税制問題等に関する特別委員会 第6号
- 発言数
- 159 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1997/06/12
会議録
○原田委員長 これより会議を開きます。 税制及び金融問題等に関する件について調査を進めます。 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 本件調査のため、本日、参考人として、東京大学経済学部教授植田和男君、シティコープ/シティバンク在日代表八城政基君、21世紀政策研究所理事長田中直毅君及び南山大学教授野田宣雄君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
○原田委員長 まず、午前中に御出席をいただいております参考人は、東京大学経済学部教授植田和男君及びシティコープ/シティバンク在日代表八城政基君の両君であります。 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。両参考人には、ビッグバンを前提とした二十一世紀に向けての我が国の金融・経済システムのあり方につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の順序についてでありますが、まず、両参考人にそれぞれ二十分間程度御意見を述べていただき、次に、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。 御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、植田参考人からお願いいたします。
○植田参考人 御紹介にあずかりました東京大学の植田でございます。 それでは、今御指示いただきましたとおり、最初に私の考えますところを簡単に要約させていただきまして、いろいろな点は、後の質疑応答の中で言及ないし議論させていただければと思います。 ただ、私は、大学で理論を勉強したり教えたりしておりますもので、金融の実務あるいはビッグバンでは法律等が非常に重要になってくると思いますが、その辺に関しては不確かなことが多くて余りお役に立てないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。 そこで、最初の要約といいますか簡単な私の意見の紹介でありますが、まず最初に、どうしてこういう金融ビッグバンのようなものが現在の日本において必要になると考えられているかという背景のようなものを簡単にお話ししまして、それから、将来を望んだ場合にどういう改革の方向が望ましいか、さらに、それに照らしてみますと、現在決まりつつあるビッグバンの内容についてどう評価できるか、最後に、それが今後どういう影響を持つと考えられるかというような順序で話してみたいと思います。 まず、ビッグバンの背景でございますが、いろいろ言われております。例えば金融の国際化、グローバル化、あるいは政治的なところでは冷戦の終結によりますアングロサクソン関連の制度の優位の確立、あるいは金融の技術の変化等であります。いろいろ言われておりますが、私の考えでは、大きく言いまして、金融の技術の変化の影響が非常に大きいというふうに考えております。 文献を見てみますと、実は百年ほど前に同じ時期がございまして、二十世紀初めのロンドンでは、朝起きた資産家がベッドの中から世界じゅうに電話で金融あるいはもう少し広い商品ないしサービスの売買の発注をするというようなくだりが、例えばケインズの本なんかに出てまいります。これは実は、十九世紀の後半から二十世紀の前半にかけまして交通とか電話、電報等広い意味での技術インフラ等が発展しまして、その上に乗って出てきた動きではなかったかというふうに思われます。 これが二度の大きな戦争で中断されまして、さらにその後冷戦等もあって下火になってきたところに、一九八〇年代前半前後から一段とコンピューター、通信技術の発達、さらにそこに冷戦が終結したというようなことがありまして、米国中心に金融の新技術が生まれ、アングロサクソンの制度がそういうもとでいわゆるデファクトスタンダードになり、技術の進展さらに規制の緩和等の動きの中でグローバル化が進み、日本においても金融の国際化、一層の規制の緩和が迫られるということになってきているのだと思います。 一言最近の金融の技術の性格について申し上げますと、具体例は時間の関係で省きますが、一方で、さまざまな専門化の進展、あるいは今までいろいろ組み合わせて提供されていたような商品、技術が細分化されて提供されているという動きがございますし、さらに一方、細分化されたものが適宜自由に組み合わされて、お客さんのニーズに合ったように変換されるという動きも目立っております。そういう中での一つのインプリケーションは、日本におきます伝統的な業務分野規制が、こういう動きに対して障害になったりあるいは無意味になりつつあるということではないかと思います。 続きまして、こういう背景のもとで、望ましい規制緩和の方向であります。 よく言われることでありますが、専門化された商品のそれぞれの市場が自由に発達するということが必要でありますので、まず、金融サービスの価格の自由化が必要であります。さらに、価格が自由につけられるだけではなく、新しい商品が自由に開発されていくということが重要でありますので、そういうような方向にさまざまな規制の緩和等が行われる必要がありますが、中でも業務分野規制の緩和というのは非常に重要であるというふうに思います。基本的には、市場メカニズムがうまく働くためのインフラの整備ということになりまして、具体的には、法律、会計、税制というあたりが基本ではないかというふうに思います。 さて、そういう動きをにらみつつ、昨年秋からさまざまなところで金融ビッグバンの動きが進んでまいりまして、あしたにも大蔵省関係の審議会の案が出てくるということでありますが、これまでのところ、私が知っている限りで簡単な評価をしてみますと、既に通ってしまいましたが、外為法の改正が非常に大きな影響を持つということが第一であります。 すなわち、これまで以上に徹底して内外の資本移動が自由になるということでありますので、日本の市場あるいは日本の金融機関のサービスの使い勝手が悪ければ、取引は外国に逃げてしまうというインプリケーションを持ったものであります。したがいまして、この規制緩和措置は、ある意味では日本の金融市場の一層の空洞化をもたらすことになるか、あるいは一生懸命頑張って日本の金融市場をいいものにすれば日本に取引がとどまる、そういう選択をかなり厳しい形で突きつけているものというふうに考えられます。 価格の自由化が重要であると申し上げましたが、幾つかの典型例あるいは一つの典型例で申し上げますと、株式の委託売買手数料率の自由化という問題がございます。これに関しましては、新聞報道等で見られる限り、明日出てきますのは、例えば来年四月に取引金額五千万円程度のところまで手数料率を自由化する、その後は一九九九年末にかけて完全な自由化を図るということのようであります。時間はかかりますが、望ましい方向で自由化がなされつつあるということかと思います。ただ、もう少し早くやってもよかったのかなという感じを私は持っております。 業務分野規制緩和の方向としましては、御案内のように持ち株会社を使う方式と業態別子会社を使う方式で、やはり少し時間をかけて進むという方向が見えておりますが、いろいろな制約がついていること、特に保険の分野がさまざまな問題で非常に保守的になっていることが全体のペースをおくらせているという懸念を私は持っております。 ビッグバンの影響でありますが、まず金融業界の中でいろいろな変化が起こるであろう。端的に申しますと、金融業はこれまで広い意味のいろいろな規制に守られまして進んできた業界であったわけでありますが、その規制が順次取り払われていく、本格的に取り払われるということでありますので、ほかの普通の業界と同じような方向にかなりの程度行くということであります。その意味は、非常に簡単なサービスを提供するだけでは余りもうからなくなるということであります。例えば株式の売買の取次業務程度では、手数料率が非常に低くなると考えられますので、大したもうけは出なくなるということであります。 どういう場合にもうかるかといえば、明らかなことでありますが、他人がなかなかまねのできないようなイノバティブな商品・サービスを考え提供した者の勝ちということであります。しかし、だれがそういうサービスを提供できるようになるかということを現在の時点で予想するのは非常に難しいことではないかと思います。 また、違うディメンションで申し上げますと、競争は、例えば外資系の金融機関対日本の金融機関という次元で一つ行われると思いますし、業務分野規制が緩和される方向に行きますので、日本のさまざまな違った業界の間で競争が厳しくなるという次元もございますし、さらに、既存の業界の中で相対的に強い企業と相対的に弱い企業の間の競争が激化し、弱い企業が駆逐されていくという意味で競争が起こるという次元もあるかと思います。場合によっては、三番目の次元がかなり厳しい影響を個別の企業にはもたらすのではないかというふうに私は思っております。 国民経済へのプラス・マイナスでありますが、参考になりますのはイギリスのビッグバンであります。十年ほど前にやや小さい規模で似たような動きがあったわけでありますが、ビッグバンが始まりまして一年たった後、イギリスのマスコミが、ビッグバンでどういう層が一番メリットを受けたと考えるかというアンケートを実施しております。その結果によりますと、大まかに申し上げますと、最大のメリットを受けるのは、金融業界ではなくて、そのユーザーであるという結果が出ております。例えば最大の票といいますか回答をもらった層は機関投資家であります。これが三二%。それから金融機関以外の資金調達あるいは運用を行うような企業、これが一九%という答えが出ておりまして、ビッグバンの最大のメリットの享受者はユーザーであるということだと思います。 最後に、ビッグバンへの障害といいますか、あるいはビッグバンが進むに伴って予想される幾つかの問題について触れたいと思います。 最初に、今の点と関連しますが、ユーザーはメリットを受けるわけでありますが、必ずしも一様にメリットを受けるわけではありませんで、メリットの受け方にも濃淡があるということだと思います。例えば大口のユーザーのメリットの方が小口のそれより大きいということが恐らくあるのではないかというふうに思われます。 さらに、ユーザーに限らず、一般国民あるいは関連の金融機関の従業員というようなことで申し上げますと、恐らく懸念される影響は、分配の不平等化が進行するということではないかと思います。もちろん、その裏側としまして、広い意味での労働市場の流動化、雇用の流動化、あるいは賃金の伸縮度合いが高まるというようなことがないとビッグバンはうまくいかないということではありますが、そういう意味で、うまくいった場合にはさまざまな問題が労働市場の周りで起こってくる。これにどういうふうに対応するかということは一応考えておかないといけないことではないかと思います。 二番目に、言い古されたことでありますが、改善はされつつありますが、足元の不良債権問題がビッグバンとの間で問題を起こす可能性があるということは言うまでもないかと思います。 最後に、現在進行中のビッグバンの評価と関連するわけでありますが、市場インフラの整備をもっと進めないといけないということだと思います。 法律、会計、税制と申し上げましたが、特に、まず法律につきましては、恐らくことしから来年にかけて提出されるような法案だけでは不十分でありまして、現在検討が始まっておりますような金融サービス法、すなわち金融業全体をにらむような法律の制定が不可欠ではないかというふうに思います。 あと、税制につきましては、来年四月に先ほど申し上げましたように国際資本移動が一層自由化されるという中で、いいか悪いかは別にしまして、ある種のグローバルスタンダードと余り乖離した税制を維持し続けることのデメリットが目立ってくる可能性があるということと、さまざまな金融商品ないし金融所得間の税率が必ずしも一様でないことからいろいろなゆがみが発生しているという点を是正していく必要があるのではないかなというふうに私は思っております。 とりあえず、以上で私の話を終えさせていただきたいと思います。(拍手)
○原田委員長 ありがとうございました。 次に、八城参考人にお願いいたします。
○八城参考人 お招きにあずかりまして大変ありがとうございます。 私は、三つの点について申し上げたいと思います。第一は企業経営の、特に銀行を含めた世界のグローバリゼーションについてのコメント、第二は経営に対するチェック機能としてのコーポレートガバナンス、第三はビッグバンについて、この三つについて意見を申し上げたいと思います。 知識集約型産業であり情報産業でもある金融業こそ、二十一世紀に向かって高い成長率が期待される成長産業であります。しかしながら、我が国の金融機関は、九〇年代の初めから長年にわたって不良資産問題を抱え、数年後に迫っている日本版ビッグバンに向かっても積極的な対策を出せないでいるのが現状であります。世界の金融機関はグローバリゼーションの道をまっしぐらに進んでいます。特に欧米の有力銀行は、ますます高度化する金融商品を武器に、グローバル化する企業さらには個人の絶え間なく変化する金融ニーズにこたえつつあります。 行政の介入の程度の高い産業ほど国際的競争力に欠けることは否定できません。銀行は、サービス産業のうちでも行政によって最も強く規制されてきた業界です。自動車、エレクトロニクスなどの先端技術を駆使して発展してきた産業は、いずれも規制の少ない、したがって政府による保護が少なかった産業であります。 規制のない業界では、自由な競争が行われる結果、市場参加者である企業間の格差がつきやすく、生産コストが安く品質のすぐれた製品をつくることによって、企業は大きくなり、利益を上げることができます。自由な競争の行われている業界は、当然のことながら海外においても十分競争できる体質を持っています。米国のビッグスリーに対して常に脅威を与えてきた日本の自動車産業、また世界の市場をほとんど支配するようになった家電メーカーなど、そのよい例と言えましょう。国際的競争力を持つこうした企業は、グローバルな企業として、国内経済の不況などをしり目に着実に業績を高めています。それに比べて、産業の性格がドメスティックであり、外からの競争にさらされることの少なかった業界は、国際的な競争力もなく、業績面でも低迷を続けています。 政府の規制、保護のために真の競争が行われてこなかった業界では、規模が大きく市場の占有度が高ければ、みずから業界のリーダーとなることはできます。しかし、業界での市場占有度と業績とは必ずしも同じものではありません。日本の大手銀行が世界の十大銀行のうち七行までを占めていても、外国人に映る邦銀のイメージは、残念ながら、内輪の論理と、海外で安値を提供することによってひたすら規模の拡大に努めてきた集団だと思われています。 日本企業のグローバリゼーションは、企業の行動を日本的な内輪の論理からグローバルなスタンダードに転換することから始めなければなりません。このことを強く実感として持っているのは、日本に進出している外国企業であります。最近でこそ業界の閉鎖性は海外からの圧力もあって多少変化しつつありますが、本質はほとんど変わっていません。米国に次ぐ世界第二位の国民総生産を誇る国でありながら、海外から日本への直接投資額は、この数年来、平均して年間十億ドルにも達していません。この額は先進工業国の中でも最も低く、台湾よりも低いものです。一方、米国への外国からの直接投資は年間五百億ドルから六百億ドルに達しており、また英国でも二百億ドルを超えています。いずれも日本の二十倍から五十倍の水準にあります。 かつては、日本への外資による直接投資を抑えることは、ビジネスの機会を日本の企業にとどめることになり、したがって日本の国益に資することになるといった誤った考えすらありました。消費者が求めている質のよい商品・サービスを安い価格で提供すれば、消費需要が伸び、経済が活性化され、新しい雇用機会が生み出せるといった発想はほとんどありませんでした。 法律や行政の裁量による規制が張りめぐらされた社会では、消費者のニーズを満足させるような本当の意味での競争が行われていません。日本では、一見激しそうに見える国内の業者間の競争を過当競争と呼ぶことがありますが、その実は内輪の競争であり、そうした業界では真に消費者のニーズにこたえるような競争が行われてきませんでした。 東京市場がニューヨークやロンドンとともに、世界の三大金融センターの一つとならなかった理由を幾つか挙げることは可能です。しかしながら、この数年来の経験から、私たちは、日本的な論理が金融という最も国際的な市場では通用しないことを知りました。法律上の規制、監督官庁と企業との緊密な関係、行政の下請的な業界団体の存在、そうした業界団体による民民規制など、これらはすべて、日本の企業が内輪の論理のもとに消費者や利用者の立場よりも業者の利益を優先してきた環境的背景であります。市場で成功するか失敗するかは、最終的には消費者によって決定されることを忘れていたのではないでしょうか。 二十一世紀に向かって我が国の金融機関が日本の経済力にふさわしい役割を果たすためには、みずからのリスク管理能力を格段に改善しなければなりません。世界で活躍する日本の企業を含むグローバルな企業の金融ニーズを満たすためには、金融機関同士の膨大な額に及ぶ決済業務、単純な為替取引、さらには金融派生商品を含む革新的な仕組み商品など、顧客の必要とする商品・サービスを積極的に提供する必要があります。 この数年来、金融機関や事業会社が引き起こした巨額損失事件は、結局、リスク管理の失敗が原因と言わなければなりません。リスク管理は、「将来再びこうした事件を起こさないよう経営陣が一丸となって努力します」といった決意表明では解決できるものではありません。まず、リスクの存在とその程度について検証しなければなりません。それぞれの取引について、貸し出しであれ、為替の取引であれ、銀行にとって受け入れ可能なリスクの程度がどのくらいのものであるかをまず確定し、リスクをその範囲内にとどめるためのモニタリングの方法を設ける必要があります。例えば銀行からの融資については、それぞれの産業と特定顧客の信用リスクの程度を査定し、その限度を超えないようなチェックシステムを設け、常にモニタリングをすることになります。日ごとに複雑になる金融取引ばかりでなく、経営者はあらゆる種類のリスクにさらされています。人を信用するとかしないとかいった問題ではなく、リスクをいかに管理するか、そのために必要なシステムを持っているか、経営トップがシステムを十分活用しているかが問題であります。 次に、経営に対するチェック機能としてのコーポレートガバナンスについて申し上げます。 日本ではコーポレートガバナンスが何であるかほとんど理解されていません。日本の経営者の頭には、会社はいわゆるステークホルダー、つまり利害関係者のものだとする考えが強いようです。この考えを突き詰めますと、会社の経営を担っている者はつまり日々の経営に当たっている経営陣である、経営陣がステークホルダーの利益を代表しているという主張になります。経営者は会社経営の責任を持たない他の利害関係者を無視し、自分たち以外の者からの経営への介入を嫌うことになります。事業会社が銀行からの借り入れに依存していた時代には、銀行が事業会社へのチェック機能を果たしてきたと言われています。しかし最近では、企業の主たる資金ソースが間接金融から直接金融に移ったこと、銀行自体の業績が悪化したことなどから銀行の影響力は落ち、銀行によるチェック機能が働かなくなっています。 本来なら、経営の失敗は、株式市場で大量の売りを浴びせられて株価の暴落という結果になるはずでありますが、日本では必ずしもそうではありません。株式市場によるチェックも十分とは言えません。また経営の失敗の結果株価が長い間低迷していても、経営者が経営責任を問われることはまれであります。理由の一つは、企業がお互いに株を持ち合っているため経営者の失敗を批判しにくいためであるかと思われます。 最近の一連の不祥事件では、経営者の責任が厳しく問われており、経営トップが引責辞任に追い込まれるケースが多いようです。何十年間かのサラリーマン生活の結果やっとたどり着いたトップの地位を、いとも簡単に失ってしまうわけです。我が社に限ってそんな不祥事件が起きるはずがないと思うことは最も危険であります。組織の上で会社経営に対するチェック機能がきちんと働くようにすることが、経営者自身の身を守ることになります。 コーポレートガバナンスが機能するためには、株主、取締役会、会社経営幹部の三つの主体が会社の経営管理に重要なかかわり合いを持ち、三者の間に緊張関係が保たれることが必要であります。この十年来、米国の企業の取締役会の構成や役割が大きく変わっています。取締役会の構成は、三分の二以上が非常勤取締役で占められている会社がふえております。また取締役会の役割は、日々の経営についての審議機関ではなく、実際の経営に当たっている上級役員とははっきり区別されています。上級役員の経営のあり方について評価し、取締役会の承認、決裁を要する事項を取り上げています。取締役会の主たる役割は、会社経営陣、特に米国で言うCEOの業績を評価し監督することにあります。 大きく分けて取締役会の役割には、第一に、CEOの業績を評価し年俸、ボーナスを含めた報酬を決定することです。CEOの後継者計画を検討し助言する。そしてCEOがその役割を十分に果たしておらず、さらにCEOとしてその地位にとどめておくことが株主の利益に反すると判断される場合には更迭することになります。 第二は、事業計画、利益計画並びに重要な事業戦略を審議し承認を与えることであります。配当案を審議し承認を与えることもその一つであります。 第三は、取締役会の議長は、通常、常勤の役員である会長が務めています。そこで取締役会は、議長の取締役会の運営についての評価を行います。また取締役候補者の選択と株主総会への推薦を行います。 第四は、企業内にすべての法律、規則を遵守するシステムが存在し、効果的に機能しているかをチェックすることが役割であります。 コーポレートガバナンスが機能するためには、非常勤取締役によって構成される監査委員会、外部の監査法人、内部の監査部の三つが協力する体制をつくる必要があります。我が国でも、一九九三年の商法改正の際、三人の監査役のうち一人以上を外部監査役とすることが義務づけられましたが、監査役が十分にその役割を果たしているとは一般的に思えません。 私は、日本の企業でも、米国のような非常勤取締役だけで構成される監査委員会を設けるとともに、内部監査部をCEOと監査委員会の指揮命令下に置き、ラインからは独立させる必要があると思っています。取締役会監査委員会は少なくとも四半期に一回の頻度で開かれ、CEOは委員会に出席して委員の質問に答えなければなりません。監査の中心は業務監査であり、内部監査人グループが、リスクの程度に応じて年一回ないしは二、三年に一回行った監査の結果を報告いたしております。また会計監査に関しては外部の監査法人が監査に当たっていますが、監査法人の選択は監査委員会の推薦に基づいて取締役会が決定し、株主総会の承認を得ています。 最後に、ビッグバンについてでありますが、最近まで、金融ビッグバンについての議論は、何のためのビッグバンであるのか目的がはっきりしませんでした。東京市場を世界の三大金融センターの一つにするためとか、大手の銀行を国際的に競争できる強い銀行にするとか、あるいは銀行を欧州のユニバーサルバンクのような総合金融サービス会社に育てるためとか、いろいろな意見が聞かれました。しかし、やっとこの数カ月の間に調査会、審議会での議論が煮詰まって、ビッグバンによって達成すべきものが何であるかコンセンサスができつつあるように思われます。多くの人の意見が、市場に競争原理を導入して、事業会社、消費者がより安いコストで、自分たちが必要とする金融サービス、金融商品を自由に選択できることが目的であるということにまとまりつつあるようであります。 私自身も、数カ月前まではビッグバンの行方について懐疑的でありました。たとえ業態間の垣根を取り外しても、これまでのように規模の大きさとか売上額を中心とした、利用者の利益を忘れた競争では、市場の活性化につながらないばかりでなく、既得権益をかたくなに守ろうとする業界の体質も変わらないのではないかと思っていました。海外からの評価も、日本の金融市場が海外での劇的な変化に比べてこの十年来ほとんど変わっていないことを見て、今回もかけ声だけで終わるのではないかといったものでありました。しかし、最近では、こうした懐疑的な声は余り聞かれません。私も、ビッグバンは画期的な変化を銀行、証券、保険を含むすべての金融サービス業にもたらすものと期待しています。 そう考える理由は、ビッグバン構想で言われていることを実行しなければ、我が国の金融サービス業の地盤沈下はますます進み、事業法人や個人の利用者からそっぽを向かれてしまうことは明らかだという認識が高まってきたためだと思います。来年四月以降、外国為替についての規制が緩和されれば、コストが高く、使い勝手の悪い国内でのサービスを利用する人が少なくなることは言うまでもありません刀それでは東京市場の空洞化に一層の拍車がかかることになります。金融制度改革は、ぜひとも成功させなければなりません。もちろん、東京市場が魅力のある市場に変われば外国金融機関の積極的な参加が予想されます。 これまで行政の規制と保護のもとに置かれてきた産業は、とかく市場の規模を所与のものとして限定して考えてきました。つまり、業界の参加者は決まったサイズのパイを分け合う、あるいは競って取り合うという発想です。どうしても必要な規制は残すとしても、利用者が求めている新しい商品・サービスが安いコストで提供されるならば、市場の規模は飛躍的に大きくなるはずであります。そこに新しい雇用機会が生み出されます。ビッグバンによって、ロンドンの金融機関に勤める人の数が飛躍的にふえました。また世界の金融サービス業が年々生み出す付加価値の伸び率は、この十年来、世界のGDPの成長率の三倍近くになっています。我が国の金融業も、一日も早く過去の負の遺産から決別して成長の道に歩むべきだと考えています。ありがとうございました。(拍手)
○原田委員長 ありがとうございました。 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。 ─────────────
○原田委員長 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、理事会協議により、最初に、あらかじめ申し出のありました質疑を行い、その後、自由に質疑を行うことといたします。 なお、発言は自席から着席のままで結構です。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岸田文雄君。
○岸田委員 自由民主党の岸田文雄でございます。 本日は、両参考人の方々、本当にお忙しいところ貴重な御意見を聞かせていただきまして、まことにありがとうございます。 まず、私は、このビッグバンということにつきまして、両参考人にお伺いさせていただきたいと存じます。 お二人の参考人のお話を聞いておりまして、植田参考人のお話は、まさにこのビッグバンにつきまして、なぜビッグバンなのか、あるいは効果あるいは影響、こういったものがどうなのかというようなお話であったかと存じます。また八城参考人のお話も、最後の部分で、ビッグバンについて、何のためのビッグバンなのかということについてコンセンサスができつつある、安いコストで事業会社や国民が金融サービスを受けられる、利用者の視点に立つことが重要だというようなお話があったかと存じます。そして植田参考人のお話の中にも、ビッグバンにおきましてその最大のメリットを受けるのはユーザーであるというようなお話がございました。このあたり、お二人のお話、共通する部分があったかと思うわけでありますが、八城参考人もおっしゃっておったように、コンセンサスは大分できつつあるのではないかという気がいたします。 例えば今月発表されました産業構造審議会の産業金融小委員会の中間報告というものがあるわけでありますが、これを読ませていただきましても、金融関係の業界、金融関係者をその供給者という位置づけをし、そして一方、産業界等をユーザーという位置づけをした上で、このユーザーの視点に立脚しつつ望ましいビッグバンを提言しなければいけないというような問題提起をしているわけでありますし、またこれは先月でありますけれども、アメリカの方はもっとストレートでありまして、アメリカ財務省が、金融制度改革法案というのを提出するに当たりまして消費者の利益ということを強調して、金融制度改革によりまして競争が促進されましたならば消費者は最大で百五十億ドルのコスト削減も可能であろうと、具体的な数字を挙げてこのコスト削減というものを強調しているわけであります。 きょう、こういったお二方の参考人のお話、あるいはさまざまな場面で行われております議論を聞いておりましても、このビッグバンが目指すもの、その最大の目的、メリット、これは利用するユーザー側の金融サービスにおけるコスト削減であるというような議論が行われているということを感じるわけであります。 そこで、お二方にお伺いしたいと存ずるわけですが、そういったものがビッグバンにおきます最大のメリットあるいは目的であるとしたならば、今、日本の国におきましてこのビッグバンに絡む議論において懸念されている事柄として、このビッグバンが推し進められていったならば、日本の不良債権等を抱えている金融機関は、この動きの中で生き残っていけないのではないか、東京市場が魅力的なものになったとしても日の丸はほとんど見られないような状況になってしまうのではないか、いわゆるウィンブルドン現象が進んでいくのではないかということが言われているわけであります。 しかし、先ほど言いましたようなユーザーのメリットというものがビッグバンにおける最大のメリットであり、目指すところであるとしたならば、ある程度このウィンブルドン現象があっても、これはいたし方ないという言い方もできるのではないかという気がいたします。もちろん、日本の金融機関が整理されたり、統合されたりということになるならば、失業の問題ですとか金融不安ですとか破綻処理の問題ですとか、そういった真剣に考えなければいけない問題はあるわけでありますが、大きな議論の流れ、そしてビッグバンというものを国民にしっかりと理解してもらうということを考えた場合、そしてビッグバンは何を目指すかということを考えた場合に、ユーザーというものを強調すれば、このウィンブルドン現象はある程度はいたし方ないと考えるべきではないかということも考えられるのではないかという気がいたします。 ビッグバンが目指すもの、ユーザーの利益、そしてウィンブルドン現象、このあたりの兼ね合いにつきまして両参考人はどのようにお考えか、お聞かせいただけますでしょうか。
○植田参考人 お答えいたします。 いろいろな側面があると思いますが、まず基本的に、非常に自由な競争が行われるように日本の金融市場がなった場合に、少なくともその一部に外資系の金融機関が入ってきてサービスを提供するということは、自然な、非常に健全な姿ではないかと思います。 御質問の趣旨をさらに拡張解釈させていただいた場合に、それが、例えばイギリスの金融業の一部の業態に見られるように、日本の日の丸をつけた会社がほとんどなくなってしまうというような事態にまで進んで、さらにそこからユーザーにとってマイナスが生まれるのかどうかというようなことかと思うのですけれども、イギリスの場合は、特に伝統的な証券会社につきましては、非常に小さい資本で経営していたということがビッグバンの直前の状態であります。しかも、そこに、新しい資本が入ってくるということに対する非常に厳しい規制があったわけであります。これをビッグバンでかなり自由にしたという中で、イギリスの証券会社がどんどん買収されていったという状態が起こったというふうに私は理解しております。 これに対しまして、日本の金融機関のかなりの部分、あるいは少なくとも大手のところをとってきた場合には、国際的に見ましてかなりサイズの大きい金融機関であるかと思います。したがって、これのほとんどが外資系の金融機関等に買収されてしまうというような事態は考えにくいというふうに思います。一部がそういうふうになる、あるいは買収という形ではなく外資系の金融機関等が進出してくる、それで日本でのシェアを上げてくるということは、多分そうなると思いますが、それが日本の金融機関を席巻してしまうという事態にはならないというふうに私は思っております。
○八城参考人 お答えいたします。 私は、金融機関のこれからの変化は、コスト構造を変えなくてはならないと考えているのです。ですから、今までのように、コストが高いものでも商売を続けられるという状態は許されなくなるだろう。つまり、環境が変わるので、競争に負けるものが必ず出てくることは避け得ない。ですから、先生のおっしゃった、負けるものが出てくるというのは仕方のないことだ。 しかしながら、英国で起きたようなことは恐らK起きないだろう。理由は、日本に外国金融機関が入ってきて、必要とする人たちを備えることは非常に難しい。つまり、勤めている者が一つの金融機関から簡単によそに移る、そういう人たちは依然としてまだ少ないということが一つあるかと思うのです。もう一つは、経営の考え方が非常に違う。したがって、日本に入ってくるのと英国に進出するのとでは大きな違いがある。つまり、市場の期待も、それから利用者の考え方も違ケし、企業と金融機関との関係も外国には見られない長い間のいわゆる密接な関係というのがありますから、もちろん株を持っているとか持っていないということを除外視してもそういう関係はありますから、新たに入ってきた外国金融機関が日本の金融機関と同じような関係を事業法人との間につくることはそう簡単ではない。 ですから、外国の金融機関が入ってくるにしても、非常に特徴のあるサービスあるいは商品を提供する、そういうことにすぐれたところが入ってくる。業界で申しますと、恐らく普通銀行分野では余りないのじゃないか。むしろ投資銀行とか証券業あるいは保険という分野では、外国からの東京市場への進出、日本への進出というものは考えられるというふうに思います。一応それだけ、今のところはお答えとさせていただきます。
○岸田委員 どうもありがとうございました。 今、お二方のお話を聞いておりまして、英国の場合とは違うんだというお話で共通していたかと存じます。ぜひ日本の金融機関も、このビッグバンの中で名誉ある地位が占められるように頑張っていただかなければいけないと思うわけでありますが、それに絡みまして、一つ思うことでお伺いしたいと存じます。 今、日本におきまして、今国会におきまして、純粋持ち株会社というものが戦後五十年の歴史を経て解禁されるというようなことが行われたわけでありますが、その中にあって、金融持ち株会社というものは、今議論が引き続き別途続けられておる最中であります。この金融持ち株会社に対する考え方、日本の金融機関がビッグバンを迎えようとする東京市場において、海外の金融機関と対等に戦うために、金融持ち株会社というものは大変大切だということをおっしゃる方がおられます。少なくとも欧州型のユニバーサルバンキングに対抗するために、もっと自由に金融持ち株会社というものを利用するべきだということをおっしゃる方もおられるわけであります。しかし一方で、この金融持ち株会社、特に都銀等の産業支配力が強まるということに対する懸念から、日本においてどうあるべきなのか、ある程度制限をするべきではないかというようなことも言われております。 金融持ち株会社というものをめぐる議論、これにつきましてお二人の参考人はどのようにお考えか、お聞かせをいただけますでしょうか。
○八城参考人 金融持ち株会社の議論は最近煮詰まって、もう決まったように新聞で拝見いたしておりますけれども、持ち株会社というのは、米国の場合を例にとりますと、普通の持ち株会社と銀行持ち株会社、いわゆる英語ではバンク・ホールディング・カンパニーと言っておりますが、かなり違うものなのですね。 日本ではどうも持ち株会社というと全部一緒の議論が今までされてきた嫌いがあるように思うのですが、その違いというのは、産業分野での持ち株会社というのは、頂点に持ち株会社があって、その下にみんな整列して子会社なり孫会社があるという非常にすっきりした形なんです。 ところが、金融持ち株会社は、金融産業についての固有な理由によってつくられてきた経緯があります。一九五八年だったと思いますが、バンク・ホールディング法というのができて、それによっていろいろな銀行が持ち株会社をつくったのですが、これは事業経営上どうしても必要だというために持ち株会社をつくったという経緯があります。例えば銀行では許されていない証券業に進出をしたいというので持ち株会社をまずつくって、その下に銀行とは別の証券子会社をつくった。しかし、証券については依然としてグラス・スティーガル法がありますから、非常に制約のある活動しか現在でも許されていないのです、徐々に緩められてはおりますけれども。 日本についての金融持ち株会社の必要な理由は、銀行を初めとして金融機関に、銀行以外の金融機関も含めてですが、将来自分たちが何をするかということについての選択肢を与えるという意味で非常に重要だと思うのです。私自身は、金融持ち株会社を新しくできるようにすることは、みんなが同じことをするなら何の意味もない。今までのように全部が同じ業務を、十一の都市銀行があればほとんど内容が変わらないといったようなことを将来とも続けるなら、持ち株会社をつくる意味は余りないと思っているのですが、自分の得意とする分野、あるいは自分がこういう分野ではぜひとも業界の中ですぐれた商品・サービスを提供し業績を上げるんだ、そういう戦略があるなら、その戦略のもとに持ち株会社を利用する。ですから、戦略が先になければならないというふうに思っています。
○岸田委員 ありがとうございました。 植田参考人、何かございますでしょうか。
○植田参考人 持ち株会社の意味でありますが、二、三点あるかと思います。 今の八城参考人のお話にもありましたように、それを私なりの言葉で申し上げれば、新しく有望な成長分野のようなところに素早く経営資源を投入していくというような経営判断が迅速にできるために、一応活用しやすい制度かなということが一つあるかと思います。 それとオーバーラップいたしますが、特に日本のような、労働市場が余り伸縮的でないあるいは一社の中で賃金の体系が非常に固定的であるというような経済におきまして、分社化、特に対等の立場で兄弟会社のような形で分社化をしていくということ、それによって兄弟会社であっても賃金体系はかなり異なったものにする、有望な分野においてはかなりのインセンティブをつけるようにそれを使っていくというようなことにも有用ではないかというふうに思います。 それから三番目に、先ほど来申し上げておりますような業務分野規制を、ある方向で緩和していくという動きにも沿ったものではないかなというふうに思っております。
○岸田委員 ありがとうございました。 さらに、日本の金融機関の競争力ということでお伺いするのですが、今、日本の金融機関の競争力ということで大変懸念されている問題に不良債権の問題がございます。お二人の参考人も触れられていたかと存じます。この不良債権の問題を何とかしなければいけないと盛んに言われるわけでありますが、日本のビッグバンというものは、本家本元のイギリスのみならず、世界じゅうの金融制度改革と比べましても、大変膨大な実験を行っているのではないかというようなことが言われています。 それはなぜかといいますと、膨大な不良債権を抱えて、この不良債権の処理もしなければいけない。それと同時に、金融制度改革、イギリスのような証券業界に焦点を合わせたものではなくして、金融界全般の制度改革も行おうとしている。加えて、中央銀行の改革も同時に行おうとしている。そして、大蔵省を初めとする監督庁も変えようとしている。監督庁の改革、中央銀行の改革、金融制度全般の改革、そして不良債権の処理、この四つを同時並行してやろうとしている。この四つを順番に、段階的にやった国というのは世界じゅうに幾つもあるわけですが、日本はそれを四つ一遍にやろうとしている。これは大変な実験を今日本の国で行おうとしているというような言われ方をされているわけです。不良債権の処理の問題は大変重要な問題でありますが、このほかの三つと同時並行に行われようとしている日本の状況につきましてどのようにお考えか、お聞かせいただけますでしょうか。
○八城参考人 その前に、先ほどちょっと言い残したことがございますので。 持ち株会社のことを簡単に申し上げますが、金融機関の持ち株会社は何が違うかといいますと、米国の場合ですと、例えば州際業務を許されていないということで、ニューヨークにある銀行はカリフォルニアに出られないとか、イリノイに出られないというときに、持ち株会社をつくって、その下に別の国法銀行を設けるとか、そういった業務上非常に必要なことをやるために便宜的に使っているというケースがたくさんあるのです。ですから、余り固定的に考えないで、業務を最も効果的に進めるために利用しているという面があることをつけ加えるべきであったかと思っています。 第二は、不良債権の解決とビッグバンとの関係です。 不良債権問題は、米国でも全く同じことがあったわけですが、違いは、銀行そのものが一生懸命償却を早めたということもありますけれども、米国の銀行監督機関、つまり国法銀行ですと財務省の中にあります通貨監督庁、州法銀行ですと州の銀行監督当局が非常に強い圧力をかけた。それプラス、持ち株会社を持っているようなところ、海外業務をやっているところについては、実は連邦準備制度が同時に監督をしているわけですが、これがみんな物すごい圧力をかけて、早く償却をしろというふうにしたのです。ですから、米国の不良債権問題は二年で片づいている。 日本の場合には、そういう圧力がかからなかったし、金融監督をしている政府当局というものがそれだけの人材を備えていない、あるいは厳しく対応しなかった。むしろ東洋的な解決がいいのだ、ソフトランディングがいいのだといったことが実は裏目に出てきたということだと思うのです。 ですから、それとの関連で申し上げますと、金融制度改革、これからのビッグバン、それから中央銀行の制度改革等々お話があった点は、時間をかけてやるのがいいのか、それとも一挙にやってしまうのがいいのか。私は一挙にやった方がいいと思っているのです。それに時間をかけますと、なしましに、最初に意図したことができなくなって、その間にいろいろ既得権益だとか修正が出る。その時間が実は余りないのではないかと私は思っているわけです。一挙に東京市場を改革し、そして魅力のある市場にする。日本経済を支えるに足る金融制度、金融機関をつくるためには、一挙に思い切ってやった方がいい。 そのために多少問題があれば、それは国がそういう問題に対する解決をする。例えば不良資産が焦げついて金融機関が破綻をするというときには、二〇〇一年まではペイオフをしないということを決めているわけですから、これは国の負担において解決するということも考えなくてはならないのではないか。しかし、そうならないと思います。もう不良債権問題は峠を越したというのが私の見方です。
○植田参考人 不良債権問題との関連に絞ってお答えします。 御質問にありましたように、金融ビッグバンで競争が非常に厳しくなるという中で、既に経営が芳しくないという金融機関がスタート時点で存在するということは、予想されるような明らかな問題を持っていると思います。これに対する一番よい解決方法は、例えば来年四月から本格的にビッグバンが始まるということに合わせまして、現在、ある基準で切りまして、それより下の状態にある金融機関をすべて整理してしまうということであります。そういう極端な手段はとれないと思いますが、それに近い方法が望ましいとは思います。 しかし、それをやろうとしますと、特に銀行あるいは保険という分野でありますと、要するに純資産がマイナスあるいはマイナスに近いという状態、ある銀行がそういうカテゴリーに属する、あるいは保険会社がそうであるといたしますと、お金が足りないわけであります。したがいまして、よく言われることでありますが、だれかが負担しなくてはいけないということになります。だれかというのは可能性は恐らく三つしかありませんで、預金者ないし保険の契約者が責任をとるということか、話が出てきましたように公的資金を投入する。三番目に、業界の内部で、いわゆる奉加帳方式のようなことも一つの方式でありますが、関連の金融機関が資金を拠出する。この三つかなというふうに思います。 三番目は、強い者が自由に自分の創意工夫で強くなってよいという金融ビッグバンの哲学と相入れないような気がいたしますので、三番目をゼロにするということは不可能だといたしましても、それを積極的に使うということは難しい、あるいはビッグバンと矛盾するというふうに私は思います。したがいまして、一か二ということになります。どちらがよいかということは、私、申し上げるのは避けさせていただきたいと思いますが、そういう厳しい問題があるということであります。これをどうしても避けるということになりますと、恐らく当局が考えておりますように、現在から将来にかけての業務純益を使って少しずつ不良債権を償却していくという動きになるのかなというふうに思います。 しかし、現在の経営悪化行は、かなり長期の期間をかけませんと、業務純益で不良債権を償却するというところに至りません。したがって、そういう中で金融ビッグバンを始めるということは、そういう経営悪化行の問題をさらに厳しくするか、あるいは金融ビッグバンにブレーキをかけるという手段をとらざるを得ないというような、やはり非常に難しい問題に突き当たるというふうに思っております。
○岸田委員 ありがとうございました。 不良債権に関しましては、お二人の参考人、少し認識、その感覚のお違いが出ていたような気がいたしました。 続けさせていただきます。 このビッグバンの議論の中で一つ大きな議論になっておりますのが、財政投融資制度。日本にあります国家金融制度であります財政投融資制度をめぐる議論であります。このビッグバンの議論が盛んに行われている中にあって、財政投融資制度に対する議論が余り詰められていないのではないか、どうもその部分について真剣に議論が積み重ねられていないのではないか、不足しているのではないか、そんな声が聞こえできます。ビッグバンの流れの中で、やはりこの財投制度にも何らかの改革を行わなければ、金融制度自体がゆがみを生じてしまうというような声があるわけであります。 しかし、私は、一方で大変興味深い議論といたしまして、本当にこのビッグバンを行ったならば、本当の意味で日本の金融市場が、東京市場が魅力的なものになって、そして日本の金融機関が力強くよみがえって日本の国民は総合的な金融サービスを、魅力的なサービスを手にすることができるわけでありますから、例えば貯金だけを扱ってくれるような郵便局は国民は相手にしなくなるのではないかというようなことをおっしゃる方があるわけであります。 ですから、今のビッグバンの議論の中で、この財投制度、あるいは特に郵政事業等の議論があるわけでありますが、この部分はそんなにさわらないとしても、本当にビッグバンが進んだならば、魅力的な金融サービスに国民の目は行ってしまう。今の財投制度あるいは郵政三事業のままであったならば、じき国民はそういった制度に魅力を感じなくなって見捨ててしまう。要は、今は金が集まってしようがないと言われている郵貯を初めとするああいう制度にしましても、そのうち金が集まらなくなる時代も来るのだというような言い方をされる方もおられるわけであります。 これはビッグバンというものに対する考え方の違いかもしれませんが、そういう両極端の議論があるわけであります。このビッグバンというものは、金融技術の競争であると同時に信用力の競争だとも言われているわけでありますが、国家という信用を背景としました財政投融資制度、この制度のあり方をビッグバンの中でどう考えるべきなのか、お二人の参考人に御意見を承れますでしょうか。
○植田参考人 大変難しい問題でありますが、私の考え方を簡単に申し上げれば、貯蓄の部分と融資の部分、両方合わせまして公的金融の制度はやはりある程度必要な部分は存在するというふうに思います。しかし現状は、必要な部分あるいは必要な程度と比べまして大きくなり過ぎているということではないかなというふうに思います。 大きくなり過ぎているという理由は二種類ありまして、たまたま短期的に数年とか五年程度の単位で、特に不良債権問題との絡みで、国家の信用をバックにしているという部分が例えば郵貯にとっては非常に有利に働いているというような側面が一つだと思います。二番目に、過去に非常に有益なサービスを提供してきた公的金融機関があり、それを可能にするような制度があり、しかし民間の金融機関あるいは金融市場が十分発展した、あるいはこれから発展しつつあるという中では、場合によっては不要だという部分がいまだに残っているという部分があるような気がいたします。 前者の部分については、例えば何らかの方法によって不良債権問題が解決していくとか、民間の競争力が競争の中で拡大、上昇していくという中で規模が縮小していくという動きは出てくるかと思いますが、後者の部分については、現時点に立って、何が必要か、何が必要でないかということをもう一度反省しまして、必要ない部分を切るということが重要ではないかなというふうに思っております。
○八城参考人 私は、先ほど岸田先生が言われた、こういう意見もあるという意見を持っている人間であります。 というのは、郵便局と民間の金融機関の競争というのは、実はごく一部での競争でしかない。つまり入り口のところで、預金を、貯金を集めるというところで競争がある。それ以外の分野ではほとんど競争はないわけです、出口の方は民間の金融機関は関係ありませんから。そういう意味で、入り口のところで郵貯が多額の資金を国民から集めているというところに批判を向けるのは過ちだと思うのですね。 つまり、銀行が魅力のある商品とサービスを提供するなら、実はごく限られたサービスしか提供できない郵貯を問題にするのはおかしい。今までのような銀行の行き方なら、確かに巨大な競争相手で恐ろしい相手と思うのは仕方がないと思いますけれども、一人の人が生まれてから死ぬまでありとあらゆる金融サービスを提供することが実は可能なのですね、それぞれの生涯の段階に合わせて。学生であれば、まず学生への学資の融資から始まって、学校を出るころになったらクレジットカードを発行し使ってもらい、そして住宅融資をし、そして将来お金がたまったらその老後に備えた資金の運用をするといった、ビッグバンで構想されているようないろいろなサービスができるようになれば、郵貯を目のかたきにし、あるいは我々との競争が有利な条件で、つまり税金を払っていないということをよく言われますけれども、私はそれは実は余り重要な議論ではないというふうに思っています。 特に、日本の金融機関が不良債権問題を解決できないでビッグバンが起きると困るというのは、実はそれも間違っていると思うのですね。金融機関は赤字を出すことを恐れてはいけない。早く赤字を出して不良債権問題を解決してしまえば、いろいろなサービスができるようになるのだ。それは同時的、並行的にやっても一つもおかしくないことであるというふうに私は思っています。
○岸田委員 八城参考人、貴重な御意見ありがとうございました。 今の御意見の中で、逆に郵貯あるいは現状の財投制度に御注文等がありましたらつけ加えていただけますでしょうか。
○八城参考人 私は財政投融資の方は専門家でありませんが、ただ、公的ないろいろな機関が、投融資を受けた相手がどういうふうな経営状態にあって、果たして十分効率的な経営をしているかどうかということがわからないのは、国民から見ると非常に不満である。したがって、資金の調達についても、それぞれの機関が起債をして、十分経済的に成り立つものだということを証明することによって市場から資金を集めることも重要な選択肢ではないかというふうに思います。
○岸田委員 どうもありがとうございました。 お二人の参考人、本当に貴重なお話を聞かせていただきまして大変勉強になりました。心から感謝を申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
○原田委員長 次に、中野清君。
○中野(清)委員 新進党の中野清でございます。 きょうは、八城先生、植田先生、貴重な御意見ありがとうございます。両先生の御発言を踏まえまして、幾つか御質問をさせていただきたいと思います。 まず最初に、日本版ビッグバンについてお伺いをしたいと思っております。 御承知のように、市場の自由化、市場の透明化、市場の国際化、この三つが基本になっている日本版のビッグバンが今動いているわけでございますけれども、いわゆる国境を取り払い、内外無差別ということで、仲間内の論理はもはや通用しなくなったと思うのでございます。特に先ほど八城先生が御指摘になりましたように、コンセンサスとして、市場に競争原理を導入して、事業会社、消費者がより安いコストで自分たちが必要とする金融サービス、金融商品を自由に選択できるようになるという考え方については、私は同感でございます。そして八城先生のおっしゃったとおり、ビッグバンの構想で言われていることを実行しなければ、日本の金融サービス業の地盤沈下はますます進み、来年以降の外国為替の規制が緩和されれば、コストが高く使い勝手の悪い国内でのサービスを利用する人は少なくなって、東京市場の空洞化がますます進むと思っております、そういう中で、先ほどのアメリカでも二年間で不良債権がなくなったというような点を考えてみれば、今日までの日本の政府や金融機関は、不良債権の処理も、新しい時代に向けた体制の整備も、極言すれば何もしないで過ごしてきたのではないかと思わざるを得ないのでございます。 その中で、金融空洞化の解決策としても、日本版のビッグバンをぜひ実効あるものにしなければならない。それには、まず日本が自分たちの仲間内のひとりよがりの内輪の論理から転換すべきという御視点について、本当に同感を持ちながら、幾つか御質問をさせていただこうと思います。 まず第一に、八城先生にお伺いいたします。 二〇〇一年までに日本版のビッグバンを行おうとしております。この改革を全面的に一挙に推進するビッグバン方式に果たして我が国の金融機関が耐えられるだろうか、お伺いしたいと思うのです。それからさらに、二〇〇一年という期限にとらわれないで改革を前倒しで行うべきではないだろうか。 それから二つ目としては、一部業界からは激変緩和の要望も出ておりますが、これについてどうお考えになっていらっしゃるか。私は、業界という垣根の中での施策は今までもありましたが、本当の意味での競争ではないのではないか。ですから、これにどう対処するか、問題があると思います。 それから、もう一つ八城先生にお伺いしたいのは、ビッグバンは何のためにするのか。これは預金者や投資家そして国民のために行うわけでございますけれども、ビッグバンの過程で必ず改めなければならないこと、逆に、やってはならないこと、これは何だろうか。この点についてまずお伺いしたいと思います。
○八城参考人 最初の御質問ですが、二〇〇一年というその期限にとらわれず前倒しをしたらどうだろうかという点でありますけれども、業界によってはその影響は大き過ぎるという心配を多少されているどころがあるように思うのです。特に保険は少し時間が欲しいというようなことを言われているように、これも紙上で拝見するのですが、私は、多少一年ぐらい延びても、改革をするとかというときにはそれを全面的にしてしまった方がいい。一部分をなしましにだんだんやっていくという方法よりかも、いつということをはっきり時間を決めて、そしてそのときに一挙にしてしまうという方式をとった方がいいのではないか。これはこれまでの不良債権問題の処理の仕方についても同じでありますし、時間をかけたことは決してよくなかった。ですから、やるべきときにはどんどんやってしまうことがまず第一。 二番目には、いわゆる激変緩和ということをよく言われますけれども、本当にそのことによって大きな影響が出て社会的にも問題が起きるような場合、例えば保険の場合にそういうことがあるのかどうかよく存じませんが、保険に従事しておられるたくさんの方々が急に困る、職がなくなるというようなことがあっては、もしかすると社会的にも問題になるかもしれない。とするなら、そういうためには多少の時間を置いて、そして改革を進めていく、つまりビッグバンを進める。それも余り長くするといつの間にかそれこそ気の抜けたサイダーのようになってしまうと思うので、徐々にやるというよりかも、時間をはっきり確定して、そして一挙にやるということの方が大切でないかというふうに思います。 それから、ビッグバンについて、こういうことをやってはいけないということはあるかという御質問ですが、私は、ビッグバンそのものがどうも余りはっきりしていなかったために、いろいろな意見があって、冒頭にも申し上げましたが、英国型のようなビッグバンは、実は証券業についてのビッグバンなのです。 それからもう一つは、日本の銀行が弱くなったから国際的に競争ができるようにするということを考えている人もいますが、私は、利用者、消費者のためになるような商品・サービスを提供するように金融機関がみずからの考え方、体質を変えていくことが目的だとすると、規制を外し、自由な競争をさせて、そして企業間に格差が出ることはどうしても仕方がない、それが最終的な目標に沿うものだというふうに考えています。
○中野(清)委員 ありがとうございました。 そういう先生の御意見を踏まえまして、実は植田先生にお伺いしたいと思うのです。 日本版のビッグバンの問題点の中に、先ほど岸田議員もおっしゃっていましたけれども、公的金融の問題が抜け落ちているのではないだろうかと私は思っております。いろいろと先ほど来御意見がございましたけれども、一つには、民間と公的金融、特に郵政との問題については、競争条件がイコールフッティング、対等になっていないのではないか、そういうことがあると思うのです。それからもう一つは、財投につきましても、私は、情報の開示が不明確だ。これだけの予算があって、お金を使っているこの財投について国民が何も知らされていない。この点について、この公的金融の問題というものについてのビッグバン等の対応についてどうお考えか、第一点にお伺いしたいと思います。 それからもう一点は、これも今岸田議員がおっしゃったので、私簡単にお伺いいたしますけれども、不良債権処理の問題、先ほど先生方のお話ございました。そして、岸田議員も四つの実験を一遍にやるのだというので、できるかどうかと。私は、そのとおりだと思います。その中で不良債権処理の問題を一番前提にして、先ほど八城参考人はある程度峠を過ぎたとおっしゃっておりますけれども、国際的にも国民も、専門家の皆さんの立場では先が見えますけれども、まだ具体的に先が見えていない、信用していないといいましょうか、そういうふうに思いますけれども、植田先生、これの重要性についてお伺いしたいと思います。 〔委員長退席、尾身委員長代理着席〕
○植田参考人 財投のことに関しましては、先ほど岸田先生の御質問に対するお答えの中で申し上げたので重複しますが、やはり幾ら民間の金融機関が努力してもどうしようもないという部分は一部に残ると思います。 郵便貯金の方でありますと、大分改善されてきましたが、例えば利子率の問題等、あるいは民間の金融機関では進出できないような地域での店舗網の配備ができるというようなことであります。このようなことを考えますと、民間の金融機関では提供できないようなサービスは何か、先ほど申し上げましたが、そこをきちんと明らかにして、そこは国家で提供していく。それ以外の部分についてはやや縮小、あるいはかなりの縮小を図るという方向が私は本来望ましいものというふうに考えております。郵便貯金の方はやや大きくなり過ぎた、そう思っておりますし、融資の方で見ますと、必要な部分は依然としてあるとは思いますが、大企業でもう既に国家からの融資を必要としなくなっているところにも依然として融資が続いているというようなところも散見されまして、これらについても整備の余地があると思います。 二番目の、不良債権問題は峠を越したかどうかというあたりの話でありますが、これは極めて判断が難しいかと思います。それで判断が難しい一つの大きな理由が、おっしゃいましたように、ディスクロージャーがそれに関して十分なされていないということであります。しかし、私の判断では、例えば銀行という部門に限りますと、処理策が第一歩といいますか、固まりつつあると見ますか難しいわけでありますが、日債銀の問題と北拓の問題、一応ある程度進展しつつあるというふうに見ますと、この二つだけで、量的には日本の銀行部門で持っている不良債権問題のかなり大きな部分を占めるというふうに思っております。したがいまして、これが望ましい方向で解決されていけばかなり不透明感は晴れると思います。 ただ、それでも陰の部分が残るというのは確かでありまして、したがいまして峠を越したかどうかは難しいわけでありますが、かなり重要なステップを踏み出したということであります。それで、残った部分についても、先ほど申し上げましたような手当てが必要か、手当てをしないとまだ霧が晴れないという部分は若干残るということだと思います。
○中野(清)委員 ありがとうございました。 これと関連しまして、いわゆる外為法の改正という問題が大きな問題でありまして、これは衝撃が大きいと私は思っていますけれども、その問題点として三つあるような気がします。 一つは、いわゆる円の口座の自由化ということの中で、本当に日本の金融資産が日本にこのままとどまってくれるのだろうかという問題についての心配。 それから二つ目は、税務や警察の一部で言われておりますけれども、脱税やマネーロンダリングの温床になるのではないか。この問題についての懸念がどうだろうか。 それから三つ目は、特に日本の場合には、これは御承知と思いますけれども、二年定期物で〇・五%の場合に、二〇%の源泉課税がかかりますね。そうすると、そういう点で、源泉課税がかからないところに資金が移動するのではないだろうかということで、極言すれば東京証券取引所に閑古鳥が鳴くのではないかというような声も聞きますけれども、これは一つには、そういういろいろなことについての準備をしないで、いわゆる自由化論が先にあって、それでもってこういう問題が今動きつつあるのではないだろうかという点につきましては、これは八城先生、いかがでございましょうか。
○八城参考人 海外で円の口座を自由に持てるとか、それから個人でも企業でも外為の改正によって自由に資金の移動ができるということはそのとおりだと思うのですね。ですから、先生の御発言にもあったと思うのですが、東京市場が十分魅力のあるものであれば、東京で取引するべきものが海外に今までは出ていったわけですから、出ていかないということもあると思うのですね。しかしながら、その点につきましては、やはり外から入ってくるものもふえるし外へ出ていくものもふえるという、全体のパイが大きくなると考えた方が私はいいだろうと思うのです。 それから第二は、いわゆる税金問題あるいはマネーロンダリングの問題でありますけれども、これは、どこの国であってもマネーロンダリングは政府としては一番重要な問題として予防措置をとらなくてはいけない。ですから、銀行のお客様が送金をなさる場合に、そのパターンが非常におかしいとかいうことを銀行としては注意をしなくてはいけない。ですから、私どもの銀行では、お客様をよく知っていなければならない、ノウ・ユア・カスタマーという、これは世界じゅうそうなのですが、自分のお客様をよく知っていなければならない。どういう種類のお客様で、どういうふうな理由でお金を送金されるのかということを知らなければならない。おかしいお客様については取引をお断りするということまでしなくてはいけない。ですから、マネーロンダリングについては、これは非常に厳正にその予防措置をとらなくてはならないだろうというように思っています。 それから第三の、例えば海外での取引の方が金利がよくて、あるいは税金がかからないといった国内と海外市場での差の問題でありますけれども、日本に住んでいる限り、日本の居住者である限り、日本において税務当局へ報告する義務があるわけですから、その点は、海外で払わないものがあれば国内で払うということになる場合がよくあると思います。税の専門家ではありませんが、それが原則だというふうに私は理解しています。
○中野(清)委員 ありがとうございました。 今先生もおっしゃいましたけれども、全体のパイを大きくするというお考えについては私も同感でございますが、そういう意味で、東京市場の活性化について幾つかお伺いをしたいと思うのであります。 御承知のように、日本は千二百兆円の個人資産、金融資産といいますか、個人も含めた、法人も含めた金融資産があるということで、ロンドン、ニューヨークと並んで三大市場という期待があったようでございますけれども、どうも現実にはなかなかそういっていないということは御承知のとおりでございます。 その原因としては、やはり何といっても東京市場の取引コストが高い。それから先ほど先生何回もおっしゃっておりましたけれども、東京市場で新しい商品というものが出にくい。例えばデリバティブをやるというと、これは刑法の関係があるからちょっとまずいのではないかとか、そういうふうに我が国自身の中にいろいろと制約が多過ぎる、そういう問題があるわけでございまして、これから私どもは一歩対応を誤ると、東京市場を活性化するためのことが逆に市場離れにつながるという危険性があるだろう、そういう危機感を持っておるわけでございます。 その中で幾つかお伺いをしたいと思うのでございますけれども、先ほど来先生もおっしゃっておりましたし、前の議員もおっしゃっておりましたけれども、今日まで日本の金融システムというものは、供給者サイドといいましょうか、資金調達とかそっちの方に面が向いておりまして、いわゆるユーザーとか資金需要者サイドへの配慮とか、また資産運用に対する気配りが足りなかった。そしてまた個人金融資産についても、もっと個人の資産が証券市場に流れ込むような仕組みが私は必要ではないかと思っておるのです。 しかし、そのためには、今までのようではなく、市場に規律を持たせるために守るべき規則やルールを整備すべきでありますし、先ほど財投についても申し上げましたけれども、金融市場におきましても、ディスクロージャーの一層の充実とか不公正取引の監視の強化とか、投資家を保護する仕組みづくりが必要と思っております。特に監視の強化では、現在の証券取引監視委員会のシステムだけで能動的に不公正な取引を摘発するのは難しいのではないか。つまり、取引所や証券業界の監視システムを含めて考え直す必要があると考えますが、この点はどうだろうかということが一つ。 それから、コストが高い、手続や税制とかそういうものにいろいろ問題がある。高い手数料とか税金とか規制の束縛とか、東京のオフィスのランニングコストの高さとか、それからまた必要な経験者を確保する困難性というものに対して、こういう基礎的な問題をこれからどういうふうにやっていくか、この辺についてお伺いをしたいと思うのでございます。どうぞよろしくお願いします。
○八城参考人 それでは、簡単に私の考えを述べさせていただきます。 監視の強化については、行政改革等で、要するに、言葉は悪いかもしれないのですが、役人の数を減らすということが世間的には非常に通りのいい話になっていますけれども、私は銀行検査とか、そういう監視についてはむしろ人員を強化すべきだ。よく言われていますように、銀行の検査をする人たちが日本では四百人、米国では、いろいろな人たちを含めていると思いますが、約八千人と言われているのですね。四百人で、これからビッグバンになればますます複雑になる金融取引を検査し監督することは、非常に難しいというふうに私は思います。 それで一例でありますけれども、シティバンクの場合、私の勤めておりますところでは、ニューヨークの本店に約二十人の財務省の通貨監督庁の検査官が常駐しています。これはいつから始まったか、実はだれに聞いてもわからないほど昔からやっているようです。ですから、アメリカの場合は検査が少し二重になっていたり、例えばOCCと呼ばれる通貨監督庁と連邦準備制度がやっていることがダブっているというような、マイナスといいますかむしろ負の面もありますけれども、銀行に対する監督・検査というのは厳しくあって当然だというふうに私は思っています。もちろん、社内的にもそういう検査とか監督は随分やっていますけれども、法的な検査・監督が行われることは当然必要であるというふうに思っています。 それから、東京市場がいろいろな意味で魅力がないというのは、例えば東京で外国から社員を派遣したときに非常にお金がかかるとか、それから十分な商品知識を持った人が非常に少ないとか、英語ができる人が少ないとかいういろいろな問題がありますけれども、それらは決して決定的な理由ではないのですね。決定的な理由は、東京市場で取引をするのにいろいろな規制があって、例えば、最近、この数年来行われている商品というのは、銀行の商品か証券の商品かわからない真ん中ぐらいの商品というのは随分あるわけです。こういうものをやろうとすると、まず大蔵省内部での調整が過去においては非常に必要であった。これはビッグバンによってそういうものが自由に取引されるようになれば、かなり変わってくるのではないかというふうに思っています。
○中野(清)委員 それでは、もう時間がありませんから最後に、まず植田先生の方にお伺いさせていただきます点がございます。 それは、この東京市場の問題の中で、特に日本の金融システムの活性化のポイントというものを八城先生は先ほどおっしゃっておりました。これは一つには広い競争原理の導入だと思うのですけれども、もう一つは、やはり日本の場合には海外と比べて資産取引の自由化による資産運用の効率化という問題があるような気がいたしております。それからまた、規制、監督体制の見直しとい う三点があると思いますけれども、これは具体的にいろいろな問題がありますけれども、その点について、先生のお考え、どう思っていらっしゃるか。 そういう意味では、三点ございますけれども、特に例えば金融機関や保険会社が破綻した場合の基盤整備、これを確立しなければまずいだろうということがあると思うのですね。それから裁量的行政といいましょうか、今までのいわゆる護送船団方式というようなものは大蔵はもうやらないと思いますけれども、こういうものをやめていく。それからまた、先ほど言いました不公正取引の防止やルールの透明化等の必要な規制というものは私は強化する必要がある。人員はふやす必要がある。これは八城先生の御意見と同じなのですけれども、この点について植田先生、どうお考えかということが一点です。 それから八城先生に、先生から先ほど来コーポレートガバナンスについて、いわゆる会社の法的管理と運営についての御意見がございましたし、取締役会の役割についても先ほど先生四点御指摘になりました。また、監査の重要性についても非常に貴重な御示唆がございました。 そういう意味で、第一勧業銀行とか野村証券の今回の事件によりまして、日本の市場とか企業の国際的信用というのは間違いなく下落をしている。それは原因というのは、何だかんだ言いましても、内輪の論理から脱却できていなかったというところに私は最大の原因があるような気がいたします。甘えの構造ではなかったかと思っております。 そこで、先生にお伺いしたいと思うのですけれども、日本でこのコーポレートガバナンスを根づかせる方法というものはどういうふうにやったらいいかということが一つ。 それから、我が国でこのコーポレートガバナンスを根づかせるために障害となっているものはどんなものがあるだろうか。そういう点について先生のお考えを聞きたいと思います。 三点目といたしまして、金融監督庁が今議論されておりまして、これから出るわけでございますけれども、これは私どもは必ずしも賛成ではありませんでしたけれども、やはりつくった以上は有効に機能してもらいたいと思っているのですよ。それについて、先生のお考えとしてどうすればこれが有効に機能するか、この三点についてお伺いをしたいと思います。
○植田参考人 それでは幾つか私の方からお答えしますが、破綻処理に関する制度が十分できているかどうかという問題につきましては、銀行についてはある程度整いつつあるということだと思います。しかし、保険についてまだ極めて不十分な状態にありますし、お金の出どころが業界内部だけで出すということ、しかも、さらに保険契約者を場合によって全部保護するということになりますと、業界内部で強い者が弱い者を助けるという構造が残り続けますので、これは必ずしも金融ビッグバンの哲学と相入れない方向であるというふうに思います。 それから、規制の今後の方向を考えました場合に、先ほど来御議論ありましたが、場合によっては規制強化ないしそれに伴う制度の整備が必要ではないかということでございますが、それはおっしゃるとおりだと思います。何をしてもいいというわけではありませんで、しかし重要な点は、何をしなくてはいけないか、あるいは何をしてはいけないかということが事前にルールとしてはっきりしているということかと思います。 中でポイントは、投資家保護のためにどういうことを企業ないし金融機関はしていかないといけないか、あるいは不正取引としてどういうことをしてはいけないかということ。したがいまして、これらがルールとして法律にある程度きちんと書かれているということが必要かと思います。その意味で、現在、法律案の改定作業がある意味で始まりつつあると思いますが、その上で、先ほど私申し上げましたように、もう少し長期的な展望で金融サービス法のようなもの、金融業全体をにらむような一貫した法律ができてくることが望ましいと思います。 一言だけつけ加えますと、金融取引の監視の強化のところで、人員増も必要だと思いますが、監視をする人員が金融の専門的な知識を十分持っているということが極めて重要かと思います。これにつきましては世論の方向と逆になるかもしれませんが、専門的な知識を一番身につけておりますのは民間の金融機関で働いている人たちではないかというふうに思います。したがいまして、こういう監視をする機関との間で、ある程度は人事の交流があるということが私は望ましいと思います。しかし、いろいろな不透明なことに至らないようなルールをきちんとさせた上でということであります。
○八城参考人 私は、三つの質問をいただいたので、それについて順番にお答えをいたします。 コーポレートガバナンスを根づかせる方法は何かという御質問だったと思いますが、社外取締役制度を日本に積極的に導入する必要があるというふうに思います。しかも、その社外重役というのは、取引のあった銀行とかそういうところでなしに、その会社とは全く利害関係のない人たちを選ぶべきである。例えば大学の先生もその一人かもわかりませんし、あるいはその企業が戦略として持っていることについて非常に経験を持っておられる、例えば銀行であれば小売業の人の経験を生かすということもできますし、あるいは銀行の業務も最近では非常にRアンドDが必要でありますから、そういう意味で金融の専門的知識を持っている方というようなことも必要かと思いますし、あるいは全く企業とは関係のない社会の目を、良心を持ち込むという意味で、そういう方を選んで入っていただく。しかも、数としては社外取締役が多い方が望ましい。経営陣と取締役会との間にははっきりした緊張関係が必要である。経営をしている人が取締役会を構成しているというのは、まさに二つの役割が、分けるべきものが一つになってしまっている。検事と判事が一緒であるということだと思うのです。ですから、それははっきり変えていくべきであろうというふうに思っています。 それから第二の、障害となっているのは、これは一つの例ですが、日本の金融機関は独占禁止法で許されている五%以内の株を持っていますが、これは禁止すべきだと個人的には強く思っています。 というのは、五%以内の株を持っていても、それは株主としての立場よりかも、そういう企業との関係を持つことによってその企業の必要としている金融サービスを主に提供する立場になってしまうわけです。ですから、それは業務上の利益と株主の利益とが必ずしも一致しない場合には非常に困ったことになる。それから今度は事業会社の立場から見ますと、そういう銀行との関係ができているということは、つまりほかからよりよいサービスをより安いコストで買えるというその選択の幅を実は自分で狭めているという問題があると思います。 ですから、多少世の中の議論とは違うかと思いますが、私は、金融機関による他社の事業会社の株式を持つことは、これは原則として禁止すべきだというふうに思っています。 それから第三の、金融監督庁が有効に機能するかどうかということですが、植田参考人もおっしゃったように、やはり数だけの問題じゃないので、専門的知識を持たなきゃならない。それにはかなりのそういった必要なトレーニングをするといいますか、訓練をする必要がある。あるいは海外でのいろいろなやり方を研究する、そしてそれを導入するということも必要かと思います。 その点について一言申し上げますと、私どもには、実は連邦準備制度、さらには財務省通貨監督庁から少なくとも一年に一回、どこかの分野で両方から検査に東京に来ます。もちろん大蔵省の検査も受けますし、日銀の考査も受けますが、非常に感心することは、そういう財務省の検査官たちが実はよく勉強しているということなんですね。 彼らは、例えばシティコープあるいはシティバンクの検査をし、バンクアメリカの検査をし、チェースの検査をし、海外においても検査をしている。いろいろなことを学んでいるわけです。検査を通じて得た知識というのは、私どもにとって大変役に立つのです。そういう意味では、アメリカの検査官は質がいい、しかも安い給料で非常な努力をしているというのは、私はやはり感心すべきことだというふうに思います。
○中野(清)委員 どうもありがとうございました。
○尾身委員長代理 次に、古川元久君。
○古川委員 民主党の古川元久でございます。 本日は、両参考人、お忙しいところを大変貴重なお話をお聞かせいただきまして、どうもありがとうございます。 最初に、幾つかお二人の参考人の先生に御質問をさせていただきたいと思うのです。 まず、外為法の改正に関連いたしまして、先ほどもちょっと税の話が出たのですけれども、例えば利子課税について、先ほど八城先生の方からは、これは原則として当然居住者は支払わなければいけないというお話があったのですが、確かに原則は原則なんですけれども、現実問題として、実際に、そういう海外で発生した利子といったものを、今の日本の制度、徴税状況等も踏まえて、把握できる状況にあるというふうにお考えになっておられるかどうかということを両参考人にお伺いしたいと思うのです。
○八城参考人 私の限られた知識でお答えを申し上げますけれども、恐らく日本の方が海外で金融取引をした結果得た金利であるとか配当について、日本の税についてどういう申告、扱いをしなければならないかということが余り知られてないと思うのですね。これは個人についての知識が非常に限られている、それから情報が税務当局あるいは一般にもよく知らされていないということがあるので、最初から税を逃れようという意思でやっておられるという人は少ないのではないかというふうに、私は善意に思っています、もしもあるとするなら。ですから、今後、金融制度改革、つまりビッグバンで外為法の改正が行われる結果、いろいろな金融取引が自由に行われるなら、それに伴ってどういうふうな税の負担が、あるいは義務が起きるのだということは、同時に国民に知らせる必要がある。これは外国の金融機関ですと、社員の中にも外国から来た者もいますし、それから日本人であっても海外で勤務した者もたくさんいますから、できる限り、そういうことについての知識は情報として提供しています。
○植田参考人 私は、例えば私がアメリカの銀行あるいはその他の銀行に預金した場合に、あるいは証券関連の商品を買った場合に、所得が日本の税務当局によって把握されるかどうかというのは、実務をよく存じ上げておりませんが、基本的には、手間をかけた上で可能であるということだと思います。 要するに、例えばアメリカのお金持ちが税金を減らそうという場合にどういうことをするかというと、脱税をするというよりは、税率の低い国に居住の場所を移してしまうということをするわけであります。同じように、日本でこれから取引が自由化されていく場合に、外に行ったから必ず税が取れなくなるということではなくて、税率の低い国に流れていく、取引あるいは場合によっては本人が移ってしまうという方向が長期的には懸念されると思います。その上で、やはり捕捉の問題は、恐らく実務上の大きな問題として、今後しばらくの間、あるいはかなり長期間にわたって問題となり続けるというふうに思います。 それを考えた場合に、日本の課税のあり方は源泉徴収制度ということにかなり頼った制度であるわけですが、これは金融取引を見た場合に、利子所得中心の所得が多く、さらに国内での所得の発生が多いという場合に恐らく適した制度であって、海外で転々と金融商品が人の手を流通するという場合に一番適した制度かどうかは必ずしもはっきりしないという面がありまして、そういうことも含めていろいろな検討が必要だとは思っております。
○古川委員 ありがとうございます。 税の問題、かなりこれはビッグバンに伴って早急に整備しなければいけないいろいろな制度上の問題点があるんじゃないかと思うのですけれども、そこに余り入りますと深入りしてしまいますので、ちょっと話を変えます。 外為法の改正で、先ほどお二人の参考人から、日本の金融市場の使い勝手が悪ければ当然これは外に逃げていく、そういう発端になるであろうというお話があったと思うのですけれども、金融ビッグバンの中で外為法の改正というのは相当に大きなインパクトで、政府は二〇〇一年に向けてビッグバンをやるというふうに言っておるわけですけれども、現実には、外為法の改正が来年の四月から始まることによって事実が先に進行してしまって、ほかのいろいろな制度改正とか何かが後からついてくるような形になってしまうのではないのかなという、私はそんな感じもしておるわけであります。 このままだと、今の状況では、使い勝手が悪くて外にどんどんと逃げていってしまうという状況が起こってくる。二〇〇一年のビッグバン、そこへ向けての制度改正ということをやっているのが、いろいろと現実が変わってきてしまって、先ほど八城参考人の方から計画的にというお話がありましたけれども、そういう政府とかの思惑とは違うところで、むしろ金融市場は先に動いてしまうのではないかな、そんな感じもしておるのですが、その点に関して、お二人の参考人のお考えはいかがでしょうか。
○八城参考人 非常に具体的な例を頭に描いてみますと、個人が東京で外国為替、つまり外貨の預金をする。我々のところではそういうお客さんは多いのですけれども、その方々は、実は東京でなくても、海外でその国の通貨を買うことができるわけですね。そこに預金を置くことができる。金額の制限もない。しかし、送金を日本からする場合には、私の理解しているところでは、百万円以上は銀行が報告する義務があるというふうに理解しているのですが、そういう場合を想定したときに、例えばシンガポールあるいはニューヨーク、ロンドン等々に自分のアカウントを持って銀行との取引をするのがいいのか、東京でそういう取引をするのがいいのかというのは、便宜さとコストによって決まると思うのですね。海外でやることは、非常に英語もよくわかるし、パソコンも簡単に使えるという人はやるかもしれませんが、英語は苦手である、パソコンのようなものは面倒くさい、東京なら電話をかければすべてが終わってしまう、そういうことが実は決め手になると思うのですね。 それから今度は、一方では出ていくものもあるかわりに、海外から、東京市場で個人でも企業でも円で投資をし、円でいろいろな金融サービスを受けたいという人も出てくるかもわからない。つまり外から入ってくるものもあるので、一方的に出ていくと考えるのは、ちょっとそれだけでは十分でないといいますか、一面だけを見ているのではないかというふうに思います。ですから、使い勝手とかコストの面というものが、どういうふうになるかを決めることだというふうに思っています。 〔尾身委員長代理退席、委員長着席〕
○植田参考人 外為法自由化のインパクトは、方向感としてはいろいろなことがかなりわかるわけでありますが、どれくらいの定量的なインパクトを持つか、したがって、どの程度の対処方針をどこまで固めればいいのかというようなあたりが、非常に不確定要因が多いというふうに思います。例えば、従来であれば、取引のうち資本移動規制が自由化されまして出ていくのは大口の取引であろうというふうに思われたと思うわけでありますが、最近では、さまざまな技術の発達によりまして、場合によっては小口の取引も国際的に移動するようになるという可能性があるかと思います。しかし、どの程度そうなるかということは、やってみないとわからないという面が非常に強いと思います。 そういうことからいいますと、来年四月に、ある意味で、ほぼ完全な外為取引の自由化をするということを決断したということは、非常に思い切った決断だったなというふうに思います。
○古川委員 ありがとうございます。 質疑時間が短くなってきたものですから次に移らせていただきますが、先ほどから公的金融の話が、ビッグバンのもとでどう変わるべきかというお話が両参考人から若干ございました。私が聞いたところで、私の理解しているところですと、そのまま、今の状況でも自然にこれは落ちついていくのではないかというような八城先生のお話があったわけでございます。 ただ、確かに金融市場でグローバルな中で、外資も国内の金融機関もすべて含めて考えればそうなのかもしれませんけれども、国内だけで民間の金融機関と公的金融というところを考えてみますと、当然、ビッグバンの中で国内の金融機関は相当な淘汰をしなきゃいけない。その変化の過程では、一時的に非常に不安定になることも、これは経営のリスクが高くなることも私はあるのではないかなと思うのですが、そうなった場合に、ビッグバンの流れの中で公的金融の部門だけが全くそういうビッグバンの流れとは別のところに置かれていくと、日本の金融機関が淘汰されていく過程の中に、あるマイナスのゆがみみたいなものを生じさせてしまうような気が私はするのでありますが、その点に関しては、両参考人の御意見はいかがでしょうか。
○植田参考人 私は、先ほど来、やんわりと申し上げておりますように、郵貯の業務そして財投の仕事の中にやや不必要なものがあるなというふうに考えておりまして、具体的に何かというのはちょっと差し控えたいと思いますが、これの整理をビッグバンとともにやるということは望ましい方向であるというふうには思っております。
○八城参考人 既に申し上げたと思うのですが、申し上げていないことの一つとして、私は、やはり公的金融機関をビッグバンの議論の中で全くしないというのはおかしいと思います。その点は先生のおっしゃるとおりだと思うのですが、今までの議論は、特に郵貯については、民間の金融機関からの議論はかなり偏った議論だったというふうに私は思っています。 ですから、先ほど申し上げたような意味で、民間金融機関がより魅力のある商品・サービスを提供すれば、今までの郵貯の役割というのはだんだん落ちていくのではないか、その点については。国全体として、公的金融機関の中にいろいろもう役割を果たしてしまったもの、要らないものもあるかもしれないのですが、そういうものは民間に任せるべきものは任すべきだというのは正論だというふうに思っています。ただ諸外国を見ていましても、輸出入銀行のような、特に日本の輸出入銀行のことを申し上げるわけではありませんが、非常にリスクが多くて、いわゆる国のリスクと申しますか、ソブリンリスクの高い国への融資については、そういう公的な金融機関の役割というのは依然としてあるのではないか。どこがその役割をするかは別として、そういうものは必要ではないかというふうに思っています。
○古川委員 時間がなくなりましたので、最後に一点だけ八城先生にお伺いしたいのですけれども、八城先生は、まだほとんど日本人が多く行かない時代に外資系の中に入られまして、そういうグローバルスタンダードとなりつつあるアングロサクソン型の制度のもとでずっとお仕事をされてきたわけでありますから、いわばこれからの日本の企業のあり方をかなり前から先に御経験をされているといった意味で、これから日本が進むべき道に大きな一つの方向性を指し示していただけるのではないかと思うのです。そしてまた、三十五歳という若さで取締役になられた。この前「私の履歴書」に書いておられるように、人の能力にそんなに差があるわけがない、マネジャーはつくられるもの、そういうふうにお話をされた。私なども、諸先輩方がおられる中、若輩で議員をさせていただいておりますと、こういう先生のお言葉を聞いて大変に勇気づけられたわけでございます。 その中で、日本は、今これは企業だけじゃないのですが、構造疲労を全体として起こしている。特に日本の企業でも外部のチェックがやはり必要だろうという中で、私は外部のチェックがきかない一つには、日本型の雇用慣行、例えば年功序列とかあるいは終身雇用といったものがかなり大きな影響を及ぼしてきたのではないか、それが社外取締役をなかなか採用できないとか、あるいは本当に必要な人が横に動けないような労働市場をつくってきてしまったのではないかと思いますが、その辺の日本的な雇用慣行について、もうこれも構造疲労を起こしているというふうに八城先生はお考えでしょうか。
○八城参考人 雇用慣行については、特に企業については、日本ほど人の動きの少ない国はないと思うのですね。もちろんアメリカの企業を見ていましても、人がそんなにあちこちにかわるということはないのです。しかしながら、大学を出てから四、五年の間に二割から三割ぐらいの人はやめていくのですね。これは自分の考えでいたことと企業に入ってみてやれることとで、企業の体質とか自分に合わないということがあればやめていく。そして中途でやめていっても必ず別な職が見つかる。つまり、外から血を入れなければ企業は強く生きていくことはできないのですね。特に金融なんかで最近の状況を見ていましても、金融業界とは無関係な人がどんどん上層部に入ってきています。 特に、テレコミュニケーションの分野が進んでくると、そういう分野の人を必要としてきているというふうに思いますので、それは絶対に必要なことだというふうに思っています。ですから、日本の固定的な、人の動かないというか雇わない、人も行かないという、これではどうにもしようがないというふうに思っています。
○古川委員 貴重な御意見ありがとうございました。 終わります。
○原田委員長 次に、佐々木憲昭君。
○佐々木(憲)委員 先ほど来、両参考人には大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。 日本共産党の佐々木憲昭でございます。 先ほど、植田参考人の方から、ビッグバンを推進する際の障害になっているのが不良債権である、その不良債権の処理といいますか負担の方法で三つおっしゃいまして、二つの方法、公的資金、あるいは預金者、契約者の負担、こういう点について言及されました。 そこで、私は、この負担の問題を議論する前に、不良債権そのものの実態の問題についてもっと検討する必要があるのではないかというふうに思っております。と申しますのは、野村証券・第一勧銀事件で明らかになりましたように、約百億円ぐらいの不良債権という形で、総会屋に対してこの資金がやみに消えていったということがございました。そういう点が、不良債権という形で処理をされているという点が大変大きな問題ではないかと思うのです。また、これは氷山の一角ではないかとも言われており、他の総会屋への融資という問題も指摘されているわけであります。不良債権の実態の徹底した開示というのがないままに国民負担というようなことになりますと、これは不信感を非常に増大させることにもなり、かつ金融機関のモラルハザードを招くということにもなるのではないかというふうに思うわけですけれども、この点について植田参考人の御意見をお伺いしたいというふうに思います。 それからもう一点ですが、八城参考人にもこの点について、今回の野村証券・第一勧銀事件の原因について、なぜこのような事件が発生したのか、この点について、国際的な金融機関に働いておられる参考人として、日本の金融機関についての問題点といいますか、どのようにお感じになっておられるか、この点についてお伺いをしたいというふうに思います。
○植田参考人 難しい問題でありますが、おっしゃるような問題が不良債権の背後にあるということはかなりの程度言えるのではないかと思います。しかし、もちろん、そういうものを不良債権にしていかないとか、場合によっては総会屋との取引を断っていくというような対応を金融機関にもっと厳しく求めていくということは必要ではありますが、それにしましても、金融機関のみで十分対応できるという範囲を超えた問題はところどころあるということも言えるのではないかと思います。それにつきまして、別途対応が必要だと思いますし、中間的な形態といたしましては、よく知っているわけでありませんが、住専処理機構の取り立てのやり方等は、普通の金融機関の取り立てに比べますと、いろいろなバックもありまして、かなり厳しい取り立てを行っているというふうにも聞いておりますので、そういうようなやり方も一つのあれかなというふうに思います。
○八城参考人 金融機関に関係なく、一つ私自身が自戒をしなければいけないと思っていることがあるのですが、かつて私が勤めていましたエクソンの時代に、七〇年代にイタリアで不正な政治献金事件が起きまして、イタリアのエッソの社長が会社によって訴えられたことがあります。その後、会社は全世界の従業員に対して、企業倫理を守らなければならない、あるいは利益の相反、抵触することについては一切してはいけない。それから、自分よりか上の者がやっていることについて問題があれば、こういうルートを通じて来なさい。つまり、法務部もあればそれから担当役員もいますし、最終的には会長というところに訴えることができるわけですが、そういうことをすべきである、恐れずにやりなさいというようなことを出したのです。その中で私、一番印象的だったのは、これは文章にはなっていませんけれども、自分の会社がやっていることをテレビの前で話せますかということを自問自答しなさい、そして、自分たちが考えていることをテレビの前で一般の人に話ができないことはやってはいけないということを七〇年代に盛んに言われたものです。ですから、恐らく原因というのはいろいろあるのかもしれませんが、そういうふうな姿勢がこれから必要ではないか。 それから二番目は、具体的に実は銀行の中で、よそ様のことを申し上げるのは私の趣味ではありませんけれども、例えばシティバンクでこういった種類の事件が起こるとすればどうしたら起きるだろうかと聞きましたら、あなたと審査と経理と、すべての人間が協力をしなければできない、協力をしなくても上からこういうふうにしろと言われたらできるけれども、恐らくアメリカの銀行ではそういうことは起きないだろう、必ずそういう命令に反対する人は非常に多いでしようというふうに言っていましたが、私は、やはりリスクマネジメント、リスク管理の違いだと思います。大変失礼だと思いますが、リスク管理が実際に行われていなかったということであり、それから冒頭に申し上げた、企業がやっていることをテレビの前で話せるか話せないかというチェックを常にすべきであるというふうに思っております。
○佐々木(憲)委員 どうもありがとうございました。 それから次に、ビッグバンの関連ですけれども、ビッグバンで規制緩和がどんどん進んでいく。これはイギリスの場合には証券市場の枠内での改革でありましたけれども、日本の場合には証券だけではない、銀行、保険、すべての金融全体の大幅な改革ということになっていきますから、その影響というのは極めて巨大なものがあるというふうに思います。これは必然的に競争が激化して、優勝劣敗、弱肉強食と言われるような事態が生まれるわけでありまして、当然、競争に負けていく金融機関というのが市場から撤退を余儀なくされる。そしてまた、失業者も大幅にふえるということが予想されるわけです。 そうなりますと、このことによって、例えばある地域では、今まであった金融機関がなくなってしまう。それからサービスについても、さまざまなサービスは生まれるけれども、しかし、サービスを受けられる人、受けられない人、受けられる地域、受けられない地域、こういう格差というのが生まれてくる可能性もあるわけであります。したがいまして、こういう金融機関の公共的性格が薄れていくあるいは否定されていくという傾向が生まれるのではないかというふうに思うわけでありますが、その点について、日本のビッグバンの影響、それから国民に対するサービスの提供についての公共性、こういう点をどのように考えておられるのか、両参考人にお聞きをしたいと思います。
○植田参考人 お答えします。 優勝劣敗が非常にはっきりしてまいりまして、倒産する金融機関が場合によっては大量に出る、あるいはそれに伴いまして失業者が出るということは予想されると思います。それへの対応ですが、失業の問題につきましては、教科書的なお答えになって恐縮でありますが、そういうことが懸念されるからビッグバンにブレーキをかけるというよりは、政策的な対応といたしましては、失業した人たちの転職を支援するような何か制度を考えるということではないかなというふうに思いますし、先ほど来出ておりますように、ビッグバンが本当にうまく機能しまして全体のパイがふえるということが起これば、その中で吸収されていく可能性が高いなというふうに思っております。 それから、特に、例えば一部の地域におきまして、倒産するようなあるいは撤退するような金融機関が相次ぎまして、その地域で必要な金融サービスが受けられなくなるという可能性でありますが、それがある程度の規模を持った地域でありますと、そこで大量の金融サービスの供給が一時的に途絶えたとしますと、恐らく参入してもうかるという余地が生まれると思いますので、長期間にわたって金融サービスが提供されないということは考えにくいと思います。 これに対しまして、非常に地理的にも難しいし、預金者ないし預金の金額というような規模でも限られている地域で金融機関の撤退が起こるということは考えられると思います。これに対しましては、私、先ほど来公的金融の関連で申し上げましたが、そういうところにこそ、例えば郵便貯金というような制度は適しているのではないかなというふうに思います。
○八城参考人 恐らくビッグバンの結果、佐々木先生おっしゃるように、吸収合併ということがいろいろな金融サービス業界の中で起きることは予想されます。それがすぐ失業に結びつくかということは必ずしもそうではないというふうに私は考えているのです。というのは、日本の金融サービスの中身が今まで余りにも乏しかった。新しいサービスを提供すれば、人はやはり要るということがあるのです。 しかし、一般論としては、世界じゅう実は銀行は多過ぎるんです。これはオーバーバンクという言葉がありますけれども、米国もそうですし、どこの国でも銀行の数は多過ぎるというふうに言われているわけです。したがって、多過ぎるということは、銀行のコスト構造が非常に高いコストをかけてサービスを提供している。これは技術の進歩によってどんどん安くなりますから、今まで取っていた手数料も取らなくて済む。取らないようにしなければならないというふうになっていって、銀行自体の体質も、そういう改革をするなら、そういう銀行、金融機関は強くなっていくだろう。そして新しいサービス、新しい商品分野に出ていくなら、やはり人を必要とするであろう。 地方の金融機関については、その地域に密着していますから、地域の特殊性を出しながら生き残れるのではないか。しかし、中には戦略の一つとして、吸収というよりかもむしろ合併するとか、あるいは最近よく言われていますようなアライアンスを組んでいくというようなところも出てくると思います。地方におけるサービスというのは郵貯がある意味ではその役割をしてきたというふうに私は見ていますが、中には、たとえ地方であっても金融取引をみずからパソコンでするという人も出てくるだろう。したがって、そんなに不便、つまり支店がなければ銀行から金融サービスあるいは金融商品を買えないという時代は徐々に終わりつつあるというふうに思っております。そういった過去のお荷物を減らすなら、金融サービスのコストは安くなるはずであるというふうに極めて楽観的に考えています。
○佐々木(憲)委員 ありがとうございました。 終わります。
○原田委員長 次に、濱田健一君。
○濱田(健)委員 本日は、お二人の参考人にはすばらしい御所見を聞かせていただきまして、大変ありがとうございます。時間がございませんので、まずはお二人にお尋ねしたいと思うのですが、何人かの委員からも既に指摘がありますとおりに、外為規制の緩和などに代表される金融システムの改革によって投資所得や事業所得、これらの逃げ足の速い所得が海外にシフトしてしまうのではないか、そしてそのことによって所得の把握の困難性が指摘をされるという部分があるわけです。いわゆる勤労所得というものは移動可能性が低いですので、それらの間での不公平感というものが、先ほどからお話ありますとおりに、海外にシフトをする中できちんと所得の把握ができて課税できるのであれば、ないと思うのですが、仮にそういうことが起こった場合の不公平性をどのように取り払っていくのか、何かシステムがあるのかどうか。 それと、現在大蔵省で検討されております。そういう所得の把握をしっかりやっていくための資料情報制度の整備というようなものがあるわけですが、こういうもので十分かどうか、もっと何かシステムを考えるべきではないのか、御所見がありましたらお願いいたします。
○植田参考人 大変難しい問題でありますので私も答えを持ち合わせておりませんが、一つは、勤労所得とそれ以外の所得との取り扱いの問題であります。 一つ考えますのは、ほとんどの人は勤労所得だけで生きているわけではありませんで、財産、資産からの所得も合わせて生活をしているわけであります。この財産からの所得、財産の運用利回りが金融ビッグバンによって高まる、あるいは高めようというのが一つの根本的なビッグバンの推進力だと思います。したがいまして、資産の多さによって受けるメリットは違うわけでありますが、基本的にはいろいろな人にメリットがあるようにという、最初から出ておりますユーザーのベネフィットを考えるという方向でビッグバンが動いているということであります。 その上で、資産所得の把握ができるかどうか、あるいはその困難さに伴っていろいろな問題が発生するのではないかということでありますが、これはまさにそういう問題が先ほど来議論されておりますように、いろいろあるかと思います。ただ、解決方法で最適なものは私にはここでちょっと提示できませんが、この把握の問題というのは税をどう取るかということに当然直結してまいるわけでありまして、税の取り方によっては把握がうまくいくかもしれないし、把握がうまくいかないと税が取れないかもしれない。しかし、唯一お願いしたいのは、その対応として考えられます税の、あるいは徴税の仕組みがなるべく金融取引にゆがみを生じさせないような方向になることをお願いしたいということであります。
○八城参考人 これは私の感想ですが、日本における外為法改正の影響についての御議論は、あたかも日本が先進国あるいはエマージングマーケットといいますか、開発途上国に先駆けて為替の管理を緩やかにするというふうな議論が聞かれるのですが、実は一番おくれてきた国が日本である。今度はごく普通の国になるというふうに御理解いただいた方がいいのじゃないかと思います、その点については。 ただ、その後の勤労所得と資本所得についての不公平感というようなことについては、諸外国のことが多少参考になるかもしれないというふうに思います。例えば米国人の場合には、これは世界じゅうの所得に対する課税が行われるわけですから、どこの国に住んでいても同じなんですね。それから企業についても、どこで商売をしようと最終的には米国税がかかってくるわけで、海外において払った税金が少なければ、その差額は米国税で取られるわけです。逆に、海外において払い過ぎた、日本のようなところで払い過ぎた場合には、これはよその税金の低い国での所得に対する税金と両方合わせて米国税と比べてどうかという計算をするわけですから、それほど特別に、こういう為替の管理が緩やかになるとか自由になることによって不公平感が国際的基準から見ると起きるとは思えないのです。
○濱田(健)委員 もう一点、お二人にお尋ねいたします。 金融課税のあり方として源泉徴収課税プラス分離課税というやり方、それと納税者番号制度、これから多分導入されるでありましょうそういう形による総合課税、少額資産に対しては一定の配慮を行った上での総合課税ですね、この二つの方法が金融課税の方法としてこれから考えられるのではないかというふうに思うわけです。 我が国では、前者の方法によってこれまでやってきましたが、アメリカなどでは当然早い時期から後の方の手法でやられているという現実があります。これから先ドラスチックに進むと思われる金融システム改革に対応していく観点から、金融課税のあり方としては二者択一しかないのか、またはほかにもあるのか。あるのでしょうが、どちらの方がより適切なのだろうかなと思うのですが、お二人のお考えはいかがでしょうか。
○植田参考人 きめ細かい分析をしたわけではありませんが、さまざまな所得を中立的になるべく漏れなく把握するというような観点から、背番号制を導入し、総合課税を用いるという方法を私は支持いたします。
○八城参考人 私は税の専門家でもありませんので、これは感想以上のものではありませんが、余りに厳しい課税、つまり率についても高いものをすると、資本所得、特にキャピタルゲインについては、せっかくいろいろな新しい制度を導入しても生かされないだろう。 実は一つ頭に浮かびますのは、いわゆるストックオプションのケースですけれども、ストックオプションについて税がどうなるかということは、我が国において実はまだ不透明なんですね。ですから、そういうストックオプションにおいてキャピタルゲインと言われている資本所得が出た場合に、もしもこれを総合課税しますと、ほとんどその魅力というものはなくなってきてしまう。将来株価というものが下がれば、税金を払って何年かたって見たら、実は全くマイナスになってしまったということが起き得るわけで、そういう意味では、キャピタルゲインについては諸外国の例を見て適正な水準で、いわゆる資本的所得に対する税率を下げておくということは必要ではないか。 米国では、最近いろいろな制度改革の中の一つとして、キャピタルゲイン税は低めようという話が出ています。現在はたしか二七%だと思いますけれども、そういう方向に動いているというふうに聞いています。それを日本でもしも六五%にすると、ほとんど魅力はなくなってくるというふうに思います。
○濱田(健)委員 ありがとうございました。
○原田委員長 次に、岩國哲人君。
○岩國委員 両参考人から大変勉強になるお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。特にビッグバンを控えまして、フリー、そしてフェアなマーケットをつくろうという方向でいろいろな委員会の審議がなされておりますけれども、その中で八城参考人から、きょうの午前中、具体的な御経験に基づいての示唆もいただきました。例えば持ち株制度、こうしたものは廃止すべきであるという御意見は私も同感でありますし、 またもう一つは、最近の金融不祥事に関連しても、やはり透明性を高めるためにこういった持ち株制度というものは廃止すべき方向で持っていくべきではないかと私も思います。 この持ち株制度については、結局、フリーでフェアな取引ということだけではなくて、インサイダー情報に非常に近い立場の者が、会社の利益と、そして大株主であるという資産価値の維持という二つの相反する立場を、いわゆるコンフリクト・オブ・インタレストといいますか、そういう立場に置かれている者がこれだけ大きな株数を持っているということは、常にどちらかの利益を傷つけなければならないという観点からも、この日本的な慣行である持ち株制度を廃止する方向で何らかの制限が加えられるべきだと私は思います。 そこで、八城参考人にはその御経験に基づいて、そして植田参考人にはその御研究に基づいてお答えいただきたいのですが、まず、先ほどから議論されております納税者番号。納税者番号といいますと、とかくおどろおどろしい雰囲気があって、イメージ的に忌避される可能性がありますけれども、アメリカでは御承知のように社会福祉番号、ソーシャル・セキュリティー番号として非常に定着し、そしてそういう土壌があるからこそ、取引の透明性、公平性、そしてビッグバンというところへ持っていくときにも安心して持っていけたのだろうと思います。 私の持論としては、こうしたものが必要であろうと思いますし、また、きょうの先ほどの濱田委員の御質問、それから五月二十一日に開かれました参考人質疑においても、濱田委員の質問に対し竹内参考人、中里参考人、それぞれ肯定的な立場からお話をなさっていらっしゃいます。納税者番号あるいは社会福祉番号というものは、このビッグバンをより円滑に、そして日本の不正な取引が国境を超えて海外で行われないためにも必要であるというふうに思いますが、お二人の御意見を聞かせていただけませんでしょうか。
○植田参考人 私は、先ほど申し上げましたように、納税者番号制度を導入いたしまして、総合課税方式の方へ移行するのが恐らく望ましいというふうに考えておりますが、その場合、税率の問題はまた別かと思います。所得税あるいは総合課税をした場合の最高税率が六五%という問題は、また別途考えなくてはいけないということだと思います。 また、番号の有用性といたしまして、外国の税務当局との間でそれを交換し、幅広く用いることによって、海外に逃げた取引の所得の把握、徴税に役立てるということも可能かと思います。
○八城参考人 岩國先生の御意見に実は私は賛成です。というのは、やはり税はちゃんと納めるべきものだということが国民の間に浸透しなければならない。それを担保するためには、どうしても納税者番号とか、よく言われております背番号を用いる必要がある。そうすれば、恐らく日本の所得税の税率は下げられるのではないかと思うのです。 国際的に見ても、日本の所得税の税率は余りにも高過ぎる。企業の経営者はたくさん取り過ぎているという印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、六五%、地方税を入れて限界税率で払うというのは、働いて得た所得の半分以上を税として納めるというのは、余りにも高過ぎる。国際的にも大体五〇%が限度なのですね、どこの国でも。かつて非常に税率の高かったヨーロッパ諸国でも、今は最高五〇%にほとんどのものが抑えられている。そういう意味で、払うべきものは払うということは定着しなくてはいけない。したがって、中には税をいかにして軽減できるかということに頭を使う人も出てくるのはこれは当然ですが、米国の場合では、そういう人はちゃんと、タックスアーニングスと呼んでいますけれども、それをやりながら納めるべきものはちゃんと納める。それで、納めない人はやはり犯罪というふうに思われる。犯罪という意識がなく、うまくやったと思っているようではだめだと思うのです。ですから、やはり納税者番号を導入することは必要だというふうに思います。
○岩國委員 ありがとうございました。 私も確かに、日本のような非常に不公平な徴税制度^つまり取りやすいところからだけ取る、したがってそういう人には高い税率を課税しなければならない、取りにくい人からは全く取ろうとしない、そういう不公平な徴税制度を温存したままでビッグバンという新しい段階に入っていくことについては非常に問題があるのではないかと思います。アメリカのビッグバン、ロンドンのビッグバンは、そういう公平な徴税制度という基礎があったからこそ、あのような大胆なビッグバンができたわけであって、日本はそういう不公平な、不透明な税制あるいは徴税システムというものをそのままに、手をつけないでやるということは、はっきり言って間違いだと私は思います。 私がメリル・リンチにおりましたときも、大蔵省は、こうした納税者番号をどうやってウォール街で実用化し、そしてそれが事務的にうまく処理されているか、プロジェクトチームをお入れになりました。それからもう既に十年たっております。恐らくシティバンクにもおいでになって勉強していただいただろうと思いますけれども、このような点について非常に懸念があるという点は私も同感であります。 次に、両参考人にもう一問御質問させていただきたいと思います。 最近の野村証券あるいは第一勧銀の金融不祥事、こうしたことについて、今まで御経験の中で、あるいは御研究の中で、世界の諸外国の中でこのように業界を代表するところがやみの世界と取引をし、トップが逮捕され、起訴され、そしてそれに組織ぐるみで対応しておったということを認めたという例を御存じかどうか。世界各国といいましても、アフリカのような国は一応別としまして、先進国、OECD加盟国の中でこのような例があったかどうか。そしてそのような銀行あるいは証券会社が、そのような事件の後にも法人として存続を許された例を御存じかどうか、それを御説明いただきたいと思います。
○植田参考人 私は学界におりますので、残念ながら適切な例をよく知りませんが、思いつきで申し上げますと、ヨーロッパの一部の国にそういう例があったかと思いますが、その後、その金融機関がどうなったかということについては調べておりません。またアメリカについても、こういうようなことが、金融であったかどうかは別にしまして、例えば総会屋ということに対応する英語もございますし、全然ないということは言えないのではないかと思います。 ただ、日本のような、今回出てきましたような規模で、あるかあるいはあったかどうかということについては、残念ながら知識を持ち合わせておりません。
○岩國委員 私の質問、若干不正確な点があったと思います。このような事件とアバウトな言い方をいたしましたが、いわゆる総会屋というのは、ゆすり、たかりと同じように、マフィアとかギャングと向こうでは認識されております。そういうやみの世界とはっきりわかるところとの取引を組織ぐるみでやったというケースについて、今まで学問の中で、あるいは八城参考人の場合には、そういった業界の中で御存じであればという質問でございます。
○八城参考人 非常に限定された御質問なので答えやすいのですが、私は知りません。
○岩國委員 ありがとうございました。 あと一分間で、このビッグバンによってどのようなメリットがあるか、金融機関の活性化とか、あるいは金融機関の競争力とか、あるいは東京マーケットの存在価値とか活性化という点は非常に議論をされておりますけれども、一番肝心の個人の投資家、納税者がどれだけのメリットを受けているか。例えば個人投資家の取引手数料はアメリカにおいて上がったのか下がったのか、この点について御説明いただけますでしょうか。
○植田参考人 私がしばらく前に調べたところでは、非常に小口の投資金額に対する手数料率は高くなった面があるかと思います。その水準は、現在の日本よりも、場合によっては高いということであると思います。 しかし、そういう投資家においても、投資信託のような商品を活用しまして、ビッグバンのメリットを受けていくことができるような方向だと思いますし、むしろそういうためには、投資信託というような商品を非常に魅力あるものにするという努力が必要ではないかというふうに思っております。
○八城参考人 私は具体的な事実を知りませんが、聞くところでは、株式ですが、小口の取引にとっては余りメリットがなかった、大口にとってはもちろんメリットがあったということを伝え聞いております。 しかし問題は、ビッグバンというのは、日本で起きることを希望的に言うなら、競争が激しくなることによって、今まで取るべきでなかった手数料とかいうものがなくなっていくということは十分予想できます。ですから、外国に送金をするときの手数料とかATMを利用するときの手数料などはなくなるのが当たり前であって、金額が大きければ大きいほど手数料をたくさんいただくというのは、信号一つで同じことをやるわけですから、全く合理性がない、そういう意味でのメリットはあると思います。
○岩國委員 どうもありがとうございました。
○原田委員長 これより自由質疑に移ります。 質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言するようお願いします。 また、理事会協議により、一回の発言時間はおおむね三分以内とすることになっておりますので、御協力をお願いします。 なお、発言の際は、所属会派及び氏名並びに答弁を求める参考人を御指名いただきたいと存じます。 それでは、質疑のある委員は挙手をお願いいたします。
○尾身委員 自由民主党の尾身幸次でございますが、八城参考人にお伺いをさせていただきます。 日本におけるビッグバンの議論をいろいろ聞いておりますと、資金供給者側に対する自由化というような面ではかなりなされておりますが、資金需要者に対する資金供給をしっかりやれるのかという意味で、どうも議論がちょっと欠落をしているような感じがいたします。もうちょっと具体的に言いますと、例えばベンチャーを育てるような資金供給がこのビッグバンができた後うまくいくのかどうか、そういうことを視野に入れてやるべきではないかというのが私の意見なんでありますが、その点についてであります。 日本は、ビッグバンと同時に、他方で経済構造改革ということをいろいろやっておりまして、規制緩和をしながら新しいベンチャー企業を育てて、日本経済を活性化するというような考え方でいっていると思います。今のビッグバンでなされている大部分の議論が、きょうの今までの議論もそうだと思うのでありますけれども、例えばファイアウォールを取り払うとかあるいは手数料を自由化するとか、金融商品の設定を自由化するとかいうようなことでございまして、そういうことをすること自体はもちろん非常に必要だと思っておりますけれども、問題は、例えば新日鉄とかトヨタとかNECとか、そういうところへの資金供給をやることが問題なのではなくて、むしろ新しいビジネスチャンスを見つけて新しい企業を起こすようなベンチャーに対する資金供給、そういうことが大変問題なのではないか。 つまり、ハイリスク・ハイリターンの資金を供給できるような、例えばアメリカのNASDAQとかあるいはエンゼルとか、そういうようなシステムが経済構造の中に組み込まれてこないと、今アメリカで起こっているような情報を中心としたベンチャーの発展ということが日本で起こりにくくなるのではないか、そういうふうに考えておりまして、そういう点でビッグバンの構造の中には、そういう資金需要者に対する資金供給が簡単にできるような、そういうシステムを入れていかなければいけないんじゃないか。例えばビッグバンが成立したら、NASDAQのような、そういうベンチャーに対する資金供給などがうまくいくようなシステムがシステムとしてできてくるのかどうか。やはり日本的社会の中で、従来の担保金融というようなことで、大企業中心の資金供給があって、新しい企業に対する資金供給がなかなかうまくいくような状況がまだこのままでは生まれてこないのではないかという感じを持っているわけでありますが、これについてお伺いをさせていただきたいと思います。 それから、植田参考人も、もしこの点について何か御意見がありましたら、お伺いをさせていただきたいと思います。
○八城参考人 将来ベンチャー企業を育てるためには、金融機関からの積極的な支持というものが必要であることは言うまでもないんですが、御指摘のように今までの銀行のあり方というのは担保主義で、担保が幾らあるかということから始まりますから、なかなか金融機関がベンチャーキャピタル的な活動をしなかった、ベンチャーを育てる、企業を育てるということがなかったことはそのとおりだと思うんですが、先ほど午前中の御議論の中でどなたかが御指摘になったように、産業構造審議会がやっているような議論というのは金融界以外からの議論ですから、日本でもこういうものがどんどんされる必要があるし、産構審の中には、たしかベンチャーについてもいろいろな提言がなされていると思うんですね。 ですから、そういうことが行われる必要があるし、それからもう一方、海外では、一つの例でありますけれども、シンガポールの政府機関が日本における中小企業で将来性のあるところはないか、投資をしたいということを言ってきているケースもあります。それからアメリカにもいろいろなベンチャーファンドができていますし、そういうところも日本で自分たちがファンドの中に取り込めるようなところはないだろうかということを一生懸命探しているところもあるようですから、外から恐らくそういうものが刺激になって、日本でも次第に変わっていくんではないか。そのためにも、不良資産問題にいつまでもかかわっていないで、早く銀行が本来の銀行としての需要側に立った立場での融資ができるような体制に持っていくということが必要かなと。 一般論で恐縮ですが、具体的なことは実は余りよく知りませんので、その程度にさせていただきます。
○尾身委員 あえて言えば、そういうハイリスク・ハイリターンの資金供給をし得るような、そういうことをこのビッグバンといいますか、資金供給システムの中に組み込むような体制づくりをしていかないと、日本という国の体質から見て、アメリカのように弾力的にそういうベンチャーを育てるような資金供給がいつまでたってもできないんじゃないか、そういう点について心配をしているわけでございます。金融関係者だけの議論でいきますと、どうしても資金を受け取る方と資金提供者との間の自由化とか競争原理とか、そういうことになってくるんじゃないかということでございます。
○植田参考人 私の方からは一、二申し上げたいと思いますが、一つは、社会全体の問題があるんではないかというふうに思います。 ややずれるかもしれませんが、私の勤めております大学で、それこそベンチャーキャピタルビジネスの分野としては中心になりますソフトの関係の学科を一つにまとめまして、情報学科とかいう名前をつけて、そこから有力な学生を育て社会に送り出そうとして、ベンチャービジネスを起こしてほしいというような動きをしたことがありますが、アメリカのそういうことに経験のある方あるいは日本の技術者の方々に聞いたところ、そういうことだけでは全くだめであろう、そういう学生たちがいいものをつくったときに、先輩、先輩のまた同僚の方々が企業を起こすまでの体制を寄ってたかって支援して企業化してしまう、そういうような雰囲気が社会全体で必要であるし、そちらの方が大事であるという話を伺いました。 そういう問題はありますが、ビッグバンとの関連で申し上げれば、ハイリスク・ハイリターンの分野ですので、ハイリスクをとるという覚悟が必要ですし、それは自己責任原則ということに結びつきます。金融ビッグバンの中でこういうものが生まれてくる兆しが出てくるということを期待したいと思いますが、さらに重要なのは、ハイリスクですので、それがハイリターンに結びつかないといけない。すなわち、リスクが利回りに反映されるというような価格の構造に日本の金融商品の価格がなっていかないといけないということだと思います。今既に、ある意味では不良債権問題の予期せぬ結果といたしまして、リスクが利子率に反映されるという構造になりつつあります。これが価格等の自由化によりましてだんだん推進されていくという動きにあるんではないかというふうに私は思いますので、全く悲観的でもありません。
○八城参考人 ちょっと追加的に申し上げますけれども、私どもの銀行では、ベンチャーキャピタルから実は利益を得ているのです。過去において不良資産問題があったために二年の間非常に苦労をしたときに、償却をいたしましたけれども、その一部にはベンチャーキャピタルからの資本的利益というのが出てくるわけです。この金額は相当なもので、一億ドル単位のものがあります。これは過去において育てた企業が、それを上場するとか、いわゆるIPOという形で出ていったものを売却したとか。 マイクロソフトは、私の聞いておるところでは、まだ非常に初期の段階においてシティバンクがかなり資金を出したというふうに聞いています。
○赤松(正)委員 新進党の赤松正雄でございます。 先ほどから大変参考になる意見をいろいろ聞かせていただきまして、ありがとうございました。 一点だけ、極めて初歩的というか、包括的なお話をお二人に聞かせていただきたいと思いますが、金融ビッグバン、すなわちそれはシステムのグローバル化ということだろうと思うのですが、同時に、人間のグローバル化というものが相まって求められていると思います。この人間のグローバル化ということについて、今日まで数多くのさまざまな指摘がなされておりますけれども、八城参考人はいわばそのパイオニアとしての立場、植田先生は東京大学という教育的側面の現場におかれて、人間のグローバル化という問題について、どういうふうな課題を、足りないものがあるとすれば、日本において何が整えばいいのか。私は長期的には非常に楽観視しているのですが、短期的には極めて悲観的にこの問題については見ているのですけれども、人間、日本人のグローバル化についてどのように問題意識されているか、この点についてお伺いいたします。
○八城参考人 海外に出まして日本の企業の方を見ていますと、特に製造業の方を見ていると、これは随分グローバルな企業になったなという印象を持ちます。そして一番上の方は日本人である場合が多いのですけれども、しかし、その次の人は現地の人であって、国籍はいろいろな人がそこで働いている。そして一番上の人も周辺の日本人も、決して上手な英語ではないけれども、ちゃんと互いに意思が通じるような会話をしているというのは、十年前と比べると非常に変わってきたというふうに思うのです。 しかし、大事なことは、一つは心の問題だ。私はシティコープ/シティバンクにおりますけれども、その中に十五人の、いわゆるEVPと呼んでいますが、エグゼクティブ・ボイス・プレジデントというのがいるのですが、その内の半数以上は外国人なのです。それから上級幹部五十人をとりますと、六割が非アメリカ人です。ですから、人を採用するときから、人の訓練から、どこに転勤をさせるかということについて、国籍は全く考えない。そこまでいくのには日本は恐らく大変な時間がかかり、そこまでいかないかもしれないし、いかなくてもいいのかもしれません。 しかし、日本人がそういうところで、どこの国に行っても仕事ができるように、国際的な企業経営についてのスタンダードというものはどうしても必要かなと実は思っているわけです。アメリカがすべていいわけではありませんが、国際的にはアメリカのスタンダードがかなり浸透している世界ですから、そこに合わせなきゃならないというふうに思っています。
○植田参考人 それでは簡単に、私の方から、研究者はグローバル化しているかどうかはおきまして、学生の方のことに関しまして幾つか申し上げたいと思います。 学生は、御案内のように海外旅行を物すごくするようになりまして、四年生は一年のうち半分ぐらい海外に行っているという時代になってきております。しかし、残念ながら、国際的に通用する人材がたくさん育ちつつあるかといえば必ずしもそうではありませんで、一つは、英語が昔よりもできなくなってきつつあるという印象を持っています。より重要なのは、論理的な考え方に基づきあるいは議論に基づき、いろいろなことを決めていく、あるいは議論をするというような能力が海外の人たちと比べて欠けているかなというふうに思います。 しかし、そういう中でも、グローバル化、国際化になるかどうかはあれでありますが、私のゼミの学生でも、ことしは既に来年四月の就職の内定がほぼ出つつありますが、非常に優秀な学生が、例えば十人中三、四人外資系の会社から内定をもらうという動きが出ておりまして、これは数年前には余りなかったような現象でありますし、彼らのうち半分以上がそういうところへ実際就職していくのだと思います。
○村田(吉)委員 ちょっとお二人にお伺いをいたしたいのですが、今国会では日銀法とか金融監督庁の問題が議論されたのでありますけれども、我が国の金融市場がグローバル化していく中で、実際に動いているときのいろいろなルールのグローバル化とともに、銀行だけじゃなくて証券、保険等も含めまして、金融機関への監督とか監査のルール、あるいは預金者保護あるいは投資家保護のルール、それから破綻処理の方法、あるいは最後に今度のDKBとか野村みたいな事件のペナルティー、そういう問題についてもグローバルスタンダードというか、プレーヤーとして青い目の人が来てがんがんやるときに余り変わったことはできない、そういう観点から考えたときに、そうした今申し上げたような問題についての我が国の今のルールというのはどうなのだろうかということについて、何か御意見がございましたら承りたいというふうに思います。
○植田参考人 いろいろな側面があると思いますが、そもそも、国際間で競争条件を合わせるというような観点からもルールの国際的整合性というのは求められると思いますが、それで申し上げるとしますと、例えばBIS規制のようなものは、当然のことながら、国際的に共通のルールになってきているということだと思います。しかし、そうではない部分といたしまして、投資家保護とかディスクロージャーというような側面でいいますと、まだまだ改善すべき点があると思いますし、それからより一般的な金融機関監督のあり方、これまでであれば行政指導というふうに呼ばれていたような分野につきまして、外国、特にアングロサクソンのマーケットでのやり方と違う点があり、これは月並みな言い方になりますが、ルール重視の方向に進んでいくという方向が求められているのだと思います。
○八城参考人 私は、友人から数年前まで時々こういうコメントを聞いていたのですが、話をすると、君はアメリカの会社に勤めているからそういうことを言うのだ、日本ではできないよとおっしゃることがたくさんありました。日本ではできないよとおっしゃったことを続けた結果が、今のいろいろな問題を起こしているというふうに実は感じているわけです。ですから、日本とかアメリカとかということを忘れて、企業の立場から見て社会的責任を果たすにはどうしたらいいかということを企業は考えなくちゃいけない。 監督とか不良資産の処理の問題等々あるいはディスクロージャーの問題、ルールの国際的整合性等については植田先生がおっしゃっておるとおりだと思うのですが、私は、先生がおっしゃったことに加えてもう一つあるのじゃないかと思うのです。それは、日本では形をつくるとそれで済んだということになってしまうのですね。あるいはシステムをつくったらそれでいいんだと。形をつくっても、その運営についてあるいは運用について、厳格に行われなければ実際は何も生まれない。ですから、恐らくシステムとかあるいは法律とか規則というのはよくできていると思うのですね、先進国ですから。しかし、それが本当に活用されているかというところは人の問題だと思うのです。 以上です。
○日野委員 民主党の日野でございます。きょうばいろいろ教えていただいて、ありがとうございました。 私、そのお話を聞いていながら、心配な点は残るのですね。ビッグバンをずっと進めていく上での心配というのは残ります。多くの日本人がやはり同じように考えているのじゃないか。そして政治家仲間も、やはり心配な点はあるな、こう思いながらいろいろ議論をしているんだと思うのでございますよ。今八城参考人おっしゃったように、心配だからここのところはちょっと先に送ろうかということが今のような状況をつくり上げているというのも、私もそう言われればそういうものかな、こうも思うのでございますが、やはり心配な点というのは若干残りまして、この点はビッグバンを進めていくその時期の問題ともいろいろ関連をしてこようかと思います。 まず、幾つかの心配な点というのはあるわけでございますが、何より心配なのは、このビッグバンが進行することによって、金融機関の中で破綻してくるところが出てくるでございましょう。そのときに、預金者を保護する、預金者のみならず取引先をきちんと救済していく機構というのが、いかにもまだ弱いですね。これは銀行について言えば、預金保険機構というのが一応形を整えつつありますが、しかしこれとても、じゃ、そこでどのぐらいのお金が用意されているのよと言われて機構の懐の中をのぞき込んでみれば、いかにもこれは弱体だという感じもせざるを得ないですし、また、保険屋さんなんか見ても、じゃ、日産生命の保険に加入していた人たちをどういうふうにすればいいのということになれば、これも心配になりますし、そういった制度を充実させていく、これが残された期間の間に可能なのかどうかということになると、やはりこれも寒心にたえない点があります。 また、そういったビッグバンが進むことによる労働の移動ということについて、長い目で見れば、これはやがては整備されてくるだろう、ちゃんとどこかに吸収されていくだろうというおっしゃり方も、これはそう言われてみればそのとおりでございますが、やはりその場になってみた場合の心配というものがございましょう。 それから私、お金が集まってくるところについての心配はそんなにしないのでありますが、さっき尾身委員でしたか、おっしゃっておられました、じゃ、どういうところに貸し付けていくんだという貸し付けの体制、これがうまく整うのであろうか。特に私は、それはハイリスク、非常にリスキーであるがリターンも多いかもしれないという期待を持たれる投機性の強い、例えばベンチャーなんかについて、これはある程度思い切りの問題ですからそれはあるかと思いますが、そうではなくて、長い時間をかけてやっていく社会資本の充実なんかに対する資金の対応がうまくできるのかなという心配がいたしますし、それから日本と外国との間の文化の違いなんかがそういった投資、それから資金の提供、こういうところにかなり大きな影響が出てくるのだろうというふうに考えておりまして、やはり問題というものはそう単純に割り切れるものではない、こういうふうに思っています。 これはどうも自分の意見をかなり言い過ぎているのですが、私は結果的にはビッグバン、これをやらなければ今の閉塞状況を乗り越えることはできないのだろうとは思っているのですよ。 それで、こういうときにいろいろ考えていてもしようがないので、イギリスなんかの例で、どのようにイギリスのビッグバンが行われたか。さっき八城参考人は、資金力が違うよ、日本の金融機関とイギリスなんかの小さいところなんかとは力量の違いがあるし、資金量の違いがあるというふうなことをおっしゃったのですが、ただ、イギリスなんかでも私の仄聞するところでは、かなり大きいところも結局は破綻をしたりなんかしたところがあるわけでございますね。外国の例に倣うというのも、こういう場合一つの方法であろうというふうにも思います。そういう心配をする人たちに対して、そんなに心配しなくてもいいんだよ、イギリスではこうだったよということがおっしゃれれば、今幾つか私挙げましたが、そんなに全部おっしゃっていただくこともちょっと時間的に無理かと思いますが、一つアドバイスいただける点があればというふうに思います。
○八城参考人 それでは、ある一つのことだけについて申し上げたいと思うのですが、やはり何回もいろいろな方がおっしゃったように、情報の開示が進んでいないということが問題でありますから、金融機関については情報の開示を徹底してする。そして預金者なり利用者がその金融機関についての知識を十分持てるような状態にしておく。二〇〇〇年以降はペイオフをしないと言っているわけですから、一千万円以上のものについて預金をしていて、もしも破綻したらそれは個人の責任ですよと自己責任体制を求めているわけですね。これはニュージーランドのことを聞きますと、利用者なり預金者が、銀行について非常に厳しい評価をしながら預けたりしているというふうに聞きます。アメリカとは違いますけれども、ニュージーランドですらそういうふうになっている。私は日本の消費者、利用者は極めて賢明だと思っているのです。ですから、そういう情報の開示によって利用者が選択をするようになることが一番望ましい、それが一つ。 それからもう一つは、いわゆる失業問題というのですが、これは私は、あくまでパイを大きくすることによって、それぞれの金融機関が特徴を出すことが生きる道だというふうに思っています。日本の銀行はアメリカに比べれば、アメリカは一万もありますけれども、日本ではそんなにないわけで、全部の金融機関で銀行と名のつくものは、全部足しても数百しかないわけです。中央銀行があって、百五十ぐらいの市中銀行、あと幾つかの特殊銀行があるわけですから、そんなに数が多いというわけではない。ただ、それぞれが皆特徴を出さないから金融サービスが活性化しない、したがって商売が伸びない。これはもう変わるべきものなのです。私は楽観的ですがと申し上げる以外はございません。
○岩國委員 最後に、両参考人にお伺いしたいのですけれども、年号制度ですね。グローバル、グローバルと言いながら、日本は昭和とか平成というのを使っておりますけれども、いよいよビッグバンということでもって、これはもう世界じゅうグローバルに取引をし、そしてグローバルな検査体制、あるいはグローバルなコンファメーション、確認書を出すということになれば、日本だけが世界に通用しないものを使っているということは、取引上も事務的にも非常に負担がかかるのじゃないかというふうに思います。 グローバルといって、洋服を着ながら何か草履を履いて国際空港に行くような感じがしないでもないわけですけれども、そうした事務的な負担あるいはそういった世界的な整合性という点から、この西暦年号というものを国際取引については原則とする、あるいは併用するにしても必ず西暦年号を使うということに切りかえるべきだと思いますが、八城参考人に御意見を聞かせていただけませんでしょうか。
○八城参考人 御意見のとおりですが、実は西暦についても問題がございまして、御承知かと思いますが、二〇〇〇年になりますと、すべて一九〇一年からのことを変えないと、エレベーターから何から全部とまってしまうという心配があるのですね。アメリカの金融監督当局は、非常にやかましくすべての金融機関に対して早く二〇〇〇年対策をしろと言っているわけで、これは銀行に勤めている者としての意見ではありませんが、両方を国内で使っていることは必ずしも悪いと思っていないのです。つまり、そういう使い分けができる能力というのは人間としてなかなかいいものであって、文化としてもいいと思っているのですが、国際的取引はおっしゃるとおり西暦しか使えないというふうに思いますから、それはそういうふうに変えるべきだというふうに思います。
○原田委員長 それでは、これにて質疑を終了させていただきます。 参考人各位におかれましては、御多用中のところ御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。 この際、暫時休憩いたします。 午後零時三十分休憩 ────◇───── 午後一時五十分開議
○原田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 午前に引き続き、税制及び金融問題等に関する件について参考人から意見を聴取いたします。 ただいま御出席いただいております参考人は、21世紀政策研究所理事長田中直毅君及び南山大学教授野田宣雄君の両君であります。 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。両参考人には、ビッグバンを前提とした二十一世紀に向けての我が国の金融・経済システムのあり方につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の順序は、午前と同様、両参考人にそれぞれ二十分間程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。 御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、田中参考人からお願いいたします。
○田中参考人 本日は、二十一世紀にかけての経済課題についての見解を述べる機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。 きょうは、いわゆるビッグバンと税制との関係を中心にお話をさせていただきたいと思います。また、税制の議論をするときには当然高齢化社会というもう一つの我々にとっての課題がありますので、それとの関係も触れてみたいと思います。 今回、ビッグバンがいよいよ実施されようとしているわけですが、このことの意味はどこにあるのかということです。もちろん人によっていろいろな解釈の仕方があると思いますが、私は、日本の資本市場が、今まで例えば経済官庁を通じて行われてきた産業政策に匹敵することを資本市場という場で実施していく、そういう使命を帯びているからこそ、この資本市場の整備というものを本気になってやらなければいけないだろうと思います。 我々が開発途上国といいますか、おくれてきた資本主義国として先進国を追いかける場合には、青写真がございました。青写真があるときには、大体先進国を見ていれば絵をかけるわけでございますから、それに対してどのように接近方法を工夫できるのか、多少上手下手はございますが、大体絵はかけたわけでございます。ところが、今日我が国の置かれた地位を国際的に比較してみますと、ドル建てで見て所得も平均賃金で最も高いところに来ているわけでして、新しい産業とか新しい経済活動の模範なんというものはないという世界に入っております。したがいまして、かつてのような経済官庁を中心とする産業政策はもはや不可能になりましたし、行政改革委員会で各経済官庁をいろいろヒアリングしてみますと、もはや自分たちが青写真を提示して民間企業を誘導しようという気持ちは毛頭ありません、もはやそんなことはできなくなっていますという答えが返ってまいります。 そうしますと、我々は、そういう時代にどこを土俵にして新しい経済活動というものを築き上げていくかということですが、資本市場という場における個々の企業の評価というものを通じて増資ができたり、新しい時代に資本を調達して新しい投資機会というものにファイナンスをつけるというのは、これは資本市場が土俵になりますし、また、ある企業が自分の持っている経営資源だけにこだわっていたのでは新しい時代に対応できない場合には、他の企業を買い取るということが極めて重要になるわけです。特に、新しい産業のパラダイムが登場するようなときには、急速に現実とみずからが持ち得ている経営資源とのギャップを埋めなければいけませんから、これはマージャーズ・アンド・アクイジション、MアンドAという形で、企業買収を通じてでもそのギャップを急速に埋めなければいけないというときがやってくるわけでございます。 そうすると、これはどういう土俵で行われるかというと、キャピタルマーケット、資本市場というところで行われるわけです。したがいまして、この資本市場というところは公正な価格が形成されなければなりませんし、また、資本市場の厚みというものが極めて重要になってくるわけです。そういう時代にあって、今我々が当面している、日本経済が当面している資本市場の現状はどうかといいますと、大変つらい現状でございます。 例えば昨日の東京証券取引所の第一部における売買高は、四千五百五十億円ぐらいでございます。この四千五百五十億という金額は何を意味しているかといいますと、とりたててきのうが少なかったわけでなくて、大体四千億程度の日が多いわけですね。これはどういうことかというと、マーケットとしてほとんど機能していないということを意味します。 例えば私が大きな生命保険会社のファンドマネジャーで、ポートフォリオといいますか、証券の株式持ち分を持っているといたします。自分が比較的うまく安値で買って、いいところに来たな、ファンドマネジャーとしてはそろそろ利がとりたいな、売りたいと思いますね。それが例えば一応そのときついている価格で勘定してみると、三十億円ぐらいに相当するといたしますと、今売れるか。ファンドマネジャーとして、資産運用家として、背後にインベスター、投資家がいるわけですが、彼らの熱い思いを受けて私はファンドマネジャーとして振る舞っているわけで、いいところで売りたいわけですが、今言いました東証一部で四千億程度では、三十億の一銘柄売りますと、マーケットにインパクトが出ます。要するに、値が下がってしまうわけです。 そこで、今どうやっているかというと、販売計画を立てるわけです。三カ月とか六カ月の販売計画を立てることが決して珍しくはない。ちょびりちょびり売っていかないと、売り始めると値が下がってしまう。普通これは青果市場でもあるいは魚市場でもそうですが、だれかが買い始めたら値段が上がるとか、だれかが売り始めたら値段が下がる、小さな小舟が一隻着いて魚がおろされたら値段が下がり始めたなんというのは、これは相当廃れマーケットでございます。だけれども、現在の東京証券取引所はその廃れマーケットでございまして、ここにおける値づきは極めて悪い。そういうマーケットです。 したがいまして、資産運用がこれだけ重要だと世間一般では言っているものの、東京証券取引所は当てにならないというマーケットに既になっているわけです。これほど厚みを欠いてまいりますと、冒頭申し上げましたように、今後、かつての産業政策と言われるものがキャピタルマーケットを通じて行われるということになりますと、このキャピタルマーケットの実態は恐るべく貧しい状態にあるということを意味いたしております。 そこで、どうしても我々のマーケットをもっと厚みのある、そして効率的な取引が行われる効率市場、経済学者は効率市場という言葉を使いますけれども、そういうエフィシャントマーケットというものを形成して、我々の産業社会のあすを展望できるだけでなくて、そこで資金調達ができたり、あるいはMアンドAを通じて新しい企業の取り組みができたりという必要がある。 そのように考えてみますと、グローバルスタンダードに近づけるということは実は何かといいますと、我々のキャピタルマーケットが効率市場になるということになります。それはどうすればいいのかということなんですが、すぐ考えられますことは、有価証券取引税あるいは先物取引における取引所税というものが取引コストとして左右していますから、取引コストというものが明示的にあり、しかもそれがかなり高いという場合には、これは効率市場の形成ができません。そういう意味では、我々がキャピタルマーケットというものに頼りながら、そこにおける公正価格の形成、効率的な市場があるということを前提に前に進まざるを得ないということからいきますと、有価証券取引税と取引所税は撤廃していただくということが極めて重要ではないかというふうに思います。 それから、ビッグバンが進展してまいりますといろいろなことが起きますが、まず、金融機関相互の競争になります。そこで何が起きるかということでございますが、株式持ち合いのうち金融機関が保有しています株式の市場への放出がかなり進むと考えられます。それは、個々の金融機関が自分が株主持ち分として預けられているものをできるだけ効率的に使用しないと、あすを形成することができませんし、マーケットで排除されることになりますから、ここでは、もし株式持ち合いで資本効率の悪い株式取得をしているということになりますと、これはやはり経営者としての責任が果たせません。これは銀行についても保険会社についても言えるでしょう。したがって、彼らは、恐らく時間をかけてではありますが、持ち合いの解消に入らざるを得ない。そうした事情はやがて事業会社、これはもう相互の問題ですから、事業会社もまた持ち合いの部分を解消してくるということになるでしょう。 そのように考えてみますと、それを受けて立つのは投資信託であったり年金基金であったりするわけですが、我が国の場合は個人の持ち株比率というのは御存じのように余りにも低いわけでございまして、個人が持っています預貯金というものの比重が御存じのように大変高い。千二百兆円のうち半分近くが預貯金だということを考えてみますと、これが個人の株式保有という形に取ってかわるはずでございます。そういう潜在的能力があるわけですが、そこを十分に用意しませんと、我が国の資本市場はビッグバンのもとにおいても十分機能しないというおそれがあるわけです。そういう意味では、個人株主の育成というのは極めて重要でございます。そういう意味では、現在配当に法人税と所得税が二重にかかっているわけでございますが、こういう状態に置いておいたのでは個人株主の育成に極めてぐあいが悪いということになります。 今、企業とはだれのものかということが議論されていますし、企業統治ということが大きなテーマになってきているわけですが、大きな流れからいきますと、企業は株主のものであるということだろうと思います。株主総会において代表取締役が株主にあいさつするときに、日本では通常の場合、我が社はというふうに言うようですが、アメリカの株主総会では、経営者は株主にユア・カンパニー、あなた方の会社というふうに呼びかけております。これはまさに企業とは株主のものなのだということになります。 その企業は株主のものだということを前提に考えますと、確かに法人税と所得税が二重にかかるというのはいかがなものか、今後のあるべき姿からいくとそれは違うのではないかというふうに私は感じております。したがいまして、キャピタルマーケットにおける持ち合いのほぐしの下支えとして個人株主がいるというだけではなくて、今後のコーポレートガバナンスのもとにおいても、私は二重課税の問題というのは本格的に議論されるべきだというふうに思います。 そして、ビッグバンと同時に、この間、国会において純粋持ち株会社を活用すべしということで法案が通りました。これも恐らく、今後の二十一世紀をにらんだ産業社会を考える場合に、持ち株会社を通じてのリスクの遮断とかあるいは柔軟な企業経営のあり方というものが非常に有益であるというのが国会における我が代表者の皆様方の判断であったろうと思います。しかし、純粋持ち株会社をそういう経済活性化のために使おうといたしますと、現在では資産譲渡益課税問題がございますし、土地にかかわる登録免許税問題があります。 すなわち、税が存在することによって経済活動にゆがみが生じている。本来あるべきであろう経済を活性化するために純粋持ち株会社を活用しようとしても、例えば工場とか支店をそのまま子会社にしようとしますと、簿価と時価との間の資産譲渡益に関しての課税は、今のままですと免れないということだろうと思います。 たまたまNTTのいわゆる分離分割の場合は法律を通じて分離いたしましたので、この点についてはこれは特別の問題だということで、譲渡益課税問題と登録免許税の問題は国会の場でここはちゃんと処理されたわけですが、今純粋持ち株会社を使おうとしても、現在の税制はその実施を阻んでいる可能性が強いわけでございます。 きょうここで申し上げたことは、有価証券取引税も取引所税も取れなくなる、法人税と所得税の二重課税も反対だ、それから譲渡益課税それから登録免許税についても今の形で取ってはまずいということになりますと、じゃ税金は取れなくなるのか、ひどいことになるなということでございますが、私は、それはしかし、我が国で必要な政府の活動をファイナンスするための税金はどうしても必要だ。当たり前の話ですが必要なんで、じゃそれはどうやって取るのかという問題があります。私は、これは納税者番号を入れて総合所得課税というものを本格的に行う必要がある、それを前提に考えるべきだというふうに思っています。 この点に関係してでございますが、納税者番号というのは反対されている人が現実に多いことは事実でございますので、そんなことを国民に国会の先生方が諮れるのかという懸念をお持ちかと思いますが、私は、もう一つの高齢化社会というテーマを考えてみますと、高齢化社会において自己管理、自分ができることは全部自分でやるということを前提に、そのかわり自分の生活設計というものも自分でできるだけできやすいように設計するということを考えてみますと、年金の問題というのは極めて重要でございます。 今後年金のあり方は、自分で生活設計ができるように、自分が積み立てておいた部分は、それが価値がふえるということも含めて究極的には自己責任ということになりますし、そういう意味で個別個々に年金勘定というものが存在するという形にする必要があろうかと思います。そうした個人年金勘定というものを考えてみますと、一人一人にそうした番号が必要なことは間違いありませんし、もう一つは、介護給付とそれから医療、年金の問題がございます。 例えば介護を受ける状態になった場合に、年金は健康な人と同じだけ要るかどうかというふうに考えてみますと、自分が介護を受ける状態になった場合にそれはちょっともらい過ぎといいますか、一方で介護を受けていて年金だけ残っていく ということになりますと、その年金というのは一体だれが使うのだという話になるわけで、ここは併給調整。要するに介護を受ける必要が出てきた人には年金は少なくとも満額は要らない、まあ全部とってしまうかどうかというのはこれはまさに判断でございますが、少なくとも満額は要らない。この併給調整が必要だろうと思いますが、この場合も年金受給のところでやはり年金番号を使う、あるいはもう少し広く社会保障番号と言ってもいいわけですが、そういう問題を新しい高齢化時代にはやはり入れざるを得ない。 それから、年金の合理化の問題もあります。所得の高い方で二十五年Aという事業所に勤めていて、またBで十五年とか、年金を非常にたくさんもらわれる方があるのですが、これも公平からいっていかがなものかなというふうに、あるいは今の財政状況からいってもどうかなというふうに思いますけれども、そういう場合でも社会保障番号というものが不可欠になろう。 私は、納税者番号と社会保障番号というのは高齢化社会において不可欠なので、それをいわば一本化する形での、それは社会保障番号と言おうとも納税者番号と言おうともいいのですが、その番号が必要になってきているという前提で、総合所得課税ができる仕組みをやはり導入すべきだ。もちろんその場合の税率は高いと相当問題が起きますので、総合所得課税の場合の、ちゃんと所得が把握できるという場合になったときの所得税率は下げられてしかるべきだと思いますし、また所得のベースが広がっていますから下げられると思いますけれども、そうした形で新しい時代の設計に行かざるを得ないのではないかというふうに思います。 そういう意味において、ビッグバンを中心にしてグローバルスタンダードというものが入る、そしてそのもとにおいてどうやって産業社会を展望するかということになりますと、公平で中立て簡素な税制を同時に設計していくということが極めて重要ではないかというふうに思います。そういう意味では、国会の審議は純粋持ち株会社を活用すべしということでございますし、恐らく銀行法や証取法の改正も今後行われるということだろうと思いますが、あわせ税金の問題も公平、中立、簡素を旨として設計し直されるべきではないか。その場合に、納税者番号の導入は私は不可欠ではないかというふうに思っております。(拍手)
○原田委員長 ありがとうございました。 次に、野田参考人にお願いします。
○野田参考人 ただいま御紹介にあずかりました野田でございます。 最初にお断りしておかなければいかぬのですが、私は経済の専門家でございません。税制に関しても金融に関しても全くの素人でございます。ただ、こういう席に私をお招きいただいたということは、二十一世紀にかけての我が国の金融経済システムというふうな問題も、単に経済学的な狭い視野からでなくて、もっと大きな歴史的転換の文脈の中でとらえる必要があるという思いが委員の方の中にも多少はあったかと思います。 そこで、少し大ぶろしきを広げますし、また、その程度のことはすべて前提にしてこの委員会の議論はなされているというふうに言われればそれまででございますが、今我々がどういう歴史の大きな転換期に生きているのか、特に、我々がもう当然のごとくみなしている近代の主権国民国家というものがどういうふうに変わろうとしているのか、そういうことの中で金融・経済のシステムも考えていただくというふうに話を運びたいと思います。 私、少し大げさな言い方ですけれども、今、日本は近代史に入って第三番目の大きな転換期に差しかかっていると思いますね。一つは、言うまでもなく黒船が来てから明治維新に至るまでの十五年間の転換でございますし、第二の転換は、満州事変あたりから始まって第二次大戦の敗北に至るやはり十五年間ぐらいの大きな転換があったのですが、それに続く第三の転換期に我々は今差しかかっていると思います。しかも、前二者に比べて、我々が今直面している転換期への対応ははるかに難しいと思わざるを得ない。その一つは、国民国家という枠組みそのものが揺らぎっっあるということが一つの理由でございます。 明治維新のときは日本は三百の藩に分かれておりましたけれども、ヨーロッパ諸国、例えばドイツとかイタリアという、同じころにネーションステート、国民国家に生まれ変わった国に比べますと、もともと国としてのまとまりが比較的よかった。そのことがネーションステートに生まれ変わることを容易にしたわけですし、それから第二次大戦が終わったときは、敗戦というショックはありましたけれども、もともとネーションステートという枠組みの中で日本の再出発ができたわけですから、これも戦前の枠組みをほぼそのまま受け継ぐことができたわけですね。 ところが、今我々が直面しているのは、そういった近代史のネーションステートそのものの枠組みが揺らいでいることに対してどう対応すべきかということを迫られているわけですね。これには、今田中さんもおっしゃったように、模範とかモデルがないということも非常に対応を難しくしております。明治維新のとき、我々の先輩たちは海外へ出かけていって学ぶべきモデルをそこに見出し得たわけでありますが、今日、国民国家の基礎が揺らいでいる状況にどう対応するかというモデルというふうなものがあるわけではないわけでして、この二点からかんがみましても、私は、今の第三の転換期というのは我々にとって非常に難しい状況だと思います。 今私は何度もネーションステートといいますか、国民国家の枠組みが揺らいでいるということを申しましたが、なぜ国民国家の枠組みが揺らぎ始めているのかということは、多くの人が指摘しているいわゆるグローバル化という状況、特にコンピューター、情報技術の発達に結びついてグローバル化が進展して、特に領土というものの持つ意義が相対的に後退している、減少しているということが大きいと思います。 近代の主権国家は、税金を集める徴税権を初めとして、防衛の問題にしろ、その他もろもろの主権の行使というのは、明確に国境によって限定された領土というものを前提にしてそういった主権というものが行使されてきたわけですね。ところが、今日のように、多国籍企業が常識となり、国際金融市場も昼夜二十四時間、文字どおりグローバルな規模で大量の資金が動いているというふうな状況になってきますと、そういう領土を前提として主権を行使するということが大変難しくなってきております。 我々振り返ってみますと、日本人は、まず明治維新から第二次大戦ぐらいまではナショナリズムの教育というものを強く受けてきて、第二次大戦後はナショナリズムの教育というのは行われなくなりましたけれども、戦前のナショナリズムによって養われた我々のネーションステートとしての存在というものを前提として高度経済成長というものを遂げることができ、そこから上がる利益をもって福祉政策を充実するという、いわゆるケインズ的福祉国家というものを実現してきたわけですね。ところが、今私が申し上げたようなグローバル化の進展によって、そういった国の単位で経済を運営して福祉政策、社会政策を充実させていくというケインズ的な福祉国家というものが今や終わりつつあるというふうに考えざるを得ないのですね。 そういうことを、これはフランスのミシェル・アルベールという、日本でも翻訳が出ている「資本主義対資本主義」という書物を書いた人物でありますけれども、この人などはもう少し別の立場から、米英型の資本主義とライン型の資本主義の対立というふうにとらえております。今グローバル化が進展しておりますが、これは単に経済の自然な趨勢だけによるのではなくて、そこに、米英で一九八〇年代、レーガン、サッチャー以後強まってきた一つのイデオロギーというものがそれを促進する役割を果たしているというふうにアルベールたちは考えるわけですね。 一口で言いますと、そういった米英型の資本主義というのは、資本主義の企業活動においては資本に対するリターンというものをあくまで基準にしていくべきであって、社会に対する利益の還元というふうなことは市場の合理的なルールを乱すものであるから考慮すべきではないということを言うわけですね。そういった市場のルールに任すことによって、人々の生活も全体として豊かになるというのがこのイデオロギーの説くところなんです。 それに対して、ライン型資本主義という、ラインというのはドイツのライン川のラインなんですね。西ドイツで特にこの資本主義というものが最もうまく花咲いたという意味でライン型資本主義という言葉が使われるのですが、これは前世紀のビスマルク以来、資本主義というものは、常に企業の利益の社会的な還元というものを伴った資本主義でなくてはいけないという伝統にのっとった資本主義なんですね。これが今ヨーロッパ大陸で米英型の資本主義が上陸してきて脅かされている。最近のフランスの左翼の勝利というふうなものも、ある種のこういった米英型の資本主義に対するライン型資本主義の一時的な反撃というふうに見ることができるわけですが、そういうふうな見地からも今我々を取り巻いている状況をとらえることができます。 しかし、二十一世紀にかけて、長期的に見れば国家の経済的な役割が後退していくこと、そして国家を超えたグローバルな市場原理にできるだけ多くのものを任せざるを得ないというこの趨勢は、私はとどめようがないと思います。ただ、今申しましたように、一方で我々、日本もそうなんですけれども、ライン型資本主義というものを経験した後でありますから、そういったグローバル化の傾向に対しては、最近のフランスの左翼の勝利よりももっと激しい政治的なリアクションが起こり得るということも考慮の中に入れておく必要があるわけであります。 いずれにしましても、今我々が直面している状況というのは、数千万、あるいは日本で言えば一億ぐらいですけれども、そういった規模の人々が文化的、言語的に同質な国家を形成しているという、そういう経済的なメリットというものが失われつつあるという状況だと見ることができます。 ここで私が強調したいのは、これからの金融とか経済のシステムを考えるときに、単に経済の枠組みの中で考えていただくのじゃなくて、こういった状況というものは人々のアイデンティティーの危機といいますか、わかりやすく言えば、自分はだれか、我々はだれかという問いを人々に突きつける状況を生み出しているわけです。 今まで戦前の日本人は、もちろん我々は、おまえはだれかと言われれば、我々は日本人であると。戦後の日本人も、高度経済成長というものを遂げてさまざまの社会政策、福祉政策の恩恵を受けるようになってからは、そういったものとしての日本に帰属意識を持って我々は日本人だと答えることができたわけですね。しかし、今のようなグローバル化の状況というのが進んでくる中で、おまえはだれかと問われたときに、果たしていつまで我々は日本人だというふうなアイデンティティーで人々が安心できるかというと、甚だそれが疑問になってきているというのが今の状況であります。 逆に言えば、ネーションステートにかわる何かブイといいますか、つかんでいたい帰属対象というものを求める、そういう心理が強まってくると思います。そこに、最近いろいろな人が指摘しているネーションステートよりももう一つ上といいますか、もっと大きな枠組みとしての文明であるとか帝国であるとか、そういったものが人々の帰属対象として意味を持ち始めているということがありますし、他方では、これは日本の沖縄問題にも関連すると思いますけれども、ネーションステートよりももう一つ下の、より小さな帰属対象として地域とかエスニシティー、今日ではエスニーという言葉が普及し始めておりますけれども、エスニーといったものに人々の帰属の対象が移るという傾向が生じているわけであります。 その中でも特に、ハンテントンというハーバード大学の政治学教授の「文明の衝突と世界秩序の再編成」という昨年出ました書物は注目すべきものを含んでいるわけであります。これは皆さん、かつて彼が一九九三年に「フォーリン・アフェアーズ」に書きました論文で御承知かと思いますけれども、これからの世界というのは文明を単位として秩序が形成され、かつ西欧文明と中国、イスラム文明の間に文明的な衝突が起こるという説をとっているのです。その中には、書物になった方を見ますると、二〇一〇年の一つのシナリオ、これはプロバビリティーは低いけれどもポシビリティーとしてはある、蓋然性は少ないけれども可能性としてはあるという断り書きのもとに立てているシナリオなんでありますけれども、アメリカをコアステートといいますか、文明はそれぞれ中核になる国を持っているわけでして、西欧文明のコアになる国というのはアメリカである、他方、中国文明のコアになるのは言うまでもなく漢民族の中国である、アメリカと中国をそれぞれコアステートとする文明間の戦争が起こるということを言っております。 その場合には、日本は中国側につくであろうというふうなことも言っているわけですね。これは少し大胆に過ぎるシナリオでありますけれども、確かにそういった文明間の対立というのが我々の周辺で形成されつつあって、それに対する日本の対応というのは大変微妙で難しいということを我々知っておく必要があるわけです。 間もなく香港が中国に返還されますが、これを契機として、例えば香港、台湾、あるいは福建とか沖縄とか、そういったものを含めた国境を超えた経済圏というふうなもの、国会でも官房長官が蓬莱経済圏という言葉を使ったそうでありますけれども、そういったものが形成される可能性もあるわけですね。そうなってくると、私が先ほど来申し上げているネーションステートという枠組みというのがますます怪しくなってくるということにもなるわけであります。 いずれにしましても、私が言いたいのは、今や我々が国民国家というものを考えるときに常識としてきた、国家が経済活動に介入して社会政策、福祉政策を充実させていくという、そういう意味での、ソーシャルステートといいますか、社会国家としての国民国家あるいは経済、福祉に介入し干渉する干渉国家としての国民国家というものは衰退しつつあると見ざるを得ないのです、グローバル化の傾向の中で。 それにかわって、今後の国民国家というのはどういうふうなものになっていくだろうか。かつてビスマルクが社会政策を導入する以前に、ラサールという有名なドイツの十九世紀の社会主義者がおりまして、これが少し皮肉を込めて、今の国家は夜警国家だ、夜回りの国家だということを言ったんですね。社会国家、干渉国家としての性格が国民国家から薄れますと、ある意味ではそういうラサールが皮肉った時代の国家に戻りまして、夜警国家的な性格というものが出てくるかと思います。これは広い意味での夜警国家でありまして、人々の安全を夜回りをして保障する、そういう国家という意味なんですけれども、経済面では、経済そのものに積極的に介入していくのではなくて、市場における公正な競争というものが行われるためのルールづくりというようなことにこれからの国家の役割は限られていくかと思います。 ただ、私が先ほど来申し上げた、今や国民国家は衰退して、文明とか帝国とかエスニーとか地域とかいうものがどこでも意味を持ち出している。例えばイギリスの場合ですと、最近、ブレアの労働党が勝ちましたけれども、その一つの重要な主張は、スコットランドとウエールズというもともとケルト人である地域に別個の議会の開設を地域の投票を経た上で認めるかどうかということが選挙における重要な項目の一つだったわけですが、そういうことを見ても、一方でそういったエスニー、地域の意味が増大しているわけです。 しかし、日本の場合は一世紀余り、ヨーロッパでいっても二世紀、三世紀と続いてきた国民国家、ネーションステートというものがアイデンティティー帰属の対象として全く意味を失っていくわけではない。ただ、ではネーションステートのアイデンティティーを持続させるために、かつてのナショナリズムの教育に復帰すれば足りるかといえば、そうではないのであって、むしろ私が申し上げた他のレベルでのいろいろな帰属対象、宗教とかあるいはエスニーとか、そういったものによって補完された形でしかネーションステートは帰属対象としては生き延び得ないのではないか。つまり、これからの我々の一人一人のアイデンティティーカードというのには、日本人というアイデンティティーのほかに、どういう宗教に属しているか、あるいはどういう地域共同体に属しているかという別のアイデンティティーの組み合わせがなければ、我々一人一人の帰属の安定感は得られないというふうな、そういう時代に向かっているのではないかと思います。 経済社会の面で見ましても、国家の介入度が低くなってくれば、それを補う、言いかえれば競争によって生ずるさまざまのひずみを是正する役割というのは、国家以外のさまざまな組織体、共同体によって担われる必要があるわけです。レーガンが八〇年代に登場したときに彼が掲げたことは、マーケットとコミュニティーである。つまり、市場の原理に任せると同時に、コミュニティー、宗教であるとか、小さくは家族であるとか、地方共同体であるとか、そういったものの意義を一方で彼は強調しながら登場してきて、その傾向というのは今も続いているわけですね。 そういう意味では、私はこの委員会で金融経済のシステムというものを考えていただく場合に、確かに、さまざまの規制を緩和して国家の経済的な役割を後退させ、介入度を減らすということは重要ですけれども、それを補完するコミュニティーの役割というものを日本ではどこに求めていくのか。つまり、そういった点で、我々は、アングロサクソン諸国に比べると、明治以後、国家というレベルにすべての問題を余りにも集中せしめたために、それ以外の、国家が衰退したときにそれを支えるコミュニティーの役割というものを十分認識してこなかったという気がしております。 ですから、経済の問題も、そういった人々のアイデンティティーなりコミュニティーの役割というものと相互の関係で考えていただくという必要があります。これは一朝一夕にできることではないのですけれども、我々が明治以後、余りにも東京中心にすべてを考え、国家というレベルに問題の解決をゆだね過ぎた、そういうことに対する新たな対応をどこに求めていくか、そういう問題なんです。そういうこととの関連でお考え願いたいと思います。 どうもちょっと緊張して余りうまくしゃべれなかったですが。(拍手)
○原田委員長 ありがとうございました。 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。 ─────────────
○原田委員長 これより質疑に入ります。 発言は、自席から着席のままで結構です。 まず、村上誠一郎君。
○村上委員 最初に、野田先生、田中先生、お忙しいところ本当にありがとうございました。非常に示唆に富むお話でございました。 まず最初、野田先生にお伺いしたいのですが、野田先生のお話は、多分、今、日本は第三の波である。その波は何であるかというと、経済のボーダーレス化、グローバル化である。そのために、物、金、人、犯罪までが国境を超えて動き出した。一番最初に来たのが日本では農業であろう。その次に来たのが製造業であろう。そして今、まさに金融業界に来ている。今、ボーダーレス化、グローバル化によって国内で何が起こっているかというと、ビッグバンと言われている規制緩和、構造調整、価格破壊。その後何が出てくるかというと、勝ち組と負け組がはっきりするだろう。はっきり言えば、弱肉強食の時代が来るだろう。そのときに、今日本は約八割が中流階級であるけれども、その中流階級の崩壊の危険性もあるだろう。そういう中で、特に金融機関におけるホワイトカラー層の打撃が一番大きい危険性があるのではないかなという話だと思います。 特に、最後に言われたように、その根底に流れている価値観の対立は、英米型の資本主義というのは、とにかく自由主義経済がすべて善である、だから一部の資本家や一部の投資家が丸々太って構わない。片やライン型資本主義というのは、日本も含めて、企業は、確かに利潤は追求するけれども、やはり社会保障や雇用を含めて社会的責任を負うべきであるという価値観が根底にある。 そういう中で、私自身感じますのは、まず、日本は明治以来、貧しいながらも肩を寄せ合いながらそれぞれの分野がお互いに発展してきて、今日の経済大国になったわけでありますけれども、私自身、アメリカの国民にとって、実はこういう英米型の資本主義の価値観というのは本当に幸せなんだろうかと。それはなぜかといいますと、アメリカに行くたびに、メキシカンだとかいろいろな人を雇うから、アメリカのホワイトのホームレスがふえている。アメリカにとっても、アメリカの国民にとっても、この価値観は私は本当に幸せな価値観なのかなという疑問を持っております。 特に、昨今の国会を見ておりますと、このままいきますと、先生も言われたように、世界に通用する勝ち組を多くっくらなければ、それは確かに日本は生き残れないわけですけれども、果たして強きを助け弱きをくじくことばかりやっていていいのだろうか、それを最近私はこの国会において感じます。 そういう中で、まずお聞きしたいのは、確かに経済的世界史的趨勢ではあるのですけれども、日本は、もっと橋本総理は、例えばアジア型の民主主義というか資本主義というのがあっていいのじゃないか、何も欧米型の資本主義、民主主義がすべて理想じゃないんだということを私は主張すべきだと思うのですが、その点に関する野田先生の御見解をお伺いしたいと思います。
○野田参考人 今のグローバル化の経済に適応するという必要は、要するに今のグローバル化がなぜ起こっていくかというのは、日本の場合でも企業が中国なりベトナムなり東南アジアといったところへ進出していく、つまり経済や賃金等生活水準の低い国に資本、企業というものが進出していく、そういう今までの傾向というのは、これはあらがいがたいものがあると思いますね。アメリカという国は貧富の差が激しいのですけれども、ある意味では第三世界を自国の中に持っているというふうな国なんですね。日本というのは、つまり日本の中は中産階級で、結局、より安価な、コストの安い企業活動をするためには外へ出ていかなくちゃならぬ、そういう関係にあるわけですね。 ただ、今の、最後に言われたアジア型というふうに言われると、これはまさしくハンテントンが、私はハンテントンのわなというふうに言っているのですけれども、ハンチントンの論文なり去年出た書物を読みますと、日本というものの動向を非常に注意しております。これは結局、日本というのは西欧文明の側に立つのか、中国文明の側に立つのか、そこが非常に微妙だというふうに考えております。そして、もしも文明間の衝突が生ずれば、強きにつく日本は今度は中国につくだろうということを言っているのですね。 そこで、私は、ネーションステートの衰退の中で、東アジアにおいてそういう文明の衝突というふうな傾向を阻止するためにも、つまり日本がアメリカ型の、西欧流の人権思想というものから離れてしまうということは非常に危険だと思いますね。 ただ、そういう人権とか自由とかいうふうな問題も、このごろアメリカで出ます書物というのはコミュニティーと自由とか、そういう表題の書物が多いのですね。つまり、我々はこれまで、人権とか自由とかいうのを考えるときには、国家というものを対極に置きまして、国家の肥大化によって個人の自由や人権が侵される、そういう意識で論じてきたのですけれども、これからネーションステートというものが衰退していき、それにかわるコミュニティーの役割が大きくなってくると、そういうものに対して個人の自由、人権というものをいかに守っていくかということが大変重要になってくると思うのですね。しかし、そこを日本人は飛ばしてしまってはだめなんで、つまり、アジア型のさまざまの人的結合関係がありますが、そういうものの中に日本人が完全に埋没してしまうというのは、これは私はとるべき道ではないと思いますね。西欧文明、アジア文明の両者にまたがるようなというふうな安易な言い方ではなくて、つまり、文明的な対立がこの東アジアで起こらないようにするという以外に日本人の生きる道はないと思いますね。
○村上委員 どうもありがとうございました。 次に、田中先生にお伺いしたいと思います。 田中先生は主に税制に観点を置いてお話しいただいたのですが、先生は非常に世界的視野の方だと思いますので、ちょっと大きい問題をお聞きしたいと思います。 今お聞きしましたように、確かに今度のビッグバンというのは、日本が二十一世紀に入っても世界に通用し、影響を与えることができ、一流国として生き残るためにしなければいけないという感じで始まっているわけですけれども、私は今回、日本の行き詰まりは経済の成熟化にあったと思うのです。一つは高齢化、一つは資金余剰の時代である、それから三番目は、今言ったボーダーレス化。 特に資金余剰の原因は何かというと、日本が戦争に負けたとき、一般国民のお金を集めて経済の復興のためにいろいろな産業に効率的に回していった。だから、一般の人たちは、預金におけるリターンではなくて、そのお金を経済の発展に尽くすことによって経済が発展した、その効果として賃金が上がっていった。ところが、トヨタのように自己資本でできるようになりながら、残念ながら金融のシステムが変わらないでこのままきたために、本来は、今言われたように、預金とかそういうもののリターンが効率化によってもっと返ってこなければいけないのに、低金利政策でやってリターンは全然来ない、それに今大きな原因があると思うのです。 ただ、私自身、一番懸念しているのは、今一千二百兆円と言われているのですけれども、日本全体として一千二百兆円あるというために、まだまだ危機感がないのじゃないかと思うのですね。特に、私は、しょせん人間というのは遺伝子を運ぶビークルというか、乗り物じゃないかと思うのですね。 なぜこういうことを言いたいかというと、これからいよいよ日本が、今言ったアングロサクソンだとかユダヤとか華僑とか印僑とか、そういう人間とこのボーダーレス化の中で戦っていかなければいけない。特に私は十一年間大蔵委員会に所属していろいろ勉強して感じるのは、やはりそういう人たちは、日本人が及びもつかないような新しい商品をどんどん開発してくる。言うならば、彼らは子供のときから毎日ばくちのような、そういう経験や仕事をしてきているのじゃないか。ところが、日本の銀行というのは、大卒の人でもとにかく体力勝負で、差別化のない商品を体力に任せて量でこなしてきたというところがあるのですね。その上に、アメリカのように最強の軍事力を持ち、基軸通貨を持ち、そして情報を独占している国に本当に日本人がこのビッグバンをやって勝ち残れるのだろうか、それを私は非常に懸念するのですけれども、先生の御見解をお伺いしたいと思います。
○田中参考人 我が国において、金融取引手法が他の国に比べておくれているという意識が出てきたのは、そんなに古いことではないというふうに思います。今、日本経済史をやっておられる学者の方が幾つかの論文を書いておられますけれども、我が国の近世から近代に至る過程において、いろいろと金融取引手法は相当巧緻なものができていた。例えば大阪堂島の米相場というものは、先物決済について大変すぐれた手法を持っていたわけですし、一九七〇年代、シカゴにおいて先物取引を行うときに、大阪堂島の決済手法を勉強した。それだけではありませんが、それも一つの参考にしたと言われるほどのものでございます。 アジアにおいて、華僑と言われる人たちがどんどんいろいろな分野に進出したのですけれども、我が国になぜ華僑の人の影響力が他の東南アジア諸国に比べて低いかというときに、今、経済史学会で言われている議論では、我が国における金融取引手法が最も巧緻なものであって、華僑の人たちがその取引手法になじめない、排除された。要するに制度的に排除されたのではなくて、取引手法の余りの、当時で言うハイテク、先端技術のゆえに彼らは入れなかったのであろうというふうに言われています。 我々は、遺伝子的に言って、そうした極めてすぐれた、自由な経済活動に基づいたいろいろなものを持っていた。大正デモクラシーのときには、まさにそういうものが一度花開いたんだろうと思います。通産省がなくても、鈴木商店の番頭である金子直吉は瀬戸内工業化計画を練ったわけでございます。先生の地元も含めて、瀬戸内の造船から始まって、あるいは重化学工業化と言ってもいいんですけれども、そうしたものをやったのは、当時の役所ではない、あるいは役所の経済官僚ではなくて、鈴木商店の番頭がやった。ただし、いろいろありまして、ファイナンスがつかず鈴木商店は倒産いたしましたが、その後に石川島播磨とか神戸製鋼所とか帝人とか日商とか、そういう幾つかを残したわけでありまして、これなども市場主義というものの中で彼らが磨いたものでございます。 したがいまして、我が国においての自由な取引手法の開発がおくれたのは、残念ながら第二次世界大戦後、余りにも特定の方向に資源を流し込むという手法が定着し過ぎたからだと思います。先ほど野田先生が言われましたように、余りにも国家システムというものに依存し過ぎたがゆえに、もう一つのマーケットメカニズムを磨くことに余りにもおくれをとった。このことが今日、金融ハイテク分野において日本が後塵を拝しているということでございます。キャッチアップに何ぼか時間はかかると思いますが、我々の、あるいは我々というよりはもっと若い諸君でございますが、若い諸君は間違いなく早急にキャッチアップを遂げるのであって、我々は、そういう意味で余りにも経済発展の仕方について特定の仕方に固執し過ぎていた、それが終わった時代もなおそれに固執したということが問題かと思います。 特に、二十一世紀にかけて高齢化社会を迎え、資産運用ということが極めて重要になったときに、この資産運用についてのノウハウというものが民間金融機関あるいは資産運用を担う専門家の間で十分発育していなかったという大変なかけ違いがございまして、これは欧米におくれているということではなくて、我々の内側からの課題上、もう早くこれは取り組みをせざるを得ない。高齢化社会を迎えて、資産運用というこの極めて重要なテーマにもっと早くから当たるべきだったんですが、これが当たれなかったという、そのおくれを今回復しようとしているというのが今回のいわゆる橋本総理が言われたビッグバン、全面的な金融システム改革というものの趣旨だろうというふうに理解しております。
○村上委員 ありがとうございました。 それで、僕は、ビッグバンは金融機関のためや財政のためであってはいけないと思うのですよ。だれのためのビッグバンか、何のためのビッグバンか、そして着地点はどうするのか。ところが、やはり日本人の傾向としては、空気で動いちゃうんですよね。政治改革もそうでしたし、行財政改革もそうなんですけれども。これはあくまで消費者というか利用者というか、そのためにやはりきちっとやっていかなければいけないと思うのですよ。 その中で、結局、日本の金融資産は今千二百兆と言われていますけれども、外に出さないようにしてその千二百兆円を国内にとどめておく、それを金融機関が今までの護送船団でやっていく。しかし、残念ながら、私は一番反省しなければいけないのは、批判を受けない業界をつくってしまったことがやはり一番大きな原因だったんじゃないかという気がするのですね。そのために患者の楽園となってしまって、ああいうような金融不祥事をさんざん起こしてしまった。 イギリスの場合は、もうはっきり言って、産業も空洞化し、資金も集まらなくて、ないない尽くしで何とかこれはイギリスの経済を立て直さなければいけない、そのために世界から資金を集めて市場を活性化させて、金融業で経済を立て直そうというのがあのイギリスのビッグバンだったと思うのですね。 ところが、今、日本は一応千二百兆あるわけですね。それで、その堤防を切るわけですよ。確かに外為法の改正というのは時代の趨勢として必要なんですけれども、私が心配するのは、あっという間にソ連が骨抜きにされた現状を見たときに、やはりこの千二百兆というのは、ほかの金融業界から見れば物すごいおいしいというか、ターゲットにするあれだと思うのですよね。ところが、残念ながら、大蔵委員会において外為法の改正をやったけれども、その後のアフターケア、受け皿づくりはまだ全然行われていないんですよね。実際、こういうふうに外為法の改正で、午前中も八城参考人は非常に影響が大だというふうにおっしゃられたのですけれども、田中先生はここら辺の問題についてどういうふうな御見解を持っていらっしゃいますか。
○田中参考人 私も、外為法の改正は極めて重要だと思っております。大きな影響を持つだろうと思っております。ただ、それが例えば日本の職場を著しく減らすとか、日本において資産運用の成果が上がらなくなるとか、そういうことではない。ただ、日本の金融機関、郵貯を除いて金融機関従事者は今二百万人おられます。これは民間部門の、信用金庫、信用組合まで含めてでございますが、この二百万人の金融人口が今のまま残ることは多分ないだろうと私も思います。それはいろいろな意味での近代化、情報通信等も含めまして金融の決済とかいろいろな合理化が行われる可能性がありますし、個人の投資家の便利になるようなシステムが次々に投入されますので、そうした合理化に伴ってこの二百万人の金融人口が十年とか二十年たつとかなり減っているだろうと私は思います。 しかし、そのことは他の業界にもこれまで起きてきたことです。経済の近代化や高度化に伴って一つの非常に定型化された仕事が減ってくるということはこれまでも起きたことでございますので、私は、そのこと自体は別に日本がだめになる兆候でも何でもないというふうに思います。むしろ、外為法の改正を通じて我々がすぐロンドンやニューヨークに円口座を持つ必要があるかどうか。個人がそんな口座を持つ必要は多分ないと思いますが、しかし、例えば我々が年金基金という形で運用を委託しているということを考えますと、ここはやはりちゃんとした運用実績を上げてもらう、年金あるいは私的年金という形で我々が年金を積んでいるという場合には、これは一番効率的な手法で、効率的なところで資産をふやしてもらわなければいけないわけでございまして、それを実現するためには、この外為法の改正というのは、資産運用という点からいって、我々が高齢化社会に今入り始めているということからいうと、極めて望ましい。 ただ、日本で二百万人の金融人口のいすはなくなるだろうということはありますけれども、それは、これまでの日本の経済の高度化で起きているのと同じことが金融でも起きた。金融はそういう新しい変化を生むのをずっととめていたわけですから、それが短期間に起きたとしても、私は、それはやむを得ないことだというふうに思っております。しかし、国民の多くにとっては資産運用の成果が結果として上がるということからいって福音であろうと思います。
○村上委員 ただ、先生、お含みいただきたいのは、確かにブルーカラーというのは私の地元でも、首になっても、友達がやっている会社だとか親戚がやっている会社ということで、再雇用というのは非常にバイタリティーがあるんですよ。ところが金融機関のようなホワイトカラー層というのは、一たんリストラなどで首切られたら、私はなかなか再就職というのは難しいんじゃないかなという気がしました。 次へ行きます。 それで、午前中も議論あったんですけれども、今回のビッグバンの政府案について、公的金融、郵貯とか財投についての改革が含まれていないということに対して質問があったんですけれども、どうも午前中の参考人はバンカーというか実務者の方もいて遠慮していたみたいなので、その点に関して先生の忌憚のない御意見を賜りたいと思います。
○田中参考人 私は、一言で言って公的金融の役割は日本の経済社会の今日からいって終わったんだというふうに思います。むしろ、今後の、二十一世紀にかけての我が国の金融秩序はどうやってつくり上げられるかといったら、収益とそれが持つリスク、収益見込みというものとリスクとの間で、ちゃんとした、その都度納得のいく選択を積み重ねる中でしか新しい秩序はできないし、それに鍛えられることなくして私は新しい仕組みはできないだろうと思います。 先ほどお話ございましたように、我が国は確かに成長率も低下して、いわゆる成熟国の様相を示してきております。しかし、それはどういうことを意味するかというと、我々がたとえ生活を切り詰めて将来のために金融資産を持ったとしても、ほっといてその資産価値がふえるわけではないということを意味するわけですね。低成長ということは結局なかなかお金をふやすことが難しいということですから、そうすると、我々が将来のために蓄えるものの価値が簡単にはふえないということを意味するわけです。ですから、これはやはりそういうことに甘んじていたのではぐあい悪いわけで、どうにかして何とか資産価値もふやさなければいけない。もちろん職場もふやさなければいけない。そういうためにはどういう経済活動が新しい時代の流れになるのか、いろんな見きわめをよくして、そこに本格的に経営資源を充てるということになるわけです。 これは、まだ見ぬあすにかけてかけをすることでございますから、うまくいくものもあればうまくいかないものもあるということは当然でございます。我々はまさに、うまくいくのかうまくいかないのかわからない、そういう意味ではリスクをはらんでいるものに対して耐えるといいますか、それを持ちこたえて次を展望するという力量がないと経済の発展は見込めない。経済の発展がなければ、我々の節約とか我々の勤勉さというものは将来報われないわけです。そのためにはどうしてもリスクというものを経済社会の中でこなす必要があるわけです。 我が国における公的金融は、預金者、貯金する人にこのリスクというものの存在からできるだけ離して何かを与えようとしてきたということがありますし、それから事業者に対してお金を貸す場合も、できるだけその事業者がリスクにさらされないように、例えば長期安定、こういうものを政府系金融機関が提起をすれば、それは事業者のためになることだというみなしでやってまいりました。これは、ある経済発展の段階においては私は決して間違ったことではなかったと思っておりますが、今日の我が国が当面している課題からいきますと、リスクとそれから収益見込みというものについて経済人は少なくとも鍛えられるべきである、一人一人の経済人はここで鍛えられる以外にあすはないということだと思います。 ただ、そうしたら、一々日本国民はみんなそろばんはじいたりリスクの痛みを日々、何か日本経済新聞を読んで毎日株式欄を見ていなければいけないかというのは、そんなことはないわけでして、ちゃんとした運用実績を持っているという点数表がある、要するに投信などは今後はそういうサービスが提供されるでしょうから、百円とか二百円で雑誌を購入して定評のある投資信託というものを購入してそれを持続していれば、何も毎日そろばん入れなきゃいけない、そういう世知辛い世界に住まなきゃいけないということではない。ただ、経済人はやはりリスクの中で鍛えられるべきだというふうに思います。 そういう意味では、公的金融が民間人にそういうセンスを持たすことから、あえて護民間として保護してきた、そのことが今や裏目に出ているというふうに思いまして、公的金融の役割は、私はもはや歴史的に終わったと総括していいと思っております。
○村上委員 ありがとうございました。 ちょっと時間がないので、まとめて二つ質問します。 一つは、銀行の不良債権の処理が終わらないうちに本当の競争を進められるのかという質問に対して、午前中、八城参考人は、不良債権の処理については峠を越したと言うのですが、私は、それでいいのかな。今奉加帳方式で、問題あるごとに奉加帳回して金を集めて護送船団方式の二の舞みたいなことをしているんですけれども、やはり不良金融機関の処理システムというのをはっきりすべきじゃないかなというのが一つ。 それから、先ほどおっしゃられた納税者番号制度と源泉徴収制度をきちっとしないと、結局財政再建の面についてもこれは随分しり抜けになっちゃうんじゃないかな、そういうふうに思うのですが、その二点について先生の御意見を。
○田中参考人 不良債権問題でございますが、私は、こう申し上げるのは大変恐れ多いことでございますが、住専処理の予算、それから政府あるいは国会での審議を通じて、本当に私は明らかにされるべき原則が明らかにされなかったおそれがあるというふうに思っております。 それはどういうことかといいますと、金融機関に破綻が起きる可能性が出たときに納税者のお金が投入されなければいけないときは、これは世界的に見てもいろいろあるわけです。我が国もそういう状態になったわけです。ただし、納税者のお金は、金融機関を救済するのではなくて、預金者の救済を通じて金融システム不安を封じ込めるということでありまして、お金の出先は預金者の保護だということであるはずであったと思います。ところが、住専処理の過程においては、この原則が明らかにされることなく、広い意味で金融機関を救う形でこのお金が使われたということが、原則をゆがめてしまったと私は思っております。 そういう意味において、今後は、昨年金融三法が通りましてそれぞれ対応ができておりますのでいっときよりは事態は好転していると思いますが、ただ、本当に大丈夫なのか、いかなるケースにも備え切れているのかということを聞かれますと、個々に破綻金融機関があることは、もうこれはいろんな人が間違いなくあるだろうと。どこでぼつり、ここでぽつりということはあるんですが、そのぽつりぽつりがぽつりで済めば全く問題はないわけですが、それは金融システム不安というような、あるいは日本の金融機関に対して割り増しの金利を外国の銀行が要求する、あるいはそれをのまざるを得ないというような状況が起きる、まだそういうジャパン・プレミアムというものが拡大する可能性が全くないとは言えない。それは、不良債権処理に当たっての原則が国会の場で明確にならなかったことのとがめを実は我が社会は受けているのではないかと私には思われます。御質問ございましたので、私の見解を述べさせていただきました。 それから、今後の税制について、私は、納税者番号というものを高齢化時代に備えるものとして社会保障との組み合わせでやはり入れるべきだ。そこで、課税される税のベースを広げて、そして税率は下げるという、このシステムを入れる以外にない。今までもちろん納税者番号の導入についてプライバシーとかいろいろ批判、反対があることは承知しておりますが、しかし、高齢化社会の社会設計上、社会保障番号に匹敵するものは、年金の問題にしろ、介護の問題を議論するにしろ、これはもう不可欠になってきておりますので、それとの関係で金融取引には必ず個人の番号が要るという仕組みを私は入れるべきだというふうに思います。
○村上委員 最後に、今言った問題を含めてなのですけれども、午前中に監視の制度として、社外取締役の制度の話が出ました。よく日本は人員も金もないと言うのですけれども、アメリカでは、仄聞するところによると、それぞれの企業が金を出し合って、業界で、例えば銀行業界なら銀行業界を監視する制度をつくっているという話なのです。 それからもう一つ、例の野村、第一勧業銀行の不祥事なのですけれども、いろいろこれは問題点があると思うのですよ。だけれども、私はやはりこれは余りにも日本的な要素というか問題があると思うのですね。それは何かというと、富士フイルムの専務さんの事件や、名古屋の住友銀行の支店長の事件を含めて、さっきの不良債権もそうなのですが、金融機関が悪い人たちに金を貸して、その人たちが開き直って返さない、それを回り回って国民の血税で払っているという余りにも日本的な問題だと思うのですね。それでまた今回の総会屋にしても、やはり最終的にいろいろな事件からそういう会社の人間やそういう人たちをガードしてやるようなシステムができないと本当の意味での抜本的解決にはならないのじゃないかな、私はそう今感じているのですけれども、先生の見解をお伺いしたいと思います。
○田中参考人 おっしゃいますように、一私人として考えれば、背景にやみの暴力を何か秘めているところからおどされればこれは大変厄介なことになるわけですし、とりわけそういうケースには家族をも相手方は巻き込むということを宣言するやに聞いていますので、これは確かに容易なことではないと思います。 しかし、これは今後あるべき姿からいって、そういう勢力との関係を断ち切る努力はもうどんな覚悟の上でもやっていただかなければいけませんし、我が国の治安に責任を持つ当局は、そういう身に寸鉄も帯びずに挑戦といいますか、ちゃんとそれを断ち切ろうという人たちを守るということは当然のことでございまして、まさにそれこそが国家に期待する最後のものだというふうに思いますので、それはもういろいろな予算等も含めて、そういう任務に当たられる方に頑張っていただくということ、その確認をする以外にないのではないかというふうに思っております。
○村上委員 どうもありがとうございました。
○原田委員長 次に、赤松正雄君。
○赤松(正)委員 野田先生、また田中先生、きょうは大変に示唆に富んだお話をありがとうございました。興味深く聞かせていただきました。また野田先生のお話は、適切な言葉じゃないかもしれませんが、おもしろく聞かせていただきました。きょうのお話、あるいはまた既に発表なさっておられる論文等、にわか勉強で読ませていただきました。そういうものを踏まえまして、若干御質問をさせていただきます。 今、村上委員の方から非常に鋭く、詳細にわたっていろいろな質問がありました。私も重なる部分があるのですけれども、まず冒頭、お二人にお答えをいただきたいのです。 今、最後に村上委員がされた質問と絡むというか同じことなのですが、今、日本の社会経済は金融不祥事の問題で一言で言えば非常にうっとうしい気分になっているわけです。野村証券、また第一勧業銀行、この二つが今当面やり玉に上げられているというか、もちろんこの二つが重立って起こした事件でありますから当然といえば当然なのですけれども、いわゆる横並び傾向の非常に強い業界のこと、また日本の体質というものがあって、こういうケース、こういうテーマというのは深く広く、実態面として、この二つの企業だけではなくていろいろなところに同種の問題があるというふうに私は思います。 そういうことから、まず第一に、今申し上げたこういう問題というのは氷山の一角という指摘もありますけれども、これだけに限らないというふうに思っておられるかどうか、これが一点。 それから二点目。午前中のお二人の参考人に対する質疑の中で、岩國委員が御質問されたのにシティバンクの八城さんがお答えになっておりましたけれども、要するに、いわばこういう総会屋、非日本社会ではマフィアだとかあるいはギャングとかという言葉を使っておられましたけれども、そういうやみの世界の力によっていわば金融業界が組織ぐるみでこういう事件を起こすというのはほかに例がありますかという質問に対して、例を知らないというお答えがございました。 私ここでぜひお二人にお聞かせ願いたいのは、これはいわゆる日本異質論というのですか、日本人論に絡む日本特有の問題というふうに見られるのかどうか。もしそうであるとするならば、今後も、さっき田中先生のお話に国として云々というお話がございましたけれども、もしそういう日本に固有のものだとしたら、そう簡単にはなくならない。二十一世紀の流れの中において、こういうことがまた起き得る可能性があるのではないか。そういうことも踏まえて、ではどうすればいいのかというお話がさっき少しございましたけれども、この辺、野田先生の方から先にお考えを聞かせていただきたいと思います。 〔委員長退席、村田(吉)委員長代理着席〕
○野田参考人 明快な回答はない問題ですが、私の印象としては、しかし、全体の治安というふうな面から見れば特に先進国の中で日本だけが悪いというわけではないのでして、恐らくそれは経済に関連した分野でも、形は違えいろいろなやみの問題というのはあると思います。 ただ、我々が一番注意すべきことは、日本の社会のあらゆる分野において、いわゆる競争原理というものが透明な形で表に出ないで、なるべく摩擦を小さくして表向きを平穏に保つということ、これはもう学界でもそういう傾向があるのですが、それを改めないと問題は解決しないと思います。だから、必要悪というか暴力的なリスクはなかなかなくなりませんけれども、社会の原理として透明な競争性というふうなことをもっともっと日本の社会は導入する必要がありますし、これはグローバル化の中で、特に日本人だけの人間関係によってすべてを解決するということがなくなれば、おのずからそういうふうにせざるを得なくなってくると思うのですが、そのあたりが私の答え得る見通しで、とてもそれ以上の明快な回答はございません。
○田中参考人 この問題、不祥事をどう乗り越えていくかということとビッグバンとの関係は私もあると思います。 ビッグバンで確立すべきことは、透明性の高い市場をつくるということでございますし、個々の企業に対しては、投資家に対してディスクロージャーの責任をちゃんと果たす、投資家にとって重要な情報はすべて開示されるべきであるという原則が重要だと思います。そういうもとにおいて投資家はみずからの責任において投資を行う、これが公正な価格というものにつながる、こういう一連のビッグバンの理念があるわけですが、その中において、もし我が金融市場がもっと透明でかつ企業のディスクロージャーというものが進んでいくならば、いわゆる総会屋等に弱みを握られるというような可能性はもっともっと少なくなるわけです。 そういう意味では、我々の企業社会あるいは金融に絡まるものがもう少し変化するならば、日本に固有の問題ということではなくて、たまたまディスクロージャーが不十分であり、透明性に欠ける取引あるいは公正価格というものについての関心がもうひとつながった、あるいは投資家の自己責任というところからこの問題を問い返すという発想がなかった、たまたまそういうものが醸成されていなかったということが総会屋等の勢力につけ入るすきを与えたという面があるわけですから、今行われようとしている日本版ビッグバンの理念が通っていく過程において、こうした勢力に乗ぜられる可能性はそれだけでも相当小さくなってくる。それに個々の企業の努力があるならば、こうしたものを全く排除した企業社会というものを創造することはそんなに難しいことではないというふうに思っております。
○赤松(正)委員 ありがとうございました。 個別に今度はお伺いしますが、田中先生、さっき冒頭でお話しされる予定の中で、一番最後の部分を時間がなくてお話しできなかったのではないですか。この最後の部分、ちょっと興味を持って聞きたいなと思っておりましたので、「自立した個人を支える税制」の「積み立て方式への移行と消費税負担」という、このくだりを少しお話しいただけますか。
○田中参考人 恐れ入ります。 二十一世紀にかけて高齢化社会が進行していくわけですが、今現在、ただいまの生活者の不安の一つに、年金の給付、自分が年金を受け取るときになったときに、その年金というのは一体どうなっているのかという問題がございます。 これまで日本の年金制度は、賦課方式と一般的に呼ばれる、現役の世代が積み立てたものを退職者がもらう、世代間の移転を通じてこの年金制度をファイナンスしていくという仕組みをとってまいりました。 ところが、少子化という問題が出てまいりまして、十八歳年齢人口も、三、四年前に二百万人を超えておりますが、これが百二十万ぐらいにまでもう減っていくわけでございます。厚生省の推計によりますと、二〇二〇年には、二・三人が働き手、一人が年金の受給者という比率、今はちなみに五対一でして、五人が働いていて一人が年金を受給しているということになるわけですが、これが猛烈にきつくなるわけでございます。 そういう時代にこの賦課方式を持続していたのでは、とてもではないが、年金の受給見通しというものについて暗いイメージにならざるを得ないわけで、私どもよりもっと若い世代に聞いていただくとわかりますが、ほとんど年金制度、国民年金というようなものを信じておられる自営業者の人はいないということでございますし、自営業者と学生という分類でいうと、四人に一人ぐらいは年金を積み立てていないといいますか、拠出していない。そういう意味では年金制度は現実に今崩れているわけです。 これをどうすればいいのかということなのですが、基本的にはやはり積み立て方式で、年金というのは、積み立てて、それを受け取る資格ができたときに価値がふえていったものを受け取るという仕組みに変える必要がある。ただし、現在は賦課方式が前提になっていますから、賦課方式から積み立て方式に変える場合には、過渡的に高齢者の年金は一体だれが負担するのかという問題があります。それも現役世代がということになると、現役世代が二重に負担するということになりますから、そんな積み立て方式への移行はできないというのが通常の議論なのですが、しかし、これは積み立て方式への移行を決めて、そのかわり、年金を受給されている人の面倒といいますか、それは移行期においては皆が負担するということで、消費税という形で、消費税率のアップということを通じてこの移行期を乗り切るということが一番望ましいのではないか。 そうすれば、年金制度というのは、個人の分別勘定も可能になりますし、私的年金に限りなく近づいていける仕組みにもなろうと思いますし、年金制度全般に対する不安というものは消えると思います。その移行期をどう設計するかですが、移行期の設計には、消費税のより一層の負担増というのは避けられない。しかし、それを明確に説明した上で我々は採用すべきではないかというのがこの趣旨でございます。
○赤松(正)委員 今おっしゃった件の中で、そうしますと、その積み立て方式にする場合、いわゆる額といいますか、一人一人払う額については一律にするという感じなのでしょうか。収入に応じて分けるということになると、新たな貧富の差を生み出すというか、消費税の負担ということもありますし、その辺の問題はどういうふうに考えていけばいいでしょうか。
○田中参考人 多分、二階建てなのか三階建てなのかわかりませんが、強制的に徴収するといいますか、強制性が残るところは基礎年金として設計しておいて、それを超えるところは個人年金、私的年金という形で設計していくのが望ましいかというふうに思います。 そして高齢者の負担はどこまでかというと、基礎年金の部分の負担を消費税率のアップで行うということ、設計上ぎりぎりの妥協点はそうなるのではないかというふうに私は感じております。
○赤松(正)委員 先ほど村上委員の質問にもありましたけれども、いわゆる千二百兆円の個人金融資産が日本にある。そのうち半分が預貯金で、郵貯はそのまた三分の一、二百二十兆円。ビッグバンの目的は市場原理にのっとった金融システムをつくろうということですけれども、郵貯を残したまま市場原理を活用しようとしてもうまくいかないという説があります。さっき、公的金融の役割は終わったというお話がありましたけれども、それは中長期的に見てそういうことであって、いわゆる近未来、短期的にはそういうふうなことにはすぐにはならないのじゃないのか。 新聞を見ましたら、これはどこでやったのですか、ボルカーさんとかローソンさんとか、田中先生が司会をなさっての講演会、座談会の一番最後のくだりでローソンさんが、「田中さんは、「ビッグバンで人々は金融の安定に懸念を持ち、さらに郵貯の資金が増える」と言った。本当にそうなるとしたら、驚くべきことだ。」ということで終わっているのですけれども、「ビッグバンで人々は金融の安定に懸念を持ち、さらに郵貯の資金が増える」というこの御発言というのは、短期的というか、近未来の一時的な現象としてそういうのは起こる、こういうことなんでしょうか。
○田中参考人 これは現実に起きていることでございまして、この二、三年、北海道の民間の銀行が必ずしも芳しくないというふうになって以降、明確に郵貯シフトが北海道では起きております。 そういう意味では、昭和恐慌のときもそうだったわけですが、どうも不安だということになりますと郵貯と大銀行にお金は流れるというのが、これまでもそうだったし、今日もやはりそういう傾向は既に起きていまして、郵貯部門は、納税者の負担といいますか、納税者の信用保証によってできている一番安心できるシステムだというふうに一般庶民が考えたとしてもそれほど不思議なことではないわけでして、現実にデータ的にはそれが裏づけられている、既にそれが起きているということだと思います。
○赤松(正)委員 ありがとうございました。 野田先生にお尋ねします。 先生がお書きになった「「この国の危機」の正体」、読ましていただきました。先ほどの冒頭のお話の中にもそのエッセンスが当然入っておりましたけれども、ヨーロッパでは、先ほど話したフランスのアルベールさんですか、「資本主義対資本主義」という著作の中で、米英型資本主義とライン型資本主義の対立が際立っていると。自由貿易が絶対的に善で、企業収益を第一にする前者が優位に立っていて、社会への利益還元や労働者、社会福祉制度への考慮を重視する後者、ライン型資本主義の劣勢が目立つという指摘がありました。日本型金融ビッグバンというのは、先ほどのお話にありましたけれども、この米英型資本主義に追随しようとしているんだろうと思いますけれども、本質的にライン型資本主義の傾向を色濃く持つ日本というのは、この金融ビッグバンが、結局、要するにうまくいかないという展望を持っておられるのかどうか。 それともう一つ、その著作の中にもありましたが、第三の道をフランスが模索している。それで私は、恐らく、今はこの金融の世界は中国なんというのは同列に論じられないぐらい随分差があるんだろうと思いますけれども、急速にやはり中国もそういう分野に参入をしてきて、それこそ中国の台頭ということがこの分野でも顕著になってくるんじゃないか。先ほど来の先生のお話を聞いていますと、中国文明のそういう部分もひっくるめた大きい意味の台頭というものを安易に考えちゃいけないということをおっしゃっているような気がいたしましたけれども、従来から、あらゆる部分でいわゆるフランスと中国の中華思想というんでしょうか、アングロサクソンに対して対抗する、そういう意識の強いお国柄もあって、そういうフランスが目指す第三の道、これはもうほとんど問題にならないというような御指摘もされていましたけれども、そういう第三の道、さっきアジア型ということを村上さん言っていましたけれども、中国のこの分野におけるこれからの方向性といいますか、そういう面について若干お考え方を聞かしていただきたい。
○野田参考人 ドイツがライン型資本主義の一番先進的なタイプだとされているわけですが、恐らくこれから、まあ通貨統合はうまくいくかどうかわかりませんけれども、EUをてこにして、広域的な経済を含めた秩序づくりというようなものがヨーロッパで進行すると思うんですね。それに比べると例えばフランスなどは、そういう地政学的といいますか、経済的にも広域的な秩序の中心になりにくい。実際に今、金融、通貨の面でも、マルクとユーロとが連結して考えられているわけですね。 アジアの場合を考えますと、二〇一〇年あたりにGDPで中国がアメリカに匹敵するあるいは凌駕するというふうな段階になりますと、やはりこのまま放置しておけば、そういう経済も含めた広域的な秩序のコアになるステートは、アジアでは中国になっていくという不安が我々にはやはりあると思いますね。そういう意味では、つまりイギリス、フランスが、ドイツを中心とした旧東欧諸国も巻き込んだ広域的な秩序の中心になっていくということに対する対応を迫られているのと少し似た、アジアにおいて我々は、まあ相当混乱しても、中国の一つの経済圏と金融秩序の中心ということに対する対応を周辺で迫られるという意味では、共通した問題を抱えていると思いますね。 そういう意味ではイギリス、フランスがこれからますますアメリカとの関連を重視していかないとドイツを中心としたそういうものに対する対応が難しいのと同じように、やはり日本の場合も、つまり、このまま経過していけば中国中心のアジア的な秩序の中にのみ込まれてしまう。そういう意味で、私は、先ほども最後に、結局、人権とか自由とかいうような西欧的な問題も日本は無視できないということを申し上げたんですが、同時に、ビッグバンがうまくいくかいかないかという問題は、先ほど申し上げたように、これまで国家が果たしてきた役割に代替するものが民間で形成され得るかどうかという、それは経済に限らずに、宗教も含めた、地域も含めた、そういう代替的な機能を果たせる組織が日本でこれから育っていくかどうかということに、私はそのビッグバンの成否はかかっていると思いますね。 先ほども田中さんもちょっとおっしゃったと思うんですけれども、あるいは村上さんもおっしゃったんですが、ビッグバンが進行して貧富の差が激しくなって勝ち組と負け組がはっきりしてくると、それを何で補っていくかという問題が一番重要なんでして、そういう点では、アングロサクソン社会、特にアメリカなんかに比べると、つまり経済外のサービスとかそういったものの重みが日本ではまだまだ低いわけですね。まして帰属感とかいうような問題になると、アングロサクソン諸国に比べると近代の日本はそういう宗教的なものを非常に軽視してきた。そういう問題が、結局は、私は、二十一世紀のそういうビッグバンを含めた経済の規制緩和、自由化というものの成否を決定すると思いますね。 〔村田(吉)委員長代理退席、委員長着 席〕
○赤松(正)委員 ありがとうございました。 そこで、先生がお書きになった「「中華帝国」は日本を呑み込むか」というあの論文、これも非常におもしろく拝見さしていただきました。極めてそこではユニークな意見が展開されておるんですけれども、それに対して、朝日新聞の「論壇時評」で、私大変尊敬をしております山崎正和先生が、先生の論文の中の趣旨を高く評価をされながら、中国のこれからの部分について、先生の御指摘についてやや楽観的過ぎるんじゃないかということを二点指摘をされております。要するに、かつての漢民族全盛というか、その中国の時代にはアメリカの存在はなかった、したがって近代国家の国境を強化せざるを得ないのじゃないかというのが一点、それからもう一点は、要するに中国中央は辺境に超然とはしておれない、逆に辺境が中央に浸透する可能性が強いのではないかという二つのいわば先生の論文に対する問題点を指摘された上で、第三の道といいますか、いわゆる転倒した一国二制度、要するに北京政府が若干の武力と徴税権と外交権を持って北京で自立をする、そういうスタイルのいき方というのもあるかもしれないというようなことを提起された文章を大変興味深く読ませていただいたのですけれども、先生どこかでこれに対して何かお答えになっているのか僕は知らないのですが、この山崎正和氏の指摘に対して先生のお考えをぜひ聞かせていただきたいと思います。
○野田参考人 明快な回答はないですね。ただ、つまり中国に対して楽観的というふうに書かれたのですけれども、私は別に楽観しているわけではない。 ただ、中国というのは、これは今までの中華帝国の支配のあり方自体がそうなのですけれども、つまり、近代の主権国家の目で見ますると混乱しているというふうな状態でも、全体としての帝国は維持されてきているというのが中華帝国なのですね。ですから、今後、恐らく香港とかを吸収していけばいくほど、北京の支配力はやはり衰えていくと思います。地域的な格差も相当出ますし、混乱も生ずるでしょうけれども、そこがつまり、日本は今まで歴史において帝国というシステムを持たなかったのに比べると、中国というのは帝国というシステムがずっとこれまで成り立ってきたということは、グローバル化の中でもやはりそういうものが続いていくと思います。 ですから、そういう近代の主権国家の整備された状態を基準にしてこれからの中国というものを判断すると間違うというふうに私は考えていますね。相当混乱しながらも、全体としては漠たる帝国秩序というものは続いていくし、またそれがかなり有利な条件になりまして、その対応が非常に日本にとっては難しいという気がしております。 どうも、ちょっとお答えにならないですけれども……。
○赤松(正)委員 ありがとうございました。 今のこととも関連するのですけれども、先ほど先生が、ハンテントン氏の主張といいますか著書の中からのエッセンスとして、二〇一〇年に、蓋然性は低いけれども可能性は高いということで、いわば西欧文明対中国文明の対決というふうな可能性、いわゆるアメリカと漢民族との衝突、それに日本とのかかわり、そういうふうなことをハンテントン氏が指摘しているというお話がございましたけれども、私はこの場面で非常に大事なのは、中国という存在に対して日本が、言葉は適切かどうかわかりませんが、下手なナショナリズムで刺激をしないということだろうと思うのです。 かつて冷戦時代、ソ連脅威論というのがありましたけれども、あれはソ連脅威論ではなくて、米ソ対決の脅威というか、米ソが対決する枠組みの脅威というものだったのだろうと当時から私は思っておりましたけれども、ソ連なき後、これから二十一世紀に向けての国際社会というのは、どうも米(英)でしょうか、いわゆる英米アングロサクソン支配の脅威というか、これは軍事的な側面だけじゃなくて、先ほど来お話しがあるような、金融、情報通信等あらゆる分野を含めた、そういう米英支配の脅威というものがこれから高まっていく。いろいろなマスコミ、政界も含めて、どうもそういう中国脅威論というものを何となく醸成していきたがっている雰囲気があるような気がしてならないわけですけれども、そういう可能性。 あるいはまた、一番最近に出た本で、大変興味深く今読みかけているのですが、アメリカの元国防長官のワインバーガー氏が「ネクスト・ウォー」という本の中で幾つかのこれからのシナリオを描いて、最後に、日本との日米貿易戦争の結果へいわゆる日米第二次太平洋戦争の可能性なんということも指摘をしているわけです。 そういうふうな状況の中で、今私は、中国に対する脅威、中国にしても日本にしても、そういう辺境のナショナリズムというものが起こってくる可能性をつぶしていかなくちゃいけないというような気がするわけですが、それに対して最後にお考えを聞かせていただいて、終わりたいと思います。
○野田参考人 最後におっしゃったことは非常に重要だと思いますね。結局、今古いタイプのネーションステート全盛時代のナショナリズムというものをもう一度復活させようというふうな風潮は確かにあると思いますね。これは各国にある。フランスのルペンのフロン・ナシオナルもあるわけでして、そういうものが出てくるということは、これはネーションステートの危機に対する一つのリアクションとして当然出てくるわけですね。 ただ、問題は、もう一つ上のレベルで、つまり政治というものの役割はそこに求められるべきで、グローバル化が一方で進んで、それに対する対応を迫られているということと、そういう国内で非常に過激なナショナリズムへの復帰という形をもう一つ上で統合する形で対応していくという、それをやらないと私は非常に大変なことになると思いますね。 それは中国脅威論という形をとると同時に、やはりある種中国が強大化していく中で、アジア主義的な風潮という形も日本の場合とりやすいわけですね。今も赤松さんがおっしゃったように、確かに全体にグローバル化というのは、米英型のある種の普遍化という側面も持っているわけです。また、それに対するリアクションもナショナリズムとして起こり得るわけで、これをやっていくと、つまり第二次大戦に至るのと全く同じパターンで、それこそハンテントン氏が予想するような孤立化という危険に日本がさらされるわけでして、その危険を認識して、そういう方向に、文明的な対立にいかないということと、ナショナリズムの台頭は、ある種やむを得ざるリアクションだということを認めて、もう一つそれを上で統合する視野、ドイツなどはある程度戦略的にEUなり東欧に対する政策の中にそれを見ることができるわけですね。そういったある種の高いレベルの戦一略性といいますか、ある意味ではずるさも含めた、そういうものが日本人にちょっと必要じゃないかという気がしております。 これもお答えになりません。申しわけございません。
○赤松(正)委員 ありがとうございました。
○原田委員長 次に、日野市朗君。
○日野委員 きょうは両先生にはありがとうございました。本当にお忙しい両先生に、こんなにお二人そろっておいでいただけるなんというのは非常に珍しい機会であろうと思って私も喜んでおります。 ところで、きょうは両先生に共通する発言がございました。今やモデルなき時代に入ったということでございますね。私はこのモデルなきということは、もちろんもうモデルというのはないのですが、同時に目的喪失の時代にもなっているのではないかなという気がしてならない者の一人なのでございます。 実はこの間EUの方々と一緒に食事をする機会がありまして、そのEU議会のスタッフの人たちともいろいろ話をしたのですが、三、四人に、おまえさんの専門は何かね、こう聞いてみましたら、そのうち三人が実は歴史だ、こう答えたのですね。大蔵省に歴史の専門家が何人いるか、ちょっと私はわかりません。またいろいろな審議会の中で、歴史の専門家それから思想家といった人たちが何人ぐらいいるのかなと思うんですが、やはり我々、経済的な一つの大きな転換点に際して、歴史的な観照をしっかりやってみる、それから歴史的な見通しを立ててみる、こういうことの必要性というのは今非常に強いと思うんでございますね。 我々、今経済を運営していくに際して一つの大きな転換点に立っていて、日本で今まで通用してきた日本的な手法が挫折をしているよということで、これから世界のスタンダードに合わせて、世界的な経済運営の中にしっかりと我々も地歩を占めていかなければならない、こういう考え方から、私もビッグバンというものについては積極的にこれを評価していこう、このように思っているんでございますね。 それで私、このビッグバンを考える、これからの経済運営を考えるに当たって気になってしようがないことがございまして、まず田中先生にお伺いをしたいと思うんです。 確かに日本の、特に東京の証券市場というのは非常に貧しい市場になってしまったという先生の御指摘、貧弱な市場になったという御指摘はまさにそのとおりであろうというふうに思います。有価証券取引税とか取引所税というのは、これは一つの見えるバリアでございますね。バリアの一つとして目に見える。だから、これはない方がいいよ先生は恐らくとおっしゃるのかなとも思うんですが、こういったものの存在、これは税率なんかもそう高いものではありませんし、ほかの国にこれが全くないかといえばそういうものでもございませんので、これも一つの障害、妨げになっている、スタンプリングブロックとでもいうべきものであるかもしれないけれども、それよりもっと大きなものは、全体の不況という状況であり、その不況という状況をつくり出している全体のモラールとでもいいますか、やる気のなさと言ったら一ちょっと表現が違うでしょうか、もっと企業家魂とでもいいましょうか、経済を立て直していこうという強い意思、こういったものが欠けているのではないかというような感じが実はしてなりません。 先生は、個人の持ち株の問題についてもお話しになりました。特に日本では、例えば会社の取締役が株主に対してユアカンパニーという形では恐らく言えないですな。現在の株主というのはどちらかといえば投機的な株主が多いので、安定的な株主というのは非常に少ない。これは配当が少ないんですよね、大体。日本の場合は非常に配当が少ないんで、そういう形の株主になろうという意向は余り強くないんでしょうが、そういったものをあわせて、日本の株をもっと生き生きとしたもの、自分が持つについても、また市場に乗せるにしても、生き生きとしたものにしていくというような機構全体が備わっていないし、それを変えていこうというスピリットがないのではないかというように私思います。 これは、先ほどから私が申し上げたように、一つの経済的な段階まで来て、これから日本全体が何をしていくのかという目的喪失的な症候群の一つではないかというふうに思うんです。私もビッグバンそのものはもう推進すべきと思っておりますが、それが単にスタンダードを改めていくとか、それから規制を緩和していくとか、今行われている諸方策だけで足りるのかどうかということについての疑問を実は私感じておりますので、田中先生はこの点について、どうお考えになるか伺いたい。 それから、ちょっと私余り時間がありません。十五分しかないんです。かわいそうなんですよ。ですから、次に野田先生に対する質問も、ここであわせてさせていただきたいと思います。 野田先生の透徹した歴史観については、私も敬意を表するところでございます。大ざっぱに言ってしまって恐縮でございますが、今田中先生にも呈したような質問の意識ですね。経済的な繁栄は一応なし遂げた、これから何をやっていくんだろうという問題が答えられていないわけですね。 どうも私、こんなことを言ったら少しオーバーな言い方になるかもしれませんが、シュペングラーが「西欧の没落」を書いたわけですね。それからトインビーが文明の衰退を論じますね。そして、その一つの系列に属すると思いますが、ハンテントン教授が先生御指摘のような本をお書きになった。日本も一つの文明としてそのような下降線に入っている可能性がひょっとするとあるのではないか。それを食いとめるために我々は何をなさなければならないのか。 これをちょっと、仮定の上にさらに疑問を積み重ねるような話で恐縮でございますが、私のそういった考え方を、もし先生、それは違うよとおっしゃるならおっしゃっていただければと思いますし、もしそういう傾向にあるとするのであれば、確かに文明の衝突というような問題はいろいろございますが、文明間の鋭い対立というのは、経済運営をグローバル化していくことによって、特にビッグバンのような大きな事業をなすことによって、その文明の衝突のショックというようなものを和らげることができるのではないか、このようにも考えておりますので、先生、お考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○田中参考人 目標喪失というお話でございます。確かに、国家にとっての目標はだんだん希薄化したことは間違いないと思います。それは、一人一人の個人をとってみますと、栄養が本当にとれるのかといった時代には目標は明らかだったわけですが、今や過食の時代になっている以上、国家社会が一つの目標に何か進んでいるというのはむしろ異常なことでございまして、多様化、多角化が進むのは当然ではないかというふうに思います。 問題は、それでは個人の問題になるわけですが、個人はそれぞれに多様化、多角化した中での選択をする。システム上、それが許されていれば違和感はない。ただ、社会システム、経済システムの方がそれを簡単には許さないとすれば、今度は個人のアイデンティティーといいますか、個人の側に危機が来る、そういうことはあろうかと思います。 株式市場についてといいますか、日本版ビッグバンの背景にある事業会社の元気さのお話をされました。ただ、この三年ほどを見ますと、三年前は減収減益が多かった。二年前はどうかというと減収増益、合理化を通じて増益に何とか持っていく。ここのところやはり増収増益のパターンがふえてきております。この三月期の決算はまだ全部は出ていないようですが、暫定的な取りまどめ等を見ていますと、十数%の企業が史上最高益を上げております、二割には行っていないようですけれども。 そういう意味では、成長率あるいは景気の回復スピードは緩いというふうに一般的には言われておりますけれども、相当程度明白に企業として方針を立て、その立てた方針が実績を伴っているという企業もふえてきておりまして、徐々には回復してきている。ただ、それが依然として元気ないと見るのか、それなりに回復してきたと見るのか、いろいろ議論はありますが、私は、大きな流れからいけば、それぞれに企業レベルにおいて目標を設定し、それに実績を与えてきたというところはかなりふえてきているという総括でいいのではないかというふうに思います。 ただビッグバンは、そういう中で、さらに効率化といいますか、新しい競争のルールを明確化する作用がありまして、とりあえずは金融機関の競争のルールを明確化したわけですが、金融機関にそれが入るということは、次の段階では事業会社に現実にもう入り始めております。先ほども少し述べさせていただきましたけれども、株式持ち合いの解消が進めば、金融機関に起きたことは次の段階では事業会社に起きることでございまして、そういう意味では、非常に明確化されたルールのもとでの競争の意味が次第に社会に根づき始めている。したがって、それを明確にするためにもこの日本版ビッグバンは完成させなければいけない、こういうことだというふうに理解しております。
○野田参考人 御質問がかなり大きな問題なんであれなんですが、第一の目的意識が薄れたというのはこれはもう確かにそうでありまして、まさに近代のネーションステートが一体になって坂の上の雲を目指していたというようなことはもはや期待できないと思いますね。ですから、そういう国家的な目的を失った中で、人々が不安にならずにどうやって生きていくことができるかという状態をつくっていくということが必要なことだと私は思います。そのために、私が強調している、国家以外のいろんなコミュニティーの帰属対象としての意味があるんだというふうに思います。つまり、そういう面で余りにも国家というレベルで目的意識が強過ぎた日本人が、そういうものが見えなくなった時代に陥る不安感というものに対して私は危惧を抱いているわけです。 それから最後におっしゃった、グローバル化が文明の衝突をむしろ和らげるんじゃないかというのはまさにハンテントンが逆説として言っていることで、つまり、これまでの西欧化イコール近代化という形で全世界が西欧に見習って近代化している時期にはそれぞれの国のエリートも西欧的なエリートが指導していたんですが、第二世代、第三世代に入ってくると、まさに生活は近代化していくけれども、かえってそのために意識は反西欧化していくというのがハンテントンの非常におもしろい逆説なんですね。これは私、確かにイスラム諸国とかそういうようなものを見ていても、いろんな情報技術とかそういうものがどんどん発達していくと、かえってむしろ反西欧的なイスラム感情が強められていくという傾向は確かに認められるわけでして、中国の場合でも、つまりこれから経済が発展していって生活の外的な形態としては西欧化、近代化していくと、むしろ精神的には反西欧的な感情がますます高まってくるということは予想されますね。 それから、日本はどうかというふうに考えますと、率直に言ってハンテントンがああいう意見を出すこと自体、西欧文明の没落的な現象に対する非常な危機意識があるわけですが、日本は、ハンテントンに言わせると一国家一文明なんですね。ほかの西欧文明は、イギリスなりフランスなりアメリカなり多くのコアになる国家を持っているわけですが、日本という文明は一国家一文明、これは私はそういう最盛期を過ぎたという意味では確かに没落期にかかっていると思います。 ただ、我々が今重要なことは、最初にも申しましたように、そういう国家的な目標のはっきりした近代というのが終わって、我々の祖先の、つまり江戸時代の人々が生きていた、近代人の持っているような目的意識のない人生というようなものを我々は創造する必要があるわけでして、そういうものにいかに人々がなれていくかということが重要だと思うんですね。余り答えになっておりませんが。
○日野委員 時間ですから、終わります。
○原田委員長 次に、佐々木憲昭君。
○佐々木(憲)委員 お二人の参考人の御意見、大変興味深く拝聴いたしました。 野田先生のお話の中でグローバル化と国民国家の危機というお話がございまして、大変興味深く伺いました。国際化ということが既定の方向であるかのようにずっと行われておりますし、実際そういうふうに推進されているわけですけれども、貿易関係、これはベースにあると思います。その上に資本の輸出といいますか多国籍企業化、さらにその上に国際金融、簡単に言いますと三つの階層によって国際化というのが推進されているというふうに私は思っておりますけれども、最近の国際金融資本の面での国際化というのは非常にスピードが速いというのが特徴だと思うんです。 したがって、先生のおっしゃるように国家のコントロールを乗り越えて、それ自体の運動法則によって非常に激しく資本の移動が行われるという状況になっているわけで、そういうときにこのビッグバンが推進されまして為替資本取引の自由化が推進される、こうなってきますと、そのことがますますエスカレートされるというふうに私は思うわけです。そうなりますと、それぞれの国の例えば為替そのものの水準が非常に激しく乱高下するということも生まれますし、それから生産資本、実体経済そのものに対しても大変な打撃が加えられる。こういうことで、まさに国家の手を離れた資本の運動が逆にそこの経済それから国民生活あるいは雇用、こういう面で大変な被害を広げるといいますか、そういう面があると思うんです。 先生の御指摘のように、公正な競争のためのルールづくりと監視というのが国家として今後非常に重要になるであろうということでありますけれども、その具体的な手段といいますか、それをどのようにお考えかという点がまず一つであります。 それから二つ目に、国家主権というのが次第に後退するというふうに、現実にそうなっているというふうにおっしゃいましたけれども、しかし、国民経済である以上、それから国家の中で多数の国民が生活しているわけですから、その国民の暮らし、営業を守る、そういう点での国家主権の回復というのはこれは必要なことだと私は思うわけですが、その点でどのようなことを先生はお考えなのか、まずこの点についてお聞きしたいと思います。
○野田参考人 確かにビッグバンを初めとするあらゆる意味の自由化をすれば、ますます国家の枠組みの衰退を促進して混乱が増すというのは事実だと思いますね。ただ、例えばヨーロッパというものを見まして、ドイツ、フランスが失業率も高くて経済がどうもうまくいかないのに比べて、レーガン以後のアメリカ、特にクリントン時代になってその結果があらわれてきた。それからイギリスの場合もサッチャーの政策の結果というのがあらわれてきたということを見ますると、やはりインパクトが強いからといってフランス、ドイツ型の国家介入度の強い経済というのを続けていると、やはり経済は活況を失って失業率もより高くなるという結果がありますから、確かにグローバル化、自由化というのは危険なインパクトをたくさん及ぼすわけですけれども、これはまた私は避けては通れないと思いますね。むしろそういうものを別の手段で緩和していくということが必要だと思います。 国民主権国家の衰退ということは私は別に肯定的に受けとめているわけではないので、これはやむを得ざる一つの趨勢だし、またある点では、そのテンポが非常に速くならないようなことを講ずる。例えばフランスの左翼が勝ったのも、一つのそのプロセスで生じていることだと思います。だけれども、全体としてやはりグローバル化、自由化というものは避けて通れないことを認めた上での対応というものを考える必要があると思います。 それからルールづくりという面は、私はなかなか具体的なことは言えませんけれども、これはもう結局、自由化が進みビッグバンが進めば、国際的なルールづくり、つまり一国単位の市場のルール、監視ではなくて、国際的なルールづくりという方向に向かうと思いますね。通貨なども、やはり私はそういう意味ではハンテントンの文明的な性格というのが強くなってくると思います。そうなると、つまり文明的な規模でルールをどこまで通用させていくかという視点が重要になるわけで、そういう点では、中国と西欧のはざまにある日本としては、中国に対して国際ルールを守るような働きかけをしていくというふうなことがこれから重要な役割になってくると思います。ちょっとそれくらいしか答えられないですね。
○佐々木(憲)委員 ありがとうございました。 田中先生にお伺いしますが、先ほどグローバルスタンダードのお話がございました。私は、何をもってグローバルスタンダードと言うのかということが大変重要だというふうに思うのですね。例えば日本の場合には、アメリカのように企業のディスクロージャーがなかなか明確ではないということでありまして、ビッグバンが推進される場合も、その点が、本当にグローバルスタンダードになるのだろうかということでいろいろ私は疑問に思っております。それから同時に、例えば銀行の株式保有の原則禁止というアメリカの制度があります。それからキャピタルゲインに対する総合課税の問題、あるいは消費者保護の法的な確立というのはアメリカではもう既に行われておりますが、こういうものもやはり私はグローバルスタンダードとして重視すべきだというふうに思うわけですけれども、その点で田中先生の御意見をお伺いしたいと思います。
○田中参考人 ビッグバンを考えるときにグローバルスタンダードの最初のもの、制度設計の基本は、ビッグバンの場合でしたら投資家本位、投資家の便宜に立つもの、投資家にプラスになることをやります。したがいまして、個々の業者については競争の結果市場から排除されることがあるかもしれません。しかし、最大の目的は投資家の利便、投資家がより望ましい形でより望ましい成果を得られるような仕組みにするということについての合意があって、それを今我々は受け入れているのだろうと思います。 その場合に、しかし幾つかの原則がございまして、投資家の自己責任というのもこれもグローバルスタンダードでございますし、価格は公正な価格がつくような仕組み、そういう執行がなされるようなマーケットでなければなりませんし、個々の事業会社にはディスクロージャーが必要ですし、投資家に必要な情報はすべて開示されるという原則に基づいてディスクロージャーが行われるべきですし、結果としてそれは透明性の高いものになるはずですから諸外国からも投資対象になる、結果として、効率市場といいますか厚みのある市場で、厚みのある市場ができれば公正な価格がより形成されやすいということにもつながるわけで、その一連の手順を今踏んでいるのだろうというふうに思います。 そういう意味では、ディスクロージャーについて御指摘のようにどこまでいくのかということになりますと、これは実務の世界においてそういう原則が確立して、株主はここまでディスクローズしないともう満足しないといいますか、あるいは何か問題があるというふうに株主、投資家の方がみなしてしまうという物の見方が定着しますれば、ディスクロージャーに不熱心なところは結果として投資家からの評価が得られず、資本調達にも結果的にはそごを来すということにもなるわけですから、そうした習慣形成というものがマーケットを通じてなされることが極めて重要だし、覚せいを促すためにいろいろ努力をするということが肝要だろうというように思っております。
○佐々木(憲)委員 ありがとうございました。 終わります。
○原田委員長 次に、濱田健一君。
○濱田(健)委員 お二人の参考人には大変貴重なお話、ありがとうございます。 社会民主党の濱田健一でございます。時間がありませんので、野田先生から御質問させていただきたいと思います。 きょうの先生のレジュメの中に、国家の経済的役割の後退、そして国家を超えた市場原理の優越化という状況の中で、先進各国で失業の増大、貧富の差の拡大などが顕著となり、相当過激な政治的リアクションが生ずる可能性があるというふうに書いていらっしゃるのですが、相当過激な政治的リアクションということのイメージといいますか、それはどういうことなのかということと、金融・証券を含めて経済活動のいわゆる完全な自由化という状況の中では、ベンチャーキャピタルを含めて雇用の増大等も出てこなくては目的を達しないというふうに思うのですが、今、労働法制の規制緩和等も含めまして、未組織の労働者の皆さん方、これから一生まともに飯の食えない時代が来るのではないかという御心配をされているわけです。そのことも含めて、雇用状況というのがどういうイメージで変化していくのか、先生のお考えをお聞かせいただけたらと思います。
○野田参考人 過激な政治的リアクションというのは、例えば私のイメージの中にあるのは、フランスのフロン・ナシオナルのような排外主義とか、それからドイツにも一部にありますし、それからアジアでも最近はオーストラリアとかそういったところで出てきているようです。これは、私が申し上げたいわゆるケインズ的な福祉国家、ライン型福祉国家が後退していくと、やはりどうしてもそれに対するリアクションというのは相当強く出てくると思いますし、それから今回のフランスで指摘されたように、左翼が伸びることとフロン・ナシオナルが伸びることとの間にある種の相互関連のようなものが指摘されているわけですね。ですから、そういう点を見ましても、私はライン型資本主義の後退過程というのはかなり厳しい局面が出てくると思います。・それから、雇用の促進という効果はこれはなかなか出てこないと思いますね、正直に言って。相対的にイギリス、アメリカが独仏に比べて低いというふうなことはありますけれども、ドイツなんかの例を見ますと、四百数十万の失業者を相当長期にわたって抱え込んだ状態、これはもういかに今後ビッグバンを進めベンチャービジネスが出てきてもなかなかなくならないと思いますね。そういう中でそれが社会的に危険なことにならないようにするためには、つまりこれまでの国家が担ってきた分配の機能というようなものが、いろいろな国家以外の宗教団体とか地域共同体とかいうふうなものによって埋め合わせができなければ、やはり非常に危険なことになるということを思います。 そういう点では、私は、日本はやはり二十一世紀にかけて非常に憂うべき状態があると思います。というのは、何度も申し上げるように、国家のレベルに余りにも大きな期待がかかってしまったために、明治以後、そういった国家以下の社会の中間団体みたいなものが育たなかったということのマイナス面が出てくる可能性があると思います。そういう点にも我々は非常に気をつけていくべきだと思っております。 以上です。
○濱田(健)委員 田中先生に二問お尋ねをしたいのですが、先生はレジュメの中で、総合所得課税と納税者番号制度ということで進めるべきだというふうに書いておられるわけです。有価証券取引税を廃止する方向がふさわしいんだというふうに前段でおっしゃっているわけでございますけれども、私の周りにいる四、五百万の賃金をもらうサラリーマン、給与所得者、ほとんど資産もなくて、投資家としての投資もできない人たちにとって、いわゆるみなし利益率に基づく源泉分離課税のされているこの取引税等々は相当軽い税率でありますので、不均衡ということで、総合課税ができないと、不満といいますか、そういうものがますますたまっていくのじゃないかというふうに私は思うのです。いわゆる総合課税ができない状況の中で、先に有価証券取引税等だけ廃止していくということがいいのかどうか、何か適当な対応の仕方はないのか、いかがでございましょうか。
○田中参考人 御指摘のとおり、この有価証券取引税は、キャピタルゲインについての課税が簡単には入れられないということから、妥協的に入ったものでございます。したがって、これを廃止するということは、一方で、キャピタルゲインについて総合所得課税という制度でもってカバーする、それをとらえた上で総合所得課税の対象にするということでなければ、立法の趣旨からいって もバランスはとれない、おっしゃるとおりだと思います。 ただ、現在ただいまの有価証券取引税の機能ということからいきますと、まさに取引に税金がかかっている、取引税という性格のものとして今や定着しているわけでして、ここでは取引税はやはり入れれば取引が不活発になるといいますか、それを通じて効率的な市場形成に妨げになるというのが現実の機能だろうと思います。 ただ、おっしゃるとおり、バランスがありますし、この有価証券取引税の立法の趣旨からいっても、総合所得課税という形が入らなければ、そのときの立法の精神は生かされていないということだというふうに私も理解しております。 ただ、今までよりは、納税者番号についての拒否反応は間違いなく小さくなっていますし、社会保障番号が必要だというその認知が進めば、これはさらに進むと思いますけれども、納税者番号というのは今よりはさらに入れやすくなると思いますし、それは総合所得課税が金融取引にかかわってもきいてくるということではないかと私は理解いたしております。
○濱田(健)委員 今のことに関連するのですが、私の手元にある資料で、日本でいう有価証券取引税に類する取引税、イギリスでは印紙税というのが買い手で〇・五%、香港ではこれも印紙税で買い手、売り手〇・三、シンガポールでは〇・二という数字を持ち合わせているわけです。いわゆる日本の東京市場ではこういう取引税は阻害になっているけれども、例えばイギリスとか香港とかシンガポール、同じような税があったとしても発展を遂げている金融センターもあるというふうに理解ができるわけでございまして、その有取税の存在と証券市場の活性化に対する影響度というものの関連性というのが本当にあるのかどうかと思わざるを得ないのです。先生の御所見、先生はなくした方がいいというふうにおっしゃっているわけですが、世界の金融センターを見たときに、果たしてそうなのかなと思うところもあるものですから、お尋ねしているところでございます。
○田中参考人 証券売買のときの手数料がいつの時点でどの規模から自由化されるかということにもかかわってまいりますが、大口の取引を行う例えば機関投資家という立場にみずからを置いてみますと、これは現在東京で取引に参加するよりは、外為法自由化以降は、ロンドンに口座を持ってロンドンで大体自分のポートフォリオ形成に見合う商品を見繕って取引した方が、明らかに税と手数料を引いた後極めて有利だ、要するに東京市場は回避されるというのが現状だろう、今のままいけばそうなるだろうというふうに私は思います。そういう意味では、有価証券取引税の税率は、そのことを議論する上で決して無視はできない税率だというふうに私は思っております。 もちろん、それだけでマーケットの繁閑といいますか力が出てくるわけではなくて、まさに個人の金融資産のうちの預貯金が半分を占めているということは、それだけ株式に対する不信あるいは株価形成に対する不信というものが個人投資家の側にあるのが背景でございますから、有価証券取引税だけで何か問題が起きる、状況の改善につながるというふうには言えませんけれども、全体としてこの税が資本形成を考える上で必ずしも中立的ではない、ゆがみを伴っているという認識を持つことは重要なのではないか。税制の、そうした税のあり方のゆえに取引に影響が出ているということは私は間違いないことだというふうに思っております。
○濱田(健)委員 ありがとうございました。
○原田委員長 次に、岩國哲人君。
○岩國委員 太陽党の岩國哲人でございます。 私は、アメリカで十年、ヨーロッパで十年、それから東京で十年、三十年間金融・証券の世界におりまして、いろいろなことを経験させていただきましたけれども、そういう人間の一人として、今この日本のビッグバンその他の金融における規制緩和について参考人に伺ってみたいと思います。 私は、日本のビッグバンというのは、当然なことで、やや遅過ぎる時期にやっているという考えを持ってはおります。やや遅過ぎるという一つの理由は、今までの大蔵省を中心とした金融行政のいわゆる護送船団的な、そのような環境に一つの原因があっただろうと思います。大蔵省とそして金融、銀行界がいつまでもぬるま湯に入って、そして早く出ていった電機業界とか自動車業界が十分国際競争力をつけているのに対し、最後までぬるま湯にいて、そのお湯の栓を抜かれそうになってから慌てて出てくるようなことになっていますから、この業界については若干の、その進め方についてもいろいろ手順を間違えてはならないというふうなことを思っております。 先ほど村上委員の野田参考人に対する質問の中にも出ておりましたけれども、私もヨーロッパやアメリカの業界の中にいて、結局欧米のこういう業界あるいは社会そのものが狩猟民族の社会としての伝統を引いておって、そして日本というのはあくまでも農耕民族的な特徴をずっと引きずってきているなということをいろいろなときに感じております。手順の進め方ということを申し上げましたけれども、アメリカもヨーロッパも国内の自由化というものをかなり進めておって、それからこのような大改革をやったのです。日本の場合には国内の自由化というものはほとんどなされないままに、この対外的なビッグバンを強行といいますか、聖域の形で今進めなければならないというところに来ております。 例えば国内的な制度の整備といいますと、一つは、午前中も私は質問しましたけれども、年号の問題があります。アメリカもヨーロッパも年号については変えることなしに、そのまま事務的な体制から何からニューヨークマーケットとロンドンマーケットは同じ西暦年号でもってつながっておる。そこには何の混乱も起きなかったわけです。国内においても、二〇〇〇年ということに対してコンピューターを中心にして混乱が非常に心配されておりますけれども、二〇〇一年以降はこういう対外的な金融取引、経済取引は国内の年号ではなくて西暦を原則とする、そのような制度の整備も進めるべきではないかと思います。こうした点について御意見を伺いたいと思います。 もう一つはデノミであります。議員の中にもデノミ推進連盟ができ上がっておりますけれども、単位を百分の一にして対外的な取引は便利にわかりやすくする、このような準備も必要ではないかと思いますけれども、田中参考人の御意見を伺いたいと思います。 それから、金融取引番号。納税者番号とかあるいは福祉番号、いろいろなことを言われますけれども、こうした個人による不正な取引が海外に拡散していかないためにも、私は対外的な金融取引をする人については金融取引番号というものを制度として確立すべきではないかというふうに思いますが、この点についても御意見を伺いたいと思います。 さらに、情報公開です。日本の金融機関はとかく都合の悪いことは公表しようとしない。そして毎年のアニュアルレポートにおいてもできるだけ少なく公開することをもってよしとする、そのような伝統はいまだに守られておると思います。例えば一つの会社、野村証券をとってみても、最近のデリバティブ、いろいろな事故が起きておりますけれども、このデリバティブに関する記述というものを、野村証券がアメリカで投資家一般に公表しているものと日本で公表しているもの、それから大蔵省に報告している有価証券報告書とを比べてみました。アメリカで公表しているものについては、デリバティブその他のいわゆる企業のリスクについては非常に詳細に出しております。日本では全くゼロです。有価証券報告書には若干オプション取引等についての情報開示が行われています。こういう情報公開の内外格差がこれほどひどい段階で、ビッグバンを今やるということについては非常に懸念があります。 最後の地ならしといいますか制度整備は、顧客サービスです。ビッグバンとか金融改革と言われますけれども、すべての動機、目的が金融機関の活動をいかに自由化し競争力を上げるか、あるいは東京マーケットの存在感をいかに高めるかということであって、一般の個人のお客さんに対してどの点でサービスがよくなるかということについては議論もあるいは努力もされていないように思います。現にアメリカでビッグバンによって株式取引の手数料が自由化されたとき何が起きたか。法人の取引手数料が三割下がりました。しかし、個人取引の手数料は逆に三割上がってしまったのです。ビッグバンによって何のメリットも受けなかったと言っても過言ではないと思います。こうした日本のビッグバンの進め方について、田中参考人の御意見を伺いたいと思います。
○田中参考人 私はデノミの経済的効果はほとんど無視できるほど小さいというふうに従来から思っておりますし、もちろん便宜の上でゼロ二つ取った方がいいだろうということについては、取れるものなら取った方がいい、しかしコストゼロで取れるわけではありませんので、デノミは今議論するテーマとしては優先順位は相当低いものだというのは、これはもう十年も前からですが、私はずっとそういうふうに思っております。 それから、金融取引番号というお話でございましたけれども、要するにそれを国民が受け入れる、なるほどその番号があった方がいい、もちろん反対の人もいるわけですが、多くの人がなるほどこれは受け入れた方がいいと思うということが重要でございまして、そういう合意形成の上においては、社会保障番号というようなものと、それからこの金融取引には一人一人の年金や介護にかかわるものと密接している番号が必要だということの方が国民に受け入れられるのではないかというふうに私は思っております。 ディスクロージャーについては、これは格差があるといいますか、我が社会においてディスクロージャーの原則が、例えば裁判所なりあるいは証券等取引委員会等を通じてどこまで進んだのか。いろいろ努力はされていますけれども、ディスクロージャーが進んだ社会と対比してみると、我が国のディスクロージャーに問題があるということはおっしゃるとおりでございまして、ただ、もし証券会社の取引についてのディスクロージャーについて言われているとすれば、ビッグバンによって、例えば外国系証券会社が顧客との関係においてディスクロージャーとか説明責任をよりきちっと負って、しかも実績も上がっているということになりますと、取引はそちらの方に移るわけでございまして、これはもうコストは、ディスクロージャーをしないあるいは顧客に対してちゃんと説明をしない証券会社なり金融機関なりが負うことでございまして、これはもうマーケットに任せるということに今やなってきているんだと思います。 それから、顧客との取引にいまだにいろいろ問題がある中でビッグバンとは何事か、こういうお尋ねでございますが、例えば固定手数料を廃止する、要するに手数料の完全自由化を行うということとラップアカウントという形の取引が入ることとは、それがなければラップアカウントが出ないかどうかはもうちょっと工夫があるという人もおられるようですが、常識的に考えてみて、預かり資産に対して一定の手数料を取る、どういう取引を行うかはそれはもうその腕に任せる。例えば、現在ただいま証券会社と取引されている顧客にどうもコンフリクト・オブ・インタレスト、利害の相反があるんじゃないかと思っている人が多いのは、固定手数料のもとにおいてセールスをされている人の言い分に従って取引していると、どうも相手は手数料稼ぎをしているのではないかというふうに受けとめる基盤がある。そういう状態のもとにおいては健全な投資慣行なりキャピタルマーケットというのは育たないというふうに思いますので、固定手数料を早く完全自由化してラップアカウントというような形で預かり資産に対して一定の手数料を取るということになれば、顧客の幸福はそれを預かった人の幸福、どこにもコンフリクト・オブ・インタレストがないという状態を生む、こういうことも極めて重要なことでございまして、今の時点でもう早急にビッグバンに踏み切るべきだというのが私の見解でございます。
○岩國委員 もう時間が過ぎているようですが、あと一点。 先ほど顧客サービスと言いましたが、銀行の場合では週七日間二十四時間サービス、外国の預金者にはそういうサービスが提供されておりますけれども、治安がいいところでなぜこういうことができないのかといったようなものも含めて、実はお伺いした次第でした。 次に、もう一点。グローバルな取引を認めようというのであれば、当然監査及び検査体制のグローバル化が私は必要だと思っています。こういう観点から、今審議されております金融監督庁構想は、グローバルな監査体制の一翼として満足できるとお考えになっていらっしゃるかどうか、簡潔にお願いします。 それからもう一点、証券については、日本のSECの権限と能力は大丈夫でしょうか。トップが逮捕されて、そして外国ではギャングと英訳され報道されている人たちとの取引を六年間に二度も公式に認めている、そのような会社にいまだに免許の取り消しもできない、そのようなSECで大丈夫かという観点があります。この金融監督庁とSECの権限及び能力についてコメントいただきたいと思います。
○田中参考人 事前規制から事後的な規制に変わるということの中でこの金融監督庁の構想が出てきて、それが法制化されるわけでございます。したがいまして、事後規制ということになるわけですから、これは陣容も格段に拡充する必要があると私は思います。ですから、事前規制はしないということは、今までのこういう分野に勤務されていた方の勤務体制とそれからそのスタッフに要求される能力というものは、従来よりももっと収れんしたといいますか、ポイントを絞ったところで機能が要求されるわけでして、御指摘のように、現在のまま看板のかけかえをするだけでは私は極めて不十分だというふうに思っております。
○原田委員長 これより自由質疑に移ります。 それでは、質疑のある委員は挙手をお願いします。
○谷口委員 新進党の谷口でございます。 先ほど質問があったわけでございますが、グローバルスタンダードについて田中参考人にお聞きしたいと思います。 今、野口先生の本に「一九四〇年体制」という本がございます。これは、要するに一九三八年の国家総動員法に基づく戦時経済体制が今も残っておるのだ、こういうようなお話でございまして、五五年体制は崩壊したがその四〇年体制が残っておる、こういうお話でございます。 ちょっと具体的に申し上げますと、一つは、金融システムも、直接金融よりもむしろ傾斜配分を可能たらしめる間接金融システムが今我が国の中心になっている。また日本的企業、これは一つは株主の権利を制限すると申しますか、そういうことで、それがひいては現在の株主総会の形骸化になっておるのではないかというように思うわけであります。それと配当を制限するというようなことで、先ほどからお話を聞いておりましたが、我が国の配当率が極めて低いというようなことで、これがインカムゲインよりむしろキャピタルゲインを獲得するというような形になっておる。また、下請制度もこの時代にできたというように聞いております。また税制においても、源泉徴収制度が一九四〇年前後にできた。また、今審議をやっておりますが、日銀法、金融と財政がいわば未分化の状況でやっておった。それ以外に、例えば食管法であるとか借地・借家法、これはもう変わりましたが。 こういうようなことで、この制度・法律が戦後日本の高度成長をもたらした一つの大きな要因であるというように私は認識しているのですが、逆に、このような制度が残っておって、我が国の制度をグローバルスタンダードに持っていくのに大変困難な状況になっておるのではないか、こういうように考えております。ですから、今、我が国がグローバルスタンダードに合わせていく場合に、こういう制度を念頭に置いた整合性のある改革をしていかなければいけないのではないかというように考えておりますが、それについて田中参考人の御所見をお聞きいたしたいと思います。
○田中参考人 私は、一九四〇年体制説はとりません。我が国の今日の制度の非常に多くは高度成長期につくられたものでありまして、確かに食管法とか借地・借家法は四〇年体制のもとででございますが、例えば企業の株式の相互持ち合いとか、それからメーンバンク制度、メーンバンクを通じての仕組みとか、メーンバンクが存在する限り社債のデフォルトはないという仕組みになりますと、格付機関も必要ないし、それからマーケットで社債の利回りが違うということもない、こういう仕組みになっております。これは法制的に戦時中につくり上げられたものというよりは、むしろ高度成長期を通じて、例えば株式の相互持ち合いですと、資本の自由化に対処するために日本のサプライサイドがとったということでございます。当時の彼らの認識からすると、自分たちは経営能力が高いけれども、海の向こうから来るのは何しろ経営能力はないけれども金だけいっぱい持っている、そういうのに対抗するためには株式の相互持ち合いでみずからを守らなければいけない、こういう話から入ってきた話でございまして、時代が変わってきておりますので、彼ら自身もみずからを変えようとしている。 そういう中で、今度のビッグバンが具体的に行われれば、こうした御指摘の面は、かなりの程度、実態上変化していく、それで株式の相互持ち合いも相当ほぐされるというのが実際ではないかというのが私の理解でございます。
○原田委員長 それでは、これにて質疑を終了させていただきます。 参考人各位におかれましては、御多用中のところ御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時四十七分散会