決算委員会 第3号
- 発言数
- 71 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1993/02/25
会議録
○貝沼委員長 これより会議を開きます。 平成元年度決算外二件を一括して議題といたします。 本日は、裁判所所管について審査を行います。 この際、お諮りいたします。 裁判所所管の審査に関し、最高裁判所長官の指定による代理者から出席説明する旨の要求がありますので、これを承認するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○貝沼委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決定いたしました。 —————————————
○貝沼委員長 次に、最高裁判所当局の概要説明及び会計検査院の検査概要説明につきましては、これを省略し、本日の委員会議録に掲載いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○貝沼委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決定いたしました。 ————————————— 平成元年度裁判所所管一般会計歳入歳出決算概要 最高裁判所 平成元年度裁判所所管一般会計歳入歳出決算の概要を御説明申し上げます。 一 裁判所所管の歳出につきましては、当初予算額は二千四百八十八億四千百四十一万円でありますが、これに大蔵省所管からの移替額三億二千八百三十五万円余、昭和六十三年度からの繰越額四億九千四百五十一万円余、予算補正追加額五十一億五千百十六万円余、予算補正修正減少額二億八千七百八十三万円余、差引き五十六億八千六百二十万円余が増加されましたので、歳出予算現額は二千五百四十五億二千七百六十一万円余となっております。 これに対しまして、支出済歳出額は二千五百二十七億六千百八十七万円余であり、歳出予算現額との差額は十七億六千五百七十三万円余であります。 この差額のうち、翌年度へ繰り越した額は二億四千四百五十六万円余、不用額は十五億二千百十七万円余であります。 不用額となった経費は、人件費七億三千四百九十六万円余とその他の経費七億八千六百二十一万円余であります。 二 裁判所主管の歳入につきましては、歳入予算額は二十七億五千百三十四万円余であります。 これに対しまして、収納済歳入額は四十三億六千二百五十六万円余であり、歳入予算額に対し十六億一千百二十二万円余の増加となっております。 この増加は、相続財産で相続人不存在のため国庫帰属となった収入金の増加等によるものであります。 以上、平成元年度裁判所所管一般会計歳入歳出決算について御説明申し上げました。 ………………………………… 平成元年度決算裁判所についての検査の概要に関する主管局長の説明 会計検査院 平成元年度裁判所の決算につきまして検査いたしました結果、特に違法又は不当と認めた事項はございません。 —————————————
○貝沼委員長 これより質疑に入ります。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小森龍邦君。
○小森委員 それでは、何点かにわたってお尋ねをいたしたいと思いますが、まず陪審制度についてお尋ねをいたします。 日本における陪審制度というのは、古い時期のことを言えば江戸時代にそれに似たような参座の制度というのがあったようでございまして、明治の初めにもその制度の尾は引いておるように歴史書には書かれております。今、私が直接問題にしようとしておる陪審制度というのは、一九三〇年代、昭和三年ごろからではなかったかと思いますが、第二次大戦たけなわになるころ、敗色濃厚になるころまで十数年間、我が国にも陪審による裁判が行われたという歴史的経過がございます。 その陪審制度というものがどういう理由によって、あるいはどういう法律的扱いになって中断をされているのか、中断と見てよいのか廃止されたと見てよいのか、法律的にはどういうふうになっておるのかということをまずお尋ねをしたいと思います。
○濱政府委員 お答えいたします。 これは委員十分御研究になっていらっしゃる問題でございまして、法務委員会等でも御質疑をい ただいているところでございます。陪審法は、もうこれも委員十分御案内のとおり大正十二年に制定されまして、そのうちの一部、すなわち陪審員資格者名簿及び陪審員候補者名簿の作製に関する規定につきましては昭和二年六月一日から、またその他の規定につきましては昭和三年十月一日から施行されたわけでございますが、昭和十八年法律第八十八号、陪審法ノ停止ニ関スル法律によりましてその施行を停止されて今日に至っているわけでございます。 陪審法の施行が停止されたのは、何分戦前のことでございまして停止の理由は必ずしも明らかではございませんけれども、陪審の評議に付された事件が昭和四年の百四十三件をピークに逐年減少いたしまして、昭和十三年以降は毎年四件ないし一件という数にすぎない状況にあったこと、その一方で各市町村が陪審員資格者名簿等の調製のための多大の負担を負っていたというようなこと、それから陪審員の出頭や多数の証人喚問が必要になるなど、国民を初め裁判所、検事局の負担が少なくなかったことなどから、戦時下の緊迫した諸般の事情にかんがみてその施行を停止したものというふうに思われるわけでございます。 したがいまして、委員の最後のお尋ねでございました、廃止されたのか停止されたのかというお尋ねの点につきましては、今最後にお答え申し上げましたように、陪審法ノ停止二関スル法律によって施行を停止されて今日に至っているというのが私どもの理解でございます。
○小森委員 その陪審裁判が行われておる間に取り扱った総件数をできればお知らせをしていただければと思います。なお、その総件数を私が知りたい理由は、陪審裁判というのは結論としては無罪率がどの程度の数字になっておるか、あわせてここ最近の我が国の刑事裁判におけるいわゆる無罪率というのがどういうふうになっておるかということもお知らせをいただきたいと思います。
○濱政府委員 今委員お尋ねになっておられます、まず陪審制度が行われていた間における取り扱われた事件数等につきましてはちょっと正確な数字を持ち合わせておりませんけれども、あるいは若干の誤りがあれば後ほどまた正確な数字を申し上げさせていただきますけれども、昭和三年から始まりまして一番多いときが昭和四年、百四十二件といったものが陪審に付されておりますが、五年が六十件台、八年が三十件台というふうにだんだん減ってまいりまして、十四年、十五年、十六年、十七年はもう一けた、四件、一件、二件といったような状態になるわけでございます。 それから、後の方でお尋ねになられました無罪率というのは、陪審法が施行されたころのことでございましょうか、ちょっと私どもの方は今その数字を持ち合わせておりませんが、あるいは最高裁御当局の方からお答えをいただければありがたいと思いますが……。
○島田最高裁判所長官代理者 無罪率の点でありますが、陪審に付された事件が十五年間で全部で四百六十件ございまして、そのうち無罪となった事件は八十一件、パーセントにいたしますと一七・六%でございました。 それから、現在の無罪率ですか——地方裁判所、簡易裁判所別に答えさせていただきますが、私ども無罪率という場合に、陪審制度の場合ですと否認事件について陪審裁判になったわけでございますので、我が国の現在の裁判において否認事件の中で無罪がどの程度あるかという無罪率、これを出しておりますが、例えば平成元年の無罪率が地裁で三・七二%、簡易裁判所で六・四六%、それから平成二年は地方裁判所が二・六%、簡易裁判所が六・六三%、このようになっています。
○小森委員 無罪率について数字を示していただきまして思うことは、やはり陪審制度による裁判の結果の方がはるかに無罪の比率は高い、こういうことがうかがえるわけでありまして、結局のところ、ある一つの犯罪事実あるいは容疑の事実について、裁判官の判断するところと一般の国民が判断するところの価値の尺度というか物の見方というか、そういうものに相当な開きがあるように思えるわけであります。 それで、その開きが、本当にやっておる、犯罪事実を犯しておる者を逃がすということについては、やはり法の秩序という意味からしてそこには考えなければならぬこともあると思いますけれども、やってない者が罪に服するということについては、さらにそれよりも大きな物の考え方をして人権を守らなければならぬ、こういうことがあるわけでございまして、日本のこの陪審制度というのは、陪審に参加した人が裁判の判決に至るまで、裁判が結審に至るまでどのようなかかわり方をしていたのか、そういう点をお知らせいただきたいと思います。
○濱政府委員 今委員お尋ねになられました御質問に対する正確なお答えにはなっていないかと思うわけでございますけれども、余り当時の詳しい資料が手元にないものでございますから、私の非常に浅薄な知識の理解でお許しをいただきたいと思うわけでございます。 当時の刑事陪審制度につきましては、陪審制度という形で国民の意識と申しますか民意が裁判に反映するようにということからこういう制度が設けられたものだというふうにもちろん理解するわけでございますけれども、例えば事実認定の点について、有罪か無罪かという事実認定の段階で陪審員がその判断に関与すると申しますか、陪審員が判断をするということであったと理解するわけでございます。 結局、例えば外国における陪審制度と比較いたしました場合に、当時の日本で採用されました刑事陪審制度にはやはりいろいろ当時の考え方として、何と申しましょうか問題のある点が多々あった。国民の、陪審員の判断という形での民意の反映というものにも、当時の裁判制度が、これはもう委員御案内のとおり天皇の名において行われる裁判という制度のもとにおける限られた範囲での陪審員の判断と申しますか、事実認定についの陪審員の判断ということで行われておったというような点も含めて、やはりいろいろ陪審制度の働き方というものが非常に制約された形でしか働かなかったというところが、大ざっぱな言い方ですけれども一つ問題として指摘されるのではないか。そういうことがやはり根底にあって、当時の状況からいって、せっかく施行された陪審制度であったけれども、その施行を結局停止されるような事態にならざるを得なかったということではないかと思うわけでございます。 やや、ちょっとあいまいな、委員の御質問に対する的確なお答えではないかと思いますが、私の浅い理解で申しますとそのようなお答えになるかと思うわけでございます。
○小森委員 一つの裁判を判決に持っていくまでに陪審員というものが果たす役割と裁判官の果たす役割と、受け持ち分野のようなものがあったと思うのですが、日本の陪審員というのは、その判決に至る裁判の過程の中でどこまでを担当していたのか、これがわかればお知らせいただきたいと思うのです。
○濱政府委員 非常に難しいお尋ねで、私も的確なお答えをいたしかねるわけでございますが、一つ申し上げられることは、陪審答申、つまり陪審員が評議をいたしました評決結果、答申につきましては裁判所を拘束しないという制度になっておったというふうに理解しているわけでございます。したがいまして、陪審の評決が出ましても、裁判官は何回でも陪審を構成して評決を求めるということが可能であったというふうに理解しているわけでございまして、そういう意味では裁判所に対する拘束力を持たなかった、そういう点が非常に特に大きな問題であったというふうに理解しているわけでございます。これも今委員のお尋ねに対するお答えになっているか、ちょっと心もとないのですけれども、そういうふうに理解しているわけでございます。
○小森委員 そうすると、こういうふうに理解をしてよろしいんでしょうか。陪審員には集まってもらうけれども、刑法第何条を適用するとか、つまり法の適用はもちろん裁判官の判断によってな されるものであって、陪審員はその犯罪の事実行為をどういうふうに見るか、例えば、果たしてこのおのをもって相手を殴り殺したとか、果たしてこのひもをもって絞め殺したとか、そういういわば証拠に関する部分について陪審員の皆さんは自己の持つ知識経験等に照らしてこれはこうだということを裁判所に、答申というと言葉が当たっておるかどうかわからぬけれども、まとめた意見を提示する、こういう分担区分になっていたのでしょうか、その辺をちょっとお尋ねします。
○島田最高裁判所長官代理者 ただいま委員がおっしゃったとおりでございまして、大体陪審裁判の場合には、証拠調べが終わり、そして弁論も終わりますと、最後に裁判長が法律上の論点と問題となるべき事実、それから証拠の要領等を、説示という言葉で呼んでおりますが、陪審員に対して説明いたします。 その説明の後、公判に付せられた犯罪構成事実について、あっなかなかったか、犯罪構成事実の有無について陪審員に問いを発します。 それから後は陪審員の方で、裁判官から離れたところで独立に評議をしまして、過半数の多数決でその問いに対してしかりとかしからずとイエス・ノーの答申をいたします。 ただ、先ほど法務省の刑事局長から御説明がございましたように、裁判官としては、この陪審員の答申には法律上拘束されませんので、答申が不当と認めたときには何回でも陪審員をまたかえて裁判をやり直すことができた、こういうことでございます。
○小森委員 ほかに細かいことはいろいろあって、この裁判が立ち消えになるような状況を考慮に入れた場合に、他に不合理な問題もあるのではないかと思いますが、先ほど来説明を求め答弁をいただいた限りにおいては、極めて合理的な制度であるように私は思うわけです。 以前からずっと法務委員会において最高裁と私との間で議論のやりとりが行われております裁判官の良心といいますか、自由心証主義に言うところの自由な良心に基づく判断、良心と法律にのみ拘束された判断ということは裁判官にとっては最も大事なことなのでありますが、裁判官がかなり広い教養を身につけておられるとはいっても、世間一般の社会の習慣とか一般国民がどういうふうな物の孝之方で日常行動をしておるとか、あるいは全く経験も予想もしてないような手の込んだ犯罪事実に突き当たったときに、その犯罪事実を分析する一節一節のところで少しずつ誤った判断を裁判官がした場合には、これは要するに大変な結論になって、特にそれが死刑などというような大きな事件になりましたときには取り返しのつかないようなことになる。 こういう意味で、陪審員にある一つの事実、犯罪事実と思われるものを提示して、こういう事実が存在したと思うか思わないかというような形で尋ねるということは、要するに、言うならば裁判官の足らざる知識というものを補って、その上で判断をするという意味で私はこれは非常に合理的なものではないかと思います。 しかも裁判官に、陪審員が事実認定したことと裁判官が腹のうちで思っていることと違ったら、何回でもそれをばらして、また新たな陪審員によって考え直してみてもらうという権限があったようでありますが、そういうような状況があってもなお無罪率は非常に高かったというところに私はこの無罪率の、一七・何%かの数字をお示しいただきましたが、我々が考えなければならない非常に重い重い意味があると思います。 そこで、この陪審の問題については、一、二年前に法務委員会の議論の際に、法務省でしたか最高裁の方でしたか、ちょっと私も議事録を調べてきておりませんが、この制度を欧米に調査というか、研究に毎年派遣しておる、こういう意味の答弁をいただいたことがございます。 そこで、あれから相当の時間もたっておりますので、欧米の方面に向けてこの陪審制度についての調査研究からお帰りになって、ある程度のことをまとめておられれば、どういうふうな視察、研究の状況であったのかということをこの際若干お示しをいただきたいと思います。
○島田最高裁判所長官代理者 ただいま委員がおっしゃいましたように、陪審制度及びヨーロッパ諸国の参審制度、この研究のために、これまで最高裁判所といたしましてはアメリカやイギリス、それからドイツ、フランス等に裁判官を派遣いたしまして研究調査を行ってまいったところであります。ただ、何分にも、陪審制度、参審制度、これは刑事裁判の基本的な構造にかかわる大きな問題でございますので、まだまだその研究は不十分なもの、まだ研究途上のものではございます。ただ、一応、今委員がおっしゃいましたような成果というものも、徐々にでありますが、順次出てきておるところでございます。 そこで、私どもといたしましては、その欧米に派遣された裁判官方の調査の結果及び私どもとして国内にある文献等も研究いたしまして、それらの研究結果につきまして、各国の陪審、参審制の主要論点ごとにまとめ、資料として順次刊行していこうということを考えまして、最初の第一号の資料として、昨年十一月にアメリカの陪審制度に関し、とりあえず陪審の構成、選定手続を中心にまとめた資料を刊行いたしたところでございます。 この資料は、アメリカの陪審制度の中でも非常にいろいろ問題を含んでおると言われる陪審員の選定につきまして客観的な資料、統計等をもとに組み立てた資料でございますけれども、そういった資料を公刊していくことにより、国会の先生方も含め、広く国民一般の方々に、諸国における陪審、参審制度がいかなるものであるかということを御承知いただくという意味合いもありまして、今後続けて資料を刊行していきたいと思っております。 それで、ごくごく大まかな言い方をさせていただけば、現在のところ、研究途上ではありますが、陪審、参審制の持っておるメリット・デメリットがどの辺にあるか、また、現にそれらの制度をとっている国々において陪審制、参審制についてどんなような議論がなされておるか、抱えておる問題点は何かというようなことがだんだんにわかってきつつあるというところでございます。
○小森委員 もう少し具体的にお答えをしていただけるかと思いましたが、途中のことでなかなか難しいことかもしれません。 そこで、私の方から、これまでの我が国の陪審制度でとられておった制度と諸外国との関係はどうなんだろうかということを一つだけ例を出してお尋ねしてみますが、我が国の場合は、陪審制度で裁判を受けたいか受けたくないか、つまり、裁判を受ける者がそれを請求する、こういう形になっておったようでありまして、それは必然的に、請求をすればそれにかかる経費、もし敗訴の場合は経費を見るという問題とか、あるいは司法関係者の、裁判長あるいは検察官、ひいては自分が依頼をしておる弁護士、法律専門家を少し軽く見て、あなた方では頼りないから陪審制度でお願いをしたい、こういうふうに当の本人が関係者からとられた場合に心証が悪くなる、だからここは素直に、そういう陪審制を採用するのではなくて、一切を天皇の名のもとで行われる裁判にお任せします、こういうふうな考え方の方向に人々の気持ちが動いたのではないか、そんなことを私は危惧しておるわけであります。 そこで、それは、そういった歴史に対する評価というのはこれから各人がいろいろやるところなんですけれども、日本は請求に基づいて陪審制を採用するということにこれまでなっておったわけですが、諸外国の体制はどうなんでしょうか。それは、もう本人が望むと望まざるとにかかわらず、要するに裁判の形式としてそういうものは整っておるのだということなのか、あるいは今とまっておる日本の陪審制度と同じような形になっておるのか、その一点だけ、だから、請求権といいますか、請求をめぐる問題だけでもお答えをいただければと思います。
○島田最高裁判所長官代理者 まず、先ほど委員 のおっしゃった我が国の旧陪審ですが、これも法定陪審と請求陪審と二つございまして、刑が非常に重い事件の場合には法定陪審でございます。これは、要するに請求がなくても陪審が原則、ただし、被告人の方で断ることはできる、こういう建前になっております。 それから、外国の諸制度、いろいろなバリエーションございますので、もとよりすべてについて正確なお答えはできませんけれども、大方のことを言えば、大体は今説明申し上げたうちの法定陪審、要するに、ある一定限度に重い事件については、被告人が黙っておれば陪審制度に乗っかる、ただ、被告人の方で嫌だと言えば職業裁判官による裁判も受けられる、こういうところが多いように承知しております。
○小森委員 最初にこの陪審制度のことについて若干のこのようなやりとりをいたしましたのは、今日の我が国の裁判が、まだまだこれは氷山の一角だと思いますけれども、ごく最近のこの十年間ばかりの再審無罪になった事件との関係からすると、要するに裁判官の事実認定、もちろんその前には警察官とか検察官の捜査というものが積み上げられておるわけでありますが、究極は裁判官がどう判断するかという問題でございます。 一九八三年の免田事件から、続いてその翌年の財田川事件、あるいはその直後のことだったと思いますけれども松山事件あるいは島田事件など、数え上げると幾つかあると思いますが、これらの事件というのは、死刑の判決を受けて、そして拘置所につながれて、いつ死刑を執行されるかわからない、戦々恐々としてその日その日を過ごしているというような状況の人でございましたけれども、再審の結果、一転これが無罪となって帰ってきた、こういう問題でありまして、これはまれに見る事件とか人生の異常な体験とかということだけでは済まされないわけでありまして、まかり間違ったら取り返しのつかない、つまり死刑を執行されていた、そういう可能性を持つ人たちであります。そういうことになりますと、裁判官が一つの事実をどう認定するかということは非常に重大な問題であると思います。 そこで私は、この陪審制度のことについて最初に触れさせていただいたのは、陪審の場合、わずかなデータですけれども、一七%余りの無罪率を数字で残しておるということは、要するに、一つの事実を多くの人の目で見て、多くの人のさまざまな経験というものを背景にした知識で見て認定するということが非常に大事なのではないかというふうに思うわけであります。 そこで、私は、この証拠というものを、刑事訴訟法上はいろいろな手続がありまして証拠として採用できるとかできぬとかという問題があるわけでありますが、つづまるところは、最終的には裁判官の自由心証、法律と良心にのみ拘束されるという最後の自由心証に基づくものだと思うのであります。 そこで、これまで幾つかのそういった死刑から無罪へというような大逆転劇を演じたような事件、再審の結果が出た以上、前の判断が誤判であったと言わざるを得ないと思うのでありますが、つまり、再審の結論が出るまでの原判決、地裁から高裁から最高裁に至るまでの判決というものが誤判であったということになるわけでありますが、かかる誤判というものはどういうふうなところから出てくるだろうかと私は思うのであります。 新聞等によりますと、最高裁もその点をいろいろ研究なさっておるようだし、法務省も研究なさっておるようだし、警察庁も研究なさっておるようでありますが、きょうは警察庁をお呼びしておりませんので、どういうふうな研究をなさっておられるか、そして、誤判の根拠というか原因になったものは何かというようなことについて、きょう段階、中間的な何かのまとめのようなものでもありましたらお示しいただきたいと思います。
○濱政府委員 まず、検察当局において、あるいは法務当局も含めまして検察の立場から、今委員が御指摘になられました、死刑確定事件が再審の結果無罪になったという事件について、それをどういうふうに検討して、どういう問題点を研究、検討の結果として考えているかというようなことについてお答えをさせていただきたいと思います。 委員が御指摘になられましたように、再審によって無罪が確定した死刑言い渡し事件のうち、幾つかの事件につきましては、その捜査、公判等の問題点について検討を行いまして、その検討結果を取りまとめるという作業もいたしておるわけでございます。そういう検討結果について、将来における検察権の適正な行使に生かしていきたいということで、その検討結果については、検察庁の部内に周知をさせてそのような事態が生じないように対処しているというふうに承知しているわけでございます。 そこで、じゃ検討結果としてどういうことが取り上げられているのかということでございますけれども、これは検討についてはこれまでも検討いたしておりますし、今後とも検討を続けていくということで、もちろん全体的に検討を終えたというわけではございませんけれども、幾つかの問題が指摘されているわけでございます。 一つは、これも委員常々御研究になっておられて御指摘をいただいている点でございますが、自白の任意性はもちろんのことでございますが、特に信用性の問題について十分吟味がなされたかどうかという自白の信用性の吟味の問題でございます。 それから二つ目は、捜査段階において鑑定等が行われた場合の鑑定書の証拠能力あるいはその信用性というようなものについての問題でございます。 最初の方の自白の信用性の問題は、これはもう委員も十分御案内のとおり、要するに自白が信用できるかという自白の信用性について客観的な証拠との突合と申しますか、照合を十分行ってその信用性を検証すると申しますか信用性を吟味していく。自白を初めとする供述証拠に頼らずに、例えばその証拠物等の客観的な証拠あるいは犯行現場の状況等の客観的な証拠を十分検討して、その客観的な証拠を重視して客観的な証拠との対照においてその自白あるいは供述証拠の信用性というものを検討していかなければならないということが一つの問題でございます。 それから、鑑定あるいは鑑定書の信用性の問題について申しますと、これはそれぞれの時代における科学水準から可能な限りの精度のある科学的知識を使って鑑定が行われているわけでございましょうけれども、やはり当時の鑑定技術と申しますか、科学水準が後になってみるといろいろやはり不十分な点があるというような問題も一つあるかと思うわけでございます。 いずれにしましても、その科学的な知識を使って鑑定を行うということ、またその結果証拠となる鑑定書につきましても、その証拠能力あるいは信用性について慎重に吟味、検討をしなければならないというようなことが一つ指摘されるのではないかというふうに思うわけでございます。
○島田最高裁判所長官代理者 裁判所といたしましても、今の点につきましては、ただいま法務省の刑事局長の方からお答えがあったのとまさに同じような問題意識を持っております。 まず第一に、先ほど御指摘のあったような再審無罪事件の一つの大きな問題点は、例えばこの著名四大事件、これらは御指摘のあった事件すべて被告人がいつかの時点で自白をしておる事件であった。そうすると、やってもいない被告人が果たして自分がやったと自白するだろうかというようなこと、これは常識的に考えればだれでも最初そう思うわけでございまして、ところがやはりいろいろな証拠によって検討した結果はその自白自体が虚偽であった。そうなってくると、自白がある事件でも、その自白については果たして任意になされたものであるか、またその自白に信用性をどこまでおけるかという点、これが非常に重大な問題であるというふうに私どもも認識いたしまし て、したがってその自白の任意性、信用性をどうしたら正しく判断し評価できるかということ、この点につきまして、私ども、最近の例えは刑事事件担当の裁判官の協議会等におきましては、これを中心のテーマにいたしまして皆の経験を持ち寄ってあれこれ議論を闘わせたりしておるところでございます。 その議論の一つの結果といたしましては、例えば被告人が被疑者の段階でどのような取り調べを受けたか、その取り調べの経過の一覧表というようなものを客観的な資料として捜査官側、検察側から提供していただいて、その客観的な取り調べの経過状況を見ながら、それをもとにその取り調べた警察官や検察官に必要があれば証人尋問等を行い、取り調べられたときの状況について詳細に取り調べをしていく。それによって任意性、信用性の正確な判断に一歩でも近づくように努力していこうじゃないかというようなことも検討しております。 また、この自白の任意性、信用性、どうしたらそれを正しく評価できるかという点につきまして、裁判官による司法研究もございまして、貴重な報告も行われております。また、ベテランの刑事裁判官によって、最近「刑事事実認定」という表題で事実認定に関する研究書も刊行されておるところでございますが、委員が御指摘のように、私ども裁判官の職員として一番肝心な、一番重要なのは、何といっても適正な事実認定ということでございますので、それを目指して私どももいろいろと努力は重ねておるところでございます。 それからまた、先ほど法務省の方から第二点の問題として鑑定の点を御指摘されました。これまた、まことに私どもとしても同じようにそこの重要性を認識しております。専門家が出した鑑定であるからということで、安易にそれに乗っかると後で違っていたというようなことから、とんでもない間違いを犯していたというようなことになりかねない、そういうおそれも結構ございます。というようなことで、私ども、どうしても法律家である裁判官としてその鑑定分野については知識が疎くなります。専門家の言にどうかすると安易に信用をおきがちでございますので、それではいかぬということで鑑定について重々勉強していかなければいけない。 具体的に申しますと、例えば各地において鑑定研究会というようなものも開きまして、裁判所でよく鑑定をお願いしておる先生方に来ていただいて、その先生方と裁判官とでいろいろと討論を交わしながらどんな点が問題になるかということを研究してまいる、そんなようなこともやっております。それからまた、鑑定をテーマに司法研究などもなされております。そういったようなことで、私どももこの正確な事実認定についてはいろいろ努力いたしておるところでございます。 さらに、言うなれば、委員がいつも御指摘されるところの究極のところは、事実認定も裁判官の円満な常識、非常に常識的な判断というところに最終的に帰着するところも大きいというところから、各裁判官においては、いわゆる書斎に閉じこもって研究ばかりということではなくて、やはり広く社会一般の常識的なものを涵養しなければいけないという意味でそちらの方面に向けて今裁判所としてもいろいろまたその広い常識の涵養に努めておるわけでございまして、一つには、広く海外へも行くチャンスを多くしておる。これは財政当局の御協力を得て予算もとりまして広く海外へ行ってまいる。あるいはまた新聞社とか民間の会社とかあるいは行政官庁、そういったところに若い裁判官が派遣されてそういうところからも学んでくるというところにも努めておりますし、そんなようなことで、いろいろな方面からなお一層正確な事実認定を期して頑張ってやっておるつもりでございます。
○小森委員 いろいろと御苦労をいただいておることにつきましては敬意を表したいと思います。 そこで、その証拠は客観的なものであるかどうかということ、さらには、証拠と言われておるものが事件の全体像のほんの一部しか証明することのできないような部分的な証拠だけをもって判断をするかというようなことが証拠に関しては私らとして疑念が出てくるわけであります。 それで、よく再審請求などをされる方は、検察側の持っている証拠を正々堂々とすべて開示したらどうか、開示してもらいたい。これは現に私がその先頭に立って闘っております狭山再審事件の場合もそうであります。開示してもらいたい。何か詳しいことは知りませんけれども、法律的には開示しなくてもよいのだそうですけれども、かなりの程度は開示してもらっておりますけれども、しかし本当に一つの真実を虚心に全体を明らかにしていくということになれば、自分の方の懐にだけある資料と、弁護側の方には一部しか手に渡っていないとかいうようなことは、これは要するに裁判を公平に行うということではまことにちぐはぐな不合理な態度であると言われなければならぬと思います。 それで、証拠というものに対して法律を盾にとられたら、それはもちろんこの場であれこれ言うことはできないと思いますが、私の言っておる純粋な人間社会の争いを客観的に見ていく場合の論理として、証拠はお互いが全部出し合ったらいいじゃないですか。その上で最終的に裁判官に判断をしてもらうべく、いわゆる争うべきものは大いにその証拠の価値をめぐって争うということが一番よいと思うのでありますが、どういうわけで出し渋りをされるのか、その点、ひとつ刑事局の方からお答えいただきたいと思います。
○濱政府委員 今委員お触れになられました具体的事件についての問題は、これはちょっと具体的に立ち入ることを御遠慮させていただきたいと思いますけれども、一般論として証拠の開示についての検察の考え方について、お尋ねの点についてお答えを申し上げたいと思うわけでございます。 検察官が公判廷で取り調べを請求する予定の証拠書類あるいは証拠物につきましては、これは刑事訴訟法にも各種の規定がございまして、その刑事訴訟法の規定の趣旨に基づきまして第一回公判期日前に閲覧の機会を与えるということになっているわけでございます。 また、検察官におきましては、これは裁判所においてその訴訟指揮権に基づいて一定の場合に証拠の開示を命ずることができるとする最高裁の決定もあるわけでございまして、その最高裁の判断の趣旨あるいは検察官の公益の代表者であるという立場等に従いまして、それぞれの事案の性質、審理の状況、あるいは閲覧を求める証拠の種類とか内容、それから閲覧の時期、それから程度あるいはその方法、その他もろもろの事情を勘案いたしまして、それぞれ当該具体的事案に即して具体的かつ弾力的に証拠開示が必要かどうか、あるいは開示するとしてその時期はいつが相当であるか、あるいはその範囲はいかほどのものであるかということなどを検討いたしまして、被告人の防御上合理的に必要と認められる証拠については、これを適正に開示しているものというふうに理解しているわけでございます。 要はそれぞれの具体的事案における、今申し上げました事案の性質とか審理の状況とかあるいは閲覧を求める証拠の種類、内容等それぞれの事案に即した判断が適正に行われるよう努力しているものというふうに思っているわけでございます。
○小森委員 先ほどのお答えによりますと、ある一つの事件を審理していく過程の中で必要と思われるものは開示する。その必要と思うというのが品物を持っている方の側の思いなのですね。品物を見せてもらいたいと思う方の思いではないのですね。それではすごく不公平だと私は思うのですね。刑事訴訟法ではそういうことを可能にしておるから、現実、我が国の検察陣営はそういうことをされるのだろうと思うけれども、しかし論理的にはもう明らかに不公平だと思うのですね。 第一、私から言わしたら、捜査、審理に必要だから検察官は押収しておる品物なのでしょう。弁護士が見ることは必要ないという品物をなぜ検察官だけが見る心要があるのか。なぜこれをオープンにしないのか。証拠目録というものをちゃんとつ くって、その証拠目録に基づいて、持ち出すことがいけなかったらここで見てくれとか、何らかの形でその事件に係るあらゆる資料というものが弁護側の閲覧をできるようにすることが一つの事件の解決に向かう本当の正しい道ではないかと思うのですね。 だから一つの事件は、最初検察官がおって、それから裁判所に行ったら裁判官もおって、それで多角的に物を議論する仕掛けにはなっておるのだけれども、しかしそれが本当の意味の多角的な知識を持っているかといったら疑わざるを得ないのです。法律専門家であることは疑わないけれども、いわゆる社会の一般的な経験とか、こういうことはぎりぎりのところとして一人の人間の体力としてできることなのか、こんなことは事実の問題として実際人がやることなのだろうかということについてはさまざまな経験から基づいて割り出されることなのですね。 私なんかは狭山事件で中田善枝ちゃんを石川一雄さんが、雨のそば降る中を、関東ローム層というあの粘土質の一人で歩いてもひっくり返るようなそのずるずるした地面を二百何十メートルも腕に抱えていったということ自体が、長らく露天で建設関係の作業員をした私には、五十キロのセメント袋を担いたこともあるし、それから五十貫の石積み用の石をチェーンで担いたこともあるし、そういう場合に足元がぐらつくときにはどうなるかということも経験をしておるしわかるのですよ。経験した者にはわかるのです。 しかし、ほとんどが難しい司法試験を突破するために活字と鉛筆等で取り組んできて、その筋のことは知識は深いけれどもほかのことはさほど知識を持っていない、そういうところで判断をするのでありますから、せめて弁護側にすべての証拠を開示するということがなかったら裁判の公正を期すことができないと思います。論理上私は言っておるので、法律上のことはよろしいですから、論理上どう思いますか。いや、それでも小森議員、こういうことだから公平にできるよということがあったらお聞かせいただきたいと思うのです。
○濱政府委員 今委員お尋ねになっておられる点は、法律の規定ではなしに、何と申しますか、常識的に考えてどうかという御趣旨のお尋ねも含めて御質疑かと思うわけでございます。 これは改めて申し上げるまでもないわけでございますが、現行の刑事訴訟法がとっておりますところの、例えば刑事裁判手続の上で認められております当事者主義等の現在の刑事裁判制度のもとにおきまして、検察官が公判廷で取り調べを請求する予定の証拠書類、証拠物については、先ほど申し上げましたように、事前にその閲覧に供する、あるいは証人の住所氏名を知らせるというような開示の規定があるわけでございますが、それは結局その刑事裁判に供されることが予定されるところの証拠については被告人も防御上十分な対応ができるように事前に開示をするようにという趣旨でそういう制度とされているというふうに理解しているわけでございます。 したがって、基本的には検察官が公判で取り調べを請求する予定の証拠書類あるいは証拠物について開示をする。それは刑事訴訟法の規定もそういう観点から定められておりますし、先ほどちょっと申し上げた最高裁判所が昭和四十四年に訴訟指揮権に基づいて検察官等に当事者に証拠の開示を命ずる考え方を示したのもそういう意味合いで、結局、公判廷に取り調べを請求しようとするそういう証拠について両当事者に防御上十分な対応ができるように事前に開示をするようにということであろうと思うわけでございまして、それぞれの当事者が持っている全証拠を開示するのが制度として当然のことであるという考え方ではないというふうに理解しているわけでございます。
○小森委員 当事者主義というのはもちろんよくわかるのですけれども、現実の問題として、捜査機関を持って警察の協力ももらい、検察官自体も相当のスタッフを持って捜査できるという立場と、弁護士を一人とか二人とか頼んで防御してもらうというのじゃ、圧倒的に力が違うのですね。体制が違うのですね。私はこれは国会運営に似ておると思うのです。 つまり、政府が法案をつくって出す力と、議会側が、議会側といってもそれは各政党ということになると思いますが、政党の方が法案をつくって出すのとじゃ、それはもう能率とかそういう一つの機構上の機能とかいうものは天と地の開きがあるのですね。それで、例えば国会の場合でも、何だ、議院内閣制じゃと言って国会が国権の最高機関じゃと言いよるが、あれは何というざまかと言って国民はこれを非難するけれども、実際はなかなか、具体的なそのことに対応する力量、そういう制度の一つの機構上の力というものを持っていなければならぬわけであります。 公益を代表される検察陣ならば、何もやましいことはないでしょう。もしこの資料が無罪で使われれば無罪でいいわけだし、この資料を出すことによってそれがさらに有罪であることを確実にするのならそれもいいわけでありまして、検察官は公益を代表しておるのでありますから、人を罪に落とすということを商売にしておるのじゃないのですからね。しかし今までのやり方からしたら、国民は、検察や警察は人を罪に落とすところだ、弁護士はそれをどうして助けようかとしてくれる人だ、こういう判断になると思いますね。したがって、今のようなことでは私は日本の裁判の公正を期すことはできない、一方的になってしまうということで非常に危惧するのであります。 きょうのこの決算委員会に備えて、多少私も、今までの免田事件とか財田川事件、松山事件、島田事件などの状況を新聞の社説とか学者の論評とかそういうもので読んでみました。その中に、例えば布団の襟なら布団の襟に血痕がついていたという、その証拠物たる布団そのものを差しかえてはいなかったか、こういう疑念を新聞に書いてあるのもあるのですよ。証拠物を鑑定に出すときに差しかえるというようなことも懸念するということを書いていますね。そんなのは極端な極端な例ですけれども、そういうような懸念が生まれてくるということになると、なおさら、証拠はこれだけありますよ、持って出てもらっちゃいかぬけれども見てくれとか、あるいは持って出ても破損しないようなものについては何日までどうぞ御利用くださいとかいうことが弁護団との間にない限りは、どうしても先ほど来問題になっている自白の問題と証拠の問題とが検察側の思惑どおりに結びつけられる可能性がある、こういうふうに私は思うのです。 それで、そこになると濱局長も、いやそうですよ、そのとおりですよという、私に同感の答弁はできないと思うから、具体的に申しますと、牟礼事件というのを御存じでしょう。第八次再審請求して第八次までやったけれども、途中で本人が亡くなって事件は立ち消えみたいになっているそうですが、あの牟礼事件の場合に、彼女のブラジャーを見せてもらいたいと言って弁護士が申し入れたら、いや、あれはどこへやらここへやらと言って、あっちもこっちも堂々めぐりをして、その言われた先々に行ったら、うちにはない、あっちにあるのじゃないですかということになって、そして一カ月ぐらいたったときに、あれはお見せすることができ。ません、こういう返事が来た。 これは、私は自分でよう確かめていないから、そういうこともあり得るかなと思うことを言うのですけれども、そのブラジャーというのはなくしたのだろう。当然保管すべき検察側がなくしたから、あそこにある、ここにある、あそこにある、ここにあると言いながら、つづまるところ全部当たったらないものだから、いや、あれはお見せできません、一カ月もたって文書でお見せできませんと言ってきたということを私は読みました。 それは何で読んだか、こう言われれば、相当権威がある書物ですから申し上げますが、日弁連から出ている「再審」という書物の中にそれがあります。ひどいものは、あの牟礼事件の殺害されたという女性の頭蓋骨がどこへ行ったかわからぬのでしょう。そんなことが日本の裁判で——国民はもっと厳格にやっておると思いますよ。あの頭蓋 骨というのは一体どうなったのでしょうかね。私が見た限りでは、頭蓋骨はどこへ行ったかわからぬ、紛失という言葉を使っているのですね。あなた、人が再審請求をやるぐらいのときに、そういう死体の頭蓋骨がどこへ行ったかわからぬようなことでは、私は本当の公正な裁判はできぬのじゃないかと思いますが、その点はどうですか。
○濱政府委員 今委員お触れになられました具体的事件の裁判自体については、ちょっと私の方から御意見を申し上げることは差し控えさせていただきますけれども、先ほど来委員がお触れになっておられます、要するに、例えばその証拠物の一部がどこかの時点で別のものとすりかえられたというか、あるいは別のものにかわっているのではないかというような問題が指摘された事件も、それは御指摘のとおり、いろいろその裁判の過程であったかと思うわけでございます。 もちろんこれは、最初に私が委員のお尋ねにお答え申し上げましたように、再審の結果無罪になった事件について検討をしている中で、その問題点の一つとして申し上げました自白の信用性あるいは鑑定書の信用性という問題とも関連すると思うわけでございますが、一般的に申しまして、これが犯罪、犯行を立証する一つの証拠として証拠物というものが押収された、あるいは警察から検察庁に送致をされたという場合に、検察官が捜査をする過程でそういう証拠物と被疑者の供述、自白とが内容が一致するのかどうか。 あるいは鑑定の問題に引き比べて申しますと、例えばその証拠物に血液がついているということで押収されたものだとすると、その血液型が果たしてそれに一致するのかどうか、そういう鑑定が果たして信用できるのかどうかということを十分吟味して行うことによって、例えば、もし仮にその証拠物が別のものが紛れ込んだというような疑いが出てくれば、当然それはその段階で排斥されることになるわけでありましょうから、要は、先ほどから委員が御指摘になっておられる問題に立ち返ることになるわけでありますけれども、結局、自白が客観的証拠と合致しているかどうか、あるいは鑑定というものが本当に信用できるものかどうかというようなことを吟味していく過程で、今委員が御指摘になられたような問題点というのは浮かび上がってくるであろうし、それを解決していくのが捜査機関としての務めであるというふうに思うわけでございます。
○小森委員 検察官の側はその程度の説明というか、その程度の行動の基準というか、それで検察官は済みますけれども、裁かれる方はそれじば済まぬのです。近代的な合理的な社会、恐らくちょっと見たところでは世界じゅうで最もすぐれた近代的な合理的な社会だと思うのですよ。その社会にあって、死刑執行に判を押さなんだからこの人たちは生きてまた戻ってこれたけれども、免田事件とか財田川事件とか松山事件、赤堀さんの事件とか、戻ってこれたけれども、あれは法務大臣がようまつそうにわしの間に二、三人殺しておくかと言ってはんと判を押したら、それはそれでもうあの世へ行っておだぶつしておるわけですよ。取り返しがつかぬわけです。 だから、もう少しフェアな——現行法規を法律で変えるまではそれはやむを得ぬかもわかりませんよ、実際に法律を運用する者は。だけれども、弁護団が考えて、これは見せてくれても当然じゃないかと思うようなものについては、やや弁護団寄りにその証拠を開示されることが本当に公平なあり方だ、私はそう思いますので、それを強く主張させていただいておきます。 時間があと五分しかございませんので、今の白骨どこへ行ったのかというようなことについてはお答えがございませんでしたが、それだけでなくて、例えば狭山事件の地下足袋の石こうの足跡ですね。あれもどこへ行ったのかわからぬですね。あなた、闘いよる、まだ裁判しよるときに、そういうものがなくなるというのはどういうことでしょうかな。こういうところで討論をすれば、それは現に係争中のものでありまして、そこから先は答弁を遠慮させてもらいますというようなことをよく言われるのですが、それだけ答弁を遠慮してもよいというような立場にある者のみずからの行動というものは、物すごい厳格に律しなければいかぬと思うのですね。石こうがない。 それから、これはもう最後に最高裁の方にお尋ねしようと思っていますが、この憲法に定める、何人も自己にとって不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、これを証拠とすることができない、こういう厳格な規定がございまして、私もこれは少年時代に非常に感銘深く読んだのですけれども、問題は、今の構造というのは、例えば石川一雄さんがあの雑木林のところで中田善枝ちゃんを殺したということになっている。裁判上は現場が特定できている。ここだということになっている。けれども、それは何の物的証拠もない。 したがって、私は、尋ねたいことは、この憲法の精神ですね。この憲法の精神というのは、全体として一番決め手になるところの自白が物的証拠で裏づけられた、こういうことで狭山なんかは判決が動いておるんだろうと思いますけれども、この精神というものは、犯罪というものを全体として証明するための節々、一つ一つの節目節目に、本人の自白だけを問題として証拠を問題としないということになると、最終的な結果は誤判ということになるのではないか、こう思いますので、この三十何条ですか、先ほど私が申しました、何人も本人にとって不利益な唯一の証拠はこれを証拠とすることはできないという趣旨というものは、少なくとも、捜査する場合も裁判する場合も、その節々でそのことがクリアできておるかどうかということならば、私は誤判は少なくなると思うのです。そういう点について最高裁の考えをちょっと述べていただきたいと思います。
○島田最高裁判所長官代理者 具体的な事件の関係ではお答えすることは、私ども立場上できませんので、一般論として申し上げますが、今委員が御指摘になりました憲法の条文、これはいわゆる自白の補強法則でございますが、これはいわば正確な事実認定を担保するための最低限の要請であるというふうに私ども理解しておりまして、たとえ補強証拠があっても、その自白自体が、先ほど申し上げましたように、内容的に信用できるものであるかどうかということが非常に肝心でございます。 で、その内容的に信用できるものであるかどうかを判断するに当たりましては、今おっしゃったような自白の信用性を判断するのに決め手となるべきその節々において、いろいろと補強証拠あるいは状況証拠、その関連するいろいろな他の証拠との関連において、その自白が全体として信用できるか否かを十分慎重に検討して判断しておるつもりでございます。
○小森委員 終わります。
○貝沼委員長 次に、倉田栄喜君。
○倉田委員 公明党・国民会議の倉田でございます。 本日は平成元年の決算でございますけれども、既に会計検査院の方からは、平成二年度、平成三年度の検査報告も出ておりますので、この平成二年度、三年度についても、検査院の検査報告からお聞きをいたしたいと思います。 まず、平成三年度の検査報告、既に大まか読ませていただいたのですが、この平成三年度における検査結果について、裁判所についての指摘事項、概要の部分と、それから細かく本冊の方、大体同じことが裁判所のところについては書かれております。 会計検査院として、裁判所について指摘されたことはここに報告されている以外にもあると思いますけれども、会計検査院として裁判所について把握をされておられること、それから、いわば司法の信頼という部分にかかわることでございますので、裁判所、法務省、平成三年度については、会計検査院が指摘をされた損害額、これはどのような数字になっているのか、これもあわせてお伺い」をいたしたいと思います。
○阿部会計検査院説明員 お答えを申し上げます。 平成三年度決算検査報告におきまして、東京高 等裁判所におきまして、裁判所事務官が控訴状等に張りつけてありました未消印の収入印紙をはぎ取り、領得したものについて掲記してございます。この損害額は二千二百十万円でございます。 不正行為といたしましては、このほかにも現在検査中のものがございます。しかし、これにつきましては、損害額が幾らであるかということも含めまして、現在検査中のことでございますので、答弁を差し控えさせていただきたい、そう考えます。
○倉田委員 現在検査中ということは、平成三年度にいろいろるる報道をされた事件がございました。これも会計検査院としては御承知なんでしょう。新聞で報道されているんですから。だから今、会計検査院として調査中のことも含めてどういう事件があったということは、これは平成三年度でございますから、もう当然検査結果としては出ているわけですから、出ているときに、どの件を結局報告事項として載せ、どの件は載せないかということは、内部で検討された結果のこととして出てくると思うのですね。 そうだとすれば、平成三年の分についてはもう既に御承知なわけでしょう。検討中というのはおかしいのじゃないですか。それから、損害額がどのくらいになるか、まだわからないということですか。
○阿部会計検査院説明員 平成三年中に発生いたしました、もしくは発覚いたしました事柄すべてが平成三年度の決算検査報告に掲記されるとは必ずしも限りませんで、私どもが国会に御報告する、お示しするには、事態のケース、内容などなどにつきましてしっかりしたものであるものを示すのが私どもの義務だと考えております。そのようなしっかりしたものを示せることができた段階で検査報告に掲記するわけでございまして、先生おっしゃいましたように、三年もしくは四年中に発覚し、もしくは新聞報道されたものにつきましても、私どもが国会にお示しする段階に至っていないものは現在検査中ということでございます。
○倉田委員 私は平成四年のことを今お聞きしているわけではないのであって、平成三年度は、既にこんなに立派な、こんな分厚い冊子で平成三年度の決算の検査報告は出ているわけです。出ているということは、いろんな事件があって、新聞に報道された事件もあった。その中には、当然私は、こちらの小冊子の方は、これは概要だから一番代表的なものを書いてあるのかなと思って、こっちの一番大きな本冊子の方を読んでみました。全く同じですね。これにこれだけ載せるということは、この事件は載せる、載せないと既に会計検査院の方として結論が出て、これを載せることにいたしましょうということになったわけでしょう。それをまだ検査中とかというのはおかしいんじゃないですか。 だから、私が今申し上げているのは、会計検査院として平成三年度にはこんな事件があって、その中から、こういう理由でこれを検査報告書に検査報告として載せることにしました。これをお聞きしているわけです。
○阿部会計検査院説明員 平成三年度に発生いたしました不正行為につきまして、三年度の決算検査報告に載っていないものにつきまして、それは本院が検査報告に載せる価値のないものだと判断したとは必ずしも限らないのであります。 先ほども申し上げましたように、私どもが現在検査過程にありますものは、必要があると認められれば、明年度の決算検査報告に載る場合もあるのであります。 以上でございます。
○倉田委員 会計検査院の立場というのはあれですか、私どもはこの検査報告に出てきたものだけしか議論できないということですか。会計検査院がちゃんと把握をされていることもあるわけでしょう。それでそれを、これは国会の議論の場ですから教えてください、こう今お尋ねをしたわけですけれども、それは結局、いろいろあって公開することができない、ここで発表することができないということですか。
○阿部会計検査院説明員 先生のおっしゃいます把握しているということでございますが、現在検査中ということは、私どもとして国会に御報告する段階までにその把握が至ってない、そういうことでございます。
○倉田委員 平成三年度の検査報告はもう既に出ているわけですから、現在検査中というのはおかしいと思うのです。 裁判所にお伺いをいたします。 昨年度、いろいろ新聞の報道がありました。私もこの会計検査の概要の方、「あらまし」と書いてあるものですが、読ませていただいて、昭和六十一年から平成元年までは、総理府から始まっておりまして裁判所についての指摘はなかったわけですね。人権の最後のとりでとしての法の信頼というのは、そういう意味では非常に高く評価されるべきものだ、こういうふうに思います。 ところが、これを見ますと、平成二年度、三年度指摘をされておる。しかもそれは代表的なものとして指摘をされておりますし、新聞報道には、多々、過去なかったことだみたいな報道が昨年なされました。法務委員会の方でもいろいろ議論はあったと思いますけれども、裁判所としてはこれをどんなふうにきちんととらえておられるのか、またその対策をどんなふうに考えておられるのか。 裁判所というのは、国民にとればいわゆる人権の最後のとつで、こういうふうにも言われるわけであります。そこに平成二年度、三年度から会計検査院から指摘を受けるようなことが続く、また新聞でもいろいろ報道をされる、これはゆゆしき問題だと思うのです。このことについて、裁判所としてどんな対応をされ、これからどんなふうに取り組んでいかれようとされるのか、お聞きをしたいと思います。
○仁田最高裁判所長官代理者 平成二年度の会計検査におきまして、旅費の経理が適正を欠くという指摘を受けました。また、平成三年度の会計検査報告書には、東京高裁におきます印紙はぎ取りの不正行為が掲記をされますなど、裁判所としてはあり得べからざる事態が相次いで生じましたことにつきましては、委員御指摘のとおり、国民から受けております裁判所の信頼を損なうものとして、私どもこれを厳粛に受けとめておるところでございます。まことに申しわけなく、この場で改めておわびを申し上げる次第でございます。 関係者の処分につきましてはそれぞれ行われましたけれども、私ども、旅費の問題について御指摘を受けてから直ちに最高裁判所の裁判官会議の命を受けまして、二度とかかる事態が生じないよう厳正な予算の執行を行うなど職務の執行に万全を期し、国民の信頼を回復するよう努める旨の事務総長通達を発出いたしましたほか、内部監査の充実等を指示して、あらゆる機会を通じて再発防止に努めてきたところでございます。 不正事件につきましても、職員の注意を喚起し、自覚を促しますとともに、保管物あるいは保管金等の点検、管理を改めて指示をいたしましたほかに、例えば印紙のはぎ取りに関して申し上げますと、再発防止のために、受け入れた収入印紙は直ちに消印をするというような、取り扱い通達を改正するというようなもろもろの改善措置を講じてまいりました。こういう措置を講じ、これを着実に実行することによって国民の信頼の回復に日々努めたい、このように考えているところでございます。
○倉田委員 有罪判決を受けた事件もありましたし、それから、問題になった裁判所として、昨年は浦和地裁であるとか東京高裁の今の事務官の印紙の問題であるとか、あるいは福団地裁の小倉支部の問題とか、こうあった。それは、そういう問題があったというふうに新聞で報道されると、国民の皆さんは果たして大丈夫なのか、こういうふうに思われると思うのですね。それに対して、やはり裁判所としてもこたえなければいけない。この問題についてはこれほど実は裁判所としても重大に受けとめて、これほど厳重な処分をしたんですということが、国民の方にもなるほどここまでやっ ているのかということがわからないと、例えばこれだけ法の信頼が採るぐというふうに大きく報道された後の国民の信頼回復は難しいと思うのです。裁判所も厳正な対応をされ、処分をされたということでございますので、そういうことを含めて、こういうふうにしましたよということもきちんと国民に発表できるようにぜひ対応していただきたい、こういうふうに思います。 これからちょっと細かな質問になります。 法廷では、事件を読み上げたり、証拠物を運んだりされる裁判所の職員の方の職名が依然として、依然としてという言葉はおかしいのかもしれませんが、廷まという形で使われております。私も裁判所についていろいろ勉強させていただきましたときに、そういう言葉の中でまというのは随分古い言葉だな、こういうふうに思ったことがございます。調べてみましたら、他省庁に少なくとももうまという言葉を使用されていることはないのではないかとも思いますし、また、いろいろ御議論あるのかもしれませんけれども、時代の風潮として似つかわしくないのではないのかな。また、こういう廷まという言葉自体が残っていることが、議論はあるかもしれませんけれども、いわゆる権威主義の風潮の名残ではないのか、こういうことを言われる方もおられます。 私も、この廷まという言葉をもう改めたらどうか、こういうふうに思うのですが、いかがでございましょうか。
○上田最高裁判所長官代理者 廷まと申しますのは、委員御承知のとおり、裁判所法六十二条におきましてその名称と職務権限が定められている一つの官職でございます。廷吏の延は法廷の廷、廷吏の吏は公務員ということをあらわす言葉ではないかと考えております。 例えば吏につきましては、これは地方公共団体でございますが、地方自治法の百七十二条におきまして「普通地方公共団体に吏員その他の職員を置く。」それから百七十三条におきまして、前条の吏員は、事務吏員と技術吏員とする、こういう規定もございます。そこで私どもは、この廷まという名称は必ずしも不適当なものではないというふうには考えております。 しかしながら、委員御指摘のとおり、この廷まという名称を変更してはどうか、こういう意見があることも承知しておりまして、現在裁判所の内部で意見を聴取するなどいろいろ検討をしている段階でございます。しかしながら、事は裁判所法の改正を要するなど重要な事柄にかかわる問題でございますので、結論を早急に出すのはなかなか難しいということも御理解いただきたいと思います。
○倉田委員 事が裁判所法の改正というふうにこう大きく答えられると大変だな、こう思うのですけれども、それではなかなか進まない。廷まという名称一つ変えるのにも、実は物すごいことなんだということになったとすれば、なかなか今の国民のニーズにこたえられるようにはなっていかないのではないのかという気がしてなりません。廷まという言葉に、やはり廷吏が必要なんだということであれば、それはそれで結構だと思いますし、もっとやはり時代に即した新しい名称が必要であるとすれば、そういうふうに結論ができるとすれば、これは裁判所法を変えることになるから大変なんだということではなくて、もっといろいろな知恵の出し方があると思いますので、裁判所内部で御検討いただいて、変えるということであればそんなに重大に考えないで、ぜひ変えていただきたい、こういうふうに思います。 ちょっと時間を使ってしまいましたので、あとの質問が詰まってしまいますけれども、カード破産の現状についてお伺いをしておきたいと思います。 今大変カード破産が急増いたしております。このカード破産の場合は個人破産、こういうケースが多いだろうと思うのですが、この場合、裁判所としての窓口の対応が十分にできているのかどうか。 それから、破産を申し立てられる方の中には、弁護士に依頼する費用も都合できず、結局個人で申し立てをされる方もふえておると思いますが、この個人破産事件の個人申し立ての件数、これは一度前にお聞きしたことがあるのですが、その後把握をされておられるかどうか。この場合、やはり専門でありませんので、書類にもいろいろ不備があったりして窓口の方も大変だろうと思いますし、また、個人で申し立てをされる方も大変だろうと思うのですが、その辺の窓口のサービス対応は十分にできているかどうか。 また、これに十分に対応するために、やはり職員の方々も増加をしなければいけないのではないのか、こう思うのですが、こうなっているかどうか、この点についてお伺いをいたしたいと思います。
○今井最高裁判所長官代理者 今御指摘ございましたように、個人の自己破産事件というのは最近非常にふえておるわけであります。各裁判所でも、窓口が忙しくなっておるという実情にはございます。その体制でございますけれども、各裁判所におきましては、それぞれ事件の実情に応じまして、職員をほかのところからそちらに持ってくるというようなことで対応しておるわけでございます。 また、全国的に見ましても、最高裁判所としましても、破産事件の処理の充実強化ということにつきまして、現在国会で御審議をいただいております予算の中におきましても、書記官、事務官等の増員ということもお願いをしておるということでございます。 それから、債務者が代理人をつけずに自分で申し立てをする事件がどれぐらいあるかということ、これは前にも倉田委員の方から御質問がございまして、そのとき、大体二割ぐらいじゃなかろうかということを申し上げたわけでございます。その後も、特にこれについて正確な統計をとっておらないわけでございますが、最近、東京とか大阪とか大きな裁判所の書記官等の事務をとっておる者に聞きますと、大体そういう傾向は余り数字は変わらないのじゃないかということでございます。 それから、窓口にそういう御本人が来られた場合に、どういうふうな体制をとっておるかということであります。裁判所、最高裁としましては、破産について簡単な説明をしたリーフレットというのをこれは全国に相当多数配っておりまして、そういう個人の方が申し立てをするについては、まずこれを見てもらう、これには、破産とはどういうものかとか、あるいは破産の申し立ての必要書類というのが書いてございます。 そのほかに、窓口におきましては申し立てをするのに必要な書類はどういうものかとか、あるいはその書式はどういうものかというようなものを備えておきまして、本人にそれを見せて書いてもらう、あるいは本人が相談に来てどういうものを書けばよろしいかとか、あるいはどういう書類が必要かといったようなときにはそのような指導をしておるわけでございます。また、不備な部分につきましては、必要な書類のリストというようなものをつくりまして、それを御本人に交付するというような、いろいろ工夫をしておりまして、できる限り御本人の権利の救済というようなことについて力を注いでおるというようなことでございます。
○倉田委員 それから、法律扶助の問題ですけれども、我が党は法律扶助のより一層の充実拡大を強く要求をさせていただいているところでございます。 そこで、いわゆる消費者金融事件に関して、この法律扶助立てかえ払い制度を見てみますと、原則は、いわゆる生活保護受給者に限っているのが原則みたいです。支部によりましては、今この生活保護受給者の要件を外して、例えば破産申し立て事件についても立てかえ制度を適用しているというところもあるみたいでございますけれども、破産の申し立てに関して、この法律扶助制度の適用を受けられるのは実際に難しい。中には本当に生活保護受給者であったり、あるいはひとり暮らしであったり、さまざまな要件がついているとい うふうに聞いております。 それで、この法律扶助の充実拡大という観点から見れば、この援助対象者ももっと拡大をしていくべきではないのか。例えば、この個人破産の申し立ての問題に関していっても、いわゆる生活保護受給者に限る必要もないのではないのか、こういうふうに思うわけですが、この点について現状はどのようになっているのか、また、御検討いただけるかどうか、御答弁いただきたいと思います。
○佐竹説明員 お答え申し上げます。 法律扶助につきましては、一つとして資力に乏しい国民であること、それから、二つとして勝訴の見込みがあること、それから、三つとして扶助の趣旨に適すること、これを要件としているわけであります。 消費者金融を原因といたします自己破産事件を他の法律扶助事件と同様に扶助の対象とすることにつきましては、この三つ目の扶助の趣旨に適するか否かについて問題があることから、法律扶助協会におきましては、原則として生活保護受給者に限ってその対象としているものでありまして、この点につきましては、支部ごとにおいて要件の差はないもの、そのように理解しております。 また、法律扶助協会といたしましては、現在のところ、要件の緩和につきましては考えてはいないと承知していますが、現状においても、真に扶助を必要とする人は扶助が受けられるものと私どもは考えております。 なお、法務省といたしましては、法律扶助制度の充実安定につきましては今後とも努力をしてまいりたい、そのように考えております。
○倉田委員 要件の差はないということですが、支部によっては「生活保護受給者以外にも立て替え制度を適用する」ということがなされているという報道がなされましたけれども、これは御承知になっておられないのですか。 例えば、これは平成四年の四月二十九日の読売新聞でございますが、「昨年十二月」と書いてありますから、一昨年の十二月から札幌、岩手等々十二支部で検討されているという報道がなされておりますが、これは御承知でございませんか。
○佐竹説明員 お答え申し上げます。 今委員の御指摘になりました十二であったか十三であったかの支部におきまして、一時期、要件の緩和といいますかをしたことがあったかと思いますが、それは現在はすべてそういうことは他の支部と同様の要件にするということになっている、そのように承知しております。
○倉田委員 これらの支部では実験的にやってみられたと思うのです。これは大変いいことだと私は思ったのですが、そうすると、実験的にやってみてどうも結果がよくなかった、こういうことで今はやっていないということですか。 もしそうだとすれば、この辺も含めてもう一度、これだけカード破産事件、個人破産事件の申し立てがふえてきている昨今でございますので、御検討いただければと思うのですが、いかがでしょうか。
○佐竹説明員 お答え申し上げます。 その点につきましては、法律扶助のあり方がどうあるべきかということも含めて勉強しているところでありますので、今後勉強してまいりたい、そう思っております。
○倉田委員 実はまだ質問が大分あったのですが、破産について一部免責みたいな方向も考えるべきではなかろうかということを質問させていただきたかったのですが、質問時間が参りましたので、また次の機会に譲らせていただきまして、私の質問を終わりたいと思います。
○貝沼委員長 次に、寺前厳君。
○寺前委員 私は、裁判所の決算をやるというものですから、弁護士さん、何か言うことないかいなと思って地元の京都の弁護士会の皆さんに問題を提起してみたら、国選弁護人の問題がすぐにはね返ってきました。 どのくらい国選弁護人というのはついているのだろうか。早速調べてみましたら、地方裁判所で国選弁護人は五九・六%だ。簡易裁判所では七八・九%だ。随分国選の皆さんにお世話になるのだなということを思いました。 日本弁護士会が平成二年三月に実施した実態調査「日本の法律事務所」によると、最も批判、意見の集中した点に、報酬額等に関するものを挙げております。報酬が低額であることを批判した弁護士の割合は六五・一%に達している。全項目中一番多いのがこれだ。 そこで、そういう問題が国会で問題になったことがないのだろうか。調べてみたら昭和四十七年の第六十八回国会で、これは参議院でしたが、最高裁、当時の牧さんが、国選弁護人の報酬額の問題についてこう言っています。日弁連で決めている報酬等基準規定にできるだけ近づけたい、こう思っているのだ、こういう御答弁がありました。 この方針は今も生きているのか、そんなものはもう時代が変わったよとおっしゃるのか、どうなっているのでしょうか。
○島田最高裁判所長官代理者 今委員が読み上げられた昭和四十七年の答弁、確かに私どもも承知いたしておりますけれども、しかしながら現在どうであるかというふうに御質問されるとなると、それがそのとおり現在もその姿勢でおるということは言いかねるのでございます。 と申しますのは、約二十年ほど前になりますが、その当時、そこに答弁いたしましたように、日弁連の報酬支給基準額にできる限り近づけようということで努力していたわけでございますけれども、その後この日弁連の報酬支給基準額が昭和四十八年に従来の三倍に引き上げられまして、五十年になると再びその三倍に引き上げられた。五十九年には一・五倍に引き上げられております。こういったことでどんどん上がってまいった、これらの引き上げの根拠というものは私ども必ずしも明らかにわからないところもございまして、また実際に私選弁護人が事件を受任してこの基準どおりの報酬を受けておられるのかどうか、その辺の実態も十分には把握しておらないわけでございます。 私どもとして、先ほど委員が御指摘のように、国選弁護事件が非常に割合も多いし、また、その事件の適正迅速な処理、解決に当たって国選弁護人の活躍に負うところが非常に多いということは十分に認識しておるつもりでございまして、そのため、国選弁護人の報酬につきましては財政当局にもお願いしてでき得る限りの引き上げ方を年々努力してまいっておるところでございますが、先ほどの日弁連の報酬基準との関係でいえば、先ほど申し上げましたように、現在では必ずしもそこまでというふうに考えてはおりません。
○寺前委員 一回が六万何ぼとかいうような金額の状況で、ボランティア活動ではあるまいし、これを考えたときに、一回一回公務員よりはちょっと率を上げてきているかもしれないけれども、これだけの人に国選でお願いするのには私は偉そうに言えた柄じゃないなという感じの方を強く持ちます。むしろ積極的に政府当局に向かって胸を張って要求された方がいいだろう。そういう意味では、かつての、そういう水準に高めてやる必要があるというふうに位置づけられた方が私はむしろ積極性があるだろうと思うので、再検討願いたいと思うのです。 ところで、京都地裁や簡易裁判所から京都弁護士会に国選弁護人の弁護士活動についての支払いがなされるのです。そして、その弁護士会を通じて今度は個々の弁護士さんのところに来るわけです。ところが、支払いがどういうふうになっているのかといってみると、事件名、件数、報酬、所得税、差し引き報酬、こういう数字が出てくる。これには交通費入ってますのか、別枠で実費くれますのか。いや交通費、この中ですわ。通訳料は、この中ですわ。通信費は、この中ですわ。それは何ぼ入ってますのや、わかりません。弁護士さん個々人は自分がどれだけ使ったか、一生懸命やればやるほどますますわからぬようになってしまう。こんなやり方でいいのかな。 率直に私、お願いしてまで頑張っていただく国選の弁護士さんに対して、あなたのお使いになっ たものの中で交通費はこれだけ御請求ありました、ごもっともだと思いますので、これだけお支払いしてますよと、わかるようにして出さないかぬのと違うやろか。いかがですか。
○島田最高裁判所長官代理者 今委員がおっしゃった京都の弁護士会の国選弁護人の報酬の支払い方法でございますが、今伺っておりまして、一カ月まとめて、例えばその月に二、三件やったとすれば二、三件のトータルで支払われておるというようなことになりますと、どの事件が幾らであったかということがどの程度つまびらかなのか、その辺、私どももその弁護士会のことでございますのでよくそこは存じませんが、そういうようなことであるとあるいは弁護士さんとしてこの事件については非常にお金も使ってたくさん費用をかけてやったのにどの程度までの報酬になっておるのかわからぬというようなことで御不満を持たれるということはあるかもしれません。 ですから、その一カ月トータル分込みでの支払い方法というようなことになりますと、これは弁護士会の方の内輪の支払い方法になりますので、私ども、そこの点、何とも申し上げられないのですが、一件一件の報酬について申しますと、通常事件に要するであろう通常の交通費とか通常の記録の謄写代とか、そういったようなものについては一応報酬の支給基準額の中に入っておるわけでございますが、それ以上に、例えばこの事件については大変難しい事件で記録の謄写もこれだけかかった、あるいは被告人に面接に行くのに拘置所が遠くて大変タクシー代がかかったというようなことを申し出ていただくと、それなりに裁判所の方で考慮して、その分は普通の報酬の基準額に加算して支払いをしております。一件一件がそれで支払われれば、当該弁護士さんも、ああこの事件については裁判所も十分にその辺のところは酌み取ってもらったなという手ごたえ、これはわかるというふうに存じますが。
○寺前委員 そうすると、あなたの話では、京都弁護士会の支払いがおかしいんであって、裁判所の方はわかるように出しています、こういうことですな。
○島田最高裁判所長官代理者 私、決してよそ様のやり方について批判がましいことを申し述べるようなつもりはございませんのですが、ただ、何件かの報酬をトータルして支払われるというようなことがありますならば、これはちょっとわかりにくいだろうということを申し上げたんです。一件一件の報酬を見ていただくと、その手ごたえはまたそれなりにわかっていただけるんだろうというふうに思ったわけでございます。
○寺前委員 いや、一件一件について交通費はどうや、通信費はどうや、通訳料はどうや、ちゃんとわかるように裁判所の方はしていますよ。弁護士会の方が、だからそういうふうにわかるようにやっていただいたら個々の弁護士さんもわかりますよ、こういうお話ですな。間違いございませんな。
○島田最高裁判所長官代理者 裁判所はその一件一件について報酬額支給決定を出します際にその明細はつけておりませんので、ただし一件当たり通常であれば例えば幾らぐらいであるが、しかしその弁護士さんが特にこの事件はこれだけ、例えば謄写料に十万円も要したということであるならば、それを申し出ていただけばその分だけは十分に加算して考えて報酬の支給決定いたしますので、そこでそれを見ればわかっていただけるだろう、こういうことです。
○寺前委員 もう一回研究してみてくださいよ。弁護士会の方に明細が行かなけりゃ弁護士さんに明細は行かぬですわ。それは当たり前のことですわ。だから、その弁護士会に明細が来なけりゃ伝えようがないということになっているんだよ。だから、私は本当に国選でお願いしているんだから、お願いしている人の位置づけはこれだけ大きいんだから、せめて明細はわかるようにして気分よくやってもらえるように、あなたの方で改善すべき点は改善してもらわないかぬと思うのや。ともかく調査して検討してみてくださいよ。どうですか。
○島田最高裁判所長官代理者 委員の御指摘でございますので、ただいまの委員の御指摘、十分頭に置いて今後検討してまいりたいと思いますが、この問題なかなか難しいのは、明細を出すということになりますと、例えば一件一件について各国選弁護人からそれぞれ幾ら、交通費には幾らかかり、謄写代は幾らかかり、電話代は幾らかかったとか事細かな明細までまずその弁護士さんにすべてについて出していただいて、それに応じて今度裁判所の方で明細をつくって出すというようなことになると、果たしてそれが弁護士さんに過重な負担にならないかとかいうような点、いろいろあると思います。そういった点も含めて、今後その点につきましても弁護士さんの方にも意見を聞きながら検討してまいりたいと思います。
○寺前委員 それで、細かいようだけれども、日弁連の要望書を見ておったら、「謄写費については全ての事件につき支給されるべきと考えます」という要望が出ているんやわ。だから、やっぱり出てるということは問題があるから出てくるんであって、これは、謄写料は今の出てくるやっとは別個になっとるのや、交通費や通信費や通訳料とは別になってるからね。これ、わざわざそこまで言ってるんだから、これは見直しをこれについてもしてもらう必要があると思いますけれどもね。 私も弁護士さんに聞いたら、さあ十万円のうち二万円くらいはと、要求してももらえるのはそんなものと違いますやろかと言う。これも漢とした話なんやけど、ということもおっしゃるから。だからこれももう少し、日弁連があえて提起をされるくらいですから、これは検討してもらう必要があるんじゃないでしょうか。いかがですか。
○島田最高裁判所長官代理者 謄写料につきましては、通常の事件に要する以上に複雑困難な事件等の場合に格別に何枚も何枚もの謄写をする必要があった事件、これについてはその必要分については十分に配慮して報酬に加算して支払っていただきたい旨、私どもも各全国の裁判所によく御協力を願っておるところでございます。 ただ、どんな簡単な事件、要するに自白をしておって問題もない、一回二回の公判廷で済むような裁判、そういう事件については、仮に私選弁護であってもそこまで全部謄写するかというと、まあ財政的に余裕のない被告人のためを思って弁護人としてもそこまでは全部謄写しないという事件も多々ございまして、そんな事件についてもすべてについて全部一から十まで謄写してその謄写料を支払うというようなことまではとても今の国民の血税で賄われる予算からそこまでの面倒は見るべきではないというふうに考えておりますが、先ほど申しましたようなことで、特に要した謄写料については十分に私ども配慮してまいっておりますし、今後もまいるつもりでございます。
○寺前委員 京都弁護士会では九一年十月十八日に京都地裁及び簡裁に対して記録謄写の問題の申し入れをやっておる。それは、従来国選弁護人が必要と判断した記録謄写料について報酬に加算して支給していたのが、必要な事件についてのみ例外的に加算支給する旨が達せられたものですから、そこでこう言ってますわ。 被告人の防御権を擁護し、適正な刑事司法を実現するためには、国選弁護人の十分な弁護活動が保障されなければならないのです。 そして、十分な弁護活動を行うためには、捜査・公判の記録を精査しなければならず、特に、国選弁護の場合、当初は被告人との間には緊密な信頼関係が存在しないため、記録精査の必要性、重要性は一層高くなります。 以上のことは、いわゆる否認事件や重大事件に限られるものではありません。 又、記録を精査するためには、これを謄写して、常時手元に置き、事務所や自宅で利用することが必要となります。 閲覧は、裁判所や検察庁の執務時間内という制約があり、多くの弁護士にとっては、相当の困難が伴います。 正確性の担保という点からも、閲覧や筆写に比べて、謄写が勝れていることは明らかです。 以上述べたような記録謄写の重要性に鑑みれば、記録謄写料の支給は、十分な国選弁護を保隠するために必要不可欠なものといわねばなりません。 という意見をあえて言っておられますので、この際に申し上げておきたいと思うのです。 最後に、時間の都合がありますので、もう一つ、裁判所へ行って感じた問題です。 裁判官には全員ワープロが配られている。書記官には、京都の場合ですと百六十名ほどおられるのですか、二人に一つの支給がなされている。しかし個人で使っている人もある。ところが、わずか二十二名ですか、わずかな人しかおらぬ速記官はすべて支給がされていない。私、記録を中心にしていろいろ論議をしていく。だから、国会でも記録の人たちが一生懸命やってくだざる。わずかな時間を翻訳するのに物すごい時間がかかる。苦労していただいているのです。 これは裁判所も国会も一緒だと思うので、どんなになっているんやろうかと、それで国会で聞いてみた。国会の記録をやっているお方に対して、これを翻訳してもらってぱっと打たれる、それは全部私物ですかと聞いてみたら、前は私物でしたけれども、今は全員に持ってもらうように、そうするといろいろな国会用の整備もする必要あるから、電気工事もやって基盤整備をやって、そして三年間のリースで借りて、次々新しいものが出るさかい新しいものを使っていただく、体にも気をつけていただきながら、魅力のある職場にしなかったら悪いと思ってますのや、こう国会では言ってはりますのや。 これは裁判所だって同じやのに、何で裁判所は、ワープロを魅力ある職場にしていただくために提供いたしましょう、リースで借りてやるのかどうか、そこらはまあ皆さんの好きなようにおやりになったらよろしいけれども、何で裁判所はいつまでも筆記で記録をやっているのか。まあちょっと違うみたい、機械でぱっぱっというものもあるらしいけれども、ワープロ処理を何で速記官にやらさへんのやろうなと。やったらどうですのや。これは最後の質問ですわ。だれが所管ですか。
○上田最高裁判所長官代理者 現在、裁判所の速記官のためにワープロを整備していないことは委員御指摘のとおりでございます。 速記官層からは、現在の労働条件を悪化させないことを条件としてワープロを支給してほしい、こういう要望がございます。ところで、私どもは、ワープロと申しますのは単なるペンとか鉛筆のような筆記用具ではなくて能率器具と考えておりまして、やはりこれを使うことによって事務処理を効率化させるはずのものである、こういうふうに考えております。 そこで、現在、速記官層にワープロを整備することによりましてどういった効率化が図れるのか、それからまた、速記官の健康問題等へどういった影響が出るのか、さらには書記官との仕事の分担等、こういった調書の作成事務全体のあり方等の問題を含めまして慎重に検討しているところでございます。
○寺前委員 時間が来たから終わりますけれども、九割の人が自分」の道具でワープロを使ってお仕事をしてくださっていることを考えたら、魅力ある職場にしなかったら速記官ができなくなってきますよ。国会でも心配していますわ、速記者が希望者が減ってきているのですと。高い水準の速記者を求めたいと思うならばそれだけの条件をしなかったらいけませんのやと記録部の部長さんは私におっしゃいました。これは裁判所も同じことです。今もう現実に九割からの人に私物でもって仕事をさせておいて、これで放置しておくなどということは私は許せぬ話だと思うのです。もう速やかに検討をしていただくことを要望して、終わります。
○貝沼委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午前十一時四十五分散会