文教委員会 第2号
- 発言数
- 115 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1997/11/18
会議録
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 去る十月二十日、中原爽君、鈴木政二君及び照屋寛徳君が委員を辞任され、その補欠として世耕政隆君、岡利定君及び上山和人君が選任されました。 また、昨日、上山和人君、但馬久美君及び山下栄一君が委員を辞任され、その補欠として鈴木和美君、松あきら君及び福本潤一君が選任されました。 —————————————
○委員長(大島慶久君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 教育、文化及び学術に関する調査のうち、児童生徒の問題行動等に関する件について、本日の委員会に参考人として国際医療福祉大学保健学部教授小田晋君、社団法人日本PTA全国協議会専務理事鈴木仁君及び上智大学文学部教授中野良顯君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 —————————————
○委員長(大島慶久君) 教育、文化及び学術に関する調査のうち、児童生徒の問題行動等に関する件を議題といたします。 本日は、児童生徒の問題行動等について、三名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 参考人の皆様方には、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、大変ありがとうございます。 本日は、忌憚のない御意見を伺い、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 議事の進め方でございますが、小田参考人、鈴木参考人、中野参考人の順序でそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。 それでは、まず小田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。小田参考人。
○参考人(小田晋君) こういう機会を与えていただいて光栄です。 現代子供の問題行動と教育ということが浮上してきたのは、これはもちろん広い文脈がございますが、神戸小学生殺害事件の直後、当時の小杉文部大臣が心の教育の必要性を掲げられたことも一因になっています。しかし、その後この事件についての報道及び行政等の動向を見ますと、憂慮にたえない動向も一つはあるようです。 実は、あの事件の犯人がまだ特定されないさきから、例の少年の口にくわえさせておいた挑戦状、その後神戸新聞に対して送付された犯行声明の中で学校殺死の酒鬼薔薇と名乗っていて、義務教育に対する積年の大怨ということがその中に含まれていたということから、その直後、やはり多くのジャーナリズム関係者が神戸市須磨区付近に集中しまして、例えば、少年が余りに凶暴なのでもう学校に出てくるなと教師が言ったとか、あるいはあの学校が比較的対教師暴力が少なかったので羊の学校と言われていたということとか、この話は真実でなかったそうですが、あるいは進学校であったというようなことを理由にして、内申書教育や偏差値教育、そういうところに原因がある、学校の管理教育が悪いというふうなかなり飛躍した議論が支配的になりました。特に、進歩的な社会学者がそれを主張したのであります。 この話は、このまま放置しておきますと実はこういうことになりかねません。須磨区を含めて神戸の教師たちは、こんな凶暴だったり異常だったりする少年に対して強く注意して、その後何かをしてかされ、あの先公が頭にきたからやったというようなことを言われたら立場がありませんから、もはやそういうことに対して強くとがめることはできなくなる可能性もあります。また受験教育、とにかく公立中学から進学校に子供を送り込むというのは相当の努力を要するのに、これだって、その結果このようなことが起きたと言われたら手抜きをせざるを得ない。そうなったら、あの辺のエコロジーからしまして、公立から私立への子供たちの大脱走も起きかねない。公立の中学校は死にます。酒鬼薔薇は学校殺しに成功するかもしれないんです。 この事件の特徴というのは、いわば快楽殺人と言われているものでありまして、快楽殺人というのは性欲と破壊衝動が結びついた形の犯罪です。この少年について言えば、例えば性的サディストであり行為障害者であるということは言えるんですが、そのほか、自分の犯罪をマスメディアに報道されることが一つの犯罪の目的であるところの劇場型犯罪であり、自分の犯罪の動機を社会に対する挑戦として大義名分化するという社会挑戦型犯罪でありますし、そのほか、オカルト的傾向を持つ超能力信仰者であったというような特徴があるのであります。 この事件の場合、どうしたら防げたかということが問題になるだろうと思います。つまり子育ての問題としては、この事件は異例のこととして鑑定書の一部が公表されたんですが、しかし、親子関係なんかの問題について言えばその部分は伏せられています。プライバシーは大事ですからA少年で構わないが、その辺の部分まで含めて少なくとも専門家の検討に付せられるという程度のことは必要だと思います。 一般的に言えることは、行為障害の中核となります感情の冷たさというものについて言うと、特に乳児期における母親と子供との関係がだんだん疎遠になるということが、やはり基本的な信頼関係とそれに基づく情性の発育を妨げているということは指摘されています。 それから、思春期における性欲と第二次性徴の処理については、極めて性教育は思春期において重要で、この少年の場合もその問題があったのでありますが、最近の性教育はともすればエイズ予防の方に引っ張られてしまって、とにかくコンドームの使用方法を教える、性の解放だけを一方的に強調するというような形の性教育になっているという点にも問題はあると思います。 そのほか情報環境の問題については、劇画とホラービデオの問題ですが、特に劇画とホラービデオが少年の欲求不満を解消するというような議論が一部の心理学者や精神科医からも唱えられていますが、実はこの少年の場合はホラービデオを持ち込んで見ていたのは母親の影響であったとも伝えられています。そうじゃなくても、精神鑑定をやった性犯罪者の場合、直前にホラービデオや劇画やあるいはポルノグラフィーを見ていなかったケースの方が極めてまれなんです。 今後どうすべきかということについて言いますと、これは法務委員会の問題であるとおっしゃるかもしれませんが、やはり現在のままではこういう問題行動に対する正当な対処はできません。 少年犯罪の上限、これは日本だけが二十歳ですが、諸外国は全部十八歳ですし、下限についても、日本は少年犯罪として特に刑事責任を問い得る年齢が十六歳以上になっていますが、資料の二枚目にありますように、アメリカでは七歳以上、イギリスでは十歳以上、フランスでは十三歳以上、ドイツでは十四歳以上になっています。余りに日本だけがかけ離れた、少年の実態にそぐわない法律になっています。刑事処分年齢の制限の廃止。 それから、少年審判に検察官が立ち会えないのでありますが、弁護人だけが付添人という形で立ち会っていますとどうしても検察官の反対尋問ができませんので、結果として見たら高裁の裁判官はじだんだを踏むような判決になってしまうこともあります。 裁判に被害者側の声を反映するという意味では検察審査会の関与が大事なんですけれども、検察審査会に関与の余地を残すという意味でも、検察官による抗告権をやっぱり認めなきゃなりませんし、特にあのA少年の場合、少年院を少なくとも二、三年で出てくると予想されているんですが、そういう場合に出てくるときの出口審査のための機関が必要です。 さらに、どうすればこの少年の犯罪を防げたかといいますと、例の猫殺しの事件でルーズなカウンセリングをやっていたわけですけれども、あれが単なる来談者中心的なカウンセリングじゃなくて、精神科医が情報事務に当たられた上で診察していたら薬物療法によってでも犯罪を阻止することができたというのは、上智大学の福嶋章先生を初め精神科医が皆異口同音に言うところです。 つまり、少年にちゃんと家庭裁判所なり地方裁判所の命令によって治療を命ずる、治療を勝手に怠ったならば少年院に収容するという医療的保護観察制度、これだけそろえばかなりこういう事件でも予防はできるのであります。 教育をめぐる問題でございますが、学校が制度的に機能していることに反感を持っている人たちの学校に対する攻撃が激しいので、そういう場合に学校はどういうふうに危機管理すべきか。全部箱口令をしいてしまいますと、まともな意見を言う少年や教師は表面にあらわれない。買収された、またふてくされた人たちの意見だけが表面にあらわれてくるということがあります。 クラスの中の情報戦争といいますのは、やはりクラスの中でいじめっ子のグループにはヘゲモニーを握らせないように、例えばロングホームルームなんかをするような場合は、教師はちゃんとその前からそのための準備をしておかなきゃならないということです。 いじめ問題への対応の変化ということで、いじめ問題について言えば、いじめ問題についての専門家たちが従来ずっといじめられつ子の方の研究ばかりをやってきたのは、その方が易しいからです。それをやれば簡単に研究費だとかそれから地位だとかが得られますので、いじめられっ子の研究ばかりをやってきた。いじめ問題はいじめられつ子が悪いと。しかも、いじめっ子に対する対策を講じようとすると、特に最近の人権論というのは加害者の人権ばかりで、被害者の人権は全く考えられないという傾向がありますので、そういうことがあるために手が触れられなかったんです。特にこの二、三年、文部省の協力者会議は方針を変えられまして、変えられたのは非常にいいことだと思います。 いじめというのは、もともと鶏のつつき順位というのがありまして、狭い空間に脊椎動物を囲い込んで生活させると必ずいじめが起きるんです。やはり逃げ場をつくらなきゃなりません。図書室、保健室の役割は非常に重要です。こういうところから少年たちを追い出すというような管理をしてはいけないんですが、特に保健室の役割が重要で、例えば養護教諭を二人制にして、しかもカリキュラムの四〇%から五〇%は精神医学及び心理学にするというようにすれば随分状態は変わってきます。 「みにくいあひるの子」型いじめというのは、要するに少数派をつつく。アンデルセンの「みにくいあひるの子」のような形になりますが、それをやめさせることが重要で、これこそが国際化教育の一番重要な点でありまして、むしろ小学校で英語を教えるよりもこの方が重要だと私は思うぐらいです。 それからさらに、非行型いじめというのがありまして、愛知県西尾市立東部中学校の大河内君の自殺の事件の場合なんかは、殴って金を取れば強盗ですし、殴るぞと言って金を取れば恐喝ですし、自転車をあんなにしょっちゅう壊していれば器物毀棄ですし、ついに殺人未遂に至るまで、本当は非行が連続してグループ的に行われていたのに学校側はこれに目をつぶっていた。 つまり、少年を強く制止すればすぐ体罰の問題が出てきますし、そうかといって、これを非行として問題にすれば子供を警察に売ったというようなことが、例えばよく地方議会なんかでは議員によって提起されて、それを新聞が報道するというようなことがあるために、学校の手は縛られに縛られ続けているわけです。見てもどうにもならないけれども、ほうっておくこともできないものに対して見えなくなるというのは、これは精神分析的には否認という行動規制でありまして、そのために学校の先生たちは見えなくなっています。 いじめや非行が起きることは校長や教頭の責任ではないが、それを放置して、あるいは職務上当然の注意が払われていれば発見できたことが発見できなかった場合には必ず責任を問われるということを文部省ないし教育委員会が方針としてお決めになれば、この形のいじめ、第三型のいじめは数カ月で終えんすると思います。最近の少年たちは大人以上に情報人間でありまして、この程度のことをすればこの程度のパニッシュメントがあるということについては大人以上に敏感だからです。 いじめっ子問題に対する適切な対応について言えば、例えば登校停止ということも適用されていいというふうに文部省は通達されました。このことは非常に敬意を表すべきことでありますけれども、今度の場合、もう学校に来るなと教師が言ったということが神戸の事件のきっかけになったというように間違った報道が一部なされたために、それは間違った報道であったということは少年自身の書いた「犯行計画書」やそれから「懲役十三年」という文書によってわかっているんですが、しかしながら、それによって登校停止というのはもうやってはいけないというようなことになったならば、そして今のようにいじめられっ子の方が転校させられるという、外国から来た例えばノルウェーの専門家オルヴェウスを初め、みんな驚いているようなことがまたこれからも続く。登校停止を休眠させてはいけないということは、この際どうしても確認しておかなきゃいけないことであります。 子育てといじめ非行の抑制ということについて言えば、子育てというのはやっぱり乳児期には愛情と受容です。乳児期には一〇〇%の愛情を、幼児期にはしつけと愛を、少年期には教えることを、思春期には考えさせることを、というプログラムが行われていかなきゃならないんですが、この場合、愛による抑制のほかに、学習による抑制、つまり賞罰ということも大事です。賞罰というのは、少年の行動の修正には役立たないという考え方はよく進歩的な評論家や進歩的な教育学者や進歩的な心理学者がおっしゃるんでありますが、しかしその場合は、ごね得、しら切り、口裏合わせで、少なくとも十九歳までは何でも済んでしまうという少年たちの社会通念ですね。 例えば、一つはおやじ狩りという形の、あれは強盗なんでありますが、あれがおやじ狩りというごく軽い一過性のものだというので、かなり多くのものが強盗罪でありながら保護観察で済んでしまっている。そういうことが少年たちにはたっぷり逆学習を行っているんですね。教育、刑法、宗教という三つの問題行動に対する抑制のシステムというのは、どうしてもしっかり確立しなきゃなりません。 第一、こういうことを何でこの場違いの文教委員会で申すかというと、例えば法務委員会や地方行政委員会で例の少年法改正なんかの場合、教育の立場からといってこれに対して横やりが入ることが従来ありまして、そういうことがあってはならないと思うからです。 もう一つは、狭義の心の教育とカウンセリングの問題ですが、やっぱり養護教諭の役割は非常に重要です。つまり、カウンセラーを配置するという話になっていますけれども、日本の風土の中では心の問題よりも体の問題をきっかけに入っていくのはとてもすっと入っていけるのでありまして、心の教育の担い手としての養護教諭と保健室の役割は重要なんです。養護教諭を二人制にして、そこで精神医学教育を徹底するというのが非常に有効な方法です。 確かに、カウンセラーを配置することは役に立つんですが、この場合、非常に問題点があります。現代までの日本のカウンセリングは来談者中心療法、やつで来て話をする子供の話を黙って聞いているというやり方が中心で、そうして子供の自主性を重んじることが大事なんだけれども、子供の行動を修正するということに対しては余りカウンセラーは手は出さないという、そういう形の教育を受けてきた人が多いんですね。今度の事件の場合でも、児童相談所はそういう形のカウンセリングをやっていたことが、児童相談所がそういうカウンセリングをやっていながら途中で防げなかった一つの理由になっているんです。 ですから、カウンセラー教育をするならば、やはり危機介入のテクニックを教えなきゃいけない。非行臨床的技術というのと犯罪心理学の知識ですね。それから、精神医学との協力ということはやっぱりしなきゃいけません。自主性という名の無責任というのかな、そういうのを教えるような教育をやっちゃいけません。 何よりも私心配しますのは、現場の教育を知らないまま、現代の教育は管理教育だ管理教育だということばかり頭に入れて現場に出かけていったカウンセラーたちが、実は学校の中で無用の混乱をかえって生み出すことがあり得るんじゃないかという心配です。 こういう場合、例えば登校拒否とか不登校の場合でも、学校に行かない子供の方がまともであって、学校に行っている子供の方が実は管理教育の中に巻き込まれているんだというようなことを、これは児童精神医学者の一部、全共闘出身の人が多いのでありますが、そういう説がありまして、それは非常に問題になっているんです。私の言うことに御異議のあることはわかっていますが、私はそう思います。 ただ、現実に登校拒否の場合、こういうプロジェクトがありました。筑波大学の体育学群がやりましたプロジェクトですが、野外学習の専門家の先生がいまして、野外学習のやり方をコーチするために、大学院学生と学生のためのキャンプ場をつくって、そこでキャンプの実習をやっていたんです。これは山に登ったり、沢を渡ったり、きわめつきは一人で野営させたりするキャンプなんですが、これをやって帰ると、実は学校に行くようになる少年がかなり多いんです。登校拒否の子供がまじっていたら、登校拒否の子供をそれに入れてやってみたら一応の治療効果はあるんですね。結局、何らかの形で友達とともに自然と肉体的な体験をするという体験型学習というのは、大変そういう形の非社会的な問題行動には役に立ちます。 いずれにしても、二枚目のプリントの一番下にありますように、現代の少年犯罪は、少年の犯罪被害も過去十年間で三割強の増加を示しておりますし、最近五年間は凶悪・粗暴犯、強制わいせつ被害の増加が顕著で、特に小中学生に被害が集中する傾向があります。犯罪被害が少年に与える心の傷を考えましても、少年の犯罪だからといって単なる保護主義で一貫して、因果応報、こういうことをすればこういう報いがあるという、そのことを教えない現在の少年法や学校教育というのは間違っているんじゃないだろうかと私は思います。 米国でさえ、実はこの形の少年保護のやり方というのは米国から出てきた発想ですが、本家の米国ではすっかり変わっていまして、最近ではカウンセリングは来談者中心から行動主義的なカウンセリングヘと方向が変わっています。 要するに、もちろん子供の心の教育は大事ですが、心の教育ということは決して学校の中における規律を無視することであってもならないし、いじめっ子や非行少年を彼らの欲望のまにまに行動させることを自由にしろ、学校をディズニーランドみたいに変えてしまえという一部の人々の主張に根拠を与えるものじゃないということはぜひわかっていただきたいと思います。 終わります。
○委員長(大島慶久君) どうもありがとうございました。 次に、鈴木参考人にお願いをいたします。鈴木参考人。
○参考人(鈴木仁君) このような席にお呼びをいただきまして、せっかくの機会でございますので、まず最初に、お手元にお配りしてございます私ども日本PTAの概要について若干御説明をさせていただきたいと思います。 社団法人日本PTA全国協議会は、小学校また中学校におけるPTA活動を通して、我が国の社会教育、家庭教育と学校教育との連携を深め、青少年の健全育成と福祉の増進を図り、社会の発展に寄与することを目的とした社会教育関係団体でございます。 私どもの団体は、会員数一千二百万会員でございます。政令都市を入れまして全国に六十団体ございまして、その中で理事十九名で法人化をされております。全体的に、年に六回ほど全国の六十名の会長会をもっての会議をし、またその間、理事会を開いていろいろな事業を展開しているところでございます。 事業につきましては、ここにいろいろ記載されているようなことをやってございます。最近では、淡路・神戸の大震災におきましては、育英基金ということで我々のもとに全国の会員から集まったお金が十二億を超えました。このお金を、公益法人という形にしまして、親を亡くして義務教育に残っている子供がかなりの人数でございましたので、その子供たちが義務教育を卒業できるまで資金の援助をしようというような形で、この基金の中から援助をさせていただいております。また、各PTA等におきましても補助させていただいているという組織でございます。 次に、子供の社会環境についてのアンケート調査でございます。 これもお手元の資料を見ていただきたいのでございますが、まずこの調査の概要でございます。子供たちの生活意識、行動の実態を明らかにし、生活環境改善のための基礎資料を得ることを目的に本調査を実施したということでございます。 調査対象者は、中学三年の男女、及びその子供の保護者という形で調査をさせていただきました。 調査方法につきましては、調査対象校あてにアンケート用紙を郵送し、また、対象者本人記入後封印をして投函をしていただくということで、大変これは慎重を期して回収をさせていただいたわけでございます。 有効回収については、全国二千四百校でございまして、六十協議会を通して行ったわけでございますが、回収率は七四・一%でございました。 次に、この問題についての概要を説明させていただきますと、まず最初に十五ページを見ていただきたいのでございますが、十五ページは有害薬物についての調査でございます。 文部省の調査によると、高校三年の一五%が「個人の自由」と答え、四・五%が「一回くらいならかまわない」と答えているが、今回のPTAの調査によると、中堂二年生では全体の一・七%が何らかの有害薬物を使用しているものの、平成六年の調査に比べて〇・六ポイント減少しているというふうに私どもは押さえたわけでございますが、平成六年度の調査につきましては回収率、またお願いをした校も少なかったものでございますから、その辺の違いが出ているのかと思います。また、使用することに「抵抗がある」と答えた生徒が九二・四%あり、文部省の調査より抵抗感が強いというようなことがあらわれております。 この薬物に対する危機意識というものについて、有害薬物の使用について前回調査よりも減少しており、九割を超える生徒が「抵抗がある」と答えております。文部省または最近の総務庁の調査でも「絶対いけない」としている反面、「他人に迷惑を掛けないので使うかどうかは個人の自由」と、薬物に対する危機意識が緩んでいる。また、薬物は一度手に染めたら取り返しのつかない事態を招くということを早い時期からしっかりと指導をしなければならないのではなかろうか、このように今回の調査で思ったところでございます。 次に、三十一ページを見ていただきたいのでございますが、援助交際についてでございます。 援助交際をした「経験がある」生徒は女子が〇・八%、男子が〇・二%ありました。「したことはないがどういうものか知っている」生徒は男女平均で七二・九%だが、女子が八二・八%でございまして、男子が六三・二%と、女子の認識が高いということでございます。援助交際について「とても抵抗がある」生徒が五一・三%いる反面、「あまり抵抗がない」「全く抵抗がない」生徒が合わせて一八・三%いるのが目を引いたところでございます。また、ブルセラショップの利用に対する抵抗感が、「とても抵抗がある」が五六・八%、「やや抵抗がある」と答えたのが二六・五%もあるのに比べて、援助交際への抵抗感が低い。人数は少ないが、その動機を尋ねると、「興味があった」と「お金がほしかった」というのが五〇%ずつあり、家庭や学校で性の問題についてしっかり教育する必要を感じさせられたところでございます。 この遊び感覚の援助交際、また性教育の必要性というものを考えたときに、援助交際という言葉が代表する売春という犯罪であるという認識が極めて低いのではなかろうか。援助交際の動機が、興味があったから、小遣いがもらえるからといったことからであるが、ここで考えなければならないことは、学校、家庭、社会を含めたモラルの欠如に問題があり、性教育の必要性と、なぜいけないのかを親子が、または教師と児童生徒がひざを交えてしっかと話し合っていくことが必要なのではなかろうかというふうに思っておるところでございます。 次に、三十三ページでございますが、万引きについてでございます。 PTA調査によると、「万引きの経験がある」と答えた生徒が二〇・四%、「経験がない」とする者が七七%で、経験のある生徒が前回の調査より二・九ポイントふえております。子供の万引きについて、「あるかもしれない」「あることを知っている」と答えた親は八・五%いる一方、親が「ない」と思っているのに子供が「万引きの経験がある」と答えたのが一七・四%に上っております。これは、今回調査をした子供たちの親にも調査をしているわけでございますから、ここには親と子供のずれがはっきりしているのではなかろうかと思います。親の認識の差ということではないかと思いますが、子供の万引きについての親の意識の差は、うちの子に限ってという親の一方的な見方にあるのではないか。三つ子の魂百までもではないが、幼いときから人の物をとってはいけない、やってはいけないことはきちっと教えるなど、家庭の教育が大切ということが重要になってくるのではなかろうか、このように思っておるところでございます。 次に、資料の前の方に参りまして五ページでございますが、飲酒、喫煙についてでございます。 飲酒の経験は「ある」が六一・九%でございまして、「おいしくてまた飲みたい」が二二・三%。たばこの経験は「ある」が二〇・八%、「おいしくてまた吸いたい」が一二・七%ございました。両親が知っているのは飲酒が八一・七%、喫煙については四三・二%で、親に気づかれたが「何も言われなかった」のは、飲酒が七七・八%、たばこにつきましては三四・二%ある。たばこに比べて酒に対する親の態度が甘いように出ているわけでございますが、これは飲酒が主として自宅内であることが理由ではないか、このように思っております。飲酒またたばこを黙認する親ということがあらわれているのではなかろうか。外では酒を飲んだりたばこを吸わないで、飲んだり吸ったりは自宅でと、家庭で飲酒、喫煙を許すというより、外への気づかいから勧める。なぜいけないのかを親自身も学び、見直す必要があるのではなかろうか。ここについても家庭教育の重大さが感じられるところでございます。 もう一点、ちょっと資料の後ろの方にまた戻るのでございますが、三十六ページに保護者の意識というものが出てございます。 これは、保護者に対して「子供の教育のための社会環境」について尋ねたところ、「TVやマスコミの情報が悪影響を及ぼしていると思う」が八八・〇%でございます。「子供達の遊びの内容や感覚が大人にはわかりづらくなっている」が七六・四%などとなっております。また、最近の中学生について、「自分たちの世代と倫理観が異なっていると思う」が七四・九%、「いらいらしたり、ストレスをためていると思う」が七一・一%、「何を考えているのかよくわからない」が五九・四%あり、親子の感覚の世代格差が広がっていることをあらわしているのではなかろうかと思います。親が子供のことをわからなくなっている状況がはっきりあらわれているとしか言いようがないと思います。その意味でも、PTAの果たす役割が大きなことと我々は感じているところでございます。 広がる世代間の価値観の格差ということで、価値観の差が拡大していることは事実でございますが、子供をしかれない親がふえている。そうした親をどう教育するか。子育ての自信を持たせるためにはマニュアルづくりだけではなく、理屈、理論ではない体をぶつけ合う親の教育が課題ではないかと思います。 また、先ほどの有害でございますが、この有害につきましても、覚せい剤等について八十何%が認識をしているということに対しましては、それだけ中学三年生の子供たちが興味を持っているということでございますので、これは大変なことだというふうに考えておるところでございます。 さらに、神戸市須磨区において発生した事件でございますが、特に子育ての当事者としての私たちPTA会員は、いつか我が子がいずれかの当事者となる可能性を含んでいることを考えると、子育ての原点に戻ってこの問題を考えなければならないというようなことから、この十月に行われました日本PTAの全国大会におきまして、一万三千人の会員の集まる全国大会でございましたが、その席で緊急アピールを出させていただきました。それがお配りした資料でございます。 この中で特に、子供といえども反社会的行為は決して許されるものではないとの基本的姿勢を家庭において教育すること、また、子供の日常の生活態度に十分留意するというようなこともしっかりと親の認識を得たところでございます。 さらに、保護者と教師が日常的に十分な連携を深め、双方からお互いに気楽に話し合える環境づくりをしていかなければならないだろう。さらには、教師、保護者代表、地域の代表、また教育諸団体を加え、地域単位での対策を講じていこう。さらに、テレビや出版物などマスメディアが青少年の有害環境を配慮し、国及び都道府県に対して必要な法的規制を図るように要請をしたところでございます。 このような調査は、私どもは五十三年のときにも調査をさせていただいております。そのときの調査でも、ここまでの数字ではございませんが、若干このような数字が出てきたときにマスコミを通しお願いをし、いろいろ要望、陳情等もしたわけでございますが、なかなかその問題に全体が取り組んでくれるまでには至らなかったと。そして、その後の平成六年に二度目の調査をいたしました。それで今回の調査という形でございます。 いろいろな問題がふえてきているということで、今回は特に援助交際等が新たに加わったというような問題でございます。この問題を学校が、親が、また地域がというようにお互いになすり合うんではなくて、本当に真剣に考えていかなければならないというところで我々も今苦慮しているところでございます。 以上でございます。
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。 次に、中野参考人にお願いいたします。中野参考人。
○参考人(中野良顯君) お手元にお配りいただきました「児童生徒の問題行動等について」という十五ページの資料を用いて意見を申し上げたいと存じます。 最初にありますように、まず問題行動の分類、それから日本の問題行動の趨勢、その分析と対応、予防、そして児童生徒の健全育成、そういう順序で申し上げたいと思います。 まず、二ページの問題行動の分類でございますけれども、いろいろな分類の仕方がございますが、コントロールの不足による問題行動と、コントロールし過ぎによる問題行動という分け方がございます。オーバーコントロールとかアンダーコントロールという言葉が使われますが、コントロール不足の中には、いじめや校内暴力とか反社会的行動といったようないわゆる攻撃型の行動が含まれます。逆にしつけられ過ぎといいますか、この過剰になっている場合に、不安とかうつとか引きこもり、登校拒否、自殺といったような問題が起こりがちになります。 日本の問題行動で最近話題になっておりますいじめの発生状況のグラフをそのページに掲載いたしました。これは文部省の調査結果でございますが、昭和六十年度をピークとして急激に減っておるという傾向を持っておりましたけれども、大河内清輝君の事件が起きた平成六年、そしてその後、文部省等がさまざまな対応をしたにもかかわらず、平成七年度にはさらにふえているという傾向をごのグラフは示しております。 学年別のいじめの発生件数を見ますと、中学一年生が一番多く、中学二年生がそれに次ぎます。そして、小学校六年生、さらに中学三年生、小学校五年生といったように、中学時代の問題が非常に大きいことが推測されます。 攻撃型の問題行動の二つ目は校内暴力ということでございますが、三ページにございますように、校内暴力はじりじりと増加をしてきているということがこのグラフからわかります。中学校の発生件数は一九九五年に非常に多くなっていることがわかります。発生学校数というデータは横ばいですけれども、やはり少しずつ上昇ぎみの傾向が見られます。高校の発生件数、これも増加をしておりまして、発生学校数もふえつつあるということが憂慮されます。 逆に、問題行動と申しましても、非社会性の問題行動として典型的なものに登校拒否というものがございますが、文部省の統計では、長期欠席者のうち、学校嫌いを理由に五十日以上長期欠席する児童生徒というふうに定義をしております。 小学生で五十日以上の欠席者は病気が一番多いわけでありますが、一万五、六千人前後で横ばいをしておりますけれども、学校嫌いというのは一九八四年にはわずか四千人でありましたが、一九九七年になりますと、病気とほぼ同じ一万六千人に近づいていることがわかります。中学校の長期欠席者はもともと学校嫌いによるものが他を圧しておりまして、その数は六万人を超えているという憂慮すべき現状にあります。 さらに、三十日以上の登校拒否という統計が九一年度からなされておりますけれども、下のグラフにございますように、九六年度には小中学校合わせて九万人を超えていることがわかります。 直接のきっかけというのは、小学校の場合には本人の問題、家庭生活、学校生活という順序ですが、中学校になりますと学校生活に起因するものがトップになっておりまして、次いで本人の問題、家庭生活ということになります。学校生活ということになりますと、一つは勉強についていけるかどうか、もう一つは友人関係、いじめ等も含めたそうした対人関係上の不愉快な出来事ということが考えられます。 登校拒否の区分についてはさまざまな方法がございますけれども、文部省統計では、不安など情緒的混乱の型、無気力型、複合型、遊び非行型、そして意図的に学校に行かないで生きるといったような、ウェー・オブ・ライフといいますか、生き方としての登校拒否、こうしたものがございますが、不安など情緒的な混乱の型と無気力型が多いことがわかります。 さらに、五ページには保健室登校、保健室に登校しているお子さんのデータでございますけれども、一九九〇年度の調査と九六年度の調査、二回、学校保健会の調査がございます。一校一日当たり保健室利用者数、いずれも九六年の方が増加をしております。心身の健康問題の年間発生状況では、慢性疾患に次いでいじめが多くなっていることがわかります。白いグラフは高校、黒いグラフは中学、灰色のグラフが小学校でございます。 体の問題で保健室に来談をしておりますけれども、心の問題を背景に持っているという場合について、グラフは小中高校で高校が一番多いわけでございますが、現在継続支援中の心の問題の事例も、一九九〇年度に比べますと増加をしていることがわかります。現在、保健室登校しているということ、つまり在籍学級には行けずに保健室で勉強をしているお子さんが推計で一万人を超えるという状況がございます。 六ページは高校中退でございますが、高校中退の子供の数は約十万人前後でございます。アメリカなどに比べますと高校中退率は非常に低いわけでございますけれども、しかしこれも、高校生の数が減ってきているということを考えますと、決して中退率が減少してはいないということがわかります。 最後に自殺でございますが、小中学校児童生徒の自殺者数は、全体としては減少の傾向をたどっていることがわかります。 問題行動全体の動向といたしましては、やはりいじめが一校当たり発生件数で一・五件というように、全国小中高四万校以上の学校の中でいじめの問題が六万件近く起こっているということがわかります。登校拒否も例年増加をたどっておりまして、昭和四十一年度の調査開始以来、最高の数値になっております。今余りマスコミでは取り上げられておりませんけれども、校内暴力の増加は大変憂慮されるところでございまして、攻撃型の問題行動に対する対応ということが一つの緊急の課題になっているかと思われます。 こうした問題行動をどう分析し対応するかということに関して申しますと、八ページにございますように、いじめや校内暴力の神話と事実ということで申しますと、加害者は外面は強そうに見えるけれども内面は不安定で壊れやすく、他の子供たちより自尊心が低いといったような常識がございますが、事実は逆でありまして、加害者は自尊心も低くないし、別に不安や心的な問題を持っているとは限らない。加害行動をむしろ正当化し、いじめは好きだというような言動を発する場合が多く、発見された後も加害者の側で被害者に謝罪をするといったような行為はまれであることがわかります。 いじめ問題は田舎よりも大都市の方が多いというのも誤りでありまして、知覧町の場合などは人口一万四千でございましたけれども、やはりいじめの問題は起こっている。つまり、都市と農村の差はないということであります。学級、学校規模が大きければ大きいほどいじめや校内暴力が多いか。これも、小規模校であっても問題は起こるということであります。 また、眼鏡、肥満、そばかす、頭髪の色といったような身体的な特徴をきっかけとしていじめが起こるという考え方がありますけれども、そうではなくて、被害者の側の不安な傾向、あるいは報復をしないといったような弱々しさ、いじめを受けても仕返しをしないというメッセージ、そうした心理的特徴がむしろ被害者の最初のきっかけになるということがこれまでの研究で明らかになっております。 ほとんどのいじめが校内よりも登下校中に起こるという見方も間違っておりまして、昼休み、あるいは先生が職員会議をしている時間、朝自習の時間、休み時間といったような校内で多く起こっております。日本の調査では、中学生の場合、休み時間に六三%、部活動で二六%、放課後二〇%、授業開始前が二八%ということで、登下校ではわずか一八%にすぎない。いわば大人の目を盗んだ学校場面でのいじめというものが多いことがわかります。 また、いじめが学校での成績不振と挫折を原因とする欲求不満のはけ口として起こるという見方ももっともらしい見方でありますけれども、必ずしも学業成績不振と相関の関係はないということであります。また、加害者が貧困家庭の出身であるということも間違いでありまして、いじめの行動の出現と家庭の経済状態は関係がないということであります。 一方、非社会的行動の代表である登校拒否をどうとらえるかということでございますが、典型的には不安型と恐怖型というのがございますけれども、不登校によって何らかの利益を手に入れている道具的行動というふうにこれを行動主義的に見れば考えることができるわけであります。 学校に不快源がある場合には、学校に行かないことによって不快源から回避することができる。学校でしかられたので、逃げ出すということで不快源から脱出をする。また、家庭に滞在することによって家から離れることの不安を取り除くことができる。あるいは遊び型、非行型の登校拒否の場合であれば、テレビを見たり遊び仲間と一緒に過ごしたりすることができるといったようなことがあります。そういう意味で、問題行動をその機能によって分類して、それぞれに応じた対応が必要であると考えられます。 問題行動全体に対する予防ということで考えますと、十ページのように予防の等式というものがございます。図にありますように、問題行動の発生は一種の分数であり、分母は対処技能、社会的支援網、自尊感情。分子はストレスと傷つきやすさの個人差。分母が小さく分子が大きいほど問題行動は起こりやすいということになります。 ストレスというのは、環境がもたらす心身への負荷あるいは不快刺激。これにも引っ越しとか両親の離婚とか大きなストレスイベントもありますけれども、毎日の暑さ寒さ、騒音といったようなデーリーハッスルというタイプのストレスもございます。 ストレスが大きく、かつ、その本人が生来傷つきやすい体質のお子さんである場合には問題は起こりやすくなる。しかし、対処技能、対人問題、葛藤に適切に対応する能力といったようなもの、あるいは社会的な問題解決能力といったようなものを教育によって指導することにより、スキルを増大させることで分子の大きさを相殺することは可能であります。 社会的支援網、ソーシャル・サポート・ネットワークというのは、その本人がどれだけ孤立しているか、あるいはどれほど友達があり、相談できる大人がいるかということでありまして、二番目の対策は、そうした子供の対人関係やその能力を高めること、そしてネットワークを強めることであります。 そして、自尊感情、これは自尊心あるいは自分を価値ある存在と評価して大切にする感情のことでございます。 こうした一次予防等式に従いますと、登校拒否とかいじめの予防というのは、まずストレス源としての学校や家庭や地域の持つ不快さ、嫌悪性の性質を明らかにし逆転させること。ストレス反応の個人差を考慮して、弱い子供に対しては日ごろから目を配り、たくましく育つように積極的に育成する。傷ついたときには早目に手当てをする。分母を膨らませる方法として、生涯学習社会に必要な学ぶスキル、対人関係のスキルの組織的教授を行う。わかる授業、考えさせる授業、個人差を考慮した授業などが重要になってまいります。 学校では、孤立児に注目をして、友達や助けてくれる大人がふえるように教師が調整をする、あるいはリーダー的な子供と組み合わせをして仕事や発表をさせる。孤立児を仲間に入れる子供を奨励し称賛をするといったような対応が必要になってまいります。 自尊感情、これは自尊心ということでありますけれども、少し困難な課題に挑戦して成功する経験、あるいは他人に役立つことをして感謝される経験を提供するといったようなことが必要になってまいります。 問題行動というのは、やはり複合的な要因から起こると考えられます。学校の改善、家庭の改善、地域社会の改善、それから社会全体の改善、それぞれのシステムの各成分がこぞって改革をするということが必要になってまいります。 学校の改善としては、ゆとりある学校をつくるということでありますが、やはり現在の日本の学級規模というのは先進国と比べますと著しく大きい。これは第十五期中教審答申の中でも指摘しているところでございます。教員一人当たりの児童生徒数を減らさなければきめ細かな指導は難しい。 二番目は、人間形成専門家の配置。学校教育は生徒指導と学習指導という車の両輪で行われておりますけれども、特に生徒指導に関して専門家が配置されていないということが、日本の戦後教育におけるバランスを失った教育の欠陥である。教師は学習指導の専門家ではあっても人間形成の専門家ではない、あるいは人間形成の専門家であったとしても学習指導と兼務を余儀なくされているところに大きな問題がございます。 学校経営を改善する。これは、行動の指針を明快にし、規則に従えば強化を受け、規則を守らなければ罰を受けるといったような行動の原理が重要になります。二番目は一支援関係をつくる。教師同士の支援関係、子供同士の助け合いの関係が希薄になっている。三番目は、個人差を考慮する。それから、子供同士の助け合うファシリテーターを育成するといったようなことが重要になってまいります。 家庭教育としては、やはり子供をモニターして、今だれとどこにいるかを親が知りていること。ささいな問題は無視して、重大な問題はきちっとしつける一貫性のある子育てをする。また、子供自身が問題解決のスキルを学習できるように親がそのモデルになる。子供の行動をしっかりとフォローして、ささいな行動でもよい行動には必ず言葉かけや御褒美で報いるようにする。親子で一緒に楽しめる活動を見出し、子供と過ごす時間を確保する。子供の成長に関心を示し、あきらめず子供に期待し、学校でのことを話し合う。家庭生活のルールをつくり、子供が現実の自分に気づくように、なんじ自身を知れということを要求する等々の家庭の教育の改善が必要であります。 地域としては、学校、家庭、地域の連携ということが必要でありますが、私どもが関係している松戸市の場合にも健全育成会議という試みをしておりますけれども、そうした活動に対する財政的な援助というものを継続的に行われることが望まれます。 社会の改善としては、よい大人のモデル、あこがれの対象となるような大人をふやすということと、社会に貢献する企業を強化するということも重要かと存じます。 今年度の朝日新聞文化財団の企業の社会貢献賞では、イトーヨーカ堂が環境・資源問題などに積極的に取り組んでいる点が評価されている。社員にやさしい賞では日本航空。障害者雇用賞では、松下電器産業が一・六%を超える障害者雇用を実現している。日本IBMが雇用の国際化を図り、花王が消費者志向賞を、また関西電力が地域と共生賞、安田火災海上は社会支援賞。 しかし、これらの賞の理由を見ますと、自分の社内の労務管理がよいからといって賞を受けるというのは、ちょっといささか理由が弱いといいましょうか、社会に貢献するということに対して国家が報奨を出すような制度がむしろ必要ではないかというふうに思われます。 以上、児童生徒の健全育成に関しましては、学校、家庭、地域社会、そして社会というものの改革が必要かと思われます。
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○北岡秀二君 自由民主党の北岡でございます。 小田先生、鈴木専務理事そして中野先生におかれましては、それぞれの立場から大変貴重な御意見、御見解を私どもに御披露いただきましてまことにありがとうございます。 私の方からは、先生方に共通して御質問をさせていただく点と、個々御質問をさせていただきたいと思う点とちょっと区分けをして、思いつくままに何点か質問をさせていただきたいと思います。 私どもにとりまして神戸の事件というのは、これはもう青少年を考える上で一番身近な大きな事件でございましたので、まずここからお聞きしたいんですけれども、先ほど小田先生の方からは、少年法についてはいろいろの御見解をいただきました。少年法の改正について、これは直接は法務委員会で、文教の直接担当ではないんですけれども、私も委員会議論としてやらせていただきました。 特に、PTAの立場での鈴木専務理事さん、そしてまた中野先生の立場で、直接の専門の領域ではないだろうとは思うんですけれども、この少年法の改正問題についてお二方の立場から御見解がございましたら、まずお教えをいただきたいと思います。
○参考人(鈴木仁君) ただいまの点でございますが、全体的に議論をされているところでございますが、諸外国と比べ青少年の保護に対する法規制があいまいというような感じがございます。十分な比較について私どもしたわけではございませんのでわかりませんが、この点について御検討をいただき、もし少年法の甘さというものがあるならば、ひとつその辺を十分に善処していただければありがたいと、かように我々としては思っているところでございます。
○参考人(中野良顯君) 子供でも、人間として責任をとる、責任を持つという一貫した教育と司法のシステムが必要であるように思われます。もし、少年であるがゆえにみずからの責任を負うことを免れるといったような悪用が可能である点があれば、やはりその点については改正すべきであるというふうに考えます。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 あと何点か共通してお答えをいただく部分を先にやらせていただきたいと思います。 それぞれの先生の御見解の中にある程度入っていらっしゃったことではあるんですけれども、私の立場から、子供を取り巻く環境、今の現状と将来ということを考えていったときに、少子化社会というのが非常に大きな要因になっておるような感じがするんです。 ちょうど、皆さん方御承知だろうと思いますけれども、直近の出生率が一・四二ということで、私らの時代、さらにずっとずっと以前の時代から比べると、一つの家庭の中で子供の数がどんどん減ってきて、当然兄弟間の切磋琢磨もなくなっているし、これはもう少子化と表裏なんですけれども、特に女性の社会進出ということも関連してきたりで、かかわり合い方も家庭の中でどんどん変わってきておる。 そうしてまた、そういう状況の中での親のあり方、あるいは子供の存在感というのがこれから将来に向けてもどんどん変わっていくであろうし、それに少子化ということの延長線で学校の中でもいろんな問題点が起こっておるということで、少子化という状況の中で家庭の中にどれだけの影響が進行しておるのか、そしてまたなおかつ、少子化ゆえに学校の中でどういう問題が起こってきておるのか、そしてまた、それぞれの先生方が先ほど見解を表明していただいた中にも重複して入っておるわけでございますけれども、これからの学校での対応、少子化ということを前提にした中でどういう対応をしていかなければならないのか、先生方の御見解をお伺い申し上げたいと思います。
○参考人(小田晋君) 少子化の問題は日本ばかりじゃなくて、一人っ子政策をとった中華人民共和国で非常に問題になっているところであります。中華人民共和国の場合は、特に徴兵制度を持っておりますから、それと関連して非常に大きな問題を生じてきているように思いますけれども、日本の場合はちょっと違います。 少子化現象が起きてから日本で起きてきた幾つかの現象ということですと、一つは、確かに過保護化という言葉は正しくありませんけれども、先ほど御指摘になったように少年たちが切磋琢磨の機会を失ったということがあるんです。要するに、子供たちがはれものにさわるように学校でも家庭でも扱われるようになっているということは確かに問題だと思います。 これは女性の社会進出とどういう関係があるかということなんでありますけれども、女性が社会進出する場合に、例えばフェミニズムの見地から、夫の家事の協力とかそういうことがなければ子供を産んでやらないという子供を人質にとった議論があるんですけれども、これは実際のところからいうと、現在は子育ての義務というのはほとんど、その一つ前の世代、祖父母にかかっているというような状況であります。 これを一体どの程度のところまでカバーすれば母親の社会進出に邪魔にならない形で第二番目、第三番目の子供を産むことができるかということが問題なんですが、一般的に言いますと、最低限いわゆる授乳期間中、その授乳期間中でも四カ月という説もありますけれども、私はやっぱり八カ月と考えておりますが、バックアップを母親がやらなきゃならない。しかし、このときにその間のキャリアが中断することを女性の側として引き受けることができないなら、これは非常に難しい問題になってしまいます。 その場合、やはりそこを何とかバックアップするというのが社会的な仕事ですし、それから子供連れでの出勤ですね、その場合の託児所の制度なんというのができれば大分違ってくると思います。我々の知っている職業では看護婦ですが、看護婦の場合には需要と供給の関係から職場託児所を持っているところが多くて、そういうところでは二人目の子供を産むことができるんです。こういうことを考えてみることも必要なバックアップの方法じゃないかと思います。
○参考人(鈴木仁君) 学校生活アンケート調査などの結果を見ましても、いじめ等につきましても、子供の数の減少が大きくいじめというものに対して影響しているのではなかろうかという数字なんかもあらわれてございます。一人っ子というような形で、どうしても兄弟げんかというものもなくなってございますし、学校へ行っても、確かに今の学校教育は高度になったことは事実でございますけれども、高度になった反面、昔は補導という言葉を使われても大変だった時代でございましたけれども、今は堂々と中学生の逮捕という言葉がどんどん出てくるようになってしまった。 そういう問題を考えたときに、一人の子供のただ教育的なものに親が没頭していくということで、子供の個性を生かすこともできない、そういうところから大きな原因が出てきているのではなかろうか。ですから、全体的にいろいろ見ましても、何人かの子供の中で育ってきている子供たちの方が、いじめとかそういうものでの結果は余り出てこないというようなものがデータに出ているのはその辺ではないかと思います。
○参考人(中野良顯君) 少子化によって子供たちが社会性というものを育てる機会を奪われてしまっているといいますか、あるいは経験が非常に少なくなってきているという事実があると思います。家庭と学校だけという生活の中で社会性がなかなか育たないという面がございますけれども、伝統的にはソーシャルスキルといったようなものは家庭で授けたものでありますけれども、現代ではやはり学校教育の中で積極的に育てていく必要がある。 例えば、ボランティア活動などは実際の職場を体験するということでありますけれども、そうした老人ホームとか、あるいは保育所とか障害者施設とか、人々が働いて生活をしている場所で実際に触れるということ、あるいは、今考えられている総合的学習の時間などを使っての問題解決型のフィールドワークを含めた学習といったようなことを通じて社会とか職場の現実に触れるチャンスをふやすということが、子供たちの社会性を育てる上で大変大事になってくるだろうということが考えられます。 それから、女性の社会進出との関係で申しますと、やはり家庭生活や家庭環境にゆとりをつくるということが時間的にも空間的にも必要ではないかというふうに思われます。欧米の都市と日本の都市などを比べて一番大きく違うところは、やはり自動車道路と家並みとの間にかなり広い空間を持って空間的にゆとりがあり、そういうところで子供たち同士の触れ合いといったようなチャンスが自然に生まれるようにできておりますけれども、日本の場合には余りにも合理的な都市づくりあるいは家庭環境の狭さ、そうしたことが家族同士のつき合いとか子供同士の交流といったようなチャンスを奪っているという面があると思います。家族が団らんをするという時間的なゆとり、空間的なゆとり、そうしたものが子供の教育にとっても必要かというふうに思われます。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 今のお話で中野先生にちょっと足してお伺い申し上げたいのですけれども、今の御答弁の中にございました、少子化現象によって子供の社会性が損なわれる部分もあると。そういう問題解決に際して、当然家庭で対応していかなければならない部分と、地域社会で対応していかなければならない部分と、学校でカバーしていかなければならない部分と、今の三点の論点でお話しをいただいたわけでございますが、私の受け取った印象では、子供の環境が非常に損なわれつつある部分を学校教育の現場で一番大きくカバーをしていかなければならないというふうにちょっと私お聞きさせていただいたのですけれども、そのあたりはどうでしょうか。
○参考人(中野良顯君) 例えば一人っ子とか、あるいは兄弟二人だけれども年が離れているといったように、実際に家庭で同じ年齢の仲間と触れ合うチャンスというものはほとんどない状態にございます。四人、五人と兄弟があって、お互いに競争したり助け合ったりするという機会が自然に生まれるという時代ではない。同年齢の子供たちが出会う場はやはり学校が中心になりますので、学校は従来はいわゆる学問の基礎基本を教えるということが中心になっておりましたけれども、ソーシャルスキルあるいは社会的能力を育成するということも大きな教育目標としてカリキュラムに含めていく必要があるというふうに考えております。 そういう意味で、学校でのソーシャルスキルの訓練とか、あるいはグループワークとかボランティア活動とか、職場体験型の問題解決学習といったようなものがカリキュラムの中にもこれからは必要になってくるだろうというふうに考えられます。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 それでは、個別にちょっとお話をお伺いさせていただきたいと思います。 まず、鈴木参考人にお伺いいたします。 先ほどからこのアンケート調査の結果報告の御説明をいただきました。非常にタイムリーで新聞報道、マスコミ報道にもかなり大きく取り上げられて、時宜を得た内容のアンケートであり、そしてまたなおかつ現状の青少年を取り巻く状況の問題点を改めて浮き彫りにしていただいたということで、非常に大きな活動成果を得られたのではなかろうかと思うのです。 先ほどいろいろな分野にまたがっての御説明をいただきましたが、このアンケート調査をやられた結果のトータルの御感想はどうでしょうか。率直な御感想をちょっとお伺いしたいんです。
○参考人(鈴木仁君) 先ほども申し上げましたように、薬害関係のところにおいて八十数%が認知しているという結果があらわれたということ、高校生ではなくて中学三年生がこれほど認知をしているということ、興味を持たれているということに対しては、これは大変なことだと。 この辺について、これから私どもも六十協議会の御意見のもとに、親の意識の改革の中で何をしていかなければならないのか、やっていかなきゃならないなというのが全体の中で感じているところでございます。
○北岡秀二君 今の答弁の中にも含まれておることでございますが、今後のPTA活動、先ほどから各先生の話の中にも、そしてまたPTAのサイドでも十分に御認識をされておることだろうと思います。 家庭の教育というのはいかにあるべきかという部分がこれからますますクローズアップされるだろうと思います。そういう観点で、今お話しの今後の活動展開ですね、もっと具体的な形で何かおありでしたらお教えをいただきたいのです。
○参考人(鈴木仁君) 全体的に言われていますように、学校と家庭と地域、三位一体という言葉、連携強化、さらには融合というような言葉が使われております。いろいろな青少年を取り巻く環境の問題をこの連携強化の中でしっかりすべきと。これは社会教育、生涯学習の中でも全体的にやっているわけでございますが、本当に連携強化ができているのかどうか、言葉だけが走り過ぎているのではなかろうか、また親としては子供たちの事件のことだけを頭に置いて進んでいるのではなかろうかと。まさに先ほどの万引きの問題などでもそうでございますが、うちの子に限ってはというのが全体的でもございます。 最近の事例でもございますように、私は栃木でございますから、たまたま栃木で起きたことでございますけれども、中学生がお酒を飲んでオートバイに乗って夜十二時過ぎに走っていたのを警察に保護された。警察の方から自宅に連絡をとった。自宅の者は、うちの子供はとっくに休んで寝ています、間違ってだれかに子供の名前を使われたんじゃないかということでけんもほろろに警察はおしかりを受けて電話を切られた。その後間もなく親が部屋を見てみたら、子供はもぬけの殻であった、うちの子供だということで慌てて警察に飛んできた。 こういうことが現実にあらわれているのを見たときに、親の意識の改革という言葉も、言葉だけではなくてどの辺からどういうふうにしていくのか、この辺をPTAの中でもしっかりと取り入れていかなきゃならないんだというふうには思っております。 それではまず何からということになりますと、まず最初には家庭では何を、学校では何を、地域では何をというような、できるものをしっかりと役割分担を決めてかかっていくことが大切なのかな、こんなふうに思っておるところです。
○北岡秀二君 ちょうど私もPTAの一員でございますが、学校の教育現場での限界というのも確かにある。そしてまた、今の社会というのは非常につかみづらいというか、地域社会はある程度とらえることができるのですけれども、一般的な社会という概念というのは物すごくつかみどころのない状況である。もう一つの視点である家庭、これが一番私どもからしたら動かせる相手と言ったらおかしいのですけれども、一番動かせる相手じゃなかろうかなというような感じが私もPTAの一員としてしております。 それともう一つ、これは私の立場からのお願いというか、これからの活動の中で参考になればと思うんですけれども、このアンケート調査の結果にも本人の自由意思というようなニュアンスの部分がたくさんございます。これを私なりにいろいろ点検をしてみますと、今の家庭あるいは親の中で残っておる唯一の社会規範である人に迷惑さえかけなければという、人に迷惑をかける子になったらだめだというような教え方、そしてまたなおかつ人に迷惑をかけるような子になったらいかぬという、何か知らぬけれども一つの社会規範になっている。 これは親の気持ちとして、そしてまた大人の立場の気持ちとして私はわからなくはないんですけれども、裏を返せば人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいんだというような誤った社会道徳というか自由さというのが物すごく蔓延しておるような感じがするんですね。ついつい大人もそういう認識になりますけれども、人に迷惑をかけなければ何をやってもいいという部分が特にいろんな社会の中で、いろんな現場現場で非常に見え隠れをしておるような感じが私はするんです。確かに親の気持ちとして、人に迷惑をかけるような子になったらいかぬというのは私も痛切にわかるんですけれども、このあたりを何とかひつくり返すような運動展開をぜひともしていただきたいと思います。 相手に危害を加えるとか法律を犯すとかいう問題は別なんですけれども、人間というのは迷惑かけたり迷惑かけられたりのぶつかり合いの中で成長していく部分もあるんです。だから、ある一部分では人に大いに迷惑をかけなさいという部分を私は逆に推奨してもいいのじゃないかな、危害を加えたり法律を犯したりという意味じゃなくて、そういうようなことも私は考えておる人間の一人でございます。日本の伝統にはいろんなそういう道徳というのがたくさんあって、先輩を敬いなさいとか、両親を大切にしなさいとか、お年寄りを大事にしなさいとかいろいろあったんですけれども、言葉は生きていますが、ほとんど死んでおる。唯一残っておる最低限の社会規範として、人に迷惑をかけたらいけない、これだけはまだ生きているんです。 私はここに大きな問題があるというような感じがしますので、ぜひとも今後のお父さん教育あるいはお母さん教育の運動展開の中に取り組んでいただきたいなと思いますので、ちょっと感想がございましたら御意見をいただきたいと思います。
○参考人(鈴木仁君) まさにそのとおりだと思います。 私も保護司という立場を何年間も続けてございますので子供たちの例を見ておるわけでございますけれども、人に、そんなに何人もに迷惑をかけたわけじゃなければいいだろうというようなことを平気で言いますし、また、ちょっとしたことで警察に捕まってもすぐ帰してもらえるんだという感覚も持ってございます。そういう子供が警察に、きょうは何が何でもだめだ、帰さないぞといって留置場に入れられると同時に、こんなに人が変わったのかなというぐらいに一瞬に人が変わるように変わりまして、泣きじゃくって、そして今までのことをすべてしゃべって反省し、本当に悪かったというものをそこで打ち出すという実体験を私も見てございます。 そういうものから見ると、先ほど私も申し上げましたように、三つ子の魂じゃございませんけれども、人のものはとっちゃいけないよ、あれはこうですよというようなことだけただ口先だけで言ってそのままでは今後あり得ないのだな、こんなふうには思っております。 そういうところも十分これからは、例えばPTAにおきましてもお父さんの出番もしっかりとしてもらわなきゃなりませんし、もう場合によっては夫婦で出てきていただいて、学校教育の中でもいろいろ話し合いができるような場面にしていかなければならないな、こんなふうに考えております。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 続いて小田先生に数点お伺いしたいと思います。 神戸の事件についていろいろお話をいただきました。これはよく議論されることなんですが、神戸の小学生の殺害事件、この加害者の少年の精神状態の問題、先ほど先生の立場でいろいろ御分析をされたお話をいただいたわけでありますが、この事例というのは、特殊な事例と考えて解釈をした方がいいのでしょうか、それとも一般的、潜在的にだれにでも起こり得ると考えて我々は対応しなければならないのでしょうか、改めて。
○参考人(小田晋君) この事件については、その特殊か一般かという問題と全く逆立ちした議論がなされていると思います。 つまり、一方ではこの事件は特殊な事件であって、この事件をもとにして少年法の改正などを考えるのは短絡だという意見が、もちろんこの参議院からも出ています。それから一方では、この事件はたった一人の少年の事件であったんですが、この事件をすぐに内申書の問題とか管理教育の問題に結びつけてしまって、今の教育一般が全部間違っているというふうな議論もあります。 これはどちらも間違った意見です。実はこの事件のような快楽殺人の事件というのは極めて少ないのでありまして、人口二百万人に一人とか百万人に一人ぐらいしか起きてこない事件だと言われておりまして、日本でも極めて少なかったんですが、最近少しふえてきた。 これはいろいろな事情がありますけれども、一つは、確かに多くの人々の中には性的な衝動と攻撃的な衝動とがもやもやと共存しているという状態はありますし、そしてそれは、思春期に特に性衝動が高まりますので玉突き的に攻撃的な衝動にそれが及んでくるということはあるんですが、最近はそのもやもやとした衝動を行動につなげてしまうような情報が社会の中にあふれている。そのためにこれが行動化されてしまうということはあると思うんです。 それじゃ、この少年は正常であったか異常であったかといえば、明らかに異常です。異常という言葉は私は余り使いたくないのでありますが、それは精神医学的に診断がつく事例である。行為障害と性障害がある。行為障害というのは人格障害の一つです。人格障害の小さいときの幼弱型です。だから正常ではないんですが、精神分裂病であったかどうかということについて言うと、鑑定では精神分裂病であったことを否定されておりまして、この鑑定はある程度信頼できるものだと思います。その程度のところなんです。 ただ、この事件を例えばモデルケースにしてみると、こういう事件について現在の少年法の処遇システムがうまく働いていなかったし、今後もこのままではうまくいかないなと。 この少年が例えばもし心神喪失で精神病院に送られたとしたら、この場合は数カ月で退院するというのが関西の精神病院の運営の仕方である。入院した場合はできるだけ早く精神障害者は退院させなきゃならないのでありますが、いつまでも病院に置いておくのは人権の問題がありますが、犯罪事件に関与した場合は反社会性と精神的な病理と両方が矯正されたということがちゃんとした専門家の機関によって確認されてから退院させるということを提案しますと、これは精神障害者を予防拘禁するものである、保安処分であるという形の非難が提案した精神科医に対しても個人攻撃という形で加えられていく、それが現在の状況です。そういう意味では、この事件は決して教訓にならない事件ではありません。 もう一つの教訓になることは、こういう形で現実に問題が起きかかっているときにどうしたら入り口でとめることができただろうかと。 もちろん、子育ての問題として情性をどうやったら高めるのか、それから思春期における性的な興奮をどうやって抑制するのかということがありますが、確かに、猫殺しなんというのは相当異常な行動で、それと、友だちが驚いて転校してしまうほどの暴力をやるというのを両方加えれば、飼い猫一匹でも猫殺しは器物毀棄ですし、友だちに対しては傷害。傷害と器物毀棄と二つあって、しかもその背後に精神的な問題が考えられるような場合には、そこで早急の対応をしなきゃならない。それが今回はできなかったという意味では、これは一般的な問題です。 ただ、この事件の場合、これが管理教育や学校の教師の対応の問題だということがよく言われておりますけれども、そして神戸の中学校の態度が悪いということですが、この少年が猫殺しを始めたのは、少年が語っているところによりますと、これは本当かどうかこの辺はわかりません、実のところを言うと、これはちょっと比喩でありますから。少年がこういうことを言われていたんです。少年が飼っていた犬のえさを猫が横取りして食べた、そのことに対する復讐として猫を殺したんだとこの少年は友人に語っていた。もしこのことが本当だったとしたら、この事件はちゃんと野良猫の始末をやらなかった保健所の責任だということになります。 こういうレベルの議論を多くの教育関係者、特に社会評論家、社会学者、ジャーナリスト、新聞の論説委員という人はこの程度の議論を展開してきたんだと。それによって地元の学校の教師たちはいわれない非難を受けてきた。何らかの少年の問題が発生したら学校の教師がいわれない非難を受けるという、現在の報道のあり方ばかりじゃなくて、特にいろんなところでの識者の発言のやり方というのは極めて遺憾だというようなことをこの事件は示してはくれました。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 それともう一点、先生の先ほどの御説明の中で、五番目の「子育てといじめ非行の抑制」という項目で、思春期の対応で「考えさせること」という御指導をいただきました。思春期、これはもう中学生の領域も思春期ということでございますが、この「考えさせること」というのをもうちょっと突っ込んでお教えいただきたいんです。
○参考人(小田晋君) 子供は、乳児期にはもう全面的に受容して愛する。幼児期にはしつける、これはもう体でしつけるんです。少年期には教えるということです。少年期に教えるということをしないために、考えさせるといっても何を考えていいかわからないんです。 例えば、親に対する扶養というのは本能じゃありません。人間以外の動物で親を扶養する動物というのはないんです。だからこそすべての高等宗教は、ユダヤ・キリスト教はなんじの父を敬えと言いますし、仏教には父母恩重経というのがありますし、儒教には孝は百行のもとというのがあります。この孝という言葉を、孝というのはもう私的なことであって親子の情というのは私的なものだから、これは公教育から取り除いてもいいだろう、あるいは民法から取り除いてもいいだろうということにしてしまいまして、戦後、これは国会で教育勅語を廃止するという決議をなさって、その後それにかわるものをおつくりにならなかった結果そうなりまして、今、孝という言葉は国民の間から消えてしまいました。そうしたら、子供は自然の情で親を大事にするかというと、必ずしもそうではないということが現在わかってきているわけです。 それと同じように、やはり基本的な道徳観念というのは少年期に教えなきゃだめなんです。それに対して、徳目教育徳目教育ということで妨害に妨害を重ねてきたのは、実は現在までの国会でもそういうような機能が少しはあったと思うんです。ただ、思春期になったらただ教えるだけではだめで、善悪についてみずから考えさせなきゃならない。これはソクラテスの方法と言うんですけれども、何でも議論をさせ考えさせるという時間をつくらなきゃならない。モラルの問題について話し合うという時間は、ゆとりの教育が導入されるならば、それはやっぱり絶対必要なことだということなんです。 ただ、性教育の問題について言うと、この少年は実は少し思春期が早く来ています。客観的にわかるのは、この少年は国語力は非常に高いんです。ところが英語力は非常に低い。ギャップがある。小学校の教育にはよく適応しているけれども、中学校の教育になってから完全にだめになった。そういうことが起きるのは普通は中学校二年生で起きるのでありますが、小学校六年から中学校一年の間に起きている。思春期が非常に早く来まして性ホルモンの濃度が急激に高くなりますと認知能力が落ちるという論文も幾つかあります。そういう成績が落ちたときに、これをどうやって立ち直らせるか、どうやってアドバイスするか。昔は身辺にちょっと不良のおじさんとか、ちょっと不良のいとことかいうのがいて、それこそ非常に上手にこういうものをやったんですが、今これがなかなかできない。親も教師もこれを道徳的に責めてしまう。お前が怠けているからと言ってしまう。 こういうときの性教育というのは担任の教師にとっても、それから学校カウンセラーにとっても、それから養護教員にとっても非常に重要なことなのでありますが、こういうとぎの性教育ができるような教育というのは、そういう人たちはだれもやらされていない。現在、確かに性教育の読本というのはありますけれども、あれを見たら性の解放ともう一つはコンドームの使用法しか書いてない。それしか書いてないというのは言い過ぎですけれども、それが中心になっている。コンドーム、コンドームということでエイズ予防に振り回されて、思春期における性のモラルの問題、性をどうするかということを無視した性教育が行われたために、数十億円の金を日本国はどぶに捨てたんです。
○北岡秀二君 ありがとうございました。 続いて、中野先生にお伺いをさせていただきたいと思います。 先ほどの御説明、大変広範囲にわたって、そしてまたなおかつ大変論理的に分析をいただき、さらにそれぞれの対処法についても的確な御指導をいただいて、まことにありがとうございます。 具体的な部分で一つ先にお伺いしますが、十一ページにお書きの「ゆとりある学校をつくる」ということで、学校規模の縮小ということの御説明をいただきました。「教員一人当たりの児童生徒数を減らさなければ、きめ細かな指導はむずかしい。」という記述をされておるわけでございます。先生の立場でこのあたりの適正規模というのはどの程度をお考えになっていらっしゃるのか、お伺いしたいと思います。
○参考人(中野良顯君) 国際的な教育の到達度調査というのがこれまで三回ぐらい数学とか理科に関して行われておりますが、その調査の際に、子供たちに何人ぐらいの学級で勉強しているかということも聞いておりまして、そのデータも最初の調査で出ております。例えばヨーロッパなどの場合ですと、中学、高校で数学の授業が十五人とか二十人とか、あるいはアメリカなどの場合ですと二十五人から二十七、八人ぐらい。現在、日本では四十人という学級定数で、四十一人になれば二十一人の学級と二十人の学級に編制できるわけでありますけれども、極端にそうした違いがございまして、多くの東京都の小学校、中学校では三十五人プラスマイナス三ぐらいの編制になっているかと思いますが、適正規模としましてはやはり二十五プラスマイナス二、三というところが適切ではないかというふうに考えられます。 さらに、日本と諸外国の教育制度の大きな違いの一つに、スクール・リレイテド・サービス、つまり学校関連サービスというものがアメリカなどの場合にはございます。この学校関連サービスというものの中に、スクールサイコロジストとかスクールカウンセラーとかソーシャルワーカーとか、あるいは就学指導専門員といったような教師以外の専門家が教育委員会や学校に配置されております。 例えばスクールサイコロジストという場合には、学校の中に勉強のおくれているお子さんがいる場合に、そのお子さんに個別にきちっと心理テストを行い、適切な教育計画を助言して担任の先生を支援するとか、あるいはスクールカウンセラーの場合ですと、常勤職で三百人に一人とか五百人に一人学校に必ず配置されて、教師が十分にカバーできない側面をシステム支援をする。こういうような制度を一方に持って学級規模を二十五人ぐらいにする、これで初めて人間教育ということが可能になってくるかと思います。 日本の場合には、学級規模が欧米に比べますと明らかに、いわば途上国並みの大きさ、フィリピンとかそうしたアジアの諸国などの学級編制と余り違わない大きさになっておりますと同時に、学校関連サービスというものが確立しておらない。現在、スクールカウンセラーを試験的に非常勤で二年間だけ一つの学校に配置するということが、全国の約二%の学校に配置され始めたところでありますけれども、もっとそうした学校全体の人間形成機能を束ねる専門家を配置する、あるいはそういう役職にある教師は学業指導、学習指導の業務を免除してそうした人間形成のプログラムづくりに専念できるようにするといったような工夫が必要かと思われます。
○北岡秀二君 先生はカウンセラーの指導の御専門ということでいろいろまた改めてお話をお伺いしましたが、カウンセラーの役割、活動を考えてみますときに、カウンセラーの能力、資質と申しますか、小学校におけるカウンセラーの求められる像と、中学校、高校とそれぞれに求められる部分というのはかなり違ってくるだろうと思うんですけれども、そのあたりは先生のお立場でどういうふうに御認識をされていらっしゃいますでしょうか。
○参考人(中野良顯君) カウンセラーのモデルには、臨床モデルあるいはクリニカルモデル、つまり病気を治すカウンセラーというコンセプトと、それから育てるカウンセリングあるいは指導のプログラムに基づくカウンセリングという二つのモデルがございます。 現在、臨床心理士として配置されている試験研究でのスクールカウンセラーは治すカウンセリング、問題が起こった後に学校に行けないお子さんなどについて個別に治療をするというカウンセリングモデルでありますけれども、アメリカの場合にはこれが七〇年代にプログラムモデルに変わります。 プログラムモデルというのは、指導するカウンセリングということで、特に人間形成、例えば具体的に問題解決能力を養うとか、あるいは自分について振り返り自己を深く知るとか、あるいは自分のキャリアについて、進路について勉強をし将来の設計をする、そうした個人的、社会的、学業的、キャリア的な能力をプログラムによって育てるという、そういう設計者、実行者、これがプログラムモデルに基づくカウンセラーであります。 基本的に小学校の場合も中学校の場合も育てるカウンセリング、あるいは学校全体で計画的に行う人間育成のガイダンス、これが学校場面では最も必要な専門家ではないかと思われます。
○北岡秀二君 どうもありがとうございました。 最後に、一言ずつ三人の立場で御見解をお伺いしたいんですが、今、一連の教育問題を通じて、文部省といたしましても心の教育をこれから重視しようというような方向へ流れております。きょうそれぞれに御発言いただいた部分も多少重複しますが、今後私どもが心の教育という部分に取り組むに当たって、それぞれの立場からアドバイスなり、こういうふうにやった方がいいよというようなことがございますれば一言ずつ御見解をいただいて、私の質問は終わらせていただきます。
○参考人(小田晋君) 三点です。 第一点は、先ほど申しましたように、道徳的な規範について少年期に教えなきゃいけない、教えるプログラムというのを具体的につくった方がいいということです。 第二には、先ほど北岡議員がおっしゃいましたけれども、いいことをすればいい報いがある、悪いことをすれば悪い報いがあるという、これは心理学的には行動主義と言うのでありますけれども、行動主義系の学習ということは現在は余り行われていないような気がしますので、この辺にやっぱり重点を置いて、受容的なカウンセリングというのは非常に重要ですけれども、それが教育全体を心の教育という美名のもとに覆ってしまうということには私は問題点を感じます。 第三には、やはり人員の問題でして、私は、一番子供の心の問題についてアドホックに役に立つのは、養護教員を二人制にして、そうして養護教員の教育課程の四〇%ないし六〇%は精神医学及び心理学、そういう形の養護教員を配置するというのが最もプラクティカルなやり方ではないかと思います。
○参考人(鈴木仁君) 先ほど申し上げましたように、個性を生かす、また楽しく学校に行ける教育改革ができてくるんではなかろうかということで、これは心の教育の中では一番大切なことだと思いますし、また、事件にだけ採用された教育ではなくて、その辺をもう少し考えを新たにしていくべきだなと、こんなふうに思っています。
○参考人(中野良顯君) やはり学校でゆとりのある指導ができるような条件整備、学級規模を縮小すること、そして人間形成の専門家を配置するということ、自由裁量の枠をふやし、先生方が元気を出して教育に取り組めるような環境づくりが第一。 二番目は、社会性を具体的にプログラムをつくって教える。人間教育といいますか、人間形成のためのプログラムモデルに基づくガイダンスやカウンセリングが必要であるということ。 そして、地域の学校支援活動を長い時間のスパンで財政的に支援するような社会教育的な援助が必要であろうというふうに思われます。地域が教育力を持つということは一年や二年でなかなかできないわけでありまして、私が関係しておりますボランティア活動でも、一年ずつ、ほんの少しずつ財産がふえてくる。その地域の教育力という財産は、多分十年ぐらいかかって初めて見えてくるようなものだろうと。ところが、予算規模で言いますとほんの一年か二年程度の支援しかありませんので、その後が続かないという例が非常に多うございます。学校、家庭、地域の連携、開かれた学校経営を現実のものにするためにはそうした息の長い支援活動が必要かと思われます。 以上の三点でございます。
○北岡秀二君 ありがとうございました。
○石田美栄君 平成会の石田美栄と申します。 本当に目がぱっと開くようなお話を次々伺わせていただいた思いでございます。私はそれぞれの先生にお伺いすることから始めたいと思います。 まず、小田先生ですが、児童生徒の問題行動について、加害者そして被害者の人権とか犯罪への対応、今普通に聞いてきているようなこととはまた違って、もっと事実を直視したというか、積極的にというか、御専門のお立場から、私にとってはもう本当に感心させられるはっとするような問題意識、分析等々、さらには積極的な指導とか罰則あるいは矯正、体験学習といったさまざまなお話を伺わせていただいて、ありがとうございました。 そういうお話の中で、先生のお書きになっている、多少前もっていただいている資料にも目を通したりしたのですが、特に先生は母子関係、母親との関係、神戸の事件でも言葉の端々に母親との関係に非常に問題があったようなお話を伺うことができました。お書きになっている中でもキャリアウーマンである母親のこともお挙げになったりで、例えば疲れの問題のところでも、母親が食事を朝しっかり食べさせて楽しい話題を選んでやるとかというような、その母親の存在が第一であるというふうなことを強調されているのですが、そうした母親の役割、神戸の事件もですが、もう少しその辺も立ち入ってお伺いしたいのと同時に、父性というか、父親についてはどういうふうにお考えになっているか、お話しいただきたいと思います。
○参考人(小田晋君) 母親と父親の役割は完全に一〇〇%違うというわけじゃありません。子育てでも、従来のような性別役割分業を一〇〇%推し進めることはもうできないということは私も認めております。ただ、実際は授乳というのは母親の役割でございます。大抵の哺乳動物でもそうでございますが、我々が動物と一緒に生活する場合でも、感情が伝わるのは哺乳動物及び鳥です。子育てをする動物です。子育ての中で情愛というのができるのでありまして、子育て途中の動物から子供を取り上げてそれにミルクをやって育てることによって、母親がわりとして自分をすり込むことによって情が移るのでありまして、そうしないと情というのは移らないんです。感情というものはやはり母親と子供との、特に乳児期における関係が非常に重要で、乳児期における母親と子供との接触をどうやって確保するか、確保してあげるかということが社会としてはとても大事な仕事だと思います。 それから、もちろん母親がいつまでも子供とべたべたしているわけじゃなくて、一年一メートルといいまして、零歳児ゼロメートル、一歳児一メートル、二歳児二メートルとだんだん離れていくべきだというんです。それから、よく日本人は甘えるからいけない、子供を甘やかすからいけない、甘えの構造が日本人の欠点だということをおっしゃっていたんですけれども、このことについては、甘えの構造の提唱者であります土居健郎先生が今度の神戸の事件について書きまして、最近どうも子供を甘やかすことがいけないと思い込んでしまって、本当に乳児期においてさえ子供を甘やかさない母親が多くなっているのは問題だとおっしゃっていました。私はその点には同感です。 それからもう一つは、先ほど薬物の問題がありましたけれども、薬物乱用の場合は、母親が子供と朝食のときに顔を向き合って話していれば、大抵有機溶剤というのは夜中に吸いますので、においがするから必ずわかるんです。それから、さらに歯が悪くなってきます。虫歯ができできますので母親は必ずわかります。母親と子供と向き合って食事をしていない家庭がかなりふえてきて、有機溶剤の少年というのはそういうところから出ているのが非常に多いのであります。そういうことがやはり薬物教育における啓蒙活動の非常に核なんです。 父親の役割というのは非常に重要で、大体父親というのは家庭における社会の大使だと言われておりまして、子供が父親を同一化することによって社会的なおきてを、精神分析で言えば超自我、意識はしないけれども社会的なおきてを父親を通じて無意識に超自我として取り入れる。子供に愛しているという信号を十分伝えた上で、子供にとってこのことはやっていいこと、このことはやって悪いことというのを教えるのが父親の仕事なんですね。価値観を伝えること。先ほどおっしゃったとおりです。 ところが、それが戦後の教育の中で、亭主関白はいけないかもしれないけれども、現在家庭の中では男性は非常に苦境に立たされていて、忙しいというのはありますけれども、そうじゃなくても父親が父親らしく子供に話すことがあたかもいけないように父親が思い込んでしまった。友達のように接しなきゃいけないとか、父親がその辺間違って思い込んでしまって、結局父親が子供にある程度の権威を持って接することをしなくなる。そのことが例えば、最近裁判が進行中ですが、金属バットによって父親が息子を殴り殺した事件、あの事件の背後なんかにもあるような気がします。やはりある意味においては、父親は自分の父性というものを主張することに憶病であってはいけません。 しかしながら、実は子供は、学校教育の中で女教師を通じて母親と、男性教師を通じて父親と向き合うことが多いんです。そういう意味においては、それがこのケースはどうも圧倒的に不足しているなと思ったら、例えば男性の教師ないしカウンセラーが父親の役割をあえて引き受けるということがあってもいい。 現在はそういう機能がないので、今の若者が男性性と初めて出会うのは、そして社会教育らしい社会教育、社会的なルールと出会うのは、実は企業に就職してから企業の上司あるいは企業内教育を通じてであるということが結構多い。それまでは口のきき方もわからない。男性も女性もそうです。企業に入って研修を受けるまでは口のきき方もわからないという状態です。 現在の状態では、日本の企業の持っている社会的な教育機能というのは、ひょっとしたら現在の企業の持っている体質の変化の中で失われていくかもしれません。そのときに日本の社会というのは非常に重大な崩壊を起こすでしょう。企業の持っている社会教育の機能、そういう意味での社会的機能というものをやはり失わせないように努力することが必要です。
○石田美栄君 もう一つ小田先生に。 神戸の事件の場合、あの少年の場合の乳児期の母子関係、あるいは思春期の性にかかわる場合の父親あるいは母親との関係で何か御存じのことあるいは分析されていること、お話しいただいても差し支えなければ少し……。
○参考人(小田晋君) 精神鑑定書にはそのことが書いてあるんです。書いてあるんですが、その部分はやはり本人のプライバシーを考慮いたしまして報道されていないんです。あれほどプライバシーが変な形で明らかになってしまえばそれもやむを得ないことですが、これほど重要な事件について言えば、家庭裁判所の審判ではなくて、この事件の場合、現在の少年法ではできませんが、少年法を変える必要があるというのは一つはこれであります。正式な裁判で、合議制の裁判で検事と弁護人が立ち合って、反対尋問も行われて、鑑定書もそこで提出されて、その鑑定書の全文が、固有名詞のところだけA、B、Cに変えてもいいんですが、公表されるということでなければわかりません。 ただ、この事件の場合問題なのは、この少年の少年期に確かに両親は余りに厳しくしつけた。というのは、ちょっと上昇志向が強かったために抱き取る型の愛に乏しかったのかもしれない。ところが、その後この少年の性格の問題点が明らかになってからは、今度は全く放任したというところに問題はあるのかもしれません。しかし、この場合はむしろ親の問題ではないと思う。 一般的に、思春期において問題があることが出てきましてカウンセラーのところに行きますと、最近のカウンセラーはみんな放任することを勧める。場合によっては、下から上への反逆というのはすべて造反有理であるというような考え方に基づいて親の方が屈従することをアドバイスする。これは精神科医がよくやるのでありますが、この形のアドバイスというのは全く見当違いで、しかも憎むべきものであると思います。そういうアドバイスがこの場合もなされたのではなかったかという疑いを私は深刻に持っています。 カウンセラーを配置しろ配置しろとおっしゃるのはわかるんですけれども、確かに教育プログラムにおけるキャリアカウンセリングは非常に重要で有効ですが、現在のままの平均的な来談者中心的なカウンセラーの意識には問題がある。現在の臨床心理学者が現在の思想のままで多数教育現場に配置されたら、教育現場はかえって混乱を免れないとすら私は考えています。
○石田美栄君 ありがとうございました。 続いて鈴木さんにお伺いしたいのですが、PTAにかかわっておられて、お父さんお母さんの立場で児童生徒の問題に広い範囲でかかわっておられる立場ですので、そんな中で幾つかお伺いしたいんですが、初めの方で性教育の必要ということをすごく強調なさいました。援助交際のいろいろな統計のこと、こういうことは事実としてあるわけですけれども、援助交際という言葉自体が大人のつくった言葉で、実際は売春ですよね。あるいはもっと正確に言えば売買春と言った方がいい。 どのような性教育をと考えておられるのか、まずそれをお伺いしたいと思います。
○参考人(鈴木仁君) 援助交際については、我々の調査の中でも、平成六年のときにはもう全然こういう言葉は出てきておりませんでした。今回こういう問題が出てきた。それから、昨年度には急激に、九州の方の八女市というところですか、女子高校生三十何名がダイヤルツーショット関係での補導があったというようなことが報道されまして、それからのいろんな調査の中で援助交際というような言葉が出てきた。 性教育について、先ほど申し上げましたように、自分の体を自分が使ってなぜ悪いというようなことを平気で言う子供たちもいるんだという、そういう言葉も我々の集まりの中で耳にしてくる。これはすべてでないことは事実でございますけれども、そういう人が何人か出てきますと、どうしても友達意識が強くなってまいりますので、友達の影響でふえていくのかな、そういうようなことがございます。 ではどのようにしたらいいかということになるとなかなか難しいことなのでございますが、現実にこれも一つの事例がございまして、保護されたところで実態がはっきり出ているところなんですけれども、友達同士が何人か集まって、みんなそれぞれ、我々はこういう関係があるよ、友達一人おまえはいないのかというようなことから、友達の中でそういう形になると、自分だけが相手にされなくなってしまうんじゃないか、逆にそれでみんなにいじめられてしまうんじゃないかというようなことで、どうしても入っていってしまう、そういうものが非常に最近多くなっているというようなことが聞こえてくるわけでございます。そういう問題も踏まえながら、この性の問題等についても学校教育の中でしっかりとやっぱり取り入れていただきたいなということ。 それから、先ほどもお話が出ましたけれども、養護教諭の先生方には大変いろいろ御苦労いただいていることもわかりますし、我々保護者といたしましても、養護の先生には本当に頭の下がる思いをしているということも事実でございます。 ですから、そういう問題を踏まえて我々は、薬害についても性教育についてもできるだけ警察との連携をともにしながら、時には学校に警察官の出前教室なんかもこれからはやっていかなきゃならないだろうということで、学校と警察という言葉は今までもう全然別個に考えておりましたけれども、どうもそうではなくて、やっぱり警察とも連携をとっていく必要もあるのかなと、こんなふうに話の出ているところでございますが、じゃどうしたらいいのかというところまではまだきちっとしたあれは出ておりません。
○石田美栄君 引き続いて鈴木さんにお伺いしたいというか、話し合っていきたいなと思うのですが、PTAという立場ですと、調査したり指導したり地域で協力したり、そういうお立場でいろいろ御苦労を重ねてこられたと思うんです。 飲酒にしても喫煙にしても、欧米というふうに言うと非常に大ざっぱですけれども、日本の国というのは、お酒はどこにでも自動販売機がある。たばこもそうです。普通の電車に乗ったって、大人社会はどこででも酒を飲んでいる。乗るとすぐ酒を買って飲み始めるという社会ですよね。喫煙についても、アメリカなんかに比べればどこででも吸えるというか、だんだん規制が強くはなってきていますけれども、そういう社会である。 先ほど売買春ということを特に強めて申しましたのは、援助交際という言葉自体もそうですが、性の問題といっても、同年代の男女の交際という点については自由があるでしょう、欧米といいますか、外国でも。 いろんな国にいろんな問題はありますけれども、なかなか言いにくいんですけれども、日本の社会はまだまだ男性の意識というか、PTAでいえばお父さんですよね。だから、先ほど価値観について世代間の価値観の違いをおっしゃったんですけれども、むしろ親社会の、お父さんお母さんの、PTAのというか、それの価値観がそのまま子供に反映しているという、こういう立場でのお父さんお母さんの間の議論、PTAといえば主としてお母さんが集まっていらっしゃる中で、本当は両親が親社会の価値観の問題を話し合ったり、そこで親たちが価値観の話し合いの中で共有していく。 そこで、性については特にそうですが、やっぱりマスコミというのはまだ男性中心でつくられている。こういう男社会のひずみ、これがやっぱり反映しているのであって、若い世代の価値観がと責める前に、そういうふうな親自身の問題意識、PTAでの御議論あるいはそういう活動はどうなっていますか。また、将来的なそういうことについてのお取り組み、御意見が伺えたらと思います。
○参考人(鈴木仁君) なかなかあれでございますが、最終的には家庭の教育、家庭の教育の中でも親ということになるわけでございますから、先ほど申し上げましたように、親の意識の改革をしっかりとしていかなきゃならないということは大変なことだと思います。その中でも、親として未来を築いていく子供たちのために、そして親たち自身が子供たちの成長を見ながら、どういう意識の改革をしていかなきゃならないのかということをやっぱりしっかりと持っていかなきゃならないでしょうし、そしてしっかりとした形で子供を育て、子供の喜びがそのまま親の喜びにつながるためには本当に親はどうあるべきなのかと。 そういう断片的ないい言葉だけは全体的に出てきて、そうしようというところまでは行くんですが、じゃまず何から取りかかっていけばそれが一つ一つ解決できるのかなということになると、大変これは難しい問題だとふうに思うわけでございます。PTAとして本当にそういう世代の価値観だけではなくて親の意識を改革できるならば、まずこの辺をこういうふうに改革できないのかというような形できょう逆に先生方からいただければ、私どももそういうものに一生懸命取り組んでいきたいなというふうに考えているところでございます。
○石田美栄君 ありがとうございました。 続きまして、今度は中野先生にお伺いしたいのですが、きょうのお話は、時間の関係もあってと思いますけれども、いろいろな問題の調査とか分析を中心に詳しくお話しになったように思います。こうした問題を踏まえて実際に前向きの解決について、多少お触れになりましたけれども、子供にとって学校の重要性、学校が本当に生きがいのある場でなくちゃいけない、楽しい場でなくちゃいけない、そういうことについてもっと詳しくお伺いしたいなと思うのです。 また、先生がお書きになっている資料を多少見せていただいた中に、学校が生きがいのある場所になるようにということで、学級経営の工夫だとか発達段階のこととか幾つかお挙げになっている中で、子供の自己概念が肯定的になるよう誠意を持って援助するというところ、これは多分アメリカなんかで言われているセルフエスティームという教育なんでしょうか、だとすると、その辺を先生の御研究の中でもう少し詳しくお話を伺えたらと思います。
○参考人(中野良顯君) いろいろな調査がございまして、多くの子供たちは学校が楽しいというふうに回答しております。そういう意味で、多数の子供たちは健康な自己概念を持っており、また学校を楽しい場所というふうに認識しているということがわかります。ただ、そうした子供の反応は上級学校に進むに従って減少するという一般的傾向を持ちます。例えば、中学校に入ると急に授業の進み方が速くなったとか、覚えることがたくさんふえてしまっているとか、授業がよく理解できないとか、どこか上級学校の進学について決定をしなければならないけれども自信がないとか、そういうような認識を中学段階になりますと子供たちは持つようになります。 教育内容というものが、今は非常にどの子供にも同じ内容、しかも欧米に比べるとかなり程度の高い内容を一律に教えられている。教育課程審議会の中間報告などでは、中学一年生から選択をふやすとか、あるいは学校の授業時間を二時間削減するとか、さまざまな子供の側から選べるメニューづくりといいましょうか、一人一人の子供に合ったカリキュラムというものを編成できるように改革しようという提案が出されてきております。 自尊感情とかセルフエスティームというのは、自分は適度の困難な課題に取り組みそれを解決することに成功したという体験、あるいはそうした問題を解決する力が自分にもあるという認識。経験によって自分が変わること、経験による行動の変化というものが学習ということの基本でありますけれども、そうした課題を乗り越える、そして乗り越える上で自分が能力を発揮して自分は有能であったという実感を持つというように教育経験が編成されるということが、肯定的な自己概念を形成する上で大変大事な方策になると考えられます。そのようないわば指導の個別化ということが可能になるような教育のあり方がこれから求められるのではないかと思われます。
○石田美栄君 そういうことを実際に学校の場で、学校が生きがいのある場になるように具体的に考えていかなくちゃいけないわけで、子供にとって学校というのは本当に重要な社会、子供にとって家庭に対する社会でありますから、これも先ほどから先生も触れておられますけれども、特に先生は教科と同時に人間指導の専門家ということをおっしゃいました。教員養成課程あるいはもう教師になっている人の研修という中で人間教育、先ほどから御専門の心理の立場等々のお話がありましたけれども、教科と同時に、そういうものも含めた教員養成、今おっしゃっているような専門性を本当に身につけて、ある程度のトレーニングも経て実際の教壇に立てるようなことが私も大変必要だというふうに考えているのですが、そのことについてもう少し先生の御専門のお立場でお話しいただけたらと思います。クラスの人数が少ないということも非常に大事ですけれども、先生というものの性格というか、これからの養成の仕方について。
○参考人(中野良顯君) これは大変難しい問題を含んでいると思われます。それは、現在教員採用の枠が非常に狭いということで学校全体の先生方が高齢化してしまっている、新鮮な若いエネルギーが学校に入ってこないという状況が長年続いており、教員養成が今リストラの状態にあるということ。それから、そういう状況でありながら、学校の先生にさまざまなファンクションといいましょうか能力を要求されるために、教員養成のカリキュラムがどんどん膨らんできておりまして、教員養成学部の学生さんの忙しさは大変なものであるというまた矛盾の状態もございます。 教員の資質向上というのは、養成段階、いわばトレーニング段階で学ぶことと、それからいわばオン・ザ・ジョブ・トレーニングといいますか、実際に教員をやりながら研修を深めるという現職訓練と両方の面がございます。やはり養成段階ではカリキュラムを精選して、そして余りに何でも総花的に、施設訓練もやれば障害児教育もやればカウンセラーの勉強もしなさい、もちろん教科指導の勉強もしなさいということで、ふやし過ぎることで焦点を失うことが一つは問題ではないかというふうに思われます。 ただし、四年間のいわゆる大学教育に、大学院レベルの現場実習、あるいは現場に漬け込むという、あるいは現場を深く知るという体験、アメリカなどではイマージョンプログラム、漬け込みプログラムというふうなことを申しますけれども、一学期全部を実際に学校現場に出かけていって助手をして経験をしてみるとか、あるいは教育相談とか児童の治療教育などに毎週参加して子供と一緒に過ごす実際の体験を単位として評価するとか、そのような現実を知る、学校の現場を知るということが一つは大変大事なカリキュラム内容になるのではないかと思われます。 現に、今のスクールカウンセラー、クリニカルサイコロジストといいますか、臨床心理士が学校に来られても、教育の現場を知らないで非常に困るといったような声も先生方の中に大変多く出ていることも事実でございます。学校というものはどういうところであるのか、どういう職務、どういうアカウンタビリティー、どういう責任を果たすことなのかということ、そういうことをよく知ってその能力をみずから磨けるように、養成段階ではいわゆるデスクワークプラスそうした現場を知る体験実習といったようなことが必要になり、それは今よりももっと多くすべきではないか。 四年間の大学教育プラス一年ないしは二年の大学院レベルの実習を中心とした養成、そして現場に出て関心、興味を持った先生方がカウンセリングや人間形成に関する研修を受けられるように、これも官製研修という方法もありましょうし、また、さまざまな公開講座とか夜間大学院などに行ってみずから学ぶといったような、そういう先生方の生涯教育を支援する制度と、この二つの柱が必要ではないかと思われます。
○石田美栄君 ありがとうございました。 ちょっと共通の質問を省かせていただきます。
○委員長(大島慶久君) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(大島慶久君) 速記を起こしてください。 それでは質疑を再開いたします。
○本岡昭次君 まず、小田参考人に御質問いたします。 私は、神戸生まれの神戸育ちで、神戸の小学生殺人事件の問題は非常に深い関心を持って今もかかわっております。 それで、小田参考人がおっしゃったように、学校の管理教育がどうとか偏差値教育がどうとか進学競争がどうとかといった問題にこの直接の原因を求めるのは間違いだと、私はそういう立場で今までも来ました。だから、小田参考人のおっしゃっていることはいろいろと私もいい勉強をさせていただいたと、こう思っております。 ここの一に、「責任の所在のすりかえ—学校叩きは正しいか」と。正しくないわけで、学校をたたいて、学校の教職員を責め立てて悪者にし犯人にしたって少しも問題は解決しない。ところが、そういう主張があるので私も非常に今困っております。 そこで、ここにいろいろのことが書いてあるんですが、私一つだけお尋ねするのは、六番目のところに「狭義の心の教育・カウンセリング」というのが書いてあります。それで、先ほどの中野参考人の言葉の中にも、学校に学校関連サービスとして教員以外のいろんな専門家を配置せいということの中で、非常勤ですけれども、学校には校医さん、それから歯科医ですか、こういう人がおりますね。だから、ここで言うならば「精神医学との協力」という言葉がありますが、そういう点で言うならば、スクールカウンセラーを配置するということももちろん教育の実態的には必要ですが、もちろん精神病院、最近悪いことばかりしているから僕は信頼できないのですけれども、信頼のできる精神医もいると思うんですね。 だから、そういう方が学校と提携をして、そして学校の教職員と絶えず学校に起こる問題を専門のこういう精神医学の立場から、小田参考人がおっしゃっているような面をもつと勉強せにゃいかぬと思うんですよ。そして、問題があったら直ちに相談に行く、また来ていただくというふうな、学校医、学校歯科医と同じようなことを正式に考えていったらどうかということを参考人の話を聞きながら思っておったんですが、こういうことはどうなんでしょうか。
○参考人(小田晋君) 非常に適切な御質問をいただいてありがとうございました。 私自身が相当長期間にわたりまして、昭和四十年代を通じてずっと練馬区教育委員会の非常勤精神医を務めておりました。 これはどういう形で参加していたかといいますと、教育委員会に二人しかいなかったんですが、私がやりましたのは、登校拒否その他の問題行動のケースを持っている先生たちに集まっていただいて月に一回ずつケースカンファレンスをやるというやり方でした。栃木県もやはり同じようなやり方をやっていました。その後問題になりましたのは、練馬区教育相談センターができてからかえって実は役割分業的になりまして、この形がうまくいかなくなったんですね。ですけれども、要するに一番役に立つのは、教育委員会単位ぐらいで精神科医を非常勤校医にして、そうして問題ケースについてのケースカンファレンスを定期的に行うというやり方、これが全国的に普及されれば非常に役に立つと思います。東京都の場合は各特別区がこの形の精神科医を持っておりました。 ちょっと問題がありましたのは、確かに精神科医というのは批判がございまして、特に精神科医というのは患者の人権をじゅうりんする人たちで、そういう精神科医を学校の校医にすることは子供たちの管理を厳しくするものであるとか、子供たちの心を傷つけるとかというような批判が一部にありましたために、この形の精神科医の関与というのはいささか途中でとまってしまいました。 ただ、少なくとも教育委員会単位で精神科医を校医として委嘱する。そうして精神科医とカウンセラーとそれから問題を持っている学校の先生たちとの間で、先生たちがそこへ行って気軽に相談する。そして、そこで何か相談の扱い方についての方針が出てきたら、じゃ、これは私が診た方がいいかもしれないから精神科によこしてくださいとか、何とか先生のところへ行ってくださいというような形で対応する。 そういう形でかなり問題が具体的に解決したことを自分で覚えておりますので、登校拒否だとか不登校の中で精神医学的な治療が必要なものは、不登校はもちろん全部が精神医学的な治療が必要なものではありませんけれども、そういうものも含まれているんです。最近は、不登校はだれにでも起きることだということを確かに文部省も打ち出されましたが、その結果、かえって必要な精神医学的な援助に対する抵抗が強くなったという面も少しあります。 少なくとも最小限、もちろん都教委というような意味ではありません。市町村の教育委員会も含めて教育委員会単位で精神科校医を委嘱して、そしてケースカンファレンスやその後のケースの受け皿になってもらう。それから、特に学校の先生たちに精神科医の立場からお話を申し上げて、こういうふうな話し方は、セルフエスティームを傷つけるような話し方だけは特になさっていただかないようにお願いをするというようなことが必要です。 特に問題なのは、江本議員いらっしゃらなくなったんですけれども、体育の先生、それから数学の先生、英語の先生というような、教科の指導については自信を持っている先生たちが子供の心を傷つけてしまう、そういうことが非常に多いんです。 中野参考人がおっしゃったように専門家も必要なんですが、一般の教科を持っている先生、受験指導なんかに非常に興味のある先生、特に体育の教科はもう必修ですから、どんなに運動神経のない子供でも体育は逃れることはできませんので、体育の先生、こういう人たちが心ない言動をやっていると、いかにほかの先生が何をやったってみんなぶち壊しになってしまいますので、少なくともこれだけはやるなというべからずのお話をさせていただくというようなことが大事だと思います。それはつくづく感じました。
○本岡昭次君 今、主として子供たちの話をしておりますが、学校の教員にも不登校というようなことは出てきますね。これを不登校と言うのかどうか知りませんが、学校の子供がつぶれると、それとかかわり教えている教職員の方もつぶれていくんですね。最近そういう教師の数がふえていっているんです。目に見えませんが、それを実際に調査すると、そうなるとすぐ人権だとかいろいろ言葉が出てきてなかなか調査できないんですが、心の病というのはやっぱり教職員の中にも相当強く出ている。特にあの神戸の実態を見ると、そのストレスが子供にも来ていますけれども、被災者は教員にもたくさんおるんです。それが子供との教育とのかかわりでダブルパンチを食らって、ところが相談する人がいない。学校へ行けばもう大変だということでSOSを発している。 そういうことも見ると、やっぱり今まで精神医学のこうした問題についてかかわることをいろいろと学校も拒否していた面がありましたけれども、僕は非常に大事な要素になってきたというふうにも思いますので、きょうの先生のお話は興味深く聞かせていただいて……
○参考人(小田晋君) 文教委員会にぜひお願いしたいのですけれども、前の臨教審のときに、精神障害の教員というのは要するに問題教員だ、M教員だという話がちょっと出てきたものですから、結局、精神障害があるということで医者にかかることを教員がかえって拒否するようになってしまった。 実は職場のメンタルヘルスというのは非常に重要で、特にアメリカの場合は、全米校長会の機関誌を見ますと、アメリカの校長会が非常に主体的に教員の精神衛生の問題に取り組んでいて、アメリカの場合は高校教師は最もストレスフルな職業だということになっているので非常に重要なんです。 ストレスに陥っている教員を援助し、余り適切でない先生については適切な指導をする、この二面作戦でいかなきゃいけませんが、教員の精神衛生の問題について、今のところ、何らかの適切な委員会なりあるいは部局なり担当官なり、そういうものをつくって御研究になる必要が絶対あると思います。普通の一般の上場企業の従業員の場合は、社会経済生産性本部というのがありまして、そこのメンタルヘルス研究所というのを通じてかなりカバーしているんですが、教員の場合はまだそれが行われない。東京都のように、三楽病院、関東中央病院というような病院が二つもあって、そこに非常に有能な精神科医がいる場合はまた別なんですが、そのほかの場合は本当に各教育委員会とも、教員のストレス管理の問題、どうやっても適切じゃない教員をどうするかという問題それから教員の過労死の問題、自殺の問題、そういう問題に本当に苦しんでいらっしゃいます。
○本岡昭次君 今の御意見を参考にさせていただきながら、これから私たちも条件整備に頑張っていかなきゃならぬと思います。ありがとうございました。 それでは、時間もありませんので、中野参考人に御質問申し上げます。 校内暴力の問題をここに取り上げておられまして、このグラフにあらわれているとおりで、暴力問題は大学から高校、中学とずっと来て大体おさまったんじゃないかということですが、しかしこれはもう確実にふえているわけですね。 そこで、この校内暴力の定義ですが、ここに「対教師暴力、生徒間暴力、器物損壊を合せたもの」と書いてありますが、ぜひこれに加えていただきたいのは、教職員のいわゆる能力とか資質の問題もあると思うし、学校、学級の児童生徒数の規模の問題もあるんですが、授業が維持できないということが最近起こっているんですよ。教師が授業が維持できないんです。どういうことかというと、立ち歩く子供、雑談をする、それから物を投げ合う、不規則発言、やじですね。そして、教師が幾ら静かにと言ったって、もう全然授業にならないという状況、いわゆる学級崩壊だと私は見ておるんですが、教師に暴力を振るったり、生徒間でやったり、器物損壊しないでも重要な私は暴力だと思っておるんです。いわゆる授業を成立させない。一人一人のやっていることは教師を傷つけもしていないし生徒を傷つけもしていないけれども、いわゆる正常な学校の授業というもの自身を成り立たせなくしてしまう。 これは非常に最近ふえていて、そこで教師がつぶれる。そういうことの中で子供自身もいろんなストレスを起こしてしまう。一つの学級が崩壊すると、その同じ学年の学級も崩壊するというふうなことが最近ふえ始めまして、それを教師の能力とか資質だけに求めてもどうしようもないものがあるわけで、結局そういうものも含めた形でこの校内暴力というものも見ていかなければ私はならないんじゃないかなと。 ところが、そういうものは調査しても出てこないんですね。それは学校は報告しませんよ、学校の恥にもなるし、あんたのところの学校は何という学校やと、こういうことになるからね。だから暴力というのはなかなか学校は報告をしない、暴力学校にしたくないから。だからこれはなかなか目に見えない。それでもこれだけの計数が上がってくるということですから、これは潜在的なものは不登校と同じように登校拒否だと思うんですが、あるんですね。だから、こういう問題についてもやはり関心を持っていただいて、これをなくしていく方向に向かってどう努力したらいいかと。 僕は、中野参考人がおっしゃったように、特にこの「学校の改善」というところに書いてあるさまざまなアドバイスを非常に貴重なものだというふうに思いまして、これからこういうものを参考にしながら改善をしていきたいと、こう思っているんですが、ちょっと意見を述べさせていただいて、何か一言ございましたら。
○参考人(中野良顯君) 教師を助ける人という意味では、養護教諭の先生がそうした学級経営の悩みを持っている担任の先生の相談役になるといったようなケースがかなり存在していると思われます。養護教諭の方は教科指導をしないということで子供たちも気軽に心の相談で訪ねることができますが、授業が成り立たない先生で、あるいはまだ経験が浅いために学級経営ができないといったような方が養護教諭の先生のところに相談に行く、こういう例がかなり見られます。 愛知県の大河内君を担当していた女子教諭もまだ二十六歳とか七歳で、学級経営ができなくて職員室で泣いていたと。それでも、周囲の者がそれを助け合うというような教員関係がなく、結局愛知教育大の先生のところへ相談に行っていたというお話がありました。 そういう意味では、授業をどう成り立たせるかということでは、アメリカの場合などには例えばマスターティーチャーというような、先生のベテランといいましょうか、とても教え方が上手で学級経営がきちんとできるいわばリーダー的な教師、そういう先生に最も難しい学級を担当してもらう。みずから範を示し、若い人たちがそこから学ぶ。あるいは若い人たちがそうした授業が成り立たないような場面で適切なアドバイスを受けると。 そういうような、心の面での養護教諭のケアやマスターティーチャーからの支援といったようなことで少しずつ若い先生が力量をつけていくという、こういう学校の中での先生同士が教え合う、助け合うというシステムをやはり日本でもつくっていく必要があるように思われます。
○日下部禧代子君 きょうは、お三方の参考人の皆様には大変示唆に富んだお話をいただきまして、本当にありがとうございました。 それでは、まず小田先生にお伺いいたしますけれども、先ほどのお話の中で、神戸市の小学生殺害事件の加害者の少年のごとでございますが、もし早期に臨床的危機介入が行われていれば、例えば薬物療法を用いてでも犯行の防止は可能であったというふうなお言葉がございましたけれども、これをもう少し詳しくお話しいただけますか。
○参考人(小田晋君) この少年の場合は、攻撃性の強さということが少年の学校の中での行動でわかっていたわけです。そのことについて医師が知らされていなければわかりません。 それからもう一つは、猫に対する殺害行為が連続して行われている。猫に対する殺害行為というのはかなり重篤な情緒的な障害を示しているのでありまして、例えばこの段階での薬物療法というのは、本人に薬を飲めといっても決して飲みませんので、この場合は十四歳ですから、ハロペリドールという薬剤の液剤を夜間に母親が飲ませていくというやり方で、過剰な彼の攻撃性と彼の過剰な空想性、幻想、これをコントロールすることはできただろう。 しかしこれは裏わざでして、本人が納得していない医療になります。しかし、特に精神医療攻撃というのは激しいので、大抵の医者はこれはヘジテートしています。この場合はむしろ、そういうことを児童相談所に通知する、児童相談所は児童相談所の嘱託医に診察させる、そしてある程度通院を義務づけるというようなやり方でもってこの攻撃性を抑えることができます。 それから、これはよっぽどインフォームド・コンセントをやらなきゃいけませんが、インフォームド・コンセントができた上だったら、性犯罪者なんかの場合はある程度性欲をコントロールするような薬物、こういう薬物を日本以外の国ではドイツでも米国でも使っております。日本だけがこの種の薬物というのは、やはり人権の問題を考慮してなんですが、使用実験ができないので、薬物が使用できないんです。 ただ、アメリカでもドイツでも使っている性犯罪者に対する性欲をコントロールする、本人も納得した上で性欲をコントロールする薬物をどうして日本だけが使えないのか、これは非常に私は疑問に思っております。むしろこれは厚生委員会の問題ですけれども、確かにそういうこともありますし、それ以外にもちろん本人の気持ちをじっくり聞く、そうして本人の性的なファンタジーを聞き出すことができたらしめたもので、一緒になってそういう話をしているうちに何となく、非常に残虐なファンタジーを彼は持っていたわけですから、そのことを精神科医かカウンセラーかどこかで事前に聞き得たらその後はもう何とかなるものです。ただ、それこそ今のところ人権のバリアが強くて、なかなかそういう治療構造ができないというところが問題なんですね。
○日下部禧代子君 でも、今先生が御指摘なさいましたような、家庭あるいは学校、あるいはまたその他の病院などでもこの少年とのコミュニケーションができる場があれば、まだそうした可能性もあったかもわからないということでございましょうか。
○参考人(小田晋君) そうです。この子はその場を得たわけです。つまり、児童相談所というのは最もあの地域では能力の高いカウンセリングの場だったんですが、そこでもどうもちょっとはれものにさわるようなカウンセリングをやったために、具体的に一歩踏み込めてない。やっぱり人権はとても大事ですし、児童の権利条約でもそのことは強く主張されております。私はそのことに全然反対じゃないんですが、ただ、児童の権利条約の受け取られ方が日本でだけ世界各国の受け取り方とは全く違って、教師や精神科医や警察や、そういうものの手を縛る方向にだけ受け取られている。この点に僕は非常な問題があると思います。
○日下部禧代子君 今先生が御指摘になりました、いわゆる限度を越えた人権派がつくりだした風土、それが本人の責任を問わないような風潮、そしてまたはれものにさわるような保護主義というようなことで学校のアノミー化、あるいは先ほどの先生のお言葉で申しますとディズニーランド化、あるいはいじめっ子の開放区になりそうだというふうなお言葉がございましたけれども、これは私、根底にはやはり親、教師のある意味での自信喪失ということがあるのではないかなというふうに思います。 子供たちの学校における逃げ場というのは保健室があるかもわかりませんけれども、教師あるいは親の相談の場、あるいは逃げ場というふうな、今このように複雑な社会的な状況、環境の中で大人自身がどうしていいのかわからないというふうなこともあるのではないかなというふうに思うわけでございます。特に、親に関しましても母親の方の高学歴化、父親も高学歴化でございますけれども、そういう中での親、教師の自信喪失という問題に関して先生はどのようにこれに対応すればいいのかというふうにお考えでいらっしゃいましょうか。
○参考人(小田晋君) 確かに自信喪失になっているのでありますが、その親や教師の自信を失わせるようなやっぱりメディアの影響は非常に大きいので、攻撃をちょっと控えていただければありがたいかなと思うのであります。これは文教委員会でできることがあるんです。 一つは、学校の教師に心のそういう相談が必要になったときに、そのために幾つかレベルがあります。先ほど言ったマスターティーチャーの問題ですね。そういうふうに確かに指導体制の問題は非常に重要で、そのときの指導体制というのは官僚的な指導体制ではなくて、技術的に飛んでいって援助するという形の指導体制というのは、アメリカの場合、アメリカの校長会が一生懸命これをやっていったんです。 それからもう一つは、心の問題を抱えている教師に対して、一方ではもうはれものにさわるようにしておきながら、一方ではすぐにM教員のレッテルを張ってしまうというようなことで、その心の問題を抱えた教師に対するちゃんとしたカウンセリング体制もなければ、それに対する指導のマニュアルもないということが問題なんですね。やっぱりこれはある程度文部省の教育委員会なりが心の問題を抱えた教師に対して差別をしない、教職に復帰をさせる、そのことを前提としてのカウンセリングの制度、あるいはそのために受診を勧告するとか、そういうような制度をもっとやった方がいいと思います。 一方では、大都市におけるように、本当に問題教員が、この間東京都教育委員会が蛮勇を振るうまでははれものにさわるようにされている。一方では、地方の教育委員会なんかではただもう精神科に通っているということだけで何とかこいつを退職させようと考えるというような極端な対応のぶれがあります。教員の人格を尊重してメンタルヘルスの管理をやる、それと同時に、病的な教員に教えられる子供の人権の問題もありますので、そういうときにはどうやって受診を勧告し、どうやって社会復帰させるのかということについてのちゃんとしたマニュアルのようなもの、一応の方針というものはやっぱり統一的にじゃなくてもアドバイスがなされることが必要だと思います。
○日下部禧代子君 親の場合はいかがでしょうか。
○参考人(小田晋君) 親の場合は難しいです。
○日下部禧代子君 親も混乱しております。どこに行けばよろしいでしょうか。
○参考人(小田晋君) 親はどこへ相談に行ったらいいかという問題も実際にあるんです。 例えば、教育相談所ないし教育相談センターが御両親からの相談も積極的に受け付けます。あるいは御両親のためのそういう教室を開きます。というふうに、もう少し積極的に動かれたらよかろうと思います。それから、もちろん各地域に今でも電話相談がありますけれども、そういうものを充実させるという方法もありますね。やっぱりこういう対応というのは具体的でなきゃならなくて、親に対する場合は本当に一般的に言っても余り意味がないと思います。
○日下部禧代子君 もう一点。 先生は現在行われている性教育というのはいわばエイズ対策にすぎないというような現状であるというふうにおっしゃいましたけれども、先生がお考えになる現代のあるべき性教育というのは、これは家庭、学校教育においてどのようにお考えでございますか。
○参考人(小田晋君) このことを申し上げますと、大抵の場合、例えば純潔教育なんという言葉は今は学校の現場では禁句なんですけれども、要するに社会は性的なモラルについての教育というのをやはりしなきゃいけません。どういうようなことが望ましいかということを話さなきゃなりません。 具体的に言うと、私が特に主張しようと思っていたのは、思春期における性の悩みについての具体的な指導ができるようなやはり性教育の教科書も必要ですし、そういう性教育に当たる教員たちの指導というものが特に中学段階から非常に必要になります。オン・ザ・ジョブ・トレーニングでも卒後教育でもいいですが、そのことについては特に力を入れてほしいと思います。
○日下部禧代子君 家庭ではどうなのでしょうか。
○参考人(小田晋君) 確かに家庭の問題もありましたね。家庭の場合、特に思春期における成績の急降下とかそういうことがあったときにどう扱うかということについて、これもやっぱり成人教育的におうちの方にお話をなさる、お伝えするということは非常に重要だと思います。親の教育に対する悩みについて、親が学校へ行って先生に話すんですが、先生の方もどうも困ってしまうようなことが多いんです。親の学校に対する悩みに対する相談の受け皿というようなものもやっぱり必要だと思いますね。
○日下部禧代子君 それでは、鈴木参考人にお伺いいたします。 大変にこの日本PTA全国協議会が実施なさいましたアンケート調査を興味深く拝見いたしました。この結果の一つに、父母の意識とそれから子供の実態との違いというのがかなり鮮明に大きくうかがわれるのでございますが、その点につきまして、これからこの結果を参考にしてどのようにPTA協議会としては生かしていこうというふうなことを考えていらっしゃいますでしょうか。
○参考人(鈴木仁君) 今回のこの調査は子供と保護者を別々に調査したのではなくて、同じ形でした、その中でこのようにはっきりと意識の差があらわれたというところでございますので、うちの子に限ってはという考え方が非常に強いのかなと。その辺、いつ我が子かということを考えたときに、もっと親自身が自分の子供だけではなくて周りを見る目もしっかりしていかなけりゃならないだろうと、こんなふうにも思っておりますし、また大人の存在という立場からいったときに、子供たちのいろいろな考え、いろんなものに耳を傾けて真剣に取り組んでいかなけりゃならないなと。 先ほどもお話の中に、子供と夕食をすることによってにおいで反応ができるというようなこともございましたけれども、そういうものも踏まえながら、やっぱり家庭の中で親子が一緒に食事をする、そういう機会などもしっかりとっていかなければならないだろう、そういうことも踏まえて今後話し合いをしていくことが一番大切なのかなと、こんなふうに思っております。
○日下部禧代子君 そのお言葉の中に、多分父母の考えているレベルと子供の実態との違いの大きさにびっくりなさったというのが父母の皆様の正直な感想の一つかもわからないなというふうに思うわけでございますが、それの違いを縮めていくのに、今、一つは子供とお食事を一緒にというふうなことをおっしゃいました。今、文部省でも子供と話そうという何か大スローガンが文部省のあの建物のところに掲げられておりますけれども、これは全く当たり前のことなんですね、子供と話す、子供とのコミュニケーションというのは。あのような大きな幕を掲げなきゃならないというところに今の日本の子供と大人たちとの距離の大きさを私は改めて見るわけなんです。 私の知っているこれは日本の方なんですが、ドイツに滞在なさっていた方が、自分の住んでいる隣のマンションのドイツの方から、あなたたち、どうしてテレビを見ながらお食事するんですか、お食事するときにテレビは消すべきではないですかというふうなことを言われて、日本だったら絶対そんなことは、まず隣のうちの干渉をしないだろうし、というふうなことで驚いたというふうなお話を私聞いたことがございますけれども、現実に家族がいながら、一緒になりながらテレビを見ながら、つまり会話のない食事風景とかいうのもございます。 また特に、先ほど小田先生は父親と母親の役割は違うとおっしゃいましたけれども、家庭における特に食事のときに父親不在ということは、これはその父親個人が御自分を反省なさるということだけではなくて、そういう企業の仕組み、労働時間の長さあるいは勤務、ただ勤務時間の長さだけではなくて通勤時間の長いことなどもこれは十分に社会的な環境条件の問題だろうというふうに思いますけれども、非常にこれは他の先進国に比べると夕食に父親がいないというのは違った風景なんですね。ですから、このあたりで家庭の中における父親の出番というものが必要になってくるんではないかなと思うんです。 子供の家庭内暴力というものの相手というのは、父親よりも母親に相談をするというふうな統計が出ているわけですけれども、自分が一番大切に思う相談相手である母親に暴力を振るうというような現状がございますね。 そうなってまいりますと、鈴木さんはお父様でいらっしゃるわけですが、これから父親が家庭の中における教育を母親とどうやってシェアし合うかということにどのようにPTAとしては取り組んでいこうと考えていらっしゃいましょうか。
○参考人(鈴木仁君) 今、家庭の問題が一番あれでございましょうけれども、実態的に子供を取り巻く環境の中で、学校においても先生方がマニュアルどおりに子供を教えていくという要素も強くなってきております。昔は一人一人子供の個性をつかまえたり心理をしっかりと押さえたりしながらいろいろやってきた。また、親もそういうものがあったでしょうけれども、今学校においても成績優先というような形での取り組み方も非常に多いでしょうし、うちへ帰ればやっぱり受験というものに対して、勉強しなさい、また塾に行きなさいというような問題。そういうものから子供は当然、返事はしても現実には動きがとまってしまう、そういうものの積み重ねがこういうふうになってきたのかなと。 我々はこれをではどうすべきかということになれば、親も当然本音で話し合いをしっかりとしていかなきゃならない。家庭においても、子供のことにつきましてはどうしても父親というのは無責任なところもございますし、都合の悪いところはやっぱり女房にお任せというようなものも現実にあるということでございましょうから、そういうものではなくて、本当に親も真剣に子供を交えながら子供の話もしっかりと聞いてやるべきだと。 また、学校と親、保護者との間でも本音でしっかりと話し合うことが大切なのかなと。例えばいじめ一つにしても、担任の先生が自分の力で何とかしょうという気持ちはわかりますけれども、いざ大きな問題になるまで校長先生が何にも知らなかったということは現実にございます。我々もいろんなところで学校に出入りしておりますと、うちの学校にはいじめはございません、何はございませんとはっきりあいさつの中で校長先生がしゃべっている幾日か後には大きな新聞ざたになるようないじめが出てきているということも現実でございます。そのくらい校長先生がわからないということもある。 そういうものを踏まえて、本当に本音でお互いに話し合いをしながら子供の声に耳を傾けていかなければならない、こんなふうに思っております。
○日下部禧代子君 もう少し父親が逃げないで、亀親だけに家庭の中における子供の教育の問題を担わせてしまわないこと、もう母親はあっぷあっぷしてしまうと思うんですね。そして、子供は家庭内暴力の場合にはお母さんに暴力を振るってしまうというふうな問題、これは今お答えがなかったようでございますが、何とか父親がもっともっと家庭の中で母親と一緒になって子供の声に耳を傾ける状況をつくるような、御自身の意識改革と同時に社会環境を変えていくということにPTAとしてこれから取り組んでいただきたいというふうに思います。 それでは、次に中野先生にお伺いいたしますが、問題行動を起こす子供たちにいろいろな要因がございますのは今皆様方からお話を伺ったとおりでございますが、暴力を振るうというふうなことの一つの大きな共通点の中に、自分の心の中にある不安だとか不満だとか怒り、あるいは心の傷、そういったものを自分の言葉で十分に語ることができない。もちろん子供ですから十分なボキャブラリーを持っていないということもあるかもわかりませんが、表現できない感情を爆発させるのに言葉ではない手段、暴力というふうなことで表現してしまうということもあるのではないかというふうに思うのですね。そうすると、大人の方はその暴力だけでびっくりしてしまって、暴力の陰にある、背後にある子供の心のひだを読み取ることができないということが私は非常に多いのではないかと思うんです。 こういう状況を打破していく一つの対応の仕方というのは、やはり親と子、あるいは教師と子供の中でコミュニケーションができるような、そういう形をきちっと築いておくということも一つかもしれないというふうに思います。また、子供たちが教育の場で自分自身をオープンに語ることができるような、そういう教育というのは他の先進国、特に欧米に比べると日本は余り配慮がされていないような気がいたします。 そういうことも含めまして、子供が自分の心のうちを語ることができるような状況をどうやってつくればいいのかという点について、先生のお考えを承りたいと存じます。
○参考人(中野良顯君) 暴力というのは基本的には、専門用語で言いますと一種の反射、レスポンデントといいますか、例えば窮鼠猫をかむと申しますけれども、追い詰められたネズミでも、あるいは犬に追われた猫でも反撃をしますね。それはもうほとんど本能的な反射的な行動で、やはり人間の場合でも最初はそういう暴力というものは一種の反射のような、そしてお話しのとおりに相手がそれでびっくりしてひるむということを経験すると、今度はその暴力を使えば相手がひるむという学習を通じて、単なる反射ではなくて道具としての暴力へという、私たちはそういう学習をすると思います。 ですから、家庭内暴力とか校内暴力とか言われるものは一種の手段としての、相手にいわば何らかの要求を通すかなりうまい方法として獲得されていく。それを最も上手に使うのは暴力団などで、一番上手にそういうふうな暴力を道具として使うテクニックをたくさん持っていると思いますけれども、そういういわば暴力によって何らかの利益を獲得する、あるいは自分の要求を通すということにかわる、もっと洗練されたむしろ話し合いとかあるいはコミュニケーションを通じた意思疎通ということ、そちらの方のパイプが太くなればなるほど暴力に頼るという方法でのコミュニケーションは減る、そういう相対的な変化がよく見られると思います。 したがって、いわば暴力を通じて何らかの利益を手に入れるというルートではなくて、話し合いとか、あるいはそうした洗練された意思疎通という方法が生じたときにより多くの欲求が実現されるような基本的なパイプというものを太くしていくということが、これが正攻法であろうというふうに思われます。 やはり私たちは、基本的には楽しい経験をしたときに一緒にいた人に楽しいという感情を結びつけていく。そして、あの人からしかられるのはつらいとか、あの人から信用されないのはつらいといったような、そういういわば関係というものが基本的には必要になってくるだろう。 そういう意味では、一緒に楽しく食事をする、あるいは一緒に楽しく活動をする、あるいは一緒に映画を見る、そうした基本的に楽しい経験を基盤とした関係をつくり、その上でその人の一言が胸にこたえるといったような、そういう質の対人関係、人間関係というものを家庭の中でも、やはり学校の中でもつくっていくということは基盤になるだろうと思うんですね。先生が体罰を使うというのも、子供との間で楽しい関係が基本にあれば、その先生から注意されることはつらいという、暴力に訴えない影響力というものができてくると思うんです。そういうところをどうして強めるかということが一つの課題ではないかというふうに思われます。
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代です。三人の参考人の皆さん、きょうは貴重なお話どうもありがとうございました。 具体的に質問するために、私の具体的な経験を話したいと思うんですが、最近、シンポジウムに出席をしたんですね。私もパネリストの一人で、それから教育現場の先生と教育行政の方、児童相談所の方、それから精神医学の専門家と、かなりバラエティーに富んだシンポジウムだったんです。 私はそんなに大したことは言えませんから、基本的には現在のいじめ問題とか、いわゆる援助交際だとか、薬物乱用だとか、青少年による犯罪の多発だとか、こういうものを社会的な病理としてとらえてそれを克服する運動が求められている。つまり、学校教育にのみ原因と責任を求めるのではなくて、家庭や学校、地域、職場、政治、こういうあらゆる場で人間尊重の気風をみなぎらせていく取り組みが求められているのではないか。同時に、学校は社会病理から子供たちを守る防波堤としての役割を持っているはずだから、それにふさわしい教育条件の整備が求められているというようなことを発言しました。 それで、会場からの発言が大変心揺さぶられる内容だったんです。それは、我が子が中学生のときに、塾の帰りに十人の同じ中学校の卒業生らに取り囲まれて、この子じゃなかったんだけれども、別の子の連絡先を聞かれたんですね。知らないと答えたら、おまえがかわりになれと、三十分間頭と顔を集中的に殴られけられ、倒れた上に自転車も投げつけられて、命が無事だったのが不思議なくらいの被害を受けたんですね。 それで、お父さんは当然警察にも行ったそうです。報復行為の可能性などを聞かされたそうです。それから、加害者のうちの一人は鑑別所へ行っても箔がついたくらいで舞い戻ってくるんじゃないかと、こういうことを言われて、夫婦で眠れない夜を過ごしたそうなんですね。それで、意を決して、十人の少年と親たちに三回集まってもらったそうなんです。二度と暴力を振るわないような子供になってもらうことが私たちへの慰謝料なんだ、こういう話をして、中心の二人の少年とその親とは毎週一回、四カ月にわたって会い続けたんだそうです。 それで、特に私が心揺さぶられたのは加害者の子供たちなんですね。目を合わせない子たちだったそうです、最初は絶対。でも、そのうちいろいろ言い出して、勉強がわからないと母親が髪の毛をつかんで部屋じゅうを引きずり回したこと。それから父親の暴力。いっか父親を殺してやろうと部屋に隠した木刀のこと。腹いせに下級生をぶん殴ったこと。もうおまえはあきらめたと父親に言われたときの悔しさ。教師は自分をばか呼ばわりして相手にしてくれない。信用できるのは友達だけだった。こういうのを、心の中を少しずつ少しずつ吐き出していったんだそうです。そのたびにまなざしがやわらかくなっていったということなんです。結局この二人は、やっぱり自分は勉強したいということで高校試験を受け直して、今定時制の高校に通っているんだそうです。 もう一つ私が心を動かされたのは親たちのことなんですね。 夫の暴力、この告発があったそうです。結婚以来の恨みをとめどもなく母親は話したんだそうです。一方夫は、会社で何人も部下を抱えて、け落とされまいと緊張して生きてきた、そういう半生だった。いつの間にか会社の論理を家庭、家族の中に持ち込んできたのかなと、こんなことも言ったそうなんです。 それで、こういう経験をしたこの御夫婦、結局、我が子を守るためにもやっぱり総力を挙げて人間らしい子供たちを育てることだ、こういうふうな結論に達したということで、何か近々本にまとめるそうなんです。 そこで伺いたいことがあるんです。三人の参考人の方々にお伺いしたいんですが、少年の非行や問題行動と、それから大人、成人の犯罪の根本的な違いをどのようにお考えになるか、どうぞ順繰りに。
○委員長(大島慶久君) 参考人の方にお願いを申し上げますが、これからの三先生方は持ち時間が非常に少ないわけでありますので、恐縮でありますが、できるだけ簡潔に御答弁をいただきたいと思います。
○参考人(小田晋君) 少年犯罪と大人の犯罪は全く違うものであるから全く違った処方をすべきであるという考え方に、私は余り賛成しません。 今の阿部先生のおっしゃったケースはうまくでき過ぎているような気がします。どこの親もこんなに元気があるわけじゃありませんので、こういう特別の元気のある親のやったことがほかのケースに対して役に立つということはないと思います。 第三点でございますけれども、企業の論理をうちに持ち込んだらこういうことが起きたという話も、確かに企業の論理がいいわけじゃありませんけれども、少年非行の原因だというのもちょっと納得しがたいのでありまして、多くの非行少年の親というのは必ずしも大企業に勤めているわけじゃございません。むしろ無職なんかがかなりいるわけでございまして、どうもちょっと今のお話は、話としてはうまくできていますけれども、余り一般的な参考にはならないような気がします。
○阿部幸代君 私は少年非行、問題行動と言いました。犯罪というふうには言いませんでした。
○参考人(鈴木仁君) 今の問題行動という形でございますが、子供と親の違い、犯罪によっては全く違うということもないと思いますし、悪いことは悪いということをお互いにきちっと話し合うということがすべてではないかと、このように思います。
○参考人(中野良顯君) お配りしました資料の九ページに「行為障害の診断基準」というのを出しておりましたけれども、「他者の基本的人権、または年齢相応の社会的規範や規則を侵害することが反復し持続する行動様式。」これが「十三歳未満ではじまり、」というふうに、これはDSMという診断基準にございますけれども、そういう意味で、子供の犯罪でも大人の犯罪でも基本的に違わないというふうに思われます。
○阿部幸代君 犯罪という形で一緒に扱われてしまうことがとても私としては何か残念な気がいたします。 つまり、少年非行、問題行動、やっぱり大人社会のゆがみを受けた子供たちの起こすことで、その子供たちは発達途上にあるという特徴を持っていますから、それにふさわしい対応が私は必要なのではないかなというふうに思います。 それで次に中野参考人に伺います。 先生の論文、大変興味深く読みました。「生徒指導—学校におけるカウンセリング」と、それから「学校は「生きがい」のある場所になっているか」という二つの論文ですが、ここの中で大変興味を持ったのは、そもそも人間関係を豊にする、人格のよりよい発達を図るのが生徒指導のはずなのに、学校現場では、生徒指導といえば、校内暴力、いじめ、登校拒否、高校中退、自殺、体罰、少年非行等のいわゆる問題行動への対応であり、それらを抑制するための登校時のあいさつの指導、細かな校則に基づく持ち物検査や頭髪検査、繁華街での補導など、生徒の行動の外からの規制との受けとめ方が一般的になっているというような現状をおっしゃいまして、道徳教育、それから進路指導、残る問題行動の抑制が生徒指導、こういういわば分離状態ですね。それを人格の発達を促す統合的な活動としての生徒指導へとしていくにはどうしたらよいかという問いかけをなさって、五つの課題を提起なさって先ほどもお話しなさっていたと思うんですが、私は、どうしてこうなってしまったのか、また、そのことによる弊害は何なのか、先生のお考えをお聞きしたいと思うんです。
○参考人(中野良顯君) 戦後の学校教育では、アメリカ流のガイダンスという考え方で、子供たちの人間形成を具体的な生活の中で指導をするという考え方から、まだ昭和二十年代には道徳教育というのは特設されておりませんでしたし、特別活動といったようなものもむしろ教科外活動として、教師は余り出張らないように子供たち自身の集団活動を通じて人間形成を図る、そういう方法をとってきたと思われます。昭和三十年代に入ってから道徳教育が特設され、特別活動がカリキュラム化して取り込まれ、それぞれが分担する、分業化するという形になっていって、そして本来の出発点というものが見えなくなってしまっているということが一つ。 それから、生徒指導主事と言われる担当の主事の先生は、授業時間はある程度免除されて生徒指導の仕事を中心にするということですけれども、十分に活動するほどの免除にはなっていないと。したがって、それらを束ねる立場にある人、それがスクールカウンセラーの方がいいのかどうかというのは議論のあるところでありますけれども、現在の例えば生徒指導主事という先生がもうちょっと機動的に動けるような時間のゆとりというようなものをもっと与えることによって、学校の中のそうした機能を統合するようなリーダーシップを発揮できるように学校経営を変えるということがもしできれば、その点で学校の人間形成機能というものを強化することは可能だろうと思われます。
○阿部幸代君 今の考え方も大変よくわかったんです。人間形成の専門家を配置する、それは今の分担式の中でトータルとして人間形成の力を発揮する上でそういう人も必要だという、そういう精神もよくわかります。しかし、基本的には学校というのは人間形成の場で、教員はみんな人間形成の専門家なんですよね。そういう意味で、教科指導と生徒指導の分離というのですか、その現象、私はそれも何かとても深刻なような気がするんです。 先生の「学校は「生きがい」のある場所になっているか」の中で、子供はどんな授業が好きかというアンケートを実施した。これは横浜と相模原市でしたか。
○参考人(中野良顯君) 綾瀬市と相模原市です。
○阿部幸代君 綾瀬市と相模原市の子供たちのことが出てきますね。その中で、子供はどんな授業が好きかというと、「みんなで話し合いながら進められる授業」とか「グループで話し合うことが多い授業」とか、こう答えているんですね、子供は正直だから。つまり、やっぱり教科指導というのも人間的な関係の中で進められるのかなというふうに思うんですね、学び合いというか。そういうものと生徒指導との関係についてはどんなふうにお考えになりますか。
○参考人(中野良顯君) 今の学習指導とか教科指導というのは、やはり立身出世するための道具とか手段としていい成績をとるという形に非常に集約していると思います。したがって、学習指導というものが本当に楽しいものになるというのは、残念ながらスローガンではあっても現実にはなかなかならないという状況がある。 学習指導と生活指導が分離してしまったということは、生活指導とか教育相談を学ぶ先生方がもう一度学習指導を楽しいものにしようという、そういうねらいでカウンセリングを学ぼうという動機があります。東京都の教員のカウンセラー研修の中のアンケートの結果を見ますと、教育相談的学習指導をしたい、教育相談的授業をしたいと。それは突き詰めていきますと、一人一人の子供のいわば個人差に応じた対応ができるようになりたいという、そういう教師としての健康な願いだと思います。どうしたら一人一人の子供の個人差に応じるように授業を展開できるか、これは教師の課題でありまして、したがって学習指導の中でも生活指導はできるということになります。生活指導の中でも、総合的な学習の時間のようなところでは教科指導も含むということで、両者は本来分離すべきではなくて、いわばまざり合うべきものである。 しかし、現実のいわば求められている職務の中では、やっぱり教師はいい高校に何人入れるか、あるいはいい大学に何人入れるかというレベルで評価されることも事実でありまして、地方の議会に行くと、まず、どうしてうちの高校はこんなに大学に入れないんだと、これが議会で追及される、教育関係者のいわば責任論になるわけですね。ですから、それは学校だけの問題ではなくて、そういう社会の一つの価値観がそれだけ影響するものだと思いますけれども、本来はこれは両輪であるべきであるし、まじり合うべきものだというふうに私は思います。
○阿部幸代君 どうもありがとうございました。
○江本孟紀君 自由の会の江本です。よろしくお願いします。 最初に小田先生にちょっとお聞きしたいと思いますけれども、先ほど冒頭で、いじめの部分のところだと思いますが、子供であっても、いじめをしている状況、例えば集団で暴行する、おどして金を取る、こういったことはすべて犯罪であるというふうに私はお聞きしたんですけれども、私は以前にこの委員会でも、それは子供であっても何であっても犯罪は犯罪だ、いじめという言葉で何か免罪されているような印象が起きる、だから、そういうことで言えばもう立派な犯罪であると。いじめという言葉ではなくて、これは犯罪であるというふうに教育を徹底すべきじゃないかというようなことを言ったんですけれども、その点に関してはどういうお考えでしょうか。
○参考人(小田晋君) いじめには三種類あって、集団無視、シカトと言うんですか、あるいはちくちく仲間外れにするとか、そういう犯罪を構成しないような一面もあります。ですから、いじめは三種類あって、人間を閉鎖集団の中に入れておいて、しかもその閉鎖集団をコントロールする、例えば動物園の猿の場合だったら、ボス猿に相当するような人物がいなければどうしてもいじめがはやってしまう。例えば赤軍派のアジトで起きたようなことが起きてしまう。刑務所の塀の中で起きたようなことが起きてしまう。こういういじめというのは全部が犯罪とは言えません。それから、転校した子供を何となく仲間に入れてやらないようなのもいじめです。 しかし、今おっしゃったような非行型のいじめというのも犯罪は犯罪なんだから、江本議員がおっしゃったように、ちゃんと非行は非行として対処しなきゃいけない。少年の非行は非行であって大人の犯罪とは違うんだからと言って、警察がなるたけ手を出すべきではない、学校は警察に通報すべきではないというようなことを言っていたら、しかも警察もできるだけ手を出さないようにすべきだというようなことを言っていたら、いつまでたってもいじめという名の非行はなくなりません。これがなくなったらほかの方も随分緩和されてくると思います。
○江本孟紀君 私は、そこのところが結構あいまいといいますか、全部いじめというようなことでひつくるめられているような気がするんですね。だから、もっと子供のときから学校で、小学校、中学校も含めて、暴力は暴力、犯罪は犯罪ときちっと教育をすべきじゃないかなと。何かその辺が非常にあいまいなような気がするんですね。
○参考人(小田晋君) 法は学校には入らないという考え方はちょっと間違っていると思います。子供にとっては、刑法の存在というのは中学を卒業したらすぐ直面しなきゃならないことですから、やはり法の存在というものを子供は知るべきです。
○江本孟紀君 時間がないので、ちょっとまた全然違う方に話をさせていただきますけれども、鈴木参考人にお伺いしたいと思います。 私は、先ほどこの調査をさらっと見させていただきましたけれども、これは社会環境についてのアンケートですから、確かにこの調査はすばらしいものだと思います。ただ、この中にギャンブルのコーナーがないんですね。ギャンブルのコーナーというのはおかしいんですけれども、例えばギャンブルが子供に悪い影響を与えているというような調査がない。 それから、今、ギャンブルは競輪、競馬、競艇、相当ありますね。それから町ではゲームセンターですか、あれはギャンブルと言えるかどうか。そういったものを含めると、その影響というか、子供にギャンブルが悪い影響を与えたという事例は今までありますか。
○参考人(鈴木仁君) 我々は小中の中にギャンブル的なものがあるというふうには考えておりません。 ただ、ゲームの問題とかそういうものでの調査とかは、学校調査の中で今までにもやってはございます。ですから、改めてギャンブルというと何をとらえているのかちょっとわかりません。
○江本孟紀君 ギャンブルというのは非常に難しいんです。私はスポーツ出身議員ですので、例えばスポーツくじとかという問題がよく出てきまして、この場合に賛成か反対かといったときに、これは子供の教育に悪い、ギャンブルであるから教育に悪いということをまず最初に言われたことがあるんです。ほとんどの方がそう言うんです。 実際に私が知りたいのは、子供にギャンブルがどう影響をしているのかということを知りたかったんですが、実際には競輪、競馬、競艇で子供がそれに陥ったことはないんです。何でないかというと、それはやってはいけないというルールをつくってあるわけです。私たちが最近やっているサッカーくじというやつは、子供はやっちゃいかぬと、こういうふうにあらかじめルールをつくってあるわけです。そうした場合に、やはり子供というのはある程度ルールに従って、こういうことはしちゃいかぬと言えばしないんです。しないという例が今までにあるわけです。 だから、いろんな団体の方がサッカーくじとかスポーツくじは子供の教育に悪い、これはギャンブルであるから教育に悪いということを大前提に言われるんですが、どういうふうな影響を与えるのかというのが私はわからないんです。そういう例が子供さんの中にあるのかどうか、もしそういうことをやると本当に子供の教育に悪いのかどうか、ちょっと変な質問で申しわけないんですけれども。
○参考人(鈴木仁君) ギャンブルであるということならばいけないということははっきりしているわけですから、子供にそういうものをしちゃいけないと親がきちっとさせるべきものでございます。 今、サッカーくじという話がございましたけれども、これは我々は、最初にお聞きしたときに青少年の健全育成のためにヒアリングを受けたわけではございませんから、あくまでもこれは議員立法でこういう問題があるというお話を聞きました。そのときに、青少年の健全育成というものを考えてひとつ慎重に審議をしていただきたい、その中には例えば販売先の問題、そういうものについてもひとつ慎重にお願いをいたしますということで、我々は要望、陳情を子供たちのためにという形でその辺についてお願いをしたわけでございます。 これから先の問題については、私はきょうは問題行動ですからこの話が出ると思いませんでしたが、最初に申し上げましたように、日本PTAは不偏不党ということが正式にございますので、これ以上議員立法の話の中に私どもは入っていくつもりはございません。
○江本孟紀君 どうせ次この委員会でやりますので、ちょっと先走りましたけれども、やはり子供の教育ということを考えるのであればあらゆる観点から話をしなきゃいけないということで、あえてこの問題を取り上げさせていただきましたけれども、私は一応スポーツ出身議員ですので、やはりきょうのいろんなお話を聞いている中でも、教育の中でのスポーツの効用といいますか、そういった話はまだお聞きしていないんです。 私、自分のことで申しわけないですが、子供のときからずっとスポーツばかりやっていて勉強はほとんどしなかったんですけれども、周りを見渡してもやくざになったのは二人しかいないんですよ、中高大の仲間を見回しても。そんなにぐれたやつはいないんです。だから、私の例はごく身近な例だと思いますけれども、やはりスポーツの効用といいますか、うまい下手じゃなくて、どれほどそういうものに取りかかるかということが大事じゃないかな。先ほどから非常に学問的に理論的にいろいろなお話を聞くんですが、スポーツの効果といいますか、実際にもっと学校の中でもこういったものを取り入れたらどうか。 私は、前のこの委員会でも質問したんですけれども、子供がいじめとか登校拒否とか非行に走る最大の原因は、まず第一番目が、勉強ができなくなった。学校がおもしろくないというのは、勉強ができなくなるというか、ついていけないとかというのがあるんですね。多分それが大きな原因じゃないかなと思うんです。だから、そういうことも含めて、スポーツをやってもまだそれで救われるぞとか、もう少しそういったシステムみたいなものが学校の中にあったらいいんじゃないか。 それからもう一つお聞きしたいんですけれども、これもここで前に文部省の方にも質問したことがあるんですが、今の六三三制で、学年の学力といいますか、これが本当に適正なのかどうか、私は二年ぐらい先に行っているんじゃないかと前にも質問したことがあるんです。もう少しそれを落とした方がいいんじゃないかという考え方もあるんですが、その辺についてはいかがでしょうか。
○参考人(鈴木仁君) 冒頭に申し上げましたように、今の教育は大変高度になってきておる、だがその反面、こういういろんな非行の問題が出てきているということに問題があるのではなかろうかということで、正直なところ、私も教育課程審議会の委員でございまして、きのうの中間まとめを一緒にやらされてきた一人でございます。 当然、今お話がありましたように、子供たちの個性を本当に生かす教育にしていかなきゃならないだろうと。全体的な勉強が、すべて十点のうち何点をとっていくという平均ではなくて、零点のものもあるけれども、例えばスポーツで十点とれればそれを褒めてやるということも必要だ、子供一人一人のそういうところから個性を伸ばしてやるならばそれなりのものができるんではなかろうかというようなことも言っております。 例えば英語教育につきましても、ただ受験のための文法を主体にする英語ではなくて、もっと楽しく目で見、また聞いて話せる会話の英語をまず取り入れてみたらどうだろう、そして好きにさせるということからやっぱり入っていくべきだろう、そんなことも言わせてもらっている一人でございます。 例えば、技術・家庭についてもそうですし、高等学校の家庭科においても、ちょうど年齢的に免許を取る年齢であるのだから、今の高等学校の中に、これだけの車社会の中で、少なくても自動車の性能や構造ぐらいは取り入れてみたらいかがなものか。そしてその中で、自動車というものも一つの間違いを起こせば大きな事故につながるんだということを踏まえて、教育のそういうところがら交通というものに移る教育なんかも必要ではないのかというようなことも私はお願いをしている一人でございます。 全体的にそういう関連を持っていますし、先ほどのサッカーくじの問題ではございませんが、あくまでも我々は青少年の健全育成のために、細かいところも当然先生方はお考えをいただいていると思いますけれども、子供たちのそういう細かいところまで御神経をいただけるように慎重に御審議をお願いしたいということだけが我々はもう決議をされているということでございますので、そういう観点から全体的にやっているつもりでございますので、よろしくお願いしたいと思います。
○江本孟紀君 そういうことに関連して本当はスポーツ振興についてやりたかったんですけれども、これはまた別の機会にやりたいと思います。 それで、最後に中野先生にお願いしますけれども、今の関連で、例えばスポーツが教育の中でどの程度効用があるのか、その重要性といいますか、どういうふうにお考えになっているのかお聞きしたいと思います。
○参考人(中野良顯君) スポーツは単に自分の体のスキルを高めるというだけではなくて、団体競技を通じて、例えばルールを守るとかあるいはルールの範囲内で競争をするとか、そうした社会的能力の開発、リーダーシップ能力といったようないろいろな意味で総合的な学習を含んでいると思います。 重要なことは、スポーツの得意な子供もいればスポーツが苦手な子供もいる、それぞれの子供たちが自分の体力あるいは自分の運動能力の特徴を知るということと、そしてそれぞれの子供たちが現在のベースラインをもとにして目標を持って、そして自分自身がそれを達成していくといったような、そういういわば個人差を認めた指導といったようなものが学校の中で行われることが非常に重要であって、運動会が近づいたので登校拒否になってしまった子供とか、体育の先生に殴られて学校に行けなくなったとか、そういう相談もかなり実際にあります。 それは、やはりただ単にスポーツを通じて精神を鍛えるみたいな十把一からげの指導になってしまうわけでありますから、音楽にしても体育にしてもそれは非常に重要なプロフェッショナルな道であって、その道できわめるということは、また非常に科学、芸術と同じものではないかと私は思っています。
○長谷川道郎君 小田先生に二点お伺いさせていただきたいと思うんですが、その前に一点、先ほどの御報告というか御説明の補足をお願い申し上げたいんであります。 私どうも理解できないのは、ホラービデオというのがございます。神戸の事件でも埼玉県の宮崎事件でもホラービデオが大変重要な役割を果たしたというふうな報道がされておりますが、先ほど先生のお話しの中で、神戸の事件で、ホラービデオを鑑賞したというのは母親の影響であるというふうなことをちょっとおっしゃったと思うんですが、その点はいかがでございますか。
○参考人(小田晋君) そう伝えられているんですが、そのことが非常に重要だとは言えません。
○長谷川道郎君 ありがとうございました。 それではお伺いいたします。 先ほど小田先生、養護教員の問題にお触れになりました。私はある学校に関係しておりまして、そこの学校はガイダンス・アンド・カウンセリング・システムというのでやっていたわけですが、私の素人の見た範囲では、余り日本にはなじまない制度ではないかなという感じがいたしました。 というのは、なかなか情報がとりにくい、そして状況をよく把握できない、カウンセリングの先生がですね。その点、養護の先生は子供と同じフィールドで、同じ目線でやっていらっしゃるというわけでありますので、症状が出る前に恐らく発見できる、もしくは予防ができるということであると思うのであります。ただ、今の教員養成の中で解決できる問題ではないと思います。当然、教員養成のカリキュラムも変えなければいけないと思うんですが、どういう点に配慮したらよろしゅうございましょうか。
○参考人(小田晋君) 二つございます。 一つは、教員養成のシステムの中で養護教員の先生は体育局の管轄でありまして、初中局ではありません。ですから、卒業した後、学校の中でほかの先生たちと共同動作をとる上で、養護教員の仕事をほかの先生たちも尊重して理解して、ケースカンファレンスなんかでももっと積極的に行われるようにしなきゃいけないと思います。 それからもう一つは、これは養護教員だけの問題じゃありませんで、養護教員の養成課程の中でも、もちろん身体的な健康は非常に重要で、昔は看護婦さんが大半養護教員でありましたからそれが残っているんですけれども、やはり今の養護教員のニーズからいうと精神医学教育、心理学教育が非常に重要で、もっと重要視しなきゃいけない。 それから、一般の教師について言うと、養護教員の仕事をもっと理解してほしいのでありますが、もう一つは、今体育の先生の話が出ましたけれども、幾ら運動神経のある体育の先生でも、運動神経のない子供についての想像力が必要でございます。こういうことをやったら少なくとも子供の心を傷つける、あるいはこういうことをやったら子供を甘やかしてしまう、少なくともこんなことをやってはいけないということだけは、どんなに数学の教科指導がうまい人でも、英語の教科指導がうまい人でもそのことだけは身につけていただけるような、最低の教養をどうやったら教科指導の先生たちに身につけていただけるかということが重要だと思います。
○長谷川道郎君 それでは、先ほど江本委員の質疑の中でも問題になりました少年犯罪と成人犯罪の問題でありますが、日本は法が機能しない社会であるというような言われ方をしているわけです。ちょっと話題が違いますが、今の金融にしても証券にしても、法的に処理をしない、あやふやなままで来たのが今の結果ではないかと思うんです。 したがって、学校内のいたずらという程度のことであればもちろん別であるのは当たり前でありますが、大規模な器物損壊それから傷害といったような問題は、法的な処理、これをむしろあいまいにすることの方が私は大きな悪影響を残すことだと思うのであります。しかし、余りのべつ幕なしに一一〇番に電話するというのも、もちろんそんなことあるわけないでしょうが、これについて悪い影響というのが何かありますでしょうか。
○参考人(小田晋君) 少年の心を傷つけるということがしきりに言われるんですが、最近は少年事件のケースでも、少年の心を傷つけないということについては学校教師以上に気をつけております。それよりもむしろ、ごね得、しら切り、口裏合わせというようなことをやることによって、少年の間は何をやっても罰せられないということで刑法犯を犯してそのまま過ぎてしまう、そのまま社会に出てしまうということの方が少年の道徳観念を基本から崩壊させています。そういうようなことが少年の保護にも教育にもつながるはずはないということは、学校の教育者もむしろわかっておいていただきたいと思います。
○長谷川道郎君 最後に、中野先生にお伺いいたしますが、先ほど先生からいただきました子供の自殺の資料がございます。七ページでございますが、これを見ましたらちょっとびっくりしたのでありますが、一九七〇年代から八〇年代にかけて非常に子供の自殺がふえております。今の倍以上の自殺が発生をしたという資料がございますが、この当時の時代的な背景があるのかどうか。 それともう一点、自殺にしろいじめにしろ、私どもは子供のころはある程度歯どめといいますか、爆発をしても暴発はしなかった。子供のころ、だれしも家出をしようとか自殺をしようとかと考えない子供はいなかった。しかし、家出もしなければ自殺もしなかったのはそれなりの歯どめがあったわけです。なぜ今そこまで、自殺にしろいじめにしろ歯どめが効かないような社会になってしまったんでしょうか。その点お伺いいたしたいと思います。
○参考人(中野良顯君) 青少年の自殺の問題については、一つはモデリングといいましょうか、例えば著名な芸能人の方が自殺をしたというようなことが一つのモデルになって、それを模倣するといったような形で子供の間で自殺がふえる。自殺の全体はむしろ老人の方が多いと一般に言われているわけですけれども、青少年の自殺に関してはそうしたかなり流行現象といいましょうかモデリング現象といいましょうか、一つの学習の形態ですけれども、暴力も同じですが、やはりそういうモデルを見てまねをするという形で、そういうハプニングの中でふえたり減ったりするということ一は一つあると思います。 それから、現在そうした例えば自殺にまで至ってしまうのはなぜかという御質問でございますけれども、知覧町のいじめのケースで、自殺をしてしまったケースですが、これは一週間ぐらい学校に行かずに、そしてお父さんお母さんに問い詰められて、実はいじめられているんだというふうに打ち明けた。そして、親御さんがその関係者の一人を呼んで、あしたからいじめないでくれと言ったら、わかりましたと。翌日、親は学校へ行けと。行ったと。そこで、彼はその日に公民館のところで首をつってしまったと。 この場合、なぜその子は自殺したんだろうか。普通、いじめというものは、先生にも言わない、親にも言わないという形で死んでしまうという例が多いわけですけれども、この場合は親に言っているわけです。にもかかわらず自殺したということは、結局その状況の認識が、親御さんの認識と子供の認識に大きなずれがあった。親御さんは、相手を、当事者を呼んでちょっと言ったからもう大丈夫だから行けと。でも子供から見れば、いじめとかこうしたものというのは半年以上、少なくとも過去にそういうシステムが続いている。システムの問題ですから、一人ぐらい変わったっていじめは解決のしょうがない、絶望して死ぬ、こういうようなことであります。 ですから、子供が置かれている場面の認識と親の認識にずれがもしあるとすると、これはなかなか歯どめにはならないという象徴的な例ではないかと思われます。
○長谷川道郎君 ありがとうございました。 終わります。
○委員長(大島慶久君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見を賜りまして、大変ありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。 午後五時二分散会 —————・—————