沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
- 発言数
- 100 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1995/03/16
会議録
○松下委員長代理 これより会議を開きます。 委員長が所用のためおくれますので、指名によりまして、私、松下忠洋が委員長の職務を行います。 理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○松下委員長代理 御異議なしと認めます。よって、理事に宮里松正君を指名いたします。 ――――◇―――――
○松下委員長代理 沖縄及び北方問題に関する件について調査を進めることとし、小澤沖縄開発庁長官の所信に対する質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。宮里松正君。
○宮里委員 きょうは小澤長官が沖縄開発庁長官に就任されて最初の委員会でございますので、最初に、小澤長官の長官就任の抱負などについてお伺いをしてお岩たいと思います。 昨年秋に村山連立内閣が成立をいたしました。安定した政局のもとに、当面する内外の諸課題に本格的に対処しようとしているそのやさきに、阪神・淡路大震災が発生をいたしまして、大きな被害をもたらしました。兵庫県は、もともと沖縄県とも非常にゆかりの深いところでございまして、大勢の沖縄県出身者が兵庫県で生活をしているわけであります。今回の震災によりまして、沖縄県出身者もたしか十三名亡くなられました。 そこで、具体的な質疑に入ります前に、今回の大震災によりまして亡くなられた方々の御冥福を心からお祈りするとともに、今なお震災のために不自由な生活を余儀なくされておられる方々に心からお見舞いを申し上げたいと思います。 阪神・淡路大震災の発生に伴いまして、小里前長官が震災担当大臣に就任をされ、急遽、小澤大臣が沖縄開発庁長官を兼務されることになりました。 小里前長官は、行政改革の絡みで問題とされておりました三庁統合問題あるいは沖縄公庫の存続問題、さらには、バブルの崩壊、円高等によって深刻な影響を受け、地元から強い要請がありました航空運賃の引き下げ問題等に熱心に取り組まれました。かなりの、というよりも大いなる成果を上げられました。 その後を受けて小澤長官は就任されたわけでございまして、就任に当たりましての抱負など、あるいは沖縄開発庁が今当面しております諸課題に対する対処策等も含めまして、ひとつ抱負のほどをお聞かせいただきたいと思います。
○小澤国務大臣 まずもって私からも、阪神・淡路大震災で亡くなられた方々、そしてまた今なお避難をされている方々に対し、心からなる哀悼の意を表するとともに、お見舞いを申し上げたいと思います。 先生のただいまのお話を聞きまして、沖縄県民も十三名、その中にいたという話を承りました。まことにお気の毒であり、哀悼の意を表したいと思います。 私は、戦後五十年の節目に沖縄の振興開発行政に携わることになりまして、身の引き締まる思いをいたしております。 沖縄開発庁ではこれまで、沖縄振興開発計画に基づきまして沖縄振興のための諸施策を強力に推進してまいっておるところでありますが、沖縄には依然として本土との所得の格差の問題があり、雇用の問題、産業振興のおくれなど、依然として解決を要する課題が存在しておることは、先生御存じのところであります。 私は、これまでも数回沖縄を訪問をさせていただきました。国会での御審議の状況が許せば、あす、あさってと沖縄をつぶさに視察をしてまいりたい。国立沖縄戦没者墓苑や沖縄平和祈念堂などを参拝し、また沖縄県の皆様からの御意見も伺い、沖縄の現状をこの目で、この肌で確かめてまいりたい、かようにも存じておるところであります。 今後とも、沖縄の実情や県民の皆様方の御期待を踏まえ、第三次沖縄振興開発計画に基づきまして、引き続き沖縄の振興開発に積極的に取り組んでまいる所存でありますので、委員長を初め理事、委員の皆様方の御支援と御協力をお願いをいたしたいわけであります。 なお、沖縄公庫の問題につきましては、とにかく行政改革上も、七つの金融機関を一つにまとめた、いわゆる理想的な公庫であろうと思います。立派な公庫でありますから、これからも存続をし、沖縄の発展に寄与する大事な公庫であることも申し添え、三庁の問題も、これまた、私はそういうことをするために三庁の長官になったわけではありませんので、意を踏まえて、三庁問題に対しては反対である、沖縄開発庁は沖縄開発庁として存続すべきである、かように考えております。 以上です。
○宮里委員 小澤大臣の力強い、そして中身のある抱負の話を聞きまして、私も力強く思ったところであります。 沖縄開発庁が設置されました目的、沖縄公庫がそれとともに設置をされたことも、御指摘のありましたとおりであります。長々とお話をするつもりはございませんが、沖縄は戦後二十七年間、アメリカの支配下に置かれ、厳しい歴史の歩みをするとともに、その間に、本土との間にもろもろの格差が生じてきたわけであります。私は、二十二年前、沖縄が復帰いたしましたころ、琉球政府の副主席をしておりました。もろもろの対策をしてまいりましたが、沖縄開発庁の設置、沖縄公庫の設置も私どもが国に強く要請をしてでき上がったものであります。 これは、二十七年の歴史の空白の中から生まれてきたもろもろの格差を是正して、そして沖縄の独自性を発揮しながら振興開発計画を強力に進めていくためには、国と県が一体となった施策推進が必要である、そんな思いで沖縄開発庁の設置をしてもらったわけであります。そしてまた沖縄公庫は、金融政策の面からそれを補完するという、七つの国の政策金融機関を一本に統合してつくったものであります。 沖縄開発庁について申し上げますならば、先ほど長官から御指摘がございましたように、今なお沖縄には多くの問題が存在をしているわけでありまして、公庫設置の目的が十分達成されたとは言いがたい状況であります。現にまた、今、第三次振興開発計画の途中にあるわけでありまして、そのためにも、沖縄開発庁はこれから設置の目的に沿った機能を十分に果たしていかなければならぬと私は思います。 そして沖縄公庫は、七つの国の政策金融機関を一本にまとめ、いわば行政改革の趣旨に沿った形で最初からスタートをしているわけでありますから、それを廃止することはむしろ不合理な形になりかねない。例えばそれをもし解体するといたしますと、七つの支店を沖縄につくらなければならぬ。これはややこしくなるわけでありまして、行政改革の趣旨にも逆行するものであります。 したがいまして、先般政府におきまして、三庁統合問題は当面の検討課題としない、そして沖縄公庫については存続をさせるということを決定されたことは、私は賢明な策であったというふうに思います。大臣もひとつこれからそのような趣旨に沿って御尽力を賜ればというふうに思います。 さらには、先ほど指摘いたしましたように、第三次振興開発計画がスタートをいたしまして、ことしはたしか四年目になるはずであります。今私どもは、各党協議の上でいわゆる軍転法の制定の最後の詰めをしているところでありますが、沖縄にあります米軍基地は今なお多くの問題をはらんでいるわけであります。この三次振計の中でこれに対する対応策も考えていかなければなりません。さらには、産業振興あるいは離島振興等々多くの問題をこれからも処理していかなければならぬわけであります。どうかひとつ、大臣、中心になられまして、事務当局を督促されながらしっかりとした施策を推進していただきたいと思います。 特に、この際、沖縄に視察に行かれましたら、那覇や沖縄本島の中心部だけではなくて、離島にもできるだけ足を運んでいただきまして、それぞれの離島の持つ特性あるいは抱えておる問題などについてもひとつ見聞を広めて、施策の展開に反映をしていただきたいと思います。そのことだけについて、お考えがございましたら、ひとつお聞かせを願いたいと思います。
○小澤国務大臣 先生御指摘のように、第三次沖縄振興開発計画は平成四年から平成十三年までと承り、十年間でありますが、本年で四年目に入っておるお話も承っております。 あす、あさってはまずごあいさつ程度だということも伺っておりますが、離島、半島は私の国土庁の所管の一つでもありますし、やがてはひとつ、先生め言われました、多くある離島、これらについても機会があらば必ず行ってまいり、いろいろと沖縄振興の一助にもなればと決意を新たにいたしておりますので、先生の御指摘あるなしにかかわらず行くつもりであったことも申し添え、必ず行かせてもらいたい、かように考えております。
○宮里委員 小澤長官は私が最も信頼する先輩でございまして、これからもまたいろいろと御相談をさせていただきたい、御指導も承りたい、こう思っておるのであります。 きょうは短い時間でほかの省庁にも質問しなければなりませんので、小澤長官に対する質問はこれでひとまず終えまして、次に、米軍基地の整理縮小問題について、外務省並びに防衛施設庁当局にお伺いをしておきたいと思います。 沖縄現地で沖縄にあります米軍基地に対する意見は、日米安保体制をどう考えるかによってもとより根本的に異なるところがあります。しかし、日米安保条約並びにその体制を認める立場に立ちましても、沖縄にあります現在の米軍基地をそのままいりまでも放置していいという意見は全くございません。これは、外務省にしましても防衛施設庁にしましても、大体御存じのとおりだというふうに思います。 私どもがなぜ沖縄にあります米軍基地をそのまま容認できないかといいますと、これには際立った理由があるわけであります。 一つは、何といっても狭い沖縄県に広大な米軍基地があるということです。余りにも広大過ぎます。復帰して二十三年たった今なお、全国の七五%近い米軍専用基地が沖縄だけに集中をしているわけであります。 もう一つ、第二番目は、沖縄の米軍基地はただ大きいというだけではありません。もともと、その成り立ちから、地域住民と共存共栄できるような形ではつくられていないのであります。沖縄戦のときに沖縄全域を米軍が占領して、そして、その次に予定されておった対本土作戦を遂行するために米軍が使いたいとこるあるいは使いやすいところを勝手に取り上げて基地にして出発したのが、今の沖縄にある米軍基地であります。 一九四九年十月に北京政府が成立をし、翌一九五〇年六月二十五日には朝鮮動乱が起こりました。この辺から沖縄の米軍基地は本格的な基地へと変質がされるわけであります。そして米国は、沖縄の米軍基地をかなめにして、米華条約、米韓条約、米比条約、東南アジア条約機構、あるいはオーストラリア、ニュージーランドを対象にしましたANZUS条約等々の締結を図り、極東軍略体制のかなめとして沖縄の米軍基地を使ってまいりました。 ここで忘れてならないのは、もともと沖縄の米軍基地は日米安保体制を維持するためにつくられたものではないということであります。だからこそ、県民があれほど熾烈に、あるいは猛烈に要求した復帰の要求に対しましても、米軍あるいは米国当局はずっとこれを断り続けてきた、拒否し続けてきたわけであります。 一九七二年に至りまして沖縄政権が日本に返還されることになりましたが、そのときに返還する前提条件として、沖縄の米軍基地はそのまま残す、使用を継続する、そしてそれを日米安保条約の枠の中に入れていく、こういう形になったわけでありまして、これが今日にまで至ったわけであります。ですから、これはもともと沖縄の地域住民と平和裏に共存共栄できるような形ではできていないわけであります。 そこで私は、第三次振興開発計画の中で、それを推進しながら、沖縄の米軍基地は、少なくとも地域住民、沖縄の県民がそれと平和裏におつき合いがしていけるように、共存共栄していけるような、あるいは共生じていけるような、そういう基地に整理縮小を図りながらつくり変えていく必要があると考えます。私が外務省あるいは防衛施設庁に絶えず申し上げてまいりましたのは、せめてハワイ並みの基地にしてくれ、こういうことであります。 先般、宝珠山防衛施設庁長官が沖縄県当局に対しまして、いつまでも基地に反対するだけではなくて米軍基地との共生を図ってほしい、こういう前提を抜きにした発言をされまして、物議を醸して、地元から大変な反発を受けました。これは、米軍基地に対する沖縄県民のそのような思いと、長い、そしてつらい歴史があるからであります。米軍が勝手に強権をもって基地を取り上げたことまでここで説明はいたしません。しかし、復帰してもう二十三年もたったわけでありますから、少なくともこの辺で、沖縄の米軍基地が地域住民と平和のうちに共存、共生じていけるような、そういう形で整理縮小を図ってつくりかえていく必要がある、私はこう思います。 私がハワイの基地並みにしてくれと言うのは、ハワイに参りますと、あそこには御承知のように太平洋軍の本部があるわけでありますから、沖縄よりもはるかに強力な基地機能があるわけであります。しかし、ハワイに行って、そこに米軍基地があるという感じは全くいたしません。あそこはアメリカの本国の領土でありますから、地域住民と基地が共存できるように、最初からそういう配慮をした形で基地が配置されているわけであります。ホノルル、ワイキキあたりの住民地域とは完全にセパレートされております。ですから、沖縄の米軍基地はそういう観点から整理縮小を図っていくべきである、少なくとも日本政府はアメリカに対して機会あるごとにそのことを要求していくべきだというふうに思います。 外務省当局はしばしば、アメリカに対して沖縄の米軍基地の整理縮小を要求することは日米安保体制にひびを入れる、そういうような感覚を持っているようでありますが、これは全く思い違いであります。 沖縄が復帰いたしました一九七二年一月七日、時の佐藤総理とニクソン大統領がサンフランシスコのサンクレメンテで会談をいたしました。沖縄返還交渉の最後のまとめをするときのことであります。そのときに、佐藤総理からニクソン大統領に対して、在沖縄米軍施設・区域、特に人口密集地域及び沖縄産業開発と密接な関係にある地域にある米軍施設・区域は復帰後できる限り整理縮小されることが必要と考える理由を説明した。大統領はこれに対して、双方で受諾し得る施設・区域の調整を、安保条約の目的に沿いつつ、復帰を行うに当たって、これらの要素は十分に考慮に入れられるものである旨を答えた。 外交文書でありますから、日本語にいたしますと非常にわかりにくいのでありますが、簡単に言いますと、沖縄の米軍基地はそのまま復帰後までずっと残すわけにはいかない、沖縄の地元からもそういう要請がある、だからその整理縮小を図る必要がある、こういうことを力説されたわけであります。もとよりその前に、私どもからも当時の佐藤総理に強い要請をしておきました。佐藤総理は、地元のそういう意向を受けてそういう要請をしたわけであります。そして、ニクソン大統領はそれに理解を示して、安保条約の目的に沿いながらそれをこれから調整していきましょう、検討していきましょう、こういうことになっているわけです。 ですから、沖縄の復帰後は当然、米国と日本が沖縄の米軍基地の整理縮小について合意してスタートをした、こういう認識に立たなくてはなりません。この点について外務省当局並びに防衛施設庁はどう考えておられるのか、基本的な見解をひとつお示しを願いたい、こう思います。
○梅本説明員 お答え申し上げます。 先生御案内のように、日米安保条約の目的達成のために必要な施設・区域を米軍に提供することは、日本政府にとっての条約上の義務でございます。他方、ただいまいろいろお話のありましたように、沖縄県におきましては、米軍施設・区域の密度が非常に高い、また戦中戦後を通じまして大変御苦労、御負担をいただいているということ、そしてそのような背景から米軍基地の整理統合について従来より大変強い御要望が沖縄県民の間にあることは、私どもとしても十分承知をしているところでございます。 私どもとしても、そのようなことを踏まえまして、従来より機会があるたびに米側の理解を求めるように努力をしてきておりまして、米側も沖縄におきます米軍基地の整理統合についてはその重要性を十分理解をしておると思いますし、また、その解決に向けて真剣に努力してきているところでございます。特に、本年が戦後五十周年という節目の年に当たることをも念頭に置きまして、私どもとしては、沖縄の基地の整理統合問題について何とか前進を図りたいと思っている次第でございます。 これは御案内のように、先般、村山総理大臣がアメリカを訪問された際にもクリントン大統領と話をされたわけでございまして、村山総理からは、外務大臣に対しても御指示があったところでございます。私ども事務当局としても、最大限努力をし何とかこの問題を前進させたいということで、積極的に取り組んでいきたいというふうに思っている次第でございます。
○坂本説明員 御説明申し上げます。 沖縄県に所在する施設・区域は県の面積に対して密度が高く、整理統合の要望が強いことは承知しております。また、その必要性についても十分認識いたしておるところでございます。 防衛施設庁といたしましては、これまでも安保条約の目的達成と地域住民の要望との調和を図りつつ、いわゆる二十三事案の促進を初め沖縄三事案等、整理統合問題の解決に向けて努力してきたところであります。特に本年は戦後五十周年の節目でもあり、また、先般の日米首脳会談を踏まえ、総理大臣から防衛庁長官に対し指示があったこともあり、防衛施設庁といたしましても全庁挙げて、できるだけ早期に戦後五十年の節目の年にふさわしい成果が上げられるよう、整理統合等特別推進本部を設置し、体制を整備したところであります。 他方、整理統合の円滑な推進に当たっては、地元住民の理解と協力を得られることが不可欠であります。先般、村山総理から大田沖縄県知事に対し協力要請され、また本年二月十八日、玉沢防衛庁長官から大田県知事に対し協力を要請されたことは、本件問題の推進に大きな契機となるものと期待しております。防衛施設庁といたしましては、これらを契機に、従来以上に県当局等と密接に連携をとりつつ、整理統合問題に進展が図れるよう、最大限の努力をしてまいる所存でございます。
○宮里委員 外務省にしても防衛施設庁にしても、復帰のときに日本政府首脳とアメリカ合衆国の首脳が話し合いをした真意が十分今日まで伝わっていないんじゃないかと思われる節があります。時代が随分変わりまして、担当者も随分と変わってまいりました。復帰前後の事情を知っている人が余りいない、これがまたその後の担当省庁で十分に引き継がれていない、こういう嫌いがあるように私は思います。ぜひひとつ、そこはこれからもしっかりと地元の実情を踏まえて、あるいは地元の意向を踏まえて、そして国の立場を考えながら、アメリカ政府とも強力な折衝をしていただきたい、そのことを要望しておきたいと思います。 そこで、ことしは戦後五十年、日米間でも、首脳同士の話し合いで、少なくとも三つの案件だけはひとつ形で見えるように解決を促進しよう、こういうことになりました。三事案というのは、那覇軍港の返還問題、二番目は読谷飛行場で行われております落下傘降下訓練の移転、さらにもう一つは、ずっと実弾演習を繰り返してきた金武、恩納にまたがる実弾射撃訓練場のいわば訓練中止といいますか廃止といいますか、あるいは返還といいますか、この三つの問題であります。これが今、日米間でどのような形で話し合いがされているのか、現在の実情を御説明願いたいと思います。
○坂本説明員 いわゆる沖縄三事案につきまして御説明申し上げます。 那覇港湾施設につきましては、沖縄県に駐留する米軍の補給物資の積みおろし等の機能を有する施設であります。本施設は、既に昭和四十九年の第十五回日米安保協議委員会において、物資積みおろし等の機能の確保を条件とする、いわゆる移設条件つきで全部返還が了承されている施設であります。以来、移設条件等について広範な検討を続けておりますが、昨年十二月には移設条件等を日米間で技術的、専門的に検討するため特別作業班が設置され、本年一月には米側から次のような趣旨の意向が示され、現在、これを中心に複数の候補地に絞り、鋭意検討を進めております。 沖縄本島の中部地区における既存の施設・区域をできるだけ利用した最小限の施設を整備し、現那覇港湾施設は全部返還する、その場合、移設先に地元の開発計画があるときは当該計画との調和に最大限配慮するというものであります。 この方針は、本年二月十八日、玉沢防衛庁長官から大田県知事に伝え、協力を要請したところでありまして、これらを踏まえ、特別作業班においてできる限り早期に結論を得るべく検討作業を促進しているところであります。 読谷補助飛行場は、兵員の落下傘降下訓練に使用されているほか、隣接する楚辺通信所の電磁波緩衝地帯としての機能も有している施設であります。昭和五十四年から落下傘降下訓練機能の移設、撤去が要望され、以来、当庁は、機能移設問題を中心に、飛行場からの距離、地形、広さ、代替地周辺住民の意向等、広範な観点から検討を進めてきております。昨年六月には日米の特別作業班が設置され、現在、同作業班において、落下傘降下訓練場をキャンプ・ハンセン内に移設することとし、あわせて、その場合における楚辺通信所の機能維持の問題への対応について検討しているところであります。 この状況についても、玉沢長官が沖縄を訪問したときに県知事に伝え、協力を要請したところであり、これらを踏まえ、できるだけ早期に結論を得て同飛行場の返還の見通しをつけたいと考えております。 県道一〇四号線越え実弾砲撃訓練の廃止問題は、県道一〇四号線を挟んで東から西側の着弾地に向けて実弾砲撃訓練が実施され、この期間中は交通規制が行われておりますが、昭和五十一年には当庁補助金による迂回道路が建設され、これにより現在では砲撃訓練期間中も一般交通には支障がなくなっております。沖縄県を初め地元は、訓練の危険性、環境破壊等を理由に訓練の廃止を強く要望しているものであります。 米側はこれまでも、安全管理の徹底を図るとともに、周辺地域に与える影響をできるだけ少なくするよう、平成五年八月には砲撃音の地元に及ぼす影響に配慮して住民地域に近い三砲座を廃止するなど、常に努力してきておりますが、訓練そのものを廃止をすることは困難であるとしております。 しかし、防衛施設庁といたしましても、地元の要望も十分理解しており、引き続き、あらゆる可能性を検討し、同問題の解決について努力してまいる所存であります。 これら施設の返還等の見通しについては、現在のところ申し上げられる段階にはありませんが、一月の日米首脳会談の成果を踏まえた総理大臣からの防衛庁長官等への指示及び沖縄県知事に対する協力方の要請や、また、本年二月十八日、防衛庁長官が現地を視察するとともに、沖縄県知事を初め関係者と意見交換を行い、格段の協力方をお願いしたこと等により、国、地元及び米国の三者が問題解決に向けて協力できる環境は大きく好転しつつあると理解しております。 防衛施設庁といたしましても、整理統合等特別推進本部を設け、本庁、現地の那覇防衛施設局が一体となってこれらの検討作業の推進にシフトしておりまして、今後、米軍、地元等の理解と協力を得つつ、いわゆる三事案を中心として、一つでも多く、できるだけ早期に解決の方向、道筋がつけられるよう努力しているところであります。 〔松下委員長代理退席、委員長着席〕
○宮里委員 型どおりの答弁になりましたが、三事案のうち最後の、実弾射撃訓練場、砲弾演習をやっているところ、ここはもともと沖縄戦のときには第四遊撃隊、岩波隊が駐屯しておったところです。この岩波隊はほとんど戦闘作戦をしておりません。したがって、そのときの弾薬がまだ残っているだろう、こう言われております。その後、米軍が演習地に接収をいたしまして、ほぼ五十年、一時期切れたころもございましたが、実弾を打ち込んでいるわけです。 まず、あの狭い地域で実弾演習をするということは、地元の人たちにとっては耐えがたいことなんです。しかも、あの地域に行ってごらんになればわかるように、実弾を打ち込んで、樹木はもちろんのこと山の草まで焼き払って、裸にしてしまっている。私は、この実弾演習はぜひひとつ廃止をしていただきたい。 そして、ここを返還するに当たっては、もとどおりに森林に戻さなければならぬわけでありますが、まず不発弾の処理をしないことには危険で入れません。そのようなことも考えて、ひとつしっかりとした対処策を考えていっていただきたい。あなた、自分の命の役職が終わったから、あと次の人に引き継ぐころになるからと思って軽く見ちゃいけませんよ。防衛施設庁としてしっかりとした対応策を考えていただきたい、こう思います。 読谷の落下傘の降下訓練が移せるところは、先ほどの答弁でも、金武のキャンプ・ハンセン地域、金武町と宜野座村にありますキャンプ・ハンセン地域に移設をしたいということでありましたが、恐らく金武町当局、宜野座村当局、地域住民の人たちも、素直にそれを受け入れるとは思えません。 というのは、これまで読谷で訓練しているときにも、かなり無謀と思われる訓練も今までしてきた。したがって、空からジープを落としてみたり、あるいは補助タンクを落としてみたり、あるいは武装した兵士が住民地域に風に流されて落ちてきてみたり、さまざまなことをしてきている。ですから、それを金武のキャンプ・ハンセンに移すというなら、まずその前に、日米間でそういうことを決める前に、移設先の金武や宜野座の当局あるいは地元の人たちともしっかりとした協議をして、そして、これまで繰り返してきた事件、事故といいますか、住民に迷惑をかけてきたそういう事態を引き起こさないという措置がまず必要である。 時間がありませんので全部一括して申し上げますが、那覇軍港の移設にいたしましても、仄聞するところによりますと、これは浦添地域、浦添の西海岸に移設したいというのがどうやら皆さんの本音のようである。玉沢長官も皆さんも、名指しをしてそこへ移したいということを言っておりませんが、これまでの一連の流れからいいますと、浦添の米軍の兵たん部の先、西海岸に移したい、これが本音のようであります。 ところが、これはすんなりといきませんよ。既に浦添市議会や当局は議会の議決をして、反対の意思を表明しておりまして、浦添市当局も、これには賛成できないという旨の意思表示がなされております。 もともと那覇の軍港は、浦添にあります兵たん部、これとペアでつくられたものですね。那覇に軍港があるから浦添の兵たん部がつくられている。だからこれはペアだと思うのです。しかし、那覇軍港はどう見ても沖縄の表玄関でありますから、そこへ軍港をいつまでも残して、そして、何か極東に妙な動きがあるとそこへ戦車が来たり大砲が来たり、あるいは揚陸船がそこへ接岸をされたり、要するに戦争色の強いものがそこにずっと並べられるということは、これは県民としては認められないと。一方、移設先についてもそのようなことがあるわけであります。ですから、それを浦添当局や地元の人たちとよく事前に協議をしていかないといけないと思います。 県で調整してくれといっても県がやれるわけがありません。恐らく国だけでやるわけにもいかぬでしょう。これまではどちらかというと、復帰後二十二年たった今まで、国も県もみんな逃げてしまって具体的な協議に入っていない。だから、前進しないわけであります。戦後五十年を節目にこの三案件を、本事案を少なくとも形のある形で処理したいというなら、国も逃げずに県としっかりと話をしてその問題を解決していただきたいと思います。 その場合に、一つは、今ある那覇軍港地域はもともと波止場のあったところではないのです。桟橋のあったところではないのです。そこは戦後米軍が勝手につくったものです。しかも、そこは一戸当たりの所有面積が数十坪と言われます。世代が変わって、相続が介在してまいりましたから一人当たりの所有面積は恐らく非常に細分化されてきております。したがって、通常の跡利用計画にしても区画整理事業などでやれるものではありません。それに対しましても、沖縄開発庁も防衛施設庁とひとつ連絡をとられながら、その跡利用については努力していただきたいと私は思います。 移設先をもし浦添にするというのであれば、先ほど申し上げましたように浦添市当局あるいは関係地主とも十分協議して――それは永続する形ではしてないと思うのですよ。先ほども指摘しましたように、浦添地域は西海岸の総合的な開発計画があります。そして、第一次計画が済んで、既に物流の拠点はそこへ移っております。そして、今第二次計画がずっと進んできている。それが完成いたしました後、今の米軍基地はドーナツ現象を呈しておる。 今のところ、私が聞いたところでも、地主の全員が返還を求めているわけではありません。まだ半数近くが返還には反対だということも聞いております。しかし、考えなければならぬのは、那覇の上ノ屋地域、これがしっかりとした開発ができて新しい町並みができる、あるいは、時間ですからあと簡単に言いますが、軍港地域の跡利用計画で危険になる。そうすると、そこも地主から返還を求めてくることは明らかです。ですから、いつまでもそこへ移せると思って交渉しても私は無理だと思います。 そういうことを含めて、時間がなくなったようでありますから、私の強い要望としてお聞きを願って、ひとつ対処をしていただきたいと思います。 質問を終わります。
○鈴木委員長 仲村正治君。
○仲村委員 私はまず、おくればせながら、日ごろから尊敬申し上げております小澤潔先生の沖縄開発庁長官御就任のお祝いを申し上げたいと思います。どうぞひとつしっかり頑張っていただきたいと思っております。 さて、衆議院の河北特別委員会で沖縄開発庁関連で質問が行われるのは平成五年六月三日以来のことでありますから、本当に一年九カ月ぶりということでございます。それだけ解決すべき課題あるいはただすべき問題点、実に山積みしているところであると思っております。 私は、まず小澤長官にお尋ねいたします。 沖縄が本土に復帰したのは、戦後二十七年間も米軍の占領統治が続いた後の昭和四十七年五月十五日でありました。それでももう、復帰してからことしは二十三年目になりました。その間、第一次及び第二次振計に続き、現在は第三次振計の第四年目であります。その間の成果と実績は高く評価すべきでありますし、今沖縄県の姿は復帰前に比較して目覚ましく発展を遂げてきたことは、衆目の一致するところであります。 ところで、沖縄の復帰に当たって制定されたいわゆる復帰三法、その一つが沖縄振興開発特別措置法であり、二つ目が沖縄振興開発金融公庫法であり、三つ目が沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律でありますが、その三法が極めて効果的に役割を発揮、運用され、同時に、二次にわたる振興開発計画に基づく施策が着実に実施されたということだと思います。私は、沖縄の復帰二十三年目のこの時期を戦後五十年という時期に重ね合わせて、沖縄の現在の姿をもう一度見詰め直してみる必要があると思っております。 先ほど申し上げました沖縄の復帰三法、そしてそれに基づく三次にわたる振興開発計画の目的は、沖縄において戦中、戦後の苦難の歴史の中で発生した戦後処理問題の解決、さらに、戦後二十七年間の長きにわたって本土から行政権が分離され、米軍の占領統治下で生じた本土との格差の是正、三点目は、一事が万事軍事優先、民生不在の米軍の占領統治下で経済基盤整備が無視あるいは放置されてきたのでありますが、いわゆる経済の自立的発展の基礎条件の整備をするということであります。 確かに今、復帰時点に比較して発展はしました。しかし、復帰三法や振興開発計画の目指してきた戦後処理あるいは本土との格差是正、また経済の自立基盤整備等々、その目的は完全に実施されたとは思いませんが、小澤長官は沖縄の現状についてどのような御認識をお持ちか、まずお尋ねをいたしたいと思います。
○小澤国務大臣 ただいま先生御指摘は、沖縄振興開発の成果をどのように評価するか、この問題が中心であろうと思います。 沖縄本土復帰以来、振興開発計画に基づきまして沖縄の振興開発のための諸施策が講じられ、本土との格差は次第に縮小されているものの、沖縄の経済社会は総体として着実に発展をしておりますが、今なお格差もあることも事実であります。生活産業基盤の面ではなお整備を要するものが多く見られるとともに、産業振興や雇用の問題など、解決しなければならない多くの課題を抱えておることも事実であります。 このため、沖縄の経済社会の現状を踏まえ、第三次沖縄振興開発計画に基づきまして所要の予算の確保、諸施策の推進を図ってきたところでありますが、今後とも、活力と潤いのある沖縄の実現に向けて、同計画に基づく諸事業を推進するなど、沖縄の振興開発を鋭意進めてまいりたいと存じます。
○仲村委員 今大臣が御答弁になられたとおり、確かに復帰後二十三年、目覚ましく発展をしておりますが、復帰当時制定をした復帰三法、これの目指す目標、いわゆる戦後処理の問題、そして本土との格差是正、そして沖縄の自立的経済の基盤整備、そういう点ではまだまだ道は遠い、こういう感じでございます。ぜひともこれからも努力をしていただきたいと思うのであります。 私は、復帰二十三年、復帰三法の的確な運用と県民の懸命な努力によって、その成果は着実に目に見える形であらわれていると思っております。しかし、一人当たり県民所得は依然として全国最下位の四十七番、平成三年度で全国平均が二百八十八万九千円に対して沖縄県は二百七万七千円で、全国平均のざっと七一・九%でしかないのであります。また、完全失業率もずっと高い状態で推移しています。昨年一年間の平均失業率、全国平均が二・九%に対して沖縄は五・一%、まさに本土の二倍近い失業者がいる。 それは、沖縄県が本土から遠隔の地に位置していること、また広い範囲の海域に散在する島嶼の地域であること、それに加えて台風、干ばつの常襲地帯という悪条件が重なり合っているのに加えて、最大の問題は、沖縄県だけに全国の七五%も米軍基地が超過密に偏在しているというのが、この沖縄の振興開発を阻害している大きな原因であります。戦後五十年の今日、このような状態が続いているということは、これはもう沖縄県民として全く憤りを感じざるを得ないのであります。 小澤長官は、このような沖縄の現状をごらんになって、復帰三法で定められた沖縄問題はもう解決した、もう沖縄には特殊の事情は存在しない、したがって沖縄開発庁の役目もそろそろ終わり、そういう状態ではないと先ほどはおっしゃいましたが、その件について、沖縄ではもう戦後処理は片づいた、格差はもうほとんど埋め合わされた、あるいは経済基盤の整備もそろそろでき上がった、こういう考え方であるのかあるいはそうでないのか、もう一度明確にお答えをいただきたいと思います。
○小澤国務大臣 先生御指摘のとおり、昭和四十七年五月の沖縄本土復帰に当たりまして、沖縄における社会的、経済的基礎条件の整備と振興開発を図ることが政府の責務とされ、そのための総合的な計画を作成して事業の推進を図り、沖縄県民の福祉の向上に資することを目的といたしまして沖縄振興開発特別措置法が、またその任務を沖縄開発庁に行わせることを目的として沖縄開発庁設置法が、さらに沖縄の振興開発のための諸施策を金融面から支援をするために沖縄振興開発金融公庫法が、さらに沖縄復帰特別措置法が制定されたところであります。 沖縄開発庁ではこれまで、これらの法律に基づきまして沖縄の振興開発に関する諸施策を強力に推進してまいったところであります。その結果、沖縄の経済社会は総体として着実に発展してまいりましたが、依然として本土との格差が存在し、産業振興のおくれ、先ほど申し上げましたように雇用の問題等々、解決しなければならない多くの課題を抱えております。これらの法律の目的である沖縄の振興開発はいまだ十分に達せられていないと私も考えております。
○仲村委員 今小澤長官は沖縄の現実の姿をはっきりとお示しになったところだと、長官の御答弁に非常に同感をするものでございます。 続けて小澤長官にお尋ねをいたします。 リクルート事件で政治の金権腐敗体質が国民から厳しく指弾をされ、その反省として始まった政治改革も、その過程においてはいろいろな反対とか妨害もあったのでありますけれども、昨年十一月二十一日に六年越しにようやく実現した。そして、その政治改革に続いて財政改革、行政改革、そして規制緩和等々は、小さな政府にすることによって行政経費の軽減と国民負担の適正化を図るという立場から、まさに時代的要求であると私は考えております。そのために今、与党、野党区別なく、行政改車に熱心に取り組んでいるところであります。これは国民が求めているところであり、今、政治が果たさなければならない時代的要求であると私は考えております。 ただ、昭和五十七年七月三十日の臨時行政調査会の答申の中に「国土庁、北海道開発庁及び沖縄開発庁を統合」すべしとされたことから、行政改革議論のあらゆる段階で沖縄開発庁を巻き込んだ、議論のターゲットに沖縄開発庁がされている感じであります。しかし、多くの人が臨調答申の中で示された大事な点を見逃しているのではないか、私はこのように考えているのであります。それは、臨調答申のただし書きの中に「沖縄開発庁については、統合の時期等について特殊事情を考慮」すべしとされている点であります。 この特殊事情というのは何か。それは、沖縄が全国唯一の地上戦によって悲惨な戦禍の被災地であるということ、そして二十七年間の長期にわたって米軍の占領統治下にあったということ、それに加えて、戦後五十年にもなった今日、全国の米軍基地の七五%が沖縄だけに超過密の状態で偏在しているという点を言っていると私は思っております。このように、臨調が示した特殊事情がいまだに未解決のまま数多く存在しているわけでありますが、その特殊事情というものは、国の責任に起因するものであります。もし行政改革の中で沖縄開発庁の統廃合を打ち出すのであれば、統廃合の前に、国の責任で特殊事情の解決が先だと私は思う。そうでしょう。 そのような観点から、沖縄の復帰に関する三法がいまだにその目的は十分達成されていない、したがって沖縄開発庁の役割は決して終わっていない、こういう考え方に立っているのでありますが、もう一度、簡単でいいですから、長官の御所見を承りたいと思っております。
○小澤国務大臣 先生御指摘のとおり、沖縄には依然として本土との格差が存在をしておることは周知のとおりであります。産業振興のおくれ、雇用の問題等、解決しな付ればならない多くの課題を抱えております。したがって、今後とも、沖縄開発庁が引き続き独立をした国の責任官庁として使命を果たしていく必要があると考えております。 また、沖縄開発庁を統合すべきという件につきましては、統合する考えは私は持っておりません。
○仲村委員 今、明確に長官から、沖縄開発庁の統合はやるべきじゃない、またやる考えはないというようなお答えをいただきましたので、非常に意を強くするところであります。 私は、繰り返し申し上げますけれども、やはり行政改革は天の声であると思っておりますが、この臨調答申で示されたただし書きを見落としてはならない。沖縄の特殊事情というものを十分配慮しろと書いてあるわけであります。この特殊事情は国の責任に起因するものであります。したがって、沖縄開発庁の統合の前にこの特殊事情の解決をまず国はやるべきだ、こういうふうに考えておりますので、今後とも、そのようなお気持ちで沖縄開発庁の適正な、有効な運営に当たっていただきたいと御希望を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 次に、今期から品質取引に移行された沖縄のサトウキビ価格問題についてお尋ねをいたします。これは、WTO体制下で国内甘味資源作物の生産基盤を守っていくという立場からも極めて重要な問題であります。 我が国は、南北に三千キロの広範囲に細長く国土が広がり、温帯から亜熱帯の地域に多種多様な作物がつくれるのでありますが、同時に、気象条件や土質や地勢上の制約でそれしかつくれないという不利性とも隣り合わせている地域もあります。沖縄のサトウキビは、それしかつくれない代表的な作物であります。低収益性の作物でもありますが、その理由は、その気象条件から来るところであります。いわゆる台風と干ばつの常襲地帯で、その気象条件に耐え得る作物はサトウキビしかないという宿命的作物として、三百年間も、それ以上も、この低収益作物のサトウキビを手放すことができず、昔も今も将来も、このサトウキビを沖縄の基幹作物としてつくり続けていかなければならないということでございます。 現在、砂糖は自由品目でありますから幾らでも外国から安い砂糖が買えるので、国内の甘味資源供給地としての沖縄のありがたさはもう忘れられているのじゃないかと思っております。かえって、国内で生産される砂糖を厄介者扱いにする感すらあるのじゃないかと思うぐらいであります。しかし、戦前戦後我が国にとって沖縄の砂糖は貴重な甘味資源であったことを考えると、WTO体制下で農産物の自由化が一層進展する中で、国内の甘味資源生産の基盤を守る立場からも、サトウキビ生産についての助成対策は今後ともしっかり国内の主要食糧生産対策同様に進めていくべきだと思うのでありますが、農林水産省の御見解をお聞かせいただきたいと思います。
○白須説明員 御説明申し上げます。 沖縄県におきますサトウキビの重要性、あるいはまた、ただいま委員御指摘のとおり、サトウキビが沖縄農業のまさに根幹をなすという点につきましては、私ども農林水産省といたしましても、十分これを認識をいたしているところでございます。 今後とも沖縄県におきましてサトウキビの品質向上を図るということがやはり第一でございまして、また、ただいまお話しのように、農家手取りを向上させていくということが必要でございます。このためには、何よりもやはり高糖分な優良品種の育成、普及でございますとか高品質な安定生産技術の啓発、普及、さらにはまた地方向上対策の実施、あるいは恒常的な低品質地帯におきます生産条件の整備といったような対策を総合的に推進するということが重要だというふうに考えておりまして、今後ともこの方向に沿いました対策の推進に努めてまいりたいというふうに考えております。
○仲村委員 これからお聞きしようとするところまで答弁をしていただいたわけでありますが、WTO体制に入って、やはり国内の主要食糧の生産基盤を守るという点から、いわゆる価格支持政策、不足払い制度というものをしっかり守って国内の主要の農産物というものは守っていくべきである、この点についてのお尋ねをしたわけであります。 沖縄のサトウキビの生産価格は、トン当たり幾らというふうに、長い間の慣例として重量取引がごく当たり前のごとくして決められてきたが、平成六、七年産から、糖度によるいわゆる品質取引に移行されたのであります。それは五年も前から言われてきたことですから、制度移行そのものに反対するものではありません。 しかし、昨年十月、その価格取り決めの基準になる基準糖度帯を決めるに当たって、従来の生産農家の手取り価格に十分配慮して、ソフトランディングによる制度移行、そして価格の面での激変が起こらないようその緩和措置に万全を期すということなどを加味して、過去のサトウキビの糖度データをもとにして、沖縄の生産者側は、従来のトン当たり二万四百十円を維持するためには基準糖度帯を十二・二度から十三・三度までとすべきであると強く主張をしたのであります。しかし、結局、政府の主張する十三・一度から十四・三度で決められてしまった。 その結果、ことしのサトウキビは従来価格の二万四百十円より、八重山で約千円、宮古で約七百円、沖縄本島で約五百円も値下がりする事態が起こっております。サトウキビ生産農家は、こんなに急激に基幹作物のサトウキビ代を下げられてはもはや沖縄農業の将来はない、これは農家経営の破綻ともいうべき大問題だと不満をぶちまけているところであります。 昨年まで、ことしと同じような品質のサトウキビです。去年どことしと同じ品質のサトウキビを、生産費からはじき出してそのトン当たり生産者手取り価格を二万四百十円として決めてきたわけでありますから、品質取引に移行されても、生産費からはじき出された農家手取り価格というものはトン当たり二万四百十円でなければならないはずであります。だけれども、ことしは宮古、八重山、沖縄本島、平均してトン当たり六百円ぐらい下がるのではないかという予想を私はしております。 この問題について、激変緩和の措置をとるべきだと私は思うが、この点についてのお答えをいただきたいと思います。
○白須説明員 御説明申し上げます。 委員御指摘のとおり、沖縄県のサトウキビにつきましては本年産から品質取引に移行したというところでございますが、暖冬でございますとかあるいは降雨の影響によりまして豊熟がおくれた、また製糖期におきます降雨といったような影響がございまして、その糖度は、ただいまお話しのとおり、製糖期前半では大変低位に推移をいたしておったわけでございますが、その後、天候が徐々に回復をしておりまして、糖度も上がってまいりました。低糖分のものの比率が低下をいたしておるといったような状況になっております。 三月十日現在の沖縄県全県の糖度を見てみますと、平均で十三・一度というふうになっているわけでございまして、前年の農家手取りを一応確保し得る水準、いわゆるその基準糖度帯の中に入っているというふうに承知をいたしているわけでございます。 ただ、これも、ただいま委員御指摘のとおり、宮古でございますとか八重山諸島などの一部の離島におきましては、平均糖度が十二・九度に達していないという状況にあることもまた事実でございまして、お話しのとおり、主として昨年八月から十月までの生育期の後半におきます三つの大型台風といったような影響によるものではないかというふうに考えておるわけでございます。 こうした離島におきましても、製糖期の前半と比べますと糖度も徐々にではございますが実は上がってまいっておる、これもまた事実でございまして、これから三月いっぱいあるわけでございます。いましばらく糖度の上昇の状況を注視してまいりたいというふうに考えております。
○仲村委員 気象条件のお話がございましたが、先ほども申し上げましたように、台風、干ばつ、これはもう毎年決まって来ます。南太平洋で発生した低気圧は、沖縄近海に来て台風になって、そして沖縄から東に行くか、北に行くか、西に行くか、その方向を決めていくわけでありますので、沖縄までは決まって来る。しかし、たまには太平洋高気圧が張り出して台風が来ないときがある。そのときは干ばつになるわけであります。だから、そういう気象条件というものはもう沖縄県は当たり前、むしろ来ない方が不思議だ、そういう状況でございます。 今、砂糖類課長はいろいろと三月の状態も話しておられましたが、私が持っておりますのは二月二十日の時点です。石垣で八二・七%はその基準糖度帯の二万四百十円から下がる。十二・八度以下のサトウキビが八二・七%。そして、宮古の伊良部島で六九・三%。宮古の城辺で五四・二%。北部の伊江村農協工場で七〇・八%。そして、中部にあります経済連工場で五三・九%。 ですから、これからしてもう平均して六百円は下がる、私はこういうふうに見ているわけであります。確かに三月に入って少しよくなっておりますが、もうそろそろ終わります。終わってから上がったってどうしようもないわけです、糖度が上がったって。だから私は、最終的にこれは値下がりするというふうに見ておりますので、何としてもその是正、激変緩和措置を講ずるべきである、こういうふうに思うわけであります。 と申しますのは、生産者米価や畑作農産品、そして乳畜産物価格を毎年決めるに当たって、百円上げるか下げるか、こういう議論で二、三日もけんか腰で議論をするわけであります。そのことは、農家にとって百円、二百円がいかに大事であるか、いかに深刻であるか、こういうことを意味するのであります。それをもってして、六百円も下がる、千円も下がる、そういう事態が発生したとなると、これはもう農家は営農意欲を消失してしまうわけであります。 私は、この国内甘味資源生産対策の財源はきちっとある、こういうふうに見ております。これは、昨年二月の関税の改正で、ちゃんと国内の甘味資源対策のための財源は確保しているわけであります。私はその点については余り深入りはしたくありません、それはもう課長さんよく知っていると思いますので。その中から、これは対策をやろうと思えばそのことはできる、こういうふうに見ているわけであります。したがいまして、もう一度その最終的な結果を見て、本当にこれではいかぬというような状態になればその措置を講ずるということについて、お答えをいただきたいと思います。
○白須説明員 御説明申し上げます。 委員御案内のとおり、北海道におきましては、ビートは昭和六十一年から糖分取引を実は実施をいたしているわけでございます。やはり本来的に糖分あるいはまた品質がその取引の価格を決定するということが原則でございますので、ことしから、沖縄、鹿児島のサトウキビにつきましても、品質取引に移行するということで導入をさせていただいているというわけでございます。 その導入に当たりましても、十分にこれは慎重に行おうということでございまして、平成元年以降、生産者あるいは糖業者、行政一体となりまして検討準備も進めてまいった。また、この糖度の基準、御案内のとおりでございますが、この決定に当たりましても、沖縄県の生産事情を最大限に考慮いたしまして決めさせていただいた経緯もあるわけでございます。 例えば、この基準糖度の水準でございますとか糖度帯の幅、あるいはまた、先ほどお話しの二百二十円の定着化対策費の配分方法につきましても、できる限り低糖度のものを厚く措置するといったようなことで、糖度の低い農家に配慮をいたしたスタートということに実はなっているわけでございます。 ただ、結果におきまして、ただいまお話しのとおり、鹿児島に比べますと、沖縄県におきまして、特に宮古、八重山におきまして、離島におきまして、現在のところ糖度が基準糖度よりも低い状況にあるというのはお話のとおりでございます。これはやはり、糖度が気象条件によって影響を受けるものでありまして、その結果として糖分が低くなっているということでございますが、過去におきまして、沖縄あるいは鹿児島とも、それぞれ気象条件によりまして高いときもあれば低かったときもある、いわゆるこの糖度の変化があったわけであります。 今回のこの品質取引というのは、まさにその糖度に応じまして手取りが決まる、こういう仕組みそのものでございます。また、ただいま申し上げましたとおり、農家手取りの点におきましても、極力この基準糖度帯を下回る層に手厚く措置をいたしておるといったようなところもございまして、こういったことから見ますと、これにさらに何らかの措置を講ずるということは、この制度の性格上なかなか困難ではないのかというふうに考えているところでございます。
○仲村委員 二万四百十円というのは、従来のまだ重量取引の話ですが、生産費から割り出してきて、これだけはやはり再生産のためにも必要であるという価格設定がなされて、まず糖分取引に移行するに当たってもこの二万四百十円というのをあくまでも基準にしたわけです、これは保証しようと。基準糖度帯を十二・二度から十二・三度にすれば、これは守れたわけです。皆さんが十三・一度から十四・三度にしたから、こういう結果になっているわけです。だから、基本的には来年のサトウキビを決めるときに基準糖度帯の見直しをしなければならないけれども、しかし、その決め方に無理があった、もう結果としてあらわれているわけですから。 それで、私が先ほど申し上げたように、昨年の二月に関税改正をして、四十一円五十銭の関税を二十円にした、残りの二十一円五十銭から今までの調整金三十円に八円くっつけて調整金を三十八円にした。国内甘味資源対策の財源です。それを考えると、やろうと思えばできるのです。まず六百円値下がりした、六百円助成しよう、大体助成の対象になるのは五十万トンです。百万トンのうち五十万トン。それをやったとしても三億です。それができないはずはない。 これは北海道のてん菜のときに、六十二年に局長通達で、この低糖度てん菜糖に対して、そういうおそれが出る場合にそれを助成しよう。平成二年にちゃんとやっているのですよ。決めたからできないということは通らないと思うのですが、もう一回答弁してください。
○白須説明員 御説明申し上げます。 いずれにいたしましても、ただいまお話しの基準糖度帯あるいは基準糖度の水準といったような点につきましては、先ほど申し上げましたとおり、沖縄県の生産事情を私どもといたしましては最大限に考慮して決定をさせていただいたということでございますし、また、品質取引は今年産からスタートしたばかりでございますので、こういった糖度なり基準糖度帯の変更といったようなことにつきましては、来年産以降の推移も見きわめつつ慎重に検討する必要があるというふうに考えているわけでございます。 また、ただいまもるる特別な措置を構ずべきであるというお話があったわけでございますが、私どもといたしましては、いずれにいたしましてもこの三月いっぱいまだ製糖期が続いておるわけでございますので、ひとつこれの水準、糖度の上昇の状況というものを最後まで注視をさせていただきたいというふうに考えている次第でございます。
○仲村委員 これは結果は極端な値下がり状態になるということはもうはっきりしていますので、ぜひ最終段階で生産者ともよく話し合って、その激変緩和措置、いわゆる制度移行するときのソフトランディングというのは一番大事ですから、それをぜひ念頭に置いて措置をしていただきたい、こういうふうに思います。 私は、去る二月十四日の予算委員会において、玉沢防衛庁長官が二月十七日から十八日にかけて、沖縄の米軍基地問題、いわゆる三事案について大田沖縄県知事と話し合うために沖縄訪問をされるということでありましたので、沖縄の基地問題について玉沢長官に質問をいたしたところであります。 まず、質問の第一点目は、沖縄の米軍基地の成り立ちの歴史背景について次のような質問をいたしました。 沖縄の米軍基地は、沖縄県民の意思とは無関係に、戦争という国家行為の結果米軍に占領され、強制的に米軍に占拠され、そこに米軍基地が構築されたものであるということ、そして、米軍が戦争によって占領し、地主に有無を言わさず占拠した沖縄県民の土地が基地に利用されているという既成事実に乗じて、昭和四十七年五月十五日の復帰に際して、政府は地主と賃貸契約をして米軍に政府が提供したことになっているが、それは決して初期の時点で地主との合意に基づいて合法的に米軍基地に提供されたものではないということは動かすことのできない歴史的事実であるが、防衛庁長官はどう思いますかという質問に対して、長官は口をもぐもぐさせて、何を言っているのかわからないような、全く意味のわからない苦し紛れの御答弁をなされておりました。 そのような政府の苦しい立場を私はこれ以上追及する気持ちはないが、要は、沖縄の米軍基地の整理縮小に誠意を持って取り組んでもらえるかどうかを私はただしたいのであります。それは、単に言葉のもてあそびではなくて、目に見える形でその実現をするという確約をしてほしいのであります。 沖縄の米軍基地は、よく言われておりますように、全国の米軍基地の七五%が沖縄に超過密に偏在し、沖縄本島の二割近い面積を占拠し、しかも生産性と利用度の高い平たん地である沈めに、沖縄県の振興開発を大きく阻害しているのであります。ですから、たとえその基地が安保条約に基づく我が国の平和と安全のために必要な国策上の問題とはいえ、沖縄県民だけに一方的に過重な負担をいつまでも押しつけることは絶対に許されることではないと思います。 しかも、このような世界に全く類例のないほどの広大な基地は、東西対決の冷戦構造の絶頂期に建設されたものでありますが、冷戦構造終結の今日、今なおそのような基地の存在をアメリカの東アジア戦略の都合のみで許しているということは、日米安保の枠を超えた事象だと私は思います。 政府は、アメリカに対して、沖縄の米軍基地の整理縮小についてもっと強く出るべきだと思いますが、その点についてのお答えをいただきたいと思います。
○小澤国務大臣 お答えをいたします。 第三次沖縄振興開発計画におきましても、米軍施設・区域の整理縮小及び返還跡地の有効利用の重要性が指摘されており、沖縄開発庁としても、米軍施設・区域の整理縮小は、これからの沖縄の振興開発を進める上で解決を要する基本的な課題の一つであると認識をいたしております。 整理縮小の具体的な進め方につきましては、関係省庁において努力をいたしておるところでありますので、適宜連絡をとってまいりたい、かように考えております。
○仲村委員 沖縄を統括される沖縄開発庁長官という立場で御答弁をいただいたわけでありますが、本来なら外務大臣がこれはやるべきだったと思っております。しかし、ぜひひとつそのような決意で、整理縮小が円滑に進められるように、これは日米安保条約の枠を超えた基地の存在でありますから、それについては毅然たる態度で、本当に県民の立場に立ってひとつやっていただきたいと思います。 当面の重要課題としていわゆる返還三事案、これの実効性のある解決が期待されているところでありますが、その三事案について、二月十七、十八両日、玉沢防衛庁長官は大田沖縄県知事とお会いなされて、いろいろ話し合いをなされたようであります。まだマスコミなどの表には出てきておりませんが、しかし、知事には耳打ちなどのような形での話はなされていると私は思う。 もし差し支えなければこの三事案について、先ほども同僚議員の質問に対して答弁はありましたが、もう一度、この那覇軍港をどこにどうするんだ、そして読谷の補助飛行場のパラシュート訓練場をどこにどうするんだ、それで一〇四号線越えの実弾射撃演習をどうするんだ、これについてひとつ明確に答弁をしていただきたいと思います。簡潔に願います。
○坂本説明員 御説明申し上げます。 那覇港湾施設の問題につきましては、昨年十二月に移設条件等を日米間で技術的に検討する特別作業班が設置されまして、本年一月には米側から次の趣旨のような意向が示されております。現在、これを中心に複数の候補地に絞り、鋭意検討を進めております。 沖縄本島の中部地区における既存の施設・区域をできるだけ利用した最小限の施設を整備し、現那覇港湾施設は全部返還する、その場合、移設先に地元の開発計画があるときは当該計画との調和に最大限配慮するというものであります。 この方針はまた、本年二月十八日、玉沢長官から大田県知事に伝え、協力を要請したところであります。これらを踏まえ、特別作業班においてできる限り早期に結論を得るべく検討作業を促進しているところであります。 読谷補助飛行場につきましては、昨年六月に日米の特別作業班が設置され、現在、同作業班において落下傘降下訓練場をキャンプ・ハンセン内に移設することとし、あわせて、その場合における楚辺通信所の機能維持の問題への対応について検討しているところであります。 この状況につきましても、玉沢防衛庁長官が沖縄を訪問した折に沖縄県知事に伝えております。協力を要請したところであります。これらを踏まえて、できるだけ早期に結論を得て同飛行場の返還の見通しをつけたいというふうに考えております。 一〇四号線越えの問題につきましては、米軍はこれまでも、安全管理の徹底を図るとともに、周辺地域に与える影響をできるだけ少なくするよう配慮してきておるところでございます。ただ、訓練そのものを廃止することは困難だということとしております。 しかし、防衛施設庁といたしましても、地元の要望も十分理解しており、引き続きあらゆる可能性を検討し、同問題解決のために努力してまいりたいと思っております。 これらの施設の返還の見通しにつきましては、現在のところ申し上げる段階ではございませんが、一月の日米首脳会談の成果を踏まえた総理大臣から防衛庁長官等への指示及び沖縄県知事に対する協力方の要請や、また、本年二月十八日、防衛庁長官が現地を視察するとともに、沖縄県知事を初め関係者と意見交換を行い、特段の協力方をお願いしたこと等によりまして、国、地元及び米国の三者が問題解決に向けて協力できる環境は大きく好転しつつあるというように理解しております。
○仲村委員 この三事案のうち、那覇軍港は二十年も前に移設条件つき返還が決定されていながらまだ実現しないのは、全く情けない話であります。一体その責めはだれが負うべきか、強く反省を求めたいのであります。 そもそも移設の条件を満たすのは、地元の自治体なのか、地主なのか、それとも基地提供義務を負うている政府であるのかということであります。それは紛れもなく政府の責任であると私は考えておりますが、二十年間政府は果たして移設の条件を満たすための努力をしてきたのか、私は本当に疑問に思って仕方がないのであります。しかし、もうその責任は問わないことにいたします。とにかく、一日も早くその移設、そして返還が実現できる努力をしてもらいたい。 那覇市は全国一、人口密度が高いところなんです。そのような町の真ん中に五十六万八千平米の基地が、しかも遊休状態で放置されているということは、これは県民の目から見たら、もう憤りそのものにほかならないのであります。移設の場所についてはいろいろな問題があると思う。しかし、これは移設をしてもらいたい那覇市長、沖縄県知事が腹を決めればできないことじゃないと私は見ております。そういう意味で、この那覇軍港のあるところの市長、那覇市長と沖縄県知事とがしっかり調整をして、その実現をしていただきたい。これは御希望を申し上げておきたいと思います。 現在、沖縄県内で米軍に土地を提供して、それを使用する根拠法は、駐留軍用地特別措置法によるものであります。同法に基づく使用権原、いわゆる強制使用の期限が平成九年五月十四日に切れるということで、政府は去る三月三日、同法に基づく手続を開始することを発表したのであります。現在米軍への基地提供を拒否している地主は、二千九百十九人であります。その所有面積は三十八万七千平米、こういうふうに言われております。 その手続は、前回の平成四年に実施したのと同じような方法によって使用権原の取得を図る考えと見てよいかどうか、お答えをいただきたいと思います。
○川人説明員 御説明申し上げます。 ただいま先生おっしゃられましたように、沖縄におきます米軍施設、ただいま駐留軍用地特措法によって使用させていただいておるわけでございます。これが平成九年五月十四日に切れるということでございまして、先生ただいまおっしゃいましたように、去る三月三日でございますが、駐留軍用地特措法の手続に入ったところでございます。 防衛施設庁といたしましては、これら民公有地の所有者の方々とは賃貸借契約によって円満に使用するということを心がけて、常日ごろから努力しておるわけでございまして、現在はほとんどの方々がこの契約に応じていただいております。ただ、残念ながら、こういう努力の結果、一部の土地所有者から賃貸借契約を拒否されているという状況にございまして、これらの土地につきましては、安保条約の目的達成のためにやむを得ず駐留軍用地特措法を適用しなければならないということでやっておるわけでございます。 先生おっしゃいましたように、その面積は全体の面積の割合からしますと〇・二四%という少ない数でございますけれども、その所有者の数が約二千九百名、そのうち一坪共有地主が二千八百名というような状況になっております。このような状況から、この手続には相当長期間を要するというふうなことも考えられましたので、去る三月三日にこの法の手続を開始させていただいたということでございます。 今後におきましても、当庁といたしましては、なるべく契約に応じていただけるように努力してまいる所存でございますけれども、やはり契約に応じていただけない方にはこのような手続をとることはやむを得ないというふうに考えております。
○仲村委員 確かに契約を拒否している反戦地主は、全地主の数からいえば少数であります。ただしかし、その人たちの持っている土地が嘉手納飛行場の滑走路のところにあったりして、この人たちの土地が借りられない場合、これはもう基地機能を麻痺させる、そういう状況にあるわけでありますので、この手続が円滑にもし進められない場合には、これはもう基地の運営上大変な問題が起こるということは明々白々であります。 米軍への土地提供を拒否しているいわゆる反戦地主は、恐らく政府の説得に応じないと思う。したがって、政府が米軍への土地提供の使用権原を取得するためには、駐留軍用地特措法による強制使用の手続をとらざるを得なくなることはもう避けられないと私は見ております。 その場合、土地の強制収用をするためには、市町村長に土地の公告縦覧を委任するわけですが、それを前回、平成四年の場合は、関係市町村長が拒否したために、政府は知事にその代行を委任したわけですね。しかし、大田知事も県民の反対の意見で一年近くも苦悶を続けた。非常に悩まれた。しかし、政府からいろいろな条件提示があって、大田知事は、拒否すべきか応諾すべきか、どちらが県民の利益になるかということを悩み抜いたあげく、公告縦覧の代行を実施する、まさに苦渋の決断をされたのであります。 軍用地地主がなぜそういうふうな状態になったかというと、これは今日まで政府が、米軍用地の返還に当たって、もう戦後三、四十年あるいは五十年近くも一方的に強制使用していながら、返すときは使い捨て同然に返還していることに軍用地地主が強い不満を持っているということであります。 それを是正するための条件提示が政府筋からなされた。その内容は、現在当委員会に議員立法で継続審議とされている軍転特措法に盛られている第六条の返還予告期間、そして第八条の返還後の補償、これを内容とするものであったと、私は県からちゃんとこれは聞いております。そして、沖縄県知事が公告縦覧の代行を実施するに当たって、大田沖縄県知事と当時の池田防衛庁長官及び児玉防衛施設庁長官の話し合いで、これらの問題を円満に解決するために十一省庁連絡協議会が設置されることになったのであります。 そのとおり間違いないか、そして今日まで十一省庁連絡協議会でまとめられた成果は何であるのか、お答えをいただきたいと思うのであります。
○野津説明員 御説明申し上げます。 ただいま御指摘の十一省庁連絡協議会でございますが、これは御指摘のような経緯を踏まえまして設置されたわけでございます。ここで協議する問題といたしましては、返還予告あるいは返還後の補償、跡地利用の問題、そういった問題について適切かつ効率的な処理に資するため、関係省庁間で情報、意見の交換を行うということでございます。 設置以来鋭意検討を重ねてまいりまして、現在までのところ、最初に取り組みましたのが返還予告の問題でございまして、できるだけ返還に関する情報が関係者の皆様に前広に伝わるようにということで、返還事前通報ということをやってはどうかということで、これについて一案をまとめ、試行しようということで、今その返還事前予告の試行ということを行いつつある、そういう状況でございます。
○仲村委員 この文書を私は持っております。この文書からすると、十一省庁連絡協議会は、沖縄県に所在する米軍施設・区域の返還を行うに当たって、問題になっている返還予告、返還後の補償、跡地の有効利用等についてより適切かつ効率的に処理するために、関係省庁間で情報、意見の交換を行うことを目的とする、こういうふうに書いてあるわけでございます。 今御答弁は、精力的にやったということですが、私の目にはそうは映りません。大田知事にあれだけお願いします、お願いしますと言っておきながら、済んでしまったらもう何をやっているかわからぬ状態じゃないかと私は思っておるわけでございます。したがいまして、皆さんが三月三日に発表をされた、平成九年に向けてこれを円滑に実施したいという気持ちがあれば、この前回の十一省庁連絡協議会のこれ、誠実にひとつ実行をしていただきたいと思うのであります。 そして私たちは、今議員立法で当委員会に継続審議になっております軍転特措法、この中にも六条、八条、そのような内容が盛られておりますので、これはぜひ決定したい、可決をしたい。そのときには、運用するのは皆さんですから、その点についていま一度決意をいただきたいと思います。
○野津説明員 十一省庁連絡協議会につきましては、設置の趣旨を十分踏まえ、今後とも精力的に取り組んでまいりたい、このように考えております。
○仲村委員 今、精力的にということでありますので、ぜひ皆さんがその軍転法を、どこが問題ですかというふうにどこかの党から言われたときに、ここが問題ですというふうに皆さんは、それ言ったじゃないですか、そんなことが本当にいいのかということを私は強く指摘をしておきたいと思うのであります。 さきに米国国防総省が発表した東アジア新戦略構想と日米安保報告は、日米両国及びアジア地域における米軍の駐留の必要性、これを強調したものであると思うのであります。日米安保条約の維持とアジア地域における米軍のプレゼンスについては、過去の日本の軍国主義に対する警戒感はアジアの皆さんにはまだ完全には消えておりませんから、米軍がこのアジア地域にプレゼンスをするということは、アジアの人々にとっては非常に安心感を与えるものである、私はこういうふうに見ております。 したがいまして、日米安保条約の適正な運営、そしてアジアにおける米軍のプレゼンスというものは、これは絶対必要である。しかし、さきに発表された国防総省の東アジア新戦略構想、そして日米安保報告というものは、それを超えたものである。したがって、これを聞いたときには、この基地の重圧に苦しめられている沖縄県民には、まだこの基地が拡張されるのか、強化されるのか、あるいは強化されないにしても今の状態が固定化されるのではないかという大きな心配を持っているわけでありますが、この問題について、防衛庁の考え方をお聞かせいただきたいと思います。
○野津説明員 御説明いたします。 先ほど来から御説明いたしておりますように、私ども、沖縄の基地問題、こういうものについては整理統合の必要性というものを十分認識いたしまして、安保条約の目的等の達成と地元住民の御意向、そういうものの兼ね合いを考えながら今後とも整理統合の推進に努めてまいりたい、このように考えております。
○仲村委員 もう終わりますけれども、今私が最後に質問をいたしましたのは、米国の国防総省の発表に対する我が国政府の考え方をお聞かせいただきたい、こういうことでありましたが、それは結構でしょう。 ただ、この問題について私が申し上げたように、これがアジア地域における軍備拡大あるいはまた沖縄の基地の強化というようなことに結びつくのであれば、これは絶対に我が国政府は受け入れてはならない、このように考えておりますので、そのような立場で対処していただきたいと思っております。 以上で終わります。
○鈴木委員長 上原康助君。
○上原委員 小澤開発庁長官初め政府関係者の皆さん、連日御苦労さんです。 先ほど来、同僚委員のお尋ねについて、小澤長官の決意と第三次振計に対する取り組み、またかねがね懸案となっております三省庁統合問題、あるいは沖縄開発金融公庫のことについて、大臣というのは政府がやろうとする行政改革とかそういうことに反対という言葉はなかなか使いにくいのだが、極めて明確に大臣のお立場で、三省庁統合は反対とか、沖縄開発金融公庫の存続はやります、やっていくという決意がありましたので頼もしく思ったのですが、なかなか大変でしょうね、三省庁を御担当なさるというのは。 諸般の情勢で、一月二十日でしたか、二十一日から、沖縄開発庁、国土庁、北海道開発庁を御担当なさっているのですが、本当に御苦労さんであります。三つの役所を担当して、よく仕事をする官僚もおれば、余りしない官僚もおるし、いろいろ協力をとりながらやるというのは並大抵ではないなということを私も少しばかり経験をいたしました。 そこで、お忙しい中、あす、あさって現地沖縄へ行かれるようですが、この所信表明の中でも、これは形式的なことだから余りこれにこだわってはいかないかと思うのですが、数回沖縄に行って、「沖縄の未来への可能性を感じ」たと。首里城をごらんになったとか、あるいは「独自の伝統文化や貴重な動植物をはぐくむ豊かな自然に触れ」て、「沖縄の未来への可能性を感じ」た、「沖縄を担当する大臣として、今後とも、沖縄の実情、沖縄県民の意向を十分に踏まえ、県民と一体となって、沖縄の振興開発に積極的に取り組んでまいる所存であります。」と、この間所信を述べられた。まさにそのとおりなんですが、山積する課題を御在任中にあれもこれもやりたいけれども、なかなかそうはいかないのがこの世界、政治の分野なり行政の仕事ですね。 そういう意味で、いろいろありますけれども、小澤大臣としては、在任中にせめてこういうことは何とかめどづけしたい、あるいは県民の気持ちにこたえたいと思っていらっしやる課題はどういうのがあるか、お聞かせ願いたいと思います。
○小澤国務大臣 私も、三庁の大臣としてその責任の重さを痛感しておるところであり、先輩もかつて三庁の長官をやられましたので、やはり上原先輩も大変だったろうなということを痛切に感じておるところであります。 先生の御指摘は、今後の展望ということに相なろうと思いますが、沖縄が本土復帰して以来、振興開発計画に基づきまして沖縄の振興開発のための諸施策が講じられ、本土との格差は次第に縮小されるなど、沖縄の経済社会は総体として着実に発展をしてきておることも事実であります。しかしながら、生活・産業基盤の面ではなおまだまだ整備を要するものが多く見られるとともに、産業振興や雇用の問題など、解決しなければならない多くの課題も抱えておることも事実であります。 このため、沖縄の経済社会の現状を踏まえまして、第三次沖縄振興開発計画に基づき、所要の予算の確保、諸施策の推進等を図ってきたところでありますが、今後とも、活力と潤いのある沖縄県の実現に向けて同計画に基づく諸事業を推進する等、沖縄の振興開発を鋭意進めたいと考えております。 なお、第三次振計は本年で四年目を迎えますが、観光の伸び悩みや製造業の低迷など、沖縄を取り巻く社会経済情勢の変化も踏まえまして、計画の目標達成のために、計画期間後半の施策展開の方向性について明確にしておく必要があることから、近く開催をされます沖縄振興開発審議会において、計画後期の課題と振興方策について調査審議を開始していただくことといたしております。
○上原委員 逐次お尋ねしますが、そろそろ第三次計画も後期というか、四年目ですからまだ後期と言えないかもしれませんが、しかし、今ありましたように、後期の課題をどうするかということは極めて重要でありますので、ひとつそれを方向づけていただきたい。これは注文というか、後で要望をいたします。 戦後処理問題としてはいろいろ残っているのですよね。厚年問題は、十分ではありませんけれども、前小里大臣、また現小澤大臣にも御協力いただいて、何とか長年の課題を一応方向づけてやっている。 もう一つ、戦争マラリア補償問題が残っているのですよ。これはお答えするのが難しければ後で聞かせていただいてもいいわけですが、私は、この問題はぜひ小澤大臣の間にめどづけいただきたい。 きのう与党三党のプロジェクトチームがあったのだが、中旬までに回答するということだったがまだ回答してないので、こういうこともあるということをひとつ御念頭に置いていただきたいと思うのですね。そのマラリア問題について、もしお答えいただければ後で、必ずしも長官じゃなくても結構ですから、お答えください。 それで、今の三次振計、後期の課題を近々沖縄開発審議会に提起をして、これから後期どうするか、同時に、ポスト三計をどうするかということもあるわけですね。その中で、特に沖縄の周辺離島、宮古、八重山あるいは南北両大東、粟国、渡名喜、いろいろありますよね。八重山群島、宮古群島、この間、来間農道が盛大に開通されて、私も時間を調整して行きましたが、本当に都民挙げて喜んでいた。 そういう具体的な三次振計、中期、後半にかけて離島架橋問題については、もっと沖縄開発庁は、まあプログラムというか優先順位をお決めになるのはなかなかこれはいろいろあるでしょうが、平成七年度の予算を決めて与党で話し合いをしたときに、谷元長官からも、橋の一本ぐらい、五年ぐらいには一つずつ全部実現するように沖縄開発庁は取り組めと言った。私もそう言ったのです。私は開発庁長官のときに、今日本はもう沖縄だけが離島なんだ。北海道も青函トンネルでつないだ。島伝いに鹿児島から沖縄まで橋をかけるわけにいかぬから、トンネルでも掘るぐらいの気持ちで沖縄開発をやらなければいかぬ、国土庁も含めて。それぐらいの大きな構想を二十一世紀に向けてやらなければいかぬと思うのですね。 その意味で、今後の離島架橋のことについて、開発庁はどういう御見解を持ち、どういう大体のトレンドでやっていかれようとするのか、これは振興局長でも結構ですから、お答えください。
○瀧川政府委員 沖縄県は離島県でございます。したがって、架橋による離島間の交通の確保というのは、住民生活の向上あるいは地域の振興開発上大変重要な課題であるということについては十分に認識しておるつもりでございます。 現在、県内からは九つに及ぶ離島架橋の要望がございます。そういった地元より要望が九つ出ておることにつきましては、私も今申し上げたように承知しておるわけでございます。ただ、五年で着々とか一気にやれとか、あるいは鹿児島までというと、なかなかそれはそうまいらないのが現実でございます。全体の道路の予算であるとかあるいは他の事業、施策というものとの兼ね合いというものを十分に考えなければいけません。そういった意味で、まず県としてどういった優先順位を考えていかれるのかということが私は大事なことだと思っておるわけでございます。 私ども開発庁といたしましても、そういった重要な課題であるということは十分認識しておりますので、今後十分に検討を進めさせていただきたい、かように考えておる次第でございます。
○小澤国務大臣 先ほど先生からマラリアの問題のお話がございました。本年が戦後五十年目の節目に当たることを踏まえまして、八重山地域のマラリア問題につきましては、現在、与党戦後五十年問題プロジェクトにおきまして論議がされておるところでございますが、その御議論を踏まえながら本件についての当庁としての対応のあり方についても検討してまいりたい、かように考えております。
○上原委員 ちょっと前後して申しわけないのですが、開発庁というか三省庁の連絡会議がありますね。そこの結論が出るのはいつですか。おわかりでしたら言ってください。マラリア問題。
○嘉手川政府委員 先生今お尋ねになりましたのは、総理府、厚生省、沖縄開発庁でつくっている連絡会議のことだと承知しておりますが、これにつきまして現在やっておりますことは、事実関係を確認するということで、プロジェクトチームの方から要請を受けまして、沖縄県と私ども沖縄開発庁、それから厚生、総理府ということで事実関係については最終的な合意に達しまして、近々プロジェクトチームの方に提出の予定と相なっております。
○上原委員 きょうはその程度に、その程度というか、ぜひその内容を早目に与党プロジェクトにも御報告いただいて、我々が期待する方向に行っているかどうかいささか気にはなりますが、これは、できませんというわけにはいきませんね。小澤長官もぜひひとつ一層の御尽力をお願いをしておきたいと思います。 そこで、振興局長、今九つの計画があると。私も大体わかるが、古宇利架橋がこれから本格化しますよね。本格化する。あと、北部地域では伊平屋、伊是名問題が重要になってくるでしょう。これは伊平屋の空港建設というか、空港整備の問題とも絡んでおる。ここは技術的には一応問題はないわけでしょう。まずその点から聞いておきましょう。
○瀧川政府委員 おっしゃるとおり、伊平屋空港の建設と橋とが絡んでいるわけでございます。伊平屋、伊是名、実は地元の計画といいますか、そういったものがなかなか具体化していないというのが現実でございます。 もし技術的にとおっしゃることであれば、真ん中に島もありますし、技術的には可能であると私は思っております。
○上原委員 なかなか、伊平屋、伊是名のどちらに飛行場をつくるか、これは後で時間があれば触れますが、伊江島の米軍の訓練空域の問題と関連しているから、せっかくの飛行場も有効に活用できないというもったいない話になっている、伊江村にあるのは。その点は、大体今私が聞く限りにおいては、空港をどこに、伊平屋に設置をさせて、あの中間というか、伊是名寄りにある具志川島それから野南島をまたがって伊平屋に架橋しようという、こういう方向でコンセンサスを得る努力がなされていると聞いております。県も恐らくそういうことで、これから三次振計後半のプロジェクトに乗っけていただくようにやっていくでしょう。技術的には可能ということですから、そこは十分念頭に入れて後期のプロジェクトとしてノートをしておいていただきたいと要望しておきます。 それと、この三次振計の中後期の問題と関連をさせて、私も国土庁を担当させていただいたので、もちろん沖縄振興開発というのは沖縄開発庁がメーンでやっていただかなければなりませんけれども、やはり沖縄の圏域、南西諸島というか、琉球弧というか、そういう面でもっとスケールの大きい経済圏域というものを確立をしなければ、私は、いつまでも南の拠点、一県になってしまうという感じがしてならないわけですね。 そういう面で、たまたま国土庁もポスト四全総のことでいろいろ検討をいたしております。ぜひ沖縄開発庁もタイアップしていただきたいのですが、中部圏域の拠点都市も恐らくこの三月末ぐらいに指定をされるようになるでしょう。これももしだれか来ておれば聞かせていただきたいのですが、そういう意味で、この第三次振興開発計画の後期においては、今沖縄県と国土庁、沖縄開発庁も協力し合って中南部圏の調査も始まっていると思いますので、この亜熱帯交流拠点というか、あるいはもっと幅広に、台湾、香港、中国の沿岸州ですね、そういう面とも関連づけて、いわゆるアジア交流軸というか、そういうことも第三次以降の後期の計画の中では検討していただいて、もう少し夢と希望とロマンのある南の交流軸というか拠点整備というか、そういうものをお考えになっていただきたい。 これはやはり沖縄開発庁も、みんなバックアップして、沖縄のために存続が必要なんだということを挙げてやっているわけだから、私は、政治も行政も役人の方々も一生懸命このことについては力を合わせてやっていくべきだと思います。その私の要望と、恐らくいろいろ事務的にというか、それぞれの部署で調査なり計画が検討されていると思うのですが、ひとつ大臣でも結構ですし、担当者から御答弁をいただいておきたいと存じます。
○小澤国務大臣 先生御指摘のように、沖縄は我が国の南西端に属しており、我が国と東南アジア諸国等との接点に位置するとともに、豊富な国際交流の歴史を有しており、第四次全国総合開発計画におきましても、東南アジアを初めとする諸外国との交流拠点の形成が、沖縄地方整備の基本的方向の一つの指針として示されております。 上原先生が御提唱であられる亜熱帯交流圏構想は、新しい全国総合開発計画を視野に入れて、沖縄をアジアの交流軸の中心に位置づけようとする構想と受けとめております。第三次沖縄振興開発計画におきましても、沖縄の地域特性を積極的に活用し、近隣アジア・太平洋諸国等との我が国の南における国際交流、そして協力拠点の形成を図り、経済、文化、学術の国際交流を積極的に推進をすることといたしております。 沖縄開発庁といたしましては、国際交流拠点の形成の基盤となるインフラ整備を図ることが重要であるとの観点に立ちまして、これまでも那覇空港、那覇港等について交流の玄関口として整備を推進してきたところでありますが、今後とも、第三次振興を踏まえ各種インフラ整備を進める等、国際交流拠点の形成に向けて必要な諸施策を講じてまいる所存であります。
○上原委員 小澤長官は国土庁も御担当ですから、よく関連性が御認識、御理解いただいていると思いますし、今の御答弁を、抱負というか、国の単なる開発とかそういうことでなくして、やはり沖縄の持つ地勢、環境、自然、文化等を最大限に活用して、国策で沖縄を利用するのでなくして、沖縄のよさを国の政策や政治、行政の中にどう反映させて、沖縄を本当に平和で豊かで住みよい環境にしていくか、地域にしていくかということがこれからの政治の目標でなければいかぬと思うのですね。 そういう面で、私も少なからずこの問題には今も関係者に御要望しながらいろいろやっていますので、こういうことでは縦割りとか縄張りはよもやないと思いますから、開発庁の振興局、それから総務局、また関係の課も、国土庁やあるいは建設省その他の方々ともタイアップして御尽力を願いたいということを強く要望を申し上げておきたいと存じます。 そこで、これとも関連するんですが、先ほども仲村先生から農業問題が取り上げられていましたが、農林省の砂糖類課長さん、お気持ちはわかるんだが、余りぱっとしないですね。それじゃ困ります。ここはまた野党らしく質問したら困るかもしらぬが……。 具体的なお尋ねに入る前に、確かに沖縄は、観光とかリゾートとかあるいは花卉園芸、いろいろ県民の努力、県の施策あるいは国の助成策、御協力によって、農業生産性においても相当変化はあるし、変わってきていることは間違いないのですね。それはそれなりに評価できる。だが問題は、基幹作物と言われるサトウキビの生産量というのは、これはもう年々落ちているんですよ。 私は沖縄開発庁長官をしておって、あるいは学者もいろいろいらっしゃるからすべてではありませんけれども、よく聞くと、何であんなに汗水垂らして生産性の低いサトウキビにしがみつくんだ、ゴルフ場にでもしてもっと有効価値を高めたらという意見さえあるんだよ。役人の中にはあるいはそれはいらっしゃるかもしれない、開発庁にはおらないと思うけれども。それはともかくとして、それぞれの人々の、こういう方々の見解ですからいいんだが、しかし、沖縄のこれまでのいわゆる製造業あるいは生産という面で考えると、この農産物、特に中核をなしてきたサトウキビの位置づけというものは私は非常に大事だと思うんです。 ですから、まず開発庁と農水省に、沖縄農業のこれからの振興策と、その農業トータルの中で、基幹作物であるサトウキビというものはどういうふうに考えて、どう生産面、品種面、さっきから高品質の生産を高めるとかいろいろ言うけれども、それは当たり前のことで、どう考えているのか、まずその基本的な見解からお聞かせください。
○嘉手川政府委員 沖縄の農業の問題でございますが、やはり農業の果たす役割というものは大変大きいものだというふうに認識をいたしております。この農業の振興策の一つの方向といたしましては、やはり亜熱帯性気候地帯に位置するという特色を生かした方向で進めるべきものと考えております。 その中で占めるサトウキビの位置でございますが、先生御案内のとおり、このサトウキビは沖縄の農業において従前から非常に重要な地位を占めてまいっております。しかしながら、近年、農業者の高齢化でございますとか、あるいは機械化の立ちおくれなどから、生産量が減少するなど困難な状況が見られる状況と相なっております。 開発庁におきましては、従来より、サトウキビ作の生産性向上あるいは経営の安定を促進する観点から、農業用水の確保、圃場や農道の整備あるいは離島の製糖業に対する助成等、所要の施策を推進してまいっております。また、これは農林水産省の方でございますが、機械化あるいは農地利用の集積、高糖分の優良品種の育成等の諸施策を推進しております。 今後とも、これらの施策を関係省庁、沖縄県が一体となって推進しまして、高生産性のサトウキビ農業の実現を図っていくことが肝要ではなかろうか、このように考える次第でございます。
○白須説明員 御説明申し上げます。 沖縄県におきますサトウキビの重要性につきましては、ただいま委員御指摘のとおりでございまして、農家数の八割あるいはまた普通畑の六割というふうなことでございまして、まことにこの基幹をなすという点につきましては、私ども農林水産省といたしましても十分にこれを認識いたしているところでございます。 そういった中で、やはり他にかわり得る作物がないというふうなことで、まことにこの地域の農業にとっても重要な地位を占めておりますので、こういった品目の再生産あるいはまた農家所得の確保を図るという観点からも、一方では価格安定制度というものの果たす役割も重要でございましょうし、他方では、先ほどもお話し申し上げましたが、また、ただいまも開発庁の方からお話ございましたが、サトウキビの生産対策ということにつきましても大いに力を尽くしてまいりたいというふうに考えている次第でございます。
○上原委員 サトウキビの基幹作物としての重要性、位置づけというものについては共通しているわけですが、そうであるとするなら、これはもちろん国の責任だけではありませんし、沖縄側の努力というものも当然伴わなければならないことを前提に申し上げるわけですが、先ほども御指摘がありましたように、今年産からいわゆる糖分取引というか品質取引になったわけですよね。私はそのことをとやかくもう言うつもりはございません、準備期間も五、六年あったわけですから。 だが、実際問題として、ビートの生産方法あるいは収穫方法、いろいろな栽培状況等々、サトウキビは、糖分取引という制度の面では同じかもしれませんが、これは非常に条件が違うわけですよね、違う。したがって、この標準糖度帯の設置についても、先ほどもありましたように、私たちも、もう少し激変緩和をするように、沖縄のこの関係者、農業団体なり農民の意向を入れた幅をやるべきだということを言ったのですが、結局十二・九から十四・三という枠になった。 さっきいろいろありましたけれども、地域差もあると言うけれども、この標準糖度帯、あるいはこの標準じゃなくして、皆さんが設定をした糖度帯にはまる生産量というのは、原料というのはどのくらいなんですか、今のところ。
○白須説明員 御説明申し上げます。 今年産から品質取引に移行いたしたわけでございます。先ほども御説明申し上げたところでございますが、製糖期前半は糖分も低かったということでございますが、ここへ来まして大分天候も回復をいたしてまいりまして、三月十日現在でございますけれども、沖縄全体では、平均的な糖度といたしましては十三・一度というふうになっているわけでございます。これはただいま委員御指摘のとおり、十二・九度以上でございますれば前年の農家手取りというのは確保できるわけでございますので、平均的には十三・一度でございますので、それはクリアをいたしておるというところでございます。
○上原委員 沖縄本島は平均で十三・一、三月十日と、あなた盛んに上昇気流にあると言うのだが、もうやがて終わるのだよ、あなた。今ごろからでは、終わったって幾らもこれはこのデータに影響というかインパクトを与えない。 問題は、先ほどから仲村先生も指摘なされておられたように、八重山とか宮古、離島なんだ、離島。伊江島も悪い。これは、悪いのはもう少し土づくりをやらなければいかない面もあるのですよ、農民自体も。私も現場へ行ってある程度これはわかる、十分じゃないけれども。ですから本当は、標準糖度帯の中にはまるから手取りは落ち込まないだろうと言うけれども、実際に八重山にしても宮古にしても、沖縄本島離島周辺、恐らく南北大東も悪いのじゃないだろうかな。 そういう面からすると、基幹作物で大事にしたいとはいいながら、品質取引した途端に農民の手取りは安くなったということになると、これはあなた、基幹作物としての展望はないのじゃないですか。そういう意味で具体的に、先ほど来いろいろありますが、農業共済を適用できないかという意見もある。あるいは品質取引の取り入れが、取り入れというかその制度適用というものが双方に十分でない面があったのではないのか、準備期間が。 そういうことからして、これは何らかの政府の特別な施策を考えないといかない課題なので、これは大臣にもぜひ農林大臣とも相談していただきたいのだが、今そこですぐ、やりますという答弁は、なかなかこういう場ですから難しいかと思うのですが、今私が指摘したような問題等を含めて、北海道のビートが品質取引になっていろいろ問題があったときも皆さんは是正策をとった、そういう面でひとつ御検討いただきたいと思うのですが、いかがですか。
○白須説明員 御説明申し上げます。 糖度の上昇の度合いでございますが、いわゆるこの十二・八度以下のもの、つまり前年の農家手取りが確保できないといったレベルのものが一月末では五六%程度あったわけでございますが、三月十日現在では四一%ということで減少してきておりまして、特に最近でございますが、三月五日から十日までの直近五日間をとってみますと、これがわずか二三%というふうなことで、しり上がりにこのところ糖度が上昇してきておるというのは事実でございます。 ただいま委員から御指摘ございました南北大東につきましては、糖度としては基準糖度を上回っておるというふうな、十三・三度なり十三・四度ということでございまして、基準糖度の中にあるわけでございます。ただ、委員御指摘のとおり、宮古、八重山諸島、一部の離島につきましては平均糖度が十二・九度に達しておらない、これは事実でございます。 ただ、これにつきましても、ただいま私申し上げましたとおり、全体として糖度はこのところしり上がりに上昇いたしてきておりますので、いましばらく、三月いっぱい、糖度の上昇につきましてこの状況を注視してまいりたいというふうに考えている次第でございます。
○上原委員 あなたはなかなか答弁もうまいし、頭の回転もよさそうで、僕はいつも南北大東のことを思うから、南北大東も糖度が標準以上にあれば結構なこと、ないかもしらぬと思って。しかし、さっきから言うように、八重山と石垣、伊江島等々は低い面もあるのだよな。ですから、しり上がりによくなっておればそれは結構なこと。別にそこまでどうと言わない。 だが、この一二・八以下にあるものについてのことは、やはりこれからのサトウキビ振興、農業振興という大局的立場から考えて、何らかの結果を見て検討するあるいは次年度に向けて何らかの手を打つ、そういうお考えはありますね。そこだけ聞かしておいてください。
○白須説明員 御説明申し上げます。 いずれにいたしましても、今回の品質取引の導入に当たりましては、私どもも十分な準備期間もとりまして、生産者の皆さん方あるいはまた糖業者、そして行政が一体となりまして、それぞれ検討、準備を進めてきたわけでございます。 また、先ほど来御議論のございます基準糖度あるいは基準糖度帯の幅、あるいはまたその定着化対策費の配分方法といったようなことにつきましても、沖縄県の生産事情というものを最大限に配慮をいたしまして決定をいたしたということでございますし、また品質取引は今年産からスタートしたばかりであるというふうな状況もございます。 したがいまして、私どもといたしましては、繰り返すようで恐縮でございますが、三月末までの製糖期の全体としての糖度の上昇の状況を今しばし注視をさせていただきたいということでございます。
○上原委員 これは大臣に要望しておきましょう。三月いっぱいの糖度の全体的結果を見ないと何とも言えないということですからね。 明らかに従来の手取り以下になる農民、農家がおることは間違いない、これは二五になるか三〇以下になるかあるいは二〇%程度になるかわかりませんが。そういうことについては、沖縄開発庁長官という国務大臣という面で農林大臣ともひとつ相談をしていただいて、御協議を願えますね。
○小澤国務大臣 ただいまの先生の御意見は率直に承ったところであり、先ほども仲村先生からも御指摘がございました。関係省庁、特に農林水産省と検討をしてまいりたいと思います。
○上原委員 時間が来ましたから終わります。 きょうは基地問題は取り上げませんでしたが、大分委員会の雰囲気も変わって、基地問題については、前に私が取り上げたほどではないが、自民党なり新生党の沖縄県の代表の方々が積極的に、整理縮小しなさい、軍転法も早く立法しなさい、そして県道一〇四号線を挟んだ実弾砲撃演習もやめさせなさいと言うことを聞いて、社会党も変わったけれどもやはり世の中変わるものだなと思って感銘を、感銘というよりそういう気持ちで聞いて、我々はそういう方向で努力したいと思いますから、基地問題は次にしたいと思います。終わります。
○鈴木委員長 荒井聰君。
○荒井(聰)委員 ただいま上原先生からもお話がございましたけれども、私も上原先生も戦後五十年プロジェクトチームの座長をしております。その中で、沖縄開発庁にはもう既にお願いをしているのですけれども、八重山諸島におけるマラリア問題を今私たちのテーマとして議論をしているところでありまして、その際に、沖縄開発庁が沖縄県あるいは関係各省と打ち合わせをして、事実関係がどういうふうになっているのか詳細な資料を欲しい、それを提出をしてほしいということをかねがねお願いしているところでございますけれども、ぜひ一刻も早い資料の提出をお願いいたしたいと思います。 さて、先ほどもサトウキビを中心とする沖縄の農業問題について御議論がございましたけれども、私も農業問題について少しく質問させていただきたいと思っております。 沖縄は、残念ながら産業が農業、特に農業でもサトウキビに大変傾斜している、いわゆるモノカルチャー的な農業になっていると言わざるを得ません。このモノカルチャー的な農業というのは、あるときには政府の支援を受けると、非常に価格的にも高い価格を維持されたりあるいは経営的にも安定する場合もありますけれども、そうではない時代も来るわけであります。 私は今、連立与党の中の経済プロジェクトチームにも属しておりまして、今月のテーマは内外価格差問題を中心に議論をしているところでございます。内外価格差の大変激しい産品といいますか商品、あるいは円高問題の中で内外価格差が非常に開いている産品にどういうものがあるのかということをいろいろ議論をしておりますけれども、その中の一つが農業、農産品でございます。 農産品が単純な形で内外価格差の中で位置づけられる、円高あるいは為替がそのままきいてしまって価格差が激しいではないかという議論は、私は早計過ぎる議論であるとは思うのですけれども、しかし全般的に見れば、やはり内外価格差を縮小するのが国民経済的にベターな方向だという指摘は、長期的に見てやむを得ないと思いますし、そういう方向に徐々に流れていくのだろうというふうに思います。米という最も政策的な価格政策をとっていた産品であっても、自由化の波に洗われ、かつ自由競争の中で、徐々に価格政策を下げていかざるを得ないという状況にあるわけであります。 こういう状況の中で、サトウキビについても、価格維持政策の農産品の大きな一つでありますけれども、しかし全体的に見ていけば、やはり価格政策を少しずつでも下げていこうという動きには、国民経済的に抗しがたいのではないだろうか。そういう状況の中で、沖縄の農業を今後どういうふうに持っていくのだろう。もちろん現在あるサトウキビは、生産性を上げていく、あるいは少しでも国際価格に近づけていくという努力は努力として積極的にやらなければいけないわけですけれども、しかしそれだけでは、恐らく沖縄の農業というものは先行き非常に不透明かつ暗い感じになるのではないだろうか。 したがって、沖縄の農業を現在どういうふうにとらえていて、今後どういうふうに持っていこうとしているのか、そのあたりの御見解をお伺いしたいと思います。
○小澤国務大臣 先生御指摘のとおり、沖縄の農業の振興を図るに当たっては、その豊かな自然環境との調和に努めつつ、我が国唯一の亜熱帯性気候という地域特性を十分生かしていくことが重要ではなかろうかと考えます。 こうした観点から、沖縄開発庁では、これまで地下ダム方式等による農業用水の確保や圃場等の整備、耕土流出防止対策の実施等の農業生産基盤の整備に努めるとともに、ウリミバエ等特殊病害虫の防除等の諸施策を推進してまいったところであります。 この結果、近年、野菜、花卉、熱帯果実等の生産が伸びるなど明るい展望も開かれておりますので、今後とも関係省庁と密接な連携を図りつつ、特色ある亜熱帯農業の確立を図ってまいりたい、かように存じております。
○荒井(聰)委員 私は、亜熱帯農業というのは非常に関心があるというか、興味がございます。それは、私が十数年前にスリランカというところで書記官をしておりまして、そこで経済協力を担当する書記官だったわけです。 その亜熱帯地域での農業というのは、日本の農業にはない、今までの日本の技術ではない新しい農業技術の展開が必要だということで、大変難しい点もあろうかと思いますけれども、しかし、例えば気候的に暖かいわけでありますし、あるいは早く春が来るわけでありますので、そういう気候的な特色を利用した亜熱帯農業の確立、展開ということは、私は沖縄農業のある大きな可能性を秘めているのだろうと思うのです。この点、亜熱帯農業に関する研究というか、あるいはそれに対する見通しといったようなものについていかがお考えなのか、お伺いしたいと思います。 〔委員長退席、松下委員長代理着席〕
○嘉手川政府委員 今、先生、専門的な立場からお尋ねでございましたが、大変申しわけございませんが、私、いわゆる専門的な知識を持ち合わせておりませんので、一般常識的な点で御答弁をさせていただきたいと存じます。 熱帯あるいは亜熱帯の農業の振興といたしまして、現在沖縄で一番行われておりますのは、果樹、また花卉でございます。これらにつきまして、だんだん花卉の方もランを中心に伸びておりますし、また果樹の方も大変おいしいマンゴーがとれるようになっております。このようないい方向を今後とも維持しながら、その生産量をふやし、かつ販路を拡大していく、このような方向に行くべきではなかろうか、このように考えている次第でございます。 それとあわせまして、やはり外国物との競争もございますので、農業技術と申しますか、いろいろな技術を駆使しましていい品質のものをさらにつくり上げていく、このような努力もあわせて必要か、このように考えている次第でございます。
○荒井(聰)委員 亜熱帯農業に関する農業技術というのは、沖縄の振興のためだけではなくて、我が国のODAがアジアの諸国に展開していく上で大変有益な技術にもなろうというふうに私は考えてございますので、沖縄開発庁が中心となりまして、関係省庁、関係研究機関あるいは民間の研究機関とも協力をして、ぜひ亜熱帯農業技術の開発、展開というものに努力をされていただきたい。 特に、農業技術というものは、決して後進的な技術体系ではなくて、むしろ先進国型の技術体系であるということを言う識者が大変多うございます。これは、バイオテクノロジーの技術などもその一つでありますけれども、そういう先進国型の技術展開というのは日本の得意とするところでありますから、そういう形で、ぜひ沖縄特有の農業技術を確立するのだというような意気込みで技術開発をしていただきたいなというふうに思います。 ところで、こういう先端的な産業、新しい農業の分野を開拓するのももちろん大切なことでございますけれども、現在ある地場産業であるサトウキビ技術なりサトウキビの生産性の拡大ということが、これまた非常に重要なことであります。しかし、サトウキビという作物は、私の知る限りでは、ある意味では大変難しい作物なのではないだろうか。 と申しますのは、中南米などでは、サトウキビの栽培が非常に大規模に行われている、例えばキューバですとか、そういう地域があるのですけれども、大体こういうところというのは、数十年たつと生産性が極端に落ちていくのですね。極端に落ちていく理由は、先ほども上原先生おっしゃっていましたけれども、土壌収奪型の作物であって土づくりが大変重要だということが一つと、それからもう一つは、ほとんどが亜熱帯地域の産品でございますので、雨量強度が非常に強いということもあって、土壌流亡が非常に激しくなってくるのですね。土がなくなってしまうのです。こういう地域におけるサトウキビというものは、大変難しい作物なのではないかな。 この土づくりや土壌流亡をどうやって防いでいくのかということは、サトウキビ栽培の場合に大変大きな課題になろうかと思うのですけれども、そのあたり、何らかの御見解をお持ちでしたらお答え願いたいのですけれども、また専門的過ぎますか。
○嘉手川政府委員 先生のただいまの御質問に対しまして、その重要性はよくわかるわけではございますけれども、これを今後具体的にどういうふうに技術的に解決していくかということにつきましては、まことに申しわけございませんが、その知識を持ち合わせておらないところでございます。
○荒井(聰)委員 もう一つ、沖縄農業がこれから展開していく上において、沖縄の場合には、水資源の確保ということが大変重要なのではないだろうか。これは、沖縄返還交渉を担当された、当時の外務省の北米一課長をされていた千葉さんという方が、最後は英国大使でやめられましたか、その方が何度も返還のために沖縄県を訪れていって、沖縄における最も重要な資源開発というのは水資源だということを喝破されておりましたけれども、私もそのとおりだと思います。 沖縄は深い山がないということ、それから石灰岩質であるということから、降った雨がすぐそのまま地下に流れていくという特色があって、なかなか水資源の開発の難しいところであろうかと思うわけであります。そういう中で、沖縄では大変ユニークな技術、地下ダムという技術が生まれたわけで、これは日本でも例のない非常にユニークな技術かと思うのですけれども、これの今の状況というのはどうなっているでしょうか。
○瀧川政府委員 お答え申し上げます。 御案内のとおり、宮古におきまして地下ダムというのを公団にやっていただいておりまして、もう一部は完成し、供用している、こういうことでございます。 そのほか、本島南部地区におきましても現在やっておるということでございます。
○荒井(聰)委員 沖縄県における全体的な水資源の、特に農業用水の開発の整備率というのは、今どの程度になっておりますか。
○瀧川政府委員 まことに申しわけありませんが、数字そのものを持ってきておりませんけれども、大体一割ちょっとかなというように考えております。
○荒井(聰)委員 まだまだ整備率が本州あるいは北海道と比べて非常に低いと思います。沖縄の場合に、この水資源のコストというのはかなり高いものがあろうと思いますし、またその技術についても、非常にユニークな技術を駆使しなければならないということになろうかと思いますけれども、ぜひ沖縄農業の将来のために、水資源の開発というものは積極的にされるように御努力願いたいと思います。 ただいま、農用地整備公団が実施している地下ダム、一部供用されているというお話だったのですけれども、これは、本格的に地下ダムの水資源の利用展開になると、恐らく法的にまだ整備されていない点が多々あるのじゃないかと思うのですね。例えば、地下水でありますので、地下水の占用に関する私的制限とか私的権限とか、そういうものについては、まだ我が国では不整備なんではないかというふうに私は承知しているのですけれども、いかがでしょうか。
○瀧川政府委員 どうも先生の方が専門家でいらっしゃるので大変恐縮でございますけれども、私の知る限り、たしか地下水についての制限というものはないような感じがいたします。
○荒井(聰)委員 一度そのあたり、じっくり御検討してみてください。地下ダムでためた水を勝手に取っでいいのかどうか、取るような人が出てきた場合には法的な拘束力が生ずるのかどうかといったような点も、たしか一度議論したような覚えがあるのですけれども、結構でございます。 ところで、沖縄の農業の開発の際には、やはり戦争被災地であったということが色濃くそこに残されているように思います。特に畑作の開発の際などに、農業施設をつくっていく場合に不発弾が大量に出てきて、これの処理に大変困ってしまった、あるいはそれに多額の費用がかかってしまったというようなことがいまだによくあるわけでございます。この不発弾の処理の状況はいかがでしょうか。そしてまた、全体的に沖縄の農業地帯全体の不発弾の処理というのはどの程度済んでいるのか、そんな点、調査の結果がございましたら、お教え願いたいのですけれども。
○嘉手川政府委員 沖縄における不発弾の処理につきましては、地元住民からの情報で処理を行っているところでございます。 これまでの実績をまず初めに申し上げたいと存じますが、昭和四十九年度から平成五年度末までに六百四十四カ所、およそ八十三トンの探査、発掘を行いました。これは国の方でやっている事業でございます。このほかに、民間で土木工事等に際して発見された不発弾を合わせて、昭和四十七年度から平成五年度末までに約一千百二十九トンというのを処理いたしております。今先生お尋ねのございました畑地についての資料は現在手元に持ち合わせておりませんけれども、概要につきましては以上のとおりでございます。 私どもといたしましては、この不発弾対策というのは、人命にもかかわることでもございますし、振興開発上もやはりこれを取り除くというのは非常に大切なことでございますので、予算も平成七年度は増額をいたしまして一層しっかり取り組んでいきたい、こういうふうに努めているところでございます。 なお、これからの問題でございますが、どれくらい埋蔵されているのだろうか、これにつきましては、現在のところ予測がつきませんで、これからも引き続いて処理をしていかなければならない状態が続いていくものと考えております。
○荒井(聰)委員 いずれにいたしましても、我が国で唯一の戦争被災地というか、空襲ではない戦争被災地であり、多くの人がここで、沖縄県で亡くなられております。そして、こういう不発弾というような形ででも、今でもまだその傷跡を深く残しているわけであります。 そういう地域における振興策、農業が私は中心だろうと思いますけれども、ぜひ、農業の振興を中心にしながら、沖縄の戦争の傷跡が一刻も早く、特にことしは戦後五十年の節目でもあります、戦後五十年を期して、沖縄があしたの未来の持てる豊かな地域になるように御努力いただくようにお願いいたしまして、質疑を終了させていただきます。 どうもありがとうございました。 〔松下委員長代理退席、委員長着席〕
○鈴木委員長 古堅実吉君。
○古堅委員 長官初め皆さん、御苦労さまです。随分久方ぶりの質問の場となりました。しかし、私に与えられた時間は二十分しかございません。最初に、沖縄周辺の軍用空域、いわゆるウォーニングエリアについて質問いたします。 沖縄周辺には、現在、十五のウォーニングエリアが存在しているというふうに聞かされております。沖縄の空はいわば、戦後五十年、復帰してもう二十三年になる今日、なおアメリカの占領状態が続いている、このように申し上げて過言ではございません。こういう空を本当に取り戻す、これは極めて重大な課題です。きょうは全体について論ずるつもりはありませんが、その一、二について具体的にお聞きしたいと思います。 その一つは、ACMI空域であります。昨年十一月、このACMI空域下にある海上のACMIブイが撤去されたという報道がございました。ブイの撤去でACMI訓練はなくなったというふうに考えられますが、政府は米軍にそのことを確認しているかどうか、それが一つ。 その上で、空域、水域の撤去を要求しているかどうか。最初にその二点をお答えください。
○梅本説明員 ただいま先生御指摘のACMI、これは航空機戦技訓練評価装置でございますが、この撤去につきましては、お話にありましたように、昨年十一月から今年一月下旬に米軍がその撤去を実施したというふうに承知しております。したがいまして、その装置を利用しての訓練というものはもはや行われていないというふうに承知しております。これはアメリカ側よりも十分聞いているところでございます。
○古堅委員 使われていない、遊休化しているということであれば、一層明確にその空域、水域の撤去を要求すべきではありませんか。
○梅本説明員 お答えします。 確かに、ACMI訓練のためのブイは今申し上げましたように、沖縄県沖の公海上に設置されていたものでございますが、これが撤去されたということでございまして、それに伴いまして、その水域の指定解除ということを現在手続を開始しているところでございます。 なお、空域、いわゆるアルファ空域というふうに呼ばれておるものでございますが、これは先ほど申し上げましたように、ACMI装置を使用しての訓練というのは、もはや装置がなくなっているわけでございますので行われておりませんけれども、空対空訓練のために使用されており、また、米軍においては引き続き使用する必要があるというふうに承知しておるところでございます。
○古堅委員 これまで使用しようとしておったそういう方向が明確に変わった以上、こういう状況をも見て、空を取り戻す、こういう政府側の努力というものはしかるべきものがあって当然です。それにもかかわらず、それを承知しておりますと言うだけで使用をそのまま許す、これは言ってみれば本当に許されない態度です。 次に、伊江島上空にあるウオーニングエリア178と言われるものについてです。 この空域は、当初はF4ファントムの空対地射撃訓練のために設置されたものであります。ところが、米空軍の主力戦闘機がF4からF15に変わりました。その変わったことに伴い、軍事空域の必要はなくなったはずであります。ウオーニングエリア178は当初の使用目的とは異なった内容、そういう形で使用されているという話も聞きますけれども、使用目的に反する形で引き続き使用する、それは許されない問題だと考えますし、そういう状態について政府は確認しているのかどうか、それが一つ。 この空域も当然撤去してほしいという県民の要求も強い。そういうものにこたえて、撤去されるように米側と交渉をしてしかるべきです。その二点をお答えください。
○梅本説明員 御指摘の空域は、伊江島補助飛行場訓練空域として提供、空域指定しているものでございます。伊江島の補助飛行場訓練空域につきましては、空対地射爆撃訓練用として提供及び空域指定しているものでございまして、特定の航空機の使用というものを指定しているわけではございません。確かに、主力戦闘機と申しますか、アメリカの戦闘機がF4からF15に変わったというようなことが今御指摘ございましたけれども、今申し上げましたように、当初から特定の航空機の使用ということで指定されているわけではございませんし、また、在日米軍におきましては、対地射爆撃訓練を必要とするほかの飛行機もございまして、私ども、運用の詳細を承知しているわけではございませんけれども、例えばAV8ハリアー等による訓練も行われているやに承知しているところでございます。
○古堅委員 この設定についても、地元の反対を押し切って強行したという経緯がありますよ。設定するときにはそのような形で強行しながら、使用目的、特定の機種についてどうこうということは決められたわけじゃないと言うのだけれども、主力戦闘機がそれに変わった、そういう条件も、空域を返還する方向に話を持っていく一つのきっかけです。そういうことについてはそのまま認めておりますというふうなことでは、まことにもってだらしがない。アメリカの言うことはへいへいとして頭を下げて、空域全体が占領状態に置かれているような状況が続く。これをそのままいりまで――戦後五十年もたつ今日も、復帰が実現して二十三年たつ今日も、空そのものが返っていない、こういう状況が許されるのかということについての一つ一つの対応の仕方の問題ですよ。 これからも政府が、そのことによって沖縄における空の安全がどれほど大きな阻害を受けているか、その安全のためにも、空のそういう占領状態というもの、設定された空域などを撤去をして、本当に安全なそういうものを取り戻すよう県民がどれだけ強く要望しているか、そういうことを受けとめて、ぜひ最善の努力を払ってほしい。強く要求しておきます。 次に移ります。先ほどお二人からも質問がございましたが、八重山の戦争マラリアの問題についてです。 戦後五十年たちました。関係者が年々お年を召して亡くなる、そういう事態なども、深刻な要素となっております。ですから、こういう戦後五十年という節目に、個人への国家補償、そういう立場を明確にして問題を解決してほしいという関係者からの要望というのは一層切実なものとなっております。 三省庁で設置されているマラリア問題連絡会議の内部における検討がもたもたして、しかも沖縄では種々の、いろいろな手に入るところの証拠や状況などに照らしてだれも疑う余地のない問題と受けとめられているものについても、これは証拠がないじゃないかみたいな、そういう言い分があるということが報道されるに及んで、もう現地沖縄は、本当にけしからぬ、今どきそんなことを言おうとしているのか、そうであれば、現地沖縄に来て調査もしろ、そういう強い声が続いてきたものであります。 しかし、先ほどの局長の御答弁によりますと、事実関係については大体終局を迎えている、そういうことだというふうな御説明がありました。ということは、大事な事実関係については、地元が求めている方向に大方解明されたのであろう、県の説明などをもって現地に調査に行くまでもない、そういうところまでわかったということが前提ではないかというふうにも考えております。このように理解してよろしいですか。
○嘉手川政府委員 八重山のいわゆる戦争マラリア問題の事実関係につきましては、沖縄県と十分に意見を調整いたしまして、このたび合意に達したところでございます。 この合意に達した事実関係についての記述は、戦後五十年問題プロジェクトチームの求めに応じまして近々提出する運びと相なっております。
○古堅委員 言いにくいことかもしれませんが、しかし、三省庁の連絡会議の方で検討されている、それは公の問題です。与党のプロジェクトチームに報告しますというのは、これはいわば私的な関係です。ここ国会で沖縄問題について質問しています。ですから、答えてください。沖縄側が説明したものに納得のいかぬというものが何かありましたか。
○嘉手川政府委員 沖縄県の御意向の線に沿ってまとまったものと考えております。私どもと沖縄県との間で意見が本質的に食い違うところはございませんでした。 なお、念のためつけ加えさせていただきますと、若干のニュアンスの違い等につきましては、両論といいますか、沖縄県の意見も十分につけ加えでございます。
○古堅委員 これからいろいろとその調査に基づいた扱いにも関与されるであろう、このように考える立場から、意見を含めてお聞きしたいのですけれども、御存じのとおり、宮古、八重山は直接の、沖縄本島のような戦場にならなかったとはいえ、戦場そのものでありました。そういうことも含めて、沖縄本島とは幾らか違うとはいえ、ああいう状況のもとで、しかも戦後五十年たった今日、文書での証拠を持ってこいなどとかいうふうな言い方では、なかなかそれに答えられないような歴史的な、時間的な推移もございます。 ですから、全体として大方そういう方向であったということであれば、みんなが記憶しておりますし、しかも残っている人たちの証言、そういうことなどを全体として受けとめて、そこに問題の基本を据えて、それをどう解決していくか、そういう方向に持っていくべきが筋ではないか。そういう立場で問題を処理されようとしているかどうか、その点を、念を押してお聞きしたいと思います。
○嘉手川政府委員 お答えを申し上げます。 三省庁で構成いたしておりますマラリア問題連絡会議では、これまで沖縄県から、当時の住民の方々、軍、行政に携わっていた方々、いわゆる関係者の証言等も含めた数多くの資料の提出を受けました。また、県が行った実態調査の結果等について説明を受け、意見交換を行い、当時の実態把握に努めてきたところでございます。 また、これまでマラリア犠牲者援護会から御要望をお聞きいたしておりますが、その際にも、遺族の方々や当時軍に所属しておられた方々から関係資料の提示を受けながら直接お話を伺うなどしたところでございます。 連絡会議といたしましては、これら関係者の方の証言を含む数多くの関係資料を踏まえて意見交換を行い、昨年同地域における当時の状況を取りまとめたところでございまして、この取りまとめ結果につきましてさらに県と意見を調整いたしまして、ほぼ意見の一致を見たというところでございます。
○古堅委員 大臣、お聞きのとおり、戦後五十年たったこの年、三省庁で設置されたこの連絡会議でも問題を煮詰め、そういう方向で大事な時点に差しかかった、こう思います。そういうときに沖縄関係の担当大臣となられた大臣の御努力いかんの問題は、この問題に県民の願いにこたえるような形で解決の方向にぐっと進むかどうか、それを左右する大きな要素ともなろう、こう考えます。長官としても、この五十年の節目でこの問題を県民の願いにこたえて解決したい、そういう決意があられるかどうか、所信をお伺いしたい。
○小澤国務大臣 本年が戦後五十年の節目に当たることを踏まえまして、八重山地域のマラリア問題につきまして、現在、与党戦後五十年問題プロジェクトにおいて論議がされているところであります。御承知のとおりでありますが、その御議論を踏まえながら、本件についての当庁としての対応のあり方につきましても、前向きの姿勢で検討してまいりたいと考えております。
○古堅委員 この問題の本質は、軍の作戦上の強制命令によって住民がマラリア有病地域に強制疎開させられた、そのためにマラリアの病気に罹患し三千人余の住民が死に追いやられた、それに対して国が責任を持って補償するのかどうか、それが問われている問題です。当然のことながら、戦後五十年たった今日とはいえ、おくれたとはいえ、住民の願いにこたえて、国家の責任において個人への補償という解決の方向に問題を持っていくべきだ、これは方向としてその方向を間違うことのないように強くここで要望申し上げておきたい、こう考えます。 最後に、那覇都市モノレールについてです。九五年度から国の予算の概算要求に間に合わせたいという沖縄からの強い要望がございましたが、残念ながらそれに至る条件が整わないでできませんでした。そういう経緯もあるものですから、九六年度予算の概算要求には何としてもというふうな強い要望がございます。 この間、沖縄開発公庫に行きまして、副理事長にもお会いするなどしてこの問題についていろいろと意見交換もしてまいりました。公庫としても大きな努力を払っている、そういうところだというふうに聞いてまいっております。モノレールについては三次振計でもきちっと位置づけられている問題でありまして、開発庁としても当然その実現のために努力をする責任がある立場にあられることは申すまでもありません。 そういう立場を踏まえて、長官、今申し上げたように、九六年度概算要求にはぜひというふうなことを含めて努力をされるおつもりがあるかどうか、そこらあたりの所信を伺いたいと思います。
○小澤国務大臣 モノレールの建設につきましては、都市モノレール事業が円滑に進められ、経営として成り立っていくことが那覇都市圏の交通渋滞の緩和のためにも必要なことと考えており、このような考え方に立ちまして、必要な協力、支援を行ってまいりたい、かように考えております。
○古堅委員 ちょうど時間になりました。大きな御努力を払って地元の要望にこたえていただくように切にお願い申し上げて、終わらせていただきます。
○鈴木委員長 次回は、来る三月二十七日午後一時二十分理事会、午後一時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時五分散会