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129回国会衆議院1994/04/05

本会議 第14号

発言数
9
登壇者
2
会派数
2
開催日
1994/04/05

会議録

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) これより会議を開きます。      ————◇—————  弔詞贈呈の件

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) 御報告することがあります。  議員山下元利さんは、去る三月十四日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  つきましては、山下元利さんに対し、弔詞を贈呈いたしたいと存じます。弔詞は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決まりました。  弔詞を朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに議院運営委員長の要職につき また国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等山下元利君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます  この弔詞の贈呈方は議長において取り計らいます。     —————————————  故議員山下元利君に対する追悼演説

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) この際、弔意を表するため、大出俊さんから発言を求められております。これを許します。大出俊さん。     〔大出俊君登壇〕

大出俊日本社会党・護憲民主連合

○大出俊君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、本院議員山下元利先生は、去る三月十四日、逝去されました。  昨年の暮れごろより健康を害し、二月に入ってからは入院されていると聞き、一つ違いの同世代でもありまして、長年親しいおつき合いをいただいていた私は、一日も早い御回復と議員活動の再開をお祈りしておりましたが、その願いもかなわず、ついに不帰の客となられました。まことに哀悼痛惜の念にたえません。  私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表して、先生の御遺徳をしのび、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。  先生は、大正十年二月、京都市にお生まれになりました。「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くがごとし」、これは先生が座右の銘としていた徳川家康の家訓の一節でありますが、先生の生い立ちは、まさにこの言葉そのものでありました。  先生は、悲運にも少年時代に母親と死別し、また、父親の家業の行き詰まりのために京都府立第一中学校を余儀なく中退して上京されました。  幼い弟妹を養うために、みずからは新聞配達を、そしてまた事務員として早朝から深夜に至るまで身を粉にして働かれていたということでありますが、そうした中にあっても、先生は常に勉学 に対する情熱を失われませんでした。文字どおり雪を積み蛍を集める御努力の末、専門学校入学資格検定試験に合格されたのであります。  時に昭和十一年十月、当時の新聞の報ずるところによると、弱冠十五歳、史上最年少の専検合格者と褒めたたえられており、まさに快挙でありました。  その後、第一高等学校、東京帝国大学と進まれた先生は、昭和十八年、大蔵省に入省されました。ところが折あしくも太平洋戦争のさなかであったために、大蔵省をすぐに退職されて海軍経理学校に入校、翌年には海軍主計中尉としてマニラへと赴任されたのでありました。  終戦時、大連におられた先生は、そこで当時のソ連軍の捕虜として抑留され、苦難の末にようやく昭和二十二年に復員されました。  復員後、直ちに大蔵省に復帰された先生は、新しい国家体制のもとでドッジ・ラインやシャウプ勧告に基づく国家財政の立て直し、税制の再構築に尽力されました。  その先生が政治の世界に飛び込むきっかけの一つとなったのは、昭和三十年、鳩山内閣総理大臣の秘書官に任じられたことでございました。  この約二年間にわたる総理秘書官時代に、先生は幾多の政治家とじかに接する機会を得られました。中でも、日ソ共同宣言調印のため、鳩山首相が病躯を押してモスクワに赴いたときの目的達成へ向かう精神力の強靱さに心を打たれたようであります。また、後に首相となった佐藤栄作氏が、保守合同の後、岸内閣の成立まで、私淑していた吉田茂元首相とともに無所属で通されたことに、政治家の真骨頂が、節を通し節を守ることであるとの思いを強くされたのでありました。(拍手)  こうして昭和四十二年、先生は、第三十一回衆議院議員総選挙に、「私心のない清潔な政治」、「郷土愛、祖国愛に根差す政治」を基本姿勢に、滋賀県から勇躍立候補され、見事、初出馬で当選の栄冠に輝いたのであります。(拍手)  本院議員として議席を得てからの先生は、間もなく大蔵委員会理事、また、税制及び税の執行に関する小委員長に選任されるなど税制通としての本領を遺憾なく発揮されました。  昭和四十七年、先生は、第一次田中内閣の官房副長官に抜てきされました。先生は、「決断と実行」をキャッチフレーズとした内閣の裏方として政務に邁進されました。殊に昭和四十八年のゼネストの際には、政府を代表して当時の総評幹部との折衝に当たり、労働界からも信頼された誠実な対応によって、ゼネストの収拾に大きく力を尽くされたのであります。  昭和五十三年十二月には、第一次大平内閣の防衛庁長官に任命されました。  就任当時、政府部内では、有事立法の研究など、かなり踏み込んだ議論もなされておりました。そうした中で先生は、まず何よりも「信頼される自衛隊」であることの必要性を愚直なまでに誠実に説かれました。  そして、折しもダグラス・グラマン事件のあおりで凍結された早期警戒機グラマンE2Cの予算を執行するために各方面を説得して回られましたが、私もまた予算委員会での質問、そしてまた凍結解除の話し合いを続けました。先生と私の深い人間関係は、このころに始まったと記憶しております。  また、「南北分断の緊張を肌で知るだけでも意味がある」と言われて、現職の防衛庁長官として初めて韓国を訪問され、三十八度線の視察や日韓防衛首脳協議に当たるなど、我が国の防衛問題に並み並みならぬ寄与をされたのであります。こうした誠実さが党派を超えた信頼を集めていったのは、言うまでもありません。  第九十二回国会において、先生は、衆目一致、全議員の期待と信頼のもと、議院運営委員長に推挙されたのであります。  当時の鈴木内閣は、行財政改革を基本政策に掲げておりましたが、先生は、立法府もとれに積極的に対応すべきであるとの立場をとられました。特に、公務員給与のベースアップの一部凍結に際しては、国会議員も協力すべきであるとして、議員歳費改定の凍結、互助年金の一部支給停止に踏み切るなど、進んでリーダーシップを発揮されました。また、武器輸出問題等に関する決議を筆頭提出者として取りまとめに当たられるなど、これらすべてが先生に対する各党の信頼のあらわれでありました。  先生は、自由民主党におかれても、税制調査会、安全保障調査会を中心に活動され、殊に税制調査会では、小委員長として税の直間比率の見直しなどに大きな役割を果たし、また、高齢化社会に対応した財源の必要性をいち早く説かれるなど、先見の明を持った、すぐれた税制通でありました。  このような数々の実績を重ねながら、先生は、衆議院議員として当選すること連続十回、在職二十七年五カ月の長きに及んだのであります。  あの豪放らいらくなしゃべりと人懐っこい笑顔で、皆から「ガンちゃん」と呼ばれ親しまれた先生。愛妻家として知られ、何よりも御家族を大切にしておられた先生。  思い返してみれば、昭和六十年九月、私が先生とともに北米及び中南米の政治経済事情調査のためアンカレジ経由でニューヨークへ向かったときのこと、大きな包みを飛行機の座席に大事に抱えるように持ち込まれた山下先生。「ガンちゃん、その荷物、何だい」私が尋ねても、ただにこにこしているだけで何もお答えにならない。そしてニューヨークの空港に着いてから乗りかえの飛行機を待つ間も、「ガンちゃん、もうニューヨークに着いたんだから落ちつきなよ」そんな私の言葉にも一向に構わず、そわそわと待合室を出たり入ったり。  そこへ一人の若い御婦人が幼い男の子の手を引いてあらわれたとき、ガンちゃんの落ちつかない理由がわかりました。当時ニューヨークに勤務しておられた御子息のお嫁さんと、それからお孫さんと待ち合わせをしておられたわけでございます。そして機内に大切に持ち込んだ荷物は、そのお孫さんのために東京から買ってこられた当時はやりの大きな恐竜のおもちゃでした。そのお孫さんを抱き上げて、顔をくしゃくしゃにして。私は先生のそんな一面に接して、同じように孫を持つ者の一人として思わずほろりとさせられたものでした。  先生は、逆境の中にあっても希望を失わない努力の人でありました。信義を重んじる信念の人でもありました。また、だれに対しても細やかに気を配られる人情家でもありました。  今また、行財政改革や税体系の見直しが叫ばれ、一方では冷戦体制の終えんに伴う我が国防衛政策のあり方が問われております。「また先生の出番がやってきましたね」そう思っていたやさきの訃報でありました。先生のような有為の人物を失いましたことは、自由民主党の皆さんはもとより、本院にとっても、国家にとっても、まことに大きな損失と申さなければなりません。(拍手)  山下先生、私どもは、もはやこの議場に先生の柔和なほほ笑みを見ることはできません。あの豪とした弁舌を聞くこともできません。しかし、先生の残された幾多の功績とそのお人柄は、私ども同僚議員の心の中に生き続けることでありましょう。  ここに、山下元利先生の生前の御功績をたたえ、その御遺徳をしのぶとともに、その眠りの安らかならんことを祈り、謹んで哀悼の言葉といたします。(拍手)      ————◇—————  人事官任命につき同意を求めるの件  検査官任命につき同意を求めるの件  原子力委員会委員任命につき同意を求めるの件  宇宙開発委員会委員任命につき同意を求めるの件  衆議院議員選挙区画定審議会委員任命につき同意を求めるの件  公安審査委員会委員任命につき同意を求めるの件  日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求めるの件  商品取引所審議会会長及び同委員任命につき同意を求めるの件

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) お諮りいたします。  内閣から、  人事官に市川惇信さんを、  検査官に佐伯英明さんを、  原子力委員会委員に伊原義徳さんを、  宇宙開発委員会委員に野村民也さんを、  衆議院議員選挙区画定審議会委員に荒尾正浩さん、石川忠雄さん、内田満さん、大林勝臣さん、大宅映子さん、塩野宏さん及び味村治さんを、  公安審査委員会委員に青井舘一さん及び山崎恵美子さんを、  日本銀行政策委員会委員に濃野滋さんを、  商品取引所審議会会長に杉山克己さんを、  同委員に植田守昭さん、上村達男さん、佐々波楊子さん及び竹居照芳さんを 任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。  まず、人事官、検査官並びに商品取引所審議会会長及び同委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも同意を与えることに決まりました。  次に、原子力委員会委員、宇宙開発委員会委員、衆議院議員選挙区画定審議会委員、公安審査委員会委員及び日本銀行政策委員会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに賛成の皆さんの起立を求めます。     〔賛成者起立〕

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) 起立多数。よって、いずれも同意を与えることに決まりました。      ————◇—————

土井たか子無所属議長

○議長(土井たか子君) 本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十二分散会      ————◇—————

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