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123回国会参議院1992/06/04

文教委員会 第7号

発言数
38
登壇者
8
会派数
5
開催日
1992/06/04

会議録

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。  委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事に森暢子君を指名いたします。     —————————————

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) 次に、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。  教育、文化及び学術に関する調査のうち、学校週五日制に関する件について、本日の委員会に共立女子大学長幸田三郎君及びお茶の水女子大学教授森隆夫君を参考人として出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) 次に、教育、文化及び学術に関する調査のうち、学校週五日制に関する件を議題といたします。  本日は、幸田参考人及び森参考人から御意見を聴取し、両参考人に対する質疑を行うことといたします。  この際、幸田参考人及び森参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人には、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  両参考人からは忌悼のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、幸田参考人、森参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  それでは、幸田参考人にお願いいたします。幸田参考人。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) 本日、この委員会にお招きいただきまして、意見を述べさせていただくことを非常に光栄に思っております。  それでは、早速、学校週五日制の導入に関連いたしまして私の考えているところを申し述べさせていただきたいと思います。  学校週五日制の最初に、導入の背景について簡単に申し上げたいと思います。  この問題は既に臨時教育審議会においても取り上げられておりますが、その後、教育課程審議会におきまして今後の学校教育のあり方を根本から見直し、そういう中で教育内容を検討したわけでございますけれども、それとの関連において学校週五日制を今後検討すべきである、こういうことが教育課程審議会の答申に述べられているわけであります。  その考え方の基本にありますものは何かと申しますと、今回新しく学習指導要領が改訂され、この四月から小学校において全面実施され、明年から中学、続いて翌年には高等学校に新しい学習指導要領が適用されるわけでございますが、そこで考えましたことは、学校教育の基調をこれまでのものと全く異なったものにすべきである。それはどういうことかと申しますと、今までの学校教育は、西欧の諸国に追いつくためにできるだけより多くの知識と技能を覚え込み、それを応用する力を身につけさせることをねらいとしていたわけであります。  しかし、現在日本が立たされている立場は、ある意味で明治以来追い続けてまいりました西欧諸国に追いつくという目標を達成して、世界でもいろいろな面で有力な国の一つとして数えられ、特に経済大国として広く国際的に認められるようになったわけであります。  そこで、これから問題になりますことはどういうことかというと、我々日本人にとって大事なことは、手本を他に求めることができないわけでございますから、今後自分の生き方とかあるいは我々の社会の進むべき方向というものを自分自身で考えていかなければならない、そういう課題を私どもすべてが負っているように思います。そうなってまいりますと、単なる知識の、ないし技能の修得だけでなく、あるいはその応用力だけではなくて、自分自身で考える、そして主体的に判断し意思決定をする、その上で責任を持って行動する、そういう人間がこれから先求められる、あるいはそのような生き方が、大人を含め、これからの時代において私ども日本人に求められているものであもと考えるわけであります。  そこで、自分で問題を感じ取り、そしてその問題の解明のために課題を設定いたしましてこれに主体的に取り組む、また解決するために必要な資質や能力を持った人間の育成、これが一人一人が自分らしく一人間らしく生きるためにも、また私どもの社会が発展していくためにも必要である、こう考えるわけでございます。その自分で考えるということのために必要なことは、一つは論理的に筋道を追って、深く考えてという思考力でございます。もう一つは、日本人にとっては今まで必ずしもこうした点が強調されていなかったわけですが、想像力、イマジネーション、自分自身の今までの物の考え方、それからもう自由になりまして物を考えていける。もし論理的思考力を集中的思考力と言うならば、想像力は私どもをして拡散的な思考を可能にするものだと思います。  その上でもう一つ、思考力、想像力に加えて、その両者の絡み合いの中で何が本質的なものであるかということを見抜く直観力、こうしたものを育成することがこれから先の学校教育の基本である。このように教育課程審議会の方では考え、その上に立って教育内容の基準の改定等、そしてまた学校週五日制の検討を要請しているわけでございます。  言いかえるならば、基礎、基本をただ単に覚えておくだけではなくて、生きて働く力として身につけさせるということがこれからの学校教育の課題ではないか。本年から実施に移されます小学校低学年の生活科のねらいもまた、それは単に社会的環境とか自然的環境についての認識を持たせるということよりも、自分自身とのかかわりにおいて、直接体験を通じて自然やあるいは社会、人々の関係について考えさせる。周りのものを知ると同時に、自分自身にも目を向けさせる。そういうことによって、低学年の時代から自立の基礎を養う。こういうことを目標として生活科が設けられましたのも、今申し上げましたような新しい学校教育のあるべき姿、それを前提として考えたものでございます。  こうなってまいりますと、言いかえるならば、基礎、基本が生きて働く力として身についたものとなるためには、具体的な活動を通しての直接体験というものが非常に重要になってまいります。日常の具体的生活の場において自分自身の生活を自分の手で組み立てていく。そういう経験を持つことによって初めて基礎、基本は一人一人の子供にとって、その後生きていく上で生きて働く力として身につくものであると思います。  一言、私が非常に感銘を受けた言葉を申し上げますと、ハーバードの有名なビジネススクールにおきまして、教育方法としてケースメソッドが使われております。そのケースメソッドでは、ある会社が当面しました、直面しました困難な問題をケースとして取り上げますが、それについて教授並びに院生が自由に自分の考えをいろんな角度から述べる。その中で結論を求めないのであります。お互いに話し合ったまんまで終わってしまう。それは何かというと、ハーバードのビジネススクールの教育理念は、ノーリッジ キャン ビートート、知識は教えることができる、バット ウィズダム キャン ノット ビー、知恵というものは教えることができない。それは一人一人が自分の内に、周りの人々の考えを聞いて、ああそういう考え方があるかということを感じ取る、また、その中で自分の考え方というのはこういう考え方であり、それの特色と限界はどういうものであるかということを自分自身で感じ取っていく。それが大事なのであって、結論を得るという、何かいろいろな理論を適用して結論を共同してつくり出すということよりも、今のような形で知恵を一人一人の中に育てていく、それが経営者の基本的な資質を養う上で大事だという考えでございます。  これは一見、大学院の問題と小学校の生活科とを結びつけるのは飛躍したようにも見えますけれども、基本において私どもは、体をもって考え、そして自分自身が本当に主体的に考えていく、これがこれからの日本にとって求められると思い、そしてそのためには直接体験が必要である。言いかえれば、子供たちに自分自身の生活を自分で組み立てていく機会と時間をもう少し与えるということ、それが同時に大事であろう、こういう考え方で学校週五日制を導入すべきであると考えたわけであります。  次に、週休二日制の問題と学校週五日制の問題は切り離して考えることはできません。既に国家公務員は本年の五月から完全週休二日制に踏み切りましたし、地方公務員も近くそれに移ると思います。ただ問題は、週休二日制が普及したから学校も五日にする、二日休みにする、そういう発想を私どもは必ずしもとらないのであります。むしろ、週休二日制の普及拡大が、今申しました直接体験、子供が自分自身の生活を組み立てていく機会と時間を持つようなことを可能にした、そういう観点から、学校週五日制を子供の立場、今後の時代に生きる子供の教育にとって何が必要かという観点から考えたということを私どもとしては御理解いただければと思うわけであります。  極端なことを申しますと、それでは今後週休三日制になったときに学校は四日制になるのかというような問題もございます。週休二日制に教員がなっても、人員を配置することによって学校六日制は存続することもできるわけであります、もちろん、財政的負担がございますけれども、私どもが考えたのは子供のためということでございます。  それなら、なぜ完全学校週五日制に直ちに踏み切らないのかということでございます。先ほど申し上げましたように、私ども、と申しますのは文部省に設けられました社会の変化に対応する学校運営等の今後のあり方についての調査研究協力者会議におきましてのことを申し上げておるわけでありますが、どこまでも今後の時代に生きる子供にとって何が望ましいかという観点から学校五日制を考えてきたわけでございます。百二十年続いた六日制を五日制に変えるということは日本の学校教育史上非常に大きな変革でございます。それゆえさまざまな方面に影響を与え、また混乱を生む可能性ないしは不安を生む可能性があるわけであります。  そこで、そのような中で、教師の意識、親の意識というものを変えながら問題点を一つ一つ明らかにし、それへの対応策を考え、そして漸進的に徐々に学校五日制を広げていくということが、この制度を定着させる上でも、また子供をいたずらにむだな時間を過ごすような形にしないためにも必要であると考えたからでございます。  もう一つ最後に、実施上の課題を一言だけ申し上げて、私の意見の陳述を終わらせていただきたいと思います。  今申しましたような文脈から考えますと、最も大事なことは、日本の学校教育を、まさに百二十年続いてきた教科書を教え込むという教育を子供自身に考えさせるような教育へと転換するということが大事であります。新しい学習指導要領が公布されましたにもかかわらず、なかなかそうした意識を教師が持てない中で、学校五日制という枠組みの変わることによって教師が本気でそれを考える、そういうことになることを私どもは期待するわけでございます。  もう一つは、大人と子供とがともに共同生活を送るような地域社会を形成するということ、それに成功するかどうかということが今後の大きな課題だと思います。受け皿論ということが言われますが、土曜日の子供をどう受け入れるか、その問題は確かにいろいろございますけれども、私は今後、少子化ないし核家族化が進んでいる中で、それぞれの地域において大人も子供もそこでともに生きる、そういう一つの新しい共同社会をつくり出していくという大きな枠組みの中でさまざまな施策がとられるべきであろうかと思います。このことは、障害者の人も地域の中にやはり、何か家庭の中に閉じ込めるのではなくて、ともに生きる、そういうような、理想的なことを言うようでございますけれども、そうした社会を形成する、このことによって学校五日制の意義が本当の意味で生かされるとともに、受け皿論というのはそのような大きな角度から論議されなければならない、このように考えております。  以上、簡単でございますけれども、私の考えているところを申し述べさせていただきました。  ありがとうございました。

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) どうもありがとうございました。  次に、森参考人にお願いいたします。森参考人。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) 森でございます。  ただいま幸田先生から学校週五日制につきまして御意見がございました。私はその意見にほぼ賛成でございますが、別の観点から私の考えを述べさせていただきたい、こう思います。時間の都合上、六つの点に整理いたしましたので、その順序で述べさせていただきます。  まず第一点でありますが、学校週五日制は教育界を活性化したということであります。  ただいま幸田先生もおっしゃいましたように、日本の教育百二十年の歴史の中でこれほど論議を呼んだものはないんじゃなかろうかと私は思うわけであります。中教審、臨教審、いろいろ改革案が出されましたが、それぞれ論議を呼びましたが、国民の末端まで浸透した議論となりますと、私は学校五日制をおいてないのではないかと思います。例えば、親が土曜日はどうするんだと戸惑ったり、私は大いに戸惑った方がいいと思うんです、今親は少し甘えておりますから。さらに、塾へ、これはどうなるんだろうと心配したり、家庭教育はどうするんだとか地域の教育力が低下しているのにどうするんだとか、条件が整うまでできないとかボランティアはどうするんだとか、学力差はどうなるんだとか、いろんな議論がなされておりますが、私は、もし五日制が実行されなければこうした議論も起こらず、マンネリ化したまま惰性に流されて、日本の教育はまたもっと悪くなる可能性もあったんじゃないかと思います。その意味で、学校五日制は日本の教育を大いに活性化した、こう思っております。  さらに、学校の方では、ただ、なぜ九月からという意見もありますが、私は、じゃ来年の四月ならいいのかということになりますけれども、来年の四月まで準備をしながら試行してみる、その方がいいんじゃないか、こう考えております。  次は第二点でございますが、第二点は文明と教育ということであります。  これは、よく親の方々が受け皿論というのをおっしゃいます。受け皿がない。この言葉は私は嫌いな言葉で、文部省の報告書でも受け皿という言葉は使われておりません。受け入れ体制と言っておりますが、マスコミが勝手に使っているわけであります。私はそれを批判するために使っているので、私の言い方として誤解されてはいけませんので申しておきます。  つまり、文明が発達いたしまして、文明が発達するということは分業が発達するということですが、分業が発達いたしますとどうしても外部依存度が高まります。我々の身につけているものすべて自分でつくったものもございませんし、人に依存するということは人に支配されているということであります。そういうふうに考えてまいりますと、他律ということになります。ところが、教育は自律を目指しております。ところが、生活はどんどんどんどん便利の名のもとに他律化しております。コンビニエンスストアは便利でいいんですが、学校までコンビニエンススクールになっちゃいけないと思うんです。ところが親の方は、教育は学校にと依存しております。  そういうふうに考えてまいりますと、便利、依存、その結果人間はどうなったかといいますと、それはローレンツがいみじくも言ったように、大人が幼児化しているわけであります。ローレンツが言った幼児化というのは二つのキーワードがございまして、第一は依存心の増大であります。第二は耐性の低下であります。この耐性低下には肉体的な耐性低下と精神的な耐性低下があります。肉体的な耐性低下は風邪を引きやすくなったといったように、これは冷暖房完備の部屋で生活しておりますからでありますが、とうとうスポーツまでドーム球場で一定の温度の中でやっております。どこかのチームが弱くなるのは当たり前ということになるわけであります。もう一つは精神的な耐性低下であります。これは我慢強さがなくなった、忍耐心がなくなった。非行、いじめ、登校拒否、先生の体罰、私は、その半数以上はこの精神的な耐性低下からきていると思います。これもすべて文明のせいであります。  こういうふうに考えてまいりますと、学校五日制によってそういう学校依存からの脱皮を図るという意味で学校五日制の意義が考えられるんじゃないかと思います。  第三点に移らせていただきます。  第三点は、新しい学力観。この点につきましては幸田先生がおっしゃいましたので多くを述べませんが、二、三申し上げますと、教育といえば学校教育と皆すぐに考えますが、学校教育というのは、わかりやすく言えば、テレビで言う「兼高かおる世界の旅」、これがわかりやすいので申しますが、我々日本人はあの番組で世界旅行の間接経験はしたわけであります。ところが、直接経験で海外へ行くというのはなぜか。つまり、学校教育というのはほとんど「兼高かおる世界の旅」のような視聴覚情報、間接経験情報であります。我々は、文明社会に生きておりますと直接体験が不足しております。特に子供に至っては遊びまでファミコン化しております。そうすると、間接経験の遊びを直接経験しているというおかしな生活をしているわけであります。こういう状況で子供が学力がつくわけがございません。  それから、学校の機能を見ましても、今申しましたように、間接経験による伝達機能が主としてなされているだけでありまして、学校の機能には伝達機能、人類の文化遺産、学問的な真理、これを伝達するという機能も必要ですが、創造的機能も必要でございます。この創造的な機能が私は非常に少なくなっている、これは問題じゃないかと思います。  そうした創造的機能の根底にありますのは直接体験に基づく問題発見であります。失敗経験であります。そういった経験は土曜日に大いに養っていただきたい。その意味で私は、土曜日はテレビも休む、テレビ五日制ということを言っているんですが、そうしないとだめなんじゃないかとマスコミの人にいつも言っているんですが、なかなか聞いてもらえないわけでございます。そういう直接体験によって我々はいろいろなことに疑問を持ち、学び、関心を持つ、それが先ほどおっしゃった生活科の意味であります。これは本来家庭でやるべきことを学校でやるということでありますが、ちょっと手おくれな面もございますが、やらないよりはいいという面もございます。  それから、新しい学力観で、直接体験とかかわりまして、学校教育というのは意図的な教育でありますが、家庭教育や社会における教育というのはほとんど生活を通じて行われる無意識的な教育であります。つまり、我々の生活は意図的な間接経験情報、伝達機能に終始しているわけであります。そういうふうに考えると、直接体験に基づく創造的な機能、これは無意識的になされることが多いわけでありますが、そうした無意識的な機能と意図的な機能を意図的に統合すれば教育効果が上がるわけであります。こうした方法をイメージトレーニングと申します。我々のこのイメージトレーニングは、間接経験情報によるイメージトレーニングだけで直接経験によるイメージトレーニングがおくれております。そのことが学力低下を招いているんじゃないかと思います。  次に、四番目に移らせていただきます。一四番目は、学校週五日制というのは、これは生涯学習の応用問題であるということであります。生涯学習の理念が出てからもう三十年近くになりますが、ほとんど理念、スローガンに終わっております。これは皆さんも御承知だと思うんですが、学歴社会から生涯学習社会へといろいろな審議会の答申は述べておりますが、その実現、実行となりますとほとんど見るべきものがないのじゃないかと私は思います。しかし、学校五日制によって、学校、家庭、社会が協力しないと子供の教育はできないということがようやくわかり始めたんじゃないかと思います。そういう意味で、学校五日制によって生涯学習が具体的に進む第一歩が出たんじゃないか、私はこう思うわけであります。  ところが、学校、家庭、社会が協力するには、それぞれ三つの機関がそれぞれの機能を十分果たしていないとできないわけであります。例えば、泳げない人はおぼれる人を救えないわけであります。ところが、今何とか泳げるのは学校だけてあります。家庭は社会的に泳げません。社会も泳いでいないわけであります。これを私は、学校、家庭、社会の悪さの程度をよく英語の比較級に例えて言うんです。国民の皆さんが、よく、学校は悪いとおっしゃる。依存心が増大しているくせに、学校が悪いとおっしゃる。学校は悪いかもしれないけれども、英語で言えば学校はバッドですね、しかし家庭はもっと悪いワースですね、社会はもっと悪くワーストですね、こう言うと大体理解していただけるんです。  ですから、これからの課題としては、学校五日制に当たっては家庭と社会の教育機能の見直し、これは生活を見直すということにつながるわけでありますが、家庭、社会の教育というのは生活を通じてなされるわけであります。例えば、家庭ではどうかといいますと、子供部屋をどうするかということを家庭の人は教育的に考えてつくっているかどうかという問題、これは建設省の住宅政策と関係してまいります。家庭の人数、社会性を育てるのに、平均世帯数が三人を割って、一人っ子でどうして社会性が育つんでしょうか。家庭で社会性を育てるには七、八人の家族でなきゃいけなくなりますと、これは厚生省の人口政策になってまいります。あるいは共働き、単身赴任、こうなりますと家族が一緒にいる時間がない、こういう問題を考えますと労働省の労働政策の問題になります。せっかくの休みにお父さんは接待ゴルフでいない、こうなりますと通産省の行政指導にまたなきゃいけない、こういうことになります。つまり、学校五日制というのは生活にかかわるあらゆる行政が協力しないとできないんだということを申し上げたいわけであります。  このように考えていきますと、学校五日制というのは単なる教育問題ではなくて社会全体の問題として受けとめなきゃいけない。もちろん、これは文部省が中心に進めるべきですけれども、もっと全省庁が五日制について真剣に考えるべきだということをこの委員会でもお考えいただければと思います。例えば、今家庭が下宿化しているのをどうするのかといった問題、あるいは地域の教育力が低下しているのは地域社会を構成する大人の教育力が低下しているわけでありますから、これは大人が幼児化しているわけでありますから、大人の幼児化をどう防ぐのかといったようなことをもっと真剣にお考えいただければと思います。  五番目に移らせていただきます。  五番目は、学校五日制というのは豊かな社会における教育のあり方を提起しているということを読み間違えると、我々は将来歴史の報復を受けるんじゃないかと思います。貧しい国には学校もないんです。豊かな社会はなぜ学校をつくるのか。学校の語源はギリシャ語のスコール、暇であります。暇を有効に使うために学校をつくった。その学校が肥大化し過ぎてディスファンクション、逆機能を若干持ってきた。そういう意味で、教育全体を見直す五日制、そういうふうに考えてまいりますと、私は豊かな社会における教育のあり方は、欧米でも五日制であると、単純にまねてはいけないと思います。日本型の学校五日制というモデルを考えないと、欧米と同じようにこれは失敗するんじゃないか。  ローレンツも、そういう先進諸国の教育は文化的、道徳的に破産していると申しておりますが、日本も今破産しつつあるんじゃないかと思います。経済では内需拡大と言っておりますが、それはぜいたくをしろということであります。そうすると、教育はどうするのか。今こそ真剣に考えないと、土曜日の使い方を誤ると豊かな社会の教育のあり方に失敗するんじゃないかと思います。そういう意味で、土曜日はボランティアの日にするとか、自然体験の日にするとか、あるいは逆境の日にするとか、日本もオイルショックで立ち直ったわけでありますから、日本国民全体が教育について頭を冷やす日にすればいいんじゃないかと私は思います。  最後に、六番目でございますが、学校五日制は他人事ではないということであります。何か一つ国民一人一人が実行するという決意をしないといけません。父兄の受け皿論に見られる、条件が整うまで五日制反対という意見に至っては私は論外でございます。自分が何をするかということをこの機会に考えなければいけないわけであります。学校はどうすべきか、教師はどうすべきかということは文部省は考えております。しかし、家庭でどうするのかということはだれがどこでどう考えるのか。親にそれぞれ考えろといっても考えられないわけであります。そうすると、そういう問題をどこで考えたらいいのかという問題がございます。あるいは、社会の大人は一人一人どうすればいいのか、そういう問題もございます。いずれにしても、学校五日制は他人事ではないということであります。国民一人一人が、自分は五日制を契機に何ができるか、何をするんだということを自分が決心して実行する、そのために教育を考える日が私は土曜日じゃないかと思います。  以上でございます。どうもありがとうございました。

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) どうもありがとうございました。  以上で両参考人からの意見聴取は終わりました。  それでは、これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。

会田長栄日本社会党・護憲共同

○会田長栄君 本当にありがとうございました。お話を真剣にお聞きいたしまして、まず最初に心から感謝を申し上げます。限られた時間でありますから、両先生に端的にこれからお伺いしたい、こう思います。  その一つは、これは幸田先生にお願いいたしますが、実は教科書を教え込む百二十年、こういう話を聞いて、私もこのことについてつくづく感じたわけであります。その一つは、何といっても教え込むことが教育なりという体制で今日まできたし、戦後一時期を除いては、また相当このことに力を入れてきたことは事実であります。もちろん、ここからいわゆる学習指導要領の問題というのが常に話題になってきました。  もう一つは、受験競争という問題が出てまいりましたけれども、この学習指導要領というものが、実は今文部省は、これは拘束性がありと、こうして、結局はその学習指導要領に基づいて教科書が編集され、その教科書を子供たちに先生方が教えているということになって、実はなかなかこれから抜け切れないで実際はいるわけです。そういうことにつきまして、子供自身に考えさせる、想像力をつける、いわゆる応用力をつける、決断力をつける、判断力をつけるという目標は掲げられてきましたけれども、結局、学習指導要領体制というものが子供たちの生活を非常に窮屈な面に押し込んでいる。もちろん、それは子供自身が押し込んでいるんではありません。学習指導要領に基づいて教えている教師がそういう体制の中に押し込まれているわけでありますから、子供はなかなかゆとりは出ません。しかし、学習指導要領の拘束性という問題については、柔軟なように見えて一向に現実的には柔軟でありません。その点についてどのように一体御意見をお持ちか、まずお聞かせいただきたいと思います。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) ただいま、教科書を教え込む教育に現在の日本がやはり傾いているということの理由といたしまして、学習指導要領の法的拘束性の問題と受験競争のことに触れられました。  受験の方は、私も試験をやる方でございますので、なるべくたくさん自由な形で入れて、そして入ってからそれぞれがまた自分の道が選べるようにと思いますのですけれども、これがまた非常に主観的だという批判も招きやすいですし、またそのおそれも全くないわけではない。これについては正直言って妙薬はないと思います。  学習指導要領の拘束性につきまして私が考えておりますことは、御承知のとおり学習指導要領というのは本来的には教育内容の基準を示すものでございますが、今回の学習指導要領は、総則の一番最初のところに教育課程の編成の基本的考え方といたしまして、学校において教育活動を進めるに当たっては、社会の変化に主体的に対応できる能力を養うことを目指し、基礎、基本の徹底を図るとともに、個性を生かす教育の充実に努めることが必要であると、こういうことが実は総則の最初に今回初めて載りました。今申し上げましたことは、むしろ教育方針、言葉をかえて申しますなら、教育目的に近いものでございます。それが指導要領に載っだということが一点。  それから、従来は、すべて学校はかくかくすべきであるというふうに書かれておりましたのが、今回の学習指導要領におきましては「各学校においてはことして、個々の学校においてはという、教育課程の編成に当たって地域の実態とか子供の実態を十分に見詰めながら、今申し上げました教育方針を踏まえて、教育内容の編成と教育活動の実践に当たるようにと、こういうふうに「各学校においてはこというふうに書き改めました。  この二つのことをつなぎ合わせてみますと、学習指導要領を踏まえながら、それぞれの教師があるいは個々の学校が本当に専門性を持った者としての立場からまさに主体的に学校実践、教育実践に取り組む、そういう前提が学習指導要領においても示されているのだというふうに考えるわけであります。  私は先生方を批判するわけではございませんが、先ほどの生活科のことが出ましたときに、あるテレビで、生活科は子供の遊びあるいは子供の日常の生活活動、具体的活動の中で自然と周りの人々と文化とを自分自身に気づかせるんだと、それは地域の活動を離れてあり得ないんですが、それは非常に賛成である、早く文部省から何を教えたらいいか教えてほしい、こういうことをある国立の教育大学附属小学校の先生が言っているのを聞きまして、これは大変だと思うわけです。それはまさに先ほど申しました教師の意識の問題であって、それは一つはやはり専門性を持った職業であるという自覚を持つことと、そしてその上に立った主体的に教育実践を組み立てることのできる素地は、今回の学習指導要領においては今申しました二つの点で保障されたと言うと強過ぎるのかもしれませんけれども、用意された、このように私個人では思っております。

会田長栄日本社会党・護憲共同

○会田長栄君 ありがとうございます。  これは先生、今生活科との関連で、今の先生方が何を教えていいか早く文部省明確にしてちょうだいというような例を出されましたね。これは一体どこからきているかというと、余りにも長い期間決められた範囲のことさえやっていればいいというような作風ができ上がっちゃっているんです。学習指導要領の法的拘束性の問題がここまで来ている。  今から二十年前は、子供の学力に応じたグループをつくって先生方がやるという、こういうことがはやった時代があるんですよ。ところが、そのころはこのやり方は気に食わぬといって文部省は余り笑顔を見せない、それどころかげんこつ張ったという歴史過程があるんですね。ところが、現在はそれはどうかというと、これはいいことだと言ってもう奨励項目になっていますね。そういう意味で、やっぱりそのことはなかなかこれは意味のある話だったなと思って今お聞きしたわけでありますけれども、何といっても現場の先生方がどのように主体的に受けとめてみずからの力を発揮すべきなのかということは、先生御指摘のとおり私は大事なことだと思います。ありがとうございました。  それでは、森先生にお尋ねいたします。  非常に心を揺さぶるような中身の話もありました。そこで、これは極端な話ですけれども、端的に学校の五日制というのは思い切ってやったらどうなんでしょうと、こういう意見の多くあることも事実です。しかし、家庭の受け入れや地域の受け入れ体制の問題から参ったという意見のあることも事実です。しかし、その中で学校の五日制というのは子供の週休二日制と見でぴっちりやったらどうか、こういう御意見のあることも事実なんです。こういう認識で一体いいものかどうか、森先生の御意見を聞かせていただきたい、こう思います。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) ただいまの学校五日制を思い切ってやったらいいんじゃないかということでございますが、私は、この点につきましては、子供の学校五日制と大人の週休二日制を同じレベルで考えてはいけないと思います。大人の論理と子供の論理は違うわけです。大人の生活のリズムの変化と子供の学習のリズムの変化とは違うと思うんです。大人の労働のリズムは五日働き二日休む、これはいいのかもしれません。私は専門家でないからわかりません。しかし、子供の学習のリズムを考えますと、労働と学習をイコールと考えるのは大変な私はそこに誤解を生むおそれがあるんじゃないかと思います。ですから、子供の学習は、先ほども申しましたように、家庭や社会における無意識的な教育というもの、生活を通じてのそういうものがございますから、子供の週休二日制とみなすのはいけない。  そういった意味で、この学校五日制論というのは十五、六年前にも一度あったんです。そのときにも私は、大人が週休二日制と言っているときに学校だけが学校五官制と言っているのは、これは表現としては私はなかなかいいと思ったんです、子供の週休二日制と言わずにですね。そういう意味で、労働と教育を同じだと考えないということが大事なんじゃないか。だから、大人の論理で子供の教育のことを余り考え過ぎてはいけないんじゃないか。  それからもう一つは、受け入れ体制の問題でございますが、受け入れ体制ができるまで学校五日制やっちゃいけないというと、私はいつまでもできないと思うんです。これはやりながら対応していくというのがまさに変化への対応能力でございまして、これは学習指導要領も意図しでいるところでございますから、国民全部がそうしなければいけないんじゃないかな、こう思うんですが、どうもお答えにならなかったかもしれません。

会田長栄日本社会党・護憲共同

○会田長栄君 私は学校五日制の経験があるんです、短い期間でございましたけれども。非常にゆとりが出て、教師も子供も自分の過ごし方の意見というのが相当強く出て、うまくいった時期があるんです。短い期間でありました。これは、スポーツばかりやってひとつも勉強しなくなるというようなことで、大変親の意見がやかましくなって、結局やめたということがあるんです。それ一つでありませんけれども、やめた理由は。  そういう意味じゃいろんな経験をしているわけですけれども、先生がおっしゃった新しい学力観というもの、この問題を私は本当に興味深く聞きました。学力観というのは古いも新しいもないんじゃないかという意見を持っている私は一人なんです。それはなぜかというと、大体学力というようなものは、基本にはどう生きるかというところにかかわってくるんだろうし、生き方とこの基礎的なものをどうつくっていくかというところにかかってきていると思うものだから、非常に興味深く聞いたわけですけれども、その点で今新しい学力観を求めてきているという背景というのは先生から見てどのように御認識なさっているか、ちょっと聞かせてください。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) 学校五日制に伴う新しい学力観の御質問でございますが、新しいというところにちょっと抵抗をお感じになったようでございますが、何が新しいかというのは、これはどのくらいのスパンで見るかだと思うんです。おっしゃるとおり、学力には私はそんなに変わらないと思います。  しかし、ただ我々が文明生活をした時点で学力が変形していくといいますか、いびつになっているという意味で、それで私は新しいと申し上げたわけでありますが、そういう意味で新しい学力観と言うと誤解を招くとおっしゃるかもしれません。しかし、現に文明のせいで我々の生活自体が、きょうも地球サミットをやっておりますけれども、地球全体がおかしくなっているわけでありますから、そういうときに教育で何ができるかということを考える、環境問題は環境の専門家じゃなくて、一人一人が何ができるのかを考える。そうすると、文部省で何ができるか、学校で何ができるかということを考えると、そういう新しい学力観というふうに言いたくなって申しているわけでありますが、御意見はおっしゃるとおりでございます。  教育に関して言えば、よく不易と流行ということが言われます。不易と流行。私は、教育で不易なものは、それは人格の完成に尽きると思うんです。教育の目的は教育基本法第一条にあります「人格の完成」であります。ちなみに、百年前の教育論を見ましても人格の完成ということを言っております。今日でも言っております。多分百年後も言っていると思います。そういう意味で、人格を完成するために新しい学力観があるというふうに考えないと、学力をつけるために人格落ちこぼれができて、人格が阻害される、これは私は教育の本質に反すると思うんです。そういう意味では、人格完成という、そういう人間の生き方とおっしゃいましたが、そういうものは不変であり、これは一番基礎的なことではないかと思います。  流行というのは、国際化とか情報化と今騒がれておりますが、これは二十一世紀になればもう消えうせている、私はそういうふうに考えます。そういった意味で、この新しい学力観というこの新しいというのは何だということは、文明生活に入ってから学力が少し知識だけになっているとか、人格はどうなっているのかと、そういう問題で私は申し上げたわけでございます。

会田長栄日本社会党・護憲共同

○会田長栄君 最後に幸田先生に参考に御意見を聞かせてもらいたいんですけれども、今の子供というのは、これは小学生も中学生も高校生も、標準的に言えば、本当に余裕のない生活をしているんですね、ちょっと別な道に外れたような子供たちにとっては例外ですけれども、一般的に言いまして。これは子供だけじゃない、教師もまたゆとりがないんですね。労働時間短縮だのあるいは週休二日だのと大変議論されていますけれども、私が見てみるのには、もう午前七時半には学校に出勤、大体午後七時半に退勤、これが通常ですよ。だから、この考え方というものは一体どのように見ていったらいいのか。結論だけでいいですから、ひとつ参考に聞かせてください。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) ただいまの点でございますけれども、私も、先生方の生活にゆとりがないということ、それは非常に大きな問題だと思っています。そして、今回この問題を、先ほど週休二日制と直接結びつけていないと申しましたけれども、確かに週休二日制が学校週五日制の導入を一応可能にする条件をつくったという意味では関連があるんですが、直接に結びつけているわけではない。しかし、結果的に先生方に今まで以上にゆとりを持っていただくことができるようになる。  私が心配しますことは、教育界——子供のためということを考えたときに、子供にとって大事なのはいい先生に恵まれるということだと思うんです。そこで、先生方と一般の他の職業との間に勤務の態様ないしその条件について違いがあるときに、いい人材を教育界に得るということがだんだんに難しくなってしまう。そういう意味で、結果としてゆとりを持たせることがよりよい教師を得られる、結果として子供の幸福につながる。それからまた、先生がゆとりを持つことによって初めて、教育というのは人と人との間の人格的な交流でございますから、生き生きとした教育活動が展開するだろう。そういう意味で、私は具体的にどうしたらいいかということは今ここでは申し上げられませんが、教師にゆとりを保障するということは子供のために二重の意味で大事だ、このように考えております。

会田長栄日本社会党・護憲共同

○会田長栄君 ありがとうございました。

田沢智治自由民主党

○田沢智治君 お二人の先生、お忙しい中わざわざお越しくださいまして、私たちにとって貴重なお話を承りましたことを大変うれしく思っております。  私は、幸田先生に三つほどお聞き申し上げたいんですが、確かに現行の教育体系は、百二十年間続けてきた日本の教育の体系を、学校五日制という一つの制度を受け入れることによって大きく変革しようとする効果はあると思います。そういう意味で、まず欧米先進諸国で学校五日制を実施して成功している国があれば、その実例等を含めて少しお話しをいただきたいというのが一点。二点目に、学校五日制を効果あらしめるためにはどのような受け入れ体制づくりが必要項あるか、先生はどう思われるのか。  三つ目は、学校五日制が実施されると、学力を高めるため学習塾に通う生徒が増加するのではないかとの懸念を持つ人たちが多くいる。先生はそういう点はどう考えられるか。  この三つについて所見をお伺いしたいと思います。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) 第一点の欧米の例でございますけれども、この五日制、六月制というのは、積極的に何か七日制はよくないから六日制にする、あるいは六日制はよくないから五局制にすると、そういうような形で制度として定着してきたというよりも、むしろ欧米の場合は、やはりキリスト教との関係において、日曜日は教会に行く、そういうことで働く人たちも土曜日にいずれかといえば休みをとると。そういうような五日制というものの歴史的背景というのは、何と申しましょうか、教育上の観点から選択されたものではないというふうに思っております。  問題は、それよりもむしろ欧米の、それを成功というふうに言うかどうか非常に難しいんですけれども、マイナスの面も相当に出てきているわけです、先ほども森先生からもお話しございましたように。しかしながら、欧米と一概には言えないんですが、一つはやはりコミュニティいというものが、大都市ではだんだん崩れておりますけれども、共同社会というものが教会を中心として一つにはできていたということがあると思います。それから、フランスなどは水曜日に学校が休みになって週五日制をとっているようでございますけれども、それにつきましては、地域に教会だけでなくその他、子供が例えば絵をやりたい者が行ける場所とか、そういう日本で一般的に言えば社会教育施設的なものがだんだんに時間をかけてつくり出された。それが行政の手によって最初から上からつくられたかといいますと、先ほど申しましたコミュニティーということで、むしろ地域住民の必要というものからそういうものがだんだんつくられてきたというふうに聞いております。  その点で、私は、先ほど申しましたんですが、母本でこの学校週五日制が成功するかどうか、定着するかどうかの一番大きな問題は、一つは学校教育が質的に変わるかどうか、それが先だと思うんです。それと同時に、森先生童言われましたけれども、地域に住む人々が、大人、子供を含めて自分たちの共同生活をつくり上げていくという姿勢を持てるかどうか、その点に大きくかかってきており、行政はそれを刺激し、またそれを助けていく、そういうことによって、成功と言うならば、成功に導くことができるのではないだろうか。このためには、森先生が言われましたように、決して文部省だけの社会教育という狭いものだけではなくて、むしろ町づくり、村づくりという大きな視点から考えることが大事だろうと思っております。  二番目の受け入れ体制も、既に今のことでお答えしたことになるわけでございますけれども、もちろん青少年の学校外の活動のためのいろいろな機会とか、あるいはそのための施設とか、あるいは人材の掘り起こしとか、そういうものが積極的に進められなければならないと思います。それは、まさに今までの日本的発想ですと、上からつくってくれるものということを期待すると。しかし、むしろ今後大事なのは、特に町村の教育委員会、その教育長というような人たちが村づくり、町づくりというものにおいてもある種の指導性を発揮できるようになるということではないだろうか、このように思っております。  それから、学力を高めるために塾通いが過熱化するのではないかということは、私どもこれはだれも実は予測はできないと思うわけでございます。ただ、最近東海銀行が調査したものとして、時事通信の「内外教育」版に載っておりますのに、現在学習塾にどれだけ通っているかというのに対して、幼稚園児で既に七・九%、小学生が三七・二%と急に上昇する。中学生は実に六五・七%と三人に二人通っている。ところが、高校になると、これがちょっと私は意外だったんですけれども、一九・八%と減少する。このことは義務教育から高等学校への進学、そこの段階で、今申し上げましたように、そこのところが今一番何か厳しいという感じを親御さんたちが持っているのかと思います。  ただ、全体の同一年齢人口の推移とかそういうようなことも一方で大きく踏まえながら、同時に、先ほどの新しい学力観というもの、それが確かにいいんだ、そういうことを学校の教育が変わることによって父母が納得できるようになれば、塾通い、狭い意味の塾通い、それはやはりこれまでと違った考え方も出てくるのではないかと幾分楽観的には私は思っております。

田沢智治自由民主党

○田沢智治君 森先生にお伺いしたいんですが、五日制を実施した場合、親が共稼ぎで不在がちな子供にはどのような影響を与えると思われるのか。また、その欠陥がもしある、あるいは大きな問題点があるとするならば、その有効な対策としてどういうことを考えたらそういう子供たちにとってこの五日制という制度がいいものになるのか、どのようにお考えになられるか。  二番目に、心身障害者である子供に対する対応策というもの、有効的なものがあるとすれば御所見を伺いたい。  三番目に、先生が先ほど申されたように、子供の人間形成にとって家庭の役割、学校の役割、地域社会の役割、こういうものをある意味においてきちっと明確化し、連帯してかかわり合っていくという新しい社会環境づくりが私は必要だと思っております。五日制というものを導入することによって自助自律の精神を子供に養いさせながら創造的な入間形成というものを期待していくというような、私たちにそういう意味における効果を見守っていきたいという気持ちがありますが、そういうような物の見方、考え方に対して先生はどう思われるのか。  この三点についてお伺いしたいと思います。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) お答えいたします。まず最初の、親不在の場合の影響はどういうことが予想されるかということでありますが、多分非行がふえるんじゃないかとかということがいろいろ考えられるんじゃないかと思うんですが、今、親不在なのは、共働きの家庭だけじゃなくて離婚とかいろいろ親不在もありますし、現在でもあるわけなんです。学校五月制でたまたま土曜日にまたその時間がふえるということをおっしゃっているんじゃないかと私は思うんです。  その場合に、土曜日の使い方とこれは関係してまいりますが、土曜日の使い方は受け皿として余りおせっかいをやかない方がいいというのが私の基本的な考え方です。私の基本的な考え方は、自然体で自然に接する、これが一番いいと思うんです。ところが、今文明化されていますので、ボランティアですぐ学童保育のようなことをまたやったらとか、教師がまた土曜日地域の学校でといういろいろな意見が出ておりますが、地域にもう任せて、自然体で自然に接するような使い方。ただ、その場合の基本的な問題は、これは家庭教育のあり方と関係しますので、それは三でまた申し上げます。  それから、二番目の心身障害者の問題でありますが、心身障害者の教育というのは、これは生活がイコール教育なんです。そういうわけですから、そういう人たちにとっては生活そのもの、生きていくことがもう教育なんです。そうするとこれは文部省だけではできない問題であります。ですから、私は先ほど全省庁と申しましたが、全省庁がまず最初に重点的にやるべきことは、こういう心身障害者の五日制への対応ではないか、こういうふうに考えます。  それから三番目の、人間形成とかかわって家庭、学校、地域社会が協力しなければならないんだけれども、どういうふうな見通しがということでございますが、私は、協力するにはそれぞれが果たすべき理想像がはっきりしていないとできないと思うんです。ですから、学校の理想像は曲がりなりにも、先ほど学習指導要領は法的拘束性だとかおっしゃいましたが、学習指導要領で教育のねらいということで、豊かな心、たくましく生きる、あるいはまたみずから学ぶ意欲を持って変化に対応する能力、あるいは基礎、基本を重んじ、個性を生かす教育といったように、学習指導要領のねらいが示されておりますので、学校のあるべき姿というのは私はかなり出されていると思います。  ところが、家庭はどうあるべきかというのはどこからも出されていないんです。だれが考えるのかさえわかっていないんです。そうしますと、考えられるべきことは、家庭の現状分析でいきますと、現在の家庭は下宿化しております。家庭は家プラス庭という字を書きますが、あの庭は心の庭のことじゃないかと思うんです。ですから、今家庭には心の庭がないわけであります。そういたしますと、まず家庭に心の庭づぐりからと。心の庭ということはストレス解消ということでありますが、ストレス解消には会話と笑いが一番いいわけであります。会話をするには一人ではできません。そうすると、家族と一緒にいる生活が必要であります。  教護院の教育が成功するのは、学校で非行は直せませんが、教護院に入ると直るのは、教護院には教護という職員と教母という職員がいるがらなんです。教護は父親の役割をし、教母は母親の役割をする、こうされております。ですから、父、母にかわる職員が一緒に食事をし、一緒にふろに入り、一緒に話し合い、一緒に寝るから非行から立ち直るんです。これはストレス解消です。だから、家庭教育の機能の基本はストレス解消ということじゃないかと思うんですが、それが現在の家庭ではなされていないわけです。教護院ではこれをウイズの精神、一緒にの精神と申しておりますが、一緒にいる機会がないわけであります。ですから、先ほど言いましたように、五日制になった場合に、単身赴任とか日曜日のお父さんのゴルフとか、そういうことを改めない限り効果は上がらないだろう、こういうふうに私は申し上げたわけであります。  それから、地域社会の方でありますが、地域の教育力という言葉がよく使われますが、これもスローガンだけでお題目に終わっていると私は思うんです。地域の教育力というのは一体何かと考えれば、駅前の放置自転車あるいは道路の空き缶、それから交通事故なんかを見ておりますと、地域の教育力が低下しているというのは現象面ではわかるんですが、その対策はどうかとなると答えがないわけです。  これは一人一人の大人が幼児化しているからこういうふうになっているわけでありますけれども、大人の幼児化を防ぐ手だてを考えなきゃいけない。幼児化を防ぐには、それは、私は何か一つの目標、信念を持って努力することだと思うんです。ですから、大人一人一人が新たな信念を持つ、これが大切だと思うんですが、極端に言えば、どういう信念を持っているかということをすぐに言えるようになっていなきゃいけないと思うんです。県や市や村や町に、市の目標、市民憲章、町民憲章がございますが、一人一人のものはないんです。学校には目標があり、子供の目標もあります、目当てがあります。しかし、教師の目標というのは学校にはないんです。これもおかしいと思うんです。ですから、大人がそれぞれ自分の目標を持って努力するということが地域の教育力を高める第一歩ではないか、こう考えております。  以上でございます。

針生雄吉公明党・国民会議

○針生雄吉君 本日は、両先生におかれましては、本当に大変貴重なお話をありがとうございました。  私は、両先生にそれぞれ、学校教育というと大げさでございますけれども、教師の立場から、こういう問題はどうしたらいいんだろうかということをお一人一問ずつ質問させていただいて御見解をお伺いしたいと思います。  最初に幸田先生に、両先生のお話の中にもありましたけれども、幸田先生も教師の意識変革を期待したいという旨のお話がございました。現実的に教師がどう対応したらいいのかということは、それぞれ一人一人が決めることだと思いますけれども、戸惑いがあるわけであります。現実的には、例えば有名高校に進学させないと父兄からもしかられたり、学校での教師の評価というのがそういうことに反映するのかどうかわかりませんけれども、評価につなかったり、あるいは進学指導して実業高校に入れても中退者が非常に多くなるとか、いろいろそういう現実的な問題があって、どういう教育方針というか、特に学校五日制というゆとりの教育、生活体験をさせるような教育をしなければならないというような理想と現実の間で悩むわけでございます。文部省からどう思われてもいいから、教育委員会からどう思われてもいいからみずからの信ずるところで考えてやれというようなことでいいのかどうか、そういったところを含めて御見解をお伺いしたいと思います。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) 教師の意識変革を申しましたけれども、それを阻む状況が、要因がたくさんある、入学試験体制とか学校を進学の成績によって評価するというようなあれが一般化されている、それはもう先生のおっしゃるとおりだと思います。  ただ、私がちょっと考えますことは、一つだけ考えておりますことは、日本の学校教育界ではある一つの問いに対して答えは一つである。正答はただ一つだという考え方が結局知識を覚え込ませるということの関係で出てきていると思うんですね。一番私がショッキングであったことは、ある小学校で、先生がいろいろ質問をする、先生の質問にはいはいと手を挙げて答えて、その先生が考えている文脈に即した正答が出てこないとそれは全部切り捨てていく。たまたまその答えをした子はだれそれさん、そしてそのときに、これでいいですかと聞くんですね。そうすると、四十人の子供が一斉に声をそろえて、いいですと。もう私はちょっと身震いを正直に言ってしました。一つの問題に対して一つの答えしかないというのが日本のこれまでのあれでございますね。  入試でも、ある文章を例にとったときに、原作者が意図していたのと全く違う出題、この場所はどういうことを意味しているか、イ、ロ、ハ、ニ、ホ。大学の教師はホが正解だと思う。イ、ロ、ハ、ニはみんなバツ。ところが原作者は、いや私の本当の意図はイである、こういうふうなことが起こってきます。大事なのは、確かにこれは一つの答えである、しかしもっと違う考え、角度から見ればどうだろうかという質問を投げかけるだけでも、その主流は変わらない、知識を覚え込ませるということは変わらないけれども、その中で違う考え方から見たら違う見方があるよということを絶えず指摘するだけでも随分私は子供の成長にとって、本当の新しい学力を子供が身につける上に役立つのではないだろうかと思うんです。  それからもう一つ、先ほど会田先生からお話がございましたけれども、やはり教育の究極は、今回の学習指導要領で新しい言葉として人間としての生き方とあり方についての自覚を深めるということが今度書かれたんですけれども、そういうものをしっかりと自分自身の心の中に一つの座標軸を子供がづくっていく、それがこれからの社会で大事であって、さまざまな知識を教える中で教師がそういうことを頭に置いてやっているならば子供自身同じようには受けとらない、しかし一人一人が自分の生き方だけじゃなくて人間としてそもそもどうあるべきかということを考えていける。それができるならば、結果は、形は同じであるけれども、随分教育は変わってくるのではないか、そんなふうに期待しているわけでございます。

針生雄吉公明党・国民会議

○針生雄吉君 大変ありがとうございました。  森先生に。先生が六つの項目をお挙げになった中で、私が非常に感銘を受けましたのは、豊かな社会における教育のあり方という項目でございます。明治以来百二十年の教育の中で、泳げる人が泳げない人を助けるというような考え方というのは我が民族の中にはあったはずでございますけれども、最近は泳げるのに助けないという風潮が出たりして、何々反対というような、今盛んにやっておりますけれども、そういう教育効果が今出てきたんではないかというふうに私も思うのでございます。  現実問題といたしまして、先生方も地域社会の一人として地域社会の活動にボランティアとして期待されているという考え方がございますけれども、現実問題として、先生方が学校教育でいろいろお忙しいのに、また社会教育的な面での、社会でのボランティアとしての活動をそれほど期待されていいものかどうかというような、そう言うとおかしいんですけれども、積極的にやるべきなのか、泳げるけれども泳げないふりをしていた方がいいのかということについて。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) 豊かな社会における教育のあり方ということなんですが、まず最後の教師のボランティアの問題から申しますと、本来ボランティアは強制されるべきじゃございませんから、教師でみずからしたいという人があればなさるのはいいことだと思うんですが、私は先生方にむしろ期待したいのは、学校五日制になりましたら休みが週に二日できるわけですから、一日は勉強していただきたいと思います。研修ですね。一日はゆっくり休んでいただきたいと思うんです。これは一般企業でも、週休二日制を控えて、大企業は既に土曜日の研修プログラムを考えているわけです。ですから、欧米先進国は、日本は働き過ぎで休ませればいいんだと単純に考えていますけれども、日本の労働力というのは私は週休二日制で一段と高まるんじゃないかと思うんです。そういうことは先進国は十年ぐらいしてやっと気づくんだと思うんです。  企業の方はそれでいいんですが、教育の方も、先生方が五日制になりましたら、月曜から金曜までの教育のあり古いろいろ工夫したりしなきゃいけませんので、先生方が土曜日に勉強しないと、五年後十年後に、先生二日休みになったのに音とちっとも変わらないと言われることになりはしないかと私は思うんです。そういう意味で、余り先生方は学校へ行ってボランティア、なさる人はいいですけれども、行かなきゃいけないというふうにお考えにならずに、というのが私の考えでございます。  それからもう一つは、豊かな社会の教育でヒントになるのは二つあると私は思うんです。  一つは、世界一金持ちのユダヤの教育であります。ユダヤでは教育のことをヒヌークと申しますが、このヒヌークというのは奉仕ということなんです。社会的に役立つ人に子供を育てる、育てたら親や教師はそれを社会に奉納する、こういう意味なんですね。ですから私は、日本の教育が教育基本法で「人格の完成」と言っているのはヒヌークと同じだと思うんですが、それがときどき忘れられる、こういうことであります。  それからもう一つは、豊かな社会の教育のヒントはイギリスの貴族階級ではないかと思うんです。ヨーロッパの貴族階級はほとんどつぶれておりますが、イギリスの貴族階級が存続していますのは、これは自分の子供を自分で教育せずに寄宿学校へ入れるからなんですね。大体金持ちの家は三代続かないと申しますが、それは教育に失敗するからで、最近は二代と続かないと言うらしいですけれども、そういうふうに考えますと、もう最初から自分の子供の教育をあきらめて、自分が教育するより、より立派な人に教育してもらった方がいいというので、イギリスではプレップスクールという寄宿学校へ小学校のころから入れまして、厳しくしつけてスポーツをする。こうなりますともう学校七日制なんです。ですから、受け皿を云々するような親は、学校七日制の寄宿学校へ入れた方が変な親に教育されるよりいいんじゃないかという、これは極端な例ですが、そういうことも言えないこともないということです、私が積極的に言っているわけじゃないんですが。  以上でございます。

針生雄吉公明党・国民会議

○針生雄吉君 大変ありがとうございました。

高崎裕子日本共産党

○高崎裕子君 貴重な御意見ありがとうございました。  最初に幸田参考人にお尋ねいたしますが、学校五日制の問題というのは今国民の間で賛否両論あるんですけれども、共通してどなたも指摘しているのが、学校五日制をゆとりある教育実現につなげる条件を整えるということの重要性だと思うんです。学校五日制を国民が合意する中で実施するという点で、ゆとりある学校教育への転換、地域や家庭で子供たちが生き生きと生活することを保障する条件整備が決定的に重要だと思うわけで、この点を抜きにしてはかえって国民の反発を買うのではないかと思うんです。  この問題を考える上で、少し長くなるんですけれども、教育課程の問題が一番大事だというふうに私は思っています。この点で、学習内容をどの子も理解できる基礎的なものに精選してほしいという声が圧倒的で、これは学校五日制のあるなしにかかわらず、現実でも切実な問題になっていて、登校拒否とか不登校の問題とか中途退学が次第にふえているわけですけれども、非常に重要な問題だというふうに私は思うわけです。  昨年十一月にNHKの番組で「義務教育はこれでよいのか」という中で、国立教育研究所の科学教育研究センター長が、現在の学習指導要領について、「せいぜい、こう言うとまた問題あるけれども、三割ぐらいわかったらいいんじゃないですか」という発言をされているんです。国立教育研究所というと文部省の重要な研究機関であり、その科学教育研究センター長という重責を担っている方の本音として私は大変重大なことじゃないかというふうに思ったわけです。  長野県の教育委員会が一昨年十二月にまとめた児童生徒の生活・学習意欲実態調査の概要を発表しているんですけれども、ほとんどの授業がよく理解できるという子供は小学校で二四・三%、中学校では一一・〇%、高校ではわずかに五・一%という結果で、学年が上がるにつれて急減しているということで、私の実感としてもこの数字は本当にそのとおりだと思うんですけれども、現在の学習指導要領でもこれだけ大変な状態で、その上、新学習指導要領ではもう低学年から学習内容が過密になっています。三年生で教えていた三けたの数が一年生になるとか、一年生で覚える漢字の数が二百三十二字にまでふえて、二十年前の母親が子供の時代百二十七字だったという時期に比べてもう二倍になっているわけです。学校五日制の導入がなくても教育内容の精選というのが今私は切実に求められていると思うんですが、これを五日制というふうに実施していくということになれば、またこの内容は精選していかなければならないと思うんです。  月一回、二回の学校五日制の実施だったらそんな見直さなくてもいいんじゃないかという声もあるんですけれども、やっぱり私は学習指導要領というのは白紙に戻して、ゆとりある教育を実現するという観点で、学校五日制の本来望ましいゆとりのある教育実現という趣旨に沿って思い切った学習内容を私は精選すべき、まさに学校五日制が提起した問題はそこにあるんじゃないかというふうに思っているんですけれども、幸田参考人の御意見をお聞かせいただきたいと思います。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) ただいまのお話で教育課程、学校において教えられるべき教育内容についての御意見を伺ったわけでございますけれども、実はこの前の教育課程審議会におきまして、先ほど五日制についての検討を指摘し、さらに学校のあり方を根本から変えるべきだという提言をするに当たりまして、思い切ったやはり精選をすべきであるという考え方が一方にございました。  ただ、そのことから私どもが配慮いたしましたのは、先ほど「各学校に担いてはこというふうに、学校はという言葉はすべての学校がになるのが、各学校では云々というふうに書き改めまして、これは私は画期的なことだと思うんです。それに続いて至るところで、各学校において教育内容の精選あるいは学級の編制等も含めまして創意工夫を加えるようにということを繰り返し述べているわけであります。そういう点で、確かにある角度から見ますとちょっと精選の度合いが不十分であったということは言えると思うのでございますけれども、他方、各学校における創意工夫によって子供の実態に即したような教育実践をということをむしろ奨励すると申しましょうか、そういうことを可能にするように今回の学習指導要領は随分工夫されているというふうに考えてよろしいかと思います。  なお、先ほど、長野県でよくわかる者が小学校で二四%、中学で一一%と。私が愕然としましたのは、私の孫がことし大学を受けることになりまして、とっても素直ないい子なんですけれども、余り勉強しないんですね。それで、私は昨年の暮れからこの正月休み十日間、朝から晩まで英語の特訓をしたわけです。こっちの方が疲れちゃいましたんです。そこで見たのは、基本というのがちっともわかっていないですね。そういたしますと、問題は、この精選という意味は、どこまで、一番低いところまで下げればいいのか。そういうことじゃないと思うんですね。問題はやはり、例えば習熟度別学級編制のことを先ほど会田委員も申されましたけれども、これに対して、わからなくても高校三年は三年の教科書を使ってほしいという親の意識もあるんですね。その辺が形式的な平等、言いかえれば、本当の平等というのは違いを認めるものこそ本当の平等だと私は思うんですけれども、違いを認めることは即差別だという考え方、あるいは異質的なものについては拒否反応を示すというような社会的な風土といいますか、精神的な風土、そこに問題があると思います。  そういった意味で、今高崎先生の御指摘の点は総合的な観点から考えられなければならない。また、学校週五日制が、検討だけではなく、月一回でありましても導入されたわけでございますから、比較的近い将来において、これは私個人の考えでございますけれども、教育課程のもう一度根本的見直しをするべき時期が来るのではないか、また来るべきであろう、そのように考えております。

高崎裕子日本共産党

○高崎裕子君 どうもありがとうございました。  次に、森参考人にお伺いいたしますけれども、学校五日制をゆとりある教育実現につなげるためには、現在の小中学校四十人、高校四十五人というクラスの定数を私は思い切って削減することが重要だと思うんです。日本のように四十人とか四十五人というのは国際的に見ると大変立ちおくれていると言えますし、教職員の方が教育に本当に打ち込めるためには配置基準の改善も必要だというふうに思うので、学校五日制がゆとりある教育実現の大きな一歩になるということを私は大変期待しているんです。諸外国の実態等も大変お詳しいというふうに伺っておりますので、どのような御見解をこの点についてお持ちなのか、諸外国の実態等も踏まえて簡単にお聞かせいただければありがたいと思います。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) 五日制に伴うゆとりのある教育実現は、教師一人当たり人数の削減じゃないかという御質問でございますが、私は現行の四十人、四十五人、これがいいのかどうかというのはだれもわからないことだと思うんです。何人がいいのかという研究がないわけです。例えば、二十人と四十人を比較した研究もありません。それは同じ教師でやらなきゃいけませんからできないんです。外国の例でもそういう研究は余りないんです。今、日本の百万人の教師がいるわけですが、これを仮に三十人にすれば百何十万になるわけですね。そうすると、いい先生をまたそこで確保しなきゃいけない。だから、量と質の問題が絡んでまいります。  私は、現行がいいとか悪いとかじゃなくて、もし現行で少し改良するとすれば、複数の先生が一つのクラスを持つとか、例えばハワイでスリー・オン・ツークラスという制度があったんですが、これはスリーティーチャーズ・オン・ツークラス、こういうことなんです。三人の先生で二クラスを持つ、そうすると仮に一クラス四十人でも先生にゆとりができるわけです。きはう研究会へ行きたいと、自習させなくてもいいわけです。だから、そういうあり方とか、あるいは専科教員を置くとか、そういうことで先生にゆとりを与えた方がいいんじゃないかなと、私個人としてはそういう考えを持っております。

高崎裕子日本共産党

○高崎裕子君 どうもありがとうございました。

乾晴美連合参議院

○乾晴美君 よろしくお願いいたします。感動的にお二人の先生方のお話を聞かせていたださました。ありがとうございました。  私は、実はここに上げていただくまで高校の教師をいたしておりました。それで、今度学校五日制になるということで、指定校もございまして、そこへお訪ねに上がりました。何が一番心配でしょうかというように校長先生にお伺いいたしますと、そこは進学校なんですけれども、一番心配なのはやはり学力が低下しないか、一分一秒でも惜しいこの時間に、指定を受けて休まされるということは大変厳しいとかいうようなことをおっしゃるわけでございます。  それで私は、共通一次テストを含めて大学の入試のあり方を教えていただきたいということで、幸田先生が学長さんだということでお伺いしたいと思うんですけれども、この共通一次試験というのは昭和五十四年ぐらいから出てきたと思います。そのときには各大学が難問奇問といいましょうか、いろんな問題点が、ちょっと高校じゃ対応し切れないような問題が出てきて、これでは大変だということで共通一次というのは生まれてきたと思うんですけれども、今はその共通一次のために大学も序列化されていく、その大学の序列化されたのに合わせてまた高校も序列化されていくということで、もう大変なわけなんで、ここで入試の方法を少し変えていただきたいと思います。  先ほど、幸田先生の方から、塾にどれぐらい行っているかということで幼稚園からのパーセント挙げられて、私もどきっといたしましたけれども、この中学校の六五・七というのは、ほとんど九十何%行くので、まあそれぐらいかなと。高校は少なくなってちょっと驚かれたといいますけれども、大学行くのは大体四〇%、三八%ぐらいですから、それの約半分の一九・八%ということであれば、大体中学校も高校も進学についての塾へ通っているのは同じになるのではないかなというように私は思わせていただきました。  先ほど、幸田先生も、いい先生にめぐり会うことがすばらしい教育に出会うことなんだということで、昔は、何々の大学にはどんな先生がおいでるからそこへ行きたいというようにして行ったと思います。ですから、非常に学校にも特徴がありましで、そこの学校出られると、まあ慶応ボーイだとか、それから早稲田は早稲田の校風というか、そういうものを身につけて出ていったんだということだと思います。  先ほど、幸田先生も、答えは一つじゃないんだぞということをおっしゃっているので、ぜひに学力偏重なくすために——アメリカでは今、何というか、SATといいましょうか、大学入試適性検査というのがあるわけですね。それからまた、ACT、アメリカ大学テストということがあるわけなんですが、こういったところは、一つだけの答えじゃなくて、そこに何かすぐれている点があれば入れてあげる、入学させてあげるということで、アメリカは、そういった全国的な規模のテストをしているにもかかわらず序列化されていないということなんです。  ちょっと調べさせていただきますと、アカデミー賞をとったジョディ・フォスターですか、この人は演劇にすぐれているからイエール大学に入れてあげましょうとか、それからプリンストン大学だったら、演劇の才能を見込んでブルック・シールズも入学させたとか、スタンフォード大学は徹底的に論文を重視してやらせたとか、それからハーバード大学は、やはりここも偏差値だけではつけないで、おもしろいことに、祖父も父もハーバード大学を出ておればその子も入学させてあげるとかというような感じの入試をやっているわけなんです。ここら辺でひとつ大学の入試ということを思い切って、アメリカに見習ってというわけではありませんけれども、答えは一つということじゃなくて、いい方法はないだろうかということでちょっとお伺いしてみたいと思います。

幸田三郎共立女子大学長

○参考人(幸田三郎君) 非常に難しいですね。私も学長職を、実は女子大であるために転々としておりまして、三十年ほどやっておりますんですけれども、絶えずそれは考えています。しかし、妙薬はない。例えば、SATという方式は、日本である時期、今の統一テストの前に日本で適性検査ということでやりましたですね。しかし、これも定着しない。それから序列化のことが、確かに統一テストの結果ということもあるんですが、いずれかというと現在では受験産業の方が偏差値でもって序列化をずっとしておりまして、高校の先生も、それから正直言いますと私どもも、この辺だとか、同じ女子大でこうだとか、上がったとか下がったなんてことを、私学でありますから、つい気にするようなところがあります。  正直言って私、無責任な意味ではないんですが、大学入試改革ということはすべきであるという点ですべての人が一致しますが、しかしどうしたらいいかということについては非常に難しいと思います。統一テストも現在アラカルト方式というようなものを取り入れることによって、全教科でなくてある教科だけを受けられる、それを私立大学でも利用するところも出てきております。それから、卒業生の子女を入れるとか、あるいはハーバードなどの場合ですと各州から必ず何人かはとるようにするとか、そういう地域的な配分とかそういうことを考えておりますが、卒業生の子女を入れるといいましても、私立学校においてもこのごろの中堅の先生方は必ずしも賛成でない、そこには何か主観が入る、こういうようなこともありましてなかなか難しいです。  ただ、現実にはさまざまな方法、今先生お話しの一芸一能に秀でた者とか、そういう試みが各大学でなされ、かつてであればそのようなやり方は必ず情実入学だというような言葉で非難されたものが、社会的な情勢は変わってきております。先ほどの、答えは一つではない、その答えを大学がいろいろ模索していますので、もうしばらくその流れを見詰めていくより仕方がないのではないかというような感じがしておりますが、先生の御趣旨については私も同じような考え方を持っております。

乾晴美連合参議院

○乾晴美君 ありがとうございました。  それでは、森先生にお伺いしたいと思います。  六つの視点からお話しいただきまして、よくわかりました。五日制になればいろんなことができるんだなと、夢も膨らんだような気持ちでございますけれども、やっぱりカリキュラムというのがありまして、高校の方ではそれをどのようにしようかということが一番大きな問題点だと思います。土曜日の四時間をどこかへばらまかなきゃならないということなんで、本当はカリキュラム全体を見直して、先生がおっしゃっているように、今何が大事なことなのか、生徒の未来に役立つことなのか、また自分が独立してクリエーティブな人生を生きるのには何がいいのかということを見直したカリキュラムに組みかえるべきだと思うんです。  現実に、私も高校の教師をいたしておりまして思うことは、この四時間が少なくなったと、それをどうするかという相談に来たときに、自分が今まで持っていた時間を、じゃ上げましょうという先生はお一人もおいでぬわけですね。自分の膨らんだものを膨らましていく方には賛成ですけれども、自分の教科を削られるということにはどなたもちょっと賛成していただけないわけです。そういうことになってくると、森先生がおっしゃっているような本当に理想的な教育をし、日本の国の国民をつくるのであれば、カリキュラムの構造というのはもっと変えていかなきゃいけない。そのためには、やっぱり国立のカリキュラムセンターみたいなものをつくって、そこでいろんなことをやっていくというのはどうかなと思うんですけれども、御意見を伺わせていただきたいと思います。

森隆夫お茶の水女子大学教授

○参考人(森隆夫君) 五日制に伴ってカリキュラムの改革が必要だと、ごもっともだと思うんです。私は、その考え方の基本といたしましては、現在の学校が余りにも生活化し過ぎていると思うんです。例えば、高校で言えばホームルームとかロングホームルームを初め学校行事その他いろいろございますが、私は学校でできることできないことということを考えた場合に、学校でできることあるいはやらなきゃいけないことは真理の代弁機能、これはできると思います。お母さんはアインシュタインの相対性原理を教えられないから、先生がかわって教える。これははっきり胸を張って言えるわけです。しかし、非行を直せ、不登校を直せと学校に言われても、これは学校だけの問題じゃないんです。校則だけいじってもできる問題じゃないのです。それに先生方が時間を割き過ぎていると私は思うんです。ですから、先生方ははっきりと、学校は親の愛の代行はできませんよと言うべきだと思うんです。そういうふうに考えてくると、五日制に伴って私は学校の生活化に歯どめをかけるといいますか、そうすれば自分の時間を減らさなくてもできるんじゃないかな、こういう気がいたします。

乾晴美連合参議院

○乾晴美君 時間が参りましたので、どうもありがとうございました。

大木浩自由民主党

○委員長(大木浩君) これにて両参考人に対する質疑は終わりました。  この際、両参考人に一言御礼を申し上げます。  両参考人には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から御礼を申し上げます。  本日の調査はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午前十一時四十一分散会

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