国際問題に関する調査会 第2号
- 発言数
- 38 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1995/02/08
会議録
○会長(沢田一精君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 去る一月二十七日、石井一二君が委員を辞任され、その補欠として和田教美君が選任されました。 また、本日、北村哲男君が委員を辞任され、その補欠として川橋幸子君が選任されました。 ―――――――――――――
○会長(沢田一精君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任を行いたいと存じます。 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(沢田一精君) 御異議ないと認めます。 それでは、理事に木庭健太郎君を指名いたします。 ―――――――――――――
○会長(沢田一精君) 国際問題に関する調査を議題といたします。 本日は、「二十一世紀に向けた日本の責務-アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて-」につきまして参考人の方々の御出席をいただきまして、御意見をお伺いし、質疑を行うことといたしております。 本日は、参考人として、埼玉大学教授下村恭民君、読売新聞解説部次長杉下恒夫君に御出席をいただいております。 この際、参考人の方々にごあいさつを申し上げます。 下村参考人、杉下参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませず本調査会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。 本日は、「二十一世紀に向けた日本の責務-アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて-」のテーマのもと、政府開発援助のあり方につきまして忌憚のない御意見をお伺いし、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 本日の議事の進め方でございますが、まず、下村参考人、杉下参考人の順序でそれぞれ約三十分程度御意見をお伺いいたします。その後、おおむね午後四時三十分ごろまで質疑を行いたいと存じますので、何とぞ御協力をお願い申し上げます。 なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。 それでは、まず下村参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。下村参考人。
○参考人(下村恭民君) 下村でございます。 きょうはこういう機会を与えていただきまして大変光栄に思っております。これから、政府開発援助、ODAのあり方につきまして私なりに感じておりますことを三十分ほどお話しさせていただきたいと思います。 ODAの話ということになりますといつも思い出されますのは、三年ほど前の日本経済新聞の書評欄に出た記述ですけれども、こういうことが書いてありました。ODAを取り上げた本を読むと、ある本ではODAは悪玉、ある本では善玉、余りにも取り扱いが対照的で極端で戸惑わされるというふうに書いてありましたけれども、皆様もこれまでの御経験でそういうふうに思われるかと思いますし、私もかねがねそういうふうに痛感しております。したがいまして、きょうはなるべくそういうふうにならないように心がけまして務めさせていただきたいと思います。 まず、日本のODAの特徴、長所も短所もいろいろございますが、それらの点につきましては既に御案内のとおりでございますけれども、そういう日本のODAの特徴について国際比較の視点を交えながら若干概説させていただきたいと思います。 私、思いますに、日本のODAのいろいろな特徴というのは海でいいますと波頭のようなもので、波が立っているのがODAのいろんな問題点でもあり成果でもある。いろいろなそういう情報が我々の目に触れるわけですけれども、そういう波が立っている背後というか底には非常に大きなうねりがあって、結局表面に出ております波頭は深い底にあるうねりの結果として起きているということではないかと思います。 幾つかの主要な特徴についてお手元の資料の1の②というところに書いてありますけれども、ほかにももちろんいっぱいあるわけでございますが、こういうものはあくまでも表面的なというわけではありませんけれども、目に触れる現象で、その底にいろんな構造的要因があって、それによって日本のODAのいろんな特徴が規定されているということではないかと思います。 まず、そういう構造的な要因を見てみたいと思いますけれども、私は二つの大きな要因があるかと思っております。 第一は、日本のODAには昔から非常に独特の、他国に見られない独特の援助理念があるということでございます。独特の援助理念があると言うと違和感を感じられる向きもあるかもしれません。 通常、日本のODAについて言われますことは、これは国外でも国内でも同じでございますが、よく言われるのは日本のODAには理念がないということでございます。ただ、私は、その理念がないというふうに見られているということは間違いのない事実だと思いますけれども、それには二つの理由があると思います。 一つは、これまで日本のODAの理念の最も特徴的な部分であったものが余りイメージ的にされてこなかった、政府の説明の中で余りイメージ的になっていなかったということじゃないかと思います。それは一つの非常に重要なキーワードであります自助努力という概念ですけれども、これが日本のODAの援助理念として大きく打ち出されたのは、ODA大綱が皆様の御努力によって出されますしばらく前からでございまして、それまでは余りこういうことは言われなかった。むしろ、日本のODAの援助理念の最も特徴的な部分が表に出されないできたということじゃないかと思います。これが一つの理由ではないかと思います。 しかし、さらにもっと基本的な理由は、レジュメに書きましたように、日本の援助理念が西欧の援助理念と著しく異なっていたということであろうかと思います。 世界の国際的な援助社会、いろんな場がございますけれども、それは言ってみれば西欧の列強といいますか、有力な国々のクラブのような性格を持った場で、何といっても援助の社会でのしにせの国々ですから、やはりそこで語られる言葉の文法、そこで語られる概念の中身、あるいはそこで行われるいろいろな活動のルールはしにせの国々の感覚で設けられているということがあります。 御承知のように、西欧の場合、援助理念の基調には慈善あるいはノーブレスオブリージュというような、恵まれた者が恵まれていない者に何かしなければいけないという人道的な感覚なり義務感なりがあるというわけですけれども、そういう感覚から見ますと、やはり日本の援助理念、自助努力、つまり途上国が一生懸命努力しているのを助けるんだ、それが援助の本質なんだというふうな考え方は若干違うという、異質なものだという感覚がありまして、なかなかそれが素直に理解されてこなかったということがあるかと思います。それが日本の援助には理念がないという誤解といいますか、そういうイメージの基底にあったかと思います。 こういう状況を見ますと、私、昔読んだ童話の「みにくいあひるの子」というのを思い出すんですけれども、日本はどうも「あひるの子」ではないということは感じられているんですが、「あひるの子」ではないにしてもちゃんと立派な何かの鳥なんだということがなかなか理解してもらえないということが大変残念だと思います。 そういう意味で、ODA大綱が出されて、非常に日本の考え方が整理された形で鮮明に打ち出されたということは大変大きな役割を持ったかと思います。 二番目の構造的な要因ですけれども、それは小さな政府によって非常に大きな援助が行われているということです。つまり、日本の場合は非常に大きな援助をしているにもかかわらず、それを支えている機構が小さく、日本の政府あるいはさらにいえば国民が比較的、相対的に軽い負担をしながら援助を実際やっているということではないかと思います。 小さな政府あるいは非常に機構が小さいということについては、やはりODAが伸びるようになったころから日本にはもう一つ非常に重要な政治課題があったということではないかと思います。 それは行政改革であり財政再建であったわけですけれども、そういう行政改革とか財政再建の非常に強い必要性との両立を探りながら、一方ではODAを拡充しなければいけない。この妥協の中に、結局財政投融資の活用というような形で政府の財政負担あるいは国民の税金の負担を軽くしながら、しかし国際社会での責務は達成しようという方策がとられてきたというふうに思われます。 その結果、ODAの原資の五割しか一般会計が使われていないという現象とか、機構、定員の拡充がODAの規模の拡充に比べて著しくおくれているというようなことが起きたのかと思います。 こういうふうな基本的な構造的な要因によっていろんな特徴は出ているわけですけれども、それは既におなじみの点でございますが、ここに三つ書いてありますけれども、特にこの中でODAの質の問題を取り上げてみたいと思うんです。 ここに日本のODAの長所も短所も非常に鮮明に出ているかと思います。日本のODAは量は大きいけれども質は劣っているというのが一般的な理解でございますが、これもまた私の考えでは、国際援助社会というクラブのしにせの国々のルールから見ますと劣っているということではないかと思います。質をはかるにはいろんな基準があるかと思いますけれども、間違いなくそのうちの重要な部分は金融的条件ですね。贈与が多く貸し付けが少なければ金融的条件はいいわけですから、これが援助の質というものを基本的に決めるということであろうかと思います。この点では御承知のように日本は劣等生でして、有力な援助国の中では最低の成績しか上げておりません。 他方、南の国から見ると、金融的な条件さえよければいいのかということはあるかと思います。北の国々のクラブでは金融的な条件がよければいいんだ、それが質が高いということになるんだというふうにルールを決めておりますけれども、南の立場からいうとどうでしょうか。やはり南の立場からいうと金融的条件も重要ですが、同じようにひもつきが少ないということも重要ではないかと思います。この基準で見ますと日本は御承知のように非常に成績がいい、世界でも最有力、最も成績がいい国、つまり、ひもつきの条件が少ないということだと思います。 これはどうしてかといいますと、不思議なことですけれども、日本が貸し付けが多くて贈与が少ないということから、結果的にひもつきの条件が少ないという結果になっているんではないかと思います。決して贈与がタイド、ひもつきの条件で行われていいということではないんですが、これも国際援助社会のクラブのルールというか感覚では、いや贈与はひもつきでもいいじゃないかということに基本的になっていて、どういうわけか贈与はひもつきで専ら行われることが多い。 それに対して、日本の場合も同じですけれども、ただ日本の場合は貸し付けが多くてその貸し付けはほとんどすべてがひもつきでないアンタイドの条件になっておりますので、その結果、南の国々から見るとひもつきが少ないという結果が出ているかと思います。 こういうふうないろんな特徴がございますが、日本のODAはいろんな意味で転換点に差しかかったということ、これは確かだと思います。いろんな意味で転換点、曲がり角にかかったということは言えるかと思いますけれども、ここでは二つ挙げております。 二つの面から考えたいと思いますが、その前に、我が国のODAだけではなくて、もっと広く世界のODAということで見ますと、もう一つ非常に重要な曲がり角の要因があるかと思います。 それは、世界的な援助疲れの現象です。世界の有力な援助国が財政収支も赤字、国際収支、経常収支も赤字という状態になっている国が多くて、しかも援助に専念してきたけれども、なかなか目に見える成果が出ていないということで援助疲れが出ている。我が国にもそろそろその兆しが出てきているんだろうと思いますけれども、そういう環境がまずございます。 さらに、我が国の直接の問題としては、やはり援助ニーズの多様化が一段と進展しているということがあろうかと思います。 伝統的な援助ニーズ以外に、ここで挙げました環境ですとか市場経済移行ですとか、あるいは古くて新しい重要テーマである貧困、人口、あるいは女性の地位ですとか、エイズのような極めて新しい問題ですとか、そういういろんなニーズが出ております。これは一方で、専門分野が非常に広がって、ODAの人材に非常に多角的なものが求められているということを示しておりますが、もう一つ、何といってもたくさんの人を投入して援助をきめ細かくやっていかないと対応ができないというふうな性格のニーズが台頭してきているということであろうかと思います。 これまでも、国際的に見て非常に小型の実施体制、行革と財政再建の中で何とか活路を探りながら小型の実施体制でやむを得ずやってきたわけですけれども、こういう体制では対応ができない状況になってきているということがあろうかと思います。 同時に、これらの新しいテーマの中には通常これまでの伝統的な考え方では経済性がなかなか図れないものがございます。ということは、コストのある資金である財政投融資のお金を使ってやっていたのでは、なかなか対応できないというものが出てきているかと思います。 もう一つ、日本にとって非常に深刻といいますか重要な問題は、円高が進展して日本の援助の特徴である貸し付けが多いというその特徴が途上国にとっては非常に裏目に出ているということではないかと思います。 円高の結果、当然為替の変化のしわ寄せが返済負担の増加という形で途上国に及んでおりますから、これを何とかしなければいけない。有償協力、円借款、あるいは貸し付けをやめろということではなくて、今までの、貸し付けにかなりのウエートを置いた援助の内容自体は、いろいろなまた意義を持っておりますからそれは続けるとしても、原資、資金の内容を相当見直していかなければいけない時期にかかっているということが言えるかと思います。 そこで、こういう状況で日本のODAがこういう曲がり角に立ち至って、これから何をするかということが問題になりますし、ここの場の主要なテーマでもあるわけですけれども、その中で、ODA基本法をどう考えるかということになりますが、基本法についての私の意見を申し上げます前に、今後どうしたらいいかということをざっと、レジュメには余り書いてないんでございますけれども、お話ししてみたいと思います。 我が国のODAはこれまで急速に伸びてきて、いろんな問題点が顕在化しておりますし、解決しなければいけない問題点も非常にありますけれども、他方でそれなりの成果も上げてきたということは言えると思います。問題点につきましてはかなりおなじみだと思いますが、成果については余り語られることがないかと思いますので、一つだけ特徴的な最も重要なところを申し上げたいと思います。 途上国の人々の生活条件をあらわす指標に、社会指標、ソシアルインディケーターズというものがございまして、これはUNDPで鋭意データを作成して発表しておりますけれども、こういう数字を見ますと、長期的に途上国の人々の生活条件は改善されてきている。いろんな浮き沈みはありますけれども、基調としては改善されてきているということがございます。 ただ、この改善ぶりは、アジア、特に東アジアの日本がODAの主たる対象としてきた地域で非常に著しいということが言えます。この地域では同時に、絶対的な貧困の生活条件の人々、つまり人間として最低のベーシック・ヒューマン・ニーズが満たされていない条件で生活をしている人々の比率も、ほかの地域に比べて極めて急速に減ってきているということが世界銀行等の最近の調査で発表されております。 こういうふうな生活条件の改善あるいは絶対的貧困の緩和というのは、ODAの結果というよりも、もちろん基本的にはそれぞれの途上国の国々の政府のたゆまざる努力によって、あるいは途上国の国民の努力によって起きたわけですけれども、そこで日本が相当大きな、資金面でも技術面でも大きなシェアを持ってODAを続けてきたということがあり、またODAがそれぞれの国での予算の中で大きな比重を占めているということから見ると、一つの成果として顕在化しているということが言えるのではないかと思います。 ただ、先ほど申し上げましたように、問題は非常に一方でいろいろな形で顕在化している。問題を解決する上での基本的な考え方として四つほど方向があるかと思いますが、ざっと申し上げますが、一つは先ほど申し上げたやはり構造的な制約条件を見直してみる必要がある。何とかこれまでの位置づけと違う形でこういう基本的な制約条件との折り合いを変えていかなければいけないんじゃないかと思います。 それから二つ目として、日本のODAには、ODA固有の問題ではなくて、例えば財政制度とかなんかの関係でかなり難しい制度的な制約要因がございます。一つだけ例を挙げますと、無償で問題になる単年度の原則。これはあくまでも原則にすぎませんが、単年度ですべて予算を消化しなければいけないという原則があるということがいろんな意味で日本のODAの足かせになっていると思います。こういう制度的な制約要因を緩和することに努力しなければいけない。 それから三番目としまして、日本のODAにはなかなかすぐには打破できない制約がありますから、国際的な連携を、これは例えばアメリカあるいは南の途上国の中の卒業生との間で進めていかなければいけないと思います。 さらに、ODAを含めた経済協力、いろんなメニューがありますから、例えばNGOあるいは自治体の活動あるいは直接投資、そういうものとの連携をさらに深めるということが必要ではないかと思います。 こういうふうないろんな対応策を考えていく中で、ODA基本法というふうなアプローチがどういう意味を持ち得るかということを最後に考えてみたいと思いますけれども、ODA基本法の基本的なコンセプトとして、私の理解ではここにレジュメに挙げました②、③、④というものがあるかと思います。 いずれも重要な問題かと思いますけれども、まず基本理念、原則の問題でございますが、これは既に皆様の御努力でODA大綱が成立していますけれども、この大綱に盛られた精神、理念、これを英知を集めて活用していくということが今主たるテーマなのではないかと思います。 先ほど申し上げましたように、日本の考え方、今まで非常にあいまいだった考え方が内外に鮮明にアナウンスされたという大綱の効果は非常に大きいですから、これを生かしていくということであろうかと思います。 ただ、大綱はあくまでも大綱であって、この中にそのときそのときの重点的な日本としての政策、濃淡のつけ方というものが出なくてはいけないわけで、その点、③の国会の関与の(1)ですけれども、このODAの中期的な方向について、どういうものが重点で、どういうところに重点化し、アクセントをつけていくかということについて、つまり、大綱の精神をそのときそのときの状況のもとで具体化していくということについて方針を立てていただいて、議論していただいて内外に意見表明を行っていただくということは、そういうことを国会の方でされるということは非常に大きな意義があろうかと思います。 ただ、(2)に書きましたように、それがさらに細かくなって年次の援助計画を承認するという制度化になりますと、私はいろいろ弊害の方が大きいかと思います。やはりそのときそのときの機動性、弾力性、ただでさえ機動性、弾力性が保ちにくい状況に、今の官僚機構のいろんな間の調整というものの結果、機動性、弾力性の欠如という問題が出ているわけですけれども、これがさらに悪化しはしないかという懸念を持ちます。しかも、これはアメリカが既に非常に長い間悩んできたことでもあるというふうに承知しておりますので、やはり米国での前車の轍は踏まないというふうなことが今の時点では重要ではないかと思います。 最後に、援助実施体制の一元化ですけれども、この一元化という言葉がやや簡単に言われているような気がいたしますが、一元化というのは確かに非常に重要ですし、それができれば非常にいいことだと思いますけれども、ODAに対していい結果が出るかと思いますけれども、現実の問題として相当程度の一元化というのはなかなかできないのではないか。 例えば、ODAに関するいろんな機能の中で一元化しにくいものとして各途上国との接点になる大使館のネットワーク、それから各国際機関との接点になるネットワーク、これがあるかと思います。これはこの部分をODAの担当官庁、専門官庁に集約するということは現実には不可能であると思いますので、そうすると、いろんな機能を調整するというやや中途半端な一元化、括弧づきの一元化に終わってしまうのではないか。そうすると、やはりただでさえ複雑化し、肥大化している現在の実施体制がさらに悪化するというふうに思います。 私はかつてODAの実施機関であるOECFで仕事をしておったのでございますけれども、OECFで仕事をしている相手である日本の四省庁体制というのは四つ頭のある怪物のような存在でした。ヤマタノオロチというのは八つ頭があったそうですけれども、それの半分ですけれども、それでも大変でした。ここでまたもう一つ調整官庁ができると四つの頭が五つになるかと思いますので、これはやはりなかなか援助、実務を実施する立場からいうと大変なことではないかと思います。 それから、最後の最後になりますけれども、JICAとOECFの統合ですが、これにつきましては若干誤解があるかと思いますけれども、国際援助社会の実情を見ますと、技術協力と資金協力の機能につきましては二つのはっきりした大きな流れ、二つの違ったアプローチがあるかと思います。 一つはこれを一緒にやる、一元化してやるというやり方、これはアメリカとかイギリスはこれをとっているわけですけれども、もう一つ技術協力と資金協力を分担しながら進めていくという流れがございます。いずれかが優位を持つというわけではなくて、それぞれがそれぞれの国の過去の経験に基づいた知恵の産物、反映ではないかと思います。 日本の体制の場合、似たようなものとしてはドイツの体制、資金協力を復興金融公庫、KFWがやり技術協力を技術協力公社、GTZがやるという体制がありますし、さらに目を広げますと、国連の一部であるUNDPと世界銀行の関係、これはやはり非常に日本の体制に似た面がありまして、技術協力をまずUNDPがやって、そこで企業化調査をやってから世界銀行がファイナンスとして引き取るというふうな有機的関係がございますが、そういうものもうまく機能しているわけですから、やはりそれぞれのやり方についてそれぞれの特質があるわけで、それを生かしながら、現状が非常にすべていいというわけではもちろんないわけですので、これの改善に努める、あえて別な流れに、別な路線にこの時点でポイントを切りかえるという必要はないのではないかというふうに思っております。 雑駁でございましたけれども、私の今考えておりますODAのあり方についての感じを申し上げました。
○会長(沢田一精君) ありがとうございました。 それでは、次に杉下参考人にお願いいたします。
○参考人(杉下恒夫君) 御紹介にあずかりました杉下でございます。 私は今でも毎日取材を続けて原稿を書いておりますいわば現役の記者でございまして、どちらかというと先生方にお話を聞かせていただきたいと思う立場でございますが、せっかくきょうこういう機会を与えていただきましたので、私が日ごろ開発ジャーナリストとして日本のODAについて感じていることを幾つか率直にお話しさせていただきたいと思います。 最初にお断りしておきたいんですが、日本のマスコミ、新聞社、テレビ局を含めまして、ODAに対してはっきりした社論というものを形成している会社はないのではないかと認識しております。憲法問題とかPKOの問題というものに対しては社内での意見形成が行われていますが、ODAについては基本的に賛成であるかという立場程度でして、私の所属しております読売新聞でも特にODAに対する社論はございません。ですから、私がきょうお話しさせていただきますことは私個人の考え方、こういうふうに認識していただきたいと思います。 ゆうべも、何で私がきょうこの席にお呼びいただいたのかななどと考えました。大体前回の参考人を見ましても、ODAに対して違った意見の方が呼ばれてそれぞれの立場からのお話を聞くということに意味があるのかなと思うんですが、今の下村先生のお話で先生もODAに対しては肯定的な意見をお持ちの学者だと解釈しております。 一般的に日本のマスコミというのは、少なくとも活字や映像になってあらわれる限りODAに対しては批判的なものが多うございます。私もそういった立場からお呼びいただいたのかなとも考えたんですが、最初に申し上げておくと、私はODAに対しては非常に肯定的な意見を持っている一人でございます。 と申しますのは、私がODAの勉強を始めたのも、やはり最初はODAの批判というような原稿を書こうということから現地へ取材に何度か足を運びまして、六年ほどの間に世界のいろいろなODAの現場を見て回りました。その結果、日本のODAというのは、日本外交だけでなく、日本人が、日本という国が今後国際社会で生きていく上に欠かすことのできない外交政策、政策であるということから、これを肯定的にやはり推進していかなきゃならないという立場に至ったわけでございます。 私はそういう意見の持ち主なのでございますが、大体の現在の日本のマスコミのODAに対する認識というのは一体どの辺にあるのかということを申し上げたいと思います。 先ほども少し申し上げましたけれども、どのマスコミもODAというものに対してはなくしてしまえというほどの極端な意見の組織はないと思います。基本的には賛成だけれども多々不明朗な点も多いといったような漠然たる認識が日本の現在のマスコミの対ODA観ではないかというふうに考えております。 それでは、なぜその媒体、紙面や映像にあらわれるODA記事が批判的なものが多いのかと申しますと、陳腐な例でございますが、私たちがよく新聞記者になったころ、犬が人間をかんでもニュースじゃないが人間が犬をかめばニュースであるといったことと同じことで、逆に考えますとODAはおおむねうまくいっておるわけでして、たまにうまくいかない事例がニュースになったというふうに解釈してもよいのではないかと考えている次第でございます。 ODAというのは、政治的、経済的、社会的、文化的、人道的、それぞれの観点の見方によって点数というのは、それこそさっき下村先生のお話のように零点から百点まで、同じプロジェクトを見ても非常にいろんな点のつけ方があるわけでございます。例えば、経済的効果を非常に重視する方が人道面に非常に配慮されたプロジェクトを見た場合、ある意味で効率が悪いという点をつけるかもしれないんです。逆に、人道面を非常に重視する方が非常に経済効率を生んでいるプロジェクトを見ても、それは非常に人道面の配慮が足らなくて非常に点数の悪いプロジェクトであるというような、それぞれの視野、視点によってODAの見方というのは大変変化をします。 また、意図的にそのプロジェクトを悪意を持って見ようとすれば、割とODAというのはいろんな角度がございますから、見る角度、または一部分をとったり一時期をとったりしてそれを記事にしたり評価したりすれば、それもいかような点数もつけられるのではないか。 例えば、私も幾つかのODAのプロジェクトの現場に行きますが、物によっては、ある部分だけ、ある側面だけをとらえれば社会面のトップになるような現実、実情を見ることも多々ございます。しかし、大きな全体のプロジェクト、それが流れている目指す方向、そういったものを解釈して理解してそういうプロジェクトを見れば、一つの側面だけを記事にするということはやはり正確な報道ではない、そういう解釈をするわけでして、いろいろ日本の国内に流れておりますODA批判、ODA批判の記事、それぞれの皆さんの信念というものがございますからそれが一概にいい悪いということは言えないとも思うんですが、それぞれの視点というもの、読む側もニュースを見る側もそういったものをやはりある程度解釈しながら見るのが正しい日本のODA報道ではないかというふうに思っております。 特に、最初に私が申し上げましたODA報道に携わった理由でございますが、ちょうど六年前、八九年だったと思うんですが、八〇年代後半、日本のマスコミの一種ODAバッシングとも言う大変なODA批判記事が各媒体にあふれた時期があったと記憶します。その理由は、やはり八九年度の実績額で日本がアメリカを抜いて世界一のODA、世界一の援助国になったということがマスコミの強い関心を生んだからだと思います。 なぜ、しかしあのときにあのようなODA批判記事が噴出したのかというのを今分析してみますと、まず最初はマスコミ自体にODAというものが全く理解できていなかった、こういうことが大きな理由だと思うんです。まず、ODAの仕組みというのは非常に複雑ですし、いろいろな手続、用語から始まりまして、非常に理解するのが難しい部分がございます。現実面は見えるんですが、その間のプロセスというのが非常に見にくい、理解しにくい、そういうことがございまして日本のマスコミ側がよくODAを理解できなかった。加えて、わからないから一部の非常に偏った方のニュースというものをそのまま掲載していたということが一つの理由。 二つ目は、それを受ける外務省なりJICAなりOECFなり、または援助学者なりが、一種今でも言われるODA村とか援助族とか、ODAというものは一部非常に聖職的な立場に立ち、非常に国際貢献していて、国際的であり聖職であり、我々一般の新聞記者などにはわからない分野であるといったような対応が非常に目立ちまして、正しい情報を提供しなかった、いわゆる透明性が非常に欠けていたということが二つ目の理由ではないか。 それから三つ目は、これは大分現在直ったけれども、当時やはりかなりいいかげんなプロジェクトやいいかげんな人物が存在したのではないか、書かれても仕方がないこともあったのではないか。 四つ目は、やはり東西冷戦構造下ですから、イデオロギーによる批判、西側陣営の戦略の一端として行われているODAに対する、それにイデオロギーを別にする方たちからの意図的な批判といったようなことが、八〇年代後半ですから崩壊の直前というか崩壊中ですが、その前からも含めまして、そういったことがあのころのODA批判の記事またはマスコミによるODAバッシングであったというふうに分析しております。 現在はどうかと申しますと、マスコミ側も大分ODAのことを勉強するようになりました。余りすっとんきょうな、とんちんかんな原稿というのはかってよりは減ったのではないか。それから、援助機関、実施機関などの対応も非常に情報公開という点で昔と格段の差がございます。非常に多くの情報を提供するようになって、対応もよくなっております。それから、言うまでもなくイデオロギーによる批判というのも消えております。 ですから、最近のODA報道は八〇年代後半に比べますとかなり的を射たものが多くなってはいますが、いまだにやはり誤解とか不勉強による記事も時々出てくるということは否めません。 きょう、お呼びいただいたので何を話すかということをちょっと考えたんですが、事前にお送りいただきました過去の調査会の会議録などを読んで私の方から勝手に解釈いたしますと、何をここで私が話せばいいのかという点、一つはやはり援助基本法のお話。これは国際開発協力庁の設立を含めた基本法の話とか、第三者またはいろんな形の監視機関の強化、監視体制の強化といった分野について先生方の興味というか、関心もおありではないかというふうに解釈しましたので、まず最初に援助基本法について私の考えを述べさせていただきたいと考えます。 まず、援助基本法ということを言う前に、やはり日本という国全体に、これは国会もマスコミも含めまして、なぜ援助をするかということがまだきちっとしてない。先ほども申し上げたように、それぞれの観点からそれぞれの考え方でODAを行っているということですが、それぞれの考え方でいいんですが、特にやはり国会または行政としてははっきりしたものを私はつくらなきゃならないと思うわけです。 そして、ODAというのははっきり言いまして経済行為ではなくて、私は政治行為というふうに解釈している次第でございます。要するに、ODAは非常に戦略性があってもいいのではないか。戦略という言葉は非常に悪い響きを持ちますので、私の言っております戦略というのは、やはり国民の利益のために強い目的を持った政策といったような、軍事行動を伴うような意味の戦略ではございません。要するに強い目的を持った政策としての戦略をやはり一つ先に掲げなきゃならぬ。 その政策とは一体何かというと、やはりそれは国益に利する政策だと思うわけです。国益という言葉も響きが余りよくない言葉と思うんですが、やはり国民の広い利益、何が国民の利益になるか、これをきちっと考えて、ODAは国民の国益のために行うのであるということを私ははっきり言っていいのではないかというふうに考えるわけです。 何か非常に対外的にそういう言葉を言いにくい、また国内的にもそういう言葉は言いにくいという、タブー視されている分野もあると思うんですが、やはりODAというのは少なくとも日本人が今後住みやすい国際環境をつくっていくための、日本人のための政策、もちろん日本一国が繁栄して日本人が住みやすい国際社会ができるとは思っておりません。ですから、共存共栄という意味でも、日本人及び日本を取り巻く国際環境の改善のために行う政策であるというふうに考えてもらいたいと思うわけです。 何か日本で、私どもマスコミを含めてなんですが、ODAというのは慈善事業的な意味合いを非常に強く持たせたのがいい政策である、いいODAであるというふうに言う人がおります。しかし、いまだかつてODAが単なる慈善事業で行われたことはないわけでございます。アメリカの戦後のマーシャル・プラン一つをとってみましても、アメリカのいわゆる対共産党封じ込め政策に使われた援助でございますし、同時にまた経済的な側面で見れば、コカコーラとかフォードとか、そういったアメリカ企業の進出の手段として使われた援助でもあるわけでございます。ピースコーなども非常に美しいサウンドはしますが、やはり第三世界への共産圏の浸透を防ぐために使われた一つの手段であるというふうに解釈することもできると思うわけです。 私が最近、去年、タイの国家経済社会開発庁のピシットという長官がいたんですが、彼と何度か話す機会があったときに、彼も日本のODAというのははっきりビジネスライクな分野をもうちょっと強調してもいいのではないか、美しい人道面だけを強調しても決して国民全体の支援は得られないであろうというようなことを言っておりました。 もちろん、援助が国益とか経済活動などのために行われるということではありません。私が言いたいことは、飢えている子供を助けたり、劣悪な衛生環境の中にいる人たちを助けるという人道面的な側面ももちろん重要ですが、その人道面だけを強調するというのではなく、あわせ持って国益と人道面、いわゆる相互依存と人道面という日本の援助の二本柱をもうちょっと明確に、片方をもうちょっと明確にしてもいいんではないかと思うわけでして、最近援助に対して国民の支持というものは減っているのではないかと懸念します。 と申しますのは長期的な不況、今回の阪神大震災は別といたしましても、国内でやることがまだいっぱいあるのではないか、そういう中で日本の来年度の一般会計だけでも一兆円を超すような大金を一体なぜ外に使わなきゃならないかという国民の疑問というのは大きくなっていると思うわけです。そこで、やはりODAは何も慈善事業ではなく、我々、あなたたちにもそれがはね返っているんだということを述べて悪いことはないのではないかというふうに考えています。 さっきからも、どうも私がちょっと今言い足りないということで、一国繁栄ということを私は言っているわけではありません。共存共栄という意味の国益、そういうものの追求ができるということを先生方のちょっと誤解のないようにお話しさせていただきたいと思います。 さて、今言いましたように、ODAというものをなぜ実施するかということを踏まえまして、今度、援助基本法の問題について話したいと思うんです。 私のこれもまた勝手な解釈でございますが、国会で参議院が援助基本法を立法化したいと言っているねらいは二つあるのではないか。一つは援助理念の確立ということ、それからもう一つは国民の代表機関であります国会によるODAに対するチェック機能の強化、この二つが立法化のねらいというふうに私は解釈しております。そういう解釈のもとに最初に申し上げておきますと、少なくとも現在の段階で今立法化を急ぐ必要はないのではないかというのが私の考えでございます。 と申しますのは、先ほどの下村先生からもお話があったように、平成四年の六月でございますか、ODA大綱、政府開発援助大綱が閣議決定されております。これは今のところ国の内外で非常に好評を持って受けとめられている大綱でございまして、平成五年に発議された国際開発協力基本法というのを読ませていただきました。内容はもう先生方も御承知のとおり多くの部分、特に理念の部分といったところで非常にODA大綱と重複する部分がございます。 あえて内外に発表したODA大綱というものがありながら、それを二年半ぐらいで取り下げて援助基本法というものにつくり直すということは、国民にもそれから対外的にも何か違和感を持たせることになるのではないか。むしろODA大綱の運用ぶりをもう少し見守って、これではどうにもならないというときが来たとき、このODA基本法の立法化というものをもう一度御検討願えればいいのではないか。現在ではもう少しODA大綱を見守りたい、見守るべきであるというふうに私は考えております。 また、将来にわたってODA基本法をつくるという場合、理念の部分と実行の部分を分けたらどうかという意見もございますが、理念と実行を分けて、理念だけを立法化して実行の部分は行政府に任せるという折衷案もございますが、やはり理念と実行を分けるということは基本法自体を骨抜きにすることもございますし、逆に言うと実施機関の運用にも支障を来すことになると思いますので、将来立法化を考える場合は、やはり現在の出ておりますドラフトのようなものが検討の材料になろうかと考えておる次第です。 それから、ODA基本法について私がなぜ反対するかということをもう少し詳しく申し上げます。 まず一番気になることは、それぞれ五年の中期目標に対する国会の承認というくだりでございますが、やはりこれは多くの問題が出てくるのではないか。一々中期目標に国会が承認を出すというのは非常に外交的にも大きな障害です。例えば、相手国に日本のODAの政策というものを事前に公開するということ、それから日本の外交のフレキシビリティーを失うということ、いろいろな問題があるわけです。アメリカのようにいろいろな外交手段を持つ国はともかくとして、日本のようなODAが正直言って唯一とも言える外交手段である国にとってODAの手の内を見せてしまうということは、全くアメリカのやっている方法等は踏襲できない事情ということを考えなければならないというふうに思うわけです。 それから、やはり中期目標について国会でエンドースするということは、実行が不可能になった、例えば今回の第五次中期目標などのように七百とか七百五十億ドルというのが現在の財政状況の中で非常に実行が難しくなってくるようなとき、もし国会で承認を得ているなら、やはりもう一つ国際的な責任というものが増してくるわけでございまして、やはりODAのフレキシブルな運用ということも考えて、中期目標を国会で一々承認するということには反対です。 それから、国際開発庁、国際開発援助庁という構想も読みました。これも今もさんざんいろんな先生が恐らく反対の意見を述べられて、先生方ももう今さらということかとも思いますが、やっぱり具体的に私が頭の中で考えましても、大蔵省の国金局、外務省の経済協力局、通産省の経済協力部といったものを調整機関として残すのか、それとも一つに統合するのか。総理府のもとに一つの省庁として吸い上げるということは物理的に不町能ですが、もしそんなことがあっても、例えば外務省の経済協力局という総合政策局とのうまく連携のもとに機能している組織が、そこへ一本だけ、経協の部分だけを外していっても、うまく機能できないことは自明の理でございます。それぞれの省庁皆そうだと思うわけですね。 そういうふうに一本に集約する、または調整機関としての援助庁というものをつくるということは、今下村先生もおっしゃったように四省庁、十八省庁、そういった調整機能が一体果たせるのか。かえって手続を煩雑にしてODAのスムーズな運用を阻害するということが、もう恐らく皆さん同じことをおっしゃっていると思うのですが、私も改めてそれを申し上げさせていただきたいと思うわけです。 それから、この中に入っているJICAとOECFの合併というか、これも今下村先生もおっしゃっていましたが、これはもちろん私も反対でして、金融機関とそれから技術協力の機関を一緒にするということが基本的に無理な話で、ただ単なるODAを実施している二つの機関だからというイージーな結びつけの仕方はちょっと安易ではないかと思うわけです。 それからもう一つ反対の理由としまして、これももう既に先生方が耳にたこができるほど聞いておられるアメリカのハミルトン報告でございます。あれを見たとおり、アメリカの援助基本法というものが、アメリカの立法府と行政府の関係、ODAを受けましていかに機能を煩雑にしているか、アメリカのODAの運用が非常に弱体化している大きな原因になっているということも私の反対の理由の一つでございます。 いろいろレジュメに書いてまいりましたので、ちょっと全部話す時間がないんですが、最後に一つ申し上げておこうと思います。また足らない分野は後でお話しさせていただこうと思いますが、これからの私が考えております、では国会がどういうふうにODAと関与すべきかということを簡単にお話しさせていただこうと思います。 基本的にはやはり、国民を代表している先生方の機関である国会がODAに全くノータッチであるということについては私は反対です。やはり国会におけるODAの監視機能というものは設置されるべきではないかと考えている次第でございます。 それがどういう形で行われるのが望ましいのか。それは、ODA基本法を立法化するということよりも、良識の府と言われます参議院内に特別委員会なり委員会といったものを設置して、マルコス疑惑が起きたからとかそういうテンポラリーなものじゃなくて、やはり恒常的にODAを監視して、それぞれの専門の先生方の多くに参加していただいて、ODAを非常にわかる先生方に、例えば経済協力委員会なるものをつくってもらってそこで恒常的にチェックしてもらう、問題があるごとにじゃなくて。そしてそこから出たもの、そこにいろんな方を呼んで話を聞き、そしてそこから先生方に毎年一遍の勧告なり何かをしていただいて、ODAの国会によるスクリーニングといった機能をぜひ考えていただけるとありがたいというか、私はさらに日本のODAの改善につながるのではないかと解釈しているわけでございます。 これで私のお話を終わらせていただきます。
○会長(沢田一精君) どうもありがとうございました。 以上で両参考人からの御意見の聴取は終わりました。 これから質疑を行います。 本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。質疑を希望されます方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。 なお、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。 それでは、質疑のあります方は私から指名させていただきますので、何とぞ挙手をお願いいたします。
○中西珠子君 中西でございます。 本日は、先生方お忙しいところをお越しいただきまして、大変貴重な御意見をちょうだいいたしまして感謝いたしております。 ただ、私は一九八〇年以来ずっと国際開発協力基本法案をつくるために一生懸命努力してきまして、それで自民党と共産党を除くすべての参議院における会派が賛成いたしまして、先ほど申されました平成五年の国際開発協力基本法案を出したわけでございます。ですから、何年もの努力を重ねてそしてあれを出したわけでございます。 杉下先生のおっしゃいました、ODA大綱ができているんだから重複するからあんなものは要らないというふうなお話がございましたけれども、このODA大綱につきましては、私どもが一生懸命皆さんと御一緒に党派を超えてやってまいりましたODAの基本原則、理念というものを中間発表したものがODA大綱になったと私どもは理解しているわけでございます。それで、外務省の、名前は申しませんけれども、ある高官もODA大綱のコピーライトはこちらにある、こういうふうにおっしゃってくださっているぐらいなんです。 ですから、ODA大綱があるからもう要らぬじゃないか、それからまたこれは重複になるからというふうなお話でございますが、結局、法案が提出されてそれが成立いたしますと重複ということになるかもしれませんけれども、ODA大綱そのものには法的な拘束力は何もないわけでございますから、法律案として提出し、またそれが成立した場合には要らないじゃないか、重複するじゃないかというお言葉は、ちょっと私はそしゃくして消化ができないわけでございます。 それから、ほかの点につきましては、先生方の御意見を貴重なものといたしまして、私どもはもう一度考え直して、そしてまた基本法案は必要ないというお考えでいらっしゃいましょうが、私どもとしてはなるたけ法案というものをまたつくりまして出していきたい、こういう考え方でおります。 それから、先ほど杉下先生もちょっとおっしゃいましたけれども、阪神の大震災におきまして非常に多くの人命が失われ、また、負傷した人も家を失った人も本当に古今未曾有のほどの非常な惨状というものがまだ続いておりますね。緊急の援助のためにも、またもっと中長期的な復興のためにも財源がないということで今非常に四苦八苦しているわけでございますが、国民の中からの声ばかりでなく、議員の中でもやはりODA予算を削ってそして今の国内の惨状を何とかするべきだ、こういう御意見が非常にあるのでございます。 杉下先生や下村先生は、その点についてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。 杉下先生のお考えでは、中長期的に見て国益に資するから、今何もODA予算を削減するなんてことはとんでもないことだとおっしゃるかなと私は思いますけれども、でも私自身も愛国心もあり同胞愛もあるわけですから、どうしていいかと非常に迷うわけでございます。ですから、この点につきましても、先生方お二人の御意見を伺いたいと思うわけでございます。 本当にきょうは貴重な御意見をありがとうございました。私ども、大いに勉強させていただきましてこれからの対応に資させていただきたいと思っておりますから、どうぞ私が変なことを言って反論したとお考えになりませんで、建設的に前向きに先生方の御意見を受けとめたというふうに御理解いただきたいと思います。 ただ、ODA予算の削減の点ですね、これは私自身のところにもいろいろの方から聞いてきておりますので、どのように答えていいかちょっと困っておりますので、どうぞ御指導のほどお願いいたします。
○参考人(下村恭民君) それでは、今問題提起がありました、私には二番目の点について御要望があったかと思いますけれども、ちょっと基本法と大綱の関係についても一言だけ申し上げたいと思います。 私は、基本法について中西先生が非常に長年努力してこられたということは、結局その内容が、大綱という中間的な生産物かもしれませんけれどもそういう形で立派に実っていって、それが非常に内外に意義を持っているわけでございますから、それはそれで非常に報われたのではないかと思います。 大綱と基本法の理念につきましては、非常に似た発想ですのでこれを別々につくる必要があるかどうか、私は疑問だと思いますし、またこういうものを法的拘束力のある形でつくろうということもちょっとなじまないかと思いますので、この両方に共通する理念を先生方のお力でもなるべく生きるようにしていただくということに当面重点化していただくということが一番意義のあることじゃないかというふうに思っております。 それから、震災とODAの関係でございますが、これを震災の復興予算かODAの予算がという二者択一で考えるというのはちょっと短絡的に過ぎるかと思います。もし、もちろんほかにあらゆる財源を当たっても全くないと、全くなくて、あとは震災の復興の予算とてんびんにかけるとするとODAの予算しかないという状況があれば別ですけれども、これをすぐ短絡的に結びつけることはちょっと尚早なのではないかと思います。 そこで、ただもしどうしてもどちらかとれという場合に、これは全く仮定の話ですけれどもどう考えるかと、私の感じでは、やはり日本としてODAの予算を削って震災に回すということが総合的に見て国益に沿うんだという判断をするかどうかだと思います。やはり震災のための財源というのは非常に必要ですけれども、あくまでもそれは富める国の国内の問題です ですから、国内的な判断からすれば、これはもうやはり火急の問題だし、ODAの方を削って震災の復興に回すということは非常に説得力を持つのかもしれません。ただ、ODAを日本が実施していくということを明らかにしたことを海外は途上国も見ているわけですから、途上国から見て、いややはりあれは未曾有の災害だったんで、日本といえどもODAを削っても復興にお金を回さなければしようがなかったんだなというふうにみんなが納得してくれればいいですけれども、そういうことなのかどうか。あるいは、何か理由があると、やはり方針を高々と打ち上げつつも何かやむを得ない理由があったと言ってはODAについて及び腰になる、そういう国なんだなというふうに思うかどうかということは、よく総合的に勘案してみる必要があるんではないかというふうに思います。
○参考人(杉下恒夫君) それでは、最初の援助基本法の話からさせていただきます。 中西先生おっしゃるとおり、ODA大綱のコピーライトは四会派ドラフトにある、おっしゃるとおりじゃないかと。非常に似ておりまして、ただ、皆頭のいい人たちが英知を集めれば大体この辺に行くのかなということもあるんですが、おっしゃるとおり非常に似ている。しかも、確かにこの法案の方が先に出たという事実は私もよく認識しております。 ただ、どうしても気になることがこの法案の中で二つございまして、国際開発協力年度計画の承認、さっきもちょっと申し上げましたけれども、これとそれから国際開発協力庁の設立と、この二つをどうしても私は……
○中西珠子君 ちょっと失礼いたします。年度計画は承認制ではないんでございますよ。
○参考人(杉下恒夫君) ああそうですか、報告ですか。失礼しました、国会提出ですね。 そこで、ともかく国会のスクリーニングを受けるという点に、どうもひっかかりがあるわけです。さっき申し上げたような外交的な手段、または国会のスクリーニングを受けることによって細部にわたる問題の討議ということがなされるようになってきた場合、円滑な執行ができるかどうかという、またAIDとアメリカの援助基本法の二の舞になるんじゃないかという心配を私は非常に持っておるわけです。 それからもう一つ、ODAの一般的国民の認識というのは、いわゆる一部の商社と国会議員の癒着という言葉を非常によく使いますね、これは概念的な、観念的な話なんですけれども。こういった分野に、国会議員がまた具体的な分野に介入してくるというのはいかがなものかと。やはり国会、特に参議院はもうちょっと大所高所からのお話の方がいいんではないかという感じがしているわけです。それから、さっき申し上げたような援助庁は、非常にこれは物理的に難しいという二点から、このドラフトについて私は賛成しかねるということでございます。 それから、震災の問題ですね。これは、最近震災に限らずここ数年、やはり緊縮財政という中で、ODAというものに対する風当たりが非常に強うございます。ODAなど要らないという、要するに短絡的というか、日本の税金を人に上げるという考え方がどうもまだ日本人になじめない部分が、上げるというか人の国を相互援助していくということになじめないという風土はあるようで、景気が悪くなれば即ODAを削れという意見が私の耳にもたくさん聞こえできます。 特に今回の地震、特になぜODAに帰結していくのかと考えますと、やはり援助という言葉が、何か被災者の援助ということと政府開発援助という名前が非常に結びつきやすいという点が、即そういった意見につながる一つの理由がなとも考えているわけなんですが、当然、こういう国の大変な緊急事態でございますから、ODA予算だけが聖域だということは私は申し上げません。それは応分に各省庁それぞれのところで、やはり我慢をして復興のために役立てるという、その努力は惜しむべきではないというふうに思うんですが、援助という名前だけでODAだけを削れという意見については、ちょっと首をかしげざるを得ないわけです。 やっぱりODAというものは対外的にプレッジしたものでありますし、また継続して行われないと相手国にも非常に迷惑をかけるものでございますね。そういったものを国の事情で、恐らく日本という国がもしこれでどうしようもなくなれば、余裕がなくなればもちろん削ったり縮小することも考えなきゃならないと思いますが、少なくともいまだそういう段階でないときにODAだけを削っていくということは、国際的な信義の問題にもなるというふうに考えているわけでございます。
○中西珠子君 どうもありがとうございました。
○大木浩君 自由民主党の大木でございます。 きょうは実は、両先生のお話聞きまして、ちょっと質問しにくいなと思っているわけでございます。 質問しにくいなというのは、一つは、下村、杉下両参考人とも大体お立場が非常に近いところにあるものですから、余り両先生の間で火花が散りませんでしたので、そういう意味では両先生ともお話よく私の方で伺って結構だと。 両先生のお立場が近いだけでなくて、私もお話聞きまして、おっしゃったことについてはほとんど九九%現状認識としてはそういうことじゃないかなという感じを持っております。しかし、ODAというものをさらに立派なものにするために、むしろ先生方のお話を全部そのとおりだという前提の上で、三つばかり質問させていただきたいんですが。 前提と申しました中には、先ほど杉下先生がはっきりおっしゃいましたけれども、やっぱりODAというものは、日本自身の国益、国益といってももちろん自分勝手な国益じゃありませんけれども、共存共栄の中での国益ですけれども、国益を守るための外交活動あるいは政治的行為、ここのところはそういう出発点じゃないとやっぱり間違うと思います。 ですから、そういう前提でお聞きするわけですが、一つは、最近、相手国との経済行為というのが、例えばアジアというような国々では、必ずしも狭い意味のODAばかりじゃなくて、例えば民間投資というのも一緒にあるわけでございますから。そうすると例えばアジアの国々が大体まあシンガポールだとか香港とか、そういったところが経済的にだんだんテークオフしていくし、あるいはインドとか中国というのは、最近は非常に民間投資ということがふえてくるわけですから、そういったものとの連携、あるいはこれから比重ですね、どういうふうになっていくのか。例えばテークオフした国がもっとむしろ民間投資でやったらいいんじゃないかというようなことも議論としては出てくると思いますけれども、そういうものをどういうふうに協調してやっていくか。あるいは将来ODAというものの、狭い意味のODAというものがどういう役割になるのかということが、これが一つでございます。 それから二つ目は、そうは言っても狭い意味のODAというのは、やっぱり当分は相手国によっては非常に大事な日本の外交の一部をなすということになると思うので、やっぱりODA自身を強化しなきゃいかぬ。その前に、日本のODA、あるいは日本の外交全般ですけれども、まだまだ相手国のことがよくわかっていないという、そこからくるいろいろな間違いというのが非常に多いと私は思うんですね。そうすると相手国をどうやってもっとよく理解するかということになりますと、ODAにしろあるいは外交にしろですけれども、やっぱりまだ人間が足りない。あるいはいろんなほかのNGOとか、あるいはほかのいろいろな国際機関とか、そういったものとの協力で、もっと相手国についての知識を、あるいはこちらの実施体制を、何と申しますか、インプルーブするという余地はないのか。この点が二つ目でございます。 それから三つ目は、先ほどから国会が例えば監視機関をつくる。私は今のところ余り基本法をすぐにつくってもどうかなという立場ですから、じゃ監視機関をつくるぐらいが一つの差し当たっての方法がと思いますが、仮に監視機関をつくって、今度は先生方が、国民の立場からひとつお聞きしたいんですが、監視機関をつくって国会からどういう情報を今度は国民に伝達するのか、それについてこういうものはもっと情報として国民一般に出すべきだという点につきまして、お考えがありましたら伺いたいと思います。 以上三つの点、両先生同じ質問で恐縮でございますが、よろしくお願いします。
○参考人(杉下恒夫君) まず、最初のアジア、卒業国または卒業途上国との連携ということだと思うんですが、やはり今後のODAは多様化します。援助相手国の多様化というのはもうさんざん言われている問題でございます。 それで、この間の経団連からの提言にもございましたけれども、やっぱり民間のODAの参加、これは民間に限らずNGO、地方自治体、そして民間ということで、ODAを実施する側の多様化ということも非常に重要かと。その場合に、卒業国との場合はやはり民間の占める比重が非常に強くなってくる。今日本のODAは、例えばタイとかマレーシアに対してはドナーからいわゆるパートナーという名前を非常に外務省などは使っております。 じゃそのパートナーというのは一体何なのか。ドナーからパートナー、パートナーというのは、やはり今度は政府だけじゃなくて、NGOまたは民間、そういったものが広くコミットメントしたODAというものの実施がパートナーにふさわしいやり方じゃないかというふうに考えるわけで、ましてや卒業国は公的な資金よりもむしろ民間の投資の方を非常に歓迎します。そういうこともありますので、今先生おっしゃるように、テークオフする国に対しては民間のコミットメントというのはもうちょっと積極的に図るべきだというふうに私は考えます。 それからもう一つ、二つ目の御質問ですが、どうやって相手国を理解するかということです。これは、日本も相手国の理解度というのは年々進んできていると思いますが、やはりどうしても理解できない、東京のヘッドクオーターだけじゃ理解できない部分というのは多々ございます。 私よく援助の現場に行っていて感じることは、援助の現場の人たちはかなり相手国の事情、細部の事情、NGOの人に頼らなくても実施機関、JICAの若い人とかOECFの若い人たちはかなり相手のニーズというものをよく知っているわけなんですが、これがうまく東京まで伝わってこない。これをいかに吸い上げる方法があるのか。 それから、そういう小さいものというのは非常に小規模のものが多うございますので、やはり大使館などが持っている小規模無償の裁量権、こういったものをもうちょっとふやして、五百万とか小さい単位のものですが、相手国にとってはそれがけたが二つぐらい違うインパクトを与えるプロジェクトが多うございますから、そういったものをもうちょっと、現場のニーズというものを吸い上げるストロークを短くするというようなことを考えていただくと、現場の声というのは、相手国のニーズがもっとよくわかると思います。 それから三つ目の、監視機関、国会による監視機関ですか、私は一番ここで申し上げたい、期待したいのは、我々マスコミが幾ら取材してもやはり官庁の壁というか、強うございまして、どうしても我々もタッチできない不透明な部分が非常にございます。そこをやはり国会の先生方が持っておられるお力で、やはりもっと、例えば実施機関の人たちをここへ呼んで聞くとかいろんな調査権ございますし、そういうことによってトランスペアレンシーというものをもうちょっと強化するということ、これは私マスコミの立場でございますが、そういうことによって一層透明度が高まるということに大きな期待を持っております。
○参考人(下村恭民君) 三点いただきました中で、一番目と二番目については杉下さんが今お話しされたことと基本的に同意見でございますので繰り返しませんが、一点ずつ追加させていただきたいと思います。 ニュードナーについてですけれど、これは新たに卒業した国々が我々のパートナーになって加わってくるということは非常に歓迎すべき点でもありますし、希望が持てる点でもありますが、彼らの能力、あるいは彼らがやれることを余り過大評価することも幻想になってしまうのではないかと思います。 御承知のように、卒業して新しくドナーになってくる力をつけた途上国、特に東アジア、東南アジアですけれども、いずれもそれほど人口の多い国ではありません。経済規模もまだそれほど大きくありません。ですから、量的には彼らが国家予算を使ってできることというのは将来ともかなり限られているんだろうと思います。 そこで、ですからODAというレベルじゃなくて、先ほどの質問の趣旨もそういうことだったと思いますけれども、もっと広く、先ほど私も申し上げましたが、経済協力というような広いメニューの中で、特に直接投資の流れの中で彼らが非常にこれから活発になってくるわけですから、どういうふうに協調するかというふうに考える必要があるんじゃないかと思います。 それから、二番目の点ですけれども、一点だけ強調させていただきたいのは、人間が足りない、全くそのとおりでございまして、かつて援助人材という言葉が使われましたけれども、援助人材が足りないのではなくて、定員が足りないということが事の本質ではないかと思います。 それから、三番目の監視機関につきましては、私はちょっと監視という言葉がひっかかるところがありまして、ただODAについていろいろ課題が大きく、また今後解決すべき点が多いということも事実で、そこに国会の役割というものが非常に大きいかと思いますので、先ほど申し上げましたように、ODAについては非常に制度的な障害あるいは構造的な制約というのが深刻なわけですから、そういう構造的な制約要因、つまり行革とか財政再建とどうやって折り合いをつけていくかという問題、特に原資の問題ですね。 それから、制度的な要因で言いますと、一般会計の場合単年度で、あくまでもこれは原則ですけれども、原則としては単年度で消化しなければいけないというふうな、そういう制約がODAの成果を上げる上で相当時になっているということを御理解いただいて、そういう制約をどうやって緩和するかということに、その時々どういう制約要因があるのか、制度的な制約要因があり構造的な制約要因があるのか、それに対して何ができるかという点に力を入れていただくということを期待したいと思います。
○細谷昭雄君 下村先生それから杉下先生、お二人ともODAにつきましては大変豊富な御経験をお持ちの方でございまして、大変示唆に富んだお話、参考になりました。 そこで、二つの点でお伺いしたいんですが、これは先生方共通でお願いしたいと思うんです。 一つは、この参議院におきましては、一九七五年ですから昭和五十年、きょうおられる田先生が最初に経済協力に関する基本法案について議員立法という形で問題提起をされてからかなりになるわけです。ずっと参議院という場で、そして私は社会党でございますけれども、社会党におきましてはいわゆる議員提案という形で何度か議員立法、いわゆる基本法の制定についてかなり熱心にもう取り組んできた。 特に、百二十六回国会では、当時私たちは野党でございましたが、野党の四会派が、もう先生方御案内のとおり、いわばある程度議員立法という形態を整え、しかも当時与党でありました自民党の皆さん方ともかなり話し合いまして、共通のところ、ある程度合意まで達しようというところまで行ったという経緯がございます。非常に長い間の経緯がございますが、そういう参議院の衆議院とは違った意味での調査会、調査会の名前は変わっておりますけれども、ずっと一貫して国民のいろんな立場から、ひとつ参議院らしいそういう合意を形成しようじゃないか、そういうことに対するいろんな営みがあったわけであります。 そういう一つの過程から、今の基本法をつくったらどうかというところまでずっと来ているわけですね。その論点は先生方いろいろ御評価されていると思うんですけれども、まず第一に、そういう参議院の営みに対して先生方はどういうふうな御評価をされておるのか。 特に、杉下先生にお聞きしたいんですが、朝日新聞では、六月ころですか、囲み記事で、これはちゃんと署名入りです。参議院では三つの調査会を設けておるけれども、まるで無用の長物じゃないのか、もういろんなことができるはず、しかも議員立法も可能だとしておりながら、つくってから何もしていないんじゃないかというふうな批判が、これは朝日新聞でございますけれども、新聞でそういうふうに批判するということは、国民のある部分についてはそういうふうな見方をしているというふうにも思えるわけですよ。 それで私たちは、やっぱりいろんな点で、例えば今のODAにしましても、今や国民一人当たり一万円近く、一兆円を超える国税でこれを行っておるということからしますと、三権分立という点で執行部の手を縛るとか機動性を縛るとかというふうなことではなくて、国税を大量に投下しておるという問題でございますので、少なくとも何らかの点で国民の意思、それはもう国権の最高機関であります国会、これが何らかの点でスクリーンとしてそこに映し出される形というのは必要じゃないのかという観点なんですよ。 そういう点で、これは、マスコミの皆さん方がいろいろ報じられておる中で私たちはずっとやってきたと思うんですね。透明度とかいろんな点で、せっかくのODAが効果が上がらないで、むしろその国の汚職なんかに使われているとかというふうに、これはマスコミの批判がなければ我々もわからないわけなんですね。 そういう意味では、やっぱりそういう透明度という点で、ぜひとも何らかの点で国民の意思が映し出されるものが必要じゃないのかという観点で考えておるわけですが、まずその第一点のそういう参議院そのものの営み、そして今回の立法措置に臨もうという我々の考え方、こういうことに対する両先生のお考えをお聞きしたい。杉下先生の場合は、もう法律は必要ない、むしろ参議院で特別委員会をつくった方がいいというふうなお話でございましたが、あえてお聞きしたい。 第二点は、私は下村先生お話しのとおり、転換期に来ておるというふうに御指摘でございますが、そのとおりだと思うんですね。今までの日本の援助というのは借款とかいうことを中心にしまして、もう仰せのとおりだと思うんですね。そのために今回は、このとおり円高という点からしますと、開発途上国は大変返済に苦労するということにもなりかねませんし、そういう意味での転換期に差しかかっておる。 そこで、どういうふうな転換をしたらいいのかということなんですけれども、今までのような形もそれはもう大変有効だと思うんですが、もっと日本独自の日本の顔が見えるという援助、例えば教育援助なり、それから、先ほどお話がございました低開発国の生活面の向上だとか、もういろんな日本の顔が、技術とか教育とか文化とか、そういう援助に切りかえていく必要があるんじゃないか、こういうふうに思うんですが、そこら辺どういうふうな形で転換期に差しかかったODAの日本の援助のあり方、今までと違ったものをやるとすればどこに重点を置くべきか、この点が第二点としてお伺いしたいというふうに思います。 それから、これは質問でございますが、先ほど下村先生のお話の中の「円高の進展と返済負担の増加」というところでちょっと私聞き逃した点でございますが、いわゆる原資の点で見直しが必要じゃないのかというふうにちょっと払お聞きしたんですが、そこをもうちょっと具体的にお知らせ願いたい、これは質問でございます。 以上です。
○参考人(下村恭民君) ありがとうございました。 まず第一点、これまでの営みに対する評価ということですけれども、これまで長い間取り組んでこられたということにつきましては大変敬意を払っているわけでございまして、先ほども中西先生に申し上げたとおり、そういうような御努力があったからこそいろんな形でODA大綱を含めた進展があったということだろうと思いますし、また、皆様の強い御関心がやはりしっかりしなければいけないということを担当官庁にもあるいは援助実施機関のスタッフにもひしひしと感じさせたということだろうと思いますので、当事者としてはまだ十分な満足感を得ておられないかもしれませんけれども、それなりに大きな成果を上げているというふうに考えております。 それから、二番目の転換期でございますが、私が転換期と申しました中で新しいニーズが出てきたと、中には古くて新しいものもございますが、新しいニーズが出てきたので、これに対応する上でこれまでの体制では難しいのではないか、改善が必要なのではないかというふうに申し上げましたけれども、それではこれまで日本のODAは生活面に対して支援をしてこなかったのかというと、これは私は若干認識が違っております。 日本は円借款のウエートが高くて経済インフラのウエートが高いということで、何となく産業優先、経済優先で援助の中で生活面がおろそかにされているというイメージができ上がっているのかもしれませんけれども、私はこの経済インフラとか社会インフラあるいは生活インフラという分け方が非常に誤解を生んでいるんだろうと思います。 いろんな日本のODAは、これは有償協力、無償協力共通でございますけれども、具体的にどういう地点で、どういう地域でどういうことをやっているかということを見ていただくとお気がつかれると思うのは、非常に地方に立地している事業が多いということだと思いますね。ことは、途上国の場合、これはいい面悪い面ありますけれども、都市よりもやはり圧倒的に地方に公共投資でもあるいは社会保障的なものでも予算を配分しようとする傾向がございます。それはなぜかというと、途上国の場合、多くの人々が地方に住んでいて、そのうちのかなりが農民ですけれども、一応の民主主義を持っていれば、やはり地方に圧倒的に有権者がいるわけですから都市よりは地方を重視するという動機が働くこともあり止す。したがって、途上国側にもそういう動機があるわけですけれども、我々の目から見ても、やはり地方が振興していかなければバランスのとれた健全な経済発展はあり得ないということで、ODAは相当地方に立地しております。 その場合、例えば電力というセクターをとってみたときに、地方電化というのはいろんなところで進められていて、地方の電化率は非常に上がっておりますけれども、地方電化の場合、これは電力セクターですから経済インフラというふうに分類されますが、実際に地方の電化が進んだ結果何が起こるかというと、今まで電化の恩恵にあずかっていなかった民衆の生活が非常に高くなって、学校でも病院でも、あるいは家庭の生活でも非常に便利になる、健康も増進できる。 そういうことがあって、地方のそういういわゆる経済インフラは極めて生活に直結した社会インフラの性格を持ったものでもございますから、そういうふうな便宜的な分類を超えて、中身、どういう地域でどういうことが行われているかということをつぶさに見ていただくと、生活面に対する支援というのは非常に今までもウエートが高かったということは御理解いただけると思います。 ただ、私が転換期と申し上げましたのは、それを転換するということではなくて、今まで生活面に薄かったのを厚くするということではなくて、新しいニーズが出てきているのでこれに対応しなければいけないという点を申し上げたわけでございます。 それから、最後に円高の点でございますけれども、やはり円高に対して、これはもう非常にいろいろな難しい点を含んでおりますが、その結果、為替差損が途上国側に及んで返済負担が増加しているという」とは事実なわけです。これを何らかの形で、何らかの方法で補てんしようと思うと、それは財政投融資でやるということはやはり難しくて、コストがかからないお金でそれを何らかの形で、方法はいろいろあり得ると思いますし、それは技術的にあるいは制度的に難しい面もあるかと思いますけれども、努力するとすれば、原資は一般会計を導入せざるを得ないのではないか、そこの点でも原資の改革、構造の改革が望まれるのではないかということを申し上げたつもりでございまして、舌足らずになったことをおわびしたいと思います。
○参考人(杉下恒夫君) さっきも大木先生の御指摘にあったように、私と下村先生は非常に意見が似ていますので、話すこと、つけ加えることも余りないんですが、特に、今までの御努力、これは私も決して否定するものではございません。ODA大綱があそこで閣議決定されたいきさつにはやはり先生方の基本法の立法化という問題が大きく影響していたというふうに私も解釈しておりますし、また、その内容についても大きな影響を与えたんではないかというふうに考えておるわけです。 それから、これはほかの新聞社のお話だったんですが、朝日の原稿でございますが、同じ仲間ですが、私どもの新聞社も含めていろんなことを書きますけれども、そう余りお気になさらなくてもいいんじゃないか。逆に、この調査会が無用の長物というような表現ですね、そういうこととはだれも思ってないし、だからといって、じゃ、あえて立法化を急ぐとか何か具体的なことをしなきゃならないかということを無理にこういった論調によってされることは私はないんではないかと。やはり調査会というのは、しかも参議院の調査会ですから、もっと大局的、長期的、専門的な視野に立った会議とそれから研究調査、そういったものがされるべきであって、三年だったから何かを出さなきゃいかぬとか出なかったから無用の長物だという表現は私は適切ではないというふうに思っています。 それから、転換期ということですね。これはもう本当に転換期に入っています。日本のODAに限らず世界の援助、大体世界が転換期から今さらに新しい時代へ入っているわけですから、当然援助というものも大きな転換期に入っているわけです。 一つ言いたいのは、さっきも先生がおっしゃった生活分野ということでございましょうか、日本のODAの批判の一つとして、大型経済インフラに集中するという批判がよくございますが、私はこれは何もあえて変える必要はないと。もちろん、過去の日本の、まあ東アジアの奇跡というのは受け皿がよかったという点もございますが、やはり国の経済開発というものにはどうしてもエネルギーが必要でありトランスポーテーションが必要であり、そういったものがない経済開発というのはあり得ないわけでして、ですから、まるで大型経済インフラが悪でいわゆる最近流行のBHNが善であるというような白黒の分け方はよくないと思うんですね。 ですから、当然、もちろんその国によって必要性があるものを細かく分けなきゃなりません。どの国も同じ大型の経済インフラを持っていくことがその国の経済開発のインパクトを与えるとは限りませんから、よく見ながらですが、かなり大型の経済インフラも並行しながらBHNの分野もやっていくというのが理想論であって、現実にそういうふうに行われているんではないかと。何かまるで大型経済インフラが悪でBHNが正しいからといって、日本のODAまでがそっちの方向に流れていくということは、これは正しくない方向だと思うんですね。 例えば、アメリカとかイギリスとか欧米の援助国がBHNと言っている背景というのは、やはり資金不足とかそういった過去の失敗、それからもともと持っているピューリタニズムというか、そういった人道主義面が非常に強い援助ですから、そういう分野に流れる傾向がありますけれども、何も日本の援助までが一緒になって、資全力もまだ余裕のある日本が一緒になってBHN、BHNと言っていても途上国に対してはかえって迷惑ではないかというふうに考えています。
○川橋幸子君 ほかの先生方と違いまして、私は、本当に自慢にならないことでございますが、ODAについてはど素人でございますが、聞かぬはいっときの恥と思いまして伺わせていただきたいと存じます。 〔会長退席、理事大木浩君着席〕 第一点目は、下村先生に主として、それからもし補足的な御意見がありましたら杉下先生にもお伺いしたいんですが、ODAをよくするためには、基本法をつくったり組織をつくったりするよりもまず構造的な制約要因をなくすようにした方がよいという御指摘で、先ほどのお話を伺っていますと、一つは人材、これも人材というよりは定員の問題ということで伺いましたが、ほかにどんなことが構造的な要因になっているのか、その辺をもう少し御説明いただきたいということでございます。 二点目は、相手国の援助ニーズというんでしょうか、本当に困っている人たち、援助を必要とする人たちの援助ニーズを的確に探るために、NGO、自治体を下村先生はお挙げになり、杉下先生の方はこれに加えて民間企業ということを指摘されていらっしゃるわけですけれども、NGO、自治体、民間企業といってそのニーズを外務省等々援助関係機関が把握するにしても、特に私はNGOだと思うんですが、NGOというのは非常に把握が難しい。しかも規模が大きかったりやっている内容が多種多様であったり、多種多様であるからこそ多様なニーズに応じられるということはあるんですけれども、この辺のニーズを探るためにはむしろNGOの中にコーディネートというんでしょうか連絡調整できる、せめてどういう団体がどういう住所でどういう電話番号でいてというようなディレクトリーをつくれるような調整機関が必要ではないかと思うんです。となりますと、それはそれに対するまた何がしかのサポートがないと、NGOの場合は財政的基盤が弱いということもありますので、そういうことが問題になってくるんじゃないかと思いますが、この辺についてはどのようにお考えになっていらっしゃるか、考えればよいかをお教えいただきたいと思います。 それから三点目は、国会の役割について、立法よりもむしろモニタリング、フォローアップの方に力を入れた方がいいというふうな御指摘のように私は理解いたしました。 国会議員もニーズを吸い上げたり官庁の壁を破ったりするためにモニター、フォローアップしなければいけないと思うんですけれども、一議員のところに来るのは、大体ビザの申請が期限までにおりないとか入管がなかなか困難だとかという本当にもう個別の便宜供与の話なんですね。参議院の中に特別委員会をつくって、こうした問題、ニーズ吸い上げなり、それから官庁の壁を破るなりのモニター、フォローアップをやる、それを参議院が受け持てばよいというふうに私は理解すればよいのかどうか。 先生方のお話からそんなことが参議院の役割なのかなというふうな感じがいたしますけれども、個別なものじゃなくて、システマチックにどういうところに隆路があって、どこに壁があるというようなことをここで把握して、行政に言ったり、あるいは関係機関に言ったりというようなことができるのかな、場合によっては相手国にも情報として言えることがあるのかなということを考えたんですけれども、参議院の特別委員会の役割のようなものについてのイメージがこういうものでよいのかどうかをお尋ねしたいと思います。 質問が多くて恐縮です。本当にわからないことばかりで恐縮ですけれども、第四点目は、社会開発サミットというものがこの三月コペンハーゲンで開かれます。ウィーンの人権会議、それから去年のカイロの人口会議、今度の三月の社会開発サミット、そして秋に北京で女性会議がありまして、非常に一連のものとしてつながっている会議でございます。途上国と先進国の利審が対立しながらも何か協調していきたい、グローバルに解決していきたい、こういうサミットが続くわけでございますけれども、こういう社会開発サミットの中ではやっぱりODAのあり方、国際協力のあり方というものが課題になるわけでございます。そういうときに、日本はどんなことを発言して日本のODAをどうやって改善していくとか、あるいは途上国と先進国との間の協力関係についてどのように提言して貢献できるか、イニシアチブをとることができるんだろうかと、そのあたり先生方から御指摘いただければと思います。
○参考人(杉下恒夫君) 最初の質問は下村先生にあったかと思うんですが、私も幾つかございます。 構造的制約ということで言えば多々あると思うんです。例えばこれは構造的というか制度的かもしれませんけれども、要請主義という問題が必ずしも現場の相手国のニーズにこたえていない。ですから、いわゆるオファーというものをもうちょっと柔軟に適用してもいいんじゃないか。それから過去五年ぐらい前の援助国を見ますと、大体変わりませんね。予算執行と同じようにインプリメンテーションというんですか、要するに去年こうだったからことしもこうという、予算の援助の配分なんかをもっと自由にやるとかそういったものを考えなきゃならない。 また例えば、自助努力という言葉で言われていることで、ローカルコストの問題なんかもよく言われる。たった二百万円ぐらいの相手国のローカルコストがないばかりに一億円のプロジェクトが動かないとか十億円のプロジェクトが動かないとか、そういった場合の自助努力というものとローカルコストの問題にもうちょっと自由に対応したらいいんじゃないかとか、日本のODAというのは過去の習慣というか例に従って拘束されている部分がいっぱいあるので、直さなきゃならない部分というのは思いつくだけでも随分たくさんあります。 それから、NGOの話は、日本には今例えば関東の方にはJANICという組織がございますね。だから、あの辺をもうちょっと機能的にやるといいんではないかと思うんですが、御承知のとおり、NGOというのは非常に独立性の強い方たちが多いのでなかなかまとまりにくい、そういった問題がございます。例えばJANICに外務省なりがもうちょっと手をかせばいいのかというと、それを嫌がる方たちも多いし、やはりNGO独自の組織づくりといったものに任せることが重要じゃないか。ですから、NGOの把握というのは現実に非常に難しいわけでして、JANIC自体が把握し切れないんじゃないかと思うんです。 それから、国会のモニタリングとフォローアップだとおっしゃっているんですが、もっと積極的にいろいろな行動ができると思うんですね、特別委員会で。やはりそれを定期的に開けば、例えば会計検査院でODAの執行に不備を来したといったようなものが指摘されたら、それを一方的に会計検査院なり総務庁なりに指摘されても、また逆に言えば実施団体からの反論もあるわけでして、そういう人たちの話を両方から聞いて、さらにそういう問題を突き詰めていくということもできるのではないかというふうに考えるわけです。 それから、WSSDですか社会開発サミットにつきましては、要するに今度の社会開発サミットのポイントというのは、雇用の問題とか栄養の問題とか飢餓の問題とか全部ODAがコミットしてきた問題ですね。それに対して日本は恐らくそういう分野でも今まで援助をしてきて実績も上げてきているわけですね。例えば乳幼児の死亡とか、そういったものについてはプライマリーヘルスケアのプロジェクトなんかも数多くございますし、だから日本がそういった分野で上げてきたODAの実績というものはそこで語ってもいいんではないかと思います。
○参考人(下村恭民君) まず第一点ですけれども、構造的な要因でございますが、ちょっとお答えする前に念のためもう一度確認させていただきたいんです。 私が構造的要因と申しましたときには、それは日本の援助の長所にも短所にも両方につながっているということで、制約要因だけではないわけでございます。自助努力にしましても小さな政府による援助にしましても、それはそれで重要な長所につながる構造的な要因なわけですけれども、それだけですと構造的な制約要因につながるということも事実です。つまり日本の援助の短所にもつながっているわけです。ですから、ここのところは、長所を殺さないようにして短所をどうやって補っていくかということが必要だと思いますけれども、それだけ強調させていただきたいと思います。 それでは、制約要因ということになるとどういう点があるかというのが御質問の趣旨だと思います。繰り返しになりますけれども、私はやはり、一番大きいのは機構と定員の拡充が思うに任せない、これが、結局現地で人を張りつけてきめの細かい、草の根におりた形の事業を計画する上でも、調査する上でも、実行する上でも、あるいはフォローアップする上でもすべて制約になっているという気がいたします。それから、長期的な方法を考えていく上でも、とにかく今の問題を解決するのにもう手いっぱいでなかなか長期的なものは考えにくいというあっぷあっぷの状態になっていると思いますので、ここを何とか改善していく必要があるのではないかと思います。 それから、自助努力については、我が国の誇れる援助理念で成果をそれなりに上げてきたと思いますけれども、御指摘がありましたように、国によって当然それだけではいかない、あるいはなかなか自助努力が期待しにくいところもありますので、国によってあるいはテーマによって対応を変えていくということが必要だろうと思います。 二番目のNGOにつきましては、これからさらに持続的に努力をしていくという段階だと思います。二つちょっとこれに関して申し上げたいのは、NGOというときに、日本のNGOだけでなくて途上国の現地のNGOも非常に重要だということで、そうなるとさらに情報収集、データバンクの集積はまだ時間がかかるということかと思います。 それから、NGOは非常に立派な役割を果たし得るパートナーですけれども、やはり途上国の行政組織が未発達だから、余計NGOの働きが輝いて見えるという面もあるわけで、そこで途上国の行政組織の育成をないがしろにしてNGOの方に余り頼ってしまうと非常に問題が起きると思います、長期的には。 〔理事大木浩君退席、会長着席〕 やはり、途上国の生活がよくなっていくためには行政機構がしっかりしていかなければいけないわけですから、そういう意味で途上国の行政機構と一緒に二人三脚をしながら、失敗を繰り返しつつだんだん学習していくというのがODAの一つの意義だと思います。 三番目の国会の役割につきまして一点だけ、よりシステマチックにとおっしゃいましたのでそのとおりだと思います。 そのシステマチックという意味は、いろんな個別の問題あるいは現象的な問題はあるけれども、その背後に何があって何が制約になっているのかということを解き明かしていただいて、その緩和、解決に力を注いでいただくということではないかと思います。 最後に、社会開発サミットですけれども、これを含めた一連の最近の動きは大変貴重だと思いますし、二十一世紀に向けての援助の方向は南北問題の方向に結びついていると思いますが、一点だけ危惧の念を持ちますのは、こういう形で新しい援助ニーズについて議論が行われると、どうしても北の視点で議論が行われやすいということです。それで、やはり南の視点というのはどちらかというと押されがちになるということがこれまでの議論の傾向だったと思いますので、やはり西欧の場合にはどうしても北の視点を強く押し出す傾向がありますから、日本の場合は南の視点をできるだけ引き出して議論をバランスのとれたものにするという点に非常にその役割があるのではないかと思います。
○川橋幸子君 ありがとうございました。
○志苫裕君 きょうは皆さんの御意見を伺うためにおいでいただいたわけで、反論を加えるのが私の趣旨ではございませんが、若干ごく簡潔にお尋ねしたいと思うんです。 杉下さんの御意見を伺っていまして、この調査会もかれこれ十年ばかりこういう議論をしてまいりましたし、あなたのお述べになったような意見もその論議の過程にありました。私のとらえ方が少し極端過ぎるかもしれませんが、先ほどのお話を伺っていましても、何となく国益とかあるいは外交の手段とかそういうニュアンスが少し強く出過ぎているような印象を受けました。 それで、それに関してストレートに聞きますが、そのような発想方法というものが、ODAに関する国際的な認知が得られるかどうかというその点について一つだけ伺っておきたいわけであります。 それから、下村先生、あれでしょうか。ブレトンウッズ体制もかれこれ五十年過ぎまして、当初とは違いましてお金の流れも北から南へと。それから、役割や性格も大分変わってきました。それで見直しが論じられておる御時世でもありますが、多分にこの今のODA資金と世銀やあるいはIMF、その他それに関連する機関の資金の流れが随分競合するといいますか、ダブっているといいますか、そういう分野も多くなってきていますが、これらを総合的にとらえていく必要が出てきたのではないかという印象も持つんですが、それについて何か所見がありましたらちょっとお伺いしたいと思います。
○参考人(杉下恒夫君) それでは私からお答えさせていただきます。 私の考えですが、国益とか外交手段を非常に鮮明に打ち出して国際的な認知を受けられるかということでございますが、ODAがいまだかつてさっき申し上げたように国際的な慈善事業として行われていたことはないわけでして、被援助国いわゆる援助を受ける国にとってもODAというものが単なる慈善事業として受けとめてないと思うんです。ですから、国際環境の新しい構築といったようなことが当然政策諭に入っていることを相手国も知って、またやっている国も知って、それを見ている周りの国も知って、ODAというのは行われていると思うんです。 ですから、ODAがそういう外交なり国益なりを前面に打ち出すことは決して私は外国から批判を浴びる問題ではないというふうに解釈しているところでございます。
○参考人(下村恭民君) 二点目の御質問についてお話ししたいと思います。 先生おっしゃったように、ブレトンウッズ体制五十年で随分いろいろ時代が変わったということはありまして、見直しはいろいろ必要かと思います。 そこで、今までどういう国際的な援助調整が行われてきたかと申しますと、先進国を中心にしたクラブであります、国際援助社会の中核でもありますDAC、OECDの下部機構が一つの場になり、またそのコーディネーターとして国際機関、IMFと世界銀行が加わって、テーマによっては国連が入りますけれども、もうやはりIMF、世界銀行は非常に強い影響力を持っていると思いますが、どれくらいの資金が必要で、これは世界的にあるいは国別にということですけれども、どれくらいの資金が必要なのか、あるいはどういうテーマに、あるいはどういう分野に重点を置いていったらいいかということを話し合いながらきたわけです。 この調整の仕組み自体はこれまでに確立した形で一応円滑に動いてきていると思いますし、今すぐにそれを見直す必要はないかと思いますけれども、ただ環境が変わっております。 そこで、二つ、非常に大きな変化がありますのは、一つは援助疲れがあるということです。その援助疲れがある中で、これまでの顔ぶれだけで調整をしていくことに支障がある。 それから二つ目として、先ほどお話が出ましたように、ニュードナーと言えるだけの影響力を持つかどうかは別にして、新しい卒業生が出てくる。ただ、かなりの卒業生についてはODAという形での資金的な寄与というのはなかなか難しいと思います、スケールからいって。やはりどこの国というよりも、今まで途上国の人たちが蓄積してきた資金が、例えばチャイニーズエコノミーとかいう形で、これからODAとは別な形で今までの途上国からほかの途上国に流れ始めるということが出てきております。 そういうODA以外の、広い意味の経済協力のメニューの中で吸収して処理していかなければいけない資金の流れを、今までのようなやや閉鎖的なメンバーシップで、今までのやり方で調整をしていくということにはいろいろ支障があるということは既にかなり認識されておりまして、民間の資金をどうやってODAと組み合わせて途上国に新しい形で引きつけていくかという努力を既にブレトンウッズ体制の機関も相当始めておりますが、それが今後資金の動員という点でいうと、これからの十年の大きな課題になるかなと思います。
○参考人(杉下恒夫君) ちょっと済みません。私のさっきの答え、ちょっと誤解を生むといけませんので、もうちょっとつけ加えさせていただきたいと思うのですが。 国益ということですが、国益というのは私は必ずしも何も経済的な、外貨をため込むとか、日本が国連の場においてリーダーになるとか、そういうことのみではございません。国益というのは、例えば今度の阪神大震災で、バングラデシュとかネパールから見舞品をもらって非常に被災者を勇気づけるということ、そういうことも国民の利益でございますし、広く国際社会でやはり愛される国になるということも非常に大きな国益ということで、必ずしも途上国から利益を吸い上げるとか、日本がそのグループのリーダーになって引っ張るとか、そういうことを意味しているわけじゃないわけでして、だから当然ODAにも、やはり人道面とか相手国に好かれるという分野も非常に強調しながらの国益の遂行というふうに御理解していただきたいと思います。
○上田耕一郎君 日本共産党の上田でございます。 下村、杉下両参考人、貴重な御意見をありがとうございました。杉下参考人に二問、それから下村参考人に一問質問させていただきます。 第一は、ODAの基本理念に関するものですけれども、杉下さんはいろんな見方がある、それによって評価が違う、人道支援を重視する人と経済発展を重視する人とでまたいろいろ違うと、そう言われたんですけれども、いろいろな側面ももちろんありますけれども、ODAの一番大事な理念としては発展途上国に対する人道的な立場での協力にあるんだと思うんです。私どものこの調査会でつくった各党合意も、「国際開発協力は、人道的立場に立って、開発途上国の」云々とあるし、高く評価された政府の援助大綱も、基本理念のトップに「世界の大多数を占める開発途上国においては、今なお多数の人々が飢餓と貧困に苦しんでおり、国際社会は、人道的見地からこれを看過することはできない。」、こうあるんです、その後続きますけれども。 私、きょうのことがあるんで、きのう多谷千香子神戸大教授、国際人権規約委員会委員だった方の「ODAと環境・人権」というのを読んだんです。人道的な発展途上国に対する援助の観点からODAについての改革案まで書かれていまして、大変おもしろかったんです。 これを見ると、発展途上国の提議で発展の権利に関する宣言というのが八六年の国連総会で採択された。その前のNIEO、新国際経済秩序問題がうまくいかないので、今や発展の権利に関する宣言となったんだけれども、見ると、アメリカは反対一、日本は棄権なんですね。どうもこういうところにもやっぱり日本の政府のあいまいな態度が出ているように思うんです。 発展途上国の問題というのは今の世界の最大の問題で、ソ連がなくなって東西問題がなくなりましたから、環境問題を見ても飢餓の問題、難民問題を見ても、地域紛争、宗教紛争を見ても、やっぱり南北問題というのは最大の問題だと思うんです。その南北問題に対して世界で大きな経済力を持っている日本がどういう人道的な援助をやるかということが一番の問題だと思うんです。 杉下さん、今国益のことがありましたが、いただいた資料を見ると、「外に向かってはODAの人道面を強調することも必要だと思いますが、」、国内ではやはり国益を強調しないといかぬ、「ODAは日本の経済活動にインセンティブを与えるものと強調してもいい」、こういう強調の仕方をされていて、また、いただいたもので記事を見ると、「「ひもなし援助」再考を」、「「癒着型」は困るが、タイド援助を増やし、日本企業を救済するODAが増えても」いいという御主張で、どうもだから基本理念のつかまえ方に多少企業寄りの感じが率直に申しましてするので、この問題をひとつ第一に質問させていただきたい。 それから二番目の問題は、やっぱりいただいた資料にあるんですが、私ども共産党は前から最大の問題として言っていたのが、アメリカの戦略援助とのかかわりの問題なんです、これは構造的な問題だと思うんですが。杉下参考人も座談会で、「日本のODA、海外援助戦略は、結局アメリカの手のひらに乗せられていたという部分も否定できないので、冷戦後は自前の援助戦略を考える時期に来ていると思います。」とおっしゃっていて、これは共感するんです。 この問題はいまだにずっと続いていまして、最近のニュースを見ますと、去年の十一月十二日インドネシアで開いた日米外相会議の席で、クリストファー・アメリカ国務長官は、河野外相に、イラン向け円借款を中止するようにと、こういうのを頼んでいるというのがあるんです。十一月下旬に来日したワース米国務次官は、日本政府の高官に、中国の公害問題の解決に協力しろというのを言っていますし、国防省の発表した文書もあるんですが、国防省の文書を見ると、とにかく同盟諸国のさまざまな行動で日本のODAを非常に高く評価しておる、そういう文書もありまして、いまだに日米関係は、これは日本が安保条約の枠の中にあるということが大きいんですけれども、依然としてアメリカの援助戦略の一環に組み込まれていることがありますので、私が前に質問したときに、外務省の経済協力局長がODAの使い方で外務省と国務省とで定期的に協議していると認めましたし、そういう状況をどうするかということがやはり問われている。 そういうことを解決するのに私どもは、官僚機構に任せておいただけでは危ないので、ODAの基本法をつくって、国会でやっぱりちゃんとチェックして審議する必要があるということを考えているので、杉下参考人も否定できないと言われているアメリカの手のひらに乗っている問題、これを一体どうすればいいのか。これが二番目の質問です。 下村参考人には一つ、多国籍企業に対する民主的チェックの問題、このことをお伺いしたいんです。 下村さんも、日本のODAの独特の援助理念、途上国の自助努カベの支援だと、こう強調されておられるんですが、もう有名なことですけれども、賠償から始まって日本の企業の輸出振興の歴史の中で発展してきて、そうなりますと、もちろん我々も多国籍企業はもうける必要はないとは全く申しませんけれども、ODAの主体の一つである日本の多国籍企業の海外活動を冒頭に申し上げた発展途上国の貧困、飢餓に対する人道的な援助というレールにどう乗せていくかというのは、かなり大きな問題があると思うんです。 下村参考人は、ODAというのは波みたいなものだ、波頭にいろいろな問題が浮き出る、「みにくいあひるの子」症候群がある、しかしそこのうねりを見なきゃならぬとおっしゃったんだけれども、その「みにくいあひるの子」症候群と言われるような波頭とマスコミも報道し我々も追及してきたようなさまざまな問題というのは、やはり多国籍企業の利潤追求の行動様式が不可避的に生んでくる問題が多かったわけです。マルコス疑惑もそうだし、公害輸出もそうですしね。 それから、要請主義ということで、企業と結びついたコンサルタントが行ってプロジェクトを発掘してくる。そうすると、受注企業というのは大体内定されていて、公取が今度手をつけ始めた談合問題、こういうものもやっぱりそこから生まれてくるわけで、単なるエピソードや波頭、「みにくいあひるの子」症候群ということで片づけることのできない日本としての大きな問題がここにあると思う。 そういう日本の多国籍企業の行動様式、国際的にも大きな役割を果たしているんですが、それをどう国民的なODAのレールに乗せるかということは、アメリカの援助戦略の中にはめ込まれているのと同じほど大きな構造的な問題なので、そういうことをきちんと規制していく、民主的にチェックしていくというのは、政官財癒着で言われている官僚機構だけに任せておいたのではだめなので、もちろん国会万全とは申しませんけれども、国権の最高機関としての国会が、国民一人一万円負担しているODAについて、法律はないわけですから、やっぱり法律をちゃんとつくる。そのことによって、そういう民主的なチェックといいますか審議といいますか、それをやらなきゃならぬ。 もちろん我々もODAの基本法案について、御指摘のようなさまざまな問題点については目をつぶらないで改善点を探究していくつもりですけれども、基本としてはやっぱり法律と国会の関与が要るんじゃないか。そうでないと、発展途上国の非常に深いニーズ、特に農民を初めとする草の根の民衆の生活改善に役立つような援助にしていくためには国会が果たすべき役割が大きいし、これまで不十分だったので、この点で何とか取り組みたいというふうに考えているんです。 以上、三つの問題を両参考人に御質問させていただきます。
○参考人(杉下恒夫君) それでは答えさせていただきます。 私が国益とか戦略とかいう言葉を使うので、先生方に非常にタカ派的イメージを与えたと思われるならちょっと訂正したいんですが、私自身ODAが世界の困った人を助けるという人道的な面があるということでODAを非常に高く評価している原因はそこにあるわけで、私がそういうものを否定するわけでは全くございません。 私は、もうちょっとODAを合理的に考えたいと思ってこういう言葉を使っているわけなんでございますが、というのは、ODAの枝葉末節と申しましょうか、ちょっとしたミスをあげつらって大きな記事にして、国民にODAに対するネガティブなイメージを与えることによって国民のODAに対しての否定的な総意ができてしまうということは一番恐ろしいわけでして、いわゆる角を矯めて牛を殺すようなことはしてはならない。ODAというのは、それによって受益している相手国の国民、庶民たちに非常に喜ばれているんだと。 それは、例えばODAというのは、よく批判される途上国の階級の二層化とかそういうことを起こします。確かに一時的に起こすし、実際起こしているとも思いますが、私が現場に行っていろんな庶民たちの生活を見て、必ずある程度のトリクルダウンというんでしょうか滴が垂れてくる。例えば、確かに一〇〇流した水が一〇〇流れてこないかもしれないけれども、必ず何滴かは下にも流れてきて、それがたまって徐々に上がってくるということを私は信じているわけです。 ですから、そういうことによって日本のODAが一部に不合理があるとか、不備があるということでそれをとめてしまうとか減らしてしまうとかいうことは、かえって何か相手国の本当の庶民に流れついている、途上国で本当に困っている人たちを助けるという気持ちが、むしろ私はそういう方たちはないんではないかというふうに解釈するわけです。ですから、ODAをやろうじゃないか、もっと一生懸命我々ができる限りやろうじゃないか、そういう観点に立って私はODA擁護論を唱えているわけでございます。その中で、確かに人道面ということが強調されております。 ただ、これは私は、何というかあくまで建前諭であって、建前というか対外的、例えば外国諸国に対して言ったり、ほかの国に対して言う人道面という、例えばODA大綱に最初に入っている言葉、私はこの中にやっぱり国益という言葉も入れてもいいぐらいに思っているんですが、その人道面ということに対する重要性というのは全然否定しません。 それと同時に、国益ということをなぜ言うかといいますのは、先生に企業寄りということも言われましたが、民間企業はひもなしになってODAに対する関心を全く最近失っております。これは日本のODAの一翼を担う組織として、団体、グループとしてODAに関心を失われるということはいろんな面でやっぱりマイナスが出てくると思うんです。 ですから、民間企業にも興味のあるODA、そして、国民みんな自分たちも受益しているということを国民に伝えるということによって、国民のODAに対するポジティブな関心が高まるというようなことを考えて、私が国益と言っているのも国民に自分たちだって受益しているんだということを知らせて、ODA否定論ばかりが増長するんじゃなくて、国民全体がODAに対して関心を持って進めていくための説得の手段として、国益論とか企業のひもつき援助も少しふやしてもいいんじゃないかとかいろんな言葉を使ってやっているわけでして、私のその真意というのをちょっと理解していただけるとありがたいと思います。 それから、アメリカの戦略援助、これはまさに否定することもないと思うんです。アメリカの戦略のもとで我々の援助というのは二倍、三倍四倍というふうにふやしてきたわけでございまして、その中で当然西側陣営の資金力のある国家としての役割を果たされてきたというか、果たしてきたということをやってきたことは否定できない過去でございます。これから東西冷戦の崩壊後、西側陣営としての一翼を担う戦略援助というものはもう終わりに近づいて方向がございません。 そして、ですからこの場合、これから日本が考えなきゃならない日本独自のポリシーということでしょうか、アメリカ以外の日本のためになる戦略というものをこれから考えていく。日本のためというのは日本の国民のためになる戦略というものを考える時期に来ていると思うんですが、残念ながら日本のODAの四十年間は全部アメリカの手のひらの中でやってきたので、今は新しい戦略というものがまだ見つけ出せない状況にあるんじゃないか。 ですから、ここでもっと先生方にもいろんな御意見を出していただいて、日本の援助というものは何を目指すのか、過去の四十年じゃない、新しい日本の援助の基本ポリシーというものをやはり今見つけ出さなきゃならない時期に来ている、そのように考えます。
○参考人(下村恭民君) 御指摘いただきました三番目の点についてお話をいたします。 日本企業の受注あるいは日本企業の受けている恩恵という点ですけれども、この議論をする際にまず非常に大事なのは、日本のODAを有償協力と無償協力に分けて考えるという、その場合貸し付けと贈与に分けて考えるということだと思います。全く基本的な状況が違うわけです。 世界じゅうほとんどの主要な援助国がそうであるように、日本の場合も無償贈与につきましてはタイドの条件で、ひもつきの条件で基本的援助が行われております。これは日本だけでなくてほかの主要な援助国も全く同じです。 ですから、この点につきましては日本の特殊性というのはございません。日本の特殊性は有償協力、平たい言葉で申しますと円借款がほとんど一〇〇%と言っていいぐらいアンタイドで行われている、ひもつきでない条件で行われて世界に開かれているということで、ここにこそ日本のODAの最も誇るべき点があるかと思います。 しかし御指摘の点は、建前はそうであっても実態はそうではないのではないかということだと思います。これは広く内外のいろんな方から提起されている問題点で、特にアメリカの国務省あるいは議会等では、日本のODAが本当に開かれているのかということについて非常に強い疑問が出されております。 それでは、なぜそういう疑問が出ているのか。これは私は、社会学的なあるいは社会心理学的な研究の対象にしてもいいぐらいの非常に奇妙な出来事だと思います。したがって、それはどうしてかというと、経済の問題は論理の問題ではなくて非常に心理的なイメージの問題が働いているのだと思います。 と申しますのは、まず申し上げましたように有償協力の場合一〇〇%近くがアンタイドになって、品質と価格で競争力があればどこの国のどの企業でも落札できる条件になっております。それでは実績はどうかというと、日本企業は三〇%弱しか受注しておらず、途上国企業が五〇%受注しているということになります。 そこで、御指摘の点は、多国籍企業というものがありますので、途上国企業というけれども、これはほとんど日本の企業の子会社ではないのかということではないかと思います。これは毎年OECFの年次報告書の一番最後の部分に主な契約の受注者のリストが出ますけれども、その中に純粋の途上国の企業が非常にたくさん載っているということはチェックしていただくとおわかりいただけるかと思います。 その結果どういうことが起きているかというと、杉下さんが先ほどから申されていますように日本の経済界に非常に強い不満が出ております。税金を使って援助をしていながら、有力な納税者である日本の産業界に対して非常にメリットがない形になっているということだと思います。これが非常に強くなってきておりまして、それはいろんな意味がありますが、私はこれこそまさに日本のODAが世界に開かれているということの有力な証左ではないかと思っております。これだけ日本の企業が不満を持ち経済界が不満を持ち、もう無視したいというところまで開かれているということは非常に長年のアンタイド化の努力の成果が実ったということだと思います。 さらに二点つけ加えますと、これはほかの有力な援助国ではない現象ですけれども、日本のODAを利用して、他の日本以外の先進国の有力企業がかなり受注をしております。最近でもマレーシアの火力発電所でアメリカのゼネラル・エレクトリックですか受注したということがありましたし、ゼネラル・エレクトリックはメキシコでもかつて円借款のもとで受注しておりますし、そのときはゼネラル・モーターズも受注しておりました。これはアメリカの例ですけれども、ほかの国の有力な企業も随分受注しております。これは、こういうことがほかの国の主要な援助国の援助で日本の大企業が大型の受注をしたことがあるだろうかということを考えると、これは非常に日本の独特の開かれた援助という特徴をあらわしているのではないかと思います。 さらに、途上国の企業ですけれども、純粋の途上国の企業は、これで受注することによって、ほかの機会では、ほかの仕組みのもとでは得られなかった経験を積む非常にいいチャンスができまして、大型の事業を含めて、いろんな新しい小型のものでも非常に高い技術を求められる、経験を求められるものも含めて、いろんな事業を実施するチャンスを得て、この経験をばねにしてだんだん育っていく。これこそまさに途上国の経済発展の中核を担う企業あるいは企業家が育っていくということで、これこそまさに日本の援助理念の核である自助努力のまた一つの核であるわけで、もちろん企業だけが核ではありませんけれども一つの核であるわけで、そういう意味で日本の援助がアンタイドになったということの一つの非常に有力な副産物として途上国の企業がほかでは得られなかった機会を与えられ、実際に苦労しながらダムをつくったり道路をつくったりして、その経験を踏まえてさらに発展していくということが出ていると。 いろんな意味で日本の援助は世界に開かれた援助だと思いますし、大きな成果を上げていると思いますけれども、残念ながら全く違ったイメージを持たれております。これは本当にどうしてこうなのか非常に不可解なことですけれども、一つだけ言えば、日本の国家としてのイメージあるいは経済としてのイメージが不公正なやり方で外貨をためている黒字大国だというイメージと恐らく結びついているのかもしれませんし、御指摘あった賠償の記憶がまだ残っているのかもしれません。しかし、賠償が終わってから、アンタイド化が進んでからもう二十数年たつわけですから、それはやはり新しい目で見直していただくとこの辺は実情が違うということはおわかりいただけると思いますけれども。
○木庭健太郎君 下村参考人に一つお伺いしたいのは、杉下参考人の方はチェック機能という問題で国会という場をひとつ使ったらどうかという御提案をなさっております。 下村参考人はOECFのことをよく御存じ、もちろん関係されていたわけですけれども、そういうところでも今は事後評価という問題、チェック、監視というよりは事後評価という問題について、今はある意味では、外務省もやる、OECFもやられている、会計検査院もある、幾つかそういうチェック体制というか事後評価の体制は整ってきたんですけれども、私どもはやはりこれからODAを本当に国民にわかりやすいものにするには、これをどうするかという問題は今のままでいいんだろうかということについては非常な疑問を抱いております。それがある意味ではODA基本法をつくりたいという理由の一つにもなっているわけでございます。 その意味では、事後評価というものをどうこれからこのODAに対してやっていけばいいのか。ただ、下村参考人のお話を聞いていると、それ以前に事前審査をやるだけの人員もいないんだよと。これすらできていないのにそこまで手が回るかなというようなお考えがあるのかどうかわかりませんけれども、そういう意味での事後評価の問題をどうこれからやっていくかということについて御意見を伺いたい。 もう一つは、機構、人員の問題をおっしゃいました。単にこれは、私たちも人数はふやさなくちゃいけないと思っているんですけれども、あり方として、機構という問題でいくならば、どういった部門にどういう形での人員のふやし方、ある意味では人材をどうつくっていくかという問題ですよね。その辺をお考えになっているのかをぜひお聞きしておきたい。 逆に、杉下参考人の方には、国家戦略ということを随分いろいろここで誤解ないようにとおっしゃいましたけれども、私は一つ心配するのは、国家という顔が出ると、相手も国家という、国家対国家というものが、それも一つの大事な視点ですけれども、そうなるとやはりどうしてもそこに住んでいる方たちの、日本のODAがマスコミで取り上げられて問題になった一つは、やっぱり人権、環境の問題で、日本の投じたODAの問題で、そこの人たちの人権が侵されていないかという問題の指摘が随分ございました。 そういう現地住民という、政府とまた違う立場の人が実際に、特に途上国では政府自体も成熟していない面もある。その中で、現地住民が非常に困る問題も事実あったわけでございます。そういった問題に対してどうこれからODAをやっていく上で、現地住民そして政府というものがある、日本が国家戦略としてやろうとした場合に、このかかわりがどうなっていくのかというような点についてのお話もお伺いしておきたい。 もう一点、きょうはお話しになりませんでしたけれども、杉下参考人もこれからは人材の育成が必要だということをレジュメの中でおっしゃっているんですけれども、我々として感じますのは、これはどんな方法でどういうやり方で人材というものを育成すればいいのか、もし具体的な御意見を持っていらっしゃるなら教えていただきたい。これが質問でございます。 ただ、ODA基本法の問題についてはお二人とも否定的でございましたけれども、例えば大綱のあり方でも、私どもというか私個人で思っておりますのは、各国違います、大綱で理念を定めているところもあれば法律で定めている国もございます。それはどちらがどう選択するかという問題だろうと思っておりますし、私はこれを大綱があるからもう理念としての基本法は必要ないという意見については、これは少し異論があるということを言っておきたい。 また、杉下参考人がおっしゃっている国会でのチェック機能というような問題、それとセットにしたようなきちんとした基本法というのがある意味では今の我が国においては最低限必要。それからあとの問題についてはいろいろ御意見をいただきましたので、それは検討しなくちゃいけない課題でしょうけれども、この二つを持った基本法の問題については私どもとしては一生懸命やりたいなというようなことがあるということを話させていただいて、質問について御示唆をいただければありがたいと思います。 以上でございます。
○参考人(下村恭民君) お答えいたします。 事後評価について御指摘がありましたのですけれども、お話しのように事後評価、極めて重要な問題で、もちろんそれ以外のプロセスと比べてどちらが重要かということは言えませんけれども、今最高度に重要な問題だという認識は持たれていると思います。 ただ、今二つの点でさらに充実させるべき課題があるかと思うんですけれども、一つは、やはり事後評価をする上で何といっても新しく完成してくる事業の数が物すごく多いですから、これをきめ細かく掘り下げて分析をして、そこから教訓を抜き出す、これが一番重要なわけですけれども、教訓を抜き出すということにきちんとできるだけの人数がいないという絶対的な欠乏の状態にあると思います。もちろん、機構、定員の拡大の中ではかなり今、事後評価はここ数年優先度を置かれている分野だと思いますけれども、またさらに絶対的に足りない状態は続くかと思います。 もう一つ、評価をして教訓を得るという過程で、やはり方法論が確立されなければいけない分野が新しくいっぱい出てきていると思います。例えば先ほど援助ニーズの多様化のお話を申し上げたんですけれども、これはもう既にかなり前から出ているニーズでございますから、こういう分野、例えば環境なら環境にどういう影響があったか、あるいはこれはプラスの影響マイナスの影響両方ですけれども、それをどうやって把握したらいいのかということについて一応の方法論はありますが、まだ方法論確立の必要性がございます。 そういう意味では、一つ一つ完成してくる事業をこなすだけでなくて、さらにいろんな基本的な方法論について研究していかなきゃいけない。もちろん国際機関の方がこれは優位があるかと思いますのでそれに学びながらということだと思いますが、それでも相当方法論の点でさらにこれも人手をかけて時間をかけてお金をかけてやっていかなければいけないということで、私はやはり機構、定員が絶対的に足りないということでは、今のままでよいのかというと、今のままではよくないということだと思います。しかし、さっき申し上げたように、優先度を与えられているという点では非常に認識は高まっていると思いますので、何とかさらに認識を高めていただければと思っております。
○参考人(杉下恒夫君) お答えします。 事後評価について、私の質問ではなかったと思うんですが、ちょっと私もお話しさせていただきたいと思います。 というのは、事後評価、JICAとかOECFの評価ということを私自身もやったことがございますし、やっている現場を何度か見ました。 それで、先生方も御承知のとおり、権威ある学校の先生方が大体そのメンバーに選ばれまして現地へ行くわけですが、お忙しい大学の先生方とか有識者が行くわけで、やっている日程はせいぜい一週間か十日で三つ四つのプロジェクトを評価して帰る。行きますと、こういうテーブルが並べられていて、JICAなりOECFから用意された資料をぱあっと突き合わせて調査されて、例えばセミナーへの参加人員の数を調べたり木の生育状況を見たり、ちょっとフィールドヘ出て、例えば熱帯林のプロジェクトならその農園へ行って木の育成状況を見たりして帰ってくるという程度でございまして、私自身、現在の評価のやり方というものに対して非常に不満を持っているわけです。その程度で一体本当の評価はできているのか、一種の数字上の帳じり合わせをしているだけの評価ではないか。ですから、評価の方法というのをこれから考え直さなきゃならない。専門家なり時間をかけるなり、時間を割ける方をある大学なり組織からおかりして長期的に見てもらうとか。 それから、本当のODAというのは、何もテクニカルな問題だけじゃなくて、相手の住民の生活の向上にどこまで役立っているかということが一番重要な目的でございますので、相手の住民の日常の生活を見てみたり、いろんな交通手段を見るとか衛生を見るとか、時間をかけて相手国の住民たちへの我々の貢献というものを見なきゃ本当の評価にならない。 例えば、木を植えたからといって、その木が農園で育ったからといっても、それは百点をつけるものじゃなくて、その木が今度は一般の野山に行ったり農園でどうそれが使われてどう育つか、それがその国の環境にどう寄与するか、そこまで見なかったら評価というふうにはならないと思うので、現在の事後評価というものに対しては、もちろん事前もあれですが、全く根本的に変えなきゃならない問題ではないかと見ております。 特に、事前よりも事後、事前ですとやはり外交の問題とかいろいろと相手国の問題もございますから、事後評価ということに重点を置けば、それ以前の事前からの段階で後日厳しいチェックがあるわけですから、その実施団体、実施者に緊張感を与えて、監視というかチェック機能として非常に役立つんじゃないかと思いますので、事後評価を充実して拡大するということにぜひ改正していただきたいと思っているところでございます。 それから、原住民の話というか被害を受ける人をどうするかということでございますが、私が言っている住みよい社会というのは、さっきから言っているように何も経済活動だけじゃなくて、日本のODA大綱にも入っているように、民主化とかそれから地球環境の問題とか、もちろん日本人にとってグローバルな地球環境の問題、例えばダムを建設することによって広大な森林が切られるという、そういう問題によって我々だって非常に被害を受けるわけでございますので、そういった問題に十分に配慮するということで、必ずしも我々が行って相手国の森林を切って迷惑をかけるということが日本の戦略につながるとかそういうことは全く考えておりません。 それと、特にいろんな住民立ち退きの問題なんかであっちこっちで問題を起こしておるわけで、もちろん開発と環境の問題は絶対相入れない面がございますので百点の答えは出てこないとは思うんですが、我々日本もJICAなりOECFも可能な限りのやはり知恵を集めたガイドラインをつくって、それに沿って開発と環境の調和を求める接点を努力するべきではないかと思います。 それから人材育成、私これをお話しさせていただきたかったことでございます。 というのは、日本はよく、一つには先ほど下村先生がおっしゃった量的な不足、これはもう否めない問題でございまして、途上国の事務所へ行きますと、三つ四つ、百億円近くのあの大きなプロジェクトを一人の人間で抱えている若い人たちがおります。そういうふうになると、やはりどうしても物理的にも手に負えない部分もございますし、そういったまず物理的な人手不足という人的な拡充、これは先生方の御努力というか御尽力でふやしたりすることによってある程度解消できる問題かとも思うんです。 もう一つは、やはり人材というか、援助、開発を専門に勉強してきた人間が日本には非常に少ない。少ないというか余りいないんじゃないか。今、開発問題をやっておられる先生方、やはり経済学から入ったり社会学から入ったり、それぞれの分野から入った御専門でそれぞれ視野を広げている先生でございますが、これから若い世代、開発学ということからずっと学んで、そしてスペシャリストになって日本のODAの担い手になっていくべき人材がいないんではないかと思います。 一つには、教える機関が非常に少ない。それともう一つは、やはり受け皿が少ない。日本の国内の実施機関にそういう学校を卒業した人たちにしかるべき待遇を与えた受け皿が今ないことが一つの大きな原因じゃないか。要するに、今大学院で開発学を学んでいる学生たちの不安の一つは、やはりそれ相応の受け皿がない。 例えば、JICAに入っても四年制の大学を出た人と同じでまた一からさせられるというか、やったりするということに対してやはり不満も持つだろうし、やはりそういった援助オフィサーというものをきちっと育てていく土壌をつくらないと、日本のODAというものは質の面で今後非常に苦労するんじゃないかということで、ぜひ人材の活用。具体的に言えば何か開発大学みたいなものをつくれればいいんじゃないか。それで、国内でやれば文部省や何かいろいろと難しい問題があれば、シンガポールヘつくったってマレーシアヘつくったっていいと思うんです、どうせ英語で授業をすることになると思うので。そういった人材育成のための具体的な手段をぜひ考えたいというふうに思っております。
○田英夫君 お二人の参考人の方、ありがとうございました。それぞれODAの問題点をついておられるんで余り御質問をするということにならないんですけれども、お二人ともたまたまODA基本法については消極的な御意見でございますから、ODA基本法をつくることに携わってきた一人として、どういう気持ちでこのODA基本法をつくらなければいけないかと思ったかということを申し上げて後で御意見を伺いたいと思うんです。 三点ありますが、まず一つは、そもそもという感じなんですけれども、一般に世論あるいはマスコミで騒がれましたのはマルコス疑惑ですけれども、私が携わったのは一九七五年、対外経済協力計画の国会承認等に関する法案という、今から思うとまことにお恥ずかしい内容のものを議員立法で出しまして、参議院の外務委員会で、宮澤外務大臣の当時ですが、見事に否決をされてそれでおしまいだったわけですけれども、なぜそれを出そうとしたかといいますと、ちょうど韓国、今韓国はODA対象国ではありませんけれども、当時ソウルの地下鉄疑惑というようなことを含めて、いろいろ日本からの経済協力をもとにした疑惑が言われていたというような状況の中で考え出したことであります。 そういうことを考えてみますと、ODAのダーティーな部分というのは、構造的には戦後の賠償、ちょうど一九五五年ごろ新聞記者で外務省の記者クラブにいたころ、ビルマとかインドネシアとかフィリピンとかいう賠償が相次いで決まっていってそれが実施されるという状況の中で、ちょうどODAと実は同じ構造ができてきたわけです。日本政府からお金が出ていって、賠償という名ですけれども、その受け入れ国はそれを使っていろいろなプロジェクトを実行していく、そこに日本の企業もコンサルタントも介在をしていくというような、その構造ができてきたと私は思っています。 それをどう修正、正したらいいかということになれば、やはり一つの方法はガラス張りにする以外にないんじゃないか。今は余りにもクローズじゃないかということで、それを突き詰めていくと第二点にたどり着くわけですが、行政府が一兆円を超す今や世界一の巨額なODA予算をほとんど、国会もスルーしないで一方的に行政府だけでこれを使っていくというやり方、ここに大きな問題点があるんじゃないか。つまり行政府と国会とのかかわり、国会をどういう形でスルーすることによってガラス張りにできるかということを考えたわけです。 基本法をつくるときに大蔵省の主計官に意見を聞いたことがありますが、これは実におもしろいことを言いまして、つまり来年度予算でODAをそれぞれの省庁が予算の中へ組み込んでいく、これをどうやって査定するんだという質問をしましたら、主計官はそれは建設省の箇所づけと一緒ですよと言う。私は建設省のことは余り知りませんでしたから、箇所づけという言葉を初めて聞いていい勉強になりましたけれども、つまり予算を組む段階では、前年度以前から引き継いてきているプロジェクトは今年度は幾らということは当然そこで決まっていくわけですけれども、新規のプロジェクトについては予算を提出する段階ではまだ決まっていないということが大部分なんですね。 ということは、大蔵省の道路予算なら道路予算の中で出てくるその金額の中のかなりの部分は新規にどこに何を使うかということ、どこにどういう形で使うかということは決まっていない、しかしそれは大蔵省として査定しちゃうんだという、そういうことを意味していると思います。この部分で、結局悪く言えば予算を消化するという、そういうことがそれぞれの省庁の中で行われてきてしまうのではないか。既に既得権のような形でODA予算がそれぞれの省庁の中にある、それを消化していくということになるんじゃないか、プロジェクトは後からついてくるんじゃないか、この問題は一つの問題点だと、こう思います。 それから三番目に、それじゃODAを実施している体制というのは今のままでいいのかどうかということで考えてみますと、いわゆる四省庁体制というのは経済企画庁が幹事役をしていますけれども、それはいわゆる資金援助の問題であって、下村さんは大変お詳しいわけですけれども、もう一つ、その他の一般のODA、技術協力ということになってくると、現在、多分今年度は、九四年度は十八省庁にまたがっていると思います。 それで、今外務省の担当者、さっきまでここにおられましたけれども、担当課長にそれじゃ十八省庁にまたがるものを全部、何省はどういうプロジェクトに幾らというようなことをここへ出してくださいと言うと、間違いなく出てこないんですね。いや実際にお願いしたことがあるんです。外務省じゃできませんということなんです。つまりODA外交といいながら、その中心である外務省がこの政府全体のODAの実施状況を把握していないという事実があります。これは重大な問題なんです。きょうお二人のお話の中に実はそこは出てこないんですけれども、この問題はどういうふうにお考えいただけるか。 外務省が把握できないで、それぞれの省庁の計画の中で行われていて、これを把握している人は一人もいない。したがって、私どもはその専門の官庁をつくろうということを発想したわけですけれども、行政改革という今の時代に合わないことは事実であります。これは私も認めざるを得ません。これは今仮に私どもがつくりましたこの基本法案の中の一つの大きな問題点にならざるを得ないと思っておりますから、そういう意味で、四省庁体制、十八省庁にまたがるODA予算を政府として一元的に握っていられるシステムというのはどうしたらできるだろうかということを考え直さなければいけないというふうに今は思い始めております。 今、私カンボジアの問題にもかかわっているんですけれども、例えばカンボジアのODAがもう開始されておりますけれども、今のカンボジアのあの状況のところに、今のような日本の行政府、そして国会に関係なしにどんどんやられるという状況でお金が出ていくということに私は大変危惧を感ずる。どこへ消えたがわからない。そういうことを含めて意見を申し上げたんで、一言ずつで結構ですから感想をいただければと思います。
○参考人(杉下恒夫君) 私も先生のおっしゃることよく理解できるんですが、さっきも申し上げていますように、援助庁の問題ですね。やはり確かに現在十八省庁のODAをその上に立って全部統括している組織、官庁はないということは御指摘のとおりです。そういう確かに弊害があることはあるんですが、じゃ、先生おっしゃるように援助庁をつくることによってできるまた弊害というか、そういったことの方が現段階では私はむしろマイナス面が大きくなるんじゃないかということを危惧して、先ほど必要はないという意見を述べさせていただいたわけでございます。 それと、やはり国会議員がその基本法に御尽力なさって、確かにいろんな点で、ガラス張りということでも私どもも国会のその調査権なり力は先生方のお力を期待しているわけですが、そういう以外の分野、個々の案件とか具体的な分野に国会議員が関係してくるということは、国会議員というのは選挙されてきている、要するに選挙民をお持ちの先生方ですので、ある特定の人間とかロビー活動とかそういったものとのやはりかかわりも捨て切れないものがあるんじゃないか。そういった場合、余り先生方がその具体面にかかわることについて国民がどう思うかということも一つ危惧するということで、否定的な意見を述べているわけであります。
○参考人(下村恭民君) 私も田先生が今言われたことは御趣旨は非常によくわかりますが、要するに問題意識はすべてよく理解いたしますけれども、それを解決する処方せんとして基本法とかあるいは援助庁というのがもう一つなじまないという感じを持っているということをまず申し上げたいと思うんです。 ですから、今言われたようなことをこれからいろいろやっていかなければいけない、そこでもっとほかの方法で皆様の熱意と問題意識が生きるような方策がないんだろうかというふうに考えますけれども、十八省庁の問題、全くおっしゃるとおりでございます。それで、例えばそれ全体の統計を掌握する組織ができればそれは把握できるようになるかもしれませんけれども、一つ官庁ができるということが生むほかのマイナスの面というのは杉下さんが今言われたとおりだと思いますので、やはりほかの代替案が求められなければいけないんではないかと思います。 それから、最後にもう一つ、賠償、ソウル地下鉄とずっと連綿として体質が同じだというお話あったんですけれども、それはまだ一気に変わらない点もあるかと思いますが、ただ、賠償時代から、あるいは援助が始まった初期のころと今とを比べるとやはり今昔の感もあるかと思います。そのうちの一つの要因が、政治家、別に国会議員というわけではないんですけれども、政治界の圧力から実施担当者がだんだん遮断されるようになったということに浄化のかなり大きな部分があったという実感を私は持っております。
○会長(沢田一精君) それでは、下村参考人、杉下参考人に対する質疑はこの程度といたしたいと存じます。 両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、大変お忙しい中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時三分散会