厚生委員会 第31号
- 発言数
- 567 件
- 登壇者
- 38 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1996/07/12
会議録
○和田委員長 これより会議を開きます。 この際、申し上げます。 本日は、委員室での喫煙は御遠慮願いたいと存じます。 また、報道関係者の方々にお願い申し上げます。傍聴人の方を撮影することは御遠慮願いたいと存じます。 以上、御協力をお願いいたします。 —————————————
○和田委員長 この際、証人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 厚生関係の基本施策に関する件の調査に関し、エイズ問題について、来る七月二十三日火曜日午前十時に郡司篤晃君、同日午後零時三十分に安部英君、同日午後二時三十分に塩川優一君、以上三名を証人として本委員会に出頭を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○和田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 衆議院規則第五十三条の規定により、その手続をとることといたします。 ————◇—————
○和田委員長 厚生関係の基本施策に関する件、特にエイズ問題について調査を進めます。 ただいま、参考人として、元厚生省公衆衛生局保健情報課長野崎貞彦君及び順天堂大学医学部助教授松本孝夫君に御出席をいただいております。 なお、本日、参考人として出席をお願いしておりました順天堂大学医学部教授白井俊一君から、所用のため出席できないとの申し出がありましたので、御了承願いたいと存じます。 また、白井教授より、帝京大学血友病患者エイズ症例の病理組織標本について及び帝京大学症例に関する臨床経過報告書と暫定病理解剖学診断報告書についての私見について等を記載した文書が送付されておりますので、お手元に配付いたします。 この際、御出席の両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。 議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 それでは、まず委員長から野崎参考人にお尋ねいたします。 参考人は、一九八三年八月から一九八五年三月まで厚生省公衆衛生局保健情報課長及び保健医療局感染症対策課長を務められ、一九八四年九月に塩川名誉教授を委員長とするエイズ調査検討委員会を設立されるなど、エイズ対策全般についての行政を担当されました。 そこでお尋ねいたします。 当時、血友病患者の抗体陽性反応が明らかにされた検査結果として、安部教授が依頼したいわゆるギャロ判定及び栗村教授による判定がありますが、参考人はこれらの結果をいつ知られたか、お答えください。 また、当時、既に、いわゆる帝京大症例がエイズ研究班において検討されており、また、ギャロ判定及び栗村判定によって血友病患者のエイズ感染が明らかになったことから、帝京大症例を含む血友病患者の症例についての情報を集めて、これらの症例が最初のエイズ患者として認定されるよう、事務局としてもエイズ調査検討委員会に対して資料、情報の提供等を行うべきであったと思いますが、参考人はどう考えられますか、簡潔に御説明願いたいと思います。
○野崎参考人 野崎でございます。 お答えに先立ちまして、エイズでお亡くなりになられた方、また不幸にしてエイズに感染された方々、また、発病して闘病生活を行われておられる方々にお見舞いを申し上げます。 それでは、まず第一点でございますが、安部教授の調査報告についてでございますが、昭和六十年三月二十一日の新聞報道の前日にそれを知りました。 それから、第二点でございますが、今の点につきましては、三月二十二日に開催されましたエイズ調査検討委員会にお諮りをいたしました。また、栗村教授の件につきましては、五十九年十一月二十二日に京都大学の研究班に参加いたしました私どもの課の森尾技官からの報告によりまして、血友病患者にLAVの抗体陽性が見られるということを知りまして、十一月二十九日の第二回エイズ調査検討委員会で議論がなされました。その後、日沼、栗村教授から翌年の三月に正確な御報告をいただきまして、これも委員会に報告をし、これにつきましては公表をいたしました。
○和田委員長 次に、松本参考人にお尋ねいたします。 参考人は、一九八五年三月にエイズ第一号に認定されたいわゆる順天堂大症例の患者を当時診察されたと承知いたしておりますが、この患者がエイズに該当すると判断される症状としてどのような症状を示していたか、簡潔に御説明いただきたいと思います。
○松本参考人 松本でございます。 先立ちまして、エイズ感染者並びに患者の方々にはお見舞いを申し上げるとともに、私もエイズ医療に関係しておりますので、今後ともそれに励みたいと思っております。 ただいまの委員長からの御質問にお答えさせていただきます。 この患者さんの症状としましては、微熱、倦怠感、下痢、体重減少、右季肋部の圧迫感の訴えがありまして、リンパ節腫脹、肝腫脹などが見られました。また、感染症としては、カンジダ症、単純ヘルペスウイルス感染症、これが認められました。 検査所見では、血小板減少、細胞性免疫の指標としてのヘルパーT細胞、今ではこれをCD4細胞と呼んでおりますけれども、これの百分率が一四・九%、絶対数は三百五十と著明に低下しておりました。また、サイトメガロウイルスに対する抗体も陽性でございます。加えて、当時、鳥取大学の栗村教授に依頼して測定したエイズウイルスに対する抗体である抗LAV抗体、これが陽性でした。 以上がこの方の臨床的所見でございます。
○和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。衛藤晟一君。
○衛藤(晟)委員 それでは、まず野崎参考人にお尋ねをいたしたいと思います。 エイズウイルスによる感染の危険についての認識の問題について、まずはお尋ねをいたしたいと思います。 参考人は、先ほど委員長からもございましたように、昭和五十八年八月一日に公衆衛生局の保健情報課長に着任をいたしまして、途中で組織がえがあって、昭和六十年の四月一日まで保健医療局の感染症対策課長としてエイズの問題に中心的に関与されてこられました。 ところで、東京地裁が昨年の十月六日に出した和解勧告に当たっての所見は、昭和五十八年八月末ごろには、国内においても既にエイズに罹患した血友病患者が出ていることは判明していたというぐあいに指摘をされております。それから次に、 当時、厳密な科学的見地からはエイズの病因が確定しておらず、エイズウイルスも未だ同定されていない段階ではあったけれども、米国政府機関等の調査研究の結果とこれに基づく諸々の知見に照らすと、こと血友病患者のエイズに関する限り、血液又は血液製剤を介して伝播されるウイルスによるものとみるのが科学者の常識的見解になりつつあったというべきである。 というぐあいに裁判所においては所見で指摘をされておるわけであります。 私は、昭和五十八年の八月末ごろには、血液製剤を介してエイズに罹患する危険があるということについての予見の可能性があったというぐあいに考えておりますし、また、情報収集や感染症対策等の担当の方々は薬務局の生物製剤課に先駆けて必要な対応をとるべきではなかったのかというぐあいに考えております。 ところが、エイズ研究班において昭和五十九年三月二十九日に第五回の班会議が開催され、診断基準小委員会の最終報告が提出されているにもかかわらず、エイズ調査検討委員会が設置されたのは昭和五十九年九月に入ってからのことでありまして、診断基準に関する意見が取りまとめられてから半年間の空白があります。 そこで、参考人は、情報収集、感染症対策の担当課の責任者として予見可能性についてどのように考えておられたのか、そして、当時の感染症対策の課長としてこの課の対応が十分であったのかについて、まずお尋ねをいたしたいと思います。
○野崎参考人 まず第一点でございますが、まだ病因が定かでない時期でございまして、いかに防疫体制をしいていくか、また、CDCの発表しておりましたハイリスクグループと我が国の現状を比較しつつ、疫学的また臨床学的、それから免疫学的な対応の必要を痛感しておりました。 血液製剤を介してエイズに感染する危険についての予見でございますが、当時としては非常に難しかったのではないかというふうに考えております。 それから第二点でございますが、エイズ研究班では、研究ベースで進んでいた診断基準小委員会の結果を踏まえまして、これを行政ベースに移していくということで、まずサーベイランス網を整備しなくてはいけないということで、都道府県、保健所、それから医療機関、それから、報告、届け出をしていただける拠点病院、こういうようなものを行政組織を通じましてブロック会議等を行って整備を行いました。 一方、小委員会、エイズ研究班から報告を受けました調査票については、それを調整し、これを試行してみるというようなことを行いまして、各都道府県の担当課でありますとか医師会との打ち合わせ等の調整を行ってまいりまして、七月には委員の選任、八月に局長通知の起案を行いまして、五十九年の九月に、今御指摘のようなエイズ調査検討委員会としてスタートしたわけでございます。 また、この間、委員会設定に至る間も情報収集には努めておりました。 以上でございます。
○衛藤(晟)委員 次に、血友病患者にいわゆる抗体陽性が広がっているということが相当早い時期にわかっておりますが、しかし、わかった後の対応というものは極めて不十分であったというぐあいに私ども認識をせざるを得ません。そういうことを踏まえて、エイズ調査検討委員会の設置後のエイズに関する知見の進歩とそれを踏まえた行政の対応についてお尋ねをしたいと思います。 昭和五十九年十一月二十二日の輸血後感染症研究班の班会議において、栗村教授による日本の血友病患者に関する抗体検査の結果が報告されたということが明らかになっております。そして、参考人は、血液製剤によるHIV感染に関する調査プロジェクトチームの質問に対し、当日の会議に出席していた感染症対策課の森尾課長補佐から会議の内容について「口頭で報告を受けた」、先ほどにもそういう話もございました。 抗体陽性は、エイズに関連するウイルスの感染が成立したというぐあいに理解するのが当時の常識であるというように考えておりますし、そのような常識について早急に国民に公表するとか、あるいはハイリスクグループとして浮き上がった血友病患者に関する症例の報告を促すとか、いろいろな対策がこの時点でとられるべきであったというぐあいに思います。この肝心なことがとられていないような気がするわけでございますが、そのことについてお尋ねをしたいと思います。 まず、抗体陽性の意味についてどういうぐあいに認識しておられたのか。それから、抗体検査の結果を公表したり、あるいはハイリスクグループとしてはっきりわかったわけでございますから、血友病患者に関する症例の収集に努めるなどの措置を何ゆえにやらなかったのか、どうしても解せないところでございます。ここをお尋ねいたします。
○野崎参考人 今お話にございました抗体検査結果の陽性であるということについては、エイズウイルスに感染しているものというふうに私も受けとめておりました。ただ、当時、HTLV—IIIとかLAVとかARVというような各種の報告がございまして、これらが同じものなのかどうなのかという確認についてはできませんでしたけれども、エイズウイルスということで感染しているということには理解しておりました。 次の、十一月二十二日、京都大学で開催されました研究班に出席いたしました森尾技官の報告を受けました。これは今御指摘のように、調査プロジェクトチームからの御質問のときには、たしか、口頭で聞いたというふうに記憶してお答えしたのですが、後ほど森尾技官のメモが出てまいりまして、見た記憶がありましたので、そのメモを見ながら報告を受けたというふうに覚えております。 そのとき、国内の血友病患者二十二例中四例の陽性を認めたということでございますが、検査法がまだ未完成なので公表しないでほしいという意見が付せられていたということで、翌週十一月二十九日のエイズ調査検討委員会に報告をいたしまして、これについて議論をしていただきました。そこでも、まだ、調査方法がLAVについての抗体陽性ということだけではどうなのかという議論もありまして、それについては公表いたしませんでした。 しかし、先ほど触れました、栗村教授が引き続き開発を続けられまして、米国の抗体検査法ともクロスをして十二月にはその検査法がおよそ完成をしてきたということで、六十年の三月中旬になりまして、日沼教授、栗村教授から、検査法が完成をした、国内の血友病患者の百六十三件中四十七名について陽性であるという報告をいただきまして、これは直ちに検討委員会に御報告し、いろいろ御検討いただいた結果、その日のうちにこの結果については公表をいたしました。
○衛藤(晟)委員 栗村教授が十一月に出しました二十二例中四例、それから、明けまして六十年の百六十三例中四十七例、確立されたというぐあいに、これだけのこともずっとわかったわけでありますが、やはり対策が一体どうなっていたのだろうかということが、私ども、どうしてもここのところが理解がしづらいところでございます。 そこで、このころ安部教授が血友病患者の血清をギャロに送ったという報告がどの時点であったのだろうか、さらに、栗村教授の検査結果のほかに、今もちょっとお話がございましたが、安部教授が依頼した症例の抗体検査の結果についても、どのような形で報告されたのか、そして、だれが報告をしたのかについて、お尋ねをいたしたいと思います。
○野崎参考人 安部教授がNIHに調査を依頼したということについては、私どもは情報をキャッチしておりませんでした。昭和六十年の三月二十一日の新聞報道がございましたが、その前夜、新聞社からコメントを求められて知りました。 そこで、三月二十二日のエイズ調査検討委員会でこれが検討されまして、帝京大学病院に対して調査票の提出等について求めたところでございます。
○衛藤(晟)委員 塩川参考人から帝京大症例の取り扱いについて相談を受けたのはいつごろかについて、お尋ねしたいと思います。 塩川参考人は、血液製剤によるHIV感染に関する調査プロジェクトチームに対する回答において、「昭和六十年二月十六日、東京都より、一例の男性エイズの症例が報告された。この患者の感染経路は男性同性愛であった。」、厚生省もエイズ調査検討委員会も「報告されていない血友病の症例をどうするかということを、ここで改めて深刻に検討した。そこで、当時の野崎課長は安部教授に連絡し、帝京大学の症例の調査票の提出を促したのであるが、第一例の報告に間に合わなかったと聞いている。」というぐあいに言われております。要するに、昭和六十年三月二十二日以前に、血友病患者の取り扱いについて検討し、帝京大学症例のサーベイランス調査票の提出を促したというぐあいにしています。 これに対して、参考人は、同チームに対する回答で、「三月二十二日の第四回エイズ調査検討委員会において」「安部教授に早急に調査票の提出をしてもらう必要があるとの結論となった。」というようにしておりまして、血友病患者の症例の取り扱いについて検討した時点、調査票の提出を促した時点について食い違いが見られます。 そこで、国会の場で、帝京大学症例の取り扱いを、いつ、どのような形で検討し、どのような対応をしたのかについて思い出していただいて、真実を明らかにしていただきたいというように思います。
○野崎参考人 帝京大病院の症例でございますが、先ほどちょっと触れましたが、三月二十一日付の新聞報道に先立つコメントを求められて、私も非常にびっくりしたわけでございまして、それまでエイズ調査検討委員会でこの件について議論されたことはございませんでした。三月二十二日の第四回だったと思いますが、調査検討委員会で、塩川委員長から、この件について帝京大学病院に申し入れるようにという指示をいただきました。それで、その日の委員会で、この症例についても議論がなされましたと記憶いたしております。
○衛藤(晟)委員 ちょっと話が戻りますけれども、安部教授がギャロさんに送ったものに対する回答が、昭和五十九年九月六日付で日本に来ております。 その中身は、四十八人について二十三人の血清が明らかに陽性でした、このデータはなるべく早く公表したいというように考えているけれども、同意してくださいということであります。そしてまた、もっと詳しいいろいろなデータがあればアメリカの方に送ってくださいということで、このギャロさんの秘書に当たるというかパートナーに当たるロバート・グロフさんという方から送られております。 このデータは、報告としていつごろ厚生省に入ったのですか。
○野崎参考人 私が在任している期間にはそれを見ませんで、今度の調査プロジェクトチームの質問に際してこれを初めて私は見ました。恐らく、帝京大病院症例が調査票として出された時点で出されたものではないかというふうに考えております。
○衛藤(晟)委員 それから、栗村教授の判定は、最初は未完成であるということではございましたけれども、それから数カ月の間にほぼ完成されますね。それに対して、そこまで抗体陽性がはっきり出てきた、血友病の患者の中に大変な感染をしているという実態が明らかになった。その時点における厚生省の対応について、当時の感染症対策課長としてどういうように考えられますか。 改めて言いますと、五十四年に改正をされました薬事法によりましては、「危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めるときは、」そのようなときは、販売等を一時停止する、あるいは「応急の措置を採るべきことを命ずることができる。」というようなぐあいに、はっきりと過去の反省を踏まえてこれだけのことが書き加えられたわけであります。 そして、抗体陽性でこれだけの事実が出てきたときに、どのような措置をとったのかということについて、極めて大きな問題だ。もちろん、このことは当時の野崎課長のところだけの責任ではないかもしれません。しかし、感染症対策課としてやはり早急にこれはとるべきであったというぐあいに思いますけれども、これについてどういうように今思われていますか。
○野崎参考人 先ほどお答えいたしましたように、三月の中旬になって日沼教授、栗村教授からの御報告をいただきまして、先ほどの百六十三件中四十七件にも陽性があるということを知りまして、しかも、これは抗体検査法がもう確立したという時点での数字でございますので、私どもとしては、極めてこれを大変なことだという認識で受けとめました。 それで、直ちに直近の検討委員会にお諮りをして、すぐこれを公表したわけでございますが、当時、この委員会には薬務局の方も同席をしておられたと思いますので、その情報は薬務局にも伝わり、また、公表されましたので、世間にも、翌日の新聞には伝わったというふうに考えております。
○衛藤(晟)委員 それでは、順天堂大学症例がエイズの第一号というぐあいになりました。しかし、リンパ球の検査は一回しかされておりません。いわゆる順天堂大学症例は、帝京大学症例に比べると臨床症状が軽かったということは既に明らかとなっております。しかも、カンジダ食道炎等の、エイズに最も頻発すると言われる特異的な症状が見られなかったということも明らかになっております。 新聞でも、「主治医は厚生省に「エイズまたはプレエイズが疑われる症例」と慎重な判断を伝えていた。」五月二十五日付の同じく読売新聞でも、 エイズ調査検討委員の一人は「同性愛者の患者はその後十年も生きていたとされ、認定時はエイズを発症しておらず、感染者に過ぎなかったのだろう。今思えば、帝京大症例が第一号だった」と話している。 というぐあいな報道をされております。 さらに、当時の「診断の手引き」によれば、リンパ球検査については、「検査は同一対象について必ず間隔を置いて数回反覆施行し、経過を観察して判定する。けっして一回のみの検査成績をもって結論を出さない。」というぐあいに明記されております。そして、公表された関係記録を精査しても、一回以上の検査や経過観察がされた形跡はありません。 順天堂大症例は、リンパ球検査を一回しかしておらず、かつ、当時の診断基準を満たさない症例ではなかったのかというようなぐあいに思いますし、当時のエイズ認定は問題があったのではないかと強く感じております。このように順天堂大学症例の判定について重大な疑問が提起されているにもかかわらず、厚生省は、依然として当時の診断基準に合致していたという立場を崩してはおりません。 そこで、当時の「手引き」について、カンジダ食道炎等のエイズに最も頻発すると言われる特異的症状が見られないケースであってもエイズとする解釈がされていたのかどうか、その理由ですね。それから、順天堂大学症例について、リンパ球検査が何回行われ、どのような経過観察が行われたのか。仮に一回しか検査がされず、経過観察が行われないとした場合、その症例をエイズと認定することが「診断の手引き」に反することにならないのかについてお尋ねしたいと思います。
○野崎参考人 順天堂大学から提出されました症例でございますが、今御指摘のようなことを、私、臨床医でないのでよくわからない部分もございますが、エイズの「診断の手引き」、また調査票によりますと、その後、エイズに関する知見が日ごとに変わってはきておりますが、その当時の調査票としては、皆さんの御意見を踏まえたものであったというふうに考えております。 その中で、リンパ球の測定でございますが、私の記憶では、当時、調査票に主治医意見書が添付されておりまして、その中で米国における検査結果が記されておりました。その中にリンパ球の検査も含まれておって、これが参考になったのではないかというふうに記憶しております。 また、カンジダの症候もあったということで、もう一つは、先ほど来御質問のございました、栗村教授が開発して検査法も確立されたというLAV抗体が陽性であったということも一つの決め手となって、総合的な判断の結果、極めて疑いが濃い症例という報告になったというふうに存じております。
○衛藤(晟)委員 その順天堂大学症例の認定につきましては、私としては、やはり問題が多いと言わざるを得ません。 参考人は、帝京大学症例についても、昭和五十八年の八月以降はエイズ研究班の情報も知ることができて、抗体陽性の情報を五十九年の十一月二十九日には知ることができたわけでありますから、もっと早い時点で帝京大学症例についてサーベイランス調査票の提出を要請して、早急に検討することができたのではないかというぐあいに思います。 ところが、参考人は、平成六年二月六日に放映されたテレビ番組の中で、「対応ができた段階で軟着陸した状態で第一号患者が見つかるというのが一番いい形ではないかと考えておりました。」というように述べております。解釈のしようによっては、エイズ患者の認定を対策がとれる段階まで先延ばしをしていたという印象を与える発言であります。 最後に、どうしてこのような発言をされたのか、そして、今改めて振り返ってみて、帝京大学症例を早急に検討するという方策をとらなかったということについて当時の責任者としてどういうぐあいに考えておられるか、お聞かせをいただきたいと思います。
○野崎参考人 今御指摘のテレビの放映でございますが、取材を受けた当時、一般的なエイズ防疫についてのお話の取材でございまして、その部分の一部分の画像が取材を受けた問題から離れて引用されているというふうに非常に遺憾に思っております。 防疫対策を行う上で、我が国のように人口が非常に密集している、また、狭くてしかも情報が瞬時に行き渡るというような国では、一方向の行動に突っ走ってしまう傾向がより強い。これは、今までの天然痘でありますとかコレラの防疫に実務経験がございますが、その体験からも正確な情報の提供及び防疫体制づくりが大切であるということを身にしみて感じておりましたので、その趣旨を発言したわけでございますが、その部分の一部分がひとり歩きしているということで、極めて遺憾に思っております。 五十八年から六十年当時の状況は、エイズに関する情報が錯綜しておりまして、報道機関は、現代の黒死病でありますとか、人類が滅亡するとか、性風俗の問題とかいうような表現で患者の発生情報を競っているようなとき、どれが正しい情報かを選別しまして、また、防疫体制を整備し、医療機関の協力を得、国民への知識普及に全力を投入していかなくてはいけないということが重要だという趣旨でお話しした部分でございます。 それから次の、帝京大症例についての反省でございますが、現時点で考えますと、医療機関、特に協力医療機関でありました帝京大学病院からは当然報告があるというふうに私は思い込んでおりました。安部教授は、エイズ研究班、それから翌年の輸血後感染症研究班にも所属しておられまして、この間の流れは十分に御存じだったというふうに思っておりましたので、新しい情報があれば必ず御連絡をいただけるものと思っておりましたが、結果的には、こちらから催促するまで御協力をいただかなかった。その点につきましては、さらに念押しをしなかったという点については、私も残念に思っております。
○衛藤(晟)委員 それでは、松本参考人に質問をさせていただきたいと思います。 先生は、初めてエイズとされた順天堂大学症例の主治医であったというぐあいにお聞きをいたしております。 日本における真の第一号症例がどの症例だったかについて、当委員会におきましても真相究明に努めてきたところでございますが、順天堂大学症例と、昭和五十八年のエイズ研究班で検討され、昭和六十年五月三十日になって初めてエイズとされたいわゆる帝京大学症例を対比すると、私としては、本来は帝京大学症例が日本における初のエイズ症例として取り扱われるべきではなかったのかというぐあいに考えざるを得ません。 さらに言えば、もしこのときに帝京大学症例、血友病患者の中からエイズ患者が出たということが明らかになっていれば、あるパニックが起こったと思います。しかし、そのパニックが起こることによって、厚生行政の大転換がなされて、ここまでのエイズの拡大は防げたというぐあいに考えておりますだけに、このエイズ第一号の認定をめぐる問題は極めて大きな意味を持っているというぐあいに思います。 この点につきまして、塩川参考人から十分な説得力のある説明がなされたとは言えません。塩川参考人は、順天堂大学症例がエイズとされた点について弁解をする必要に迫られると、従来公表されてこなかったこの後の経過等について書類等の裏づけがないし、我々が指摘するよりも重い症例であったような印象づけをするような陳述をされています。 そこで、松本参考人に対して、順天堂大学症例をめぐる事実関係についてお伺いをしたいと思います。 まず、塩川参考人は、本年六月十日の参議院のエイズ小委員会において、順天堂大学症例の患者はカリフォルニアでエイズを初めて発見したゴットリーブ博士という方の診察も受けているというぐあいに述べております。エイズに関する知見が進んでいたアメリカで、しかも、エイズを初めて発見した医者の診察を受けていたのであれば、わざわざ来日して診察を受ける必要はないというぐあいに考えます。 また、日本に当時数々のエイズ研究者がいた中で、なぜあえて順天堂大学で診察を受けたのかも明らかにされていません。 さらに、当該患者の初診年月日は昭和六十年一月十七日であるということが明らかになっていますが、エイズ調査検討委員会の資料によれば、当該患者は一月中旬には米国に帰国したというぐあいにされており、果たして診察や治療のために来日したものであるかどうかについて重大な疑問があります。 このような点を踏まえると、むしろ、血友病患者以外のエイズ患者を第一号の患者と認定するためにわざわざアメリカから日本に呼び寄せたのではないかという疑いを払拭することができません。 そこで、御質問申し上げますが、当該患者はエイズを発見したゴットリーブ博士の診察を受けていたかどうか、それから、あえて来日して参考人の診察を受けた理由、それから、当該患者に対して、来日し、そして順天堂大学での受診を勧めたのはだれかについてお答えをいただきたいと思います。
○松本参考人 お答えいたします。 まず、この患者さんが来日以前にゴットリーブ博士の診察を受けていたということは、私は知りません。ですから、その件についてのコメントはできません。 それから第二ですが、これは、こちらに来た理由ということでしょうか。(衛藤(晟)委員「はい」と呼ぶ) この患者さんの本当の気持ちというのは患者さんしかわからないわけでございますけれども、少なくとも、この患者さんのお話を伺いますと、この患者さん自身は、特定されるような部分についてはお答えできませんけれども、仮にこの患者さんをAさんと呼びますと、十数年来、米国、ヨーロッパでお仕事をなされていた方だということでございます。 当時、同性愛であったのですけれども、その交際の相手が当時のエイズという病気で亡くなったという事実がございまして、また御自身も、自分の体調変化等にも気づかれて心配はなさっていたわけです。ですから、御自身の気持ちの中では、そういった性的接触も踏まえて、自分がもう感染している可能性は強く自分の気持ちの中には持っていたということでございます。ただ、きちっとそのことを確認するという気持ちにまではもちろんその当時至らなかったのだと思います。 しかし、一九八四年の暮れに、日本に仕事の関係でいらっしゃったわけです。その際、この方の友人の方がいらっしゃいますけれども、その方に、実はこういうことだということをお話しになったということでございます。それで、その友人の方もその話を聞いて、そういう医学的なことであれば、やはりきちっといろいろ検査をして、その事実を知った上で今後対処した方がいいのではないか、こういうふうに勧めまして、それで私の方に来たということでございます。 では、なぜ私の方に来たのか、こういう理由についてなんですけれども、当時、その友人の方の知人に、ある科学雑誌の編集に携わっていて、非常にそういう詳しい方がいらっしゃって、結局どこにこういうことを相談していいのかわからなかったので、その方に相談申し上げて、その結果、順天堂の松本の方に相談したらどうかということを情報を得た上で、私の方に直接、ある日、一九八五年の一月でしたけれども、電話をいただいた次第でございます。それが、私が患者さん並びに友人からお話を聞いて、私のところに来たという理由でございます。 以上でございます。
○衛藤(晟)委員 そして、先生が診察をして、その判断がエイズ調査検討委員会で第一号というぐあいになったわけでございます。それについて、先生は帝京大症例は診られていらっしゃらないようでございますが、しかし、この当該患者について著しい疲労感という症状があったかどうかということは一つの焦点になっております。 松本参考人が作成された書類には、著しい疲労感という記載ではなくて、易疲労感という記載がされているということをお認めになっておられます。本年の二月二十六日付の読売新聞でも、「主治医は厚生省に「エイズまたはプレエイズが疑われる症例」と慎重な判断を伝えていた。」というぐあいに報道がされています。 そこで、改めて、当該患者について著しい疲労感という症状があったのかどうか、それから、消耗性の症候群に該当するような体重減少があったのかどうか、それから、厚生省に対して慎重な判断を伝えていたとの新聞報道が事実かどうか、それについてお答えをいただきたいと思います。
○松本参考人 まず、この方に著しい疲労感というものがあったかということでございますけれども、こういったいわゆる自覚症状、これについては御本人から伺うというごとでございます。当時、私が聞いて、非常に疲れやすい、こういうことをもちまして、私は易疲労感という言葉に置きかえているわけでございます。易疲労感というのは、容易の易ということですけれども、これは軽い疲労感ということではなくて、易疲労感と我々が言います場合は、疲れやすい、こういうことでございますので、易疲労感と書いたら著しい疲労感ではない、こういうことではございませんので。ですから、私の患者さんからそのころ伺ったことでは、非常に疲れやすい、これを私が易疲労感という言葉に置きかえております。 それから、ただいまのHIV消耗性症候群、こういった言葉がございます。これは、後に新しい診断基準になったときに、二十三の指標疾患の一つに含まれる病態でございます。この患者さんがそれに該当するか、つまり、その諸条件を満たすかという点につきましては、私が判断しますと、そういうことはそれには該当しないのではないかと思っております。ただ、この方はカンジダ症とか単純ヘルペスウイルスの感染症は事実ございましたので、そういう可能性はもちろん残されるわけでございます。 それから次に、私が厚生省の方に報告した文面の中に、これは手紙です。前置きとして、エイズないしプレエイズという疑いが極めて強い患者さんを経験したので御検討ください、こういう形で報告させていただきました。 しかし、プレエイズという言葉が、その当時、一般的にきちっとした定義に基づいてできている言葉ではございません。ある意味では、私がちょっと自分勝手につくったかもしれないような言葉でございます。したがって、その定義というのを厳格に設けているわけではなくて、その境界といいますか、厳密な区別を意識して使っていたというわけではございません。いずれにしても、極めてエイズが疑われる症例を経験したので御検討くださいということで調査票を出したわけでございます。 以上でございます。
○衛藤(晟)委員 最後に一つ、リンパ球の検査について、「必ず間隔を置いて数回反覆施行し、経過を観察して判定する。」というぐあいになっております。順天堂大学症例につきましては、初診が六十年の一月十七日であり、そして一月中旬にアメリカに帰国したというふうにありますので、検査は恐らく一回しかできなかったというぐあいに考えられます。当時、リンパ球検査を何回行ったのか、それから、経過観察をどのような形で行ったのか、御説明をお願いいたしたいと思います。
○松本参考人 お答えします。 日本でのその時の私のリンパ球検査は一回だけです。確かに、その「診断の手引き」の後に、こういったリンパ球検査は複数回行うことが望ましいと付記されております。実は、私もこういうことをその当時仕事しておりましたので、むしろ、そういうのをリコメンドするような意見も言っていた当時でございます。 ただ、私としましては、調査票を出すために患者さんを診ていたというわけではなくて、診た患者さんの医学的な事実をそのまま調査票に記載して出した、こういう経緯でございますので、一回ではいけないとか、そういった厳しい条件づけに基づいて出しなさい、こういうことではございませんので、とにかく重要な情報だと判断して、その情報を厚生省にお知らせしたというのでございます。 以上でございます。
○衛藤(晟)委員 ありがとうございました。以上で終わります。
○和田委員長 山本孝史君。
○山本(孝)委員 松本先生に先にお伺いをいたします。 今の衛藤先生とのお話、もう一度確認なんですけれども、ことしの六月二十二日の読売新聞に「主治医も「当時の判定基準では、発症前の感染者に過ぎなかった」と認めていた。」というふうに書かれておりますけれども、当時の松本先生の御判断で、この患者さんはエイズを発症していたのか、していなかったのか、単なる感染者だったのか、もう一度御発言をお願いします。
○松本参考人 お答えいたします。 私は、ただいまの読売新聞の記事で、単なる感染者にすぎなかった、こういった今御指摘をいただきましたけれども、そういうふうに答えたことはございません。 改めてここの場で申し上げますけれども、この方は、医学的には少なくともエイズウイルスに感染していることが証明されて、細胞性免疫不全を示す検査が示され、しかも、種々の症状を呈された。こういう患者さんを診た場合に、我々臨床医は、これはそのウイルスによる何らかの症状発現、こう考えるのが当然でございます。すなわち、単なる無症候性の感染者ではございません。 それからもう一つ言いますと、その当時、新しくエイズウイルスが発見されまして、その病原がかなり明らかになったやさきでございます。そうしますと、我々は、この病気を診るときに、HIV感染症という広いスペクトラムでこの病態をとらえるのが本質的なことだという頭になったわけでございます。 ですから、確かにエイズという病態はその終末像ということに位置づけられるのですけれども、その症状ないし免疫不全の進行は連続的でありまして、例えばどこからどこがプレエイズでエイズだという、そういう厳密な境界というのはなかなか難しかったのだと思います。そういう意味で、医学的にも防疫的にもまたそこを厳密に区別する意義というのは比較的少ない。それで、私は、この病態を診たときに、少なくともエイズという病態、これが極めて強い、こういう患者さんであるというふうに判断させていただきました。 以上でございます。
○山本(孝)委員 はっきりお答えいただきたいのです。感染者だったのか、エイズを発症していたのか、していなかったのか、イエス、ノーで答えてください。
○松本参考人 お答えいたします。 私は臨床医として、この病態を、エイズ関連の疾患を発症していた、こういうふうに考えております。
○山本(孝)委員 エイズ関連の症状を発症していた、それは何をもってしてそうおっしゃっているのか。カンジダ症というふうにおっしゃるのであれば、カンジダはどの程度カンジダがあったのですか。
○松本参考人 このカンジダ症、単純ヘルペス、こういったものは当然免疫低下に基づく日和見感染症の一環であろうとこの当時は判断をしましたので、そうしますと、やはりこれを全くの無症候性の感染者、こういうふうにはとらえません。 これは基準の云々というよりも、臨床医として、そういう患者さんが目の前にあらわれたときに、HIV感染をしてそういう症状があらわれている患者さんを診た場合に、これはそのエイズウイルスに関連したことによる症状である、つまり、そういう特異的な症状を持ってあらわれた場合に、我々はやはりこれを非常に重く受けとめて対応する、こういうことになっております。ですから、そのことを今お答えしたと思うのです。
○山本(孝)委員 エイズに最も頻発すると言われる特異的な疾患、日和見疾患、これはあったのですか、なかったのですか。
○松本参考人 エイズに特異的に発症する疾患というのは、私はないと思うのです。あらゆる病原体に対してその免疫が低下すれば起こる。しかし、頻度の高い病気は当然ありまして、例えば一番頻度の高いのは恐らくカンジダとかカリニ肺炎ということでございます。 それで、この患者さんについてどうかといったときに、例えばこの「診断の手引き」などで具体名で挙がっている病気がカリニ肺炎とかトキソプラズマ症など、真菌、ウイルス、細菌、そういったものの感染症という表現でありますけれども、具体的に挙がっているのは、あと、カポジ肉腫という言葉も挙がっております。
○山本(孝)委員 イエス、ノーで答えてください。聞いている質問に端的に答えてください。特異的な日和見感染症はあったのか、なかったのか。
○松本参考人 特異的な日和見感染症といいますと、ですから、例えば、その後に決められてきた二十三の指標疾患のことでしょうか。
○山本(孝)委員 あなたは何に基づいてその判断をしたのですか。診断基準はいつのものに基づいて判断をしたのですか。どの調査票に基づいてそういう報告をしたのですか。
○松本参考人 私どもの病院に厚生省からその調査票が回っておりました当時、その「診断の手引き」というのがございました。それを参考にしますと、今のような表現で載っております。私は、全く臨床医として、この病態を、こういう病態は実に重要だと判断して、これを調査票に記入して出したというだけでございます。
○山本(孝)委員 エイズサーベイランス調査票というのを書くわけですね。厚生省から回ってきている調査票に基づいて書いて出すわけですね。その調査票は、残念ながらこの委員会には公開をされていないのですね。帝京大症例と順天堂大症例を比較する形で、調査票から転記をしたという形が、この間、塩川参考人のときに参考資料として配られたわけですけれども、ここでいくと、エイズに最も頻発すると言われる特異的疾患、日和見疾患、いわゆるカポジ肉腫あるいはカリニ肺炎というものはなかった。そんなことは何にもここに書いていないのですね、特異的疾患というのは。 だから、これは五十九年三月の時点での調査票に基づいて報告をされて、先生これをお書きになっているのだろうというふうに思うのだけれども、当時の、五十九年三月時点での診断基準でいくと、あるいは二月時点の診断基準でいくと、そういう特異的な疾患というのはなかったのではないのですかということを私は聞いているのです。だから、あったのか、なかったのかということを聞いているのです。
○松本参考人 今言ったカンジダ症と単純ヘルペスウイルス感染がありましたので、その項目には丸をつけたと思います。
○山本(孝)委員 それは、エイズにしばしば随伴すると言われる非特異的疾患という次の分野であって、特異的疾患の分野ではないのですね。だからここには入ってこない。でしょう。だから、当時はこういうものを実は探していたわけでしょう。だから、帝京大症例も、最も典型的なものを出すのだということで、副腎皮質ホルモンが使われていることにおいて除外したわけですよね。一番典型的なものを探そうということをやっている中において動いてきたはずなのに、なぜここに日和見疾患、感染症がないのにこれをエイズと診断しなければいけないことになったのかというところが衛藤さんの質問であり、私の質問なんですよ。 易疲労感とおっしゃったけれども、疲れやすいというのと著しい疲労感というのとは全く違いますよね。ここに書くのは、著しい疲労感があるなしで書くわけであって、順天堂大症例として出てきているものには「著しい疲労感」と書いてある。でも、先生、学会の報告においては「易疲労感」としかお書きになっていないのですね。それほどの疲労感ではなかったのではないかという話になるのだと思うのです。体重減少も、先生さっきは体重減少があったとおっしゃったのだけれども、ここのところには体重減少が出てこない。どのぐらいの体重減少があったのですか。
○松本参考人 体重減少の程度というのは、残念ながら、どのくらいの期間に何キロという記載がございません。ただ、ボディーウエート・ロスがあるというふうな私の方の記載でしたので。多分、その調査票のときには体重減少の程度まで書かれていたと思うのですね。ですから、そこまでは合致しないというか、確かめられないということで、そこには恐らく丸をつけなかったと思います。ただ、患者さんの訴えの中に体重が減ってやせてきたということなので、そのことについては私としては把握してはおります。
○山本(孝)委員 そういうずさんな判断をされてはいけないのではないですか。「急激な体重減少(四〜五kg)」というふうにここには書いてあるわけだし、先生はそういうふうに今おっしゃるけれども。 では、慢性化した下痢と一過性の下痢、先生は「一過性の下痢」というふうに学会報告のところには書かれているわけだけれども、求めているのは慢性化した下痢ですよね。一過性の下痢と慢性化した下痢とは違う、これは明らかに違うと思いますけれども、どっちだったのですか。
○松本参考人 慢性化した下痢か一過性の下痢かということについては、そのことを患者さんからきちっと聞き出しているわけではございません。ただ、患者さんが下痢をした、しかも、しやすい、そういった表現を私は下痢があるというふうに判断してつけているわけでございます。
○山本(孝)委員 先生、これは日本内科学会の関東地方会で発表されていますよね。「日本人のAIDS患者第一例」、私はこれに基づいて聞いているのです。先生はここに「一過性の下痢」とお書きになっているのですね。そういう認識だったのでしょう。
○松本参考人 はい。これは継続的な下痢ではなくて一過性の下痢、こういうことだったと思います。ですから、そういう表現を使われていると思います。
○山本(孝)委員 それで塩川先生のおっしゃっている消耗性症候群になるのですか。
○松本参考人 先ほども申しましたように、私はこれをHIVの消耗性症候群に該当すると思ってはおりません。
○山本(孝)委員 ということは、塩川先生の認識の間違いですね。
○松本参考人 恐らく、これは調査票のそういった疲労感とか発熱とか、後に出たそういう体重減少とか、こういったことを耳にされて消耗性症候群の可能性にも言及されたのかなと思っておりますけれども、私はそういうふうには今は認識しておりませんので、そのことをお伝えします。
○山本(孝)委員 塩川先生がそういう話を少し耳にされて云々とおっしゃるのだけれども、塩川先生は調査検討委員会の委員長なんですね。患者さんをエイズと判定するかどうかという極めて重要な立場におられて、塩川先生はこの患者さんにはお会いになったのですか、あるいは診察はされたのですか。
○松本参考人 一度、この患者さんの方から御連絡いただいて私はお会いしたのですけれども、強くエイズが疑われる患者さんがおられましたので、元上司で、しかも当時厚生省の調査検討委員会の委員長をされていた塩川先生に、この情報はお知らせするのが当然だと思いまして、お知らせしたわけでございます。それに応じまして、そのとき塩川先生に、一度お会いしますかと僕の方が言ったと思うのです。塩川先生もそれに興味を示されておいでいただいた、そういう機会が一遍ございました。 しかし、私は、塩川先生に診断を依頼する目的でおいでいただいたわけではございませんし、塩川先生もそのつもりでいらっしゃったとは思いません。
○山本(孝)委員 目の前にエイズの第一号患者になるかもしれない人がいるというときに、医者として、診察をさせてほしいとかというふうな気持ちは起こらないものなんですか。こういう塩川先生の姿勢というのは私は極めて不自然だと思うのですけれども、先生はどう思われますか。
○松本参考人 その当時の状況とかそういうことから判断して、診断をするような環境でなかったということも一つございますけれども、塩川先生がどうお考えであるかということについては、私の口からはなかなか言うことはできないと思います。 ただ、その当時、非常にこの患者さんの問題は、エイズという重い問題でございまして、プライバシーの問題もございます。ですから、一遍お会いいただく部屋は、病院の診察室というよりも、小さな会議室というところでお話をするというようなことでお会いいただいたので、そういう患者さんを、衣服を脱いで診察するというような環境にまずなかったことと、お話をするということが中心だったと思います。ですから、あとは、塩川先生のお気持ちは、私はわかりません。
○山本(孝)委員 お話をするというのは、どういうお話をする目的で、あるいはどういう思いで、先生は塩川先生に患者さんをお会わせになったのですか。
○松本参考人 私が塩川先生にその情報を流したのは当然だと思います、その当時の状況であれば。それから、塩川先生においでいただくかというのは、深い意味でお知らせしたということではなくて、その際に、お会いしますかと言ったら、それに応じて興味を非常に持たれて見えられたということでございます。 それから、そのお話の内容といいますのは、症状とかそれのいきさつとか、あるいは、その方がたまたま同性愛者でありましたので、そのエイズ問題というのはアメリカでも大きいと聞いておりますので、そういった事柄などについてお話を交わされていたように記憶しております。
○山本(孝)委員 情報を流すのは当然だと思ったという、当然というのはどういう意味で当然なんですか。
○松本参考人 当時、私の頭の中には、国内にエイズの患者さんがいるということは知りませんでした。となりますと、これはやはり、国内において、少なくとも医療機関にこういう方が訪れるということは大変なことだと思ったわけです。ですから、疫学的な意味で極めてこれは重要だと思っておりました。 そのために、当時、そういう疫学調査を主体としてやられる調査検討委員会の委員長をされている先生であり、しかも、ただそういう関係でなく、元上司の先生でいらっしゃいます。ですから、こういう先生にお電話をして、先生、こういう患者さんが実は僕のところに訪ねてきたのですという情報を提供するといいますか、それは僕の気持ちとしては当然だったと思っております。
○山本(孝)委員 私も、それは当然だと思うのです。それは当然だと思ってお引き合わせになった。研究班の中でずっとエイズの問題を追いかけておられた、帝京大の問題も知っておられた、そういうときに、極めてまれだったと思うのですけれども、このエイズの患者さんがおられるということを松本先生からお聞きになった、それで先生はお会いになった、しかし、診察をしようというふうにはなさらなかったという今の理解ですね。 特に診察をしたいというふうに塩川先生は申し出をされたのでしょうか、そういう動きはあったのでしょうか。
○松本参考人 当時、塩川先生は既に順天堂大学を定年で退職されておりまして、以後一度も診察室で患者を診察するというようなことはしておられません。私もその当時、順天堂の現役の医師でございまして、塩川先生は、当然、診察とか検査、こういったことについては私にすべてお任せいただいていたのだと思います。ですから、塩川先生がそこで診察室で患者さんを診察するということは初めから頭になかったのだと思います。
○山本(孝)委員 この患者さんは何日に帰国をされたのでしょうか。アメリカにですよ。
○松本参考人 その診断後帰られたことは、これは確かなんですけれども、何日に帰ったかということについて、私は定かな情報を持っておりません。ただ、比較的早い時期に帰ったというふうに認識しております。
○山本(孝)委員 抗体検査の結果を患者さんに先生は告知をなさったというふうにお聞きしているのですが、それはいつの時点で、どこで告知をされたのでしょうか。
○松本参考人 これは、鳥取大学の栗村先生からこの結果をお知らせいただいたのが多分二月初旬だったと思います。この結果に基づいて、御本人の友人に連絡をとり、それから御本人に連絡していただいて、そこで、これはたしかそうだったと私は今記憶しているのですけれども、よく思い返すと、それは患者さん自身が私の方にお電話をしていただいた、その中でこういうことだというのをお話しした。それで、そういうお電話は実はそのときに何回かございましたので、そのときにいろいろ今後のことについてもお話ししたということを記憶しております。
○山本(孝)委員 今のお話をお伺いしていると、そうすると、アメリカにおられる患者さんに電話で告知をされたということですか。
○松本参考人 これは、私の方から連絡ができないので、その中間に立っている方に……(山本(孝)委員「電話で連絡をされたということですか」と呼ぶ)はい。その患者さんにぜひ知らせたいことがあるということで私が電話をするように要請して、そして向こうから電話がかかってきて、そこで何回もお話をしております。(山本(孝)委員「電話で告知をされたのですね」と呼ぶ)はい。
○山本(孝)委員 一回しか検査をされておられないわけでしょう。当時の診断基準でいけば、少なくとも、間をあけて複数回やるというのが決まりですよね。しかし、一回しか診断をされておらない。一回、栗村さんのところから送られてきたものをもってして、それでもって——もしひょっとしたら、それは間違っているかもしれないわけですよね。なぜ先生はそこまで確信を持って電話で、面対じゃなくて電話で告知をするということができたのですか。
○松本参考人 まず、抗体検査ですけれども、具体的には、間接蛍光抗体法といいまして、現在でも精度の高い検査でございます。 それで、その当時、この検査で陽性だということを一遍でも得ている。それからなおかつ、そのリンパ球の減少、CD4細胞の減少が少なくとも成人に比べて相当落ちている。総合判断いたしまして、それから患者さんの背景因子、これはやはり、いわゆる偽陽性といいますか、患者さんではない、そういうふうには判断せず、そのときに話しました。 ただ、この患者さんはエイズの患者さんも非常に多い海外の国にいらっしゃいますから、後のいろいろな検査、治療、こういったことについては十分相談に乗れる環境にあるので、ぜひそのことを踏まえて、患者さんはその意識で向こうでやってほしいとそのときに患者さんにお話ししたわけでございます。
○山本(孝)委員 もう一つお伺いします。 この患者さんはいつお亡くなりになったのでしょう。そして、その亡くなった事実を先生はどうして、どういうルートでお知りになったのでしょうか。
○松本参考人 この患者さんは昨年亡くなったという情報を得ておりますけれども、私自身、その詳細に関しては不明な部分が多いということでございます。 なぜこれを知ったかということですけれども、今回、いろいろこういうこともございまして、その間に立った友人の方、こういう関係者にその情報を知ることができるかということで、私も何とか努力してその方と連絡をとることができて、そのお話の中で実はそういうことだということをお聞きして、一応それを私としては情報として持ったということでございます。 ただ、私のところに通院されていて、私がその患者さんがどうであったかというのを確実に診断しているわけではございませんので、そういう情報に基づくお話をいたしたということでございます。
○山本(孝)委員 それじゃ、先生への最後の質問、取りまとめてもう一度確認のためもあってお伺いをさせていただきます。 昨年お亡くなりになったということで、十年生存されておられた。エイズに感染して十年ということになると、少し期間的に疑問符がついてしまうわけですね。 そこで、先生、今思われて、これも端的にお答えをいただきたいのですが、当時の診断として、エイズに感染をしておられた方なのか、感染はそうだったと思うのですけれども、エイズを発症していたのか、エイズ患者だったのかどうかという点について、その十年生存しておられたということも含めて当時の診断がどうだったのかというところと、先生自身としては、今おっしゃっているように、こういう患者さんがおられますよ、疑わしい患者さんがおられますよということで御報告をされたのだと思いますけれども、そこまでは医者の良心としておやりになっていたのだろう。それが、塩川先生の委員会の中でエイズの患者であるというふうに、第一号患者ということで認定をされたということについて、それは当然であったというふうに思われるのか、あるいはその判断は間違っていたのではないかというふうに思われるのか。御自身の認識と当時の塩川委員会の判定について、先生、端的にお答えをください。
○松本参考人 端的に言いますと、私は、こういう患者さんがいるということを、その情報を書いて提供した側の人間でございます。それをどう評価し、認定するという作業は、厚生省ないし調査検討委員会の責任に属することではないかと思っておりますので、その上の判断についての評価というのは、私の立場から申し上げる立場にありません。 ただ、今議員の御質問のように、私が今個人的にどうそれを評価するのかと言われましたときに、私は、この患者さんを報告したことによって、少なくとも我が国にも医療機関にこういった患者さんが訪れるようになったのだということをある意味で知らしめることができた、そういうことについては、防疫的な観点、疫学的な観点、こういうことで意義があったのかなと、自分の報告したことが何かあるとしたらそういうことだと評価しております。
○山本(孝)委員 松本さん、「日本のエイズ症例」の中にも、本の中にもこの症例は出てこない。先生の学会発表を見ていても、当時のエイズの診断基準からすると少し足りない部分が多過ぎる、あるいは十年生きておられたというようなことも含めてね。 そういう意味で、先生は、病院に来たから報告をしたのだ、患者さんがおられるようになったのだよというふうにおっしゃりたかったのかもしれないけれども、学会発表の内容から見ても、この患者さんがエイズ患者さんであるというふうに認定をされたことについて、あるいは御自身もそういうふうに振る舞っておられることについて、後ろめたさは感じないのですか。 確かに御報告をされたことについて、あなたは上で判断をされることだというふうにおっしゃるけれども、その上の判断は、あなたもお医者さんであって、その診断基準あるいは調査票を書かれた方として、この判断が正しかったかどうかということは、私はやはりあなたの口からもお聞きをしたいというふうに思うのです。
○松本参考人 ただいま、後ろめたさを感じるかということに関しましては、私はそんなことは感じておりません。 それからもう一つ、先ほどの繰り返しになるのですけれども、当時の、エイズウイルスに感染して細胞性免疫が低下して何らかの症状がある、そういう患者さんを我々は経験した、それを臨床医としてどう評価するかということに関しましては、これは重大なことだ、この患者さんは今後重大な目を持って管理、治療していかなければならない患者さんだ、そういうふうに当然判断をいたします。だれでもそうだと思います。 ですから、これを、その基準が一つ足りないからエイズ患者じゃない、また、これは単なる感染者だ、そういうふうにこういう病態をある厳密な境界で区別する意義、こういうものが我々臨床医にはありません。ですから、少なくとも、こういう患者さんが相談に見えられて、我々は真摯な目でその患者さんにこたえる、これが我々臨床医のできることでございます。 それで、この調査委員会に報告したということは、少なくとも、厚生省からそういう疫学調査の協力依頼が各病院にありました、我々臨床医はこういうことにも情報を寄せる価値があるだろうと思ってそれに協力したというのが私の立場でございますので、改めて御理解いただきたいと思います。
○山本(孝)委員 あとは厚生省側の、あるいは塩川委員会での判断であるというのが先生の御見解なのだろうというふうに思います。 野崎さんにお伺いをしたいのです。 エイズがウイルスによって感染をするのだ、非加熱製剤は危険性があるのですよ、加熱処理が有効なのだというふうに知見がどんどん進んでいったというふうに思うのですけれども、エイズがウイルスが原因で広まるのだというふうに認識をした、当時課長として認識をされたのはいつですか。
○野崎参考人 五十九年の秋になって、エイズがウイルスによるものだという知見が出ましたので、その時点だと思います。
○山本(孝)委員 そうしますと、血友病患者さんに血液製剤を通じてエイズの感染が広まっていくのではないかという危険性は、この五十九年の秋からはかなり強くお持ちになっていたと理解していいですね。
○野崎参考人 私どもの、当時、感染症対策課になっていたと思いますが、一般防疫の中で血友病のリスクというのはそう高いものではないという理解をしておりました。 そこで、血友病の抗体価の測定が出てきた日沼教授、栗村教授からの抗体検査が完成した時点、五十九年の末、その結果を踏まえて六十年の三月に公式に御報告をいただきましたけれども、その時点で私どもとしては、これは大変なことであるという理解をいたしました。
○山本(孝)委員 五十九年の秋以降、検査法が確立して云々というふうにおっしゃったのですけれども、血友病患者さんがエイズウイルスに感染をしていく可能性が高いのではないか、これは郡司さんは早い時点で村上省三さんからのお話で動き始められて研究班をつくったということになるわけですけれども、保健情報課は研究班を共管していたというふうに思うのです。それは課長が就任される前の時点で動き始めているわけですけれども、課長が五十八年の八月に就任されて以降、血友病患者さんのエイズウイルスの感染の危険性、血友病患者さんが今極めて危ない立場に置かれているのだよということを課長として認識されたのはいつなんですか。
○野崎参考人 エイズ研究班には、私、第三回から出席をさせていただいていると思いますが、当時、血友病についての議論というよりは、むしろ血液製剤の議論が中心になっておりまして、私としては、一般防疫の中での血友病の比率というもの全体について考えておりましたので、血友病を第一に考えているということではございませんでした。
○山本(孝)委員 ちょっと僕の理解が悪かったらごめんなさいね。血友病患者さんの防疫云々とおっしゃっているのは、血友病患者さんから何らかの血友病に関連しての感染が広まっていくということについては余り心配はしていなかったのだという理解なんですか。 私が聞いているのは、血友病患者さんにエイズの感染が広まっていくという、病気が広がっていく一つの対象として血友病患者さんがいるわけですよね。そのことに対して感染症対策課としては当時どのぐらいの危機認識を持っていたのかということなんですよ。
○野崎参考人 恐らくエイズ研究班は、血液を介して、血液製剤を介して血友病患者さんに広まるのではないかという意識でつくられたというふうに後で聞いたわけでございますけれども、私どもとしても、一つの媒介として血友病患者さんにはそういうリスクがあるという理解はいたしております。
○山本(孝)委員 それはいつですか。
○野崎参考人 それは、私が出ました第三回のエイズ研究班が八月の末だったと思いますが、その時点でおぼろげにそういうふうに感じました。
○山本(孝)委員 当時のあなたの仕事としては、いろいろ情報を収集するということが仕事だったのだろうというふうに思うのですが、森尾さんは、CDC週報すら感染症対策課にはないということで取り寄せをされるのですね、それは調査書を見ても出てくるのですけれども。情報収集も少なかったし、しかも情報収集だけをやっていて、その処理を、分析をしながらどういうふうに感染が広がっていくのをとめようというふうなお気持ちは、課長の気持ちの中にはなかったのですか。
○野崎参考人 厚生省のプロジェクトチームの報告書の中にある森尾技官の件ですが、たしか私が着任する以前に、保健情報課にも直接MMWRが欲しいということで手紙を出したということでございます。実際、国際課には来ておりましたので、数日のおくれで着いていたと思いますが、私が行ったときにはそれは着いておりました。
○山本(孝)委員 非加熱製剤の取り扱い方だとか、あるいは加熱製剤が早く欲しいだとかというような判断を課長としてはされていましたですか。
○野崎参考人 私どもの所管ではないので、それについては関与しておりませんでした。
○山本(孝)委員 安部、ギャロ云々の話ですけれども、十一月二十二日の段階で栗村さんの抗体検査報告が出てくる。それで、栗村さん自身は、十一月二十二日の会議で帝京大にそういった検体があるのだということを知ったということを言っているわけですけれども、十一月二十九日の調査検討委員会の中で安部、ギャロ云々という、汚い字ですけれども、そういう表現が出てくるわけですね。 十一月二十九日の段階では、保健情報課としても、この安部さんのところの抗体反応検査の結果たくさんの陽性患者が出ているのだということを、この十一月二十九日の時点ではあなたも知っていて不思議じゃないというふうに思うのですけれども、あなたはその時点で知らなかったのですか。
○野崎参考人 ちょっとお答えが重複するかもしれません。栗村先生の件については、報告を受けて検討委員会で議論しました。安部先生の件については、そのときは出なかったと思います。
○山本(孝)委員 栗村先生のプロジェクトチームへの回答で、「当時帝京大ではギャロ博士の研究室にて検査された検体があるのを知った(十一月二十二日の会議にて)」というふうにおっしゃっているので、十一月二十二日の会議には、栗村先生の言葉で言えば帝京大の話は出ているのですね。それで、二十九日の調査検討委員会の汚いこの議事メモを見ても、安部、ギャロ云々という話は出てくる。二十九日の段階でも、安部さんのところの抗体検査反応の結果というものについては報告はあったのだろうというか、話にはなったのだろうというふうに思うので、そのおっしゃっている、翌年の三月のところでこういう安部さんのところの話を聞いたという話は、これは森尾さんが報告をしていないのか、あるいはあなた自身は知らなかったのか、その辺はどうなんですか。森尾さんに聞いてみなければわからない話なんだけれども、あなた自身はどうですか。
○野崎参考人 森尾技官からの報告にはそういうことはございませんでしたし、私も厚生省のプロジェクトチームの報告を見て、確認のために森尾技官と連絡をとって聞いてみましたが、彼は非常にまじめできちょうめんな男ですので、そういう話が出れば必ずメモを書いている、私が聞いていれば必ずメモを書いているはずだという答えでございました。 そこで、二十九日の委員会では、そういうような議論は出ませんでした。
○山本(孝)委員 質問時間が終わりました。でも、今の話は、栗村さんのおっしゃっていることと森尾さんのおっしゃっていることが違う。あるいは、二十九日のところに書いてあるのに、そういう話は出なかったというふうにおっしゃっておられる。 したがって、やはり森尾課長補佐もぜひこの委員会に呼んでいただきたいというふうに思いますし、黒塗りになっている十一月二十九日の調査検討委員会の資料もぜひ公開をしていただきたい。松本先生がお書きになったであろう調査票も、ぜひ出せる部分は出していただきたいというふうに思いますので、ぜひ理事会で協議をしていただきたいと思います。
○和田委員長 理事会で相談し、協議をいたしましょう。
○山本(孝)委員 質問を終わります。ありがとうございました。
○和田委員長 横光克彦君。
○横光委員 まず、松本参考人にお伺いいたします。 今同僚議員の質問に、順天堂大症例ですね、無症候性の感染者ではない、連続的な免疫不全症状の中にあり、したがって発症していたと考えているとおっしゃいましたね。私もそのとおりだと思いますが、これは間違いないですね。
○松本参考人 間違いないと私は考えます。
○横光委員 そうしますと、現在の発症基準、いわゆる続発症、合併症による判断という現在の発症基準は誤りということになるわけですが、そのようにお考えなんですか。
○松本参考人 現在の診断基準は誤りとは思っておりません。 現在の診断基準は、その後恐らく二十三の指標疾患を定めていった。そういう疾患を起こしたものをエイズと呼ぼうというふうにルールをつくってきたわけでございます。これに関しては、そういう新しい一つの疫学的、医学的な共通の頭でいろいろなことをやろうということで診断基準というものをつくっていくわけで、その作業の中でそうなっているということであって、それが間違いとかそういうことではなくて、そういうルールを決めてきたということだと思っております。
○横光委員 としますと、参考人は、感染者と発症者の区別をどこですべきだと考えているのですか。
○松本参考人 これは繰り返しになりますけれども、HIVに感染した方の免疫不全、そういったものの進行は徐々に、連続的に起こるものでございまして、例えば、ではCD4で区切ろうかとか、そういうことをいろいろやっても、それはどこだというふうに線引きすることは極めて難しいのです。 それから、一時、エイズとかARCという言葉が用いられましたけれども、今は余り用いられません。それはなぜかというと、どこから、どの時点からエイズと呼ぶというのは、一つの目安としますけれども、我々患者さんを診ている側にとりましては、どこのどの時点からエイズと呼ぼうというふうに判断するのは非常に難しいのです。ですから、この患者さんを、単なる無症候性の感染者か、それとも何らかの症状が出てきた患者さんか、その辺の区別を言えということであれば、そういう症状が既に出てきている患者さんでありますので、私の判断としては、単なる無症候性の感染者とはとらえておりません。
○横光委員 あなたは先ほど、ゴットリーブ博士の診察を受けていたということを知らなかったとおっしゃいました。その患者と初めてお会いしたときに、当然のごとく、なぜ私の前にいらっしゃったか、これまでの診察経過はどうであったか。恐らく、アメリカで診察したと言うでしょう。そうしたら、当然、このゴットリーブ博士から診察を受けたということはあなたに伝えているはずなんですよ。伝えてなくてあなたの診察を受けるわけはないのですよ、どう考えても。そして塩川先生が、ゴットリーブ博士の診察を受けていたとおっしゃっているのですよ。それでもあなたはまだゴットリーブ博士の診察を受けてなかったと言うのですか。
○松本参考人 これは現時点の私の頭の中に、ゴットリーブ博士がこの方を診たということは全然ありません。
○横光委員 あなたが知らなくて、塩川教授はなぜ知っているのですか。ゴットリーブ博士の診察を受けていたとちゃんと参考人でお話しされておる。 あなたと塩川先生との関係をちょっと説明してください。
○松本参考人 まず、塩川先生との関係でございますけれども、私が昭和五十一年に順天堂大学の膠原病内科に入局いたしました。その当時の主任教授が塩川先生でありました。それから定年退職の五十九年ですか、そこまで直接御指導いただいた先生でございます。それで退職後も、リューマチ、膠原病、エイズ、こういった学会等においても時々お会いし、いろいろ情報を交換させていただいている、そういうふうな状況でございました。
○横光委員 やはり、第一号のエイズ患者の認定された状況が非常に不可解なんですよ。疑問点が多過ぎるのですよ。これが薬害エイズの非常に大きな疑惑の一つなんです。ここを解明しないと、やはり感染された方、患者さん、これは納得いかないと思う。なぜあのような形で第一号患者が認定されてしまったのか、それを一番よく知っているのはあなたなんですね。 ですから、先ほどからの質問で随分疑問点が多い。例えば、著しい疲労と易疲労。なぜあなたは、最初の調査票には著しい疲労と書きながら学会誌では易疲労と書くのですか。同じことを書けばいいじゃないですか。なぜ疲労のことに関してそれだけ差が出てくるのですか。
○松本参考人 易疲労というのは医学的な言葉でございます。つまり、非常に疲れやすい、こういったことを易疲労感、こういうふうに我々はよく臨床の現場で用いておる言葉でございますので、少ししか疲れないという意味ではなくて、そういうことなんだと思うのですけれども。
○横光委員 いや、それは意味はわかるのですが、なぜ調査票には著しい疲労と書かれていて学会誌では易疲労と書くのか。著しい疲労と書かれたなら、学会誌でも著しい疲労と書けばいいじゃないですか。そこで違うからいろいろな疑問点が生じてくるのですよ。 そしてまた、プレエイズという言葉。あなたは、自分で何かつくったような言葉だとおっしゃっていましたが、このプレエイズというのは、どう見てもエイズ発症前の段階というようにだれだって受け取りますよ。そういった思いを厚生省に伝えたということは、あなたの中では、これはエイズだというはっきりとした認識はなかったのじゃないのですか。
○松本参考人 これは、当時、まだ日本には公式にエイズも認められていない、そういう段階で、エイズを本当に診たお医者さんもいません。私もそうであります。そういう中で、今まで述べてきたような臨床症状と検査所見を呈した患者さんを診ましたので、それを厳密にプレエイズだ、エイズだ、こういう判定を私が下すということも不可能ですし、それをする意味もないと思っております。 ただ、こういう病態、これは極めて重要だ、単なる感染者ではないし、こういう所見を呈している人だというふうに判断して送った。そのときに、エイズないしプレエイズの疑いがありますのでと表現はしました。 しかし、そのとき、私の中で、これはどっちでなければいけない、そういうようなことを判定してくれ、そういう意味で使った言葉でもございません。一応こういう病態にあるということで、私自身がはっきり言ってそこで決めるということもできないわけでございます。ですから、その当時の知見の中で私はそういう表現を使ったということを言っているのです。
○横光委員 ですから、あなたが決めるわけにはいきませんね。ですから、あなたは診察した、調査票を出した、その中にあなたの思いが入っているのじゃないか、プレエイズあるいは慎重な判断、その思いが、結果的には一号に認定されたときにあなたの思いと違った結果が出たのじゃないかという気が私はするわけです。 そしてまた、あなたは、例えば二月二十六日付の読売新聞で、「当時の主治医も」、これはあなたのことですね、「当時の主治医も「厚生省から疑わしい症例があればと言われていたので報告した。今の基準で判断すれば患者ではなく、ARC」」いわゆる発症前、「「ARCの状態だった」と証言している。」これは間違いございませんか。
○松本参考人 まず、厚生省から我々のところに正式に通知が参りました。そのときの言葉は、エイズの疑いが極めて濃い症例と判定したので遺漏のないようにという通知をいただいております。 それで、私の思いといいますのは、具体的にそのとき言葉としてはあらわせませんけれども、今議員のおっしゃったようなことから、この表現、エイズの疑いが極めて濃い症例、これは、ああ、そうだろうなと認識した次第でございます。
○横光委員 しかし、あなたの考えと別に塩川先生は、現在の診断基準によってもエイズと言えると言っているのです。完全に食い違っているのですね。同じ師弟の先生が、同じ患者の見方がこうも食い違うのかという気がして、非常にその当時の診察は私はずさんだったのじゃないかという気がしてならないわけなんです。 ですから、あなたは、リンパ球の検査は一回しかしなかったとおっしゃいましたね。ところが、「免疫学的診断の手引き」によれば、これは一回じゃいかぬ、「検査は間隔を置いて数回反覆施行」するというふうに書かれている。それはもちろん知っていたと言った。それなのに一回しかやらなかった。それを、やらなかったことを調査票に出した。 ところが、結果が、それが第一号患者と認定されたとき、あなた、これは「手引き」のとおりじゃないわけですね。「診断の手引き」では一回じゃいかぬというようになっているわけですが、それをあなたは一回しかやっていないものを提出した結果、それがエイズと認定されたことに対しては、これは違うぞと思いましたね、ます。
○松本参考人 このリンパ球サブセットの検査は、そのちょうど少し前から急速に研究室レベルで開発されて進んできた検査です。 今議員がおっしゃった、数回行わなければ結論が出せない、そういうふうには私は、その「手引き」の付記には確かにそういうふうにあったかもしれぬけれども、そういうふうには認識しておりませんでした。少なくとも、一回では出せないというふうには思っておりませんでした。
○横光委員 「診断の手引き」は知っているのでしょう。
○松本参考人 出すに当たって、そういう「手引き」があるということを、病院の方にこの調査依頼が回っている、たしかそれに添付されていたそういう「診断の手引き」があるというのを知っております。 ただ、この患者さんは、あくまでも言いますけれども、調査票を出すために患者さんを診ているのじゃないのです。こういう結果が出たので、重要な情報だと思いまして、そこにこういう調査結果が参っているということがわかって、それで、それじゃ出そうということで情報を寄せているということなんです。
○横光委員 いや、それはよくわかるのですが、一回しかまだリンパ球の検査をしていないのに、早いところに認定されてしまったわけですよ。「けっして一回のみの検査成績をもって結論を出さない。」という「手引き」がありながら、検討委員会は、それを一回しか検査していないにもかかわらず認定してしまった。そのことに対してあなたは違和感を持ちましたかと言っているのです。これは私はおかしい、そう早く認定されては困るのだ、もっともっと検査してからはっきり認定してくださいとなぜ言わなかったのですか。
○松本参考人 私は、こういうリンパ球の測定なんかについても、いろいろな免疫学でそのころかかわっておりました。多少、検査のぶれはあります。しかし、もうその当時は、ある検査センターでもかなりの精度が確立されてきました。ですから、例えば二百を四百と見誤るとか、そういうぶれではございません。 ですから、付記というか、こういう書き加えられた文書をつくった時期というのは、恐らくそれよりもちょっと前だと思いますけれども、その一年間とかそういう間にどんどん、このエイズ問題もありまして、こういう検査精度を上げてきたところでございます。 三月の時点といいますのは、ある程度そういう状況にあったということは頭にありますから、一回でも三百五十という、ああ、低下しているんだな、それの認識と同時に、エイズウイルス抗体が陽性だという情報も得まして、そうであれば、CD4が一回であったためにだめだというふうには……。
○横光委員 いや、私は疑問を持ったかどうかと聞いているのです。一回しか検査していないのにすぐエイズ患者と認定されたことに対して、おかしいと思いましたか。
○松本参考人 私は、おかしいとはそのとき思いませんでした。
○横光委員 「手引き」には一回ではいかぬと、それで、私は一回しかまだやっていないのにもう認定されてしまったというおかしさ、疑念は持ちませんでしたか。
○松本参考人 エイズを診ていく上で、その点が本質的なことだとは思っておりませんでしたので、そのことについて、特段これがおかしいのだというふうにはそのときは意識しておりませんでした。
○横光委員 そこはやはり私は非常な欠陥だと思います、医者として。当然、「手引き」のとおりやっていない段階でそういうふうに認定されたことに、あなたは激しく抗議すべきだったと私は思いますよ。 それで、六十年以降、その患者さんを診察しましたか。
○松本参考人 たしかこの二年後に、六十二年ですが、やはり一時帰国中にぐあいが悪くなって、私どものところに診察を求めてまいりました。
○横光委員 そのときの症状といいますか、エイズと関係のある疾病でしたか。
○松本参考人 これも免疫不全に基づく疾病だと判断しております。
○横光委員 そのとき、最初のときCD4が三百五十を切っていたのですね、それが二年後はどうでしたか。
○松本参考人 既に百台に低下しております。
○横光委員 それから、しかし昨年亡くなったと聞いたと言いましたね。その百から、それから約八年、その間、百で維持できた、できるということに対しての疑念は持ちましたか。
○松本参考人 これは、疑念といいますか、そういうことも最近はあり得るというふうに十分認識しております。
○横光委員 次に、野崎参考人にお聞きします。 あなたは、さっき、六十年の三月まで知らなかったという話、ギャロ博士のこともギャロ博士の診断結果も知らなかったという話ですが、どうもこれもおかしいですね。 まず、五十九年の十一月二十二日に、栗村教授による日本の血友病患者の抗体検査の結果が報告されているわけです。二十二例中四例が抗体陽性であったという結果が報告された。これは、この会議にあなたが参加されていなくても森尾課長補佐から当然聞いているわけですが、この二十二例中四例、抗体陽性が出たということは大変なことなんですね、当時。これはもう驚くべきこと。そしてまた、その課長補佐から、抗体陽性者の何割かはエイズを発症したと考えたと森尾さんは言っている。吉村元補佐も同じようなことを言っている。これは大変な事態であるということを認識している。 ところが、これを結局、こういったはっきりとした情報が確定したにもかかわらず、マスコミに一切公表していない。それはいろいろ理由があったと思います。患者さんたちあるいは感染者が大変なパニックになるだろうとか、あるいはもっと言えば業界のことも考えたでしょう。しかし、パニックというのは一時的なんですね。永久にパニックが続くのじゃない、パニックというのは一時的。しかし、その実態をちゃんとつかめたらパニックはおさまる。そうすれば、新しい製剤のあり方というものをまた考えることができた。ここが一つのキーポイントじゃないか。 なぜ公表しなかったのか。途中段階であれ、やはり公表することが物事を解決する一番大事な問題だと私は思うのです。これをなぜ公表しなかったのか、公表しないと決めたのはだれなのか、お聞かせください。
○野崎参考人 十一月二十二日、京都大学で森尾技官が参加して聞いてきました内容で、この時点では抗体検査法がまだ未完成である、それで、この委員の中では、これについてはまだ発表しないでほしいということを私に報告がありました。私としては、そういうわけにもいかないので、検討委員会にはこれを報告いたしまして御議論をいただきましたが、検討委員会でも、アメリカのものとクロスをしない段階では未確定であるということで、この際の二十二件中四件というものについては公表をいたしませんでした。
○横光委員 結局、十一月二十二日の栗村さんの件、そのときに安部教授が依頼したギャロ博士のこともちゃんと資料には載っておるのですね。そして、あなたは、そのことを知らないわけがないにもかかわらず、六十年三月の新聞報道で知ったなんて、あり得ないことを言っているのですが、あなたはこの検討委員会の事務方の担当者でしょう。その中のファイルにちゃんと書かれているのです。安部、ギャロ博士のことが書かれている。それは読んでいないのですか。
○野崎参考人 最近のプロジェクトチームの調査によりまして、私もそれをつい最近拝見しましたが、私、見たこともないものでありまして、また、だれが書いたものかわからないということでございます。 それから、京都大学であった栗村教授のところでの委員会ではそのようなことはなかったと森尾技官が証言しております。
○横光委員 ここのところも、先ほどの松本さんと同じように、非常にずさんさを感じざるを得ないのですね。だんだんアメリカでも刻一刻と患者さんがふえつつある状況、そういった情報も入ってきているだろう、そして、スピラ博士の件、栗村先生の件、ギャロ博士の件、大変事態は緊迫をしているのですね。そういったときに、一々の調査内容の議事メモとかそういったものを見ていないということですが、これは大変な責任の失格だと私は思いますよ。やはり、もう少し全身全霊で物事に当たっていればこういうことも乗り越えられたのじゃないかという気がするのですね。 それで、もう一つお聞きしたいのですが、帝京大症例の調査票を提出しろ、提出しないという問題なんですが、塩川先生は、六十年の二月十六日、厚生省のエイズ調査検討委員会で「当時の野崎課長は安部教授に連絡し、帝京大学の症例の調査票の提出を促したのである」とか言っている。ところが、あなたは、「三月二十二日の第四回エイズ調査検討委員会において安部教授に早急に調査票の提出をしてもらう必要があるとの結論となった。」と。ここが食い違っている。 あなたは、三月二十二日に調査票の提出を依頼したとなっています。ところが、塩川先生の話では、もっと早く二月に、あなたが安部教授に連絡し、調査票の提出を促したと言っておる。この真偽、どちらが正しいのですか。
○野崎参考人 二月の時点で、私はそのような御指示を受けた記憶はございません。三月二十二日、塩川先生も初めて聞いたので、これを早急に取り寄せろ、こういう御指示でございました。
○横光委員 本当に、このエイズの問題は真相がはっきりしないと次にまた同じようなことが起きるのじゃないかというような気がします。やはり、食い違いがまだまだとても多い。この問題一つとってもこれだけ差がある。しかし、真実は一つなんですから、これからもやはり追及していかなければ、解明していかなければならないと思っております。 終わります。
○和田委員長 枝野幸男君。
○枝野委員 それでは、まず松本先生からお尋ねをさせていただきますが、先ほど来から問題になっていることをまず確認させていただきます。 当時の診断基準によれば、抗体検査は一回のみの検査ではなくて複数やれというようなことが示されていたけれども、そういったニュアンスのことは書いてあったけれども、それは知っていたけれども、一回の検査だけで報告を上げた、これは間違いないですね。
○松本参考人 ただいま抗体検査という言葉を使われましたけれども、リンパ球サブセットの項目だと思います。その事実は一回です。
○枝野委員 その事実は報告書に書いてあるのですか。要するに、塩川先生初め、その一回しかやっていないという事実は知っているのですか。
○松本参考人 その事実は報告書に書いてありません。といいますのは、その調査票の中にも検査結果を書き込む欄が一回しか書いてありません。 例えば、それをもう少し厳密にとらえるなら、何回かやって、そのうちの最大のものを書けとか最小のものを書けとか、そういうことになろうかと思いますけれども、当然まだそういうふうな厳密な段階ではございませんでしたので、とにかく調査票も書く欄が一回である、特に何回やったかということを書く欄もございません。 したがって、私どもは、そのことだけを意識して書いたわけではなくて、とにかくこういう結果が出ているので、そこに事実を記載して出しました。
○枝野委員 その調査票をつくった所管は野崎さんのところでよろしいのですかね。
○野崎参考人 診断基準小委員会の結果を踏まえて、私どもの課でつくりました。
○枝野委員 そうすると、野崎さんにお尋ねしますが、診断基準としては一回ではなくて複数回やるべきだというようなことを書いておきながら、その調査報告書には何回やったのかということについて書くような欄をつくらなかったというのは、明らかにこれは、ミスなのか意図的なのか知りませんが、ではないのですか。それはだれがつくったのですか。事務方なんでしょうけれども、だれがそんな調査票をつくったのですか。
○野崎参考人 これは、エイズ研究班の中につくられました診断基準小委員会の報告を受けまして、私どもの技官が共同してつくったものでございます。確かに、今御指摘の点ですと、非常に書きにくい部分があったかと思います。
○枝野委員 それでは、逆にもう一度松本先生にお伺いしますが、そうすると、松本先生のところから例えば塩川先生たちのところに上げられた調査報告というのは、いわゆるカルテという言い方でいいのかどうかわかりませんが、詳細な事項でなくて、まさに調査票の問診票みたいな簡単なものだけを報告していた、それに基づいて判断をしていたのだ、こういうことになるわけですね。
○松本参考人 当時、我々病院に回っていた調査票は、もうつくられたものですから、それに丸をつける、それで、必要な検査項目が書いてありますからそこに結果を埋める、それで出すという格好のものでございます。
○枝野委員 これはどっちが悪いのか非常に難しいところなんですけれども、松本先生が、これはエイズを発症していると臨床医の立場として御判断をされた、それはそれで結構だと思います。ただ、厚生省といいますか、国の立場としてエイズと判断するのかどうかというのは、これは厚生省で判断委員会、基準をつくってやっているわけですから、そこで一律のものを出さないと意味がないわけですね。 ところが、そこのところに出てくる資料は、今の松本先生あるいは野崎さんのお話を聞く限りでは、例えば検査も一回だったのか複数回だったのかすら出てこないような調査票に基づいて判断をしている。それは、例えば、松本先生の御判断はそれでいいとしても、それに基づいて国として判断をするのかどうかというものの資料としては報告する事項が余りにも少ないとは思いませんでしたか。もっと詳細な事項を報告して、それに基づいて判断してもらわないと困るとは思いませんか。
○松本参考人 私、個人的に考えますと、今、サーベイランス調査を出します。その項目と当時の調査票を比べますと、当時の調査票の方が何ページにもわたって書き込む欄がございます。ですから、このエイズサーベイランスというものの役割、それをどうとらえるか。 疫学調査の一環、こういうことで、診た現場の医者が、臨床的観点からこれはエイズであろうと判断したものについて必要最小限のデータを書いて出す、それをサーベイランス委員会で認めて、それを数に合わせているというのが現状だと思います。本質的には、当時も、さかのぼっても、そういうことと意義は変わらないのだと思っています。 ですから、医学的な、学会的にこれをどうだというふうに議論するのであれば、もう少し違う形でやらないと、例えば本当に細部にわたっての臨床評価をするには難しい面もあるかと思います。
○枝野委員 今の松本先生のお話ですと、こういったサーベイランスについては、基本的には現場で患者さんを診ているお医者さんが判断をして、それをどこかのところでその報告に基づいて集約をするような性格に近いというような御認識と理解していいですね。 そうすると、逆に言えば、帝京大症例をエイズ研究班みたいなところで否定をしたこと自体がむしろ間違いだった、あれは現場の帝京大の医者が、これはエイズじゃないかといって出してきたのだから、それを研究班などで否定をすることの方がむしろおかしかったのだというふうに考えた方がいいのかなということで今のお話を理解しました。 もう一つ食い違っている話で、ゴットリーブ博士の話なんですが、確認しますが、松本先生がゴットリーブ博士の話を聞いていない、これは間違いないですね。
○松本参考人 もう何回もその質問をされるので、私もだんだん疑心暗鬼になってきまして、ゴットリーブというのは有名な先生ですから、僕らも頭に刻み込んでいます。 それで、アメリカであり、そうすると、ひょっとして診ていただいたのかな、そんな気にだんだんなってきますけれども、私は、先ほどの質問の時点での気持ちとしてはそういうことを考えてはおりませんでしたので……。
○枝野委員 松本先生がこの患者さんと塩川先生を引き合わせたというようなニュアンスのことをおっしゃっています。これには松本先生は同席をされていらっしゃるのですか、それとも、塩川さんだけ独自に会ったのですか。
○松本参考人 これは当然同席しておりました。
○枝野委員 そうすると、先ほど来聞いていらっしゃるとおり、塩川先生の方はこの患者がアメリカでゴットリーブ博士の診断を受けているというようなことを委員会で話していらっしゃる、それでなおかつ、塩川先生を患者に会わせたところでは松本先生は同席をして、そこで松本先生が聞いていないということは、塩川先生はこの患者と別のところで会っているということにならざるを得ないわけですが、そういったことについて何か知っていることはありますか。
○松本参考人 当時、塩川先生が患者さん並びに友人の方とどのような話をしていたのか、それを全部私が覚えているわけではなくて、はっきり言うと、ほとんど覚えていません。そういう現状です。 それから、塩川先生がその他の機会にこの患者さんに会うことは、私の想定する限りあり得ない話だと思っています。
○枝野委員 あり得ない根拠を簡単にお話しください。
○松本参考人 連絡するすべがございません。
○枝野委員 何か当たり前のふうに今まで聞いていたのですが、先生がこの患者さんをごらんになって、なおかつ診断の結論が出ない状況でアメリカにお帰りになったのかどうか、そこまではともかくとして、基本的には、エイズのような重篤な大事な患者さんについてですから、それについて診断をして、治療なりなんなり今後のことについて、常識的には先生の方が連絡先を把握するのが普通ではあると思うのですね。それを把握していなかったということについて、どういうふうな事情と説明をされるのですか。
○松本参考人 まず、この方は私を信頼してはいただいておりました。 しかし、事が事だけに、その当時、エイズということは、もしかそういう情報が外に漏れたときに今以上に大変な状況になり得ることが予想されておりました。患者さんは、みずからのプライバシーについて極めて敏感、慎重でございました。 ですから、少なくともこの患者さんについての個人情報というのは、患者さんの言うことだけを我々が知っておくということにしました。それで、その患者さんの外国での住所とか連絡先というのは患者さんの方からおっしゃいませんで、我々は連絡するときはその間に立った友人の方を通じて連絡をしよう、そういうふうな観点で患者さんと接触しておりました。 なお、プライバシーということに関しましては、今以上に、その当時は物すごく、私は一番それを考えておりました。 それで、この調査票を提出するに当たっても、そのことの了解を得るためにその友人の方に御連絡差し上げたところ、友人は早速それを本人に連絡して、しかし、それがどういう形なのか想像がつかないということで、早速後日、その友人の方と、弁護士の方なんですけれども、同行されまして、私を訪ねてみえられました。それで、その際に、患者さんのプライバシーについて遺漏のないように守秘を改めて要請されたといういきさつもあります。 ですから、私がここで強調しておきたいのは、やはり私の立場としては、患者さんの方からの意思で私を訪ねていただく、そういう形にならざるを得なかったわけでございます。
○枝野委員 そういった過程でおいでになっている患者さんについて、これは私は医者じゃありませんので詳しいことはわかりませんが、例えばあの帝京大症例についての話のときには、ステロイド剤を投与されていたかどうかということで診断に影響を受けるとかということで、要するに、今までどういう治療を受けてきたのかとか、どういう生活をしてきたのかということによって病状の診断も変わってくると思うのですね。そういったことについての情報というのはどの程度手にされていたのですか。要するに、アメリカではどういった治療を受けていたのかとか、どういった診断を受けていたのかということについて、情報はどれぐらい手にされていたのですか。
○松本参考人 体調の変化を感じまして、アメリカの病院でも検査は受けております。しかし、そのときにエイズに特異的な検査を行っているわけではございません。つまり、それは肝臓のぐあいも悪かったかもしれないとか、いろいろ、リンパ腺もはれたのでそうかもしれない。ですから、ある意味では一般検査的なことを受けております。 その当時、肝機能が少し悪かったので慢性肝炎じゃないかと言われたり、リンパ腺がはれているのは何かというふうな議論もあったみたいですけれども、とにかく、具体的な医学情報をそれほど私はそこで手に入れているわけではございませんので、簡単な患者さんのメモや今までの経歴を聞いた範囲で判断しておりました。
○枝野委員 例えばそういった場合、普通の感覚ですよ、医者じゃありませんから。例えば、プライバシーの問題があるのだったら、直接できないにしても、その患者さんを通じてアメリカでの診断の結果をもとの病院から写しをもらってこないかとか、その先生からの、紹介状みたいなものとは違うのでしょうけれども、従来の経緯はこうですとかといったものを持ってこいとか、それぐらいのことを慎重にやった上でないと、エイズかどうかだなんという診断は、普通は——まして、初めてやる診断ですよね。今までしたことのない診断ですよね。それぐらいいろいろなことを慎重にやって初めて出てくるのじゃないですか。
○松本参考人 向こうで受けた検査の結果を全く持っていないわけではございません。患者さんも向こうで得たデータをメモしておりますので、そういったものは手に入れて見ております。 ただ、その診察結果といいましても、長らくそのことで通院していて治療をしていたということではなくて、一回行ってこんなことだよと言われたというのを複数回、しかも、違う病院でもやっているというようなことでございまして、それについて特段の判断とか診断名とか治療、こういうことを患者さん自身が言われなかったということでございます。
○枝野委員 もう一度、繰り返しになりますが、お尋ねをします、従来の質問から。 あなたがこの患者さんを初めて診察をしてエイズであるという判断をされるまでに、何回、そして都合何時間ぐらい診察をされましたか。
○松本参考人 この方とは三、四回会っていると思いますけれども、時間にすると相当長いと思います。 なぜかといいますと、最初に会ったときに相当時間がかかりました。というのは、やはりその方のいろいろな話とか、少し将来的なことも含めていろいろお話しした経験がありましたので、時間ははっきりわかりませんけれども、かなり長時間にわたってお話しした覚えがございます。
○枝野委員 一つは、客観的事実として三、四回も会う回数が、日数があったのかというのは、これからほかの情報とも合わせて考えていきますが、三、四回というのが正しかったとしても、今までのお話の経緯の中で、初めてする判断、日本で初めての判断を御自身一人の責任と能力でされるに当たってはかなり自信を持ってなさっているなという認識を持つのですが……。 もう一つ、時間もありませんので、野崎さんにお尋ねをします。 基本的なことをお尋ねしますが、野崎さんの課の所管業務というのを簡単に説明してください。
○野崎参考人 私、五十八年の八月に就任したときは公衆衛生局保健情報課という名称でございましたが、翌年の七月に組織改革があって、保健医療局感染症対策課と変わっております。一部の所管事項の変更はございましたが、主なものは昔の防疫課当時のもので、伝染病予防に関することでございます。そのほかに、予防接種の事故の認定でございますとか、毒ガスの事故の認定でございますとか、そういうようなものが事務的には多かったように考えております。
○枝野委員 時間がなくなったので最後にしますけれども、その伝染病の予防ですね、伝染病が感染をするルートとしてはいろいろなルートがありますが、血液製剤を介してというのも当然あなたの課の所管事項であったという理解でよろしいですね。
○野崎参考人 医療の管理下に置かれているものについては、私どもとしては、一般的には防疫対策としては考えておりませんでした。
○枝野委員 ごめんなさい、もう一点だけ。 この場合、要するに血液製剤という薬の側面からこの問題にアプローチするのが正しいのか、それとも、感染症というのか、そういう伝染病としての観点から、エイズという観点からとらえていくのが正しいのか。これは、要するに両方に重なる問題なわけですね。これは行政の中でいろいろなところで重なる問題が出てきます。そういった場合、厚生省の中では、あなたの当時、どこの部署のだれがその担当部署の仕分けをする責任者だったのですか。
○野崎参考人 所管事項は組織令に書かれておりますので、その分野だと思いますが、私どもとしては防疫一般に関することで、医療に関すること、内容についてはその範疇に入れておりませんでした。
○枝野委員 時間なので終わりますが、結局、書いてあるか、書いてないかということだけれども、両方に重なっている話じゃないですか。それをどこかで仕分けをしないと、薬の方の問題だったら薬務局だけれども、伝染病、エイズということだったらあなたのところなんですよ。どこかで仕分けをしてなかったとすれば、そのこと自体が問題じゃないかなということを指摘をして、終わります。 延びてしまって済みません。
○和田委員長 岩佐恵美さん。
○岩佐委員 まず、松本参考人にお伺いをしたいと思います。 三月の初めに、私は参考人にお電話をさせていただきました。そのときに、第一号患者の症例について、CD4は三百五十、そしてカンジダについては、あるけれども、ちょっと薬を投与すればすぐに引っ込む、そういう程度のものだということと、それから、今で言えばプレエイズの症状である、昨年末まで生存をされていたというふうに言われましたけれども、この言われたことについて、そのとおりかどうか、もう一度、再確認をさせていただきたいと思います。
○松本参考人 カンジダ症の程度については、口腔カンジダ症はございますけれども、しかし、今の診断基準に照らすと、例えば食道にまで及んでいたのかとか、こういうことについては特別本人に聞いたり、確かめているわけではございません。 それからあとは、そのプレエイズという言葉でございますけれども、プレエイズがあるかないかというその定義そのものに、最初に私が使ったのはそういう厳密な定義に基づいて使ったということではないので、先ほども申しましたように、この方は単なる感染者ではないのですよ、症状がある程度起こってきている人だ、そういう判断でそういう言葉を使わせていただいたというのが実情でございます。
○岩佐委員 それから、学会誌で参考人はこの症例について発表されていますけれども、塩川氏と連名で発表されておられるわけですね。それはどうして塩川氏と連名にされたのか。何か助言を受ける必要があったのか、あるいは何か尋ねてそういうふうにしなければいけなかったのか、その辺についてちょっと伺いたいと思います。
○松本参考人 これは余り深い考えがあってやったわけではございませんけれども、普通、我々が学会に報告するときに、それに関連した先生のお名前を載せるということはよくあることでございまして、塩川先生の立場は、確かに調査検討委員会の委員長でもありますが、当時、順天堂大学の名誉教授という肩書も持っておられましたので、我々としては、そのお名前も一緒に載せて発表しようかなと思いまして、そこに載せさせていただきました。
○岩佐委員 八五年一月ごろ、約百名の同性愛者のエイズの抗体検査を行った、そういう報道があるのですけれども、その点については事実なんでしょうか。
○松本参考人 これは事実でございます。当時、日本でそういった検査はまだやっていませんでしたので。
○岩佐委員 その検査はどなたの指示でおやりになったのでしょうか。
○松本参考人 ちょっとお話ししますと、都内のある開業の先生から私に相談がございました。それで、エイズ問題についていろいろ患者さんも心配しているからぜひ私に相談に乗ってほしい、これがちょうど一九八五年の七月くらいだったと思います。それで、会ってお話ししまして、その中で、いろいろ日本のエイズの実情をやはり現場で調べなくてはいけないという話になりまして、それなら何ができるだろうか。 まず、その医院は同性愛者を比較的多く診ている病院だったのですね。ですから、そういう人の相談に結局乗っていたわけなので、そういう人たちが今こういうウイルス感染が多いと聞いておりますから、それでは何かの手を尽くして、その辺の抗体検査、実情を把握することは非常に意味があるだろうということで、患者さんを、希望者を集めて、我々は血液をとって調べました。これはあくまでも匿名で、しかも希望者にそういう形をやった。 当時、この疫学研究というのは、我が国では、これだけのマスでやったのは恐らく初めてだと思います。疫学的に極めて重要な情報として、その後も引用されております。
○岩佐委員 後に、当委員会の参考人質疑で、塩川優一氏は、エイズの第一号患者については帝京大症例を第一号と考えていいのではないかと思う、そういうふうに私の質疑の中で答えられました。参考人はその点についてどう思われますか。
○松本参考人 これはもう病歴から明らかでございます。後から調査検討委員会で追認する形はとっておりますけれども、もう一度振り返って一つ一つ並べ直すと、今の認定した順番と、現実にその患者さんが発症している時期というのは違うわけでございます。 ですから、私の認識としましても、少なくともわかっている範囲での国内で最初に起こった症例は帝京大学の症例であると、もう初めから私も思っております。
○岩佐委員 それでは、野崎参考人に伺いたいと思います。 先ほどのギャロ報告ですけれども、参考人は知らないということでしたけれども、安部氏は厚生省に届けたということを言っておられます。そうすると、可能性としてどこに届けた可能性が高いのでしょうか。
○野崎参考人 届けられたという記憶はございませんし、私どもも知る限り調べました。また、プロジェクトチームでも調べましたけれども、一切そのようなことはなかったというふうに伺っております。
○岩佐委員 先ほどの十一月二十二日の輸血後感染症研究班エイズ分科会のことですけれども、この分科会で、栗村教授はギャロ報告について、会議の後、多分厚生省だと思うのですけれども、知らされた。それで、先ほども言われましたけれども、栗村さんの二十二例中の四例というのはアメリカの検査方法とクロスをするというようなことが必要だったのだろうと思うのですね。 いずれにしても、その会議の後、ギャロの報告を知らされて、そして、クロスをするというかチェックをすることになるわけですけれども、この栗村氏に教えた可能性として、森尾氏でないとすると、あとはこの会議に出たのは、予研の北村さんと生物製剤課の増田さんなんですね。どなたの可能性が高いと思われますか。
○野崎参考人 よくわかりません。
○岩佐委員 十一月二十九日の会議ですけれども、このエイズ調査検討委員会には参考人は出席されましたか。
○野崎参考人 二十九日の調査検討委員会には出席いたしました。
○岩佐委員 この二十九日の検討委員会で、後に厚生省の資料がどっと出た中に二十九日のメモが、先ほどから議論のあるメモでございます。これは参考人はごらんになっておられると思いますけれども、だれが発言したかというところが黒塗りで、ただ中身を見ると、この中で、ギャロ博士のいわゆる四十八例中の二十三例、感染ということだと思いますが、それと栗村さんの話が出ているわけですね。 それで、先ほどの参考人の回答では、ギャロ博士の調査結果について知ったのは三月の二十一日ですかとかということですけれども、それはおかしいのじゃないですか。会議に出ておられたのだったら当然知っておられるというふうに私は思いますけれども、その点どうですか。
○野崎参考人 十一月二十九日の会議のメモでございますが、私も、つい最近になってそれをプロジェクトチームの方から見せられたわけでございますが、全然記憶がございませんし、当時、安部先生とかギャロ博士の問題がその委員会で検討されたということは、全く記憶がございません。
○岩佐委員 大事な点なんですね。四十八人のうち二十三人が感染をしている。その中には、私は安部氏に直接この参考人質疑で確かめたのですけれども、二人のもう亡くなられた方が含まれているわけですね。そういう重大なこと、だからこういう議事録にも残っているわけでしょう。それを、課長の立場にある方が全然知りませんでしたと。それは信じられないですよ。だれも聞いたって本当だと思わないですよね。 当時、エイズが発症すると亡くなられるということはもう常識だったわけですよ。抗体陽性になれば発症する、大変だ、こういうことについて参考人はその当時一体どう認識されていたのですか。
○野崎参考人 抗体陽性であるということはエイズウイルスに感染したというふうに認識しておりました。
○岩佐委員 だったら、物すごく大変なことですね。 十一月二十二日の森尾課長補佐の判断ですけれども、これは公表しないということになったようですが、例えば、その後、栗村氏がデータをどんどん出すのは、もう一、二月でどんどんデータが出てくるわけですね。三月の十一日には、日米医学協力研究会肝炎専門部会というところで、日沼教授と栗村教授が、健常者千三百五十三名、同性愛者五十三名、輸血を受けた方二十九名、そして血友病患者百六十三名を調べられて、それで、他の方には全然出ない、血友病患者だけから四十七名、症例が出ているわけですね。 この会議に報告をするということですから、もうそれ以前に厚生省もわかっているはずですし、そのデータを知っていたというふうに思うのですけれども、その点はどうですか。
○野崎参考人 その会議に先立ってだと思いますが、日沼教授、栗村教授から厚生省に、検査法が確定して、現在、今おっしゃいました百六十三件中四十七名の血友病患者に抗体陽性が出たという御報告がございました。
○岩佐委員 感染が発症するということがわかっていて、そういう時期にこういう重要なデータが出されているにもかかわらず、血友病患者からはどうしても第一号患者を出したくなかった、当時の状況として。だって、データとすれば、同性愛者を一月に集中的に調べたとかというのはありますけれども、それ以前に、血友病の患者さんは帝京大症例を含めていっぱいいらっしゃるわけですよね。それがどうしてこういうふうに対応が後手後手に回り、第一号患者は同性愛者になったのか。その辺の疑問というのは、本当に論議をすればするほどおかしなぐあいになっていってわからなくなる。つまり、皆さんが本当のことを言っていないというふうに思えて仕方がないわけです。 それで、最後に同じ質問をします。 塩川優一氏が、第一号症例については、これは帝京大症例であったと今では思っているというふうに発言されておられますけれども、野崎参考人はどうですか、その点について。
○野崎参考人 塩川先生がどのようにおっしゃっているか、私もよく聞いておりませんけれども、検討委員会に出されたのは、これは時間的に提出された順番に審議をしていったということで、疑いが濃い患者さんということで公表をしていったということだと思います。
○岩佐委員 済みません。時間がちょっと来ているのですが、その問題について厚生省もこれは見直しをする、第一号症例については先ほどの同性愛者ではない、帝京大症例だというふうなことで今見直しをするというふうになっているのですけれども、その点について、あなたが課長のときに第一号患者を発表しているわけですね。その責任者としてどう思われますか。
○野崎参考人 当時の知見またエイズ調査検討委員会のあり方ということからしますと、自治体に届け出があったものについて調査検討をするということであったので、その順番でしょうがなかったというふうに考えております。
○岩佐委員 全くお役所の答弁だと思います。 以上で終わります。
○和田委員長 土肥隆一君。
○土肥委員 松本先生にお聞きいたします。 画期的第一号症例の担当医であったということになりますが、先生は、経歴書を見ますと、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校など留学なさって、アメリカあたりでこのエイズの研究に携わっておられたのでしょうか。
○松本参考人 私が留学していましたのは、一九七九年、八〇年でございまして、エイズという病気はまだその当時は認められておりませんでした。ただ、ウイルスはひそかに蔓延していた時期です。研究はしておりません。
○土肥委員 そうすると、明確にエイズというものを意識されたのは何年ごろでしょうか。あるいは、どこの研究室で始められたのでしょうか。
○松本参考人 我々、膠原病内科に属しておりますけれども、リューマチとか膠原病は自己免疫疾患という病気で、免疫ということに非常に関心がございました。一九八一年にアメリカでそういった病気があるらしいといういろいろな情報が流れてきまして、我々としては、そういう免疫という共通の観点から非常にこの病気に私自身も興味を持ちました。 ですから、いつかと言われますと、まあ一九八一年から二年ぐらいに、そういうニュースが伝わったころに既にこれは何だろうと思っておりました。
○土肥委員 八一年、八二年ころ、そういう患者さんに接したことはございますか。エイズと言うに疑わしい患者さんに接したことはございますか。
○松本参考人 全くございません。
○土肥委員 エイズという病気を意識されたのはいつごろからでしょうか。
○松本参考人 一九八三年の十一月に、アメリカのニューヨークで全米的なエイズの学会がございました。私は、興味もありましたからそれに行きまして、その際にも向こうの大学で患者さんを見学させていただく機会もありまして、それが具体的には私とエイズの直接的なかかわりの初めだったと思います。
○土肥委員 塩川先生はどの程度の知識をエイズに関して持っていらっしゃるのですか。
○松本参考人 塩川先生がどの程度持っていたかは、私にはわかりません。ただ、早い時期から、やはり同じ教室の教授でしたから、そういう病気があるということで、教室のいろいろ研究会等でもそういった文献を教室員が読んだりいろいろしておりました。
○土肥委員 それじゃ、とりたてて塩川先生があなたの知識よりも上だったということはないのですね。
○松本参考人 いや、多分、塩川先生の方が上だったのじゃないかと思いますが、それはわかりません。
○土肥委員 根拠は何ですか。
○松本参考人 やはり幅広い情報を塩川先生の方が集められる立場にあったというふうなことから判断して、そう思います。
○土肥委員 一九八三年といえば、エイズ研究班が設置されたときなんですね。そのエイズ研究班の設置、そして、それから二年後にやっと加熱製剤が出るということで、すさまじい薬害エイズが発生したわけです。あなたはその経過をずっと追いかけておられましたでしょうか。
○松本参考人 私は、その経過といいますか、特に今問題になっていることについて、殊さらそういうニュースを我々が知るということがなかったので、むしろ、後からこういう問題があったのかというような知る立場でございました。むしろ、エイズという病気そのもの、アメリカの情報、こういったものを我々は文献的に見たり、そういう方面に主に関心があったように思っています。
○土肥委員 先生は臨床医ということを強調なさいますが、当時の臨床医の、膠原病やそういう抗体の専門家の間では、エイズという問題が学者間で頻繁に出ていたのか、それはどうですか。
○松本参考人 はっきり言って、余り出ていないと思っております。
○土肥委員 そうすると、厚生省は、厚生省の薬務局の生物製剤課レベルで、先生が今おっしゃったような一九八三、八四年代で、どのような行政認識があったというふうに先生は推測されますか。
○松本参考人 ちょっとその質問に対して、私は、そういう観点というか、立場に余りなかったので、今急に聞かれましても、少しお答えできません。
○土肥委員 要するに、厚生省はそういう危機意識、認識がなかったと言うのですよ。だけれども、エイズ研究班が一九八三年に設置されたということは、かなり私は認識が高かったというふうに思うのですが、その辺はちょっと臨床の先生方と行政との関係でわかりません。 もう一点お尋ねいたします。 あなたが初めて一九八五年にある同性愛患者を診るわけでありますが、友人の友人の紹介みたいな感じで、よく関係がわからぬのです。なぜ順天堂大にこの人がたどり着いたのかということで、しかも、それは先生にとって初めてのエイズ患者としての判定の患者だったのかどうか、そのあたりをもう少し詳しく説明してください。
○松本参考人 なぜ私にかという御質問でございますけれども、私は、八三年にアメリカのそういう学会とか見まして、その後、エイズに対する多少の知見、こういうものは米国やその他から得て高めてはおりました。そういう際に、こういう新しい病気に対して、マスメディアの方とか科学の雑誌の方とか興味を持たれて、いろいろそういうことに対しては私も情報提供やら協力した覚えがございます。 ですから、そういった流れの中で、例えば患者さんの知り合いにそういうことに詳しい雑誌の方がいらっしゃって、たまたまその方がそれなら順天堂の松本というのに連絡をとったらどうかと言った、そういう話が出たということは、私自身にとってはそんなに青天のへきれきという感じではございませんでした。少なくとも、そういうことを少し詳しい方の人間だったと思っております。 それから、学内的に見ますと、順天堂で当時エイズに関連している者といったら、やはり私しかいなかったと思いますので、どっちみち、こういう患者さんが来たら私がそれに相談に乗るというのは、それなりに当たり前だったと思っております。
○土肥委員 そこで、塩川先生に報告なさったと。何か、ある狭い会議室でその患者さんにも出会ってもらったということですが、先ほども質問いたしましたけれども、あなたの初めてのエイズ患者であったと思うのですが、それを見て塩川先生もそうだというふうに認識するだけの条件は十分そろっていると思いますか。
○松本参考人 塩川先生がお会いしたときはまだすべて結果が出ている段階ではございませんから、ただ、患者さんのお話しする背景、そういったことからかなりその感染が疑われるなと判断をしていた時期でございます。 あと、一号ということに関しましては、私自身は、たまたまその調査票を出した中でその一号、最初の症例であったということで、その後、私は多くの感染者や患者さんを拝見しておりますけれども、それはもうたまたまそういう調査票を出したときに、その方が調査票のシステム、調査システムの中で一号になったのだなと、それ以上のものではないと今考えております。
○土肥委員 済みません。時間が来ておりますけれども、もう一問させてください。 その前に、松本先生のところに来た患者でエイズと判断した方は何人もいらっしゃるわけですね。(松本参考人「いないです」と呼ぶ)いないのですね。第一号ですね、やはり。 一つ、野崎さんお願いします。 第三回からエイズ研究班に参加された。そして、生物製剤課が中心にやっていたように思えるのです、先生の関心からいうと。その当時、郡司さんはどういう役割をこのエイズ研究班でされておったのか。三、四、五回とあるわけですが、三、四、五回について、郡司さんの役割についてお述べください。
○野崎参考人 エイズ研究班の運営の事務局の責任者という立場だったと思います。
○土肥委員 それで、彼は一切エイズ研究班のリードはしなかった、ただそこにおったというだけですか。
○野崎参考人 私は三回目から出席いたしましたが、そのようなふうには見えませんでした。
○土肥委員 終わります。
○和田委員長 以上をもちまして野崎参考人及び松本参考人に対する質疑は終了いたしました。 両参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 午後一時に委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時四十三分休憩 ————◇————— 午後一時二分開議
○和田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 厚生関係の基本施策に関する件、特にエイズ問題について引き続き調査を進めます。 ただいま、参考人として、神奈川県立こども医療センター副所長兼病院長長尾大君及び元厚生省薬務局生物製剤課長松村明仁君に御出席をいただいております。 両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。 それでは、まず委員長から長尾参考人にお尋ねいたします。 さきに厚生省の調査プロジェクトチームに寄せられた山田血液製剤小委員会委員の回答によれば、一九八四年一月五日に山田委員ほか参考人を含む数名のメンバーが集まり、加熱製剤の剤型変更による緊急承認及び安部エイズ研究班長のメーカー各社への寄附依頼の件について協議され、その結果を同年一月十日に安部班長に申し入れられたとのことでありますが、この協議及び申し入れの内容について簡潔に御説明願いたいと思います。
○長尾参考人 お答え申し上げます。 その前に、私の立場を申し上げますと、過去二十六年間、血友病患者さん方の主治医を務めてまいりました。結果といたしまして、その大切な患者さんの二八・三%がHIVに感染してしまいました。我々の治療を通じて感染されたことは明らかで、これらの患者さん方にまことに申しわけなく、心からおわび申し上げております。 御質問につきお答え申し上げます。 一月五日に、郡司課長、山田、藤巻、風間、長尾が集まりました。そこで郡司課長から、安部先生が世話人をしておられる加熱製剤の治験にお金が絡んでいるといううわさがある、困ったことなので忠告してほしいという内容の御相談がありました。郡司課長が直接申し入れればよいのにとは思いましたけれども、協議の結果、お引き受けいたすことになりました。その際、安部先生は立腹されると予想されますので、安部先生とは余りに近い風間先生はお気の毒なので外そうということになりました。先ほどおっしゃいました緊急輸入その他に関する話は出なかったと私は記憶いたしております。 一月十日、山田、藤巻、長尾の三人で、安部先生に郡司課長のお話を伝えました。安部先生は激怒して、痛くない腹を探られるのは心外である、疑惑を持たれるのならば治験の世話人をおりるという趣旨のことを言われました。その後、各方面に手紙を出されたようであります。 以上です。
○和田委員長 次に、松村参考人にお尋ねいたします。 参考人は、一九八四年七月から一九八六年六月まで厚生省薬務局生物製剤課長を務められ、その間、血液製剤に関する行政の責任者の立場にありました。 そこでお尋ねいたします。 参考人の在任当時、加熱製剤が承認され、第VIII因子については一九八五年七月に、第IX因子については同年十二月にそれぞれ製造承認がなされましたが、参考人は、患者の方々からの非加熱製剤の回収の要望があったにもかかわらず、メーカーの自主回収に任せ、その結果、回収に二年半以上の期間を要しました。なぜ厚生省が回収命令ないし指導を行わなかったのか、その理由を明確に説明してください。 また、非加熱製剤の危険性が明らかであったにもかかわらず、回収がおくれた結果、血友病患者のみならず、それ以外の患者にもいわゆる第四ルートを通じて広く使用され、被害がさらに拡大したことについてどうお考えになるのか、あわせてお尋ねいたします。
○松村参考人 まず、委員長の御質問にお答えをいたします前に、委員長の御許可がいただければ一言発言をさせていただきたいと思います。 血友病の皆様の中で、不幸にしてエイズにより既にお亡くなりになられました方々、また現在エイズウイルスの感染を受けて闘病生活を続けられておられる方々、さらにその御家族の方々に対し、心から御同情とお見舞いを申し上げます。 私は、当時の行政の担当者の一人といたしまして、最大限の努力はしたつもりではございますが、結果的にこのような事態を避けることができなかったことを心から残念に思っております。十年余りの年月、私にとっても心を痛める毎日でありました。 過日、私は、厚生大臣によります国家公務員法に基づく懲戒処分を受け、また、退職もいたしたところでございます。現在、静かに当時を振り返っておるところでございます。 本日は、立法府において、真実を解明し、今後の対策を立てるということでございますので、私の知っております当時の事情を率直に申し述べさせていただきまして、御参考に供したいと存じます。 さて、委員長からの御質問でございますが、加熱製剤が市場に出た後に非加熱製剤をなぜ回収しなかったかということでございますけれども、これは、一斉に回収をいたしますと、必須の製剤でございます濃縮製剤の供給に一部でも滞りというものが生ずることは許されない、このように考えまして、一つ一つの製剤を置きかえる形の自主回収という方法が必要である、このように考えたわけでございます。 さらに、いわゆる第四ルートというお話でございますけれども、これは、血液の濃縮製剤というものが、当時、私ども行政の担当者といたしましては、承認申請の中でもこれは血友病の患者さんに使うのだ、血友病の患者さんに対して治験等も行われておる、こういうことを見てもわかりますように、主として血友病の患者さんに使われるものだ、このように考えておったわけでございます。 また一方、当時は、血液製剤と申しますものは、常に欠乏の恐怖といいましょうか、物が足りなくなるということに対する強い懸念がございまして、これがそのほかの一般的な治療にどんどん使われているというようなことはとても考えにくい、こういうふうに理解をしておったわけでございます。 したがいまして、私どもは当時、一方で血液製剤の適正使用ということを大きな問題としてとらえておったわけでございますけれども、これにつきましても、濃縮製剤については適正に必要な分使われている、こういうふうに考えておりまして、実はこの適正使用の検討からも一応外されておった、こういうふうな状況がございました。 しかしながら、実際は、最近の調査によりますと、血液凝固因子製剤がそのほかの疾病にも使われておったということがわかってきておりまして、これは当時私ども担当者として、本当に今心からも反省をしておるところでございます。 以上でございます。
○和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。長勢甚遠君。
○長勢委員 私からは、松村参考人に御質問させていただきたいと思います。 今、委員長からも御質問があったとおり、参考人の在任中の期間は、血友病患者のエイズ被害の拡大を防止する上で大変重要な時期でございました。お聞きしたいことはたくさんあるわけでございますが、時間もありませんので、主として、加熱製剤を承認したにもかかわらずなおかつ非加熱製剤の回収がおくれた、これはどうしてだろう、この点を中心に質問をさせていただきたいと思います。 プロジェクトチームへの参考人の報告、その他の資料なども十分読ませていただきましたけれども、回収命令等を出さなかった理由ということについては、今御答弁があったとおりのように思います。簡単に言うと、血液製剤が血友病治療に不可欠、それが途切れるということに伴うパニック状態というものを何としてでも避けたいということが第一点であり、また、自主回収等に任せても十分回収の効果が達せられる、また、非加熱製剤による被害拡大の可能性も少ないといったようなことが言われておるように思います。 これらの点それぞれ十分に根拠のあるものであるかどうか、いろいろな観点から疑問も呈せられておるところでございますけれども、それはそれとして、これらの判断の基礎にもう一つあるのは、非加熱製剤による危険性というものについての認識がどうであったかということが根幹的に問題な点じゃないか、こう思うわけであります。 少なくとも加熱製剤が承認をされた時期には、非加熱製剤の使用によって血友病患者が極めて高い確率でエイズという非常に重篤な病気に感染をする、また発症するということが十分な認識になっておったのではないか、であるがゆえに加熱製剤という承認も大変急いでなさった、このように思うわけでございますが、そうであるにもかかわらずこういうことになったのはどうしてだろうかということが、どうしても解明をしなければならない一番大事な点だと思います。 簡単に言えば、ちょっと認識が甘かったのじゃないか。もっと言えば、非加熱製剤について十分な危険性を認識しておられれば、血友病患者の治療のあり方あるいは回収のあり方について、もっと真剣な検討、工夫ができたのではないかというふうに思うのは私だけじゃないのじゃないか、みんなが思っていることだと思います。もっとひどいことを言えば、何か企業任せの自主回収を正当化するために、非加熱製剤についての認識を殊さらにゆがめてお話しになっているのじゃないかという疑いさえ持たざるを得ないわけであります。 そこで、参考人にお伺いをいたしますが、少なくとも加熱製剤の承認時期において、非加熱製剤による血友病患者のエイズへの感染率あるいは発症率、いわゆる危険性についてどのようなものであるとお考えになっておられたのか。また、その認識は、現時点で考えた場合にそれは正しかったとお思いか、あるいは今考えれば間違っておったなと思われますか。その点、簡潔にお願いいたします。
○松村参考人 エイズにつきましては、時間を追うごとにその理解が深まっていっておるわけでございまして、今委員の御指摘の加熱製剤の承認時ではどうだったか、こういうことでございます。 承認時、感染率というものが私には当時よくはっきりわかっておらなかったと思います。それを抗体の陽性率というふうなもので考えた場合どうだったかというふうに考えてみるわけですけれども、このときには、まだ抗体の検査というものが非常な高度な実験室だけで可能であったのではないか。少なくとも我が国においては、高度な実験室の中で抗体の陽性率が測定されておった。こういうことで、感染率、抗体陽性率、確かに、いろいろなレポートによりまして、かなり高いというふうにレポートもございました。しかし、どの程度ということで確定したものはまだなかったのではないかと思います。 それから、発症率ということでございますが、これはいろいろなところでお話が出ておりまして、私どもの承知しておりました状態は、感染と発症というのは違うのだということで、発症率というのは一体どの程度かということが外国でもいろいろ検討されておったのですが、覚えておる数字は、一%とかあるいはそれ以下というような感じではなかったか。それから、エイズ研究班のレポートには、当時、これは少し前の話になりますけれども、千人に一人というような、そういうふうな数字もあったのではないかと思っております。 したがって、まとめますと、抗体陽性率というものはある程度高いということは認識をしておりました。しかし、その抗体陽性率というものと発症というのは違うということであったと思いますので、こういったことは、今から考えると、やはり状況がよくわからなかったということで、今に至ってみれば、もう少しこれを重大なサイン、こういうふうに見るべきではなかったかと考えております。
○長勢委員 感染率は大変高いだろう、しかし発症率はほとんどないのじゃないか、こういう認識であった、しかし、当時は余りよくわからなかったというようなことでございますけれども、ここのところが、どうも不思議な話だなとみんな思っておるところだろうと思うのです。 おっしゃったように、時期を追ってエイズとは何かということがおいおいわかる過程にあったことは事実でありますけれども、しかし、参考人が在任されたときもどんどん進んでおって、この委員会でもたくさん議論がありましたから一々私から申し上げませんが、もうエイズウイルスも同定をされる、あるいはエイズの原因がウイルスであるということも認められる、あるいは加熱製剤のエイズウイルス不活化効果が確認をされる、あるいは一九八五年五月には厚生省も血友病患者のエイズ認定を行う、こういうことがどんどん進展をしておって、そういう中で加熱製剤の承認ということも相当急いでおやりになったという中において、なおかつ、わかりやすく言うと、リスクはそんな大したことはないだろうという認識になっておったということは、何とも理解に苦しむわけであります。 今、少しだけ申し上げましたが、ほかにも、もうわかっておったはずじゃないかというべき事実はたくさんあるわけでございますが、今言ったような経過についてはどのように評価をされておられたのでしょうか。
○松村参考人 当時、私ども、加熱製剤を急いでつくろうというそういう認識と、先ほどの、大したことないということではありませんけれども、先ほどの認識と食い違うというお話かもしれませんが、私どもは、加熱製剤の承認を進めるという、できることはとにかく一生懸命やろう、こういう認識でございました。
○長勢委員 午前中に衛藤議員からほかの参考人にも御質問がありましたけれども、特に思うのは、ギャロ判定なり栗村判定なりで相当高い確率で抗体陽性が出ているということがはっきりしているわけです。この事実は当然御存じだったと思うのですが、いつの時点で参考人は御存じになりましたか。
○松村参考人 具体的に抗体陽性のデータが幾つも出てきているわけですけれども、そういったものをいつごろ知ったかということでありますが、これは、この抗体陽性の率につきまして、昭和六十年の春だったと思うのですけれども、こういったころにたくさんの情報が一遍に出てまいりまして、私どももこの辺に、大体日本の国内における血友病の方々の抗体陽性率というのはこんなところかなということを認識した、このように思っております。
○長勢委員 六十年の春にようやくわかったというのもちょっと腑に落ちない点もありますが、いずれにしてもその時点ではわかられたわけで、ギャロ認定では四十八例中二十三例も抗体陽性ということは、我々、私のように専門家でない者にとっては、これは大変なことだというふうに思うのですが、その後も、そういうふうに先ほどおっしゃったような認識を持ち続けられたということになるわけで、先ほどその抗体陽性の評価について何かお話があったような気がいたしますが、抗体陽性がこういう高い率で出ているということとエイズの危険性についてはどういう関係にあると当時思っておられたわけですか。
○松村参考人 繰り返すようでございますけれども、当時、エイズがウイルス性の疾患であるということが大体わかってきた。そういたしますと、ウイルス性の疾患というのは、一般的にはですが、感染と発症ということは大いに違う。それで、抗体陽性率というものと発症率というものは違うのだというのが、当時の定説ではございませんでしたけれども、通説というか、そういうことをおっしゃる方が多かった、このように考えております。
○長勢委員 そういう参考人の理解が当時の多数説というのですか、通説というのですか、ということでそういうふうに思われたということでありますと、私も専門家でないのでそれ以上申し上げることはできないわけでございますが、ただ、発症率は高くないかもしれないということは言えても、だから低いということにはなかなかならないと思うのですね。積極的に低いという評価があってこそ、あるいはそういう証明があってこそ、こういう重篤な話ですから認識が固まるべきだと思うのですね。 積極的にこれはもう大したことないのだということを判断される根拠は何かあったのでしょうか。
○松村参考人 当時、私どももいろいろな情報を見ておったということです。そういった中で、今申し上げたような感染と発症ということは違う、そういうことでありました。
○長勢委員 もう一遍繰り返しますが、今おっしゃっているような認識というのは、当時はそんなに、余り人が疑わないような一般的なことだったのでしょうか、それとも相当意見が分かれて、まあ分かれたといっても五分五分もあるでしょうし、六、四もあるでしょうが、どんな状況だと認識だったのでしょうか。
○松村参考人 具体的に申しますと、発症率というのは、要するに感染と発症というのは違うということは、これは一般的にそんなふうに言われておりました。 それで、先ほども申しましたけれども、エイズの実態把握に関する委員会の報告なんかには、アメリカの様子が紹介されておりましたけれども、輸血によるエイズの発症は十万人に一人とか、血友病のエイズの発症は千人に一人というような数字が出ております。 また、米国血友病財団が一九八五年の三月に出された、しおりというか、質問と答えなんかには、アメリカにおいても二万人程度患者さんがいらっしゃるようでありますけれども、そのエイズの発症率は今のところ一%以下だ、こういうふうなことを書いてございました。 それからまた、厚生省でもサーベイランスの委員会をやっておられたわけなんですが、これはいろいろな事情があったということは後でわかるのですけれども、当時、サーベイランス委員会に出てきている血友病の患者数というのはやはり数名ということでございまして、当時五千名ぐらい患者さんがいらっしゃる、こういうふうな計算でございましたので、五千名で数名かな、こういうふうな状況であった、こういうことでございます。
○長勢委員 人命にかかわることですから、五千名で数名だからリスクが小さいと言うわけにはいかないわけですが、同時にまた参考人は、一方で血友病治療の大事さということとの比較考量を大事にされていろいろな対応をされてきたということだと思うのですが、結果として今考えてみると間違っておったという先ほどの御発言ですが、当時もうちょっとしっかりやれば、どうかなったことがあったのじゃないかと今思って思われることはありませんか。当時ではそれ以上のことはとてもできる状況ではなかったと今もお考えでしょうか。
○松村参考人 先ほども冒頭に申し上げましたように、当時、私ども担当者としては最大限の努力を傾けた、こういうことでございますが、それは現在の科学あるいは医学の水準から見れば、あれもすべきであった、これもすべきであった、こういう反省はしております。
○長勢委員 それでは、具体的に、加熱製剤承認の際の非加熱製剤の回収に関してお伺いしたいと思います。 最前来問題になっております回収命令を出すか出さないかということについて、当時、どういう検討をされたのでしょうか。当然、厚生省内部なり医療関係者なり、あるいは医薬品企業なりと非加熱製剤の取り扱いについて検討されたと思うのですけれども、どういう議論がありましたか。
○松村参考人 当時も、濃縮製剤と申しますものは非常に重要な薬剤である、こういうことが私どもの心の中にしっかりとございました。一刻も欠くことができない。例えば、患者さんが不意の出血が起こる、あるいはけがをされる、あるいは手術をされる、こういうふうな緊急事態に対応ができなくなるということは、代替品がないというこの薬剤の性格上、私どもはこの点を強く考えておったわけでございます。 そこで、今御指摘のように、回収命令という命令を発して一斉にこれを回収するといたしますと、全国は非常にいろいろな状況もあるであろう、そういった中で、万一こういう今申し上げたような不意な医療の需要が生じたときに必要な薬剤がないということだけは避けなければならない、こういうふうに考えておったわけでございます。 それからまた、もう一つ、この加熱製剤の供給につきましては、他の薬剤に見られない経緯がございました。これはメディアの方々、あるいは国民全体と申してもいいと思うのですけれども、早く加熱製剤をつくりなさい、こういうことでありました。 そこで、私どもは開発の段階からメーカーと、いろいろなことをお願いも、早くやってください、あるいは今どの辺ぐらいまで進んでいますかというようなことを聞いたとか、こういったことで、薬といいますのは、でき上がって承認を我々に求めてきて初めて我々と接点ができる、そういうのが普通でありますけれども、この加熱製剤については、先生方もよく御存じのように、いろいろな経緯がございまして、メーカーと我々がかなり緊密に連絡をとりながら開発をしていただいた、こういうことがございます。 したがいまして、我々とメーカーの方々の思いといいましょうか、この薬を早く世に出したいという思いは同じでございまして、そこに私どもはほとんど全く差はない、こういうふうに考えたわけでございます。したがいまして、この新しい薬剤の入れかえというものは十分に、強制的な命令というものを出さずにやることができる、このように考えたわけでございます。 さらに言わせていただきますと、濃縮製剤というものは、血友病の方々がごく小さいときに発見されて、それから後は非常に専門性の高い医療を受けられる、医療機関との交流というのも非常に強い、それから、そこにメーカーがこれを供給するというような形で、十分にそういう専門家の目でこの薬品が使われていくのではないか、こういうふうな状況もある。こういうことを考えまして、総合的に考えてここは置きかえという形でトラブルが起きない方法でやっていこう、これが当時、我々とメーカーあるいはもちろん厚生省の薬務局なり、大体こういう感じで推移したわけでございます。
○長勢委員 考え方はるるお述べになりましたが、どうも聞いていると、今お話しになったようなことは、厚生省内部あるいは企業関係者、医療関係者、みんな当たり前のことで、それほど十分な検討をするほどのこともなかったと言わんばかりのようなお話に聞こえるのです。これは正直言って、事の重大性から考えると、我々にとってはとても信じられない話だな、まあそんなものだろうということで自主回収に任せていいのだということになったような印象なんですが、それがこういう大変な結果になったわけであります。 関係者はそうでありましたでしょうが、マスコミとか患者の方々とかから、強制的に回収を急いでほしいというような議論、要請というものは当時なかったのですか。
○松村参考人 特になかったと思います。
○長勢委員 参議院において、高原洋太さんですかの陳述では、何か患者団体が回収を急いでくれという要請行動をされて、その際に参考人は「ワインは一般国民が飲むものだけれども凝固因子の使用者は限られているから」ということで、「血友病患者には緊急対応はしないという返事でした。」という陳述をされておるわけであります。 この「使用者は限られているから」云々というのはどういう意味なのか、私にはよくわからないので、それも簡単に説明してもらいたいと思いますが、やはりその当時も回収をしてほしいという要請はあったのじゃないのですか。
○松村参考人 この問題については、私、まことに申しわけありませんけれども、具体的な記憶がございません。ただ、私の説明で誤解を招いた点があれば、まことに申しわけないと思っております。 しかし、先ほど申し上げましたように、血液製剤と申しますものは、血友病の治療に不可欠な、欠くことのできないそういうものである、さらに、代替のきかない、特殊なそういう薬である、さらに……(長勢委員「そこの答弁は結構です、聞きましたから」と呼ぶ) そういうことで、当時、ワインの問題もあったようでございますが、ワインのように、一般的に不特定多数の方々が食品として、代替性もあって自由にお飲みになるもの、そういったものと私どもの対応はこれは違うのだ、そういうことは当時考えておりました。
○長勢委員 どうもお話を聞いていると、企業の方の開発担当者と接触されておられたようでありますが、企業の方はもう一生懸命やってきたのだからちゃんとやるだろう、また、お医者さんも血友病の専門家だからそんなおかしな非加熱製剤なんかはなるべく使わないようにするだろうという大変な信頼関係の中で、まあまあうまくいく、こう思っておられたというふうに理解できるわけですが、結果は御案内のとおり、厚生省の調査結果を見ても、回収するどころか、さらに出荷までしておった、しかも、報告もでたらめだったと言わんばかりの話ばかりが出てきておるわけで、大変ひどいことであります。 当時、自主回収に任せたらこういうことになる可能性があるということぐらいは考えられたことはなかったのでしょうか。それからまた、参考人としては、自主回収に任せておけば、いつごろまでにどうやって回収が終わる、問題がなくなると思っておられたのでしょうか。
○松村参考人 実は、七月に承認を出します。六十年の七月に承認を出すわけなんですが、この前後に、実は血液の別の問題で、血液の回収の話がございました。そのときに、私のところにある回収をするメーカーの方がお見えになりまして、私どもは一つ一つの薬についてちゃんと行き先を確認をいたしました、こういうふうなお話をいただきました。それで、私はそのときに、覚えているのですけれども、冷蔵庫の中にあるようなことはありませんかと申しましたら、そういったこともちゃんと調べて対応しております、こういう御返事でありました。 これはその直前の回収の問題だったわけなんですけれども、私は、そういうことで、自主回収ということは最もメーカーの方々が御自分の製品の安全性、信頼性を確保することでございますから、そういう形で自主回収がなされるものである、こういうことを認識しておったわけでございます。そういうことで、私は、自主回収によって目的が十分達せられると当時は考えておりました。
○長勢委員 大変緊急なことだったわけですから、うまくいくだろうと思っていたというのではなくて、何カ月ぐらいにはちゃんと終わるだろうと思っておったとか、それから、今のお話は一応口頭で注意もされておられたという一つの証拠ではあろうと思いますけれども、やはり回収がきちんと進行しておるのかどうか、どの程度把握を一生懸命やっておられたのか、そういうことを非常に不思議に思うわけであります。大体うまくいくだろうと言わんばかりの話ばかりで、今私が伺っている限りは、何かちゃんとした手を一つも打ってないじゃないか、怠慢としか言いようがないという思いを禁じ得ない。 また、見方によっては、この調査結果によればひどい企業もあったわけで、そういう企業の言いなりになっていたのじゃないかと疑われても仕方のないような状況だと思うのです。当時、ちゃんと回収されているかどうか心配にはならなかったのですか。私はそのことを非常に不思議に思うのです。 また、今わかりましたけれども、回収がうまくいっていなかったということを当時は全く気がつかなかったのか。また、そういうことがどこかから指摘をされたことはなかったのですか。 それだけ確認して、終わります。
○松村参考人 御指摘は重く受けとめますけれども、私ども、当時といたしましては、自主回収にゆだねたということもございまして、非常にきつく回収状況について報告を求めたという記憶がございません。しかし、私の記憶では、全般的に二、三カ月のうちにはうまく置きかえができた、こういうふうに理解をしておりました。 それからさらに、この問題について、当時、私どもは最大限情報を提供していたつもりでございます。いつ承認になった、いつ発売になった、こういうふうなことを最大限情報は提供していたつもりでございますけれども、回収はどうした、回収をしなければだめじゃないか、こういう御意見は残念ながら私どものところにはなかった、このように記憶をしております。
○長勢委員 終わります。
○和田委員長 鈴木俊一君。
○鈴木(俊)委員 私からは、長尾参考人に質問をいたしたいと思います。 長尾参考人は、神奈川県立こども医療センターの現に病院長であられまして、小児科の専門家でいらっしゃいます。エイズ研究班の血液製剤小委員会にもそういうお立場で参画をされたと存じております。そこで、参考人には、主に小児の血友病患者さんと薬害エイズの問題を中心にお伺いをいたしたいと思います。 初めに、血友病患者さんのエイズ罹患の危険性について、先生の御認識をお伺いいたしたいと思うわけであります。 当委員会においてもさまざま参考人をお呼びいたしておりますが、例えば郡司参考人も、当時、エイズの本熊が何であるか、それがウイルス感染だとしてもどの程度の感染力があるか、また、感染するとしてもどの程度発症するのかわかっておらないというようなこともおっしゃっておられますし、それから安部班長も、新聞の記事でございますが、血液製剤を日本の三、四倍も使う米国の血友病患者でもエイズの発生率は千人に一人程度、こういうことでありますし、それから本日の松村参考人も、長勢委員の質問に答えて、当時余り深刻な危機感というものがなかったような旨の御発言がございますが、先生はどのような御認識でございましたでしょうか。
○長尾参考人 お答え申し上げます。 エイズの存在を初めて知りまして血友病との関係に疑いを持ちましたのが、一九八三年の春ごろでございます。しかし、かなりはっきりと危険を認識いたしましたのは、一九八六年の初めに我々の患者さんの抗体検査の結果が出たときでございます。その前には、一九八五年の三月に、先ほどから話題になっております、我が国での血友病のエイズの患者さんの第一例が出ましたということで報道されまして、それを知りまして大変なショックを受けました。
○鈴木(俊)委員 血液製剤小委員会、先生はメンバーであられましたけれども、ここの報告書において、クリオで十分適応できるものと、クリオでは確実な治療が不可能なものというものを分類されております。その中で、クリオでなければならないのはフォン・ウィレブランド病、それからクリオでも治療可能なものは、乳幼児の軽あるいは中等度の出血及び年長児、成人の軽度の出血である、こういうような報告が先生も入っておられる小委員会でなされておるわけであります。 このクリオで適応できる範囲がどれくらいであったかということにつきまして、去る五月八日に行われました当委員会において、徳永栄一参考人は、枝野委員の質問に答えまして、委員会ではクリオが使える範囲は全体の五%だという結論であって、その報告をしたのはたしか長尾君であったような気がするという旨の発言がございました。 そこで、長尾参考人は小委員会においてそのような報告をなされたのでしょうか。なされたとすれば、その根拠を簡単に御説明いただきたいと思います。
○長尾参考人 その小委員会でそのような数字を挙げて報告したという記憶はございません。
○鈴木(俊)委員 それでは、これは徳永さんの記憶違いなのかもしれませんけれども、それでは先生は、先ほどのクリオを使える範囲についても小委員会で報告があるのでございますが、おおよそクリオを使える範囲はどの程度であるというような御認識でいらっしゃいますでしょうか。
○長尾参考人 根拠を持ってどの程度であるかということをお示しすることは非常に難しいのでございますが、今その五%という数字について考えますと、一つは、いわゆる補充療法と申しますか、凝固因子製剤の注射を余り必要とされない、したがって、クリオの方が望ましいと思われます軽症の血友病の患者さんの全体の患者さんに占める割合が約五%ですので、そのような意味かもしれないという気がいたします。しかしながら、血液製剤の使用量という意味での五%ですと、これは、それを示すだけの根拠は多分ないのではないかと思います。それまでの経験からつかみの数字としてその程度という推測をすることは、あるいは可能かというぐあいに考えます。
○鈴木(俊)委員 五%という数字が使用量でなく患者さんの範囲だということであったとしても、この方々にクリオというものを使えばかなりの患者さんがエイズに罹患しなくてもよかったのではないか、こう思うわけであります。 私は、この後、何で特に小児にクリオを使わなかったのかというようなことを、もっと使うべきであったということを質問したいわけでございますが、その前に、クリオの副作用というようなもの、これは使い勝手がよろしくないということのほかにさまざま、アレルギー反応があるとか、そういうような副作用についても報告書では言及されておられますけれども、先生はどのような御認識でいらっしゃいますか。
○長尾参考人 お答え申し上げます。 クリオの副作用ということでございますが、小児の副作用は、成人と共通の部分は先ほど報告書を御指摘になりましたので省略させていただきます。 小児に特徴的な副作用と言えますでしょうかどうでしょうか、問題がございますが、注射されることを怖がりまして泣き叫ぶ乳幼児を押さえつけ、縛りつけて三十分から二時間もかけて点滴をするということと、五分から十分ぐらいの静脈注射で済むということでは、御本人にとっても御家族にとっても、また我々にとりましても、天と地の違いがあったと申し上げたいと思います。
○鈴木(俊)委員 私に与えられた時間は極めて少ないのでございますけれども、最後の質問をさせていただきたいと思います。 先生は先ほど、血友病患者さんに対するエイズの罹患の危険性については具体的には八六年ぐらいに御認識をされた、こういうことでございましたが、その八六年をさかのぼること三年、一九八三年の一月に、アメリカの血友病財団、これの医科学諮問委員会というところが勧告を出しております。これは、新生児及び四歳以下の幼児、従来濃縮製剤で治療されたことのない新しい患者、まれにしか治療を要しない軽症の血友病患者、こういう方々に対しては、医学的にどうしても使用しなければならない場合を除きクリオで治療することを勧告する、こういうようなことでございます。 私は、もう先生は小児病の専門家でございますから、また血友病の患者さんも扱っておられますから、当然この財団の勧告というものは十分お知りになっておられると思うわけであります。私は医学の知識はございませんけれども、単純に考えましても、体の小さい小児には少ない量の凝固因子を補ってやればいいわけでありまして、濃縮製剤の危険性というものが徐々にであれ言われていた時期に、こういった比較的安全なクリオ製剤を用いることができたならば、私は、かなりの数の、先ほど五%という数字も出ましたけれども、小児の患者さんに対するエイズ感染が防げたのではないか、どうしてそういうことが思いつかれなかったのか、やられなかったのかということを非常に残念に思うし、疑問に思うわけであります。 そこで、最後の質問でありますが、参考人御自身の治療、あるいは血液製剤小委員会、学会等においてどのように参考人は対応をなされたのか、そしてまた、今の時点から振り返ってみてどのように対応すべきであったとお考えになるのかをお聞きいたしたいと思います。
○長尾参考人 何点かございますが、少なくとも小児については、クリオ製剤を使用することによってエイズ感染をある程度防げたのではないかという御指摘でございますが、これはおっしゃるとおりだと思います。結果といたしまして、我々の施設でも、日本人の売血からつくられましたクリオのみを使用しておられました方は八人、一人もHIVに感染いたしておりませんでした。 しかし一方、実際問題として、一人の重症の血友病の小児をずっとクリオのみで治療するということは大変難しゅうございまして、努力いたしましても非加熱製剤をどこかで何かの形で使わざるを得なかったということが多いように記憶いたしております。
○鈴木(俊)委員 終わります。
○和田委員長 石田祝稔君。
○石田(祝)委員 まず初めに、主に松村参考人にお聞きをいたしますが、今まで厚生省に在籍をされておりまして、委員会等の質問にも直接お答えをいただくことはなかったわけでありますが、きょうこういう形で来ていただきまして、そのときのことも考えて、現在の思いをちょっと語っていただけますか。
○松村参考人 当時私は、当時と申しましょうか、つい先ごろまで厚生省の保健医療局の局長ということで在籍をしておりました。したがいまして、私がこの委員会に出席をさせていただいておりましたのは、自分の職務の所掌の範囲、この問題についてお答えを申し上げる、そういう立場でございました。 したがいまして、薬務局の所掌の事務につきまして、私が当時といいましょうか、かつて生物製剤課長をしておりましたから、そのゆえをもって保健医療局長として現在薬務局の所掌についてお答えを申し上げるのはいかがか、こういう御整理をいただいて私はお答えを申し上げることがなかった、こういうことでございますが、今は、先ほども申しましたように、既に辞職もいたしまして、民間人の一人でございまして、本日お招きをいただいておりますので、私は、私の知っております当時の事情につきまして率直にお話を申し上げよう、このように思っております。
○石田(祝)委員 参考人は退職前に国家公務員法上の懲戒に当たる減給処分を受けられているわけですが、この減給処分になった理由は何だと考えていますか。
○松村参考人 これは、私は処分を受けた者でございますので、処分権者のお考えというものを私が今申し上げるのはいかがかなと思いますが、私自身がどのように考えているかと申しますと、当時、私は厚生省の生物製剤課長として勤務をしておりまして、私だけではございませんけれども、当時の職員も一丸となって最大限の努力はしたつもりでございますが、結果的にこのような大きな悲劇が生まれてしまった、それを未然に防止することができなかった、そういうことに対して、期待された、何といいましょうか、厚生省の職員として全体的に期待をされたそういう効果を発揮することができなかった、そういうことで私は懲戒処分を受けたものだ、このように考えております。
○石田(祝)委員 それは、全体としてという茫漠とした部分だと御自分ではお考えなんですか。具体的にはこのことをした、このことをしなかった、こういうふうに御自分で今振り返って、生物製剤課長当時のことで今回の国家公務員法上の懲戒をされたと私は思いますけれども、これは具体的なものがあるのではないのですか。ただ全体的に期待されている役割を果たせなかったから処分を受けました、そういう認識をしております、これは私はちょっと納得しかねる参考人のお答えのように思いますけれども、どういう部分が懲戒に当たったのか、これはどのように受けとめておられますか。
○松村参考人 当時、私、二年間在職をしておりまして、いろいろなことがございました。そういう中で、それぞれの段階でいろいろな御批判というか御意見があるわけでございまして、どれがどうだということではなくて、私が当時その職務を果たす上で全体として期待される役割を果たすことができなかった、こういうことだ、このように認識しております。
○石田(祝)委員 これはまたもう少し後で聞きたいと思います。 松村参考人、これは御本人に確認もさせていただきたいのですが、スモン病という病気の事件がございましたね、キノホルムによって引き起こされた薬害事件が。この和解をされたときの和解の文書の作成に松村参考人は関与されておりましたか。
○松村参考人 私は参画しておらないと思います。(石田(祝)委員「思いますですか、どっちですか、どういうことですか」と呼ぶ)参画はしていないと思います。
○石田(祝)委員 思いますということですから、参画をしていないということで受けとめてよろしいわけですね。 それでは続いてお聞きをしますが、松村参考人の前任者は郡司さんだったわけでありますけれども、郡司前課長ですね、引き継ぎについてお伺いをしたいのですが、エイズの関連で、課長職の引き継ぎのときに何かこういうことを注意するようにとか、そういうことはございましたか。
○松村参考人 細かいことは記憶にございませんが、本件に関しましては次のようなことを引き継いだと記憶をしております。 それは、一つは、加熱製剤の問題でございます。濃縮製剤によってエイズが伝播するおそれがあるということで、加熱をするということでいろいろ検討をした、いろいろな検討のプロセスがあったけれども、やっと現在は治験の段階に来ておる。 したがって、ここのところは一応手が打ってある状態であるけれども、もう一つ、中長期的な問題として、血液の自給体制というものをしっかり組み立てないとこういった問題は構造的に難しいから、こちらの方についてしっかりやるように。自分の時代に研究的には随分一生懸命やったつもりであると、その内容につきましてもお話がありましたけれども、外国でやっておるように四百ccの採血を行えるように、かつまたプラズマフェレーシスというようなものも導入できるように研究はした、だから、君はこれを早く実地に実現できるようなそういう努力をしたらどうか。 この二点を大きく言って引き継いだように記憶をしております。
○石田(祝)委員 今、加熱製剤のことは治験も進んでいる、こういうことで引き継ぎを受けた、こういうことでありましたが、それでは、非加熱製剤の危険性についてということは引き継ぎはございましたか。
○松村参考人 非加熱製剤の危険性ということについてはどういうふうに引き継いだか、ちょっと今記憶がございません。
○石田(祝)委員 松村参考人は、生物製剤課長になる前に山口県の衛生部長をされていらっしゃったわけですね。そうすると、その段階で、例えば厚生省から各県にいろいろな調査依頼とか、こういうふうな病気が出ているとか、そういうことも、ある一定の情報という形で、県の衛生部長という立場でお受けになっていたと私は思うのです。 それで、生物製剤課長になられて、加熱製剤はこういう段階である、こういうお話があった。そうすると、非加熱製剤があって加熱製剤を開発している。これは、あるものを変えるわけですから、前のがやはり悪いところがある、こういうことで、治験から大変な時間とお金、労力をかけてやっているわけです。ですから、そこのところ、なぜ非加熱製剤について申し送りがなかったのか、それについて疑問を抱かなかったのか、ここは私たち血液の素人が考えても非常に不思議に思うのです。 もう一度確認しますが、非加熱製剤の危険性とかそういうことについての引き継ぎはなかったわけですか。
○松村参考人 ちょっと今記憶が定かではございませんが、とにかく加熱製剤の治験にやっとこぎつけた、こういうような話ではなかったかと思っております。それ以上のことはちょっと今記憶にございません。
○石田(祝)委員 これは記憶がないということですね。ですから、あったか、なかったかもわからない、こういうことですね。 もう一点、このことでお聞きしますが、安部さんに対して配慮するようにとか、取り扱いについて何か言われたことはありますか。
○松村参考人 研究班をやっておったということは、たしか引き継ぎの中にあったと思います。そういう研究班を経て加熱が今治験にこぎつけた段階である、こういうことだったと思います。したがって、その中で、安部先生が班長さんをされておったということも多分引き継ぎがあったと思います。
○石田(祝)委員 それでは、非加熱製剤の危険性について、先ほどは、前課長からの引き継ぎについてはそういうことを言われた記憶がない、定かではない、こういうことでしたが、危険性の認識について松村参考人はいつ、危ない、こういうふうな認識をお持ちになりましたか。
○松村参考人 危ないというか、非加熱製剤を加熱をしてよりよいものにすべきであるということは、着任のときに知ったと思います。
○石田(祝)委員 そうすると、着任のときと申しますと一九八四年七月十六日、この日に生物製剤課長になっているわけですね。そうすると、この時点で、よりよいものにしなければならないという認識のレベルはあっても、これは危険性があるな、こういうことの認識は薄々でも持たれておったのですか。
○松村参考人 当時、血液製剤と申しますものの一般的な性格として、未知の物質あるいは未知の病原体も入っているかもしれない、それから、献血者がその生体内に宿しているといいましょうか、持っているというか、そういうウイルス等が、これは輸注するわけですから、そういう意味では血液製剤一般的にこれは注意すべきものである、こういう感じは持っておったと思います。 それを、いろいろな長いディスカッションの末に、加熱製剤を進める、こういうことになっておったわけですから、加熱製剤というものは非加熱製剤よりもベターなものなんだ、こういうふうに理解はしておりました。
○石田(祝)委員 お答えをはっきりさせていただきたいと思うのですが、これは一般的に非加熱製剤が危ないなんという話じゃないわけでしょう。この時点で治験が進んでいるよ、こういうことは、これはエイズに対して明確な目的意識を持ってやられておったということではなかったのですか。 ですから、まさかそういうふうな認識がない方を厚生省が生物製剤課長にするとも考えにくいのですが。要するに、改めてその時点で勉強をしてどうこうという人じゃなくて、県の衛生部長もやられている、それから、その前から厚生省にいらっしゃる。これは、エイズの問題で加熱製剤を開発している、こういう認識のもとで治験も進んでいるよ、こういう引き継ぎを受けたのじゃないのですか。 ですから、正確にお答えをいただきたいのですが、私も正確にお聞きをしたいと思いますが、非加熱製剤のエイズに対する危険性がある、こういうことに対して認識を持たれたのはいつですか。そして、その理由は何ですか。
○松村参考人 非加熱製剤が一般的にエイズに対して危険性を有しておるということは、加熱製剤の治験を進めているということから、私は着任したときに認識していたものと思います。
○石田(祝)委員 これは大事なことですから、もう一度確認しますよ。 そうすると、非加熱製剤がエイズに対して危険性があるという認識があったのは着任のとき、すなわち一九八四年の七月十六日、その日であった、こういうことでよろしいのですか。
○松村参考人 この加熱製剤を開発するということがエイズの問題を端緒にして起こっておったわけでありますから、非加熱製剤が、危険の度合いというのはいろいろあるというふうにその後考えは変わっていったと思いますけれども、エイズに対して非加熱製剤よりも加熱製剤の方がベターである、こういうふうに認識したのはそのころからだったと思います。
○石田(祝)委員 続いてお聞きしますが、一九八四年九月六日に、これは安部さんからも参考人で御答弁があったのですが、ギャロの抗体検査の結果、四十八例中二十三例が陽性であった、こういう報告があって、慌てて厚生省の郡司さんあてに電話をした。このときもう郡司さんはかわっているわけですから、松村参考人がそのときの課長なわけですけれども、安部さんは、電話をした、相手は、郡司さんはちょうどいなかった、こういうことでした。それで、慌てて書類を持って厚生省に届けたと。これは松田さんもたしか、安部さんの性格からすれば、いろいろな書類を取りそろえて報告に行ったはずだ、こういうことも言われておりましたが、これはひょっとしたら、松村さんがそのときに受け取ったのじゃないのですか。それか、松村さんの課のだれかが受けて課長に報告をした。 ですから、九月六日の段階で、またその近い日に、ギャロの抗体検査の結果、四十八例中二十三例が陽性であった、こういうことは松村参考人は早い時期から御存じだったのじゃないのですか。
○松村参考人 それに関しましては、プロジェクトチームでも何回も質問がありました。それから、私ども関係の職員、当時の職員でございますが、たくさんの者に同じような質問がありました。しかし、皆よくわからないということでございました。私も同様によくわかりません。記憶がございません。
○石田(祝)委員 これは記憶がないということですね。ということは、全然、受けてないということもわからない。要するに、受けたという記憶がないということですかね。 それではお聞きをしますが、エイズ調査検討委員会というのがその一九八四年九月二十八日に実質的にスタートをするわけでありますけれども、これはその月の二十日の、九月二十日の厚生省サーベイランス要綱に基づいてスタートした。エイズ調査検討委員会はどういう理由でスタートをさせられたのですか。
○松村参考人 これは実は、保健医療局、当時の公衆衛生局の保健情報課でこの研究班はスタートをさせたと記憶をしております。したがって、私が当時どういうふうにこれに関与したか、それについてはほとんど記憶がございません。
○石田(祝)委員 これは、九月六日にそういう報告、ギャロからの報告があった。四十八例中二十三例ということは、これは五割ということですから、ほぼ五割の方が陽性反応があった。ですから、その報告を受けて、それが保健情報課にもたらされて、慌ててサーベイランス要綱がつくられてエイズ調査検討委員会が発足をした、こう考えるのが私は普通のような気もするのですが、詳しくわからないという、他の課のことだからということでしょうか。 これは、松村参考人がお聞きになって、例えばどなたかが厚生省で聞かれて、それは大変だ、こういうことで順次、慌てて要綱をつくり、調査検討委員会を発足させた、こういうことではないのですか。
○松村参考人 当時の公衆衛生局保健情報課とはある程度の情報交換というのはもちろんしておりましたけれども、保健情報課といいますのは、むしろ国内の、今御指摘のようなサーベイランスという観点でございましたので、私は、生物製剤課としてむしろ製剤の治験とかそういったことを主として担当しておりましたので、特にその問題について記憶がやはりございません。 〔委員長退席、横光委員長代理着席〕
○石田(祝)委員 記憶がない、記憶がないということで大変困ってしまうのですが、それじゃ、ちょっと角度を変えてお聞きをします。 危険性、また製品の回収についてお聞きをします。 この非加熱製剤、今いろいろお聞きをしましたら、一九八四年七月十六日、非加熱よりも加熱がいいという、そういう意味であったかもしれないけれども、危険性の認識はあった、こういうお答えでしたけれども、この非加熱製剤がエイズに対して大変危ない、回収をしなくてはならないとなった場合、こういう回収の責任というものはどこにあるというふうにお考えですか。
○松村参考人 回収をしなければならないというふうに考えた場合には、その回収をする行政が責任を持つのだろうと思います。回収が必要である、どうしても回収をしなければならない、こういうふうに決意というか、結論を持った場合にはそういうことだと思います。
○石田(祝)委員 そうすると、八四年の七月に生物製剤課長になられた。それで、私は先ほどから何回もお聞きをして、どうも七月の課長になられた段階で危険性を考えておられた。それで、八五年に第VIII因子製剤ですか、加熱の承認をされた。 ですから、そうしたら、危ないと思っていたのだったら当然回収をすべきではないのですか。要するに、その責任というのは厚生省にあるのだ。これは、国民の健康を守るということでは私は厚生省に一番の責任があると思いますよ。 それで、先ほどから言われているように、交換という形で非加熱製剤を回収することになっていた、こういうことが厚生省の指導であったというふうに聞いておりますけれども、こういうことの指導は実際されておったのですか。
○松村参考人 結局、この濃縮製剤と申しますものは、私どもの理解では、一刻も欠くことができない必須のものである。一刻と申しますのは、先ほども申しましたように、不意に出血が起こってくる、あるいはけがもあるでしょう、それから緊急に手術も必要になる、こういう事態が起こったときに、これに備えて濃縮製剤がない、こういうことは私ども製剤を供給する立場から考えるとどうしても避けたいなということで、そういうことが起きないようにするにはこれを置きかえるような形で、要するに途切れさせることがないような形で回収をする、こういう考えでありました。
○石田(祝)委員 そうすると、そういうふうに交換という形で自主回収すると決めたのはだれですか。
○松村参考人 だれが決めたと言われてもちょっと答えに難しいのですけれども、私ども、当時、血液製剤の性格というものについては、今申し上げたような理解でございました。そこで、私ども、課の中で検討をいたしまして、そういう方向でやる、こういうことになったものでございます。 したがって、だれが決めたかと言われれば、当時の生物製剤課の中で私が責任を持って決めたのかもしれません。決めたのでしょう。
○石田(祝)委員 ちょっと、大事なところで、要するにだれが決めたかわからないことで人が殺されている、死んでいるわけですよ。 要するに、今までは私も、厚生省の中ではお答えできないということで聞きませんでした。しかし、きょうは十二分のお答えをする、こういうことでじっと聞いております。聞かせていただいております。 しかし、結局、交換ということで自主回収をする、いわゆる強制的に回収をしないということがその後の第四ルートにもつながっているし、現実に加熱製剤が出た後でも非加熱製剤が売られておって、うその報告もされておった。そういうことで現実に疑われているじゃありませんか。それを、だれが決めたかわからない、課で決めたのでしょう、いや私が決めたのだろうと思います、こんないいかげんなことで済むのですか、この問題は。 私は、松村参考人はその当時のことに対して、自分がなさったこと、しなかったこと、こういうことについて全然反省されていないと思うのです。 それでは、もうちょっとお聞きしますけれども、このことは上司に相談をされましたか。薬務局長に相談をしましたか。
○松村参考人 上司への報告ということですが、今申し上げましたように、当時、こういった基本的な考えがございましたので、私ども、これを進める場合に一々局議というような形をした記憶はございません。局議といいますのは、局、薬務局の中で主な職員が全部集まって会議をして決める、こういうふうな問題ではなかったと思っております。 そこで、当時の薬務局の空気、こういったものは、導入期、要するに加熱製剤、非加熱製剤の交換といいますか、加熱製剤の導入に際して混乱を少なくするために置きかえ、こういう形での自主回収、こういったことが必要だというのは一般的な考えであった、このように記憶をしております。 そこで、当時、加熱製剤の開発それから承認申請、あるいはこれを審査して承認を与える、こういうようなことは非常に皆さんから注目をされておりました。そこで、私どもは、そういった節目節目に資料をつくって記者発表もしておりましたので、そういう経過の中では当然報告はされていたのではないか、こういうふうに思います。
○石田(祝)委員 そうすると、このことは薬務局の中の正式決定として、例えば起案用紙に書かれて、これはこういうことにする、そういうふうにはなっておりませんか。ただ口頭了解で、それじゃこういうふうにしようよ、こういうことで終わったわけですか。
○松村参考人 回収命令をかけるというようなことになれば、これは行政が大きな公権力といいましょうか権力を使ってやることでございますから、これは決裁をとる、こういうことになると思いますけれども、メーカーが自主的に、自分たちがいいものを急いで開発して、それを安全に混乱なく置きかえていく、こういうことでございましたので、特にそういう決裁なんかはとっていないと思います。
○石田(祝)委員 ですから、参考人、結局あなたがやられたことは、やらなかったことの罪なんですよ。回収命令を出すのだったら、私も役所におりましたからわかりますよ。起案を立てて、それぞれのところで判こをもらっていく。それと全く同じくらい大事な決定を、回収をしない、自主回収をするという決定、これは結局どういう形で——記録に残っていないじゃないですか。さっきから聞いていても、答弁、私が最後に決めたように思いますとか、そういう話でしょう。ですから、これをどういうふうに認識したかということですよ。聞いたら、八四年の七月には危険性の認識は持っておった。そして、八五年の七月には加熱製剤が承認されている。その段階でやはり回収をしなくちゃならぬ。 これはもうちょっと申し上げますけれども、ミドリ十字の、元薬務局長をされておった松下さんは、回収命令があったら卸とか病院薬局から強制的に回収できた、回収命令が出なかったからこういうことがおくれた、こういうことも述べられております。ですから、私は、回収命令をなぜ出さなかったのかというのが大変な疑問です。 そこでお聞きをしますけれども、本当に、回収命令を出して非加熱製剤の回収をすると加熱製剤が絶対に足りなかったのか、また、加熱製剤が一本でもなかったら人が亡くなるのか。それはいつも、加熱製剤は必要不可欠だ、こういうことをおっしゃっておりますけれども、そういうことを言われるのでありましたら数字で、これだけ必要だったけれどもこれだけしかなかった、増産命令をかけてもこれだけしかできなかった、こういうことを数字でお示しすることができますか。
○松村参考人 回収命令をかけるということは、例えば、非加熱製剤のすべてを、一時、これはだめなものだ、もうこれは使ってはならない、こういうことになってしまうのですね、瞬間的に。非加熱製剤がだめだということをまず言わなければならない。これはまあ法律的に言えたかどうか、これはまた別の議論がありますけれども、それを言ったときに、加熱製剤がちゃんとその隣にあるような状態ができるか。私どもは、そういうことは、医療の現場も複雑でありますし、いろいろな人たちの手も経ているわけでありまして、そういった混乱は防ぎたいということで、なかなか一斉に非加熱製剤の回収命令を出すというところまで至らなかったわけでございます。
○石田(祝)委員 ですから、それは何回も言われているわけです。ですから、それじゃ何本、何単位必要であって、何単位足りなくなるのだ、要するに、加熱製剤がつくられてから患者さんのところに行くのにどのくらいかかって、一月間ぐらいの猶予が必要だとか、そういうことだったらわかりますよ。 そうじゃないじゃないですか。全然出してないじゃない。出してない、回収状況も把握してない。増産の命令もかけましたか、お願いもしましたか。そんな話ないでしょう。要するに、もう製薬会社を信用しっ放しというか、何かよくわかりませんけれども、製薬会社がやれそうだと言ったからもうそのままにしました。そうしたら、その途中で回収状況を把握したり増産命令を出しましたか、お願いしましたか。
○松村参考人 物の生産というか、そういうことについて、私どもがつぶさにその流通動向を全部把握してその量について見るということはなかなか難しいことだったと思います。 したがって、御指摘ではありますけれども、当時の状況を申し上げますと、メーカーがこれは自主的に回収をする、我々も、先ほど来申し上げておりますように、メーカーと我々の意識の差はない、こういうふうに認識をしておりまして、新しい加熱製剤もできたことだし、それを早く置きかえる形でやってほしいということで進めたわけでございます。
○石田(祝)委員 こういう大事な問題を、厚生省が回収の責任者とさっきおっしゃいましたよ。それを、業者がやる、会社がやるから任せました、これは要するに無責任というのですよ。どうなっているのか、回収状況はどうか、もうちょっと増産していただくことはできないか、一日も早く全量交換した、こういうことを掌握しなくちゃならぬ。一日も早くやってくれよと矢のように催促するのが当たり前じゃないですか。 ですから、私は、さっき言ったように、増産のお願いをしましたかと聞いているのです。回収状況を把握しておりましたかと聞いているのです。難しい、難しくないじゃないのですよ。報告をしてくれとか、途中でどうなっているのだ、こういうふうなことはちゃんと報告してくれということは各製薬会社に言いましたか。報告をもらいましたか。
○松村参考人 メーカーの方々とは情報交換をしておりましたので、回収状況につきましても、今現在具体的な記憶はございませんけれども、適宜報告は受けていたと思います。自主回収という形をとったこともございまして、それからまた、その後、特に問題ということも報告ございませんでしたので、私は全体として置きかえによる回収は順調に行われていた、こういうふうに課としても認識をしていたところでございます。
○石田(祝)委員 時間ですから最後にもう一度聞きますけれども、順調に回収されていたという根拠は何ですか。要するに、製薬会社がそう言っているからですか。それとも数字で、これだけのものが市中に残っておったけれども、これだけのものを交換をした、こういう数字でもって順調にいっているという判断なんですか。それとも、製薬会社の言うことをそのままうのみにしてやったのですか。製薬会社だって、見てくださいよ。回収が終わったという報告を出して、それが二転三転、今、うそだったということが全部わかっているじゃないですか。そういうことを信じてやっていたというと、これは大変な無責任だ。それよりも、もともと責任というものが最初から放棄されているとしか考えられない。 ですから、ちょっと最後に聞きますけれども、数字をもって順調に自主回収が進んでいるという判断をされて安心されたのか、製薬会社の言うとおり、製薬会社が順調にいっていると言ったからそのとおり信じておったのか、これだけ聞いて、終わります。
○松村参考人 当時の供給直後については数字では報告を受けていたかどうか、私は今記憶がございません。私としては、全般的に順調にいっておる、こういうふうな認識をしておりました。
○石田(祝)委員 最後になって申しわけないのですけれども、順調にいっているという根拠は数字ですか、製薬会社がそう言っているから順調だと思ったのですか。私はきのうの段階で、この回収について聞きますよということを言ってありますよ。もう一回言ってください。聞いていることにちゃんと答えてください。数字で順調だと思ったのか、製薬会社の言葉を信じて順調だと思ったのか、どっちですか。 〔横光委員長代理退席、委員長着席〕
○松村参考人 数字ではなくて、順調にいっておる、こういうことで私どもは理解をしておった、こういうことです。
○石田(祝)委員 結局、行政が回収に責任を持たなくてはならない、行政に責任があると言いながら、そういう根拠になる数字を確認もせずに、製薬会社が順調にいっているからといって全部そうしてしまった。これが問題のすべての、第四ルートなんかの発端ですよ。そのことを指摘して、終わりたいと思います。 長尾先生、済みません。ちょっと時間がなかったもので、失礼します。
○和田委員長 五島正規君。
○五島委員 参考人の御両名に対して、御苦労さまでございます。 松村参考人にお伺いしたいと思います。 あなたは八四年の七月に生物製剤課長に就任されたわけですが、この八四年の七月というのは、エイズの新たな医学的知見が非常にたくさん出てきた時期であったと思います。また、厚生省が対応してこられましたこの問題につきましても、ちょうど一年を経過したという時期に当たっています。あなたは、この生物製剤課長に就任するに当たって、前任者の郡司課長からどのようなことをどの程度引き継ぎを受けたのか、その主要な点についてお知らせください。
○松村参考人 私が郡司課長から引き継ぎましたのは、大きく申し上げて二点ございました。 それは、一つは、加熱製剤の治験が始まった、やっとここまでこぎつけた。といいますのは、これについては、いろいろディスカッションをしたけれども、加熱製剤の治験を行うということで現在治験が進行しておる。これはこれ。さらに、中長期的な対応として、血液凝固因子製剤の自給体制を確立するように、そういう問題が残っておる。それについては、自分の時代に研究まで終わっておる、したがって、あとはこれを実際に実施に移すよう努力をしてほしい。 このような二つの点を引き継いだように思っております。
○五島委員 また、課長に就任されたときに、公衆衛生局サイド、とりわけ当時の保健情報課ですか、そこからはこのHIVの問題についての何らかの情報の提供というものを直接お受けになったことはございますか。
○松村参考人 折に触れて情報交換はしておりましたけれども、特に今記憶に残っておりますような問題を、私が着任する時点において公衆衛生局の保健情報課からいただいたというような記憶はございません。
○五島委員 郡司さんから引き継ぎを受けられたときに、その一年前、いわゆる対策委員会ができたその当時の議論の経過あるいは安部委員会の中における議論の経過、あるいはそれらの書類等々、そういうふうなもの一式、そうした経過を示すものを含めて引き継ぎを受けられましたか。
○松村参考人 課の資料というのは、それぞれ担当の職員が決まっておりまして、それらの職員が資料を保管しておって、それが引き継ぐ、ありかなんかを引き継ぐ、こういうことでございますが、課長の場合、そこまで細かい資料を引き継いだかどうか、ちょっとはっきりしないのですが、郡司さんは非常にたくさんの文献をお持ちでございまして、その文献を引き継いだ記憶がございます。
○五島委員 松村さんは、失礼ながら、その当時まで山口の衛生部長をやっておられたわけですから、厚生省の中、特に薬務局の中におけるこの血友病対策並びにHIVの予防対策について、直接議論に参加しておられたとは思えない。 それで、それを課長から、主要な残された課題としてその二点をお引き継ぎになったということは理解できるわけでございますが、当然、同時進行的にこのHIV対策の問題というものを検討されていかなければいけない立場から、その間の資料が仮に他の課員の方々のところにお持ちになっているということがあったとしても、課長におなりになった場合、その間の経過について目を通したい、あるいはその事実関係を知っておきたいということがあったかと思うわけですが、それらの資料について、課員の方々に対して御要請され、目をお通しになったという事実はございますか。
○松村参考人 資料といいましても非常にたくさんございまして、どこまでやったか、よく覚えておりませんけれども、とにかくその二点につきましては、今申し上げました加熱製剤の治験の進行しておるということと、それから国内の自給体制の問題については、必要な資料を直接郡司さんからちょうだいしたかどうかはよくわかりませんけれども、私も前の資料を見たと思います。
○五島委員 ちょうどこの八四年、八五年と、厚生省の血液研究事業として、日沼先生を班長として輸血後感染症に関する研究班が始まっています。その中で、栗村教授を分科会長とするエイズ分科会が八四年から始まるわけですね。これは倫理委員会等々を通して、正式には、恐らく八四年度の事業というのは十月くらいから始まったはずでございます。すなわち、松村課長が御就任になってから後、これは八四年、八五年と二年間にわたってこの研究事業を進めておられると思います。 この研究事業をこのような形で委嘱しようというのは、松村さんの御判断でそういう立案をされたのですか、それとも、このことも含めて、こういう計画を持っているよということで、そのようにやるようにという形で先任者の郡司さんの方から引き継ぎを受けたのでございましょうか。 というのは、大体これの研究というのは、実際上は七月くらいから始まりながら、形式上の発足は十月というのが通常でございますね。そういう意味では、この発足は一体どなたの発案でおやりになり、その経過はどうだったのか、お伺いします。
○松村参考人 私がかわりましたのが五十九年の七月十六日でございましたので、多分、私が着任する前に一応のこういう計画というものは既にできていたのではないかと思っております。 ただ、実際に始まりましたのは、御指摘のように秋口から、こういうことではなかったかなと今考えておるところでございます。
○五島委員 これは八四年度一千万の委託事業でございますから、それの執行命令は当然課長である松村さんの方でお出しになったのだろうと思います。 したがって、この事業を八四年度から起こすということは、今後の輸血事業にかかわるところのエイズ問題についてかなり詳しい情報というものが引き継がれていないと、単に先任者がやったことだから確かめもしないで判を押されたというのでない限りは、あったはずだろうというように思いますし、それに対しましては、それまでの間の研究会の資料、データその他を引き継がれているというふうに考えますが、そのように理解してようございますか。
○松村参考人 具体的な記憶というか、そこのところは定かではございませんが、御指摘のような状態で、前の研究の流れとか、そういったものは多分知っておったのではないかと思います。
○五島委員 さらに少し話を進めますが、九月には、国際ウイルス学会において、エイズウイルスが確定され、あるいはそれに対する抗体検査の方法も確認されます。また、この九月には、先ほどから問題になっております、いわゆる四十八例中二十三例、抗体検査が陽性であったという報告がなされるわけですが、この報告について、先ほどから記憶にあるとかないとかというお話でございます。 ところが、最近出されてまいりました薬務局のファイルの中に含まれる形で、当時の感染症対策課の文書というものが出されてきている。ということは、これは感染症対策課がこのファイルをおつくりになり、それが薬務局に渡されたということは、生物製剤課にも渡されたということなのだろうと理解するわけですが、そういうふうな重要な資料を当時の課長がお読みになった記憶がないというのはどういうことなんでしょうか。それとも、そういうふうなものは課長にお見せしないで課員のところで適当に処理したということなんでしょうか。
○松村参考人 具体的にその資料を見ましたのは、私も今回のプロジェクトチームでいろいろ調査が始まってからでございました。 と申しますのは、やはり何と申しましても、この資料をつくったもとが公衆衛生局の保健情報課でつくっておったわけでございまして、薬務局の生物製剤課の方でそれをすべて承知しておったかと言われると、ちょっと難しいところがあるのかなと思っております。
○五島委員 やはり非常に問題があると思うのですね。郡司さんの時代の資料を含めて引き継ぎを受け、そして新たに職務につこうとされた。そして、おつきになられた九月には、非常にエイズの医療において決定的な新しい状況が生まれる。 もし、七月に就任されて、その間の論議というものに目を通しておられるということが本当にあったのであれば、九月の国際ウイルス学会の情報というのはよく知られたわけでございますから、当然、それに基づいてこれまでのやり方の見直し、点検というものに取り組まれてしかるべきであったと思いますが、それをされなかった。また、薬務局ファイルから出てまいりました感染症対策課の文書についてもお耳にしておられないということになりますと、この問題について、松村さんは直接課長としてこの問題にきちっと取り組まれたというよりも、どなたかを指定されて、課員の方に任せっ放しであったのかなということも考えられるわけですが、その辺はどうなんでしょうか。
○松村参考人 生物製剤課はそれほど大きな課でもございませんでしたので、だれかに任せたというようなことはなかったのではないかと思いますが、いずれにいたしましても、問題が非常に重要だということはあったかもしれませんが、他の局の、他の課の職員がつくったメモについて私が十分これを認識して、かつまた現在までそれについて記憶をとどめておくということはなかなか難しいことではなかったかと思っております。
○五島委員 他の局の課員がつくったことを、そんな、覚えてないよと。それはおかしいわけで、極めて決定的に大量の、半分近い患者さんが抗体検査をして陽性になった。すなわち、血液行政がそれまで、まさかそうはなってないだろうと思われる形でやってこられたことが敗北した。そのことが、仮に公衆衛生局からの資料であったとしても、薬務局のファイルにある以上は薬務局に届いている。それを目にして、覚えていませんよはないと思うのですね。私は、医者であれば、こういう大きな敗北をしたときに一生忘れられないと思いますよ。どうですか。
○松村参考人 私が今申し上げましたのは、例の十一月の保健情報課の職員がつくったメモについて当時記憶がなかったということでございまして、血友病の方々の中で抗体が陽性になっているという事実については、その後認識を深めていったことであります。
○五島委員 安部さんが報告された四十八例中二十三例、抗体が陽性であったというその事実は知っていたと。大体いつぐらいそれを御承知になったわけですか。
○松村参考人 具体的な時期について、何回もプロジェクトチームからも聞かれましたけれども、私がはっきりと今思い出されるのは、六十年の春にこうした抗体陽性のケースについての問題がいろいろな方面から報道されるようになった以後はっきりと認識をしておる、こういうことでございます。
○五島委員 八五年の一月、松村課長は、製薬メーカーに対して加熱製剤の治験を急ぐようにと要請されたと聞いております。この要請は、郡司さんからの引き継ぎに基づいて事務的なものとしてされたのか、そうした一連のあなたの知見に基づいて、それに対する緊急感からそういうふうな要請をされたのか、どちらであったのでしょうか。
○松村参考人 どちらかと言われてもなかなか難しいのですが、当時、六十年の春ごろには、いろいろな意味で先ほど申し上げましたようなエイズに関する問題が各方面で非常に指摘をされるようになってまいりました。そこで、メーカーに対して、治験をなるべく早くやってくれ、こういう意思表示をしたものでございます。
○五島委員 もともとこの治験のプロトコールそのものがかなり大きい、四、五十例あるということで、六カ月の経過ということになれば一年ぐらいかかるだろうというのは予測されたわけですね。それをわざわざ早めてくれと言われたからには、やはりそういう一連のエイズの危険性あるいは感染の危険性の緊迫感というものがあってされたのだと思うわけですが、それが、必ずしもそこのところはわからないけれども何となくやったということでは、当時、課長としての責務は一体どうなっていたのだろうかというふうに思うわけでございます。 先ほど石田議員からも質問がございましたが、そのことがやはり回収問題とも関連してくるのだろうと思いますね。先ほど来おっしゃっておられるのは、回収命令をかけられなかったのは、医療現場に混乱が起こってはいけない、パニックが起こってはいけない、そういう御指摘だったと思います。それは何らかの一定の客観的な数字に基づいてそういうことをおっしゃっていたのか、一般的にそういうふうな不安があったから回収命令をかけなかったということなのか、お伺いします。
○松村参考人 回収命令といいますのは、回収命令をかけますと、そのときから非加熱製剤は使ってはならない、こういうことになるのですね。法律的な点でこれが必ずできたかどうかはまだ難しい問題があるわけでございますが、要するに、ある瞬間から非加熱製剤を使わない。 それで、そのときに必ず加熱製剤がそこにあるということであれば問題はないわけでございますけれども、広い日本の中でいろいろな使い方、いろいろな状況がある。そういったときに、そういうふうな、一斉に加熱製剤を使えない、使わない、こういうことがなかなか難しいのではないかというふうに考えたわけでございまして、実際に、残念ながら、数量が幾らあれば、ではそういうことが可能なのか、どこにあればそれが可能なのか、こういったことはなかなか難しい問題でございまして、それでは万一のときに大変御迷惑をかける。したがって、加熱製剤と非加熱製剤を交換する形でそこのところをスムーズにかえていきたい、このように考えたわけです。
○五島委員 スムーズに交換をすることを、時間を切ってでも、メーカーに具体的にどういう形で要請されましたか。
○松村参考人 時間を切るというようなことは、今申し上げたようにいろいろな事情もある、しかも代替性がない、欠くことができないという考えを非常に強く持っておりまして、これを時間を切ればできるとか、そういうふうな考えは持たなかったわけでございます。
○五島委員 ここに厚生省が調査されました、今回の調査の結果ですが、ミドリ十字の回収状況がございます。 昭和六十年九月以後六十三年四月までに回収されたものは、これは単位はばらばらのようでございますが、一万一千八百六十本の第VIII因子製剤がございます。一万一千八百六十本の回収のうち、実は六十年の九月、十月、十一月に一万一千六百十三本、九三・六%は既に回収されているのです。それから、残りの二百四十七本が延々と長期にわたって、時間をかけて回収されたという経過でございますね。しかも、出荷はといって見ますと、この出荷自身が、十一月までに三万四千四百四十三本の加熱製剤が既に出荷されている。どこから見ても、少なくともこの時期に回収ができなかった理屈が、結果論であったとしても数字の上からは出てこない。 第IX因子について見ても、これは非常に出荷に比べて回収がおくれますが、五月の一月で二千九百七十八本、八六・六%は回収されます。五月までに九四%が回収されます。百九十六本が回収がおくれるという状況でございます。しかも、月々数千本、数万本という加熱製剤の出荷がその間ある。 もしこういう血液製剤の流通の経過というものを数字の上でにらみつけようとするならば、たかだか二百本や二百五十本のおくれた回収、さらにこれは使用されたものがありますから量はふえるわけでしょうが、それがこの時期にできなかったというのは、結果論であったとしてもあり得ない。もし生物製剤課長がその当時の生産能力と出荷状況というものをきちっと把握していくとするならば、期限を決めてこれの使用をとめていく、あるいは回収を終わらせるということは数字の上では十分にでき得たことではないですか。そこのところを今日の時点に立ってどうお考えでしょうか。
○松村参考人 当時の状況は、先ほど申し上げましたように、皆さん非常に注目をいただいて、私どもこれに承認を与えて、それから検定も進んで、やれやれよかったということだったわけでございます。 それで、回収につきましても、メーカーはその意義をよく知っておりましたので、私どもは自主回収という形でスムーズにやることができる、こういう感じを持っておったわけでございます。その後、私どもは二、三カ月で、今思い起こすと、二、三カ月のうちには特に余り大きな問題もなく置きかえは終わっておった、こういうのがその当時の認識でございました。 今委員御指摘のように、その中に数%だけ残ってしまったのがあったではないかという御指摘、まことにごもっともだと思います。ただ、いつそういう回収命令をかけてやればそういったことができたのか、そういうことについては、当時は全くうまくいった、こういうふうに認識をしておりまして、そこのほんの少しの漏れを改めて追及するというのがかなりおくれてしまったということについては、まことに残念だったなと思っております。
○五島委員 時間が参りましたので、最後に一つだけお伺いします。 先ほど郡司課長からの引き継ぎのお話をお伺いしました。松村さんもまた後任の課長に対して、いろいろな資料を含めてきちっとした引き継ぎはされたでしょうね。そこのところをお伺いして、質問を終わりたいと思います。
○松村参考人 私も役人といいましょうか、公務員でございまして、引き継ぎを受けて着任をいたし、それから引き継ぎをしてその場を去る、こういうことでございまして、通常の職員としての引き継ぎは十分したと思っております。
○五島委員 終わります。
○和田委員長 枝野幸男君。
○枝野委員 まず、長尾先生に一点だけ、イエス、ノーでお答えいただける簡単な質問だけさせていただきます。 八五年、昭和六十年の五月に長野県で血友病の患者さん向けの講演をされていると思うのですが、その中で、非加熱は安全だからどんどん使って大丈夫ですよというニュアンスのことをおっしゃっておりませんか。おっしゃっているとすれば、どういう意味でその当時にそういった御発言をされていたのかを教えてください。
○長尾参考人 八五年の八月とおっしゃいましたか……(枝野委員「五月です」と呼ぶ)五月にそのような発言をした記憶はございません。
○枝野委員 結構です。松村さんにお尋ねをいたします。 まず、いわゆる非加熱製剤の回収問題が出ている当時の松村さんの認識を教えてください。その当時、エイズが発病すれば死に至る病であるという認識はお持ちでしたね。
○松村参考人 いつの時点というか、それはいろいろ認識がありますけれども、発病するとその致命率は高いということは知っておりました。
○枝野委員 同じく八五年の例えば七月とか八月ぐらいということで結構ですが、非加熱の血液製剤からエイズに感染をする可能性があるということは認識をされていましたね。
○松村参考人 可能性ということであれば認識をしておったと思います。
○枝野委員 つまり、非加熱の血液製剤を使用していれば死に至る可能性があるということは認識をされていた。これは改めて言うまでもなく、八五年当時であれば、関心を持っていた方だったらどなたでもそうだと思いますし、だからこそ、八五年の一月には厚生省としてメーカーに加熱製剤の研究、申請を急ぐようにという指示を出したということにならないと、つじつまが合わなくなるわけでありますが、そうだとすると、松村さんがきょうずっとお述べになっている、要するに、非加熱が急に使えなくなると現場が混乱をして、緊急手術などのときに加熱が行き渡ってなければ大変だと。確かに、それによっても死に至る可能性はあるのかもしれません。 しかしながら、それは、非加熱を使い続けることによってエイズによって死に至る可能性と、それから、加熱製剤が届いていない、非加熱も使えないという状況で出血死で死に至る可能性と、この確率をどの程度どういうふうに計算をした上で非加熱の回収命令をかけなかったのか、それとも計算をしなかったのか、どうなんですか。
○松村参考人 非加熱製剤をお使いになってエイズに感染するおそれ、可能性、こういったものはある。しかし、当時は、どの非加熱製剤を使えばエイズに罹患するかまだよくわからない状態だったと思います。したがって、非加熱を使うこと即エイズで死ぬ、こういうふうな感じではなかった。先ほど申しましたように、発症率の問題、それから感染率の問題、いろいろな問題がございましたから、ですからそこのところは今の一対一、こういうことではなかったと思います。 それから、先ほども申しましたけれども、非加熱といいましょうか、エイズが発症する方々の率というのはそう高いものではない、こういうふうに認識をしておりましたし、当時はそういうのがいろいろなデータがございましたから。それから一方で、血友病の重篤さというものも相当私どもは言われておりました。そういったことでありましたので、加熱と非加熱があった場合に、非加熱を優先して使うというようなことは私どもは全く考えてなかったわけでございます。
○枝野委員 正確にお答えをいただいていないのですが、確かにその八五年当時には、今思われているよりも発症率が低いだろうということで皆さんが思っていたらしいということは私も思います。 しかしながら、その数字というのがどの程度のものか確定的なものではないし、ましてや非加熱製剤を使うことによってエイズに感染をする確率ということについては、はっきり言ってわからなかったというのが現状じゃないでしょうか。 そうすると、掛け算ですから、非加熱製剤を使った人の中でどれぐらい感染をするかという確率と、その中で発症する確率とで死に至る確率が出てくるわけですから、確率はわからないわけですよ。 一方、それじゃ血液製剤、濃縮製剤が仮に手元になかったことによって、しかも、非加熱を使うのをやめさせてから加熱が手元に届くまでのタイムラグの間に、血友病の皆さんが出血がとまらなくて死に至る可能性というのはどれぐらいあると計算したのですか。そこの部分をきちんと計算しないで、単純に危なそうだからということであるならば、事が死にかかわる問題ですから無責任じゃないですか。ちゃんと計算したのですか、そのあたりの可能性は。
○松村参考人 私ども、医療の細かい現場の状況というのはわからないわけでございまして、どうしても必要な場面に血液製剤が欠けるということを恐れておったわけでございまして、もし医療の現場において、これは非加熱を使わずにもう少し様子を見るかというような問題ではなくて、本当に必要なところに万一ない、こういう状態だけは防ぎたい、こういうことでございました。
○枝野委員 仮に、松村参考人が今おっしゃっているような話を前提として考えるならば、逆にその段階で厚生省としては、松村さんとしては、法改正なりなんなりのことを提言しなければいけないのじゃないですか。 というのは、血液製剤のように、使わなければ死に至るかもしれないような薬に関して、今回の薬害エイズと同じように、死に至る可能性のある副作用という言い方をすると正しくないわけですが、その薬を使うと別の死に至る可能性があるというものは、当然のことのように、何らかの形で、現場を混乱させないように安全なものと切りかえるという手順、方法がないと意味がないわけですね。今回、実際そうなっているわけです。 確かに、おっしゃるとおり、タイムラグが間違いなく出るわけですよ。タイムラグが出ないように入れかえていくためには、まさに回収命令をかけたらその瞬間から全部だめでということではなくて、回収命令をかけたのと同じように強制的に交換をさせていくような仕組みをつくらないといけないと当然思わないとおかしいのです。何らもそういったことをしていないじゃないですか。おかしいです。後づけの理屈じゃないですか、それは。何でそういったことをしなかったのですか。
○松村参考人 枝野先生は法律の御専門でありますからあれなんですが、私どもは当時、供給を任されているというか責任を持たされているというか、供給を確保する、そういう役目でございましたので、今のような行動というか方針を立てたわけでございます。 その後、法律的にこれを裏打ちしなかったのはおかしいじゃないかということでございましたけれども、当時とすれば、その現状を何とか乗り切るということできゅうきゅうとしておりましたので、そういう新しい法体系のことまでは私の在任中には残念ながら思いが至らなかった、こういうことでございます。
○枝野委員 国民から見れば、厚生省薬務局というのは薬の安全な供給をしてくれるところであって、安全じゃないものを供給しないようにしてくれるところだ。これは法律にもちゃんと書いてあるわけですよ、厚生省の責務として。今の御発言は、確かに生物製剤課長としての権限ではないかもしれないけれども、生物製剤課長としてそういった御認識に基づいて行動を仮にされたのだとしたら、当然、薬務局内で御提言なり問題摘示をすべきであったし、それがされてないということは、残念ながら、きょうの御発言については、後づけの理屈ではないかという疑いを払拭できないということを指摘しておきます。 それからもう一点、先ほど来メーカーの自主回収を信頼したということをおっしゃっておりますが、例えば実際この件については、幸いにも、不幸中の幸いという言い方をしてもそれでもひどいわけですけれども、大部分は回収されているわけですが、しかし、メーカーの立場、メーカーという営利企業の立場に立ってみれば、自主回収なんかをして一たん出荷したものを戻したりすることによって生じる損害、ロスを考えれば、できるだけ回収なんかしない方が、例えば株主との関係では、営利企業の経営者としては当然その方がいいわけですね。 それから、例えば現場の病院などのことを考えてみても、いわゆる薬価差的な考え方で、これは薬価基準、加熱、非加熱一緒ですから、加熱で新しい技術のものは薬価差が小さい、非加熱で在庫処分的な状況になっているものの方が薬価差が大きい。現場のお医者さんも、エイズの危険性が広く認知されていれば別ですが、あの当時まだそういった状況ではなかった状況では、むしろ非加熱を使った方がいい。 現場のお医者さんの立場に立っても、それからメーカーの立場に立っても、それぞれ常識的には、非加熱を使っていた方が、回収命令がかかっていないのだから、とりあえず使い切っちゃった方がむしろいい。むしろその方が自然の流れですよ。にもかかわらず、厚生省としてメーカーの自主回収というものを信頼をすると。 もしメーカーが、そうはいっても、営利企業ではあっても、社会的責任としてちゃんとやってくれるのだということを信頼できるのであるならば、厚生省は要らないじゃないですか。どうですか、厚生省は要らないという考え方なんですか。
○松村参考人 当時の状況は、先ほども申しましたように、この凝固因子製剤につきましては、他の薬剤と違うような意味合いを持っておりました。それは、もちろんこれはヒト由来ということもありましたけれども、必須である、それから非常に貴重なものであるということも考えておりました。 そういう中で、開発から承認申請、それから承認審査、それから承認、こういう中をずっと私ども、メーカーの方々と一緒に努力をしてきたというような気持ちがあったわけです。それから、もちろんマスメディアの方々もほとんど毎日のように私どもの課においでになって、どうなった、どうなった、こういうふうな状況だったのですね。したがって、私どもは、これはもう本当に衆人環視の中でみんなで協力して、まだエイズのいろいろ問題はあるかもしれないけれども、とにかく早くやろう、こういうことでやってきたのですね。 そういうふうな流れもございまして、営利企業というその基本的な認識が少し甘かったのではないかと言われますけれども、私は、その段階においては、国を挙げてというか、みんなで協力をして一日も早くこれを医療の現場にお届けする、こういうふうな考えでやっておったわけでございます。
○枝野委員 しかし、現実には、松村さんもと言うべきか厚生省と言うべきか、メーカーにだまされたわけですよね。回収の報告はうそついていたわけですよ、今になってわかったのは。実際に、加熱が十分に供給されたであろう時期以降に非加熱を打たれている。第四ルートなどではそういった例が多いのじゃないかと言われている。実際に裏切られているわけですよ。 これは、松村さんのお立場はよくわかりますけれども、もっと大きな目で見ていただくと、今何を疑われているのか。松村さんは、一生懸命これはやむを得ない措置だったのだということをおっしゃっていますが、世間の目は、回収命令をかけなかったのは、メーカーと癒着をして、メーカーと通じて、メーカーの利益のためにやったのじゃないか、回収命令をかけなかったのではないかという疑いを持たれているのですよ。それを払拭するためには、きちんとした筋の通った御説明をいただかないと、あるいは筋の通った反省の弁をいただかないとだれも納得しません。むしろメーカーと通じていたのじゃないか、メーカーのために回収命令をかけないという温情措置をとったのじゃないかという疑いは払拭できませんよ。そういう疑いを持たれているという認識をちゃんとお持ちいただいて御答弁いただけませんか。
○松村参考人 私は、冒頭に申しましたように、当時の事情を率直に申し上げる、こういう役目できょうここに立たせていただいておりまして、当時の状況から考えますと、国を挙げてみんなで頑張ろう、こういうことでございまして、そのときにメーカーのことを考えるとか、そういうことは全く入る余地がなかった、そういう状況であったということはひとつ御理解をいただきたいと思います。
○枝野委員 せっかく誘導尋問をしてさしあげているのですけれども、メーカーを信じたことが間違いでしたと率直に反省をされるべきじゃないかな、そうでないと筋は通らないのじゃないかなと思いますけれども。 最後に、るる一生懸命やりましたけれどもというようなことをお話しになっていらっしゃいますが、当然、松村さんは、つい先ごろまで厚生省の幹部として、この薬害エイズ訴訟の和解及び和解にかかわる所見をごらんになっていると思いますけれども、この所見の中では、厚生省は「非加熱製剤の販売の一時停止などの措置をとることが期待されたというべきである。」と裁判所が明確に所見の中で示しています。販売の一時停止すら言っているわけですから、回収命令だなんて当然じゃないかと法的な判断を司法がしているわけですね。 一時的に法を執行するのは行政ですが、その判断をするのは司法であります。そして、厚生省としてこの所見も含めて和解を認めているわけであります。この裁判所の判断に対して、現時点で松村さんは当時の担当者としてどういう御認識を持っているのか、最後にお尋ねいたします。
○松村参考人 いろいろな御意見があることは存じております。しかし、私、この担当をしておりまして、ヒトから由来する薬物で欠くことができない、代替性がない、この条件を持っているこういう薬剤の取り扱いというものについては、非常に難しいなという感じを持っております。 したがって、販売停止をすべきではなかったかというその御意見は重く受けとめるにいたしましても、当時の担当者としてそこまではできなかったということでございます。
○枝野委員 ごめんなさい、もう一点だけ。 いいですか、裁判所の一定の見解が示されているのですよ。三権分立にかかわる問題ですよ。あなたはつい先ごろまで、この所見、和解を受け入れた段階で、厚生省の、行政府の一員だったのですから。これは行政だからといって、一生懸命やったのだということは言いわけにならないですよ。交通事故だって何だって、一生懸命やっても事故を起こすときは起こして、それで処罰されて刑務所へ行く場合だってあるのですよ。一生懸命やったというのは理由にならないわけですよ。 しかも、この判断については、行政府としての立場としては一生懸命やったのかもしれないけれども、その行政府の行動を事後的にチェックをする裁判所が、やるべきことをやらなかったと明確に言っているのですよ。それに対する見解としては余りにもちょっと無責任じゃないですか。裁判所というものを無視するのですか。三権分立というのを無視するのですか。そういったことで行政を長くやられていたのですか。
○松村参考人 私は、当時の、今をさかのぼる十年前の状況について率直に申し上げております。したがって、それを現在、こうすべきであったということについてそれぞれの方がそれぞれの御意見をいろいろ言われることについては、それは重く受けとめますが、当時はそういうことはやはりできなかったということでございます。
○枝野委員 時間ですので終わりますが、こういう認識で、三権分立というものをわかっていない方に行政をやられては困るということを申し上げて、終わらせていただきます。
○和田委員長 岩佐恵美さん。
○岩佐委員 まず、長尾参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。 参考人は、血液製剤小委員会で加熱製剤の緊急輸入について何回か議論になった際に、この加熱製剤を早く輸入することですねというような御意見を述べられたということがありますけれども、その点についていかがですか。
○長尾参考人 私の記憶によりますと、かなり早くから私は加熱処理製剤に期待を抱いておりましたので、できるだけ早く加熱処理製剤が我々の使用できる状態になってほしいという願いは持っておりました。しかし、血液製剤小委員会で緊急輸入ということが議論になったという記憶はございません。
○岩佐委員 参考人は、先ほどお話があった七八年から八五年にかけて血友病患者の方々の保存血清を検査されたということですけれども、八三年以降、大変感染率が高まっていますね。八〇年が一〇・五%、八一年が一一・五%、八二年が二一・一%、八三年には三六・七%、八四年には四〇%、八五年では三二・九%、そんな数字になっておりますけれども、こういう実態について、加熱製剤が早く許可をされていればこういうことにならなかったのではないか。そういう問題についてどういう認識を持っておられますか。
○長尾参考人 加熱製剤が早期に導入されましたら、患者さんの一部はきっとHIVに感染しなかったのではないかと思います。 先ほどの御指摘の私どものデータでは、一九八三年には、現在抗体陽性の方の少なくとも約半数が陽性でございました。そして八四年の時点では、少なくとも四分の三の方が陽性でございました。したがいまして、いろいろな状況から、加熱処理製剤が例えば一九八四年の暮れあるいは八五年の初期に出ておりましたら、計算上は四分の一ぐらいの方はHIVに感染しなかった可能性があるというぐあいに受けとめております。
○岩佐委員 松村参考人に伺いたいと思います。 八四年の四月に、ギャロ博士によってエイズウイルスが同定をされました。それに続いて、エイズがウイルス感染症であるということがかなりはっきりしてきて、血液製剤を介しての伝播の危険性がある、こういうことが明確になった後の郡司課長からの松村参考人への引き継ぎになるわけですね。 この問題について、例えばギャロ博士がエイズウイルスを同定したという新しい段階、そして血液製剤を介しての危険性、そういう問題について郡司課長から引き継ぎをどういうふうに受けられたのか、改めて伺いたいと思います。
○松村参考人 先ほどからのお話でございますが、郡司課長から引き継ぎましたのは総括的なことでございまして、そこまで詳しく引き継ぎを受けたかどうか、ちょっと今思い出せません。
○岩佐委員 それでは、参考人は、課長に就任されたときに、今言ったような事実については認識をされておられたのでしょうか。
○松村参考人 私が課長に就任いたしましたのは五十九年の七月でございましたが、この当時の私の認識は、エイズウイルスの発見あるいは同定というようなことをめぐって、いろいろ米国とフランスの学者の間で意見の相違があったというようなことはよく今も記憶をしておるわけであります。その後、徐々に、エイズの原因について、これがウイルスではないかというようなことで知見が集積されていった、そういう時期ではなかったかと思っております。
○岩佐委員 最近の話ですけれども、郡司課長との関係でちょっと伺いたいのです。 ユナム・ジャパン傷害保険、この要請を受けた郡司氏の紹介で参考人は同社と会っているということのようですけれども、参考人が労働基準局の安全衛生部長のころ、このユナム社が商品開発に関連する官庁におられた参考人に接触をしたいということで、郡司さんを介して会われたというふうに新聞報道がありますが、その紹介を受けてどういうような依頼をこの会社からされたのか、ちょっと伺いたいと思います。
○松村参考人 突然の御質問で……(岩佐委員「九四年ごろ」と呼ぶ)私、今委員の御指摘のように、郡司先生から保険会社の方か何かを紹介された記憶はありますけれども、ちょっと今細かい内容については思い出せません。
○岩佐委員 ギャロ博士の報告ですけれども、安部氏は、ギャロ博士の報告を厚生省にしたと。生物製剤課に報告をしたというのが筋だというふうに思います。これについて改めて伺いたいと思います。報告を受け取ったかどうか、それから、参考人はギャロ博士の報告についていつごろ知られたのか、その点について伺いたいと思います。
○松村参考人 これは先ほど来お答えしておりますし、また、プロジェクトの中でもお答えしておるのですけれども、私は記憶がございません。 それで、それじゃいつこういう問題について認識したかということについても、先ほど来お話がございますけれども、本件につきましては、六十年の春に新聞紙上に大々的に報道をされました。そういったことから、このあたりに私は知っておったのではないかということを現在考えておるところでございます。
○岩佐委員 輸血後感染症研究班のエイズ分科会、いわゆるエイズ分科会ですね、これは何の目的で設置をされたのでしょうか。
○松村参考人 これは先ほど申し上げましたけれども、多分、私が着任する前にある程度の骨組みというか、研究の目的はできていたのではないかと思いますが、輸血後感染症研究班の中に、エイズに関して、エイズの抗体検査の方法を検討する、こういう目的でつくられたのではないかと思っております。
○岩佐委員 十一月二十二日の分科会の会議ですけれども、だれがギャロ報告を栗村氏に伝えたのか、これが非常に大きな疑問だし、これがとても大事なことだと思っています。森尾氏でないというふうになると増田氏なのかというふうに思いますし、いずれにしても、松村参考人はこの十一月二十二日の会議の報告を増田氏から受けているのでしょうか。
○松村参考人 私の所属しておりました課の課長補佐の名前がメモに残っておりまして、多分出たのではないかということを聞いております。しかし、その後、彼が、私のところの担当補佐が戻りまして私に報告をしてくれたかどうか、私は現在覚えておりません。 しかし、その当時の状況からすれば、そういう報告も受けて、あるいはメーカーの方々に早くしてくれというようなことをお願いしたのかもしれませんが、そこのところは今記憶が定かでございません。
○岩佐委員 大体、エイズ分科会というのは薬務局ですよね。まさに生物製剤課長が担当している部署ですね。そこに補佐が出ていて課長に報告がないなどということは考えられないことですね。それじゃもう課としての体をなさないわけですから、恐らく報告があり、そして、そういう対応をとられたのだろうというふうに思います。 それで、十一月二十九日のその後の会議、この会議に松村参考人は出席をされたのかどうか、伺いたいと思います。
○松村参考人 私は出席した記憶はございません。
○岩佐委員 今お話がありましたように、栗村報告を知って、そしてメーカーの方に早く加熱製剤をやるように、治験を急ぐようにというような指示をされて、それで急いだといっても、それから七カ月後になってしまうわけですね。 それで、そういう事実を、例えば十一月二十二日から、それから十一月二十九日を経て一月、二月、三月に向けて血友病患者の方々から物すごくたくさんの感染者が発生をしているわけですね。このことについて、これは松村参考人が質問に答えている部分ですけれども、そういう情報を知って、「そのような情報を得ていたと思う。恐れていたことが現実になりつつあり対策を急がねばならないと思った。」こういうふうに答えておられるわけですね。それで治験を急いで、とにかくやってくださいというふうに急がせたにもかかわらず、結局、回収についていえば非常に後手後手に回ってしまったということになるわけですね。これはもう本当に信じられないような話になるわけですけれども、その辺の認識ですね。 恐れていたことが現実になりつつあった。だったら、早く加熱に切りかえ、もう非加熱は全部その場で回収して禁止をさせるという措置をとるのが当たり前だったというふうに思うのですけれども、どうしてそうならなかったのですか。
○松村参考人 今、委員の御指摘の点は三月の時点の問題だと思うのですけれども、血友病の方々の中に抗体陽性者がいる、ふえてきているということについて、私の感じというか、心配を述べたことが新聞に載っておるのだろうと思うのですが、その後、今おっしゃるように、承認を早く申請してくださいと。それから、出た承認申請については、本当に一生懸命担当職員も頑張って、短い時間で承認をいたしました。承認をして、それで製品が出るというところで、私どもは、先ほど来申し上げているように、その存在が欠けることがないようにしたいということで、自主回収という手段をとったわけでございます。 したがって、そこに認識の差があるわけではございませんで、できることは一生懸命やろうと。ですから、そこで医療の現場に御迷惑はかけないようにしよう、そういう考えでありました。ですから、非加熱と加熱が一緒にあれば加熱から使っていただくのだろう、そういうことは、そのとき関係した人たちは皆そういうふうに考えていたと思っております。
○岩佐委員 もう時間が来てしまったので終わりにしたいと思うのですけれども、今言われたことでちょっとひっかかるのですが、非加熱と加熱と両方あれば加熱を優先的に使うようになるだろうというふうに考えた。これは保険適用されていて、この間も議論になりましたけれども、非加熱の方が非常に薬価差益が出る、そういう状況にあるときに、結局、両方あれば非加熱の方に流れるというのは、これはもう当時としては常識だったと思うのですね。その点について、保険局長は、統一収載方式であって、薬務局から薬価変更の申請がなかったので非加熱製剤がそのまま収載されていたというふうに言っていて、薬務局としての責任は重大だったと思うのですね。そんな甘いものじゃなかったのじゃないですか。その辺は、認識は私は本当におかしいというふうに思います。どうですか。
○松村参考人 今になって認識が甘いという御指摘は受けとめることにいたしますが、当時の事情を申し上げれば、とにかく国を挙げてといいましょうか、もうみんなでこの加熱を早く使おう、そういう状況でございまして、その中に保険の問題あるいは薬価差の問題、こういったことが大きな問題として紛れ込むような雰囲気ではなかったのではないかと思っております。
○岩佐委員 納得いきませんけれども、終わります。
○和田委員長 土肥隆一君。
○土肥委員 長尾先生にまずお聞きいたします。 先生は小児科、血友病の専門家というふうに認識してようございますでしょうか。——それで、松村元生物製剤課長が今おっしゃるには、とにかく緊急に回収をかける、つまり、自主回収以外で強制回収にすると、あるいは回収命令を出すと、非加熱製剤がストップして危ない。もし先生の小児科の部分で非加熱製剤がストップされたときに、もう全く打つ手はないのでしょうか。
○長尾参考人 非常に難しい問題、御質問でございますので、うまくお答えできないかと思いますが、最近、ある凝固因子製剤が二カ月後にひょっとするとなくなるのじゃなくて少なくなるかもしれないという情報が流れましたところ、かなりドクターたちが騒いだといいますか、不安がっていろいろ騒ぎが起こりかけたということはございます。 したがいまして、そういうことが、例えばほかに何もかわりのものがなくて、非加熱製剤にしろ加熱製剤にしろ、急になくなりますとかなりな混乱が起こるだろうということは予想できます。そのために何人の方が命を失うかというようなことについては私にはわかりませんが、すぐに命にかかわるということは、数としてはそう大きなものではないのじゃないかというぐあいに思います。
○土肥委員 それは、お子さんなり大人なりで、どなたでも結構ですが、緊急入院をしてもらって医者の管理のもとにきちっと置けば、非加熱製剤がなくなっても何かもつ方法があるということですか。その辺はどうなんですか。
○長尾参考人 それが適切な治療であるかないかは別といたしまして、例えば生血を使うなり新鮮凍結血漿を使うなり、あるいはほかのもので、不十分な、医者としては非常に良心に恥じるかもしれませんが、医者としては全力を尽くすと思います。ただ、頭蓋内出血に関しては、ちょっとほかの製剤ではみんなを助けるということには不足ではないか、そのように考えます。
○土肥委員 もう一つお聞きします。 一九八三年当時、既にアメリカのトラベノール社が加熱製剤を製造しているのですが、それは御存じだったですか。
○長尾参考人 八三年ごろ、つくっているという話は聞きました。
○土肥委員 そうすると、松村さんが先ほどからおっしゃっているように、非加熱をとめると混乱するというような話ですけれども、患者さんは五千人しかいないのですね。ですから、脳内出血などが非常に危険であれば、それはもう完全にインフォームド・コンセントのもとに治療しなければいけないでしょうけれども、緊急入院をしてもらうなど、あるいは厳重に警告をして例えば外出しないようにとか、あるいは刻々医者に報告するようにとかいうふうなことは全く不可能な状況だったのでしょうか。それは松村さんよりも長尾先生の方にお聞きします。
○長尾参考人 緊急輸入ということが可能であるとか、そういう方法があるとかいうような認識は、私たちにはございませんでした。 それから……(土肥委員「緊急入院ですよ」と呼ぶ)緊急入院でございますか。緊急入院をして何とか助ける努力は、医者としては当然すると思いますが、それには限界がございます。と申しますのは、やはり血友病の患者さんは、以前はかなりの方が頭蓋内出血でお亡くなりになっておりましたので、我々の思う治療はきっとできないであろう、そのように思います。
○土肥委員 松村さん、そうすると、長尾先生が今おっしゃったようなことなどは検討しましたか。つまり、非加熱をたちどころに切って、何とか治療体制を確立するというようなことを検討したことはございますか。
○松村参考人 ですから、そういうふうな医療の現場において大きな混乱といいましょうか、そういった問題が起きないようなことを私どもは願っておったわけでございます。
○土肥委員 その辺が、非常に生物製剤課で、郡司さんから松村さんに移る間にも、何か緊張感が全くないのですね。それで結局、ずるずると行政の責任を果たさないまま時間が経過してしまったのじゃないか。トラベノール社の加熱製剤の緊急輸入だってできたはずです。ですから、その辺の認識の違いが非常に問題になります。 先ほど松村さんは、いわゆる回収命令を出さないで自主回収にしたときに、おっしゃったのですけれども、加熱の進行状況などをメーカーに聞きながらメーカーと厚生省が連携してやってきた、したがって、メーカーの気持ちは厚生省の気持ちと同じだ、強制力を発揮しなくてもメーカーは回収できると考えたと。 しかし、実際はそうなっておりませんで、この前のトラベノール社の元社長であります山本さんの証言だと、加熱製剤を承認するときに、治験を行って、そして完了し、準備ができたところから申請を各自行って、承認は同時点というアレンジをしたというふうに答弁されておりますけれども、そういうふうなことから考えますと、メーカーは時々刻々厚生省の生物製剤課に、今どれだけ回収して、今どれだけ残っていて、どこの病院ではなお加熱製剤が足りないから調整をするとかしないとかというふうな、そういうふうなメーカーとの連携というのはうまくいっていたのですか。それから、だれが、メーカーのどういう部分の人が厚生省に報告をよこしたのでしょうか。
○松村参考人 当時、私どものところに来ておりました方々は、多分、メーカーのどういう立場の方かと言われるとあれなんですが、まず、技術系、開発系の方が主としてお見えになっておったと思います。したがって、こういう開発の状況だというようなこと、まあそういった方々と一緒にメーカーの責任者の方々、そういうレベルの方々もおいでになっておったと思います。
○土肥委員 メーカーの技術系の現場の担当者が来たのですか、それとも会社の代表が来たのですか。その辺ははっきり覚えていらっしゃいませんか。
○松村参考人 もちろん現場の方ではなくて、技術を担当しておるかなり上の方だと思います。
○土肥委員 それで、数字をちゃんと持って、その都度その回収状況、加熱と非加熱のチェンジの様子など説明があったのですか。
○松村参考人 これは先ほどもお答えいたしましたけれども、私は、総括的に回収はうまくいっておる、こういうふうな理解をしておりました。
○土肥委員 しかし、実際はうまくいってなかったということでございまして、私はやはり、生物製剤課の課長を郡司さんから引き受けた、その間の二人の生物製剤課の課長間の申し送りなり、あるいはその緊迫感が全く感じられないということを申し上げて、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
○和田委員長 以上をもちまして長尾参考人及び松村参考人に対する質疑は終了いたしました。 両参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。 ————◇—————
○和田委員長 この際、第百二十九回国会、中山太郎君外十二名提出、臓器の移植に関する法律案審査のため、去る六月二十日、宮城県及び福岡県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員からそれぞれ報告を求めます。第一班、鈴木俊一君。
○鈴木(俊)委員 第一班の宮城県の派遣委員を代表いたしまして、団長にかわりまして、私からその概要を御報告申し上げます。 派遣委員は、和田貞夫委員長を団長として、理事青山二三君、理事柳田稔君、委員荒井広幸君、委員狩野勝君、委員竹内黎一君、委員鴨下一郎君、委員北村直人君、委員五島正規君、委員岩佐恵美君、それに私、鈴木俊一を加えた十一名であります。 なお、現地において、岡崎トミ子議員が参加されました。 現地における会議は、六月二十日午後一時一分より午後三時三十三分まで、江陽グランドホテル会議室において開催し、まず和田団長から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序などを含めてあいさつを行った後、仙台循環器病センター院長・東京女子医科大学名誉教授廣澤弘七郎君、東北大学加齢医学研究所附属病院院長藤村重文君、東北学院大学法学部教授・東北大学名誉教授阿部純二君、弁護士菅原瞳君、社団法人日本腎臓移植ネットワーク東北北海道ブロックセンターチーフコーディネーター西垣文敬君、三菱化学生命科学研究所副主任研究員ぬで島次郎君から参考意見を聴取いたしました。 その意見内容について簡単に申し上げます。 廣澤君からは、循環器内科医としての立場から、脳死という状態の存在は認めるが、脳死状態の時間的な広がりや脳死判定の難しいプロセスから考えると、脳死を人の死とすることには無理があること、臓器移植という行為は臓器を部品として利用するもので、極めて残酷な行為である旨などが述べられました。また、法律案については、脳死状態の患者を無理やり脳死体と定義しようとしていること、さきに出された修正案についても脳死に関する点がそのままであることなどから、強く反対するとの意見が述べられました。 藤村君からは、肺の移植医としての立場から、肺移植に係る臨床状況の概要説明とともに、脳死が人の死であるかは議論がなされ広く認められるようになってきたこと、本人が臓器提供の意思表示をしていた場合はその意思を尊重すべきこと、学会等を中心とした移植システムの充実が図られてきていること、そして、移植という救命的な治療法があることを多数の人が知っている事実などから、欧米で日常的に行われている脳死者からの臓器提供を必要とされる移植医療が我が国でも同じように行われるべきであるとの意見が述べられました。 阿部君からは、刑法学者としての立場から、法的な意味での人の死は、医学水準に基づく慣習法によるものであり、その社会的な合意形成は国会の審議の場を通じて行われるのが妥当と考えられ、法律案については、臓器移植の場合以外の脳死判定は必要ないと解せることから、死の二元性等の問題が懸念されるが、心停止は脳死という人の死を確定するものであり、本案に反対するものではないとの主張がなされ、また、修正案については、差し当たり妥当と考えるが、本人等の意思尊重の重要性などからも今後の見直しが必要との意見が述べられました。 菅原君からは、弁護士としての立場から、これまでの国会審議を通じて、脳死状態を人の死とすることの社会的合意はいまだできていないにもかかわらず、本法律案は、脳死を人の死としていることが明白であり反対であること、修正案についても、一定の評価はできるが、脳死状態を人の死としていることには変わりはないことなどが述べられました。また、脳死が人の死ではないことを前提にすれば、厳格な基準に基づく脳死判定、厳格なルールに基づく臓器移植まで否定するものではなく、死体と脳死状態を明確に区別するなどの修正をすべきであり、結論を急ぐべきでないとの意見が述べられました。 西垣君からは、移植コーディネーターとしての立場から、腎臓移植の現場における移植コーディネーターの業務及び心構えなどの説明を通じて、腎臓の提供意思の確認及びレシピエントの選定が慎重かつ公平に行われていること、実際に腎臓を提供した家族の感想は提供してよかったと答えていること、法的問題がなければ心臓、肝臓、肺の提供を希望した方もいたことなどから、法律案の早期成立を望むとともに、本案においても適正な遺族の提供承諾は可能であるが、移植コーディネーターが他の業務と兼任している状況などから、修正案についても理解ができるとの意見が述べられました。 ぬで島君からは、法律案に反対する立場から、脳死状態の患者を人の死とすることは末期医療や救急医療の現場に困惑と混乱をもたらすこと、新しい医療技術は実績が積み重ねられ社会的信頼を得た後に法制化するべきであることなどの意見が述べられました。また、臓器移植のための法律が一般医療における治療の打ち切りとならないためにも、関係学会などと関係省庁との間で、本人の書面による意思表示、検視の充実などをもとにルールをつくり、施設、移植数などを限定した臨床試験方式による実績を積み重ね、法律によらないで臓器移植の道を開く努力をするべきであるとの意見が述べられました。 以上のような意見が述べられた後、各委員から、人の死における脳死の位置づけ、脳死の社会的な合意形成の方法などの脳死に関する問題について、また、年少者等の本人意思の確認の方法、脳死移植と生体間移植の法的解釈の違いなどの法律案、修正案に関する問題について、その他、移植技術の確立状況や蘇生技術、末期医療に与える影響などの医療現場に与える問題や、法律によらないで臓器移植を行う方法、海外での臓器移植を希望する者への対応及びその実態を踏まえた臓器移植のあり方、移植医療の進歩に伴う人の健康観などへの影響の問題等について、それぞれ熱心に質疑が行われた次第であります。 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細は会議録によって御承知願いたいと思いますので、会議の記録ができましたならば、本委員会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。 以上をもって第一班の報告を終わりたいと思いますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができた次第であります。 以上、御報告申し上げます。
○和田委員長 御苦労さまでございました。 第二班、衛藤晟一君。
○衛藤(晟)委員 第二班の福岡県の派遣委員を代表いたしまして、私からその概要を御報告申し上げます。 派遣委員は、団長を務めました私、衛藤晟一のほか、理事石田祝稔君、理事横光克彦君、委員中山太郎君、委員持永和見君、委員大野由利子君、委員福島豊君、委員山本孝史君の八名であります。 なお、現地において、三原朝彦議員が参加されました。 現地における会議は、六月二十日午後一時一分より午後三時五十一分まで、博多全日空ホテル会議室において開催し、まず私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序等を含めてあいさつを行った後、久留米大学医学部教授加来信雄君、神戸市看護大学学長中西睦子君、久留米大学医学部附属医療センター病院長戸嶋裕徳君、医療法人財団天心堂理事長松本文六君、弁護士池永満君、胆道閉鎖症の子供を守る会副代表久米富之君の六名の方から参考意見を聴取いたしました。 その意見内容について簡単に申し上げます。 加来君からは、救急医としての立場から、脳死は医学的には人の死と考えられること、移植医療は臓器提供があって成り立つものであるから、それは救急医療の延長線上で展開される医療と位置づけられることなどが述べられ、厳正で公正な移植医療を推進するためには一刻も早い法制化を期待するものだが、脳死患者の家族が臓器提供を容認することができる環境づくりがまず必要であり、そのためには高度な救急医療の日常的な実施が大前提にされる必要があるとの意見でありました。 中西君からは、看護の立場から見た問題点として、臓器移植という治療様式が持つ否定的側面の情報が著しく少ないことや、脳死を人の死と認めることによって人の死が機能的な考え方に基づいて処理されることなどを挙げられました。さらに、これまで多くの患者が自己決定権を行使しないまま医師のプログラムにのせられてきている現実を指摘し、治療に関する決定が一医師に集中しないチーム医療体制や患者の複雑な心の問題に対応するケア体制の確立等、医療現場の条件整備を先行させるべきであるとの意見が述べられました。 戸嶋君からは、心臓病を専門とする循環器内科医としての立場から、病に苦しむ患者を救うためには現時点では心臓移植しかないと痛感しており、早期に法制化すべきであるとの主張がありました。また、今回提出された修正案は、臓器提供の要件を本人の書面による意思表示があった場合に限定したもので高く評価でき、さらに、脳死に関する規定に対しては、脳死を人の死と認め、脳死となったらみずからの臓器を移植のために提供してよいとする考え方を新しい日本の文化として認めてほしいとの意見が述べられました。 松本君からは、本法案に反対の立場から、その問題点として、脳死を人の死としていること、脳死状態の判定基準があいまいで、しかも厚生省令で定めるとしていること、臓器の提供の要件を家族のそんたくによるものでも是としていることを挙げられました。また、人の死は法で決められるべきではないこと、脳死状態にある妊婦の出産という事実が世界各国において認められていること、臓器が売買され、その行き着くところは人体の医療資源化であること、外国での脳死臓器移植に関する見直しの動きがあることなどが述べられました。 池永君からは、日本の医療界が患者の権利の確立に極めて消極的であることを指摘した上で、臓器の移植というまさに命をかけた実験においては、当然に患者自身のインフォームド・コンセントに基づいて行われなければならないことが述べられました。我が国では、移植法を制定する前に、インフォームド・コンセントの確立のために、カルテの開示やあるいはまたセカンドオピニオンを含めて十分な情報を得る機会が保障され、患者の自己決定権が保障されることが不可欠であるとの意見が述べられました。 久米君からは、肝臓移植が実現する日を待っている子供たちがいる胆道閉鎖症の子供を守る会を代表する立場から、本法案が成立し、我が国においても脳死体からの移植の道が開かれ、肝臓移植等が可能になることを切に希望するという意見が述べられました。また、修正案について、本人の書面による意思表示に限定する修正は非常に厳しいものであるが、移植医療への道を開き、一歩でも前進することは必要であり、修正案は評価されるべきものであるとの意見が述べられました。 以上のような意見が述べられた後、各委員から、本法案及び修正案に関する問題点として、脳死に関する規定に対する反対論、臓器移植のため脳死を認めることによる死の定義の二元性がもたらす法的影響、あるいはまた臓器移植そのものの適否、臓器提供に係る本人の意思の確認方法などのほか、九州大学の肝臓移植手術の例から、患者の意思確認についての問題点や救命救急医療と移植医療との関係、さらには、我が国の今後のインフォームド・コンセントのあり方、高度な看護体制の整備等、移植医療が社会的に受け入れられるための医療界の対応や医の倫理の確立の問題などに関して、それぞれ熱心に質疑が行われた次第であります。 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細は会議録によって御承知願いたいと思いますので、会議の記録ができましたならば、本委員会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。 以上をもって第二班の報告を終わりたいと思いますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができた次第であります。 以上、御報告申し上げます。
○和田委員長 御苦労さまでございました。 以上で派遣委員からの報告は終わりました。 お諮りいたします。 ただいま報告のありました現地における会議の記録につきましては、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○和田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ————————————— 〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕 —————————————
○和田委員長 次回は、来る二十三日火曜日午前九時三十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時八分散会 ————◇————— 〔本号(その一)参照〕 ————————————— 派遣委員の宮城県における意見聴取に関す る記録 一、期日 平成八年六月二十日(木) 二、場所 江陽グランドホテル 三、意見を聴取した問題 臓器の移植に関する法律案(第百二十九回 国会、中山太郎君外十二名提出)について 四、出席者 (1) 派遣委員 座長 和田 貞夫君 荒井 広幸君 狩野 勝君 鈴木 俊一君 竹内 黎一君 青山 二三君 鴨下 一郎君 北村 直人君 柳田 稔君 五島 正規君 岩佐 恵美君 (2) 現地参加議員 岡崎トミ子君 (3) 政府側出席者 厚生省保健医療 局長 松村 明仁君 厚生省保健医療 局疾病対策課臓 器移植対策室長 貝谷 伸君 (4) 意見陳述者 仙台循環器病セ ンター院長 東京女子医科大 学名誉教授 廣澤弘七郎君 東北大学加齢医 学研究所附属病 院院長(呼吸器 外科) 藤村 重文君 東北学院大学法 学部教授 東北大学名誉教 授 阿部 純二君 弁 護 士 菅原 瞳君 社団法人日本腎 臓移植ネット ワーク東北北海 道ブロックセン ターチーフコー ディネーター 西垣 文敬君 三菱化学生命科 学研究所副主任 研究員 ぬで島次郎君 ————◇————— 午後一時一分開議
○和田座長 これより会議を開きます。 私は、衆議院厚生委員長の和田貞夫でございます。 私がこの会議の座長を務めますので、よろしくお願い申し上げます。 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。 皆様御承知のとおり、第百二十九回国会、中山太郎君外十二名提出の臓器の移植に関する法律案は、当委員会において、参考人から意見聴取し、また、修正案の趣旨説明聴取等の審査を行ってきたところでございます。 当委員会といたしましては、国会閉会中ではございますが、本日、本法律案並びに修正案について国民各界各層の皆様方から御意見を聴取するため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。 御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。 それでは、まず、この会議の運営について御説明申し上げます。 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、座長の許可を得て発言していただきたいと存じます。 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々は、委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。 次に、議事の順序について申し上げます。 最初に、意見陳述者の皆さんから御意見をそれぞれ十分程度お述べいただきました後、委員より質疑を行うことになっておりますので、よろしくお願い申し上げます。 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。 出席委員は、自由民主党の鈴木俊一君、荒井広幸君、狩野勝君、竹内黎一君、新進党の柳田稔君、青山二三さん、鴨下一郎君、北村直人君、社会民主党・護憲連合の五島正規君、日本共産党の岩佐恵美さん、以上でございます。 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。 仙台循環器病センター院長・東京女子医科大学名誉教授廣澤弘七郎君、東北大学加齢医学研究所附属病院院長藤村重文君、東北学院大学法学部教授・東北大学名誉教授阿部純二君、弁護士菅原瞳君、社団法人日本腎臓移植ネットワーク東北北海道ブロックセンターチーフコーディネーター西垣文敬君、三菱化学生命科学研究所副主任研究員ぬで島次郎君、以上の方々でございます。 それでは、最初に廣澤弘七郎君から御意見をお述べいただきたいと思います。
○廣澤弘七郎君 廣澤でございます。 私は、過去五十年間、主に循環器を専門とした内科医として臨床で働いてきた医師でございます。その立場から意見を述べさせていただきます。いろいろなことを申し上げたいのでありますが、時間の都合ではしょってまいります。 初めに、時間で切れてしまうといけませんものですから、まとめの言葉として、原稿を見ながらしゃべらせていただきます。 私は医師として、いわゆる脳死という状態が存在することは認めますが、それがそのまま、人の死すなわち命のなくなった状態だとは思いません。したがって、脳死状態にある人から、いわゆるドナーとしてその臓器をえぐり出すのは殺人になると思います。したがって、人類の社会に、そして後世にまで、人食い思想、カニバリズムというような残酷な風潮を残す極めて危険な考え方であると考えますので、強く反対いたします。 人類は、自然科学とその応用について著しい進歩を遂げ、その恩恵に浴していますが、気がついてみたら、文化的には自分の墓穴を掘るようなことをしでかしつつあったと認識するようなことが出てきつつあるのではないかと思います。例えば、原子爆弾、多くの公害、環境問題などであります。医学、医療の世界にも同じようなことが起こってきていると思います。例えば、代理母、サロゲートマザーに代表される受精の問題、遺伝子操作の問題とともに、臓器移植もその一つたりかねないと思います。医の倫理は、その考え方について大変革を求められているのだという意識を持つ必要があるのだろうと考えます。 以上がまとめであります。 次に、脳死について申し上げます。 脳死臓器移植の賛成派、推進者は、脳死というものは昔からあるものであって、何も臓器移植のために考えられた概念ではないと言い張ります。これは明らかに詭弁であります。彼らは、心臓の移植のために、あるいは心臓以外の臓器の移植でも、よりよい成績を上げたいために脳死の状態で生きのよい臓器を手に入れたい、しかし、従来の三徴候死を死とする通念からすると、まだ死んでいない、すなわち心臓が現に拍動している、生きている状態で移植に利用すれば殺人罪を犯したことになるので、そう言われないように、脳死状態を死であると強引に定義しようとしているわけです。 最近は、移植以外にも、安楽死だとか尊厳死だとか呼ばれる、末期医療に関係した事柄が大きな問題として取り上げられ、議論されております。しかしながら、それらの治療は、時間的規模からいっても、数日間と言われる脳死とは無縁のものであります。脳死であるとかないとかいって厳密に区別する必要がもともとない性質のものであります。それよりも何よりも、移植と違って、第三者を傷つけることはなく、一人の病人その人だけについて考慮すればよい問題であります。医の倫理の変換点はこの辺に問題があります。 次に、いわゆる三徴候死といわゆる脳死との時間的規模、時間的広がりの違い、そして、それぞれの判定の難易の差について考えてみます。 三徴候死の場合は、呼吸もしくは心臓がとまったら、数十秒からせいぜい数分の間にすべてが決定的に終わります。心電図所見が見えなかったとしても、素人が見てもよくわかる現象が起こります。これに対して脳死の場合は、かなり面倒で難しい専門的プロセスが必要であり、呼吸器がついている限り、素人ならずとも、だれが見ても生きているとしか見えないような外観であります。もちろん、心臓は動いており、脈も触れるといった状態であります。そして、何日間もの時間的な広がりがあるのが一般でありまして、数分などというものではありません。このように時間的広がりからいっても、脳死という概念はそれを人の死と定義するのに無理があります。 臓器移植を目的とする場合以外にはわざわざ定義づけしたりする必要のない、しかも診断の極めて難しい脳死というものを、今さらのごとく改めて人の死に決めようというのは無理というものです。 臓器移植について触れます。 人の死は、肉体の死であると同時に社会学的な死であるとよく言われます。私は、文化論的な意味を持っているものであると言いあらわすことにしています。人の社会では、一人の人の死は、その家族を初めとして、生き残っているその社会の人々にとっては、いろいろな意味で精神世界の問題でもあるわけです。であるからこそ、葬礼その他の行為をもって、あるいは特別な行為はなくても、死者をしのび、心の問題として生き残らせているわけです。人の体は、生きていようと死んだ後であろうと、肉体的な生命のほかに精神的な尊厳性があり、愛の対象でもあるのだろうと考えます。 臓器移植という行為は、臓器を部品、すなわち物質として利用することにほかなりませんが、同時に、このような尊厳性を損なう行為でもあります。平たく言えば、極めて残酷な行為であります。 そういう意味では、すべての臓器移植を否定したいところでありますが、腎と角膜については、既に法律もあり、既成事実として実行されていますので、今さらとやこう言ってもせんのないことなので、論じないことにいたします。 なお、人の体の部分を臓器、組織、細胞と一つの系列のように並べてみますと、お配りしました一ページ目の表の一番上に書いてございますが、移植から始まって輸血に至るまで、その利用に対する我々の感性が、そして残酷感がかなり違うことがわかります。私としては、せめて、拍動している、ビーティングハートを必要とする心臓の移植、そして、一般に脳死を前提とする移植だけはやめてほしいと思います。 さらに、形のある臓器の生体からの移植は立派な傷害罪にも相当する残酷物語であり、それに絡まる、例えば家族間の精神的葛藤なども極めて重大な悪影響と考えますので、絶対反対であります。骨髄移植によりドナーが亡くなり、レシピエントも間もなく亡くなった実例は新聞で御存じの方も多いと思います。腎臓、肝臓にしてもドナーにとって全く無害などというものではありません。 次に、法律案について触れさせていただきます。 以上は、脳死、臓器移植一般についての私の意見の一部でありますが、最後に、今回提出されている臓器の移植に関する法律案及び最近出された修正案について、私なりに感じた率直なところを申し上げます。 まず、原案でありますが、二つの点について日本じゅうから激しい批判が起こりました。一つは、「死体(脳死体を含む。)」云々という箇所であります。もう一つは、家族のそんたくであります。 まず、一番目の「(脳死体を含む。)」云々でありますが、これほど大事な問題点を、しかも日本じゅうの一般の意見がまだまとまったとは言えない状況の中で、いきなり括弧つきの文章の中に潜り込ませて定義づけの既成事実をつくろうとしたことは、極めて強引かつお粗末としか言いようがありません。本心は脳死を人の死とはっきり定義したいのでありましょうが、そのように脳死は死であると正面切って定義してしまったとすると、その効果、影響はおびただしいものになるはずであります。 例えば、これは伺った話でありますが、他の六百何十かの法律にもさまざまな形で影響が及ぶそうであります。素人でもそうであろうと理解できます。しかし、現実には、そのことに対してしかるべき手配ができているとは聞いておりません。私は存じません。 すなわち、法律上の手続としては、脳死、これは脳死体ではありません、脳死そのものですが、脳死が人の死、言いかえれば、従来の通念として定着している死の一部であるという形ではまだ認められていないのだ、従来の通念としている三徴候死と脳死との関係でありますが、まだ認められていないのだと考えます。したがって、正確には、この「死体(脳死体を含む。)」という問題の場所、それは、「死体及び」と書いて、「死体ではないが、いわゆる脳死状態と言われる生きた病人の体」と言いあらわすべきところを、素知らぬ顔をして「脳死体」という造語にして潜り込ませたのであろうと私は考えます。 修正案の中で、家族のそんたくについて大きく譲ったように見せ、実は本質的には一番大事な点、すなわち脳死に関する点はそのまま押し通そうとしているかのようにも見えます。言葉が乱暴で申しわけありませんが、私はごまかされないぞと思いました。 二番目の問題点である家族のそんたくについては、今申しましたように、十歩も百歩も引いたようにも見えますが、一歩後退二歩前進の魂胆とも勘ぐりたくなります。 以上が私の要点でございますが、これで一応終わります。 ありがとうございました。
○和田座長 ありがとうございました。 次に、藤村重文君にお願いいたします。
○藤村重文君 ただいま御指名をいただきました藤村でございます。 本日は、このような公聴会での意見を述べる機会をお与えいただきましたことをありがたく存じます。正確を期するために文章を読ませていただきます。 私は、昭和三十七年、東北大学医学部を卒業し、昭和三十八年に東北大学大学院に入学して呼吸器外科を専攻いたしました。昭和三十八年以来今日まで、呼吸器外科の診療を行い、肺がんや肺移植の研究を続けてまいりました。 本日は、肺移植を含めた脳死者からの臓器提供が必要とされる移植が我が国でも行われるべきであるとの考えから意見を述べさせていただきます。 本日ここに出席されている皆様方の中には、肺移植ということに耳なれない方も多いかと思われますので、まず、肺移植の世界における臨床状況の概要を御紹介申し上げます。 肺移植が初めて臨床応用されたのは、一九六三年、米国のミシシッピ大学においてであります。その後、肺移植は、成績が芳しくないことから、一九七八年の移植例を最後に一時中断されておりました。一九八〇年代になって、臓器移植全体としてばかりでなく、肺移植の分野でも基礎的研究が進展し、さらに、新しい画期的な免疫抑制剤シクロスポリンが開発されたことにより、一九八三年に、トロントグループによって肺移植の臨床応用成功第一例が報告されました。それ以来、肺移植の臨床応用は、燎原の火のごとく世界に広がり、社会的にも移植医療システムの充実と相まって、特に欧米を中心として広く行われるようになってまいりました。 肺移植の適応とされる疾患は、日常生活に大きな制限を生じており、肺移植以外には有効な治療法のない慢性・進行性・非可逆的肺疾患であります。これらを具体的に申し上げますと、肺気腫などの慢性閉塞性肺疾患、特発性肺線維症、嚢胞性肺線維症、肺高血圧症などであります。 我が国での肺移植適応患者数は、一九九〇年に日本胸部外科学会が行った調査報告によりますと、年間約七百例で、その調査の四年後のことし、日本胸部疾患学会によって行われた過去二年間における学会指定施設ないし関連施設に対する調査では、二年間に四百三例の適応患者数が報告されています。 肺移植は、セントルイスにおいて全世界の登録がなされておりますが、一九九六年四月現在、五千二百八例となっております。肺移植の成績は、一年、三年、五年で、それぞれ七一%、六三%、五六%と報告されています。 肺移植は、心臓移植や肝臓移植と比較しますと症例数は多くございませんが、一般的なことを含めて、ここで申し上げたいことが幾つかございます。 それらの第一は、肺移植におきましても、心臓や肝臓の移植と同様に、脳死者からの臓器提供が必要であるということであります。 現在でも、脳死が人の死かどうかということにつきましての論議がなされておりますが、私自身、将来、肺移植に直接携わらなければならない者としましては、この点に関しては、今は直接意見を述べるのを控えたいと思います。 しかしながら、脳死が人の死かどうかにつきましては、これまで長い間集中的に論議がなされた結果、広く認められるようになってきましたし、脳死と植物状態の区別も次第に一般の方々にも理解されるようになってきていると考えます。 ここで申し上げたい第二のことは、脳死ドナーからの臓器提供についてであります。 移植を行う立場にある者としましては、この点についても意見を述べることは差し控えますが、本人が生前、提供の意思を表示していた場合には、それを尊重することが重要ではないかと考えます。 脳死者からの臓器提供に反対される人々の中には、いわゆる植物状態からの摘出や、摘出臓器の不公平な配分等について懸念される方も多いようでございますが、ここで第三のこととして申し上げたいことは、そのようなことが起きないように、学会等を中心として間違いのないような移植システムの充実を図る作業が現在進行しているということでございます。 一九八八年十二月、日本胸部外科学会臓器移植問題特別委員会が発足し、九一年九月に、同委員会の初めのまとめとも言うべき「心臓移植・肺移植—技術評価と生命倫理に関する総括レポート」を出版しました。九〇年五月、日本呼吸器外科学会移植特別委員会が発足し、九一年十月に、「肺移植に関する日本呼吸器外科学会移植特別委員会の見解」を公表しました。さらに九〇年七月には、日本肺および心肺移植研究会は「肺・心肺移植マニュアル」を作成しております。九二年一月の脳死臨調最終答申の後の九二年五月には、移植関係学会合同委員会が発足したことは周知のとおりでございます。また、九二年十二月には、日本胸部疾患学会において肺移植検討委員会が発足しております。 移植の実施に当たりましては、適応疾患の診断と、患者に移植の実施をインフォームするのは、移植と関係のない専門医であることが必要であることは言うまでもございません。移植施設の基準を決めるのも移植医ではございません。 肺移植に関しましても、その実施に向けて、胸部疾患学会、胸部外科学会、呼吸器外科学会、日本肺および心肺移植研究会等によって構成される肺・心肺移植関連学会協議会がつくられて、肺・心肺移植をめぐる諸問題が検討されております。 これまで肺移植を中心に述べてまいりましたが、心臓移植や肝臓移植に関しましては、御承知のとおり、移植関係学会合同委員会の基準に基づいて移植実施施設の推薦と公表が既に行われております。 ここで申し上げたい第四のことは、これまでの内科的な治療法では決して治癒し得なかった呼吸器の病気も、肺移植によって治療できるようになったこと、そして、我が国におきましても多数の施設が肺移植を実施できる能力を備えているということであります。 ことしの春に、日本胸部疾患学会が認定している三百七十一施設に対しまして、「肺移植実施に関するアンケート調査」を行いました。その結果、肺移植実施の意思を持っている施設が七十施設、二九%に及びました。また、四九%の施設では、肺移植の実施に関しましては、制度化され、倫理委員会の認可がおりた時点と回答しております。これらの事実は、我が国の医療機関が移植の実施に重大な関心を持っているということだと考えます。 申し上げたい第五のことは、今や我が国の呼吸器疾患を病む患者を含めて、多数の一般の人々も、肺移植という救命的な治療法があるということを知っているという事実でございます。 臓器移植全般につきましても、今や、移植によってのみ生存可能な疾患があることは日本国民の中に広く知れ渡っております。移植を実施する側としましては、欧米にまさるとも劣らない基礎的研究の成果を集積し、かつ臨床応用に向けて各種専門領域の者が次々と欧米の実施施設に渡り、研さんを重ねてきています。医学的には移植の準備態勢は整っております。 最近、海外で移植を受ける方がふえてきておりますが、これはどのように考えたらよろしいのでしょうか。移植という救命手段を知っている患者に相談された場合には、これを思いとどまらせることはできないのは当然でありましょう。しかしながら、海外で移植するには、当然のことながら莫大な経済的負担がかかります。 ちなみに、昨年十一月の時点で私自身が調べました肺移植について申しますと、当初は、受け入れのためのデポジットとして二万七千九百ドル、プロフェッショナル・フィーとして六万ドル、適応判定のための検査入院費二万ドルなどがかかり、さらに、渡航費用と現地での滞在費、渡航に際して同行する医師、コーディネーターの費用、持参する酸素ボンベ十数本、緊急医薬品、モニター類の費用など数百万円が必要になりました。結局、米国で肺移植を受けようとしますと、最低でも当座は四千万ないし五千万円の費用を準備しなければならなくなります。 移植に関してさらに申し上げたいことがございます。心臓、肝臓、肺などは無論、腎臓その他のものも含めた移植全体として考えるとき、患者のQOL向上ばかりではなく、社会における再生産性の獲得という意義もあると考えます。 私はこれまで、主として肺移植という立場から意見を述べてまいりましたが、これらは臓器移植全体に共通することでございます。臓器移植は臓器提供者、患者、移植関係者、医療施設、移植ネットワーク、行政側などが一体となって進められるべきであり、それらの内容が公表されて評価、査定されることが必要であることは言うまでもございません。 欧米で今や日常的に行われ、定着している医療を我が国でも同じように受けることができるようになるのは当然であります。一日も早くそのようなときが到来することを切に望むものでございます。 御清聴ありがとうございました。
○和田座長 ありがとうございました。 次に、阿部純二君にお願いいたします。
○阿部純二君 御紹介いただきました阿部でございます。 私は、本年三月まで東北大学に勤務しておりましたが、定年で、四月から東北学院大学に移りました。専攻は刑法ということですので、この立場からお話ししたいと思います。 なお、原稿を用意しませんで、お聞き苦しい点もあろうかと思いますが、お許しをお願いいたします。 東京それから名古屋で既に意見陳述ないし公聴会が行われましたので、きょうは修正案を中心に意見を述べるべきかと思いますけれども、一応、脳死についても触れたいと思います。 よく言われていることでございますが、死の定義というものは現行法には存在しないわけであります。死は、生物学的には、よく言われているとおり、生体が次第に崩壊していく過程であって、連続したプロセスなわけですが、そのどこで生と死を区切るかという点は、単に生物学的、医学的な問題ではなく、法的といいますか、あるいは規範的な問題であるというふうに考えます。 しかし、もちろん、法的な問題であるとしても、医学の水準というものが基礎になっていることは当然でして、いわゆる三徴候説も、当時における医学の水準を基礎にしてそれが一般的に、社会的にも承認され、それが法的定義として受け入れられてきたものと思われます。 そういう意味で、この三徴候説というものは、ある学者は慣習法ではないかと言っておられますけれども、私もそれに賛成しておるわけであります。したがいまして、現在においては、やはり心臓死説、三徴候説というものが当てはまるであろうというふうに考えております。 しかし他方、医学の進歩等によりまして、脳死というものが今日における医学の水準のもとでの合理性を持った死の概念ということで認められるようになってまいりました。脳死とは何かということについては、脳死臨調の考え方にほぼ従いたいと思いますが、すなわち、意識や感覚をつかさどる大脳の死、それから身体に対する統合機能というものをつかさどる脳幹の死、それをあわせた全脳死説がやはり妥当ではないかと思われるわけであります。 そうしますと、ここで、慣習法というものと、現在における医学の考え方を基礎にして成立した脳死との矛盾といいますか、そういう問題が生じてくるわけですが、これからが私の言いたいことでして、そうした慣習法というものが現在まだ変更されていないとすれば、これを変更するにはやはり立法が必要であろうということでございます。 恐らく、脳死の医学的な合理性といいますか、医学的な根拠というものについては、多くの人たち、反対者も既に承認されておるのではないか。ただ、問題は、社会的合意という一点になっているように思われます。 そうしますと、その社会的合意をいかに調達するかという点については、もちろん、いろいろな世論調査やアンケートなども行われました。常に、脳死を是とする者が少し多いようですが、しかし、反対の方も、それには及ばない数ですが、依然としてある。 その社会的合意というのは、結局、全員が一致しなければ調達できないということではないだろうと思います。そういう点では、やはり国民の代表である国会の審議によって脳死というものが認められるときに初めて死の定義の変更ということが可能ではないかというふうに思っております。 そういう点で、この法案には反対ではありません。 次に、脳死の判定について申し上げます。 これはもちろん医学の問題であります。したがいまして、基本的には、この法律が規定しておりますように、医学の日進月歩ということも考慮して厚生省令にゆだねるというのが妥当であろうかと思いますが、恐らく、その厚生省令の内容は竹内基準によるということになろうかと思います。 そのほか、日弁連などではもっと厳格な、考えられる最も厳しい基準によるべきだということで、脳血流とか脳幹聴性誘発電位ですか、そういうものも補助的検査としてつけ加えるべきだということが言われておりますが、必要であれば、それもつけ加えるべきであろうと思います。 私が言いたいことは次のことであります。 それは、この六条を読んだ限り、脳死判定はいつやるか、あるいはどういう場合にやるかという問題なんですが、少なくとも脳死判定が義務づけられていないことは確かであります。つまり、すべての患者についてお医者さんが脳死判定をするということはどうも義務づけられていないようであります。むしろ、臓器移植の必要があるというときに脳死判定ができるという規定の仕方になっているようでございます。脳死判定をしなくてはいけないということではない。 しかし、それじゃ臓器移植以外のとき脳死判定をしてもいいのかという点については、法律は必ずしもはっきりしませんが、現実には、臓器移植のために脳死判定が行われるということが予想されるわけでございます。事実上臓器移植をするときに限られるのではないか、私は法律をそう読みました。 したがって、一般に脳死判定をすることによる弊害とされております治療の停止あるいは保険の支払いの停止というような問題は必ずしも生じないのではないかというふうに考えております。つまり、一般には心臓死による判定が行われるであろうということでございます。 そうしますと、二元的な死の概念を認めるのではないか、心臓死と脳死という二つの死の概念を認めるのではないかという批判があろうかと思いますが、そうではなく、やはり脳死というものが中心であって、心臓死は脳死の最も確実な判定手段であるというふうに解すればいいのではないかというふうに思っております。 三番目に、修正案にかかわる承諾についての問題であります。 最初の案では、六条は一項に一号と二号がありまして、一号は脳死者の意思が中心、二号は遺族の意思が中心ということになっております。修正案でこの二号が削除されまして、脳死者意思中心ということになったわけでございます。 民法では、死体の所有権は遺族にあるとされておるようでございます。恐らく角腎法の場合は、ほぼそのような考え方に従って、遺族の意思をまず第一に、死者の意思はほとんど考慮しないという格好になっております。 しかし、この脳死体からの臓器移植の場合の意思の問題は、単に死体の処分ということではございません。生前に、生きている人が自分の臓器を他の人の治療のために役立ててほしいというふうに意思表示をしておる場合があります。このような意思が第一に尊重されるべきであることは当然であろうかと思います。 したがいまして、修正案が脳死者の意思をまず第一に考えているということには賛成をいたします。 それでは、親族が拒んだ場合ということですが、遺族も死体に対する礼意とか尊崇感情を持っておりますから、これは第二次的ではあるにせよ保護されねばいけないということで、遺族が拒んだときにはできないというのはやむを得ないかなと考えております。 それで、六条二号が削られた点ですが、私は、今申したことから申しまして、脳死者の意思が表明されていない場合には、その脳死者の意思を、生前の言動や死亡する直前の意思表明から、これが本人の意思ですよということを親族が述べるということは理論的には許されることではないかと思います。そういう点では、本人の意思をそんたくして親族が意思を述べる、意思決定をするということはあってもいいと思います。 しかし、意思確認を慎重にするという趣旨、そして違法阻却説にも配慮して、二号を削除して本人の意思中心に限ったということは差し当たり妥当ではないかというふうに考えております。今後の見直しとかそういう問題はあろうかと思いますが、差し当たりは、非常に狭い門ではありますが、このような形で臓器移植が許されるということを認めることは必要ではないかというふうに考えております。 以上です。
○和田座長 ありがとうございました。 次に、菅原瞳さんにお願いいたします。
○菅原瞳君 私は、岩手県盛岡で三十年以上前から弁護士をしておりますけれども、地方都市で夫婦二人で弁護士をしているというところから見ても全く町の弁護士ということでありまして、決して医療事件が得意だとかそういうふうなことではなく、いわゆる平均的な法律実務家として意見を述べさせていただきたいと思います。 私がきょうここで述べるに至ったのは、八年前から日弁連の刑法委員会、現在は刑事法制委員会と申しますけれども、そこの委員になっているからであります。八年前と申しますと、ちょうど日弁連が脳死、臓器移植に関する意見を日弁連内で取りまとめ、日弁連としての合意を形成させ、そして公表していくというふうな段階でかかわってきていることになります。 私は、きょうレジュメを出しましたけれども、これを全部話すというふうなことはとても時間的にできませんので、かいつまんで申しますけれども、ほとんどが日弁連で発行しているこの黄色のパンフに載っているところでございます。 脳死・臓器移植問題について、私たちの基本的な立場としては、脳死状態を人の死とすることは社会的合意が成立していないから反対である。臓器移植のためにあえて脳死状態を人の死とすることによって生ずる社会的な弊害は大きい。しかし、脳死状態を人の死としない前提で、脳死の最も厳格な定義、判定基準、判定方法によって脳死判定を行った上で、次の条件のもとに脳死移植を認めるべきと考えておりますということで、レジュメでは二から四まで記載してありますけれども、この黄色いパンフの二ページでは1から3というところがその条件でございます。 こういう基本的な立場に立ちまして、私たちは現在国会で審議されている法律案の問題点を提示し、そして私たちの意見を述べたいと思います。 まず、法律案は、脳死を人の死とする明文規定は置いておりませんが、第六条で「臓器を、死体(脳死体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。」と規定しております。すなわち、脳死状態を人の死とし、死亡したものとして扱うことになっております。また、附則第十一条では、脳死体への処置についての健康保険など医療給付関係各法の適用について、「当分の間、」に限って従来の生者に対する給付と同様の扱いをする旨の特例を規定しております。 これらから見ても、法律案が脳死状態の者を死亡したものとみなしていることは明らかでありますが、この法律案に対しての衆議院での代表質問に対する答弁において繰り返して明言していることでありますが、特に提案者の森井議員は、 脳死による死の判定は、臓器移植が行われる場合か否かにかかわりなく、三徴候説による人の死の判定と同様、医療の現場において医師が個々の患者について治療方針の決定等医療上の必要があると判断した場合において、死亡という客観的事実を確認するために行われるものでございます。 脳死と判定されたものは死体でありますので医療行為の対象となることはありませんが、 と述べております。 しかし、人の死と判定することは、法的には人権の主体としての地位を失わせ、社会的、倫理的、宗教的にも死者として扱うことに対しての違和感がなくなることにほかなりません。心臓が鼓動し、人工的にしろ呼吸が続いている脳死状態を新たに人の死とするか否かは、医学のみが決める問題ではなく、死の法的、社会的意味を踏まえて社会そのものの合意のもとに決めるべきことであると考えます。 きょうここで意見を述べられた廣澤先生はもとより、参考人として意見を述べられました武下浩先生は、昨年の六月十三日、衆議院の厚生委員会において、「医学的に脳死は人の死、しかし人の生死は社会の約束事」「人の死は医学だけで決められるようなものではなく、人の生死を分かつ根源は医学の問題ではない」「人の死については最終的には個人の価値観、死生観にかかわる問題なので、」「自然科学的事実を幾ら積み重ねても人の生死を分かつことはできない、」。 また、名古屋の公聴会において、大島医師は、脳死は医学的には確立された概念であるというふうにしながらも、「脳死を人の死として受け入れるかどうかは、国民の判断する問題であり、私ども医師の裁量を超えることであります。」というふうに明確に述べられております。 また、これも衆議院の厚生委員会で参考人として述べられました濱邊医師ですけれども、この方は都立の救命救急センターのお医者さんです。その方の意見の一部はこのパンフの九ページにも載っておりますけれども、「脳死に最も近い現場の実感として、脳死イコール人の死ということは決して合意されているものではありません。」というふうに述べておりますし、また、社会的合意の根拠となるアンケートに対しても疑問を呈しております。「大半の人は、脳死状態の患者を見たこともなければさわったこともない。最愛の人が脳死状態に陥ってしまったという経験も、ほとんどの人がないのです。」というふうに申しておりました。 また、柳田邦男さんですけれども、この方は言うまでもなくノンフィクション作家でありまして、医学のことに関しては大変に詳しい方であります。もちろん、事実を冷静に見て、そして分析し、評価しというふうなことは得意のはずでありますけれども、御自分の息子さんを脳死状態に陥らせたとき、お父さんである柳田さんは、二、三日、事態の把握、どう対処すべきかわからなかった、全く混乱していたというふうに述べておりました。
○和田座長 菅原陳述人にお願い申し上げます。 時間が過ぎておりますので、結論をお急ぎ願いたいと思います。
○菅原瞳君 そうですか、済みません。 そういうことで、医療現場においても、本当に患者さんと医師の方たちの間でも社会的な合意はできていないと考えます。 そして、私たち法律実務家から考えますと、先ほど廣澤先生も述べておりましたけれども、「死」や「死亡」という用語が使われている法律は、法律の数で六百幾ら、条文の数で四千五百を超えております。そして、一番私たち町の弁護士として身近に相談を受ける相続の問題にしても、人の生死が権利の消失と相続権の発生、そして脳死の問題については、判定によって、死亡をどこに見るかということによって相続人の範囲、相続分の割合等が大きく食い違ってまいります。 そういうふうなたくさんある現行の諸法規との整合性も全く行われないままに、脳死をもって人の死とすることに対しては、社会に対して大変な混乱をもたらすことにしかならないのではないかと考えます。 私たちとしては、死体と脳死状態の場合とを明確に区別して修正案を出しておりますので、それはパンフの十九ページ以下をごらんください。 基本的に法律案と違うのは、本人の臓器提供意思が不明なときは脳死状態の人の臓器移植は一切認めないということ、それは本人意思の尊重から当然なことであるということであります。そして、死体と脳死状態の場合を、六条を見ていただけばわかりますように、明確に区別いたしております。 法律案の修正案が法律案の提案者から提出されたということにつきましては、日弁連の会長の方からの声明の中で、それは一応評価はいたしますけれども、この法律の大きな問題点の一つ、家族の承諾ということについては、脳死を人の死としていることを前提にしているから家族の承諾というものがあったのであるから、一番根本になっている大きな障害は取り除かれていない、したがって、三年後には家族の承諾がまた復活してくる危険性があるのではないか。 さらに、附則の四条におきましては「脳死体以外の死体」ということで、「死体」には「(脳死体を含む。)」と言いながら、この法律自体で自己矛盾を生じているのではないかというふうに考えます。まさに、ここにおいて、本人意思の尊重を理念とする法律が自己矛盾を起こしているというふうに考えます。 終わりに、私たちは、人が、自分が脳死状態になったときには自分の臓器を提供してもいいという意思を明確に任意に表現していたら、それを受け入れて、その意思を生かしてあげる方法を見つけることが、本当に愛と思いやりのある、そして、臓器を提供する方、提供を受ける方、それに対しての技術的なお手伝いをする移植医の先生方、そして周りの家族の方たちにも本当に祝福される臓器移植ではないかと考えております。 したがって、今回修正案が出され、大きな問題点だった一つが削除されたからということで、決して拙速に結論を急ぐのではなく、十分に審議し、そして、でき得るならば、脳死は人の死であるという伝統的な三徴候説に反する死の観点を定めるようなことはないように……
○和田座長 まことに恐縮ですが、相当時間を経過いたしておりますので、結論をお急ぎください。
○菅原瞳君 十分な審議をお願いいたします。 大変に失礼いたしました。
○和田座長 ありがとうございました。 次に、西垣文敬君にお願いいたします。
○西垣文敬君 御紹介いただきました西垣でございます。 本日は、このような機会をいただき、関係者の皆様方に深く感謝いたします。 私は、もともとは臨床検査技師で、昭和五十九年から、当時地方腎移植センターであった市立札幌病院で組織適合性の検査を担当しておりました。平成元年からは、移植コーディネーターを兼任し、平成五年からは、専任の移植コーディネーターとなり、平成七年からは、日本腎臓移植ネットワークのチーフ移植コーディネーターとして現在に至っております。 本日は、実際の腎臓提供の現場で提供者やその御家族と接し、さまざまな業務を行う移植コーディネーターの立場から、臓器の移植に関する法律案についての意見を述べさせていただきます。 脳死臨調の課題として、全国的なネットワークの整備、移植コーディネーターの重点的養成が挙げられていることから、与えられた時間の半分を現場における移植コーディネーター業務の紹介とその業務に当たる心構え、残りの半分を実際の経験に基づく意見に当てさせていただくことにいたしました。 本日はお配りした資料に沿って意見を述べさせていただきますので、恐れ入りますが、意見陳述資料というものを用意していただきたいと存じます。 まず一ページ目は、ドナー情報発生時の北海道におけるネットワーク所属の移植コーディネーター業務を示していますが、他地域においても同様と考えていただいて結構だと思います。 ドナー情報は大きく二つに分かれます。一つは、患者本人がドナーカードを所持している場合、あるいは御家族が主治医などに腎臓提供を申し出る場合で、もう一つは、脳死者が発生したという情報です。ドナー情報は、日本腎臓移植ネットワークの各ブロックセンターに入ります。 腎臓提供について御家族に説明する場合、移植コーディネーターは、腎臓提供を依頼するのではなく、家族が提供するか、しないかのみずからの意思を決定できるように援助します。また、移植コーディネーターは救急病院や移植病院とは独立した日本腎臓移植ネットワークに所属していること、また、提供の有無にかかわらず、患者、家族に対する病院の対応は変わらないことなど、誤解のないように話を始め、人工透析と移植の意義について説明をします。 ここまでの話の中で、御家族に提供に関する否定的な言動や態度がない場合は、さらに詳しい説明が必要かどうかを尋ね、次のページの別紙1を実際に渡して、実際に提供する場合の説明を行います。詳しい説明をするということは、亡くなられた後の話を含んでおりますので、その辺のところは、あらかじめそのときに説明しておく必要がありますので、亡くなられた後のお話をするのですけれども御容赦いただきたいということを御家族に告げてから話を始めます。別紙1については、提供するということになった場合は、一項目ずつ確認させていただいております。 この説明後、腎臓提供については御家族で十分話し合った後で決定していただきたいことを告げ、退席いたします。このフローチャートは脳死者発生情報を想定しておりますが、本人がドナーカードを保有している場合においても同様の説明を行います。 腎臓を提供する場合は、腎臓摘出承諾書に署名捺印をいただき、レシピエント、移植を受ける方の選択のための組織適合性検査の採血をさせていただき、その結果をもとにネットワークのオンライン・コンピューターによりレシピエントの決定を行います。 三ページ目の別紙2は、デモンストレーションで出力したリストですが、順位については、六つのHLAのタイプがすべてマッチしている場合は各ブロックセンターの枠を超えて腎臓が適合者に移植されることになっており、平成七年度では御提供いただいた腎臓のうち、七つの提供腎がブロックを超えて移植が行われました。順位の決定に際しては移植医は一切かかわらず、レシピエント選定は出力リストとともに記録されることになっております。 このように、日本腎臓移植ネットワーク、各ブロックセンター、移植コーディネーターにより公平公正なレシピエント選択については既に確立されていると言えます。 次に、四ページに進みますが、御家族は提供した後、提供したことについてどのように考えているのかを知る必要があると考えたことから、御提供いただいた後六カ月から一年の間に、実際に私が説明を行った御家族にアンケート調査を行わせていただきました。 アンケート方法は、それぞれの項目をあらかじめ用意して該当するところをチェックしていただき、そのほかの理由がある場合はその理由を記入していただく方法をとりました。四家族十一名とまだ数は少ないのですけれども、表1にその結果を示しました。 腎臓提供理由で最も多かったのは「病気で苦しんでいる人の役にたつ」からで八名、「肉親の体の一部が生きつづける」からが六名、「家族の中に賛成者」がいるから、「家族として最後にしてあげられること」だからがそれぞれ五名でした。本人がドナーカードを保有していたのが一例ございましたので、その御家族は「本人の意思」だからというのを理由に挙げております。そのほかの理由としては、「移植コーディネーターの説明が熱心」だったからとの答えが一家族に見られ、この答えは好ましくない理由であると私は考えておりますが、私自身としては、あくまで説明が熱心に御家族が感じられ、理由の一つとして選択されたものではないかと考えております。提供後の感想としては、全員、「提供してよかった」とお答えになっております。 移植コーディネーターは、インフォームド・コンセントの不一致や混乱の中での意思決定の不確かさなど、腎臓提供にかかわる危険事項を熟知し、それらを回避するための努力を実際の業務の中で行っておりますが、その結果として、御家族がどのように提供したことを後で感じているかを知ることは必要であると考えられ、ある程度の範囲内ではこのような調査は今後も必要ではないかと考えております。 次に、表2は、日本腎臓移植ネットワーク発足後の平成七年度の各ブロックの腎臓提供者数と、その中での、主治医や移植コーディネーターが腎臓提供について話す前に御家族が腎臓提供の申し出を行った割合、ドナーカード所持者の割合を示しています。全国で見ると、腎臓提供の七〇%が、主治医や移植コーディネーターが御家族に腎臓提供について話をさせていただいているのがきっかけとなっているのが現状となっております。 ドナーカード所持者は七名でしたが、非常に少ない数となっております。しかし、ゼロではないことで意味があると思います。この七名の中には、法的な問題がなければ心臓、肝臓、肺の提供をしたかった方もいらっしゃるはずです。このような点からも法案を成立させていただきたいと私は考えております。 表3については、時間の関係上、省略させていただきまして、結論を申し上げさせていただきます。 仮に、法的問題が解決されたとすると、恐らく現在の腎臓移植ネットワークが臓器移植ネットワークのベースとなると思われます。私としては、法案に反対、慎重な方々の懸念の何点かは、ネットワークやブロックセンター、移植コーディネーターにより回避可能と考えており、修正前の法案においてでも適正な御遺族の提供承諾は可能と考えております。しかし、やはり生存中の本人の意思確認の重要性も理解でき、また、ネットワーク所属以外の都道府県コーディネーターの多くはまだ他の業務と兼任している現状ともあわせて考えると、今回の修正は理解できると考えております。 ただ、数の上では、腎臓の提供者数のドナーカード保持者の割合を見ますと、やはり家族の承諾と本人の書面による承諾では十倍以上の数的な差はあるとは想像できますけれども、先ほど申し上げましたように、今回の修正は理解でき、法案を何とか通していただきたいと考えております。 以上です。
○和田座長 ありがとうございました。 次に、ぬで島次郎君にお願いいたします。
○ぬで島次郎君 ぬで島次郎と申します。 脳死、臓器移植の社会的、倫理的な側面につきまして、大学院の博士課程のころから十年以上、調査研究をしてきた者です。本日は、その研究の結果、考えたことを申し上げます。 本日申し上げる内容につきまして、新聞の記事に二回ほど書いたことがございます。お手元にこのレジュメと一緒にお配りしてあると思いますので、後で御参考にしていただければ幸いです。お手元に配りましたレジュメに沿って話をさせていただきます。 私の意見は、臓器移植法案の成立には反対であるという意見です。以下、その理由を申し上げます。 脳死状態の患者を死体と法律でしてしまうことには、マイナス効果の方がはるかに大きいと考えます。 脳死という今の医学ではもう救えなくなってしまった状態というのがあることは、私もよく承知しているつもりです。ただ、もう死が避けられない状態が現場に存在しているという中で、法律で、ある状態の人をここから先は死体であるとしてしまうということは、どの患者をどこまで手当てしたらいいのか、治療をいつやめるのかという医療従事者の今までの心構えを崩してしまうおそれがあります。 昨年の六月、当厚生委員会で参考人として意見を述べられた、東京の墨東病院の救急医の濱邊先生のお言葉では、脳死を人の死とする法律の条文は、最後まで人の命を救おうとする救急現場のこれまでの努力を否定するものであるとおっしゃっています。それは現場に多大な困惑と混乱を持ち込むだけである、まず救急医療を充実していただくことが先決であるとおっしゃいました。私も全く同感であります。臓器移植のための法律が臓器移植とは関係のない救急や末期の医療現場に影響を及ぼし、それぞれの現状の不備にさらに混乱をもたらす、そういう効果を持つおそれがある法律というものをつくることは好ましくないと考えます。 第二点として、国内で実績のない新しい医療技術を最初から国が法律で後押しするのはおかしいと思います。 そういう例は今までありましたでしょうか。新しい医療技術というものは、慎重に実績が積み重ねられて、確かにこれはいい医療技術であると社会の信頼を得た結果として初めて国が法律によるバックアップを検討するのが筋であると私は考えます。 さらに、医学界が自己管理できないのであれば、法律をつくっても、だれがどうやってそれを守らせるというのでしょうか。医学界が自己管理できるということがこの法律の前提となっていると思われますが、例えばドイツでは、脳死についても臓器移植についても法律はありません。医学界が徹底して厳しい自己管理と自己規制のもとで臓器移植を実例を積み上げ、社会の信頼を何とか保ちながら進めているという状況です。日本でもそのようにできないのでしょうか。できないはずはないと私は思います。 第三点として、ではどうすればいいかということで私の考えをお話しいたします。 私は、脳死者からの臓器移植というのが本当に必要な医療であると日本の医学界、お医者様方が皆さんお考えになっているのであれば、まず医学界が責任を持って試み、間違いを起こさずに臓器移植をできるということを社会に示すべきであると考えます。 そのためには、移植関係学会合同委員会という組織ができています。法医学会、これは死の扱いを専門にする医学会です。関係する省庁、これには厚生省のほかに、大学病院を管理する文部省、それから、先ほど申し上げました死の扱いについて法務省と警察庁が入ると思います。そういう移植に関する関係学会と法医学会、厚生、文部、法務、警察などの関係省庁の間で事前にルールを取り決め、公表すればいいと思います。その場合のルールの内容は、本人の書面による意思という線及び死者の検査、検視の充実について、あるいは検視自体をどう行うかというルールについても取り決めておけばいいと思います。 さらに、その試みの進め方としては、臨床試験方式でやるべきだと思います。臨床試験方式というのは、施設、例えばここでは臓器移植ですが、移植を行う施設とその試みを行うべき期間、年数と数、どれぐらいの数をやればいいかということをあらかじめまず限ります。 実例としては、現在、埋め込み式の人工心臓、これは心臓移植が必要なような患者さんを対象に行われる技術ですが、埋め込み式の人工心臓について臨床試験が行われています。これは、日本の東西の二つの施設で二年間二十例、まず試してみなさい、それで、その人工心臓の結果がよければ、その先また国としてどういう手当て、バックアップをするか考えましょう、あるいはその人工心臓の販売を許可しましょう。 ですから、臨床試験方式というのは、新しい技術なのでそれをまず試す。ポイントとしては、それを行わしむに十分な技術を持った施設を限る。それから、期間と数をきちんと限るということです。この方式でまず試行を行うべきだと思います。 さらに、一番重要な点としては、脳死による死亡判定は、この臨床試験としての臓器移植のプログラムで臓器提供の意思が確認されたケースに限る。この一点を、公表する関係省庁と関係学会のルールとしてはっきりと決めておいていただきたいと思います。そう決めれば、脳死の判定というものが一般の、臓器移植とは関係のない人の治療の打ち切りのために使われることがない、それを社会にきっちり保障していただきたいと思います。 繰り返しますが、臓器移植のための法律が一般の治療の打ち切りのための死の判定に用いられてしまうようなことは、法律の趣旨、立法の趣旨に含まれていないものです。法律が、立法の趣旨に含まれていない効果を持ってはいけないということは全く釈迦に説法で、私などが申し上げることではないと思います。 最後に、もう一度結論を申し上げます。 心臓や肝臓の移植のためだけに脳死を法律で人の死とするのは、医療全体に与えるマイナスの影響が大き過ぎると考えます。脳死を人の死とする法律をつくらないで、臓器移植に道を開く努力をするべきではないでしょうか。それが日本国民の一番多くの人が合意している線であると考えます。 どうもありがとうございました。
○和田座長 ありがとうございました。 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○和田座長 これより委員からの質疑を行います。 質疑につきましては、理事会の協議によりまして、一回の発言時間が三分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願いいたします。 なお、質疑のある委員は、挙手の上、座長の許可を得て発言するようお願いいたします。また、発言の際は、所属会派及び氏名をあらかじめお告げいただきたいと存じます。 それでは、質疑のある委員は挙手をお願いいたします。
○鈴木(俊)委員 自由民主党の鈴木俊一と申します。 初めに、藤村先生にお伺いをいたします。 臓器移植の技術というものが確立されているのかどうかということでございます。 といいますのは、これだけ国民の間で意見が分かれているような法案でありますから、仮にこの法案が通って移植というものが一般的に行われるようになったときに、それが成功しないと、せっかくやっても患者さんが助からないということであればこれは大変なことになるわけでありまして、私は、この法律を成立させる前提として、そういう技術が確立して成功例が大変高いものになっているということが必要であると思うのでありますが、そのことについて、一点、お伺いいたします。 もう一点、阿部先生にお伺いをいたします。 先生のお話をお伺いいたしまして、死の判定というのは、移植が必要なときに脳死の判定もできる、こういうことで、一般的には今行われている三徴候の判定がなされるであろうということでございますが、そういたしますと、死の二つの概念といいますか時期ができてしまう。こうした場合に、死にかかわる法律ですね、例えば相続の問題とか、死の時期によって発生するさまざまな今の法律の規定とかあると思うのでありますが、そういう他の法律に及ぼす影響、その辺の法体系をそれによって大分いじらなくちゃならないのか、それとも、大していじらなくて済む問題なのか、このことについてお伺いいたします。
○藤村重文君 臓器移植の技術が確立されているかどうかということが大前提となるということは当然のことでございます。 私、肺移植についてまず申し上げたいと思います。 肺移植は、先ほどもお話ししましたように、もう世界で五千例ほどやられておりますけれども、それのレジストレーションの全体の成績は、一年生存率が先ほど申し上げたとおり七〇%を超えてございます。これは、とりもなおさず、成績としましては申し分のない成績ではないかと考えます。 それから、技術的にといいますと、例えば臓器を提供されて、それを今度、手術場へ持ってきてそれを植えて、トランスプラントをして、そしてその術後管理をして、患者のケアをして生存ということになるわけですけれども、そういう技術ももう確立されたものとなってございます。詳しいことはもちろんたくさんございますけれども、大まかに言わせてもらうと、確立されております。
○阿部純二君 お答えいたします。 まず、二つの死の概念を認めることになるのではないかという点ですが、ただ、先ほども申しましたが、心肺機能が停止して脳に血液が行かなくなれば脳はすぐ壊死するわけですので、すぐかどうか、これはお医者さんに聞かなければわかりませんけれども、基本的には脳死ということで、死の判定方法という形で考えることができるのではないかというふうに思っております。 それから、他の法律に対する影響は、率直に申しまして、私、ほかの法律を余りよく見ていないのでわからないのですけれども、ただ、先ほども申しましたとおり、刑法にも民法にも死の定義はないわけですね。そうしますと、ほかの行政法その他取り締まり法にも死の定義はないはずです。死というものを前提にしたいろいろな法律効果というものが与えられている。 ですから、何が死かという点に関しては、それを心臓死と考えるか、脳死と考えるかということによって、そうした他の行政取り締まり法規におけるいろいろな関係が混乱するということはないのではないかというふうに考えております。しかし、これはもう少し確かに研究する必要があろうかと思います。
○鴨下委員 新進党の鴨下一郎でございます。 廣澤陳述人にお伺いをしたいと思います。 基本的には廣澤先生は臓器移植に関して否定的というふうに解釈しておりますが、仮に今回の法案等によって道が開けたとして、その後、言ってみれば一般的になっていったときに、人の健康観だとか死生観だとかそういうことについて、今の、言ってみればかけがえのない臓器を一人一人が大事にしていくという概念から、ある意味で臓器をどなたかからいただくというようなことによって変わる部分というのがあるのだろうかということについて私は疑問に思っている部分がありまして、先生のお考えを伺いたいと思います。
○廣澤弘七郎君 変わる部分とおっしゃった意味がちょっとわかりませんが、私の考えが変わる、そういう意味でございますか。
○鴨下委員 一般的な健康に関する考え方、例えば臓器をかえればまた健康を取り戻せるということで、ある意味でむちゃやる人もいるかもわかりませんね。例えば、肝臓をかえられるからといって、お酒をたくさん飲む人もいるかもわからないし、そういうような形で、言ってみれば人の健康に関する考え方が、臓器移植ができるということの道が開けることによって健康観が変わってくるのじゃないかということについてのお考えをお伺いしたいのです。
○廣澤弘七郎君 それは変わり得ると思いますが、それは、その患者さん一人一人の個性というか、環境もいろいろあるでしょうが、一人一人の問題ではないか。そういうことでよろしゅうございますか。ちょっと御質問の意味がよくわかり切れない。
○鴨下委員 もう少しかみくだきますと、今まででしたら、例えば先天性の心疾患だとか何かでもう本当に幼いころから心臓を傷めていて、そういう方が臓器をどなたからかもらって健康を取り戻したいということで臓器移植というのが進むわけですよね。 ところが、それがもっと世の中に一般化していったときに、それぞれの健康を害した人が臓器を取りかえることによって、ある意味でもう一度新品の臓器をもらえるというようなことで、健康に対する考え方、例えば今まででしたら、唯一かけがえのない自分の健康を大事にするために節制しますね。その点が、まあ多少無理しても取りかえればいいや、こういうような考え方が出てきやしないかと懸念しているわけです。
○廣澤弘七郎君 はい、わかりました。 そういう可能性はあり得ることだとは思います。そして、いいことか悪いことかと言えば、悪いことではないかと、まあ心配していらっしゃるという言葉で表現されたと思います。 私も、そういうことはあり得ることだとは思いますが、申しわけありませんが、そこまで細かく悪影響というものを分析し切れておりませんでしたので、変な質問をして失礼しました。人によりけりだと思います。
○五島委員 社民党の五島でございます。 廣澤先生それから阿部先生、藤村先生、お三人にそれぞれお伺いしたいと思います。 まず、廣澤先生にお伺いします。 先生おっしゃっておられますように、医の倫理として臓器移植というものが問題があるというのは、実は私はこの法案、修正案ともの提案者でございますが、私自身も感じております。そういう意味におきましては、移植医療というのは、医学全体の中でいえば、中期的か長期的かは別として、過渡的な医療であるだろうというふうに思っています。 しかしながら、現状それを必要とする患者の存在ということを考えた場合に、非常に明らかにしておかなければならないまず第一点は、脳死の判断だろうと思います。 先生は、脳死というものはノーリターン・ポイントを超えた状態とお考えなのか、それとも、それはまだノーリターン・ポイントを超えたと医学的に断言できないのだというふうにお考えなんでしょうか。 レスピレーターの存在によって、脳死になってからいわゆる心臓死に至るまでの時間が非常に長くなったという事実がございます。しかし、医学の概念として、脳死というものはノーリターン・ポイントを超えているというふうに言い切るということについて先生は長年の臨床家としてのお立場から御疑念をお持ちなのかどうか、その点を一つお伺いしたと思います。 次に、阿部陳述人にお伺いしたいと思います。 この脳死判定というのは必ずしも臓器移植だけが対象でやられるべき検査方法ではないと思います。臨床医が患者の状態を把握する、その過程の中において必然的に家族のインフォームドコンセントのもとにおいてやられることがあり得る、そういう検査だと思います。 そうした場合に、もし脳死の状態になっている、脳死に至っている方に対してレシピレーターを外すということがあった場合に、現在の法律のもとにおいて殺人罪は成立するとお考えでしょうか。 それから、いま一つ、法律家の立場からお答えいただきたいのですが、今日、日本においては、ある意味では例外的に生体移植というのが行われています。例えば、生体肝移植というのは日本で非常にやられています。これは法的にどういう根拠でもって許されているのか、これは違法性の阻却という形でもって許されているのか。 健康な人の体に傷をつけ、その肝臓を取り出す、そういう医療が厳然として行われている。これは法律家の立場においてどういう形で、このことに対して傷害罪で告発されたという事例を聞かないわけでございますが、どのようにお考えなのかということをお伺いしたいと思います。 藤村先生にお伺いします。 先生は救急救命の専門ということではなくて、呼吸器の御専門でございますが、脳死の状態というのは救急救命医療からいえば敗北であるというのは、医療としては事実だと思うのです。しかも、臓器移植を前提としたときに、私自身の不安として、末期医療の治療方法に差が出てきやしないか。 すなわち、先生一番よく御承知のことでございますが、移植を前提とすれば、かなり十分に水分その他を補給して、そして、そのことによる悪影響というものを無視しても臓器そのものの健全性を保とうという医療になってしまう。一方、救急救命に徹していくとするならば、どちらかといえばドライな状態になっていくというのは、通常、常識かなという感じがいたします。そういうことが起こりかねない、その危険性をどのように阻止すればいいということについて、先生の御意見をお伺いしたいと思います。
○廣澤弘七郎君 お答えいたします。 御質問の趣旨は、過渡期の、ちょっとメモが不完全でわからないのですが、ノーリターン・ポイントということを認めるかどうか、そういうことでよろしゅうございますか。 私、プリントをお配りしまして、このプリントに基づいての細かい説明を全くいたしませんでした。それで、私のプリントに、三つの段がありますが、一番上に、「臓器移植ドナー候補のスペクトラム」と書いた表があります。「三徴候死」が左から三行目にあります。ここが普通の、従来の死の位置であります。それから、「脳死」「植物状態」云々、こう書いてございますが、私は臨床家でございますから、こういうことの判断というものは、臨床というものは数学のように厳密なものではありません。ある広がりを持っております。そのことは既に先ほどの発言の中に、どれくらいの規模で展開していくかと。 一言だけつけ加えます。そこに活字で書いております。三徴候死でも、翌日まで細胞レベルで生きているものは幾らでもあるわけです。何よりもかによりも、三徴候死で死んだ後に移植が成り立つということは、人間の体の部分がちゃんと生きているということであります。したがって、全身として、トータルの体として個体の死という言葉が使われたようでありますが、そういう意味で死を規定しているわけです。 そういうふうに、臨床というものは数学のように線で引っ張ったり、あるいは死ぬときに、爆発すればこれは瞬間で死ぬかもしれませんけれども、そんなことは一般の臨床の場面ではありません。したがって、ノーリターンというような言葉が出たとしても、脳死の状態の中に、脳の中の変化は私は専門ではありませんから細かいことはわかりませんが、臨床家の常識として、次々と変化が進んでいくからこそ脳死は死ぬのであります。植物状態もまた同じであります。 そして、その時間的な規模、先ほど申しましたような時間と言っていいと思います。それから、それを裏づけるような体の中の組織の変化、これは仮に呼吸だとか循環だとか脳の意識だとかと分けますけれども、例えばの話、内分泌機能一つ取り出しても、脳死の患者さんにピトレシンを入れればそれだけ長くなるという実験もあるわけです。 というふうで、ポイントというような言葉で大体物は言えない。そういう意味で、連続しているというのが私の考え方の基本であります。そういう意味でスペクトラムという言葉をかりました。虹の光の中に、赤と何々の色をどこで切れるのでしょうか。ディジタルではありません。連続しております。そういう意味でスペクトラムと言いました。 臨床は、連続の中を便宜的に、だれでもが何となく納得できるようにやっているわけです。ですから、従来の、医師が臨床の場で、これで御臨終でございますと言うときも、くどく申しましたような広がりの上で言っているわけです。しかし、それは、すべてをその主治医の判断に信頼して任せているという場面で起こっているわけです。 そういうことを考えたときに、この脳死の状態を判断して云々というのは私にとってはまことに不自然である。さっき言ったことの繰り返しになります。 それから、過渡期的なとおっしゃったのは、私のメモにあります。過渡期的について何か、私に質問としておっしゃったのかどうかわかりません。済みません。よろしゅうございますか。
○阿部純二君 お答えいたします。 五島議員の前提になっていることについて、実は私もそれほど自信があるわけじゃないのですが、一応六条を読んでみてそう感じたのです。というのは、ここでの「死体(脳死体を含む。)」というこの「脳死体」は、六条二項によって定義がされた脳死である、そして、この判定のためには医学的知見に基づいた厚生省令による、こういう構造になっているのですね。 そうしますと、どうもこれを見る限りでは、やはり臓器移植が必要になっている場合に脳死判定を行うのだというふうに読めるのですが、そうしますと、それ以外の脳死判定、通常の脳死判定はこれによらなくてもいいということでありますね。二項の「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された死体」でなくても、その人の考え方によって脳死と認めていい。あるいは、厚生省令に基づく基準によらなくても、その人の考えで脳死と認めていい。 そういう二つの脳死概念というものをこの法律は予定しているのかどうかということはちょっとわからないので、これはむしろ質問した方がいいかもしれませんけれども、しかし、議員に質問はできないそうですので、その程度にしておきます。 それから、レスピレーターを外すことですけれども、私はやはり、仮に心臓死説に立つとしても、脳死に至った人についての治療義務というものはお医者さんにはないのじゃないかと思っています。もちろんケアはすべきでしょう。ちゃんとした心臓死に至るまでのケアはすべきでしょうけれども、健康回復のための治療義務はないのじゃないかというふうに考えております。 したがって、しないという不作為が処罰されるということはないのではないか。つまり、不作為の殺人というものは成立しないのではないか。もちろんレスピレーターを外すことが作為か不作為かという問題はありますけれども、基本的には不作為と考えて、治療しないということだと考えると、必ずしも殺人罪が成立するということではないのではないかというふうに考えております。 それから、生体間の移植ですが、これは同意傷害の範囲という問題になるわけですね。同意傷害というのは一体どこまで許されるのかということなんですが、刑法学者の中で最も広く認める人ですと、要するに、生命に対する危険がない場合であれば、承諾に基づいて自分の体を傷つけることを許していいのではないかと言っております。 ですから、その最も広く認める人の立場でも、生体間移植が、お父さんやお母さんが子供のために肝臓を提供したい、それによって死ぬとか健康が非常に害されるということがあるのであれば、今言ったとおり許されませんけれども、そうでなければ、やはり承諾によって生体間移植が許される範囲というのはかなり広いのではないかというふうに考えております。
○藤村重文君 ただいまの御質問の趣旨は、救命救急という現場の事例をお引きになりまして、そういうところにもしかしたらドナーとなるかもしれない人が入ってこられた場合に、救命救急医が治療をある程度あきらめてしまう、あきらめやすくなってしまって、そして、それはむしろ移植とつながっているから、ドナーをとりたいためにそういうふうになる可能性はあるかどうかということでございますか。
○五島委員 臓器の保管に重点を置いた医療にならないかということですね。
○藤村重文君 臓器保管、そういうことにはまずならないと思います。 肺を例にとりますと、今は多臓器利用の時代でございますので、一つの臓器だけがよければいいというものではございませんので、全体としてやはり治療を重ねてきて、そこでだめなときはしようがないということで、そのときに利用可能なものはどれかということになってきますので、臓器中心ということにはならないと考えます。
○竹内(黎)委員 自民党の竹内と申します。 きょうは、陳述人の皆さんには大変有益な御意見を聞かせていただき、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げたいと思います。 菅原陳述人と阿部陳述人にお尋ねしたいわけでございますが、特に菅原陳述人は、脳死は人の死でない、それには社会的合意も成立していない、こういう御指摘でございました。 では、仮にどういう手段で、どういう結果を確かめたら社会的合意と認められるのか。例えばその一例として、国会におきまして脳死は人の死であるという意思決定をした場合に、それは社会的合意の成立とお考えになりますかどうか。 同じ質問を阿部陳述人にもお願いいたします。
○菅原瞳君 私は、今の質問の後半の部分ですけれども、国会で決めて、いわゆる法律で死を定義したということでもって社会的な合意があったというふうには考えられないと思います。 社会的な合意というのは、本当に国民全体的にそういう意思が、大勢が認めていくということで、もちろん全員がというところまでは申しませんが、大勢が認めていくということだろうと考えております。
○阿部純二君 私は、先ほど申したとおり、やはり国民の代表である国会が、こういう臓器移植法案という形でもよろしいですし、もっと別の形でもよろしいのですが、それを認めるということになれば、それは一つの合意の調達の方法ではないかというふうに考えております。 もちろん、そのためには、まず脳死とはどういうものかということについての啓蒙といいますか、説明といいますか、そして、ある程度国民が納得するということは必要でしょうけれども、それはある程度もう行われたようにも思いますので、国会で決めるということが必要ではないかというふうに考えております。
○岩佐委員 日本共産党の岩佐恵美でございます。 お二人の陳述人にそれぞれお伺いをしたいと思います。 まず、廣澤陳述人にお伺いをしたいのです。 NHKの番組で、救急医学における脳低温療法について放映されました。これは、トラックにはねられて脳に損傷を受けて、意識を失って瞳孔も開いてしまったふじ子さんという中年の主婦の話だったのですけれども、この方が見事に七十八日目で退院をされて、しかも、体の障害も言葉の障害も残さなかったということだったのです。 最近、先ほどのポイント・オブ・ノーリターンの話ですが、それがもうゾーン・オブ・ノーリターンだ、本当に幅が広いのだと。救急医療の現場において、脳低温療法によってかなりの方々がいわゆる脳死状態から生き返っている、蘇生しているというような例が報告をされています。例えば頭部外傷では六五%とか心停止では五〇%とか、あるいは脳卒中では四〇%とかの成果が上がっているというふうに言われているわけです。これが、脳死の法律が通ってしまうと一体どういうふうになるのだろうか。 この問題について、柳田先生が、こんな奇跡的な生還を可能にした低体温療法のチャレンジは、早目に治療を放棄してしまう欧米の移植先進国からは生まれなかったようなものだ、私はそういうふうに感じた、こういうふうに言っておられるのですけれども、この問題について先生のお考えを改めてお伺いしたいというふうに思います。 それから、ぬで島陳述人にお伺いをしたいのです。 私たち厚生委員会で臓器移植の問題について海外視察を行いました。行ったところはドイツ、イギリスそれからアメリカというような国々でしたけれども、大体、ドイツ、イギリスの場合には、臓器移植は行われているのですが、法律はありません。それからアメリカでも、州の半分は法律なしでやられているというところなんです。 それで、ドイツで伺ったのが非常に印象的だったのですけれども、もしドイツで法律をつくるということになると七割の人たちが反対するだろう。なぜかというと、ドイツ人は非常に法律をちゃんと守る人々だ、だからもういや応なしにそういう状態に置かれることを非常に嫌う、だから臓器移植が行われていても法律は要らないのだというのが国民の意思であるというような話がされていました。 私も、脳死状態という非常に医学的にいろいろ議論がある、それから国民の気分、感情からいっても社会的な合意が得られていない、そういうものを法律でもって決めてやることは本当に危険だというふうに思っているわけですけれども、先生は海外の情報をたくさん持っておられるということですので、その点についてお伺いをしたいと思います。
○廣澤弘七郎君 お答えいたします。 私は、脳の方の専門ということではちょっと遠いものですから、よくわからないところもありますが、今のお話、日大での症例の話、そのほかもう二十例とかの数字を覚えていますが、あったそうでありますが、私の内科医としての常識、それから、脳の出来事が私の預かっている病室であったということも幾つも経験しておりますので、それをあわせた形で常識的なお答えをいたします。 心臓の手術をする場合にも、頭の冷却ということ、全身の冷却に加えてさらに頭の冷却ということは非常に大事なこととして、これは手術の場合ですよ、脳死と関係ありません。というほど、頭の細胞は温度によって生存率が違うわけであります。 それから、心臓の筋肉についても言えることは脳でも言えるのじゃないかということは、脳の細胞そのものの生命、細胞が死んだとか死なないとか、それから細胞の機能、生きていてもまだ機能を発揮し得ない状態もあるわけです。心臓の筋肉にもそういうものがありまして、スタンド・マイオカーディウムなどという言葉がある。スタンドというのは気絶しているという言葉ですけれども、そういうことが臨床的に、実際に心臓の働きでは問題になっております。脳でも、大体常識的には、比喩的に言えば似たようなことがあると思います。 さて、そういう状態を含めて、いわゆる脳死だとか植物状態だとかいうのを我々臨床家は外から見ていて、その時代の医学の知識において方針を決め、判断を決め、生命のことまで決めているわけです。そういうところに今のお話のような新しい手法が出て、これは研究ですから、自然科学は進歩いたします。そういう意味で、その結果が脳死であった、もうだめだ、ノーリターンだというようなことのポイントがずれていったということは十分あり得るわけですね。 事ほどさように脳の中のことはよくわからない。さっき私は自分でしゃべったときにも、そのことは繰り返ししつこく申しました。そういうことですから、人の死にかかわることはそう簡単にはできないけれども、さりとて、繰り返しますが、その時代なりの医学のレベルしか我々は知識として持っておりません。それの総合したところで判断するよりしようがないのだろうと思います。 ですが、きょうの主題は脳死プラス臓器移植ですから、そういうことがどうあろうと私は臓器移植には反対しているとさっき言ったはずです。 これでよろしゅうございますか。
○ぬで島次郎君 お答えいたします。 ドイツには脳死を死とする法律も臓器移植の法律もないわけですが、それでどうして臓器移植ができるかというと、ドイツには日本の弁護士会に当たる医師会という大きな組織がありまして、そこが脳死判定について厳格なガイドラインをつくっています。医学の進歩に合わせて適宜直しておりまして、ごく最近、また脳死の判定のガイドラインが書き変えられました。そのガイドラインに基づいて脳死の判定を行い、臓器移植についてはまた別のガイドラインがある。 ドイツの場合、医師会のガイドラインというのは非常に重い意味を持っておりまして、違反者に対しては医師会が懲戒処分を行うことができます。日本の医師会とは全く性格の異なった医者の組織をしておりまして、これは日本の弁護士会と同じです。ですから、警察とか行政とか第三者の告発を待たなくても、違反者に対しては医者同士の間でちゃんと処分を行うということが一つあります。そういう保証があって、医師会の、医学界のガイドラインに任されているということです。 それから、地域地域で検視当局とのやりとりをしてルールを決めております。私が話を聞いたミュンヘンの地域では、法医学者が二十四時間オンコールで待機していて、当番がもちろん決められていて、臓器提供の場合にはしかるべく対応をし、その法医学者が、臓器の摘出をしてもいいかどうか、それから、その後の処置についても判断し、責任を持つということでありました。 もう一つ、フランスの例でいきますと、フランスにも脳死を人の死とする明確な法律はありません。フランスでは、脳死状態の患者さんに麻酔科医が薬物の人体実験をしてしまったことがありました。もう七、八年前の出来事です。その場合も、フランスでもドイツと同じ医師会という組織が存在し、その医師会が直ちに、脳死状態の人に人体実験を行った医者を戒告処分にいたしました。 医学界がお互い同士のルール違反をきっちり処罰するという構えをちゃんととって、そのとおり反応するということであれば、社会からの信頼はある程度確保できるということだと思います。 以上です。
○狩野委員 自由民主党の狩野勝でございます。 臓器移植の問題は、まさに生あるいはまた死とはというふうに個人の宗教あるいは哲学、死生観に関するもとでございまして、それだけにまたいろいろに御意見があるなということを今承ったわけでございますが、私は、世界的に脳死が人の死と認められている今日、そしてまた我が国でも、心臓でどのくらいでしょうか、たしか五、六百人でしょうか、あるいは肝臓で年間約三千人ぐらいの人が適応者として存在すると言われているときに、今回の修正案で少しでも私は前進をしたなと思う一人でございます。 そういう意味で、賛成のお立場の藤村公述人に伺いたいのでございます。 今回の修正案は書面での意思表示だけですから数は大変少ないと思いますけれども、法律を作成するという観点から、先ほどもいろいろとお述べいただきましたけれども、より留意しなければならない、より注意しなきゃならぬという点を幾つか御例示いただければと思います。 それから、廣澤参考人に伺います。 もし、患者さんが外国へ行って手術を受けたいというふうに先生のところに相談に見えましたときには、先生はどのような御指導、御助言をなさいますか。 それから、もう一点、西垣公述人に伺います。 大変御活躍で敬意を表したいと思いますけれども、これは事実かどうかわかりませんが、最近、腎移植が大変減っているというように伺いますけれども、それは事実か、また、これはどう受けとめられるのか、お伺いいたします。 以上でございます。
○藤村重文君 お答えいたします。 まず、今回の法律案を読ませていただきまして、私、率直に申し上げまして、そんたく抜きということになってございますね。それは、これまで八回の継続審議でございますか、それでまだ正式に審議もされていない、こういう状態のもとにこの法律案がまだ成り立ってないということで、我々ではなくて日本全体が、先ほど申し上げましたように、移植というものを知っている方々あるいは患者さん方、そういうのを全部含めまして非常な閉塞感があったと思います。 確かに、今回の修正案というものは、従来のものに比べますと、ドナーになる方が非常に制限されるということは重々これで感じ取られるわけでございますが、しかし、私自身としましては、あえてその点を反対はいたしません。これでどうしてもやはり通していただきたいというところが率直な立場でございます。それによりまして、今後そういう患者さんを含めまして、日本のそういう苦しんでいる人々が将来に希望を持つことになるだろうということをまず考えるわけでございます。 それから、もちろん、そのような法律の中で先生は今どういうことを気をつけたらいいかということをおっしゃったのですが、私は、法律のことは余りよく知りませんが、そういうことになりますと、ドナーカード等が重要なものになってまいると思います。それをいかに普及させるかということにこれから専念していただくようにお願い申し上げるところでございます。 それから、将来やはり、現在のこういう案の中で何ができて何ができなかったのか、では、どうしてこれがいいか悪いかということがそのうちわかるでしょうから、将来またこの改正というのも考えていただければなというふうに考えておるところでございます。 以上でございます。
○廣澤弘七郎君 心臓が重症の一人の患者から、外国へ行きたいと問われたときに廣澤がどういう対応をするかという御質問でございますね。 私は、きょうは時間がありませんので、一般論的なことを全部はカバーしてお話しできませんでした。差し上げましたプリントの中に別の循環器学会のパネルでしゃべったことが書いてございますので、申しわけありませんが、それは見ていただくことにいたしまして、口頭では、そういった移植一般についての話を私は患者さんにいたします。 そして、その患者さん、一人の患者さんについて、自然歴という言葉があります。自然歴と申しますのは、ナチュラルヒストリーといいますが、その患者さんが将来どれくらい生きられるのか。病気がありますから、どこかで普通の人より早く死ぬかもしれない、その場合にどういう形で死んでいくのか、どんな合併症が出てくるのか、そういうことを、臨床の知識を持って私はしょっちゅう患者さんを診ているわけです。 したがって、どの治療法、これは移植とは限りません、手術を今した方がいいのか、あと十年我慢して待ってごらんなさい、そういう知識を私は持っております。そういう知識を、臨床家としての知識を一応その患者さん向けに持っておりますから、あなたはこういうふうになりますよということは、ざっくばらんに語るよりしようがないと思いますね。 しかし、その背景で一つだけ、残念ながら、ある患者さんに向けて、統計の示すところではあなたは半年後には死ぬでしょうというようなことを、今の移植を進める方たちはむき出しに患者さんに言うわけです。そうしませんと、患者さんは賛成しませんから。あと何年か生きるのなら、まだもうちょっと待ちましょうということになって、移植は成立しないと思います。移植を進める方は、そういうことで、移植を勧めようという立場から、大体半年ということで循環器の学会でやっておりますが、あと半年後にはあなたは死んでいるかもしれない、こういう言い方をするわけです。 私は、それは言いたくないです。ですから、大体、私は移植反対論者ですから、私の立場としては、自然歴を重々承知の上で、なおかつ、患者さんには最善の努力をいたします。そうやっていたしますけれども、なおかつ、だめと思いながらも患者さんを元気づけて最善の努力をしていきますということで指導をしていくよりしようがないと思います。そういうふうにするのは、今、移植をしない場合の話です。 さて、そういうことをやって、どうしても行きたいということであれば、私は私なりの持っている、現在の心臓移植の世界におけるレベルというのは大体わかっております。そして、これもさっきと同じように申します。自然科学とともにだんだんよくなります。私としても、これはよくわかっております。しかし、限度のあることもわかっております。 それから、移植で五年生存率七〇%とかなんとかいうわけですけれども、その陰に、患者さんには免疫抑制剤を使うとかさまざまなことが非常に煩わしい思い、そして、バイオキシーといって、定期的に心臓の筋肉をとってきて、それを顕微鏡で調べて拒絶反応があるかないかを調べるまでスケジュールに入っているわけです。そういうことをやって生活していくのですけれども、とにかく見かけはぴんとしているという生活ができる。これをまとめてクオリティー・オブ・ライフといいますが、そういうことで、いいこともある。 それから、統計の示すところによると七〇%生きたということは、三〇%死んじゃったということです。これは早死にに相違ありません。その途中の段階としても、例えば腎臓のぐあいが悪くなる、高血圧が出てくるとか、いろいろな副作用がある中にうつ病だって患者さんとしては出ているわけです。みんながみんないいわけじゃありません。 そういうことも全部、患者さんには私は言おうと思います。その上で、なおかつ患者さんがやはり移植を受けたいということなら、そういう場合でしたら、私は行ってらっしゃいと申します。それを突き放すことは私はいたしません。帰ってきたら、私のできることはしたいと思います。 お断りいたしますが、私は反対論者でありますが、社会的合意というお話がさっき出ておりましたが、社会的合意ということでこの話が先に進行して移植ができる、あるいは今の段階では移植ができなくて外国では受けられる、これもまたいろいろ問題を提起されますけれども、とにかくそれを積極的に、あなた、だめよと何が何でも拒否するという立場ではございません。私の考えは、移植を一般的なこととして普遍的にしたときに、精神の世界に文化論的にどんな被害がマイナス得点として出てくるか。 繰り返しますけれども、移植をやったことによってプラスの点があることは重々承知です。実際は半年先に死ぬ人が三年でも五年でも生きれば、こんな立派なことはないのです。それを承知で私は反対論を言っております。そういうことですから、一人の患者さんに向けては、それらしくはっきり承知したことを、私の臨床的な知識をさらけ出して申します。阻害はいたしません。
○西垣文敬君 腎臓移植の数の推移についてお答えさせていただきます。 まず、生体腎移植については、一年ごと、そんなに変化はないと思います。献腎の移植数については、平成五年から六年に移る間に約四十減っております。平成六年と七年の比較では十程度少なくなっただけで、そんなに変化はないと思います。 平成五年から六年のときの減少についても、二百から百六十、百七十ぐらいになったのですけれども、まあ西日本が少し減ったのですけれども、あとの地区は、少しではありますけれども、むしろ増加しています。 それで、私としては、東北・北海道地区を担当しておりますので、減っているという実感はありません。申しわけないのですけれども、ちょっとわかりません。
○北村委員 新進党の北村直人でございます。 廣澤先生に御意見をいただきたいと思います。 先生の「人の命」というこの文章、私もそのとおりだと思います。そして、こういう考え方がしっかりと医学の中にあるということを大変誇りに思うところでございます。 その上で、改めて先生の御意見をお聞かせをいただきたいと思うのですが、日本で臓器移植の初期というのは多分、血液を移す、これがある面では最初の腎臓の移植になるのではないかなというような感じがいたします。 献血も、例えば我が国の中で献血そして血液のやりとりということができていれば、今回のようなエイズの問題のようなことも私は防げたのかな。こういう観点から、どうも我が国は経済成長とともにお金で何でも解決をしてしまってきたところがございます。自分の国の中で何とかみんなで助けていこうというところが、諸外国からお金さえ出せば何でも手に入るということが蔓延をしてしまった。 それが、例えば、生まれつき心臓あるいは腎臓、肝臓等々に疾患があって、この日本の国ではどうしても治療がないのじゃないだろうか。今先生は、あらゆる治療方法をやる、こう言っていただきましたけれども、その上でもなおかつ、やはりもう臓器移植しかないのかな、こういうような判断に立ったときに、日本ではなかなか臓器移植等々ができない。 先ほど狩野委員がおっしゃいましたけれども、やはり海外にそれを、道を求める。海外に求めると、ある面では海外の方々は、日本人は我が国の臓器までお金で買うのか、我が国の中にもそれを待っている人がいるのだ、たくさんいるのだけれども、横から来て日本人がお金でそれを買ってしまう。しかし、日本人の方はお金で買ったわけじゃありません。もう苦労して苦労して、大変な御苦労をして海外に行って臓器移植をお願いするわけであります。 そういった現状を踏まえた中で、では、日本のこの国の中で臓器移植も含めてどうあるべきか、先生の「人の命」というその哲学を踏まえた中で我が日本民族はどうあるべきかということを、先生の御意見がありましたらお聞かせをいただきたいと思います。
○廣澤弘七郎君 非常に難しい御質問です。 お金で何でも買う。私は、本当のところをよく知らないまま、いろいろなそういうお話を伺ったり、雑誌を読み、新聞を読みしているとき、少し言い過ぎじゃないかと思っています。何でもお金で買うというのは言い過ぎだと思います。それじゃ、アメリカならアメリカ、どこでもいいです、イギリスならイギリスへ行って、一万人の人に聞いてみたらいいと思います。それは日本人が誇張して言っているのじゃないかと私は勘ぐっています。 これはそれ以上のことは、私個人がそう感じただけのことですから、責任は私にしかないのですが、そういう感じです。しかし、そういう言葉が言われるということは一般の人に物の考え方について相当の影響力があるわけです。ということだけ注釈はしておきたいと思います。 さて、非常に苦労している、あるいは外国にある意味での迷惑をかけているということで、なおかつどうするのかという御質問ですが、私はそれでも、私が繰り返して申し上げたことを、あるいはプリントに書いてあることを別に曲げるつもりはございません。言ってみれば、そういうことを重々承知の上で私は意見を自分なりにまとめております。 そんなことでよろしいでしょうか。
○青山(二)委員 新進党の青山二三と申します。 人の死をどうとらえるかということで、大変難しい問題を我が委員会にいただいたわけでございまして、今、六人の先生方のお話を聞いておりますと、やはりお一人ずつ、ああ、そうだな、ああ、そうだな、そういうことも考えられるなという思いでお聞かせいただいたわけなんですけれども、臓器移植を受ける側ということで、たまたまそういう子供さんを持った両親たちが、莫大なお金を用意して、大変な思いをして今海外に行っている。一日でもいい、一カ月でもいい、できれば一年でも二年でも子供の命を長らえたいという、それはもう本当に親としては実感なんですね。 そういう意味で、今もう大変な苦労をして海外に行っている家族、子供たちの実態をどのようにごらんになっていらっしゃるかということを、廣澤先生から今お話を伺いましたので、藤村先生と阿部先生と西垣先生にお伺いしたいと思います。 それから、この修正案では家族のそんたくということが削られまして、本人の意思を尊重するということになりました。例えば小さなお子さんの臓器が必要な場合、小さなお子さんにはやはり小さなお子さんの臓器が必要なんだと思うのですけれども、本人の意思となりますと、恐らく、子供たちはそういう本人の意思表示ということは不可能でございますので、かえって、この法律ができることによってほとんど不可能になる、そういう方面では不可能になっていくのではないか、そんな思いもしているのでございますが、その点について、お三人の先生方にお伺いしたいと思います。
○藤村重文君 海外へ自分のお子さんを移植のために連れていっている家族の方の気持ちとか、その実態をどう考えるかということでございますね。 海外では幸いなことに、まあ欧米ですけれども、例えばドナーとレシピエントのいろいろな意味での適合性というのがちゃんと優先順位を持って決められておりますので、日本人だから早くやってやろうとか、そういうことは余りないのではないかというふうに私は今解釈しているところでございます。ただ、海外に行って移植をするということはやはりお金がかかりますし、大変な労力もかかりますし、精神的、肉体的にも大変なものでございます。 それで、お金があればやれるけれども、なければこれはどうするのかということもかかわってきますし、やはりそういうのは日本で自前でやるということが正当な道ではないかというふうに私は考えてございます。
○阿部純二君 前段の問題につきましては、藤村先生が今言われたとおりで、私もそう思います。 それから、二番目の幼児の問題ですけれども、御承知と思いますが、竹内基準でも、六歳未満の幼児については脳死判定しないということ、除外例としていますね。ですから、この法律どおりいけば、少なくとも六歳未満の子供についてドナーになるということはないのじゃないか。 それでは、それより上の人はどうかということですが、確かに難しいところですが、しかし、基本的にはやはり本人同意という線でいくべきで、親族の代諾は認めるべきではないだろうと思います。 私がさっき本人のそんたくを入れてもいいのじゃないかと言ったのは、あくまで本人の意思のそんたくでして、家族に直接の代諾を認める趣旨ではありません。
○西垣文敬君 海外での移植の実態についてですけれども、自分の子供や肉親だけがなぜ肝臓や心臓の病気で亡くならなければいけないのかといって、お金と海外で受けるチャンスがあれば、親として、肉親として受けたいと思う方がいらっしゃるのは当然のことで、今、日本でできないのは非常に残念に思っております。 それともう一つ、本人の意思となりますと、腎臓提供者カードですと大体十六歳ですとか、厳しくして二十、そのぐらい制限は出ると思います。ただ、それは、そういう法律になればそういうことで仕方がないことで、私は、そのときそのときの法律のもと、社会的背景のもと、問題の起こらないように臓器提供を実現させていくのが仕事ですので、そのときそのときの法律下で努力していきたいと思っているだけです。
○柳田委員 新進党の柳田稔でございます。 まずぬで島先生にお尋ねをしたいのです。 いただきましたこの一枚目、一番最後に、ルールでやればいいじゃないかというお話がございました。 先ほどお話ありましたように、ドイツが内部のルールで臓器移植をやられているわけですけれども、最初、この臓器移植を日本の国内で考えたときにも、ドイツの方法はどんなものだろうかといろいろ検討いたしました。ところが、医学界とか省庁からも、それはちょっと今の段階では日本としては難しい、できれば法律をつくっていただいた方がありがたいのだというお答えもあったわけですね。そういう経過を踏みながら最終的に、学界の中のルールではなくて、法律によってこの臓器移植が行えるようにしていこうという発想で今日まで至ったわけなんです。 先生のルールというお考えはそれなりに理解ができるのでありますが、今の日本の現状ではルールでは難しいとしたときに、この臓器移植法案以外に何かできるものがあるのか、もし御意見があればお願いをしたいと存じます。 もう一つ。二番目に「法律で後押しする」ということを書いてありますが、我々つくった立場から言いますと、こんなことは一切考えておりません。我々としては、できるだけ長く生きて生涯を楽しんでもらえれば、そのことがもしできるのであればという気持ちからこの法律をいろいろと考えましたので、これは御理解をしていただきたいと思います。 次に、菅原先生に質問させていただきたいのです。 弁護士会の方もいろいろと注文がございます。一部修正案が出ました。そのことについての評価はいただいたわけですが、その後、腎臓移植ネットワークの西垣さんのお話を先生承っておりまして、うんうんとうなずいておられまして、菅原先生がいろいろ言われた注文の中でも、ああ大分現実的にはやられておるのだなという感じを持たれたのではないかと思うのです。法律にはまだ書かれていない面もありますけれども、我々としては実態も見させていただいて、いろいろ勉強させていただいてここまでできたわけでありますが、法律の内容と、先ほど西垣さんがお話しなされた実態、このことも踏まえて、まだ何かこの辺もという御注文があれば、お聞かせを願えればと思います。 以上です。
○ぬで島次郎君 お答えをいたします。 法律でなければ日本の現状では難しいとおっしゃるその内容について、なぜできない、なぜ難しいのですかということは、逆にお聞きしたいぐらいですけれども、私自身の考えを言わせていただければ、法律がなければできないという現状がそもそも改められるべきではないか。 臓器移植を最初から法律の、私はあくまで後押しと言わせていただきますけれども、臓器移植を最初から国家によって法律で公認してもらってから始めた国というのは、ただ一つ以外に世界には存在しないと思います。ですから、今の現状ではたくさんの国に法律がございますが、そのそれぞれの国でも、法律ができる以前から、先ほど私が申し上げていたように、ごく少数の実例を積み重ねて、間違いもあったし、そういう場合には正されたし、いろいろなやりとりがあった上で行われてきたわけです。 ですから、なぜ日本だけが最初から法律で後押ししなければできないのか。国が法律をつくって、ある行為をやっていいと公認するというのは、私は非常に重たい意味にとっております。先ほどドイツの話がありましたが、日本人も、そういう意味では法律というものを非常に重く受けとめる国民の一つだと思っております。これはまた釈迦に説法で、私などが申し上げることではないかと思います。 脳死臨調の最終答申の多数意見の方、つまり臓器移植を推進するという多数意見の方も、あえてその多数意見の推進意見の中で、医学界は社会から信頼獲得をする努力をせよ、わざわざこういう明記をされました。それは具体的にはどういうことをすればいいのかというと、関係学会合同委員会と関係省庁の間で具体的なルールを取り決めるべきだというふうに私は申し上げているわけです。ドイツの場合のように医学界だけでつくったガイドラインではなく、私自身がこうしたらどうであろうかと申し上げているのは、関係省庁も巻き込んだ、そういう意味では半公のルールというふうに申し上げていますし、それは事前に公表されるべきであるというふうに申し上げているわけです。その点はドイツのように医学界だけでつくったルールではございませんので、その辺は御理解いただけたらというふうに思います。 以上です。
○菅原瞳君 私が西垣さんの発言にうなずいていたというところなんですけれども、それは多分、西垣さんが、「移植コーディネーターの説明が熱心」だったからという提供後のアンケートの答えのところだったのじゃないかと思いますが、西垣さんに説得、説得という言葉はだめでしょうけれども、説明をされたらそうなるかなというふうに感じたところではなかったかと思います。 修正案に対しての意見ですけれども、きょう、皆さんに対しては不要なものだったかもしれませんが、角膜及び腎臓の移植に関する法律の六法からの写しを持ってまいりました。今回の修正案では、附則として、角膜、腎臓については、「脳死体以外の死体」というふうに記載してありますね。そういうふうなことで、六条では「死体(脳死体を含む。以下同じ。)」というふうにしていながら、そこにきて今度は「脳死体以外の死体」というふうにしているというのは、単に体裁が悪いということではなくて、しかも条件が違ってきますので、そこで、死体であるとしながらも二つの基準、条件を設けているのではないかな、これはやはり自己矛盾じゃないかなというふうに申し上げたところだったのです。 それから、注文というふうにおっしゃられますけれども、非常に率直な意見としては、脳死を人の死と認めているというところは変わらないわけですので、先ほどから質問者の方たちからも出ていますけれども、本当に人の死というのは、死生観、人生観、宗教観、いろいろな価値観がそれぞれ違うわけですから、それを法律でもって定義するところまで持ってくることはなかなか難しいわけですので、脳死は人の死というふうに認めなくてもいいのじゃないか。できれば、日弁連で示したように、死体と脳死状態の場合というふうに区別していただきたい、それが最大の注文でございます。
○柳田委員 菅原先生、ならば、脳死状態ということを明記すれば臓器移植はよろしいというふうに受け取ってよろしいのでしょうか。
○菅原瞳君 もちろん、いわゆる脳死の定義とか判定基準とか判定方法というふうなものについては現段階で存在する最も厳しいところでというふうなことを前提にしてでございます。それから、もちろん、修正案ですから、そんたく条項はなくなっているわけですね。
○荒井(広)委員 大変貴重な意見を、それぞれのお立場からお考えを聞かせていただきましてありがとうございました。 改めて、基本的なお尋ねを全員の先生方にさせていただきたいと思うのです。 今後、こうした議論を進めてまいりまして、我が国において脳死が人の死であるという国民的合意は成り立つかどうか、これをお聞かせいただきまして、時間もないようでございますので、大変恐れ入りますが、簡潔にその主な一つだけ理由を挙げていただければと思います。各先生方に、簡単にで結構でございます。今までも聞かせていただいておりますが、改めてお願いします。
○廣澤弘七郎君 国民的合意が将来得られるであろうか、そういう御質問でございますね。 時間的にどれくらいかということはございますけれども、将来得られなくなると思います。と申しますのは、今、ある程度声の高いところに従って世の中が動いている感じが私にはいたします。そして、声なき声ということがあります。声なき声がいっぱい聞こえてくるように私には思えます。 例えば、私は、自分のところに通ってこられる患者さんを、一日に今でも何十人かの患者さんを診ます。長年診ている方あるいは最近診始めた方、さまざまですが、一番長い方は四十七年間続けて診ております。私と同じ年の患者さんを診ておりますが、そういう大勢の患者さんの中で、恣意的にではありましたけれども、割に軽く返事のいただけるような方に、あなたは自分の心臓が移植が必要だということがもしわかったら移植を希望しますか、こういう単純な質問をしました。二十人に聞きました。一人だけ、心筋梗塞後の患者さんが、私は希望したいとおっしゃいました。あとの十九人の方は全部、今さら、こうおっしゃいました。 そして、もう一度申しますが、声なき声がだんだん出てくるであろう。私が活字を書きますと、手紙がいっぱい来ます。そして、先生どうぞ、草の根の声なき声と言われたかな、そういうことをどうぞ頑張ってください。例えば意見があっても、新聞に出しても簡単には採用されませんという実情があります。 そういう意味で、今の、こうじゃないかなと言われている、そして委員会ができてここまで法案まで出てきているということは、私は、条件を一つだけつけます。大勢の方に、もうちょっとよく考えた上で——皆さんの考え方、まだまだよくわかっていない。これは、一億の方に全部ハイレベルの知識を持って物を考えていただきたいというのは無理と思う。ない物ねだりだと思います。民主主義は衆愚の何とかと申しますけれども、それと似ているのじゃないか。ですから、ほどほどには啓蒙した上で、そういうことについての意見を求めるとどんどん慎重派がふえていくのじゃないかというのが、私は反対派なものですから、そう感じております。
○藤村重文君 脳死の社会的合意が将来成立するかどうかということでございますが、私、過去の脳死の論議が始まってから今日までの流れと、それから最近の、情報が非常によく公開されていて、はんらんするぐらい公開されている、悪い言葉でございますが、そういうことから考えますと、脳死についての科学的に正しい認識が、医学的な認識が皆さんおわかりになるというふうに感じております。 それから、これはちょっと外れますけれども、一言だけ言わせてください。 脳死の方が生前に意思表示をして提供するということが大事だと申しましたけれども、当然、それはもちろんのことです。そういうことは大事だ。ただ、もう一つ法律で強調していただきたいのは、その裏のことですね。生前に提供しないと言っている人は絶対に提供しないで済むのだということを、ほかの一般の方々が知らないということもまた事実でございます。みんな、脳死になると臓器がとられるのではないか。とられるというのは、これは非常に性悪な、悪い言葉だと私は思うのでございまして、これは移植の精神からは反するものと考えます。
○阿部純二君 脳死の社会的合意については、なかなか軽々に申せませんが、きょう、皆さんのお話で一つ落ちていた点があったと思うのですね。 それは何かと申しますと、脳死臨調の少数意見でも、それから日弁連の意見でも、臓器移植には賛成なんですね。これは皆さんよく御承知のとおりです。そういう意味では、臓器移植については国民的合意が既に成立しているのです。その前提として脳死を人の死と認めるかどうかということに関しては、確かにいろいろ言われたような問題がありますけれども、臓器移植については既に国民的合意、確かに廣澤先生のいろいろな慎重論もございますが、臓器移植については少なくとも違法阻却論という形で皆さんこれを認めているのですね。 そういう意味では、そうした国民的合意を基礎にして、それが可能なような方策というものを法律で定めるべきではないか、こういうふうに思います。
○菅原瞳君 私は、脳死と、脳死状態からの臓器移植というふうに二つに分けてお話ししたいと思いますが、脳死を人の死と見ることについての社会的な合意を受け得るかということについては、近い将来においては難しいだろうというふうに考えます。しかし、厳しい条件はありますけれども、脳死状態から臓器移植をすることについては、国民的な合意が得られるのではないだろうかというふうに考えます。
○西垣文敬君 脳死の国民的合意については、いろいろな条件はつくでありましょうけれども、ごく自然な流れで、法案の成立いかんにかかわっていると思いますけれども、得られていくものと思われます。 それは、救急医側も脳死というのを避けている部分がありまして、なかなか話さないという状況もございますし、そういう意味で、国民を含めて脳死に関する知識といいますか、実態がまだ十分には知らされていない面も多々ありまして、やはり法律で救急医も守ってやる必要があるというふうに考えます。そういう条件がそろえば、当然、自然の流れとして合意が得られていくものと思っております。 以上です。
○ぬで島次郎君 私は、脳死を人の死とするという合意を求める必要はないと思いますし、そのような合意を求めるべきではないと思います。その点について、社会全体が一つの方向に動かなければいけない必要はないと思います。各当事者がその場になってどう決めるかがすべてだと思います。 自分の肉親なり関係者なりがそういう状態に陥ったときに、もう先生これで結構です、たくさんです、本人もよく頑張りましたという形で終えていくということは、今の状態でもあるわけですし、それは脳死が人の死であるかないかには全くかかわりはありません。もう少し頑張らせてやってください、まだ生きています、まだ死んだとは思えません、当事者がそう思い続ける限りはその思いを生かすべきだと思います。各当事者一人一人がその場でどう決めるかがすべてであると思います。これは法律があろうがあるまいが、どこの国でもそうなはずです。それ以上の集約というのは必要ないと私は考えます。
○和田座長 ほかに質疑をされる委員の方はございませんか。——これにて質疑は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつ申し上げます。 意見陳述者の方々には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。 拝聴いたしました御意見は、本法案の審査に資するところ極めて大なるものがございます。厚く御礼を申し上げます。 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました県当局の皆様を初め関係者の皆さん方、本当にありがとうございました。深甚なる謝意を表する次第でございます。 これにて散会いたします。 午後三時三十三分散会 ————◇————— 派遣委員の福岡県における意見聴取に関す る記録 一、期日 平成八年六月二十日(木) 二、場所 博多全日空ホテル 三、意見を聴取した問題 臓器の移植に関する法律案(第百二十九回 国会、中山太郎君外十二名提出)について 四、出席者 (1) 派遣委員 座長 衛藤 晟一君 中山 太郎君 持永 和見君 石田 祝稔君 大野由利子君 福島 豊君 山本 孝史君 横光 克彦君 (2) 現地参加議員 三原 朝彦君 (3) 政府側出席者 厚生大臣官房審 議官 中西 明典君 厚生省保健医療 局疾病対策課長 清水 博君 (4) 意見陳述者 久留米大学医学 部教授(救急医 学) 加来 信雄君 神戸市看護大学 学長 中西 睦子君 久留米大学医学 部附属医療セン ター病院長(循 環器内科) 戸嶋 裕徳君 医療法人財団天 心堂理事長 松本 文六君 弁 護 士 池永 満君 胆道閉鎖症の子 供を守る会副代 表 久米 富之君 ————◇————— 午後一時一分開議
○衛藤座長 これより会議を開きます。 私は、衆議院厚生委員会理事の衛藤晟一でございます。 私がこの会議の座長を務めますので、よろしくお願いいたします。 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。 皆様御承知のとおり、第百二十九回国会、中山太郎君外十二名提出の臓器の移植に関する法律案は、当委員会において、参考人から意見聴取し、また、修正案の趣旨説明聴取等の審査を行ってきたところでございます。 当委員会といたしましては、国会閉会中ではございますが、本日、国民各界各層の皆様方から御意見を聴取するため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。 御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。 それでは、まず、この会議の運営について御説明を申し上げます。 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、座長の許可を得て発言していただきたいと存じます。 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々は、委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。 次に、議事の順序について申し上げます。 最初に、意見陳述者の皆さんから御意見をそれぞれ十分程度お述べいただきました後、委員より質疑を行うことになっておりますので、よろしくお願いいたします。 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。 出席委員は、自由民主党の中山太郎君、持永和見君、新進党の石田祝稔君、大野由利子さん、福島豊君、山本孝史君、社会民主党・護憲連合の横光克彦君、以上でございます。 なお、現地参加議員として、新党さきがけの三原朝彦君が出席されております。 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。 久留米大学医学部教授加来信雄先生、神戸市看護大学学長中西睦子先生、久留米大学医学部附属医療センター病院長戸嶋裕徳先生、医療法人財団天心堂理事長松本文六先生、弁護士池永満先生、胆道閉鎖症の子供を守る会副代表久米富之先生、以上の方々でございます。 それでは、最初に加来信雄先生から御意見をお述べいただきたいと存じます。
○加来信雄君 ただいま御紹介いただきました久留米大学の加来信雄でございます。 私は、臓器移植を移植医療と認めた上で、救急医の立場から、救急医療の現場から、そこに介在する諸問題について意見を述べさせていただきます。 そもそも、移植医療は臓器提供があって成り立つものでありますから、救急医療の発展とともに歩み、救急医療の延長線上で展開する医療と位置づけております。 しかしながら、これまでの臓器移植の進め方について、臓器提供の場となる救急医療の現場には余り目を向けてこられなかったために、脳死や臓器移植の解釈や理解にひずみを生じてきたと考えております。つまり、臓器移植と救急医療とがその体制づくりを個々に推し進めてきたところに問題があろうかと思います。米国における車社会から交通事故の多発、そして救急医療体制の整備、臓器移植の体制づくりは、やはり国民の最も理解しやすい過程をたどっているように思います。 少し話を救急医療の現場に戻させていただきますが、救急医療の現場は、救命されていく人と死に瀕して脳死へ向かう人が混在しております。当然のことながら、悲喜こもごもの修羅場でございます。その中で、脳死を抱えた家族が私どもの医療行為に対してどのような反応を示すかは、脳死容認へ向けて重要なことでございます。 私どもが脳死家族に病状を説明しますと、最初はやはり狂乱状態になりますけれども、やがて脳死という現状を容認するようになります。しかし、ここで注意しなければならないのは、脳死は容認しても、それがすなわち臓器提供へはつながらないことであります。 そこにはどのような理由があるのか、このことを問わなければなりません。これまで、日本古来の生活風習や宗教観によるものとされてまいりました。私もこのことは否定いたしません。しかし、救急医として私は、もっと現実的な問題は救急医療の現場及びその体制にあると考えております。 これまで臓器移植を推進されてきた方々は、脳死は病院で起こると考えているようでございますが、これはとんでもない間違いであると思います。脳死に至る多くの方々は、病院で起こるのではありません。ある家庭で、ある路上で脳に重大な障害を受けてくるのであります。一方、救命されて社会へ向かう人もまた同じ道をたどってきているのであります。 したがって、私どもが、脳死になったので臓器を提供してくださいと呼びかけた場合、病院での治療には感謝しても、発症現場における応急処置や救急搬送などのプレホスピタルケアを含めた決死の救命活動がなければ、脳死家族から臓器提供の容認を得ることは困難であります。 最近、救急医療体制が急速に整備されてきました。このことは、必ず臓器移植推進へ発展していくと私は信じております。しかしながら、先般の阪神・淡路大震災の救助体制は、負傷者の救助問題にとどまらず、臓器移植にも大きな問題を投げかけたことも事実でありましょう。脳死家族が臓器提供を容認するきっかけは、やはりプレホスピタルケアにおける決死の救助活動が原動力になるということを私は力説しておきたいと思います。 次に、脳死と脳死判定について述べることにいたします。 私は、救急医としての経験から、脳死は人の死と考えております。しかしながら、このことが社会的合意を得るに乏しい発言だとすれば、私は医師として、人の死についてもう少し解釈を加えておく必要があると思います。すなわち、私は、人の死は医学的な死と社会的な死の合意をもって死であると考えております。したがって、脳死は医学的に死ではありますけれども、社会的な死については個々人の死生観の中にゆだねられるべきであります。 そして、本日も脳死論議がこれから行われていくと思いますけれども、その論議に際して申し述べておきたいことがございます。 それは、医師は治療行為を行うと同時に死をみとるといういわば特殊職業であります。したがって、医師の死に対する発言は、医師としての医学的な発言なのか、医師という肩書を持つ社会人の一人としての発言なのかを明らかにしておく必要があろうと思います。これまでこの区別がなされないで進められた経緯があるように私は思います。本日は、私は医師としての医学的な発言とさせていただきます。 このような脳死に対して正しく判定できるか否かについて今なお論議が続いていますが、高度の救急医療を行っている施設においては、脳死の判定は正しく行えますし、竹内基準を基本としたもので十分であります。そして、脳死判定後にそれを評価する組織委員会が機能することも必要であろうと思います。 最後に、私は、厳正で公正な臓器移植を推進するために、一刻も早い法制化を期待しております。しかしながら、法制化が実現しましても、それ自体は臓器移植に対して法的な免責をするにすぎず、臓器提供が増加するとは考えられません。 いずれにしましても、脳死家族が臓器提供を容認するためにはどのような環境づくりが必要なのかを考えるべきであろうと思います。それには、脳死家族が納得できる高度の救急医療体制が行われることがまず大前提であって、その上でいろいろな死生観の問題を踏まえて臓器提供がスムーズになされることを期待して、私の発言にさせていただきます。 ありがとうございました。
○衛藤座長 ありがとうございました。 次に、中西睦子先生にお願いをいたします。
○中西睦子君 御紹介いただきました中西でございます。 本日、この場で意見を述べさせていただく機会をいただきましたことを、最初に感謝申し上げます。 まずは、私がどのような立場で発言させていただくかを申し上げます。 日本看護科学学会という看護学の学術組織がございます。その中に、看護倫理に関して専門的に検討する委員会がございます。私もそのメンバーに加わっておりますが、そこで脳死及び臓器移植に関する看護の立場からの検討を行っております。一九九二年には、いわゆる脳死臨調の最終答申を受けまして、この答申が生み出す問題について看護の立場から検討し、報告としてまとめました。それが本日お配りしている資料の一つでございます。 きょうは時間が限られていますので、この報告に基づいて、ケアを担当する看護婦の立場から、今回提出されております法案に関係して意見を述べさせていただきます。 もう一つ資料を用意してございます。東海大学病院事件に関する同委員会の緊急提言です。これは、内容的に関連する部分だけ、時間があれば後から触れたいと思います。 まず報告の方でございますが、最初のページに七つの米印で挙げてありますものをデータ源としてこの報告書は書かれました。腎移植の現場の婦長もしくは移植コーディネーターの方たちによるシンポジウムとか、腎移植を行っている全国六施設の腎移植に携わる看護婦の聞き取り調査等々でございます。 この報告の基本的な考え方を要約いたしますと、四つほど挙がるかと思います。 まず第一点ですが、臓器移植が患者のQOLに及ぼす否定的側面の情報が著しく不足していることでございます。とかく成功面のみが強調されるために、ドナー、レシピエントが非現実的な期待を抱いている現場で、看護婦が日々苦闘しております。 それから第二点でございますが、肉親が、死に行く人の枕頭に寄り集って死を受けとめ、悲しみながらその人の死を納得するという臨終の場が、脳死を人の死と認めることによってさま変わりするという現実を国民のどのくらいの方々が御存じかということに対して看護婦が疑義を抱いております。 脳死状態が生まれる可能性の高い集中治療室で脳死患者が出た場合に、看護婦は、患者に声をかけ、患者の体をふいたり体位を変えたりしながら、肉親が患者の状態の時々刻々の変化や顔貌の変化を見て、彼が生から離れていっていることを納得するまで通常のケアを続けているのが現状でございます。 移植のために脳死判定がなされる場合は、顔貌の変化があらわれる状態まで待つことはほとんどないという証言がございます。むしろ、判定以前に臓器を新鮮に保つための処置が開始されますし、家族は死別の悲しみに浸る間もなく、判定が下ったその時点で、脳死者は死体となり臓器提供体として運ばれていくことになります。人の死とともに多くのことが、人の死とは別の次元で機能的に処理されていくことを十分認識しておく必要があるということが指摘されております。 それから三つ目の問題でございますが、医療における患者の人権、それからインフォームド・コンセントの問題と関係してまいります、個人の意思決定のプロセスでございます。 移植現場にいる多くの看護婦の感じている危惧は、これまで多くの患者は自己決定権を行使するに至っていないということでございます。情報が適切に提供されなかったり、威圧感を与えられたりしている。看護婦は、心ならずも医師のプログラムに乗せられていく患者の力になることができないことに無力感を感じているという報告がございます。つまり、インフォームド・コンセントに問題を残している現状がここにございます。 集中治療室の看護婦たちは、医師、患者それぞれの知識の量というよりも、むしろ、医師・患者関係もしくは医師・家族関係は対等になり得ないと見ております。危機状態では、患者家族に混乱が起きます。そういう状況での医師の説明は一方的になりがちでございます。したがって、形式的なコンセントがとれても、それは納得とはかなり遠いところにあるのが実態だということでございます。 それから四つ目の問題でございますが、恐らく多くの病院がそうであろうと思いますが、現在の病院組織上、倫理的問題に関するチェック機能が働きにくいという大きな問題がございます。 例えば医学部倫理委員会のあり方がいろいろな観点から問われておりますが、指摘されている問題は、ほぼ、構成メンバーの偏りと倫理委員会の非公開性、つまり医療の密室性に集約されるようでございます。 私どもが調べたデータの一部ですが、米国のメイヨー・メディカルセンター・ホスピタルの病院倫理委員会の場合には、構成メンバーが全部で十八人、病院管理者四人、ソーシャルワーカー一人、医師三人、看護婦七人、チャプレン三人の計十八人という構成になっておりまして、調査時点では麻酔医とチャプレンのお二人がチェアマンとして活動をされているという状況でございました。 それから五番目の問題、これは私がかねがね個人として感じていた問題でございますが、患者の生命の価値にかかわる重要な決定が多くの場合一人の医師によって行われている医療が今でも続いております。 その一つの例が、もう一つの資料と関係してまいりますけれども、東海大学病院事件でございます。重要な決定に、医療の現場の中で衆知を集め、多くの専門家の能力をうまく使って患者や家族の切実なニードを満たすというチーム医療が根づいていない問題が大変大きいと思います。 また、欧米のように、人間の危機状態に伴う複雑な心の問題に対応しながらケアできる看護臨床のスペシャリストがいる病院はわずかでございます。そういう意味で、ケアの体制が大変乏しいという問題が依然として残されております。 結論を申し上げます。 臨調の最終答申の中で触れられておりましたように、まず法案を通す以前に私どもが考えなければならない問題として、一つは医療に対する信頼の回復、これが最優先の課題であろうと思います。具体的には、医療における重要な意思決定が医師のみに集中しないチーム医療体制をどのように確立、整備していくかという課題に早急に取り組む必要があろうかと思います。 さらに、先ほど触れましたように、医療におきます患者の人権を守る体制、例えば病院倫理委員会の設置を義務づける、方向づけるなど、先行して検討すべき問題がございます。 それからもう一つ、治療だけが幾ら高度になりましても、ケアなくして順調な回復は難しいと思います。人間の心身の危機に伴う複雑な心の問題に対応しながらケアできる、高度の能力を持つ看護臨床スペシャリストを確保する体制を整えていくことを考えなければいけないと思います。 これらの条件整備に手をつけないまま移植医療を推進するのは大変危険が大きいというように看護職としては認識しております。したがいまして、当法案に早急に決着をつける以前に、現在の医療体制を具体的にどのように整えていくかという問題を御検討いただければありがたいというように考えます。 以上でございます。
○衛藤座長 ありがとうございました。 次に、戸嶋裕徳先生にお願いをいたします。
○戸嶋裕徳君 御指名をいただきました戸嶋裕徳でございます。 私は、昭和二十七年に医学部を卒業し、以後四十年近くにわたり心臓病の診断と治療に当たってきた循環器内科専門医の一人であります。その中でも、心筋症という疾患は、原因が不明でありまして、一部の症例は特に予後が不良であり、前途のある若い患者さんを少なからず失ってまいりました。こうした患者さんを救うためには現時点では心臓移植しかないと痛感しておりますので、本日は心臓移植推進派の立場で話をさせていただきます。 また、私は二年前に定年退職いたしましたが、現職時代には、日本循環器学会の理事として、この学会の心臓移植調査研究委員会長及び心臓移植適応検討会長でもありましたので、私個人及び日本循環器学会の考え方を三点に絞って述べさせていただきます。三点を資料一、二、三とそれぞれ分けましてお手元に配付してございますので、ごらんいただきたいと思います。 まず第一点として、日本循環器学会の心臓移植への対応について述べます。 資料一—一に要約しましたが、昭和六十三年に初めて心臓移植調査研究委員会を設置いたしまして、この年に評議員及び一般会員に対して心臓移植についてアンケート調査を実施し、資料一—二のように、大多数の回答が条件が許せば心臓移植をやってよいという結果に基づきまして、学会として本格的な取り組みにかかりました。 内科医が大多数を占める職能集団としての日本循環器学会の心臓移植における役割の一つはレシピエントの適応を誤りのないものにするということであるとの認識のもとに、平成二年には心臓移植適応検討会を組織しました。この会は、脳死臨調の最終答申後に本格的に活動を開始しまして、今日までに六十一症例を受け付けて適応を決定し、現在二十一名が待機中であります。 その他、心臓移植実施施設については、当面東西にそれぞれ一、二施設を特定すればよいとの理事会の意見を移植関係学会合同委員会の森亘委員長に報告し、さらに同委員会の中でレシピエントの選択基準を決定するなど、心臓移植の実施に当たり必要な作業を行ってまいりました。 以上、循環器学会のことを中心に申し上げてきましたが、日本心臓病学会も内科医が大多数を占める職能集団でありまして、病院勤務医などの臨床医が多い特徴があります。 この日本心臓病学会が最近まとめた心臓移植に関する調査結果が報告されましたが、資料一—四に示しますように、学会評議員百十九名の回答者中百十一名、九三%が心臓移植を「本邦でも行う必要がある。」としております。ただし、「現状のまま早く行うよう臓器移植法案を成立させるべきである。」とする者が四十一名であるのに対しまして、「条件付きである。問題を十分審議し、慎重にすべきである。」とする者が六十六名と過半数を超えておることは注目すべきであろうと思います。 これに関連いたしまして、第二点の問題点に移らせていただきます。 臓器移植法案の審議が難航している原因の一つには、原案において、ドナー本人の意思が不明な場合、遺族が本人の生前の意思をそんたくして判断するということがあると伺っています。私は、かねてから、日本において心臓移植を可能にするためには、アメリカにおける初期の心臓移植の実施に貢献したと思われるドナーカードが不可欠であると考えておりました。 それは、患者さんの死後の剖検の経験からであります。治療に力を尽くした患者さんが不幸にして亡くなられたときに、その原因を解明するために剖検を看護に当たられた身近な家族にお願いしたときに、多くの場合、剖検の意義と必要性を理解していただいてお許しがいただけます。しかし、その後に駆けつけてきたいわゆる遠い親戚の長老方が剖検の話を聞いて、何でそんなむごいことをという一言で、せっかくいただいた剖検のお許しがだめになることをしばしば経験してきたからであります。いわんや、見えない死とも呼ばれる脳死の状態で、身近な家族が心臓の提供を承諾したとしても、本人の意思が明確にされない限り、遺族のすべての方々の御承諾は得がたいであろうと考えていたからであります。 このため、私は、資料二—一にありますように、十年前のことですが、ドナーカードの必要性を述べるともに、我々医療関係者が率先してドナーカードにサインしてその意思を明確に表示しようということを、「心臓」という医学専門誌に「隗より始めよ」と題する巻頭言として述べました。 さらに、平成四年に開催されました日本循環器学会総会で、現在理事長であられる杉本恒明会長は、資料二—二のようなドナーカードを会員に配付いたしまして、その所持を呼びかけられました。 脳死となったら臓器を提供してよいとする若い人々が多いことも、資料二—三のように、昭和六十三年の調査で学会員の六一%、医学部学生の五七%が、さらに最近、藤村らが行った大学生の調査では日本でも外国の学生と同じく七〇%を超えることからも知られていました。 こうしたことが伏線となりまして、本年四月九日の新聞に資料二—四のような意見広告を出すことになりました。これは、その当時、臓器移植法案は廃案という考えがあることに強い危機感を持ちまして、それまでは積極的な発言を控えてきた日本循環器学会と日本心臓病学会の内科系評議員が、心臓移植の扉を開くために最も重要な手段としての「意思表示カード」一千万枚を普及させることを訴えるとともに、臓器移植法案の早期成立を要望したものであります。 このカードは、資料二—五のように、日本心臓財団助成研究「意思表示カード配布の意義と効果に関する研究」としての募金をもとに作成されたものでございますが、これを昨日公表した次第でございます。 この「意思表示カード」には、脳死後及び心停止後の臓器提供の意思を表示するだけでなく、臓器提供をしないという意思も明確に表示できるようにしたのが大きな特徴となっておりまして、国民各位に抵抗なく配布でき、その意思を表示して所持していただきたいと考えております。 今回提出されました修正案は、私どもが主張してきたドナー本人の書面による意思表示に限定したものでありまして、高く評価できると考えております。 ただし、この修正によって脳死後の臓器提供に同意したドナーが実際に出現するのにはかなり時間がかかることが予想されまして、非常に厳しいものと言えます。しかし、急がば回れのことわざのように、時間をかけて意思表示カードの普及に努力するしか道はないものと考えております。 最後に、第三点の脳死の問題について述べます。 資料三に示しましたように、平成三年に実施した日本循環器学会評議員に対するアンケート再調査結果でも、評議員の七六%は「脳死は個体の死である」と認めております。しかし、体が温かく、皮膚がバラ色で、心臓も拍動している状態が死体であるとは認められないという方も少数おられます。しかし、私は、いわゆる三徴候説こそ個体の死であって脳死は死とは認められないというのは、医学的、理性的判断ではなく感情的な判断であると考えております。 これに対しまして、反対派の方は、何千年の人類の歴史を通して祖先がみんな納得できる条件で死を受け入れてきたし、これは日本の文化論であると主張されております。確かに、従来の日本人の宗教観や人生観からいえば、脳死を死として受け入れないというのは古来の日本文化と言えるかもしれません。 しかし、ここで考えていただきたいのは、文化というものは文明あるいは科学技術の進歩とともに変わってもよいのではないか、いつまでも古い伝統とその文化に固執しなくてもよいのではないかということであります。脳死を死と認め、脳死となったらみずからの臓器を移植でしか助からない患者さんに提供してよいとする考え方は、現在の人類がつくり上げた新しい文化と言えるのではないのでしょうか。 そこで、お願いしたいのは、脳死を個体の死と認め、脳死後にその臓器を提供しようとするボランティア精神の極致ともいうべき考え方を、新しい日本の文化として認めていただきたいということであります。 日本でも移植を待ち望んでいる患者さんのために心臓移植が実施できるよう早期の法制化をお願い申し上げまして、私の発言を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○衛藤座長 ありがとうございました。 次に、松本文六先生にお願いをいたします。
○松本文六君 御指名いただきました松本でございます。 私は、一般医、内科医として二十五年間、臨床の場に携わっております。一介の医者として、また一人の民間人として、この法案に関する私の考え方を述べさせていただきたいと思います。 私の基本的な立場は、この法案は即刻廃案にすべきであるという立場でございます。その立場から私の意見を述べさせていただきます。 まず、この法案には三つの問題点があります。一つは、脳死を人の死としていることです。二つ目には、脳死状態の判定基準があいまいで、しかも厚生省令で定めることにしていることです。三つ目は、臓器の提供を家族のそんたくでも是としていることです。修正案が出ましたけれども、この修正案は国会が会期を過ぎましたので、これがそのまま残っているようでございます。この三つの点について私の批判的な意見を述べさせていただきます。 まず第一番目の、脳死を人の死としていることについては、私は人の死ではないというふうに思います。 人の死は、少なくとも最も愛する人が冷静にイエスと肯定できなければならないと思います。これはいわゆる二人称の死と言われるもので、心を痛める死ですね。第三者である医師の独断や法律で決定できるものではありません。ところが、移植医が脳死状態と判定して臓器を摘出するという段階では、これは心を全く痛めない死であります。これは三人称の死というふうに表現されております。 それから、脳死状態で出産したという例が世界各国で認められております。この事実をもってしても、脳死を人の死とすることには反対であります。 しかも、脳死関連学会においても、脳死は人の死であるという結論はまだ得られておりません。 次に、脳死状態の定義があいまいであってはならないということです。 脳死状態というのは、現実に臨床の場ではございます。私も医者ですから何度か立ち会いました。私の父も脳死状態になりまして、私自身の手で呼吸器のスイッチを切ったこともあります。したがって、臨床的概念として脳死状態があるということは私は理解しております。 しかし、脳死の定義は世界各国ですべて違うわけですね。他方、三徴候による死の判定というのは世界各国共通であります。これが脳死判定基準とは決定的な差があるということを確認する必要があります。 それから、人の死を厚生省令で簡単に変更できるということは、国民の生命と人権に対する冒涜行為であるというふうに思います。 最近、日本大学板橋病院の林成之助教授らは、低体温療法によって脳死状態にある患者を生還させ、日常生活に復帰させております。この具体的な事実より考えますと、法案を成立させること自身がアナクロニズム、時代錯誤的な発想だろうと思います。 お手元に配りました資料の六枚目の、ポイント・オブ・ノーリターンというこれまで言っている概念が最近ではゾーン・オブ・ノーリターン、蘇生限界点から蘇生限界域というふうに変わってきているということを確認しておく必要があるのじゃないかと思います。また、脳死判定基準に基づけば、人の死の時刻を医師の判断で適当に変えられるということがございます。これは人の死と呼ぶべきではないのじゃないかと思っております。 次に、脳死移植を容易にするために臓器提供を家族のそんたくで認めることは、密室での殺人に近い医療を公然と認めることと同質と思います。 一九九〇年の阪大事件、一九九三年の千里救命救急センター事件、同じく関西医大事件は、いずれも早過ぎる脳死判定と早過ぎる臓器摘出処置の施行を現実に行っております。現在、裁判になっております。私の考えでは、いずれも殺人に近い臓器摘出であったと考えております。ここでは、臓器提供者の生命と人権は完全に無視されております。 一九八四年、筑波大学で膵腎同時移植が行われましたが、このときの臓器提供者は精神障害者でした。家族のそんたくで障害者の生命と人権が軽んじられたいい例だろうと思います。この法案を一番心配されているのは障害者の団体だろうと思います。最も弱い立場にある人々が本能的に心配されている法案については、そのような人々の不安を完全に払拭するものでなければならないと私は思います。 一九六八年の和田心臓移植は生体解剖に近い臓器摘出でしたが、これについての総括的な論議は日本の学会では一切行われておりません。推進派の戸嶋先生は、一九八九年の福岡での脳死移植に関する公開討論会において、和田移植の問題は和田個人の問題であって、循環器学会あるいは心臓病学会とは関係ないと申されました。果たしてそうでしょうか。医療界全体の問題であると思うわけですね。そしてまた、日本の知識人が根本から考え直さなければいけない大事な問題だろうと思います。 そこで、私の脳死臓器移植法案に対する意見をまとめたいと思います。 まず、即刻廃案にすべきであると思います。 この法案は、人体を物として扱うことを大前提としているということですね。その行き着くところは人体の医療資源化であると思います。人体を資源として再利用するような考え方に私はくみするわけにはまいりません。したがって、私は他人より臓器をもらわないし、上げる気もありません。もちろん、私の年齢で上げるのは大体だめなんですね。心臓なんかだったら、せいぜい四十六歳ぐらいまでじゃないと移植の成功率は低いということになるそうです。 なぜそういうことを考えるかといいますと、やはり日本の文化を世界にぬきんでたすぐれたものにしたいということです。 まず第一に、人の死は、社会的、文化的、歴史的な範疇で決められるべきであって、法で決められるべきではないと思います。 第二に、脳死状態にある妊婦から出産されているという事実が世界各国において認められています。死体から子供が出産しているということはあり得ないことなわけですね。そういう意味では、脳死は人の死ではありません。 第三に、いわゆる移植先進国では、臓器不足のため他人の死を期待しながら亡くなっている人々が結構います。アメリカではいろいろな臓器に関して待機者が半分はいると言われております。具体的な数字は後ろの方の私の資料に書いております。他人の死を期待してみずからが生き残るための技術を公然と法で定めることは、日本の文化、世界の文化をナチスの優生思想の時代に引き戻すべきであると主張しているに等しいと思います。 第四に、今、地球規模において公然と臓器が売買され、人体の医療資源化が進んでいます。移植のための便宜的な死の概念、脳死概念の導入でこういうことが促進されていったわけです。そのような文化を私たちは認めるべきではないと思います。私たちの体のそれぞれに価格がつき、売買されることを許していいのでしょうか。 アメリカのアンドルー・キンブレル氏は、一九九三年に「ザ・ヒューマンボディー・ショップ」という本を出しまして、その中で、アメリカの臓器の値段も含めて報告しています。例えば、珍しい血液型の持ち主は、アメリカの薬品会社に百cc当たり何と六千ドルで売血できるわけですね。国際的な臓器売買が公然と行われる中で、腎臓は現在十ないし四十万円だそうです。アメリカではブローカーが胎児の臓器を売りさばいて年収一億円近く稼ぎ出しているという話がございます。こういうような臓器売買は、行き着くところはカニバリズム、人肉食だろうと私は思っております。カニバリズムへの道は断固拒否すべきだろうと思います。 第五に、外国で脳死臓器移植が見直されつつあるという現実において、なぜ急いでこれを通そうとするのか。これは時代錯誤に等しいと私は思います。いま一度、医療とは何かを考え直し、日本が人の命と人権を大事にする国であるという国際的な評価がなされるようにしてほしいものであります。医師の法案反対の緊急声明を資料として参考までに載せております。 今後の審議に私が期待したいと思うのは、この法案がもし成立すれば、日本の文化全体に与える悪影響は物すごいものがあると思います。十分な情報開示と公開論議を前提にして、文化論の立場から慎重審議の上、廃案にしてほしいと思います。 厚生委員会の皆様方の御判断いかんによっては、二十一世紀の日本の文化が世界に冠たるものになるのか、あるいは関東軍防疫給水部七三一部隊のおぞましい大量殺りく細菌兵器製造の思想を呼び戻すことになるのかを決定づけます。 御承知のように、七三一部隊の隊長であった石井四郎中将は、HIVで多数の死者と大量のHIV感染被害者を生み出したミドリ十字の初代社長でした。ナチス医学はドイツ医師会の手によって総括され、臨床研究、人体実験に従事する医師のための勧告、ヘルシンキ宣言という形で結実されています。ヘルシンキ宣言は、資料の中にとじております。臓器の摘出や移植は明らかに人体実験であり、医学界の密室で展開されております。和田移植や、先ほど申し上げました阪大、関西医大、千里救命救急センターなどの移植事件はまさしく人体実験であり、それを正しく総括できない日本の医療界、そして、七三一部隊で生体実験をし続けてきた医師たちが日本の医療界のボスとして存在し続けていた、こういう事実を踏まえますと、この法案の行き着く先は大変怖いものであると私は思います。 どうか、日本の歴史、そして世界の歴史にすぐれた爪跡を残すためにも、廃案という形の厚生委員会の先生方の御裁断をしていただきたいと思います。 以上で私の意見発表を終わらせていただきます。
○衛藤座長 ありがとうございました。 次に、池永満先生にお願いをいたします。
○池永満君 弁護士の池永です。 私は、この福岡で二十年ほど弁護士をしております。私の主な活動分野は、医療問題における患者の権利をどう確立するかということで、お手元に九州・山口医療問題研究会の封筒で資料を配付させていただいていますが、九州、山口の弁護士百六十五名、医師を含む医療関係者三十五名、合わせて二百名が、日常的な医療の中で医療事故紛争を究明し、安全な医療と患者の権利を確立するために活動してきた団体です。私ども研究会としては、これまで千五百件ほどの医療事故相談を引き受けて調査をしてきておりますが、そういう経験に基づいて、臓器移植法案に対する見解を既に一年前に厚生大臣や厚生委員会の議員の先生方に配付させていただいていますので、きょうの資料としております。 したがいまして、私は、臓器移植法案全体についての意見を表明するというよりも、むしろ、今回参考資料としていただきました、この間厚生委員会が行われました公聴会などでまだ議論を深める必要があるだろうと思われる部分に限って、きょう意見を述べさせていただこうと思っております。 なお、個人的には、私は、臓器移植を望む患者の方々が参加している難病団体等も加わってつくっております全国組織、患者の権利法をつくる会の事務局長をしております。 私が今回いただきました資料を見まして、特に臓器移植法案の提案理由にも書かれていますが、脳死体からの臓器移植は日常的な医療として欧米諸国では完全に定着している、こういうことを言われる方が非常に多いわけです。それについての評価はきょうは触れませんけれども、欧米諸国の医療で非常に多く行われておりながら日本の医療界では行われていないということは、実は臓器移植だけではございません。 お手元の資料で配付しましたが、昨年、世界医師会総会が患者の権利に関するリスボン宣言というのを改訂をしました。これは、自己決定権を中心とした、医療においてすべての医師が守るべき患者の権利ということで宣言されていますが、日本医師会はこれには賛成されなかったと聞いております。 この世界医師会総会の患者の権利の宣言は、実は一昨年にWHOのヨーロッパ会議で確認されたヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言、これはヨーロッパ三十六カ国の共通の体系ということで確認されているのですけれども、これに基づいてなされたものです。お読みいただければと思いまして配付させていただいています。 ここには、すべての医療行為が事前の患者のインフォームド・コンセントによって行われなければいけないということが申し述べられておりまして、臨床試験のみならず、すべての医療が患者のインフォームド・コンセントに基づくのだということが今やWHOのすべての国で確認されているにもかかわらず、日本ではまだなされていないわけです。 なされていないだけでなくて、例えばつい先日の医療法の改正でインフォームド・コンセントを導入することについての議論がなされた際に、結局はそれができないということで、単に「医療の担い手は、」患者に「適切な説明を行い、」「理解を得るよう努める」という、今回の臓器移植法案の第四条でしょうか、それと同じ文言で終わっているわけですけれども、これについて、審議会の浅田会長はこういうふうに言っています。医師会の抵抗がある中でここまで踏み込ませてもらったと。つまり、日本の医師会、医療界は、患者の権利に対して消極的だというだけでなくて、この確立に反対をしている立場に今あるのだということでございます。これは、ただ立場として患者の自己決定権に反対しているのではなくて、現実に患者の自己決定権を侵害しているという事実があることを指摘せざるを得ません。 九〇年代に入りまして、我が国の裁判所でもその医療行為が患者の自己決定権を侵害しているということを判断し、損害賠償を命じた事件が次々と起こっております。そこで対象になっているのは、東京大学病院、新潟大学病院あるいは国立病院という、今回の移植医療にかかわるだろう非常に基幹的な病院がすべて、治療に当たってその危険性について十分な説明をせずにそういう結果をもたらしたということで裁判所から非難されているわけです。この落差というのは非常に大きいと思うのです。 世界医師会総会の宣言はこういうふうに書いています。 保健医療提供にかかわる医師その他の個人もしくは団体は、これらの権利を認容し支持すべき共通の責任を負っている。医師は、立法、政府の行動あるいはその他の行政機関や組織が患者に対してこれらの権利を否定する場合にはいつでも、これらの権利を保障し、もしくは回復するために、適切な手段を講じなければならない 世界の医師がこういう立場で患者の権利を擁護しようとしているときに、日本の医師、医療界がむしろこれに敵対といいますか抵抗しているのを、私たちはどう理解すればいいのでしょうか。 移植医療は、患者、つまりドナーもレシピエントも含む患者の自己決定権を大前提としたものだと思います。この患者の自己決定権をどう尊重し、あるいは法律的にも価値を付与していくのか。もちろん、自己決定を前提にするには二つの理由があると思います。 一つは、そもそも考えても、自分自身の臓器を他人に提供する、あるいはまた他人からの臓器を受け入れる、こういうこと自体がだれからも強制されるべきものではない、自分自身の判断でやることだということ、これは個人の尊厳に基づくものだと思います。 もう一つ重要なことは、現時点においては、脳死臓器移植はドナーのみならずレシピエントにおいても、命をかけた、後戻りのきかない実験であるということだと思います。 したがって、欧米諸国においても、そういうことを当然の前提とした手続が進められているわけです。我が国で臓器移植を今から行おうとする場合は、現在において、臓器移植が命をかけた、後戻りのきかない実験なんだ、将来の人類のために役に立つかもわからないし、立たないかもしれないけれども、とにかくそういう実験であるということを隠さずに議論を進めていかなければならないと思います。 そういう点において、ドナーについては相当議論が進められていますので、私は一言だけ触れたいと思います。 東海大安楽死事件の判決が確定いたしました。ここでは、いわゆる患者の自己決定権について、患者には死ぬ権利があることは否定しまして、死ぬ権利はないけれども、死に方の選択の仕方として、患者の意思が尊重される条件といいますか、非常に厳しい客観条件を設定しつつも、患者の最後の死に方についての意思を認めるという安楽死を容認する判決になっております。 したがいまして、客観的な脳死状態が訪れて不可逆的に死に向かう、そういうときに、自分の臓器を臓器移植医療といいますかあるいは実験的な医療に提供してみたい、こういう意思をどう評価するのかということは立法政策としては当然できるわけで、何もそれをもう死んだものだとみなさなければいけないという筋合いではないと考えております。 きょう私が主に発言したいことは、レシピエントにおける自己決定権の尊重の重要性です。言うまでもなく、実験的なものであるということについてはこの間いろいろ議論されていますが、臓器移植についての評価というのは非常に難しいと思います。 例えば、全世界で万能にされた治療法として輸血があります。輸血はもう万能。ところが、今日ほど輸血が極めて危険であることが明確になってきている時代はないと思います。以前は、信仰上の自由ということでエホバの証人の輸血拒否はナンセンスだということが言われていましたが、今日の医学は、まさにいかにして輸血を避けるかということが言われているわけです。これは、HIVもそうですし、HCVもそうです。こういう輸血によるウイルス感染だけじゃなくて、最近はBVHDというのですか、非常に難しいのですが、輸血された血液にある白血球が輸血を受けた人の組織を攻撃する、致死率が非常に高い病気が発見されてきています。私たちが理解し得ている人間の仕組みというのは非常にわずかだと思わざるを得ません。 つまり、これからの移植医療のあり方というのはそういう非常に実験性が強いものでありますし、同時に、欧米諸国で臓器不足が非常に言われているわけですが、例えば救急医療が実現する場合に、ドイツなどでは、交通事故の数は減っていませんけれども、交通事故死は激減しています。ドナーはますます減少するでしょう。そういうふうないわゆるシステムとしての医療としての展望ということを考えたときに、レシピエントになることは極めて重大な決断だと思います。ところが、レシピエントになる自己決定は非常に困難です。あなたは移植しか助からない、こういう宣告をされるわけです。そこに選択の余地があるでしょうか。 だからこそ、レシピエントの自己決定を擁護するために、諸外国では、当然のことながら、患者は事前にカルテだとか情報を全部得てセカンドオピニオンを得る、あるいは公的な判定機関による判定を得る、こういう機会が保障されているのですが、日本で今用意されているシステムの中で果たしてそういうものがあるのでしょうか。レシピエントの立場というのは非常に危険だということは、HIVのこと、今厚生委員会の先生方が解明されていることで生々しく明らかだと思います。その当時とった血友病の専門医の態度がどうであったのか。あなたは加熱製剤を打ち続けなければ命がないよ、そして打ち続けられたわけです。そのとき既にいろいろな危険なデータが出始めていたけれども、それは研究のデータとしてしか利用されなかったということであります。 私は、そういう点でのレシピエントにおけるインフォームド・コンセントの重要性について非常に関心がありまして、今回いただきました学会の合同委員会のインフォームド・コンセントの文章を見て愕然といたしました。インフォームド・コンセントというのは国際的な定義があるのですが、学会の方たちは、国連総会もやったインフォームド・コンセントの定義をほとんど用いておられない。むしろ文章の中では、揚げ足をとるのではありませんが、インフォームド・コンセントの主語が医師になっているところすらあるわけです。インフォームド・コンセントの主語はもちろん患者以外の何物でもないわけですけれども、こういう中で、レシピエントの自己決定権が本当に侵害されないのだろうかということを非常に危惧しております。 私は、もう時間がありませんので結論的に意見を述べたいと思いますが、欧米諸国でもどこでも今やっている、WHOもやっているこういう医療における患者の自己決定権あるいはカルテの開示、そういうふうなシステムをまず医療法の改正や患者の権利法制定ということで実現して、日本医療の中で確実なものにしていくべきだ、それがまず大前提ではないか。もしどうしてもそれができない、やはりまだ早く移植医療をやりたいというのであれば、これは臓器移植法案に、そういうことができていない日本の実情を踏まえて抜本的に患者の権利が侵害されないような手続規定、客観的な条件を法定すべきではないだろうかということを考えておりまして、そういう点での臓器移植法案の抜本的修正はぜひお願いしたいし、その点では、前回出されました修正案で家族のそんたくという部分を排除した、要するに臓器提供というのは個人の意思にかかわるものだということを明確にしたという点では一歩国民の声を反映したものであるけれども、それだけでは十分なものとは言えないのではないかというふうに考えております。 とりあえず、そういうことで最初の意見陳述を終わりたいと思います。
○衛藤座長 どうもありがとうございました。 次に、久米富之先生にお願いをいたします。
○久米富之君 ただいま御指名をいただきました久米富之でございます。 本日の公聴会で、病魔と闘い、迫りくる死の恐怖の前におびえながら、ひたすら肝臓移植ができる日を待っている子供たちがいる胆道閉鎖症の子供を守る会を代表して、このような機会をいただきまして、関係の皆様に深く感謝いたします。 今もこの地元で、死を前にしておる子供がいます。 私は五十九歳、妻は四十五歳、二人は三歳のときに発熱し、病院の診断で小児麻痺で、身体障害者でございます。当時は、現在のように福祉医療はなく、偏見で健常者優位の社会の中で、親の心配りが大変苦労だったことをよく耳にしました。私は、私の家族六人の生活が苦しい時代で、兄妹げんかの中でお互いに相手を思いやれる人間に育っていけるように、また、病気や障害を世間に対して恥ずることのないよう誇りを持って生きていけるように、親としての一番の苦労話をよく聞かされました。 子供は、たとえ自分の病気や障害が治らないものであったとしても、そういう現実を子供なりに受けとめています。自分自身に愛着が持てるようになるのは、自分が両親や周りの人たちに愛されていると実感できたときではないでしょうか。親が、障害児だから将来自立した生活を送れるように、一生懸命にほかの兄妹以上に育ててくれたことにいつも感謝の気持ちを持っています。 私は、社会生活を営んでいけるように努力もいたしました。その中で、障害者の妻と結婚いたしました。ともに生きていくことの喜びと口にあらわせないような大きな夢もありました。子供が、五体満足で元気な赤ちゃんが生まれてくるのを願いながら、毎日楽しい生活でした。 一九八一年二月九日、何と五体満足な女の子の双子が生まれました。ところが、喜びもつかの間に、一万人に一人の難病と言われる胆道閉鎖症の疑いで次女が福岡市立こども病院に入院、検査が始まりました。主治医より、すぐ手術をしないと助かりません、してもわかりません。そのとき、二カ月二十日でした。次から次へと不安と心配やらが押し寄せて冷静さを失い、楽しかるべき我が子の誕生が一転して、私ども夫婦は苦難の人生への第一歩となりました。 一九八一年四月二十日に葛西手術を受け、入退院を繰り返しながら、三歳で腸瘻閉鎖手術を受け、主治医より、今後悪くなっても再手術はできませんと言われたときはびっくりしました。なぜならば、手術をしたところの癒着がひどいので再度開けません。主治医に子供の命はと尋ねたら、十四、五歳ぐらいまでは大丈夫だろうと言われ、夫婦はショックを受けました。当時はまだ移植の話も出ていませんでした。主治医は、子供が十四、五歳になるころには日本で移植も受けられるようになっているだろう、生活に注意しながら過ごせばと話されました。 私は、移植のできる日を待っていました。私たち家族は、あすへの命を求めて胆道閉鎖症の子供を守る会に入会し、会員の皆様と励まし合いながら、市民の皆様へ子供たちの病気を理解してもらう運動を始めました。 そのころ、国内での移植を待ち切れず次から次へと亡くなり、無念さが募り、また中には、若い夫婦が一生懸命頑張って育てているのに、こんな子は生きていてもしようがないなどと赤ちゃんの将来を否定的にとらえて夫婦の足を引っ張ってしまうおじいちゃんやおばあちゃんもおられました。難病と名のついただけで身内から母親のせいだなどと言われ、夜中に病気の子供を抱え家を飛び出し、離婚の話もありました。 我が家では、早く日本で脳死移植ができる日を待ち望んでいました。 ところが、胆道閉鎖症の子供を抱える家族に希望を与えてくださった勇気ある先生があらわれました。それは、一九八九年十一月十三日、島根医大で日本初めての生体肝移植を支持され、惜しくも一号患児は亡くなられましたが、雲の上から私たちに光を与えてくださっていると思います。 それ以来、現在まで四百例に達しようとしています。健康体にメスを入れる倫理的問題、提供者の安全性、また家族に与える心理的圧迫など、いろいろな問題を抱えております。 我が子を助けたい一心で親の肝臓を与えた後、私は、親の側はどうなのかと数名の提供者から実際に話を聞きました。ある父親は、肝臓を与えた子供が大きくなるにつれて親の寿命が縮まるような気がして怖い。また別の人は、朝、無事に目が覚めるだろうかと心配し、体調が少しでも崩れただけでもうだめかもしれないと不安の毎日を生きている。ほかにも、目がかすむ、車に乗るのが怖い。しかし、あのときに子供の命がとまると思い、助けたいので必死だったとはいえ、両親の犠牲は余りにも大き過ぎると私は思います。 また、日本での脳死移植のできない現状においては、緊急処置としての治療手段と考えればよいのでしょうか。肝臓移植以外助かる道のない胆道閉鎖症の患児は現実に多数おります。苦しんでいる子供が心配で、夜も寝ずに親は看病している。その親の身を裂くことでしか解決できないことに、私は憤りを感じています。 私の子供は、保育園、小学校と、長女と元気な日々を送っていました。小学校五年生のときに、一九九二年三月、恐れていた感染症を起こし、肝不全に陥ったのです。主治医より、もう肝臓移植しか助かる道はありませんと宣告を受け、私は、報道関係の皆さんにお願いしまして、全国の皆さんへドナーの提供を呼びかけました。どうしても娘に肝臓移植を受けさせて学校を卒業させてやりたい、全国の皆様助けてくださいと訴えたときに、驚くほど多くの人から、私の肝臓を上げますという申し出をいただき、本当にうれしかったです。感激いたしました。 しかし、生体肝移植は親と子供の関係だけです。これほど多くの協力者がおられるのだから、日本で臓器移植を早期に実施してください。お願いします。移植でしか助からない患者家族は、祈る思いで国会の移植法案成立を待っています。 一九九二年、大学病院で、肝臓移植を待つ患者家族の会を発足し、市民の皆さんへ、移植の推進に御協力をの運動もいたしました。また、街頭でビラ配りもしました。皆様、ビラを受け取り、捨てられないで持って帰られる人が多かったです。積極的でいる人が多いのにほっとしました。三十歳ぐらいの男性の方が、おれが死んだら何でも上げたいけど、どこに言っとったらいいとね。私は、町に出て運動して、移植に反対される人の数は少ないように思います。 日本の医者は、世界から見てもすごく腕の評価が高いのです。御存じでしょうか。日本ではいろいろ贈り物は派手だけれども、大切な命の贈り物はないのかねと外国の先生は言われました。患者を助けてください。 子供が移植宣告を受けた病院には、ほかにも四人の移植待機者がベッドの上に横たわっておられました。お互いに励まし合いながら善意のドナー提供を待ち焦がれ、一人亡くなり二人亡くなり、幸運にも一九九三年十月二十二日、心臓停止後に肝臓の提供をいただき、残念ながら手術後七十三日で亡くなられた人がいましたが、本人は喜んで天国へ行ったと思います。移植を受ける前日まで、元気になって家に帰りたい、帰りたい、四つ足からでもいいから移植してくださいと主治医にすがりついてお願いされているところを私は見ました。移植をしないと二度と家には帰れなかったのです。患者の叫びに、私は移植推進運動にさらに力が入りました。 そんな中、子供の肝臓は悪くなる一方。国が法制化を言い出されてから、年間四万人余りの患者が死亡されています。子供が移植の宣告を受けて三年目に病状がまた悪化。一九九四年七月、主治医より、長女から次女へ生体肝移植はどうか。親として長女にも言えませんでした。それとも、海外へ移植を受けに行くのか。また、親は障害者で高年齢で、子供は助からない、子供の命に時間がない、親として何もしてあげられない惨めさ。海外に行くのにも数千万円の金。長女にお願いしても、十三歳でございますし、倫理委員会にも通らない。日本で移植を待っていてもまだまだできそうにもない。 悩んでいますところに、地域の皆さんの温かい御協力で子供を守る会が結成され、子供を海外へと募金活動をしていただきました。全国から寄せられて、一九九四年九月にオーストラリアへ行くことができました。オーストラリアでドナー提供を七カ月待ち、一九九五年四月十八日、脳死肝移植手術を受けました。 それから子供は明るくなり、大きな未来への可能性が生まれ、変わってきました。障害者と難病を持つ娘と元気な娘と生きてきて、家族ではよく話します、障害者や病気を持つ人がいない健康な人間だけの社会で、冷酷で思いやりも優しさもない寒々とした社会に本当にならないように。 修正案について、本人の書面による意思表示に限定する修正は非常に厳しいものでありますが、移植医療への道を開き、一歩でも前進することは必要であります。修正案は評価されるべきものであります。 終わりに、現在、九州大学病院で名古屋から胆道閉鎖症患者、二十一歳の女性が移植宣告を受けて肝臓提供を待っています。時間がないのです。早く法案を通してください。 本当に外国の人に笑われないように、我が国においても脳死体からの移植の道が開かれ、肝臓移植等が可能になることを切に、切に希望します。本当にお願いいたします。子供たちは待っています。 終わります。
○衛藤座長 ありがとうございました。 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○衛藤座長 これより委員からの質疑を行います。 質疑につきましては、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は三分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願いいたします。これは、二回、三回でも結構でございますが、一回の発言時間が三分以内ということでございますので、御協力をお願いいたします。 なお、質疑のある委員は、挙手の上、座長の許可を得て発言するようお願いいたします。また、発言の際は、所属会派及び氏名をあらかじめお告げいただきたいと存じます。 それでは、質疑のある委員は挙手をお願いいたします。
○横光委員 社会民主党の横光克彦でございます。 きょうは、意見陳述者の皆様方、それぞれの立場からの貴重な御意見をまことにありがとうございました。今、皆様方のお話を聞いておりまして、本当に難しい法案だなと改めて認識し直したところでございます。 国会に提出されてから二年二カ月たって、まだ公聴会、参考人一回ずつ、そして国会での質疑が一回、このような状態であるわけでございます。 今、久米さんのお話にございましたように、あすをも知れない患者、移植でしか助かる道のない患者さんが現実にいらっしゃるわけですね。そしてまた片一方では、不幸にも事故等により脳死になられて、そして脳死という形で亡くなっていく方たちがおる。要するに、この間の谷間をどうするかということで、今回、いわゆる橋をかけよう、そういった意味での法案ではないかと私は受け取っているわけです。しかし、この橋について、今お話を聞いていれば、それぞれの立場の御意見があった。 この橋が必要ないのが本当は一番いい。必要ないということは、移植しなくても助かるという道、それは医学の驚異的な進歩、また研究開発による究極的な人工臓器であろうと思うのです。これは心臓にしても肝臓にしても、不可能かもしれないけれども人工臓器、この時代が来れば、あすをも知れない人たちも助かるわけで、移植法案なんて必要ないわけですね。でも、それがまだ現実的に定かではないわけです。そのときに、ではどうしようかということで、長い論議の末、国会に法案が提出された、そしてこうして審議が一応始まっている。 そこで、私は松本先生にお伺いしたいのです。 今回、修正案は、結局本人の意思だけ、それが書面で示された場合というふうに非常に限定修正されたわけですね。先生は脳死そのものを頭から否定されている。ですから臓器のところまではもちろん御反対されているのでしょうけれども、最近の、例えばことしの一月十日の読売新聞の世論調査では、脳死を人の死として判定してよいかどうかで、「死と判定してもよい」「どちらかといえば死と判定してもよい」という容認派が五四%、国民の過半数が脳死を容認していい、そして「どちらともいえない」が二三%、「どちらかといえば死と判定すべきではない」「死と判定すべきではない」という人が一九%という結果も出ているのですね。そういったように、徐々に国民の中で脳死というものが人の死という意識が広がりつつある現状であるわけでございます。 そういった中で、これはすべては善意である、与えたくない人は与えなくていいわけですので、そこの選択肢を与える法案をつくろうじゃないかということで論議しているわけですが、この修正されたところでも、先生はやはりお考えはなかなかお変わりになりませんか。
○松本文六君 現在、世界各国でやられている中で臓器不足が確実に起こっているわけですね。そうすると、このままいけば優先順位というのは当然決まってくるわけです。大政治家と貧乏人の二人のどちらにやるかという問題が生じたときにどうなるのかという問題を私は逆に投げ返したいと思います。 それからもう一つ、修正案で本人同意ということについては、それだけをとること自身については前進したというふうに私は評価しております。しかしながら、眼球と腎臓はなお家族のそんたくでいい、従来どおりとする特例条項が修正案に入っています。これだけ移植の問題が問題になっているときに、なぜそれを家族のそんたくじゃなくて本人同意というところまで踏み込まなかったのかというのが少し疑問があります。 それからもう一つは、脳死を人の死として認めるかどうかということについては、お手元にお配りしました私の文章の中に書いています。 「”脳死”を前提とした「臓器移植法案」に反対します」という文章の真ん中より後ろの方ですが、九一年、東京女子医科大学救命救急センターと共同通信社が共同で、一般人千五百名と脳死患者家族九十八名に対してアンケート調査をしています。脳死を人の死と認めてよいかどうかということについて、脳死患者の家族の方が脳死を経験する前後で意識がどう変わったかということを見ますと、脳死を経験した後に、これはやはり人の死ではないと意見が変わった人が結構多くいるのですね。 たしか去年かおととしか、大臣の家族の方が脳死状態に陥って自分の考え方が変わったということが新聞に載っておりましたが、ある代議士の秘書の方も、代議士自身は脳死は人の死だと言っていたそうですが、その秘書のお父さんが脳死状態になって私はがらっと意見が変わりましたということを言われています。 核家族になって人の死と直面する場面が非常に少なくなった、そういう環境の中で人の死の重みというのを考えるチャンスが逆にない、だから頭の中で脳死を考えているケースが多いのじゃないか。したがって、実感を伴うのと頭の中だけの認識というのは随分違うというのがこの東京女子医科大学と共同通信社のアンケートの結果だろうと思います。 そういうようなことも含めて、私は脳死の判定基準自身が科学的なものであるとすれば世界共通のものであるべきだという考えがありますし、なぜ脳死状態の妊婦から子供が生まれるのか、この説明はだれもまだしてくれないのですね。脳死を人の死とする、死体から子供が生まれるということについてちゃんと話してくれておりません。 よろしいですか。
○山本(孝)委員 新進党の山本孝史でございます。 九大で行われました肝移植について、戸嶋先生と池永先生と加来先生にお伺いをしたいと思います。 このケース、ドナー、レシピエントともに意思の確認についてかなり問題があったのではないかということが後になって言われているわけですけれども、まず戸嶋先生、この九大肝移植のドナー及びレシピエントの意思確認についてどういうふうな判断をしておられますか。 加来先生、救急医療現場という中で、このケースは、救命救急のために大量の昇圧剤を使用する、こういうふうな形になってくると実際のところ肝臓に極めて大きいダメージが起こる、そうすると、救急医療と、新鮮なといいますか最適な臓器移植のための臓器の摘出というものは裏腹の関係にあるのではないか、ここを救急医療現場でどういうふうに受けとめておられるのか。 池永先生、この九大の肝移植について人権救済の申し立てがなされているというふうに聞いておりますけれども、それはどういう点でそういう救済申し立てがなされておって、それは弁護士の立場として適切なものというふうにお受けとめになっているのか。 どうぞよろしくお願いをいたします。
○戸嶋裕徳君 私は、九大の肝移植のことは余り詳しいことは存じません。 一般論として申し上げますと、ドナーの意思確認は、先ほど来申し上げていますように、「意思表示カード」があって確認できるものと考えております。 それから、レシピエントに関しましては、私ども、心臓移植の適応に関しては内科医が決めることにしております。外科医には適応申請症例の提出もお断りしております。内科から適応申請をしていただく。肝臓についても私は同じことが言えるのではないかなとかねてから考えています。 以上です。
○加来信雄君 先ほどの御指摘の、救急医療の現場において臓器摘出をする場合に、やはり臓器のバイアビリティーのことを考えますと新鮮な方がよろしいということが一般に言われてまいりました。 しかし、救急医療に真剣に取り組んでいる医師は救命医療に徹しております。そこで臓器提供への配慮をするということはあり得ないと思います。したがって、最後まで治療を続けることになります。脳死判定になった以降については、先ほど私も申しましたけれども、家族の社会的なコンセンサスの中で対応すべきであろうと思いますが、現時点においては、そういう原則的治療を行っている施設は余りないと私は思っております。 そういうことでよろしゅうございますでしょうか。
○池永満君 九大肝移植の件につきましては、御指摘のように、福岡県弁護士会に障害者団体の方から人権救済申し立てがなされております。 ただ、この人権救済申し立ての事件の処理については、事柄の性格上、担当しておる弁護士はその結論が出るまで口外をするわけにはいきません。 私は、救済申し立ての前の段階で、弁護士会独自としてこの点については検討する必要があるだろうということで任意に関係の方にお話を伺ったことがありますが、救済申し立てがなされて以後は担当を外れておりますので、その点についてつぶさには知りませんが、きょう配付させていただきました九州・山口医療問題研究会の意見書の五ページに、その間の経過について若干触れております。弁護士会の人権救済申し立て調査は情報の提供をほとんど得られないということで難航しているという状況がうかがわれると思います。 したがいまして、私は、マスコミ報道等を通じて私個人としてこのレシピエントの意思確認がどうだったのかということについてだけ、簡単に意見を申し述べさせていただきたいと思います。 この場合、多くの場合ももちろんそうですが、レシピエントについては、レシピエントに登録するとき、これが一方ではいわば死の宣告に等しいわけでございますから、このときのインフォームド・コンセントというのは非常に重要なものであります。九大の肝移植の場合は、レシピエントとして登録するときに文書でしているということが報道されております。 しかし、レシピエント登録から既に二年余りの長期の時間がかかっていたわけで、そのこと自体が登録が果たして妥当であったのかという問題も投げかけていると思いますが、移植時においてはほとんど意識が鮮明でないという状態であったというふうに聞いております。私がマスコミなどでいただいたそういう資料、録音テープ等によりますと、この時点においてはだれが考えてもインフォームド・コンセントをやる能力がなかった問題ではないだろうかというふうに思っておりますので、いわゆるレシピエントの意思確認はできていないというふうに私は個人的に判断しています。 ただ、問題なのは、レシピエントの自己決定を考えるときに、ドナーの自己決定と同じで、自己決定があればすべてできるのかということではございません。とりわけレシピエントの場合は、その実験に医学的な意味がある、あるいはレシピエントにもしかしたら何らかの利益をもたらすかもしれない、こういう客観条件が必要でございます。 この際、もし患者のレシピエントにインフォームド・コンセントの能力があってやってあったとしても、果たしてあれが移植の適応があったのかという点では極めて疑わしいと言わざるを得ない。私、九州大学病院の前に法律事務所があるので非常に言いにくいのですが、率直にそういうことを指摘せざるを得ないというふうに思います。
○福島委員 新進党の福島豊でございます。 加来先生にお尋ねをしたいのでございます。 先ほど松本先生の方から、低体温療法のお話がございました。脳死状態から低体温療法によって蘇生するということではないと私自身は認識しておるのでございますけれども、この点につきまして、現在の医学的な見解はどのようになっているのか。 また、松本先生は、ポイント・オブ・ノーリターンというものはない、ゾーン・オブ・ノーリターンである、ということを踏まえるならば、脳死判定をするということはその段階で救命治療というのが実質的に放棄されることになるのじゃないか、ひょっとしてまだ蘇生の可能性があるのに放棄されることになるのではないかという御指摘であったと思いますが、この点につきまして、救急医学の立場から御意見をお聞きしたいと思います。
○加来信雄君 先ほどの御指摘でございますけれども、低体温療法は昔からあった治療法でございます。しかしながら、最近、リバイバルとして低体温療法が進んでまいりました。 低体温療法といいますのは、二律背反した治療法で、頭部に対してはプラスでありますけれども、全身に対してはマイナスの面があります。しかしながら、救命救急医療が進みまして全身の管理が非常にうまくいくようになりまして、脳のサポートができるようになりました。これが低体温療法でございます。 その低体温療法を脳死の基準に乗ってしまった人に行って助かった例は、報告はないと思います。その前の、救命し得る範疇においては現在使われている治療法であります。脳死の判定になった以降のものはノーリターンでありますし、それにあえて低体温療法を行っている施設は日本にはないと思っております。 それから、もう一つ今御質問がございましたが……。
○福島委員 松本先生の御指摘では、脳死判定に入る、一回目に判定しまして二回目というのがある、一回目に判定に入った段階でそれはもうノーリターンということでは決してなくて、まだ蘇生の可能性が残っているのではないか、ただ、脳死判定に一回目に入ってしまいますと、先ほどの山本委員の御意見とも共通してくるのですけれども、臓器移植ということを前提としてしまうと、どうしてもその後の治療そのものが一〇〇%の治療ということにならなくて、脳死判定に入ってしまったがゆえに実は救命し得る者をし得なくなってしまう可能性があるのではないか、そういう御指摘かなというように思ったのですけれども、この点につきまして先生の御意見をお聞きしたいと思います。
○加来信雄君 そこで、先ほどあえて私は、脳死は人の死である、そしてその死は医学的な死と社会的な死と両方踏まえて合意の上で行われなければいけないと。私は、医学的な死においては脳死は人の死だと思っております。ここを押さえておいて、その上で社会的な死については個々の人の判断であります。 したがって、医学的な死の脳死の判断のときに、前の第一回目を死とするか二回目を死とするのかは、私たちはどちらでもよろしいわけです。できれば前の方が治療の上では行いやすいかと思いますが、どちらでも結構です。しかしながら、そこにはいろいろな社会的な要素が含まれておりますので、これは法医学あるいは法制界の方々がお決めいただければよろしいことではないかと思っております。 よろしゅうございますでしょうか。
○大野(由)委員 新進党の大野由利子でございます。 加来先生と戸嶋先生、そして池永先生にお伺いしたいのでございます。 今回の修正案で、ドナーの提供は本人の提供するという意思が明確な場合に限る、このような修正が出たわけですけれども、本人の明確な意思というものをどのようなものでもって確認するのが一番いいと思われているかということについて伺いたい。 そして、戸嶋先生は、先ほどのお話の中で、ドナーカードを幅広く配布してそれにできるだけ書いていただくようにするというようなお話でございました。 それでは、例えば子供の場合はどうなのか。子供本人がみずからの意思で提供すると言い出す例というのは少ないのではないかなと思ったりしておりますが、親から勧められて、未成年の子供、小学生とか中学生であってもドナーカードに書くような場合もあるかもしれませんが、年齢的にはどれぐらいの年齢以上は間違いなく本人の意思とみなされるのかとか、そういうふうな年齢のこともお考えなのかどうか。そのドナーカードはどこかに登録をされるのか、されないのか。自宅に置いておくのか、それとも、自宅に何らかの形で書面で置いておけばいいのか、口で家族に言っていればいいのか。そういうさまざまなことがあるかと思いますが、本人の意思をどのような形で明らかにした場合を今回の本人の意思というふうに見ればいいかについて御意見を伺いたいと思います。
○戸嶋裕徳君 私は、本人の意思確認は、先ほど申し上げたドナーカード、これにサインしていただければいいのじゃないかと考えているわけです。ところが、けさの東京の新聞には、何かそのサインが本人のサインであるということをどうして確認できるかというお考えが述べられたそうであります。 私は、三文判、印鑑よりはサインの方がその本人の署名であることが確実だろうと考えていました。欧米ではすべてサインが判このかわりに通用していますのでそう考えていましたが、そういう御発言があったので、サインじゃだめなのかなと実は悩んでいるのですが、サインは本人の承諾とみなさないのかどうか、先生方にお決めいただきたい。これは別の問題です。だけれども、私はサインで十分ではないかと考えてはおります。 それから、子供はどうかというお話ですが、私が頭に置いているのは、これはやはり成人に達した、しっかりした一人前の判断ができるという年齢の方が望ましいのじゃないかと考えています。高校生でもいいのじゃないかという話もありますけれども、その辺のところは私にはよくわかりません。 それから、登録ではございません。あくまでこれは所持していただいておくものでありまして、でき得べくんば、財布などに入れて常時お持ちいただければよろしいのじゃないかと思っております。登録ではございません。
○池永満君 ドナーにおける臓器提供意思の確認というときに一番はっきりしなければいけないのは、単に提供してもいいよという意味での意思を確認するという消極的なものではなくて、基本的には意欲、積極的にみずから臓器を提供します、こういうものが前提にならなければいけない。 しかも、その場合に、脳死状態からの臓器摘出ということは、従前の死亡の概念にしても死に直結するわけですから、そういう意味では、一つ内容的なものとしてどういうふうな手続が必要かという点では、きょうお手元に配付させていただきましたICH、EUとアメリカと日本の三極で医薬品の臨床試験の実施に関する基準、GCPを現在つくろうとしております。これは、既に米国やEUでは制度的にやられているものを日本も導入するという内容でございます。そうでないと、日本における臨床試験の結果が援用されないで薬も売れないということで、これに入るようになったわけです。 このガイドラインでは、臨床試験だけではなくて、本ガイドラインに規定されている原則は「人を対象とする治療的介入、または観察を伴う他の研究にも適用されるべきものである」とはっきりと明言しておりますので、したがって、ここに書かれているインフォームド・コンセントの手続が必要である。これと、資料をいただきました移植関係学会合同委員会の「レシピエントのインフォームド・コンセントについて」というのとを比べていただければ、いかに違いがあるかというのがわかると思います。 きょう見せていただきました戸嶋先生の方の「意思表示カード」でございますが、私は、臓器移植を軌道に乗せていくためにはドナーの積極的な意欲が欠くことができないといいますか、それ以外にないと思っておりますので、そういう意味においては、こういう運動をされるのは、キャンペーン的に非常に意味があることだと思いますが、「意思表示カード」をもってドナーとしての登録の意思と見るのは到底できないと思います。これはちょっとまずあり得ないことだと思います。 もう一つあり得ないと思うのは、諸外国で運転免許などに全部印をつけている、それでドナーカードとみなしているじゃないかというふうな指摘があるのですが、その背景には、先ほど来言いましたように、諸外国では、医療において自己決定権があるのだ、インフォームド・コンセントの権利があるのだということで小学校のころからずっと教育を受けていまして、いろいろな臓器移植の問題にしても、いろいろな臨床試験の危険性にしても、常に教育を受けているし、常に情報を得ることができています。 そういう情報の中でみずからの意思を確認していっているわけですから、そういう点では形式がコンパクトになっていっているのはある程度うなずけるわけですが、日本においてはそういう教育も医療も全くないわけです。そういう中で、ただカードに、「私は脳死後、マルで囲んだ臓器を提供します。」という「脳死後」というのは何なんだということがほとんど情報がないままで丸をしても、これは本当に錯誤に基づくカードといいますか、したがって、これはキャンペーン的には意味があることだと思いますが、これで確認できるとは多分言われないだろうと私は思っていたのですけれども、これがもし代替するということであれば、非常に驚きという以外の何物でもないと思います。
○大野(由)委員 では、どういう方法がいいですか。
○池永満君 手続的には、ここで、インフォームド・コンセントを得るときに説明する事項というのがかなり細かく規定されています。だから、その点について十分書くということ。 それと、特に客観的な脳死状態というのはどういうものなのか。先ほど来御指摘がありましたけれども、脳死が宣告された後の出生の事例とかもありますし、あるいは脳死ということの判断の点では、私自身が体験した中で、明らかな植物状態であるにもかかわらず脳死だということを言って、家族が慌てて身内の方をほかの病院に移される、こういう事例等も大学病院等を通じて現にあるわけですので、その点では、客観的にやれるということが前提になったとしても、客観的にやれる脳死の判定基準自体がずっと動いていくと思います。これは法律では決めにくいものだと思いますけれども、そういうことについて、その都度その都度、脳死状態の新しい知見に基づく情報が提供されていくことが一つの前提だと思います。 それともう一つは、こういう場合そうなんですが、レシピエントの場合もそうですが、二段の意思確認といいますか、一般的に臓器を提供しようと言っているときは健常な場合ですね。とりわけ、こういうふうなドナーカードを持つ場合は健常な場合です。したがって、もしそういう可能性があるような場合は、基本的には、その直前の状態の中でその人の病状を詳しく説明した上で改めてインフォームド・コンセントをとるということが原則なんです。そのインフォームド・コンセントをとることができない場合は、基本的には臓器の摘出はできないというふうに考えた方がむしろ賢明ではなかろうかというふうな気がします。極めて例外的な現象の場合は別ですが、一般的には、ドナーカードを普及するというのはそういうところに意味があるのではないかと思っています。
○加来信雄君 私ども救急医療に携わっている者につきましては、先ほど申しましたように、人を助けるということに主眼がありますので、ドナーカードについてどれだけ確認をとればそれがドナーとなり得るかということについては、余り検討されておりません。これは法制界の方々が、こういうものであれば認められるというようなことを打ち出していただければよろしいかと思います。 それから、先ほど、アンケート調査によりますと年齢で変わるということがございますということですので、できれば車のライセンスの期限のように、変化してよろしいのではないか。若いときの判断と年をとってきてからの判断は恐らく違ってくるであろうと思います。 それから、先ほど、健康なときにとられたものと直前のものとおっしゃられました。健康なときのものはもちろん大事だと思いますが、直前のものというのは、私どもから見ますと、先ほど申しましたように、ある家庭で、ある路上で、ほとんど脳死になるであろうという前提で来られる、わかった状態で来られるわけですので、その意思表示を確認することは現実には不可能であろうと思います。そういうことを踏まえて、健康なときの意思表示を大切にするという社会環境をつくっていくことが大事なことではないかと思っております。
○石田(祝)委員 新進党の石田祝稔です。 私は、本当に初歩的な質問になるかもしれませんが、医学的な見地から、加来先生、中西先生、戸嶋先生、松本先生にぜひお尋ねしたいのです。 臓器移植でなければ助からない人というのがいるのか、言葉をかえて言えば、臓器移植をすれば必ず助かる、こういう方がいるのか、いないのか。 それから、先ほど松本先生が、脳死体から出産した例がある、それについての説明は私は聞いたことがない、こういうお話でしたが、例えば三徴候説で心臓が一度とまって、それからしばらくしてから動き出した例、そういうものは逆にないのかどうか。これは私は寡聞にして知らないのですが、そういう例について御説明いただければありがたいのです。
○加来信雄君 臓器移植があれば助かり得るという患者さんはいることは現実でございますので、当然でございます。腎移植で長い歴史がありますし、肝移植、心移植も歴史があることは事実ですので、そのとおりでございます。 それから、三徴候を来して、かつ心臓が打ち出したものがあるのかということは、それはありません。ただ、実際に、私どもが三徴候といいますか到着時死亡と言うものがあります。デッド・オン・アライバルと今まで使っておりました。この言葉は脳死とは離して考えていただきたいと思います。それは、助かり得る患者がこの場で心停止を来したものです。そうしますと、それは三徴候の型をとります。しかし、それは助かり得る患者ですから、心マッサージによって助かり得る可能性があります。したがって、そこを三徴候に入れていただきますと、この問題は混乱してしまいます。あくまでも、ある一定の時間がたって三徴候を来したものについてはノーリターンであります。
○戸嶋裕徳君 移植でなければ助からない人はいるのか、だからこそ我々が臓器移植を一生懸命やって推進したいと考えているわけです。 先ほど資料一—三を時間の関係で説明できませんでしたが、これは移植適応検討会に私が検討会長のときに申請された四十八症例を分析したものでありますけれども、一年以内に十二名の方、二年以内に十五名の方が亡くなっています。心臓移植適応というのは予後が一年以内と考えられる症例ということで申請していただいています。しかし、神様でないわけでありまして、一年を超えても亡くならない方がおられますけれども、予後は極めて悪い。五年生存率はほぼゼロであることは間違いない。そういう症例を移植でしか助けられないと我々は考えているということを申し上げます。 それから、すべての心臓病が心臓移植の適応になるわけじゃありませんで、心筋症という、原因がわからない、どうしても、何をやっても心筋が進行性に悪くなって死んでしまう、そういう症例を心臓移植の最大適応と我々は考えておるということを御理解いただきたいと思います。 それから、脳死体から子供が生まれた、死者がなぜ子供を産むかというお話でございます。 私は、これは死者とは考えていません。脳死となった生体だと思います。脳死となった生体は、加来先生の御経験で三カ月以上生存した症例がございますので、そういう状態は、脳死が長く続けば、脳死ではあるけれども生物体として機能して、その結果として赤ちゃんが生まれた、これは十分あり得ることではなかろうかと理解しています。
○中西睦子君 一番目の御質問なんですが、既に加来先生、戸嶋先生がお答えになられましたように、看護サイドからも、移植でなければ助からない人がいるという現実は認めております。 ただし、すれば必ず助かるということにはならない。むしろ、それを裏切る現実をどう冷静に受けとめていくかということの方が重要な問題ではないかと思います。 それから、二番目の御質問なんですけれども、これは特に詳しい臨床的なデータを私の方では持っておりません。むしろ、医師である加来先生、戸嶋先生のお答えに頼られた方がよろしいかと思いますので、お返事を控えさせていただきます。
○松本文六君 お三方が言われたように、移植をすれば助かる、そういう事実が現にあることは私は認めています。 問題は、日本なんかの場合に一番いい例は、先ほどから出ています千里救命救急センターのことにしても、阪大にしても、関西医大にしても、とりわけ関西医大のことに関しては、私、あるところで配付された資料で保全されたカルテの一部を見ましたけれども、まだ生きているというのを書いているのですね。臓器摘出の準備をしている、まだ血圧が下がらないとカルテに書いてあるのです。 けさ、その裁判にかかわっている方から直前にファクスが入ってまいりました。三十日に承諾したと言っているのですが、関西医大の方は三十一日にインフォームド・コンセントに基づく承諾書を作成したということで、ずれが出てきたわけですね。それで、カルテに医師からの指示簿があるだろうということで、婦長さんは確かにありましたと言ったけれども、証拠保全された中にはそれがない。これは事実です。けさ届いた事実です。 そういうような現代の日本の医療実態の中で、和田心臓移植と同じように、本来、救命処置をしなければならないのが途中で放棄されて、臓器摘出操作がやられている。早過ぎる脳死判定と早過ぎる摘出操作、これは阪大もそうですし、千里救命救急センターもそうですし、関西医大もそうですね。こういうことが医学界の中できちっと総括されなければ、脳死を前提とした臓器移植など語る資格がないと私は思うのですね。 逆に、そういうような操作は密室で行われますから、そこのところはやはり非常に危険だ。私は、医者の立場から言いますけれども、大変危険だろうと思います。そこで患者さんの人権が本当に守られているかどうかと言ったら、全く守られていない。 移植をすれば助かるという現実は、地球規模で見れば現にあることは事実です。そしてまた、移植することによってかえって悪かったというケースもありますし、移植しなければあなたはだめよと言われたけれども、戸嶋先生のところに行ったら三、四年ずっと元気で過ごしているというのが新聞に載っておりました。そういうようなことも含めて、移植をするかしないかというのは、医者の技量と医者の哲学、そういうことに非常に大きく左右されるということですね。 私が一番強調しているのは、そういうような医療界の倫理性をどう確立していくか。その確立の方向性がなくてこういう法案を進行させるのは、患者さんにかえって大きな被害をもたらすだろうと考えているわけです。HIVのことで非常に露骨にその無責任体制がはっきりしたわけですね。それと同じように、医療界の中でも、ヘルシンキ宣言のように、移植というものは人体実験である、その場合に注意しなければならないのは何なのかということをしっかり取り決めて進めなければいかぬだろう。 アメリカのピッツバーグ、世界でも肝移植の症例の一番多いところに藤堂というチーフドクターがいます。彼は九大出身で、卒業年次が私の一級下でありますけれども、彼が別府に来たときに意見交換をしました。そのとき彼が言ったのは、日本ではだめだろう。どうしてですかと言ったら、とにかく先陣争いばかりして、アメリカなどは本当にデータを全部公開する、だけれども日本では全然公開しないじゃないか、密室でやられている、あれじゃ法律が通っても手術は成功しないだろう。そして、心臓移植などの場合には百例以上しなければ技術は上がらない、それを八カ所も分散してやるのはナンセンスだ、こういうことを言っておりました。 そういう点で、私自身は、移植医療を語るときには医の倫理ということについての体制づくりはきっちりしておかなければだめだろう、七三一部隊に関係した人たちが大学の教授になって学長までなった人がいる、そういう無責任な環境を許している体質自身を変えなければだめだろうと思います。そういう意味で、安易にこの法案を通せば、文化的にも医学的にも医療的にも逆に大変な混乱が起こるだろうと思います。
○持永委員 自由民主党の持永でございます。 まず、中西先生にお伺いしたいのです。 先生のお話で、看護の現場から見ていろいろと問題を提起された、それはまことにそのとおりであろうと思います。そこで、お医者さんの医療の信頼回復あるいはターミナルケア、ケアと治療の問題だとか、そういう問題を提起されたのでありますけれども、今度の移植法案自体について、例えばどこをどういうふうにもう少し直せば条件が整備されるのか。今度、提案者の方で、本人の意思を最後までそんたくするということは出ましたけれども、そういう点で法案の中身について、現在出されている法案について何か御意見がおありになればそれをお聞かせいただきたいと思います。 それから池永先生、先ほどの大野先生の話とあるいはダブるかもしれませんけれども、情報公開とかインフォームド・コンセントの問題、日本はまだ足りないのじゃないか、それは確かにそのとおりであろうと思いますが、先生のお話で、今度のこの法案の中で本人の意思をそんたくするという部分を修正したことについては評価するけれども、まだ不十分だというお話がありました。では、不十分なら具体的にどうすれば足りるのか、そこをお聞かせいただきたいと思います。
○中西睦子君 お答え申し上げます。 法案それ自体に関しましては、この体制の中で何ゆえに医療の技術、特に治療技術のみを取り上げた法案の成立を急ぐのかということが基本的に疑問でございます。 先ほど来の先生方の意見陳述の中にもございましたように、現場そのものが個人の人権を擁護していく体制を持たないままに、いわば技術優先で流れていっている現状を考えますと、議論を深めるために一たん廃案にして、そして再度大きく問題を取り上げて検討していただきたいということでございます。このことを先ほど私の陳述の中で申し上げませんでした。少し舌足らずな陳述を申し上げましたけれども、基本的な問題に手をつけずに技術のみを先行させていくことは問題であるというのが私どもの認識でございます。
○池永満君 患者に対する情報の開示の問題は、なぜ私の方で強調しているかといいますと、結局、先ほど医の倫理ということを言われましたけれども、医の倫理を確保する最も有効な手段の一つとしてインフォームド・コンセントの確立があったわけですね。これが、先ほど来松本先生が言われているようなヘルシンキ宣言以来のものであります。 それで、インフォームド・コンセントをとにかく実現しなければいけないのですが、そのインフォームド・コンセントを実現するまた最も重要な手段として国際的に今実施されているのが情報の開示なんです。医療記録のコピーを渡すことも含めた日常的な情報の開示、これがインフォームド・コンセントをやっていく最も重要な手段となっています。これは、欧米だけでなくて、既に韓国の医療法も改正されているわけです。 したがって、そういう患者本人に対する情報の開示、インフォームド・コンセントを保障するということは患者本人に対して絶えず医療記録も含めた情報を開示しなければいけないということなので、第三者に対する情報公開とはちょっと違うのですね。 この脳死臓器移植の関係でもう一つ考えなきゃいけないのは、第三者、とりわけそういう手続について審査をする機関、これに対しては当然そういうことで情報を提供しなきゃいけないということが必要になってくると思います。 そういうふうな観点から今回の修正案を見ますと、臓器移植法案全体の関係では、一つはやはり「死体(脳死体を含む。)」という、これが根本的な一つの問題でございますので、まずこれを外して、死体もしくは脳死状態の者からの自己決定に基づく臓器の摘出というような形での書き方をする必要があると思います。 インフォームド・コンセントの関係からいいますと、第四条が「必要な説明を行い、理解を得るよう努めなければならない。」これはもう全然違います。インフォームド・コンセントの場合、どんな訳でも、十分な説明が必要ですし、同意を得る、決定を得るということがまず不可欠だと思います。 さらにそのためには、国際的に重要な手段になっている点でいいますと、第十条の関係が問題だと思います。第十条は医療記録の保管は五年としていますが、これは一般医療記録と全く一緒で非常に短過ぎる。日弁連は十五年という提案をしているようですが、私は当分の間は半永久的な保存でもいいのだと思います。現実には、大学病院などは一般的な症例でも半永久的な保存をされています。したがって、ここは少なくとも五年では短過ぎる。 それともう一つ、ここの書き方ですけれども、本人及びその遺族、これはドナーの場合でもレシピエントの場合でもそうですが、これについては無条件開示、しかも事前の開示が必要だと思います。その脳死判定が正しいのかどうかという問題は当然出てきますし、レシピエントとしての登録が正しいのかどうかということも出てきますので、とにかく無条件の事前の開示、あるいはもちろん事後でも当然です。 それと、第三者機関をつくる手続がどうしても必要だと思います。とりわけ、レシピエントの適用に当たってはセカンドオピニオンを得ることが非常に重要だと思いますので、その審査機関に対しては無条件の閲覧といいますか開示が必要だ。法案は単に「閲覧」というふうになっていますが、いろいろな法律でも閲覧だけでは重要な内容がほとんど入手できません。コピーを提供するというのが国際的な基準だと思いますので、その点は最低限改められる必要があるのじゃないかというふうな気がします。
○中山(太)委員 加来先生にお尋ねしたいのです。 脳死状態になって救命救急センターで治療しなかった場合、自然死に至る時間の経過というのはどのように救命救急の関係者の間では判定されておられるでしょうか。
○加来信雄君 これは一般的な症例になりますけれども、脳死の状態から心停止に至るまでは大体一週間と考えてよろしいかと思います。
○中山(太)委員 これは、国際的にもそういうふうに認識されておると判断してよろしゅうございますか。
○加来信雄君 そうだと思います。 なぜ一週間かということにもなりますけれども、脳と心臓との間の神経伝達が断たれますと、心臓は自動能力で働いているわけです。これがビーティングハートの状態ですが、それが大体一週間ぐらい機能するということで、大体一週間ということになります。
○中山(太)委員 中西先生にお尋ねしたいのです。 お話を聞いておりまして、現在の医療技術のみを先行させている状態の中で臓器移植というのは好ましくない。医療の現場における医療関係者への不信がその御発言の裏側に、現在臓器移植を行っていない現場で存在しているというような印象を私は受けたのですけれども、その点をはっきり申していただきたいと思います。
○中西睦子君 お時間があれば、いわゆる脳死臨調の最終答申への報告にぜひ目をお通しいただきたいと思いますが、不信という情緒的な問題ではありませんで、一つこういうことがございます。 私の方で行いました調査ですが、四つの大学病院を含む九つの高度な医療を行っております医療機関の看護職の実態を調べてみました。そのときのサンプルが二千六百を超える数が得られたのですけれども、そのサンプルの平均年齢が二十六・五歳、二十代が八〇%を超えております。したがって、最先端の医療におけるケアが、十分な人生経験あるいは専門的な経験をまだ積んでいるとは言いがたい極めて若手の看護職によって担われている実態がかなりはっきりしてまいりました。 それから、何人かの看護職にインタビューを行ってもう一つ浮き彫りになった現実は、移植現場ははっきり言って看護職、看護婦にとっては気持ちの上で大変苦しい現場である。したがって、目の前に患者さん、ドナーもしくはレシピエントの方がいらっしゃるから私たちは一生懸命ケアはします。だけれども、深く考えるとつらいから考えないようにしています。それではあなたは先行き自分の仕事をどのように積み上げていくつもりですかというふうに尋ねますと、やがて勤務交代という形で解放されることを願っている。 私が申し上げたいことは、臓器移植が恐らく代表だろうと思いますけれども、それに伴って起こってきておりますさまざまな問題は、今現実に働いている、現場を支えているそういう若手、確かに健康であろうと思います、それで前向きだろうと思います。しかし、その人たちの力をはるかに超えているという現実をしっかりと見据える必要がある。そういう意味で申し上げたかったわけなんですね。 スペシャリストという言葉を使いましたが、欧米では、移植医療のチームの中に必ずスペシャリストを入れております。これは、若手のスタッフたちを専門的に引っ張っていくことのできる高度の能力を持った人たちなんですね。それから、もちろんケースワーカーを初めとして、一人のそこに存在する患者を全体としていろいろな側面から支えることができるプロフェッショナルをそろえて移植医療というものが行われている。そこが欠落していることによって医療そのものがゆがんで進んでいくことに対して私は危惧の念を申し上げたわけでございます。
○中山(太)委員 中西先生に重ねてお尋ねしたいのです。 もし臓器移植が行われるような時期が到来した場合に、それは法律が通らないともちろんできないわけですけれども、その場合に、看護婦さんを含めた日本の医療の現場でスペシャリストが十分育っていないというふうな御意見をお持ちなんでしょうか。
○中西睦子君 お答え申し上げます。 スペシャリストをつくっていくことを制度として考えていく必要があろうかと思います。従来、臨床看護の現場に起きてきたさまざまな問題は、ほとんどすべて個人の努力にゆだねられてきています。個人の努力を超えた事態が看護職のバーンアウトという形で出てきて、それが深刻な看護婦不足の社会問題になったことは先生方既に御存じだろうと思います。 臓器移植や脳死に関するさまざまな資料を拝見いたしましても、ケアがあってこそ回復があるという視点が一つ致命的に欠落しているということを私はこのたび発見しております。日本には確かに優秀な技術を持ったお医者さんがたくさんいらっしゃるだろうと思いますし、そういう方たちに対して、もちろん看護職としては信頼の念を抱いております。ただし、私の陳述の中で申し上げましたように、患者や家族が本人の意思を実現できる体制は今の医療の中では非常に乏しい。そして、それを支えていくシステムは、これは努力してはっきり目に見えるものとしてつくっていくべきであって、個々人の道徳に帰すべき問題ではないというふうに考えております。
○中山(太)委員 関連いたしまして、今お話を聞いておりまして、医療の最先端の現場でケアにあずかっている人たちは二十六歳、二十代後半の人が多いというお話だったと思います。
○中西睦子君 二十代が八二%でございます。
○中山(太)委員 そこで問題は、集中治療室などで高度医療に関係するナースの人たちは相当訓練された人でないともちろんなかなか務まっていかないと思いますし、臓器移植を行う場合にしても、コーディネーターというシステムがどうしても必要になってくる。そういう場合には、相当訓練、熟練をした、ナースの経験のある方が当然その対象に外国ではなっておりますね。そういう人たちが現在の日本の看護婦学会、看護婦さんの組織の中で果たして育っているのかいないのか、そこを私の方はもう一回確認させていただきたいと思います。
○中西睦子君 お答えいたします。 平成七年度から日本看護協会で、CNSと呼んでおりますけれども、クリニカル・ナース・スペシャリストを認定する事業を開始いたしました。七年度に認定されましたのは、精神看護の領域とがん看護の領域、この二領域のみでございます。実際に、大学院の論文審査に匹敵するような非常に厳しい審査をくぐって誕生いたしましたクリニカル・ナース・スペシャリストは現在六名でございます。これはおいおい、そういう難関を突破して現場のケアに十分コミットできる人材を、職能集団としてはできるだけ早く、できるだけたくさんつくっていきたいというふうに考えております。全員、大学院を卒業しております。それが条件でございます。
○石田(祝)委員 私は久米陳述人にお伺いをしたいのです。 御自身の体験に基づく大変貴重な御意見をお述べいただいたと思います。それで、先ほど私がそれぞれの陳述者にお聞きをしたときに、移植手術をしてもよくなるとは限らない、かえって悪くなる場合もあるのではないか、こういうことが述べられたように思いますが、久米陳述者は、子供さんの手術に関して、可能性ということで考えればひょっとしたら悪くなるかもしれない、そういう中であえて手術を選ばれた。また、御自身ということではなくて、子供さんの手術ということで御決断をされた。これに対しては、何か御心配とかそういうことなしに、これよりほかに方法はないということだったのでしょうか。そこのところをちょっとお聞かせいただければありがたいのです。
○久米富之君 お答えいたします。 私は、移植をされて帰ってこられた人たち数名と会って、日常生活から何からずっとおつき合いもさせていただいておりました。胆道閉鎖症で海外に移植に行った人が現在八十名ぐらいで、行って亡くなられた人が一〇%ぐらいですかね。 実際、もうここで終わらせるか、外国まで連れていくか。私としては、この日本に生まれて、何とか生かしてやろう、それが親の務めかなと思って、そのあいなか、私は本当に国内でしていただくように運動もしてまいりましたけれども、ここでやらぬと子供の命がもういかぬというときに、生体肝移植といったら、私も高齢であったし、やはりいろいろ問題もあります。外国へ行って皆さん元気で帰ってこられるし、本当に移植までやって亡くなるとしたら、これは、ここまで子供に対して尽くしてやったらもう気持ちは通るなという信念でした。 連れていくときには、本当に帰ってこれるかなと思っておりました。しかし、七カ月待って移植が終わった後、やはり本人も気分が相当変わったし、親として、皆さんに協力していただいて元気になって帰ってこられたことは本当にうれしく思っております。この人は移植ができる、できないということは、初めから主治医が判断して言われます。福岡でも移植もできない人たちがおられます。これは主治医から今移植へ行ったら生きていかれるという御指名がされますから、私は自信を持って連れていきました。 それで、今は本当に元気で高校へ行っております。外国に連れていくといったら金の問題がございますので、そこで皆さん本当に悩んでおられます。そのためにも、国内でやってもらうまでは我が家も本当に春は来ないと思います。
○大野(由)委員 初めに、久米陳述人にお伺いしたいのです。 本人の明確な提供の意思となりますと年に一例か二例あるかないか、また、成人以上となりますと特に子供の提供者は少なくなるという状況になるわけです。先ほども、四万人からの肝臓の患者さんがいらっしゃる。すべての方が移植を希望されるとは思わないわけですけれども、修正案がもし可決した場合、期待ばかりが大きくなって現実には失望の方が大きくなるのじゃないかということが一点です。 もう一点、池永陳述人にも伺いたいのです。 死の判定というのが非常に難しい問題になってくると思うのです。先ほど、脳死の状態を脳死体というのじゃなくてという御発言があったと思うのですが、そうなると、また提供をする家族の人の大変な抵抗もあると思います。万一、脳死提供をみずからの意思で選択した人は脳死段階を死と判断をし、また、そうじゃない、脳死提供を本人が意思表示していない場合は従来の三徴候で判断をするというような二つの基準を設けると、やはりこれは法的には大変な混乱を生ずるものでしょうか。 その点、お二人から伺いたいと思います。
○久米富之君 お答えいたします。 今回の見直し案を見まして、私たちは、厳しくなってでも、待っている患者の中で一人でも国内でやっていただけたら、これはもうずっと願いをかけてきておりますし、これは三年先にまた見直すという見解が出ていますけれども、それまでに一人でも二人でも助けていただければなと、私たち、患者を抱えている家族は皆そう思っておると思います。 生体肝移植でも、あのとき一例初めてやられてから、今は生体肝移植をされる病院はどこもすぐはできないようになって、本当に皆待っています。だから私は、ドナーがない、ドナーがないと言われますけれども、ドナー提供をされる人はやはり出てくると思います。まず、難しくても移植というものはもう国内でやっていただきたいと念願するものでございます。
○池永満君 死の判定の関係ですが、これは大きく言えば二つほどあるわけです。 一つは、厳密に言って死亡がどうなのかという点について今決着をつけるとすれば、非常に大変な問題が起こるだろう。現実の問題として脳死状態をもって死と受けとめる方たちが必ずしも多数と思えませんし、それをあえてそういう死の定義、概念というものを持ち込む必要があるのかというもっと政策的な問題もございますけれども、私の方で先ほど言いました点は、二つの基準を設けるということではなくて、死亡についての定義は今はいじらない、そして、死亡は従前からだれも異論がない三徴候でいくのだけれども、臓器提供意思を生前強く持っている方については、厳密な判定基準等も含めて、その人の意思確認も十分やった上で、客観的な不可逆的な死に至る道、つまり客観的な脳死状態というのは一応判定できるわけですから、そういう段階において臓器を提供してその人の遺志を実現してあげるということについては道を開くということが、実は現在の臓器移植を待っている患者さんたちとの関係で一番早い道ではないのかという判断が一つあるわけです。 それがなしに、どうしてもこの段階で、臓器提供を希望する者だけは脳死状態の段階が死亡だ、希望しない者は三徴候で死だという二つの基準を持ち込むというのは、これは法律的にも制度的にも私は法律実務家として非常に大きな混乱が起こるだろうと思います。具体的な混乱についてはいろいろ指摘されていますが、私は、そういうふうな混乱を持ち込むのではなくて、なるべく早い段階で社会的合意を形成するといいますか、どういう社会的合意を形成するかということで考えた方がいいのじゃないだろうかというふうに思います。
○福島委員 戸嶋陳述人にお尋ねをしたいのです。 ずっと臓器移植のことにかかわってまいりまして一貫して感じますことは、やはり医療に対しての不信感が非常に強いということでございます。要するに、まだ死んでもいないのに臓器をとられるのではないか、そういうような懸念が持たれている。先ほど池永先生の方からインフォームド・コンセントについていろいろとお話があったわけでございますが、そのお話を伺っておりますと、日本の医療界のインフォームド・コンセントに対しての取り組みは諸外国に比べるとまだまだの点が多々ある、そういうふうに思いました。 先生、大学で教鞭をとっておられる立場から、日本の医療におけるインフォームド・コンセント、今回の医療法の改正で若干前進したと思いますけれども、今後どうあるべきなのかということにつきまして御意見をお聞きしたいと思います。
○戸嶋裕徳君 私も、医療の不信ということを持ち出されるたびに心がつぶれる思いを常にしております。私個人としては精いっぱい患者のために尽くしてきておるつもりではございますけれども、そういう批判が根強いことは私も悲しいことだと思っています。 先ほど救急現場の話が出ましたけれども、私は、救急現場は徹底して患者を助けることだけに専念していただきたい、臓器の移植のことなどこれっぽっちも考えないでほしいと思っています。そこのところがごっちゃになっている部分があるから何か変なことが出てくるのではないかなとかねて思っています。 私は、適応に関しては内科に任せてほしいということを申し上げました。それから、脳死に関しては脳死の専門家がしていただければよろしいのです。それから、臓器移植のことに関してはコーディネーターがやっていただければよろしいのです。コーディネーターがやっていただくのは、ドナーカードを持っている方に初めてそれをお話ししていただけばよろしいのです。そういうふうにはっきりした持ち場持ち場で医者の責任を果たしていただければ、混乱はないし、誤解もなくなるのではないか、不信もなくなるのではないかと私個人としては考えています。 それから、インフォームド・コンセントの件ですが、これは確かに日本では非常におくれていました。早い話、臨床治験をやりますが、従来は口頭で説明するというような形で、文書でのインフォームド・コンセントをとりませんでした。それは、新しい薬が出ました、試してみたいのですが加わっていただけますかと申し上げましても、いや、私はモルモットにはなりたくないという方が非常に多いということも一つはございます。そういう印象が医者の方にもあったのですね。 ですから文書によるインフォームド・コンセントというのが普及してこなかったわけですが、最近はやはり文書によるインフォームド・コンセントでなければならないという空気が強くなってまいりまして、医療の現場でも努めてそういうふうにしています。ですから、入院したらその患者さんに、何の目的で入院されたということ、それから、何日ぐらいの入院の計画でありますということを必ず説明して、それにサインしていただくようにもうなっています。今度、医療法が改正になりますが、そういうふうにインフォームド・コンセントを重視する医療が実施されるようになってまいりました。確かに、日本はインフォームド・コンセントという面でおくれた部分がございましたけれども、今はそういうことを反省して、一歩一歩改善する方向に歩みつつあると考えています。
○山本(孝)委員 戸嶋先生、重ねてのお尋ねで恐縮でございます。 今回この混乱を招いている問題の一つは、脳死は人の死とするかどうかという点と、適正な臓器移植をするかという点が混乱をしていて、結局のところ時間がかかっているのじゃないかというふうに私は思うのですね。 それで、先ほど松本先生でしたか、ピッツバーグの藤堂先生のお話として、やはり水準に達するには百例以上やらなければいけないだろう、一年に一例とか二、三年に一例とかとやっている形では、これは実験医療の領域を出ないのではないかという御批判が常にあるわけです。先生はたしかもともと移植医療施設は限定すべきだという自説をお持ちだったというふうに思うのですが、八カ所でも多いのではないか、あるいは先陣争いをするのではないかという藤堂先生のお話。結局、福島委員がおっしゃるように、医療に対する不信というものがあってこの法案が社会に受け入れられないといったときに、中西先生がおっしゃるように、これは一遍廃案にして医療界に戻すべきだという意見はどうしても出てくると思うのですね。 そのときに、きょうは少し旗色が悪いというか、先生のところで移植医療全体を代表してお話しをいただかないといけないのかもしれませんが、こういう藤堂先生の御批判なり、あるいは軟着陸をさせていく上で医療界はどうすべきだというふうに先生はお考えになっておられますでしょうか。
○戸嶋裕徳君 脳死は死かどうかということは、松本先生は、絶対に脳死は死じゃないという立場をおとりになっています。これはいわば信仰みたいなものでありまして、議論はいつまでやっても平行線だと私は思います。これは同じことを、廣澤先生とか渡部先生という有名な反対論者がいらっしゃいますが、渡部先生は先ほど申し上げましたように文化論だとおっしゃるわけです。私は、だから脳死を認めるのも新しい文化論ではないかということを申し上げる。この点に関しては幾ら議論しても切りがない話だと私は考えています。 実際に、移植を進めるに当たって具体的に、例えば施設の問題が出ましたけれども、心臓手術が始められたころも同じことが言われたのです。ファローの四徴症とか非常に複雑な手術がある。それから冠動脈のバイパス手術がございます。こういうものも限られた施設でやればいいじゃないかというお話がありました。しかし、日本の医療技術というのは大変すぐれておりまして、もう現在では大部分のところで非常にうまくやっておられます。確かに、初期には失敗例も出たかもしれませんけれども、今は、すべてとは申しませんが、大部分の施設がレベルが上がっていると思います。 心臓移植に関しても、八施設は一応の基準は持っているだろうということは認めておりますけれども、我々が一、二施設に絞ってほしいと申し上げたのは、これだけ混乱した社会情勢の中で絶対に再開第一例は失敗しては困る。しかし、神様じゃありませんから失敗するかもしれません。だから、あそこでやって失敗したのならこれはしようがないやと皆さんが承認してくださるところでやっていただこうじゃないかということで、当面という言葉を使っています。当面、一、二施設でやってほしいということを申し上げています。それで、ある程度そのノウハウが日本においても確立したら、これはドナーとレシピエントのいろいろな時間的な問題、輸送の問題その他ありますから、心臓移植研究会が全国に何施設か、結局八施設を承認されたわけですけれども、そういう施設がやるようになるかもしれません。だけれども、とにかく再開初期に当たってはぜひ東西一、二施設、定評のあるところでやってほしいというふうに考えておるということです。 それから、今後手順よくうまく進めていくためにどうすべきかということですけれども、これは私は、内科が主導権というか、内科が積極的に発言していかなければいけないのじゃないかと思っています。 残念ながら、和田移植に始まりまして、いろいろな移植は外科主導でやられてきています。外科は天性的にチャレンジ精神が極めて旺盛でいらっしゃいますので非常に頑張るところがございまして、頑張るということはやはり若干踏み外しているという面が出たかもしれません。それがまた医学の進歩にもつながっていった。そういう面は否定はできないだろうと思うのでありますけれども、やはり車の両輪でございまして、それを内科が一緒に協力してやって、皆さんの信頼を得ながらうまく進めさせていただきたいというふうに考えております。
○衛藤座長 委員の方で特に意見をお述べになりたいという方がございましたら、二分程度でどうぞ。
○石田(祝)委員 最後に、意見も交えながらちょっとお聞きをしたいのです。 私がお聞きをしたときに、移植でなければ助からないということは医学的な見地からそれぞれお認めになられたと私は思うのです。結局、医の倫理とか患者の権利とかいうことが片やあって、そことの関係で、今の法律を通すとさらに悪い方向に行くのじゃないか、こういう御心配があるように思うのですが、医の倫理の確立、患者の権利の確立とこの法案は切り離して考えられないのか、これは池永先生と松本先生に最後にお聞きをしたいと思います。
○池永満君 これは、全く切り離せないと思います。 といいますのは、結局、先ほど戸嶋先生からもお話がありましたけれども、チャレンジ精神で人体実験をして、それでもなおかつ医学が進歩することがあるのだ、こういう考え方自体を根本的にやめようというのが実は戦後の国際社会における医療、医学の立場なんです。 そして、根本的にそれをやめる手段としてインフォームド・コンセント、いわゆる個人の尊厳、個人の人生観で考える。つまり、これが何か幸せなんだというような言い方、あるいは、自分がそういう研究をしたい、データをとりたいのだけれども、そのことは隠しておいて、あなたの命のためにこうしなければいけない、こういうごまかしはやめようという根本的なものですので、日本における臓器移植の社会的な合意を形成するためにも、この機会に、日本における医の倫理の確立といいますか、インフォームド・コンセントの確立をぜひ果たしていただきたい。そうすれば、多分、本当に苦労されているレシピエントの方たちはもちろんのこと、今後の多くの国民の健康を守っていく上でも、非常に大きな功績を残すことになるのじゃなかろうかと思います。
○松本文六君 私も、切り離して考えるべきではないだろうと思います。 ナチスの時代に人体実験はたくさん行われました。それがドイツ医師会の方で十分に総括されて、先ほど申し上げましたヘルシンキ宣言というのができたわけですね。ところが、日本の場合には、七三一部隊が中国で大変なことをやりましたけれども、そのことについての医療界の反省は全然ないですね。そこにずっと行っておった人が大学の総長になる、医学生を教育する、そういうことがどういう医者を育てているのかということが一つあります。 九大の総長になった病理学の田中健蔵先生という方がいらっしゃいます。彼は、アメリカの「シノプシス・オブ・パソロジー」という病理の本があるのですが、それを全面的に弟子に訳させて、何と自分の著書として出している。訳じゃないのですよ。そういう先生が大学の総長になって教えていっている。九大は、生体解剖事件というのが敗戦前にありました。そういうことについてきちっとした総括をするというのがまず第一だろう。 それから、私は戸嶋先生にもお願いしたいのですが、和田心臓移植のことについて学会として徹底して総括してやっていって、初めて患者の命と人権をどう保障していくかという医者の役割が出てくるのじゃないか。 そういう意味で、今回の臓器移植法案に関しては、倫理の問題と切り離して考えると、とりわけそれを切り離せば離すほど、もっと怖い医療界がのさばってくるのじゃないかと私は思います。そういう点で、これは廃案に持ち込んで医療界にもっと反省してもらう、患者さんは医療界を突き上げればいい、そういう形で変えていかなければ、私は医療界の一員ですけれども、日本の医療界はどうも変わらないのじゃないかと思っております。 以上です。
○衛藤座長 さて、最後でございますが、意見陳述者の方々の中で特に意見をお述べになりたいという方がございましたら、一、二分ほどどうぞ。もうよろしゅうございますか。
○松本文六君 済みません。私の考え方を先ほど戸嶋先生が信仰みたいなものでと言われたのは非常に心外なことで、少し弁明させてほしいのです。 医療の歴史の中で、患者さんに対して何ができるのか、どういうふうに支援していくかというのが、医者なり医療関係者の役割であると私は思うのですね。それが、当然人体実験をしていいのだというような考え方が綿々と続いている。だからこそ問題があるというのと、もう一つは、他人の死を期待する医療あるいは他人の死を期待する技術というのが果たして許されるのかという観点でこれは歴史的に反対しているわけで、信仰でも何でもありません。私の哲学的な考え方に基づいているものというふうにお考えいただきたいと思います。
○戸嶋裕徳君 脳死が死でないとするならば、これは医学的に世界的に大変重大な問題でございます。したがいまして、ぜひ、外国に出ていってこの問題を徹底的にディスカッションしていただいて、今脳死を死と認めている世界の人たちをやっつけていただきたい。 私は脳死は専門ではございませんから、一応専門家の言うことを聞いて、私は、脳死は死であると理解し、また信じておるわけです、まあ信仰とまでは私も言いませんが。ぜひ、外国の脳死と対比して、あるいは学問的にデスディベートをやって決めていただきたいと思います。
○加来信雄君 脳死は人の死かということでございますが、戸嶋教授も今おっしゃったように、脳死は医学的には人の死だということを私は力説させていただきたいと思います。社会的にはいろいろな考え方の人があって結構だと思います。 いずれにしましても、臓器移植を進める、待ち望んでいる方々がやはりいるわけですので、救急医療の現場においていかにして臓器提供への環境づくりをするのかという問題をぜひお考えいただきたいと思います。 今まで多くの方々は、脳死になったらというところから話がスタートしてきているわけです。しかしながら、私どもの救急医療の現場においては、先ほど申しましたように、助かり得る人と助からなくて私どもの手からこぼれて脳死になっていく人がいるわけですね。共存しておるわけです。しかも、それは病院の中にいるのじゃなくてフィールドに現実はあるということまで含めて、救急医療体制を含めながら、そしてその中に一人でも多くの方々が臓器提供の容認をできる社会をどうかつくっていただきたい。これが救急医の、そしてまた救急医の中に臓器移植が発展していくという理解を私どもは持っております。 したがって、救急医療に携わっている人は臓器移植に対して決して無関心ではない、これは私どもの所属しておる学会の中でもそういう多数の意見でございます。 以上でございます。
○池永満君 私は三点ほど発言させていただきます。 一つは、私はデンマークの方で今のところ唯一の心肺両移植も含めてやっている責任者の方とお会いしたことがございます。先生方も御承知のように、デンマークでは十数年にわたって国論が二分をするような形でなかなか決着がつきませんでした。しかし、その間、臓器移植を希望する方については国外に行っていただいて、その費用は全部国費で見ました。その上で決着をつけて、そして今、国立病院で唯一やっているわけです。その結果、移植の成果だけじゃなくて、スタッフの半分ぐらいがそれにとられるということで、非常に多くの課題もまたかかってきているわけですが、社会的な合意のつくり方とか、移植を望む患者さんたちの処遇の問題という点では、学ぶべき点があるのじゃないだろうかという点が一点です。 もう一つ、どうしても死亡、死体というふうにしないとそこから臓器を摘出するのは殺人になるのだ、こういう論理が法律学者の中から出ているわけです。私は、脳死自体に反対して臓器提供を絶対許さないという立場からそういう議論が展開されるのであれば納得いくのですが、その多くの方は、死体とみなしてそこから臓器を摘出しよう、それで、家族の了解でもいいじゃないか、こういうふうな議論をしている点が非常に納得いかないのですね。客観的には全く同じ脳死状態と言われるものを、あるときにそれを死亡だとみなさなければ臓器はとれない、死亡というふうに定義だけ変えれば臓器をとっていいのだ。それで手続は非常に乱雑になる。これは、私ども一人一人の生身の人間のことを考えたときにやはり到底理解できないもので、私は言葉の遊びだというふうに言っております。 最後に、インフォームド・コンセントの点は、もちろん今日における医療の不信の問題で、これを解決することが臓器移植制度を地につけるためにどうしても不可欠だというふうな観点から私はきょうは発言させていただきましたけれども、実は、これは臓器移植だけの問題ではなくて、日本の医療全体が大きく飛躍するチャンスになると私は思っています。いろいろな医療の分野で医療情報、カルテを全部患者に開示して、これは精神病院でもそういうことをやるべきだということに国連総会決議でなっているわけで、諸外国で現にやられているわけです。そういう中で、精神医療の中身が大きく改善されたとか、あるいは、気づかないのじゃないかということではなくて、現実にそのことを真正面から受けとめて患者が自分の病とみずから闘っていく、そういう意欲を引き出すことで、新しい医療技術、医療のレベルが上がってきたとかいうことが各地で報告されているわけで、せっかく技術的な点でそれなりの前進を持っているのであれば、心の点も含めて、日本医療が大きく飛躍するためにも、この際、臓器移植法案の議論が生かされるようにしていただきたいなと私は切に願っております。
○衛藤座長 ちょうど当初予定させていただきました時間が参りましたので、これにて質疑を終了させていただきたいと思います。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。 意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりましてさまざまな観点から貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。 私どもも先生方の御意見を真摯に受けとめまして、大いにこれからの法案審査に生かしてまいりたいと思っております。厚く御礼を申し上げます。 また、この会議開催のため格段の御協力を賜りました田中県保健環境部長初め県当局の方々、関係者各位に対しまして深甚なる謝意を表する次第でございます。 本日はまことにありがとうございました。 これにて散会いたします。 午後三時五十一分散会