規制緩和に関する特別委員会 第9号
- 発言数
- 68 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1996/06/05
会議録
○石破委員長 これより会議を開きます。 まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例によりまして、委員長において指名するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石破委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 それでは、理事に枝野幸男君を指名いたします。 ————◇—————
○石破委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 規制緩和に関する件調査のため、来る十二日水曜日、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石破委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ————◇—————
○石破委員長 次に、規制緩和に関する件について調査を進めます。 本日は、本件調査のため、理事会の協議に基づき、著作物の再販制度について、参考人から意見を聴取し、質疑を行うことといたします。 ただいま御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学法学部教授金子晃君、日本新聞協会理事・再販対策特別委員長、読売新聞社代表取締役社長渡邉恒雄君であります。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、著作物の再販制度につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の順序についてでございますが、参考人にそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。 それでは、まず金子参考人にお願いいたします。
○金子参考人 慶應大学の金子でございます。 時間が限られておりますので、議員の方々のお手元に資料が配られていると思いますが、資料に基づいて意見を述べさせていただきたいと思います。 まず、再販制度見直しの基本的視点ということでございますけれども、再販売価格維持制度というのは独占禁止法上原則違法として取り扱われております。ここに、一枚目に書かれておりますように、再販売価格維持行為は流通段階における価格競争を減少、消滅させる効果を持ちます。また、ほかのいろいろな条件と重なり合う場合には、市場全体における価格競争をさらに減少させるという効果も持つことになります。価格についての競争制限だけではなくて、価格以外にも競争制限的な弊害がもたらされるということになるわけです。こういったことから、独占禁止法上、再販売価格維持行為は原則違法という取り扱いがなされております。 二枚目をおめくりいただきたいと思います。 原則禁止に対して、現行法上、適用除外制度、例外制度が設けられております。この例外についての考え方でございますけれども、再販売価格維持行為は、先ほど申しましたように、価格についての競争を制限、消滅させる、さらに、価格以外の面においても競争上弊害をもたらすということですから、それを適用除外するに当たっては、明確かつ具体的な理由の存在が必要ということになります。このような理由があれば適用を除外するということになるわけです。 それでは、明確かつ具体的な理由というのはどういう形でとらえられる必要があるかということで、次に五つほど挙げておきます。 一つは、適用が除外される当該商品に固有の理由があること。 ほかの商品についても共通する理由であれば、当該商品についてだけ再販売価格維持行為が認められるということはおかしいわけですから、当該商品に固有の理由がなければならないということになります。 二番目は、その理由に基づいて達成すべき目的が明確であること。 理由と目的とを分けたわけですけれども、理由と目的が別であるという場合がありますので、一応ここでは分けてみました。 例えば、ブランド商品について考えてみた場合に、ブランドイメージを保護するという立場に立ちますと、ブランドイメージを損なうような安売りというものは規制の対象にする必要がある。そうなりますと、再販売価格維持ということによって安売りを防止する。これによってブランドイメージを高めるということがあり得るわけです。 このように、理由があった場合でも、なおかつさらに具体的にいかなる目的を実現するのか、その目的を実現するための手段として再販売価格維持行為というものが考えられるということになるわけです。 三番目は、今申し上げました理由、目的に対し て、手段、再販売価格維持行為というのが合目的的である必要がある。 目的、理由を実現するためにさまざまな手段が考えられるわけですけれども、その中で最も合理的な手段が選ばれなければいけない、こういう合理的な手段たり得るかどうかということが検証されなければいけないということになるわけです。 四番目に、再販売価格維持行為によって達成される利益と、それから再販売価格維持行為によってもたらされる弊害との比較考量が必要であるということで、下に書いておきましたけれども、得られる利益が失われる利益より大きくなければいけない。これは原則禁止の態度をとっているわけですから、このように考える必要がある。 それから五番目に、より競争制限的でない手段があるならばそれが優先されるべきであって、そういう手段がないということが明らかにされる必要があるということになるわけです。こういうような点が明らかにされるということが必要だ。 次に、四ページをおめくりいただきたいと思います。 現在、再販が認められている商品があるわけで、著作物もその一つになっております。この再販が認められる要件としまして二つ挙げておきました。 一つは、当該商品について自由な競争が行われていること。 これは、ある特定の商品について流通段階における価格が制限されることになるわけですから、商品間に競争があるということであれば、特定の商品についての競争がなくなっても弊害はより少なくなるであろうということで、自由な競争が存在するということが要件とされているわけです。 それから二番目として、消費者の利益を不当に害さないこと。 この二つの要件が認められた場合に適用の除外が認められるということになっておるわけです。 下の方に、化粧品、医薬品のところにバツ印がつけてありますけれども、今回医薬品、化粧品について見直しが行われ、両業界とも寡占的であり、競争が必ずしも十分に行われていないおそれがあるということで、これらについての縮小、そして将来的には全廃という方向が打ち出されているわけです。 それでは五枚目をおめくりいただきたいと思います。 新聞の再販。きょうは著作物のうち新聞について取り扱うということで、新聞についてのみ資料をつくってまいりました。 まず最初に、新聞について再販を認める明確かつ具体的な理由及び目的が存在するのかどうか。 一般に言われていることとして、公共性、それから表現の自由の確保、それからそれらと関係があると思いますけれども、戸別配達システムの維持ということが挙げられているわけです。こうした理由あるいは目的が再販を認める明確かつ具体的な特別な理由、目的ということになるのかどうかということについて検証してみる必要がある。 一番目のところで、理由は明確かつ具体的で新聞に固有の理由でなければいけない、こういう点から考えた場合に、現在言われている公共性というものが他の商品にない、なおかつ明確かつ具体的な理由であるのかどうか、この点について疑問なしとしないということであるわけです。 それから二番目。公共性、表現の自由ということをもし取り上げたとした場合に、一体それによって何を実現しようとするのか、その目的は何か。表現の自由ということで、再販によって具体的に何を実現するのかという点が明らかにされる必要がある。戸別配達ということになるのかどうか、その点について検討する必要があるだろう。この点は必ずしも明確にされていないのではないかと思います。 三番目に、このような理由、目的のために再販売価格維持行為という手段が合理的な手段であるかどうかということになるわけです。公共性あるいは表現の自由というものが再販売価格維持行為によって達成されるものなのかどうか、合理的な手段たり得るかどうかという点について検討をする必要があるということです。 四番目に、再販売価格維持によって得られる利益が、競争が制限されることによって失われる我々の利益より大きいかどうかという点が検討される必要があるであろう。私はこの点について疑問に思っております。 五番目に、目的を達成するための手段について、より競争制限的でない手段というものがないのかどうか。ここで法人税の減免ということを挙げておきましたが、例えば販売店がつぶれるという議論がありますけれども、表現の自由とか公共性ということを主張するのであれば、こういった手段も考えられないことはないであろうということで、一つ例として挙げておきました。 それから二番目に、再販が認められる条件というものが満たされているのかどうか。自由な競争の存在、二番目に消費者利益の侵害、この点について検討をしてみました。 発行市場、新聞発行者側の市場においてどういうことが問題になっているかというと、寡占的である、これは疑いないと思います。現在、同調的価格引き上げの対象商品として取り上げられている。これは高度寡占的な市場が取り上げられているわけですから、新聞発行本社の市場が寡占的であるということは間違いない。それから、価格の下方硬直性が見られるということが指摘できます。三番目に、同調的に価格が引き上げられる。 これは資料をおつけしておきましたのでごらんいただきたいと思いますが、過去約十年間のところをとって、同調的価格引き上げということで公正取引委員会から理由を聴取されたものを挙げておきました。一番最後から二番目のところ、「平成五年度七品目」ということで、一番下に一般日刊全国新聞紙が挙がっておりますが、黒丸になっております。これは、下を見ていただくと、四回。黒丸がついておりますのはその下にあるビールということで、過去十年間に四回にわたって同調的な価格引き上げが行われている。 いい悪いという問題ではなくて、発行市場という点を見ると、競争が十分に行われていない状況があるということを指摘しておきたいと思います。 それでは、販売市場の点についてはどうかといいますと、販売店においては厳格なテリトリー制がしかれております。販売店同士での競争というものは存在しない。それから、価格に差がつくことが禁止されているといいますか、禁止という考え方があって、これもありません。三番目に、禁止されております景品つき販売が行われているということが言えます。それから、長期購読者、大量購入者に対する割引というものが行われていない。逆に新規購読者に対しては利益が供与されるということで、本来の市場ですと、長期顧客に対して利益を供与するというのは当たり前のことですけれども、新聞業界においては、長期の購読者に対して利益供与はほとんどない。逆に新規に入る者について景品等が配られるという形になっておるわけです。 今のところは、市場における競争が制限されている問題と、それから弊害が両方入っているような形になっておりますが、改めて消費者利益の侵害の点を考えてみますと、販売店選択の自由が消費者に、読者に認められていないという形になります。それから、購読新聞紙以外の新聞を購入しようとしても極めて困難である。駅に行きませんと購入できないという状況になっている。それから、購読条件が一方的に設定されて、それが押しつけられるという形になります。それから、勧誘方法が非常に不適切であるということで、しばしば問題を起こしております。 これも最後に資料をつけておきましたけれども、国民生活センターのPIO−NETにインプットされた消費者相談の中で、新聞のデータがございます。これを見ますと、毎年トラブルが増加しているという形になっている。そして、新聞は上位にランクされるという形になっているわけです。これらは、競争がないために勢いこういう形 での勧誘方法になるというふうにも考えられるわけです。 最後に、私の意見を書いたものをお配りしてありますので、詳しくはそちらの方をお読みいただければと思います。 以上でございます。(拍手)
○石破委員長 ありがとうございました。 次に、渡邉参考人にお願いいたします。
○渡邉参考人 読売新聞の社長の渡邉でございます。 新聞協会の再販対策特別委員長をしている関係から、新聞協会を代表して参上いたしました。 本日は、このような機会を与えられたことを、委員長及び委員の皆様に厚くお礼申し上げます。 私は、何十年間か記者席で専ら取材する側でありまして、委員会席で発言するのは生まれて初めてでありますので、大変光栄に存じている次第であります。 ただいま金子教授から、新聞再販をつぶしてしまえという理論についてるる御説明がありましたけれども、私は全面的に反対であります。 まず、原則違法ということを盛んに強調されると、新聞の再販があたかも違法であるかのごとく思われますけれども、独禁法という法律によって、法定再販という名のもとに著作物というものは入っておるのでありまして、法定で再販されているものが何で違法であるか。 それから、当該商品に固有な理由がないようなことを言われておりますけれども、固有な理由もあり、目的もあります。 再販によって得られる利益は競争制限により失われる利益よりはるかに大きいものであります。当該商品、新聞について自由な競争が行われていないようなことを牽強付会で言われておりますけれども、新聞ほど競争激烈な商品はないことは、国会議員の皆様の方が一番御存じだろうと思います。紙面作成面、特だねを、あるいはいい企画をとか、あらゆる方法で日夜物すごい競争をしております。販売面その他でもしかりであります。 価格が硬直的であると。私は上方硬直性が強いと思うくらいでありますが、現在東京にある六つの新聞、大新聞でありますが、そのうち、六つの新聞について四つの価格があります。これは朝夕刊セット価格でありますが、高いものは日経新聞の四千三百円。それから、朝日、毎日、読売が三千八百五十円であります。産経新聞は三千六百円であります。東京新聞は三千円であります。上下の格差が千三百円あります。高い商品の方がいいと思われる方は日経をおとりになればいいし、安い新聞をとりたいと思われる方があれば東京新聞、三千円という価格があります。六つの商品について四つの価格があれば十分ではありませんか。 それから、一般日刊全国紙が同調的値上げが多かったとかいろいろ批判されておりますけれども、一般日刊全国紙というカテゴリーは、公取委員会がある日突如一片の告示で新聞五社に対してなされたものでありまして、地域によっては、例えば七〇%から九〇%、県単位で普及率を持つ有力な県紙があり、そういうところでは、いわゆる全国紙というものは五%とか三%しかシェアがないのです。 全国的に——言論というものは、ある一定の地域で寡占状態があるということは望ましくない、独占状態があるということは望ましくない。いかなる場所でも四種、五種、六種という新聞の購読可能性があるということが大事なのです。そういう面から見ると、全国紙五種だけが特殊な商品であるようにくくった公取の告示に対して私は反対であります。当時から反対してまいりました。 そもそも規制緩和というのは、一九八九年末よりの日米構造協議によってアメリカ側の圧力で日本の市場の閉鎖性に対して開放を求めてきた、それが動機で始まったと一応言えると思います。アメリカ側の要求はカルテルとか入札談合とかいわゆる系列問題でありました。 また、もう一つの、規制緩和が現在必要とされている、我々もこれを支持している理由は、バブル経済崩壊後の不況打開策としての日本経済の活性化の手段としてであります。そういう意味で規制緩和は大いにやらなければならないと思います。 ただ、新聞、出版という活字商品は、日本語の特殊性からして何らの意味でも貿易商品ではありません。全く貿易商品ではないのです。したがって、日米構造協議の際も、アメリカの通商代表部の高官も日本の新聞の再販問題なんかには何の興味はない、規制緩和に関連して、市場開放問題に関して何ら興味はないということを言っております。 それからまた、金子さんの理想とされるように新聞の再販をなくす、その結果、新聞の宅配は崩壊し、新聞の発行部数というものは現在朝夕刊合わせて七千二百万部ありますけれども、これは世界最高の数字でありますが、半分とか三分の一とかにどんどん減っていく、これが一体経済の活性化に何の役に立つのか。 つまり、規制緩和を論ずる際に新聞というものは何らいい例にならないのですね。ならないのに、公正取引委員会が設けている私的研究機関である研究会の下部機構である再販問題小委員会、その座長をここにおられる金子さんがやっておられるわけでありますが、もっぱら新聞いじめをやっておる。まあ、政治的感覚のないのが象牙の塔にこもっておる学者の通弊であります。 それから、この学者たちは、新聞の持つ文化的な価値、公共性というものを真っ向から否定してかかっているわけであります。 文化というものは、物質文明、人類の技術の進歩等で発展していくシビリゼーションというものと、精神的文化に深くかかわるカルチャーというものがある。著作物とは、人間の道徳、社会的規範、政治思想、文学、芸術、思想一般を伝達する手段であって、民主主義を維持するために不可欠なものでありまして、これは著作権法によりましてこの著作物とは何かというのは非常に具体的、詳細に書かれておるのでありますけれども、私は、きょうは新聞と出版に関してのみ申し上げたいと思うのですが、そういう意味での著作物は文化的な価値を持っております。 また、公共性を主張する理由でありますけれども、国会は、昭和二十六年だったと思いますけれども、日刊新聞紙の株式の譲渡を制限する法律というものをつくりました。言論の自由、独立を守るためにやたらに乗っ取りをされないように株式の譲渡を制限するという法律であります。これも新聞の公共性を認めたからでありましょう。 それから、郵便法二十三条三項三号、これは第三種郵便物を低価格で販売することの規定でありますが、この法律の中に、「政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。」という規定があります。ここでも新聞の公共性について法律が述べておるということでございます。 それから、今金子さんが法人税の軽減の問題を取り上げられましたけれども、実は明治四十三年の営業税以来、新聞に対しては事業税、当時は営業税と呼んだ、その後事業税と言われましたが、これは全く非課税であったわけであります。昭和六十年に半額課税になり、数年前、三、四年前から全面課税に移行しようとしておりますけれども、これは新聞の持つ公共性に対して税制上優遇措置をとってきたものであります。 また、経済企画庁が発行している物価レポートの中に、経済企画庁は新聞購読料値上げのたびに各新聞社に対して事情聴取をしているのでありますが、その理由として、このレポートで、「新聞は国民の日常生活に必要不可欠な社会の公器であるから」事情聴取をするのだということが書かれております。社会の公器だということを言っております。 それから、公正取引委員会の事務局が編集しました「新聞業における特殊指定」と題する解説書の中で次のように書いてあります。ちょっと面映ゆいのでありますが、「新聞のような文化的に崇高な使命を有する一流の商品はあらゆる市場におい て、すべて単一の価格をもって販売されるべきもので、その定価を「値引」して販売すべきものでは断じてないということが今日の常識であるとされている。この特殊指定の公聴会においても、値引絶対反対の意見が圧倒的であったこともまことに理由のあること」だ。新聞は「社会の公器としての新聞の使命の達成のため、」云々というようなことが書かれておりまして、今金子さんの委員会と一緒になって公取の事務局は新聞の再販を撤廃しようとしているのでありますけれども、その公取の事務局がかつてはこういう表現をしていたということもひとつお忘れないようにしていただきたい。それは昔の話だと言われても、独禁法というのは非常に若い法律でありまして、戦後GHQの圧力でできて、二十八年に、独立直後改正されて、そのときに法定再販としてこの新聞、出版物等が取り上げられたわけであります。 また、今公取委員会の金子さんの属しておられる委員会というものは、非常に偏見に満ち、新聞を何とかつぶしてやりたいと思っておられるとしか思われない。三人のイデオローグがおりまして、ここの金子さんを初めとして、親委員会の鶴田という委員長と三輪という東大の教授と三人がおりますが、それが、まあ、きょうもおまきになったかどうか知らぬが、「三田評論」その他を使って、ミニコミを使って新聞に対するあらゆる悪罵を続けているわけであります。これはミニコミとは言えないかもしれませんが経団連の「経済広報」という雑誌に、三輪東大教授、これは金子小委員会のメンバーでありますが、そこにこう書いてあります。「新聞にも伝える内容の選択は許されるが、業界団体として一斉に、しかも、雑誌・書籍両協会と同調して行動した点は」——行動したというのは再販廃止反対について行動した点は「きわめて凶悪である。場合によっては刑事罰の対象になる価格カルテルに劣らぬ反社会的行為である」と書いております。これは、まあブラックジャーナリズムに書く文章としては適当であるかもしれませんが、一流大学の学者が、極めて凶悪で刑事罰の対象になる反社会的行為である、我々新聞の報道をそう批判しているわけであります。これは大変な侮辱でありまして、何らかの手段で抗議したいと思います。このような発言は、三輪、鶴田、金子、三氏によって相次いで発言されております。 そうして、この小委員会には、新聞の再販に賛成する著明なる独禁法学者、例えば舟田正之さん、これは立教大学の教授でありますが、あるいは伊従寛さん、元公取委員で、中央大学の教授でありますが、こういう人たちは全然入れられておらない。 それから、新聞が購読を制限されておる、購読手段が制限されておるというお話が今ございましたけれども、宅配というのは、全国津々浦々、至るところでも同一価格で、早朝、都市部においては夕刊がありますから夕刻、定時に配達する。これは、郵便料金が、普通郵便が八十円、はがきが五十円という価格に比べますと、一日百円強という価格はかなり安い。そこに記事内容として印刷されている活字の数は、大体新書版一冊もしくは二冊に該当するだけの量があるわけであります。それだけの情報を定時に配るのでありますが、これをコンビニで売らないのがけしからぬということをこの小委員会の方々が盛んに言っておられる。 コンビニで売った場合、一体どういうふうになるか。 現に売っているんです、大阪とか名古屋とか。首都圏で売ってないのがけしからぬということを言っておりますが、首都圏でも私どもは実験的にやっております。 それで、既に至るところでコンビニで売られているスポーツ新聞を見てみましても、駅売りが大体五割が返品であります。それからコンビニでは八割ぐらいが返品になります。現在、我々が春日部とか各地でコンビニに試験的に新聞を置いて販売しているのでありますが、十部置いて売れるのが二部というのが平均値であります。八部は返品になるのです。八割の返品ということは恐ろしい数字でございます。 それからまた、朝夕刊七千二百万部印刷されて毎日発行されているこの新聞を、コンビニの新聞売り場及び駅売りのスタンドに一体置き切れるか。七千二百万部、到底置き切れるものじゃないのです。七百二十万部置くこともできないのです。七、八十万部が限度でありましょう。すると、新聞は宅配をやめたら一体どこに置いておけばいいのかということになるわけであります。 だから、日本は宅配が発達しておるので世界で最高の発行部数を持っているわけでございます。各国の発行部数、一人当たりの部数等、もし御必要があれば、もう時間がないので申し上げませんが、後ほど申し上げます。その他いろいろ申し上げたいことがありますが、あと、諸先生の御質問に応じて追加発言させていただきたいと存じます。 ありがとうございました。(拍手)
○石破委員長 ありがどうございました。 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○石破委員長 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、本日の参考人に対する質疑は、理事会での協議により、最初にあらかじめ申し出のありました質疑を行い、その後は参考人に対して自由に質疑を行うことといたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。永井哲男君。
○永井(哲)委員 社会民主党の永井哲男でございます。 まず、本日は、両参考人、お忙しいところ当委員会にお越しいただきまして、貴重な御意見を開陳いただいたことを厚く御礼を申し上げたいというふうに思います。 私の再販に対する考えは、民主主義ということで最も重要な知る権利という点から考えた場合に、再販というのは、これは維持すべきではないかというふうに考えているところであります。ただ、制度でありますから、現行の制度が丸ごと全部肯定されるべきかどうか、これはいろいろと議論があるところだと思います。それについては真摯にその反省をして、改善すべきものはしっかりと改善しなければならない、このように考えているところであります。 この金子先生のまとめられた中間報告、大変な力作である、そういうふうに私は思っているところでありますが、しかしその中で、まず第一にこれは理論的な誤り、いかがかなと思うところがあるのではないかというふうに思っております。 というのは、最初に先生は、これについて原則違法である、そしてその違法なものが肯定されるにはかような明白かつ具体的な理由がなければならない、理由、目的のために合理的な手段かどうかという点、そしてより制限的でない他の選択し得る手段というような理論的な枠組みをつくられております。 しかし、私の理解するところ、この理論的な枠組み、立法の規制のあり方というのは、もともと表現の自由、その自由に対する規制の政府のあり方としてつくられてきたというのがこの理論の発端ではなかったのか。特にこれを、この独禁法に乗って、これだけですべてを割り切ろうとするということは、これは自由競争というものが絶対的な価値として、他のあらゆるいろいろな自由というものはその下位に置かれるということと同じ結果をもたらすのではないかというふうに思います。さまざまな立法の中ではいろいろな自由というものが対立するわけであります。そういった他の自由というものをどのように考慮すべきか。自由競争を守らなければならないというのも経済的な自由の中で認められる一つの価値でありまして、それが絶対的なものでなければならないという理由はないのではないか。 そもそも、憲法では優越的な自由というふうに言われております。それは表現の自由を基本とするそういった自由を、他の自由権に比べてこれを優越的に扱わなければならない。なぜかという と、現在では民主主義の社会でありまして、その民主主義というものは、これはいろいろな意見があるということによって担保される、もし誤ったとしても、民主主義が正常に機能していればその民主主義の過程で改善される、民主主義そのものが誤った場合には改善される余地がない、そういうことで生まれてきた議論であります。 したがって、経済的な自由というのは、それは、優越的な自由、他の自由、とりわけ政治的な意見の表明の自由というものを基本とするそのものに比べては下位に置かれるというのが憲法の理論ではなかったか、そういうふうに思うわけであります。 そういう点で、これに特別な理由があるのか、その理由を積極的に主張しなければならないということを、理論を立てて、何ら検証なくこの理論を前提として立てて、そういった負担というものを他に課すとすれば、それは他の自由というものを規定することと同じことではないかというふうに思うわけであります。 最後にある「文化通信」のそのところを見ましても、先生はこのようにお述べになっております。「自分たちの説明不足を棚に上げ、小委員会を非難するのは筋違いである。」「書籍が文化的財であるというだけでは再販制度を維持する根拠にはならない。」「中間報告は、出版物・新聞の文化的財としての性格を否定しているのではなく、こうした特別の理由を見いだすことが困難であると述べているのである。」「単なる文化論ではなく、具体的な主張を関係業界に期待したい。」このような形で述べております。 特別な理由がなければ自由競争というものが優先するのだということをこれは暗に言っていることと全く同じことではないかというふうに私は考えるのでありますが、先生はその点、どのようにお考えでしょうか。
○金子参考人 今、議員の方から御質問がありましたけれども、経済的自由と知る権利あるいは表現の自由との関係でございますけれども、私は、経済的自由というものが常に知る権利とか表現の自由というものの下位に置かれるという関係にあるのではないだろうというふうに思います。そして、経済的自由、それから知る権利、表現の自由というのはいろいろな形でかかわり合いを持つのだろう、ほかの考え方からいえば、経済的な自由というものが下位にあって、そしてその上に政治的あるいは表現の自由、知る権利というものが確保されるのだというような理解の仕方もできるわけです。 現に、独占禁止法が制定された当初において主張されたことは、政治的な自由というもの、あるいは民主主義を我が国に定着させるためには経済的な自由というものが実現されなければいけない。我が国が独占禁止法を制定するかどうかということは、我が国が政治的自由というものを求めているかどうか、経済的自由というものを実現することによって政治的な自由というものを求めているのかどうかということがわかるのだというようなことが言われたこともあるわけです。したがって、経済的自由と表現の自由あるいは知る権利、政治的な自由あるいは民主主義というものの関係というのは画一的なものではなくて、私は多面的な見方ができるのだろうというふうに思います。 それから、独占禁止法というのは、ある一つの側面からとらえているのであって、知る権利、表現の自由というものを守るために、適切ないろいろな法制度、手段というものがとられるということは、これは当然のことであろう、独占禁止法が再販売価格を新聞について認めないからといって、知る権利、表現の自由というものがなくなってしまうというものではないというふうに私は思います。表現の自由あるいは知る権利というものは、もっと直接的なほかの手段によって守られていくべきものであろうというふうに思います。 議員の発言の中で、種々の意見があることが民主主義の基礎になるのだというお話がありましたけれども、私は、そこのところは一つのポイントになるだろう、種々の意見というものを守るということが大切である。もし、種々の意見を守るということを目的に設定した場合に、再販売価格を維持するということが種々の意見を守るということとどういう関連性を持つのか、その点を明らかにしていく必要があるだろう。 私は、先ほど述べました中で、目的と手段との間の関係というものを指摘しました。種々の意見が存在する、そういうものを守っていくという手段として再販売価格維持行為というものがいかなる役割を果たすのか、どういう効果をもたらすのかというあたりを明らかにされる、そういうことが必要ではないだろうかというふうに思います。
○永井(哲)委員 これも中間報告を読んで感じたところでありますが、やはり現状認識というものを素直にやっていただきたいという感も深くしたところであります。 今も言われましたが、再販がそれとどのような関係にあるのかというふうにおっしゃいましたが、再販制度というものがあって現実というものがあるわけでありまして、現状、どうなのかということを素直に見れば、再販制度というものがどのような機能を果たしているのかということが現実に示されている、そういうふうに私は考えます。 再販制度をなくして、ではこれがどういうふうになるのかということは、むしろ変更を主張する立場の方で、再販制度をなくすとこういうふうな形が生まれますよということを積極的にむしろ主張し、それを明確にしていく、いわば主張責任といいますか、そういったものがあるのではないかと思います。 今の回答の中で、経済的な自由と表現の自由ということで先生独特の考えをお述べになりましたが、それは現在の憲法学界の通説とはやや異なった立場にあるのではないかというふうに私は感じておりますが、それも一つの見解であるというふうに思いますので、そのこと自体について異論を差し挟むということは差し控えたいと思います。 いずれにしろ、今現在この再販制度というものがどういうものなのか、どういう機能を果たしているのかということをやはりしっかりと見ていただきたいと思います。今の時代、表現というものを保障するだけでは、これは国民に広く知れるところにはならないわけでありまして、それが伝達手段を通して国民に受け取られる、それによって初めていろいろな意味での民主主義的な機能というものを果たすわけであります。 したがって、今は、表現の自由というよりは、むしろ受け取る側からの知る権利というような側でいろいろなものをとらえていこうというような動きになってきているのではないか。そういう中で、例えば宅配制度というものは、これはどういうものなのか、知る権利、そういうものにとっていいのか悪いのか、そういうこともやはり考えていただきたいと思うのであります。 そこで、大きな違いというのは、多様性というもの、いろいろなものがあるということをどう考えるのか、これに深く関係していると思います。 先生の考え、これは「ジュリスト」の三月中旬号でありましたか、そこで見ると、先生のこのような言及の部分があります。「地方のほうへ行くと、ブロック紙なり県紙のほうが強いのです。むしろ、全国紙が全国津々浦々販売されなければならないと考えること自体がおかしいので、」云々というふうに続いておりまして、「コストが高くなって、高い購読料を払っても読みたい人は読めばいいので、地域のブロック紙なり県紙が伸びることのほうが、むしろ望ましいのではないかと思います。」その後に、紙面が明らかにいろいろ違うというようなことに対して、「共同通信社配信の重要な記事は、ほとんど載っています。」このような言及もあるわけであります。 これを見ますと、手近なところから一紙読めば知る権利として十分に満たされているのではないか、そのような前提に立った考えのように見受けられますが、しかし、事実というのは、主観にとって切り取られて初めて意味を持つものでありま して、一通信社の報道だけで十分にそういった報道の機能が全うされているかどうか、これは非常に問題があるところだと私は思います。だからこそ、多様性というものがあるということそれ自体に価値を認める、そういうものが必要ではないか、そういうふうに思っております。 そういう中で、今果たしている再販の機能というのが、全国紙、全国津々浦々同じ価格で読めるという、そういう機会を設定しているということに役立っていることは確かでありまして、そういう機能を素直に認めて、そういった多様性というもの、そしてもう一方で自由競争というものを促進した場合、これがどのように改善されるのか、こういったものをよりはっきりさせる、むしろこの再販を廃止したらどうなるのかということをしっかりと具体的にシミュレーションして、こうだということをむしろそちらの方で、変更を主張する方が言わなければならないとも思うのでありますが、どのようにお考えでしょうか。
○金子参考人 永井議員の御質問ですけれども、再販の現実に果たしている機能、また再販が果たすべき機能について中間報告は触れていない、あるいは私がその点について触れていないというお話がありましたけれども、中間報告におきましては十八ページのところでその点に触れております。そして、理論的な面で考えて、再販というものが戸別配達と理論的に結びつくのかどうか。それから、再販がなくなれば戸別配達が現実になくなるのかどうかということについては詳細に議論をしておりますので、そこのところは中間報告をお読みいただければというふうに思います。 それから、後半部分について、私が「文化通信」に書いたものを取り上げられました。それから、「ジュリスト」に発言した点も取り上げられましたけれども、私は、情報の平等な享受という観点で申し上げて、全国一律に同じ価格でなければ情報の平等な享受がなされないという意見に対して述べたものであって、一紙だけが読めればそれでいいということを申し上げているわけではありません。 私は、例えばある地域で、輸送費の関係であるとかその他の関係で価格が高いものになるということがあったとしても、ほかに読むべき新聞があり、また他に情報を獲得する手段があれば、そういう多少高いものがあってもぜひそれを読みたいといえばそのコストを払って読めばいいのであって、価格差があるということが情報の平等な享受を妨げているんだという議論は成り立たないであろうということを申し上げたわけであって、一紙だけ読めばいいとか多様性がなくていいというふうに申し上げているわけではありません。 それから、念のために、価格が高くなるかどうか、この点については、他のいろいろな物資について地域間格差というものが現在の運送システムの中で生じているのかどうか、そういう点も考慮して、価格が全国で違って、新聞が購読できないほどの高い価格差が生ずるということが起こるのか、再販を外した場合にそうなるのかどうかということについては、さらに検討してみる必要があるだろう。私は、そうはならないだろうというふうに思っております。 以上です。
○永井(哲)委員 私は、価格自体が高くなる安くなるという形では質問はしておりませんが、そのことだけつけ加えておきます。 いずれにしろ、この再販をどうするかということについては、知る権利、文化といった点も非常に大きな点だというふうに思います。 各国ではそのために、例えばスウェーデンでは、良質の本を保護するために国が補助金を出している、また、一紙独占を防ぐために二位の社に国が補助金を出している、そういうような制度もある。アメリカでは、初版本なりなんなりについて、良質本を大学図書館なりそういったものが約三千部ぐらい買い上げることによってそういった部分の保護をする機能を果たしている。 そういうような幅広いものを見ないで、再販制度だけの中で、そういうものを廃止するのはどうかということだけで議論するとすれば、そういった文化的な面がどう残るのかということに対する全く責任のない議論になっていくのではないか、そういう面も幅広く検討しなければならない、そのように思います。 情報の格差、地方分権、そういった中で、地方に住む人たちに対するアクセスなり、それがどう保証されるのかということも、この再販をなくせばどうなるのかということの中で同時に検討されなければならないと思います。 世論調査で言えば、読売新聞の十月の世論調査では、再販制度の支持が八七・三%、また出版文化産業振興財団の読者調査では、書籍、雑誌の再販制の支持が七三・八%というような形で国民に幅広く支持をされている。 そういう現況の中でどう考えるのかということが広く求められている。そういう点で幅広い検討をしっかりとしていただきたいということを要望しておきたいと思います。 最後に、もう時間もなくなりましたが、この公取委の中間報告の中で指摘する点、さまざまあります。不当な面もありますが、正当に現在の新聞の販売の実態、あり方についての苦言を呈している点もあると思います。 そういう点で、これは渡邉参考人にお聞きしたいのですが、新聞協会ないしは渡邉さんの方としては、そういった指摘をどのように受けとめ、そしてどのように改善していこうと現在お考えになられているか、その点をお聞きしたいと思います。
○渡邉参考人 お答えいたします。 新聞の編集それ自体よりも、新聞の販売方法について各方面からいろいろな批判がございます。 そこで、現在新聞協会では、朝日新聞の社長が販売正常化委員長というのをやっておりますけれども、新聞協会を中心にして、まず、いわゆる拡張員ですね、つまり勧誘して歩く人間、この人たちの態度を改めさせなければならない。制服を着用させるとか、あるいはネームプレートをつけさせる、それから言葉遣い、強引な勧誘をしてはならない等々、それを最重点に置いて目下教育中でございます。 それから、拡材、いわゆる景品等の問題でございますが、それについても、読売新聞だけで八千八百軒の販売店を持っておりまして、そこで十万人の従業員が動いております。それに対して、販売店を歩いて販売の指導をしているいわゆる販売担当員というのは百五十人ぐらいしかおらないわけであります。そこで、非常に時間がかかってまことに申しわけないと思っておりますけれども、今全力を挙げてこれをやる。 そこで、各地域にモニターを設置いたしまして、そのモニターの報告を聞く。新聞協会では、主婦連の代表の方も含めて我々にいろいろ小言を言ってくださる審議会を設置いたしまして、頻繁に我々は聞いております。 それから、現在では特に九州、山口地域でかなり販売競争が激化して弊害が生じておるという報告がありましたので、朝日、毎日、読売、西日本、中国新聞と五社の社長会議を開いてそこで申し合わせをいたしまして、各社長から販売局長に命令して、そのような行為を慎むように、厳に慎めという措置をして、その経過を今観察中であります。 また、東京二十三区でも、とにかく厳重に、何も使わずとにかくきれいにやろうじゃないかという申し合わせをいたしまして、現に実行中でございます。 その他、今永井先生のおっしゃったように、新聞にとって多少不当と思われるような販売行為がある。これについては、最大の関心を持って、現在、協会長は毎日新聞の社長の小池君でありますが、小池会長、それから朝日新聞の社長の中江君の販売正常化委員長を中心に、我々理事連中も非常に協力してこれを徹底して、皆さんにお小言をいただかないように努力を続けているつもりでございます。 そのような御指摘、ありがとうございました。
○永井(哲)委員 どうもありがとうございました。
○石破委員長 枝野幸男君。
○枝野委員 さきがけの枝野幸男でございます。 参考人のお二人の皆様には、きょうはありがとうございます。 まず結論から申し上げますが、私自身は個人的には著作物の再販売価格制度は維持すべきであるというふうに考えておりますけれども、先ほど来のお話を伺っておりますと、若干議論がかみ合っていないかなと思っておりますし、率直に申し上げて、渡邉さんのおっしゃった理由と私の考えでおります理由がちょっと違っております。その点について、私の意見を挟みながら御意見をちょっと伺いたいのです。 私は、再販売価格維持制度を著作物について認めてきた理由と、そしてこれからも認めていかなければならない理由というものを考えるときに、現象面、あるいは消費者サイドからの見方ということに余りこだわり過ぎると、ほかの商品とどう違うのかということに最終的にはなってしまうだろう。消費者の立場から見たときという知る権利の立場とか、それも大事なことでありますが、その話を出しできますと、安全のために化粧品はあるいは薬はとかという話がいろいろ出てきてしまいます。 では、なぜ著作物という定義で、カテゴリーで例外規定にしてあるのかといえば、私はまさに著作権を守るためではないのかというふうに個人的には思っています。例えば金子先生がお示しになった例外を認める要件に照らして考えてみましたときに、私は、そもそも著作権というもの、これは守られなければならない権利というのは異論がないと思いますが、著作権を守るというのが理由であって、その理由を達成するための目的というのは、私は、著作権者に、著作権を持っている者にその著作物についての価格のコントロール権を与えるという目的を持っているんだというふうに思っています。 なぜならば、他の商品と違いまして著作物については、一種の情報でありますので、ある意味では市場に出た瞬間に価値はゼロに近くなる。出すときにどういった価格で設定するのかということが非常に大きな意味を持つ。さらにまた、残念ながら今の日本社会では、著作物に代表される、物になっていない価値について対価を支払うということについての文化がまだ根づいていない。そういったことを考えると、著作をした著作権者が自分の著作物についてどれぐらい価値があるのかということを自分の判断で価格を設定して、後は、それじゃ高すぎるといって買わなきゃ買わないでいいわけですから、そこに任せる。ただ、そこを流通に任せるというようなことが現状の著作権に対する日本の概念や流通の仕組みの中ではちょっと困難だ。したがって、著作権を守るためには著作物についての価格のコントロール権を著作権者に認めるというのが、私は独禁法の例外をつくった出発点ではないかと個人的には思っています。 そして、これは私が見る限りでは、理由、目的に対して再販売価格維持制度というのは合目的であると思いますし、四番の、それによって達成される利益と弊害の比較、これはいろいろな意見があるのかもしれませんが、ほかに著作権というものを、著作権者の権利というものを守る手段として何かふさわしいものがあるかといえば、なかなか見つからない。価格のコントロール権を与えるというのが一番じゃないかというふうに私は思っておりますが、この辺、金子先生どういうふうにお考えになりますか。
○金子参考人 ただいま、著作権を守るため、著作権を守るということで著作者に価格コントロールを与えるという形で再販売価格維持行為というのが認められているのではないかというお話ですけれども、各国の著作権法を見ても、また著作権に対する保護ということを見ても、著作権者に対して価格コントロールの権限を与えているという法制というのはないと思います。私はその点で、著作権というのはまさにアメリカ流に言えばコピーライトであるわけですね。我が国は若干違って、オーサーズライツというふうに言っていいのかもわかりません。その点ではアメリカよりもより強い形で著作権者の保護がなされているというふうに言っていいだろうと思います。 しかし、その場合であっても、著作権者に対して価格コントロールというものを認めるということが必要なのかどうか。この点についてはいろいろな議論があるだろうし、また慎重に考えていかないといけない。これは独禁法の問題ではなくて、著作権法上著作権をどのようなものとして見、また著作権をどういうふうに保護していくかという問題になってくるのだろうというふうに思います。 したがって、私は、現在の独禁法で著作物について再販売価格を認めているということは、そのことが直ちに著作者に対して価格コントロールというものを認めている制度であるというふうには見られないだろうと思います。もしそうであるとすれば、出版物について、著作権者というのは著者であるわけですね、著者に対して自分が出す本についての価格設定の権利を認めているかというとそうではなくて、出版社があるいは流通業者が再販売価格を決定することが認められているわけであって、決して著者の価格コントロールというものを認めているわけではありませんので、その点で現行の法制度と先生のおっしゃることとは私は一致しないのだろうというふうに思います。その点は著作権法の中で考えてみるべき問題ではないかというふうに思います。
○枝野委員 ここで余り議論をする時間はありませんが、諸外国の法制という御指摘については、そもそも著作権に対する概念が国際的にまだ未成熟の状況でありまして、日本も欧米各国に比べれば相当おくれておりますが、さらにおくれている国もたくさんある中で、著作権という概念をできるだけしっかりさせていこうという流れの中にある。特に我が国で考えなければならない、そして歴史的にも現実であるのは、形のないものに対してお金を払わないということについての意識が非常に強い、欧米諸国に比べても非常に強い。 そうした中では、価格についてある程度、著作権者という言い方は正確に言えば若干違うかもしれませんが、に与えてきたということが非常に意味を持っていたと思っておりますし、これは立法の経緯その他いろいろございますので、断定的にこういったことを言えませんが、しかし、著作物という概念で実は独禁法の例外はつくっております。さまざまな、いろいろな理由をその制定当時からいろいろされていますが、突き詰めていくと、なぜ著作物だけが違うのかということになると、その部分に行き着かざるを得ないのじゃないか。 それから、最後におっしゃられました、正確には、厳密には著作権者が価格を設定しているのではないと言っておりますが、そこは私も、だからコントロールという言い方をさせていただいたので、著作権者が例えば出版社と契約をするというような過程の中で、これはそんなに安いのだったら出さないよとか、そういったことが事実上コントロールできるわけでありますし、厳密なことを言ったら、新聞だって記事を書いている記者ではなくて新聞社が価格を決めているわけですけれども、そこはコントロールという意味では及んでいる。そこは出版をするサイドのところに今決定権が再販価格維持制度という形であるわけで、それによって著作者の最低限の権利というものが僕は維持されるというふうな思いを持っているわけであります。 これ以上お話をしても水かけ論になりますので、むしろ渡邉社長にお尋ねをしたいのですが、今のような観点からむしろ再販価格維持制度というのを議論を詰めていけば、著作権法などのこともいろいろ御検討いただいて、していただければ、私は、十分説得力を持つのではないか。残念ながら、先ほど社長がおっしゃられた理由をるる述べていかれますと、例えば我々規制緩和を進めていこうという立場からいたしますと、その理由 では今度、薬とか化粧品とか何やかんやという話と一緒になってしまうなと。それは安全なのか知る権利なのかという違いだけであって、なかなか難しい。ぜひそういった観点からの御検討、御議論を。 そして、新聞が特別なんだという言い方、新聞をおやりの立場からよくわかりますが、新聞だけではなくて、一般的に著作というものについて保護をすべきなんだ、まさに知的労働であって、情報は出てしまった瞬間に価値がゼロになるという意味では、新聞だけが意味があるのではなくて、ある意味では、私は低俗とは思いませんが、世間的には低俗と言われるものであっても、それはつくった者の権利というのを守らなければならないという意味では、例えば今は音楽CDまででありますが、何で落語はだめなのだとか、そういった話までむしろ広げる、著作権という範囲で仲間を広げるというふうな方向でやっていただいた方が私は説得力を持つのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
○渡邉参考人 ただいまの枝野委員の御説には全面的に賛成でございます。 そもそも、著作物が法定再販になっている。金子さんが専ら新聞の話をされたので、私は反論するために新聞についてのみお話ししたのですが、本日は、新聞及び出版、書籍、雑誌等について、その業界を代表して参っておる次第でございます。私は、現在の独禁法が法定再販として著作物という概念を挙げておる、著作物という概念は法律上は著作権法にしかないわけでございます。著作権法は文化庁の所管でありまして、現在、マルチメディア化時代にいろいろな意味の著作物、コンピューターソフトとかいろいろなものが出てきましたので、多少混乱しております。その範囲を明確にすることは必要だと存じます。そして、今枝野委員がおっしゃったような意味で著作権というものを厳重に保護していかなければならない。私どもも、新聞社でありますが、出版局を持っております。著者の価格コントロール権というものは実際にはある。例えば、何万部出すか、どの程度の宣伝費をかけるか等は、著者との相対のネゴシエーションで行われるわけでありまして、その際に著者の要求を聞かなければほかの出版社に出されてしまうわけであります、いい著者の場合でございますけれども。そういう意味では価格コントロール権は著者にあります。 それから、中間報告は、二十八年の改正独禁法で著作物を法定再販にしたことについて、立法の趣旨が具体的に明らかにされていたわけではないと書いてございますが、そうではございません。たしか二十四年でしたか、二年でしたか忘れましたが、最初の独禁法が導入され、独立と同時に、昭和二十八年に改正独禁法ができたときに著作物を法定再販とした際、公取委員会の事務局長がドイツに参りましてドイツの独禁法を十分研究し、その中でこの著作物というものを入れたわけでございます。 それで、ドイツの当時の考え方はどういうことかというと、これは簡単に申し上げますが、ドイツの立法の趣旨は明らかでございます。例えば、ドイツの独禁法の代表的な法学者で国際的にも著名なフィッケンシャーというミュンヘン大学の教授がおります。また、ドイツの独禁委員長をやっておられたイメンガというゲッチンゲン大学の教授がおられます。この二人の言葉を、簡単でございますので申し上げると、当時の、二十八年の独禁法改正の際の著作物というものを法定再販にした理由、それからドイツ法が一体どういう考えであったかということがわかります。 フィッケンシャー教授は、ドイツで新聞、書籍等が再販禁止の例外扱いとなっているのは、我々ドイツ人が効率性を超えて文化の多様性を守りたいからだ。文化の多様性ということを非常に強調しております。これは、先ほどの永井委員からもるるお話がございました、言論、表現の自由権は経済権に優越しているという思想であります。 それから、イメンガ教授は、新聞を含む出版物の再販制度は効率的な流通システムの基盤になっている、出版物は全国的に普及させるべきであり、同時に質の高さが維持されなければならない、これこそ民主主義国家にとって一定の文化水準を保持する重要な要素である。こういう意味で、著作物というものは文化的な価値のために法定再販となったのであります。文化的な価値というものは、やはり著作者の持つ権利、著作者の値打ちでございます。 以上です。 —————————————
○石破委員長 議事の途中ではございますが、ただいまグヴォズデヴァ・スヴェトラーナ・ニコラエヴナ・ロシア連邦議会議員御一行が当委員会の傍聴にお見えになりました。御紹介申し上げます。 〔拍手〕 —————————————
○石破委員長 質疑を続行いたします。枝野幸男君。
○枝野委員 ありがとうございます。 私の申し上げた説というのは決してまだ一般的なものではないと思っておりますが、単にその文化的な価値とかというだけではなかなか再販制度に結びつかないというところをつなげる背景の部分として、価格に対するコントロールの話というのは、議論をすればするほど説得力を持ってくると私は思っておりますので、ぜひ御検討をいただきたいと思っております。 せっかく私の意見に賛同していただいた後にお尋ねするのはなんなのでございますが、やはり新聞の販売拡張の部分のところについて指摘を受けざるを得ないところはあるだろう。実際に私も新聞の販売店の方に強く勧誘をされて困ったという経験も何度もございますので、そうした中で、一点ぜひ御検討をお願いをしたいと思いますのは、新聞販売店の方の、特に販売員、拡張員の方の労働環境かなと思っております。 私、弁護士として小さな額の詐欺とか横領とかというような事件の中に、何件か実は販売店の方、要するに非常に経済的な困窮をしている中で、新聞販売店だと住み込みで生活が安定する、そういった方が何らかのきっかけでお金に困ってしまったという事件、たまたまだと思うのですが、何件かやったことがございまして、販売店の方の生活環境はなかなか厳しい。価格との兼ね合いもある。その環境をよくすればそれだけ価格に響くわけでございますから、そういった難しさはあるとは思うのですけれども、これは現状をきちんと知らせて、なおかつ、今のような、ある意味では現場の販売店では過酷とも言えるかもしれない販売競争があるという現状が改善をされるということであるならば、例えば若干価格に反映をしても、それほど大きな抵抗はないのだろう。そういったことをぜひ新聞協会など、販売店の販売員の皆さんの労働環境をよくすることによって過当な競争を少なくしていこう、若干価格が上がるということについては十分説得をしようというようなお考えはございませんでしょうか。
○渡邉参考人 先ほども永井委員から御指摘があった点とも関連いたしますが、まさにそのとおりでございます。先ほども申し上げましたように、読売新聞だけでも十万人の配達従業員、販売店の従業員を抱えております。全国では四十数万人おります。労働環境は非常に劣悪であります。昔は、例えば八畳一間に数人の従業員を寝かせておったというようなことがございます。最近まで、戦後も、木賃アパートに住まわしておった。しかし、最近はだんだん向上してまいりまして、ワンルームマンションでなければ新聞配達をやらないよというような人も出てきております。そこで、例えば我が社でも、販売店にはそんなワンルームマンションを建てる力がございませんので、新聞社として余力のある限り、八階建てぐらいのワンルームマンションを建てて、そこに三店舗ぐらいの従業員をみんな集めてきて住んでもらうというようなこともしております。 販売店の従業員のビヘービアというものは、その待遇によるのです。待遇が悪ければ悪いほど従 業員のビヘービアは悪くなる。そこで、先ほど永井委員からも指摘があったような点につきまして、どう改善するかということは、何としても販売店の従業員の待遇の改善が最高である。これはまた、販売店の店主というものがあります。店主はなるべく安く従業員を雇いたい、こう考えるのは当然であります。そこで、店主に対して、なるべく高くと言うと語弊がありますが、とにかく適正な賃金を支払って、働きやすい環境をつくれ。それから週休制も、日曜日も休まずに新聞は配りますから、全く休みのない、一年じゅう休みのないような生活をしている。これは、店主の場合はどうにもしようがない。旅行も何もできない。夫婦で、非常にかわいそうなんです。そういうこともございます。 二、三度前の値上げのときに、三百円値上げいたしました。そのときに当時の我が社の会長でありました務台という人がおりますが、これは販売の神様とこの世界では言われているのですが、その務台さんが、三百円の値上げ、これは大体販売店と本社で半分ずつ分けるものでありますが、全部店にやれと。私は、当時副社長でありましたが、三百円全部取られちゃって、せっかく値上げしたけれども本社には全然入ってこない、こんなばかなことはあるかと思ったのでありますが、極めて独裁的な会長さんであったので、服従いたしました。しかし、後で考えてみると、その三百円は週休対策費として使うという条件をつけて販売店にやったのです。これは、新聞記者の諸君もおられるようなので、どうも私の口から言うとまことにまずいのでございますが、読売新聞が一千万部になったのは、あのときの三百円というものを全部従業員の週休対策費に充てた、そしてとにかく待遇改善を徐々にやった。まあ三百円といったって、それは一千万部ありますと月に三十億、年に三百六十億になるわけでありますから、それを全部週休対策費に充てた。そういうようなことをして待遇を改善して、従業員のビヘービアを向上させるように努力していくつもりでございます。鋭意やっております。 ありがとうございます。
○枝野委員 時間でございますので、終わりにいたします。どうもありがとうございました。
○石破委員長 野田佳彦君。
○野田(佳)委員 本日は、両参考人におかれましては、大変お忙しい中を御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。 私は、特に自分の特定の立場から質問をするという形ではなくて、まさに白紙の状態で、再販の問題について深い議論を今後するためのまさに素朴な質問を両参考人にさせていただきたいというふうに思います。 まず、金子参考人にお伺いをいたしますけれども、昨年七月の中間報告、これについてですけれども、これに基づいて国民各層においてこの問題についての活発な議論が行われることを期待しこれを公表するものであるという形の、その公表目的、活発な議論が行われることを期待をするという形で出ておりました。この中間報告が出た後、果たしてこの議論が深まっているのかどうか、活発になってきているのかどうか。 先ほどの永井委員のお話にもございましたとおり、再販を見直そう、あるいは廃止をしようとする世論というのは割とない、低調である。もちろん読者として今の書籍業界であるとか新聞業界にいろいろな要望、注文があるかもしれませんけれども、再販問題についての世論というのが高まっているとは残念ながら私は思わないのでありますけれども、この点についての御意見をまずお伺いしたいと思います。
○金子参考人 私は、各方面において、徐々にですけれども、議論が深まっているというふうに申し上げていいと思います。 それから、議論が深まらない一つの理由として、情報が十分に国民に伝達されないという側面がある。一方的な意見だけが国民に伝えられるという側面があるということなのですね。この点については、新聞社を初めマスコミの関係者にお願いしたいと思うのですけれども、再販廃止についての意見というものももっと取り上げて、賛成、反対の意見を国民に示し、その上で、どういう結論を出すのかという議論を深めていく、そのための努力をすべきであろうというふうに思います。 私も、いろいろなところで機会があれば再販の話をし、話をしますと、そういうことであったのかということで理解をしてもらえます。 私の学生で、ことし三年生、私のゼミに入ってきた学生たちがいますけれども、新聞の再販についてどのように考えますかということで入ゼミの小さな論文を書いてもらいました。そのときに書いてきたのが、新聞社の主張する意見をほとんどすべての人が書いてきました。それで、入ってきて、いろいろほかの事実も指摘し、そして客観的に事実を眺めてみると、そういう意見は知らなかった、そういう側面は知らなかったということで、今度はある意味で客観的に判断ができるようになってくる。私は、議論が深まらないということの一つには、今申し上げたような事実があると思います。 それから、これは宣伝になって、先ほど嫌みで言われたのですけれども、慶應大学で出している「三田評論」という雑誌があります。この中で、同じ慶應の同僚である江藤氏を迎えまして、私が座長で座談会をいたしました。かなりの激論で、これを読んだ人たちから非常におもしろかったという話を聞きました。これは二万数千部発行しております。慶應の卒業生が定期購読をして、その数が一万幾つかということですから、あと七、八千というのは、これは一般に出るわけです。それで、通常は売れ残るわけです。ところが、この号に関してはほとんど在庫がない。現在二、三十部しか在庫がない。できればきょうお持ちして議員の方々にお見せしょうと思ったのですけれども、在庫がないということで持ってきませんでしたけれども、このように非常に関心は高いということが言えると思います。 それから、新聞等で出されている世論調査の結果ですけれども、事実を知らないところでやる世論調査というものがどういうものであるかということも、これは考えてみないといけないであろう。 それで、これも私のゼミの学生たちが昨年度、三田祭という大学のお祭りの中で、バーゲンブックというのをやりました。非常に盛会で、これは、出版社の方々にもお願いをして本の出品をしていただいて、非定価販売で本を売りました、新版を。非常によく売れまして、そこに来た人たちに、いろいろ議論をし、意見を聞きますと、またそれなりの反応が出てくるということで、十分に事実を知らせた上での世論調査ということが私は必要であろうというふうに思います。 これから、この問題、非常に文化にもかかわりますし、大切な問題です。私は、私も含め、また中間報告を出した小委員会を含め、文化の問題を決して軽んじているわけではなくて、非常に大切な問題である、したがってこの問題は本当に真剣に考えなければいけないというスタンスで検討をしているわけです。そういう意味からも、これから情報を十分国民に伝え、そして国民の判断というものが形成されてくるということを期待したいと思います。 その意味で、中間報告ですので、これから先、最終結論に向けて小委員会が活動していくと思いますけれども、小委員会での議論、私の個人的な立場では、できる限りすべて公表したらいいというふうに考えておりますし、公取の事務局にも、もし継続するならば、私は議論の全過程を公表してもらいたいと思います。 ただ、問題は、公表したものが国民に伝わるかどうかという問題であると思うので、この点では、渡邉さんを含め、むしろ積極的に議論の内容を紹介するということで、再販に賛成する人の意見だけをこれでもかこれでもかというような形で報道するというような態度は、言論の自由とか知る権利とかいうことを言われる立場としては逆のことをやっているのではないかというので、私は ぜひこれは実現していただきたいというふうに思います。
○野田(佳)委員 今の金子参考人の御意見も踏まえて、渡邉参考人にお伺いをしたいと思うのですけれども、この再販問題についての議論でありますが、その議論の場を提供すべき新聞、出版界、残念ながら金子参考人の御指摘のようにどちらかというと再販維持の主張が数多く出ていて、再販に批判的な意見というのは余り出ていないというか、ほとんど出ていないのではないかなと。確かに、ミニコミ誌かどうかわかりませんけれども「三田評論」とか「ジュリスト」、私も読ませていただきましたけれども、結構おもしろいシンポジウムというか議論になっておりました。 そうした視点からすると、まさに国民の知る権利であるとか言論の自由という建前を振りかざす以上は、特定のイデオローグの暴論と片づけてしまうならそれは扱う必要はないのかもしれませんけれども、こうした意見についてももう少し、やや公平に扱う必要があるのではないかという印象を私自身も持っておりますが、その点についての御意見をお伺いをしたいと思います。
○渡邉参考人 このような問題は、再販制度という、著作物の再販という法律で法定されたものを変えようとすることは、一三条委員会である公取委員会が一片の告示でやっては絶対にいけないことであります。国会で立法行為として行うべきことであります。しかるに、しばしば公取委員会は一片の告示で大きな政策の変更をしてきております。例えば、クーポン広告は景品であるから絶対禁止すると言っておきながら、突如、クーポン広告は広告であるからこれを奨励すると、やれと。やったって余り効果はなかったのでありますが、そういうことを命ぜられた。そういうような産業政策を左右するようなことを一片の告示でやるということは極めて遺憾なことであって、ぜひとも国会で審議の上、法律で決めていただきたいと思います。 それで、再販と戸別配達というものの密接な関係については時間を要しますので詳しくは申し上げませんけれども、再販制度というものがなくなれば戸別配達が崩壊し、各地で新聞販売店が倒産し、資本力の弱い新聞社は倒産いたします。大きな新聞社も、実は私の新聞社でも再販を廃止した場合に一体どうなるだろうかというシミュレーションを立てさせたところ、まあ、今一千万部あるのが、再販廃止になれば五百万部ぐらいに減るだろうという結論でありました。非常な打撃を受けるということであります。 そのようにして戸別配達制度というものを崩壊させるような中間報告が出た以上、これは言論の自由を崩壊させる、活字メディアの基盤を脅かすものであり、現在国民が享受している多様な言論というものもなくなってしまう。そうした一種のクーデターのごとき報告内容がありました。 先ほどもこの報告をつくった人々、そのイデオローグの紹介もいたしましたけれども、それに対して私どもが、新聞、出版社等みんな反対でありまして、文化庁とともに活字文化懇談会という組織をつくり、そこで見解を表明し、それに従ってキャンペーンをやったことは事実でありますが、そのキャンペーンが、先ほど三輪教授の言葉として、これは公取委員会の研究会にいるのでありますが、その人の言葉として凶悪な刑事犯罪だというような非難を受けたわけでありますが、そのような凶悪な刑事犯罪に属するようなキャンペーンをやった覚えはありません。 事実、九九%の新聞が宅配されております。再販で売られております。九九%が再販と結びついた戸別配達によって維持されている。また、国民の大部分の方が、一々コンビニとか駅売りの場所まで買いに行くよりは、雨の日でも雪の日でも自宅に届けられるということの方を望んでいるということは世論調査等で明瞭でありまして、九割以上が戸別配達を望み、八割以上が再販制度を支持しているわけで、この数字は大変なものであります。 また、配達というものが、公共的な交通手段が発達しておるので都市部でも過疎地でもコストは変わらないではないかということを金子グループの学者の一人が書いておられますけれども、これは大変な間違いでありまして、本社から販売店までの輸送コストよりも、販売店から一軒一軒の家に配達するコストが圧倒的に多額なのです。そしてしかも、都市部ではエレベーターのないマンション等をおりたり上がったりするという苦労もありますが、それでも楽です。例えば、北海道各地に行けば、冬などは一軒一軒配るということは長靴を履いて雪の中を一歩一歩歩くということでありまして、私は、公取委員会の小委員会の諸君は一遍北海道や東北の山奥の小さな販売店が冬、雪の中で、雪に埋もれた中で一部一部、一戸一戸、どのようにして配達しているか、それを見てから物を言えと言いたい。 そういうものを見ずに、暖かい大学の象牙の塔の中で、書斎の中で、あるいは公取委員会の事務局の部屋の中で、文書だけで、法律だけで、国民の生活形態を左右しているこの戸別配達というものを議論して、再販をやめてしまえというような、ただ流通経済の立場から、経済法の立場からのみ——経済法にもならぬ、こんなものは、そういう考え方は。そういういいかげんな物の考え方について何で新聞が大きなスペースをあけてこのような愚劣な考え方を報道しなければならないのか。国民の一%も支持しない少数意見を、それも中間報告はちゃんと報道したのです、立派に。あらゆる機会に中間報告というのはこういう愚劣なものだということを報道しているのです。報道してないのではないのです。 それに対して私どもは、私どもの新聞社の生存権を守るためというのではなくて、憲法二十一条の精神を守るために我々はキャンペーンをした。それが凶悪な刑事犯罪に属するということを公取の研究会の鶴田委員長がそういうことを言っておる、書いておる。これは許すべからざることだ。三輪東大教授だ、間違えました。しかしこれは、この研究会及び小委員会両方に属しておる教授であります。 以上で御理解いただきたいと思います。
○野田(佳)委員 中間報告で流れている物の考え方として、再販を維持しようとする側の方が国民各層が納得し得るような明確かつ具体的な理由を積極的に示すべきであるというような書き方であるような印象を私は受けました。ということは、再販を維持する側に再販が必要であるという挙証責任的なものが負わされているような書き方なのですね。 その一方で、このような長年続いてきた制度を変えようとする側が、具体的に再販を廃止することによってどのように消費者、読者に影響があるのか、よくなるのか、悪くなるのかということをまさに具体的に挙証すべきであるという意見も逆にあるかと思いますが、この挙証責任について両参考人はどういうお考えでございましょうか、お聞きをしたいと思います。
○金子参考人 今の御質問に答える前に、渡邉参考人が述べたことというのは非常に私は暴言だと思います。二十一条を主張するならば、今のような発言というのは本来出てくるべきものではないというふうに思います。言論の自由を否定する何物でもないというふうに思います。 それから、今の問題ですけれども、現在の規制緩和の見直しの中で、我々の小委員会はこの再販を取り扱う前に独占禁止法の適用除外規定すべてについて見直しを行いました。適用除外規定が認められた理由、それから現在において適用除外規定が存続すべき理由が存在するかどうかという点についての検討を行い、そして、導入された当時にはそれなりの理由がすべてあったはずです、しかしながら維持すべき理由が現時点においてあるのかどうかということについて慎重に議論をし、そしてそういう理由がないものについてはこれを廃止していくという結論を出したわけです。その一環として、再販売価格維持行為についても、現在これを残されている商品について残すべき理由があるのかどうかということについて議論をし、 我々は幾つかの、幾つかといいますか、それについての問題点を指摘したわけです。 ということで、私は、制度というものは制度の存続すべき理由というものがなくなった段階においては当然廃止すべきものであるというふうに思いますので、再販売価格維持についてその必要性がないということだけを我々としては主張すれば十分であろう。我々は必要ないというふうに言っているわけですから、もしそれについて残す必要があるんだということであればそういう理由をぜひお聞かせいただきたい。我々は聞かないと言っているわけではありませんので、そういう理由を出してください。そして、中間報告の中でも業界から意見を聞き、業界の意見について我々の考え方を示すということをしております。 これは立証責任の問題ではなくて制度についての考え方の問題であろうというふうに思います。制度を廃止する場合に、存続すべき理由がないということでやはり制度というものは見直していくべきであって、もし必要だということであれば、そういう意見を出してもらって本当にあるのかどうかということを議論する、それが物の考え方の筋道ではないかというふうに私は思います。
○渡邉参考人 挙証責任は、現在、法律で著作物を法定再販と明記している独禁法の改正に関する問題でありますから、私どもはその法律に従って再販を維持しているのでありまして、私どもに何の瑕疵もないのです。したがって、これを変えろという側が挙証責任を持つと思います。しかし、私どもの方で挙証しろとおっしゃれば、するにやぶさかではありません。 ただし、国家行政組織法の八条委員会である審議会、調査会等が二百を超え、余り多過ぎるというので制限されているために、各省庁ならいいけれども各局に至るまでが私的研究会、私的懇話会等のものをやたらにたくさんつくり、私も入っているものもありますけれども、つくって、そこで報告書なるものを出して、あたかもそれが金科玉条、葵の御紋であるかのごとく振りかざされるということは、これはやめてもらいたいと思うのです。禁止すべきだと思うのです。行政権はすべて内閣に属する、立法権はすべて国会に属する、司法権はすべて裁判所に属する、これが三権分立の建前でありまして、日本国憲法にそのように書いてございます。 ところが、国家行政組織法三条委員会の中で、例えば国家公安委員会は確かにそのような三条委員会でありますけれども、国家公安委員長は国務大臣でありますから内閣に責任を負っております。公取委員会というのは、そのような意味で、内閣に責任を負わず独立して権限を行使するという団体であり、私はそのこと自体が憲法違反だと思うのでありますが、憲法論になりますからここでは申し上げませんが、そのような委員会が勝手につくった私的委員会の私的な中間報告なるものを、どうして我々が大きく報道しなければならないかということに疑問を持つ。これは前回の委員の御質問に対するお答えでございますが。 再販がないとどうなるか。いろいろな文献があります。昔の新聞販売店主がいろいろ書き残したもの、しゃべり残したものがございます。 例えば、今読み上げるのは、「山梨県新聞販売史」という川上正三という有力な販売店主が書いた立派な本をコピーして、その部分だけ持ってきたのでございますが、たった五行ですから読み上げますけれども、 昭和初期の各紙の販売競争は、物量による拡張工作はしなかったが、昭和二年、東京十五社の販売部長会議で申し合わせた”定価販売厳守”は脆くも崩されて、各社とも新聞代の安売りで対抗した。東京紙の場合、一カ月の新聞代を一円に決めたのだが、専売が始まると一カ月九〇銭になり、八〇銭になり、七〇銭に値引きして拡張した。ひどいのになると五〇銭引きで売る新聞店も現われた。一宮村の川上新聞店では、「東京朝日」を三カ月分一円で売った一時期もあった。 というようなことが書かれております。 再販制度がなくなると値引き競争になります。値引き競争になると、先ほども販売従業員の質の問題について、労働環境の問題について御質問があったわけでございますけれども、不心得な店員の中には、値引きしたと称して店に納金しない。例えば、五割に値引きしたと称して、実際には十割取っていながら五割しか納金しない。そして、販売店主は、それをいいことにして、発行本社に対して、新聞社に対して、値引きして売ったからと言って、例えば百万円納めるべきところを五十万円しか納金しない、新聞の原価について。そのようなことが起こったために、十数紙あった東京の新聞紙が片っ端からつぶれ始めて、新聞統制に入った戦時には、朝日、毎日、読売、都新聞、中外商業新報、つまり現在の日経でありますが、この五紙しか残らなくなってしまった。これは、みんな安売り競争で、弱いものはつぶれていったのです。そういうことが今後起こる。 したがって、再販価格の維持制度というものはどうしても必要だというのが私の考え方の一つの重要な点でございます。 だから、じゃ再販をつぶしてごらんなさい。つぶしたらどういうことになるか。そのときに幾つかの新聞社はつぶれるでしょう。地域低下というのが起こるわけです。 例えば、読売新聞が新潟県なら新潟県に行って三千八百五十円のものを二千円で売る。それは我々が指令しなくてもその地域に強力な販売店があれば、自分のところは値引きして競争紙を倒す。そして、地方紙をつぶしてしまうということもあり得るかもしれないし、強力な地方紙は、全国紙を追放するために一定期間、一年間ぐらい価格を下げる。それによって相手を倒す。 例えば、現実にあったことでございますが、戦後です、十年か二十年か前に、東京で東京新聞が非常な低価格、現在でも三千円という最も価格の低い新聞でございますが、石油ショックで紙の値段が上がったために各社が値上げしたときに値上げしなかった。何百円かという当時としては大変な大幅な価格差ができた。そのために、当時、読売新聞は一カ月で二十六万部減りました。そして、東京新聞は四十万部ふえました。つまり、四十万部が八十万部になったわけであります。そのようなことが現実に起きたのです。二十六万部を回復するのに一年以上かかりました。そういうことが起こる。 したがって、再販価格の問題と宅配とは結びつくという一つの証拠を申し上げた次第でございます。 長くなりまして恐縮でございます。
○野田(佳)委員 もっとお聞きしたいことがたくさんあったのですけれども、質疑時間がなくなりましたので、終わりたいと思います。 それぞれのお立場から御高見をお伺いさせていただきまして、本当にありがとうございました。
○石破委員長 福島豊君。
○福島委員 両参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変に貴重な御意見をお聞かせいただきまして、心より感謝を申し上げます。私も、どちらということではなくて、中立的な立場から率直に御意見をお聞きしたいと思っております。 まず、先ほど、渡邉参考人は、規制緩和がこれだけ大きく取り上げられるようになった理由には二つあるとおっしゃられました。一つはアメリカの圧力だ、もう一つは平成不況の中で日本経済の活性化のための手段として唱えられてきたのだと。 ただ、私は、三つ目があると思っているのです。その三つ目というのは、消費者の利益を図る。例えば規制緩和によって内外価格差を縮小して消費者の利益を図る。渡邉参考人のお話を伺っておりますと、お立場上そういう発言になるかとは思いますけれども、消費者の立場という視点が全く感じられないと言ったら大変失礼になりますけれども、その点につきまして、私は、お話をお聞きしまして、消費者の立場でもっと考えていただきたいなというふうにも思うのですけれども、この点につきましてはいかがでございましょうか。
○渡邉参考人 まことにごもっともな御発言だと思います。第三点を抜かしたことは申しわけないと存じます。 ただ、あらゆる規制緩和の中にいい規制緩和と悪い規制緩和がありまして、消費者のためにならない規制緩和もある。 例えば、アメリカで規制緩和と称して、自動車保険について保険会社が自動車の所有者に対して保険を、要するに強制保険制度をなくしちゃったのですね。だから、アメリカでは、保険料を払っても払わなくてもいい、また、保険会社が必ず自動車の所有者を保険に入れる必要はないという規制緩和をやったのです。そのために、現在、千万台か二千万台ぐらいの自動車が無保険のままアメリカ全土を走っている。その場合、何か事故が起きたときに支払い能力がないわけです。多くの場合、私の聞くところでは、黒人とかヒスパニックとか少数民族に対して一つの差別として行われている。これが規制緩和の名において行われた弊害の一つだと思います。そのような種類の規制緩和はしない方がいいし、消費者の利益になる規制緩和をひとつ選別して、本委員会におかれて御審議いただきたいとこちらから陳情申し上げる次第でございます。
○福島委員 確かに、規制緩和の中には消費者の利益になるもの、ならないもの、いろいろとまじっている可能性があります。そういう意味では、冷静に何が本当に利益になるのかということを考えなければならないというふうに私も思います。 それで、この再販制度の廃止ということについて金子参考人にお聞きいたしますけれども、消費者という立場から、これはどのようなメリットがあるのか。とりわけ新聞の再販制度につきまして御意見をお聞きしたいと思います。
○金子参考人 再販制度の廃止によってどういうメリットが生ずるかという御質問ですけれども、一番最初に申し上げましたように、再販売価格維持制度というのは、流通段階における価格競争を制限または消滅させると同時に、価格以外の面での競争上の弊害をもたらすということがあるわけです。 新聞の場合には、さらにそれに加えて、先ほど申し上げましたように、一般日刊紙の場合には寡占的な市場構造があるという形になっておりますので、同調的に価格が引き上げられる。それが再販売価格維持によって実施されているということになるとすれば、すべての新聞に同じ、必ずしも同じというふうに言いませんが、同じ程度の価格が全国一律に行われるという形になります。私は、再販が廃止されることによって、こうした寡占市場における、流通段階における価格というものが動いていく可能性があるであろう、それと同時に、全国一律の価格というのも崩れていくということになるだろうと思います。 それと同時に、現在行われている、価格競争がないために非常に不適切な勧誘方法がとられたり、あるいは価格についての競争がないために景品を提供するといったような競争が行われたり、あるいは拡張員に対して非常に大きなコストを支払ったりというような事柄、こういうような事柄が、再販を廃止することによって正常化されてくるだろう。私は、現在の販売方法というのは、これは再販とは無関係ではなくて、むしろ価格競争がないということのために起きている現象であるというふうに思います。その点で、販売段階においてよりよいサービスを、そして読者が望む形での配達をという形での競争というものが行われてくることになるだろうというふうに思います。そういう点で、再販売価格維持を廃止することによって消費者が得る、あるいは読者が得る利益というのは、私は非常に大きいというふうに判断いたします。
○福島委員 渡邉参考人、ただいまの金子参考人の御意見につきまして、いや、そうではないぞということがもしありましたら、おっしゃっていただければと思います。
○渡邉参考人 全く机上の空論というものはこのようなものかなと痛感した次第であります。価格競争がないというけれども、先ほども申し上げましたように、東京で四千三百円の日本経済新聞と三千円の東京新聞があるのです。安い方がいいというならば東京新聞をお買いになればよろしい、購読されればよろしい。高いものならば読売新聞でも、もっと高い日経新聞をお買いになればよろしい。この価格設定ということは非常に頭の痛い問題であります。 それから、価格の一部となる休刊日の問題がありますが、この休刊日が、例えば河北新報の一力社長は、休刊日は自分のじいさんの代からつくってはいかぬという遺言があるからおれはつくらぬと言ってなかなかつくらない。ですから、宮城県においては、読売新聞は発行部数は少ないのでありますが、とにかく休刊日なしに配るということは、何日か休んではいます、河北新報も休むようになりましたが、まだ少ない。そういう意味では、ある意味では低価格ということが言える。それから、地方紙と全国紙とはまた価格が違います。 そのように、価格競争が現に起きておりますし、それから、例えばページ数、新聞社によって、東京で皆さんがお読みになっても、夕刊が二十四ページの新聞もあるし十二ページの新聞もあります。十六ページの新聞もあります。これは、米一キロ幾らであるか、同じ値段で一キロ、七百グラム、六百グラムというような差別があると同じような、事実上の価格差に近いものであります。 そういう競争、どうして新聞が競争のない寡占市場かというのは、全く私にはわからない。日夜嫌になるほど私の頭の中を占領しているのは各社との競争体制なんです。だから、何にしろ象牙の塔の机上の空論については理解ができないというのが私の心境でございます。
○福島委員 参考人、競争は激しくやっているのだということでございますが、読売新聞の競争相手といいますと、朝日新聞であるとか毎日新聞であるとか、全国紙であると思うのですね。そうなりますと、価格に関して自由が与えられた方が、そのシェアということについてより闘いやすく、競争しやすくなるのではないかというふうな考え方もあるかと思うのですけれども、この点につきまして、私は全く素人でございますので、参考人はどのようにお考えでしょう。
○渡邉参考人 ある一定期間、例えば一年とか二年とかの間低価格に据え置くということは、競争の有力な手段であります。しかし、読売が仮に据え置くと——今そういうことがなく、物価が上がっておりませんから値上げの理由がございません。私も、当分値上げはできない、値上げをする気持ちはありません。しかし、かつてのように、石油ショックで紙の価格が暴騰した、そういうときに上げないということは、首をくくれという寸前ぐらいまでいくわけですから、従業員は賃上げを迫ってくる、その支払う資材の価格は暴騰する。そういうときに、一年間じっと我慢できるだけの資金力があれば、その資金力のある会社が勝ちます。ない会社は負けるわけです。部数をうんと減らすわけです。 もちろん、部数競争をやるに当たってはいろいろな他の手段もございますけれども、例えば、戦後、朝日、毎日、読売が二百八十円、二百四十円、二百円でしたか二百二十円でしたか、忘れましたが、その三種類の価格があった時期があるのです。そして、ページ数が多少変わった時期があります。そのときの政策の失敗が、その三紙のうちの一紙が部数を減らした理由とされております。目に見えて自分が負ける政策をとる、ポリシーをとる会社があるだろうか。お互いに、だから同調的値上げというカテゴリーがあるわけです。これはカルテルではないのですけれども、同調的値上げというものが全国紙五社について、全国紙は三社とおっしゃるけれども、公取委員会が指定するのは五社であります。五社、東京新聞は五社の中に入っておりませんけれども、五社に限って言えば、四千三百円と三千六百円との価格差がございます、上下の間に。そういう価格差がありますが、それぞれ、例えば産経新聞は三千六百円であります。読売新聞は三千八百五十円で、日経新聞は四 千三百円であります。しかし、産経新聞は三千六百円という価格で特徴ある紙面をつくって、我々にないカラーの料理欄とかあるいは「正論」欄とかいろいろな工夫を、苦心をされていることはよくわかります。我々も、二百五十円高い新聞を産経新聞より余計売らなければならないと思って一生懸命努力して紙面の刷新を図っております。 それから、論調という点では、これは価格と関係なしに、もうイデオロギーの問題でありますから、朝日新聞の社説と読売新聞の社説は、憲法とか安全保障とか基本的な問題に関しては正反対であります。これはもう何十年そういう闘いをお互いに続けてきております。最近のサッカーのワールドカップだけは、たまたま朝日新聞が日韓共催を主張し、私もそれに同調いたしました。私は主筆でありますから、私が同調すれば社説も同調するわけであります。たまたまサッカーのワールドカップについては朝日と読売が歴史的和解をしたという現象もあるわけでありますが、他の点ではほとんど妥協せず社論で争っております。 まあ、国民の中で、読売の社論がいいという国民と悪いという国民と両方があって、それぞれ自分の好きな方の新聞を選択するという自由もあるのです。まるで選択の自由もない、競争も行われていない、そういう寡占市場だという象牙の塔の机上の空論の繰り返しを聞くのはもう飽き飽きしております。皆さんも恐らくそうだろうと思います。今後何度も聞かされるかもしれませんけれども、余り愉快なことではございません。
○福島委員 渡邉参考人の御意見を拝聴いたしまして、要するに、再販制度をなくすと部数が減る、そうすると会社が倒産するところも出てくる、これは困る、単純に言うとそういうふうに理解してよろしいのでしょうか。
○渡邉参考人 おっしゃるとおりであります。必ず、今寡占市場だそうでありますが、今がガリバー型寡占の状態にあると言われるのかよくわかりませんが、独占市場になるでしょう、恐らく。
○福島委員 金子参考人にお聞きいたしますが、再販制度を廃止した場合にそのような事態になると、経済学的には判断してよろしいのでしょうか。
○金子参考人 私は経済学者ではありませんけれども、寡占市場というのは何も新聞市場、新聞の産業だけではなくてほかにも幾つもあるわけで、再販が実施されていない産業がほとんどすべてであるわけで、新聞と、現在幾つかのところだけが再販が認められている。そういうところで、今渡邉さんがおっしゃるようなことが起きているのかどうかということをお考えいただきたいと思います。 それから、今渡邉さんが言われることは、規制を緩和する場合に必ず出てくる議論なのですね。これは化粧品の場合も同じ議論がありました。それから、医薬品の場合も同じような議論がありました。この委員会で委員の方々が規制緩和を進めておられるわけですけれども、その対象となる業界すべてが同じような議論を出してくるというふうに思います。なぜ新聞だけが再販が外れると倒産することになるのかということについては、理解できないところであるわけです。
○福島委員 時間も迫ってまいりましたので、一点お聞きしておきたいことがあったのですけれども、諸外国の状況でございます。新聞または出版物につきまして、その再販制度というのは一体どうなっているのか、再販制度のない国では新聞業は荒れ野のようになってしまっているのかどうかという点につきまして、金子参考人、ちょっと御説明いただきたいと思います。
○金子参考人 中間報告の中で指摘しておりますのでお読みいただければというふうに思います。 新聞については、現在ドイツだけが再販をとっているという状況でございます。書籍については、代表的なところでいえば日本のほかにドイツそれからフランスということ、それから北欧の幾つかの国々で行われているという状況になっております。 再販がないところでそういった問題が起こっているかということについて、私はそういうことが起こっているというふうに認識しておりません。よくイギリスが引き合いに出されますけれども、イギリスの紙面が低俗になったということはないと思いますし、そういうことを言えばイギリスの国民は大いに怒るところだろうと思います。新聞が公共的な性格を持ち、また国民の知る権利にこたえる、そういう商品であるということであれば、私は、再販があるなしにかかわらず新聞としての使命を達成するためにその紙面の質的な水準を維持していくということは当然行うべきであるし、そうであろうというふうに思っております。 また、新聞について、価格で私は必ずしも競争しているものではないというふうに思いますし、紙面、それからその内容について競争しているのであろう。そういうことを考えますと、価格が安いからそちらに移るというようなことは起こり得ないのではないか、もしそういうことが起こるとすれば、毎日新聞を読んでも読売新聞を読んでも朝日新聞を読んでも同じだと、では安い方を買おうかということになるのだろうというふうに思います。 それから、日経新聞について高い、産経、東京新聞については安いということを主張して、価格競争があるのだというふうに言いますけれども、日経の場合については経済的な専門紙としての新聞としての質を保っているわけですし、それから産経、東京新聞もそれぞれ努力をして紙面づくりをしているわけで、他人の価格決定行動を取り上げて競争が激しいのだというふうにおっしゃるよりは、むしろ自分のところがより経営合理化を行って安い形での新聞を提供するということをして競争があるというふうにおっしゃっていただければというふうに思います。 先ほど、新聞販売についての相談件数が年々多くなってきている、これについては国民生活センターは既にいろいろな各方面に対処を要請しているわけですけれども、一向に改まらない。どこの新聞社が多いかということを私言いたくありませんけれども、トップ二社に集中していて、ここのところが非常に多い、ほかのところについてはほとんど取るに足らないような相談件数であるということを私はここで指摘しておきたいと思います。
○福島委員 日本のほかにはドイツに再販制度があると。先ほど渡邉参考人が引用されました独禁法の改正のときの学者さんの御意見もドイツの学者さんの御意見であったわけですが、よく言われますことは、民主主義を維持するためには新聞の再販制度の維持が必要だというふうに新聞の論調でもあるわけですけれども、ただ、偉大な民主主義の国アメリカは再販制度がないわけですね。 ですから、その民主主義の維持ということと再販制度ということをイコールに結びつけてはいかぬのだろうと私は思うのです。ただ、国民性の違いもある、アメリカと日本は風土が違うのだよ、ドイツと日本の方がむしろ似ているのかもしれぬ、そういう話もあるのかもしれません。 諸外国のあり方と比較した上で、渡邉参考人はどのように考えておられるのかをお聞かせいただきたいと思います。
○渡邉参考人 諸外国と比較した場合に、再販制度のない国は明らかに新聞の普及率が非常に低い現象が起きております。日本が朝夕刊それぞれ別々に計算するというのは諸外国の慣習なのでそれでいきますと、日本は七千百九十二万部、アメリカが、人口は日本の倍ぐらいあるのに五千九百万部、ドイツは二千五百七十六万部、イギリスが千八百七十四万部、フランスが八百九十五万部、再販のない、宅配のないイタリアは六百四十八万部にすぎません。このような大きな違いがあります。 それから、アメリカでは法定再販がございません。その結果宅配は大都市——アメリカには全国紙というのはほとんどないと同様ですね。USAツデーとかウォールストリート・ジャーナルが全国紙であるかないかということを別にすれば、一地域一紙です。ほとんど一地域一紙です。完全な独占状態なのですね。そういう状態がいいのだろ うか。これはみんな困っていると思うのですね。 それから、私が二、三十年前にワシントンに駐在していたころには三つ新聞がありました。ワシントン・ポスト、イブニング・スター、ワシントン・スターと三紙がありました。ところが、現在ワシントン・ポスト一紙になっております。あれだけの地域で、百万か二百万、住んでいる地域で一つの新聞しか選択の余地がない状態になっているではありませんか。しかも宅配率は、アメリカでは大都市の場合五五%から六〇%ぐらいしか宅配されておりません。だから、のこのこ歩いて買いに行かなければならない。それから、小都市の地方紙は八〇%から八五%が宅配されております。 いろいろなトラブルがありまして、ニューヨーク・タイムズとかロサンゼルス・タイムズとかワシントン・ポスト等、みんなそうでありますが、大きな販売店があって、その新聞社からある種の原価で買う。買ったものを新聞社のカバープライス、新聞社の希望小売価格よりも高く売る。それでは困ると新聞社は考えて、直営店をつくって安く戸別配達あるいはスタンド売りをするということをやったならば、販売会社が告訴しまして、長い間の裁判で猛烈な金がかかったそうです。そして、結局販売会社から顧客名簿を高い金で買って、直営店に渡して配らせるというようなことをやった。 それから、私はワシントンに三年半ほど駐在しておりましたけれども、ニューヨーク・タイムズにも宅配業者というのはおりますが、気分の悪いときには配らないのです。電話をかけて文句を言ったって全部お話し中で、一日じゅうお話し中です。この世にあんな不便な国はないですね、もっと不便な国はあるだろうと思いますが。とにかく日本と比べれば大変不便な国でありました。 だから、日本は再販制度に守られた戸別配達によって非常に便利であります。イギリス、ロンドンでも富裕階級の地域には宅配がありますけれども、貧困階級の住む地域には宅配がありません。そのような差のないようにしたいと思っております。
○福島委員 両参考人にはお聞きしたいことがまだまだたくさんありますが、時間が参りましたので、終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。
○石破委員長 吉井英勝君。
○吉井委員 きょうは参考人の皆様には御苦労さまでございます。 私は新聞を含めまして著作物の再販制度というのは維持をするべきであると考えているものであります。よく業者サイドの議論もありますが、私は国民や消費者、読者の立場に立って考えてみたときに、再販制度がなくなったときにまず著作物の扱いについてどうなっていくか。これは中小出版社等が淘汰されてしまいますと、国民がみずからの意見を表現したいという、つまり著作物を出したいというそのアクセスの道が絶えてしまうということになるわけですね。 それから、そういう点では中小出版社の存在が非常に大事だということになりますが、一方読者、消費者の側が多種多様な著作物にアクセスしたい、そのときにどうなっていくか。その問題があるわけですね。既にコミック本などを中心とした売れ筋のものだけ大量に販売している量販店がかなり目についてきておりますが、そういうものばかりになってしまったときには、本当に国民が求めているような、そういう多種多様な著作物にアクセスできない。これは日本の文化という面でとってみても大変重大な問題を持っているというふうに思うわけです。そういう点で、やはり言論、表現の自由とか知る権利というものを物質的に裏づけている。制度的に保障していくという面で、この再販制度というのをきちっと位置づけて、これは国民の立場、消費者の立場から考えて維持していかなければならぬというふうに思うわけであります。 さて、そういう点で少し参考人の方お二人に伺いたいのです。 最初に、金子参考人に伺いたいのです。 金子座長は九五年、昨年七月二十五日に出された中間報告で、要するに再販制度を見直せという御主張であったわけですが、実は一九九一年七月二十九日に、その親委員会に当たる鶴田委員会、そこの報告書では、実は再販制度は基本的に容認していたわけですが、なぜそれを否定するということになっていったのか。これが一点です。 それからもう一つ、一九五三年の著作物再販制度の立法趣旨は不明、疑問であるというお説であるわけですが、逆にこれはその五三年のこの立法趣旨は明確だと思うのですよ。 それは、一つには、昨年の七月に公取の事務局の方が出した調査報告書がありますが、その調査報告書などの中でも、どう言っているかといいますと、これはドイツの例を紹介しているわけですね。 多くの書店が多くの地域にあること、サービス の良い中小書店がどこにでもあること、これら の書店では売れる本ばかりでなく、売行きの遅 い本も品揃えしてあること、これらにより本を 読む機会が国民に豊富に提供されるべきであること、ということを公取の方も昨年七月に報告書で出しているわけですね。 逆に再販制度がなければ大型書店は売れ筋品の 大量仕入れによる値引き販売が可能になり、中 小専門書店は値引きができず、駆逐されるおそ れがあるとして再販制度の必要性が根拠付けら れている。こういうふうに公取の方も報告書で出しているわけですね。 これはまさにこの法をつくったときと、現在もドイツの立場はそういうことだということで紹介しているわけですが、もともと立法時には西ドイツの競争制限禁止法をモデルにして文化政策的見地から導入したというのがこのもともとの立法趣旨であって、だからこの点では極めて明確だと私は思うわけであります。その点についてのお考えを二つ目に伺いたい。 三つ目に、理論的側面から取りまとめたというふうにしていらっしゃるわけですが、どうも理論的側面というのは価格政策、競争政策的理論になっていて、文化政策的見地からの理論の構築というものはないのではないかというふうに思うわけです。 最初に、以上三点について伺いたいと思います。
○金子参考人 親委員会が出した報告書の関係を御質問になりましたけれども、実は親委員会が出しました報告書、そのもとになりましたのは、同じように適用除外についての小委員会がまとめまして、それを親委員会の方で審議をし、出したという過程になっております。そのときの小委員会も私が座長をやりまして取りまとめたものでございます。 親委員会が出したものと今回の中間報告との間の整合性の問題でありますけれども、親委員会の出したものは著作物についての再販を必ずしも容認しているものではありません。親委員会が出したものは適用除外制度全般についての見直しを行い、その中で再販売価格維持制度についても検討を行い、とりあえず医薬品それから化粧品については廃止の方向で取り扱うべきであろう。著作物についてはなお実態が明らかでないので、実態調査を踏まえた上でさらに検討をしてというのが趣旨であります。 私は、この報告が出された後で新聞協会での講演も頼まれ、また出版物の協会からも頼まれ、この趣旨については話をしてまいりました。そして、著作物については、必ずしも立法趣旨が明確でないし、現時点において、再販売価格維持をする積極的な理由というものが明らかではない。この点については、出版業界も新聞業界も再販がなぜ必要なのかという議論をまじめに行ってくる必要があるということを口を酸っぱくして話をしてまいりました。 昨今になって、そのことについて整合性がないとか、あるいは突然の話であるという話がありま すけれども、実はそういうことではなくて、既に著作物についての検討の必要性というものは指摘をされていたわけです。そして、親委員会のときに、我々はもし著作物について理由を考えるとすれば、こういうことが当てはまるのではないだろうかということで、一応の考えられる理由というものを挙げておいたわけです。 今、議員御指摘のとおり、再販制度が導入された際にドイツをモデルにした。ドイツをモデルにして理由を挙げてありますけれども、その理由というのは、著作物のうち出版物については当てはまると思いますけれども、新聞については必ずしも当てはまるものではない。したがって、新聞についてはなぜ必要なのかということについて議論をしていく必要性があるということを、当時私は指摘をしておいたわけです。第一点は、そういうことで、今回の中間報告とその前に出された適用除外についての親委員会の報告書との間にそごはないというふうに私は理解をしております。 それから、第二点の立法趣旨については今申し上げたとおりで、ドイツを参考にしたという事実は明らかなのですけれども、ドイツを参考にしながら、それでは積極的に著作物についてこういう理由があるので再販を認めるのだということを国会等において十分に議論したかというと、いろいろな資料を見る限り、どうもその点について明確な証拠あるいは議論がなされた資料というものがない。 それは過去の問題であって、現時点において、それでは著作物について再販をこれからも認めていく必要があるのかないのかという点は、立法趣旨はさておいて、これからの著作物のあり方ということを考える上で再販制度が必要なのか、それとも再販制度というのは必要ないのかということを改めて議論をしていかないと、我々の将来の社会において我々の文化的な問題をどう考えていくかということを誤ることになるだろうということで、前向きに検討するということが必要であろうというふうに私は思います。 それから、三番目の点ですけれども、文化政策の問題は、私は、これは独禁法の問題としてではなくて、広く文化政策の問題として考えるべき事柄であろう。しかし、著作物というものが独禁法の適用除外の中に入っている以上、著作物について我々は検討しなければいけない。独占禁止法という枠内において、文化政策あるいは文化の問題も視野に入れながら検討をしたつもりです。 文化政策一般について我々が検討するというのは、それは我々の領域を超えている問題であるし、また独禁政策によって文化政策は実現されるものでもないわけで、再販が廃止されるからもう文化はだめなんだという問題ではない。もしそんな問題であるとすれば、私は、文化というのは大したことないなというふうに言わざるを得ない。もっともっと文化政策というのは、一独禁法の問題ではなくて、広く文化政策の問題として論すべき問題であろうというふうに私は思います。 ちょっと長くなりましたけれども、我々の小委員会で、我々の関係する限りにおいて、文化の問題も十分考慮に入れ、そして我々が考える限りでは、文化の問題というのは、文化水準の高揚とか、文化水準の維持とかいろいろ言いますけれども、広く国民が文化に対してアクセスする機会を均等に得られるということが大切なんだろうということで、そういう観点から議論をして、再販というものが文化の平等な、あるいは実質的に平等な享受という点でどういう位置づけになるのかということについては、十分に議論をしたつもりであります。 それから、最後にもう一点。再販がなくなった場合に中小の出版社がつぶれるという話ですけれども、それから、つぶれるというより本が出なくなる。なぜ再販があると中小の出版社が本を出すことができ、再販がなくなると本が出せなくなるのか。また、再販がなくなると本が書店から消えるのか。現在でも、すべての書店において専門的な書籍が展示されているかといえば、そういうことはないわけですね。売れる場所で、そして専門的なところで本が展示されているわけであって、私はそのことと再販とは直接関係ないというふうに思っております。
○吉井委員 文化政策的見地から必要としてまず立法された。これが一九五三年の立法趣旨であったというふうに思います。 なお、文化的見地についてのいろいろなお話ありましたが、文化というのは抽象的な話ではなくて、それを物質的にどう裏づけるかという問題、制度的にどう保障するかという問題と結びついてのことでなければ、憲法に定める言論、出版、表現の自由にしたって何だって、それはそれが裏づけられて初めて出てくるものですから、どうも少し、お話は文化一般にしてしまっておられるように思います。 この点では、渡邉さんのところの新聞に掲載されておりました、作家の井上ひさしさんが、金子さんのところの報告書について、 この作文は文化をとらえそこなっている。ここに書かれている「文化」とは、辞書的定義で言えば「文明」(物質的文化)のことです。文明とは、誤解を恐れずに言えば自動車、トイレットペーパー、ビールなどのように輸出可能なものです。しかし言葉のような基軸文化は簡単には輸出できません。 再販制度が守ってきたのは、 基軸文化としての日本語ではないでしょうか。というふうに述べておられますが、私は、文化論についての展開は、もう時間がありませんから、残念ながらこれ以上は展開いたしませんが、やはりそういうものであるということと同時に、物質的な裏づけなしには文化は語れないということだけ述べておきたいと思うのです。 時間が大分少なくなってまいりましたので、渡邉さんに伺っておきたいのですが、昨年の十二月八日付の読売に「よい規制と悪い規制」、経済部長の中村さんが書かれたもの、私はこれは非常に当を得たものだというふうに思っているのですが、その中で、 規制緩和運動にある種の危うさを感じる。それは緩和を唱えることが進歩的であり、反対すると反動のレッテルをはられかねない風潮だ。 規制にはよい規制と悪い規制がある。ケース・バイ・ケースで論議すべきなのに、すべてを規制緩和の流れに取り込もうとする動きを懸念する。 私は、これは非常に大事な視点だというふうに実は思っているのです。 同じ日の各紙の社説には、ちょうど前日に報告が出たこともありまして、「目標は自由で活力ある社会だ」とか「この規制緩和は実行せよ」とか「「規制大国」脱出を示唆する小委報告」とか、いろいろずっと持ち上げ記事があるわけですね。 いずれにしても、やはり一つは、新聞などがいわば規制緩和万能論のようなキャンペーンを一面では張ってこられた。その一方で、自分のところの新聞の問題になってきたらこれは反対だ。これは国民的には非常に理解しがたいというか、納得しがたい議論であって、実はその点を、ちょうどこの間内橋さんが参考人でここへ来られたのですが、やはり同様のことを指摘しておられたのです。私は、新聞界におられる方としてこの点はやはりきちっとされるべきじゃないか。 もう一つ、国民の側からの批判というのは、これはやはり業界としての自浄作用を発揮することですね。既に論じられてまいりましたが、私ももう時間がありませんから取り上げませんが、消費者相談ですね。出ている中で、新聞というのはずっと決して低い位置ではないのですね。二%台の率でもって大体高い方なのですよ。これは、みずから自浄作用を本当に発揮するという決断を示されない限り、消費者の国民的な理解を得た再販制度の維持ということにはならないわけですから、その点について二点。なんでしたら、私が冒頭に申し上げたことについても御意見あれば三点でも結構ですが、伺って終わりたいと思います。
○渡邉参考人 最初の、規制緩和にはいい緩和と悪い緩和があるということは事実でありまして、このような規制緩和に関する特別委員会が設置さ れて熱心に審議されておられるということは、我々にとっては一つの安心の理由であります。こういう委員会で、いい緩和と悪い緩和を峻別されて、かさかさした世の中にならないように御配慮いただきたいと思うのです。 内橋さんも言っておられますけれども、地方に行って、駅前の小売店が片っ端からシャッターをおろし始めた。私も日曜日になりますと、電動自転車というハイカラなものがありますが、電動自転車に乗ってできるだけ広範囲の町を歩いておりますが、町の商店のマンツーマン、フェース・ツー・フェースの関係でいろいろな品物をあさる。ああいうことが全部スーパーのみになったら一体どうなるだろうなという、世の中のあり方について痛感することがあります。そういう意味で、内橋さんの言われることに共鳴するところは多々ございます。 それから新聞の自浄作用、これは全くそのとおりでありまして、今新聞協会で理事会、運営委員会、正常化委員会等ありますけれども、いろんな会議で、一体どうして我々が、特に自浄作用というのは販売のビヘービアですね、販売のビヘービアをよくするか、これについて徹底的に今議論し、措置をとっているところであります。基本的には、従業員の待遇を改善して、それで従業員が嫌な思いをしないで歩けるようにし、それから勧誘に歩くことがありますが、そういうときに消費者の家庭に伺って嫌な思いをさせるようなことのないように、我々が一人一人の拡張員を教育する必要があると思います。これが現在新聞協会で特にこの二、三年重点的にやっていることであり、私も読売新聞社としてこの問題をちゃんと取り上げない限り、どこからか国民の新聞に対する不信というものが出てくる、これをなくすようにしなければならない、こう考えております。 なお、共産党の赤旗におかれては、新聞、書籍の再販について熱心なキャンペーンをしてくださっていることをお礼申し上げます。
○吉井委員 終わります。
○石破委員長 以上であらかじめ申し出のありました質疑は終了いたしました。 この際、委員各位に申し上げます。 これより、質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言するようお願いいたします。また、発言の際は、自席にて起立し、所属会派及び氏名並びに質疑する参考人の名前をあらかじめお告げいただきたいと存じます。 なお、御発言は簡潔にお願いいたします。 それでは、質疑を続行いたします。質疑のある委員は挙手をお願いいたします。
○西川委員 新進党の西川太一郎でございます。 新進党の当委員会の筆頭理事を務めておりますが、きょうのこの委員会はまことに、お出かけをいただきました参考人の信念の強さとキャラクターの相違によって、非常にすばらしい、活発な、規制緩和委員会の歴史に残るすばらしい委員会であったというふうに思います。両先生に心から御礼を申し上げたいと存じます。ありがとうございました。(拍手) そこで、簡潔にお尋ねをしたいのでございますが、私もクリッピングサービスというのを受けておりまして、新聞はたくさんとっておりますが、それに支払う十倍くらいの料金を支払って活用しております。私は情報、文化というのはお金をかけていいという立場でありますから、そこでお尋ねをしたいのでありますが、今のペーパーを使っての宅配による情報の伝達という、文化の伝播というこの形は、未来永劫この形をとっていくのだろうか。例えば電波等の情報通信等の分野に新聞社がどんどん参入されていけば、ペーパーレスということも考えられるだろう。それから、きょうは御議論にございませんでしたが、だれしも承知をしていることは、新聞が三千円台で高い安い、わずか千数百円の差で毎日入手できる。その陰には、私の親族も関係している者がおりますが、新聞社で広告収入等、また事業収入等のいろいろな御苦労があるということもよく承知をしております。さすれば、情報としてのネットの価格というのは、私どもはもう負担し切れないくらい大変なものであろうという評価もいたしているわけでございまして、その御苦労を承知の上でお尋ねするわけでありますが、新聞の将来はどうなりましょうか。 そのことをなぜお尋ねするかといえば、現状のような形で固定されれば再販制度というのは本当に甲論乙駁、厳しい議論をしてしかるべきですが、変転やまない中でフレキシブルに考えていくならば、一時的なものとして、継続する文化を守る仕組みとしては維持してしかるべきという議論も出てくるのではないかと私は思うからお尋ねをするわけでございます。 大変雑駁でございますが、質問させていただきます。
○渡邉参考人 実は、今御指摘の点が先ほどの販売従業員のビヘービアの問題と並んで一番頭の痛い問題でございます。五十年、百年先のことはここで予言はできないのですけれども、恐らく十年、二十年という範囲では、輪転機を媒介とする紙と活字の新聞が存在しなくなるということは絶対にないと思います。 現在でも電子新聞、ファクス新聞等着々開発されておりまして、あるメーカーから、まず過疎地で、おまえら配るの大変だろう、人件費節約のために販売店が受信機を売って歩く、そして電波で送ればいいじゃないかというような提案があるのです。これはメーカーとしては絶対もうかる話ですからいいのでしょうが、我々の場合は非常に難しい問題だ。 実際に過疎地、超過疎地でそういう機械を操って液晶文字で情報をとる、そして必要なものはプリントアウトする、これには紙が要りますけれども、そういう作業をするだろうか。私どもの新聞の定型は朝刊三十二ページ、夕刊二十四ページ、毎日五十六ページでございますけれども、この五十六ページを電子手段によって各戸に送達する時代というものは当分来ない。一部はそういうことが行われますが、しかし全国的に見れば、朝と晩にぽんとまとめて配達されてくるものを好きなところをページをあけて読むという習慣は、そう容易に変わるものではないと考えております。
○秋葉委員 社民党の秋葉忠利でございます。 これは半分お願いなんですけれども。今まで何度も申し上げてきたことですけれども、新聞あるいは書籍が文化の担い手である、本当にそのとおりだと思います。その文化の担い手である新聞やあるいは書籍の再販価格制度の議論に当たっては、その担い手である新聞または書籍の業界を代表される方々が日本の文化あるいは言論界のレベルを象徴していると言っても私は過言ではないというふうに思います。 そこで、いろいろなことを考えるのですが、まず一つには、この問題、世界各国の再販価格維持制度の採用あるいはそれをやめたというようなところを考えてみますと、世界的な趨勢としてどちらが決定的にいいんだとか悪いんだとか、そういうような趨勢が見られるところではなくて、やはり慎重な議論が必要な分野だというふうに思います。 その上で、非常に気にかかるところなのですけれども、例えば先ほど渡邉参考人がおっしゃったことで、新聞は全部で七千二百万部発行されている。そこで、それではこの再販価格維持制度の問題についての甲論乙駁が公平に取り上げられて、読者にも一体どういうところが問題で、その問題についてはこういう解決策があるんだというような形で説得力のある議論が展開されているかというと、これもまた渡邉参考人が述べられたように、再販価格維持制度をやめるべきだという主張をしている人たちの意見はミニコミにしかあらわれない。それから、実質的な意味のある、情報として意味のあることもミニコミの方がはるかに、例えばフランスでの状況とかあるいはアメリカでの状況といったものをつぶさに、綿密に取り上げて、事実問題としての提供をしている。そういう傾向が見られるように思います。 七千二百万というのは圧倒的な数字ですから、 そうなると、これほど大きな問題について、ただ単にこっちの方がいいんだという意見だけではなくて、やはり再販価格維持制度を廃止すべきだという主張も取り上げ、さらにそれについての綿密な反証をする、事実をもとにした反証をするというような議論の仕方がどうしても必要だと思います。一言で言えば、議論の質を高めるということなんですけれども、その点において、今まで一生懸命いろいろな新聞その他のメディアを追ってきましたけれども、そのメディアにおける議論の仕方に残念ながら改善の余地が非常に大きくあるというふうに申し上げざるを得ないような気がいたします。 その象徴的な発言が、先ほど渡邉参考人がおっしゃいましたけれども、金子参考人を含めて三人の方の名前を挙げて、偏見に満ちて新聞をつぶそうと、まあ陰謀をしているとはおっしゃいませんでしたけれども、つぶそうと努力をしている三人のイデオローグというようなことをおっしゃいましたが、そういったキャラクタリゼーションはこの問題の本質とは関係のないところで、結果としてそういう結論を私たちが導き出すかもしれませんけれども、なぜそうなのかというところをやはり事実をもって、そして論理的にだれにも納得がいくようにきちんとした議論を提出していただきたいと私は思うのです。 そうでないと、最終的にどちらに結論が下ったにしろ、ほとんどの人が納得できないままに、ああそうなのか、これはやはり再販価格になってしまったんだ、しょうがないなというだけで、事実の重さのみによって決定が行われてしまう、七千二百万部という圧倒的な数だけによって結論が決まってしまうということになりかねない。そうではなくて、やはり日本の文化の代表として、知的レベルを本当に反映するような形での説得力ある議論をぜひ七千二百万部を代表する方々にお願いしたいと思います。
○金子参考人 先ほど西川議員の方から御質問がありまして、私ちょっと意見を申し上げなかったのですけれども、議員が指摘された点、私は非常に大切な問題だし、この問題を議論するに当たっての一つのやはり大きなポイントであろうというふうに思います。 マルチメディアの世の中で、どんどん情報ネットワークが進んでいくという中で、我々が情報を入手するに当たっても、単なる新聞だけではなくて、いろいろなメディアから情報を収集してくる。こういう中で、やはり新聞が新聞としての役割を果たしていくということは、どういう方法によって果たしていけるのかということをやはり真剣に考えないといけないと思いますし、またマルチメディアというものを制限するような制度をつくり上げるということも決して我々の望むところではないだろうというふうに思います。 そういう点で、現在の再販制度というものが新聞の本当の発展にとっていいことなのかどうか。また、これからのマルチメディアということを考えた場合に、再販というものがそういうメディアの発達ということを妨げないのかどうかということをやはり考えていく必要があるだろうと思います。 現在、新聞が非常に高くなっている。ほかからも情報が入手できるという場合に、新聞のメリット、一覧性とか保存性とかそういうことだけを主張して現在の価格を維持していく、再販で維持していくということが本当に国民に支持されるのかどうか。十年先、二十年先に新聞をとらないという事態も出てくるかもわからない。そういう事態にどう対応していくかということをやはり真剣に考えるべきだろうというふうに思います。 それから、同じことは書籍についても言えるだろうというふうに思います。 現在、書籍の販売について、多様な形態の販売方法が出てきていますし、また店舗も出てきています。こういうものが国民に支持をされ、そしてそういうものが発展していくということは、これまた国民にとって非常に大切なことだろうというふうに思います。また、出版社の方も、多くの出版社がどんどん出て、出したいものが出せる。我々の方は、出版社にアクセスして、出したいものが出せるということがやはり文化の維持発展に つながっていくのだろう。 現在の二大寡占のもと、これはトーハン、日販という二大寡占のもとで、出版社の方も二大寡占に支配され、また書店の方も支配されているという構造の中で、本当に再販を維持するということが出したいものが出せるというそういう状況を生み出しているのかどうか。再販によって守られている出版社は、どちらかというと大手の出版社であり、あるいは伝統のある出版社である。新しい新規参入の出版社は、取り次ぎと配本契約を結ぶ場合に、非常に不利な条件を押しつけられるというようなことというのはよく聞く話であるわけです。 そういうことからいうと、本当に再販があることによって多種多様な本が出せる形になっているのかどうか、再販が妨げになっていないかどうかというようなことも十分に検討してみる必要性があるだろうということで、私は議員の指摘された点というのは非常に大きな問題で、やはりそういう観点から二十一世紀のあるべき出版、新聞のあり方というものを考えていかなければいけないだろうというふうに真剣に思っております。 ありがとうございます。
○渡邉参考人 秋葉委員の御質問にお答え申し上げます。 再販問題がこのような国会の規制緩和特別委員会のような場面、あるいは商工委員会でも結構でございますが、国会の場で取り上げられるような段階のものであるならば、双方の意見を対等に新聞で報道いたします。 私は、先ほど申し上げましたように、公取委員会の私的研究会なるものの権威を全く認めておりません。しかも、そこで仮に再販を廃止しろという結論を出して、公取委員会が仮にそれに乗っかって、どうして一体、法律の改正ができるのでしょうか。法律の改正は、次官会議、閣議を通り、国会に提出され、委員会に付託され、本会議で採決されなければ通らないわけであります。それも衆参両院を通らなければならないわけです。 これは公取委員会の事務局長にも確認したところでありますが、君らの言っているこの再販廃止論なるものは、これはちゃんと法律改正でやるんだろうな、一片の告示で、勝手に君らの事務局の見解を委員会を通して、委員会というのは公正取引委員会でありますが、五人の委員を通して、そこで決めて布告するんじゃないだろうな。いや、これは必ずこれだけの大きな問題になったのだから国会を通します、こういうことでありますから、私は、その私的委員会で、しかも、我々の議論が極めて凶悪で刑事罰の対象になる反社会的行為であると断定するような三輪教授を含んだこの三人の、イデオローグと称しておるわけでありますが、こういう凶悪な人たち、お言葉をそのままお返しするわけでありますが、凶悪な人たちの議論を大々的に報道する義務を感じないのです。オウム真理教の教祖の理論を長々と新聞で連載して全部書けと言われたって、書きません。それと同じことであります。 しかし、それが公的なものになり、国会で議論される、国会に提出される種類のものであると判断すれば、当然これは、新聞社の存立を危うくする議論といえども大々的に報道いたします。私は、このような少数のくだらぬ学者の言うことを大々的に報道することが正義に即したものだ、新聞の主張する正義とか言論の自由に即したものだとはちっとも考えられません。 以上です。
○橘委員 自由民主党の筆頭理事をしております橘でございます。 きょうは、両先生におかれましては、大変お忙しいところをまげて我々の委員会へお越しいただきまして、本当に感謝をいたしております。 この委員会は規制緩和特別委員会でありまして、規制緩和推進委員会ではないわけであります。要するに、規制緩和そのものがどうあるべき かということを懸命に模索しておる委員会でございます。したがいまして、ある問題については規制緩和を推進しなければならないだろうし、ある問題においては逆にそれを、規制を維持しなきゃならぬかもしれない。そういった立場で慎重に、各回ごとに両方の立場の方々にもお越しをいただいて、こうやってやっておるわけでございます。 そこで、今回の問題でございますが、私は富山第二区、今度新三区になりますけれども、富山県高岡市を中心とするエリアから出てきておる議員でございます。この新聞の再販問題につきましては、やはり私どもはっきり申し上げて、宅配によって今日我々のような田舎、特に山間地帯、ここでは非常に恩恵をこうむっております。これがあるからこそ我々は国のいろいろな情報、それからまた地方の情報、これをテレビではなしに、一時的な情報ではなしに、新聞という印刷物を通じて家へ帰ってからでも読むこともできる、また朝一番で読むこともできる。テレビを見なくても。テレビというのは、あるときしっかり見ていないと見落とすこともありますが、これは絶対そういうことはない。そういう大事な新聞であります。 それが今日、この宅配制度によって我々のところでも本当にありがたく維持されておることにつきましては、感謝をしております。これを一回一回町の売店まで買いに行かなきゃならないとすると、それはもう大変なことなんですよ。さっき渡邉さんのおっしゃいましたとおりでありまして、したがって、私どもはこの再販制度はしっかり維持してもらいたい。と同時に、そういう一戸一戸をわざわざ手間暇かけて配達するわけでありますから、これは相当のコストがかかるわけでありますから、しかるべきコストは当然受益者としてお支払いしなければならないものだ、このように考えております。 そういうわけで、我々は宅配制度についてはぜひ維持してもらいたいと思います。新聞社の経営が成り立つ金額で堂々と販売していただきたいとお願いをいたして、質問いたしません、私のお願いでございます。それで、時間がありませんからこれで打ち切っておきますが、私どもの気持ちをお伝えして終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○石破委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人の方々におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 次回は、来る十二日水曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時五十五分散会