国会等の移転に関する特別委員会 第2号
- 発言数
- 41 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1995/12/05
会議録
○委員長(菅野久光君) ただいまから国会等の移転に関する特別委員会を開会いたします。 国会等の移転に関する調査を議題といたします。 本日は、首都機能移転問題の経緯及び国会等移転調査会の役割とこれまでの審議状況等について政府から三十分程度説明を聴取し、引き続き、これに対し、三、四十分程度質疑を行うことといたします。 なお、本日の質疑は、政府の説明に対する不明点の確認、あるいは理解を深めるための質問程度にとどめることとし、現在、国会等移転調査会において検討中の最終答申等、調査会の議論の内容にかかわる質問につきましては、別の機会に譲ることといたしたいと存じますので、御協力をお願いいたします。 また、説明、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。 これより政府から説明を聴取いたします。五十嵐国土庁大都市圏整備局長。
○政府委員(五十嵐健之君) 大都市圏整備局長でございます。よろしくお願い申し上げます。 お手元に三枚の資料をお配りしてございます。これが現在までの国会等の移転問題に関する経緯ということになるわけでございます。 資料の見方ということでございますが、一番左側に「背景」、そのときそのときの背景がございます。それから真ん中に「行政等の動き」、それから「国会等の動き」、こういう構成になっておるわけであります。 戦後、国会等あるいは首都機能の移転につきましては何回かの議論が行われたところでございます。特に、真ん中の一番上のところでございますが、昭和三十年代というように書いてありますが、日本経済が高度経済成長時代を迎えまして東京の過密問題というのがかなりはっきりしてきたというようなころ、昭和三十年代の主として後半でありますけれども、このころが最初の大きな山と申しますか各学者の先生方あるいは各研究機関からこの首都機能移転の御提言が続出したということになります。 この首都機能移転につきましては、「遷都・分都論」とこう書いてありますが、概念といたしましては、遷都、分都、展都、改都、重都、休都といろいろあるわけでございまして、遷都といいますのは、これは基本的には現在の首都圏から首都圏以外のところに一括して移転することを遷都と言っております。 それから分都は、一部を東京なら東京に残したまま、残りの一部を東京圏外に持っていくというような概念であります。 それから展都、展都というのは展開する都と書きますが、展都といいますのは、これは首都圏の中で機能を幾つかに分けていくというようなことであります。 それから重都、これは都を重ねるということになりますが、首都は現在のような状態のままにしまして、一たん事があったときにそちらの方で首都機能を発揮させるというようなのが重都という概念であります。 そして、まれに議論されますものとしましては休部というものがあります。これは休みの都と書きますが、大変に過密が激しいシーズン、一定の時期に首都機能活動を休止するというようなことであります。 それから改都というのがございまして、これは都を改めると書きますが、要するに首都を改造する、現在の東京を改造するというようなことで機能の発揮を図ろうというようなことであります。 当時からこういう首都機能移転に関します幾つかのやり方があるわけでありまして、それぞれにつきまして御議論がありました。ここに書いてありますのは、「遷都・分都論等の首都機能移転の提言」と書いてありますが、今申し上げましたようなことが幾つかあったわけでございます。 ただ、この段階ではまだ具体に首都機能を移転しようという動きが出てきたわけではありませんで、それぞれの学者の先生方が、例えば東京湾を埋めてそこに首都機能を集中して持っていくようにしたらどうかというような御提案でありますとか、富士山麓に持っていったらどうかとかあるいは浜名湖の方に持っていったらどうかとかというような幾つかの御提言が出たということになります。 具体の姿はそういったことでまだ出てまいりませんでしたけれども、ただ、東京の過密対策は何とかしなければいけないということがあったわけでございまして、行政のサイドといたしましては、先ほどの概念からいきますと展都の方に動いたわけであります。つまり、必ずしも都心の過密地域に存在しなくていいような中央官庁の組織はまとめて移転しようということであります。 具体的には、試験研究機関、これを筑波研究学園都市というところをつくりまして、全体で二千七百ヘクタールほどの新しい都市ということになるわけでありますが、この新しい筑波研究学園都市を建設いたしまして、都心にあります。そういう試験研究機関をまとめて移転するというようなことが行われました。これは昭和三十八年に決定されたものであります。これが第一段階でございました。 それから第二段階、これが昭和四十年代の後半から五十年代の初めにかけて起こりました。一つのきっかけは、明治百年ということになりまして政府で論文募集をしたわけでありますが、そこの中で、首都機能移転について例えば北上京遷都論、岩手県の北上でございますけれども、そこに遷都したらどうかとか、あるいは東京と名古屋の間に遷都したらどうかというような幾つかの御提言がありまして、大変話題になったのでございます。そこらあたりが一つのきっかけとなりまして、昭和四十年代の後半から昭和五十年代の前半にかけましてこの遷都の議論が再び盛り上がりました。 右の「国会等の動き」に書いてあります新首都推進懇談会、最初は新首都問題懇談会という名前でありましたけれども、現在は新首都推進懇談会、超党派で構成されました。これは昭和五十年二月発足と書いてございますが、当時、二つ目の波と申しますかそのときに動き始めた懇談会と承知しております。 行政サイドでは、第三次全国総合開発計画、昭和五十二年十一月と書いてありますが、国土計画では初めてこの首都機能の移転が取り上げられたわけであります。 簡単に書いてありますので読み上げさせていただきますと、「首都機能の移転はこ「二十一世紀に向けて創造的建設的な議論が国民的規模でなされることが望まれ、これを踏まえてその移転の方向を見定めなければならない。」、こういうようなことでありまして、三全総の中では、首都機能移転をどうこうすべきだということではなくて、非常に重要な問題であるので国民的な規模での議論が期待されるというようなことになったわけであります。 これを受けまして、行政サイドといたしましては首都改造という関係でいろんな検討が行われました。これも先ほどの分類から申しますと展都あるいは改都、首都圏の中で幾つかの中央官庁等の機能を散らしていくというような話でありますとか、あるいは都市の改造をやっていくというような展都でありますとか改都でありますとかそういうような方向で議論が深まったわけであります。 これが、その検討の結果でありますけれども、第四次首都圏基本計画、現在この計画生きておりますけれども、この第四次首都圏基本計画で、この首都改造計画を受けた格好で展都、改都を進めていくということが行われているということであります。 全総でも、昭和六十二年六月、第四次全国総合開発計画ができたわけでありまして、ここでは、したがってまだ遷都ということではなくて、先ほど言いましたような改都、展都の関係でありましたので、遷都問題については、国民的規模での議論を踏まえ、引き続き検討するというようにとどまったわけであります。 そして行政サイドでは、先ほど申し上げましたように、展都を広げていくというようなことから、行政機関の移転というようなことに取り組んでいくことになります。昭和六十年代には、行政機関、中央官庁の地方支分部局、出先機関でありますが、この出先機関でありますとかあるいは各省庁が関係しております特殊法人、こういったものに東京からその本社機能を出してもらうというようなことを進め、これは現在着々と進められているところになるわけであります。 そういったところで、左側をごらんいただきますと、「過密集中の加速度化」とこう書いてありますが、昭和四十年代に大変に三大都市圏への集中が進みましたが、昭和五十年代、御案内のように人口の異動は比較的緩やかになったわけであります。土地の価格もそれほど大きなことにはなりませんでした。昭和五十四年とかいう例外がございましたけれども、原則落ちついた推移を示していたわけであります。 ところが、昭和六十年代に入りましていわゆるバブルが発生いたしますと、このバブルに基づきまして地価の高騰はありましたが、もう一つは、今度は人口の首都圏一極への集中というのが激しく起こったわけであります。過去ありましたような中部圏あるいは近畿圏への集中というのは余りありませんで、今度は首都圏への集中という時代を迎えたわけであります。 そういったようなことから、この真ん中にございますけれども、国土庁といたしましては、帝京平成大学学長でございました八十島先生に首都機能移転問題に関する懇談会というのを設けていただきまして、本格的に首都機能移転問題について各界の学識経験者から成ります懇談会で御議論をいただいたということになります。 国会の方では、一番右側になるわけでありますが、平成二年十一月というふうに書いてございます。これは今度は国会開設百年でございます。国会開設百年を記念いたしまして、参議院もそして衆議院もでありましたけれども、両議院で国会等の移転に関する決議がなされたわけであります。 恐縮ですが、一ページめくっていただきますと、「「国会等の移転に関する決議」 平成二年十一月七日」というのがございます。 わが国は、明治以来近代化をなしとげ、第二次世界大戦後の荒廃から立ち上がり、今日の繁栄を築きあげてきた。今後の課題は、国民がひとしく豊かさを実感する社会を実現し、世界の人々との友好親善を深め、国際社会に貢献していくことである。 わが国の現状は、政治、経済、文化等の中枢機能が首都東京へ集中した結果、人口の過密、地価の異常な高騰、良好な生活環境の欠如、災害時における都市機能の麻痺等を生ぜしめるとともに、地域経済の停滞や過疎地域を拡大させるなど、さまざまな問題を発生させている。 これら国土全般にわたって生じた歪を是正するための基本的対応策として一極集中を排除し、さらに、二十一世紀にふさわしい政治・行政機能を確立するため、国会及び政府機能の移軽を行うべきである。 政府においては、右の趣旨を体し、その実現に努力すべきである。 右決議する。これは衆議院におきましても同じ文章でございましたが、これが行われたわけであります。 最初の一ページに戻りますが、この国会の移転決議が大きなきっかけとなりまして、それまでは比較的研究機関あるいは学者の先生方の御議論の対象でありました首都機能移転問題が実際の動きとして動き始めたということになるわけであります。その下の欄をごらんいただきますが、参議院(衆議院では、その翌年であります、平成三年八月と書いてありますが、国会等の移転に関する特別委員会、この委員会でございますけれども、国会等の移転に関する特別委員会をそれぞれ設置されまして、各御議論あるいは公聴会の開催あるいは参考人からの意見聴取というようなことを重ねられてこられました。 真ん中の方に戻りますが、平成二年に首都機能移転問題に関する懇談会というのが発足したと申し上げましたが、平成四年六月に至りまして、具体的に首都移転をするための考え方なりあるいは条件なり、そういったようなことを行政が関係する分野として初めて取りまとめが行われたわけであります。 それから、ちょっと前後して恐縮でございますが、先ほど平成二年十一月に国会で移転に関する決議が行われたというふうに申し上げましたが、これを受けて、今度は内閣総理大臣の方でございます、首都機能移転問題を考える有識者会議、俗に有識者会議と言われているものでありますけれども、総理大臣がこれを設置されました。これもやはり平成四年の七月に取りまとめが行われたのであります。 上の、移転問題に関する懇談会、移転懇と俗に言っているわけでありますが、この移転懇が平成四年六月、それから有識者会議が平成四年七月ということで、大体時期は同じでございます。上の方が実務的ないろいろな勉強、それから有識者会議の方は大所高所からの位置づけ、意義といったところに重点が置かれて取りまとめが行われたということになります。 そういうことを受けまして、そういう流れが一つ出てきまして、平成四年の六月、七月に、首都機能移転に関する位置づけでありますとか、具体の手順でありますとかそういったような考え方が整理されまして、右側の方の「国会等の動き」をごらんいただくわけでありますが、平成四年の十二月に国会等の移転に関する法律ができ上がりました。この平成四年十二月に施行された法律でありますが、まず第一条で、国会等の移転の具体化に向けて国はこれを検討する責務を有するという義務を課したのであります。 それから、新しい首都としてはこういうような条件が望ましいというのを幾つか整理されておられます。それをもっと具体化するために国会等移転調査会を設置するというようになったわけであります。これが現在検討を進めております国会等の移転調査会になるわけであります。 ここで、今までと違いますのは、「背景」のところをごらんいただきたいわけでありますが、最初の東京問題、東京プロブレムといったような問題から、地価問題が途中入りましたけれども、この国会の移転に関する決議から動き始めました一連の動きの中では、首都の問題、東京過密問題の深刻さというのがさらに加わったわけでありますけれども、それに加えまして政治・行政改革の必要性、規制緩和でありますとか地方分権でありますとか、そういう問題どこの首都機能移転問題が一体となって取り組むべき課題というような位置づけがなされたわけであります。 以上申し上げましたようなことで国会等の移転に関する法律ができまして、現在、国会等移転調査会でいろんな検討が加えられているわけであります。その下に、ごらんいただきますような、「総合的・専門的かつ継続的な検討の場の設置」ということで国会等移転調査会が設けられたわけでありますが、平成五年の四月二十日から会合が何回か行われています。 恐縮でございますが、三枚目の資料をごらんいただきたいと思います。三枚目は国会等移転調査会の今までの経緯を書いてございます。第ーターム、第二ターム、第三タームと書いてありますが、第ータームが平成五年度の仕事ということであります。第二タームが平成六年度、第三タームが平成七年度ということであります。 第ータームの平成五年度の仕事はその一番下のところに書いてあります。一番下といいますか、基本部会のところの括弧にしてあります中間報告、平成六年六月十日というふうに書いてありますが、国会等移転調査会は、これは総理府に置かれたものであります。法律そのものは御案内のように議員提案でできたものでありますけれども、この国会等移転調査会は総理府に置いて、この審議した結果については移転調査会は内閣総理大臣に報告をする、内閣総理大臣は国会に報告申し上げる、こういうような構成になっているわけでありまして、第一回の中間報告がここに書いてあります平成六年六月十日に行われたところでございます。 内容的には何が議論されたかということでありますが、基本的にはこの首都機能移転、今なぜやらなければならないかということが議論をされたわけであります。転換期を迎えた日本と二十一世紀における新しい方向、つまり首都問題だけではありませんで、日本という国の方向あるいは社会の方向等々が今どういう条件にあるかといったようなことを位置づけた上で、現在なぜ首都機能移転をしなければいけないのか、その意義は何か、あるいはその効果は何かというようなことが報告されました。そして、これらをクリアして東京時代から新首都時代に変わっていく、それはやはり新しい時代をつくるんだというようなことが第ータームで報告されたわけであります。 第二タームは平成六年度の作業ということになるわけでありますが、ここでは二つの部会、基本部会と新都市部会、左側に書いてありますが、二つの部会を設けまして、移転の対象の範囲を基本部会で、それから移転先の都市づくりの諸課題、これにつきまして新都市部会でそれぞれ検討され報告されたところであります。両方とも報告は、それそれまた括弧書きに書いてありますように、ことしの平成七年六月六日にそれぞれの関係から総理に報告され、国会に報告されたということになります。 移転の対象の範囲といたしましては、新首都のあるべき機能の基本的考え方、移転の対象の範囲についての基本的な考え方、移転規模の基本的な考え方、移転の順序の基本的な考え方。それから、下の方で「新首都のビジョン」とありまして、新首都づくりの制度・手法の基本的考え方ということであります。 簡単に申し上げますと、現在の首都機能をそのまま移転いたしますと、引っ越ししますのは国会の先生方、あるいは国会の職員の方々、秘書の方々がおられます。それからもう一つは、私ども公務員あるいはその家族といったのがあります。それから、相当な人数になりますので、それに対しますサービスといいますか、例えば八百屋さん、魚屋さんまで必要になるわけでありまして、そういうような人数を全部合わせると大体最終的には六十万人ぐらいの都市をつくることになるのではないか。六十万ぐらいの都市を新しい地域で、つまり真っさらの土地にこれをつくるというように考えますと、大体九千ヘクタールぐらい必要ではないかというようなことがあります。 ところが、極めて短い期間にそれだけの町をつくるということは現実には不可能でありますので、まずこれは段階的に整備すべきである。まず第一段階としては、国会都市という中心となるような都市を第一段階でつくるべきである。第一段階でつくりますのは、さっき六十万と申し上げましたが、六十万のうちの約十万人ぐらいということでございます。国会があり、それから、中央官庁の全体を移すのは不可能でありますので、中央官庁は国会審議にたえられるような政策企画部門を中心に移転して、国会の質疑が可能になるようにするというようなことが基本であります。 したがいまして、最初に真ん中といいますか、真ん中に国会都市という約二千ヘクタールの都市をつくろうということであります。二千ヘクタールと申しますのは、現在の二十二区で申しますと千代田区と中央区、これを合わせたぐらいの面積がちょうど二千ヘクタールになりますが、このくらいの都市です。それから、これはたまたまでありますが、千代田区と中央区を合わせますと夜間人口は十万であります。十万弱でありますけれども大体十万。したがいまして、現在の千代田区、中央区に相当する都市、そのくらいの規模の都市を国会都市として、これを第一段階に移転して町開きを行う。こういうようなのが基本的な考え方であります。 それから、行政改革あるいは規制緩和、地方分権というようなことで、規制緩和や何かどの車の両輪という位置づけでこの首都機能移転が論じられておりますので、現在の霞が関が全員新首都に行くようにしなければいけないのかどうか。もう少しスリム、小さな政府といったようなことを目指していくのであれば、最終的には六十万都市は必要ないわけでありますけれども、現段階ではどういうことになるかまだ見えておりませんので、最大限必要な規模として六十万都市というようなのが前提となっているということでございます。 そういったようなのが第二タームでございまして、繰り返しになりますが、本年の六月六日に中間の報告がされた、国会に対して報告されたということでございます。 第三タームは、平成七年度の作業ということでございますので、当初、平成七年度中、つまり平成八年の春に報告をまとめるということで作業を開始しようとしたわけでありますが、各方面からの御要請が大変強く、年内に報告をまとめるべきであるという御要請を受けまして、来週でありますけれども、十二月十三日に最終報告を出していただくということで、現在、最後の段階に入っておるということでございます。 第三タームにつきましては、先ほど委員長のお話しのようなことでございまして詳しく申し上げられませんけれども、テーマとしましては、移転先の選定基準、それから移転の時期の目標、それから東京の整備のあり方、首都移転後の東京はどうあるべきか、この三点についての報告を申し上げる。これで一応移転調査会としての仕事が終わるということで、現在、最後の段階に至っているということでございます。 現在までの経緯につきましては、概要以上でございます。よろしくお願いいたします。
○委員長(菅野久光君) 以上で説明の聴取は終わりました。 これより質疑を行います。 本日は、あらかじめ質疑者等を定めず、委員には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきたいと思います。質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。また、委員の一回の発言時間は、おおむね三分以内でお願いをいたしたいというふうに思います。 なお、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、質疑のある方はどうぞ挙手をお願いいたします。
○及川順郎君 私、初めての出席でございますので、まず、調査会のこれまでの御苦労を歩といたしまして、心から敬意を表したいと存じます。私の方から二点。 ここ数年の状況の中で、一つは東京を中心にした土地の流動化の変化、それから人口流体の変化、もう一つは事業活動や経済活動の動向の変化、基本的にはその基調は、この問題にかかわる事項として、変わらない方向としてとらえてこのまとめをされたのかどうか、この点をまず一つ伺いたいと思います。 それからもう一つは、これで調査会のまとめになったわけでございますが、当該事務担当をしてくださる方々の状況、調査会というのは今後まとめという形で発展的に解消になって組織改組になるのか、あるいはまたどういう状況で今後の具体化を進めていくのか。この点についてちょっと私は定かではございませんので、示せる範囲で結構でございますので、概要を教えていただくと同時に、今後の実行計画の概要の展望を述べていただければ大変ありがたいと思うんですが。
○政府委員(五十嵐健之君) 第一点でございますけれども、冒頭申し上げましたように、学者の先生方の御議論から始めましてもう三十年にわたる御議論があったわけであります。基本的にありますのは、東京に首都機能を含めましていろんな機能が集まり過ぎているというような問題があって、国会でありますとかあるいは行政の機能も必ずしも十分に発揮できないような状態になっていはしないか。あるいは、本年一月十七日の大震災、こういったようなことに代表されますような危機管理について現在の東京で十分であろうか。それから、今、精神的にも東京一極集中と言われているわけでありまして、何でも東京ということが言われているわけでありまして、その結果、今度は逆に地方都市が十分な機能を発揮しなくなっているんじゃないかというような、構造的ないろいろな問題があるというのが指摘されておるわけであります。そういったようなことを踏まえて、首都機能が現在のままの姿で続いていいだろうかどうかというのが基本になっております。 したがいまして、新しい都市をつくりますのは最終的には二十年、三十年かかる大プロジェクトになりますので、その間にいろんな変化があろうかとは存じますけれども、基本的には今東京にこのままの姿で首都機能があっていいかどうかという観点からの御議論が進められているということでございます。 それから、及川先生おっしゃいました第二点の御質問につきましては、実は答弁能力がございません。答弁能力がございませんと申し上げますのは、これも先ほど一枚紙で御説明申し上げましたように、国会移転決議が平成二年になされました。それから平成四年の移転法、現在の国会等の移転に関する法律、これも議員提案で国会でお決めになりました。そこで、移転はしなければいけない、そのための条件として、あるいはいつごろまでにというようなことを整理しなさいというのでこの移転調査会を設けられまして、私どもそこの庶務を仰せつかっているということになるわけでありますけれども、そこまでが現在の法律ででき上がっているものでございます。 これから先、恐らく委員の御質問は、具体の例えは選考でありますとか、あるいは事業化と申しますか、そういったような段階に入っていくのであろうという御質問だと思いますが、それはまさにこれから国会の方でどうお決めいただき、また私どもがどういう格好でお手伝いさせていただけるのかという関係になっているのではないかと思っております。
○緒方靖夫君 初めての委員会ですので、質問の前に一言ちょっと思うところを述べさせていただきますけれども、首都機能移転というのはやはり国民主権にかかわる重大な問題だと思うんですね。国民の議論とか合意とかないまま、移転は東京一極集中の是正だとかあるいは中枢管理機能の震災対策とか、そういうことが言われているわけですね。 しかし、例えば調査会の会長を務めている宇野さんの書いたものを読みますと、これは読売新聞の七月二十三日付、「新首都建設によって大規模な土木工事が行われ、景気振興による内需拡大に大きく寄与するのはいうまでもない。」と、こういうことまで言われているわけですね。ですから、これはやっぱり財界向けの巨大プロジェクトだなということを非常に痛感するわけです。そういう点から、日本共産党はこういう移転には反対だという考えを述べているということを言っておきたいと思うんですね。 続いて、実は移転はバブル経済の末期に国民的な議論抜きで決められたものですね。バブル崩壊、それから長期に続く深刻な不況、さらに今後も不透明だと、そういったことを言われているもとで、今、移転を既成事実の問題として候補地をどう選ぶかという議論を急ぐんじゃなくて、やはり移転を行うかどうか、それが必要なのかどうかということを今改めて問い直してみる、このことが必要なのではないかと思います。 一極集中の是正とか震災対策ということで言いますと、財源と権限をやっぱり大幅に地方に移譲する、そういったことで地方自治の拡充を進める、直ちに東京の震災対策等々を進める、こういうことが緊急だと思うんですね。 これから三つ質問したいんですけれども、一つは、今月の一日に東京都議会が全会一致で決議を上げているんですね。これは手元にあるんだけれども、新首都建設の具体化のための関係法律案の提出には反対すると。東京では自民党、新進党を含めて全部これ反対しているんです。同様な決議というのは九二年の六月にも全会一致で上がっているんです。こういう問題について、調査会としてはどのように考えられるのか、またどういう検討がなされているのかそれが一つ。 二つ目ですけれども、首都移転というと大勢の方は本当に驚くんですね、えっ、移転するんですかと。そのくらい知られていないんですね。法律では、国に対して「広く国民の意見を聴き、その合意形成を図る」ということを求めているわけですけれども、これまで調査会として四回公聴会が開かれているということを聞いているんですが、国としてはどのような努力をその点で行ったのか、これが二つ目。 最後の質問ですけれども、国土庁がまとめた「首都機能移転問題に関する懇談会とりまとめ」、これを読ませていただきましたけれども、この中に、そのために要する費用について、「費用十四兆円」というふうに書かれているんですね。さらに後ろの方を読みますと、「道路・空港・鉄道等の広域基盤施設の整備に要する費用を含んでいない」ということが特に付記されているわけですけれども、この問題で全体で一体どのくらい費用がかかるということを見込まれているのか。十四兆円以外に公的資金を要するのは、鉄道あるいは空港、道路だけなのかほかにはないのかどうか。それから、先ほどの話だと九千ヘクタールで六十万人の新都市をつくるというわけですけれども、大体そのためにどのぐらいの公共投資を見込んでいるのか。その点についてお聞きしたいと思います。 以上です。
○委員長(菅野久光君) 答弁できる部分とできない部分とあろうと思いますが。
○政府委員(五十嵐健之君) 緒方委員から一番最初に御質問ありましたが、都議会の反対決議ということでございます。実は、都議会の決議もそうでありますけれども、各県会からの移転決議もたくさんありまして、必要に応じまして私ども移転調査会に御報告しているところでございます。それが第一点。 それから第二点といたしまして、国民への周知努力が足りないのではないかという御指摘だったと思います。御指摘のとおり受けなければならないのかもしれませんけれども、いずれにいたしましても、移転調査会としては先生御指摘のように四回の公聴会をやりました。私どもも既にいろんな形で、六回ぐらいになったと思いますけれども各アンケート調査をやったりしております。それから、衆議院だったかと思いますけれども、移転調査会でも公聴会が開かれたりということで、私どももこれからいろんな形でこの周知のための努力を重ねていきたいと考えております。 それから、全体で幾らぐらいかかるのかということで先ほど十四兆という御指摘がございましたが、これは一つの試算というように御理解をいただきたいと思います。具体的にどの場所で決まっていくのか、あるいはどういう構想ということで決まってくるのかということで、実は場所によってもう全然違うわけでございます。だから、ここから先幾ら議論しましても、議論といいますかいろいろ詰めていっても、具体の場所がなければ金額を計算する意味が余りないということで、大体この程度の金額だというようなことで試算されたものだというふうに御理解いただければと思います。
○末広真樹子君 今の御説明を聞いておりまして、東京都が抱えている一極集中の問題、これは確かに痛感いたします。それから政治・行政改革の必要性というのも痛感いたします。 それで、平成七年十二月十三日、大変急ぎ足で取りまとめが出されるようでございますけれども、そのときには間違いなく政治・行政改革の必要性というあたりもこの取りまとめの中に入ってくるんでしょうね。これが一番聞きたいところなんです。 つまり、首都機能移転問題だけを取りまとめてここはどうかあそこはどうかという論議ではなくて、首都機能を移転することによって政治、行政がこれだけスリムになりますよ、国民の皆さんにかけている御負担をこれだけ減らすことができますよという御説明が先にびしっと出てこないと国民は入っていきにくい問題だろうかと思います。金のかかることをまた国会議員が集まって何を言っているんだというようなおしかりを受けるやもしれません。そのあたりはいかがなんでございましょうか。
○政府委員(五十嵐健之君) 末広委員の御指摘でございますが、これは現在の移転法ができますときもあった御議論でございます。 要するに、首都機能移転というのが単なるプロジェクトの話ではない、全体の政治改革と申しますか、あるいはおっしゃるようなお話でいくと国政改革というのがあるかもしれません。つまり、具体的には規制緩和でありますとか地方分権でありますとか、そういったようなのと車の両輪でやっていくんだ、首都移転をするときに全部そこを整理して首都移転というような運び方ではなくて、言ってみますと、地方分権は地方分権で御案内のように担当の調査会で現在は取りまとめが行われておりますし、規制緩和は規制緩和でことしでありますけれども五カ年計画をまとめたとかいうそれぞれの分野でやっていきながら、それで首都機能移転は首都機能移転でやっていく、こういうような感じで、それぞれが一斉に動いているというようなやり方を採用しているというように御理解いただきたいと思います。
○末広真樹子君 今お聞きしたかったのは、平成七年十二月十三日の取りまとめにはその両輪ともにきちんと入ってくるのでございましょうか。
○政府委員(五十嵐健之君) 報告申し上げる内容を今から申し上げるというのはちょっとできませんけれども、基本的な考え方として、規制緩和、分権、そういったような問題どこの首都移転は車の両輪であるということは国会に報告申し上げている中間報告の中にもう既に書いてありまして、今回はそれも含めて全部一つにまとめて報告として出したいということで議論されておりますので、恐らく先生のおっしゃるような格好になるのではないかと思います。
○末広真樹子君 そうですか。ありがとうございます。
○及川順郎君 さっきの同僚委員の質問に関連して。 都議会で反対決議をやったと。それに対する回答の中で、少なくとも行政レベルで、何回か国と東京都で中間的な報告、ヒアリングとかあるいはまた意見交換とか、こういう形に自然に行われてもいいのではないのかなという感じを持って私は聞いていたので、その辺の回答がちょっとなかったようなんですが、その点ほどうなんでしょう。
○政府委員(五十嵐健之君) 移転調査会としましては、東京都からお話を伺うというのを既に二回やっております。東京都は、先ほど緒方委員御指摘のようなことで首都移転をしない、あくまで展都、分権で対応するというのが基本的な考え方になっておりますので、首都機能移転を前提にお話はしにくい、できないという基本的なスタンスでお話をいただいているという状況にございます。
○瀬谷英行君 私は、年齢的にももう古い方ですから戦前の東京都民でもあったわけです。戦前と戦後を比較してみますと、明らかに戦後の東京は病的な肥大化をしちゃっています。 戦前の東京都というのは暮らしやすかったんですよ。昭和の初めから戦争が始まるまで、そのころの東京というのは、例えば土地問題あるいは住宅問題という悩みはなかったんですね。どこへ行っても勤め人は自分の月給の範囲内で貸し家を探すことができた。それからまた、公務員であろうと会社員であろうと定年まで勤めれば東京都内にうちの一軒や二軒はつくることができるようになっていた。そのうちも庭つき一戸建てのうちがつくれるようになっていたんですよ。だから深刻な土地問題というのはなかったわけです。そういう時代があった。 私らが子供のときの東京では、やっぱり林があるし、小川があるし、空き地があるし、それからたこ揚げをしたり、あるいはいろんなことをやるのに、遊ぶのに困らなかった。これは教育問題とも関連するんだけれども、そういうふうにのんびりした生活をすると子供のいじめなんというのはないんですよ。第一、学校が終わってから塾に行くという習慣はなかった、塾なんというものはなかったですから。 そういう時代を経験しているから、戦後の東京を見ると、何ともこれはせせこましくなってしまって、高い建物が、マンションができてその中に暮らしていると、隣は何をする人ぞと、こういうような人間関係になっちゃっているんですね。非常に住みにくい都になっています。 だから、東京都がもし移転に反対するというなら、昔の東京に戻すという原案を東京都自体が構想として出してみる必要があると思う。一千二百万の人口を半分にするということができれば、昔の東京にやや近いような暮らしやすい東京になると思う。今の一千二百万を減らすことができないでそのまんまずるずると推移をしていったならば、ますますこれは住みづらいことになるし、それからあの関東大震災のような大地震でもあったら惨たんたるものになると思う。神戸の比しゃないと思うんですよ。そのことをやっぱり考える必要があると思うんですね。 それを考えたならば、首都移転の問題はどちらかというと、極論をすれば東京都の動きたくないというものぐさ根性なんですよね。だから、それよりも移転に踏み切った方が私はいいと思う。東京都が反対するなら、いや国が考えなくたっておれの方で策を立てる、東京の人口を六百万にしてみせる、こういったような代案が出てこなきゃいけないんです。千何百万もの日本の人口の一割をかき集めておいて、いろんな問題が起きてくるのを知らぬ顔してたって、反対だと言うんじゃちょっとこれは無責任だと思うんですね。あえて戦前戦後の東京都民として私は言いますけれどもね。 だから、どうしたらスリムになるかということ、それを真剣に考える必要がある。確かに交通の問題にしたって生活の問題にしたって、もう東京都は戦前の東京とは違い過ぎますよ。やっぱり我々は住みやすい東京でなきゃいけないし、便利であることも必要だけれども、それだけでいいとは思わない。 そうかといって外国へ首都を持っていくわけにいかないから、どこかに置いておかなきゃいけない。どこかに持っていく場合には、この間の首都移転のシンポジウムで兼高かおるさんがこう言っていましたね、まず問題になるのは土地の価格の問題だと。これでもって土地価格が暴騰する、地価が上がるということになればこれはよくないだろうと。だから地価を抑える、あるいは土地をその地域については国有化してしまうというような思い切った政策を講じて地価が上がらないようにする、そうしなければ新しい都会はできないだろうと思うんですよ。根本的にはそういう問題もあると思います。 だから、その種の問題を考えて、しかし決まっていることなんですから、こんなことはできないだろうと思ってのほほんとしてないで、遷都の問題については真剣に我々は考えるべきじゃないかと思うし、具体的に一つ一つ問題を片づけるという努力が必要だと思うんです。 そのために、これは今までの話で出てこなかったけれども、例えば皇居なんかはどうするのかという問題もありますね。あそこはどこにいてもいいといえばいいかもしれないけれども、なかなかそうもいかないだろう。首都が移転をすれば日本の象徴の皇居もやっぱり一緒に移らないと格好がつかないだろうというような気もするし、その辺は、まだそこまでは論議がいってないから答えられないかもしれないけれども、そういうことについて考えておられるのかどうかということもお聞きしたいと思うんですが。
○政府委員(五十嵐健之君) 一連の全体の枠組みは平成二年の国会移転に関する決議あるいは現在の法律にありますと申し上げております。 先ほどお配りしておりますこの二枚目の資料、国会等の移転に関する決議でありますが、一番終わりから四行目であります。何々を「確立するため、国会及び政府機能の移転を行うべきである。」、それから現在の移転法におきましても、国会、行政、司法の中枢部分を移転させるというふうに書いております。 そういう中で、具体的な選択基準あるいは段取りといいますか、そういったようなことを詰めて報告しなさいということが課されております調査会では、そういう三権、国会、行政、司法、この三権の移転について検討する義務があるということで現在検討が行われて、皇居については検討しておりません。
○保坂三蔵君 きょうは自由討議ということなので、私は東京出身の議員なものですから、ためにする発言のようで、聞いていただくのも甚だしく迷惑だと思って黙っていようと思ったんですが、瀬谷大先輩から戦前の東京の郷愁論のお話があって、なるほどお話を承ったとおりなんですけれども、今日戦後五十年ですね。特に戦後五十年の前半は、少なくとも東京をよくするためにやってきたわけじゃありませんでしょうけれども、東京を代表とする、言ってみれば日本の中央集権的な国家の体制の中で、むしろ東京をよくすることによって日本全体をよくするというような、そういう一つの方向論が現にあったような気がするわけです。 全国総合開発計画、全総が始まりまして、特に三全総あたりから東京一極集中がいろいろ言われてきたというわけですから、先ほど一番前段で及川先生からお話があった移転の背景が、従前同様、東京一極集中と危機管理、それから地方都市の均てん化した繁栄といいましょうか、こういうのが三十年間同じように言われているというのは、全く私は時代背景というのはやはり見直すべき時期に来ているんじゃないかと一つ思うわけです。特に、バブルの崩壊は完全に東京の一極集中に歯どめをかけたわけです。 今度の国勢調査、この十月一日に国勢調査が行われましたけれども、恐らく年末には速報が出ますけれども、三十五年ぶりに二十三区は人口が八百万を割るんですよ。というのは、昭和三十五年に人口が八百万になった二十三区はずっと右肩上がりで人口がふえていたわけです、自然増も社会増も。それが今度、夜間人口が八百万を割るんですよ。 そういう状況でありますし、それから特に三全総あたりから出てきた富の集中、人口の集中、そして文化の集中、情報の集中というような、すべからく国民がよしとして目標にしてきたものを東京が寡占している、独占しているというような、東京バッシング論といいますでしょうか、そういうのは、今日の経済状況下あるいは二十一世紀を目指した中では、東京を衰退させることがいいかどうかという論議を経なければ、結論を出すにはちょっと背景の変化があるんじゃないかというのが、及川先生の御意見の関連で私もお尋ねしたい、これが一つです。 それから、東京は反対するなら対案を出すべきだというお話でございますが、対案は現に出しているわけです。それも誤解をされてはいけないんでございますけれども、東京は全く首都機能の移転に反対しているわけじゃないんです。そこのところを誤解されないように。 私もついこの間まで二十二年間、都議会議員をやっておりましたし、最後の段階では村田敬次郎先生を中心とする動き、それから金丸信先生を中心とする動きと、いろいろ論議をさせていただく機会に恵まれました。そのときに、平成二年十一月の国会百年を契機とするところの国会移転決議に関しましては、あくまでも国会が移転することに関しては都民もとやかく言えないだろう、こういう一つの背景があったわけです。ですからそれは言えませんね、国会がみずから移転するんですから。 しかし考えてみますと、国会移転という表題がつきながら、内部を拝見しますときちんと行政も移転する。そして今の御答弁では司法も移転する。では、三権が移転すればこれは首都移転ですよ。遷都ですよ。そうすると、もう一回、遷都ならば瀬谷先生がおっしゃるとおり一体皇居はどうするんだと。首都という概念、これが法律的には定まっていないと聞いておりますけれども、少なくとも日本の首都というのは、立憲君主制ではありませんけれども、象徴としての天皇陛下、これを仰ぐ立場からいえば首都と皇居が離れていいわけはない。そういう状況から考えれば、一体首都という言葉を使い切れるのかどうか。新首都とか首都とか勝手に言葉がひとり歩きしていますけれども、その点は、国土庁におきましては首都の概念はどういうふうにとらえておいでになるのか、これもぜひあわせてお尋ねしたいと思います。 長くなりますから結びますけれども、東京だけが反対しているだろうと言いますけれども、実は一都三県が反対しておりまして、一都三県というのは東京、千葉、埼玉、神奈川のことを申し上げます。面積では全体で三・五、六%しかありませんけれども、一都三県合わせますと人口的には三千万を超えます。そうすると、平たく申し上げれば国民の四分の一が機関として議会を通じて反対をしているということになりまして、四分の一、二五%の反対というのは必ずしも軽く扱える問題じゃないんじゃないかと思います。 しかしそれとて、大地震対策などのお話はまことに説得力ある話で、東京はこのままいていいということは言えませんけれども、概して今の話がもしまとまっていくならば、我々としてはそこで何も跡地をどうしろとかせこせこしたことを申し上げるよりも、むしろ概念として、東京が悪いんだから、東京に地震が来たら危ないんだから東京を逃げ出すというような、言ってみれば東京見捨て論はぜひ国土庁でお捨ていただきたい。東京を見捨てて新開地を開く、新世界を求めるというような論法をおとりになると、感情的に反対せざるを得なくなってくるというのが都民お一人お一人の気持ちではなかろうか、こう思えてなりません。 それから最後に、国民世論をどうとらえたかということに関しては、公聴会四回とかアンケート六回という話がありましたけれども、これは、私も都庁舎の移転反対を実際にやった立場の者なんです。私は丸の内論をとりまして、新宿移転を反対した中枢にいた者でございますけれども、結局、場所が具体的に提案された上で東京都庁舎移転という問題が投げかけられましたので、とどのつまり近い遠いの論議になってしまった。 そして、本当の意味で多極分散、一極集中を東京都内でも排除するんだったらば、物理的に言うところの、あるいは地理学的に言うところの東京の中心は立川でございます。しかも、立川には政府のバックアップ機能が既に完成されているとか、東京都も、地震に襲われたとき都知事の部屋とか警視庁、消防庁、それから国の機関でも海上保安庁からすべて立川に集中しておりますけれども、その立川に首都を持っていくべく空き地もあった。そういう物理的な条件が整いながら立川を提案しないで新宿という、言ってみれば丸の内とわずか六キロぐらいしか離れていないところにしか移転しなかったわけです。ですから、本当の意味での首都移転に近い発想じゃなかったんですね。 それで深い反省を持っているわけですけれども、もし国民世論を本当につかもうとするならば、この第三タームの中にきちんと新たな場所を入れるべきだ。具体的に申し上げれば、語弊があるかもしれませんが、例えば愛知県、名古屋市近辺と、こういうふうに入れて国民世論にお問いかけしていただきたい。そうすれば北海道の人がどう考えるのか、九州の人がどう考えるのか、これが如実に出てまいりまして、恐らく近畿圏、関西圏はそう反対しないでございましょう。もちろん賛成するでしょう。こういう近い遠いの論議が出てくるんですね。ですから、いつも出てまいりますとおり、東京だけがいかにも悪いがごとき発想の原点は置いていただきたくない。 それから二番目に、やっぱり逃げ出すということは東京をおっぽり出される気持ちがしまして、都民が非常に被害者意識に立つ、このことを申し上げたい。 それから、最後に首都の概念をひとつ。 三分過ぎてしまいまして申しわけありませんけれども、たまたま瀬谷先生のお話を伺いながら、懐かしいお話を聞き、私ども小さいときからの東京を思いますと、人口が八百万とか六百万、七百万のころの東京は確かによかったようでございますけれども、今は一千二百万になって悪くなった面もありますけれども、経済繁栄の象徴でございまして、そういう点では、一番早い話、東京がだめになり日本経済が沈没したときは東京が住みやすくなると、こういうふうに結論づけられた方がいいんじゃないかと思う逆の反論もありますことをつけ加えたいと思います。
○瀬谷英行君 私は実は埼玉県の出身なんです。埼玉県出身だけれども、埼玉県から東京都へ通う人が一日百万なんです。それで、通勤問題は東京通勤者なんです。県内で仕事をしているという人は余りいない。だから、例えば選挙のとき、公団やら何やらああいうところに行って回ったって昼間いないんです。昼間は東京へ行って昼飯は東京で食うけれども、帰ってきて晩飯は埼玉県、こういうスタイルが多い。千葉県も神奈川県も同じだと思うんです。だから、千葉県からも神奈川県からもみんな恐らく百万ぐらいずつ……
○保坂三蔵君 東京県民、約二百七十万。
○瀬谷英行君 ということになっているんだろうと思うんですね。これがやはり今の異常な通勤地獄を生み出しているわけですね。昔は列車に乗って東京へ通うというのは余りなかったんですよね。東京の交通は都電、当時の市電が主役をなしていた。だから、これは三県ともに反対をしているということにはならぬ。 この間、私は知事の懇談会でこの首都移転問題についてどう考えるかというようなことを言ってみたけれども……
○保坂三蔵君 いや、反対という言葉ではなくて展都という言葉で、埼玉の大宮、浦和とか、千葉県の幕張だとか千葉市とか、横浜、川崎だとかに散らばすということなんです。
○瀬谷英行君 そういうような実情だということも、これは東京だけの問題でないということですよね。その辺をやっぱり考えなきゃいかぬ。
○保坂三蔵君 よく承知しています。
○委員長(菅野久光君) 今、両方からいろいろな御意見がございましたが、五十嵐局長、答弁は。
○政府委員(五十嵐健之君) 私ども、あるいは移転調査会もでございますけれども、東京悪者論というようなことを考えて申し上げているわけでは全然ないわけであります。余りにも多くの機能が集積していろいろな問題が起こってしまった、今までの集積のメリットが集積のデメリットになっている分野がかなり出てきてしまった、それは東京にとっても大変な問題ではないかという、東京の方に目を向けますとそういう観点が一つあるわけであります。 もう一つは、首都機能としていざというときに十分な機能が発揮できるだろうか。つまり、地震その他が起こったときに要員が全部集められるかどうかとかいうような問題も一つある。そういうような点で議論がされているということでございまして、ぜひ誤解いただきませんようお願い申し上げたいと思います。 それからもう一点。東京が衰退するということは考えていないわけであります。つまり、今までの政治の首都であり、文化の首都であり、経済の首都であり、いろんな意味の首都が東京であったわけでありますけれども、そのうちの政治、行政分野を新しいところに持っていくという国会移転決議がなされておりまして、依然として経済あるいは文化、学術等々についての中枢機能といいますか経済首都あるいは文化首都と申しますか、そういったことは依然として東京に担っていただくというのが基本的な考え方になっているわけであります。 それから最後に、首都の定義はいかにというのがあります。実はこれは、法律では首都という定義が今なくなっております。調査会では中央政府のあるところというように一応決めて、それで議論されているということになっていまして、いろんな議論も、首都の機能、首都機能移転ということでこの問題をくくっているということでございます。
○保坂三蔵君 一つだけ。 そうすると、成田空港みたく新東京とされるんですか。非常に飛躍したお尋ねですけれども、中央政府が首都ですよね、そうすると、三権が移れば中央政府が移るわけだから首都移転じゃないんですか。
○政府委員(五十嵐健之君) ですから、先ほど申し上げておりますように、法律上まだ首都を定義してないんです。だから、ここではそういう言葉の使い方でいこうということでやっているわけです。
○真島一男君 ちょっとおかしいんじゃないですか。首都機能という言葉をあえて使いながら、首都は中央政府だというような議論をこの審議会だけで議論しているというのは大きい問題のような気がするんですね。法律は国で決めたものだからね、国会で。定義がもうちょっとはっきりしてから議論した方がいいんじゃないの、そこは。首都とは中央政府だと。それでは、中央政府とは何ですかということが一つ聞きたい。 それからもう一つ、僕はどうしても申し上げたいのは、これだけ重要なことで、みんなが関心があって我々は委員会もっくっているけれども、途中でぽろぽろマスコミに出るのはどういうことかという我々委員共通のやはり不信感があるんだけれども、そこの説明もしてください。
○政府委員(五十嵐健之君) 中央政府のあるところ、要するに三権と理解しているんですけれども、三権のあるところを首都というように考えているということでございます。
○真島一男君 だれが考えているの。
○政府委員(五十嵐健之君) 調査会でそういう定義でいこうというようにしているわけです。
○真島一男君 ちょっと僕は賛成しがたいね。
○政府委員(五十嵐健之君) それから、真島委員の第二点でありますが、現在、基本部会でありますとかあるいは調査会が終わりますと、部会長あるいは調査会長からそれぞれマスコミに対しまして、きょうこういう議論がなされたという話をすることにしております。それが記事になっているわけでありますけれども、ただ、念のため申し上げたいのでありますけれども、この数週間の間に、ある地方を念頭にとかある地方を前提にこの調査会の報告がまとめられているというような報道がされているわけでありますが、調査会では一切具体の場所、具体の方面についての議論はされておりません。 これは、記者発表のときにもたまたまそういう質問がありまして、それは部会長から、具体の場所はあるいは具体の方面は一切議論されていないということを明快にお答えしているところでございます。最近の新聞で、一部の新聞でございますけれども、一定の方向にということが報道されておりますことは、実際の調査会の中での議論とは関係のないことだというように理解しております。
○真島一男君 そうすると、審議会では首都機能と首都は同じだということですか。大事なところです。僕はそのことを初めから聞きたかったんだけれどもね。
○政府委員(五十嵐健之君) 首都といいますのは、さっき申し上げましたように、三権のある場所ということで首都と言っておるわけでありまして、首都機能の方は、むしろその機能的な面でとらえた概念ということでございます。
○真島一男君 いやいや、そうじゃないの、違うの。それは違うのよ、首都機能と首都は。それがなぜ違うかということを少し勉強してもらいたいね。そんなことじゃないの。
○及川順郎君 今のお話は私も同感でして、やっぱり首都機能の概念というのはもっと多面的に詰める必要があるんじゃないか。 それで、同僚委員の発言で、私のさっきの質問の例を引きながらお話がありました。誤解のないように私は申し上げたいと思いますが、東京沈没論を考えているものではありません。東京がますます国際的都市として発展するためにいかに知恵を絞るか、こういう発想であることだけは御理解をしていただきたいと思います。
○緒方靖夫君 先ほど質問したことに対してのお答えに関連したことなのでちょっと一言述べておきたいんですが、やっぱりこの問題、首都と首都機能がどう違うか、私も非常にあいまいな話だと思うんですね、今の答え。ですからもっと研究していただきたいと思いますけれども、同時に財政問題ですね。 費用が幾らかかるのか、このことはやはり非常に大きな問題で、国土庁の書いたものを読むと、結局、施設整備等基盤整備のために必要なものが十四兆円ということですね。それ以外のものがどうか。道路も空港もその他も入ってないわけですよ、新しい都市とその他の地域を結ぶための。もう莫大な費用がかかると思うんですね。大体二百兆円かかるとかもっとかかるとかいろんな議論があるんだけれども、その辺のところ、場所が決まらなきゃそれが算定できないというのでは非常に無責任だと思うんですね。ですから、やはり全体として幾らかかっていくのか。 それから、やはりこれを決めたときと今とは時代が違うと思うんですね、はっきり言って。やっぱり経済状況が全然違う。 それから、先ほど保坂先生からもお話がありましたけれども、私も東京選出なんで非常に同感するところが多いんですけれども、やっぱりバブルのあの時期と今とでは東京の問題というのも随分違ってきていると思うし、それから一極集中についてもそれを是正しようという東京独自の努力があると思うんですね。ですから、その辺をきちっと勘案して、改めて、本当に移転するならばそのとき大体どのくらいの財政規模になるのかということについて、やはりもっときちっとした形で知りたいと思います。 それから、先ほど話がありましたけれども、東京だけの問題じゃなくて、この問題については首都圏サミットというのがありましたね。ことしの十一月二十一日にも会合が行われ、七都県市の知事、市長のアピール、これが出ているわけですね。これは埼玉、千葉、神奈川、東京のそれぞれの知事、それから横浜、川崎、千葉の市長、これが連名で書いたものがあるわけですけれども、そのアピールには、国会移転は「長期的視点に立った十分な論議と慎重な対応を、強く望みます。」ということをわざわざ書かれているんですね。ですから、何も頭から反対と言っているわけじゃない。私たちも頭から未来永劫首都移転は絶対だめなんて言う立場ではないんですよ。その点の議論を十分尽くして、やっぱり本当に必要なものかどうか。 それから、もう一つ大きな問題として、これは朝日の社説なんですが、六月七日、「完成まで三十年もかかる事業が、できたときには状況が変わって、巨大な無駄になったというのでは大変だ。」と、その可能性はないのかということを問うと言っているんですね。やっぱりこの問題、今からはっきり答えを出す必要があると思いますね。 それから、日経の七月十七日付は、「将来は国民に大きな負担を背負わせる可能性がある。」とも言っているんですよ。ですから、莫大な税金を使うというだけじゃなくて、国民の負担、この問題もどうなのか、その点もやはり見通す必要あると思うんですね。 長くなって申しわけありませんけれども、以上のことでちょっとお聞きしたいと思います。
○政府委員(五十嵐健之君) 先ほどお答え申し上げたものに尽きるわけでございまして、これ以上具体に幾らになるというのは、計算としては大変難しい話であろうと思っております。 ただ、これで全部終わるわけではありませんで、恐らくここから先は国会がお決めになっていくわけでありますけれども、具体の選考過程とかあるいは事業の計画の段階とかになってまいります。そういった段階での御議論の際に、今、緒方委員の御指摘の点がいろいろ議論されてくるということになると思います。
○委員長(菅野久光君) いろいろ御意見があろうと思いますが、国会決議があり、そして首都機能移転、国会移転等を含めた政府機能の移転を行うという国会決議に基づいてそれぞれ法案を出し、そして調査会等でいろいろ論議をされて、いよいよ十二月十三日に国会等移転調査会の取りまとめの報告が出される。そこからの予定としては、二年以内にどこにそれをつくるのかということの場所の選定が行われるというような日程になっているようでございます。 したがいまして、調査会の報告が行われれば、これは最終報告ですから、その後また必要な法案等が出されてくる。したがいまして、具体的ないろんな問題についてはその法案審議のときにまたぜひお願いをしたいというふうに思いますが、きょうのところはこの程度でいかがかと思うんですが、いかがでしょうか。よろしゅうございますか。——それでは、本日の調査はこの程度にとどめます。 本日はこれにて散会いたします。 午後二時四十四分散会