予算委員会 第15号
- 発言数
- 387 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 7
- 開催日
- 1995/03/16
会議録
○委員長(坂野重信君) ただいまから予算委員会を開会いたします。 この際、書類の提出要求に関する件についてお諮りいたします。 予算の執行状況に関する調査のうち、東京共同銀行問題について、大蔵大臣武村正義君、東京都知事鈴木俊一君、東京協和信用組合及び安全信用組合理事長野日寿康君に対し、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第一条により、証人として 一、平成五年八月末、平成六年三月末及び平成六年十一月未現在における一億円以上の実名入り預金者リストとその預金額並びに平成五年八月一日以降の金利四%以上の預金者リストとその預金額 一、平成五年八月末、平成六年三月末及び平成六年十一月未現在における一億円以上の実名入り融資先リストと融資額 一、直近二回分の示達書(検査報告書を含む)の写し 一、過去三年分の東京協和信用組合及び安全信用組合の理事会の議事録 以上を本委員会に提出するよう求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(坂野重信君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 なお、提出の期限等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(坂野重信君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。 —————————————
○委員長(坂野重信君) 予算の執行状況に関する調査のうち、東京共同銀行問題に関する件を議題といたします。 本日は、本件について参考人の方々から御意見を求めることといたしております。 まず、午前中は日本長期信用銀行取締役頭取堀江鐵彌君から御意見を求めることといたします。 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただき、ありがとうございます。 当委員会におきましては、予算の執行状況に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人の方から東京共同銀行問題について御意見を聞くことになった次第でございます。 この際、委員各位に申し上げます。 本日は、申し合わせの時間内で参考人に対し質疑を行うのでありますから、御協力をお願いいたします。 また、質疑時間が限られておりますので、参考人の答弁は要点を簡潔、明瞭にお願いいたします。 それでは、まず委員長から参考人に対し質問いたします。 あなたは、高橋治則前東京協和信用組合理事長及び鈴木紳介前安全信用組合理事長と面識がありますか。 また、長銀がイ・アイ・イ・インターナショナル・グループに多額の融資を行うことになったきっかけと理由は何ですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 日本長期信用銀行の頭取の堀江でございます。 御質問にお答えする前に、今回の二億組問題及び東京共同銀行設立問題に関連いたしまして、かつて当行が主力銀行でございましたイ・アイ・イ・インターナショナルの関係等をめぐり国会の貴重なお時間をこのように使用させておりますことに、まずおわびを申し上げます。 まず最初の御質問にお答えをいたします。 高橋さんとは面識がございます。鈴木さんにはお目にかかったことはございません。 イ・アイ・イ・インターナショナル・グループとの取引は、一九八五年、現在のイ・アイ・イ・データという会社に一億円の貸し出しを行ったことから始まりまして、イ・アイ・イ・インターナショナルとの取引は、翌年一九八六年にイ・アイ・イ・インターナショナルの第一号の海外投資案件に貸し出しを行ったのが始まりでございます。これらの取引開始はいずれも通常の営業活動の結果生じたものでございます。 その後の取引は、大半がイ・アイ・イ・インターナショナルが行いました海外リゾート・不動産関連プロジェクトヘの貸し出してございます。 イ・アイ・イ・インターナショナルの海外投資は、八六年から八八年にかけて徐々に加速されてまいりました。この時期は、御高承のとおり、日本の貿易黒字の削減が大きな課題となっており、その一環として、余暇時間の拡大及び海外への資金遠流の必要の両面から海外リゾートビジネスが注目されておりました。当行としても、そのような状況を踏まえ、イ・アイ・イ・インターナショナルの海外投資について個々の案件のプロジェクト採算を中心に慎重に審査を行った上で、かつ他の金融機関と協調しながら是々非々で協力を行ったところであります。
○委員長(坂野重信君) 次に、長銀は東京協和信用組合に役員や顧問を派遣したと承っておりますが、長銀と東京協和信用組合はどのような関係にあったのですか。また、このような役員等を派遣したのはどのような経緯からですか。 さらに、安全信用組合とはどのような関係にあったのですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 まず東京協和信用組合との関係から申し上げます。 一九九〇年春ごろに、同信組の理事長に就任されていた高橋氏から、当行に対して、人材派遣並びに同信組への出資者の紹介要請がありました。申し入れの趣旨は、高橋氏は、イ・アイ・イ・インターナショナルの事業に専念すべく、当行に対して人材派遣を求め、また同信組の自己資本充実の見地から出資者の紹介を求めてきたものと理解しております。 ちなみに、一九八七年にも高橋氏から同信組への出資、人材協力の要請があり、これは謝絶いたしましたが、再度の強い要請もあって応じたものであります。当行としては、中小企業等協同組合法上の問題等を検討の上、同年七月に当行グループ会社に出資を呼びかけ、七社総額十五億円の出資を紹介いたしました。 なお、申し上げるまでもなく、協同組合の性格から、総代会における議決権は三千口以上の会員のうち七口を占めるのみであり、経営そのものを云々する性格のものではございません。 また、この間、九〇年五月には、先ほど述べました高橋氏の協力要請とは別に、同信組の非常勤監事に欠員が生じたため、既に当行からイ・アイ・イ・インターナショナルに派遣しておりました者が監事に就任することに同意をいたしました。 次いで同年十月には、冒頭に申し上げた高橋氏の要請の趣旨とは異なり、人材協力の意味合いから顧問一名を派遣いたしました。この時期には、イ・アイ・イ・インターナショナルの資金繰りもやや繁忙化の気配もあり、当行としては従前把握しにくかった同信組と高橋前理事長個人関連企業との関係を知る一助になることも予想して派遣した次第であります。 回顧問派遣の翌月には、高橋社長からイ・アイ・イ・インターナショナル・グループ資金繰りの逼迫を理由に緊急の借り入れ申し込みがなされました。そこで、東京協和信用組合に派遣した門題間は、既にイ・アイ・イ・インターナショナル・グループ及び高橋前理事長関連での貸し出しが相当額に達していた同信組の資金繰りの状況把握に専念することになりました。在籍しておりました五カ月間、回顧問は、理事会や主要役員協議に一度も出席しておりません。翌年二月にイ・アイ・イ・インターナショナルに派遣先変更になった後も、九三年七月までの間、同社の関連事業部長として、この資金繰りの把握作業を行っていたとも聞いております。 以上のとおり、当行は、同信組が資金的に破綻しないようその動向には関心を持っておりましたが、当行からの派遣者を含め、同信用組合の経営政策の立案、理事会への参加、個々の貸出案件の決定には何らタッチしておりません。 安全信用組合については、当行及び当行グループとして人的な面でも出資の面でも接点はございません。 次に、イ・アイ・イ・インターナショナルが資金繰りの危機に瀕した九〇年十一月以降の両信用組合との関係を申し上げます。
○委員長(坂野重信君) まだ質問していない。この次だ。まあいい、続けてください。
○参考人(堀江鐵彌君) 当時、両信用組合とも大口の預金の流出があり、資金繰りは不安定になっておりました。そのため、九〇年十一月から翌年の六、七月までの間、両信組の資金対策にイ・アイ・イ・インターナショナルから当行に対して要請があり、緊急避難として数度にわたり流動性確保のため資金繰り支援に応ずることとなりました。イ・アイ・イ・インターナショナルの大規模なリストラを遂行していく上で、両信組の資金繰り破綻は大きな攪乱要因になりますので、イ・アイ・イ・インターナショナルにおいて両信組の資金繰りを把握することは非常に重要なことと認識されており、千カ銀行の代表として当行が緊急かつ一時的なものとして一定の限度内で協力したものでございます。この結果として、両信組の資金繰りは小康を得るに至りました。 緊急の場面を脱した九一年夏ごろからは、両信組のうち、特に安全信用組合について当行が流動性確保に協力する必要が薄れたため、その後は当局の検査を踏まえた諸施策にゆだねるべきものと考えて、当行としては安全信用組合関係のイ・アイ・イ・インターナショナルからの……
○委員長(坂野重信君) ちょっと待ってください、ちょっと待ってください。 ちょっと参考人、質問してないことまで答える必要ないです。これから質問しますから、私が。
○参考人(堀江鐵彌君) 協議には応じない方針としたところであります。
○委員長(坂野重信君) ちょっと待ってください。 よく聞いて、どういうことを質問したのか聞いた上で答弁してください。私が質問しないことまで答える必要ありません。 次に、イ・アイ・イ・インターナショナル・グループの経営状態が悪いことが判明したのはいつですか。 また、同グループに対して何らかの注意、相談はされましたか。されたとすれば、それはどのような内容のものでしたか。それに対し、同グループはどのような対応をされましたか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。(「簡潔に、あなたが今言ったんだから。簡潔に、時間がないんだから。今あなたの言ったのそれでしょう」と呼ぶ者あり)はい。 冒頭に申し上げましたとおり、イ・アイ・イ・インターナショナルの海外投資は、八七年から八八年にかけて加速されてまいりました。当行は、海外不動産市況の悪化、国内金融情勢の変化に照らして余りにも投資のピッチが速過ぎることに懸念を持ち、一九八八年中ごろ以降、再三再四にわたり高橋社長に投資の抑制を要請いたしました。私も高橋社長に直言したことを明瞭に記憶しております。 しかしながら、九〇年に入り、懸念いたしましたとおり、内外の証券・不動産市況の悪化に加え、金融機関、ノンバンクの貸し出し姿勢も厳しさを増すに至りました。この間、ある程度投資の抑制は行われたものの、その効果が上がらないうちに、九〇年秋口からはイ・アイ・イ・インターナショナルの資金繰りが窮屈になりつつあることを感じておりました。同十一月には同社はついに資金繰り破綻に陥ったわけでございます。 当行は、同社の主力銀行の代表として、海外プロジェクトの立ち枯れによる国際的な影響回避、九十社にも及ぶ多数のノンバンク、金融機関への連鎖防止、さらに債権保全の強化など総合判断の上、他の主力四行とともに緊急支援、資金繰り支援並びにリストラ計画の策定に協力することとなったのでございます。 なお、ただいま申し上げましたイ・アイ・イ・インターナショナル・グループとは、高橋氏個人または高橋氏ファミリー企業及び知人、友人との共同事業を含んでおりません。これらの高橋氏個人関連企業につきましては、個人に係る分野として我々主力行に対する高橋氏の情報開示が乏しく、ノンバンク等からの借り入れによって独自に活発な事業展開をなさっていたと理解しております。 そのような動きを当行からの派遣者から断片的ながら聞く機会もございましたので、当行としては両信用組合と高橋氏個人関連企業を冷め、節度ある対応を要請したこともございましたが、結果としては残念ながら聞き入れられませんでした。 その結果、世間的には当行ほかの主力銀行がイ・アイ・イ・インターナショナル一グループと同様に高橘氏個人関連にも大きな信用を与えたような印象を残すこととなりました。この点はまことに残念であり、当行としても遺憾に思っているところでございます。
○委員長(坂野重信君) 参考人に申し上げますが、質問した以外のことは何も余計なことを言う必要はありませんし、簡潔にお答えを願います。 では、時間が経過しましたので二問をまとめて質問しますから、簡潔にお答えいただきます。 まず、長銀が多額の融資をしていたイ・アイ・イ・インターナショナル・グループから手を引くことになった理由は何ですか。また、それはいつですか。そのとき高橋治則氏とは何らかの話し合いをされましたか。されたとすればどのような内容の話をされましたか。 長銀が東京共同銀行に資金支援をすることを決めたのはどのようないきさつからですか。また、長銀はどのような内部手続で最終決定をしたのですか。また、決めたのはどのような理由からですか。なお、支援に踏み切るに際して、日本銀行、東京都、大蔵省とどのような相談をされましたか。 一括して簡潔にお答えいただきます。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 先ほど申し述べましたイ・アイ・イ・インターナショナルのリストラ計画は、九一年四月以降二年三カ月推進され、予定しておりましたホテル姓設等もほぼ終了し、資産の一部は売却されて借り入れの返済に振り向けられました。このリストラ計画の期限は九三年七月になっておりましたため、同年五月ごろから当行は高橋社長とイ・アイ・イ・インターナショナルとその後の方針を協議いたしました。 高橋社長側からは、引き続き金融機関の支援による町健が提案されましたが、当行としては、イ・アイ・イ・インターナショナルが既に実質的な債務超過に陥っていること、取入に比べて借入金の負担が童過ぎ、このままでは利息の支払いを再開する展望が得られないこと、主力銀行団の中でも足並みが乱れてきたことなどを理由に、高橋氏の提案には賛成いたしませんでした。 こうした交渉の未に、当行としては、逆に高橘氏に対して、和議という方法によって各金融機関から債権放棄を受け、個人負担を大幅に圧縮してイ・アイ・イ・インターナショナルの再建を図ることを提言いたしました。 しかし、高橋氏は、その当時の新聞インタビューでも語っておりましたとおり、それまでの主力銀行団のリストラ協力に感謝しつつも、あくまで自力再建を曲げず、銀行団の協力がなくても最終的に全額借り入れを返済し得ると明言して、この提案を退けたものでございます。 昨年十二月六日、大蔵省、日銀から東京共同銀行の設立にかかわる当行の支援について検討の御依頼がありました。当行内において検討の上、取締役会において原案どおりで決定いたしましたところでございます。 決定いたしました理由としましては、この銀行の設立は我が国経済の根幹をなす金融システム、信用秩序の維持を図るべく官民一体となってこの局面を打開するための施策であり、当行もその一端を狙うことが妥当と判断したためでございます。 なお、御質問の東京共同銀行に関連いたしましていわゆる債権回収機関への支援につきましても、同様のいきさつから検討の依頼をいただいております。こちらにつきましては、原案どおりに御協力申し上げる方向で現在当行内において検討を進めております。 また、日銀、東京都、大蔵省との協議は、昨年十二月六日以降は当行からの実務的な照会を除きましてございません。当行独自の判断でございます。
○委員長(坂野重信君) 委員長からの質問は以上でございます。 それでは、堀江参考人に対し質疑のある方は順次御発言を願います。斎藤文夫君。
○斎藤文夫君 自由民主党の斎藤文夫でございます。 参考人として日本長期信用銀行堀江鐵彌頭取に以下お尋ねをいたします。 本院では参考人としておいでをいただきましたが、この国会の真剣なやりとり、そしてあなたの一挙手一投足、国民の皆様方にしかと見ていただくために、証人とせず、あえて参考人とした経緯がございます。したがいまして、真実を簡明にお答えいただくことを冒頭お願いをいたすものであります。 長銀といえば、ワリチョー、リッチョー、金融債発行による資金調達銀行として、健全な企業の長期的な安定育成のために銀行の使命がおありになる。そして、これは世界的に極めて高く評価をされ、日本の数多くの金融機関、システムの中でも極めて重要なウエートを占めておると言われておるところでございます。 その長銀が、なぜこのエレクトリック・インダストリアル・エンタープライズ・インターナショナル、以後E・I・E・Iと申し上げますが、ここにどうしてここまで貸し込まなければならなかったのか、明確にお答えをいただきたい。 そして同時に、最高幾らお貸しになられたか。高橋前理事長は証人喚問のときに五、六千億、こう言っておりますけれども、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) イ・アイ・イ・インターナショナルとの取引の接点が拡大いたしましたのは一九八〇年代の後半でございます。この時期は、御承知のとおり、日本の貿易黒字の削減が大きな課題となっており、その一環として海外リゾートビジネスが注目されていました。 当行は、そのような状況のもと、同社の海外投資についてプロジェクトベースで取引を重ねてまいりました。今から考えますと、その時期がバブル期に相当しており、当時の時流にやや流された点があったのではないかと反省しているところでございます。 また、当行の最高イ・アイ・イ・グループに対する貸し出しは三千八百億でございます。
○斎藤文夫君 それは長銀グループとしては幾らですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 長銀グループからイ・アイ・イ・グループヘの貸し出しが残高三千八百億円でピーク時ございました。
○斎藤文夫君 三千八百億とおっしゃいますが、高橋証人は五、六千億と、これも大体非常に大きな違いがある。 これから以下何点かにわたって衆議院の証人喚問とあなたのお答えとの食い違いを浮き彫りにしていかなきゃいけないと思っております。 そこで、長銀が、資本金十一億三千有余の、しかも海外リゾート開発という難しい事業を後発で始めた、言うなら高橋社長というのは素人のちょっと毛の生えたぐらいのお立場の方じゃなかったんですかね。それに縁があったからといって三千八百億からの融資を、バブル時代、使ってくれ使ってくれ式で御一緒におやりになったんじゃないんですか。 そういうことを考えますと、本当にこの企業の財務体質に見合った融資であったのか、担保はどうおとりになったのか、あるいは高橋社長の個人保証はどうおつけになられたか。しかもこの返済能力、見通しがあったのか。 これは長銀法の第七条、確実な担保を徴しなければならないという義務づけだっておたくの銀行にはあるわけでありますから、その観点に立って、責任者としてこの融資に対する感想を率直に、簡単に聞かしてください。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 当行の融資はプロジェクトファイナンスという方式でございました。確かに高橋氏個人はまだその当時は余り名もない存在でございましたが、しかし私どもが見ましたところ、事業の構想力、また物件の見きわめ、そういった面ではかなりすぐれたものがあったと考えたわけでございます。これが海外のリゾート開発を行いまして、当行はこれに対してプロジェクトベースで融資を行ったわけでございます。 そのプロジェクトファイナンスによりましては、もちろん担保はそのでき上がった物件でございますが、同時に収益見通しその他を勘案をいたしまして、十分当時の状況では返済の見通しがあるというぐあいに考えたわけでございます。 また、個人保証の内容につきましては、これは個人の秘密にも関することでございますので御容赦をいただきたいと存じます。
○斎藤文夫君 日本のバブル崩壊は九〇年からですね。海外の崩壊は既に二年前から始まっていたと。こういう状況を長銀は御承知なかったのかな。だからこそ、大体八七年、八八年、バブルの日本では全盛期でありましたけれども、社長の高橋氏を、一兆円のリゾート王国をつくらせるんだとか、環太平洋のリゾート王にするんだとか、そういう時代の寵児に仕立て上げた。それはおたくの本意じゃないといっても、長銀という世界的な銀行がバックについたから彼をしてこんな大きく膨らませた。 こういうことを考えると、いやその当時はバブルでしたから、どこの銀行も目の色を変えて使ってくれ使ってくれの時代でした、しようがなかったんですよということかもしれませんけれども、おたくは国民から足でお金を集める金融機関じゃないんですよ。債券を発行して買ってもらっているんです。資金調達が他の銀行に比べて極めて楽なんです。だから融資をするにしてもわきが甘かったんじゃないですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 先ほどお話がございましたように、確かに九〇年の十一月から東京のといいますか日本のバブルは崩壊したわけでございます。その前の二年間に確かに海外では不動産価値が下落する傾向はございましたけれども、これほど何と申しますか、激しく下落するといったようなことは予感をさせるものではございませんでした。 こういったような状況の中で、先ほど申し上げたとおり、プロジェクトベースでファイナンスをしたわけでございますが、私どもの金額が非常に大きくなりましたのはむしろ九〇年十一月のリストラ以降でございます。 ということは、直接に申し上げますと、例えば九〇年十一月現在、私どもの貸出残高は三百五十億円でございました。しかしながら、これを放置、つまりイ・アイ・イがこのまま崩壊するということになりますと国際的な問題か出てまいりますし、それからこれに融資をいたしました九十社の金融機関の金融混乱、それから当行の債権保持、そういったようなことを考えていまして、むしろその後にリストラの過程を通じて私どもの債権が大きく膨らんだわけでございます。
○斎藤文夫君 通常、この程度の中小企業との取引では、専門的に言うなら基本的定書で包括根保証方式をとるんですよ。これに対して代表取締役が連帯保証人になっているわけですけれども、おたくのこのプロジェクトファイナンスについては、高橋社長に対するこういう契約は結ばれているんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 当行は、先ほど申し上げましたように、プロジェクトファイナンス方式でファイナンスをいたしまして、したがいましてこういった基本的定書による取引方式というよりか、一件一件その取引について契約書を作成するわけでございます。 この契約書の作成技術が非常に難しいわけでございますが、私どもの専門性をもちましてそういった個別案件一つ一つについての個別契約書を作成をいたしていたこともございます。 それからまた、すべて個人の、個人保証と申しますか、社長の個人保証をとっている例も非常に多くございます。
○斎藤文夫君 その高橋社長の個人保証、グランドトータル幾らですか。
○参考人(堀江鐵彌君) これは個人のある程度秘密でもあり、私ども守秘義務がございますので、これをディスクローズすることはいかがかというぐあいに考えております。
○斎藤文夫君 もうやむを得ない、時間の都合でまたいずれかこれは証人喚問かしなきゃいけないのかなという気になってきちゃうんですけれども、この融資を、頭取、率直に言ってそれは確かにバブルのときとはじけたときではもう局面が全く百八十度違う、やむを得なかったんだ、全力を尽くしたけれどもここまで来ちゃったんですよ、こういうふうに判断するんですか。行内における責任は今まで何かとった形はありますか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 ただいまの責任問題につきましてはなお検討中でございまして、ただいままでのところ個人を処罰したことはございません。
○斎藤文夫君 それはまた後で触れることにしまして、委員長のお尋ねと重複しないように少し進めていきます。 和議に高橋さんが応じなかったのは、長銀、メーンバンクと再建をめぐる見解の相違だ、こう言っておりますが、いかがですか。簡単にお願いします。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 当方からは、既に第二次のリストラ計画が進行し、その期限である九三年の七月も間近になってまいりましたので、その五月に高橋氏と話をいたしまして、和議による法律の枠内での再建を進めたわけでございます。 これに対しまして高橋氏は、あくまでも自分で再建できるということで主張をいたしましたので、そこで意見が合わず和議を実行したと、失礼申し上げました、話が決裂したということでございます。
○斎藤文夫君 そのときのE・I・E・Iの不良債権あるいは金融機関の、とにかく両信用組合の不良債権、そういうようなものを考えてみますと、まだ非常に小さかったんですね。ところが、長銀が支援打ち切りということになってから二つの信用組合の言うなら自転車操業が始まって、資金繰りを調達するために本当にもう狂気のさたの運営が繰り返された結果、あっという間に不良債権がもう大膨張したわけですよ。 通常、一流銀行だったら、不良債権が三%、四%になったら頭取は責任とらなきゃいけない。当たり前のことなんです。ところが、八〇%、九○%の不良債権を抱えるまでにこういうことをした。また、それをさせるような結果を長銀は御存じだったんじゃないですか。 それでは、もう一度お尋ねします。 このE・I・E・Iともう抜き差しならない関係にあった東京協和と安全信用のこの二つの金融機関、このデルタ地帯というか、この三社について、これはとってもやっていけないなと判断したのはいつですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 私どもが東京協和信組に顧問を一時派遣し、それはその後イ・アイ・イ・インターナショナルの方に転籍したわけでございますが、その資金繰り把握その他の時点におきまして、特に九三年の五月におきまして、私どもは東京都の検査の結果をちょうだいいたしました。その結果、その当時の分類率は一六・六%と、金融機関としてはまだそれほど決定的な打撃を受ける状況にはございませんでした。 また同時に、この両信組が持っておりましたイ・アイ・イ・インターナショナル向けの貸し出しにつきましては、私どもがそのそれぞれのプロジェクトについてリストラ努力を続けました結果、むしろ減少をいたしております。したがいまして、私どもが九三年七月に撤退をいたしましたときにはもちろん東京都にその詳細を十分に御報告申し上げましたし、同時にまた、今日のようなひどい状態になるとは予想もいたしませんでした。
○斎藤文夫君 話題をちょっと変えます。 おたくが手を引かれる、それに当たりまして、パリのイーディーエフビルの買収に伴ってフランスのウオルムバンクの訴訟の動きがあった。世界的に国際的な信用を重んじた長銀さんは、直ちにこれは人的派遣あるいは取引を打ち切らなきゃいかぬ、こんなようなことが言われておりますし、事実、証人喚問でも明確に高橋さんは言っておられるわけですが、事実ですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 このフランスのエリゼ宮の前にございますオフィスビルをホテルに転換するというイ・アイ・イのプロジェクトは、これを利息につきまして高橋個人が保証をしたわけでございます。当行は、それにつきまして、そういう保証があったということは後ほど知りましたし、それから実際に裁判が起こりましてもそれはイ・アイ・イに対する訴訟でございまして、長銀はこれについては一切訴訟を受けておりませんし、またこの取引自体には全くの関与をいたしておりません。
○斎藤文夫君 それは衆議院の証人に立たれた高橋さんがまことにうそを言っておると、こういうふうに私とっていいですね。 続いて参ります。 あなたは、大蔵省から不良債権の無税償却のためには人員の派遣はあっちゃだめですよと、こういうサジェスチョンをもらったんじゃないんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 そのようなサジェスチョンは大蔵省からはございませんでした。 また、事実、人間が派遣されておりましても、事情を十分精査の上、無税償却も十分認められると私どもは思っております。
○斎藤文夫君 撤退時に各方面にいろいろ報告をされる、あるいは主力五行で御相談をされたと思います。そのいきさつを極めて簡単に、そしてしかも政界、官界あたりから圧力が、あるいはいろいろな要請があなたのところにありませんでしたか。イエスかノーかで結構です。
○参考人(堀江鐵彌君) 政界、官界からは一切の圧迫その他干渉はございませんでした。
○斎藤文夫君 本当だね。
○参考人(堀江鐵彌君) はい。
○斎藤文夫君 私も時系列的に表をつくってあるんですけれどもね、一九八四年、昭和六十年におたくはE・I・E・Dと当時一億円のお取引が始まった。そして八八年、これは昭和六十三年、平間敏行さんをこれは第一営業部長に派遣されている。このときからずっと密接なつながりと、営業拡大どんどんしてこられたわけですね。 冒頭、私が申し上げましたように、長銀さんの堅実経営というところから考えると、幾らバブルとは言いながら、ジェット機を借りて世界をまたに飛び回って時代の寵児よとはやし立てられているような、どちらかといえば経営者として見りゃ軽薄だと、そういう人に対してよくここまでほれ込まれたなとっくづく思うわけでありますけれども、そうこうしているうちに、まだ日本じゃ好況なんですよ。景気はよかった。一九八九年、平成元年です。資金ショートしそう、あるいはまた組合の東京協和ですね、肩がわりをぜひひとつしてくれと高橋さんがあなたにお申し入れをされたか。あなたと言うとあれかもしれない、長銀にそういうお申し入れがあった。この事実いかがか。 そしてさらに、いろいろその後、それを機に出資を十五億要請があったらぽんとなすった。この一事をもってしても、系列下におさめようという気は当然あったでしょう。 私は、かつて極めて立派に信用組合の理事長として地元の中小金融機関を育成してきた男なんです。経験者なんです。もしもいろいろな資金系列、資本系列とか銀行系列をいうんなら、出資十五億という当時の半分仰ぐというような異常な事態というのは我々では行わないんですよ。しかし、それを長銀は系列会社を動かしておやりになる、 それから二百五十億ですか、迂回預金というのかな、大日預金という、そういうことをおやりになられたと。これはきのう、きょうの新聞でも一流紙が報道しているんですよ。今までそんなようなことはほとんどないようなお立場だったけれども、よく考えてみれば、さっきのお話の中に、資金援助を頼まれた、だから援助をして何とか小康を保ったと、こういう御説明がありましたね。 その後、九一年、平成三年、これにはおたくの取締役福岡支店長の田中重彦さんも副社長で入れたわけですよ、E・I・E・Iに。この人はあるいは信用組合の理事長含みであったんじゃないんですか。そうでなきゃおかしいんです。それはなぜか。長銀は、言うならば小口、地域性というものにいささか他の銀行との競争では焦りがあったんですよ。自由化、国際化の中で長銀はもっともっと地方の地域と密着をしたい、ところがなかなか販売力が弱い、だからこそこういう信用組合を傘下におさめて手足として使えたらやりたいなと、そういう戦略があったんじゃないですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 先ほどお話のございました平間君が取締役に派遣をされていたということでございますが、これは主として管理を中心にと申しますか、むしろイ・アイ・イ・インターナショナルの管理部門を中心に派遣をされていたわけでございます。 確かにおっしゃるように、その投資のテンポが非常に速うございまして、特に一九八四年以降一九八七年まで次々とプロジェクトが起こってまいりましたので、先ほど申し上げましたように、この間がない私どもからきつく、プロジェクトの進行についてもうちょっとペースをスローダウンするように、私も直哉にその点につきまして忠告をしたこともございます。 そこで、問題はこの東京協和信組の出資並びに人材の派遣でございますが、これは一九八七年に一遍お話がございまして、私どもはそれを拒絶いたしましたが、たびたびその一九九〇年にぜひともということでもう一度話がございましたのでやむなく引き受けたんでございますが、この十五億の出資はあくまでも自己資本の充実のためであるといったようなことでございまして、私どもは私どもの関連七社にその話をいたしまして、これはむしろ証券投資としてこれを行うということで考えたわけでございます。 何と申しましても、この東京協和信組と私ども長期信用銀行では営業基盤が全く異なりますし、それから東京協和信組の例えは新宿、吉祥寺、それから新橋、これらの支店につきましては私どもの支店と全く重複をいたしているわけでございます。したがいまして、私どもはその東京協和信組の経営に参画するようなことは全く考えておりませんでした。 それから先ほどのちょっとお話、田中重彦が理事長の候補になっていたんではないかということでは全くございませんで、これは九一年の二月に派遣されまして、まさにそのイ・アイ・イのリストラが問題になりまして、第一次リストラ計画を策定推進するためにイ・アイ・イ・インターナショナルに派遣されたものでございます。
○斎藤文夫君 頭取、どうでしょうか。E・I・E・I、これは二つの信用組合ともう切っても切れない関係なんですよ。したがって、E・I・E・Iへいろいろおうちから約三十人出向させて、いろいろな部門に人を張りつけて営業分析あるいはまた資金状況等々をしっかり把握すれば、おのずと二つの信用組合も管理するような結果になっていくんですよ。 ましてや十五億の出資をし、あるときには顧問を派遣した。その顧問が、先ほど委員長の御質問に対して、部内の会議にも出られないような顧問、その人の能力を私は凝りますよ。銀行員でしょう。銀行員というのはそういう金融機関に出向したら、この金融機関がちゃんと間違いなく預金者の保護あるいは企業の発展のために貢献しているかしてないか、素人の私が理事長をやったってわかったんですから、専門家ならあなたすぐわからなきゃいけない。にもかかわらず顧問で何にもしなかったんですか。そこに問題があるんだ、日暮さんですか、平間さんか。 そして、しかもこれはもう専門のお立場で一日見ればこのE・I・E・Iは大変だと、それと絡む二つの信用組合、大口預金、本来的にいえば何十億を一口でそういう預金を導入してきて能率がいいなどと思っている経営陣というのはこれはもう本当の経営陣じゃないんですよ。小さな中小の信用組合というのは地域に密着して足で稼ぐんですよ。その努力を全く怠って、ただ顔や政治家と癒着をしながら、いろんな人がうわさされているでしょう、そして大口で預金をかき集めさせて、それで勝手にわけのわからない自分の事業に金をつぎ込む。理事長が自分の事業にもう無制限に金をつぎ込む、そういう実態が長銀の専門家がわからないとするならば、おたくの銀行は一体どんな銀行だ。はっきり答えてください。
○参考人(堀江鐵彌君) ただいまの御質問にお答えをいたします。 顧問で派遣をされておりましたのは日暮でございますが、これが東京協和信組に在籍をいたしましたのはわずか五カ月でございました。それで、その最初の数カ月はまずは勉強ということでございましたけれども、わずかその間に、九〇年の十月から十一月にかけましてイ・アイ・イ・インターナショナルの資金繰りが繁忙化したためにその顧問を引き揚げられまして、それでむしろイ・アイ・イ・インターナショナルの関連事業部長として安全信組並びに東京協和信組の資金繰りを見るという立場になったわけでございます。 それとは別に、先ほどお話のございました大口預金でございますが、これは九〇年の十一月からこの東京協和信組の資金繰りが非常に厳しくなってまいりましたので、とりあえず私どもの関係会社から資金繰り支援として預金をいたしたものでございます。
○斎藤文夫君 頭取ね、きょうの新聞を見たって、高橋、鈴木前理事長は口をそろえて、いや長銀の厳しいチェックのもと管理されておりましたと、資金繰りは言うに及ばず。資金繰りというのは、よく見れば全部、預金それから定期あるいは貸し付け、みんなわかってくるわけですよ。日計表までちゃんと報告をしておったと、こう言っているんですけれども、先ほどの御答弁ですと全くそういうことは関係していませんでしたと、こうおっしゃるんですが、これはもう一度、そうすると証人喚問なりなんなりしたときの二人の発言はでたらめだと思いますね。そう思っでいいですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 私ども金融界で働いております者から考えますと、あの提示されました資金繰り表を見まして、あれはまさに貸し出しあるいは大口定期の預金のうち、そういったもののスケジュールをある程度並べたものでございまして、実際あれを見ましても、その出てくる貸出先がどういった会社であるのか、名前だけでは全く私はわからないと思います。 と申しますのは……
○斎藤文夫君 聞けばいいんだよ。この会社、一つ一つ、稟議があるんだから、稟議を見ればいいじゃないか。
○参考人(堀江鐵彌君) いやそれは、稟議を見ることはまさに経営に関与することになります。 それで、それでその彼、この日暮君が与えられました仕事はあくまでも、何と申しましても、あしたにでも下手すれば倒壊するかもしれない安全信組と東京協和信組の資金繰りの管理でございまして、これは本当に毎日毎日電話で聞きましてあの表を日暮君がつくっていたわけでございます。
○斎藤文夫君 頭取、先ほど御答弁の中で、十五億の出資金は株式投資と同じだと、こうおっしゃった。三十億余の出資金の中で半分お持ちになった大株主だ。大株主だったら何だって調査する要求権もあるし、株主としていろいろな要求ができたでしょう。それをおやりにならなかった。いや、あえてそういうことをやって実態がわかればわかるほど恐ろしいから、これはひとつ責任回避をしよう、そんな思いがあったんじゃないですか。 大蔵省と東京都が合同調査に入った九二年、そのときにこんな乱脈経営はと、両方は当然わかるわけです。それを放置した当時の細川内閣、その問題等で時の大蔵大臣、お名前が出ておられますけれども、重ねてもう一つ確認します。 西山荘カントリー倶楽部との長銀を通じて安全信用組合、かかわりはどうですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 西山荘カントリー倶楽部は私どもが紹介をいたしまして、これは安全信組ではなく東京協和信組に紹介したものでございます。紹介案件はこの一件だけでございました。
○斎藤文夫君 ここでちょっと少し冷静に申し上げますが、撤退が長銀にとってやむを得ない措置であったんでしょう、きっとね。しかし、今までの金融トラブル、いろんな事件がありましたね。このいろんな事件があったときにはどうやって大手銀行、解決したでしょうか。蜜月で二人三脚で、そしてお互いが仲よくやってきた。バブル崩壊、途端に三くだり半。いいですか、このやり方が国民から見ると金融機関の資本主義におけるところの身勝手な姿を如実に示しているからなんです。 こういうことを思いますときに、やっぱり金融モラルの上からも、金融不安の未然防止とか預金者を保護するとか、そんなことから長銀がみずから自前でこれをしょう考えはなかったんですか。 もう一つお聞きしたい。物で金を貸すのはこれは金貸しのやることですよ。銀行というのはどうなんですか。経営有の人柄、心、そして事業の内容、将来性、それをもって貸すのが銀行の本来の姿じゃありませんか。あなたのお話を聞いていますと、いやバブル時代でしたよ、長銀だけ責められても困ります。それはあるかもしれない。しかし、本当に長銀が長期で優秀な企業を育てようとする、そういう銀行の本髄をお考えになったときに、恥じるべきじゃないですか。どうでしょうか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 先ほどのお話にございましたように、蜜月時代が過ぎまして悪くなった途端に三くだり手と、したがってそういったショックを与えるようなお話がございましたが、まさにこのケースはその逆でございまして、環境が変わりそれからまた企業がうまくいかなくなったときに、九〇年の十一月にこれを私どもがそのときにつぶせば、恐らく九十の信用機構と申しますか、金融機関あるいはノンバンクは非常にこれは混乱を来したと思いますし、また国際的にも問題があったと思います。 したがいまして、もしそのときに私どもが伏せていれば、私どものイ・アイ・イに対する貸し付けは三百五十億円でございましてそれだけで済んだわけでございます。しかしながら、そういったようなことを考えますと、こういった社会経済的に有用なプロジェクトはある程度完成させると、だめなものは捨てると、継続事業とそれから赤字を、それをはっきり分けましたのが第一次リストラでございました。
○斎藤文夫君 時間がないので。 第一次リストラ案と、一年後に第二次リストラ案で受けられなくて縁切りになったと、こういうことですけれども、第一次リストラ案は確かに、続けていくもの、あるいはここで打ち切るもの、処分するもの、お決めになられたようですけれども、そこで高橋前理事長と意見が全く衝突したんじゃないですか。 例えばおたくが処分せよといって売ったボンドセンターありますね、香港の。あれは今だったら倍の値段で売れた、こういうように仄聞をしているんですけれどもね。要するに処理がいかにも慎重過ぎて、もう買い手がいたらすぐ売って少しでも資金回収した、こういうように相手はとっておるようですけれども、いかがですか。 あわせて、長銀の手を切ってから資金はどのくらい回収されましたか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 先ほどお話のございました継続事業とそれから凍結、処分すべき事業、この計画につきましては高橋理事長も十分に納得の上、高橋理事長と申しますか、イ・アイ・イ・インターナショナルから債権者会議に付議されたものでございます。そこで全員の了承を得て行われたものでございます。 それからボンドセンターの売却につきましては、確かに香港の不動産は値上がりをずっと続けてあの兆時おりましたので、後から考えますとまだなおもうちょっと待てはもうちょっと高く売れたのにということをあるいは高橘氏は思ったかもしれません。しかし、それは単なる、何と申しますかな、恨み事でございまして、しかしそれは計画を承認の上売却し、その値段につきましてたまたまそういうことがあったというだけのことでございます。
○斎藤文夫君 頭取、支援スキームでお話を聞いたとき、率直にどんな感想をお持ちになりましたか。
○参考人(堀江鐵彌君) まず最初に、支援の動機でございますが、これは先ほど来私どもが、私が申し上げたとおりでございます。 それからこの継続事業と凍締事業、このいわゆる第一次リストラの計画を聞きまして、まずまずのやはり妥当な線ではないかと、当時はまだ幾分不動産関係その他を考えまして、まだまだ支援の効果は出てくるのではないかというぐあいに思っておりました。
○斎藤文夫君 国民は、乱脈経営の二信用組人口を、税金を貸すにせよ、都民にしては、それでなぜ助けなきゃいけないの、全国の金融機関も一生懸命この厳しい環境の中、汗を流しているよ、そこから何で関係のない我々が金を持ち寄らなきゃいけないのと。これはもうプロもわからない。国民はもっとわからない。だから政官癒着でごちょごちょっとやっているんじゃないかといういら立たしさ、憤りが今、爆発しているんです。 これは頭取には大変御苦労をかけることだけれども、今回の切り札を使ったことは、今後もっと大きな事件ができたら東京共同銀行じゃいかなくなるんですよ。日本共同銀行をつくって幾つも引き受けなきゃいけない。そういうような例外をつくらせないことになっちゃったんです。 東京都が三百億をちょっとプールしましたね。三月二十日から始まる東京共同銀行、責任上三百億を一時お立てかえになりませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 今回のこのスキームにつきましては、御関係当局、東京都も含めまして、信用秩序の維持あるいは預金者の保護のために考えられたスキームでございます。そのスキームには私どもの援助もしかり、それから東京都の融資もしかり、既にそういう全体の枠を考えられて決められたと思いますので、私どもが東京都の分を肩がわりする気持ちはございません。
○斎藤文夫君 二百八十六億ぐらいでこの際責任逃れとはどうしてもできない。ましてやおたくも千九百億償却をしなきゃいけない、株主訴訟だって考えなきゃいけない、お立場はわかります。ですけれども、全国の信用組合の皆さん三百七十六あるんです。みんな必死で頑張っている。今回の信用組合を巻き込んだこの事件は大変大きな影響を与えているんです。ですから、ぜひひとつ責任をとっていただくように私はあえて頭取にお訴えをいたし、質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○穐山篤君 社会党の穐山でございます。 過日、協和それから安全の前の理事長が衆議院で証言をされました。この証言については関心を持っておられたと思うんですが、決定的に頭取の見解と違った点があれば代表的な項目で結構ですので明らかにしてもらいたいと思います。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 国会で証人が行われまして、これにつきまして軽々に論評することは避けなければいけませんけれども、しかし二、三、私どもの何と申しますか実態と全く異なる事情がございました。 第一に、安全信用組合の鈴木理事長の御発言には事実誤認と思われる箇所が幾つかございまして、結果として皆様方に実態と相当異なる印象を与えているのではないかと強く懸念しております。 例えば、当行が毎日、日計表をとることにより預金、貸出金のすべてを管理していたとか、あるいは毎日の資金繰りの埋め合わせのためのスタンドバイをしていたとか、あるいは安全信用組合のコンピューターシステムが当行のシステムに組み込まれていた等でございます。それからまた、安全信用組合のイ・アイ・イ・インターナショナルグループ向け貸し出し及び保証につきましては、当行が指示、許可を出しており、特に高橋理事長関連の企業の利払いのために高橋氏個人が安全信用組合から借り入れるような方法を当行と高橋前理事長が考えたといったような点でございます。 また、第二に、高橋、鈴木両氏の発言に共通いたしますが、両信組の個々の貸出案件について当行と直接に連絡をとっていたかの印象を残しておりますが、イ・アイ・イ社を通じて資金繰りの把握に努めておりましたものの、個々の案件には一切タッチをいたしておりません。
○穐山篤君 そうしますと、公式に証人として発言をされたそれぞれの前理事長の発言は間違いであった、全然そういう事実はないというふうに、もう一度確認しますが、間違いありませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 この証人の発青につきまして、事実誤認がどうか、現在、弁護士とも相談の上検討中でございます。(「間違いかどうかという質問ですよ。」と呼ぶ者あり) 私は、あれを聞きました限りにおきましては、あれは間違いであるというぐあいに考えておりますが、ただ、なお慎重に弁護士とも相談しているところでございます。
○穐山篤君 それから高橋前理事長は、東京協和の九二年剛収不能額は総貸出額の一・六%、九三年度は一六・数%、九四年度は二八%程度、これはバブル崩壊後の金融機関としては高い比率ではないと証言をしておりますが、金融マンとしてどうお考えですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 東京都の検査の結果といたしましては、かなり高い比率であるというぐあいに考えます。
○穐山篤君 先ほどの質問で、ここ数年間の協相なりイ・アイ・イのつき合いの経過が明らかになりましたが、もう一度伺いますと、高橋さんが入社をされたのは八二年でしたね。それで、八三年に剛理事長、八四年に協和の理事長になった経歴の方ですね。 それからインターナショナルもその当時から海外リゾート・不動産あるいはホテルの経営というふうに始めて、最終的には十一の国にそれぞれの施設なりなんなりを持っておるわけですが、当初、海外不動産・リゾート、そういうものに長銀は関与したわけですね。関与をして、かなり改善をしたことは帳簿上よくわかります。これが一九八八年の決算にはそう公表をされているわけです。その意味では、かなり貢献をされたという一時期があったと思うんですね。 そのころ長銀さんに、ひとつ経営についてこれからも支援を頼みたいという話があった。できれば経営自体もお願いをしたいぐらいの話があったと思います。そのときに、まずは人を出しましょうと、人材を。その上で十分考えましょうと、そういういきさつになっていたはずですね。そこで、先ほどもお話がありますように、人材がそれぞれ派遣をされたわけです。それからいよいよバブル崩壊が始まって、それ以来緊急第一次、第二次のリストラが行われて、とてもこれではどうにもならぬということで九三年の七月に見切りをつけたと、こういうことになっているわけですね。 しかし、その間、このイ・アイ・イ・グループはたくさんのプロジェクトチームを持っていたわけです。また、そのプロジェクトチームについても、派遣をされた顧問だとか監事だとか、それぞれの人たちはよく御存じであったと思うんです。その点はいかがであったんでしょうか。 もう一度申し上げますと、私の知っている限りで言えば、協和は五十何社かに手を広げておって、イ・アイ・イはプロジェクトチームも含めて七、八十ぐらいの仕事をやっていたわけです。全部一々覚えているとは思いませんけれども、主要なプロジェクトについては頭取は十分その経営内容は御存じではなかったんでしょうか。その点を伺っておきます。
○参考人(堀江鐵彌君) ただいまのお話で、協和それからイ・アイ・イとそれぞれのプロジェクトについてというお話がございましたが、その協和信組につきましては、協和信組が、あるいは安全信組もそうでございますけれども、イ・アイ・イ・グループに一時貸し出しをかなりやっておりました。で、その事情につきまして、あるいはその明細につきましては、私どもはよく存じておりました。 それから、ただしそのほかの、特に高橋氏個人関連の事業がやはり東京協和信組の中に含まれていたわけでございますが、これにつきましては私どもはよく承知していなかったわけでございます。 また、そのイ・アイ・イの七十、八十、まあたくさんあるプロジェクトの中で、私どもが関係をいたしました分につきましてはよく存じておりましたが、その数は、ちょっと申しわけございません、約三十強でございました。
○穐山篤君 さてそこで、さっき日報だとかいろんなものは事実とは違うということですから、これはまあ後日、問題にしたいと思っております。 それから協和が、あるいは安全が、ある一つの事業が例えば三十億必要だと。ところが協和は、ゴルフ場の開発についても、三十億必要なお金を実は五十億なり六十億を貸して、その一部をまた別のところに追い貸しといいますかね、迂回融資をしておったという事実が今では明らかなんですが、その当時御存じであったと思いますが、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 九三年の七月まで私どもが多少の関係をいたしておりました間につきましては、私どもはそういった迂回融資の事実は全く存じませんでした。
○穐山篤君 その点は議論になりますから、別のところでもう一遍お話をしなければならぬと思っております。 それから長銀さんには系列のノンバンクがございますね。緊急支援を含めて長銀系ノンバンクがどれだけ協和なりあるいはイ・アイ・イ・グループに資金の融通、出資、貸し出しを行っていたのか、その総額を教えてもらいたいと思います。
○参考人(堀江鐵彌君) 申し上げます。 東京協和信組が資金繰り困難に陥りました特に九〇年の十月から十一月にかけまして、私どもの系列ノンバンクと申しますか系列会社から三百五十億円の預金が行われました。これによってその資金繰りの破綻を免れたわけでございまして、以後は、その後、資金繰りが安定化し、徐々にこの金額も減ってまいりました。 また、イ・アイ・イに対しましては、先ほど申し上げましたように、私どもの貸出残高は一番ピークで三千八百億円でございました。
○穐山篤君 その結果、貸し出しの残といいますかね、回収不能と思われる、回収不能ですよ、今は共同銀行できましたけれども、回収不能の金額は総額でどのくらいと見込んでおられたんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) ただいまの御質問につきまして伺いたいんでございますが、回収不能額と申しますのは当行の回収不能額あるいは協和信組の回収不能、ちょっと明確にお願いをいたしたいと思います。
○穐山篤君 最高のときにはかなり大きいけたのお金を出しておったんですけれども、この九三年の支払いを、支援を停止した時点では千九百億程度というふうに理解をしておりますが、間違いありませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 当行からイ社単体と申しますか、イ社グループではございませんで、イ社単体に融資をいたしました残高が千九百五十五億に達しました。そのうちの約半分、九百五十億円につきまして債権償却特別勘定に繰り入れた次第でございます。
○穐山篤君 そこで、金融マンという立場で考え方を伺いたいんですが、バブルのときにはかなり有名な銀行から始まってノンバンクまで随分踊った時代がありましたね。我々もその点についてかなり議論をしました。 さてそこで、バブルが崩壊をずっとして以降、それでもなおかつ協和なり安全なりイ・アイ・イ・グループがどんどん高い金利のお金を借り、それから高い、高いと育っては語弊がありますけれども、貸し付けて事業をだるま式に壊していったわけですね。そのことは十分に長銀としても承知であったと思う。当然、メーンバンクとしてはこれはまずいぞとか、こうした方がいいぞとか、法規に照らして違反しているぞということは、当然主力メーンバンクとして忠告を与え、あるいはそれを実行させる責任は当然あろうと思うんです。具体的にそういうことをなされたのか、その結果、高橋社長なり前理事長がどういう態度をとられたのか、もう一度明らかにしてもらいたいと思います。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 東京協和信組から九三年七月をもってすべて縁を切りましたときに、までの間に、当行は、例えば東京協和信組は私どもの何と申しますか、イ・アイ・イ・インターナショナルに対する資金の正常化によりまして、信組のイ・アイ・イ・インターナショナルに対する貸し付けはむしろ減少しておりましたし、また同時に貸し出し全体もむしろ減少をいたしていたわけでございます。 しかしながら、私どもが引き揚げるにつきましては、東京都にその計画の詳細を御説明申し上げ、また今後資金的な混乱の起こる可能性のあることを指摘いたしまして、ぜひよろしく御監督をいただくということをお願い申し上げたわけでございます。 また、高金利による預金のかき集めと申しますか、そういった点につきましては、その時点では私どもは存じませんでした。その預金の金利を決めるのはたしか東京協和信組の専務理事の権限でございまして、私どもはそれに一切タッチをしたこともございません。
○穐山篤君 九三年七月に取引を停止したと、こういうふうに言われているわけですが、おたくの系列のノンバンクはまだ協和に何らかの金を預けてありますね。これはどういう理由なんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) それは九三年七月に引き揚げますときに、先ほど申し上げましたように、私どもは東京都にこの第二次リストラ計画の概要はその前に説明しておりましたが、いよいよ引き揚げることになった事情を十分に御説明申し上げたわけでございます。 したがいまして、その後はいろいろ例えば高橋氏の悪影響も出てくるということも懸念をいたしまして、これは都にぜひそこら辺をよくごらんいただくようにお願いを申し上げました。そのときに御当局から、しかし今後の資金繰りその他を考えて、現在ある長銀関連の預金についてはぜひこれをそのままとめ置いてくれという御指導がございましたので、私どもは金融秩序の安定その他を考えまして、そのままその預金を残していたということでございます。
○穐山篤君 話題を変えますが、先ほどの御答弁で、東京共同銀行、新しい銀行の話は十二月六日に聞いたというふうに言われておったんですが、その前には耳にしたことは全然ございませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) 十二月六日以前にこのスキームについての話を聞いたことは全くございません。
○穐山篤君 世間では、東京共同銀行の設立をすることについて、よしあしが議論がありますよ、議論があります。しかし、この共同銀行ができて、理屈の上では金融秩序の維持ということがありますけれども、だれが一番もうかったのか、損をしなかったのかという世間話があるわけですが、長銀が一番それに当たるという批評が多いんですが、これについてどういう御感想をお持ちですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 今度のスキームにおきましては、この東京共同銀行の設立を通じて問題の解決が図られたわけでございますが、私どもにはそれにプラスをいたしまして、イ・アイ・イ・インターナショナルのメーンバンクであったことを理由にやっぱりそれだけの応分の負担をすべきであるという御当局の話がございまして、それにつきまして私どもが応諾の方向で現在検討を進めているところでございます。
○穐山篤君 協和の前理事長の話を仄聞しますと、東京都から、これはうまくないと、何とかせぬかという話が出ておったのは去年じゃないんですよ、おととしの十一月ごろからあったというふうに聞いているわけです。 今回の共同銀行ができるまでには非常に水面下の話が長かったんです。最後は一挙にでき上がったわけなんですけれども、例えば東京都が協和の前理事長に対して、ぼつぼつ身柄を預けてくれぬかというふうな遠回しの話をしたのはおととしなんですね。当然つき合いも皆様は深いし、それから派遣されている人たちもいろいろな情報をお持ちであったと思うんですが、当然私はそういうことは知っていたんじゃないかと思ったんですが、もう一度御面倒でも、あったのかなかったのかを伺っておきたいと思います。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 九三年末には当行は打ち切り後のことでございまして、一切情報はございませんでした。
○穐山篤君 共同銀行の設立に当たってスキームができましたね。いろいろ出資であるとか、あるいは低利の融資であるとか、こういういろんなスキームが書かれているわけですが、長銀さんだけ扱いが違いますね。これはどういうふうに理解をされておりますか。
○参考人(堀江鐵彌君) このたびのスキームにおきましては、私ども応分の出資並びに収益支援のほかに、この不良不稼働資産につきまして一定の金額をしょわされておりますしょわされておると申しますか、割り当てられております。これにつきましては、イ・アイ・イのメーンバンクであったということの関連、あるいは再起責任から、全体の枠組みの中で応分の負担をすべしという当局の御命令と申しますか、御意向であったわけでございます。 したがいまして、そこら辺のことを総合的に考えまして、また過去のこの種の例も参考にいたしましてそのような負担が決まったのではないかというぐあいに思っております。
○穐山篤君 長銀さんは、片方で信用組合のグループの一員として低利の融資という形をとるし、片方では贈与という形をとるわけですね。変わっている、通常の金融の始末の仕方としては珍しいやり方なんですね、これは。言いかえてみれば、今も言われておりますように、特別な立場、特別な責任という意味がこれに含まれていると思いますけれども、その点はいかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 このイ・アイ・イ・グループのメーンバンクであったことからくるこの割り当てにつきましては、それ相応のこととして受けとめているわけでございますが、実際の過去の例を見ましても、低利貸し出し、また支援損はその例がございますし、また今回の銀行が新しくそれに、新しいスキームが出てきたということで、これは御当局がいわゆる信用秩序あるいは預金者の保護のために一歩踏み込んだスキームをつくられた結果であるというぐあいに考えております。
○穐山篤君 今、くしくも御当局の御命令、御意向というお話があったんですが、御当局というのはどの機関を指すんですか。 それから御命令と御意向じゃ違うんですが、どちらに比重があったんですか、伺います。
○参考人(堀江鐵彌君) 御当局と申しますのは大蔵省、日銀、また東京都のその三者でございます。 また、御命令があったと申し上げましたのはこれはちょっと私の言い過ぎでございまして、そのような御相談があったということでございます。
○穐山篤君 これは大事なことですが、その三者が一緒に長銀さんにそういう御意向を示したんですか、別々に示されたんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) ございましたのは大蔵省と日銀からでございました。また、東京都はその席には来ておられませんでしたけれども、そのやはり実際の監督当局としていろいろその間に御相談があったのであろうというぐあいに考えております。 また、先」ほども、繰り返しになりますが、命令ではございませんで検討の依頼でございました。
○穐山篤君 最後に伺いますが、三東野日銀前総裁の息子さんがおたくの銀行に就職されていますね。イエスかノーかで結構です。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 三重野君は私どもの銀行に在籍をいたしております。
○穐山篤君 終わります。
○北澤俊美君 参考人、御苦労さまでございます。 きょうのこの参考人聴取は、当委員会としても国民に真実を知らしめるためにむしろテレビの放映がいいんではないかということで決断したわけであります。したがって、そのことを十分に承知をされて、参考人だから自分に都合のいいことを言うというようなことはないと思いますけれども、先ほど来の審議を、質疑を聞いていますと、どうも会社のPRをしているような、言いわけがましい答弁ばっかしで、なかなか納得ができませんので、きちんとまたお願いをしたいと思います。 そこで、長銀の今置かれている立場、これはさっき斎藤委員が質問の中で言われた、現在の我が国の経済状況からして、将来にどういうふうに展開していこうかという苦慮、焦り、そういうものは私どももある程度はわかる。わかることはわかるとしましても、長期信用銀行というのは債券発行も特別に認められた銀行ですよ。いかなる理由があるにしても、イ・アイ・イなどという体質のもろさを分析できずに多大の資金を融資して、そのしりぬぐいを国民の税金でさせるというような結果になったということに、長年の銀行家としてのあなたの本当の真情をまず最初にお聞きしたいと思います。
○参考人(堀江鐵彌君) イ・アイ・イに対しまして多大の資金を供与したことにつきましては、私どもは非常に残念なことには思っておりますが、しかし我々は誤ったことをしたことはないというような考えております。 と申しますのは、私どもがそのイ・アイ・イに融資をいたしましたのは、むしろこの経営破綻をしましてからその再建のために資金を使ったことが、私どもはしかも主導的にそれをやらざるを得なかったというところにその残高が急増したわけでございまして、当初の残高の範囲でこれを捨ててしまえばあるいはよかったのかもしれませんが、責任ある銀行としてはそういうことはできないと我々は考えたわけでございます。
○北澤俊美君 改めて順を遣ってお聞きしますが、そもそもの取引のスタートは個人的な人脈によって、長銀の東京支店の営業四部、これは新規部門の開拓ですね、ここが六十一年の一月に飛び込み営業をして一億円の融資をしたと。これは原部長という方がそれに手をつけて、ある意味では成功したと、こういうふうに認識してよろしゅうございますか。それが上しければそれでいいというふうに言ってください。
○参考人(堀江鐵彌君) そのとおりでございます。
○北澤俊美君 これから蜜月時代が続くわけですよ、そう長くはないが。 高橋氏とは会食等で何回ぐらい席を一緒にされましたですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 高橋氏とは、一番初めにたしか七八年の一月に正月のあいさつでお目にかかりましてから、九三年の七月ぐらいまでに大体八回ぐらいお会いをいたしました。 その中で、食事をいたしましたのは四回でございまして、二回は当方から、二回は先方から受けたものでございます。
○北澤俊美君 杉浦敏介さんと言っていいのかな、長銀内における立場はどういうお立場ですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 私どもの相談役でございます。また、名誉顧問という俗称も持っております。
○北澤俊美君 私の承知しておる限りでは、中興の机、大変尊敬を集めておられる方で、大変御無礼な言い方だが、現職頭取も我が子のような見方をされておると、それは愛情のしからしむところでしょう。そういうお立場だと、こういうふうに認識しております。 それで、多分平成の二年だと思いますが、赤坂の松山で、高橋氏を囲んで杉浦氏も同席して会食をされましたですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 ただいまの御質問に対しましては、ちょっと調査をいたしませんとはっきりいたしませんので、場合によっては後ほど先生に御報告申し上げたいと思います。
○北澤俊美君 じゃ、少しわかりやすく言いますがね。 杉浦さんがイ・アイ・イと一緒にサンクチュアリーへ視察に行って、それで帰ってきて、その慰労も兼ねて宴席を松山で持たれた。それは、あのときにあなたも出席されて、専務、常務も行き、それからイ・アイ・イの方からも社長以下数名が参加をしておる、こういうことでありますが、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 確かにその会の前に杉浦がサンクチュアリー・コーブに行ったかどうか、ちょっと私は存じません。あるいは記憶にございません。
○北澤俊美君 これじゃ困るんですよ、これは。幾ら参考人だからといったって、そんな。この席へ出た人たちから私は、複数の人からお聞きしていますよ。 その席で杉浦氏はこう言っているんだよ。大したもんだ、君は一体どうやってあれだけのものを手に入れたんだと絶賛したと、こう言うんだね。その前に、あなたが目の前にいたと、こう言うんですよ。そのぐらいのことはおわかりでしょう。まだぼける年じゃありますまい。
○参考人(堀江鐵彌君) 確かにそうおっしゃられればそうのような気もいたしますけれども、これは本当のところ、私はちょっと記憶にございません。 ただ、サンクチュアリー・コーブと申しますのはオーストラリアのゴールドコーストのそばにございまして、たしかあれはブッシュ大統領が日本に参りましたときに、途中オーストラリアに寄って、サンクチュアリー・コーブに寄ってゴルフをしたというような話を聞いておりますし、私も一遍参りまして、これは確かに非常にいいところでございます。
○北澤俊美君 それじゃお願いしておきますが、記憶を呼び戻してきちんと御回答をいただきたいと思います。 それから杉浦さんと北海道の岩澤さんは極めてお親しい仲だ、こういうふうに承っておりますが、長年部下であったあなたから見て、どうですか。
○参考人(堀江鐵彌君) そのようなことは聞いたことがございません。
○北澤俊美君 この後からの長銀とイ・アイ・イのつき合い、それから葛藤、こういうものにただいま私が申し上げたことは極めて重要な関連を持ってくるわけですよ。今、参考人という立場で、それを承知していない、こう言われれば、私はそんなことはあるまい、こう言ってみたところで時間を浪費しますので、また改めての機会にお聞きをしたいと思います。 しかし、この後だんだん資金繰りが先ほど来のお話で悪化していくわけですね。 平成元年ですか、一九八九年の末に、これはバブル崩壊の一年前、先ほどもちょっとお話が出ていましたが、長銀へ信組の経営を高橘氏が依頼をしたわけですね。このときに、いろんな報道によると、岡本、鈴木間取締役は大変喜んだ、こういうんですね。さっき斎藤委員が、信組の経常に参画してリテール部門を展開していこうという思惑があったんではないかというように言っておられた。これはあらゆる印刷物、テレビ等で報道されておりますけれども、これについてはどうなんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 八九年末に東京協和信組の経営に、経営と申しますか、理事長を引き受けないかという話は確かにございました。それを聞きまして、岡本、鈴木の両名が大変喜んだという記事がよく週刊誌その他に出回っておりますが、私はそのようなことは聞いておりません。 それから、また……
○北澤俊美君 いや、それだけで結構です。聞いていない。 毎日、まあ新聞は余り読みたくない心境だろうとは思いますが、これはきのうきょうのでも大変なものだ。私らもいろんな情報を余りよくない頭へインプットするけれども、微妙に違ったものが出てきたりしていましたけれども、ここ二、三日は大体各紙が長銀の責任について論じておるし、それから迂回融資の問題、さまざまな問題を一緒に同じ文脈で書いておる。 これ全部あなたはさっきから否定しているんですよ。これもし本当にあなたの言うとおりだったら、我が国新聞史上でもこれほど報道が一緒になって間違ったなんということはちょっとないと思う。それだけの責任は感じていてくださいよ、いいですか。後日、証人としてお願いしなきゃならぬことになるかもわかりませんので、そのことを申し上げておきます。 そこで、出資をするわけですけれども、もう細かく言いませんけれども、協同組合法で口数の制限がありますね。これを系列会社へみんな割った。それで五〇%の資本参加をした。これは一種の脱法行為ですよ。自分の系列のところへ割り振っている。これは法律があるからやったと。先ほども申し上げましたけれども、銀行家としてモラルの問題があるわけです。この点についてはどうですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 出資をいたしましたこの七社につきましてはそれぞれ実体のある会社でございまして、私どもが誘いはいたしましたけれども、その出資の判断は各自において独自に行われております。
○北澤俊美君 そんなことをここでやっていたら、本当のことをあなたは国民に理解してもらえないですよ、それは。長銀という国策会社を率いている立場でしょう。ここへ来るようになったからにはやっぱり真実を述べてもらいたいですね。 それから少し細かいことになりますが、その前にちょっと、あなたは「経済界」という雑誌で、支援打ち切りをしたときにインタビューに答えておりまして、大口債権者として国際的、社会的に立ち腐れにすることはできないということで支援をしてきた、それから、私どもといたしましても社会的責任は十分果たしたんじゃないだろうかという判断に基づいて支援を打ち切ったと、こう言うんですね。社会的任を既にあの時点で果たし終えたと、こう言っているんですね。その心境に今でも変わりありませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 先ほどお話がございました、国策会社とおっしゃいましたけれども、私どもは民間の企業でございます。
○北澤俊美君 形式的なことを聞いているわけじゃない、このことの趣旨を聞いているんです。
○参考人(堀江鐵彌君) はい。それからまた、そのメーン銀行といたしまして、第一次、第二次のリストラ計画を通じまして、本当に我々、特にこの三十人の人間が……
○北澤俊美君 いや、社会的責任を果たしたかと。その心境をあのときのインタビューでおっしゃいましたから。
○参考人(堀江鐵彌君) 私は十分果たしたと、特にメーン銀行としての責任はもうこれ以上はできないぐらいまでよく果たしたという具合に考えております。
○北澤俊美君 そこが大間違いなんだ。結果として東京都は三宮億の支援融資を大蔵省、日銀から要請される。それから保険機構から拠出される四百億、これも御存じのとおり、預金者の預金の〇・〇一二%ですか、これ国民のお金ですよ。それを、集めているといったってたまたまそこヘプールしてあるだけで、国民の財布から出ている。これを拠出しなければこの始末ができないんじゃないですか。その点についての責任というものは感じませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) 東京都の決定は、必ずしもすべてこれでこの融資はキャンセルしたというふうには聞いておりません。これは次の知事にその判断をゆだねたという具合に聞いております。 それからまた、そのような全体の仕組みの中で行われていることでございまして、これの良否云々は差し控えさせていただきたいと存じます。
○北澤俊美君 ちょっと申し上げておきますが、支援打ち切りは、イ・アイ・イの経営破綻、それから両信組への影響、これは十分認識していたはずだと思うんですよ。 そこで、大蔵、日銀などとはどんな相談をし、それから指導を受けましたか。このとき既に今回の私はスキームはできていたと思うんですよ、これは。それで、あなたはそれにほっとして、社会的責任は果たしたと思わず言葉になって出た、そういうことだというふうに思いますが、あなたはこの時点で、支援打ち切りのときに大蔵、日銀とどんな相談をし、指導を受けましたか。簡単に言ってください。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 大蔵省、日銀に対しましては、この第一次リストラの、あるいは第二次リストラの計画段階におきまして、その詳細を御報背申し上げております、 それで、この打ち切りにつきましては、打ち切りに至った経緯、その間の当行の考え方を十分に御説明を申し上げると同時に、東京都に対してはそこら辺お御説明申し上げ、かつその高橋氏その他の影響が今後及ぶ可能性が大いにある、これについてぜひ善処をされるように東京都にお願いを申し上げた旨を大蔵省にも御報告申し上げました。
○北澤俊美君 細かいことをお聞きしますが、頭取はそこまで知らぬと言うかと思いますが、支援打ち切り前後、この出向している職員の引き上げに先立つこと十日ほど前、あらゆる書類に高橋氏はサインをさせられたと、こう言っているんですよね。 これは債権債務の整理をまずそこで固めたと、こういうことですね。そして、その一週間ほど後に今度は和議を持ち込んでいるんですね、和議の話を。それで七月の八日に引き揚げる。これ順序からすると道なんですよね。先に整理をさせて、これはもう問答無用、自分のことだけ考える。 そういう経過があって、驚くことに、その二、三日前に書類をシュレッダーへ入れてみんな処分したと、こう言っている。何か聞いていますか。
○参考人(堀江鐵彌君) 私どもがイ・アイ・イ・インターナショナルから退去いたしましたときの事情につきましては、詳しくは聞いておりません。ただ、一番最後にお互いに別れますときに、お互いにパーティーを開いて、非常に和やかであったというぐあいに聞いております。
○北澤俊美君 和やかな後で、しがっている人、怒っている人、涙を流している国民がいるということをあなたは承知してもらわなきゃ困りますよ。和やかにパーティーをしてということは一体どういうことですか。不謹慎もきわまりないですよ。本当にそんなに和気あいあいで和やかにやったんですか。これだけの大きな問題を、両方でもって責任をとり合いっこなしに、結果的になってしまったものを、和気あいあいにパーティーを開いたんですか。
○参考人(堀江鐵彌君) そのように聞いております、
○北澤俊美君 これはもう責任を全く自覚してないな。(発言する者あり)今そちらでも言っているが、これは両方とも本当に無責任だ。もっと悪いのは、その人たちのことをきちんととらえないでこんなスキームに乗せた大蔵、日銀はもっと悪いけれども、そのもとをつくったのはあなた方ですよ。 ただ、シュレッダーで始末したけれども、急いだために、あなた方の退却はちょっと急ぎ過ぎだから、段ボール箱に。五つも残ってたというんだ、その前の書類が。それが今、出回り始めていると、こう言うんですね。これはもうあなたに聞いても仕方がないが、その程度のことで慌ただしく飛ぶ鳥跡を濁しながら出ていったと、こういうことですよ。 あなたのさっきからの御答弁を聞いていると、どうも責任の自覚が非常に薄い。これは参考人にしたことは私はやっぱり間違いだったかと、こういうふうに思いますよ。改めて、責任を全うしたかどうか、お答えください。
○参考人(堀江鐵彌君) ただいまのお話では、私どもがイ・アイ・イ・インターナショナルを急に見捨てたようなお話でございましたが、私どもといたしましては、一次、二次のリストラを通じ、できるところまでやったわけでございまして、その間の事情は高橘氏も十分存じていたわけでございます。 したがいまして、その最後の引き揚げにつきましては、高橋氏との話はお互いに見解は折り合いませんでしたけれども、けんか別れということではございませんでした。で、私どもの行員がそこから引き揚げるにつきましては、高橘氏自体が全部の解職の手続をとりまして、これで終わりましたからどうぞということで私どもが引き揚げたわけでございます。私ども民間銀行といたしまして、これ以上の支援はやはりできないというぐあいに信じております。
○北澤俊美君 これだけの銀行が、この泥沼へ足を踏み入れちゃった責任の自覚がないんですよ。やるだけのことはやったみたいなことを育っているけれども、それだけの分析力のない運営というのは大変な責任ですよ。 そこで、最後になりましたが、あなたの長銀関連の企業、私はよくわかりませんが、おおよそ百社ぐらいと、こう言われておる。例えば日本リー又、第一往金、エヌイーディー、日本ランディツク、こういうノンバンクがあるんだが、ここへ融資している全額がおおよそ七兆と、こういうふうにお聞きをしておりますが、正しいですか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 大体そのような金額になります。
○北澤俊美君 それで、この中の七、八〇%が焦げついておると、こう言われておるんですよね。これは見方によって、ああ、あれは死んでいるとこう言ったのが、向こう側から見たら、いや生きてるよとこう言うかもしらぬけれども、七、八〇%。大変なことだと思うんですけれども、どうですか。
○参考人(堀江鐵彌君) そのようなことはないと存じております。 私どもの公表されました不良債権は七千四百億でございます。
○北澤俊美君 それはまたまことに結構なことでございますがね、これはここで言っても水かけ論であります、もう時間も来ましたからね。 一連の質疑を通じて、私は、この問題の根の深さが当事者に、国民に対する責任感の欠如にあるというふうに今思いました。 今回の共同銀行のスキームは、大蔵、日銀が早くから温めていた構想であることはこれは間違いない。そこに長銀とイ・アイ・イの行き詰まり、これをきっかけにしまして二情組破綻の信用秩序問題が理論的な参画をしていったわけですよ。そしてこれが発動された。そういう責任を十分に自覚していただきたい、こういうことを申し上げて、私の質問を終わらせていただきます。
○井上哲夫君 新緑風会を代表しまして、井上哲夫でございますが、私の持ち時間、お尋ねをいたします。 まず、あなたは何年から今日まで頭取でございますか。何年に頭取に就任されたか。
○参考人(堀江鐵彌君) 一九七九年の六月でございます。
○井上哲夫君 そこで、お尋ねをいたします。 私は、あなたが今までの御証言の中でおっしゃってみえる二つの、イ社といいますかインターナショナル社と、あるいは高橋さんたちの両信用組合とのかかわりで、二つの大きな山場があったと。これは一つは九〇年のことですね。そしてもう一つは九三年の七月と。九〇年のときには、まあつぶそうと思えばあのときにつぶせば簡単であっただろうという趣旨のことをおっしゃいましたが、その趣旨は、インターナショナル社をつぶすということなんですか、両方の信用組合も整理をするという意味ですか、どういう意味でございますか。
○参考人(堀江鐵彌君) これは、お答え申し上げますが、イ・アイ・イ・インターナショナルをつぶすと申しますか、っぶすということでございまして、その時点では両方の信組につきましては全くノータッチでございました。 先ほどちょっと失礼申し上げましたが、私、就任いたしましたのは一九八九年の六月でございます。
○井上哲夫君 実はそのときに、あなたは先ほどの説明では、九〇年のときにはノンバンクの影響、国際金融機関への影響等あって、やはり自分のところが高橋さんの要請を受けて、人間も入れる、お金も出すと、十五億の出資金を出したわけですね。そして、むしろ破綻に近いイ社に元気を出させたんだと、こういうことでありますね。 そうすると、九三年の七月には和議を勧めたが断られたという場合に、やはりイ・インターナショナル社の整理のための和議、それから二つの信用組合、それも含めているのか片方なのか、お尋ねします。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 九三年七月に和議を申し立てましたのは、この和議の話をいたしましたのはイ・アイ・イ・インターナショナルに対してでございまして、二つの信組についてではございません。
○井上哲夫君 この話をなぜ私が確認しているかといいますと、九〇年の十月には一カ月間、両方の信用組合の資金操作に心配、懸念があって、おたくは資金援助というか、資金繰りに援助したんですよね。だから、イ社だけの整理整とんで済むわけではないと、金融界であなたも仕事をしてみえれば。そうすると、九三年の七月のときには、和議の話をしたのはインターナショナル社の和議のことだけ考えていたとは私は到底思えない。 その辺でもう一つ質問しますが、あなたの方は、決裂をしたからもうやめたのか、第二のリストラの期限が来たのでやめたのか、どっちですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 九三年七月にイ・アイ・イ・インターナショナルとの和議の提案をいたしましたのは、その第一次、第二次のリストラを通じまして、社会経済的にある程度意味のあるプロジェクトについてはほぼ全部完了をいたしました。例えばニューヨークのホテルであるとかその他完了いたしまして、それから相当の処分も進みました。そのようなことから和議に至ったわけでございます。和議に至ったと申しますか、和議を提案するに至ったわけでございます。 それから九三年七月にイ・アイ・イから撤退いたしましたときに、東京都に対しましてその私どもが撤退するに至った理由、それを詳細に説明をいたしまして、しかしながらその時点ではまだまだその両信組は一応の格好は保てていたわけでございます。したがいまして、これにつきましてよく監督をしていただくようにお願いを申し上げまして、それで撤退をしたわけでございます。
○井上哲夫君 今のお話は半分理解できませんよ。九三年の五月に東京都の検査の内容を聞いて、あなた方はびっくりしたと、これはひどいと。それで七月に撤退をするときには、むしろ東京都に両信組について資金がショートするかもわからぬ、その辺も十分監督、助成、支援をお願いしたんじゃないですか。そうだとすると、七月に撤退というのは、和議を受け入れてくれなかったというよりも、要するにおたくの都合で逃げ切ったわけですよ。それはまあ逃げ切ったと言われれば、あなたは、そんなことはありません、社会的責任を果たしたのでここがころ合いだということなんですとお答えすると思いますので、私はその質問はあえていたしませんが、七月の際にこういうことで東京都に善処をされたと説明をしたということでございますが、そのときに大蔵省なり日銀には報告なり相談をされましたか。
○参考人(堀江鐵彌君) もちろんいたしておりました。それは大蔵省、日銀に、しかもかなりの回数で御相談を申し上げておりました。
○井上哲夫君 かなりの回数というのはどのぐらいでしょうか、具体的にお答えいただきたい。
○参考人(堀江鐵彌君) 失礼申し上げました。お答え申し上げます。 その打ち切り前後に二、三回伺ったようでございます。
○井上哲夫君 今のお答えはどうも、二、三回しゃないと思いますよ。まあいいでしょう、それは。 これは九三年の七月のあなた方の撤退のときに、やはり金融システムが脅かされるかもしれないということもあったと思うんですよ。で、東京都にくれぐれもよろしくというだけでなくて、大蔵省、日銀にも説明というか御相談というか、言葉はどういうふうにでも使えますが、その辺を頼んだと。そうだとしますと、このときに、実はほかの信用組合で体力のあるところに引き取ってくれとかということまでほとんど努力をされていないんでしょうか。 と申しますのは、あなたのところは十五億円の出資の積み増しをして、しかもイ社に対しても両方の信用組合、とりわけ協和の高橋さんには随分強いこと言える立場だったと思うんですよ。その辺はいかがでしょうか。いわゆる両方の信用組合を吸収あるいはいろんな形での整理ができたはずだと思うんですが、その点について長銀はどういう立場でどういう努力を払われたんですか、あるいは全く払われなかったんでしょうか。
○参考人(堀江鐵彌君) 直接の監督御当局は東京都でございまして、その東京都に対しまして委細をすべて説明し、かつ、もしその資金繰りに破綻を来すようなことがあった場合には、私どもが相当の預金をとめ置いておりますし、さらにそれ以上の援助もするということまで約束をしたわけでございます。ただし、その吸収とか合併とかそういった話は私どもからも持ち出しませんし、都からもございませんでした。
○井上哲夫君 今、もう時間ありませんので一つだけ。 現在、あなた方の系列、長銀の系列も含めて、この両方の信用組合に残している預金額というのはざっと幾らでございますか。
○参考人(堀江鐵彌君) 合計いたしまして百億弱でございます。
○井上哲夫君 ありがとうございました。時間が、後ろの方が迫っておりますので終わります。
○有働正治君 端的にお答えいただければと思います。〔資料を手渡す〕 今、資料をお渡ししましたけれども、私はイ・アイ・イ・グループヘのあなたの銀行からの出向者一覧リストをここに持っています。一つは、この資料の記載内容は全体として間違いないと思いますけれども、いかがでありますか。二つ目は、ピーク時点であなたの銀行から最大何名、出向されておられましたか。
○参考人(堀江鐵彌君) まだ十分に見たわけではございませんが、大体におきましてこの表は私は正確な表であるというぐあいに思っております。 それから私どもから出向いたしましたときのピークは二十九名でございました。
○有働正治君 いつですか。わからなければいいです。
○参考人(堀江鐵彌君) 九二年六月でございます。
○有働正治君 次に、その資料二の中で、これは九二年四月時点でのイ・アイ・イ社の組織図でございます。そこではあなたの銀行からイ・アイ・イヘの出向者は黒丸印がつけてあります。 役員の中に田中副社長以下五人、十二部の部局の中で部長、室長が八人、次長が六人、特に海外事業本部で担当役員、部長、次長、課長などが目立って占められている。 この組織図は関連いございませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) 関連いないと思います。
○有働正治君 私どもの調査によりますと、長銀総合研究所が九一年十月二十二日まとめました「海外会員制リゾート事業の今後の展開に関わる調査」という報告書があります。ここに私、写しを持ってまいりました。 この系列研究所の調査というのは、その冒頭にこう記載されています。イ・アイ・イの依頼を受けて、グループ企業であるサザンパシフィッククラブ、SPCの太平洋地域における会員制の海外リゾートクラブ事業の今後の展開方向につき検討し提言したものである、こういうふうに明記されています。このイ・アイ・イ系列の事業というのは、基本計画として総投資額約四百億円で、オーストラリア、ハワイ、フィジーなどを含めた投資が予定されているものである、このようにも記載されています。 そこでお尋ねしますけれども、こうした報告書の存在は、当時あなたはその立場上、当然御存じだったと思いますけれども、いかがでありましょうか。
○参考人(堀江鐵彌君) 詳細には覚えておりませんが、確かにそれを読んだことがあると思います。
○有働正治君 あなたは発言の中で、一連のプロジェクトその他について計画立案には関与していないとおっしゃられましたが、あなたの系列の研究所ではイ・アイ・イの海外事業展開を調査の上でも関与、サポートし、これはその上に立つ提言として述べているわけです。関与してサポートした、そういうことが言えるのじゃありませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 総研は私どもの長銀本体とは別の経営でございまして、客観的にレポートしたまででございます。これは提案はいたしましたけれども、それを受けるか受けないかはイ・アイ・イ・インターナショナルの自由でございます。
○有働正治君 ここに長銀レポートというのを私は持っています。これは長銀本体のものではございませんか。どうですか、長銀の調査月報というのは。
○参考人(堀江鐵彌君) それは総研のものであると思います。
○有働正治君 この中にも、ゴールドコーストの教訓だとかオーストラリアの計画についても明確に述べられています。あなたの言いわけは通らないということをはっきり述べておきます。 次に質問いたします。 元新宿支店長で、現在長銀総研コンサルティングの事業部長だと思いますが、原惇一さんという方がおられると思いますが、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 在籍をいたしております。
○有働正治君 その方を含めまして、長銀及びその系列企業を含めまして、高橋氏の自家用のジェット機で高橋氏と一緒に南太平洋での土地や建物を調査あるいは購入等のために出かけた例があると思いますが、いかがでございますか。
○参考人(堀江鐵彌君) はっきり日にちその他を覚えているわけではございませんが、その役職にございますと当然、むしろ三、四回は一緒に行っているのではないかというぐあいに思います。
○有働正治君 あなた自身はいかがでございますか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 私は、その飛行機には一遍も乗ったことはございません。
○有働正治君 あなたは高橋氏と八回ぐらいうち食事が四阿と述べられました。高橋さんの接待場所あるいはあなたと会われた場所で、赤坂の料亭佐藤にお行きになったことはありますか。高橋さんと一緒でなくても結構ですけれども、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) 一遍ございます。
○有働正治君 あなたは、あなたの交際費を含めまして、接待交際費を高橋側に持たせたことはございませんか。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 全くございません。
○有働正治君 私どもがイ・アイ・イの責任ある関係者から直接聞いたところでは、ツケ回しはあこぎだったと怒っているんですけれども、いかがですか。
○参考人(堀江鐵彌君) それは長銀がでございますか。
○有働正治君 そうです。
○参考人(堀江鐵彌君) そういったようなことは、私はあり得ないと思いますが。
○有働正治君 事実と違う、私どもの調査と違うと述べておきます。 もう一点、私どもの調査では、国際的に長銀が訴えられないかということで、その対策研究が長銀内でやられたことがあると承知していますが、この点いかがでありますか。
○参考人(堀江鐵彌君) どのような案件についてでございましょうか。
○有働正治君 長銀が国際的に訴えられるということでその対策研究をやられるという、資金融資の問題、かかわり等から焦げついて。
○参考人(堀江鐵彌君) そのような検討はいたしたことはございません。
○有働正治君 事実と違うということを申し上げて、終わります。
○西野康雄君 新党・護憲リベラルの西野康雄です。 長銀が何でもかんでもこの事件を見ていると高橋さんに責任をおっかぶせていて、随分ひきょうなことであるなというふうなことが私自身は感想としてありますが、この件はレジャー投資のバブルがはじけての損失だけで迫っていくと本質が見えなくなるんじゃないか。 あなたが副頭取から頭取時代のプロジェクトとして、ベトナム南部沖とそれから豪州の灯油・ガス開発事業がありますよね。平成三年に帝国石油は、豪州の分、イ・アイ・イの油田開発権を取得していますよ。イ・アイ・イは七億豪ドル、あの当時西九円ですか、で取得をしている。イ・アイ・イが七億豪ドルで取得したのを帝国石油に転売していますね。平成四年の一月三十日にベトナムの方ではアラビア石油と帝国、石油とイ・アイ・イ、これ共同開発していますよ。ベトナムの方はどうかといったら、イ・アイ・イが長銀より手を引けと言われたので平を引いた。 この辺は衆議院の加藤六月先生がちょっとその辺だけちらっと触れておりますが、しかし平を引けといって手を引いた後、イ・アイ・イのかわりに入ってきたのは越南商事というあなた方の系統の商事会社でしょう。当時の新聞記事を読むと、「帝石はほとんど費用なしで、将来有望な北部豪州沿岸の油田開発権を取得」、こういうふうな記事まで出ているわけですね。 あなたはこのからくり御存じでしょう。あなたはずっと国際畑を歩んできたんですよ。ずっと国際畑を歩んできて、そして副頭取から頭取になられたんですよ。イ・アイ・イを長銀のダミーとして石油開発に使っていたんでしょう。そして、このからくりをずっと、石油利権のからくりと今回のスキームを完成させたならば、石油会社は回り回って国民の税金で石油開発権を手に入れたことになると思うんですな。 だから、もう時間がございませんから、イ・アイ・イは長銀のダミーだったのか、イ・アイ・イは長銀の意向を受けて、石油開発の方に行ったのか、この一点だけ聞かせてください。
○参考人(堀江鐵彌君) お答え申し上げます。 当行はプロジェクトスキームなどについて側面的援助を行ってきましたが、同社がリストラ態勢に入り、開発資金の負担の問題もあり、持ち分を当行の紹介で、例えば帝国石油に紹介をいたしました、に譲渡をいたしました。 また、越南商事はシーコムの子会社でございます。
○西野康雄君 ちゃんとこれは追及をしてまいりますし、今後さっちりとあなた方に対してもう僕は宣戦布告いたします。
○島袋宗康君 私は、二院クラブの島袋宗康でございます。 先ほど来、御答弁、御説明をお伺いしておりますと、長銀内部の問題、そしてあなたの責任についていわゆるクリアしたんじゃないかというような印象を与えております。そういうふうなことで先ほど来語を聞いておりますけれども、しかし大切なことは都民あるいはまた国民に対して、今度の長銀のとったこういった責任問題というものをどうやって都民、国民に説明するかというふうなことが一番大事ではないかというふうに思うわけです。 そこで、本日はテレビで放映されておりますから、今まさにあなたの説明が国民に伝えられるわけです。 銀行は信用が命でございます。また、私ども政治家も同様でございます。たとえ法的に問題がないとしても、やはり国民に疑惑あるいは疑問があれば、それに対する国民の信頼をどう回復していくかということは大きな私は責任があると思います。そして、その問題を解いていく努力と真摯な態度が私どもに与えられた大きな命ではないか。それを十分に説明しない限り、この命は絶たれるというふうに私は思っております。 したがって、国民は長銀にどういう疑問、責任を感じているとあなたは思うのか。そして、国民にあなたはあなた自身の責任をどういうふうにお考えなのか、私に答えるというよりも、国民の皆さん方にわかりやすくその賛価についてひとつ御説明を願いたいというふうに思います。
○参考人(堀江鐵彌君) お答えを申し上げます。 今回このような形でお騒がせをいたしましたことは、まことに遺憾でございます。特に私どもは、私どもの経営哲学その他につきまして詳細に国民に知らしめると申しますか、よりPRに力を入れるといったようなことに欠けましたことはまことに残念でございまして、これを大きな教訓といたしまして今後の当行の経営に生かしてまいりたいと決意を新たにいたしているところでございます。
○島袋宗康君 時間がないので、終わります。
○委員長(坂野重信君) 以上で堀江参考人に対する質疑は終了いたしました。 堀江参考人には、長時間にわたり御出席をいただきまことにありがとうございました。御退席くださって結構です。 午後一時に再開することとし、休憩いたします。 午前十一時五十三分休憩 —————・————— 午後一時一分開会
○委員長(坂野重信君) ただいまから予算委員会を、再開いたします。 予算の執行状況に関する調査のうち、東京共同銀行問題に関する件を議題とし、休憩前に引き続き、参考人の方から御意見を求めることといたします。 午後は、前日本銀行総裁三重野康君から意見を求めることとしております。 この際、参考人に二音ごあいさつ申し上げます。 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただき、ありがとうございます。 当委員会におきましては、予算の執行状況に関する調査を進めておりますが、本日は、特に参考人の方から東京共同銀行問題について御意見を聞くことになった次第でございます。 この際、委員各位に申し上げます。 本日は、申し合わせの時間内で参考人に対し質疑を行うのでありますから、御協力をお願いいたします。 また、質疑時間が限られておりますので、参考人の答弁は要点を簡潔、明瞭にお願いいたします。 それでは、まず委員長から参考人に対し質問いたします山 まず、日本銀行が東京協和信用組合及び安全信用組合の経営状況が悪化していることを知ったのはいつですか。また、それに対して日銀として何らかの対応をとりましたか。とったとすれば、どのようなものでしたか。 まずお答え願います。
○参考人(三重野康君) 日本銀行は、信用組合に対しては直接指導監督する立場にはございません。 この二つの信用組合をマークしましたのは、やはり平成五年の七月に長期信用銀行がイ・アイ・イ・グループに対する支援を打ち切ったことが契機でございます。そのときに二信用組合がイ・アイ・イに深いかかわり合いがあることがわかったわけでありまして、その後、東京都と関東財務局が合同検査を八月、九月おやりになりまして、十月にその結果を東京都あるいは大蔵省から連絡を受けまして、そのときの東京都の判断は、経営内容の改善指導を強化し、経営問題の解決に努めると、そういうことでございましたので、私どもも東京都の判断を尊重し、その後フォローしてきたわけであります。
○委員(坂野重信君) 東京共同銀行の設立に当たり、日本銀行内部で、また東京都、大蔵省、日銀との間でどのような話し合いが行われ設立の決定に至ったのか、その経緯について説明してください。 また、なぜあなたが退任問際になって今回のスキームをまとめたのですか。
○参考人(三重野康君) その後、東京都と大蔵省の合同検査の第二回が平成六年、昨年の六、七月に行われまして、その結果を八月に東京都及び大蔵省から連絡を受けました。その時点で、二つの信用組合の資産内容が著しく悪化して、到底自力再建が困難であるという連絡を受けまして、秋以降、東京都の要請によりまして、東京都と大蔵省と日本銀行との間でこの両信組の処理についていろいろなレベルで幅広い検討が行われまして、そして私がそのスキームを最終的に開きましたのは十一月の終わりでございます。 それから後、そのスキームにつきまして関係金融機関の了承等を、おおむねの了承等を得まして、十二月十何日だったかな、十二月九日に発表をしたわけでありますが、委員長は私の任期の関係をお尋ねでございますが、こういうような処理につきましては、合意ができ次第なるべく早く発表して実際に取りかからなきゃならないわけでありまして、たまたま十二月九日までにそれができましたので発表をいたしましたので、私の任期と直接のかかわり合いはないというふうに思います。
○委員長(坂野重信君) 経営破綻に陥った両信用組合の処理に当たって、預金保険機構による払い戻しの方法をとらなかったのはなぜですか。
○参考人(三重野康君) ペイオフというのも選択肢の一つとして私どもも検討いたしましたが、今、委員長がおっしゃったように、事実上それはできないという結論に達したわけでありまして、この際、金融機関の破綻と一般企業の破綻との違いについて少し申し述べたいと思います。 それはどういうふうに違うかといいますと、金融機関の破綻というのは、それは金融システムに一つの問題を生ずるわけでありますが、金融システムの安定というのは一国の経済が発展するのに大変大事な動脈みたいなものでございます。したがって、例えば中央銀行の二つの使命の一つが金融システムの安定にあるということも、そういう金融システムの安定の重要さを示すものだというふうに思います。 それからもう一つ、金融システムの破綻にはいわゆるシステミックリスクというのがありまして、これがほかの企業の倒産と非常に違うところであります。 このシステミックリスクというのはどういうことかと申しますと、金融機関は個々の金融機関が与信、授信というようなことで網の目のように結ばれているわけでありまして、一つに支払い不能が起きますとそれが連鎖しやすいという特色が一つございます。 もう一つ、金融機関のバランスシートは資産も負債も同じような構成でありますので、一つの例えはA信組が破産いたしますと、それに似たようなB信組、C信組とそれが非常にいわゆる連鎖によってほかに及ぶということがございます。例えば電気会社のA社がつぶれたといたしましても、B社、C社とすぐに取りつけが起きるわけではございませんが、金融システムについては今申し上げたような連鎖反応がございまして、これは昭和の初めの昭和恐慌のときにも実例があるわけであります。 そこで、現在の状況でございますが、バブルの後遺症で各金融機関は不良債権の問題を抱えております。それぞれこの二年の間積極的に取り組んでおりまして、全体としてはようやく半ばぐらいに来たかなという感じでございますが、まだ中小金融機関その他には非常にデリケートな状態にございます。したがいまして、信用組合とはいいながら、ここでペイオフを実行いたしますと預金者の動揺が起こって信用不安に波及する可能性がある、そういうふうに判断をいたしまして、これはペイオフは今回はとらなかったというのが実情でございます。
○委員長(坂野重信君) あなたは、巷間、竹下元総理及び武村大蔵大臣らと昨年十二月上旬ごろ都内の料亭において、東京協和及び安全両信用組合の経営破綻及びその救済策について話し合いをしたかのような報道がありますが、そのような事実はありましたか。
○参考人(三重野康君) 全くございません。
○委員長(坂野重信君) 最後に、東京協和、安全両信用組合の救済について政治家から何らかの働きかけはありましたか。あったとすれば、どのような内容のものでしたか。
○参考人(三重野康君) 一切ございませんでした。
○委員長(坂野重信君) 委員長からの質問は以上でございます。 それでは、三重野参考人に対し、質疑のある方は順次御発言を願います。
○楢崎泰昌君 自由民主党の楢崎泰昌でございます。 きょうは、三重野参考人にお忙しいところお出ましを願いまして、ありがとうございます。 私ども、現在、国会におきましても、また国民の間におきましても、この両信組問題というものが大変な話題になっており、かついろいろな意味で不透明なところがあるということが言われております。きょうはテレビを通じて全国民の方が聞いておられるわけですから、できる限り明確にこの問題について御答弁を願えればありがたいというぐあいに思います。 まず最初に、国民の聞きたいことは、何でこんな破綻が生じたんだろうか。そして、しかもこれをこういう形でなぜ救済をしなきゃいけないんだろうか、こういう問題に焦点が絞られていると思います。 そこで、一番最初に、さっきちょっと述べられましたけれども、日本銀行の中で両信組の経営悪化についてどういう形でアプローチをされたか、簡単にお話しください。
○参考人(三重野康君) 先ほど委員長の御質問にお答えしましたけれども、信用組合は私どもは直接指導監督するあれはございませんので、これは先ほども申し上げましたように、長銀のイ・アイ・イ・グループ打ち切りが端緒でございます。それ以降は私どももマークして、情報はやはり東京都及び関係金融機関から間接にとりながらこれをフォローしております。
○楢崎泰昌君 そうなりますと、間接的にということでありますけれども、日本銀行に入ってきたニュースというのは恐らく、第一回の大蔵省並びに東京都の監査の結果、第二回の平成六年における監査の結果、この二つが入ってきたんだというぐあいに思いますが、このように考えてよろしゅうございますか。
○参考人(三重野康君) そのとおりでございます。
○楢崎泰昌君 私は、今その詳細については新聞その他で報道されていますから、若干省略をしてお伺いしたいんですけれども、私は日本銀行が動き出す端緒というのは三回あったんじゃないかと思います。 一つは、新聞で報ぜられておりますけれども、東京都が三年前にこの問題について長銀で救済をしてもらったらどうだろうかと、けさの新聞には大きく出ています。その時点において日本銀行を中心として、また大蔵省もそうですけれども動き出し、本日の危機を回避するチャンスがあったんじゃないかと思いますが、いかがでしょう。
○参考人(三重野康君) これも先ほど委員長の御質問にお答えしたわけでありますが、平成五年のときの合同調査の結果、そのときは東京都は、これから後、経営内容について改善の指導を強化するから、それでやっていくというふうに我々は連絡を受けているわけでありまして、したがってこの際はこれからどうなるか、その結果をフォローするという態度でございました。
○楢崎泰昌君 そうすると、第一回の検査のときには、日銀としては東京都が処理をするからということを期待して行動は起こさなかったということですね。しかし、その次に平成六年に二回目の監査があった。その監査のときに不良債権の処理がおくれている、あるいは増大しているということであったんでしょうけれども、そのときはどういう判断でございましたか。
○参考人(三重野康君) このときの結果は八月の終わりに伺ったと思いますが、このとき既に東京都は両信組の資産内容が著しく悪化して到底自力再建は不可能であると、したがってこれの処理について大蔵、日銀も知恵をかしてくれと、そういうことでございましたので、この後からいわゆる議論が始まったわけであります。
○楢崎泰昌君 今、著しく資産内容が悪化した、そういう認識だったというお話ですけれども、どういうぐあいに悪化して、どういうぐあいに判断されたんですか。
○参考人(三重野康君) 委員の御質問は、例えば数字をということでございますか。 これは東京都が国会にも提出された資料だと思いますけれども、それによりますと、平成五年のときに約千四百億の不良債権が平成六年の第二回目のときには千八百億円、一年間で四百億円大幅に増加をしております。こうしたいわゆる不良債権額のうち回収が困難と見込まれるロス見込み額、これは平成五年の約五百億から平成六年には千百億、約六百億も多く増加をいたしておりました。
○楢崎泰昌君 そのように悪化をしたという現実を見られて日本銀行は、先ほどちょっとペイオフの話が出ましたけれども、日本銀行が金融秩序を保ちたいという御意思だったんだと思いますけれども、そこでどういうことを考えられ、どういう決定をなすったんですか。
○参考人(三重野康君) この時点では非常にその資産内容が悪過ぎまして、普通ならば受け皿をとこか見つけましてそこに、不良債権は別にしてそこへ受け皿に受けてもらうというようなことも一つの方法で、過去はそれを、しばしばそういう方法もとりましたが、今回の場合はこれだけ悪くなっておりますとどこも受けてくれるところがないというのが非常に難問でございまして、その結果これをどうするかということは三者の間で大分議論をいたしまして、結局最後の結論は委員の御存じのようなスキームに落ちついたわけでございます。
○楢崎泰昌君 どこも受けてくれないということですけれども、先ほどちょっと申し上げましたけれども、三年前の東京都の報告では、長期信用銀行と合併したらどうかねというのは三年前ですけれども出ていたんですね。三年前にそういうものが出ていたということは御存じなかったんですか。
○参考人(三重野康君) 東京都が長期信用銀行との間に合併を図っだということは知りませんでした。
○楢崎泰昌君 新聞の報道ですから正確なものかどうかわかりませんけれども、けさのNHKの放送ではこの件について大きく報道をしています。それは東京都と、東京都が書いた文書ですけれども、大蔵省と日銀は知っているというぐあいに報道していますが、いかがですか。
○参考人(三重野康君) 私は知りません。
○楢崎泰昌君 総裁が知らないと言うんだとちょっと、まあ今、元総裁にお伺いしているわけですから、総裁が知らないと言われるとそれっきりになっちゃうんですけれども。 私は、本件は非常に大きな問題になりましたけれども、実は事前に幾つも打つタイミングがあったというぐあいに考えますけれども、三重野さんはどういうぐあいにお考えになりますか。
○参考人(三重野康君) 率直に言いまして、第一回の合同検査の後、本当に真剣にその処理について取り組めばもう少しほかの姿になったのかなという感じは私もいたします。 しかしながら、実際は私どもに東京都の要請があってテーブルに着きましたのが去年の秋以降でございます。
○楢崎泰昌君 ですから、第一回の検査の後ですぐ手をつけていればよかったという率直な御感想は御感想として承ります。 今日のように大きな事件にしたのには、大変恐縮ですけれども、行政のおくれあるいは日銀の判断のおくれが影響しているのかなというぐあいに思いますけれども、これはやらなかった話ですから、今あれだと問い詰めても、問い詰めると言うと大変失礼でございますね、追及じゃないな、お尋ねを続けましてもしょうがないというぐあいに思います。 しかし、それじゃ第二固目の検査があった後、六月、七月、そして八月に検査結果が上がってきたわけですね。それから十一月までは随分時間がたっているように思います。その問どういう検討をなすったんですか。
○参考人(三重野康君) これは、この問題の処理は大変難しゅうございますけれども、三者、東京都と大蔵省と日本銀行でございますが、三者のいろんなレベルで幅広い検討を行いながらようやく到着したのが今回のスキームだというふうに思います。
○楢崎泰昌君 そこで、ちょっとお伺いしますけれども、その処理の方法の中には当然のことながら貯蓄機構を使ってペイオフをする、すなわち預金の一千万円以上のものは切り捨てて、一千万円未満のものは貯蓄機構が元本を保証するという制度、ペイオフというぐあいに言われていますが、当然これは選択肢の中にあったんじゃないですか。
○参考人(三重野康君) もちろんありました。
○楢崎泰昌君 あったとすれば、なぜそれは退けられたんですか。 具体的にどんな問題が起こると考えたんでしょうか。
○参考人(三重野康君) 先ほど委員長の御質問に答えたのと重複いたしますけれども、さっき申し上げましたような金融機関の持つ特色からいたしまして、連鎖伝播するおそれが非常にあるわけでございます。そうすると、たとえ今度の信用組合は合わせても二千億の比較的小さな信用組合でございますけれども、例えば昭和の初めの昭和恐慌のときの渡辺銀行というのは今の金に直しますと恐らく五百億ぐらいの小さな銀行でございますが、それが大蔵大臣の国会における失言が端結となって次から次へと連鎖が起きたわけでございまして、今度の場合も、信用組合とはいいながら、これを一つペイオフをいたしますと預金者の預金に対する信認というものが揺らぎまして次から次へ出ていくと。しかも、もう少し平常の状態であればいいのでございますが、ちょうど今非常にデリケートな時期でございますので、私どもとしてはそういうおそれがある場合にはそれをあえてかけとしてとることはできないと、そういう判断をいたしました。
○楢崎泰昌君 ということは、必ず起こると。要するに金融不安が起こるというわけじゃないけれども、そのおそれが十分にある、そういう事態を勘案してペイオフはとれないな、こういうぐあいに判断されたということでしょうか。
○参考人(三重野康君) そのとおりでございます。
○楢崎泰昌君 実は、そのペイオフをやると金融不安が起こるかもしれないという御判断は、一つの御判断としてそうであろうかと思います。しかし、先ほど申し上げましたように、六、七月の検査で八月に検査結果が上がってきたわけですね。対応が非常に遅かったんじゃないでしょうか。 といいますのは、漏れ承りますと、このスキームは長年にわたって日本銀行が温め、研究をし、そしてこれでやればいけるなということを日本銀行の中では温めておられたというぐあいに伺っています。もしそうならば、ペイオフができないということならば、速やかに行動をなさるべきではなかったんですか。
○参考人(三重野康君) 一九九〇年以降、バブルの後遺症として日本の金融機関が不良債権を抱えて金融システムが非常に不安定になってきたわけでありますが、私どもはそういった事態をも備えるという意味もありまして、九〇年の五月に信用機構局というものを新設いたしまして、こういう状態に対処できるような組織がえをいたしました。 したがいまして、その後、いわゆる頭の訓練というのは変でございますが、我が国の先例あるいは海外のいろんな事例というものをかなり理念的に研究をいたしておりました。今度の三者のいわゆる議論の間には、そういったものももちろん何らかの意味で活用されているというふうには思いますけれども、しかし、初めから日本銀行にこういう案があってこれでいこうというふうに議論したわけではございませんで、やはり東京都、第一責任のある東京都を中心にあれやこれやと議論して今度の結論が出たというふうに私は考えております。
○楢崎泰昌君 先ほど言われましたけれども、三重野総裁の任期が切れるということは、それはわかっていたわけですね。それを八月のころから解決をしなきゃいけないと書いながら綿々と延びてきたわけですね、本件の処理が。 それはどうも納得がいかないところなんですけれども、それはいろいろ勘案するところがあって相談する人も多かったんだということにしても、これはどんなタイミングでだれが、だれとだれとで相談をして決められたものなんですか。
○参考人(三重野康君) そういうふうにはっきりしたものではなくて、先ほどもお答え申し上げましたけれども、いろいろなレベルで幅広くやっているわけでございまして、どういう案が、だれが出してどうしてということではなしに、やはりそういった議論を通じて結局今回のスキームに落ちついたというふうに思います。
○楢崎泰昌君 そんな重大な問題はやっぱりトップがぴしっと決める以外にないんです、今までに前例なんかないんですから。これは前例があった、こういう形は前例があったんですか、今まで。
○参考人(三重野康君) 全く同じようなケースはございません。
○楢崎泰昌君 前例がないということは、トップが大きな勇断を持って決めなきゃならぬ、そういうことだと思います。最終的にはだれとだれとで決めたんですか。
○参考人(三重野康君) これは三者の合意をそれぞれの長がアプルーブしたということになると思いますが、私自身に関して申し上げますと、十一月の終わりにこのスキームが私のところに上がってまいりまして、私はこの日本銀行としてのゴーサインを出しました。
○楢崎泰昌君 私は、こんな重要な問題はやっぱり大蔵大臣と日銀総裁がお目にかかって、東京都も今回の場合には入らなきゃいけないでしょうけれども、そしてこういうぐあいにするのはやむなしというようなことを決断するというのでなきゃならぬと思いますが。 大蔵大臣とお会いになったことはありますか、本件について。
○参考人(三重野康君) 本件についてはございません。
○楢崎泰昌君 大変残念なことで、私はこの処理は当然トップが決定をしなきゃいかぬ、そのための決断を示していろんなところにアピールをしなきゃいけない、そういう大問題であったというぐあいに思っているんです。ただ、この決定の経緯について、新聞その他でいろんな雑音が入ったんじゃないかという話がございます。先ほど政治家との接触については既にお答えになりましたが。 日銀職員で、高橋治則前理事長ですね、東京協和の、その方と親しく交際があった人がいて、その人が影響を及ぼしたんではないかという風説がありますが、それについてはお調べになり、確認をしておられますか。
○参考人(三重野康君) 私は職を離れて三カ月になりますけれども、この件に関しては、今の総裁が、当委員会だと思いますが、はっきりと否定したように、そういう事実はございません。
○楢崎泰昌君 ついでのことで大変恐縮なんですけれども、三重野さんの御子息が長銀に御在籍になっておられるようでございます。それとのかかわり合いがマスコミその他で報ぜられていますけれども、それについてはいかがでしょう。
○参考人(三重野康君) 私の長男が二十年前から長期信用銀行に勤めているのは事実でございますけれども、本件とは何のかかわり合いもないと私は思います。
○楢崎泰昌君 このことは大変世界的な疑惑を招いているんですね。けさの新聞にワシントン発の電報が載っています。アメリカの大手紙のウォールストリート・ジャーナルの社説に書いておられまして、同社説は、この種の救済措置が国民や有権者の全く知らない密室で決められたということを指摘して、有権者がその事態を知らされ、参画しない限り、日本の金融安全保障措置の改革は決して実施されないだろうということを社説に書いてあると報じていますけれども、いかがですか、これについて御感想は。
○参考人(三重野康君) 私も新聞をさっき読んできたばかりでございますけれども、やはりまだ本当に、我が国の金融あるいは経済情勢、それから金融システムの安定についての知識を欠いて多少上滑りに書いてあるんではないかという感想を私は感じました。
○楢崎泰昌君 そういう認識では困るんですね。認識を欠いておるんじゃないかというのじゃなくて、やっぱり我が方から進んでこれをこういうぐあいに我々は考えているので納得してくれと、そういうアプローチが私は必要なんだと思いますが、いかがでしょう。
○参考人(三重野康君) それは委員のおっしゃるとおりだと思いますが、私が在任中の例えばBISその他の国際会議において、中央銀行の仲間には十分に説明をしてきたつもりであります。
○楢崎泰昌君 結局だれに説明してもだめなんですよ。国民がわからなきゃ何ともならぬ、それが民主主義だというぐあいに私は思います。 そこで、昨年の十月の宋に三重野さんは日本銀行の金融研究会における講演で、金融機関は破綻すべくして破綻するのはむしろ必要なんだという発言をなすった、有名な演説なんですけれども。これはあるいは御真意と違うかもしれませんけれども、各新聞は全部そうだと書いているんですね。そうだということを書かれるということは、すなわち理解が国民に得られていないということですが、これについていかがですか。
○参考人(三重野康君) あの講演は、今、委員がおっしゃいましたように、十月の三十一日に私どもの金融研究所が主催いたしました、いわゆる学者先生、市中銀行の方たちを集めての研究会において最初に私が講演したところでございますが、ただ少し残念に思いますことは、今、委員がお挙げになった片言隻句が前後の文脈と関係なしにひとり歩きをして世の中に誤解を招いているところがあるというふうに思います。大して時間もとらせませんので、私のそのことに関係する箇所だけちょっと読み上げさせていただきます。 これはいわゆる金融システムの安定について、平常の場合とそうでない危機時の場合といろいろ分けてきまして、いわゆる危機時の対応についての書いてあるところの一文でございますが、 中央銀行にとって最大の関心事は、問題の個別金融機関を存続させるかどうかということではなく、そのことが金融システム全体を揺がすことになるかどうかである。金融機関といえども一個の私企業である以上、時には経営破綻の状態に陥ることもあり得るが、全ての金融機関を破綻から救うのは中央銀行の仕事ではない。個々の金融機関が破綻すべくして破綻することは、競争メカニズムに支えられた健全な金融システムを育成していく観点からは、むしろ必要でさえある。ただ、そうした破綻が金融システム全体を揺がすことになる場合は、それを阻止しなければならない。 こういう文脈で述べたその途中の文句だけがひとり歩きをしたわけでございまして、今回の措置は私どものとった措置と矛盾することはないと、こういうふうに考えております。
○楢崎泰昌君 三重野前総裁の御意図はある程度わかるんですね。ただ、こういう金融不安の起こってくるたった一カ月前ですよ。一カ月前よりももっと短い前ですね。そのときに、いや金融機関の秩序は個別の金融機関を救済することじゃなくて金融秩序を保つんだ、しかし破綻すべきものは破綻すべきなんだと。それはだれが見ても、破綻すべきものは破綻していいんだというところに力点が入っているというぐあいにとられるんですね。私も長年金融行政を見ておりますけれども、私はこの御発言を見て実は非常にびっくりした者の一人でございます。そういう意味からいいますと、どうも力点が後段に置かれているように見える。そして、今回おとりになった東京共同銀行設立の要旨とどうも相矛盾するなという印象を免れないんですね。 実はこのときには、十分あれでございましょう、二億組の問題は総裁の頭の中にあり、かつそれも含んでの御発言だったんじゃないでしょうか。
○参考人(三重野康君) この講演は、私の平素考えていることをそのまましゃべったわけでありまして、もちろんその議論は、いわゆるこの二億組についての議論は進行中でございましたけれども、これとのかかわり合いを深く意識して述べたものではございません。 しかし、委員がちょっと倒産について申されましたので、もうあと五、六行読み上げるのを許していただきたいと思いますが、先ほどの文章よりちょっと後でございますけれども、ここで、あり得べき誤解を解いておきたい。日本では「金融機関の倒産はない」という見方があるが、これは事実ではない。困難に陥った金融機関が何らかの処理により姿を消し、株主や経営者が相応の責任を取らされた場合、これは「倒産」と呼んで然るべきである。一部には、預金の払戻し(ペイ・オフ)が生じて、はじめて「倒産」とみなす見解もあるが、ペイ・オフは破綻処理の一方式であって、どのような処理方式を選択すべきかは、金融システムヘの影響やコスト等を慎重に勘案して、ケース・バイ・ケースで決定すべきものである。ということでございまして、倒産か倒産でないかというのは水かけ論でございまして、要するにその破綻した金融機関はつぶすんだと。つぶし方にはいろんな方策があるんだと。今度のようなつぶし方によって、いわゆる両経営者を初めとして、両理事長を初めとして経営者は総退陣、出資金もゼロになる、私財も提供する、刑事的な訴追も受けるというようなことは、やはりこれは一つのつぶれたというふうに私どもは考えておりまして、救済したという感じは私どもにはございません。
○楢崎泰昌君 今、救済と倒産とを使い分けられました。今回の措置は両信組を救済したんじゃないんだと、両信組は倒産したんだよと、こういう御趣旨でございましょう。しかし、私どもの見る限りは、御趣旨はともかくとして、どうも違和感があるなというのがぬぐえない実感でございます。 そこで、若干話を前に進めたいと思いますが、そんなようなことで今回スキームをつくって東京共同銀行による後始末をしようということでありますけれども、今回の両信組の破綻は実はイ・アイ・イ・グループへの融資を行っていた日本長期信用銀行が深くかかわっているんだと、日本長期信用銀行の責任は重いぞという世論がございますけれども、総裁はどういうぐあいにお考えでございましょうか。
○参考人(三重野康君) この両信組の破綻の最大の責任者は、これは申すまでもなく両信用組合の経営者、両理事長にあるというふうに思いますが、今、委員のお尋ねの長期信用銀行でございますが、これは確かに東京協和信用組合の前理事長が経営ないし関連しているイ・アイ・イ・グループのメーン銀行でありましたし、同グループが海外のリゾート、プロジェクトをいろいろ開発されるその融資をずっと手伝ってきたわけであります。そしてまた、これらの企業とのつながりから、東京協和信用組合に対しても同行からは一時期ではありますけれども役員が派遣されたことも承知いたしております。 確かにこの長期信用銀行は平成五年七月にこのグループに対する支援は打ち切りを決めました。しかしながら、決めだとはいっても、こういう過去の経緯にかんがみて今回の破綻にはやはり責任があるということで、今回のスキームの上においても東京都その他の要請に応じて応分の支援をしたのだと、そういうふうに理解をしております。
○楢崎泰昌君 今、私のお伺いしたのに対して、根本は高橋、鈴木両信用組合の理事長にあるんだというぐあいにお話しになりましたけれども、私はこの間、衆議院の証人喚問で両理事長のお話を承ってきて、実は唖然とした者の一人でございます。 いずれにしても、最大の責任は高橋さん、鈴木さんにあったと思いますけれども、どうも証言を聞いていると、責任は、私らは一生懸命やっていたんだけれども、長銀と東京都が無理やり引きずりおろしたんだというような印象すら受ける感じがするわけでございます。 そのときに高橋さんは、私はこの東京共同銀行構想を全く知らされていなかったんだと、だからあえて私は救済を東京都、日銀にお願いをする立場にはなかったんだと、あるいは日本長期信用銀行は安全信用組合の経営実態も十分把握していたとか、東京都にも相談して了承してもらっていたんだというような発言をされています。 しかし、先ほど三重野さんのお示しになった認識、すなわち第一次監査から第二次監査に至るまで驚くような不良債権の膨張が行われたということと非常に発言内容が違和感があるんですね。それについては総裁のお感じはいかがですか。
○参考人(三重野康君) 私も普通のおじさんとして前回の証言をテレビ、ずっと聞いておりましたが、委員と同じく唖然としたわけでありましてて、やはりこれはあくまで両理事長のずさんな乱脈な融資にあるものでありまして、この点は深く彼らが反省するべきだというふうに思いました。 ただ、この両理事長はみずから私財の提供も申し出ているわけでありますから、責任を感じているからこそ私財を申し出たのではないかというふうに考えておりますが。
○楢崎泰昌君 私財の提供を申し出たといいますけれども、それは書類をもってなされたんですか。それから私財がどの程度あるかを確認され、この処理に当たられたんですか。
○参考人(三重野康君) これは私が任を離れた後の処置でございますね。私は委細を承知しておりません。
○楢崎泰昌君 そうすると、スキームを決定して、高橋さん、鈴木さんがうんと言われたときには私財の提供の申し出はなかったんですか。
○参考人(三重野康君) 私どもの意思としてはもちろんございました。ただし、そのときはまだ外部に対してそれをはっきりと表明して、両理事長が直ちにいわゆる財産秘匿その他の行為に走ることもありましたので、そのときにはまだ公式には発表いたしておりません。しかし、鋭く追及する意思は当時ちゃんと持っておりました。
○楢崎泰昌君 意思は持っていたんだけれども、やってなかったということになりますわね。
○参考人(三重野康君) やってなかったというのでなくて、そのときに例えば訴追に関しても、まだそのときの状態でもしそういったことを表明すれば誣告罪になるおそれもありますので、意思は持っていたけれどもやらなかったというんじゃなくて、表面に出さなかったという意味であります。
○楢崎泰昌君 そうすると、表面には出さなかったけれども、実質は貫いていたと、こういうお話ですね。 私は、高橋さんあるいは鈴木さんに対する処理が甘いんじゃないかという世論がいっぱいあると思うんですよ。それはどういうことかというと、要するに救済したんだと、先ほど救済したんじゃないというふうにおっしゃいましたけれども、結局、救済されたんだと。ちょっと甘いんじゃないか、ぬくぬくとしているんじゃないかと。私財の提供といったって、どうも新聞なんかで見てみると、十億あるのか何億あるのか、いやいや私財の提供というけれども、提供される私財は全部担保つきで実際の価値はないんだというようなことが報ぜられていますけれども、少し高橋さんに対して甘いんじゃないですか、この処理は。
○参考人(三重野康君) 甘いか甘くないかと、日本銀行はそういう立場でこういう人たちを訴追する立場にはございません。あくまで監督官庁にあるわけでございまして、私どもはそうありたいと思っても、それをやるのは監督官庁でございます。
○楢崎泰昌君 そこで、その問題を通り過ぎる前にちょっともとへ、長銀に戻していただきたいんですけれども、長期信用銀行の責任は重いということでありますけれども、具体的にどういう問題があって長期信用銀行の責任が重いというぐあいに感ぜられているんでしょうか。
○参考人(三重野康君) 今度の破綻の真ん中にありますイ・アイ・イ・グループに対してメーン銀行として融資をしたということと、イ・アイ・イ・グループの長が信紙の一つの理事長であるので、そちらの理事長の信用組合に対しても一時的ではございましたけれども知恵をかしたと、そういう経緯からして普通の一般の金融機関とは違った責任があるのではないかというふうに考えた次第であります。それに従って今度のいわゆる負担、収益負担につきましても応分のあれを求めたわけであります。
○楢崎泰昌君 きょう午前中、長銀の頭取にお出ましを願って参考人としていろんな御意見を承ったんですけれども、長銀の責任は重いよという御指摘が各委員からいろいろ出てまいりました。 そこで、もう時間が余りありませんので長銀の問題に限ってお伺いをいたしますけれども、この東京共同銀行スキームというのは、全国の各金融機関から御援助を願うと同時に、それにプラスして大どころとして日銀が二百億円、そして東京都が三百億円の低利融資、そして長期信用銀行が二百七十六億円の資金の提供と、こういうぐあいなところが三つ大どころで資金の提供、その他出損を行うということになっているわけですけれども、長期信用銀行について出資金が六億でしたかね、それから収益援助が十億、それから資金援肋が二百七十億、合計二百八十六億というスキームをおつくりになった。その突出している原因並びにその根拠はいかがでしょう。
○参考人(三重野康君) 今申し上げたとまた同じことを申し上げるわけでありますけれども、やはりイ・アイ・イ・グループのメーン銀行であるということと、東京協和情用組合に出資協力を行っていて一時ではあるけれども役員も出したという、そういう契機を踏まえて同行に対して要請をしたということに尽きると思います。
○楢崎泰昌君 そういう動向を契機としてどうして数字が出てくるんでしょうかね。私は不思議でしょうがないんです。 そうではなくて何らかの根拠をもってあなたは二百七十億お願いしますと。これはきょうの新聞を見てみますと、実は最初二百億だったのを二百七十億に直したんだという記事すらあるんです。これはちゃんとした根拠をもって二荷七十億お願いしますということだったんじゃないんですか。
○参考人(三重野康君) 途中の経緯については私は詳しくは存じませんけれども、これは何か数式からはじき出して幾ら幾らということではございませんで、やはり関係者の間でいわば落ちつき場所としてこういうふうに落ちついたわけでございます。
○楢崎泰昌君 担当者の間でごちゃごちゃ話して二百にしようや、百五十にしようやと、そんな話じゃないでしょう、これは。
○参考人(三重野康君) ごちゃごちゃやって自然に決まったというわけではないと思いますけれども、さっき申し上げたような責任をどういう形でとるかということについて、例えば、いわゆる何といいますか、高橋理事長関連のグループに対するあれはどのくらいあるのかとか、そういったいろんなことを考えて決めるわけで、何か一つの基準で決めたわけではないと、そういうふうに思います。
○楢崎泰昌君 私は、そういうことをおっしゃると、むしろ長銀に対して随分甘い裁定だね、これは、ということになるんですよ。東京都の三百億は一体どうだったのか。若干時間がないので聞きそびれると思いますけれども、そういうことについて問題が起こっているときに、長銀に対しては長銀の責任にふさわしい金額をぴたりとお願いをしているんですということをやっぱり国民にわかるようにお話しになるのが当然だと思うんです。 私は、一つのメルクマールとして、東京協和信用組合、それのイ・アイ・イに対する不良債権のうち回収不能額がその金額に相当しているんだというぐあいに伺っていますけれども、いかがですか。
○参考人(三重野康君) そういうことも一つの目安にはなったと思いますけれども、それですべてで、そういうことで決めたわけではないと思います。
○楢崎泰昌君 ここで、数字を余りよく私もわかりませんけれども、やはりそういうぐあいに実は本件に長期信用銀行はかかわっていたけれども、東京協和信用組合に対する長期信用銀行のかかわり合いは、ちゃんと長期信用銀行にけりをつけさせたんだということをはっきり言わなければ、だれも納得しませんよ。いかがですか。
○参考人(三重野康君) これは幾ら幾らが相当だということはないわけでありまして、こうやって結局二百七十億でみんなが一応納得したわけですから、これで一応妥当なことだと私は思います。
○楢崎泰昌君 何かちょっとなれ合い的な感じがしますけれども、少なくとも長期信用銀行が東京協和信組に対して、イ・アイ・イに関する御迷惑は全部長期信用銀行が背負ったんだということをおっしゃれますか。
○参考人(三重野康君) 私は今、日銀総裁じゃございませんので、そういうことをここで申し上げるあれはございません。
○楢崎泰昌君 冗談じゃないですよ、あなたが決めたんですからね。
○参考人(三重野康君) 委員に申し上げますけれども、これは私が決めたんではございません。関係者の合意でこれができたわけであります。
○楢崎泰昌君 合意されたとおっしゃるけれども、うんと言ったんでしょう。
○参考人(三重野康君) 合意について私はうんと言いました。
○楢崎泰昌君 そういうことであれば、いずれにしても三重野総裁がその決定に十分かかわっていたわけですから、長期信用銀行については十分な責任を負わせたんだと思っておられるかどうかを最後におっしゃってください。
○参考人(三重野康君) 十分かどうかということでなしに、今度の決定は三者全体の合意の上で妥当であったと、そういうふうに思っております。
○楢崎泰昌君 私は、本件については十分長期信用銀行に責任を負っていただいているのかどうかということが一つの問題だと思いますから、私の時間はなくなりましたけれども、あと同僚委員がその点について言われると思いますが、はっきりした明確な意思を表明されることを希望いたします。 質問終わります。
○穐山篤君 社会党の穐山でございます。 午前中の参考人にお伺いをしたところによりますと、長銀は九三年の七月にイ・アイ・イ・グループから手を引いたわけですね。そのときに、余りの経営状況であったので日銀と大蔵省にお話をいたしました。当時三重野総裁でありますし、藤井大蔵大臣であったわけです。救いがたい状況だという角度から再興、再建についても要請をいたしましたと。したがって、本問題についての打開のチャンスはその辺にあったと思うんです。 そのときに総裁はどういうお考え、どういうふうになされようとされたか、もう一度伺っておきたいと思うんです。
○参考人(三重野康君) 長銀がイ・アイ・イ・グループに対する援助を打ち切った後、東京都と大蔵省が検査に入ったわけであります。検査の結果を私どもは東京都からも大蔵省からも連絡を受けまして、内容相当悪いなということは知りました。しかし、そのときの東京都の判断が、先ほども申し上げましたけれども、両信組の経営内容は悪いけれども、これから後、改善指導を強化して経営問題の解決に努めるというのが東京都の結論でございました。第一次的な監督官庁である東京都がそう言うならば、私どもはそれを様子を見ようということでございました。
○穐山篤君 そのときに、大蔵省、日銀、東京都は具体的に何か、例えば様子を見ましょうという意味の御相談をされたんですか。
○参考人(三重野康君) 最初に申し上げましたように、信用組合については直接的な権限がございませんので、東京都と大蔵省がどういうふうな態度になったかは私は存じ上げませんが、私どもに対する東京都の判断はそういうことでございますから、第一次的監督責任者がそういうことをおっしゃっている以上、私どもは注視すると、注視というのはケアフルにウォッチするということでありますが、そういうことになったということでございます。
○穐山篤君 三重野さんが総裁になって以降は、どちらかといえばバブル崩壊で不良債権の処理機構をつくったり、それから地方各地で起きておりました金融不安といいますか、問題意識のところについていろんな救済の手を打ってきたわけですね。 そういう御経験があったわけですから、当然専門家とすれば、直接機関委任事務である東京都にあるんだろうと思いますけれども、この金融のシステムが壊れては困るという信用秩序維持の総裁のあるいは日銀の立場からいえば相当の目配りをしなければ責任は果たせないというふうに、私は当時から予算委員もやっておりましたし大蔵委員もやっておって、あなたに申し上げたことを今でも思い出すが、そのことについての御感想はいかがですか。
○参考人(三重野康君) 日本銀行は金融システムの安定というのが使命の一つでございますから、絶えずそれに気を配らなければならないことは事実であります。 しかし、それと同時に、何でも日本銀行ができるわけではありません。これは決して私の責任を要するに転嫁する意味で申し上げているわけではございません。やはりあの時点では、第一次監督官庁である東京都がそういうことを言えば見守るということで、もし東京都の方から何か知恵をかしてくれとかあるいはどうかと言えば喜んで知恵をかしたことになると思いますが、それは昨年の第二回の検査の後に向こうの要請によって指導したわけでございます。
○穐山篤君 今度の新しくできました共同銀行は、表向きは次のようになってますね。 去年の十二月六田、あるところである御相談をしました。去年の十二月八日に業務改善命令が出ました。十二月九日に新しい銀行の設立を発表しましたね。そして十二月十七日、総裁がかわられた。ことしの一月十三日に共同銀行の設立。三月、今月の二十日に発足と、こうなっているわけです。これは表向きなんですね。 そこで伺いますが、今度この共同銀行にあるいはスキームに関与された方は相当の数に上りますね。まずは日銀、大蔵省、東京都、それから信用組合の連合会、それから三井信託銀行、三菱銀行、それから銀行協会の会長、数がたくさんあるわけです。それに出資の発起人のことを考えてみますと、保険機構もこれに加わるわけですね。ですから、相当の数の人が関与をしているということになるわけです。一日ででき上がるスキームではないと国民は見ておりますけれども、この点はいかがですか。
○参考人(三重野康君) 委員のおっしゃるとおり、一日でできたものではございません。スキームの構想ができて私どものところに上がってきたのが十一月末でございますけれども、このスキームを実行するためには関係金融機関の協力が必要でございます。したがって、今、委員がおっしゃったように、全銀協の会長、それから次の会長、地銀協、それから第二地銀協、信託協会、その他各業態の長にそれぞれお願いをして、おおむねそういったことで了承を得られた上で発表し、そして三月二十日に共同銀行を設立ということも発表したわけでございます。
○穐山篤君 今度の共同銀行の特徴というのは、まず第一は、新しい銀行を設立するというのが特徴ですね、一つは。二つ目は、円銀が特別なお金を出すということもこれも珍しいことです。三番目に、都銀、地銀を含めて、信金、信組まで含めて日本じゅうの全部の金融機関がこれを支えるという意味でも過去になかったことなんです。四番目には、メーンバンクであります長銀が特別の役割で中に入っている。これは今回のスキームの特徴なんです。 これはどういう角度から考えられた話なんでしょうか。
○参考人(三重野康君) これはペイオフができないという理由は先ほどからるる御説明いたしましたので今の段階では省きますが、ペイオフができないということになりますと、受け皿をつくって、そしていわゆる損金をみんなで分担するという以外にないわけでございます。ところが、これだけ悪くなってしまいますと受け皿がない、したがって新しい受け皿をつくらなければならないと。 もちろんこれは金融システム全体に絡むことでございますので、民間の金融機関が全部出してくれれば一番いいんですけれども、なかなかこういう時期でもございますから日本銀行が半分出しましょうと。それで半分はみんなで出してもらえないかというふうになったわけでありまして、それに対して、やはり日本のこのデリケートな時期に日本の金融システムを何とか救うためにはこれしか仕方ないだろうかそういうことで各関係金融機関が承諾してくれたものというふうに思っております。
○穐山篤君 これを発表されたときに、これがあしき例になるだろうなというふうには考えませんでしたか。今後あしき例、まずそのことを念頭に置いてこのスキームを勉強したんですか。
○参考人(三重野康君) こういう金融システム安定のために手を打つ場合に、こういう手で一番最大の問題はモラルハザードだというふうに思います。特に今回の場合は、一応経営者、出資者には責任をとらせておりますけれども、預金は全部救ったわけでありますから、それに対するモラルハザードというのは残るわけであります。しかし、今回はモラルハザードには目をつぶって、やはり金融システムの安定のためにはペイオフをとれないという意味で、委員のおっしゃったあしき例がどうかわかりませんけれども、非常に問題の多かったのを、そこを考え抜いた上の決断だということは言えると思います。
○穐山篤君 こういう場合、自分で再建計画を立てるとか、それから合併をして再建をするとか、分割をしてなおかつ再建をするというのはまあまああると思いますけれども、これは山一証券の事件以来初めてのことなんですね。今まではそういう事例は全くなかったんです。例として地方の信金、信組に多少融資をして再建をさせたというのはありますけれども、オールジャパンで救ったと。皆さんに言わせれば金融秩序を守ったと、こう言うんでしょうけれども、今後こういうことが起きるであろうということは想像にかたくないですね。 私は先日、大蔵大臣に、金融機関のBIS問題について意見を述べました。それから数字の上から倒産率も資料で調べてみまして、非常に危ない金融機関がたくさんあることがわかったんです。そうしますと、これを一度発動しますと、まあ最後の救い手はあるなというふうに思いますのはこれは当たり前なんですよ。 そこで私は、もう一つ具体的なことを申し上げてみたい。このスキームですね、それぞれ金額が入っています。この中では出資だとか融資だとか援助だとか贈与だとかいろんな形をとっています。これはどういう基準に基づいて、どういう計算基礎に基づいて数字を出したのか、具体的にお答えいただきたいと思います。
○参考人(三重野康君) この金額の割り振りにつきましては、やはりまずそれぞれの立場で相応の支援ということになりますけれども、相応の支援を具体的な数字にあらわすというのは大変難しいけれども、それでもそうは言っておれませんので皆さんで合意をしたわけでありますが、それぞれ一つ一つについて、多少漠然とはしておりますけれども、その標準ともなるべきものを申し上げますと、まず日銀の出資の二百億円からまいりましょう。 これは先ほども申し上げましたように、受け皿の銀行がない。したがって新しく銀行をつくらなければならないわけでありますが、この場合、新しい銀行といえども引き続き業務を行っていくためには必要な信用力と経営基盤が必要でございます。それはおおむね四何億と推定をいたしまして、それは日本銀行が半分出さないとほかの金融機関もなかなかついてこないのではないかということで、半分は日本銀行が出しまして、それからほかは出していただく。その場合、ほかの出していただくのは、出資のほかにいわゆる贈与の形で損失の補てんに使うものもあります。そのときの基準は何かというと、終局はやはり各銀行の預金量とか、あるいは預金保険機構に対する貢献の度合いとかというものが一応のめどになっていたかと思います。 東京都の三百億円でございますけれども、これは御案内と思いますけれども、これは三百億円捨てるわけではございませんので、一%という低利で貸し付ける。そうすると、新しいいわゆる損失を引き受けた機構が一%で借りてそれを運用する。例えば年に四%の運用益が上がるとすれば、それは三百億の四%ですから年に十二億であります。今、一応のめどは十五年かかるという計算になっておりますから、十二億を十五年足すと、まあ大体これは東京都は百八十億円得べかりし利益を放棄する。三百億は後で返ってくるわけでありますけれども、ということになりますが。 それで、それじゃその百八十億円やみくもに出したのかと。これはみんないろいろ議論したようでございますが、今まで信用組合が幾つか破綻しておりますときに、いずれも地方公共団体がお金を何らかの形で出しております。それは大体一○%ちょっとのところが多うございます。非常に極端に多いところは四割なんていうのもございますけれども。そうすると、東京都もこれは大体一一%になります、総損失額の支援が。今までの例からいってこういうところかな、そういうぐらいの少し大ざっぱな基準でございますけれども、そういうことになっております。 そういったことで寄せ集めてきて、みんなでまあこれでいこうかというふうになったわけであります。
○穐山篤君 先ほどの質問もありますけれども、金融機関の責任者の物の考え方というのは非常に甘いという指摘がありました。安全及び協和信組の理事長の発言もそうなんですが、私はある民間金融機関の方と話をしますと、これは保険機構への割り増しですねと、非常に安易な考え方なんですね。そういうふうな程度にしか各金融機関の長というのは考えていないとすれば、これは大変なことだろうと思うわけです。ですから私は先ほど、金融機関によっては、これが第一固目の例になるから、それぞれの金融機関としても安心して経営ができる、変な事態になったら大変なことになってしまうというふうに思うわけですが、その点についてのお考えはいかがでしょう。
○参考人(三重野康君) 今、委員の御指摘になった点は大変重要でありまして、今回こういうふうにして金融システムの安定を今の現行の法制、仕組みのもとでは続けていくわけでありますが、やはり先ほども申しましたように、モラルハザードという問題が一番大きいわけであります。 このモラルハザードをより少なくするためにはどうすればいいのかというのはこれからの問題点ではございますけれども、例えばディスクロージャーをさらに大きく拡大していくとか、あるいは今の預金保険機構では一律一千万円以下は切り捨てるけれども、そうなるともう少し大口を救う場合には、例えばアメリカのように、アメリカの預金保険公社がある程度権限を持って大口についてもカットしてやるということもございますけれども、そういう預金保険機構についての改正はできないか、そういうようなことを今回の教訓として積極的に考えていくべきだというふうに考えておる、これは私個人じゃなくて、日本銀行はそう考えております。
○穐山篤君 私が先ほど日時を申し上げたのは理由があるんです。十二月六日付で東京都の業務改善命令が出た。間髪を入れず九日に新しい銀行の設立を発表したわけです。 そこで、三重野前総裁は、昨年の十一月十六日に講演をされている中に、金融の公開とディスクロージャーという問題、自己責任体制という問題を厳しく言われておりました。その限りでは私も当然だと思います。十二月八日にスキームを全部発表し、この三月二十日に仕事を始めるというところまで日程を決めたわけですから、二つの信用組合の乱脈経理、経営というものについての内容を明らかにして責任も明確にした上でスキームを発表するというのが、これが節度ある日銀さんとしてのやり方ではなかったんだろうかなと今でも私は疑問を持っています。その点はいかがですか。
○参考人(三重野康君) 相当に信用組合が乱脈融資をして悪いということは承知しておりましたが、これは乱脈であってもなくてもというのはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、やはりこの点においては、こういうことをしてデリケートな金融システムの安定を図ることが必要だというふうに判断をしてきたわけでありまして、それといわゆるこの両信用組合がいろんな意味で乱脈であることを追及するということは当然でありますけれども、それを追及してからこういうことを考えていくということじゃなくて、同時並行的にやってしかるべきものではないかというふうにそのときは考えました。
○穐山篤君 新聞あるいは金融雑誌にはいろんなことがその前後から書かれておりますから、大部分の人は知ることができたんですが、今まで大蔵省にしろ東京都にしろその他の金融機関でも、プライバシーに影響があるからといって全然資料を出してこなかったんです。これでは金融のシステムを守るということに私は絶対にならないと。いまだに参議院には公式のものは何もないんですよ。こんなばかなことは私は許してはならないというふうに思います。 それからもう一つ伺いますのは、このスキームをつくるときにかなりひそかにやったというふうに私は見ているわけですが、金の割り当てにいたしましても何にいたしましても、ほぼ御命令に近い形でそれぞれの機関に要請をしたやに私は伺っているんですが、そういうふうに受け取って間違いないですか。
○参考人(三重野康君) 命令ということではなくて、やはりお願いであったというふうに思います。
○穐山篤君 午前中の長銀の頭取のお話によりますと、私の質問に対して、「御下命」と言う、「御命令」と言う、それからもう一度私が伺いますと「御意向」というふうに訂正をされましたけれども、訂正をされたということは御命令の方が正確であったというふうに受け取るのが常識なんですが、そういうふうにひそかに話を進めているとき、十二月六日に行われた日銀の氷川寮の状況でもそういう感じのものであったんでしょうかね。もう一度伺っておきます。
○参考人(三重野康君) 十二月六日のその席には私はおりませんが、大蔵省の銀行局長と私どもの役員がおりましたけれども、私どもの役員の話によりますと、非常にやはり何か下手下手に出たお願い調で話したわけでありまして、長銀の頭取も委員の御指摘で慌てて訂正したなら、どちらが正しいのかわかりませんが、少なくとも我々としてはお願いということだと思います。これは命令する筋合いではございませんので。
○穐山篤君 ざっくばらんに言いますと、日銀、大蔵省のそれぞれの責任者が丁寧に説明をしていたというお話は聞いていますが、これはいろんな意味があるんですね。今後こういうあしき例で助けてもらえるという含みもあるだろうし、あるいは預金保険機構に対して一時的に割り増しをするという程度に軽いものだからまあ受けておきましょうと。いろんな意味を含んでみんな手を打ったのではないかなというふうに思うわけです。これは余りいいことではないなというふうに思います。 そこで、今度の共町銀行方式によりますと、ささいな預金の人、多額に悪意を持って預金をしている人も育め、あるいは不良債務の処理の問題についてのいろんなことはあると思いますけれども、結果的には国民全体の税金、預金で救済をする、こういうことになるわけです。これは私が先ほど申し上げましたように、実態を明らかにし、経営内答を明らかにし、経常責任を十分に明らかにしないとこの問題は前に進まないと思います。その意味で日銀さんの責任は非常に重いというふうに申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。
○和田教美君 日銀の小島理事、これはこの問題の担当の理事だそうですけれども、小島理事がある有カ月刊誌の四月号のインタビュー記事で、日銀はいつごろから二つの信組、つまり東京協和、安全両信組の内容を把握していたかという質問に対して、この二つの信用組合が本当に危ないと思ったのは一昨年の夏、つまり長銀がイ・アイ・イ・グループに対する支援を打ち切ったときであると。そのときにいずれ二つの信用組合の経営が問題になると判断したので、そのことを大蔵省を通じて都にも伝わるようにした、こういうことをおっしゃっておりますね。 つまり、そのときに日銀としてはこの信用組合の問題は完全に危機状態にあるということを認識しておったということだと思うんですけれども、事務当局から総裁はその後、報告を詳しくお聞きになったでしょうか。また、もしそうだとすれば何か御指示をされたでしょうか。
○参考人(三重野康君) 先ほども申し上げましたように、私自身がこの両信組に問題があるというふうに聞きましたのはこのときが初めてであります。 しかし、そのときの情勢は、恐らくその小島というのは当時こういった関係のあれを担当していた者で、現在はかわっておりますが、当時のその担当理事としては、こういう問題は早く手をつけないと後になればなるほどいろいろ処理が難しくなるということで恐らくそういったことを東京都に申し上げたんだろうと思います。しかし、実際問題としては、東京都は先ほどのようなことを私どもに連絡してきておりますので、引き続き見ていたわけでございます。
○和田教美君 今おっしゃるとおり、確かにその後、東京都と大蔵省の合同検査が一昨年の八月から行われましたね。それから、一年たった去年の六月からは第二回検査が行われる。しかし結局は、示達書などというものが出ましたけれども、何ら効果がなくて事態はますますどんどん悪くなっていったと、こういうことなんですね。 そして、小島理事はまだそのインタビューの中で、せめて、去年の八月に総裁は内容がわかったというんですけれども、第二回の合同検査の結果もう非常に悪いということがわかったときに手を打ってくれておれば、もう少し傷は浅くて済んだんではないかというふうなことも言っているんですよ。ところが、それも結局はやらなかったと。 今、総裁のお話を聞いていると、すべて都が悪いような、東京都が悪いようにも聞こえるんですけれども、なぜそんなに、つまり総裁が完全にもう事態が非常に危機状態にあるということを認識されてからでも一年半かかっているわけですね。去年の十二月に実際に新しい方式による処理方法が決まったまで一年半かかっているわけですね。なぜそんなにおくれるのか。そこにだれが一体、どこが一体責任があるのかということについて、当時の総裁としてどうお考えでしょうか。
○参考人(三重野康君) 第一に、一昨年の第一回の検査は、危機的状況にあるというふうには私どもは考えておりません。もちろんそのときに手を打てはもう少しいろんな、もう少し軽い手で何とかなるかもしれませんが、しかし私は先ほど申し上げたように、ほかに責任をかぶせるとか、そういう気は全くありません。ですけれども、おととしからいわゆる東京都の打ち出した改善策を本当に両信組が実行しておれば、ここに立ち至らずに済んだかもしれません。そういう意味でございまして、第一回のときには危機的状況にあったというふうには考えません。第二回の検査の結果でこれはひどいものだというふうに判断をしたわけであります。
○和田教美君 先ほどの委員長の質問で、例の四者会談とか五者会談とか言われるものですね。去年の十二月の五日に藍亭ですかで、要するに武村大蔵大臣や竹下元総理あるいはまた四元義隆氏、さらに財界の方一人、二人と、こういう方々と当時の日銀の三重野さんもお入りになって会談したんではないかと、そしてこの問題が話し合われたんではないかという、マスコミでいろいろと伝えられておるうわさなんですけれども、これは今も三重野さんは全くありませんと言って否定をされましたけれども、しかしこの間この委員会で大蔵大臣に私が聞いてみましたら、十二月五日の会談というものは否定されましたけれども、しかしこういうメンバーによる会合は前から開かれておるということは認められました。 ですからその点も含めて、全く会談がないと、全くおれは関係がないというのかどうか、改めてお答えを願いたいと思います。
○参考人(三重野康君) そのいわゆる一部週刊誌に出ておりますようなメンバーの会合が例えば十一月とか十二月とかにあったことは全くありません。 ただ、このメンバーが、正確じゃありませんけれども、四元さんと財界の方、私、それから政界の有力者あるいは現在の偉い人というのが時々集まってお話しするチャンスはございました。これを申し上げてみたいと思います、今までの。 昨年は二月の二十二日と六月の三日と二回ございました。それから一昨年、平成五年はございません、一つも。それから平成四年、これは四月の二十二日に一回だけありました。それから平成三年、これは十月一日と十二月二十四日と二回ありました。 これはいずれも、まあ出席者の方がそのときの金融・経済情勢を私に質問すれば大ざっぱなお話をしましたし、やはりその四元さんという方は、国を思う一念の固まった非常な古武士みたいな方ですから、そういう政治のことについての、悲憤慷慨ではありませんけれども、そういうふうなお話も承り、比較的そういう雑談風なことで会があったことは事実でありますけれども、この件に関しては全くないということは今申し上げたとおりであります。
○和田教美君 たしか週刊朝日だったかと思いますが、四元さんが直接インタビューに答えておりますが、そのときは、たしか二カ月に一回ぐらい開いている、この会合をと。これはそういうことはないですね。
○参考人(三重野康君) 今申し上げたとおりで、それ以外はございません。
○和田教美君 それから会談というふうな形ではなくても、武村大蔵大臣とこの二つの信用組合の問題についていろいろ収拾策などについてお会いになったということはございますか。また、竹下元総理とこういう会談とは関係がなくてお会いになったということがございますか。
○参考人(三重野康君) この件に関してお会いしたことはもちろんございませんし、それ以外でもこの三、四年一度もないと育ってよろしいかと思います。
○和田教美君 どちらの方、両方ともですか。
○参考人(三重野康君) はい。
○和田教美君 大蔵大臣も。
○参考人(三重野康君) 大蔵大臣はこの件に関しては一度も相談したことはございませんし、大蔵大臣になられてお会いしたのは、スペインのIMF総会に行かれるときに向こうで御一緒したことだと思います。
○和田教美君 政治家からもう一切働きかけがなかったということをさっきおっしゃっておりましたね。それじゃ、財界人から何かアドバイスを受けたということはございませんか。
○参考人(三重野康君) アドバイスも含めまして一切ございません。
○和田教美君 さっきから長銀の責任はかなり大きいという議論が委員の方から盛んに出ているわけで、確かに私もこの前の衆議院の証人喚問を聞いておりまして、二人の証人が、前の二信組の理事長が口々に長銀の、何というか、共同責任だと言わんばかりの発言について、それを全面的に信用するわけではございませんけれども、しかしどうもこの新しい今度の救済スキームをつくるに当たって長銀の関与ということを三重野さんも含めていろいろと検討されたんだろうと思いますけれども、その検討材料になった基礎がこの間の証言で大分揺らいできたのではないかなという感じがするわけです。 例えば長銀は、東京協和については深い関係はあるけれども、しかし安全信組については全く関係がございませんということがとにかく要するに二つの信用組合の破綻問題の収拾の受け皿になることを断った長銀の理由だと言われておりますね。 ところが、どうも証言を聞いておりますと、協和はもちろんのこと、安全についてもかなり長銀はかんでいたのではないかという疑いを持たざるを得ない状況だったと思うんです。もちろんその後に長銀はいろいろと反論をいたしております。そして、安全について全く関係ないということは依然として主張していますけれども、これはこれから我々が追及していかなければならないことだと思うんですけれども、もし証言に出たような安全に対しても長銀が関係があるということになると、つまり新しいスキームの分担割合のベースが崩れるわけですから、そうすれば長銀にもっと負担させるべきだという他の民間金融機関の声、これも道理があるということになるわけですが、その点は全く再検討の必要はないというふうにお考えかどうか、お聞きしたいと思います。
○参考人(三重野康君) 私の在任中は安全信用組合と、全く関係ないかは別にいたしまして、それほど大きな、特に負担が多くなるような関係があるというふうには認識をしておりませんでしたけれども、その後、委員のおっしゃるような新しい事態ができるとすればそれをどうするか、それは私の後の総裁が決めることだと思っております。
○和田教美君 いや、今の問題についてその当時はどういう判断だったんですか。
○参考人(三重野康君) その当時は安全信用組合とはそれほど深いつき合いというか関係はないというふうに判断をいたしておりました。
○和田教美君 大蔵省の西村銀行局長は、この間のこの予算委員会の集中審議で答弁をしまして、私の質問ですけれども、二つの信用組合の破綻の処理方法について、従来型でとにかくひとつ長銀が引き取り手になってほしいというふうなことを当然最初に交渉したと思うけれどもどうかという私の質問に対して、そういうことをやったことはございませんと、こういう答えだったわけです。 そうすると、その答弁をひっくり返すと、従来型、従来型というのはつまり長銀の要するに例えば系列の金融機関ないしはその地域の金融機関に汗をかいてもらって、長銀も応分の負担をして、そしてそこが吸収合併をする、そして二つの信用組合には消えてもらう、こういうやり方ですね。今まで五つ、六つの信用組合の処理方法もほとんどそういうやり方で来ているわけなんですね。信用組合なり信用金庫の処理方法はそういう形で来ておるわけですが、そういうやり方は今度は初めから考えなかったということにもなるわけであって、それは本当でしょうか。そんなことはちょっと考えられないんですが、どうでしょうか。
○参考人(三重野康君) 今度の場合は二つの信用組合を一緒にしてやろうというのが例えば東京都のような方針であったように聞きますが、いずれにしても、第一回の検査のもっと前ならば、今、委員のおっしゃったようなことも一つあり得る策だとも思いますけれども、特に我々が都の要請を受けて相談を始めました昨年の秋以降では、長銀はおろかどこでも引き受け手がないということで今度のようなスキームができ上がったわけでありますから、銀行局長のおっしゃったのは恐らく正しいことだと私は思います。
○和田教美君 さっきもお話に出ましたけれども、平成六年の十月三十一日、有名な「金融システムの安定と日本銀行の役割」という三重野さんの講演のことについて、先ほどはとにかくいろんなことを言われて、いろんなところを引用されて、一体どこに重点があるのか、頭がよくないから私にはよく理解できなかったんですけれども、要するにペイオフということも考えたけれども、しかし今度の場合には、やっぱり信用システムの維持ということの方が心配だったから、だからそっちに決めたんだと、こういうことですか。
○参考人(三重野康君) 私どもの頭にあるのは、第一義的に金融システムの安定ということだけでございまして、そのためのいろんな処理の方法にペイオフというのが一つの選択肢であることは事実でありまして、ただ私は、うんと前の例えは大阪の料理屋の問題に発しました東洋信金の問題がありましたね。 あのとき、結局分割してそれぞれ引き受けてもらってやったんですけれども、あのとき以来私は、私の一緒に働いている連中に申しているのは、とにかくこの処理を考えるときに二つだけ必ず守ってくれ、一つは金融システムの安定というのが日本銀行で一番大事なんだと、それは当たり前だけれども、もう一つはペイオフを初めから消すなということでございますけれども、しかし今回の場合も、ペイオフということをすれば金融システムに残念ながら響く可能性があると。ある人はないと言いますけれども、これは実験してみることができないことでございまして、それはデリケートな時期にどういうことがあるのかというのを知っているのは、大蔵大臣と私が最後に決断しなければならないことだと思っておりますが、やはり可能性がある場合は、金融システムの安定ということを第一とし、ほかのデメリットは若干あっても、そこは悩ましいことではございますが割り切っていったということでありまして、私の演説も大体そういう趣旨だというふうに思います。
○和田教美君 しかし、そこでちょっと疑問なのは、二つの信用組合、確かに乱脈経営ではあったけれども、しかし回収不能額は両方今わせて千百億ですね。それぐらいの信用組合の処理をするのに、あれだけの大がかりな新しいシステム、そして日銀出資と、それから東京都の融資という形で公的資金、事実上の税金を使うというシステムを導入して大騒ぎをしてやるほどのことであったのかどうか。要するにああいうやり方でなくて、例えばペイオフならペイオフというやり方をとっても金融システムが動揺するとでも本当にお考えになったんでしょうか。
○参考人(三重野康君) 最初、委員長の御質問のときにお答えしましたけれども、金融機関の破綻というのは普通の一般企業の破綻と違うわけであります。特にそのときに最後に申しましたのは、システミックリスクというのがあるのが特色でございます。システミックリスクというのは、各金融機関のバランスシートの資産と負債が大体同じようになっておりますので、例えばA信金ができれば、ああ、あそこは危ないのか、それじゃおれのところも危ないのかというふうに連想でリスクが広がっていく、これがシステミックリスクの一つであります。 これが例えば、さっきも申し上げましたけれども、昭和の初めの金融恐慌は、現在の価値に直してこの両信金よりもうんと小さいわずか五百億ぐらいの銀行の破綻がざあっと昭和恐慌を引き出したわけであります。直ちに今度もこの信用組合で昭和恐慌に匹敵するような恐慌が起きるとは思えませんが、やはりそういった可能性は十分ある。しかも、現在の状態が非常にデリケートな時期であるということから考えて、これはこれをやるべきだというふうに判断をいたしました。
○和田教美君 今度の新方式、新スキームですね、これを決断するに当たって、とにかくこういうことを一回やると、全国の、さっきもお話が出ておりましたけれども、オールジャパンで全国百二十五の金融機関の協力を得ているわけですね、出資、融資について。そして、それを勧誘するに当たって、これは預金保険機構の保険料の臨時徴収だと考えてくれというようなことを言って回ったという話も聞いたんですけれども、そういうことを言っていると今の状況、バブルの後の処理ということで見ると、相当危ない金融機関はまだ中小金融機関にかなりあるわけですね。 そういうところがもしパンクをするというふうな事態になったら、全部とにかくこういう方式でやらなきゃいかぬということになるんではないかと。そうでなければ、あのときにおれらは助けたんだから、今度はとにかくペイオフなんてけしからぬというようなことで開き直るということが続々と起こり得るというふうに思うんですが、その点はどうお考えになったんですか。
○参考人(三重野康君) 預金保険の特別会費というのは私どもは一言も言っておりません。それは私も本で読んだわけでありますけれども、これは市中銀行のある人が話したということでございます。 それから、これから先、私のような立場の者が危ないものがたくさんあるとかなんとかということは言えませんけれども、これだけ悪い乱脈な経営の信用組合というのは、そうは、そうはというか、まずないと思いますね。これから先どういうふうになるかわかりませんけれども、当然にこれが全システムに適用されていくということにはならないというふうに私はその節は考えました。
○和田教美君 それから、もう時間も大分たったようですからそろそろ質問をおしまいにしますけれども、とにかくさっきも申しましたように、東京都から三百億の低利融資、それから日銀は出資という形で、まあ事実上の税金、日銀の場合も私は事実上の税金だと思うんですね。それから東京都の場合にはこれはもう明らかに税金を使うということになるんですが、そのことが国民の猛烈な反発を呼んでおるということだと思うんですね。そして東京都の場合には、私たちはもう事実上三百億を復活することはあり得ないというふうに判断をしておりまして、あのシステムはいずれにしても修正を必要とするか、途中で運営が困難になるんではないかとさえ思っておるんです。 しかし、このシステムを三者で、つまり日銀と大蔵省と東京都で決めるに当たって、これだけ都民の反発、国民の反発が強いというふうにお考えになったか、ある程度予期されたのか、予期されてもとにかく押し切ろうというふうにお考えになったのか、その辺はどうだったんでしょうか。最後にお聞きをして、私の質問を終わります。
○参考人(三重野康君) まず後の方、東京都がこういうふうになるというふうには予想をしておりませんでした。これは何もまたここで向こうに責任を転嫁するわけではございませんが、我々は東京都の要請に従って、そこで知恵を絞ってこういうスキームを考えたわけで、その要請したところが自分のところは知らぬというのはこれは予想をしておりませんでした。 それからこういうふうな国民の反感を招いだということは、これは謙虚に反省しなければならないと思いますが、それと同時に、あえて私に言わせていただきますと、信用システムの安定というのは非常に大事だということと乱脈経営だということは本当は切り離してもっと議論を進めていただければなおありがたかったということを思いますが、しかしこれは何も謙虚に反省しているという最初の言葉を打ち消すことではございません。
○和田教美君 ありがとうございました。
○井上哲夫君 新緑風会の井上哲夫でございますが、三重野前総裁にお尋ねをいたします。 私は、先ほどの質問で、あなたが十二月の四日なり五日にひそかに四元氏等と会談を持ったか持たないかということで、それはないというくだりがありました。 問題は、本件に関して十二月の六日にあなたは今回の処理スキームについてオーケーサインを出したわけですが、その間に例えば東京都の最高責任者あるいは大蔵省の最高責任者とあなたとで、金融システムの救済のためにはこれしかないし、こういう形で処理をしましょうというような相談をひざを交えてされたことはないわけですか。
○参考人(三重野康君) このスキームが私のところに上がってまいりましたのは、たびたび申し上げましたように、十一月の終わりでございます。もしそのときに東京都と大蔵省と日銀の間が非常に意見が食い違って、これはどうしても意見を一致させなきゃならないということになれば、初めてトップ会談というのが出てくるわけでございますけれども、この問題はもちろん重要でありますけれども、いわゆる私どもには担当の役員もおりますわけで、そういった役員以下向こうの幹部と合意を見た場合は何もトップとの会談は必要ないではないかと、こういうふうに思っております。もちろんもしまとまらなければ恐らく会ったでしょう。
○井上哲夫君 先ほど楢崎委員もあなたに尋ねていたわけですが、例えば長銀の責任と今回の応分の負担というのが納得できない、ひそかに関係者だけで水面下でこれでよかろうということでは困るという問題はあると思うんですね。基本的にスキームの設定と、施行にといいますか実施にみんな合意しておるから、みんな担当者でやってもらえばいいんだというところはちょっとわからないところなんですが、いかがでございますか。
○参考人(三重野康君) 仕事の進め方として、まず事務当局が合意を見ればそれはそれでいいわけでございまして、事務当局で重大な問題について協議相整わないときは、これはもう一度またトップが会うということはあると思います。 それからもう一つ、長銀の分担についていろいろ御意見があるのはこれはいたし方ないというふうに思いますけれども、合意においてみんながこれてしょうがないかというふうになった以上はそれでいいんだと思いまして、それを公開の席上あるいはもう少し大きなところでやりますと決してまとまらず、まとまらなければそれこそ信用不安というものが出てくるわけでございますから、決まるまではやはり公開の席ではできない。しかし、決まった以上はそれは周知徹底するということが必要だと、それはそのとおりだと思います。
○井上哲夫君 しかし、実はこの今回の枠づけというかスキームは、公的資金の導入という大問題があるわけですね。なるほどあなたがおっしゃるように、金融システムの安定といいますか、あるいはもし昭和二年の例のようなことが起こってはいけないと、そういうことから、はかりごとはひそかに進めなければならないという側面は多分にあるわけですが、一方では公的資金を導入するということになれば、その兼ね合いも含めてやはり政治、例えば大蔵大臣とか東京都の知事ないし副知事の、そういう方々とあなたとで決断をしなきゃならない問題はあったのではないかなと思うんですが、それは今あなたがお答えになったように、うまくいっているときには今回の措置がむしろ適切であったという判断をしたということなので、質問はそのことにはいたしません。 ところで、九三年の七月に初めてこの二つの信用組合の大変な事態を知ったと。そのときには東京都、つまり監督の第一次責任者である東京都は改善命令を出しますから見守ってくださいというような報告が基本的にあったということでございますが、これは改善命令を出した後、例えば一年後の九四年の十二月には是正措置といいますか、改善命令を出した翌日にはもう両方の信組の打ち首といいますか、東京共同銀行設立の合意に至っているんですよ。 一年前のときの改善命令では、強く改善命令を出したので見守ってくださいと、この一年前の九三年の七月のときの、正確に言えばその後の合同検査によるんですかね、そのときにはどのような東京都はあなたに、日銀に説明があったんでしょうか。
○参考人(三重野康君) 厳密に言いますと、一昨年の第一回のときは、命令でなくて恐らく指導ですね、東京都。ですけれども、今度は、二回目の後のは改善命令。これは改善命令を出しますと非常に大きな波紋が起きまして、いわゆる信用不安が起きるわけであります。したがって、スキームができないとそういった改善命令は出せない、そういう仕組みだというふうに理解しております。
○井上哲夫君 じゃ、その指導の際に、東京都はどういう趣旨でいわゆる改善させるからという申し出があったんですか、その指導の中には。
○参考人(三重野康君) 内容の詳しい点は私は承知しておりません。恐らく当然事務方は聞いていると思います。
○井上哲夫君 聞いていないということであればそれ以上聞くことはできないんですが、実際に九三年というのは金融界も大変な年であったと思うんですが、このスキームで、さっきモラルハザードの懸念というか心配というのをおっしゃいました。これを例えば分けて考えるとお説のとおりだと思うんですが、金融システムの安定をむやみやたらに強調されますと、国民から見ればなかなか、じゃ赤信号みんなで渡れば怖くないという人が勝ちかと、非常に例えが悪いかもしれませんが、そういう意味ではモラルハザードは拡大蔓延すると思うんですが、あなたはどのようにそれを今回の措置で考えてみえますか。
○参考人(三重野康君) 委員のおっしゃったのともう一つあると思いますね。そういうモラルハザードが蔓延するということと、そんなに日銀総裁が金融システムへの波及を恐れるのかと、そんなに日本の金融システムというのは危ないのかと、この二つがあるわけでありまして、私の言い方はその点は非常にジレンマで、気をつけて言ったつもりであります。
○井上哲夫君 私も大蔵大臣にはこの点はお尋ねをしているんですが、今回のこの措置は、これから、先ほど和田委員も質問しましたが、次の手当てをしなきゃいかぬところがあった場合にこれを参考にして使うのかというふうなことについては、なかなか答弁しにくいところでありますが、実際に今回の措置で何が一番あなたとしては残念なことがあったか、その点だけお尋ねをしたいと思います。
○参考人(三重野康君) 率直に申しまして、私の申し上げているいわゆる金融システムに関する話と、それから目に余るああいう乱脈経営をした信組に適用したということで議論が錯綜して、非常に議論が錯綜したと。これはやはり、まあ残念と言ってもそういうことになったわけですから仕方ございませんけれども、それが一番やっぱり残念でございました。
○井上哲夫君 以上で終わりますが、実際には大口預金者の内容がいろいろ取りざたされながら全く手傷を負わないというところに問題があると思いますが、以上、私は時間が来ましたので、質問を終わります。
○橋本敦君 日本共産党の橋本でございますが、端的な御答弁をお願いして質問に入りたいと思います。 まず第一点は、平成五年の七月に長銀が撤退をするという、そのときに事態を具体的には把握したというお話ですが、それ以前に長銀に対する考査も行っていらっしゃったので状況的にはおつかみのことと思うんですね。 そこで、長銀が撤退すれば事態は極めて深刻になるという、こういう予想は当然お持ちになったと思うのですが、いかがですか。
○参考人(三重野康君) 私自身はそのときに初めてマークしたわけでありますけれども、恐らく事務当局は長銀その他の関係がございますのである程度は知っていたと思いますが、両信組がここまで深いかかわり合いになっているというのは、やはり両、都と大蔵省の内容の検査があって初めてだというふうに思います。
○橋本敦君 それはおかしいです。 なぜなら、けさ、ここへお越しになった長銀の頭取は、これを撤退するに当たってしばしば日銀にも行った、大蔵にも行ってよく説明をした、都に対しては、資金ショートが起こると大変だからケアをお願いします、そこまで言ってきたというんですよ。あなたの認識は甘過ぎる。そういうことで私は責任は果たせないと思いますよ。 そこで言いますが、しばしば説明を受けて長銀が撤退するということを日銀は了承していたわけですね。
○参考人(三重野康君) 一つの経営判断として、あるグループに対する融資を打ち切りにするかどうかということは、これは個々の金融機関の決定でありまして、私どもが一々それに対してそれはおかしいとかやめろとかということを言うことはございません。
○橋本敦君 指導として、これは重大な事態になるからどういうわけで撤退するのか、今後どうするのか、聞いてしかるべきですよ。 例えば、いいですか、私の聞いたところでは、そのときに長銀の方から今後協和の経営については責任を持って協力させていただきます、責任を持たせていただきます、こういう説明もしたというように聞いていますが、そういう話は聞かれていますか、聞いてませんか。端的で結構です。
○参考人(三重野康君) 聞いておりません。
○橋本敦君 ですから、あなたのところへ行くまでに事務方の話は十分伝わっていないんだ。そういう意味で私は、その点で日銀そのものの中にこの問題に対処する上で甘さとそれから責任を持たねばならぬ部分があったと思いますよ。 さらにその次に言いますけれども、この問題について長銀が責任が重いということをおっしゃった、それは事実だ。そうすると、この救済計画を立てる上で長銀にどういう責任を持ってもらった救済計画が立てられるか、日銀部内で検討しましたか。
○参考人(三重野康君) 当然検討したと思います。
○橋本敦君 具体的に言ってください。どういう計画を検討しましたか。
○参考人(三重野康君) 委員、私のところに全部細かいことが一々上がってくるわけではございません。つかさつかさがございますし、担当の役員以下でいろいろそういう点は議論をしてやるわけでありまして、適宜途中で同じ方向について私の決断を求められることはありますけれども、そういうことでございます。
○橋本敦君 それは無責任ですよ。最終的にあなたはこの救済計画を承認なさった。そこへ行くまでに長銀の責任は重いということもあなたは百も御承知だ。だったら長銀に対して責任を持ってもらって、長銀の責任を主体とする救済計画はどういう点を検討したかしなかったか、聞いて当たり前じゃないですか。そんな無責任なことでどうしますか。 具体的に聞きますが、いいですか。長銀がこの両信組を合併吸収するということでの解決案だって具体的にあったはずだ。いいですね。東京都はそれを希望していたという報道もある。この点について最終的な判断結果はどうなんですか。
○参考人(三重野康君) 私が聞いている限り、東京都がそういうような仕組みを我々に提案したことはございません。
○橋本敦君 じゃ実質的に検討したこともないんですか。さっきは長銀に責任を持たせる計画も検討したと言った。これは重大な一つの案ではありませんか。この案についてどうなんですか、検討したかしなかったか。東京都から聞かぬでもいいです。日銀の責任でやったかどうか。
○参考人(三重野康君) 私どもは、私どもに相談を受けて以来、これはどこかに受け皿、どこかの既存の金融機関に合併をさせるということは無理だと判断しておりますから、長銀に相応の責任を負わせるというのも、今回のようにいろいろな方法によって分散させますけれども、しかしこれを合併するという案は考えておりません。
○橋本敦君 なぜ無理なんですか。長銀に合併させることがなぜ無理なんですか。長銀と相談もせず、具体的に検討もせず、どうしてそれが言えるんですか。無責任じゃないですか。
○参考人(三重野康君) これだけ悪い銀行を、長銀といえども人様の金を預かって運営しているわけであります。そこへいわゆる命令するなんということはできません。
○橋本敦君 これだけ悪いようにした上で長銀は責任ないんですか。あるじゃありませんか。そういうことでは私は金融政策として十分責任を果たしたと思いませんよ。 このスキームをつくるのに大蔵と日銀がいろいろ協議したと言いますが、具体的な協議の窓口は、大蔵は西村銀行局長、日銀は増渕信用機構局長、これが中心になっておやりになったということですか。
○参考人(三重野康君) その二人がやったわけじゃなくて、先ほども申しましたように、いろんなレベルで幅広くやった。結局、最後はやはり担当理事と銀行局長の間でこういうふうにやろうかと。それてそれぞれの長に上がってきたというふうに思います。
○橋本敦君 具体的になぜ説明できないんですか。当然じゃないですか。信用機構局があり、片方に西村銀行局長、大蔵省銀行局があるんですよ。だれが考えたってそこが主体になって進めたということは想定されるじゃないですか。それをはっきり言えないというのは一体どういうことですか。 聞きますが、日銀の内部で、この救済計画をつくる過程で想定問答集までつくって、長銀の責任とのかかわりで質問が出たらどう答えるか、そういう想定問答集までつくられているということは聞いておりますが、事実ですか。
○参考人(三重野康君) 対外発表する前にいろんな質問に対する想定問答集をつくるのは当然だと思っています。
○橋本敦君 つくったということですね。 そういういろんなことをやりながら、今、私が言った一番大事な、長銀に責任を負わせることもしないで、長銀の責任は重い、経営は乱脈だ、こう言っておきながら、いいですか、十分な責任を果たさせる手だてをとらずに公的資金で救済するということについては絶対納得できない。こんなものは撤回すべきだということを強く要求して、もう時間が来たようですから質問を終わります。
○西野康雄君 新党・護憲リベラル保市民連合の西野康雄です。 この問題は、信組を救うというよりは、私は最終的には長銀を救済するというその目的なんであって、信組を救うような形をとりながら実は長銀を救っているとしか思えないんですね。これが事の本質だと思う。 そういう中で、増渕稔という方、今もお話が出ていましたが、御存じですわね。
○参考人(三重野康君) 借用機構局長であります。
○西野康雄君 今回の東京共同銀行、新銀行の設立の当事者とでも申しましょうか、スキームづくりの中の日銀側の代表とも言われる人でございますが、私が調べた中では日銀の中で唯一高橋さんと交友関係があったというふうな風聞も聞いておりますが、総裁として、かっての部かでございますが、高橋さんとこの増渕さんが何回か接待あったとか、向島の料亭で何か会ったとか、ゴルフへ行ったとか、そういうことは聞いておりませんか。
○参考人(三重野康君) それは全くありません。彼の名誉のために申し上げておきます。
○西野康雄君 彼の名誉のためにそういうふうにかつての上司としては言うのが当然ではないかと思いますが、今後いろいろと出てきた場合はその言葉がまた重くのしかかってまいるかと思いますが。 秘密裏に大口預金者がきょう提示されました。しかしその大口預金者、ひとつ渋っていた原因の中に、二つの大きな広域暴力団のフロント、いわば企業舎弟と言われているのが含まれているんだというふうなことも承っておりますけれども、日銀総裁の時分にそういうふうなことを、いろいろとずうっと上げられてきたときにそういう話は聞いておりますか。
○参考人(三重野康君) そういう大口の中にこれがいるようなことは聞いておりません。
○西野康雄君 はい、結構でございます。時間が参りました。
○島袋宗康君 二院クラブの島袋宗康と申します。 最初の委員長の御質問にもありましたけれども、なぜ退任間近になって今回のスキームを認めたかというふうな理由は依然としてお互い疑問に残っております。参考人は、金融機関が破綻すべくして破綻するのは健全な金融システムだというふうなことが持論と承っておりますけれども、今もそのお気持ちは変わりありませんか。
○参考人(三重野康君) 先ほど私の講演を読み上げましたが、委員お聞きくださいましたと思いますが、後で全文をお送りしてもよろしゅうございますけれども、片言隻句が前後の文脈と関係なしにひとり歩きするのは困りますが、あそこで言いたかったことは、やはり私どもは金融システム安定ということは第一義的に考えると、そうすると、ペイオフというのは一つの選択であると、ペイオフでなければその金融機関をつぶしたことにはならないというのは誤解であると、そういう趣旨で貫いておりますし、今回のスキームも私の講演の線に沿っていると言っていいと思います。
○島袋宗康君 そうすると、それ認められたわけでありますけれども、今回の場合ですね、そうした持論を曲げる人間関係があったのではないかというようなことがよく報道されておりますけれども、参考人は今も持論を曲げていないというお答えはいただきましたけれども、結果として、持論どおり、やはり一たんは倒産させるべきであったというふうにも考えられるわけでありますけれども、その辺についての御見解をもう一遍承りたいと思います。
○参考人(三重野康君) 結果としてもあれはつぶれたんです。いわゆるペイオフによる倒産ではございませんけれども、経営者は全部退陣をしましたし、それから出資金はゼロになりました。それから名前もなくなりました。そういうことでつぶしたわけでありまして、私の講演は私の考えを述べたものでありますけれども、今回はすべてあの講演の線に沿ったものと、私はそういうふうに理解をいたしております。
○島袋宗康君 時間ですので、終わります。
○委員長(坂野重信君) 以上で三重野参考人に対する質疑は終了いたしました。 三重野参考人には、長時間にわたり御出席をいただき、まことにありがとうございました。御退席くださって結構です。 次回は来る三月二十二日午前九時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後三時六分散会