしたいんですけれども、今、奥田先生がくしくも、先生というものは、最初の職場で将来性というか、学校が楽しいというか、教師の希望というものが出てくるというお話がございました。私は、先生もそうですけれども、生徒も最初に出会った先生によって自分の人生を方向づけられたり、また自分の人生に希望を持つという、やっぱり生徒と教師の最初の対面というのは大変大きなインパクトがあろうと。先生も最初の学校で決まると奥田先生はおっしゃいましたけれども、出会った先生によってすばらしい人生を送ることができるきっかけになる生徒がたくさんいるんですね。 そういう意味で、今度の法改正によって、そういう幅広い、人間性豊かな先生というものを求め得る一助になるのかどうかという御意見を伺いたいと思います。
○参考人(奥田泰弘君) 生徒が先生によって影響を受ける、すてきな先生に出会って人生を考えたという例は枚挙にいとまがない、全くおっしゃるとおり同感でございます。 それで、この法案ですばらしい先生が誕生するのかというふうに聞かれれば、私は、ノーと答えざるを得ません。申しわけありませんけれども、ノーと答えざるを得ません。
○扇千景君 ありがとうございました。あとは委員会の審議の中で生かしていきたいと思います。
○委員長(大島慶久君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、長時間御出席をいただき、貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時三分散会 —————・—————