国民生活・経済に関する調査会 第7号
- 発言数
- 33 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1997/05/07
会議録
○会長(鶴岡洋君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 去る四月十六日、中原爽君及び阿部正俊君が委員を辞任され、その補欠として金田勝年君及び三浦一水君がそれぞれ選任されました。 また、本日、一井淳治君が委員を辞任され、その補欠として千葉景子君が選任されました。 —————————————
○会長(鶴岡洋君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、二十一世紀の経済社会に対応するための経済運営の在り方に関する件のうち、国民のニーズの変化と社会保障の在り方について参考人から意見を聴取いたします。 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、朝日新聞社編集委員兼論説委員有岡二郎君及び関西大学経済学部教授一圓光彌君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。 この際、有岡参考人及び一圓参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。 本日は、本調査会が現在調査を進めております二十一世紀の経済社会に対応するための経済運営の在り方に関する件のうち、国民のニーズの変化と社会保障の在り方について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。 本日の議事の進め方でございますが、まず両参考人からお一人二十分程度ずつ順次御意見をお述べいただきました後、八十分程度各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。 質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に御質疑をいただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。 なお、できるだけ多くの方が質疑をできるよう各委員一回当たりの発言時間を一分程度とさせていただきたいと存じます。 また、時間に制約がありますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようよろしくお願いいたします。 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁ともすべて着席のままで結構でございます。 それでは、最初に有岡参考人からお願いいたします。
○参考人(有岡二郎君) どうも初めまして、よろしくお願いします。着席したままと言っていただいたものですから、座ったままやらせていただきます。国会議員の皆さんには先刻御承知のようなことをお話しするんじゃないかと思って、お役に立つかどうか気にしながら参りました。よろしくお願いします。 お手元にグラフを主にした資料がありますので、それをもとにお話をさせていただこうと思います。 皆さん先刻御承知のことで恐縮ではありますけれども、申し上げれば、もう間もなく二十一世紀ですけれども、これからの日本の社会というのは高齢・少子社会であるとともに長寿社会であり、それから特に一番言いたいのは、ひとり暮らし、あるいは老夫婦二人暮らしの社会が始まるということを僕はいつも考えておりますので、きょうもそのことをまず申し上げたいと思います。 一ぺ−ジ目のグラフは、ついこの間といっても一月ですけれども、厚生省の国立社会保障・人口問題研究所が出しました将来推計を私がパソコンでグラフ化したものであります。 見ていただければわかりますが、棒グラフの一番下の部分がゼロ歳から十九歳、つまり二十前の未成年、それから真ん中の黒い部分が、二十歳から六十四歳とグラフの真ん中辺に書いてありますけれども、働き盛り、六十歳前半を働き盛りと言うかどうかということは議論があるとしましても、一応働き盛りの年齢、それから上の白い部分が六十五歳以上の年齢というものをグラフにしました。ごらんになって一目でわかるのは、上の白い部分、六十五歳以上の部分が一九八〇年とか九〇年あたりから大きく面積を広げ出しまして、二〇五〇年にかけてどんどん広がっていく。それが六十五歳以上の実数の大きさであります。 そしてもう一つ、折れ線グラフを二つ用意してあります。上の折れ線グラフは六十五歳以上の人口割合をあらわしております。これで見ていっていただければわかるんですけれども、これが新聞あるいは政府のいろんな発表にしきりと出ている数字なんですが、二〇二五年に六十五歳以上の人口割合が二七・四%、約三割近くになる。そして、二〇五〇年には三二・三%、三割を超えるという予想であります。 もう一つ注目していただきたいと思って下に折れ線グラフをつくったんですが、これが七十五歳以上の人口割合であります。七十五歳以上の人口の割合が、今はまだ低いんですけれども、二〇二五年には一五・六%になって、そして二〇五〇年には一八・八%。一八・八%の実数は約千八百九十万人という予想ですけれども、それぐらいでふえていく。 申し上げたいのは、今六十五歳以上の人口が大体千八百六十万人ぐらいなんです。そして全人口に占める割合が国勢調査の数字などでいえば一五・一%ですけれども、三十年後に七十五歳以上の人口がそれとほぼ同じ割合になるということを申し上げたいと思ってつくってあります。 つまり、今、地域社会あるいは市町村の中に六十五歳以上の人口が多い多いと言われていますが、それと同じ割合に三十年近くたつと七十五歳以上の人口割合がそれだけふえてくる。実数も大体千八百万人を超えるということであります。これは、七十五歳以上になれば体の調子も悪くなりますし、ぼけの症状の出る人もふえてくる。 そういう意味でいいますと、七十五歳以上の人口が今私たちが見ている六十五歳以上の人たちと同じ割合で社会にいると、そういう社会が三十年弱の目の前に迫っているということはひとつ注意しておかなきゃいけない。それだけ介護問題とかいろいろな高齢者福祉というものが今以上に必要になってくるし、それは施設からマンパワーから必要になってくるということが言えるんだろうと思っております。 それで、次に二枚目の資料を見ながらお話をさせていただきます。 僕は、冒頭にこれからの社会は第一に高齢・少子社会だと申し上げましたけれども、なぜこういう高齢・少子社会が始まっているかということは、もちろん第一の理由は、もう先刻御承知のことを申し上げて恐縮なんですが、高齢者が長生きになっているということであります。そうでありますが、もっと大きな理由は、子供が産まれなくなっているがために高齢者の全人口に占める割合がふえているということがあります。 なぜ子供が産まれなくなっているかということなんですけれども、それをこのグラフで申し上げたくて用意したものでありますが、若いお母さんは実は子供をほどほどに産んでくれているわけです。私は八人兄弟なんですけれども、そんな個人的なことを言ってもしょうがないんですが、五十代の僕らの世代は大体子供は四、五人からもう少し多いのが普通であります。ところが、今の若いお母さんは、子供を産まなくなったといっても、厚生省の統計によれば大体平均して二人よりちょっと多く産んでおります。これは、よく言われていることでありますけれども、民族とかあるいは国民のという規模で人口が減り始める目安というのは二・一ないといけない。つまり、全女性が平均して二人とちょっとだけ赤ちゃんを産んでくれなければ民族や国民は減り始めると言われています。日本はもう二・一を割って三十年ぐらいたっておりますけれども、その中でも実は結婚しているお母さんはぎりぎり二人以上の子供を産んできているわけです。 それでも合計特殊出生率がなぜ一・四二にまで下がっているかといえば、実は若者が結婚しなくなっている、これが一番大きな理由だろうと僕は思っております。そして、それは僕が個人的にそう思っているだけではなくて、国立社会保障・人口問題研究所の副所長で人口学者の阿藤さんにもしょっちゅう雑談的な取材をさせていただくときに、阿藤さんも同じことをおっしゃっておるんですけれども、やはり若者が結婚しないというのが一番大きいということを言われております。それをこのグラフで御説明したくて用意したものであります。 このグラフを見ていただきますと、小さい字で見にくいんですが、一番上が二十代後半、二十五歳から二十九歳の未婚率であります。左側が男性、右側が女性ですが、左側の男性の一九九五年のところ、見にくいんですが六六%であります。そして女性は四九%。つまり、二十代後半で今男の三人のうち二人は結婚してない、そして女性は半分、二人のうち一人は結婚してない時代が始まっている。 二十代後半ですとそれぐらいだろうといに皆さんお思いだろうと思います。最近若者はなかなか結婚しないからそれぐらいだろうというふうにお思いでしょうけれども、やはりちょっとショックを受けるのは、一番下の三十代後半、三十五歳から三十九歳のところを見ていただきたいのですが、これはいずれも国勢調査の数字であります。男性が三二%、女性は九・七%が結婚してない。つまり、ちょっとかいつまんだ言い方を申し上げれば、四十男で五人に一人は独身だという時代が今や日本社会で始まっている。そして、女性も三十代後半で十人に一人は独身ということが始まっているわけであります。 もう一つこのグラフで見ていただきたいのは、一九七〇年から数字を入れております。つまり、一九七〇年から見ていただくとわかるんですが、国勢調査のたびに未婚率は上がってきているとはいいましても、一九七〇年あるいは七五年まではそれほど変わりなかった。これから前も余り変わってないんです。そして、一九七五年から先、五年ごとに実は未婚率、結婚しない若者の割合がじりじりと上がっている。これは、やはり高齢化も同じことなんですが、日本社会が豊かになって経済に力がついてきて、ちょうど日本の経済が成長し始めたときとパラレルで実は若者が結婚しなくなり始めている。 そういう意味でいいますと、実は若者が結婚しないというのは、若者個人個人、一人一人の物の考え方とかそこに何か原因を求めるということが仮にあるとしましても、それよりも大きく日本社会が動き出して豊かになってきて、そして若者が結婚しなくても楽しめるものがある、あるいは女性でいえば、昔は結婚しなければ食べていけなかったのが結婚しなくても食べていける時代が始まっているということもあるかもしれません。いろんな要素があって実は若者が結婚しなくなった。 ですから、特に結婚するかしないかというのは個人の問題ですから、お国が結婚しなさいと若者に説教して回るのではそれは戦前のようなことになってしまいますし、できない話であります。あるいは、先輩たちが若者に結婚しろと個人的に言うのはいいのですが、社会として言うわけにもいかないという問題であります。また、若者の文化が変わってきているということを考えれば、そう簡単にこの未婚率の上昇というのはとまらないんではないかと僕自身は思っております。それがこれからの少子社会の流れをなかなかとめられない原因ではないかと思っております。 二十分ということで、ちょっと先を急いで、後で御質疑のときに申し上げたいと思います。 次の三枚目。用意しましたのは、冒頭に申し上げました二番目のこれからの社会は長寿社会であるということ。つまり、ここは簡単に申し上げますが、お一人お一人が長生きする社会が始まっている。第一に申し上げた高齢・少子社会というのは、高齢者の割合が社会の中で多くなっているということでありますけれども、もう一つの側面として長寿社会、つまり高齢者のお一人お一人が長生きする社会が始まっているということを端的に見ていただきたいグラフであります。 一番左が一九六〇年、そのときには女性は六十五歳の平均余命が十四年ありました。男性は十一年とちょっとでした。それが、これは十年ごとにグラフをつくったものですから、一九九〇年と二〇〇〇年とでありますけれども、大体女性が二十年、男性が十六年から十七年という六十五歳からの平均余命、それぐらいになっております。六十五歳に十六歳足せば大体八十一歳ないしは二歳ですから、男性は平均すれば八十一歳から二歳まで長生きする時代が来ている、中高年の人たちは。そして、女性は大体六十五に二十から二十二足しますから、八十五歳から八十七歳まで生きるのが当たり前という時代が今始まっている。 もう一つの側面を言えば、社会の第一線を退いてから二十年という長い人生を送るという今の日本人の平均の姿が始まっている。これから後で申し上げることですが、老後という言葉ももう使えないんじゃないかと僕は思っています。老後というと、老いた残り、後ということですから、ちょっと言葉がおかしいので。長い第二の人生というか、第三の人生がある。その第二、第三の人生のところで年金とか介護とか医療保障とか、そういうことが非常に大きな意味を持ってくるというふうに考えなければいけないんだろうと思っております。 それから、第四番目として申し上げたい、これから先が実は申し上げたいことの本論に入るところなんですけれども、ひとり暮らし社会が始まっているということであります。 これは国勢調査の数字をグラフ化したものでありますが、左側の棒グラフをまず見ていただきたいと思います。一番下が単独世帯、ひとり暮らしの世帯です。そしてその上が夫婦だけの世帯。未婚の子や孫と同居の世帯がその上の黒いところであります。それから斜線の部分が三世代同居。そして一番上がその他の世帯、例えば姉と妹が一緒に暮らすとか、めいとおばが一緒に暮らすとか、そういう世帯だろうと思いますが、そういうものがグラフ化してあります。一見して見ていただけばわかるように、三世代同居が減ってきて夫婦だけの世帯、そしてひとり暮らしの人たちがふえてきているということが言えるわけであります。 これが人口研、人口問題研究所の将来推計によりますれば、二〇一〇年には六十五歳以上の高齢者のいる世帯の中でひとり暮らしの世帯が三一%になる。そして夫婦だけの世帯が三五%になる。ですからあと十数年たつと、高齢者がいる世帯を日本じゅう探して歩くと三世帯のうち二世帯までは、三分の二まではひとり暮らしと老夫婦だけ。老夫婦だけと言うとちょっと語弊があるんですが、若い奥さんと結婚しているお年寄りもいるかもしれませんから。ただ、それは数が少ないと考えていただいて、大ざっぱに言って三世帯のうち二世帯までは高齢者がひとりで暮らすかあるいは高齢者だけの夫婦で暮らしている世帯である。それがもう十年ちょっと先に来ているというわけであります。だから僕は、これからの日本社会というのは高齢者シングル時代だというふうに考えております。 もう一つ申し上げれば、これは国勢調査の数字ではっきり出ているんですが、ひとり暮らしのお年寄りが九五年の国勢調査では二百二十五万人いらっしゃったんですけれども、そのうちの百八十万人が女性であります。つまり、先ほど申し上げましたように、これからの社会は高齢者のひとり暮らし社会だと申し上げましたが、それをもう一つ踏み込んで言えば、これからの社会はおばあちゃんのひとり暮らし社会である。女性が六十歳を過ぎたらおばあちゃんと言うのは失礼だという一般的なことは気にしながらしゃべっているんですけれども、キャッチフレーズ的に言いまして、これからの社会はおばあちゃんのひとり暮らし社会であるということであります。つまり、ひとり暮らしの高齢者が二百二十五万人いるうち百八十万人が女性である。そしてこの数字は、実は五年前の一九九〇年の国勢調査でも同じなんですね。そのときの数字を丸い数字で覚えていますが、百六十万人がひとり暮らしだったんですが、百三十万人が女性でした。つまり、高齢者のひとり暮らし世帯、御家庭をのぞくと五軒のうち四軒までは女性である。 これはなぜかと言えば、わかりやすいことなんですが、今、男と女の平均余命は六・五年女性の方が長生きであります。それから、日本人の夫婦の平均的な年齢の差は男性の方が三歳年上だという統計があります。六・五年と三年を足すと約十年近く。平均的な夫婦の姿を考えれば、だんなを見送ってから奥さんは十年間ひとりで暮らすという社会なんであります、日本人の健康状態とか家庭環境を考えると。ですから、やはり女性のひとり暮らしはこれから多くなる。 そういう意味では、これからの高齢社会の社会保障あるいは社会政策というものは女性の高齢者というのを一つ大きくターゲットに考えておかなきゃいけない。そしてまた、女性の高齢者がもっともっと発言力を強めていいんだろうと思っております。 時間が過ぎていくので四ページに移りますけれども、なぜそのようなひとり暮らし社会、高齢シングル社会が始まったかと申し上げれば、僕はそこに「家族の崩壊」と書きましたけれども、崩壊というと何か否定的な意味合いがあって嫌だなと思いながら、しかし新聞記者ですからちょっとショッキングな題を考えてしまったんですが、家族の崩壊が始まっている。そこに「世帯構造別にみた世帯数の推移」というのをグラフにしてあります。 核家族が一応ふえておりますが、それよりも単独世帯がふえている、そして三世代同居がどんどん減ってきているということが見てわかる。そして、折れ線グラフは世帯の平均人員ですけれども、数字がちょっと古くて済みませんが、九三年の数字で三人を割って二・九六人になっています。今、つまり日本人というのは平均して三人一緒に暮らしていない時代が始まっている、家族関係でいいますと。そういう時代が始まっているわけです。 どうしてこういう時代が来たかというと、先ほどの若者の未婚と同じなんですが、やはり経済成長が進んでいく中で、若者は都会の学校へ行ってそのまま都会に就職する、そしてふるさとに年老いた親が残る。大都会の中でも、僕自身がそうなんですが、東京育ちなんですけれども、大学を出てサラリーマンとして就職する、僕はたまたま母親と一緒ですが、普通にはそのままサラリーマンとして郊外の住宅団地に住む、そして下町の古い町並みに年老いた両親が古いお店を守って暮らす、そういうようなことが日本社会全体でこの二十年、三十年起きてきたんではないか。経済成長の中でサラリーマン化が進んで、そして若者は都会へ出て都会で世帯を持つ、それでふるさとに年老いた親が残るということが始まって、その度合いが大きくなってきた。 具体的な数字を申し上げれば、一九五五年、昭和三十年には農林漁業というのは全勤労者の四割を占めていました。今それは六%しか占めておりません。一方でサラリーマンは八割を超えております。つまり、そのように圧倒的に日本社会がサラリーマン社会になってきた。一言で申し上げれば、サラリーマン化と人口の都市集中、それが核家族化を進めさせて、若者は都会でサラリーマンになり、ふるさとに年老いた親が残る、そして年老いた親が体のぐあいが悪くなっても周りに世話をする身内の若者、肉親の若者がいない時代が始まっているということであります。 もう一つは女性の社会進出、これが大変進んでおります。今、大ざっぱに丸い数字で申し上げれば、十五歳以上の女性のうち半分が働いているか働く意欲を持っております。また、別の統計でいえば、結婚している女性の半分がパートも含めて働いている、女性がどんどん社会へ進出している。だから、たまたま三世代同居という家庭があっても、実は年老いた親が体の調子が悪くなったときに世話をできる人手は家庭の中にいないということが始まっております。 これは、実は日本だけの現象じゃないんです。先進国共通の現象でありまして、僕は三年ほど前に医療介護の問題を取材にヨーロッパをぐるっと会社で回らせてもらったときに、イギリスの保健省の局長をインタビューしていたときに局長が、イギリスではファミリーブレークダウンが問題になっているということを言われました。それを僕はこの家族の崩壊ということで使った言葉なんですが、そのときに局長にそのファミリーブレークダウンというのは何ですかとお聞きしましたら、僕が今言ったような現象を言われたわけです。 つまり、ヨーロッパ社会ではスープの冷めない距離に家族がこれまでは住んでいたんだけれども、やはり経済が発展してきて、そして働き盛り世代がどんどん大都会に集中して、数百キロ離れた土地に年老いた親が残っているという現象が起きております。それはドイツでもスウェーデンでもフランスでも同じことを聞きました。ですから、これは日本社会で何かおかしなことが始まったとか、いけないということではなくて、経済が発達した先進国に共通の現象だというふうに考えなきゃいけないと思います。 時間が過ぎてしまいましたから、そういう中でこれからの社会保障のあり方を考えていくという意味では、社会保障の必要性はますます高まっているということを最後に申し上げて、とりあえず終わらせていただきます。 どうも失礼しました。
○会長(鶴岡洋君) ありがとうございました。 以上で鶴岡参考人の御意見の陳述は終わりました。 次に、一圓参考人にお願いいたします。
○参考人(一圓光彌君) 一圓でございます。 このような機会を与えていただきまして、大変光栄に思っています。どうぞよろしくお願いします。 社会保障を取り巻く環境は大きく変化しているように思います。第一に、ただいま有岡参考人が御説明になったような、例えば家族構造の変化にあらわされるような社会経済的な変化であります。それに対応すべき新しい課題が生まれてきております。最たるものは介護の社会化の問題でございます。それでなくても社会保障の先進国の西欧諸国では社会保障がかなり高い費用を要しているわけですが、この上にさらに介護の問題をどう引き受けるかということが問題になってきています。 また、こうした新しい課題にこたえるためにも新たな財源が要るわけですが、経済はかつてのような高度経済成長が望めない状況ですので、新たな費用を国民に負担をお願いしなくてはいけない、あるいは既存の社会保障の給付を削減することを国民に求めなくてはならない、こういう経済環境が現在の経済環境であるというふうに思います。つまり、国民の合意の形成、これは社会保障の基本的な特徴でもあるわけですけれども、経済情勢が現在のようになりまして、ますますその課題が重要になってきているということです。国民に負担あるいは給付削減といった合意を求めるためには、信頼に足る社会保障というのを築いていかないとその負託にこたえられないということであります。 第三は、人口の高齢化ということが、これは最初の一番目とも関係しますけれども、大きな変化要因になっています。社会保障に対する需要はますます増加し、反対にそのための財源の確保はますます難しくなろうとしています。また、高齢化というのは、社会保障の財源面ないし給付面で大きな仕組みの変化をもたらそうとしています。 実は、こういう高齢社会であるからこそ、しっかりとした社会保障の下支えがないと安心できる老後の設計、老後という言葉はいけないということも重々承知の上で今使わせていただきますが、老後の設計が困難で準備のしようがなくなるわけです。ともしますと現在の風潮は、そういう高負担ということに対する懸念から社会保障を切り詰めるということだけが政策課題としてクローズアップされようとしていることは、そういう面がなきにしもないということであります。国民が漠然と社会保障に対して不安を抱く、年金がもらえるのだろうか、あるいは医療保険は大丈夫だろうかというふうに心配を持つということは、やはり来世紀に向けて非常に心配なことではないかと私は思っています。 そういうことを背景に、レジュメにございますように三つの点について考えていることを述べさせていただきたいというふうに思います。 第一は、普遍的な制度の重要性ということです。これまでの社会保障の歴史を一言で言いますと、普遍的な制度が発展してきた歴史であったというふうに言うことができると思います。普遍的な制度といいますのは、貧しい人だけでなくて豊かな人も含めて生活不安の要素を解消するための給付をする、そういう社会保障制度のことでありまして、年金保険とか医療保険というのが日本でもその代表例であります。 これに対して、選別的な給付というのがございます。これは、貧しい人を選んでその人の最低生活に見合うだけの部分を埋め合わせするという制度で、生活保護がこれに当たります。 普遍的な制度の発展ということで申しますと、日本では、昭和三十六年に実施されました国民皆保険、国民皆年金という事業が非常に大きな意味を持っておるというふうに思います。当時、保険あって医療なしと批判されたり、あるいはあめ玉年金とやゆされたこともありましたけれども、今振り返ってみまして、それが今日の私たちの生活保障に与えた意義ははかり知れないものがあるのではないかというふうに思います。 現在、介護保険に関して国民の多くが、税金や保険料の負担が少々ふえてもぜひそれを実施してほしい、導入してほしいというふうに考えています。世論調査等でそういう意見が多いわけですが、こうした社会保障への支持の背景は、年金保険や医療保険のこれまでの実績に対する国民の支持であり信頼であるというふうに思います。現在、介護保険の実施などこれからの社会保障の動向を考えますと、昭和三十六年当時の社会保障をめぐる情勢と変わらない非常に重要な歴史的な局面に来ているというふうに思います。しっかりとした普遍的な社会保障制度を来世紀に我々の手で用意をするというのが大きな責務ではないかというふうに思っています。 普遍的な制度といいますのは、金持ちにも年金や医療を保障するという制度であります。当然、貧しい人だけに医療や年金を保障する選別的な制度と比べますと費用は高くつきます。ですから、高齢化に伴って、少しでも給付を抑制するという観点からこれを切り詰めて、あるいは極端な場合には選別的な制度だけにするという意見も出てきています。しかし、それは決して賢明な選択ではないというふうに私は思っています。 選別的な制度は援助する側と援助を受ける側というふうに社会を二つの役割に分ける性格を持っています。できることなら、だれもが一つの制度に加わって同じように利用する制度を通して、余裕のある人は援助をし、本当に必要な人が援助を受けるというそういう仕組みを残す方が望ましい。そういう意味で日本の皆保険というのは非常にすばらしい仕組みであったというふうに思います。 社会問題は昔のように貧困から直接的に出てくる問題は少なくなりまして、豊かになるとともに、社会そのものはいろんな問題に多様に解決策を探るといいますか、そういう仕組みが社会に備わっていることが必要になっています。環境の問題であれオウムのような問題であれ、そういう問題、これから社会病理的な問題が出てくると思うんですけれども、そういうときに私たちの社会がともに問題を解決する仕組みを持つということが非常に重要ではないかというふうに思っています。 アメリカは日本のような普遍的な医療保障制度を持たない国です。しかし、実際に政府は貧しい人々を対象とする医療扶助のためにかなりの費用を使っています。それだけ公費を使うんであれば、あらかじめ行政的な医療保険制度をつくってそこに公費を補助する方が制度としても効率的であるはずです。そういうことでクリントン政権のときに提案がなされたわけですが、実現しなかったわけです。 ヨーロッパでは、現在多くの国で日本と同様に介護保障のシステムをつくろうとしています。それも、介護の問題というのが非常に一般化いたしまして、多くの要介護者が生活保護を受けるという事態が発生している、それが一つの理由であります。それだけ公費を生活保護として使うんであれば、普遍的な介護保障の制度をつくっておいて、そこにみんなが自分の備えをする、そういう努力にあわせて援助をする方が望ましいんではないかということで、そういう議論が起こっているんだと思います。 もちろん、普遍的な制度といいましても、ただ寛大であればよいというわけではなくて、かつてと比べますと社会保障は全体として規模も大きくなり、経済に及ぼす影響も大きくなっていますから、もちろん合理化して必要最低限の制度にすべきです。また、効率的な運用ができるようにさまざまな工夫を取り入れることが必要です。 しかし同時に、形だけ普遍的、だれもが利用できるという制度、形だけの制度であってはいけないというふうに思います。その水準が生活保護を下回るような水準でありますと、結局人々の生活不安を解消することは困難になります。 有岡参考人のお話にもありましたけれども、これからの社会保障は、人生の一番最後の段階でどっと役に立つといいますか、支出する、そういう制度に変わってきています。最後のその局面になって医療や年金や介護の制度が役に立つわけです。そのときに役に立たない、つまり、結局自分が財産を全部はたかなければならない、あるいは貧乏になって初めて援助が受けられるというふうになりますと、我々の生活設計は非常に難しくなります。 実際、一部の西欧社会で、どうせ人生の最後が生活保護であれば、働いているときにせっせと保険料を払ったり自分で蓄える意味がないではないか、あるいは病気になったり要介護になってしまいますと、あと資産がどんどん減っていくのは目に見えているわけですから、もうそんなもの残しておいても意味がないではないかというふうな投げやりな態度が出てくるわけです。そういうことのないような制度にしなくてはいけないというふうに思います。 退職後に迎える人生のこういう困難に対して十分に備えるというのは私たち一人一人の責任でありますし、また、両親が困窮していましたらそれを援助するというのは子供たちの責任だと思います。ただ、その責任を個人で負うのか家族で負うのか、あるいは公的な制度である程度賄うのかということの違いがあるだけであります。 普遍的な介護保険の例をとれば、普遍的な新しい制度をつくるということは、既に個人や家族が、あるいは医療保険や年金保険の仕組みを通して私たちが負担している介護のための社会全体の費用を、公的介護保険の仕組みを通してその支払い方式を変えるということであります。なぜそういう仕組みをつくらなければならないかというと、公的介護の問題がそれだけ個人個人の備えにたえないような大きな問題になっているということであります。 次に、公的な介護保険制度をつくるということになれば、それをどう効率的な仕組みに変えるかということが問題であります。 二番目のテーマですけれども、国民ニーズの変化と社会保障の新体系ということですが、豊かな生活を社会保障で支えるということが必要なんですけれども、もちろんそれはぜいたくな生活を保障するということではないはずであります。社会保障はあくまでも最低限必要な生活を保障するということでよいはずであります。それでも医療や福祉の二ードにつきましては最低という概念が考えられません。 社会保障研究所の初代所長をしておられた山田先生は社会保障の扱う二ードについて、生活の二ード、生活費ですね、それから医療のニード、福祉のニード、この三つに分けているわけですが、医療と福祉のニードにつきましてはそれぞれ、貧しい人も、それから医療や福祉が好きな人嫌いな人というようなことではなしに、ニードに合った最適な、適切なサービスというのが求められます。このことは逆に言えば、人々がそれぞれ多様な生活様式、生き方を進める、それを認めた上で医療や介護に合った必要最低限のニードを、最低限という言葉ではなくて最適なサービスを提供するということが必要になります。そうすることによって、普遍的な所得の保障と普遍的な医療の保障と普遍的な社会福祉の保障、介護の保障をもって、だれもが資産調査や所得調査を受けることなく生活を維持することができる、これが多様なニードに対応する社会保障ということの体系ではないかと思います。 所得の保障に関しましては、もちろんこれは最低でいいわけです。しかし、その最低ということを文字どおり全国一律というふうに定めますと、多くの人々にとっては生活実態に合わない低い水準になりがちです。物価も違い、家賃も違う、そういういろんな地域で生きています。それから、長い人生で培われたライフスタイルが人によって違ってきます。したがって、そういう意味では従前の所得水準をある程度反映できる所得保障というのが望ましいということになります。これが、価値観が多様化し、ライフスタイルが多様化した社会における所得保障のあり方ではないかというふうに思います。福祉国家の代表として言われているイギリスは、定額の年金、定額の所得保障ということをベースにしたために現在生活保障の点で随分苦労しているというふうに思います。 時間が迫っていますので、次の第三番目の予防が促進される社会保障の必要性ということについて述べさせていただきます。 普遍的な社会保障はそれだけ費用の規模は大きくなります。せっかく普遍的な制度を導入いたしましても、その保障水準が低く生活保護の水準を下回るようですと、結局最後は生活保護に依存するというような状況が発生します。これは、先ほどイギリスの例で言いましたけれども、長年保険料を払ったことが実を結ばないということになります。これは効率的な社会保障のシステム、体系とは言えないんではないかというふうに思います。 また、医療や福祉の分野で費用を抑制するということのために、例えば軽い病気はもう給付から外そうじゃないか、あるいは軽い障害は給付から外そうじゃないかという考えがしばしば出てきますし、実際にこういう分野で費用を節約いたしますと、できるだけ重いところに重点化されますので、そういう選択になってしまいます。しかし、重い病気だけ給付しますよということになりますと、お医者さんは重い病名でたくさん診断いたします。例えば、アメリカでDRGなんかがやりますと、より重い、給付の高い病名がふえてくるわけです。それから、例えば介護なんかにしましても、寝たきりで給付をするということにしますと寝たきりがふえる。もうちょっと運動したら元気で寝たきりにならなくて済む人にも、やっぱり給付に結びつけるために寝たきりになってもらわなくちゃ困るというような、受ける側のモラルハザードも起こってきます。 したがって、これから社会保障の費用が増加する来世紀に向けての社会保障のあり方としては、できるだけ軽症、医療でいえばプライマリーケアが重視される、福祉でいっても施設ケアよりも在宅ケア、在宅ケアも比較的健康な段階からどしどし援助ができる、そういうシステムにしないと非効率だということになります。 普遍的な制度の費用は、今の西欧の社会保障がそうであるようにかなり費用が大きくなります。その場合に、今言いましたように、予防ということが効率的な社会保障を運営する上でキーワードになると思うんですけれども、その社会保障のシステムの中に予防をするといいますか、促進するようなシステムが必要になる。そうした予防をどしどし推進するようなインセンティブを社会保障システムの中に取り入れるということが来世紀の社会保障の最大の課題ではないかというふうに私は思っています。 これまでの社会保障は、医療にしろ年金にしろ問題が起こって、それに対する対策として使われていた面が多かったというふうに思います。そのためには、保険に加入している加入者が制度の運営や財政に対して関心を持つ、あるいは制度への帰属意識を持つということが不可欠です。保険に加入している人々がその保険の運営に利害を持つということが重要であるというふうに思います。 もっと保険料を払ってもよいサービスを得たいと考えることがあったり、このサービスは削ってもこちらを充実してほしいというようなことが保険者の、あるいは加入者の意見として、あるいは保険者の工夫でできるということが重要です。全国規模の社会保険はこういう仕組みを取り入れることは難しいと思います。 医療保険でいいますと、健康保険組合や国民健康保険が医療費を節約する上でそういういろんな努力を重ねてきましたけれども、そういう努力が報われる仕組みというのがこれからの特に医療と介護の保険については不可欠であるというふうに思います。最大限に自主運営が認められる、適正規模の保険者による運営というのが必要です。 ところが、その給付運営ではそういうことが要請されるわけですけれども、他方で財源政策につきましては、これは全国規模でなされませんと、それぞれの年齢構成等に合致しないという問題があります。年金はもとより、医療も福祉も現在の財政は後代負担の仕組みになっています。集団ごとに、その集団に属する若い人がその集団に属する高齢者を維持するということはできない仕組みになっています。 言いかえれば、財源調達の面では全国一律に行い、給付については保険者ごとが自由に裁量を持って運営できるというような仕組みが必要です。保険者は加入者の年齢構成によって同じ条件で給付を競い合う、いい保険者のところにはもしかしたら高齢者がたくさん集まるかもしれない、しかしその高齢者にはその年齢に応じた予算が保険者についていくということになれば、高齢者を社会の負担であるというような意識でもって見ることはなくなるというふうに思います。財源調達面では、所得に応じて一律の保険料徴収ということが必要です。国民年金のような定額の仕組みというのは望ましくありません。 それで、保険料だけでは勤労所得に偏り過ぎるということであれば、また所得の低い人の保険料では十分な保険料が確保できないということでありますから、それに国庫負担というのを導入することは当然であるというふうに思います。その場合には、社会保障のための財源として消費税のような財源を用いることができるというふうに思います。これは限りなく財源調達面では税方式に近い考え方ですけれども、先ほども言いましたように、給付面の運営ということを考えますと、また特定の目的を持った自分たちの保険という考えを維持するためには、社会保険の組織というものを最大限利用することが望ましいというふうに思います。 時間が少しオーバーしてしまいましたけれども、私の陳述を終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。
○会長(鶴岡洋君) ありがとうございました。 以上で一回参考人の御意見の陳述は終わりました。 これより両参考人に対する質疑を行います。 先ほども申し上げましたように、質疑時間は八十分程度といたします。質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。また、質疑、答弁とも簡潔にお願いいたします。 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
○堂本暁子君 本当に大変興味深いお話を両参考人に伺わせていただいてありがとうございました。 有岡参考人のこのグラフもこういう分析で私は大変おもしろく見せていただいたんですが、阿藤さんともたまたま人口会議その他の場所で随分お目にかかることがあるので、人口の統計面からこういった女性のことを分析なさったような点は大変おもしろく、おもしろくというか御示唆に富んでいるんですけれども、特におばあちゃんパワーを評価したいと、私も六十以上ですから、女性はもっと発言力を持てということをおっしゃっていただいて応援していただいたような気もしております。 一つだけ、女性の社会進出とか、それから結婚しないというようなこと、日本ではそれが大変にもう大きな少子化の原因というふうに言われておりますけれども、カイロの人口会議とか北京の人口会議その他で、国際的に今女性の社会進出だけではなくて、その場合にもっと男女でもってどういう社会をつくっていくかという視点が大変大きく取り上げられてまいりました。そのことが日本では全然入ってきていないような気がするんですね。なぜそれじゃ結婚しないのか。単にひとりでいても楽しめるからなのか、それとも近代化、経済成長のためだけなのか。そうではなくて、やはり男女の関係性のようなものが非常に違うんじゃないかと私は思うんです。 例えば、スウェーデンも同じような、福祉の方ではスウェーデンも例にお挙げになりましたけれども、やはり北欧諸国が違うのは、午後三時ぐらいになると仕事をぴしゃっとやめてしまう。そこから後は夫婦の世界だ、それから恋人同士の世界だ、親子の時間だということで、確かに北欧でも結婚率は大変減っていますけれども、ただ出生率は増加している。それはやはりこういった近代化した社会の中では、女性が働くようになった場合には、家庭のあり方とか労働時間のあり方までも変革していく中で初めて可能だと。霞が関が夜中の一時、二時まで電気がついているような社会では、やはり本当に女性と男性のあり方、産婦人科の先生たちによるとむしろ日本はこのごろはセックスレスの時代に入ったという分析をなさる方すらいる。もう一つ、そんな単純に女が社会進出している、あるいは楽しんでいるという表面的なものよりも、もっと深い深い問題があるんじゃないかということで、そこのお考えを伺いたいと思っております。 それから、今伺った一圓先生のお話は、まさに私はたまたま今医療保険をやっている真っ最中で、もうこの半年間近く日本の社会保障で本当に非常につらい立場に、特に与党はきのう衆議院に健康保険の本人負担を二倍にするということで法律を出しましたけれども、御意見に対して申し上げたいことが山のようにあって、きょうはとても時間がないのでお話を伺うことすらできない。またいずれ時を改めてと思いますが、唯一最後におっしゃいました財源徴収の方法ですけれども、今でも国費を八兆円つぎ込んでいる。医療保険が二十七兆から二十八兆というような形で先生がおっしゃったようにできれば理想ですけれども、現実の問題として医療財政の問題を考えましたときに、税金方式で取ったとしても、それはもう大変に、おっしゃったように個別、適正、なおかつというところがどうバランスをとっていいのか、現実に担当している人間としては大変悩むところでございます。ましてをや……
○会長(鶴岡洋君) 堂本先生、大変恐縮ですが、簡潔にお願いします。
○堂本暁子君 それでは、もう質問ではなくて、お話はよくわかりましたけれども、また財政的な面はどのように解決するのかなというところだけ疑問を持ったということを申し上げたいと思います。
○参考人(有岡二郎君) 今の堂本さんのお話、そのとおりなんでありまして、僕は、生活が豊かになったこと、女性の社会進出などを申し上げましたが、多分こうなんだろうと思いますね。また乱暴なことを言ってしかられそうなんですが、女性に二通りあって、高学歴の方々は外に出て働くという意欲が強くてやっている。一方で、私はほどほどに結婚して家庭に入りたいわという女性もまた一方にいるわけで、そういうほどほどに結婚して家庭にいたいという女性も実は今の若い女性の中にかなりの数いるんですね。だから、これはまた全然別の、専業主婦の年金の保険料の問題なんかで僕は常にそれを考えているんですけれども、だから高学歴の働く意欲的な女性とそうでない女性が実はいるということをちょっと念頭に置いていただきたいのです。 ですから、二分するのは失礼なことなんですが、図式化して言えば、そういう中でほどほどに働いて家庭に入りたいわという女性も実は今結婚していないということを考えると、豊かになってきて結婚しなくても楽しめることがいっぱいある、あるいは結婚して余計な苦労するよりも今の方が幸せだという若者の感覚、それは男性の方にもあるんですね。男性の方にも、実は三十になっても、子供が少ないから親が洗濯から飯から全部面倒を見てくれる、母親がやってくれれば気を使う女房をもらうよりももっとずっと楽だということが起きちゃう。そういうことで結婚しない人たちが一方でいるということを申し上げたわけであります。 もう一つ、今堂本さんの御指摘の問題、つまり、男女が平等に働く社会ができないか、北欧ではそうじゃないかという多分御意見だったと思うんですが、それはそのとおりであります。 ただ、これはもう少し社会の中に女性が進出していけばいや応なしに日本もそういうことになっていくんだろうと思うんです。働く女性がここ十年ぐらいで急速にふえてきました。それはパートとかそういう意味ではなくて、パートじゃない形で会社や勤め先にきちんと勤務して、そして男と同じように働くということが女性の中にふえてきたのはここ十年ぐらいであります。まだ女性が肩ひじ張って男性社会で頑張っているという姿だろうと思うんです。 そういうことで、例えば仕事が終わってから焼き鳥屋へ行ってコミュニケーションを図るなんということをやっている男を横目で見ながら、家へ帰って家事、育児をしなきゃいけないということが女性にとっては大変な負担であるということではそのとおりなんですが、もっともっと女性がふえてこざるを得ない、これから高齢化社会になれば。そうすると、女性がふえてくれば、男もそんな焼き鳥屋へ行っている暇はなくて、平等に家へ帰って育児をしなかったら女房に逃げられるということが始まってくるわけですし、そうすると、一仕事が終わったら、北欧ほどではないにしろぴたっと家に帰らざるを得ない社会が日本にも始まるのではないか。それはもういや応なしに動くんじゃないかと僕は思っております。
○参考人(一圓光彌君) ちょっと話を急ぎましたので誤解を与えたようですけれども、日本は社会保険でありながらたくさん国庫が負担していると、これについて、それは社会保険じゃなくきちっとそういうのはやめるべきだという意見が一方にございますので、それは全然おかしいことではないんではないですかというのが私の意見で、そういう意見なんです。 つまり、基本的には社会保険でやりましようと、しかしその社会保険は税金のようにもっときっちり取る、そういう仕組みにしないといけないというふうには思うんですけれども、社会保険は一律に統一的に徴収をして、そうして必要に応じて保険者に配分する、そういうメカニズムにしないといけないという意味で、それだったらもう社会保険をやめて税金にしたらどうかというのがまた一方で起こります。しかし、それは望ましいことではない、保険ということの意味はまだまだ重要であるという意味で、むしろ保険でやりましようというのが基本でございます。
○笹野貞子君 きょうは大変ありがとうございました。お二人の参考人にお聞きしたいと思います。 まず、有岡参考人ですけれども、これから高齢化社会が到来すること、これはもう火を見るより明らかなんですが、そのためにも医療というものが重大な要素になってくると思うんです。 そこで、先進国はもう既に取り入れております医療の技術的評価という問題があると思います。そこで、簡潔に言わなければいけませんので前後をかいつまんで言いますけれども、健康保険組合などの医療保険者が独自に医療機関を選べるようなそういう仕組みをつくっていかなければいけないと思うんです。日本の社会の中で今一番弱点というんでしょうか、医療を受ける方の意見が全く取り入れられないような仕組みがあると思います。今議論になっておりますのは、スウェーデン型かアメリカ型かと言われております。 そこで、先生にお尋ねいたしますけれども、医療を評価して、また薬価の問題もありますけれども、医療を受ける方と医療を提供する方がその情報に基づいて契約を結んで適切な治療を受けるというような仕組みについて先生はどのようにお考えになるか、お聞かせをいただきたいと思います。 また、一圓参考人にお尋ねをいたします。 私ごとで大変申しわけありませんが、一両参考人には、お父様に大学のときに習いまして、親子二代にわたって御指導を受けて大変うれしく存じ上げます。 そこで、私は先生の「介護保険と費用負担」という論文を拝見させていただきました。時間が長くなりますのでその中から簡単に申し上げますと、先生はこう言っていらっしゃるんですね。「生活を維持するための年金を受けている高齢者が、その中から医療や介護の保険料を負担するのは、年金と医療と社会福祉にまたがる社会保障体系を合理化する中で、解消するべき」だと、こういう御意見があるので大変私は興味を持ちました。「季刊労働法」の五十ページですね、この書き方に大変興味を持ちました。 これはもうちょっと具体的にお話しいただくと同時に、税と社会保険の関係というものをどう考えていったらいいのかということをお伺いいたしたいと思います。
○参考人(有岡二郎君) 今の笹野さんの御指摘も多分そうだろうと思うんです。僕も基本的にはそのように流れていくべきだろうと思っております。 実は、健保組合がもっと当事者能力を発揮して医療機関を評価しろという議論は昔からあるんですね。あるんですが、二十五年間会長で君臨した武見太郎さんが医師会長の時代に医師会が圧倒的に強くて、自民党もかなり医師会の影響力を受けていた時代がありましたから、健保組合の当事者能力を強くするなんという議論は武見太郎医師会長時代には到底表の議論に出なかった時代が長くありました。 でも、今のように、そもそも財源に限りがあるということが、もう医師会サイドもわかっている、診療側もわかっている、いわんや国民すべてがわかっているときに、やはり健保組合がそれぞれ医療機関を評価して、少なくとも契約するまで進めないにしろ、この医療機関を推薦するよというようなことがあっていいではないかということは、今度の医療保険改革の議論の中で当然起きてきていいし、少しずつ芽が出ているんだろうと思います。 それが進んでいけば、契約を進めるか進めないかというところまで行くんだろうと思いますが、そこまで行くと、もう一つの問題は、今の健保組合、個々の企業の健保組合やあるいはその上部団体である健康保険組合連合会にそれだけの能力があるかどうかということになりますから、一度にそこまではなかなか行かない。ただ、医療機関の評価というものを健保組合の連合体、それは全国でもいいし都道府県でもいいし、その辺で評価することがあってもいいんではないか、そこからスタートしていくべきではないかと思っております。
○参考人(一圓光彌君) 現在、介護保険の法案では、お年寄りも相応に負担をしてもらうべきであるという考え方から、ある一定の年金水準があればそこからお年寄りの保険料を徴収するということを決めておりますけれども、それは年金そのものが後代負担のシステムになっているわけですから、年金そのものも実は若い人が負担しているわけです。ですから、年金からそちらに回すということは、年金の給付水準を下げるという意味はありますけれども、後代の負担を軽くすることには何らなっていないというふうに思うんです。 ですから、年金とは何かということで年金の給付水準が決まるのであれば、そこから介護の費用を徴収するというのは、保険料を徴収するというのは基本的に間違っているのではないかというふうに思います。 お年寄りでいろいろお金に余裕のある人がいるということは確かですけれども、それは年金から徴収するということではないはずでありまして、基本的に今、年金についても将来再計算を早めて改革を進めようとしていますけれども、年金そのものは、むしろそちらをいじるよりも、何といいますか特別税制を改める、そちらの方が順番としては先ではないかというふうに思います。 基本的に社会保険で老後の生活を保障するということであれば保険料を徴収すべきですが、すべての国民が十分な保険料を払えるとは限りませ.ん。つまり所得の低い人がいるわけですね。したがって、そういう人の保険料を補うという意味で税金を用いる必要が出てくるというふうに思います。そういう役割分担というのが税金と保険料との関係であるというふうに思います。 それで、ちょっと有岡参考人に対する御質問で、もしお許しいただけるならば一言よろしいでしょうか。
○会長(鶴岡洋君) はい、どうぞ。
○参考人(一圓光彌君) 現在、医療機関を選ぶように、保険者のそういう能力がいろいろ重視されております。確かにそれは大変重要なことですけれども、それはそういう保険者の力を医療供給側に対してある意味では対立させる構図なんですね。それは常に緊張関係が出てきて、有岡参考人も言われましたように、それだけの力を保険者が果たして持てるかどうかということが常に問題になってくることだと思います。 ですから、もちろんそれを追求することは必要だと思いますけれども、医療供給側に最も効率的な医療を提供してもらうようなインセンティブを工夫するということが一番大切ではないかという ふうに私は思っています。
○牛嶋正君 最初に有岡さんにお尋ねしたいと思うんですが、これからの日本社会はということで淡々と三つの社会のイメージを示されました。恐らく、意識的に高齢社会に対する評価、あるいは長寿社会に対する評価、ひとり暮らし社会に対する評価は避けられたのではないかと思うんですけれども、私はこのうち、全部取り上げたいんですが時間の制約もありますので一番最後のひとり暮らし社会というのを取り上げて、価値の評価について少しお尋ねしたいと思います。 長くなった老後を皆さんある程度計画的にライフプランなんか立てて過ごしておられるお年寄りがふえてきているような気がいたします。言うならば、かなりこの自立性を非常に重んじて、ですから自分の生き方を大切にするという生活をされているわけです。そうだといたしますと、これまでのような親子のべたべたした関係よりもさらっと、できれば二人で暮らしていく、そして一人欠けても元気な間は一人で暮らしていくということになろうかと思います。 ただ、私は、老後の生活がある程度豊かで、そして多少の希望も持って生きていくためには、いろんな条件ありますけれども、その中では恵まれた人間関係がいつまでも維持できたらというふうに思います、これは非常に強い条件だと思うんです。これが家庭で満たされないということになりますと、地域社会がこれを受けとめていかなければならない。ですから、私はこれからの高齢化社会で地域社会の役割というのは非常に重要だと思っておりまして、できれば参加型の地域社会をつくれたらなというふうに思っております。 こういった考え方に対して、こういうふうに日本社会の三つのこれからのイメージを出されたわけですが、第三番目のひとり暮らしがふえていくというこの社会に対して、何かこういうふうに地域社会の受けとめ方をすればここの部分はむしろいい傾向としてとらえることができるんではないだろうかというふうな感じがございましたら教えていただきたいと思います。 それからもう一つ。一回先生は三つ挙げられました。私、これを整理いたしますと、一番最初は普遍性といっていいのかなと思います。それから二番目は選択性、そして三番目は強いて言うならば効率性というふうなことで言えるかと思います。 これからの社会保障のあり方としては、今までのようにただ救済をする、あるいは援助するということじゃなくて、ここにも書かれておりますように、先ほど申しました自立性を支援していくというふうなことでなければならないと思いますが、そうだとしますと、ここで示しておられる三つの普遍性、それから選択性、そして効率性というのは大切かと思います。 ただ、普遍性の場合、今議論ありますのは保険制度の一元化という問題がございますね。医療保険に関して申しますと、大きくは被用者保険とそれから地域保険とありますが、これからは自由時間もふえてきて、地域での生活もふえてくるわけですから、私は地域保険の方向へ一元化するのがいいんではないかなというふうに思っておりますが、こういった一元化の問題について普遍性の中でどういうふうにお考えになっているのか、ちょっとお尋ねしたいと思います。
○参考人(有岡二郎君) お答えいたします。牛嶋さんは意識的に評価を避けたとおっしゃいましたが、そうでもないんでして、僕自身は、若者が結婚しなくなったというくだりで申し上げましたように、社会がこういうふうに現実に動いていることはいたし方ないというか、そういう社会がもう始まっているということを困ったことだ、けしからぬことだとは余り考えてもせんないことであるし、考えない方がいいと思っております。そういう意味ではひとり暮らしの社会も同じでありまして、困ったことだということになればそれは正さなきゃいけないということになりますが、正しようのない流れがあるんで、それを素直に見ていくしかないだろうと思います。 その上で申し上げますと、牛嶋さん御指摘のとおりでありまして、ちょっと話が前後しますが、取材で老人ホームとか老人保健施設とか病院の老人病棟などを歩いてつくづく思うんですが、大ざっぱに言って七十五歳から上ぐらいの方々は家族が面倒を見て当たり前、あるいは周りが自分の世話をしてくれて当たり前というお年寄りが多いんです。でも、それが六十代から、あるいは七十前後の人たちからはどうも変わってきている。それはもう自分たちのことは自分たちでやろうという人たちがふえている。あるいは僕よりちょっと上の先輩たちを見ていても、自分たちは親の面倒を見た、あるいは親の世話を最後まで見た、しかし自分たちは子供からは世話を受けないよ、子供の世話にはならないよと、そういう世代が今の六十代前後を中心にもう始まっているわけです。そういう意味では社会は変わってきている。 高齢者は常に一様ではありませんので、大ざっぱに言って大正、明治生まれの人たちは、自分たちは親の面倒を見たし子供たちからも見てほしいと思っている人が多いんじゃないかと思います、そうでない人もいっぱいいますが。自立している人もいっぱいいます。しかし、今大体昭和生まれの人が七十歳に足を入れかけています。昭和生まれの最初の人はもう七十歳が始まっています。ですから、七十より若い人は全部昭和生まれという時代が始まっているんですが、その世代になってくると、もう自分たちは子供の世話にはならないという方が圧倒的にふえております。 これは、先ほどふるさとに年老いた親が残されて都会で若者が働いていると申し上げましたが、そのふるさとの年老いた親の方々を歩いてみても、息子や娘に帰ってきてほしいとは思わない、こんな仕事のないところへあの息子や娘が帰ってきたってかわいそうだという。だから、私たちは夫婦だけ、あるいはひとりでずっと頑張っていくよというお年寄りが本当にふえております。そういう意味では、お年寄りは自立をして生きていこうという意識の方が圧倒的にふえていると思います。 ちょっと御質問から敷衍させていただければ、これからの社会はそういう高齢者の自立を助けるということが実は一番必要なことでありまして、高齢者の自立を助けるために何があるかといえば、経済的自立と肉体的自立と精神的自立と三つある。経済的自立がやはり年金制度であろうと思います。そして、肉体的自立というのは医療とか介護である。そして、精神的自立がやはり介護あるいは家族、あるいは牛嶋さん御指摘になった地域社会。この精神的自立があれば実は肉体的自立もかなり支えられるという意味では、精神的自立をいかに支援するかということが非常に大事なポイントだろうと思っております。
○参考人(一圓光彌君) 社会保障の一元化については数年前に論文を書いたことがあるんです。先ほどもちょっと言いましたけれども、医療とか年金に関しましては、加入している人が予防に努めて、一生懸命予防したら自分たちの保険料が低くなったと。保険経営の立場からしても、病気になって、例えば健康保険組合が医療費を抑えるために福祉、ホームヘルパーの費用を自腹を切ってやる。それは老人医療費を節約することによって老人医療費の拠出金が大きく減って、結局財政が非常に楽になるからですよね。そういうシステムを保険が持っていることが大変重要だと思うんです。それは全国規模の政府管掌健康保険では、人口の四分の一が入っているところではなかなか達成できないというふうに思います。 したがって、保険の経営は小規模で、小規模といっても余り小さくても困るわけですけれども、グループごとに帰属意識が持てるような形でやるのが望ましい。その場合に、それじゃすべて地域かというと、やっぱり経営のノウハウなんかを持った職域というのはまだまだ重要な役割を果たしておりますから、この職域の保険を残さない手はないと私は思っています。 いずれにせよ、そういうシステムを一方で残すということと、それじゃなぜ一元化が問題になるかといいますと、そういうシステムはその地域によって年齢構成が随分違いますね。お年寄りが多い地域、あるいは自営業の方が多くて十分な所得が得られない。財源の面と支出の面で不公平が生じるといいますか、それがこれからの社会保険は財源面での役割と給付面での役割を分化させなければいけないという私の考えにつながってくるわけです。財源を集めるときには、私がたまたま私の属している私学共済の被扶養者、お年寄りを援助する、そういう必然性は何もないわけです。私はまた別の職場へ行ったら、もし私学共済で今私の母が年金を受けているとしても、医療を受けているとしても、ほかへ移れば私の保険料はそのほかへ行くわけです。 ですから、どんな保険者に属しておろうが保険料の徴収システムは後代負担ということで一律でやるべきでしようと。それは、全国的に集められて、今度は、給付の方は保険者に加入している加入者の年齢別、性別、平均医療費というもので予算化して基礎的な予算を付与する。そうすればどこの保険者も同じ条件で競い合うといいますか、これは実はドイツがリスク構造調整法というシステムで健康保険に取り入れた方法で、ドイツでは、自分で自由に自分の保険者を、地域保険が好きであれば今属している私立学校共済組合をやめまして地域の保険に加入することもできるわけです。そういうふうにドイツではやっていますし、イギリスのような税金でやるところでも、そういう税金でお金を集めて地域の年齢別、性別構成によって予算を配分して一番いい買い物をしてもらおうというふうにしています。 ですから、これから本当に効率という、一番最後に言いましたけれども、効率的なシステムをどうつくるかということが非常に大きい、一番大きい課題じゃないかというふうに思っています。
○小山峰男君 一圓先生にお尋ねしたいと思います。今もちょっとお話ございましたが、先ほども給付面の運営については適正規模の自主運営というのが理想的だというお話があったわけでございまして、私もまさにその給付面については、今お話ございましたような形である程度の規模で自主的な運営がなされてしかるべきだというふうに思っております。 そこで、先生、こういう質問、もしお答えになりづらかったら結構ですが、今、地方事務官制度というのが、いわゆる国の職員にするか、あるいは地方移管をするかということで大変大きく問題になっておるわけでございまして、国民年金とか厚生年金とか、あるいは医療保険とかやっているわけですが、私は基本的にこういうものも地方に移管すると。 それで、地方職員共済なんか見ますと、あれ全国一律でございますが、それぞれの県に支部があって、支部がそれぞれ独自な活動でいわゆる健康管理面なんかも含めて活動ができておるという形でございまして、そういう形がこの問題についても理想的かなというふうに思っておるわけですが、先生、もしこの地方事務官の制度について御意見がお聞かせいただけるんでしたらお願いしたいと思います。
○参考人(一圓光彌君) 詳しく考えてはいなくてはっきりとしたお答えが用意できませんけれども、先ほども言いましたような財源調達、保険料とはいえ全国一律にやるというのが私の考えですので、むしろ徴収は全国一律に全国的な組織で、アメリカの社会保障税みたいに一律に徴収してやった方がいいんではないかというふうに徴収面については考えています。 ただ、さっきも言いましたけれども、それは基本的な予算を確保するための財政調整で、それ以上に地域でどうするかということは、もっと保険料を多くしたり、もう少し下げたりということは自主的になされなければならないんで、先生の言われる徴収を積極的にやろうという気持ちを起こさせる意味で、そういう制度が地方に移管する方がいいという意見に納得はするんですけれども、これからの保険料はみんな全国的に徴収したらどうかというふうに私自身は思っています。
○小山峰男君 どうもありがとうございました。
○朝日俊弘君 きょうはどうもありがとうございました。 それぞれちょっと一つずつお知恵をおかりしたいと思うんですが、有岡さんには、一番最後の「一人暮らし社会」というところでちょっと気がついたんですけれども、年金にしろ医療にしろ介護にしろ、社会保障の、従来、家庭単位というか世帯単位で組み立てられてきていたんですけれども、これからひとり暮らし社会になるよ、特に典型的にはおばあちゃんのひとり暮らし社会だよというふうにおっしゃった。どうしても社会保障の個人単位への転換というか、切りかえをしていかなければいけないんじゃないかと思っているんですが、その辺についてのお考え、アドバイスがあればいただきたい。 それから、一圓先生には、社会保険の適切な負担のあり方、とりわけ保険料をいただく場合にいつもぶつかる問題が二つほどありまして、一つは、正確な所得捕捉をどうするのかという問題が常に、サラリーマンは比較的簡単に捕捉できますけれども、例えば国民健康保険の保険料をどう算定するか。資産割とかいろいろ組み合わせてやっているんですけれども、なかなか適切な所得捕捉あるいは保険料の掛け方、これを定めるのが非常に難しい。いつも困難にぶち当たるわけで、そのこととは裏表の問題なんですが、じゃ今度、低所得の方たちには無理な保険料負担はお願いできない。 ところで、低所得というのは一体どういう層というかレベルというか、概念でとらえるのかというのは、これが意外と今の法律でも法律によって随分ばらばらで、ある法律ではここまでを低所得というふうに、範囲が随分一定していないんですね。この辺の問題についてちょっと御指摘がいただければというふうに思います。 以上でございます。
○参考人(有岡二郎君) 朝日さんのお話にお答えするんですが、数年前に社会保障制度審議会が二十一世紀の社会保障のあり方について出した勧告がありますが、その中でもたしか、これからだんだんに社会保障は世帯単位から個人単位に変えていかざるを得ないんではないか、あるいは変えていく方向があるんじゃないかというようなことが指摘されていたように思います。 今の社会保障は年金でも医療でも世帯単位でありますね。例えば医療保険でいえば、サラリーマン本人の保険証で家族全員が医者にかかれるわけで、サラリーマン一人一人にしてみれば、五十で独身者でひとり暮らしであろうと、あるいは家族が五人いようと保険料は同じであります。つまり、年寄りや子供をいっぱい抱えていて医療費がいっぱいかかる人の保険料と、一人で全然健康で暮らしている人の保険料は全く同じというのは世帯単位でできているからであります。年金も同じでありますが、それをだんだん個人単位に切りかえていかなくてはならないんではないかという問題意識は多分関係者は大体あるんだろうと思いますが、僕は時代の流れでそうなっていくんではないかと思いながら、しかし日本社会はそこへ行くまで時間がかかって難しいなと思っております。 具体的に年金でいえば、例えば専業主婦の保険料の問題があります。ちょっと長くなって済みませんが、専業主婦の保険料の問題というのは、専業主婦、いわゆるサラリーマンの専業主婦は保険料を払っていなくて、しかし年金はもらっている。ところが、今のように女性が社会にどんどん進出してきて、収入を得て保険料を払って、年金の保険料を払う。しかし老後に受け取る年金は保険料を払っていない主婦と基本的な部分で同じではないか、基礎年金の部分で同じではないか、それはおかしいではないかという議論が始まっています。 では、それを見直すには年金を個人単位に切りかえなきゃいけない。となると、一方で遺族年金という問題があるんです。遺族年金は、これは世帯ということで出ていますから、だんなが亡くなったときにその奥さんに遺族年金が出る。それもなくさなきゃいけないという議論になる。あるいは税の世界で扶養控除とか配偶者控除という問題があります。これも全部切りかえていかなきゃいけない。そうすると、税の世界と社会保障の世界で全部仕組みを世帯単位から個人単位に切りかえていく、その先にあるのは多分納税者番号制みたいなものが必要なんだろうと思います。納税者番号制がきちんとできて、そして国民一人一人の懐を行政というか国家というか、地方自治体も含めてですから、そういう行政権力がきちんと握ってしまわないと、実は個人単位の税金と社会保障というのはできないんではないか。 スウェーデンはそういう形になっているんですね。僕が三年ほど前に出張したとき、スウェーデンで通訳してくださった、日本から向こうへ行って向こうでスウェーデンの人と結婚している方にお話を聞いたんですが、スウェーデンは本当に税も社会保障も個人単位です、しかしこれはこれで非常に息苦しいぐらいの社会ですよということを言われました。ああなるほどと初めてわかったんですが、つまり行政権力に所得というものを全部丸裸でつかまれている、そういうことの中で実はスウェーデン社会は成り立っている。 そこまで日本人が割り切っていけるかどうかということは、経済社会ががらがらと今日本で動いていますが、これから先その中で社会保障も動いていく、その中で国民がそこまで納得していくのか、あるいはほどほどのところで世帯単位でぼんやりとした世界が少し残っていた方がいいのかなと国民が思えばそういうものは残るんだろう、その辺の残し方の兼ね合いというのは難しいんではないか。それこそその時代の国会の御議論で決まっていく問題ではないかと思っております。
○参考人(一圓光彌君) 直接答えにならないかもしれませんが、イギリスである研究が出まして、イギリスの社会保障は日本よりも所得再分配効果の高い税金を使っているわけですけれども、生涯を通して見ましたら社会保障のシステムは所得再分配、豊かな人が貧しい人に援助をする形で再分配している要素は三分の一でして、三分の二は結局自分のために払っているということが大体わかったんです。 それを考えますと、日本はもっと恐らく自分に返ってくる。確かに所得が低いときもありますし、所得が高いときもあります。しかし、そういういろんな所得のとき、あるいはこのごろ仕事のライフスタイルが多様化していますから、フリーターのときがあったり本当に多様だと思います。世帯の構成の仕方も多様で、所得が低いからといって世帯は貧しいとは限らないかもしれない。しかし、そういういろいろな所得を経ながら、その所得に応じて負担できる保険料というものを徴収しながら、結局最終的には自分たちの生活を守っていくんだという考え方が社会保障ではないかというふうに思います。 そういう意味では、できるだけどのような所得の人にも参加できるような社会保障のシステムと保険料のシステム、それは定額制でないと、国民年金のように払えるか払えないか、一万二千幾ら払えるか払えないかというようなのは非常に酷な制度であるし、生涯を通して見た場合は必ずしも望ましい仕組みではない。そこで、保険料というのは所得の一定割合にした方がいいというふうに思うんです。 ただ、それじゃ低所得とは何かということでございますけれども、低所得というのは、生活が苦しいかどうかということはやっぱり世帯と稼ぎ手の数とかそういうもので決まってくることであろうというふうに思います。ですから、最終的には生活保護というような基準が一つの基準になろうと思いますけれども、今言いましたようにいろんな稼ぎ方がこれから出てくると思いますので、それぞれの所得の最低限といいますか、保険料が課される最低限というのはどこかで決めなくてはいけないと思うんですけれども、それ以上についてはもうできるだけみんなが一定率の保険料を払うというふうにするのが保険としては望ましいんではないかというふうに思います。それによって年金や医療や福祉に対する権利が獲得できるという形が望ましいというふうに思っています。
○小野清子君 初めに有岡参考人にお伺いしたいと思います。 この四ページにあります図式を見させていただいて私は何かちょっとほっとさせていただいているんです。何か年寄りイコール病人みたいな、年寄りイコール社会のお荷物みたいな印象をだんだん年老いてくると、ひがみでもないんですけれども感じてしまうところがあるんです。やはりこれからの時代、長生きをして楽しいんだよ、先が明るいんだよというイメージが世の中の一つの光として出てこなければ本当の長寿社会が充実されたものにならないんではないかと思います。 このゴールデンウイークにテレビ番組を見ておりましたら健康寿命という言葉を初めて私聞きまして、いわゆる健康で長生きをするという健康寿命という言葉、なかなかいいなという感じを持ったわけです。やはりこれからは医療の問題だけではなく、この四ページの下、六十五歳以上の人たちはどこにいるかというこの右の表を見ますと、働いているあるいは健康で在宅というこのパーセントが非常に大きいので、相当みんな健康で楽しくやれているんだよということを私はもう少し世の中に知らしめていいんではないか、そんな印象を持ちました。 やはり社会システムが、例えば散歩のしやすい道路道だとか、そういうふうに健康長寿社会実現のための社会整備というものがまだまだおくれている、その辺あたりとドッキングさせて、長寿はやはり日本の国の一つの活力になるんだというイメージづくりといいますか、実態とかそういうものをぜひ現在のお立場で大いにお話をしていただきたいというお願いを込めてでございます。 それから、一図先生の方には、今お話がありました所得に応じた保険料、これは今お伺いさせていただいて私も大変関心を持ったわけですけれども、生活保護を受けている方々を最低限とするのか、生活保護を受けている方も幾分かの拠出をするのか、その辺あたりで、やはり支えている者と支えられる者との生きているということにおける責任というんでしょうか、そこも私たちともに携えて、苦しいときは助け合うんだけれども、それぞれが責任を持って生きていかなきゃならないということを考えたときに、この辺あたりどうなんだろうか、そしてまたこういうことをやっている国がどれくらいあるのか、もしおわかりになれば教えていただきたいと思います。 以上でございます。
○参考人(有岡二郎君) 小野さんには僕が時間がなくて用意しながらお話しできなかったところを気がついていただいてありがとうございます。 おっしゃるとおりのことを実は申し上げようと思ってこのグラフを用意してきたものでありまして、厚生省の調査に基づいてグラフをつくったんですけれども、健康で在宅しているお年寄りが六四%、しかも働いている人が二四%もいる。この数字はずっとここ数年変わっていなくて、六十五歳以上のうちの二五%、四人に一人が働いているというのが日本社会の特徴なんです。これは欧米先進国とは際立って違うところでありまして、日本人のお年寄りは一生懸命働いている方が多いということも御注目いただきたいんです。 しかも、右側の円グラフで黒く塗っているところが何らかの施設にいるか、在宅で介護を受けている人たちなんですが、その中身を円グラフにしたものが左にあります。 見てわかりますように、例えばその中でも病院に短期で入院している人たち、短い期間入っているお年寄りというのも結構いらっしゃる。あるいは軽質老人ホームというのは体のぐあいが悪いわけじゃなくて、ただ家にいるようなスペースがなかったりあるいは家がもうぼろ家でどうしようもないとか、そういう人たちに住まいと食事を提供するというのが軽質老人ホームです。あるいは養護老人ホーム、ちょっと意味が違いますが、決して寝たきりの方ではない、寝たきりの人もややふえていますけれども、そういうところも含めてこれだけですから、実は六十五歳以上の人口のうち、何らかの形で介護を必要とするあるいは地域社会で手助けを必要とするという人たちは多くても一割いない、いいところ五%よりちょっと多いぐらいというふうなところなんです。 ですから、それが今でさえそうであると。これから先、高齢者の自立意識が高まってくるということを考えれば、まだまだ我々の努力で高齢者の中の本当に地域社会やあるいはもっと人手を必要とする介護、介助を必要とする人たちの数は減らせるんではないかと思っています。そういう意味で健康長寿あるいは健康寿命というものをもっともっと進めなきゃいけないというのは、おっしゃるとおりであります。 最後に、君の立場でとおっしゃるのはそのとおりでありまして、マスコミというのは実は問題点を掘り起こし指摘することに急なものですから、寝たきり老人の話とか痴呆老人の話ばかり書きますので、世の中全部そんな人で埋まっているんじゃないかというイメージがついできてしまう。これは我々が常に反省していることで、僕個人は健康な人も多いよということをこのグラフをつくるぐらいですから時たま書いているんですが、圧倒的な記事の分量は寝たきり老人と痴呆老人になっていることは申しわけないと思っておりますので、これからももう少し健康なお年寄りのニュースをもっと出すべきだろうとは思っております。
○小野清子君 よろしくお願いします。
○参考人(一圓光彌君) 所得の低い人もそれ相応に責任を持つというのが保険のいいところでありますから、委員のおっしゃられるように、そういう意味で所得に応じた保険料をみんなが払うというのが社会保険のいいところだと思います。 ただ、生活保護に当たる制度で、生活保護を受けている人に保険料を払わせている制度があるかどうかということですが、これについては詳しく全部調べたわけではないですけれども、恐らくほとんどないと思います。つまり、生活保護というのは最低生活というのを決めまして、それにその人の収入がどこまであるか、その差を生活保護で埋めるという考えですから。ただもちろん、その間は保険料を免除しますという形で扱うことになるわけです。 ただ、一つだけ申しますと、その御質問の御趣旨が生活保護を受ける人も自分の生活を自分でコントロールするという責任を負わなくちゃいけないよという意味で言いましたら、例えばイギリスは保険で、生活保護の水準でもらったお金で貯金をしてよろしい、将来に備えてよろしい、日本でちょっとその判例がありましたけれども、備えてよろしい、あるいは何か急に問題が起こった場合に生活保護受給者であっても基金から借金をして、生活再建のために借金をしてその借金を生活保護費から返してもよろしい、その分だけ生活保護の基準がぎりぎりではなくて少し余裕があるわけですけれども、余り細かくこれは幾らこれは幾らというふうに決めないで、ある程度大ざっぱにその基準を定めまして、家族構成なんかに応じて決めまして、後は自分で責任を持ってくださいというふうにするようになっていることは、一つそういう例があるということを申し上げたいと思います。
○日下部禧代子君 きょうは、お二人の参考人どうもありがとうございます。 高齢社会、つまり七十五歳以上の後期老年層がふえていくということになるわけでございます。そうなりますと、これは確かに個人差がございまして健康な方ももちろんいらっしゃいますが、一応ケアを必要とする方がふえていくということになるだろうというふうに思います。 そこで、いわゆるそのケアをどのような形で保障していくのかということで、いわゆる税方式かあるいはまた社会保険方式か。これは一圓先生のお言葉によりますと、御論文なんか読みますと、ビバリッジ方式かあるいはまたビスマルク方式かということになろうかとも思いますけれども、例えばオーストリアあるいはドイツ、そして日本も、いわゆるこの社会保険方式でという形で介護保険というものも我が国は導入しようと今しているところでございます。 そういう中で、私は、やはり幾つかの心配もあるわけでございます。これはお二人にお伺いしたいところでございますが、例えば今社会保険ということで年金制度ございますが、その中でいわゆる無年金者、これはいわゆる保険料の免除者あるいは滞納者、それから未加入者ということも含めてかなりの、五百万を超える数になっております。果たして介護保険で保険方式をとった場合に、介護の場合にいわゆるきちんとこの計算どおりに加入者が保険料を納めることができるのか、あるいは無保険者というものがこういう形でふえていくというような心配はないのか、それにはどういう手だてをすればよろしいのかということがまず一点ございます。 それから次には、心配でございますが、これは日本の在宅ケアの水準というのが、これは一圓先生の御論文などでも拝見しておりますけれども、国際比較をしてみますと高いところにあるとは言えないわけです、日本の場合。特に福祉サービス、在宅ケア、これは医療と比べますと、今施設入所者というのは、高齢者の六十五歳以上の人口の約六・五%がいわゆる施設入所者なんですけれども、その七五%はいわゆる医療施設に入所していらっしゃるわけですね。福祉施設では大体二五%ぐらいでございます。施設でもそうでございます。 そういう中で、いわゆる社会的入院の問題も非常に大きな問題で、これは医療費を上昇させる一番の根源である。さらにまた、大量の寝たきり老人というのもこれは我が国の、先進国の中で独特の一つの現象でございます。そういったことを考えますと、果たしてこの介護保険を導入した場合に、望ましい水準の在宅ケアが保障されるのかどうかという問題がございますし、また、介護保険を導入することによってこの在宅ケアサービスあるいは福祉サービスの水準が上がるのかということが一点ございます。 それから、これはたくさんございますけれども、幾つかの問題点だけ挙げさせて、心配事だけを挙げさせていただきますと、社会保険方式でありますと、つまり選択制というものが確保されるというふうに言われておりますけれども、我が国で今医療保険、これは保険でございますが、自分がどこの医療施設を選ぶかということの選択制は確かに確保されています。しかしながら、サービスの選択の自由というのはかなりにこれは制限を受けているということが言えるというふうに思います。この選択制の問題であります。 それから次に、これは先ほど御議論もございましたけれども、高齢者ケア施設の一元化の問題でございます。これはなかなか簡単にはいきそうもない。そうなると、ここで不公平が出てくるのではないかという問題があります。 それからもう一点、これは受給者、対象者でございます。対象者が我が国の場合にはある一定の年齢からというふうに今言われております。ドイツの場合にはそういう形ではないわけであります。これはドイツの介護保険の創始者とも言える労働社会省の現在事務次官になっていますユングさんが日本をお立ちになりますとき、私、ドイツでもお会いしたんですけれども、日本にいらっしゃいましていろんなシンポジウムにお出になりましたときに、帰るときに最後の夜を御一緒にお食事したときに、もうこれだけは日本の皆さんに言ってくださいとおっしゃって、こういうふうにやはり対象者を年齢で切ってしまうということは後からいろいろと問題が出てきますから、ぜひともこれは日本で考慮してください、これは僕の日本を去るときの皆様に残していく言葉でございますというふうにおっしゃったのです。 その辺のところは、今幾つか問題点を差し上げましたけれども、そういう介護保険を導入の場合に幾つかの問題点が私はあるように思いますが、ちょっと大変大きな問題かもわかりませんが、お二方の参考人の御意見を含めてコメントをいただければと存じます。
○参考人(有岡二郎君) これは手短に言うのはなかなか難しいんですけれども、国会でこれから介護保険法案の御議論があるときのもう重要なテーマ、それぞれ幾つかあるのを、多分そのほとんどを今、日下部さんは御指摘になったのでありまして、そう簡単に国会でも議論が整理できないものを僕が申し上げられるようなことではないわけであります。 まず第一の、年金の世界では無年金者あるいは未加入者がいるのに、介護保険でそういう保険料を払わない人たちが出てくる、それをどうするのかという問題。 それはそのとおりでありまして、年金というのは介護保険よりも具体的に年をとったり、あるいは障害、障害ということは余り皆さん考えてないんですが、現実には障害年金というのはあるんです。年をとれば確実に年金があるとわかっていても、そんなの要らないよと言って入らない人、あるいは保険料を払い続けて途中で貧しくなって、凶作とか不況で貧しくなって払えなくてそのまま脱落する人たちがふえております。その数は大ざっぱに言って未加入の人も含めまして四百五十万とか五百万とか言われていますけれども、それだけぐらいいる。 こういう現象は年金の世界でもあるのに介護でどうだろうという御指摘はもうそのとおりでありますが、社会というのは、社会保障の仕組み、あるいは社会のいろんな仕組みというのはどうしてもある程度脱落する人がいる。これを全部完全にカバーしよう、あるいは全部網の目から落とさないようにすくい上げようとすると、そのぎりぎりのところでコストがかえってかかってしまう。そのためのコスト。今でも年金の世界で、国民年金の保険料を払わない人のところを、関西地方の市町村が特に多いんですけれども、一生懸命自治体の職員の方が歩いています。その費用というのは大変な費用でありますけれども、やはりある程度のところで限界効用みたいなものがあって、それ以上やってもかえってコストがかかるということがある。それを考えると、無保険者、保険料を払わない人をゼロにするわけには多分いかないんだろうと思います。できるだけの努力はしなきゃいけないけれども、保険料を払わない人が出てくる。 しかし、僕はどうも楽観的に物を考える方ですから、サラリーマン社会、冒頭にも申し上げましたように、今全勤労者の八二、三%がサラリーマンという時代ですから、働く人の八割は確実に保険料を天引きで取れちゃうということがあるわけで、それ以外の人たちにいかにきちんと保険料を払ってもらうかということを考えるということでいけば、まあまあ大丈夫じゃないか、大多数の人は払うんだろうと。残り二割弱の人たちも、市町村が運営の責任者になって保険料を取る努力をしていただければ少しはカバーできるんじゃないかと思っております。 あとの在宅ケアがちゃんとできるのかとか、あるいはサービスの選択性の問題はあるかという御指摘、いろいろ問題点を列挙されて、これを全部答えていくと大変なことになってしまうんです。 一つ申し上げると、介護保険について、朝日新聞の立場というよりも私個人の立場ということでお話しさせていただければ、私個人は公的介護保険をつくっていかざるを得ないんだろうと思っています。しかも、それは保険方式か税方式かというと、保険方式でやるしかないんだろうと思っています。なぜかと申し上げれば、昨年来の消費税の五%への引き上げの議論でも、皆さんの方が政治家ですから実感されていると思いますが、国民の増税に対する抵抗というか反対は非常に根強いものがあります。これは福祉目的税に仮に変えても多分同じだと思いますね。 なぜかというと、これは国会のこの場ではなかなか言いにくいことなんですけれども、やはり国民の政治あるいは国家に対する信頼感がもう一つないからだろうと思っています。ですから、税がまるっきり使い道がはっきりわかって、こういうふうに使われるとわかっていれば国民は増税にももう少し納得するんだろうけれども、そこはややというかかなり不透明なので、国民は増税に納得しないんだろうというのが一つある。 それからもう一つは、医療保険を保険方式でやっています。これはヨーロッパでいえば、ドイツやフランス、大陸諸国系は大体保険方式でやってきている。そうすると、医療と介護というのはほぼ分野がダブっている。そのダブっている片一方が保険方式なのに、片一方を税でやるということは非常に整理がしにくい。 そのほかいろいろありますが、大きくその二つを考えても、やはり日本では公的介護を保険方式でやらなきゃいけないんではないかと思っています。 そうやって考えていって、介護保険をスタートさせなきゃいけないだろうと。なぜスタートさせなきゃいけないかということを冒頭に言うのを忘れましたが、冒頭に僕が御説明したように、ひとり暮らし社会がふえてきたということは公的介護が必要だということでありますが、そうやってともかく公的介護保険をスタートさせることが前提になれば、まずスタートさせて、それからいろんな施設を整備していくということがどうしても起こるんだろうと。 これは、日本社会の政策決定過程というのは常にそうで、夏の概算要求ぐらいまでは何かわあわあわあわあ言っている、そして暮れの予算編成のときにまだわあわあ言っている、最後のぎりぎりの二、三日の閣僚折衝ではたばたばたと決まっていくというのが日本の政策決定過程の一つのスタイルなんですが、実はこの介護システムも似たようなことがあって、ともかくぎりぎりで動き出していかないと物事が動いていかない。 ゴールドプランというのがありまして、ちょっと長くなって恐縮ですが、岡光前厚生事務次官の問題もありますけれども、あのときゴールドプランというのは、実はこれは国会の皆さんの方が御承知ですけれども、消費税見直し議論の中で出てきたわけですね。そして、それこそ橋本龍太郎大蔵大臣がいて、消費税見直し議論のために、当時の公明党、民社党の人たちに納得していただくために、ああいうゴールドプランというもので高齢者福祉に金を使うから消費税の見直し議論を抑えてくれというような議論があったかと思いますが、そういうふうにしてゴールドプランがスタートした。そういう意味では、地方自治体から積み上げてきたプランではなかったわけです。でも、僕は余り大きな批判をしなかったのは、ゴールドプランは結果としてできたことによって、岡光事件のような不幸な事件を起こしていますけれども、市町村がいや応なしに高齢者福祉を考える、あるいはシステムづくりに追い立てられたということがあったわけです。 もう一つ古いことを申し上げれば、国民健康保険の皆保険の時代に、やはり皆保険をつくるときに、保険あって医療なしと言われました。しかし、市町村は保険料を取っているのに医療がないわけにいかないということで、国保診療所を市町村長がつくるということで、医療機関が山村僻地のところにもできていくということがありました。 ですから、日本の社会というのは、やはり制度を立ち上げて、そこでさあ何とかやらなきゃいけないよということでいかないと動かない。だから、制度が立ち上がる前にこれが足りない、あれが足りないという議論をやっていても実はなかなか始まらないんではないかと思っております。 どうも差し出がましいことを申し上げました。
○参考人(一圓光彌君) 有岡参考人がほとんど言ってくださったんで、認識としてはもうほとんど同じなんですけれども、最後に言われましたように、例えば市町村が非常に敏感に介護保険の制度の創設に対応したというのは、保険料を取ってしまってからサービスがないようでは困るということで非常に心配しておられるんですね。だけれども、それは社会保険の持つメリットなんです。社会保険の保険料をまず取りましょうよと。それからでないと、ただ今までのように税方式でゴールドプランを新ゴールドプランにし、それを少しずつ上げていきますよということでは来世紀の介護の問題は無理ですよというのが、それですとやっぱり市町村はいつまでも、いや予算がないんですで済むわけですね。ですから、介護保険というのはそういう意味でも非常に仕組み、仕掛けとして重要である。 御質問いただきました点で、もし両方税方式でやろうが社会保険方式でやろうが同じように問題であるということは多々あると思います。全部だと思うんですが、一番の無年金者の問題だけは社会保険に固有の問題ですので、それについて申しますと、先ほども言いましたように、所得に応じた保険料という形をしないのが無年金者が出てくる大きな理由だというふうに、一つの理由だというふうに思います。ですから、所得に応じた保険ということにしていくことが無年金者をなくす大きな方法になると思います。 それから、具体的な介護保険の政府の案につきましては、医療保険の保険料と合わせて取ったり年金から取ったりしていますので、その具体的な案については徴収漏れというのは非常に少ないというふうに予想しています。 十分ではありませんけれども、これで終わらせていただきます。
○会長(鶴岡洋君) 四時をめどにやってまいりました。ちょうど時間でございますので、以上で両参考人に対する質疑は終了いたしました。 有岡参考人及び一圓参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。 ありがとうございました。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。 午後四時散会