国民生活に関する調査会 第2号
- 発言数
- 56 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1994/02/24
会議録
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 去る九日、勝木健司君が、十五日、安永英雄君及び鈴木和美君が、また、昨日、青木薪次君が委員を辞任され、その補欠として小島慶三君、村沢牧君、佐藤三吾君及び篠崎年子君がそれぞれ選任されました。 ―――――――――――――
○会長(鈴木省吾君) 次に、理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(鈴木省吾君) 御異議ないと認めます。 それでは、理事に小島慶三君を指名いたします。 ―――――――――――――
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、慶應義塾大学総合政策学部教授丸尾直美君及びお茶の水女子大学教授湯沢雍彦君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。 この際、丸尾参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。 それでは、丸尾参考人お願いいたします。
○参考人(丸尾直美君) 御紹介いただきました丸尾でございます。よろしくお願いします。 ここでもう既に、国民生活に関する調査報告等、基本的なことは御議論いただいているようですので、論点になるのではないかという点を中心に率話ししたいと思います。 実は午前中に厚生省の高齢社会福紙ビジョン懇談会がありまして、論点整理といって、高齢社会福祉ビジョンを考える場合の主要論点は何かということがあったわけですけれども、大体方向としては皆さんの間でも、恐らくそういう懇談会のところでもいろいろなところで固まってきているように思います。 今、所得税減税、そしてその財源の穴埋めとして消費税引き上げ問題が出てきましたときに大変な抵抗に遭いまして、結局延ばされているわけですけれども、その間に福祉ビジョンの方をまずがっちりつくれという感じになっているんじゃないかと思います。 前に消費税を導入しましたときに、高齢化社会の福祉ビジョンをつくるということが一つの条件のようなものにされまして、まず簡単な福祉ビジョンが出て、それでは不十分だということでもう少し出まして、そういうものが基礎になってゴールドプラン、高齢者保健福祉推進十カ年戦略のようなものが生まれてきたというような印象を私は持っておりますけれども、今回の場合も、やはり相当きちっとした納得的な、仮に消費税を導入しても、それが本当に高齢化社会に向かっての福祉政策の充実に役立つということが納得的にわかるようになっていないと、消費税率というのかどうかわかりませんけれども、どうも将来の増税にとって条件ができないんじゃないかという感じを持っています。そういう意味で、どういう方針を出すかということは非常に重要ではないのかと思います。 私、幾つか配りましたけれども、その中に「高齢社会福祉ビジョンの課題」という、まだ原稿になっていないものがあります。これは、実は次々回の「週刊社会保障」に載る予定の記事ですけれども、ちょっと数行オーバーしていますからどこか切られると思うんですけれども、今言いましたように、減税、消費税率などの引き上げによる将来の増税、それから高齢化福祉ビジョンの具体的な作成、その三点セットの内容ともいうものはこういうことではなかろうかという、私なりの理解を書いてあるわけです。 やはり社会保障が中心になると思いますけれども、一種の見返りといいますか条件、そのうちで、年金の方は御承知のように既に固まってきております。年金の方は、六十五歳支給に向かって次の世紀から段階的に年金支給開始年齢を上げていく、そしてその間に一種の部分年金を導入する、これは別建てでやるということ、それから、将来の年金スライドを可処分所得基準にするということ、それから、保険料に関しては一部ボーナス部分にも課するということ、そして老齢年金と失業保険との給付の調整を行うことなどにつきまして方向が出てきておりまして、福祉ビジョン懇談会でもこの方向については余り大きな変更を要求する議論はなかったということはないんですけれども、有力ではない、支配的ではないような気がします。何かある程度方向が出てきたという感じですね。 それから、医療に関しましてはいろいろ問題がありますけれども、年金も医療も一元化の問題はまだ残っておりますけれども、単に一律化するというよりも、給付率とか給付を一元化するよりも緊要度の高いものについてはむしろより寛大な給付をする、逆に緊要度の弱いものについては自己負担を強める、そしていわゆるアメニティー部分と呼ばれるものに関しましてもある程度負担してもらう、そういうことで、そのお金を緊要度の高い部分こ向けるという方向の合意まできている。それを踏まえて、医療保険審議会の方で討議を経て政府の方針が出てきまして、入院に関しては一部負担をする、しかし他方、付き添いなどの看護に関しましてはそういう点での負担を課すことがなるべくないような方向で改善していくというふうな方向が出ていますね。 そういうことと介護との関係、いわゆる老人福祉サービスとの関係、その辺で一番論議が高まっていくんではないかと思います。まして今回の高齢社会福祉ビジョン懇談会におきましても、厚生大臣もあいさつで言われましたように、やはり介護の問題、それからいわゆるエンゼルプランと言われたりしていますように、子供そのものよりも育児期の女性に対する政策を中心とする家族政策とも言うべきもの、その辺をどうするかということが論議の焦点になるのではないか。 そのほか、与党の中の社会党、それから連合が要求しております、基礎年金の公費負担率を上げるべきではないか。それをやらないと社会保険料の徴収が非常に困難になってくる。非常に所得の捕捉が困難ですし、なかなか強制的に保険料を出させるということも難しいから、やはり公費負担部分を高めていって保険料部分を少なくしていかないと、このまま保険料が上がっていくと徴収自体がますます困難になっていくということもありまして、公費負担部分を上げる。そして、年金の中でも、平均的には確かによくなっていきますけれども、低層部分が非常に低いから、そこに対して何らかの支援をするというようなことも、消費税率を将来引き上げる条件としては浮上してくる可能性もあるのではないかと考えます。 それから、やはり財政的に見てどうなんだと。七%なら七%消費税を引き上げると税収が幾らふえる、そのふえた部分に対して社会保障給付というのはどのくらいかかっているんだ。そして、充実すると言うけれども、例えば所得税減税の穴埋め等に使っても残る部分がかなりある、その部分がどのくらいで、そういう部分のうちどれだけが高齢化社会の福祉政策の充実に向けられるのか、その辺のところがはっきりしないと、何か高齢化福祉政策のためにということで税金が上がって使途があいまいになってしまうという、その危惧があるから、やはりその辺のところを腰だめ的でなくて、明確に関連づけるような財政計画が必要ではないかというような議論もあるんです。 前のときも初めは数字が出てこなかったけれども、ゴールドプランになりまして非常に数字がよく出てきた。総額何兆円使うかというようなことも出てきたわけです。消費税一年分ぐらいに相当するのを十年間にわたって使うという、そういう大体数字になっているわけですけれども、とにかくあそこではかなり具体的な数字が出てきたということが印象をよくしたように思います。 今度の場合も、そういう数字的なものが全体としても必要でありますし、あるいは特に重点になる介護の分野、それから家族政策の分野でどれくらい使うかということが明確になることが必要ではないかと思います。 高齢社会福祉ビジョンでも、あるいは皆さんのところでも 一般的な認識として、日本は他の西欧諸国に比べますと社会保障の中で医療と年金の比重はかなり高い、そして相当充実してきている。特に年金の場合は、成熟化さえしていけば十分に水準が高い。医療も付添費とか差額ベッドとか、そういう問題はあるけれども、全般的には、比較的医療に使っているお金が少ない割には平均寿命は長いし、乳幼児死亡率は低いし、健康指標もよいというような点で評価はされているわけですが、ほかのものに使うお金が非常に少ないということです。 ほかのものといいましても、日本は失業率が低いから失業に使うお金が少ないのは当然であって、これはまことに結構なことですけれども、やはりいわゆるパーソナルなソーシャルサービス、何といいますか、福祉サービスといいますか社会福祉とか、そこにいい言葉がないんですけれども、老人福祉サービスとか障害者福祉サービスとか、そういう分野と家族政策、育児休業それから保育所などに対する支援などを中心とする家族政策の比重が低いんではないかということです。スウェーデンという国は ちょっといろんな点で日本と逆の方がゆがんでいますから必ずしも参考にはなりませんけれども、例えばGDP比で見ますと、一九九一年、日本が社会保障の統計が出ていますのが九一年度です。それと合わせましてスウェーデンの九一年度を見ますと、国民所得というのはいろいろありますからGDP比で見ますと三七・四四%。日本は、社会保障給付費の大部分を年金と医療に使って、る 社会保障給付費全体の八九%ぐらいを今年金と医療に使っています。そして、その他の部分に使うのが一一%ぐらいしかない。それに対しまして、ほかの国の場合はほかのものに使う比重がかなり高いということです。 例えばスウェーデンの場合は 日本と特に差があるのは家族政策です。家族政策だけでGDPの六・〇五%を使っている。対国民所得比に直しますともうちょっと大きくなります。そして、児童手当が対国民所得比で一・一四%ぐらいです。住宅手当も同じく一・一四%ぐらいです。保育所などのチャイルドケアが二・一七%ぐらいです。この辺が非常に違うということです。 それから、老人福祉サービスが、日本の場合、対国民所得比でいいますと九一年度で〇・二一%ぐらいです、今ちょっと上がってきていますけれども。スウェーデンの場合、痴呆性のケアの方を別としまして老人福祉サービスが一・六%になっています。高齢化の進行につれて、当然老人福祉サービス費や年金、医療などはふえていくわけですけれども、全体としてバランスから見て、パーセントを比べましても、どうも老人・障害者福祉サービスと家族政策がちょっとアンバランスに少ないんではないか。今後充実するとしたらその二つではないか、二つは少なくとも重点政策ではないかという印象があるわけです。高齢社会福祉ビジョン懇談会でもその辺を重視するというようなことが必要ではないかという考えが支配的になっているわけです。それは当然であるわけです。 そして、老人福祉サービスの場合、ゴールドプランによって非常に充実してはきましたけれども、二〇〇〇年の数字を高齢者人口に対する比率で見ますと、老人関係の福祉施設は、ケアつき住宅、ケアハウスを入れましても高齢者全体の三%強です。ショートステイやケアハウスを入れましても三%強であるということ。これは昔に比べれば大変な前進です、一・数%からこれぐらいになるわけですから大変な進展ではありますけれども、やはりケアを必要とする重度の人というのはどうしても少なくとも六、七%か七、八%いる。 そのうち、一種の住宅であるケアハウスあるいはサービスハウジングと呼ばれるところに入る人も含めると、将来少なくとも五%以上は必要ではないかという印象が強いんです。それは、在宅ケアが物すごく発達すればなくても済むでしょうけれども、やはり三%でもちょっと不十分ではないか。しかも、三%といいましても、老人ホームの場合、一部屋に四人も入っていますから、これをもし一人とか何かにしていくとすればもっとはるかにコストが必要になるわけです。そういうことを考えますと、質的な向上等を見ますと、施設自体がまだ非常に不十分ではないかということです。 ただ、日本は家庭機能があり、インフォーマル部門が非常に発達している。家庭機能があるから、そこで引き受けるからいいのではないかというのが一つです。それからもう一つは、病院が高齢人口の二%ぐらいは、本来なら病院に入っていなくてもいいけれども、それを入れているからそつちで引き受ける。家庭介護と病院で引き受けるという形で今何とかしのいでいるわけですけれども、将来の女性の就業率の向上、核家族化、少子少産型家族等を考えていきますと、やはり家庭機能というのは今ほど期待できない、外部化していく部分がかなり多くなる。それから、病院に入っているというのはやはり余り効率的なことではないし、ノーマライゼーションの理念から見ても好ましいことではない。そういうことを考えますと、その部分を一部は介護施設に、一部は在宅ケアにしていく必要がある。そういうことで、そこに相当の政策的力を入れるべきではないか。やはりこれがこれからの福祉ビジョンの一つの柱になると思います。 特に在宅ケアに関しましては、非常に家庭の、特に婦人の介護にまつところがあり、その負担が大変だという声は非常に大きい。福祉ビジョン懇談会のようなところでも、専門家でない女性の方々等はそれを非常に強調されます。それは当然のことでして、そこに対してどうするかということで、ドイツのような方向で社会保険としての介護保険を導入するか、あるいはスウェーデンのように老人福祉サービスをより普遍化して、レジデュアルな、落ちこぼれ的な特に気の毒な人がそのサービスを受けるのではなくて、割に普遍的に介護サービスを受けられるような、在宅介護サービスあるいは在宅医療を受けられるような方向をとるか、まずそれをどうするかということが今一つの検討の課題であるわけです。その辺のところでやるとすればどれぐらいの範囲をやるか、そうしたらどれぐらいお金が要るかとか、そういうものを決める段階にあると思います。 「高齢社会福祉ビジョンの課題」のところでもちょっと書いてありますけれども、病院に入っている人で、いわゆる社会的入院あるいはそれに近い人で、在宅介護機能が非常によくなれば必ずしも入院しないでいいというふうにもしなれば、これは仮定の数字ですから実際にはそんなことは不可能ですけれども、仮に二%の人が、病院に入院して一応そこでお世話しているとやっぱり年間三百万円ぐらいは社会保険給付費が要るわけです。その部分が仮に在宅ケア等が充実をして移るとすれば相当の費用がそこで浮く。これは仮の数字で、そんなに浮くということはもちろんあり得ませんけれども、そこにありますように、今の数字で一兆五千億円以上の入院費が浮くということです。その費用がどれだけ出てくるかわからないけれども、少なくともそこを少し少なくして、その費用で在宅介護を充実していくというようなことは十分考え得るわけです。そのためにはもちろんいろんな条件が必要ですけれども、方向としては社会保障財源のより有効な活用であるとか、より安い費用でよりノーマライゼーションの理念に沿うケアができるわけですから、そういう方向が好ましいということです。 スウェーデンも在宅ケアは非常に重視していまして、施設に入っている老人の老人人口に対する比率というのはヨーロッパの中ではむしろ低い方です。在宅ケアに非常に力を入れているわけです。そして、病院からはなるべく出ていくような経済的インセンティブを与えてしるわけです。 例えば、今、老人医療と老人福祉サービスはすべて基礎自治体の責任で、費用の大部分も基礎自治体が賄うことになっています。そのときに、非常に重要な部分は自治体がやるわけですけれども、特に入院がある一定期間長引いた場合、基礎自治体の費用負担が重くなるようなシステムにしたんです。そう、うことによってなるべく自治体が、病院から介護あるいは特に在宅介護に移せば自治体の費用負担も少なくて済むというようなシステムにしてきたわけです。 スウェーデンの場合、アメリカとちょっとそこが対照的でして、五、六年前まで対GDP比あるいは対国民所得比で医療費が一番高いのはスウェーデンとアメリカだと言われていたんです。今はアメリカはますます高くなってしまった。GDP比の十数%になってしまった。スウェーデンはその後医療費を抑制してきた。ただ、在宅ケアの方の費用はかかっていますけれども。医療費自体は、社会保障医療費だけの数字がここにはありますけれども、ちょっと見ますと、社会保障医療費が国民医療費の大部分をもちろんカバーしているわけですけれども、全体としての社会保障の医療関係費用を見ますとGDPの約一二%です。アメリカがGDPの一三、四%ですからそれより少ない。しかしその中には、スウェーデンの場合は純粋の医療だとGDP比で大体八%ちょっとです。そのほかのうちで大きな比重を占めるのが傷病手当です、三・八% 日本はこれがほとんどネグリジブル、非常に少ないんです。要するに日本の労働者は病気になっても病気と言わないんです。有給休暇でもって消化しますから、その給料は出てしまいます。傷病手当はもらわないですから、これが非常に日本の場合少ないんです。スウェーデンの場合、純粋の医療で、社会保険医療給付で見ますと、国民所得に対しては八%よりちょっと多、けれども、GDP比で約八%ちょっとです。アメリカに比べますとかなり低いんです。ただ、平均寿命や乳幼児死亡率などはアメリカよりもはるかにいい。妊産婦死亡率もはるかに低いです。そういう点を見ますと民間医療は必ずしも効率的ではないんだと言うことができるのではないかと思うんです。 日本としても、医療の方はかなりいい線いっているから、これからはやはり介護の方に重点を移していって、特に在宅福祉サービスを充実していく。そのとき果たして介護保険がいいかどうか、そういうことはそろそろ決めなくちゃいけないんですけれども、まだそういうことを本格的にやって時間たっている国は余りないわけですから、介護保険が本当にいいか、あるいは介護保険とは言わないでも何らかの形でスウェーデンのように普遍化されて比較的気軽に一部負担でサービスを受けられるようにするのがいいかどうかという問題はあります。 それから、在宅介護でもう一つ重要なのは、施設に関しては老人保健施設とか療養型病床群とかケアハウスとか中間的な施設ができてきたんですけれども、在宅サービスに関しては中間的というか総合的なサービスに必ずしもなっていないわけです。政府としては、だから老人保健福祉計画をつくったんだ、これで総合化するということのようです。 どうもそれは、あれをやっていることは非常にいいことであり、総合化しなくちゃいけないということでいろいろな計画が出てきて、そこで総合的な施設とか総合的サービスという言葉が盛んに出てきますから、それはそういう意識を与えて計画を立てたということはいいことですけれども、まだまだなかなか本当の総合化はできていない。在宅の重介護、在宅看護、医療の体制もこれからやるということです。そこに非常に重点を置き、そして制度をシステム化していけば、あるいはネットワーク化していけば相当な介護がやれるのではないかということです。それを可能にするためには、今言いましたように介護の費用をどういうふうに賄うかということについての詰めを行うことが必要だということです。 それからもう一つは、在宅介護が行われるためには住宅の整備が非常に重要です。最近そういうことが注視されるようになりまして、住宅が整備されれば十何億円福祉サービスが節約できるとか一もっとたくさんですね、長期的にどれくらいの規模を考えていたかわかりませんけれども、相当の老人福祉サービス費用や障害者福祉費用が節約できるという試算が出ていましたけれども、その金額はともかくとして、これは事実です。長期的に言えば、住宅そのものが、そして住環境そのものが在宅ケアをやりやすい環境にしていく必要があると思います。 スウェーデンの老人福祉サービスの流れを見ていきますと、私は一九六三年から二十何回スウェーデンへ調査に行っていますから、流れがある程度外からわかるんです。スウェーデンに住んでいた人から見れば、丸尾さんは住んでいないからスウェーデンのことをわかっていないと盛んに言われます。そのとおりですけれども、外から見て流れが割にわかるんです。 それはどういうことかといいますと、初め行きましたときは確かに、スウェーデンというのは福祉が発達しているというだけあって老人ホームは立派だなという、老人の身寄りのない非常に日本から比べると気の毒なような人までこれだけ老人ホームやっているのま立派だなと思った程度の印象ですけれども、七〇年代に入って、いわゆるサービスハウジングができてくるわけです。一般の、普通の住宅のようなところで大変なケアができるサービスハウジングができている、これは非常にびっくりしたわけですけれども、そのサービスハウジングが老人ホームにかわっていったという段階がまずあるわけです。 しかし、そのサービスハウジングを日本人が盛んに見に行くころは、八〇年代中ぐらいからスウェーデンではサービスハウジングをつくらなくなった。そして在宅ケア中心になってきたわけです。そして、そういう施設をつくるとしても、グループハウス的に一般のアパートなりに組み込んでいくというような方法になってきた。そして在宅ケア中心になってきた。しかし、その段階では既に五%以上の施設及びサービスハウジングに入れるだけのもちろん施設は整っていたわけです。それから在宅ケア中心になって、そこで非常に考え方が変わってきたわけです。 要するに、それが一番ノーマルであるということだけではなくて、住宅をケアに適するようにつくり、そしてケアのネットワークをつくっていけば、別に入院したり施設に入らなくても、その地域全体が一つの施設と言ってはおかしいけれども、施設にいるのと同じようなことになる。要するに、どこかに拠点があってすぐ連絡できる。もちろんそこから、拠点から行くだけではなくて、その近隣とも連携しておいて、とにかくまず身近な人が行け、そして拠点から行く。しかもナースやヘルパーがいつも巡回しているというようなことになれば、必ずしも施設に入っていなくても済むんじゃないか、そういう考えになってきているわけです。そこの在宅ケアのところを十分研究して、そういうネットワークをうまくつくっていけば、比較的大変な費用でなくて充実した介護ができるということです。 先ほども言いましたように、老人福祉サービスというのは、年金とか医療などに比べれば、あれだけスウェーデンが充実していても国民所得の一・六%なんです。六十五歳以上の老人が一八%台で非常に高くてもそうですから、老人福祉サービスの特に在宅ケアにお金をかけるということは十分に可能であるということです。 それからもう一つが出生期の育児休業給付。これは、一律二五%という感じが今出てきていますけれども、女性が就業して、そして夫婦の収入が家庭の生活のもう基盤になっているふうな段階になってきますと、やはり二五%というのはちょっと気の毒です。長期的には失業・雇用保険とか傷病手当の水準に近づける。それはもちろんある条件があって、ある一定期間以上雇用されているとかいろいろあるんですけれども、その充実と、それから保育所の支援というもの、働く女性が安心して働けるような保育所に対する政策というものが重要になるんじゃないかと思います。 年金のところ、この中にも書いてありますように、基礎年金を充実する、公費負担を三分の一から二分の一にする、つまり六分の一ふやすということは確かに相当の負担になりますけれども、それが消費税導入等々の条件としてどうしても必要であるということになってきますと、この問題につきましても、現在、将来、長期的な財源、そしてどれくらい必要かというようなことについて詰めが必要ではないかと思います。 結局重点のところだけになりましたけれども、四十分になりましたからここで終わります。
○会長(鈴木省吾君) 以上で丸尾参考人の御意見の陳述は終わりました。 これより参考人に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○竹山裕君 自民党の竹山裕であります。 丸尾先生には示唆に富むお話をありがとうございました。 高齢化社会の進展に伴っての社会保険給付費の増大、もろもろの国民負担の上昇は避けることができないという財源的な背景の中で、一方ニーズは大変多様化していくという点で、先生の御主張でいらっしゃいます、公的福祉政策の普遍的な基礎的福祉政策を充実しつつ、なお日本的特徴のあるインフォーマル部門といいますか、家庭機能あるいは民間企業の活力を生かすような形での政策のミックス、最適なコンバインをしていくことが最重要テーマであるというようなお話をもとに、幾つか質問させていただきます。 私ども自身、老後を安心して迎え暮らすために、養護、介護の必要な期間に公的にどの程度のサービスを供給してもらいたいか、また一方ではどういう点で自助努力もしていかにゃいかぬか。こういう点の普遍的な基礎的な福祉政策という中身の問題でございますが、その具体的な範囲のとらまえ方についてお話をいただければと思います。
○参考人(丸尾直美君) まず、大きな流れとして、社会保障の中の医療とか年金は既に普遍化されたんです。普遍主義モデル対選別主義モデルと言われたり、あるいはインスティチューショナルなモデル対レジデュアルな、残余モデルと言われたりします。要するに選別的とかレジデュアルなモデルというのは、非常に特別な人で、身寄りがないとか非常に貧しい人とか、そういう人々が社会保障の対象となるのが最初の段階だと思うんです。 それが年金、医療に関してはそうでなくなった。会社の社長さんとか国会議員の方でも退職されれば年金をもらえる。医療もそうである。それに対しまして、福祉サービスの方は原理としては普遍化したのであって、そしてノーマライゼーションの理念でやるんだよという考えに数年前から厚生省などもなってきたわけですけれども、まだ十分にそうなっていない。そういうことで、老人福祉サービスの方もより普遍的な方向に行こうという動きで、少しずつ動いてきているわけですね。老人保健施設というのがそうですね。いわゆる措置ではなくて自由契約によって入れる。これは病院と同じです。そういうことで、そこに入ることに抵抗が非常に少ないという方向になってきたわけです。 しかし、在宅サービスに関しましては、きょうの懇談会でもある委員がおっしゃっておりましたけれども、受け入れる方に非常に抵抗があるということを言っておられました。それはいろんな事情がありましょうけれども、やはりそこの抵抗をなくして、しかもすぐにやれるということですね。書類を出して申請して調査して何とかというふうなことではなくて、とにかくすぐお願いできるという体制が一般的になるということです。 そういう方向で今動きつつあるわけです。施設に関して普遍化の方向へ一歩動いてきた。まだヨーロッパや北欧やイギリスのようなサービスハウジングやシェルタードハウジングに類するものが十分普及したとは言えませんけれども、方向としては、ケアハウスというような形で、昔の軽費老人ホームよりももうちょっと普通の公営住宅に近いという、そういう形のものをつくろうという動きがあるわけです。これをひとつやっていくというのが具体例。 もう一つが、在宅ケアに関しましても普遍的な方向にしていく。社会保険化すれば非常に抵抗なくなりますから、それが一つの方法。スウェーデンのようにそれが理念として普遍的になってくれば、別に社会保険的な形をとらなくても抵抗ないわけです、高齢者の二十何%が年間利用しているわけですからそれは必要ないですけれども。日本の場合、今後どうするかということをぜひ考えていただきたいということであります。
○竹山裕君 ありがとうございました。 今公的サービスのお話を伺ったわけですが、スウェーデンのサービスハウジングから在宅ケア中心へと、老人福祉先進国においても変化があるようでございます。我が国は、成熟工業国といいますか、その中にあっては、日本のよき伝統でしょうか、家族を中心としたインフォーマルな部分の果たす役割が多いということではありますが、社会構造の変化の中で、やはり特に女性を中心とした家族介護者の過重労働負担というようなことも一方での悩みでまございます。日本の特徴でありますよき伝統の家族機能を生かすという、温かみのある在宅ケアを含めて、こうした長所の生かし方、あるいはこれらの今後の進むべきあり方というような面で御示唆をいただければと思います。
○参考人(丸尾直美君) 私は「日本型福祉社会」というのを書いたから時々誤解されるんですけれども、やはりインフォーマル部門をある程度生かすべきだということは、国際的にも、スウェーデンのような国でもイギリスのような国でも強調されていることですし、それ自体は悪いことではないし、歓迎すべきことなんですね。私も、ですからやはりそこは、スウェーデンなどではもうちょっとインフォーマル部門を、家族とかボランティアとか給付していいんじゃないかと思っております。 ただ日本の場合、先ほど言いましたように、在宅は公的な機能の備えですから、そこに人間の温かみのあるインフォーマル部門を生かしながらそこで支援する、その支援が問題なわけですね。ですから、社会保険化するといいましても、これを全部政府が出すというんじゃなくて、本人も、その家族の段階かどこかで社会保険というのは負担していくわけです。そしてもちろん自己負担もあるわけですね。そういう形で、インフォーマル部門を生かしながらそれをいかに支援していくかということ、それがこれから必要になるでしょう。そうすれば、温かみがありながら負担も過重にならないということが十分可能になると思います。
○竹山裕君 それでは、企業といいますか、民間の一方のシルバーサービス的なテーマから、民間企業のアイデアを生かしながら高齢者対策をやっていくという、この面でも大変昨今は意欲的な取り組みが見られるわけであります。民間のサービスという面と公的なサービスとの兼ね合い、あるいはどうしても民間でのサービスの安全性あるいは基準、レベルのあり方、一方そのサービスを受ける側の安心の度合いといいますか、あるいはもっと言えば被害をこうむるということのないような対応も十分に考えていかなきゃいけないわけであります。 今後のこの民間サービスの展開の仕方あるいはその利用の設定、それから、これはもう日本列島いずこもそうでありますが、一極集中的な懸念がある中でこうしたものの地方での供給のバランス、こういった観点からのいわゆるシルバーサービス産業の今後の進むべき道を御示唆いただきたいと思います。
○参考人(丸尾直美君) インフォーマル部門と同時に民間活力は非常に重要なことでして、日本はインフォーマル部門が発達しているということは、私企業が非常に効率的であるという長所を持っておりますから、この長所ももちろん生かさなくてはならない。ただ、政府が支援しないであるいは監視しないでやっていきますと、やはり相当の金持ちでないと入れないということですね。公でやってもそうです。 横浜の旭区にビンテージビレッジというのがあります。これは前の副知事がノーマライゼーションの理念に燃えて、普通のサラリーマンでも退職金で入居できて、年金で生活できるというようなものを目指してやったんですけれども、つくってみると入所のときのお金が平均三千万円ぐらいかかるんですね。それから、介護費用として前払い四百五十万円かかります。それから毎月の管理費が、一人の場合で七万幾らが今九万円ぐらいに上がりました。そっちは年金で何とかやれますけれども、入るときがちょっと困難であります。公的にやってもそうですよ。公営住宅の一部としてやってもそうなんです。 だけれども、土地がもし公的なものであればもうちょっと安くなります。それから、介護が社会保険化されればそこで一千何百万円は安くなります。そのほか、施設を抱え込んじゃっているんですね、立派なプールとかなんかを。それを地域と共通にすればまた数百万円安くなる。そういうふうなことを促すようにしてあげれば、民間でもサラリーマンが退職金で入れるような有料ケアサービスハウジングみたいなものができてくるんじゃないかと思います。それはそれで促してやる。重介護を社会保険化するということが相当の支援になります。それから土地に関して何か手当てをしてあげるということです。そういうことが一つ必要じゃないかと思います。ただ、民間はどうしても都市に集中しますから、そうでないところはなかなか発展しませんから、これは生かさなくちゃいけないけれども、どうしても偏りができるから、公的な政策というのはそれはそれでやはり必要だということです。 それからもう一つは 監視して、なしとどうしても老人をだましてしまうというようなことになりやすいから、やはりある程度の監視は必要であり、地方自治体が責任を持って中心にやるべきなんです。そして外からの監視だけじゃなくて、運営するところに地元の人とか専門家とか、いろいろ内部からも見ているという、そういう監視も必要だと思います。そこに住んでいる人が参加することももちろんですけれども、そういう内部からの監視体制、そういう外と内部と両方でチェックをしていくことがお互い必要になります。
○竹山裕君 それぞれ、公的にあるいは家族スケールで民間企業でと、サービスの対応が多様化されて、その政策ミックスがうまくバランスしたときに効果が上がるだろうということでございましょう。しかし、こうなりますと、三者三様のサービス機能を、何かどこかでコーディネートといいますか、バランスよく効率よくオーバーラップする、あるいはそうでない部分との役目、役割をするものがあればなお一層効果が上がるんではないか。この辺についてのお知恵をお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(丸尾直美君) いずれも本当に福祉プランの焦点の問題ばかりで、これが非常に大事です。やはりそれがまだないんですね。今急にいろんな施設ができてきたでしょう。地方のサービスに関しまして、年金とかいろいろそれぞれ皆ありますけれども、特に地方で老人福祉サービスなどを考えますと、センターというのが非常に多いんです。昔からある老人福祉センター、それからデイケアセンター、デイサービスセンター、これ違うんだそうですね。それから在宅介護支援センター、訪問看護センター、保健センター、そういうのがあって、どう関係しているのか、公的なものだけでもわからないんです。どこへ行ったらいいのかわからないんです。それに今度は民間をどう調整するか、ボランティアをどう調整するか。 それをやるためには、やはりどこか地域に、中学校かできたら将来小学校ぐらいに拠点があって、要するにそこへ行けば皆わかる。そしてそこにコーディネーターがいて調整している。ボランティアをやりたい人もそこに行ってくれれば、うまく割り当てて意欲を生かしてやってもらえるようにするとか、それがないんです。それをぜひつくってもらいたいですね。
○竹山裕君 ありがとうございました。終わります。
○日下部禧代子君 日下部でございます。 先生どうもごぶさたをしておりまして、きょうはどうも本当にありがとうございます。お忙しいお時間をありがとうございます。特に先生は福祉経済学の御権威でいらっしゃいまして、今日我々は福祉計画、福祉施策というものを、財源、財政的な裏づけのある計画というものを今本当に必要としている時期に先生のお話をお伺いできましたことは非常にうれしゅうございました。 ところで、先生のお話にもございましたけれども、これから本格的な高齢化、高齢社会を迎えます我が国におきまして、介護の問題というのは本当に重要なことだろうと思います。特に平均寿命が延びてまいりますと、後期老年層の増加、それに従いましていわゆるディペンデンシーの高い方々がふえてくるということになります。一方で、家族構造の変化、そしてまた家族機能の低下ということがございます。そうなってまいりますと、どうしても公的な介護サービスが非常に必要になってくるわけでございます。ところが、先生お話しのように、社会保障体系の中でこの介護サービス、福祉サービスの問題、特に在宅介護支援のサービスというのは非常に日本では小さな存在でございました。これからは施設サービスと並んでこの在宅介護支援の体制をどうつくり上げていくかということが非常に大切になってくると思いますが、そこで費用の問題が出てまいります。 ドイツの場合もやはり非常にこの問題は大きな問題でございまして、私昨年ドイツに参りまして、先生も今お触れになりましたドイツの介護保険についてお話を聞く機会がございました。ユング介護保険局長とお会いしたわけでございますが、ドイツにおきましても今介護を必要とする者が百六十万人いるそうでございます。そのうち施設に四十五万人、大多数の百二十万人が在宅でいる、その半数以上がインテンシブケアを必要とする、そういう方々だそうでございます。 そこで、ドイツといたしましては、第五番目の社会保険として介護保険というものを考えたわけでございますね。ところが、いまだにこの介護保険、国会におきまして、日本の衆議院に当たるところでは通ったわけでございますが、日本の参議院に当たる方ではまだ通過していない。これけさドイツから聞いたわけでございますが、やはりここでは使用者側の負担の問題休日を二日労働日にするか、あるいは休日を一日だけ労働日にするかというふうな問題を絡めてまだ通過してないそうで、選挙がことし十月にございますが、それまで凍結するということだそうでございます。 そういうドイツの事情などを考えますと、我が国にこの介護保険を導入する、そうした場合に、今厚生省の中でも研究が進められておるようでございますが、どういうふうな問題をクリアしていく必要があるのか、そしてその辺の費用の問題、財政的な問題も含めまして、この介護保険についての先生の御見解をまず一番目にお伺いしたいと思います。 それから二番目には、またこれからやはりさまざまなサービスというものが提供されていくということになりますと、どうしても国民が財政的にどのように負担していくのかという問題が出てまいります。そういたしますと、いわゆる国民負担率の限界というようなものをどの辺に先生は置いていらっしゃるのでございましょうか。これは我が国が人口の高齢化のピークに当たる二〇二〇年代、その辺においてはこれが国民負担の限界の時期になるだろうというふうに思うわけでございますが、そのあたりの先生の御見解を承らさせていただきたいと思います。 それから三番目でございますが、これは先生のお話でも触れられておりましたが、やはりいわゆるこれからの在宅サービス、これを充実させていかなければなりませんが、その中でも特に私は福祉、保健、医療、それからまた在宅サービスと施設サービスというものの有機的な連携、ネットワークというものが必要になってくると思います。そのことがひいては福祉に関するコストを下げ、そしてサービスを利用する者にとっては望ましいサービスが得られるということの条件だと思うわけでございますが、日本の場合にはなかなかその問題がうまく動いていないように――解決の方向に少しずつは動いておりますが。 北欧、あるいは私が昨年イギリスで見てまいりましたように、イギリスでは御承知のようにコミュニティーケア法が昨年の四月一日から施行されました。それによりますと、特にこのコーディネーション、ネットワークをいかにきちんとするかということをさらにこの新しいコミュニティーケア法では重視されておりまして、例えばこういうケアマネジャー、コミュニティーケアラーというような新しい職種が、かつてのりエゾンナースなんかにかわって、きちんと法律の中で位置づけられておりまして、福祉と医療、在宅と施設サービス、それの連携に当たる職種として位置づけられております。 こういうイギリスあるいは北欧などの状況と比べまして、日本では、どのようなことをクリアしていけば地域に福祉、医療、それから在宅、施設サービスの有機的なネットワークができるというふうにお考えでございましょうか。これは、スウェーデンの社会サービス法などを見ますと、先生も先ほどお触れになりましたように、非常に基礎自治体が責任を持っています。こうなりますと、やはり地方分権ということにもかかわってくるのではないかというふうに思います。その点も含めまして、先生の御見解をお聞きできれば非常にうれしく思います。 私の持ち時間が非常に少のうございますので、以上まず三点をお伺いさせていただきまして、またもし時間がござしましたら さらに御質問させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○参考人(丸尾直美君) いずれも非常に核心的なところで、私が何か補足したいと思っていたようなところばかりで、どうもありがとうございました。 一つは、日本の場合、在宅ケアをどういうふうに費用負担するかということですけれども、やはり一つは老人保健施設のやり方が参考になる気がします。老人保健施設は一種の社会保険だけれども、福祉の方からは公費負担が半分出るわけですね。これはもちろんそれ以外に自己負担があるわけですけれども、一つはそういう形になると思うんです。だから、保険という形はとっても公費負担がもちろんある。それが半分かどうかはともかくとしてある。それから自己負担がある。それを所得にある程度比例させるか、ただ一律か、それは難しいところですけれども、自己負担も一般的な人はある。どうしても生活余力のない人は無料に近くなるということでしょうけれどもね。 そういう形になると思いますが、ただその保険はどこからいくか。医療保険の方でいくか、独立の介護保険をやるのか。簡単だという点では医療保険を拡張すればいいんだけれども、医療保険を拡張しますと、どうしてもお医者さんが自分の領域だと思ってしまって、自分がやらなければ動かないようになるとちょっと困るわけですね。やはり介護の方は、今言われたように、ケアマネジャーになる人はお医者さんである必要はもちろんないし、ナースであることすらももしかしたら必要でないかもしれない。ですから、そこの弾力性さえあれば老人保健施設に拡張したやり方を介護に拡張することが手っ取り早いとは思いますがね。 そうすると、もちろん健保連とかそういうところから、なぜそこまで我々の方から出るんだという、老人保健の方は結局はそっちから出てますから、組合健保等々から出ていたのが中心になっていますから、そこは問題ですけれども、一つの方法ではあると思います。だめでしたら独立になると思いますね。独立の介護保険という形になると思います。 それから、国民負担率に関しましては、これも私、高齢社会福祉ビジョンでちょっとコメント申し上げたんだけれども、国民負担率というのは対国民所得比で見ていますから、それがなかなか一般の人にはわかりにくいんですよ。去年か何かにNHKの討論でやったときも、人によっては対国民所得比を言い、あるときはGNP比でやっているわけですね。比率が相当違うんですね。だから、例えばスウェーデンの場合も、国民負担率を国民所得比で言うと七五%、ピーク時は七七%いきましたけれども、対GDP比でいくと五十数%なんですね。いろんな点で国民負担率はあらわれ方が違ってくるから、まずそのことを言った上で考えなくちゃいけない。 一つは、今言いましたように、GNPあるいはGDPと国民所得の間に大変差があるから、どっちでとるかによって非常に違ってくるということですね。特に間接税、経済原論やった方はわかりますように、GNPから間接税を引いて補助金を加えているんです、それからもう一つは資本の減耗分を引きますけれども。間接税を引きますから、間接税の負担が非常に大きくなると、国民所得は小さくなってくるわけですね。ですから、対国民所得比で見ると非常に大きくなってしまう。だから、将来、間接税の比重が非常に高くなると、国民所得比で国民負担率を見ると自動的に高くなってくるということ。 それから、日本とスウェーデンでは、日本は税控除の方が手っ取り早い、財源もかからないということでやりますけれども、同じことを税控除でやるのと給付でやるのとでは国民負担率が非常に違ってくるわけです。税控除にすると税は低くなります。給付でやるとその分を税金を取らなくちゃならないから国民負担率は高くなるわけですね。国民負担率を高くしないようにするためになるべく税控除でしようということというのはいいことじゃない。それは、税金を払っていない人には恩恵は何もないですから、そこは気をつけなくちゃいけない。スウェーデンの場合は再分配方式が多いから余計高く見えちゃうんですね。 それからもう一つは、タックスベースを拡張していくと、どうしても、一つは消費税というのがあるけれども、もう一つは社会保障給付自体にも税金がかかる。年金にもかかる、失業手当にもかかる、傷病手当にもかかる。そういう言い方は非常に、社会党系の方等は、労働組合の方は反対するけれども、一つの合理的なやり方ではあるんです。そのためには給付率が高くなくちゃいけないんですね。 スウェーデンの場合、ちょっと今下がってきたけれども、傷病手当も失業手当も九割です。九割だけれども税金を払いますから、引けば六割幾つで日本と余り違わないんですね。将来年金生活者も非常に多くなりますから、そういうふうに給付に税金がかかると、そうすると国民負担率は高くなるんですよ。分母には給付まで入っているんですね。だけれども、計算するときには、国民負担率というのはそのうちの国民所得を分母としてとるから、国民負担率は大きく見えてしまうわけですね。ですから、そこも気をつけなくちゃいけない。 それから長期的に考える場合には、政府支出というのは、政府の部門というのは生産性が余り上がらないから、ですからデフレーターが大きくなるんですね。要するに、値段が高くなって単価が高くなるんですよ。製造業なんかはどんどん安くなったりしていくけれども、政府の支出というのは必ず高くなっていく。ですから、実質で見ると余り変わらなくても名目で見ると国民負担率はどんどん上がるわけです。その計算を政府はしていないから、ですから、実質であれは言っているんだといえば、五〇%以内におさめるというのは、まあ不可能じゃないかもしれませんけれども、それがある。だから、どうしても上がっていくということですね。 それから、国民負担率というのは、例えば国債で国民所得の一〇%を賄えばそれだけで国民負担率は一〇%下がります、そんなことはないけれども。とにかく、国債発行をどれくらしにするかによって国民負担率はすごく違うんですね。最後に、景気変動によって景気が悪くて国民所得が伸びなくなったりマイナスになったりすると国民負担率はぐっと上がる。それから、バブル期のように経済が順調に成長していたときは国民負担率はむしろ下がる。 そういうこともありますから、一つの精神的目標として国民負担率が上がり過ぎないようにするというのはいいんですけれども、今言ったようなことを考えますと、国民負担率が五〇%を将来国民所得比で超すということはもうほとんど不可避でしてね。ですから、そういうところの計算はやるべき人はきちっとやらなくちゃいけないと思うんです。その辺をあいまいなままに精神的な目標として国民負担率五〇%以内とか言っているというのは、非常に経済学的に見るとおかしな議論をしているということになるんですね。 それから、そういう負担率がどれくらいかということと本当の負担というのを分けて考えなくちゃいけないんです。何かスウェーデンで七五%の国民負担率というと、よくいろんな人と議論していて、スウェーデンでは何と七五%税金取られる、二五%しか残らなかったら働きがいかないのは当たり前だとか。実際には八十数%の人は三〇%、三一%以下ですよ、税金は。でも国民負担率は七五%です。だから、国民負担率というよりも、サラリーマンが幾らぐらいかかるかという、それを出してあげる必要かある そして、それだけの負担が高まっていくと手取りはふえるのか減るのか。そんなに重くなったらもう将来手取りは減るように印象を持つ人があるんですね。だけれども、経済が安定成長していけば、少なくとも二、三%の成長をしていけば十分に手取りはふえていくわけですよ、実質で見ても。そういうところを描いてあげれば、負担が重い重いといって余り憂うつな 高齢化社会が陰うつな社会に見えることはないんですね。着実に所得はふえますし、資産はふえますし、労働時間は短くなるし、いい社会になるんだということを描く必要があるんですね。 最後に、おっしゃるとおり、分権化が一つ必要ですね。やはり基礎自治体にもっとおろしていく。それからケアマネジャー、それからさっき言った拠点、それからそれらを結ぶ情報ネットワーク、人の連携、それをやる必要がある。それから住宅をきちっと整える。特にケアマネジャーと拠点というのが重要ですね。それがだれがやるのかというのは、まあ官庁は自分でやるように思っているけれども、官庁の役人がやれるわけないですからね。やはりそれはホームヘルパーのベテランとかナースとか、そういう人をケアマネジャーにしてコーディネートしていろんなサービスを、医療と福祉それから民間とボランティア、こういうものを調整する役割を持たせるという、それが非常に必要です。 老人福祉計画でいう拠点と、本当の拠点、ここに行けばわかるという拠点と、そのコーディネートする人はだれか、これをきちっと決めなければ、シンクタンクにいっぱいつくらせたって意味ないですよ、あれ。意味なくはないけれども、余り本当のネットワークにならないですね。
○日下部禧代子君 私の時間が来たようでございます。どうもありがとうございました。
○笹野貞子君 新緑風会の笹野と申します。 きょうは丸尾先生、大変示唆に富んだお話をいただきましてありがとうございます。私も先生のお話を聞くのに大変興味を持ちまして、本来であるならばもっと一生懸命勉強しなければいけないのですけれども、一夜漬けで先生の論文を読ませていただきまして、きょうはそういう意味で、先生の論文はとても一夜漬けではだめだという反省を込めながら二、三今のお話を含めてお聞きしたいというふうに思います。 先生の御論文を読ませていただきまして私は大変興味を持った、しかもわからない点がありますので、ここをお教えいただきたいと思うんですが、企業年金の導入のところで従業員の株式所有プランということをおっしゃっていらっしゃるんですね。大変私はこれに興味を持ったのですけれども、どういうことなのかなということなんですね。 アメリカの従業員株式プランを参考にして勤労者株式所有型の企業年金を導入すればいいという先生の御提言なんですけれども、先生のこの内容の具体的なことをお聞きしたいのと同時に、私がちょっと考えますのには、日本の株の配当というのはいかにも少ないわけで、アメリカのように配当が多いということだからできるのかなというふうに思いながら、これをもし日本に導入する場合でしたら、どういうところを気をつけながらどうすればできるのかなということをまず一点お聞きをしたいというふうに思います。 次に、先生の論文を読ませていただきますと、世代間の不公平というのを数字でもって、損得できちっとすることによって説得できるんだという、そういう部分がありました。大変私もこれもおもしろいというか、楽しくて、今ちょうど日本は公的年金の問題で、どう公平にするかということでいろいろな議論がなされておりますけれども、ここで先生は損得勘定を数量で出すと非常にわかりやすいんだということをおっしゃっております。 そこで、損得勘定を具体的こ数量で出すということは、例えば親の扶養の負担とか医療の面で世代間でどんな損があるのか、得があるのか。また、比較した結果、高齢者と若年者との間でどのような結果としての数量が今あるのか、それとも出せるのか。また、現在行われています公的年金の制度の改正につきまして、先生のこの御持論は、どういうような方法で取り上げていくことが私たちに非常に問題の解決に役立たせていけるのかどうか。そこら辺のところをちょっとお聞きをしたいというふうに思っております。 私の持ち時間はこの時計でいくと二十五分までですのであと五、六分ですが、私、先生の今の国民負担率のお話を聞いておりまして大変よくわかりましたけれども、しかしこの国民負担率というのは、一定の負担するべく社会的あるいは本人が納得できるような負担のスケールというんでしょうか、そのためには福祉ビジョンというのがきっちりありまして、このビジョンで、ここが一〇〇%できるようになった、しかしあと、こことこことの部分がまだでき上がってないので、それを完成し、それを安心させるためにはどういう負担をしていくか、個人にどういう負担が必要なのかという、そういうやっぱり福祉ビジョンというのが必要だというふうに思うんです。今日本にあるゴールドプランは、そういう点はそういう説得の仕方じゃないと思うんですね。 そこで先生に、もしお時間がありましたら、先生はこの福祉ビジョンを、今かかわっていらっしゃるわけですけれども、何を最優先課題として、これができ上がっているから次これというふうにそのビジョンをお考えになっているのか、ちょっとお教えいただければ大変参考になると思います。 以上、よろしくお願いします。
○参考人(丸尾直美君) 従業員持ち株制をよくぞ聞いてくださった。私の年来の持論で、アメニティーとかノーマライゼーションとか、もう大抵のビジョンは皆さんそういう方向になってきましたけれども、従業員株式所有、すべての勤労者が株を持つような、そういう社会に行かなければ資本主義の根本的な問題は克服できないという、この発想というのがなかなか理解していただけないですね。 これはいろんな意味で必要なんですけれども、こういう「総合政策論」という本がありますけれども、この中の一章を実は見ていただきますと、いろんなビジョンがあるんですけれども、具体的にアメリカで現実にやっているのはどういうものかといいますと、一つは、アメリカはESOP、従業員株式所有プランと言うんですけれども、これは従業員持ち株所有制であると同時に企業年金なんですね、企業レベルの年金である。 普通の年金は、給付建てと、しまして、幾ら払いますよと決めるんですね。それに対して、これは、株を持って掛けたとき幾ら使うかとなるけれども、払うのは株が上がれば多くなるし、上がらなければ少ない、そういうところが一つ特色があります。要するに、従業員に株を持たせてあげる。これかなりいろんな形の優遇がありますけれども、場合によっては企業か銀行から借り入れて、そして株を持たせてあげる、そしてその配当でだんだん償却してあげるというような形などいろいろあります。アメリカで相当普及したわけです。 イギリスの場合は、中心になるのは株式所有オプション制度とかいろいろありますけれども、それと利潤分配制度をミックスしたやり方ですけれども、一定期間、五年か七年積み立てさせておいて、そのときに株を買うか利子付で返してもらうかをオプションできるわけですね。すぐでなくてもちょっと期間を置いてやりますからそこで選べるというわけです。そのとき株が下がっていればやめたと言って利子をもらえばいいから損しないわけですね。株が上がっていればもちろん株を買えばいいわけで、株を持っていると下がってしまうと嫌だというのがあるけれども、それは心配ないようにできているわけですね。その後下がったりしたら、それは仕方ないですよ。株を持つ場合にはある程度リスクの負担があるというのは当たり前のことで、それも嫌だというのはちょっと責任というかリスク回避し過ぎますからね。そういう制度になっています。 要するにこれは保守本流でもあり、あるいは民主主義的な社会主義の両方で支持される考えですね。保守本流からいったら、本当の福祉主義者で新自由主義だったら、本当に新自由主義を安んじてやれるためには、財産所有が平等なら市場に任せていいんですよ。全く任せていいわけですよ。負けたって基本的な平等があるんだからね。ですから、保守本流でやっていく人はそれを主張する。 それと同時に、保守本流で行っているサッチャーさんのように、階級なき社会と言ったら、階級なき社会にするためにはだれもが財産を持たなくちゃ階級なき社会にならないですよ、無産者と有産者があったら階級だから。だから、本当に階級なき社会を望むとしたら株を持たせる政策をやらなければ口だけになります。だから、日本は保守本流の新自由主義も、保守主義者の方がいるとしたら、ちょっとないと。それがない自由主義というのは昔の旧自由主義ですよ。新自由主義だったらその主張があっていいわけです。それから、もちろん革新でもそれは違う形でその必要がある。ぜひこれは必要だということです。 それから、配当が少ないというのは、これはもちろん配当ができないといったら、レバレッジ方式というやり方で借金してやるのだったら配当がないと返せないからね、余り少ないと。だから、配当はこれから少し上がってくればいい、高くなってきてもいいと思うんですね。あれは一つの、日本の蓄積時代の一つの方法だったんですよ。労働分配率を低く抑える、そのかわり配当もほとんどしないで企業は蓄積していく。だから、労働分配率を抑えて利潤がふえても、それはまた企業を成長させるために使っているから、従業員みんなのためにやっているんだ、おれたちは使わないという心構えでもあったわけですね。だけれども、だんだんと労働分配率も高くして、そして配当もふやしていっていい段階ですよ。 それからもう一つ、かえって配当が少ないと、ちょっと労働者は労働分配率を抑えて、そのかわり配当率も低いから同じじゃないかと言うけれども、これはうそなんですね。配当率が低ければ留保が多くなるから、留保が多くなれば株が上がるんですよ、キャピタルゲインがふえるわけですから。ミラー・モジリアニの定理といって、どっちでも同じなんですよ。資本家はどっちみち入るんです。ただ留保した分が資本蓄積に回るだけ企業はそこの範囲では得になりますけれどもね。 どうしてもそこで株を持たないと労働側は損なんですよ。労働側からこの要求が出てこないというのが非常に不思議です。保守本流の方も出てこないし、労働側からも出てこない。ですから、ちっとも盛り上がらないけれども、そのうちぜひやってください。これはぜひお願いしたいですね。 世代間の問題で、これはまだ数量的に全部詰めるのは、特に家庭の介護機能を数量的に、金銭的にはかるというのはちょっと抵抗がありますし問題あるけれども、例えば年功賃金の差による違いというのは簡単に計算できます。具体的に言うと、私なんかが助手になったときは教授の給料は五倍から六倍でした、今の私の年配ぐらいで。今は税引き後だったら二倍ちょっとですよ。二倍ないかな。学校を移ったから、低い大学に行ったから、これは仕方がないけれども。とにかく非常にそこで損しているわけです、あなたたちは将来こうなるから今は低い賃金で我慢していろと言われて。そして、そうなったときにはもう年功賃金でなくなってきたわけですからね。 その損というのは今の若い人は気がつかないから、おれたちは年金の負担が将来も重くて、今の中高年の連中は軽い負担で年金はちゃんともらうと、そっちばっかり言うからね。両方の数量的なバランスを見て、現在価値に直して出してあげるということは割に簡単にできます。そういうこともある程度やっていいんじゃないかということです。そうでないと、お互いに不満に思っているからね、自分だけ損していると思っているから。 それから、最優先課題は、先ほどもちょっと言いましたし、公式にはお配りしました「高齢社会福祉ビジョンの課題」というところに書いてありますけれども、恐らく焦点として、全部課題だけれども、焦点として重点を置き、消費税か何かしらぬけれども、増税への見返りとなる焦点は、介護とそれから出産、育児を中心とする家族政策と、それから場合によっては基礎年金の公費負担の引き上げと絡めて最低層の年金をちょっと上げるというようなところ、それから財政計画を明示する。そして、そのことによって国民生活は実際どうなるのかということを明らかにする。それと公、民、インフォーマル部門のミックスをどういう形でやるかを具体的に示す。その辺のところが重点じゃないかと思うんですね。
○笹野貞子君 ありがとうございました。
○浜四津敏子君 先生、きょうは大変ありがとうございます。 今回、国民福祉税の構想が出てきました。それをきっかけといたしまして日本のこれからの福祉のあり方、そしてまた負担のあり方、あるいは目指すべき方向性についてようやく国民的な議論が少し始まった段階かというふうに思っておりますが、その一番基本的な問題について教えていただきたいと思っております。 私たちはよく、生活大国を目指す、こう言っておりますけれども、生活大国と言える条件といたしましては、やはり一人一人安心して暮らせる、また安定的な生活、そしてまた安全な生活、それを制度化していく、その制度化ができれば一応生活大国としての基本的なところは充足できるのかなというふうに思います。先進国いろんな国々でこの制度化はどの程度に、またどのように整備するのか、それぞれの取り組み、それぞれの国で課題を抱えながら取り組んでいるかと思います。 殊に、先生もスウェーデンに何度もいらっしゃって、私もスウェーデンの制度をいろいろ学ばせていただく機会がありまして関心を持って見てまいりましたが、簡単に言えば、スウェーデンはいわゆる高福祉高負担、こういうふうに言われております。また先ほどのお話で、国民負担率は計算の仕方によってかなり数値が違ってくる、こういうお話がございましたけれども、一般的には、国民所得比でいきますと一九九〇年の統計では国民負担率はスウェーデンでは七七・四%。そしてまた、いわゆる日本での消費税、付加価値税は一九九〇年に二五%。これは一九六〇年に四・二%で導入されていたときと比べますと三十年間で六倍以上になっているわけです。 スウェーデンの国民の方々にとっては大変負担が重いと私ども考えるんです。負担をしているスウェーデンの市民の方々がこの高負担をどのように受けとめておられるのかについて関心があったものですから、私自身も議員になる前にスウェーデンに行ったときにいろんな方に何人かにお話を伺い、またきのうも実はこの調査会で勉強会がありまして、スウェーデンに三十年住んでいらっしゃる方にその辺のところもお伺いしたんですけれども、これだけ生活に不安がない、これだけの高福祉であれば高負担というのは当たり前のことである、皆さん共通してそんなお答えが返ってまいりました。 ある方は、私たちは、スウェーデンの政府を信頼して、あるいはコミュニティーの行政を信頼して、貯蓄だと思って税金なりあるいは掛金なりを払っている。私たちスウェーデンではそれらが全部国民に還元されているんだ、こんなお話を聞きまして、日本とは大分違うなというふうに思ったんです。いずれにしてもあちらでは個人貯蓄率はほぼゼロ。また、向こうの方に、日本は確かに税率は低い、国民負担率は低いかもしれないけれども、教育費も高い、住宅ローンも高い、老後の生活も不安、そのために一生懸命貯蓄をし、あるいは生命保険を掛け、個人年金を掛け、そういうものを全部トータルするとあるいは私たちより高くついているんじゃないんでしょうかというお話を聞きまして、いろいろ考えさせられました。 また一方で 例えばアメリカなどはいわゆる中福祉中負担、こう言われておりまして、同じような計算方法でいきますと国民負担率は三六・五%、ある程度自助努力を求める社会である、こういうふうに言われております。 日本としては、日本の国民性あるいは文化的あるいは社会的、歴史的背景、あるいは人口規模、その他あらゆる要素を勘案した上で、基本的にどういう方向を目指すのが妥当なのか。どの程度の負担またどの程度の福祉を目指すのがこの日本の社会としては妥当とお考えなのか。非常に大ざっぱな質問で申しわけありませんけれども、議論をするときに目指すべきところをどの程度に見据えるかによって大分違ってまいりますので、これだけの福祉を準備するからこれだけ負担なんだということも議論の一方法だと思います。我々はこのあたりを目指したい、こういうものをひとつ、何かあれば非常に議論がしやすいというふうに思いますので、簡単で結構ですけれども、お教えいただければと思います。
○参考人(丸尾直美君) スウェーデンと日本で負担の問題とか福祉をどれくらいにやるか。国民性もあるでしょうけれども、まず日本自体でも発展段階というのがあるんです。 日本の場合は、先進国にとにかく追いつきたい。とすれば、その段階ではある程度貯蓄率を高くしなくちゃいけない。貯蓄率を高くするためには極力個人も貯蓄してもらわなくちゃいけない、企業も貯蓄しなくちゃならない。企業が貯蓄するためには労働分配率はある程度低くなくちゃいけない、配当性向も低くしなくちゃいけない。個人の場合も、住宅ローンの制度なんかも非常に貧困だったからためざるを得ない、年金も貧困だったからためざるを得ない。大変な貯蓄をしてきて、それが結果的に産業に回って高投資になって高成長してきた。だから追いついたわけです。初めから非常に低い貯蓄率で高い労働分配率でやっていたら今の日本はなかったわけです。 ですから、すべてが悪かったわけじゃない、ある程度合理性はあったわけですけれども、こうして追いついて、一人当たりGNPがスイス以外の先進国より高くなった段階では、やはりもう少し生活の質の充実とかそういう点に使っていい段階ではなかろうか。貯蓄率もある程度下がってやむを得ないということです、ゼロになっては困りますけれども。スウェーデンも今若干回復してきて六%ぐらいになりました。やはり将来も一〇%ぐらいは貯蓄率は欲しいですね、今は一四、五%ですけれども。そういうふうになってきて、段階的に生活の質の充実をしていく、そしてその結果成長率はむしろ下がっていく、恐らくこれから下がっていくと思います。 一九七三年の石油ショック以前までの日本の経済成長率は平均九から一〇%、その後七五年から九一年ぐらいまでは平均四、五%、半分になったわけです。恐らく残念ながら経済成長率は今後また半分になると思うんです。平均二・五%から三%ぐらいになってくる。それでも人口の増加率は小さくなるし、生産年齢人口が減ってきますし、そして労働時間はどんどん短縮していますから、生活の質という点ではこれからが充実する社会ですね。そういう方向を出して計画をつくっていく必要があると思います。 それから、高負担になってくるというのは、これはある程度やむを得ない。そして高負担になる中心はやはり社会保障の負担率の増大だということです。 ここに、最後のところに参考統計を二枚出しましたけれども、従来の社会保障の動きを説明する計量的な式をつくって、そのもとに将来をある程度説明する要因を入れてやっていきますと、ここにありますように、社会保障費にしても医療費にしても対国民所得比で増大するのはやむを得ないわけですね。ですから、そこをまず、こういう意味で負担がふえていくということを明確にした上で、そしてそれぞれが何に使われるかというのをわかるようにするわけです。 年金の保険料でさえも我々は貯金とは考えないで取られると考えるわけです。やはり年金なども、前に社会経済国民会議の中で強調したように、保険料が貯金と考えられるような仕組みにすることが必要だと言ったことがあるんです、基礎年金部分は別ですけれども、その上の部分に関しましては。そういう貯金だという意識が持てるような、よく見えるシステムになっているということ。 それからもう一つは、スウェーデンの場合は三〇%から三一%が住民税ですからね。しかも、その大部分は基礎自治体ですから、自分のところで見えるわけですよね。それで、自分で決めているわけですよ。議員はもちろんいますし、それからいろんな形で参加していて、自分で決めて三〇%、政府が決めている上限に張りついているんですからね、これ文句言えないんですよね。 ですから、そういうふうにして、自分のために使っている、自分の貯蓄だとわかるようにしないと負担率を上げていくというのは無理ですね。ですから、上がることがある程度は必然だということを見せるということと、負担と給付とのつながりをわかりやすくするということが必要だと思いますね。
○浜四津敏子君 ありがとうございました。
○吉岡吉典君 共産党の吉岡と言います。 私がお伺いしたいと思っていたこと、幾つかはもう既に質問ございました。 私、先生の「二十一世紀への福祉ビジョン」という論文の中で、高年者雇用政策と女子の就業率増加ということについてお書きになっている点、非常に注目して読ませていただきました。先生お書きになっていますけれども、減少する若年層と増加する高年層ということをめぐっていろいろ議論があるわけですが、この中で先生は、高年者雇用を増加させる提案を幾つかお書きになっている。そしてあわせて、女子就業率の増加、出生率をどうふやすかという諸提案が行われております。 このことに注目しましたのは、私のところが主張していることでもあるわけですけれども、高齢化社会が進むのに対して対策がとられなくちゃならない、このことはそのとおりですけれども、その場合、高年者がふえるから大変だ大変だということばかり余り大きく騒ぐとお年寄りの人に不安を与えることにもなるし、我々はそれを多面的な見方が必要だ。そういう点で、生産年齢人口が減って高齢人口がふえるというだけでなく、実際に生産に参加する就業人口が人口の中で極端に減っていくのか。女子の労働への参加、高齢者の労働への参加によって就業数はどうなるかということも重要な要素として見ていかなくちゃならないんじゃないか。そういう点では、労働省の統計を見てもそう極端にそれが低下するというふうな状況にはないというふうに私どもは見てきたわけです。 そういうことをいろいろ論議しているやさきに、政策的にもそこを提示しておいでになる先生のこういう論文を読みましたので、先生は、こういう政策の結果、就業人口が全人口の中に占める比率というのはどういう趨勢になるというふうにお考えになっているか、またどうすべきだというふうにお考えになっているか、その点についてお伺いしたいと思います。
○参考人(丸尾直美君) 御指摘のように、全人口の中での就業人口の比率というのが非常に重要なんですね。ここで社会保障の将来推計をやりましたけれども、簡単に書いているんですけれども、このとき説明する変数の一つに高齢者数、六十五歳以上の人口を就業者数で割った比率があるんです。これが一番きいてくるんですね、社会保障には。要するに高齢者は、年金とか老人医療とか老人福祉サービスとか、生活保護ももちろん結構もらいますから、非常にもらう方ですね。それから払う方は就業者を中心とする人口ですから、この比率が非常に重要であるわけです。生産年齢人口に比例していったら、もう一九九五年から就業者数は減っていくわけです。高齢者の方はどんどんふえていきますから、物すごくその比率が大きくなってくるわけです そこで、労働力不足を背景に女子の就業を促すという考えが出てきたわけですね。男女平等意識の高まりもありますけれども、どうも経済的要請があったというのが本心ですね。要するに、女子が必要になったわけですよ、労働力として女性が。そういうのがあった。しかし、今不況だからちょっとおさまっている。不況が回復して経済成長率が数%になればまた労働力不足になってきますね。 労働省の考えでは、女子の就業率を高めることによって二〇〇〇年までは就業者数はまだ減らないという計算ですね。女子が就業していけばそれくらい十分できますよね。それを補うものとして高齢者の就業ですね。これは年金支給年齢引き上げ等によって促していく。それでもいよいよ労働力が足りなくなれば外国人労働者という声が出てくるでしょう。どうも経済的要請が非常に後ろにあるんですね。その三つの隠れた潜在労働力を生かしていけば、二〇〇〇年代、二〇二〇年ぐらいまでは、経済が三%ぐらいで成長しても何とか深刻な労働力不足にはならないで済むということだと思います。 それは成長の観点からしてですけれども、同時に、高齢者が本当に働きたいと思っているならばその就業の機会をつくるとか、それから、女性がどんどん活躍して就業する機会を求めるのは結構なことですから、それはそれで二つの目的で両立しますからね。長期的には外国人労働者がもうちょっと入った方が国際化にとってもいいわけですから、その方向はいいと思うんですね。それがまたタックスベースの拡大になるわけですね。 結局、タックスベースと、労働力ベースという言葉があるかどうかわからないけれども、それを広げないと将来の財政負担の上昇を緩和できないわけですね。ですから、そこを二つ強調していただくというのは非常にいいことだと思うんですよ。タックスベースを拡大する、それでパートなどでもちゃんと社会保険料を払ってもらう。その方が本人のためでもあるわけですね。そしてちょっとは社会保障費もかかる、そういう形でタックスベースを拡大する。 それからもう一つは、就業者ベースを拡大する、そしてそのかわり労働時間は減っていく。労働時間は減って、短い時間で、なるべくたくさんの人に、働きたいというような人は働いてもらうと。労働時間が短くなって労働がそんなに苦痛でなくなれば働いてもいいよという人はふえてくる。そういう方向を出していただければ非常にいいと思うんですね。
○吉岡吉典君 どうもありがとうございました。
○下村泰君 二院クラブの下村と申します。 私が聞きたいなと思ったことは前の方々が全部お尋ねになりましたので、何にも聞くことはございません。 ただ、先生に大変貴重な御意見をいただきまして、むしろ私が気になりましたのは、いろいろなセンターがあってもそれを利用する側がわかっていない、これは統一しなきゃならぬという御意見がございました。これは大変拝聴すべきことで、どうも日本の行政機構というのは、縦割りだけはしっかりしていますが横の連絡が全然ございませんから、利用する方がどういうふうに利用していいのかわからないのではないかなというふうに私は気づきました。これからは、国会の中で、それを皆様方に知っていただけるような方法はどうしたらいいのかなということをむしろやらせていただきたい、こういうことに気がつきました。 どうもありがとうございました。
○会長(鈴木省吾君) 以上で丸尾参考人に対する質疑は終了いたしました。 丸尾参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。 ありがとうございました。(拍手)
○会長(鈴木省吾君) 次に、湯沢参考人より御意見を伺いたいと存じます。 この際、湯沢参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いをいたします。 議事の進め方でございますが、まず、参考人から四十五分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えをいただく方法で進めさせていただきます。 それでは、湯沢参考人お願いいたします。
○参考人(湯沢雍彦君) 御紹介いただきました湯沢でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 〔会長退席、理事竹山裕君着席〕 お手元に私のレジュメと資料をお配りしてあると思いますので、それをごらんいただきながらお話を進めたいと思います。 きょうは結局、日本家族の変化と老人扶養の関係がどういう関係にあるか、それがどういう方向に向かっていくかということがお話の焦点になるかと思います。 まず、日本の家族がどう変わったかということでございますけれども、家族そのものの定義というのはどの法律にも規則にもございません。現実の把握は、世帯構成は国勢調査その他を通じまして把握できますけれども、これがどう変わったかということでないと数的な変化はとらえられないわけであります。 世帯と家族は必ずしもイコールではありません。血縁関係がなくても同一の場所に住んでいまして生計のつながりがありますと世帯員であるという定義でございますし、一方において、同一の家屋にはいなくてもお互いに家族員であるという認識があれば家族であるという思いがあるわけでありまして、そのようにずれがありますけれども、恐らく九〇%以上は家族イコール世帯であるという思いでありますので、これで代替しているわけであります。 細かい資料はお手元に差し上げてありますけれども、小さ過ぎると思いますし、またこれは後のメモとしてお使いになると思いますので、初めにこのグラフをごらんいた、だきたいと思います。(OHP映写) 日本の世帯、だれとだれが組み合わさって世帯をつくるかということにつきましては長い間わかりませんでした。大正九年、一九二〇年に初めて国勢調査が行われましたのを、後に戸田貞三という東大教授が分析を個人的にやりましたもので大正九年のことが奇跡的にわかっているために、これを示すことができるわけであります。 今の言葉で言う核家族というのは、夫婦と結婚していな、子供 これが基本ですけれども、それ以外に夫婦だけ、それから片親と子供も含めますが、そういうのを含めまして左にある五四%ほどが核家族でありました。その次に、これはそれ以外のものを含む、平たく言いますと三世代、夫婦の親が同居しているという場合が多いんですけれども、それを学問的には拡大家族と言います。通俗的には三世代家族です。しかし、実際には四世代にわたるもの あるいは途中が抜けておりましてお年寄りと孫だけという、そういう暮らしの方もここに入ってまいりますが、当時四百三十八万世帯、三九・四%おりました。一番右がひとり暮らし。これは説明の必要がないと思いますが、ひとり暮らしが七十三万世帯、六・六%おりました。 これは何でもないようでありますけれども、実はかなり重要なことでありまして、戦争前の日本は、家の制度が厳重にあったし、みんなが家族主義であったから、大抵の家族は三世代を中心とした拡大家族で住んでいたという思いが当時もありましたし、今の日本人もそうだと思い込んでおります。ところが、現実には拡大家族の方は四割ぐらいでありまして 実際にその当時から多かったのは核家族であったというわけであります。 どうしてそうなったかといいますと、それは一つは寿命の問題でありまして、お年寄りが比較的早く亡くなられたということ、もう一つは、子供の数が平均五人というふうに多かったわけです。結婚した後も自分の親と同居する長男夫婦は親との同居が続きますけれども、次男三男と結婚した人は核家族をつくるしかなかったとしうことになるわけですね。そちらの方が多かったためであります。そういう誤解を解くのに必要だと思いましたので出したというわけであります。 戦後に至りまして、昭和五十年がこういうことになります。御承知のとおり、核家族時代という言葉で非常に多くなりました。拡大家族が割合としては減っております。しかし、実際には減っていないということを後でごらんに入れます。 その次に、一番新しい一九九〇年の国勢調査ではこういうような分布になっております。最近で注目すべきは何といいましてもひとり暮らし、単独世帯の方が非常にふえたということで、実はこの割合のあおりを食いましてあと二つは減少に転じているということなんであります。しかし、このグラフはあくまでも日本の家族の総体でありまして、若夫婦だけとか青年だけの家族もここに入っているわけであります。 今のも個別に申しますと、ちょっと細かいことになりますけれども、昭和三十年から平成二年までを個別にたどりますとこういうことになるわけであります。核家族というのは夫婦と子供、これが中心ですけれども、これがこのようにふえてまいりました。それから、夫婦のみの世帯というのも少なかったんですけれども、だんだんだんだんふえてまいりました。それから、もう一種類、片親と子供だけという暮らしもあります。これもこのようにふえてまいりました。全体として合わせたのが核家族の世帯でありまして、このような伸びを示しております。 続いて、その次の三世代、拡大家族というのは「その他の親族世帯」ですが、これは実は割合だけを見ますと減ったかのごときイメージですけれども、このように大体横ばいでありまして、ほとんどふえも減りもせずに、最近ちょっと減っていますけれども、続いてきているということであります。核家族がふえたために拡大家族が消滅してしまったという見方はいけないわけでありまして、依然としてかなりあるということになるわけであります。 しかし、その中でも単独世帯、ひとり暮らし世帯というのが非常にふえてまいりました。昭和三十年は百万もいなかったわけでありますが、今は一千万に迫ろうというぐらいに非常にひとり暮らしがふえてきた。この中でお年寄りのひとり暮らしもふえてきたということが以下の問題になるわけであります。 これは全体的な観察でありますが、次に、これは六十五歳以上の老人が一体子や孫と同居しているのか別居しているのかを一覧にお目にかけるグラフであります。 一九六〇年、昭和三十五年より前はこのことがわかる資料がありません。なぜか。国勢調査でそういうことをとっていないからであります。どうしてとっていないか。そのころは老人問題という言葉もなかったわけです。高齢化社会もありませんでした。お年寄りがだれと暮らしているかに関心を持つ人は学者にも行政機関にもいなかったからとらなかったわけであります。昭和三十五年以降に若干問題になってきてやっとその分類をとるようになって、これから初めてわかるようになったわけであります。 初めてとったとき、八七%のお年寄りは子や孫と同居しておりました。その次にお年寄り夫婦だけで暮らしているという方が七%、それから、ひとり暮らしとそれから施設に入っております若干の方で五・六%、こういう分布でありまして、大部分は同居でありました この前がありませんが、私が長野県その他の農村で調べたところによりますと、ほぼやっぱり九〇%の人が同居でありまして、その前の統計は日本ではないんですけれども、恐らく戦前までさかのぼりましても九〇%のお年寄りが子供や孫との同居をしていたんだろうということが推測できるのがこの値であります。 さて、この割合は五年ごとの国勢調査でぐんぐん減ってまいりました。一番新しい一九九〇年国勢調査におきまして六〇%ということになりました。あとの人は同居していないわけですが、夫婦だけ、あるいはひとり暮らしの方と施設に入っている方、合わせましてこういうふうになってまいりました。こういうふうになりますと、同居が減ったんだから家族の老人を見る力、老人扶養力は減ってきて、これが問題だという関心が非常に出てきたわけであります。 しかし簡単にそうは言えないのでありまして、通常新聞やテレビはこのグラフだけを出しまして、同居老人が減ったために老人は扶養されなくなった、あるいは孝行子も減ったんではないかということが話題になるわけでありますけれども、これだけ見たのでは実は片手落ちということになるわけであります。 これは、さっきのは割合でありまして、これは実際の数なんです。 実際の数で一九六〇年から平成二年に至る推移を見ますと、子や孫と同居している者はこのとおり実は減ったことがないんであります。どんどん増加しているわけです。このようにふえております。しかし一方において、隣の、夫婦だけの暮らしがもっとずっとふえてまいりました。それから、ひとり暮らしもふえました。施設へ入る方もふえました。こういうことで全部がふえているんです。全部がふえているんですが、夫婦暮らしゃひとり暮らしの方の増加の割合の方が大きいものですから、そこで子供や孫との同居の割合が減ってきたということでありまして、実数は減っていないということなんであります。 同居していることが一応家族が老人を面倒見ているということからいたしますと、かなりの数の、約九百万以上のお年寄りは同居家族の中に入って家族が面倒を見ている。これは一口によく、子供がお年寄りの面倒を見ているというように言われますけれども、これも後で触れますけれども、実はお年寄りのおかげで子供や孫が助かっているという面が非常にあるわけであります。この強調が非常に少ないんですが、これは後ほどまた改めて触れたいと思います。 それから、レジュメの方の二番目に移りますと、これから触れていきます老人扶養というのを一応規定しておかなくてはいけないと思います。 それはどういうことなのかといいますと、扶養を必要とするお年寄り、経済の力がないとか自分だけでは食べられないとか動けないとかという、介護を要するお年寄りに対する援助、これはまずプライベートのサポートが基本だと思います。これができない人にソーシャルの社会的な援助を与える、公的援助ということも考えなきゃいけませんが、きょうは家族の問題なので、私的な援助は何であるかということを焦点に絞りたいと思います。 まず第一には、自己収入がない人に経済的援助を与えること、二番目に、体力その他がない人に介護的援助を与えること、それから、孤独や孤立て悩まされている人に精神的援助を与えること、こういうことが老人扶養の基本概念かと思うわけであります。 そして、三節に移りまして、家族の扶養力です。 子供がお年寄りになった親にどのくらいお金の援助をしているかというのを見ますと、平成四年の老人対策室調査でありますが、平成四年をとりますとこういうことであります。上の方の表は子供たちと同居している親であります。子供たちと同居はしているけれども、お金の援助は一切受けていませんというのがどんどんふえて七四%になりました。受けている方は既婚の息子からもらっているというのが一番多いようであります。 下の表に行きまして、子供たちと別居している親について調べたものでいいますと、九二、三%は、援助は全然受けていませんと言います。残り七、八%が受けているわけでありますが、その大部分は結婚している息子から受けている。その次は結婚している娘から受けているという表であります。 一口に申しまして、子供から経済的援助の大部分を受けているという者は、私は総務庁の老人対策室の調査委員を長らくやっていたことがありますので、そのときのデータで申しますと、昭和四十九年でも一六%でした。昭和五十八年にやりましたときは八%でありました。一番新しい平成三年のもので約三%ぐらいと推定されております。つまり、子供から大部分の生活費をもらわなきゃ暮らしていけないという人は著しく減ってきたということであります。 御参考までにこの表をごらんいただきたいんですが、これは、年とった親の扶養を子供や孫が十分してくれないということで訴えを家庭裁判所に起こした事件が全国でどれだけあるか、そういう統計表であります。 昭和三十五年、この種の事件は全国の家庭裁判所に六百六件起こりました。以下五年置きにとってまいりますと、一九七五年、昭和五十年を境にいたしまして急激に減りました。それから後は三百三十六とか、最近で二百八十六とかいうぐらいの数に減ってまいりました。 これは、一応これだけの数はあるんですけれども数的には問題にならないほど小さくて、例えば離婚事件というのは年間五万件ぐらい家庭裁判所に係ります。そういうのに比べて著しく少ないわけですね。内容的にも、本当の意味で食べられないのに子供はちっとも面倒を見てくれないというケースは減ってまいりました。私は実は昭和三十年代ずっと家庭裁判所に勤務していて記憶があるわけですけれども、そのころ、食べていけない、苦しいから老人ホームでもぜひ見つけてほしいというようなケースが三十年代はかなりありました。そういうのは最近ないそうであります。 私が十五年ほど前に家庭裁判所で出会ったケースについて言いますと、都内のある盛り場で繁盛しているてんぷら屋さんのお年寄りから起こされた事件がありました。そのおじいさんのいわば言い分といたしましては、子供も孫もいるくせに自分の面倒を見てくれない、けしからぬからちゃんと扶養するように言ってほしいという申し立てでありました。 私が会ってお話を聞いてみますと、それじゃお子さんたちは食事も用意しないし優しい言葉の一つもかけないんですかと聞きましたら、いや普通の会話はするというわけです。それから、お食事はどうなんですかと言ったら、朝からおかずは三品ついて一級酒が並ぶんだということでありました。つまり、結構なお食事が出ているわけであります。それじゃ一体何が困るんですかと言ったら、お金にはちっとも困らない、ところが息子のやつめは――本当は自分はまだ体力があるんですね、しかしいつまでも自分がてんぷら屋さんをやっていたんじゃ子供が成り立ちませんので早目に引退して息子にかわったわけです。その息子さんたちが、孫はピアノだバレエだ何だと高いお金を使って一生懸命世話している。ところが、私には食事を出して一言二言声をかけるだけだ、それが悲しいから出したんだ、奥さんもいないから、ということだったわけであります。 その心情はわからないではないんですけれども、これは家庭裁判所が扱う扶養事件にはなりません。肩を百遍たたくような判決をしろとその方は言うわけですけれども、それはいわば法的な執行力がありませんので、たたかないからといって強制執行はできないわけであります。これは引き下がっていただく以外ない。そういう事件が多くなってきたことを聞いております。 総務庁が三回にわたりまして国際比較調査を老人問題でやっております。外国と比べた場合の日本の趨勢ですけれども、これま六十歳以上であるということと、とった年度が一九九〇年であることでちょっと違いますけれども、大体はこういうことです。 日本での今のひとり暮らしの割合は、韓国、アメリカ、イギリス、合併前の西ドイツの姿と比べますと著しく少ないです。夫婦のみはかなりふえてまいりましたけれども、日本でなおほかの国にない特色は、この三世代世帯を組んでいるというこちらの姿であります。 要するにここで見ていただきたいのは、アメリカ、イギリス、西ドイツ等ではこれはほとんどないということなんであります。一%あるかないかというぐらいの数であります。フランスは農業国なんでもう少しあるようでありますけれども、基本的にはないわけであります。日本は、韓国ほどではありませんけれども、三世代同居というのはなお相当の数あるということであります。 それから、「その他」にかなりあるんですが、「その他」が西ドイツやアメリカですと、これは友達同士お年寄りで暮らしているというケースが多いんですけれども、日本や韓国はそうではなくて、三世代以外の、四世代でいますとか、それから息子はいないんですけれども孫と一緒ですとかいうようなことで、結局同居家族なんです。その方になってくるというわけなんであります。 この大勢からいたしますと、このグラフで大事なことは、日本のお年寄りが家族との関係におきましてはなお欧米型ではないということであります。恐らく調査した上でわかってくる中国と似ているんでありまして、東アジア型の基本型を保っているということを御注目いただくためにこれを出したということなんであります。 それでは、グラフを示すのはひとまず休みまして、レジュメの三章に戻っていただきたいと思います。 今申しましたとおり、経済的に扶養するという問題は非常によく解決されてまいりました。大きくならしまして、お年寄りの方でお子さんから送金を受けているというのは、調査によって違いますが三ないし七%、ならすと五%ぐらいのものであります。これをもって、近ごろの日本人の子供は親孝行をしなくなった、親不孝になったという言葉も聞くわけでありますけれども、これは子供の心が変わったというよりも親の生活条件が変わったためではないかというふうに思います。 二十年前、三十年前に比べまして、まず何よりも年金が充実してきたということと、それから七十まではかなりの職につくことができるようになったということ等、生活条件が非常に向上したがために、お子さんが金銭的な面倒を見る必要がだんだんなくなってきたということが主な原因だろうと思います。 それから二番目に、こうしうことかあります。それにしても前だったら九割が同居していたのに、今じゃ六割しか同居できないではないか、三割は扶養力の減退と言うべきではないかという声があります。 これにつきまして御参考になるのが、その次に同居扶養力が書いてあると思いますが、この数をちょっとごらんしただきた、と思います。昭和十年のときには九〇%が同居していました。ところが、父親、母親によって生存余命が変わりますけれども、実は平均いたしますと八年間でございました。そのとき夫の親との同居期間が八年間でありました。ところが、昭和三十年になりますと同居率は八七%に下がりました。このとき両親の生存期間は十五年間であります。平成二年になりますと、同居率は六〇%に下がりましたが、もし同居を続けている人は生存している親と二十二年間同居しなきゃならないということになります。 結局、これを掛け合わせたものが同居のいわば負担といえば負担になるわけであります。そうするとどうでしょうか。昭和十年のときには九〇掛ける八で七二〇だったわけです。それが昭和三十年には八七%が十五年ですから一三〇五という数値になります。平成二年には六〇%が二十二年間ですから一三二〇ということになるんでありまして、実は同居者にとっての扶養負担というのは前よりも増しているわけであります。総量からいいますと決してどうも減っていないようなんであります。そういうことからいたしますと、今の子供が親の面倒を見なくなったというようなことも簡単には言えないんじゃないだろうかということになるわけであります。 一方におきまして、要介護老人、介護を要する老人、この数をどういうふうに算定するかが非常に難しく面倒なところでありますけれども、ともかく増加は間違いありません。これに対して、面倒を見る者として 今まではまず配偶者、それから嫁が当てにされておりました。それから娘、息子、ヘルパー等の必要が出てきたということで、社会的な扶養力が強まってきたということもあって、子供たちの扶養負担というのが相対的には下がったと言えるかと思います。 さて、四番目に移りまして、同居している者は貧乏くじを引くことになるのかということなんであります。 現実の問題といたしまして、子供たち、兄弟が複数いる場合には、親が高齢になればなるほど、殊に介護を要する体になればなるほど引き取った者は大変になりまして、引き取らない者はかなり楽になります。先ほど申しましたとおり、実は九割以上の者は親に一銭も送っていないわけでありますから、この点につきましては圧倒的に別居している子が楽で同居者はつらいということになります。 私が知っている範囲でも、私とは同業の女性の職員で、実は正職員ですから月給二十万円以上あるんだけれども、親の片方が倒れたということで職業をやめまして、自宅で月給二十万円を捨てて介護に当たっている、私は親孝行したいですからと。そういう女性が私の周りにもいましたけれども、一体そういう人の行為は報われることがないのだろうかということになるわけであります。親孝行者ほどばか正直ということになるのは社会的正義に反するように思われてならないというわけであります。 しかし、一方において健康な老人が実は九割はいるわけであります。これと同居した場合にはどういうことになるかという問題があります。一般に、親は病気でも困るけれども、健康過ぎると元気がよくて嫁しゅうとめ問題が起こるのでよくない、日本のガンの一つだということがよく言われます。ですから同居は避けようということが、まあ激しいテレビ下ラマなどが続きますと、女子高校生でも同居しない道を選ぶんだという話がすぐ出るくらいなんであります。 しかし、それは本当の実態の反映であろうかということなんであります。一口に申しまして、日本に今約五百万以上の嫁しゅうとめの同居関係があります。この人たちが争いとか負担に耐え得なくて困っているだろうかという問題があるわけです。 私はこのことにかなり前から関心がありましたが、全国調査の資料がありませんでした。いっかしたいと思っていたときに、昭和五十四年にチャンスが回ってまいりました。それはどういうことかと申しますと、大平先生が総理大臣になられたとき、政策の一つとして家庭基盤の充実ということをたしか四本柱の一つに掲げられました。私が知る限り、歴代総理大臣で初めてだったと思います。各省庁は慌てて家庭関係の資料を充実することに迫られたようであります。経済企画庁は年度末の限られた予算をかき集めまして、家庭生活に関する調査を行うからということで私のところに声がかかりました。私はその調査の委員長をやらされたんですが、そのときに、子供夫婦にとりまして同居している親のことは負担だろうか、あるいはプラスなんだろうかということを調査する項目を入れてほしいと言って、これが認められました。それがこれであります。(OHP映写) 同居している者につきましてもいろんな問題があるわけでありまして、人間関係がうまくいくかうまくいかないかという問題があるわけです。それから、経済的負担があるのか大変になっているのか。それから、家事負担などについては、助かっているのか負担が大きくて大変なのか。それから、体の世話も負担があるのか大変なのかとあるわけですね。その中間には普通というのがあるわけです。 さて、普通の場合をゼロ、負担が非常に大変だという人はマイナス二のところに印をつけてください。ちょっと大変な人はマイナス一にチェックしてください。それから、むしろ同居していることによって助かっているという子供さん夫婦もいるでしょう、そういう人はプラス二につけてください。ちょっと助かっている人はプラス一につけてくださいということにして、三千組の夫婦について調べたのがこれなんであります。 そうしましたらどうでしょうか。うまくいってない、同居が負担で困っているという方が右の方に出るわけであります。人間関係でうまくいってないで大変なんだという人は、出ましたけれども、一・五%でした。その次に、ちょっとというのが、マイナス一が三%であるということなんです。普通が二二%。過半数は、実は非常にうまくいっていますよ、人間関係も、というようなのが半分を占めました。あと、経済的負担、家事の負担、体の世話ということで、こういう分布になりました。 これを総合得点にいたしましたのが下の表であります。全部がプラス二、すべてうまくいっていますよ、親と同居して非常に助かっているわというのが、集めますと、プラス二が四項目ですから全部でプラス八点ということになるわけです。一番まずいのがマイナス八点になるわけです。この間にどういうふうに分布したかというのがこの下のグラフであります。このバツで掛け合わせたのが実はかなり大変と感じている子供たちですね。一番大変だというのはここで一%でした。それから三%、五%ということです。一〇%の子供夫婦は、プラスでもマイナスでもないですよ、まあ普通ですよというふうに言ったわけであります。ところが、全体の八一%はこちらの方に答えました。プラスの方に答えたわけであります。実は、同居していることによってかえって助かっていると判断している夫婦の方がよほど多いということがわかったわけであります。 このことがかなり重要でありまして、これが一つ出るのは、はっきりしたデータで言えることはこういうことであります。親と同居しているために子供夫婦は共働きがしやすいということが明白にあります。全体的に言いまして、中年夫婦の共働き率は五二、三%というところなんですけれども、これを親と同居している者、それから親と別居した核家族というふうに分けてみますと、核家族だけで共働きができているのは、一口で言いますと四〇%であります。しかし、親と同居している夫婦の方が共働きがしやすくて六〇%であります。これはやっぱりうちのことをうまくカバーしてくれる親、特にお母さんがいるからだという返事が返ってくるわけでありまして、こういうメリットがあるわけであります。ですから、同居していますといつも負担のことばかり言われますけれども、実は反対の側面もあるということも忘れてはいけなしんだと、うふうに思うわけであります。 その次に、②に書きましたが、介護を要する老人、寝たきりになられた方とかぼけの進行が甚だしい痴呆性の方とかと同居している者の負担は大変なことは言うまでもないことだと思います。これは御承知だと思います。 その下に「人要り老人」という聞きなれない言葉を入れておきました これはどういうのかと申しますと、実は、まあ非常にひどい病気ではない、軽い病弱程度だ、しかし、ひとりではいろんな意味で過ごすことができないのでだれかの人手が要るというようなことであります。 卑近の例を挙げて恐縮ですが、私は今九十歳になる私の母と同居しておりますけれども、ひとりで遊ぶときとか友達と温泉に行くときなんかはバスに乗って集合所へ行くぐらいの元気はあります。それではひとりで完全に暮らせるかというと、朝御飯、昼御飯は自分でやりますけれども、夕御飯でちゃんと中身があるものはつくることができないということで、これは私のワイフがつくったものを一緒に食へております。 そういうこと以外に、日常的に困ったことを時々勘違いして起こすということが生じます。つまらないような話ですけれども、例えば昨年、ふだん使っていない目覚まし時計で音を鳴らさないで使っていたわけであります。ある日に突然それがどうしたかげんか鳴り出したわけであります。何で鳴り出したのか、どこが鳴ったのかもわからないわけでありまして、何かガスその他が漏れた非常の警報かもしれないと思って隣の奥さんを呼んできたんですけれどもわかりません。そこで二人は警察に電話をいたしまして救急車か何かがやってまいりました。調べてみたら、結局目覚まし時計が壊れて鳴り出しただけだというようなことがわかったというようなことであります。それが私どもの留守の間に起こっていまして、私が帰ってさましたら何だか救急車が着いている、おかしなことだ、そういうような類似なことは時々起こるわけであります。そういうことのためにはやはり同居者がいた方がいいだろうというような、実は家族というのはかなり大きな働きをしているんではないだろうか。 それで、平たく言いますと、そういうふうにはっきり分離できないいろんな雑種の機能を総合的に果たすのが家族の扶養の意味だろうと思います。そういう意味で、やはり七十五歳を過ぎた後期老人層ではかなり人手が要るようになるんではないだろうかということなのであります。やはりその場合には家族というのは非常な助けになるであろう、そういうことなのであります。 〔理事竹山裕君退席、会長着席〕 それから、その次の五節へ移っていただきますと、実は、子供は親を法律的に扶養する義務があるかどうかということの問題であります。 御承知のとおり、民法には、明治民法以来、それから改まった今の民法におきましても、老親扶養の義務は、直接には書いてありませんけれども、直系血族は相互に扶養する義務があるという文言であるわけであります。しかし、これの徹底は非常に薄くなっております。 昭和六十年の総務庁の全国調査のときにこの項目を入れていただいて一般の世論がわかったわけでありますが、民法の上でも扶養の義務というのは規定されているでしょうかということで質問をした場合に、答えはちょうど五〇対五〇に割れました。半分の人は法律にもあると思っていますし、半分の人はもうないのではないかというふうに思っておりました。これは私どもの大学、女子大学でありますけれども、私が担当しております民法の時間でここに触れるちょっと前に、内容を教える前に、授業の初めに学生に毎年聞くようにしております。そうしましたら、以前は大体五〇対五〇でしたが、今はもう七〇から八〇%ぐらいの女子学生は、民法にはそういう規定はないんじゃないですか、子供の扶養義務はあると思いますけれども、というふうに判断するのが多くなりました。 それで、その次に私が、それじゃ民法には規定がないからあなた方は親の面倒を見る気はなくなっているのということを聞いてみますと、いやそんなことはありません、十分親孝行をしたいと思いますと全部の者が手を挙げるわけであります。どうしてそういうふうに感ずるのかと私どもの女子学生に聞きましたら、それは何のためかと言われても困るけれども、直接的には、今郷里からかなり高いお金を払って東京の学校にやってもらっている、これはかなりかかっているらしい、その恩は感ぜざるを得ませんねというふうに言うわけであります。それで、民法の規定なんかなくたって私たちは親を面倒見なきゃいけないという気持ちは高いんですよというわけであります。ほかの人もそうだと思います。 それならばいっそのこと、先ほど言いましたように実際の事件になることもとっても少ないんですね、今全国で千何百万とお年寄りがいながら数百件しか事件こならない。ああいうような法律が今でも要るんだろうかという問題にも逢着するわけであります。民法から扶養の法律を外した方が、例えばイギリス法はありません、外しました。そういう方がかえってすっきりいくんではないかということを質問項目に入れていただけませんかということを私はいっか総務庁に言いました。しかし、それは総務庁の判断によりまして、もしなくてもいいということになったら大変な問題になると思われたらしくて、削除されて、わかっていないわけであります。 六番目に、それでは今の子供たちの扶養意識はどうなんだろうか。青少年の国際比較調査から言いますと、どんなことをしてでも親を養うという答えが、何カ国調査いたしましても日本がいつも最下位に出てくるので、若干問題になります。しかし、これは意識度の違いでありまして、日本の青少年が親の面倒を見るのを放棄したためというふうにはとても見られないわけであります。 もっと具体的に見るために、私は昨年度、私についておりますゼミナールの四年生、ですから大体二十二歳ぐらいの女子がどう思っているかということを直接聞いたことがあります。そうしたら、こういうふうに言ったわけであります。富山県、石川県それから山形県出身の女子学生は、私は結婚したら夫の親の面倒を見るつもりよということを言いました。夫の親の面倒を見るというふうに言うわけです。それは従来からありますように、長男の嫁さんが面倒を見るというのと同じタイプであります。そうしましたら、それ以外の者が、あなたよくそういう気持ちになるわねということを言いました。自分の親の面倒を見るというのならわかるけれども、夫の親の面倒をよく見られるわねというようなことを言いました。そしたら、それは好きになった人の親だから見るのは平気だということを言ったわけであります。そういうふうに育ってきているし、周りもそうだからと言うわけであります。 それで、ほかの者がどうしてそうなるのと聞いたら、そうしなければ家や土地がはっきり自分たち夫婦のものにならないでしようと言うわけです。そこまでして家を守ることが大切かと言いましたら、家というのは冬になって一生懸命雪おろしをしなきやつぶれてしまうぐらい大変なものなんだということでありまして、雪おろしがかなりこれを守っているんだというようなことが少しわかってきたわけであります。 そうしましたら、今度は東京の娘さんとかそれから大都市を転々としている転勤族の娘さんは、見るとしたら、自分の親なら一生懸命見るけれども、夫の親なんか見られるものですかということを断固言い放ちました。それから、もう一つ変わった意見といたしましては、北海道の小さな都市、具体的には北見出身の女子学生は、結局人間というのは年をとったら夫婦で暮らす、片方が死んだら一人で暮らす、それが一番いいのよということをもう自信満々で言いました。ほかの学生が冷たいんじゃないかと言いましたら、そんなことはないですよ、私の周りは親も祖父母もみんなそうやっているんですからと言いました。ということでこの人はどちらとも同居しないという意識で結婚生活に入っていったわけであります。 こういうふうに、私どものゼミナールはたった七人なんですけれども、見事に三つ以上意見が分かれるわけであって、さまざまな意見が出てきたということであります。 もう与えられた時間がなくなってきましたので、七番を言ったところでおしまいにいたしますが、七番は、要するに家族のあり方、理念というのが非常に多種多様になってきたということでありまして、どれでいかなきゃいけないというタイプがはっきりしないために、したがって老人扶養の基本原則とか、それから同居している者に対してどの程度ヘルパーその他が援助すべきなのかなかなか決められない社会であるということがはっきりしてきたわけであります。 日本は核家族をしてきたといいましても、それは若い人が結婚当初で親が元気な時代であります。親の片方が倒れたりあるいは二人ともかなりの病気になった場合どうするかと聞きますと、今でも、中高年の人だけでなくて若い人も、それは同居の方がいいんだということを言うわけです。この辺が欧米的な考えにはちっともなっていないというわけです。これは、要するに若い都合がいいときだけの核家族主義で、中年以降は拡大家族主義だということになるわけで、二本立ての精神です。拡大家族ですと、今の韓国や中国の大部分の人のように最初から同居でいくのが当たり前という考えでしくへきなんですが 日本人の場合はごっちゃになっております。私はこれを見まして私なりのことわざをつくったんですけれども、日本人は親同居の問題について顔はアメリカ心はアジアという、こういうことで分かれているんじゃないだろうか。こういうのを心理学ではアンビバレンツ、両極端の心理と言いますけれども、その中で右往左往しているということが混乱の、要するに老親扶養のタイプがしつかり打ち立てられない基本問題ではないかしらというふうに思っているというわけであります。 まだ少し残っておりますけれども、一応時間が参りましたのでここで打ち切りまして、それは質問に応じてお答えするということで処理させていただきたいと思っております。 私の一応の報告は以上でございます。
○会長(鈴木省吾君) 以上で湯沢参考人の御意見の陳述は終わりました。 これより参考人に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○清水嘉与子君 自由民主党の清水でございます。 大変貴重なお話をありがとうございました。 二、三御質問をさせていただきたいと思いますけれども、先生の御指摘によりまして、私たちは核家族がどんどんふえてきたというふうに思っておりましたけれども、決してそうじゃないんだ、昔からそういう形で日本の世帯は移行しているんだというお話も大変興味深く拝聴いたしました。 しかし、何分にも同居世帯の中で年寄りがふえてきて、しかし年寄りも先生おっしゃるように健康ならメリットは大だ、そして病気だと困るけれどもひとり老人のところでは少し家族が、というようなことをお話しいただいたわけでありますけれども、特にこの八表を拝見いたしますと、欧米諸国に比べて日本の単身というのは意外と少ないんですね、率としては。 それから、しかし欧米のお年寄りの姿を、必ずしも健康でないお年寄りの姿を拝見いたしましても、確かに日本のようにベッドに寝たきりという人は余りいないんじゃないかという感じをどうも持つわけです。それは一般に言われていることですね。日本には寝たきり老人が多いんじゃないか。それは寝たきり老人が多いというよりも寝たきりにさせているのではないかというようなことを言われるんですけれども、まず、どうしてそういうふうに違ってくるんだろうか。この家族構成、例えば、家族の中でお年寄りを大切にして、もう何もしなくてもいいから寝ていらっしゃいというような日本のあれがありますよね。そんなようなことがやはり影響しているのかどうかわかりませんけれども、病院の中でも施設の中でもやっぱり寝たきりの人がどうも多いんですが、その辺は先生どういうふうにお考えになりますか。
○参考人(湯沢雍彦君) 日本で寝たきりが多い原因の一つは、従来の病気の原因の問題、非常に脳卒中等が多かったということと、それが欧米では相対的に少なかったということが一つあるようです。それからもう一つは居住習慣の問題で、畳よりもベッドの方が寝起きがしやすいということもあるようです。それから三番目には、ともかく何か気力の違いということを感じます。 私が見聞しただけでも、例えばアメリカで、我々だったら到底ひとり暮らしできないようなほとんど寝たきりに近いような女の方、八十近い方でしたけれども、この方は、トースターでパンを食べる、それからミルクを沸かすぐらいしかできないようでもひとりで暮らしております。近くに、二十分ほど離れたところに娘夫婦の大きいうちがありまして、そこへ引き取ることが、普通の日本人だったら必ずできることです。ところが、ぜひ引き取るとか入りたいとかということはどちらも言い出しません。それで、ともかく物すごくひとりで頑張るわけです。 それはなぜか。中心的な考えが、要するに他人に頼らない、ディペンドは嫌だ、インディペンデンシーと。これは私が「世界の老人の生き方」という本を十数年前に編集いたしましたとき、イギリス編を実はここにおいでの日下部先生に書いていただきましたが、イギリスのお年寄りが一番好きな言葉はインディペンデンシーというんだということを書いてあったのを思い出しました。要するに、他人に絶対頼るものかという気性の強さですね。どうして同居したらいけないんだろう。要するに、自分がやりたいことができなくなるんじゃないか。ひとりだったら起きたいときに起きればいいし、テレビだってがんがん大きくつけて、しかも見なくたっていいんだし、そういうことができなくなるような、自由がなくなるのが一番嫌だからだと、そういうようなことがあるようでありまして、その反面、要するに日本は周りの人がなるべく親切に親切に、動くな動くなということが一番いいんだということで来たという、そういう面がいろいろ重なっていたと思うんですが。
○清水嘉与子君 ありがとうございました。 この八表のように、これからまた日本では単身の世帯がふえていくと思いますので、家族が三世代のようにいるときには多少家族が面倒を見れるけれども、これから夫婦だけの年寄りだとかそれから単身の世帯の中で老人がふえていく、この欧米の姿になったときにはもうこれ大変な問題になるのかというような気もいたしまして、私も寝たきり老人にさせないというよりも寝たきり老人にならないという気持ちをやっぱりみんなが持つようにならなきゃいけないかなというふうに思っているわけなんです。 先ほど先生の学生さんのお話も伺いました。恐らく今の学生が大人になる、年寄りになるころにはその辺が随分違ってきているんじゃないかなというような期待を抱いたわけでございます。 それにいたしましても、ひとりの世帯が恐らくこれからの大きな問題になろうかと思いますし、その中でもやはり問題になるのは女性ですよね。どうしても女性の方が長生きもしますし、独立してかなりな生活をエンジョイして、そしてひとりで長い生活をするということになりますと、ひとり暮らしの女性の老後というのはどういうことになるんだろうかということなんですが、そういう人たちの何といいましょうか、家族像、もう家族と一緒にという形ではないと思、ますが、さっき先生も、かなり友だちと一緒に住んだりというふうな違った形での世帯構成のようなことをおっしゃいましたけれども、やはりこれから年とったひとりの人たちの生活の仕方といいましょうかね、それがどんなふうに変わってくるであろうか、それは健康な人の話なんですけれども。あるいは、時には疑似家族みたしに子供なんかつくって文通をしたり、何かいろんなことをやるようなのがテレビや何かに出たりすることがありますけれども、どんなふうに変わってくるんだろうか。その辺、もしお考えがあったら教えていただきたいと思います。
○参考人(湯沢雍彦君) 友達同士、他人同士が一つの世帯をつくって暮らす疑似家族というあり方が多いと思いますが、これはよくアメリカなどでの存在が紹介されますけれども、日本ではやるという感じは余り私は持たないわけであります。やはり、直系の子供、兄弟を頼る度合いというのが、昔からの伝統なんでしょうかかなり強くて、それはやっぱり余り期待できないんではないかというふうに今のところは思うわけであります。
○清水嘉与子君 それじゃ、ちょっと視点を変えまして、今家族の介護力が非常に落ちてきておりまして、そしてどちらかというと、医療・福祉施設を中心にそういうお年寄りを受け取るような仕組みができているわけです。本来でしたら家庭で生活してほしい、したい方々も、やむを得ず病院に入っている ある、は施設に入っているという姿が、社会的入院なんていう言葉を使われているわけです。お世話する立場からいえば、そういうところに入っていてもらった方がずっと楽だということはありますが、つまり手がかかるようになってしまったわけですからそれはそういうふうに思うかもしれませんが、しかし入っているお年寄りについて考えれば、やっぱりできるだけ地域で今まで生活してしたような生活がしたいというふうに思う方も多いのではないかというふうに思うわけですね。 そのときに、何とか地域に帰ってきていただけるような仕組みをつくっていかなきゃいけない。それは恐らく家庭の中の住宅の問題もありましょうし、人手の問題もありましょうし、公的、私的のサービスの強化ということもあると思うんですが、そこ先生一番何がネックに今なっているというふうに思われるでしょうか。要するに、地域にもう少し施設に入っている方々を帰したい。 これは、国の政策でも財政的にももちろんあるわけですが、財政的な問題だけでなくて、ちょっと日本は施設を中心に今までやってきたような気がするんですよね。しかも、その施設が十分な条件で生活できるような仕組みじゃございませんので、何とか将来もっと地域で受けとめられるような仕組みにしたいと思うんです。そのときに、家族にどういう支えをしたらもっとそういうことができるようになるんであろうか。
○参考人(湯沢雍彦君) それが私のレジュメの八節に書いておりましたことにつながるのではないかと思いますので、将来への対応ということで考えさせていただきたいと思うわけです。 一つは、要するに自宅へ帰ってもスムーズに暮らせるような条件整備ですね。それは、食事の支度が十分できなければ給食のサービスとか、入浴のサービスとか、その他衣類のサービスとか、そういうことがある程度どこかから来れば家庭の人手も苦しくなく同居ができていくわけです。そのためには地域にはっきりした老人のためのサービスセンターをしっかりつくる必要があるんではないかというのがこの①の提案なんであります。 これにつきまして、一応行政といたしましては、在宅介護支援センターと名づけるものを中学校区単位に置きたいということを厚生省なども発言し出しているわけでありますけれども、私の考えでは、中学校区というのはまだ広過ぎるのであって、小学校区単位に設けて、そこから給食のサービスもするし、それから何かあると、デイサービス、一日だけ行くとか、あるいは一週間だけ中心の夫婦がお産とか病気のときに預かってもらうとか、介護ができるとか、そういうセンターを設けるべきではないかというのが①番のことなわけです。 具体的に申しますとこういうことです。日本には一億二千数百万の中に二万五千校ほど小学校がございます。そうしますと、人口五千人に一校小学校があるわけであります。平均世帯数にしまして千五百世帯ほどで一つの小学校を持っているわけであります。なぜ私が小学校にこだわるかといいますと、かなり広い敷地と、それから広い校舎を持って、今実は生徒数の減で教室が余っているという問題が出てきているからであります。 さて、一方において人手を要するお年寄りというのはどのくらいいるのかということで、私の推算では、実は全人口の一%、今までは一%です。多くなっても一・五%ぐらいなものです、全人口からいたしますと。そうしますと、一つの小学校区域当たりで五十人ないし七十人のお年寄りのことをどうするかという問題になってくると思います。五十人とか七十人でしたら、これは大したことはないという感じが地域の人にもするんではないか。ここにいる六十人のお年寄りをだれがどう面倒見ていいんだろうかということは、かなり考えつきやすいんではないかということなわけです。 さて、うんと人手が要る方こまホームヘルパーによる在宅援助がもちろん必要になります。ヘルパーさんもしかし負担数が多ければ十分なサービスはできません。一日か一週間で割るかでいろいろ変わると思いますけれども、一人当たり五人ぐらい持つというのがいい姿だということを聞いたことがあります。五人にすると五日間で一日ずつ回っていける、あるいは一日のうちの一時間半ぐらいを一人の人に充てることが、回ることができるということになるわけです。仮に五十人ですとヘルパーさんは十人いればいいわけです。七十人でも十三、四人でいいということになります。 一地区でこの十数人のために幾ら払えばいいのかということでありますけれども、スウェーデンなどは、日本円換算にいたしましてヘルパ一さんの手当は月約二十万円ぐらいのようです。日本で二十万でいいかどうかは、ちょっと足りないような気もいたしますけれども、三十万円といたしましても十人雇って三百万円というようなことになります。ボーナスを含めますともう少し要るわけですけれども、世帯数で割りますと、実は一世帯の負担は千三百円か千五百円ぐらいで足りることになります。 しかし、ここでお年寄りを抱えている世帯とお年寄りがいないという世帯で同じ額でいいのかということが問題になるわけでありまして、今言っているのは、甚だ何といいますか、小範囲に限った福祉税みたいなことを言っているわけでありますけれども、税金の問題をちょっとおきまして、直接にかかることだけを申しますと、実は、お年寄りを抱えている世帯はいない世帯よりは多く負担しなければいけないということにいたしましても、月に二千円か二千五百円ぐらいの負担で何とかなるんではないかということなんであります。 私が小学校区にこだわるというのは、中学校区以上になりますと実は大き過ぎまして、お年寄りがどこにいてどういう状態なのかというのが市民がよくわかりません。東京都単位で金を集めて老人福祉のために配るといってもさっぱり目に見えないのでわからないわけであります、地域が大き過ぎまして。小学校区ぐらいで基本的な方針を決めて、どこにどういうふうに使うということだったら耳にすることができるわけであります。そうしますと、我々が月二千円出しているお金でもって、あそこのおじいさんのところへヘルパーが一日置きに確かに行っているねというようなことがわかるわけであります。そういうふうにすると地域間の連帯、福祉観というのも育っていくんではないだろうか、具体的に。そういうようなことを感ずるというわけであります。 さて、そういうふうにかなり地域が福祉を向上したとなっても、なおかつ、いや私の親につきましては私の手で面倒見たいという娘さんとかお嫁さんも必ずいらっしゃると思うわけです。配偶者の人は殊にそうだと思います。そういう人がいますと地域は助かるわけであります。少なくとも周りの人はお金を使わなくていいことになります。しかし、地域はそれでいいのか。私はやっぱり、地域はそのことのために直接な施設、費用等々は助かっているわけでありますから、雇ったかわりになる費用を娘さんなりお嫁さんなりに渡すことを十分考えなきゃいけないんじゃないだろうかということになるわけであります。直接の介護手当というのを出すべきではないかというふうに考えるわけであります。 問題は、今度は施設をどこにつくるかということで、これは中学校でもいいんですが、小学校が非常に今人口減でもって教室の数があいてまいりました。それで、小学校の中にいっそ老人ホームをつくってしまえというような地域が、東京都でもたしか中央区かなんかで始まったようでありますが、そういうこともそれはそれで結構だと思います。しかし、老人ホームに入らなきゃいけないというのはやっぱり特殊でありまして、もっと多くの人は介護センターの方がよっぽど役に立つわけであります。ですから、これをふやしたいというのが一つの提案ということになるわけであります。
○清水嘉与子君 ありがとうございました。本当に御説明していただきたかったところが先生のお話を伺いまして大変参考になりました。 ただ、今のお話ですといわゆる福祉サービスの拠点というような感じがいたしますけれども、実際問題としてこれを支えるためには多少医療面の支えがなければできないだろうと思うんですね。今まで医療はどこか施設の中だけで行われていましたけれども、今、これからどんどん地域に出てこようとしておりますし、何とか私は医療と福祉の連携ということをもう少し強調したいというふうに思ってしるのですが、この在宅介護支援センターなりあるいは先生のおっしゃるサービスセンターなり、そういうところでもう少しそういうことまで統合することはできないでしょうか。
○参考人(湯沢雍彦君) 介護センターに医師、看護婦等の配置を求めまして、そこで軽度の障害者に対する治療、通院的なサービスを行っていただきたいのはもちろんであります。しかし、かなり重度に近いような方はそのセンターの能力を超えることになりますので専門機関に回すという役割分化をいたしまして、いわば前半部を受け持つという機関だろうと思います。
○清水嘉与子君 ありがとうございました。 実際に、サービスを提供する機関としてでなくても、医療の中でも情報が全く伝わっていかないという問題があるわけでして、この状態でどこに入ったらいいのかということが、福祉もそうですが、医療の場面でもわからないことがたくさんございますので、そんな拠点があったらいいなというふうに、そんなイメージで申し上げました。 どうもありがとうございました。
○栗原君子君 いろいろ先生ありがとうございました。社会党の栗原君子でございます。 ことしはちょうど国際家族年でございまして、社会党の方でも女性議員あるいはまた女性局の人たちを中心にいたしましてこの国際家族年というところでさまざまな今勉強を重ねているところでございます。また政府の方では、各省庁がそれぞれこの家族年に当たってのどういう取り組みができるか、こういったことで今、予算もつけていただくなど取り組みはしていただいているわけでございますが、まだ国民の中には十分にこの家族年という意識が伝わってきていないのが実態でございます。そんな中で、ぜひことしこそ日本の家族はこうあるのがいいんじゃないかな、そんなことがあればお聞かせいただきたいなと、先生の希望をお聞かせいただければと思っています。 それと、私ども、家族と言った場合にやっぱり福祉ということを忘れてはいけない、こう思っているわけでございまして、とりわけ女性の問題としてひとり暮らしのおばあちゃんの問題、ひとり暮らしの女性の問題、このひとり暮らしというのは家族であるのかないのか、こんなことも考えておりまして、やっぱり福祉のサービスを受ける、そういったことを考えるとひとり暮らしでもこれは家族と見るべきであろう、こういうことに私ども先般も意思統一したわけでございます。さらには、諸外国ではかなりふえているという話を聞きますが、同性愛の人たちもあるようでございますけれども、まだ日本では余りなじまないわけでございますが、こういったことに対して先生のお考えなどお聞かせいただければと思います。
○参考人(湯沢雍彦君) 今の御質問は国際家族年にちなんだ御質問ではあるんですけれども、きょうの老人扶養との関係からいいますとかなりずれることになるんですが、よろしいのでしょうか。――実は、六年ぐらい前ですか、国連総会でことしを国際家族年にしようという議決がありまして、もちろん日本もそれに加わっているわけでございます。 ところが、国際家族年の提唱は、実は、多く発展途上国において、ホームレスの人々、つまり、暮らすべきます建物がない、家屋がないという人たち、それから難民で、過ごすところがない人たち、それから、親に捨てられて、ストリートチルドレン、道端に寝転がるしかないという子供たち、そういう人たちに温かい家庭的環境を与えようという強い声が大きく一つですね。もう一つは、先進諸国の中でありますような、それからかなり中南米でもあるんですけれども、一応両親と子供はいるんですけれども、ほとんど父親がうちにいない、もうほとんど遊びに、仕事に出ていていないような家庭。たまに帰ってまいりますと、実はメキシコその他の国で聞いたんですけれども、もうやたらに妻や子をしかり飛ばすだけではなくて殴り飛ばしまして、中南米では殴れば殴るほどだんなさんの愛情の証拠だからそう思えという国が多いんだそうでありまして、だから良識ある大学院出の女性などはとても同国人と結婚したくないなんという報告を聞いたこともありますけれども、要するに妻としてあるいは子供としての権利がほとんど認められてない国がたくさんあります。そういう父親、夫と同じような権限を認めろという国において高まってきた。それから、アメリカ等の一部のところでは、ひどい夫による虐待ですね、性差別等でさげすまされている人がたくさんいる。そういうところで、やりきれないから家族をもっと温かい充実したものにしろ、そういう声に支えられて国際家族年が登場してきたものだというふうに思います。 さて、そういう背景は一体日本ではどうなのかといいますと、日本では、幸か不幸かと申しますか、幸いなことに、ホームレスの人が今やほとんどいなくなりました、うちがない人というのは。それから街頭で寝泊まりしている少年少女もほとんどいなくなりました。そういう意味においては非常に恵まれた国になりましたので、どこに焦点を置いたら国際家族年らしい行事ができるのか。 実はほとんどのマスコミも各省庁も困っているんじゃないんでしょうか。何をやったらいいのかわからない。私は日本が一番困っているんじゃないかと思うんです。つまり、日本も十数年前まで、かなり女性にとって不利益を来すような条文があったとか、それから家庭科教育その他において、女性は必修だけれども男性はとらなくていいというようなアンバランスもあった。そういうときにはそういう法規を是正しなきゃいけないということがかなりはっきりしましたですね。そういうことの是正もかなり、大方済んでまいりました。まだ一部民法の上で女性不利の規定は残っているとは思いますけれども、それについては改正が進められていることを伺っております。そういう問題もしかしかなり片づいてまいりました。そうすると、何を目標にしたら国際家族年らしいものになるのか。実は、去年の秋から私の研究室へはもうNHK初めいろんな放送局や新聞社が来まして、何をやったらいいか何をやったらいいかと聞かれて、実はどちらも首をかしげるばかりでうまくいかないという問題があるわけであります。 さて、それでは簡単に申しますと、非常な病理的な側面は今の日本家族は非常に少なくなってきたという点があります。 きょうのお話と外れて余計なことのようですけれども、例えば離婚の問題が上下いたしましてここ数年ちょっとふえたりするんですが、これはまた第二次ベビーブームの年が通り過ぎますと下がっていくだろうと思います。全体から見るとアメリカの半分にも達しないとカソビエトの三分の一であるとかという少なさでありまして、先進国中最低のレベルを持っている。それ以外の、例えば未婚の母がどのくらいいるか、結婚以外の子供がどのくらい生まれるかといったような問題とか、それから親子間の乱暴な態度が行き着く先は親殺し、子殺しでありますけれども、尊属殺統計を検討すればするほど、それから子供の親による子供虐待の極致は嬰児殺という赤ちゃん殺しですけれども、実はこれは幸いなことに非常に下がり続ける一方なんであります。そういう病理的な側面は非常に少なくなってきたことは幸いなことだと思います。 それでは日本の家族が非常に円滑、平穏でいいのかと言い切れない面が実はいろいろあるわけであります。 私の感じといたしますと、何といいますか、家族、親子の心理的な結びつきが少なくとも先進国の中ではかなり弱い国ではないかということを非常に感じております。例えば、小学生に、大きくなったらお父さんのような男になりたいかというようなことを聞いてみます 女の子には同じようなことをお母さんについて聞いてみます。そうすると、それを支持する答えが十三の国に調査いたしましたところ最低なんであります。お父さんが大好きとかお母さんのような女の人になりたいとかという心情が子供にありません。そういうところはかなります困ったことだと思うんですね。 それから、夫婦の間におきましても、夫婦だけでどのくらしよく話し合うかとか夫婦だけで親しい態度が示せるかとか夫婦が仲良く旅行するのは幾日あるかというようなことをとってみますと、これも先進国中最低であります。夫婦の問題につきましては妻よりも夫側にはるかに大きな責任があると思いますけれども、やや日本の夫は、結婚をしてしばらくいたしますと分裂性的な冷たい態度になりまして、よく会話もしなくなるとか、まず基本的にはうちへ帰って家庭で過ごす時間が最も乏しい国ですね。八時前に夫が帰ると、この間までは奥さんの方がかえって不思議がって、稼ぎが少ない、能力がない男で恥ずかしいぐらいだという声がよく聞こえましたが、だんだんそれがなくなってきたと思うんですが、ともかく夜の時間をこんなに過ごさない夫婦はない、先進国の中で。それは明瞭に言えると思うんですね。 私が知っている限り、ドイツ、イタリア、スペイン等の普通の庶民が六時過ぎに夫がわきにいない暮らしというのは考えられないということを普通の人が言います。日本ではそういうことは全く聞かないわけなんであります。そのような夫婦間の情愛が非常に乏しいということを感ぜざるを得ません。こういうのを私はもしなくすことができるんであるならば、これは非常に難しいと思うんですけれども、それこそが日本における国際家族年の向かうべき大目標ではないか、そういうふうに思うんです。 もっと小さく言いますと、例えば国際養子縁組がとっても少ないんですね。やろうという気がありません。要するに知り合い養子しかとらないで、縁もゆかりもない悩める国の子供たちを養子にしようとか里子にしようとかという気が最も乏しいです。こういう点はよくないとか、そういう点はあります。
○栗原君子君 実は、私も近所の主婦の人たちといろいろとお茶を飲みながら話す中で、自分の老後はだれと過ごしたいですかということを聞きますと、大体の奥さんが自分の娘と、それからその娘の子供たちとかその娘の夫、そういった人たちと、娘の方と住みたいということを言っているわけですよね。いわゆる何といいますか、テレビのサザエさんのようなあれがいい、そういうことを言う人たちも結構いるわけでございます。だれもだれもサザエさんのような暮らし方はできないのでありますけれども、大変私はこれは興味あるなと思うんですよね。息子がいても息子の嫁さんには余り自分の老後を見てもらうのは少し遠慮があるとか、そんなことを言うわけでございます。 私は今先生のお話を伺っておりまして感じましたんですけれども、親と住む場合にプラスの面もたくさんあるんですけれども、やっぱりマイナスの面も幾つかあるわけでございまして、私は長年ボランティアをしておりまして、寝たきりのお年寄りを抱えたうちの嫁さんはもう本当に地獄のような生活をしていらっしゃるというのを幾つも見てきたわけでございます。 それで自分の身の回りのこととか、それから家事ができるおばあちゃんについては大変喜ばれているわけでございますけれども、身の回りのことができないおじいちゃんでございますよね、そういうおじいちゃんと住むことは大変嫌うという状況でございます。そうすれば、だから、身の回りのことぐらいはできるようなおじいちゃんになっておかないと若い者と一緒に住んでもらえないんじゃなかろうか、そんな気もするわけでございまして、やっぱりこれは小さいときからの男女平等教育、自分のことは自分でするというごく当たり前のことをしっかり学校の中で教えてもらう必要があるのではなかろうか、こんなことを感じたわけでございます。 それから、実は私はきのうやっぱりこの委員会での勉強会に出していただきまして、スウェーデンの在宅ケアチーフの馬場寛さんのお話を伺いまして、スウェーデンでは結構男性の皆さんがヘルパーをしていらっしゃることを聞きまして、もっと日本でもこのヘルパーという仕事に男性の人にかかわってもらいたいと、そんなことを私は思ったわけでございます。 それとあわせて、マンパワーの確保と先生がおっしゃっております、この8のところの②の中にございますけれども、今大変ヘルパーの確保、看護婦さんの確保なんかが難しい今の状況でございますが、日本で働きたいというアジアの国々の人たちもたくさんいらっしゃるわけでございますから、三Kというところを外国人に押しつけるんではないけれども、何か資格を取ってもらうとか、ある程度の賃金を保証するとかなどいたしまして、もっと日本におられる外国人の人たちにそういったヘルパ一などのお手伝いがしてもらえるようなことを考えないとなかなかマンパワーの確保というのは難しいのじゃなかろうか、私はこんなことを思ったわけでございますが、ちょっと一言先生の御感想をお願いしたいと思います。
○参考人(湯沢雍彦君) 最後のマンパワーの確保で、私はやはり外国から来ている方もいずれ老人ホームなどにはかなり入ってくるんではないかと思いますけれども、やはり外国人に頼るのはよくないことであって、日本人の我々が助け合うことを基本にしなきゃいけないと思っているわけであります。 それにつきまして、私の対応策の②と書きましたところがそれに近いと思いますので御紹介いたしますと、私は「中学生・高校生」と書きましたが、中学生はまだ括弧ぐらいで高校生からでいいと思っておりますけれども、高校生の授業で、あるいは中三ぐらいになりましたら中学生でもいいんですけれども、体験学習的なことをぜひ入れていいんではない、だろうか。 私も、一部のことですけれども、例えばアメリカで見聞いたしましたところ、女子高校生が病院のお手伝いに入っております。一年に何週間とか限られまして病院に入って何くれとなく雑用をやっておりまして、雑用がないときには話し相手になってかなり喜ばれております。 あなたはどうして篤志でやっているのかと言うと、いいえ、それは母がそうやっていたから私もごく当たり前のこととしてやっておりますといったぐらいで、特別な自覚はないんですね。周りがやるようになれば平気でやるようになるだろうというふうに思うわけであります それから、大学生、短大生は体力も出てきているわけでありますから、私はこれは卒業までの必須単位に入れることを考慮してもいいんではないかというふうに思っております。 高校生の場合は、私の今の案では、全高校生を使うのであれば一年のうちの二週間程度、それから大学生、短大生につきましては四週間程度、うち二週間程度は夏休みとか春休みとか休み期間にかけてでもいいということで、各種の老人ホームでもいいですし、在宅看護支援センターでもいいし、訪問援助でもいいと思いますけれども、ともかくこれを動員することによってかなり手はできてくるのではないだろうかというふうに思います。 私は、人手を要するお年寄りの数は、ついこの間までは大した数ではないというふうに思っていたわけであります。ところが、一九九〇年に百七十万人という数が出てきまして、これはかなり大きい数なんですね。大学生が二百十万人しかいないのに対しまして、本当に人手が要る方が百七十万人にもなると、これはもう大学生だけでは足りないという感じになります。(OHP映写) これはまた小さい数字で恐縮でありますけれども、上の表です。平成二年、一九九〇年で寝たきり老人だけで七十万人ぐらい、これが一番新しい厚生省の推定値です。七十万人ぐらいだろう。それからもう一つ、痴呆性の老人の方は、これは下の方のこの数がそうなんですけれども、平成七年、来年には百二十三万人ぐらいだろうということになります。それから上の方でいいますと、これが八十何万に来年あたりにはなってきそうであります。合わせますと約二百万人ということになるんですね。これは私が思っていたよりもかなり大きい数でありまして、まあ多目に厚生省は見積もったんじゃないかと思うくらいなんです。 ただ問題はどこまでを寝たきりとしうか、実はよくわからないんですね。例えば、実は私の父親も健在だったとき寝たきり老人にされたことがありまして、それは、手術をして帰ってきてしばらく起きられなかったらおまえも寝たきりだということで手当が出てきたことがあるんですけれども、それは二、三カ月で起きたんですね。だから、六カ月以上を見るのか、二、三カ月でも寝たきりに数えるかによってこの数は動いてまいります。多目に見て七十万ぐらい。 それから、こちらは痴呆症なんですけれども、痴呆症を何で判定するかがもっと難しくて、なかなかよくわかりません。これを何で決めるか。数年前のことですけれども、神奈川県が、六十五歳以上は大体五・五%ぐらいなるものだというふうに出しました。同じときに群馬県へ行きましたら、うちの県はそんなにいませんよ、一・五%ぐらいのものですということを言ったことがあります。なぜそんなに違うのかというと、はかる物差しが違うからであります。厳しい物差しをこれは当てはめた数だと思いますけれども、ともかく百二十三万という数が出ております。それを合わせますとこれで二百万ぐらいということになるわけですね。 二百万の数を見るのに、これはプロのホームヘルパ一をふやすだけでは足りないであろうということで、どうしても学生、生徒のある程度の動員ということも考えられていいんじゃないだろか。 実際におきまして、私が知っている限り、ドイツで、これは合併前の西ドイツのことでしたけれども、二十二歳ですかになりますと兵役につくかそれとも老人介護につくかということを課していた例があります。それから、はっきりしないんですけれども、ギリシャでは高校生をこのことに使っていた例があるということも聞いたことがあります。 そういう先例もあるわけでありますので、私は、高校生には生活科ないしは家庭科の学外実習を正規に設けて、まず実験校を指定することで始めてみたらどうだろうかという提案を、ぜひ議員の先生からどなたかお出しいただけたらいいんではないだろうかというふうに思います。 それから、大学生、短大生になりますとちょっと性質が違ってくるかと思うんですね。例えば中国で最も優秀な北京大学と上海のある大学で、若者が勉強ばっかりしているのはいけないということで兵役の義務を実は課して、そのために著しく評判を落としたことがあるんですけれども、日本の方は兵役のことは必要ないわけでありますから、これにつきましては反対する意見というのはほとんど出ないだろうと思います。ですから、その代償といたしましては、必要な単位として認定するということだろうと思います。こういう実際の介護体験というのがあることが、人間、日本人としての実は一般教養なんだと思うぐらいの考えでいいんではないかと思うんですね。しかし、どこから始めるかといったら、やはり高校生の学外生活体験という授業でスタートしたらいかがかというふうに思うということが一つでございます。 それから、もう一つ言わせていただいていいでしょうか。――先ほど、同居するなら娘たちの方がいいんだという御意見が強くなってきたということは、まことにそのとおりだと思います。 実は私のうちもそうなんですけれども、都会ではやってまいりました二世帯住宅というのがございます。二世帯住宅というのは、できるだけ台所とかトイレとか水回りを中心こしまして生活の機能を二つに分ける、しかし何かあると一緒に暮らせるというような、一つ屋根のもとでの別居ですね。サザエさんは全くの昔風の一体型同居ですね。あれは私に言わせますとべったり同居という形なんですけれども、今はそこのところを区別した同居、区分型の同居が都会でははやってまいりましたですね、地方には普及いたしませんが。 それで見ますと、実はその二世帯同居でも、それじゃ息子夫婦同居と娘夫婦同居とどっちがいいんだろうということがあります。私が知っている二世帯住宅研究所というところと共同調査をやったことがございます。不都合の点は何なのかということなんです。例えば、遅く帰ってきたとき、大体若夫婦の夫が遅く帰ってきたとき、木戸をバタンバタンとやってお年寄りを起こしては悪いという気兼ねがありますね、そういったようなことです。一番気兼ねを持つのがふろに遅く入るということです。それから、台所の水音とかその他、電話のこととかいろいろあります。 そういうことで、何に一番気兼ねするかというのを点数化して調べたことがあります。そうしましたら、娘夫婦同居の方が息子夫婦同居よりもその気兼ね度の点数が半分で済みました。二分の一で済みました。一番これで気兼ねがなくなっているのが娘さん本人です。息子夫婦同居の場合、一番気兼ねしているのはやっぱり嫁さんです。娘夫婦同居の場合には、娘さんはぐっと非常に気楽で、両方うまく使い分けているという感じです。一番遠慮しているのは、娘夫婦同居の場合にはその中ではやっぱり婿さんなんですね。しかし、婿さんは余りうちにいないということで済んでいるようであります。そういう実例もあるということをちょっと御参考までに申し上げます。
○小島慶三君 きょうばいろいろ貴重な、また興味あるお話を伺いまして、本当にありがとうございました。 私、日本新党、今は新緑風会という会派をつくっております。その中に属しております小島慶三でございます。本当にどうもきょうはありがとうございました。 それで、日本新党では生活者主権確立部会というのを持っておりまして、私、部会長をやっておりまして、生活者というのは一体何かということから始めて、どう考えたらいいのか、生活者の理念、生活者の条件あるいは生活の空間、そしてまたライフスタイルといったようにいろいろな切り口があると思っておりますんですが、そういう意味できょうのお話も大変興味深く聞かせていただきました。 それで、ただ一つ、何かこれ疑問といいますかそういうことを述べさせていただきますと、確かに新党も地方分権と規制緩和とそれから生活者主権というのが三つの合い言葉みたいになっているんですけれども、その中のライフスタイルというものを考えてみましても、例えば一般に言われることは社会構造の変化、それから価値観の多様化といったような、そのほかにもたくさんあると思うんですけれども、そういうことがベースになって新しいライフスタイルが求められるということであると思うんです。一方、先生の先ほどのお話にもありましたように、日本は旧来のライフスタイルというものが、どうも家族の問題を考えてみた場合に、家族のきずなが薄いとか国際比較でもそうだとかいろいろお話があったんで、確かにそういう面もあると思うんですけれども、例えば親を尊敬しないとかお父さんの生き方を学ばないとか母親の生き方を学ばないとか、こういうデータも、例えば反抗期の子供を扱うか、それとももうちょっと成長期あるいは壮年になってからの意識を調べるかによってこれはかなり違ってくるのではないか。 私は、先生の御意見に背くわけじゃないんですけれども、どちらかといえば日本は、家族に対する依存心といいますか、そういったものがむしろ高い方なのではないか。これもどういうものを対象にするかは別ですけれども、むしろ家族に寄りかかっているという面があるんではないか。例えばこれは住宅事情にもよりましょうし、それから農村のコミュニティーとかそういったものもありましょうし、あるいは儒教的な観念といったようなこともございましょうし、やはり家族は大事だという感じはかなり広く持っているのではないか。そして、そういうふうな意識というのはそんなに急には変わらないんじゃないか。 だから、そういう点から見ますと、今の新しいライフスタイルのどうのこうのというのは確かに少し変化はあるんでしょうけれども、かなり緩やかな変化を意識面では遂げているんではないか。衣食住という面から見ますとこれはかなり急ピッチで西洋化してまいりましたけれども、先生さっき顔はアメリカ心はアジアとおっしゃいましたけれども、そういった面がかなり日本人の深層心理としては残っているのではないか、そういう感じがしております。 これは、例えば先生のこの図表の八を見ましても、アメリカ、イギリス、ドイツ、こういったところとはかなり構成が違いますね。それから下の、寝たきり老人になったときにだれに介護を頼むかという点から見ましても、とれも第三者に頼むよりはやはり家族というのがかなりはっきり出ております。だから、そういった点から見ますと、確かに先生の統計は統計として、データはデータとして重視しなきゃなりませんが、深層心理といった点から見ると非常に日本人には家族依存というかそういうのがまだかなり残っているのではないかという感じがいたします。 それで、こういう点は、これから急ピッチで高齢化していった場合に果たしてアメリカ型、ヨーロッパ型に日本人の社会心理といったようなものがなっていくのか、それとも伝統的な、私が申しましたような家族に対する依存心といいますかそういったものは日本は日本として残っていくということなのでしょうか。この辺のところを少し伺ってみたいというふうに思います。 私のような考え方がもしある程度当てはまるとすれば、今の政策としてもかなり高齢化とかそういった変化の方をむしろ強く見過ぎている、逆に政策が変化を先取りしているといいますか、そういうことがあるのではないかというふうにも思うんですけれども、ひとつこれを教えていただきたいと思います。
○参考人(湯沢雍彦君) 大変難しい大きな質問で、何か文明論を伺っているような感じがいたします。 小島先生が今おっしゃられたような感じの理解というのは、つまり日本人にかなり深い家族愛があって暗黙のうちにかなり支持されているのではないか、それは何とか大事にしていきたいというのは、実は男性に有利な主張でありまして、男はそういきたいわけであります。しかし、女性の方は、それを強く言われますと足を引っ張られる原因になって、要するに社会的な活動がうまくできなくなるということで認めたくないという女性がどんどんふえてきたという点が厄介なわけであります。そういう意味においてかなり世論が分裂していまして、なかなか統一した日本人の家族観みたいなものが言えない時代になってきているのではないんでしょうか。 家族が大事だということは暗黙のうちに皆さんだれでもあるんです。しかし、これは日本人だけではありません。実は欧米諸国でもどこの国でも、あなたにとって一番大事なものと言われたらどこだって家族が挙がってくるんです。そういう意味では、日本人だけではなくてどこでも大事にしている。ですけれども、大事にしている焦点が、私が知っている限り、アメリカやヨーロッパの先進国では夫婦にあります。夫婦こそが大事であって、本当の気持ちをわかってくれる。連れ合いが亡くなったときお墓へ行って自分の心情を語るというところをよく見るわけですけれども、そういう姿は日本ではありません。 日本の人は、これがまた大学出に聞くか小学出で地方の町に暮らしている方に聞くかによって話は違いますけれども、例えばこういう質問があります。三十ぐらいから上の方で結婚の経験もある、それから出産の経験もあるという方が集まったところで無理に聞いてみます。 女性にとって結婚というのはやっぱり人生一大事で、周りからは祝福されるし、よほどのへそ曲がりじゃない限り非常にうれしい、一つの大きいことをやったという気持ちの満足感ができたでしょう。それからもう一つ、しかし女性にとってはお子さんを産んで母親になったときというのも非常に満足感、充実感を覚えるでしょう。この二つのことは異質だけれども、無理に比べたとき、どっちの方がよりうれしかったか、充実感を覚えましたかという質問を出してみます。 これを出してみますと、日本人の大部分の人が、例えば岩手県あたりへ行きますと、千人の会場に私は聞いたことがあるんですけれども、もう九百九十何人までが、それはもう子供が生まれて親になったときですよというふうに答えました。東京へ来ましても、東京ではまあ理屈の方が先行するような女性の方もいらっしゃるせいもあるんですけれども、そうじゃない、結婚したときの方がよりよかったという人がいますけれども、それでも十数%です。圧倒的大多数は、やっぱり親になったときの方がよっぽど自分にとったはいいことだという返事が返ってきます。これは日本人として今まではごく当たり前のことだったわけであります。 このことをドイツなどに行って聞きますと、実は話が通じないわけであります。何でそういうわかり切ったことを質問するのかがわからないというふうに言われます。それはもう聞かなくたってわかることをなぜ聞くのかという調子であります。それじゃどっちの方に決まっているんですかと聞きますと、何でそんなことがわからないのかという調子で普通の奥さんの集まりからは返答が返ってまいります。それは結婚して妻になったときの方がうれしいに決まっているじゃないかというわけであります。我々日本人にはその理由がよくわからないわけです。 それで、なぜそういうふうに思うんですかというふうに聞きますと、こういうことです。結婚して妻になるというのは、まずいい男を見つけなきゃできないというわけです。いい男というのは、実は私だけじゃなくてほかの女性も注目していまして、それとうまく結婚できるためには、だからいろいろ工夫、努力して、それから何人かの競争に勝ち抜かないといい男はつかまらない。だから、目指している男と結婚できたら勝利の喜びがあると言いました。オリンピックで勝ったようなものだという声がある。それからもう一つの問題は、結婚相手を決めるというのは、もちろんほとんど恋愛結婚なんですけれども、選択ができるじゃないかということですね。男にもA、B、C、D、いろいろある。その中のどれがいいかということを自分で選べる。選べないのと比べてやっぱり選んだ方がうれしいに決まっているじゃないか。 それに対しまして、それじゃ、出産はどうしてそれほどの感激がないんですかと聞きますと、不妊症の夫婦は別として、普通の健康な夫婦だったら子供というのは自然にできちゃうと言うんですね。むしろ、ぽこぽこできてしまうのをいかに防ぐかという問題になるというわけです。つまり子供を産むのにまず工夫、努力が要るかというわけです。普通は何も要らないというわけです。努力は要らないというわけです。それから、セレクションができるか。例えばこういうことですね。勉強の方はできなくても非常に体操ができるとか、今でしたらスキーの名選手になれるような運動神経万能な男の子がほししと思って産んでみても、スポーツは全然という女の子ができてくるとか、そういう調子だというわけです。なんでこれがうれしいかという、極端に言うとそういう理由から向こうの人ははっきりしているんですが、そのことは一つは、人生の生きる焦点がやっぱり配偶者にあるか子供にあるかということだと思うわけです。 極端に言いますと、日本人の結婚観というのは、これまでは実は生活の手段のためだったんですね。殊に女性はそれ以外、中年の職がないんですから、ほかに手段がなかったから実は涙をのんで結婚しているという人が多かったんだと思います。男は非常に生活に不便なので生活手段としての結婚をしたということで成り立ってたんですが、そういう必要はどうも、しなくてもいいようになったということで最近の男性の結婚難が始まってきたと思うわけです。これについてもいろいろあるんですけれども、同じ家族愛でも、焦点が違うので簡単には割り切れないんだということをちょっと申したつもりであります。
○小島慶三君 どうもありがとうござ、ました。 先生のお考えを、生活者主権の部会のスタートに刻んで、男性偏重という一もっとも日本新党には男女共生社会を目指すという部会もありまして、これと本当は一緒にやらないとこの部会はいけないと思いますので、きょうのお話を伺いまして、そういうことをよくひとつ反省して、これから勉強したいというふうに思います。 もう一問実はお伺いしたい点があったんですけれども、ちょっと時間になってしまいましたので、私はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
○浜四津敏子君 公明党の浜四津でございます。湯沢先生、本日は大変ありがとうございます。先生は民法が御専門でいらっしゃいますので、その関係で二点お伺いしたいと思います。 第一点目は、ひとり暮らしの高齢者の方がふえてきている、そしてまた殊に痴呆性老人の方がふえてきておられる。そういう面から、こうした高齢者の方々の資産の保護あるいは保全、そうした権利擁護の必要性が大変課題になってきているんじゃないかと思います。 これまでの現在の民法の制度からいたしますと、禁治産宣告を受けてそして後見人を選任してもらう、こういう制度はあるわけですけれども、この制度は非常に利用しにくい。また、戸籍を汚すということで非常に嫌われている。また、事後的なもので必ずしも十分に機能しない、こういう声が非常に多くあります。そんな関係で、資産を持っていらっしゃる高齢者の方がひとり暮らしあるいは施設に入った場合に、その資産をどう保護するか、またそれをどう本人のために活用といいますか、利用できるのか。その制度をどうも確立する必要に迫られているんじゃないか。私どもも、成年後見制度を日本でも導入するべき時期が来ているんじゃないかというふうに考えております。 そのあり方といたしまして、現在でも福祉公社が財産管理あるいは保全サービスをやっておりますけれども、例えばアメリカのように公的後見人制度をとっている国もありますし、この日本の現状を前提といたしまして、成年後見制度をいろいろ検討はされておりますけれども、先生はどういう制度が妥当とお考えになっていらっしゃるか、それを一点お聞かせいただきたいと思います。 それからもう一点は、先ほど、同居は貧乏くじか、こういうことでお話しいただきました。確かに、高齢者の介護をした家族、ある意味ではメリットも確かにあるかもしれませんけれども、大変な苦労をされておられるわけで、こうした介護をされた家族にどう報いるか、それも制度としてやはり何らかの確立をすべきではないか。今の制度では寄与分もなかなか認められませんし、遺言できちっと配分を決めておいてくれればいいですけれども、なかなかその遺言も十分には利用されてないという、こういう現状の中で、何とか報いる方法はないんだろうか、こう思いますけれども、この二点についてお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(湯沢雍彦君) 二つ御質問ありましたが、高年齢者のための後見人制度をつくることは、私は絶対必要であると思っております。ただし、これは第三者に明示する必要があるせいもありますが、戸籍に記載されるのをどうするかという、殊に原因をどうするかということが問題になりますので、一つの考えといたしましては、後見人という名称を変えて、監護者とか何か別の呼び方にしまして、戸籍の記載ま避ける、そのかわり何かの公の証明書を発行するという形で切り抜けたらどうなんだろうかというふうに思っております。 それから、仮に後見人といたしますと、公的後見人、パブリックなガーディアンというのはアメリカ法が得意なところですけれども、これは普通ですとすぐに、では弁護士資格がある人というような感じになってくるんですけれども、私は必ずしも弁護士になってもらう必要があるのかというふうに思うんですね。そこら辺につきましては、もっと市民の中で、定年退職したばかりの六十代で体力も知力も十分働くような人で、かつ経理事務になれたようなかたい方をそれこそ集めて、チームを町ごとにつくって、その人から選んで公的後見人に据えたらどうだろうか、そういうふうに思ったりしております。 それから、二番目の問題は、老親を、年老いた親を十分介護した、中心になっていたお嫁さんが亡くなった後相続にあずかれない、それだけではなくて相続的な報いを得ることができない、これを何とかしたいという御提案だったと思います。 これにつきましては、例えば私のところもそうでありまして、私の家内からよく責められる問題であるんですけれども、そのような思いを持つ女性はたくさんいると思うわけです。これにつきまして、調停で話し合いということでしたらある程度はできますけれども、はっきりした審判とか裁判では、今はともかく、子どもの配偶者は相続人の範囲から外れていますからできないんですね。どう裁判官が配慮してもできないということになっているわけです。それについて何らか特別な配慮はできないんですかということを私は東京家庭裁判所の現役の裁判官に尋ねたことがあります、十年ほど前ですが。 そうしましたら、その裁判官はこういうふうに言うんです。確かに、夫の親の介護でかなりお疲れで、いろいろ労力が要って、気遣いも要った、そういうことはわかりますと言うわけです。しかし、同時に今までの例を見ていますと、家庭裁判所にかかわりました事件から見ていますと、そういうふうに介護をしてきたお嫁さんは、実はよくよく見てみると、ほかの相続人に言わせますと、二十五年間も結局長男夫婦は無償で親の家に暮らしていたじゃないですか、一体それまで家賃を払っていたんですか、長男夫婦は一銭だって出してないじゃないですかとかですね。最後の五、六年間は大変だったでしょうけれども、最初の七、八年、親が非常に元気なときには、子どもを幼稚園に送り迎えをしてくれたりとか、その他家業を手伝うとかいろいろ援助をしてもらったという人がたくさんいるじゃないですかと。そういうのはこの場合得しているわけですね。そういうのと、それでは介護によって費やした労力を勘案してみると、実は相殺されてしまってゼロになってしまうというケースが以外に多いんですよ、だから私は認める気にならないんですと、こういうのが裁判官のお返事だったわけです。ですから、そういう点もありまして、実は嫁さんもつらかったつらかったということばかり言うんですけれども、得したということは言わないというのはちょっと不公平なところがある、確かにそういう説明はできるんですけれども、なかなかそれでも納得いかないものがあるわけです。 それじゃ遺言で、面倒をかけたおじいさんなりおばあさんなりは、嫁にもかなりの物をやるという遺言を残したらどうだろうかという問題があるわけです。 日本で高齢者の人で遺言を実際するという人は非常に少ないんですが、それでも三ないし五%の方がいらっしゃいます。これは少ないからというので、NHKはときどき朝の婦人向け番組で特集を組んで、遺言が書いてあった方が相続紛争が防げるからこういうふうにしろというような説明をよくやります。しかし、私はあれについて疑問に思っています。公正証書などの遺言を残すことは実は紛糾の種になる方が多いんですね。どうしてか。つまり、大体は亡くなる人は遺言を残しませんから、法定相続分の計算ができます。うちは子供が三人なんだから、二分の一の三分の一で六分の一は少なくともあるはずだと。ここで母親が譲ってくれればもっとふえるはずだというのを期待して、親の死ぬのを待っています。そこへそうではない遺言が飛び出してきますと、これはおかしいのではないか、そのときだれか、嫁さんは父親をかなりいじめて私の言うことを聞かなければ水も持ってこないというようなことをしたんじゃないかとか、紛糾の種になりかねないんですね。 それで、実は日本において遺言がはやらないというのは、みんなか遺言がないことになれ過ぎているということと、法定相続分がはっきりし過ぎているということが原因ではないだろうかというふうに思ったりしているわけであります。 以上です。
○浜四津敏子君 残されたほんの少しの時間で。 ただいまのお話、本当に私も大分数多くの遺産事件、分割事件やってまいりましたので、本当にそのとおりというふうに思うんですけれども、ただ、親の面倒を見た者は長い間同居して家をただで使ってきたではないか、必ず出る反論ではございますけれども、しかし、家から出ていった人はそれなりに家を持てた。ところが長男夫婦は家に縛られて、結局相続で分割するときにはその家を売らざるを得ない、また別のところに移らざるを得ないというケースも結構ございまして、結局のところは非常に損をした。ですから、同居は貧乏くじだという思いを持っている人もかなり多い。その思いは長男夫婦とそのほかの子供たちと非常にずれがあるんですけれども、それも事実ではないか、こういうふうに思っておりまして、先ほどの裁判官の方のお話も、よくそのお話が出ますけれども、それは、長男とかあるいは面倒を見たお子さんの、現場の方の気持ちとちょっとずれているんじゃないかというふうに思ってきたこともよくございました。 時間が参りましたので、大変ありがとうございました。終わらせていただきます。
○吉岡吉典君 共産党の吉岡といいます。 先生が読売新聞の連載でお書きになっている中で、「家庭だけでは介護負担を背負い切れなくなるのは明らかで、原則的に社会が負担するシステムを作るべきだ。」とおっしゃっているんで、私、大賛成で、私も今盛んにこういうことを言って歩いているところです。 このことを念頭に置いて、ひとつ先生の意見を聞かせていただきたいことがあるんですが、私、最近街頭演説を聞きました、候補者の。これは地方選挙ですけれども、もちろん知らない人です。聞いていて、私いまだに頭の中に残っている演説ですけれども、私は親が子供に見守られながら息を引き取りたいと言っている中で育ってきた、今八十幾つで寝たきり老人になっているけれども、私はその親の言うことを聞いて今どんなに親の面倒を一生懸命見ているか、という話をこの候補者がやっておられました。 私、これを聞いて、先生にお伺いしたいんですけれども、非常に立派な生き方だと思われるか。これだけでいいと思われるか、これで票になると思われるかどうか。これは、日本社会のいろいろな意識状況を知る上で、そういうことを考えながらその演説を聞いたわけなんです。そういうことで、あの演説がここの会合に出るといつも頭の中に出てくるものですから、ちょっとこういう機会ですので、先生の意見をお伺いさせていただきます。
○参考人(湯沢雍彦君) 難しい御質問で、私も選挙に立ったことがないから票につながるかどうかわからないんですけれども、つまりそういうふうに、今一生懸命親の介護をしているんだということを訴えることが、今の市民の胸をどれだけ打つかということだと思うんですね。 私は、それは立派なことを確かにおやりですねという気持ちはみんなある程度持つと思うんです。しかしもっと大きな気持ちは、だけれども、何か、今そういうことをやっていて、ほかのことにすがらないのはばかみたいじゃないというふうに思う気持ちの方がもっと上回っているんじゃないかというふうに思います。それは私の推測です。
○吉岡吉典君 それじゃもう一問、いろいろ今までもお話がありましたけれども、原則的に社会が負担するシステムということと、子が親をという関係というのは、これはなかなかいろいろ複雑な意識との関係等々あると思います。この点で、先生特にここでこういう点おっしゃっておきたいという話があれば、ちょっと聞かせていただいて終わりにします。
○参考人(湯沢雍彦君) それについては、私先ほど具体的に二つのことを申しましたけれども、それ以外に具体的に考えていることは現在のところございません。
○会長(鈴木省吾君) 以上で湯沢参考人に対する質疑は終了いたしました。 湯沢参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 ありがとうございました。(拍手) 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後五時散会