P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
141回国会衆議院1997/10/09

本会議 第4号

発言数
9
登壇者
2
会派数
2
開催日
1997/10/09

会議録

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) これより会議を開きます。      ————◇—————  永年在職議員の表彰の件

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) お諮りいたします。  本院議員として在職二十五年に達せられました越智伊平君及び梶山静六君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。  表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決まりました。  これより表彰文を順次朗読いたします。  議員越智伊平君は衆議院議員に当選すること十回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた  よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する     〔拍手〕     …………………………………  議員梶山静六君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた  よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する     〔拍手〕  この贈呈方は議長において取り計らいます。     —————————————

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) この際、梶山静六君から発言を求められております。これを許します。梶山静六君。     〔梶山静六君登壇〕

梶山静六自由民主党

○梶山静六君 ただいま、院議をもって在職二十五年の表彰をいただき、まことにありがとうございます。これもひとえに郷土茨城県の皆様や先輩、同僚、知人の御理解、御支援のたまものであり、心から深くお礼を申し上げます。(拍手)  私は、二十九歳でふるさと茨城の県会議員となって以来、四十有余年にわたり、政治の世界で微力を尽くしてまいりました。その長い政治生活の中で、私が常に政治信条としてきた言葉があります。我が郷土を愛すること限りなし、「愛郷無限」という言葉であります。若き日の私は、この言葉の示すごとく、敗戦後の荒廃から地元茨城の復興、発展のため全力を傾けてまいりました。  しかし、十五年の県議生活の中で、我が郷土を豊かにするには我が国が豊かでなければならないと痛感をし、昭和四十四年の総選挙に立候補し、この国会に議席を得ることができました。  私は、農家の六男四女の末子として生まれ、十歳のときに父を失い、以来母の手一つで育てられました。今とは異なり、戦前の暗い貧しい時代で、子供たちの成長だけを願い、母は朝から晩まで働き抜いて私たちきょうだいを育ててくれました。決して苦しみを面にはしない母でしたが、敗戦後、三男の戦死の公報があったとき、三日三晩泣き明かした母の姿に私は深い悲しみをかみしめたのでありました。その母の涙、そして私自身が陸軍航空士官学校在校中、敗戦を旧満州で迎え、そこで見た同胞たちの悲惨な姿は、今も私の脳裏に焼きついて離れることはありません。  以来私は、二度と再びこの戦争の苦しみを味わってはならない、何があろうとも戦争は避けるべきだとの信念を持って政治に当たってまいりました。  振り返ってみれば、戦後日本の発展は目覚ましいものがあります。確かに、日本は経済的には豊かな国となりました。しかし、その発展を支えた自由経済は、国際社会全体が平和であることを前提としております。国政に携わり、身をもってその大切さに気づいたとき、私の郷土を愛する心「愛郷無限」は国を愛する心であり、さらに世界の平和と発展を愛する心へと一つにつながっていったのでありました。  この二十五年の議員生活の間に、私は一度落選を経験をいたしました。比較的順調な歩みの中での初めての挫折は、私に言葉では言い尽くせぬものを与えてくれました。真の友情や純粋な支持者の真心を知り、私に情けの大切さを教えてくれました。この落選なくしては今日の自分はなかったとさえ今は思っております。  ことしで私は七十一歳になりました。水戸天狗党に参加をし、難に臨んで信ずる道を変えず、すべてをささげて悔いなき人生を歩んだ曾祖父や祖父の血を受け継ぎ、この年に至って安易につきがちな我が心に、天下のさきがけたらんとの気迫をさらに鼓舞せねばと言い聞かせ、自ら蹊を成す政治家たるべく精進を重ねてまいる所存であります。まことにありがとうございました。(拍手)

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) なお、越智伊平君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。     —————————————     越智伊平君のあいさつ   この度、院議を以て永年在職議員の表彰を賜りましたことは、議会人としてこれに優る栄誉はありません。誠に身に余る光栄であり感激の極みであります。   この栄誉に浴することが出来ましたのは、四国の皆様、特に旧愛媛二区の皆様の永年に亘る変らぬ温かい御支援と、先輩同僚議員の御指導御鞭撻の賜であり、ここに心より御礼申し上げます。   私は先の大戦末の空襲で焦土と化した郷里今治に帰り、電気工事業を興し懸命に復旧に励んでおりましたところ、町内の皆様から推され、昭和三十年今治市議会に議席を得たのが政治の道への第一歩でした。   以来、県議会議員を経て、四十二年六ケ月の間「大衆と共に」を政治信条として今日まで歩んで参りました。   四十七年十月の愛媛二区補欠選挙に県議会議長の職を辞して立候補し、本院議員として初当選の栄誉を得ました。爾来、二十五年間焦らず弛まず一歩一歩あゆんで参りました。   この二十五年を顧みますと、院にありましては運輸・大蔵・議院運営・予算・宗教法人に関する特別委員会の五つの委員長を大過なく務めることが出来ました。閣内では建設・運輸・短期間ではありましたが農林水産大臣の任にありました。   特に、初入閣でありました竹下内閣での建設大臣の時に、長年工事が凍結されていた本州四国連絡橋の内、尾道・今治ルートの来島大橋建設に着工することが出来ました。そのルートが来年度には完成、全線開通の運びとなり四国の皆様の永年の夢が実現し往時を思うと感慨一入のものがあります。   国民の英知と努力により着々と発展して来た我が国も、今日大きな転換期にあります。二十一世紀に向けて国民が安心して豊かに暮せる日本を構築することが、我々政治家に課せられた使命であると改めて痛感致しております。   この度賜りました二十五年の表彰の栄誉の重さを心に刻み、永年在職議員としての誇りを持ち、更なる努力を決意致しております。今後とも変らぬ御指導御鞭撻を賜りますよう御願い申し上げまして謝辞と致します。      ————◇—————  議員請暇の件

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。  村山富市君から、十月十四日から二十三日まで十日間、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) 御異議なしと認めます。よって、許可することに決まりました。      ————◇—————

伊藤宗一郎無所属

○議長(伊藤宗一郎君) 本日は、これにて散会いたします。     午後一時十三分散会      ————◇—————

国会会議録検索システムで原文を見る ↗