文教委員会 第2号
- 発言数
- 251 件
- 登壇者
- 22 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1998/03/11
会議録
○高橋委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 文教行政の基本施策に関し、文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。町村文部大臣。
○町村国務大臣 第百四十二回国会におきまして、文教各般の問題を御審議いただくに当たり、私の所信を申し上げます。 来るべき二十一世紀において、我が国が活力ある国家として発展し、科学技術創造立国、文化立国を目指していくためには、あらゆる社会システムの基盤となる教育の役割が極めて大きいものと認識しております。 明治以降、我が国の発展の歴史を振り返れば、その根本には国民の教育に対する熱意はもとより、教育制度の普及と充実、教育に携わる人々のたゆみない努力があったことは言うまでもありません。このような教育の成果は我々の世代の責任として確かに受け継ぎ、新しい時代に向けた改革に不断の取り組みを進め、次代に引き継いでいかなければならないと考えております。 今日、教育改革は、橋本内閣の六大改革の一つと位置づけられ、国政の最重要課題となっておりますが、私は、人づくりは二十一世紀の我が国の姿を形づくるものとの認識のもとに、その推進に最大限の努力を払ってまいる決意であります。 教育改革の課題は広範多岐にわたっており、文部省においては、昨年一月に教育改革プログラムを策定し、八月に改定したところであります。これまで、大学教員の選択的任期制の導入や大学入学年齢制限の緩和などの制度改正、中央教育審議会など各種審議会での検討の促進、予算措置による各種事業の実施、産学連携による共同研究の促進等の行政運営の工夫改善など、教育改革の推進に着実に取り組んできたところであります。 今日、私は、特に次のような課題について重点を置いて取り組まなければならないと考えております。 第一は、心の教育の充実であります。 子供たちを取り巻く現在の状況を見ますと、児童生徒の校内暴力、いじめ、登校拒否などは極めて憂慮すべき状況にあります。特に最近、ナイフ等を使用した中学生や高校生による殺傷事件が連続して発生したことはまことに残念なことであり、事態を極めて深刻に受けとめております。 私は、子供たちが、生命を尊重する心や他者への思いやり、倫理観、正義感、美しいものや自然に感動する心など、豊かな心を持ったたくましい人間として成長してくれることを何よりも強く願っております。 現在、中央教育審議会において、幼児期からの心の教育のあり方について、鋭意、御審議をいただいているところであり、本年六月ごろを目途に答申をいただいた上、幅広く社会の各方面への呼びかけを行いつつ、学校と家庭、社会がそれぞれの力を結集した心の教育の充実に向け、取り組みの一層の強化を図ってまいりたいと考えております。 また、子供たちの生きる力の育成とゆとりある学校生活を実現するため、完全学校週五日制への移行をできるだけ早期に図ることとし、新しい学習指導要領の編成に向けて精力的に取り組んでまいります。 さらに、子供の悩みを受けとめられる実践的な指導力のある教員を養成するため、教員養成制度の改善を図りたいと考えております。 第二に、子供たちの個性を伸ばし多様な選択ができる学校制度を実現することであります。 そのためには、教育内容面の改善だけでなく、教育制度面においても多様化、柔軟化、複線化を進めていくことが大切であると考えており、中高一貫教育制度の導入や専門学校修了者の大学への編入学のための制度改正等に取り組んでまいりたいと考えております。 第三に、現場の自主性を尊重した特色ある学校づくりを促進することであります。 各学校が保護者や地域住民の期待にこたえ、特色を生かした多様な教育を推進していくためには、地方分権の理念を踏まえ、権限と責任を持って適切に運営され、それを教育委員会が支える体制をつくることが重要であります。現在、中央教育審議会において、今後の地方教育行政のあり方について御審議していただいており、本年六月ごろを目途に答申をいただき、地方教育行政制度の改善に取り組んでまいります。 第四に、大学改革と学術研究の振興であります。 二十一世紀の大学像を念頭に置きながら、人材養成と研究の両面で国際的に通用する大学を目指し、現在、大学審議会において、大学院の充実、大学の組織運営システムや評価システムの改革などについて御審議いただいているところであり、本年秋ごろまでに答申をいただいた上で、高等教育改革の一層の推進に努めてまいります。 また、科学技術基本計画の策定や大学改革の進展など学術研究を取り巻く状況の変化を踏まえ、去る一月十四日、学術審議会に対し、科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について諮問を行ったところであり、その審議状況を踏まえつつ、さらなる学術研究の振興に努めてまいります。 以上のような四つの柱を教育改革プログラムの中心に据え、国民の皆様の幅広い御理解と御協力を得ながら、教育改革の着実な推進に最大限の努力を払ってまいる決意でありますが、以下、文教各般にわたる主要な課題について、私の基本的な考えを申し述べます。 今日、科学技術の進展や国際化、情報化など社会経済の変化に対応した人材の養成と能力の開発が求められる中で、人々が人生のいつでも自由に学ぶことができ、その成果がきちんと評価されるような生涯学習社会を築いていくことは極めて重要です。 このため、社会人を対象としたリカレント教育や社会教育の振興、専修学校教育の充実など学習機会の整備を図るとともに、本年一月に通信衛星により全国放送を開始した放送大学など、多様なメディアを活用した学習機会の充実や学習情報の提供に努めてまいります。加えて、ボランティア、高齢者の社会参加、男女共同参画社会の形成など多様な学習活動の推進を図ってまいります。 また、社会教育及び学校教育を通じ、人権教育の一層の推進に努めてまいります。 子供にとって家庭は人間形成の行われる最初の場であり、思いやりの心や善悪の判断など豊かな心をはぐくむ上で家庭教育の果たす役割は極めて重要であります。家庭教育についての学習機会の充実や相談体制の整備など家庭教育に対する支援を充実してまいります。 また、青少年の学校外活動の充実に取り組んでまいります。 初等中等教育については、ゆとりの中で児童生徒一人一人の個性を生かし、創造性や豊かな人間性をはぐくむとともに、各地域や各学校において、創意工夫を生かした特色ある教育を展開していくことが重要であります。学校の教育内容を見直して、子供たちが基礎、基本をしっかりと身につけ、みずから学び、みずから考える力を養う教育への転換が図られるよう新しい学習指導要領の編成に取り組んでまいります。 また、完全学校週五日制については、できる限り早期に実施することが重要と考え、当初の予定を一年早め、平成十四年度から移行できるよう取り組みを促進してまいります。 さらに、学校制度の多様化等を推進するため、新しく中等教育学校を創設するなど中高一貫教育制度の選択的導入を目指して、関係法律の改正を今国会にお願いすることとしております。 また、使命感を持ち、子供の悩みを受けとめられる教員を養成するため、教員養成カリキュラムの改善や、学校における社会人活用の促進等を図るための関係法律の改正をお願いすることとしております。 幼児期の教育は人格形成の基礎となるものであり、幼稚園教育の充実を図るとともに、地域の実情に応じて幼稚園と保育所との連携が図られるよう取り組みを進めてまいります。また、特殊教育については、社会の要請等に的確に対応しつつ、その一層の振興に努めてまいります。 教育諸条件の整備については、教職員配置や学校施設の充実を図るとともに、義務教育教科書無償給与制度を堅持してまいります。 なお、安全でかつ楽しい学校給食を受けられるよう、衛生管理の徹底と施設設備の充実などに万全を期してまいります。 また、いじめ、校内暴力、登校拒否など生徒指導上の諸問題に対しては、家庭や地域との連携を図りながら、一人一人の個性を生かす教育の充実や教員の指導力の向上、教育相談体制の整備など取り組みの一層の強化を図ってまいります。 さらに、近年、児童生徒の薬物乱用問題が極めて深刻な事態にあることから、薬物乱用は絶対に許されないという指導を徹底してまいります。 高等学校入学者選抜制度は、選抜方法の多様化や選抜尺度の多元化の観点から一層の改善が図られるよう取り組みを促進してまいります。 二十一世紀において、我が国の大学が求められる役割を十分に果たし、国際的に評価されるようになるためには、教育研究の質の飛躍的向上が必要であり、先ほど申し述べましたとおり、現在、大学審議会において、二十一世紀の大学像と今後の改革方策について御審議いただいており、その状況を踏まえながら、大学改革にさらに積極的に取り組む決意であります。 また、学習ニーズの多様化に適切にこたえる観点から、専門学校卒業者の大学への編入学が可能となるよう、関係法律の改正を今国会にお願いすることとしております。 大学入試については、大学入試センター試験の円滑な実施と有効な利活用を図るとともに、各大学において多様な入試が適切に実施されるよう着実な改善に努めます。 創造的な人材の育成を目指した理工系教育の推進、少子・高齢社会に対応する医療福祉関係人材の育成を図るとともに、学生の就業体験の推進や就職指導の充実に一層努めてまいります。 私立学校については、私立学校振興助成法の趣旨にのっとり、教育研究条件の維持向上と修学上の経済的負担の軽減などを図るため、学術研究基盤の強化や施設の高度化に配慮しつつ、私学助成の充実に努めてまいります。 また、育英奨学事業については、大学、大学院の奨学金の貸与人員の増など一層の充実を図るとともに、資金の効率的運用を図る観点から、教育職に係る大学等の奨学金の返還免除制度を廃止するため関係法律の改正を今国会にお願いしております。 我が国が、科学技術創造立国を目指し、今後さらに発展し、国際社会において積極的な役割を果たしていくためには、学術研究の振興は極めて重要であり、先ほど申し述べましたとおり、学術審議会の審議状況を踏まえつつ、科学技術庁との統合を視野に入れて、学術研究と科学技術研究の総合的な展開に向けた取り組みを進めてまいりたいと考えております。 学術研究を未来への先行投資と位置づけ、特に、科学研究費補助金や未来開拓学術研究推進事業などの研究費の拡充、ポストドクター等一万人支援計画の達成に向けた若手研究者の養成確保に努めてまいります。 また、老朽・狭隘化が指摘されている国立学校を初めとした研究施設設備の改善充実や高度化、多様化、学術情報基盤の整備充実を行うとともに、産学官の連携協力による独創的な研究の一層の推進、研究評価体制の整備など、総合的な施策の推進に努めてまいります。 さらに、地球環境科学や情報研究について重点的な推進を図るとともに、生命科学、宇宙科学、加速器科学、核融合研究、南極地域観測事業等の基礎研究を着実に推進します。 大学等と民間との連携による研究開発を一層促進することは、経済構造改革の推進に大きく寄与するとともに、大学等の研究活動の活性化が図られる点でも有益であります。このため、大学等における研究成果を民間事業者へ移転し、産業界における活用を推進するために、今国会に通商産業省と共同で法律の制定をお願いするほか、科学技術庁とも連携して、国立大学等の敷地内における民間との共同研究施設の整備を促進するための施策を講じてまいります。 近年、国民の間にスポーツに対する関心が高まっております。特に本年は、冬季オリンピック競技大会が長野で開催されました。日本選手団の活躍は国民に明るい話題や感動を与えるとともに、青少年に夢と希望をはぐくませるものでした。優秀な成績をおさめた選手が、自分の成果は自分一人分の力によるものではなく、家族やチームメート、指導者あるいは故郷で応援してくれている人たちなど自分を支えてくれる多くの人々の力によるものと、率直な気持ちを述べておられたことに深く感銘を受けると同時に、このような選手たちの言葉は多くの青少年の胸にさわやかに響いたものと確信しています。 本年六月にはワールドカップサッカー・フランス大会へ日本代表チームが初出場することもあり、我が国の競技力の向上に大きな期待が寄せられてきていますが、国立スポーツ科学センターの整備や選手強化事業の充実など競技力の向上に向けた諸施策を着実に推進してまいります。また、日韓共催による二〇〇二年ワールドカップサッカー大会の開催を支援し、その準備を進めるための法律の制定を今国会にお願いすることとしております。 昨年九月の保健体育審議会の答申を踏まえて、施設の整備充実やすくれた指導者の養成確保、総合型地域スポーツクラブの育成などの諸施策の推進に努めてまいります。 また、学校体育の内容の改善や運動部活動の適切な運営を図ってまいります。 文化は、人々の心の豊かさを培い、生活に潤いを与えるものであるとともに、新しい価値を生み出し社会全体を活性化する上で重要な役割を果たすものであります。また、文化は国の姿を形づくり、国際社会における国家の存立基盤として重要な役割を担うものとの認識に立ち、文化立国の実現に向けて各般の施策を推進してまいりだいと考えております。 昨年十月に開場した新国立劇場の整備充実を含めた芸術文化創造活動の基盤整備や、文化のまちづくり等地域における文化の振興を推進するとともに、ミュージアムプランによる美術館、博物館活動の推進、伝統文化の後継者や若手芸術家の養成、国宝、重要文化財の保存修理や史跡等の整備活用を初めとする文化財の保護の推進に努めてまいります。 また、宗教法人制度については、信教の自由を尊重しつつ、今後とも円滑な宗務行政の実施に努めてまいります。 さらに、文化の発展に不可欠な法的基盤である著作権制度については、急速なデジタル化、ネットワーク化への対応が重要な課題となっており、著作権制度の整備、著作物の円滑な利用のための権利処理体制の整備を進めてまいります。 また、美術品の公開を促進し、国民の美術品を鑑賞する機会を拡大するため、新しい認定制度を創設するなど必要な措置を講じてまいります。 教育、学術、文化、スポーツの一層の発展と国際貢献を図るためには、これらの分野を通じた国際交流・協力の推進が重要な課題です。このため、留学生交流の積極的な推進を初め、海外子女教育や外国人子女教育の充実、教職員・研究者交流や国際共同研究の充実、我が国のすぐれた文化の積極的な海外発信、海外の貴重な文化財の保存修復への協力などに努めてまいります。 また、ユネスコ、OECD等の国際機関を通じた協力や途上国への教育・学術協力を推進するとともに、語学指導を行う外国青年招致事業等による外国語教育の一層の充実を図ってまいります。 さらに、情報化の発展に適切に対応するため、学校における教育用コンピューターの整備や学校のインターネットヘの接続等のネットワーク化、衛星通信等を活用した教育など情報教育の積極的な推進を図るとともに、教育、学術、文化に関する情報提供・発信を行うための情報基盤の整備充実に努めてまいります。 昨年十二月の行政改革会議の最終報告においては、二十一世紀の我が国にふさわしい行政システムヘの転換を図るため、文部省と科学技術庁との統合を初めとする中央省庁の再編などの諸方策が盛り込まれました。 文部省においては、このたびの行政改革の趣旨を踏まえ、文部大臣を本部長とする文部省行政改革本部を最終報告後直ちに設置し、現行の組織や業務の徹底した見直しに全省的に取り組む体制を整備するとともに、文部省と科学技術庁との円滑な統合に備え、両省による合同検討チームを発足させたところです。今後とも、科学技術庁との密接な連携協力を図りながら、両省の統合により、新しい世紀におげる教育、学術、科学技術、スポーツ、文化に関する行政が、時代の要請に的確に対応し、ますます充実していくよう準備を進めてまいります。 以上、文教行政を担当する者として、私の所信を申し述べました。 さきにも申し上げましたとおり、教育改革は国政上の最重要課題の一つであり、最大限の努力が要求されるものであります。私どもといたしましても、できる限り力を尽くしてまいりたいと考えておりますが、委員長を初め、委員各位におかれましても、一層の御理解と御協力を賜るようお願いをいたします。 どうもありがとうございました。よろしくお願いします。
○高橋委員長 次に、平成十年度文部省所管予算の概要につきまして説明を聴取いたします。小野官房長。
○小野(元)政府委員 平成十年度文部省所管予算につきまして、その概要を御説明申し上げます。 目前に迫った二十一世紀に向けて、我が国が創造的で活力に富んだ国家として発展していくためには、六大改革の一つである教育改革を推進していくとともに、国家の発展基盤となる人材育成、学術研究などを重点的に推進していくことが極めて重要であります。 このため、平成十年度予算の編成に当たりましては、財政構造改革のための集中改革期間の初年度という極めて厳しい財政状況のもとではありますが、教育改革の着実な推進に配慮しつつ、豊かな人間性をはぐくむ「心の教育」関連施策の充実、未来の我が国を支える人材の育成、学術、文化、スポーツの振興など、大きな時代の変化に柔軟かつ的確に対応する文教施策を積極的に推進することができる予算の確保に努めたところであります。 文部省所管の一般会計予算額は五兆七千九百八億九千九百万円、国立学校特別会計予算額は二兆七千九億二千八百万円となっております。 以下、平成十年度予算における主要な事項について御説明申し上げます。 第一は、生涯学習の振興として、青少年の「生きる力」をはぐくむ環境の充実を図るための家庭教育や学校外活動等の充実、人々の生涯にわたる豊かな学習活動を支援する通信衛星を利用した放送大学の全国化の推進等を図ることとしております。 第二は、豊かな人間性や創造性をはぐくむための初等中等教育の充実についてであります。 教職員配置改善計画の円滑な実施やゆとりある教育活動を展開する中で、みずから学びみずから考える力の育成を目指した教育内容の改善を初め、いじめや登校拒否等の問題等に適切に対処するためのスクールカウンセラー活用調査研究委託事業の拡充、教員の資質向上に向けたボランティア等の体験活動の推進、開かれた学校づくりのための社会人の活用、公立学校施設等の耐震・防災機能の充実強化、学校給食における衛生管理の徹底、薬物乱用対策事業の充実等、喫緊の社会的諸課題への取り組みなどに努めていくこととしております。 第三は、個性豊かな教育研究を展開する私学への助成として、経常費助成を初め、私立大学の高度な学術研究の推進を図るための学術フロンティア推進事業の拡充等を図ることとしております。 第四は、高等教育の高度化等の要請にこたえるため、国立大学における創造的な教育研究を推進するための大学院等の整備や育英奨学事業の充実等を図ることとしております。 第五は、人類の知的共有財産を生み出すとともに、社会発展の基盤を形成する学術の振興として、科学研究費補助金の拡充やポストドクター等一万人支援計画の推進及び地球環境や情報などの今日的な重要課題に関する研究の推進等に努めることとしております。 第六は、ゆとりある質の高いスポーツの振興として、国際的な競技力の向上を図るための国立スポーツ科学センターの建設推進、シドニー・オリンピックに向けた選手強化事業の実施及び地域における生涯スポーツ活動の充実のための子ども遊悠プラン事業の推進等を図っていくこととしております。 第七は、文化立国の実現を目指した文化の振興として、アーツプラン21など芸術創造活動の推進、芸術文化に親しむ機会の充実、文化財の次世代への継承・発展、文化発信のための基盤整備等を図ることとしております。 第八は、教育、学術、文化、スポーツの国際交流・協力の推進についてであります。 留学生交流、ユネスコ等国際機関を通じた教育協力事業、諸外国との研究者交流や共同研究、世界的な文化遺産の保存修復に関する国際協力、日韓スポーツ交流事業など、各般の施策の推進を図ることとしております。 第九は、情報化への対応として、学校におけるインターネットや衛星通信等を活用した情報教育の一層の推進、文教行政各分野におげる情報通信ネットワーク環境の整備の推進等に努めることとしております。 以上、何とぞよろしく御審議くださいますようお願い申し上げます。 なお、その具体の内容につきましては、お手元に資料を配付してありますので、説明を省略させていただきたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。
○高橋委員長 以上で説明は終わりました。 ―――――――――――――
○高橋委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。河村建夫君。
○河村(建)委員 おはようございます。自由民主党の河村建夫でございます。 それでは質疑に入らせていただきたいと存じます。 昨年五月に神戸市須磨区で小学生を殺害した犯人が十四歳の中学生であった、大変衝撃的な事件がありました。まだあれから一年を経過いたしておりません。 今度は、ことしの一月ですか、事もあろうに学校の廊下で中学校の教師が教え子からナイフで刺されて亡くなるという痛ましい事件が栃木県ではございました。それから、今日の情報化社会を反映してと説明をすべきかどうかわかりませんが、何か取りつかれたように、連日のように教育現場では、中学生を中心とした青少年のナイフを使っての殺傷事件が続いておるわけであります。一体教育現場はどうなっておるのであろうか、国民の不安も大変高まってきております。 まさに非常事態宣言とでもいうべき状況、町村文部大臣も、大臣就任以来心休まる日がないのじゃないかと思いますが、それを受けて緊急アピールを出されたところであります。このアピールがどのような形で子供たちに受けとめられるか、あるいは保護者、家庭に受けとめられるか。 大臣はこの現実をどのように受けとめておられるのか、この御所見をまず伺うとともに、文部省としても、深刻化いたしておりますこの教育現場に対して、どのような協議を行い、どのような対応を図るべきか、また学校側はどのような取り組みをしようとしているのか、この辺からまずお伺いをして、入りたいと思います。
○町村国務大臣 ただいま河村委員御指摘のとおり、神戸、黒磯そして東松山と衝撃的な事件が相次いでいるわけでございまして、私も教育を担当する責任者として、本当に心を痛めておりますし、何とかならないのかなと思う日々でもあります。 いろいろな原因が複雑に絡み合っているのだろうと思いますし、これが絶対の原因だということがどうもよくわかりませんし、私も、子供たちと会って話をしてみたり、あるいは先生方と会って話をしてみたりします。どうも正直言って、率直に言って、なぜこういう事件がそう相次ぐのか、わかりづらいといいましょうか、なかなか理解しがたい面もございます。 ただ、総じて言えることというのは、やはり命を大切にすることとか、あるいは社会的なルールを大切にすること、あるいは、当たり前ですが、最低限の法律を守ることといったような基本的な部分がどうも子どもたちの中にきっちりと植えつけられていないといいましょうか、身についていないといいましょうか、そういうこともあるのかな、そういうことをすべて乗り越えるほど子どもたちにそんなにストレスが大きいのだろうかなと思ったりもするわけでございます。 いずれにしても、正直言って学校だけではなかなか対処し切れない問題かもしれません。私は、就任以来、家庭教育の重要性というのを指摘をしているわけでございますが、もちろん家庭がすべてではございません。家庭と学校と、そして幅広い地域社会、これらが一体となって子どもたちの健全な育成に取り組んでいかなければいけないのだろうと思っております。 直接的な学校現場の取り組みということで、私は、例えば問題行動に対しては毅然として取り組む、その中で、もし学校現場が必要とあれば所持品検査もと申し上げましたが、所持品検査をやったから全部解決などとはゆめゆめ思っておりません。ただ、今のこの危機的な状況を乗り越える一つの方策としてそういうことも必要あらばやってください、どうも今までややもするとそういうことがあったらためらってしまう、それではいけないということを申し上げました。 より根本的なことは、迂遠なようであっても、先ほど申し上げましたような学校、地域、そして家庭での幅広い取り組みということが必要なのではないのかなということで、それぞれの学校現場で悩みながら、苦しみながらそれぞれ工夫をしていただいているもの、こう確信をしているところであります。
○河村(建)委員 ありがとうございました。 大臣、緊急アピールで、「ナイフを学校に持ち込むな 命の重さを知ってほしい」という訴えをされたわけであります。このアピールというものがどの程度しみ込んでいくのか、特に学校現場での教育力が私は問われているのではないか、こう思いますし、新聞等でも報じられておるわけでありますが、本当に子どもたちはこの新聞を読むかどうか、そういうこともあるわけであります。 しかし、いずれにしても、これは国を挙げてこの問題にこれから取り組んでいかなければいけなくなった、非常に大きな責任をまた我々かるっている、共有する考え方で進めていかなければいけないのではないか、こう思うわけであります。 二月十六日に、橋本総理は、第百四十二国会の施政方針演説の中で、橋本内閣が取り組んでおります六つの改革、この決意とともに、特に、当面する教育の問題について触れておられるわけであります。 「この国の将来を担う子供たちのことであります。」という切り出しでありました。豊かな暮らしの中で家庭の役割が変化し、進学率が上昇する中で、受験戦争や登校拒否、さらには青少年の非行問題が極めて深刻である。今、子供たちは本当に悩み、救いを求めていると思う。 さらに言及して、知恵や知識を身につけるための教育が、いつの日からか、皆が同じようによい学校に入り、よい仕事につくための手段となって、私たちは、いわゆるよい子の型に子供たちをはめようとする親と教師になっていないでしょうか。深い反省を込めて語りかけられたところでありました。 そして、本日ただいま町村文部大臣の文部行政全般に関する所信を伺ったところであります。 教育改革、これが国政の最重要課題として位置づけられておる、そして、人づくりこそ二十一世紀の日本の姿を形づくっていくという強い認識のもとで、心の教育の充実を初めとする諸課題について、これを網羅されて所信を示されたわけであります。私は、その所信表明の中で、教育改革にかける大臣の意気込みというものを強く感じました。並々ならぬ覚悟でこの教育改革に取り組もうという姿勢を感じたわけであります。 文部大臣御就任以来、若さあふれる行動力、あるいは自信に満ちた発言、そういうもので国民の期待も高まっておるというふうに私は思います。この大変なときだけに大いに奮闘していただかなければ、こう思っておるのであります。 そして、大臣の若さでありますから、近い将来、日本のトップリーダーとしてリーダーシップを発揮する、その気構えでこれからやっていただかなければならぬ、私はこのように期待をいたしておるわけであります。それもひとえにこれからの町村文部行政の推移にかかっていると言っても過言ではない、こう思うのであります。 その大きな期待感からお聞きいたしますと、ただいまの所信というのは、所信表明というのはこういうものだと言ってしまえばそうかもわかりませんが、いささか無難にまとまり過ぎて、ちょっと口幅つたい言い方でありますが、文部省には申しわけないかもしれませんが、文部省の官僚の作文の圏内にとどまっているのではないか、このような心配もするわけであります。 大臣は、一昨々日の毎日新聞に掲載された前東北大学学長の西澤潤一先生の「「拝啓 文部大臣閣下」 横並びから学生解き放て」という一文を読まれたであろう、こういうふうに思います。若干その言葉を引用させていただきますと、 日本は終戦前の国家主義の行き過ぎから、反転して、個人の権利を遵守する建前から、均一横並びが過重視され、これが米国よりも徹底した平等均一態勢と教育を生むことになった。記憶量を増すことにのみ競争が行われ、正しいが特異な結果を見つけ出すことはタブー化される。 さらにつけ加えて、 日本人は、戦後教育によって創造的な能力を失ったのではないかと、よく海外の研究者から言われる。 こう述べておられます。 私は、この西澤先生の指摘というものは、今日の教育問題の核心をついておるのではないかというふうに思うのです。 また、こういう話も聞きました。明治の初めごろ、日本の教育をこれからどうしていって近代国家をつくっていこうかというときに、同様な論争が行われた。それは、福沢諭吉と初代文部大臣であった森有礼、この間でされたという記事を拝見しました。 福沢諭吉は、人間はだれでもすばらしい能力を持っているのだ、これを引き出してやるのが教育である。要するに、教育をもっとじっくり時間をかけてやらなければいかぬということを言われた。 これに対して森有礼は、そんなことでは間に合わないのだ、一日も早く欧米文明に追いつかなければならない、そのためには官療養成の教育制度をつくるべきだということを力説して、その主張が通って、結局明治十九年に小、中、高、大学にわたる教育制度ができた、このように言われております。 このような結果になったことで、福沢諭吉は、これでは教育は人間を写字、字を写すといいますか、写字あるいは計算の機械にするだけではないかと、憮然として、教育という言葉はやめて発育にすべきだ、こう提言したというエピソードも残っておるのであります。 日本の教育は、終戦で一度白紙に戻して抜本的に反省すべき節目であったろう、こう思われるのでありますが、この戦後の教育改革においても、西澤先生の御指摘にもありますように、結局、経済、社会にすぐ役に立つ効率的人材養成を第一義的に考えて、アメリカの教育理念といいますか、そういうものを輸入していわゆる平等均一的な教育を推し進めることになったわけであります。 その結果として、戦後の復興は見事になされ、経済大国と言われるまでになったわけであります。一応教育の成果はあった、こう思ったわけであります。事実、我々は日本の教育レベルは世界に冠たるものがある、こう思っておるわけであります。 しかし、今の現実を見ますと、実際その本質的な問題、本質的な面においては、教育の空洞化というものが内部で起きておるということを今我々気づかされつつあると思うのであります。 よく言われるのでありますが、いわゆる一流社会人を目指して一流会社に入ろう、有名大学へ行く、そのためには、幼稚園のときから高校までの受験勉強と偏差値に学校教育のエネルギーが絞られておる。そして、感受性の高いいわゆる青春時代というものが入試問題解答技術に明け暮れる。 そのために、多くの青少年が大学に入学したそのときから学ぼうとする意欲を失ってしまう。それで、発想の自由、独創性の少ない社会人となってしまっている。その結果として、役に立つ人間を効率よくつくろうとすると、すぐに役に立たなくなってしまう。こういうことも指摘をされているわけであります。そういう公式がある。 しかし、その公式に当てはめるまでに、落ちこぼれの問題であるとか中途退学の問題であるとか荒れる教育現場が生まれ出ている、こういう実態があるわけであります。今の日本の教育の現状では、生きる手段は与えられるかもしれないけれども、生きる力を与えてくれないのではないか、こういうふうに指摘をされる。私もそういう実感がするわけであります。 ちょうど今、橋本内閣の改革は、日本の社会システムが制度疲労しているんだ、こういう観点から今改革に取り組もうとしている。やはり同じように、この日本の教育システムも制度疲労しているのではないか、こういう観点から教育改革に取り組んでいくべきものではないか、こう思うわけであります。日本の教育の基本法を含めて、これでいいのであろうか、発想の転換をすべきときではないだろうか、こういうふうに思うわけであります。 いま一度、西澤先生の問いかけの最後のところに戻るわけでありますが、 本来、人間、心から欲しているのは、金でもなし、権力でもないはずです。大臣閣下の父上(町村金五先生)の求められた「志」であったのではないでしょうか。何とかして、「志」も抱かずに暗記に狂奔するような試験方法から生徒、学生を外してやる必要があると思います。 これが世界に通用し、世界を感銘させる知恵を生むのではないでしょうか。 こういう呼びかけでありますが、大臣はこれに対してどのようにお答えになるつもりなのか、改めて教育改革にかける大臣の決意を伺いたいと思います。
○町村国務大臣 河村委員から大変幅広い、明治以降の日本の教育の歴史を振り返りつつ、また西澤先生の文章にもお触れになりました。いろいろな教育改革にかける思いあるいは観点というのもあろうかと思います。 確かに、今委員言われたように、日本の教育の特に戦後の姿というのを見たときに、ある種のパターンというのがしつかりでき上がってきた。しかし、それが余りにもワンパターン化しているということが、子供たちから親から多様な選択肢を奪っているということが言えるのだろうと思っております。 もちろん、戦後の教育ですばらしい面も多々あったと私は思っております。これだけ幅広く教育が普及し、高校にはほとんどすべての子供たちが行き、大学あるいは短大進学率が五割近いということ、こうした教育の大衆化というものをもたらした。学びたい人がいろんな手段で学べるという面で、評価すべき点は多々あったと思っております。 ただ、その反面、一つの、このパターンでしか幸せがっかめないといったような、これは学校のみならず社会全体の価値観とでもいいましょうか、今委員御指摘のように、小さいうちから教育に励んで暗記力を向上させて、そしていい大学に入るといい会社に入って一生幸せだ、日本全体が何かそういう一つの生き方みたいなのを追求してきた。 例えば私の地元の北海道では、北海道大学を出て、そして北海道拓殖銀行に入れば一生北海道で幸せに暮らせるという一つの図式ができ上がっていた。ところが、拓銀がああいう形で崩壊をいたしますと、その幸せの図式ががらがらと崩れてしまっている。 私は、これは大変厳しい体験ではあったと思いますが、逆に多くの親たちが、それは北海道のみならず山一証券でもどこでもそうですが、一流会社に入って、そしてそこで一生暮らすことが決して幸せを保証するものではないということを、今回の不況といいましょうか厳しい経済状態の中から多くの親御さんたちが学んでいただければ、しゃにむに二歳、三歳のうちから塾に通わせるなんということが実に意味のないことなんだということを大勢の親が気づけば、今の学歴偏重、そして記憶力に基づく試験がすべてであるといったような今の社会の受けとめ方が少しは変わってくるのじゃないのかな、そんな思いも実際いたしております。それをまた別の表現をすれば、委員言われたような、今の教育制度の制度疲労といったような言い方もできるのだろうと思います。 そういう意味で私は、今次教育改革は、そうした今までのあり方、だから根っこをさかのぼれば、やはり人々の教育というか、生き方あるいは幸せというものの基準からもう少し考え直そうよというのが教育改革の一つの切り口ではないのだろうか、このように思っております。 そういう中で、私ども文部省ができる範囲というのもある程度限られておりますけれども、先ほど所信表明で申し上げましたように、四つの柱、心の教育、あるいは選択肢のある多様な教育制度、そして学校現場の自主性を尊重、そして研究の振興といったような大きな四つの柱にまとめておりますが、さらにその根っこを言うならば、やはり特に学校の現場で選択肢が非常に広がる、いろいろの生き方ができるということを可能にしていくということが今次教育改革の基本的な発想の一つ大きなポイントではないだろうかな。 そういう意味で、西澤先生の文章をお引きになりましたけれども、まことにごもっともだと同感する部分が多々あることを申し上げさせていただきます。
○河村(建)委員 ありがとうございました。 北海道で北大、拓殖銀行の例をお引きになりました。結局、残るところ、教育はただ知識だけじゃなくて、人間力といいますか、そういうものがついていなければならないということになろうと思うのですね。最後に残るのは自分ひとりでありますから、自分の力というのはただ知識だけじゃないんだということだろうと思うのです。 文部省も教育改革プログラムをお出しになり、それをさらに改革をしながら進めておられるわけでありますが、教育のことでありますから、百八十度一遍に方向転換というわけになかなかいかない面があろうと思います。ただ、今我々としては、やはり発想の転換をしなきゃいけない時期に来ていることは間違いないと思うわけであります。 大臣も所信で指摘されておりますように、学校教育あるいは家庭教育、さらに社会教育といいますか、そういうものをバランスをとりながらやっていかなきゃいけない。そのバランスが今崩れているといいますか、むしろどこの教育力も非常に落ちているというような表現の方が正しいかもしれませんが、そういう状況になっておるわけであります。 私も、学校教育そして家庭教育、地域社会の教育、それについて若干の提言をしながら質問を進めたいと思うのでありますが、その学校教育の問題点の中でも、特に心の教育、これは幼児教育からやっていかなきゃいかぬと私は思うわけであります。そして、いわゆる知育、徳育、体育と言われますが、そのバランスをどういうふうにとっていくか。特に徳育の面が不足をしているのではないか。現実に、道徳教育がすべてとは言いませんが、ただ授業だけで、知識だけで教えるのではなくて、教員のみずからの体験といいますか、そういうものを交えながら徳育がやれるのかどうか。 そして、今日の社会においては、義務教育のあり方についても、例えば義務教育をさらに一年ぐらい引き下げて、そこから入っていくということも考えなきゃいけないときに来ているのではないかというふうに私は思います。 そして、今文部省が教育改革の中の目玉としておりますいわゆる中高一貫教育、中等教育学校の問題、これもいざ具体的に全国に実施しようとすればいろんな問題があるわけでありまして、これはまたこれから法案も提出されるわけでありますから、そこの議論にまたなきゃならぬわけでありますが、現場の先生方の声は、一クラス四十人で本当に子供たちを見れるかという問題が現実に起きてきていることも事実であります。 今、財政再建の中で、子供の数が減れば先生の数も減っていくんだという理論が財政面だけから考えたら成り立つかもしれないけれども、それでは教育現場がもたない現状があるということも我々は心していかなければならぬ、こう思うわけであります。そして、もっともっと子供たちにゆとりを持たせようということから、学校五日制へも取り組むわけであります。 もう高校入試というのはなくなってもいいのではないかという声が強いわけであります。もちろん、それぞれの習熟度というものは必要でありますから、そこは学校で研究をしてもらわなければならぬ問題でありますが、幼稚園から高校入試、そして大学入試へとずっと続く受験技術を磨かなければいけないこの現状は、先ほどもおっしゃいましたように、またいろいろな角度から御指摘があり、また大臣も御認識を持っておられるように、変えていかなければいかぬと思うわけであります。そして、そのつまるところは、いわゆる大学の入試制度に入ってくる、こう思うわけでありまして、これまでも大学入試についてはいろいろな改革が試みられてきたわけであります。共通一次からセンター試験、そしてそれに私学も入っていくというような形、そして前期、後期の方式とか、いわゆる受験の機会をふやすとかいろいろな形で試みがされてきております。しかし、ここのところが変わって、そして、いわゆる人材を採用する企業側の受け入れというものも変わっていかない限り今の受験競争というものはどうしてもなくならない。むしろ、学校五日制をやると塾が繁栄するのではないかという懸念も依然として残っておりますから、そこにどうやってメスを入れていくかということだろうと思うのです。 これは私の提言でありますが、大学改革の中の一環として、大学の入試制度の中で、アメリカがとっておるようないわゆるアドミッションオフィスといいますか、学校が生徒を採用すると言うとおかしいのですが、入学を求めるその努力をもっと、単なるペーパーテストだけでやるのではなくて、やはり人間を見るような入試システムというものを日本も考えなければいけないのではないか。 アメリカのスタンフォード大学等の例もあります。ここでは時間がありませんからそれについて詳しくは申し上げません。既に文部省も研究をされておると思いますが、私は、思い切って、すぐやれないというならまず何校かのモデル校をつくって、入試のあり方についてもっともっと深い研究をしていただく必要があろうと思うのですね。 この前、東京芸術大学でお聞きをいたしました。こういう大学は学力試験だけではどうにもなりませんから、試験をいろいろ工夫されておる。ことしの入学試験の、特に油絵・絵画コースの入学試験の問題はどういうものであったかというと、まず、第一次試験は五十倍近くになるのでありますが、二千六百人ぐらい受けて六十人しかとらないという非常に難しい試験でありますが、その中から平山郁夫先生とか、そういう方々が生まれてきた。 その試験をお聞きいたしましたところ、試験問題は、一本の木の苗、このぐらいのヒノキの苗を受験生全員に渡すのですね。それを見て、そして題は「共生」です。これを組み合わせて絵をかきなさい、こういう問題。朝十時から夕方の四時までかかってかかせるわけですね。したがって、単なる絵がかけるだけではどうにもなりません。その人の感性が問われている。こういう入学試験をまずやって、ふるいにかげながらさらに二次、三次と、こうやっていくわけであります。 一般の事務系の試験にすべてそれをそのまま適用というわけにはいかないだろうけれども、やはりそういう努力をしていくということは必要になってきておるのではないか。いわゆる点数主義から人間主義へといいますか、そういう変換を図ってもらいたい、私はこう思うわけでありまして、これは私は、もうきょうは提言にとどめたいと思いますが、大臣、もしそれについて所見があればお伺いをしたいと思います。
○町村国務大臣 大学入試のあり方について御指摘がございました。大変に重要な問題である、こう考えております。なかなか、社会全体で学歴信仰といいましょうか重視といいましょうか、あるいは、やはり有名校がいいんだ、そういう風潮が現実にあることはまた否定できない事実でありましょうが、また、それの意味というのも今問われているのだろう、こう思います。 入試改革努力、各大学でも相当努力をしていただいておりますし、御承知のように、平成二年から入試センターというものが始まりまして、それ一の利活用の仕方も相当多様になってきております。 例えば、面接試験を採用している国公立の学校が、昭和五十三年と平成十年と比べてどのくらいふえたかというと、昭和五十三年のときは大学数で三五%、それが今では九二%へとふえているとか、あるいは小論文を書かせる大学が、五十三年には三三%だったのが最近では九三%までふえている。あるいは語学、英語でしょうか、ヒアリングのテストというんでしょうかリスニングテストというんでしょうか、七%台だったものが三五%とか、帰国子女とか推薦入学とか社会人特別選抜とか、相当いろいろ多様化の努力をしていただいているなということは言えるんだろうと私も思います。ただ、それだけで十分かと言われれば、さらにまたいろいろ努力をしてもらいたい。 先ほど委員が言われましたアドミッションオフィスのあり方、これなども今大学審の方で相当詰めていただいておりまして、しかし、御承知のように、大学の方にとってはある意味で大変な手間暇がかかります。しかし、それのもたらす意味というのもまたある意味では大きいのかもしれない。その辺を大いに勉強してもらっておりますし、私立大学では相当アドミッションオフィスを充実して、もう既に入試をやっている慶応大学の一部の学部などもあるようでございますから、そういったことなども大いに参考にして、入試制度改革といったものには引き続き努力が必要であろう、こう思っております。
○河村(建)委員 思い切った発想で、町村文部行政の中でひとつ新しい改革をつくり上げていただきたいというふうに思います。 あと、家庭教育の問題、あるいは地域社会の教育力の問題があるわけであります。 大臣お触れの命のとうとさとかそういうものはやはり家庭の中できちっと教えていく、第一義的にはそういうことだと思います。道徳の問題にしても、私は、第一義的には家庭がやっていかなければいかぬ。これまで文部省は家庭教育まで踏み込まなかった。しかし、そこまで踏み込まざるを得ない現状があることも事実であります。 家庭の教育力を回復するためには何が必要かという、もっと広範な議論を国民の間に起こしていかなければいけないというふうに思いますし、また地域社会においても、かつての向こう三軒両隣の助け合いの精神というものがだんだん薄れてきて、いわゆるお祭りのみこしの担ぎ手のないような地域というのは、既に地域の教育力がなくなっておると言っても過言でないというふうに思うわけであります。 今新たに、イギリスに倣ってチャイルドラインの試みであるとか、あるいはボランティア活動をさらに進める、あるいは今度NPO法案も通るわけでありますが、これによるNPOの促進等もあるわけであります。それから、社会経験の豊かな高齢者の方々がもっとこうした中へかかわっていく仕組みをつくっていく、受け皿づくりをつくっていく、そういうことも必要ではないかというふうに私は考えるわけであります。 そしていま一度、先ほどの非行の問題等々あるわけでありますが、それに関連して、もっと脳に栄養を与えることによって非行面が変わってくるのではないかという興味深い記事が先般、二月五日の朝日新聞家庭欄に載りました。 それは、中学生の食事の質と心の関係についての記事でありまして、これは福山市立女子短期大学の鈴木雅子先生が今から十年以上前、一九八〇年代に行われた調査結果が紹介されておりました。 食事を、よいから悪いの間をABCDEの五つのランクに分けて見る。そして、この五つのランクの中で、「すぐカッとする」あるいは「根気がなくあきっぽい」「いじめている」「自殺したいと思ったことがある」「相談できる先生がいる」といったこととの関係がグラフになっておるのです。 まず、「すぐカッとする」。これは、食事のランクが最もよい子供たちは二五%であるのに対して、最も悪いEの子供、実に九〇%近くの子供がかっとすると言っているわけですね。いじめの問題にしても、だれかを「いじめている」。これは、食事のよい状態の子供はほとんどゼロでありますけれども、一番悪い子供たちは四〇%ぐらいある。さらに、「自殺したいと思ったことがある」。Aの子供は一〇%ぐらいだけれども、Eになると二五%ある。そして一「相談できる先生がいる」。Aでは二五%なのに、Eになるとほとんどゼロで、相談する先生を持っていない。こういう興味深い結果が出ております。 いわゆるよい食事というの婆普通の野菜、魚、穀物、ミネラルなどを満遍なくとっている栄養バランスのまい食事で、悪い食事というのは、スナック菓子であるとかカップめんとか缶ジュースばかりを食べている。 結局、その鈴木先生の言によると、親の関心が薄い子供ほど、家族そろって食べる機会が少なくなって、食事の質も低下するのだ、そんな子供はいわゆるコンビニ食がふえて、脳の健康に必要な栄養がとれてないのじゃないか、まさにしつけや教育以前に人間の生物的基盤が危ない、こういうふうな指摘まであるわけでありまして、食事というものが、ただおなかを満たすだけのものではなくて、心を満たすものだという証明がされたような結果になっております。親の子供への無関心あるいは間違った関心の持ちようが今日の事態の一つの原因ではないかという指摘があるわけであります。 そこで私は、昨年九月に保健体育審議会も文部省に対して「生涯にわたる心身の健康の保持増進のための今後の健康に関する教育及びスポーツの振興の在り方について」という答申をされておるわけです。大臣もごらんになっていると思うのでありますが、その中で学校栄養職員の新たな役割について指摘があるわけであります。 きょうの所信表明の中にも、「安全でかつ楽しい学校給食が受けられるよう、衛生管理の徹底と施設整備の充実などに万全を期す」ということでありますが、学校栄養士の質をもっと高める、高めていかなければいかぬという指摘がこの答申の中に含まれておるわけであります。 つまり、担任教諭の行う教科指導や給食指導に専門的な立場から協力をしていかなければいかぬ、あるいは児童生徒への集団、個別指導、いわゆる食の問題に悩みを持っていないか、過食とか、あるいは全然食事をしないとか、そういう子供たちの悩みを受けとめていかなければいかぬ、あるいは保護者への食の面からのアドバイスをする、あるいは家庭への情報を出していく、こういう学校栄養士の質の向上が必要だ、さらに、資質の向上方策としては、新たな免許制度の導入も含めて研究する必要がある、こういう指摘があるわけであります。 私は、この学校栄養職員というものが具体的に、新しい免許制度といいますか、学校栄養教諭的な存在としてもっと教育の現場で活躍できる場をこれからつくっていかなければいけない、食の重要性をもっと強く認識すべきだ、こう思うのであります。 ただ、こういう提言が一方ではありながら、教育課程審議会の中間まとめの中には、残念ながら、具体的に健康教育であるとかそういうことはきちっとうたってないのですね。それで、学校給食の重要性とかそういうものをもっと教育課程審議会の中でうたっていって、そして、この保体審の答申との連携を持たせながらこの問題に取り組んでいく必要があるのではないかというふうに私は思うのでありますが、これについてどのように文部省は取り組もうとされるか、ちょっと伺いたいと思います。
○町村国務大臣 栄養とか食事と子供の健康、大人もそうでしょうが、特に精神面の健康との関係、貴重な御指摘をいただきました。 私も、学校給食で、みんなが嫌いだと言った粉ミルクを大変おいしく思って飲んでいた一人でございますから、だから健全だと申し上げるつもりもございませんが、そのおかげで何とか今日に来ているわけであると私は思っております。 今委員御指摘の保健体育審議会答申、昨年九月に出されたわけでありますが、それを受けて、平成十年度の予算の中でも幾つかの工夫、努力をしておりますし、さらに昨年十一月、教育課程審議会の中間まとめ、また、それを今、いろいろな皆さん方の御意見を入れながら、よりよいものにするという作業をしている最中でございます。 委員御指摘の、保体審答申中の栄養職員のあり方、もっときちんとした位置づけをとの御提言、例えば保健の分野とか家庭科といった教科の中、あるいは今度新しく設けたいなと思っております総合学習の時間、あるいは、まさに給食の時間というのは必ずあるわけでありますから、そういう時間の中での活用、また、その重要性がもっと的確に記述されるように教育課程審議会の方にもお願いをしていきたい。そういう答申が出されるということを私どもは強く期待をしているところでございます。 いずれにしても、サイン、コサインとかいうのは忘れてしまっても、食の、栄養のバランスということは死ぬまでずうっと続くわけでありますから、ある意味では、数学よりも何よりも、食事とか栄養の知識というのはしっかりと終生身につけなければならない、はるかに人間として生きる力をもたらす基本ではないだろうかとさえ私は思っておりまして、委員の御指摘も受けながら、しっかりとした最終答申を出していただけるように教育課程審議会にもお願いをしてまいりたいと思っております。
○河村(建)委員 大臣がそういう認識でお取り組みいただくということで、ぜひお願いしたいと思います。 特に、二十一世紀を担う児童生徒の教育、計画的に健康教育ということを取り入れていただく必要がある。学習指導要領等々の中にも明言をして、これを進めていただくように特にお願いをしておきたいと思います。 あと、司書教諭の問題あるいは情報教育の問題等も予定をいたしておりましたが、時間が参りましたので終わりたいと思います。ありがとうございました。
○高橋委員長 次に、野田聖子君。
○野田(聖)委員 おはようございます。自由民主党の野田聖子でございます。 早速ですが、先ほど大臣の所信をいただきましたので、それについて質問をさせていただきたいと思います。 ただいまは、私の先輩河村委員から、大所高所にわたって広く教育についての御質疑がございましたので、私は、所信の中でおっしゃられたことに対して少し具体的にお尋ねをしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 まず初めに、私も、大臣が所信で御指摘されているように、今日この日本で最も重点を置いて取り組まなければならない課題の筆頭というのは、子供たちに対する心の教育の充実でございます。 また、その子供たちの教育を充実させるには、大臣が所信の中でおっしゃっておりますのは、「学校と家庭、社会がそれぞれの力を結集した心の教育の充実に向け、取り組みの一層の強化を図ってまいりたい」ということをおっしゃっているわけですが、最近、先ほども河村委員の御質問の中にもございました、子供を取り巻くいろいろな悲しい事件が報道されるたびに私たちの耳に届いてくるのは、学校の教育、学校現場に問題があるのじゃないか、教員の質に問題があるのじゃないか、そしてまた、家庭環境に問題があるのじゃないかということはしばしば耳にするわけですが、大臣が御指摘されている社会については余り耳にすることがないように思われてなりません。 まず初めの質問は、この社会というのは、大臣、具体的にはどのような範囲、何を想定しておられるのか、お答え願いたいと思います。
○町村国務大臣 学校、家庭、社会と言う場合に、社会というのは、それを取り巻くすべてと言ってもいいかもしれません。 例えば、学校のある周辺の地域社会、それは商店街であったり町内会であったり、あるいはそこに根差したいろいろな青少年団体であったりするかもしれません。そういうものも教育を支える一つの大きな機関として私は大きいのだろうなと。 例えば、聖子ちゃんのお隣のおじさんは昔であれば必ず声をかけたのに、最近は、よその子供に声をかけると、うちの子に余計なことを言うなと言わんばかりの、そういう連帯感の薄らぎというのも一つの大きな問題なんじゃないのか。 あるいは、企業というものもやはり一つの大きな環境の中に今や入ってきているんだろう、こう思っております。企業と教育の結びつき、企業と例えばお父さん、ややもすると教育の面で父親不在ということが盛んに言われますが、そうしたこともやはり影響してくるのでしょう。 あるいはメディア、なかんずく、非常に大きな影響力があるのがマスメディアだろうと思います。昨今、いろいろ有害情報といったようなことなどが言われておりますが、そうしたことなどもやはり社会の中として当然考えられるべきであろうし、その辺は、やはり教育に対する大きな影響力を持つものとして私どもは重視をしていきたい、こう考えております。
○野田(聖)委員 実は、次にお尋ねしょうと思っていたことがマスメディアの影響力ですが、先に大臣からお答えいただきましたので、重複するかもしれませんが、再度お尋ねします。 実は私、自分の子供の時代のことを思い出したときに、「ひょっこりひょうたん島」という番組がありまして、その主題歌というのは三十年ぐらいたった今でもちゃんと歌えることができるんです。ところが、じゃ、その時代に私の母が教えてくれた歌は何かなと思い出そうとするんですけれども、母が小さいころ教えてくれた歌というのがなかなか思い出せない。ひょっとしたら私の母は私に歌を教えてくれなかったのかもしれないけれども、今でも子供のころに覚えた歌というのはテレビの主題歌がほとんどであります。それだけ私個人にとってもテレビというのは大層な影響力を与えてくれているんだなということを感じているわけです。 実は私は、少し前まで郵政政務次官という仕事をさせていただきました。郵政省というと、一般の人のイメージからすると、郵便局の仕事、郵便とか郵便貯金とか簡易保険というイメージが大変大きいんですけれども、実は、郵政省が最近大変力を入れている仕事に放送の多チャンネル化というのがございます。 地上波、NHKを初めとする地上放送がありますけれども、最近ではBS、CSといった衛星放送が始まり、さらには、将来に向けてはデジタル化放送で、どんどん国民にとってはいわゆるテレビメディアの選択の幅が異常にふえてくる。聞くところによると三百チャンネル、四百チャンネルの時代は近いんじゃないかということで議論がされているところなんです。 そこにおいては随分以前から、テレビメディアの影響は大きいよねという話が出ていましたが、文部省では、この所信を書き上げていただくまでにはどのような、また、大臣個人の見解で結構ですけれども、文部大臣としては、このマスメディア、特にテレビメディアについての影響力について個人的にお考えになったことはございますでしょうか。
○町村国務大臣 私個人のことについて言うならば、私が小学校の終わりごろだったと思いますが、テレビというのが出回り始めました。お隣のお金持ちの家に私は毎晩のように行ってテレビを見て、力道山の空手チョップにあこがれたこともございます。しかし、野田先生の世代だとまたさらに一段とテレビのきっと影響力が多い、また、今の子供たちはもっとテレビの影響を受ける、そういう世代になっているんだろうな、こう思っております。 メディアの影響、いい影響もあるだろうし、悪い影響もあるだろうし、子供たちにとってはさまざまな影響があるだろう。メディアを通じて世界のいろいろな情報に触れることができる、世界で今起きていること、あるいは世界の歴史的な文化遺産とかああいうのを見るのは、子供たちにとってやはりとても大きないい影響を与えてくれているんだろうと思います。 もちろん光と影がありますから一影の部分ももちろんあるんだろうな、その影の部分をどうしたらいいんだろうかということを、私も実は文部大臣になる前から大変気になっていたところでございます。大臣就任後、自見郵政大臣とも機会あるごとにそんな話もいたしておりまして、よくVチップの話などもしておりました。 今私どもの方では、一つは省内に、先般、有害情報対策に関する事務的な検討会をつくりまして、幅広く、これはマスメディアのみならず、例えばインターネットでの影響とか、あるいは雑誌とか、あるいはビデオとか、こうしたものを幅広くとらえて、子供たちに対する有害情報対策のあり方といったようなものにできるだけ早く答えを出そうということで検討に着手いたしました。もちろん、全部文部省内で自己完結的にできるものではないと思いますので、関係する省庁にもお願いをしたり相談をしていこう、こう思っております。 また、別途、中央教育審議会の方でも、各種メディアがもたらす有害情報から子供たちを守るためにどうしたらいいだろうかということを既にずっと御検討をいただいておりまして、三月末ごろに中間報告を取りまとめますが、その中でも一定の指摘をしていただけるのではないんだろうか、こんなふうな話を聞いているところであります。
○野田(聖)委員 大臣個人のテレビに対する思い出とか、今私が申し上げたような私個人のテレビに対する思い出を通じて、テレビの影響というのはふだん想像している以上に大きいものがあるということを感じています。三つ子の魂百までという言葉がありますが、最近は三つ子のテレビは百までというぐらい、テレビというのはその影響力を私たちが知らないうちに潜在的にかなり残してしまうのではないかということを感じるんですが、これはあくまでも私たちの主観でございます。 実は、このマスメディア、とりわけテレビの影響力は最強であるという認識を得ることができるさまざまなデータがございます。 例えば、総務庁の青少年対策本部の行りた「情報化社会と青少年に関する調査」を見ますと、今、日本の家庭のテレビの自宅所有率というのは一〇〇%でございます。そして、年齢が上がるにつれてその専用率というのが高くなります。 ちなみに、日本PTA全国協議会の調査によりますと、現在家庭内のテレビ台数というのは平均二・七台、そして、子供専用テレビのある家庭というのが三割以上あると言われています。 そして、その総務庁の調査では、実際のテレビを見る時間というのは平均二、三時間と言われておりまして、ほかのメディアの接触時間、さっき大臣が御指摘になりました例えば新聞購読というのは、テレビが二、三時間に対して新聞は平均十分から十五分と言われています。そして、その調査の中には、青少年にとってなくてはならないと思うほどに大切なものとして認識されているメディアは、圧倒的にテレビということになっていることが報告されているんです。 あわせて、社団法人日本PTA全国協議会というのが平成九年十月に発表いたしました「子供の社会環境についてのアンケート調査結果報告」というのがございまして、保護者に対してのアンケートなんですが、ここでは、「子供の教育のための社会環境についての意見としては、「TVやマスコミが悪影響を及ぼしている」に同意する比率が八八%」、おおむね九割の親がそういう指摘をしておりまして、特に、「子供の教育のための社会環境で困っていることとしては、「テレビの影響」「マスコミの影響」「雑誌・マンガの影響」といったマスコミに対する不満が多く挙がっている。」一方で、「子どもの教育のための社会環境に対する意見」としても、「TV、マスコミの影響が大きいから良質な物を作ってほしい」という声が大きいわけであります。 実は、政務次官の折に、放送行政という分野の中での青少年保護の勉強会を私的につくっておりました。そこでPTA全国協議会の代表者の方たちに、教育とテレビメディアとのいろいろな、因果関係とまではいかないんですけれども、親はどういう思いをしているかということで実はいろいろな資料をいただいているんですが、平成九年三月には、同じこのPTA全国協議会の方が、全国PTA対象で「家庭教育におけるテレビメディアの実態と保護者の意識調査」という大変立派なアンケート調査をつくられているんです。 これはもうごらんになっているはずですけれども、非常に興味深かったのは、子供と保護者と両方にアンケートをとっていて、子供が見たい番組は親が見せたくない、親が見せたい番組は子供はいまいち見たくない、そんなようなことがあります。これは誤解をされているんですけれども、このアンケート調査は必ずしも悪い番組をバッシングしょうという目的ではなく、いい番組も日本の民放、NHKはつくってくれているんだよ、そういう実態も出ているわけで、非常にバランスのとれた意識調査なんです。 ところがこれを、PTAの人がせっかくこれだけのものを労力をかけてつくったわけですから、全国の保護者、親や子供たちに知ってもらいたいといって公表しようとすると、どうも今のメディアはこの意識調査に対して冷たい、厳しい、記事として取り上げてくれない。または、悪い番組に対してのバッシングだというようなとらえ方をして、いや、実はいい番組も日本はいっぱいあるんだ、それについてもどんどん伸ばしてもらいたいという親の意見もあるにもかかわらず、どうもきちんとした報道をしてもらえなかった。日本の国において、報道されなければ多くの国民が知ることができないわけでありますね。 それについて、私は、郵政省においてその御不満というかお嘆きを聞いたときに、それでは文部 省はこれに対してどのように対応してさしあげたのか、フォローができたのかということについては今回初めてお尋ねすることになるわけですが、先ほど大臣が、有害情報に関する検討会というのを立ち上げられて初会合を開いた。または、自見郵政大臣とも個人的にお話を進められているということでございますが、既に発表されているこういうPTAの資料に対してのこれまでの文部省の取り組みについて、お答えをいただきたいと思います。
○長谷川(正)政府委員 今先生御指摘の調査、これは、PTAが昨年度行ったものとして「家庭教育におけるテレビメディアの実態と保護者の意識調査」というのがございます。それからさらに、これは去年の十月に発表したものとして「子供の社会環境についてのアンケート調査結果報告」というのがございます。先生が御引用なさった、ほぼ九割の親たちが、テレビやマスコミから子供たちが大きな影響を受けている、こういうことを心配しているというのは去年の発表されたデータであり、また、るる先生の御引用なさった、いい番組あるいはおもしろくない番組、そういうようなことをかなり詳細に調べた調査はおととしやった調査でございます。 これらの調査に対しましては、私ども、その調査の意義、それから我々の青少年育成の見地からの重要性ということをとらえて、これは助成をしてやっていただいた調査でございます。それで、もちろん、この結果についておまとめいただきまして、私どもの方にお届けいただいております。 それで、事柄は直接的には放送行政にかかわる部分が多いわけですけれども、このことについては、政府全体で、各省庁の局長クラスで構成されておる青少年対策推進会議という組織がございまして、その中に、私どもの青少年教育課長とか、あるいは郵政省の電気通信局の業務課長とか、そういう方々が参加されておる組織がございます。そういう中でこういうものをお示ししながら考えていこう、こういうことにはなっておったわけですけれども、必ずしも、今先生が御指摘のように、文部省からこれらの調査を踏まえて積極的な働きかけを郵政省の方にしていったかということになりますと、十分であったとは考えておりません。 それで、先ほど大臣も御紹介いたしました、大臣の指示で設けた今回の検討会の中でこの辺のことは十分詰めまして、文部省の立場からの考え等も郵政省にできる限り反映していく方策等について考えてまいりたい、こんなふうに思っております。
○野田(聖)委員 実は、所信の中で、「家庭教育についての学習機会の充実や相談体制の整備など家庭教育に対する支援を充実してまいります。」と大臣おっしゃいました。つまり家庭の中で、PTAの調査を見れば、大変もうテレビの影響は、親が幾ら努力してもなかなか行き届かないんだよということ、ある意味で悲鳴がこの中に込められているわけで、今まで不十分であったとおっしゃるのであれば、早急にやはりそういう関係、郵政省に放送法のもとでお任せするのではなく、やはり子供をはぐくむというコンテンツを考えながら、文部省が主体的にリーダーシップをとっていただきたいことをお願いします。 そこで、目を海外に転じますと、日本というのは、私は日ごろ感じているんですが、子供のことに関して非常にプライベートなものに限定してしまっているのではないか。つまり、子供は家庭できちんと育てるべきだとか、子供は学校に行っている間は学校がきちんと教育するべきだという、非常に限定的な気がしてならないのですが、ほかの国の子供に対する取り組みというのを、これも調査というか自分なりに調べてみたんですが、非常に日本とはかけ離れたところがあるわけでございます。 例えば放送一つをとりましても、先進国では、青少年保護という観点から、いわゆる法律のもとの縛り、規制、これは余り日本ではよろしくないという声も多々あるわけですけれども、そういうことに積極的に先進国はもう取り組んでいる。 一番極端な例を申し上げますと、私たちがややもするとお手本にしがちなアメリカの取り組みなんですが、アメリカというのは、とにかく他国に先駆けまして、一九六〇年代、つまり私が生まれたころから、もう既にテレビ番組に含まれる暴力シーンに関する調査とか研究が開始されているのです。そして、一九七〇年前後して、テレビの暴力番組が子供に与える影響を公衆衛生の問題としてとらえる必要性が連邦議会、いわゆる国会で指摘されるようになっています。そして、関連の調査や研究を急速に発展させた結果、七〇年代の末までには三千件を超える報告書が作成されておられるそうです。 そういう背景がありまして、アメリカでは、一九九〇年に子供テレビ法という法律を成立させ、九五年には、クリントン大統領の強力なリーダーシップのもとに、一部規則の変更を加えて今日に至っています。この法律では、番組の編成について具体的に、子供のニーズに沿った教育情報的番組を目指したものであることを明確に、その必要性を要求しています。また、親が子供番組の質を判断し、チャンネルを選択できるようにするため、放送事業者に番組ガイドその他で番組の情報を提供する義務等を負わせています。 つまり、このAという番組は暴力シーンがあるとか、Bという番組は非常にラブシーンがあるとか、そういうのをテレビガイドみたいなところで親が事前にわかるようにして、親の方で、つまり、つけてどういうシーンが起こるかということではなく、こういうシーンが事前にありますよということを事業者に自主的にやってもらって、そこで親が家の中で自分の子供をしつけるときに判断材料にするという義務を負わせているわけですね。 これは賛否両論あると思います。行き過ぎだという声もあると思いますけれども、先ほど町村文部大臣がおっしゃったVチップというのはそのいわゆる最終な形であって、今アメリカでつくられるテレビというのはもうVチップというものを義務づけています、内蔵として。つまり、親がこの番組は見せたくない、見せたいというのを親自身がコントロールできるようなテレビをもう既に九六年二月の電気通信法が成立して義務づけている。 そして、放送事業者には番組のランクづけを求めています。これも放送事業者にすると非常に不満もあると思うけれども、新聞の調査では、まだアメリカ人の世論の八割がテレビの中で子供の教育番組の三時間義務化を支持しているという、今アメリカではそういう状態にあると言われています。 私は、必ずしもこのアメリカのVチップに至るまでのやり方が日本になじむかどうかの議論をしたいわけではありませんが、私が申し上げたいのは、総理が、さきの河村委員の御発言にあったとおり、国を挙げてやはり子供たちをしっかり育てていこう、また文部大臣も、いろいろと事件が続いているわけですけれども、非常に今、国民全体が文部行政とか文部省の役割の大きさ、そしてこれは本当にもう必要不可欠であるということを認識している中で、今までこういう議論、クリントンさんがテレビに対してVチップを導入するとか、そんなような議論というのは、日本の国会においては郵政省が担当している逓信委員会でしかほとんど議論されてこなかったのではないか。 私は、文教委員会は実は初質問なので、今までの経緯はよくわかりませんけれども、文教委員会で非常にこういうことが議論になったということはここ最近では耳にしたこともございません。さらには、最近では、テレビ番組ポケモンが子供たちにショックを与えたという話があった際にも、この問題に対しての検討した場所は郵政省の担当である逓信委員会のみであったということです。 つまり、子供ということを考えたときに、そろそろもう少し枠を広げて、各省庁とのリンクをつけていく中で、文部省自体もっともっと本当に、クリントンさんまでやれとは言いませんけれども、子供を持っている家庭とか子供を預かっている学校とか教育施設が向上すれば子供がよくなるといったような今までの考え方から大きく脱皮しなければ、本来の教育改革というのはできないのじゃないかなと思っているところですが、いかがでしょうか。
○町村国務大臣 委員の、郵政政務次官からの検討の結果、今、大変有意義なお話を聞かせていただいて感謝をいたします。 私も、予算委員会のさなか、自見郵政大臣がちょうど隣に座っておられましたので、アメリカの番組表のレーティングといいましょうか、その実物を見せてもらいました。数段階、六段階だか七段階に分かれていたと思いますが、性的なシーンとか暴力シーンが多いとかいうことをかなり詳細に表示してございました。なるほど、これを見ながら親が判断できるんだなということもよくわかりましたし、もちろん、それは政府がやるのではなくて、民間の自主的な取り組みとしてやっておられるということのようでございます。 なかなかこの問題、御承知のように、表現の自由とか報道の自由とかいろいろな憲法上の議論も絡むので、私ども容易にできるものとも思っておりませんが、しかし、ただ手をこまねいていてもいけない問題だろうという問題意識、危機意識を持っております。そのようなことから、基本的には、やはりまず各放送関係者の自主的な対応にまちたいというりが基本であろうかとは思います。ただ、それでは百年河清を待つに等しいという議論も別途あります。そんなこともあるので、先ほど申し上げましたような具体的な検討に文部省も入ったわけでございます。 なお、映像につきましては、特にCSの方は衛星デジタル多チャンネル放送でペアレンタルロック機能というのがあって、要するに、親の判断で問題のある映像をブロックできるというものはもう既に導入をされ始めたようでございます。 ただ、地上放送等においてどうするかというと、やはりこれはVチップ制度とかそういうことも考えなければならない。郵政省の方でも新年度から新たな検討の委員会もつくられるやにも聞いておりますので、私どもも文部省と力を合わせて、いずれにしても、委員御指摘のような青少年の健全育成という観点から、できる限りの取り組みをしていかなければいけない、そういう思いで一生懸命やってまいります。
○野田(聖)委員 大臣の力強い御答弁、ありがとうございます。 日本が抱えている悩みというのは、アメリカでどうしてここまで強引に、ややもするとアメリカでも表現の自由を侵しているような状況にあることがなし得たかというと、アメリカには官があり民があり、そしてその中間にNPOという非常に世論を左右できる大きな強大な組織が熟成されて、そこが主体的にこういうような問題を取り扱い、働きかけているわけであります。 残念ながら、日本には今現在は、ボランティア団体とかさまざまなNPOはありますけれども、アメリカのNPOに比べては全く比べ物にならない小さな脆弱なものばかりで、相も変わらず日本の社会というのは、官か民がやっていかなきゃならないという非常に苦しい状況にあるわけです。つまり、官が民に口を出せば国家権力の介入だと。それで、民の自主的なものに任せなきゃならないと。そうすると、なかなか民の方も、いろいろと商売が絡んできまずから、やはり視聴率の高いもの、スポンサーがつくものということに走りがちになる。 本来は、そこの中に第三者機関、本当の意味の中立公正の第三者機関があって、NPOがあって、そこが中心となってこういうことはやっていかなければならないのですが、今後、NPO法が日本でも成立することになり、もっともっと手直しを加え、要するに、そういう直接介入でない形で、親の代表または一般視聴者の代表というものが本当にそのNPOを育てて大きくしていく中で、放送事業者に誤解がないように、いい社会づくりに邁進していかなきゃいけないのだけれども、残念ながら今現在は官か民しかないという状況なんですね。 私が文部大臣にお願いしたいのは、指導しろということではないけれども、もっともっと放送事業者との会話を持っていただきたいし、何かしてぐれということではなくて、どういう状況なのかということも、もっと文部省は郵政省に負けないぐらいかかわりを持っていただきたいということをぜひともお願い申し上げるわけであります。 それにつきまして、最近の放送で私が特に感銘を受けているのが長野のパラリンピックでございます。 これは先ほども、マスメディア、テレビメディアにはいいものと悪いもの、ひなた、陰があるということで、まさにこれはひなたというか、子供たちを初めとする多くの日本国民に勇気とかそういうものを与えてくれているパラリンピックをテレビで見られるということは、大変ありがたいと思っています。 この所信の中には、当然文部省はスポーツの振興に力を入れているわけですけれども、町村文部大臣がさっきおっしゃったスポーツの振興の部分では、パラリンピックについては一言も触れておられません。パラリンピックというのは町村大臣にとっては一体何なのでしょうか。
○町村国務大臣 先ほど河村委員からは、官僚的な作文であるというおしかりもいただきました。できるだけ幅広くいろいろなことを一言ずつということになると、どうしてもそうならざるを得ない面もありますが、じゃ、なぜパラリンピックに触れていないのかと、そうやっていくと、実はどんどん際限なく限られた時間で多くのことを触れなきゃならないわけです。 いずれにいたしましても、パラリンピックは大変すばらしい盛り上がりを今見せておりますし、国民に感動も与えてくれておりますし、私も、家に帰って夜テレビを見るのが大変に楽しみでございます。身体障害者、障害のある方々のすばらしいスポーツにかける情熱、努力というものをうかがい知ることができるので、こうしたものを、ある意味では大変子供たちへのいい影響、あるいは障害を持っていても、例えば家に閉じこもってしまうような方々に対する大きな励みになるという意味で、やはり広い意味の教育的効果も非常にあるんだろうな、こう僕は思っております。 したがいまして、文部省も、もちろんこのパラリンピックに関して全く我関せずという態度をとっていたわけではございませんで、いろいろな形でお手伝いをさせていただいております。 ただ、今までの扱いといいましょうか、今までの政府における取り組みは、どうしてもこれは障害者福祉という観点で厚生省が中心になっておりました。それはそれで一つの切り口なんだろうと思いますが、現にスポーツ番組であのパラリンピックの活躍ぶりが報道されるということからしても、単なる、単なるといいましょうか、福祉という切り口以上にと言った方がいいかもしれませんが、むしろスポーツという観点で取り組んだ方がいいのかな、そんな印象を日々強く持っているところであります。
○野田(聖)委員 実は、私が非常に残念に思いましたのは、パラリンピックという言葉が所信に入っていなかった。それは根拠があるわけなんですね。 というのは、これまでの文教委員会で、例えば平成九年二月十九日の文教委員会で、当時の小杉大臣が池坊委員の質問に対しまして、福祉ということに限定せずに、やはり文部省としてもスポーツということで協力、支援をしていこうとか、厚生省とも相談して努力していきたいということを池坊委員にお約束されています。 町村大臣も、平成九年十一月十九日の文教委員会で、同様の障害者スポーツに関しての三沢委員の質問に対して、その方向で文部省も最大限の努力をしてまいりたい、あわせて、障害者も健常者も一緒だという考えをこれに関しては持っているということをおっしゃっているんですね。 だからこそ私は、これは文部省の人が作文をされたかどうかわかりませんが、大臣が続けておっしゃってお約束されたことを、わずか数行だと思うんですね、所信に書けなかったというのは非常に残念だなと思っているわけであります。 厚生省の方に、パラリンピックというのは何だということで改めて問い合わせました。そうしたら確かに、かつては、最初のころは障害者のリハビリテーションの一環として始まっているんです。でも、現在ではそれがもうハイレベルになって、その目的も、「スポーツの基本である身体的、道徳的な資質の発展を促すとともに、世界にパラリンピックの精神を広め、国際親善を図る」、まさに長野オリンピックと同等の高い志で、パラリンピックというのはスポーツとして厚生省は取り組んでいる。 さらに、両大臣がお約束した最大限の努力というのが正直、形になって見えてこない。厚生省の方にどういうふうな推進体制になっているのと聞くと、厚生省がどんとありまして、その上に関係省庁と。関係省庁というとたくさんあるわけですよね。だから、文部大臣がお約束したことが、残念ながら厚生省が持ってきた推進体制の中には取り込まれていないし、だから、正直言うと、きちんとお約束が果たせなかったのじゃないかという残念な思いがあるわけでございます。 実は、確かにパラリンピックは現在厚生省の所管です。そして、いろいろと選手団のお世話をしてくれている日本身体障害者スポーツ協会というのも厚生省のお友達というか、ということで、そうやって言い切ってしまうと縦割り行政になるわけですね。 今の厚生大臣は、前の国会におきましても、所管外の郵政三事業につきまして大変御自身の持論を展開されまして一行政改革の形づくりに大きな影響力を私は与えたのではないかと感心しているところであります。つまり、文部大臣だからといって、厚生省がやっているから遠慮するとかちょっと見ているとか、もうそういう時代ではないのだ。既に厚生大臣みずからがそのお姿をお示ししておられるわけでございます。 文部大臣としまして、このパラリンピック、今回の所信には述べられなかったけれども、大臣はお約束してくださっているわけですが、それに対して今後どういうふうに取り組んでいただけるか教えていただきたいと思います。
○町村国務大臣 私、別に厚生省と所管争いをするつもりもございませんし、パラリンピックそのものが、あるいは障害者のスポーツの振興そのものがスムーズにいくようにという観点から、主管がどこであれ、協力できるものは最大限協力するという姿勢でいることはぜひ御理解をいただきたい。 例えば文部省が、まあ余り所管所管という言葉はよくないのかもしれませんが、スキーとかスケートとかいろいろなスポーツ競技団体というものがございますが、それらの人たちの協力なくしてあのパラリンピックは成り立っていないはずであります。あるいはコースの設計、よりいいコースをつくったりなんというときには、例えば自衛隊の皆さん方が一生懸命あのコース整備を徹夜でやって、そしてあのすばらしい感動が生まれてくるということでしょうから、いろいろな意味で当然いろいろな省庁が協力をして、成功に持っていくということはいいのだろうと思っております。 ちなみに、今お触れになりました財団法人日本身体障害者スポーツ協会、私どもの、関係スポーツの全体を取りまとめているJOC、日本オリンピック委員会にどうぞ加盟なさいませんかというお誘いもしているのでありますが、今のところなかなか御返事をいただいていないという実態もあるわけでございますが、余り縦割り的な壁をという意識ではなくて、先般の保健体育審議会の答申の中でも、障害者の多様なスポーツニーズに対応できるように文部省もこれからしっかり対応していきましょうということが答申の中に触れられておりますので、今後ともそういう姿勢でしっかりとやっていきたいな、こう思っております。
○野田(聖)委員 ありがとうございました。 私は別に大臣をいじめるつもりはございません。ただ、確かに各省庁というのは、それぞれの与えられたセクションで与えられた仕事をすることで精いっぱいだと思うのです。スポーツに関しても、生涯スポーツとかアスリートの育成とか、文部省の中でも幾つか細かく分かれて、それぞれの担当が、ピンポイント的にそこの分野に対して精通していかなければならないという、役所というのはそういうジレンマを抱えていると思うのです。 むしろ大臣のその柔軟なお考え、そして、各大臣とのコミュニケーションを通じて、役所間でできなかったさまざまな連携を図っていただけるのがまさに大臣のリーダーシップではないかと、特に町村大臣には期待を申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。 〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
○河村(建)委員長代理 次に、渡辺博道君。
○渡辺(博)委員 おはようございます。自由民主党の渡辺博道でございます。 大臣の百四十二回常会における文部大臣所信を見させていただきました。私は、本当に網羅的にあって、大変私が意識しているところはきちんと書いてあるということで喜んでいるところでございます。 この質問に入る前に、私ごとでありますけれども、実は、私は法務省所管の保護司をしております。保護司というのは、犯罪を行った少年や、または、刑が終わって出所なされた方々の更正のためにそういった職務をやるものでございますけれども、最近の事例の中に、少年が犯罪を起こして、保護司の方に預かるケースがやはり大変多くなりました。そんな関係で、私は常日ごろから少年犯罪に関して関心を持っておりました。 そんな中で、ことしになって少年犯罪のスクラップをとったところ、これ、もう既に二冊目ということでございまして、関連の事件を含めてでありますけれども、大変多くなったなというのが実感でございます。 先般の、栃木県黒磯の女性教師刺殺事件、この事件から発信した重大なメッセージが、本当に少年や家庭、そして学校に伝わっていたのだろうか、そういった疑問があります。あの事件の後も、少年がナイフを振るう事件が続発しております。人の死という重大な結果を重大に受けとめている人が少ないのではないかというふうに思います。 そしてまた、今度は、埼玉県東松山市の中学校で、一年生同士のいさかいからまた学校で一人の生徒が死亡しました。その少年の手には、またナイフが握られていました。女性教師の犠牲の教訓が全く生かされておりません。 先生が生徒に刺されるという大変ショッキングな事件、町村文部大臣もその事件を受けて、早速テレビ等において再犯防止のメッセージを送られました。家庭で、学校で、本当にどのようなことを話し合ったのかな、そのように思うわけであります。 そして昨日、また事件が多発しております。名古屋、そして沖縄、京都でこういった事件が起きた。緊急アピールをしたその日でありますけれども、こういった現実があります。本当に大臣は真剣になって、子供たちに、命のとうとさや人の命がなくなった場合の残された人の気持ち、こういったものをしっかりと受けとめてもらいたい、こういった意味を込めての緊急アピールを昨日なさいました。大臣は、「ナイフを学校に持ち込むな 命の重さを知ってほしい」そういった気持ちを込めてのメッセージでありました。 こういった訴えを実効あらしめるためには、やはり私は、まずは、学校に危険なものを持ち込まない、そのためには、第一歩は所持品検査をまずしっかりとやることではないかというふうに思います。所持品検査をもってすべてが解決するわけではありません。でも、まずは所持品検査をしっかりやることによって、学校は安全な場所だということを社会の皆さんに示さなければいけないというふうに思います。 我々政治家はもとより、国民はこういった事実をしっかりと真剣に受けとめていかなければならないというふうに思うわけであります。 こういった事件を背景に、いろいろなことが考えられると思いますが、先ほど河村先輩の方からもお話がありました戦後教育のあり方の問題、そして野田先生の方からもお話がありました、社会の問題として考えていかなければならない、こういったものをトータルで考えていくことが当然必要だというふうに思います。 それで、私自身の問題意識でありますが、やはりこれから二十一世紀の日本を背負う子供たちをどのような子供たちにしていくのか、これはまさに教育にあるわけでございます。その教育の原点は、戦後の中の一番の出発点であります教育基本法にあるのではないかというふうに思うわけでありまして、その教育基本法をもとにしまして学校教育法その他もろもろの法律ができているわけであります。 その中で私は感じるわけでありますが、教育基本法の条文であります。第一条「教育の目的」でありますが、 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家 及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、 個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、 自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育 成を期して行われなければならない。まさにこの目的はだれも否定することはできないと思います。まさにそのとおりだというふうに思うわけでありますが、何か私は、この目的には血が通っていないのではないかというふうに思うわけであります。 私たちがよって立つところはやはり地域でありまして、地域が成り立って、そして国ができております。したがって、地域の問題を抜きにして考えられないし、そしてまた、その地域を形成しているのは社会そして家族であります。家族の問題もやはり抜きにして考えられないのではないかというふうに思うわけであります。 そういった私自身の考え方に基づきまして順次質問に入らせていただくわけでありますけれども、先ほど河村先生の方からのお話もありましたこの事件の背景に、もう一度お伺いしたいわけでありますが、私は、戦後教育の問題点として、偏差値教育、これにどっぷり浸ってきた教育に問題が一つあるのではないかというふうに思うわけであります。 こういった戦後教育の問題点について大臣の所感を、問題はすべてそれにありたとは思わないというふうに思いますけれども、やはりこういう点に問題があったのではないかということがありましたら、ひとつ御所見をいただきたいと思います。
○町村国務大臣 これを論じ始めますと、ちょっと十分、二十分、三十分、長くなってしまいますので、できるだけポイントだけにさせていただきますが、いろいろな見方、考え方があろうと思います。 先ほどちょっと申し上げましたように、戦後教育のすばらしくよかった点ということも冒頭申し上げなければなりませんが、委員の方から、その問題点がどういうところだったのだろうかという御指摘がございましたので、むしろそちらに絞ってお話をさせていただきます。 一つは、今教育基本法のお話にも触れられましたけれども、基本法そのものはやはりある意味ではニュートラルであり、そして御指摘のように、否定すべき何物もないと私も思っております。ただ、そういうものが出てくる社会的な背景、歴史的な背景というものを見たときに、やはり戦前の反省というものが、この法律の中にもあるいは法律の精神にも、あるいは社会全体にも当然あったのだろうなと僕は思います。 どういうことかというと、例えば、戦前は個人の権利というものが非常にある意味ではミニマイズされていた、社会全体の責任とかそういうことが非常に強調されてきた、全体主義的な国家であったという見方もあるわけであります。 ところが戦後、むしろそれではだめだ、個人の権利を最大限に主張すべきであるということで、日本国憲法も非常に数多くの個人の権利というものを大きく取り上げております。もちろん、国民として守るべき納税の義務とか勤労の義務等々、教育の義務も書かれておりますが、権利の項の方が圧倒的に多いですよね。そうしたことがやはり日本の社会全体に、そして教育の中にも大きな影響を与えてきている、私はこういう気がいたします。 しかし、憲法にはちゃんと書いてあるのです。権利には当然、公共の福祉のためにとか、あるいは義務とか責任が伴うのだということが、ちょっと正確な表現ではありませんが、そういう趣旨のことがしつかり述べられているのですが、どうしても個人の権利ということが非常に強調される。そのことが、ある意味では戦後教育のいい面ももたらしたけれども、逆に、今日ここに至ってマイナスの点もそこからまた原因となっているところもあるのじゃないだろうか。 例えば、私は、この間テレビを見ておりましたらば、生徒が、今御指摘になった所持品検査について、それは子供の、我々のというか、子供から見ると我々のプライバシーを侵す権利侵害だということをすぱっと言いました。しかし、その子供は自分たちに責任とか義務があるということは全く、これっぱかりも多分頭の中にないような雰囲気をその言葉の中に私は感じました。いや、それは彼なりに考えていたのかもしれませんが、少なくとも言葉では出てきませんでした。 やはり権利には必ず義務とか責任が伴うという民主主義の基本が、どうもいささか戦前の反動とでもいいましょうか、そちらの方に少しく振れ過ぎているのかなという感じがいたしまして、学校の現場も、ややもすると権利権利ということで責任とか義務ということを軽んじてきた、そういうことがもしかしたらば今のさまざまな事件の一つの背景になっているのかなという気もいたします。 もちろん、学校教育の中で、今委員が言われました例えば偏差値の問題というのもございます。もっとも偏差値というのは、私が小学校とか中学校に通っているころにはなくて、多分、ちょっと正確ではありませんが、昭和五十年前後から、先生の主観的な判断よりは偏差値という客観的な物差しで見た方が、先生の個人的な好きだ嫌いだとかそういうものを排除してむしろいいのだということで、偏差値というものも、当初出てきたときにはとてもいい物差しができたねと言われて評価されていたのですね。 ところが、それがまたずっと行き過ぎて、何か偏差値ですべて輪切りにしてしまうという弊害が出てくるということですから、なかなかこれは、ある一面はよかったのだけれども、また一面の弊害もあるという意味で、一概に、だから偏差値教育がいいと言うつもりもありませんが、それがすべて悪だと言い切ることもまたできない側面もあったということはあるのだろう、私はこう思っております。 いずれにいたしましても、子供の能力とか適性ということに十分今の学校教育が対応できていなかったという面もありましょうし、他人への思いやりとか自己責任、先ほど申し上げました自己責任ということの自覚が足りないとか、いろいろな要素があって今日の問題を引き起こしているのだろうなという気がいたしておりました。 いずれにいたしましても、学校教育の中では、言い古された言葉ですが、やはり知育、徳育、体育とバランスのとれた教育、そういう人間を目指してしっかり学校教育を進めていくということが基本であろう。その基本の上に立って今、中央教育審議会とか教育課程審議会等々で教育内容の話とか教育体制の話とかいろいろな議論が進められている。そのことをこれから一つ一つ実行に移していくことがすなわち教育改革であろう、こう思っております。
○渡辺(博)委員 ありがとうございます。 今、私自身が問題意識の中で、たまたま保護司という立場で少年とのかかわりがあったということで、少年法の問題も一つの関心事であるわけでありますが、本来、少年法の論議は法務委員会でされるべき内容かというふうに存じ上げますが、こういった一連の少年事件を見ていく上で、町村文部大臣、管轄外でありますが、現行の少年法そのものに対して、何か改正すべきであるか、またはこのままでいいのだろうか、または改正するのであればどの点を改正したらいいのだろうかという、もし御所見がありましたらお知らせいただきたいと思うのですが。
○町村国務大臣 少年法の問題は、余り大臣として、少し踏み込んだことを言うといささかおしかりを受けるかもしれませんが、少年法のあり方そのものについては、若干個人的な意見ということでお聞きをいただければと思いますけれども。 やはり事実認定手続、例えば裁判官が一人しかいないとか、あるいは通常の裁判であれば弁護士がいて、検事がいてということですが、この検事の方がいないとか、これだけ複雑ないろいろな事件が起きているときに、果たしてそれでいいのだろうかなという率直な疑問も持ちます。あるいは適用年齢の引き下げ問題というのが議論になり、先般の予算委員会等でも、法務大臣から検討の余地あり、すなわち引き下げる可能性について法制審等で議論をしていきたいという問題指摘があり、私も個人的には、確かにそういう面もあるなという思いがいたしております。 ただ、その中で、実は、少年審判に関する情報公開の問題というのがありました。月刊誌で、検事調書でしたかしら、それがかなり詳細に載っていたという事件について、私、たまさかちょっとそのことを問われた記者会見で、あの神戸の事件を起こした少年が、言うならば、自分の犯した犯罪をカムフラージュするために、学校に対する復讐であるというような手紙をたしか何か現場に残しているということで、それがあったものですから、もう学校は何をやっているんだということで、非常に学校に対する批判の矢があのとき激しく向けられたわけであります。 しかし、あの検事調書がもし本当に正しいものとするならば、あれは単なるカムフラージュで、捜査陣を撹乱するためのあれで、学校に対する恨みつらみも何もないというような表現がありまして-私が申し上げたいことは、どの範囲までを情報公開したらということを一律に事前に決めることは、ケースによってさまざまだろうと思いますからなかなか難しいと思うのでありますが、何かあると、これは教育委員会のせいだ、学校のせいだ、担任の先生のせいだと言って、少年が起こす事件は全部そっちの方に持っていかれてしまうというのもいささか求め過ぎといいましょうか、それは、学校と全く関係がないとは言えないかもしれないけれども、何か起きると全部学校の先生のせいになり、校長先生や何かがマスコミに向かって再三再四頭を下げなければ何となく事件が一件落着したという感じが出てこないみたいなのはおかしいのであって、私は、一定程度の、やはり必要最小限の情報はそれなりに提供されてしかるべきではないだろうか。 現に、神戸の家裁の判決の後、家裁の方からかなり詳細な、異例と言われましたけれども、コメントだったか、私ちょっと正確なことは忘れましたが、こういう概要でしたよということが出されましたけれども、私は、できる限り、こういう少年の事件であっても、そうしたような揣摩憶測でいろいろな原因追及が行われたり特定の人が非難されたりということがないようにするためにも、その被害者の方々のプライバシーはもちろん守りながらも、一定程度の情報提供はやはりあっていいんじゃないのかなというふうに個人的にこれは考えているところでございます。
○渡辺(博)委員 ありがとうございます。 その点では私も同じように考えておりますので、少年法改正については私も積極的に少し考えていきたいというふうに思っております。 それでは、所信の中のことに移らせていただきますが、大臣は、一番目に掲げてございます心の教育の充実、この部分がやはりこれからの教育の中で一番大事であるということの認識だというふうに思っております。 この中に書いてございますが、 私は、子供たちが、生命を尊重する心や他者 への思いやり、倫理観、正義感、美しいものや 自然に感動する心など、豊かな心を持ったたく ましい人間として成長してくれることを何より も強く願っております。この願いはやはり実現していかなければならないわけであります。ただ、この言葉の中には、私としては具体的なイメージが出てこないんです。 したがって、大臣が心の教育について具体的なイメージとして頭の中に描いているもの、こういったものを教えていただきたいわけですが、特に、幼児期においてその必要性を感じ、必要だということでうたっております。 その場合に、幼児期においてはどのような環境が幼児にとって望ましいのか、また、だれがどのように子供を養育するのが望ましいのか、こういった視点も踏まえまして、ひとつ心の教育というもののイメージをちょっと語っていただきたいのですが。
○町村国務大臣 前にもこの委員会で申し上げたかもしれませんが、率直に言うと、果たして人間の心というのは教育の対象なんだろうかという若干の疑念もありながら、しかし、それをまた無視して今教育が全く行えないということも事実だろうと思いますので、そういう意味で大変難しいのでありますが、心の教育というタイトルといいましょうか、そういうくくりで今いろいろな御説明をしておりますし、そういう形での文部省の諮問も昨年の八月にさせていただいたわけでございます。 実際に、じゃ、どういう実現する方法があるかというのがお尋ねだろうと思います。 一つは、今、中央教育審議会の方で、家庭と地域社会と学校がそれぞれどういうことを心がけてやってもらったらいいかなということを近々、三月末までに中間報告を出してもらいますが、その中で、それぞれに対する提言という、普通、答申というのは文部大臣に対する答えなのですが、そうじゃなくて、社会に対する提言という形でこの答申をおまとめいただけるというふうに聞いております。 その中で、特に、今までややもすると、家庭の問題というのは最もある意味ではプライベートな部分でもありますし、余り政治とか行政があれこれ言うべき対象ではないということで、今までその重要性は一言言われていたけれども、余り具体的なことは触れてこなかったと思いますが、やはりそうではもうほっておけないという思いを大変強くしております。 そんなこともあるものですから、家庭のあり方というようなことで幾つかの御提言をいただく。例えば、大変ささいなことかもしれませんけれども、やはり悪いことは悪いとしっかり家庭で言ってもらおうとか、あるいは家庭の中でそれぞれ小さくてもいいからルールをつくって、朝、新聞をとりに行くのは太郎ちゃんの仕事だよ、あるいは雨戸をあけたりするのは次郎ちゃんの仕事だよとか、小さくてもいいからそういう家事の役割というのをしっかり子供に与えていこうとか、朝起きたらおはようございますと言うことをみんなで励行しようとか、そんなことを審議会が言うのと言われるかもしれませんが、私は、やはりそういうことをもう一度それぞれの御家庭で例えば問題提起をして、受けとめていただいたらありがたいのじゃないか。 もちろん、同じように、それぞれの地域社会なり、また幼稚園あるいは学校のあり方というようなことも提言をしていきたいな、こう思っております。 そのほかにも、心の教育の中身としては、やはり学校の中でできるだけ、頭でっかちの子供にならないように、詰め込みにならないように、週五日制ということを念頭に置きながら、教育内容 を、今までも絞る絞ると言いつつなかなか絞り切れてこなかったので、学校内容、教育内容を厳選する、精選するというようなことで、ゆとりを持ってもらいたいということ。 あるいは、やはり何といっても大切なのは生徒と先生ですから、先生の教育力、指導力をどう高めていくのかというようなことで、この国会にも教員免許法の改正案を出させていただきますけれども、心の優しい、指導力のある先生を、子供たちが本当に何でも打ち明けられる、相談できるようなそういう先生を育てていく、こうしたことなどが心の教育の中身かな。 あわせて、ボランティア活動とか企業実習とか、そういうことをやってもちゃんと単位にしますよ、これはもう平成十年度から実施可能になってございますが、そうしたことも含めて幅広く心の教育の内容を充実し、実現をしていきたいものだ、こう思っております。
○渡辺(博)委員 なかなか一言で言うのは難しいというふうに思いますが、やはり心の教育の中の一番の源は、人間が人格として形成していく第一歩であります幼児教育にあるのではないかというふうに思うわけであります。 その教育機関として、現在は幼稚園と保育所があります。子供を預かり教育をするという点では、ある面では共通項でまとめることができるのではないかということで、地方分権推進委員会から、幼稚園と保育所の連携強化をそれぞれ図る必要があるのではないかという提言をいただいているわけであります。 これに対して、現在、文部省や厚生省はどのような取り組みをしているのかお伺いしたいわけでありますが、昨日もう既に、新聞によりますと、保育所と幼稚園の一体化を促進ということで、文部、厚生省が通知を出したということであります。この具体的な内容についてもちょっと触れていただきたいと思います。
○辻村政府委員 先生ただいま御指摘のとおり、保育所と幼稚園、制度としてはそれぞれ教育機関、社会福祉機関ということで違うわけでございますけれども、機能の面ではかなり似通ったところがある。特に、小さな町、村等に希いてはわざわざ二つ設ける必要があるのかどうかというような観点から、保育所と幼稚園との運営あるいは施設のあり方についてのいわゆる共用化というものをもっと進めるべきではないかという勧告があったわけでございます。 昨年の四月、厚生省と私ども文部省とで共同の検討会議の場を設けまして、具体的にどのようにこれを進めていくかということで検討を行ってまいりましたが、先般その結論を得ましたので、それを受けまして、三月十日付で厚生省の局長と文部省の初中局長連名で、都道府県知事あるいは都道府県教育委員会等あてに通知を発したところでございます。 その具体的な中身を御紹介させていただきますと、「幼稚園と保育所の施設の共用化等に関する指針について」というふうに銘打ちまして、その目的として、 多様なニーズに的確に対応できるよう、幼稚 園と保育所の施設・運営の共用化、職員の兼務 などについて地域の実情に応じて弾力的な運用 を図り、幼児教育環境の質的な向上を推進し、 共用化された施設について保育の内容等運営が 工夫され、有効利用が図られることを目的とす る。という目的を明確にいたしまして、具体の内容を幾つか明示してございます。 その第一点は、幼稚園、保育所相互に支障のない限り施設設備を共有するということ。 それから、共用化された施設につきましては、設置基準にかかわってまいりますものですから、幼稚園設置基準あるいは児童福祉施設最低基準というもの、それぞれは幼児数をもとに算定するわけでございますけれども、実情に即して、共用部分等については弾力的な運用をするということ。 それから、職員数につきましては、共用化するということによって職員の確保が悪化するということではいけませんので、職員の数につきましては、それぞれの基準を適用して算定するということを明確にいたしておりますけれども、その運用につきましては、研修あるいは運営管理等については、できる限り共用化の趣旨を生かしていくような点で推進を図っていくということ。 それから、言うまでもないことでございますけれども、園具とか教具、用具等につきましては、相互に共用化を推進していく、こういった内容の指針を発したところでございます。 なお、まだ共用化という点では第一歩というふうに私ども思っておりまして、今後、幼稚園、保育所の子育て支援のあり方、あるいは教育内容や保育内容のあり方、あるいは教師、保母の養成、研修のあり方といった点についても、さらに私ども、厚生省と連携をとりながら、あくまで保護者あるいは幼児の立場に立ちまして、さらにそのあり方あるいは共用化に向けての推進を図ってまいりたい、こんなふうに考えております。
○渡辺(博)委員 きょうは厚生省の方はお見えでございますか。基本的には同じことだというふうに思いますが、厚生省の口からもお聞かせいただきたいです。
○小林説明員 保育所と幼稚園につきましては、それぞれ児童福祉施設、学校教育施設としてその機能を十分に発揮できますように、その整備充実を図ってきたところでございます。 また、委員御指摘のように、両施設につきまして、幼児教育におきましての重要な役割を果たすということは、御指摘のとおりでございます。 保育所の基本的な保育の方針を定めております保育指針につきましても、幼稚園の教育要領と整合性を図るということで、その設定あるいはその見直しを図るということでこれまで努めさせてきております。 今お話ございましたように、昨日付で、地方分権推進委員会や教育改革プログラムで御指摘をいただきました、当面、両施設の共用化についての指針の取りまとめをさせていただいたところでございます。 また、今後、厚生省といたしましても、文部省さんと十分に連携をとりながら、教育あるいは保育の内容のあり方、あるいは教師、保母の養成、研修等のあり方などにつきまして、引き続き検討を進めていきたいというふうに思っております。
○渡辺(博)委員 まさにこれからという感じがするわけでありますけれども、実際に保育と幼稚園の教育の中身というのは、基本的には、先生が研修を同じように受けるということになれば、本質論的に言うならば、内容的にもほとんど変わりがなくなっていくというふうに思います。 将来そういった方向づけがなされるというふうに思うわけでありますけれども、実際に今担当する課としては、両方で担当するということでございますか、幼保一元化の問題についてですけれども。
○辻村政府委員 それぞれ所管といたしましては、教育委員会の部局が幼稚園につきましては所管いたします。それから首長部局が保育所を所管いたすわけでございますけれども、その間の連携を図る、さらには職員が兼務をするという形でその一体的な運営を行っていく、こういうふうになろうと思います。 ただ、あくまで幼稚園、保育所それぞれは別の機関でございますので、それが全く同一ということにはならないわけでございまして、運用面で工夫をしていくということになろうかと思います。
○渡辺(博)委員 この問題についてはまだまだいろいろと将来の問題点があるわけですけれども、ちょっと海外の例を調べましたので申し上げたいと思います。 就学前教育についての例でありますけれども、アメリカの場合は、就学前教育については義務づけている州は少ない。ただ、各学区に就学前教育の機会の提供を義務づけている州は半分以上あるというふうに書いてあります。そしてまた、就学前教育のための機関としては、幼稚園と保育学校が設置されております。 このうち、幼稚園はほとんどが公立てあって無償であります。多くの場合、公立の初等学校に付設されておりまして、通常は五歳児を対象とした一年間の教育を行っております。これに対しまして、保育学校は大半が私立てありまして、対象となる児童は教育目的により公費補助を受け、無償の場合もあります。保育学校には主として幼稚園就園以前の三歳から四歳児が在籍しておるという内容であります。 そしてまた、イギリスの例でありますけれども、イギリスでは、地方教育当局は就学前教育の提供を義務づけてはいません。実際には、すべての地方教育当局において無償の就学前教育が提供されております。公立の就学前教育機関には、二歳から五歳未満児を対象とする保育学校、主として三歳から四歳児に就学前教育を提供する初等学校付設の保育学校、及び初等学校入学直前の児童を受け入れるレセプションクラスがあるということでございます。 このほかにも、社会経済的に恵まれない家庭のゼロから四歳児の保育を行う公営の機関であります保育所、これはディナーサリーと言っておりますが、があります。そしてまた、さらには主として保護者によって運営されているプレーグループ、それから三歳から四歳児を一日二時間以上有料で保育する託児院の制度があるというふうに述べられております。 それぞれの海外についての紹介をする時間がありませんのでこの辺で終わりにしておきますが、このように、海外においては幼児教育は大変積極的に進められております。 この少子社会の中で子供がいかに大事かというのは、もう皆さん認識しているわけです。したがって、この幼児教育のあり方をやはりもう少し抜本的に考えていかなければならない、そういう時期に来ているのではないかというふうに思うわけであります。 我が国においても、今回国会に上程されますけれども、中高一貫教育によって中等教育学校という新しい学校種ができるということであります。こういった制度ができることによって新たないろいろな知恵がまた出てくるというふうに思うわけでありますが、それと同時に、少子社会に対して、どうやって我々は具体的に対応していくか、こういった問題もしっかり考えていかなければならないというふうに思うわけであります。 そうした中で、基本的には、現行の保育所と幼稚園が施設を共用するというだけの問題ではなく、もっと一歩進めて、保育学校、これは仮称でありますけれども、就学前教育は保育学校で行うんだ、こういった新しい制度も考えていく必要があるんじゃないかというふうに思うわけであります。こういったものを前提にこれからの少子社会をどうやって脱却していくか、こういったことを考えていかなければならないというふうに思うわけであります。 当然のことながら、今お母さん方がなぜ子供を産まないかという問題がありますが、いろいろな原因があると思います。その中の一つには、やはり子育てに対する不安といったものもあるのではないかというふうに思うわけであります。さらには、教育費が高過ぎるといった問題もあるんじゃないか。いろいろな原因があろうかと思いますが、その一つ一つを着実に解決していかない限り、少子社会というものはどんどんどんどん進んでしまうというふうに思うわけであります。 したがいまして、ぜひとも幼保一元化という、単なる言葉だけでなく、それぞれの所管が異なったまま行うのではなく、新しい展開としての保育学校なるものをひとつ検討してみたらどうかということを提案させていただきたいと思いますが、この点について大臣の御所見をお伺いいたします。 〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
○町村国務大臣 今委員御指摘のような、少子化というものにいかに対応をしていくのかという観点、あるいは、先ほど来から御議論がありますような、健全な子供たちの育成に当たって、小さいときからどのように健全な子供たちの心をはぐくんでいくかといった観点から、幼稚園教育あるいは保育所における子供たちへの接し方、あるいはその前段階からのあり方、大変重要な問題だと私も考えております。 確かに、幼稚園は教育で、こちらは福祉という大きな壁が今あるわけですね。その壁は限りなく低くしていったらいいし、将来的にはむしろ取っ払ったらいい、こう私も考えております。一挙にそこまで行かないものですから、とりあえず施設という面に着目して共用化ということを言っておりますが、そういう意味では、これはあくまでもまず第一歩である、こう御理解をいただければありがたいと思っております。 しかも、御承知のように、厚生省の児童福祉法が昨年改正になりまして、この四月一日から、今までは措置ということで、あなたのお子さん、幼児はここの保育所に行きなさいという措置命令がかけられるということになっておりましたが、今度は親が選択をするという仕組みに変わりました。これは大変大きな変化でありまして、ある意味では幼稚園に近づいたとも言えるわけです。 もう一つは、その中で、子育てに関する情報提供とか相談活動、ただ単に預かるというだけではなくて、しっかりとそういう相談事業もやりますよという意味では、これまた幼稚園との共通面ができたという意味で、私は、児童福祉法の改正というのは非常に大きな意義を持っているものだ、こう思っております。 その法律が四月一日から施行されるわけですから、そうした様子も見ながら、いろいろな面でまだ差があります。違いがあります。だれがどう負担をするかといったような問題等々ありますので、そこを少しずつ解消していって、将来的には、要するに責任を持ってお子さんの教育ができるようなそういう仕組みをゼロ歳からやはりやれるというようなことで、今、保育学校という貴重な御提言もいただきましたが、一挙にそこまでなかなか行き着かないかもしれませんが、私は、方向感覚としては、そういう方向感覚でこれから政策を打っていきたい。 しかも、私は若干勉強してびっくりしたのですが、厚生省の施策の中で、例えば母子手帳というのを渡しますね。これはお子さんができた瞬間に保健所からもらうわけでしょうが、これはほとんどすべてのお母さん、お母さん候補者がもらいに来ます。あるいは、一歳半健診とか三歳健診とか、八割、九割のお母さん方が行くのですね。これ以上のいいチャンスはある意味ではないのでありまして、保育所に預けないでいるお母さんたちだっているわけですから、そういうチャンスをむしろ教育の機会だととらえて、文部省、厚生省が一緒になって、そこで若いお父さん、お母さんへのいい意味の教育の場として、これも使わせていただくというようなこと。 どうも母子手帳という言葉が私は余りよくないんじゃないかと思っておりまして、むしろ親子手帳という名前にして、お父さんも子育てに一緒にかかわるんだという姿勢でやっていかないと、どうも子育てはお母さんの仕事と、もちろんお母さんにしかできない仕事が、おっぱいをあげたりとかそういうことは確かにあるので、それはお父さんがやろうといったってできないわけですが、しかし子供を産む瞬間は別として、後はやはり一緒に育てていく。あるいは、安産に持っていくために、持っていくと言うと変ですが、安産をするために、やはりお父さんも精神的な安らぎを妊婦に与えていく、お母さんに与えていく、そういう共同作業で大切な子供を育てていく、そういう姿勢に立つ。 基本的な発想に立つならば、一挙に幼保一元化というような先生の御意見でございますが、なかなか難しい点もありますが、私は、そういう政策の方向性を持ってこれから文部省も取り組んでいきたいし、多分厚生省もそういう方向で取り組んでいっていただけるものと確信をいたしております。
○渡辺(博)委員 大臣が懇切丁寧に御説明をいた だいたので、予定時間をもう終わってしまいましたが、一言だけ御提言をさせていただきたいのです。 実は、私学教育の助成に関してですが、この問題について、教育バウチャー制というもののこれからの導入についてお考えがあるかどうかを、ひとつ今後の問題として考えていただきたいと思います。 時間が来ましたので終わりにします。ありがとうございました。
○高橋委員長 次に、藤村修君。
○藤村委員 民友連の藤村修でございます。民友連・民政党を代表いたしまして、町村文部大臣の所信に対する幾つかの質問をさせていただきたいと存じます。 まず、冒頭に、やはり一連の少年のナイフによる殺傷事件に関してちょっと幾つか触れておかざるを得ないかと存じます。 先ほどの渡辺委員からもございまして、まず、この問題が出てきたときに、何か所持品検査云々ということがどうも前面に出過ぎていて、それがどうかという話にどうもすりかわっている部分がちょっとあるような、例えば新聞の、これはむしろメディアのとらえ方の問題であろうかと思いますが、新聞の一面トップで「所持品検査、国が容認」などという大見出しが躍ることで、やや問題の本質とは違う部分で議論が進んでいる、そんな気がいたします。 私は、やはり教育という分野から考えれば、所持品検査がいい、悪いという話じゃなしに、ナイフを学校へ持ち込むのは当然悪いわけでありますから、悪いことは悪いとはっきり言うべきであります。ただこの問題、所持品検査が云々という話だけでこれはどうも先走っている。所持品検査について文部省が容認するとか容認しないとか、そんな話ではどうもないような気がいたします。 この記事によりますと、町村文部大臣は、いわゆる所持品検査を「積極的にどんどんやれというつもりはないが、必要と判断した時、検査を行うことに及び腰であるべきではない」、至極当然のことをおっしゃっているわけで、私は、何か所持品検査をすべきであるみたいな議論がここで出てきてはいけないと思います。 あるいは、教育という立場からいうと、学校にナイフあるいは銃器、銃刀を持ち込まないことを検査するようなことをしなければならないことは教育の敗北に近い。これは学校の校長先生にお任せしていただいているわけですし、決して教育は、そういうことを積極的に何も認めてやれやれという話ではないと思います。 たしかこれはきょうの朝の報道、テロップで、NHKが調査した東京都内の中学校の校長さんに、所持品検査をどうしますかというふうなアンケートをとったところ、いや、今もちろん容認されているのでしてもいいわけだけれども、当面は考えていないというのがたしか八〇%強、これは朝の報道でございましたが出ておりまして、それは当然校長さんが良識を持って判断されると。空港に入るときに荷物検査でレントゲンか何か撮って入るという、学校というのはそういうところではないということは基本として考え、とらえておかなければならないと思います。 ただし、アメリカの学校においてはそういうものもあるということで、日本が決してアメリカのそういう後追いをしないように今からこれは十分に考えていくべきだ、そんなふうに思っておりますが、何かございましたら、一言。
○町村国務大臣 刃物事件、ナイフの事件というと、何か所持品検査とイコールみたいに取り上げられるのは、私自身も正直言って本意ではございません。 ちなみに、二月六日に都道府県と指定都市の教育委員会の生徒指導を担当する方々にお集まりをいただきまして、私そのときお話をしたわけでございますけれども、そこで私が冒頭申し上げたのは、大きく言って二つのことであります。 一つは、今の大切さというものをもう一度学校でしっかり教えてくださいということが一点と、もう一点は、ナイフや何かを携帯するというのは法令で規制されて違反なのだから、そういうことは絶対に許されませんよという二点をまず確認をしていただきたいと。 その上に立って、家庭でも学校でもということなのですが、例えば学校についていうならば、先生御指摘のように、もともと学校というのは安全な場所であるからこそ落ちついて勉強したり遊んだりスポーツをすることができるので、その安全性という学校の成り立ちの基盤が一部の生徒によって揺るがされかねないということになるならば、やはりそれはきちんとした対応をしなければならないのは、学校という場からいってもう当然ではないのかなということなのであります。 その際に、それぞれの校長先生が必要であると判断したときは、状況に応じて適切な方法で、所持品検査をやることも含めて、毅然たる措置を講じる必要があろうという触れ方をしたわけであります。ですから、どんどんおやりなさいなんて、それほど私も乱暴なことを言っているつもりもありません。 ただ、今までの学校という現場が、ややもすると、さっきちょっと私が申し上げましたが、子供の権利を侵害するからそういうことは一切やってはいけないのだという形で、いささか世の常識とはかけ離れた、そういう権利至上主義とでもいいましょうか、当然刃物を持ってはいけないという責任なり義務なりを一切無視して、とにかくそういう所持品検査をやることは子供のプライバシーの侵害だという形で、いささか偏った雰囲気が学校の中に流れ過ぎているので、そこは世の常識と少し違うのじゃありませんかということを私はごく常識的に申し上げたならば、一挙に話がそっちへ飛んでしまったのかなという印象は持っております。
○藤村委員 お考え、私、同意いたします。 それで、何も所持品検査は国あるいは文部省がいけないと言ったこと、多分まずないと思うのですよ。私は小学校六年生の子供がございますけれども、いわゆる所持品検査という言い方ではなしに、何か持ち物チェックとかいって、ハンカチとかちり紙とか、つめはちゃんと切っているかとか、つまりしつけの問題であります。これは当然学校教育の中で十分に考えるべきであって、プライバシーの侵害とか個人の権利、そういう観点からこれを議論するべきでない、そのように考えております。 それで、これは町村文部大臣もひょっとしてビデオでも見られたか、最近の話で「教育トゥデイ」という番組、NHKの教育テレビなんですが、三月一日の午後の再放送とか、その前の二月二十八日の夜とか、教育テレビなのでややマイナーかもしれませんが、「何が子どもをキレさせるのか」今の一番新しいテーマをとらえて、それも学校現場の先生方からいろいろ取材をしたり、あるいはスタジオに何人かの先生も集まっていわば生の声をお届けするような、そんな番組でございました。 私は、その番組の制作者、ディレクターの人と大分話をして、幾つかの問題点というか、何が問題なのかというときに、一つ、今学校の先生、つまり大人の側の思い、考え方と、それから子供の側の感覚に非常に大きなずれがあったり、あるいは四十代中盤以降、五十代ぐらいの小学校の先生あたりでは、どうも今の子供たちの考えに年々ついていけなくなるというか、わからなくなるというよりは、もう日々わからなくなっている、子供の進化みたいなものを感じていらっしゃって、授業が成り立たないなどの訴えが相当たくさんあった。 黒磯の事件について、これはNHKが先生方百二十人を対象にアンケート調査したら、そういうことがあっても不思議ではない、特別な出来事ではないと八割の先生が答えている。つまり、そういう意味では今学校現場の中には非常に大きな変化が生じていると考えます。 これは日教組も昨年調査をされて、子供の変化に悩む教職員、心が読めない、授業が成り立たない、先生方のこんな調査も出てきているわけでございます。私は、これは学校の変化、あるいはそれは子供の変化なんでしょうが、理由は幾つか考えられるにしても、一度文部省としても、これはマスコミが幾つかやっていたり日教組がやっていたりしますが、この際に、割に幅広く学校の先生の生の声を聞くようなそういう調査、アンケート、あるいはインタビューも含めて、一遍先生の声を聞いてみないかという提案をしたいと思いますが、いかがでございましょうか。
○辻村政府委員 ただいま先生の御指摘の、各学校の先生方がどのような課題意識を持ち、あるいはどのようなことに悩み、不安を持っているかということについて、私ども行政に携わる者が十分に把握するということは大変重要なことだと思います。 私どもも、全国の先生方と出会う場といたしまして、研修会とか講習会とか、あるいはさまざまなそれ以外の会議があるわけでございますが、そういう会議のときに、一方的に私どもの考えでいることを伝えるということだけではなく、あるいは研修をただやるということだけではなくて、いろいろな時間、場所をとらえて先生方とフリーに議論をする、あるいは意見の交換をするということについては、私どもなりに努めてきているところでございます。 アンケート調査あるいは統計調査ということになりますと、なかなか技術的に難しい点もあるわけでございますので、私ども検討させていただきたいと思いますが、例えば、教育課程審議会の中間まとめを発表いたしました。このまとめを全国の学校に配ったわけでございます。 そのときに、これらの意見を含めて、現在の状況等について意見をお寄せくださいという形で自由に記述していただくようなそういう努力はしているところでございますが、今の先生の御提言につきましては、さらに検討させていただきたいと思います。
○藤村委員 検討するということで、それは前向きであるというふうに受けとめておきます。 つまり、今マスコミなどもあるいは日教組なども、割に素早くいろいろ調査をする。しかし、やはりかちっとした調査をもってして物を言わないと、さっきの、黒磯の事件は特別なことではない、起こっても不思議ではないというのが八割なんて聞くと、本当かな、どうもちょっと耳を疑うようなこともございますので、やはり文部省としてそういう対応をするにしても、しっかりした調査というものはひとつ前向きに検討していただきたいと存じます。 次に、私は、昨日文部大臣が緊急アピールを出されたことを評価いたします。やはりこういうときに、日本の教育の最高の責任者である文部大臣が、本会議では校長さんと言われましたが、日本学校の校長さんが生徒さんや先生に直接物を言う、これは重要なことだと思うので評価をいたしますが、このアピールというものは一体どういうふうに皆さんに伝わっていくのだろうか。 例えば、平成八年一月には、あのときはいじめで自殺をするということが幾つか続いた後に、奥田幹生当時の文部大臣がやはり緊急アピールを発表した。「かけがえのない子どもの命を守るために」、非常にいいことをたくさんおっしゃっているわけですが、この委員の中でそれを聞いた方がいらっしゃるかどうか。つまり、これは伝え方の問題が重要だと思います。 先ほど、野田委員の方から、テレビというのは非常に影響力が大きい、悪い面でも。しかし、いい面でも非常に大きいわけでありますから、文部大臣、発言する機会をテレビで何とか、テレビ会社に言って、言わせろと言ってできないものですか。あるいは、その他どういうルートでこれは流れていくものですか。
○町村国務大臣 きのうのニュースその他で、各テレビの皆さん、かなりの時間を割いて報道していただいたかな、こう思っておりますし、新聞の方は相当ばらつきがありましたが、一面トップで書いていただいた新聞もあって感謝をいたしております。 基本的には、そういうマスコミの皆さん方の御協力もいただくわけでございますが、それだけではございませんで、早速、各学校現場にも届くように、教育委員会を通じ、あるいは私立の方は首長さんですかな、等々を通じて、全学校現場、全教室に伝わるように、また、これは文部省の広報も活用してやっていきたいと思っております。また、近いうちにPTAの皆さんとも会って、ぜひPTAのネットワークを通じてこれを周知徹底を図っていただきたいし、必要あらば教職員組合の方々とも会ってそのお願いをしようかな、こう思っております。
○藤村委員 従前のやり方がそうであったとしても、これは、先ほど大分議論されたテレビで本当にぜひ-きのうの夜のNHKのニュースで、これを読んでいらっしゃるところが、絵は出たけれども言葉が出なかったとか、残念なんですよ。ですから、むしろ本当にテレビに出ていただいてやっていただいたらいいと思うし、これはきのう出されたものですから、私、文教委員会の記録にも残すためにもぜひこれ一度読んでいただきたいなと思うのですが、よろしゅうございますか。
○町村国務大臣 せっかく委員からのお勧めをいただきましたので、ちょっと時間をいただいて読ませていただきます。 三月十日付の「文部大臣緊急アピール「子どもたちへ」」、「ナイフを学校に持ち込むな 命の重さを知ってほしい」。 私は、いま、全国の子どもたちに訴える。 最近、君たちの仲間によるナイフを使った事 件が続いている。 人を傷つけること、まして命を奪うことは、 絶対に許されない。 命を奪われた人たちは、二度と帰ってはこな い。 亡くなった人や傷ついた人たちのお父さん、 お母さんや家族の悲しみがどんなに深いものな のか、それを知ってほしい。 そこで君たちに訴える。 ナイフを持ち歩くのはもうやめよう。 学校に持ってくるのもやめてほしい。 君たちが明るく前を向いて行動してくれるこ とを、切に願っている。 君たちにもう一度言おう。 悩みや不安は、遠慮なく友達やお父さん、お 母さん、先生など大人たちに相談しよう。 私たちは、君たちの言葉を受け止めたい。これが子供たちへのアピール。 もう一つ、「保護者、学校関係者、そして全ての大人たちへ」という緊急アピールも同趣旨で出されているので、これもちょっと読まさせていただきます。 私は、子どもたちに対し、人を傷つけるこ と、まして命を奪うことは絶対に許されないこ と、ナイフを持ち歩くことをやめることを、強 く訴えた。 そこで、保護者の方々に訴えたい。 自分の子どもの行動に責任を十分持ってほし い。 凶器を持ち歩くような危険な行為をしないよ う、家庭で断固とした指導をしてほしい。 学校関係者にも訴えたい。 命の大切さを繰り返し繰り返し子どもたちに 教えてほしい。また、学校の安全性に対する社 会の信頼が揺らぐことのないよう、学校は全力 を尽くしてほしい。 そして、全ての大人たちへ。 未来に向かって生きていく子どもたちを、皆 で声をかけあって、育てて行こうではないか。以上であります。
○藤村委員 お手数を煩わせましたが、アピールを出したからには、本当に徹底してやはりあちこちで言いまくっていただく、あるいはぜひテレビで、テレビに出てやると本当にこれは影響力が大きいと思いますので、ぜひともテレビに出たときも、これ読ませろと言って読んでいただくというのがいいと思います。 私、その中で、「私たちは、君たちの言葉を受け止めたい。」という子供に向けての最後の言葉、これは、「受け止めたい。」、「私たちは、」というのは、文部省だけでなしに大人社会ということであろうかと思います。社会だと思います。 この取り組みとして、具体的に、ちょうど現在行われておりますが、世田谷区において「子供がかける二十四時間電話」が今試験的に実施されているのです。たしか三月の八日から二十一日までであります。これ、文部省も一部協力はいただいておりまして、この「君たちの言葉を受け止めたい。」という、つまり、子供たちから電話を受ける、いわゆるイギリスで行われておりますチャイルドラインの世田谷版でございまして、この子供の言葉を受けとめるチャンネルを、これは何も公的なものでなくて、民間でも広く広まっていけばいいなということで、私どもは、小杉前文部大臣を議長とするチャイルド・ライン議員連盟というのをつくっておりまして、今進めております。今の世田谷のケースは現在、進行中でございまして一つのモデルでありますが、ぜひとも広がっていくような応援方を願いたい、これは要望でございます。そういうことでお願いをしておきます。 そこで、もう一つだけ、この点について、今回の所信表明の中で、家庭教育についての学習機会の充実や相談体制の整備をしていくんだということであります。それは生涯学習の項目の中であったと思います。 私、文部省は家庭教育にこの際踏み込むのか、それとも、文部省ないし学校教育という分野でできることはこれとこれで、あとは家庭にお願いしますとある意味では投げるのか、これは大きな判断の今しどころだと思うのですね。文部省は家庭教育に踏み込むおつもりかどうか、この基本のところをお伺いしたいと思います。
○町村国務大臣 先ほども前の委員の御質疑の中で若干触れさせていただきましたけれども、確かに、家庭に、特に親御さんに対して何か有効な政策手段があるかというと、それはそうあるわけではございませんし、また、本来、踏み込んでいいかどうかということも議論の余地があるのだろうと私も思っております。 しかし、さはさりながら、今の子供たちの状況を見ていると、これを今までと同じ発想で、そこはもう聖域だから一切さわらないでおこうというわけには私はいかない、こう考えました。そんなこともございまして、今般、中教審の中間報告も、家庭に対すつまずメッセージを発しようということで、いろいろ御議論をいただいて、近々おまとめいただくということでございます。 先ほども、あと厚生省とやはり連携をしてということも申し上げましたけれども、私は、家庭の中で押しつけ的にこうしなさいと言うつもりはもとよりございません。それはそれぞれの受けとめ方、考え方がそれぞれの家庭にあっていいと思います。ただ、こういうことを考えていただけませんかという材料だけはできるだけ提供をするという形で、家庭に、特に子供を持つ親御さんたちに文部省なりのメッセージをこれからいろいろな機会あるごとに伝えていく努力、あるいはそういう場を確保する努力をしていきたい、こう考えております。
○藤村委員 今の時点で、そういうお考えの中で、どうしても役所というのは、縄張り権限と言うと言葉は悪いですが、仕事をどうもふやす方向にふやす方向にきょうまで進んできた。それが、やはりこの行政改革という大きな波の中で、少し役所の仕事を見直したり、場合によってはなくしたり減らしたりということであります。 私は、今、家庭教育に踏み込む中で、今回、予算的には、家庭教育の振興ということで、カウンセラーの活用とか支援する地域づくり推進とか、幾つかっけられて、これはこれで評価しますが、むしろもう一つここで並行して言っておくべきことは、でも、文部省及び全国の学校、教育委員会でやれることはやはりこれだけです、これ以外のことはやはり家庭でやってください、地域のスポーツクラブでやってください、そういうふうに少し整理していただいて、ある意味では、この行革の流れの中で文部省もスリムになる。あれもやらぬと、これもやらぬといかぬという社会の要請はあるものの、しかし、いや、これはできませんということをこり際言うべきだというふうに考えておりますが、何かございましたら。
○町村国務大臣 藤村委員御指摘のことは大変大切なことだと思っておりますし、何でもかんでも文部省が首を突っ込んで、やたらと人と予算をそれによってふやそうと考えているわけではございません。むしろ積極的に、各省との統合を前提にしながら、みずからのスリム化に今いろいろな内部作業をやっている最中でございます。 したがって、この家庭教育について、特に大きな予算とか人員がということをまだ具体的に詰めているわけじゃございませんが、いま少し時間をいただいて、どういうことが本当に文部省としてやれるのか、あるいはこれは厚生省にお願いを、児童相談所にお願いをすることなのかとか、その辺の仕分けを今いろいろ対策とともにやっている最中でございますので、もう少し整理の時間をいただければなと。 いずれにしても、基本は、委員が御指摘りように、行政の肥大化を招かないようにということを踏まえてやることは当然のことだ、こう思っております。
○藤村委員 その方向でお願いをいたします。 次に、問題が変わりまして、今国会で多分提案をされる中高一貫教育ができる学校教育法の一部改正という問題でございます。 中高一貫、いわゆる中等教育学校を設置する、新しい学校種を設けられるわけで、これは、きょうまで戦後のいわば六・三・三・四、特に初等中等で言えば六・三・三制度に対して、新たな学制の変更に近い発想ではないかと思います。それが出てきたからには、その六・三・三に対するいろいろな評価とか批判とか反省とか、そういうものがあるものと思います。 きょうまでの学制、特に初等中等教育における評価と反省についてお聞きしたいと思います。
○町村国務大臣 これも大変広範な問題を含んでおりますので、短い時間で申し上げるのはなかなか難しいところでありますが、私は、今の六・三・三、なぜこれが絶対的にいいかということを、もうこれしかないと強調するつもりはございません。 ただ、強いて申し上げれば、六・三・三の利点といたしましては、一応、中学校で学習しながら、自分が将来どういう道に進んでいくのかという問題意識がだんだん明らかになってきたときに、進むべき高等学校というものがそこで選択をできるということがいいのかなと。自分の関心なり興味なり自分の将来の進路なりに合った高校を選べるというのが一つあろうかと思います。 それからもう一つは、やはり、高等学校に入って新しい人たちとまた新しい交友が始まるということも、またいい点なのかなというふうに思っております。 ただ他方、今回の中高一貫の議論の中でも出てまいりましたけれども、やはり三・三と切られると、高校入試というものもそこに入ってきて、したがって、中学の三年生の部分というのがある意味では受験対策的になってしまうといったような現実的な弊害も確かにある。あるいは、三年・三年でそれぞれ自己完結的なカリキュラムを組むのはなかなか難しいかもしれない。六年というやや長いタイムスパンで安定したカリキュラムを組んでいくことが子供にとっていいのではないだろうかというようなこともあろうかと思いますので、絶対的にどっちがどっちということはなかなか言いづらいのかな、こんな感じを私は持っております。
○藤村委員 私は、旧新進党が存在しましたときに、私自身が筆頭提案者となりまして、昨年の通常国会で、中高一貫教育を進めるための学校教育法の一部改正案を議員立法で出しました。 そういう担当のメンバーの一人でございますので、一つ申し上げますと、私たち、多分、文部省 ないし町村文部大臣とは考え方にそんなに大きな違いはないと思いますが、やはり六・三・三という制度ができたときの社会と今とで、これは高校進学率が非常に違っております。まず、そういう社会的な変化の問題。 それから次に、教育の課程、年齢と教育ということを考えていったときに、十二歳から十六、七歳、最も成長期でありますし、重要な教育の期間に三・三と切れる中学と高校というのは、やはり大きな、方針が違う、先生も違う、学校も違うわけですから、このことに弊害がなかったかどうかを検証した。 それから、やはり高校入試であります。 例えば、具体例で言いますと、先ほど申しました二番目の件では、スポーツ、サッカーなんかよく言われるのですが、中学校のサッカー部から今度高校のサッカー部に入ると、コーチも監督も指導者も違ってきて、非常に断絶があるというんですね。十二歳から十七、八歳の一番大事なときに、これはやはり一貫して教えたい。これはスポーツの面から一つ具体例を申しました。こういうことは全般的に言えると思いまして、我々はこの時期に中高一貫の六年制というものを提案したわけであります。 それで、文部省から出される予定の今回の法案については、いわゆる中学校か高等学校かという今の三・三の制度に加えて六年制の中等教育学校を選択できる、そういう趣旨でありますけれども、選択できるからには、これは相当数つくらないとできません。このことを申し上げているわけでありまして、どのぐらいの数を想定しているか。 それから、もう一つ加えて、そうすると、六年制の方へ行く人については、小学校六年生のときに、選択ですから選択するわけです。じゃ、入学者を定める方法はどうするのか、ここをちょっと教えていただきたいと思います。
○町村国務大臣 私はさっき、必ずしもどっちが絶対的にいいということは言えないと申し上げましたが、だからこそすべてを中高一貫にすべきであるということもまた言えないんだろう。そういう意味で、中高一貫もあるし従来どおりの三・三もあるという、選択的導入という言葉を使っておりますが、選択できるようにしましょう。親や子供にとって選択できるように、三・三もあるし中高一貫の六というのもあるという形でどうなのかな、それがまた選択肢としていいのではないだろうかな、こう思っております。 では、どのくらいの数を中高一貫でつくるのかという御指摘でありますが、今まだ明確にこれだけの数をつくりたいという目標があるわけではございませんし、現実には今宮崎県で、これは全く実験的にではありますが、五ヶ瀬中学校・高等学校というのが中高一貫でやっているのがただ一校あるだけでございます。 今度、法律を通して法律的な位置づけもしっかりいたしますので、各都道府県においても相当真剣にお考えをいただけるものとは思いますが、じゃ、各県幾つがいいのかと私言われて、幾つということを今申し上げるには余りにも時期尚早であって、実際にそれをやってみて、徐々に導入していって、そしてその成果を見ながら、また、その数がふえていくのかとどまるのかということは事後的にわかってくるものなのではないかな、こう思っております。 それから、小学校六年生が中高一貫に入るときの、そこでまた厳しい選抜試験をやったら何の意味もないではないかという御指摘だろうと思いますが、もとより私は、学力検査、テストをやって中高一貫の学校に入れるという考えは持っておりません。そうではなくて、いろいろな形の、推薦でありますとかあるいはまさに面接でありますとか、多様な選び方、現実に五ヶ瀬中学校に行って話を聞きましたところ、やはり基本は子供の関心なんだなと思いました。 最初のきっかけは、先生からどうですかと勧められたり、あるいは学校でそういうパンフレットを置いてあったので関心を持ったとか、あるいは友達同士の話の中から、あそこはおもしろそうだよなんという話がある。やはり子供なりに考えて、行ってみようと現場に行ってみる。山奥の方ですから、行ってみて、これはとてもよさそうだなと。 ちょっと正確な倍率は覚えておりませんが、十倍ですか、これは最初で珍しいことで相当高かったようでありますが、そこでもやはり学力検査という形の試験はやっておりませんで、最終的には、一定程度面接等々でやって最後は抽せんでやるというような形で、いわゆる大学入試のような意味での学力検査を今度中高一貫学校に入るときにやるというのは、それはやはり趣旨からいって違うんだろうな、こう考えます。
○藤村委員 つまり、今回文部省が出す法律というのは、中高一貫教育をも選択できるようにして中等教育の多様化を促進することだ、こういう趣旨であろうかと思います。 しかし、この重みというのも十分に大臣もとらえていただきたいのは、きょうまでは六・三・三で、その意味では選択の余地がなかったわけであります、学制として。ところが、小学校六年生の人たち、その親にとって、今後は、選択を認めるというか、複線になるということですね。 これは、公教育において、特に学制というものにおいては非常に大変化なのであります。だから、単に試験的にやってみようとかいうようなぐあいで軽々しくとらえられては困る。つまり、やるからには、じゃ本当に選択ができるようにしないといけないわけです。私は、単に選択がねらいであっていいのかなと疑問に思うわけです。 つまり、中高一貫教育というもののよさとか意味を認めるならば、やはりもうちょっとそれを普及しないといけないんじゃないか。その発想がそこに加わらないと、何か六年制進学校を各県に幾つかつくってしまうような、こうはならないと思いますが、世間の批判が一部あるようなことになりかねない。やるからには本当に腹をくくって、これは選択ができると。 だから全国各地で、小学校の六年生の人たち、その親が、今度これが導入された、そうすると、ちょっと遠いけれども、あそこは中等教育の六年ですよ、今までどおり学区でいえば、地元の中学校はここですよ、本当にそれができるようにしないといけないと思うのですが、それをやる気があるのか、やるつもりがあるのか、腹がくくってあるのかをお聞きしたいと思います。
○町村国務大臣 それに全部持っていくというところまでは、私はやはりまだ現時点で、正直言って踏み込むべきではないのだろうな、こう思っております。 ただ、全く実験的かといえば、決してそうではありませんで、こうやって法律改正まで検討し、委員の皆様方に法律改正の御審議をいただくという以上、私どもも、それはそれとして、一つのかっちりとした制度でつくっていきたいし、かつ、当分の間、まあいつまであれかわかりませんが、この中高一貫の高等学校の施設整備については、平成十一年度から国の特別の助成措置も講ずることにしよう、これは、ある意味では誘導的、推奨的補助金という形になりますけれども、それを昨年の年末の大蔵大臣との折衝の段階で、その確約をとってまいりました。 そういう意味で私ども、恐る恐る、及び腰でやるというつもりはありません。それは、やる以上はきっちりやる。ただ、あらかじめ、半分以上そうしょうとか、大部分をそうしてしまおうとか、余り決まりを、がっちりとした目標とでもいうのでしょうか、持ってやるのにはちょっとまだ、やはりいかんせん時期尚早なのではないかという意味で、何か及び腰という印象を与えたとすれば、それは大変申しわけございませんが、そういうことではございません。
○藤村委員 これは、法案が出てきて審議するときに、じっくり時間をかけてもう一度やりたいと思います。 私どもは、本当に選択させるようにするならば、選択できるようにしてあげないといけないと いうこと、それならば、この閣法だけでは足りない、のじゃないか、推進法が必要だ、こういう主張をしてまいりたいと存じます。 次に、日本育英会奨学金制度につきまして、今回、日本育英会法の一部改正が出てくることもあって、つらつら考えをめぐらしたところ、この日本育英会奨学金制度が非常に戦後大きな役割を担って、学生が経済的に困難であっても進学できる、そういう助けになってきた、こういうことは評価いたします。 戦後もう五十年を過ぎて、日本育英会の奨学金制度について、一遍ちょっと基本的に見直したらどうか、あるいは考え直したらどうかと考えるのは、一つは、今までは、すぐれた学生及び生徒で、経済的理由により修学に困難がある者に対して奨学金が貸与された、こういうことでありますが、このすぐれたということと、それから、いわば経済的困難なんでしょうが、この部分をぼちぼち外していいんじゃないか。 特に大学奨学金の場合は、大学へ行っているというのは、それなりにすぐれたことがもう既に評価されているわけでありますし、それから、大学へ行くのにいまだに親がかりということ自体が、教育的見地から見ても、本当にいいのでしょうか。大学は、やはりお金をある意味では自分で工面して行って、それが奨学金であったら、将来また後輩のために返していくんだという、これは教育的効果もあるわけで、そういう意味から両方の、つまり、すぐれたというところと経済的理由というのをもう外して、大学あるいは短大等の奨学金については、必要とする者にはみんな貸したらどうだ、こういうふうにできないのかということであります。 その主張を少し裏づけるために、私は、そうしたらどのくらい必要なんだろうという試算をしてみました。私の試算では、奨学金を必要とする大学学部、短大学生というのは百二十七万人程度と見ております。現在、その中で、約三十万人程度は現在の奨学金制度で賄えておりますので、残る九十七万人の、相当大きな数とは思いますが、奨学金の手当てを考えていく。 これを、私は有利子でいいと思います、三%で。そのかわり、借りたい人は全部借りられるということで、残り九十七万人ぐらいの貸与人数の増額分としては、これは約六千二百五億円程度の資金が必要になってきます。財投の使い方が今見直しに入っておりますが、財投資金としてこれを借りて、奨学金として出すにしては、そんな大きな規模ではないはずであります、六千二百億円は。 そして、これは返還がありますから、当然返ってくるわけですから、そうすると、いわばお国の純支出というのは、その金利分であります。財投を借りて、奨学金は三%ぐらい金利を取りますから、今ならそれ以下ですから本当に金利はかからないのですが、過去の例からいうと、もし四・五%平均ぐらいで今後も推移すると考えれば、いわば純支出というのは、年間で九百七十億円程度の利子補給であります。 諸外国では、この奨学金制度というのは非常に充実している。アメリカでいいますと、育英奨学金事業の規模というのは四兆二千億です。日本の育英奨学金事業の規模というのは、年間で二千五百億円。アメリカの四兆幾ら、日本の二千五百億円というのは、アメリカは人口が多いからその半分に考えたっていいのですけれども、十分の一ですよね。 財投の使い方を今後真剣に考える中で、この奨学金に六千億円ぐらいの財投を引っ張り込めないかというのが私の主張でございます。そして最初の、経済的理由とか優秀であるとかということはこの際取っ払って、特に大学、短大等は、もう奨学金は受けたい人がみんな受けられる、こういうふうにしていく方向で考えたいと考えておりますので、文部大臣の所見をお伺い申し上げます。
○町村国務大臣 私も、奨学金、もう少し何とかならないのかなと、率直に言って思うこともしばしばございます。例えば、アメリカのように、どこの大学へ行っても必ず、だれだれさんという名前のついた私的な奨学金もある、あるいは公的な奨学金もあるという姿が望ましいと思っております。 そういう中で、今、委員、大変丹念な御試算をいただいたことを感謝をいたしておりますので、しっかり受けとめさせていただきたいと思っておりますが、たまさか、財投のあり方というのがいろいろな理由で行革の中で議論になっているのは、先生御承知のとおりでございまして、昨年の十一月に資金運用審議会懇談会の取りまとめ、「財政投融資の抜本的改革について」という提言が出されておりますが、その中でも、財投の対象として、有償資金の活用が期待される分野、幾つか挙がっておりますが、この中に、奨学金、教育の分野ということが書かれてございます。 したがいまして、私は、こうした資金運用審議会の提言なども踏まえながら、今後、今の委員のこうした御提言も含めて、十分考えていかなければいけない大変大切な課題である、こんなふうに受けとめているところでございます。
○藤村委員 時間が参りました。以上で終わります。ありがとうございました。
○高橋委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時九分休憩 ――――◇――――― 午後一時三分開議
○高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。安住淳君。
○安住委員 町村大臣、御苦労さまでございます。 私も、午前中から何度か質問がありましたが、近年まれに見る少年の刃物等を使用した凶悪事件の発生の問題を、何点かにわたって質問をさせていただきます。 質問の内容が重複するところはどうぞお許しをいただきたいと思いますが、きょうはその関係で、警察庁それから総務庁にもお忙しいところおいでをいただきまして、ありがとうございました。 実はこの問題を考えるときに、一つには、短期的にどういうふうな処置を講ずるのかということと、それから中長期的に我が国の、私個人としては余りひずみとかゆがみという言葉を簡単に言いたくはないのですが、そうした問題があるやなしかということも考えていかなければいけないと思いますが、まず短期的な視点で考えて、この問題をどういうふうにとらえたらいいのかということを最初に質問をしたいと思います。 実は私、きのう質問の通告をすると同時に、警察庁から資料をいただきました。ここにある資料には、栃木県内における中学生のバタフライナイフ使用教師殺害事件から始まって、ことしの一月二十八日から、大臣、こんなにあるのですよ。 私も実は、前の仕事がそういうマスコミにいたからわかるのですけれども、つまり殺人とか強盗とか、これは凶悪犯なわけですね。まさに凶悪犯なんですよ。確かにいろいろな同情すべき点はあるにしても、同情できない部分というのもかなりあって、これをやはり徹底的に取り締まるということは、これは教育の次元とはちょっと違うのですけれども、私は必要なのではないかなというふうに思っています。 そこで、大臣に質問する前に、大変恐縮なんですけれども、警察庁から、件数それから最近の少年の凶悪犯罪の傾向等について、簡単に御説明を願いたいと思いますので、よろしくどうぞ。
○勝浦説明員 本年に入りまして相次いで発生をしております少年による刃物を使用した事件についてお尋ねでございます。 本年に入りまして一月初めから二月末までの間に、全国の警察から私ども警察庁の方に検挙、補導の報告がありました事件といたしましては、現在三十八の事件を把握いたしております。 その内訳を罪種別に見てみますと、殺人です が、未遂も含めますが、殺人が七事件、強盗が十二事件、傷害が十一事件というふうになっております。 それから、学職別を見てみますと、中学生あるいは中学生が絡んだ事件が十九件、高校生あるいは高校生が絡んだ事件が十一件などとなっております。 少年による刃物を使用した事件は、昨年までの五年間を見てみますと、約六五%の増加を示していたところでございますが、本年に入りましてこのような傾向がさらに進みますとともに、質的にも重大な事件の発生が目立っておりますことから、私どもも極めて深刻な状況と受けとめております。 それから、その特徴と申しますか、実はこのうち、二月半ばまでに報告のありました三十一事件について、少し分析をいたしてみました。 そうしますと、刃物の携帯の動機といたしましては、護身用でありますとか格好いいなどと称する者が約三分の一、それから具体的事件を敢行することを目的に刃物を携帯した者が残りの約三分の二。 それから、刃物を使用した事件を敢行するに至った動機でございますが、ちょっとしたきっかけから携帯をしておった刃物で事件を敢行した者が約三分の一、それから金銭などの欲望を満たすためのものが約半数に上っております。 そして、いずれの事件につきましても、その手段方法と申しますのは、少年自身が人を傷つけるその重大さを認識していない面が見られるということが指摘できょうかと思います。 そういうことで、私ども警察といたしましても、学校との協力関係をさらに緊密化いたしまして、刃物を携帯する行為の犯罪性、危険性の認識を徹底をいたしますとともに、街頭補導活動あるいは販売店に対する指導の強化など、現在緊急対策に取り組んでいるところでございますが、以上申し上げましたような特徴も踏まえながら、今後とも、関係機関との連携を図りながら、少年に係る総合的な対策を強力に推進してまいりたいと考えております。 以上でございます。
○安住委員 大臣、今の事実を聞いて、私はどこの国の子供かと思うぐらいなんですよ。これが現実なんですよね。 それで、今の説明を聞いていてもわかるのですけれども、これは社会的にこんなことを大人がやったって大ニュースなのに、いとも簡単に子供が、つまり自己目的というか、欲望に駆られてぶすっとやるということなんですね。 いろいろなことはあると思いますけれども、大臣の出された緊急アピールを呼んでいて、これは感想なんですが、反対ではないのですけれども、私が一つ思ったのは、「君たちの言葉を受け止めたい。」、全部の中学生にそういうことを最後に言っていらっしゃるのだったらわかるのですけれども、むしろ私は、大臣、こういう凶悪犯に対しては、徹底的に本当に闘っていくといいますか、こういうことは許さないんだぞという、逆に言うと、強い意思が今は必要なんじゃないかと思っております。 中長期的に、どこかにゆがみやひずみがあるかということを、私どもこの文教委員会というのはむしろ実はメーンでやらないといけませんけれども、本当に激増なんというものではないのです。多分これは流行もあるのかもしれません。しかし、こんなものは流行されては困るわけで、そんな簡単なことを、逆に言うと私は、大臣、言わない方がいいのではないかと思ったのですよ。 優しく物わかりがいいというのは、実はそれは子供に対する厳しさがないということも反面あって、私はそのことが少しこの文章から、優しさは、もちろん大臣のお人柄は感じるのですけれども、厳しさがないというのが実は意外と今の問題なのではないかなと思っておりました。 それから、時間がないので言いますけれども、「ナイフを持ち歩くのはもうやめよう。」と書いてありますね。これは私、聞いたら、もちろん使用目的等はありますけれども、もともとナイフを持ってはいけないのですよ、これは銃刀法で。そうでしょう。私は、こんな優しい呼びかけをかける問題ではないような気もするのですね。 これはお話を聞きますけれども、子供との間合いというか距離というものを大人が、文部省がと言ったらちょっと語弊がありますが、つかみかねていて、どこかはれものにさわるような対応の仕方を何となくとられているのかなということを私はちょっと懸念をしていまして、そのことをどうお考えになっていらっしゃるか。私の意見に対する御感想でも結構ですから、お聞かせを願いたいと思います。
○町村国務大臣 今警察の方からの御説明のとおり、私も、大変な事態であるし、表現は悪いかもしれませんが、何か伝染病のように蔓延しているといいましょうか、いささかそういう感じもしているわけであります。 どこかで伝染病は食いとめなければいけない、そんな思いから、今まで教育委員会に対する指導でありますとか、あるいは緊急アピールとか、あるいは実際子供と会って話をしてみたり、あるいは学校の先生方と会って話をしてみたり、いろいろな努力を陣頭指揮でやっているつもりでありますが、率直に言って、なぜなんだろうかというところについて私もわかりかねている部分がかなりございます。 したがいまして、このアピールも、先生のようなお考えから見ると、随分何か歯が浮くような甘ったるい言葉だねというお言葉もあろうかと思います。私は、それに対してあえて反論は申し上げません。そういうトーンで確かにこれは書いたのは事実であります。 ただ、ここで「言葉で受け止めたい。」というのは、要するに、暴力ではなくて言葉で受けとめたいという趣旨を最後にちょっと申し上げたという点だけは御理解をいただきたいと思います。 やはり、大人というか社会というか、あるいは学校の先生もそうですが、厳しさと優しさと両方なければ優しさがわかってこないと思います。ややもすると、かわいそうにかわいそうにと言っていろいろな面のハードルを下げることにいささかきゅうきゅうとし過ぎているのかなという意味で、安住委員の言われたことは私も理解ができます。 ちょっと答弁が長くなって済みませんけれども、例えばオリンピックでも、物すごい苦しい訓練があったからメダルがとれて喜びも大きい。その苦しい部分を何か何でも取り除こう取り除こうということは、わからないではありませんが、ストレスが大きいからわからないではないけれども、いささかそれに傾斜し過ぎると、ちょっと厳しさということは忘れ去られてしまうという嫌いがなきにしもあらずかなというふうに、委員の御指摘を理解すると、私もいささかそういうことに感じを持つこともございます。
○安住委員 そこで、実は私は、後でちょっとお話ししょうと思ったのですけれども、なぜこういう話をするかというと、大臣、私の地元の石巻市のある中学校の四クラスで、担当の先生方が、この事件を含めて、どういうふうに子供たちが思っているのか、日ごろ不満に思っていることを何でもいいから書きなさいというので、書いたのですね。 書いたのを、私、ちょっとこれを公表するのはなにかと思ったのですけれども、無理やりお借りしてきまして読みました。それがまたすべての意見を代弁していると僕は言うつもりはないのです。 ただし、我々を含めて大人がいろいろ、ここでなぜなんだろう、なぜなんだろうと大臣がおっしゃるよりは、やはり直接お話を聞いた方がこれはおもしろいなと思って見ていまして、その中でちょっと気づいた点が何件かあるので、なぜ今私がそういう話をしたかを申し上げたいのです。 実は私の率直な感想は、一年生、二年生ですから、そんなに社会的なことに関心がないのかなと思ったら、結構それがあるのですよ。例えば、消費税五%にした橋本総理はやめるべきだみたいなことを書いている子もいれば、それはもう個人の理由で、CDには消費税はかけないでほしいとか高校の入試はやめさせろみたいな、何というか、個人の全く都合で書いているのもあれば、社会性に非常に富んでいるのもあって、非常にユニークです。 その中に、実は一番多かったのは、人に対して暴力を振るったのだから厳罰に処すべきであって、少年だからといって特別扱いするなという意見が結構中学生の中に多いのですよ。これは所管が違うという話はしないでくださいよ。ここはもう大臣と私のお話ということでさせてもらいますからね。 実は、なぜそうかというと、一生懸命まじめに、普通に生活をしている子供から見ると、一緒にされるのはいい迷惑だという意識は多分かなり本音の部分であると思うのですよ。それは私の時代だって、大臣の時代だって、どこの学校にだって不良はいます。だって、その後大人になってからだって不良みたいな人はいっぱいいるわけですから、小学校のときや中学校のときだっていっぱいいますよね。その人たちをつかまえて、ほかの中学生や小学生も問題だと僕は言う気はさらさらないのですよ。 だから、ひもといていけば、根源的な問題は後でしますけれども、現象面でいえば、この凶悪犯罪を犯したことに対して、少なくとも子供は、優しく見守ってほしいとかという意識でないなというのを私は実は非常に感じたものですから。本当のことはわかりませんよ。わかりませんけれども、そういう手がかりをやはり文部省はもうちょっと努力してやらないといけないのじゃないですか。 だって、大臣は、学校へ行って何か子供たちと話したというニュースを僕は見ました。しかし、出てきた子供のインタビューを聞いて、まあとりあえず話してみましたとかと、軽い乗りであしらわれているわけですよ。だから、形でそういうことをもしやるのだったら、全国の中学生にこれを聞けばいいですよ。聞いて、よく見てみれば、意外といいヒントがもしかしたら僕は出てくるのかなと思ったのです。 そこで、そのことを前提にして僕はお話ししますけれども、実は、このメッセージを出したり通達を出したり、持ち物検査をするのは結構です。それは、できることはやればいいのです、そういう犯罪が防げるのだったら。しかし、もっといろいろなことがもしかしたらできるのかなと私は思っています。 それは、やはり少年を取り巻く環境の中に、午前中の野田委員の質問の中にもありました。つまり、見せてはいけないものというのが実はもしかしたらあるのかなと思います。見せてはいけないものというのがあるのかなと。テレビのことをつかまえて、中教審は、小委員会でですか、きょう新聞各社に載っていました、Vチップ方式をとると。 しかし、大臣、日本のテレビは、私はこう思っているのです。私もテレビ局にいましたけれども、確かに低俗なものはあります。しかし、本当に凶悪なものとか暴行シーンを演出をして、それが子供に悪影響を与えているかというと、私が見ている感じはどうも違うような気がするのですよ。今はテレビじゃなくてコンピューターソフトなんじゃないですか、子供に非常な影響を与えているのは。私はそういうふうな感じを実は持っているのですよ。 ですから、これからコンピューターソフトの規制の問題をちょっと質問させていただきますが、警察庁の方、時間、忙しければもう結構でございますから。 それで、大臣、ちょっと試しに、大変ぶしつけな質問をさせていただきますけれども、今、中学生、高校生の中で一番売れているコンピューターソフトに「バイオハザード2」というのがあるのですよ。御存じですか。それから、見たことはあるかどうか。
○町村国務大臣 私はございません。
○安住委員 ないですね。それは私も見たことなかったのです。 それで、きのう、ちょっとある人に言われて雑誌を見たら、何週間も売れ行きランキング一位なんですよ。それを見ますと、かなりのものなんです。例えばNHKや民間放送ではとても放送できないような内容です。多分、まず日本のテレビ局やなんかは放送しないだろうと思うような血の飛び出るシーンとか、そういうものがふんだんにちりばめられているのですよ。今の子供たちの実態は、多分、休みの日にはそういうのを一人でずっと部屋の中で見ているというのは、これは想像にかたくないと思うのですよね。 こういうものに対する規制というものをちゃんとやっていかないと、私は、みんなが見ているテレビを規制なんかしたって余り意味が、ないとは言いませんけれども、効果としては、やはりこういう、つまり子供が興味があって大人が全く知らない世界というのが実はあって、こういうことを本気で規制する。 私は、表現の自由だ何だと言いますけれども、やはり見せてはいけないものは見せてはいけないと思っているのですよ、子供には。そういうことに対して本腰を入れて規制をするというか、それは通産省の所管ですなんて言わないで、政治家として、町村大臣はそういうことに対する規制についてはどのようにお考えになっておられるか、お伺いをしたいと思うのです。
○町村国務大臣 午前中の議論にも若干ございました。そのときに少しお答えを申し上げましたけれども、この種の有害情報、いろいろなチャンネルがある。確かに、今委員御指摘のようなゲームソフトの問題もあると思います。あるいはホラービデオとか、そういったものもあろうと思います。 テレビでも、私と委員とでは若干受けとめ方が違うかもしれませんが、やはり相当のテレビの番組もあると私は思います。あるいは、極端に愚劣な、下劣なといいましょうか、雑誌類とか、やはりいろいろなそういうルート、チャンネルを通じて、子供たちの心の中にそういう有害な情報がどんどん入っていく。私も、それを一網打尽にというわけにはなかなかいかないと思いますので、それぞれの態様に応じた形でやはり何らかの対応をしていかなければいけないのだろうかなと思います。 それは、願わくは、先ほど申し上げましたように、いろいろの、それぞれの業界、それぞれのグループが自主的にというのが基本だろうとは思いつつも、いつまでもそんなことを言っていられないと思ったものですから、先般、文部省にそういう委員会をつくり、個々に応じた形でどういう対応が考えられるか。もちろん、文部省がやるべきこと、警察にやってもらうこと、郵政省にやってもらうこと、一緒にやること、いろいろあろうかと思いますが、それをいつまでも野放しにしていいと、決して考えているものではございません。
○安住委員 それは、大臣、コンピューターソフトも検討の内容に入るということでございますか。
○町村国務大臣 さようでございます。
○安住委員 今は、コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会というところが自主規制をしているわけです。 それで、じゃ行政は何をしているかということで、総務庁の方、おいででございますか。済みません、お忙しいところ。 大臣、都道府県では、青少年保護条例で、見せてはいけないものというのはかなり規制をしていますという話なんですね。長野県は別なんです。長野県には長野県の考え方があるということで、これはまた非常に哲学を持っていて、僕はかえって尊敬はします。関係の先生もいらっしゃいますけれども。しかし、規制をしているところが四十六あるわけですね、本当は。だから、普通であれば手に入らないはずですよね、こういう本当にどぎついものというのは。 総務庁にとりあえずお伺いしますけれども、この規制のあり方、どういうふうに都道府県はやっているのか。簡単でいいですから、一、二の例を挙げて教えていただけますか。
○中澤説明員 先生の御指摘のように、コンピューターソフトは比較的新しいメディアでございますので、各都道府県では条例を改正いたしまして、従来の出版物とかビデオに加えて、新たにCD-ROMを規制対象に加えるなどの対処方法をとっているところでございます。 ただ、これまでの条例の上での有害指定の状況でございますけれども、従来からの出版物、ビデオについて見ましても、ほとんどすべてが性的なもの、セックス絡みのものでございまして、暴力的なシーンを理由として指定するケースは少なく、御指摘のコンピューターソフトにつきましても同様であるというふうに承知をしておるところでございます。
○安住委員 実は私、きのう文化庁の方にお話を聞いたら、なるほどなと思ったのですけれども、性風俗に対する、それこそ大島渚監督の事件から始まって、我々は非常にヘア論争というのをずっとやってきたのですけれども、暴力に対しては比較的、先進国と並んでも規制が非常に緩い国家であるというふうな言われ方をしていて、もしかしてどうもそうかなと。ですから暴力物とかに対する、番組もそうであるし映画もそうなんですけれども、規制が比較的ない。 しかし問題は、今はその暴力シーンが余りにもリアリティーを持っていて、本当に画面いっぱいに血が滴って、首がころんと落ちるとか、こんなものを中学生が平気で見ていったら、多分それは、人格形成がしっかりない過程の中で、兵庫のような事件を起こす子が現実に出てくるというか、そういうことはあり得ると私は思うのですよ。 そうは言っても、今総務庁からお話を聞いたとおり、実は、そういうことは規制をしていますと言ってもなかなかそうなっていないのですよ。それと、これはすり抜ける方法が幾らでもあるのですよ。 私、中学生に聞いたら、大臣、自分では買ってこないそうですよ、売ってくれないからつて。どうすると思いますか。おばあちゃんにメモを渡して買ってきてもらえば、おばあちゃんは何書いてあるかさっぱりわからないから買ってきてくれると言う人もいるそうですよ。 これは、私はやはりもっと厳しい規制というのを――それは私は、こういう言い方をするのは適切かどうかわからないですけれども、子供を育てる国家としての意思というのがやはりどこかに働かないと、それはテレビとか、ある意味で社会的制裁を受けやすい業界や、さらされているところをやっても、私は正直言ってだめだと思いますよ。 もっとこういうコンピューターソフトの部分にかなり強い、これは表現の自由に反するところまで行けとは言いませんけれども、だれが見たってそんなもの見ちゃだめだという部分はかなりありますからね。むしろ、中教審の小委員会でおやりになるんだったらば、私はこのことを最初にやられるべきだというふうに提言をしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。
○町村国務大臣 先般、たしか風営法だったと思いますが、改正をして、インターネットの画像による、たしか主としてわいせつな画像ですか、それについては、風営法の改正によって、それらを提供する業者等についての規制をするという法案を、今、国会にこれからお出しをし御審議をいただくということだと思っております。 確かに、今委員御指摘のように、条例というものと国家がやる法律というものと、どこまで同じでどこまで違うかというところは、さらにちょっと我が省内でも議論をしてもらいたいなと思っているところで、何で条例ならよくて法律はだめなのというと、余り明確な基準はないんだけれども、とりあえず条例でやっていますからと、こういうような答えでしかないのです。 したがいまして、今委員の御指摘もございますので、そうした問題を含め、幅広く、また中教審の皆さん方にも、きょう委員から出された御発言なども適宜御紹介をしながら、検討を幅広く行ってまいりたいと考えます。
○安住委員 それで、短期的に、本当に短期的にこの問題の対策を考えるときに、もう一つは、さっきの話に戻るのですけれども、普通の子が当たり前に生活をしていて、小中学生は、結構私たちが思っているより物の分別があるなと私は思っているのです。 ですからこそ、逆に言えばもっと厳しい処罰を与えるべきだという意見は当然出てくるのかなと思うと、やはりそろそろ少年法の問題というものは避けて通れないというか、いろいろなことはありますけれども、議論をしないといけない。私は、どちらかというとやはり改正をすべきなのかなというふうに思っておりますけれども、これについては大臣、いかがですか。
○町村国務大臣 これも午前中の議論の中で若干触れさせていただきましたけれども、現時点における個人的な考えでは、私もそう専門的に勉強したわけではございませんので、法務大臣の累次の御発言なども念頭に置きながら申し上げさせていただければ、やはりこの凶悪事件を受けて、少年審判における裁判官が一人だけの問題であるとか、あるいは普通の裁判における検察官という立場の人がいないことであるとか、そうした事実認定の手続における問題点あるいは適用年齢の引き下げの問題、こうした問題については真剣に考えなければならない課題であろう、こう思っているところであります。 最終的にはもちろん法務省において検討される問題、あるいは法制審議会の問題であろうとは思いますが、必要あらば、文部省としても法務省などに意見を申し上げることもあろうかな、こう思っております。
○安住委員 ぜひ私は、文部省は小中学生の声を聞く窓口ですから、政府として、余り大人の皆さんだけでいろいろ考えるのじゃなくて、もう少しやはり現場の声を聞かれたらいいのではないかなと思いますよ。 少年法の問題を聞いていても、それからさっきの、規制の条例の問題と法律の問題を絶えずやっているというのは、私から見たら、それはもう正直な話、逃げているんだと思いますよ。どうしていいかわからないというところがあって、とりあえず自分たちの判断みたいなものに自信がないというか、そういうことがやはり僕は中途半端な教育行政をつくってしまうのではないかというふうに危惧をしていますから、そういう意味では、きちっとした強い意思を持ってこういう問題に取り組んでいただいて、国会の中で議論をしていきたいというふうに思います。 そして、この問題を考えるときに、もう一つは、やはり中長期的に何を直さなければならないのかという議論が当然出てくるわけです。これは教育行政の中での問題ですね。 そこで、例えば大臣、これはこの問題とは直接関係がないかもしれませんけれども、大臣はこの間、持ち物の検査等を学校でするというようなことを、あれは全国の教育長を集めたそういう席で発言なさっていましたよね。私は、それは緊急事態だからやむを得ないとは思います。ただ、こういうことがどういうふうに本当に現場の担任の先生のところまで行き渡るかという、私は意外とこの管の問題というのは、実は今見ていて非常に気になる点があるので、そのことを少し質問をさせていただきます。 それは、さっき藤村委員もおっしゃっておりましたけれども、どこまで本当に伝わるのかということで、この問題からちょっと離れますけれども、私は多分同じ問題を違う角度から言うだけにすぎないんじゃないかと思うのです。 なぜかというと、ちょっと二、三質問しますけれども、大臣、小学生の先生というのは担任制ですよね。学級担任制度でしょう。御存じですよね。だけれども、教科制を本当は取り入れたいと 思ったらば、できると思いますか、できないと思いますか。これは大臣ちょっと、認識ですから、別に知らないからどうこうとは言いません。
○町村国務大臣 それは、やろうと思えばできないことはありませんでしょう。
○安住委員 まさにそうで、できるのですね。なぜこういうことを言うかというと、実は、宮城教育大学を卒業した学生上がりの現場の若い先生方と話していると、小学校の先生が、五、六年の授業が難しくなって、自分は家庭科を教えたりするのは難しい、女の先生は逆に言うと理科や算数を教えるのは難しくなってきた、だから教科制をしきたいんだ、しいたらどうだろうかという話をしているのですね。 私は知らなかったから文部省に聞いたら、先生、そんなこともう今や学校長が決断すれば何でもできますよと言うのですよ。ああそうなのかと僕は思ったのですよ。つまり、文部省がやろうとしていることが現場の管理者のところまで本当に行き渡っているのだろうかと。つまり学校長や教育長は、そういうふうに改革をしていくというか、学校教育というものを大きく見直さないといけない時期に差しかかっているという認識があるのだろうかと僕は思うわけですよ。 だから、非常に矛盾するのですよ。通達を強めて文部省の言っていることをちゃんと伝えた方がいいのではないかというふうに一面聞き取られがちなところもあるのだけれども、もっと自由に、だって、私読みましたけれども、大臣の所信の中にもそう書いてありますよね。しかし、現場は違うわけです。 それで文部省に聞いたら、そういう学級制を、例えば学担制を教科制に変えて試験的にやっているところはありますかと、たしか御手洗局長に私がお伺いしたら、余りもうないと言うのですね。しかし、やろうと思えばできるのですよと言うのです。つまり、創意工夫、創意工夫と文部省は言っているのだけれども、足元は全然そうなっていないことが私はちょっと問題なのかなと思うのですけれども、そういう認識はございますか。
○町村国務大臣 今までの教育の中で、むしろ文部省に対する批判としては、学校現場のはしの上げ下げまで文部省が一々口を出す。実際、はしの上げ下げまで一々口を出したつもりもありませんが、どちらかというと、そういうサイドの批判が大変強うございました。 私は、今の傾向、今の大きな社会の流れ、そして今次教育改革の中でも、個々の学校の特色、もっと言えば個々のクラスと言っていいかもしれません。いかに校長先生あるいは各担任の先生方が自分の頭で考えて、これがいいと思う授業をできるだけやってもらうようにする。そのために、新しい指導要領の中で選択の時間もできるだけふやすし、総合学習の時間という形でこれからはやっていきたい。 さらには、今、中教審で別途御審議をいただいておりますけれども、文部大臣の持っている権限、文部省の持っている権限を地方に、地方の教育委員会の持っているものを学校の現場にという形で、できるだけ現場にいろいろな判断をゆだねていく。文部省からたまにそれは物を言うことがあるかもしれないが、それはごく基本に関することにとどめるというのが私はこれからの学校のあり方だし、またそうでなければ、本当にやる気のある先生方が報われない。逆に、やってもやらなくても同じだと、それでは一生懸命やる気が起きませんわね。 そういう意味で、私は、地方分権という大きな流れも含めながら、よりよい教育をつくるためには学校の現場にできるだけ考えてもらう、工夫してもらう、努力してもらうという流れでこれからもいろいろな行政を進めていきたいし、必要な規制緩和等々もできる限りやっていきたいと考えております。
○安住委員 時間がないのであと一つだけちょっと例を出すと、大臣はあれですか、突拍子もない質問をして申しわけないのですが、女子高生の制服は好きでございますか、嫌いでございますか。
○町村国務大臣 強いてどちらかと言われれば、決して嫌いではありませんがね。
○安住委員 私は、全国に同じような制服を着た子供さんが、それこそ沖縄から北海道までいるのはちょっと何か奇異かなと最近思っているのですよ。 それで、実は制服の問題というのはどうなっているのかなと思ったら、これも別に文部省が決めているわけじゃないのですよね。各教育委員会が決めればいい話だそうです。校則を見直すこともそのようです。ところが、そういう動きをしているというのは余りないのですよ。 それで、皮肉なことに、北九州市というのは文部省の方が教育長で行かれていたようですけれども、そこではそういうことをやっているのですね。つまりこれは、実はもしかしたら意思がちゃんと伝わっていない証左なのかなと私は思ったのです。 別に僕は制服が嫌いとか好きとかということを本質的な話で聞いたわけじゃなくて、制服を着るのもある意味では自由で、私服で通うのも自由。それは自分たちの意思で決めなさい、校則も自分たちで決めなさいというふうなことが余りちゃんと徹底していないというのは、逆に言うとどこかに、何というか神の見えざる手じゃないですけれども、勘ぐれば、そういうのを文部省は使っているのかなという気もする。もし本当に字面どおりであれば、もうそういうことというのは文部省の手を離れているのですよということをもっと徹底なさった方が、地域にもっと個性やゆとりのある教育が生まれるのじゃないですかということを私は言いたいわけです。
○町村国務大臣 公立学校の場合は、これは学校長の判断でいいのです。学校長が、自分のいい教育をやろうと、教育目的を達成するために制服が必要だと思えばそれもよし、要らないと思えばそれでよし。あるいは学校の規則も、余り瑣末なことにわたることまでは私は決める必要はないと思いますが、ミニマムのルールだと思う部分がここまでだと学校長が判断すれば、それは校長の判断でやっていいということは、もう何度も何度ももちろん言っておりますし、それがもしそうでなく伝わっているとすると、逆にそれはむしろ問題だなと、今委員のお話を聞きながら私はそう思いました。
○安住委員 実は、身内の話をして恥ずかしいのですけれども、私の父親というのは学校の校長だったのです。何というか、変えようという意識よりも、教育長を初めあのクラスというのはやはりちょっと問題あるなと。いや、私は父親を否定しているわけではないのですけれども。柔軟性とか創造性というものがどうしても生まれない構造を、もしかしたら文部省自身がつくっている可能性だって私は否定できないと思うのですよ。本当に地元で何かを、大臣が今おっしゃったようなことをやるとすれば、そこのところの点検をちゃんとしてほしいのです。 つまり、教育は人ですよ。学校を幾ら立派にしたって、教育制度を幾ら立派にしたって、教える側がしっかりしなければだめだということですよ。学校長が立派な人で、教師が立派な人だったら、本当にこういう事件は僕は起きないと思っているのです。だって、教育というのはまさに人なんだから。だから僕は、制度でないと思っているのですよ。 そこで、一番肝心な、つまり現場でやっている教師と、そして行政のサイドをつなぐ教育長や学校長というのは、本来非常に重要な役割を果たしていると私は思いますけれども、それが年齢的なこともあるのか、なれ親しんだ慣例もあるのか、何も変えようとしなければ、そこに絶対摩擦やあつれきが生まれて、それが実は風通しをよくしてないとなれば、そこを変えなければ、もしかしたらならないかもしれないのです。つまり、最初からずっと質問させていただきましたが、今度の刃物のこの凶悪犯の事件の問題にしたって、私は、どこかにその問題とかかわる部分があるなと思っているのです。 ですから、大臣が幾ら一生懸命アピールなさっても、私は、どこまで伝わっているかよくわからないところがあるのですよ。ということはどういうことかというと、何もしてないということなんです。つまり、PTAや自主的にやってもらっている人たち、頑張ってくださいという話にしかならないのじゃないですか。つまり文部省は何もできないという話になるのですよ。 私は、そういうことを実は非常に今感じておりまして、今からできるわけですから、大臣、そういうことをぜひ点検していただいて、学校の生徒に点数をつけるのだったら、本当に、もっと学校長や教育長にだってちゃんと点数つけなければ私はいけないと思いますよ。全く保守的な、何にもしないで、ただ何十年前からやっているようなそんな教師、いっぱいいるわけでしょう。学校長だっているはずですよ、そういうの。やはり文部省は、もうちょっとそういうところに厳しい目を向けて制度改革等をやっていただきたい。 勝手なことを言って大変恐縮でしたが、最後に大臣の感想をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
○町村国務大臣 教育は人なりというのはまさに御指摘のとおりだろうと思っております。かつて、六十人、六十五人の一クラスの中に先生一人でも立派な教育ができていたところが随分あった、こう思っております。そういう意味で、いい人を得ることが大切であろう。 そのための教員養成とか研修とかもしっかりやっていかなければなりませんし、何よりも、御指摘のとおり今大きく変わってきています。我々も、変えるような球をいっぱいこれから投げていくつもりであります。現に、投げております。それをあとは、教師の側がいかに主体的にこれを受けとめるかという問題かなと思っております。 例えば、総合学習の時間というのを我々は今問題提起をしておりますが、まだ何も決まってないうちから、文部省がモデルを示すべきだ、そういう反応が出てきている。ある意味では大変残念なそういう今までの発想が学校現場にあるということは、私、委員の御指摘どおりだろうと。そういう部分も少なからずあるということを反省をしていただきながら、命令はできませんが、最大限の努力は私どもやっていきたいし、現場でしっかり受けとめていただきたいと思っております。
○安住委員 終わります。
○高橋委員長 次に、肥田美代子君。
○肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。 私は、町村文部大臣の所信表明演説に関連して、初等中等教育の基本にかかわる問題を中心に質問させていただきます。 御承知のように、神戸の小学生殺人事件以降も各地の中学校でナイフによる事件が相次ぎ、中学生や高校生を持つ親たちの中には、本当に自分の子供にどんな接し方をしたらいいのか、そういうことで深刻に悩む人たちが少なくありません。また、教師たちも大きく動揺しておりまして、つい最近、二、三の学校現場で教師たちと交流する機会がございましたけれども、子供たちの扱いに自信をなくした教師たちがふえているようでございます。子供たちの世界で何が起きているのかわからなくなったという教師もおります。 大人がつくったこの社会でございます。その社会の中で、今子供たちがこのような混沌とした状況を呈している。私は、やはりすべての大人たちがそれぞれの立場で大反省をしなければいけないところに来ていると思うのですが、学校教育について、責任省庁でございます文部省は今どういう反省をしていらっしゃるか、まずお聞きしたいと思います。
○町村国務大臣 一言で言いますと、もろもろの反省を含めて、今、一生懸命教育改革をやりましょうというのがその答えであるというふうに受けとめていただければありがたいと思います。
○肥田委員 もろもろのとはおっしゃいましたけれども、私は、やはり反省するにはキーワードというものがあると思うのですね。それで、確かにこれからもろもろの処方せんは出していかれると思いますけれども、町村文部大臣の立場で、一番大きな反省点は何だというふうに私は今お伺いしたつもりなのです。
○町村国務大臣 非常に数多くそれはありまして、何が一番かと言われるとなかなか難しいのでありますが、一つではなくて二、三申し上げさせていただきたいと思います。 一つは、午前中の御議論にもございましたけれども、やはり家庭の教育というものに対して余りにも、これは文部省だけではないかもしれませんが、社会全体を含め、そこに十分な必要な注意を払ってこなかったということがあるのかな、こう思っております。 それから、学校現場ではどうかなというと、一言で言うと、やはり知育偏重といいましょうか暗記力中心といいましょうか、そういう伝統的な学力観があり、十年ほど前に文部省は新しい学力観というものも出したりしましたが、なかなか根づいてこない。自分の頭で考え、そして行動できる子供を育てていこう、主体的な子供たちの取り組みを促していきたいという思いがあるにもかかわらず、現実はなかなか点数主義、偏差値主義というものが横行している。やはりその辺を改めていくというようなこと。 あるいは、今、安住委員からもございましたけれども、ややもすると文部省がいろいろなことを全部仕切ろうとする傾向、学校の現場に任せ切れないという。それは、適切な表現かどうかわかりませんが、大きく言うと、やはり日教組という労働組合が、ある意味では大変政治的な力を持っている。したがいまして、文部省として、安心して現場にゆだねるということが難しかったという大きな社会現象が今変わってきている。 そういう点を踏まえて、遅きに失したかもしれませんが、できるだけ学校の現場で物事を決めることが可能になるように、反省点の結果、そういうもろもろの変更をやっていこうということが出てきつつある今の答えではなかろうか、こう思っております。
○肥田委員 大変率直な御感想をいただきました。 それで、ナイフのことに関しまして、所持品検査は緊急の対症療法としてはやむを得ない措置であると実は私は考えていたのですが、しかし、検査があった後もやはりこの事件は絶えないわけでございます。そうしますと、私たちが残したのは、子供たちに対する不信感の表明と、そして大人たちの敗北じゃないかというふうにも思うわけでございます。 凶器といえば、ボールペンであろうと小刀であろうと、やはりいろいろなものが凶器になるわけですね。ですから、ボールペンや何かでもし人を傷めることがあれば、文部省はボールペンを持たないようにというふうに呼びかけられるのかなというような単純な疑問もわくわけですが、大臣はどう思われますか。
○町村国務大臣 小刀やボールペンではなかなか人は殺せないと私は思いますよ。何といっても、学校という場所は、やはり静かに落ち着いて、楽しく安心して勉強する、そして遊んだりスポーツをしたりできる場、そこには教室で使う包丁や何か以外はおよそそういう危険なものがあってはならない場所だと僕は思っておりますから、そういう意味で、そういう世の中の常識が学校の中にもぜひ通ってほしい。 私は、各学校の判断で、必要とあらば所持品検査も避けるべきではないと申し上げました。一斉に今すべての学校がやっているかといえば、多分やってないと思います。それはそれで僕はそれぞれの学校の判断でそこは尊重したいと思いますが、しかし、今までの学校の雰囲気でいうと、いや、そういうことは子供の権利を侵害するからむしろやってはいけないんだという雰囲気が余りにも強過ぎたものですから、それは少し違うんじゃないですかということを私は注意喚起したかった。 そういう思いを込めて所持品検査のことを言いましたが、所持品検査はあくまでも一時的な緊急 避難措置でありましょうし、やるやらないはまた現場の判断であろうかと思います。ただ、要は、安全な教育環境をどうやってつくるかという基礎ではないのかなと、刃物がないということは。私は、そう思っております。
○肥田委員 ナイフ事件にいたしましてもいじめにしましても、それからおやじ狩りというようなことにしましても、他者への思いやりとか、情緒のコントロールができないとか、耐性が欠如しているとか、差別意識があるとか、いろいろな原因があると言われておりますが、やはり情操教育を行うのは小学校とか中学校であると思うわけですね。人は助け合って生きる存在であるということを教育はもっともっとさまざまな形で教えていくべきであろうと思います。 私は、昨年開かれた子ども国会の議事録をよく読んで参考にさせていただくわけでございます。その中で、子供たちがこんなことを言っているのです。思いやりや助け合いの心は言葉で教えられるものではない、小さいときから障害児やお年寄りと日常的に触れ合って、ともに生きることの大切さを体験で覚えることが必要ですと。 大臣はこの発言にどういうふうな御感想をお持ちですか。
○町村国務大臣 委員の言われたこと、私もよく理解をいたします。 最近学校でも、例えば中学生の子供が幼稚園を訪問したり、あるいは高校生の子供が、介護の実習といったような意味合いも込めて特別養護老人ホームに行ったり、さまざまなそういう体験をしております。そういう意味で私は、そういう体験を積む中から、思いやりの心、助け合いの心、他人を思いやる心、そうしたものが自然にはぐくまれていくことが大変重要であろう、こう思っております。
○肥田委員 そこで、一つ提案させていただきたいのですが、やはり百の言葉よりも、例えば障害児と健常児を分けないでともに育て学ばせる、そういう枠組みづくりをすることが、遠回りではありますけれども、やはり子供たちの優しい心、人を思いやる心を育てていくことになるのじゃないか。そして、ひいてはこういう凶悪な事件を防ぐ方法の一つであるのじゃないかというふうに思うわけです。統合教育とか統合保育とかいうことに関して積極的に促進をなさっていくお気持ちがあるかどうか、伺わせていただきたいと思います。
○町村国務大臣 私も先般、障害のかなり重いお子さんの行っておられる学校現場を見てまいりました。そこでは本当に、そこに働いておられる教員の方々あるいはそれを助けておられる父母、保護者の方々の大変献身的な姿を見て、私も感動を覚えたわけでありますが、ただ、相当な御苦労もある。まさに肉体的な苦労も含めて、大変な御努力が要るなということも、あわせて実感として持ちました。 したがいまして、障害の程度にもよるのかもしれませんけれども、ああいう重度の方が仮に普通の学級に入ってきて、一体どういうことになるのだろうか。障害のあるお子さん方への教育も中途半端になるし、別途、そうでない普通の学校の子供たちの教育も、逆に、そういう面ではおろそかになってしまうのじゃないかなという意味で、すべての子供を完全に統合する、理想かもしれませんが、私はそれは、ちょっと現実としてはいかがかなと。 先ほど申し上げましたようないろいろな形で、障害のある子供たちが適切な教育を受けながら、障害のない子供たちといろいろな機会で活動をともにする、交流を深めていくということを充実していった方がむしろいいのじゃないのだろうか、そんな実感を、先般その学校を訪問して強く感じた次第でございます。
○肥田委員 先般の子ども国会にやってきました子供たちの中にも、かなり重度の障害を持つ子供たちもおりまして、その子たちがやはり、当然でございますけれども、みんなと同じ場所で自分たちの意見をしゃべりたいんだという切なる思いでやってきた姿を見ますと、全部というわけにはいかないかもしれませんが、私は、そういう方向で進んでいただくことに文部省が否定的であってはいけないと思うのです。いかがでしょう。
○町村国務大臣 今申し上げたように、全く否定するつもりはございません。ただ、完全統合と言われると、そこにはやはり限界があるのではないのかなということを申し上げたわけでございます。
○肥田委員 文部省は二月二十六日、一九九三年度の中途退学者を追跡調査した高校中途退学者進路状況調査の結果を発表しましたけれども、中退者が既に九万四千六十五人に上っております。 このうち、一年目に中退を考えたという人たちが全体の八割を占めております。それで、生徒が一年目に早くも中退を考えるのは、やはり受験から解放された虚脱感、それから自分のイメージした高校に行けなかった、そういうことかもしれないと思います。 調査結果では、入学するとき、自分の入学する高校の特色を参考にしたかどうかについても質問されておりますが、実に七一・四%の生徒が参考にしていないと答えています。これはやはり、中学時代に高校や高校教育について確かな情報が与えられなかったということだと思います。 ですから、高校の情報開示はもとより、進学先の見学などもしていただきたい。子供が主体的な判断でやはり高校を選べるようにしていただきたいと思います。さらに私は、もう高校入試は廃止すべきだと思いますが、あわせてお答えいただきたいと思います。
○辻村政府委員 中途退学者に関連して、ちょっと数字的なことを御説明させていただきたいと思いますが、ただいま先生御指摘のとおり、中退者の中で、第一学年で中途退学をする者が多いというのは、そのとおりでございます。さらにその理由を詳細に探るということで、私ども、平成五年度に高等学校を中退いたしました者に対しましてアンケート調査をいたしました。 その結果によりますと、中学時代に、高校の生活とか勉強というものがどんなものであるかをもっと教えてほしかった、あるいは高等学校の特色についてもっと教えてほしかった、そうすれば、各高等学校の特色とか、高等学校に進んでからの生活や勉強の内容というものがもっとわかったのにというような指摘をする生徒たちが多かったということでございまして、その点、中学校段階におきましての高等学校にかかわります情報を、中学校あるいは中学生たちにもつと豊富に提供する、親御さんも含めてでございますけれども、そういうことが一つの課題である、その点は先生御指摘のとおりだと私どもも思っております。
○町村国務大臣 高校の情報開示、今局長が答弁をしたとおりでございまして、その前提としてやはり高校も、特色のある高校、それぞれが、セールスポイントと言うとあれかもしれませんが、自信を持って中学生に情報発信できるような、そういう高校づくりもやっていく必要があるんだろうな、こう思っております。 それから、高校入試についてのお尋ねがございました。現実の進学率が九七%近くまで来ているということで、もうほぼ全入状態でございます。それならもう試験は要らないじゃないかというお考えも確かにあろうかと思います。率直に言って、我が省内でも議論が分かれておりますけれども、私は入試は必要だ、こう思っております。 例えば、じゃ、何で高校に行くのかというと、余り目的なく、何となく、みんなが行くから、あるいは親が、高校まで行きなさい、あなた格好悪いわよと言って行くという子供に、本当は無理して高校に、行きたくない者は行く必要もないと僕は思うのです。あるいは、意識が乏しいまま行く必要はないと思います。あるいはまた、二十ぐらいになって、もう一度高校から学びたいというときに行けるような、そういう回路さえ開いておけばいいんじゃないのかな、僕は実はこう思っております。 ですから、例えば一定の試験をやって、例えば小学校五、六年ぐらいしかわかっていない中学三年生を高校に入れてみても、高校の先生だって、これはまた、このレベルからこのレベルまで全部教えるというのは大変なことだろうと思います。 そういう意味で、ある程度意欲をはかるという意味での入試というのもまたあるかもしれませんし、やはり偏差値で輪切りにすることの方がむしろ問題であって、まず一回目は受けたいところを全部受ける。場合によっては落ちるでしょう。そうしたら、現実には今定員があきがいっぱいできているわけですから、最終的には、高校に行きたいという人は大体今行ける姿になってきているわけであります。行きたくても行けないという状態がかつてありました。今はもう、行きたければ完全に行ける状態なんですから、だから入試はもう要らないんじゃないかという先生の御意見かもしれませんが、私は、だからこそ入試を一定程度やった方がいいんじゃないのかなと。 ただ、その際に、ただ単なる学力ということだけで輪切りにすることは適切な入試の方法ではないので、入試のあり方、多様化、さまざまな工夫というものが必要なんだろう、こう考えます。
○肥田委員 文部省の中でもお考えがいろいろ分かれているということですね。 今回の中高一貫導入につきましても、私は、やはり高校入試全廃の方向性をある程度指し示したものかなというふうには感じておりますが、これはまた別の場所で議論させていただきたいと思います。 そこ文話は変わりますが、新潟県のある学校で、地域に根差した学校をつくるために、教室の授業に父母を参加させようという学校活性化の動きが進んでおります。学校はもう聖域ではないと思います。市民に開かれた、市民に情報公開をした学校づくりをしていく必要があると思うのです。 例えば、学校ボランティアというようなシステムを文部省が率先して進めていくような考えはございませんか。
○町村国務大臣 今、中教審でも、地域と学校がいかに連携を図っていくかということが非常に大きな課題になって、いろいろ検討していただいております。 学校ボランティアという表現を使っているかどうかは別として、要するに、父母でなくても学校に関心のある、いい子供を育てたいという地域の方々が、例えば校長先生や先生方と議論をする場をつくったりとか、あるいは何らかの授業に地域の有識者に特別の講師みたいな形で参加をしてもらったり、いろいろな参加の形態はあろうかと思いますが、ややもすると今まで学校は、できるだけ外に向かって、何も問題ありませんよと言って抱え込んでいる嫌いがありましたが、そうではなくて、情報発信もすれば、やはり開かれた学校づくりという観点から、これからの学校のあり方というものを見直していく、まさに今その作業中である、こう申し上げてよろしいかと思います。
○肥田委員 最近、学級崩壊という言葉が新聞や本なんかで目に入ってくるんですけれども、大臣はこのことについて何か情報をお持ちでいらっしゃいますか。
○町村国務大臣 先日、ある中学校に行って、生徒さんやあるいは先生方といささかの時間、話し合う時間がございました。 そのときある先生が、この学校もつい数年前までは八時半に授業が始められませんでしたと。そうしたらほかの先生が、いや、もうほとんどの東京の中学校はそうなんですよと。私もちょっとびっくりした顔をしたら、いや、ほとんどというのは言い過ぎかもしれませんが、かなり多くの中学校と言いかえられました。余り違いがないのかもしれませんが。 例えて言えばそういうような姿、授業が始まっても生徒たちが教室へ入ってこない、入ってきても、おしゃべりやら何やら、授業中の電話やらでうるさくて授業が成り立たないとか、いろいろな姿の崩壊的現象がある学校も少なからずあるようでありまして、そうしたこともある意味では、ナイフを使うとかいう衝撃的な事件でなくて、目立たないのですが、結構やはりそれは大きな問題で、私は、どうしたらいいのかなと。しかし、その行き着く先がもしかしたらナイフ事件なのかもしれないのです。 みんなでどうやってそれを克服したかというのを私が聞いたときに、先生方が一緒になって同じ方向を向いて、一緒に努力をしていくと、一年、二年たつとしっかりした学校経営ができるようになる、学級崩壊もおさまるというような話を聞いて、なるほど、そういう努力はやはりしていただくことが大切なんだな、こんなことを強く感じた次第であります。
○肥田委員 きょうは国会図書館から来ていただいておりますので、次の質問に移らせていただきます。 二〇〇〇年の開館を目指しまして、国際子ども図書館の建設が進んでおります。国際子ども図書館は、我が国では国立として初めて誕生するわけでございます。子供に対するサービスはどのような内容になっているのか、そのことをお聞きしたいと思います。 全国の子供たちはこの開館を心待ちにしております。ですから、夢のある形でどうぞ御説明いただきたいと思います。
○緒方国立国会図書館長 国際子ども図書館は、ただいま先生御指摘のように、我が国では初めての国立の子供図書館でございまして、国立国会図書館に設置されるものであります。平成十二年度の第一期開館を目指して現在鋭意準備を進めているところでございます。 同館における子供へのサービスのあり方でございますが、国立の中央図書館ということからきます役割、性格を踏まえまして、地域の第一線図書館とは異なるサービスを提供することになろうかと思います。 この図書館におけるサービスは、地域で子供に直接サービスをする第一線の図書館の活動をバックアップすることによりまして、子供が地域でよりよい図書館サービスを受けられるようにすること、そして全国の子供たちがひとしくサービスを享受し得ることを基本とする必要があります。 このような考え方に立ちまして、非来館型、すなわち図書館に来なくても受けられるサービスといたしまして、電子図書館機能を活用し、ネットワークを通じて、各地の図書館や学校で子供たちがこの図書館の資料、情報を利用できることを図ってまいりたいと考えております。 同時に、この図書館へ来る子供たちに対しましては、読書のおもしろさや身近な図書館の世界に親しむきっかけを与えるような「子どもと本のふれあいの場」というものを提供していくことを計画いたしております。 具体的には、子供の本のミュージアムを設けまして、絵本の展示や各種のイベント、見学サービス、あるいは映画会やお話会等を実施いたします。ここでも電子図書館機能を最大限に活用して、新しい体験のできる図書館としていく所存でございます。 さらに、子ども室を設けまして、子ども室におけます直接閲覧サービスあるいは読書相談というようなものについても、運営のための条件を整備して実施をしていきたいと考えているところでございます。
○肥田委員 私は、国際子ども図書館は全国の公立図書館のモデルとなる役割を担っていると思います。ところが、現在、公立図書館で子供サービスを行わなかったり、それから廃止したりするというところが大変ふえております。 子供へのサービスを行っていない都道府県は宮城、新潟、静岡、兵庫、それから児童書の資料収集だけを行っているのは北海道、秋田、神奈川、そして建設中の岡山ということになっておりますが、そのほかにも子供サービスを行っていない公立図書館はございますか。
○長谷川(正)政府委員 私どもが把握しているところでは、都道府県立ては、今先生がおっしゃったことであろうというふうに思っております。 公立図書館、特に都道府県立図書館と市町村立図書館があるわけですけれども、公立図書館のあり方につきましては、生涯学習審議会の図書館専門委員会が取りまとめた基準を各都道府県に通知いたしまして、それを図書館整備あるいは運営の参考として使っていただいておるところです。 その中で言われておりますことは、都道府県立の図書館の役割として、県内の学習需要というものを広域的かつ総合的に把握して、図書資料等の収集、提供をする、こういう立場から、市町村立図書館に対する援助、あるいは県内にあります図書館の相互の連絡調整等を推進するということが都道府県立図書館の一つの特色ある役割というふうに言っておるところです。 それで、今御紹介のありましたような児童室あるいは児童コーナーを設けていないという県等におきましても、市町村立図書館との役割分担という観点、先ほど申し上げた基準を念頭に入れた上での役割分担の観点から、住民に身近な存在である市町村立図書館にそういう児童室あるいは児童コーナーという役割をゆだねて、それで、県立においては専門書の収集などバックアップ機能というものを重視しているということから、そういうことになっておるというふうに聞いております。 今先生は、児童サービスを全くしていないところが四県あるという御指摘です。私どもが承知している限りでは、全くしてないということではなくて、コーナー等は置いておりませんところでも児童サービスということの認識は十分持っておって、それを補うためのネットワークの相互貸借のスムーズな円滑な実施、あるいは移動図書館車というようなものによるサービス、こういうことを実施しているというふうに承知しております。 文部省といたしましても、子供のときから図書に親しむ環境を整備するということが大変重要なことであるという認識に立っておりまして、地域における図書館サービスの整備を考える場合に、児童サービスについて十分意を用いるように都道府県に対しても注意を喚起してまいりたい、こんなふうに考えておるところでございます。 平成十年度の予算におきましても新たに、児童サービス向上の見地から、図書館を子供の集う場にしていこうということで、新たな事業を、モデル事業ですけれども、実施するための経費を予算の中に計上させていただいているところでございます。
○肥田委員 図書館を子供の集う場にするというお答えを今いただきました。それが文部省のお考えと理解してよろしいですね。 そこで、西暦二〇〇〇年の開館を目指している京都府立図書館でございますが、ここは、児童サービスは市町村図書館の役割として、府立図書館の子供サービス廃止の方向にいっている。そして、一九九五年三月、奈良県立図書館が作成しました奈良県新図書館整備基本構想でも廃止の方向が打ち出されております。 子供の本離れそれから活字離れ、読書離れということで大人たちが大変心配しておりますが、そういう中で、こういうふうに公立図書館がどんどん子供たちを締め出して、市町村図書館がやればいいということで下に下にとおろしていきますと、子供たちの本の出会いの場所というのがだんだん少なくなると思うのですね。ですから、心の教育を提唱される文部省としては、ぜひ全国の自治体でのそういう実態を調査していただきたいと思うのです。 そうしないと、先ほども国会図書館の館長がおっしゃいましたように、確かにバックアップするための図書館ではありますけれども、しかし、やはり子供たちがその場に来てこその私は図書館だと思うし、子供たちのそういう場所を大人の意思で狭めたり廃止したりする権利はないと思うのです。大臣、どういうふうにお考えになりますか。
○長谷川(正)政府委員 先ほど申しましたとおり、図書館というものを全体で見たときに、児童サービスというものは大変大事である、こういう認識に立っておるというのは申し上げたとおりでございます。 それで、地域において図書館を整備する場合、県立のものそれから市町村立のもの、そういうところは各地域の実情に応じて、児童サービスということを決して忘れずに、適切な役割分担ということを県の判断でおやりになる場合、児童サービスということをないがしろにしていないということが非常に大事なことですけれども、全体の中で、それは都道府県の判断で行われるということを必ずしも否定するものではないのではないか、このように考えております。 そのことは、全くその地域で児童サービスが受けられないという状況を生み出すようなことがあっては絶対にいけないと思いますけれども、地域の図書館との連携の中で、そういうものは市町村のものに任せて、うちは、県立では、なかなか利用者は少ないけれども、非常に専門的、高度なものを集めよう、そういう役割分担は県の中の構想の中で判断することはあり得るのかな、こんなふうに思っております。
○肥田委員 文部省としては自治体に任せていくということで、それでは、文部省の意思はどうなんですか、大臣にお聞きしたいと思うのです。
○町村国務大臣 自治体の運営している図書館の場合、まず一義的に優先されるのは自治体の考え方であろうし、それを余り国がああせいこうせいと言うのは、これはまた地方分権にも反するのかな、こう思ったりもいたします。 ただ、今生涯学習局長が申し上げたとおり、図書館というのは子供たちにとっても大変大切な場所であるという基本認識からすれば、今、もし委員御指摘のように、子供たちが公立の図書館からどんどん締め出されるという状況があるとすれば、それはやはりいささか問題だな、こう思って、私どもなりの立場で各自治体にお願いをしていくことはあろうかと思いますが、やはり決定権があるのは設置者であろう、こう思わざるを得ないところであります。
○肥田委員 先ほどの質問で県名を具体的に申し上げたものですから、ひょっとして事実誤認があったらおわびしたいと思います。 最後に、学校図書館について、これは文部省にお礼を申し上げたいと思います。 昨年、学校図書館法の改正が行われましてから、文部省はうんと力を入れてくださっております。附帯決議がつきましたけれども、その附帯決議を忠実に守ってくださって、学校図書館の充実等に関する調査研究協力者会議をつくってくださった。その小委員会で、この三月には司書教諭の講習のレベルアップを図ろうという、私は、これはとてもいい案であると思います。 それから、学校図書館の充実予算に一億七千万円を予定してくださっている。さらに、学校図書館の図書整備費として、五カ年で五百億円という計画が既に今年度で終わるものですから、来年度は、年間百億円という、これは交付税でございますけれども、学校図書館の図書の整備のために使うということで、文部省が必死になって自治省にお願いをしてくださったという経緯があると思います。 ただ、交付税でございますから、うっかりしておりますと、ビルになったり橋になったり下水道になったりいたしますけれども、これを何とか子供たちのまだ不足であります本の充実に使っていただきたい、そのことを切に願うわけです。 過去の五カ年計画の五百億円にしましても、どうも達成度が低かったように思います。これは、やはり地方公共団体それから学校現場での認識の低さからだと思います。今回せっかく百億円を確保してくださったのですから、何とか文部省でこれを広報して、ちゃんと子供たちのために使うような策を考えていただきたいりですが、いかがでございましょうか。
○辻村政府委員 ただいまの予算措置につきましては、交付税措置である、こういう考え方に基づいて百億をトータルとして計上しているということを、先般、これは例年でございますけれども、案の段階でございますが、都道府県の担当指導部課長会議という会議で説明してございます。我々もフォローしてまいりたいと思いますが、さらに、成立の暁にはいろいろな場を通しまして、こういう交付税措置が講じられているということを関係者に十分伝えていくような努力をしてまいりたいというふうに思います。
○肥田委員 ちょっとこれは言い過ぎになるかもしれませんが、私は繰り返し文部省にお願いしたのですが、過去の五年間でもなかなかすべて五百億円が本にならないのです。ですからことしは、何とかもう少し広報代も使っていただいて、全力でやっていただきたいのですが、大臣いかがでしょう。
○町村国務大臣 自治大臣によくお願いいたします。
○肥田委員 ありがとうございます。 最後になりますが、先日横浜のある小学校にお邪魔したのです。多分文部省の方も御存じだと思いますが、そこの学校では、教室の壁を取っ払って、すべての教室から学校図書館に通じるようになっているのですね。授業時間中でも子供が必要とあれば本を探しに行けるわけですし、本を読むこともできる。とにかく、教室と学校図書館を直結してオープンにしているというところなんです。私は、これがひょっとするとこれからの新しい教育の形に大変参考になるモデルかなと思うのです。 となりますと、学校図書館というのは、学校の中の単なる一つの施設だということに終わらずに、学校教育を本当に抜本的に改革するための大きな手段になり得ると私は信じているわけです。最後に大臣、そのことに関して御意見を伺いたいと思います。
○町村国務大臣 肥田委員、大変図書館に関するいろいろな施策の充実について御努力をいただいておりますことに心から敬意を表する次第でございます。 今御指摘のありました新しいタイプの施設、学校ですか、私もちょっとどういうものかよく承知をしておりませんので、一度話をよく聞いてみたいと思っておりますが、学校の片隅に図書館があるのではなくて、学校の真ん中に図書館があるというような位置づけであれば確かにいいな、私もこう思っております。 子供たちがもっともっと本に親しみ、ちょっとうろ覚えでございますが、たしか去年の秋、この委員会で委員からも子供の本離れという御指摘があり、高校生が二、三カ月たっても一冊も本を読んでいないという実態調査にお触れをいただいたと記憶をしておりますが、そういうことにならないように、もっともっと、本というのはいかに読むと楽しいものか、そして役に立つものか、心を豊かにするものか、人生を生きていく上にとって大変重要なものだということを認識できるようないろいろな施策をこれからも充実してまいりたいと考えております。
○肥田委員 終わります。
○高橋委員長 次に、池坊保子さん。
○池坊委員 新党平和の池坊保子でございます。 日本のみならず、教育問題は今や世界共通の政治課題になっております。 クリントン大統領は、一昨年に引き続き、ことしも一般教書演説の中で教育を最重要課題として取り上げ、だれもに大学進学を約束したい、米国の公立の小中学校の水準を世界一にしたい、教育改革のかぎは、よい教師が少人数クラスで教えること、教師を新たに十万人採用し、小学校低学年の学級定員を十八人までに減らしたいと述べております。 ブレア首相も、一九九七年五月の労働党政権初の立法計画の中で、教育法案として、私立学校生徒への授業料補助を段階的に廃止する、七歳以下の学級規模を三十人に縮小する、各種行政措置による学力低下校の水準向上ということを挙げております。 橋本総理は、二月十六日の所信表明の中で、「将来の我が国を展望した上で、現在をいかなる時代と認識し、何を優先課題とすべきかを考え、」全力を傾けていきたいと述べられ、経済、教育、外交を挙げられました。 その中で「受験戦争やいじめ、登校拒否、さらには青少年の非行問題が極めて深刻になっております。」と述べ、「子供たちのために何をすればよいのか、皆様とともに考え、真正面から取り組んで」いきたいと述べられましたけれども、何ら具体的な案がなく抽象論ばかりであっただけでなく、改革クラブの小沢辰男議員の、 青少年をめぐる問題並びに教育改革に関し、 総理は具体的にどのように対処し、対策を立て ていくのか、明確にすべきであるという質問に対して、 できるだけ早く青少年問題審議会、中央教育 審議会あるいは中央児童福祉審議会など、関係 する審議会の会長方にお集まりをいただくとと もに、関係閣僚が加わり、幅広く議論の上、取 り組みの方向を打ち出し、これをもとに関係審 議会での審議を深め、対策を順次実施に移して いきたいと述べられました。 私は、その所信表明を伺って、政府は何かというと審議会頼みにしてしまって、審議会があってそこに関係閣僚が加わるのではなくて、本来、私たち政治家が率先して速やかに対策を立てるべきだというふうに思っておりますけれども、この所信表明並びに審議会のあり方について大臣に伺いたいと存じます。
○町村国務大臣 所信表明の中で、確かに総理は総論をお述べになったと私は受けとめておりますが、その具体論は、私がきょう読み上げさせていただきました文部省の考え方の中で、四つの大きな柱にまとめて教育改革プログラムの重点をお示しをさせていただきました。それがまさに総理が言っておられることと表裏一体の関係にある、このように御理解いただければと考えております。 また、審議会のあり方についてお話が今ございました。ややもすると、政府の隠れみのになっているとか、いろいろな御批判がございます。私も文部大臣になりまして、大変に数多くの審議会があるということ、そしてそれが結構時間がかかるということにいささかの不満を実は持ちました。 しかし、それぞれ考えてみると、教育というのは、これが経済だと、四月一日からビッグバンだということで、一挙に外資系の資本が入ってくるとかドラスチックな変更が可能でありますけれども、やはり教育というのは、関係する方々が、極端に言えば全国民なんです。そうなりますと、余り大きな船のかじを急にとりますと倒れてしまう。 そうならないように審議会という場で、いろいろな関係する方々にお入りをいただいて、大きくかじを切りかえるときでも、議論を積み重ね、その議論のプロセスそのものが、関係方面にいろいろ意見を聞き、そして議論が伝わりという中で、ある種のコンセンサスができてくると、大きな船が少しずつ方向転換できるということになるのではないのかな、そういう意味で、一概に審議会が無用の長物であるとか飾り物であるということには、この教育の分野に関しては必ずしも言えない面もあるのかなというふうには思っております。 ただ、御指摘のように、私の印象で言えば、いささか審議会が多過ぎるとか時間がかかり過ぎるという御批判は率直に受けなければならないと思いますので、今できるだけペースを上げていただいて、かなりの大車輪でそれぞれの審議会に作業をしていただいている最中でございます。
○池坊委員 審議会のあり方につきましては、きょうは時間がございませんのでおいておくとして、私は、一度もっと時間をとってこれは文部大臣とお話ししたいと思っております。 端的に言うと、今教育に一番欠けているのは、人間にとって最も大切なことは何なのかということなのではないかと思います。先を歩む人間が愛情を持って次の世代のために正しい人間としてのあり方、例えばそれは正義感とか信頼感、公正さ、公平さ、自己責任、自己抑制等々ではないかと思っておりますけれども、大臣はどのようにお考えでございますか。
○町村国務大臣 教育という場を、教育という機能なりをどうとらえるかということ、今委員御指摘のような、やはり倫理観とか規範とか正義感とか、あるいは幾つか言われたような、そうした、人間が生きていく上にとって何が大切かというのは、それは個人によって違うかもしれませんけれども、ある種共通して持つべきものというものがやはりあるのだろうと思います。 それをしっかりと踏まえた上で、あとはそれぞれの人間の個性、考え方に従っていろいろな人生を生きていくということなんだろうと思いますが、やはり共通して人間として持つべきものというのは必ずあると思います。それをしっかり身につけていくことの上に立って、あるいは知識を得、あるいは体力を増進していく、さらにいろいろな追加的な機能が教育には期待されるのかな、そう思います。
○池坊委員 今大臣がおっしゃいました人間として持つべき公平さ、公正さについてちょっと大臣に伺いたいと存じます。 大臣は、長崎県知事の応援に長崎にいらっしゃいましたでしょうか。
○町村国務大臣 伺いました。
○池坊委員 その節に、文部省挙げてというようなことを選挙演説の中でおっしゃったと聞いておりますが、いかがでございましょうか。
○町村国務大臣 街頭の演説でございますから、私も一言一句正確に覚えているわけではございませんが、長崎県は長崎県で、長崎大学の問題初めいろいろな教育上の課題がございます。そうした課題を解決するために、長崎県の皆さん方の御要望があれば、それに着実におこたえをしていきたいということは申し上げました。
○池坊委員 私はきちんとメモさせていただきました。金子知事誕生の暁には、文部省挙げて金子さんのために一生懸命、長崎のためにお役に立たせていただきたいとおっしゃいました。これは、二月十五日のTBSのニュース番組で全国に流れました。 私は、若い世代の人たちと一緒にこのニュースを見ておりましたときに、若い世代たちが、文部省挙げてとはどういうことなんだろうか、これは文部省の私物化ではないだろうか、あるいは、こんなことで日本の教育は本当によくなるのだろうかと口々に叫びまして、私は一政治家として大変残念に思いましたけれども、どのようなお気持ちでおっしゃったかをちょっとお聞かせ願いとうございます。
○町村国務大臣 長崎県にいろいろな教育上の課題炉あることは大臣着任後聞いておりましたし、前の知事さんやあるいは教育長さん、またその街頭演説の後にもそういう御要請が長崎県の教育関係者からございました。 それぞれの地域、やはりいろいろな課題を抱えております、教育上の問題で。それらを文部省として最大限のお手伝いをしていく。よしんば金子さんでない方が知事になったとしても、同じように長崎県のために一生懸命頑張っていくということは、これは当然のことだろうと思います。
○池坊委員 それでは、金子知事誕生の暁にはというのはちょっとおかしいということでございますか。言葉から申しますと、これは金子知事誕生の暁ですから、ほかの人が誕生した場合にはというふうに、自然に受けとめた場合にはそのようにとれるように私は解釈いたしましたけれども、いかがでございましょうか。
○町村国務大臣 選挙応援でございますから、どなたでもとは、それは申し上げませんでしょう。しかし気持ちとしては、県民の意向を受けた知事さんが県の課題解決のために文部省に協力要請してくれば、それにおこたえするのは、これは当然のことだと思います。
○池坊委員 私は、文部大臣に意地悪をしようとか、そういう思いで言っているわけではございません。文部大臣は大変まじめで誠実な方だと思っておりましたので、文教委員としては大変にお頼りしているつもりではございましたけれども、金子さんのために一生懸命というのはやはりおかしいのではないか。 今おっしゃいましたように、選挙だから、だれかのためにというのは当たり前かとおっしゃるかもしれませんけれども、文部省というのは教育の現場をつかさどるところだと存じます。そのトップにいらっしゃる方のこのような発言は、やはり私は公正さとか公平さを欠いているというふうに思っておりますが、公平さ、公正さを欠いているというふうには大臣はお思いになりませんか。
○町村国務大臣 もし池坊議員御指摘のような疑念を生じさせるおそれがあるのであれば、それは、舌足らずであったことは、おわびをしなければならぬと思います。
○池坊委員 私が大変憂えますことは、子供たちはしっかりとした、大人に対する、社会に対する批判の目を持っております。こういうのを聞いたときに、政治不信を招いたり、ひいては社会への批判というものを募らせていき、そしてみずからが公平さとか公正さを心の中に持たずにいくのではないかと思います。 本来、政治というのはすべての人の見本でなくてはならないと思うのです。新知事は、清新な県政にすると当選されたとき言われましたけれども、手段においてもはや清新でなかったら何の意味もないというふうに思っております。 言うまでもなく、国家公務員法第百二条並びに地方公務員法第三十六条では、政治的行為の制限を設けており、政治的中立性を保障することにより、公共団体の公正な運営を確保するとともに、職員の利益を保護することを目的としております。 今日、公務員の倫理というものが大変やかましく言われております。そして、国民も私たちの言動を、特に文部省のあり方を必死になって見詰めているのではないかと思いますときに、私は、ナイフ問題などというのも、ただそういう問題が起こったからそのときに対処するだけでなくて、先を歩んでいる大人たちの生きざまを子供たちは無言で見ているということを私たちは肝に銘じなければいけないのだというふうに思っておりますので、大臣には以後どうぞよろしくお願いしたいと存じます。 それでは、大変私は不本意ではございましたけれども、今後の大臣並びに文部省の方々に期待をするということにさせていただきます。 一月二十四日に鹿児島県で開かれた日教組の研修会で、子供たちが企画運営した「子供フォーラム「私たちでつくる私たちの学校」」が初めて開かれ、九州各地から百人ほどの小中高校生が参加し、いじめ問題とか登校拒否などを真剣に議論したというふうに聞いております。 その折、出席していた日教組の委員長と河村潤子中学校課長が一時間余りで退席しようとしたときに、生徒たちの中から、こんな機会はないのだからもっと私たちの声を聞いてほしい、帰ってほしくないという声が上がったと聞いております。にもかかわらず、それを無視して何のあいさつもなく席を立ったというふうに聞いておりますけれども、局長はどのような御報告を受けていらっしゃるのでしょうか。
○御手洗政府委員 お答え申し上げます。 御指摘のございました、日教組が第四十七次教研集会と同時に開催いたしました子供フォーラムにおきまして、先生御指摘のような経緯があったことは事実でございます。 私どもといたしましては、昨年来、大臣を先頭といたしまして「「子どもと話そう」全国キャンペーン」大会を展開いたしまして、いろいろな機会に、大臣を初め、子供との対話活動を行っておりますし、また関係省庁や関係団体にもその旨の協力要請を行っているところでございますので、この日教組の子供フォーラムの開会の趣旨というものも、こういった文部省の考え方と軌を一にするということでございますので、担当の中学校課長の出席依頼が日教組からございましたので、その要請を受けまして、日教組との約束に基づいて出席したわけでございます。 したがいまして、中学校課長が会の途中で退席をするということは、当初、日教組と私どもとの間でそういった約束の上で、中学校課長がいろいろな日程を差し繰って出たわけでございますし、また、中学校課長が川上委員長と同時に退席したということも、主催者側の行動に従って課長としては行動したということでございますので、ひとつ御理解をいただきたいと存じます。
○池坊委員 先ほどの委員会で藤村委員は、生の先生の声を聞く機会を持つべきだとおっしゃいました。私は、加えて、生徒たちの生の声を聞く場をもっとどんどん持っていただきたいというふうに思うわけです。私は、文部省にとって最も大切なことは、審議会を開催し、たくさんの答申を出すということではなくて、今子供たちが何に悩み、何に苦しんでいるのか、そういう声を聞いて、それを施策に反映することではないかと思っております。 文部大臣は、昨日、緊急アピールの中で、悩みや不安は、遠慮なくお父さん、お母さん、先生など大人たちに相談しようとおっしゃいましたけれども、現実に生徒たちの実情を知らなければ、生徒たちは心を開いてお父さんや先生方に悩みを打ち明けるということはできないと思うのです。 これからもこのような企画を積極的になさっていくおつもりかどうかをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○辻村政府委員 直接私どもが子供たちの声を聞くというのは、具体的にはなかなかチャンスがないわけでございます。学校の先生を通して、あるいは教育委員会の人たちを通してという機会が多いわけでございますけれども、学校訪問とか、その他さまざまな機会をできるだけとらえて、直接聞くような努力をこれからもしてまいりたいというふうに思います。
○町村国務大臣 私も、最近ですが、東京都の中学校に行ったり、その場で先生やら生徒やらとも話をしました。また、これはテレビの番組でしたけれども、中学生の十数名の方々とお話をしたり、あるいは、夜分でしたが、学校の、特に生徒指導担当の方々をお招きをしてお話を聞いたり、かなり努力をしているつもりであります。 前大臣のときから、先ほど局長がお話を申し上げました「「子どもと話そう」全国キャンペーン」というのをやっております。それは、もちろん文部省を含めてですが、すべての大人の皆さん方に子供と話す機会をどんどん積極的につくろうということでございますので、今後とも私も機会をつくり、そういうことを積極的に心がけていきたい、かように思っております。
○池坊委員 一月二十四日の子供フォーラムは、そういう意味では生の声を直接聞くよい機会であったのではないかと存じます。にもかかわらず、その機会を、私たちの目から見たら踏みにじり、子供に、やはりだれも私たちのことは真剣に考えてくれないんだという不信感を募らせたのではないかと私は懸念いたしますので、ちょっとこのことを申し上げたのでございます。やはり子供を中心に考えてあげていただきたい。それは決して甘やかすということではないと私は存じております。 文部大臣、「助けて」という本が学研から出版されましたが、こういう本でございます、お読みになりましたでしょうか。もし読んでいらっしゃいませんでしたら、私が進呈いたしますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。 これには、中学生一万六百六十人の子供たちの声が直接直筆などで掲載されております。これを読みますと、いじめ、ナイフ殺傷事件、いろいろなことに関して、子供たちの教師への不信感、それから、いじめがエスカレートする背景には、大人の対応がいかに大きく影響しているかということが理解できると思います。ですから、文部省の方々も、本の宣伝をするつもりはございませんけれども、子供たちの声というのをもっと積極的に知っていただきたいと私は思っております。 先ほど安住委員も触れられましたけれども、大臣はインターネットの実情をどれぐらい把握していらっしゃいますでしょうか。先ほども出たと思いますが、「バイオハザード」というゲームソフトを御存じでいらっしゃいますか。
○町村国務大臣 「バイオハザード」、残念ながら見たことがございません。
○池坊委員 これも初等中等教育局の方並びに文部大臣にはぜひ一度ごらんになっていただきたいと思います。なぜならば、今子供たちに一番人気のあるテレビゲームだからでございます。 主人公が敵のゾンビに火をつけて殺したり、ナイフを使って徹底的に倒したり、初めは見ておりますと本当に気持ちが悪くなって見られないのですけれども、何回も見ておりますうちに免疫性ができてまいります。そのテーマになっているのは何かというと、まさしく、ムカつくやつは徹底的に殺してしまおうということなのでございます。 このようなゲームの規制は全くなく、このゲームには残酷な場面が登場しますという赤いシールが張ってございます。赤いシールが張ってあるというのは、残酷なシーンがあるよということを公認していることではないかと思うのです。張ってあれば張ってあるほど、子供たちはそういうテレビゲームを見たいというふうに考えるのではないかと思います。 テレビゲームヘの対応をどのように文部大臣はお考えでございましょうか。
○町村国務大臣 委員の御指摘のような相当ひどいそうしたテレビゲーム、また、テレビゲーム以外のさまざまな出版物等々で大変有害な情報がはんらんをしているという実態、私どもも見過ごすわけにはまいらない、こう思っております。 そうしたこともありまして、これは憲法問題等々ひっかかるのでなかなか、ややもすると今まで後ろ向きではございましたけれども、そうも言っていられないという今の緊急事態を重く受けとめまして、検討会を文部省の中に設置をいたしました。 つい先般、第一回目の会合も開いたわけでございまして、そこで、できるだけ早く文部省としてやれること、これは他省庁にやってお願いをしていくこと、あるいは他省庁と相談しながら進めていくこと、いろいろ仕分けをしながらやっていこう、こういうことで、精力的に今作業を始めたところでございます。 委員の御指摘のような問題点を踏まえながら、しっかりとした対応ができるように努力をしていきたいと考えております。
○池坊委員 ちなみに、神戸の小学生を殺害した中学生は、毎日ビデオ屋に行き、いろいろなビデオを借りていたと供述していると報道されております。 国立及び私立大学の教員志望の大学生二百七名によるアンケート調査によりますと、この神戸事件の原因は何だと思うかに、家族のきずなの喪失、理性の欠如とともに、ホラービデオの猟奇的な情報のはんらんというのを挙げております。 ちなみに、コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会の調べによりますと、これは三千人を対象の調査でございますが、家庭用テレビゲームの保有率というのは七〇%でございます。また、情報メディア白書によりますと、家庭用ビデオゲームは保有率九〇%と言われておりますから、大体その中間をとっても八〇から九〇というのが正確なところではないかと思います。 そして、一日平均ゲーム時間というのは、平日で八十八・八分、休日だと百四十六分と言われております。トイジャーナルの調査によりますと、国内出荷台数は、ゲーム機は四百五万台というふうに言われております。 つまり、子供たちが、テレビもさることながらゲームソフトにどれだけ汚染されているか。ナイフをたとえ禁止いたしましても、そういうものを見ておりますと、子供たちにとっては、自分がやはり持ちたい、持ったら今度はそれを使いたいというふうになってきてしまうのだと思います。 一九九〇年の総務庁の「青少年の校外活動と家庭に関する国際比較調査」によりますと、日本と米国の母親に聞いた十三歳から十五歳の学校外の活動の実態は、日本の子供は、学習塾、進学教室に行くが四七・五%でございます。それから、特にないが三六・四%、習い事が一四・八%でございます。米国の子供は、スポーツクラブ五五・七%、宗教団体四四・六%、習い事二〇・二%でございます。 それを比較してもわかるように、日本の子供というのは、三六・四%の子供が何もしてないと言っておりますが、この何もしてないときに何をしているかというと、テレビを見るかゲームソフトをしているのでございます。ですから私は、これは速やかにゲームソフトの禁止なり、十五歳未満は買ってはいけないというのをしていただきたい。 それで、先日は、文部省だけではなく警察とか厚生省とかいろいろな連携をとって子供たちの対策を考えるというふうに伺っておりますので、これは時間を待たずに迅速にやっていただきたいと思いますので、文部大臣、いかがでございましょうか。お約束いただきたいと存じます。
○町村国務大臣 それは口で禁止しますと言っても、なかなか直ちに何の実効も上がりません。 現実は、今、有害図書などを中心に条例にゆだねている部分がございます。しかしこれも、先ほどある委員からの御指摘のとおり、どちらかというと、性的な余りにもひどいものを有害図書などに指定して規制をしているというだけでありまして、むしろ暴力的なものというのは余り取り上げていないという実態も先ほど御指摘のあったとおりだろうと私も思っております。 インターネットを通ずる有害情報については、今度、風営法を改正するという形で国会の御審議をいただく予定にしてございます。 あと、特にテレビ番組につきましては、先ほど来からVチップの話も出ておりますが、そうしたことも含めて、郵政省で平成十年度から新たな検討の場をおつくりになると郵政大臣も言っておられますので、そちらに期待をしたいし、文部省としても働きかけをしていきたい。 先ほど来お話の出ておりますビデオの関係については、役所の仕切りを言うつもりもありませんが、多分これは通産省所管になるのだろうな、こう思っておりますが、何省かに省ということなしに、文部省として必要な調査なり対応を考えて各省に働きかけをするなりお願いをするなりしたい。ただ、仮に法律をつくるという話になりますと、これは相当なことになりますので若干の時間がかかるかもしれませんが、そこまで行き着くかどうかを含めて、しっかりと検討はしてまいりたいと考えております。
○池坊委員 私は余り検討というのを信用しておりませんけれども、文部大臣がこのゲームソフトを今晩ごらんいただいたら、こんなものを青少年にというより子供たちに見せたら本当に害だなというのを身をもってわかっていただけると思います。 しつこく申し上げるようでございますけれども、ただ単に上辺だけで子供たちを規制しようと思ってもそれはだめであって、いろいろな角度から子供たちを守っていかなければならないと思います。その中にこのゲームソフトというのがあるので、現実に売られているわけでございますから、法整備をやろうと思えば、その熱意と努力さえあればできるというふうに私は思っております。これは、未来を担う子供たちのことでございますから、法整備をするのはなかなか大変だなどとおっしゃらずに、ぜひやっていただきたいというふうに思っております。 次に、今問題になっておりますナイフ問題でございます。 ナイフをなぜ携帯するのかということについて、私はちょっと意見を述べさせていただきたいと思います。 中学生の子供たちになぜナイフを携帯しているのかと聞きますと、持っていると安心するからと答えております。つまり、中学生の子供たちにとって、揺れ動く不安定な、不安な心のお守りがナイフなのではないかと思います。 私はそれを聞きましたときに、我が家の三歳になります坊やが、外国から日本に帰ってまいりましたときに日本語がわからなくて、その不安な思い、孤独感から、いつもウルトラマンを肌身離さず持って幼稚園に通っておりました。つまり、彼にとっては強いウルトラマンが自分を守ってくれる守護神であったわけです。何か嫌なことに出会いますと、彼はいつも、ウルトラマンがやっつけてくれるよ、ウルトラマンが殺してくれるよと言っておりましたけれども、三年間の幼稚園生活の中で、そこは宗教の学校でございましたので、神様が守ってくれるよに変わったのです。 私は、まさしくこれこそが教育の力ではないかと思っております。幼稚園、小学校の教育こそが今問われているのではないかと私は思うのです。先ほど渡辺委員が幼児教育の重要性を説かれましたけれども、何か対策をお考えでございましょうか、伺いたいと存じます。
○町村国務大臣 幼稚園あるいはその以前の段階からの子供に対する家庭教育、しつけ、あるいは幼稚園あるいは保育所におけるそうした教育、あるいはそれに準ずるものの重要性、こうした今の社会状況を見るにつけ、これはもう大変重要だな、私はこう思っておりまして、幼稚園教育について言うならば、さまざまな施策を講じておりますことは委員御承知のとおりでございます。 十分かどうかは別にして、今の財政の状況の中では精いっぱいの幼稚園対策もやっておりますが、ひとり幼稚園という、ある意味では文部省固有の範囲にとどまることなく、厚生省とも今幅広く連携をしながら、一緒にやれることをやっていこう。とりあえず幼稚園と保育所の施設の共用化というところから着手をいたしましたが、これは第一歩でありまして、これから先をさらに、教育の中身でありますとか先生の養成の中身でありますとか施設の運営のあり方でありますとか、そうしたことなどについて幅広く協力関係を築きながら、しっかりとした幼児教育あるいは子供の保育の面、そうしたことに取り組んでまいりたいと考えます。
○池坊委員 私は、教育というのは社会的ルールを身につけさせるべきところであって、それは自己主張と自己抑制のバランスだというふうに考えておりますけれども、公立の学校ではかりこのようなことが起こるのはなぜだというふうにお考えでございますか。やはりどこかそこに問題があるというふうに私は考えておりますけれども、それについてお考えはございませんか。
○辻村政府委員 ただいまの先生の御指摘でございますけれども、私どもも今回の一連の事件につきまして公私の分析はいたしておりませんが、公立に限らず、この期の子供たちに起こっているという点は第一点でございます。 もう一点、先生が公立だから云々ということでございますけれども、私立の学校につきましては、それぞれ宗教をバックにした、その他建学の精神というものが公立よりもよりあるという点はあるわけでございますが、しかし公教育として、将来の日本の国民を育てるという点では共通でございまして、公立だからこういった事件が云々ということにつきましては、さらにより分析をしないと断定的なことは申し上げられないのではないか、こんなふうに思っております。
○池坊委員 公立の方が顕著にあらわれるということは確かではございます。先ほど申し上げたように、私立ては少ないと存じます。 それと、私立には建学の精神等々があると今おっしゃった。ならば、公立にもそのような建学の精神にふさわしいモラルの確立というものが求められるべきであって、そういうものがないということが今の教育現場の最大の欠如ではないかと私は思っております。 三月九日、東松山で起こりました同級生を刺したという事件でございますが、あそこは学校でアンケート調査までして、二十四人の人がナイフを携帯していることを学校が知っていた。にもかかわらず、なぜそれを放置したのかと私は申し上げたいのです。 言うまでもなく、銃刀法第二十二条には、六センチ以上の刃物を携帯してはならないというふうに書いております。女性教師を刺しましたときは、バタフライナイフは十センチでございました。それから、東松山では折り畳み式の八センチ、亀戸署の警察官襲撃はバタフライナイフの十センチと言われております。つまり、これは法に反するのです。法に反することに対して、どうして先生が毅然とそれを取り上げなかったのか。 子供の人権とは何なんだろうかと私は不思議でなりませんけれども、大臣はどのようにお考えでございますか。子供の人権とは何なんでしょうか。私たち大人たちは、子供の人権とか自主性尊重というお化けみたいなものに惑わされて、毅然とした態度を忘れているのではないかというふうに思っております。その点について、大臣はどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○町村国務大臣 子供でも人権はあると私は思います。オギャーと生まれる前から人権はあるというのは、これは確立したことであろうと思いますが、だからといって、人権は無制限ではございません。先ほどお話ししたように、権利には必ず義務も責任も伴います。公共の福祉にかなうという、それは憲法にも明記されていることであります。 今までの学校現場の中で、子供の権利、子供の主張ということを尊重するが余り、それに伴って、当然子供たちにも理解をさせ、また身につけさせなければならない責任とか義務といったようなことがややもすると軽んじられていたのではないかということに、私どもを含め教育界全体がやはり反省をして、そういう意味で、バランスのとれた教育内容というものがしつかり子供に身につくように、学校の現場でもしっかりやっていただきたいなと。 少なくとも指導要領上はちゃんとなっているのですが、どうしてもこれまでの流れというものがありまして、多分戦前からの反省のちょっと行き過ぎた部分なのじゃないかなという感じがしております。
○池坊委員 私、重ねて申し上げたいのは、自己主張の前に自己抑制があるということを、大人たちはもっと愛情を持って毅然と次の世代に伝えるべきです。これがやはり生半可なんだと私は思うのです。主張なのじゃなくて、その前には抑制があるべきだと思います。 私が思いますのに、自由というのはどういうことだというのを、教えるべき先生がわかっていらっしゃらないんじゃないか、教えられないのではないかと思っております。先生自身の講習会をぜひ文部省は開催していただきたいと切に大臣に希望いたします。いかがでございますか。
○町村国務大臣 子供たちにみずからを管理したりコントロールする力が確かに落ちてきたのかなという、私もそういう感じはあります。やはり豊かな時代に育ってきた子供たちは、何か欲しい、すぐ親が買って与える、これも欲しい、すぐ買って与える。一度として小さいころから、これはだめよと言われたことがない。それで、中学生ぐらいまでになって初めて、先生からこれはだめですよと言われたらば、すぐキレてしまうといいましょうか、そういうようなことがある。 だから子供に対しては、やはり常に、やれること、やれないこと、やっていいこと、悪いこと、そのことを小さいうちからしっかりと教え、今委員が言われたような自己抑制力をまず小さい段階から、家庭の中からやはり身につけてもらうことが必要だろうと思います。 もちろん学校の先生方がそうした、バランスをとって、権利ばかりではない、責任、義務、そういったこともバランスをとって教えていけるような、そのための必要な初任者の研修でありますとか、あるいは一定期間たった後の研修とかいろいろございますが、そういう研修の場などを通じて、先生方にもよくその辺は理解してもらいたいなと思って、努力はしてまいります。
○池坊委員 子供の教育のあり方については申し上げたいことがたくさんございますけれども、もう時間がございませんので、先ほど藤村委員も触れられました奨学金制度についてちょっと伺いたいと思います。 日本育英会は、今回、大学生または高等専門学校において学資金の貸与を受けた者が、教育の職にあることにより学資金の返還免除を受けることができる制度を廃止する法案を出されました。その理由として、「余裕金の運用の方法を拡大する等の必要がある。」としていらっしゃいますけれども、余裕金をどのように運用していらっしゃるつもりか、時間がございませんので、ちょっと簡潔にお答え願いたいと思います。
○佐々木政府委員 毎月の奨学金でございますが、これは国庫から参りますお金とそれから返還金、それを財源といたしまして奨学生に貸与するという方式をとってございます。したがいまして、返還金の額が多くなりますと、国から参ったお金に若干余裕が出てまいります。それを余裕金と称しておりますが、現在これは銀行に預ける、そういう形での資金運用をしております。 これを今回の法改正におきましては、預ける範囲を信用金庫に拡大をするということの改正をお願いしておるところでございまして、よろしく御審議をお願い申し上げます。
○池坊委員 先ほど大臣がお読みになった所信の中で、大学、大学院の貸与人員の拡大というふうに書いてございまして、その中に専門学校とか専修学校がございませんでした。 それで、私が思いますのには、親の資産あるいは成績によって奨学金を上げるというのは、これこそ私は知育偏重ではないかと思います。成績が最優秀ではなくても勉強をしたいと思っている子供たちもございます。先ほど大臣も、高校は行きたい人が行けばいいのだとおっしゃいましたけれども、お金がなくて行けない子供たちもいるわけでございますから、私はこの幅をぐんと引き上げていただきたいと思います。二十一世紀を担う子供たちの先行投資の観点から、ぜひとも奨学金の幅を広げて、欧米並みにしていただきたいと思います。 十八歳といったらもう大人でございます。今は有名私立幼稚園、小学校に入学するために母親も子供も一体となって受験勉強をしている。その延長線上に大学がある。大学に行かせるためにお母さんはパートで働いてというのも実情なんでございます。でも、これは健全な親子の関係からいったらおかしいのではないかと思います。欧米並みに、子供は十八歳になればしっかりと自己責任において自立し、みずからの授業料を親から受けるべきではないと私は考えております。 そうした環境整備をすることこそが私は教育改革の一つではないかと思っておりますので、ぜひこれをお考えいただきたいと思いますが、どのようにお考えでしょうか。
○町村国務大臣 奨学金の問題、多くの委員からも御指摘をいただいております。 今、池坊委員御指摘のとおり、私どもも決して今の奨学金の姿でこれで十分だと胸を張るつもりもございません。まだまだ改善をすべき点もありますし、もっと対象を拡大したい、こう思っております。 先ほどもちょっと申し上げましたけれども、資金運用審議会ですか、その提言も昨年の十一月に出されておりまして、こうした有利子のお金を教育の分野、奨学金の分野に当てはめてもっと考えてもいいのではないかという提言もあるぐらいでございますので、そうしたことなども含めて、一層の充実、貸与人員増に努めてまいりたいと考えております。
○池坊委員 アメリカでは一千四百二十八万人のうちの千三百万人の人間が受けておりますし、イギリスも百六十二万人のうち百七十万人の人間が受けております、これらは重複はしておりますけれども。日本は八百十三万人のうちの四十九万人しか受けられていないというのが現状でございます。そして、現在、申請の六割しか受けることができない。そのうち専修学校生は全体の一・六%、二万人でございます。 専修学校生それから専門学校生は受けられず、大学院生だけ受けられるというのは、さっきも申し上げましたけれども知育偏重ではないのか、偏差値をやはり重視している文部省のあらわれではないかと思っております。幾ら偏差値はなくそう、成績だけではないと言っても、現実にこういう制度があるということが間違っているのであって、私は、システムから変えていただきたいと思います。公共事業にお金を使うことを思いましたら、これはお金が返ってくるわけでございます。ですから、ぜひこれは拡大をしていただきたいと思います。 もう一度、再度、文部大臣のさらなる御意見を伺いたいと思います。
○町村国務大臣 別に大学の種類によって差をつけるつもりもございませんが、しかし、遊びほうけている大学生にどんどん奨学金を渡していいのかなと、私は逆にそう思ったりもします。むしろ、高校まではできるだけ楽しく学校に通い、大学に入ったら猛烈に勉強する、そして一生懸命いい成績を上げた子には奨学金が出るということは、別にさほど不思議ではないので、遊びほうけている、そんな学生にどんどん税金を使ってまで奨学金を出すのは、私は率直に言っていかがなものかと思います。 ただ、全体のレベルとして見ると、委員御指摘のようにまだまだ不十分であるという御指摘、まことにごもっともかな、こう思いますので、いろいろな方策をこれから講じていきたいと思っております。
○池坊委員 ですから、今のところは直接本人に行くようになっておりますけれども、私は、学校で入学金とか授業料として納めたらいいんだと思います。そうしたら、それで子供たちが遊ぶということはございません。 それで、育英会をもう一度見直していただきたいと思いますのは、現在滞納者が二%あり、二百二十四億に上ると聞いております。これは一年間の予算二千五百億の一割でございます。ですから、これをほってあるということは、育英会がいかに怠慢であるか、普通の民間の業者でございましたら取り立てにもつと一生懸命になるのではないか。借りたものを返すというのは、私は自己責任の一部、第一歩だと思いますので、これはきちんと対策を講じていただきたいと思います。 それから、やり方によっては、何も子供たちに直接渡すことはないのであって、さまざまなやり方があるというふうに思っております。勉強したい学生が奨学金をもらって一生懸命勉強できるよう、文部省もお力添えをいただきたいと思って、私の質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
○高橋委員長 この際、富田茂之君から関連質疑の申し出があります。池坊さんの持ち時間の範囲内でこれを許します。富田茂之君。
○富田委員 平和・改革の富田茂之でございます。文教委員会で初質問でございますが、大臣、よろしくお願いいたします。 私も、午前中からずっと話題になっておりましたナイフ関連の事件について何点か質問をさせていただきたいと思います。 昨日も地方行政委員会で、この事件に関して各委員からかなり質問が出ておりました。警察庁の方の説明によりますと、ことしになって急にこういうナイフ事件が多発してきたわけではない、昨年からこういう傾向がもうかなり出ていたんだというような説明でした。凶悪犯罪が急激に増加して、少年非行が戦後第四の上昇局面を迎えている、そういう中で出てきた事件だと。 この事件の背景にはどういうことがあるかといいますと、少年自身の規範意識の問題、ナイフを携帯する行為を格好いいというふうに意識したりする風潮、また少年を取り巻く環境の問題、こういうナイフがだれからも注意されずに簡単に手に入るような環境が今ある、こういうことを背景にして出てきた事件だというふうに警察庁の方では認識されていました。 そして、警察の方としてはどういう対策をこれまでとったかということを尋ねましたら、二月二日付で少年、銃器対策、地域課長の連名で緊急通達を出した。これについてはまた後でちょっとお尋ねしたいと思いますが。その後、二月五日には、警察、総務、文部、自治四省庁の局長クラスの連絡会議を行った。二月六日には、大臣も先ほど触れておられましたけれども、文部省主宰の生徒指導・社会教育担当課長会議において、警察庁の担当官が、刃物携帯の犯罪性、危険性等を説明した。 この説明した担当官に直接聞いたのですが、この会議に出られた文部省関連の担当課長ですか、実際現場で担当されている課長さんたちが、先ほど池坊委員がおっしゃっていましたけれども、刃体六センチを超える刃物の携帯が銃刀法違反になるというこの事実すら知らなかった、そういうことを知らない課長さんが結構いたということで、警察庁の方としては大分驚いていました。これをきちんと現場に認識させてもらいたいということを強調してきたというふうに警察の方で言っておりました。 自治大臣、国家公安委員長の方も、二月六日に、銃刀法の改正を含めた総合対策をとるべきだという指示をされたようで、三月六日には、警察庁に刃物対策の推進検討委員会が設置された。政府としても、これはもう全力を挙げるということで、総理の肝いりだと思うのですが、次代を担う青少年について考える有識者会議というのが、これもまた三月六日に設置された。 ここときちんと連携してもらいたいということをきのう私も要望したのですが、実は、昨年からそういう少年犯罪の増加傾向が出ていたということで、昨年の十二月四日付ですか、警察庁の方と文部省の方で共同で、それぞれの省庁に流したのかもしれませんが、同じ通達を出している。「少年の健全な育成に向けた学校及び教育委員会との連携の強化について」という通達を出されていた。この通達を取り寄せて読んでみたのですが、非常にいいことが書いてある。 主に大きく分けて二点について触れているのですが、一点目が 警察と学校等との連携強化を図るため、各都 道府県においても、警察本部と 都道府県警察本部ですね、 教育委員会とが密接に協力することが必要な ことから、両者が緊密な情報交換を行う体制を 整備し、警察と学校等それぞれの自発的発意に 基づいて適切な措置が促進されるよう配意する こと。 二点目が 警察と学校との連携を強化するには、警察署 ごとに、又は市町村その他の区域ごとに設立さ れている学校警察連絡協議会等を通じて 警察と学校等が非行防止に関する情報を積極 的に交換し、協同して取り組むべき具体的措置 についての協議を行い、これを計画的に実施し ていくことが望ましいと考えられる それで、具体例として、「次のような措置が考えられるので、参考とされたい。」として「警察の行う不良行為少年等の継続補導と学校の行う生徒指導との連携」、もう一つ「児童・生徒の保護や安全確保を図るための措置」、こういう具体例を挙げて、それぞれ警察庁、文部省の方で通達がもう昨年の十二月に出されている。 これが現実に実行されていたらかなりの部分で、今回のような一連のナイフを使った事件が学校の中で起きるとか、あるいは少年たちが外で警察官を襲う、こういうような事態はある程度未然に防止できたのじゃないか。この通達は結局出しっ放しになってしまったのじゃないかという疑念があります。この通達の中で触れているように、各都道府県警察本部と教育委員会が緊密な情報交換を行う体制というのは、実際この通達が出た後どのように整備されたのか、これが第一点。 それと、実はこれは昭和三十八年に同様の趣旨の通達がもう出ておりまして、そのときに全国に約二千六百カ所、学校警察連絡協議会というのが設置された、それ以降。この学校警察連絡協議会を通じて、警察と学校との間で、生徒非行防止のための情報交換が行われていたはずなんですね。これをもっと緊密にすべきだというのが昨年の十二月の通達だったのですが、これが実際どういうふうに行われたのか。 昨年からの一連の少年非行事件の増加を踏まえて、警察と文部省、教育委員会、現場の学校、この連携がもう少し緊密にとられていたら、今回のように連続的にナイフを使用した事件が発生することはなかったと思うのですが、この二点について御説明いただきたいと思います。
○辻村政府委員 ただいま先生から御指摘のありました点でございますけれども、昨年の十二月四日に警察庁の方から通達が出され、あわせ私どもの方からも通達を出したわけでございますが、今先生からも御指摘がございましたように、これは昭和三十八年の文部省と警察両省局長の通知を踏まえて、さらにそれを最近の状況をかんがみまして充実強化する、そういう性格のものでございます。 したがいまして、三十八年の通知を受けまして、各県の段階でも、警察と教育関係との連絡会議というものは設けられてございます。それから、その後、各学校段階でも、これは所管の警察を管轄区域とする警察署と学校との間で、学校警察連絡協議会、学警連と称されておりますが、そういったものが設けられておりまして、約二千六百カ所、今先生御指摘のとおりでございます。 そこで、これが十分に機能していたのかどうかという点でございますけれども、私ども、これは全国悉皆でどのようにというのはなかなか調査がしがたかったものですから、個別の一、二の県に当たりまして、この会議がどのように機能しているかということを確認いたしました。 ある県でございますけれども、県下の学校総数、小中高でございますが、千三百八十五校ございますが、その中の千二百二十四校が全体として入っているということでございました。 具体的にどのような形で連絡会議が開催されているかということでございますが、四回以上が最も多く、しかし三回、二回、一回という形でしか開かれていないものもございました。 その中身でございますけれども、警察の方をお招きして、少年非行の現状と課題あるいは薬物乱用の現状と対策といったこと、それから通り魔等の頻発に対応いたしまして、通学路等における児童生徒の安全確保といったことがテーマになっていることが多かったということでございます。 それから、街頭補導を共同して行う、あるいは地域のお祭り等にはまた共同して補導活動を行うというようなことを随時連絡をとりながら対応しているということでございました。 回数の点は今のようなことであるわけでございますけれども、実質効果を上げていたかどうかという定性的な評価は、なかなか私ども難しいわけでございますが、先生御指摘のとおり、この通知の趣旨に沿いまして、各県ではそういう組織、体制は少なくとも一応整っている。あと、この機能が十分に働いてきたかどうか、これはさらに私どもも情報をとりまして分析しなければならないのではないか、こんなふうに思っているところでございます。
○富田委員 回数もそうですし、その中身が本当にあったのかという点をやはり文部省の方で主導的に情報をとっていただいて、警察と学校というのは仲よくやるというのになかなか向かない者同士だと思います、現実として。ただ、警察の少年課とか地域課の現場の方たちが、こういう非行に走る少年とか、実際地域でどういう事件が起きているのかというのは一番知っているわけですよね。 私も弁護士時代に少年事件を何度も弁護して、付き添いになったことあるのですが、少年事件でその少年の記録が出てくると、本人も知らないような補導記録とか、どういうところで警察官がその子を見かけたとか、物すごい詳しい資料を警察は持っているのですよ。それは刑事の記録ですから全部学校に伝わることはないと思いますけれども、学校が知らないその子の動向とか、そういうものもきちんと把握できるはずなんですね。そこをうまくだれかがコーディネートして、お互いに事件の発生までいかないように、せっかくこういう通達が出て、こういう組織もあるわけですから、文部省の方でもサポートして、この通達の趣旨が生きるようにぜひやっていただきたいと思います。 また、先ほど指摘させていただきましたが、ことしの二月二日付で出ている警察庁の「少年による刃物の携帯に対する適切な対処について」という通達ですが、この中で「学校等との連携強化による少年の規範意識の啓発」ということが最初にうたわれております。 先ほどもお話しさせていただきましたが、去年以来ずっと少年の犯罪が起きているというのは、規範意識が希薄化しているんだというのが第一点。しかも、現場で教育に当たる課長さんですらナイフを学校に持ってくることが違法だということすら知らなかったという、一般社会の規範意識も希薄化していると思うのです。 警察庁の方が、こういう通達を出して都道府県の教育委員会とかあるいは知事部局等にお願いに行っていると思うのですが、それを受けて、文部省の方としては、これについて学校現場でどういうふうに規範意識を高めていくような対策を考えているのか。もし具体的なことがありましたら、教えてください。
○辻村政府委員 先生御指摘のとおり、この通知が出ましたのは二月二日でございます。 二月六日に各県教育委員会の担当課長会議を招集しました。大臣からも直接お話をしていただいたわけでございますけれども、その席に警察庁からも担当官をお招きして直接御説明をいただいた。そのときに、その担当者自身が法律についての理解が十分でなかったという感想を漏らされたというのは、実はそういうことでございます。 私どもが、各県の教育委員会を通しまして各学校に言っておりますことは、基本的に、まず子供たちの規範意識をしっかりと身につけるということ、それから、喫緊に迫っております、銃刀法に基づいてこれは違法な行為であるということ、この二つをまずきちっと伝えてほしいということを申し上げました。 各県教育委員会はそれを持ち帰りまして、全部を聞いてはおりませんが、市町村教委を通し、各学校で、生徒集会あるいは生徒会の活動あるいはホームルームその他を通しまして、子供たちにこういった点の指導をやっているということは、私ども情報として入手をいたしております。 子供たち自身に、今の二点につきまして特に趣旨を徹底していく、これからもさらに強めてまいりたい、こんなふうに思っております。
○富田委員 その点も学校の現場できちんと教育できるようにしていただきたいと思います。 また、これまで各委員からいろいろ、大臣の発言で所持品検査が大分マスコミで報道されているというような話がありました。大臣の午前中からの御説明でその意図するところはよく理解できるのですが、私は、これはもう少し積極的にやった方がいいのではないかなというふうに個人的には思っております。 大臣が、実に時宜を得て、一月三十日の記者会見のときに、心の教育の一層の充実を図るとともに、許されない行為に対しては毅然たる措置を講ずるべきだというふうに発表されて、また二月三日には、教育目的を達成するための一つの手段として所持品の検査もあり得るというふうに重ねて発言、そして六日の会議で、御説明されていましたけれども、先ほどのああいう発言をされた。 また、きのう発表された緊急アピールの中でも大臣は、「学校の安全性に対する社会の信頼が揺らぐことのないよう、学校は全力を尽くしてほしい。」というふうにあえて述べられております。これは所持品検査のことを相当念頭に置かれているのではないかなと思うのですね。 大臣がそこまで発言されながら、なかなか現場の学校長の方としては踏み切れない、どうも踏み切れないところが多い。先ほど別の委員の発言の中では、東京都では八割ぐらいやらないと言っているというようなアンケート調査も示されておりましたけれども、これは自信がないのだと思うのですね、現場の学校長としては。所持品検査に踏み込んで、生徒との信頼関係がなくなるのではないかというのが一つありますし、また、プライバシーを言われるのではないか、権利主張をされるのではないか、そういう風潮もあると思います。 私は、所持品検査をする場合のガイドラインなり大枠の手続等を大臣なり文部省の方で、こういうふうにしたらある程度プライバシーの侵害にもならないし実効性があるというような提案を何かしてもいいのではないか。 例えば、携帯が法的に許されないと言われているナイフ、あるいは今青少年に蔓延していると言われている薬物。ナイフ、薬物等の発見だけを目的、また、対象もこれだけにする。手続についても、不公平にならないような何らかの手続を考えて、生徒や父母の同意をきちんと得られるような、そういう手続をきちんと文部省の方である程度示してあげて、あとは現場の学校長の判断でやったらどうですかと、そういうふうにもう一歩言ってあげないと、大臣がこれだけいろいろな場所で言われているのになかなか現場ではならないということになると、幾ら地方の自主性を尊重するんだとか学校現場の自主性を尊重すると言っても、ちょっとこのナイフ事件というものの連続性を断ち切れないのではないかというふうな感じがしております。 そういうガイドライン等を設けるということについて何か検討されているかどうか、それをお尋ねしたいのと、週刊誌等で報道されておりましたが、アメリカの方では銃器が簡単に手に入るということで、大変な事態になっている学校がある。警察の方でスクールポリスを派遣して、警察官がチームを組んで巡回している。また、監視カメラまでつけてこういう事件の発生を防いでいるというような現状まで報告されております。そういうアメリカでも、所持品検査についてきちんとガイドラインを決めて、ガイドラインが決まっているからそれにのっとって安心してやっているんだというような報告もあわせてされておりました。 そういうことを考えても、文部省の方として、この件については何らかもう一歩踏み込んだ措置が必要だと思うのですが、その点、どうでしょう。
○辻村政府委員 私ども文部省の中には、昨年の神戸事件以降、協力者会議を設けまして、学校と関係機関との連携のあり方、もっと的確、確実、具体に対応する連携のあり方ということで、専門家の御審議を煩わせております。その中には警察関係の方にも加わっていただいているわけでございますが、その報告が近々出てまいります。まず、その報告を受けまして、学校と関係機関との間でのスムーズな連携ということについての趣旨の徹底を図ってまいりたいと思っております。 お尋ねのガイドラインでございますけれども、私どもこれまで、安全確保最優先であるということ、それから所持品検査も含めて毅然とした措置は講じ得るんだということ、もちろん保護者や子供の理解を得つつであるけれども、各学校各学校の状況に応じて毅然たる態度をとってほしいということ等を示しているわけでございます。 さらに細かなガイドラインということまで示す必要があるのかどうか。各学校各学校、それぞれ子供を預かり、安全の大切さということはわかっているはずであるわけでございまして、まずはこういった基本的な考え方に立って各学校が工夫をしていただく、そういう対応を私どもとしては見ていきたい、こんなふうにまず考えているところでございます。
○富田委員 今の考えで一応は納得したいのですけれども、実際、一月二十八日に教師の刺殺事件が起きて、また今度、生徒同士で刺殺事件が起きてしまったわけですよね。だから、こういうふうに何らかの会議から報告書が出てくるのを待っているというふうにやっていると、また同じようになってしまいますよ。現場はそこまで進んでいるのではないかなという危機感を持っていますので、文部省が警察庁の方からいろいろ参考意見を聞いて、もう少し踏み込んだことをやりてもいいのではないかなと私自身は思っております。 時間もありませんので、最後に、ナイフ事件について、私ども新党平和でも母親とナイフプロジェクトというものをつくりまして、三月五日に初めて会合をやりました。事前に事務方の方から大臣にもこの小冊子をお渡ししたと思うのですが、武藤義男さんという、福島県の三春町で、一九八〇年、当時荒れる学校を立て直した教育長さん、この方に来ていただきまして、今回のナイフ事件について、その解決策を探るのに何か参考になるお話はないかということで、約二時間、お話を聞きました。 先ほど肥田先生がおっしゃっていたオープンスペースの学校もこの武藤さんが最初にやり出して、当時、文部省の助成課の方で補助金がついていなかったのを、オープンスペースについても補助金をつけるというようなことで、新しく小学校が建設できたそうであります。先ほど図書館司書のお話もありましたが、本当にいい司書を見つけるということが子供たちの心の教育にとって大事だというようなお話も、この武藤先生はされておりました。 私どもの文教委員の池坊委員、また旭道山委員は、それぞれこのプロジェクトの女性局長、青年局長として主宰しておりますので、このプロジェクトで学んだことをこれからこの文教委員会でいろいろ御提言させていただきますので、また大臣にも、それに対していろいろ議論をしていただきたいということをお願いしまして、私の質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
○河村(建)委員長代理 次に、西博義君。
○西委員 大臣、大変に御苦労さまでございます。あと二時間でございますので、頑張っていただきたいと思います。自由党の西博義でございます。 先ほどから、ナイフ等を用いた中高生による事件に関して、既にさまざまな議論が出ております。文部大臣は、先ほどの所信の中でも、「学校と家庭、社会がそれぞれの力を結集した心の教育の充実に向け、取り組みの一層の強化を図ってまいりたい」、こう述べられました同時に、後段の方ですが、「家庭教育についてり学習機会の充実や相談体制の整備など家庭教育に対する支援」、それから「青少年の学校外活動の充実」を挙げておられます。 昨日の大臣のアピールにも、大人に関しては、「未来に向かって生きていく子どもたちを、皆で声をかけあって、育てて行こうではないか。」実は私、きのう、大臣の生の声と下のテロップを同時にテレビで見て、かなり充実した放映をしているな、これは民放でございましたが、そういう印象を持ちました。 そのことを通しまして、また、この約一カ月余りの少年の、中高生による事件を通しまして、私は、我々大人が今まで経済的な豊かさを最優先に戦後頑張ってきた、その社会システムあるいは個人の価値観、またはそれに対応した日常生活、こういうものに対して警鐘を鳴らしているという側面が今回の事件を通してあるのではないかな、こう思うわけでございます。 時折しも、この深刻な不況下、中高生を持つ子供の親、私よりも若干下かよく似た世代、社会の第一線にあって日夜額に汗して本当に忙しく働いている、そういう人が親御さんでございます。ある家庭では、夫婦ともどもに働いて、今の経済状況を克服するために頑張ってくださっている、そういう方もたくさんおられるのではないかと思います。同時に、帰ってきますと子供のことで心配をし、また、直接心配はなくとも、今の状況を憂えて我が子のことを考えている、そういう家庭が 大変多いのではないかというふうに思っております。 今、私たちは、これは親だけではなくて大人全般でございますが、仕事で頑張るという以外に、もう一つ大事な役割をやはり自覚していかなければならないときに来ているのではないかなというふうに思うわけでございます。それは、自分自身の足元である家庭、子供、さらには地域社会というものに我々自身がもう一度目を向けて、その中で新たな社会のあり方というものを追求していく必要があるのではないか、こういうふうに思うわけでございます。そのことにつきまして、大臣の御感想をちょっとお願いをしたいと思います。
○町村国務大臣 西委員御指摘のとおりであると私も受けとめております。子供は大人社会の鏡のようなところがございます。そういう意味から、やはり社会全体がモラルが低下している、自分さえよければ、お金が一番大切だ、今が楽しければそれでいい、そうしたことどもがやはり子供たちに大なり小なり反映しているのかなと思ったりもいたします。 でありますから、これも時間がかかる話でありましょうし、今のナイフの事件とそれこそ直結はしないかもしれませんが、やはり長い目で見て、教育というのは時間がかかることかとも思いますので、やはりまず大人が自分たちで、今の社会の姿で本当にいいのだろうか、我々のモラルは、ちょっと今余りにもいいかげんになり過ぎているんじゃないだろうかという反省点からもろもろのことを出発させていければな、このように考えております。 そういう意味で、今度中教審の方からも、大人に対する提言、学校とかそういうことばかりではなくて、大人、社会全体に対する提言もおまとめをいただける方向で具体的に作業が進んでいる、このように聞いておりますので、大変期待をしているところでございます。
○西委員 先ほどの所信を拝聴しておりましたが、大臣はその中で、四つの重点項目を挙げられました。その内容は、一つ一つ異論はないのでございます。全く同感なんですけれども、実は、この四項目のうち三項目にわたって、詳細は中教審だとか審議会というようなことが結論のようなお話を承りました。当然、問題意識としては、四つ挙げられたということは重要なんですが、行政の中心者として、やはりもう一歩踏み込んだ答申が欲しかったな、こういう思いがいたします。 審議会の問題は、先ほど池坊委員からもお話がありましたが、文部省がまず審議会に答申をする。答申を受けて、中間で戻ってくる場合もあるんですが、固めてしまった後に、私どもに文書になったものが法案として上がってくる。それで、賛成か反対かという、そういうせめぎ合いの中で数で決まっちゃう。 なかなか立法府の場で、この一つ一つの審議会の議題について発言する、または本当に議論していく機会が余りにも少ないのではないかな。中間段階ででも何か、もちろんいろいろ資料をもらったりするのですが、たくさんの資料の中に埋まってしまって、なかなか我々真剣に考えたり大臣にお尋ねしたりという機会がないものですから、この審議会方式、我々、特に野党におります者には大変もどかしく感じているわけですが、このことについての大臣のお考えを承りたい。 特に、今回四つの御提言の中で、第一番目の心の問題、心の教育、中学生を中心とするナイフ事件に関する問題ですが、大臣が緊急アピールをきのう発表されましたが、残念ながら、きのうの午前中も、中学二年生が二カ所でナイフの事件を起こした。もちろん発表する前の話でございますが、こんな緊急事態でもあります。リーダーシップを発揮して、一刻も早くこの対策を打ち出すべきではないかというふうに思います。 先ほどのお話ですと、通常六月というふうに書いておりますが、私は少なくとも、もうすぐ春休みですが、新学期にはきちっとした対応を学校並びに社会、家庭に打ち出すべきだ、こう思いますが、あわせて大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○町村国務大臣 審議会のあり方につきまして、先ほど池坊委員からも御指摘がございました。今委員からもお話があったとおりでございます。ややもすると、確かに何か審議会に全部任せて、文部省は昼寝でもしているのではあるまいか、こんなような御指摘かもしれませんが、文部省、決して昼寝をしているわけでもございません。一生懸命、審議会の委員の皆さん方と担当局長以下、必死の議論をする中で、いい答えを出そうということで作業をしているわけでございます。 もちろん、こういう国会の場での御議論も、適時適切に委員の皆様方には御連絡を申し上げておりますし、そうした御意見もまたできる限り反映をできるようにということで、これからもまた努めてまいりたい、こう思っているところであります。 なお、六月だなんだと言わずに、もうできるだけ早くと、こういう御指摘がございました。とりあえずこの中教審中間報告、座長骨子案というのが二月になされ、中間取りまとめが三月末に出てまいります。そこでかなり具体的な姿が、特に心の教育の部分については出てまいりますので、またそれをひとつたたき台にして御議論をいただき、その中でまたやれるものはできるだけ早く行政上の措置、あるいはそれぞれの学校の現場、もっと言えばそれぞれの家庭でそれを受けとめていただいて、あすといわず、きょうからそうしたものに取り組んでいけるものも多々あるのではないかな、こう思っております。 全部法律にしなければ、予算にしなければ物事が進まないということでもなかろう、こう思っておりますので、できるものから一つでもいい政策は早く実行に移してまいりたいと考えております。
○西委員 先ほどの所信の中にもございましたが、中高一貫教育制度が今回法案として審議されるわけですが、細かいことはまたそのときに御質問申し上げたいと思います。 一点だけ確認をさせていただきたいと思います。 最近、教育改革の一環として、この文教委員会でも種々の法案が審議をされました。最近では、大学教員の選択的任期制の問題、それから大学の入学年齢の制限緩和の問題、こういう施策が次々と打ち出されてまいりました。これらはいずれも各大学の自主性、いわば選択に任されて、今のところ施策を実施しようという大学は比較的少ないというか、数校だ、一、二校かと思いますが、我々が審議してねらった、文部省もそれなりの効果を期待をして施策をつくっているわけですが、影響力はまだ若干乏しいという現状でございます。 今国会に提出された中高一貫制もまた選択的導入という方針になっております。先ほど、後ほど財政的な問題もということがございましたが、ちょっとダブるかもしれませんが、その議論をさせていただきたいと思います。 そういう意味では、教育改革ということで銘打って次々とやっているのですが、個々の法案を成立させることによって現実に存在する問題点をどう改善するかというのが我々の視点で常にとらえている問題なんですが、このことが余り明確ではない、こういう感じがするわけでございます。かといって、先ほどの議論ではありませんが、すべて端から端まで介入してということは、これは行き過ぎかもしれませんが、もう少し文部省の意思といいますか、こういう状況を想定しているということを私はお出しになった方がいいのではないかという感じがしております。 この間の総理の施政方針演説の中にもこのようにございました。「明治以来、教育は、親や地域だけではなく、国が積極的に関与すべき課題」、こういうふうにおっしゃっておられますが、この関与の程度ももちろん問題はあるのですが、もう少し文部省として、一つの施策を打つことによってこういう状況が生まれることを期待しているのだという部分を明確にしないと、お好きにどうぞと いう形では余りすべてのものに効果があらわれないのではないかということ。特に中高一貫、今回若干の議論の差はありつつも、私自身もこの制度については大いに期待をしておりますので、このことに関連して大臣の御所見をちょうだいしたいと思います。 〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
○町村国務大臣 中高一貫につきましては、またいずれ法案を出させていただいたときに御議論を賜りたいと思っておりますが、基本的には、個性を伸ばしながら多様な選択ができる学校制度という中にいろいろなメニューがあろうかと思います。委員からも既に御指摘のあったような、大学の入学年齢制限の緩和を含めて幾つかはもう実行されておりますが、その一環かなと思っております。 今までは六・三・三・四と、実際には高等専門学校なんかはありますけれども、ある意味では非常にシンプルでありました。そのよさも現実にあったし、だからこそ相当普及もしたということもありましょうが、今や、やはりそれぞれの子供の状況、あるいは地域の状況、時代の状況に合った選択肢があるということが私はいいのだろうと思います。 ですから、確かに、例えば大学入学年齢制限緩和を決めたけれども、実際にやっているのはまだ千葉大学ただ一校なんですね。これでは何のためだったのという御批判もあろうかと思いますが、私は、たとえ一校であっても、そういう風穴があくということの効果は実は大変大きいのじゃないのだろうか。 いずれの日にか、これが数学、物理の分野だけではなくて他の分野だっていいじゃないかとか、何で十八歳が十七歳でとまるの、十六でもいいじゃないかとか、いろいろな議論がまたそこから出てくるでありましょうし、今は中高一貫でお出ししておりますが、自民党サイドからは、例えば小中一貫とか幼小一貫とか、いろいろな御提言も実は自民党の教育改革の中で出されていることを私は承知をいたしております。 そういう形で、それでは直ちにそれは全部文部省がやりますという意味で私申し上げたのじゃございませんが、いろいろな選択肢があるということのメリットが、私は一人一人の子供にとって、親にとって、学ぶことの楽しさ、その人に合った学校の制度の中で学べるよさというものを選んでいただけるという意味で、できるだけ多様な制度をつくっていくことがこの際必要なのだろう。そのことがまさに中高一貫のメリットなのではないだろうか。もちろん、さらにもう少し詰めて言うならば、中学から高校に進む際の高校入試のあり方とか、関連するいろいろな問題もまた出てくるのだろうと思います。 一番の大きなポイントは、選択肢の拡大であり、多様化である、多様な選択ができるというところであると私は理解をいたしております。
○西委員 今若者にとって一番の人生の岐路というのは、やはり中学校から高校に入るときだと言われているのですね。先ほどから議論がありますように、九七%が進学をするのですが、ここでどの高校に行くかということによって大きく自分の人生が決まってしまうということが事実上行われる段階なのだと言われております。一見すると大学に行くときが一番決まりそうな気がするのですが、既に、高校に入るということ、どの高校に行くかということが大きな問題だというふうに言われております。 そこに僕は大きな矛盾が、みんな行くのに、いわゆる輪切りで自分たちの選択にかなわないところにどうして行かされるのかというこの命題が解けない限り、今の子供たちの不満というか、またプレッシャー、ストレスは解消できないのではないかというふうな気がしております。 そんな意味で私は、先ほど肥田委員もおっしゃいましたように、極端に言うと高校入試をなくすぐらいの大胆な改革をやらないと、今の中学校のこの状況、もちろん刃物がなくなればそれでいいということではありませんから、抜本的な状況の改善はないのではないかというふうに思っております。そんな意味で、中高一貫制の導入をまたその一つの手がかりにというふうな形で、重要なことというふうにとらえているわけでございます。 ある新聞を見てみますと、ここにあるのですが、少なくとも生徒からは、教師の持っている凶器というふうに内申書を表現しているのですね。ここにこう書いてあるのです。 教え方または言動などが悪い教師の授業では、生徒は騒いで聞かなかったり、他のことをやったりするときがある。教師は言う。「授業態度が悪い生徒の成績は落としてもいいことになっているんだ」と。 このやりとりを通して、僕たちにとっては内申書は先生の持っている凶器だ、こう表現しているわけなんですね。 ある意味では私は、事実、内申書という権限を教師が持っていることが、彼らにとって日常的にどれほどプレッシャーになっているかというこの側面も否定できないのではないかというふうに思っております。そんな意味で、高校入試をなくすとまではいかなくても、内申書を廃止する、こう言うぐらいの決断があってもいいのではないかというふうに思いますが、大臣、お考えはいかがでございましょうか。
○町村国務大臣 幾つかのポイントを先生御指摘をされました。 私は、高校をどこに行くかで人生が決まるということは全くないと思います。それは多分に親の誤解、本人の誤解に基づくものではなかろうかな、こう思っておりますが、そういう先入観なり一般的認識が広がっているとすれば、それはむしろ我々の責任で、是正していかなければならないのかな、こう思います。 偏差値で輪切りになってしまうというお話、これは私もいいことではないと思います。結局これも、丁寧に、あなたが試験に落ちないようにするためにここなら入れるよとやって、不満ながらも無理無理振り分けているということでございましょう。 だから私は、一回落ちてもいいじゃないかと。好きな学校に願書を出して、A高校に行きたい、それは、先生がおまえ無理だよと言ったって受ければいいんです。そして試験の結果、それは落ちるかもしれません。そして、すぐリカバリーのチャンスは、まだほかに定員に未達の学校が幾つもあるわけですから、今度はそこに行くということで、それを、一回受けて落ちるのがかわいそうだ、あるいは先生のメンツがないとかいろいろな理由があるのかもしれませんが、本人が落ちてはかわいそうだという何か過剰な配慮が、偏差値というものをある意味ではまずい方向で使っているんじゃないのかな、こう思ったりもいたします。一度受けさせればいいんじゃないかと僕は思っています。 それからもう一つ、内申書の意味であります。私も定かに覚えておりませんが、私の時代には内申書というのは、あったにしてもそれはそんなに高校入試のときに重視されなかったと思います。専ら一発勝負の試験の点数。ただ、それがある意味では、そのとき例えばたまたま体調が悪かったりとかなんとかで、一回こっきりの試験ですべてを決めるのはあんまりじゃないか、平素こつこつ努力した人のそれも認めなきゃかわいそうだよということで、県によって違うのですが、大体学力検査五割、内申書五割の配点で合否を決めているという実態で、むしろ一発勝負の反省に立って、内申書重視というか、内申書を半分ぐらい見るというふうに変わってきたら、今度はまたそれがいかぬと言われる。じゃまたもとに戻して、学力試験だけだよとなると、これはまた、あんまりかわいそうだとかいろいろな議論が出てくるので、これは何が絶対いいということは、多分なかなか私は言えないんだろうと思います。 しかし今、おまえら、おまえらなんて言っちゃいけません、先生が生徒に向かって、自分はそういう内申書の査定権限を持っているぞなんていうことをもし言ったとすれば、こんなばかな先生はいないのであって、私は、その先生の教師としての資質をその一点だけでも疑わざるを得ない、こう思っております。 いずれにいたしましても、今、高校もいろいろな工夫をしております。推薦とかあるいは面接とかいろいろな工夫をして、例えば調査書を用いない選抜も現在ある一県で行われていたりもいたしますので、そんなようなことで、多様な選択肢、多様な観点で高校も適格者を選ぶという努力を、大学入試もそうですが、高校入試もまたそういう努力をしていただきたいなと期待をしているところであります。
○西委員 ありがとうございました。私も、趣旨は、調査書が悪いというのではなくて、根本は、調査書にまつわる教師と生徒との間の不信感の問題だと思っております。 そういう意味では、一発勝負が悪いという議論はもともとあった話ですから十分理解をしているのですが、その不信感をやはり払拭する努力、今一例を挙げましたが、それだけじゃなくて、私どもの地元でも、やはり生徒並びに御父兄の調査書に対する不信感というのはあるということはまた事実でございます。その辺のことも十分御理解をいただきたいと存じます。 今、文部省も教育改革ということで大変御努力されているのですが、地方の自治体でも教育改革を、自分たちでできる範囲の教育改革を結構目覚ましくやっています。最近の新聞だけをちょっと紹介しても、大臣ももちろん御存じの話ですが、鹿沼市の東中学校では、中間、期末テストを廃止する、こういう記事が出ております。「意欲を持って物事にあたるのは人間に絶対必要な資質だ。それを授業の中で子供に植え付けるには、今の形のテストではだめだと思った」というのが校長先生のお話でございます。 それから、震災の神戸・長田中学校では、先生が付き添わずに、地域社会とつながりをつけるために中学生を三日間、町工場それから商店街、ホテル、デパート、こういうところで体験就職をさせる、こういう試みが始まったという記事が出ております。さらには、京都市の教育委員会では、快適トイレ整備事業、新年度から五年間で十八億円を投じて、市内の三百の公立学校のトイレの改修を行って快適なトイレにしよう、こういう計画が行われている。 それぞれ、もちろん文部省として異論のないところというか、中間、期末はやれとかいうようなことではないということは承知をしているのですけれども、大変大胆な、思い切った施策を各地方自治体がとられているな、こういう印象でございます。やはり文部省も、中央としてできる思い切った改革を今こそやっていくべきときではないか、こう思うわけですが、地方の動きについて、大臣、どう思われますか。
○町村国務大臣 いろいろな試みが行われていること、私は大歓迎でございます。大いにやっていただきたい。そのことこそがまさに特色ある学校づくり、地域の学校づくりということにもつながると思いますし、そういうことも考えまして、私どもは、できるだけ物事を決める権限を学校現場に移していくということを今中教審に諮問をし、そういう方向で答申をいただけるものと、こう思っておりますが、まさに委員御指摘のような観点から、私どもも、一々国が全部決めるのではなくて、できるだけ現場でやってもらう。 新しい指導要領の中でも、例えば総合学習の時間というようなものをつくり、それはそれぞれの学校で、例えばうちの学校では環境問題を一年間やろうとか、うちの学校では国際理解増進のための一年間にしようとか、あるいはうちの学校では図書館を中心にした何かさまざまな活動を一年間やろうとか、それはそれぞれの学校で特色あるそういうものを考える。しかし、ある意味では、任された先生は相当自分の頭で考えなければならないので大変だろうと思いますが、それをむしろやっていただくことによって特色ある学校づくり、そしてそのことがまた生徒の魅力、生徒の個性を伸ばすことにもつながるという相乗効果を期待しているわけでございます。
○西委員 先ほどもちょっと議論があったのですが、通達の件でございます。 今までどちらかというと、文部行政の中では通達を中心にコントロールしていくと言ったら語弊があるのですが、たくさんの通達が各教育委員会また地方自治体に対して発せられていると思うのですが、どちらかというと、そのことによって地方は通達待ちという今まで習慣があったのではないか。先ほどの議論もそうですし、定期テストなんかやめられるのというような、また当然やらなければならないという気持ちも常識としてあったりして、その辺のところは、むしろ私の印象としては文部省の方が規制が緩和されているな、地方の方がむしろ自分たちで自分たちを縛っている状況があるのではないかと常に思っているのです。 一例として、平成八年度、小中に関連して出された文部省の通達、毎年ルーチンで同じ調査をされたりいろいろな通達があると思うのですが、一体どれだけあるか、教えていただきたいと思います。
○御手洗政府委員 お答え申し上げます。 初等中等教育行政に関しましては、国と都道府県並びに市町村が連携協力して、全国的な教育の機会均等とその水準の維持向上を図るという観点から、教育の事業を適切に実施するというために、文部省におきましても、地域におきます教育行政の実施主体であります地方公共団体に対しまして、必要に応じて法令解釈等の通知を出しているところでございます。 初等中等教育に係ります文部省の公式の通知等の文書は、資料の送付あるいは会議や研修会の案内等も含めますと年間相当膨大な数に上りまして、大変申しわけございません、にわかに正確な数字を申し上げる準備ができておりませんのでお許しをいただきたいと思います。 いわゆる補助金の事務あるいは許認可事務、今申し上げましたような会議や研修会の案内等、毎年行っております定例的、定型的なものを除きまして、いわゆる指導助言にかかわります通知ということに限らせていただきますと、平成八年度で初等中等教育局と教育助成局に限ってみますと、例えば「いじめの問題に関する総合的な取組について」という通知あるいは「教員採用等の改善について」というような初等中等教育局長通知あるいは教育助成局長通知など十九件程度、とらえ方によりましていろいろな数がふえてこようかと思いますけれども、局長名のいわゆる指導助言にかかわります通知というものは十九件程度ということで押さえているところでございます。
○西委員 意外に少ないのですが、その他膨大な資料は常に地方と中央の間では往復をしている、こういう認識でよろしいのだろうと思います。 先ほどから、もっと規制緩和の事実を地方に知らせろ、私もそういう意味でのサービスは全く賛成でございまして、教育委員会を中心とした地方がもっと意識を持って、今の文部省の意思を知るというための通達はしっかり頑張っていただきたいと思います。 それでは、きょうぜひやりたかった週五日制の問題について議論をさせていただきます。 平成七年度から月二回の土曜日が休みになりました。このたび、予定より一年早めて完全週五日制の実施をしようということが新聞に載っておりました。その前に、この数年間に、完全週五日制への条件が、また環境がどうなったのか、整ったのかどうかということが問われなければならない問題だというふうに考えております。 完全週五日制については、平成八年七月、中教審の第一次答申でこのように述べられております。 子供たちや社会全体に「ゆとり」を確保する中 で、学校・家庭・地域社会が相互に連携しつ つ、子供たちに「生きる力」をはぐくむという ことを基本にして展開されていくべきだと考え る。 「生きる力」は、単に学校だけで育成される ものでなく、学校・家庭・地域社会におけるバ ランスのとれた教育を通してはぐくまれる。特 に、家庭や地域社会における豊富な生活体験、 社会体験や自然体験は重要である。こういうふうに言われておるわけですが、その中で家庭や地域社会との役割分担が大切だ、こう指摘をされております。 そんなこともありまして、今年度の予算の中に、家庭教育を支援する地域づくり推進事業、それから青少年の地域エコプログラム推進事業などが計上されております。前の予算書を繰ってみますと、週五日制が試行され始めた平成四、五年ぐらいから、学校にかわる受け皿づくりという施策が幾つかありまして、例えば少年少女サークル活動促進事業、それから自然生活へのチャレンジ推進事業、青少年交流推進事業、こういう数々の施策が実施されております。 私は、こうした試みや努力を評価したいと思うのですが、この週五日制が始まった当初は、社会にも青少年の学校外活動の推進に取り組もうとする意欲、熱意が感じられたように思います。しかし、残念ながら、現在はその意気込みが若干失われて、社会の受け皿もそれ以上に整ったとはとても言えない状況ではないか、こう考えております。 中教審の言う「「生きる力」をはぐくむ」ということに関して、家庭、地域社会においては、子供たちに何を行ってほしい、もしくは子供たちがどうすることが理想だとお考えになるのか、大臣の具体的なイメージを教えていただきたいと思います。
○町村国務大臣 学校週五日制、今委員御指摘のとおり、当初の予定よりも一年早めてという方向で今御検討いただき、近々結論をいただこうかと思っております。 この点につきましては、直接今のいろいろな刃物事件等々を理由にしたわけではございませんが、できるだけゆとりのある学校づくりをする、そしていい施策は早くやろうよ、どこまで早くすることができるだろうかというようなことをそれぞれの分野で文部省内で検討した結果、教科書の作成、検定等々の時間もあるのでありますが、何とかこれを一年早めることが可能だということで、この週五日制を一年早くしたい、こう考えているということであります。 その際、委員御指摘のとおり、またそれは総理もそう言っておられましたけれども、土日しっかりと塾に行かれたのでは何のための週五日制かという御指摘はまさにそのとおりだろう、こう思っております。 そのようなことから、よく例えに出されますけれども、既に、ボーイスカウトとかガールスカウトとか、各種のそういう青少年にかかわる団体の活動、学校外でのそういうすばらしい活動が幾つもあるわけであります。 例えばボーイスカウトを一つ例にとっても、最近何となく活動参加数が、子供の数が減っているからやむを得ないとはいうものの、ちょっと減り過ぎているな、もう少しそういうもののよさというものをみんなが再認識をして、それに参加をしたりとか、あるいはこれは国の予算も出ておりますけれども、国立青年の家とか少年自然の家とか、こういったものももっともっとそういう面で週末二日間活用してもらうとか、あるいは身近なスポーツ施設をさらにより多く整備していって、そこでスポーツに家族ぐるみで親しめるようにしていくとか、さまざまなこと、要するに、学校の中の座学では体験できないようなことを伸び伸びと、できれば自然に触れながら、あるいは自分とは違う年齢とか性別とかあるいは職業、おじいちゃん、おばあちゃんというようないろいろな人たちと触れることによって広い意味の教育的効果をそこでまた上げていく。 日曜日だけですと、どうしても一日だから、お父さんも、どこかに子供を連れていこうかなと思っても、待て待て、くたびれるとまずいなというのでやめてしまう。土日あれば、ある意味ではゆっくりとそういう子供と触れ合う時間もふえてくるというようなことを期待しておりますが、いずれにしても、この受け皿の準備というのは、これから準備段階からしっかりと充実をしていかなければいけない。御指摘の点を踏まえて取り組んでまいりたいと考えております。
○西委員 文部省の調査にこういうのがあるのです。「幼児・児童・生徒の学校外活動実態調査報告」、こういう調査があるのですが、平成六年の調査では、休みとなった土曜日の活動内容がどういうことになっているか、生徒の調査です。 中高生ともに、部活動それから近所での遊びや運動、散歩、こういうのがベストスリーの中に二つ入っているのですね。先ほど大臣が言われたイメージに若干近いような部分、外で運動したり散歩したりということが入っているのです。 平成八年の調査を見ますと、中学生の回答のベストスリーの一つに部活動は残っているのですが、外での活動にかわって、テレビ、ビデオやラジオ、CDの視聴、ゆっくり眠る、新聞雑誌、マンガなどを読む、こういう回答が主流を占めてくるようになるのです。わずか二年の間で大きな変化を遂げているわけでございます。つまり、我々の思いとは若干方向が逆で、家でごろごろ過ごしているという姿が浮かび上がってくるわけでございます。 また、休みがふえたらどうしたいか、こういう調査もあるのですが、このことにつきましては、ゆっくりと眠りたい、友達と屋外で遊びたい、デパート、コンビニ、スーパーなどで買い物をしたい、こういう回答が中高生の間から上がってきているわけでございます。これはまさしく子供たちの本音ではないかと思うのです。 私は、基本的な方向としては、完全週五日制実施に賛成でございます。しかし、隔週で土曜日が今休みとなって、中高生の多くが家でゆっくり休養というか、ある意味ではそれも大事なことだというふうに思うし、それはそれでよかったと思うのですが、家でゆっくりする時間をつくるという意味では、ちょうど隔週ぐらいでいいのかなというふうな気もしております。 先ほど大臣がおっしゃられたイメージ、まさしく土曜日が休みになったときの論争もそういうことでございました。こういうことを理想にして、ただし、塾には行かないだろうかという心配が本当に主流の心配だったわけでございますが、私たちの心配をよそに、塾には本当にわずかの人しか行っておりません。これはこれでいいんだろうと思うのですが、理想の形ではなくなってきているということに我々は注目していかなければならないんじゃないか。 完全週五日制の実施を一年早めるというわけですが、この前提として、現実と理想の間にある大きなギャップをいかに埋めていくかということが重要である、こう考えるわけですが、いかがでございましょうか。
○町村国務大臣 高校生あたりが一番希望するのが、ゆっくり眠りたいというのが一番に来るのは、我々国会議員であればゆっくり眠りたいという気持ちが起こるのでありますが、高校二年生がゆっくり眠りたいというのはいささか、なかなかちょっと理解しづらいところがあります。それだけ、平素そんなに忙しく、かつ、睡眠を削って勉強しているのかなと思ったりもいたしますけれども。 そういう実態があるとすれば、やはり一つは、先ほど来申し上げているように、指導要領、カリキュラムを厳選して、覚えるということの作業を減らしていくということ、そういうための入試改善ももちろんともに必要になってくるわけであります。そして、自分の頭で考え、行動できるという子供たちを育てるという今の新しい方針に沿って、学校自身の見直しも必要だろうな、こう思っております。 それと同時に、今、受け皿の必要性、委員言われましたけれども、デパート、コンビニ、スーパーに行って、行ってはいけないとは言いませんけれども、そのために週五日制というのでは余りにも寂しいし、やはり、自然と触れ合ったり、友達と外で遊んだり、部活動をしたりというような ことが十分できるように、本当に環境整備にしっかりこれから取り組んでいかなければいけないというふうに思っておりますので、今後またこの国会での御議論も承りながら、具体的にどういうことをやったらこの二日間というものが有効に活用できるのか、委員の皆様方の御意見、御指導もいただきながらそれを充実していきたいということを改めて痛感いたしております。
○西委員 先ほどの生徒の動向、また希望も問題なんですが、実は、毎週毎週二日間休みになるということで、私たちがある程度希望している土曜日の実態がこうであると同時に、また日曜日も同様、いや、それ以上にやはり自由な時間を過ごしていくということになるのではないかという危惧を抱いております。 昨年の十二月に発表された厚生省の飲酒に関する調査があるのですが、中学校一年生では大体一〇%前後、高校三年生では三五%ぐらいが飲酒の経験がある。経験の多い高校三年生に、どういうところで飲酒をするのかということを聞くと、四五%が居酒屋、カラオケボックス、購入先は、半数がコンビニ、スーパー、こういう結果が出ております。 同じく厚生省の麻薬白書、これも同じ時期に発表されておりますが、高校生は、前年度九十三人から二百二十人と倍以上にふえたということが言われております。 さらに、昨年の五月、警察庁のまとめによりますと、覚せい剤の購入資金、ゲーム代、カラオケ代欲しさから中高年に暴行を加えるいわゆるおやじ狩り、アベックなどを襲うカップル狩り、こういうものが急増している。これらの事件について、暴走族など従来の非行集団が関与している割合はほぼ横ばいで、ゲームセンターなどで顔見知りになった新しい形の非行グループが犯行の増加につながっている、こういうこともあります。 土日ゆっくりするのはいいんですが、彼らの居場所といいますか、先ほどもありました、町に出たいという気持ちも踏まえて、やはり町に出れば数々の誘惑もあり、またお金も欲しい、どうしてもこういうことになってまいります。必ずしも規制するのがいいのかということは、議論は別として、そういう動きそのものもやはり我々は視野に入れながらこれからの完全週五日制を考えていく必要があるのではないか、こう思うわけです。 文部省は平成六年十一月、社会の変化に対応した新しい学校運営等に関する調査研究協力者会議の審議のまとめで、休業日が週五日制でふえたことによって非行問題がふえたということにはならないという結論を出しております。私も、必ずしもそうだという断定をするわけではございません。それから、保護者は、非行など問題行動の増加を週五日制への反対理由として挙げている人は少ない、こういう結論を出しております。 これだけが原因だということではありませんが、やはり月曜日から金曜日に対して、土日がこれから毎週毎週長期にわたって丸々二日彼らの自由になる、それから今の彼らの、休みがふえたらこうしたいという希望等、周りの環境も含めて、十分考慮していかなければならないというふうに考えるわけでございます。 先ほども大臣から答弁をいただきましたので、同趣旨のことでございますから、この件については御意見だけさらに申し上げておきたいと思います。 それから、これから完全週五日制に向けてのスケジュールなんですが、大臣は、一年早めて十四年度から施行する、こういう決断をなされたようです。家庭や地域の受け皿がまだ十分ではないということを僕は思ったものですから先ほど大臣にもお尋ねいたしましたが、その点については、十分充実をするために努力をするという大臣のお話でございました。 僕は、そこのところが大事であって、先にゴールがあるという、必ずしも大臣もそういうお気持ちでおっしゃったのではなくて、いいことは早くすればいいじゃないかということが趣旨だと思うのですが、その視点をぜひ柔軟に考えていただきたい。ただ社会に帰せばいいんだ、家庭に帰せばそれがすべて教育にプラスになるんだという考え方は、必ずしも当たらないという気持ちを私は持っておりますが、大臣の、一年早めるとおっしゃった真意をちょっとお尋ねしたいと思います。
○町村国務大臣 やみくもに早くすればいいとも思いませんし、しっかりした準備がまずできるかどうかということでございますが、平成十四年からということを考えたときに、平成十三年中には教科書の採択、その前の年、十二年が検定、その前の年が教科書編集ということになりますので、平成十年度中には新しい指導要領の告示等々、相当文部省も大車輪で仕事をしなければならないということであろうと思っております。 その目的でございますが、言うまでもないことでありますが、週五日そして残りの二日、まず五日の方は、学校の中でそれなりのゆとりというものを持ってもらう、そして生きる力をつくってもらうということ、したがって、今度はカリキュラム、指導要領を精選していくということを同時並行的にやって初めてその実が上がってくる。あとの土日の方は、先ほど来申し上げているような形で、学校では体験できないさまざまな体験をすることによってまた幅の広い人間ができる。両々相まって週五日制の実が上がってくる。それが早くできるならば早くやった方がいいのではないか。 確かに、おっしゃるとおり、受け皿づくりが十二分にできているかと言われれば、率直に言って、決してそこは現状十分だとはまだ言えないと思いますので、委員の御指摘もいただきながら、また御指導もいただきながら、できるだけその面の受け皿の方もしっかりと、それまでに間に合うように努力をしていかなければならないと考えます。
○西委員 現実は、月二回学校週五日制が実施されているわけですが、現状の調査がございます。これは文部省が平成九年の九月に行っているわけですが、これでは、現行の指導要領というのは完全に六日制のもとでの指導要領ですが、このもとでの隔週週五日制を行ったところが、授業時数は確保できたが、学校行事やゆとりの時間が減った、こういう状況が出ているように思われます。 今度は、これを完全週五日制、つまり一週間にして二時間さらに減らしていくわけですが、大ざっぱに言って、今の学習指導要領の時間数を二時間減らして完全週五日制に持っていく。もちろん、その間には総合学習の時間等若干の自由度を増すことになるわけですが、もとの完全六日制から完全五日制に移行するにおいて、二時間の減でもって六日制から五日制に移行していくというところに若干の、時間数だけの議論で中身は若干また別の話があるんでしょうが、ゆとりという側面からいっても、相当工夫をしないと、私は、基本的に難しい詰め込み方がこの五日の間に出てくるのではないかという気がしております。 そういう意味では、今のままで新しいカリキュラムにする、隔週二日で新しいカリキュラムにするぐらいが――そのゆとりの時間とか総合学習の時間とかが入った新しい指導要領でもってやるのが本当の意味でのゆとりの時間と言えるのかなという、理想的な議論としてはそうなるのだろうと思うのですが、そういう感じさえするような、今の私の学習指導要領に対する素人考えなんです。くれぐれもこのゆとりということを大切にしていただきたいと思います。 教育内容の厳選、この厳選そのものにもこれから具体的に入ってきますと、随分御苦労が多いと予想されます。どうかそのことも十分踏まえていただいて、完全週五日制になったと同時に新しいカリキュラムになった、時間数はそんなに減るわけではないけれども、中身を見ると、本当に子供が生き生きとしてきたよ、土曜日になったらもうゆっくり寝たいなんということが、各高、中、小の皆さんから言われないで、さあ、きょうは何をしようかと。我々子供のころは、休みといったらうれしくて余計早く目が覚めて跳びはねたという記憶も持っておりますが、そういう生活が送れるように頑張っていただきたいなというのが私の思いでございます。 それに関連して、この新しい教育課程のことにつきまして若干申し上げたいのですが、今までは各学年学年できちっと区切って科目が設定されておりましたが、今は中高一貫という流れもこれから視野に入っていくわけですし、学年が二年ぐらいにまたがって、もう少し余裕を持つようなカリキュラムもあってもいいんじゃないか。 すべての科目を全部二年単位というのはこれまたおかしい話ですが、例えば音楽の科目は二年のうちにこれだけこなせばいいよ、これは順序とかその時々の都合によって先生の選択に任せますよというようなことがもう少し拡大していっていいのではないか。ある選択によると、小学校六年、それから中高六年という課程ができていくわけですから、そんなに細かく刻んでいく必要はないのではないかという気持ちを持っているわけですが、このことについて御答弁をお願いします。
○辻村政府委員 教育課程審議会での審議の状況でございますけれども、ただいま先生御指摘のとおりの議論が今真剣に行われているところでございます。 その趣旨といたしますのは、各学校の創意工夫をできるだけ生かす。特色ある教育活動を展開する。あるいは、児童生徒の実態に応じながら弾力的な指導をしていく。そのために、学習指導要領の教科の内容の基準の示し方についても、大綱化、弾力化を図っていくということでございまして、現在は、体育につきまして、複数学年まとめて示してあるわけでございます。 それ以外につきましては、学年ごとに目標と内容を定めてございますけれども、今先生御指摘になりましたような音楽とか図画工作、あるいは家庭科ですとかというようなものその他、複数学年示すことの方がむしろ各学校の特色ある活動を促すことになるのではないかということで議論が行われているところでございます。 ただ、例えば算数のように積み上げていくような教科というものになりますと、それを複数学年示すということがどんなことになるのかということもございまして、そういった教科の特性等を踏まえながら、今御指摘の点は、教育課程審議会で今真剣に議論されているところでございます。
○西委員 ついでに、教育課程のことについて、高等学校のことなんですが、義務教育を終えて後のことでもありますし、私は指導要領をかなり簡素化してもいいのではないかというふうに思っております。完全になくすということは無理でしょうから、そういう必要はないのですが、相当程度、廃止というのは極論だと思うのですが、簡素化するという方向について、もっともっと自由度のある教科書を現場レベルで採用する方向に持っていくべきだという意見について、御所見を伺います。
○辻村政府委員 学習指導要領は、全国的な教育水準の確保、あるいは実質的な教育の機会均等を保障するという点で、高等学校につきましては必要であるというふうに考えておるわけでございますが、その内容といたしましては、大綱化していく。そして地域や学校の実態に応じて、学校や教師が創意工夫をできるだけ発揮できるような、そういった示し方が適当であろうというふうに考えておりまして、現在、教育課程審議会の議論におきましても、そういう方向での議論が行われているところでございます。 ただ、特に高等学校につきましては、子供たちの発達も相当進んでまいりますので、選択を思い切って取り入れる。その他も含めまして、各学校の創意工夫をできるだけ生かすような基準の示し方、そういう方向で今検討をしておるところでございます。
○西委員 最後に、ゆとりのある教育ということだけではなくて、今さまざまな問題が噴出している中学校の問題に対処するために、私は、特に中学校において早急に三十人学級の実現を図っていくべきだ、こう思うのです。 カリキュラムと同時に、やはり手厚い先生の配置をしていく。もちろん、チームティーチングとか、やり方はその場その場でいろいろあると思うのですが、手厚い教員配置を同時に行っていく、このことが大事だというふうに思います。 ゆとりある教育を実現する上で、高校入試の廃止というのは、私は、ちょっと大臣とは先ほど御意見が違ったわけですが、これは不可欠だと思っております。我々が旧新進党時代から公立学校への中高一貫教育の導入を強く訴えてきたことも、このゆとりある教育を実現するため、また、もう一つの側面は、高校入試をこの時期にやるべきではない、廃止をしていこう、こういう考えからでございます。 今国会に政府から、学校教育法等の一部改正案が提出され、中高一貫教育がシステムとしてでき上がることになりますが、大変喜ばしいことだと思っております。内容については、法案審議の際にまた大臣と議論をさせていただきたいと思います。 政府の案では、この一貫校は選択制ということで、この点について、大臣にも具体的なことでまた御質問させていただこうと思っておりますが、私は、究極的にはすべての学校に中高一貫をやはり導入していくべきだということを訴えさせていただきたいと思います。 中学校における三十人学級の問題と中高一貫の問題について、最後に大臣にお伺いさせていただいて、質問を終わらせていただきます。
○町村国務大臣 三十人学級につきまして、皆様方のかねてよりの御主張であるということは、私もよく承知をいたしております。 現在四十人ということで、現実の姿は、小学校が今二十七・七人、中学校三十二・九人というのが四十人学級の現実の姿でございますから、実態はまさに三十人前後という意味ではそうなっているのかな。だから、これを仮に三十人にすると、多分十数名から二十名ちょっととかそういう姿に多分なってきちゃうのだろうと思うのです。 その点につきましては、今平成五年度からやっております定数改善計画の中で、グループ別の指導でありますとか習熟度別指導でありますとか少人数の学習集団でありますとか、私も学校現場へ行ってみると、随分複数の先生がいて、一人は教壇の上に、一人はぐるぐる歩きながら個別指導をする、かなり工夫が行われておるのだなという現場も見てまいりました。 ただ、御承知のように、非常に財政状況が厳しいということで、皆様方からおしかりをいただいております昨年十一月の財政構造改革法の中で、十年度完成というものが十二年度完成ということでむしろ後ろ倒しになってしまいました。私どもも財政にゆとりがあるならばこういうことはしたくなかったのでありますが、厳しい財政状況の中やむを得ずこういう選択をしたわけでございますが、とにかく十二年度完成は着実に進めていきたいし、その後のことにつきましては、また国会での御議論その他もいろいろ踏まえながら、我々もしっかりとその後の姿について考えていかなければいけないと思っております。
○西委員 どうもありがとうございました。
○高橋委員長 次に、石井郁子君。
○石井(郁)委員 大臣、御苦労さまでございます。日本共産党の石井郁子でございます。 栃木県黒磯市で中学一年生が学校の中で教師を刺殺するという事件は、戦後教育の中で初めてのことだと思うのです。それだけに大変な衝撃を受けました。しかも、その後も学校内外でのそういう子供たちの殺傷事件というのが相次いでいるわけであります。どうしてこういう事態が続くのか。状況は極めて深刻であり、一刻の猶予もできないと私は思います。これは、教育の根本が問われていると私は考えているところでございます。 そこで、このナイフ問題で、この委員会でももう既に各委員から御質疑がございましたけれども、私も文部省の対応についてお伺いをしたいと思います。 所持品検査のことにつきましては、先ほど来、二月六日、都道府県の生徒指導担当課長の会議で文部大臣が表明をされたということでございまして、その趣旨についても先ほどいろいろ大臣の思いをお聞かせいただきました。このことは現場にこの方針を強要するというか、押しつけるというようなものではないというふうに私なりに理解をいたしました。 この間、この栃木の事件以後も刃物を使った事件が三十数件、中学生がかかわっただけでも二十件前後というふうに言われておりまして、一昨日は埼玉の東松山市、きのうは名古屋、沖縄、京都で起きているわけですよね。だから、事態は収束するどころかますます拡大をしているわけでして、大変残念な事態であります。 まず最初に、大臣に、こうした事態をどう思っておられるか、ちょっとお聞かせいただければというふうに思います。
○町村国務大臣 石井委員御指摘のとおりで、私も本当に大変な衝撃を受けながら、何とかならないのかなと思ったりもしておりますが、むしろ事態は本当に伝染病のように何か広がっているという実態があるわけであります。 当面の対応として、一つは所持品検査を含めて、それがすべてではないと思いますが、しっかりとした毅然たる対応をしてもらいたいということを各学校にお願いをしました。それぞれの学校により、またクラスにより実情が必ずしも同じではないでしょうから、一律にこれをやりなさいと言うつもりもございませんが、しっかりとした取り組みというのがやはり求められている。 そうでなければ、先生の人権だって、刺されてしまう子供たちの人権だってやはりあるわけでありますから、そういう意味で、私は当面やれることはしっかりやってもらいたいし、それはしかし当面の対応であって、根本的な対応策といいましょうか、それはまた別途いろいろな方策を考えていくことが大切なんだろう。 とにかく命の大切さ、そしてナイフ、そうした危険なものを学校に持ち込まないということだけはしっかりと心得て皆さん方に対応してもらいたいということを考え、お願いをしている最中でございます。
○石井(郁)委員 先ほどの御質疑の中にもありましたけれども、しかし多くの学校ではなかなかこの所持品検査というふうには踏み切れていないというか、そういう実施には向かっていないというふうに聞いているわけですね。私は、このことは、生徒と教師の信頼関係が最も大切にされるべき場所がやはり学校だ、この信頼関係が断ち切られたら教育というのは一層困難になるということから、こういう事態になっているのではないかというふうに考えるのですね。朝日新聞の三月一日の社説が、私は大変的を射ていたのではないかというふうに思いますのでちょっと御紹介をしたいと思うのですが、 ナイフ事件で、文部省は全国の教育委員会の担当者を集めて、対応策として持ち物検査を認めることを強調した。荒れには先生が実力であたることもためらうな、といった方向の議論も煮詰められている。 このような対応は、事件への驚きを反映したものではあっても、教育の現状をよく洞察したものとは思えない。 対症療法でいっとき波頭を抑えても、底深く沈むおりは厚みを増す。 こうした現実の重みは、文部省や関係審議会も知り尽くしているはずだ。持ち物検査でナイフを取り上げるだけでは、学校教育の瀬戸際の危機はくいとめられない。 ということなんですね。私は大変妥当な見解だと思います。ところで、ナイフの所持ですね、どのぐらいの生徒が今所持をしているのか、また所持する理由は何なのか、このことを文部省は把握しているでしょうか。もし調査結果があるならば、報告をいただきたいと思います。
○辻村政府委員 文部省といたしまして、この件につきましての特別の調査は行っておりません。全国的にトータルとしての資料は持ち合わせておりません。ただ、私ども、この事件は大変重たいものだと受けとめておりまして、警察庁からの情報収集、あるいは県によりまして幾つかの県で調査を行ったりいたしておりますが、そういう調査を行った場合には私どもが報告を求めるというような形で承知しておるわけでございまして、私どもが全体的に承知しているということはございません。
○石井(郁)委員 私は、いろいろな形でやはり文部省としての掌握は必要かなというふうに思うのですが、この黒磯の事件後に行われた当地の刃物所持の調査がございますよね。ここでは、小中学校で九千百九十六人がナイフを所持していると答えているのです。一二%を超えているのですね。これを全国の小中高校に換算しますと、八十八万人が所持しているということになりませんか。私は、現実はもっと上回るだろうと思っているのです。大変な事態ですよね。 それで、なぜ子供たちがナイフを持つのか。この点で、NHKの二月二十六日の「クローズアップ現代」、「「突然の暴力・なぜキレるのか」中学生二千人が答える」という番組がございまして、私は大変教えられました。ナイフを持つのは相手をおどかすためと答えた子供が六%ですけれども、自分の身を守るためというのが二三%あったんですね。ナイフは弱い自分を変えてくれる道具だと中学一年生の子供が言っているわけです。 この辺は各新聞もいろいろな子供の声を載せていますけれども、周りが敵に見える、だから友達も教師も親も敵に見えてしまうという。私は、こういう子供の心理を、これは事実として私たちがどう受けとめるかということが今問われているんだと思うんですね。だから、自分の身を守るためにナイフを持つ、こういう事態は子供たちをめぐる非常に深刻な状況だというふうに考えなければならないと思います。文部大臣、いかがでしょうか。
○町村国務大臣 子供の心理の深層の奥底までは正直言ってなかなかわかりづらいものがあります。自分の身を守る、しかし、一体何から身を守るんでしょうか。もしだれも、ナイフもない、あるいはいじめもない、何も自分を襲うものがなければ身を守る必要は全くないわけですよね。お互いがお互いの不信感で、あいつもナイフを持っているかもしらぬということで持つという悪循環をやはりどこかで断ち切らなきゃいけないと思います。 今引用されました社説、それはそうかもしれません。信頼関係が大切だからそんな所持品検査やったってむだだよと。じゃ、その社説を書いた方に聞きたいんですが、じゃ、あなたはどうしたらいいんですか、何もやらないで手をこまねいて見ているんですかと。 いやいや、こういうことはやりなさい、それは、確かに長期的にやるべきことはあると思いますし、中期的にやることもやはりあると思います。じゃ、今すぐこの伝染病のように広がっている事態に対してどうするんですかということは、私の記憶ですが、その社説には何にも触れておられなかったと思います。それはいささか無責任に過ぎるのではないのかなと。 もちろん私ども、何も所持品検査ばかりが唯一の方法とは言いませんが、それで決して、大いにやれやれ、いいことだからやれと言っているつもりもありません。 ただ、当面のこの緊急避難的な対応としてそれも一つあれば有効だと学校が判断をすれば、それにためらわずにやってもいいんですよということを申し上げることによって、今まで、さあどうしようか、本当は所持品検査も場合によればやりたいんだけれども、それもやったらまずいんじゃないんだろうか、子供の権利を侵害するかもしれないしというためらいを持ちながら、どうしようどうしようと迷っていた先生方、校長先生あるいは教育委員会に、私どもはこう考えますよという一つの指針を与えることができたのならば、それでよかったのではないのかなと思っておりまして、意味がないと社説の方がおっしゃったようでありますが、それは私、余りにも今の事態を軽く見過ぎているのではないんだろうかな、私はむしろそう考えます。
○石井(郁)委員 その辺はいろいろな見解があると思いますけれども、私も、やはり生徒たちがナイフを学校に持ってこない、所持しないというのはやはりちゃんと徹底しなきゃいけないと考えているんです。 ただ問題は、こういう子供たちの心をつかんでやはり教育的な対応が要るのではないかということなんですね。だから、そこを踏み外したらちょっと間違えますよということを言いたいわけであります。 だから、決して現場はそうではないと思いますけれども、形式的な対応をしたりあるいは受け身の対応をしたのではいけないと。このナイフ問題で、やはり教育の問題として議論する、こういうことが今要るのではないかということなんですね。 そして命の重さ、あるいは、ナイフというのは一歩間違ったら凶器になるわけですから、当然そういうことについても子供たちと話し合っていく、ある面では当たり前なんですけれども、こういう当たり前のことについてまず確認をしていただきたいということを強調したかったわけであります。 そういう意味で、文部省として、一つは、どれだけの学校で子供とのそうした当たり前の話し合い、持ってこないということの徹底というか、このナイフについての話し合いが行われているか、そういう点も掌握しているのでしょうか。
○辻村政府委員 個々具体の活動の詳細につきましては、承知をいたしておりません。 ただ、今回連続してこうした事件が起こったということで、私ども教育委員会等と頻繁に情報のやりとりをしているわけでございますけれども、こうした事件をきっかけに、各学校におきまして、学級活動でありますとか生徒会活動でありますとか、あるいは道徳の時間、あるいはホームルームの時間等を使いまして、教師の方が積極的に呼びかけて、子供たちとそうした話し合いの場を持つということがかなり積極的に行われているということは承知しております。 ただ、全国的に具体にどうというところまでということは承知しておりませんが、各学校が真剣に、積極的にそういう面で取り組んでいるという情報は私ども得ております。
○石井(郁)委員 私は残念ながら新聞報道等々しか見ていませんのでなんですけれども、こういう事件が起こりますと、どうしても学校の対応というのが、校長先生の訓話で終わりたり子供たちに作文を書かせて終わったりとかいうようなことしか伝わってこないんですよね。だから、それではやはり形式的ではないのかというふうに言わざるを得ないわけであります。 私たち、いじめ問題の経験のときにも、学校で教師と子供が徹底してやはり話し合いをするという中でいじめを克服していったということなんかも聞いておりますし、やはり命のかかっている問題ですから、緊急に学校で集中的にちゃんと議論をし合うという条件というか、あるいはすぐれた実践があればそういう実践を全国的に広めていただくとか、そういう取り組みを奨励されるとか、そういうことが文部省として一番してほしいことではないのかなというふうに思いまして強調しているわけですけれども、これを文部省の取り組みのやはり中心にするというふうにはお考えになりませんか。どうでしょうか。
○町村国務大臣 今委員がお話しになった、それぞれの学校現場で今いろいろないい工夫が、努力が行われていると私も期待をしておりますし、実際行われているという報告も耳にしております。 できるだけ早くそういった事例などをまたまとめて、各現場に、こういうすばらしい方法もあったんですよということをできるだけ広めていくという努力は、当然の業務としてできるだけ早い機会にやってみたいなと思っております。
○石井(郁)委員 ぜひそのことは文部省にお願いをしておきたいというふうに思います。 さて、もう一つ重大なのは、やはりこういうナイフ事件の起こる背景だというふうに思うんですね。子供たちがムカつくとかイラつくとかあるいはキレるということが言われているわけですけれども、学校がむかつきをためる場あるいはストレスをためる場にやはりなっているのじゃないだろうか。 これは多くのマスコミが取り上げているところなんですが、しかし一方で、文部省の方からは、なぜこうした事件が起きるのかという分析あるいはその背景、それに基づく反省、そしてどこを直すのか、そういったことが聞こえてこないわけであります。 教育基本法に戻りますけれども、教育基本法は、個人の尊厳を重んずる、真理と平和を希求する人間を育成する、また、教育の方針としては、自発的精神を養うということも掲げているわけですね。私たちは、教育基本法の原点に立ち返って検討するときに、やはりこの個人の尊厳とか自発的な精神とかを大切にする教育が行われていたら、子供たちがこんなに追い詰められるんだろうかというふうに思うわけであります。 そこで、なぜこういう事件が頻発するのか、この子供たちのムカつきとかストレスということについて、その原因、背景について大臣はどのようなお考えをお持ちでしょうか。大変大きな質問かと思いますが、ちょっとお聞かせください。
○町村国務大臣 なかなか難しいお尋ねでございますが、いろいろなことがあるんだろうと思います。 やはり今の社会、学歴偏重という実態がありましょうし、過剰にそのことが伝わっている面もあろうかと思いますが、それになかなかついていけない、したがって、とにかく勉強く勉強くと追い立てられることによる学校の中でのストレス、あるいは、自分がわかっていてもわかっていなくてもどんどんどんどん授業の方は進んでしまって、わかっていない授業にじっと一年も二年も三年も座っていくことのそれまた別の意味のストレスもあるだろうと。 こういう面やら、あるいは、むしろ豊かな時代であるがゆえのストレスといいましょうか、もう無限に物を買える。欲しいものは何でも手に入る。しかし、そうはいってもお金に限りがあるから買えないものも出てくる。そこでストレスを感ずる。したがって、人を襲ってまでしてもお金を奪ってしまったりという行為に出たり、あるいは逆に、親がなまじそれなりにゆとりがあるためにどんどんどんどん買って与える。与え過ぎることの一つの――親や先生から怒られないままどんどんどんどんすくすくと、ある意味では何の屈折もないまま育ってきたがゆえに、たまに先生からこらっと怒られると、それが物すごい何かストレスになってしまって突然キしてしまったりといったようなこと。 あるいは、すべてが何かバーチャル化しちゃって、バーチャルリアリティーという言葉が示すように、何が真で何が虚だかわからないような、そんな時代の中に育ってしまって、今の大切さを忘れ、先ほどどなたかが言っておられたけれども、ビデオの世界では殺してもすぐまた生き返ってくる。現実とそれが一緒になってしまって、今の大切さというものが自然自然のうちに忘れ去られてしまっている。いろいろな状況から問題行動が出てきたりストレスがたまってくるんだろうな、こんなふうに私は受けとめております。
○石井(郁)委員 このことで議論する時間がちょっとないのが残念ですけれども、私も、決して原因や背景がこれだ、一つだというふうには言えないと考えているわけですね。しかし、教育行政に携わる者としては、この教育の反省と改善点を示さなければ、やはり子供たちの声にこたえられないだろうというふうに思っているわけであります。 その点で、低年齢化している受験競争の重圧とか、今大臣も触れていただきましたけれども、や はりわからない授業、ついていけない授業、中学校になるとこの差が激しいですね。それから、やはり内申書による生徒管理という実態はあると思います。 そういう問題について、これは別の機会にぜひ質問をしたいと考えているのですけれども、ここで一点問題にしたいのは、これは文部省自身の調査でも、昨年、三つの最悪という数字が示されているでしょう。一つは登校拒否、不登校の生徒が九万四千人を超えて過去最高と言われている。それから、保健室登校が一万人でこれも過去最高、六年前から始まった調査でその倍になっている。それから、校内暴力も対前年度比、対教師暴力では一・五倍ですね。全体で一万五百七十五件という数字が出てございます。いじめも、昨年より数字は少し減少ということですけれども、五万一千五百四十四件の発生件数なんですね。平成七年の場合は六万件を超えておりました。 このいじめも、事件が起こると、これは私は大変奇妙だといつも思うのですけれども、いじめや登校拒否やあるいは教師体罰といった件数が報告されていなかった。何か一様にそういうふうに出されるのですね。だから、報告されない数というのは相当あるのじゃないだろうかというふうに考えると、これは本当に大変な事態だなと思うわけです。 こういう結果を今日本の教育が生み出してきたということについては、やはり教育行政の根本的な見直しが求められているというふうに言わなければならないと思うのですね。しかし、私はきょうそこは議論しませんけれども、そのこととあわせてやはり緊急の措置、こういう事態に対する緊急の措置が要るのだろうというふうに思うのですね。そういうことを文部省はどうお考えでしょうか。
○町村国務大臣 御指摘のとおり、さまざまな憂うべき事態、不登校を初めとして確かにふえてきております。 特に緊急対応という意味では、先ほど、何かそればかりどうも取り上げるのもいかがかと思いますが、必要によれば所持品もというふうに申し上げましたが、そういったことだけではなくてもうちょっと長いレンジで考えてみたときに、心の教育という一くくりで申し上げておりますけれども、先ほど所信で申し上げましたような、やはり一人一人の生徒の個性を伸ばせるような、そして豊かな心を涵養できるような、そういう教育に変えていく必要がある。 ゆとりを持って生きる力をということで、例えば週五日制といったようなこともできるだけ早くこれは実施していくことも必要であろうし、あるいはカリキュラムのより精選化、厳選化といったようなことによって、不必要なとまでは言いませんが、余りにも微に入り細をうがったような内容まで子供に暗記を強いているとすれば、それはやはりまずいのであって、そうしたことを直していくといったようなことなどが、当面の心の教育の中ではやはり一番大切なことなんじゃないんだろうか。 あわせて、やはりいい学校の先生方に育っていただきたい。養成をしていくといったようなことも、長い目で見たときに、先ほど御指摘のあった先生と生徒の信頼関係を築く上からも、指導力のある先生方に一人でも多く育ってもらうということの重要性もまた、この際、心の教育の一環としてやはり大いに改革をしていくポイントであろう、このように考えております。
○石井(郁)委員 私は、学校の危機とも言えるこうした結果が出ているわけでありますから、やはり一番の施策は人をふやすことだ、学校の現場に人をふやすことだというふうに思うのですね。 大臣からそのことが触れられなくて大変残念なんですけれども、現実に政府がやってきたことは、九二年度からずっと予算的に先生を減らしてきたわけでしょう。これは、二万五千九百二十八人の先生が減らされているわけですね。昨年の財政構造改革法では、教職員の定数改善計画は二年延長される、それで八千四亘三十三人の人が減らされているわけですね。どこの現場に行きましても、もう先生をこれ以上減らさないでほしい、もっとふやしてほしいとは言わないけれども減らさないでほしいという声が満ち満ちているのですね。 そこで、新しい荒れと言われている子供たちの実態、大臣も御存じだと思うのですけれども、本妻に小学校の低学年から、子供たちが「ウー」とうなり声を上げて机をどんどんたたき出すとか、いすを持ち上げてしまうとか飛び出してしまうとか、そんなことで授業が成り立っていかないということが言われているわけでしょう。四十人学級では手に負えないということは、もう大方の声だというふうに思うのですね。 ところで、大臣、先ほどの西議員への御答弁で、小学校の実態は平均で二十七・七人というふうにお答えになりましたけれども、この数字はどういう数字なんでしょうか。ちょっと御説明ください。
○御手洗政府委員 現在小中学校におります、全クラスに入っております子供たちの人数というものを平均した単純平均の数字でございます。
○石井(郁)委員 私は、こういう数字を文部省がいつまでも答弁されるというのは本当におかしいと思うのですね。だって、過密都市部とそれから過疎地と、これは全国平均なんでしょう。それは、過疎地では少人数のクラスは当然あるでしょう。学校基本調査を見ても、そんな数字はどこにも出てこないわけですよ。 三十一人以上の学級で勉学している生徒、小学校で六四%です。中学校では九〇・五%ですよ。しかも、中学校では三十六人学級以上というのが五九%、約六割でしょう。これはお認めになりますね。そうですね。これが現実でしょう。この現実をちゃんと見てください。そこから出発しなきゃ、あなた方、そんな数字をいつまでも言っていたら、私はこれは本当に子供たちに申しわけないと思っているのです。 官庁というのは説明責任があって、やはりちゃんと真実を述べる責任があると思うのですね。今、非行や子供たちのこういう相次ぐ事件で、文部省自身が倫理観だとか規範意識とか言っているじゃないですか。こんな数字を子供たちにまともに、これが日本の教育の実態ですというふうに言えますか。言えないでしょう。ちょっと答弁してください。
○御手洗政府委員 御指摘のとおり、個々の学級に入っております子供の分布の状況というようなものを統計的に出しますと、委員御指摘のような数字になろうかと思いますが、私どもは、この二十七・七あるいは三十二・九、大臣から御答弁申し上げました数字は、一つの政策の指標といたしまして、これまで、昭和三十三年以来数次にわたる小中学校の改善計画をやっております。そういった最初の計画以来、逐次、一つの指標といたしまして、国際比較も含めまして一つの教育水準をはかる長期的な数字という形でずうっとこれを使わせていただきまして、私ども少しずつ、諸外国を含めまして着実に追いつきつつあるという状況でございまして、御理解いただきたいと思います。
○石井(郁)委員 いや、そういう数字でいつまでも諸外国と肩を並べているなどと言ったら、本当にこれはあなた方、現実をごまかしていると言わざるを得ないと思うのですよ。到底、諸外国には肩なんか並べていません。そうでしょう。だから、実態をきちんと見てほしいし、実態から出発してほしいというふうに思うのですね。 現実に、栃木でも黒磯北中のPTAは、あの事件の後、やはり四十人学級を見直してほしいと市教委に申し入れをしています。中学校では三十七人、八人という学級なんですから、これは早く三十人学級にして、三十人以下のクラスの人数にしてほしい、実態としてしてほしいという声だと思うのですね。 子供たちも、やはり自分の気持ちを先生に聞いてほしいし、また先生も一人一人の子供の気持ちを聞いてやりたい。ところが、今先生は忙しくて子供と話す時間がないというわけでしょう。こういう現場を放置しておいて今の教育問題はやはり解決しないというふうに私は思うのですね。それで一私は三十人学級に本当に踏み切るべきだというふうに主張したいと思うのです。 そこで、お伺いしますけれども、三十人学級にした場合にどれだけ教員が必要なのか、あるいは予算が必要なのか、このことを試算七たことがあるのかどうかということをお聞きしたいと思います。
○御手洗政府委員 三十人学級、もし仮にということで試算をしたらということでございますけれども、実際には全国四万校ございます。また、五十万クラスほどございますすべてのクラス、一人子供が違いますと各学校ごとにまたクラスが違ってくる、非常に膨大な実際の現場からの積み上げの作業を必要とするわけでございまして、具体的な三十人学級等への政策の目標のない段階で、個々の学校現場までおろしましてそういった膨大な作業をいたすということは今のところ考えてございません。 また、それとは別途机上のプランといたしましてどうだというような仮定の数字を出そうとすれば、これは計算機を回しますと出せないということもなかろうかと思いますけれども、具体の実態を伴わない数字だけがひとり歩きするということも、今後の政策を進めていく上で、必ずしも現場その他に適切な情報を与えるということにもならないかと思いますので、私ども、そういった数字を現在示したことはないわけでございます。
○石井(郁)委員 実は私は、昨年の予算委員会では、三十人学級に踏み切るべきだということで独自の試算も示しまして要求いたしました。そのときもやはり同じ答弁でございました。 役所でしょう、そういう試算をされたりするのがやはりあなた方の仕事じゃないのか。それは、膨大な量で大変難しいということはそうなんでしょう。でも、そういうことぐらいはできないのですか。できないとしたら、そういう役所、文部省とは一体何なのだろうと思うでしょう。だから、ぜひ調査をしてください。その調査費はぜひ概算要求に盛り込んでほしい。そんなことができないのでしまうか。大臣、いかがでしょう。
○町村国務大臣 何せ、つい十一月の時点で財政改革法を通し、平成十年を十二年にということを決めたばかりでございますから、それといささか違う方向での調査検討と言われましても、なかなかそれはちょっと容易なことではないなと。 しかも、都道府県、市町村に相当な作業、膨大な作業量を今局長が申し上げたようにおかけするわけでございますから、それは、極めてごく簡単な仮定計算をしろと言えばそれはできないことはないかもしれませんが、それは多分余り意味がないのだろうと思いますので、そういう状況にあるということはひとつ御理解を賜れればと思います。
○石井(郁)委員 私は、文部省のそういう答弁、大変残念に思いますし、今の困難な教育の問題にやはりこれでは正面に取り組んでいるとは言えないと言わざるを得ないと思うわけですね。 大臣の所信の中でも、人づくりについて非常に高らかに決意を表明されました。これは二十一世紀の我が国の姿を形づくるものだ、教育は最優先の課題だと。だったら、そういうことがなぜできないのかと私はやはり言いたいのですね。 先ほど政府の方も、諸外国に比してということをいつも出されましてあの数字を持ち出されるのですけれども、これは周知のことですが、アメリカではクリントン大統領が一般教書の中で、小学校の三学年に限って十八人のクラスにするということを表明されましたよね。何という大きな開きだろうかというふうに思うのですね。世界各国がそういう形でもう実質上学級を二十人から二十数人の規模にするということで踏み切っているわけですから、日本の今の事態は本当に異常だというふうに思います。こういうことをそのままにして二十一世紀は迎えられないというふうに私は思うのですね。 この点では、文部省がそういう対応ならば、もう先ほどの各党委員の中からも三十人学級というお声が出ておりますし、今国会では、参議院の代表質問では各党からそういう質疑もあったというふうに私は聞いておりますから、各党が協力して、せめて三十人学級に踏み出すという取り組みをしたいと私は思うので、議員立法ででも三十人学級実現のために努力をしていきたい、このことを党として表明いたしまして、二十一世紀の日本の教育は本当にこれでいいのかということでぜひ再度大臣の御決意を伺って、質問を終わりたいと思います。
○町村国務大臣 私も、はなから委員の御指摘を否定するつもりもありません。十分な材料が率直に言ってございません。 ただ、もちろん社会の状況、いろいろな環境が違うから一概には言えないと思いますが、それこそ終戦直後、もっとひどい教室で、ぽろぽろの教室で、一クラス六十人いてもこうした悲惨な事件が起きずに、人数が減ってきた今日、逆に起きているというのは一体何なのだろうか。 確かに先生方、忙しいとよく言います。私もこの間、中学校の先生方から忙しいのだという話を聞きました。それなりの理由も理解をいたしました。ただ、もっと人数の多い時代、例えば私どももたしか四十五人とか、せいぜい五十人ぐらいだったと思いますが、ちゃんと個々の先生方との会話が成り立っていたし、私は先生の考えも、全部とは言いませんが、理解できた。先生も私ども個々の生徒のことをかなりよく把握していたような気がいたします。 ですから、教育効果という面から考えたときに、一クラス当たりの人数が少ないことと教育成果が上がるということが必ずしもイコールなのかどうなのか、私は、そこはいま少し冷静な分析が必要なのじゃないのかな、こう考えたりもしております。 クリントンさんは気楽です。何しろ国に教育に関する権限がないから、十八人がいいとか言えばいいのですから。それはアメリカはアメリカ、やはり日本は日本ではなかろうか、こう思っております。
○石井(郁)委員 終わります。
○高橋委員長 次に、保坂展人君。
○保坂委員 社会民主党の保坂展人です。 町村文部大臣に伺います。キレるという言葉、大臣、どういうふうに解釈をされていらっしゃいますか。
○町村国務大臣 私はどちらかというと気が長い方なので、余りキレたという経験がないので理解しづらいところもありますが、例えば、私は昔ラグビーをやっていたときに、相手が余りラフプレーに来たとき、かっとした。かっとしてルールを無視して相手をけり上げようかと思ったけれども、しかしさすがにそれはやめましたが、多分それのもっと行き着く先がキレたという状態なのかな、こんな気がいたします。
○保坂委員 今文部大臣のお答えを聞いていて、事件によってですけれども、やはり子供が期せずして悲惨な姿にある。 ここ一年の間に、日本社会で切れるという言葉が違った響きになってきた。昔は切れるという言葉は褒め言葉ですよね。例えば、町村文部大臣は切れる大臣だといえば、決断が早くて物事をてきぱきよく処理するという意味でありました。つまり、切れるというのは昔から、古今東西、人間は刃物でいわばいろいろな物を削ったり工作したりしながらまさに脳も発達してきたわけで、その日本語がわずかここ半年ばかりで、恐らくこれら事件の続発によって、キレるというのは、いわば我慢できない、暴発するというふうになってきている。そのくらい今の状態が大きく論議されている証拠だと思います。 そこで伺いたいのですけれども、栃木県の黒磯で起きた事件、報道によりますと、実はあの悲劇の前に、命彫りと言われる、要するに生徒が刃物でみずからの体を傷つける、こういった事態があったという報道を文部大臣は御存じでしたでしょうか。あるいは、そういった自傷行為、みずからを傷つける行為というのは何を意味するのか、お考えを伺いたいと思います。
○辻村政府委員 私どもも、あの事件が起きまして、栃木県の教育委員会を通しましていろいろな情報収集、やりとりがあったわけでございますが、そのときに、あの学校の学校通信の中に、いわゆる命彫りということで、みずからナイフ等で手等を子供が傷つける、それは決してためになることではもちろんないということで、先生が通信の中で注意を促している文章がありました。そこを見まして、ああ、そういうことかということを私は知りました。
○保坂委員 私、年間百校近い学校に話しに行ったりあるいは取材に行ったりという、一年半前までそういった日々を過ごしておりました。そこで、保健室をなるべく訪問するようにしていたのですけれども、二年ほど前のこと、保健室を訪問したところ、保健の先生はもうほとんど倒れる寸前、土色の顔色ですね。子供たちが休み時間になると二十人ぐらいわっと来ている。そして、その先生が言うには、保坂さん、今月だけで三人いたんですよ、リストカットが。リストカットはわかりますか。要するに手首を切っちゃう。そういう子たちが三人。それで、夜中にこれから死んじゃうという電話がかかってきて、もう自分は眠れない、どうにもできない、こういう叫びがあるわけですね。 実は、刃物を使った他者を傷つける事件が今憂慮されていますけれども、数量的に言えば、恐らくもっと物すごい数の自傷事件、事件と言えないかもしれないが、そういうことが起きているのです。自分で自分の体を傷つける、あるいは自分で自分を痛めつける、このことに対して文部大臣はどういうふうにお考えになるか、伺いたいと思います。
○町村国務大臣 私も体験が乏しいもので、余りみずからを傷つけたことがないのでよくわかりませんが、それによって何かをその子供はやはり表現をしたいのでしょうね。果たして何を表現したいのか私にはよくわかりませんけれども、何か自分の満たされない思いをそういう形で表現をしているのだろうと推測をいたします。
○保坂委員 表現という解釈もあろうかと思いますけれども、私は、果てしない絶望そして失望、自分自身に対する何のプライドも持てない状態、私はこの世の中に生きていてもしようがないんだという孤独の断崖絶壁に立っているような、そういう心持ちでいる子供たちがいかに多いかということを思うのですね。 今回の連続の事件の中で、新聞の切り抜きを見ていますと、いろんなタイプがございます。幾つか特徴がありますけれども、いわゆる普通のよい子、例えば部活に励んでいたとか、てきぱきと近所の人にあいさつをするいい子だったとか、そういう子が、あの子がなぜという子がそういうことになるということも指摘されています。あるいは人間関係、友達関係の中で、からかわれた、あるいは何か金を要求されたということで、それこそ新しい表現でのいわゆるキレるという状態でそういった取り返しのつかないことになる。 ここら辺を見ていくと、いじめの問題をずっと我々は考えてきました。いじめの問題というのは、人間関係のもつれとかこじれとかねじれといいますか、つまり人間関係がうまくいかない状態で、これはなかなか解決しがたいのですけれども、しかし、いじめは、今こういう事態になってみると、まだ解決の道筋が探せる事態だというふうに思うのですね。通り魔だとか突然切りつけるとか、上から消火器を投げて下を通っていた人に当たっちゃうとか、これはもうその段階では解決のしようがないわけですね。 ですから、文部大臣にぜひここは伺いたいと思うのですが、先ほどから、朝から続いています所持品検査をめぐる議論なんです。私は所持品検査そのものがいい悪いということを言うつもりはありません。けれども、ぜひ大臣にお願いをしたいのは、所持品検査だけが今話題になっているこの状況は、きょうここで変えていただきたいと思うのです。つまり、所持品検査だけがクローズアップされて今語られているように思うのですね。 きょうも日銀の証券関係の方が捜査され、最近、毎日質問に立つといろんな方が捕まるのですけれども、そうやって毎日のニュースが暗いのですね。このナイフの事件もそうです。 何とか文部行政の中で明るいともしびをともすべきじゃないかというふうに思うのですけれども、所持品検査以外に、なるべく早く教育現場に光をともしていく道として、具体的に内申書、通知書ですね。実は、ナイフの事件ということで揺れ動いている親たちあるいは子供たちの話を聞くと、結構、内申書、通知書で縛られているという声が相次いでいます。 例えばそこの部分を、もう少し内申書を使わない入試というのを広げる。一部、文部省の今回の中高一貫の中にあるのでして、それをもっとぐっと広げるというようなことも踏み出していただけないか。つまり明るい材料というか、お茶の間でテレビを見ていて、ああ、これなら少し安心できるという材料をぜひ文部大臣には出していただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
○町村国務大臣 所持品検査のみが議論になるというのは、私自身も大変不本意でございます。そういう物の言い方をした覚えは一度もございませんし、むしろ人間の命の大切さをしっかり子供たちに教えてくださいと。しかし同時に、学校は安全な場所でなければならないからナイフなどを絶対持ち込まないようにしましょう、まずそこからしっかりと強調してくださいねということを教育委員会を初めいろいろな方々に申し上げているのでありまして、その最後の行き着く先の一つの方法として、それが適当ならばそれはためらわず、ためらって何もしないよりはした方がいいですよということを申し上げておるので、そこはぜひ御理解を賜りたいと思います。 その上に立って、今、内申書のお話がありました。 先ほど前の委員の方からも御指摘がございました。かつて、内申書はそんなに高校入試などで重視をされていなかった時代もあったし、私は多分その世代だったと思います。しかし、その当時から、一回の試験で高校に入るか入らないかを決めるのはおかしいという議論が実は随分あったのです。 まじめにこつこつ努力をして勉強して、一応できるはずの子が、たまさかそのとき体調が悪くて、頭がぼおっとして試験ができなかったら希望する高校に入れない、それはあんまりだという声があり、やはり日ごろの努力も大切ですよねということで内申書がだんだん重きを置かれるようになり、五分五分か四分六かはわかりませんが、それぞれの自治体の判断でそれを使われるようになってきた。 しかし今、今度それがまた行き過ぎて、内申書を理由に、先ほど別の委員が述べておられましたように、おれは内申書の判定権を持っているんだぞ、こう言って子供にそれをちらつかせるような、そういう教師としてあるまじき行動をとっている人がいるから内申書が悪いということになるので、私は、内申書そのものが決して悪いわけでも何でもなくて、それを悪用するとかそれを子供の説得材料に使おうとする先生がいることがむしろ問題だ、こう思います。 でありますから、私ども、内申書を必ず使いなさいとも言っておりませんし、それぞれの自治体の判断で、適切と思われる方法でそれをどうぞということで、例えば香川県では、調査書、内申書を用いない選抜をやっているということも現実にあるようでございますから、それは、それぞれの地域、県、そして学校の判断でいいのではなかろうか。 ただ、委員御指摘のように、一概にもう内申書を全部やめますということが本当にいいのかどうか。そうすると、またもとの議論に戻るのじゃないのかな。一発勝負主義といいましょうか、それが本当にいいのかどうか私には自信がありません ので、内申書も、それをうまく多様な高校入試の一環として使うことを一概に否定すべきではないのではないか、こう考えます。 それからもう一つ、ちょっと長くなってごめんなさいね。確かに受験はストレス一かもしれません。しかし、この程度のストレスで参りていたらば、人生やっていけませんよ。ストレスの効用という言い方はおかしいのでありますが、ある意味では、やはり多少のハードルは越えるといったくましさがなければ、中学生が孤独にさいなまれるなんというのは、正直言ってまだ早過ぎますよ。そんな人生経験もなく、そんな哲学的な、内面的な思索もないまま、自分は孤独であると言うのは、いささか、表現がちょっとまた不適切かもしれませんが、生意気だ。まだそんな経験も思索もしていないじゃないか、あなたはと、私はその中学生にあえて言いたいですね。
○保坂委員 これは町村文部大臣、ぜひ文部大臣のアピールを持って中学校に出かけていただきたいと思う。そして、荒れていると言われている子たち、本当に態度悪いです。あるいは話をもう聞く耳ないかもしれない。そして、あるいは自分にこもりがちな子、さまざままず出会っていただきたい。 子供の育つ過程がやはり大きく変わったと思います。先ほどいじめの問題を言いましたけれども、今の子供たちは、遊ぶ空間、時間、友達と群れて遊んで、わいわい集まって、暗くなったから帰って、あるいは、暗くなっていても夢中になって気がつかないで、ああ真っ暗だ、こういう瞬間というのは、もうそれこそおじさんの昔話。私なんか、昔はそうだったのと言われてしまいます、そういう話をすると。 遊ぶということがこんなにない過程で子供たちは育っているわけです。もちろん、ファミコンはやっています。あるいは、いろいろなひとり遊びや二人、三人でやる遊びはしていますけれども、やはり思い切って感情を、泣いて笑って怒って、全部感情を吐き出して、日々心がそれこそ育つというか、そういう過程が絶対子供には必要だと思います。 そこで、例えば戦後のある時期に、日本に演劇教育、演劇といってもお芝居の練習をするというのではなくて、例えば、私どもがイギリスにいじめの問題で調べたり勉強しに行ったりしたとき、実践の中でドラマの時間というのがあって、そこでワークショップをやったり、子供たちが寸劇をつくったり、泣いたり笑ったり叫んだり、自分たちで一生懸命その時間をつくっている。学校の先生はコーディネーターとしてわきにいて、いわばそこをサポートしている。そういうような時間をとても子供たちは楽しみにしている。また、ドラマティーチャーはとても人気がありましたね、話を聞いてみたら。 例えば小学校の段階で、学校に入ってすぐやはりそういう時間を、本来、学校は遊ぶところや人間関係形成の場ではありませんけれども、しかし、地域がもうこんなふうに、子供の遊び場や家庭の状況もこうなっている以上、もう一回子供たちが自分を取り戻すというチャンスを、逆説的ですが、小学校で我々は回復していくことを考える以外にないのじゃないかと思いますけれども、いかがでしょう。
○町村国務大臣 大変貴重な御提言だと受けとめました。 確かに子供たちが自分を表現する能力というのが乏しくなっているということは私も感じます。つい先般も、例えばある大学の先生と話したら、日本の学生は自分の考えを述べたりそれを表現する能力が本当に乏しい。むしろ、日本語の下手な留学生の方が、ゼミの議論や何かははるかに上手で、ある意味では、日本の学生というのは頭悪いんだねと、留学生はみんなばかにしている。こんな日本ならば二十一世紀は大したことないやと大体みんな安心して自分の国に帰る、そんな冗談めいた話までも、この間、ある大学の先生に聞いたことがございます。 私は、今委員が言われた演劇という方法を通じて自分を表現する能力を高めるというのは大切なことだなと思います。ですから、例えば今度総合学習の時間といったようなものもつくって、それはまさにそれぞれの学校、それぞれのクラスの工夫で多様に使ってもらっていい、環境であれ何であれ、それは何でもいいのです。 ですから、例えばそういう場で半年間、一年間、自分の表現能力を高めるための、それは演劇以外にもまたいろいろな方法があろうかと思いますけれども、例えばそういうふうに集中的にその時間を使うというような活用の仕方だってあるのじゃないのかなと思っておりまして、それは各学校の判断でそういうものも大いに実はやってもらいたいとさえ、今先生のお話を伺って感じたところであります。
○保坂委員 昨年ですけれども、文教委員会の海外派遣で、ノルウェーのフェローという成人学校、十七歳ぐらいから全寮制で入る学校でございますが、そこに行って大変感銘をしたわけです。 絵をかいたり、あるいは歌を歌ったり、あるいはダンスをしたり、あるいはドラマをつくったり、あるいは本を読んだり、時間割りはないそうなんですね、プライベートといわゆる学業の時間の線引きはボーダーレスであるという中で若者たちが活動している。 実は驚いたのは、日本からわざわざ探して毎年学生が来るということにも驚いたわけですけれども。確かに何の資格も付与されない。そして、何を学んでいるのかというと、芸術表現ですね。そしてスポーツで汗を流す。一種のモラトリアム学校と言ってもいいかもしれない。 日本の経済成長の時代は、何かを獲得しなければならない、資格をもらわなければいけない。ただ、日本じゅうの登校拒否や高校中退、あるいは高校や中学にいても非常に深刻に悩んでいる子たちにとって、芸術表現ということは一つの、人生何をするべきなのか、あるいはこれからどういうふうに燃焼すべきなのかという、成長期の若者にとって大切な機会かと思います。 例えば、日本の公立の学校にその種の、いわば思い切り芸術表現で打ち込んでいける、中学生からそれがやれるという学校を各県に一校でも実験的につくりてみる、こんな提案をしてみたいと思うのですが、大臣一いかがでしょう。
○町村国務大臣 中高一貫であれ、あるいは単独の中学校であれ、高校であれ、小学校であれ、私はそういういろいろな試みをやっていただくのは大変結構なことだ、こう思っております。また、そういうための時間的な組み方も、より選択の時間をふやすということを、これからそれを求めていきたいと思っております、新しい課程の中で。 したがいまして、今委員が言われたようなこと、それは基本的にはそれぞれの学校なりあるいは地域の設置者が考えることであって、文部省がそうしなさい、各県に一校ずつつくりなさいといって指示をすることは、今の時代、余り適切な方法ではないと思いますけれども、そういう考え方もありますよというソフトな形。 例示を示すと、また例示を示したといって怒られるかもしれませんから難しいのでありますけれども、今委員が言われたようなそういう考え方もあるということを、これからそれぞれの学校が工夫して、あるいは市町村が工夫してこの総合学習の使い方というものを考えていくと思いますので、いろいろな手段でそれはPRしていくことはいいのじゃないのかなと今思っております。
○保坂委員 今、学校だけじゃなくて、日本全体がそれぞれの分野で危機、ある意味で大変な変動の波にさらされていると思うのですね。 そういう中で、教育の場、これは明治以来、ある意味で、変わってはいけない部分もあると思います。保持していかなければいけない部分もあるけれども、しかし変わらなければならない部分も大分見えてきたのではないかなと私は思うのです。 学校の現場、特に学校の教師たち、先生たちと話をすると、いささか自縄自縛というか、全部私たちは文部省に管理をされています、何一つ自由なことはできません、こういうふうにおっしゃる。あるいは校長先生もそんなことをおっしゃる方もいますね。私は、まず教師がそういうふうに思っている限り、やはり子供が希望が持てるようなことにはならないと思うのです。 人間社会にはある種のお祭りも必要なんですね。厳粛な時間も必要であれば、もうおなかの皮がよじれるぐらいに笑う、あるいは悲しむ、あるいは子供たち同士の情熱がぶつかるような本当に自発的な時間が必要だと思います。そこにかじを、それこそ学校の判断、あるいは教師集団あるいは親の支援を受けて、これは初中局長に伺いたいのですが、今大臣にお答えいただいた、例えばドラマの時間を、ではここでつくってみよう、実験的にやってみようという試み、あるいはどこかの県で、先ほど言ったような、不登校の子供たちを適応指導教室というようなある種のパターンにはめるのではなくて、思い切って自己表現をどんどんできるようなプログラムを県がやろうという場合に、これは文部省としてどのように支持されるのか。あるいは、苦悩するということはないと思いますけれども、思い切ってそういうことを、みずからを縛っている心の縛りを解いてあげてほしいと思うのですが、いかがでしょうか。
○辻村政府委員 考え方は先ほどの大臣の申されたとおりでございますが、具体的な方法としまして、二つほどあろうかと思います。 一つは、そもそも次の教育課程の改定、学習指導要領では、各学校の自主性、創意工夫をできるだけ広げよう、そういう観点でつくられようとしております。そういう意味で、各学校学校の選択の幅が相当広がる。したがって、その時間等を使って今のようないろいろな特色のあるカリキュラムを組んで教育活動を展開していくような学校ができるというのが一つございます。 それからもう一つは、これは今の制度にもあるのでございますけれども、学習指導要領を超えて、研究開発学校という名前にしておりますけれども、そういう形で学習指導要領にとらわれないカリキュラムを組んで教育活動を展開するという仕組みもございます。 今先生のお話を聞いておりまして、今の二つのような方法を使っていけば御指摘のような教育活動が展開できるのではないか、こんなふうに思いました。
○保坂委員 それでは最後に、また文部大臣お願いしますけれども、本当に何度も繰り返しになりますけれども、毎日食事がのどを通らないぐらいに敏感な人は、この日本はどうなっていくのだろうと。そして偉い人が次々と捕まり、そして子供たちはそれこそ堰を切ったように、あってはならない、考えられない事件が続発するという中で、ぜひ具体的なともしびを掲げていただきたいと思います。 確かに教育全体を変えるというのは時間がかかります。三年、五年、十年という単位で見なければならないことだと思いますけれども、しかし、ここ二カ月とか半年の中で実現し得る何らかの、ああこれで日本の教育はよくなるのだ、学歴、偏差値一辺倒の教育から個性をそれぞれ伸ばしてお互いが認め合う教育に、ということは、橋本総理大臣が所信表明演説で言われたような、自立した個人がチャレンジ精神に富んで生き生きと活躍する、そういう方向を具体的な策で示していただきたいということを一点伺って、終わりにしたいと思います。
○町村国務大臣 明るい話題といえば長野のオリンピックぐらいでありまして、今のパラリンピックも大変すばらしいと思いますが、教育の面で何かこれはという今お話をいただきました。 なかなか今すぐ思いつきませんが、私も何かそういうことが可能であればそれをとるにやぶさかでございませんので、宿題をいただいたものだと思ってしっかり受けとめさせていただきたいと思います。
○保坂委員 本日の質疑で、文部省がある意味でこの事態の危機をとらえて、今、世田谷で始まったチャイルドラインにも二日間で三百数十人の、これはほとんど小学生からなんですね、電話の主は。小学校のうちからいろいろな矛盾が始まるわけで、一番叫びや渇きもあるわけで、そこにきっちり入っていく。もちろん万全ではないにしても、プログラムを一緒に考えていけたら、そしてまたそれを繰り延ばしにせずに、ことしすぐに着手できることを選んで、ぜひ大臣にも先頭を切っていただきたいとお願いをいたします。これで終わります。
○高橋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時三十五分散会