本会議 第9号
- 発言数
- 14 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1996/02/28
会議録
○議長(土井たか子君) これより会議を開きます。 ――――◇―――――
○議長(土井たか子君) 御報告することがあります。 議員大矢卓史さんは、去る七日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 大矢卓史さんに対する弔詞は、議長において昨二十七日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は 議員正五位勲三等大矢卓史君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ――――――――――――― 故議員大矢卓史君に対する追悼演説
○議長(土井たか子君) この際、弔意を表するため、田端正広さんから発言を求められております。これを許します。田端正広さん。 〔田端正広君登壇〕
○田端正広君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、大阪の先輩、本院議員大矢卓史先生は、去る二月七日、都内の国立がんセンターにおいて急逝されました。享年六十六歳、まことに痛惜の念にたえません。 私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 私が大矢先生の計報に接したのは、その日の深夜でした。余りの突然のことで、一瞬胸が締めつけられるようなショックを受けました。と申しますのも、去る一月十一日、この本会議場で行われた橋本首相指名選挙の際にお目にかかったばかりで、その際、議場を出たところで私は大矢先生と握手をし、「先生、ことしもよろしくお願いいたします。お正月の間、地元大阪での行事で先生にお目にかからなかったので心配していました」と申し上げましたところ、先生は「いやいや、大丈夫や、大丈夫や」とうなずかれ、「あんたら若い人はええなあ。まあ大阪のことは君らに任せるわ」と関西弁で答えられました。 私は一瞬おやっとは思いましたが、そのときは余り気にもとめていなかったわけであります。しかし、大矢先生御自身にとりましては、既に生命に感じるものがあったのかもしれません。そのことはともかく、大矢卓史という大阪を愛し抜いた庶民政治家としての優しさと信念が、「大阪を頼むぞ」と言わしめたのだと今私の胸に迫ってくるのであります。 それから一週間後に大矢先生は入院されました。この日の登院は、最後の気力を振り絞って皆様へのごあいさつという意味があったのかもしれません。 「元気でつか。頑張りや」、それが大矢先生の口癖でした。いつも会ったときにはこう言って声をかけてくれました。あの気さくで人懐っこい語り口の中に、相手の気持ちを思う真心がにじみ出ていました。 例えば、この前の総選挙で私は大矢先生と競い合った仲であり、駅前の街頭演説や朝立ちなどでしばしばぶつかりましたが、その際、大矢先生の方から「あんたはここでやりなはれ。わしは向こう側でやりまっさ」と、いつも公平にさばいてくれました。そして、選挙戦での握手戦術の大切さを語り、あるいはみずからは自転車部隊を編成して町じゅうを駆けめぐるなど、庶民性と人情味あふれた政治家としての生きざまを私たちに教えてくれました。 大矢先生は、御尊父大矢省三代議士(当選八回、大阪一区選出)の御長男として生まれ、日本社会党に十八歳のときに入党され、後にはお父様の秘書として活躍されました。奥様の百合子夫人のお父様であられる故田中幾三郎氏も当選四回の衆議院議員であり、このお二人を結びつけたお仲人が故春日一幸代議士というまことに政治家としては恵まれた環境で成長されました。「選挙に金はかけない」というのも、父大矢省三先生の教えを受け継いだものと言われております。 昭和三十五年に民社党結成に参画し、そして昭和三十八年から大阪府会議員を三期務められました。その後、昭和五十四年の総選挙に出馬、衆院選に挑戦すること六回を数えました。その間、昭和六十一年に繰り上げ初当選となり、平成五年の総選挙で二度目の当選を果たされ、政治の道一筋に生涯を貫かれました。 いよいよこれからが庶民政治家大矢卓史先生の円熟期という期待を担いながら、その道の半ばにして倒れられたことは、まことに残念きわまりないことであります。 国会では、決算委員会や環境委員会でしばしば質問に立たれ、民社党にあっては、決算部会長や労働部会長、逓信部会長等を務められました。また、細川、羽田連立政権のときには、大矢先生と私たちはともどもに同志として支え合ってきましたが、その後、大矢先生は民主新党クラブから無所属クラブヘと移られたのであります。 大阪府会議員として十二年、衆議院議員として六年、通算十八年の議員生活の中で、大矢先生は一貫して庶民の代表であることを訴え続けられました。 中小企業の振興と育成のために情熱を傾けられ、例えば信用保証協会が債務保証をする際の根抵当権設定を猶予させるなど、中小企業者を守る闘いを貫いてこられたのであります。(拍手) 若いころ、新国劇にあこがれ、漫才や演歌などの庶民芸能をこよなく愛された大矢先生は、まことにもって温かなまなざしで芸能や文化を見守ってこられました。大きくは文化立国を推進され、また音楽や芸能の著作権を擁護するなど、幅広くきめ細かな文化活動も展開されてきたのであります。特に、芸能・文化面での地方分権をいち早く唱えられ、郷土に根差した大衆芸能の発展に大きく貢献されましたことは、広く認められているところであります。(拍手) 中でも特筆すべきは、東京だけで行われてきた芸術祭を大阪など地方でも行うべきだとの御主張でありました。決算委員会での文部大臣との芸術・芸能論争を初めとする先生の粘り強い御努力が行政を強く動かし、ことし十月に初めて大阪での芸術祭の開催が実現されることとなったのであります。(拍手)その芸術祭の会場に先生のにこやかなお顔を見つけることのかなわぬことを思うとき、冒頭が熱くなるのを禁じ得ないのであります。 「人間、背伸びしたら、背伸びした分だけ仕返しされるんや」「物事には何事も節度が必要や」、大矢先生がよく口にされた言葉です。そして「政治も行き過ぎたらあかん。節度が大切や」というのが先生の信念でもありました。今となってはもう先生の言葉を聞くことはかないませんが、しかし、その精神と心意気は私たち後輩がしっかりと受けとめてまいりたいと思います。(拍手) 今になってわかったことでありますが、大矢先生は、平成六年夏に既に胃がんであると告知されていたとのことであります。その後の相当な痛みを伴っての議会活動では、無理に無理を重ねられたと推察されますが、先生は口には一言もそのことをせず、そんなそぶりさえ全く見せずに、いつも笑顔を絶やさず、気力で国会活動を展開されてこられたわけであります。 大矢先生、本当に長い間お疲れさまでした。先生の御逝去はまことに痛恨のきわみでありますが、こよなく愛された大阪・万代池を眺めながら、奥様やお子様、お孫様に見守られて、どうか安らかにお休みください。なにわを代表する庶民政治家大矢卓史先生の御功績と御遺徳は長く人々の心に生き続けることと思います。 心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。(拍手) ――――◇―――――
○議長(土井たか子君) 御報告することがあります。 永年在職議員として表彰された元議員大野明さんは、去る五日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 大野明さんに対する弔詞は、議長において去る二十五日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに本院社会労働委員長運輸委員長予算委員長等の要職につき また再度国務大臣の重任にあたられた参議院議員正三位勲一等大野明君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ――――◇――――― 国務大臣の発言(一般国道二百二十九号豊浜トンネル崩落事故について)
○議長(土井たか子君) 建設大臣から、一般国道二百二十九号豊浜トンネル崩落事故について発言を求められております。これを許します。建設大臣中尾栄一さん。 〔国務大臣中尾栄一君登壇〕
○国務大臣(中尾栄一君) 今月十日発生いたしました一般国道二百二十九号豊浜トンネル崩落事故について、御報告をいたします。 初めに、残念ながら不幸な結果となってしまいました二十名の被災者の方々に対し、深く哀悼の意をささげます。また、事故発生から、厳冬の中、御家族の無事を祈り、長時間にわたり見守り続けてこられました御遺族に対して、心からお悔やみを申し上げます。 事故の経緯について御報告を申し上げます。 事故は、二月十日午前八時十分ごろ、北海道古平郡古平町、一般国道二百二十九号豊浜トンネルで発生いたしました。 発生の状況でありますが、豊浜トンネルの古平町側坑口から約四十五メートル付近で、トンネル上方の、高さ約六十メートル、およそ二万四千立法メートルの岩盤が崩落し、トンネルが約三十メートルにわたり崩壊して、通行中の路線バス一台と乗用車一台が落石土砂に埋まるという悲惨な事故でありました。 事故を目撃した通行者から通報を受けた余市署の連絡により事故発生を知った道路管理者である北海道開発局は、直ちに小樽開発建設部に事故対策本部を設置し事故に対応するとともに、北海道開発局、北海道開発庁、建設本省にも対策本部を設置し、それぞれ連携して事故の対策に当たりました。 今回の事故は、崩落した岩盤の下に被災者がおり、人命の救出を第一に行わなければならないことから、道路管理者、警察、消防、自衛隊、地元公共団体が協力して作業に当たることとし、現地に合同対策本部を設置して対処いたしました。 救助作業は、巨大な岩盤を除去する必要があり、また、被災者に影響を与えないでその除去が必要であるという極めて厳しい方法選択を迫られる中、二月十一日の第一回から十四日にわたる四回の発破の後、十六日から十七日にかけて被災者全員を収容することとなったものでありますが、まことに残念な結果でありました。 政府といたしましては、総理大臣の指示もあり、十二日に北海道開発庁長官が、十四日に私が現地合同対策本部に作業の督励に赴くとともに、十六日深夜には両名が再び現地へ入り、被災者の御家族をお見舞いし、十七日から十八日にかけて被災者の御遺族を各戸に訪問して、弔問申し上げてきたところであります。御遺族に対しましては、その御心痛を考え、できる限り誠意を持って対応する所存であります。 事故原因につきましては、二月十日に北海道開発局に設置いたしました一般国道二百二十九号豊浜トンネル崩落事故調査委員会におきまして、専門家による徹底的な究明を行うことといたしております。 また、建設省としては、二月十三日付で、全国の道路管理者に対して、今回の事故発生地点と同様の地形条件にあるトンネルの安全性の緊急点検を命じたところであります。さらに、別途、全国的な大規模岩盤崩落対策を検討するための第三者的立場の検討委員会を設置し、その成果を得て、全国の同様の地形にあるトンネル等の安全性向上に役立てることといたしました。 なお、本道路は、地域の通勤、通学、買い物等の唯一の生活道路であることから、トンネルの復旧までの間の生活道路の確保のため、閉鎖状態であった旧道を緊急に整備して、十九日から供用を開始したところであります。さらに、現道の復旧については、できる限り早期に復旧作業に取り組みたいと考えております。 以上、事故の概要等について御報告申し上げましたが、今回の事故を教訓として、道路管理の万全に向けてさらに一層努めてまいる決意であります。(拍手) ――――◇――――― 国務大臣の発言(一般国道二百二十九号豊浜トンネル崩落事故について)に対する質疑
○議長(土井たか子君) ただいまの発言に対して質疑の通告があります。これを許します。長内順一さん。 〔長内順一君登壇〕
○長内順一君 新進党の長内順一であります。 私は、ただいまから新進党を代表して、ただいま御報告のありました北海道豊浜トンネル崩落事故にかかわる諸問題について、総理並びに関係大臣に、地元の皆さんの声を代弁する形で、率直にお伺いいたします。 まず初めに、このたびの不慮の事故により、とうとき生命を失われた皆様の御冥福をお祈り申し上げますとともに、御遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。 また、厳寒の北海道、しかも二次災害と隣り合わせになりながら、このたび、まさに不眠不休で救出作業に当たられた現地合同対策本部、北海道開発局、警察、消防、自衛隊を初めとする各機関の皆様の御労苦に心より敬意と感謝を申し上げるものであります。(拍手) 私は、事故発生の翌日、十一日に事故現場である豊浜トンネルに向かいました。小樽開発建設部の事故対策本部経由で現地合同対策本部に入り、その足で事故現場へ向かったのであります。そして、氷点下の厳しい寒さの中、いまだにトンネルの中に閉じ込められている方々の全員無事を心から願いつつ、第一回目の発破を見守ったのであります。しかし、結果は、残念ながら当初の目的を達成することはできませんでした。 さらに私は、事故発生から六日目の十五日に、我が党の豊浜トンネル崩落事故対策本部長であります青山丘議員、そして樽床伸二、大口善徳、矢上雅義の各議員とともに再び現地に向かったのであります。もうそのときは、前日の第四回目の発破により岩盤がようやく取り除かれ、いよいよ本格的な救出作業が始まろうとしておりました。 私は、その現場で、このたびの事故が果たして本当に天災だったのか、事前に事故を防ぐ手だては本当になかったのか、また、国民の生命と財産を守り安全を確保することが私たち政治家に課せられた重要な責務の一つというのであれば、我々は、深い反省に立ちながら、その発生原因、発生後の行政の対応、そして今後の事故防止策等について真剣に議論をしていかなければならない、そんな決意をしたところであります。 そうした観点から、順次御質問をいたします。 まず第一には、あれほど巨大な岩が崩落する危険を本当に予見できなかったかということであります。 平成元年七月、福井県において、国道沿いの岩肌の一部が落石防護のためのロックシェッドを突き破って崩落、マイクロバスの乗客十五名が死亡するという事故がありました。この事故の後、建設省は平成二年から三年にかけて落石等のおそれのある箇所の全国総点検を行っておりますけれども、このたびの豊浜トンネルは補強対策の必要がないランクⅣになっているのであります。しかし一方、平成五年、北海道南西沖地震後に北海道開発局が行った急崖斜面防災点検では、安定度がやや低いというランクBに位置されているのであります。つまり、岩石の安定度においては双方で異なった評価が出ているのであります。 建設省、北海道開発庁では、それぞれ、この調査の結果について縦割り行政の枠を超えて比較検討し、安全性についての分析調査を行ったのでありましょうか。行っていれば今回のような形にはならない、このように考えますが、この点について建設大臣並びに北海道開発庁長官の御見解をお伺いいたします。 さらに申し上げれば、平成六年七月、北海道開発局の点検で豊浜トンネルと同じランクBでありましたワッカケトンネル付近の岬において、今回のものよりもさらに大きな五万トンの岩盤の崩落が起きているのであります。だとすれば、同じランクの豊浜トンネルの危険についても、これはもう当然類推できたはずでありますが、なぜこのまま放置されたのか、北海道開発庁長官の明快な御答弁をお願いいたします。 さらにまた、北海道開発局の技術者やOBの皆さんの手によって書かれた「後志の国道」という本があります。この中で、豊浜トンネルの施工状況の記述の中には次のようなくだりがあるのであります。「古平側坑口部の断崖絶壁の集塊岩は風化してもろく、落石崩落の危険が伴う」と明記されているのであります。既にトンネル施工当初から今回の危険性は指摘されていたのであります。 これらを総合的に判断するならば、豊浜トンネル付近の崩落の危険性については、これはもう十分予知できたのであり、この対応を怠った道路管理者としての国の責任は重大なのであります。この点について建設大臣並びに北海道開発庁長官にお伺いしたいのであります。 いずれにしても、私は、今日までの道路の安全調査・監視体制に重大な落とし穴があったのではないかと考えるのであります。現在、道路トンネルについては、日常の点検とはいってもすべて目視が中心であります。人が月に到達し、科学技術の進歩が著しい中、例えば人工衛星やセンサーなどを使った科学的点検法の導入や、地域による地質や気象の違いなどを考慮したより学術的な分析法の導入、さらには安全基準や点検方法の見直しを含めた抜本的な体制強化を訴えるものでありますが、橋本総理の御所見をお伺いいたします。 第二に指摘しなければならないことは、事故発生後の行政対応のまずさであります。 事故が起きたのが二月十日午前八時十分ごろであります。そして、救出作業の主力部隊、現地合同対策本部の設置されたのが、何と十四時間後の夜中の十時二十分ごろであります。 ところが、この現地対策本部長には、一課長職である小樽道路事務所長が就任いたしました。本人の力量、これは別にいたしましても、一課長の立場で自衛隊や警察、消防、それから各自治体の長の皆さんを指揮するのは、しょせん私は無理であったと思うのであります。間もなく御本人が、私には権限がないとお述べになり、途中で交代したのであります。 その後、四度目の発破により、ようやく二十名の御遺体が発見されたのは、何と事故発生後の八日目、二月の十七日のことでありました。合同対策本部長は、単なる各部署の調整役であったのかと言わざるを得ないのであります。 災害は突然やってくるものであります。緊急時においては責任ある立場の者が指揮に当たるのは当然のことでありますし、また、特別な権限が与えられなければ迅速かつ的確な対応がとれないことは、阪神・淡路大震災の貴重かつ重大な教訓なのであります。しかし、今回、この教訓は全く生かされなかったのであります。 さらに、驚くべきことは、北海道開発局の災害マニュアルは平成三年に改定されたきりであり、あれほど危機管理体制のあり方が問われた阪神・淡路大震災以後は全く改定されていないのであります。一体これはどうしたことでありましょうか。政府の危機管理に対する認識の甘さを指摘せざるを得ません。総理、なぜ阪神・淡路大震災以降直ちにマニュアルの見直しを行わなかったのか、お伺いいたします。 さらに、私は、北海道開発庁と建設省等他省庁との二重構造の問題を指摘しなければなりません。 北海道開発局の開発建設部は、組織としては北海道開発庁に所属していながら、実務遂行に当たっては建設省の指示、指導監督を受けることになっております。今回、この複雑な指示命令系統の二重構造が責任の所在をあいまいにし、また、対応を大幅におくらせた大きな要因であると私は考えるのであります。私は、このたびの事故を契機として、北海道開発庁の組織のあり方を初め、各省庁の行政組織全体の職務執行体制そのものが問われているものと考えるのでありますが、この点について総理の明快な御答弁を求めます。 また、橋本総理は、十三日になって、閣議において豊浜トンネル事故に触れられまして、「こういう状況で縦割り行政と言われたら恥だ。北海道 開発庁だけでなく建設省、防衛庁など各省一体となって対応してほしい」、こういうふうに縦割り行政の枠を超えた対応を求めたわけでございますが、期待どおりの結果であったのかどうか、橋本総理の率直な御見解をお伺いするものであります。 第三に、私は、村山内閣から続いてきた自社さきがけ連立政権の危機管理体制の欠如を指摘したいと思います。 阪神・淡路大震災から四百日以上が経過いたしました。しかし、村山内閣の危機管理体制の不備から六千名を超える死者を出したあの忌まわしい震災から我々が得た教訓は一体何だったのか、今、私たちは改めて思い起こさずにはいられないのであります。 その教訓とは、政府の危機管理体制の確立てあったはずであります。そして我々は、とうとき犠牲をむだにしないためにも、党派を超えて、災害対策基本法の改正を行うなど危機管理体制の確立の重要性を誓い合ったはずであります。残念ながら、この教訓は今回結果としては生かされなかったのであります。 村山総理から総理大臣を禅譲された橋本総理、総理は村山内閣の「無責任」の三文字まで禅譲されたのでありましょうか。意思決定に信念の貫徹とスピード感が全く見られないのであります。こうした禅譲は、国民にとって大変に迷惑な話なのであります。 政治のリーダーシップが今こそ問われているときなのであります。政治家たる閣僚の責任ある態度は、行政組織全体に浸透し、一国に緊張感と活力を与えるのであります。逆に、政治家があやふやな無責任な態度をとれば、行政も官僚もまた無責任になってしまうのであります。その意味において、阪神・淡路大震災の教訓を全く教訓として受け入れていない橋本内閣の責任がかくも重大であることを強く指摘せざるを得ないのであります。総理の明快な答弁を求めたいと思います。 また、御遺族に対しての補償の問題でありますが、自然災害と認識して災害弔慰金を支給されるようでありますけれども、予見の可能性や対応のおくれ、さらには御遺族の方々の御心痛を考えれば、政府としてはさらに誠意ある対応をとるべきであると考えます。総理の責任ある御答弁を求めるものであります。 今、日本は、雲仙・普賢岳の噴火や阪神・淡路大震災を初め、異常ともいえるペースで自然災害が発生しているわけであります。ことしも、この豊浜トンネルの事故だけではなく、全国的には大変な大雪でありまして、北海道では公共の交通機関や緊急車両までがとまってしまい、ついには自衛隊が出動する事態まで発生いたしました。これはまさしく災害であります。日本は、安全神話が崩れ、限りない不安定期に入ったと見ることができるわけであります。まさしく災害列島日本であることを強く認識する必要があるわけであります。 しかし、これに対し日本の危機管理体制は、見かけは立派に見えますが、その実、中身はすかすかの、まさに骨粗鬆症状態であり、とても国民の生命と財産を守るまでには至っていないのであります。 私は、これまでの発想を大きく転換し、緊急災害時の危機管理体制の整備、災害時の個人の財産権のあり方、また地震共済保険等の災害時保障制度の確立、さらには情報公開制度の創設など、早急にこれを体系化して、いわば総合的な災害の安全保障体制の概念の確立を図るべきと考えるのであります。 すなわち、日本の仮想敵はまさしく災害であるとの認識の確立てあります。災害発生時において、日本の縦割り行政機構ほど対応が不適当な組織はありません。これまでの縦割り行政では、地域防災計画で各機関ごとの役割は決まっているのではありますが、緊急時にいざ現場で一緒にやろうとするときはどうかという規定は災害対策基本法にはないのであります。すなわち、想定可能なあらゆる災害対策に機動的に出動できる各種専門家チームを含めたバックアップ体制がないのであります。 そこで、私は、縦割り行政の弊害を排除し、緊急災害時にでも機動的に行動できるような日本版FEMA、いわゆる危機管理庁ともいうべき組織を確立することを提案し、その点についての総理の御見解を承りたいと思うのであります。 このような災害が起きたときに、私たちにできることは二つであります。速やかな人命の救出と、それから復旧。そしてもう一つは、このようなことを教訓にして、このような災害をもう二度と起こさないという、その決意に立つことが私たちの使命なのであります。 そんな意味から今回のこの質問を申し上げて、私の質問をすべて終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。(拍手) 〔内閣総理大臣橋本龍太郎君登壇〕
○内閣総理大臣(橋本龍太郎君) 答弁に先立ちまして、まず豊浜トンネルの岩盤崩落事故に際しまして、亡くなられた被災者の方々には心から哀悼の意を表しますとともに、謹んで御冥福をお祈りいたしたいと思います。また、御遺族の皆様におかれましては、突然最愛の御家族を失われたその悲しみがいかばかりかと、衷心からお悔やみを申し上げます。 長内議員に御答弁を申し上げます。 まず、道路トンネルの安全調査・監視体制についてのお尋ねでありますが、今回の事故を重く受けとめ、事故後直ちに北海道開発局におきまして学識経験者から成る調査委員会を設置いたしますとともに、全国の道路管理者に対し、トンネルの坑口部等ののり面、斜面につきまして緊急点検を指示いたしました。 また、今回のような大規模岩盤の崩落による被災の再発を防止するため、幅広い学術分野の専門家の英知を結集した委員会を早急に設置し、崩壊のメカニズムとあわせまして、調査、計画から点検方法も含めました維持管理に至るまでの技術的な諸課題を対象にして、幅広い視点から検討を進めさせることといたしております。この検討等を踏まえまして、道路交通のより一層の安全性向上に向けて、体制の強化を含め万全の努力を払ってまいりたいと思います。 次に、北海道開発局の災害マニュアルにつきましては、阪神・淡路大震災を契機に平成七年七月に国の防災基本計画が改定をされ、これを受け、関係機関において防災業務計画の改定作業が行われております。北海道開発局は、農林水産省、建設省、運輸省の関係三省の事業を実施する機関であり、これら関係省の防災業務計画の内容と十分に整合性をとるように図りながら、災害マニュアルの見直しを進めているさなかでございました。おくれましたことは大変申しわけないと思います。今回の事故の教訓も含め、早急に改定を終える予定であります。 次に、北海道における一般国道の維持管理事業につきましては、建設省の指揮監督のもとに北海道開発局が実施をいたしており、北海道開発庁は北海道開発局に対し、その組織・業務一般についての指揮監督を行っております。今回、北海道開発庁は、その立場から、道路管理者である建設省と緊密な連携を図りながら、救助活動の円滑な実施が図られるよう必要な措置を講じてまいりました。 今後につきましては、今回の事故への対応状況を踏まえ、この種の事態に対して一層迅速な対応が図られるよう、建設省等の関係機関と北海道開発庁との間における救助の初動体制のあり方等について見直しを行ってまいりたいと思います。 また、行政組織全体の職務執行体制につきましては、その組織編成のあり方を含め、行政改革の検討課題の一環として今日までとらえてまいりました。今回の事故の経験をも踏まえながら、政府として、さまざまな観点から、引き続き大切な課 題として真剣に検討を進めてまいりたいと思います。 次に、今回の事故の発生からの関係省庁の対応についてでありますが、事故発生直後から、関係機関におきまして対策本部等が順次設置され、救助活動体制が整備をされますとともに、関係機関の緊密な連携を図るために、現地に、北海道開発局、警察、消防、自衛隊、関係自治体などから構成される現地合同対策本部を設置し、これら機関が一体となって、昼夜を分かたず救助活動が実施されたものと考えております。今後は、今回の対応を踏まえ、反省すべき点の有無を含め、関係機関の連携にさらなる改善を図ってまいりたいと考えております。 私といたしましても、発生直後からこの事態を非常に重く受けとめ、二月十一日に北海道開発庁長官に、さらに二月十四日には建設大臣に、現地に赴き、人命救助を最優先に一刻も早い救助活動に当たるべく関係者を督励するよう指示いたしてまいりました。結果的には、本当に大変残念な、最悪の事態に遭遇をしたわけでありますが、今後は、今回の教訓を踏まえ、この種の事態に一層迅速に対処できるよう関係機関の体制整備を図りたいと思います。 また、御遺族の方々に対する補償でありますけれども、このたびの突然の災害で亡くなられました方々のその御遺族の御心境を考えまして、できるだけの誠意を持って対応していきたいと考え、政府としては、これを自然災害であると認識して災害弔慰金を支給する方向で地元自治体との協議を行っておるところであります。そして、この弔慰金は、御遺族による今後の対応について何ら制約を課すものではないことだけは、この機会に申し上げておきたいと思っております。 また、損害賠償につきましては、原因究明を待つ必要がございます。できるだけ早く原因究明を行い、適切に対処していきたいと考えております。 また、災害時の組織体制につき、御提言を含めて御質問をいただきました。 政府は、この阪神・淡路大震災を教訓とし、災害時の体制の整備に鋭意努めてまいりました。 まず、情報の迅速な収集・連絡のために、昨年二月には、内閣総理大臣官邸への情報連絡体制の整備に係る閣議決定、昨年の七月には、防災基本計画において発災直後の関係省庁による情報収集・連絡を明確化いたしました。 また、内閣総理大臣を初めとする政府の責任者が一体となって災害時の危機管理に当たりますため、昨年の十二月には、緊急災害対策本部長の権限の強化、全閣僚を本部員とすることなどを内容とする災害対策基本法の改正をお願いし、去る二月二十三日には、例えば東京における直下型大地震といった事態を想定し、内閣総理大臣の職務代行の順位あるいは参集場所、方法等、内閣としての初動体制についての閣僚申し合わせなどを行ってまいりました。 さらに、広域的な初動支援のために、防災基本計画におきまして、都道府県と自衛隊との平時からの連携体制の強化、共同の防災訓練の実施等を明確化いたしましたし、警察、消防の広域緊急援助隊の創設なども行ってまいりました。 これらの対策や制度により必要な体制を整備してまいったつもりでありますけれども、引き続き、こうした体制の整備強化に努めてまいりたいと考えております。 残余の質問につきましては、関係大臣から御答弁を申し上げます。(拍手) 〔国務大臣中尾栄一君登壇〕
○国務大臣(中尾栄一君) 長内議員にお答え申し上げます。 建設省が指示をいたしました全国総点検と北海道開発局が行いました点検の結果についての御質問でございますが、建設省では、道路防災に係る全国総点検の一環といたしまして、豊浜トンネルの点検を平成三年度に実施したところでございます。この点検では、坑口付近の地山の変状、坑内や坑門の亀裂あるいはまた沈下等の有無等につき、まして点検を実施しております。点検結果は、いずれも変状が認められず、おおむね安定しているとの結果でございました。 また、北海道開発局で平成五年度に実施した点検は、北海道南西沖地震による変状及び今後の地震に対する斜面の安定度を確認するための調査でありまして、点検結果は、北海道南西沖地震による変状は確認されないが、今後の地震に対する安定度がやや低いという結果でございました。 これらの結果を受けまして、今後の地震に対して、安定度の観点でランクの高いものから、平成六年度より順次詳細な調査を開始している段階でございました。 また、豊浜トンネル崩落の危険性を予見できたのではないかとのお尋ねでございましたが、北海道開発局におきましては、道路防災を重要課題として受けとめまして、過去の災害経験を踏まえた防災点検やあるいは日常的なパトロールを実施してきたところでございますが、いずれも特段の変状を認めることができず、結果として事故を防ぐことができなかったとの報告を受けております。 しかしながら、今回の事故を重く受けとめまして、トンネル工学、地質工学などの学識経験者から成る調査委員会を設置いたしまして、二月十六日には第一回を開催するなど、原因の徹底究明を行うこととしておる次第でございます。 この間におきましても、このような事故が再び生じないように、建設省としましては、早速二月十三日付で、全国の道路管理者に対しまして、今回の事故と類似するような条件のトンネル坑口部及び落石覆工が設置されている箇所ののり面、斜面については緊急点検を指示したところでございます。 なおまた、全国的な大規模岩盤崩落対策を検討するために、幅広い学術分野の専門家の英知を結集した委員会を今回新たに設置いたしまして、その成果を得て、全国の同様の地形にあるトンネル等の安全性向上に役立てることとしておる次第でございます。 今後とも、今回の事故を教訓といたしまして、道路管理に万全を尽くしてまいりたいと考えております。 ありがとうございました。(拍手) 〔国務大臣岡部三郎君登壇〕
○国務大臣(岡部三郎君) 長内議員の御質問にお答えいたします。 答弁に先立ちまして、一般国道二百二十九号豊浜トンネルの岩盤崩落事故により亡くなられました被災者の方々に対し、謹んで哀悼の意を表しますとともに、御遺族の皆様方に心からお悔やみ申し上げます。 まず、建設省が指示した全国総点検と北海道開発局が行った点検の結果についての御質問でございますが、先ほど建設大臣からお答えいただきましたとおり、点検の視点が両調査において異なるために、それぞれの観点からの安定度の評価がなされたものでありますが、これらの結果を受けて、平成六年度より順次詳細な調査を開始している段階であったと聞いております。 次に、ワッカケ岬の崩落や「後志の国道」の中の記述等により豊浜トンネル崩落の危険性を予見できたのではないかとのお尋ねでありますが、先ほど建設大臣からもお答えいただきましたが、過去の災害経験も踏まえた防災点検や日常的なパトロールを実施してきましたが、特段の変状を認めることができず、結果としては事故を防ぐことができなかったものと聞いております。 なお、今回の事故を重く受けとめ、既に事故調査委員会が設置され、事故原因の徹底究明がなされるものと考えております。 北海道開発庁といたしましては、防災対策の一層の強化に努め、災害に強い地域社会の実現に最大限努力してまいりたいと存じております。(拍手)
○議長(土井たか子君) これにて質疑は終了いたしました。 ――――◇―――――
○議長(土井たか子君) 本日は、これにて散会いたします。 午後零時五十六分散会 ――――◇―――――