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141回国会衆議院1997/12/03

文教委員会高等教育に関する小委員会 第1号

発言数
11
登壇者
5
会派数
1
開催日
1997/12/03

会議録

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 皆さん、おはようございます。  ただいまより高等教育に関する小委員会を開会いたします。  高等教育に関する件について調査を進めます。  本日は、高等教育に関して、まず前半は、大学審議会への諮問事項について政府から説明を聴取した後、小委員会を休憩にし、懇談形式で調査を進めたいと存じます。また後半は、教員養成課程の問題と今後のあり方について参考人の方々から意見をお聞きした後、小委員会を休憩にし、懇談形式で調査を進めたいと存じます。  初めに、大学審議会への諮問事項について政府より説明を聴取いたします。文部省高審議官。

高為重文部大臣官房審議官

○高説明員 おはようございます。  それでは、去る十月三十一日に諮問をいたしました、二十一世紀の大学像と今後の改革方策につきまして御説明をさせていただきます。資料はお手元に、諮問及び諮問理由から資料5まで用意をさせていただいておりますが、最初に、資料2の「文部大臣諮問理由説明」等でまず御説明をさせていただきたいと思います。  資料2の1の、前段がありまして、「申すまでもなく、」の以下にございますように、大学審議会は、昭和六十二年に発足して以来、これまで十八回にわたっての答申、報告を行ってまいりました。文部省も、これらの答申等の趣旨に沿って各般の施策を進めてまいったわけでありますし、各大学も、それぞれさまざまな改革の実施を今行っておる、そういう状況にあるわけでございます。  具体的には、資料4をちょっとお開きいただければと思いますが、昭和六十二年に「大学等における教育研究の高度化、個性化及び活性化等のための具体的方策について」という包括諮問をいたして以来、ここにございますように、大学院制度の弾力化、あるいは大学設置基準等の改正について、さらには大学院の量的整備、教員採用の改善、あるいは大学運営の円滑化、最近では、一番下にございますように、平成十二年度以降の高等教育の将来構想、こういったものにつきまして答申のお取りまとめをいただいてきたわけであります。  これを今回の諮問に即しまして整理をしてみましたものが資料5の「大学審議会十年間の改革の方向」でございますので、これに即しまして、簡単にこれまでの改革の状況をまず御説明させていただきたいと思います。  資料5にございますように、最初に、「高等教育の将来構想」につきましては、高等教育の現状をここに、括弧書きにございますように、十八歳人口が減少する中、我が国社会の活力ある発展の観点から、高等教育への進学意欲の高まりを積極的に受けとめることが必要、同時に、高等教育機関の多様化とその教育の質的向上との進め方についての検討が必要である、あるいは、大学院については、全体として見れば、欧米諸国に比して質、量とも水準が低く、一層の整備充実と改革が必要、そういう基本的認識のもとに、大学、短期大学につきましては、量的な拡大よりも質的な充実を図る、大学院につきましては、質、量ともに飛躍的充実を図るという基本的考えのもとに、例えば高等教育の規模につきましては、平成十二年度以降の高等教育の将来構想というような形で、ここにございますような形でお取りまとめをいただいておるわけでございます。  第二に、「大学院の改革」につきましては、大学院の役割を、学術研究の拠点として、また研究者を養成する中核機関として、すぐれた研究者を養成する、あるいは国際競争力を維持していくために、創造性豊かな人材、起業家精神に富んだ人材を養成するということの観点から、質、量両面にわたる大学院の飛躍的充実を図るという基本的な考えのもとに、さまざまな制度改正等を行ってまいりました。  例えば、優秀な学生の学部三年次からの大学院入学の制度化とか、高度専門職業人の養成機能の観点から、博士課程も、高度の専門能力を持った職業人の養成を目的とできる旨の明確化を図った、あるいは修士課程の修業年限を、標準二年を最短一年で修了できるという制度化を図ったということがございます。  それから、社会人の再学習機能の強化という観点からは、夜間大学院あるいは昼夜開議制の制度化とか、現在、審議中といいますか、御審議を願っておるところでございますが、通信制大学院の創設などのお取りまとめをいただいております。  また、量的整備の観点からは、平成三年でございますが、平成三年の約十万人を平成十二年には二十万人という、いわば倍増の量的整備目標を策定をいたし、そういったお取りまとめをいただいております。  次に、一枚めくっていただきまして、「学部レベルの改革」につきましては、学部レベルの高等教育のあるべき姿を、各大学、短期大学等の各高等教育機関が、みずからの理念、目標及び高等教育全体の中で果たすべき役割を明確にし、一層の個性化、質的向上を図る。それから、各教育機関間の連携により、学生の進路や学習の選択を幅広く認める弾力的な制度を実現するということから、各高等教育機関の自由な創意工夫による質の向上を図るという基本的考えのもとに、これまで、教育機能の充実を図る観点から、シラバスの作成とか、あるいは学生による授業評価の導入など、授業の質を高めるさまざまな工夫の推進について御提言いただいておりますし、現在では、客観的な成績評価基準の作成、厳正な評価の実施等の具体的施策につきまして御審議もいただいておるところであります。  また、高等学校教育と大学教育との連携の観点から、履修科目指定制の推進、あるいは補習教育の充実などを提言いただいておりますし、大学設置基準を大綱化し、各大学等における個性、特色をより一層発揮できるようにもいたしたわけでございます。  また、社会に開かれた大学等の観点から、科目等履修生制度の導入とか、昼夜開議制の実施促進、あるいは社会人特別選抜の実施などの取りまとめをいただいておりますし、いわゆる学校制度上の袋小路の解消等の観点から、学位授与機構の創設、あるいは、現在審議中でございますが、一定の専門学校卒業者の大学への編入学資格の付与といったことを取りまとめ、あるいは検討をいただいておるところでございます。  最後に、そうした改革を進めていく上での「組織運営の活性化」につきまして、大学の組織運営の課題を、一つは、大学に対します閉鎖的、硬直的であるという批判を踏まえ、大学みずからが今日的な学術研究や社会からの要請に的確にこたえていくことが必要ということ、それから学部自治の名のもとに、変化に対応した改革の推進に支障が生じることなく、学部の枠を超えて自由な議論の場が設けられ、円滑な合意形成が行われることが必要であるという認識のもとに、教員人事や大学運営など組織運営の活性化を図るという基本的考えのもとに、円滑、機動的な大学運営の観点から、学長、学部長等のリーダーシップの確立の推進、あるいは学長補佐体制の整備等につきまして、また、教員採用の改善、流動化の促進の観点から、公募制の活用とか大学教員の選択的任期制の導入、自己点検・評価を努力義務化いたしております。  また、社会への積極的な情報発信の観点から、シラバスや自己点検・評価結果の公表等をいたしております。そのほか、共同研究や寄附講座等の開設推進等、地域、産業界等との一層の協力連携を図るべき諸施策についてお取りまとめをいただいてきたわけであります。  そこで、最初の資料2の「文部大臣諮問理由説明」の方にお戻りいただきまして、そういうことで大学審では、今御説明申し上げましたように、十年間で十八の答申等をお取りまとめをいただいたわけでございますが、当初から、改革の進捗を逐次図っていくということから、審議がまとまり次第その都度答申をいただいてそれを実行していく、そういう方向で進めてまいりましたので、一方で、大学改革の方向が見えにくくなっているのではないかというような御指摘、御批判もあります。  そこで、さまざまな意味において不透明な時代であるとされる二十一世紀を目前といたしまして、大学の教育研究の質を飛躍的に向上していくということが強く求められておる中で、これまでの十年間にわたる大学改革を総括した上で、二十一世紀における大学像をわかりやすく国民に提示し、それに沿って大胆かつ具体的な改革を一層推進していくことが必要不可欠であるということ、また、現下の厳しい財政状況の中でより質の高い教育研究を実現するため、さまざまな創意工夫を図ることが必要であるということから、改めて審議事項を整理いたしまして諮問をしたというのが諮問の背景になるわけでございます。  次に、具体的な諮問内容、事項等につきまして、資料2の2以下で御説明をさせていただきますが、便宜、資料3に「(諮問)-検討事項例-」ということで、これから御説明をいたします諮問事項例等につきまして、諮問理由説明のいわば事柄を抜き出しましてちょっと見やすく整理をしたものがございますので、それをも御参照になりながらお聞き取りいただきたいと思います。  具体的な検討事項例につきましては、大きく分けてここにございますように四点ございまして、一つが「二十一世紀の大学像」、二つ目が「大学院制度の改革」、三つ目が「学部レベルの改革」、四つ目が「大学の組織運営システムの改革」ということになりますが、以下、順を追って御説明をさせていただきます。  第一に、二十一世紀の大学像と高等教育の規模についての考え方に関してでありますが、若年人口が急速に減少をする中、我が国全体の知的ストックの形成による国力の維持という観点からは、高等教育の規模の一定の確保を図ることが今後とも必要であるというふうに基本的に考えております。  一方で、質の面からとらえると、高等教育の大衆化と学生の多様化が生じ、改めて高等教育の水準そのものが厳しく問われる、そういう現状にある。こうした認識から、二十一世紀における学部レベルの高等教育の妥当な規模についての考え方に関してまず御検討いただきたいということであります。  その際、国立大学の大学院の量的拡大を図る場合に、学部レベルの規模の縮減をどのように考えるかについても検討をお願いしたいということになります。  また、我が国の大学院は、全体として見れば、欧米の先進諸国に比し質、量ともに低い水準にあると言われており、大学院の質、量両面での充実強化は急務であります。  そこで、欧米先進諸国並みの大学院学生数の確保を図るという量的な拡充の観点から、例えば二〇一〇年に在学者数三十万人を目標とするなどの具体的整備目標について御検討をいただきたいということ、さらに、国公私立大学の役割分担あるいは授業料のあり方などについても御検討をいただきたいということでお願いをいたしております。  第二に、大学院制度の改革についてでありますが、これまでの大学審議会の各般の答申で示されておりますとおり、これからの大学院は、学術研究の推進、高度専門職業人の養成などの役割を果たすことが期待をされております。  これに加えて、高等教育の普及に伴い大学そのものが大衆化した結果、いわゆる大衆化以前に大学の学部が果たしてきた質の高い教育の核となる部分を今後大学院が中心となって担っていく必要があるのではないかという観点から、二十一世紀の大学院の姿を展望しつつ、大学院の質の飛躍的向上を図るための改革方策を御検討いただきたいということでございます。  具体的には、卓越した教育研究拠点となる大学院整備のため、教員組織等の面で一定の基準を満たすものを評価し、重点的整備を行う具体的システムの構築方策、大学院大学や大学院を中心とした大学の設置促進、高度専門職業人の養成に応じ、在学一年で修士号を取得できるコースの制度化、社会に開かれた大学院や国際的に開かれた大学院となるための条件整備などについて御検討をお願いいたしております。  第三に、学部段階の教育機能の充実強化等のための改革方策に関してでありますが、これは、高等教育の大衆化と学生の多様化の一層の進展を踏まえ、学部段階における教育機能の充実強化を通じた卒業生の質の確保を図るため、厳格な成績評価の実施と安易な進級や卒業の抑制、教養教育や人格形成のための教育の重視など教育機能の充実強化、履修科目等指定制など高等学校教育と学部教育の連携の充実、さらには、大学院教育と連携した学部教育を実施するため、例えば大学院進学コースの選択的導入と、これにより学部三年次修了時点の大学院への進学を拡大することについて御検討をお願いいたしております。  第四に、大学の組織運営システムの改革に関してでありますが、こうした改革を進めるためにも、各大学の自主性と自由度を高めるとともに、学部自治に偏り過ぎた現在の意思決定システムの改革を図るため、例えば学長、学部長の任期、職務の明確化や学長の補佐体制の整備など、学長、学部長のリーダーシップを確立するための方策、評議会等の全学的機関や教授会の審議事項の明確化など、全学的な視点に立った機動的な大学運営を可能とする制度のあり方、さらには、学外の有識者の助言等を適切に大学運営に取り入れるための仕組みなどについての検討をお願いいたしております。  また、国立大学につきましては、その人事、会計制度の弾力的運用など、教育研究の機動的な対応を可能とする措置についての御検討もあわせてお願いをいたしております。  さらに、自己点検・評価につきましては、現在多くの大学において実施をされておりますが、現在法令上は努力義務ということになっておりますので、今後、大学が教育研究水準の維持向上を進めるとともに、効果的な資源配分を行っていくため、さらにこれを一歩進めて、各大学の自己点検・評価の実施と結果の公表の義務化、各大学の自己点検・評価の学外の第三者による検証の義務化、客観的評価システムの導入についての御検討をお願いいたしております。  以上が文部大臣の諮問理由説明の中で示されました検討事項例であります。  現在、大学審議会においては、この広範な諮問事項につきまして、全体的な視点から審議をし、答申の取りまとめを行うため、既存の大学院部会、大学教育部会あるいは組織運営部会等に加えまして新たに基本構想部会を設け、それぞれの既存の部会との連携を図りつつ、およそ一年を目途に答申を取りまとめることを目指して審議を開始したところでありますので、そういう意味で、高い御見地からの御意見、御批判等いただければ大変ありがたいと思っております。  以上、簡単でございますが、御説明をさせていただきました。

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 これにて政府からの説明は終わりました。  本日の懇談におきましては、各会派別の発言順位、時間を特に定めておりません。発言のございます方は、挙手の上で、小委員長の指名をもって御発言をお願いいたします。また、お一人一回の発言は三分以内でおまとめをいただきますようにお願いを申し上げておきます。なお、御発言は、きょうは懇談形式でありますから、着席のままで、お答えの方もそのままで結構でございます。  それでは、これより大学審議会への諮問事項についての懇談に入りますので、小委員会は暫時休憩といたします。     午前九時二十一分休憩      ――――◇―――――     午前十時六分開議

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 高等教育に関する小委員会を再開いたします。  引き続き、高等教育に関する件について調査を進めます。  本日は、高等教育に関し、特に教員養成課程の問題と今後のあり方について調査を行うために、参考人として教育職員養成審議会長蓮見音彦君、大分大学学長野村新君及び早稲田大学教育学部長渡辺重範君の以上三名の方々に御出席をいただき、御意見をお聞かせいただくことにいたしております。  この際、参考人各位に一言、高いところからでございますが、ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変お忙しい中を本小委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。  次に、議事の順序について申し上げます。  蓮見参考人、野村参考人、渡辺参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただきたいと存じます。その後、小委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じますが、小委員会を休憩にし、懇談形式で進めたいと存じます。  念のため申し上げますが、御発言の際は小委員長の許可を得ることになっております。それでは、蓮見参考人からお願い申し上げます。どうぞ、いすに座ったままでそのマイクを使いまして。質問の方も座ったままやりますので。

蓮見音彦教育職員養成審議会長

○蓮見参考人 それでは、座ったままで失礼させていただきます。  本日は、意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがたく存じます。  教員養成課程の問題と今後のあり方ということで、十五分ほどというお話でございますが、何を申し上げるかちょっとはっきりしない点もございまして、もし足りない点等ございましたら、どうぞ後ほど御質問をいただければというふうに思っております。  時間の関係もございますので、要旨をお配りさせていただきましたので、それを読みながら進めさせていただきたいと思います。一応、三つのことについてお話を申し上げたいと思います。  一つは、教員養成カリキュラムの改革を目指す教育職員養成審議会の答申、七月に第一次答申を出しましたので、そのポイントにつきまして若干お話をさせていただきます。  それから二番目に、教員養成課程という、私どもから申しますと国立大学の教育学部の教員養成課程というイメージが大変強うございますので、これに関連いたしまして財政構造改革との絡みで今かなり大きな動きがございますので、その問題を少しお話しさせていただきたいと思います。  それから三番目に、修士課程を活用した教員の養成と研修につきまして、今後の教員養成審議会の検討の状況というふうなものにつきましてお話を申し上げたいと思っております。  まず最初に、教育職員養成審議会の第一次答申でございますけれども、昨年の七月に教育職員養成審議会に対しまして文部大臣から諮問がございました。諮問されました事項は大きく三点ございまして、一つは、教員養成課程のカリキュラムの改善ということ、それから二番目に、修士課程を積極的に活用した養成のあり方、三番目は、その他となっておりまして、その中に、養成と採用・研修との連携の円滑化、それから教員養成にかかわる大学教員の指導力の向上、特別非常勤講師の制度の改善といった事柄が含まれておりますが、この中で、一番最初のカリキュラムの改善の問題と、それから最後の特別非常勤講師の改善、このことにつきましての審議結果がまとまりまして、七月の末に第一次答申として文部大臣に答申をいたしたところでございます。  この内容は既によく御存じのことだと思いますけれども、若干、背景や内容につきまして一応御一説明をさせていただきたいと思います。  昨年七月に諮問がございました背景でありますが、文部大臣から説明のございましたその諮問の趣旨ということの中には、大きくは二つの点があったというふうに思っております。  一つは、その諮問のすぐ前に中央教育審議会の第一次答申が出されました。これは改めて申し上げるまでもなく、ゆとりの中で生きる力を育てる、そういう方向に今後の教育を転換していこう、一人一人の子供たちの個性をはぐくんでいくということに重点を置いていく、そういう事柄、それからもう一つは、この中教審の中にも触れられておりますけれども、いじめとか不登校とか、こういう非常に困難な教育課題が現在の学校の場に深刻さを増してきている、それに対応することができるような教員の資質を育てる必要があるということ、この二つが大臣からの諮問の直接の内容でございますけれども、それ以外に、審議会で議論をしてまいりますと、やはりもっとほかにも、この時期に考えるとするならば、検討しなければならない事柄があるのではないかということがございました。  一つは、むしろ後半の方とかかわるかと思いますけれども、今学校で生じております困難な教育課題というふうなものを考えてみましたときに、やはりそこでは、学校の問題というだけではなくて、子供たちの生育の環境でありますとか、あるいは子供たち自身の変化あるいは親の変化というふうなことを考えなければならないということがございます。  それらの問題は、ただ単に小学校や中学校の子供だけのことではなくて、大学生にもかなり影響を持ってきている、連続した問題であるということがありまして、大学生においても、例えば生活体験が不足しているとか、さまざまな社会体験が不足している、あるいは社会性が欠如しているというふうな問題点が指摘されているところであります。教員を目指します大学におきましても、やはりそういうことを踏まえた検討をしなければいけないのではないかということが出てまいります。  それからもう一つは、国民の教育水準が非常に高まってきておりまして、さまざまなメディアを通じましての情報も非常にあふれるほど我々の周りに広がってきている。かつて学校が非常に大きな意味を持っていた時代に比べまして、学校の持っております意味というものも今かなり大きく変わりつつあるのではないか。  そういう中で、教員の資質ということを考えますと、やはり従来よりはかなり高度な知識、技術が必要になってくる。教科の指導におきましても、相当程度の高いことを、内容を知っておらないと、今の状況の中では対応できないということがあるのではないか。あるいは、コンピューター等を初めといたしますさまざまな機器等についての活用というふうなことも非常に重要になってきているということで、教員養成におきまして、非常に幅の広い、質の高い知識というものが要求されるというふうになってきているということがあるわけであります。  ところが、こういういろいろな要望を踏まえて考えてまいりますと、どうしても教員養成のカリキュラムを膨らませていくということになるのでありますけれども、一方で、大学の教育につきましては、平成三年の大学設置基準の大綱化ということが行われまして、それ以降は、余り卒業基準を高くしないで百二十四単位という枠の中で事は考えていくべきである、そして、必修科目を余り大きくしないで学生の選択を広げるというふうな観点を重視すべきであるという方向で教育改革が行われてきております。  それにやはり矛盾するような形では教員養成のカリキュラムも考えることはできないのではないかということで、結局、非常に強い社会的な要請がいろいろある、それと大学としてのカリキュラムの調和ということ、これを考えなければならないということになりまして、そういうことから、結果的に、今回の答申の中では、今までの教員像とか教員養成の考え方とかいうものをかなり大きく転換をするというふうなことをせざるを得なくなってまいりました。  今までの免許制度を非常に大きく弾力化いたしまして、養成段階においてさまざまな得意分野を持つ個性豊かな教員を育てる、こういう目標を示しまして、教員養成カリキュラムの構造転換を提言する、こういう新しい考え方を導入することになりました。そういう意味で、今回の第一次答申はかなり大きな意味を持つものとなり得るだろうというふうに思っているところでございます。  教員の資質といたしまして、いつの時代にも求められる一般的な教員の資質というものがございますけれども、それに加えまして、今後は特に、地球的な視野に立って行動するための資質、能力でありますとか、あるいは変化の時代を生きる社会人に求められる資質、能力、それから今日の学校における教員の職務から必然的に求められる資質、能力といったものが要求されるわけであります。  ただ、こういうものをすべて個々の教員にどれだけ求めることができるかということでありますが、最低限備えることは必要でありますけれども、それぞれについて高度な能力を一人の教員が備えるということは不可能でありまして、これからの学校においては、多様な資質、能力を持った個性豊かな教員が協力をして、学校全体として質の高い教育を実現する、こういう形になることが必要だというふうに考えているところであります。  そこで、教員養成におきましても、いろいろな資質や能力を育てるということの中で、従来の、一人の先生が何でもできる、そして大体みんな同じような先生であるという、そういうことを養成の目標にするということではなくて、基本的な能力は共通に備えながらも、それぞれに得意な分野を持った個性豊かな教員を育成する、こういう考え方に転換する必要があるというふうに考えたところであります。  そこで、具体的には、今までの免許制度の中では、修得すべき科目、単位数というのが法令で細かく定められておりましたのに対しまして、それを緩和しまして選択履修制度を導入する、各大学の創意あるいは学生の志向によりまして個性豊かな教員を育てられるようにするということ。  それから二番目に、特に、義務教育段階にありまして発達段階からも生徒指導等の課題が非常に重要になります中学校につきましては、従来よりも教科指導あるいは生徒指導、そういう関係の教職に関する実践的な指導力の向上を目指す科目を充実する。  それから第三番目に、今日の社会的要請、今後の社会において特に求められる教員の資質を育てるということを重視いたしまして、そのために必要な科目を新設するあるいは拡充するというようなことを進めることといたしました。  三ページのところに、具体的に①から次のページにわたりまして⑭まで細かい内容が記載してございますが、これはごらんをいただけばと思いまして省かせていただきますが、こういう具体的な内容を盛り込みました改革を提案をいたしたところでございます。  これらにつきましては、いずれ通常国会に法案の提出があるというふうに伺っておりますので、どうぞよろしく御審議をいただきたいというふうに思っております。  順調に進みましたらば、平成十二年度に入学する学生から新しい免許制度を適用したいというのが文部省の考え方でございますが、それに対応いたしまして、各大学で今後カリキュラムの改革をしていきたいというふうに思っているところでございます。  二番目の問題は、国立大学教育学部の教員養成課程の改組の問題であります。  これは、財政構造改革あるいは少子化に伴います教員養成課程の入学定員の削減という問題でありますけれども、ことしの四月にその話題が出てまいりました。財政構造改革の集中改革期間であります平成十年度から十二年度までの三年間に、この財政構造改革の一環といたしまして、国立大学教員養成課程の入学定員を、現在約一万五千人ほどございますけれども、その三分の一に当たります五千人を削減してほぼ一万人とするという計画であります。  これは、少子化に伴いまして教員需要が低下してくる、教員採用数が減少してくるということに対応するものでありますけれども、この結果、教員養成課程、一番規模が大きかったのが昭和六十一年以前かと思いますけれども、そのころに比べますと、その当時は約二万人ございましたので、ほぼ半分の規模に縮小するということになるわけであります。  国立大学の教育学部は、御存じのように開放制の教員養成制度がとられておりますので、これまで小学校教員のほぼ三分の二ぐらい、あるいは中学校教員の三分の一ぐらい、高校教員の二割弱、一七、八%ぐらいを供給してきているところであります。教員養成課程の規模が縮小されました場合でも、小学校につきましては、私立大学等におきます養成がごく少数でございますので、国立大学がその大部分の供給を担う必要があろうというふうに考えられるところでありますが、中学校、高校につきましては、私立学校を中心といたします一般学部等での養成がかなり盛んに行われておりますので、その部分はそちらにある程度移行をしてもという考え方もあるかと思われるものであります。  しかし、今お話ししてまいりました教養審の第一次答申に盛られておりますような、あるいは教養審に対します文部大臣の諮問に求められておりますような状況というもの、すなわち中学校におきます生徒指導の困難な状況といったものを考えますと、中学校教員にむしろ教育学部出身者をふやす必要があるのではないかというふうな考え方も一方には出てまいることでございます。そのあたり、この二つの考え方、これは全然別のところから出てきた事柄でございますけれども、どのようにこれから調和を図っていくのかということが問題になろうかと思います。  その点を考えまして、大学の方では、これまで小学校教員養成課程、中学校教員養成課程というふうに学校種別に教員養成課程を編成しておったのでありますけれども、これを学校教育教員養成課程というふうな形の統合型の教員養成課程に組みかえまして、そこを卒業すれば小学校と中学校と両方の免許を取れるという形に移行をしようというふうなことで今動かしているところでございます。これがどんな形で教員供給をしていくことになるのかというのは、今後の推移を見なければならない問題でございますけれども、こういう形で今動きつつあるということがございます。  基本的には教員採用数の問題というふうなことになりまして、それは少子化の問題、それからもう一つは教員定数をどのように考えるかという事柄が絡む問題でございますけれども、財政状況が非常に厳しいということは十分理解するところでありますが、もう少し義務教育諸学校の充実というふうなことも何らかお考えいただくことができないだろうかということが私どもの考え方でございます。  それから三番目は、大学院修士課程を活用した教員の養成と研修という問題であります。  教育職員養成審議会は、先ほど申しましたような答申を一応七月の末に出しました後、九月以降、昨年の文部大臣の諮問の中で残っております課題であります修士課程の問題、あるいはその養成と採用・研修との連携その他の問題につきまして今審議を始めたところでありまして、ほぼこれから一年あるいは一年半程度で結論を得る予定で今審議が進められております。修士課程を活用した教員養成のあり方、あるいは初任者研修を含めました研修のあり方といったことが重要な課題になるところでありますけれども、結論がどういうことになるかというのは、今まだちょっと予想できる状況ではございません。まだ審議が始まりまして二カ月ぐらいというところでございます。  したがいまして、以下は個人的な見解になりまして大変失礼かと思いますけれども、私どもといたしましては、大学において教員養成を行うということになりましたのは戦後の学制改革によりましてでありまして、既に五十年近い年数がたっております。この間に学校を取り巻く状況、教員を取り巻く状況というのは非常に変化をしてまいりました。高学歴化が進み、高度情報化が進む中で、社会的に信頼される教員の資格というものを考えますと、学部卒業ではなくて、修士課程程度の卒業というものが徐々に必要になってくるのではないかというふうに思います。学部四年間でどれだけのことができるかということになりますと、やはりかなり難しいところが出てきているのではないかというふうに思いますので、大学院を活用してより高度な教員養成を行うということが今後の方向になるのではないかと思います。  それには、一つは、学部を卒業しまして大学院を経て教員になっていくというふうなコースもありますし、もう一つには、学部を卒業しまして教員になって一定経験を経ました後、修士課程に入りましてそこで履修をするというふうな方向もございます。あるいは一般学部を卒業しまして、そこで教員免許は取らなかったという方が大学院に来られて、そこで教員養成の教育を受けて教員になっていくというふうなコースもあり得るだろうと思います。いろいろな形があり得ると思いますけれども、いずれにしましても、修士課程を拡充をし、さらにその修士課程の教育内容の整備をしていくということが必要であろうというふうに思っております。  現在のところ、教員の中で専修免許を持つ方というのはまだごく少数でありまして、これからその拡大を図っていくためにはいろいろな施策が必要であろうと思います。  学部卒業後大学院に進むというためには、大学院の学生定員の拡大ということが課題になろうかと思います。先ほどの大学審議会の方でもそういうことを議論されているかと思いますけれども。  それから、教員になりましてから大学院に進んでくるということのためには、これは教育委員会から派遣をしていただいて、そして大学院に進んでまいりますわけで、その派遣をする枠を広げないとなかなか増加はできないわけでございます。そのあたりの問題がございます。  ある程度教員の経験を経ました方というのは、問題意識も非常に明確になりまして、大学院に来られて非常に成果を上げられるというふうに聞いておりますので、その意味での拡充ということがこれから重要になるのではないかというふうに思っているところでございます。  そんなことで、専修免許状を取得するという方向を今後拡大していく施策をいろいろと御検討いただきたいと思うところでございます。  最後に、三つばかりのことを書いておきました。  一つは、専修免許状を取得をすることに対する動機づけという意味でも、現在は専修免許状を取られても何も処遇の上での違いがございませんけれども、やはりそこは考える必要があるのではないかということ。それから、教育委員会からの派遣の拡大を図るということ。そのためには、教員定数の問題というものが絡んでまいります。それからもう一つは、在職のまま大学院で履修をするという便宜を拡大するという意味で、夜間大学院ですとか通信制大学院ですとか、こういうふうな方向を考えていくということが今後重要になってくるのではないかというふうに思っているところでございます。  若干時間が超過いたしました。恐縮でございました。(拍手)

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 ありがとうございました。  次に、野村参考人にお願い申し上げます。

野村新大分大学学長

○野村参考人 野村でございます。  このような機会を与えてくださいまして、ありがとうございました。私は、蓮見先生のようにレジュメを用意しておりません。失礼いたします。  今、子供たちの心は病んでおります。いじめ、不登校、それに起因する自殺や薬物利用等、この問題は、特定の子供だけのことではなく、多くの子供に共通する問題で、一つの病理現象と言われております。  多くの子供が、自分が自分でありたいと願い、自己の存在証明を持ちたいと思いながら、それができずに苦悩しております。家庭にも学校にも地域にも居場所がなく、だれからも認められず、必要とされず、存在感を持てないのです。いじめを受ける子供はもちろん、いじめる子供の側も、人間としての誇りを持ちたいと願いながら、他者の尊厳を傷つけ、みずからの誇りをも傷つけるようないじめの行為をあえて犯しております。  このような子供たちを前にして多くの新米教師が立ち往生じたり、最近、子供がわからなくなった、見えなくなった、理解できなくなったと嘆く中堅教師がふえていると聞きます。子供たちの変化に対応できずにろうばいする教師たちです。良心的な教師ほど戸惑い、悩んでいるようです。  このような状況の中で、卒業直後でも何とかして子供の前に立てる教員養成が求められております。初任者研修制度などがありまして、生涯にわたって研修を続けてすぐれた教員になる、もちろんそうですけれども、教員は四月から学級や教科を担任します。研修して専門性を高めていかなければなりませんが、卒業直後に子供の命と魂を預かるわけです。  現在の教員養成は、教員養成大学・学部と、一般大学学部で養成されております。つまり、大学での養成と開放制という制度であります。  大学での養成は、先ほど蓮見参考人の方からもお話がありましたように、明治から昭和十八年までは師範学校として、それはむしろ中等教育機関でありました。十八年に専門学校に昇格しまして、そしてこの新学校制度から、昭和二十四年から大学で養成するようになりました。敗戦後の無一物の廃墟の中で多くの新制大学をつくった上に、しかも大学で教員養成を始めた、このことは大英断であったと、今から考えますと評価できます。  戦前戦中は、教育目的あるいは目標を国家が決定しました。国定教科書で教育内容を決定しましたから、それは国が決定したと言ってもいいでしょう。個人的に教員がかかわることは、その教育目的、目標に従って教育内容を的確に子供たちに身につけさせる、そのことだけに限定されておりました。  戦後は、民主国家、文化国家を建設しなければならないという、これが国民的課題でありましたから、そういう中で、新しい時代を生きる国民教育を担う教員は、自分の思想を持ち、研究者的能力や資質を身につけて、教師としての高い専門性を持つことが要求されるようになりました。  開放制になりましたのは、戦前戦中は師範学校卒業生が主流で、教員がステレオタイプ化したという反省からであります。教員養成を目的とする学部・大学と一般大学で、さまざまな資質、能力を持った教員を養成しよう、そういうふうに構想したわけです。もちろん、両者とも教員としての高い専門性が要求されていることに変わりはありません。  教員の資質、能力として要求されることのまず第一番は、近未来社会を展望し、現代社会を分析して、その時代を主体的に生きる子供の教育のあり方を構想できるということ。第二番目は、地域に根差す教育ということから、学校が位置する地域の自然や歴史、文化、村民性に立って、地域住民の願いや教育要求にこたえる教育を創造できること。第三番目に、教師は子供の発達を科学して、子供の認識過程や思考様式、子供の論理や感性を把握できる能力が求められます。第四番目に、教科の本質を追求して、教科の論理や構造をとらえていて、科学的追求の方法論を体得していることであります。そうして第五番目に、それらの能力、資質を基礎にして、教科指導や生徒指導を通して子供の可能性を伸ばす実践的力量が必要であります。  したがって、教師は、まず第一に、戦後日指しましたように、自分の思想を持つ者でなければなりません。世界観や社会観、人間観など、自分のフィロソフィーを持たなければ、子供の命と魂を養う教育はできません。どんな小さな子供も、その子なりに自分の思想を持っております。その思想をより高い次元に変えていくわざに参画するのが教師であります。  第二番目に、教師は研究者的能力を持つことが要求されます。科学する子供を育てる教師は、みずからが研究的、探求的でなくてはなりません。創造的、探求的教師は、創造、発見の喜びを知っており、それを子供と共有することができます。また、みずから探求過程でつまずき、痛みを知っておりますので、子供の嘆きや痛みを共感することができます。  第三番目に、教師には確かな子供観や教育観と子供への限りない愛情と教育実践力が必要であります。  以上のような教職の専門性の高さと、先ほど申しましたように子供たちの現状から考えますときに、まず第一に、現在のように容易に教職免許を取得できるシステムで、果たしてこの子どもたちに対して、あるいは自分たちが養成して送り出した者に対して責任がとれるでありましょうか。  ますます教職の専門性は社会の変化に応じて高度化してまいります。これからは、先ほど蓮見参考人の方からもお話がありましたように、教員の大多数の者が大学院に学び専修免許を取得することが要求されていると思います。  第二番目の問題としましては、少し専門的になりますけれども、これまで教科専門科目と教職専門科目の単位を取得さえすれば、予定調和的にすぐれた教員養成ができるとされてきたことでありました。  各大学において、明確な教員養成の理念を持ち、それぞれの教科専門科目あるいは教職専門科目が関連性を持って構造化、体系化されていなければなりません。これまでは教科間の構造化、体系化、統合化を学生諸君にゆだねてきたとすれば、まことに無責任と言わねばなりません。  第三の問題点は、各専門科目が、その科目に関する知識の伝達・教授に終始して、科学的追求にまで至っていないのではないかということであります。その授業を受けた学生たちは、教科内容についての知識を教授・伝達することが教育だと思い込んで、教員になってその考え方で子供を指導するのでありますから、非常に問題は深刻であります。  科学的追求には、発見、創造の喜びや感動があります。それを体験した者は、そのぞくぞくするような創造、発見の喜びを子供にも共有させたいと願うはずであります。子供は小さな科学者であり、創造的、追求的存在です。教科専門科目で科学的追求のおもしろさや感動を体験し、研究の方法論を体得、獲得し、教職専門科目で子供を知る科学や教育することの科学を学ぶとき、学生たちは教職へのあこがれと誇りを持ち、子供たちに科学するおもしろさを共有させ、研究の方法論を学ばせたいと願う教員となりましょう。  第四番目の問題点は、教科専門科目に人間存在に迫らせる視点が欠落していることであります。  初等中等教育段階では、すべての教科指導は知的訓練であるとともに、人間存在について考えさせることにあると考えます。すべての教材には人間が描かれております。例えば、国語の文学教材や説明文の中に、社会科の歴史や地理や経済、政治や法律の教材の中に人間が語られております。数学、算数でも、それを学ぶ中で、子供たちは見事な数式を発見した人間のすばらしさに驚嘆するはずであります。子供がつくりだした数式は、その子の思想の表現であると実践報告した教師がおりました。理科では、子供が自然の摂理を発見して、その深遠さに驚き、自然を畏敬し、自然に生かされている人間を知ることでありましょう。他の教科も同様でありまして、人間について考えさせることができます。  そこで子供たちは、人間の弱さ、悲しさ、愚かしさやそれを克服してきた人間のすばらしさに出会い、人間を生きるのであります。現在は、教材を教える教育に終始して、教材の世界を生きさせる教育になっておりません。教材の中の人間と対話し、その世界を生きることによって、子供は人間を学ぶものであります。教科専門科目にこの視点をどう持ち込むか、これがこれからの課題であろうかと思います。  第五番目に、自然体験や社会体験、生活体験の必要性であります。  学生たちは、自然に直に触れ、生身の人間に出会い、みずから生活を生きることで人間存在への接近が可能になります。そこで命へのいとおしみが生まれます。これらの体験が欠如している現在の学生たちには、特にこのことは不可欠であります。理性的認識は体験的認識の上に形成されるのであります。小学校の低学年に生活科の教科が設置されたのも、そのためであります。  第六番目は、子供の存在感を保障する授業をつくる教育についてであります。  教員は何よりも授業の専門家でなくてはなりません。授業は、単なる知識の伝達ではなく、子供に知る喜び、わかる喜び、できる喜びを享受させるとともに、その子の知り方、その子のわかり方、その子のでき方をつくり出し、その子らしさを実現させることにあります。  教師は、教材に潜む世界観や社会観、人間観を、通して、子供の世界観や社会観、人間観を変革していきます。子供の意見を引き出し、組織して、子供同士の意見を対立、止揚させて、それぞれの子供の世界観、社会観、人間観をより高い次元へ変革していく媒介者であります。そこで子供は自分のすばらしさに気づき、友達の豊かさに驚きます。自己発見、他者発見が起こり、そこに一人一人が存在感のある教育が実現します。  それでは、どうすればそのような授業のできる教員養成ができるのでしょうか。  教育理論を言葉で説明するだけではそれは不可能でありましょう。やはり、大学の授業に小中高などの学校の授業のVTRを見せたり、模擬授業をすることも一つの方策であります。これからは、インターネットやマルチメディアを利用した授業も可能であります。しかし、VTRや模擬授業を指導する大学教員の実践的力量がなければどうにもなりません。  医学教育では、医学部のスタッフは、附属病院で医療行為をすることによって、患者を治療しながらみずからの研究を深めてまいります。それと同様に、少なくとも教職専門科目の臨床的教育にかかわる教員は、小中高校などの教育実践の現場に入り込み、教育理論と実践をつないでいく。そのために、小中高校などでの教育実践を大学教員がまずすることです。教育の事実を知らずに教育理論の教授も指導もできないはずであります。もちろん、教育実践の体験があるだけで、臨床的教育についてであれ、そのまま大学で教授行為ができるかというと、それはまた問題であります。  少し時間が長くなりました。失礼しました。(拍手)

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 ありがとうございました。  次に、渡辺参考人にお願い申し上げます。     〔小委員長退席、小川小委員長代理着席〕

渡辺重範早稲田大学教育学部長

○渡辺参考人 早稲田大学の渡辺でございます。  お二方の参考人が、大変理念的に現在の教育の現状の問題点を整理してくださいました。しかし、きょうは多種多様な意見を反映するということですので、したがいまして、私が考えてきたシナリオを変えました、お二人の話を聞きまして。  そして、私は、はっきり申し上げまして、お二人の先生の話を聞いて、そこにこそ今の教育の病理があるんだというような感じがいたします。制度さえ変えれば、そこに今抱えている問題が実際に解決できるんだと。現在の教育の病理というのは、もっともっと、非常に深いところにあるということで、私は私なりの教育の要請と、それから、目指すべき教師の理想像及び教職を目指す人たちの実践性の問題ということに関しましてお話を申し上げたいというふうに思うわけであります。  私は、教育の要請というのは、自己の尊厳及び自己完結性、これはまあインチグリティーと言っていいのでしょうけれども、を保持しつつ、社会生活を営む以上、やはりどうしても他者と共生をしていかなければいけない、とするならば、向き合う相手に対して自分を開き、また自分を閉じること、それを個々人が決定する、そういう能力を養うことだというふうに思うわけであります。したがって、諸個人が一個の人格統合体として完結することを目標として生きていくための学習課程こそ、すなわちインチグリティーの教育こそ、今日の教育の要請であるというふうに私は思うわけであります。  そうしたものに対して、今度は教員の側のことからちょっとお話し申し上げたいと思いますが、そういたしますと、生徒たちのそのような、自己を開き、自己を閉じる、それを自己決定する、それに対応した教員の態度決定がなければいけない。そのためには、どうしても教師みずからが自己の尊厳とまずもって自己の完結性を保持し、維持していかなければいけない。そのためには、例えば中教審の答申あるいは教養審の答申によく見られるように、触れ合うというと簡単に聞こえますが、そうではないんだ、すなわち、生徒と向き合うことなんだと、これこそ今非常に大事なことであります。  そうしますと、その向き合うためには、どうしてもまず教師の側が自分の身をさらさなければいけない。今一番欠如していることは、教師が生徒の前に全人格を、身をさらすことがないからこそ生徒の方も自分の身をさらさないんだと思います。今回一番大事なことは、やはり教師みずからが、自己の完結性をもとにしてみずからの身をさらすことだろうというふうに考える次第でございます。  そうしたもとで考えてみる場合に、じゃ、あるべき教師像というのは一体何なのか。これはやはり、教員養成のレベルだけではなくして、教員養成の次元、教員採用の次元、それから教師研修の次元、三つのレベルで考えていかなければならぬことだろうと思うのであります。  そのための第一の条件は、何が何といっても、やはり人間に対する共感であろうというように思います。そして、その人間に対する共感というものを持つためには、それぞれの教師ないし教師を志す人たちが、心の中にもともとの風景、つまり原風景を持たなければいけない。原風景を持たないような教師は、これからの時代において身をさらすことができないだろうと思います。その原風景は、既に大学に入る前に、それぞれの地方、地域、それぞれの経験によって持っている場合もありましょうし、大学に入ってまた新たな原風景を持つ場合もあるだろうというふうに思うわけでございます。まず、原風景を持たなければいけない。そして、確かに、教育である以上、国家的な統合、インテグレーション、それから正当化付与というそうした機能があることは間違いありません。そうした中で、今日教師に要請されるのは、私は、三つのメルクマールを挙げたいと思うのですね。  一つは、やはりジャスティスだと思うのですね。これは正義であります。しかし、正義がいつも通るわけではございません。そして、教師に要請されるメルクマールの第二は、フェアネスである。公正さである、あるいは公平さである。もう一つ、三番目が一番大事だろうと思うのでありますが、私はブルーダンスと言っていますが、これはむしろバランス感覚と訳した方がよろしかろう。この三つの要件は不可欠であります。  例えばイギリスにおきましては、徹底的に、まずはビー・カーム、まず冷静たれ、そしてまたビー・パニック、かっかとくるな、そしてビー・ぺーシェント、日本で言うと粘れ、そしてフェアネス、公正さ。そうした大きな概念で徹底的にそれを生徒に教え込んでいるわけであります。  そうして見るとき、今日、教師に要請される、このあるべき教師像というのは、これはやはりどう考えても、教科を離れては考えられないのです。これは、初等教育であれ、中等教育、後期中等教育であっても変わりありません。教科なしの教職科目だけではどうにもなりません。したがって教科、これはもちろんスポーツなり芸術などすべてを含むものでございますが、この教科を核として幅広い領域で見識を持ち、そして、現在この日本が、世界が抱えているさまざまな問題、その共同の議論の場、つまり、フォーラムに参加できるような資質を持たなければならない、このように考えているわけでございます。  このようなことを考えますと、次には、そういう教師たるべく、教師の実践的指導力を養成するということがまず問題になるわけでありますけれども、その中で、きょうは、蓮見先生を初めといたしまして、教養審にかかわった先生方、いらっしゃっております。しかし、そこで一番の問題は、現状にかんがみまして、そこに改善の目的、これは何ら異論がございません。その改善の目的を達すべく、方途の問題でございます。このギャップこそまさに問題であるわけであります。  お二方は、言うなれば、そうした意味での改善の目的の方を非常に強調されました。改善の目的に関しましては、だれも何ら異論があるわけではございません。大切なことはむしろその方途だと思うのであります。  つまり、実際にそうした理想的な教師像というものを養成するために、本当に教職・教養科目、しかも教育技術的な科目の履修だけで本当にできるのでしょうか。つまり、幅広い豊かな人間性と、教科についての奥深い専門性にこそ、やはり一番の核があると私は信じております。  例えば、教師の本質の中にある、得意分野を持った個性のある教員の育成ということが問われてございます。それに関してはまさにそのとおりだと思います。しかし、その方途としては、各大学においてさまざまなカリキュラム改革等が今行われておりますので、そのさまざまな多様性の中から統合的なものを生み出していくことこそがやはり必要なのではないか。  そうしてみる場合に、私は今日、こうした改革の目的に引きずられまして、戦後、教育改革の貴重な財産であるところの開放制教員養成制度が空洞化され、弱体化されることは、これは日本の将来にとって極めて重大な影響を及ぼすだろう、こういうふうに考えるわけでございます。     〔小川小委員長代理退席、小委員長着席〕  第三点目でございますが、教職を目指す者の実践性の問題ということですね。これは、一番端的に言えば、教育実習というものでありますが、そこに関してちょっと述べさせていただきたいと思うのです。  つまり、先ほど言いましたように、教師のまさに根底とするところは人間に対する共感でございます。そのためには、どうしてもこれはなるべく早いうちから例えばさまざまな諸経験を積ませる。つまり、そのためには、生活の当事者性というものを教員に対して持たせることが必要であります。  これはもう本当に、例えば阪神大震災におけるボランティア活動でも結構ですし、あるいは養護施設に行ってやっても結構ですし、そうしたさまざまな方途があろうかと思います。そして、教師みずからが生活の当事者性を持ち、それを子供たちに担保する方途、つまり、子供たちにある程度社会の現状を分析する目を与え、かつ、みずからが社会との有機的関連性を持つことが肝要だろうというふうに思うわけであります。  そういたしますと、短絡的に、教育実習を二週間から四週間に延ばせばいいじゃないかと思いますが、教育実習は、言うなれば、そうした生活の当事者性ということを習得するための一つの方法にしかすぎないわけであります。私は、ここにこそ問題があるかと思うのですね。  つまり教育実習は、教育技術を訓練する場でもありません。また、教職への一体感を形成する場でもないと思います。教育実習というのは、自分の教員への適性を実際的に、実際の場でみずから確認する場であると。つまり教育実習を強調することによって、その他におけるさまざまな具体的な経験あるいは生活当事者性、それが軽視されることになりはしないか、こういうことだと思うのであります。したがって、教育実習にもさまざま、ありようによって、これは長短があってしかるべきではないかというふうに考えているわけでございます。  それから、得意分野を持つ個性豊かな教員、これは今日まさに要請されていることでありますが、しかし、限られた教員養成のカリキュラムの中から、重点履修といって、それを取ればすぐに、即応的に対応できる。ここにいらっしゃる先生方に失礼に当たるかもしれませんけれども、もしそのような形で本当に考えていたのならば、余りにも安易過ぎるのではないかというふうに考えるわけであります。  例えば、先ほどお二人の先生が教育目的の方に重点を合わせましたので、いわばこうした中で、実際、細部に立ち入る必要性があるかと思うのでありますが、例えば教育相談、カウンセリングに関する基礎的な知識を含む理論及び方法、四単位を選択させる、それを履修することによって、その答申にあるような子供たちの心の悩みがよく理解できる教員が多数誕生することが見込まれる、本当にそういうものでしょうか。  実はそこには、私の言葉で言いますと、環境の中における教育と状況の中の教育との差異が出てくると思います。環境、エンバイロンメントというのは、例えば、この委員会室におりまして、この物理的環境というものは、ここにいらっしゃる先生方すべてにとって共通でございます。しかし、その物理的に共通な環境も、自分の目というフィルターを通して見た場合、それは状況になります。したがって、同じ物理的環境のもとにおいても、状況認識は本当に千差万別、別々でございます。  今まさに、その中教審の答申、また第二次答申を見まして、あそこの要請というのは、この状況の中の教育ができる教師というものを獲得したいのだということだと思うのですね。実際に、例えばこうしたカリキュラムのもとで実践的即応力がある教員などが育成されるとするならば、教育はこんな簡単なことはございません。だからこそ問題があるのだろうと私は考えているわけであります。  したがいまして、今、さまざまな細かい点では多々問題があるかと思います。私は、こうした教師像というものを求めるには、やはり多様性が一番いい。したがって、すべての事柄を教員養成レベルに収れんさせるという考え方こそ一番危険である。つまり、先ほどから申し上げましたように、教員養成と、それから教員採用、研修のレベルでじっくりとやっていくのが教育の要請であるというふうに私は確信しているわけでございます。  時間が十五分でございますので、多々問題があろうかと思いますので、その他のことに関しては、御質問があれば後ほどということでありがとうございました。(拍手)

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。  参考人の方々に対する質疑は懇談形式で行いますが、各会派別の発言の順位、時間は特に定めておりませんので、発言のございます方は、挙手の上、小委員長の指名をもって御発言を願います。お一人一回の発言は三分以内におまとめをいただきたいと存じます。なお、御発言は、さきの懇談会と同じ形式でありますから、着席のままでよろしゅうございますし、参考人の方々も御着席のままでお答えをいただきますように。  これより教員養成課程の問題と今後のあり方について懇談に入りますので、小委員会は暫時休憩といたします。     午前十時五十九分休憩      ――――◇―――――     午後零時二分開議

河村建夫自由民主党

○河村小委員長 高等教育に関する小委員会を再開いたします。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げたいと思います。  本日は、大変御多用のところを、貴重な時間をお割きいただきまして本小委員会に御出席をいただき、また、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げますとともに、貴重な御意見を今後の調査にさらに生かしてまいりたい、このように思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いを申し上げます。  本日は、これにて散会いたします。     午後零時三分散会

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