文教・科学委員会 第8号
- 発言数
- 176 件
- 登壇者
- 23 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1998/03/12
会議録
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 昨日、大野つや子さん及び風間昶君が委員を辞任され、その補欠として田沢智治君及び山下栄一君が選任されました。 ―――――――――――――
○委員長(大島慶久君) 教育、文化、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件及び科学技術振興のための基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○小野清子君 自由民主党の小野清子でございます。 先般、文部大臣の所信を伺わせていただきまして、その一端について御質問を申し上げたいと思います。 その前に、先月七日から十六日間にわたって行われました長野オリンピックは、地元の長野市を初め関係者の皆さんの大変すばらしい御協力の中で円滑な大会運営ができ、また諸外国からも大変高い評価をいただきました。成功裏に終了できたということをともに喜んでいるわけでございますが、それは世界の青年たち、そしてわけても日本の国を代表する選手団のすばらしい御活躍によるものが大変大きかったと思いますし、また特にボランティアの方々の大変大きなお支えがあったことも事実でございます。 大臣といたしましては、長野オリンピックが我が国に与えた、今まで薄れかけていたと思われるような親子の情愛とか家族の支え、それから監督、コーチ、同僚との信頼感と友情、日本はまだまだ大丈夫だと、そんな気持ちに私もさせていただきましたけれども、大臣の御感想などを一言伺わせていただければと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 元オリンピック選手の小野先生から長野五輪の御評価をいただいたことは、私も担当大臣の一人として大変にありがたく、また喜んでいるところでございます。 今、小野委員御指摘のように、メダルの獲得数のことばかりではなくて大会運営面でも、今御指摘のあった約二万人に及びますボランティアの方々が、短期間の集まりですからいろいろな御不満もボランティアの方々から一部あったようでございますが、全体として見ると非常にすばらしい御協力をいただいて大会の成功にお力添えをいただいたこと、あるいは学校がそれぞれの国とタイアップするといいましょうか、一校一国連動というようなことで国際協力の実、国際理解の実を上げるといったようなことが特筆されるのではないだろうか、こう思っております。 また、今御指摘のあった選手団の活躍、本当に最近明るい話題の少ない日本でありますから、すべての日本国民に明るさとさわやかさを与えてくれた。成績のみならず、まさに御指摘のあったような、チームの同僚でありますとか、お父さんお母さんでありますとか、家族でありますとか、あるいは郷土の人たち、大勢の人たちに支えられて自分の命日の活躍があったんだという本当にすばらしい発言を私もテレビなどで耳にして、このことの与える非常に大きなプラスの効果、青少年のみならず社会全体にとてもいい効果を与えてくれたなと、こんなふうに思っております。国民の皆さん方の全体の御協力もあっての大成功であったと、このように受けとめているところでございます。
○小野清子君 しかし、施設整備というのはなかなか大変でございまして、ぎりぎりまでアルペンの場合には会場の整備がうまくいかなかったりしたせいもあります。日本の場合には、大会になりますと立派に運営されるわけですけれども、通常の練習の施設というものが非常にお粗末でございます。そういった意味におきましては、今回、施設等の整備がさらに拡充、充実されていくということが必要でございますし、またそれが市民スポーツにとりましても大変大きく功を奏するところだと思います。 また、あれだけのすばらしい施設をつくられたその今後の運営、利用というものは大変費用がかかるわけですね。そういった意味におきましても、これからのあの長野の施設設備をさらに利用、活用することと運営する上で大変大きな課題があろうかと思います。 と申しますのは、スケートリンクなどは大変お金がかかります。通常は、スケートの選手が練習するときにでも、真夜中とか超早朝しか使えませんし、そういった中において、選手としてあのような脚光を浴びる以前に、日ごろのトレーニングで非常に大きな経済的負担を個人が担いながらあの大会に参加をしているわけでございます。 そういった意味からは、スポーツといいますと文部省でございますけれども、これからの時代は文部省一つがああいう施設を経費上も賄っていくことは私は大変なことじゃないかと思うんです。諸外国の様子を視察させていただきましたときに、例えば日本の場合ですと、オリンピック選手が使いますと、その競技場は選手の者だけしか使わせてくれないという何かしら伝統があるんですけれども、外国へ行きますと、一部分を選手が使い、一部分を市民スポーツが使い、一部分を身障者が使いというぐあいに非常に細かく分けまして、あらゆる分野の人が一堂に会して利用しているといういい点があります。 ですから私は、文部省、厚生省、労働省等々が、例えばああいう施設を今後利用する上でもまさに壁を取り払った形でやっていくのが経済的にも、健康長寿社会実現等々の意味も含めてあらゆる意味で大事なことではないかと思いますけれども、その辺の御感想等々もお聞かせをいただければと思います。
○政府委員(工藤智規君) 競技力向上のためのトレーニング施設等をどうするかということにつきましては、平成九年度から調査協力者会議を設けまして、日本におけるナショナルトレーニングセンターのあり方について御研究をいただいているところでございます。 諸外国に比べまして日本の場合は立ちおくれているわけでございますけれども、これまでの御議論の中では、その施設配置のあり方につきましても、どこか一カ所に大きなものを一つ置いてということだけではなくて、せっかくの長野のような施設もあるわけでございますので、既存の施設も活用しながら、しかも種目別にどういう形のトレーニングシステムがよろしいのかということも含めてなお検討中でございます。いずれにしましても、せっかく長野でああいう立派な施設ができたわけでございますし、その活用をどうするかというのは大きな問題でございます。 ただ、御承知のように、長野オリンピックの招致に当たりましての閣議了解では、施設の後利用につきましては地元が主体で行うということになってございまして、目下のところ長野市を中心にその後利用をいろいろと御検討でございます。その中では、もちろん市民スポーツを含めたいろんな方々の御利用を計画しているわけでございますが、他方で、ナショナルトレーニングセンターといいましょうか、そういう機能の上でもぜひ活用してほしいという御要望もあるわけでございます。 さはさりながら、全体の運営費が結構かかるものでございますから、その支援の体制をどうするかということにつきましては、なかなか現下の財政事情を考えますと国なり文部省から直接というのは難しい状況でございまして、先般来御検討いただいておりますスポーツ振興投票法案等の動向も期待しながら、長野市を初めとして関係者が見守って検討しているところでございます。
○小野清子君 ありがとうございました。頑張られた選手の日の丸に負けない今後の文部省としての、あるいは地元としての活用、利用、そして健康へのつながりをぜひ生み出していきたいものだと思います。 それでは、昨今の一連のナイフ事件につきましても御質問をさせていただきたいと思います。 けさの新聞で教師の覚せい剤所持のニュースが流れまして、まことに残念でございまして、大臣といたしましてもさらにまた心を痛められているところではないかと思います。 データを見させていただきましたら、平成十年の一月二十八日から三月十日までの間にバタフライナイフ等々の事件が十六件ございまして、うち死亡事件が二件でございます。連鎖的に事件が起こってくるということはまことに残念だと思いますし、また、文部省の方としましてもいろいろと御指導していることも承知をしているわけでございますけれども、基本的な倫理観や規範意識というものをどのようにしたら体得させていくことができるのか。大臣、本当に御苦労だと思いますけれども、本日の新聞等をごらんになられて、その辺の所感をちょっと伺わせていただきたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 今、委員御指摘のように、けさの新聞にもまたあってはならない教師による覚せい剤の使用といったような問題もありますし、本当に連日のように何かまるで伝染病が広がっているのではあるまいかと思われるようなナイフ事件の多発の状態、本当に私も青少年の健全な育成に責任を持つ大臣として心が痛んでおりますし、何かできることはないだろうかと日々苦しんでいるところでございます。 委員御指摘のように、やはり当座この何か伝染病的に広がっているこれをどこかで食いとめなきゃいけないという思いもございまして、例えば二月の上旬でございましたが、各都道府県あるいは政令市の教育委員会の生徒指導の担当者の方々に集まっていただきまして、とにかく命の大切さ、これをしっかりとまず学校で再三再四徹底をしてもらいたいし、またあわせて、刃物の携帯というのはこれはもう法令で禁止をされているんです、罰則がかかっているんだからということをもっとしっかりと子供たちにも自覚をしてもらい教えてもらいたいと、そういうことを当面講ずべきこととして強く訴えました。 その際に、もちろん生徒との信頼関係が大切ではございますが、さりとて、例えばその学校にナイフが相当持ち込まれている、危険な事件が起きるおそれがあるというときには、今までややもすると、所持品検査などをやると、それはよろしくない、子供のプライバシーを侵害するからやるべきでないと非常に戸惑いとためらいがあったようでございますので、必要と校長先生が判断すれば、その場合にはどうぞ毅然とした措置をとってくださいということも申し上げました。 もとより、所持品検査ですべてが解決するなどとは私は思ってはおりません。より根本的には、委員御指摘のような、子供たちが人間として持つべき規範意識でありますとか、正義感でありますとか、思いやりでありますとか、命を大切にする心でありますとか、そういうものをどうやってありとあらゆる教育の機会、そしてそれは多分学校教育だけではなくて、家庭教育でありますとか、あるいは地域社会での教育でありますとか、そういったものの総合として子供たちにしっかりとしたそういう規範意識などを身につけてもらうことが、迂遠なようでも、またある意味ではそれしか方法はないんだろうと。そのことの大切さというものを再認識しながらしっかりとした教育を進めていきたい、このように考えております。
○小野清子君 大臣が、緊急アピール「子どもたちへ」、三月十日にお出しになられ、そしてまた「保護者、学校関係者、そして全ての大人たちへ」ということで、今までの大臣としては初めてこのような踏み込んだアピールをされたように私は拝聴させていただきました。 特に、命を失われた人たちは二度と帰ってこないという、この現実をやはり言葉に出してしっかり子供たちに言い伝えなきゃならないと思いますし、また保護者の方々、自分の子供の行動に責任を十分に持ってほしいというこの当たり前のことが、やはり今まで何かしら声が出ていなかったんではないかと思いますし、家庭で断固とした指導をしてほしいと、これも当然のことですけれども、何か親は学校に子供を任せきりで人のせいにするところもありました。命の大切さを繰り返し繰り返し子供たちに教えてほしい、学校はまた全力を尽くしてほしい、そしてみんなで声をかけ合って育てていこうではないかと。このことは、すべてお互いが信念と勇気と責任を持ってやっていこう、こういうことに尽きるのではないかと、そんなふうに考えております。 ですから、親は自分で子供を産めば自分の思いどおりになる等々、このごろの幼児に対する虐待の問題等々も含めて、何か親がおやおやの方になってしまっているのではないかという大変残念な気持ちもいたしますけれども、やはり核家族、それと都市化の問題ですね。子育てや家庭教育に対する悩みや不安を持っている大人たちをまことに孤立化させているということが、育児に対しても私は非常にマイナス面で大きく響いているのではないかと思います。 以前ですと、子供が泣きますと、隣のうちからどうしたのと声をかけてくれて、抱いてくれて、そして親子ともども和ませてもらえた。それがビルの中ですとそういうこともできません。また、子供たちも個室に入ってしまいますと、人と接触するということよりも、自分が自分のことを考えただけで生きでいっている。思春期の子供たちの教育をめぐる悩みというものを、親とも接触が少ない、そして親も子供との接触が少ない中から、親も子供も私はともどもに悲鳴を上げているのではないかということを日ごろ非常に感じているわけです。 ですから、そういった意味からは、保護者に対して呼びかけをしていただいたということは大変私は今回よかったのではないかと思いますが、もう一点、教師も同様に悲鳴を上げているということを私は感ずるわけでございます。一方だけが悲鳴を上げているのではなくて、子供が悲鳴を上げているということは、子供を育てている家庭の親もどうしていいかわからずに悲鳴を上げている。そして、その子を扱う教師も同様に悲鳴を上げているのではないかと思いますけれども、大臣、どのようにお感じでしょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 今、小野委員から私の三月十日に発出をいたしましたアピールのことに触れていただきました。子供たち、そして大人たちへということで、とりたてて新しいことを書いたつもりもございません。余りにも当たり前過ぎることだけを、それでも書き連ねてみると、やっぱりこういうことなのかなと、自分なりに納得しながらこれを皆さん方にもお訴えしたわけでございます。 特に今委員が言われました、親の立場、子供の立場、教師の立場、それぞれで確かに悩みやら苦しみが今あると思います。ただ、いろんな背景の変化、今御指摘のあったような核家族化でありますとか少子化でありますとか、都市化の進行により地域のつながりが薄らいだとか、あるいは我々の子供の時代よりはるかに今の子供たちはよきにつけあしきにつけいろんな情報がいっぱい頭の中に詰まってきている。ただ、それの意味を理解できなかったり、あるいは難し過ぎて理解できなかったり、あるいはバーチャルとリアルの関係がわからなくなってしまったり、いろんなことがあると思います。あるいは豊かになり過ぎたがゆえに、子供が欲するものはすべてもらえる。どこかに行きたいと一言えばそれも全部かなう。 そうやって、ある意味ではすくすくと育ち過ぎたがゆえに、中学生ぐらいになって突然先生や大人からしかられると一遍にパニック状態になって、いわゆる切れてしまうというようなことにもなってしまう。やっぱり、常に世の中は自分の思いどおりにならないということをもっともっと小さいうちからしっかり家庭なりいろいろな場面で教えておけばこういうことにはならなかったのではないのかな、こう思ったりもいたします。 特に私は家庭教育ということを、今声を大にしてその重要性をお訴えをさせていただいておりますし、今までは家庭教育とか親の子供に対する教育のあり方ということはどちらかというと余り行政なり政治なりがさわるべき分野ではないということで、思っていても余り言わなかったと思います。しかし、それではやっぱりいい子供が育たないんじゃないだろうかということで、今、例えば厚生省なりと相談をしながら、生まれる前から、そして生まれて、一歳半、三歳で健診があったりします。幼稚園、保育園があります。その期間の教育というものをどのようにしていったらいいのかということを厚生省などとも相談をしながら、あるいは自治体の協力も得ながら、保育というと何か教育じゃないみたいな感じになっていますが、私はそうじゃないと思っておりますので、広い意味の教育ということで家庭教育、幼児教育の重要性を強調しながら、いい教育ができないだろうかと思っております。中教審でも今そういう方向でいろいろな御検討、御提言をこの三月末までにいただけると、こんなふうに承知しているところでございます。
○小野清子君 教職は八・八倍の難関というぐあいに、公立学校教員の採用試験の平均競争率が過去最高の八・八倍となった。特に女子は十・四倍、十倍台に乗ったことが何か文部省まとめで出ておりました。少子化で採用の落ち込みが続く一方で、教員人気は景気の低迷を背景に高まっているということが一つございます。 要するに、優秀な学力の先生たちが教職の現場に入っているということは事実だと思います。しかし、優秀な学力の青年が、例えば学校の指導の中で、さまざまな体験や相手と接触することの技術、能力、そういうものを持っているかというと、学校に行けない教師たち、人間関係つくれず、幾ら努力してもわかってもらえない、これが現実のようでございます。 文部省によりますと、一九九六年度の精神疾患を理由に休職をした全国の教員数は千三百八十五人、過去最高に達したというのが一九九六年度のデータでございます。これは過去最高だということでございます。学校に行けない教師たち、不登校の教師たちというものがやはり話題になっております。出会った二十代、三十代の教師は同僚とも生徒とも人間関係をつくることができない人たちだったと。しつけ、あるいは本来家庭が行うべきことを教師の仕事とされ、地域社会や父母からの過重とも言える負担、プレッシャーをかけられていると、こういうことも出ておりました。 せっかく持っているその頭脳優秀なる教師が、対人技術の訓練が非常にうまくいかない。ということは、初任者研修ということがどれくらい功を奏しているのか。あるいは初任者研修を経た方々が現場に入られて、その後現場に入られたことの中における悩みや何かをどこでだれとどのようにフォローしていくのか、そのあたりがこれから私は非常に必要になってくるのではないかと思いますけれども、その辺はいかがなものでしょうか。
○政府委員(辻村哲夫君) ただいま先生からの御指摘の点は大変重要な、また深刻な問題だというふうに思っております。 教師の役割として、もちろん国語、数学、社会、理科といった教科の指導ということ、この点の指導力が十分であることが大切であることは言うまでもないわけでございますけれども、その前提として、教師と子供たちの間に人間的な信頼関係と申しましょうか、そういうものが必要である。よく言われるいわゆるカウンセリングマインドと申しましょうか、そういったものを教師たちがしっかり持つ。それを基礎として、教師と生徒との間での人間関係をベースに初めて実りある教育活動というのが展開されるだろうというふうに思います。 そういう意味で、先生ただいま御指摘になられた初任者研修制度というのも、免許を持ち、教師に採用されて直ちにひとり立ちの教師としてすべての責任を負っていくということではなく、一定期間は先輩の教師から実地に期したさまざまな体験的な指導を受ける、そのことによって教師としての幅を広げる、あるいは人間関係をもっと豊かなものにする、こういうことで生まれたわけでございます。まださまざまな課題があろうかと思いますけれども、全体としてはこの初任者研修制度、先生方が自信を持って教育に携わる、そういう面で高い評価を得ているというふうに思っております。 しかし、今先生が御指摘になられたような現実があるということも事実でございます。そうしたものを踏まえながら、さらに教師一人一人のみずからの努力に加えて、先輩教師からの初任者研修制度というものをさらに有効なものにして、あわせて先生としてのトータルとしての実力、指導力を高めていく、こういう課題にさらに全力を尽くしてまいりたい、そんなふうに思っております。
○小野清子君 ありがとうございます。 ですから、相談体制という体制整備をきちんとしていくことが今後非常に大きく必要となってくるのではないかと思います。やはり先生が生き生きとしていかなければいい授業ができないわけでございますし、すべてが悩みを持っているわけではありませんから、生き生きとしていらっしゃる先生ももちろんいるわけですけれども、せっかく得られたそれぞれの能力を十分に発揮していただけるような条件整備をやはりしていかなければならないのではないかと思います。 また、学校運営の中における会議が多くて、非常に負担が多いと。また、一週間の自分なりの家庭生活の整理をしただけで、あすの授業の整理整とんに時間をかけられない、授業の準備に非常に時間が使われる、その余裕が出てこないということで、二〇〇三年を二〇〇二年肥前倒しという一年間短縮のいわゆる週休二日制が昨今発表されまししたけれども、私はこれに関しましては前々から、公務員一同がもう既に週休二日制を現在行っている現状をかんがみましたときに、こういう非常にいろいろな教科を、いろいろな種類の性格の子供を扱っている先生という職業のこの御苦労の多さ、あるいは多忙さの中こそ、一日も早く週休二日制がまずありきという形に持っていかなければ、先生にゆとりがなければゆとりある授業を学校現場ではすることは私は不可能だと思います。 そういった意味におきましては、二〇〇三年を二〇〇二年に持ってきた一年前倒しということは、何か私は余り感心しない。もうちょっと思い切った形で、せめて二〇〇〇年からとか持ってきていただきたい。そうしませんと、本当に現場の先生たちが頭いっぱい、時間的ゆとりやら、あるいは相談に行くにも、土日体制の中で自分の半目使ってさらに相談に行くなどということが現実的に可能かどうかということを考えたときに、やはり私は週休二日制というものをもっともっと真剣に、教育全体の現場の状況からしても必要ではないかと思います。 また、親の支援として、六十一年に私が当選させていただいたころに、家庭教育地域交流事業というのが文部省で余り大きな予算ではなかったんですけれどもありまして、「新井戸端会議」と、こういうニックネームがついておりました。要するに、子育ての自信のないお母さんが近所のお母さん方と出会いながら意見を交換し、励まし合いながらやっていこうという事業でしたけれども、今やその年齢を超した上の段階で親が非常に大きな悩みを持っているという現状をかんがみますと、親に対する相談支援対策と学校の先生に対する支援対策、こういうものがまずベースとしてきちんとしていかなければ、私は子供たちにゆとりも活力も生まれてこないのではないかと思います。 その辺で、例えば家庭教育の支援のための施策を今後どうしていくか、あるいは教育の現場における相談体制をどのようにしていくのか、そのためのゆとりや何かをどのように文部省が今後考えていくべきか、三点になりますけれども、お答えをいただいて私の質問を終わらせていただきます。
○国務大臣(町村信孝君) まず、週五日制のお話に触れていただきました。それだけであればもうこの四月からと言いたいところでございますし、私も文部大臣になりましてからできるだけ早くできないんだろうかということで部内でも随分会議をしてまいりました。 ただ、どうしても新しい指導要領を出し、それに基づいて教科書が編集され、そしてそれに基づいてそれの検定を行い、各県・地域で採択を行うというとどうしてもあと三、四年かかってしまうというところはどうもやむを得ないのかなということで、目いっぱいこれでも最大限の努力をし、平成十五年度を十四年度にすると。もちろんそれに伴って教科書とかカリキュラムもきっちり整備されなきゃなりませんし、同時に土日をどう、言うならば受け皿として、皆さん方がそこで塾に行かれちゃ何のことやらわけがわかりませんから、やはり青少年団体がもっと活発な活動ができるようになるとか、地域におけるスポーツをもっとできるようにするとか、そうした受け皿の環境整備もあわせて鋭意それまでに整備をしていきたいというので、ぎりぎり一年早めるということを今ほぼ結論を出させていただいたということでございます。 それから家庭教育、お父さんお母さんへの手を差し伸べるということ。特に私は父親がどうも家庭教育の中で影が薄過ぎるということが、我が身の反省も含めて言えば、これはもう少しやっぱり父親が母親と一緒になって子供の教育に当たるというようなことの環境整備も必要なんだろうということで、私も経済団体の方に会ったりして、できるだけ単身赴任はもうさせないように、あるいは残業ももう余りしないようにというようなことで、父親がまず子供と触れ合う時間をふやす。あるいは母親、父親がともに気軽に相談に行ける場をつくる、児童福祉法も改正になりまして、保育所でもそういう相談ができるようにする、幼稚園においてもしかりといったようなことを初めとして、気楽に相談に行ける、悩みを打ち明けられる、そんな機会をできるだけ提供していくといったようなことなども含め、あるいは教師に対する相談は先ほど局長が答弁したようなことで、各方面でのそうした施策を総合的に活用しながら、しっかりとしたいい子供たちが育つような環境を整えていきたいと考えております。
○小野清子君 私は、枠組みありて内容を考えるのか、内容ありて枠組みを考えるのか、その辺あたりの御一考をお願いしたいと思います。 以上でございます。ありがとうございました。
○北岡秀二君 自民党の北岡でございます。 先ほど小野先生の方から文部大臣に対して、最近の一連の子供の事件に関連してのいろいろな御所見をお伺いしたわけでございますが、私の方からも、最近特に取りざたをされております心の教育という観点から、基本的な部分あるいは長期的に取り組んでいかなければならない原点の部分の問題提起あるいは質疑をさせていただきたいと思う次第でございますので、よろしくお願い申し上げます。 まず、心の教育ということを考えてみますときに、教育現場で私どもがまず最初に発想するのは道徳教育じゃなかろうかなというような感じがするわけでございます。今現在においても、そして過去にあっても学校の現場では道徳教青をずっと指導してきておる。にもかかわらず、最近の一連の現象が起こって、なおかつ学校の中でもろもろの心の問題にまつわる部分も含めての現象がなかなか解消されないという状況だろうと思うわけでございますが、現在に至るまでの道徳教育がどういう成果を上げてきておるのか、そしてまた、こういう結果になっておるのですから十分な成果が上げられていないということだろうと思うわけでございますが、上げられていないとするのであれば、どこに問題があって、どういうふうに課題をとらえていらっしゃるのか、まずお伺い申し上げたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 道徳教育の重要性にお触れをいただきました。文部省といたしましても、道徳教育の充実に向けて今までもいろいろな政策を打ってきたところでございます。ただ、結果はどうかと言われれば、昨今の事件、今委員の御指摘のとおり、規範意識でありますとか基本的な倫理観でありますとか、そうしたものが十分に身についていない。もしかしたらそのことのまたあらわれが昨今のいろいろな不祥事にも、大人の社会の不祥事にもいろいろ出ているのかなといったような反省もしているわけでございます。 どうしても今までの道徳の時間といいますと、私もいろんな方々に聞いてみたのでありますけれども、決して有効に成果を上げるような授業が学校の現場で行われてこなかった。例えば、一つの徳目がありまして、それをただ読んで聞かせてはい一時間終わりと。ややもするとそういう表面的な取り組みに終わっていたんではないだろうか。またもう一つ、最近は変わってきたようでありますけれども、教職員組合の道徳教育反対という執拗なまでの運動もあったということも、これは率直に認めなければならない事実であっただろう、こう思っております。 私は、そうしたことを踏まえながら一教育課程審議会でありますとか中央教育審議会、今そうした御審議をいただいておりますけれども、例えばもう少し座学ではなくて、例えばボランティア活動とか介護の体験に行くいったようなこと、あるいはそうした体験的な活動を通じて人を愛することの重要性を学ぶとか、最近は例えば高校生が幼稚園に行って小さい子供と触れ合って初めて、ああ何て子供ってかわいいんだろうというような経験をするようなこととか、さまざまな試みが行われていたりいたします。 あるいは、私はこの間オリンピックでメダルをとった選手たちに会ったとき、シーズンオフになったら少し学校を回ってくださいねとお願いをしたら、清水選手もちょっと困ったような顔をしておりましたけれども、何も一々の学校現場を回らなくてもいいのですが、インターネットなどを通じて自分の体験を話す。清水選手とその亡くなったお父さん、そして支えてくれたお母さんの話、例えばそういうようなことを通じて親子のよりよい関係というものを考えるきっかけを子供たちに与える。そうしたさまざまな工夫というものが道徳教育の場でもっともっと行われて、そしてその実を上げるような努力をしていく必要がある、こう認識をしております。
○北岡秀二君 今の御答弁にありましたとおり、今の学校の現場での道徳教育の扱われ方というのは、週休二日制にも関連してくることではありますが、授業をカットしていく場合にはまず道徳教育からカットしていくというような現場での実際の状況もあろうかと思います。そしてまたなおかつ、過去にあっては、考え方の対立する立場の方々との道徳教育についての見解の相違により、学校の現場で十分にそのあたりが普及できなかったというもろもろの問題も当然あったかと思います。しかし、こういう状況の中に至るに当たって、そしてまたなおかつ、教育改革の大きな柱として心の教育をこれから徹底していくんだというような大きな柱を立てていらっしゃる以上、道徳教育に関連するもろもろの状況というのはぜひとも改善をしていただけるようにお願いを申し上げたいと思う次第でございます。 ここで、皆さん方のお手元にも配付申し上げておりますが、大変興味深い報告書があるわけでございます。これは平成八年度の調査事業ということで、財団法人一ツ橋文芸教育振興会、財団法人日本青少年研究所というところが「ポケベル等通信媒体調査」ということで日本とアメリカ、中国の高校生の意識調査をやっております。その意識調査の結果をこういう一冊の冊子にまとめ上げまして報告をされておるわけでございます。ポケベル通信ということが本来の目的ではあったのですが、ここの一節に、心の教育ということを考えていく上で非常に参考になる統計数字が出ておる。これは各国の高校生を対象にしたアンケート調査ではありますが、この一覧表をごらんいただいておわかりのとおり、日本の高校生の意識というのは、各分野にまたがって、本人の自由でやってもいいんじゃないですかという大変大きな数字が出てきておるわけでございます。 この各国の比較の中で顕著に数字としてあらわれておるのが、「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」。この二つを数字で申し上げますと、日本では、本人の自由でいいんじゃないかというのが七九%、「親に反抗すること」に対しては八四・七%。これはアメリカ、中国はほとんど一五%前後。非常に大きな数字の上での差が出てきておる。さらに、これは全般的に見ておわかりのとおり、非常に本人の自由で、ちょっと言葉には語弊があるかもわかりませんが、何でもやっていいんじゃないかというような認識が非常に高い数字が出ておるような感じがするわけであります。 私は、特にこの「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」、このことに対する日本の数字というのは非常にゆゆしき問題であり、なおかつ今の学校現場あるいは家庭環境を見ていく上で非常に示唆に富む数字じゃなかろうかというふうに感じておる次第でございます。 これは、一つの見方によりますと、学校の教育体制自体が既に崩壊をしておる状況とも見てとれる。そしてまたなおかつ家庭の中でも、先ほど小野先生がおっしゃっておられたような部分の家庭の中での教育というか、しつけの体制も基本的には崩壊に近い状況じゃなかろうかということを私は推測するものでございますが、このあたりの数字をごらんになられまして、大臣どういうふうにお感じになられるか、お伺いを申し上げます。
○国務大臣(町村信孝君) 今、委員御指摘のとおりでございまして、私もこの数字を見て、確かにこういう状態なんだろうなということを実感を持てるわけであります。親やあるいは先生に反抗することばかりでなくて、「学校をずる休みすること」という部分とか、あるいは「売春など性を売り物にすること」、こういうことまでも含めて「本人の自由で良い」という比率が諸外国よりもかなり高いという実情は大変にゆゆしき現状だろうと、こう思っております。 それは、自由の主張というのは一面であっていいのでありますが、当然、自由とか権利の主張には責任と義務が伴う。そちらの方がおろそかになってひたすら権利と自由のみを主張する、多分これは戦前の日本のあり方に対する言うならば一つの反動として、戦後、とにかく個人の権利が大切だ、個人の自由が大切だと、いささか権利と自由の履き違えがこういうすさまじい数字になってあらわれているのかなという感じもいたします。 自由とか権利、必ずそれは権利と責任が相伴って初めて、バランスをとって初めてそれが実現できるのだということをしっかりと学校で教えてきたのかどうか、あるいは家庭の中でそういうことをしっかり教えてきたのかどうかということを、我々大人の現在の姿も含めて反省をしながら、学校の現場で、家庭の現場でもう少ししっかりやってもらわないといけないのだろうなと、こう思ってこの数字を拝見させていただきました。
○北岡秀二君 私は、大臣の御認識というのはまことに結構な御認識をされていらっしゃるだろうと思います。これはもう数字を見てごらんのとおり、こういう状況だからといって日本の子供たちが伸び伸びと生活をしていらっしゃるかというと、そうでもない。アメリカの、中国の子供たちが本人の自由でいいという部分が非常に意識が少ないから、じゃ抑圧されているかというと、そうでもない。逆にこれはアメリカでも中国でも、私らがいろいろなメディアを通じて拝見をさせていただく限りにおいては、日本と比較をして決して不健全な状態でもないし、逆になお一層自立心を持って非常に元気に活動されていらっしゃる子供たちが多いというような感じもしないではない。 そういう状況から申し上げますと、今の大臣のお話のとおりいろいろ問題があるんじゃなかろうか。つい先日、日教組が教職員の悩み相談ということで、これは新聞にも大きく出ましたが、アンケートをとられた。この数字の中にも、子供の自己中心的、無気力、無責任等々の傾向があって、それに対して先生方が悩んでおられるというような数字も出ておるわけでございまして、決してこのアンケートだけがたまたまこういう結果が出たんじゃないというふうに私は認識をしておるわけでございます。 先ほど大臣のおっしゃったことにも関連するわけでございますが、なぜこういう現象になっているのかということを考えてみますときに、いろいろ問題はあろうかと思います。しかし、たまたま今大臣が答弁の中でもおっしゃられましたが、豊かな社会人をはぐくむ、社会人としての人格形成をはぐくんでいくという観点での基本のキーワード、これはすなわち、先ほど大臣もおっしゃられましたが、権利でありますとかあるいは自由でありますとか、あるいは平等とか個性とか、さらに人権、これはもう本当に一番原点の部分の言葉の定義に対して、認識に対して非常に大きな誤解があるんじゃなかろうかというふうに私は感じるわけでございます。 先ほどおっしゃられましたとおり、権利という言葉には当然のごとく義務がついて回るものである。そしてまた、自由という言葉にはルールを守るという責任があって、それを守った上での自由である。 さらに、平等ということを考えてみましても、平等というその解釈の中には結果平等と機会平等、チャンスの平等という二つのとらえ方があるわけでございますが、本来の平等の意味というのは、あくまでチャンスは平等ですよと、機会平等の平等が私は本来の平等の意味じゃなかろうか。部分によっては結果平等という認識もあって当然なんですが、基本論としては、チャンス平等が本来の平等の意味ですよということもあろうかと思います。 そしてまたさらに、個性ということを考えてみましても、教育の現場で、結果平等思想を上げながら、なおかつ個性をはぐくんでいきましょうといううたい文句をよく私は拝見させていただくわけでございますが、これはおのずと皆さん方おわかりのとおり、結果の平等を押しつける以上は、個性は出てくるわけは絶対ない。逆に人間性が抑圧されて、個性というのはそういう状況の中では決して出てこない。そしてまたなおかつ、個性ということを考えてみますときに、社会の中で生きていく上に当たっての個性であり、社会の中で個性を発揮するという状況でございますので、本来の教育の観点からの個性ということを考えてみますときには、反社会的な個性が本来の教育の場での個性であるとか、本当に社会的に受け入れていただけないような個性というのは決して教育の場で論ずる個性じゃない。 さらに、人権という言葉でもそうでございますが、これはもう人権を主張する以上、当然他者の人権も認めなければならないから、その裏には大きな大きな社会に対する、他人に対する思いやりも当然なければならない。 こういうもろもろの言葉の表と裏と申しますか、いろいろな意味で、歴史的に醸成してきたそういうキーワードというか、一つ一つの原点の言葉には大変大きな重みと意味がある。 ところが、先ほどちょうど大臣もおっしゃっておられましたように、非常に今の学校現場での、当然大人社会も含めてでございますが、基本論の部分のそういう肝心な言葉の解釈に大きなゆがみ、大きなずれがあるからこそ、結果的に無責任な子供たちであったり、さらには無気力、自己中心的な子供たちが出てきておるのでないか、それが一つの原因じゃなかろうかというふうに私は思うわけでございます。 ちょっと話が横へずれますが、この各国比較でもおわかりのとおり、よく外国との比較の中で、日本の常識は世界の非常識ですよ、世界の常識が日本の非常識ですよというような言葉もよく使われるわけでございますが、こういうところにも非常に大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに感じるわけでございます。 そういう観点から申し上げますと、このたびの教育改革、そしてまた心の教育を大きく推進していく過程の中で、今申し上げました権利でありますとか自由でありますとか、あるいは個性であるとか平等であるとか人権であるとかいう部分の、これはもう本当に世の中をなしていく根幹の部分の言葉の定義を、ぜひとも共通の認識をしていただけるような指導をしなければならないのでなかろうかというふうに感じる次第でございます。 そういう観点から申し上げますと、今取り組んでおる具体のことで考えてみますと、例えば学習指導要領の総則の中に自由だとか個性だとかいう文言を入れておりますが、こういう文言をただ単純に入れるんじゃなくて、そのあたりの重さというのを十分に理解できるような形で表現をする。そしてまたさらには、先ほどのお話ではございませんが、道徳教育の中でそういう部分を十分に子供たちに理解できるような何らかの形で広めていく、そういう努力が私は必要じゃなかろうかと思うわけでございます。 そのあたりについてお伺い申し上げたいのと、それに関連してでございますが、子供たちを指導していく学校の先生方にもそれを基本的には十分理解していただかなければならないということから考えてみますときに、教員養成課程の中でもそのあたりの指導を十分すべきだろうと思うわけでございますが、大臣の御所見をお伺い申し上げます。
○国務大臣(町村信孝君) 今、北岡委員から大変重要な御指摘をいただいたと受けとめております。 もとより私は、釈迦に説法で申し上げるまでもございませんが、日本国憲法でも、第十二条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、」、途中略しますが、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と。あるいは十三条で、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、無制限の自由とか無制限の権利ということには憲法上もなっていないということは改めて私が申し上げるまでもないことであるし、このことはもうまさに常識であろうと思うわけであります。 そういう中で、例えば今委員が御指摘になられました、権利等々の事柄が学習指導要領の中でどういう表現になっているかということを少しくお話をいたしますと、例えば小学校や中学校の道徳あるいは社会科といった時間の中で権利ということについていろいろ書いてありますが、自他の権利を大切にし、進んで義務を果たすようはするという表現が明記をされております。あるいは自由について申し上げますと、自由を大切にし、規律ある行動をするという表現もはっきり書いてございます。あるいは個性につきましても、それぞれの個性や立場を尊重し、謙虚に他に学ぶ広い心を持つようにする。あるいは平等につきましても、だれに対しても公正、公平にし、正義の実現に努める。ここは先生今御指摘になられた機会の平等、結果の平等というところまでは踏み込んで何も書いてございませんが、平等についてはそういうものだと。あるいは人権につきましても、人権の尊重の意義、特に自由、権利と責任、義務の関係を広い視野から正しく認識させる。当然、他者の人権の尊重ということがきっちりここも触れられているわけでございます。 こういうようなことで、言葉で書いてあってもそれをどう実際の現場で、いろいろな授業の時間等々で教えていくかというのはなかなか難しい面もあるとは思いますが、先ほど申し上げました多様な方法によりまして、その言葉の意義の正しい理解を求めていくということは現行の指導要領でも私は十分可能だろうと思っておりますが、今新しい指導要領作成の作業に入るところでございますので、委員御指摘のようなことも含め、総則に書くかどうかというある意味じゃちょっとテクニカルな話ではなくて、しっかりとした全体の中でこうしたものが取り組めるように、新しい指導要領等の中でもしっかりと取り組んでまいりたいと、こう思います。 教員養成の問題につきましては、局長の方から答弁をさせていただきます。
○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、民主主義社会におきまして権利と自由を享受するためには、社会の構成員として義務、責任が当然に伴うということにつきまして、すべての教員が正しい理解を持った上で児童生徒の教育に当たるということは不可欠なことでございます。このため大学の教員養成課程におきまして、ただいま大臣が御答弁申し上げましたように、日本国憲法に対する正しい理解を含めまして、道徳教育や生徒指導などの諸科目につきまして、すべての教職員免許状を取得する学生がこれを必修としてとらなければならないということにしているところでございます。 また、今国会に改正をお願いしております新しい教員免許法の改正に伴いまして、新たに総合演習というような科目を新設したいと考えているわけでございますけれども、その中では、人類や我が国社会全体にかかわります例えば家庭のあり方あるいは地球環境の問題、さらには御指摘のような自由と規律の問題等を含めまして、教員志望者全員がこれをディベートやあるいは福祉施設等での実体験も含めて学習するような科目を構成していきたいと考えているところでございます。 なお、現職の教員につきましても、文部省や都道府県が主催いたします初任者研修、あるいは五年目、十年目等の教職経験者研修等を中心といたしまして、すべての現職教員を対象にいたしまして適宜人権教育、あるいは道徳や生徒指導等の内容につきましても研修内容に含めて行っているところでございますが、今後とも、御指摘のような点につきまして、大学の養成、あるいは現職教員を含めます中で積極的に文部省としても取り組んでまいりたいと考えておるところでございます。
○北岡秀二君 もろもろ御答弁をいただいたわけでございますが、先ほども申し上げましたとおり、御認識に対しては正確な御認識をされていらっしゃる。ただ、今後いろんな意味で実現に向けて本当にやっていこうという部分に関してはちょっと逃げ腰のような感じがする。 これはもう過去のいろんな議論の中でもおありになっただろうと思いますが、心の教育というのは大変つかみどころがない、もう本当にあるようでないようで、何をやっていいやらよくわからない。これは、心の教育をこれからいろんな角度で前進をさせていき、なおかつ子供たちに温かい本当に豊かな心を持っていただくためには、大変難しい施策になろうかと思うわけでございます。 私は、そういう観点から申し上げると、先ほど申し上げました社会的な部分の原点の認識、これは心の教育という観点からも大変大きな存在意義があるというふうに感じておるわけでございます。先ほど大臣がそういう部分の記述はあるということをおっしゃられましたが、今の現実はどうでしょうか。もう何でもやりたい放題の権利であり自由であり、そしてまたなおかつ個性も、何か履き違えた個性ととっていらっしゃるし、そしてまたいろんな意味で基本的な部分の認識が、本来のあるべき姿とは全く逆の方向へ認識をされていらっしゃる、これが現実だろうと思うわけでございます。 私は、いろいろな考え方もあろうかと思うわけでありますが、今の大人社会も含めてでありますが、世の中が、日本の国の内部が荒廃をしておる、こういう原点には、ここの部分の解釈の大きな大きな間違いがあるところにかなり大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに私は感じておる次第でございます。 当然、大臣も個人的にはこのあたりの重要性は十分に御認識をされていらっしゃるだろうと思います。これは決してイデオロギーでも何でもない。これはもうどこの国へ行ったって私は大事な部分は大事な部分として当然の真理だろうと思います。私はあえてこういうことを申し上げさせていただくのは、先ほどの憲法論争とかいろいろあるだろうと思いますが、この際、文部省が率先垂範してこの大事な部分に切り込んでいくべきである、そしてまたなおかつその先鞭を文部省が、これだけ心の問題ということを問われておるんですから私はつけていかなければならないだろうと思っておりますので、ぜひとも大臣の強い決意のもとで、このあたりの基本的な規範が十分に学校教育の中で、そしてまたひいては社会の中で反映をされるように、ぜひともお願いを申し上げたいと思う次第でございます。 もう一つ、己の教育に関連して。 競争という とが最近また取りざたをされております。御承知のとおり、栃木県の鹿沼市の中学校において中間テスト、期末テストを廃止すると。私はこの中学校のもろもろの背景を十分に知って申し上げておるわけでございませんので、一概にこれがだめだとかいいだとかいうような結論を出す状況ではなかろうと思いますが、ただ一つ、新聞報道等の記事を拝見をさせていただいておりますと気になる言葉がある。これは、競争主義を排除するんだ、競争主義を排除するからこういうことをやるんだというような文言がたびたび出てまいるわけでございます。教育現場の中から、学校現場の中から、競争主義はイコール悪である、競争主義はだめなんですよというようなニュアンスを非常に私は感じるわけでございます。 この一つの傾向というのは、非常に私は疑問を持ちますし、ちょっと危機感も持っておるわけでございます。と申しますのは、もうおわかりのとおり、競争の中でこそ、そしてまた競争の過程の中で習得するもの、それは心の問題も含めてでございますが、習得する部分というのは子供の学校現場の中からも大きなウエートが私はあるだろうと思うんです。 そういうことから申し上げますと、新聞報道での話でございますが、競争主義を排除するということでのこのたびのこういうような措置、栃木県の中学校の措置に対して大臣はどういう御認識をされていらっしゃるのか、御見解をお伺い申し上げます。
○国務大臣(町村信孝君) 基本的には、それぞれの学校、それぞれの地域がいろいろな試みをすることの一々について文部省ができるだけ口を出さないようにと、私はこう思っておりますので、こうした措置を彼らが独自にとるということについて、とてもよかったねとか、とても悪かったねということは私は言わないようにしております。 ただ、委員御指摘のように、じゃ実態はどうかというと、またこれは私どもも間接的な報告を受けただけですから必ずしも正確かどうかわかりませんが、要するに中間テストとか期末テストという定期的なテストをやめる。そのかわりに、要するにある程度一つの単元とかまとまりのごとに小テストを何度もやる。それによって日々とか月々のその子供たちの理解の度合いとか進みぐあいといったようなものを詳細に把握する、そしてそのことによって生徒のすぐれた点をもっと伸ばしていく、あるいは足らざる点をすぐ補っていくというきめ細かな学習指導が可能になるということであります。 したがって、考えようによってはかえってこれは大変だろうと思います。生徒も大変だし、先生も大変だろうと思います。年に一回試験の方がある意味では、大ざっぱだけれども、楽な面はあります。一夜漬けでやればいいんですから。これは、一夜漬けはだめですよと言っているわけですからね。そういう意味では、どちらが競争的であるかどうかというのは必ずしもわからないところがあります。 ただ、私は、委員御指摘になられた、もうちょっと一般論で言うと、競争そのものを教育の現場でどう考えていったらいいか、受けとめていったらいいかという問題であります。 行き過ぎた競争といいましょうか、例えば一点を争う競争とか、あるいは偏差値が一点違うからあなたはA高校ではなくてB高校に行きなさいとかいったような、いささか瑣末にわたるような点数主義、そのこと跡ある意味では一点を争う点取り競争になってしまうというような競争を、私は本来の教育のあり方からいって行き過ぎであり、おかしいだろうと思います。 ただ、これではおよそ競争的な面を一切排除していいかというと、私はそれはいかがかなと。そういう意味では、私は北岡委員の御指摘に賛同するものであります。 どうも最近、子供たちのハードルを低くすることがストレスの解消になり、伸び伸びとした子供に育つということが言われます。一面では正しいかもしれませんが、たかがこの程度のハードルが乗り越えられなくてどうして人生にもっともっと大きくあるハードルを乗り越えることができますか、とても金メダルをとれませんよと。何もみんながオリンピックで金メダルをとるわけじゃないわけですが、人生それぞれいろんな金メダルが僕はあると思うんですよ。そのときに、一切の苦労というものをしないでおいて、安易に楽々とゴールに到達できるほど人生は甘くないということを子供のうちから理解してもらうためにも、節目前置の競争といいましょうか、ハードルというものが時として高く時として低いものがあっていいんだろう、私はこのように理解をいたしております。
○北岡秀二君 ありがとうございます。 まさにそのとおりだろうと思いますし、なおかつ私も、競争というのはもう当然学校の教育現場から排除すべきものじゃない。そしてまたなおかつ、ひところ、偏差値教育とかあるいは受験戦争とか学力試験の問題等々を含めて一つの排除をしていこうとする風潮がある状況。これはちょっと勘違いされている、一般的に勘違いされている部分というのは、競争というのが悪いんじゃなくて、今まさに大臣がおっしゃった部分でありますが、一点集中して、そこのみに集中して、それ以外何もないという環境が私は悪いんだろうと思うんです。ですから、そういう面から申し上げますと、私は、偏差値教育も別に悪くはない、受験戦争も別に悪くはない。ただ、それのみの選択肢しかない学校現場、社会環境が悪いんである。 そういうことから申し上げますと、今大臣がおっしゃったことにも相通じることだろうと思うんですが、スポーツであったりあるいは文化面であったり、そういう部分にはっきりとした価値観づけをすることによって子供の選択肢の幅を広げていく、そしてまたそういう環境づくりを文部省とか我々社会がつくり上げていかなければならない。そっちの方が私は大事だろうと思うんです。 過去にあっては、例えば偏差値教育もそうでございましたが、もうだめであると魔女狩り的に根っこから根こそぎ排除していく、そういう結果が先ほどおっしゃったハードルがどんどん低くなってきておるというような状況だろうと思うわけでございますが、私はこの傾向というのは基本的には間違っておるというふうに感じるわけでございます。 今おっしゃられましたとおり、人間というのは、いろいろな意味で惨めな目に遭ったり悔しい思いをしたり、そしてまたつらい思いをしたりする過程の中で心というのは養われていく。そしてまた、人に対する思いやりとか温かい気持ちというのが出てくる。温室のような、もう本当に何をやっても全然心配のない、何の不安もないような状況からは、私はたくましい大人、たくましい子供が決して出てこないというふうに感じておりますので、この部分の質問はやめますが、ぜひともそのあたりも理解をいただいた上で推進をしていただきたいと思う次第でございます。 あと一点だけ、私も気になる部分で大臣の見解をお伺い申し上げたいんですが、最近、裁判過程の部分をいろいろ報道していただいておりますが、九六年に、子供の家庭内暴力に耐えかねて父親がバットでその子供を殺害したということで、これはもう非常にセンセーショナルな事件として社会報道され、なおかつ現在、裁判の真理過程の中でそのお父さんが切々とそこに至るまでの心情を本当に素直な形でやりとりをされていらっしゃる。マスコミ報道等を私は拝見させていただいて、いろいろな意味で考えさせられるところもありますし、胸を痛めるところもある。 そういう状況の中で、暴力という問題でお父さんは、お医者さんだったみたいですが、お医者さんのカウンセラーから、暴力は受け入れるべきですよ、受け入れることも子供の教育ですよというような指導もされてそれに従っていた節もある。最終的に今の心境は、暴力を受け入れ続けたことが間違いであったというようなニュアンスの発言をされていらっしゃいます。こういうやりとりも、私ども教育現場ということを考えてみますときに非常に考えさせられる部分もあろうかと思う次第でございます。 この問題とは別に家庭ということを考えてみますときに、この事件というのは親権の低下と家庭の教育力の低下というのが原因として考えられるわけでございますが、その家庭という問題に関して、先ほど小野先生のやりとりの中でもございましたが、親権の低下あるいは教育力の低下についての大臣の御所見をお伺い申し上げます。
○国務大臣(町村信孝君) 事件そのもののことにつきましては今裁判中ということもありますのでコメントは差し控えさせていただきますけれども、今御指摘になった家庭の教育力、確かにかつてと比べるとこれは低下をしている。 しかし、考えてみると、昔はそれこそ子供がたくさんいて、親の注意が十人も兄弟がいると一体どこまで行き渡るんだろうかというときに、それなりの教育が行われ、もちろん兄弟間の切磋琢磨というものももしかしたらとても大きかったんだろうと思いますが、むしろ一人二人のお子さんだと親の注意は十分行き届くはずなのにかえってその教育力が低下するというのは、一体これはどういうことなのかなと、考えてみてもなかなか難しい問題であろうと思います。 確かに、子供の方でいろいろな意味で自制心が足りなくなった、さっき申し上げたような状況もあると思います。豊か過ぎるがゆえの悩みといったようなこともあると思います。また、親がなぜ指導力がなくなってきたんだろうかということを考えてみると、いろんなまた理由があると思いますけれども、よかったかどうかは別として、例えば戦前であれば修身という、それにみんなが従っていたかどうかは別にして、そういう一つの目安みたいなものがありました。それに従って我が家ではそういう教育をしよう、あるいは修身とは全く別の次元で、それぞれの家庭の中で多分教育方針というのがありたんだろうと思います。 最近は、みんな親が迷ってしまって、悩んでしまって、どういう教育をしていいかよくわからないというような現象が明らかに見られる。子供が少ない割には、また著しい無関心の親がいたり、あるいは余りにも干渉をし過ぎる親がいて、子供がみずから育つ芽を摘んでしまうといったようなことがあったりします。でありますから、今ちょうど中教審で三月末ごろに中間とりまとめが行われ、そこで家庭に対する幾つかの提言をしていただけるようになります。 それぞれの家庭でこういうルールを持ちなさいなんということは余り言いませんが、例えば、家庭の中で一定の家族め取り決め、約束事をつくる。太郎さんは新聞を朝とりに行くんだよ、次郎君は休みの日は必ず家の掃除をするんだよとか、あるいは朝起きたらおはようとみんなで言おうとか、そんなことを中教審が言うのという御批判も実はあるんですけれども、私は、そういうことをそれぞれの家庭に問いかけてみて、あなたの家庭はどうですかと考えてもらうそういう材料を提供して、ああやっぱり我が家には我が家なりのそういうルールをつくろうねというふうになって、一つの家庭教育の方針がそれぞれの家庭ででき上がればいいなと、こんなふうに考えているところであります。
○北岡秀二君 ありがとちございました。 大臣の所信の中にも家庭の教育の問題についてもろもろ触れておられます。家庭教育に対して行政サイドからどういうふうな形で切り込んでいけるかというのはかなり難しい部分もありますが、これは大変重要なことでありますし、特にきょうは科学技術庁長官もおいでで、お二人の大臣とも将来を担う新しいリーダーということでございますので、ぜひともそういう部分で強力にそのあたりを推進していただきたいと思う次第でございます。 谷垣長官もおいでいただいております。科学技術庁の問題について、これも基本的な大きな意味での質問を二、三点させていただきたいと思います。 御承知のとおり、非常に経済界が閉塞状況、将来に対する経済的な観点からの夢を喪失しておる、二十一世紀の日本ということを考えていったときに明るい材料はなかなか見つからないというような状況の中で、これは原点を考えてみますときに、日本は貿易立国である、そしてまた技術大国である、さらに人間で勝負しておるというような国でございます。おのずとこれは科学技術という部分の占める役割、そしてまた、そういう科学技術をどんどん世界に先んじて新しい部分を開拓していくというのは日本にとりまして非常に大きな重要課題でございますし、なおかつ、そういう面から申し上げると科学技術庁の担われておる使命というのは非常に大きなものがあろうかと思うわけでございます。 このような科学技術創造立国ということで、実現に向けた科学技術の振興は我が国の最重要施策、課題の一つであり、こういう関係から議員立法によりまして科学技術基本法が制定され、これに基づいて平成八年七月から科学技術基本計画が策定されたところであります。この計画によりますと、科学技術の重要性とあわせて科学技術関係経費の倍増を達成することが掲げられておるわけでございます。このために必要な経費として平成八年度から十二年度までに十七兆円が必要という状況であります。しかしながら、これも御承知のとおり、財政再建、財政構造改革というような我が国が直面しておる状況を考えてみましたときに、こういう科学技術の積極的な振興が重要であるにもかかわらず、非常に大きな障害があるという状況だろうと思います。 そういうことで、まず長官に、科学技術創造立国の実現に向けた取り組みについてお伺い申し上げるのと、特に、科学技術基本計画において必要とされている十七兆円の目標をどのように達成されていかれるおつもりであるのか、お伺いを申し上げます。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、北岡委員から、私がお答えしようと思っていた認識とぴたりと符節を合わせるような観点から御質問いただきまして、大変うれしく思っております。 世紀末という言葉がございますけれども、バブルがはじけてから何か元気が出ない、世紀末的な現象もいろいろ起こってくる。何とかこの壁をぶち破るといいますか、突き破っていかなきゃいかぬというのが今の日本の課題だろうと私は思っております。橋本内閣で六つの課題を掲げて六つの改革ということを言っておりますのも、橋本内閣としてのその壁を突き破る処方せんであり試みであるというふうに思っているわけでありますが、長期的に考えますと、今、北岡委員が御指摘のとおり、科学技術というものをこつこつと、こつこつというだけじゃいかぬのかもしれません、ブルドーザーのごとく推し進めていってこの壁を破っていくということは今共通の認識になっているんじゃないかなと思っております、科学技術基本法をつくっていただき、そしてそのもとで科学技術基本計画を策定し、そして科学技術創造立国という目標を立てた、まさにそういうことであるというふうに私は思っているわけであります。 では具体的にどう取り組んでいくかということになりますと、私どもは科学技術基本計画を推し進めるということでありますが、やっぱり社会的経済的なニーズに即した研究開発を進めていかなきゃならない。それを三つぐらい申しますと、一つはゲノム関連研究とかいうライフサイエンス。あるいはそういうものがいろんな新産業の創出につながっていくような面を持っております。それから情報通信の飛躍的進歩、こういったようなところがやはり一つの重点かと思います。それからもう一つの重点は、地球変動予測といった大きな地球規模の研究といいますか、取り組みを進めていかなきゃならない、こういうことがあろうかと思います。それから三番目には、健康の増進とか災害の対策、災害の防止といった生活のいろいろなニーズに対応した諸問題に取り組んでいく必要がある。そういうこととあわせて、そういうものを下支えする基礎研究というものを興こしていかなきゃならない、こういうようなことを柱にして今施策を進めているわけであります。 それと同時に、何に向かっていくかということと同時にもう一つ大切なことは、研究開発環境ですね、余り硬直したものであってはいけない。柔軟で、そして開かれて、先ほどから競争が必要かどうかという御議論がございましたけれども、やはりこういう研究開発の分野にも、競争的であるということも私は必要な要素だろうというふうに思うわけであります。そういう新たな研究開発システムというものをもう一回つくっていかなきゃならないというのがもう一つの重点事項ではないかと思っております。 それで、具体的にはやはり何をやるにも金の裏づけが要るということで、今委員御指摘のように、平成八年度から十二年度、五カ年かけて十七兆円の投資をしていこうということで進んでいるわけであります。 しかし、今財政の厳しい中で十七兆日本当にとれるのかと、どう取り組むのかという御下問でございますが、率直に申しますと、財政構造改革の推進に関する特別措置法、この間つくっていただいたわけでありますが、柔軟な取り組みというとよく聞こえますけれども、なかなかこの十七兆の達成は正直言って容易でないなと、苦しくなってきたなと思っているのが率直なところであります。ただ、これはもちろんあきらめたわけではありません。いろんな機会をつかまえて、チャンスにアタックして何とか十七兆に向かって進んでいこうと、こういう気持ちでございます。 ただ、先ほど困難があるとおっしゃいましたが、平成十年度の予算案におきましても、一般歳出が対前年度減というような財政環境でございますけれども、科学技術関係経費としては対前年度比で一・〇%増、三兆三百十九億円ふやしているということでありますし、一般会計中の科学技術振興費につきましても対前年度化四・九%増の八千九百七億円が計上されておりまして、この分野にはいろいろと配慮をしていただいておるということではないかと思います。 いずれにせよ、こういう財政の厳しいときでありますから、いろんな研究開発の評価をきちっとして、必要なところにつけていくというような重点的な配分を考えていかなければならないんだろうと、こんなふうに考えております。
○北岡秀二君 わかりました。 科学技術庁が担っている使命を考えてみますと、非常に重要なものがございます。ともすると、科学技術庁というとかなり大きなウエートが原子力とか、最近原子力関連というのは非常にイメージが暗いですから、国民の中からも非常に誤解される部分もございます。時代背景、今の状況を考えてみますときに、とにかく将来こういう明かりがあるんですよ、我々はこういう新しい科学技術によって社会づくりができますよと、本当に国民の皆様方に夢を持たせていただけるような部分での取り組みをぜひとも強力にお願い申し上げたいと思うわけでございます。 時間の関係で問題をはしょりまして、今申し上げました原子力に関連して、これはもう非常に話題になっておりますので一言触れさせていただきたいと思います。 今般の返還ガラス固化体の搬入に関して、報道されておりますとおり、青森県の木村知事は、県民の不信、不安を直接伝えるために要望している総理との会談か実現されなければ受け入れかできないというような状況で、輸送船の接岸をいまだ拒否しておるというような状況だろうと思います。 この問題に関連しては、私は基本的には、ます担当する行政部局と調整を行うことが円滑に行政を進める上で当然必要な手続であるというふうに私は認識をするものであります。 しかしながら、この問題の底流に流れている部分というのを考えてみますときに、原子力政策を進めていく上で高レベル放射性廃棄物の処理処分は非常健重要港誤題である。このことに対してまた非常庭大きな課題もあるし、青森県のような受け入れ地にとりまして、将来のこと、そしてまた今の現状のことも含めて非常に不安を抱えておる。そしてまたなおかつ、国民の原子力行政ということを考えていったときにも、廃棄物の問題をどういうふうな形で解決していくかということも非常に大きな問題だろうと思うんです。 このことに関連して、底流に流れるそういう問題の中の、高レベル放射性廃棄物の処分方策の確立に向けての長官の取り組み姿勢というのをお聞き申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
○国務大臣(谷垣禎一君) 高レベル放射性廃棄物の対処をどうしていくかということか、原子力政策と申しますか、核燃料サイクルを確立する上で残された一番大きな問題だと私は思っております。一番大きな問題であると同時に、率直に申し上げますと一番難しい問題であって、ここにきちっとめどがつけられれば、日本の原子力政策はある意味ではでき上がったと言える分野かと思っております。 こういう避けて通れない課題でございますし、今時に青森県の問題に言及されましたが、青森県六ケ所村には中間貯蔵が行われているわけでありますから、青森県民の関心がとりわけ高いことも十分承知をしております。 したがいまして、私どもとしては、この高レベル廃棄物のこれからの処分の進め方、あり方に関して十分な展望をお示しして安心をしていたたくというような説得の仕方、行政の進め方か一番必要なのではないかと、こう思っているところであります。 今具体的に何をやっているかということになりますと、原子力委員会で、この処分の技術的な側面、それからもう一つは社会的経済的と申しますか、そういう二つの側面がございますが、この二つの側面に分けて公開で今御審議をいただいておりまして、技術的側面についてはもう去年の四月随一応結論をまとめております。 それから、もう一つの実は社会的経済的側面の方がなかなか難しいところでございまして、これは原子力委員会のもとの懇談会で昨年七月に報告書案を取りまとめまして、そしてその中で実施主体や事業資金あるいは処分地選定プロセスなどについて一応具体策を取りまとめております。その後これを公表しまして、国民各層の今意見を求めているとともに、全国五カ所で各方面との意見交換を行ってまいりました。こういうものを踏まえて、できるだけ早い時期に報告書をきちっとまとめてお示しをできるようにしたいと思っております。 こういうものができますと、それに基づいて具体的な処分に係る研究開発を加速していくということになりますし、それは同時に一番大切なことは国民各層の理解を得ながらやっていくということであろうと思いますが、紀元二〇〇〇年を目途に処分事業の実施主体を設立していくというようなタイムスケジュールのもとで、政府一体となって進めてまいりたい、こんなふうに考えております。
○長谷川道郎君 自由民主党の長谷川道郎でございます。引き続き、大臣の所信並びに関連事項についてお伺いをさせていただきます。 まず一点、国旗・国歌の問題でお伺いいたしたいと思うわけでございますが、日の丸・君が代については非常に多くの議論かございます。日の丸や君が代か国旗・国歌としてふさわしくないのではないかという議論があります。私はそういう議論は必ずしも一方的に否定するものではありません。それはそれとして議論をすればいいというふうに考えるわけでありますが、しかし、国旗・国歌について常識として知っておかなければならないことがあると思うんです。 先般の長野オリンピックの際に、表彰式で国旗の掲揚、国歌の斉唱に対して帽子をかぶったまま対応した選手がいた。私は実はあのテレビを見ていまして、瞬間に、ああ、気の毒だなと思ったんです。多分、彼女は今まで、国旗や国歌に対してどういう敬意をあらわすか、どういう対応をするかというようなことは一切教えられなかった。本人か知らないんたからできるわけがないんです。ですから、私、あのテレビを見た瞬間、極めて気の毒だなという感しかいたしました。 実は、私自身も極めて恥ずかしい思いをしたことかあるんですが、ある外国に参りまして、レセプションで各国の代表団か並んでおりました。国旗の掲揚、国歌の斉唱がありました。日本人は直立不動で国旗を仰ぎ見るのが国旗に対する敬意のあらわし方で、外国の皆さんは胸に手を当てて敬意を表される。後で写真を見ましたら、日本人以外の皆さんはみんな胸に手を当てて敬意を表しています。日本人だけがぼやっと突っ立っている。まあぼやっと突っ立っていたわけではありませんが、明らかにやり方が違う。写真だけ見ますと日本人か国旗や国歌を無視していたというふうにとられてもしようがない、そういう場面がありました。 申し上げましたように、国旗・国歌というものがとういうものであるが、それに対して敬意を表するのがどういうものであるか、私はやっぱり学校で指導していたたかなければならないと思うわけです。平成元年の指導要領では、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という指導要領に変更になった。それ以前の指導要領は「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」という表現だった。「望ましい」か「するものとする」というふうに明確になったわけであります。学習指導要領というのは法律的にどういう効力があるのか私はよくは存しません。文部省の告示であるわけでありますが、しかし実質的には法令的な性格を持つものだと思うわけであります。これについていかかお考えでございますか。
○政府委員(辻村哲夫君) 学習指導要領の性格でございますけれども、学校教育法の第四十三条の規定に基づきまして、教育課程の基準として定められております文部省告示でございます。これは、いずれの学校におきましてもこれを基準といたしまして教育課程を編成しなければならないという法規としての性格を持っているものでございまして、こうした考え方につきましては最高裁の判決におきましても確定をしている、こういうふうに私どもは理解をいたしております。
○長谷川道郎君 法規としての性格を持つ、かつ判例でもそのように支持をされているということであります。 最近は件数が減っておりますが、今ちょっと入学式、卒業式のシーズンでありますが、また一部には極めて問題が、強い反発といいますか、問題が発生している例があると思うんです。 ここ一、二年の資料ではありませんか、故年前までは、紛争発生により教職員か停職、減給、戒告、訓戒というような処分をされたという例か頻発をいたしましたが、最近の例はいかがでございますか。
○政府委員(御手洗康君) 御指摘がございましたように、残念ながら入学式、卒業式におきます国旗の掲揚あるいは国歌の斉唱に関連いたしまして懲戒処分を受けている教員がまたおりますことは事実でございます。全体として、入学式、卒業式におきます国旗・国歌の取り扱いというものか定着してきているという状況も受けまして年々減少してきていることは事実でございますけれども、例えば平成八年度におきまして卒業式、入学式に絡みまして懲戒処分等を受けた公立学校の教職員の数は、減給一人、戒告四人、それから訓告等五人となっているところでございまして、その態様は、一つは国歌斉唱時の不起立、あるいは国旗の引きおろしや式場内での不規則発言等の妨害行為、こういった状況になっております。 文部省といたしましても、学習指導要領に従いまして国旗・国歌に関する指導が適切に行われますよう、引き続き教職員につきましても指導をしてまいるよう努めてまいりたいと思います。
○長谷川道郎君 今の御説明で最近は紛争にかかわる処分の件数がやや減少してきたなという感じがいたしたわけであります。当然のことではないかというふうに私は考えるわけでありますが、先ほどの入学式、卒業式で国旗の掲揚、国歌の斉唱の実施の率というのはどういうふうになっていますか。
○政府委員(辻村哲夫君) 公立の小・中・高等学校の平成七年三月の卒業式、同年四月の入学式におきます実施状況を申し上げますと、国旗掲揚につきましては小中高を通じまして九八%前後の学校がこれを行っております。ただ、国歌斉唱につきましては八〇%前後の学校で実施されている、こういう状況でございます。
○長谷川道郎君 もう国旗については一〇〇%近くの掲揚、国歌についても八割以上の斉唱が入学式、卒業式でなされている。これも極めて私は常識的な対応であるというふうに考えるわけであります。 しかし、最近私が目にいたしました資料でおやっと思うことがございました。 これは広島県の「高教組時報」という機関誌でございます。まことに申しわけありませんが、私は広島県の状況をよく存じませんので、単にこの機関誌の内容だけで判断をいたしたことでありますが、この中で、国旗・国歌に対して、「最終的に校長会(県教育委員会)と組合(高回教)が次のような整理を行なうにいたりました。」ということで、何らかの話し合い、協議があっての結論だと思うわけでありますが、その整理を行うことに至りました結論は、一、「「君が代」斉唱は×、「日の丸」は三脚掲揚で整理する。」、三脚掲揚というのは多分三脚旗を掲げるということなんでしょうけれども、二、「「日の丸・君が代」の持つ意味・害毒については、きちんと教える。」ということが高教組と県教育委員会の間の協定で合意が成立したという記事があります。 日の丸と君が代の持つ害毒についてきちんと教えるというのは、何といいますか、私にすれば極めて理解のできないことでありますが、この事実を掌握していらっしゃるようでございましたら、そこら辺の御説明をお願い申し上げます。
○政府委員(御手洗康君) 御指摘の機関誌に書かれている内容が具体的にどういった経緯であったかということについては、大変申しわけありませんけれども、広島県教育委員会から直接詳しい報告は聞いていないわけでございます。しかしながら、過去におきまして、広島県教育委員会が高等学校教職員組合等幾つかの関係団体との間におきまして国旗・国歌の指導に関しまして私どもから言わせますと学習指導要領の趣旨に明確に反する覚書を示しまして、これに基づいて市町村教育委員会や学校を指導したという経緯がございます。 文部省といたしましては、広島県教育委員会に対しましてその是正方につきまして強く指導してきたところでございますけれども、残念ながら、今日まで、広島県におきます国旗・国歌の卒業式や入学式におきます掲揚率あるいは国歌の斉唱率という点から見ますと、とりわけ国歌の斉唱率につきましては極めて低い水準にあるという状況は事実でございまして、そういった当時の指導がまだ完全には払拭されていないものと私ども認識しているところでございます。
○長谷川道郎君 冒頭申し上げましたように、日の丸・君が代が適切であるかどうかの議論、これは私は別に否定するものではありません。しかし、文部省はこの事実をつかんでいらっしゃらないという話でありますが、これはコピーでありますのであれですが、一九九七年九月十六日付広島高教組時報第六百三号の中に、先ほど申し上げましたように、君が代・日の丸の持つ害毒についてきちんと教える、これが県教育委員会と高教組の間で協定が成立したという記事がございます。率直に申し上げれば極めて非常識な対応であったと思うわけです。文部省の強く指導云々というお話が今ございましたが、強く指導してもこの程度だと余り指導の効果がないというような気がいたすわけでありますが、ひとつ事実の御調査をお願い申し上げたいというふうに思うわけでございます。 また、私の県でもこの問題、若干紛争が発生しておるケースがございます。紛争の発生のケースは、例えば入学式や卒業式に校長先生が国旗を掲揚する、職員会議でそれが反対される。甚だしい場合には、その職員会議の終わった後、先鋭的な先生が会場に行って日の丸を引きずりおろしてくるというケースがあるわけです。 そこでお伺いいたしたいのは、職員会議というのは学校運営の中でどう位置づけられているのか、この点についてお伺いいたしたいと思うわけであります。先般の報道で、東京都教育委員会が職員会議の役割を位置づけた、学校運営の補助機関として明記したという報道がございました。これも先般問題になりましたが、一部都立高校で習熟度別授業を行っていないのに行っているというふうに都教育委員会に報告をした例がございました。この背景を聞きますと、校長先生はやりたかったんだが職員会議で反対をされたのでできなかった、しかし都の教育委員会には実施をしたというふうにいわば偽りの報告をしたということであるわけです。 学校の運営というのは、私は当然のことながら校長が運営権を持っていらっしゃるというふうに考えるのが常識であると思うわけでありますが、この職員会議の位置づけ、法律的に職員会議というのは明記されているのかどうか私はわかりませんが、この職員会議の位置づけについて文部省はどのようにお考えになっていらっしゃいますか、お伺いいたします。
○政府委員(御手洗康君) 委員御指摘のように、職員会議をめぐりましては、過去、職員団体等の考え方等もございましてかなり混乱をした実態、運営が行われてきたということも事実でございます。 職員会議につきましては、国の法令上の明確な規定は委員御指摘のとおりないわけでございますけれども、それぞれの学校におきましては、学校運営上の必要に応じまして校長がみずからの教育方針を教職員に伝達したり、あるいは学校内の重要事項について教職員間の意思疎通や共通理解を促進したり、あるいは校長がさまざまな学校運営を今後行っていく上での事前の教職員の意見聴取などを行う場として、学校の運営組織の一環として学校現場においては定着しているところでございます。 各都道府県や市町村におきましては、今委員御指摘のように、学校の管理規則等におきましてこういった旨を明確にしているところもございますけれども、管理規則の位置づけもなく学校に任せられているという学校も多いわけでございます。 私どもといたしましては、学校の運営は、学校教育法二十八条の規定にございますように、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」、こういう定めに基づきまして最終的には校長の決定と責任において行われるべきものと考えておりますので、職員会議におきましても、こういった校長の学校運営権を阻害することのないよう、あくまでも校長に対する学校運営の一つの補助的な機関、このように位置づけるのが適正であろうと思っているわけでございまして、この旨、長年にわたって指導してまいったところでございます。
○長谷川道郎君 今のお話でも、校長みずから決定と責任を負うのが学校運営であるというような御趣旨であったと思うわけてあります。学校の教職員の皆さんからよく伺う話でありますか、校長先生はとにかく精神的な負担か非常に多過ぎる。前向きの議論や建設的な考え方をしたいと思っても、その職員会議の問題のように非常に後ろ向きの議論が多く、精神的負担か非常に大きい。また、一般の先生の中でも、どうせ給与はそう変わらないんだから私は校長になりませんよという御意見も多い。校長先生は校長先生で校長室に閉じこもっているというような事例もよく耳にするわけてありますが、先ほどのお話のように、校長先生の決定と責任というだけではなかなか難しい問題がある意思うんです。こういう形であるかは具体的にはまだ御検討いただかなければなりませんが、あくまでも校長先生の責任というだけでは済まない問題ではないかというふうに考えますので、また御検討をいただきたいというふうに考えるわけであります。 続きまして、職業教育の問題についてお伺いいたしますか、その前に、十四期中教審で総合学科の設置かなされたわけてあります。もう総合学科の卒業生か去年がおととしあたり出ておるはずでありますか、まずもって総合学科の設置の目的と意義についてお伺いいたします。
○政府委員(辻村哲夫君) 総合学科の設置の趣旨でございますけれども、平成六年度からこの総合学科は創設されておりますか、それまでは、先生御案内のとおり、高等学校は普通科か専門教育科、専門教育の中には職業関係の学科もございますし、芸術とか体育とかというような学科もあるわけでございますが、大きくは普通科か専門学科、こういう二つの区分で構成されてまいりました。 しかし、社会の変化あるいはさまさまな時代の変化の中で、中学校を卒業して高等学校に学ぶ生徒たちの通性、能力、関心、興味、進路希望等さまさまになってまいりました。そこで、普通科か専門教育科がという二つの区分だけでは対応できないという点が一つございました。それから、生徒たちの選択というのをできるたけ取り入れた形での学校運営、教育活動というものが求められているのではないか、主にこういう二つの趣旨から、普通科、専門学科と並びます第三の学科として、普通教育と専門教育を選択履修することを旨とした総合的な学科として総合学科というものが創設された、それか総合学科か創設されました趣旨のポイントでございます。
○長谷川道郎君 卒業生がもう出ておるわけでありますか、総合学科は今おっしゃるとおりの趣旨で設立、設定をされた制度であると思うんです。また一方、高校塗の志向は普通科志向が主流でありまして、なかなか職業科は、音楽といったような専門学科は別でございましょうか、大部分を占める職業科に対して子供のいわば人気がない。職業科に、例えば工業科だとか商業科といった学科に入学をする生徒は、偏差値上やむを得ず、普通科に入りたいんだが偏差値で無理だから職業科に行こうかというのも極めて多くの例があるわけです。 総合学科は必ずしもそういう後ろ向きの議論だけてスタートされたわけではないと思うんですか、卒業生が出て数年たって、何か総合学科について問題点かございますかどうか、お伺いします。
○政府委員(辻村哲夫君) 卒業生の就職状況につきましては、普通科・専門学科卒業生とそんなに率として変わったところはございません。ただ、問題としては一、二指摘をされております。 それは、先ほども申し上げましたけれども、できるだけ生徒たちの選択を生かそうということであるわけでございますが、そのことは、一つの学校の中にたくさんの履修科目を設けるということか当然必要になってくるわけてございます。そういたしますと、スタッフの点、それから科目構成の点で、生徒の数に対しますと大変たくさんの科目を用意するということが一つでございます。 それからもう一点、生徒たちの選択を旨とするというわけでございますけれども、ある程度と申しましょうか、体系的、系統的に生徒たちの学習というのは行う必要がある。そういう点で、十分なガイダンスと申しましょうか、学習の課程を誘導するようなことか他の学科よりもより求められるわけてございますか、そういう問題か第二点として指摘されてございます。 それから第三点目といたしましては、たくさんの科目があって生徒たちの選択をできるだけ生かすということで、生徒はある意味ではばらばらと申しましょうか、いろんなクラスに行って単位を取るべ大学のようにですね。それと、ホームルームで集団としての一体感を培うというとこるにや分とそごが来ているという、生徒の心の教育の部分と教科学習の部分、このあたりのギャップの問題。大きくこの三つが課題として指摘されているというふうに私どもは認識をいたしております。
○長谷川道郎君 今回も中高一貫制度を新しく創設しようという含みがあるわけでございますか、教育というのは何も単線でなくて複線で、マルチであるのか当然だと思うわけです。そういった意味で、総合学科についても今後ひとつ積極的に御推進をいただきたいと思うわけでございます。 きょうのテーマであります職業教育の問題についてお伺いいたしますか、職業教育というものについて文部省はどのようにお考えになっているのか、お伺いいたしたいのであります。 昭和六十一年から平成八年までの約十年間でありますが、昭和六十一年には全国で職業科が七百七十九学科ございました。ところか、平成八年では六百二十一学科に減っております。約二〇%強の職業科の削減になっておるわけでありますが、これはどういうことでございますか、御説明をお願い申し上げます。
○政府委員(辻村哲夫君) いろいろな事情があろうかと思いますけれども、私どもが把握しておりますのは、高等学校を卒業した者の中で、大学あるいは専修学校とさらに引き続いて高等教育に学ぼうと、そういう希望を持つ生徒たちか非常に多くなってきている。そういう中で、実際の入試におきましては、職業高校、いわゆる専門高校に学びますよりは、普通科高校というところに行く方かいろいろな面で有利なのではないかというような認識があるということで、いわゆる専門高校よりも普通科高校を志望する、こういったことがあります。 そういうことで、中学校卒業者の中での専門高校志望者が減少してきている、これが一番大きな要因であるというふうに私どもは理解をいたしております。
○長谷川道郎君 生徒の志向が普通科志向であり、その結果であるという御説明でありましたが、私も、もちろん文部省は職業科を積極的に削減しようという御方針ではないと思うのであります。 実は、私の地元の例でありますが、極めて応募者の多い、例えば普通高校ですと今倍率が一・〇五か一・〇六ございますが、一・一近く競争率のある極めて希望の高い職業科かごの三月末で閉鎖をされるという例があるんです。私の地元の話でありますか、例として御参考になればと思って申し上げるんですが、新潟県立長岡大手高校に保育科というのがございます。この保育科が募集停止になりました。この保育科が実は附属の幼稚園を持っておりまして、さっき大臣のほかの委員に対しての御答弁の中で、高校生、中学生が小さな子供たちに接すると、何て子供はかわいいんだろうと感激をするというお話がございました。ここの学校でも普通科の生徒が附属の幼稚園に行って子供たちに接するというコースもとっております。もちろん、一年間という短い時間でありますが、そうしますと、もう子供たちの目の輝きか違う。普通の授業で死んだような目で授業を受けている生徒が、附属の幼稚園に行って子供たちに接すると目がきらきら輝いている。これは先ほど大臣の御答弁の御説明にもあったようなケースであると思うのでありますか、この保育科をなぜ廃止するのか、私は全く理解ができない。 それで、わずか十五歳の中学三年生が、十五歳の春に、私は将来子供たちの面倒を見よう、保母になろうという志を立てるということは私は非常に立派なことだと思うんです。そういう立派な子供たちがたくさんいるにもかかわらず、保育科が募集停止をされてしまう。これは、文部省はそういう御指導をされていらっしゃるのかなというふうに曲解をいたしたわけであります。そうでもないと思うんですが、ちょっと私の地元の例で恐縮でございますが、それについて何かお考えがございましたら。
○政府委員(辻村哲夫君) この件につきまして、私どもも県の教育委員会を通して経緯を聞いているところでございますけれども、県の教育委員会の方の説明によりますと、昭和六十三年に保母養成制度が改正されたと。児童福祉法施行規則の改正ということであったと承知しておりますが、その結果、保母試験の受験資格要件が高率から短大率以上に変わったということでございます。短大卒以上ということになりますと、先ほども御答弁申し上げたわけでございますけれども、県の判断としては、保育科からの進学よりも普通科から受験をするということの方がいいのではないかという判断があったというふうに聞いております。 幼稚園はその保育科の実習機関という性格を持っておりますので、保育科を廃止するということになりますと、それに伴いまして幼稚園につきましても募集停止をするというように連動して措置を講ずると、そういう経緯であったというふうに聞いております。 これに対しましては、御父兄の方々あるいはさまざまな御意見があるようでございますけれども、私どもといたしましては、県立の高等学校の存廃という問題につきましてはそれぞれの県の御判断にゆだねざるを得ないわけでございまして、そういう事情は聞いておるわけでございますが、事情は事情として聞きながら、最終的な判断は県の御判断にお任せをした、これが経緯でございます。
○長谷川道郎君 今御説明のありましたように、受験資格の問題でそういう措置をとられたということでありますが、しかし現実には、高校を卒業して保母さんに直ちになるというのは極めて例が少ないんです。ここの学校でも九〇%は短大もしくは保育の専門学校に進学をして、さらに勉強をして保母さんになるというケース。ですから、お話の受験資格が変更になったということで文部省の学校制度を変えるということは、私は全く必要のないことだと思うわけであります。 それともう一点、県の判断であり、当然のことながら設置者の責任だということでございます。これはもちろんそのとおりでありますが、県の判断であり設置者の責任だということであれば、文部省は必要なくなるわけであります。これはしかし、たまたま私の地元の例で申し上げましたが、決して職業教育を軽視されていらっしゃるということではもちろんないとは思うわけでありますが、申し上げましたような例で、職業科というのは非常にそういう意味で困難なまた問題の多いところでございますので、ぜひひとつ今後とも積極的にお取り組みをいただきたいというふうに考えるわけであります。
○国務大臣(町村信孝君) 私は、委員御指摘のように、中学三年の卒業の時点で自分の言うならば一生の進路を判断するというのはなかなか難しい面も確かにあるのだろうと思います。しかし、他方、それでも自分は一生例えば農業で行こうとか、あるいは御指摘のように保母さんになろうとかという志を持つ中学卒業生がいても、これまた不思議はないし、そのためにこそ私は専門教育、職業教育の重要性というのはあるんだろうと、こう思っております。 私は、何でもとにかく普通科志向という姿は決して好ましいとむしろ思っていないのであります。ややもするとモラトリアム人間型で、どんどん自分の職業選択を後に延ばすなんというのは決していいことだと思っていない。なぜ自分が高校へ行くのかという意識づけ、動機づけがはっきりしないまま、みんなが行くんだから自分も行くというのが、先般ありました高校中退者の中退の一つの大きな理由にもなっている。何で行ったかわからない、それよりは明確な意識を持って職業高校に行くという人がいることの方がはるかに望ましいことだと思っておりますので、個々の設置、廃止は確かに県等の判断によりましょうが、方針としての文部省の考えを問われれば、今私が申し上げたことだと御理解をいただければと思います。
○長谷川道郎君 ありがとうございました。 それでは、科学技術庁にお伺いをさせていただきます。 宇宙開発事業団について二、三お伺いいたしたいと思うわけでありますが、事業団は今HⅡロケット、それからさらにHⅡAロケットを開発されるわけでありますが、世界的なレベルで宇宙開発が展開されるというのは私は非常にうれしい限りであります。よく外国に参りますと、外国の本当に奥地でもNHKの放送が見られる。また、今度は世界じゅうで携帯電話が使えるようになるというようなお話。そういう世界的なレベルで日本の宇宙開発が進んでおるというのは私は大変うれしい思いがいたすわけであります。 今後、その世界レベルにおくれることなく最先端の技術を開発できるかどうか、それが日本の産業構造を変える大きなポイントになるのではないかというふうに思うわけでありますが、ただ問題は事業団、公益法人の一つであるわけでありますが、財務会計の立て方が私はちょっと間違っておるんじゃないかと思うんです。 それで、参考までに九年度の財務諸表上の宇宙開発事業団当期欠損並びに累積欠損についてお伺いいたします。 それじゃ、私の方がよく知っていますので申し上げます。 宇宙開発事業団累積の欠損額は一兆八千二百二十億という金額であります。極めて二兆円になんなんとする累積でありますね。これは累積を問題にするのじゃない。累積で言えば動燃は一兆九千億、この二つを合わせると国有林野の三兆三千億の累積債務をはるかにオーバーする膨大な累積欠損を抱えていらっしゃる。しかし、動燃も宇宙開発事業団もそうでありますが、これは研究機関でありながらそういう財務をしようとすることが全く無理な話で、例えば宇宙開発事業団は政府の出資金をすべて償却財に投入するわけです。固定資産、有形資産として残らない。資産として残るとすれば知的な資産であります。知的な資産は貸借対照表上資産に計上できる性格のものではないのはもちろんでございます。したがって、宇宙開発事業団一兆八千億、これは新幹線一本分ぐらいに相当すると思うのでありますが、この累積欠損をこのまま引きずっていくというのは、この欠損は国家財政上は、大蔵省としては当然資産勘定に上げておる。ところが、例えば大蔵省が出資金の返還を求めても宇宙開発事業団は返還なんかできるわけがありません。絶対返せない債務という点では不良債権と同じわけであります。 しかし、もちろんこれはさっき申し上げましたように知的な資産が貸借対照表の反対側にあるわけでありますので、これ自体は私は全く問題にするつもりはありませんが、例えばこれを政府の出資金ではなくて補助金にするとか、もしくは、制度上無理かもわかりませんが、公共事業の直接投入にするとかということにしないと、どう考えてもこの財務処理はおかしいというふうに考えるわけでありますが、いかがでございましょうか。
○政府委員(青江茂君) 先ほどの数値につきましては失礼申し上げました。 確かに、宇宙開発事業団におきましての経理処理のやり方につきましては先生御指摘のような状況になっているわけでございますけれども、政府からのいわゆる資金の投入の仕方の問題といたしまして、研究開発のための経費につきましては出資金を、それから人件費等の一般管理費ということにつきましては補助金をという形でもって政府から資金を投入しておるわけでございます。 このような考え方につきましては、いわゆる研究開発につきましては、今先生御指摘のとおり成果発現のためには大変期間の長いものが必要とされる、その成果というものが後世代というものにも及び得るということをもちまして、いわゆる国民共有の責産といいましょうか、財産としまして有形、無形でもって形成をされておること。そしてまた、こういった資産に対しまして国は一定の権利というものを確保しておくということがより適切ではないか。また、こういう宇宙開発事業団が行いますような仕事といいますのは、公益性というものにかんがみますと、国が主体性を持ってそれを一種スーパーバイズしていくということが必要なんじゃないかと。 こういったふうな考え方から出資金という形で賄っておるというわけでございますけれども、これは宇宙開発事業団だけの問題ではなくて、私どもの所管の研究開発法人、また他省庁の研究開発法人につきましても同様な処理が行われているということをもちまして御理解を賜りますればというふうに思ってございます。
○長谷川道郎君 その点は十分理解しているつもりであります。したがって、累積欠損が恐らくことし、来年には二兆円になろうというふうに思うわけで、膨大な欠損でありますから、冒頭申し上げましたように、そもそも財務会計の立て方が私は間違っていると思うんです。またこの点御研究をいただかなければならないと思います。 最後に「かけはし」の問題でありますが、「かけはし」の失敗の原因についてはいろいろ伺っております。資料もちょうだいしておりますので、二点お伺いいたしますが、「かけはし」のエンジン、LE5A、これは今まで既に十四回の打ち上げに成功しておるという話でありますが、これはしかし、例えばチャレンジャーのときは、あれは本体の構造上の問題ではなかったわけです。したがって、すぐリカバリーができたわけでありますが、このLE5A本体の構造上の問題であれば今後のHⅡAの開発に極めて重大な影響がある。もちろんまだ短時日でありますので、故障の原因はつかんでいらっしゃらないと思うわけでありますが、申し上げましたように本体の事故でありますので極めて深刻だと。 このLE5Aについて、部品やモデルのチェンジを最近されていらっしゃるかどうか、工程上変更していらっしゃるかどうか、設計変更がありましたかどうか。今まで十四回やったうち全部成功して、今回失敗した。そこに何かがあったかどうか、それについてお伺いします。
○政府委員(青江茂君) お答え申し上げます。 過去十四回ということでございますけれども、今のLE5Aというものにつきましては今度が六回目でございます。その前のバージョンでございますLE5というエンジン、これが九回打ち上げでございます。その間に、LE5からLE5Aにつきましては若干の変更というのはございます。ただ、大きなコンセプトということにつきましては変更はございません。 今先生御指摘の、こういった確かに燃焼室というあたりでもって生じたというところでございますので、私ども深刻に受けとめておるわけでございますけれども、これまでに宇宙開発事業団が分析した結果として出でございます一次推定の結果というものをかんがみますれば、これから先、HⅡないしHⅡAの開発におきまして、今回の失敗というものの原因をきわめましてそれをリカバーしていくというのは、宇宙開発事業団のいわゆる責任の当事者に聞きますれば、十分可能ではないかという見通しを持っているというふうに聞いております。
○長谷川道郎君 アメリカNASAでは、先般打ち上げられましたマーズ・パスファインダーは極めて安いコストで打ち上げておるようであります。米国宇宙開発計画では、よりよく、より安く、より早くというのがスローガンだそうであります。 このHⅡAに向けて、今回の事故はございましたが、申し上げましたようなことで、ぜひ積極的に今後ともお取り組みをいただきたいことを申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今御指摘いただきましたように、HⅡロケットのまさに中核の部分に問題が生じた。私どもも、衛星で失敗ということは、一個ずつつくるわけですから、あるいはあるのかなと思っていたのですが、ここで起こるということは余り予想していなかった。それだけにショックを受けております。 徹底的に原因究明をして、これは急がせておりますが、またしかし、次のために拙速に急ぐというのはよくない。徹底的に究明をしてこれを反映させていきたいと思っております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
○委員長(大島慶久君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時十分まで休憩いたします。 午後零時十三分休憩 ―――――・――――― 午後一時十分開会
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件及び科学技術振興のための基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○小林元君 民友連の小林元でございます。教育問題について最初にお伺いいたします。 去る一月二十八日に大変痛ましい事件が起きまして、腰塚佳代子先生がお亡くなりになりました。またその後も、埼玉県で中学生が死亡するというような事件がございました。大変痛ましい話でございます。御冥福を心からお祈りします。 八〇年代にも一度がなり学校が荒れたというような時期がございました。三、四年前から少し小康状態といいますか、現象的には微増といいますかふえ続けておりましたけれども、いじめによる自殺とかそういうことはございましたが、いわゆる荒れたというような感じは少し遠のいたのかなということがございました。 そういう中で、校内暴力といいますか、対教師暴力ではなくていわゆる生徒同士、そういう中でいじめとか登校拒否とかということがあったわけでございますが、もの辺の現状はどういう状況なのか、局長からで結構でございますから簡単にお願いしたいと思います。
○政府委員(辻村哲夫君) 先生のお尋ねの件につきまして、十年前と比較した数字を述べさせていただきたいと思います。 まず、校内暴力でございますけれども、中学生、高校生が起こしました校内暴力、十年前、昭和六十一年の時点では二千八百一件でございました。平成八年度間の校内暴力の発生件数は一万五百七十五件ということでございます。 それから、いじめでございますけれども、これは小中高、特殊教育諸学校合わせてでございますが、昭和六十一年の時点では五万二千六百十件でございました。これに対しまして平成八年度間の件数は五万一千五百四十四件ということで、これは微減というような状況になってございます。 それから、五十日以上の登校拒否児童生徒数でございますけれども、小中学生合わせまして、昭和六十一年度は三万四千八十人でございました。平成八年度間は七万七千五百四十二人ということで、二倍強に増加している。 ポイントを絞りまして校内暴力、いじめ、登校拒否の件数につきまして御報告いたしますと、以上のような数字になってございます。
○小林元君 いじめについては現在やや減少しているというような状況もありますし、それから登校拒否は増加をするというような状況でございます。特に校内暴力の問題がここ急増している。特に七年度、八年度。今年度はまだ年度の途中でデータもないかもしれません。すごく急増しているんですね。七、八年を見てみますと、対教師暴力問題は中学校で四八%、それから生徒間の暴力で三二%、器物損壊で四一%というようなことでございます。 ただ、学校として見れば、中学校ではそういう問題行動があったのは一七・七%程度ということでございます。それから、高校につきましてはそれほどふえているという状況はありませんが、ただ、器物損壊というような問題が発生をしている。高校も、そういう事象が起きた学校というのはトータルでは二二%というような状況でございます。 そこで、いわゆる荒れた学校といいますか問題のあった学校というのは、そういう一連のいじめとか登校拒否とかあるいは校内暴力とか、そういうものを重ねてみるとどういう姿になるのか、あるいはデータ的にないかもしれませんが、文部省の受けとめ方はどういう感じで受けとめられておるか、お聞かせをいただきたいと思います。
○政府委員(辻村哲夫君) ただいま先生の御指摘のとおり、これは全国をならした数字で申し上げているわけでございます。 この校内暴力、いじめ、登校拒否児童生徒数というのが全国の学校に平均的にということではなく、場合によっては、あるいは地域によっては偏って特定の学校に集中しているというケース、これは個別の報告としては聞いているわけでございますけれども、私どもがとっております調査は各県の教育委員会を通しまして集計するわけでございますが、各県で各学校ごとの数値を集計したものを、県で集計したその結果を国が集めてそれを集計するということでございまして、個別の学校あるいは地域の特性というような要素を加味してこの校内暴力、いじめ、登校拒否児童生徒数が具体的にどんなふうになっておるかという数値は文部省としては持ってございません。全国的な傾向としてこうした動向を把握するという観点からの調査でございまして、先生の御指摘のようないわば立体的なと申しましょうか、そういう数字は私どもは持っておりません。
○小林元君 実効的といいますか効果的な対策を打つという場合には、平面的な指導といいますか指示ということではなくて、そのような地域性ですとか学校の特性ですとか、どういう原因があって起きたのかというのは大変難しい話でありますけれども、やはりそういうことを究明しながら適切な対策が打てるんではないかというふうに感じているところでございますので、どうぞよろしくお願いしたいと思います。 そこで、専門家によりますと、ここのところの急増しているような行動というのは、八〇年代のときと現在のは大分違っているというふうに言われております。以前は、反抗的というところ、あるいは組織的、集団的、あるいはそういう因果関係といいますか、いろんな原因というものがあって何か行動が、現象が起きたと。いわゆる突っ張り型といいますか、単純な言葉ではちょっと言えませんけれどもそういうところがあったんだと。今回はどうも突発的といいますか、普通の子というマスコミの報道もございますが、やはり問題行動の予兆はあったんではないかと私は思っておりますけれども、いずれにしても個々ばらばら、場当たり、無差別というようなところがあるというふうに今聞いておるんです。 大臣は一橋中学校に行かれて直接中学生と対話をされたということを聞いておりますが、その辺の感覚といいますか、大臣の御認識をお伺いいたしたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 今、小林委員御指摘のような、大変憂うべき、かつ深刻な事態に立ち至っているなと思っておりますし、特に校内暴力、しかも中学校の校内暴力が急増しているというあたりが一番の今頭の痛いところでございます。 たまたま、黒磯の事件が起きた後、一体どういう現場なんだろうかという思いを込めまして、一橋中学校という、かつては大変区内では名門の中学校でございました、今も大変いい学校に回復したということですが、学校に行って先生方のお話を聞いてみると、やっぱり数年前は相当荒れていた学校の一つであったそうであります。その後、校長初め先生方の、そしてPTAの皆さん方の一致した努力によりまして、やはり時間は相当かかったそうでございますけれども、一生懸命、朝八時半から授業がまず始まるように、みんなが遅刻しないような指導をしたり、あるいは校庭や廊下にいて、八時半でも教室に入らない子供たちを、担任でない先生方が一緒にさあ入ろう入ろうという形で教室の中へ誘導して、そういうことを半年、一年、一年半、二年とずっと根気よく続けていく、その結果やっと荒れた学校が落ち着いた学校になってきた、こんな話を聞きまして、なるほどそういう根気強い取り組み、そして、例えば十名の先生がいてだれか一人でも違う行動をとると、そこから一遍に崩れてしまうというような体験もしておられる先生方もおられました。 そういう意味では、やっぱり学校の中の校長先生を中心として先生方が一致協力した、同じ方向でこの厳しい事態、荒れた状態を解決しようというような行動があって初めていい学校になっていくという大変貴重な話を聞かせていただきました。そうした現場での御努力を教育委員会あるいは文部省も後ろからしっかりと支えていくように努めてまいりたいと考えているところであります。
○小林元君 十年前は、いわゆる管理型教育というんでしょうか、校則が大変詳細に決められておりまして、そういうものに対する反発といいますか、そういうこともあったのかなというような感じを抱いております。ところが、そういう問題を克服されてきたわけでございますが、今回こういう状態になっていると。やはり学校側の体制づくりというんでしょうか、非常に大事なんだというふうに今大臣からおっしゃられました。私も全く同感でございます。ただ、だから学校は何でもできるという状態になるのは、そうはいかないとは思いますけれども、しっかりやればあるところまで頑張れるんじゃないかと。 ところが、こういう対教師暴力、あるいは生徒間暴力もそうでございますけれども、非常に危険な状態といいますか、そういうものを察知といいますか、最近、私、校長先生から何度も聞かされておりますけれども、中学校の教員がどうしてもかわりたい、小学校へ行きたい、あるいは養護学校に転勤をしたいというような状況などが非常に多く出てきているやに聞いております。これはなかなか大変だなというふうに受けとめて、どうすればいいのか私自身もよくわかりませんけれども、これは文部省がどうのこうのという話ではなくて、実際現場の市町村あるいは県の教育委員会が、先ほど私申し上げましたが、どういう学校に問題が起きていくのか、地域特性があるのか、学校の体制に問題ありか、そういうものを十分勘案した上で人事配置といいますか、そういうものをして対応するということが必要なのではないかなというふうに考えているところでございます。 それで、今いろいろ中教審で心の教育という問題が言われておるわけでございます。新しい十年度の予算におきましてもそういう諸対策を打とうというようなことになっておるやに聞いておりますけれども、家庭教育といいますか、地域の教育力の回復とか、そういうことは当然必要だというのはだれもわかるのでございますけれども、結局それをやるためには学校がやはり中心になっていかないと、ただ家庭でこうしてくれああしてくれと、学校で先生が子供に伝えるだけ、あるいはPTAで言うだけでは進まないんじゃないか。そうなりますとどうしても学校にかなりの負担がかかってくる、そしてまた限界もあると。それでもやらざるを得ない、やるべきだと。その辺の問題はどういうふうに考えておられますか。
○国務大臣(町村信孝君) もちろん学校の役割の大きいこと、これは委員御指摘のとおりでございまして、子供の育成上大変大きな役割を担っていることは当然のことだろうと思っております。 ただ、えてして聞く話でありますが、学校の先生に子供のしつけまでしっかり頼みますよと保護者から言われても、基礎的なしつけはやっぱりそれは家庭でやってきてもらわないと、そこまで学校の先生に頼まれても、正直言ってそこまでは手が届きませんという気持ちを先生方は持っておられるということも、先日、実は指導を担当しておられる中学校の先生たち十名ほどと話したときそういう発言が中学校の先生の方からもあったわけでありますけれども、家庭は家庭でやっぱり基本的に果たすべき役割というのがあって、例えば基礎的な規範意識とかあるいは立ち居振る舞いに関するしつけのような部分は、やはり今まで以上に家庭がもう一度その役割を大きく果たしてもらわないといけないんじゃないか、そこまでも学校に期待するのは正直言って学校に対する期待のし過ぎだと私は考えます。 しかし、さりとて、では学校が何もしないかというと、もちろんそんなことはありません。学校は学校で、集団としてその子供に協調性を持ってもらうとか、学校でなければできないまたしつけにかかわる部分というのはやっぱりあるだろうと思います。そして、学校はもちろんでありますが、知育、徳育、体育と言われているそれぞれの分野でまた学校教育がそれをやらなきゃならないこともあろうかと思います。 ただ、ややもすると何でも学校にという傾向は、私はこの際は少し反省をすべきではなかろうかなと。そんな思いも込めまして、中教審の方で中間報告が三月末に出されようとしておりますが、社会全体の大人に向かっての提言と、あと学校と家庭とそれから地域社会、学校を取り巻く地域社会の皆さん方それぞれに対する提言という構成をお考えになっておられるようで、私はそれは大変ある意味ではバランスのとれたいいお考えではないだろうか、こんなふうに受けとめている次第であります。
○小林元君 私も全く同感でございます。学校、家庭あるいは地域社会、そういう役割といいますか、そういうものの中でしっかり頑張っていくという以外に解決の道はないのではないかというふうに思っております。 ただ、こういう問題がどうして起きるのかというその背景の中に、午前中も競争云々の問題がございました。私も受験競争を否定するものではありませんけれども、しかし、そうは言いましても、極度の受験競争あるいは偏差値重視といいますか、知識の詰め込みということが安易にやられているというようなことを改善していくということも必要なのではないかというふうに考えております。 そういう中で、競争を廃止するというのではなくて、例えば高校入試の中で推薦入学というようなことがかなり拡大をされてきております。やはりこれは中学校の教育を信頼しながら高校が推薦入学を受け入れるというようなことだと思いますが、そういう中高の信頼関係の中でそういうものの拡大が図れればいいのかなというような感じがしております。そういう道をどうか進めていただきたいというふうに思っております。 時間がありませんのであれでございますが、この問題の最後に、学校教育法の改正で養護教諭が授業ができるようにするというようなことが出されております。これはいわゆる不登校あるいはいじめ、いろんな問題で保健室がオアシスといいますか駆け込み寺といいますか、そういうことになっているというような状況があるんではないか。かなりの生徒が駆け込んでいるというような状況の中で、養護教諭は点数はつけない、授業はしない、そういう形で接触はしないというところに、それが安易な信頼感だと言えば言えるかもしれません。これは養護教諭の方からの強い要望も私は伺っております。それも大事なことではあります。だからといってこれを一律に、そういう授業ができるようにするということで一斉に授業に入るというのは、こういう事態ではいかがなものか。特に中学校ではこういう状況でございますので、やはりその辺の適切な御判断をお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(御手洗康君) 委員御指摘のとおり、今国会に御審議をお願いしております教育職員免許法の改正案におきましては、養護教諭の免許状を持った後三年以上実務の学校経験がある者につきまして、現実にその養護教諭が勤務している学校におきまして保健の授業を担当することができるということで、免許所持の例外の規定を置きたいと考えているところでございます。 これは、今委員御指摘のような、養護教諭が持っておりますそれぞれの学校におきます児童生徒との人間関係もございますし、またその養成課程やそれらの職務経験を通じて得ました養護教諭の専門的な知識、技能というものを積極的に学校のさまざまな児童生徒をめぐる心身の問題について活用分野を広げていきたいというものでございまして、御指摘のございましたように、養護団体の方々やあるいは学校現場の責任者であります校長会からも大変強い要望があったものでございますので、ぜひそのような形で御理解いただければと思っているわけでございますけれども、あくまでもこの制度改正は、免許法の制度といたしまして、そのような養護教諭が保健の授業を例外的に担当ができるというような制度を開くものでございます。 この制度をどのような形で使うか、それは学校運営上の観点から、それぞれの学校の実情に応じまして、校長あるいは保健を担当する保健体育の教諭や、あるいは小学校でありますと学級担任の教諭や、その方々と養護教諭の方が学校全体で基本的な計画を立てまして当たっていくということでございますので、それぞれの学校におきまして、本来の養護教諭の持っております保健室におきます健康相談等の機能、あるいはそれを前提といたしました児童生徒との人間関係ということがおろそかになるというようなことのないよう、適切な運用が行われるものと私ども期待をしておるところでございます。
○小林元君 適時適切といいますか、ぜひそういう運用というものを十分考えてやっていただきたいというふうに考えております。 それから、本会議でももう質問が出て、三十人学級の実現というようなことが言われております。今諸外国では、アメリカのクリントンの昨年の一般教書でも、教員を十万人ふやす、十八人学級を実現する、大学を全入にするというようなことを言っておりますし、フランスも、教育は国家の最優先の課題だというふうに教育基本法に明記をする。それからブレア政権も、最優先課題が三つある、教育、教育、教育だというようなことを言っているそうであります。橋本総理もこの間の演説で、この国の将来を担う子供たちのことで頑張りたいという所信を表明されました。 ただ、財政構造改革という大変な問題もあります。十分承知をしております。教育は人の量だというふうに断言はしませんけれども、かなりこういう問題につきましても手間暇のかかる問題でありますし、そしてまた先生方が心を合わせて頑張らないと、やっぱり学校ぐるみ頑張らないと、そういう体制ができませんと、一向に解決できないということがあるんではないかと思います。 ですから、例えば中学校だけでも三十人学級を実現するというような方策はないものか。教員の質ももちろん問われることではありますけれども、今のような状況の中で優秀な教員が集められるという状況もあるわけで、これは不幸中の幸いというのかどうかわかりませんが、そんなこともございます。その辺のお考えについて大臣にお伺いしたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 数多くの党派の皆さん方から三十人学級の御提言をいただいております。私ども、財政にゆとりでもあれば、それはいろいろな将来の方策について議論をしたいとは思っておりますけれども、昨年の十一月の国会で財政構造改革法が成立をいたしました。その中で平成十年度完成予定の定教改善計画を二年後倒しするということを決めたばかりでございますので、今委員御提案のように、直ちにこれを今三十人学級という形で定数改善を進めるということを政府全体として判断する状況にはなかなかないのではなかろうかと、こう思っております。 もっとも、四十人学級と申しましても、実際の一学級当たりの児童生徒数は、全国平均で小学校で二十七・七人、中学校で三十二・九人ということでもございますし、また、諸外国との比較ということでお話がございましたが、教員一人当たりの児童生徒数という見方もあるようでございまして、これを見ますと、例えば初等学校では日本は十九・八人、アメリカ十九・〇人、イギリス二十二・四人、フランス十七・四人、ドイツ十八・二人、これはちょっと調査年次が若干ずれたりもしておりますが、このような状況でございますし、今やっている定数改善の中でグループ別指導でありますとかあるいは習熟度別指導でありますとか、そうしたきめ細かな対応ということにも心がけている最中でございますので、当面は、平成十二年度目標ということになっておりますが、とにかくそれについてしっかりとした完成を図っていくことに努力をしたいと考えているところでございます。
○小林元君 なかなか簡単ではないということは十分承知で申し上げた次第でございます。こういう問題校といいますか、問題校という特定をしますとまずい話でございますが、問題の生じている学校につきまして配分を優先していくというような弾力的な運用というものを現場の教育委員会にぜひ任せていただいて、一刻も早いこういう問題の解決の方向を見出していただきたいと、これを要望する次第でございます。 それから、時間がありませんのでこれも要望でございますが、外国人留学生十万人計画というものがございます。これが日本の果たす本当の役割といいますか、日本がかつてフルブライト留学生というような形でアメリカに勉強させていただいた、そういう中で日本の復興というものはあったというふうにを言われているわけでございますが、そういう大事な問題について、五万人を超える段階で、二十一世紀までには十万人にするんだというような計画になっておりますが、残念なことながらなかなか実現ができない。そしてまた、このアジアの通貨危機、経済危機の中でますます道は遠いというふうなことでございます。ですが、それを何とか克服して、いろいろ御工夫もされているやに聞いておりますけれども、どうぞ頑張っていただきたい。御要望いたします。 次に科学技術庁にお伺いしたいと思います。 長官御就任早々に東海村に動燃の現地視察に来ていただきました。また、私ども茨城県はつくばという日本の科学技術の集積都市がございます。世界的な集積だと言っても間違いではないと思いますけれども、そういうことで大変科学技術というものに関心を持っております。 それで、過般の動燃の事故、「もんじゅ」の事故に続いた動燃の事故というものは大変残念至極でならないわけでございます。きのうでちょうど一年というふうなことで、現地でも防災訓練をする、あるいはその前に県でも不意打ちのといいますか、いろいろな訓練というふうなことが実施をされたわけでございます。 この事故後一年たって十二月に最終報告が出されたわけでございますけれども、結局は事故原因というものは究明できないままに、さらに二月二十六日に原因究明のための専門家チームを組んでさらなる究明をすると。いろいろ難しい問題だとは思いますけれども、この一年間は本当に何だったのか。もっと十分にあらゆる努力をして解明をして信頼回復に努めるべきではなかったんだろうか。これは難しいんだからどうしようもないんだと言えばそうかもしれません。長官、いかがでしょうか。
○政府委員(池田要君) 東海村の再処理施設の一角にございました施設の火災爆発事故で大変に御心配をおかけいたしました。 今、先生からこの事故調査の内容についてのお尋ねがございました。この事故の原因につきましては、事故後早々に専門家によります事故調査委員会を発足させまして、三十回、これはもう全面公開のもとに徹底的な原因調査をしていただきました。委員の方々に現場に入っていただくとか、あるいはサンプリングをして実験をするというようなことも積み上げた上での調査をやったわけでございます。その結果、運転条件を変更させたと。 廃棄物とアスファルトを混ぜ合わせているわけでございますけれども、その結果、ドラム缶の中で遅い化学反応によってゆっくりと温度が上昇し、ついには、廃液中に入っておりました硝酸塩といったような物質とアスファルトとの発熱反応が活発に進行して火災に至ったと、こういう基本的な原因、それから事故の進展につきましては見きわめがつきまして、先ほど御指摘ございましたように、事故調査委員会として昨年十二月の十五日に報告書をまとめていただいたわけでございます。 ただ、この原因につきましても、学問的な意味合いではまだ研究課題があるといったのが専門家の方々の見解でございまして、例えばその遅い化学反応の仕組みを細部にわたって特定するといったようなことにつきましては、中長期的観点から取り組みが必要だといったことを指摘していただいております。 こういった観点から、御指摘いただきましたように、科学技術庁といたしましては、専門家の参加を得てフォローアップチームを設けて取り組むことといたしまして、二月の二十六日に発足させた、こういう次第でございます。
○小林元君 動燃の改革というんでしょうか、再編成をする、立て直しをするというようなことで、法案もいずれ出されてくると思いますけれども、この問題につきまして、動燃は消火をした、しかし実際には消えてなかったというふうなことで、いわゆる虚偽報告というようなことで動燃と関係職員を科技庁が起訴したというようなことがございました。そしてまたその後、ウランの廃棄物施設の不適切な管理といいますか、不適切どころではない、入れっ放しで何も管理してなかった、それで科技庁もそれに気がつかなかったというふうなことがあったわけでございます。 ですから、使用停止処分にしたと、こういうお話でございますけれども、科技庁としての監督責任というものは、「もんじゅ」の事故があって、さらに東海村で再処理工場の事故があって虚偽報告をすると、連続しているわけです。ということになりますと、これは言ったから動燃の責任であるというだけで済ますのはいかがなものか。あるいは、その後の廃棄物施設の不適切管理という問題について、使用停止で済むのか、監督していた方はどうなんだと。それは予算を流用して科技庁の知らない間につくられて、いつの間にかできて、そしてそこに廃棄物が詰められていたというんだからやりようがなかったんだと、こう言うんですけれども、二十年も三十年もそういう状態が続いたということについては、やはり責任があるんではないかなと思うんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(谷垣禎一君) 先ほど委員からお話がございましたように、ちょうど昨日、アスファルト固化処理施設の火災爆発事故から一年の節目を迎えまして、きのうはああいう訓練も行われたわけでございますけれども、こういった一連の事故、今御指摘のように事故自体の重大性ということもさることながら、その後の社会的な対応というものがいかにもおかしかったというようなことで、余計原子力行政あるいは動燃というものに対して不信感を増幅していったという面があったことはまことに残念なことだった、こう思っているわけでございます。 したがいまして、いろいろな議論を得て先月の十日に動燃改革法を提出いたしまして、もう少したちますとこの委員会でも御審議を願うことになっているわけでございますけれども、これを一日も早く成立させていただいて、私は形はある程度こういう動燃改革法というものでできてきたと思うんですけれども、仏つくって魂入れずになっては仕方がないわけでありまして、どうやって魂を吹き込んでいくかということが実は一番大事な問題です。ここのところは、今現在移行過程の動燃においても一生懸命取り組んでもらってはおりますけれども、やはりこれは言うはやすくして難しい課題でありますから、引き続きこの面を我々は重視をしていかなければならないのであろうと思います。 それと同時に、今委員のお尋ねは、動燃だけが悪かったといって済むのか。科技庁も問題があるのではないか、特に動燃の業務や現場というものを十分に把握していなかったのではないか、あるいは適切な安全監視や業務指導をしていなかったのではないかということは私自身も感じたところであります。 私が科学技術庁に参りまして最初に指示をいたしましたのは、やはり現場を重視しなければいけないということを申しまして、当庁の職員が動燃の現場をみずからの目で全部見る、そしていろんなことを点検していくということを指示して、そういうことは進んでいるわけであります。それと同時に、そういったいろんな議論をいたしまして、現在、二十四時間の連絡通報体制を整備する緊急時対応の強化、あるいは抜き打ち立入検査などの安全監視の強化、それから職員による動燃のすべての施設設備の現地調査といったことを積み重ねてきたわけであります。 今後残る課題は、動燃改革法案の精神でもあるわけでありますけれども、やっぱり長い間に監督官庁である科技庁と動燃の間にいろいろな意味でのなれ合いがあったのではないか。また逆に言えば、科技庁も動燃に対して、言うなれば干渉すべきでないところを干渉し過ぎたということもあったのかもしれません。私は、今度の法案の中で、はしの上げおろしまで自分が監督官庁であるからといって動燃に口を出すという体制はよくないと思っているんです。動燃にはっきりとしたミッションを与えて、そして権限と責任というものをはっきりさせて、まず第一にきちっと動燃、動燃というか新しいあれは核燃料サイクル開発機構ということになっておりますが、まずそこできちっと責任と権限を自覚してやっていただくということが第一であります。そのための機構をつくり上げるということが第一であります。 それと同時に、科学技術庁も、今度は自分の監督する官庁の権限と責任を持って、現場あるいはその仕事の実情に通じて、きちっと批判すべきは批判し、監督すべきことは監督する、権限と責任を明確にする体制をつくり上げてまいりたい、このように思っております。
○小林元君 事故の際にいろんな教訓を科技庁もあるいは動燃も、そして我々も得たわけでございます。特に原子力の開発といいますか、原子力問題というのは大変技術的といいましょうか、大変難しいというふうに世間一般に思われていますし、国民もそのように理解しております。見えない危険におびえるというのは大変言い過ぎかもしれませんけれども、そういうところもあるわけでございます。 例えば、ヒバクをしたという一言をとりましても、ヒバクのバクはさらされる方なのでありますが、何か爆発の方の被爆というふうな感じで受け取る向きもありまして、被爆したから被害があるというふうに、爆弾の爆ですとそういう感じになるわけでございます。例え話でございますけれども、そんなことがございます。 やはりわかりやすい行政というものを目指す必要があるんではないか。そういう意味で、事故報告書等にもいろいろ出ておりますけれども、データの公表につきましても、例えばこういう生データをずばり出されたんでは国民あるいはマスコミも含めて理解できない、誤解をするということになるんではないか。そういう点を十分今後とも注意していただきたいと思います。 時間がありませんので最後になりましたけれども、実はそういう公表といいますか、科技庁では毎年原子力白書あるいは安全白書という二つの種類の白書を出されております。残念ながら、いろんな問題があったというようなことは十分承知をするわけでございますが、例えば原子力安全白書は七年版からもう九二年間何も出されていない。八年三月に七年版が出されました。ですから、普通なら九年三月に出される。しかし、動燃の事故があったから忙しくてそれどころじゃないと言うかもしれません。あるいは原子力白書につきましても、八年の十二月に出されました。九年の十二月、現在も出されておりません。 そんな状況で、やはりこれは、そういう重大な問題があったからこそどんどん出していく、公表していく、前らかにしていく、これが姿勢ではないかと思います。時間がありませんので御要望をして、終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○萱野茂君 民主党の萱野茂であります。 町村文部大臣にお会いすると、どうしても忘れられないことがあるわけであります。大臣のお父上、町村金五先生が北海道の知事をやっておられた昭和三十五年、うちの二風谷で生活館が欲しい、そういうことをお願いに行ったら、本当に二つ返事で大きな生活館をつくってくれたわけであります。そして、そのときに一緒に、アイヌたちが、私をも含めてですけれども粗末な家にいた。何とか暖かい家に入るようにということで、町営住宅というか、そういうのを建てるための補助金をたくさんつけてくれた。 そして、その次に、昭和四十五年でありますけれども、二風谷アイヌ文化資料館という館を建てたいとお願いに行ったところが、急なことでたくさんは出せないけれどもと言って、本当に目の前にすぐに百万円のお金を出してくれた。それを呼び水として一千五十万円、昭和四十五年当時でありますから随分昔ですけれども、それを呼び水として、大きなとは言えないけれども、まあまあ間に合うアイヌ文化資料館を建てました。それのおかげで、アイヌのいろんな資料を置き、そして録音をし、それが今現在のアイヌ文化保存・継承のかなめの場所となったわけであります。そういう意味では、大臣のお父上に本当に村を挙げてお世話になっていましたことを心からここで改めてお礼を申し上げながら、質問に入りたいと思います。 そこで、文部大臣の所信表明に関して二、三お伺いしておきたいと思います。 十一日のある新聞の世論調査によりますと、国民の橋本内閣への支持率は四〇・四%、これに対しまして不支持とする人は実に五四・一%に達しているわけであります。支持率を大きく上回っているばかりか、橋本内閣発足以来の過去最高の不支持率を記録しているわけであります。不支持の原因は、世論調査をまつまでもなく、政府の中枢にある者の腐敗と堕落など相次ぐ不祥事であり、そして、経済政策や財政・金融政策の失敗から国民が日々に感じます暮らしへの不安、焦り、社会不安の広がりこそがその要因ではないのでしょうか。 私は野党の一員でありますから、内閣の支持率の低下はある意味で絶好の機会ととらえることは容易であります。しかし、同時に私は、この橋本内閣に対しての国民の不支持こそ、今の政治への不支持でもあると受けとめております。私たち政治に身を置く者は、この世論を与野党を問わず謙虚に受けとめ、政治の信頼回復に全力を尽くすことが問われていると思っております。橋本内閣の主要閣僚であります町村文部大臣におかれましても、国民の信頼を回復することを最大の任務として奮闘されますとともに、教育行政こそ、公職にある者にとって規範たるべきことを徹底していただきたいことを強く期待しておきたいと思っております。 さて、最近の相次ぐ少年による殺傷事件、連日のようにその様相が報道され、まことに心の痛むことであります。大臣は、所信を表明されましたその当日に、子供たちに、そして保護者や教育関係者に緊急アピールを発せられました。私はこの緊急アピールそのものに、これまでのおざなりに近い官僚の作文に見る通達とは異なるものを見たのであります。それだけに、これまで進められております教育改革プログラムや所信表明との隔たりといいますか、乖離を感じるものであります。文部省の教育改革プログラムからは、残念ながら改革への情熱とか決意の肉声は、正直言って余り伝わってこないのではないでしょうか。最も多感であり、そして自分の未来にとって最も夢を抱くべきはずの少年たちがなぜこのような事件を起こすのか、その真の背景は何なのか。それは、現代の社会の実相と無縁ではないはずですし、大臣が子供たちへのメッセージで、君たちの言葉を受けとめたいとしたことにつながるのではないでしょうか。 そこで、教育改革を中心に、以下お伺いをしておきたいと思います。 文部大臣は、さきの所信表明の冒頭に心の教育を挙げておられます。校内暴力、非行の増加、いじめなど、事態は年々深刻な状況になっておるわけであります。私も最優先で取り組むべき問題と認識しております。 古い話で恐縮ですが、私の子供のころは、アイヌであることを理由に先生からも不当な扱いを受けていました。学校というのは、私にとっては決しておもしろいところではありません。本当に行くのも嫌な場所が学校であり、いじめというのは当たり前のような世界でした。ただ一つ、心の逃げ場が祖母の懐で聞くアイヌ語の物語でした。皮肉なことに、そのアイヌ語が今私の民族としての誇りになっております。 また、ナイフは遊びの道具であったわけであります。木の皮をはぐこと、生活の道具をつくること、鉛筆を削ること、ナイフというのは何も凶器でもなかったわけであります。 今、私の孫の世代を見ますと、個室にテレビや情報機器が備えられ、我々の時代では考えられないような多様な文化と情報に囲まれて、豊かな環境にあるわけであります。 教育改革では、幼児期からの情操教育が強調されておりますが、私も、自然環境も含めた豊かな生活体験が成長期には重要であり、アイヌであろうと障害者であろうと、一人一人が大事な人格を、人生を持っていることを大人たちはしっかりと伝えていく責任があると考えております。 また一方では、子供たちは人生や社会の価値を何に学べばよいのか、だれから救わればよいのかという不安の中にあるわけでして、今後、学校教育におきまして子供たちをどのような人間、市民に育てていこうとしているのか。人権教育にもかかわる課題ですし、その論理観といいますか、倫理観といいますか、理念につきまして大臣のお考えをまずお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) まず冒頭、萱野委員から私の父のことに触れていただきました。大変恐縮でございます。ありがとうございました。 今、教育改革を私どもは万般にわたって進めているところでございます。委員から、心が通っていないという御批判もいただきました。確かに、文部行政は教育から科学技術・研究あるいはスポーツ、文化、大変幅広い分野を担当いたしておりますので、ややもすると焦点が定まっていないという御批判もございます。 そこで、私は所信の中でも申し述べましたように、四つの柱に少し重点化を図りまして、今それらについて一生懸命取り進めております。 一つは心の教育の充実、もう一点は選択肢のある多様な学校制度、そして三番目が学校の自主性を尊重した、現場で教育のことが決められるような体制づくり、そして四番目が研究あるいは学術の振興ということであります。 いずれもが、結論的に言うならば、いい子供と一言で言うと難しゅうございますが、いかにして健全な子供たちがたくましく豊かな心を持って育っていくことができるかということ、そしてその上に立って、日本の将来の発展のかぎを担う科学技術あるいは学術研究といったものをどう花開かせていくかということであろうと思っておりまして、内容が多少ばらついておりますから血が通っていないという御批判もあろうかと思いますが、私どもはこれらを通じまして、教員の養成から、学校の制度から、あるいは家庭のあり方から、地域社会のあり方、すべてにわたってよりよい方向に物事が一歩でも進められればと、こういう思いで今取り組んでいる最中でございます。 その中で特に大切なこととして、今委員御指摘がございました、人間が持つべき基本的な規範あるいは倫理観といったようなものはどうやって一体育てていくのか。これはなかなか、一冊の本を読み、一冊の教科書を読み、あるいは一回の授業を聞いてわかるというものではないと思います。さまざまな体験、勉強、いろいろなことを通じてそういうものが人間として培われていく。まず家族の教育、家庭教育から始まりまして、低学年、高学年と進むにつれて、いろいろな身につき方がきっとあるんだろうと私は思っております。 いずれにいたしましても、二十一世紀の日本を担う子供たちが、健全な心、豊かな心、たくましい大人に将来なれるような基盤をしっかりと学校教育の場で、そして家庭教育の場でつくっていけるように教育改革に全力を挙げて取り組んでいきたいと考えておるところであります。
○萱野茂君 ここで、答弁は要りませんけれども、ナイフについて一言だけつけ加えておきますが、私たちが子供のころ、昭和八年に小学校へ入って、昭和十四年に小学校を出た。そのときは、みんながちいちゃなナイフを持って鉛筆を削ります。あるいは木を削ります。そのときに、指に傷をつけるわけであります。この痛さというのは、一回切れば、一回傷をつけるとわかるんです。今はどこの学校へ行っても、差し込むとちゅっと、鉛筆削りの道具、痛さなんて全くわからない。乱暴な言い方ですけれども、小学校、中学校から鉛筆削りの道具を全部窓からぶん投げて、みんなにちいちゃなナイフを預けて、指を傷つけてその痛さを知ることによって、隣の人に傷をつけない、そういうことになりはしないだろうか、そんなことを勝手に考えているものであります。 次に、中高一貫教育制度の導入についてお尋ねしたいと思います。 現在、高校進学率が九〇%を超えて、大学など高等教育への社会の期待も変わってきております。しかし一方で、受験過熱は思春期の子供の成長や家庭の経済に大きな負担にもなっており、大きな意味で、戦後つくられた教育体制が五十年を経た現在、既に社会状況に対応できない制度疲労を起こしているのではないかと考えるわけであります。 そういう意味でも、個性の尊重といいますか、大人社会にはさまざまな職業や生き方があるように、子供にも教育を受ける権利がありますから、さまざまな選択肢が保障されるべきではないでしょうか。一貫教育の六年間の年月は、やり直しのきく精神的なゆとりを教育に生かせることのよさはあるとも考えています。しかし、大臣と意見が違うところはその導入の方法であります。 選択的導入は、言葉として多様な選択肢を残しているかのように見えますが、都会での私立の一貫校の中学受験の過熱化を見ますと、学力一本では、受験の低年齢層化に拍車をかけ、学校の序列化を引き起こす懸念があります。 そもそも一貫教育導入の改革案は、受験の弊害や、いじめや不登校といった校内病理への対応が背景にあるわけであります。どこどこの大学に入るという目的だけではなく、子供たちが自分の将来の職業観を含めた夢を語れるように、教育制度全体の見直しと社会の受け入れ体制も必要なわけでありまして、導入について、民主党でも慎重な議論が続けられておりますが、最終的に大臣には賢明な選択が求められると考えますが、どのようにお考えでありましょうか。その点、一点お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 中高一貫についてのお尋ねがございました。 委員御指摘のとおり、確かに戦後五十年たって日本の教育制度にいろいろな面で、制度疲労というお言葉を使われましたが、私も同様の感じを持っております。六三三四、もちろん高等専門学校などの若干の違いはありますが、基本的には非常にシンプルな今の日本の姿であります。しかし、それではまさに多様化したニーズ、子供なり親なりのニーズにこたえることはできないだろうということで、私は、多様な選択肢を提供できる教育制度であった方がいいと思いますし、また教育内容も多様なものであった方がいいと、こう考えております。そういう意味から、中学校と高等学校を一くくりにして六年間の一貫教育というのを公立の学校でも選択できるようにしていくというところは、委員が冒頭お話のあった多様な選択肢の提供という意味に合致しているのではなかろうかと、こう思っております。 ただ、そこで懸念が幾つか表明をされました。偏差値教育の強化になるのではないかとか、あるいはその一貫六年制の学校に入るための試験がまた厳しくなるのではないかという御懸念がございます。 私は、新しい中高一貫に入るときには学力試験は要らないと、こう考えております。そうではなくて、学校の個性とか特色に合わせて面接とか実技とか推薦とかそういうものを組み合わせて最も適した生徒を選抜するという方法がいいのではなかろうかな。学力試験をやって上から何人とります、そういうようなことをここでやってはならないだろうと、私はかように考えておりますので、その懸念は、一つは受験という段階でまずクリアできるのかな。 しかし、入った後、しばしば言われておりますように、いわゆる有名私立中高一貫学校のような受験学校になってしまうのではないか。それもまた中高一貫教育の考えた趣旨とは大分外れておりまして、宮崎県の中高一貫の学校、今全国に試みで一校あるわけでございますけれども、五ヶ瀬中学校・高等学校、非常にユニークな、例えば五ケ瀬学というカリキュラムが中にありまして、要する恒地域の研究をそこでやるというようなことが、スケジュール表といいますか、を見ると載っておりまして、なるほどこういうものなのかな。それぞれの学校の特色に合った内容の一貫学校をつくったらいいのではないだろうかと、こう考えております。 いやしくも偏差値教育、それを強化するようなことをやってはならないし、むしろ私は、およそ出題範囲も小学校の範囲をはるかに超えているかのような難問奇問を出して、そして学力試験のみで中学校の入学試験をやっている今の一部の私立学校のあり方については、私は大変疑問を持っておりますし、むしろまずいんではなかろうかと、率直に批判的な気持ちでその私立の学校を受けとめておりますが、それは建学の精神その他ありますから、私立のことまで余り文部大臣が大きな声で口を挟むのはいかがかと思いますが、決していい姿だとは思っておりません。
○萱野茂君 次に、地方の特色を生かせる教育、教育の分離についてお尋ねしたいと思います。 また私ごとでありますが、私が生まれ育って現在も住んでいる北海道二風谷地域は、住民の六割以上がアイヌの血を引いております。十五年前に私が子供たちを相手に始めたアイヌ語教室に大人も参加し、今では国や道などから補助金をもらって北海道内で十四カ所に広がっております。 私は、言葉があることで民族意識に目覚めました。言葉やその地域の慣習は、子供たちに帰属意識と、その土地に住む人々に愛着と誇りを育てると信じております。アイヌへの同化政策ではありませんが、今の教育はすべて画一化され、どの地方に行っても同じ歴史で同じ文化を学び、同じ顔の日本人を育てています。今日、地域的視点で教育の本来を考えるとき、多様化、多民族化、多文化の国際化には、違いを越えて共生していける知恵が求められておるわけであります。それは地域の個性の尊重でもあると考えます。 今後、地域社会や教育委員会との協力関係や社会経験豊かな人材の登用も含めて、地域の伝統文化の継承など、学校現場の地域性などを深めていくのか、またその選択を地域行政にどこまで移譲できるか、その辺、大臣のお考えを伺っておきたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 現行の学習指導要領の中でも、実はかなりの自由度を私は現場の希望によって持てるような仕組みにはなっていると考えております。もちろん、全国共通ということで、必要最小限のものは一斉に習うべきというもので示してあります。しかし、それ以外でも、それぞれの地域、それぞれの学校に応じて独自の時間というもの、例えばその他の科目というような中でやることができるようになっておりますし、北海道の中でも、今、アイヌの歴史とか文化とか、そうしたものについて教育の中で取り組む、取り上げることは十分可能であると、こう思っております。 そして、今新しい学習指導要領を最終段階で詰めておりますけれども、その中においてもまたより一層必須を減らして選択をふやすという中で、今、委員がおっしゃったようなアイヌ、あるいはたまたまさっき私も申し上げましたけれども、宮崎県五ケ瀬町では五ケ瀬学といってその地域研究というのを毎週一回時間割の中で組み込んでいるといったようなことも発見をいたしましたのは大変乱うれしい気持ちになりましたのですが、そういうようなさまざまな展開を、今でもできますし、これからさらに一層やっていただければと期待をしているところであります。
○萱野茂君 次に、文化の振興との関連で、アイヌ文化の振興についてお伺いいたします。 アイヌ文化の振興については、いわゆるアイヌ新法の制定によりまして国の支援による財団が発足し、新たな事業の展開が始まっております。文部省はこのアイヌ新法にかかわる主務省でございまして、予算面でも大いに御努力をいただいて、本当に感謝しているところであります。 ただ、ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会の報告との関連で申し上げますと、この報告に盛られています事業のうち、例えば伝統的生活空間、イオルとアイヌ語で言うんですけれども、再生にかかわる事業でありますとかあるいは研究機関の整備など、主要な事業につきまして今後の施策にゆだねられております。 施策の具体化に当たっては、今後北海道が立てます基本計画とも関連があると思いますが、政府はかねがね懇談会報告を最大限尊重してと言ってきております。主務大臣としてぜひ早期の施策実現に向けてお力添えをお願いしたいのと、見通しなどについて一言お願いしたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 萱野議員の大変な御努力によりまして法律も制定をされ、また来年度予算も現行の二倍以上にふえまして、二億円を超える予算を文部省でも用意を今させていただき御審議をいただいているところでございますが、これからもさらに努力をしてまいりたいと思っております。何せ実質初年度というようなところもございまして、報告書の中に盛られたすべてを予算化するというわけにもまいりませんでした。今後、関係省庁あるいは北海道庁あるいはウタリの団体の皆さん方ともよく相談をして一つずつしっかりと前進をさせていければと、かように考えているところであります。
○萱野茂君 おしまいに科学技術庁長官にお伺いしておきたいと思います。 所信表明の重要な柱の一つに、動力炉・核燃料開発事業団、略して動燃と言いますが、その改革がございました。政府が動燃事業に着手するに至った直接の原因が動燃の一種の不祥事にあったことは当然であります。 私は、動燃改革は何かといいますと、初めに政府の反省ありきと常々思ってまいりました。動燃のこれまでの経営体質は、社会的責任の欠如といいますか、情報公開もされず、政府系機関としてあるまじき体質でありました。これは、単に動燃の責任ではなく、これまで動燃が設立されて以来、天下りの問題も含めましてですが、ひたすら動燃をかばい続けてきた政府の姿勢そのもの健あったのではないでしょうか。 例えば、北海道幌延町に立地を予定していました高レベル放射性廃棄物の貯蔵工学センターの例で申しますと、関連する隣接市町村などの意向を全く無視して調整に着手する、しかも、夜半に紛れて抜き打ち的に資材を搬入する、反対住民を告訴する、特定政党の宣伝まがいのことをするなど、枚挙にいとまがないほど傍若無人な動燃の行動を支えていたのが政府の庇護と莫大な原子力関係の広報予算でありました。原子力行政を推進します政府の立場と全く根底から異質の問題をはらんでいるわけであります。 科学技術庁は、動燃改革法案の提出に当たり、このような事業の確認の上に立って、政府の深い反省を踏まえ、国民の理解を得られる改革の方向を示すべきと考えますが、長官、いかがでしょうか。さらにつけ加えますと、この改革の中でこれまでの動燃の役割は具体的にどういうような改革を見るのか、伺っておきたいと思います。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、萱野委員御指摘のように、動燃の一連の問題が非常に大きな原子力政策に対する懐疑と不安を呼び起こしたことは御指摘のとおりであります。 動燃そのものについての問題、これは法案を提出しておりますので、その法案でもって改革をしていくということは先ほど小林委員にも申し上げたとおりでございますけれども、あわせて、監督官庁である科学技術庁に問題はなかったかという御指摘であります。 先ほど小林委員にもお答えをいたしましたけれども、確かに科学技術庁が動燃の業務や現場をもっときちっと把握していればこのような問題は防げたのではないか、あるいは適切な安全監視や業務指導というようなことを、これは言葉は悪いですが、なれ合って十分にできていなかったところがあるのではないか、そういうことをきちっとできていれば起こらなかったはずではないか、こういうふうに考えますと、動燃を指導監督する立場にあった科学技術庁にも反省すべき点は非常に多いと私も思っております。 このような観点から、去年の八月一日に、科学技術庁の責任をどうするかということを議論した一つの決定をいたしまして、文書にもいたしております。当庁の責任を明確にいたしまして、そしてそのもとで具体的な改革を今実施しているところでございます。 もう少し具体的に申し上げますと、幾つか反省点がございます。 一つは、先ほども小林委員のあれに申し上げたわけですが、あの事故が起こったときに、やっぱり現場と科学技術庁の連携というようなものに問題があったのではないか。したがって、二十四時間の連絡通報体制というようなものをきちっとして、何か事件が起こったときに、例えば、東京と東海村、東京と「もんじゅ」のある福井県、あるいは青森、こういうところが直ちにリアルタイムで連携のとれるような方式を整備してまいりました。それから、抜き打ち立入検査など安全監視の強化も進めてまいりました。それから、これも先ほど申し上げたところでありますけれども、予算の査定などは科学技術庁がやるわけでありますけれども、十分に現場というものを見ていなかったのではないか、当庁の職員によってすべての動燃の現場をもう一回きちっと確認しようではないか、こういうようなことをやってまいりまして、そういう成果がこれから出てくるのではないかと期待をしているところであります。 それで、動燃法案の中でどういうふうにしていくのか。今までいろんな御議論がございますし、この法案の議論の中でも、また私も申し上げるべきこともございます。ただ、今時間がございません。ごく簡単に申しますと、動燃が余りにも多くの仕事を負い過ぎていた、動燃にはっきりした、ミッションを与える、はっきりした仕事を与える、それに伴って明確な権限と責任を与える。それで、科学技術庁はもちろんそれを監督してまいりますけれども、はしの上げおろしまで指図をしたり、さっきかばってきたとおっしゃいましたけれども、そういうようなところはやっぱりきちっとしていって、監督官庁として責任を遂げていく、お互いの責任と権限をもっと明確にしていこうというのが今回の法案の、今の萱野委員の御指摘にお答えする一つのお答えである、こう思っております。
○萱野茂君 終わります。
○山下栄一君 公明の山下でございます。 限られた時間でございますけれども、私は一つだけきょうは御質問したい、問題提起を行いたいと思っております。 文部大臣、先ほど萱野委員の御質問の関係の中で、戦後五十年過ぎまして学校教育の制度的疲労という、六三三四制の見直しという観点でお話しされたわけでございますけれども、私は、もちろん戦後の教育の制度疲労という問題、もっと言えば明治以降の学制、一八七二年以降百二十五年以上過ぎているわけです、百年以上たっているわけですけれども、もう一度、教育の使命、教育の役割、人類にとって本当にとうとい仕事である人を育てるということを、家庭教育、学校教育、地域教育、いろいろな観点があると思いますけれども、教育そのものの使命、役割というのをやっぱり国民的な議論の中で知恵を出し合う必要性があるのではないかなと。 学校依存主義、学校至上主義というのが特に明治以降色濃く来たのではないか、これが今大きく問われている。学校完全五日制ということもありますけれども、中教審で家庭教育のことをお考えになるのも結構ですけれども、そういう一部の偉い人で話し合うということじゃなくて、今はもう公務員教育が問われているということだと思うんですけれども、現場に根差した、その悩みの中から知恵を出し合うということがもう今本当に大事だなということを感じております。 それで、十代の青少年の凶悪事件が激増している。別にナイフだけじゃございませんで、強盗、殺人、殺傷、そういうことがこの数年言われ続けてきております。薬物汚染の問題、これも一昨年から私何度か取り上げました。教室が覚せい剤の販売場所になっている。もう異常な事態である。すべての県で小学生も含めて補導され逮捕されている。校内暴力も激増している。不登校、いじめ、先ほども数字があったとおりです。高校中退者も、先日の統計にもあらわれたとおり十一万人を超えたと。 ナイフを使った事件は、学校の中で中学一年の男の子が学校の先生を殺してしまったということから衝撃的にえらい問題になっていますけれども、実は去年、おととしだけでも、平成八年、九年の二年間で中学生、高校生がかかわったナイフの事件というのは百三十件以上ある。これは新聞報道によるものだけでございます。それ以外にもというようなことを考えていくと、別に突然ナイフの事件が始まったのではない。 私は、自分の経験からですけれども、うちにも中学生の子供がおりますけれども、中学生、高校生になってくると、大人と中学生、高校生の対話が物すごく成立しにくい。幼稚園、小学校、そのころは一生懸命親もかかわりますけれども、中学、特に二年ぐらいからになるとかかわれない、対話が成立しない。対話があるときはどんな形で対話するかというと、つじ切り的対話と僕は言うんですけれども、学校の中でもそういうことがあるかもわかりません。目と目を見詰め合いながら話をするというようなことは本当にやりにくい。すれ違いざまに激しい言葉を親が、先生が切りつけるがごとく指摘してがっと言う。それは言葉の暴力として傷を負って生徒が去っていくというふうな、そういうふうなこともよくあるわけです。ナイフを使ってはいないけれども、ナイフと同じように心に傷を与えている。 大人と中学生、高校生の対話が本当に難しい年代、それは別に最近に始まったことではないかもわかりません。ルソーが言っている言葉では、熱病にうなされたライオンというのが十代の心の状況だと。だから、物すごく大人から見ると扱いにくくなっているけれども、だけれどもそこが勝負である、そのときの接し方いかんによって生涯に残る出会いがあり教育もできるんだという。だから、おとなしい子とか寄ってくる子を育てることは簡単ですけれども、反抗、敵対意識むき出しで襲いかかってくるような形の、そこに本当は教育のだいご味があるんだという観点でなかなか教育がされないというふうな実情がある。問題児こそ教育の技術の見せどころであるという、そのような意気込みみたいなものが親も教師も本当に問われているなというふうに私は思うわけです。 だから、余り実態がわからないままに、ナイフを持ってくる子がふえていると。持ち物検査というふうな、もちろんそういう緊急対応も必要なわけですけれども、新聞も書き立てるし文部省も何かせないかぬというふうなことになってくるんでしょうけれども、私たちはそんなことを要求しているんじゃないよと子供は必死で訴えているというふうに私には感じられるんです。大人と中学生、高校生、十代の子供たちのずれがどんどん深くなってきているんではないかなということを感じております。 僕は、大人が連帯をするということが物すごく必要な時期だなと。先ほど小野先生もおっしゃっていましたけれども、先生も悩んでいる、登校拒否になるぐらい悩んでいる。親も悩んでいる、悩んでいるけれども連帯していない。それぞれが悩みを抱えて、中学生ぐらいになると参観日にも行かなくなってお任せという感じになってしまって、だけれども家でも対話できていないという状況になっているのではないか。 学校において先生の前で見せる顔、そして友達の前で見せる顔、お父さんお母さんの前で見せる顔、全部違う。私自身も教師をしていましたので、教室に四十人おりますと、自分と相性が合う子供というのは四十人もおったら五、六人しかいない。そのほかの子供たちはなかなか心の中には入り切れない。なつく子供はおるけれども、全然合わない子供がいる。家庭訪問すると、その中学生が近所の小学生に慕われていたり、学校とは全然違う姿を見せる場合がある。お父さんお母さんと、弟、妹と話すと今度はまた違うというふうなことから、学校の中だけで見せる顔で判断すると大変なことになるというようなことを私自身も感じた経験があるんです。 要するに、余りよく実態がわからないままに手を打つと管理型の対応になってしまう、これが僕は非常にまずいのではないかなという気持ちを物すごく持っております。 大人の連帯の必要性ということを、先ほど文部大臣は一橋中学の教員の連帯の話がありました。この教員の連帯も非常に難しい世界だと思いますけれども、物すごく大事である。だけれども、お父さんお母さんと先生方の連帯、これが特に中学生、高校生は大事だけれども、学校に出かけて先生と話し合う機会はほとんどない。進路相談、問題が起きたときに呼び出されて、取り締まり的観点から先生が警察官の顔に見えて、御指導賜るというようなことがあるかもわからない。だから、連帯が非常にやりにくい中学、高校生の段階ではないかなと。 先生も悩み、親も悩んでいるんだから、悩みの連帯、悩みを共有する中から知恵が出てくる。それが現場の知恵だ、そこから解決の糸口が見えてくるのではないかと。もちろんそこに子供たちも入っていったらいいと思いますけれども、まず保護者と学校の先生との連帯、それが物すごく大事な年代が中学生、高校生ではないかな、こういうことを感じておりますけれども、それについての大臣のお考えをお聞きしたい。
○国務大臣(町村信孝君) 山下委員、教育者としての御経験に基づく貴重な御提言、お話をいただきまして、どうもありがとうございました。 確かにいろいろな状況があり、その中で何が本当の原因かは必ずしもよくわからない、千差万別なのかもしれない、また共通点があるのかもしれません。ただ、とにかく学校にナイフを持ち込んではいけないとか、あるいは命の大切さをしっかり認識してもらうとか、これはもうどういう状況の変化があろうとも、やっぱりだめなものはだめということをはっきりさせておく必要があるのではないかということで、もちろん今後さまざまな分析なり研究なりが必要だと思いますが、その結果が何年後か出て、その間何もしないというわけにはやっぱりいかないだろうという意味から、とりあえずのこととして私どももいろいろな対策を講じさせていただいているところでございますので、それでもってすべて終わり、よしとしているわけじゃないということはぜひ御理解を賜りたいと思います。 今、大人の連帯というお話の中から、特に先生と親の連帯の御指摘をいただきました。まことにもっともだなと思います。PTA、ペアレント・アンド・ティーチャーズ・アソシエーションですか、要するにペアレンツ・アンド・ティーチャーというのはもともとそういう意味では一体のものとしてそういう会までできたりしていたはずなのでありますが、私もそう詳しいことは知りませんが、断片情報で間違っているかもしれませんが、ややもすると今のペアレンツ、親の方が集まって、学校の言うなら下請機関化しているような面があったり、下手をすると親御さんたちの遊びの機会になってしまったりとか、どうもいい意味での先生と親との緊張感といいましょうか、いい関係が必ずしも築けていないなという御指摘は私もそのとおりだと思います。 十分な情報提供をしながら、まさに教育の対象となっている自分のまず子供について、十分な情報公開に基づいてどうしようかという対応の仕方が相談されてしかるべきだし、また学校全体としても、先生方全体、個々の親御さんたちが集まって、単なる先生の言うならば下請機関ではなくて、建設的な意見を言う、こういう学校運営にしたらどうだろうか。これもまた行き過ぎるとひどい今度は圧力機関になってしまってという面もありますから、あくまでもそこにはバランスというものが必要だろうと思います。 ですから、ちょっと長いお話で恐縮でございますけれども、できるだけ連携を図れるように、夜PTAをやるとか、あるいは休日に学校外で公民館や何かを使ってやるとか、いろいろな工夫が既に行われているようでございますが、そうしたことによってより意思疎通が図られ、そして大人同士の連帯がうまく図られるようなことはこれからも大いに努力をしていかなければならないことであろうと、こう思っております。
○山下栄一君 緊急的な対応としてナイフを持ってくるのはだめだということは、もちろんそういうことも必要だと思いますけれども、もう一方で、中教審の方で議論をされているわけです。僕は、現場に根差した議論が大事だ、なかなかそれが起こってこない背景があると思っているんです。 それは、学校教育の中でお父さんお母さんの位置づけが、影が薄い。学校に入ってしまうともう先生と親は対等じゃないというふうな、本来、親の信託を受けて学校教育があるはずなんですけれども。僕は、明治以降の日本の学校教青というのは戦後も余り変わっていなくて、学校至上主義、学校依存主義、親の問題もあるかもわからないけれども、学校教育の中における親の位置づけが法的にも不明確だということが大きな背景にあるのではないかということ。だから、人質にとられてしまうような感じになってしまって、評価をされても文句を言えないというふうなことが非常に強くあるのでなかなか連帯しにくい環境にあるのではないか。学校教育における親の位置づけを法的に学校教育法の中で明文化したらどうかなと、学校教育参加権みたいなものを。そういうことを私は思っております。 要するに、学校教育における保護者の、父母の位置づけが不明確であるということが、連帯が非常にしにくい背景にあるのではないかということについての御意見をお伺いして、終わりたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) もちろん憲法には、それぞれ親が子供に教育を受けさせる義務もあるし、また権利もあると、こういうことになっておりますが、私もちょっと不勉強で、学校教育法にどこまでそれが明文化されているか、多分余りないんだろうと思っております。 法律上の位置づけもさることながら、要するに実質的にどういう役割をPTAなりあるいは親の、父母会とでもいうんでしょうか、それが果たしていったらいいかということに関して十分な議論なり反省なりが行われているかというと、確かに委員御指摘のようにそこはいささか不十分な面もあるのかなと思っておりまして、一つの重要な問題提起として受けとめさせていただき、今後の文教行政の中でしっかりと考えさせていただき、また先生のお知恵もおかりをしながら、いい行政ができるように、いい学校運営ができるように、そしてよりよい教育ができるように御指導賜ればと思っております。
○山下栄一君 どうもありがとうございました。
○松あきら君 公明の松あきらでございます。 きょうはお二人の大臣においでをいただきまして、私も種々質問をしたいんですけれども、時間の関係もございましてどうしても教育中心になりますが、でもまず初めに谷垣長官の方にお伺いをいたしたいと思います。 我が国は、科学技術創造立国ということを表明しております。CO2排出を少なくするということで、あと二十基は原発をつくるということでございますが、そうであるならば、ますます核のごみと言われます高レベル放射性廃棄物、これの最終的な処分地を含めたきちんとした対策を示すべきであるという私の気持ちなのでございます。午前中の質疑の中で長官は二〇〇〇年をめどに実施主体を設立するというふうにおっしゃいましたけれども、これは二〇〇〇年までに最終処分地を決めるというふうに認識してよろしいのでございましょうか。
○国務大臣(谷垣禎一君) 最終処分地ということではなくて、二〇〇〇年をめどに処分事業の実施主体を決めていくと、こういうことであります。 多分、松委員からは遅いではないかというおしかりはあるのかなと思いながら今御答弁をしておりますが、ここはなかなか難しいところでございまして、眼は高く、しかし足は地につけて一歩一歩進みたいと思っております。
○松あきら君 もちろんさまざまな問題があり、二〇〇〇年までに確実に決めるというのはなかなか大変だとは思いますけれども、しかし今現実問題として、実は青森県の知事が接岸拒否をしている問題がございます。これはさまざまな問題を含んでいるんだと思いますけれども、せっかくきょうは加藤政務次官もいらっしゃっておりますし、長官は国会でお忙しいと、ですから、この問題の進展を図るために政務次官がまず進んで現地に赴く、飛ばれるというおつもりはございますでしょうか。
○政府委員(加藤紀文君) せっかくのお尋ねでありますが、この件に関しましては、私が現地へ行ったところで問題の解決の役に立てるとは思いません。今、大臣を初めいろいろ県当局や科学技術庁が相談している最中でありますので、それをまた報告を受けながら問題解決のために頑張らせていただこうという気持ちは持っておりますが、たちまち現地に行く気はありません。
○松あきら君 なかなか難しいんでしょうけれども、テレビ等で拝見しておりますと、木村知事は国の誠意が欲しい、総理の誠意が欲しい、だからお会いしたいのだというようなことをおっしゃっていたように思います。そういう点から考えますと、飛んでいくことで進展するかどうかは別として、何か私からするとそういう誠意をあらわす必要もこの重大な問題に関してあるのではないかなという気がいたします。 この問題はこれぐらいにいたしまして、それでは早速、教育の問題に移らせていただきたいというふうに思います。 午前中から種々さまざまな問題が提起されました。本当にこの教育ということは、今大変難しい時期でもございますし、いろんな問題を含んでいるというふうに私は思います。 京都大学の名誉教授がこういうことを書いているんです。日本は平等感が強いので、能力によって人間を選別することは極めて難しい、アメリカならば当然のことである個人の能力に応じて給料やボーナスを変えるということはとても難しいんだと。そこで、どういうふうに日本はしているかというと、これが例えば大卒とか高卒とかによって給与体系を決めてしまう。それも、大卒が非常に今多いから今度はどうするかというと、バツバツ大学卒というように大学を一流二流あるいは三流というふうに分けて、そこでいろいろ給与体系などを決める。このために、大学入試に将来のいろんな要因が含まれているわけですから、競争が倍加される、こういうふうに書いていらっしゃる方がおります。 私も、今本当にお母さん方も先生も心の教育が大事であるということがわかっていながら、やはり少しでもいい成績をとってもらっていい大学へ入れなければ将来が心配であるということが、いろいろなナイフ等の問題の一番根底にあるのではないかなというふうに思います。 そこで、こういうことがまた新聞に載っておりました。それはある高校なんですけれども、今まで自分たちの手づくりで卒業式を行ってきた。これは校長先生といろいろ話し合いをして手づくりの卒業式をしていたんですけれども、今回その校長先生がかわったそうなんですね。そしたら、その校長先生は、卒業式は学習指導要領に位置づけられた重要な行事であるから、厳粛に神聖に実施ができなきゃいけないと。ですから、いわゆるきちんと学校が決めた行事にしなければいけないということで、この手づくりの卒業式を禁止してしまったんです。そこで、四百二十三人中四百人がこの卒業式をボイコットしてしまったという事態がございます。 所信の中に「現場の自主性を尊重した特色ある学校づくり」というふうにおっしゃっておりますけれども、この自主性ということをどういうふうに担保すればいいのか、どういうふうにこれをお考えでございましょうか、お聞かせください。
○国務大臣(町村信孝君) 前段、平等に関していろいろな大学のお話もございましたが、またこれは長くなりますので、後段の方のところだけのお答えにさせていただきます。 現場の自主性というのはどういう意味がというお尋ねでございました。所信でも申し上げましたとおりに、今まではどちらかというと上から下へというような流れで物事が決まっていく。文部省の指示を受け、教育委員会の指示を受け、学校はそれをただ受け取る側という感じが率直に言ってあったことは否めないと私は思います。そういうこともあったものですから、これからは現場の自主性を尊重した特色ある学校づくり、公立学校だからといって、私立は建学の精神でそれぞれ違うけれども、公立学校はどこでも金太郎あめのように同じというのではいけないと、私はこう考えております。 そのためには、先ほどございましたが、学校運営に父母の意見を反映させていったりとか、あるいは地方が本当に責任を持って教育長さんなんかを選んでいくという仕組みをとるとか、いろいろあろうかと思います。人事権とかあるいは予算の面でありますとか学校の校内のいろいろな規則を決めたりする権利は、それは校長先生にできるだけ渡すようにして、全部とは言わないまでも、できる限り校長先生が主体でということであろうと考えております。 したがいまして、現場の自主性というのは各学校の自主性ということでありますので、生徒の申し入れを学校側が受け入れることが学校の自主性と直結するものではない、こう私は考えます。したがいまして、今回は、最終責任を持っているのはやっぱり校長先生ですから、その校長先生と生徒の話し合いがうまくいかなかった。できればうまくいってほしかったわけですが、うまくいかなかった。そのことをもってして、現場の自主性を尊重した特色ある学校づくりに反するということには必ずしもならないんだろうと。しかも、前段で厳粛な卒業式をやり、後段で卒業記念祭といったようなものをやろうという提案まで校長先生はしているんですから、それをもいけないというのは、率直に言って、生徒さんたちの考えが私にはわからないというのが個人的な感想でございます。
○松あきら君 きのう、これに関するテレビをやっておりまして、生徒一人一人にインタビューをしているんですね。そうしましたら、本当に一人一人がしっかりとした意見を持っているわけでございます。そのときにたしか、どなたかがそれを聞いていて、今どき珍しくしっかりした生徒がそろっているな、これだけいろいろしっかりした考えを持っている生徒の高校の校長であるならば、話し合いの中でそういった手づくりのものを進めてもいいんじゃないかなんていうコメントもございましたけれども、私もテレビを見てそういうふうに感じました。 もう一つ、こういうことがございます。これも新聞記事なんですけれども、これはある高校の教師が、硬直化した学校教育に失望して首都圏の高校をやめまして、山形の田舎に帰ったんですね。その先生の話なんですけれども、 教員時代、他の教員の手に負えない問題児らを進んで受け持ってきた信夫さんは「北アルプスを十日間も歩かせた生徒もいた」と振り返った。 その男子生徒は「カンパ」と称する恐喝を繰り返し、教師が注意しても反発した。信夫さんは夏休みにその生徒を登山に誘った。沢を逆行する上級者でもしりごみするような難コースだったが、生徒は弱音をはかず、仲間と荷物を分担、限られた食料も分け合い、太陽の動きに合わせた行動を続ける中で、考え込むようになった。 その後、生徒は「カンパ」をやめ、卒業前の国語の論述試験では、仲間との信頼関係の崩壊が死につながる山中の極限の中で自分の考え方が変わったことを答案に書いた。生徒は大学に進学し、今は海外で活躍しているという。先生は、学校にもしこのような詳細が知れれば許可されないような校外活動であった。全責任をとるつもりで、校長、教頭等には何も申し入れをしないで同行させた。自然との格闘が必ず情緒を正してくれると確信を持っていたということでございます。 今いろいろな新聞や週刊誌にお墨つきをいただいただめ先生もいる中で、こういった先生もいらっしゃるということで、私はすばらしいなというふうに思いますけれども、こういうことについては自主性ということにかんがみていかがでございましょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 前段のその卒業式の件、私も、きのうの夜十一時過ぎからのテレビ、多分同じ番組ではなかったかなと。数名の高校生が出ておりました。私は、確かによくしゃべる高校生だなという印象を受けましたけれども、率直に言って、頭でっかちで、自分の主張が通らないならば何をしても構わないといういささかわがままな高校生たちばかりに見えました。ちょっとそのことだけ、感想だけを申し上げさせていただきます。 今、校外活動のことに松委員お触れになりました。昔は私もラグビーという大変過激なスポーツをやっておりまして、部長先生なんというのはいたことがありませんでした。確かに今考えてみると、あそこで大けがでもしたら一体だれがどうしたんだろうかなと思ったりもいたしますが、今はなかなかそういうことは、やっぱり万が一の事故などを考えて、いろいろな校外活動あるいは校内の活動でしっかりと担当の先生がいて、いなければ逆に校外活動みたいなものはしちゃいけませんよというぐらいになってきています。これはやっぱり万が一の事故ということを恐れるが余りといいましょうか、それはもちろん対処しなきゃならないんですけれども、いささかそれも少し過剰反応ぎみなところもあるのかなと思ったりもしますが、しかし万が一の事故を考えると万全を期すというのもやむを得ないのかもしれません。 ですから、願わくは、規則の許される範囲の中で伸び伸びとしたそういった個性のある特色のある活動ができる、そういう現場であってほしいとは願っております。
○松あきら君 教育基本法に、人格の完成を目指すというのが書かれているわけですね。この法律は昭和二十二年にできて、五十年でございます。先ほど先生もおっしゃいましたけれども、教育は国家百年の大計と言われております。今、大臣も本当に心を痛めていらっしゃると思いますけれども、日銀や大蔵省官僚のいろいろな事件、不祥事、こういうことを見て、この人格の完成を目指した教育基本法は成功と思われるでしょうか。あるいは、失敗とは言えないでしょうけれども、やはりこれは変えていかなければいけないんだというふうに思われるでしょうか。いかがでございましょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 教育によって人格が完成するのではなくて、教育によって人格の完成を目指していくということであろうと思っております。何をもってまた人格の完成と見るかということもございましょう。私などはとてもとてもまだ完成していないと思っておりますし、その途上にあるかさえも個人的に反省をしている日々でございます。でも、社会全体、教育全体として、それぞれの個人個人が自分なりに描いた理想の姿を目指して生き抜いていくことが人生といいましょうか、それぞれの生き方なんだろうと思います。 したがいまして、今さまざまな公務員の不祥事、倫理上の問題等々御指摘があったことを見れば、そうした教育が十分な成果を上げていなかったではないかという御指摘、反論すべき何物もございません。 であるがゆえに、もっとそういうことを、何も道徳の時間と限られた時間ではなくて、教育全体の中でそうしたことの重要性、ただ単に知識だけを頭に詰め込み、先ほど御指摘のあった、いい大学に行きいい会社に入れば、それでもう人生の幸せの大部分は確保したんだといったような見方、考え方、その人生観を私はあえて否定はしませんが、それではやっぱり不十分なんだろうなと思いながら、多分人格の完成というのは教育の永遠の課題として追求すべきものなんであろうと、こう受けとめているわけであります。
○松あきら君 本当にいろいろと難しい問題がございますけれども、子供の教育というのは、子供は親の後ろ姿を見て育つとは本当によく言ったものだというふうに思います。今いろいろな子供たちの問題は、こういった大人の間の問題ともかかわっているんじゃないかというふうに私は思います。 そしてまた、子供の教育には、大臣もおっしゃっているように、学校だけではないと、家庭も地域も大事なんだと。私もまさしく同じ考えでございます。特に、両親が仲が悪かったり、あるいは両親の心が通い合わなかったりする家庭の子供はやはりいろいろな思いを抱くと。ですから、まず基本には両親が仲よく家族仲よくということが一番に挙げられるわけ好ございますけれども、しかし、学校と家庭と地域というものが一体になってこれからは子供を見ていかなきゃいけない。しかし、事件が起こるまでは、父母の方たちと例えば先生との話し合いの場もなかなかつくれないというのが今の現状だと思うんですね。ですから、事件が起こる前にこういう話し合いの場をつくっていくべきである、そういうことこそ大臣が指導していただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 先ほど山下委員からも、先生と親、保護者とのより密接な意思疎通という御指摘もあり、私もそのとおりだなと思っております。 確かに、PTAというのがありながら何となく形骸化しているというような面もありますし、あるいは、今度は先生の方が個別の家庭訪問等々で行っても、例えば最近はいない家庭がある。何度行ってもいないとか、なかなかコミュニケーションもとりづらい。それは夫婦共働きで難しい状況もあるのかもしれません。いずれにしても、なかなかそういうコミュニケーションがとりづらいような実態もあるわけでございます。 したがいまして、さっきちょっと申し上げましたけれども、先生方と親御さんのいろんな会合を夜にやったり休日にやったり、いろいろな工夫、努力というものが必要だろう、こう思っておりますし、また個別の先生と親との話も、ただ単に、あなたのお子さんは国語がちょっとだめですねとかいった教科の話ばかりではなくて、その子供全体のあり方について、先生と生徒が一人ずつきめ細やかな話し合い、相談ができるようなことを、先生方も何か大変忙しいようでありますが、一番の仕事がそこだろうと思いますので、そういう努力をしながら、今委員御指摘のような、密接なコミュニケーションをいろいろな場を通じて図っていくということが大切なんだろうと思います。 それともう一つは、どうも教育は母親の仕事というある種の妙な役割分担が少し確立し過ぎているような印象を私は前から持っております。したがいまして、父親の教育参加、子育て参加、半分の責任は父親にあるわけでありますから、そうしたことなどもこれからもっと心がけていかなければならない課題であろうと思っております。
○松あきら君 ありがとうございます。 私も、まさに父親が教育に参加をしなければいけないというふうに、それは本当に痛切に感じております。 私は、病死しました先妻の子供を育てまして、その自分の経験からいいましても、中学に入ったばかりの子供をいろいろな中でどうやって育てていこうかと思ったときに、担任の先生がまず入学式の一カ月後に家庭訪問してくださって、本当に前向きにいろいろなお話をなさってくださったんです。ですから私も、ああすばらしい先生だなということで、それから実は三日置きくらいに私は先生にお電話をして、常に連携をとりながら子供の教育ということに当たっていったわけでございますけれども、考えてみましたら、その先生はたまたま東京の学校から神奈川県の学校にかわっていらしたということもあって非常に前向きに取り組んでくださった。 しかし、同級生のお母さんたちの話を聞くと、ほかのクラスの担任の先生の中には、例えばそんな三日置きなんということじゃなくて、たまにお電話を差し上げたりちょっとお話を聞きたいと言っても、お忙しいせいもあるんでしょうけれども、嫌な顔をされてしまったり、話を聞いていただけない先生もいるというふうに伺いました。 私はとてもいい先生にめぐり会ったと感謝はしておりますけれども、先ほどもちょっと申しましたけれども、今、ため教師といいましょうか、先生の方がいろんな問題で心に傷を負っちゃって、登校拒否を先生がしているというような実態もあるそうでございます。 例えば、子供を教育する、指導するには不適切な先生、あるいは登校拒否をしている先生は一体どれくらいの割合でいるとか、そういうことは把握していらっしゃるのでございましょうか。
○政府委員(御手洗康君) お答えいたします。 勤務を拒否して学校に行かないといったような勤務実態の先生がどれぐらいいるかという点につきましては、残念ながら、文部省といたしましては個々の職員についての人事管理をしておりませんので持っていないところでございますけれども、一つの指標といたしまして、精神性の疾患によりまして病気の休職をしているという公立学校の教員につきましては、平成八年度で千三百八十五人となっているところでございます。小学校段階から高等学校段階までの公立学校の教員がおよそ百万人あるわけでございますので、〇・一四%程度ということでございますが、これが最近少しずつ統計数字といたしましてはふえてきているということにつきましては、私どもも大変憂慮いたしているところでございまして、都道府県教育委員会等に対しまして、教員に対する精神面の相談活動等も充実するようにというようなこともお願いをしているところでございます。 また、教員としてふさわしくない非違行為を行ったりあるいは法令や職務上の義務に違反いたしまして、それぞれの任命権者であります都道府県あるいは市町村の教育委員会等によりましていわゆる地方公務員法の規定に基づきまして懲戒処分を受けた職員は、平成八年度で六百三十五人という報告を受けてございますが、このほかに、懲戒処分まで至りませず訓告等の注意を受けた職員が千八百九十三人という状況でございます。
○松あきら君 その数字が多いか少ないかということは別にいたしまして、やはり先生も心を病んでいるんだなという複雑な気持ちでございます。 実は学校給食についてちょっと伺いたいんですけれども、一人でもお弁当を持参すると学校給食が実施されないという矛盾があると聞いているんです。阪神・淡路大震災の後で給食ができなくてお弁当持参になったままの状態もあるし、また、O157の影響で今もお弁当であるという学校もあるそうでございますけれども、私もお弁当を毎日つくりまして、かなり母親にとってはお弁当づくりというのは大変でございますけれども、しかし、心のこもった、こういう栄養のあるものを食べさせたいなということは、やっぱり何か親と子供の心のつながりにもなるんじゃないかなという気がいたしております。 学校給食はありがたいけれども、その学校の中で父母の方から例えば一週間に一度くらいは、それが一度か二度か、それはそれぞれのあれなんですけれども、持たせたいというようなことがあっても、それはだめなんでしょうか。給食があるんだけれども、例えば一週間に一回くらいはそういう心のこもったお弁当もつくりたいという要望があっても、だめということなんでございましょうか。
○政府委員(工藤智規君) 学校給食の意義については今さら申すまでもないと思いますし、そういう意義に照らして各小中学校でいろいろ進めていただいているわけでございますが、基本的には設置者である市町村がお決めになることでございます。 現に、幾つかの地域で、選択制といいますか、学校給食とお弁当持参とを選択させて実施しているような例もあるわけでございます。問題は、御承知のように、今子供たちの食の問題というのは、栄養が偏ったりあるいはカルシウム不足でいらいらが高じたりといろいろなことがございますので、学校給食でそういう意味での栄養指導をしているわけでございますが、弁当持参になった場合に、それは設置者の判断で自由なんでございますが、自由というのは、ややもすれば安易になりがちでございまして、保護者の方が手づくりの心のこもったお弁当を御用意いただければいいんですけれども、ややもすれば、外食産業も発達しておりますので安易な食事が提供されたり、こういうことを言ってはなんでございますが、子供たちは幾らか他と違うことによってひょっとしたことでもいじめの材料になったりということもあるわけでございますので、そういう環境が醸成されているかどうか、そういうクラス、学校の状況も考えながら十分慎重に検討されるべき課題ではないかと思います。
○松あきら君 私は、昨年まで逓信委員会におりまして、放送大学の全国化というのをずっと最初から言っておりまして、本当にそうなりましてありがたいというふうに思っております。 今の子供たちは、実は幼稚園や学校で教師に出会う前にテレビというメディアを通じて、そういう媒体を通じてある種の教育を受けていると言っても過言ではないと思うんです。今本当に、いろいろな問題で不登校の子供がふえているという実態があるわけでございます。 そこで、私は、多様な教育の機会を与えるという意味でメディア教育、つまり、放送大学だけではなくて、そこの高等部とかあるいは中学とか、いわゆる学校を離れてしまって不登校になって落ちこぼれている子も拾い上げる、救っていくという施策が大事ではないかという気がしております。それで、放送大学学園に高等部設置を要望したいと思いますけれども、この質問で終わらせていただきたいと思います。
○政府委員(長谷川正明君) 今、先生御指摘いただきましたように、放送大学はこの一月からCSを使いまして全国放送を開始することができております。高等教育の分野におきましては、放送大学のほかに、既存の国立大学等におきましてスペース・コラボレーション・システム、こういう授業、これはCSを使いまして離れた大学が合同で授業を行ったり、あるいはゼミナールを行ったり、また研究者同士のセミナーを行う、このような活動、利用が活発に今進められつつございます。 一方、初等中等教育におきましては、これは実験的な形で今行っておるわけですけれども、東京都、沖縄県におきまして、都市部とそれから離島、そういうところで双方向の通信衛星を使った教育、授業を行っております。こういうような形でいろんな実証的データ、成果を積み上げつつ、今おっしゃられたようなマルチメディアを利用した教育の充実方策というものについては積極的に考えてまいりたいと思っております。 ただ、放送大学と同じように高等学校や中学校でマルチメディア、通信衛星等を使った学校を創設することも考えてみたらどうか、こういうお話かと承りましたけれども、このことについては非常に大きな課題でもございますので、今申し上げたような実験的な成果というものを積み上げながらまた別途考えていくべき課題ではないか、こんなふうに考えております。
○日下部禧代子君 ナイフを使った少年の事件が相次いでおります。また、校内暴力は昨年度、五年前の二・五倍にも達していると言われておりますし、新しい荒れの時代に入ったというふうなことも聞かれます。毎日、テレビやラジオのニュースを聞きますときに、あるいはまた新聞を開きますときに、きょうはもう子供の事件がありませんようにと祈っているのは私だけではないと思います。 少年犯罪の増大あるいは教育問題の深刻化というのは、日本だけの問題ではございません。先進諸国に共通でございます。ですから、アメリカのクリントン大統領は一般教書で、またイギリスのトニー・ブレア首相は選挙のキャンペーンのときから教育改革というのを重要な政治課題のトップに掲げているわけでございます。 大臣が所信で述べていらっしゃいますように、日本におきましては、明治以降の発展あるいは繁栄に教育というものが果たしてきた役割というのははかり知れないものがあると、私もそう思います。また、教育に対する国民の熱意というのは、どの国にも増して大変に強いものがあると、これは私も思います。ところが、一方ではそれが学校信仰あるいは学歴信仰というような弊害をもたらしたということも、これは紛れもない事実であるかと存じます。 かつて、学校というのは学問、知識、文化の発信の場として、あるいはまた教師、友達との交流を通した人間形成の場として、感動あるいは魅力にあふれた存在であったと思います。私どもの入ったときからだんだんそうではなくなってきたのでございますけれども、しかし今日、学校を取り巻く社会状況というのは大変な変化をしております。テレビを初めインターネットなど、世界じゅうの情報をたちどころに手にすることができるわけでございます。学校で、あるいは授業で知的興奮というものを満足させるようなことというのはなかなか難しい時代に入ってきたというふうに思うわけでございます。また、教師、友達、その人間関係というのも希薄になっております。 そういう中で、学校が子供たちにとって楽しい場所、あるいはかってのように魅力的な存在ではなくなりつつあるということは、例えば文部省の発表になりました一九九六年度中の高校の中退者が過去最高の十一万千九百八十九人に上るという事実からも容易に推察できると思います。それからまた、学校が自己充実の場ところか、自己表現もできない、親友もできない、閉塞感とストレスの場になりつつあるということは、不登校の子供たち、あるいはまた保健室に逃げ込む子供たちが大変に増加しているという事実、あるいはまた激化する校内暴力、そういう事実が象徴的に示していると思います。 こういう事実を一言で言えば、多くの子供たちが学校に対してノーというような拒絶の信号を出しているというふうにとらえることができるのではないかなと思います。拒絶の信号を出さないをでも、拒絶の信号を点滅させているという状況にあるというふうにも言えるのではないかと思います。 このような学校の現状というものを大臣はどのようにとらえていらっしゃるのか、まさに大臣の現状認識をお聞きすると同時に、またこういった状況の中での学校の存在意義、学校の可能性というものをどのようにお考えでいらっしゃるのか、これはまさに学校教育の本質的な点だと思います。大変大きな問題でもあるかもわかりませんが、大変重要なことと存じますので、大臣の所信をお聞きした上での私の最初の質問にさせていただきたいと存じます。
○国務大臣(町村信孝君) 日下部委員には大変根本のところからの御質問をいただきました。 今さまざまお挙げになったいろいろなデータあるいは状況というのは、子供たちが学校に対して今拒絶反応を示しているのではないかという御指摘、そういう観察もわからないではございません。私は、できるだけ小学校から高校までは楽しく学校に行ける、そういう場所であってもらいたいと思います。逆に、大学以上になったら、これは楽しければ楽しいほどいいですが、それ以上に、本気になって学び、そして研究をする場所ということが望ましいのではないかなと思っているのであります。今の日本は高校までが厳しい場所で、大学へ入ると最も人生で楽しい場所になってしまうという形で、どうもあるべき姿とは正反対に逆転をしているような現状ではないだろうか、こう思っておりまして、何とかそれを少し逆転させていきたいということでございます。 今、委員も御指摘のように、今までの学校教育はややもすると知識を一方的に詰め込む、その記憶力の確かさがある意味では唯一のバロメーターになって試験が行われ、そしてだんだん上に行くというようなことになってしまっているとすれば、それはやっぱり大変まずいんだろうと思います。むしろこれからは、生涯学習という観点に立つならば、学校では学ぶ方法を学んだりとか、学ぶ姿勢を学んだりとか、あるいは自分の頭で考えて行動するきっかけを得る場所というような学校ということで、そこで全部一つの完結したもの、学校を出ればそこでちゃんと一人前妃なりますということではないんだろうと私は思います。 そういう意味で、学校というものの位置づけも大分変わってくるのかなと思いますし、また同時に、規範意識とか倫理観とか人格の完成とかいったようなことなどを含めて、その基礎をしっかりと学校で築き上げることが期待をされているんだろうし、またそれをやっていかなければいけないんだろうと思っております。知育、徳育、体育、それぞれのバランスのよい教育が行われながら、楽しい小・中・高等学校であり、厳しく勉強できる大学というようなところが、これからの社会におきます学校の意義ではなかろうかと考えております。
○日下部禧代子君 私も、本当に楽しい学校であってほしいというふうに願いながらこの御質問をさせていただいているわけでございますが、その文部省の調査によりますと、先ほどの高校を中退した生徒の五四%、過半数が授業がわかりにくかった、四七%が学校の勉強が嫌いだというふうに答えております。 第三回国際数学・理科教育調査報告を見ますと、数学について「嫌い」、「大嫌い」と答えた生徒、これ日本の場合ですね、四十一カ国中チェコに次いで二番目に多いそうでございます。そして理科については、楽しいと思う生徒は韓国に次いで最も低い。そして、理科は生活に重要と思いますかという問いに対して、重要だと思うというのが四十一カ国の中で最も低く、国際平均値を三〇%以上下回っておりました。科学的な職業につきたいと思う生徒の割合、これは我が国の場合わずか二〇%で、四十一カ国中最低であったそうでございます。 この調査報告を編さんいたしました国立教育研究所のコメントでは、数学について国際的には多くの国において、つまり七〇%近くが数学は好きだと答えているのに対して、我が国は国際的に見ても数学を好きな生徒が少ないということがこの結果でわかったというふうに述べております。 これは、今私は理科と数学だけを統計がございましたので国際的に比較したわけでございますが、どうも学校教育の中でこの勉強嫌いをつくり出している、再生産をしているというような事実がこの国際比較に出てきているというふうに残念ながら思わざるを得ないわけでございます。 まず大臣に、もちろんごらんになっていらっしゃると思いますので、この結果をごらんになってどのような御感想をお持ちになったか正直なところをお聞きしたいと同時に、また、学校教育を通していかにして学ぶということの意味と魅力ですね、ただ意味がわかるだけじゃ楽しくはならないので、やっぱり魅力がなくちゃ困ると思うんです。そして、それはまた同時に知的好奇心というもの、本当にわくわくするような知的好奇心を起こさせなければならない。そういったことを真剣に考えなきゃいけないときが今本当に来ていると思うわけでございます。 授業についていけない、授業がわからない、勉強が嫌いだということになりますと、それはもちろん学校がおもしろくも楽しくもなくなってしまいます。そして、そこにストレスあるいはまた疎外感が出てまいります。プライドを喪失いたします。自己存在の否定につながります。そして、それがまた校内暴力、自分自身でコントロールできなくなって他者に対する何か被害を与えることにつながっていくというふうに、私は非常にこれは重要なことだというふうにとらえております。 この二つの点につきましての大臣の御見解をお伺いしたいと存じます。
○国務大臣(町村信孝君) 私も今委員が御指摘の国際比較を見て大変残念な思いをしたわけでございます。なまじこれで嫌いだから成績が悪いというならともかく、理解度はいいんだけれども嫌いであるというのは何と矛盾した、ある意味ではかわいそうな子供たちだなと思ったりもいたしました。 特に数学とかあるいは理科ですか、数学が暗記物である、理科も暗記物であるというようなとらえ方が一部にあるようでありまして、どうしてこんなものを暗記するんだろうか。確かに私も何か公式を一生懸命暗記した記憶もそういえばないではなかったなというようなこともありますが、こういうものが暗記というのは全くおかしいのでありまして、何で暗記物にしちゃうかというと、結局それはある意味では暗記力を試す試験があるから一生懸命瑣末なことをいっぱい教科書に書いて教え込んで、最後はそれが大学受験なりなんなりにつながっていくと。 だから、一つはやっぱり受験のあり方というところからこれは変えていかなけりゃならないし、そういう努力が今相当行われていると思います。 それからもう一つは、わからない授業にじっと、これは何も今言った数学とか理科のみならず、すべての教科でそうだろうと思いますが、わからない授業をひたすら座って聞いているというほど苦痛はないと思います。よく七五三という言葉がありまして、小学校で理解している子供の割合が七割、中学が五割で、高校が三割という大変恐ろしい七五三という言葉もあるようであります。 私は、今中学校ではその子供の個々の進みぐあいに応じた個別指導をできるだけやったり、高校になりますと習熟度別のクラス編成をやったりと、こういうような工夫をしたり、あるいは一つの教室に複数の教師を配置してチームティーチングというようなことをやったりしておりますが、私は、何で中学校で習熟度別クラス編成をやってはいけないのだろうか、またそれをやるとすぐ差別だ差別だと言う向きもあるんですが、そんなことよりもやっぱり授業がわかる、わかった方が私ははるかにその子のためになるというふうに思います。 それから、もっと先を言いますと、これはちょっと私の個人的な見解で文部省の見解じゃありませんが、そもそも一歳年をとると学年が一つ進行しなきゃならないんだろうかと思っております。その子がわからなければ十二歳で小学校三年生でもいいかもしれないし、あるいは十二歳で高校二年生でもいいかもしれないし、そこはもっと弾力的にあれがあってもいいんじゃないかなと。これは私の個人の意見でどうも文部省の事務方の諸君は余り賛成をしてくれませんので、もう少し省内議論をしたい、こう思っております。 それともう一つは、例えば無目的に高校に行く子供たち、何で自分が高校へ行くかもわからないまま、みんなが多分行くんだから高校ぐらい出ていないと格好悪いわよと親に言われて行ってしまう、しかし行ってみたらばもう全く興味がわかない、だから中退をするということもあるんだろうと思いますので、だんだん上に進むに従って、何で自分がそういう学校に通っているのか、例えば高校に行くのかということを、ただ単におまえの偏差値はこの辺だからここの高校へ行けというような中学校の指導ではなくて、どういう考えを持ってあなたは高校に進むんですか、大学に進もうとしているんですかというところをもっとしっかりと考えさせるような指導というものがむしろ大切なのではなかろうか。 〔委員長退席、理事小野清子君着席〕 いずれにいたしましても、今委員御指摘のとおりに、学ぶことの楽しさを学ぶこと、そして知的好奇心が泉のごとくわいてくるような指導、学校でのあり方というものを、例えばこれから選択の授業というのをどんどんふやしていって子供たちができるだけ偏らない形の、しかし好奇心のわく、興味のわく分野に一生懸命勉強の時間を投入できるようにするといったような工夫もこれからいろいろやりながら、より楽しい学校づくりのために努めていく必要があると考えております。
○日下部禧代子君 大変にユニークなお考えも入れてのお答え、ぜひ大臣以外の文部省の皆様方、真剣にお考えになってくださいますように。 ここにまたもう一つの資料がございます。教育課程実施状況に関する総合的調査研究、これは中学校の結果の方だけをちょっと引用させていただきたいと思いますが、これはいわゆるペーパーテスト調査の教科ごとの平均通過率、つまり正答率でございます。 それを見ますと、各教科の正解率というものが出されているわけでございますけれども、例えば中学校では、社会一年で四五・六%、つまり教育内容の約半分しか習得していないということになりますね、この数字をそのとおりにとりますと。それから、数学一年では五八・六%、三年で六一・一%です。理科一年で五四・一%、二年で五七・九%、三年で六一・一%。これは社会科の場合が一番習熟度が低いという結果になっておりますけれども、いずれの教科におきましても五〇%、六〇%台しか教育内容を理解できていないという、これは非常に残念な結果が出ているわけでございます。これではなかなか学校の授業がおもしろくはないと思います。 私も、これはもう私の先生に対して申しわけないんですけれども、数学が余り好きではございませんでした。それは、私の中学のときの先生はまだ大変若い先生で、私たち中学生に恥ずかしいと思われたのか、とにかく私たち生徒の方を見ないで黒板だけをごらんになって、そこにずっと数字を書いて、黒板に向かっておしゃべりになるんですね。そうすると、もう私たちは何にもわからない。それも早口でおっしゃる。その先生はまだ御存命でいらっしゃるから、きょうはテレビがなくてよろしいんですけれども、そのおかげでといいましょうか、私は数学に対する大変な偏見を持ってしまいました。 ところが、大学に入りまして、私は数学はこのままじゃちょっと情けないと思いまして、一般教養でとったんです。そうしましたら、全く計算とかそういうものではない、物事の本質をとらえていく、これが数学だったのというふうに、それこそ目からうろこが落ちたというふうな経験をしたことがございます。こんなおもしろいことだったのと、いかにクリエーティブなことなのか、いかに物事の本質的なところに、根源に迫っていく学問であるのかと。そういうことを知らないで、数学の時間になると頭が痛くなっていた私の中学の三年間、そして高校の三年間は何であったのかというふうにつくづく思ったことがございました。 今その調査結果を見ながら私はそのことを思い出して、また今このテストを受けた子供たちがそういう思いをしているのだったら、本当に限られた人生の中でかわいそうなことではないかという気がいたします。 ですから、これはさまざまな要因が重なってこういう結果になっているだろうと思いますけれども、習熟度がこれだけ低いということに関しまして大臣はどのようにお考えになり、そしてどうしたらいいのかというふうにお感じになりますでしょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 今、委員お話しのとおり、一つは先生の指導力といいましょうか、それは間違いなくあると思います。同じ教科書を使っても、ある一方の先生は大変おもしろく興味深く、一方はつまらぬということがあるので、できるだけ先生の指導力を高める方法、いろいろな研修をやったり、それがまずどうしても必要だろうと思います。 それともう一つは、先ほどちょっと申し上げましたが、やっぱり細切れの知識を暗記させるという今の授業のやり方ですね。 私は、たまたまこの間ある中学校を見に行ったらば、空欄を埋めなさいというんですね。日本には三百の小選挙区があると、その三百を書くと正解なんですけれども、もうこんなことまで暗記科目の対象になっているのかと思ったら、私は偶然としたのであります。どうかそんなことは覚えなくたっていいですよと社会科の先生に言いたかったんですが、何せ教科書にそう書いてあるんですね。これはもしかしたら学習指導要領が悪いんじゃないかと思ったりもいたしましたが、多分そうではないと思います。 しかしいずれにしても、そうやって何かあると全部それは暗記物の対象にして、そして試験の対象にしてというやり方、だからさっき言った試験の改革ということも大いにやっていかなければならないんだろうと思います。 それから、あれもこれも覚えさせようとするのがいけないので、今教育内容を厳選するという作業をして、次の指導要領からということでありますが、それを待たずに今のうちからでもできるだけの、しかし本当にそのことは最低限のこととして必ずすべての生徒さんに覚えてもらう、やっぱりクリエーティブなといっても、何の基礎もなしにクリエーティブなことというのはできないので、基礎は基礎としてきっちりと学んでもらうということもまた必要なんだろう、こう思っております。 そして同時に、特に中学あるいは高校に進めば、上に行けば行くほど、より選択の時間というものをふやしていくという方向性をこれから志向していきたい。逆に言うと、必修というものをできるだけ小さくしていって、選択の時間というものをふやし、その子供の進みぐあいであるとか、あるいはその子供の興味、関心、あるいは将来の社会的な活動に向けて自分が好ましいと思われるものをできるだけ選択できるような、そういう選択肢の拡大というものを図っていく、そんなようなことがこれからの教育課程審議会で、近々最終答申をいただくはずでございますので、そういった方向に従って指導要領等も変えていく、そして学校の現場もぜひそういう方向に変わっていってもらいたいと期待をいたしております。
○日下部禧代子君 価値観がこれだけ多様化して、そしてまた急速に社会・文化構造が変容しつつあります。そういう中で、学校の役割というものが総体的に低下しつつあるというのは、これはもう否定できないのではないかと思うわけでございます。 しかしながら、これから二十一世紀において、その求められる学校像というのをどういうところに求めていくのか。これは私は一言で言うと、時代の変化に対応できる、あるいはまた時代を先取りできる、そういった学校、そうであれば学校がより生き生きとした学びの場になり得る可能性もそのあたりから見えてくるのではないかなと思うわけでございます。それは学校の閉鎖性を打破するということでもあり、あるいはまた社会、地域から孤立した存在でなくするということでもあると思います。学校が地域においてどのように機能して、どのように開かれた存在であるかということが今、そしてこれから問われていくことではないかと思います。 中教審が、開かれた学校づくりを進め、学校運営に地域住民の意向を反映させるために、各公立学校ごとに校長の諮問機関として学校協議会というのを設置するというふうな提案をしております。 また、地方教育行政に関する小委員会が、地域に根差した教育行政を行うという観点から、地域の特性や子供の実態に応じて創意工夫を凝らした特色ある学校づくりができるように、生徒指導を初め、いじめ、校内暴力、不登校など、生徒指導においても地域、父母の助言を反映できる制度の導入が必要だというふうな中間報告の素案がまとめられたというふうに聞いております。いわば、教育行政の地方分権化ということがようやく動き始めたと、私は非常に喜ばしく思っております。 その経過と方向につきまして簡潔にお述べいただきたいと思います。
○政府委員(富岡賢治君) 現在の中央教育審議会におきましては、先生御指摘のように、地方教育行政のあり方全体としての議論が行われているわけでございますが、学校の自主性とか自律性を確立するということは大事でございますので、そういう観点からも、今先生がおっしゃいましたような生徒指導の方針等につきまして、学校が保護者や地域住民の意向を的確に把握しまして、学校運営へ反映していく仕組みというようなことについて検討が進んでいるところでございます。 〔理事小野清子君退席、委員長着席〕 まだまとめの段階に至っておりませんけれども、そういう点について、そういう方向が大事だということで今議論をしているところでございます。
○日下部禧代子君 私が申し上げた以上にもう少し詳しくお述べいただきたかったんですけれども、簡潔にと申し上げてしまいましたから仕方がございませんね。 ところで、これは言葉をかえますと、よく文部省がおっしゃっております、学校と地域社会との連携ということだろうと思うんですね、具体的には。その実例というので、私どもが経験いたしましたことなのでございますのでイギリスの場合をちょっと御紹介したいと思うんです。 イギリスの初等中等教育の場には、いわゆるコミュニティーサービスという時間が設けられております。日本で言うボランティア活動というのでしょうか、コミュニティーサービスという言葉を使っていること自体が私は非常に意味があると思います。コミュニティーに対するサービスをするということであります。 どういうことかといいますと、さまざまなことがございますが、例えばきょうはパキスタンの日、きょうは日本の日というふうな日を設けまして、その地域に住むパキスタンの家族、この日が日本の日だったら日本の家族を何組か呼ぶ。そして、コミュニティーが小さいですから、そこで必ずしも子供がその学校に通っているとは限らないわけです。そこでパーティーを開いて、例えば日本の料理、日本の文化、そういったものを子供たちが日本の人と一緒になって体験する。そこで異文化を肌でわかり、感じ、そして立場の異なった人に対する理解というものをはぐくんでいくと同時に、自分が住んでいる地域のコミュニティーを構成する一人としての責任と連帯感というものをつくっていく。そういう目的でそのコミュニティーサービスの時間というのが、これはカリキュラムの中でも非常にきちんと位置づけられているわけでございます。 例えば、地域福祉、在宅福祉が発達するに伴いまして、老人ホームと小学校というのは併設されるようになりました。私がボランティア活動をしておりました老人ホームでは、お年寄りがリビングルームのいすに座っているだけで、日本と違って地震がないからかもわかりませんが、その窓は上から下まで全部ガラスで、そこでお年寄りがひなたぼっこをしながら、子供たちが校庭で遊んでいる姿をちゃんと見ることができる。それだけではなくて、さまざまな学校あるいは老人ホームの催しにお互いが行ったり来たりするというふうなことが日常的に行われておりました。 私がボランティアをした老人ホームにも、その小学校の子供たちが朝からボランティア活動ということで、お年寄りの車いすを押したりお食事の世話をしたりという形で、私はすぐ、えっ、きょうは学校休みなのというふうな日本的な発想で聞いてしまいました。しかし、これが授業の一つなんだというふうに聞いて、随分違うなと、やはりこれも私の発想の転換をさせられた経験でございました。 そういうコミュニティーサービスということ、授業を効果的にするためには、どうしても地域のさまざまな立場の人々の協力、参加なくしてはそのような授業はできないわけであります。つまり、学校がコミュニティーの核になっている。コミュニティーの人々の連帯感というもの、きずなを結んでいく核になっている。これはやはりこれからの学校の一つの方向ではないかなと思います。 そのことが可能になるために、イギリスの初等中等学校というのには学校理事会、スクール・ガバニング。ボディーというのがございます。それが学校の管理運営に当たっているんですね。御承知のように、イギリスの初等中等学校というのは教会を初めとする民間団体からスタートしています。そこが日本と大きく違うところなんですけれども、学校理事会の構成員というのは、保護者、地方教育当局の職員、校長、それから教員、その他の地域のメンバーで構成されておりまして、人件費を含む予算の運用権、教員の自主的な任用権というのも与えられているという、いわゆる地方分権なのでございます。そのような仕組みがないと、今申し上げたような授業の実践というのはなかなか難しいんじゃないかと思います。 そこで、お聞きしたいのでございますけれども、このように予算の運用権や人事権まで含んだイギリス式の学校運営組織というものに対して、文部省の御見解はいかがであるかということが一点。それから次に、学校運営に関して、学校と家庭とそれから地域というのは連携すべきだというふうに今文部省はおっしゃっておりますけれども、どのように学校運営に対して家庭とか地域社会はかかわるべきなのか、どこまでかかわるべきだというふうに文部省は考えていらっしゃるか。三点目、文部省は今連携連携というふうにおっしゃっているというふうに私は申し上げましたけれども、その連携ということは具体的に一体何を意味しているのか。この三点をお尋ね申し上げます。
○国務大臣(町村信孝君) 担当の審議官が先ほど御答弁を申し上げましたが、ちょうど今、委員が御質問のような中身について、中教審の方で関係者に鋭意議論をしていただいているところでございまして、今こうなるであろうということをちょっと一番言いづらい時期でございます。 例えば、学校の校長先生が現場での管理運営の責任は持つけれども、しかし最終的にはそれは教育委員会だと、こういう仕組みが今の日本の仕組みでございます。これはこれで戦後アメリカから仕組みを導入したものですが、五十年たって、いい面、悪い面含めてそれなりに今定着しつつある中で、それを例えば個々の学校の、今委員が言われた学校理事会ですか、じゃここに全部ゆだねようということになると、どういう問題が生ずるか。 例えば、いい面で言えば、校長先生が本当にやる気のある、そして同じ考えを持った先生方を集めて、そこですばらしい学校づくりができる、特色のある学校づくりができるというメリットもあろうかと思います。他方、もう少しこの先生はほかの学校で頑張ってもらいたいなと仮に教育委員会が思っても、人事権は校長にあるんだからそれはだめだと言ってしまうと、人事の停滞といいましょうか、下手をいたしますとそういうことも起きたりするというような問題があるかもしれない。そこのところの調整をどう図っていくのかなというあたりが、例えば人事の問題一つとってももう少し議論をしていかなければならないポイントかとも思われます。 予算についても同様であろうと思いますが、いずれにしても、余り瑣末なところまで教育委員会が言うんじゃなくて、基本的に大枠で、はい、あなたの学校にはこのくらいの予算を差し上げますから、これで後はうまく運営してくださいというぐらいのおおらかさといいましょうか、現場に裁量権を与えるということでいいのではなかろうかと、こう思っております。 それから、学校と地域の連携というお話がございました。先ほど、コミュニティーサービスを初めとして貴重な御体験に基づくお話をいただいて、大変参考になったわけでございますが、基本的な考え方は、今まではややもすると、先生御指摘のように閉ざされた学校、その中で自己完結的に全部を解決させようとしたんです。しかし、それは今は無理だ。御指摘のように開かれた学校にしていくということで、どういう名称にするかは別にして、地域社会の方あるいは父兄の方々が校長先生と一緒になってよりよい学校づくりをしていく。その場合、じゃ地域の方というのはだれですかというと、それは青年会議所の方かもしれないし、地域の商店街の方かもしれないし、あるいは青少年育成団体の方かもしれないしなどなど、いろいろな可能性があると思います。 いずれにしても、地域とのかかわり合いをもつと持っていくということ。あるいは地域におられる大変すぐれた学識経験のある人を講師としてお招きするとか、あるいは学校を支えるボランティアとしてもっともっと地域の方々にも支えていただくといったような連携の仕方。さらには、学校と地域にある博物館だとか美術館だとか青少年教育施設だとか、これを有効にリンケージを保ちながら、たまに博物館に行く程度ではなくて、学校教育ともっと結びつけられた教育活動が展開できるのではないか。 あるいは、さっきほかの方の御質問でも申し上げましたが、実践ボランティアみたいな意味で、学校から例えば特別養護老人ホームに一日行って、そこで貴重な体験をまたしてくる。それが一日でなくてもっと行ってもいいんでありますが、いずれにしてもそういうような形で、地域にあるそうしたもろもろの施設、機関と学校が交流を深めていくことが、子供たちの発展にとってもまた大きな意味があるというような、さまざまな組み合わせ、連携の仕方があるんだろうと思います。 いずれにしても、学校ですべて自己完結的に決めようとしないでやっていくという基本姿勢、すなわちそれが地方分権のエッセンスではないんだろうかと、こう考えているわけであります。
○日下部禧代子君 今私が御紹介申し上げましたイギリスの制度でございますけれども、これはかなりやっぱり自己責任ということ。自主性があるということは同時に自己責任があるということにつながるわけで、日本的に考えるとかなり厳しい面もあるわけでございます。 今、トニー・ブレアが、教育大臣であるデービッド・ブランケットが先頭に立って改革を進めておりますけれども、私、昨年五月に行きましたら、ブレア政権がスタートしてわずか一カ月なんですけれども、新聞を開きますと、スクール・オブ・シェイムというタイトルがあるんですね。つまり、恥ずべき学校というんですか、自主運営が非常に悪いという学校の名前をざっと新聞に公表するんです。これは日本的には耐えられないだろうと。そうしますと、そこに子供を行かせている親としては、そういうスクール・オブ・シェイムのような学校に行かせるわけにはいかないといって退校させちゃうんですね。そうするとその学校はもう閉鎖されてしまう。非常に厳しい意味での競争原理というのがある。だから、そういうふうなリストに載らないために学校はもう一生懸命やる。 学校ということは、すなわち校長先生だけではなくて、今申し上げたように地域の人たちがみんな参加しているわけですから、単なる声を反映するというんじゃなくてパティシペイトしているわけですから、その人たちにも責任があるわけであります。そうすると、自分たちで何とか盛り上げよう、よくしていこうという意欲がそこから出てくる。ですから、日本がここまでやるかやらないかということは、日本的な風土からいくとかなり厳し過ぎるかなという感じもしますけれども、一つの参考として私はちょっと申し上げたわけでございます。 ところで、最後になりますけれども、大臣が所信の中で特に重点を置いて取り組んでいきたいというふうにおっしゃっていらっしゃる「多様な選択ができる学校制度の実現」ということでございますが、これは、平成八年十二月十六日の行政改革委員会から出されました規制緩和の推進に関する第二次意見がございます。そこの中で学校選択の弾力化というふうな言葉が使われているわけでございますけれども、文部省では通学区域制度の弾力的運用というふうなお言葉を使っていらっしゃいまして、例えば昭和六十年六月二十九日の初等中等教育局長通知を見ますと、学校教育法施行令第八条の相当と認めるときについて、身体的理由、地理的要因、いじめへの対応というふうな、いわば比較的限定した解釈をなさっているように私は思うわけでございます。 この行政改革委員会の第二次意見が行われた後に、文部省がどのようにしてその意見内容というものを文部省の施策に反映なさるのかなというふうに私は大変に期待を持って眺めていたわけでございますけれども、昨年一月に策定されました教育改革プログラムでは、通学区域の弾力化として、各市町村において実施されている通学区域の弾力化に関する事例等を取りまとめて情報提供を行うというふうに記述されているだけでございます。また、昨年九月に公表されました公立小中学校における通学区域制度の運用に関する事例集というものを拝見いたしますと、どうもこれまでの延長線上にあるような気がいたします。 そこで、文部省にお尋ねしたいんですけれども、いわゆる行政改革委員会の第二次意見でも言っている学校選択の弾力化ということと通学区域の弾力化というのは、つまり学校選択の弾力化と同義のものなのか、もし違うとしたらはどこの点において違うのかという点をやはり明確にしていただきたいなというふうに思います。
○国務大臣(町村信孝君) 今、中高一貫でありますとか、あるいは今度専門学校修了者の大学への編入学とか、これは学校教育法の改正という形でいずれも当委員会でも御審議をいただこうと思っておりますが、あるいは既にやりました大学の入学年齢制限の特定科目においての引き下げでありますとかいろいろやってまいりました。 その中で、公立小中学校の通学区域の弾力化というテーマもあります。要は何かというと、学校の現場にいろいろな権限を渡していって特色ある学校づくりをする、その論理的な帰結は、極端に言えば通学区域をなくすことだと私は思います。でなければ、一生懸命特色あるいい学校をつくろうと努力をしても、あるいは努力をしない学校があっても、どっちにしても割り当てで生徒さんが来るのでは、これでは努力のしがいがありません。さっきのスクール・オブ・シェイムですか、いささかどういう方法でそれを選んだかわかりませんのでコメントはできませんが、やはり一生懸命やっている学校、努力している学校には生徒さんが集まってくる、いい学校づくりに努力していない学校には生徒さんが余り集まらないという姿がまさにその特色ある学校づくりの一番の私はてこになるんだろうと、こう思います。 ただ、そうはいっても、片道何時間もかかるとか余り非常識なことになってはやっぱりあれなので、一定程度の範囲というものはあった方が、特に小さいお子さんの場合は通学に一時間もかかるという状況が決していいとは思えませんので、それは一定の限界というか制約はあるだろうと思いますけれども、あなたはこの学校ですよと一校だけを指定する今の仕組みがいいんだろうかと言われれば、私はそこにはもう少しゆとりがあった方がいいんだろうと。もっとも、今委員御指摘の通学区域制度の運用に関する事例集、ここにはいささかタイトルからして限定的な説明ぶりになっておりますが、実態はかなり変わってきているというふうに受けとめております。 たまたま私が先日行った一橋中学校でも、神田という地域なものですから随分子供さんの数が減ってきちゃっているんですね。どうやっているかというと、自分はかつて一橋中学校へ通っていてそこが好きだという父兄の子供が、例えばそれは同じ区内でなくてよその区からでも通いたいという場合は教育委員会はそれにオーケーを出すというような形で、公立学校でも一つの校風がある。その校風がいいから自分の子供たちもそこでやっぱり学ばせたいんだという親の気持ちと子供の気持ちが一致すれば、そういうところまでも今弾力的に認めているということもありますので、この事例集に書いてあるほど限定的かというと、実態はかなり弾力的になっていると、こう思っております。要は、これは哲学だろうと思いますので、これからどういう哲学で文部省が進んでいくのか。 また、学校の現場あるいは教育委員会に話をしますと、今の仕組みを変えることに非常に後ろ向きであります、実際は。もっと弾力化したらどうですかという話をたまに出してみても、総じて返ってくる反応は否定的であります。そういう気持ちもまだわからないではありません。でもそれでは、本当に個性ある学校づくりというその作業、その大変重要な作業をどんどん推し進めていった行き着く先と、あなたはこの学校ですよということの矛盾がこれからどんどん拡大をしてくる、こう思いますので、今すぐにとは私はあえて申し上げませんが、いずれの日にかその辺の矛盾は、さらに通学区域を拡大する、選択肢を拡大するという方向で修正をされていくべきだろうと思いますが、今すぐできるかというと、そこはちょっとまだ難しい点もあるのかなと考えたりもしております。
○日下部禧代子君 今、大臣大変に率直にお答えいただきましてありがとうございました。 学校選択の弾力化ということの一つの問題点として、やはり特定学校への児童とか生徒の集中、今、大臣もちょっとお触れになったと思いますが、集中に伴う学校間格差ということも問題点としては出てくるかな、矛盾点として出てくる可能性もあるのではないかと。 一つの物差しによる学校の序列化ということ、そういうものを生み出さないために、魅力ある学校づくりのためにはどのような尺度、物差しが考えられるのか、そのことをお尋ねいたしまして、私の質問を終わりにしたいと思います。さまざまな夢をお持ちでいらっしゃいましたら、そのことも含めて、ぜひ魅力ある学校づくりへの物差しを幾つかお示しくださいますように。
○国務大臣(町村信孝君) 余り個人的見解を言うと事務方がはらはらしているようでありますから、限られた時間の中でございますが、できるだけお話を申し上げます。 世の中で言われているような、要するに偏差値だけで順序づけをする今の高校の輪切り状態というようなものを小学校、中学校で再生産をするなんということはとても愚かしくてやるべきでないと思います。それよりは、まさに校長先生が、例えば自分はこの学校は芸術の分野で非常に一生懸命特色を出していきたい、あるいは我が校は別の分野でとか、いろいろな多元的な物差しというものをつくる。それはまさに学校経営に当たる校長先生を中心にしていろんな特色の持たせ方があろうかと思います。唯一絶対の、上のいわゆるいい学校に行く進学率といったような、そういうことでもし物差しができてしまうのならば何をか言わんやでありまして、それだったらやらない方がいいと私は考えるのであります。 多様な物差しづくりといったようなことは、我々も考えますし、むしろ学校の現場の経営の衝に当たっておられる方々がまず一番に考えてもらいたいことだ、余りこれは文部省がこういう物差し、こういう物差しなんて指し示すこと自体がどうやら地方分権の趣旨に反するんではないかとさえ思ったりいたしております。
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
○阿部幸代君 時間の関係で、きょうは文部省、文部大臣にだけ質問をいたします。 中学生や高校生のナイフによる殺傷事件が相次ぐ中で、私は神戸の事件を思い起こし、神戸家裁の審判決定要旨、公表されましたが、それを読み直してみました。もちろん、これらの一連の事件を単純に同列視するつもりは毛頭ありません。 この要旨の「第七 処遇の理由」は次のように述べています。「少年は、自己の生を無意味であると思っており、また良心が目覚めてくれば、自己の犯した非行の重大さ・残虐性に直面し、いつでも自殺のおそれがある。 また、少年は、精神分裂病、重症の抑うつ等の重篤な精神障害に陥る可能性もある。」、こういうことを言っています。これらを予防し、あるいは早期に治療するために医療少年院送致という決定がなされたと思うんですけれども、「最初は一対一の人間関係の中で愛情をふんだんに与える必要があり、その後徐々に複数の他者との人間関係を持たせるようにして、人との交流の中で、認知のゆがみや価値観の偏りを是正し、同世代の者との共通感覚を持たせるのがよい。」等々と言っています。 私は、加害少年の医療少年院送致、この処遇について納得をもって受けとめているんですが、少年がなぜこのようになったのか、なぜもっと早く社会的救済の手が差し伸べられなかったのか、未解明です。そして、こういう子供を抱える教育現場の大変さ、また責任の重大性についても考えさせられました。 そこで伺いたいんですけれども、少年非行、犯罪を見るとき、学校教育と同時に社会的な病理の問題としてとらえる必要があると思うんですけれども、大臣はどうでしょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 少年犯罪の場合、さまざまな原因があろうと思います。もちろん大人の犯罪もそうです。学校教育の中に原因があるケースもあるでしょうし、例えば主として家庭の問題であったりするかもしれません。あるいは他の社会の要因がその子供に大きな影響を与えたというようなケース。ケースによってさまざまあろうかと思いますが、委員御指摘のように、確かに社会全体の病理現象といったようなものが色濃く反映されるといったようなケースもあるんだろうな、それは委員の御指摘している面があるんだろうと私も理解をしております。
○阿部幸代君 次に、昨日の衆議院の文教委員会で大臣は少年法について若干言及されておりますので、伺います。 神戸の事件で問題となった少年の人間としての成長と更生の方途を示した神戸家裁決定要旨を初めに引用したんですけれども、私は、改めて日本社会の教育システムといいますか、そういうものを見直しているんですが、家庭裁判所とか家庭裁判所調査官の果たしている役割は本当に大きいというふうに思いました。 その根拠法となっているのが少年法ですけれども、少年法第一条は、この法律の目的が「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずること」にあるというふうにしています。つまり、少年法は少年の保護育成、これを根本精神とした極めて教育的な法律です。社会病理が深刻な今日、少年の保護育成を旨とする少年法の根本精神は一層尊重されるべきと思うのですが、大臣はどうお考えでしょうか。青少年の教育に携わる者としてのお考えを伺いたいと思います。
○国務大臣(町村信孝君) 少年法の目的、今委員がお読みになったとおり、そのとおり私は受けとめております。 私もそう詳しいわけではございませんけれども、ただ、社会が悪いんだからもう全部子供が悪くなるんだということでは必ずしもないのであって、いかに社会が悪くても、健全に育つ子供たちもいっぱいいる。だから、何か問題がある少年が出てきた場合に、私さっきいろいろな要因があると申し上げましたけれども、すべてそれは社会が悪いから子供が悪くなるという議論だとすると、それはちょっととらえ方が少しく一面的なのではないかという印象は持ちますが、少年法に関してのお尋ねに関しては、この目的からすると、そういう意味では、少年の教育と健全育成ということがこの目的に書かれてあるのは御指摘のとおりだろうと思います。
○阿部幸代君 私も唯物論者ですけれども、単純に社会が悪ければ人間が悪いと、そんな立場をとる人間ではありません。ただ、社会というのは人間がつくっていますから、子供たちの目の前で、つまりテレビ画面を通して銀行や証券会社の大幹部が逮捕されたり、あるいは大蔵省のエリート官僚が逮捕されたり政治家が自殺をしたり、あるいは文化面で言えば、大人たちが文化をつくりますけれども、子供ポルノ、あるいは援助交際と名づけた子供買春、少女買春、こんなものが起こっているわけですね。人間がつくる社会病理現象というふうに私はとらえています。その中に子供が巻き込まれていくということを重視したいというふうに思っているんです。 次の質問ですが、NHKが二月二十六日の「クローズアップ現代」という番組で、「「突然の暴力・なぜキレるのか」中学生二〇〇〇人が答える」というのを特集していました。この中で、黒磯市の女性教諭殺害事件に関連して、事件を起こした中学生についてどちらかといえば気持ちはわかると答えた中学生が四割近くにも上っていたんです。また、このテレビアンケートでは、一一%の中学生が現在ナイフを持っているあるいはナイフを持ったことがあると答えていました。なぜナイフを持つのかといえば、格好いいからというのが二三%、身を守るためというのが二三%、相手を脅かすためというのが六%、キャンプや釣りなどその他のためが四二%でした。最近切れたことがありますかという問いもありまして、あるというのが二九・六%に上っていて、だれに対して切れたのですかという問いには、友達が四一%で最も多く、親が二五%、先生が二一%でした。 子供の声に耳を傾ける識者たち、この番組に登場した識者たちですが、その意見には、今一番思うのは、若者たちが人と関係をつくっていく能力、人と折り合う能力、そういうものがかなり衰えてきているとか、あるいは子供たちの心の中には絶えず何か爆発寸前というようなガスが充満しつつあるんじゃないか、よい子じゃなければいけないというのも含めて。こういう意見とか、あるいは現代社会への子供なりの非常に鋭い感覚的なむなしさ、空虚感、虚無感というのが子供の胸の中にあるんじゃないのかと、いろいろ語っておられましたが、それぞれ事の本質をついていると思われます。 私は、こういう子供たちを数十人、数百人規模で毎日相手にしなければならない学校というのは本当に大変なんだと思うんですけれども、大臣はどうお考えになりますか。
○国務大臣(町村信孝君) 私はそのNHKの番組は残念ながらちょっと見ていないので申しわけないのでありますが、確かに今の子供たちの難しさ、それを担当する先生方の御苦労というのも大変あるんだろうと思います。 先ほど来申し上げている中学校の先生方、あるいは他の機会でありましたが、関東近県の生徒指導の担当の先生方、かなり長時間じっくりいろんなお話も伺ったりもいたしました。あるいはいろんな方々の今投書やら電話やらファクスやらをいただいたりして、その子供たちの実情、そして先生と子供たちの関係といったようなこともよく耳にいたします。 しばしば先生方から出るのは、本当にどういう行動に出てくるか予測がつかないので非常に対応しづらいといったような御意見があったり、あるいは本当に生徒やあるいはその親御さんが自分のことを信頼してくれるんだろうか、どうも自信が持てないので思い切った教育ができないとか、あるいは中には本当に身の危険を感じて学校へ行くのが恐ろしいときもあるとか、そういう心配というのが、阿部委員のときはどうかわかりません、私ぐらいの年俸なると、そういうことは多分なかったんだろうという気がいたします。 ですから、いろんな意味で変わってきた社会の中で、今の先生たちの御苦労は相当あるんだろうなということは想像するにかたくないところであります。でも、そこはさっき言ったように、みんなで協力するとすばらしいいい学校に変わっていったケースもあるという、そうした前向きの経験の話などを聞くと、ああやっぱり頑張ってもらいたいな、そんな思いもまたする日々でございます。
○阿部幸代君 現場の声を聞いておられるということで、私としてはちょっと胸をなでおろす思いがするのですが、実際、大変困難な中で教師たちの懸命の努力が続けられています。この学校現場に関連して幾つか質問したいと思います。 埼玉県教職員組合が「子ども・学校の新たな「荒れ」にどう切り込むか」という冊子をつくって、学校や地域からの集団的な検討と創造的な実践を呼びかけています。こうしたらいいのではないかという提言も含めた冊子です。ここにあります。 この中で、小中学校ともにすぐ暴力に走るのが新たな荒れの特徴だといいます。そして、指導拒否が広がり、小学校で学級崩壊、中学校で学年崩壊、学校崩壊現象が二つ目の特徴。さらに、かつてのいわゆる突っ張りらしい突っ張りがいなくなり、突っ張りは学校に来なくなっていて、学校の外で事件を起こし、学校間抗争、テレクラ、援助交際、覚せい剤、放火と、とどまるところなくエスカレートしてきている何でもあり的状況が三つ目の特徴だといいます。 大臣は昨日、今のお話にも関係あると思いますが、昔、六十人でも子供を把握できたとおっしゃっていました。それでは今の新しい荒れについて本当に認識しているというふうに私には思えないんですけれども、どうですか。
○国務大臣(町村信孝君) 別に古きよき時代を懐かしん。で言ったつもりでもないのでありますが、要するに、我々が学生の戦後間もなくのころというのは、人数が確かにたくさんいました。でも社会が今とは違いましたので、それでも何とか教育ができていたんだよねという、その社会の変化の違いを例示で言うために六十人という話をしたので、今六十人学級でやったらどうですかなんていうことを言うつもりはもとよりございません。 一つのクラスの人教、かねてより阿部委員あるいは御見の皆様方が三十人学級ということを言っておられる、あるいは他の党の方々も言っておられることは私もよく承知いたしております。これも一つの考え方かなと思いますが、つい先般、十一月に財政構造改革法を通過させてまだ三、四カ月しかたたないうちに、やっぱりあれは間違いでしたと私どもとしては言えませんし、また、それは何もそれにこだわりを持つという意味ではなくて、一クラス当たりの人数と教育効果というものは、どこが最適というのが本当にあるのかどうかわかりませんが、余り少な過ぎてもやっぱりいけないという考え方もあります。 極端なことを言ったら、マン・ツー・マンはそれはある意味じゃいいかもしれませんが、その子の集団性とか協調性とかいうことが育たないとか、あるいはスポーツをやる際に余り小人数ではみんなでスポーツできないとか、いろんな面からしてどの辺が最適なんだろうか。少なければ少ないほどいいというわけでもないし、ただやっぱり余り五十人、六十人、それではもうとても今の時代は無理だということもよくわかります。 そんな意味で、今私どもは、とりあえず平成十二年まで四十人できるだけ早期達成、確実に達成ということを目標にして進めていきますが、その後のことにつきましては、また当委員会での御議論なども踏まえながら、文部省もよく検討を重ねていきたいと考えているところであります。
○阿部幸代君 答弁の方が先に行ってしまったような感じがするのですが、今、現場の先生たちは、一人一人の子供たちの心と向き合う必要性、単純に把握するということじゃないんですね。私は把握というのはとっても事務的な言葉だなというふうに思うんですけれども、もちろん教育には把握しなければならないことはたくさんあります。手帳に子供の健康状態とか出欠状況とかいろいろ記録して把握はするんですが、今問題なのはそれではなくて、それらも材料にしながら一人一人の子供たちの心と向き合う、どうしたの、なぜ、こう問いかけ、語り合う人間関係をつくりたいという要望なんですね。 それで、私は昨年、通常国会後の本委員会で、現場の先生たちが、何よりも子供との触れ合いを求めて多忙化を解消したい、そのためにクラスサイズの縮小と教職員定数の抜本的改善をしてほしいと求めているが、その必要性について認めますかと質問したことがあるんです。当時の小杉文部大臣は、必要性は認めますとおっしゃってくださいました。町村文部大臣はクラスサイズの縮小と教職員定数の抜本的改善の必要性についてお認めになりますか。
○国務大臣(町村信孝君) 済みません、答弁が先走って。おわびをいたします。一先ほど申し上げましたように、少なければ少ないほどいいか、多いと絶対まずいのか、率直に言ってそれにふさわしい実証的なデータなり研究なりというものがいささか乏しいなと、これだけ人数のことが言われているのに、もう少しそういう面のきちんとした分析があっていいんじゃないのかなと思ったりもするんですが、残念ながら余り見当たらないんですね、不勉強なのかもしれませんけれども。 したがいまして、にわかに四十人より三十五、三十五より三十、あとは十でも五でもというふうに言えるかというと、にわかにそうだと断定する材料が正直言って余りにも私自身の中に乏しいというのが私の現状での率直なお答えであります。
○阿部幸代君 家庭裁判所の調査官というのは、もう本当に一対一でその子の環境とか歴史、生い立ち、それを解きほぐしながら心を開かせていく営みをしているわけですね。それは極めて教育的な営みで、私は学校現場でもそれが求められているんだというふうに思うんです、大変な社会病理の中で生きている子供たちを相手にしている学校現場で。 「内外教育」二月二十四日号によりますと、文部大臣は先ほどおっしゃったように現場の先生たちと懇談を持って、その後記者会見をしておられるんですね。教員の多忙化を訴える意見が相次いたことを受けて、「教員定数改善の話は大きな課題として受けとめねばならない」、こういうふうに述べたと報道されているんですが、少なくとも今、現に四十人という学級が制度上あるわけですから、そのクラスサイズの縮小、そのための教員定数改善の必要性は認めたということじゃないんですか。違うんですか。
○国務大臣(町村信孝君) 大きな課題があるということは私も認識をしております。例えば、今ちょっと思い出したのでありますが、その中学校の先生方と話したときに、生徒さんの数が減るから担任の数も減る、しかし、一つの学校という組織を維持するために何とか係、何とか係というのがそれぞれあって、そうすると一人で今までは一役だったのが一人二役をやらなきゃならなくなる、そういう意味で事務的な忙しさがふえてくる。あるいは、今、委員おっしゃったような、まさに生徒一人一人と向き合う時間がもっとあればというようなことから、もっと教師の数も多い方がいいという、そういう先生方からの御指摘があったことは私も正確に覚えております。 そういう意味で、今の定数が十分かどうかということは考えなきゃならないと思いますが、ただクラスの最適サイズというのが何人なんだろうかということについて言われれば、小さければ絶対小さいほどいいということが直ちに言えないということを申し上げました。 何を言いたいかというと、定数という場合に一クラスの人数というアプローチの仕方と、そうではなくて、例えば複数配置という形でやっていくという方法もあるでしょうし、あるいは特定の職務について、例えば事務の人をもう少しふやす、そういう形で対応していくとか、要するに単純に一クラスの人数という意味での先生の数ということだけしかアプローチの仕方がないかどうか、その辺をもう少し考えたいということを申し上げたのであります。
○阿部幸代君 おっしゃっていることはよくわかります。物には順序があるので、クラスサイズの話から最初やっていきたいと思いましてやっているんです。 先ほども、今、全国的に平均すると一クラスの人数は小学校で二十七・七人、中学校で三十二・九人ということをおっしゃいましたね。こういう数字は何のためにあるのかということなんです。実際はこうなんですよという意図の極めて事務的、官僚的なとらえ方で、この数字をどう見るのか、どう生かすのかということが教育行政に課せられた課題だと思うんですね。 それで、この平均値がいいんだったらここに近づけなければいけないわけです。現に、中学校三十二・九人が平均だと言いますけれども、実際には三十六人以上が約六〇%に上っているわけですね。四十人だってあるわけです。厳密に言いますと物すごい不公平が存在しているわけです。平均値をそんなに強調するんでしたら、これに近づける、そういう方向性を打ち出す必要があると思うんです。 ただ少なければいいということでなくて、当面三十人学級について二〇〇〇年まで定数改善計画の完結を先送りしたわけですから、その間手をこまねいてぼさっとしているのではなくて、三十人学級について検討を開始する、それぐらいの意気込みがあっていいと思うんですが、どうですか。
○政府委員(御手洗康君) 平均値の数字についてのお尋ねがございましたので、お答えをまずさせていただきたいと思います。 各学校ごとの平均のサイズがどうなっているかということは、都市部の二十学級あるいは二十四学級ある学校と山間僻地部の六学級あるいは三学級の中学校と確かに実態が違うことは事実でございます。 しかし、私どもがこの平均値で物を申し上げております真意と申しますのは、昭和三十三年に現在の定数改善法をつくりまして改善計画を進めました際に、一学級当たりの児童生徒数というのは小学校でいえば四十四人、こういう数字でございました。これを長い間どうやって縮小していくかという一つの政策目標として、一つの平均値ということでずっとやってきた数字でございますので、それが徐々に改善してきているということにつきましてはひとつ御理解をいただきたいと思います。
○阿部幸代君 残念ながら、三十人学級について本格的な検討を開始するということは聞くことができませんでした。 それで、第六次と第五次の定数改善計画の完結が西暦二〇〇〇年に先送りされましたが、実はこの計画というのは三十人学級という要望からはほど遠い改善計画なんですね。その中にチームティーチングの配置だとか、あるいは養護教諭の複数配置だとか、あるいは事務職員の複数配置だとか、そういう内容があったわけです。これすらも先送りされたんです。 文部大臣の発言を受けて私は質問したいんですけれども、保健室登校の実態、これは昨年報道されまして、九六年十月、文部省が委託をして調査をしているんですけれども、保健室登校が一週間単位で見ると六年間に二倍にふえているというんですね。そういう報道がありました。 こうした実態から見て、養護教諭の全校配置と複数配置、極めて重要な課題になっていると思うんです。三十クラスなら二人で二十九クラスなら一人、現にこういうことが行われるんですよ。撤退されちゃうんです、翌年二十九クラスになると。こんなこと言っていないで抜本的に改善すべきだというふうに思うんです。保健室登校が二倍にふえたんですから、養護教諭を二倍にふやしたっていいんです。今すぐやるべきだと思うんですが、どうですか。
○政府委員(御手洗康君) 今、委員御指摘の養護教諭の配置の考え方でございますけれども、これは平成四年度に法律を通していただきました際に、三十人学級以上の規模に複数配置するということで全体の改善計画五百四十二人をお願いしたわけでございますけれども、実際にはこれはあくまで基準でございまして、その枠の中で各都道府県の実態に応じまして場合によっては二十八学級、二十九学級の学校に複数配置しているという実情もございます。それは、それぞれの定数の枠の中で都道府県がそれなりに各学校の運営の実情にかんがみまして具体的な配置を決めているというところでございます。
○阿部幸代君 スクールカウンセラーの問題なんですけれども、現在は調査研究ということで各県二十校程度ですか、非常勤で週二回、一回四時間程度のスクールカウンセラーの配置がされているんですね。 私は、心の教育の専門家の必要性ということでこのスクールカウンセラーの配置にももっと本腰を入れるべきだというふうに思うんですが、この点についてはどうですか。
○政府委員(辻村哲夫君) 平成九年度の配置校は千六十五校でございます。平成七年度開始いたしました数は百五十四でございましたので、我々短期間の間に努力をしてきたというふうには思っております。 こういう状況の中で、来年度、平成十年度につきましては、一・五倍増の千五百校余を想定すると、五百校の増を図るべくただいま予算でお願いをしている、こういう状況でございます。
○阿部幸代君 少なくとも力を入れていきたいという立場をとっていますか。学校で教室で殺人が行われるほど荒れているわけですね。こういう大変な教育現場の切実な要求である一クラスの学級規模の縮小、それから養護教諭の複数配置、これに本腰を入れないということでは、文部省は本当に子供と教師に対して条件整備はほとんど何もしないということに等しいというふうに思います。 この問題では日本共産党だけではなくていろんな党が要望しているわけですから、本当は文部省は元気を出して頑張るべきなんです。そういう意味で、私は議員立法でもこれを推進していきたいというふうに思っています。このことを表明します。 次の質問に入りますが、現在学校教育の現場で進められている教育の内容に関してです。いわゆる新学力観に関してですが、質問します。 文部大臣の一昨日の所信表明では、初等中等教育の充実に関して「子供たちが基礎、基本をしっかりと身につけ、みずから学び、みずから考える力を養う教育への転換」ということが言われていました。それから、教育課程審議会の中間まとめでもっとはっきりと、多くの知識の習得に偏りがちであったこれまでの学校教育の基調を転換し、みずから学びみずから考える力を育成することが重要と言っています。さらに、雑誌「世界」の二月号で、「「学校」をどう変えていくか」、こういう対談を読んだのですけれども、この中で寺脇生涯学習振興課長は、自己決定能力を育てるということを強調しています。 ここに見られるのがいわゆる新学力観なんだなと思うんですが、ここから波及する指導観、評価観が、実際には、実践的には子供たちに大変な重圧をもたらしています。 文部省監修の「新指導要録の解説と記入」、私、読みましたが、ここで文部省というのは本当に細かくいろいろと指導して、みずから学びみずから考える意思をそいでしまうんではないかと思うほどなんですけれども、これによりますと、各教科の学習の記録では観点別学習状況がABC三段階の絶対評価がされる。この観点別評価を基礎に、次は評定で五段階の相対評価が行われます。特別活動の記録も、これは丸をつける方式ですが、いろんな活動を進んで行うとか、意識的に追求するとかが高く評価されてきます。行動の記録も、例えば明朗快活、これも観点を学校で決めて評価していくというふうになっています。 関心とか意欲とか態度とか、あるいは明朗快活とか、こういう目に見えないものがランクづけされ、五段階評価に組み込まれていくわけですから、子供たちにとっては本当に日常的なよい子競争が強いられることになるんじゃないでしょうか。
○政府委員(辻村哲夫君) 新しい学力観並びにそれに対する指導観ということで、それが大変な重圧だという話でございますけれども、この考え方の基本は、たくさんのことを覚え込ませるということに絶対的な価値を置く、そういう指導観あるいは学力観から、内容は精選してそれをもとにして、いかに生きた力として考える力とか調べる力だとか思考する力だとか、そういったものを身につけさせるか、そういうことに重点を置いた指導観、学力観に変えていこうということでございまして、このこと自体は、変化の放しいこれからの社会、一人一人が責任を持って生きていく、そういう子供たちを育てるのが学校教青の大きな役割だとすれば、決して間違っているものではないというふうに思っております。 その指導の過程あるいはさまざまな具体の場面においていろいろな課題と申しましょうか問題が生ずるかもしれませんけれども、基本的な方向はそういう方向で進んでいくべきものだと、こんなふうに思っております。
○阿部幸代君 いわゆる新学力観もプロセスを重視するということだと思うんですけれども、文部省の教育行政の姿勢もプロセスを重視するべきだと思うんですね。 今のこの新学力観を推進していく過程で何が起こっているか。朝日新聞の「声」の欄に女子高校生の次のような投書が載っていました。 中学三年のころ、仲良かった友達とけんかをした。その子に「最近スカート長いよね。きっと内申書気にしてるんじゃない」と陰口をたたかれた。 人は多面的である、けれど、内申書というものの存在で、ごくわずかな面しか見せない。見せることが出来ないのだ。内中書の弊害はそこにあると思う。 だから、ナイフの少年の報道で、学校責任者は口をそろえてこう言う。「普通の生徒だった」と。 それは、生徒の多面性を見てないから、そう言わざるをえないのだ。 こういうことを言っているんです。 新学力観というのは、指導観、評価観として最終的には子供に及んでいくわけです。その子供がこういう声を上げているということ、また子供たちを目の前にしている教師たちが子供たちを二重人格に育ててしまう、そんな気がしてならないというさまざまな声を上げている実態があります。ですから、少なくともいわゆる新学力観を一方的に押しつけるのではなくて、子供たちや教師の声をぜひ聞いていただきたいんです、大事なプロセスで起こっている声ですから。要望いたします。
○国務大臣(町村信孝君) 御要望として承っておきます。
○扇千景君 私の質問が最後でございますが、きょう一日、文部省、科学技術庁に御出席いただきました。この百四十二通常国会は一月十二日にスタートいたしました。きょうは三月十二日、二カ月たってやっと大臣の所信への質問、私はこういうことは本来はあってはならないことだと思います。 一番大事な、大臣の所信にありました二十一世紀の国づくりの子供たちの基本的な教育、国家百年の計は教育にあるとまで言われました。町村先生のお父様の大事なお言葉でもありました。世間にも言われております。けれども、所信に対する質問よりも、きょう一日、私も各党の質問を伺っておりましたけれども、ほとんどが今の社会の事例に対して集中審議のような形にならざるを得ない、文部省の基本的な政策に対する審議はきょうの時間ではまだ足りない、私はつくづくそう思って各党の御意見を拝聴していました。 また、残念なことに、文部大臣、科学技術庁長官、お二人の大臣がお並びですけれども、参議院が参議院改革だということで、初めて教育、科学両方の委員会を一つの委員会にしてきょうのような審議をしましたら、各党の質問を聞いておりましたら、九割が文部省、一割が科学技術庁。随分差があって科学技術庁はかわいそうだな、お気の毒だな、質問がないから楽で退屈かもしれませんけれども、私はそういう感じがしました。これは参議院の改革ですから、両大臣の責任でも両省庁の責任でもありません。 私が委員長に申し上げたいのは、文部省、科学技術庁を一つにしたことによって、きょう一日しか所信に対する質疑がなくて、科学技術庁に対する質問はほとんど九対一の割合でしかない。科学技術庁がいかに日本にとって重要な地位を占めているか。二十一世紀の科学技術庁の責任の重さということで、省庁の統合で二十一世紀に両省庁が統合するという法律ができて、両省庁の連携がうまくいってこの委員会も一つになればもっと有効な質問ができたでしょう。 今までは科学技術庁は特別委員会ですから、木曜日に定例で一日とって所信を聞いておりました。これは参議院の改革の、今試験的だと言いますけれども、明らかに失敗であり、両省庁に対してもお互いに失礼に当たるということを感じております。 きょうは各政党の委員が出ておりますので、これは参議院の改革という名のもとに行ったにしてはまだ軽々過ぎたということ、早計に過ぎたということをぜひ各委員会がそれぞれの部署部署に申し上げて、科学技術庁の質問を短縮したことが参議院の改革にはならないということ、私は、両省庁の大臣に一日お座りいただいて、質問の少ない省庁に対して心から申しわけないという思いがいっぱいで、きょう質問に立ちました。 改めて科学技術庁に対しても、わずかな時間でありますから、もう一度大臣の所信に対する質問なり今の科学技術庁の重要性にかんがみて集中的に質問する時間がなければ、私は日本の二十一世紀の将来はないと言っても過言ではないぐらいな重要性を帯びていると思いますので、あえてきょうは冒頭に委員長にもこのお話を聞いていただいて、参議院のあり方の一環としてみんなでもう一度考えていきたいと思いますので、申し上げておきたいと思います。 そういう意味で、科学技術庁に対してはきょうは聞く時間がございません。お許し賜りたいと思いますけれども、ちょっと関連もありますので聞いておいていただきたいと思います。 八年の十二月三日でございますか、私が総理大臣に対して本会議で申し上げましたことは、政府内に薬物乱用対策推進本部がございまして、その推進本部は官房長官を本部長として警察、法務、外務、大蔵、文部など十四省庁の局長級を本部員として構成されていたんです。ところが、年に一回の本部会議に官房長官を初め局長はだれ一人として出席していなかったんですね。私は本会議でそのことを質問いたしました。覚せい剤対策については、文部省も平成八年の七月になって初めて各県の教育委員会への通知を出したという事例もございました。それまで文部省は一切覚せい剤については各県の教育委員会に諮問していなかったんですね。注意も出していなかった。 私はそのときに四つの改革案を提唱いたしました。 その一つは、当時ございました薬物乱用対策推進本部を、総理を本部長として、そして各閣僚を本部員とする、そういう体制に格上げして、十年計画で我が国の麻薬汚染撲滅政策というものを確立していくべきだということ。 二つ目は、学校教育の薬物乱用防止教室用に大きな効果が期待できるキャンペーンカーを、全国の七カ所、あるいはできれば七ブロックではなくて全都道府県に各一台ぐらいは設置するようにしてほしいということ。 三つ目は、厚生省の麻薬取締官のOBを総動員して、その協力を得て学校の薬物乱用防止の教育体制を確立してくださいということ。 四つ、乱用防止教育用のビデオテープやパンフレットを無償で十分に学校や教育団体に提供すること。 以上四つを申し上げましたけれども、その申し上げましたことがどう改良されたか、新しく本部長が官房長官からどなたにかわったのか、内閣から御報告ください。
○説明員(田中法昌君) 先生御指摘のような情勢にかんがみまして、平成九年の一月、内閣総理大臣を長といたしまして、官房長官、国家公安委員長、総務庁長官、法務大臣、大蔵大臣、文部大臣、厚生大臣、運輸大臣、これを副本部長といたしまして、その他六大臣が本部員となりました薬物乱用対策推進本部を設置したところでございます。
○扇千景君 私は大変ありがたいと思います。ですから、本来はこの問題に関しては、新しく本部長に就任されました総理大臣に御出席いただいて聞くべきところだろうと思いますけれども、今の報告では文部大臣も副本部長という立場におなりになってこれを推進していこうということで、きょうは文部大臣が御出席ですので、総理大臣にかわって副本部長というお立場でも、ぜひ私が質問しますことに加わっていただいて御答弁をいただきたいと思います。 昨年の一月に改組されて総理大臣が本部長になられてから、何回会合しましたか。
○説明員(田中法昌君) 二回の会合を開いております。
○扇千景君 文部大臣、二回の会合に大臣は出席されましたか。
○国務大臣(町村信孝君) 一回目は多分前文部大臣のときであったかと思うので私は出ておりませんが、二回目の会合は私は出席をいたしました。
○扇千景君 それでは、その二回目の会合の後だと思いますけれども、文部省が初めて小中高に覚せい剤の意識調査をされましたね。その結果をちょっと教えてください。概要だけで結構です。
○政府委員(工藤智規君) 昨年五月に御指摘の調査をいたしました。その結果の概要を御報告申し上げますと、学年が進むほどに幾らか薬物に対する知識や経験等は豊かになる、他方で、残念なことでございますけれども、薬物乱用に対する罪悪感ですとか危機感が薄れる部分があるというのは懸念されるところでございます。 二番目としまして薬物についての情報源でございますけれども、これはテレビを初めとするマスメディアの影響が大きいわけでございますが、ただ、中高校生では学校でもいろいろ御指導させていただいておりますので、学年が上がりますと、むしろマスメディアよりは学校の方の影響が大きいということがございます。 あと、九年度に薬物乱用防止に関する指導を実施することを予定している学校というのが前年よりもふえてございまして、取り組みの増加動向が見られるということがある一方、残念ながら、学習指導要領の上では中高で取り上げることになっているわけでございますが、ごく一部取り上げられていない部分があるということが懸念されるわけでございます。
○扇千景君 今の状況は、御存じのとおり、きょう皆さんの御質問を聞いておりましても、ナイフによるいろんな犯罪及び学校内での暴力行為等々が話題になっております。この現状を考えますと、薬物は確かに見た目には血は出ません。けれども、ひそかにそれが広がっているということの恐ろしさというものをぜひ私は文部大臣に知っていただきたい、そう思って今のことも申し上げるわけでございます。 ナイフによる犯罪事件等々あるいは今の麻薬の若年層への侵食状態から考えますと、車の両輪なんというのは言葉は悪いですけれども、悪いことの車の両輪になりかねないという社会現象でございますので、ぜひ私は副本部長のお立場でもこの問題に関心を持っていただきたいと思います。 今私が申し上げましたように、若者が麻薬、覚せい剤、シンナー等に手を出すのはなぜかということの調査の中で、まず一番多い好奇心からが七二・三%、悪い友達に誘われてが四五・三%、ストレスを解消するため一種の遊びとしてというのが三九・三%、格好よさに引かれてというのが三〇・七%、恐ろしさを知らないから二八・三%等々でございまして、やせるため一四・七%というのもあるんですね。 ですから、これに染まっていく、手を出す要因というのは多々あろうと思います。その多々ある中で結局染まってしまうと、薬物購入資金を稼ぐために援助交際とおやじ狩りというような言葉まで社会現象で出てきたんですけれども、援助交際、おやじ狩りという言葉に対してどういう感覚をお持ちでしょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 一点、先ほど対策本部に出席をしたかというお問い合わせがありまして、今事務方から資料をもらいましたら一月と四月でありまして、私はまだ大臣就任前でございました。失礼をいたしました。ただ、閣僚懇談会の場で相当議論をやったことがございますので、私はそれが対策本部であったとちょっと誤解をいたしましたので、訂正をさせていただきます。 今、援助交際あるいはおやじ狩り、援助交際というと何となく無色透明のような言葉に聞こえますが、要するに伝統的な言葉で言えば売春でありますし、おやじ狩りというのは何のことはない、恐喝であり暴行でありという、単に伝統的な言葉をそう置きかえたにすぎない、まさに犯罪そのものだと、こう私は思います。
○扇千景君 大変個人的なことで、お差し支えがなければ、町村大臣、お子様は何人いらっしゃいますか。
○国務大臣(町村信孝君) 娘が二人でございます。
○扇千景君 科学技術庁長官もせっかく御出席ですから、お子様は何人いらっしゃいますか。
○国務大臣(谷垣禎一君) 娘が二人おります。
○扇千景君 たまたま二大臣ともお嬢様がお二人と。先ほど文部大臣から、父親の教育参加が大変重要であるというお言葉がありました。私まさにそのとおりだと思いますけれども、せっかくいらっしゃるんですから、両大臣、お嬢様で御心配だと思うんですけれども、援助交際というような言葉について親子で対話なさったことはありますか。
○国務大臣(谷垣禎一君) 援助交際について親子で話したことはございません。
○扇千景君 まだお小さいんですか。
○国務大臣(谷垣禎一君) いえ、もう高校生と中学生でございますが、ただ、一度、援助交際という用語は間違いであるということは申しました。あれは援助交際ではなく売春と言うんだということを、今の御議論と同じことを申したことはございます。
○国務大臣(町村信孝君) うちの娘は二人とももうOLで、社会人でありますので、かなりいろんな実態は見聞きしているんだろうと思います。テレビを見ながら、それをひとしきり話題にしたこともございます。
○扇千景君 今まさに谷垣大臣は一番これにふさわしい年代のお嬢様をお持ちですから、いや、対象としてですよ、一番対象物になり得ると言ったら失礼ですけれども、そういうお嬢様を持っていらっしゃる方は、事件が起こりましてどの親に聞いても、うちの子に限ってそんなことはないというのが親の心境なんです。私はそれを否定するものではありません。けれども、その事件を耳にするまでそれぞれの親は、自分たちの教育が間違っていた、家庭のしつけが間違っていたとはだれも言わないんですね。うちの子に限ってはそんなことはありませんと。事例を目の前に見せられて、あるいは警察に言われて初めて、あら大変、どうしてなの、なぜなのと。人に聞くよりも自分の胸に手を当てて聞くのが一番いいんです。 そういう意味では、先ほど文部大臣がおっしゃいました、教育を母親に任せっ放しかもしれないと。また、特に政治家はそうでしょう。お忙しいから、お二方とも子供の教育は奥様に任せっ放しなのかもしれません。多分そうだろうとお察しします、うなずいていらっしゃるから。それは仕方がないとしても、文部大臣の所信の中にも親の責任ということは一言も書いてありません。 私も男の子二人ですけれども、母親として、戦後のこれだけの教育の中で、家庭教育、家庭のしつけはどうだったのか、当たり前のことを、いけないことをいけないとなぜ言えないんだと、私はそういう意味も含めて、いけないことはいけないと言って育てたつもりです。ただ、人様に御迷惑をかけるような事件が今までなかっただけほっとしているかなという部分は一部ありますよ。けれども、まともな単純なこと、だれが見てもいけないことはいけないのよと怒れる親であり教師でありたいと思います。 そういう意味では、こういう事件が多発して、粉飾言葉のようなものが世間にまかり通る。援助交際というのはいかにもいいような響きがあります。困っている人を援助するのは何が悪いんだみたいなきれいな言葉に、だれがつくった言葉がわかりませんけれども、そういうことに関してはやっぱり敢然と教育の基本として文部大臣は立ち向かっていただきたいと思います。そのことを再度しつこくは聞きませんけれども、そういうお気持ち、後で御意見を聞きたいと思います。 それから、警察庁、昨今どの程度麻薬というものが日本に入り、あるいは市価にしたらどれくらいのものがあるかというのをちょっと教えてください。
○説明員(勝浦敏行君) 昨年中、主な規制薬物の押収量について申し上げます。 主な薬物について申し上げますが、覚せい剤が百七十一・九キロ、それから乾燥大麻が百三十五・五キロ、大麻樹脂が百五・四キロ、コカインが二十五・三キロ、ヘロインが六キロ、アヘンが三十九キロということで、ここ数年こういった主な規制薬物の押収量が非常に高い水準で推移をいたしておるところでございます。
○扇千景君 市価にしたら幾らか教えてください。――いいです何時間がありませんから私の方から申します。 押収量というのは、今、私はトータルで全部出しておりますけれども、まさに驚異的な日本への持ち込み、あるいは不法に郵送、あるいは水上からの入り込み。数字を言ってみますと、本当に恐ろしいんですけれども、平成六年で三百十三・三キロだったものが八年の一月から十月までだけで六百三十・三。ということは、もう既に十カ月だけでもおととしは二倍になっちゃうんですね。これはいろんな麻薬が今ございますから一概に市価の金額は言えませんけれども、なぜこんなに日本に向かってあらゆる白い悪魔が入ってくるのか。やっぱり私は、需要と供給のバランスによってこれほど恐ろしくなっているんだというあかしだろうと思うんですね。 ですから、そういう意味において、私どもが一番気をつけなきゃいけないことはなぜこんなに入ってくるのかということなんですけれども、大変皆さん方が手にすることが身近になっちゃったんですね。正直申し上げて、国会のこの委員会の先生方でも、例えば麻薬はどこへ行ったら買えるのか知っている人はほとんどいません。ないと思っているんです。けれども、一日新宿の訳なり渋谷の駅のたまり場へ行ったら簡単に手に入るんですね。そういう安易に手に入る方法が今町じゅうにあふれている。 これは学校教育と何の関係もないということではなくて、学校の先生方はそれらの繁華街に一日お立ちになってみるとよくわかると思うんです。学校の先生方、教育委員会に対しても、文部省はそういう体験を先生方に少しはしたらどうだというようなことを御指示なさったことはあるでしょうか。
○政府委員(工藤智規君) おっしゃるようなそこまで具体的には申してございませんけれども、これまで通知でございますとか中心的な教員の研修会でございますとかの場で、その実態の把握に努めながら、子供たちへの指導方を伝達してきたところでございます。
○扇千景君 最近の事例に見られます今申しました手に入る特徴というのは、駅前で声をかけられて入手した、テレクラやデートクラブで知り合った相手から入手したと。あるいはエスとかスピードと呼ばれて抵抗感が希薄になっている。先ほど申しましたように、ダイエット効果等の誤った認識がある。そういう意味では、最初はシンナーなんですね、一番最初にはやったのは。シンナーからの移行が顕著で、約六割の人が過去にシンナーの吸引経験があると、こう言っているんですね。 そういう意味では、御存じのとおり、現在、薬物犯罪は戦後三回目のピークを迎えている、こう言われております。第一回目は戦後のあの混乱期ですね。あの当時はヒロポンだったんです、戦後の混乱期は。第二回目は昭和五十年代。もっともこれは暴力団、そして、暴力団から主婦まで汚染されたというのが昭和五十年代の第二のピークです。今は第三次のピークだと言われているんですけれども、このごろの特徴としては、この第三次のピークと言われる主な理由としては、薬物犯罪の低年齢化ですね、先ほど申しましたように。あるいは不法在留組を中心とする外国人の密売組織の暗躍があるんです。 そういう意味では文部省と何ら関係がないと思われるかもしれませんけれども、先ほど申しましたように、町に立っていると安易に入手できるという子供たち、私も調べましたら、この中に駅で外人から気持ちのいいものがあるから買わないかと誘われた子もいる。あるいはもっと情けないのがたくさんあるんですけれども、この事例を言っていると時間がなくなりますからやめます。 そういう意味では、私どもが自分たちの子供のときにはそういうものがなかったから今もどこにあるかわからないというんじゃなくて、子供たちの本当の身近にそういうものがあるということを私は町村文部大臣にぜひ御認識いただいて、これから副本部長としての会合があるときにはぜひそういう対策を、どうしたらいいかということも御検討いただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 大変貴重な御指摘をいただきました。 私も、この本部の副本部長という立場をいただきましたので、昨年の十一月に都立の高校の薬物乱用防止教室という現場を訪問してまいりました。そこでは先ほど委員御指摘の麻薬取締官OBが小一時間ほど大変印象的な話をしておられましたし、外に出ますとそこに大きなキャラバンカーがあって、私もその中に入り二十分ほどおりましたけれども、大変な勉強というか、教訓をその場で得ました。 そんなこともありまして、文部省の方も、これも委員御指摘のビデオを今年度つくりまして、実はきょうお持ちしたのでありますが、つい今し方できました。二十分物のこのビデオが高校生向けにできました。さらに来年は中学生用のビデオを作成しようということで準備をすべく用意しているところでございます。さらに教育課程審議会で、新しい指導要領では小学生の段階からこの薬物乱用防止ということをしっかりと教えようではないかと。もう現に一部小学校高学年に教えている学校もありますけれども、もっと全校挙げて、すべての国民、すべての学校でそうしたことがきっちりとできるように取り組んでまいらなければならない本当に深刻な問題であるし、揺るがせにできない問題である、こういう認識のもとに取り組んでいく決意でございます。
○扇千景君 私は、文部大臣の副本部長としてのお立場で、今申し上げましたようなことと、今後はぜひ供給源に対する取り締まりの強化、これは大変大事なことだろうと思うんですね。 それから、薬物乱用少年の発見、補導の強化、これも先生方に重荷かもしれませんけれども、今おっしゃった厚生省のOB等々で町の中で、それも覆面の何とかというと私はちょっと嫌なものですから、資格を与えて補導するようにということもぜひ考えていただきたい。 あるいは文部省としても、教育委員会あるいは学校等との連携の強化、これはもう一度薬物に対しての認識というものをぜひ副本部長のお立場あるいは文部大臣のお立場として洗い直していただきたい、連携強化をしていただきたいということも要望しておきたい。 それから、今のビデオもそうでございます。私は、生徒だけではなくてPTAも含めて今のビデオをぜひ見ていただきたい。そういう意味で、学校と家庭あるいは地域、見たい大人にもぜひ参考に、私たちの時代と違って今はこんなことまであるのかということも、家庭と地域に対する広報活動の一環として連携して、そのビデオを学校だけではなくて一般の社会にも地域にもぜひ配付するように心がけていただきたいということを副本部長としてのお立場でお願いしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。
○国務大臣(町村信孝君) 今、数々の御指摘をいただきました。例えば最後に出ましたこのビデオを幅広く各方面に配付することなどを含めまして、今御指摘の諸点をしっかりと受けとめさせていただきました。
○扇千景君 私、本来の文部省の基本政策に関してもっと大きな問題で質問したいんですけれども、この麻薬問題は、大臣の所信表明から拝見しますと、「児童生徒の薬物乱用問題が極めて深刻な事態にあることから、薬物乱用は絶対に許されないという指導を徹底してまいります。」というこの一行のことだけでも三十分で足りないぐらいでございますので、改めて所信に対してはお伺いする時間があろうと思います。 時間でございますから失礼します。 ―――――――――――――
○委員長(大島慶久君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、萱野茂君が委員を辞任され、その補欠として峰崎直樹君が選任されました。 ―――――――――――――
○委員長(大島慶久君) 本日の調査はこの程度といたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後五時散会