外務委員会 第12号
- 発言数
- 275 件
- 登壇者
- 24 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1993/05/21
会議録
○伊藤委員長 これより会議を開きます。 児童の権利に関する条約の締結について承認を求めるの件を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。古賀一成君。
○古賀(一)委員 御指名を受けました古賀一成でございます。先週の金曜日に引き続きまして質疑をさせていただきます。 何せ事態が刻々と変わる中で、実はきのうの夕方質疑の御指名を受けましていささか準備不足でございますけれども、カンボジアの選挙が二十三日に始まる、そういう意味ではカンボジアの選挙を前にした最後の委員会でもあろうし、意義あることということで、カンボジア問題も一点申し上げて、児童の権利条約につきまして御質問申し上げたいと思います。 まずカンボジア問題でございますけれども、私は本委員会の審議あるいは一連のこの数年にわたります国際貢献の論議、そして今起こっておるカンボジアにおける状況とそれに伴う国論の迷いといいますか、そういうものを見るにつけ、まず冒頭にこういう言葉を申し上げたいわけであります。 フランスにフランソワ・ペルーという一人の歴史学者、哲学者がおるわけでございますが、「我々は過去、現在にも規定されておるけれども、我々は未来に規定されておるのだ」こういう言葉があるわけでございます。つまり、過去のしがらみとか過去の経験とか、いろいろなものに人間は、あるいは人間社会も縛られておるわけでございますけれども、本当のことを言うと、それだけではなくて、将来に何が起こるか、将来に何をなすべきか、絶対これは欠かせない、だから今我々はこういうことをしなければならぬ、実はそういう事柄があるのではないか、かように思うわけでございます。 つまり、言葉をかえれば、今起こっておること、きのう起こったこと、あるいは過去、現在の状況の中で将来の方向を右に左に決めるのじゃなくて、やはりもっと遠い将来、あるべき姿と言ってもいいと思いますけれども、そういう中で選択をして、場合によっては苦しいこともやらねばならぬ、こういうのがあるのじゃないか。まあ先憂後楽という言葉もございますけれども、それに似通ったことではないか、かように思うわけでございます。 そういう面から見ますと、私は、このカンボジア問題、ひいては国際貢献問題というのは、まさに今それが問われておるような気がするわけでございます。今度のカンボジアの選挙をいかにうまく支援するかという問題だけじゃなしに、日本の将来、二十一世紀というか、この地球社会の中での位置づけというものが再確認されるべく今我々がある、こういうふうに思うわけでありまして、そういう視点から一点だけカンボジア問題について申し上げたいと思います。 今カンボジアの選挙を前にしまして、先週の金曜日も質問申し上げましたけれども、例の中田さんの死あるいは高田警視の殉職というものを契機に、停戦合意が継続していないのではないだろうか、あるいはPKOの撤収論、つまりもう撤収すべきではないかとか、あるいはPKF論あるいは五原則見直し論といったものがいわば噴出した形になっておりますけれども、私は、今申し上げましたような視点から、もう一回本件についてはっきりとした政府の認識というか、ひいては国民の認識というか、そういうものを確認すべきではないか、かように思います。 アジア注視の中で、世界注視の中で、我が国は初めていわば歴史的な第一歩とも言っていい今回の国際貢献に踏み出したわけでございますけれども、第一歩目からふらついたような感じすら我々は受けとめますし、国民世論の動向もそういうふうに感じるわけでございます。 そういうことで、第一歩でございますから予測できないこともあるでしょう、状況が思ったより厳しく推移したということもあり得るわけでございますけれども、それはまさに第一歩でございますから、遠い将来、国際貢献の理念あるいは国家の戦略、そういう大きな視野から、後から出てきた不測の事態はその都度論議をし、詰めていけばいい、補っていけばいい、こういう基本的なスタンスでこの問題には国も政府も取り組むべきじゃないか、私はかように思うわけでございます。 そういうことで、御質問でございますけれども、これまでパリ和平協定を初め、カンボジア和平実現のために我が国はかつてない努力というものを、あるいはイニシアチブというものをとったのではないか、私はかように評価をするわけでございます。そういったこれまでのカンボジア和平に対する日本の積極的な一つの国際貢献の理念に基づいたアプローチというものはどうだったであろうか、それを踏まえて、危険をはらみながらもこれを乗り越えて平和実現に欠かせぬ選挙実施というものを支援するために、国際貢献の第一歩としてPKOを派遣したのではないか。そういういわば原点というものを、将来の見通しそして国際社会における日本の役割というものも踏まえて、再度基本的な考え方について、政府のスタンスというか視座というものをしっかりとこの場において御披露いただきたい。答弁いただきたいと思います。
○柿澤政府委員 古賀一成先生のフランスの歴史学者の言葉を引いての含蓄の深いお考え、大変感銘を持って伺いました。私たちもこれから未来志向の外交を展開したいと考えておりますし、特に冷戦後の国際社会が新しい国際秩序を求めているところでございますから、その中での日本の役割というものをしっかりと考えた外交を展開したいと思っているわけでございます。その意味で、カンボンジア和平に関する日本の積極的な貢献はその第一歩というべきものかと存じます。 御承知のとおり、世界の中で最もダイナミックに発展している地域はアジア・太平洋であると言われております。その中で長い間戦乱に苦しんでいるカンボンジアに何とか和平をもたらして、アジアのダイナミックな発展の枠の中に入れて、そしてカンボジア国民の生活水準の向上を図りたい、これは近隣諸国の願いでございまして、タイのチャチャイ首相がインドシナを戦場から市場へと言ったのもそうした趣旨であろうかと思います。 日本もそうした趣旨に賛同して、一九九〇年六月に東京でカンボジアの和平会議を主宰することになりました。海部内閣のときでございます。そして、そこにはシアヌーク殿下、そしてポル・ポト派のキュー・サムファン議長も出席をして、和平のテーブルに四派が着いたという歴史的な一歩であったわけでございます。その後、和平会議の舞台はパリへ移りましたけれども、日本は引き続き積極的にパリ和平会議にも参加をして、一昨年の十月和平合意が成立を見ました。その中で、日本としても経済復興、復旧援助だけでなく、和平の過程そのものにも積極的に参加すべきであると考えまして、PKO法を国会に提出し、御審議をいただいて、昨年成立を見、経済の面だけでなく人的な貢献についての一歩をしるしたというのが今日の事態でございます。 その意味では、パリ和平合意の最終段階である公平、公正な選挙というものの最後の段階にたどり着いているわけでございますので、いろいろと当初の予測に反する事態も出てきておりますが、何とかパリ和平合意の大枠は守られているという国際的なコンセンサスに基づきまして、日本も最後まで貢献をし、選挙の結果新しい政権ができ、そしてその政権のもとでカンボジアに恒久的な和平が実現するよう努力をしていきたい、これがアジアの一員としての我々の責任であると痛感をいたしておりますので、御理解のほどをよろしくお願いを申し上げます。
○古賀(一)委員 今、柿澤政務次官から力強いお言葉をいただいたと思います。つまり、選挙はあさって始まるわけでございますけれども、パリ和平協定があったその前に、日本のイニシアチブによって始まったところの、東京会議と言ってもいいものもあったということでございます。私は、このカンボジア和平が日本のイニシアチブで始まったときに、これで日本は新たな国際社会の一員としてやる気概を示したなというふうに喜んだ一人でございまして、それが選挙直前でこういう何か国論が混迷をしたような状況で、これまでの政府は何だったのか、せっかくあそこで一歩踏み出したのにという思いが非常に強いわけでございまして、私は、本件については再度質問しませんけれども、一面でいろいろな意見があるということを申し上げたいのです。 ある新聞にこういうのが出ていました。いろいろな指摘がございます。カンボジアの一地域のある事件、ある現象、それをもっていわばこのPKOあるいは国際貢献そのものが間違いであったという論調も実はあるわけでありますけれども、私は、今冒頭申し上げましたように、本件はそういう視野で見るべきではない、見た場合にはとんでもない禍根を、日本の将来百年の中に傷を残すだろう、かように思うわけです。 一つだけ例を申し上げますと、「東京から四千四百キロ離れたカンボジアの首都プノンペンから見ると、PKO見直し論議で揺れる日本は、自分にしか通用せぬ尺度で物事を考えるだけの、巨大で身勝手な国に映る。」という、これはある新聞の論説主幹でございますが、指摘もございます。また、ある東南アジアの識者が述べた言葉がこれまたある新聞に載っておりましたけれども、「カンボジアでのPKO参加は日本政府が自ら国際社会に貢献しようと決意し、踏み出した最初のステップである。その日本がPKOを中断すれば、間違いなく世界の信用を失うだろう。また日本がPKOの一部でも撤収すれば、UNTAC全体が混乱に陥るだろう」という指摘でございます。 困難あるいは予測違い、幾つかあろうかと思いますけれども、冒頭申し上げましたフランスのペルーの言葉ではございませんけれども、ぜひ大局に立って、歴史観に立って、国際社会の視野を入れてこの問題に政府として取り組んでいただきたいと私は思います。 さて、大分時間を食いましたけれども、これに関連をしてもう一点、前回質問を申し上げましたことと関連しますけれども、一つの提言を申し上げ、見解をお伺いしたいと思います。 カンボジア問題一つをとっても、国際世論の情報収集であるとか政府部内の調整、各国の根回しあるいはマスコミ対策、各国とのコンタクトあるいは国際機関との調整、あるいは、外務省が余り得意ではないと言ったら怒られますけれども、いわゆる国会対策、他省庁と違いまして法案を処理する機会は外務省は非常に少ないわけでございますけれども、PKO法案も出されたわけでありまして、そういった本当に膨大な問題、事務が生じておる。それが、こういった状況の変化で、これは日本ではいかんともしがたい面があるわけですけれども、そういったすべての手続を、あちこちにまたがる非常に難しい、高度な仕事をもう一回やり直さなければならぬ、こういう業務の増大があるわけでございます。 カンボジア問題が仮になくたって、今の国際調整の問題が難しい、その前提となる国内の利害調整も難しい、国論の統一も非常に難しい。そういう外交のフィールドの多様さと困難さ、量がふえている、こういうことを踏まえて、前回申し上げました外交機能の強化というものにぜひ真剣に取り組んでいただきたいと私は思うのですが、きょうは、トップレベルの外交機能の強化という面について一点だけ指摘し、見解を伺いたいと思います。 つまり、外務大臣を補佐するという形なのかどうか、ちょっとそこは正確ではございませんけれども、かつて、牛場さんが大使、大来佐武郎先生が対外経済担当大臣というのに任命されたことがございます。松永信雄さんが日本政府代表という立場に立たれたこともございます。これだけ国際社会が小さくなるというか、密接な関係を持ち、しかもすべての事案について利害調整が求められる、そういった中で外務大臣を補佐する担当大臣。その担当の仕方は、経済担当なのかもしれませんし、あるいは地域担当であるのかもしれませんし、政治担当かもしれません。そこら辺は今後の論議に任せるとして、これだけの日本の地位と国際社会の変化、業務の変化から見て、外交関係を補佐するもう一人の担当大臣というものを真剣に論ずるべきではないだろうか。 あるいは、政務次官も実は問題がございます。御承知のように、大蔵、通産、農林はかねてより二人政務次官制でございますが、一番フィールドが広い、大変なものは外務省ではなかろうか。そういう面で外務省については大物政務次官がおられるわけでございますけれども、大物政務次官といえども体は一つでございまして、アメリカに行くのに十何時間かかるのは同様でございます。そういう意味で、私が尊敬してやまない安倍先生の死であるとか渡辺外相の病気入院とかもあわせ考えると、そういうものを、これは政府というよりも我々国会のあるいは党のレベルで一生懸命論議しなければならぬことかもしれませんけれども、ひとつ政務次官に、長らく政務次官で御苦労された立場から忌憚のない、そこら辺についての方向、期待、そういうものをお聞かせ願いたいと思います。
○柿澤政府委員 我が国の国際社会における役割が拡大してまいりますに従いまして、外交機能の充実が当面の大きな課題になっていることは、古賀先生御指摘のとおりでございます。人員にいたしましても予算にいたしましても諸外国に比べて非常に小さい規模でやっておりまして、その点に関しましては、外務委員会の皆様には与野党挙げて御理解をいただいていることに心からお礼を申し上げたいと存じます。 その意味で、予算、定員の拡充に含めまして、もう一人大臣クラスの外交担当の者を置いたらいかがかという御指摘がございました。この点については、私も大臣の代理で国際会議に随分昨年来出てまいりましたので、身にしみて感じております。イギリスやフランス等では外交担当の大臣というのが外務大臣のほかにいらっしゃいまして、外務大臣を補佐しながら機動的に大臣クラスの活動をしていらっしゃいます。その意味では、私も大臣の代理として国際会議に出ておりますが、やはり正式な名称としてはバイスミニスターということで大臣扱いを受けない場合が多うございまして、その点では何とか外交担当の大臣というものを外務大臣に加えてつくっていただけたらなという思いがございます。 ただ、国務大臣の数は一応制約がございますので、そのときにはその他の大臣とのいろいろな調整ということもあろうかと思いますので、その点ではぜひそうした形で前向きにお考えいただければと思っております。 それから、政務次官につきましても、既に二人制の省が三つございますので、何とか外務省もと考えてお願いをしておりますが、これも国家行政組織法の改正が必要でございまして、全体の政務次官の数をふやすことがいいかどうか、行政改革の立場もございます。そういう点では、ぜひ全体の見直しの一環としてお考えをいただければ幸いだと考えております。
○古賀(一)委員 これは国家行政組織法の改正等の法律の改正が必要であることは、おっしゃるとおりであります。総務庁にも言わなきゃならない、大蔵省にも言わなきゃならないという話がきのう外務省の方からありましたけれども、それは当然でございまして、これはまさにその域を超えた、国のこれからのあり方とも大げさに言えば関係する事柄でございますので、これは与党もそうでございますけれども、外務委員会に所属されます野党の諸先生にもぜひ御理解を賜って、そういう運動の緒がつくことを期待申し上げると勝手に申し上げまして、次の質問に移りたいと思います。 きょうの質問は、本当は児童の権利条約に関する件でございます。時間が残り少のうございますので口早に申し上げますが、今までの論議、各党から相当の時間を費やして行われたわけでございますけれども、端的にこれまでの論議を集約しますと私自身はこういう印象を持つわけでございます。 論議の大半が、「児童」か「子供」か、いわゆる「チャイルド」の訳でございます。この問題、あるいは原住民か先住民か、こういったいわゆる条約の日本語訳についての議論に過大な焦点が当てられたような印象を免れないと私は思います。条約の理念、中身の議論が少し欠けておるのではないかという感じすらいたします。 そういう意味で、議論をもう一回蒸し返すわけじゃございませんけれども、整理する意味で、国会の承認を求められておるものは何なのか、条約の日本語訳の位置づけというものはどうなのか、この二点について、事務的な話ではございますけれども、明確な説明をこの際いただきたいというふうに思います。 また、この関連で、条約を締結する際の国内手続について、内閣と国会の関係、これについても、簡単で結構でございますが、いわゆる確認する意味で御答弁をお願い申し上げたいと思います。
○小池政府委員 お答えいたします。 先生の第一の御質問の、条約を締結する際の内閣と国会との関係ということでございますけれども、従来から政府の見解として答弁してきております。 それは、憲法第七十三条によりまして、条約の締結権そのものは内閣にございます。事前または事後に国会の承認を受けることとなっておりまして、内閣は、この規定に基づいて条約締結の可否を国会にお諮りすることとなります。 したがって、国会におかれて条約審議に当たり訳文を含め御審議いただくことは当然でございますけれども、国会による承認の対象はあくまでも条約締結自体でございまして、条約訳文が国会承認の対象となっているわけではございません。この点は昨日も内閣法制局より明確な答弁があったとおりでございます。 第二点、日本語訳というものはどういうものかということですけれども、日本語訳は、国会がその当該の条約の締結を承認するか否かを判断するための審議を行う際に当該条約の規定を御検討いただくための資料でございまして、議案そのものではございません。当該条約の内容を正確にかつ理解しやすい形で示すためのものと御理解いただきたいと思います。このため、外務省といたしましては、条約を国会に提出するに当たり関係省庁と協議に協議を重ね、内閣法制局の審査及び閣議を経て国会に提出している次第でございます。
○古賀(一)委員 その点については答弁をいただきましたので結構でございます。はっきりしたと思います。 それで、私もこの児童の権利に関する条約、昨晩ざっともう一回見てみました。ここにいろいろなことが書いてございます。 これを全部読んだらもちろん時間がかかるので要点だけ申し上げますと、「国際的な里親委託」の問題あるいは、文章を読むと長くなりますのでもう項目だけしゃべりますけれども、「緊急事態及び武力紛争における女子及び児童の保護に関する」云々、あるいは「極めて困難な条件の下で生活している児童が世界のすべての国に存在すること、」これは前文でございます。また、「このような児童が特別の配慮を必要としていることを認め、」あるいは、前文の最後に「あらゆる国特に開発途上国における児童の生活条件を改善するために国際協力が重要である」云々とか、ずっといろいろ書いてございまして、六条には「締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。」つまり、生命に対する権利を脅かされている、そういう国が多いんだという反面解釈でございます。あといろいろございますけれども、第二十八条、こういう言葉もございます。「締約国は、学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。」 全部をもちろん紹介はできませんが、ざっと読んで感ずるのは、前文であれ、四十一条に至る第一部の条文全体を見て感ずるのは、本条約が目指すところは、やはりこれは明らかに児童の生存やあるいは成長あるいは福祉、あるいは人間としての尊厳、そういうものが非常に開発途上国を中心に脅かされている、そこに児童の人間としての権利、尊厳というものを最低限確保しようという、条約の基本的な趣旨はそういうことじゃなかろうか、かように思うわけです。 ところが、これまでの論議を聞いておりますと、条約第十二条、いわゆる意見表明権、意思表明権でございますけれども、何かしら、いわゆる学校のカリキュラムとか教科書の選択であるとか、その個人の、自分自身の権利というよりも、社会全体のシステムとかそういう分野にまで権限、つまり意思表明権が及ぶような論議もあるやに私は印象を受けました。 この前参考人で呼ばれた保坂さんでございましたか、あの方の話もそれなりに私自身関心を持つて聞いたわけでございますが、この条約との対比で聞きますと、いや、ちょっとこれは、保坂参考人がおっしゃったことというのはこの条約の趣旨に合うのかなという疑問も私自身は覚えたわけでございますけれども、やはりそこら辺のところは、私は、この条約が成立をした暁に、いや、十二条というものはこういうものだというふうに逆に拡大解釈をされて、逆に教育現場における無用の混乱が、ひいては行き着く先、子供の教育に悪い影響を与えることになりはせぬかということすら危惧するわけでございまして、この点、私はもう一回、最後でございますが、私自身としては最初で最後でございますけれども、まず文部省の方に、そういった運用の面での理解というものをはっきりお聞きしたいというのが一点。 もう一つは、これは、条約の解釈権は外務省でございます。この点について、これまでの国連審議、ここに国連ドキュメントございますけれども、これまでの国連における審議の経緯というものをしっかり踏まえて、再度、有権解釈としてはっきりとしたお答えをいただきたい、かように思います。
○小西説明員 お答え申し上げます。 今の条約の解釈の問題でございますが、意見表明権にかかわる十二条の一、これは原案では、自己の意見を形成する能力のある児童が自己に関する事項、特に、結婚、職業選択、医療、教育及びレクリエーションについて自己の意見を表明する権利を確保する旨が規定されておったわけでございます。このような経緯にかんがみまして、この規定は、児童がみずからの意見を形成し得るようになれば、児童といえども、だれと結婚するか、どのような職業につくかなど、その児童個人に関するすべての事項についてみずからの意見を述べることが認められるべきであるという理念を規定したもの、そういうふうに考えております。
○富岡説明員 条約第十二条にあります自己の意見を表明する権利のことでございますけれども、その児童個人に関する事項について、児童の意見を年齢等に応じ相応に考慮することを求めるものでございまして、児童の意見を無制限に認めるものではないと考えております。したがいまして、例えば今お話がございましたカリキュラムなんかにつきましてですが、児童の意向を優先することまで求めるものではなく、それは学校の判断と責任において決定されるものでございます。 文部省といたしまして、条約の締結後でございますが、外務省等とも連携いたしまして、積極的に条約の趣旨等につきまして学校関係者等に周知を図っていきたい、そういうふうに考えているところでございます。
○古賀(一)委員 時間が参りましたけれども、これは質問ではございませんけれども、一点だけ言わせていただきたいと思います。 きのう秋葉委員、きょうもお見えになりますが、子供のいろいろな意見をこの国会の場で、児童の権利条約だから、聞いてはどうかという御意見がございました。私も、聞いたときには、うん、一つのアイデアではないかな、こうも思ったのです、またそういう開かれた政治もいいかなと思ったのですが、よくよくきのう夜考えてみますと、この十二条で、児童はいろいろなことを、極端に言えばですよ、社会体制についてもいろいろな場で言う権利をこの条約が認めることになったのではないかということもございました。 今明確に否定があったわけでございますが、それと何か二重にダブってきまして、こうなると、この十二条で、バッジがなくても児童というものは国会議員の立場を得るというような、そういう暴論でもなかろうとは思いますけれども、それと何かいわゆる教育現場の話がダブって印象を受けたものですから、やはりそういう、条約における権利としての問題と、別の意味でそういう場を広げるという話は、私はおのずと本質的に違う問題だろう、かように思うわけでございまして、ひとつ何か、評価とともにちょっと皮肉っぽいことを言ったかもしれませんけれども、それはそういう解釈でやるべきだろう、かように思います。 最後になりましたけれども、これで終わりたいと思います。以上であります。
○伊藤委員長 小森龍邦君。
○小森委員 余りにもありふれたことを冒頭に尋ねますのであるいはまた逆に答えにくいかもわかりませんが、これは本日外務大臣にお尋ねをしたいと思っておりましたが、都合によって外務大臣はここに見えておりません。したがって、柿澤政務次官に尋ねると同時に、またしかるべき外務省の官僚の立場の意見も聞きたいと思います。 つまり、それは、およそ権利に関する条約についての議論でありますから、しかもその権利は、犬や猿の権利ではなくて人間に関する権利でありますから、人権とは何ぞや、なかなか答えにくいと思いますが、しかし、答えにくいだけにこの際整理をしてかからなければ問題の議論というものが前に進まないと思いますので、通常言われておる人権を、柿澤政務次官はどのように認識をなさっておるか、まずお尋ねしたいと思います。
○柿澤政府委員 小森先生御指摘のように、人権に関する学説は、それだけ集めましても大変な数がございます。今国内でも、雑誌等で人権とは何ぞやという議論が行われておりますが、非常に単純に言えば、人間が生まれながらにして持っている権利、そして生存する権利ということであろうかと思いますが、国際的には、世界人権宣言の前文で「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」というふうに定義をしておりまして、これらを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であると私どもは考えております。また、国際人権規約また我が国の憲法においても、人権に関する規定があるわけでございます。 最近も、国連における人権会議等でこの内容が議論されておりますが、西欧先進諸国とアジアの国々との間に、いろいろな意味で人権に関する考え方の相違等も出てきておりまして、この点を国際的な普遍的な価値として認知していくにはどのような規定が必要か、これから我が国としても主体的な立場で人権に対する考え方と取り組んでいかなければならないというふうに考えております。
○小西説明員 お答えいたします。 ただいま柿澤政務次官から御答弁がありましたとおり、私どもといたしましても、人権というのは、世界人権宣言の前文で述べられておりますとおり「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」であって、これを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるというふうに考えております。具体的には、国際人権規約や日本国憲法において規定されているところのものであるというふうに考えております。
○小森委員 答弁の中に世界人権宣言という言葉も出ましたし、我が国憲法のことにも触れられておりますので、大体私の認識と一致しておるのではないかと思います。しかし、生まれながらにして持つ権利というのはよく言われる言葉なんでありますが、生まれながらにして持つ権利というものと、国家の権力、強制力を持つ権力、行政権と言ってもいいのですね。そういうものとの関係は、生まれながらにして持つ権利というものとの関係においてどういう位置関係にあるか、これをひとつお答えいただきたいと思います。
○柿澤政府委員 この辺が難しいところでございます。個々人の権利というものを十分に発揮するためにも、個人は集団を構成し、そして集団の中で活動することが必要でございますし、集団として活動する場合には、集団としての規律、規約というものに従わなければ集団的な活動が全うできません。その場合に、個々人の権利と集団としての規律というものをどこで調和させていくかという点について、いろいろなニュアンスの違いがそれぞれの固有の文化、伝統の中で出てくるというのが現在の国際社会の実情であろうかと思います。 我々としても個々人の自由をできる限り認めながら、しかし、集団として、これは国家というものを先生御指摘されましたけれども、家族というものもそういう意味では一つの集団でございます。家族の中で個人のわがままをどのように抑制していくかという問題もありますし、企業とかまたそれぞれの組織というものもございます。また、国家を超えた人類社会、国連の中でそれぞれの国家のエゴというものをどう抑えていくかという問題もあるわけでございまして、その構成員と集団との調和ある関係というものはやはり考えていかなければならない、その点が人権と国家との緊張関係の基本にある考えであろうかと思います。
○小森委員 多少物の考え方が左右に揺れておるように思うのですが、最初の答弁は、政務次官も、また外務省の先ほどの答弁も、つまり人が生まれながらにして侵すことのできない権利、こういうことを言ったわけです。だから、侵すことのできない権利ということは、質問者の私と答弁されるあなたとの間に一つの合意のようなものができておるわけですね。それをまた、いや、その団体の規律だとかなんとかということによって規制しなければならぬのだ。それは規制があるという事実も、私はそれは事実の問題として認めますが、要は、ここで私が今問題としておる人権というのは、そういうことがあったとしても侵すことのできない権利が、これは生まれながらにして持っている権利でしょう。それを一体、その生まれながらにして持っている権利について、まことにそうです、国家権力はそれに介入してはいかぬのですと言われるのか、なお後段の答弁のように、いや都合によったら幾らでも規制するんだ、こう言うのか、そこのところをひとつお答えいただきたいと思う。
○柿澤政府委員 集団の規律というものが必要であるという点では、小森先生も私も同一の意見だということでございますので、その前提に立ってお答えをいたします。 集団の規律というものをそれぞれの個人の決断でつくっていくということであるならば、その規律は個人の生まれながらの人権を侵すということにならないわけでございます。一方で、だれか独裁者がいて、それが集団の規律を決めて個々人に押しつけるということになった場合に、それは人権との関係で人権侵害というものが出てくるわけでございますので、その意味では、私は、個人の人権というもの、生まれながらにして持っておる人権と、そしてその中で、人権の発揚の仕方をみんなで合意して一つの規律として、集団の規律としてつくり上げていく、それが個々人の同意によって行われるという場合には、それは人権の規制とか侵害にはならないというふうに考えております。
○小森委員 子どもの権利条約を審議するに当たっては、その生まれながらにして持つ人間の権利というものに対する確かな認識がないと、先ほど来の御答弁のように秩序というようなことが先に出てきて、生まれながらにして持つ権利というものが等閑視される、こういうことになるわけですね。したがって、特に子供の権利を審議する場合には、まだ意思表明のできない子供も含まれているわけですね。よって、つまり生まれながらにして持つ権利というものの厳密な解釈が必要になってくるのであります。そういう意味で、社会の秩序を保つためにみんなが合意をすれば、それで一部お互いの持っておる権利というものを集団に譲渡してやるというようなことは、それは人類の知恵として今まで出てきたわけであります。 そういうことによって、例えばその論理の延長線上に我が国の大政翼賛会のような仕組みもできてきたし、あるいはドイツのナチのファシズムも出てきたわけですね。だから、それはどこかで歯どめをかけないと、そういう論理だけでは世の中は間違った方向に行くかもわからない、こういうことでありますから、したがってその点はひとつ十分に考えていただきたいと思うのであります。世界人権宣言というものの精神は、まさに権力とか集団とかに侵されない、いろいろな理由をつけて侵してくるかもわからないが、それに侵されないものを一つ一つ決めておると私は思うのです。 そこで、何のためにそういうことを私が言い出したかというと、子供がおぎやあと生まれて、生まれたときにどこに生まれておるかということによって生涯大変な差別を受ける者がいるでしょう。政務次官は、我が国社会の中で、今問題となるおぎやあと生まれたことによって差別される立場の者について、主としてどういう問題があると認識されていますか。これは憲法第十四条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」こういう規定がございますが、その中で一番近い関係、そのおぎやあと生まれたときから差別される立場というのは、社会的身分とか門地という言葉によって表現をしておるあの辺だと私は思うのです。どうですか。そういう点についてはどういう社会問題が我が国にあると思われますか。
○柿澤政府委員 子供はどこに生まれてくるかを選択することはできないわけでございます。その家族の住んでいる地域、また家系、また経済力その他によって生まれてきた環境が異なることは先生おっしゃるとおりでございますが、現在の我が国においては、そうした違いにもかかわらず、できる限り生まれてきた子供たちが平等に扱われるようにということで努力をしてきているわけでございまして、その差が例えばほかの国に比べて大きいとは思っておりません。私は、日本の場合には、比較的平等な社会が成立しているのではないかと思っております。
○小森委員 どういう社会問題がそこにあると思われるかという質問なんでありまして、世界のほかの国に比べて割合よいということを求めて私は質問をしておるのじゃないのであります。 それで、そこのところのやりとりで余り長くやってもいけませんから申し上げたいと思いますが、例えば我が国の徳川封建幕府以来、士農工商穢多非人というあの六階制の身分差別の仕組みの中で生まれてきた、それは先ほど政務次官が言われたように親を選ぶ権利はなかった、だから生まれてきても、わしがなぜこんなところに生まれてきたかといって文句を言うこともできなかった。そういう状況の者に対しては、いや、社会の秩序がそう差別的に成り立っておるんだから、多数の者がまだ差別に対して余り抵抗していないのだから君は我慢しろ、こんなものではないと思うのですね。 それは憲法第十三条が言う「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、」「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」これが当てはめられなければならぬのでありまして、そういう問題として理解をしてもらわないと、だんだん成人に近くなればそれなりの意見も述べられるし、またその述べる意見についても、子どもの権利条約はどういうふうにこれを援助するか、どういうふうにそれを守っていくかということが想定をされておる条約でありますが、まだ物が言えない段階の者が差別を受けるということについては、特にこの子どもの権利条約ではそれを救済するということを考慮しなければならぬと思うのですね。政務次官、その点についてはどう思われますか。
○柿澤政府委員 先生御指摘の社会的な差別というお話でございますが、その点に関しましては、戦後我が国ではいろいろな形の特別法もつくりまして、そうした解消に国を挙げて努力をしてきているところでございます。状況は、万全とは言えないかもいれませんけれども改善しつつあるというふうに理解をいたしておりますので、その意味ではこの条約における児童の平等の権利というものも達成されつつあると期待をいたしております。
○小森委員 例えば一つの歴史的な事実というものが、五十年とか七十年とか百年とか二百年とかのうちには、それは人類は知恵を持っておりますからだんだん解決の方向に向かっておるわけで、解決の方向に向かっているとはいっても、限りある人生において子供の時期というのは、おぎやあと生まれてから十歳とか十五歳とかあるいは二十になるまでとかという、そういう区切り方があって、おぎやあと生まれたときのその人の人生というか境遇というものは取り返しがつかないのであります。だから、だんだんうまくいきつつあるというようなことで、つまりそんなアバウトな理解では権利というものは論じられないと私は思うのですね。 そこで、答弁をする相手をちょっとかえまして、法務省にかえまして、聞いておってください、外務政務次官、どういう答弁をするか。これは非常に聞き物だと思うのですね。 それは、おぎゃあと生まれた、そのおぎゃあと生まれた子供がたまたま非嫡出子であった。どうですか。相続分はどうなっていますか。法務省、答えてください。
○森脇政府委員 相続人の中に嫡出子及び嫡出でない子が含まれる場合には、嫡出子の相続分と嫡出でない子の相続分との間に差異を設けてございまして、嫡出でない子の相続分は嫡出子の二分の一、こういう規定になっております。これは、民法の九百条四号ただし書きにこのような規定がございます。
○小森委員 人は生まれながらにして自由であり平等であるというのはフランス革命の精神でありますし、そのフランス革命の精神をいわゆるこの世界人権宣言は受け継いでおるし、そして我が国の憲法も少なくとも目指す方向はそれである。にもかかわらず、何でわしに二分の一しか財産をくれぬのだということの言えない、まだ物を言えない子供、それをどうして初めから国家は法律によって、権力によってそういう処遇をするのですか。それは差別じゃないですか。
○森脇政府委員 本条約の二条は、確かに児童に対する不合理な差別を禁止する趣旨の規定でございます。 そこで、項について順次見てまいりますと、同条の一についてでございますが、児童の相続分については、この規定上児童に対し尊重し確保することを締約国に課している本条約に掲げる権利、これには相続については含まれていないと解されるところでございます。したがいまして、同条1による保護の対象にはならない、このように解釈いたしております。 次に、同条2でございますが、同条の2は、児童がその家族の構成員等の地位に基づいて差別または処罰を受けないようにするための適当な措置をとることを締約国に課しているわけでございます。ここで言います「地位」は、本条の制定経緯に照らしても、またこの条文上次に出てまいります活動、表現された意見または信念、これと並ぶ社会的地位または政治的地位を指していると解されるところでございます。したがって、父母が婚姻関係にあるか否かといったような身分上の相違に基づいて非嫡出子と嫡出子との相続分に差異を設けることは同条の2の保護の対象にはならないというふうに解されるわけでございます。 また、当然のことでございますが、相続の問題は親子関係等の身分関係に基づいて生ずるものでございまして、相続人となる子が児童か否かといったことによって左右されるものでもないわけでございます。 以上のように考えてまいりますと、非嫡出子と嫡出子との間で法定相続分に差異を設けた九百条四号ただし書きはこの条約の二条に抵触しない、このように考えられるわけであります。
○小森委員 どう読んだらそういう理屈が成り立つのか。私がまことに残念でかなわないのは、我が国において唯一の人権擁護行政を担当しておるのが法務省です。答弁をなさったあなたが人権擁護局とは私も思いませんけれども、しかしこの人権擁護を担当する局を持つ省がそういうふうに可能な限り理屈をつけて人の差別を肯定するというようなことが許されますか。児童だから、青年だからといって差別するのではない。それはそうですよ、児童の間に差別しておるんだから。児童だから、青年だからつてそれは同じですよ、民法の適用は。問題は、その児童のうち嫡出子と非嫡出子との間に差別があるではないかと言っているのですよ。どこをどう読むのですか。あなたの中で夢を見ながら頭の中で描いたことをここで言ってもろうては困るのですよ。 ちょっとこの文章を読んで、どこの文言にひっかけてそういうことが言えるのですか。第二条の各例示しておる財産とか障害とか出生とかいうことはその限りではないというのは、どこを読んだらできるのですか。
○森脇政府委員 お答えいたします。 先ほど本条の成立の経緯ということを申し上げたわけでございますが、本条約の二条の2では、児童の父母、家族の構成員等の地位、活動、表明された意見または信念等の事由に基づく差別または処罰からの保護を規定しているわけでございますが、同条の2の作成経緯と申しますのは、当初、活動、信念及び表明された意見の三つの事例が列挙されていたわけでございます。これに「地位」はこれらの事由に並ぶものとして特に議論なく追加されたという経過を伺っております。そういたしますと、ここで表明しております「地位」と申しますのは、今申しました活動、信念、表明された意見、こういったものと同種のものということに解されるのではないかというふうに承知いたしております。
○小森委員 「法定保護者又は家族の構成員の地位」、せっかく権利の条約を審議しよるときに、権利を伸長する意見というのはよく聞いてやってもらいたいと思うのですが、「家族の構成員の地位、活動、表明した意見又は信念」、それは何を言うんですか。非嫡出子だから二分の一の相続でいいということを言っておるというのですか。それはどうなんですか。
○森脇政府委員 同様の繰り返しになりますが、ここで言っておる構成員の地位といいますのは、その家族が何らかの活動をし、あるいは意見を表明するといったことによって、構成員の地位、それの子供であるという形での差別がなされることを禁止しているものというふうに理解いたしております。
○小森委員 出生による差別を禁じておるというのを、今度は家族構成員の地位というところとどうやってひっつくのですか。ひっつかないものをひっつけて、明文にはっきり規定されてある出生ということをどうやって消すのですか。ここをもう一度答えてください。
○森脇政府委員 失礼いたしました。二条の一についてでございますが、この二条の一は、締約国は「この条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」こういう規定になっておるわけでございます。ここの「この条約に定める権利」この中に相続に関する権利が含まれるかどうかという点で先ほどお答えしたわけでございます。この条約の中には、児童に関する権利というものを確かに確保しようとしておるわけでございますが、その中で相続に関する権利というのは含まれていない、かように考えておるわけでございます。
○小森委員 一つの明文化されたこういう条約の文章というものを、そういうものは含まれていないと解釈するというようなことは成り立たぬじゃないですか。解釈をするかしないかは、どういう文章があるかないかによって解釈したりしなかったりするのでしょう。「出生」というものがあるのに、その出生にまつわるすべての事柄については、少なくともおぎやあと生まれてきてまだはっきり意思表示もできない、そういう段階でこういう我が国の差別的な法的な立場にくくられるということ自体がいかぬから、だから国際条約というものがあって、各国に考え直してもらいたい、こうなっておるのじゃないですか、これは。
○森脇政府委員 ここで申します「この条約に定める権利」というのは、一条以下の各条項によって認められる権利、保護されるべき権利というものを想定しているものというふうに理解しておりますが、相続に関するものにつきましてはここにあらわれてきていない、このように考えております。
○小森委員 そうしたら、法務省に尋ねますけれども、この条約に相続に関することが書いてないから出生ということを消すというならば、出生ということに対して何らの考慮を払わないということになれば、先ほど私が問題にいたしました部落差別はどうなるんですか。部落差別書いてないでしょう。それに対しては、国民の世論に押されてこの二十数年間、それは大変不満足で、じりじりと政府側が譲歩をしておるというように解釈をしておるが、それはそれとしても、要するにそういう問題があるということについて、それも適用除外なんですか。
○小西説明員 条約の解釈問題でございますので、私の方から一言御説明させていただきたいと思います。 条約の第二条の一は、人種、性、社会的出身等を理由とする不合理な差異を設けることなく、この条約に定める権利を尊重し及び確保する義務を締約国に課しているわけでございます。それで、児童の相続につきましては、この条約の中で権利として掲げられているものではございません。したがって、この条約の第二条の一項の対象とはなっていないわけでございます。 また、先ほど法務省の方からも御答弁がございましたけれども、この条約の第二条の2でございますけれども、そこでは、児童の父母、家族の構成員等の地位、活動、表明された意見または信念等の事由に基づく差別または処罰からの保護を規定しているわけでございます。 この規定で言う父母の地位というものは、作成経緯からいたしましても、父母の活動や意見や信念にかかわるような社会的、政治的な地位を意味するというふうに解しておりまして、父母が正当な婚姻関係にあるか否かといったような父と母の間の法的関係の状態まで含むものではないというふうに理解しております。したがいまして、この第二条の二項におきまして非嫡出子と嫡出子の法定相続分の差異を禁じたものだというふうには理解しておりません。
○小森委員 私が質問したのは、そういうむちゃくちゃな、権利の条約を審議するときに権利を狭めるような狭めるような議論をしておるから、だったら、私は子どもの権利条約の中の、被差別部落の子供たちの権利というのはこの条約によっても守られる面がたくさんあると思っているが、部落差別という文言がないからこれは守られなくていいのですか。また、法的ないろいろな整備をしなくていいのですか。ここにはせっかく「出生」とあるのですよ。「出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」となっているのですよ。それを消して、しかも相続の問題について先はどのようなへ理屈をつけてするのであったら、きちっと部落差別はこうしなきゃならない、何はこうしなきゃならないというようなことが書いてないものは皆消してもいいということになるじゃないですか。もう一度そこを答えてください。私が言っておることに対して答えてくださいよ。
○柿澤政府委員 これはかなり高度な政策的な判断だと思いますので私がお答えをさせていただきますが、やはり憲法の中に安定した婚姻関係を守るという考え方があろうかと思います。そこから今の非嫡出子に対する相続の規定が出てきているわけでございます。その意味では、この条約を批准して施行している国の中にも相続に関しては嫡出子と非嫡出子の差異を認めているところはございまして、それが問題になっているというケースは聞いておりませんので、その意味では、その判断自身が正しいかどうかということであって、この条約に抵触するかどうかということではないと考えております。 また、子供は非嫡出子として生まれてくることを自分から避けることはできないわけですが、両親は判断ができる立場にいらっしゃるわけでございますので、非嫡出子として産むと決意をして生まれたわけですから、その意味では正常なといいますか、安定した婚姻関係外の子供と知りながらお産みになったということではないでしょうか。
○小森委員 だから私が一番最初に議論したのは、要するに人間の権利というものをどう見るかということを出したのは、究極は我が国憲法第十三条が定める「すべて国民は、個人として尊重される。」でしょう。例えば私らのように選挙をやる者は、地域社会でおやじが人気がいいとか悪いとかいうことによって左右されることは事実ですよ。事実だけれども、それは私にかかわらないことであって、いわばマイナスの遺産であって、できるだけ個人を見てもらわなきゃならぬ、これが正当な理論でしょう。個人の評価をしてくれというのが正当な理論でしょう。また、おやじがだれであったかということによって選挙で有利な人もたくさんいます。だから、そういうことも本当は社会的な不当なことなんですよ。 特に、あなたの言われたことに私は二つあると思う。一つは、婚姻関係の安定性のために何も知らない子供が犠牲にされていいのですか。それから、親の決意でその子供を産んだと言うが、親の意思によってその権利が無視されていいのですか。だから、何物にもかえがたい生まれながらにして持つ権利、ここを認めるのが国際的ないろいろな権利の条約ではないのですか。よその国で認めていると言ったって、よその国はまだ歴史的におくれておるところはいっぱいあるのであって、だからこそ国連はいろいろ考えてこういう条約を各国に提示しておるわけでしょう。 あなた方の理論は、フランスの市民革命以後のヨーロッパの社会が生み出してきたそういう権利の概念を否定されて答弁されていますよ。それともほかに概念があるのか。いろいろあるということを言っておりましたけれども、究極は、あなたの答弁は、世界人権宣言、憲法、そこを肯定されたわけでしょう。だから、そのことに基づいて解釈しなければいかぬじゃないですか。
○柿澤政府委員 私は冒頭に個人の人権と集団の規律の調和ということを申し上げたのですが、多分そこでこの見解の違いが出てくるのだろうと思います。我が国の憲法では、二十四条で家族生活における個人の尊厳と両性の平等ということで、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が」云々とございます。これは、当然のことながら一人の男性と一人の女性との婚姻関係を、書いてはおりませんけれども、想定しているのであろうかと思います。配偶者の選択、財産権、相続その他に関しては、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」ということで法律事項にゆだねられており、それが民法で規定されているわけであります。 ですから、その点についての御判断であれば、これは民法改正として小森先生が御提起をされることは、私どもは決して反対をするものではございませんけれども、この条約の案文との整合性という意味で議論をされますと、今の相続権については差異を設けている国々が従来からこの条約のメンバーとして認知をされておりますし、そういう指摘はこの条約の解釈として提起をされておりませんので、私どもはその国際的な判断に従ってただいまの解釈を申し上げているところでございます。
○小森委員 国際法というのは、つまり各国が人権問題について特にアンバラな状況が続いておれば、できるだけそのアンバラ状況を解決して、本当に子供の権利が守られるようにということをねらってつくっておるのが国際条約なんですよ。それで、あなたが言われるように、憲法の第何条だったか知らぬけれども、財産権その他あれこれは法律によって決めると言うが、法律によって決めておることがこれに抵触するではないかと言っておるのに、法律で決めておるから妥当だという理屈はないでしょう。それじゃ、今の日本の法律は全部理想的ですか。全部理想的でないから国際的な接触をしたり国際会議をやったりして直すものは直していくわけでしょう。そういうようなことでは、私ははっきり申し上げておきますけれども、日本の子供の権利は守れないですよ。 私の持ち時間が余りないから、法務省がもう一つでたらめを言うことをここで私の質問をもって明らかにしておきます。政治家たる柿澤さん、あなた、ひとつよく聞いて、先ほど法律の改正を提起したら私も賛成すると言われたんだから、私の価値観に対してかなり近いところにおられると思いますから、ひとつ頼みますよ。 もう一つ尋ねます。 一九八五年埼玉県草加市で女子中学生が殺されたいわゆる草加事件というのがございまして、これは一審、二審、三審でいずれもその事件に加担をしたといって少年五人が、少年ですから保護処分を受けた。そういう事件に対して、判決がそうだから被害者側の親がその少年たちの親に対して損害賠償請求をやった。ところが、その損害賠償請求の裁判で、民事裁判なのに、そういう事実はないから、よって、そういうものに応ずることはないということをやっておるわけですね。 ここで出てくる問題は、一般成人は再審請求ができるが、この少年たちは保護処分継続中でないと大人の世界でいう再審の手続がとれない、裁判確定後だから再審請求の手続がとれない、これは明らかに保護処分の名によって子供たちをいじめる法制ではありませんか。法務省、ひとつ答えてみてください。
○倉田説明員 お答え申し上げます。 御指摘のとおり、現行少年法制下におきましては、保護処分の継続中に限り再審と類似の事後的な保護処分取り消しということが認められております。(発言する者あり)失礼しました。 御指摘のとおり、現行少年法制下におきましては、少年法二十七条の二第一項によりまして保護処分の継続中には再審類似のごとく事後的な処分の取り消しを認めております。この点につきましては、少年の再審に当たる制度をどうすべきかということは既に昭和四十年代からいろいろと議論されておりまして、御案内のとおり、昭和五十二年六月に法制審議会が法務大臣に対しまして中間答申を出してくださっているわけでございますが、その中でも少年の権利保障の強化及び一定の限度内における検察官関与の両面から、御案内のとおり現在の少年法では検察官の関与は全く認められておりませんので、この両面から改善を図ることが望ましいのではないかという意見が出されまして、その中の一つとして刑事訴訟法による再審に相当する非常救済手続の新設もうたわれたわけでございます。 ところが、これにつきましては、主として弁護士会を代表される委員の方々などから少年法の理念をもととする大きな反対の声が上がりまして、種々調整に努めたところでございますが、またその間に少年非行の情勢にも相当な変化も来している、いろいろなこういう事情がございまして、いまだその実現を見ていないところでございます。 本件の条約そのものの批准という観点からするならば、四十条の二項(b)の(v)という文言に照らして考えれば、現行少年法は既に抗告、再抗告、それから今申しました少年法二十七条の二に基づく事後的な処分の取り消しという制度を規定しておりますので、条約を批准させていただく点につきましては何ら問題ないと思いますが、それ以上に事後的な処分取り消しの制度を認めるや否やということは、これは少年法の審判構造全体をどうするべきかという基本論にもかかわる重大な問題でございますので、法務省としましても、少年法のような基本的な重要な法律は大方の合意が得られなければ改正に着手できない。しかるに、大きな反対説があるという状況を踏まえまして慎重に検討させていただいておるところでございますので、今後とも、そういう少年法全体の改正作業はいかにあるべきかというところで慎重に検討させていただきたいと考えているところでございます。 以上でございます。
○小森委員 そうすると、今私が指摘をいたしております問題は、法制審議会では、子供たちの権利を守るために、現在の少年法の私の指摘した部分については改正しなければいかぬ、こういうことが出ておるのですね。出ておって、あなたの言葉が私にはよく聞き取れなくて困ったのだが、何がネックになって慎重に審議しなければならぬのですか。どこがネックになっているのですか。あなた方は日本の国のいろいろな審議会制度を、自分に都合のいいところはつまみ食いして、都合の悪いところは審議会を盾にとってよくやっているじゃないですか。だから、私はちょっとあなたの答弁を信用しかねるのですけれども、何がネックなのですか。
○倉田説明員 私が理解するところを御報告申し上げさせていただきますが、少年法というのは、御案内のとおり極めて職権主義的な審判構造をとっておりまして、成人の場合に適用されております刑事訴訟法に基づく当事者主義による対審構造というものをとっておりません。これが非常に大きな対照をなしております。 五十二年の答申は、検察官の関与を若干認めて、決してその職権主義的な審判構造を覆しましょうと言ったわけではないのですが、その中に若干対審構造的な要素も導入していいのではないかというニュアンスを込めたわけであります。それに対しまして、それは少年法の国親思想、いわゆる国家、家庭裁判所が親にかわって子供を立派な人間に育てるために、どうやって環境調整をし、保護していったらいいのかということを考えるべきだ、そのためには対審構造ではなくて職権主義的な審判という構造を持つべきだという基本的な考え方に強く同調される方々は、これからすると、検察官の関与とかいう形での対審構造を若干でも導入することは反対である、こういう説が多かったのではないかと理解しております。
○小森委員 少年の事件なるがゆえに、犯していない罪をそのまま生涯、人々から、彼は少女を殺した男だ、こういう汚名を着て人生を歩まなければならぬわけで、それを適当なところで大人の社会でいう再審請求を認めれば、法律的にその救済の余地が残る、余地を確保することができるわけですね。ところが、これでは全然できないわけでしょう。 だから、今のあなたの答弁を聞いておって、よくわからないところもあるが、おおよそ推測してみると、法制審議会は、これは問題だから改めなければならぬと言っておって、片や、それに対して多少首をひねる方は、少年の事件というのは一般の刑事事件のように罪を追及していくだけでなくて、保護的な措置に重点を置いておると。だから余り一般の法律のとおりにやってはいけないという意味でしょうが、長所を生かしたらいいじゃないですか、どっちも長所を。法制審議会はそこまで出してくれておるのだから、今までのよい面は守りながら、今までの欠陥を直していったらいいじゃないですか。その点はどうですか。
○倉田説明員 一点御報告申し上げたいのですが、御案内のとおり少年法は、その審判は全く非公開にせよということを命じております。また、少年のときの事件につきましては、その少年の氏名等、それがだれであるかということがわかるような報道をしてはならないということも明記しておりますので、一般の刑事裁判のように、憲法上要請されている公開裁判ということはございません。その点で、一般の刑事裁判における公開性というものは少年の事件の場合にはないわけでございます。
○小森委員 大臣があれば、私は特に大臣にそういうことを言いたいが、政務次官、ひとつ聞いてもらいたいのは、答弁というものが、質問したことに対して答えないで、物理的にある一定の時間をとればそれで終わる、こういうような状況が続いておったのでは物事の論理のかみ合いというものはないのですよ。 だから、私が言ったのは、要するに、これまでの制度の少年を保護するというよい面をそのまま採用しながら、これまでの欠陥を直す方向でいったらどうかというのでありますけれども、そこのところには答えない。答えられないというところが今日の我が国政府の人権行政に対する水準なのです。それを考えて、余り世界に恥をかかぬような、世界の一流の先進国だといってサミットへも出るわけですから、今度東京でサミットもあるわけですから、やはり世界の一流の先進国なら先進国らしく法制を改めたらいいじゃないですか。子どもの権利条約などを審議するときにこういう議論を国会がせずして、いつできるのですか、これは。 まだ私、もう一項目だけ、時間が足りないけれどもやるので、あの人、何遍言ってもだめですよ。だから、法務省が不合理なことばかり言うたりしておるということを政務次官はインプットして帰ってもらえばいいです。 次に、質問を変えます。文部省に尋ねます。 文部省は、この数年間の同和地区出身の高校生、その高校生の進学率なり退学率というものの数字をつかんでおられると思いますが、残された時間で急いで議論をいたしますので、簡単にお答えをいただきたいと思います。
○銭谷説明員 お答えを申し上げます。 過去五年間の同和地区出身生徒の高等学校進学率でございますけれども、昭和六十三年度が八九・二%、平成元年度が八九・五%、平成二年度が八九・六%、平成三年度が九〇・二%、平成四年度が九一・二%という数字でございます。 高等学校の中退率でございますけれども、これは平成三年度までのデータがございます。過去五年間で申し上げますと、昭和六十二年度が二・九%、昭和六十三年度が三・四%、平成元年度が三・九%、平成二年度が四・二%、平成三年度も四・二%という数字でございます。
○小森委員 日本の国の全体というか、被差別部落のことを論ずるときには、被差別部落と一般との対比という意味で「一般」という言葉をよく使いますが、その格差はどうですか。
○銭谷説明員 お答え申し上げます。 まず進学率でございますけれども、昭和六十三年度、五年前でございますけれども、いわゆる全国平均の高等学校進学率は九四・五%でございます。先ほど申し上げましたように、対象地域の進学率が八九・二%でございますので、格差は五・三%ございます。間は省略させていただきますが、平成四年度では全国平均の進学率が九五・九%でございます。対象地域の進学率は九一・二%でございましたので、四・七%の格差が現在でもございます。 それから、高校の中退率でございますけれども、昭和六十二年度で申し上げますと、全国平均が二・一%でございます。対象地域は二・九%でございますので、〇・八%の格差がございます。平成三年度で申し上げますと、全国平均は二・一%でございまして、対象地域は四・二%で、格差が二・一%ございます。このように、高校進学率あるいは高校の中退率について対象地域と全国平均の間に格差があるというのは、この数字が示しているとおりでございます。
○小森委員 文部省にお尋ねをしますが、それはつまり同和地区、あなた方は対象地区という言葉を使いましたが、対象地区というのは、これは地対財特法の対象になっている地区ということであって、四千六百三部落のことを言っておるわけです。日本の部落問題じゃないんですよ、それは。物をちょっとごまかすためにあなた方はそんなことを言っておる。それにしても、一つの社会的な、徳川封建幕府以来の引き続いた社会の仕組み、便宜上残存物と言ってもいいですよ、今厳密に、社会科学的に議論するんじゃないから。私は残存物とは思ってないけれども。だから、社会の仕組みの延長線上の問題ですよ。その社会の仕組みの延長線上にあって、そういう格差があるということはどうやって解決するのですか。
○銭谷説明員 お答えを申し上げます。 ただいま先生御指摘の同和問題は、私どもといたしましても、憲法に保障された基本的人権にかかわる重要な課題であると認識をいたしております。その課題の解決のために教育が果たすべき役割も大変大きいものがあるというふうに考えております。 文部省では、かねてから同和教育の重要性にかんがみまして、学校教育、社会教育を通じまして、一つには広く国民の基本的人権尊重の精神を高めるための教育を行うということ、二つにはただいま御指摘のございました対象地域の教育文化水準の向上に努めるということを基本といたしまして施策を推進してまいったところでございます。 具体的に学校教育について申し上げますと、ただいまお話を申し上げましたように、高等学校の進学率あるいは中退率等につきまして依然格差があるわけでございますので、私どもといたしましては、こういった格差を解消するために、一つには高等学校等進学奨励費補助事業の充実を図っていくということに努めたいと思っております。 また、同和教育の実践的な研究推進を図りますために、研究指定校及び教育推進地域の指定という事業を実施いたしておりまして、これらを通じまして同和教育の内容、方法の研究あるいは実践力の向上というものを図りたいというふうに考え、現在実施しているところでございます。 加えまして、いわゆる教育をつかさどります教員につきまして、同和地区の学校に対しまして加配措置を講じまして、指導体制の充実強化等の措置を講じているところでございます。 現在、依然として格差があるというのは事実でございますので、私どもといたしましては、今後ともこれらの措置を通じまして学力の向上あるいは進路指導、教科指導の充実に努めてまいりたいと考えているところでございます。
○小森委員 先ほどの答弁の中で、ひとつ外務省の官僚の皆さんも、また政治家たる政務次官もよく聞き取っておいていただきたいと思いますのは、この同和教育というのは子供たちの進路をどう保障するか、事実の問題として差別をどのように突破するかという問題と、人々の人権感覚をどう養っていくか。これは大体日本だって、今の答弁はそうなんですね。だったとしたら、先ほどの少年の再審請求を阻むような法制というものは、一たん烙印を押されたらずっと人権侵害されっ放しですよ。それから、婚外子の問題でも、つまり自分の責任ではなく、生まれてみたらそうだったという者がずっとそういうことで二分の一の人権でいくわけですよ。だから、そういう問題も、この子どもの権利条約を審議する際にかっちりしてもらわなければいかぬというのが私の強い願いなんであります。 それで、もう一つ、この際だから柿澤政務次官の頭に入れてもらいたいことは、先ほど〇・八%の差だとか、二・何%の差だとか言いましたね。これは一・五倍とか二倍とかという比率になるんですよ。なぜかというとパイが小さいから。つまり、教育の制度に本当の意味で恵まれていない、保障されていない者は二倍なんですよ、被差別部落の場合。そして、もう一つつけ加えておきたいことは、それが、一生懸命やりおるという文部省の言葉はあるけれども、だんだん拡大しておるでしょう。今、〇・八から二・一に拡大しておったじゃないですか。 だから、もう時間が来ましたからやめますが、ひとつそういう状況をよくとらまえて、子どもの権利条約を国連がどういう意味で提起しておるか、その本当の条約の精神というものを踏まえて、法の改正なりあるいは行政の取り組みなり徹底したことをやっていただくように強く主張させていただいて、私の質問を終わります。
○伊藤委員長 この際、委員長から一言申し上げます。 国際情勢も変わっていれば、私たちの日々の生活も大きく変わっているわけであります。それぞれの立場できのうまでの法律の事項を守ることも時として大切であれば、大胆に変えていかなければならないこともあると思います。高度な政治判断のものもあると思いますので、即座に答弁をすることもできない問題もあると思います。しかし、この委員会でそれぞれ与党、野党、先生方が政治生命をかけて発言をする大事な内容についてはしっかり御検討いただいて、またそれがそれぞれの役所の中でも、また委員会にも答えが返ってくる、そういう仕組みにぜひ委員会をしていきたいというふうに思っております。これからもしっかりした答弁をお願いしたいと思います。 山元勉君。
○山元委員 私は、今審議をされております条約について、本来は条約が持っている意義の大事さから、あるいは多面な行政にかかわる、例えば国連の条約ですから外務も当然だと思いますが、あるいは法の整備にかかわることですから法務委員会、あるいは子供の暮らしや福祉にかかわるものだから厚生、そして子供の教育や成長にかかわる問題ということで文教委員会、そういうところが連合して審査をすべきだというふうに思っていましたし、それが無理であれば、これは異例のことかもしれませんけれども、これはいわば子供の新たな憲法だというふうに思いますから、そういう意味では、今申し上げましたように、外務でも、法務でも、厚生でも、あるいは文教でも、何日もかけてしっかりとしたものをつくる、そういう審議が大事だというふうに思っていました。しかし、そういうことが行われないので、私は文教委員会の委員ですけれども、そういう立場で少し外務省と文部省にお尋ねもしたいし、要請もしたい、そういう立場で質問をさせていただきたいというふうに思います。 まず最初に、この批准の論議の過程の中で、大変大事なことが忘れられている、これはひどいなというような内容が幾つかありましたけれども、私は、ここで二つ、最初に問題にしたいというふうに思います。 一つは、条約名の論議です。本会議でもあるいは委員会でも政府側が答弁をしているのは、我が国がこれまで締結した条約の訳例及び国内法における用語との整合性にかんがみて「児童」が最適だ、これ一本やりの論議がされているわけです。 本条約は、子供について普遍の原理ともいうべき子供は権利の主体、そういう世界の合意を実現しようということで世界に呼びかけた、本来そういう大きな意義を持っている条約なのです。とすると、ネーミングにも、その意義があらわれているような、そういう思いが込められているような条約名がつけられなければならない、少なくともそういう努力がされなければならないのに、今申し上げましたような理由で「児童」にするのだということなのです。私は、やはり今申し上げましたように、そういう重大な意義を持っている条約としての思いを込めた、そういう積極的な意味が「児童」というネーミングにあったのかどうか、まずそこのところを外務省にお尋ねをしたいというふうに思います。
○小西説明員 お答え申し上げます。 私ども、条約の訳文を作成するに当たりましては、その条約の中においてその用語がどういった意味で用いられているか、それからほかの条約におきましてその正文がどういうような日本語でこれまで訳されてきているか、それから関係の国内法令といったようなものを総合的に勘案しまして、関係省庁ともお諮りし、最終的には法制局の審査を経て訳文というものを決定するわけでございます。したがいまして、この児童の権利に関する条約につきましても、そのような手続を経て確定したということでございます。
○山元委員 文部省にも同じことをお尋ねをしたいのですが、今のだったら全然だめなのです。子供への思いあるいは条約への思いが込められているようなネーミングなのか、そういうことが考えられたのかということについては一向に答えがないのですけれども、文部省にお答えをいただきたい。
○富岡説明員 この権利条約につきましては、文部省としましても、一人一人の子供を大事にするということで、大切な条約だという認識をもちろん私どもも持っております。 ただ、名称の問題につきましては、例えば子供を対象にいたしました各種の法律がございます。例えば私どもの学校教育法では「児童」を小学生というような言葉で使っておりますが、他の関係法令等ではまた別の規定がございます。条約につきましての名称ということにつきましては、今外務省から御答弁いただきましたようなことで定まったものと理解しておりますが、私どもといたしましては、権利条約の内容、趣旨に即して、一生懸命教育をやっていきたいということを考えておるところでございます。
○山元委員 私は教師出身です。このネーミングについて現場の教師の皆さんに少しお尋ねをしたのですけれども、「子供」がいいか「児童」がいいかということを聞いてみたら、返ってきた答えというのは、山元さん、あなた国会へ行って汚染されたのと違うかという答えが返ってきたのです。わかり切っているやないか、あんた国会に汚染されたのと違うかと言われて私は愕然としたわけですけれども、現場の子供なり教師の感覚というのは、本当に日本の子供のためになる条約を今度つくってほしかったのだ、こういう思いがあるから、そんなことははっきりとしているというふうな答えが返ってきたのです。 今の両方ともの答えを聞いていますと、やはり関係法で決めたり今までの従前のことを考えたりしてつけたという、まさに機械的に、表面的につけられた。そうではないでしょう、この条約がねらっているところは。単なる行政上の措置だとかあるいは外国との対外的なおつき合い程度で批准をするのでは決してない。日本の子供が、日本の次の時代を担う子供が、どのように育っていくのか、こう育てなければならない、こう大事にされなければならない、あるいは国際社会に出ていって、さすが人権先進国の日本の人間と言われるような、そういう育て方をするチャンス、契機にしなければならぬというふうに思うのですね。そういう思いかないと私は思うのです。少なくともそういう思いがあるのかどうかということについて、外務省にも文部省にもきっちりとお答えをいただきたいと思うのです。
○柿澤政府委員 山元先生が子供たちの教育に情熱をささげてこられたことには、心から敬意を表します。 ただ、この条約が、我が国の児童、もしくは子供と言ってもいいかもしれませんけれども、その取り扱いについて革命的であるとかというふうには私どもは考えておりません。我が国においては既に、児童の権利、子供の権利については、国際的水準から見ても十分に尊重され、保護されている国の一つであるというふうに考えております。それだけに、今回のこの条約に入ることによって国内法を特に改める必要がないというのも、まさにそのレベルに達しているということの証拠ではないかと思っております。 ネーミングにつきましては、それぞれのお立場、お考えでフィーリング、好き嫌いというものはあろうかと思いますけれども、しかし「児童」にしたらこう、「子供」にしたらこうと、内容がそれによって変わるという問題ではないと考えておりますので、その点はぜひ御理解をいただきたいと思っております。
○山元委員 違いますね。フィーリングでなしに、この条約は国民の合意や決意が必要なのです。子供たちが自分たちの条約だということをしっかりと受けとめるような条約にしていかなければいかぬのです。ネーミングというのはその出発なのですよ。 例えばこの条約の十二条には何と書いてありますか。「児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。」と書いてあるわけです。子供たちが今まで、前文部大臣の鳩山さんにも直訴したことがあります。マスコミの論調を見てもそうです。子供たちはやはり、子供というふうに自分たちを思う、そしてそのことを主張しているのです。その条約の入り口の名前づけから、子供たちの願いとか意見とかいうものが踏みにじられてしまっているわけでしょう。本当に条約を大事にしよう、子供たちを大事にしようという姿勢でつけた——次官がおっしゃるようにフィーリングや何かで私たちは物を言っていない。本当にこの条約が、子供たちすべてが、これは我々のことや、勉強しなければ、こういう考えだというふうになってもらわなければ困るわけですから、そういう思いを込めてもらいたいというふうに言っているのですけれども、この十二条とのかかわりでどうですか。
○柿澤政府委員 十二条の一につきましては、児童がみずからの意見を形成し得るようになれば、児童といえども、先ほど来繰り返し答弁になりますけれども、だれと結婚するかとかどのような職業を選ぶかとかいう個人的な事項について自由な意見を述べることができるということを規定しているわけでございます。その意味で、子供たちが「子供」の方がいいという意見を持っているというお話がございましたけれども、その自由な意見を述べる機会はあったわけでございます。しかし、法律用語になじむかなじまないか等の判断で、これは大人が判断することではないかと思っております。これは我々、法律を制定するのは成人でございますので成人の立場で判断する、児童が意見を述べることは決して禁じられているわけではございません。
○山元委員 これが最初に私が申し上げた、やはり論議でわかってもらっていないな、ひどいなということなのですよ、さっき次官は、革命的だとは思っていないとおっしゃる。革命的かどうかといえば、それはそうでないとも言える。けれども、大きな転換点にしなければならぬ。先ほど小森委員からも話がありましたように、実際に差別されている子供、泣いている子供はまだたくさん日本にいるわけでしょう。そういう者を一人たりとも許さないということにこれからずっと努力しようという出発なんです。 だから、そういうことで、子供たちにどういうネーミングがいいか。例えば地球こども会議というのが前に開かれたことがあるのですが、そこのところで論議した子供たちの意見は、やはり圧倒的に「子供」だ。条約は子供のためのものであるはずなのに、「児童」という名称を使って、やはり大人が子供を保護したり管理したりしようとしているのではないか、そういう意見が出ているのですね。子供にそういうふうに思われたら、この条約の精神は生きないでしょう。 私は、今までの論議の中で、今までの法律の名前がこうだったからとか、あるいは民法の中で学校教育法の中で、十三歳、十八歳とかいろいろな年齢が出てきました。そういうようなことの論議ではなしに、次元を変えて、本当にこれが子供の心にぴたっときて、これから子供たちの世界が変わっていくということを、今政治家がとおっしゃったけれども、政治家が期待をする、そういう条件をつくるということが今大事なんだろうという意味で、私はあえてまた今まで何回も出てきたネーミングの問題を言っているわけです。これはもう一遍文部省、外務省で、そういう立場で考えてもらいたいと思うのですよ。そういうしっかりとした魂を入れないような形で結論を強引に進めてもらっては困るというふうに申し上げておきたいと思います。 先ほど自民党の委員の方からの質問に、国会は、内閣が締結する条約についての承認を与えるかどうかをするんだとおっしゃった。あたかも修正はまかりならぬ、できないんだというようなニュアンスでおっしゃったわけですけれども、それだったら何のために審議しているのかということ。私は、マルかペケかということではないと思うのですよ。マルかペケかの議論をするんだったらさっさと採決をやればいい。そうでなしに、よりよいものをつくるという審議をここでしているとすれば、そういう意見には耳を傾けてもらいたいというふうにお願いをまずしておきたいと思うのです。 今の大事なことがということで、二つ目ですけれども、この間二月に文部大臣が、文教委員会で質問に答えてこういうことをおっしゃっていらっしゃいます。私は直接文部大臣にそのときに言いたいなと思ったのですが、それは言う場でありませんから、きょうもお見えにならないのですが、権利条約についてこういうことをおっしゃっているのです。私の考えでは、「世界の教育の機会に恵まれない、教育施設や教育の設備、教育のスタッフ、そういうものに乏しい開発途上の国の子供たち、その子供たちにできるだけ教育の機会を十分に与えるように、」云々して「主としてそのような趣旨でつくられている文書」だ。発展途上国の子供たちのための条約だというふうにはっきりと言い切っていらっしやらる。 これは不用意な御答弁かもわかりませんよ。しかし私は、その後、法務大臣だとかあるいは首相が、この条約によって法改正をする必要がないということを繰り返しておっしゃることとダブらせて考えると、さっき次官もおっしゃったけれども、日本の子供たちは、比較的とおっしゃったかもしれませんけれども、恵まれた状況にある。だから、これは発展途上国の子供たちのことであって、日本は法改正をする必要はないという姿勢に立っていらっしゃるんではないかというふうに思えてならぬわけですね。そこのところが、先ほど来繰り返し言っていますように、やはり大きな変革をもたらすそういうチャンスをみずからあえてつぶしてしまう、抑え込んでしまうという姿勢ではないかというふうに思うのです。 これも外務省と文部省にお尋ねをしたいのですけれども、そういうふうに考えると、この条約を批准することによって、一体子供への考え方、見方、あるいは子供自身の育ち方というのは、次官は革命的でないとおっしゃったんですけれども、どういうふうに変わっていくのか。どういう認識をお持ちですか。
○柿澤政府委員 最初の森山文部大臣のお言葉ですけれども、実際にこの条約加盟国を見ますと、いわゆる先進国と言われる国々もみんな入っているわけでございまして、その意味では全世界の子供たちといいますか、児童の権利を守るということが目的であることは申すまでもございません。 ただ、特にこの条約が念頭に置いているのは、虐待されているというか、非常に劣悪な状況の中で生活をしている途上国の子供たちの権利を守ろうという点に重点が置かれているということは、今の子供の置かれている状況から見て当然のことではないかと思っております。 御質問の趣旨は、それじゃ我が国についてはどういう効果があるのか、またどう変えていくつもりなのかということであろうかと思いますが、我が国の憲法を初めとする現行法制の中で既に児童の権利はさまざまな形で保障されておりますけれども、さらにこの条約の締結によって、児童の基本的人権の尊重に対する行政機関、国民を含めた国全体の意識を高め、児童の法的保護及び福祉の向上を一層図っていく契機とすべきであると考えております。 そのような意味で、先ほど来いろいろな御意見、御指摘を委員の先生方から賜りましたけれども、そうした議論を生かしていくことも大事なことであろうかと思いますし、その点では委員長の先ほどの総括を私どもは重く受けとめなければいけないと思っているところでございます。
○山元委員 途上国に重点が置かれる。本当に生まれながらにして差別されている、あるいは痛い思いをしている日本の子供たちにしっかりと目を当ててというよりも、こちらに重点があるんです、こうおっしゃる。ならば、これはちょっとおかしな言い方ですけれども、この間参考人の意見陳述がございました。私も傍聴いたしました。ユニセフの国内委員会の人が来て、ユニセフへの資金の提供は日本は十番目とおっしゃった。私は愕然としたのですね。 発展途上国の子供たちのことを、おくれている子供がありますと言うのであったら、次官、これを恥ずかしくないように一番、二番、三番にしてくださいよ。そのときには、私どももその予算は異議なしだ。この条約を一生懸命推進してきた人たちだとか、あるいは私たちも、ユニセフへの資金提供の金額を倍にも三倍にもすることについて一緒にやりますよ。そういう気はあるのですか。そういうことができるのですか。
○柿澤政府委員 開発途上国の子供たち、児童に対する我が国の支援の体制としましては、二国間援助においてかなり努力をしてきておりまして、有償、無償等さらに技術協力等で、教育分野における援助、医療分野における小児病院の建設等努力をしてきているところでございます。 ユニセフにつきましても、近年その拠出を拡大しているところでございますし、さらにそのほかWHO、ユネスコ等の児童の医療、教育面についてもそれなりの応分の努力をしております。今後ともその点ではさらに努力を続けていくつもりでございます。
○山元委員 十番ということについていろいろ見方もあるでしょう。努力をしてきたのだ、これからもだとおっしゃる。私は、発展途上国だという言い逃れをするからそういうことを言いたくなるわけでして、しっかりと日本の子供に目を当てて、どうするのかということを考えることが返ってこないからそういうことを言いたくなるわけです。そのことは別にして、ぜひユニセフの資金の問題については努力を格段にしていただきたいというふうにこの際お願いをしておきたいと思います。 次に、私は先ほども言いましたように文教ということで、実際に学校が、子供が、親がどう変わっていくのかという中身の問題についてお尋ねをしたいと思うのですけれども、この条約は、権利の主体者として子供をとらえ直す、保護の対象ではない、こういう大きな理念があるわけですけれども、そういう点では、文部省の行政だとかあるいは指導の姿勢もたくさん変わってこなければいかぬと思うのです。あるいは教育の現場のあり方も変わってこなければいかぬというふうに思うのです。そのことはこの条約の二十九条で言っているわけです。その二十九条について文部省はどういうふうに解釈をしていらっしゃるのか。その上に立って、それが学校現場、教育現場にどう影響を与えていくのかということについてお答えください。
○富岡説明員 先生、教育に関しましては大変な御理解をいただいておりますので口幅ったく申し上げられませんけれども、本条約に定めますいろいろな権利等につきましての規定につきましては、基本的に我が国では憲法や国際人権規約の規定によりまして保障されているわけでございまして、基本的な仕組みの変更があるわけではございませんけれども、学校教育におきまして、児童生徒の人権に十分配慮いたしまして、一人一人の個性を大切にした教育指導、学校運営が行われるということが大切なことでございまして、この条約の趣旨を踏まえて、一層そういう点を充実していくことが大切だというふうに考えておるわけでございまして、そういう意味では大変意義深いものとして理解しておるわけでございます。 例えば、二十九条の(b)でございますが、各学校におきます児童生徒に対します人権や自由を尊重する精神、あるいは各国民の相互理解と協力が平和の維持と人類の福祉の増進にとって重要であるというようなことは、当然学校教育においても大切なことでございますので、これを契機にさらに正しく身につけさせるということで進めていくべきものというふうに考えておるところでございます。
○山元委員 文部省は、この条約に関して憲法やあるいは教育基本法との対比表を出していらっしゃいますね。この二十九条にかかわって、この二十九条と憲法あるいは教育基本法とを比べてどこがどう違う、今までの日本の教育基本法の教育の目的とか方針とか、それとこの条約が言っている教育の目指すものということとの違いは何ですか。
○富岡説明員 権利条約の二十九条につきましては、児童の教育に関します次のことを指向すべきことということで、(a)項、(b)項以下書いてございます。例えば(b)項では「人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること。」等が書いてあるわけでございますが、私どもは、これは日本国憲法、教育基本法と軌を一にするものであるという理解をしております。それを一層充実するということが大事だという認識を持っております。
○山元委員 そう答えられるだろうと思っていましたよ。けれども、わざわざ対比表をつくっていらっしゃって一目瞭然です。こちらの条約の方には、明らかに今までの教育基本法や憲法に明示をしていなかったことが明らかにしてある。人権の尊重を育成すること、基本的自由の尊重を育成すること、こういうことは今まで学校教育法になかったでしょう。あるいは自然環境の尊重を育成すること、こういうことがしつかりとこの条約の中に具体的に盛られている。教育基本法の中にはないのです。ですから、先ほど文部省が言ったような、一層の充実に努力してまいりたいと考えています、それではだめだということを私はしっかりと文部省は考えてもらいたいと思ってわざわざ言っているわけです。違うでしょう。そしてまた、この条約には、出身国の国民的価値観あるいは自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること、これは国際的な人間をきちっと育てようということです。 私は、大きな精神として憲法の中にあるから間違いないのだということではなしに、日本の教育が目指すものとして具体的にこれが今大事だということを指し示すことが今文部省に求められるのではないかというふうに思うのですが、そういう感覚はありませんか。
○富岡説明員 個々の条文の字句につきましては、それはもちろん区々それぞれの差があるわけでございますけれども、人権尊重とか国際平和を大事にすることとか、自由、基本的人権を大事にするということは、憲法、教育基本法の趣旨でありますので、その点では具体的にその部分を改正するとかということは考えておりませんけれども、先生御案内のように、基本的人権とかいうものは、例えば教育課程の編成の基準の基本的なポイントでございますので、その点では進めることについては今後とも充実していくということは変わらないと思っております。
○山元委員 私が申し上げていることが、言い方が下手なのでわかってもらえないのかわかりませんけれども、この条約で教育の目指すものということと、教育基本法に言っている教育の目的だとか方針とかいうところに出てきていることとに大変大きな差があるというふうに、しっかりと文部省は今着目しなければならぬというふうに申し上げているのです。憲法の中にあるからあるいは前文にあるからということでこれがよしとしない、今そのチャンスだというふうに認識をしてもらいたい。これは余り時間がありませんから、ぜひ文部省がそういうふうに具体的に、例えば外国の文明だとか価値観だとかあるいは人権を大事にするということで具体的に変わっていく、この批准によって変わっていくということを期待したいのですけれども、期待してよろしいですか。
○富岡説明員 私どもといたしましては、繰り返しになりますけれども、条約の趣旨を踏まえまして一層の充実を進めていく、人権等につきまして一層の指導を進めていくという決意は持っております。したがいまして、批准、締結されました後は、学校関係者等には十分この条約の趣旨等について普及、周知を図ってまいりたい、このように思っております。
○山元委員 これはぜひ見えるように変わっていっていただくように期待をしたいというふうに思います。 そこで、そういうふうに文部行政も変わっていかなければなりませんけれども、学校も教師も変わっていかなければならぬだろうというふうに思うのですね。例えば、私教師経験者だと言いましたけれども、私も教師の免許を取るときもあるいは現場でも子どもの権利条約というのを習ったことも教えたこともないわけです。今の日本じゅうの教職員というのは全部そうなのですね。ですから、そういう教師も学校も変わっていかなければならぬ、私は大事なことだというふうに思うのです。そして、そのことの手だては必要だというふうに思うのですね。日常の教育活動全体を見直して、この条約の精神に照らしてどうかということについて見直す必要があるというふうに思うのですが、特にこれは、時間が余りありませんが、ここで少し例を挙げて文部省の見解を聞いておきたいのです。 子供に対する管理的な生活指導の見直しについてよく言われるのですが、子供を管理する三つの武器、嫌な言葉ですけれども、子供を管理する三つの武器という言葉があって、一つは校則です、一つは体罰です、一つは内申書、これら三つの武器で子供を管理するのだ、こういう言葉があるのですね。それはこの条約の精神からいって、絶対に見直す必要がある対象だというふうに思うのです。 まず最初に、校則についての認識をお伺いしたいのですけれども、今さら私がここでひどい校則がありますということを例を挙げなくても文部省はよく御承知だと思うのですね。現に遅刻の校則で門扉で殺されている生徒もいるわけです。スカートの丈が一センチ長いからといって罰を加えられるあるいは靴下に違う色の模様が入ったといって罰せられる子供がいる。そういう校則が子供たちの人種を侵害するあるいはプライバシーを侵害する状況というのは枚挙にいとまがないということがよく言われますけれども、そういう状況にあるだろうというふうに思うのです。そこで、そういうのをこの機会に見直す必要があると思うのですが、文部省の現在のお考えをまずお伺いしたいと思うのです。
○富岡説明員 先生御案内のように、校則につきましては、児童生徒が学校生活を送る上での共通ルールとしての役割を持つもので、適切なものとしての不断の見直しが必要でございます。瑣末なものにこだわるとか非常に細かい規定を置いているというような校則などについては見直しが必要でございまして、文部省では、先生御案内と思いますけれども、都道府県教育委員会等を通じまして、特に時代の進展とか地域の実情とか児童生徒の実態等を踏まえまして積極的な見直しが行われるようここのところ指導してきたわけでございまして、平成二年度の数字でございますけれども、中学校、高等学校の校則の見直し状況が大分進んでおりまして、七割ぐらいの学校は見直した。例えば服装のこととか頭髪のことなどについては大分改善が進んできているようでございますので、これにつきましては、一回見直したらいいというものではございませんので、これを機にさらに一層見直しを進めるように指導してまいりたいというふうに考えているところでございます。
○山元委員 校則の問題については前の委員会でも論議があったようですから、私はその繰り返しをしませんが、大事なことをお願いをしておきたいのです。今もおっしゃるように確かに九〇年に文部省が調査をしておられる、七割の学校が校則の見直しをした、積極的に文部省は引き続いて指導をしておる、これはいいのです。大事なことは、その見直しの結果、六割の学校が教職員間に共通理解が図られるようになった効果を挙げている。そして、五二%の学校が、生徒が校則を主体的に守るようになったと生徒の意識変化を報告している。子供たちは待ち望んでいるわけだというふうに理解したらいいと思うのです。 そしてもう一つ、私はそのときの新聞記事を持っておるわけですけれども、特に生徒が見直しに参加した学校ほど遵守度は高いとなっておりますね。この論議の中で、十二条の意見の表明権ともかかわって、校則について子供が参加することを制限をしなきゃならぬという論議が強かったというふうに私は見ていますけれども、やはりこういうふうに生徒が積極的に参加をして教師と一緒に校則をつくり直していく、そういうことを文部省が心して指導しなければ、見直しをしなさいと言ってもそのことについてはなかなか実効が上がらないのではないか。今あったように実効が上がっているのは、生徒が参加をした学校の遵守度が高いということに留意をして指導しなきゃならぬと思うのですが、その点はいかがですか。
○富岡説明員 条約との関係でいきますと、十二条の二項は個々の児童を直接対象とした行政上の手続とか司法上の手続ということでございますので、それと直接該当するわけではございませんけれども、先生おっしゃるように、校則というのはあってそれを守れということだけでは指導は進まないわけでございますので、生徒自身が自分のルールであるというふうに自主的に判断して行動する、積極的に自己を生かしていくようなことが必要でございますので、例えばそういう校則等の見直しに対する場合には、学級会とか生徒会とかそういうことで生徒にみずからの課題として討議をする場を設けるなどの指導上の工夫を行うことは大変大事なことだという認識を持っております。その点につきましては、私どもも機会のあるごとにはお話ししていきたいというふうに思っております。
○山元委員 今までもそういう指導をされた、生徒会とかいう機会に子供参加の中でということも指導されたように聞いていますけれども、この条約を契機にして、積極的に、意図的にそういうふうにしてみんながつくっていく、子供も参加をしていくんだということがやはりきちっと根づいていくように指導していただきたい。決して無原則に、無制限に子供の意見を取り入れて子供の声で校則をつくった方がいいというようなことはだれも思っていない。そういうこともこの間も少し発言があったようですけれども、それはためにする発言であって、この条約を批准するのを契機にして、やはり子供と一緒になって学校が校則をつくるというふうに積極的に御指導をいただきたい。期待をしておきたいと思います。 その次に、武器の二つ目が体罰です。残念ながらいまだにこの体罰については根絶やしにならないわけです。私も若い時分に、考えてみると教育的な効果をということで子供のしりをたたいたり、ほっぺたをたたいたりしたことが皆無であったとは思いませんけれども、やはりそれはしてはならないことだということをきちっとわからなきゃいかぬし、そのことが全部の学校あるいは家庭で守られるというふうにしていかなきゃならないと思っているのです。これは私の経験からいくと、よく新聞にもあるけれども、そういう罪を犯した人は教育に極めて情熱的にやっていた先生だ、こういうのがあるのですね。 確かに教師も一生懸命になるとかっとなって手が出てしまうとかチョークが飛んでいくということになるわけですけれども、そういうことを含めて、子供の人権というのはこうなんだということが基本にあったら、そういうことはいかに教育的情熱があろうとも起こらないだろう思うのですね。そういう教師に変わっていかなきゃならぬと思うのですが、この体罰について文部省はどういうふうに認識していらっしゃるか、指導していらっしゃるか。
○富岡説明員 先生の御指摘のとおり、体罰が行われます原因、背景といたしまして、教師の側の問題といたしましては、校内暴力等問題行動に対応するたの場合によっては力の行使が必要ではないかという意識があったり、指導上多少の体罰なら構わないというような安易な考え方とか、場合によりましては熱心な指導のあらわれだと見る意識なども一部にはあるのではないかというふうに思うわけでございますが、学校教育におきまして教師が児童生徒に体罰を加えることは学校教育法で厳に禁止されているわけでございますし、そもそも体罰によりましていろいろなことをしますことは、教師と児童生徒の信頼関係を損なう原因ともなりまして、教育的な効果は期待できないわけでございます。 このため、文部省としては、従来から再三にわたりまして指導してきておるわけでございますし、通知等も発しているわけでございますが、今後とも各種会議等で体罰禁止の趣旨の徹底ということについてさらに一層進めてまいりたいというふうに思っております。
○山元委員 体罰というのは、子供に精神的苦痛を与えるものと肉体的苦痛を与えるものと両面あるわけですね。今の時代で暴力的に肉体的苦痛を与えるというのは割合に少なくなってきている。精神的苦痛を根絶するためには、よほど教師が人権意識を持って変わっていかないと起こってしまうというふうに思うのです。その点について文部省は、この条約の精神から教師がそういう人権意識を持つように、現職教育という言葉がありますけれども、それに取り組んでもらいたいなというふうに思うのです。 その方法です。何を考えていらっしゃるのか。条約を批准するけれども、これでいいんだということにはならなくて、学校を変えていこう、教師を変えていこうと思うと、どうすればそうなっていくのか、具体的な手だてを文部省は考えなければいかぬと思うのです。 例えば私どもは、官製研修会というのが多過ぎる、授業をほったらかしておいて研修会に行かなければならぬ、多過ぎるという批判も持っておりますけれども、少なくともそれぞれの研修会で新たに出てきた権利条約についての学習というのは、現職教育というのは必須項目として行われなければならぬ、いいチャンスではないかというふうに思うのですね。校中日誌の書き方とかなんとか管理職教育をするのではなしに、子どもの権利条約というのをしっかりと繰り返して教えるようなそういう研修が要るのではないかとも思います。そして、先ほども私の経験を言いましたけれども、子どもの権利条約というのを教えてももらわなかったし、教えた経験もないわけですね。そういう教師に、小学校ではこういうこと、中学校ではこういうこと、高校ではこういうことを、しっかりと権利条約というものを教えなければならないといういわゆる指導の手引、そういうものもやはりこの際要るのではないか。 そういう権利条約の精神をずっと持ってきた子供たちが大人になっていくまでは、私のように全然教育されたことがないという者が、なくなると言ったらおかしいけれども、そこまでこういうことは努力をされなければ、大人の、教職員の認識は変わらないのではないかというふうに思うのですが、そういう具体的な手だてについてどうお考えですか。
○富岡説明員 条約が締結されました後は、学校関係者への通知とか文部省の各種の広報紙等を使いまして、外務省とも連携いたしまして積極的に条約の趣旨等につきまして学校関係者等の周知を図っていく所存でございます。それから、その趣旨の徹底という意味だけじゃなくて、いろいろ誤解がございまして、先ほど先生からもお話がありましたように、無制限に何でも子供の言うことを聞くのかとか、そういう誤解も一部にはございますので、いずれにしても条約の趣旨をきちんと伝えていくという努力が大事だという認識を持っております。 今先生から大変貴重な御指摘をいただきました。いろいろな研修会でそういうことを考えたらどうかというお話は、私ども貴重な御提言だという認識を持っております。先生御案内のように各種の研修会がございまして、生徒指導、カウンセリング技術とか教職研修に関します研修会などが実施されているわけでございまして、例えば先生もよく御存じですけれども、生徒指導に関します講座などでは、体罰の問題なんかについては基本的なテーマでございますのでそういう場でお話ししたりしているわけでございますが、これらの研修会におきまして児童の権利条約の趣旨についてもいろいろな形でお伝えする、取り上げるということも工夫する必要があるという認識を持っておりますので、もう少し研究させていただきたいと思っております。
○山元委員 そういうことが大事ですけれども、私が言いたいのは、決して官製研修会をその分別枠でふやしてくださいと言っているのじゃありませんよ。今までの研修会の中で、これから必須項目に入れるような工夫が要るのではないか。 それから、先ほど三つ武器があると言って二つしか申し上げなかったのですが、一つ内申書の問題ですね。条約で言っている十六条や二十八条の精神からいっても、これはやはり本人開示ですね。何もかもオープンにせいと言うのじゃないですけれども、本人開示の方向を目指すべきだろうというふうにだけちょっと申し上げておきたいと思います。 そこで、余り時間がないので急ぐのですけれども、今申し上げましたように、文部行政変わらなきゃならぬ、教師も変わらなきゃならぬ、学校も変わらなきゃならぬ、子供もやはり変わらなきゃならぬだろうというふうに思うのですね。子供がそれぞれ人権感覚を持つというための教育をこの際に格段に強める必要があるだろうというふうに思うのです。いわば、この条約を教材化していくということが大事なんだろうというふうに思うのです。口では簡単にこれは子供たちの条約だ、子供たちが守られる条約だと言うけれども、子供たち自身が知らぬではいかぬわけですね。そして、積極的に、より鋭い人権感覚を持たなきゃならぬ。そのための教材化というのは文部省はもう既に考えていらっしゃるのではないかと思うのですが、いかがですか。
○富岡説明員 先ほどお答えいたしましたように、条約の広報につきまして、文部省としては、外務省とも連携しつつ積極的に学校関係者等に周知していくということが大事だと思っておりますし、また児童につきましても、児童向けのいろいろな広報資料というものも検討する必要があろうかと思っております。 私どもとしましては、基本的に学校教育におきまして、各学校におきます発達段階で、人権尊重とか基本的人権を大事にするというふうなことは各種の教材にあるわけでございまして、それは学校教育でも、先生もよく御案内でございますけれども、大事な指導内容になっておるわけでございますので、それぞれの発達段階に応じまして、いろいろなそういう資料を駆使いたしまして、それぞれ社会科とか道徳とか特別活動の時間を利用して、各学校の実態に応じまして進めていくということが大事だという認識を持っております。
○山元委員 進めていきたい、一層進めるというのでは、私は先ほどから何回も言っていますように飽き足らないわけですね。やはり具体的に、こういう条約を批准したからこれは子供たちに、例えばきちっと各学年の能力相応にカリキュラム化していくような手だてが必要であろうというふうに思いますし、あるいは子供が小学校に入学した、中学校に入学した、高校に入学した、そのときに学校へ行った一番先に、あなたたちはこういうふうに人権が尊重されるんですよ、あるいは他人の人権は尊重しなければならないんですよということをきちっと知らしめる、そういう教材化が必要なのではないかというふうに思うのですね。これはこれから格段の工夫をしてもらいたいというふうにお願いをしておきたいと思うのです。 そして、今課長からも広報という言葉が出ましたが、これは、今まで財政上の措置は必要ないというのが政府の立場ですね。私は、これは大変なことをおっしゃっていると思うのですよ。 例えば、ここにスウェーデンの例があるのです。スウェーデンがこの条約を批准してどういうことをしたか。子供向けに条約を知らせるための措置について、小学校の就学前から小中学生までの子供向け、そういう教材をきっちりとつくった。しかし、これは日本でもこれから期待ができるかもしれませんね。つくってもらいたいと今も要請したのですけれども、そういう教材というのは期待できるかもしれない。 すごいというのは、私も見てみたら、このスウェーデンという国は人口八百五十万くらい、日本の十四分の一くらい。日本円にして六億五千万円ほどの予算を民間団体に供与して、条約について子供向けの解説書をつくることを委託した。六億五千万円というのは一体どのくらいなのかということを私ちょっと考えてみたのですね。十四分の一の人口のスウェーデンですから、十四倍の日本でやるとすると九十億円の広報の予算。民間のどこかに子供たちに教宣をする物をつくってもらうという委託をするために、九十億円の予算を組んだとスウェーデンは言っているわけです。 それで、私は文教でついこの間審議をしたのですが、今年度予算で図書館を私は一生懸命やったのです。図書館の運営についての研究委託でことし初めて新予算をつくったのです。図書館をどういうふうにしていったらいいか、これも民間に委託したのです。千二百万円。九十億円のことを考えるスウェーデン、すごいという気がするわけです。 そして、その九十億円というのは、またその図書館でいいますと、ことし学校図書館に図書を、本をふやそうということで初めて五年計画で予算が組まれたのです。これは私は喜んだのです。けれども、ことし日本じゅうの学校の子供の図書館の本をふやそうといって予算が組まれたのは八十億円です。これでいうと日本の図書館行政というのはいかに貧困かというふうに思うし、一方でスウェーデンという国は、子どもの権利条約を子供たちに教えるために、日本のベースでいうと九十億円の予算を組んだ。これはやはり格段の違いがあって、政府が今言っているように財政措置を改めてとる必要はないというのはいかに貧しい発想なのか、行政なのかということがわかるという気がするのですが、外務省、広報のことについて財政措置が必要ないという立場、どうお考えですか。
○小西説明員 先生御指摘のとおり、この条約自身におきましても、児童と申しますか、子供を含めまして広報の義務というのが明記されておるわけでございます。私どもは、先ほど先生がお触れになられましたように、この条約で予算措置を講ずる条約上の義務がないというのは、いわゆる分担金の支払いとかそういった意味で義務づけるものがないということで申し上げておるわけで、広報面における重要性というのは非常によく認識しておるつもりでございます。 私どもの行っております児童をめぐる諸施策については、従来から関係の諸機関による予算のもとで実施されてきておりまして、この条約の締結後もこのような体制に基本的に変更はないわけでございますけれども、条約上義務づけられている広報につきましても、関係機関の広報予算の枠内で適切に積極的に対処していきたいというふうに考えております。
○山元委員 先ほど委員長が冒頭に御注意になった趣旨をわかっていただいてないだろうと思うのですね。 私は、財政措置が必要ない、今までの枠内でということではない。スウェーデンの例を見てください。日本の人口のベースにすると九十億円もの委託費を出して、子供にどういうふうに権利条約を教えようかという努力をスウェーデンはしている。そういう立場から、今までとっていらっしゃる、新たな財政措置は必要ないという立場はどうですかということをお尋ねしておるわけです。枠内でしますというお答えだけではなしに、こういう努力をするんだ、こういうことなんだということを私の質問に答えるように物を言ってもらわないといけないと思うのです。どうですか。
○柿澤政府委員 私たちといたしましては、従来政府広報予算、外務省予算等、そのときどきの重要事項について広報をするための予算を既に持っておりますので、今回この条約を御承認いただきました暁には、その予算の枠内で重点的に広報をすることで十分周知徹底ができると期待をいたしております。 ただ、今スウェーデンのように特別のプロジェクトをつくってやってはどうかという先生の御指摘がございましたので、そういうことが必要と認識されるような事態になりましたときには検討はさせていただきたいと思います。
○山元委員 その枠内でという言葉にこだわっているわけですね。今までの枠では足らぬということですから、その枠を来年度予算ではぐっと広げてもらう。批准をした、さあこれが発足をするんだ、周知徹底しなければならぬ、あるいは教材化もしなければならぬということで、文部省もあるいは外務省もそういう枠が大きくないといけないということで努力をする。今までの枠内で重点的にということでは、私はやはりこの精神を生かすことにならぬだろうと思うのです。 先ほどもユニセフのことで言いましたけれども、このために金が要るということで、外務省や文部省が大蔵省とやられるのであったら、私たちもまた鉢巻き締めて大蔵省にこの金はどうしても要るんだと言って、一緒にお願いに行きますよ。今枠内で重点的にとおっしゃることを、ぜひその枠を広げるという意味で努力をしていただきたいなというふうに思います。 そして、もう一つ広報でお願いしておきたいのは、これは始めての条約ですから、やはり今の大人にも知らしめる必要があるだろうと思うのですね。そういう意味で言うと、広報はすべての家庭にこの権利条約についてわかるように届かなきゃならぬというふうに思うのです。そういう努力を、今までの広報機関とかそういうものを使って努力をしてきたし、これでいいんだというふうに立場をとっていらっしゃるのですけれども、やはりそれは新たな取り組みということで、条約ということで格段の御努力が必要だろうというふうに思うので、そのことについてはお願いをまずしておきたい。 家庭についても、今申し上げてきました、それぞれが変わっていかなきゃならぬ、そういう努力が必要だ、全部の家庭にもそういうことが必要なんだというふうに御理解をいただきたいのですけれども、そのことについてはどうですか。
○柿澤政府委員 条約に加盟いたしましたときには、当然のことながら国内各方面についてその条約の趣旨を知っていただき、そしてその効果を上げるということが大事なことでございますので、その点ではできる限りの努力をいたしたいと思っております。
○富岡説明員 先ほどもお答え申し上げましたように、文部省としても学校関係者への情報連絡、周知ということについては努力してまいりたいと思っております。何よりも、内容といたしましては日本国憲法とか今までの人権教育とかそういういろいろなものを一層充実するということが基本的に大事だと思いますので、社会科とか道徳教育とか、そういうことについても一層進めるということとあわせて進めてまいりたいと思っております。
○山元委員 私は、日本の教育なりあるいは社会が変わっていくということについて大事な条約だというふうに思います。そういう立場で先ほどからずっと御質問申し上げてきたんですが、最後に、具体的にこれからどういうふうにしていくのかということも含めて、まとめて外務省と文部省、両方とも少し詳しく、具体的にこういうことができる、こういうふうに変わっていくということも含めて所信をお聞かせいただきたいと思います。
○柿澤政府委員 実際に条約の規定を実施していただくのは国内関係省庁になるわけでございますので、先ほど来の御議論を踏まえてそれぞれ御検討をいただくということでございます。 それから、外務省につきましては、先ほど御指摘のありました、途上国における子供たちのさらに条件の改善という点についてもODA等で御協力をしていきたいと思っております。
○富岡説明員 従前の学校教育において大事だということで進めてまいりましたことをさらに子の権利として一層充実を図ってまいりたいというふうに考えております。
○山元委員 先ほど申し上げましたように具体的にということが含まれてないので大変物足りぬですけれども、ぜひ具体的に、政務次官おっしゃった、革命的には変わっていかないだろう、あるいは前のときに子供の人権を無制限にということでない、私はそのとおりだ、それはそうだと思うのですよね。けれども、大きく変わっていく、人権先進国に変わっていく一つの契機にする努力というのはぜひ必要だというふうに思うのです。 最後に、子供のための世界サミットというのが九〇年にニューヨークで開かれました。そのときに「子どもの生存、保護および発達に関する世界宣言」というのが出されているわけです。それをずっと読むと非常に立派なことが書いてあるのですね。そして、二十五項目あるのですけれども、その締めくくりのところ、最後の二十五項目は、気持ちとしてきちっとまとめて書いてある。それは、子どもの権利条約を批准するに当たってしっかりと頭に入れておかなければならぬ言葉だというふうに思うのですね。 それはこういう書き方がしてある。「二十五我々は、我々の世代のためだけでなく、将来のすべての世代のために以上のことを行うものである。すべての子どもによりよい未来を保証することよりも崇高な任務は他にはない。」ですから、今の時代のこういう審議をしている者がこれほど崇高な任務はないという思いでこの批准の仕事をしなければならぬ、あるいは文部行政を進めていかなければならぬというふうに思うわけです。 どうか、先ほどから申し上げましたように、私は、法律の問題や何かということよりも、実際に学校が、子供が、親が変わっていくことがこの際大事だということについて申し上げてきましたけれども、そのことが実際にこれから批准後変わっていくように、わかっていくように、そういう努力を外務省も文部省もしていただくように御要請を申し上げて、質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○伊藤委員長 午後一時三十分から再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時三十七分休憩 ————◇————— 午後一時三十分開議
○伊藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。伊東秀子君。
○伊東(秀)委員 社会党の伊東秀子でございます。まず、この条約における留保や解釈宣言の問題から入らせていただきます。 この政府の児童の権利に関する条約の説明書によりますと、第三十七条(c)につきまして、「我が国においては、国内の関係法令により、自由を奪われた者は基本的に二十歳で分離することとされていること等にかんがみ、右規定に拘束されない権利を留保することとする。」というふうにして、留保をここで宣言しております。私は、これは全くこの条項を留保する合理的理由にはならないと考えるものでございますが、まず、自由を奪われたすべての児童が成人から分離されなければならないというのは、これは我が国も加盟しております、昭和五十四年に発効した国際人権規約の市民的及び政治的権利に関する国際規約、これの十条の2の(b)「少年の被告人は、成人とは分離されるものとし、できる限り速やかに裁判に付される。」というところでもはっきり規定されているものでございまして、この成人の区分の年齢が相違するから分離原則そのものを留保するという理由には全くならない、これをなぜこのような形で留保することとしたのか、御説明をお願いいたします。政務次官、いかがでしょう。
○小西説明員 条約の御説明でございますので、私から申し述べさせていただきたいと思います。 この三十七条(c)に留保を付す理由はどういう理由かという御質問でございますが、先生御指摘のとおり、類似の規定は国際人権規約、いわゆるB規約の十条にも同趣旨の規定があるわけでございます。私どものこの児童の権利条約三十七条の(c)についてのその留保を付す考え方というものを御説明申し上げれば、次のとおりでございます。 まず、この条約の三十七条の(c)でございますけれども、この(c)は、自由を奪われたすべての児童は、例外的な事情がある場合及び成人とは分離されないことがその最善の利益である場合を除いて成人とは分離されるということを規定しております。これは十八歳未満の者は十八歳以上の者から分離されなければならない旨を定めているというふうに理解されるわけであります。 第二に、我が国の少年法におきましては、二十歳未満の者を少年としている、基本的に保護処分の対象として取り扱うこととしておるわけでございます。これは、この条約が十八歳未満の者を児童として、これに手厚い保護を加えることとしておりますのを、さらに一歩進めまして、二十歳未満の者を広く保護の対象として手厚い保護を与えているという制度をとっていることによるものでございます。このことを前提といたしまして、我が国の矯正施設においては十八歳という年齢を基準にして分離することとはしていないところでございます。 そこで、仮に少年の年齢に関しまして三十七条(c)の規定を満たすように国内法を改正して、十八歳未満の児童と十八歳以上の成人とで取り扱いを異にする制度とするということにいたしますと、我が国における現在の十八歳以上二十歳未満の者に対する保護を現状から大きく後退させることになり、適当ではないというふうに考えられます。 このようなことから、我が国におきましては、国内法を改正しないで、この規定、すなわち児童の成人からの分離を十八歳未満の者を十八歳以上の者から分離することと規定している三十七条(c)には留保を付すことを予定している、こういう理由でございます。
○伊東(秀)委員 今のは、分離原則そのものを留保する理由にはならない。分離原則そのものが国際人権B規約においても認められていることであるならば、例えば、成人は日本の国内法が成人としているものをいうというような形で、年齢区分に関してのみの解釈宣言をすることでもできたではないか。それをなぜわざわざ分離原則そのものをこういう形で条約の中から除くような留保宣言をしなければならなかったかについて簡明にお答え願います。
○小西説明員 先生おっしゃいますとおり、この基本的な考え方といたしまして、そういう分離しなければならないという原則そのものについて、もちろんチャレンジというかそこを問題にしているわけではなくて、児童の権利条約と我が国の国内法においてその区切りの仕方が違うということから生ずる問題に我が国としてどう対応するか、そういう問題として我々は理解しております。 先生おっしゃいました、なぜ解釈宣言では済まないのか、この規定で言う、例えば成人というのは国内法で言う二十歳以上の成人を指すものと解釈するというような解釈宣言でもいいではないかという御趣旨の質問だと理解しますが、これも、御説明いたしますと次のとおりになります。 この条約三十七条(c)は、自由を奪われたすべての児童は、例外的な事情がある場合及び成人とは分離されないことがその最善の利益である場合を除き成人とは分離される旨を規定しているわけでございます。この条約の中には、成人についての定義は置かれておりません。しかし、児童という若年者をそれ以外の年長者から分離することによって保護しようというこの児童の権利条約の趣旨にかんがみますれば、ここで言う成人というのは児童以外の者、すなわち条約で十八歳未満としておるわけですので、それ以上の、十八歳以上の者というふうに理解されるわけでございます。したがって、三十七条(c)は、十八歳未満の者は十八歳以上の者から分離されなければならないということを定めていると解さざるを得ないわけでございます。 他方、我が国の少年法の法制度によりますと、十八歳未満の者は二十歳以上の者からは分離されることになっておりますけれども、十八歳及び十九歳の者からは分離されなくてもよいという取り扱いになっているわけでございます。それで、この条約とその点で矛盾を来すことになるわけでございます。 この矛盾は、先ほど申し上げましたとおり、三十七条の(c)が十八歳未満の者と十八歳以上の者の分離について定めていると解せざるを得ませんけれども、そういう関係上、日本の解釈を明らかにするという解釈宣言によっては解決できないというふうに考えております。したがって、解決策としては、理論的には、現在の国内法を改正するか、または三十七条(c)の第二文の法的効果を我が国について留保によって排除する、このいずれかの方法をとらざるを得ないということになるわけでございます。 この国内法を改正するという可能性については、十八歳及び十九歳の者を保護している現在の国内法の趣旨を後退させるという見地から適当でないというふうに我々は考えております。したがいまして、三十七条(c)の第二文の法的効果を留保により排除をして、同規定には拘束されないということにした次第でございます。
○伊東(秀)委員 そうしますと、これは非常に四十一条にも反する、つまり、国内法において児童の利益に、よりすぐれたものがある場合にはそれを優先するという四十一条の規定があるわけですけれども、それにも反することになるではないか。つまり、日本において、少年はある意味ではより優遇されているのであれば、分離原則そのものをなぜ否定するような留保をするのか。右規定を留保するということは、この三十七条(c)すべての規定を留保するということで、分離規定そのものも留保になっているわけですけれども、今言ったような形で国内法との抵触ということがあるのであれば、例えば日本では十八歳、十九歳と十七歳以下が少年保護施設に同時収容されることはあるが条約に違反しないと解釈するという、ここにこそまさしく解釈宣言を用いるべきであって、なぜわざわざ一番重要な、成人とそれから子供というか児童というかそういったものを分離して、自由を奪われた子供の人道的な及び人間の固有の尊厳を尊重するという人権にとって最も大事な権利まで留保してしまうのかというところに関しては、今のお答えでは全く納得できない。なぜそういう解釈宣言、十八歳、十九歳とそれから十七歳以下とは少年保護施設に同時収容されても条約に違反しないと解釈するということではだめなのか。もう一度その点をお答えください。
○小西説明員 今の点でございますが、繰り返しになりますけれども、私ども決して、分離原則、その原則そのものについて異を唱えるということは考えてはおらないわけでございます。考えておらないところか、我が国の法制度もそういう考え方にのっとって制定されておるもので、ただその違いは、年齢の区切り方が、児童の権利の条約と区切り方が違うというところに、我が国としてどういうふうに対応するのが一番合目的的であるかという観点からの対応でございます。 その意味で、もう一度繰り返しになりますが、御説明させていただきますと、この三十七条の(c)の中には成人という言葉が出てくるわけでございますけれども、成人という定義はございません。それで、児童というのはこの条約で十八歳未満と いうことで定義がございます。それで、この児童という若年者をそれ以外の年長者から分離することによって保護しようという条約の趣旨にかんがみれば、ここに言う成人というのは児童以外の者、すなわち十八歳以上の者と理解されるわけでございます。したがいまして、三十七条の(c)は十八歳未満の者は十八歳以上の者から分離されなければならないということを定めているというふうに解さざるを得ないわけでございます。しかし、我が国の少年法の制度によりますと、十八歳未満の者は、二十歳以上の者からは分離されるけれども十八歳及び十九歳の者からは分離されなくてもよい、そういう取り扱い方になっておるわけでございます。ですから、この点で条約と矛盾するわけでございます。 したがいまして、この矛盾を、我が国といたしましては、三十七条の(c)が十八歳未満の者と十八歳以上の者の分離について定めていると解さざるを得ない以上、日本の解釈を明らかにする、すなわち解釈宣言ということによってはできないわけで、解決策としては、先ほど申し上げたように、国内法を改正するかあるいは個々の規定の効果を排除するということ、そのいずれかによらざるを得ないわけでございます。前者については国内法が後退し、その趣旨に合わないということになりますので、国内法も児童の権利条約と同じ趣旨で決まっておりますので、それはその趣旨上、合目的でない。したがいまして、我が国はこの規定について留保したということでございます。
○伊東(秀)委員 同じことを繰り返し繰り返しオウム返しのようにお答えにならないでください。それは先ほど言ったことでありまして、それであるならば、成人というものの規定がこの条約にないなら、日本の国内法で成人と合わせたらいいじゃないかということを言ったときと同じ答えでしかないのですよね。その場でやはりきちっと対応してもらいたいと思います。 これはなぜこういうことを留保したかというのは、代用監獄にかなりたくさんの少年を日本では勾留させている。この実態があるからこそ分離原則、それを留保せざるを得ないという現実があるわけですよね。 私が、過去五年間に留置場に勾留された少年の数を取り寄せて調べましたところ、昭和六十三年が八万六千七百四十四人、平成元年が八万三千百九十三人、平成二年が七万七千八百二十九人、平成三年が八万三千八百六十三人、平成四年が八万九千二百八十三人。この分離原則からは、否定はしないとおっしゃっておりますが、こういう代用監獄、成人ですら代用監獄に収容すべきでないと言われている、この日本特有の代用監獄に少年が分離原則に反して同じ建物の中に、しかも同じ場所に、しかも、居室だけは別ですが、居室も扇形であるから顔が合ってしまうというような状況で収容されている。この現実に対してどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○小野説明員 お答え申し上げます。 代用監獄につきましての御質問でございますが、警察の方では、少年法及び被疑者留置規則に基づきまして少年の被留置者と成人の被留置者との分離を行っているところでございます。 今お話がございましたけれども、最近の留置場につきましては、くし形という形で施設等も改善しておりますし、成人と少年の分離というのを構造的にも、また運営の上でも図っているところでございます。
○伊東(秀)委員 ではお聞きしますが、建物が違う代用監獄というのは日本にございますでしょうか、少年と成人を分離して収容しているということですけれども。
○小野説明員 女子につきましては分離して女子だけの留置場というものがございますが、少年につきましては同じ建物の中に分離して行っているというのが現状だと思っております。
○伊東(秀)委員 国際的な常識では、分離という場合に、建物も場所も別々にするということになっております。建物は同じであっても、接続させないで場所を別々にしているところはありますでしょうか。
○小野説明員 お答え申し上げます。 留置場におきましては、ほとんどのものは少年と成人を分離して留置をする形にしておりまして、隔壁等を設けて分けて留置をしているということでございます。
○伊東(秀)委員 言葉遊びのように、分離というのは、私は、場所を接続しない形で、建物はいたし方ないにしても、はっきり接続のない形にしているかどうかということを聞いているわけでございます。
○小野説明員 留置場の中で壁を設けましたり、古い形のもの、まだ壁まで設けられていないものについてはパーティションとかアコーディオン型のもの等もございますが、そういうもので分けまして、全くお互いに目に入らない形で留置をしているということでございます。
○伊東(秀)委員 壁一重、あるいはパーティション一重というのが日本の現状なんですよね、分離原則、分離している、分離しているというのが。さらには、少年鑑別所、本来少年は鑑別所に勾留されるべきであるという原則になっているにもかかわらず、例えば平成四年では、代用監獄に留置されている少年の数が八万九千二百八十三人、ところが鑑別所は千五百五十人という状況にあるんですよ。これについては、代用監獄にこれだけ多数の少年たちが留置されているという現状をどういうふうにお考えになられますでしょうか。この条約に関して責任を持っておられます政務次官、まず外務政務次官のお考えをお聞きしたいと思います。
○倉田説明員 お答え申し上げます。 委員御案内のとおり、少年法におきましては、検察官は、勾留の請求はやむを得ない場合でなければなすことができません。四十三条三項でございます。また、裁判官においても、やむを得ない場合でなければ勾留状を発することができないと明記されております。少年法四十八条一項でございます。勾留する場合につきましても「少年鑑別所にこれを拘禁することができる。」というふうにされております。四十八条二項でございます。 少年の個々の被疑事件につきまして、その勾留場所をどこにするかということは、裁判官が以上のような少年法の趣旨を十分踏まえた上で、個々の事件の諸般の事情を考慮して決めておられるものというふうに確信しております。
○伊東(秀)委員 つまり、じゃ日本の裁判官は代用監獄が最も少年の勾留の場所としてふさわしいと判断して、このような実態が起きているというふうにお考えということで、今の答弁は受けとめていいのでしょうか。
○倉田説明員 ただいま申し上げましたとおり、裁判官は個々のケースの諸般の事情を考慮して決定しているものであると確信しております。もちろん、裁判官は、良心に従い、憲法と法律にのみ拘束されて、独立して判断をなさっているわけでございます。
○伊東(秀)委員 そうしますと、今の少年裁判実務においては、少年の勾留場所として分離原則を認めながら、最もふさわしい分離の場所は代用監獄であると考えての処遇であるというふうに法務省では考えていると私は受けとめますが、よろしいんですね。それについてもう一回お答えいただきたい。 さらには、この条約に関して責任を持っておられる政務次官の、今のこの代用監獄の実態についてもお考えをお聞かせください。
○倉田説明員 繰り返しになりましてまことに恐縮でございますが、裁判官は、憲法にも規定がございますとおり、良心に従い、憲法と法律に従って独立してその職務を行っておられるものと確信しております。
○柿澤政府委員 御指名でございますからお答えをさせていただきますが、代用監獄が理想的な姿であるかどうかについてはいろいろ議論があろうかと存じます。しかし、現在の我が国の法制の中で認められた制度であり、その意味で、その中に分離のための最善の措置がとられているということでございますから、この条約に基づく分離原則に違反するものとは考えておりません。 冒頭の先生の質問の、この留保はその点に着目しての留保ではないかという点につきましては、先ほど政府委員から御答弁申しましたとおり、十八歳、十九歳の人たちの分離原則について、我が国の法制はそれを少年法で保護をしておりますので、その点の留保をさせていただいているということでございます。
○伊東(秀)委員 もう一度、じゃ政務次官に確認的にお伺いします。 今御答弁を伺っていますと、代用監獄に少年監別所の何十倍、つまり平成四年度で八万九千二百八十三人という膨大な数の少年たちが収容されているというこの実態は、子どもの権利条約の分離原則から見ても、さらには一般に北京ルールと称されている少年司法運営のための国際連合標準最低規則、これも、一三の一というところに、審判のための身柄拘束は、最後の手段としてのみ、それも可能な限り短い期間に限って用いられなければならないというルールがあるのですが、これにも適合している、さらには国際人権規約B規約の十条の2の(b)の分離原則にも適合しているというふうにお考えと受けとめてよろしいんですね。
○柿澤政府委員 伊東先生の御質問はデータに基づいた御質問でございますから、そのデータの性格について政府委員から答弁をさせます。
○小野説明員 お答え申し上げます。 委員お話しの留置場に勾留された少年の数でございますが、これは延べ人員を委員の方にお示ししているところでございまして、言うなれば一日一人いるので一人という計算で挙げている数字でございます。御理解を賜りたいと思います。
○伊東(秀)委員 私は別にその数の問題を言っているのじゃなくて、この少年監別所も同じ統計のとり方をしていると思うのですが、少年監別所が千五百五十人、代用監獄が八万九千二百八十三人、こういった比率で代用監獄に少年たちが収容されている、これは北京ルールにも国際人権規約B規約にも反しないという外務省のお考えかどうか。ここを留保したわけですから、そのことを政務次官にお尋ねしております。
○三谷説明員 事実関係についてでございますが、少年監別所の千五百五十名という数字は、平成四年度中に新たに勾留にかわる観護の措置という形で収容された人数でございますので、代用監獄について先ほど警察庁の方でお述べになった数字とは、若干数字のとり方が違っているということでございます。
○柿澤政府委員 代用監獄か監別所かという問題は、この少年の問題だけでなくて、今伊東先生おっしゃいましたように国際人権規約の問題であるとすれば成人にもかかわる問題でございますが、日本は御承知のとおり国際人権規約を受諾しておりますし、そしてその代用監獄の存在については留保をしているわけではございませんので、その点では、国際人権規約に違反しているものとは考えておりませんし、その同じ論理で、この児童の権利条約についても、これと代用監獄の存在が背馳するものであるとは考えておりません。
○伊東(秀)委員 このような膨大な数の少年たちが、代用監獄に壁一重あるいは。パーティション一重で成人と雑居させられている実態に対しても、条約に責任を持つ外務省としては、何ら国際人権規約にも北京ルールにも反しないという解釈をとったというふうに私は受けとめます。 次に進みますが、留保について、解釈宣言についてです。 この条約の九条の一項と十条の一項に関しまして、政府はやはり説明書の中におきましてこういうふうな説明をしております。九条一項については「我が国は、この規定は父母が児童を虐待する場合のような特定の場合について適用されるものであり、出入国管理法に基づく退去強制の結果として児童が父母から分離される場合については適用されるものではないと解する」との宣言でありますし、十条の一項については「我が国は、この規定にいう「積極的、人道的かつ迅速な方法」で出入国の申請を取り扱うとの義務はそのような申請の結果に影響を与えるものではないと解する」というふうに解釈宣言を行っております。 私は、まさしくこの子どもの権利条約、この条約が、二条の趣旨におきましても、国籍や皮膚の色とか人種とか、そういったものによって差別されないという立場に立つならば、今の出入国管理における親子の分離をなるべくなくしていくという観点からの運用の改正義務を負うべきであるにもかかわらず、このような一方的な解釈宣言を行うことによって例外を拡大し原則を非常に一方的に狭めた、そういう解釈宣言を行うことによって現在の出入国管理行政のあり方をそのまま維持しようとしている姿勢にしか受けとめられないわけです。 条約の解釈の原則に関する条約法に関するウィーン条約によりましても、条約の解釈としては、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈する」というふうに三十一条の一項に書いてあるわけですが、このような勝手な解釈宣言というのは、この条約法条約の趣旨にも反するじゃないかというふうに考えるわけでございますが、その点についてはいかがでしょうか。
○小西説明員 まず、条約の解釈宣言について、なぜこういう解釈宣言を付したかという理由について御説明させていただきたいと思います。 先ほど先生がお読みになられました説明書と趣旨は同じでございますけれども、まず第九条の一は、各締約国に対し、父母による児童の虐待または父母の別居等の特定の場合におきまして、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として児童の最善の利益のために必要であると決定する場合を除き、児童がその父母の意思に反して父母から分離されないことを確保するように義務づけるものでございます。児童または父母の退去強制、抑留、拘禁等、この条約第九条4において国がとり得る措置として認められている措置により、結果的に親子の分離が生ずることを妨げるものではございません。 それから第二に、この条約の十条の一でございますが、締約国は出入国の申請を「積極的、人道的かつ迅速な方法で取り扱う。」というふうに規定しております。この規定に言う「積極的」というのは、出入国の申請を原則的に拒否するような消極的な取り扱いを禁ずる趣旨でございまして、「人道的」というのは、出入国に関する申請の受理から申請を通じた手続の中で、人道的な配慮が必要と認める場合はこのような配慮を行うべきものという趣旨でございまして、また「迅速」というのは、この手続がいたずらに遅延しないように取り扱いを適正に行うべきことをそれぞれ意味すると考えております。したがって、この「積極的、人道的かつ迅速な方法で取り扱う。」と申しますのは、出入国の申請の審査の結果を予断し、拘束するものではないというふうに解されるわけでございます。 ただ、このような解釈が文章上からは必ずしも一義的に明らかでないため、解釈をめぐって問題が生ずることのないようにこのような解釈を明らかにしておくものでございます。
○伊東(秀)委員 今のは説明でありまして、本来私が聞いていることは、出入国の管理の行政をこの条約に基づいて変えていくべきではないかということを聞いているのです。それを変える必要はないというふうにお考えならば、なぜ変える必要がないと考えるのか、その点についてお答えください。質問に答えてください。
○坂中説明員 条約の九条一項と十条一項は、いずれも締約国の出入国管理に関する権限には何ら影響を及ぼすことがないというふうに解されておりますので、私どもとしましては、入管法改正その他は必要ないというふうに考えております。ただ、出入国管理行政の運用に当たりましては、人道面にも配慮して適正な運用に努めてまいりたいというように考えております。
○伊東(秀)委員 今の答弁を聞いておりますと、条約だけはとにかく批准しましょう、しかし締約国の法律には何ら関係ないから、どのような条約の趣旨に照らしておかしいという法の運用がなされてあっても、そんなことは一切問題じゃないというような政府の姿勢としかとれないのです。この今の方は四十一条の(a)でもってお答えになったと思うのですが、その前にちゃんと児童の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない、だから、この条約よりも一層貢献するような締約国の法律には影響を及ぼさないというわけで、今の入国管理法のもとでは、これは一層貢献するものじゃなくて、条約に近づかなければいけない、条約の遵守義務を負うものとしては法を変えなければいけないというふうに私は思っているわけですが、それは今のでいいのだという理由を伺っているわけでございます。法律上の理由を答えてください。
○坂中説明員 私ども、現在の入管法及び運用につきましては、この児童の権利条約の趣旨に十分合致しているというように考えております。
○伊東(秀)委員 では、具体的にお聞きします。 今、入管法は児童の権利条約の親子の分離をさせないという条約の趣旨に全く合致しているというふうにお答えになりました。現在の出入国管理法のもとでは、例えば親子の一方が外国人で他方が日本人であるような場合に、日本人である子供の親の親としての在留資格とか、親が外国人ですね、あるいは日本人である親の子供の子としての在留資格というのは認められてない。だから、その一方の親とか子供は、外国人ということで退去強制によって親子分離がなされているという取り扱いになっているわけですが、こういったような法の取り扱いがなぜ条約の親子分離をさせてはならないという趣旨に合致しているとお考えになるのか。簡潔で結構ですので、よくこの質問にお答えになってください。
○坂中説明員 私どもとしましては、今先生がおっしゃられたようなケースにつきましても、私どもの出入国管理行政の目的、それから人道上の配慮を勘案して適切に運用しているというふうに考えております。
○伊東(秀)委員 では、アジアの国々からたくさん日本に入ってきている方々の親子の再会というか、そういうようなことに関しても、法務省は、出入国管理法の運用として、親子再会、親子分離をさせないということを最大限の原則にして法の運用を行っている、そういう趣旨と受けとめていいのでしょうか、あるいはこれから行うというそちらの宣言というか、行政の姿勢を示したというふうに考えてよろしいのでしょうか。
○坂中説明員 私どもも、従来から出入国管理行政の運用に当たりましては、今おっしゃられたような人道上の点を十分配慮してやってきたわけでございまして、今後とも同じような気持ちで運用に努めてまいりたいということでございます。
○伊東(秀)委員 この条約は子どもの権利に関する条約でございます。では、今までは人道上ということで配慮にすぎなかったものを今後は子供の権利として認めていく、そういう法務省の態度を宣言されたというふうに受けとめていいのでしょうか。
○坂中説明員 私どもとしましては、権利といいますか、あくまで出入国管理行政の目的もあるわけでございまして、それとこの条約で言うような人道上の配慮も勘案しながら適正に運用していくということでございます。
○伊東(秀)委員 大変のらりくらりとした官僚答弁でしかないと思うのです。 それから、この次は、国内法の抵触の問題について、時間がある限り、入らせていただきたいと思います。 まず、親権に関してなんですけれども、政府は説明書の中で、「この条約の実施のためには、新たな国内立法措置を必要としない。」というふうに言っておられますが、民法そのほかのあらゆる法律においても、この条約の実施のためには抵触すると考えられるものが非常にあると私は考えるわけです。にもかかわらず、このように政府が断定的に「国内立法措置を必要としない。」などと言うことは、立法機関である国会に対する何ともおかしな、審議以前にこういうことを持ってくるというのは非常におかしなことではないかと私は考えるわけですが、それの具体的な一つ一つの例証としまして、まず親権の問題を取り上げたいと思うのです。 今の日本の民法では、親権というのは親の子に対する支配権というような形でとらえられております。例えば、民法の八百二十二条によりますと、「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。」というような規定がございますし、八百二十一条では居所指定権とか、八百二十三条では職業許可権とか、こういう形で親の権利、親の支配権という形で親権をとらえられているわけですが、子どもの権利条約というのは、あくまでも子供が権利の主体である。あらゆることに自分の意思を表明し、自己決定する権利があるんだということをはっきり認めた条約でございます。 こういった条約の趣旨から考えると、このような民法における親権のとらえ方、親権そのものに対する規定の見直しが必要じゃないかというふうに考えるわけでございますが、その点、いかがでしょうか。
○岡光説明員 まず、民法の方の御説明から入らせていただきます。 民法は、八百二十条で「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」権利の側面ばかりでありませんで、親の義務の側面、これも規定しておるわけでございます。他方、条約の五条をごらんいただきますと、条約五条は、父母その他児童について法的責任を有する者が「その児童の発達しつつある能力に適合する方法で適当な指示及び指導を与える責任、権利及び義務を尊重する。」と定めておるわけでありまして、条約の方も親から見まして権利と義務と双方の側面を書いておりますので、先生の言うような形で、民法だけが親から見たことだけを書いているというようなことはないのではないか、条約の方も両方の側面をやはり考慮しておるんだろうというふうに理解しておるところでございます。
○伊東(秀)委員 その親権に関連してなのですが、今児童の虐待ということが日本でも大変問題になってきている。そして、特に児童相談所等に、子供自身やあるいは近所の人の通報で、虐待されている子供が一時的に収容されたりした場合に、その親が親権の行使ということで連れ戻しに来る。どうしたら子供の福祉というか、子供をいい状況に置いて養育するということを守るか、児童施設の人たちはそういったことについて大変苦労しておられるわけです。 現在の法制度では、こういった親権の乱用に及ぶと思われるようなケースの場合でも、親権喪失という形でしかできない。現実に、家庭裁判所の運用では親権喪失宣言というのは非常に少ない状況にある。そういうことのはざまの中で現場のそういった施設の職員の方々は大変苦労されているわけですけれども、この権利条約を批准するに当たって、やはり子供の本当に最善の利益を守るという立場から、こういった親権の行使、つまり子供の虐待防止のために親権を一時的に停止する制度みたいなものを設けなければいけないのじゃないか。そういったことで子供を守っていかないと、今社会的なストレスの問題とか全世界的に子供の虐待がふえている中で、日本でも非常にふえている、それを防ぐことはできないんじゃないかと思うのですが、その点はいかがお考えでしょうか。
○清水(康)政府委員 お答えをいたします。 委員御指摘のように、現在の児童福祉法の二十八条の中で、保護者の意思に反しても家庭裁判所の承認というふうな形で児童福祉施設に措置することができるという規定はございます。それから、仮に一たん同意をして入れたという場合でも、その後同意を変更しまして子供を引き取りに来たというふうな場合にも、御指摘のとおり、法の三十三条の五というところで親権喪失宣言というふうなことで行う、そして家庭裁判所の承認を得て入所継続ができる、そういう規定はあるわけでございます。 したがいまして、私どもは、児童の権利条約の批准に当たって現行法を改正しなければそれが批准の障害になるというふうには考えておりませんけれども、それでは、運用の実態としてどうなのかというふうなこと、あるいはより児童の権利に着目し、児童の保護に徹底を期するというふうな立場からいいますと、保護者の意向に違反してもなお児童の権利といいますか、児童福祉ということを積極的に配慮する、そういうふうな現場での運用が非常に大切だと思っておりまして、現実の運用面で必ずしも十分でない点がもしあるとすれば、それは制度の改正というよりも運用の問題でございますので、お話しのような一時停止という制度が必要かどうかというふうなことにつきましては、今後なおよく検討していかなければいけない課題だと思いますが、現行制度を適切に運用して、児童の福祉に遺憾のないようにしてまいりたい、このように考えております。
○岡光説明員 厚生省の方と幾らか競合する部分がございますけれども、私どものサイドからお答えを述べさせていただきたいと思います。 私どもといたしましても、条約そのものが親権の一時的な停止というようなことを当然に要請しているというふうには理解しておらないわけでありますけれども、国内法の立法政策としてそれが考えられないかどうか、そういう御質問としてお答えを述べさせていただきたいと思います。 御指摘のとおり、民法には親権の喪失制度というのはございます。確かに親権をいわば失わしめるわけですから、非常に硬直的なという批判もないわけじゃございません。先生の御提案といいますか御意見というのは、喪失に至らないような事情の者に対応できるような形で親権の一時制限とか停止とか、そういうものは考えられないのか、こういう御提案だろうと思います。 現行法の親権の喪失制度とは別に、そういった停止制度を設けるかどうかというのはなかなか重大な、あるいは難しい問題だと思っておりますけれども、どういう場合にどういう要件でその制限、停止をかぶせるか、そして仮に制限が行われ、あるいは停止が行われたときに、子供の保護は一体だれがするようになるのか、それから、そういった制度を設ければ、申し立て権が乱用されて、親子の問題に公的機関が介入し過ぎるというような弊害が生じるというおそれはないかどうか、そういったいろいろなことを考えなければいけないのだろうと思っております。 ちなみに御紹介いたしますと、私どもの法務大臣の諮問機関でございます法制審議会の方で、戦後、民法の改正問題といいますか、見直しをずっとやった時期に、こういった、先生の今の御提案と同じようなことを考えてはどうかという提案がございまして、昭和三十年代にまとめられたペーパーの中にそういう見解もございますし、諸外国にもそういう制度を導入しているところもございますので、すぐどうこうということはないのですけれども、私ども、将来的な課題としては勉強はしてまいりたいというふうに思っておるところでございます。
○伊東(秀)委員 次に、条約の第三十条に関しまして、アイヌの件でお伺いしたいと思います。 この三十条によりますと、「種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、」その児童は「他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」というような規定になっているのですけれども、現実に今アイヌの方々が置かれている状況というのは、そのアイヌ民族の独特の文化とか言語、そういうものを大事に一つの文化として享有していく、伝えていくというような状況には置かれていないと思うのですが、こういうアイヌの方々の日本における現状について、この条約に関して責任を持たれる外務省としてはどのように理解しておられますでしょうか。
○小西説明員 アイヌの方の子供の権利がどのように保護されているかという御質問だと理解いたしますが、外務省として直接お答えする立場にはございませんけれども、我が国におきましては、憲法の十四条一項が、すべての国民が法のもとで平等であるということで、「性別、社会的身分又は門地」等々により「差別されない。」という規定をしているのを初め、その他の国内法により、アイヌの児童を含むすべての国民に対して平等な取り扱いを受ける権利が保障されているというふうに考えております。
○伊東(秀)委員 政務次官にお尋ねします。 先住民としてのアイヌの方々の文化とか民俗芸能、そういったものを保護育成していく、そういうことがやはり国の政策として必要ではないかというふうに私は考えますが、その点についてはいかがでしょうか。
○柿澤政府委員 お答えいたします。 これは外務政務次官としての答えというよりも、国会議員といいますか、私の考え方として申し上げさせていただければ、アイヌ民族の固有の文化、伝統、言語等についてはできるだけ尊重し、それが将来にわたって継承できるようにお手伝いをしていくことが大事だ、こう考えております。その意味では、そうした方向へ現在、余りスピードは速くないかもしれませんけれども、進んでいると期待をいたしております。
○伊東(秀)委員 アイヌの方々は今旧土人法のもとに置かれているという大変差別的な状況に置かれておりまして、そういった先住民としての民族の文化や言語を承継する、さらには地方議会や国会の場で議席も占めたいというような、アイヌ新法の制定を希望しております。この条約の三十条の趣旨からいきましても、今柿澤政務次官の大変前向きな、そういう国会議員としてのお立場、それをより一歩総合的に進めるには、やはり何らかの法的な措置が必要ではないかと思うのですが、その点についてはいかがでしょうか。
○柿澤政府委員 法的措置が必要かどうかにつきましては、これは私から答弁する立場にございません。 ただ、何らかの形で、できるだけ国もそうした形で協力をしていくことが大事だ、こう思っております。
○伊東(秀)委員 次は、文部省に今のこのアイヌの問題で伺います。 アイヌ語あるいはアイヌ民族文化とか、アイヌの歴史とか、こういうものをやはりきちっと先住民として今後伝えていくという意味では、大学においてこういった講座も開設していかなければいけないのではないか。開設してもらいたいというアイヌの方々の強い要望があるわけでございますが、この条約の趣旨からいってもこれは当然だと私は思うのですが、いかがお考えでしょうか。
○富岡説明員 御指摘のように、アイヌに関します知識、理解を深めさせることは意義深いことでございまして、先生御案内でございますけれども、大学におきましてどのような授業科目を設けるかというようなことにつきましては、各大学が自主的に判断することが基本でございますが、御紹介申し上げますと、現在、大学におきまして各種の講座等で指導を行っている例が見られるところでございまして、例えば北海道大学では、一般教育科目として、例えば松前藩とアイヌ民族とか、北海道開拓とアイヌ民族、専門教育科目では、オホーツク文化とそれに関係する諸文化の研究等のアイヌに関する教育が行われておりますし、北海道教育大学とか北海学園大学等にもそのような講座等が設けられているところでございます。 そのようなアイヌに関します知識、理解を深めさせる講座等につきましても適切に対応してまいりたい、こう考えております。
○伊東(秀)委員 このアイヌ民族の問題は、ことしが国際先住民年でもございますし、アイヌの方々のこういった自分たちの民族の文化とか言葉とかあるいは歴史に対する思いをより大事にしていくような国の施策を文部省それから外務省、関係省庁全部力を挙げてぜひとも取り組んでいただきたいというふうに思います。 時間がちょっと余りましたが、これで終わらせていただきます。
○伊藤委員長 秋葉忠利君。
○秋葉委員 昨日に続いて、昨日の継続の質問を幾つかしたいと思います。 まず最初に、三十七条の(c)の翻訳について、事実をもって、さらには幾つかの文法的規則、意味の上から等具体的な根拠を示して、きのう翻訳が誤りであることを指摘いたしましたけれども、少なくともその件に関しては昨夜のうち、非常に勤勉なそして一生懸命仕事をなさる外務省のことですから、ワーキンググループの議事録をお読みになって、先ほどの古賀さんの話ではありませんけれども、一夜たって、やはり正しいことは素直に認めた方がいいという決定をされたのではないかと思いますので、この際、翻訳は訂正するということを冒頭に述べていただければ大変ありがたいと思います。
○小西説明員 昨日の先生の御指摘につきましては、早速私どもの部内でも審議経緯を調べて検討いたしました。 その結果について御報告させていただきますが、まず条約の解釈につきましては、条約法条約にも定められているとおり「文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈する」ということが基本的な原則でございまして、審議経緯は解釈の補足的な手段にとどまるということをまず前置きとして申し上げたいと思います。 それで、審議経緯そのものについて申し上げれば次のとおりでございます。
○秋葉委員 いや、それはわかっているからいいです。時間がありませんから結論だけ言ってください、直すのか直さないのか。
○小西説明員 私どもは直す必要がないというふうに理解しております。
○秋葉委員 審議過程については議事録にありますからその議事録をきちんとお読みいただければ、これは公開された文書ですから、ジャーナリストの方も実際にこれを御自分の目で確かめていただければいいだけの話ですから、あえてここで繰り返していただく必要はないと思います。その議事録があるにもかかわらず訳を直さないというのは、私としては知的に、今誠実という言葉をお使いになりましたが、知的に、さらには国際会議における、国連の中における議事の尊重といった点からも非常にゆゆしき問題である、こういうふうに思います。 その点については後で申し上げますけれども、昨日、実は私は外務大臣に英語で質問いたしました。柿澤政務次官、きょうは英語では質問いたしませんので。そしてその際に日本語の訳をつけました。故意に、日本語の訳と英語の私の質問とは意味にギャップがあるように訳した日本語の訳を提出いたしました。それに関して外務大臣は、その私の質問にはお答えになりませんでした。それとは全く違うことをおっしゃった。それは、要するに外務大臣は、英語の質問と日本語の質問との間にギャップがある、そういう場合にはきちんとした答えをすることができないという判断をされて、そういう決定を下されたんだと思います。 実は私が申し上げたかったのは、本委員会で審議をしている条約に関して英語の正文と日本語の間にそれに等しいギャップが種々存在するということです。こういう形ではとても、その日本語、これが日本国内では実効的な意味を持つわけですが、少なくともこの審議を知的に誠実に行うことはできない、これを申し上げざるを得ない。しかも、ワーキンググループのあの議事録を読んだ上でなお訳の訂正を行わないということは、私の常識から判断してとても信じがたいことです、非常に残念ですけれども。しかも、これまでの各省のお答えを聞いていますと、こちらからさまざまな根拠を示していろいろな問題点を提起しているのに対して、最終的にはそういった各論点をすべて無視した上で自分たちが正しいんだということしか言わない。そういった形での審議を行う意味が本当にあるのか。さらには、その集積としてのこの条約の解釈というものが実はこの条約の精神を著しく後退させているということも事実です。となると、私たちが判断を下さなくてはならないのは、英語で書かれた、正文で書かれた条約そのものではなくて、ここに皆さんが皆さんそれぞれの知的誠実さ、誠実さというのは上から下までありますから、ピンからキリまでありますから通常では誠実という言葉を使わない態度だと思いますけれども、その集積によって表明された著しくゆがめられた条約に関して判断を下さざるを得ないということになると思います。そうなると、私たちとしてはとても知的良心を持ってこれに賛成することができないというようなことになってしまうかもしれない。その原因をつくっているのは一に、最大の原因は、やはり外務省の翻訳、誤っていても、仮に誤りが明白であってもその誤りさえも訂正しないというその態度にあるということは認めてもらわざるを得ない。そういう状態になったときにその責任を外務省はどういうふうに負おうとしているのか、その覚悟はおありかどうか、一言外務省に伺いたいと思います。
○小西説明員 先ほど先生の御発言がございましたので私、途中で御説明を中断いたしましたが、私はその際、私どもがつくりました訳がベストである、先生の御指摘を得まして再検討した結果なぜ外務省としてそれがベストであるかということを御説明しようとしたわけでございますけれども、そういう意味でその説明は省略させていただきますが、したがいまして私どもは、このつくりました外務省の訳、これについては、関係省庁ともお諮りしておりますし、法制局の審査を経て確定したものでございますが、それがベストである、ベストを尽くした訳であるというふうに考えておるわけでございます。
○秋葉委員 答えになってないじゃないか。そういう態度を今僕は問題にしているのに何だよ、それは。僕が質問したことにまるっきり答えてないじゃないですか。そういうことで議論ができるのかということを問題にしているわけでしょう。こんな議論の仕方で、しかも国会で審議をしたことにされてしまって、それに対して実質的な議論は何もなくて賛成しろ反対しろなんということを国民の名においてやっていいのかということを問題にしているのに、何ですか、その答え方は。私は大学の教師ですからね、大学で例えば試験のときに問題を出して学生がそういう答えをしたら、零点を与えるような答えですよ。 あなた方は、権力構造からいって我々は野党の国会議員ですから、権力側は何もせずにともかく時間だけ稼げば現在のような政治形態が動くということは、これはもう厳然たる事実です。だが、そういうところにあぐらをかかれて国会での審議をないがしろにするというのは、本当に私は国民の名において許せないと思いますよ。
○柿澤政府委員 秋葉先生のお言葉でございますが、今、小西審議官は我々の訳がベストの訳であるということを申し上げたわけで、それに対して秋葉先生は御自分の御解釈が正しいものだとおっしゃっているわけで、そこのところはすれ違いの議論であって、誠実か誠実でないかということではないと思います。 それから、どちらが正しいかをもしここで議論をするということであれば、小西審議官がなぜ我々の訳が正しいかという説明をお聞き取りいただかなければ議論にならないと思いますので、その点、もしよろしければお許しをいただきたいと思います。
○秋葉委員 柿澤次官、きのうそれはさんざんやったのです。それで具体的にワーキンググループの議事録というのはここに持っていますけれども、これを読めばどっちが正しいかというのははっきりしているのです。それを申し上げていますからこれについてはこれ以上申しませんけれども、要するに、意見の違いではなくて、こちらには事実があるのです。この事実を認めないというのが外務省の態度なんですから、事実を認めないで幾らこっちが正しいと言われてもそれは理由にならないということをきのうさんざんやったのです。ですから、あえて今そういうお言葉ですから申し上げましたけれども、ちょっと誤解があるので訂正させていただきたいと思います。 実はきのうの後半少し時間がなくてはしょってしまったところですけれども、婚外子の問題について残りの時間もう少し問題提起を続けたいと思いますけれども、昨日の答弁の中で婚外子の差別について、婚外子の側から見ればおもしろくないかもしれないけれども我慢してもらわなくちゃいけないといった発言がありました。 その問題について私はその言葉が差別的な用語であるということは一応指摘いたしましたけれども、さっきの古賀議員と同じように、一晩考えてみるとやはりこれは非常に差別的な言葉だと思います。おもしろくないかもしれない、差別されている人がおもしろくないかもしれない、そんなことは当たり前で、おもしろい、おもしろくないというレベルで人権の判断をしてもらっちゃ困る。しかも、日本全体の人権を守る立場にあるお役所の責任者がそういうことを言ってもらってはなおさら困るわけです。 もう一点つけ加えれば、おもしろくないという言葉の反対にはおもしろいという言葉があるのです。差別をしながらそれをおもしろいと思われちゃとても人権なんて守れるものじゃないんです。その点をもう一度確認していただくために、このおもしろくないという言葉を撤回していただきたい。もう一言つけ加えれば、陳謝の上撤回をしていただきたい。手短にお願いします。
○岡光説明員 きのう御答弁申し上げました岡光でございますが、法律婚制度を維持するというその目的のために必要であるということを申し上げておったわけでございます。 法律婚主義というのはどういうものかということを少し説明させていただきますけれども……(秋葉委員「いや、それは必要ありません。訂正するかどうかということを言ってください」と呼ぶ)説明を少しさせていただきませんと非常に私ども意を尽くせませんので言わせていただきますが……(秋葉委員「意を尽くさなくても僕の聞いていることに答えてくださいよ」と呼ぶ)結論だけ、撤回するかしないかというそういう御質問であれば、結論を申せば、撤回する気持ちはございません。
○秋葉委員 わかりました。それで結構です。撤回するかどうかということを聞いたんですから、手短にそれだけについて答えていただければ結構です。 ちょっと言いますけれども、きのうさんざん聞いたじゃないですか。その答弁を皆さん聞いているわけでしょう。あれだって、答弁なっていないというのはわかっているじゃないですか。(発言する者あり)委員長、不規則発言も少し整理していただけるとありがたいのですが。 今の点に関連して、それでは、法務省の人権感覚というのがそういうものであるということを私は大変恥ずかしく思いますけれども、それも徐々に訂正していっていただきたい。ともかく、子どもの権利条約の趣旨に沿って改善されていくことを期待しながら、あとの質問を続けたいと思います。 きのうのお答えでは、要するに、婚外子差別が存在するのは合理的である、合理的な理由は、法律婚というものがあって、その法律婚を守るためである、法律婚はなぜ守らなくちゃいけないのかというと、それは法律があるからだという堂々めぐりの議論でした。それ以上の、法律があるという以上の根拠は与えられなかった。社会的秩序とかそういう言葉も出てまいりませんでした。ですから、そういう堂々めぐりの議論によって、法律婚を守る、そのためには婚外子を差別しても構わないんだというのがきのうの答弁でした。 私は、それは非常に間違った考え方だと思います。仮に百歩譲って法律婚を守る必要があるということを認めた上で、私はこれについても民法九百条の改正をすべきだと思いますが、その点については後で触れることにして、仮に法律婚を守るという立場が正当だという前提を加えた上でも、それではそれを行うために婚外子を差別することでその目的が達成されるのかどうかというところは、慎重に考えなくてはいけないところだというふうに思います。 例えば、今のこの考え方は、ちょうど、無免許運転をする人を減らすために無免許運転をした人の子供には運転免許を与えないというのと同じようなことです。だから、子供に対してそういった措置をとっても、実際行っている大人に対する強制力にはならないということです。実は、もし必要でしたら、これは論理的な、同型という考え方がありますけれども、そういったところを使ってきちんと証明してさしあげますけれども、そういうふうにおかしい議論で実は組み立てられているのです。お笑いになった方は、ですから、この私が取り上げた比喩ではなくて、法務省の見解そのものに対してお笑いになったということを自覚していただきたいと思います。 それともう一つ、これは例を申し上げますと、一九七二年のアメリカの最高裁判所の判決では、親たちの婚外の交わりを食いとめるためにこういった婚外子の差別をすることは何の効果もないということを、これは婚外子差別に対しての判決の中で明確に言っております。そのためのデータも示しています。ですから、そういう意味で法務省の見解、日本政府の見解には根拠がないということを申し上げておきます。 実は、根拠がないというのはちょっと言い過ぎで、根拠はあることはあります。それは何かというと、江戸時代以来連綿と続いてきた家を単位にする社会的な構成、その中における個人の立場によって、個人の権利を重んずることによって社会的なシステムを組み立てていくという考えではなくて、家を中心にした構造によって社会の成り立ちを考えていく。したがって、家の一員の罪は家全体の罪である、あるいは五人組というような制度をつくって、五人組のうちの一人の罪はすべての罪であるといったような考え方が実はその根拠として残っている。いわばこの婚外子差別というのは、そういう古い封建的な時代の法制度の残滓だというふうに考えてもいいのではないかと私は思います。 しかるに、一昨日の参考人の公述の中で波多野参考人が述べられたことですけれども、これは自民党推薦で人権の考え方について述べられた波多野教授ですが、つまり今の日本の法制度では、人権というもの、つまり個人の権利というものを中心にさまざまな組織を組み立てることにしたんだということを言いました。その中で特に波多野教授が歴史的な事実として強調されたのは、まず一九四八年、世界人権宣言というのがある、これが人権についての世界の共通の考え方、基盤である、日本も当然それを受け入れているというところです。さらには、これを踏まえて条約化したものが国際人権規約である、さらに、この国際人権規約をもとに、これはまだ一般論であるから、それをより個別化して各論的に充実させ深めているのが、例えば女性の差別撤廃条約であり、拷問禁止条約といったようなものであって、子どもの権利条約もその一つであるということを言っています。となると、当然子どもの権利条約の中に含まれているさまざまな規定というのは、今申し上げた世界人権宣言や国際人権規約、こういったものを認めた上でのいろいろな規定になっているというふうに私は解釈いたします。 残念ながら、午前中の議事の中では、子どもの権利条約の中に明示的に示されていない権利については日本は守る必要がないんだというような見解が示されました。ということは、波多野教授の示された見解とは逆に、政府の立場は、仮に世界人権宣言があり国際人権規約があっても、今回の子どもについての権利条約の中で明示的に示されていないものは日本政府はこれを遵守する義務を負わないというような見解を示されたというふうにもとれるのですけれども、そういう非常に後退した形での条約解釈をしているのかどうか。一言で、そうではないということを言っていただければ大変ありがたいと思いますけれども、この点、確認したいと思います。
○小西説明員 先生おっしゃられた国際人権規約それから世界人権宣言、こういった精神、趣旨はこの児童の権利条約にもそのまま受け継がれておるわけでございまして、日本国憲法におきましても、日本は条約を誠実に遵守するということになっております。したがいまして、我々はこの条約を締結すれば誠実に遵守していくという考え方でございます。
○柿澤政府委員 この児童の権利条約の審議過程に私も参加をさせていただきまして一つ感じますことは、児童の権利を保護することは大事なことでございますが、同時に、それに関連する義務というものがあるということも忘れていただきたくないと思います。 この前文を読みますと、「「児童は、身体的及び精神的に未熟であるため、その出生の前後において、適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする。」ことに留意し、」と書いてあるわけでございまして、そうした保護の対象としていわば児童をとらえている。その保護を受ける者としては義務が生ずるということも当然のことでございます。 それから、婚外子か婚内子かという話でございますが、この前文を読みますと、「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、」ということが書かれているわけでございまして、その意味で、安定した家族というものの必要性というものを十分に認識した上で児童の権利をできるだけ認めていこうということであろうかと思いますので、その点、一方的に権利権利という点だけが主張されることは、この条約の解釈として決して正しい方法ではないと思います。
○秋葉委員 柿澤政務次官のお答えは、少なくともトートロジーではないというところ、安定的な結婚というような新しい別の視点からの価値を持ち込んでのお答えですから、私は外務省のきのうの答えよりは形式的には一歩前進だと思いますが、その内容についてはちょっと反対をしたいと思います。 というのは、権利というのは義務と一体化しているところは確かにありますけれども、やはり大事なのは、権利を侵害している人がたくさんいるという事実を踏まえてその権利を考えるのか、あるいは全く無色透明で、そういった権利の侵害などというものがないところで議論するのかというところで随分差が出てくると思います。そういったところがまず一つ問題だと思いますけれども、それ以外にも、実はこういった問題については、何も私たちがここで議論をしたことが初めてではありません。世界人権宣言以来のそれこそ世界じゅうの英知を集めてこういった子どもの権利条約が出てきているわけです。その世界人権宣言、日本も当然、この精神と各条項について遵守するということを高らかにうたっておりますし、国際的にもこのことを表明していますけれども、そういった具体的な事実に即した上での解釈をすべきであるというふうに私は思います。 そこで、人権を担当している法務省に伺いたいのですけれども、この世界人権宣言の二十五条の2にはどういうことが書いてあるか、お読みいただきたいと思います。なければ、こちらにコピーがありますからお貸ししますが。
○岡光説明員 突然のお申し出でございますが、読ませていただきますと、「母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。」そういうふうに書いてございます。
○秋葉委員 これほど明白な規定はないのではないでしょうか。つまり、一九四八年の時点で採択された世界人権宣言の中に、もう既に人権の一部として、子供は、つまり自分が選択をして自分が責任を持てないような状況で子供というのは生まれてくるわけですから、その際に、生まれてきた子供という段階で全て同じ人間として平等な扱いを受けるという原則がここで確立されているわけです。嫡出であると否とにかかわらず、同じ社会的保護を受ける、これはその原則を素直に認めたことだと思います。 波多野教授の一昨日の説明によると、これを条約化したものが国際人権規約であるということになります。当然、国際人権規約においても、婚外子の差別ということはしてはならないということを高らかにうたってあるわけですが、この中で、国際人権規約の二十四条について法務省の見解を伺いたいのですけれども、この二十四条についての一般的意見というものがございます。この一般的意見の中にこれまた、この言葉では、嫡出子と婚外子との差別についての一項があるわけですけれども、この文章をお持ちでしたら、その関連の部分をお読みいただきたい。なければ、私の方で読ませていただきます。
○岡光説明員 二十四条一項でございますね。「すべての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、」……(秋葉委員「いや二十四条ではなくて、それについての一般的見解を、三十五会期において採択された一般的意見というものを読んでいただきたい」と呼ぶ)私の方は、ちょっと答弁するのに適切ではないと思いますが、少なくとも、条文とは違うところを今この場で聞かれても、ちょっと答えられませんが。
○秋葉委員 それでは、二十四条に関連してこういうことがございます。 この一般的意見というのは、実は規約人権委員会というのが年に三回、三週間ずつ開かれるのですけれども、ここでは、各国の人権規約についての遵守状況を調べるために、各国から報告を集めてその検討を行っている委員会です。その委員会が、当然、どのような報告を書くべきかということを決める役割を負っているわけですけれども、それと同時に、この人権規約についてのより具体的な解釈を行っている、そういう委員会がこの規約人権委員会というところですけれども、そこで一九八九年に採択された一般的意見というのがございます。それを、その一部ですけれども読ませていただきますと、「各国は、相続の場合を含めて、全ての分野における全ての差別を取り除く目的で、特に、その国の国籍のある子どもと外国籍の子どもとの差別、又嫡出子と婚外子との差別をも除去する目的で、各国が保護措置を、いかに法律上及び実務上保障しているかということを報告書に記入すべきである」ということをうたっております。これは昨日の法務省の見解とは違って、あるいはきょうの見解とも違って、「相続の場合を含めて」ということをはっきりと国際条約の解釈として書いております。波多野教授だけではありませんけれども、少なくとも人権の流れということから考えると、婚外子の差別、相続を含めた差別はやってはならないということは、もう国際的な慣行として確立されている。そればかりではなくて、この差別を撤廃するために各国はどのような努力をしているか報告書に記載せよということまで述べている。 というところで伺いたいのですが、日本も当然、この国際人権規約あるいは女子差別撤廃条約、それから今度は子どもの権利条約についても同じようなことが起こるわけですが、この報告書の提出義務を負っている。今まで何回か報告書が提出されているわけですけれども、そこに記載された婚外子差別撤廃のための日本政府が行ってきた努力、どのような報告が記載されているのか、あるいは全く記載しなかったのか、その点について、報告書をそのとおり読んでいただく必要はありませんけれども、どのような記載があったのか、私の理解では報告はしていないという理解ですが、法務省あるいは外務省のお答えを伺いたいと思います。
○小西説明員 ただいま手元に資料がございませんので、申しわけございませんけれどもお答えできません。
○秋葉委員 法務省、どうですか。
○岡光説明員 私もそのゼネラルコメントというものは名前しか聞いておりませんけれども、話によりますと、そのゼネラルコメントの性質というのが法律的な効果まで生じるというものではないというふうなことは聞いた覚えはございます。 それから、報告書そのものにどういうことを書いたかというのはちょっと記憶にございません。多分そういうところまでしておらないと思いますが。 先生が御発言の機会をなかなかくれませんので、ちょっとこの機会に一分程度お時間をいただきまして、私どもがこのテーマについて過去どういうことをしてきたかを御説明させていただきたいと思います。 私どもが法律婚、法律婚と申し上げているのは、一番わかりやすく言えば、配偶者のある方が配偶者でない別な異性の方との間に子供をおつくりになったというときに、それがそのまま是認されていいかというところに話がありまして、ただ、そういうことと、それから子供から見たときにどういう違いが起きるかという、そのことがありましたものですから……(秋葉委員「問題をごちゃごちゃにしないでください」と呼ぶ)ちょっと言わしてください。 それで、これは非常に高度な立法施策だということで、いろいろな考え方はございますが、やはり国民感情というのが大きいことだと思いまして、これは私どもで昭和五十四、五年当時、民法の相続部分の改正をしたときにこの問題を取り上げまして、非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分と同じようにしてはどうかという、法務省民事局の参事官室名で改正試案というのをつくるところまでやったわけでございます。 そのときに同時に、これは何しろ国民感情というものが大きいものですから、世論調査をいたしまして各界の意見を求め、あるいは世論調査の結果を見たところ、反対がたしか四八%、それから賛成が一六%でしたか、わからないというのが二〇%、そういう結果が出たものですから、これは広範な立法施策の中で考えるときに、国民感情がそういう状況にあるときに、とてもいくのは難しいだろうということで断念したという経緯がございまして、ゼネラルコメントということと直接にはつながらないかもしれませんけれども、私どもは私どもなりにそういう努力もしておるというところは一応御説明させていただきたいと思います。
○秋葉委員 今のお答えは、後で質問しようと思ったことの答えですから、ちょうど時間的にはよかったのですけれども、ただ、私はこれでも学者の端くれですから、世論調査というのは物すごく難しい。世論調査というのは、質問の事項、やり方によってどうでも操作が簡単にできるのです。その世論調査の内容というのは、これははっきり差別用語を使いますけれども、めかけが産んだ子供に対して金をやってもいいのかどうかというような作間じゃないですか。そういうものに対して、そういうふうに出てくる答えがはっきりとわかるような形で質問をつくっておいて、だから国民感情が云々と言うのはおかしい話ですよ。 それからもう一つ、国民感情云々とおっしゃいましたけれども、ここで問題にしているのは、問題にされている権利の主体というのはだれかというと、子供です。生まれてくる子供です。さっき小森さんも同じようなことを言いましたけれども、言葉も話せないような子供、その子供が既に生まれた時点から差別をされているということが大事なんじゃないですか。その差別を撤廃しなくちゃいけないということでしょう。生まれてきて、言葉もしゃべれない子供の代弁を一体だれがするんですか。それをやるのが法務省じゃないですか。その仕事を放棄して、国民感情、国民感情と言いますけれども、作為的につくった世論調査の結果を引用して、そういった本来人権を一番尊重されなくてはいけない弱者の立場を踏みにじる人権を守る担当というのはどこにあるのですか。それこそまさに、世界人権宣言があるいは国際人権規約が、子どもの権利条約が、やってはいけないことだ、改めようと言っていることじゃないですか。私は、今の一連のお答えを聞いていて、非常に憤りを感じております。ある意味での絶望感さえ感じてきた。こんなことで本当に弱い立場にいる人の権利が守れるのだろうか。それをやるのが法務省でしょう。 それで、そういうふうに申し上げた上で、さらに幾つかの点について質問したいのですけれども、まず報告書の件です。 これは、日本政府による報告書というのは、国際人権規約については、第一回八〇年十月、第二回八七年十二月、第三回九一年十二月、少なくともこの三回出ております。これに関して婚外子についての記述は一切ございません。先ほどもおっしゃったし、きのうもおっしゃいました、婚外子差別をされている側からすればおもしろくないだろうけれども、これは法律婚を守るために仕方がないのだから続けますよという趣旨のことをおっしゃった。もしそれが本当に政府の立場であるのだったら、そういうふうに報告書に書いて提出してください。今からでも遅くはありませんから、ぜひ提出をしていただきたい。そのことに関して、国の中と国の外とでは全然別のことを言って、どこでもいい子になろうとする態度は捨ててください。少なくとも一貫性のある態度で世界に大きくそのことを発言した上で、きちんと国際的な場における評価を受けていただきたい。それをぜひお願いしたいと思います。それに自信があるのだったら、当然そういうことをやるべきでしょう。それを私はお願いしておきたいと思います。 それから、ちょっと時間が過ぎつつありますが、伊東議員の時間をちょっと二、三分いただければ大変ありがたいのですが、住民票に関連して、実は住民票について言えば婚外子に関連する続柄の記載というのはあるわけですけれども、国民健康保険それから社会保険に関連してはこの続柄の記述を大幅に簡略化した。その具体的な内容と、そのことによってどのくらいの影響があったのかということを厚生省の方に伺いたいと思います。
○伊藤委員長 時間が来ておりますので、簡潔に答弁してください。
○石本説明員 お答えいたします。 委員御指摘のとおり、従来、国民健康保険の被保険者証におきましては、続き柄を記載することとなっておりましたが、国民健康保険の適用に関しましては、当該被保険者が属する世帯が特定できればいいということで、世帯主との続き柄まで記載することは意義に乏しいという観点から、昭和六十一年に老人保健法施行規則等の一部を改正する省令の中で続き柄を廃止したものでございます。 現在に至るまで、これによる事務的な混乱等は特に生じておりません。
○秋葉委員 ということは、住民票においても、住民票の目的とするところを考えますと、当然この続柄についての記載を大幅に簡略化して、例えば国民健康保険、最低限社会保険と同じような記載にしても、いささかも実質的な効果において住民票の役割ということから考えると効果が薄れるということはないし、社会的に大きな混乱も生じないというふうに考えられますけれども、住民票の記載についてそういった大幅な続柄についての簡略化、まずこのあたりから始めて、最終的には国際人権規約あるいは世界人権宣言における婚外子の差別撤廃という方向に向かって日本政府も大きな一歩を踏み出すというお考えはありませんか。住民票について、その一歩としての覚悟といいますか、少なくとも検討をしていただきたい。
○松浦説明員 住民基本台帳の制度でございますけれども、昨日もお答え申し上げましたように、住民に関します記録を正確かつ統一的に行うという制度でございます。そういうふうなことでございまして、世帯主との続き柄につきましても、必要的な記載事項ということにいたしているわけでございます。 ただ、住民票の交付に当たりましては非常に厳しい請求事由というのをつけておりまして、こうしたプライバシーの侵害のおそれがあるような場合などには交付を拒否することができるようにするなど、住民の基本的人権が不当に侵害されないようにそのような措置をとっているところでございます。
○伊藤委員長 秋葉君、時間が来ましたので、結論を急いでください。
○秋葉委員 この問題に関して、全国連合戸籍事務協議会においても、これは法務大臣がこういう事務方の苦労を表彰するというようなことも行われているところですけれども、例えばこういった協議会においても非嫡出子差別の撤廃に関する決議というようなものが継続審議になっている、こういった社会的な状況もございますし、国民健康保険においても続柄を撤廃してこれは何らの社会的影響もないということを考えますと、これは通達で住民票についての記載を変えることができるわけですから、本当に簡単なことですから、ぜひこれも積極的に御検討いただきたいと思います。 ちょっと時間が長くなりましたけれども、御配慮ありがとうございました。これで質問を終わります。
○伊藤委員長 東祥三君。
○東(祥)委員 昨日に引き続いて質問させていただきます。 私が多分介入することではないのだろうと思うのですが、昨年来秋葉さんが指摘された特に訳出の件に関しては、極めて説得力あるなというふうに個人的に聞いておりました。外務省とのやりとりの間で、秋葉さんの方から、ただ単にイメージの違いではなくて、その意味、内容に関しての説明をされて、こうでなければならないのじゃないか。どちらが正しいかということは私の方ももちろん判断することはできませんが、ただ多分、きのう議論が終わった後外務省の方でも一生懸命本日説明するために努力されたのだろうと思いますが、本日その過程を聞くことができず残念だな、秋葉さんの方でその機会を与えてあげれば多分もっとおもしろかったのではないのかな、こういう個人的な感想を持ちます。 ただ、私がここで問題にしたいのは何かというと、ある意味で訳というのは一つは技術的な意味合いが非常に強いと思います。当然ある方が英語に関してプロフェッショナルである、外務省も当然プロフェッショナルである、そこでその訳出のイメージにおける差というのはともかくとして、きのう出した問題点に関しては意味、内容が変わってきてしまうわけですから、このものに対してそういう対立した場合、どこでどうなるのかな、これが極めて私にとっておもしろいな、また重要な問題だなというふうに思ったのです。そういうふうに明確に両者が異なった訳出をしている場合、それを決めかねているという状況、外務省は当然、外務省がいろいろな背景に基づいて訳出されて正しいというふうに言っているわけですが、これはまさに政務次官おっしゃるとおり、平行線をたどってしまうわけですね。まして二人だけの議論ではなくて、ここで私たちは昨日ずっと聞いていたわけですから、こういう問題に関してどういう決着をつけるのかな、この点について御答弁いただければなというふうに思います。
○小池政府委員 先生御指摘のとおり、条約の訳文というのは極めて重要なものでございます。その条約の訳文が正確に正文の意味を反映しているかどうか、それに基づいて審議をしていただきまして、この条約を締約することの是非について御承認いただくということになります。したがいまして、外務省は関係各省庁と何度も何度も審議をし、必要な場合にはもちろん審議の経過をもう一度何度も何度も読み直しますし、かつ、関係国に解釈について照会するということもしばしばございます。 それで、例えば先ほどの三十七条(c)について、秋葉先生から極めて鋭い御指摘がありましたので、我々としましては、昨夜、夜を徹して再度審議録その他をもう一度読み返したという経緯がございます。 いずれにいたしましても、我々としては、条約の訳文を、正文を正確に反映するものということで政府の責任において作成して提出しております。それで、幾つかの御疑問がございますれば、我々としては誠心誠意、なぜ我々がそういう解釈をしているのか根拠を示しつつ御説明したいというふうに考えております。
○東(祥)委員 きのうの議論から私はそういう印象を得たもので、また私自身が原文とちゃんと対照して判断している問題ではありませんので、個別の問題について今私は質問しているのではなくて、そういう対立があったときに最終的にどう決着されるのかなと。本委員会において一つのそういう例が出ましたから、ただうやむやにされることなく、また秋葉さんが立たれる機会があればいいと思うのですが、何らかの決着をつけていただきたいなというふうに思いますし、時間がない場合、そういう質問はみんな聞いているわけですから、これはどうなんでしょうか、委員長、最終的にどういうふうになったのかということを理事会なりでも議論して決着をつけるというわけにはいかないものなんでしょうか。
○柿澤政府委員 今、東先生が提起された問題は私どもがお答えすべき問題ではないかと思いますが、政府としては、外務省だけでなく内閣法制局等との相談の上、これが正しい訳と信じて提出しているわけでございますので、もしも国会においてそれに大きな異議があるということであれば国会の方で御判断をいただくことではないかと思いますけれども、ただ訳文が正しいか正しくないかということが全体の承認の案件に影響するかしないかというのもこれまた国会の御判断だと思っておりますので、その点翻訳について疑義があるから全体としてこれは否決する、否認する、承認しないというふうに御判断をいただくのはいかがかと思います。
○東(祥)委員 理事会で諮っていただけますか。
○伊藤委員長 一応承っておきます。
○東(祥)委員 では、昨日に続きまして、この児童の権利条約が多分野、多岐にわたる条約である、さらにまた関係省庁もいろいろなところにまたがっている。昨日の最後の段階で各省庁から、この条約の趣旨の内容について周知徹底を図っていく、こういう御決意がそれぞれありました。ただ、それに関連して、周知徹底を図っていくということはよくわかるわけですが、では、具体的にどのようにやっていったらいいのかなということで、にわかにわかりかねるわけでございます。周知徹底を図るための何らかの協議会なりそういうものが必要ではないのかというふうに思うのですけれども、この点について、いかがですか。
○小西説明員 ただいまの先生の御指摘の点は、非常に大切な点でございまして、私ども、この条約が国会で御承認を得て締結されました際には、この条約の実施のためのフォローアップのための関係省庁間の緊密な連絡会を催しまして、このフォローアップに誠実に努めていきたいというふうに考えております。 したがいまして、その一つのこの条約上で定めております児童の権利委員会という組織がございますが、そこに日本政府からこの条約の実施ぶりについて報告するという制度がとられておるわけでございまして、この報告を提出するに当たりまして私ども、当然のことながら関係省庁と御協議申し上げるわけでございますけれども、そういった過程を通じまして我が国の実施ぶりについて連絡協議を密に行っていきたいというふうに考えております。
○東(祥)委員 それでは、あえて連絡協議会という新たなものをつくる必要はない、既存の諸手続を経ていけば十分できるものである、こういうことですか。
○小西説明員 確かに先生おっしゃるとおり、名前は連絡協議会というようなことになるのかもしれませんが、関係省庁の連絡会を実際に外務省が主催して会合を開いていくということにしないと、これはとても実施ができないというふうに私どもは認識しておりますので、この点については関係省庁とお諮りして、ぜひとも積極的に取り組んでいきたいと思っております。
○東(祥)委員 人権問題、本当になかなか難しいのですね。先日も土井先生の方から、参考人に対しての質問ということで、人権、ヒューマンライツというものが国境を越える、そういう問題なのかどうなのかということについて極めて重要な御質問もありました。 にわかに、それに対しての明確なる定義あるいは概念、こういったものもなかなかよくわからない。しかし、時代が大きくこの人権問題に対しての関心が高くなってきて、どこもかしこも人権人権というふうに言っている。今回の児童の権利条約の批准に当たって、この人権問題というものがさらに注目されてくるのだろう。したがって、この批准と同時に、日本がこの人権問題に対してどのようにとらえ、また、その把握した前提のもとにどのように実践し動いていくのか、これがまた注目されてくることになるのだろう。憲法の前文を引きますまでもなく、国際社会における名誉ある地位を築きたいということを言っているわけですから、そういう意味におきましては、この人権問題に対して積極的に日本がかかわっていくということは極めて重要な柱になるのではないのか。 と同時に、児童の権利条約ですから、国民一人一人が人権というものは一体何なのかということを常日ごろ考えながら、また直面する諸問題に対して鋭い目を常に向けていくということが大事なことは言うまでもありませんが、では、子供に対して、この人権とは一体何なのか、人権教育というものが多分必要になってくるのだろうと思うのですが、子供と対話しているときでも、現実に子供を無視した、子供の人権を無視した大人の存在もありますし、大人の中においても人権を無視した大人たちがいる。こういう状況を踏まえますと、子供に対してどのように人権教育というものを流布していったらいいのか、普及していったらいいのか、こういう問題について、外務大臣、いかがお考えですか。
○柿澤政府委員 冷戦構造が崩壊した後、国際社会は、民主主義、基本的人権、市場経済といった普遍的な価値を共有して、その実現のために手をとり合っていくということが一般的な考え方になってきておりまして、その意味では人権が国境を越えた関心事になっているということは御指摘のとおりでございます。 しかしながら、人権という、憲法でも使われ、我々がふだん使う言葉の中身を子細に点検しますと、その定義が非常に難しいということを痛感いたします。 最近私が読みました論文の中では、「ボイス」という雑誌に長谷川三千子教授が「人権概念のあいまいさ」というような趣旨のことを書いておりまして、フランスの啓蒙主義者たちの人権というのは、やはり神に由来したものだということで、キリスト教の概念に基盤を持ったものである、それをキリスト教、それから神というものと分離した形で今基本的人権というものを使うようになっているけれども、それでは、個人、インディビジュアルというものもまた非常に定義の難しいものですが、個人と先ほど来話題になっている集団との間の関係はどうなのかという点で非常に難しい問題を惹起していると思います。 先般バンコクで開かれました国連の人権会議のアジア地区の委員会で、アジアの国々から、西欧的な人権感覚でない、アジア的なといいますか、地域の特性に根差した人権という考えが必要だという問題提起がありまして、日本は、むしろ普遍的な人権という感覚に立ってそうした議論に対しては我々の主張をしてきたわけでございます。しかし、アジア諸国の中の普遍的人権という考え方に対する疑念というもの、これも全く根拠のないものとも言えないという点で非常に難しい問題だなと私自身考えているところであります。できることなら、西欧的な人権感覚とアジア的な人権感覚といいますか、そういうものを何か包括、包摂した普遍的な、ユニバーサルな人権感覚というものを日本独自で定義していく必要があるのではないかとすら考えているところでございます。
○東(祥)委員 基本的におっしゃられていることに対して同感するのでございます。 最後に言われた、日本として独自の、普遍的な人権とは何なのか、こういうことをつくっていかなければならないのではないのか、ぜひやられればいいのだろうと思うのです。外務省として、近々そういうことをやられたらいいのじゃないのかと思うのですが、一つのたたき台として、この点についてはいかがですか。
○柿澤政府委員 事務局が答えるには答えにくいと思いますので、総合政策局でもできましたら取り上げてもらうように私もやってみます。
○東(祥)委員 大人自体も、また世界各国も、そういうユニバーサル、普遍的な人権とは何か、この辺についてまだ一つの答えというのが出ていない。まして子供に対して、子供たちが人権意識を持つということはなおさら難しいのではないのか、あるいはもっと大人よりも子供たちの方が人権とは何なのかという本質を把握できるのかもわかりませんけれども。こういうことを考えますと、子供に対して、また子供たちが人権問題に対しての理解を深めていく、そこには大人の影響が当然及ぼされてしまうと思うのですが、大人の世界が人権を無視する状況であれば、それも何らかの形で子供に強く影響されていってしまうだろう。 今日の日本の状況下において、こういうまさに児童の権利条約批准に際して、子供に対しての、子供たちが人権問題に対してさらに関心を持てるように、またその中身を理解していけるようにどうすればいいというふうに政府としてお考えになりますか。
○柿澤政府委員 東先生から次々と哲学的な提示をされますので大変お答えが難しいのですけれども、先ほど秋葉先生の御質問の中でお答えいたしましたように、子供たちの権利が妨げられ、虐げられているという国々がたくさんあり、また、我が国でももちろんそうした分野が全くないとは言えません。しかし、全体として見ると、我が国の場合には子供の権利、児童の権利が比較的守られている先進国ではないかと思っております。 その意味で、今回の児童の権利の関する条約の批准が一方で児童の権利をしっかりと確立していくと同時に、権利には義務が伴うという点についても子供たちにも認識をしてもらいたい。自由と規律、権利と義務が裏腹の関係にある。義務の承認なしに権利を主張することはできない、また規律なしに自由を享受することもできないということもあわせてぜひ理解していただきたいと思っております。
○東(祥)委員 非常に難しい問題であり、私たちもこういう問題に関して真剣に考えていかなければならないのだろうと思います。きのうの質問にも関連しますけれども、関係省庁の方々が児童の権利条約に関連する諸機関に当然その趣旨を周知徹底される、そういう御決意がありましたし、また連絡協議会を通じてそれを具体的に展開されていく、そういうお話もありました。そういう意味で、まだいろいろなツール、手段を生み出していかなければならないのだろうと思います。 また戻るかわかりませんが、ちょっと具体的な問題に入らせていただきたいと思います。 児童福祉政策に関連して質問させていただくわけですが、まず、厚生省は児童の権利条約の位置づけを我が国の児童福祉政策においてどのように位置づけていられるのか。そしてまた、児童福祉を所管されている厚生省でございますので、この児童の権利条約の締結に当たっての決意を改めて聞かせていただきたいのです。
○宮島説明員 最近におきますところの我が国の子供を取り巻く状況を見てみますと、御案内のように今出生率が非常に低下してきておりますし、核家族化やいわゆる都市化の進行、さらには女性の社会進出等によりまして、子供あるいはその生活の場であります家庭を取り巻く環境が非常に急速に変化してきております。こういった状況を見ますと、子供が健やかに生まれ育つ環境づくりを推進することが現在非常に重要なテーマになってきているのではないかと思っております。我が国の社会の将来を担う子供たちが健やかに生まれ育つための環境づくりを進めることは、二十一世紀を見通した場合、高齢者対策とともに車の両輪ともいうべき非常に重要な施策であるというふうに認識しております。 こうした観点から、政府におきましても、関係の十八の省庁から成る連絡会議を設置いたしまして、子供たちが健やかに生まれ育つための環境づくりに総合的に現在取り組んでおるところでございます。厚生省といたしましても、こうした問題についての国民的な認識を深めるためのいろいろな啓発活動の推進、さらには児童の健全育成事業の拡充、それから子育てに関するいろいろな相談・支援体制の強化なり各種の保育サービスの充実、こういった関連の施策の推進に努めているところでございます。 厚生省におきましても、この条約に規定されている福祉や保健の分野における児童の権利に関連する各種施策の推進にこれまでも努めてきたところでございますが、今後とも、条約の精神を踏まえまして児童の健全な育成のために必要な諸施策の充実強化に努めてまいりたいと考えております。
○東(祥)委員 特に障害を持っている子供たちについては、本条約においては「その尊厳を確保し、自立を促進し及び社会への積極的な参加を容易にする条件」が必要とされている。我が国の障害児教育の方策について、まず厚生省からお伺いしたいと思うのです。
○宮島説明員 障害児に対しましては、その乳幼児期において適切な教育、療育を行い、成長、発達を図ることが重要であるというふうに考えております。 障害児教育につきましては、御案内のように、昭和五十四年度から養護学校教育の義務制の実施あるいは幼稚部の拡充等その充実が図られてきておりますが、厚生省におきましても、障害児の早期からの療育に取り組んでおるところでございます。 具体的には、障害児のための児童福祉施設や、障害の早期発見、療育を総合的に行う心身障害児総合通園センターの整備充実を進めております。それから、心身障害児通園事業、それから短期入所事業、いわゆるショートステイ事業でございますが、こういった在宅福祉サービスもあわせて推進しているところであります。それから、児童相談所等におきましても、障害児を持つ保護者が早期指導を受けられるような体制整備を行っているところでございます。 この問題は、文部省と非常に関連する問題でございますので、これからもお互いに緊密な連携をとりながら障害児教育の充実に努めてまいりたいというふうに思っております。
○東(祥)委員 文部省、いかがですか。
○富岡説明員 心身障害児に対します教育につきましては、その障害の種類、程度に応じて適切な教育を行い、その能力を最大限に伸ばし、可能な限り積極的に社会に参加することができるようにするということが重要でございまして、先生御指摘のとおりでございます。 障害の程度が重い児童生徒につきましては、少人数の学級編制あるいは知識、経験を持った教職員の配置、障害の程度に応じた教育内容、方法とか、特別の施設設備等の配慮のもとにきめ細かい教育を行うことが必要であるという考えを持っておりまして、昭和五十四年度からの養護学校教育の義務制の実施以降、逐次改善充実を進めてまいりまして、今年度は、新たに小中学校の通常の学級に在籍している軽度の心身障害児などに対します通級指導の制度化等を逐次進めてまいっておるわけでございまして、今後とも権利条約の趣旨に即しまして前向きに努力してまいりたいと考えております。
○東(祥)委員 御記憶に新しいと思うのですが、平成三年に、筋ジストロフィー患者の少年が障害を持つことを理由に公立の普通高校を不合格とされたことについての訴訟がありました。極めて有能で、中学時代もトップクラスにいられた方が、筋ジストロフィー患者であるということで不合格になってしまった、そして、すぐ訴訟をして一年たって、昨年、障害だけを理由に不合格とするのは間違いであるという裁判所の判断が出た。そして、その判断というのは多くの国民の皆さんに常識的に受け入れられた。そして、玉置君という、皆さん御案内だと思うのですけれども、訴訟に勝利して感動的な言葉を吐かれた。「僕の一年は無駄ではなかった」「この判決を心の支えとして、自分なりにコツコツと夢の実現へがんばります。」こういうコメントをした。 問題は、文部省のお話ですと、今、昭和五十四年以降こつこつとやられているというふうに言っているわけですけれども、二年前に実際に、具体的に、筋ジストロフィーに冒されている少年が、極めて学力有能である、しかし、現実には落とされてしまった。まだまだこういうところがたくさんあるのではないのか、このように私は思わざるを得ません。教育現場が憲法でいうところの基本的人権や教育を受ける権利についての趣旨を理解しているのかどうか、疑問にならざるを得ないわけです。この条約でいうところの子供の教育の権利について、国内で実施していけるのかどうか、さらに種々の状況を把握しなければならない、このように私は思っております。 文部省のこれからの障害児教育に対する指針について、どのような検討を行っているのか、一昨年の体験を踏まえた上で、現在、一体どのようになっているのか。文部省の決意と、決意に基づく種々の施策がその後展開されているというふうに思うのですが、現状は一体どういうふうになっているのか、この点を踏まえた上で御答弁願いたいと思うのです。
○富岡説明員 先生の御指摘のようなケースにつきましては、私どもよく承知しておるわけでございまして、文部省としては、高等学校の入学者選抜というのは、生徒の学校での受け入れ態勢とか障害の程度、それから高校教育を履修できる学力等の観点から判断いたしまして決定いたすわけでございますが、文部省として従来から、単に障害を有することのみをもって受験の門戸を閉ざしたり、不合理な取り扱いがなされることのないよう指導してきておるところでございます。 多くの県でも、いろいろな形で選抜等についても配慮するようになされてきておるところでございますが、しかし、これは口で言っただけではあれでございますので、一層指導しなくちゃいけないということも私ども認識しておりまして、過日、ことしの二月二十二日に、高等学校の入学者選抜に関します総合的な通知を出させていただきましたけれども、その中でも「身体に障害のある生徒については、単に障害のあることのみをもって高等学校入学者選抜において不合理な取扱いがなされることがないよう、選抜方法上の工夫など適切な配慮を行うこと。」ということを特記して通知なんかを差し上げたところでございまして、この点についても一層配慮してまいりたいと思っております。 それから、御指摘の心身障害児教育の充実ということでございますが、先ほど申し上げましたようなことを逐年進めてまいったわけでございますけれども、障害の程度に応じましてきめ細かな指導、教育がなされるように、そして、心身障害児の教育を受ける権利が実質的に保障されていくという観点から推進していくことが必要だという認識を持っておりますので、一生懸命やってまいりたいと思っております。
○東(祥)委員 さらにお聞きしたいのですが、口だけで指導したとしても、それがそのとおりなかなか実践されていない面もある、こういう御指摘がまさに率直にあったわけですけれども、実際すべての人たちが、たとえ体に障害があったとしても、その学力がちゃんと満たされているならば当然入るべきだ、また、それに対して不合格という措置をすることに対してはやるせない思いをみんな感じる、しかし、実際の問題としてそういう問題が起きてしまう。その最大の理由は何だとお考えになりますか。
○富岡説明員 個々具体のケースについて全部十分に把握しているかどうかわかりませんけれども、仮に、例えば安易な考え方で、障害があるからということで入学を許可しないというようなことは、そういう理解についてはなかなか少なくなってきたという認識を持っておりますが、そういうことがないように機会あるごとに指導してまいりたいと思っております。
○東(祥)委員 揚げ足を取るわけではありませんが、個々のケースに対しては把握されていない。前もってこの議論の展開の中で御質問させていただいておりますので、もちろん文部省の方では、過去にどういう例があったのかというちゃんとしたデータがあるのだろうと私は推察いたしますけれども、まして児童権利条約批准に際して改めてこういった問題に対しての関心が高まり、また、日本としてもこの問題に対して積極的にかかわっていこうとしているわけですから、まず、そういう問題に対しての実態が把握されているのか、さらに、把握されていないとするならば、そういう問題の問題の所在を明確にしない限り、対策をとろうにもとれるはずがないわけですから、その点についてはいかがですか。
○富岡説明員 高校入学者選抜は各県で行われているものでございますので、個々具体のケースを私どもが全部把握しているというわけにはまいりませんが、しかし、その基本的な趣旨につきましては、私ども、いろいろな指導する機会がございますので、各種の会議等でも指導、趣旨徹底を図ってまいりたいというふうに思っております。
○東(祥)委員 今後はそういう実態について把握されていこうとされますか、どうですか。
○富岡説明員 入学者選抜の情報のいろいろな収集等につきましては、基本的な制度というようなことについては私ども情報を持っておりますけれども、各高校の個別の合否とかそういう実態についてはなかなか把握するというシステムになっておりませんので、御趣旨は承らせていただきますけれども、現在のところは考えておりません。
○東(祥)委員 児童の虐待について質問させていただきます。 この条約では、児童の虐待あるいは性的虐待という大変ショッキングな言葉が出てまいります。我が国においても、一九八九年の新聞報道でございますけれども、わかるだけの情報で年間二千件ぐらい児童虐待の例が出てきている。問題は、虐待される子供からの問い合わせのみならず、虐待する側からの訴えもかなり出てきている、このように理解しております。このような子供への虐待及び性的な虐待が社会問題として浮上するようになった背景について、まず政府はどのように認識しているのか、そしてまた、厚生省はこの件に関してどのような実態把握をされておられるのか、御説明願いたいと思います。
○宮島説明員 我が国におきますところの児童の虐待等が社会問題化してきた背景につきましては、非常に複雑な要因が絡み合っておるということで必ずしも明らかではございませんけれども、最近の傾向として一つ考えられますことは、やはり子供あるいは子育てを行っております家庭等を見ますと、いわゆる核家族化あるいは都市化等の進行によりまして家庭における子育てがお母さんと子供との一対一といいますか、そういう非常に孤立化している状況が一つあって、そうした中で、かつてであれば家庭の中でおばあさんなりがいろいろな育児のやり方等を指導したり、あるいは隣近所の方々がそういうものを手伝っていくという地域社会との交流もあったわけですけれども、そういう家庭の中でお母さんの子育てをサポートするなり、あるいは地域社会でそれをサポートしていくという形のものがだんだん難しくなってきている状況が背景にあろうかと思います。そうした中で、母親が子育てをする際に非常に不安が増長し、いろいろなストレスを持つ親が増加してきて、その結果として子供に暴力的な行為に及んでしまうということも一因として考えられるのではないかというふうに思っております心 我が国におきます児童虐待の状況でございますが、児童相談所において扱った件数について見ますと、平成三年度で約一千二百件ほどになっております。欧米諸国の統計は、私どもで調べた範囲では、アメリカにおきましては年間約二百五十万件、イギリスでは年間三万件というふうに推計されております。ただし、統計のとり方なりベースあるいはお互いの虐待に対するシステムが違いますので、一概にこれを直接比較することは難しいかと思いますが、総体的には我が国における虐待は、欧米に比べますとそこまで極めて深刻な状況にはまだ至っていないのではないかというふうに考えております。 なお、過去との比較でございますけれども、児童相談所におきます虐待についての統計を開始しましたのは平成二年度からでございます。平成二年度のデータは一千百一件でございました。平成三年度が一千百七十一件でございますので七十件ほどふえております。若干、微増したという傾向にあるかというふうに思います。
○東(祥)委員 欧米に比較するとまださほど深刻な状況には達していない、こういうお話があったのですけれども、それは、ある方々は、日本だとそういう実態があったとしても顕在化するのを把握するのが非常に難しい、現実に子どもの虐待防止センターの電話相談室を開かれている人々、この方々が把握されている児童虐待の件数というのは、自分たちが聞く限りではこれくらいだけれども、まさにこれは氷山の一角ではないのか、日本それ自体の社会構造、先ほどシステムというふうにおっしゃいましたけれども、こういう虐待があったとしてもそれが顕在化するのが非常に難しくなってきてしまっているのではないか、また顕在化したときにはもうどうしようもない、手のつけようがないほど悪化しているという状況が散見されるのじゃないか、このように推察するわけですけれども、この点についてはいかがですか。
○宮島説明員 我が国におきます児童虐待への対応の方向でございますけれども、まずそういうケースが発生いたしますと、二つの形で児童相談所にそういうケースが持ち込まれます。一つは、保護者などからの相談という形でございます。それからもう一つは、そういうケースを発見した者は通告しなければいけないということで、これは法律上全国民の義務になっておるところでございます。 そういう形で児童相談所にそういうケースが持ち込まれますと、相談所におきまして調査あるいは専門家によりますところの判定等を行いまして、緊急を要する場合は一時保護という形もとります。その結果、次の四つの措置をとっておるところでございます。 一つは、訓戒、誓約という形での指導を行うものです。それから二番目は、児童福祉司、児童委員、社会福祉主事等による指導助言という形です。それから三番目は、養護施設等児童福祉施設へ入所という形、あるいは里親、保護受託者に委託するという形をとるものでございます。それから四番目には、家庭裁判所で扱うことが適当なものについては家庭裁判所へ送致するという四つの措置をとっております。なお、こういった措置をとることにつきまして、親権者あるいは後見人の意に反する形でどうしても児童の最善の利益のためにはやらなければいけないという場合には、家庭裁判所の承認を得てそういった強制的な措置もとるという仕組みも持っておるところでございます。 こういう形で我が国におきましても、児童虐待に対します対応の措置なり制度的な仕組みは一応整っているというふうに承知しております。しかし、この運用に当たってはより徹底を図っていくということで、一九九〇年にそれまでの児童相談所執務提要を全面的に見直しまして児童相談所運営指針という形で、本条約で要請されているような趣旨も盛り込みました新しい実務運用のガイドラインを設けまして、その趣旨の徹底を図っておるというところでございます。
○東(祥)委員 この実態把握、この児童虐待のケースが発生する、その後のことはわかるわけですけれども、このケースが発生するときどこでキャッチするのですか、児童相談室ですか。
○宮島説明員 先ほども申しましたように、大きくは二つの形でそのあたりがキャッチされるわけですが、一つは、これは児童福祉法の二十五条にも規定されておりますけれども、そういったケースを発見した者は何人もそれを児童相談所に通告しなければいけないという義務が一般国民全部にかかっております。それから保護者自身からの相談という形もありますし、それから福祉事務所あるいは警察等関係機関からの通報という形で持ち込まれるわけでございます。
○東(祥)委員 児童相談所というのは全国に幾つあるのですか。
○宮島説明員 全国で百七十四ございます。
○東(祥)委員 そこで基本的には電話がかかってくるのを待っているのですか。
○宮島説明員 現在、この児童相談所の中の各県に一カ所ずつあります中央児童相談所、ここには子供と家庭一一〇番という電話相談システムを今整備しておるところでありまして、電話相談という形でここに持ち込まれるものが一つございます。それから福祉事務所の経由で、福祉事務所の中には家庭児童相談室という形で相談員がおります。そういう形で入ってくるケース。それから地域の第一線には児童委員という方々が全国で十九万人おりますが、そういう方々の関連で入ってくるケース、いろいろなルートで入ってくるかと思います。
○東(祥)委員 現在、児童虐待については、刑法においてはどのような取り扱いを受けるのでしょうか。
○倉田説明員 お答え申し上げます。 刑法で考え得る条文、極めて多数ございます。これはケース・バイ・ケース、その事実関係を確定しないことには最終的な判断はいたしかねますが、一般論として申し上げますと、虐待する意思で乱暴すれば当然暴行罪が成立しますし、けがをさせれば傷害罪、死なせれば傷害致死罪というのが成立する場合がございます。また、不法に逮捕、監禁すれば逮捕監禁罪が成立することが考えられます。また、直接身体に暴行を加えなくても、言葉または態度でもって精神的におどかすということをすれば脅迫罪の成立が考え得るわけでございます。また、性的な面から申しますと、強制わいせつ罪、強姦罪等が考えられますし、また虐待といいましても、不作為の虐待と申しましょうか、保護責任者が遺棄してしまうという場合には保護責任者遺棄罪というのがございますし、それで死なせれば保護責任者遺棄致死罪というのが考えられるところでございます。 主なものだけでもこれぐらいございます。
○東(祥)委員 実際、我が国の警察は民事不介入でありますから、証拠もないということではなかなか介入することができないのだろうと理解いたしていますし、結果として、その発見される状況というのは、児童が傷だらけになってしまって病院へ運ばれて、不審に思った医師が警察に通報して初めて発見する、こういう例がかなりあると理解しておりますが、この状況認識は正しいですか、いかがですか。
○宮島説明員 先ほどは児童相談所を中心に申し上げましたけれども、いわゆる司法、警察のルートでそういう児童虐待が持ち込まれるケースがもちろんあるわけでございます。あるいは人権問題という形で持ち込まれるケースもございます。そういう形で、厚生省に限らず関係機関がいろいろな形でこれに対応していくということです。 それから、虐待という形になりますと当然子供に障害が起きますので、病院等の医療機関においてそういうケースを発見といいますか、対応していくという形もございます。
○東(祥)委員 諸外国における児童虐待の予防と救済例、そういうことについて研究されているところはありますか。また、我が国においても児童虐待の対策についての研究が行われていますか。この点についてお答えください。
○宮島説明員 当方で調べました限りで申し上げますと、まずアメリカにおきましては虐待件数が二百五十万ぐらい、非常に多いわけでありますけれども、これはシステムといたしまして、一つは一九七四年に児童虐待予防措置法という形で児童虐待に対する独立の法律を一つ持っております。それに基づきまして、各州におきまして通告義務法という形で、福祉、教育、医療等の職種におきます専門家につきましては、そういったケースを発見した場合は通告義務が課せられております。かつ、これは罰則がついております。そういう意味で、そういう専門家からの通告が、いわゆる疑わしい場合はすべて通告するという形でかなり幅広に通告されるために、件数的にかなり大きな件数になっているのではないかと思います。ただ、そのうち実際に虐待事件という形で認定されるのは三分の一程度と聞いておるところでございます。アメリカの場合はそういう形で、通告システムの罰則つきの義務化がされているという点が一つ特徴であります。 それから二つ目には、そういう通告を受けた場合に、市なり郡等にございます社会福祉局の中で、福祉なり教育なり医療の関係者のチームによります治療プログラムを設定しまして、それに対する対応を図っているという形をとっております。 イギリスの場合は、通告の関係につきましては法律上の規制も特段ございませんし、全く任意の状態になっております。ただし、イギリスは御承知のように、全国児童虐待防止協会という民間団体がかなり古い歴史を持って地域に根差して活動しておりますので、実際はそういう協会を通じてこういったいろいろなケースの発見がされるのではないかと思います。 それに対する対応といたしましては、一つは地域監視委員会という形で、やはりここでもいわゆる保健福祉関係職員によります対応策の決定が行われます。個別ケースにつきましては、事例会議という形で各関係機関の実務家で構成しますチームを組みまして、方針を決定していきます。 それからイギリス独特の特徴は、児童虐待登録制という形で、虐待の危険のある児童の名前を登録しまして必要な予防なりフォローアップを行うという点が一つの特徴ではないかというふうに思っております。 ちなみに日本の場合は、通告としましては先ほど言いましたように、一般国民全体につきまして通告義務が法律の二十五条で課せられておりますが、ただし、これは罰則規定はついておりません。そういう点がアメリカと少し違う点でございます。ただ、仕組みとしましては先ほど申しましたような仕組みをとっておりまして、対応のシステムなり制度的には我が国においても一応の整備がされておるかと思いますが、それの実際の運用がきちんと徹底されているかという点につきましては、先ほど言いましたように、九〇年に児童相談所の運営指針を見直すなどして、よりシステムを、特に保健、福祉、教育等関係機関のネットワークづくりが実際の運用を図る際非常に重要でありますので、そういったネットワークをつくってこういった児童虐待に対する対策がスムーズにかつ十分に運営できるような方策を進めてまいりたいと思っているところでございます。
○東(祥)委員 システムとしては日本でもできているというふうに言っているのですが、では、児童が虐待された、あるいは虐待者、被虐待者が発覚した後どのようにしたらいいのか、これは確かに、聞いているところによれば、あるような気がいたします。しかし十分なのか不十分なのか、これはまだ検討していかなければならない。 しかし問題は、そういう虐待を起こしてはならないわけです。それが予防という側面なんだろうと思うのですが、この予防対策に関してはどうですか。
○宮島説明員 予防対策ということでございますが、先ほども申し上げましたように、最近におきます虐待の発生の一因として、核家族化なり都市化によって家庭における子育てが孤立化して、子育てに当たるお母さん方が非常に不安感なりストレスを持つという形が一つの要因として働いているごとが考えられるわけであります。そういうことを踏まえまして、そういう虐待ケースに至る前に育児に関する悩みなり不安といったものを解消するための施策として、いろいろな相談なり支援体制を整備していく必要があろうかというふうに思います。 現在、厚生省におきましては、一つは、先ほど申しましたように子どもと家庭一一〇番という形で、電話によって気軽にいろいろな相談をしていただくシステムを一応平成元年より整備しておるところでございます。 それから二つ目には、これは平成五年度、今年度から始めた事業でありますけれども、保育所というものがございますが、これが全国に二万三千ございます。児童福祉施設の中でも要は最も身近にある児童福祉施設でありますけれども、従来、保育所というのはそこに入ってくる子供たちだけを対象にいろいろな保育サービスをやっておりましたが、せっかくそういう地域にある貴重な社会資源でもありますし、保育所の中には保母さんという子育てのプロ集団がおりますので、そういう機能を大いに地域社会にも活用していこうということで、保育所子育てモデル事業というものを今年度創設しまして、いわゆる家庭で子育てをやっているお母さん方にもいろいろな相談なり支援活動を展開していこうという事業をスタートさせたところであります。 それから、先ほど児童委員のお話も触れましたけれども、児童委員は、民生委員と兼務して現在十九万人ほど全国におるわけでありますけれども、残念ながら、どちらかといいますと民生委員としての活動がやや優先しておりまして、生活保護なり老人福祉関係の比重がちょっと高いわけであります。そういうことを踏まえまして、平成五年度から、新たに主任児童委員という形で、専ら児童問題を専門的に取り扱う児童委員を新しく置くという制度をスタートさせました。全国で約一万四千人ほどふやす予定にしておりますが、そういう形で、専ら児童を専門に扱う児童委員を地域社会の第一線に配置してそういった問題に対応するという体制も考えておるところでございます。
○東(祥)委員 いずれにしても、これまで水面下にあったこういう児童虐待、こういう問題というのは、社会がある意味で変化していく、また物質的にも成熟してくると、多分ふえてくるのだろう、こういう理解をしております。そしてまた、その問題もさらに深刻化してくるのだろう。この認識に関しては、いかがお考えですか。
○宮島説明員 先生の御指摘と全く同感でございまして、子供あるいは家庭での子育ての問題につきましては、従来、どちらかといいますと個人的な問題といいますか、あるいは家庭の私的な領域の問題という形でとらえられることが多かったわけでありますけれども、しかし現実には、そういう家庭なり地域社会の子育てについては、ごく普通の一般家庭でもいろいろな問題を抱えるようになってきておるということであります。そういう意味では、そういう子供なり子育てというものにつきましては、もっと社会的な支援なりサポートをこれから強めていく必要があろうかというふうに思っておるところでございます。 そういう意味では、先ほど言ったいろいろな施策をこれから拡充しながら、いわゆる子供というのは、もちろん個人なり親が第一義的に対応していくわけでありますけれども、社会的にもそういうものをサポートし、一緒に子供を健全に育てていくという体制づくりが重要かというふうに思います。
○東(祥)委員 もう二分しかありませんので、政務次官、お願いします。 一番初めに話をしたことと関連するのですけれども、この子どもの権利条約、児童の権利条約が批准されるということは、他の国々の子供たちの人権侵害についても、評価をするあるいはまた苦言を呈していかなければならない、あるいはそのような状況が見られたらチェックしていかなければならない、こういう時代に入ってきたのだろう、このように思うわけですが、ただ、実際のところ、なかなか難しい問題がある。 一つは、外交という問題があります。ある人は、外交の問題と人権問題というのは切り離したらどうなのか。これは理想としてはよくわかるのですが、現実に一つの外交を推進していく場合、当然国の利益というものを考えなければならない。しかし、他方においては、一人の生命にかかわる人権の問題が登場してくる。このときに、いつも外交と人権問題のはざまで葛藤せざるを得ないという現実の問題があるわけですね。 そういう意味では、別の国々と日本を比べた場合、ある意味で西欧、欧米の国々というのは、この人権問題に関しては日本よりも明示的、明快なのではないのか。日本の場合は、どうもその辺が非常に不明確で、人権についてどのようにとらえているのか非常に不確定である、こういうこともよく聞かれる議論でございますが、外務政務次官として、この問題に関して、つまり人権問題に関して、今までは内政不干渉、この一環の中に入っていたわけですけれども、この人権問題は外交問題と切り離して考えていけるものまで高めていかなければならないというふうに思われるのか。また、もし思われるとするならば、どのようにしてそちらの方向に高めていくことができるというふうにお考えなのか。この点に関して、ぜひ見解を承っておきたいと思うのです。将来、外務大臣になられるかわかりませんので、よろしく。(発言する者あり)
○柿澤政府委員 上げたりおろしたりでございますが、今、東先生が御指摘になった視点は、これからの日本の外交を進めていく上で大変大事なポイントだと思います。 御承知のとおり、ODA憲章の中には、人権も含めてその国の政治状況に注意しつつ経済援助をするということを明記しておりますが、具体的な適用ということになりますと、それぞれの国によっていろいろな個別の事情がありますし、また、先生がおっしゃったように、特に我々の援助の中心になっておるアジアの諸国では内政不干渉というような姿勢が強いところが多いものですから、できるだけ人権について配慮をしてほしいということを友人としてアドバイスする、その中で実施状況を留意しつつ経済援助の実施等を判断していくということで進めているところでございます。 インドネシアにつきましても、ミャンマーにつきましても、そうした意味では人権に配慮していろいろと努力しておりますが、ただ、アプローチの仕方が西欧諸国ほど表から非難をするということではなくて、むしろ友人としてアドバイスをしていくという立場をとっておりますので、わかりにくい点はあるかもしれませんが、逆にそれだけにアジアの国で効果を発揮している部分もあるわけでございますので、その点は今後ともそうした形で努力をしていきたいと思っております。
○東(祥)委員 答弁の中にもありましたが、前の答弁ですけれども、日本政府として考える人権概念といいますか、こういうものをできるだけ早急につくっていただくことを期待して、質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○伊藤委員長 山原健二郎君。
○山原委員 子どもの権利条約につきまして質問いたします。 昨日、本委員会におきまして、日の丸・君が代の学校教育での取り扱い、とりわけ子供たちへのこれらの押しつけに対しまして子供に拒否権があるかどうかの議論をお聞きしたわけですが、これまでの政府自身の見解からも逸脱する答弁がなされたように思います。 そこで、この問題について聞きたいわけですが、アメリカで国旗への敬礼を強制できるかどうかが争われた有名な裁判があることは御承知と思います。いわゆるバーネット裁判です。一九四三年のことですから、ちょうど第二次大戦の真っ最中で、アメリカでも非常に国家主義的な雰囲気の高まった時期の裁判でございました。ある生徒が国旗に対して敬意を表明しなかったことで退学になり、お父さんは罰金に処せられた事件でございます。州の法律によってアメリカの国旗、星条旗に敬礼を強制することに対して、それに従わないことは個人の思想、良心の自由に照らして違憲か合憲かが争われたわけであります。 連邦最高裁は、個人の自由、広くは表現の自由を侵すものとして厳しく州政府を断罪いたしました。これはウエストバージニア州でありますけれども、州法の根拠よりも個人の自由の方が優先するということを裁判の結果は示しまして、思想、信条、良心、表現の自由というのはそれほどとうといものだということを示したわけでございます。 私は三年半前に、これは平成元年、一九八九年ですが、文教委員会におきましてこのパーネット判決を引いて、日の丸・君が代についての強制はできないとただしたのに対しまして、文部省はこういう答弁をいたしました。「今回の学習指導要領は、子供にそういうことを、子供にまず適用のあるものではございません。学習指導要領というのは教師に対する基準でございますから、教師がそれに従って指導をするということでございます。したがいまして、バーネット判決に示されましたその内容とは次元を異にしております。」一九八九年十二月六日の衆議院文教委員会の議事録でございますが、これは当時、要約をしますと、当時の菱村初等中等教育局長が答弁したものです、学習指導要領における、指導するものとするという規定は、教師に対するものであって子供に適用されるものではない、子供を拘束するものではない、こういう答弁であったと思いますが、この点、最初に文部省の方に確認をしたいのですが、いかがですか。
○富岡説明員 先生御指摘の平成元年の十二月六日の質疑だろうと思います。 当時、菱村政府委員から「学習指導要領というのは教師に対する基準でございますから、教師がそれに従って指導をするということでございます。」そういう答弁は差し上げております。
○山原委員 私は、学習指導要領には拘束性もありませんし、教師も、憲法に定められている思想、信条の自由によってこうした一方的押しつけを拒否することができると思っています。しかし仮に、政府のこれまでの答弁の立場に立ったとしましても、学習指導要領の日の丸・君が代指導の規定は子供に適用されるものではないとしている以上、この条約で明確にうたわれている、第十四条でございますが、思想、良心それから宗教の自由を押しのけてまで子供を拘束することはできない、これは明確だと思っているのですが、ましてや従わないからといって昨日の外務大臣の答弁のようにペナルティーを科するということは、これまでの答弁を逸脱するものであると思います。 この点については撤回すべきであるというふうに考えるわけですが、これについてお答えをいただきたいのです。
○富岡説明員 学習指導要領は、国の教育過程の基準といたしまして、児童生徒が国旗・国歌の意義を理解し、それを尊重する心情、態度をしっかり育てるために入学式や卒業式などにおいて国旗掲揚、国歌斉唱の指導を行うこととしているということでございますから、各学校は、その教育目的の達成のためにそれを児童生徒に対して指導するわけでございます。児童生徒はそのような学校の指導を受ける必要があるということになっておりますので、撤回する必要はないと考えております。
○山原委員 この点は条約の第十四条に抵触するんじゃありませんか。いかがですか。
○富岡説明員 条約第十四条の思想、良心の自由は、既に憲法や国際人権規約に規定されているところでありますが、これは一般に内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味と解されておるわけでございます。 我が国におきましては、長年の慣行によりまして、日の丸が国旗、君が代が国歌であるという認識が広く国民の間に定着しているものでございまして、学校教育におきまして児童生徒が国旗・国歌の意義を理解してそれを尊重する心情と態度をしっかり育てるということが大事でございまして、この学習指導要領に基づきます指導は、児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけるために行われるものでございますので、児童生徒の思想、信条を制約しようというものではなく、本条約十四条に反するものではないと考えておるところでございます。
○山原委員 重ねてお尋ねしますが、柿澤次官にも、大臣の答弁ですから、ちょっと大事なもので伺いたいのですが、重ねて申し上げますと、学習指導要領の性格からいって、それは教師を対象とした基準であって子供たちに適用されるものではない、このことは文部省のこれまでの国会答弁でも明確になっておるわけでございます。だから、学習指導要領に基づく指導を根拠に、子供たちが自分の信条に基づいて起立しないとかあるいは歌わないとかいう自由まで拘束することはできない。アメリカでは州法があっても違憲だと判決をされました。その思想、信条、表現の自由を崇高なものとして子供たちにも認めたバーネット判決は、児童の思想、良心及び宗教の自由の権利を尊重するとした今回の子どもの権利条約の精神に合致する先駆的なものだ、こういうふうに思うのですが、この五十年前にアメリカで到達した見地に日本政府は立たないのかという点です。 その意味では、まさに歴史を逆行さすような答弁であったと思いますが、この点について、大臣の答弁ではありますけれども、外務省としてお答えできれば明確にしていただきたいのです。
○富岡説明員 先生、学校教育の所掌は文部省でございますので、私の方からお答えをさせていただきたいと思います。 先ほどの繰り返しになりますけれども、国の教育課程の基準で学校が指導するものとするという基準を定めておるわけでございますので、学校はその指導に沿って学校教育活動として行っていかなければならないわけでございまして、それに対して児童生徒はその指導に服さなければならないということになっておるわけでございます。
○山原委員 文部省は、このペナルティーをかけるということに対しても容認されるお考えですか、伺っておきます。 〔委員長退席、狩野委員長代理着席〕
○富岡説明員 昨日の御質問では、思想上の理由から例えば国歌を斉唱しない児童生徒がいる場合どうなのか、こういう御質問でございました。 私どもは、そういう児童生徒がいる場合には、教育上の課題ということで受けとめまして、一層指導を続けていくということが重要でございます。 懲戒を加えるかどうかということにつきましては、昨日も申し上げましたが、具体的事案に応じまして、その児童生徒の行為の内容とか動機とか態様、学校秩序へ与える影響等諸般の事情を総合的に考慮して判断すべきものだというふうに私もお答えいたしたわけでございます。外務大臣からも、外務大臣の御意見でございますけれども、そのような趣旨というふうに私どもは考えておるわけでございます。
○山原委員 バーネット裁判の、これは五十年前ですけれども、この判決は非常に有名な判決で、今なおアメリカの教育界では適用されている名判決と言われるものなんでございますが、それは御承知のとおりです。私はあのときにも指摘しましたけれども、このジャクソン判事の最後の言葉がこういうふうに出ているんですよ。「強制的に反対を除去し始める人々は、やがて反対者を絶滅させようとしていることに気づく。意見の強制的な統一は墓場への統一をもたらすにすぎない」、これはジャクソン判事の判決に当たっての最終の言葉ですけれども、それだけ厳しく表現、思想の自由というものを示しておるわけですね。 その点から考えまして、児童生徒に対して、国旗に対して尊敬、あるいは立たなかったとか歌わなかったとかいうことで罰則をかけるなどということは、私もずっと長く文教委員会におりますけれども、教育界ではあってはならぬことですよ。これはまさに子どもの権利条約の精神を逸脱するのも甚だしいものだと思うのですが、この点について柿澤次官の見解を伺っておきたいのです。そのことだけでいいですから。
○柿澤政府委員 国旗・国歌につきましては、今文部省の政府委員から答弁いたしましたように、学習指導要領に基づいて現場において実施されているわけでございます。そういう意味では、その実施が円滑であることを我々としても期待をいたしておりますし、外務大臣の昨日の答弁もそうした趣旨に基づいて出たものと考えております。 また、アメリカの裁判の結果について何度も御言及されておられますが、それが国旗・国歌の掲揚等を否定するものであるのかどうか、またそれに対する敬意を否定するものであるのかどうか、私も正確に内容を承知いたしませんが、そこまで否定するものではないと聞いております。
○富岡説明員 私どもといたしましては、学校におきます教育のあり方としまして、児童生徒に自分の国の国旗・国歌を大事にし、他国の国旗・国歌を大事にするということは国民の基本的な学ばなければならない点だと思いますので、その点につきましての指導を一層充実を図ってまいりたいというふうに考えておるわけでございます。 具体的にペナルティーを加えるか、懲戒を加えるかどうかということにつきましては、先ほど申しましたように、具体的事案に即して、先生よく御案内のことでございますけれども、いろいろな経緯とか対応等を考えるものでございます。一概にどうこうということを、私ども昨日の答弁でもいろいろ総合的に判断するものだというふうに答えさせていただいております。
○山原委員 二十九条の、文化的アイデンティティーとか国民的価値に対する尊敬の念を育成することが必要だというようなことを根拠にして、日の丸・君が代が国民的アイデンティティー、国民的価値だというふうにおっしゃる面もあります。しかし、そういう根拠がありませんし、国民的価値判断の分かれている問題でありますし、しかも、それを学校教育で押しつけることが問題だと私は言っているわけですが、国や公的権力が子供の胸の内、内心にまで踏み込んで、有無を言わせずに強制する権利はないと思っているのです。素直に子供たちの思想、信条、宗教の自由を尊重する立場をとるべきだと思うのですが、この点、もう一回伺っておきます。
○富岡説明員 再度の答弁でございますけれども、学校教育におきまして、児童生徒が国旗・国歌の意義を理解し、それを尊重する心情と態度をしっかり育てること、そのために入学式や卒業式などにおいて国旗を掲揚し、国歌斉唱指導を行うこととしているわけでございまして、この指導は、児童生徒が国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけるために行われるものでございますので、本条約の十四条に反するものではないと考えておりまして、今後ともその指導の充実に努めてまいりたいと考えております。
○山原委員 ちょっと校則の問題について触れてみたいと思います。 条約十二条は「自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。」とうたっております。第二項では「自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、」聴聞の機会が保障されるべきことを規定しております。「その児童に影響を及ぼすすべての事項」とあるように、限定的な規定ではなくて、進学や就職あるいは結婚などという事柄にとどまらず、この意見表明権は広く及ぶととるのが条約の素直な読み方であると思いますが、これはお認めになっていますからお聞きしませんが、私は確認する意味で議事録にとどめておきたいと思います。 例えば、学校の校則について子供たちが自分たちの意見を表明する場が保障されることが必要でございます。校則問題で文部省は一昨年四月に通知を出しました。そこに添付された「日常の生活指導のあり方に関する調査研究報告」はこう指摘しています。「「生徒会等の場」を通じ「生徒に主体的に考えさせた場合」には、「生徒が自主的に校則を守るようになった」とする割合が高く表れていることは注目してよい」と述べておりまして、生徒が主体的に決まりを考えていく過程が大事であることを強調しています。 先日私どもは子供の権利条約の問題について高校生と懇談会を持ったのですが、そこでも、自分たちが意見を述べる機会もなく事が決められることに対する不満が非常に多く出ました。やはり一個の人格を持った人間として子供たちの意見に耳を傾けることはこういう現実を踏まえても大事なことではないかと思いますが、この点について文部省の見解を伺います。
○富岡説明員 校則につきまして、十二条の一項でございますが、これは自己の表明する権利を規定するものでございますが、同条は、児童の意見を年齢等に応じ相応に考慮することを求めるものでございまして、また児童の意見を無制限に認めるものではない、こう言っているわけでございますし、また校則を定めることについては学校の判断と責任で行うことだということにつきましては先生も御案内かと思うわけでございます。 また、この規定ではその児童個人に関する事項ということでございますが、校則の制定というようなものは同条でいう対象というふうには考えていないわけでございます。それから、同条二項におきます個々の児童に対します直接影響を及ぼすような行政上の手続ということではないと考えておりますので、校則の決定等につきましては、条約上の義務ということで児童の意見を聞く機会を設けなければならないというわけではないと考えておるわけでございます。 ただ、先生御指摘のように、校則につきましては、各児童生徒がその校則をよく自主的に判断して行動して、積極的に自己を生かしていくことができるように指導していくということが大切でございますので、今先生御指摘になりましたように、例えばいろいろな形で、学級会とか生徒会等で校則の見直し等について生徒がみずからの課題として討議する場を設けるというような指導上の工夫はいろいろ進めていただく必要があるというふうに考えておるところでございます。
○山原委員 もう一つ、学校における懲罰措置についてでありますけれども、これも子供たちの意見、言い分をよく聞きまして、教育的態度で対応することが大事だということは申し上げる必要もないと思います。 一つの例ですけれども、去る四月の中旬に、京都の国立舞鶴工業高等専門学校で新入生が二年生に集団暴行を受ける事件が発生しました。ここは一年生、二年生が原則として全寮制となっていますが、その寮において起きた事件です。この全寮制などの学校では上級生による暴行事件などが生じやすい問題もあり、これをなくするための特別の努力が求められています。やはり教職員と生徒が納得ずくで合意をつくっていくことが大切だと思います。一致協力して事に当たるということが大事だろうと思います。 ところが、この事件にかかわった生徒の処分をめぐりまして、生徒会からも教職員の間からも、校長などによる非常に独断的な措置だとして抗議や処分見直しの声が上がっています。現場に居合わせただけで無期停学とか退寮という大変に重い処分が科せられた学生もいるとか、懲戒措置を決めるに当たっての正規の検討手続も不備であったというような指摘がなされております。厳罰によって抑え込めばよいという事柄ではないわけで、子供たちの言い分にも耳を傾け、教職員の間の合意確立に立って対応することが求められていると思いますが、文部省として、この件についての調査を行い、この条約の精神や教育的立場に基づいた適切な指導をすべきだと思いますが、この点について見解を伺います。
○富岡説明員 退学とかいろいろな懲戒、大きな懲戒処分をいたす場合には、学校として総合的に考え、また慎重に子供のことを考えながらやる必要があるわけでございまして、学校教育法施行規則におきましても、懲戒処分を行うに際しては、教育上必要な配慮をしなければならないということが書いてあるわけでございまして、それに沿ってやっていただかなければいけないというふうに考えておるわけでございます。いろいろな機会にそういう点を繰り返し繰り返し私どもの方も指導助言してきてまいっておりますけれども、これはさらに今後とも一層進めていかなければいけない、こういう認識を持っておるわけでございます。 ただ、個別の案件につきましては、私どもとして逐一調査ということにつきましてはお許しいただきたいと考えております。
○山原委員 もう一つ、この条約の周知の問題でありますけれども、これを周知を図る措置について積極的に取り組んでもらいたいということです。特に、子供たちに受け入れられやすい方法の検討、例えば、イラストや漫画を活用するなど、子供たちの目線に合ったといいますか、そういう広報措置が必要ではないかという声がそれぞれの団体から非常に要請をされているわけでございますが、この方法について見解を伺いたいのです。 私どもの聞きましたところでは、ほとんどまだこの子どもの権利条約自体、あるという、名前も知らないという状態におかれているのが今の日本の実態ではなかろうかと思いますが、どういう方法をおとりになろうとしているか、伺っておきたいのです。
○小西説明員 お答えいたします。 先生御指摘の広報の問題は、私どもも非常に重視いたしております。この条約自体に広報の義務も規定されておるところでございます。特に、この児童の権利に関する条約が児童、子供を対象とするものでございますので、子供にもわかりやすい、そういう意味での広報が求められているというふうに我々も認識しております。 外務省といたしましては、この条約を周知徹底するために、既に政府の広報室等において、この条約の精神や内容についての正しい理解が得られるように紹介、普及に努めているところでございますけれども、今後とも、いろいろなメディア、講演会等を通じて必要かつ適切な広報を行っていきたいというふうに考えております。特に、児童に対する広報につきましても、児童にわかりやすい小冊子等を用いまして、具体的な方策について関係省庁とも御相談して積極的に進めていきたいというふうに考えております。 〔狩野委員長代理退席、委員長着席〕
○山原委員 この条約、これはもちろん御承知のように、幾たびかの戦争、特に第二次世界大戦というものを経験して、戦争によって子供がいかに犠牲になったか、また、いかに子供の人権が無残に踏みにじられてきたかということの反省の上に立って出てきたものですね。そういう意味で、既に百三十カ国以上が批准をいたしております。 そういう意味では、日本政府の対応というのはまことに緩慢であるということと同時に、ここに盛られている五十数カ条のこの条文そのものに、やはり今世界の人類が求めている崇高な理想が私はあると思うのですよね。この精神をどう把握するかということが今問われておると思いまして、そういう意味で、子供に本当の自由といいますか、私も教師の一人として生活してきたわけですけれども、自由なときに子供がどれほど能力を発揮するかわからないのですよ。でも、この間の本会議の質問で、我が党の菅野悦子議員が質問しますと、やはり政府は、文部省もそうですけれども、子供を管理、統制の対象として見ている、牢固たる古い思想がありますね。これはやはり今度の条約が指摘しているところだと思うのですね。 そういう意味で、新しい展望に向かって、あるいは教育、子供観というものが新しい方向に向かって非常に大きく前進しておるときに、日本の政府や文部省の態度というのは非常に立ちおくれた立場を持っているのじゃないか。だから、子供にペナルティーを与えるなんという言葉が外務大臣の口から出てくること自体が、私は何としても納得いかないことなんですね。これはもう厳重に私は警告をいたしたいと思います。そういう姿勢は必ず破滅しますよ。これは、ジャクソン判決でも先ほど読み上げたとおりでありますけれども、そういう考えに立つ必要があると思うのです。 もう一つ申し上げたいのは、今度の皇太子の結婚に当たりまして、学校における祝意奉表について出ていますね。文部省は五月十四日の通知で、各学校においては、あらかじめ適宜な方法により、国民こぞって祝意を表することの意義を児童生徒に理解させるようにすることが適当と思われるとして、祝意奉表を児童生徒に押しつけようとしています。しかし、皇太子の結婚というのは明らかに天皇家の私事でありますから、それを国事行為として扱って、国民に対して祝意を強要することは、憲法で定められた国民主権の思想や信条の自由などの原則に背くことである。私は、これはもう通知を撤回して、子供たちに祝意を押しつけるというような措置はやめるべきだということも、この権利条約の問題の審議に当たって私の見解を述べておきたいと思います。 この点は指摘にとどめておきたいわけでございますが、もう一回、外務大臣の子供たちに対する罰則の適用という発言はぜひ取り消してほしいと思いますが、この点について外務省の見解を伺っておきます。
○富岡説明員 先生の御指摘だけということでございましたけれども、私どもの方で発した通知でございますので、一言御説明させていただきます。 結婚の儀当日、皇太子徳仁親王殿下の御結婚に対して国民こぞって祝意を表するため、皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律の制定によりまして休日とされたところでございますが、このたび初中局長通知におきまして、このような意義について学校現場においてあらかじめ児童生徒に理解させることが適切と考えて発することといたしましたものでございまして、各学校におきましてこの趣旨を踏まえた適切な指導が行われることを期待しているところでございまして、撤回することは考えられないわけでございます。 それから、先ほどの第二の件でございますけれども、繰り返しになりますけれども、懲戒を加えるかどうかにつきましては、具体的事案を総合的に考慮して判断すべきものでございますので、しないとかするとかということではございませんので、その点につきましても、外務大臣の御発言ではございましたが、私どもの趣旨はそのようなことで対応しておるところでございます。
○柿澤政府委員 武藤外務大臣も昨日、今の政府委員の答弁のような趣旨で発言したものと理解をいたしております。
○山原委員 意見はありますけれども、時間が参りましたので、これで終わります。
○伊藤委員長 和田一仁君。
○和田(一)委員 私きょう、本題に入る前に、政務次官にカンボジアとモザンビークについてちょっとお話をお聞きしたいと思っておりますので、よろしくお願いします。 あさってからいよいよカンボジアで投票が始まるわけで、今、現地は非常に緊迫しているのではないか、こう思います。日本から行った新しい選挙監視要員もきょう、それぞれの任地に行かれたようでございました。そういったいよいよ選挙が始まる直前に際して、ポル・ポト派の選挙への妨害行為、阻止行動、こういうものが一層激化するのではないか、こういう予想がございます。したがって、その安全対策が非常に大切になってきておるわけですけれども、特にもう既に二人邦人が犠牲になりました。UNTACのPKO活動の中で犠牲になったお二人は文民の方々でありました。ですから、政府としては、この二人の国際貢献へのとうとい犠牲を決して無にしないように、無意味なものにしないようにこの選挙が無事に終わることが非常に大事なことになってきた、こう思うわけです。したがって、当面あらゆる手段方法をもって安全に選挙が終了するように考えなければいけないんですが、この安全ということが至上の課題ではないかと思います。 きのう、そういった状況の中で、タケオに配置されている自衛隊の隊員に対して新しい指示が出たというニュースがございました。投票所になる場所、こういうところの安全のために、とにかく投票行為が安全に行われなければいけないということから、この部隊に与えられている仕事であります道路や河川あるいは橋、こういうものの修復の仕事がございますが、そういうものが安全に投票されていくためにまた破壊されたり阻害されたりしてはいけない、投票行為そのものが安全に行えるようにという意味で情報収集をしなさい、こういう新しい指示が出たと聞きます。このことをめぐっていろいろ議論もございました。そのこと自体が与えられた任務と違うのではないかというような向きで、これはいかぬという意見もあるように伺っております。 私は、とにかくこの大事な選挙が安全に終わるということが、これが至上なんですから、安全のためにそういったいろいろな状況をつかんで、そして情報を収集して対策を立てるということは、これは当然なことではないか。そのことのために、それを怠ったことのためにもしまた新しい犠牲が出れば、それは、そういうことをやってやれたものを、やらなかったという怠慢のそしりを受けてもやむを得ないというふうに思うんです。ですから、そういう意味では、本当ならもっともっとやりたい、やった方がいいと思うような直接的な安全対策、そういうものも考えられるのではないかと思うんですけれども、しかし残念ながら、今我々が考えられる、あれが最善の方法ではないか、それ以上のことは、これはもう法定上できないというように私も思うわけでございます。 そういう中で、今度のこのカンボジアというものの経験を生かして、これを将来再び起こさせないというために、今法定上できないと言った、みずからの手足を相当制約している、縛っている、そういうものがあるためにできないんだ、私もそう思います。したがって、そういうことのないようにこれを改めた方がいいのではないか、国際貢献が必要であるというのは大方の国民の合意ができ上がっております。もうやらなければいけないんだ、しかしやるためにはどういう方法があるかということで合意ができて、そしてPKO法に基づいて行ったわけですが、現実には犠牲が出てしまった。この貴重なことを再び繰り返さないために、これを生かしていかなければいけないと私は思うので、このPKOについて見直しの必要はないかどうかを外務大臣に伺いました。外務大臣は、そういう意味では、三年の見直しの規定があるけれども、三年を待たずに見直す必要があると思うという明快なお答えがございました。責任ある立場として、これからもPKOというものをいろいろなケースで出さなければいけない場合に、より安全な手だてのできるようなものをきちっと持っておかなければいけないという思いは当然だと私は思うので、お伺いしたところが、今申し上げたような明快なお答えが返ってまいりました。政務次官はもともとそういうお考えがあると私は推察いたしておりましたが、いかがなものか、これをまずお聞かせいただきたいと思うんです。いかがでしょう。
○柿澤政府委員 最終段階に差しかかりましたカンボジア和平プロセス、今和田先生がおっしゃいましたように、選挙が安全に行われることを私どもも心から祈っております。いろいろな危険の中で、あえて選挙監視要員として現地に赴いてくださった四十一人の日本の要員の方々の使命感と勇気に私も感動をいたしております。その人たちの安全を現行法の許す範囲内でぎりぎり守るためにということで、自衛隊の要員の方々が工事、作業現場等の巡回とパトロールということで、その間に投票所に立ち寄るという形で情報の収集をしてくださるということは、その点では心強い限りでございます。 ただ、今和田先生からお話がございましたように、万が一にもポル・ポト派からの、もしくは何者かからのゲリラ的な攻撃が行われた場合には、必ずしも一〇〇%の安全が保障されるわけではありません。その意味では、さらに何らかの形でその安全を保障するための法律上の手当てが必要なのではないかという武藤大臣のお気持ち、これは私も日ごろから感じているところでございました。そういう意味では、三年の見直し期間というのはございますけれども、三年までは凍結というわけではございませんので、できるだけ早く、今回のカンボジアの経験等に照らして現行PKO法を大いに討議をしていただくということは大事なことではないかと思っております。武藤大臣も、あくまで国民の合意を得つつということを申し上げているわけでございまして、我々が単独で提案をして単独で改正ができるということでもございませんので、幅広く合意を得ていく必要があろうかと思って問題提起をされたものと思いますし、その意味では私も同感でございます。
○和田(一)委員 私どもがしつこくこのことを申し上げているようにおとりかもしれませんが、やはり今お答えのように、こういう機会に本気になって考えていく、そういうことにしていかないと、これは自動的に見直しの時期が来たらやればいいという性格のものではない、こう思うので、あらゆる機会にそういった意味で申し上げたい、こう思って、きょうもお尋ねしたわけでございます。 そこで、日本は今、カンボジアだけでなくモザンビークにも要員を派遣いたしました。これは、派遣する前に政務次官は、ソマリアとあわせてモザンビークの実態も調査をされてこられました。そういった調査の上に立って、今度はモザンビークに要員が派遣されたわけだと思います。 まず第一に、国民は、同じような危険な状態にあるのかどうか、その点を非常に気にしていると思うのですね。カンボジアの状態と違うんだというのであれば、どこがどう違っているか、その点をまず、調査を踏まえた上で派遣されたわけですから、そこをきちっと国民にも心配のないような御説明がいただければありがたい、こう思います。
○柿澤政府委員 モザンビークにつきましては、政府に対する反政府ゲリラ、RENAMOという名称でございますが、RENAMOが対立をして、内戦を繰り返していたという状況でございました。その意味では、カンボジアが四派に分かれているのに対しては、政府、反政府という形で、図式はやや単純であろうかと思います。 また、その内戦の要因につきましても、周辺諸国との関係等、カンボジアに比べますと単純化をしている。また、その意味で、周辺諸国からの武器支援等もストップしたままになっている。また、反政府ゲリラ、RENAMOのナンバーツーに当たる書記長にも私直接会いましたが、停戦を破るつもりはない、武装解除にも応じて、そして選挙にも堂々と戦う、選挙に敗れても野党として活動するということを明快に述べておりました。最近日本の新聞記者がドラカマというRENAMOのナンバーワンの議長に会ったときにも、同様の趣旨を言っておりまして、その意味では、内戦再発の危機というものは、内戦再発といいますか、武力紛争が起こる危機というのは比較的少ないのではないかと思っております。 ただ、アンゴラの例に徴しましても、選挙に入る前に武装解除をきちっとやることが大事だということを国連の事務総長報告も述べておりまして、その意味では、今後モザンビークに国連PKO要員が展開をして、政府、反政府両方の武装解除がきちっとできるかどうか、この辺が一番のポイントになろうかと思います。その点につきましても、私は、必ず武装解除には応じるということを反政府ゲリラの書記長からの発言としても聞いておりますので、そうした形で進んでいくものと期待をしております。
○和田(一)委員 モザンビークは、ONUMOZは、UNTACとは業務の内容も違うと思います。特に、我が国の要員が行っているのは輸送関係の調整という仕事だ、こう伺っておりますので、また、今政務次官のお話のように、カンボジアと状態が違うこともわかるのですが、今まで内戦をやっていた国ですから、いわゆる戦争の余じんというものは当然ある、こう思います。したがって、カンボジアにおける本当に貴重な経験を教訓として、同じことが二度起こらないような万全の対策をぜひお考えおきいただきたい、こう思う次第でございます。 それでは、時間もありませんので、本題に入らせていただきます。 この条約を締結することの意義について改めて伺いたいと思うのですが、児童の人権の尊重、そしてそれを確保していくということをしっかり進めていかなければいけない、こういう意味で、この締結は大変意義のあるものだと思います。しかし、今回の条約の承認を求めるに当たりまして、国内的な措置、新たな立法措置や予算措置は必要としないということでございます。条約が規定している児童の権利は、我が国においてはそういった措置をせずとも十分対応できるのだというふうにもとれるのですが、もうそれは既に満たされているということなのかどうかでございます。 確かに、世界全体の児童の置かれている状況から見ますと、我が国の児童は比較的に恵まれた状況にある、こう言えるとは思います。そうであるならば、この条約の締結の意義と、そして、早期国会承認を求めておるわけですけれども、どういう理由かなとも思います。私は、長い間、審議の過程でいろいろな意見をお伺いしながら、国内の諸制度も、今のところとにかく立法措置や予算措置は必要ないと言ってはおりますけれども、この審議を契機にいたしまして、さらに改善していくことが必要な部門が相当あるのではないか、こう思われるわけであります。 私は、国際社会の中で今日本が占めている立場というものを考えますと、早期にこの条約を締結していくということは非常に意味のあることだと思うのです。これだけほかの国よりも環境的に子供の立場はいいという日本が、さらにその実を上げていくということのために条約締結国になるということは、非常に大事だと思います。 まず、条約締結の基本的なところについて、これだけすぐれている日本、国内措置も要らないんだ、もう直すところはないという立場でいながら、早期に承認しなければならないという、その意味合いについて、どういうスタンスでそういうふうにお考えなのかを初めにお伺いしたいと思います。
○小西説明員 この条約の早期批准の意義でございますが、この条約は、既に御説明申し上げておるとおり、世界で百三十四カ国の国々が締結しておる。この人権面での国際的な協力を推進していくという意味で、国連人権委員会あるいは国連の総会等でも、早期批准ということがいろいろな形で求められておるわけでございます。 我が国につきましても、確かに、各国の比較という観点から申し上げますと、かなりな水準にあるということは言えるかと思いますが、実態面、意識面等でさらなる向上を目指して、この条約の締結をきっかけとして、そういう面での充実を図っていくということが我々としては非常に重要なことであるというふうに考えておりまして、その点においての認識は先生と共通したものがございます。
○和田(一)委員 世界には人権が侵されている児童は非常にまだ数多くいる。私は、先ほどもいろいろな人権についての議論がございましたけれども、人権というのはまさに自然に与えられた固有の権利である、こう思います。地球の上に人類が誕生したときから自然に与えられている生存権、これが基本の人権である、こう思うんですね。したがいまして、これはいわゆる実定法上のいろいろな権利、こういうものと同じようには扱えない。そういう権利には、ある意味では制限もあれば奪われることもあるかもしれないけれども、私は、人権という基本にある生存の権利というのは、何者からも剥奪あるいは制限をされるものでない、こう思うわけです。 しかし、その一番基本の生存権すら非常に危ない、侵されている状況が世界の中にはある、こういう認識を持ちますと、まだ我が国の児童は、そういう点ではそんなばかなことはないと思います。しかし、この条約の中で、さらに広げてたくさんの権利を与えるべきだというふうになっております。 そういった議論が今までずっと行われてまいりました。いや、もう国内法としては見直すものはない、こういうお話もございました。確かにいろいろな問題はあろうと思います。要するに、子供でありますから十八歳未満、私は、知においても情においても意においても、知情意この三つにおいてもまだ一人前でないということは、これは認めなければなりません。しかし同時に、未熟ではあっても、基本的に必要な生存の権利に加えて言論の自由であるとか信仰の自由であるとか結社の自由であるとか、こういうものを許される範囲で認めていかなければいけない、こういうことではないかと思っております。 そこで、子供たちにとって非常に関係が深い大事なこういう条約を批准しようとするに当たって、一つの義務として、この前段で既に広報の義務が課せられていると私は思うのですが、そういった義務をどの程度、どういう方法でやってこられたのかなと思うのです。さっきも御質問がございましたが、こういった対象が児童であるだけに、やはり読み砕いた、そういうものでないといけないと私は思うのですが、子供たちにはそういう方法で広報するにしても、我々にも、こういう法律である限り、もう少し平易な表現でこの原文に忠実な訳ができなかったのかなというふうにすら思うわけでございます。 まして、先ほどその訳文をめぐっていろいろ指摘がありまして、お答えを聞いておりました。私も語学には全く弱い方でございますので、先ほども説明を聞いたりいたしておりましたけれども、こういった訳文によって中身がもし違うとすれば、これは誤訳と言わないといけないと思うのですが、広報して、これを決めてきちっと実行していくわけですから、非常に大事なところだと思うのです。先ほど来当局の方はこれが正しい訳文だということですが、指摘された点との違いで、これは誤訳になる心配はないのでしょうか、どうでしょうか。それが指摘された方向にもしその冠がつくとすれば、これは別の意味になるようにもとれるのですが、そこのところが、制約をかける範囲が違ってくるということは大変中身に関係してくるのじゃないかと思うので、その点をもう一回お聞きしたいと思います。
○小池政府委員 先ほど来ほかの先生方の御質問に対してお答えしたことと若干重なりますけれども、本条約を提出するに当たりまして正文の内容ができるだけ正確に反映されるということを心がけまして、関係省庁と協議して、法制局の審査を経て、閣議を経て提出したものでございます。政府といたしましては、この日本語訳というのが正文の内容というのを正確に反映しているものというふうに考えております。 しかし、異なった考え方を持った方がいらっしゃるというのは当然のことでございますし、私たちといたしましては個々具体的に御質問がございますれば、先ほどの三十七条(c)も含めまして具体的な条文に応じまして、その文脈、我々がどうしてそういう解釈ないし訳をしているかということについては、背景、審議経緯あるいはほかの国の解釈等も含めまして誠心誠意お答えするつもりでございます。
○和田(一)委員 実は、ここへ提出されている条約以外に、ユニセフが、仮訳ではありますが訳した文献もございますし、それからその他の団体がこの条約の原文を訳した訳文もございます。そのいずれもがここに出てきている条約と違っているのです。したがって、その点が私どもは気になるのが一つでございます。 私は、そういう意味では、この訳文がもう少し平易であってほしいのと同時に、その中身についてもし、いろいろな流れや経緯や討議をしてきた経過があるんだと思いますけれども、そういう中で見直さないといけないといった場合に、これはどうにもならないものなのかどうか。あるいはそうではなくて、そういうものは本来の原文に忠実になるならば変え得るものなのかどうか。中身を変えるというのは、これはここではできないかと思いますが、調印した原文により忠実になるなというふうに判断がされた場合には、これは改め得るものなのかどうか。一番根っこのところの話ですけれども、いかがなものでしょうか。
○小池政府委員 二つのポイントがあるかと思いますけれども、広報する際におきましては、できるだけ平易に国民にわかるようにやっていくべきである、私もそのように思います。他方、条約というのは、国内法律と同じように公布されるものでございます。したがいまして、その法律用語の整合性というものを私たちは極めて大切にしております。したがいまして、その正文の意味するところをできるだけ忠実に法令用語の整合性に目を配りつつ訳しているということでございます。 もし正文から乖離しているというときにはどうするかという御質問でございますけれども、それはどういうふうに正文と違っているのか、その具体的な内容に応じて判断したいというふうに考えております。
○和田(一)委員 私が申し上げたのは、条文の中の意味を、中身を変えろというのではなくて、中身により忠実な解釈で条文というのはあるべきだ、できるだけ原文に正確でないといけない、何か指摘されたら、やはりそっちの方が正確であったという判断をしたときに、これは当然変えられると私は思っておるのですが、それができるかできないかをちょっと伺ったわけです。
○小池政府委員 一般的にお答えするのは極めて難しいのですけれども、事、今御審議いただいております児童の権利に関する条約については、我々今判断しているところは、正文に極めて忠実に日本語訳を作成したというものでございます。 もし違う御意見があれば、個々具体的に私たちとしては説明する用意がございます。
○和田(一)委員 時間が来ました。 実は、条約の中の訳語は適切でなかったと言って変えたケースはあるようです。あるようなので、今議論になっていることは持ち越されておりますので、また、これは中身がうんと変わるものであるかどうかもよく精査した上で、一遍検討させていただきたいと思います。 きょうはこれで終わります。
○伊藤委員長 次回は、来る二十六日水曜日午前九時四十五分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時十分散会