宗教法人等に関する特別委員会 第8号
- 発言数
- 209 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1995/12/04
会議録
○委員長(倉田寛之君) ただいまから宗教法人等に関する特別委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 去る一日、釘宮磐君及び伊藤基隆君が委員を辞任され、その補欠として海野義孝君及び大脇雅子君が選任されました。 また、本日、真鍋賢二君及び筆坂秀世君が委員を辞任され、その補欠として岡部三郎君及び橋本敦君が選任さました。 —————————————
○委員長(倉田寛之君) 宗教法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、本案審査のため、六名の参考人の方々から意見を聴取することといたしております。 午前中は三名の参考人の方々に御出席をいただいております。神社本庁総長岡本健治君、駒澤大学文学部教授洗建君、日本大学法学部教授北野弘久君、以上の方々でございます。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人の皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。 それでは、議事の進め方について申し上げます。 まず、岡本参考人、洗参考人及び北野参考人の順序でお一人十五分程度の御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答え願いたいと存じます。 それでは、まず岡本参考人にお願いいたします。岡本参考人。
○参考人(岡本健治君) 神社本庁の総長といたしまして、今回の宗教法人法改正に伴います私どもの考え方、姿勢を御理解いただくために、まず現行の宗教法人法に対して私どもが考えております姿勢を、今までとってまいりました姿勢を御説明申し上げたいと思います。 結論から申しますと、神社本庁は現行の宗教法人法につきましては基本的に反対であります。理由は、現在の宗教法人法が日本の宗教の実情につきましてしっかりと押さえないで、そして制定されたと、このように判断をいたしておりますので、この宗教法人法が制定されました昭和二十六年から、その制定当時から私どもとしては必ずしも好ましい法律ではないと、こういうように考えてまいりました。 したがいまして、昭和三十二年に文部大臣から宗教法人法の改正についての諮問がありました場合も、神社本庁といたしましては、その点を抜本的な改正という点に立ちまして、そして全面的な改正についての意見を述べたわけでございます。そういう形で現在に至っております。 現行の宗教法人法についてどこに私どもが不満を感じているか。幾つか挙げなくてはいけませんが、簡単に申しますと、例えば、たしか第二条におきまして宗教団体が備えるべき要件は次の三つであるという形で宗教法人法では示しております。 その第一が教義を広めることであります。御存じかとも思いますが、私ども神社の信仰につきまして、教義というものは持っておりません。したがって、教義を言葉にし文字にした教典というものを持っていない。まずその点で、厳密に考えますならば神社が法人格を取得することは困難であります。早く言いますと、宗教法人になるためにはこれだけの要件が必要なんだ、おまえさんのところはその要件を満たしていないから宗教法人の法人格を取得することはだめだと。もしどうしても宗教法人の法人格を取得したいと思えば、おまえさんの方の信仰の内容を変えて出直してこいと、極端に言えばそういう事態が生じ得る問題を含んでおります。 神社本庁ではそういう言葉を使いませんけれども、私の言葉をもって表現すれば、これは日本の宗教、殊に神社の実情を考えないでつくられた法律、そして宗教法人格を取得しようと思えば信仰の内容を変えなくちゃいけない、宗教信仰に対する迫害である、そういう表現さえしたくなります。 さらに、神社というものは古い歴史を持っております。二百年、三百年、五百年、千年という古い歴史を持った神社が無数にあるわけでありますが、その神社を解散させますためには、これは神社によってそれぞれ数は違いますけれども、わずか数人の役員が解散を決議すれば神社は即日消滅をいたします。若干の手続、公告等の手続はありますが、基本的には、仮に千年の歴史を持った神社であっても五、六人の役員によって決議されれば消滅する。それに対して宗教法人法の中の手続は、長い歴史を持った、またそれぞれの地域において生活の精神的な中核になってきた、そういう役目を果たしてきた歴史的な事実というものを全く考えないで制定されたと、こういう判断をせざるを得ません。 これは無理もないことなのでありまして、御存じのとおり、宗教法人法そのものが、昭和二十年にポツダム勅令によりまして急遽制定されました宗教法人令を土台といたしております。そして、まだ占領下におきまして昭和二十六年に法人法を制定されたと、こういう経過を持っておりますから、占領軍が考えたその考え方がどこまで影響をしておるかは、詳しい事実ははっきりいたしませんけれども、そういうような占領軍の考え方そのものが影響をしておるということも考えられます。したがいまして、無理のないことではありますけれども、私どもといたしましては、制定以来常に現行の宗教法人法について反対をしてまいりました。 ただ、法律であります。基本的に反対しながら、その法律によって神社は法人格を得ております。したがって、その法律を守ることについては、これは私ども全国の八万の神社とともに、それに違反することのないように全力を挙げてまいりました。おかげさまで、現在まで神職を中心にしまして、その神社を取り巻く役員、総代、氏子、崇敬者などが力を合わせて、そしてその法人法に違反をしないようにそれぞれ努力をしてきたわけであります。数の多いことでございますし、法律というのは私ども余り親しみがありませんので、やはり違反をするというようなことも間々あったかもしれませんけれども、まず一〇〇%その法律を守るために努力をしてまいったと、こう申し上げても間違いはないと思います。 以上のような宗教法人法そのものに対します私どもの基本的な姿勢というものはずっと変わらずに参りました。そして現在に至っておりますことは今申し上げたとおりでございますが、今回の宗教法人法の改正につきましても、今申し上げました基本的な姿勢はそのまましっかりと考えながらこの改正に対処をしてまいりました。 やはり、この制定以来の四十年という間には宗教法人そのものも大きく変わった面がございます。さらにまた、それを取り巻く社会の環境も大変な速さで変わってきております。これも事実であります。そこへもってきて、オウム真理教といういわば凶悪な犯罪集団が宗教であるという名のもとに発生をしてまいりました。この社会の安定を乱す反社会的な行動もいたしております集団に対して、その凶悪な犯行を防ぐために、そういう集団の発生を防ぐためにもし現在の宗教法人法を改正することによって効果があるならば、これは一部の改正はやむを得まい、現在の宗教法人法の基本的な考え方に影響を及ぼさない範囲において行政上の手続として宗教法人法を改正して、そういう宗教の名のもとに凶悪な犯行を行う集団の存在を許さない、これは当然のことと私どもは考えました。 私たちの毎日の神様に対しますお祈りは、国家の安定と国民の幸せとさらに皇室の御繁栄、これを祈るのが私どもの毎日の仕事でございます。したがって、国家の、社会の安定を乱す、これが、もし宗教法人法の改正によってその効果が一部でもあるならば、これは改正はやむを得ない、このように考えました。 ただ、ただいま申しましたような極めて凶悪な社会不安の原因をつくっております集団は、これは全宗教法人の中のほんの一部にすぎない。私どもの神社の関係で申しますれば、先ほど申しましたように、八万の神社はこの法が制定されましてから四十年間、何ら社会不安を起こすような問題を起こさなかったということは、まあ一、二の例外は悲しいことですがございますけれども、全般を通じてこの四十年間に一体神社を初めとするほとんど大部分の宗教法人がそういう社会不安を起こす原因になったかどうか、これは少なくとも私ども神社関係としましてはまずなかったと、こう申し上げてよいと思います。 ということは、少なくとも私ども八万の神社の中におきましては、基本的に宗教法人法に対して極めて不満を持ってはおりますけれども、それを忠実に守ってまいったということであります。この忠実に守ってまいりました者に、今回の改正によりまして、いろんな点でまじめにやってきた、四十年間真剣にやってきた神社に対してさらに負担を加えることがあるとしますれば、これは言葉重言いかえてみますと、おまえたちが今まで宗教法人法を真剣に守ってこなかったから今回こういうような改正をしなくちゃいけないんだということを宣言するのと全く同じことになります。少なくとも現在組織の長として仕事を仰せつかっております私としましては、これは承服ができません。 非常に危険な社会不安を起こす一部の集団、これがあることは事実ですけれども、その反対の立場に多数の、ほかの御宗派のことは余り存じませんけれども、少なくとも私が現在長をいたしております組織、神社本庁の傘下にあります八万の神社は真剣にとにかくやってきた。それに対して、おまえたちの今までのやり方が悪いから、そういう悪いことが起こらないように法律を変えて、負担もふやすぞということは言えない。ですから、その点については、改正について十分留意をされたい。このことは強く主張をしてまいりました。 なお、公開、報告等につきましても、これは大部分じゃございません。大部分じゃございません。我々神職は神社を自分の、私有のものだとは考えておりません。先祖から伝えられてそれをお預かりしている、そしてそれをまた永久に子供たちに、またそれを子孫に引き継いでいく、その責務を持っている。また、その地域の氏子なり崇敬者なりという人々からこの神社をお預かりしている、基本的にはお預かりをしているんだという考え方をいたしております。 したがいまして、お預かりしております以上、先祖に対して具体的な報告はすることはできませんが、少なくとも同時に、神社をお守りをいただいている氏子、崇敬者については、これはもう神社の経費はほとんど全部ガラス張りに近いと、こう申し上げてもよろしいかと思います。ただ、神社の経済、これはもう大変貧乏であります。神社というのは大変お金がない。お金がありませんから公開するほどの経理の必要もないぐらいであります。 そういう点から考えまして、今、仮に日本の社会全般から宗教法人は極めて不明朗であると、こういうおしかりを受けるとすれば、これはその部分がまだ残っておるとすれば、私たち神社もこれはもう徹底的にとにかく透明さを図ってまいりたい、このように考えております。ただ、時間はかかります。時間はかかりますが、それを目指して進んでまいりたい、このように考えておる次第であります。 以上のような大変乱雑なお話で恐縮でございますけれども、そういうような私どもの考えに立ちまして、今回の宗教法人法の改正につきましては、望ましくはない。望ましくはありません。けれども、信教の自由を叫ぶためには、それに倍する厳しい、みずからを律することが前提になるということを考えながら一歩一歩進めてまいりたい、このように神社本庁としては現在考え、そして一応改正についての賛成の意思を表明した次第であります。 申し上げたいことがまだまだ残っておりますけれども、大分時間を超過いたしまして申しわけございません。お許しをいただきたいと思います。 では、以上で私の意見の開陳を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 次に、洗参考人にお願いいたします。洗参考人。
○参考人(洗建君) 駒澤大学の洗でございます。 結論から申し上げますと、今回の改正案というのは大変問題が多く、これは賛同いたしかねるというふうに考えております。 現行の宗教法人法がしばしばざる法であるなどと言われるのでありますけれども、現行の宗教法人法は、その目的に記されているとおり、既に社会的に存在している宗教団体に法人格を付与するということを唯一の目的とする法律でありまして、宗教法人を管理するための法律ではありません。 それは決して野放しということであるわけではありませんで、宗教法人の財務に関しては税法に基づいて税務当局が関与することができるわけでありますし、また法令に違反する行為があればそれぞれの法を所管する行政がこれを規制することができるわけでありまして、宗教法人はみずからの責任において自由に行動し、法に触れることがあれば一般の市民と全く同様に規制されるという状態になっているのが現行法の状態であると思われます。 ところが、今回の改正案におきましては、この法の目的を大幅に逸脱してといいましょうか、所轄庁が宗教法人を管理する、恒常的に監視するというふうな体制を築こうとするものでありまして、これは憲法の政教分離の原則を危うくするものと考えられるわけであります。政教分離の原則のもとでは国家機関と宗教団体との関係は最小でなければならないのでありまして、宗教法人の活動一般に対して包括的な立場からこれに関与するような国家機関というものは置かれるべきではないと、私はそう考えます。 今回の改正におきましては、所轄庁の移管、財務書類等の報告・質問権の付与などの改正が行われるようでございますが、所轄庁というのは、その権限が認証事務に限定されているのであれば、これはどこであっても同じことでありますから別にどうということはないようでありますけれども、しかしどこであってもよいということであれば別段法改正をして移管する必要もないわけであります。全国的に活動する宗教法人はこれは文部省の所管にすると言うといかにももっともらしく聞こえるのでありますけれども、今回の法改正によりましてはその改正の目的も達成されないのではないかというふうに思われます。 他の都道府県に宗教施設を持つ宗教法人は文部大臣の所管になるということでありますが、例えば天台宗の総本山であります比叡山延暦寺は、これは京都府と滋賀県にまたがっておりますので、今回の改正によって文部大臣所管に移管することになるかと思いますが、このような法人を文部大臣が所管しなければならないという意味はほとんどないように思われますし、また逆に、霊視商法などというので社会的な問題になっているような本覚寺グループと言われるような宗教団体、これは各地に宗教法人を持って全国的な展開をしておりますが、これを包括する団体というふうなものが法人化しているわけではありませんものですから、これは文部大臣の所管にすることができないのであります。 そもそも今回の改正の意図とでもいいましょうか、これは今回の改正案では達成されていない。むやみに所轄関係を複雑にするだけであり、また宗教法人に負担をかけることでもあります。従来なら規則変更などに県庁に行けば済んでいた法人がわざわざ文部省まで出てこなければならないというふうなことも起こるわけでありますが、そうした負担に見合うだけの意味のある改正かというと、これは無用な改正をし、やたらと事柄を複雑にしているだけ、全国的に活動する包括法人は文部大臣、個別の単位団体は都道府県知事という現行法の方がはるかにすっきりしているのではないか、私はこのように思います。 また、財務関係の書類を中心に報告義務を課すということであります。これにつきまして、認証した所轄庁としての責任を果たすために最低限の書類を出してもらうのだという説明がなされておりますが、所轄庁の責任というのは一体何なんでしょうか。所轄庁は宗教法人の活動に対して責任を負うことができるのでしょうか。また、そんなことをすべきなのでしょうか。私は、所轄庁の責任というのは法に定められた認証を確実に行ったか否かということ以上の責任を負えるはずがないと思います。 報告を出させる、実態を把握するということは、本来ならば実態を把握して何か不都合な点が見出されるならばこれを指導し是正するということとこれは論理的につながっていることなのでありまして、それを指導監督というようなことになりますとこれは憲法に真正面から衝突いたしますので、今回の改正案では報告だけ出させるという点で論理を途中で断ち切っているものでありますが、指導も監督もしないのに何のために報告を出させるのか、全く意味のないことなのではないかというふうに思います。 十八万四千からある法人から毎年報告書が出るということになりますと、この分量は大変なものであります。その保管だけでも相当な経費がかかるでしょうし、整理のための人員も必要かと思いますが、そのようなところに国民の税金がつぎ込まれるということは国民にとってもほとんどメリットのないことではないか、このように思われるわけであります。 報告はさせるけれども指導監督はしないという今回の改正案は、ある意味では極めて中途半端であるがゆえに宗教法人法をむしろ欠陥法にする、そういうおそれがあるのではないか、このように考えております。 また、質問権のことでございますが、これは七十九条、八十条、八十一条、事業の停止命令、認証の取り消し、解散請求に関して限定的に質問権を認めるということでございますが、八十一条は法人格の消滅、剥奪に関する条文ですからもちろん必要なものでありますが、こうした処分に関してはきちんと司法手続を経て裁判所の公正な判断にゆだねるというのが現行法の基本的な考え方でありまして、それに対して行政判断で認証の取り消しができるとした八十条の規定はそれに対する明らかな例外規定であります。認証後一年以内という期間の限定があることもこれが例外規定であることを示しているものと思われますし、また七十九条は一見してわかりにくいのでありますけれども、これも私は例外規定であると考えております。 六条二項の収益を当該宗教法人のために使わなかった場合というのは、一体具体的にどういう場合が考えられるのか。通常の宗教法人でありましたら収益は当然公益会計の方に算入されていくものでありまして、公益会計からの支出は特に使途に制限がないのでありますから、収益会計からそのまま別の使途に使うということは通常考えられないことであります。唯一考えられるのは、宗教法人令当時にしばしば見られたような商店ですとかあるいは飲食店のたぐいが宗教を装って法人格をとってしまった場合、そういう場合に法人会計をきちんとやらずに売り上げをそのまま生活費に使っちゃったというふうなケースは考えられるのでありますが、今日ではそういう極端な事例というのはほとんどないのであります。 これは宗教法人令の状況、時代の状況に対抗するために七十九条、八十条というのは挿入されたものと思われますが、こうした例外規定、八十九条から成る法律の中でたった二カ条の例外規定をとらえまして所轄庁にも何か権限が現行法でも与えられているというふうな解釈をするのは、私はそれは正しくはないと思います。 こうした極端な違反事項というのは、これは質問権というようなものはなくても、だれが見ても明らかだというふうなケースについて適用されるべき条文でありますから、質問権が必要だとは思いませんし、また八十一条に関しましても、これは解散請求ができるのは所轄庁だけではありません。検察も利害関係人もこれを行い得るのでありまして、事実今回のオウム事件に関してもちゃんと解散請求はできているのであります。 また、消滅しかかった法人についての解散の事例、これも質問権というようなことがなくても十分運用できるのでありまして、現にそうした法人の解散は現在でも行われているわけであります。現行法においてそうした調査権のごときものを与えなかった、これは意図的に与えていないと私は思います。与えなかったというその精神を十分かみしめるべきではないか、このように私は思うのでありまして、質問権は限定されて宗教法人審議会のチェックを受けるんだから乱用されることはないと言いますけれども、しかし法律は一たん制定されましたらひとり歩きするというのは、これは歴史の示しているところであります。 八十一条の中には「目的を著しく逸脱した行為」というような、法令違反とまでいかないものについてもかなりあいまいな規定も入っているのでありまして、これは解釈次第で拡大されないということはだれにも保証できないことではないかというふうに思います。どうしても必要というわけでもない質問権というふうなものをわざわざ導入するということ、こうしたことは全体としてやはり所轄庁が宗教法人を管理のもとに置こうという思想が持ち込まれているものと思われまして、これは政教分離の原則を著しく危うくするものとして危険な改正であろうかと思います。 また、信者に帳簿等の閲覧権を認めるということ、これは宗教法人の運営の透明化に役立ち、民主化に役立つと言われております。しかし、もちろん宗教法人の運営が適正に行われるようにするということは大変重要なことでありますし、また今日、国民のかなりの人々が宗教法人の経理に対して不信感を持っているということも、これを何とかしなければならないのは当然のことであります。しかし、こうした問題は、宗教法人の現場を踏まえて改正を考えるのでなくては、お役所の机の上で考えただけでは決してうまくいくものとは思われません。 実際、信者その他利害関係人という概念は一体どういうことになるのか、これは極めて不明確であります。各宗教法人が決めればよいと、こう言いますけれども、しかし、信者の側といいますかずっと私はおさい銭を上げていたんだという人が、宗教法人側からおまえは信者じゃないと言われて納得するものとも思えないのであります。そういたしますと、今回の改正は宗教法人に無用の混乱、トラブルを起こす、そういう危険がかなり高いと言うべきではなかろうか。 そもそも献金をした信者であれば知る権利が当然あるというふうな言い方がなされておりますが、宗教団体というのは民主的であればよいというわけでは決してありません。カトリックの「教会法」という著書を書いたルネ・メッツによりますと、カトリック教会というのは決して民主主義ではないということを明言しているのであります。神から権限が授けられた教皇、そして司教という信仰上の組織、これは信仰の問題でありますし、また仏教におきましても、宗教団体への献金ということ、これは宗教的な意味を持っている。仏様の前で喜んで捨てる、喜捨ということであります。こうした喜捨の心を育てるというふうなことは宗教にとって大変重要な問題であります。 それを世俗の法律が、信者には献金をしたのだから当然閲覧の権利があるというふうなことを世俗の法律が押しづけるとすれば、それは宗教上の事項への介入になりかねない、信教の自由の侵害になりかねないのでありまして、こういう問題は宗教の現場におろして、じっくりと時間をかけて討議される必要があるものと考えます。 したがいまして、私は、今回の宗教法人法の改正案というのはいずれの点をとっても問題が非常に多い、一度白紙に戻して宗教の現場におろして検討のし直しをすべきではないかこのように考えております。 以上でございます。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 次に、北野参考人にお願いいたします。北野参考人。
○参考人(北野弘久君) ただいま御紹介いただきました日本大学の北野です。 大変微力でありますけれども、約四十年間、税法学及び憲法学を専攻してきました。そうした専門の学問の立場から若干の所見を述べさせていただきたいと思います。 周知のように、かつての日本では国家が特定の宗教と一体となりまして日本社会を支配し、他の宗教、とりわけ当時の新興宗教を弾圧したという事実がございました。この歴史的な事実への深い反省に立ちまして、第二次世界大戦後の占領末期におきまして、一九五一年になりますが、現行宗教法人法が制定されました。この法律は、いわば宗教性善説に立ちまして宗教団体に法人格を与えるということだけを目的とした法律であります。あれから四十数年を経過した今日、この法律を悪用する宗教法人などがあらわれるようになりまして、日本社会を混乱に陥れるようになったのであります。 私たちは、宗教法人の教義や宗教活動の本体そのものに介入することはできません。行政が宗教団体を宗教法人として認証しまして、その認証を受けました宗教法人が日本社会でさまざまな公的な保護を受けることになります。行政には、そのような認証をした以上は、俗の部分、最小限度金の流れの面からその所管する宗教法人を把握しておくべき公的な責任がございます。宗教法人としましても、課税その他の面で公的な保護を受ける以上は、みずから進んでその金の流れの透明度を納税者、国民にディスクロージャー、開示する義務を負うと言うべきであります。 今回の宗教法人法の改正はその点では極めて不十分なものでありますが、私としましては一歩前進であるということで今回の改正は最小限度の法制的整備を目指すものである、こういうふうに認識いたしております。 この点について若干のコメントを加えておきますと、例えば問題になりました質問権について申しますと、現行宗教法人法第七十九条などに違反する疑いのある場合に限って、しかも宗教法人審議会の了解を得まして所轄庁がその所管する宗教法人に対しまして報告を求め、質問できるというものにすぎないのであります。私は、今回の改正案はむしろ公権力の宗教への介入を未然に防止するための自衛措置と見ております。宗教法人が国民、納税者が納得するだけの財務の透明化を実践しておりますれば、そういうことでやれば公権力は宗教へ介入する口実を持ち得なくなるのであります。 しかしながら、財務の流れの透明度を確保するものといいましても、今回の改正案では極めて不十分であります。 例えば、収入金額が一定以上の法人につきましては、改正案では収支計算書の作成のみを義務づけております。しかし、簿記の義務づけ、帳面をつけるという義務づけですね、それから収支計算書と貸借対照表の双方二つの義務づけは不可欠であります。 さらに、十数法人程度のものを頭に考えておりますが、巨大宗教法人につきましては公認会計士による財務監査を義務づけるべきであります。その前提としまして、公権力の介入を避けまして、人々の信教の自由、プライバシーを真に守るためにも、宗教問題専門家を含む第三者的な審議会におきまして宗教法人の会計基準、会計原則を策定することが目下の急務となります。 このように、公認会計士による財務監査の対象になる法人はほんの一握りの巨大宗教法人でありまして、大部分のお寺さん、お宮さん、教会などについては全くこの対象にならないのでありまして、各法人の自浄作用にゆだねるべきであると考えております。 以上のほかに、現行宗教法人法には多くの不備がございます。これらの不備につきましては今回の改正案では検討の対象になっておりません。現行法には宗教活動以外の活動については歯どめはございません。やはり、社会問題化した今日の段階では、宗教活動以外の活動はその法人の宗教活動に関連したものに限ることとしまして、それを超える活動を行う場合には別法人、別組織として行うこととすべきであります。このような規定を宗教法人法に盛り込むだけで国民は宗教法人に信頼を寄せるのであります。 また、休眠法人などの法人格の売買などが現実に行われておりますが、そういう疑いのある場合においては、所轄庁として何らかの措置を講ずることができるような規定を整備すべきであると思います。また、認証の取り消し期間は現在は一年でありますけれども、これでは短いのでありまして、この一年を三年に延長すべきであると考えております。 この機会に、今回の改正案の不十分さに関連しまして、日本国憲法で規定いたしますところの政治と宗教の分離、政教分離原則の法的な意義につきまして若干の説明をしておきたいと思います。 政教分離原則については二つのものがございます。その一つは、皆さん御存じの政治の宗教への介入の禁止であります。この点につきましては日本では戦後五十年間厳格に守られてきました。その二つは、憲法二十条でも明文で規定しておりますところの宗教の政治への支配の禁止であります。 もちろん、宗教法人も社会的な存在としまして憲法二十一条が規定する表現の自由を保障されておりまして、その政治に関するさまざまな提言などの、提言というのは意見という意味でありますが、提言などの実現を政治的に働きかけるという政治活動は許されます。また、その宗教法人の構成メンバーの個々人が一市民として選挙運動などの政治活動を行うことももちろん許されます。 憲法二十条が政教分離原則との関係で禁止しておりますのは、そういう政治活動ではないのでありまして、その宗教法人が組織的に集票活動、選挙運動などの政治活動を行うことでありまして、アメリカなどの実際例に従いましてこういったことは禁止されておると、こういうふうに考えざるを得ないのであります。こうした政治活動は、憲法が禁ずる宗教の政治への支配につながるから許されないのであります。今私たちが日本で問題にすべき政教分離原則はこのレベルのものであります。 従前の政府見解は、専ら戦前のあの忌まわしい政治の宗教への介入の歴史的な経緯を念頭に置きまして述べられてきた政府見解にすぎないと言わねばなりません。この段階で、日本の立憲民主主義の真実を守るためにも、この宗教の政治への支配の禁止という政教分離原則を我々は虚心に認識すべきであると考えます。 このような観点から申しますと、その法人の実質、サブスタンスですね、その法人の実質が政治団体、営利団体などと認められるような場合には、宗教法人法におきまして認証の取り消し事由、解散命令の請求対象とされるべきであると言わねばなりません。 以上は宗教法人法プロパーに関する当面の私の所見ですが、人々が納得するだけの金の透明化を図るためには、宗教法人税制の整備も不可欠であります。 この点について巷間誤った議論が行われております。現行税制は、宗教法人に対する法人税の取り扱いを他の公益法人と一緒に規定しております。しかし、この規定の仕方は学問的には誤りでありまして、何が収益事業であるかは各公益法人等の性格、目的、規模ことによって異なってくるのでありまして、当面、宗教法人を他の公益法人と切り離しまして、早急に宗教法人税制のあり方を見直すべきであると考えております。 そこで、まず幾つかのことだけを申し上げたいと思いますが、公権力の宗教への介入を避けまして、人々の信教の自由、宗教活動の自由を守るためにも、宗教法人活動の実態を踏まえまして、宗教法人にふさわしい収益事業の範囲を世俗の部分から画定する、そういうことは非常に大切でありまして、これは公益法人等一般とは切り離して行うということであります。 このような観点から幾つかのことをさらに申し上げたいと思いますが、財テク的に運用されます一定の金融収益をも収益事業に組み込むべきであります。 第二番目に、現行税制は金の入る面、インプットしかとらえておりませんが、お布施などの金のアウトプット、出の面をもとらえる必要があります。政治活動、営利活動などに用いた部分は税制上収益事業分とみなすべきである。こういうことであります。 第三に、さきに指摘しました日本で問われておる政教分離原則の観点から、その宗教法人の実質が政治団体、営利団体と認められる場合には課税上は宗教法人としては扱わないこととすべきであります。 私は、現行法のもとでも、このような法人に宗教法人非課税の規定を適用することは、アメリカでの例にかんがみまして憲法学上適用違憲、憲法違反にも二つありまして法令違憲と適用違憲がありますが、この場合、適用違憲を構成すると考えております。 第四に、さきに指摘しました巨大宗教法人につきましては、公認会計士の財務監査を受けている場合に限りまして現行法の宗教法人非課税の原則を適用することとすべきであります。 以上、若干のことを申し上げましたが、もう時間がそろそろなくなりつつありますが、第五に、収益事業所得に対する法人税率を現在は軽い税率にしておりますが、これを普通法人並みに引き上げるということが必要でありまして、これはマーケットの論理、市場原理からいきまして、アメリカでは全くこういうやり方でやっております。そして、現在の寄附金控除制度も廃止するということは不可欠であります。 以上、時間の関係で大急ぎで若干のことを申し上げました。こういった点につきましてもぜひ今後国会におきまして、さらには政府におきまして十分に御検討いただきたいと思います。 このような不十分な宗教法人法の改正案についてすら、私には理解できないことでありますけれども、反対をしておる巨大宗教法人があると新聞は報道いたしております。これは国民的な規模でその真実を我々は主権者として解明すべきであると考えております。私は、今回の改正案を一日も早く成立させまして、その上で、ただいま指摘しました諸項目につきまして第二次改正という形で主権者、国民に提案すべきであると考えております。 それにつけましても、多年の懸案でありました宗教法人法の今回の改正案、非常に不十分でありますけれども、ともかく取りまとめられたことに対しまして、村山内閣に対して心から敬意を表したいと思います。日本の立憲民主主義にとって一歩前進となるからであります。 御清聴いただき、ありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。 —————————————
○委員長(倉田寛之君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、平野貞夫君及び益田洋介君が委員を辞任され、その補欠として猪熊重二君及び大森礼子君が選任されました。 —————————————
○委員長(倉田寛之君) これより参考人に対する質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○服部三男雄君 自由民主党の服部でございます。参考人の先生方、御苦労さまでございます。 ただいま約四十五分にわたりましてお三方から御意見をいただきました。洗先生と北野先生は、洗先生ははっきりと反対、北野先生は賛成だが生ぬるいという明確な御意向を賜りましたわけでありますが、岡本先生にちょっとお伺いします。 四点今回の主な改正点がございます。所轄庁の問題、それから書類の備えつけの問題、報告の問題、それから質問権の問題等々ございますが、この四点の中でどの点について御賛成なのかあるいは反対されるのか、あるいはやむを得ないとお思いなのかそれをもう少し御明確にしていただければありがたいのですが。
○参考人(岡本健治君) 先ほどは説明が足りませんで申しわけございませんでした。 ただいま御質問の四点についてどういうふうに賛成するのか、反対するのかこういうお話でございますが、先ほども申し上げましたとおり、四点について、現行の法律以上の負担がかからないように、最低限必要な分にとどめておくということを条件にいたしまして、四件ともやむを得ない、こういうふうに考えております。賛成をいたしております。 以上です。
○服部三男雄君 先ほどの岡本参考人の御説明を伺っておりますと、多分、事務所備えつけ書類の見直しと所轄庁への提出の問題で、日本の現在たくさんある八万の神社の中には、非常に小さいもの、あるいは宮司さんがかけ持ちで何カ所もお持ちのもの、あるいは形式的な信徒総代さんあるいは氏子さんがおられるだけで、実質上は森の鎮守府のようなものであって、そういう書類を作成したり報告する事務の煩雑さに耐えがたいというようなニュアンスにとっておるんですが、そういう御理解でよろしゅうございますか。
○参考人(岡本健治君) 今の御質問のとおりであります。
○服部三男雄君 次に、洗先生にお伺いしたいと思うんです。 確かに現行法の目的は認証が主たることだというのはおっしゃるとおりだろうと思うんですが、しかし、七十九条以下にありますように、解散請求ができますし、収益事業についての取り消しの問題もありますし、種々の問題があるわけで、必ずしも認証のみということに理解するのはやや誇張じゃないかと思うんですが、洗先生、いかがでございましょうか。
○参考人(洗建君) 先ほども申し上げましたように、八十一条は宗教法人格の消滅もしくは剥奪に関する事柄でありまして、現行法の中に必要な条文であると、そう思います。七十九条、八十条というのは、これは非常に現在ではレアケースであるわけですが、この宗教法人法が制定された当時、つまり宗教法人令の時代には届け出制の自由設立てあったために、脱税をねらって飲食店等が宗教法人をつくってしまうというケースが非常にたくさんあったわけでございまして、そういうことも現行法制定への一つの動機になったという時代背景があると思います。 そういう事態に対して一々裁判を起こしてというのは大変だというふうなことも多分あってだと思いますが、そういう事態に対抗するためのいわば緊急避難的な条文として七十九条、八十条というのは入れられたものであるというふうに私は理解しているのでありまして、そういう営利団体が宗教法人を装うというふうな事態に対抗するための措置といたしましては、所轄庁に権限を与えてこれを規制するというのは、私は本道ではないように思います。むしろ、営利団体が宗教法人になっても何もメリットが得られないようなそういう環境を整えること、営利事業のみを行うものは税制上の特典が得られないというふうな税法上の扱いがなされることの方が本筋であると思っておりまして、そのようなことができれば、私は七十九条、八十条というのは不要な条文ではないかというふうに考えております。
○服部三男雄君 洗先生のお話を伺っていますと、現行法の秩序の中にある宗教法人法の構成をやや立法論的に考えておられる部分が散見されるように思うのでありますが、それはともかくといたしまして、この宗教法人法が昭和二十六年にできたころの日本というのは、大変貧しい国であった、国民が飢える時代であった。そういう厳しい物的な満足が得られない場合、どうしても心の問題というのが大切な時期でありますから、いいのでありますけれども、その後、世界史にまれに見る高度成長を行った。そうするとお金がたくさん出てくる。宗教活動がそういう社会の大きな流れの影響をどうしても受けざるを得ない。これは避けられないことだと思うんですね。 先ほど北野先生がおっしゃったように、国民の間に税という意識が非常に強くなってきた。宗教法人に対する税の目の感覚が厳しくなってきているという大きな流れになってきた。また、宗教法人のお金の使途について、収支について国民の意識が厳しくなってきた。あるいは端的に申し上げれば、両先生もおっしゃいましたが、不信感を国民の多くの方が持つようになってきた。近時の代表的な日本の新聞社二社の調査では、実に国民の六五%が宗教法人のお金の収支、俗的な言い方をしております、収益事業の問題もあるでしょうし、それ以外の宗教活動としてのお金の出入りもありますけれども、国民はそこまで細かくは認識していないようでありますが、とにかく宗教団体そのもののお金の出入りについてどうも不信だという人が何と六五%もいる。 こういう社会の大きな変化を考えた場合に、今、先生のおっしゃっているような財務関係書類を備えるとか、あるいは所轄庁への提出、あるいは信徒、利害関係人が閲覧権を持つことは、宗教活動そのものあるいは宗教団体の事務の煩雑さとか無用な混乱を生ずるというのは、今国民の多くの方がこのテレビを見ておられますが、洗先生の御意向に対して、ちょっとそれは違うんじゃないかというふうに感ずるんではないかと思いますが、どうでございましょうか。
○参考人(洗建君) 宗教法人の経理に対する不信感が大きくある、これはマスコミの報道等の姿勢の影響もかなりあるかなと思うのでありますが、現行法のもとでも宗教法人に対する税務査察というのは可能でありますし、現に行われているわけでございます。非常に数が多いわけですから、そのすべてに査察が入っているとも思えませんですけれども、しかし、私が身辺で見る限りでも相当の部分に税務査察は入っております。そして、この税務査察というのは、宗教法人経理の適正化に非常に、適正化のために入っているわけではないというふうに税務当局は言うかもしれませんが、事実の問題としては法人経理の適正化に非常に大きな貢献をしている面があるということを見過ごすべきではないだろうと思います。 税務当局の調査というのは帳簿の隅から隅まで調べます。そして、極めて具体的にこれは脱税に当たるとか違法経理だというふうなことが指摘されます。そういう指摘を受けてもなおかつ脱税を試みるような宗教法人というのが多いとは私は全く思いません。大部分は、能力の問題や何かでその意図がなくて脱税等に当たるような経理をしていたというケースが大部分であろうかと思います。 こうした税務査察の持つ利点というのは、同じ国家機関が宗教法人に入るのでありましてもその視点は非常に限定されているわけでありまして、これは課税の対象であるか否かという視点からしか経理を見ない。こういう活動の仕方が適正であるかとか、宗教法人としてふさわしいかというふうな見方はしないのであります。したがって、宗教活動への介入の度合いは最小限にとどまるものであろうというふうに思います。また、個別の査察の結果というのは守秘義務によって敵意を持つ第三者というふうなものに流されるというおそれも非常に少ないのであります。 現にそういう税務査察が行われて、これは大規模法人であります創価学会とかあるいは立正佼成会にも既に査察が入ったということを私は聞いておりますし、その後、税務当局に毎年のように公益会計も含めて書類の提出が行われているということを聞いております。 このようにして、宗教法人の経理で税務当局が宗教へのタブーを捨てたのは十数年前かと思いますが、そのころから税務当局が行っている税務査察によって実は宗教法人の経理というのはだんだんと適正化へ向かって動いているのではないか、私はそういう認識を持っております。
○服部三男雄君 洗先生、今私の質問した、国民が宗教団体の金の流れについて不信感を持っているという訴えに対して、税務調査のことばっかりお答えいただいたんですが、私は国民のそういう要望があるということ、しかも今回の改正案の事務所備えつけ書類の見直しとか所轄庁への提出というのは、それを極めて抑制的にしたにすぎない。むしろ北野先生はそれでは不十分だとさえおっしゃっているわけであります。 それともう一つは、宗教団体の中の自主性を高めようということで、信者その他の利害関係人の自主的な内部監査的なことを盛り込んだこととはどうも論点が合わないわけでありまして、もう一度お答えいただきたい。 税務調査あるいはたぐいまれな査察もあるようでありますが、それとは関係なく、国民の多くが要望している宗教団体をめぐるお金の流れというものを、その要望を受けて世論をバックに今回こういう改正をした、しかも極めて抑制的な改正をした、自主的な内部の透明性を高めようという改正についてどうして反対なさるのかをもっとポイントを絞ってお答えいただきたいと思います。
○参考人(洗建君) 私は、最初にも申し上げましたように、宗教法人の財務という点に関して国家機関が関与するのは、これは税務当局による関与というのが本道であろうというふうに考えると言ったわけでございます。 所轄庁というのはどうしても宗教法人全般にわたって物を見ようとするものでありますので、所轄庁に財務関係の報告を出すということは、これは所轄庁の視点というのは、そこにこのようなお金の使われ方が宗教法人として適正であるか否かというふうなそういう視点がどうしても加わってくることになりますので、所轄庁、現在では指導権などは与えられておりませんけれども、それは所轄庁による活動への介入の道を開くおそれが高いということでございます。
○服部三男雄君 先生が今おっしゃっている改正法の二十五条ですが、提出するだけであって介入する権限は全く持たせていないんですね。今の先生の御説明を聞くと国民はちょっと誤解をすると思うんです。全くそういう介入権限は持たせていない。指導、是正、命令権も持たせておりません。その点、今のお話はちょっと誤解を呼びやすいなと思うんです。 ただ単に提出する、それがどうして介入の糸口になるんでしょうか。
○参考人(洗建君) ただ単に提出をさせまして、そして何かこれはおかしいのではないかというふうに思っても、そこに指導も監督も介入もできない。そういう状況は、これはまたまた第二次の改正が必要だというふうな要望につながるのではないでしょうか。提出書類の中でおかしいと思われるというふうなことが国会などで取り上げられ議論されたときに、指導権もあるいは監督権もないからそのまま放置しておきましたということですと、そういうことでは不備ではないかという声が再び起こってくることは、これはもう論理の必然なのだと、私はそう思うのであります。 第二次改正への道を開く、そういう意味合いを持っているということを申し上げているわけでございます。
○服部三男雄君 行政に対する不信感をお持ちならば、それはそういう独自のお立場で御心配いただいているんだろうと思いますが、そういったことは、今度の限定的な改正でありますし、そうたびたび宗教法人法を改正できるとは到底思えませんので、洗参考人の杞憂にすぎないと断言してはばかりません。私の意向でございます。 次に、洗先生に再度お尋ねいたしますが、先ほど先生の御発言の中で非常に驚くべき御発言がございました。それは、宗教団体は民主的であればよいものではないという、恐らく今テレビを聞いておられる方々はびっくりなさっただろうと思います。 宗教的行事とか祭祀をするとか教化活動をするとか、こういったこと、いわゆる宗教団体の聖なる活動部分について民主的でなければならないとかなくていいとか、これは国とか政治家とかあるいは行政当局がどうこう言うべきものではございません。文字どおりそれこそ政教分離の最も大事な部分であります。しかし、社会的存在として取引だとか、要するに法人格を持ち、しかも日本の場合は税制上いろんな措置を宗教法人に与えている、いわゆる公益性を持たしているところの俗なる部分、いわゆる聖と俗の俗なる部分の活動について、それを必ずしも民主的でなくていいと言われると、これは国民の多くの方はびっくりするだろうと思うんです。 先生の意図を私が誤解しているかもしれません。もう少し御説明願えたらありがたいんですが。
○参考人(洗建君) 聖と俗というふうにきっぱりとお分けになったわけでありますが、もちろん宗教法人がどこかの建築業者と取引の契約を結ぶというふうな行為が、これが世俗的な行為であるという、そこに法の規制もかかるという、それは当然のことでございます。しかし、宗教法人あるいは宗教団体の管理のための組織、あるいは宗教法人の財産をいかなる目的で取得しいかなることに使うのかというふうなこと、これは財産的側面であるからということで完全に世俗的であり宗教と関係ないことかといえば、そんなことはあり得ないのでありまして、宗教団体の組織やあるいは財産というのは宗教目的と不可分のものであります。 その宗教団体をいかなる形で管理していくのかというその組織の問題につきましては、先ほどもちょっと例として挙げましたですけれども、カトリックなどでは神の真理とすべての権限は神から教皇に与えられているわけでありまして、教皇は立法、行政、司法の三権にわたる裁治権というものを独占しているのであります。もっとも、世界じゅうの教会を一人でやれるわけはありませんので、世界じゅうが司教区に分けられておりまして、そして各司教にそういう裁治権というのが教皇から与えられるという形になっております。そこには教会の運営等について信者の側から、平信徒の側から介入する権限というのは与えられていないのであります。 したがって、そうしたカトリックの信仰を守るために、カトリック教会では司教さんのいる教会だけが法人教会になっているのでありまして、司教区内のほかの教会はいずれも非法人であります。それは、一般の教会がそれぞれ権限を持つことによって司教権を侵害することのないように、そのような配慮がなされているものと考えられるわけであります。 そうした宗教団体の組織というのはやはり信仰の問題としっかり結びついているのでありまして、いかなる組織によっていかなる管理運営をしていくのかということは、一概に世俗の原理を持ち込んでよいというわけのものではないというふうに考えます。
○服部三男雄君 先ほどの論説と同じことを少し詳しくカトリック教会のことについて触れながら御説明いただいたので、どうも聞いている私どもとしてはよくわからないのでありますが、それも大命題として宗教団体は民主的であらねばならないというものではないというふうに言われますと、議論がかみ合わないことになりかねないんです。 もう一度洗先生にお尋ねしたいんですが、宗教団体の金の流れというものについて六五%以上の国民の多くが不信感を持っているということに対して、やっぱり宗教団体の方も自主的にそういう国民の不信を払拭していこうとする努力をするべきだというふうに洗先生はお思いになりますか。
○参考人(洗建君) それは当然のことでございます。宗教法人の管理が決して不正なことにならないように、各法人の理念に従って自主的に適正な運営をする、そして国民の信頼を獲得していくようにする、これはもう極めて大切なことでありまして、多くの宗教法人は実際自主的にそういうことをやっていこうということをおっしゃっているところでもあります。
○服部三男雄君 その一つの方法として、今回の信者その他の利害関係人による事務所備えつけ書類の閲覧権というものを認めることがいい方法かどうかについて、先生はどのようにお思いになりますか。
○参考人(洗建君) 信者に帳簿閲覧権を認めるということは、これは余りいい方法になっていないというふうに思っているところであります。 実際、多くの日本人というのは、長い仏教的な伝統の中で、神仏に差し上げたものということについて、その後までその金の行方を追及しないというそういう気持ちが結構強いのでありますが、実際、信者と称する者が帳簿の閲覧を請求するというふうな、そういう事態がどういう場合に起こるかということを考えますと、何かトラブったりしたような場合にそういう要求が多く出てくるのであろうということが予想されるのであります。 そうした場合に、従来ですと、仮に見せろというようなことで訴訟に持っていったとしても、容易に訴訟に勝てるわけではありませんので、裁判ざたというふうなこともそうは多く起こっていないと思うのでありますが、そういう何か事態が起こったときに、これは大いに、今度は法律が保障しているということで訴訟事件に持っていくというふうな、そういう混乱した状態が宗教界に多発することになるのではないかという懸念が非常に大きいと私は思うのであります。 もちろん宗教法人の自治能力を高めるという点、これは非常に大切なことでありますから、その点を法改正によって何とかできるということであれば、それはもう法改正することはもちろん反対するものではないのでありますが、ただ、そうした宗教の現場に即して問題を十分練り上げないとこういう問題についていい改正は不可能だと思うんですね。 今回のこの改正案というのはその点では非常に拙速に過ぎて、宗教法人の透明化につながるよりもむしろ混乱を招く危険の方がずっと大きいと、そう判断するわけであります。
○服部三男雄君 洗先生も、宗教団体、宗教法人をめぐる金の出入りについて透明化を図るべきだ、国民の多くが要望するんだから透明化を図るべきだと思う、だから自主性が大切だということをおっしゃるわけですね。しかし、その透明化のための自主性を高めるために今度の利害関係人による閲覧権を認めたのはよくないと。 じゃ先生、どういう方法で自主性、透明性を高めるんでしょうか。
○参考人(洗建君) どういう方法でということは、私自身が宗教団体の現場をすべて知っているわけではございませんので、具体的にどういう方法があるのかということはなかなか難しいと思います。 ただ、これは一応の素案のようなものが出ましたら、今回の「信者その他の利害関係人」にということでも、いきなり法律案として国会に持ってくる前に一度宗教の現場におろして、それで宗教界の実際に合わせてみて問題はないのか、どういう問題があるのか、どういう変更をすれば大丈夫なのか、こういうことをきちんと練った上でないと実際に機能するいい改正案にはならない、こう思うわけでございます。
○服部三男雄君 再度、洗先生にお尋ねしたいと思うんですが、戦前の宗教弾圧というものの例が確かにありました。そのときのいきさつを見ますと、宗教法人関係のいわゆる内務省、昔の神祇院があった。内務省が強制的に何かやった、弾圧をやったということはないんですね、先生。治安維持法とかあるいは脱税事件に籍口した、脱税事件に名をかりた弾圧はありました。私ども地元の天理教もそういう形でやられたことはありました。しかし、内務省がどうこうしたということはないんです。その事実をよく私は御認識していただく必要があると思います。 といいますのは、先生は先ほどから宗教団体、宗教法人の財務については税務当局がやればいいんだと、こうおっしゃいますが、かえってそういう論理の方が戦前の例を見ても危険性が大きい。むしろ今言いましたように、宗教法人法認の所轄庁である文部省が限定的に抑制的にやりながら、しかも閲覧権、利害関係人による閲覧権という形で内部的な透明性、内部の活動によって透明性、自主性を高めようとする方がずっと賢明だと思いますが、洗先生、どうでございましょうか。
○参考人(洗建君) 戦前の弾圧に関連しまして、内務省とおっしゃったのは多分文部省のことかなと思いますが、違いますか。要するに、宗教団体法によって弾圧は行われたわけではないということをおっしゃろうとしたのではないんですか。
○服部三男雄君 私に対する質問ですか。
○委員長(倉田寛之君) 服部君、質問の要旨をもう一度まとめてください。
○服部三男雄君 要するに、内務省が何らかのアクションを起こして、宗教団体に対して、特に新興宗教集団に対して何か弾圧したかというと、そんな例はないんです。ただ、神社関係に対してほんのわずかの物的な援助を与えたことは確かに昭和十六年ごろありましたよ。しかし、他の宗教団体に対してやったのは治安維持法とか脱税に籍口したやり方であって、そこらの歴史的経緯をよく踏まえられますと、先生のおっしゃっている宗教団体の財務は税務当局が調査なり査察でやればいいんだという論理はかえって危険じゃありませんか。むしろ、今度改正するような形で内部の自主的な活動によって透明性を高めるという方法の方が、今、国民の六五%が宗教団体のお金の出入りについては不信感を持っているのにより対応したやり方ではないかと思うんですがどうでしょうかとお伺いしているわけです。
○参考人(洗建君) 宗教弾圧で解散まで持っていくというふうなことが起こったのは、それは治安維持法等によるということは事実であろうと思いますが、ただ一般の宗教団体を所轄していたのは、これは宗教団体法によって文部省が所轄していたわけでございまして、文部省がそれでは宗教弾圧という言葉を使うかどうかでありますが、何もしなかったかというとこれは決してそんなことはないのでありまして、当時の文部省宗教局の調査官は、これは毎日毎日各宗教団体の開祖の残したものから教義の書まで全部調べて、そして国体の思想に反するところがないかどうかということを調査し、そしてこれに反すると思われたところに対してはその改変を命ずるというふうな介入を行っていたわけでございます。 文部省の宗務課の方が、何といいますか、宗教団体のいろんな報告書を出させる、その方が税務署が見るよりももっと介入が少なくて安全なのではないかというお話でございますが、私は、文部省の方がどうしても宗教法人に対しては包括的な視点からこれにかかわるという点で問題性は大きいのではないかというふうに思いますので、どうも御意見が合わなくて申しわけないなという感じがいたします。
○服部三男雄君 何度も洗先生にばかりお尋ねして恐縮でございますが、憲法二十条の観点について先生はお触れになっておられませんので、先生の御意向を。というのは、お隣の北野先生はかなり明確にアメリカの免税制度まで引用なさっておっしゃっているぐらいでありますから、洗先生の御意向をお伺いしたいと思うんです。 先生の立論は、国家権力が宗教団体の宗教活動に介入することは絶対してはならない、そのためには今回のような書類の提出もよくないんだという極めて明確な一方の方の立論をおっしゃっている。じゃ逆に、宗教団体、宗教法人、宗教活動を行っている特に巨大宗教団体が組織的に集票活動をするとかいうような活動を通じて実質的な形で国会議員をたくさんつくり、それが、特に日本の場合は議院内閣制をとっておりますから、アメリカのように大統領制ではありませんから、議院内閣制という形で国会議員の、国会の議席のルートを通じて内閣に入って国権の枢要部分を担うという、いわゆる先ほどとは反対の宗教による政治への介入、単なる政治じゃなくて国家権カへの介入ということについてはどういう御意見をお持ちでございますか。
○参考人(洗建君) 宗教団体が国家権力に介入するということでございますが、宗教が権力を支配するということのためには、やはり国民の多数派を獲得して、そして単独政権などを成立させるということになりますと、確かにその国権を使って特定の宗教活動をしたり、あるいは特定の宗教団体に特権を与えたり、あるいは権力の行使の一部を委託したりというふうなことが起こる危険性が高くなるということはおっしゃるとおりであると思います。 ただし、そういう事態になるということは、これはもう国民の中の多数派の宗教になっているという事態が考えられるところなんですが、しかし現実には、単独で国民の多数派になり得るだけの宗教というのは、日本で一番巨大な宗教団体であります創価学会の場合でもそういうことを考えるのは余り現実的なことではないように思います。創価学会がその最盛期におきましても大体五%ぐらいの勢力だったのでありまして、それから約二十年強の間、その勢力が拡大しているという事実は認められないのでありまして、したがって宗教団体の選挙活動あるいは政治活動によって国家権力が壟断されるというふうなおそれが現実のものとしてあるというふうな認識は私は持っておりません。 憲法の解釈といたしましては、国家の宗教への介入の禁止ということは従来の内閣法制局の見解でもありますし、また最高裁の司法判断におきましても政教分離の原則というのは国家の宗教的中立性ないし国家の非宗教性の原則であるというふうに解しているのでありまして、そのように解するのが正当であると思います。 なぜならば、宗教団体の政治活動を制約するものというふうに解釈いたしますと、特に国権を壟断するというのではないような正当な宗教活動が政治性を帯びるということで宗教弾圧を招くというふうな事例が多く見られるのでありまして、政教分離の解釈を宗教団体の政治への介入といいますか、宗教団体の政治活動を制限するものと解するならば、これは信教の自由を保障する制度になり得ないというふうに考えます。
○服部三男雄君 私は、今、憲法二十条の解釈論を申し上げているんです。洗先生、今具体的な創価学会という宗教団体の名前を挙げられましたが、僕はそういうことは全く議論する気持ちはありません。特定団体をどうこうという気持ちは全くありませんので、あくまでもきょうは宗教と政治という問題について、もっと端的に言えば、憲法二十条の解釈の問題について参考人としてお伺いしているということを前提にひとつお考えいただきたいと思うんです。 今、一宗教団体が政治活動を組織的に行うことによって単独政権はあり得ないというようなことをおっしゃいましたが、現在の日本の政治状況ではそうかもしれませんが、憲法というのは、明治欽定憲法のように不磨の大典とは私は思いませんが、憲法というのは百年、二百年タームの国家存立の基盤たる法規範でありますから、現時点、平成の初めの現時点でもって議論なさるのはちょっと適当ではないと思いますので、その前提でもう一度お伺いします。 ある政治集団が、それが宗教集団であれ非宗教集団であ札、一時的に弱くても、あるとき突如として社会状況の変化のもとで強くなるという例は世界の各国どこを探してもあるわけでありまして、日本の戦後のように、比較的自由民主党が常に安定多数をとっていたというのは世界の歴史を見ると極めてまれな例であります。先生のそういう今の御立論は、そういう意味で日本の戦後の特殊な政治情勢のもとの判断としてはそうかもしれませんが、憲法というのは、先ほど申しましたように、百年、二百年のタームで考えるべき問題でありますから、ちょっとそういう観点からしますと立論の基礎が薄弱のように思います。 むしろ、確かにこの憲法二十条というのは基本的人権の中でも最も大事な部分でありますけれども、先ほど北野参考人がおっしゃったように、日本の場合には戦前の宗教的な過去の忌まわしい例がまざまざとあるときに、その直後につくられたものをそのまま引きずっている。これは岡本参考人もおっしゃいました。という歴史的な特殊性があるから、政治による宗教への介入は徹底的に排除せにゃならぬという意見は強く出されるんですが、世界の歴史を見ますと、これは近代政治史というもの、特に民主主義というもの、特に議会制民主主義というものは宗教の影響をいかに断つかというところから出てきたものなんですね。そこを一つ考えますと、そして日本の憲法というのは、明治憲法も欽定憲法もそうでありますけれども、そういう西洋の近代化の歴史の系譜の中で日本の実情に合うように輸入してきたものであります。 そういう歴史を考えますと、繰り返し申し上げますが、憲法というのは百年、二百年のタームで考えるべきものと考えますと、今の宗教による政治への公権力の介入の問題は、宗教活動本来の原点で考えてもらうと、ある程度の限界、制約を特に組織的な巨大集団となると考えるべきじゃないかというふうに多くの方が、これも七割以上の国民世論はそういうふうに言い出しておりますので、先生、どうでしょうか、もう一度先生の御意向をお伺いしたいんですが。
○参考人(洗建君) 憲法二十条の解釈だということでございますが、いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならないという規定は、これは内閣法制局のずっと伝統的に行われてきた解釈、これは正しい解釈であると私は考えております。つまり、宗教団体の政治活動を排除する趣旨ではないと解するのが妥当であるというふうに考えております。 巨大な組織が歴史百年たてばどんなふうに変わるかわからないじゃないかということをおっしゃいました。近代の議会制民主主義の成立について、これはフランスの政教分離というのが確かにカトリックの介入から国家を守ろうというふうな意図でなされたということはそうだと思いますが、宗教から国家を守るという観点で政教分離原則が生まれたのだというのは、それだけを取り上げるのはいささか一方的なのではないかというふうに思います。議会制民主主義がイギリスなどで生まれてくるには、これはピューリタリズムの理念が強く働いだということがリンゼーなどによって指摘されているのでありまして、決して宗教を排除するということから近代の議会制民主主義が生まれたというふうに一方的に言うことはできないと思います。 先ほども申し上げましたように、百年の単位で考えるといたしましても、国家にそれだけ宗教権力というふうなものが介入できるだけの力を持つ、そういう宗教が生まれるということは、これはもう圧倒的な、国教的なそういう力を宗教が持ったときですね。フランスの場合は九十数%がカトリックであります。そういう背景が生まれたならば、そういう宗教が国家権力に介入して政教分離を危うくするということは、これは考え得るのかもしれませんが、しかし日本の宗教状況というのはもっともっと多元的なのでありまして、特定の宗教団体がそれほど圧倒的な多数派を占めるというふうな事態が起こるということは、日本の歴史を通じて考えてみましてもそういう事態を考えるというのはむしろ杞憂に属するのではないかというふうに思います。
○服部三男雄君 もう時間がございませんので、最後に洗先生にもう一点お尋ねしたいんです。 先生は、巨大宗教法人が例えば九〇%の、国民の九〇%と今おっしゃったんですが、信徒をもって単独内閣をつくるのは危険だとおっしゃる。これは憲法二十条の解釈としては極めて奇異な解釈だと思うんです。 なぜならば、国家権力というのは具体的に何だといいますと、内閣全部じゃないわけでありまして、公権力の行使というのは、大蔵省でもいいし自治省でもいいし、文部省でもいいし法務省でもいいということを考えますと、先生の御議論は出発点においてちょっと間違っておられるんじゃないかなと。あえてえらい生意気なことを申し上げて、参考人に対して恐縮でございますけれども、ちょっと法理論、憲法理論の展開としては奇異な感じを受けるということを申し添えたいと思います。
○参考人(洗建君) もちろん、国家権力というのは内閣だけではありません。行政府すべてそうですし、立法府もそうだし、あるいは司法府も国家権力であると思いますが、しかしそういう国家権力の行使ということは、裁判所なりあるいは内閣なり何かが特定の宗教団体に権力の行使を付託するということによって権力の行使ということは起こるわけでございますから、そういう権力の座などを特定の宗教が独占するというふうな事態がなければ、あるいはそういう事態があっても付託するということが行われなければ憲法違反の事態は起こらない。ただし、そういう状況が生まれた場合にはそういうことが起こる危険性は大きくなるということだというふうに思います。
○服部三男雄君 北野参考人に特に税法の絡みでもっとお聞きしたかったんですが、もうわずかな時間でございますので、せっかくお越しいただきまして卓説を御開陳願ったのに、もっと深める議論ができなかったことを本当におわび申し上げたいと思います。 以上でございます。終わらせていただきます。
○荒木清寛君 まず、北野参考人にお伺いをいたします。 先ほどのお話で、宗教団体に対する課税につきまして、金の入る面だけではなくてアウトプットから見ていくというお話でございましたが、しかし私はこれは現行法の建前からしますとかなり異質ではないかという気がするんです。 要するに、宗教団体が政治活動といいますか政治献金をした場合には、その分について課税をするということじゃないかと思うんですね。 そうなりますと、例えば現行法上、労働組合が政党に献金をしたところでこれは税金がかかる話ではありません。また、株式会社が政治献金をするという場合におきましても、一定の限度において損金算入といいますか、税金がかからないわけですね。ですから、宗教団体の政治献金だけ課税するというのであれば、当然現行法上の建前からすれば労働組合のそういう献金にも課税、また株式会社の損金算入もだめだという話になる話でありまして、そうなるとこれはもう政治活動の侵害ではないかという議論にもなると思います。 もし、労働組合や企業はいいけれども、宗教団体の献金だけ課税をするというんであれば、これは憲法十四条の法のもとの平等に違反するんではないかという議論になると思うんですが、いかがでしょうか。
○参考人(北野弘久君) まず労働組合、株式会社等の問題につきまして、政治献金というのは皆さん個人個人の主権者固有の主権的権利でありまして、その一環として自分が支持する政党、政治家に浄財を寄付すると、そうあるべきなんですね。ですから、学問的に申しますと、もう何十年来私の学術論文で指摘しておるんですが、現行法の企業政治献金も違法であると私は考えているんです。その法律根拠を申しましょう。 まず民法四十三条違反です。民法は法人の目的に限定して権利能力を付与しておりまして、企業の政治献金というのは主権的な権力行使に反しますから、そういうことを民法規範は予定していないはずでありまして、ですから民法四十三条違反です。 第二番目に、憲法の秩序を害するような企業政治献金を認めるということはパブリックの公益原則に違反しますから、民法九十条違反で無効であるということで、私は、今おっしゃった例は不適当でありまして、ただ宗教について申し上げたのは、宗教はそういった民法の分野とは別な次元の議論が必要であります。 きょう話題になっております憲法二十条、八十九条との厳格な、特に日本は租税国家体制をとっておりますから、税金だけで国家を運営する体制ですから、それは憲法八十九条の解釈にしましても二十条の解釈にしましても、学界では非常に厳しい議論を行っておるのでありまして、アメリカでは特にその厳しい議論が行われておりますから、他の公益法人と比較して法のもとの平等を論ずる余地はありません。宗教法人にふさわしい課税のあり方を考えるべきでありまして、学校法人だとか社会福祉法人だとか、法人である労働組合であるとか、民法上の社団法人、財団法人とは違った憲法上の地位を持ったのが宗教法人でありまして、それだけにきょうこれだけ話題になっておるんですね。憲法十四条を持ち出す余地はないと。
○荒木清寛君 その違った取り扱いをすることがいいのか悪いのかということがやはり議論であると思うんですね。 それで、先ほども宗教団体が実質が政治団体になっている場合には課税上は課税をしていくというお話の中でアメリカの例を持ち出されたわけであります。この委員会でもアメリカの宗教団体に関する税制、特に政治活動との関係が若干議論になりましたので、私も勉強してみたんです。 それで、先生は昨年の二月の月刊誌にそういうことを言われていまして、「アメリカでは国税庁長官が、宗教団体として本当にふさわしい宗教活動を行なっているかどうかを調査します。実態調査を行なってOKとなれば、はじめて免税の特権が与えられる仕組みになっています。」というお話なんですよ。 私も向こうの内国歳入法典、IRC等も勉強しまして調べたんですけれども、どうもそうではないんではないかと。確かに向こうの、アメリカでございますが、慈善とか教育とかスポーツの振興という団体がそういう非課税措置を受けるためには非課税申請書、フォーム一〇二三というのを出さなければいけないというふうに書いてあるわけです。 ところが、宗教団体についてはその非課税申請書を出すか出さないかは任意である、出してもいいし出さなくてもいいと。出さなくたって当然にこの非課税の措置は受けられますよというのが向こうの法律の建前ではないかと思うんですよ。 なぜ宗教団体についてだけそういう書類を出さなくてもいいかというと、それはやはり信教の自由に配慮しているわけでして、ある学者の先生によると、課税免除を受けるために政府の承認を宗教団体に義務づけることは、政府に宗教団体を管理する過剰な権力を与えると考えられていると。だから、出すか出さないかは任意であるということなんですね。 ですから、先生がおっしゃるように、実態調査を行って、向こうの国税庁といいますか、内国歳入庁ですが、それがオーケーを言って初めて非課税だというのはちょっと違うんじゃないでしょうか。
○参考人(北野弘久君) 今おっしゃったのは運用の問題でありまして、私はアメリカの税制の本質の話をしたのでありまして、向こうは各州で、宗教法人が法人格を取得しましてもそれとは別個に各行政当局がそれぞれの行政分野で、例えば税務行政について申しますと内国歳入庁長官なり州の税務当局なりが個別に宗教団体にふさわしいものであるかどうかということを調査した上で免税特権を与えることになっているのでありまして、この構成は基本的に変わっておりません。 そういう趣旨でありまして、幾つもの裁判例が出ておりまして、余り日本では知られておりませんが、最近もある方がアメリカに実際に調査に行きまして幾つもそういった事例が、国税庁長官が地元の税務署に対してもっと調べなさいと、それで税務署では、いやきちっとした宗教団体ですと、そういう返事をしたところが、また国税庁が、そういうことはない、もっと厳しく調査せよというような事実も幾つか私は確認しておりますので、きょうは専ら時間の関係もあってアメリカ税制の基本的な仕組みを申し上げたわけです。
○荒木清寛君 その運用の問題だという参考人のお話ですが、これはIRC、内国歳入法典によって、出すか出さないかというのは任意だという規定を私は見つけたから御質問したんです。 そのお話に続いて、「しかもいったん認定された宗教団体であっても、その後、政治活動をすれば、免税特権は剥奪されます。」というお話で、ちょっとでも政治活動とか選挙活動をすればもう非課税でないという趣旨に読めるんですが、実際アメリカで教団がそういう政治活動、選挙活動をして非課税特権を取り消されたなんということはたくさんあるんですか。
○参考人(北野弘久君) ちょっとした選挙運動とか政治活動をした段階ではアメリカでは必ずしもそういう強権発動をすることはないとは思いますけれども、組織的に教会で牧師が政治運動的なスピーチをするとか、あるいは組織を挙げて集票活動などを行う、余りにも宗教団体の本質を逸脱するようなそういう実態がある場合には課税上の保護を与えない、こういうことでありまして、その幾つかの裁判例も承知しておりますが、ただきょうは資料を持ってきておりませんので。
○荒木清寛君 私が調べた範囲ではそんなに取り消されたということじゃないんですね。その非課税資格を政治活動をしたために取り消されて裁判になったという例が一件だけあるんですね。一九七二年のクリスチャン・エコーズ教団のケースというのを私は見つけました。しかし、それ以外ないわけでありまして、あたかも少しでも政治活動をすればもう非課税措置ではないというのはちょっと理解としては正しくないと思うんです。 実際問題でありますけれども、これはもう公知の事実と言っていいかもしれませんが、アメリカにおいては多くの宗教団体の政治に対する影響力というのは実際には絶大なんですね。毎年いろんな選挙が実施されますけれども、教会や信者の支持を取りつけられるかどうかというのが当選確実のためのもう重大なポイントになっていると、これはやはり実態ではないかと思うんですね。 だから、その法の建前、また実態というのをよく踏まえてアメリカはこうだという議論を私はすべきだと思いますが、いかがですか。
○参考人(北野弘久君) これはアメリカのことを勉強した方はわかるんですけれども、アメリカは余り裁判的な形で事件を持ち出さない、優秀な法律家はいかに法的リスクを未然に防止するかということで、だから表に裁判という形をとらなくてもそういう前提に立ってアメリカの税務行政が行われていることは事実でありまして、これはもう間違いありません。 ですから、裁判例も幾つか、今おっしゃったクリスチャン・エコーズ事件のほかにいろいろ私も承知しておりますのですが、きょうは資料を持ってきておりませんので、そういうことだけを申し上げておきます。
○荒木清寛君 それでは次に、洗先生にこれからしばらくお聞きをしたいと思います。 先生のお話、先ほど自民党の委員の質疑では先生のお答えが一番多くて、それを聞くにつけ、私はやはり今回の改正案というのは信教の自由との関係でいろいろ問題がある、侵害する可能性が高いというふうに思いました。 それで、まずこの信教の自由というのはなぜ大切なのか、人権の女王とかあるいは人権の中でも花形役者であるというふうによく言われますが、どうして大事なのかということを改めてお話しいただきたいと思います。
○参考人(洗建君) 信教の自由というのは、近代的な人権の獲得で歴史的に一番最初にから取られたものだということがございます。信教の自由を求めて戦った人々は決して近代的な市民的自由一般のことを念頭に置いてやったわけではなかったのでありましょうけれども、しかし、信教の自由ということが獲得されることによって近代的なもろもろの人権の保障、市民的自由権が生み出されてきたという、そういう歴史的な事実がございます。 したがって、市民的自由と信教の自由との間には密接な関係、連動の関係があるわけでありまして、内心において何を信ずるのかという内心の信仰の自由は、それは学問や思想の自由という世俗的自由と連動いたしておりますし、布教とか教化の自由というふうな行為の自由、これは表現の自由、言論・出版の自由ということを生み出すもとになったわけでありますし、宗教的な結社の自由ということが世俗的な集会・結社の自由をも生み出した。これはそういう歴史的な関係であると同時に、現在においても内的に連動する関係にある。信教の自由が危うくなるときには一般的な国民の市民的自由もまた危うくなるという関係にあるから、信教の自由が非常に重要視されるということであると認識しております。
○荒木清寛君 先ほど憲法二十条の政教分離原則につきましてかなり長いやりとりがありました。私は率直に申しまして、先生と一〇〇%見解が一致するわけではないなとは思ったんですが、ただし今の政教分離原則の解釈というのは、国が統治権力、立法権、司法権、行政権、こういうものを宗教団体に付与してはいけないという規定である、これが通説であり、また内閣法制局の見解でもあるわけですね。 ただ、一部にまた違う意見がありまして、国が宗教団体にそういう統治権力を付与するなんということはもう考えられないことだから、そんな考えられないことを規定するはずはないんだから、これは宗教団体の政治活動を制限するという、そういう意味合いなんだという意見もあるわけなんですね。そういう意見につきまして、先生、御意見があればお聞かせ願いたいと思います。
○参考人(洗建君) 国家がそうした統治権の一部を宗教団体に付与するというようなことはあり得ないことだというふうな御見解については、そんなことはないのではないかというふうには思います。 現に国教国などではしばしば見られることでありまして、例えばスウェーデンなどでは国教会に住民登録という行政権の一部の行使が付託されているという事実がございます。 日本でも、もちろん江戸時代までさかのぼれば宗門人別帳というふうなことは、これは住民登録あるいは住民にかかわる行政権の一部と考えられますが、そこまでさかのぼらなくても、戦前の体制のもとで、国家神道のもとで国体の思想を研究するという人たちは国家の機関においてその研究がなされていたわけでありますし、その成果が学校教育等を通じて国民の教育行政に用いられていた。こういう形も、これは特定の宗教に対して教育行政の一環にかかわらしめていたというふうに考えることは可能なのではないかというふうに思います。 また現代におきましても、ある裁判の事例でありますけれども、宗教が前提になるような金銭的な紛争事件に関しまして、宗教的な事項が前提になっているから、したがって裁判になじまないというので却下判決を行ったことに対して、この判断を避けるとすると財産上の紛争の解決権を宗教団体に与えることになって、これは政治上の権力を行使せしめることになるから憲法に違反するというふうな、これは東京高裁の判例でありますけれども、そういう判断が出たこともあるわけでありまして、国家権力機構が宗教団体に権力の行使を付託するということは絶対にあり得ないと、そういうことではないだろうというふうに思います。
○荒木清寛君 それで、今回は参考人質疑が実現したわけですが、もう先生も御案内のとおり、実はこの参考人の件につきまして三日間紛糾したということは御案内かと思います。 我々は、参議院五十年の伝統である全会一致の原則を守るべきだ、そういう主張をいたしました。しかし一方で、そういう大きな宗教団体のリーダーなんだから国会に来て発言するのは当然だ、そういう意見もあったわけですね。先生はこの問題につきましてどういう御見解をお持ちでしょうか。
○参考人(洗建君) 参考人招致というのは、多分、参考人から意見を述べてもらって、それが法案の審議あるいは国政を運営していく上で採用すべきものがあれば採用するという、そういう趣旨で行われるものなのかなというふうに思います。そういう趣旨のとおりで事が行われるということであれば、だれが来る来ないということはどうということはないと思うんですが、私ども外の方で見ている者から見ますと、今回の参考人招致をめぐる騒動というのはかなり異常なものだったのではないかというふうに思われるわけであります。 といいますのは、特定の人物を国会に引っ張り出して徹底的に追及してやるというふうな、そういう発言が国会の外で聞こえたりいたすものでありまして、これは大変異常な状況だなという感じは受けざるを得なかったわけであります。そうした追及するかのような発言をなさる方という方は、果たして宗教というものを理解しようという気持ちがあるのかどうか本当にそういうことを感じます。 これは、あるその呼び出される人の問題だけではありませんで、その宗教団体の多くの信者たちにとりましては、宗教的な象徴であるような人物、信仰の支えとなっているような人物、それがあたかも国会の場に引きずり出されるというようなそういう感情になった場合には、これはそういう人々の信仰内容といいますか、信仰する心を切り裂き、そして土足で踏みにじるかのような、そういう効果を持つということについてどうして思いをいたすことができないのか。宗教というものを尊重する気持ちがまるで欠けているのかどうか。そういう方々が宗教の基礎にかかわるような法律を改正しようとすることは、これは日本にとって甚だ不幸なことではないかなというふうな感想を持ちます。
○荒木清寛君 次に、法改正の問題でありますが、先ほど岡本先生もオウムの再発防止に役立つのであればもうこの改正はやむを得ないという発言もありましたし、国民の方もそういう意見の方は多いと思います。 それで、洗先生に、この法改正によってオウムのようなそういう宗教に名をかりた組織犯罪の再発防止、そういう効果があるのかないのか御見解をお伺いします。
○参考人(洗建君) オウム的なそういう犯罪集団、そういう宗教団体がそういう犯罪を引き起こすかもしれないということについて、その犯罪防止のためにということでしたら今回の法人法改正というのはほとんど役に立たないと言うべきではないだろうかと思います。財務報告などが幾らかの抑制効果があるのではないかというような意見もあるようでありますけど、オウムのようなたとえ法を犯しても最終的には相手の救済につながるんだというふうなことを信じているいわば確信犯的な宗教は、これは報告書の提出を求めてもまともな報告を出してくるはずはないのでありまして、今回の法改正でオウム的事件の再発防止に役立つ点は全くないと思います。 こういう事件の再発防止を考えるのでありましたら、これは、なぜ異臭事件などがあったときにこれにかかわる行政が直ちに入れなかったのか、あるいは建築基準法違反があったときにどうして行政は入ることができなかったのか、あるいは広域で起こっているオウムにかかわる犯罪と思われるような事件をうまく警察内部で統合していたのかどうか、そういった問題について総合的に検証して、どこに問題があったのか、単なる運用の問題なのか、あるいは法律上の改正の必要などがあるのか否かそういうことが十分に検討されなければならないのであって、そういうことを抜きにして単に宗教法人法改正という方向に向かってしまったことは、これはオウム的事件の再犯防止という点からは全く方向をずらしてしまったものであるというふうに思います。
○荒木清寛君 次に、改正法によります財務書類の所轄庁への提出義務についてでありますが、改正法に附則というのがありまして、それによりますと、この書類提出義務については、小規模な宗教法人について当分の間この収支計算書の作成とまた提出の義務を免除する、こういう規定があるわけです。あたかも小さなそういう法人に配慮したかの規定でございますが、こういうことについて何か問題点があるというお考えはありますでしょうか。
○参考人(洗建君) 信教の自由を守っていくということにおきましては、国家、行政はすべての宗教に対して平等に対応しなければならないという原則は大変重要なことなのではないかと思います。 この規模によって宗教法人を分けるという考え方、一見すると小規模法人への配慮であって優しいことだというふうに受け取れないわけでもありませんが、宗教法人をいろんな理由で区分をしてそれぞれ別な扱い方をするというやり方が行われるようになっていきますと、これは信教の自由の保障という点で問題なしとしないというところがあると思います。 また、政治的な観点から言うといたしますと、一部の小規模法人に対して優しい政策というだけではなくて、いわば分割統治することによって宗教界の結束を妨げるというような意味合いもなくはないという感じがするわけであります。
○荒木清寛君 次に、今回は宗教法人審議会のあり方ということが随分議論になったわけです。この法改正につきましてもその審議会の報告に基づいて提出されたわけでありますが、しかし十五人の委員のうち七名がこの審議会の運営につきまして異議を唱えていらっしゃる、かなり異例な事態があったわけです。私なんかも、これは行政主導でこの審議会が進められたのではないか、そういう疑念をいまだに強く持っているわけであります。なおかつ、議事録も出てこない。この宗教法人審議会というのは、そもそもどういう役割を、法には権限が書いてあるわけでありますが、本質的にどういう役割が期待をされているのか、また先生は宗務課にいらっしゃったという御経験もあるということでございますので、そういうことも踏まえて、実際に戦後、宗教法人審議会がそういう期待される役割をきちんと果たしてきたと言えるのかどうか、先生の御見解をお伺いいたします。
○参考人(洗建君) 宗教法人審議会は、これは決して世論を反映させるために置かれている審議会ではありません。これは法に規定されているとおり、委員になる資格は宗教家または宗教に関して学識経験のある者ということになっているのでありまして、これは世俗の機関である行政機関が法律万能で進もうとすることに対して、宗教の立場からチェックするというのがこの審議会に期待されている役割であります。 宗教法人審議会もこの法の制定当時には確かに、そうした行政の世俗主義的行き過ぎとでも言いますか、そういうことに対するチェックの機能はごく初期のころには果たしていたように私も伺っております。私の当時ではありませんが、その当時いた、古くからいる女性職員の方々の話を聞きますと、それは行政主導で何かやろうとしてもあの審議会から厳しくチェックされてなかなか怖いんだというふうな、そういう気持ちをお持ちの方の話を聞いたことはございます。 ただ、宗教界で余り問題もなしに長年時が経過してまいりましたものですから、そうした審議会の役割やそういった意味合いについて行政庁の側も十分な認識は薄れてきていたように思いますし、また審議会委員の方もその本来の役割の認識というのが希薄化してきていたという状況はあるように思われるのでありまして、今回の改正審議に関しましては、もとより私は外からの印象しか持ち得ないのでありますが、おっしゃるように、これは審議会委員の意見の一致が本当にあったのかどうか、どうも行政ベースで急にまとめられていったのではないかという疑念は私も払拭することができないところであります。
○荒木清寛君 今回の法改正によりまして、その審議会の委員も五人増員をする。それで、国会の質疑を聞いておりますと、学識経験者等を充てるということですから、どうも文部当局の考えというのは、宗教界ではないそういう学識者を主に充てるという考えのようです。この点につきまして先生から何か御意見がありますか。
○参考人(洗建君) 宗教法人審議会の委員を増員するということ、それは必要があれば増員することに別段異議があるわけではありませんが、しかし先ほど申し上げましたように、宗教法人審議会の役割というのは、これはどうしても宗教というものを十分理解しない行政庁が世俗的立場で進んでいくことに対して、宗教の立場からチェックするというのがその意味でありますから、したがって、増員する方が学識経験者であってはいけないということではありませんが、これはもちろん宗教についての学識が十分ある人でなくてはいけないであろうと思いますし、もし宗教家の比重が大きくてそちらの意見が強いからそれを抑制するために違った人を入れようというふうな意図があるんだとすれば、それは大変問題であると思いますので、人選には十分に意を尽くしていただきたいと、そういうふうに思います。
○荒木清寛君 閲覧請求権につきまして、「信者その他の利害関係人」が閲覧をすることができるという改正案になっております。ただし、この「信者」とは何か、私もこの委員会で聞きましたが、それは宗教法人が一義的に決めることでありますと。しかし、裁判になるわけですから定義が必要ではないかと。しかし、その定義はついに政府からは返ってこないわけであります。ですから私は、裁判になった場合に、裁判所が果たしてこの人が閲覧請求できる信者かどうか判断できるのであろうかもし判断するとすればそれはもう聖なる事項を判断するということになりはしないかと思いますが、いかがでしょうか。
○参考人(洗建君) 裁判所が判断できるのかということでございますが、現在、宗教法人関係でいろんな訴訟等におきましては、管長ですとか住職ですとか神職ですとかというふうな地位は、これは宗教上の地位であって法律上の争訟の対象にならないというのが裁判所の今までの判断の仕方であったかと思います。 「信者その他の利害関係人」というのは法律の中に記されている言葉であるので、これは法律上の地位になるのかもしれないと思いますが、しかし住職というのが法律上の判断の対象にならないのだとすれば、信者というのは、よりこれは規定の仕方の難しいものであって、あるいはこれは宗教上の地位として裁判所の判断になじまないというふうに言われる可能性ももしかしたらあるのではないか、そう考えられるわけであります。
○荒木清寛君 大変ありがとうございました。(拍手)
○大脇雅子君 日本社会党・護憲民主連合の大脇でございます。 日本は、気が遠くなるような長い年月にわたりまして祭政一致、政教一致、神道以外は弾圧を受けるという戦前のつらい体験の中で、信教の自由と政教分離という憲法上の原則を確立してきた歴史がございます。 一九五一年、宗教法人法が制定され、今その改定が問題になっております。しかし、この宗教法人法を見てみますと、関連法規は別といたしまして、一切の規則、政令、省令、通達はありません。問い合わせによる通知と判例のみであります。ということは、宗教法人法が何もしない、何もできない、動いていない法律であったということではないかと思うわけであります。 この運用上の問題は別といたしまして、現在では宗教法人が大規模化し、広域化し、カルトなど閉鎖性が問題になってまいりました。そして、金銭上のトラブルなどが発生して宗教に対する暗いイメージが国民の中に伝播しつつあります。 私は、この法律を聖職者中心主義から信者中心主義へという観点からもう一度見直すべきではないかと考えております。 洗建先生にお願いをいたしたいと思います。 先生は、宗教団体というものが法人格を付与されて、その規制は一般の市民と同じように規制されるべきだと言われましたが、法人格というのは目的を持って法によって制定されたものでありまして、その活動は当然に目的により制約されるものではないかと考えます。例えば、個々人の選挙活動ではなく、法人のやる組織的な選挙活動あるいは政治献金などについては目的外の行為と考えられないかどうか、お尋ねをいたします。
○参考人(洗建君) 法人の目的というのを非常に狭く解釈すべきものなのかどうかという問題が絡んでくるのだろうと思いますが、そういう法人や団体の選挙活動あるいは政治献金、そういうものを横並びにして公職選挙法あるいは政治資金規正法などで議論するということであれば、私はそれはそれで意味のあることだと思います。 しかし、これを政教分離の問題に絡めて、宗教法人に対してのみ何か制約を加えるというふうな解釈をすることは、これは私は公正な議論ではないのではないかというふうに思っておりまして、ほかの企業ですとか団体等の選挙活動の自由が認められているのであれば、宗教団体もまた横並びに認めなくてはいけないのではないか、このように考えております。
○大脇雅子君 国民の目から見て一番納得しがたいのは、いわゆる目的の逸脱行為、宗教法人法八十一条は著しく公益を害するもの、あるいは目的を逸脱したものを例示として挙げておりますが、例えば、たとえ献金に喜捨の心があったとしても、それを個人資産へ流用したり、いわば世俗的な乱用をすることは許されていないのではないかと思いますが、この点についての法の規制ということについてはどのようにお考えでございましょうか。
○委員長(倉田寛之君) 洗参考人でよろしいのですか。
○大脇雅子君 はい、洗先生に。
○参考人(洗建君) もちろん、宗教上の献金が個人的に流用されるというふうなことは、これはあってはならないし、また違法なのではないかというふうに思います。恐らくそういうところに使えば、これは脱税にも相当することになるのではないかと思われます。当然それは規制されなくてはならないのではないでしょうか。
○大脇雅子君 具体的にそれをどのように規制すべきかという点につきまして、洗参考人と北野参考人にお尋ねをしたいと思います。
○参考人(洗建君) 宗教法人もこれは税法の適用は受けているわけでありますから、その支出を帳簿にそうきちんと記載するかどうかわかりませんが、税務調査などの折にそうした不正流用というのは見出すことができるのではないでしょうか。
○参考人(北野弘久君) 今の御質問にお答えする前に、ちょっと誤解があるといけませんので、一応関連はしておりますから、荒木委員から先ほど御質問のあった件について補足的にお答えしておきますけれども、アメリカでは、日本と違って公益法人等につきまして法人格を取得したからオートマチックに税制上の保護を受けられるんじゃないんです。この点しっかりつかんでください。そういうことで、先ほど申しましたような答弁になってくるのであります。 それからもう一つは、アメリカでは裁判ざたをしないような形で問題を解決するということで、税務行政の段階でさまざまな宗教法人をめぐるトラブルが起こっておるのでありまして、最近においてもたくさん起こっておりまして、その点を申し上げておきたいと思います。 それから、今の質問にお答えするために、洗参考人の憲法二十条の解釈につきまして荒木委員に対するお答え一を先ほど伺っておりましたのですが、これはもう学問的に全く問題にならない回答でありまして、つまり彼がおっしゃったのは、国家権力が宗教団体に権力の行使を付託する、そういう場合だけが憲法二十条違反なんだと、こういう子供でもわかるような非学問的な、非論理的な議論でありまして、法というのは規範論理を加味しないといけませんからどういう意味なのかと。憲法二十条は特権を受けちゃいけないとか、それから政治的な権力という、これは英文で申しますと、この委員会でも問題になりましたようにポリティカルオーソリティーという言葉を使っておるんです。政治的な影響力という意味なんです、これは。 そういうことでありまして、恐らく法治国家では、例えば創価学会という宗教法人にこういう権力を与えますということはあり得るはずはないのでありまして、形式的に。ですから、これは形式的な法概念ではなくて実質的な法概念であります。 そういうことを申し上げた上で申し上げたいと思います、先生の時間が足らなくなるといけませんので。 そこで、そういうこともありますので、今問題になっているのは宗教が政治を実質的に支配する、そういうおそれが非常に刻々迫っておりますから、この委員会でもある参考人は来たくないということを言っておられるのであります。ですから、これはきちっと、そのためにも、さっき申しましたオートマチックに日本では宗教法人の資格を与えれば税法上の保護を与えられるということで、洗さんは税務経理でも調べればいいんじゃないかとおっしゃったんですが、これは間違いでありまして、オートマチックになっておればおるほど最小限度財務の透明化を宗教法人自身がやるべきであるということで、収支計算書を出すとかあるいはみずから帳面をつけるということをやるべきだということです。
○大脇雅子君 北野先生にお尋ねをいたします。 北野先生は、宗教法人としてふさわしい会計基準、会計原則を確立されるべきだというふうに言われました。文部省などの話によりますと、それは宗教法人審議会で非常にまだ数年かかるような検討を必要とするというようなことが言われておりまして、それではこの法律を改正しても、せっかく改正しても動かないのではないかと私は危惧を持っておるんですが、先生は外部監査と言われましたが、その会計基準、会計原則はいかにあるべきかということについてもう少し補足していただきたいと思います。
○参考人(北野弘久君) これは、先ほど申しましたように、信教の自由だとか人々の宗教活動の本体を保護するためにも必要だということを申し上げたんですが、学校法人なら学校法人会計基準が決まっておりますし、公益法人につきましても会計基準が一般的に決まっておりますし、一般の企業につきましても企業会計原則が決まっておる。 つまり、監査をするといっても、あるいは帳面をつけるといっても、財務諸表をつくるといってもどういう基準でつくるのかわからないのでありまして、そこで私は、巨大宗教法人だけについて当面そういったことを検討する必要があるんだということで、あるいは俗の部分ですね、宗教の本体は介入できませんからお金の、世俗の金の問題から、会計の専門家と宗教問題の専門家だけによって、どういう会計基準、どういう会計勘定科目を設置しまして、その会計勘定科目をどういう形で展開するかという会計基準をきちっと英知を集めていただいて御検討いただければいいんじゃないかと思います。
○大脇雅子君 欧州共同体、EUにおきましては、教会と国家の新局面という問題が提起されまして、欧州議会は一九八二年から一九八四年にかけて、これは具体的に統一教会が問題となったものでございますが、新宗教運動が入信者を求める方法とか、その処遇に関して大きな人権上の問題があるということで一つのガイドラインを提出しております。 例えば、成人に達していない人々は、その人生を決定してしまうような正式の長期の献身について誘導をされてはならないとか、金銭的または人的な貢献について相応の熟慮期間が設けられるべきであるとか、あるいは団体に参加した後も家族や友人との間で連絡が許されなければならない、あるいは既に教育課程が始まったメンバーについてはそれを修了することを妨げてはならない、個人のいわゆる手紙あるいは電話は取り次がなければならない、特に募金活動に対して物ごいや売春などによって法を破るように唆されてはならない、その他十三項目ぐらいに関しましたガイドラインがあるわけです。 例えば、オウムの事件とか明覚寺の問題とか考えまして、このような視点からの検討も我が国の宗教法人法の問題に関連して必要だと思いますが、お三方にお伺いしたいのですが、こういった人権保護の観点からどのようにお考えでしょうか。
○参考人(岡本健治君) 内容の細かいことにつきましては、私はきょうここで伺ったのが初めてでございますからはっきりした回答はできかねますけれども、ただ、宗教に関しまして考えます場合は、必ずまず第一に、これは極めて多様性を持っている、宗教という一定の枠にはめてそれだけで考えることは間違いである、極めて宗教自体が多様性を持ったものであるということを考えなくちゃいけない。 それから、同時にこれは、宗教学の専門の先生がいらっしゃいますから間違いだと言っておしかりを受けるかもしれませんが、宗教というのは、これはすぐれて伝統的な現象であります、文化であります。したがって、そういう宗教上の措置を考える場合には、それぞれの今申しました多様性を持った宗教の伝統というものも十二分に考えて進めていかなくちゃいけない、それのもとに立って実情を把握した上で今お話のありましたような問題を決定をしていくべきかと、このように考えております。
○参考人(洗建君) 世界的な現象といたしまして、そういう他者の人権侵害にかかわるような、そういう閉鎖的な宗教団体というものがあらわれてきて、そして多くの若者をその内に引き入れているという、そういう現象がある。そういうものの中に、人権侵害に及ぶような、あるいは違法と思われるような、そういう事例も多く見られるということは、大変重大な問題だというふうに私も思っております。 なぜ若者がそうしたものに引かれていくのかというふうなことについては、宗教にかかわる教育の問題、そういったことも恐らく関係がある問題だと思いますが、それは非常に大きな問題でありますから、今とりあえずということですと、しかし私はカルトという言葉は余り使いたくない、一種のレッテル張りになってしまうからでありまして、そうした小さな新宗教がすべて悪いと決めるわけにはいかないのでありますけれども、しかしどんな宗教であろうと他人の権利を侵害するというふうな行為は許されているわけではありませんし、社会に実害を及ぼすような行為ももちろん許されているわけではありません。 宗教の問題というのは、それこそ多様で、しかも実証的に検証できないような救いの問題ということが絡んでまいりますので、大変法律的に違法があるのではないかというようなことを扱っていくのも大変難しい問題であるというふうには認識しておりますが、しかし、それはあくまでやはりそれぞれの法によって救済する、あるいは心理的な操作などの技術が非常に発達いたしまして、そのために従来の法律では対応できないような、そういう事件がもし仮にあるとすれば、これも宗教だけを対象としてというのではなくて、そうした心理操作、心理的なマニピュレーションによる犯罪に対する取締法というようなことが新たに考えられる必要もあるかもしれないと思います。しかし、それはあくまでそうした法の取り締まりによって行うべきものではないかというふうに思います。 長くなって済みません。
○参考人(北野弘久君) 宗教は人々の精神生活、内心生活の安定を確保することが目的でありますから、先生がおっしゃったような人権侵害的なごとはあってはいけないというふうに考えます。 それから、私自身が、先ほど荒木委員から質問の際に出ました我が国最大の某総合雑誌に私の学問的所見を発表しましたら大変な弾圧を受けまして、尾行、脅迫、それからごみの盗用、ごみあさりですか、大変な、脅迫電話からですね、そういうことをやっている宗教団体が現にあるということを申し上げておきます。これはあっちゃいけません。
○委員長(倉田寛之君) 大脇君、時間が過ぎております。
○大脇雅子君 この問題は、国家権力の介入に対しては、それぞれの団体の自治が確立されることによってこの問題も解決すべきだということを申し上げて、私の質問を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○有働正治君 本日は、御出席ありがとうございます。日本共産党の有働でございます。 時間の制約上、北野先生に絞って聞かざるを得ないことをどうぞ御理解いただきたいと思います。 私は、北野先生の著作の中で、例えば岩波新書の「納税者の権利」などを改めて読ませていただきました。その中でまずお伺いしたいと思いますのは、さきにも陳述されました憲法の大原則であります政教分離の原則をどう解すべきか、こういう問題であります。先生は一般論としてお述べになられましたけれども、私は、議論を具体的に進める上で、政治宗教法人の実態を踏まえて具体的にお尋ねいたします。 創価学会が特定政党と一体化し、選挙のたびに信者を組織的に長期に駆り立てている実態のもとで、その政党が政権について権力を行使する場合、これは、小選挙区のもとで現実的可能性もあり得る問題として日本の政治で問題になってきているわけでありますが、この問題、憲法の政教分離の原則から見てどのように考えられるか。北野先生は憲法学者としても知られている方でありますし、国民の皆さんも政治と宗教とのかかわりの問題として重大な関心を持っている問題でもあります。まずお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(北野弘久君) お答えしますし先ほど憲法二十条についてちょっと申し上げたんですが、日本の現段階で論ずべき政教分離原則は宗教の政治への支配です。これは、具体的に形式的に特定の宗教団体にこういう権力を与えますという付託契約がなくても、実質的にそういうことにつながるおそれがある場合には憲法の規定に違反することになります。 憲法は規範論理を決めておるわけですから、人々の行為規範、裁判規範を規定するものでありますから、ですから組織を挙げて、例えば創価学会の場合は、いろいろ指摘されたところによりますと、創価学会から給料をもらっている専従職員の方が選挙運動をあるいはいろんな集票活動を行っておる、しかも税金を納めていない創価学会の施設を使って行っておる、こういうことがいろんな方から指摘されておりまして、もしそれが事実であれば、これは明らかに憲法二十条に違反する疑いがあるということになりますし、それからまたいろんな法律上の問題が起こってきます。後ほどお答えします。
○有働正治君 二つ目は、宗教法人に対する非課税の問題であります。 先生もお述べになられましたように、現行法では宗教団体が公益法人としての法人格を取得いたしますとオートマチック的に非課税となる、こういうことであります。しかしこれは、例えば地方税としての土地、建物に対する固定資産税の非課税と申しますのは、それがその宗教法人の本来の宗教活動に供している場合に適用されるべきものだと私は解しているわけであります。 創価学会の非課税の土地、建物で、全国約一千カ所と言われます池田講堂や文化会館、ここは長期にわたり特定政党支援のための一体となった選挙活動の拠点となって、本来の宗教活動以外にこれが使用されている。これは国民の方々もよく御存じのところであります。その非課税額はどれくらいになるか、自治省公認のやり方で私どもは独自に試算し、私も本委員会で取り上げたわけであります。 例えば、資料としても今お配りいたしました創価学会本部がありますJR信濃町駅前の創価学会所有の土地、建物、登記簿で全部確認いたしましたけれども、約三万平方メートルあります。三ヘクタールに及んでいるわけであります。その中で、境内地と言われるもの、非課税扱いになっているものが約六割であります。それに対する固定資産税を私どもが御専門の方々、新宿の区議団の方々等の御協力も得て試算してみますと、土地だけで一億二千万円に上るわけであります。 同時に私は、全国十一カ所、札幌市、仙台市、浦和市、横浜市、名古屋市、京都市、岡山市、広島市、高知市、北九州市、福岡市、創価学会の文化会館、池田講堂一カ所を拾い上げて、全十一カ所十四万三千四百三十二平方メートル、この固定資産税、土地だけに限りまして試算してみますと一億三千万円弱になっているということであります。 私ども政党はちゃんと土地、建物の固定資産税を払っているわけであります。私どもはこういう点からいいまして、選挙の公平さからいっても問題ではないか、こういうことを提起しているわけであります。 そのすべてとは申しませんが、北野先生はこうした創価学会の宗教活動本来の用に供していない土地、建物等への非課税は国家権力による一種の補助金的性格を持つんだ、政教分離上も問題があると御指摘なさっているようでありますけれども、これについての御見解をお尋ねします。
○参考人(北野弘久君) 時間の関係で結論的に申しますと、憲法二十条は特権を与えてはいけないと言っています。今、取るべき税金を取らないということは、隠れた補助金という特権を与えておる、しかも、議会の承認を得ないでひそかに与えておるということで隠れた補助金です。アンフェアです。 それから、憲法八十九条は公金の支出をしちゃいかぬと言っています。これは憲法学界の通説でありますが、宗教団体とそれ以外の公の支配に属しない組織への公金の支出は違った形で憲法学界で理解されておりまして、宗教団体についてはびた一文も、一円なりとも使っちゃいけない、取るべき税金も一円なりとも取らないようなことがあっちゃいかぬということでありまして、目に見えない隠れた補助金というものを、膨大な金額を日本政府が支出しておるということになりまして、明らかにこれは憲法違反になります。
○有働正治君 いま一つ具体的な問題をお尋ねします。 創価学会が全国各地に所有する池田名誉会長の専用別邸と指摘されている土地、建物があります。しかし、これが境内地、礼拝所として非課税扱いされている例が見られます。一九七五年、兵庫県芦屋市の高級住宅地を取得、三カ月後に境内地、礼拝所にしている五千八百平方メートルに及ぶ関西戸田記念会館がございます。公明党元書記長の矢野絢也氏は、文芸春秋九三年十月号の中で「芦屋の池田名誉会長宅」というふうに私宅扱いで呼んでおられるわけであります。 こうした例はほかでも私どもは確認しています。私どもの新聞、きょうの赤旗にもこのことを大きく報じています。当然固定資産税等は非課税扱いになっているわけでありますが、こうした個人専用施設として実態上使われて、一般の宗教活動には私どもから言えば供していないんではないかと。こういう問題はどう扱われるべきなのか、税法の御専門の立場から御見解をお伺いできればと思います。
○参考人(北野弘久君) 固定資産税は名目は関係ないんです。現実の実態がどうであるかということで課税・非課税を論ずるのでありまして、ですから、名目が例えば宗教施設の土地であるというふうになっていても関係ありません。現実の実態が宗教活動の用に供されていないというふうに課税当局が認定できる場合は課税すべきであります。 それから、池田専用施設について申しますと、もし個人的に池田さんが経済上の利益を受けておれば、これは税法上重大な雑所得の課税であるとか、あるいは場合によっては一時所得の課税という問題も起こってくるでしょうし、恒常的にそういう専用施設から経済上の利益を受けておれば、これは雑所得という課税の問題が起こってきまして、税法違反の問題も起こってくるということを申し上げておきたいと思います。
○有働正治君 時間が限られてまいりました。政府の動きとして最後に懸念される問題として、宗教法人全般、さらには学校法人や果ては労働組合等公益法人全般に対する課税強化、これをいろいろ問題にしつつあるようであります。こういう特に公益法人全般への課税強化は私どもは問題だと考えるわけでありますが、限られた時間でありますが、結論だけを含めましてお答えいただければと思います。
○参考人(北野弘久君) 先ほど申しましたように、私は、宗教法人というのは憲法上も違った公益法人でありますから、宗教法人に限定して当面の問題解決をすべきであると。他の学校法人であるとか社会福祉法人であるとか、法人である労働組合であるとか、そういったところには、将来の課題は残るとは思いますけれども、当面は関係させないで税制等の問題を検討してほしい、こういうふうに考えております。
○有働正治君 ありがとうございました。終わります。
○本岡昭次君 私の持ち時間は五分でございますので、洗参考人にお伺いいたします。 私がこの宗教法人法の改正論議にかかわって、短時間でありましたけれどもいろいろ質疑を通して今思っておりますことは、宗教法人法そのものが行政の責任を求めているのか求めていないのかという点であります。 私は、行政の責任を求めていないのではないか、今回の法律改正は、今度はそれを行政が責任を持ってかかわるんだということを言い切っているというふうに思うんです。ところが、総理は私の質疑に対して、いや基本的なスタンスを変えていないんだと、こうおっしゃるんです。だけれども、やはり最後には行政の責任を果たしたいと、こうおっしゃるんですね。 それで、一体行政の責任は何かということなんですが、昭和二十六年の天野文相の提案理由、私も前回読みました。ここにはっきりその考え方の基本があるわけなんですね。「この法律の目的といたしますところは、宗教団体に法人格を与え、宗教法人が自由で、かつ自主的な活動をするための物的基礎を獲得させることであります。」と、こうちゃんと書いてある。そして、後段に「それとともに、宗教法人の責任を明確にし、かつその公共性に配慮を払うこともまた忘れられてはならない」と、こう書いてある。 この後段のところに対して責任が持てないから何かしなければと、こうおっしゃっているわけで、しかし、包括的な責任ということを持ち込もうとするということは宗教法人法の基本的スタンスを変えることであり、その目的に反する。目的に反するというのは、信教の自由と政教分離の原則というものに反することになってくるんではないかという心配を私はしているわけで、これは岡本参考人もおっしゃいましたけれども、やっぱり時間をかけて慎重に宗教界全体の理解なり合意を得ていくということの上で、改めるべきところは改める。そして、それはやっぱりあくまで自主的で、みずからが、宗教団体そのものが、法人そのものが責任を持って公共性といったようなものの中での対応をしていくというのが筋ではないかと私は思うんですが、いかがでしょうか。
○参考人(洗建君) まことにおっしゃるとおりなのではないかと、私はそう思っております。 現行宗教法人法はしばしば宗教性善説に立っているとかざる法であるとかという非難をされているのでありますけれども、現行宗教法人法は、今御指摘のとおり、その目的としているのは、もう既に社会的に存在している宗教団体、これは憲法上の権利として存在しているわけでありますから、これに法人格を付与するということを唯一の目的としているものと考えられます。 宗教法人法によって管理したり規制したりするということを原則としてこの法律が行っていないのは、これは宗教法人法は宗教法人にのみ適用される法律でありますから、したがってこの法律によって何らかの規制を加えるということは、宗教を理由として特別な規制を加える、一般人には加えられていないような規制を加える、そういうことになるおそれが強いわけでありますから、したがって宗教法人の行為の規制は一般の法律にゆだねているというのが現行法の考え方であると思います。 したがって、この法律が求めている所轄庁の責任というのは、宗教法人の行う活動に対して責任を負うということ、これは改正しても事実上はできない。本当に責任を負えるようにしようとすれば、それほど強い統制法にしなければとても責任が持てるものではないと思いますので、所轄庁の責任というのは、法が求めている認証事務、これを確実に適法に行うということに限られるのではないかというふうに考えております。
○本岡昭次君 質問したいんですが、質問したら答弁で時間がはみ出ると思いますので、これで終わります。
○国井正幸君 新緑風会の国井正幸でございます。私も、時間が五分というふうなことで短いものですから、幾つかお伺いをしたいと思います。 まず、洗建先生にお尋ねを申し上げたいというふうに思います。 先ほど先生は、憲法との関連あるいは宗教法人法の制定経過などからして、国は宗教法人を法にのっとり適正に認証することが重要であって、国には思想・信条の自由との関連で宗教法人を管理監督することを求めていない、こういうふうな理由で今回の法改正に賛成をしかねる、こういうふうな御意見でございました。そして、再度宗教の現場に戻して十分な議論をした上で最終的には判断すべきとの御意見を承ったわけでございます。 私も基本的には今回の法改正はやや拙速過ぎるのではないか、こういうふうに思っておるわけでございますけれども、しかしそうはいいながらも、国民の間には宗教法人というのは野放していいのかというふうなこともありますし、特に宗教法人は境内や建物などの固定資産税には非課税措置が講じられておる、さらに収益事業に関しても軽減税率が適用されている、こういうふうなことなどを根拠に財務内容の公開を求める声というのもあるわけでございます。 行政庁への財務内容等の報告、さらには信者及び利害関係人への閲覧権を認めることについて、特に今回の改正法案の二十五条との関係でございますが、先生の御意見をお伺いしたいというふうに思います。
○参考人(洗建君) 宗教法人の自治能力を高めるための改正というものがあるのでしたら、これは私も改正をしてよろしいのではないかと思います。 しかし、先ほども申し上げましたとおり、その改正は宗教の現場を踏まえないでやってもちゃんと機能する改正にはならないというふうに思いますものですから、これはやはりゆっくり時間をかけて宗教の現場を踏まえてやるべきものではないかというふうに思っております。 宗教法人の経理の透明性というふうなことが云々されているわけでありますが、しかし国民一般に広く宗教法人の経理を公開しろというところまで、今回の改正はもちろんそうではありませんが、要求するとすればそれはいささか問題があるのではないかと思われます。 宗教法人というのは公の補助金などは受けていない、そういう意味では基本的にはプライベートな会計でありますから全部ガラス張りにすれば、もちろんこれは宗教法人側で自主的にやっているところはたくさんあるのでありまして、自主的にやることはもちろん結構なことなんですが、それを法律によって一律に要求するということにはやはりまだ問題があり、十分検討しなければならないことがあるのではないかというふうに思われるわけであります。 信者に対する閲覧請求ということについても、これは先ほども申し上げましたとおり、信者というものの範囲というのは大変難しいのでありまして、ずっとおさい銭を上げているからおれは信者だという者を、おまえは違うんだということはなかなか言えないのでありまして、どういう範囲の人にその閲覧請求ができるのか、この辺のところはまだまだ今回の改正案は大変問題がある。もう一度じっくり検討し直すことが必要なのではないかと、こんなふうに思うのでございます。
○国井正幸君 最後になりますけれども、神社本庁の岡本先生にお伺いをしたいというふうに存じます。 今回の法改正で、今も話題に出ました財務内容等の行政庁への届け出、さらには信者及び利害関係人への情報の開示というのが義務づけられるわけでございますけれども、株式を公開している会社の株主総会などでは総会屋などによりましてこの情報開示が悪用されて、あるいは恐喝事件なども起きているわけでございまして、宗教法人として自由な宗教活動を行う上で不安を感じないのかどうか、この辺についてだけお伺いをしまして、私の質問を終わりたいと思います。
○委員長(倉田寛之君) 時間が経過をしておりますので、要領よくおまとめをいただきたいと存じます。
○参考人(岡本健治君) 今おっしゃいましたように、恐らく閲覧請求が出てまいりますのは、私ども神社の場合に限って予想をしてみますと、これは何らかの悪意を持って妨害をしたいというのがほとんどであろうと思われます。 と申しますのは、既に今ほとんどの神社におきましては、少なくとも役員、総代に対しましては予算、決算ともにこれをかけております。これは、関係者の代表としての立場で役員、総代がそれを毎年見ておりますから、そういう意味で公開の目的はほとんどそこで達せられている。 ですから、そういう今申しましたように閲覧請求が殊にあるという場合は、不安というよりはむしろ不要な、神社にとりましては必要のない閲覧請求であろう、こういうケースが多いだろうと、こういうふうには一応予想をいたしております。これを不安とおとりいただくかどうかは御判断を願います。 それからもう一つ、済みません、簡単にいきます。今の相手の信者等の、その信者の判定でございますね。これは、もう宗教の中には極めて閉鎖的なある一定の信者、一定の者しか施設に入れないのもありますれば、神社のように二十四時間だれが来てもよろしいという極めて開き切った施設もございますし、その点については信者ないし利害関係者という決定には十二分の配慮が必要になってくる、そういうふうに考えております。 以上です。
○国井正幸君 ありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人の方々に一言御礼を申し上げます。 本日は、長時間にわたり御出席を願い、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 午後二時に再開することとし、休憩いたします。 午後一時一分休憩 —————・————— 午後二時二分開会
○委員長(倉田寛之君) ただいまから宗教法人等に関する特別委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、宗教法人法の一部を改正する法律案の審査のため、参考人の方々から意見を聴取することといたします。 御出席をいただいております参考人は、創価学会会長秋谷栄之助君、善隣教教主力久隆積君、全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長山口廣君、以上の方々でございます。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人の皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。 それでは、議事の進め方について申し上げます。 まず、秋谷参考人、力久参考人及び山口参考人の順序でお一人十五分程度の御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答え願いたいと存じます。 それでは、まず秋谷参考人にお願いいたします。秋谷参考人。
○参考人(秋谷栄之助君) 創価学会及び創価学会インターナショナルを代表して、意見、所感を述べさせていただきます。 今回の参考人招致の目的は、本来、宗教法人法改正に関する各界の意見を幅広く聴取することであると思うものでございます。しかしながら、既に提出案どおり無修正で採決が行われる日程が確定したとも伺っております。これでは、多くの反対の声を押し切る形式ばかりの審議で強硬に打ち切った宗教法人審議会と同様の事態が続いていると言わざるを得ません。 さらに、審議日程や参考人の人選基準が決まる前から、当会の池田名誉会長を名指ししたり、強引に採決を図ろうとするなど、その政治的意図を持った異常な言動は良識の府と言うにはほど遠く、国民の信頼を裏切ることになることを恐れるものでございます。 したがって、私も今回の招致に応ずる必然性を感ずることはできないのでありますが、それでもあえて出席しましたのは、全会一致というルールにのっとった決定でもあり、私どもの反対意見を皆様に広く理解していただきたいと考えたからでございます。 さて、一連のオウム真理教事件はまことに許しがたい犯罪であり、こうした事件が二度と繰り返されてはならないというのが切実な国民の願いであります。 事件の再発防止のためには、まず事件の本質は何かを徹底的に解明することが何よりも必要であります。しかしながら、この点については政治の場でいかなる議論がなされたのか。結局、オウム真理教が宗教法人であったということから、短絡的に、実際には余り再発防止には役立たない宗教法人法改正が短兵急に行われてきたのであります。 その宗教法人法改正の論議もいつの間にか政治と宗教の問題になり、憲法二十条の解釈を曲げようとしたり、宗教団体の政治活動を制限する法律の制定云々まで言及されております。その背景にあるのは次期総選挙対策であり、対立政党の支持団体を攻撃しようという党利党略であることは明らかであります。これではオウム事件の再発防止を願う国民に対する重大な背信行為になるのではないかと思うものでございます。 私どもがこの法案に反対する理由について、まず創価学会の歴史的立場から申し上げたいと思います。 戦前戦中を通しまして国家神道を精神的支柱とした軍国主義は、我が国のみならず近隣アジア諸国にも多大な惨禍をもたらしました。批判する者は徹底して弾圧され、多くの教団も弾圧されました。創価学会においても、初代牧口常三郎会長、二代戸田城聖会長が、みずからの宗教的信念に従い、神札を祭ることを拒否したことから逮捕、投獄され、牧口会長は獄死しております。また、戸田二代会長も二年間にわたり獄中にあったのであります。そのときの弾圧に用いられた法律が宗教を管理統制する宗教団体法であり、治安維持法でありました。 このような悲惨な歴史を二度と繰り返してはならないというのが私ども創価学会の原点でございます。私どもは、信教の自由のとうとさをだれよりも知っております。したがって、少しでも信教の自由を侵害するおそれのあることは断じて見過ごすわけにはまいりません。 今回の宗教法人法の改正は、本来、信教の自由を守るための法人法を変質させ、再び宗教団体の国家管理をねらう意図が隠されております。村山総理が、今後、必要とあらば再改正もあり得ると明言、第二、第三の管理強化を目指そうとしていることが十分にうかがえるのであります。 私どもが当初より再三指摘してきたとおり、今回の性急な改正が、宗教界のみならず、国民の精神の自由に大きな影響を及ぼす問題となることは明らかであります。これはまさに国家百年の大計を誤るものであると強く訴えるものでございます。 実際に、今回の改正の動きに対して、信教の自由を侵害し、かっての不幸な歴史を繰り返すことにつながる危険な動きとして、アジア諸国を初め世界の各界の識者が警鐘を鳴らしております。 国家の宗教への干渉に対して鈍感であることは過去の歴史への真摯な反省が欠けていることにほかなりません。現村山内閣の宗教管理への動きとその閣僚の侵略戦争に対する暴言は根が同じであります。事は信教の自由という基本的人権の根幹にかかわる問題であります。小さなほころびが大きな崩壊につながりかねません。そうなってからでは取り返しがつかないのであります。 先日、こんな話を聞きました。あのナチスによるユダヤ人への迫害も、初めはユダヤ人が公職から放されるという法律の制定から始まりました。世論もこれを支持したため、ユダヤ人たちはこれぐらいなら仕方がないのではないかと泣き寝入りをしてしまったのであります。すると、次にはユダヤ人とドイツ人の結婚を禁ずる法律ができた、これぐらいなら我慢しようと思った。しかし、次にユダヤ人が一切の市民権と仕事を奪われるニュルンベルク法が制定されてしまった。そして、気づいたときにはすべてのユダヤ人が強制収容所へ送られることになり、その結果、一説に六百万とも言われるユダヤ人の虐殺が行われてしまったというのであります。 今回の改正が、賛成論者の言うように、たとえ仮にささいな改正であったとしても、国民の信教の自由、精神の自由を脅かしかねない性格である以上、すべての国民がこの本質を鋭く見破り、絶対に許してはならないと思うのでございます。 次に、宗教法人法改正の問題点について述べたいと思います。 今回の改正の眼目の一つは、財務関係書類を所轄庁に提出したり、信者その他の利害関係人に開示するということを宗教法人に義務づける点にあります。しかしながら、財務関係の書類や帳簿に示されている数字は、信仰活動の内容や信者のプライバシーなど宗教の聖なる領域と表裏一体の関係にあります。したがって、財務関係書類を所轄庁が把握することは、とりもなおさず公権力による宗教団体の聖なる領域に対する管理であり、政教分離の原則に反します。 情報開示についてですが、宗教団体の自主的運営を尊重することが憲法上の原則であり、その意味からも法律で一律に強制する発想は大きな誤りであると思います。明朗な運営をするためにどのような方法をとるかは、各宗教団体がみずからの責任において自主的に決めるべきことであります。また、広範囲の者を対象とする開示制度は、他の公益法人にも例のないことであり、宗教法人だけに突出したものとなってしまいます。 創価学会は、既に自主的監事制度を設け、公認会計士による監査結果を信者の代表である全国四百名の総務に報告するなど、明朗公正な運営を図っております。 また、質問権についても報告や質問など言っておりますが、実際には所轄庁が調査権を持つ意味であることは改正法提出のいきさつから明らかであります。所轄庁が疑いがあると判断すれば質問権が発動でき、所轄庁のさじかげん一つで宗教団体に介入できることになり、これは大きな問題であります。活動が二県以上にまたがる宗教法人の所轄庁を文部省に移すことは、国家による管理強化の発想に基づくものにほかなりません。今回の改正案は、総じて所轄庁に宗教法人の管理統制権を付与し、現行宗教法人法の基本的性格を憲法の趣旨に反するものへ変質させる危険な改正案であります。 最後に、宗教団体の政治へのかかわり方について私どもの考え方を述べさせていただきます。 創価学会が政治に参加する理由は、まず宗祖日蓮大聖人の説かれた立正安国の精神に基づいております。仏教の説く慈悲の精神が社会や政治、文化に反映することを目指しているのであります。そのために、個人の内面生活にとどまることなく、文化、社会、自然環境へ積極的にかかわるのは当然であります。 また、牧口、戸田会長の獄中体験、池田名誉会長や諸先輩たちの戦争体験からも、社会のあり方、特に政治や国家のあり方に無関心ではいられません。平和、人権、福祉、信教の自由の擁護などについてみずからの意思を表明する、そして実現に努力する政治家や政党を、宗教の説く普遍的な理念に基づいて宗教者並びに宗教団体が支持することは、憲法に保障された正当な権利であると考えております。 なかんずく、民主主義社会にあっては、草の根レベルから積極的な政治参加が大切であることは言うまでもありません。私どもが選挙に参加してきたのは、この日本に着実な民衆参加の民主主義の基盤をつくるためであります。 もちろん、宗教団体の政治へのかかわりは、宗教法人の主たる目的が宗教活動であるという前提を踏まえるのは当然であります。私ども創価学会にあっては、会館、研修道場等の施設を中心に、仏法の研さん、指導、宗教行事を日常的に活発に行っております。選挙の支援活動は限られた期間での部分的活動にすぎないことを申し上げておきます。 その上で、宗教が政治に関する際の大前提を私どもは次のように考えております。一、国家権力を使って布教しない。一、国家から特別の保護や特権を求めない。一、支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求める。私どもは既に公明党を支援していた時代にも、国教化を目指さないこと、人事・政策・財政に一切干渉しないこと、宗教には中立の方針を堅持する等のことを明確にしております。公明党が新進党に参加した今日、この原則はより明確になったと考えております。また、公明党を支持していた時代より今日まで、政党に対する献金は一切なかったことを言明しておきます。 今、政治は国民経済の繁栄、福祉の向上、安全の確保に最優先に取り組むべきであります。選挙目当て、権力奪取、政権維持のための政争ではまさに国民不在であります。このままで政治不信、政治の不安定が拡大していけば、やがては世界からもアジアからも孤立し、国が滅びることを憂えることを最後に一言申し上げまして、意見陳述を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 次に、力久参考人にお願いいたします。力久参考人。
○参考人(力久隆積君) 善隣教教主力久隆積でございます。発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。 私たちは、二十一世紀を間近に控えております。今、二十世紀を振り返ると、後半、物質文明に偏り過ぎた、もう少し精神文化の復興が望まれる。そうすると、心を豊かにせんとする宗教に対する期待、大きいものがあろうかと思います。 そんなやさきのオウム真理教事件。宗教不信のあらしが我が国に吹き荒れております。宗教者の一員として、まさか宗教教団が人類史に残るような大犯罪を犯すなど、同じ宗教者と言えるかどうかわかりませんが、胸痛む思いがいたします。 このオウム真理教の問題は、幅広く見詰めないとその真相が究明できないだろう。政治的な問題もありましょうし、あるいは教育上の問題もあるんではないか。もちろん宗教の若者をとらえ切れなかったという問題も残っております。いろいろな角度で見詰めていかなければオウム再発防止はできないだろう。 そのときに、宗教法人法を改正することによってオウム再発防止ができるんだというような狭い範囲にこれが向けられたら、国民の心配しているオウムのような教団がまた生まれたらどうするんだということについては応答できないのではないかと思うのであります。 その意味で、オウムの問題はオウムの問題であらゆる角度からこれからも検討しなければならないでありましょうし、そのような時期に宗教法人法の改正という案件が、私は宗教法人審議会に参加させていただいておりますが、出されますと、いわゆる環境的にはオウムと宗教法人法というつながりの中で検討する時期であろうかと。 宗教法人法は、憲法に言う信教の自由、そして政教分離の原則によってこれを守っていく、それをさらに進めていくために物的保障をするといいますか、教団施設などを法的に宗教法人格を与えるということで自由な宗教活動ができるようにとしてこの法人法があるのではないかと思うのでありますけれども、これは非常に大きな問題でありますので、オウムの問題がある程度見えてから、そして真相が究明されてからでも遅くないのではなかろうか。なぜ急いで改正に向かうかということは、まだまだ私の心の中に、審議委員会に参加しながらその疑念は消えないのであります。 信教の自由、政教分離というのは何だか教団だけの自由のように思われてしまいますけれども、信教の自由ということは思想・信条の自由であります。そして、それを皆さんに我々が布教をするということは表現の自由であります。あるいは、組織化するというのは結社の自由でございましょう。広く信教の自由は、国民全般の基本的人権、国民の自由のもととなっているのが信教の自由ではないか。ですから、そのことについては、宗教法人法を改正するならば、もう一度憲法に基づいて、返ってそこから見詰め直すべきではないか。 急ぐことが答えを出すのではなくて、あらゆる角度から衆知を集めて検討すべき課題ではないかということで、そういう前提のもとに審議委員会、与謝野前文部大臣は、必ずしも改正のための審議会ではありません、十二分に御検討願いたいということでございました。 それなのに、今までは年間に審議委員会は二回、年に二回ほどの審議委員会が開かれたのでございますが、今回に限っては五回の審議委員会、八回の特別委員会が短期日のうちに進められていく。ずっととれなかったのがなぜこんなに急ぐのだろうかということで、結論から申しますと、九月二十九日その報告書を出すということで、ああ、この審議委員会は政治日程に合わせられたのかと。政治日程に合わせて根本問題を研究せよと言われたら、この審議委員会の存在はどうなんだろうかと。本当に私たち宗教者の疑念も意見もさまざまあるのに、日程どおり進めなければならないということについては非常に大きな疑問を持たせていただいたわけであります。 審議委員会の二回は非常に根本問題が論議されました。ああ、いい傾向だなと思わせていただきましたら、急に二回目からもう特別委員会を編成しようということで、なぜか今回の場合は新聞報道の方が結構先でありまして、改正のための特別委員会というような頭がついているので、これはおかしいと。改正すべきかどうかについてももっともとに戻って検討願いたいという話ではなかったですかと。改正のための特別委員会というのは約束が違いますよということで、今回は私たちが直接審議委員会の模様を記者の方に語ることはよそうということで、すべて会長を通じてブリーフィングが記者団に行われたわけでありますけれども、そのときに、頼みますから改正のためということを決してはっきり——冷静に問題はどこにあるのか、問題の整理をしようと。特別委員会は改正案をつくるという前提で始まったのではなかったのであります。 問題を整理しようと。十五人、会長を除きますと十四人の中でまとまりがつかない。その内容を整理するのには十四人では多過ぎるだろうから、十人に絞って特別委員会で問題点を摘出しようではないかというお話でございましたので、問題点の整理ならばいいではないかというようなことで特別委員会は進んだわけでありますけれども、私は新宗連から推薦されている審議委員でございますが、各五つの宗教の連合会の推薦されたお方が審議委員になっていらっしゃいますけれども、私はその審議委員ですから、特別委員会にはもう一人の先生に御参加いただいて、そして特別委員会の模様を逐一こういうことになったよということを報告を受けさせていただいているうちに、変だな、改正案らしきものが出ている。改正するべきかどうかというときに改正案らしきものが出ている。これはもう既に初めに改正ありきで進んでいるんではないかというようなことで、非常に危惧を抱きながらこの流れを見ていたわけでありますけれども、九月五日に一回、二十二日に一回、そして最後の二十九日と三回、特別委員会が終わってから、いわゆるある程度の特別委員会としての報告が出て審議会にかかったわけであります。 そこで、最初の特別委員会のときは、いわゆる所轄の問題、そして情報開示の問題、そして報告の義務の問題が論じられておりました。そして、だんだん後半になって最初は調査権という項目が出ました。三つの問題についてということで検討されていたのに、後々になって調査権というのが出てまいりますと、本当に出したかったのはこれじゃないかみたいな感じがするわけであります。 つまり、信教の自由政教分離においては自由な活動ができるようにこの宗教法人法ができている。そこに調査権なるものが出るということになると、随分宗教界側から調査権とはどういうことだという話になり、これは限定であります、七十九、八十、八十一条に関しての限定だと。しかし、調査という言葉に対して敏感な反応が出ると、二十二日の審議委員会に出されたいわば修正案の中では質問権という言葉に変わっておりました。言葉がやわらかくなったから問題が処理されるわけではなくて、質問権というと、私の思いでは、これは審議委員の中からも声が上がったわけですけれども、職務質問というのは結構きつい権利だと。税務署があるいは保健所か警察官は職務質問権がある。質問権だってやわらかい言葉じゃないじゃないかというようなことで二十二日に随分紛糾をしたわけであります。 それで、後で聞きますと、二十二日で大体報告書を上げようというような運びのようでございましたけれども、それでは二十九日にもう一度審議委員会を行いましょうということで二十九日になったわけであります。今回の場合は、二十九日の前に今まで出されている報告書に今度は修正案がついて、いわば両論が併記されていて、それが我々委員に渡されましたので、一つ一つ所轄の問題からひっくるめてずっと目を通して、いろいろな意見を持って二十九日に集まったのであります。 しかし、質問権のところから二十九日に延びたので、まずその報告書の前文のところあたりから、改正については大勢が賛成であるというふうに書いてある。大勢とはどういうことだ、これだけ多くの反対意見もあるではないかというようなことで紛糾しておりましたら、ぽんと、本日は質問権についてのお話に目を向けていただきたいと。でも全体についてはどうだ、後でそのことについて御意見を伺いますという形になって、そして質問権の方に移っていったわけでありますけれども、質問権については非常に敏感な反応が出てくるわけであります。 一つは、著しく問題がある教団については質問を向ける。著しくというのは何をもって判断するのか、これが明確ではない。そうすると、例えば所轄庁側の判断が場合によってはきつくなってくるとどうするか。 そうなると、じゃ審議委員会にかけるからいいではないかということでございますけれども、これは結構問題がございまして、各県の単立法人が何かそういうことを起こした場合には、各県に審議委員会があるわけではございません。各県の単立法人が起こした場合は、それは文部省の審議委員会にかけるんだということですが、事情もさほどわからない審議委員会がこれを検討しなきゃいけないという問題も残ってくるではないか。 この問題はどうするんだということになれば、質問権をすべきかどうかということは、もう既に文部省がその審議委員会にかけるということは所轄が違うと、これは。文部省以外の所轄のところについても、審議委員会の存在というのは文部省だけしかないわけですからそこにかけるということになるわけでありまして、非常に大きな問題があるということで、二十九日に継続審議をすべきであるという意見がわあっと盛り上がってきた。 しかし、継続審議をすべきであるということについて、もう二時ということでこれを余りにも急ごうとするので、どうしてだ、なぜ二十九日に上げなきゃいけないんだということになってくると、文化庁側は伏してお願いしますと。お願いされても困るわけですけれども、それでもまだなおかつ申し上げると、これを上げなければ成仏できませんと。成仏論やら伏して論やらいろんなのが出てきてまとまらない状態になってくるので、もう一度何とか継続審議をしてくれと、大きな問題が残っているのではないかと。ここで国会審議されていると、残っている問題がここで審議されております。何にもまとまらないまま出されてきたわけです。 しかし、最初に申し上げましたように、宗教はこれから若者が二十一世紀を迎えるときに希望を与えなければならない存在、そのことについて何とか宗教法人の自由な活動がさらに活発にいくような方向へとよくよく審議していただきますことをお願いし、現在改正されている宗教法人法については反対であり、多くの宗教が反対という声を上げております。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 次に、山口参考人にお願いいたします。山口参考人。
○参考人(山口廣君) 山口でございます。 私は、現在審議されております改正案、ぜひとも実現していただきたいという熱い気持ちでおります。よろしくお願いいたします。 私自身は、全国霊感商法対策弁護士連絡会という全国の三百名で形成されております弁護士とともに、霊感商法の被害者の救済と根絶にこの九年間ほどかかわってまいりました。文字どおり超党派で、政治とは関係のない弁護士の団体です。 私ども、九年間で一万六千人余の市民から被害相談を受け、被害合計額は何と六百三十億円に達しております。そのデータの詳細はきょうお配りさせていただきました資料2をぜひごらんいただきまして、深刻な実情をごらんいただきたいと思います。 私が最も許せないのは、先祖を考え、自分の将来を考え、幸せになりたいという熱い気持ちのあるまじめな方々がひっかかっている、このことがどうしても許せないのであります。 手口についてはもう既に広く報道されておりますが、簡単に言わせていただきますと、まず戸別訪問で印鑑や数珠を売りつけます。これが四十万円です。そしてその後、霊場に連れていって大理石のつぼや多宝塔を売りつけます。その後、もう一回霊場に連れていって一本八万円のニンジン液を、先日相談者は五百本、つまり四千万円買わされておりました。あり金すべてを何回もそこに連れていってはたき出させる、このマニュアルが高度にでき上がっているのであります。 広く報道されるようになってからは、さすがにつぼ、多宝塔はなくなりましたけれども、今でも街頭で声をかけて数珠や印鑑を売りつけ、その後、韓国のメーカーでつくっているものですからさばかなきゃいけない、教団でさばかなきゃいけないので、これをノルマ化して信者に買わせ、また市民に売りつけている。この手口は今も続いているということをぜひ御認識していただきたいと思います。決して過去の問題ではございません。 私自身も、この八年間余にわたって四百人以上の統一教会の元信者、あるいは霊感商法の元被害者に話を聞いてまいりました。この九年間、さまざま私は考えさせていただきましたし、宗教についての認識も改まったと認識をしておりますが、その中でぜひきょう申し上げたいのは三点ございます。 第一に宗教の重要さであります。言うまでもないことですが、改めて申し上げさせていただきたいのは、今、特に若者やそれから私ども団塊の世代の特に女性、それから高齢者に宗教に対するニーズといいますか、熱いものがあるということを御認識いただきたいと思います。まじめであればあるほどそうです。 現代の若者が、例えば大学生が何を人生にかけるのか、それを見出すのはなかなか難しい御時世だと思います。そんなときに、特に宗教、生きる教祖を中心に内閉的、独特な別世界、別共同体を形成しているカルト的な教団は、簡単に、何のために生きるのか、人生の目的は何なのかということを非常にわかりやすく答えを出してくれる。若者を引きつけます。 団塊の世代の主婦は、夫が仕事にスポイルされ、子供は学校でそれなりの世界を形成し始めますので、自分が必要とされているという実感、つまり妻として母として必要とされているという実感を喪失しておる人もかなり多いと思います。そんな心の空洞に、宗教はこの空洞をいやしてくれると思います。 また、私ども団塊の世代が六十歳になる二十一世紀初頭には、体は丈夫だけれども企業は厄介者にするという行き場のない高齢者がたくさん生み出されるはずです。その我々にとっても宗教というのは切実な、重要な問題になると思います。 二番目に強調したいのは、破壊的カルトと言われる教団のマインドコントロールの恐怖です。 私自身、教団の財政のために売春をさせる教団の相談を受けたことがございます。教団のために売春をする、これは決して単純に指示されてやったわけじゃないんです。一年間にわたって教育を受けるわけです。女性はだれのためにあるのか、あなたは何のために生きるのか、神は何を望んでいるのか、女性の体は神様のものですよ、それを神のために使うことの意味は何なんですかよく考えてごらんと。一年かけて外部の情報を遮断した中で教理とその実践の意味を教え込んでいきますと、真面目な女性がみずから体を売ってお金をつくることが正しいことだと思うようになるんです。サリンをまいて人を殺すことを正しいと思うに至る過程と同じです。人をだまして教祖のためにお金を巻き上げることが正しいことになる。その人の救いになると感じるようになるのと同じなんです。 私自身、統一教会の信者から言われました。教祖の文鮮明氏が、山口を殺してこい、その方があいつが霊界で救われることになるんだともし言ったならば、私は恐らくやったでしょうと、そういう信者から何人も話を聞きました。彼らにとっては、サリンで人を殺す、あるいは坂本弁護士一家を拉致して殺す、決して奇想天外な話じゃないんです。マインドコントロールされている教祖から指示されればやります、あるいはやりかねないという、そういうマインドコントロールの恐ろしさ。私自身は、マインドコントロールというよりもマインドオールタネーション、つまり心の入れかえ、あるいは心を交代させる、それを強制するというそういう手口、テクニックだと思いますが、これが一定の目的になされた場合には、かなりの恐ろしいことが可能になるし、またそういう恐ろしさを秘めたカルト集団が若者を引きつけているという実情をぜひ御認識いただきたいと思います。 第三に、宗教行政の問題点です。 八七年に私ども霊感商法の問題を始めまして、それに対抗するべく統一教会は霊石愛好会という別働隊をつくって私どもを批判し始めました。そしてその後、八八年の二月ごろから天地正教というダミー組織をつくりまして、そこで被害者をまたつくり始めました。 北海道庁が認証したばかりの団体だったものですから、私どもは北海道庁に赴きまして、認証を取り消すべきだ、あれはダミー団体で被害者がたくさん出ていますよ、問題じゃないですかということを言ったんですが、北海道庁の担当者は、一たん認証した以上どうしようもない、認証取り消しの事例はないんですということを言われました。私どもまた宗務課に何回も赴いて会って、霊感商法の問題を何とかしていただきたいということについても申し入れてきたんですが、実効性あることは全くしていただいておりません。 また、私どもの相談窓口には、霊感商法の問題だけではなくて、ほかの教団の問題も多数持ち込まれます。ほかに相談の窓口がないんです。したがいまして、先生のところでこの問題をぜひ扱っていただきたいというほかの教団の問題もたくさん参ります。その一部の資料をきょうの資料の第九の中で配付させていただいておりますので、後ほどごらんいただきたいと思います。 つまり、祈祷料とかその他いろいろな名目で市民が被害に遭って私どもに相談に来ておりますし、またうちの子供、うちの女房が急に人が変わったようになってしまった、いなくなっちゃった、どうしたらいいんだろうという大変深刻な相談がたくさん参ります。 また、そういう中で、海外で問題になっている、刑事摘発を受けているとか、あるいは税務上宗教法人と認められていないそういう宗教団体が日本に入り込んできて、そして若者を引きつけているという問題もわかってまいりましたし、オウム真理教の問題も出てきました。 そこで、私自身宗務課の方に会って、そういう実態は御存じですか、こういう団体がありますけれども、こういうことをやっているけれども御存じですかということを申し上げました。そうしたら知らないと言っていました。知らないなら、まず何をすべきかを検討する前に、調査してください、そのことぐらいはしていいでしょうということを申し上げたんですが、そういう権限はないんですということをお話しになりました。 今でも私は明確に覚えているんですが、その方がこうおっしゃったんです。戦前の反省に立って、戦後の宗教行政というのは何もしないことが宗教行政なんだと、こういうふうにはっきり言われました。私自身はもうどうにもならないなとそのとき思ったわけですけれども、あのときあるいはこれまで少しでも調査していただいていれば、あのサリン事件は防げたのではないかと、今でも私は残念でしょうがありません。 また、国民生活センターや消費者センターにも少なからずこの宗教絡みの相談が来ているはずです。しかしながら、これまで私自身、都道府県の宗教担当の方と、あるいは文部省宗務課の方と国民生活センターや宗教の所轄の担当者が情報交換している、一緒に活動しているということを聞いたことがない。もう少し連携して何とかやっていただけないだろうかと思うんです。 宗教へのニーズは高いものがあります。破壊的カルトであるほど勧誘や資金集めに熱心です。そこでは、教団は特定のねらいで市民に近づいて心を変え、そしてその特殊なテクニックが使われます。それをチェックするシステムが全くないのが実情なんです。これではオウム真理教のごとき事態が私は必ず再発すると思います。 法律を改正しなくても、当局や弁護士が努力すれば現行法で十分対処できるはずだということを言う方がいます。確かに、私自身、行政や司法当局、もう少しやっていただければ防げたのではないかという気はいたしますが、しかしながら、この種の事件の行政や司法のチェックは現行法上非常に難しいと思います。ブラックボックスになっている宗教法人の財政とか運営を現行法上外部の者がどうやってチェックできるのか、実際問題わからないんです。 霊視商法主言われる統一教会の霊感商法をもっと露骨にして仏教的粉飾を凝らした宗教法人の組織的資金集め問題も、数年前から私どもの窓口にもたくさん来ておりました。ある県警でこれを摘発しようということで周到な捜査がなされたんですが、私の聞く限りでは、検察庁の担当者が宗教にはある程度のおどしはっきものだという判断でこの摘発を断念したというふうに聞いております。幸い、ようやくことしの十一月になって愛知県警が摘発していただきまして、詐欺罪で公訴提起されておりますけれども、私は遅きに失したと。しかしながら、検察官がそうおっしゃったのもよくわかるし、警察の苦労も本当によくわかるつもりでおります。 もちろん、霊視商法についても弁護団が編成されまして、二百五十三名の被害者について五億五千万を回復する勝利的和解をから取っておりますが、それでもこの手口は、この宗教法人は東京からさらに関西に、そして九州にまで手を広げて、被害の拡大をこれまでしておりました。 しかし、宗教絡みの詐欺、恐喝事件の摘発というのは大変難しいものがあります。例えば、オウム真理教の件で警察が三月に上九一色村のサティアンに強制捜査に入りました。このときに、信者たちがスピーカーで無間地獄に落ちると警察官をののしっていたのを御存じだと思います。我々から見れば、あるいはお巡りさんから見れば何を寝ぼけたことを言っているのかということだったと思いますが、しかしオウムの信者にとっては、無間地獄に落ちるということは死ぬよりも怖いことなんです。永遠に続く霊界の地獄で永遠に責めさいなまれ続ける、その姿が彼らにとってはリアルに思い浮かべられるんです。大変な脅迫文言です。しかし、私どもにはそれは理解できない。 統一教会の霊感商法でも同じです。例えばこう言います。あなたの御主人の今、奥さん、子供さんの健康とあなたが親から相続した財産とどっちが大事なんですか。このままでは霊界からあなたに救いを求めているお母さんが救われませんよ。あなたの娘さんは、あなたの七倍の重荷を背負ってこれからあなたと同じ不幸な運命をたどることになるんですよと。こういうことを、めったに会えない偉い霊能師と信じている、信じさせられている方からじっと目を見詰められて、閉ざされた場所で長時間説得されるわけです。 しかも被害者は、数カ月かけて家系図をとられて、生い立ちから今に至るまでのプライバシーをすべて聞き出されています。霊界が実際に存在していることとか、先祖の罪の因縁とかあるいは殺傷因縁、そして色情の因縁があるんだということを吹き込まれているんです。その上、横に付き添った方が頑張って頑張ってよ、あなた、よかったわね、救いになるわよと励ますものですから、なかなか否定できない。このような特殊な状況をマニュアルに沿って意図的に設定されているわけです。その中でやはり言われると、これはやっぱりその被害者にとっては恐怖なわけです。 しかしながら、これを宗教に縁のないお巡りさんに理解していただくことはなかなか難しい。さらにお巡りさんは、警察官は、検事も説得しなきゃいけませんし、裁判官を納得させる資料も集めなきゃいけない。そうなると、なかなか難しいというのが実情です。このようなオウム真理教や霊感商法、霊視商法の手口を不法行為として断罪するというのはなかなか難しいところがあるということをぜひ御認識いただきたいと思います。 特に、宗教法人は公益法人として税務上の特典を与えられておりますので、私は、今回の改正である程度の経理を所轄庁に報告する、あるいは信者に開示するということは最低限のこととして全く差し支えない、あるいはこれが宗教の侵害になるものではないというふうに思っておりますので、ぜひ御理解いただきたいと思います。また、この提出の義務づけは、休眠法人がたくさん問題になっておりますが、これを解散させる手続にも役に立つというふうに思っております。 最後に、私どうしても申し上げたいのは、宗教界の皆さんが協議して早急に宗教情報センターのごとき民間団体を組織していただきたいということであります。そこで率直に話し合って、宗教団体として好ましくない勧誘行為とかあるいは信者勧誘のあり方などについてガイドラインのようなものをつくっていただきたいと思うんです。ECでは決議がされております。国会でも御審議いただきたいと思いますが、ぜひ宗教団体みずからそういうガイドラインを考えていただきたいと思います。 我々外部の者には、宗教界の皆さんが日常的に行っている信者勧誘や献金を勧める活動の実情がわかりません。宗教界の方々がみずから協議して、勧誘に当たっては、例えば教団名と最小限の教義とか信者の責任くらいは説明しなきゃいけない、あるいは先祖の因縁でということでおどして一時間以上献金を要求してはいかぬとか、あるいは十万円以上のお布施や献金についてはきちんと領収書を出すようにしましょうとかそういう基準をみずから相談して決めていただきたいと思うんです。 もちろん、これを守らない教団や宗教家も出ると思いますが、しかし多くの宗教団体の方々がこれに賛同して、それが公表されているということになれば、私は宗教に対するイメージや信頼ももう一度高まると思うんですね。 その意味で、ぜひ私は、二十一世紀に大事なものですから、宗教団体の方々にもう一度宗教を見直す、宗教一般を見直す努力をしていただくようにぜひお願いしたいと思います。 以上です。
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。 これより参考人に対する質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○岡部三郎君 自由民主党の岡部三郎でございます。 参考人の御三方におかれましては、本日は大変御多用な中、わざわざ国会まで足を運んでいただきまして、またただいまは大変貴重な御意見を賜りまして本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。 限られた時間でございますので、甚だ恐縮でございますが、私の質問は主として秋谷会長にお願いをいたしたいと思いますことをひとつお許しをいただきたいと思います。したがいまして、他のお二人の参考人につきましては、しばらくお休みをいただいて結構でございます。 さて、今回の法改正に対します基本的なお考えにつきましては、先ほどるるお伺いをいたしました。そこで私は、具体的な改正内容として二点だけ秋谷会長に御意見をお伺いしたいと思うんです。 第一点は、先ほどもお話がございました所轄がえの問題でございます。これは、御案内のように、既に大きな宗教団体はほとんどが文部大臣の所轄になっております。ただ、創価学会は東京都の認証を受けておられるわけでありますからこの所轄がえの対象になるわけでございますが、この点につきましては具体的に特にこういう点が困るというふうなことがございますのでしょうか。その点をお教え願いたいと思います。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまの御質問でございますけれども、所轄の変更につきましての、それで困るか困らないかというお話でございますが、私はその問題を一つだけ切り離して困る困らないという問題ではないのではないかと思います。所轄がえだけで他に一切何もついてないということと、その所轄がえに伴いましてそこに報告が必ずついて、今話が出ておりますし、そうしたことの関連で考えますと、その問題だけで切り離して考えることはできない。 やはり、冒頭申し上げましたように、この宗教法人法の本来の精神というものが、信教の自由を守る憲法の精神の上でそれを具体的な形に具現した法律であると私ども思っております。したがって、そこにはそういう監督的な要因を持たない法律であると思っております。 したがって、それに伴いまして、所轄の変更に伴う、報告義務を伴う、さらにそこから調査権を、もしくは質問権という形で、そこで言われていることは管理統制の方向に向かう、私どもは極めておそれを感じているわけでございまして、そうしたことを考えますと、この所轄の問題それだけでこのことを論ずることはできないと、このように思っております。
○岡部三郎君 私どもは、今回の法律改正は全く必要最小限のことでございまして、秋谷参考人がおっしゃいますように、信教の自由を脅かすというふうな大げさなものでは全くないと思うわけでございます。 したがいまして、所轄がえそれ自体は大して問題ではないんだということでございますれば、例えばもう一つの、収支計算書や貸借対照表等を信者等から閲覧請求があった場合には正当な理由が認められる限り今回は応じなければならない、こういうことについてもそれ自体としては大して問題ではないというふうにお考えでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) この問題につきましては、それぞれの宗教団体、それぞれの会にはいろいろな歴史並びに経過がございます。したがいまして、そうした歴史、経過、また信者といいましても、それぞれの教団によりまして信者に対する考え方、また規定の仕方、これもさまざまでございます。 そういう観点から見てまいりますと、この問題につきましても軽々に論ずべきことではなくて、もっとこの問題についてそれぞれの教団が自主的に検討をして、その上で考えていかなければならない問題であると思いますし、また、宗教界全体として私は考えてみても、宗教界としてもこうした問題、いろいろと話し合い、また検討をし、現在、経理につきましても先ほど申し上げましたようにそれぞれに自主的な努力をしていると思います。 したがいまして、その自主的な努力をさらに共通したものにしていきながら、例えば会計基準にいたしましても、公益法人会計基準を一つの参考にしながら例えば私どもやっておりますけれども、そうしたことを話し合い、また協議をして、そしてさらに宗教法人の会計基準のようなものをみんなでつくり上げて、そうした環境をつくりながら考えていくという方向に、自主的な方向に持っていくべきだと私どもは考えております。
○岡部三郎君 今回はこういった会計の内容を世間一般に全部公開しろということではございませんで、求められたその信者に対して、信者等に対してディスクロージャーする。しかも、その信者はその宗教団体側自身が認定をされるわけでございますから、それほど大きな影響がないのではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまのお話につきましては、この情報公開ということにつきまして、私はあくまでもそれぞれの教団が自主的に決めるものであって、法律でこれを強制する性質のものではない。これは、他の公益法人、また学校法人その他を見ましても、それらを法律で規制をしてそうしてそれを迫るというような例は他にはありませんで、この宗教法人の問題に限ってそうしたことが言われるということは、やはり私どもといたしましてはこれは認めるべきではないと、こう考えております。
○岡部三郎君 次に、創価学会の組織につきまして若干お伺いをしたいと思うんですが、秋谷会長は昭和五十六年以来創価学会会長に御就任されております。大変失礼な言い方かもわかりませんが、世間一般では池田名誉会長が依然として絶大な実権をお持ちだというふうにも言われておるわけでございますが、このお二人の間の分担関係と申しますか、これはどういうことになっておるのでございましょうか。お教えいただきたいと思います。
○参考人(秋谷栄之助君) 私ども創価学会におきましては、会の運営、実務につきましては私が会長として一切の責任を持っております。そして、私のもとに組織的には中央会議という会議がございまして、その会議によって合議をし、また全体の運営、さらに大きな問題につきましては総務会の議決を経まして決定をしていくと、こういう組織で運営をいたしております。 池田名誉会長につきましては、会則によります名誉会長の職でございまして、私どもの信仰の指導の上の指導者ということで、信仰上の問題につきまして、日蓮大聖人の仏法の教義を根本にいたしまして、会員の指導、激励、また講義、そうしたことを名誉会長には担当していただいております。
○岡部三郎君 来年会長の任期が切れるというふうに承っておるわけでございますが、秋谷会長が留任されることを含めまして、こうした場合の後任会長の選任の手続というのはどうなっておるのでございましょうか。選挙によるものかあるいはどなたかの御指名によるものか、お教えいただきたいと思います。
○参考人(秋谷栄之助君) 創価学会におきます会長の選出につきましては、会長選出委員会という委員会がございます。これは総務から選ばれた人たちが選考委員になりまして、その選出委員会で選考をいたしまして、それに基づきまして総務会でこれを決定するという手続を経ております。
○岡部三郎君 ありがとうございました。 次に、政治と宗教の問題についてお伺いをしたいと思いますが、創価学会は、昭和四十五年に政教分離を宣言されまして、いわゆる王仏冥合の旗印が消えたわけでございますが、現実にはそれ以降も、組織的な選挙活動を初め政教一致的な動きが活発に行われているということがこの委員会でもたびたび指摘をされたわけでございます。 秋谷会長は、かつて、政党を応援する理由は信教の自由を守るのが目的であって、権力を使う必要はないのだと説明されたということでございますが、こうした考え方に立ては、宗教団体が政党を応援するにしても、そこにはおのずから限界があるのではないかと思いますが、お考えはいかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) 私どもは、当初、私ども庶民の意思がなかなか政治に反映されない、そして多くの日の当たらない庶民のために何かできないかということから、当時、公明政治連盟をつくりました。そして、身近なところから、政治を少しでも身近なものにしようという努力を積み重ねていったわけでございます。 そうした経過を経まして、やがて公明党の結成に至るわけでございますけれども、私どもはそうした中で、本当に政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願ってこの公明党の支援をしてまいりました。私どもの理念と申しますか、それは、いわゆる宗教というのは、決して自分一個の幸せを願ってもそこに本当の幸せがあるのではない。やはり一個の幸せを願うのは、同時に社会の繁栄を願うことでなければならない。こうした私どもの考え方、仏法の考え方からこうした政治へのかかわりを持ったわけでございます。 したがいまして、各種の選挙につきましても、それぞれの地域の方々がそれらの候補者を擁立した、その同志に対する思いから熱心な応援をしていただいて今日に至っているというふうに私は考えております。そういう意味での私どもの支援活動というものは、全体の宗教活動からいいますと、宗教活動の量から見れば政治支援の活動というのはごく一部分でございます。確かに会員の皆さんが熱心に応援してくださっていることは事実でございます。
○岡部三郎君 池田名誉会長は、昭和五十一年十一月十六日に、天下をとらない党ならやる必要はない、私が控えているから心配するなど明言されたということでございますが、これはまさに政権を目指すことを意味するわけでございまして、今の秋谷参考人のお話とは矛盾することではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) これは政治の世界においては、やはり政党が政権を目指すというのは私は当然のことであろうと思います。政権を目指さない政党というのはむしろ別の何か意味を持ってしまうのではないかと。そういう意味から、名誉会長が当時の公明党の人に、そういう発言をした事実というよりもその物の考え方は私よく知っております。一生懸命みんなで応援をして国会へ送ったんだから、議員として立派に闘ってもらいたい、また国民のために一生懸命尽くしてもらいたい。私どもは支援をいたしますけれども、決してそれによって代償を求めるつもりは毛頭ございませんし、先ほど意見陳述で申し上げましたように、決して政治によって何か利益を得るとか政治の力をかりて布教をするとか、あるいは私どもの宗教を国教化しようなどということは毛頭考えておりません。 そういう意味で、議員の皆さんに対する私は真心からの激励であったと、このように思います。
○岡部三郎君 そうしますと、この天下をとるという表現はやはり適切でないというふうにお考えでございますね。
○参考人(秋谷栄之助君) 政党が天下をとるというのは私は当然だと思いますし、そのことについて創価学会が天下をとるというふうに誤解をなさらないようにお願いをしたいと思います。
○岡部三郎君 もう一つ指摘をさせていただきたいんですが、去る十月十四日、BBC第二放送局の海外ルポ番組の放映の中で次のように述べられております。すなわち、「先の参議院選挙で創価学会の集票力がモノをいった。そこで新進党は政権を担える見込みがあるのではないか」とのインタビュー、質問に対して、「(見込みが)あると言えば油断します。新進党が。ないといえば、今度はみんなが自信を失います。そういう意味において、あるかもしれない、ないかもしれない、そう答えましょう」と応じられました。 これは、池田氏が新進党を意のままにできると思っているというふうに一般の国民には受けとめられるような発言ではないかと思うんですが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) お答えします。 そのBBCのインタビューであったのはたしか前回の参議院の選挙の投票日のごく近い時点であったように思います。そういう時点で、当時の選挙戦が日本で熾烈に行われている、そういう状況を踏まえて、むしろ池田名誉会長としてはそうした選挙状況の中で発言をすることが今一生懸命活動している皆さん、また新進党の皆さんあるいはそれを支援してくださっている皆さんにかえって御迷惑がかかってしまうんではないか、そこの持つ意味合いというのは、私は明確に、むしろ発言を差し控える、こういう意味での私は発言である、このように思いますし、またその後名誉会長からもそうした意味であったことを伺っております。
○岡部三郎君 事はBBCという国際的な影響力のあるメディアでのことでもありますし、内容が必ずしも創価学会の方針と相入れるものではないとすれば当然訂正をされるべきだと思います。場合によってはこのことを池田名誉会長に直接お聞きをしたいと我々は思っておるんですが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいま私が申し上げましたことは池田名誉会長の意見と全く同意見でございまして、BBCとの対談があった後に直接私が話し合っていることでございますので、今申し上げましたような趣旨での発言であると。決して何か新進党を左右するとか、それに影響力を与えようとか、そういう意図は毛頭ないことは明確でございますし、そのことは既にここで確認をして明確に申し上げますので、本人にただす必要はないと私は思います。
○岡部三郎君 政教分離につきましては午前中もここでいろいろ御議論があったわけでありますが、私どもは国家支配から宗教を守るということと同時に、宗教支配から政治を守るのが政教分離の本当の意味だというふうに考えておるわけであります。 したがって、冒頭私が申し上げましたように、秋谷会長がおっしゃったという信教の自由を守るための政治活動だということになれば、やはりおのずからその活動には限界があると考えるわけでありますが、その点もう一度ひとつはっきりと御答弁をいただきたいと思います。
○参考人(秋谷栄之助君) 先ほど申し上げましたように、私どもはその節度につきまして、国家権力を使って布教しない、国家から特別の保護や特権を求めない、支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求めるという三項目を挙げました。 これは私どもの考え方といたしまして、信教の自由という舞台は、これは人間の基本的な人権といたしまして、また基本的な権利といたしまして絶対に確保しなければならないものだと思っております。したがいまして、政治が宗教とのかかわり合いの中で何があるかといえば、絶対にこの信教の自由を守り、そしてそれを確保してくださることが私どもの宗教にとりましては一番安心できることでございます。そうして、その上。で宗教同士がいろいろ討議をする、また教義上の問題で論議をする場合もこれは当然ございましょうし、また宗教教義以外のことで、いわゆる人類的な問題あるいは人道的な問題、基本的な人権の問題、こういった問題で対話をしながら、そしてより平和な社会、平和な時代をつくっていきたい、これが私どもの願いでございます。そういう意味から申し上げますと、まさに信教の自由こそ最も大事な問題である、私どもはこのように考えております。 したがいまして、国家的な権力を使って布教などをする考えは毛頭持っておりませんし、また同じく国家から何か特権をいただいて、それによって宗教を広めようとか、あるいはそれをもって他の宗教に圧迫を加えるだとか、そんなことはむしろ絶対にあってはならない問題であると。 こうしたことを考えますと、私どもが支持する政党や候補者の方はどの宗教にも中立であっていただきたいと。それこそ政治の場における信教の自由を確保する上での一番むしろ大事な問題ではないかと、このように考えております。 私どもは、そうした範囲で一生懸命よりよい日本をつくるために私どもの努力をしてまいりたい、このように思っております。
○岡部三郎君 例えば、竹内勝彦前衆議院議員がある雑誌で、国会議員はもとより府会議員、この方は京都でございますから府会議員、市会議員の大事に至るまで形式的には党が行うが、実際には学会の責任者の一声で決まるというふうに述べられております。また、同じ雑誌で公明党前委員長矢野絢也氏は、かつて竹入委員長が辞意を表明された折に池田名誉会長が続投を指示したと語られております。 さらに、細川内閣成立の前日、池田名誉会長が公明党の三閣僚、郵政、労働、総務の就任を予告し、大臣は皆さん方の部下だと言われたということが報道されております。 こうしたことは、いずれも議員の人事権が学会側にあるということを意味しておるのだと思いまして、宗教団体の行う政治活動の限界を超えているのではないかと考えますが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) 先ほども申し上げましたように、昭和四十五年に私どもは政教分離の宣言をいたしました。その時点から党の人事、それから財政、政策、これには一切関与しない、こういう原則を打ち立てております。 ただいまお話のありましたように、大事に直接介入をするというようなことはございません。いろいろ相談があって推薦をしなければならない地方等の場合にそういうケースはあるかと思いますけれども、あくまでもそれを決定するのは党でございまして、学会がそうした人事権を持っているということではございません。 また、先ほどお話のありました、細川内閣の閣僚が決まったと、このことを池田名誉会長が事前に知っておって話をしたんではないかと、こういうお話でございますが、これは全く事実に反することでございます。 あの当時、当日の一般紙、読売新聞、毎日新聞に当時の閣僚の予想が記事として掲載をされました。その新聞の掲載になった内容を池田名誉会長は話したことでありまして、党から何か事前に連絡があったとか、その大事について相談があったとかそういうことでは全くございません。 これも大変な誤解を生んで、あたかも名誉会長が閣僚名簿に関与したかのような話が流されておりますけれども、これは全く事実に反することでございます。
○岡部三郎君 人事権は全く党側にある、こういうお話でございますね。 先般行われました佐賀の参議院補欠選挙での具体的な事例を申しますと、選挙期間中、創価学会の佐賀文化会館では夜遅くまで明かりがこうこうとつき、駐車場は夜の十時近くになっても多数の他県ナンバーの車で混雑をきわめたということが、この委員会で写真を示して指摘されたわけでございますが、宗教を背景とした絶対的な指示でもない限り、このような徹底した選挙活動というのは、私どもの経験からしましてもなかなかできないものではないかと思うわけでございますが、国政選挙あるいは地方選挙の場合の体制、学会でとられる体制はどういう体制で臨まれるのでしょうか、お伺いいたします。
○参考人(秋谷栄之助君) 現在、学会といたしましては、それぞれの県並びに方面に社会協議会という会がございます。ここで、いわゆる宗教活動以外の社会活動の諸問題をいろいろ協議をして、そうしてどういう方向でどういう活動をするかということはこの社会協議会で協議をいたしております。 ただいま御指摘のありました佐賀県の件につきましては、これは佐賀県におきましてその社会協議会を開きまして、支持依頼があったものを検討して支持決定をしたということでございます。そして、支援活動でございますから、それぞれの組織の方に趣旨をお話しして、応援してくださる方は応援してくださるという形で協力をお願いするわけでございますが、同時に、この佐賀の選挙というものは大変注目を浴びた選挙でございまして、当然全国的にも大きな関心を呼んだ私は選挙であったと思うわけでございます。そうしたことから、特に九州関係の同志の皆さんが、佐賀県の出身であるとか、あるいは佐賀の親戚があるとかいろいろな人間関係のある方がそれこそ思いを募らせて応援をしてくださった面もこれはあると思います。 それから、ただいまお話しの会館でございますけれども、私どもの活動は、宗教活動はもちろんでございますけれども、大体それぞれ仕事を持っておりまして社会活動、社会生活をしております。したがいまして、会合というのはどうしても夜に集中するわけでございます。そうして、その夜の会合というのはこれは当然そうなってきます。特に、青年の場合には残業等も多くてなかなか夜の早い時間には集まれない、そういうこともございます。そうしたことから、夜の例えは九時過ぎに集まってくるようなケースもこれは日常活動の中においてもある問題でございます。 そうしたことを踏まえて考えますと、特に選挙のときだけ異常と、こう考えるのは余り適切ではないかと、このように思います。
○岡部三郎君 今のお話に関しましては、これを調べた人が他の教団のそれじゃ事務所はどうかということを調べましたら、そこは真っ暗だったと、こういうふうなこともありますが、いずれにいたしましても、全国にこういうふうな多数ある会館や文化会館等が選挙の際には運動拠点として使われる。 また、選挙のためには住民票の移動が行われるということがよく耳にされるわけでございますが、こうした事実は本当にあるのでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) この住民票移動という話につきましては、かなり昔から何度か選挙のたびに言われていることでございます。 私どもといたしましては絶対にそのようなことはない。あれば、具体的にいつ、どこで、だれが、どういう形であったのかということをぜひ具体的にお示し願いたい、こう申し上げまして、前の事件、問題で島村さんがそういう発言をされまして、私ども島村さんにそのことを具体的な形で示していただきたいとお尋ねをいたしましたが、結局具体的な問題はありませんでした。したがって、各地で選挙のたびにそうしたことが言われているということは不本意なことでございます。本来あるべきことでもございませんし、また学会としてそうした事実は全くないと明確にお答え申し上げたいと思います。
○岡部三郎君 以上いろいろなことを申し上げましたが、いずれにしても私どもにとっては、どうも創価学会の宗教活動というのは選挙活動と密接不可分の関係にある。言葉は悪いんですが、布教のために選挙が利用されているんではないかとさえ思えるわけでございます。 さて、これは選挙活動とは別の問題でございますが、憲法の信教の自由には特定の宗教を信仰する自由はもちろんでございますが、それと同時にやはり信仰を変えて脱会する自由も含まれていると思うわけであります。創価学会は脱会しようとする人、または脱会した人に対してどのような対応をされておられますか。
○参考人(秋谷栄之助君) 先ほどからも重ねて私どもの立場として信教の自由を強く訴えている立場を申し上げております。その意味からも、会において入会、退会、これについては全く個人の自由であるということでございます。
○岡部三郎君 そうしますと、踏みとどまるように強制するというようなことは全くないし、またあってはならないことだと、こういうお考えでございますですね。
○参考人(秋谷栄之助君) 当然、その自由を拘束したりあるいはとどまるために強制をするということは、これは私はあってはならないことだと思います。 ただ、親しい友人の関係で今まで長年お友達としてつき合ってきた人が話し合いをして懇談をするということは、これは私は当然のこととしてあり得ることだと思います。
○岡部三郎君 続きまして、財務についてお伺いをしようと思いましたが、若干時間がなくなってまいりましたので、また他の議員が御質問するようでございますから、そちらにお願いをするということにします。 学会の施設は全国で約千カ所にも上ると言われておりますが、いずれも宗教用として非課税扱いになっているわけでございますね。こうした施設が選挙を初めさまざまな目的外の活動に使用されているという指摘も本委員会でいろいろとなされたわけでございますが、税制上の大きな特典を受けていることでもございますので、ひとつ施設の使用状況等についてはもう少し明らかにされたらばいかがかと思いますが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) 私どもの施設、これは主としてそれぞれの方面、県あるいは主要都市に会館がございます。その会館につきましては、信仰上の活動、勤行会であるとかあるいは年間の記念行事、大聖人の生誕の日であるとかあるいは初代の会長の亡くなった日であるとか、そうした各種の記念行事を行ったり、あるいはさらに敷衍すれば、さまざまな文化活動あるいは教育活動、こうしたものの会場に使用する。そこで教育セミナーを行ったりあるいは合唱を行ったりというさまざまな周辺の文化活動、これはいたしております。また、あの関西大震災の折には、神戸市内にあります全会館を救援のために開放いたしまして、そうして一時は一会館に二千人近い方がおいでになったり、あるいは宿泊の便宜を計らったり、そうした救援活動にも会館は使わせていただいております。そういう意味で、本来の宗教活動の目的はもちろんのこと、そうした一般の社会活動あるいは文化活動、教育活動等に使っております。 また、研修道場につきましては、これは仏法の研さんを中心にいたしまして、そこに講師を呼んで、そうしてそれぞれの方面の代表がそこに参加をいたしまして教学の研さんをする、あるいは仏教のセミナーを行う、こうした活動を主として行っておりますので、これからもそういう意味で基本的なことを大事にしながら活動をしてまいりたいと、このように思っております。
○岡部三郎君 続きまして、海外活動についてお伺いをしたいと思います。 池田名誉会長が会長をされております創価学会インターナショナル、SGIと略称されているようでございますが、この組織と創価学会とはどういう御関係におありでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) SGIにつきましては、経過から申し上げますと、日本で私どもが宗教活動をいたしまして、その結果、漸次、池田会長の時代になりましてから海外で信仰される方がふえてまいりまして、アメリカにもまたブラジルにも、あるいは東南アジアにもヨーロッパにもというふうに広がってまいりました。 私どもは、あくまでもそれぞれの国を大事にする、その国の国民として、よき市民として活動することを基本に置いて現地主義をとっております。したがいまして、現在、会員のおります国は百二十八カ国に及んでおりますが、その中でそういう組織を持って現地で活動しているのは七十数カ国に及んでおります。そして、それらの国の法人資格を取って、そして活動しているというのが現状でございます。 SGIと申しますのは、それらの各国の法人、また法人でなくても組織のあるところ、それぞれが加盟をいたしまして、そして緩やかな連合体としてSGIという組織をつくっております。創価学会もそういう意味では幅広い意味の一国、日本の国でございますので、そのSGIにはあわせて加盟をしているという形をとっております。
○岡部三郎君 ロサンゼルスでの創価大学分校設立のための大規模な土地買収、あるいはロンドン郊外の由緒ある古城タブロー・コードの買収、あるいはフランスのアルニー城の買収等、海外において巨大な財産取得がなされております。また、池田SGI会長は、海外で特定の政治家や団体に多額の贈与を行っておられると伝えられております。これらの買収や贈与に要する資金というのはどのように調達されているんでしょうか。日本からの送金が主でございましょうか。もし送金があるとするならば、当然外為法上の手続はとられていることだと思いますが、いかがでございましょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまお尋ねの海外のいろいろな施設、これは今申し上げましたように全部それぞれの現地法人が所有しているものでございます。したがいまして、それらの国々の活動、これを応援する意味で、こちらから、現地からこれこれの活動に必要な施設を購入したいという希望があれば、そのための寄附要請というものを私どもは受けております。そうした寄附要請を受けた上で、私どもとしてそれが本当に必要なものかどうか十分に検討をいたしまして、そしてそれにかなうものであれば委員会としてこれを決定をいたしまして、ただいまお話のありましたように、正規の外為法の手続を全部きちんといたしまして寄附をいたすという手続をとっておりますので、申し上げます。
○岡部三郎君 このSGIにつきましてもまだまだお尋ねしたいことがたくさんあったわけでございますが、そしてまたお答えも十分私に理解できない点もあるわけでございますが、もう時間がなくなりました。 次の機会にはぜひ池田名誉会長にもお越しをいただきまして、こうした問題についてもひとつ御高説を拝聴したいと切望しておりますので、会長からもよろしくお伝えをいただきたいと思います。 本当に長時間にわたりまして真剣な御答弁をいただきましたことを心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 以上で終わります。(拍手)
○白浜一良君 平成会の白浜一良でございます。 本日は、参考人の皆様、大変お忙しい中を本委員会の参考人質疑にお越しいただきまして、心から御礼を申し上げる次第でございます。私は持ち時間三十四分と限られておりますので、どうか御協力をよろしくお願い申し上げたいと思います。 まず、秋谷会長に御質問したいわけでございますが、最初の意見陳述の中で、学会のいわゆる政治へのかかわりという点で三つの原則を示されました。一つは、国家権力を使って布教しない、二つ目は、国家から特別の保護や特権を求めない、三つ目が、支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求める、このように意見を述べられました。 このことは、いわゆる宗教団体の政治へのかかわりの節度、一般的な面での節度だと、このように学会として認識されているのかどうか、この点をお伺いしたいと思います。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまの御質問についてお答えします。 先ほども申し上げましたように、私どもは決して創価学会が天下をとろうとか、あるいは政治の中枢に入って政治を動かして何かしようなどということは毛頭考えておりません。そういった意味からいいますと、私どもの気持ちといたしましては、何よりも日本のためによりよい政治をぜひ実現していただきたい、そのために思う存分の国会議員の皆さんの御活躍を心からお願いしたい、こういう思いでおります。 したがいまして、私どももそういった意味の節度、一つの枠組みというものを改めて確認をする意味で、先ほど申し上げました国家権力を使って布教しない、国家から特別の保護や特権を求めない、支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求めるということを原則といたしましてこれからも活動してまいりたい、このように思っております。
○白浜一良君 ありがとうございました。 ちょっと飛んで恐縮でございますが、力久先生にはまた後で御質問したいと思いますので、まず山口先生に御質問したいと思います。 統一教会等の問題、霊感商法、霊視商法、また宗教界のさまざまなトラブルを一手に引き受けていただきまして、さまざまな苦情に対して対策を考えていただいているというお話を伺ったわけでございますが、そのような本来の健全な宗教活動とは考えられないようなもの、オウム真理教なんというのはもう典型的でございますが、そのようなものが今回の宗教法人法の改正、主項目は四点でございますが、この改正で何らかの抑制効果があると、このようにお考えでしょうか。
○参考人(山口廣君) 私は抑制効果があると思っております。といいますのは、例えば霊感商法でも五十六億を私どもからすればおどし、だまして交付させられたという事件がございました。当然裁判になったわけですが、統一教会側の答弁は、受け取っていないと言うんです。つまり、五十六億あるいはその中の一部でも統一教会は受け取ったと認めないわけですね。じゃ、一体どこに消えたのか。どうも信者が受け取っだということは被告の信者は認めているわけですが、それがどこに行ったかについては言おうとしないんです。それほどにざるなわけです。 私どもとしては、なぜそれほど、これは統一教会だけではなくて、宗教団体でかなり無理な資金集めがなされるのかといいますと、要するに使い方がチェックであるために教祖や一部の幹部がいいようにお金を使う。そうしますと、やはりお金の必要が出てきますので、どうしてもノルマを課して無理にお金を集めようとする。それが現実に、各地区今月は幾らというノルマになってしまいます。 これが今回の改正によりまして、所轄庁あるいは信者が見るかもしれない、あるいはチェックされるかもしれないという、そういう制度ができるだけでやはり使い方にも一定の節度が期待できるんではないかというふうに思いまして、私自身は効果があるというふうに考えております。
○白浜一良君 宗教の名をかりてあくどく金もうけしようと言っているような団体がたとえ宗教法人であったとしても、財務諸表とか収支決算書を見て明らかにこれはもうおかしいということを示すと思われないんですね、当然粉飾するのは当たり前でございまして。ですから、この程度の法改正では大変難しい。逆に言いましたら、本当に事前にチェックしようと思いましたら、いわば宗教団体の日常活動全体、金の出入りも含めて全体を行政が管理するというぐらいやらないと、なかなかそういうおっしゃるようなことが指摘できないんじゃないか。私は、本来宗教法人法というのはそういう法律ではいけないと思っているんですよ、当然。 だけれども、今回オウム真理教の事件が起こりまして、宗教法人法を改正すべきだという意見はやっぱり国民の期待感があるんですね。何とか法を駆使してああいう悪い団体が出ないようにしてほしいという、その気持ちがこの改正案賛成に世論が傾いていると私は思っているわけです。 だから、先生の御意見も私はわかるんですが、今の法改正ではそういうあくどいことをするような宗教団体というのは、必ず粉飾して実際そういう財務諸表を見てもなかなかわからないような実態になるんじゃないか。だから、実態面からは非常に厳しいというふうに私は思っているわけでございますが、どうでしょうか。
○参考人(山口廣君) 私自身もこれがもう特効薬で、すべて鎮静化されるというふうに考えているわけではありませんが、ただ現実にオウム真理教でもそうですし、ほかのカルト的団体でもそうなんですが、修行あるいは宗教上の、何といいますか、鍛練と称して、霊感商法をさせてみたりあるいはビル建築に携わせてみたりという形でやるわけですね。つまり、別の団体をつくって、そこでもただでこき使って、そこで収益を生む。非常に宗教団体の財政がブラックボックス化しておりまして、ほかの系列の株式会社や法人はそれなりのつじつま合わせの申告をしているんだけれども、ブラックボックスがあるために税務当局もチェックできない、あるいは所轄庁ももちろんチェックできないという問題がございます。その意味では、私は、ガラス張りにしろと言う必要はないと思うし、それはまた問題だと思いますが、少しでも先を当てるという程度のことによってある程度オウム真理教のような事態が防げるのではないか、あるいはそれを期待することができるというふうに思っております。
○白浜一良君 これは同じ意見になるわけでございますが、なかなか私は実態面からいうと難しいだろうと、このように考えているということでございます。 そして、いろんなそういうトラブル、被害があるから、私は山口先生のおっしゃることはよくわかるんですよ、何とかせにゃいかぬという思いはわかるんですが、先ほど例示されましたね、例えば御主人の命や健康とあなたの持っている財産とどちらが大事だ、霊界にいらっしゃるお母さんが悲しんでいらっしゃいますよと、そういうふうに思い込ませていくという、それで金を、財産を巻き上げるということですね。一種のマインドコントロールも含めてです。非常によくない、いけないこと。 ところが、そういう宗教の活動を行政の力でチェックするというのは、一種の心の中の問題も含んでいるんですね。心の中の問題といわゆる財産の問題とつながってしまっているわけです。だから、外形的だけで問題だったらいいんですが、そういう宗教団体の持っているいい教義、悪い教義も含めてそれを行政が判断するというのは、これはとてもじゃないけれども難しいし、それはいわゆる宗教に対する行政権限の介入だと逆に言うとなるわけでございます。 ですから、私が申し上げたいのは、先生がおっしゃいましたように一つは宗教情報センターですか、おっしゃいましたですね、これは非常に私も大賛成で、宗教界で起こっているトラブルを同じ宗教界の立場でどうとらえるかという責任があるわけで、それはやっぱり自主的にさまざまな宗教界の方々に努力してもらわにゃいかぬという、私はこれはもう大賛成でございます。 と同時に、もう一つ大事なことは、この宗教法人法という法律は、何回も言われておりますが、これは法人格を与える認証のための法律なんですね。そういう霊感商法とか霊視商法とかカルト教団の問題、これは宗教界の自助努力、そういうセンターをつくってどうしてそういう人々を救っていくかという努力と同時に、これは政治の世界、私たち国政の場にいるわけですから、この問題としてあらゆる角度からどう防止できるのかということを考えなきゃならない。今回宗教法人法の改正だけはやっていますよ、審議は。だけれども、残念ながらここのところの議論が、法律の態様も含めて、力が入っていないということを私は一政治家として、国会議員として感じているわけでございます。 この点に関しまして何か御意見がございましたらお伺いしたいと思います。
○参考人(山口廣君) 私も、例えば先ほどの先生がお挙げになりましたような実例について、行政がこれをいい悪いと判断するのはよろしくないと思います。最終的には市民の判断にゆだねられるべきことだったと思いますし、行き過ぎたことについては警察なり司法のチェックがあっていいと思います。それについては私どもも少しでも努力できればと思います。 現実にやはりそういう誘惑に駆られる。例えば、弁護士や医者の場合には国家資格がございまして、行き過ぎたことをやれば資格剥奪になりますが、宗教というのはあしたからだれでも始められる。資格剥奪制度がないわけですね。それだけに、しかも人の悩みをある意味では仕事の種にするわけですから誘惑も多いというのは事実だと思いますので、その意味で自戒を求めたいと思うんです。 ただ、消費者を守るという観点から、例えば訪問販売法やあるいは消費者保護条例等の適用の範囲外に宗教の場合なるわけですけれども、どこまで消費者保護の観点から、らち内に入れるようにするのかということは、これは検討の余地があるのではないかと思います。 それからもう一点は、先ほど申しましたように、私はちょっと行政の方には申しわけないんですが、宗務課の方あるいは宗教法人問題にかかわっている、所轄されている公務員の方にとっては、現行の宗教法人法が、言葉は悪いですが、サボる口実になっているといいますか、要するに権限が何もない、あるいは何もやらないのが今の法体系だから何もできないんですということで、調べようともしない、やろうともしないという現状がございます。 少なくとも今回の改正程度の権限といいますか、少しはやることができるんだということを条文に盛り込んで、そうすれば何もやっていないじゃないか、何しているんだ、少しは調べなさいよということぐらいは私どもとしては言えるようになるのではないかと、それは少しは期待したいなと私は思っております。
○白浜一良君 おっしゃっている点は私はよくわかります。 重複しますが、このカルトの問題とか霊感商法、霊視商法、本来の宗教活動に思えないような違法また破壊的なそういう団体に対する対応というのは、私はこれはこれで大きな問題として、宗教法人法、こう言っておってもそんなことは直接対応できないわけで、これはこれで体系的に私たちは考えなきゃならない問題だということを、これは私の意見だということで申しておきたいと思います。 もう一点山口先生にお伺いしたいのは、統一教会のことをよく御存じなわけでございますが、統一教会が政治と宗教という問題、本委員会でもこの法案審議とは別に多く問題が出されております。そういう観点からいいましたら、これは先生が書いていらっしゃる著書の中で、一部自民党の皆さんがそういう統一教会と結びつきが大変強いという、それで当時の宮澤総裁に質問状を出されたと、こういうふうに書かれておりますが、この経緯とそれからその結果どういうことであったのかお教え願えますか。
○参考人(山口廣君) 文鮮明氏が入国したということがございました。法律上はアメリカで脱税で実刑を受けておりますので、本来、入国できないはずの方なんですが、特別に法務大臣の許可が出て入国されたわけです。 三年前のことで、信者は大変喜んで霊感商法の活性化につながったわけですけれども、このときになぜ法務大臣の特別許可が出たかといいますと、金丸信さんが法務省に要請したといいますか、私どもから見れば圧力をかけて、その結果として特別な許可が出たと。その前には猪木さんにお願いしたんだけれども、猪木さんは実効性がなかったということで金丸さんになったということを聞いておりますけれども、そういう問題について、私ども、どうしてこういうことになったのかということは質問させていただきまして、法務省の方も何らかの政治家の働きかけがあったということはお認めになりました。
○白浜一良君 もう少し具体的に。宮澤総裁に質問状を出されていらっしゃいますね。要するに、秘書さんが派遣されているとか、選挙のときに一生懸命統一教会の方が応援しているとか等々の質問状を出されましたですね。その回答はございましたですか、そこのところをちょっと教えていただけますか。
○参考人(山口廣君) 具体的な回答は全くございませんでした。私どもとしては元信者から、要するに信者の活動としてこの政治家の選挙を応援するようにということで、数十大規模で何人もの議員さんの選挙の手伝いを組織的にしていたということは聞いておるわけですけれども、そこら辺については具体的な御説明はございません、回答はございませんでした。
○白浜一良君 ということだけお伺いしておきたいと思います。 どうも山口先生、ありがとうございました。 それから次に、力久先生にお伺いしたいと思いますが、力久先生は最初の意見陳述でもいろいろ述べていらっしゃいましたけれども、宗教法人審議会の委員でもいらっしゃって、よくこの間の経線は御存じでございます。 私たちは、この宗教法人法の今回の改正案に対する基本的スタンスというのは、一つは国民の要望であるオウムの再犯防止、再発防止という観点では実効性のない法律であるということ、これがまず第一点。二点目が、大変拙速な形で法案改正がまとめられたということでございます。三つ目が、要するに法律的に見ても信教の自由を侵すような内容を含んでいるし、法律的にも大変不備がある。こういう三つの観点から私どもはこの改正案に反対しているわけでございます。 そこで、その一々について力久先生のお考えを伺いたいわけでございますが、実際に教団を運営されていらっしゃる立場でこの法律を見られて、オウムのようなああいうカルトというか破壊的というか、およそ宗教団体ではないですね、そのような対策になるのかどうかという点をまずお伺いしたいと思います。
○参考人(力久隆積君) 宗教法人法の八十六条に、さまざまな法令違反をした場合には宗教法人だから何も取り調べすることはできないというわけではない、阻むものではないとはっきり示されているわけでございます。ですから、オウムのようなことが起こってきたというときは遠慮なくどんどんお調べになればよろしいわけでありまして、何となく宗教は近寄りがたいという、何だかそういうようなニュアンスばかりが強いけれども、法的には、宗教法人といえども他の法令に違反したことについては十分調査をしてよろしいし、調べてもよろしいということでございますので、宗教法人法を変えなければオウム再発防止はできないんだというふうな言われ方をしていることについてはちょっとわかりにくいところがあります。 私たちでも、一つ建物を建てるなら建築法、消防法、大変うるさい。あくまで宗教といえども一国民であります。ですから、すべての法治国家の中においては治外法権されているわけではなくて、十分協力させていただきながらしているわけですから、オウムの事件でもできたんではないかと、こう思っているのでございまして、かえってこのことをきっかけに、教団は何だか怪しいという形で少しでも、いわばその届け出先にすぎない所轄庁が管理、指導という方向に一歩でも、小規模であっても進んでいくということの方が、何だか宗教の自由な活動について少しずつ狭められていくというようなのが現場におる者としては非常に実感でございます。
○白浜一良君 次に、二点目に挙げました拙速という面では、これは審議会の委員でいらっしゃったから一番よく御存じだと思いますが、報告をまとめられてから、会長一任だ、一任でないというような議論を国会で随分やったわけでございますが、何か力久先生初め七名の委員の皆さんがもう一度審議するようにという声明書を出されましたが、その辺の経緯も含めて、拙速だったのではないかという私の意見に対して御説明をいただきたいと思います。
○参考人(力久隆積君) 審議委員会の最初のころは拙速という感覚はございませんでした。信教の自由政教分離に照らした検討が十分なされるという雰囲気でございました。しかし、二回目、三回目、先ほども申しましたけれども、特別委員会を編成するというところから、なぜこんなに急ぐのかというのが明確になったのが九月二十九日。今上げるんだ、ああ政治日程にこの会議は合わされているんだということになってくると、十分煮詰まっていないもの、今回の国会審議を見させていただきましても、例えば信者という項目について国政調査と守秘義務との関係はどうなるんだということについてもまだはっきり統一見解が示されていない。 ということは、審議委員会の中でも統一的な意見がまだまとまらない状態がいっぱい残っているということを上げようとするのはなぜなんだというと、九月二十九日はもう国会が待っている、審議になりませんね、待っているよというときに、新聞はいよいよ待っているというような状況については、基本的人権、信教の自由というのは、我々宗教者だけの自由ではなくて、国民全般の自由ということについては真剣に検討したいという、真剣に検討したいということだけは酌み取っていただきたいということについて非常に我々の思いと文化庁の、お役所の進められている間に非常にずれが生じて、拙速だなという感じは今でもございます。
○白浜一良君 それで、国会で、これは衆議院も参議院もそうでございますが、この問題で議論をしたときに、文化庁の小野さんは、いや、大方の意見でまとまったんです。でも七名が慎重論、反対論。会長一人をのけたら十四名の委員、七名、七名で半々。この七名、七名で半々、これを大方と言うんですかと。いや、大方でございましたと。いや、会長は一任して、いろいろ言いわけしておりましたが、大方というふうに小野さんは言葉を使っていらっしゃったわけでございますが、実際、意見の取りまとめて、およそこの大方という概念が当てはまるような状態だったでしょうかどうでしょうか。
○参考人(力久隆積君) 十四人の中では七人です。しかし、宗教界代表は十一人いらっしゃいます。十一人の中の七人、つまりこの宗教法人法が適用されるのはそれぞれの宗教に適用されるわけです、宗教法人に。実際に適用を受ける側が拙速であり問題があるという形で七人の慎重論、いわゆる拙速であるという意見と反対であるという意見が出ているということは、この法が改正された場合には、実際に受ける側が七人ですから、十一人の中の七人が反対を唱えているということは非常に大きな、大方どころか大変な大方だろうと思って、反対する意見が大方出ていると思いますが。
○白浜一良君 当事者の話というのはやっぱりよくわかりますね。宗教界からいえば、十一名のうち七名が反対、慎重論であったという観点からいえば、半々でも大方という言葉は使いませんものね、これ。まして、十一名の中の七名ということは大方逆でございましてね、主張が。よくわかりました。 それから、三点目に申し上げました法律の内容、非常に問題が多いということに関してちょっと実際に教団運営されている立場からお伺いしたいんですが、例えば閲覧請求権というのがございますね。そこで、いわゆる信者並びにその利害関係者と。きょうも午前中から神社本庁の岡本総長が来られていて、信者の概念は各教団によって違いますと、非常に明確に信者を規定されている団体もあれば、うちなんか二十四時間だれでも来られますと。神社は大体そうですね。そういう非常にあいまいもことした概念がこの法律の中で使われているわけでございますが、力久先生の教団のお立場でいえば、信者、利害関係人と規定されていること、これは大変私は不安だと思うんですが、どのようにこの概念を受けとめられますか。
○参考人(力久隆積君) 信者という概念と、もう一つ利害関係人という概念と二つあると思いますけれども、例えば利害関係人ということでこれが進められたとします。そして、建築途中である、支払いがおくれているというようなことがあるとします。そうすると、その教団は何かためにせんと思っているところがあるとすれば、いわばその利害関係にあるところに宗教を乗っ取ろうという人がもし組まれたら、これは怖いことになるな。利害関係人だから見せよと、こういうことが悪く言えば想定されますね。 それからもう一つは、信者さんの規定ということについて、これは信者であるかないかを外側で見られないことがいっぱいあります。そして今度は、何年信仰していれば信者さんであるとかこういうような外側だけで信仰の姿を見詰めることができないので、ここのところを閲覧請求ということによって信者規定を教団ですればいいんですよというようなことでは、何となく教団で決めるからいいじゃないですかというニュアンスに聞こえるわけですけれども、信者さんを選別せよということになってくると、非常に宗教者としては、これは選別できませんよということがあります。 それから今度は、いわゆる御奉納、私たちでは御奉納と申しますし、仏教では布施ということでありますけれども、布施というのは修行であります。自分の執着する心、欲なる心を抑えるという修行でありますし、今度はまたありがたいという心をどう表明しようかとするときのやっぱり心の表現でございますし、中には亡くなったお父さんのことをふっと思い出して、そしてお父さんに供養できなかったのでさせていただこう、いろんな心の内容がございます。 その方にとってその心と今度はそのお金がどう使われたかという心とは別のもので、つまりそういう心で御奉納されたものだから、今度はそれを使う理事者が十分その期待にこたえるようにしなければならない。これが問がつながりますと、自分の布施した心がどう使われたかというところに、法的に定められたがために要らざる興味が出てきたところから布施心というものが非常に低下するということは、宗教心の根幹にかかわるところに、現場としてはそういうふうに受けとめられなければいいがなというような危惧があるわけであります。 そういう意味では、いわゆる透明性ということが一つのこれはテーマでございますので、それを法的に透明性を規定するのか。それぞれの教団の自主性、今こういう御時世ですから、時間をかけてそれぞれの教団が確かに社会的信頼を得るためには透明性を図ろうではないかと。その教団を運営している側がやはり自分の良心に照らしながら見詰めていく。しかし、一教団で、ならばそれぞれの教団と何かお互い横をつながりながら社会不信に対してこたえていく何かをしようではないかという行動計画を立てるなり、何らかの時間をいただいて、そして自助努力をしているという姿が、法で規制するより、宗教というのは今変わろうとしているんだと。 宗教の側が変わっていけば信頼性を回復できます。もうおかしいといって法で決められたら、回復不可能だから法で決める、こういう前提になってしまうことが、この宗教がこれから進んでいく上においてどうなっていくだろうかという、非常に内面的なことあたりで不安を現場としては感じでおります。
○白浜一良君 もう一点ですね。これはそういうことがうわさされているわけでございますけれども、利害関係人でもそういう閲覧請求権があるということは、さてはその教団を食い物にしようというような暴力団初め総会屋的な人がいたとしたら、どんどんその利害関係人だと自分で決めたり、いや自分は信者だと決めてみたりして、教団に対してもっと見せると、そういうことで非常に教団が混乱するようなそういう要素を今回の法改正で与えてしまうんじゃないかということ、私どもはこの国会の議論でもしたわけでございますが、実際、教団を運営されている立場でそういう御懸念はございますか。
○参考人(力久隆積君) オウム真理教という特別の問題、特殊な問題、あるいは霊感商法、霊視商法という特殊な問題、今度はまた総会屋的なものが入ってくるのではないかという特殊な問題、特殊な問題ということからずっとマイナス的に見ていくと、それはもういろんなことが予想されるんではないかと思いますけれども。 この場合には、その場合にはどうするのか、そういうようなことに対しては救済措置はあるのかとか法が執行された場合にはどういうような救済措置があるのかということがさほど審議されない状態で法だけができ上がっていくと、これがひとり歩きしてしまうということについては、これは宗教現場のいろんな声を聞いていただいて、それじゃ聞いていただこうとした審議委員会が非常に拙速で強引な形でまとめようとされる。 そうすると、審議委員会でも我々の声が届かないということになるんでしたら、もっと幅広く宗教界全体の、ですから時間をかければそういう土壌ができ上がっていくんではないかと思っているわけでございますが、非常に問題を残しているなということは事実でございます。来年、幾つかいろんな教団がそういう形で困難に陥るということがもしあったらどうしようと、こう思っております。
○白浜一良君 ありがとうございました。 最後に、力久先生にお話を伺いたいと思いますが、信教の自由というのは非常に大事な理念でございますし、当然宗教界の皆様方にとっても大事でございますし、本来は基本的人権、表現の自由等を含めて一般国民にとっても大事な概念でございますが、しかし一般国民には日常余り聞きなれない言葉なんですね、信教の自由というのは。もっと勘ぐってしまえば、何か教団の利権を守るためにそんな信教の自由や自由や言ってんのとちゃうかというような、済みません、私は関西人なのでちょっと言葉がなまっておりますが、そういう受けとめ方もあるかとは思うんです。 そういう国民の一部意見があるかもわからないことを踏まえまして、この信教の自由ということに関しましてお考えをお述べいただきたいと思います。
○参考人(力久隆積君) 信教の自由というのは心の自由でありまして、いわばあの人が美しいな、この人は余り美しくないなというのは自分で決められるし、あの花が好きだな、この花が好きだなということは自分が決めるわけで、他からとやかく言われる筋合いのものではない、多数決でまたもちろん決まらない。 ですから、政治と宗教は距離を置きなさい、そしてありがたいと思うことについては他の目を気にする必要もないし、まして法によって制約する必要もありませんよということで、心が自由になって人間の持っている本来の力もそこで発揮されていい社会が築かれていくという意味では、やはり社会づくりの大きな根幹の中に一人一人の自由濶達な発想がダイナミックにできるということがよい国づくりになるであろうと思うのであります。 それがさらに進んでいくと、例えば余り欲を出してはいけないということならば、欲を抑えるという心になっていく小欲知足という思想、いわば宗教の根幹的な思想をずっと根強くしていくとあしたの地球を救うことができるという意味では、信教の自由というのは人間すべてにとっても非常に大事なことであります。 そして、先ほど申しました信教の自由というのは、宗教の自由だけではなくて、信教の自由が進むと思想・信条の自由につながり、そして我々が布教するということは表現の自由という形につながり、集まれば、組織をつくれば結社の自由ということになり、集会の自由になるということは広く国民一般の自由のもとにこの信教の自由があるということで、宗教法人法改正について信教の自由、政教分離ということについては宗教界、これからも強い監視といいますか、これ以上強化しないように、この改正できることならば白紙に戻して、もう一度そこに立ち返って論議が広く展開されるように望んでおります。
○白浜一良君 どうもありがとうございました。(拍手)
○大脇雅子君 山口廣参考人にお尋ねいたします。 ただいまオウム真理教の問題あるいは霊感・霊視商法の問題、あるいはEUにおけるカルト、セクト、新宗教の問題というものがあたかも偶発的なもののように議論されておりますが、この時代的な背景ないしは普遍的な社会現象として、山口廣参考人はどのように見ておられるのでしょうか。
○参考人(山口廣君) カルトあるいはセクトと言ったらいいのか、ドイツでは若者宗教という言い方もされておりますし、ECでは新宗教という言い方もされております。あるいは日本では新新宗教という言い方もされております。決して私はすべてが悪いとかいう意味で言っているわけではございませんで、新しい倫理規範を確立するひょっとしたら新しい運動なのかもしれません。 その意味で注目に値するし、また若者にとっても魅力だと思うんですが、非常に特徴として四つぐらい挙げられると思うんですが、強烈なカリスマ性を持つ教祖や幹部を中心に一般社会と隔絶した共同体を形成するものですから、若者にとってはそれがかえって魅力になる、浮世離れしたところが魅力になる、そういうオカルト的な色彩の教義あるいは儀式があるというのが一つの特徴としてございます。 また第二に、貧困や病気や争い事のようなものの解決ということではなくて、そういう現世利益的なものではなくて、何といいますかオウムに端的にあらわれる最終解脱を目指す、あるいは自分の心のあり方、人生の生き方というある意味ではもっと深いところを目指す、そういう特徴もございます。 三番目に、その絶対的な、それだけに絶対的な存在である教祖の指示のもとで、強烈な伝道や資金集めのエネルギーを持っております。 また第四に、終末論とかあるいは霊界の信仰を教義に持つことが多く、このために生き神様である教祖の発言が絶対化されやすいという面もございます。 そういう特色を持った新しい宗教運動というのが世界的に広がっておりますし、若者を引きっけておりますので、やはりそれが教祖が絶対化してちょっと間違うと麻原のような事態になりかねないと、私はその意味では決して偶発的なものではないというふうに思っております。
○大脇雅子君 そういった現象を含めまして、今、白浜委員の質問に対して宗教法人法の改正が幾ばくかの実効性を持つというような御見解がございましたが、不十分だという御見解もありました。今回の法改正の効力、さらに今後我々が検討すべき課題について御教示いただきたいと思います。
○参考人(山口廣君) 発言の機会を与えていただいてありがとうございます。 私自身、幾つかなお検討すべき点があると思っております。まず、税制につきましてですが、公益法人全般に対する課税のあり方とも関連しますので大変難しい問題だとは思いますが、例えば現在の原則と例外を逆転して、原則としては課税として、例外的に対価性のない献金や公益性の明らかな収入については非課税とするというような方向での全般的な見直しが、検討する余地がないのかどうか。 二番目に、設立のときの認証基準でございますが、オウムの認証で本当に懲りたと思うんですが、例えば宗教法人法の八十一条に該当することの疑いがあると認められるような場合には認証しないことができるというような改正ができないものかということも考えます。 さらには、法人の認証取り消しと解散の問題でありますが、認証取り消しは認証後一年間に限られております。この期間制限は必要なのかどうか。また、明らかに活動を停止している休眠法人がかなりたくさんあると思われますが、一々これも裁判所の解散命令を得る必要があります。これを得ないでも認証の取り消しができる、これで足りるのではないかという点を検討していただく余地はないものかと思われます。 さらに、これはそれほど異論がないと思われますが、取り消しあるいは解散時の保全処分の問題がございます。オウム真理教の問題でも御案内のとおり財産隠しをやっておりますが、このような事態を防ぐために、例えば商法の五十八条二項の会社解散命令のときには保全の規定がございますし、会社更生法の三十九条以下の規定に準じた保全の手続をつくっていただけないものかというふうに思います。 さらには、登記制度あるいは公示制度についてももう少し、例えば全国に教会を持つ宗教団体でも宗教法人でも、今私どもその団体がどこに要するに教会や事務所を持っているのかわかりません。対外的に明らかにして、これをだれでも市民が見ることができる、つまり少なくとも責任を持ってその教団が開いている事務所はどこなのか、教会はどこなのかということぐらいは登記なり公示なりしていただくというようなことも考えられないものかというようなことを考えております。
○大脇雅子君 新しい宗教団体が提起するいわゆる入信の勧誘のあり方とか信者の処遇の問題については、午前中で欧州共同体のガイドラインについて御意見を伺いましたが、先生は、宗教法人情報センターというものを山口参考人は提起されまして、そういった団体自治と申しますか、宗教界の自浄作用というものが非常に重要だというふうに私も同感をさせていただきます。 日弁連としては、こういった全般的な問題も含めまして、現在どのような活動をしておられるのか御説明ください。
○参考人(山口廣君) 日弁連としまして、先日、三年半の研究あるいは調査の成果を、「宗教的活動名目の各種資金獲得活動に関する実態と問題点」というやや長い報告書ができまして、日弁連で正式に採択されておりますので、ぜひ今後の御審議にも生かしていただきたいと思います。 また日弁連としまして、各委員会で宗教法人法改正問題について研究、討議しているわけですが、まだ結論を得るに至っておりません。しかしながら、私どもといたしましては、弁護士としてはまず事実を知ることが大事ですので、事実を知った上で、できれば宗教団体の方々とも話し合って、いわゆる民間の団体の中でこのようなガイドラインがどうかというようなことについても、私ども宗教団体の方々と一緒に御議論ができればということも期待しております。
○大脇雅子君 秋谷参考人にお尋ねをいたします。 秋谷参考人が日本記者クラブでお話をなさいましたとき、創価学会の会員は八百三万世帯、御供養として特別財務と言われる寄附金については、世に年間五千億とも六千億とも言われているというふうに言われております。これが全体的に非課税扱いになっていると言われておりますが、これはどのようにして会員にその使途ないしは概要などは報告されているのでしょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいま御質問のありました件につきましては、創価学会の会員数は現在八百十二万世帯でございます。それから、この日本記者クラブでの話で特別財務が五千億とか六千億という話は、これは私が話したことではございませんで、そういうふうに聞いておるという記者からの質問の中にあったものでございます。したがいまして、ただいまの御質問の趣旨はちょっと違っているんではないかなと、このように思います。 私どもは、先ほど申し上げましたように、私どもの団体といたしましては、本来責任役員会に報告をすれば、これは法律的には認められるわけでございますが、会員からの大事な真心の財務でございますので、厳正に行うために、一つは監事制度を導入いたしまして、監事にこうした決算報告書のチェックをしてもらっております。またあわせて公認会計士、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、いわゆる公益法人会計基準をもとにしましてこうした公認会計士による監査をしていただいております。 また、会員への報告ということにつきましては、私どもの組織といたしましては、全国の会員の代表である総務会というのがございます。現在、総務が全国から四百名代表として選出をされております。この総務会に報告をいたしておりますし、またあわせて中央会議、各部組織の代表の方々にこれらの報告をしております。 そういう現状でございます。
○大脇雅子君 そういたしますと、創価学会の収益事業からの利益ないしは創価学会が所持しておられる資産からの配当金などもそのようにして開示しておられるのでしょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまの総務会並びに中央会議の会員代表の方には、そのように全部含めて報告をいたしております。
○大脇雅子君 宗教法人法第二条「宗教団体の定義」によりますと、「「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」というように書かれておりまして、第十条には「宗教法人は、法令の規定に従い、規則で定める目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。」というように書かれております。個々人の学会員の方の選挙運動は別といたしまして、組織的選挙活動はいわゆる宗教活動ではないというふうに言われておりますが、それはお認めになるでしょうか。 さらに、選挙活動に使用される資金はどこから出されているのでしょうか。
○参考人(秋谷栄之助君) 私どもの活動は、主として宗教活動であることは申すまでもございません。会員の皆さんの日常の活動、先ほども申し上げましたように、会館を中心にした種々の記念行事、また座談会における活動、また教学の研さんのための研究会、こうした日常活動というのは、膨大な量の活動を日常いたしております。さらに、それに敷衍して社会的な運動としてのさまざまな諸活動も行っているわけでございますけれども、宗教活動が全体の比率からいえばそれこそれ〇%以上であるということでありまして、それにさまざまなそうした文化活動もいたしております。それは私どもはそれに付随した従たる活動と考えております。 その中で、私どものそれぞれの県ないし方面のレベルで支持決定をしたというような形の支援活動につきましては、これはそのごく限られた、限定された一部の活動であって、一時期集中的に行われることがあるように見えますけれども、そのときでも、実際に宗教活動を一切やめて、それだけに専念しているわけではございません。先日の佐賀の場合も、そういう支援活動もありましたけれども、同時に会館では七五三の行事も行っておりますし、そういう宗教活動も日常的に並行して行われておって、決して選挙活動が主たる活動とは言えないと、このように思っております。 お話のありました支援に関する費用の件につきましては、主として会員の皆さんがそれぞれボランティアで自発的にやってくださっていることでございまして、会としてのそういう形の特別の支出ということは考えておりませんし、また、電話等を使うじゃないかというようなお話もあるかもしれませんけれども、これも全体から見ればごく一部の問題であると、このように考えております。
○大脇雅子君 宗教法人創価学会の規則第三条の「目的」によりますと、「日蓮正宗の教義に基き本尊流布ならびに儀式行事を行ない、王仏冥合の大理想実現のための業務を行なう」ということが設立の規則に見られますが、これはいつ改正されたのかこれは政教分離と矛盾するとお考えか、未来永劫にこの考え方が復活することはないか、教義として秋谷参考人自体も既に捨てられたと解釈していいのか、お尋ねいたします。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまのお話の規則は、これは一部古い規則で、既に改正になっている部分があると思います。特に、王仏冥合の部分は現在の規則には載っていない、このように思います。 日蓮正宗の教義を信奉し、ということにつきましては、私どもは今、日蓮正宗とは現実に関係を絶っているわけでありますけれども、そもそも日蓮正宗というのは日蓮大聖人の仏法の本義を正しく伝えるがゆえにその宗旨として今日まで来ているはずでありますけれども、現実にはその正義が保たれていない、まさに僧侶の堕落によって、その大聖人の正義から大変な逸脱をしている、堕落している、腐敗している、これを改革しなければならない、そうして大聖人の本義に戻さなければならないというのが私たちの立場でございます。 その意味からいうと、大聖人の仏法の正義、これを日蓮正宗の教義というならば、それを正しく堅持し、そして伝えているのは、むしろ今日では創価学会である、そういう私どもの信仰上の確信を持っております。したがいまして、その日蓮正宗の教義ということにつきましても、その文言で変更する必要はないと、このように考えております。
○大脇雅子君 終わります。
○橋本敦君 日本共産党の橋本敦でございます。 参考人の皆さんにはきょうは大変ありがとうございます。残念ながら大変時間が限られておりますので、私は秋谷参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。 秋谷参考人は先ほど、創価学会の特定政党支持の選挙活動は正当であるというお話がございました。果たしてそうかということに関連をして、私は具体的にお伺いをしたいと思います。 この委員会でも取り上げたんですが、私の手元に、安田火災の営業開発第一部長が「旧公明党・創価学会の選挙支援要請の対応について」という社内の文書を各管内にお出しになったのがございます。これによりますと、明白に創価学会のこの要請が同様に東京海上、住友等の会社にも出され、「協力度合がシェアに反映されますので対応方よろしくお願い申し上げます。」、こう書いて、選挙協力人名簿の拠出など、これを「学会から支社への訪問があれば、その時に渡して下さい。」、こういったことをはっきりと書いて文書で指示をされております。 この指示を受けて近畿でも、特定候補の経歴書やあるいは支持カードを添付して「社外厳秘」とはっきり書いた上で、社内に期限を決めて、この夏の参議院選挙の直前行われたことが明らかであります。 こうしたことを安田火災等がみずから進んで勝手にやるわけはないと思いますが、創価学会から要請したことは間違いないのではございませんか。
○参考人(秋谷栄之助君) 安田火災に対して創価学会本部としてそうしたことを依頼したことはございません。今お尋ねの問題につきましては、前にお話がございましたので、事実関係がどうであるか、このことについて私の方でも調査をいたしました。 聞くところによると、その問題につきましては、安田火災の係の方がたまたま本部にお見えになったときに、係の者と選挙の話になったということはございました。そこからその支援の話が、こちらから特にお願いしたということではありませんけれども、そういう形で安田火災の方が話を進められたということで、特にそのシェアの問題ということについては私どもも到底考えられないことでございますので、全く私どもの関与した問題ではございません。
○橋本敦君 それは、厳格にこれから事実を調べなければならない重大な問題ですね。 はっきりと創価学会からの要請があり、各社にも要請があったと、責任ある文書で書いてある。たまたまの話で社内が統一的にこんな文書を書くはずはない。組織的にやられたことは明白ですよ。こういったことは以前からもおやりになっているのではありませんか、どうですか。
○参考人(秋谷栄之助君) 学会本部としてそうしたことを以前からやっているということはございません。 いろいろ後援会であるとかあるいは公明党ないし新進党の関係の方がそれぞれ業界の方を図られるとか、あるいは支援の話がいろいろな機会にうちの職員との間に出ることは確かにございます。しかしながら、それを今おっしゃったように組織的にやるとか、あるいは何らかの形で徹底をしてやるというようなことはいたしておりません。
○橋本敦君 事実上あなたの御意見は半分認められたような話に聞こえます。 今、ここの手元に予算委員会の昭和四十五里二月九日の議事録がございます。この予算委員会でも、我が党の大先輩でありますが、谷口議員が、その当時、四十四年都議選に関連をして、創価学会から公明党の都議選依頼ということで要請が安田火災になされている。この件について告発がなされて、そして、安田火災の内部でその要請にこたえて支持文書や経歴書等を配付したことが公選法上の違法文書配付ということで裁判に付されまして、略式で罰金が科されておるという事実も明らかになっておる。 この問題で、要請した方の創価学会については、これは略式はありませんが、告発が社内文書の配付にとどまっていたからこうなったわけでありますが、その基本は創価学会の要請にあるという問題で論議をされている。まさにこうした要請は公選法違反の犯罪を構成する、そういう問題なんですね。 そういう公選法違反の犯罪を構成する重要な問題だという認識は、今数々のお話が、いろいろ協力云々とありましたが、そういう認識をお持ちですか。
○参考人(秋谷栄之助君) 私どもは、決して法を犯してあるいは選挙違反をしてまで選挙応援をするつもりは毛頭ございません。 ただいまのお話にありましたような件につきましても、私どもは法律に触れるような行為は一切していないと思っております。
○橋本敦君 明らかに公選法違反の利益誘導罪が、特定の創価学会の巨大な財産の保険契約との関係、その特別の利害関係を通じての誘導行為に当たるということで、これは公選法違反の利益誘導罪に当たるということは、私は間違いない事案だと確信して話をしているんですよ。 それでもう一つ、秋谷さん、重大な問題は、この問題の基礎になっている境内建物、礼拝所、その他創価学会の資産は、これは非課税の資金で蓄積された大事な資産でしょう。そして、礼拝所は固定資産税非課税の建物でしょう。二重に非課税の建物が、創価学会のこの利益誘導によって特定政党支持活動の公選法違反の犯罪のまさにその母体になっていることは、これは社会的に重大な問題じゃありませんか。こういう問題について率直にあなたは反省されないのかどうか。まさに創価学会の責任者として徹底的に調べなさいよ。徹底的に調べて国会に報告する、それぐらいのことはしなさいよ。どうですか。
○参考人(秋谷栄之助君) 先ほどのお話にありました安田火災の問題にいたしましても、利益誘導というようなお話がありましたが、私どもは何らそこに関与して利益誘導を図ったことはございません。したがって、そう断定されること自体私は間違いであると思っております。 そういう意味からいいますと、ただいまのお話で、全国に確かに私どもは千近い会館を持っております。その会館については、非課税で、当然宗教活動を主としてこれは使用しているものでございまして、それをもって、それをまた何かこちらの選挙のために使うというふうにお考えなのは私は大変に誤解であると思っております。むしろ、私どもの本来の宗教活動をするために会館を建てるのであり、またそこを中心に大勢の会員の方がそれによって信仰を深めているという実態をよく知っていただきたい、そのことがすべてであると、こう申し上げておきたいと思います。
○橋本敦君 あなたがそのような反省の態度であれば、私はさらに続けて徹底的に究明するためにこれはやりますよ。今お話しの非課税の境内建物とこの問題について、それが非課税であるという問題について、一体どういうことか次に聞きましょう。 あなたは、創価学会の選挙支持活動は、これは宗教団体本来の宗教法人法に定める主たる目的の活動でないことは、これはお認めになると思います。したがって、その施設を使うのは限られた期間の部分的使用だと先ほどおっしゃいましたね。 しかし、地方税法三百四十八条で固定資産税が非課税になるのは、宗教法人が専らその目的、つまり教義を広め信者を教化するという、専らその活動に限って使うところが非課税になるんでしょう。しかも創価学会は、あなたがおっしゃる限られた期間、部分的どころか、選挙のたびにその前から長期間にわたってみんなで使っているじゃないですか、選挙活動に。そういうことは、まさに専ら限られて本来の目的に使ったとは言えませんよ。 しかも、この問題で法制局長官はどう言っていますか。その目的に限って使うことで非課税になるんだが、たまたま例外的な場合はこの限りでないと言いますが、あなたのおっしゃる、選挙期間、限られた、部分的だと言うけれども、その実態はたまたま例外的とはとても言えませんよ。 だから、あなたが宗教法人としてまさにその責任を果たして、法秩序をしっかり守るという責任を果たされるなら、その責任において固定資産税を払うか、その施設での選挙、特定支持活動をやめるか、こういうことをきっぱりとなさるのが私は責任ある態度だと思います。 このことを指摘しまして、もう時間がありませんから、私の質問は終わることにいたします。以上です。
○本岡昭次君 参議院フォーラムの本岡でございます。参考人の皆さん、御苦労さんでございます。冒頭、貴重な御意見を拝聴いたしまして、大変私も参考になりました。ありがとうございました。五分しか私には時間がありませんので、御協力をお願いいたします。 まず、秋谷、力久両宗教法人の代表にお伺いします。 今いろいろと宗教法人のことが話題になっております、問題が起こっておりますが、それは現行宗教法人が自由と自主という一つの枠、宗教法人法の基本スタンスとして、もう一つに責任と公共性というものがやはり基本的なスタンスとしてあるわけです。それは宗教法人の責任を明確にし、かつその公共性に配慮を払っていくということを忘れてはならないというここのところが、昭和二十六年、宗教法人法が制定されて以来どういう自助努力を宗教法人全体がされてきたのかという問題が見えてこない。逆に、宗教法人というのは何か危険なことをするんではないか、お金の問題で何か不透明なおかしなことをやっているんじゃないかということだけが前へ出て今日のようなことになってきたと思うんです。 そこで、御両人、代表として、この点について今後自助努力の問題として、自主的な問題としてどういうことをお考えになっておられるか、簡単にお話しいただければありがたい。
○参考人(秋谷栄之助君) ただいまの御指摘の点につきましては私どもも真剣に取り組んでまいりたいと思っております。特に、こうした宗教団体の自主的な努力というものは、これからこの問題を含めてますます必要になってきていると思っておりますし、またある意味では宗教界の共通した一つのテーマ、課題として一緒に協力し合って考えていかなければならないと思っております。 そういうことからいいますと、できるならば宗教界が集まってこの問題を協議する機関等がつくれればと、このように思っております。
○参考人(力久隆積君) 透明性に関しましても公共性に関しても宗教協力が非常に大きなかぎになるだろうと思います。さまざまな教団によって違いはございますが、そこのところはよくお話し合いをして、宗教界として信頼を回復するという努力は十分しなければならない。その意味では、山口参考人からもおっしゃいましたけれども、宗教情報センターという形で大いに応答しようではないかという自主的なものが必要だろうと。 それからもう一つは、私どもの教団としては長い間韓国の被爆者の救援活動を青年を中心にずっとさせていただいたわけですけれども、やっぱりこれから教団は、その教団がどれだけ社会のお役に立たせていただいているかということが非常に問われるのではないか。ただし、一教団の行ったことは非常に狭い範囲で、どこかでは売名行為ではないかとか、それは間接布教になるんだというような形になります。 そういう意味で、宗教が協力し合って社会のお役に立ちますと、どの教団のためではないわけですから、いわば社会に対する貢献運動そのものが純粋にお役に立って形を残すという意味では、すべて宗教協力によって透明性を高め、公共の福祉に貢献させていただくということが大切ではないかと思います。
○本岡昭次君 もう一問お願いします。 山口参考人に聞きますが、あなたは今回の法改正は問題がある、さまざまな宗教団体、オウムなんか宗教の名をかたった団体だと私は思うんですが、そういうところに対して抑制効果ありと、こうおっしゃいました。そこで、一部のそういうことで抑制効果があるということでもって法の網をかぶせて、自由から強制へ、自主から管理へ、自助努力から取り締まりへと全体がこう流れていくということで、牛の角を矯めて云々という言葉もありますが、私はそういう危険を感じるんですが、あなたはいかがでございますか。
○参考人(山口廣君) 今、先生がおっしゃった危険性が発生しないように私どもも監視していかなきゃいけないと思います。しかしながら、今最も求められているのは、先ほどもありましたけれども、違法なことがあれば取り締まればいい、遠慮なくやればいいという御指摘がありましたけれども、違法なことをやっているかどうかが見えないんです。例えば、オウムでミサイルを買っているなんというのはわからなかったんです。あるいは化学プラント工場をつくっているということが見えなかったんです。それが少しでも外から見えるようにしていただきたい。 また、そういう形で、先ほども力久先生がおっしゃいましたけれども、宗教法人がちゃんとやっているということが、届け出もちゃんとやっている、あるいは信者にも情報を開示しているということが、宗教に対する信頼をもう一回取り戻すというプラスの要素も私はあると思いますので、大いに逆にプラスに使っていただきたいと私は思います。
○本岡昭次君 どうもありがとうございました。
○国井正幸君 新緑風会の国井正幸でございます。本日は大変貴重な御意見を御開陳いただきましてまことにありがとうございます。 私は、まず力久先生にお伺いをしたいというふうに存じます。 私は、当宗教法人等に関する特別委員会で、再三にわたりまして宗教法人審議会の審議の経過あるいは運営、そして報告の取りまとめの仕方、これらについて質問してまいりました。あわせて、なぜそんなに急ぐのだろうかこういうことも質問をしてきたわけでございます。 と申しますのは、島村文部大臣は、今回の法改正の趣旨説明で、 宗教法人法を改正すべきとの世論も高まっているところであります。このような状況を背景に、宗教法人審議会から、去る九月二十九日に「宗教法人制度の改正について」の御報告をいただいたところであります。 今回、この宗教法人審議会の報告も踏まえ、所要の改正を行うため、この法律案を提出することとしたものであります。こういうふうに述べているわけです。つまり、宗教法人審議会の審議とこれに基づく報告を尊重してこの法改正を提出したと、こういうふうに言っているわけでございます。 しかし、朝日新聞やあるいは中外日報などのマスコミが報ずるところによりますと、この審議会の運営と報告の取りまとめには大変問題がおった、そして、先ほどもお話がありましたが、十五人の委員のうち力久先生を初め七人の委員の方々が審議会の再開を求めていると、こういうふうなことが報じられているわけでございます。 しかし、私がこの委員会で政府の見解を聞きますと、政府は、粛々と審議会の審議は進んだ、大方の意見はこの法案のとおり改正すべきとのことであった、こういうふうなことを言われているわけでございます。ところが、委員十五人中七人ということですから、先ほど来出ているように、およそ半分の委員は審議をもう一度やり直せと、こう言っているわけでございまして、私どもからしますと、どっちが本当なのかこれがよくわからないというのが実態でございます。 したがいまして、宗教法人審議会の経過と、なぜ審議会の再開を求める御意見を皆さんがお出しになったのか、この点についてお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(力久隆積君) 報告を求められているわけですから、十二分に審議されたものを報告すべきである、それはもう大前提でございます。その十二分に審議すべきであるかどうかということの中に、所轄の問題にしても、情報開示にしても、報告の義務についても、それぞれの項目についてまだまだ問題がある。それは、そのまま国会審議に持ち込まれてまだ結論が出ていないほどの問題を抱えながら出そうとしているわけですから、まだまだ問題を抱えているというなら、時間をかけて問題の一つ一つを検討して出すのが当然審議会の務めではないかと思うわけでございますので、継続審議をと望むのは当然の経過であろうと思わせていただきます。 そして、非常に強引だということは、例えば情報開示のことについて、信者さんの項目で非常に問題がありますよというようなことを言うと、会長からは、善隣教は何かやましいことがあるんですか、なければいいじゃないですかと。これは困るんです。宗教界全体にとってどうかという意見をしていることについてこうされると、意見については少し圧迫を受ける。あるいは継続審議をという意見を申し上げますと、継続審議継続審議と、そこまで強く言うと政治的背景があると思われますよというような、非常に発言に対しては発言しにくい状況があって、私はやっぱり政治日程に合わせて審議会が進められているから、粛々ではなくて拙速に進められたということについて、宗教界の意見を吸い上げるということは、審議会大事であります。 今後、政教分離という形の中で宗教界の声を聞きながら、そして信教の自由ということで宗教界の声を聞くという意味では、審議会の存在というのは非常に大事ではないかと思います。そして、例えば小規模法人というようなことについても審議会にかけますよ、解散についてもかけますよと、いろんな審議会の存在というものは重要視されているわけでございますが、その審議会の存在が今回のような形で十二分に意見を酌み取れない状態に機能してきたということについては、今後大きな課題が残ったのではないかと思わせていただきます。
○国井正幸君 ありがとうございました。 もう私の持ち時間がこれで終わりましたので、質問を終わりにいたします。ありがとうございました。(拍手)
○委員長(倉田寛之君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人の方々に一言御礼を申し上げます。 本日は、長時間にわたり御出席を願い、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後五時二分散会