科学技術委員会 第3号
- 発言数
- 102 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1997/12/02
会議録
○小池委員長 これより会議を開きます。 科学技術振興の基本施策に関する件、特に原子力政策を中心に、科学技術創造立国への課題について調査を進めます。 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 本件調査のため、本日、参考人として日本学術会議会長・動燃改革検討委員会座長吉川弘之さんの出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小池委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ―――――――――――――
○小池委員長 この際、吉川参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本日は、我が国の科学技術振興及び動燃改革について忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の順序でございますけれども、最初に二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質問にお答え願いたいと存じます。 それでは、吉川参考人、お願いいたします。
○吉川参考人 御紹介いただきました吉川でございます。よろしくお願いいたします。 それでは、貴重なお時間をいただきましたので、十五分か二十分ぐらいの感じで最初に私の方からお話をさせていただきたいと思います。いろいろ御質問もおありですので、私の方からは概略のお話ということでお許しいただきたいと思います。 御紹介いただきましたように、現在、私は日本学術会議というところにおります。学術会議というのは、現在六十七万人と言われております科学者の代表機関であるということで、学術会議には二百十人の会員がいるわけですが、その二百十人が、あらゆる学問分野の人々が集まって、そこで、我が国の、あるいは世界を展望しながら、現在の学術の状況についてお互いに分野を超えて話し合う、あるいは日本においてどういう科学技術の進め方があればよろしいのかというようなことを議論する、さらにはその結論をいろいろ世の中に発表し、またいろいろ各方面にお願いをする、勧告をするというようなことをして、日本の科学技術の進展というものに寄与しよう、こういう集団でございますけれども、そういう立場で少しお話をさせていただきまして、後半で、動燃改革委員会座長を務めさせていただきましたので、その関係のお話をややさせていただきたい、こう思っております。 最初に、学術というのが現在非常に重要な状況になってきた。もちろん学問というのは人間にとって非常に大事なんですけれども、現在特にそれが重要になってきたということがございます。 それは、社会そのものが非常に複雑化してまいりまして、例えば、いわゆる制度というようなことにしても、法律はもちろんのこと、経済における制度あるいは国際貿易におけるいろいろな制度と習慣というふうなものが非常に複雑化してまいる。しかも、国際化というようなことで多様化している。そういったものをいわば体系的に見て、そこで間違いなくいろいろな処置を施しいろいろな行動を行っていくということのためにはいろいろな分析が必要になるということで、これは経済学とかいわゆる国際法、そういったような分野における非常に多くの知識を必要とするということになってまいります。あるいは、新しい問題が出てくればそれについて対応しなければならないということになります。 さらに、そういった経済、社会というようなことだけではなくて、現実に非常に大きなプラントができてくる、あるいは情報システムができてくるというようなことで、それをつくり、運転し、保全していくというようなことにも多量の知識が必要になるという時代になってきたわけで、そういったことで、学問というものが現実世界と非常に接近してきたという時代だと私たちは考えているわけです。 学問の歴史は非常に長いわけですが、ある場合には社会から離れて密室で学問が進歩するというような時代もありましたし、また、社会と対立して学問が存在するというような時代も残念ながらあったわけでありますが、現在はそうではなくて、学問というのは最も有効性の高い、役に立つ学問という面を持つようになり、学術会議の会員も、ということは科学者も、そのような意識に大幅に集約されつつあるというふうに御報告できると思います。 現在の環境問題一つとりましても、これは決して一専門家が議論できるということではありません。環境問題というのは、法律、経済、社会あるいは技術、そういったことが、あらゆる問題が関係しておりますので、そういった問題を集約的に議論する場としても学術会議というものが非常に役に立つだろうと考えているわけであります。 さて、そのようなことで、現在の学問の状況というのがどういうふうになっているかということを簡単にお話ししなければいけないのですが、もともと学問というのは、人間が必死に知恵を絞り出して、頭を使って絞り出してつくり出したものであります。それはどういう状況で絞り出されたかというと、多くの場合は、やはり人類にいろいろな危機が襲いかかってくるという状況で、その危機をどうやって克服するかという形でその知識が出てきたというふうに考えると非常にわかりやすいんじゃないかと私は常々思っているわけです。 例えば、天変地異といいましょうか、農業において干ばつというのに見舞われれば、どうやって水を引いてくるのかということを工夫しなければならない。そういう中から、現在の土木工学といいましょうか、いろいろ、治水といったような技術体系ができ上がり、それが工学という学問になり、それが世代を通じて伝えられていく。そのようにして人類は、いわゆる農業における水の制御ということを、ずっと代々知識を伝えながら成功していくというようなこともあるわけです。 例えば、今度は全然別の話になりますが、長い間人類を襲ってきたものに疫病であるペストというのがあるわけです。このペストというのは、人類の歴史が始まって以来数回にわたり非常に大きな攻撃を人類が受けているわけですが、これも、最近というか近世になりましてから、それが細菌であるということがわかる。そうすると、その細菌を制御する方法というものに気がつき、そしてペストというのを現在はほとんど追放することに成功した。こういう歴史を持っているのです。 しかし、そのペストを追放しただけではなくて、そういった細菌を扱うという中で細菌学という知識体系が生まれ、これは学問ということですが、この細菌学は次第に発展して現在の分子生物学になり、そしてバイオテクノロジーということになって私たちの社会に非常に豊かさをもたらしているということですから、出発はペストとの闘いということだったのですけれども、それが知識体系として実り豊かになると我々の社会を豊かにしていく、こういう経歴をたどっているわけです。 もちろんそのほかに、あらしをどうやって防ぐかということを考えたのが建築の技術であり、それが現在の都市をつくる。 恐らく、多くの知識というものはそういったこと、これは決して技術だけではありませんで、例えば、いろいろな論争というのを上手にやるという中から論理学が生まれ、その論理学というのは現在のコンピューターの知識のもとになっているわけですから、やはりそういった、人間が必死になって考える、生き延びるために考えるということがもとになって人間の知識が生まれ、それが学問体系となっている、こういう歴史を持っております。したがって、学問というのは、大変明るい、人間が問題を解決するために非常に役に立ったものという生まれを持っているものだと思われます。 そこで、そういう長い学問の歴史を持っているのですけれども、現在の問題。これは、現在何を研究すればいいか、どういう科学技術政策をとればいいかということに直接関係するわけなんですが、かつての干ばつであるとかペスト菌であるとか、あるいはあらしであるとか、そういった人間を襲ってくるもの、これを過去における邪悪なるもの、こう呼べば、現代の邪悪なるものは何かというと、これはやや様相を異にしている。例えば、貧富の差が大きい、これを解決できないという問題とか、それから、大きなシステムをつくると、そのシステムダウンによって事故の影響が非常に大きくなる、事故の巨大化が起こる、あるいは現在話題になっております環境破壊というような問題、これらの問題は現代の邪悪なるものと私どもは呼ぶべきだろうと思います。これは、過去のように人類の外からやってくるというよりは、人間の行為の結果であるという面が非常に強い、ここに特徴があるわけです。 貧富の差というのも、いわば民族同士がいたずらに争わないというために国境というものをつくって、それぞれが平和に、文化の違いを区分けしながら生きていこう、これが国だったわけですが、今度は、その国境が邪魔をして、結果的には豊かな地域と貧しい地域が画然と分かれ、その間に非常に大きな差ができてしまうというのも、これもいわば人間の知恵があだになっているという面があるのかと思います。 事故の巨大化にしましても、これはシステムが大きくなればなるほど事故が大きくなってくる。地震の災害というのも、まことに皮肉なことでありますけれども、大きな都市というものをつくればつくるほどその被害が大きくなってくるという面があります。 それから、環境破壊に至っては、これは人間の産業活動というものが非常に大きな影響を与えているということがますます疑うことができない事実となってまいったということを考えると、こういった人間の行為が現代の人類に対する、かつては敵と呼んだんですが、むしろこれは内在的な問題として起こっている。これが現在の問題だ。 そうなりますと、それらを解決するのに、例えばペスト菌に対して、細菌を扱うという技術を発明すればよかったという単純な問題ではなく、結局、我々の学問的な知識も含めて人類の多くの知識を適用した結果それがいろんな問題を起こしているということになるとすれば、恐らくこれからの科学技術という研究は、決して新しい知識をただ単に開拓すればいいということではなく、現在持っている知識体系というものの反省の上に立って、現在の知識体系を改変するということを条件としてやはりその問題に対処しなければいけないんだろうということに気づくわけであります。 それが現在の基礎研究だということで、ただ単にフロンティアを拡大するとか新しい発見をすればいいということだけではない。恐らくそれは、多分研究の半分になるのではないか。そうではな くて、現在の問題というのをより慎重に見詰めながら、例えば、現在京都で行われております、ああいうパーセンテージを決めるといったような問題に対しましても、本来は科学的知識というのが非常に重要になるんですが、現在は、そのパーセンテージが決められないわけですね。それを科学的に決めることができない。これは一体なぜなのか、こういうふうに考えてみると、やはり私たちの持っている科学的知識というのが実は不十分なんだというふうに思われます。 もちろん、科学というのは常に進歩を続けるわけですから完全にはなりようがないんですけれども、しかしながら、少なくともある種の合意、不確定性を含みながらも将来に対する合意というのを取りつける、そういう意味での議論ができる、そういう場を少なくとも科学というのは提供しなきゃいけないと思うんですが、まだそれまでもいっていないという様相があって、これが非常に問題である。 そういうことで、例えば、私どもは環境学という学問をつくるというようなプロジェクトが非常に重要な課題になってくるわけです。現在の大学あるいは基礎研究所というのを見ますと、多くの学問が分科に分かれていて、その分科の間の協力体制というのは非常にしにくくなっています。それは、決して人が悪いからではありませんので、学問を超えて語り合うための共通の言葉がないんですね。例えば、経済学者と物理学者が話そうとしても、ターミノロジー、言葉が違いまして、なかなか意見が通じない。しかし、環境という問題を議論するには、いろいろ起こっている天然の気象の変化であるとか物質の循環であるといったような物理学の領域の専門的知識と、同時に、何に税金をかけていけばいいのかといったような経済学、法律の言葉を使ってともに議論しなきゃいけないということになるんですが、それがなかなか難しさを持っています。したがって、ここには、現在の科学技術政策というのは、領域を超えてプロジェクトを行う、それはある意味では昔ほど楽な仕事ではないということになるかもしれないんですが、そういった配慮が非常に必要になってくるかと思うわけです。 そこで、話はやや戻るんですが、そういったことを可能にするところとして、私ども日本学術会議は非常に役に立つ組織だろうと考えておりますのは、最初に申し上げましたように、あらゆる分野の人がそこに集まっておりまして、多くの委員会というのをつくっているんですが、その委員会には必ずすべての専門家が入る、こういう構造になっております。 例えば、私どもは七つの部というのを持っているんですが、その部というのは、法律、経済、それから文学、哲学、それから理科系の理学、工学、医学、農学、こういう七つの分野を持っているわけです。その七つの分野から必ず一人は委員会に入っている、そしていろんな社会問題を扱う。現在扱おうとしているのは、例えば少子化問題を議論しよう、こういう話があります。これも私は、過去のペスト菌とは違って、少子化問題というのは、現代の非常に文明が進んだ我々の知識の結果そういうことが起こったということになりますと、先ほど申し上げたように、非常に多くの学問分野が動員されて議論しなきゃならないという課題かと思うんです。 そういった問題を議論するというようなことになって、これを私どもは俯瞰的に、鳥瞰的というのでしょうか、バーズアイ、俯瞰的に全体を見る目が実はこれからますます必要になるので、個別分野の科学技術の開発と同時に、俯瞰的に全体を見ながら全体を調整していくというような仕事が非常に重要になり、そういった専門家の育成というようなこともこれから考えなければいけないという議論をしているわけであります。 そこで、学問の進展ということをやや具体的に申し上げるんですが、かつてはというか現在でもそういうふうにお考えになっている方が非常に多いんですけれども、学問というのは自治である、少なくとも大学というのは大学の自治というのがあって、その自治というのは何でも勝手にやっていいんだ、こういうようなイメージを、大学生自身もかなりの人が持っているし、あるいは世の中も、そういうふうにして余りいじらないんだ、こういうふうにお考えの方々が多いんじゃないかと思うんですが、それは私は、そうではないという立場に立っております。 確かに学問というのは、先ほども申し上げましたように、非常に独特な言葉をもって語られていますから、ほかの、専門をちょっと外れたり、あるいは学問に携わっていない方から見ると、非常にわかりにくいわけですね。物理学者の言葉は物理学で語っておりますし、経済学の言葉は経済で語っておる、そういう非常に専門性が強くなってしまっておるということがあります。したがって、言葉がわからないためにほかから口が出せないという意味で、結果的に自治領域のような世界ができてくる。これは避けられないんですね。私は、これを学問が持っている固有の自治、こう呼んでいるんですけれども。 しかし、現在、学問というのは多くの国で、これは世界じゅうほとんどの国で、いわば公的な資金を用いながらそれが進められている。科学者の給料はいわば国民が持っている。あるいは研究費というのも公的な資金で進められる。特に基礎研究についてはそういう傾向がございますので、それはいわば国民全体の支援、支持というものがなければ進めてはいけないという面を強く持っているということが、これは明瞭なわけであります。 しかしながら、かといって、非専門家がああせい、こうせいというようなことを言うことは、これは本質的にできないわけです。そうではなくて、例えば物理学というものの結果が現在人類が迎えておりますエネルギー問題あるいは環境問題に役に立ってほしいと願う、そういう願いというものが科学者に届かなきゃいけないと思うんですね。願いが届いた中で、その願いの範囲内で今度は科学者が自由に研究をする。これはやはり一種の自治なんですが、それは国民から負託された自治、私はこう思っているわけで、自治には二つあり、固有の自治と負託された自治がある。こういう意識を科学者も持たなければいけませんし、一般の人々も、科学者というのはそういう意識を持っているんだという前提に立って科学者とつき合うというような状況が必要になってくるかと思います。 このことは、現実的には一つ、私は非常に感謝しているんですけれども、二年前に、政治的な御決断によりまして、マルチファンディングと呼ばれておりますけれども、各省庁が基礎研究の費用を持つようになったという事実がございます。 これは、科学者が研究費を手にいたしまして、科学者が自分たちだけで議論し、何が一番大事なのかという科学技術の方針を決めて、何にその資金を投入するかというようなやり方だけではなくて、各省庁がそれぞれの行政目的に従って、大枠としての基礎研究に対する期待というものを乗せた、いわゆる期待感の乗った研究費というものを研究者に届かせる。そうすると、研究者は、いわば国民の声というものが研究費に乗っているものとして理解する。そして研究者は、もちろん自分の専門で自由に研究するんですけれども、その大枠としての期待感というものを非常に尊重しながら研究する。 こういうことが、先ほど申し上げたマルチファンディング、各省庁からの研究費によってできるようになったということは、いわば人々と科学者の距離というものが非常に近づいたということで、これは非常にいい例でありまして、現在の問題というのは、科学者と国民の距離というものをいかに縮めていくのかということが非常に重要なことなんですけれども、それは、ただ声を大にしてもだめで、そういった制度の中にいろいろな工夫をしていくことで可能になろうかと思うわけであります。 さて、残りの時間を使いまして、あと数分で、動燃の問題について触れなければならないんですが。 動燃の問題というのは、ごく簡単にいいますと、エネルギー問題ということですね。そして、恐らく動燃が発足したころは、これは当時の記録を見ますとわかるんですけれども、我が国が一流国家になるためには、巨大技術というものを自主技術、すなわち導入技術ではなくて自分自身で、我が国自身で開発した技術によって、大きなプロジェクトを世界的に示し得るような誇れる技術をつくりたい、そういう意気込みと計画によってスタートしたものであったわけです。これは大変多くの国民の支持も得たと思いますし、科学者、技術者自身も非常に大きな意欲に燃えてスタートした、こういう歴史を持っているわけであります。 ところが、これは、いわば自主技術であるということからいいまして、ある意味では、世界的な状況というものからできるだけ独立に進歩させなければならない。もちろん、単純な民生技術のように、どんどん導入してやったという技術も一方で日本にはあったんですけれども、それとは別に、自分自身の技術を開発したいという大変貴重なところだったわけですから、それは支持を得ていたのですけれども、そこにどうしても閉じた世界をつくってしまったということになります。 一方、こういったエネルギー技術というのは、いわゆる核分裂を起こすという、決してそこだけではありませんで、信頼性をどういうふうに高めるのか、あるいはシステムの状態をどう測定するのか、あるいは人間がどういうふうに配置されれば一番安全に運転されるのかといったような技術が、実は世界じゅうで非常に急速に進んでいたのですね、経済の進歩とともに。しかし、そういった諸外国あるいは日本の中の諸産業において急速に進歩していた技術というものを、むしろ聞かない。これは、自主技術という一つの夢という中で、そういうことをする態度が基本的に少なかったのではないかと思われます。そういう中で、非常に閉じた世界で動燃技術というものが開発された。 これは、まことにけなげというか、立派なことであったわけなんですが、しかし、今我々気がつくように、アウトソーシングとか、あるいは経済や技術のグローバル化とか、そういう言葉に代表されるものとは、ある意味で全く逆行していたということが指摘されなければならないということになり、不幸なことに、そういった閉じた世界で競争力のない技術というものをつくってしまった、こういう状況が一つあったのだと思います。 その結果、非常に大きな目標を初期に掲げたために、その初期の目的というのを例えば常時変更するという、これが本当の経営、例えば外部に、外の世界にすばらしい技術が出ればそれは幾らでも導入していく、あるいは実用化できればそれをすぐ外の企業に売っていく。開発研究と言えばいいのでしょうか、その開発研究というのは、そういった外との接点、新しい基礎的な技術はどんどん吸収し、でき上がった技術はどんどん外へ売っていく、こういう動的、ダイナミックな経営というものが必要だったわけですが、先ほど申し上げましたように、自主技術を自分でつくるのだという一つの大きな思いのために、そのことがうまくできなかった。それがいわば経営の不在ということを招いて、いわば経営は、初期に決めた一つの長期計画、これをしっかり守っていくことだけだということで、これは文章だったのですね。 したがって、だれが責任をとるのかもわからない、文章が責任をとる、こういうことですから、次第次第に、だれの責任かということについてもややあいまいな状況が出てくるのを避けられなかったというようなことで、結果的には大変悪口を言われるような、ひどい状況だ、こう言われるのですけれども、そのプロセスを見ると、まさに初期に立てられた初心というものをむしろ、初心に返れということをよく人々は言うのですが、私は初心に返ってはいけないと動燃に関しては言っているわけで、初心をいかにして忘れるかというのが大きな課題だったということになるのですけれども、そこのところがやはりうまくいかなかった。 そういうことで、この動燃改革というのは、基本的に、そういった一つの固定した考えというのをいかに払拭し、そこに新しい経営というものを導入するかということに尽きる、こういう結論を下しておりまして、この検討委員会の結果を得て、現在は新法人作業部会というものが動燃改革検討委員会の結論を具体的なものに進展させるという努力を続けておりまして、近々結果が出るというふうに伺っておりますので、私としてはそれを期待しているということでございます。 以上、簡単でございますけれども、御報告といたします。(拍手)
○小池委員長 どうもありがとうございました。 以上で吉川参考人の意見の開陳は終わりました。 ―――――――――――――
○小池委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小野晋也さん。
○小野委員 今、吉川先生のお話をお伺いさせていただきながら、もう四半世紀も昔になりますが、大講義室の中で先生のお声をお伺いした日のこと、青春の一こまを思い出して、永田町にいて久々にアカデミックな雰囲気に浸らせていただいた気がいたします。 先生には、日本学術会議の会長、また動燃改革委員会の座長等、日本の科学技術の振興の上に本当に多大の御貢献をいただきます上に、また海外においても大変な御活躍をなさっておられて、日本の見識を世界に広めていただくというような大変御多忙の中を当委員会までお足を運んでいただいたこと、質問者の一人としまして、まず心より御礼申し上げたいと存じます。 質問でございますけれども、先生からちょうだいいたしました学術会議第十七期活動計画に際しての所感という、このいただいた資料を拝見をさせていただきました。この全編を通じて先生が訴えておられるものは、今のお話の中にもございましたけれども、学術は時代とともに進化せねばならないという、その主張であるように私は感じました。 その進化の中において、先ほどのお話にもございましたけれども、一番大きな要因は、人類の危機というものをいかに乗り越えるかという、その思いが学術の進化の一番の基本的な力になるのだという御指摘でございましたが、この点に関して、この人類の危機というものを我々はどう把握し得るのだろう、どういう形でその危機的問題というものを把握をしながら、この学術の進化という問題に取り組んでいけるのだろうというようなところに少し疑問を抱いた次第でございます。この点、どういうふうにお考えになっておられるのかというのが第一点でございます。 それから、先生の御理解の中において、これから二十一世紀に向けて人類がこの学術の進化という問題に取り組んでいきますときに、どういう基本的な方向を目指して学術の進化という問題を、我々も考えながら取り組んでいけばいいのか、この点についての御示唆をいただければ幸いでございます。
○吉川参考人 非常に基本的な御質問かと思うのですが、学問を引っ張っていくには、御指摘のように人類の危機ということなんですけれども、やや現実的に考えると、その危機をいかに発見して、それを学問というか研究していくかという側面と、もう一つ、科学者が自由に発想して研究するという、そういうのがあるのですね。しかし、そのことをよく人々は対立するものとしてとらえまして、ニーズオリエントの研究か、シーズオリエントの研究か、こういうようなことを言って、どっちを重点化するかというような議論があるのですが、実はその両方は車の両輪で、両方要るのだということですね。 科学者が自由に研究するというのは、どちらかといえば、学問の分野がある程度できできますと、そこに入ってきた人というのは世の中のことなんか知らないでもどんどん研究できる、こういう性質を持っています。ですから、その人たちには大いに研究してもらう。これは、いわば世の中と関係なくても、研究室の中で研究する研究。 しかし一方で、常時現在の問題にかかわるような新しい学問領域というものをつくり出していかなければならない。ここが非常に難しいのですが、実は、日本はそういった経験が余りないのですね、学問分野をつくったというのは。物理学も化学も、あるいは経済学も法律学もみんな外国製。そういう学問分野というのは外国製で、その学問分野の中でいろいろな新しい知見を、論文を出したという実績は日本はあるのですが、分野をつくったことがないということですから、これは私どもは社会的になれていないのですけれども、それをどうやってやるかということ。 私は、それはごく簡単に言えば、いわゆる専門家と非専門家が共同体のようなものをつくって議論するということになると思うのですね。ですから、最初は専門家だけには任せない。例えば、ユーザーとメーカーが一緒になるというような場合もありましょうし、いろいろな種類の人間が入ってきて議論をするようなフォーラムというようなものが常時あるということが必要かと思います。諸外国の大学には大体そういうものがあるのですね。専門の違う人が集まったり、非専門家、いわゆる大学人ではない人が集まってきて議論をするというようなフォーラムが常時たくさんあります。そういう、いわば不定型な組織の中からいろいろなアイデアが生まれてくる。そういうインセンティブのためにも、実は研究費を投入していくという、そういう政策が必要になるのだろうと思っております。
○小野委員 それから先生、具体的にこれからの方向、テーマとしてどういうテーマを追いかけていったらいいかという問題でございますが。先ほどの質問のちょっと残った部分ですので。
○吉川参考人 それは、私は一言で言うと環境問題だと思います。 環境問題というのが実はあらゆる分野に影響を与えているということで、この環境という意識を抜きにしては何も議論できないということですね。環境というのは、例えばいろいろなものが、ちょっとかたい言葉で言うと、学問というのは、ある素材があってそれがどういう結果になるか、ある問題があってそれを一つの法律にするというような、そういう変換系として考えているのですが、法律をつくった結果、何が世の中に起こるかというその戻りですね、そういう循環系として論理をつくり直すという仕事があらゆる分野にあるのですね。産業でいえば、素材を持ってきてそれを自動車に変える、自動車を捨てる場所を考えてなかったのですが、今度は自動車を戻す。同じことが法律学にも、つまり循環系というコンセプトをつくるということで、これは恐らく簡単にいえば環境問題だと思っております。
○小野委員 非常に示唆に富む御指摘をちょうだいいたしまして、先ほどのプレゼンテーションの中でも、領域を超えて語り合う言葉のないことがそれぞれの専門分化を推進して相互の交流を阻んでいるという御指摘があったわけでございますが、今の先生の御指摘によりますと、我々政治の立場にいる人間も科学の分野にもう少しアクセスをしなければいけないし、また逆に科学技術の方におられる皆さん方も、政治の世界もこれからの大きな一つの循環系をなしていく上に、交流を図っていかねばならないという部分の御示唆をいただいたのだろうと思います。先生がその先端を走っておられるわけでございますから、ぜひともこの分野の啓発的な活動につきましても学術会議を通してお願いを申し上げたいと存じます。 それから、第二点目の質問に移らせていただきますけれども、具体的な問題といたしまして、現在行政改革会議の中でこの科学技術の今後の行政面からの扱いについての議論が進行しておりまして、ほぼこれがまとまってきている段階になってきているわけであります。 答申中において総合科学技術会議というものの新たなる設置が盛り込まれるということを私どもは聞いているわけでございますが、この分野について、形だけは打ち出されるわけでございますが、必ずしも具体的な意味での権限、機能等については十分な結論を得ている段階ではないと理解をいたしております。この部分がこれからの日本の科学技術推進の上に極めて大きな意味を持つと考える一人でございますけれども、吉川先生におかれましては、この総合科学技術会議にどのような機能そして機能、こういったものを与え、どのような組織形態をとれば最も機能的に日本の科学技術を推進することができるかということについてのお考えをお聞かせいただければと思います。
○吉川参考人 総合科学技術会議が現在の科学技術会議より、さらに文科系も含む、社会科学も含んで拡大するということは大変歓迎すべきことだと思っております。 しかし、これは私のささやかな経験なのですが、こういった会議というものが、先ほどの人類の危機も含めまして、現実に現在の我が国に起こっている諸問題、あるいは現在の研究者たちが、日本の研究者がどういう能力を持っているかというような現実の問題、あるいは現場の問題、そういったものをどのように吸収できるかということについては、私はこの会議がどういう能力を持っているかということは全くまだ理解できないでおります。したがって、私は、今後御議論をいただけるというふうに伺っておりますけれども、そういった現実の科学者の声をいかに吸収していくのか、あるいは逆に言えば現実の科学者をどうやって利用していくのかということについての方法をぜひここで考えていただきたい。 日本学術会議というのはボトムアップの方でありますから、六十七万人の科学者というのを全体としても把握しているわけなんですが、例えば日本学術会議とこの総合科学技術会議が有機的な関係をどう持てるのかというのが一つのポイントかなと私は現在考えております。
○小野委員 続きまして、知的財産権問題についてお尋ねを申し上げたいと思います。 研究現場において、これまで研究者になかなか日本の国のシステムというのはインセンティブが働きにくい仕組みというのがあったような気持ちがいたします。それは、みずからがいろいろな技術開発を行う、また研究成果を出すということに対して、見返りを受ける場が極めて限られていたというようなことが、新たな問題への挑戦意欲という点について、諸外国の研究者に比べると劣っていた点があったという認識でございます。 その点について、ここしばらく科学技術基本法の議論等の中を通しまして、やはり日本の研究者にも十分な研究インセンティブを与えるべきではないかということで、特許や実用新案等の権利の問題について、研究者自身にもその分け前と申しますか十分な見返りの報酬を与える仕組みをつくろうではないかということで、我々も随分議論をして、ある一定の結果を出しているわけでございますが、この点、研究現場の方で多くの研究者の皆さん方と接触される吉川参考人のお立場からごらんになられて、現状の対応で十分だとお考えになっておられるのか、また改善すべき点があるとすれば、どういう点についてこれから配慮していかねばならないのか、この点についての御教示をいただければ幸いでございます。
○吉川参考人 率直に申し上げて、制度的にはいろいろな工夫をしていただいてかなり進んできたのですがへ現実に知的財産権あるいは特許というものを大学、研究所の者がとれるかという段になると、非常に不十分だと私は思っております。 それは、例えば各大学を見ますと、これは国立大学は特に、私立大学もほとんどそうなのですが、例えば特許をとるための取り扱いをしてくれる部署というのはほとんどないわけですね。ですから、みずから研究者がいろいろなことをしなければならないということなのですが、実は特許をとることによって利益が上がるというようなことのできている諸外国ではその部署が非常に大きくて、ある意味では、常に大学の中を回って特許がとれるかどうかを調査して、とれそうになったらそこと相談をして、すぐに、むしろ積極的に特許をとるようにしむける、こういったような集団がいないのですね。いないという以前に、そういうことのできる人が日本には少ないということですから、やや時間がかかることですけれども、大学なり研究所の組織の中にはそういった積極的な人がいられるような部署をつくり、その上でそういう人を育てるというような、そういう大きな計画が必要かと思っております。
○小野委員 次に、研究者の支援についてお尋ねを申し上げたいと思うのです。 よく儒学の世界で議論されますことに、朱子学派それから陽明学派、この両者の対立と申しますか考え方の違いということが日本の国においても歴史の中において時折見られたわけでございます。そのあたりが、今の日本の国の研究者の意識の問題をめぐっても同様の課題があるような気持ちがしているわけでございます。 朱子学派というと、どちらかというと客観的な真実が周りに存在をして、その真実に対して我が身を近づけていくことがみずからの心を高めることであるということを考えるのに対して、陽明学派の皆さん方は、外部にある真理ではなくて、みずからの心を高めていくことを通して語りかけてくるものがまさに真理であるということでございまして、外部に真理を認めるか、自分の心の中に真理を認めるかというようなあたりで随分この論争が続けられてきたというふうに、簡単に言うと、集約できるのではないかと思うわけであります。 私は、日本の研究者の置かれている心的な意味での環境と申しますのは、先ほど吉川先生が少し触れられたように、まず外部に枠組みありき、外部に学問体系というものが存在をして、その学問体系の中でみずからがどういう研究をするかということが非常に強く打ち出されてまいりましたから、その意味では朱子学派的な研究態度だったのではないかと思います。 ただし、これは外部が非常に安定的に推移しているときには有効な方法でありますが、激動するような環境のもとにおいてはこういうものはなかなか効果を発揮し得ない。だから、変動期になると陽明学派が力をつけて革命を引き起こすというようなことが、中国の歴史の中でも、日本の歴史の中でも明治維新期等にはあったわけであります。 今の日本の置かれている科学技術環境を考えますと、非常に大きくいろいろな技術が動いてきている、また科学的知見についても新しいものを発見していかねばならないというようなことになってきますと、陽明学派的な発想というようなものをこれから取り入れていかねばならないのではないだろうか、そんな学問的スタンスというものが日本の学界の中にも確立されていかねばならないのではなかろうか、こんな気持ちがしているわけでございます。非常に抽象的なお尋ねで申しわけないのですが、そのようなところに対してのお考えをお聞かせいただければと思います。 そしてあわせて、このスタンスの変更のためには、日本の科学技術の社会においては一体何が大事な問題なのかという点についての御示唆もいただければ幸いでございます。
○吉川参考人 大変鋭い分析をしていただいたと思います。現実にそのとおりで、私も今の小野先生のお話に非常に共感しております。 それで、私は個人的には、真実は外に存在しているのではなく内に存在している、そういう立場に立つ人間でございまして、よく、真理の探究のために自由に研究していいのだというような表現は実は何も表現していない、それはうそだ、こう言っているわけで、真理の探究なんという言葉は使わない方がいい、真理というのはやはり自分でつくるものだ、こう思っております。しかし、やはり多くの基礎研究者というのは真理の探究というような言葉の、ある意味では、美辞麗句と言ってはいけないのですが、そういう言葉の陰に隠れて、みずからの責任を棚上げにしているようなところがあるのではないかと思って、これは非常におかしい。 それをどういうふうに解決するかということなんですが、先生御指摘のように、それは確かに、世の中が激動になれば自然と新しい人が出てくるということもありますけれども、我が国の非常に大きな特徴というか、私が心配していることが一つあります。それは、外にある真理は安心してみんな認めるのですが、だれかが非常に一貫した思想を持って登場すると、その人をむしろ拒否する、そういうのがあるのですね。個人がそのように一貫した哲学を持つのは、哲学というかシナリオというか、あるいは政策でもいいんですが、そういったものを持つのは何か怖いという。 これは何かというと、多分、第二次世界大戦の社会的な後遺症、すなわち、あそこである意味では非常に不幸な一つのセオリーが出てきて、それの被害者に国民がなったわけですが、それが社会的に記憶されているために、そのように、ある意味では明快でわかりやすく説得力がある、一貫性のある思想を持った人間に対して、何か、その思想のよしあしにかかわりなく、一貫性があるということに恐怖する、そういう社会的な風潮があるような気がして、私はそれをどうやってなくすか、それが大事だと思うのですね。 ですから、これは私は政治の世界でも同じだと思うのですが、やはり、どなたかの思想というのが一つ強く出てきて、それをみんなサポートしょうというような動きがこれからは出てこなければいけない。そのためにはもちろん条件があって、その思想がいいか悪いかという判断をみんなができなければいけないということなのですね。私はそれが次第にできるようになってきたと思いますので、そういう恐怖心というものを同時に取り除いていく努力が必要なのかと思うのです。そういった、我々がいわば社会的トラウマというようなものを持っているとすれば、それをいかに排除するかということの計画が必要なのだと思うのです。
○小野委員 質問項目は以上で終わりでございますが、少しばかり時間がございますので、二点、吉川先生に、まあ御提言なんて言うとこれは失礼でございますが、私の思っておりますことを披瀝させていただきたいと思います。 一点は、先生が御専門になってこられたロボットの領域の問題でございますが、三年余り、ロボリンピックを日本の国で開催しようということを提言して、科技庁と懇話会も設定をさせていただいての検討作業を今やらさせていただいているわけですが、もうすぐこれが答申が出てまいります。 若者の科学技術離れを防ぐためには、若者がもっと技術に近寄らねばなければならない、みずからが物をつくらねばならない、そしてつくった物をもって皆さんから評価をされねばならない。こういうふうな場としてこのロボリンピツク、ロボットのオリンピック、世界じゅうの人たちが集まる場ですね。これは極めて大事な問題ではないかと思っておりますので、また御相談をさせていただきたいと存じます。 それからもう一点は、先ほど環境問題の御指摘がございましたが、これは基本的にかなり大きな理念的な枠組みを構築しなければいけない問題だろうと考えておりまして、今提案を申し上げておりますのは、インフォ・エナジー社会という考え方でございます。 つまり、人類は古い時代から、エネルギーの使用量の増加に伴って文明が進んでくるというような考え方が根底にあったと思いますが、むしろ、エネルギーの使用量は低減させていきながらも成長過程を人間がこれからも歩み続けるという意味では、エネルギーの物差しをインフォメーション・プラス・エナジーという物差しに切りかえて、エネルギー使用量は減るけれども、インフォメーションを加味すれば、人類はさらなる成長過程を歩んでいくのだ、こういう考え方が大事なのではなかろうかということを提唱させていただいているわけでございます。 時間がございませんので、詳細はもう省かせていただきますが、こういうことを考えながら、先ほど、境界領域を超えて言葉が通じないということがございましたが、私ども政治の立場も、科学技術の分野に少しでも近づこうと努力をいたしておりますので、また学術会議の方でも、政治にもっとお近づきいただきますことをお願いをさせていただきまして、質問を閉じさせていただきたいと思います。 どうもありがとうございました。
○小池委員長 渡辺具能さん。
○渡辺(具)委員 自民党の渡辺具能でございます。 本日は、吉川先生には、貴重なお時間をお割きいただきましておいでをいただきまして、貴重なそして大変興味のあるお話を伺いまして、まことにありがとうございました。 そこで、質問でございますけれども、動燃の事故に関連しまして、技術開発の考え方というか、あり方というか、その辺についてお伺いしたいというふうに思います。 このたびの動燃の東海事業所の事故については、動燃においては弁解の余地はないということはもちろんでありますし、このことを通して国民の信頼を失ったということは大変残念に思うわけでございます。 そして、この事故に対しまして、先生が座長になられまして、動燃改革検討委員会で非常に慎重かつ細心な御検討をいただきまして、具体的な提案をいただいたということに対しては、改めて感謝を申し上げ、そしてそのことにつきましての質問は、このレポートを私もよく読ませていただきたいというふうに思うわけでございますが、ただ、今度のこの事故に関連して、いま一つの深刻な問題が、技術開発のあり方というか、大げさに言うと技術開発に対する社会のパラダイムというか、その辺の欠陥を私は思うわけでございます。 このたび事故が起こりまして、一部の識者あるいはマスコミが、このたびの事故に対して、動燃を初めとする体制について非常に激しく非難をした。また、そういう意見が出てくることをきっかけにして、みんながそれに加えて非難の大合唱になったということであります。そして、そういうことによって、非難の大合唱になったということにおいて、技術的にはそれほどの知識もない一般の国民、あるいは一部の政治家ということも言えるかもしれませんが、そういう人々が、動燃の持っている、動燃に含まれておる技術全体の体系といいますか、そういうものに対して大きな疑問を持ってしまったというか、その技術の体系すらも否定してしまっているように私は見えるわけでございます。 本来は、このたびの事故というのは、先生も御指摘になったように、経営の不在という大変基本的な問題を含んでいるということはよくわかるわけでございますが、やはり冷静に技術的な判断も加える必要があるのではないか。原子力技術あるいは核燃料サイクル技術等々の技術については、いろいろな要素の技術があって、それが組織的につながって一つの技術体系というものをなしたと思うのですけれども、事故に対するややヒステリックな非難から、技術そのものも否定してしまうかのごとき世評が生まれたのではないかという気がするわけでございます。そういうことが、動燃の中におられる技術屋さんの意欲といいますか、そういうものをディスカレッジしているのではないか。あるいはもっと広げて、技術開発に対する社会のパラダイムとして、そういうものはかなり技術の開発をとめることになりはしないかということを私は心配するわけであります。 技術開発というのは、この先生の報告書にも書いてありますけれども、いろいろな精神構造が必要だということが書いてあるわけでございまして、そういう意味では、今回の事故に関して私が思うことは、日本のそういう精神構造においては非常に単能的といいますか、複数の精神構造が存在していないことに対して私は大変危惧をするわけでございますけれども、その辺について吉川先生の御見解を承れればと思います。
○吉川参考人 今御指摘の、技術開発に関する社会のパラダイムがないんじゃないかというのは、私もこの動燃問題を考えながら常に考えておりました。 それはどういうことなのかというと、動燃の場合には、実用的なそういった発電システム、エネルギーシステムというものをつくろうとしていたわけですが、しかし、一方では非常に基礎的な、物理学等の中にあるようなところからスタートするわけですね。したがって、こういう非常に大きな技術開発ということになりますと、一つの組織が、非常に基礎的なものから実用の直前というか実用そのものまで扱う。その間にいろいろな変化があるわけなんですね。 よく考えてみるとすぐわかりますけれども、基礎研究というのはある意味では非常に荒っぽいもので、何やらわけわからないような物質を扱っているというようなことがありますから、現在ももちろん、バイオなんかではよく言われるわけですが、危険もあるわけなんですね。もちろんその危険が実験室の外へ流れ出してはいけないけれども、実験者自身はある意味では非常に勇敢にやっているという面がございます。そういった精神というのは、いわば危険をも顧みずチャレンジしていく、こういうような基礎研究であり、それがなければ開拓はできないんだ、こう思いますね。ところが一方、社会に出ている現実のシステムというのは、一万年に一回も事故が起きてはいけない、こういう非常にかたいシステムになっています。 そういった、いつ事故が起きるかわからないけれども新しいことを知りたいというようなところから、全く事故が起きてはいけないという実用システムまでの変化を実は動燃は全部受け持っていたという、非常にそういう難しさは持っているのですね。 そこで、御指摘の、一体それはどういうふうに変化していくのか。全くチャレンジングなところから事故ゼロのところまでどういうプログラムで持っていくのかという、本当は一種の教科書のようなパラダイムというものが必要なんでしょうけれども、それが未完成だったんだと思うんですね。それをよく理解しないまま、例えば、本来ならばこの問題は本当に信頼性を高めるということに集中しなければいけないのにそこで何かチャレンジングな実験をしてしまったとか、動燃という中にいろいろなセクションがあるのにそれが入り乱れているようなところがあって、そこが上手に経営マネージされていなかった。 したがって、私は経営不在ということを申し上げたのですが、ただ経営があればいいということではなくて、その経営というのは、そういった技術開発の本質というものを十分に踏まえた、理解した人が経営に当たらなければいけないということだと思うのですね。したがって、それは、残念ながらこれもまた我が国ではそういう経験が非常に少ないんですけれども、宇宙であるとかバイオであるとかエネルギーというようなことで、どんどんそういう知識を蓄積しているわけですから、そういったものを逃さず、やはり十分使いながらうまくやっていかなければいけない。 したがいまして、ごく簡単なことを言えば、事故というのは非常に大きな情報を持っているのですね。事故を調べることによって、その技術の性質が非常によくわかります。ですから、隠すなんというのはとんでもないので、むしろ、事故というのはどんどん出していくことによって技術が進歩する。それも一種の考え方でございますね。 そういったことが実は動燃の中にはなかったというようなことが非常に残念なことなんですが、そういったことについての、一つ一つ、小さなことに至るまで、基本的な方法というのはあるはずで、そういったものをきちっと整理した形で経営に当たる、そういう経営者がいなければいけないんだろうと私は思っておりまして、今御指摘のように、もしそういうことがなければ技術開発に非常に大きなダメージを与えます。 したがって、私は、動燃の扱っている技術そのものは、今度のような事件でも、決して技術体系そのものが悪いということにはならなかったんだと思うので、むしろ、そういう技術体系を現実のものにするためのマネージに欠点があったんですね。したがって、実は今回の動燃の事件というのは、技術体系がおかしいのではなくて、それはマネジメントが問題なんだということを十分に理解することが技術者にさらに勇気を与える、しかも、その経営者の責任をさらに強く与えていく、そういう現実的な方法がとられるべきかと考えております。
○渡辺(具)委員 ありがとうございます。 技術体系そのものには問題はなかった、問題はなかったというか、非常に高いものがあったということのお話がありまして、私も大変安心といいますか、勇気づけられるわけであります。 技術開発というのは、先生もここにお書きになっておりますように、リスクのない技術開発というのはないわけでございます。かつて、古い例を持ち出すわけではありませんけれども、ジェンナーだって華岡青洲だって、あるいはダイナマイトだってキュリー夫人だって、最初から犠牲を想定していたわけではないけれども、事故がないという前提のもとに進めて、結果としてそういうリスクがあったわけであります。 私は、先ほども申し上げましたけれども、技術開発を進めていくパラダイムづくりというか、日本にそういうものが必要ではないかというふうに思うわけです。一たん事故があると、それに対して非難が集中して技術開発の意欲をすべてなくしてしまう、そういうような単能的というか、先生のお言葉をおかりすれば複数の精神構造を持っていない、そういう仕組みを変えていかないと日本の科学技術というのは発展しないのではないか。 特に、このたび科学技術庁と文部省、一緒になるわけでございますけれども、教育の問題と科学の問題というのは似ているようで実は違うわけでございまして、科学技術の世界というのは、余り言葉は適当でないかもしれませんが、天才をつくる分野だ。ところが、教育というのは底上げをするような面があって、それに比べれば科学技術の世界というのは極めて非民主的というか、そういうような側面を持っているわけでございまして、そういうものを受け入れる社会のパラダイムというか、日本の科学技術に対する考え方というか、科学技術庁も含めて、いろいろ非難はありましょうけれども、そういう複数の精神構造を持つ必要があるのではないかということを強く思うわけでございます。少し前とダブりがあるかもしれませんが、先生の御見解を聞けたらと思います。
○吉川参考人 幾つかの点の御指摘あったような気がいたしますが、やはり私は、科学技術というのは、近代以降現代に至るまで、人類に非常に大きな可能性を与えたと同時に、社会に夢を与えたという面がありますので、それが非民主的かどうかはともかくとして、ピークというのを求めているという意味では、夢は全員で持ちますけれども、やっている人はある意味では非常に独自の行動をしているというような面も許されていると思いますので、体制としては、確かに教育体制というのと科学技術開発体制というのは非常に違うと思いますね。 ただ、私は、教育というのは底上げという御指摘がございましたが、そのとおりなんですけれども、もう少し別の言い方をすると、教育というのは現代の人類が持っている知識を次世代に伝承していくという行為でございますが、その伝承する知識の非常に多くは科学技術に関係しているという意味では、やはり非常に強く関係しているところもあると思います。ただ、御指摘のように、教育の基本的態度と科学技術に携わる基本的態度は非常に違うということは意識しておかなければいけませんが、現実的には、そこは重なっている部分は非常にあると思いますね。 ですから、問題は並行的に起こってきて、科学技術が爆発的に進歩いたしますと伝承しなければならない知識の量が爆発するわけで、要するに教育がパンクしてしまうわけですね。これをどうすればよいか。それは、ですから、明らかに連動しているので、科学研究に投入した費用とある意味では同じ費用、もちろん、同じ費用というのは絶対額がという意味ではないです、同じ程度の増加率のようなものを教育に投入いたしませんと、現代の人間はたくさん知識を持っているけれども次世代がやせてしまうということが起こりますので、そこでは科学技術の政策と教育政策というのは強く連動していくということは必要だと思っております。
○渡辺(具)委員 ありがとうございます。 少し話題を変えて、先ほどの先生のお話の中に技術の進歩の過程のお話がありまして、その中で、これは先生の書いてある中にあったかもしれませんが、技術の領域化という問題に触れてございました。そして、それが外的な、外から飛来するものに対して学問が発達してきたことに対して、今日的には、学問の中のサイクルといいますか、そういうものの中からいろいろな問題が出てきたということでありますが、私は、別の言葉で言えば、それは恐らく専門化と総合化というような言葉でも置きかえられるのではないかというふうに思うわけです。 専門化と総合化というのは、直観的には何だか反対のベクトルのような気がするわけでありますが、しかし、この二つのベクトルは、おのおのが深まっていくことによって合成のベクトルというか、そういうものもやはり大きくなっていくのではないかというような気がするわけであります。その辺について吉川先生の御示唆があればお伺いしたいと思います。 それともう一つ、先生のお話の中に、それと関係するんだろうと思うのですが、学問の自治という問題がありまして、先生、自治について二つの言葉を言っておられて、固有の自治と負託の自治ということを言っておられるわけであります。恐らく、負託の自治というのは、総合化の過程などではどんどん起こり得る問題ではないかというふうに思うわけでございますが、そういうふうな理解でよろしいのでしょうか。その専門化と総合化というあたりについて、ひとつ先生の御示唆をいただければと思います。
○吉川参考人 大変的確な御説明をいただいたと思っております。 専門化と総合化、学問のいわゆる領域化と構造化ということは、別の言葉で言えば、確かに専門化と総合化というふうになると思いますし、専門化というのは、学問を研究する人間が狭い専門にますます入っていくことによって研究速度を上げようという、こういう関係がありますね。一方で、それを現実問題に適用しようとするときは、狭い専門だけではどうしようもないということで、複数の専門を使わなければならないということで総合化が起こる。そういった意味では、現実問題に対処しようとするときには必ず総合化が起こる、こういう関係が学問にはございます。 したがって、私が申し上げているのは、学問というのは社会から離れてはいけない、社会にいつも向き合っていなければならないというのは、そういう意味で申し上げているわけで、専門化というのは学問を駆動する独自の力だけれども、それだけやっていると学問はばらばらになってしまって、むしろ弊害をつくり出すわけですね。したがって、常に世の中との接点をつくることを通じて、自分の領域がいかに狭いかということを研究する者が認識しているような構造を社会的につくっていくということが必要で、先生の御指摘に大賛成です。
○渡辺(具)委員 大変ありがとうございました。 時間がなくなりましたので、最後に、先ほどの動燃の事故に戻りまして、先生から技術体系そのものには問題がなかったというお話を聞いて大変力強く思いますし、そのことを基礎にして、改革すべきところは改革して、原子力の技術の開発に取り組んでいただきたいというふうに私は思うわけでございます。 つい先日ですか、原子力委員会高速増殖炉懇談会の審議結果を受けて、その報告書の取りまとめが出されておりまして、その中に、高速増殖炉の実用化の可能性を追求するために研究開発を進めることが妥当だということのようでございますが、今回のごれまでの事故も踏まえ、それの改革に対する意欲も含めて、原子力技術開発に対する取り組みの決意みたいなものをぜひ大臣にお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。大臣、よろしくお願いいたします。
○谷垣国務大臣 先ほど吉川先生から、技術開発自体の問題よりもマネジメントの問題だという御指摘がございました。 今さら申し上げるまでもなく、原子力エネルギーは供給の安定性が高いわけですし、発電の過程で二酸化炭素を出さない。既に我が国の電力の中で三割以上を原子力に頼っているという現実がございます。それから、有限なウラン資源というものを有効利用しなければなりませんし、放射性廃棄物による環境への負荷の低減ということも考えていかなければならない。こういう観点から申しますと、核燃料サイクルを確立していくというのは、私は、我が国に課せられた非常に大きな課題ではないかと思っているわけであります。 そのためには、今御指摘になりましたように、高速増殖炉懇談会でいろいろ御議論をいただいたわけですが、昨日その提言を原子力委員会に御報告いただきました。ですから、高速増殖炉のこれからの研究開発、それから、大事なのは高レベル放射性廃棄物の処理処分などの技術開発ですね。こういうものに長期的、精力的に取り組んでいく必要があると思っております。 ただ、これをやっていきます場合には、先ほど吉川先生がおっしゃったようなマネジメントの面で抜本的な改革を図らなければならない、こういうことで、やはり国民の不安感、不信感というものを解消していく必要が非常にございます。そのために、抜本的な動燃の改革を図る、あるいは原子力行政の透明化を図る、こういうマネジメント面での改善を徹底的にやっていかなければならないと思っております。 しかし、そういうことの背景にありますのは、私は、核燃料サイクルの研究開発というのは、将来に向かっての人間のエネルギーオプション、新しいエネルギーオプションに我々は取り組んでいるのだという気概といいますか、そういう志みたいなものをなくしてしまってはいけないのではないか。国民の、あるいは地元の方々にあります不安とか不信というものを十分意識しながら進んでいくとしても、その一番根本にある、根源にあるものは、やはり我々きちっと見据えていかなければならないのではないか、こういうふうに思っております。
○渡辺(具)委員 ありがとうございました。
○小池委員長 井上義久さん。
○井上(義)委員 新進党の井上義久でございます。 吉川先生におかれましては、大変貴重な時間を割いて当委員会に御出席を賜りまして、また貴重な御意見を賜りまして、感謝申し上げております。また、動燃改革委員会の座長として、短時日のうちに動燃改革の基本的な方向をおまとめいただいたことにつきましても、御労苦に心から敬意を表する次第でございます。 私の方から、まず、先ほどのお話を踏まえまして、一つは科学技術振興の基本的なことについてお伺いしたいと思います。 昨年七月に科学技術基本計画ができまして、今後五年間で総額十七兆円の科学技術関係予算を計上して、研究開発投資を対GNP比一%に引き上げる、こういう計画が決定をして、科学技術にとっては極めて追い風になったわけでございます。一方、国は平成九年度末で四百七十六兆円もの長期債務を抱えまして、財政構造改革、聖域なき歳出削減ということが叫ばれておるわけでございます。 こういう相反する背景の中で、科学技術振興というものについて、どの分野に、どれだけの予算を、どの期間投資するのか。特に、科学技術は確たる経済的効果が見通せないものであるだけに、そういう厳しい戦略的判断というものがますます重要になってくるのではないか。また、その戦略決定についても、だれが、またどういう機関が、どういうシステムで、どういう戦略的判断に基づいてやるのかということが今後ますます問われてくるのではないか、こんなふうに思うわけでございます。 今、科学技術の総合的推進ということで科学技術会議があり、これからやがて総合科学技術会議ということで拡大されるということになっているわけでありますけれども、吉川先生は、今ある科学技術会議の議員でもございますし、また政策委員会の委員ということで、重要なお立場にあるわけでございます。 科学技術会議の議論というものが、本当にそういう戦略を立てるにふさわしい組織体であるのか、どうも何か、総合的推進というよりは総合調整のような機能しか果たしていないのではないか。また、科学技術に日本の国が、どの分野に、どれだけの予算を使って、どういう期間投資をするのかというようなことについて、国民から見てもなかなか見えないというようなことがあるわけでございます。 そういう点で、科学技術会議の議員でもあり、また政策委員でもあるという先生のお立場、これまでの経験を踏まえて、こういう点について今後どうあるべきなのかということをもし御示唆いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
○吉川参考人 非常に大きな問題の御提起をいただいたというふうに思うのですけれども、ごく簡単に言って、やはり私どもは、国としての哲学、それは一つに限らないのですけれども、どこから見ても理解できるような、そういう一貫した考え方というのをつくって、それに基づいて個別の政策が決まっていく、そういうふうにしたいと思うんですね。 従来の我が国の決め方というのは、これはある意味ではやむを得なかったのかもしれないのですが、追いつき型ですので、諸外国をずっと調査してみると、この部分はこういうふうに進んでいる、それは日本はここがおくれているから大変だと。最近でもよくそういうことが行われるわけで、最近よく言われるのは、情報科学では非常に投資が我が国は少なくて、教育においても基礎研究においても非常に少ない。その結果、情報産業がおくれちゃったんだ、こういうシナリオができてくると、情報の基礎研究に金を注ごうと。そのデータを見ますと、アメリカの何分の一だとかヨーロッパの何分の一だ、これが出てくると、みんな、ああそうかそうかと、こういう賛同を得てしまう。この仕組みをやはり早く脱却しなきゃいかぬ。それはそれで一つの場合としてはあり得ますが、それだけでやってはいつまでも後追いということになりますので、世界じゅうでやっていないようなこともやはり日本は先んじてやるんだというようなことになってこなきゃいけないわけですね。 それで、そのために今の政策決定の仕組みがいいのかどうかというと、やはり不十分なような気がいたします。そのためには、先ほども申し上げたのですが、決して個人ではないのですけれども、やはり矛盾のない、脈絡のある一つの考え方というか哲学というものがつくられなきゃいけないのですね。 その哲学を、例えば経済的なことに関心を持つ人が見ると、それは実は新産業創出にとっては非常にいいシナリオになっている。それから、国際貢献という立場で見ると、それは例えばアジアの諸国に対して非常に貢献するようになっている。あるいは、教育のことを考えている人は、未来の人類にとってそれはどうなのかというと、そのシナリオを見ると、やはりそれは未来の人類にとってよくなっている。こういう、実は一つの政策、哲学というのはいろいろな方面から見られるわけですから、そういったあらゆる人々にとって説明可能な一つのシナリオ、哲学というものをやはりつくる母体がなきゃいけないと思うのですね。 そうすると、それをだれがやるか、これが非常に大事なんですが、私は、先ほども申し上げたように、やはり総合科学技術会議というものがそういう機能を果たさざるを得ない、そういうふうに期待感として生まれてくるわけなんです。恐らく、そこにはたくさんの専門家の知識が投入され、現在進行している研究の状況と、それから現在の社会が抱えている解決しなきゃならない問題のすべて、そういったものが全部集まってきて、それがそういう一つの哲学、シナリオとしてまとめられる、こういう会議じゃなきゃいけないと思うんです。 その会議がどういう会議なのかというのは、これはなかなか難しいことで、私は、やはり学術会議のような科学者の集団というものがいわば常時シンクタンクのようになって情報を提供していくという、そういうパイプを行政と学者の間につくることがぜひ必要かというふうに考えておりますので、総合科学技術会議と日本学術会議というものの関係をもう少し有機的にしていくとか、そういう方法がやはり考えられるべきだと思っております。
○井上(義)委員 先生今おっしゃられたこと、そのとおりだと思うわけでございまして、やはり日本の場合はどうしても会議体というのは追認をするような機能しか果たしてないというのが実態じゃないかと思いますし、今までも科学技術会議というのはどうもそういう機能しか果たしてこなかったんじゃないか。ということになりますと、そういう、いわゆるシンクタンク的な科学技術会議、先生先ほどおっしゃいましたように、六十七万人の科学者が日本にはいるわけでございまして、そういう力を結集するような機能というものをつくらなければいけないという御提言は大変貴重な御提言だと思います。 もう一方で、戦略を構想する上で、既存の研究開発、これをどう評価するかという評価の問題というのがやはり極めて重要になってくるのではないかというふうに思うわけでございます。この評価という問題、極めて難しい問題でありますけれども、国会議員の中にも、国民の代表として国会の中にそういう機能を持つべきであるということで今議論がされているわけでございますけれども、そういう戦略を立てるということと、一方で評価をするということについて、先生の御意見を承れればと思います。
○吉川参考人 御指摘のように、評価というのは非常に難しいことのように思うのですね。そして、評価というのは、しばしば評価された人を、言葉はよくないのですがやっつけるという感じで、ディスカレッジしてしまうような結果になることが非常に多いということもあり、我が国は、評価しないでお互いが協力するような、ある意味では非常に上手な社会をつくり上げているために、評価ということがある意味では経験がないということがございますね。よく言われるように、だれかがだれかを評価すると一生憎むとか、そういうようなことがあって、非常に難しい社会であることは確かです。 しかし、御指摘のように、現在、研究費が非常に多くなってきたという意味では、アカウンタビリティーといいましょうか、いわゆる国民に対する説明の責任というようなものが出てきたのは明らかで、それをするためにやはりある程度の評価というのは避けられない、これは明らかだと思うのですね。 ただ、気をつけなければいけないのは、評価というのはいろいろな階層で行われるべきであって、ある一人の研究者が研究費をもらって研究した、その結果が本当にいい研究をしたのかどうかというレベルの、いわば研究そのものの評価から、大きな科学技術政策を打ち出して、それが果たしてうまくいっているのかどうかという評価、そういう非常に高い評価まで、途中には、例えば、大学が何百人という研究者を抱えていて、それをうまくマネージしているかどうかという評価、いろいろな階層があるんだと思うのですね。それをぜひ混同しないようにしたい、こう思います。 それから、例えば国会で評価をするというのは、これは当然のことだと私は思います。国民に対する国会のアカウンタビリティーというのがありますから、研究者は国会に対してアカウンタビリティーというものを持たなければならない。そういう構造になっているわけですから、当然そこには評価はありますけれども、例えば個々の研究テーマを評価するなんということは、これはもう専門家に任せていただきたい、こう思うのですね。例えばポリシーに対する評価ということは、これはどんどんもっと高いレベルでやっていくというようなことが必要かと思いますので、そういった評価というものをやはり我々、もうちょっと整理して、こういう評価でいくんだということをまず合意することが大切かと思っておりますので、そういう評価論みたいなのを少し議論しなければいけないなと思っております。
○井上(義)委員 この問題につきまして科学技術庁長官にもお伺いしたいのですけれども、科学技術庁長官は、科学技術会議の重要なメンバーの一人であるわけでございます。ちょっと調べなかったので、就任されてから既に科学技術会議があったのかどうかわかりませんけれども、今の先生のお話を受けて、今後、総合科学技術会議というものが設置されるわけでありますけれども、そういう科学技術の戦略ということについて、科学技術庁長官の所感を承っておきたいと思います。
○谷垣国務大臣 今お尋ねがありましたが、私が就任してから科学技術会議はまだ一度も開かれておりませんので、現状、自分がそこに参加して、どういう運用になっているのか、この目で見る機会はまだ残念ながらございません。 ただ、科学技術会議には、大勢の衆知を集める必要があることはもちろんでございますけれども、今、行革の一つの対象になっておりますように、ある意味では、いろいろな省庁の代表が寄せ集まって総合調整をやるということになっておりますけれども、そのことが逆に十分に機能しない面もあるように感じているわけであります。 今度、御承知のように、行革会議の中では、総合科学技術会議という形で重要な戦略的な決定を行うということで、非常に重く位置づけていただいているわけでありますけれども、大きな方向としては私は非常によい方向で整理をしていただいているんだと思っておりますけれども、その中身が具体的にどうなるかというのは、実はこれからもう少し詰めてみなければわからないわけであります。 そこで、私としては、先ほど吉川先生がおっしゃいましたように、いろいろな学者の衆知も集めながら実質的な議論と決定のできる機関に整理していくというか、育てていくというか、必要があるのではないか、こう思っております。
○井上(義)委員 科学技術会議、まだ一度も開かれていないということで御経験がないということなんですけれども、私は、今度の動燃の問題、毎年二千億もつぎ込んでやっている国家的なプロジェクト、これをどうするかという問題、これこそまさに科学技術会議の議題になってしかるべき最重要の問題である、こういうふうに思うわけでございます。それが開かれていない、開かれる予定もない。それでは、科学技術会議というのは一体何をやるんだ、これこそ極めて重要な問題じゃないか、科学技術会議にかかって、検討されてしかるべき問題じゃないかという認識を持っているのですけれども、長官、どうですか。
○谷垣国務大臣 今井上先生のお尋ねの点は、どちらかというと、日本の体系の中では、原子力委員会というものがございまして、大きな原子力政策の方向づけはまずその原子力委員会の中で議論をするということに原子力基本法のもとで定まっているわけでありまして、その中では、先ほど来御議論になっておりますように、例えば、動燃をどうしていくか、あるいは吉川先生にやっていただいた動燃改革の検討委員会、あるいは高速増殖炉の懇談会、こういうものは原子力委員会のもとで御議論をいただいているというのが現在の姿でございます。
○井上(義)委員 この問題は、後でまたちょっと触れますけれども。 それで、動燃改革につきまして吉川先生にお伺いしたいわけでございます。 「基本的な方向」を読ませていただきまして、率直に感じた疑問を一点先生にお伺いしたいのですけれども、この「まえがき」というところで、動燃に与えられた使命の改変は本委員会の目的には含まないということをおっしゃっているわけでございますけれども、この使命というのは、いわゆる核燃料サイクル政策という一点だと思うのです。 実は、この動燃改革の問題は、一特殊法人をどうするかという問題を超えて、日本の原子力開発の中でプルトニウム利用というものをどう位置づけていくのか、いわゆる核燃料サイクルというものを原子力政策の中でどう位置づけるのかという基本の問題にかかわってくるわけでございまして、それを検討する中で、今まで動燃が引き受けてきた任務を存続するのか、廃止するのか、あるいは受け皿の性格をどうするのかということを考えていくべき問題ではないかというふうに私は認識しているわけでございます。それで検討委員会も、当初、私の認識ですと、そういう意味で、この科学技術庁、原子力委員会が敷いてきた路線にとらわれないで判断してもらいたいといヶことで、原子力関係以外の学者、専門家を中心に構成をされているというふうに理解をしてきたわけでございます。 私も、核燃料サイクル技術というのは、ウラン資源の有効利用とか、それから使用済み燃料をどうするかという観点からは、世界に貢献できる、日本の取り組む最も重要な研究開発というふうに理解をしているわけです。しかし、高速炉にしても、この高速炉の技術的な成熟度とか、それから経済的な見通しもまだはっきりしないという状況の中で、やはり今我々が判断しなければいけないのが、そういう状況を踏まえて、早期実用化ということを前提にした開発体制というものを継続していくのか、それとも当面は基礎研究をもうちょっと積み上げることを重点にやっていくのかというような基本的な戦略的判断があって初めて、それの受け皿としての動燃改革というものをどうするかというふうになるのが本来の目的だったんじゃないか、私はこんなふうに理解しておるわけでございますけれども、先生はその点どういうふうに受けとめられてこの委員会を運営されてこられたのか、お伺いしたいと思います。
○吉川参考人 御指摘のとおり、私が動燃改革検討委員会を引き受けましたときには、動燃の問題を検討しようということで、核燃料サイクルそのものの計画には言及しないということを、私自身で範囲を決めたわけなんですね。それが「まえがき」に記したことなのです。 なぜそうだったかということを少し御説明しなければいけないのですが、恐らく、こういった原子力にかかわる長期計画というのは、原子力委員会を中心にこれをつくったということで、これは、例えば原子力を平和利用しようというような非常に大きな流れから始まって、我が国のエネルギー政策のある種の精神条項まで含んだ一つの根幹みたいなものをそこでつくっているわけですね。その中で核燃料サイクルというものが一つの矛盾ない技術体系として位置づけられている、こういうことになります。 さて、そこで問題は、その問題に当然常に本当は見直しとかそれに対する実現性というもののチェックは入らなければいけないのですけれども、それを動燃の問題として議論するのがいいのか、それはもっと大きな別の問題として議論するのがいいのかというのが私の最初のみずからに課した一つの問題だったのですけれども、私は、それを一緒にするということは、結果的には、全体として大きな問題があったことは確かにしても、一体どこにどういう責任があるのかということは分析できない。そうではなくて、原子力長計というものをフィクスしたという条件のもとで考えた結果、そう考えることによって動燃問題が見えてくるだろう、こういう考え方の構造で決めていったわけです。 ただし、その「まえがき」にもやはり書いてあるのですが、そのことは結局原子力計画そのもの、核燃料サイクルそのものについて絶対言及しないということを意味しているのではない。もし、動燃の問題をずっと突き詰めていった結果、我が国の技術力とか組織力とか人材という点で、そんなことは無理なんだということがわかったらば、今度は核燃料サイクルの見直しというふうに、現実の可能性という意味で見直さざるを得ないということは保留しているわけなんですね。 したがって、私どもの委員会というのはそういう立場で議論したので、あくまで動燃そのものを議論するということ、しかし決して核燃料サイクルを絶対条件としているのではない。非常にわかりにくいことを言っていますが、そういう構造で議論したのですね。それが、ある意味では動燃の持っている経営問題ということを発見する、そういう一つの理由になったのだと私は思っておりまして、結果的にはよかったのじゃないかと思っているのです。
○井上(義)委員 先生のおっしゃる意味、そのとおりだと思うのですけれども、ただ一方では、報告をもとに新法人作業部会というのが設置をされまして、今科学技術庁を中心に作業が進められて、来年の秋に新しい法人ができる。かなり急ピッチで事実上進んでいる。方向としては、当初何か解体というふうに言われていたのですけれども、まあ解体に近い改革というふうに先生おっしゃっていますけれども、姿を変えた形で来年秋に発足するという、かなり速いピッチで進んでいる。 ただ、この核燃料サイクルという問題に関して言えば、ここをやはりもっときちっと議論をして、国民的なコンセンサスを得て、それの受け皿としての動燃改革を考えていくという、本来その道筋の方が私は正しいのじゃないか、その方が国民的な理解を得やすいのじゃないかというふうに、先生のおっしゃる意味はよくわかるのですけれども、もし科学技術庁の意図がそこにあるのであれば、これはちょっと違うのじゃないかなという、そんな思いがあるのですが、その点、先生、いかがなものでしょう。
○吉川参考人 私も、それはそのとおりだと思います。 基本的に、我が国はどういったエネルギーの道を歩むのかということは、やはりまだ必ずしも合意に至っていない。動燃問題の混乱を引き起こしたり、あるいは軽水炉の建設問題でいろいろ問題を起こしているということは、そういった国民的合意というものが必ずしも明瞭じゃないというところにあるのですね。なぜ明瞭じゃないか。それは、やはりいろいろな意味で今までの歴史が、情報の公開の不足等があったことは否めないわけで、恐らく今後は日本としてエネルギー路線というものをもっと明快に持たなければいけない。 私は、そのとき注意しなくてはいけないのは、恐らくエネルギー問題というのは百年の計になってくると思うのですね。ということは、私どもはもうみんな死んで、いなくなっているわけで、次世代を縛る。したがって、エネルギー計画というのは、ほかの短期の計画と違って長期であるということは、未来の人類というか、これから生まれてくる日本の子供たちを縛ってしまうということがあるのですね。 したがって、決して硬直的な計画であってはならないということで、少なくとも十ぐらいのいろいろな道筋というものが提示されていて、そのどれかに乗り移るということを未来の人が決めてくれ、しかし未来の人が決めるときに、それが決して大きなダメージにならないための準備を現代の人間がするんだ、そういうスタンスをやはり日本でつくらなければいけない。今、あしたのエネルギーのためにというような議論ばかりしていてはだめなので、やはり未来のためなのですね。 そういった意味で、私はオプションズという、要するに複数のオプションを準備するというのが非常に大切かと思います。したがって、核燃料サイクルは一つのオプションなのですね。それ以外にももっといろいろ準備して、場合によったらそれは国際的な領域で、私はこれをやるから別の国はこれをやってくれというような、いよいよ国際的にエネルギー政策というものが出てこなければいけない。そういったことが、恐らくまだ現在国際的にはできておりません。しかし、もうすぐあすにでもそういった人類全体としてのエネルギー政策、環境問題がようやく国際的に議論されるようになりましたが、エネルギー問題もそういう形で議論しなければいけない時期が来たわけで、そういった意味で、国内問題としてだけではなくて、そのたくさんのオプションというのを世界で共有していく。オプションシェアリングというのですか、オプションをシェアするというような方向で、やはりこれは政治の力が大切かと思うのですが、そういうふうな努力が必要なのじゃないかなと私は思っております。
○井上(義)委員 この核燃料リサイクルについては、これはスタートした当初は夢の燃料ということで、ある意味で国民が、夢という意味で一定のコンセンサスがあったのじゃないか。ところが、ここまで進んできて今ちょっと足踏みして、もう一回国民的なコンセンサスをつくって出発した方が、そういう意味で国民的な理解を得やすいのじゃないかというのが私の考えでございます。 それで、ちょっと中身の問題で、引き継ぐべき事業ということで、委員会ではいわゆるレベル〇からレベル1、レベル2ということで、特に新しく引き継ぐべき事業の中心はいわゆるレベル2、実用の道が見えていて、どこに資源を投入すれば実用が可能であるかがかなりの確度で言えるもの、したがって経済性も推定できるもの、このレベル2の事業が新法人の中心の事業になるというふうに理解しておるわけです。 ところが、きのうの原子力委員会高速増殖炉懇談会の最終報告の取りまとめを読ませていただきますと、これには、将来の非化石エネルギー源の一つの有力な選択肢として高速増殖炉の実用化の可能性を追求するために、研究開発を進めることが妥当である、国民の意見を反映した定期的な評価と見直しを行うなど、柔軟な計画のもとに進められることが必要だ、原型炉「もんじゅ」はこの研究開発の場の一つとして位置づけ、それから、高速増殖炉研究開発の意義や進め方について、広く国民と対話し、理解を得る努力が重要であるというふうに出ているのです。 これの報告は、どうもレベル1に近い認識を高速増殖炉懇談会の方はお持ちになったのじゃないか。もし、であるとするならば、それの受け皿としての動燃改革というものについては、もうちょっと考える余地があるのじゃないか。この辺の先生の御認識はどうなんでしょうか。
○吉川参考人 確かに、今回の高速炉の懇談会の結論はそういう研究ということをかなり強調しているというのは私も理解しております。 技術開発というものの中には実はいろいろな内容があるわけで、一つのシステムをつくる、一台の機械をつくるというときに、その根幹となるような技術、この場合には恐らく炉の中の反応技術という中心がございますが、その周りのいろいろな制御とか安全装置とか、非常に附帯的な、物すごい複雑なシステムになっているわけですね。 研究といったときには、本当の核心、中心となるような技術の研究なのか、あるいはそういう周辺の研究なのかということがもっとさらに詳細に検討されなければいけないのですが、私の理解は、安全性とか運転上の制御、管理、そういった技術というものについての研究がまだかなりおくれていて、そういったものの開発なしには本当の意味の経済性推定ができない、こういう表現に立ち至ったのだろうと理解をしているわけなんですね。したがって、根幹技術に関してはレベル2と言ってもよかろう。 ただ問題は、それが確かに御指摘のように経済性を推定するところまでまだいっておりませんので、そういった意味では非常にまだ研究不足というか、開発不足のところがあるという意味では、その部分は確かにレベル1というようなことがあるのかもしれません。ただし、多様な技術の中で、そういった2から1までの分布があるということは私も否定できないと思っております。 しかし、動燃というところでそれが今までの技術的な蓄積があるとすれば、これは動燃以外でやるということはもはや考えられないという意味で、あるいは民間ではもちろんできませんし、基礎研究ということになりますと、例えば研究所は、これは今言ったようなシステムを集めてくるというような能力のあるところではありませんので、やはり動燃という組織の中で現在の高速炉の研究を続けるしかない、開発を続けるしかないと私自身は思っております。 したがって、動燃改革検討委員会で議論したレベル2という非常に簡単な、もちろん附帯条件がありまして、高速炉懇談会の方での結論を待つということにも触れていたわけですけれども、しかし基本的な考えは変える必要はないというのが現時点での私の結論でございます。
○井上(義)委員 時間が参りましたのですけれども、一問だけ、済みません。 先ほど先生、この動燃問題が、自主開発という呪縛の中で結局閉じた世界をつくってしまった、それが競争力のない技術を生み出したという、いわゆる経営主体というものが結局そこでなかったという問題点を指摘されたわけでございます。 実は動燃というのは、科学技術庁の監督のもとに原子力委員会の計画を遂行してきたというのが動燃だと思うのですね。もし動燃でそういう認識、そういうことであるとするならば、私は大変的確な表現だったと思うのですけれども、科学技術庁、原子力委員会、動燃を含めて、これが実は閉じた世界になってしまっていたのじゃないか、これ自体に経営主体がなかったのじゃないかという意味で、動燃改革というよりも、原子力政策そのものを推進してきた国の体系自体がもう閉じた世界になってしまっていたのじゃないか。ここを変えない限り、動燃を幾らいじくってもまた同じことが繰り返されるのじゃないか、こういう認識を先ほど持ったわけでございますけれども、先生の御意見、いかがでございましょうか。
○吉川参考人 それは、何というのでしょうか、行革みたいな話になるのですね。 今の行革というのは、例えば先ほど御指摘ございましたように、二つの省庁がくっつくとか、そういうことでやっておりますので、いわば水平面での組織変えをやっておりますけれども、本当の行革というか、私自身が考えた行革というのは、むしろ水平ではなくて垂直の行革で、例えば監督官庁があって現場がある、例えば文部省があって国立大学がある、科学技術庁があって動燃がある、こういう縦の構造で、いわば裁量権をどういうふうにきちっと分け合うかという、そこを決めるべきだというふうに私は思っていたのです。それが行革かなと思っていたら、現在はそこまでいっていない、今後おやりいただくというようなお話ですけれども。 恐らく、そういった意味では、科学技術庁、原子力委員会、動燃というものの関係がいわば裁量を明快に分けていなかったというような問題点はあったと思うのですけれども、それは決して動燃問題だけじゃなくて、私は国立大学におりましたが、国立大学というのは一体どういう裁量があるのかさっぱりわからないということで、どこにでもある一つの日本的状況というのがあったと思うのです。 これは大いにこれから変えなきゃいけないのですが、私は、今度は横の行革、水平の行革の次に恐らく縦のそういった、裁量をきちっとするというようなことが起こってくると思うので、それはその行革の中で解決していただければなと期待しているわけなんですけれども。
○井上(義)委員 大変貴重な御意見、ありがとうございました。 この続き、ぜひ技術庁長官と別な機会にやりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
○小池委員長 斉藤鉄夫さん。
○斉藤(鉄)委員 新進党の斉藤鉄夫でございます。 吉川先生、きょうは大変お忙しい中ありがとうございました。吉川先生、大変社会的に重要な責務をこなされながら、しかし一研究者としてもIMSという新しい概念を提唱されたり、その専門分野で最高の仕事をされているということで、大変尊敬を申し上げているところでございます。きょうは、そういう意味で、一研究者としての御意見もいろいろお伺いをさせていただきたいと思います。 まず最初に、ちょうど二年前の今ごろ、この科学技術委員会を舞台に、議員立法で科学技術基本法という法律を議論しておりました。二年前に成立をいたしまして、昨年科学技術基本計画ができたわけですが、この科学技術基本法と基本計画を、学術の好ましい発展という観点から、また一研究者としてという意味でも、どのように評価をされているかということを最初にお伺いさせていただきたいと思います。 簡単に、私が議論を通じてどういう認識を持ったかといいますと、これは議員立法で、科学技術と政策の会という超党派の議員集団が原案をつくって、それをたたき台としてこの委員会で議論したわけですが、最初出てきたときは、日本の技術レベルが欧米やアジアの周辺諸国の技術レベルの向上によって相対的に低下をしてきている、これは日本の経済発展にとっても大変ゆゆしき問題である、ですから日本の二十一世紀の経済発展を支えるために科学技術に力を入れなくてはならないんだ、こういう認識が最初は主でございました。 しかし、科学技術委員会の議論を通じて、もちろんその観点も大事なんですが、それにプラスして、新しい知識を人類に提供していくということを経済的に発展した日本が責務として行わなくてはならないのではないか、そういう国際貢献、人類貢献こそこの科学技術基本法のもう一つの柱であるべきだ、こんな考え方が加味されてああいう基本法になったというふうに私自身は認識をしておりますが、先生はどのように評価をされているかということを最初にお伺いさせていただきたいと思います。
○吉川参考人 研究というか学問に長い間携わってきた者としての発言をさせていただくわけですが、学問というものが人類にとって非常に大切なものである、いわば宝というか、人類が人類であるために非常に大事なのだという認識と、学問というものが例えば経済的な利益に役に立つということとが、実は一体として理解できないというある種のジレンマというのを現代の社会は持っているというふうに思うのですね。学問は利用できるものだ、だからみんなで金を出そうじゃないかというのと、そうじゃない、学問というのは本来人間そのものなのだと。 しかし、科学技術基本法というのは、今御指摘いただきましたように、そのことを、必ずしも完全とは私は思っていませんけれども、そういう問題意識を盛り込んでいただいたということは、非常に科学研究者に勇気を与えたというふうに私は思っております。 それで、科学者というものもまた両面持っているのですね。自分が科学をやっているのは、決して単なる役に立つことをやっているのじゃなくて、自分の何か非常に心の奥底から出てくる一種のモチベーションというか動機によって研究しているのだという向きがあって、しかし一方、やはり役に立ちたいと思っているわけですね。それを公的に認知したということの重要性というのは非常に大きいと思います。 したがって、それが、それでは今後は具体的にどうなのかということが非常に問題で、次におつくりいただきました科学技術基本計画が、かなり現代の日本の持っている研究体制についての矛盾点を暴きながら、法制的なもの、あるいは研究費配分、費用配分の問題、そういったことについてかなり突っ込んだ問題を御指摘いただいている、これはまた大変よかったと思います。 しかしながら、先ほど来御議論がありましたけれども、そういった国民が投資したものに対するアカウンタビリティーというものが研究の世界からどう出てくるのかというような問題についてはまだ全く未知でございますので、将来については結論を下せませんけれども、一研究者としては、私はもう一〇〇%歓迎という立場に立っております。
○斉藤(鉄)委員 ありがとうございます。 今の先生のお答えに関連しまして、先ほど小野委員の質問の中で大変興味深いお答えを先生がされたので、ちょっと関連づけて質問をさせていただきたいのですが、小野委員の質問の中で、学問の目的といいましょうか、外部に真理があって、その外部の真理を追求するのが学問であるという考え方と、それから、いや、真理は自分の中にあるのだ、その自分の中にある真理を追求するという二つの考え方があるけれども、どうだという質問を先ほど小野委員がされたわけです。 私、正直言って余りよく理解できなかったのですが、科学技術というのは、特に自然科学は客観性が問題であるということを教わってまいりました。その客観性、だれが見ても納得できる客観的事実を組み合わせて一つの法則をつくり上げる、これは仮説かもしれないけれども法則を見つけ出す、それが自然科学なのだというふうに教わってきたものですから、そういう意味では、真理は外にあるというふうに単純に考えていたわけですけれども、先ほど、そうでもないのかなというふうな気持ちを抱き始めたのです。 今の科学技術基本法についての先生のお答えの中に、科学技術を利用するというモチベーションと、それから自分の中の研究者としてのやむにやまれぬエネルギーというものが研究の一つのモチベーションである、その二つのモチベーションが公的に認知されたという意味でこの科学技術基本法は非常に意味がある、こういうお答えをされたわけですけれども、小野委員へのお答えと、先ほどの私の科学技術基本法へのお答えと、同じことなのでしょうか、同じ意味でおっしゃったのでしょうか。ちょっとそこら辺、私自身、小野委員へのお答えが理解できないものですから、その点をもう少しわかりやすく教えていただければと思います。
○吉川参考人 今の斉藤先生の御質問、多分こういうことだと私なりに解釈しますが、真理は自分がつくっていくのだといいながら、一方、科学は非常に客観的なものでなければいけない、ここが何か矛盾しているような気がする、こういうことのような気がするのです。 私は、科学というのは、それはもちろんあくまで客観的でなければならない。客観的というのは、しかし、人間がいなくなったら客観も主観もなくなるわけで、やはり人間社会における客観性という限定つきなのだと思いますね。したがって、人間がつくっていくということで、自分は人間の一員なのだから自分がつくっていく、こういうロジックで私は言っているわけなんです。ですから、自分がつくるから客観性がないということを感じるということはありません。むしろ、人々が共同しながら、お互いにコミュニケーションを図りながら、客観的なものを共同でつくっていく、これが科学だと思うのですね。 ですから、宗教なんかですと、違う宗教が共存しているのを平気で認めているわけですよね。科学というのはそういうわけにいかないので、違う物理学が三つも四つもあったらおかしいわけですよね。それを同一化しようというと激しく――したがって、わからないことはわかったとは言わないというのは、これは大条件なのですね。いずれわかってくる、こういうふうになる。そういう科学というものが、やはり客観性というのは、実は、現在生きている人間が全員で合意するという言葉で置きかえていいと思うのです。 したがって、研究者というのはどんどん自分で真理をつくっていくつもりになっているけれども、つくった真理というのは、あくまでそれは外に出してほかの人の批判にたえなければいけないという条件がついているわけです。そういう意味で、先ほどの真理は外部にあるということと同じことを申し上げているということになるのでしょうか。 それから、科学技術基本法が二つの側面を持っているということの中で、応用するということは、私は、応用可能性というのは実は客観性そのものだと思っているわけで、ある意味では、私秘的というか、自分の秘密のような、それだけで信じている真理というのは、それは応用できないわけですよね。今、応用の結果として出ている、例えば自由市場経済というのは経済学というものをバックにして非常に安定を保たれているわけですし、それから情報システムというのは情報技術の非常に大きな科学知識を背景にして成立しているわけですよね。それで、そのシステムというのは本当の、全員が合意している情報科学というものによってのみできるわけで、たくさんの情報科学があったらそんなシステムなんてできっこないわけですよね。 ですから、私は、客観性を求めている、自分がつくるけれども、それをさらして常に客観性のあるものにしているという科学が唯一応用可能な知識体系であって、人類というのはその応用の恩恵を受けている、こういう脈絡なのだと思うのですね。ですから、私の中では必ずしも矛盾していないのですが、いかがでしょうか。
○斉藤(鉄)委員 ちょっと理解が進みまして、もう少しまた勉強を進めていきたいと思います。 今、基礎研究と応用研究という言葉が出てきたわけですが、これは科学技術基本法の議論の中でも非常に使われた言葉なのですが、それぞれみんな意味しているところが一人一人違うのではないかというふうなことを私、感じました。 この基礎研究と応用研究、今も先生お答えになった中にありましたけれども、どのようにお考えになっているかということが一つ。 もう一つは、昔欧米から、日本は基礎研究をただ乗りしている、基礎研究ただ乗り論という批判がございました。私は、ある面でこの批判は当たっていたと思いますけれども、その批判を受けて、日本は基礎研究に力を入れるようになって、今やその批判はなくなったという認識もございます。 ただ、研究費そのものを見てみますと、研究費総額、これは官民合わせての研究費総額ですが、欧米では官民合わせた中での研究費総額の四割が基礎研究であるのに対して、日本はまだ二割台、その基礎研究をどうとらえるかという概念にもよるのですけれども。ということで、客観的には、まだ日本は基礎研究、足らないんじゃないかという認識もある。この辺について先生はどのようにお考えになっているか、お伺いいたします。
○吉川参考人 二つの問題があったと思いますが、一つは、基礎研究と応用研究というのはどういうふうに違うかということでございますね。 何が基礎か、何が応用かということは時代とともに変わるわけで、むしろ私は、基礎研究、応用研究というよりは、研究というのは必ず目的を持っているわけですが、その目的の違いである。学問体系をさらに完全なものにしていく、そういうことを目的としているのが基礎研究で、それから、具体的にそれを実際の社会に使えるものにしていく、これが応用研究だと思うのですね。ですから、それは、むしろ研究者の意図、研究者がどういうふうに考えているかということが非常に大きな違いであって、その目的意識の違いだ、こういうふうに分けたらいいと思います。 確かに、そういう意味では、よく考えますと、例えば中学校、高等学校の教科書を見ると、いろいろな法則とか、いろいろなことが書いてあるわけですが、そこに日本人のつくった法則というのはほとんどないわけですね。したがって、そういう意味では、基礎研究ただ乗りというよりは、学問体系の構築ということについての日本人の寄与がまだ余りに少ないんじゃないか、しかも現在もそれをやっていないんじゃないかという批判だと言いかえてみると、それは確かにそのとおりなのですね。 ところが、現在は、そういった基礎研究、特に科学技術基本法などの流れにまさに一致しているわけですが、いわゆる基礎研究、すなわち学問体系を充実するための研究というのが今非常に行われるようになりました。そういった意味では、意識としては我が国もそちらの方向を向いているということであり、また、諸外国もそういった目で一本に期待するということも非常に盛んになってさたのですが、しかし、額はまだ非常に少ないですね。私はやはり、これを倍増しなければ本当の意味で国際貢献はできない、こう思います。それから、その点について言いますと、一つ外国で非常に評判になっていることがあるのですか、それは、出資金を研究費に使ったという、この政治的な御決断ですね。これが非常に大きな話題になっております。私はちょっと専門用語はわかりませんが、要するに、研究というのは公共投資なんだ、非常に公共的に、人類にあるいは一つの国に対して全体的に役に立つことであり、いずれそれは富を生むものなんだ、基礎研究は。そうであるとするならば、いわば出資金というのを使ってよろしいんだ。現実に、二年前に、その出資金を使うという決断によって、我々の使っている科学研究費という非常に純粋に使える研究費が四〇%ぐらいふえたわけですね。これは非常に世界的に話題になりまして、そのことが、今御指摘のように、日本もついに基礎研究に足を踏み出したという、非常に世界的に認知される理由になったのですけれども、私は、もっとそのことを進めてもいいのじゃないかと思っているわけです。 これは若干差しさわりがあるかもしれませんけれども、橋や道路をつくる土地というものはもうなくなってしまったのですから、あるのは、お金をもっと使いたいというふうに待っている若者の研究者の頭脳ですから、そこにどんどん投資してくれ、こういうふうに申し上げているわけですけれども、やはり基礎研究というのは、先ほど申し上げたように、研究者の意識というのは非常に公共的なものですから、そこに公共的な費用というのをどんどん入れるというのが我が国にとって非常にいいのじゃないかと思います。 そういったことで、私はやはり、基礎研究費をふやすということは、各国、非常に苦労しておりまして、GNP一%が上限で、どの国でもそれ以上ふやせないのですね。したがって、そこは、いわば先生方の知恵によって、まさに新しい仕組みをつくって基礎研究費をふやすというようなことを日本がもし示すことができれば、これは非常に国際的な一つの先導者になり得るのじゃないかと期待しているのです。
○斉藤(鉄)委員 その認識は私も全く同一でございまして、私も私の立場で努力をしていきたいと思っております。 先生のお書きになりました「日本学術会議第十七期活動計画に際しての会長所感」というのを読ませていただきまして、大変私自身も勉強になりました。この中で、非常に重要な考え方だなと思う、しかしちょっとよく理解できない、わからないというところについて、数点質問をさせていただきたいと思います。 この中の、「現代の問題と学術の責務」、現代社会が抱えている問題と学術の責務という項の中で、「いわば科学的知識という体系において最適なものとして、平和や環境が存在しているとすれば、それらに関係する問題群とは、科学的知識と無関係でないところか、そこに発生の根拠があることですら疑う必要のあることである。」ということで、このこと、私は重要なところだと思うのですけれども、もう一歩よく理解するために、わかりやすくここを御説明いただけますでしょうか。
○吉川参考人 いろいろな例があると思うのです。私の身近な工学の例で申し上げますと、一つ一つの学問というのは大変すばらしく進展しているのですが、一つは非常に細分化してしまったということがあるのですね。 例えば、環境問題に対して、今の人間の知識あるいは学問体系がどういう影響があるかというのを考えてみますと、この細分化ということがある意味では環境悪化の原因になっているのではないか、そういうふうに考えられる面があります。 例えば、機械工学がどんどん進んでくれば、自動車というのはどんどん性能がよくなってきて、非常に人間にとっては快適な輸送手段になるというのがございます。それから、建築技術が上がってくれば、どんな過密な都市でも頑強な都市をつくることができて、これはある意味ではビジネス街をつくるのに非常に便利だ。しかし、自動車技術と建築の技術というのは関係がないのですね。そのために、都市の中に自動車が走るというときに自動車事故が起こるとか、あるいは排気ガスのために空気が悪くなってしまうということを、実はだれも面倒を見ていなかったということがあります。 したがって、これは非常に残念なことなのですが、学問というのは、工学の世界だけで限定しましても、これはほかでも言えると思うのですが、新しい知見をどんどんふやして非常に人間の可能性をふやしてきたのだけれども、何というのでしょうか、異なる技術がお互いに関係し合って起こってくる事態というのを見る視点というのがないのですね。 それは学問の細分化という、学問の構造自身に問題があって、本来ならば、細分化したのであれば、例えば細分化して十の領域ができたとすれば、その十の領域を全体として見る専門家というのが学問の構造としてあればよかったのですが、そういう人がいないわけで、要するに、文学と工学を一緒に面倒見る人なんというのはもちろんいないわけですね。そういった構造自身が果たしていいのかということになる。そうすると、工学をやった人は文学がわかりません、哲学がわからない、心理学をやっている人は材料の強度のことはわからない、こういうふうに非常にばらばらになってしまいます。しかし、現実の世の中では、それがみんなお互いに関係してくる。 特に、環境問題というのは、非常にわかりやすく言えば、例えばフロンという問題が最近ありまして、フロンがオゾン層に穴をあけてしまうという問題があるのですけれども、実はフロンが出てくるところというのは、自動車の排気ガスからも出てまいりますし、それから半導体をつくっているところの洗剤からも出てきますし、それから、フロンガスというのは実は冷媒に使っておりましたから、冷蔵庫みたいなところから出てくる。あるいはスプレーからも出てくる。これは全然別の産業がつくっていたのですね。ですから、それぞれは非常にいい発明をしたつもりでいたら、その結果が、たくさんの産業からフロンガスが集まって、オゾン層に穴をあけてしまうわけですね。 したがって、全体としてフロンガスがどれくらい出るかということはだれも見る仕組みがなかったというのは大変問題で、これが実は学問領域の細分化ということと関係していたということだと思います。 それは一つの例ですが、そういったことが恐らく経済にも法律にもたくさんあるのではなかろうか、こう思って、それがこういう表現になったということでございます。
○斉藤(鉄)委員 よくわかりました。そういう総合的な、俯瞰する立場からの学問というものが必要だという理解でよろしゅうございますでしょうか。 全体として、社会として、そういう俯瞰的な立場の学問をつくるなり制度をつくるということも必要かと思うのですが、研究者個人としての問題にちょっと入っていきたいと思うのです。 よく、自分がやっている研究の社会的な意味を考えて研究しなければいけないということが言われる場合もあるわけです。例えば、アインシュタインが核兵器反対運動を行った、これはある意味では、自分の自然科学者としての責任と社会人としての責任を両方全うした姿である、こういうことを言われてきたわけですが、片一方で、例えばドイツのブラウン博士は、ロケットの研究をさせてくれるのだったら私は悪魔と手を組んでもいい、こう言った。私が具体的に知っている研究者仲間でも、研究費さえくれたら別にそのお金がどういう種類のお金であっても全く構わない、こういうことを言い切る友人もおります。 個人の問題として、その二つの、研究者としてのモチベーションと、今、この非常に複雑な社会に生きている人間としての責任感と、それをどう両立させていくべきか。システムとしてつくるべきという先生のお考えはよくわかるのですが、個人としてはどのようにあるべきかという点についてはどうお考えでございましょうか。
○吉川参考人 これは、私自身の問題と、それから世の中の科学者一般の問題というのは分けて考えたいのですが、私自身が必ずしも研究者として平均値ではなかったかもしれないのですけれども、私自身は、そういう自分のやった研究というものに対する影響についての責任は完全にとるべきだというふうに思っている人間でありまして、そういった意味では、いわゆる原子物理学者たちが原爆が事実使われたということを知ったときにいろいろな動揺と反応があったわけですが、それと近いサイドにいると思っております、自分では。 さて、それはなぜかというと、実は科学というのは決して無色透明なものではなくて、そこを先ほどずっと私は強い言い方をして、真理の発見なんというのはうそだ、こう言ったのですけれども、真理なんというのは外にはなくて、やはり人間がつくっていく。研究者がやったことが結局は影響を与えるというわけですから、そういう意識のない研究というのは危険なんだ、こういう立場に立っているのですけれども、しかし一方で、世の中に必ずしもそうじゃない人がいるのは事実なんですね。 それで、全部そう考えを変えろといってもこれはできない相談ですので、やはりそれは二つの面を、私は、できるだけ科学者というのは、そういう目的、自分のやった研究の効果というものについて十分な配慮をすべきだということを一方で言いますけれども、同時に、科学技術の成果というものについて十分に監視していくような社会的体制というものもまた必要なんだと思います。 それは、例えばこういうことですね。そういった社会的体制というのが上手にできたのは、上手にできたというか、そういうことに非常に意識しているのは、現在の生命科学の領域でして、例えば医学などというのは、新しい問題が出てくるたびにいろいろな社会的な制約を与えている。例えばクローンというのが出てくると、それを人間に使ってはいけないということをすぐいろいろなところで宣言いたしますね。そういった形で、これは悪く言えば研究者を信用していないということなんですが、研究のイナーシアというのはとめられないという前提に立つと、そういった社会的か制約の仕組みというのをどうしても持たなければいけない、こういうことだと思います。 しかしながら、一方で、自粛というか、それはやはりやってはいけないんだということを研究者自身も考えなければいけないということでは、今のそういった研究に抑制を与える機構というのは研究者の外にあるというものでは必ずしもないので、研究者を巻き込んだような、そういう社会的にきちっと存在している組織というか、そういうものが必要になるのじゃないかと思っておりますので、非常にプラグマチックというか、現実問題としてはそういうソリューションしかないと思っております。
○斉藤(鉄)委員 真理は中にあるんだと最初に先生がおっしゃったことの意味がだんだんわかってきたような気がいたします。 それでは、いろいろお伺いしたがったのですが、時間が参りましたので、最後に、学術会議の性格と、それから国会との関係についてちょっと質問をさせていただきます。 今、国会の中で、これはまだ法案にも何にもなっていないのですが、超党派で、国会の中に、国家の科学技術戦略を議論し、もしくは立案し、評価する機関をつくるべきではないかという議論が始まっております。それについてどういうふうにお考えかということと、学術会議というのは、先生のきょうのお話を聞いて、システムとして、また個人として、その学問の意味を、またその社会的意味を考える、それをするのが学術会議なんだということがだんだんわかってきましたけれども、この国会で今議論されている科学技術国家戦略立案機構といいましょうか、そういうものと学術会議の関係がどうあるべきかということについてお伺いいたします。
○吉川参考人 私は、この国会の中にそういう科学技術戦略をお考えいただくような場所をつくるということはぜひ進めていただきたいと思うのですね。それは、国民のある意味では最大関心事で、科学技術がどこへ行くかというのはやはり大きな話題ですから、それを議論していただきたいと思います。しかし、そのときに、やはり専門家の判断というのをぜひ尊重していただきたい、こう思うわけです。 日本には学術会議というのがあるわけですが、例えば、アメリカでは全米科学アカデミーというのがあるのですけれども、この全米科学アカデミーというのは、いろいろな問題について議会から要請を受け、それぞれレポートをまとめて返すというような、いわばシンクタンクとしては非常に有効に働いていますね。それから、イギリスのロイヤルソサエティー、これは自然科学系の集まりですが、ロイヤルソサエティーというのも、ロイヤルソサエティーのメンバーが上院議員にたくさんなっているとか、そういった非常に強い関係を持っております。 したがって、少なくとも先進工業国と言われるところは、科学技術者のいわば専門的知識というものが非常に上手に政策に反映されているという仕組みを、イギリス、アメリカは全然違うのですけれども、やっている。フランスなんかもいろいろそれぞれやっていますね。それをぜひ日本でもつくりたい。 学術会議というのは、御存じのように、少なくとも十数年前まではやや社会から隔離したような存在だったのですね。これはまことにある意味では情けない話でして、国民の期待を受けて、国民の負託を受けて、しかも国民の費用によってやっている基礎研究が、その知識を還元しないというのは全くおかしな話ですから、それをもう早急に我が国でもつくる必要がございます。これは具体的にどうこうするかは、私は考えというものはまだ煮詰まっておりませんけれども、そういうものを国会におつくりいただく、あるいは総合科学技術会議というのができるとすれば、それに対しても全面的な協力を日本学術会議としてはしたい、こう思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
○斉藤(鉄)委員 大変ありがとうございました。 ―――――――――――――
○小池委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 本件調査のため、本日、参考人として動力炉・核燃料開発事業団理事中野啓昌さんの出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小池委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ―――――――――――――
○小池委員長 質疑を続行いたします。近藤昭一さん。 〔委員長退席、井上(義)委員長代理着席〕
○近藤委員 民主党の近藤昭一でございます。 本日は、吉川先生、本当に貴重な御意見をお忙しい中承りまして、ありがとうございます。また、日本学術会議の会長として、また動燃改革検討委員会の座長として本当に御尽力いただきまして、改めてお礼を申し上げます。 それで、私も、二十一世紀に向けて科学技術の振興というのは大変に大切なこと、資源のない日本にとっては非常に根幹となる政策だと思うわけですが、その科学技術振興の中で、核燃料サイクルシステムの確立は大変に大きな柱となっているのではないか。だからこそ、今回の改革委員会の「まえがき」の中で、目的については、検討の過程で必要となれば目的の変更もあり得るが、まずその目的の変更を第一の目的とするものではないということが述べられているのだと思います。 ただ、私は「まえがき」を読んだときに、根幹である原子力政策でありますし、先ほど井上先生も御質問なさったように、もうちょっと謙虚に最初から議論するべきではないかなという思いがしたわけであります。 そんな中で、実は、日曜日の新聞でございます、私の地元であります中日新聞でございます。残念ながら、全国紙ではございませんので、すべての方が読んでいらっしゃるかどうかわかりません。東京では東京新聞という名前で出しておりますが。そこに、ちょっとこれでいいのだろうかという記事が掲載されておりました。お読みでない方も多いと思いますので、読ませていただきたいと思います。 大変にセンセーショナルともいうような見出しがつきまして、「「裏では動燃と連携」「世論の手前、非難」会議でなれ合い発言」という大変な見出しがついております。内容は、 今年三月に起きた茨城県東海村の動力炉・核燃料開発事業団東海事業所の火災・爆発事故の十日後、科学技術庁と動燃が開いた動燃の組織問題に関する会議で、科技庁幹部が「今は世論を考えて動燃を非難せざるを得ないが、今後もお互いに連携して組織改革を進めたい」と発言していたことが二十九日、内部文書 この「内部文書」がいかなるものかわからないわけですが、 内部文書で明らかになった。一連の対応が、あくまで両者の〝協調関係のシナリオ〟に沿って進められていたことを示している。 文書によると、会議は三月二十一日午後四時半ごろから約一時間、科技庁内で開かれた。科技庁の政策課長ら四人、 名前が書いていないわけでありますが、政策課長という、固有名詞と言ってもいいような指摘がなされているわけであります。 科技庁の政策課長ら四人、動燃の企画部次長ら四人が出席し、動燃の組織改革に対する科技庁の考え方が伝えられた。 会議で政策課長は「事故で原子力開発推進の根幹が揺らいでいる。今は動燃だけが悪者になっているが、今後、科技庁まで非難されたしたら収拾がつかない」と発言。「科技庁も当面、動燃を非難せざるを得ないだろうが、裏では動燃と連携した形での組織改革を進めたい。今は厳しいだろうが、耐えていただきたい」と述べるなど、事故後も両者の〝なれ合い〟の関係が続いていたことを裏付ける内容になっている。 さらに同課長は「動燃の組織改革は落とし所を考えて、原子力開発に影響を及ぼさない形にしたい」とした上で、「素人受けする形がよい」と指摘。 この「素人受けする」という発言をなさったかどうかわかりませんが、こういう言い方はどうかなということであります。 日本原子力研究所との統合などではなく、動燃単独の改革で済ませる意向を示し、本社機能移川転の可能性を示唆したという。 科技庁は四月、動燃改革検討委員会を設けたが、わずか六回の討議で終了。動燃解体や統合は見送られ、動燃の新法人への移行と東海村への本社移転などで決着した。 というようなことが書かれているわけであります。 日曜日にこういう新聞が出まして、最初私は、この「まえがき」を読んでおやっと思ったことと重ね合ったというか、非常に、これでいいのだろうかと思ったものですから、ちょっと引用させていただきました。 それで、この報道に関してであります。こういう会議があって、そしてこういうような発言があったのかどうか。もしあったとしましたら、大変なことであります。先ほども当初に申し上げましたが、原子力政策というのは大切な、二十一世紀の日本の科学振興政策の中でも根幹をなすものである。その中で、大変に社会が心配しているというか、揺らいでいるわけであります。しかしながら、原子力発電は、日本の、資源がない中で、大変に大切なものであります。そしてさらに、核燃料サイクルは二十一世紀に向けて大切なものであるという中で進められている。その中で、幾つかの事故が起きている。そして、動燃を改革していこうということで、吉川先生に座長をお務めいただいて、改革をどうしていくかということを検討したわけであります。ところが、もし前提としてこういうことがあったら、大変にゆゆしきことではないでしょうか。 そういう意味で、こういう発言というか内容の会議があったのかどうか、それをお聞きしたい。あったとしたら、何度も申し上げますが、今改革をしなくちゃいけない。先生も先ほど申されたと思います。ちょっと発言の細かい言葉は違うかもしれませんけれども、やはり社会の理解があってこそ初めて科学技術も成り立っていくんだ。先生、固有の自治ということと国民から負託された自治という言葉をお使いになったと思いますが、国民から負託された自治という部分も大変に強いと思うんです。そういった意味で、大変にゆゆしき問題である。 そして、もしこういった事実がないというなら、この新聞の報道というのは大変に大きな問題、訂正を求める必要さえあるんではないかと思います。 そういった意味で、こういったことがあったのかなかったのか、そして報道はどうなのかということをお伺いしたいと思います。 〔井上(義)委員長代理退席、委員長着席〕
○加藤(康)政府委員 新聞の記事についての関係でございますので、私の方から御説明させていただきたいと思います。 本件につきまして、記事に載っております政策課長に確認を行ったわけでございますけれども、三月でございますので、既に八カ月以上前のことでございまして、本人は特に記憶はなかったわけでございますが、動燃事業団の方にメモが残っているというので、そういうものと照らし合わせながら検討させていただきました。 その当時の状況を御説明いたしますと、三月十一日に東海の工場で火災爆発事故がありまして、翌週の十七日、十八日に、衆参の両委員会で集中審議がございました。それを受けまして、二十一日でございますが、そういう国会での御審議に対応いたしまして、これはもう何か対応しなきゃいけないということで、専従の班をつくろう、そういうような話をしたわけでございます。 当時は、一昨年末に「もんじゅ」で事故が起きました一年ぐらい後のことでございますから、「もんじゅ」の事故の後は動燃事業団が自己改革本部、自分で改革をしたわけでございますけれども、そのときの国会でも、「もんじゅ」の反省はどうなっているかと、いろいろと集中審議で問いただしがございました。我々といたしましては、「もんじゅ」のときと同様の措置ではまずいということで、とにかくもう少し抜本的な改革をしなければいけないということで議論をしたわけでございます。 しかしながら、そうしているうちに、四月八日になりまして、虚偽の報告というのが出てまいりました。それまでは危機管理、動燃事業団の事故が起きた後の処理の問題を国会でも非常に取り上げておりましたが、虚偽の報告が出ましてから、体質を変えなきゃいけない、動燃事業団全体の問題を検討、改革しなきゃいけないということで、それから吉川先生に座長をお願いいたしまして、大臣直轄で動燃改革検討委員会、そういうのが出てきたわけでございます。 したがいまして、先ほどの三月二十一日の時点ではまだ、「もんじゅ」の対応ではだめだ、もう少しやらなきゃいけない、そういう範囲での話でございまして、動燃改革検討委員会ができました以降は、吉川座長の御指導のもとに、八月に御報告がまとまった次第でございます。 以上でございます。
○近藤委員 今何か、当時の時の流れだけをお答えいただいたようでありまして、こういった会議があった、そしてその発言の内容がどうだったかという御質問にはお答えいただいていないと思うんですが、その点についてお答えをいただきたいと思います。
○加藤(康)政府委員 先ほど申しましたように、動燃事業団にメモが残っておりましたので、それを見ます限りにおいては、会議がございました。ただし、メモにつきましては、動燃事業団職員がメモられましたので、本人がそのとおり発言したかどうかわかりませんが、その同様の趣旨が入っております。
○近藤委員 メモには書いてあった。先ほど吉川先生も、文書が責任をとっていくというようなことを御指摘なさっていましたが、だれも責任をとらない、メモに責任を負わせる、そんなふうに聞こえるわけでありますが、いつまでもそういうことをしていていいのかという感じの答弁だと私は思わざるを得ません。 そうしますと、この会議に出ておりました動燃の関係者の方もおられるわけでありますが、動燃の関係者の方のこの会議についてのお話を伺いたいと思います。
○中野参考人 お答えいたします。 今局長から御説明がございましたように、先生御指摘の記事の内容につきまして、三月二十一日午後四時半に、科技庁におきまして動燃との会議があったと承知いたしております。また、この会合につきまして、科技庁との間での話し合いにつきまして個人的にメモつたメモがまず一つございます。これは出席者が自分のためにとったものでございまして、これはだれの合意を得たわけでもございませんし、確認をとったものでもございません。そして、そのメモには、先生先ほどから御指摘のような趣旨のことが書かれております。 それともう一つ、私どもがこの会議を受けて動燃事業団の中で検討をするための資料、メモといいましょうか、それもございまして、その中では、先ほど局長から説明がございましたように、動燃改革のために第三者によるチェックをきちっとやってもらって、やってもらった結果について今後のことをお願いしていこう、そういうお願いをしていくために、動燃としてチェックをやっていただいたことの評価をする受け皿をちゃんとつくってほしいという、その日の会議の趣旨でございました。そういう意味で、その受け皿のつくり方についていろいろ議論があったというふうに承知いたしております。会議の主体はそこであったというふうに承知いたしております。
○近藤委員 動燃の関係者の方も、個人的にメモったメモがあるということを認めていらっしゃるわけですね。そのメモは、ごらんになって、どなたがメモられたかというのは御承知おきなのでしょうか。
○中野参考人 そのメモには、先ほど申し上げましたように、それらの趣旨のことが記されてございます。――動燃側で出席いたしました出席者の一人でございます。
○近藤委員 今のお話を聞いておりますと、新聞報道にあるような発言があったとは言われなかったような気がするのですが、発言をメモしたメモがあったというふうにお答えになったような気がいたします。 そうしますと、新聞がこうして報道をした責任、本当かどうかという責任、そしてそのメモをもとにこういう記事が出されている、そういったことを書かれた個人の方がいる、そしてその個人の方のメモが外に出ている、これは大変に大きな問題だと思いますが、このメモの内容というのは本当に発言されたことであったかどうか、それについてお聞きしたいと思います。
○中野参考人 全く個人のメモでございますので、そういったメモが外に流れたという意味で、私どもの情報管理にいま一つ問題があるのではないかというふうに大変深く反省をいたしております。 それから、中身につきましては、先生御指摘のように、そういうような発言があったのかなと。しかし、会議全体の趣旨はそういう趣旨ではなかったと、先ほど申し上げましたように理解いたしております。
○近藤委員 今、情報管理とおっしゃいました。これはどうもおかしいのじゃないでしょうか。この報告書の中にも書かれております。開かれた中で原子力政策というものを考えていかなくてはいけない。それが、情報管理。それに、最初におっしゃられた、あくまで個人のメモだと。個人のメモに対して情報管理とはどういうことかと思うわけでありますし、それに私は内容が大切だと思います。個人のメモであったって、うそが書かれている場合もありますし、本当のことが書かれていることもあります。そんなことは意味がないわけです。本当かどうか、これを私はお伺いしているわけであります。
○中野参考人 それぞれが外に向かって発言をするときは、発言する内容に責任を持って発言をすべきだと私は思っております。そういう意味で、ての書かれたこと、メモられた方が責任を持ってそういうことをされたのかどうか、そういう意味で、御自身の物の考え方に問題があるという意味で情報管理というような言葉をちょっと使ったわけでございますが、必ずしも適切な表現ではなかったかと思います。 再三申し上げておりますように、中身としてはそういうような、新聞に書かれているようなことが書かれております。
○近藤委員 責任を持って発言される。メモには責任がないということでありましょうか。 吉川先生いらっしゃっているわけでありますけれども、私が質問したいことを先ほど井上議員が御質問になられました。 それで、実は私は、政府委員の廃止をして副大臣を設けるという制度を提出いたしております。そんな意味で、谷垣長官、今のやりとりというか、この状況をお聞きになっていてどうお考えになるか、お聞かせいただきたいと思います。
○谷垣国務大臣 私も実は、先ほどこの東京新聞の記事を拝見しまして、もとになったメモがどういうものだったのかも自分自身でよく拝見しているわけではありませんが、こういうのは結局、ニュアンスが相当問題なのだろうと思うのですね。 今回の動燃の一連の事故の場合、科技庁が監督官庁として動燃の問題点を指摘して、批判するべきものは批判しなければならなかったのは当然のことだろうと私は思います。しかし、その反面、これからどのように原子力政策を立て直していこうかという意味では、動燃と全然無縁なところでまた議論できるとも思わないのです。やはり、科学技術庁の担当の者と動燃の担当の者が激しく、厳しくお互いに批判をしたり、あるいはともに同じ目的を持ってやることも必要かと思います。そういう議論も必要かと思うのですね。 この表現を見ますと、「当面、動燃を非難せざるを得ないだろうが、裏では動燃と連携した形での」というのは、もしこのとおりの発言があるとすれば、やや表現として私は不適切なものがあると思います。このあたりは、そのときの議論がどういう議論であったのかというのを、これは私、よくわかりませんが、この責任は追及するよ、しかしこれからの原子力政策のあり方についてはお互いよく議論しようではないかという発言であるならば、私は必ずしも問題ではなかったと思うのですが、裏と表と使い分けるというようなことであれば、私はやはり問題があったのではないかな、こういうふうに思うのです。 このあたりはかなりニュアンスもございますので、実情を私も十分把握していない中で無責任なことを言ってもなにかと思いますが、そういう印象を持ちました。
○近藤委員 質問時間が終了いたしました。ただ、最後に要望としましては、確かにニュアンスの問題になるかもしれません。しかしながら、大変にゆゆしき問題だ。そしてまた、今のやりとりは、どうもメモに責任を負わせている、それはまた一つ大きな問題だと思いますので、その徹底的な調査をお願いしたいと思います。 ありがとうございました。
○小池委員長 辻一彦さん。
○辻(一)委員 十分という非常に限られた時間なんですが、二点だけお尋ねしたいと思います。 まず、吉川先生、御苦労さまでございます。私は、福井県の若狭湾、十五の原子力発電施設がありまして、概算ですが、その容量は千二百万キロワット、恐らく世界一の集中した原子力発電の基地であろうと思っております。そういう点から、どうしても原子力を通してすべてを見ておる感じが自分でもしますが、そういう状況を御理解の上、お尋ねしたいと思います。 一つは、さっき吉川先生の方から、人類が当面する非常に大事な、重要な課題は環境の問題であるというお話がありました。私もちょっと予告はしていないのでありますが、通告してありませんが、御発言になりましたので、それについてまずお尋ねしたいと思います。 今地球の環境問題は、一つは、今京都で行われている、言うまでもなく炭酸ガス、二酸化炭素の問題、地球温暖化の問題であろうと思います。また酸性雨の問題、それから先ほどお話がありましたフロンによるオゾン層の破壊問題、こういうものがありますが、もう一つ、私は核、原子力の廃棄物の将来を考えると、これと並ぶ重大な地球環境の問題になるのではないか、こういうふうに思っております。 今、この炭酸ガス、二酸化炭素を少なくするためにどうするかということで、原子力発電の数をふやせば、まあ二十基づくればそういう数値が達成できるというような短絡した考え方がありますが、地球の汚染とか環境からいえば、私はそういう短絡した考え方はとることはできないと思います。 御承知のとおり、例えば旧ソ連、今日のロシアにおいても、これは核兵器開発という問題が非常に強かったわけですが、軍事優先をした結果として高廃棄物等の保管は非常にずさんな状況にあり、それが湖を汚染し、北極海を今汚染しようとしている。それは将来世界の海の汚染にかかわる、地球環境の重大な問題であるし、ウラジオには四十隻の原潜廃船が並べられて、これをどうするのかという問題がありますが、こういうツケは、例えば旧ソ連、今日のロシアの国土の中にとどまるのみならず、地球の環境に重大な影響を将来与えていくことになる。 核燃料サイクルを完成して、プルトニウムを取り出して、そして使用済み燃料を、だんだん廃棄物を少なくしていこうという考え方があり、これが行われておりますが、確かに容積は小さくなるけれども、形を変えた新しい非常に複雑な廃棄物が次から次へと生まれてくる。最終的にはそれを処理しなくてはならないということですから、これらを考えると、私は地球の将来の環境の問題としてこのことを十分考えなくてはならないと思いますが、この点についての御見解をひとつお尋ねしたいと思います。
○吉川参考人 環境が重要だと私は先ほど申し上げたのですが、それを少し今のお話と関連させて申し上げたいと思います。 恐らく環境問題というのは、外から人類を襲うものではなくて、人間の行為そのものが関係しているということで、やはりあらゆるものに関係するという、その広さにおいて環境問題が非常に重要だということと、もう一つは、やはり環境問題というのは一度変わるとそれを戻すのにははるかに長い時間がかかるという、そういう時間的な重さということからいっても大切だということなのですが、私ども学問をやっている立場でいいますと、物の考え方が、一つ一ついい考えというその判断をするときの、いいというのが本当に環境にとっていいかどうかということは余り考えないで決めているというところがあります。 例えば、鉄道は速ければ速いほどいい、こういう一つの鉄道の論理というのがあるわけですし、そういういろいろな論理があるのですが、それが本当に全体として環境にいいかどうかという視点がない、これが大問題でございますね。環境は大事だ、大事だと言っているだけではしょうがないので、それでは、学者、研究者は何をやっているのかということになろうかと思うのです。 それでは、ちょっと例題を幾つか申し上げたいと思うのです。 例えば、私は工学の世界、エンジニアリングの世界におりますので、物を生産するということをやっているのですが、生産するだけではだめなので、生産した後、製品として出した物質をもう一回完全に元に戻す。その作業は、生産するのが工場だとすれば、戻す方は逆工場と私は呼んでいるのですが、その逆工場、逆向きの工場というものは一体どういう工場なのか。それが果たして経済の仕組みの中に、マーケット仕組みの中に入るのかというようなことが非常に大問題なのですね。そういったことを学問的に研究する。これは経済学の研究でもあり、材料処理の研究でもあり、さらに地球の物質循環という物理学の研究、そういう人たちが共同で集まりまして、それを逆工場の研究と呼んでおりますが、そういったことをやっております。 そういったことをやってみますと、一つ一つの学問というものは姿を変えてくるのですね。経済とそういった物質処理というものを別々に研究していることがおかしい。物質処理というものがそのまま、例えば経済的なメリットをどうやって生むのかということにすぐ直結してくるわけですから、そういった共同研究というものが必要になるということで、学問の全体の考え方を書き直しているというようなことをやっております。 それから、私はこの三月まで東京大学にいたのですが、東京大学でも今度は環境問題を考えようということで、例えば一つの実験として、東京大学の中でどこまで閉じた物質循環ができるかという実験をしているのですね。もちろん、東京大学というのは都会の中にありますから、それだけで閉じることは絶対できないわけです。そこで、いわゆる廃棄物の処理業者などといろいろ連絡をとりながらネットワークをつくり、東京大学で出てくる廃棄物というのは実はたくさんありまして、病院から出てくるもの、それから実験の結果廃棄されるもの、それからおびただしい書類、こういういろいろなものがございますけれども、そういったものがどういうふうな形で社会の中で処理されているかというネットワークを分析的に明らかにしながら問題の所在を明らかにする、こういう東京大学全体を挙げての実験というものをやっているわけです。そういったことで、これもまた学問というものに影響を与えていくというふうになっております。 その中で一つ出てきましたのは、環境問題というのは実は非常に意識が大切なのだということでして、一枚のごみを捨てるときに、このごみがどういうふうになるのかということを考えるような人間を育てようということで、捨てるときには、もう無意識に捨てるということは今は許されないわけで、食べるときには無意識ではないのに捨てるときはなぜ無意識なのか、こういった意識の問題というのが教育の中で実は問題になっているのではないかというようなことで、教育の中でも環境というものを議論しよう、こういったようなことを総合してやっております。 さて、そういう立場で今御指摘の廃棄物問題というものを考えたときに、やはり私たちは廃棄物に関する、特に原子力関係の廃棄物に関する研究というのが非常に不足していると思うのですね。私はこれを大きな国の研究プロジェクトにしていただきたいということを今提案しているのですが、バックエンドの高エネルギー廃棄物あるいは高放射性エネルギー廃棄物あるいは燃料廃棄物といったようなものについて、大きな地球循環の中にそれを乗せるという研究はまだ進んでおりません。今は現実に害がないかということをやっているのですが、例えば地球の物質循環というのは、数千万年で地球のマグマの中に物質が入って流れているわけですね。そういった数千万年の流れの中にもし廃棄物を乗せることができれば、それはある意味では半減期を経て出てきてしまうわけですから影響がないわけですね。 そういった壮大な研究というのをこれからどんどんやるべきだと思うのですが、私は、これは非常に現実的な話ですが、例えば若狭湾というところからそういう問題提起が起こるというようなことになれば、非常に国際的な共感を得て、そういった大きな研究がスタートするのではないかというふうに期待しております。
○辻(一)委員 時間が大体終わったのですが、せっかくですので、ちょっと一分だけお願いしたいと思うのです。 第二の問題を簡単に申し上げますが、先ほど御指摘になりました科学者と国民との乖離、それから経営不在と言われたが、私はこれは、言葉をかえて言えば、技術の過信からくる問題につながるとも思います。それから、もう一つは責任のあいまいさ。これは、冬から私も「もんじゅ」それから東海の再処理工場、それから「ふげん」の問題、それから東海の低廃棄物のずさん管理等々ずっと国会で論議をして、動燃と国民の間に非常に意識の乖離がある。それから、フランス等で尽くされたナトリウム制御や火災対策等の経験が「もんじゅ」等に対してほとんど生かされていなかったということ、温度計も含めてですね。そういうものをちゃんとフランスから資料として政府や動燃は手に入れながら、それを蔵にほうり込んでそのままにしておいた、そういう責任のあいまいさ、こういうことが明確にされない中で、組織だけを新しくしてもほとんど中身は変わらないのではないか、こう思います。 時間がないので、もうこのことは申し上げませんが、そういう組織いじりをやってもこの体質が変わるのかどうか。私はなかなか難しいと思うのですが、一言伺って、終わりたいと思います。
○吉川参考人 一言でお答えしますが、組織を変えるということは、新しい組織はすべて、このポジションはこういう権限と責任があるということを厳密に定めるということなんですね。したがいまして、我々の動燃に関する反省というのは、そういったことがあいまいになっていたということが問題ですから、実は組織を変えることが目的ではなくて、そういった権限と責任、裁量権と責任の明快な組織を新しくつくるということでございますので、その点は十分認識しているというふうに私は考えております。
○辻(一)委員 終わります。
○小池委員長 吉井英勝さん。
○吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。 私は、大臣にお伺いする前に、吉川参考人に二、三お伺いしたいと思います。 動燃改革という問題で、やはり一番国民の皆さんが不審に思ったり問題にしてこられた一つは、虚偽報告であるとかあるいはうそつき体質とまでマスコミに呼ばれた問題だったと思うのですね。ですから、改革する議論に当たって、なぜそういう虚偽報告なりうそつき体質なりが生まれてきたのか、その辺についてどんな議論をなさったのかを初めに伺いたいと思います。
○吉川参考人 この改革委員会では、虚偽報告とかうそつき体質というマスコミの言葉を、もちろん話題にいたしました。しかし、虚偽報告はやめろ、うそをつくなというような結論を出したのでは意味がないという議論をいたしました。 なぜこういうことになったのかという理由を議論するということに時間を費やしたわけでありますが、基本的には、それは技術開発についての方策が間違っていた。すなわち、技術開発において事故は少なければ少ない方がいい成績なんだという体制なんですね。それはいけないので、本当は、事故というのは言葉は悪いのですけれども、例えばうまくいかなかったこと、そのうまくいかなかったことにこそ、次の技術開発の方向に関する非常に重要な情報が実はたくさん入っているわけです。 ですから、それを明らかにすることによって、次は事故が起きないような方向にする、これが本当の技術開発の基本的な姿勢だったわけでありますが、通常の会社組織なんかと似ているわけですから、失敗するとそれはペナルティーだ、こういうのに非常に近いような概念があったのではないかという結論になりました。 したがって我々は、失敗というものは決して、こういう開発過程においてばいいとか悪いとか評価するものではなく、むしろ事実として、むしろ重要な情報としてそれを明らかにしていくというような、そういう一つの原則をやはりつくらなければいけない。これは必ずしも組織そのものではありませんけれども、経営の方針としてそういうことを明瞭にしようということ、これは明記させていただいたと思います。
○吉井委員 当然、事故が起こったときに、その解明そのものは、これは技術者、研究者は内部的には検討されたと思うのです。しかし、表に出なかったわけですね。表に出す過程で虚偽報告に変わってみたり、うそつき体質と言われるものになったと思うのですが、そういう問題について私は非常に不思議なのは、内部チェック機能が働かなかったという問題ですね。 これは、研究者一人一人が表に出す、そういうことももちろん必要なわけですが、しかし、労働組合について嫌いな方もいらっしゃるかもしれないけれども、労働組合についての好き嫌いは別にして、普通だったら労働組合だって指摘して表に出すはずのものが、動燃の場合、かつて労働組合が、再処理工場をつくったときに、運転を開始する前に、数十項目にわたってこういう問題があるではないかという指摘をした時代もあったのに、しかし、組合が変質してしまったといいますか、チェック機能を果たさなくなってしまっているし、一方経営の側は、会社でいったら監査役に当たる監事の方が、隠ぺい工作に当たった方が監事になったりして、とてもじゃないが、内部チェック機能が本当に、あらゆるレベルで働いてこない。 そして、批判する、あるいは疑問を持ったり不信感を持つ国民の声に対しては、批判拒否の体質とでも申しますか、そういうものがあって、なかなか受け入れようとしない。 やはりそこに、なぜこの内部チェック機能が働かないような問題が起こってきたのかということも、もうひとつ突っ込んで見ておく必要があるかと思うのですが、それについてはどんな議論をされたでしょうか。
○吉川参考人 私は、経営というのは半分は内部チェックじゃないかと思っているのですね。情報把握なしで経営を行うということはあり得ませんので。 私は、あの報告の中で記述させていただいた経営の不在ということの内容は、やはりそういった経営の立場に立つ者、経営というのはもちろんトップに立つのが全体の経営ですし、ある一つの研究室なら研究室の長というのはまたその小さな部分の経営をやっているわけですが、その人たちが完全な情報を本当に把握し、その情報に基づいて最適な結論を下しているということが行われていなかったというのが、経営の不在という一言で表現されているわけです。 したがいまして、恐らくこれからは外部チェックというような、もちろんそれは外部チェックが要らなくなるような組織になれば立派なんですが、恐らくしばらくはそういった外部のチェックというようなものが入ってくる。動燃の作業部会なり委員会なりができまして、そういったものが本当にそういうことが行われているかどうかをしばらく監視しなければならない、残念ながらそういう時期が続くと思いますので、その点についてはもう十分意識しているということを申し上げたいと思います。
○吉井委員 経営の問題にしても、やはり組織の内部における民主主義の問題ですね、お互いに率直に議論し合える民主主義が組織の中に存在しなかったならば、どんな方針を出したってうまくいくわけはないわけです。そういう点で、ちょうどいみじくも先ほどの議論の中で、動燃の中野理事の方から情報管理がまずかったという言葉が出てしまいましたけれども、私は、そういうところにもよく出ていると思うのですね。内部チェックの機能が働く、外部チェックに対してもそれを率直に受けとめるという姿勢があれば、情報管理という発想というのは普通は出てこないと思うのです。そこは問題として指摘しておきたいと思うのです。 もう一つ、「もんじゅ」などを考えてみましても、「もんじゅ」の設計図書、申請書というのは、約三万ページのものが出されてきて、そのうち約一万ページが、一ページ丸々全くの白ぼて、白紙状態ですから、我々は公開されたものを見たって検討のしようがないという、それがずっと続いてきました。 なぜ白ぼてなのか、これは国会で聞いたこともありますが、そのときに、情報非公開を貫いているのは、結局メーカーの方の、メーカーがいろいろ下請仕事をしておりますから、私的な知的財産権保護だと。しかし、動燃というのは国民の税で賄われているわけですね。ですから、下請仕事しようと何しようと、研究開発したその成果物というのは国民の共有財産なんですよ。ところが、その発想がなくて、メーカーの知的財産権保護の方が優先される。そうなりますと、秘密主義というのを貫くのは当たり前のことになってくるわけで、やはりそこにはメーカーの利益中心主義と申しますか、実際、理事長、副理事長の構成を見たときに、電力とかメーカー出身者が、この間ずっとそれを占めてきたわけですね。 どうしても、さっきおっしゃった経営の段階でもメーカーの利益をうんと尊重する、そうすると勢い秘密主義にならざるを得ない、そういう部分が生まれてくるという面があったのではないかと思うのですが、この点についてどんな議論をされたのか、伺いたいと思うのです。
○吉川参考人 メーカーの責任、あるいはメーカーのいわゆる知的財産権保護という問題と動燃の技術の透明性ということについては、余り議論はしませんでした。したがいまして、報告書にもございません。 しかし、基本的には御指摘のとおりであって、公共的な費用を使った研究というのはこれはもちろん公開というのが大原則でございまして、その辺は当然、今後は明快な線が引かれることになろうかと期待をしておりますが、残念ながら、検討会ではその点については余り議論しなかったということであります。
○吉井委員 経営不在という議論がかなり論じられて、検討委員会の報告「動燃改革の基本的方向」の中でも、結論的に経営不在の問題をかなり突っ込んで論じていらっしゃるのですが、経営不在の議論ということになりますと、動燃だけに限定してそれは言えるのだろうかという問題が、先ほど来の議論にも少しありましたけれども、かかわってくると思うんです。 もともと動燃の経営方針はどこからくるかといえば、これは原子力基本法や動燃事業団法の中で国の原子力政策遂行機関としてきちっと定められているわけです。国の原子力政策、これはプルトニウム循環を中心とする政策であることははっきりしているわけです。そうすると、その経営方針があって、それを貫徹する中で出てきた問題なのか、あるいは、その経営方針を無視してむちゃくちゃやったから経営不在になっていったのかということがやはりかかわるわけですから、私は、そういう点では、国の原子力政策そのものについて検討をしていかないと、経営問題についてもなかなかこれは深めることはできない課題じゃないかと思うんです。 その点では、政府の核燃料サイクルを堅持するんだというのは、ことしの五月上旬に前の近岡科学技術庁長官を委員長とする原子力委員会で確認をされて、そして核燃料サイクルの政策方針をその結果貫いていくと、その政策に忠実であればあるほど、都合の悪い事故が起こったときには科学技術庁や動燃が隠したい気持ちになるのは当然のことで、実際、四月十八日に最初の動燃改革検討委員会に出席した近岡長官が、従来の政府の原子力政策については議論できないんだと、枠をはめる発言をされました。 そうすると、これは、経営不在という問題よりも経営方針、つまり政府の原子力政策の貫徹ということが問題になってきたり、あるいは経営のトップのところにメーカー、電力その他の幹部の方がいらっしゃったわけですから、メーカーの知的財産権保護の立場とかそういう経営方針が貫徹されてきて、それはやはり秘密主義とか事故隠しとかいろいろなことに行き着かざるを得なかったという要素がかなりあるのじゃないか。 そういう点で、私は、この原子力政策や開発体制の根本問題、どの程度議論をされたのか、あるいは、ほとんど枠をはめられてしまったので議論できなかったのか、その辺のところを伺いたいと思います。
○吉川参考人 大変難しい、お答えがうまくできるかどうかわからないのですが、最初の委員会で枠というふうにはめたのは、むしろ私が申し上げたのですけれども、それは、やはり動燃固有の問題として議論するのが改革検討委員会に与えられたミッションであって、例えば原子力政策あるいは核燃料サイクルに関する政策というのはもっと全然別のところで議論されていたわけですから、そこに言及することによって動燃問題があいまいになるのを防ごう、こういう意図だったわけです。 しかしながら、もちろんそれは議論する過程で、一つの大きな枠の中での経営ということですから、その枠がどうなっているかということについては非常な関心があったわけで、それはたびたび話題になりました。ただし、もちろんそれは結論を出せなかったわけでありますが。 そういう意味では、私どもは、この動燃改革委員会の検討を終えたときに、原子力政策、あるいはさらに大きな我が国のエネルギー政策というものについてどういう国民的な合意をとるかということについて改めて考えるべきだということは、恐らく検討会に出ていた全員が深く感じたことなんだと思います。そういったことは、コメントとしては最後に口頭で言ったのですけれども、最初に申し上げたように、そういったことはこの委員会のミッションではないということで触れなかったということなんですね。 ですから、私はむしろ期待しているわけですが、今後、エネルギー政策というものがどこかできちっと議論され、日本人の平均というか大多数が望んでいるライフスタイルに依拠したエネルギー問題というような形できちんと合意がとれなければ、私はこのエネルギー問題についての本当の意味の問題というのは解決されないというふうに思っておりますので、そういったことがいずれどこかで議論されるということを期待しているということでございます。
○吉井委員 それは、別な場での議論ということで遠慮されたのか、どういうことがあったのか。しかし、いずれにしても近岡大臣のときに、出発点のところで、従来の政府の原子力政策については議論できないんだというこの枠をはめてしまっている。それは、検討委員会で本当に経営問題を突っ込んで議論されようとしたときに、私はやはり障害になったんじゃないかというふうに思うのですよ。 そこで、次に、これは大臣に伺っておきたいのですけれども、先ほど新聞記事についての当否はいろいろ議論はありましたけれども、実は私も、あれは福井新聞でしたかね、福井新聞は辻さんが一番お詳しいと思うのですが、菊池三郎さんという、これは私の同窓なんですけれども、「もんじゅ」の所長が、要するに、国のプルトニウム推進政策をどうするかという議論になってくるときに、動燃改革検討委員会にしても、もう一つの方の懇談会にしても、もともと推進派をそろえているので、これは九十九対一で初めに推進ありきだ、こういうものだったんだということを語っておられるというのが新聞で紹介されておりました。新聞のことですから、それは本当かどうかという議論は私はここできようはやりませんけれども。 しかし、国の方がこういう検討委員会などを設けるときに、やはりバランスのとれたメンバーの方、それは吉川先生がバランス外れているということを言っているのではないですから、そういう失礼なことを申し上げているんじゃないですが、委員の方全員としての構成、やはりバランスのとれた構成を考えて進めるということ。 もう一つは、円卓会議でいろいろな国民の意見を聞いたわけですよね、「もんじゅ」の事故の後。しかし、聞きおくにとどまっているのですね。つまり、何だ、あれは国民の不信やいろいろな声、ガス抜きの場にすぎなかったのか、それが反映されないとなるとやはりこれはおかしいじゃないかというふうに思うのですね。 私は、既に検討委員会はこれまでやってこられたわけなんですが、これからの問題も含めて、こういう検討する場をつくるときの組織構成についても、そして円卓会議などの場で出てくる意見などについて、それは本当に率直にすべてを受け入れて、受けとめる、そういう姿勢を国の方としてとるのかどうかということは、今後どんな意見書なりなんなりが出てきても生きるかどうかということにかかってきますから、これはひとつ大臣に伺っておきたいと思います。
○谷垣国務大臣 今吉井先生からいろいろ御議論ございましたが、先ほど吉川先生からお話がありましたように、当初、動燃に与えられた使命はいわば所与のものとして検討を開始されたということ、これはこの前文にも書いてあるわけですね。それでこの結論をおまとめいただいた。そのとき、前文に書いてありますように、この検討の結果、その所与の使命というものは今の組織ではできないという結論にあるいはなるかもしれない。しかし、一応所与の前提として始めた。この「動燃改革の基本的方向」という結論を見ますと、そういう御検討の結果、所与の目的というものに対して、この動燃というか、あるいはそれを改組しても、その組織がこたえられないという結論はここでは出ていないと私は思っております。 それから、昨日、原子力委員会に高速増殖炉懇談会の御報告をいただきました。ここでも、何というのでしょうか、若干、従来の見解から見ると、柔軟に対応せよというような方向が出ているかと思います。また、この高速増殖炉懇談会の結論をどのように原子力委員会としてこなしていくかということは、きのういただいたところでありますから、そうゆっくり、のんびりしているわけにはいきませんけれども、これから原子力委員会としても考えなければならない問題だと思っております。 ただ、全体として、こういう過程の中で、今までの国の核燃料サイクルの確立という議論に対して、根本的に変更する議論が出てきているというふうには私は思っていないのです。 それで、もう一つ、今吉井先生のお話の中にありましたのは、いろいろな意見を十分こなしていけ、円卓会議にしてもしょせんはガス抜きの場にすぎないではないかという御指摘がございました。 私は、ああいう幅広くいろいろな御意見を聞いたということは大変意義のあることだと思っておりますし、あそこで御議論をされたことが以後のいろいろな施策に全く無視されているというふうには思っておりません。むしろ生かす方向で科学技術庁としては努力してまいりましたし、特に、いろいろな議論を公開の場で行っていただいているというのは非常に大きな進歩であると思っております。 今後とも、もちろんいろいろな御意見が、幅広い御意見があって、先ほど吉川先生が御指摘されたように、まだ十分に国の中で、みんなでこれで一致してというふうに国論が熟していない面があることは私も事実だと思います。いろいろな、多様な御意見がありますから、そういう御意見のあることを、全部正面から受けとめて素直に従えというわけにはなかなかいかないかもしれませんが、できるだけ耳を傾けて、謙虚な姿勢で進んでいきたいと思っております。
○吉井委員 もうこれで終わりますが、プルトニウム循環政策という国の政策の根本の転換なしには、こういう事故隠しなどの体質を根本的に変えていくのは非常に難しいということを指摘して、残念ながら時間が参りましたので、終わります。
○小池委員長 辻元清美さん。
○辻元委員 社会民主党の辻元清美です。 吉川参考人を委員一同お待ち申し上げておりました。いつも、参考人でどの方をお呼びしようかという話の折にトップにランキングされておりまして、きょうはお運びいただきまして本当にありがとうございます。 私は、先ほどからも何人かの方の議論にも出てまいりましたが、プルトニウム政策そのものについて幾つか御意見を伺いたいと思います。 プルトニウム政策そのものを、見直しも含めて、謙虚にそしてオープンに議論をしてみる、そういうことも非常に重要な時期に来ているのではないかというふうに思います。 それは、先ほどからの吉川参考人のお話の中にも、循環という概念がこれから大事になってくるだろうという御指摘がありまして、先ほどの御質問の中にも廃棄物の問題、これは、お話の中で、まだこれから研究していかなければいけない途上にあるものであるという御発言であったかと私は受けとめました。この点が一点。 そしてもう一点、お話の中に、技術体系を現実的なものにするマネジメントが大事であるという話がありました。 それで、動燃の一連の事故等を見ておりまして、私はこういう疑問を持ちました。プルトニウムというものは果たして人間にマネジメントできる段階にあるものなのかどうか、そういう素朴な疑問がわいてまいりました。 こういう今までの経過を踏まえた中でわいてきた疑問と軌を一にするようにして、実際に諸外国ではプルトニウム政策の変化という兆しも見えてきたのがちょうど同時期であります。実際にこの報告書の中にも、最も劇的な変化は、軽水炉を超える原子力技術開発においてそれまで先導的であった諸国が相次いで撤退したことであるという御指摘があります。現在では残った国はフランス、日本、ロシアであると。フランスも最近議論を活発にしているようでありますけれども。 このように、自分自身にわいてきた疑問、そして各国の動きというものを見ておりますと、先ほど吉川参考人の御発言の中で、客観性というものは応用可能な技術かどうかという視点でもって検討を進めるのが大事であるという点を御指摘いただきました。果たして客観性というものをもって見た場合に、今の段階での、日本は国策として進めているように私は受けとめているのですけれども、こういう政策についていかがお考えか。 それともう一つ、先ほど谷垣長官のお話の中に、新しいエネルギーのオプションとしてという御発言がございました。新しいエネルギーのオプションと現在の段階で言い切れない面もまだこれからの議論によってあるのではないかという含みも残しまして、この政策そのものについて今議論しなければならないと考えているのですが、吉川参考人はいかがお考えでしょうか。
○吉川参考人 まず、プルトニウムそのものでございますけれども、確かに核燃料サイクルというものは、夢の技術と言われたように、これがうまくいくならば、高速増殖炉によってプルトニウムを新しい燃料として使える、そういうような構造を持った技術体系というのは、ある意味では非常にすばらしいものなのですね。 しかも、そこに含まれている概念というのは、現在環境時代と言われる中で、物質はすべて循環しなければいけないという思想の、ある意味では非常に代表的な先例であるという意味においては、依然としてその技術的な魅力というのは全く失われていないように思います。むしろ、この高速増殖炉というのは今後の技術の代表のようなものなのですね。燃料が何回も使えるということはすばらしい。 そういうことを一つ考えた上で、したがって、これは人類として追求するに値する、技術体系としては一つの理想型であるということはあります。 ただ、問題は、技術体系として成立するということには二つの条件がございまして、それは、いわば本当の意味で、狭い意味での科学、サイエンスという形でそれが本当に実現可能なのかどうかということが一つありますね。例えば、核融合というのが今そこで問題になっているわけで、これは技術的実現性という意味でもまだ確認されていないというようなことがあるわけですけれども、そういった技術的な成立性ということ。 もう一つは、明らかに技術というのは人類を豊かにしなければいけないわけですから、これは卑近な言葉で言えば経済性ということで、それが本当に経済的に成立するものなのかどうなのか、市場において競争力のある技術なのかどうか、この二つが満たされなければ技術としては成立しないということだと思うのですね。 ところで、現実にフランス、ロシア、日本以外が撤退してしまったということは、これはほとんど経済性が理由だということが明らかです。これは私はアメリカとかイギリスに行ってその話を聞いたのですが、経済的にペイするものはやっていくのだと。例えば、御存じのようにイギリスでは、燃料再処理、廃棄物処理ということについてはますます大いにやろうというような政策をとっているわけで、そこが実は経済的にペイするからだというふうに考えているわけですね。したがって、撤退というのは、表面的には少なくとも経済性がないということを理由に撤退しているわけですね。 そこで問題となるのは、我々の技術開発というのが、現在の、少なくとも短期的な意味で経済的に成立するものだけに集約していいのかどうかという大きな問題にかかわってくると思います。 先ほど申し上げたのですが、少なくともエネルギー問題というのは、これは人類が存在する以上エネルギーというのは必要ですし、恐らく、現在のように人間の行動が環境に負荷を与えるとすれば、その環境問題を解決するためにはやはりエネルギーが要る、そういう非常につらい状況になるわけですね。そういった意味で、エネルギー問題というのは、少なくとも五十年先あるいは百年先において人類がエネルギー問題に困らないように、現代の我々が準備をしておくということが非常に重要になってくるという面もあります。 したがって、明らかにそれは、一国の経済ということを考える、あるいは福祉ということを考えれば、現在利益にならないことに金をどこまで投じていいかという問題はありますけれども、しかし、人類全体としていえば、それはやはりあすの技術というものに経済を無視して投資しておかなければならないという面があると思うのですね。 それで、私は、現在日本が、他国が撤退したにもかかわらず高速増殖炉というものに対して一つの期待をかけようとするのは、そういう側面が一つあるんだと思うのですね。 もちろんそれは、ですから経済的にペイしなくていいということでは全くないので、いかにして経済的にペイする技術を完成するかという目的を捨ててはいけない。しかしながら、現在経済的に成立しないからといって捨ててもいけない。そういう非常に大きな分かれ目、岐路に今我が国の核燃料サイクルに関する技術開発というのは立っていると思うのですね。 したがって、少なくとも人類の、ということは地球上の国のどこかがエネルギーオプションの一つとして核燃料を分担するということは、これはかなり国際的なコンセンサスだと思います。人類が全部やめてしまうということになると、これは全く違うことですね。そうすると、残った将来のエネルギーというのは、化石燃料をこのまま使うのか、あるいは太陽電池でいくのか、あるいは風力でいくのか、メタンガスでいくのか、バイオマスでいくのか、こういうふうにたくさんあるのですけれども、それらは非常に技術的可能性がまだ低いのですね。そうなったとき、結局は化石燃料を使わなきゃいけないということで将来に負担をかけてしまう、そうすると環境問題と矛盾する、こういうシナリオがあるわけですから、どこかの国がやはりそういった環境問題とうまくいくような、あるいは循環系のエネルギーというものを持たなきゃいけない。これを核燃料サイクルは一つ期待されているわけなんですね。 したがって、我が国は、そういった意味での国際貢献、未来の人類に貢献するという意味でも、経済性ということを短期的に見ずに、長期的課題として核燃料に臨もう。こういうことが、現在恐らく核燃料サイクルというものに日本が合意している一つの考え方なんだと思っております。 このことについては、もちろん我が国は十分これから議論をすべきでありますけれども、その議論というのは、やはりそういうレベルでの議論がされるべきだというふうに私は今考えているわけで、その意味では、やはり核燃料サイクルというのは他国が引退したからやめるというような論理はないというふうに考えていますけれども。
○辻元委員 どうもありがとうございました。 それでは、もう一点ちょっとお伺いしたい点がありまして、原子力政策そのものについてなんですけれども、情報開示の問題です。 最近、原発立地のところで住民投票などもございます。巻町の例なんかもよく言われますけれども、その折に、理解が少ないから立地を拒むのではなくて、情報をたくさん――やはり現地の方とお話をしますと、今まで何か原子力というのは夢のような技術のように思っていたが、等身大に見えてきたと。欠点もよく見えるし、問題点も見えるし、等身大になってきたからこそ住民が意見を言うようになってきたのではないかというふうに私は考えております。 そういう一つの流れの中で、今回の一連の動燃の事故を発端に情報開示の問題が言われておりますが、この検討委員会の中で、一番ポイントとして議論された点をお答えいただきたいと思うのです。
○吉川参考人 検討委員会そのものは完全に公開ということでやらせていただいたわけで、この点については、報道を通じ、また、現実に毎回御出席の方がいらっしゃいましたから、動燃の問題というのは、この検討会を通じて随分広く理解されたと思っております。 さて、動燃の検討会の中で情報開示というのをどういうふうに議論したかということですが、これは非常に重要事項として、すべて情報を開示するべきであるということは議論いたしました。 これは、やや一般的なことを申しますと、こういった特に専門、科学技術というふうに限定してもよろしいのですが、科学技術の進歩というのは、恐らく非専門家との共同作業、こういうふうに私は思うのですね。科学技術の専門家がどういう研究をすべきなのか、あるいは科学技術政策を立てる者が一体どういう政策を立てるべきなのかというのは、これはもう明らかに、一般の人々がどう感じるかという感情を抜きにしては絶対できない時代が来ているので、それに対する感受性というのを政策決定者も研究者自身も持つべきだ。 それをどういうふうにすれば持てるのかということをこれから大いに考えて、それを制度的にも、あるいは運営上も考えていくというのが今後大きな問題だと思いますが、それについては、もちろん原子力開発が一つの典型的な例になると思いますので、動燃の今後の検討の中でその情報開示ということは非常に大きな話題になっていくと思っております。
○辻元委員 時間が参りましたのでこれで終わりたいと思うのですが、今、一般の人たちの視点に立つということが大事であるという御発言でした。その上で、政策を私たちは決定しなければいけないという話。先ほどの、核燃料サイクルが今岐路にあるという御発言もありましたが、その視点も入れて、これは日本がどういうふうに行っていくのかということを決定すべきだと私は思っております。 どうもありがとうございました。
○小池委員長 吉川参考人には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時四十五分散会 ――――◇―――――