法務委員会 第11号
- 発言数
- 67 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1997/06/13
会議録
○八代委員長 これより会議を開きます。 坂上富男君外四名提出、民法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、本案審査のため、参考人として埼玉大学教授長谷川三千子君、ニュービジネス協議会理事篠木利史子君、日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会委員福島瑞穂君、日本労働組合総連合会副事務局長熊崎清子君、以上四名の方々に御出席いただいております。 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じます。 次に、議事の順序について申し上げます。 長谷川参考人、篠木参考人、福島参考人、熊崎参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。 それでは、長谷川参考人にお願いいたします。
○長谷川参考人 長谷川でございます。 まず、この民法の一部を改正する法律案についての御提案を拝見いたしまして、幾つか重大な問題があると存じます。例えば、第六のあたりにも大変重大な問題があると思うのでございますが、きょうは時間の制約がございますので、第二の、選択的夫婦別氏制導入の問題についてのみ御意見を申し上げることにしたいと存じます。 結論を先に申し上げますと、これは甚だ望ましくないと存じます。いつも、選択的夫婦別姓、別氏の導入に反対すると申しますと、質問を受けるのです。なぜ選択制なのに反対するのか、これは同氏を望む人に強制をしているのではない、単に選択肢をふやすだけなのに、なぜ反対をするのかという御質問をよく受けます。ただし、これに関しては話は簡単でございまして、立法の府に身を置く皆さん方にはまさに釈迦に説法ということになると思いますが、法律の制定あるいは改正ということは、単なる交通整理ではございません。これは、社会をどういう方向に持っていこうとするのか、あるいは社会のゆがみの何を直そうとするのか、そして、どういう理念に基づいてそれをするのか、そういう要素が常に欠かせないものとしてあります。殊に民法という、人間の生身の、生きている姿にじかに触れ合うようなそういう法律に関しては、なおのこと、どういう理念に基づいてその法の改正を行うのかということが重要なことになります。まさにその点に関して、私は重大な疑問を投げかけたいと思っているのです。 まず、社会をどういう方向に持っていったらいいと考えているのかということは、この法律案の提案理由説明からは非常に不明確であります。ここには、「最近における国民の価値観の多様化、女性の地位の向上、諸外国における婚姻法制等の整備の状況、これらを反映した世論の動向等にかんがみ、」という一言がございますが、一体いかなる社会をよきものとして目指そうとしているのかということは明確ではございません。ただ、ここから一つ読み取れますのは、何か世の流れについていこう、そういう漠然たる姿勢が読み取れるだけでございます。これには大変問題があると思うのですが、それに関してはまた後ほど述べることにいたしたいと存じます。 それでは、これはどういう理念に基づいて提案されているのか。その点に関しては非常にはっきりしております。「個人の尊重と男女の対等な関係の構築等の観点から選択的夫婦別氏制を導入する」ことを提案するというふうに書いてございます。これは実は、読み上げるまでもないと存じますが、日本国憲法第二十四条二項のほとんどそのままの引き写してあります。あるいはまた日本国憲法十三条に、国民はすべて個人として尊重されるとございます。そうすると、この法案というのは、要するに、日本国憲法の精神にのっとって提案されている。そうすると、ここで皆さん話が終わったとお思いになるかと存じます。しかし、実は話はこれからなんでありまして、その先にいっぱい考えなければならないことがあるわけなんです。これは民法改正の審議の場でありまして、憲法改正の審議の場ではございませんから、あからさまに憲法批判の論を展開することはいたしませんが、ただし、非常に控え目に申しまして、例えば憲法十三条の条文は舌足らずでございます。では、どう舌足らずなのか、これをこれから非常に簡単に申し上げたいと思います。 まず、個人の尊重というのですが、一体、個人というものはどこから来るのか。言うまでもなく、個人自身が自己の自由意思によって独力でこの世に出てくるのではございません。父親があり、母親があって、そして初めて個人というものが存在し得る。では、父親があって、母親があって、生んでもらったらそこで個人というものがもう誕生するのか。そんな簡単なものではございません。人間というのは非常に長い年月、食べさせてもらい、保護され、教育されて、初めて個人というものになり得る。この非常に大変な事業というもの、これはかつて国家がそれをなすべきだという説を唱えた哲学者がギリシャにおりましたし、あるいは近年では社会主義国家がそれをやろうとして、そして実際にはできないで挫折いたしました。実際に存続している国家でこの大事業を家というシステムに任せずにできた国家は一つもございません。ということになると、つまり個人の尊重、個人の尊厳ということは一体何によって支えられているのか。まさに家という古今東西を問わず人類の採用してきたシステムによって支えられているわけなんです。 この大事業をなすためには、これは生易しい仕事ではございません。実は、男にとっても、女にとっても、生易しいことではありませんで、自分の、個人としての欲望、欲求というものをいかに抑え、コントロールするかという、そのことなしには家というシステムは成り立っていかないわけです。結婚式というのは、自分で自分の花輪のにおいをかげる葬式だというのはその表現の一つにすぎません。 女性の場合には、さらに自分の、個人の身体の中に、毎日むくむく大きくなる別の個人を抱え歩いておりまして、それがとんでもないときに自分のあばら骨を内側からけっぽったりするわけです。こういう体験というものは、もはやかたい個人の殻というものを死守するようなそういう心構えではなし得ないものであります。言いかえれば、個人としてのあり方を人間が乗り越えることができるからこそ、人類は次々に次の世代の個人を生み出すことができた。つまり、憲法十三条の、国民はすべて個人として尊重されるというこのことをじっくり、事柄それ自体として考えたならば、国民はすべて個人として尊重される。したがって、日本においては、家というシステムを健全に確保するために国家は万全のことをしなければならないということになるわけです。 ところが、今回の夫婦別氏制の導入というのは、果たしてそういう本来の個人の尊重ということを頭に置いてなされているのでしょうか。 例えば、夫婦別氏を主張する方はこんなふうにおっしゃいます。現在の民法の制度では、結婚すると男か女がどちらかが必ず自分の氏名を変えなければならない、これは長年なれ親しんできた自分の氏名を変えなければならないという一種の人格権の侵害であり、個人の尊重とは正反対のものである、例えばこういう主張をなさいます。これは、言ってみれば、非常に舌足らずな憲法十三条の条文を、自分の頭で事柄それ自体として考えることなしに、うのみにして個人の尊重という言葉を振り回す態度だというほかはないだろうと思います。そして、拝見する限り、今回の民法の一部を改正する法律案というものは、こうした事柄それ自体を考えない、実は本来の個人の尊重とは正反対の方向というものを目指してでき上がっている法案だ、そういうふうに評価せざるを得ないわけなんです。 もちろん、法律というものは単に理念だけででき上がるものではなくて、一体今の日本の社会がどういう方向を向き、どういう方向に向かっているかということをにらみながらつくらなければならないものです。ただし、それは決して単にその流れに法案がそのまま従っていればいいということではない。ある意味では、この流れは危険な方向であるとして、それに対してストップをかけるという方向で法の改正を提案することすら必要である、そういうものだと思います。 現在の日本の社会を見てみますと、まず一番深刻な問題というのは少子化の問題です。これはさまざまな原因が言われております。例えば、女性の育児設備の充実ということが非常に不十分である、だから女性は子供をたくさん産みたいと思っても産めないのだというふうな議論がよく言われます。 ですが、考えていただきたいのですが、日本の戦後の最大のベビーブームというのは、戦後のあのすさまじい住宅難、食糧難の中でぽんぽん女性たちが子供を産むという形で起こったわけなんです。これは決して単なる物理的な環境の整備ということでなされることではないと思います。一番その基本にあるのは、さっき申し上げました、人が人の親となるために自分自身の個人であることを抑制し、コントロールして初めて親となれる。そのコントロールというものが現在の日本人にどんどん欠けていっている。それが非常に重大な原因の一つではないかと思うのです。これは少子化のみならず、現に生まれ出てきた子供たちに対する幼児虐待という出来事となってもあらわれております。 こういう社会のあり方というものを考えたときに、今の日本に必要なのが、果たしてより一層ストレートに憲法第十三条にあるような舌足らずの形で個人の尊重ということをうたいとげるのかどうか、このことに関して私は非常に重大な疑問を持ちます。 もし、法律というものを単なる交通整理と考えるのではなしに、ある理念を表現し、そしてひいてはその理念を実現していくためのものというふうに考えるとしたならば、個人の尊重ということを理念として掲げた選択的夫婦別氏制の導入というものは大いに見直すべきだと考えております。 以上でございます。(拍手)
○八代委員長 ありがとうございました。 次に、篠木参考人にお願いいたします。
○篠木参考人 篠木でございます。よろしくお願いいたします。 ただいまの御発言、いろいろございましたが、私と同意している考え方というのが随所にございましたが、それらは時間の都合上省かせていただきながら、いろいろな意見を申し上げたいと存じます。 実は今回、この改正案を拝見いたしましたときに、やはり私も非常に疑問を感じました。何に疑問を感じたかということになるのですが、では根幹となるものは何なのか。例えば法は公正であると唱えているものであるのが憲法であり、法律であるにもかかわらず、一つ例に挙げますと、婚姻届をしないでいわゆる普通の間柄で男女関係になり、あるいは家族関係にあった方がどうもメリットが多いのじゃないかというような感もするのでございます。それらについて、いろいろなことに関しまして発言をしてみたいと思います。 いろいろな項目がございました中で、特に私が懸念を感じますのが第二の問題点とそれから第六の問題点がございました。 まず、今第二の問題点の夫婦別氏制につきまして御意見がございましたが、私もこの件に関しましてはいろいろなところで御要請を受けながらお話もしてまいりました経過がございます。ここで申し上げますのは、そもそもこの夫婦別氏制について意見が出てきたということはどういうところかということで考えてみたのでございます。 そうしますと、特に女性に問題点がございまして、一般の家庭の主婦の方々といいますのは割合と問題化していなかった。それでは、私のように、実業界から代表でこちらの方へ参りましたのでしょうけれども、仕事を持っている女性あるいは社会にいろいろな意味で進出している女性、そういう方々が自分の氏を結婚と同時に変えなければならないということに違和感を感じている、あるいは感じていない。それから今度、やがて子供はどうなるのだろうというところに問題点が出ているというふうに思うのであります。 夫婦別氏制につきまして若干触れますが、これは私は問題を三つに分けてみました。一つは、職場等における旧姓使用の許容。これはもう大分いろいろな企業で行われております。これは問題ないと思っております。これは実生活の問題点でございます。二番目として挙げますのが、旧姓を使用する場合の法的確認の確立。これは私、過去にも申し上げたことがあるのですが、手続法上の問題、手続をクリアできることならば今の法を変える必要はないのではないかという問題です。それから、民法の基本を変える夫婦別氏制の許容。これは今回のように基本的な問題として提案されているという問題。この三つに分けてみました。 第一段階としましては、法律改正を要しない、ただ普通の実社会で自分が旧姓を名乗っているということが一点。この方々は大変多うございます。実は私自身もそうなのですけれども、その呼称を戸籍名とかえてといいますか、かわって自分が使用いたしている実情がございます。 それから、第二段階目の点につきましては、もし社会に出ていて、自分がだれそれだということを、旧姓以外、例えば既婚で、手続をとった婚姻後の、簡単に言いますと夫の姓ですが、夫の姓のものの証明だけではなく、自分の従来の名で証明できることがあるならば、これは何ら支障がなく仕事ができてしまうといいますか、社会に出て通用できるという問題点です。これは手続上の問題でございまして、法的な確認をとれるということであれば、今問題になっております夫婦別氏制、それから今度、それについて子供がどの姓を名乗るかというような複雑な問題点、今後危惧をされるような問題点がここでクリアできるわけでございます。 では、どういうものを証明するのかというと、おわかりいただけると思いますが、印鑑証明、戸籍抄本、住民票あるいは免許証、パスポートとか、そういう公的なもの、もちろんビジネスにおきましては商業登記というのが重大な役割を担っておりますが、こちらの問題点も同じでございます。したがいまして、この点をクリアできるとするならば、同時に証明をしていただけるならば、今現在のこの点を論議するところから外れていけるのかなという問題点がございます。 それから、第三番目といたしましては、夫婦別氏を名乗るということになります。 この第三番目の問題に関しましては、我が国においては結婚とか家族とか相続とか、それから今度、戸籍というような根本にかかわる事項でございますので、ちょっと感じるところによりますと、この改正案が出るたびごとに、どうも何か背景にぐらつくものがあるのではないか。ぐらつくというのは何かというのは、背景に非常に社会的な変化があるとき、例えば選挙であるとか、あるいは今度、申しわけないのですけれども、政党と政党との綱引きであるとか、あるいは何とかという、政策面にも使用されがちであるのではないかというふうな危惧をされるのでございます。したがいまして、性急な結論を下し得ないということが私の考え方でございます。 さらには、いや、そんなことはない、あるいは何年間もこのことについてやっているということを先生方がおっしゃる、あるいは法務省もおっしゃるかもしれませんが、我々国民にどのように伝わってくるかということにつきましては、身近な問題になったのが最近だというふうに私は思うのであります。社会的な根本のあり方や個人の世界観というのが、問題がいろいろなものがございますから、賛否両論ということに関しましては、この件につきまして、今回の民法の改正に対しての裁定とかに関しましては、国民全体の意見をとりたい、あるいは総意を考えていただけないだろうかというふうに私は思っております。 例えば、簡単なお話。夫婦別氏制で一番問題がございますのは、総理府が行いました千五百人のアンケートでございます。このアンケートも、一億人の中から千五百人。それでもデータ的には確実だということが言えるならば、この設問の仕方でございます。ややもすると、一と二と合計するとこういう意見ということになるのであります。したがいまして、例えば、細かい問題でございますけれども、若い女性の八三%が夫婦別氏制に対して賛成していると新聞報道でございました。それをひもといてみますと、何と総理府の設問の仕方によって、合計するとそういうことになるということで、実は設問に賛成した、準賛成した数字を申し上げますと、二二・五%になる。ということになりますと、そこで格差が出てくるということになるのであります。 私は大学の先生でもなければ弁護士さんでもございませんので、今実業界の中で自由な仕事をしております。その自由な発想でちょっと申し上げさせていただきますと、若い女性、うちの従業員が千二百人おります、そこの中の百人のアンケートをとったり、総理府にこだわらずに、いろいろな設問をせずに、賛成か反対か、あるいはどう考えているかということを問うたことがございます。それから今度、外国資本系の約六社の中でやはり百人を選びまして、年齢差も入れてとりました。そのときの答えのところの中に、こういうことがありました。要するに、わからないという着手の人、大学卒業から四年間の人というのは、このほかに百人とりましたけれども、データがとれませんでした。どちらでもいい、それから、わからない。わからないということが圧倒的。そうすると、この法律に関して浸透した、我々の考え方がまだまだ少ないのではないかというふうに思うのであります。 外資系のところからとりました女性の方の意見のことで若干申し上げさせていただきますと、就職から十カ年間に、相手の男性の氏に対して自分の名を連ねて楽しんだという青春の時代があるというのであります。例えば花田という男性がいます。この人を私が好きだったと仮定します。そうしましたら、私の利史子という名前を連ねて書くと、ああ、すてきだな、あるいはこの人じゃ嫌だな、そういうふうなことで、男性の名に連ねるというようなことがあるというのであります。 そして十年過ぎますと、自分の名前が自分の人格であり、財産であり、能力になってしまった。したがって、十年過ぎたキャリアウーマンは自分の姓を変えたくない。ここでいろいろな問題が出てくるわけでございます。自分の姓を変えることによって、自分のキャリアをまたゼロからスタートしなければならない、ゼロになってしまうという感覚に陥る、こういうことでございます。 しかし、ここでもし、私が先ほど申し上げましたような証明のものをとれる、公的に認められることができるならば、これはこの法律、民法を変えるところにまで至らないのではないかと思うのであります。 そして、そのキャリアウーマンが、重ねての質問に関してお答えになったところによると、夫の名にしています、これは制度がそうだからではなくて、それの違和感はありません、そして自分は、仕事の名前として現状の旧姓をずっと使っていますということであります。したがって、将来生まれてくる子供あるいは現に生まれている子供が夫の姓であり、一人の方は自分の姓で、男性が女性の姓になった方がいらっしゃったのですけれども、その方々も夫婦ともに同じ名前でしているということであります。 個々を大事ということで、いろいろと今問われております。確かにそうです。私たち、仕事をしております中でも、個々を大事にすることによって企業が成り立つというようなことを、今現在は個ということを大事に取り上げているビジネス界でございます。しかしながら、その個を大事にするときに、どうもむしろこれらの問題が何かの道具に使われていないかというようなことをも懸念するのであります。調査のやり方をもっと工夫してほしい、慎重にしてほしい、そしてその旧姓等が所轄の役所、諸官庁のことに関して、証明等、公的なものがあれば、これで十分に家族とともに過ごせるというふうに思うのであります。 実は、いろいろな意見というのがあると思いますが、個を大事にすることは、私は夫婦別氏ということにやがてなるであろうことも予想はしております。しかし、その別氏は、法的な別氏なのか、戸籍はそのままでも自分が堂々とやっていける、私は何十年もそれでいたしております。それでも私自身の人格が変わることなく、家庭は家庭、仕事は仕事ということで使い分けをすることに非常に私は、むしろ公的な証明以外は不便さを感じたことがございません。 私は、こいねがわくは、家族籍でありたいと思っております。氏を名乗って、氏をずっと続くことによってのものではなく、自分の家族、今現在は、入籍しますと、新婚世帯を持ちますと、すぐ戸籍が一つに、新しくなります。新戸籍になるわけです。ですから何ら支障がなく、それも個だと思うのですね。 第六の問題点で挙げられております、非嫡出子に対しての問題点が出ておりました。 私は、これらを拝見したときに、これから世界的な、グローバルな時代といいますけれども、では、アメリカはどうでしょうか、よそはどうでしょうか。私が思いますのには、どうも、冒頭に申し上げましたように、婚姻もしないで、むしろ未入籍の方が生活的なものはもう本当に何ら変わらないのならば、何のためにこの婚姻届というか、婚姻の籍があるんだろうか。 私は法律の専門家でもございません。したがいまして、申し上げた発言の中に多々もしかしたら違いがあるのかもしれませんけれども、現状のところ、このように意見を述べさせていただきます。(拍手)
○八代委員長 ありがとうございました。 次に、福島参考人にお願いいたします。
○福島参考人 おはようございます。ただいま御紹介に上がりました弁護士の福島瑞穂です。本日は、大変貴重な発言の機会を与えてくださいまして、本当にどうもありがとうございます。 夫婦同姓の強制について、まず述べたいと思います。 第一に、本当に国会議員さんたちに理解をしていただきたいのは、たかが名前、されど名前。名前というものが本当に重要なものだということは、実は国会議員さんが一番わかっていただけるのではないかと思います。まず、立候補されたときには、多くの人に名前を知ってもらうところからスタートをします。私たち一般の人たち、女性たちは、国会議員さんたちと程度の差は随分違いますけれども、やはり名前をもとに仕事をしたり社会生活を営んできております。ですから、名前というものが重要なものであるということを理解していただきたい、一番わかっていただける方たちだと思います。 第二に、結婚改姓が不便、不利益であるということもきょう本当に理解していただきたい。抽象的な問題ではなくて、みんな具体的に今本当に困っているということを理解していただきたいと思います。 結婚改姓をしますと、パスポート、運転免許証、技能資格などの免許証、不動産登記簿、印鑑、印鑑証明、健康保険証、職員録、名簿、クレジットカード、その他のカード、通帳、住宅ローン、生命保険、株券、会員、電気、ガス、水道、電話、名刺、もう数限りありませんけれども、すべて氏名の変更の手続をしなければなりません。全部の費用を足したら何万になったという試算をして送ってくれた人もいましたけれども、離婚して再婚するとまた全部やり直さなければいけません。 しかも、知り合いの人に全部名前を覚え直してもらう必要が生じます。姓が変わると、他人から同じ人だと思ってもらえなかったり、自分もその人と出会った時期によって名乗る姓を変えなければならず混乱してしまったりもします。 現在、平均初婚年齢は上がっておりまして、また、私たちの周りでも中高年で初婚や再婚をする人たちもふえてきております。今結婚する人の二割は、どちらか一方が少なくとも初婚ではありません。今はリサイクルの時代だから、人間もリサイクルと言うと怒られるかもしれませんが、中高年で本当に初婚、再婚の人たちもたくさんいらっしゃいます。その人たちは五十年、六十年、七十年と生きているわけですから、途中で姓を変えることが、どちらか一方が必ず姓を変えなくてはならないというのは大変不便、不利益だと思います。夫婦別姓選択制の導入は、必ずしも若い人たちの問題ではないということを申し上げたいと思います。 既婚者のうちでも働く女性の割合は高くなっておりますし、主婦の方も、ボランティア、サークル活動、地域活動などで活躍していらっしゃる人は今とてもふえています。 結婚改姓によって、社会生活上大変困るという話はしょっちゅう聞いております。研究者や営業職の人などは、姓を変えることで業績が切断されてしまいます。 例えば、お医者さんの場合、結婚改姓をしますと、国家試験の免許証を必ず書きかえなければならない、国家試験は必ず戸籍名ですから。そうしますと、今まで例えば二十年のキャリアがあったとしても、免許証を書きかえて日付は全部ゼロからになってしまいます。 それから、夫婦別姓、きょうまた御理解していただきたいのは、夫婦別姓選択制の主張が、別姓も選べる制度にしてほしいという大変謙虚なものであるということです。全員が別姓になるべきものだというものではありません。 夫婦同姓で全く困らないという人たちもいらっしゃいます。それはそれでもちろん構わないと思います。しかし、自分は困ってないとしても、ではほかの人たちは結婚届を出せなくて困っていて、それでいいのでしょうか。個人の尊厳ということは、自己本位、わがままと言われたりします。しかし、私は、他の人が困っているのにそれを平気で見過ごすことこそ自己本位だというふうに考えます。どうしてそこで済みを感じないのか。 お手元に黄色の小さなパンフレットがあると思います。「いつまで待てばいいの? 民法改正を望むひとこと集」です。例えば七ページ目を見てくださいませ。三十歳の女性ですが、「私と夫は九五年一〇月に挙式をして、現在まで未入籍のままです。私の年収は百万以下ですが、配偶者控除も夫の会社の扶養手当も受けられません。子どもも欲しいのですが、籍や経済的なことを考えるととても不安で迷っています。」というふうにあります。 ファクスなどたくさん来るんですが、例えばファクスで「私は挙式後四年間入籍をせずに待っていますが、そろそろ子供をうむことを考えて、親たちを安心させたいのですが……今年こそ民法改正を!と首を長くして待ち望んでいます。」これは三十二歳の女性のものですが、こういったものが多数来ております。 夫婦別姓も認めると離婚がふえるという言い方があります。私は、夫婦別姓も認めない限り、これから結婚は減っていくだろうというふうに思っております。 ちょっとこれを見てください。これは婚姻届の不受理証明書なんですが、何組かのカップルがきのう夫婦別姓で婚姻届を出しました。婚姻届を出すのを一年半、三年と待っている人たちです。残念ながら夫婦別姓では婚姻届は受理されず、受理されなかったという不受理証明をもらいました。夫婦別姓選択制を認めると家族が崩壊するという意見があります。しかし、選択制を認めないことで家族が崩壊していくことだってあるのだということを知っていただきたいと思います。 そんなに別姓にしたいのなら婚姻届を出さなければいいという意見もあるかもしれません。しかし、婚姻届を出さないことについてはまだまだ風当たりの強い社会ですし、自動的に法定相続人になったりはしません。税金、年金などの点で明らかに不利益になる場合もありますし、子供を産むことに大変ちゅうちょするという方も今の日本の社会ではまだまだ本当に多いのです。また、例えば婚姻届を出さないと、外国へ行く場合など、配偶者ビザが取れないといったたくさんの不利益があります。 ところで、先ほど篠木さんもおっしゃっていただいたんですが、婚姻届を出した上でいわゆる旧姓を通称として使えばいいのではないかという意見もあります。通称使用で困っていないという人もいらっしゃいます。しかし、きょうまた知っていただきたいことは、本当に多くの人が困っているということです。 私は、ある国立大学の教授が戸籍名を強制しないでほしい、ずっと私立大学で使えてきたいわゆる旧姓を使わせてほしいと一九八八年訴えた裁判の代理人の一人です。第一審では残念ながら全面敗訴になり、現在、東京高等裁判所で和解の話し合いをしている最中です。その事件、ケースを通じて思いますが、通称使用というのは本当に大変です。 まず第一に、戸籍名と住民票上の氏名、そして住民票上の氏名と他の印鑑証明などの氏名が連動しているため、戸籍名がしょっちゅう張り出してきまして、頑張って使わないとなかなかその通称使用ができないということがあります。 第二に、先ほど篠木さんから、かなり公的なものについて、パスポート、運転免許証など通称使用を認めたらどうかという意見がありましたが、結局一人の人間が戸籍名と通称と二つのことを使い分けるために、どこかでその二つの姓の衝突が必ず起こります。例えば私、福島瑞穂が実は山本瑞穂であるということで、私はいつでも同一性の立証を必要に応じてしなくてはならない。これは大変です。また、周りの人も本人も、常に、これはどっちの姓なのかということで、そのことで非常に混乱を生じたり、迷ったりします。通称使用は、一人の人間が二つの名前を使い分けるということで、多大なエネルギーを使わせるものだと思います。夫婦別姓選択制が実現しても、通称使用をしたいという人はもちろんいらっしゃると思います。しかし、今の時点で、これで本当に困っている人たちがたくさんいらっしゃる以上、改正していただきたいと思います。 先ほど御紹介した国立大学の教授の裁判でもそうなのですが、名前というのは実は無限に使います。例えば、先ほどの国立大学の教授のケースでも、大学のホームページの氏名を、では戸籍名にするのか通称にするのか、必ず将来、今まで予想しなかった問題点というのが出てきます。その都度、ではどっちを使うのかという、もう未来永劫この問題は必ず残っていくだろうと思います。その負担をなぜ本人、周り、事務局、その人たちがしなくてはいけないのかというふうに思います。 私は、通称使用の法制化は不可能であり、事務上の混乱を非常に生ずると思います。戸籍名以外を全部通称にするというのはあるかもしれません。でも、そこまでいくのでしたら、なぜ端的に別姓選択制を認めないのかというふうに思います。 家庭科を男女共修にするときも雇用機会均等法が成立するときも、社会の秩序が壊れる、会社は全く対応できないという反対がありました。新しい制度を導入するときは、私たちはいつもどこか不安になるかもしれません。しかし、幸せになりたい、でも、制度のために多くの人が苦労し、選べないという状況がいいのかどうかということを考えていただきたいと思います。二十一世紀は自立と責任が重要なキーワードになっていくでしょう。国民の一人一人が自立と責任を持たなければこの社会は成り立っていかないと思います。 また、私は、きょう申し上げたいのは、多様な価値観を許容する考え方こそが民主主義の考え方ということです。別姓を選びたいという人を許容する社会をつくるかどうかは、日本の民主主義が本物であるかどうかという試金石ではないでしょうか。 なお、私は、子供の氏について、結婚時に子供の姓を決めることは問題だと考えます。例えば、私が八十歳でめでたく初婚で結婚するときに、子供の姓を決めるということは全く意味がないと思います。 次に、婚外子の法定相続分の差別の撤廃について意見を述べさせていただきたいと思います。 住民票の続き柄欄は、昨年三月一日以降、自治省の通達によって、全部「子」になりました。それまでは、「長男」「長女」「二男」「二女」、婚外子、両親が婚姻届を出さないで生まれてくる子供だけ「子」という記載がされていましたが、去年三月一日以降、全部「子」になりました。子供はみんな「子」でいいじゃないというふうに思います。それはやはり子供の人権を考慮した考え方だと思います。 婚外子の法定相続分の差別は違憲だと決定を出した東京高等裁判所は、子供は自分が生まれてきた後のことについては責任がとれるけれども、自分が生まれてくる前のことについては責任がとれないというふうに言っております。日本も批准しております子どもの権利に関する条約は、出生に基づく差別の禁止を規定しておりますし、同じく日本も批准しております国際人権規約B規約の規約人権委員会は、一九九三年十一月、日本政府に対して、婚外子差別を撤廃するよう勧告を出しております。 人が人を差別することは問題ですけれども、法律が、ある人間はある人間の半分であるというふうに差別を規定することは、差別を助長し、より問題があると思います。妻の被害感情が言われることがありますが、妻の法定相続分は二分の一と変わりがありません。 また、いろいろなケースがあります。お父さんが、実は婚外子とずっと一緒に財産をつくってきたというケースもあると思います。お母さんに婚内子と婚外子がいて、お母さんが死んだ場合に、二分の一対一というふうになることもあると思います。それはやはりおかしいと思います。子供に対する法律上の差別は早急に撤廃されるべきです。 一九九四年は国際家族年でした。その宣言の中で、家族は多様であること、家族にかかわる政策の遂行において、明示的であれ非明示的であれ、唯一の理想的な家庭像の追求をやめるべきことがうたわれました。多様性を認め合うことは、国際的な要請でもあります。 国会議員さんたちのライフスタイルも、今実に多様になっています。シングルの人、離婚した人、再婚した人、別姓の人、兄弟で姓の違う人、婚外子のいらっしゃる方、国際結婚の人、国際結婚の場合は別姓、同姓を選べますから、いわゆる婿養子に行った人、女のお子さんしかいらっしゃらない人、子供のいない人、国会議員さんの中でもう既にいろいろな人がいらっしゃるわけです。特に、私は、お父さんこそ婚外子差別の撤廃をぜひやっていただきたいと思います。 法律は、人々が幸せになるためにあるものです。女性が、男性が、子供が、切実に幸せになりたいと願っているときに、それを阻み許さない法律とは一体何なのだろうかというふうに思います。法律は、男性、女性、子供たちが幸せになるためにあるというふうに思います。早急に法律が改正されることが必要です。 どうか、こんないろいろな切実な声を聞いてください。抽象的なレベルではなくて、本当に今困っている人がいる、自分は困らない、では、ほかの人が困っていてそれでいいのでしょうかということを本当に申し上げたいと思います。どうか、早急に改正されることをよろしくお願いします。 以上で私の発言は終わります。ありがとうございました。(拍手)
○八代委員長 ありがとうございました。 次に、熊崎参考人にお願いいたします。
○熊崎参考人 労働組合の立場から意見を述べる機会をいただきまして感謝申し上げます。 民法改正につきまして、連合は、法制審議会が長年検討してまとめた答申について、基本的に賛成をしております。強いて言えば、子供の氏に関し答申と相違がありますが、民主党案では連合の考え方と同じであり、賛成をいたします。 連合は、一九九〇年から毎年、政策制度要求で、家族法の時代に合った改正を求め、選択的夫婦別姓の導入を挙げ、法務大臣等に要請してきました。現在もやっております。 我が国では、戦後の民法改正以来、婚姻制度等に関する規定におきましては基本的な改正が行われないまま五十年余が過ぎております。一方、この五十年余の間に家族の構成員としての個人の人生観、価値観は多様化しております。女性や子供の権利についての考え方も前進してきております。働く女性も、結婚により名字が変わるのは不便であり、結婚後も旧姓を使いたいという希望が多くあります。確かに、現行民法では、夫、妻どちらかの氏を選択することになってはおりますが、大多数は夫の氏を選んでおります。それらは夫婦の協議で決めることで、女性も同意して決めているのではないのと言われますが、連合は、どちらかを選ぶのではなく、どちらでも選べる方がよいというふうに考えております。 夫婦同姓の義務づけによって、結婚によって姓を変えるのは九八%が女性であり、結果として女性の側に姓の変更を強制するものになっております。これは憲法二十四条の家族生活における個人の尊厳と両性の平等に沿ったものとはいえません。改正案は決して夫婦別姓を強制するものではありません。あくまで、同姓でも別姓でも選択できるようにするという趣旨であり、夫婦同姓が公共の福祉にとって絶対的に必要なものでないならば、当事者の選択を尊重することがより民主的な社会ではないでしょうか。 名前は人格権を持っております。最高裁は、氏名は、社会的に見れば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものではあるが、その個人から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人権の象徴であって、人格権の内容の一部を構成するものという、憲法の十三条に記載してあるものですが、個人の氏名に対する権利を認めております。結婚によって、どちらかが本人の意思に反して必ず姓を変更しなければならないということは、氏名権の侵害と言えます。 また、姓を変えることによる不利益が多くあります。女性の社会進出が進み、働き続ける女性がふえております。結婚年齢が高くなってきている実態からすると、職場で旧姓をそのまま使いたいという希望が強くなっていることは事実で、これを認めた方がよいのではないかと考えております。この場合にも、通称ということが考えられますが、これも税金や年金における公的手続の場合の名称、企業の従業員台帳をどうするかなど問題があります。また、結婚による姓の変更は、仕事上混乱を招き、社会的な実績や信用の断絶につながりかねません。 また、印鑑、名刺、各種免許証など、公的な書類からカード類までの変更手続などの煩雑さとあわせまして、改姓が結婚、離婚などプライバシーを公表するものになってしまうことへの不満の声も高まってきております。全員を別姓にするわけではありませんから、希望する人、夫婦については認めるという提案は妥当なものと考えます。 戸籍上の正規の結婚も事実上の同居も、外見上判断ができなくなるのではないかとの意見もありますが、結婚は、当事者双方の合意にのみ基づくものでありまして、その意思が尊重されるべきです。何が倫理的に正しいかは絶対的なものではなく、価値観は多様化しております。違った価値観を持つ人との共存を保障することが大切ではないでしょうか。 労働組合の中にもさまざまな意見があります。しかし、民法改正については、男女平等と個人の尊重に基づく夫婦、家族の新しいパートナーシップの創造が民主的な社会実現という論議でこれまで中央執行委員会などで取り扱い、昨年四月には芦田会長も出席いたしまして、各政党の代表に民法改正の実現を要請しております。また、国際婦人年連絡会、五十二団体の一員として参加しており、ことしの四月十六日に江戸東京博物館で集会を開きました。このような積極的役割も果たしてきております。 連合は、労働組合員が職場のみならず、地域社会や一人の国民として憲法十三条二十四条のもとに保障された民法改正が国会において早期実現されるよう、前向きな審議を行われることを要請いたします。 以上でございます。(拍手)
○八代委員長 ありがとうございました。 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。 ―――――――――――――
○八代委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岸本光造君。
○岸本委員 自由民主党の岸本光造でございます。 きょうは、四人の先生方にすばらしい御意見をお伺いいたしまして、本当にありがとうございます。実は私は、大変揺れております。四人のお話を伺っておりますと、四人ともいいのではないか、いや、これはもう空中分解してしまうなという気持ちでございます。 と申しますのは、冒頭にお話しいただきました長谷川先生からは、少子化の問題をとらえて、子供をつくるのはやはり家だ、家族が子供を育てていく、そういう問題についてお話しをいただいて、私もそういう考えであります。おじいちゃん、おばあちゃんがおって、お父さん、お母さんがおって、兄弟がたくさんおってという環境の中で子供が育ってくる、しかも健全に育っていく、安定した精神を持って育っていく、そういうことが私は日本の家族のよさではなかったかと。もちろん、そのためには同じ名前で一つの家の中に住んでおったことがこれはよかったのだろう、こう思うわけです。だから、そういう意味では、これは夫婦別姓にするといろいろな問題が出てくるな、こう思う反面、福島先生初めそのほかの御意見を伺っていますと、基本的人権の立場からいいますと、これは子供も親も人権は平等にあるわけでして、おっしゃるとおりでございますから、これはこのとおりかなとも思うし、本当に私自身の中でこれは止揚されておりません、アウフヘーベンされておりません。だから、これは夏にでも一遍勉強しよう、こう思っておりますが、そのためにも四人の参考人の方からお話をお伺いしたいと思います。 まず、長谷川先生にお伺いしたいのですが、夫婦、親子が同じ氏を称する今の制度が果たしてきた役割、先ほどからお話しいただいたのですが、一番いいところというのを、エッセンスというのを教えていただけたら、こう思います。
○長谷川参考人 お答えいたします。 今おっしゃいました家を健全に育てていくために、一体氏とか姓とかいうものがどういう役割を果たしているのかという御質問に関して、これはまず一言で言えば、このごろサブリミナルエフェクトというのが一時テレビで問題になったことがありまして、人間が無意識のうちに何度も同じことを繰り返していると、自然に、無意識のうちにしみ込んでしまう、そういう人間の複雑な心理というあり方がありまして、皆さん、同じ氏を称していると連帯感が強まるなんというのは短絡だと言うのですが、これはそういう人間の心理を考えますと、一つの家の中での一つのチームを組んでいるという、そのことがサブリミナル的に絶えず繰り返されるという、これは大きいことだと思います。 ただ一つ、ちょっとつけ加えておきたいのですが、実は伝統的な儒教思想の中に、夫婦別姓の制度というものがございます。これは実はもう一つの形態の、そういう人間の本来のあり方を尊重したあり方でありまして、つまり先祖があってこそ自分があるんだという考え方です。その意味での別姓でしたならば、これはある意味ではやはり人間の根源に立ち返って、その本来のあり方を強調したもう一つの形と言うことができるかと思います。それに対して、日本の採用してきた同氏というのは、これはいわば過去に向けての自分のあり方よりも、現在、自分の家が一つのチームを組んで子供たちを育てる機能を果たしているという、そのことを強調するという象徴的な役割を担っているかと存じます。
○岸本委員 それでは、夫婦別姓制度を導入するということになってまいりますと、家庭の中でどのような影響というのが予想されますか。
○長谷川参考人 これもまさに今し方のお答えそのままなんですが、だから直接に次の日からばんと離婚がふえる、そういうものではないと私も考えます。 実は、先ほどから福島先生が抽象論ではなしにとおっしゃってらしたのですが、これはちょっと違うのです。抽象論ではなしにではなくて、私は考えるスパンを、きょう、あす、あるいは次の一年、二年で考えているのではございません。大体、二十年、三十年、五十年、百年の単位で物を考えております。そういう単位で考えたときに、選択的夫婦別氏制が導入されたときの百年後の日本と、導入されなかったときの百年後の日本はどうだろう、そういう発想で考えております。そうしますと、これはやはり明らかに差が出てくる。別氏制にしたがゆえに日本の今ある家庭の姿は非常に大きく崩壊しているだろうということは言えると存じます。
○岸本委員 それでは、関連しますが、子供の氏が兄弟姉妹で違うということになりますとどのような影響が出てくるか。これも長谷川先生にお伺いしたいと思います。
○長谷川参考人 お答えいたします。 実は、昔、かなりそういうことが日本にございました。日本は養子縁組が自由でして、兄弟で、実は私の文もおじと名前が違っております。ただし、それが家庭の崩壊に結びつかなかったということは、片方で、非常にはっきりとした家の制度というものが戦前までの日本には歳として存在していたわけです。それに支えられていれば、たとえ兄弟の間で氏が違っても、それが即家庭の崩壊ということにはならない。 ただし、父親、母親が、私は個人の尊重ですといってばらばらの姓、氏を名乗っている、そこで子供たちも氏、姓が違うということになりますと、これは戦前とは全く違った状況が生じてくると存じます。
○岸本委員 子供が生まれて初めて氏を決めるというのがありまして、この間からも、おとといの委員会でもそのことが問題になっておったのですが、子供が生まれてきて初めて氏を決定する、こういうのはどう思われますか。 それで、特に私は思うのですが、子供としてはお父ちゃんの方に選んで欲しかったけれども、お母ちゃんの意見が強くてお母ちゃんのところへいってしまった。子供は、選ぶ権利はないわけですよね、赤ん坊ですから、生まれたばっかりですから。しかし、それでは、お父ちゃんとお母ちゃんが、つまり男女がけんかをして、生まれてきた子供をほっておいて、これはうちの名前をつけよう、いや、これはおれのところの名前、私の名前、こういうことになって、子供の名前がつかないことも、日本全国のことですから何百か出てくるかもわからぬ、社会問題になるかもわからぬですね。 だから、そういう問題について、子供が出生じてその時点で氏を決めるという考え方につきまして、どのようにお考えか。これは、長谷川先生と福島先生からお伺いしたいと思います。
○長谷川参考人 お答えいたします。 この問題につきましては、実は、氏、姓というものの本質的なところにかかわってくるものでして、先ほどから氏、姓というものを個人の持ち物のように語られている御意見がたくさんあるのですが、実は、これは個人の自由意思とは全くかかわりのないところで我々に与えられているわけです。生まれたときに決定してしまうとその子の自由意思を尊重したことにならない。それでは、その子供が成人したときに、どっちの姓も嫌だ、私は新しい氏にするということになったときには果たしてどう考えたらいいのかという深刻な問題が生じてまいります。 氏、姓ということの本質を考えたときには、もし、例えばこの法案が通ったとして、そしてどの時点で子供の氏を決めるのかというときには、これは生まれたときに決めるというのが一番本来の姿だろうと存じます。
○福島参考人 初めてじゃないですが、長谷川先生と一致しましたが、私も、生まれたときに子供の氏を決めるのが多分一番いいと考えております。 というのは、福島瑞穂というのは、これは本名、戸籍名なんですが、福島という名前も瑞穂という名前も、これは親からもらった。瑞穂という名前も、実は私は選んではおりません。要するに、親からのプレゼントとしてこれはもらったと思っております。 諸外国の制度は、子供自身の姓の決定権を比較的広く認めておりまして、子供自身が選び直せるチャンスも認めているようです。今回の改正案はそこまでは踏み込んでいませんけれども、私は、子供がどちらかの姓を名乗るというのでいい、特に混乱は生じないと思います。 実は、私自身は別姓をやっております。結婚届を出さないで子供がいるという形式をとっています。彼女にとっては、例えば父親は山本太郎、ママの名前は福島瑞穂、私の名前は何とかというふうに思っているわけです。私と娘の姓は違いますけれども、私はまあふできの母親ですが、子供と非常にいい関係を持っていると思います。 私は、家族の姓が一つであれば仲がいいというのは、やはり一つの考え方だとは思います。しかし、そう思う人はそういう家族をつくられればいいわけです。三世代同居の家族で、例えばサザエさんのうちは、フグ田サザエと磯野カツオ、ワカメは姓が違います。タラちゃんとカツオ、ワカメちゃんはいつも仲よく遊んでおりますが、あれは姓が違うわけです。姓が一つでないと仲がよくないということは全くないと思います。 また、私は、この議論をするときに、どうしても女性の立場が無視されていると思います。 変な言い方をすれば、私は、自分の実の両親とは姓が一緒です。でも、パートナーの両親とも仲がいいです。あるいは、私の姉は結婚改姓しております。でも、生活態度は実はサザエさん状態で、姓は違うのですが自分の両親とは仲がいいんです。姓が同じであれば仲がいい、そうでなければというのは、では、結婚して姓を変えた女の人は自分の両親と仲が悪いのか、仲がつくれないのかというふうに思います。 私は、結婚、家族、親子をどう考えるかは、その人の人間性だというふうに思います。夫婦同姓で仲の悪いカップルは、私は弁護士として掃いて捨てるほど見てきたというふうに思うのですね。つまり、家庭内別居というのは大変多いのです。幾らサブリミナル効果があっても、心のきずながなければ家庭内別居が大変多いわけですね。やはり中身だと思います。 くれぐれも選べるということを強調したいと思います。子供の姓もその中で選べるというのでいいと思います。ありがとうございました。
○岸本委員 出生した、お父さんとお母さんが子供の名前を、氏を選ばなくちゃいかぬ、それで、そのとき、どうするかということで対立をして、名前をつけられない、どうしようか。日本全国広いですから、こういうことも、いろいろなケースが生まれてくると私は思うのです。だから、そのことについてどうかということを御質問申し上げたわけでございます。それをお伺いしたかったのでございまして、いや、もう時間がなくなりますからね。 それと、きょうだいの中で、例えばお兄ちゃんが父方の名前をとる、それから妹ができて、これがお母ちゃんの方の名前をとる、こういうことになって、きょうだいで氏が違うということになってくると、この辺の家庭の連帯感というか、きょうだい同士の感情のあり方はどうか。 例えば、通常考えまして、それぞれおじいちゃん、おばあちゃんがおる。そうしたら、自分のところの方の名前をつけてくれた孫を特にかわいがって、いろんな問題が、トラブルが発生する。日本全国広いですから、それは福島先生のようにうまく愛情で結ばれておる御夫婦はよろしゅうございますが、日本全国そういうことばかりではございませんので、そういうことも私は心配するわけで、この辺はどうでしょうか。これはちょっと長谷川先生に聞いてみましょうか。行きがかり上答えてくれますか。
○長谷川参考人 私は何か福島瑞穂さんの弁護をしに立ったような気がするのですが、実際に現在別姓を実践していらっしゃる方は、ある意味ではパイオニアとして自覚を持っていらっしゃるわけです。ですから、非常に強固な愛情と、それからもう一つ言わせていただくと、実は、その前の世代から受け継がれた無意識のうちのよき家庭人としての資質をたっぷり身につけていらっしゃいます。ですから、私も一度福島さんの御家庭の写真を拝見したのですが、本当にうらやましいような、和気あいあいの御家庭のさまが手にとるように伝わってまいりました。一繰り返し申しますが、私が心配しているのは、現在の、別姓を実践していらっしゃる方々の夫婦中、あるいはその家庭の中の兄弟の仲のよさではないのです。これは長年の間に、つまり、サブリミナル効果と私が申し上げましたのは、実は、何かをつくるためにそれが使われることではなくて、何かを破壊するためにそれが往々にして使われることがある。それが今申し上げたような、そこで理念ということが大事になってくるんですが、個人の尊厳、基本的人権という立場からの別姓により兄弟の名前が別々になる、そういう家庭が当たり前になったときに、そのときに日本の家庭が果たして少なくとも今の水準のきずなを保ち得るかどうか、それについて大きな疑問を持っているということなんです。
○岸本委員 私もそのように思うので、その辺を勉強してみないといけないなと思います。 時間がありませんので、篠木先生にお伺いをしたいと思います。 先ほどのお話にもございましたが、外資系の企業でございまして、そこで女性従業員も多いと思うのですが、夫婦別姓について一般的にみんなどういうふうに、さっきちょっと何人かのパーセントを出しておっしゃられたんですが、その辺、資料がございましたらもう少し突っ込んで、特に女性従業員の意識の状態なんかわかっておれば、教えていただきたいなと思います。
○篠木参考人 申し上げます。 外国資本系企業系列といいまして、一般的に外資系、外資系と我々言っております。こちらの方の関係でございますと、大勢の中からデータをとりまして、何万人のうちの千人対象、それを全部集約しましたところに今この表がございますが、百人をピックアップしました。それは、無回答者というところを除きました。百人の中を、男性が三十名、女性が七十名の比率に分けました。 そこの中で、女性は、どちらでもいいという人が四五%、別氏を名乗ることに反対が二二%、賛成が三三%でした。女性の比率はそういうことです。外資系の男性の方々というのは、むしろ女性のままにしてあげましょうという形が多うございました。しかし、女性が自分の方の姓を名乗るであろうという方が過半数でございました。 以上です。
○岸本委員 また資料があったら、いただけたらありがたいです。 先生は、旧姓を通称として御使用されておるわけですね。そこで、便利さ不便さ、メリットニアメリットなど、いろいろあると思うのですが、その点、ありましたらちょっと教えていただきたいし、あるいは、ある意味では限界もあるんじゃないかと思いますので、そんな点もありましたらお知らせください。
○篠木参考人 私は、今御指摘のとおりに、戸籍名と、今現在事業を行っております、ビジネスを行っております使用名が違っております。 そこで、不自由な面と申しますのは、先ほども何回か申し上げたと思いますが、公的機関の証明でございます。例えば、商業登記は戸籍名によって行います。そうしますと、そこに私の方の分がございません。通称の名前が出てきません。したがいまして、興信所とかなんとかには全部それを届け出ております。その不便さというのは感じております。 それから、税務署。これは個人ですね、法人ではなく。その場合には、株の売買から始まりまして、不動産所得、いろいろなものがございますが、それは所轄の税務署にきちんと両方とも届け出ております。したがって、どのような領収書、どちらの領収書でも、合算したもので清算させていただけることになっております。届け出たことによってすべて解消しているということになります。 不自由な面は、とにかく公的証明書。これをもう早目に、個人的に申し上げさせていただけるならば、それを具体化させていただきたい、かように思っております。
○岸本委員 ありがとうございました。 熊崎先生にも、人権の問題などを中心にして、家と人権のかかわりについてお伺いしたかったんですが、時間が来てしまいましたので、残念ですがこれで終わらせていただきます。私も、きょう四先生からいただきました考え方を、この夏の暑い間に一生懸命勉強して、秋までには自分の考え方をまとめておきたい、こう思っております。いろいろありがとうございました。
○八代委員長 次に、斉藤鉄夫君。
○斉藤(鉄)委員 新進党の斉藤鉄夫でございます。 きょうは、四人の参考人の方、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。 我々新進党の中でも、この別姓、別氏問題、さまざまな議論がございます。正直申し上げまして、その議論の過程で一つの方向に収束するというところ、そういう状況ではとてもございません。まあしかし、そのような中で我が党の有志が、参議院は平成会という会派を組んでおりますけれども、その平成会の有志が選択的別氏制度を議員提案いたしております。私も基本的にはその考え方に賛同しているということで、その立場できょうは質問をさせていただきたいと思います。 最初に、基本的にこの選択的別氏制度に賛同していらっしゃる福島参考人と熊崎参考人にお伺いしたいと思います。 新進党有志がつくった案、それから民主党さんがつくられた案、基本的には大きな考え方は一致しておりまして、将来いずれかに一本化できるのではないかと期待しておりますけれども、二つの点で違いがございます。その一つが、先ほど岸本委員の質問にもございましたけれども、生まれてくる子供の姓をどうするかという問題でございます。新進党有志案は、婚姻時に、結婚するときに、将来生まれてくるであろう子供の姓をもう決める。ですから、兄弟は皆同じ姓になるわけでございます。民主党案は、その都度決める。 いろいろ議論がございまして、例えばその都度決めるということでありますと、夫婦の協議が調わなかったときにはなかなかその子供の姓が決められないということもあるわけで、民法上、夫婦の協議が調わない場合は家庭裁判所が出てきて家庭裁判所が決めるわけですけれども、この場合は家庭裁判所が決めるということでもないだろう。こういう点で不備があるんではないかと思います。逆に、先ほど福島先生おっしゃったように、八十歳の人が結婚するというときに、将来生まれてくる子供の姓を決めること自体意味がないというようなこともございましたし、また、身体的理由等で子供を産めないという方にそういうことを決めさせるのは、これはまた酷であるというふうな意見もございます。 この子供の姓について、新進党有志案と民主党案と二つあるわけでございますが、どのようにお考えか。よろしく、お聞かせください。
○福島参考人 どうも御質問ありがとうございます。 私は、法律的には出生時に子供の姓を決める方がすぐれていると個人的に考えております。というのは、外国の法制度でも、結婚時に子供の姓を決めるというものは余りないと思います。 それから、二点目は、先ほどちょっと申し上げましたが、今斉藤先生がおっしゃってくださったように、やはり結婚と子供をワンパックにすることによる問題があると思います。結婚はするけれども、例えばたまたまお子さんが生まれないことがもうわかっている、あるいは子供を産まないと思っている、さまざまなケースがあります。ですから、結婚するときにそれを必ず書かせるということが、やはり結婚と子供をワンパックにすることですから、そういう問題点があるのではないかと思います。 ただ、確かに、出生時に子供の姓を決めるといたしますと、決まらなかった場合にどうするかという論点はあります。これは弁護士会の中でも大変議論になりました。規定を設けないという方法も一つの考えだと思いますし、家庭裁判所で決めるというのも私は一つの方法だと考えます。実は、氏名の名前の方が決められなかった子供というのはほとんど存在しておりませんので、私は、やはり親はどちらかを決めるのではないかと思っております。あるいはくじで決めるというのは、大変不評なんですが、公平という点ではそういうこともあり得る。しかし、私は、そのことが何か決定的な理由でとり得ないことはないのではないかというふうに考えております。
○熊崎参考人 お答えいたします。 連合としましてもさまざまな点から協議をいたしまして、今福島先生が申し上げられましたように、出生時に、夫婦が協議し、父または母の氏を選択するというふうに私どもは決めて提案をいたしております。 ただ、その場合に、出生時に夫婦が協議してどちらか決めても、子供が自分の姓をどのように選択権を持っているかということになります。そういう点では、私どもは、子供が十五歳になった時点で本人が選択をする、意思表示をするということも可能ではないかと思っております。このことについては、例えば裁判離婚時の親権をどうするかの家事審判で意見聴取の規定があるということを伺っておりまして、そういう方法もあるのではないかということを言っておりますし、また実際の面で、今福島先生もおっしゃいましたように、生まれた子供の名前を長い期間決めないということはあり得ないと思っております。 そういう点で、連合としましては、出生時に夫婦が選択して決めるということに提案をいたしております。 以上です。
○長谷川参考人 先ほどの発言の訂正はいつしたらよろしいでしょうか。
○八代委員長 どうぞ。
○長谷川参考人 一分で訂正いたします。 実は私、先ほどの岸本先生の御質問に、勘違いをしておりまして、間違った答えをしてしまいました。私は実は、出生時に決めるのか、十歳になってから決めるのかという質問と勘違いをしておりまして、これは当然、まず結婚のときに決めるという、そちらの方をという意見でしたので、ここに訂正させていただきます。 貴重な時間を失礼いたしました。
○斉藤(鉄)委員 では、長谷川先生、そうお考えになる理由についてお伺いいたします。
○長谷川参考人 理由は、実は先ほど申し上げたのと同じことでして、もともと氏、姓というものは、それぞれもう子供の出生の前から運命的に決まっているものでして、そして、私は大体別氏選択制それ自体に反対ですので、そういう意味ではもうそれについては考える必要がないという考えでいたものですからうっかり勘違いしてしまったのですが、少しでも本来の形に近づけるためには、結婚したときに、これは、八十歳になって結婚したらというお話がありましたが、旧約聖書には九十歳になって子供を産んだおばあさんの話が出てまいりますから、あきらめてはいけません、可能性がある限りは、子供というものは可能性としてある、それを想定してあらかじめそれに関して両親としての配慮をしておくということは必要ではないか、そういう観点から、結婚したときに決定すべきであるというふうに私、思っております。
○斉藤(鉄)委員 篠木参考人、何かこの点につきまして、もし御意見があればお願いします。
○篠木参考人 私は、ビジネス界、いわゆる実業界の代表で来ていると思っておりましたので、今の個人生活については発言はないのかというふうに思っておりましたが、御指名いただきましたので。 婚姻がそもそも何ぞやというときに、婚姻をするときに、じゃ、何を決めるか。例えば、家族の中で子供が生まれました。長女、今、子というお話でございますから、女の子が生まれました、次に男の子が生まれました、あるいは女の子二人が生まれましたというときに、一人の人が花田で一人の人が春山であってということでありますと、家族の中に本当に、サザエさんのお話の例もございましたけれども、あれは一つの融和というところの方の描写でございまして、一人一人が生活していく一家族の中に姓が何人も何大もということよりも、婚姻のときに別姓で子供は、例えば中国もそうですね、韓国、北朝鮮もそうでございますね、アメリカは入籍するという一つの姓になっておりますが。そういうことからいきますと、私たちの場合に、結婚のときにどちらかの姓に、例えば別氏を名乗った場合のことです、今別氏になるかならないかは法律的にまだあれですが、なった場合には、男性か女性かのものを先に決めるという考え方を持っております。
○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。 新進党有志案と民主党案のもう一つの違いは、五年の別居という事実を離婚事由とし得るかどうかという点でございまして、民主党案は、いわゆる破綻主義でございます。新進党有志案では、この点についてはもう少し慎重な議論が必要なんではないかということで今回の立法案では触れておりませんけれども、今回の民主党案ですと、破綻になる責任を持っている配偶者からの、五年もう別居したんだからいいじゃないかということで離婚請求ができるということで、結局、事実上弱い立場にある女性が不利益をこうむるようなことになるんではないか、こう思っておりますが、この点につきまして、この五年別居事実を離婚事由とし得るということにつきまして、四人の先生方の御意見をお伺いいたします。時間がありませんので、申しわけありません、端的によろしくお願いいたします。
○八代委員長 それでは、長谷川参考人から。手短にお願いします。
○長谷川参考人 私もそういう人生経験に乏しいんでございますが、女性の立場からしまして、これは非常に不安を感じるところでございます。
○篠木参考人 同じく女性の立場からいいますと、じゃ、五年男性が浮気をされたというんでしょうか、別居して、別居した事実をつくられることによって例えば離婚させられてしまうという現状が出てきやしないか。反対に考えますと、離婚したいのに二十年間も三十年間も、今現在が二十年でしょうか、しないと裁判長の判決をもらえなければ離婚できないという苦しみ苦しみを耐えている方も中に、大変多くいらっしゃいます。したがいまして、今時勢柄と申しましょうか、両者合意に達するならば五年というキャリアというのは結構人生の中で長いのかなと思います。したがって、五年は慎重論としますが、そうかといって十年間というわけにいかないでしょうから、五年もやむを得ないという感覚でございます。
○福島参考人 私は、今回の民主党案は、財産分与を二分の一と推定するというふうにしておりますので、経済的に弱い妻の保護は若干満たされるというふうには考えております。また、民主党案は、二年以内に養育費の取り立てについて考慮するという条文があります。ですから、私は、五年別居しておりますと実際もとに戻る可能性が大変少ないことと、裁判上裁判官が破綻しているという認定をする場合に五年別居を考慮するという極めて例外的な場合ですから、賛成です。 ただ、財産分与と養育費の取り立て、福祉の充実、女性の働く場所の確保は別の問題として、早急に解決すべきだと考えております。
○熊崎参考人 労働組合の立場としましては、考え方としては、これからは破綻主義の考え方に移行していくべきだというふうに考えております。 以上です。
○斉藤(鉄)委員 どうもありがとうございました。 質問を終わります。
○八代委員長 続きまして、石毛銭子君。
○石毛委員 民主党の石毛でございます。 この法案は、民主党から提案させていただきましたが、御審議いただきました水曜日に、偶然ですけれども、私の地元の知人、女性の方たち、私よりちょっと若い方ですけれども、五人、傍聴に来てくださいまして、そして、その中のお二人の方が、一組は、お嬢さんお一人の方で、きょうの話は非常によくわかって、私、娘一人だから、結婚するときに彼女は相手の姓に変わるんじゃなくて別姓を名乗るということもあるのよね、これから娘とよく話すわというふうに言っておられました。もう一組は、職場の女性が、先ほど福島参考人が御紹介くださいました方と同じ状況だと思いますけれども、婚姻届を出せないで困っているという方が現におられるということで、とても身近な問題だということを痛感した次第です。 前置きになりましたけれども、きょうは、民主党の提案させていただいております法案の中で、参考人の皆様方が比較的お触れにならなかった提案内容で、非嫡出子の相続の問題がございます。嫡出でない子の相続分は嫡出である子の相続分と同等とするというのが、民主党の民法改正法案の一項目でございますけれども、日本は既に子どもの権利条約、児童の権利条約を批准しておりますし、その権利条約の非常に先進的な意味は、出生による差別を禁止しているというところにあると思います。 そこで、福島参考人にお尋ねしたいと思いますけれども、先ほど、最後の方のお話の中で多少、国際人権規約、子どもの権利条約にお触れになりましたけれども、諸外国で、嫡出でない子供の出生差別をめぐってどういう解決策がとられてきているかということを、もう少し御紹介いただければと思いますが、お願いいたします。
○福島参考人 御質問ありがとうございます。 七二年に、国連の経済社会理事会が、相続について婚外子を差別しないことなどを内容とする非婚の母と子に関する勧告を加盟国に対して行いました。各国は七〇年代以降、差別を撤廃する法改正を次々に実現しております。現在では、例えば、イギリス、オーストリア、イタリア、オランダ、スイス、デンマーク、ノルウェー、ロシア、韓国、中国など、ほとんどの国で差別を廃止しておりますし、アメリカ統一親子法典、オーストラリア、カナダの多くの州、スウェーデンなどは、婚内子、婚外子という区別自体も廃止しております。残念ながらフランスの中に、一部に婚外子の差別を残しているところがあるのですが、先進諸国と言われている国のほとんどの中で、差別を残しているのは日本だけだと言っていいと思います。
○石毛委員 ありがとうございました。 民法改正の問題は、選択制の夫婦別氏の問題も大変重要であるわけですけれども、今社会保障の構造改革の中でちらほらと児童扶養手当の問題もこれからどうなるかというような状況がございますし、基本的に子供が婚内であるか婚外であるかの位置によって差別されるということはおかしいと思いますので、この民法改正の審議には、この点も重要なテーマとして大いに審議をいただきたいというふうに私は考えております。ありがとうございました。 それでは、熊崎参考人に次にお尋ねしたいと思います。 ごらんいただきましたように、法務委員会で女性の委員は私一人でございます。衆議院議員の中に女性議員がとても少ない、そういう状況もございますけれども。 それで、私は、熊崎参考人が、一番最後の部分でしたでしょうか、連合として芦田会長も同席してこの選択的夫婦別氏制に対する要請行動を行ったという御発言をお聞きしました。それで、連合もやはり、男性の方が執行委員の方に圧倒的に多いんだと思いますけれども、そうした、男性と女性が働き続け、労働組合活動を続けてこられる中で、この民法改正に合意を形成してくるまでに、男性の執行委員の方がどういうお考えをとられて、そしてこういう結論に至ったということを少し御紹介いただければ、私たちの参考にもさせていただけるのだと思いますが、いかがでございましょうか。
○熊崎参考人 お答えいたします。 御指摘のとおり、労働組合も女性の参画の促進を進めておりますけれども、なかなか進みの度合いが遅いということは事実でございます。 今回のこの民法改正の問題につきましては、やはり法律で、民法改正するという点については私ども政策制度要求で一致ができますけれども、実態としましては、いわゆる個々人の哲学とか考え方とかというものがどうしても出ますので、さまざまな論議が出てきたことは事実でございます。 しかし、労働組合ですので、労働組合員のやはり個人を尊重するという基本的な考えからまとめていくというふうにすれば、民法改正は非常に、この問題は長い期間はかかっておりますが、ここまでこぎつけたということです。やはり男性のそのような考え方をまとめて、行動をしたり、政策制度要求に盛り込むということについては、私は、これひとえに女性の粘り強さ、これしかないと思っております。 先ほど長谷川先生が、何回も何回も言っている間に浸透していくんだということをおっしゃいましたけれども、私どもはそういうようなことはプラス面で使っていきたいと思っておりますので、この問題につきましても、実現するまでしつこく何回も言い続けたい、そして実現に持ち込みたい、こんなふうな考えを持っているものでございます。 以上です。
○石毛委員 ありがとうございました。 本当に何回も何回もというその粘り強い主張と協議の結果で、制度政策要求として民法改正を提案されるに至ったと伺いましたけれども、我が民主党は、坂上部会長、佐々木委員、男性お二人でいらっしゃいますが、今率先してこの問題を扱っていただいておりまして、私はむしろ引きずられている側面もなきにしもあらずでしょうか。ただ、私はずっと個人的には事実婚を続けてきて、最近になって法律婚に変わったものでございますから、実践してきたという思いはあるのですけれども。男性の我が委員の皆様に、ぜひこれから、選択制別姓に向けての、そして婚外子差別の解消に向けての皆様の真摯な御協議をお願いしたいと思います。 それでは、私の持ち時間は十分でございますので、参考人の皆様にお礼を申し上げまして、終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
○八代委員長 続きまして、木島日出夫君。
○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。 私ども日本共産党は、今から十年前、一九八七年以来、選択による夫婦別姓を認める民法改正を政府に求めてきたわけであります。新しい憲法の理念に最も沿った制度だと考えるからであります。それは、基本的人権の尊重であります。その内容としての個人の尊厳、幸福追求権、男女平等、法のもとの平等、その他その他であります。 そんな立場から二、三の点をお聞きをしたいと思うのですが、最初に長谷川参考人でありますが、先ほど、戦後ベビーブームは最も物資がないときが起きたと。家族、参考人は家という言葉をお使いになりましたが、後でちょっと家と家族との違いについても聞きたいのですが、家族がこの構成員個人を守ってきた、そういう側面は大いにあったかと思うのです。しかし、そういう立場から家族を大事にする、本当に大事だと思うのです。それはファミリーですね。それがゆえに、私どもは、夫婦のきずなというものが基本だと考えているわけであります。 そこで、その夫婦のきずなをどう守るか、高めるかということについて、いろいろ、御夫婦によっては、氏を同じくすることによって夫婦のきずなを強めようとする御夫婦もあれば、その相手、夫から見れば妻、妻から見れば夫の生まれ育ち、そして社会的活動、その全人格としての氏を大事にするという立場から、結婚した後でもその氏で一緒にやっていこうということで別氏制を選択する、それによって夫婦のきずなを強めていこう、そういう夫婦もあっていいのではないか。そういう意味で、名実ともに選択的夫婦別氏制、選択というのは非常に大事だと考えるわけであります。そういういろいろな夫婦があっていいのだろう。 そして、それをお互いに許容し合う、先ほど福島参考人は大変すばらしい言葉を使ったと思うのです、許容し合う社会が本当に民主的な社会ではないか、そういう社会を日本国憲法が目指しているのではないか、そういう理念に基づいて今民法改正が行われるべきだと考えるわけでありますが、長谷川参考人は、その許容ということを拒絶されるわけですね。夫婦同姓を強制しようとされるその理念、それは一体何なのでしょうか。参考人が目指す社会というのはどういう社会なのでしょうか。もっと突っ込んで私は聞きたいと思うのです。
○長谷川参考人 まさにそこをもっと突っ込んでお話ししたいところでしたので、発言のチャンスを与えられて大変幸運だと思っております。ありがとうございます。 実は、まず、家族のきずなという言葉なのですが、この言葉は大変意味があいまいな言葉でして、ここでも大変混乱されて使っております。 例えば、家族のきずなということで差し当たって直接に思い浮かぶのは、多分、だんなさんが奥さんの誕生日になるといつも花束を抱えて、愛しているよと言って帰ってくる、女性の立場からいうと、そんなことを差し当たって家族のきずななんというふうに思うわけです。実は私はそうは思いませんが、女性週刊誌なんかでは、それをもって家族のきずなというふうに言っている。つまり、もうちょっとかたい言葉で言いますと、自己の主体的な意思によって、愛情によって結ばれるという、それを家族のきずなというふうにイメージするのか。あるいはむしろ、それこそ、うー、あーで、家族の間にまるで対話がないように見えながら、お父さんとお母さんが何かもうまるで以心伝心のようにぱっとお互いの望んでいることをお互いにやってのけている、そういうものをもって家族のきずなと呼ぶのか。 家族のきずなという言葉にはいろいろな意味がございます。それがまさに、今木島さんがおっしゃった、いろいろな多様な形があっていいのではないか、価値の多様性を認めていいのではないかというお話につながっていくと思うのです。 実は私、先ほど福島さんに御質問したくてたまらなかったのですが、価値の多様性を認める、殊に家族に関して価値の多様性を認める、これが大事で、民主主義であると。そうしますと、一夫多妻制という、これはイスラムでは伝統的な一つのシステムになっておりまして、立派に一つの家族に関する価値であります。では、福島さんは、日本に一夫多妻も認めるということが、これが日本が民主主義国家になるあかしたとお考えになるのか。これは、実際、日本にはイスラムからの移民がまだそんなにたくさん定住しておりませんけれども、もしこれが本格的に定住しますと、本格的に問題になってまいります。そうしたら、日本の民法はどうつくったらいいのか、一夫多妻も認める、そういう民法というものを一体どうつくっていったらいいのか。 これは、先ほどいみじくも福島さんが、通称使用ということを決めるのは非常に技術的に難しい、なぜならば、あるところで通称と戸籍名がぶつかり合ってしまう、どちらかがどちらかを排除してしまう時点が出てくるとおっしゃった。これは、恐らく法律家の実務としては切実な御意見だろうと思います。それは私はクリアできるし、できなければいけないと思っておりますが、ただ、その観点が非常に大事なのです。 つまり、価値観の多様と言うと、これは非常に口当たりがよくて、大変結構なことのように見えるのですが、価値観というのは、まさにこれがいいんだというから価値観なのです。これもいいかしらというのは価値観ではございません。ですから、価値観というもの、これが共存するということは非常に難しいことなのです。殊に家族のシステムという場合には、今申し上げたのは決して極端な例じゃございません、一夫多妻を日本の中に認めるか、参考人から委員に質問してはいけないということになっておるそうですので、これは一般的な皆さんへの疑問として提出したいのですが、日本に一夫多妻制も認める民法をつくることが民主主義国家としての日本のあかしであるのかどうか。これを考えてみると、価値の多様性を守るというこのお題目のむなしさがわかってくるのではないかと思います。
○木島委員 もう全く理解できない論理の飛躍であります。一夫一婦制を基本とする、そしてそういう中で妻と夫がどのように家族のきずなを高め合うか、それについて氏がどうあるべきかを論じているわけであります。私どもは、一夫多妻制を断じて認めるものではありません。一妻多夫制を断じて認めるものではありません。私の質問に参考人は答えていないと思うのです。 私がちょっと気になったのは、家という言葉を大変強調されているわけです。家族と家というのは違うのです。参考人が強調される制度としての家というのは、まさに明治民法、明治憲法が基本の柱に据えてきたことじゃないのでしょうか。幾つがその中心があったと思うのです。家の中心は戸主であるということ、戸主を主宰するのは、男子長子であるということ、それを相続で体現したのが家督相続制である。相続権は基本的に長子の男子が担うものとされたこと、その基本として、女性は法律主体としては全く無能力者であった、無権利者であったということ。要するに、財産を持つことができない、もちろん選挙権を持つことができない。 そういう大きな骨格の中に実は制度としての家があり、その制度としての家を支えるものとして夫婦同姓の強制が位置づけられたのじゃないか。だから、明治民法、明治憲法のもとで初めて夫婦同姓が強制されていったのは、日本の歴史が教えているところでありますね。そういう社会がどこまで行き着いたか。戦争に行き着いて、愛する夫が赤紙一枚で戦場に徴用されても、妻としては一言も物が言えない社会が形づくられていったのじゃないかと思うのですよ。 先ほど来の私の質問に参考人は答えていないのですが、参考人は、どういう理念でどういう社会をつくるべきかと。参考人が言う家というのはこういう明治民法下の家を想定しているのでしょうか。それをはっきりお答えいただきたい。
○長谷川参考人 お答えいたします。 私は、あっさりと本来の日本語である家という言葉を使いまして、ごく日常的な用語として家という言葉を使いました。これはもちろん、今おっしゃったとおり、明治民法下におけるいわゆる家という制度、これもその中に含むものとして考えております。 私は、家族の形態というものは、それはもうまさにそれぞれの民族により、それぞれの時代によって変遷するものであって、そして、そういう意味でのそれぞれの民族の多様性というものはあってしかるべきだと思います。 そして、日本の家というものの特色、手短に申し上げますが、これは細かく論じれば非常に膨大な論述を必要とする問題になりますが、一口に言いますと、日本の家の特色は、中国大陸の伝統的な儒教に比べてやや血統主義の緩い、ある意味では現在の会社に近いような側面を持ったそういう組織であるというふうに理解しております。現在では、その家というものは本当に子供を産み育てるという機能に縮小されておりますけれども、そういう形で今我々が伝承している、もうほとんどみんな無意識のうちに何か家という言葉で思い描いているもの、それを私は家というふうに今ここで呼んできたわけです。 それはもちろん、今おっしゃったように、さまざまのしがらみであり、そして個人個人に我慢を強いる、そういう側面を持ったものです。これはすべてのシステム、組織につきもののことであります。今おっしゃったように、家というシステムだけがそういう側面を持っているというふうにお考えになるのは、これは多分偏ったお考えだろうと思います。
○木島委員 時間の制約があって、残念ですが、ほかの参考人には質問できませんでした。 以上で終わります。
○八代委員長 それでは、保坂展人君。
○保坂委員 社会民主党の保坂展人です。 参考人同士のディベートというものができないようでございますから、先ほどの木島さんの問いかけに対して、長谷川参考人の一夫多妻ということに対して福島参考人の御意見があれば伺っておきたいと思います。
○福島参考人 憲法は、両性の合意に基づいて成立するというふうに規定しておりますので、今の日本国憲法は二人が結婚することを念頭に置いているというふうに私は考えます。 私は、きょう、価値観の多様化ということを申し上げましたが、決して口当たりのいいようにそれを言ったのではありません。もちろん、いろいろな法制度そのものが憲法やいろいろな価値によって規制を受けるのは、これはもちろん当然なわけです。それで、家族の多様化の中でも極めて謙虚な選択制という形で結婚届を認めさせてほしい、子供の人権という立場から婚外子の法定相続分の差別を撤廃してほしいと申し上げたわけです。
○保坂委員 続いて何点がやはり福島参考人にお尋ねをしたいんです。 社民党も、この選択的夫婦別姓を中心としたこの民法改正をぜひ今国会で進めたいという立場で極めて熱意を持ってやっていきたいと思っているわけですけれども、その中で、やはり先ほども話題に上っていました婚外子の差別について、国連の人権規約B規約の委員会で指摘を受けて、日本政府の代表が、法律婚の家族を守るためというのと、それから世論がまだ行き渡っていないということに対して、大分各国の委員から反論があったと聞いています。そして、現在、この段階でもこの差別条項を撤廃していないという日本のありように対して、国際社会の視線が、ジャーナリズムであるとかあるいは国連であるとか、どうなっているのか。そこの点、お尋ねをしたいと思います。
○福島参考人 どうも御質問ありがとうございます。 今おっしゃられたのは、一九九三年十月、ジュネーブの規約人権委員会での審議だと思います。日本政府が、法律婚を保護するためには婚外子差別もやむを得ないと言ったことに対しては、各委員から、婚外子のいる家族も家族ではないかという批判、やはりその家族も保護するべきではないかという意見が出ました。それから、世論の問題につきましては、世論を変えることこそ政府の役割ではないかというふうに批判が出ました。日本政府に対して一九九三年十一月、規約人権委員会は婚外子差別を撤廃するようにと勧告をしました。これは、法律上は差別があるかないかということが極めて一目瞭然ですので、そういう勧告が出るのは当然だと思います。 それで、例えば女性差別撤廃条約を日本は批准しておりますが、この女性差別撤廃委員会、国際人権規約B規約の委員会、今、子どもの権利に関する条約を批准しておりますから、その委員会で各国政府のレポートというものが国連で審議をされるわけです。そこで、法律の面で差別があるのはどんなものかということをしょっちゅう日本政府は聞かれる。近いうちに、子どもの権利に関する条約と規約人権委員会の審理がまた国連で行われると思います。そのときに、例えば、一九九三年そう言ったにもかかわらずなぜ改正していないのかということがやはり強く言われると思います。 選択的夫婦別姓などについては、特に十年前、ちょっと別姓で済みませんが、十年前からの政府の公約で、一九八五年に女性差別撤廃条約を日本は批准しておりますし、ずっと政府は諸外国に対しては、現在日本は改正作業中だ、立法に向けて努力をしているということを婚外子差別も含めて報告をしております。ですから、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と言うのであれば、やはり私は、法制度の整備が必要だと考えます。
○保坂委員 それでは、続けてお尋ねをしたいんですけれども、少子化、子供が生まれてこない、あるいは産みにくい、育てにくいという社会に明らかに今日本はなっていて、私は厚生省の人口問題研究所の所長さんをお訪ねしたことがあるんですね。お話を聞きますと、日本の場合は、結婚すると比較的よく子供を産んでいる、諸外国に比べて婚外子がもう極端に少ないんだということで、ここらあたりに非常に問題があるということと、もう一つは、要するにこの出生率が下がっているほかの国というのは、例えばスペインだとかイタリアなんですけれども、極めて古い伝統的な家族観というのがまだあって、一方で高度消費社会化というか、そういう社会変容があるというあたりのことも指摘されていたんですが、そこについて福島さんの御意見をお願いします。
○福島参考人 日本の婚外子の出生率は一・一%です。これは、諸外国に比べて、とても低いもので、実は、日本の社会で結婚届を出さないで子供を産むことがやはりまだまだ難しい、差別がやはり強い社会だというふうに思っております。 諸外国でこの婚外子の法定相続分の差別撤廃あるいは子供に対する差別を撤廃した国は、出生率は上がっております。国が違いますから一概には言えませんが、日本では非嫡出子の中絶率が物すごく高いというふうに言われています。ですから私は、少子化、少子化とおっしゃっている方たちは、やはりこういうことも知ってほしい。先ほど、例えば夫婦別姓で結婚届を出した人たちの不受理証明書をお示ししました。みんなはやはりなかなか結婚届を出さないで子供を産もうとはなっていないので、二十代後半、三十代の女性たちが早く法律が成立することを望んでおります。 日本で出生率を上げるのは、結婚が楽しくなること、それから婚外子差別を撤廃することだと思います。
○保坂委員 続けて、これは、民法の改正を子供の立場から考えてみるといろいろまだ踏み込むべき点があるかと思うんですね。例えば、別姓夫婦の子供、名前が違う場合には、これは特別の事情がなければこれを変更することができないという条項ですとか、あるいは経過措置の部分でも、先日も申し上げたんですが、親子のコミュニケーションがなかなかうまくいかないケースもあります。ですから、子供が名前を選べるという視点も次かしてはならないと思うんですが、その点だけお尋ねをしたいと思います。 福島さん、お願いします。
○福島参考人 外国の法制度は、子供の姓の決定権について、今回の案よりもやはり広く認めています。子供自身も、やはり自分の姓をこうしたいというのはあると思います。もちろん、私は、子供自身が二十歳ぐらいまでにアイデンティティーができますから、名前を変えたいと思う人は、数は多くないと思いますけれども、やはり子供自身の姓の決定権ももう少し考えられていいというふうに思います。 それから、よく、夫婦別姓選択制を認めると子供がかわいそうとか、いろいろな家族があると子供はかわいそうというふうな言われ方もします。しかし、かわいそうにしているのは、そういうのを不健全あるいは何か問題があるのではないかと言う側で、婚外子差別も、法律が、差別が撤廃されることで、随分人々の意識も変わっていくというふうに考えております。
○保坂委員 時間が来ましたので終わりますけれども、私は、やはり、婚外子差別の条項を撤廃するということは本当に迫られていると思うのです。このことは、国際社会から言われて一生懸命言いわけをするということは、もう許されない段階に入ったと思います。法務省もだんだん元気がなくなってきて、そのことについて極めて踏み込みが足りないというふうに思いますので、この議論をぜひ継続をして、民法改正を実らせていきたいということを表明して、終わりにしたいと思います。
○八代委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。 参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時一分散会