文教委員会 第2号
- 発言数
- 168 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1992/02/27
会議録
○伊藤委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩屋毅君。
○岩屋委員 大臣、おはようございます。 私は、今から七年前まで鳩山文部大臣の秘書として五年間お仕えをさせていただきました。そういう意味では、大臣と私は師弟関係ということになるわけでありまして、きょうは衆議院での委員会初の御答弁をいただけるということで、先輩にお願いをして無理にこの機会をいただきました。大変光栄に思っております。 先生は早晩その席におつきになると私当時から確信しておりましたが、私がきょうこの席に立っておられるということは、これはもう夢のような話でありまして、大変感慨深いものがあります。おくればせながら、大臣御就任を心からお喜びを申し上げたいと思います。 また、平成四年の予算編成に関しましても、なかなか厳しい中にありまして、大臣持ち前のバイタリティーで御活躍をいただいて、心配されておりました私学助成等々、所期の成果を上げることができました。一日も早くこれを成立させなければいけないと思いますし、私どもも最大限の努力をしてまいりたいと思っております。 大臣は、党の方でも文教部会長、また文部政務次官、本委員会の委員長等々御歴任でございまして、そういう意味では文教行政の我が党のエキスパートのお一人でいらっしゃいます。しかも宮澤内閣最年少大臣ということで、鳩山文部大臣の御活躍に寄せる国民の期待は大変大きいものがあると私思っております。ますます磨きのかかった、明快な御答弁をきょうもお願いをしたいと思いますが、いささか長いという話もなきにしもありませんで、きょうは時間も限られておりますから、ひとつ簡潔、明快な御答弁を賜りたいと思っております。 そこで、大臣が日ごろ私にいつもおっしゃっておられました「人づくりなくして国づくりなし」、最近では「教育は最大の未来への投資である」、こういうことをずっとおっしゃっておられましたので、そういう観点から幾つかこれからの文部行政について質問をしてまいりたいと思います。 まずは、いわゆる情報化に対応する教育についてでありますけれども、我が国の情報化というのは大変著しいものがあるわけであります。最近では高度な情報機器が一般家庭の中にも入っておりますし、およそ議員会館の中でもコンピューターを置いてないという部屋もないのではないかな、こう思いますが、こういう情報化に対応していくことが学校現場においても学校教育においても極めて重要な課題となっていると思います。大臣は商工行政にも精通していらっしゃるわけでありますが、通産省の資料によりますと、平成二年における我が国の情報産業の売上高は総額四十二兆円。これまで日本はリーディングインダストリーというのは大体三つでありまして、自動車、建設、家電、それぞれ三十五兆円規模でありましたが、既にこの三つの産業を抜き去って、我が国では情報産業というのがもうリーディング産業になっている。しかも、これは今GNPの中で一〇%近くなっておりまして、早晩、西暦二〇〇〇年には売上高約百兆円、GNP比率二〇%を超えると予想されているわけであります。今コンピューターは大型からだんだん小型化しておりまして、業界用語ではダウンサイジングというそうですが、パソコンの占める比率が大変高くなってきている。また労働省の実態調査によりますと、コンピューターやワープロ等の機器を導入している事業所というのは、六十三年現在で全体で約六〇%、従業員三百人以上になりますともう九九%ということになっているわけであります。 こういうような状況のもとで、これから我が国を担っていく青少年の情報化対応教育というのは極めて重要になってくると思っております。もちろん教育の基本は人間教育にあるわけですが、社会適応能力という意味での実学としてこの問題を考えていかなくてはならないと思っているわけでありますが、このような観点に立ってこれからの情報教育、いわば従来の読み書きそろばんにコンピューターが加わってくるという意味での情報教育、これが極めて重要だと思いますが、この点について大臣の御所見を伺いたいと思います。
○鳩山国務大臣 その点は、基本的には先生おっしゃるとおりで何の異論もございませんが、特に臨教審の先生方にあれだけの教育全般にわたる御論議をいただいた中で、生涯学習社会をつくろう、そして個性を伸ばす教育をやろう、もうあと二つは国際化対応と情報化対応だったと考えますと、臨教審の柱を何本と見るかは見方によりましょうが、三本とか四本の柱の一つが情報化対応だったことは間違いがありませんし、学校教育においてコンピューターをどれぐらい取り入れるかということも大きな課題であります。私自身も数年前までパソコンとファミコンの区別もつかないようなそんな人間でありましたけれども、今どのような学校現場に参りましても、パソコンを使ってどういう教育をやるかというのが大変大きな要素になっておりますから、これからも数学、理科、技術・家庭など各教科等の内容を踏まえつつも、学校教育活動全体で情報活用能力を身につけさせる教育を行っていかなければならないと思っております。 ただ、重要なことは、一つだけありますのは、情報化ということは、情報化社会の中で、情報の渦の中でそれをうまく処理していく技術を身につけていけばいいということなんですが、逆に情報におぼれて、情報のために人間性を失ってしまう、そういうような可能性もありますから、情報と人間の関係をうまく処理できるという能力が重要ではないか。情報化が発達しますと、昨日私は所信を表明しましたが、所信表明を聞かなくても所信表明の質疑ができるというようなことになっているかもしれませんから、そういう意味でも情報におぼれないような部分の強化とか、あるいは情報をうまく選択できないと、与えられるだけで、それこそ指示がないと何にもできない指示待ち症候群というような子供もできてしまうという。ですから、情報というのは、大変快適で便利ということとその逆のマイナスの側面と両方あるということを踏まえて、きちんと情報化社会に見合った教育をしてまいりたいと思っております。
○岩屋委員 大臣がいみじくも今御指摘をされました。私も情報化教育を進めろ進めろというふうに申し上げたわけですが、一方で心配な点がないわけでもありませんで、確かに最近、私ども仕事柄家庭を訪問しても、子供たちは必ず家の中でファミコンで遊んでいる。ファミコンづけというような現象もあるわけでありますし、今大臣が言われた、そういったものをいかにバランスよく教育現場に配置していくかというのは、これから大事な課題だと思いますので、ひとつその点に重々御留意をいただいて推進をいただきたいと思います。 ただ、一点だけ、学校の先生の方なんですけれども、平成二年度における公立学校の情報教育の実態調査によりますと、コンピューターを操作できる教員の割合は二〇・七%、このうちコンピューターを指導できる教員の割合は三一・九%、こうなっておりまして、教える側の状況がかなりまだ立ちおくれているという現状もありますので、こういったことも含めて今後施策を進めていっていただきたいというふうに思っているわけであります。 私、一つ提案があるのでございますが、日本のいわゆる教育インフラ、既存の学校はもちろんでありますが、いわゆる塾でありますとか、そういう教育産業等々も含めた教育インフラというのは、これはもう世界でも最高水準にあるというふうに思っております。そしてコンピューター教育というのを推進していくに当たっては、この日本の教育インフラを利用しない手はない、こういうふうに思うわけで、そのための一つの施策として、今日本で最大規模の国家試験というのは共通一次試験だと言われておりますが、この共通一次試験の中に将来コンピューターサイエンスといいますかコンピューター学といいますか、に関するものを導入するということをもし仮に文部省が五年後、十年後にやるんだということを宣言すれば、私は、日本のこの教育インフラがほっておいてもかなり大きな力を働かせるのではないか、そういうインセンティブを与えるだけでかなり大きな効果が得られるのではないか、これはいろいろ御議論のあるところだと思いますが、そういうようなことも考えておるのでございますけれども、いかがでございましょうか。
○鳩山国務大臣 先生いみじくも共通一次試験とおっしゃいましたように、現在は大学入試センター試験と名前が変わっておるわけで、共通一次のときとはある部分で同じ、ある部分で違うということで、その利用を非常に自由化しよう、大学側の試験の結果の利用法を多様化させようというような考え方が行われているわけですが、そういう形で今後の入試センター試験、私もこの間センターを視察をいたしましたが、どのように活用していくか、この活用方法でも将来まだ変化が起きる可能性はあるだろうと私は思うわけでございます。 そういう中で、先生御指摘のように、情報処理関係の教科というか科目を取り入れたらどうかということ、これは一つのお考えだと思うし、日本の教育の情報化という意味では大変有効な面があるだろうと思っておりますけれども、ただ、現在二日間という試験の時間的な制約等を考えますと、それだけの余裕が十分あるかどうかということ。御承知のように、新学習指導要領は、平成四年、今年度から小学校ですから、五年から中学校、六年から高校ですね。高校は平成六年から学年進行で進めますから、六、七、八で新学習指導要領での初めての卒業生が出る、すなわち、平成九年度のセンター試験で初めて新学習指導要領での試験を受けるということになりますね。もちろん平成九年度の四月の大学入学という人たちになるわけです。そういう観点から申しまして、平成九年度からの入試センター試験の出題教科や科目というものについては、現在の状態と比較して見直しを行っていこう、現に行っているところというふうに承知いたしておりますから、そのような先生の有力な御意見というものも彼らは参考にするであろうと思います。
○岩屋委員 時間がありませんので、先を急ぎたいと思いますが、次に、学校五日制の問題についてであります。 これは、私が大臣にお仕えしていたころにも一度お話は出ておったのですが、そのときは余り国民的な議論は行われておらなかったと思います。先ごろ社会の変化に対応した新しい学校運営等に関する調査研究協力者会議というところが本年の二学期から毎月第二土曜日を休日とするような提言を出された。いよいよ学校五日制が本格実施になっていくのかな、こういうところでありますけれども、これは我が国教育史上においては画期的なことだと思っています。 実は、私は党の会議の中では終始消極的な意見を申し上げてまいりました。つまり、大人の労働時間と子供の学習時間というのを等価に置くというのは、これはやはり考え方としてはいかがなものかという観点からそういうふうに申し上げてきたわけでありますが、まあこれは時代の流れでもありますし、前向きに、できるだけ前向きに考えていかなくてはいかぬのだろうと思っておりますが、いろいろ心配な点が指摘をされております。 土曜日が塾の日ということになるのではないかというのはかなりたくさんの方が指摘をされているところでありますし、家庭の教育力を強化しようというねらいもあってのことだとは思いますが、果たしてそのねらいどおりにいくのかとかいろんな御指摘がされているわけであります。この学校五日制についての大臣の率直なお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○鳩山国務大臣 この間の審議のまとめと私の考え方、そんなに隔たっているわけではありません。基本的に同じだと思いますが、これはいわゆる働く人たちの週休二日というものと無関係ではないわけでありましょう。それは両親が土曜日も休みで家にいる確率がうんと高まるということですから。ただ、これはあくまでも五日制というものは子供に着目して行っていきたいというふうに考えておりまして、これは臨教審が言う個性尊重という点でもありましょうし、余裕が余りになさ過ぎる今の子供たちの現状を何とかしなければならおいという面もありましょうし、単に学力というものをいわゆる試験の点数だけでなくて、いろいろな社会的に積んだ経験の重みたいなもの、そういうふうなものも、将来大人として生きていっていろんな局面で問題を解決していくときには、そういう経験力が物を言うということもありますから、社会体験とか自然体験とかあるいは奉仕体験とか、いろんな体験をしてもらうための時間が必要ではないか。そういうような観点から学校五日制というものについても、これは従来から野党の先生方からもお話もありましたから、一つの時代の流れに沿って本格的な検討を進めて、一気に導入するといっても、学習指導要領あるいは教育課程の編成等々難しい。問題が出てきましょうから、一つ問題を解決して、やってみて、出てきた問題を解決しつつまた次の段階へ行くという形で、この平成四年度の二学期から月一遍ぐらいの導入でどうだろうか、第二土曜日でいったらどうだろうかということが今まとまりつつあるということでございまして、あくまでも子供に着目して行っていく制度だということを御理解をいただきたいのです。
○岩屋委員 大臣おっしゃるとおり、これはあくまでも子供に着目をしてということでお進めいただかなければ困る問題だと思いますし、段階的に実施をしていくといっても、後戻りのきかない施策であろうかと思います。これは、やってみたけれどもやはり考え直そうというわけにいかない、まず扉があけば後はもう前へ進んでいくしかないということでありますから、慎重の上にも慎重を期していただいて、それぞれの段階での成果を確かめながらお進めをいただきますようにお願いをさせていただきたいと思います。 次に、ガット・ウルグアイ・ラウンド、こう言いますと何か農業問題ばかりだというふうな感じが今ありますが、ガット・ウルグアイ・ラウンド、知的所有権に関することについてお伺いしたいと思います。 大臣は党の方で国際局長も歴任されておりますし、この問題にもかかわってこられたわけでありますが、アメリカの態度は日本のレンタルレコード制度を否定する考え方になってきていると聞いております。大臣は十一月の参議院の文教委員会の中でこの問題について御答弁されて、「比較的若い政治家として若者の文化を理解できる人間であり続けたい、そのような観点でレコードのレンタル制度を守っていかなければならない」、こういうふうにおっしゃっておられます。大臣が実際にレンタルレコードの顧客であるということは私もよく存じ上げておるわけであります。かって党でこの問題が起こったときに、党側の責任者として大臣が当時レコード業界と貸しレコード業界の間に立って調停をされた。仏そのとき下働きをさせていただいたわけで、個人的にも大変関心の高い問題ではないかな、こう思っております。 ところが、大臣のその発言の直後ですが、十二月四日の新聞で報道されたのですけれども、ことしの一月一日から日本レコードレンタル商業組合が発売後一年以内の洋盤の新譜CD、レコードを業界として貸し出し停止にした。その影響でCD、レコードレンタル専門店で経営危機に陥る業者も出てきているようにも伺っているわけであります。大臣がおっしゃるように、レンタルレコード制度というのが音楽分野における若者の文化の普及に大変役立っているという中でありますが、この業界の決定というのをどういうふうに受けとめておられるのか。 また、昨年の十二月にドンケル事務局長、最近悪名高い方ですが、この知的所有権問題について包括合意案を出した。その中で、十四条というところで、もう一々読み上げませんが、我が国の制度に大変理解ある内容が盛られたわけであります。今後のこの問題について、大臣の御所見、御見解を例えればありがたいと思います。
○鳩山国務大臣 レコードレンタルの問題は、今先生御指摘された二つの問題点、一般の国民には二つの問題点を同時に理解をしていただくというのはなかなか困難なわけですが、一つは、ウルグアイ・ラウンドの中でアメリカがいわゆるレコードレンタルという制度そのものをやめにしてくれということで、国際的な調整がついて、結論としては、グランドファーザー条項といって、レコードは、もうレンタル権という、レンタルという制度はなくするのだけれども、現に行われておって、適切な報酬権制度があって、物質的に、マテリアリーにインペアというのですから、物質的に侵害されていなければ、これを認めてもいいというような、そういうドンケル・ぺーパーだろうと思うわけです。 ですから、そのことについそは、今後のウルグアイ・ラウンドの成り行きですから、ウルグアイ・ラウンドが例えば昨年じゅうに決着をしておれば、その決着をした新しい仕組みのもとで今行われているわけですが、これは先延ばしになっているわけですから、ガット・ウルグアイ・ラウンドの決着とともにそういう形になっていく。したがって、日本以外では多分この貸しレコードという業態が消え去るということになるのだろうというふうに思うわけであります。 ところが、そのウルグアイラウンドの決着を待たずして、RIAA、全米レコード協会というのでしょうか、それが日本に強力にねじ込んできたのは、著作権法の改正を行いましたのは昨年ですかね、いつだかわかりませんが、ことしの一月の一日から実施される改正著作権法において、外国のレコード会社等の著作隣接権者に、そのレンタルに関する許諾権や報酬請求権、一年間の許諾権と四十九年間の報酬請求権を認めたわけで、今まではいわば外国盤のレコードについては野放しであったが、著作権法を、国内で改正した。ものを一月一日から施行をしましたから、それによって外国のいわゆる洋盤のレコードにもこれが適用された。したがって、その条文どおり読めば一年間は貸さないよということで、現にそれが実施されているわけです。 ただ、洋盤の、RIAAというのでしょうか、アメリカの人たちも全く妥協していないわけではないわけで、例えば昨年の十二月までに既に発売をされたものは貸し出していい。法律を忠実に読めば、例えば昨年十二月の五日発売のレコードはことしの十二月四日までは貸し出してはいけないということになるわけですが、その辺は大目に見て、日本の改正著作権法が実施されるのが一月一日なんだから、十二月三十一日まで発売されたものはもういい。そのかわり平成四年一月一日以降、九二年の一月一日以降発売されたものについては、一年間の許諾権というもの、一年間は貸しませんというのを全部とりますよということで、それで一応三月を目途として交渉しているわけですね。この交渉というのは、文部省がさあどうぞお立ち会いと言ってやっている交渉ではなくて、これは当然アメリカの、もちろんアメリカだけじゃないでしょうけれども、政府委員からまた答えていただかなければならぬかと思いますが、例えばそういう全米のレコード、RIAAという方たちと日本のレンタルの商業組合というのが自発的にテーブルに着いて交渉しておって、文部省が援助できるとすれば、それはあくまでも側面援助にすぎないということになるわけです。 それで、質問の後段のドンケル・ぺーパーに関して言えば、これはグランドファーザー条項という名のもとで、日本だけには貸しレコードの制度の存続を認めてくれるという意味ではありがたいのですけれども、物質的にあるいは実質的にインペアされていないという条件がついていますから、今の彼らが受けている報酬、洋盤の貸し出しの要するに価格ですが、それがそれでは不足だと言えば、そこでまた交渉をしなければいけない。物質的にインペアされてないという条件が必要ということは、私がそういうことを言ってはいけないのかもしれませんけれども、値段について彼らが幾らぐらいならばインペアされてないと見るかどうかという問題も起きてまいりますから、いずれ犯しても、貸しレコード、レコードレンタルをめぐる状況というのは、今後の推移を見守らなければなりませんし、かなりシビアな状況は今後とも続いていくだろうと私は思っております。
○岩屋委員 大変詳しく御説明をいただきまして、私もちょっと不勉強で著作権法の改正等々とどういうふうに絡んでいくのかなというのがちょっとよくわからなかったのですが、詳しい御答弁をありがとうございました。 時間がなくなりましたので、最後に、今国会に提出予定の子供の権利条約批准の問題についてお伺いしたいと思うのですが、大臣は人権ということに関しては極めて御理解の深い方であると私は思っております。いつもそういうお話を聞かされてまいりました。今回、子供の権利条約ですが、憲法十一条で基本的人権についてももう我が国は既に規定されているところでありますし、批准をしている国際人権規約にも同趣旨の規定があるわけでありまして、そういう意味では、子供の権利条約の言わんとするところは、ほぼ我が国においては達成されていると思うわけであります。ただ、残念ながら今度の権利条約の条文の解釈をめぐっていろいろ諸説紛々でございまして、そういうのをずっと拝見しておりますと、中には学校現場において問題が発生してくるのではないだろうかと心配される点もなきにしもあらずなわけであります。校則の問題ですとか学習指導要領との関係でありますとか、こういったものをやはり文部省として明快な姿勢を示していただかないと、いたずらに学校現場に混乱を生じるのではないか、こう多くの方が心配しているわけでありますから、ここに関しての大臣の御所見を承りたいと思います。
○鳩山国務大臣 基本的にはそういう先生の御心配のような事態が起きないようにきちんとしていかなければならないと私は考えております。ただ、この児童の権利条約については、まだ日本語の正訳ができておりませんし、いわゆる解釈等について読会という、読書会ではありませんが、読み合わせのようなことを各省庁、外務省を中心にやるようですが、まだその第二読会が始まるかどうかというような段階でございますから、各省庁での解釈等についての打ち合わせ、あるいはいずれ内閣法制局が入ってまたきちんとその点をまとめていくということになろうと思っております。 昨年、参議院の文教委員会で同様の質問をいただきましたときに、あるいはまた衆議院の今回の予算委員会でも質問を受けましたときに私が申し上げたのは、先生御指摘のとおり、日本国憲法とかあるいは国際人権規約とか、日本は、憲法は非常に人権について手厚くなされておりますし、そういう子供の権利条約というものは、それら同様の事柄を子供も大切だということで定め直そうということではないか。すなわち、本来の児童の権利条約の趣旨としては、貧困とか飢餓とかあるいは病等で子供が非常に不幸な目に遭っている、そういうのは地球規模的にはまだまだ数が多いということとか、あるいは先進国でも不当な虐待のようなものが時々話題になるというところから児童の権利条約というのは生まれてきたものというふうに思っておりますけれども、これを日本が批准して国内にも適用されていった場合にどういうことが起きるかというのは、あくまでもこれからの課題として研究を重ねていかなければならないと思っておりますが、およそ教育現場に混乱が起きるようなことのないようにきちんとしていかなければならないと考えております。
○岩屋委員 大変御丁寧な御答弁をいただいてありがとうございました。今後とも鳩山文部大臣のさわやかな、すがすがしい御采配に心から御期待を申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。本当にありがとうございました。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 渡瀬憲明君。
○渡瀬委員 きのうの鳩山文部大臣の文教行政に対する基本的な方針、「人づくりなくして国づくりなし」、しかもこれは二十一世紀はもとより二十二世紀までを視野に入れた壮大な、そして本当に哲学いっぱいの文教の基本方針を承ったわけでありますが、私は、そのお考えを基本にして、これから若干御所信を承りたいと思うわけでございます。 かつて、私どもの先輩たちも、まさに国家興隆の源泉は教育の振興にありというわけで、そういう志に燃えでいろいろな施策を意欲的にやってこられたことを思い出します。若干振り返ってみますと、昭和二十年代には理振法、産振法、あるいは三十年代に入りますとすぐいわゆる高専法などを制定されまして、戦後の経済発展の基礎を築かれた。そしてまた全世界にショックを与えましたスプートニクショック、これもうまく乗り切ってきたわけでございます。三十年代に入りますと、御案内の平和部隊とかあるいは青年の家あるいは青少年の海外派遣などの青少年対策の非常にダイナミックな施策が展開されてまいりまして、青少年に夢と希望を与え、士気高揚に非常に役立った、そういう施策が文部省でどんどん進んでいかれたように思います。 平和部隊について若干感想を申し上げますと、あれは最初は文部省で、日本の青少年が生活条件の劣悪なところに行って現地の人と一緒に生活をしながら自分を鍛えるという趣旨であったと思い出すわけでありますが、近ごろでは何か技術援助が主になっておるような形跡がありまして、ちょっとこれは最初のスタートと違っておるような気がしてなりません。それはともかくといたしまして、そういう施策がどんどん行われてきた。 そしてまた、四十年代に入りますと、例の社会観、価値観を一変ずるような大学紛争が起こりました。これにつきましても文部省は大学立法等、適切な対応をされまして、それから四六答申、中教審の本当に何と申しますか、格調の高い、今でも教育改革のバイブルと言われるくらいに立派な教育改革の方針を策定されたわけでございます。そのほか、教職員のために人確法を制定するとかあるいは私学助成法を制定して、あらゆる面に目配りをしながらダイナミックな文教行政が展開されてきた。 そういうことを実は思い起こすわけでありますが、残念なことに、これはもう率直な感想を申し上げさせていただきますと、昭和四十八年と五十三年でしたか、二回にわたるオイルショック、そして国家財政が非常に窮乏を来してきた。そのころから何かこの文教行政が高原状態のまま推移をしている。あえて沈滞とは申しませんけれども、何かぱっとしない、そういう感じを実は持っておるようなわけでございます。 例えば、文部省の予算は、きのうの政務次官の御説明にもございましたように、七〇%くらいが人件費である、それにシーリングをかけたんじゃ、これはもう仕事ができなくなるのは当たり前でありまして、人件費こそが文部行政では事業費である、それくらいの哲学を持って財政当局と渡り合う、そういう気概があってしかるべきだと思うわけでありますが、残念ながら何かだんだん財政当局に圧迫されて、その結果、教育行政が少し沈滞しているんじゃなかろうかというような気がしてなりません。抽象的なことを言っておってもしょうがないわけでありますので、若干私見を交えてこういうことをやったらどうでしょうかということを申し上げてみたいと思うわけであります。 何もかも国でやるのではなくて、国で当然やるべきことを民間、あるいは文部省の場合は私学にも分担してもらう、そういう発想一に立って、例えば今問題になっております基礎研究、これも民間の教育団体との連携あるいは私学にもそういうものを分担してもらったらどうか。今でも私学でやっておられますけれども、何か経常費の裏に隠れてちょこちょこやっている感じがしてならぬわけでありまして、一項目をきちんと起こして、こういうことを協力してくれ、そういう呼びかけがあっていいんじゃないかという気がしてなりません。 私学のことにつきましては、これはもちろん文部省で方針を定められました標準経費の五〇%達成、これには全力を挙げなければならぬわけでありますけれども、これすらも何か行き悩んでおる印象であります。 特に、私が私学について申し上げたいのは、国際交流、特に留学生の世話、これはもう御案内のとおりに今世紀中に十万人目標でありますけれども、今のペースですと、量はあるいは概成できるかもしれませんが、本当に外国からの留学生を受け入れて日本の姿を知ってもらう、日本で落ちついて勉強してもらう、そのためにはやはり国だけではいかぬわけでありまして、私学の協力といいますか、その仕事の分担、これはいろいろな経験をして承知をしておりますが、私学の方が非常にうまくいっておるわけでありまして、そういうことも何か私学振興策の一つの大きな柱として改めて抜き出してやる必要があるんじゃないかなという気がしてなりません。 私も地方短大の運営に若干関係しておりますが、地方の短期大学は東京の短期大学とは存在意義が違うわけでありまして、一種のカルチャーセンター的なあれがあります。したがいまして、もう少し何か経常費助成でも傾斜配分ができないか。そういうことによっていい先生を集めて、いい教育ができる、文字どおりカルチャーセンター的な機能が果たせる、そういう気がしてなりませんが、これもちょっと何か右へ倣えのような感じがしてなりません。 高等学校の過疎対策等もこれからはいよいよ深刻な問題となってくるわけでありますが、こういう問題もあります。 それから、公立文教あるいは社会教育の施設の助成。これはきのうのこの施政方針にも量的な拡大ということが書いてありましたけれども、私はむしろこの際、質的なといいますか、例えば基準改定あるいは単価改定、そういうものももう取り組むべき時期ではなかろうかと思っております。世の中のレベルがこんなに上がってきた。それから残念なことに農林省とか労働省とかでも同種の仕事がどんどん始まってきている。何か文部省の場合は見劣りがするという批評が次々に耳に入ってくるわけでありまして、質的な転換を迎えておるのではなかろうかという気がしてなりません。 それから、次々に申しわけありませんが、例えばこういう国際化が非常に進んでまいりまして、我が国の若い者もどんどん国際機関に入っていかなきゃなりませんが、そういう養成の問題についてもよく指摘されることでありまして、そういう問題はないか等々、具体的に若干私見を交えて申し上げましたけれども、そういうこと等も含めながら、この文教行政全般についてもう少し何かダイナミックな展開といいますか、そういうものが期待できないかという強い感想を持っているものですから、その辺のことにつきまして大臣の御所見を承ればと思うわけでございます。
○鳩山国務大臣 坂田道太先生とともに文教行政に歩まれた渡瀬先生の長年の御経験に基づく大変貴重な御意見を承っておりまして、もう私のとても及ぶところではないそのような御高見や御意見にただただ敬服するばかりでございまして、私が文部大臣としてたまたま呼ばれてまいりましたのがある学校の百二十周年の記念式典でありましたけれども、ちょうど百周年記念式典に「坂田文部大臣来訪」と書かれてありましたので、私との間にちょうど二十年間の開きがあるのかなあと思うわけでありますが、そんな先生の今までのお話、すべてもう私何の異論もございませんが、ただ問題は、やはり文教予算の組まれ方というものが今のような状況でありますと、大変苦しい状況でこれ以上の大胆な政策展開ができないというのが実態ではないだろうか。したがって、私が「人づくりなくして国づくりなし」と申し上げるときには、そのことを何もお題目として唱えているのでなくて、全国会議員あるいは大蔵省だけでなくて全政府の方々に御理解をいただきたいという教育は最大の投資であるはずだ、それを投資すべきところが間違っているとは言いませんけれども、教育に投資したものというのは必ず将来大変な果実となって戻ってくる、その逆はまた逆の結果を生むということをもっと皆さん御理解していただけないだろうか。教育は金なりではないということはよくわかっているし、金があればいい教育ができるとも思っていませんけれども、ただ、先生御指摘のとおり、人件費が大変割合が高くて、今や八割というような状態ではないだろうかと思うわけで、十年前に一兆六千億円ぐらいの物件費を持っておった文部省が、今や一兆円に減ってしまったという、十年間の物価上昇率を考えますと、一体これはどういうことなんだというふうに感ぜざるを得ないわけであります。これも一%ベースアップしますと四百億ぐらいのお金が余計かかる。これは、例えば三・七%を超すようなベアというと千五、六百という金額になるのでありましょうか、これを常に自分の予算の枠内でのみ込んでいけ、タコがえさがなくなったら自分の足を食ってでも生きていけというような予算の組み方を強要されるようでは、本当に今後の教育政策ができるんだろうかという、そういういわば今までのあり方についての残念だなあという私の気持ちを含めて「人づくりなくして国づくりなし」と申し上げている。そのことを渡瀬先生は停滞と、まあ言いたくはないけれども、そういうような状況があるとおっしゃったのも、そういう先生の長年の教育にささげてこられた情熱と今の実態との乖離を意味しているのではないだろうか、そんなふうに考えます。 それで、そこに船田元先生がおられますけれども、実は私ども船田先生を中心にして私学助成を、例えば御承知のように、今経常経費への助成率が実質一三%台だろうと私は思うわけで、一時二九%を超えたというところから考えれば半分以下でございましょう。これを例えば三倍にして、それこそ助成率が私学振興助成法の理想とする五〇%に近づいて、なおかつ国民が、いやすばらしいと、こう納得するような私学助成の仕組みというのは何だろうということを研究をしたことがあります。そのときに船田先生が中心になっていろんな議論をされて、それは傾斜配分とか特別補助とか、あるいはこれから子供の数が減っていく場合の地方と都市の問題とか、いろいろ議論をさせていただいたこともあるわけであります。 そういうようなことの一環として、例えばいわゆる私立大学経常費補助金の中でも特別補助というものの割合をふやしてきている。そのことが留学生対応であったり、あるいは大学院等を中心とする基礎研究対応であるというふうに申し上げたいわけです。申し上げることはできるのですが、まだその私学助成全体の経常経費の助成率が毎年一%ずつ下がっていくような状況ですと、研究装置や研究設備について微増の予算を組みましても、大声で自慢できるような状況にはないのかもしれません。ただ、精神としては、今後私学助成をどう考えるかという精神においては、その船田研究で出した私どもの研究の成果というものと、今渡瀬先生がおっしゃった留学生とか基礎研究の分野で私学にもっと役割を果たさせろということは、私はかみ合う話だと思っておりますから、方向としてはそういうものを求めていきたいと思っております。 あとは、高校の過疎対策のお話等もされました。一部には高校以下の私学助成は全部一般財源化しろなどというような暴論が新聞には昨年来随分出るわけでありますのでは、なぜ国が高校以下もきちんと面倒を見なければいけないか。それにもちろん地方自治体、都道府県が上乗せして補助をするわけですが、やはり一番憂えておりますのは、国が何も出さないことになったら、それぞれの都道府県が全く好き勝手にやるようになったら、その都道府県の財政状況もあるだろうし、教育に対する熱意もあるだろうから、今までより以上にアンバランスがひどくなってしまうのではないか。そういう意味では、例えば過疎対策を考慮して、過疎地域の高校以下の学校には厚くということを国が方針を決めて、そしてやってきてはいるわけですが、その方針を持って一般財源化しないで、あくまでも国が都道府県に補助しているという形がそういう政策目的の遂行を担保しているというふうに考えますと、まあ話はちょっとよその方向に行ってしまうかもしれませんが、高校以下の助成も絶対に一般財源化はできないということを私は考えているわけでございます。 あとさまざまな施設の、例えば文部省といえば公民館、もちろん今は社会体育施設もいっぱいありますけれども、類似のものを各省庁が、あるいはもっと立派なものをつくっているではないかというようなこと、これは本来は行政改革の問題なのかもしれません。できるだけ複合的な施設にするとかいろいろなことが言われておりますが、これもそれぞれ目的が違うから、総務庁的な考え方、ではっさりいけるものかどうかというのも大きな議論があろうかと思っておりますが、私どもとしては、各省庁と連絡をとりながら、できるだけ矛盾やむだや重複がないようにきちんとしていきたいとは思っておりますが、正直申し上げて、予算の都合では、地域によって他省庁のものの方が立派だというような実態があることは否定できません。
○渡瀬委員 私どもよりむしろもう大臣の方がこの文教行政を長年おやりになっておりまして、精通しておられるわけでありますが、要は、やはりこの辺で若干発想を転換しながら、例えば予算の問題でも組み方等も工夫しながらやらぬと、何かこう大きな扉があかないんじゃないかという憂慮をするわけであります。また、そういう発想は、恐らくここにおられる先生方、皆さんお持ちであります。我々も精いっぱいお手伝いをさせていただきますので、どうかひとつ勇断を奮って実行していただきたいと思うわけでございます。 ところで、同じような発想で、これは文化庁の関連になるかと思いますけれども、あるいは学術局の問題も絡んできますが、先週通産省が伝統工芸品産業への助成を拡大する法案を決めて国会に提案になりました。ここにその改正要綱がございますけれども、この目的が従事者の後継者の確保育成というところが大きく実はクローズアップされておるわけであります。こういうことはむしろ通産省より文部省こそその役割を担うべき問題ではないかと私は思うわけでございます。 文化行政につきましても、これも先ほどの繰り返しになりますけれども、かつて私どもの先輩たちは、例えば歴史博物館をつくるとかあるいは京都博物館のそれこそ我が国の科学技術の粋を尽くした文化財の修理館をつくったとか、あるいはこれは実は鳩山大臣のお父君が先導的役割を果たされたわけでありますが、あの千駄ケ谷の国立能楽堂、あれなんかも一時もう文部省というと文化庁の仕事と言われるくらいに非常に盛んな時代がこの間まで実はあったわけであります。例えば最近は、第二国立劇場も少しずつは進んでいるようですけれども何かもどかしい、そういう感じがしてなりません。 それから、そういう意味でこれも一つ提案があるわけでありますが、私どもかつて、もう二十年近く前になりますが、伝統工芸の後継者養成を目的とした高専ができないかということで計画を練ったことがございまして、今度の通産省のその法案が発表になって、この間国対にかかったものですから、国対で説明を聞きながら、これはいかぬ、我が方も少し頑張らなければいかぬと思って文部省にも若干接触しました。ところが文部省では、金がありませんということがまず返ってまいりました。それから十六歳人口がどんどん減ってきておりますから、お客さんが来るでしょうかという話。それからティーチングスタッフがなかなかという話で、消極的な返事しか返ってきませんでした。 私どもが当時計画しましたのは二つありまして、伝統工芸高専、それから窯業高専。伝統工芸は御案内のとおりに染物、塗り物、それから彫金、彫刻、宮大工、そういう後継者養成。それから窯業高専は、これはもうそのものずばり焼き物の高専で、デザインと窯業の二学科をあれするわけであります。 この間私、用があって佐賀の有田に行きまして、今右衛門さんの窯をのぞいてきましたが、あそこにハーバードの学生が五人来て、泊まり込みで一生懸命習っておるわけであります。 そこで、高専法もその当時はまだ改正しないとそういう伝統工芸的なものはできない仕組みでありましたが、最近ではもう高専法も改正されて学科をいろいろな幅を広げてありますし、今言いました、その通産省の先行もあるわけでありますから、何かこういうことも企画できないかと思うわけでございます。国立てこれをやることで全日本からそういう人が寄ってくる。それからむしろ今言いましたように、世界じゅうから日本の焼き物にあこがれて寄ってくる。そういうことも決して夢ではないような気がするわけでありまして、夢と希望がいっぱいのこういうプランではなかろうかと思うわけであります。日本も金持ちになって世界じゅうの羨望の的でありますが、もう一つ日本の顔が見えない、キャラクターがわからぬという批評があるのも事実でありまして、こういうことこそそう大した努力なしにやれる仕事ではなかろうかと思うわけでありますので、こういうものをつくって、世界じゅうからむしろそういう希望者を集めて日本の伝統工芸的なものを習得してもらう、あるいは焼き物を修業してもらう、そういうことができないかと思うわけでございます。 鳩山文部大臣、本当に親子三代文教行政に打ち込んでこられました。今回も国民の輿望を担って文部大臣に登場されたわけでありますので、これはもう具体的な話でえらい恐縮でございますけれども、どうかひとつ今申し上げました、言わんとするところを御理解いただきまして、何かここでもう一飛躍、これが鳩山文政だというその業績を残していただきたい、そういうことを切に感じました。そういうことで御所見をまた承りたいと思うわけでございます。
○鳩山国務大臣 まことに傾聴に値する、あるいは傾聴すべきお考えを聞かせていただきまして、そういう伝統工芸あるいは窯業のお話もされましたが、そうしたものに対して、国が例えば高専をつくるということで、人材養成等をきちんとやって文化を後世に残すという役割を果たしておるということが、ひいてはそこに在籍する学生さんだけではなくて日本全体の文化行政に対しても大きな強いインパクトあるいはインセンティブになるだろうということはよくわかるわけであります。とりわけ、先ほど岩屋代議士が情報化ということについて質問をされました。情報化社会がやってくるということは、いわば、間違っているかもしれませんが、不易と流行という意味で言えば、これは流行の方なんだろう。しかし、変わってはいけないもの、変わらないものとして、不易なもの、大切にしなければいけないものがあるということは、臨教審の答申にもたしか随分書かれておったように、政務次官当時の記憶を今探っているところでございまして、とりわけ日本がまだ独特の文化を数多く持ちながら文化大国とはなかなか言ってもらえないという点も、そういう部分に理由が存しているのかもしれないと思います。 例えば、私は大変な食いしん坊でございます。自分で包丁を握らない日がないぐらい毎日何かごそごそつくって、夜食か朝食が食べておりますけれども、日本の食文化というものは大変なものがあるわけですね。食文化、食文化と、これはもちろん伝統的なものが多いわけでありましょうけれども、日本料理も世界の何人料理の一つに数えられても当然いいのかもしれません。またいろいろな雑誌とか漫画本に食文化、食文化と書いておりながら、実際、じゃ文化行政の中で食というものをきちんと扱うようにしているかと言えば、まだまだ不十分で、文化功労者に一人だけおなりになったというような状況にあるわけですね。 ですから、その食というものについても、私はそんなことをよく考えますし、当然先生がおっしゃるさまざまな伝統工芸あるいは焼き物ということに関して、そういうきちんとしたことができたらすばらしいなと思うわけであり、ますが、現在どういうふうに問題をとらえているかについては、政府委員からお答え申し上げます。
○前畑政府委員 お答えを申し上げます。 先ほど先生の御指摘もございましたように、現在高等学校へ進む年代が非常に減っておるという事実が一つございますし、また現下の行財政事情ということもございます。そういうことを勘案いたしますと、国立て新しく高専をつくるということについては慎重な対応が必要だろうと考えておりますが、あるいは御案内かと思いますけれども、先般札幌市が市立の芸術関係の高専をつくったという例もございます。そういったことも自治体の方でも御勘案いただければ、このように考えておるところでございます。
○渡瀬委員 私がきょう申し上げている気持ちはまさにそこにあるわけでありまして、やはりその文教行政の顔を、あるいは文教行政の志を表に出すということがこの際非常に大事なことでありまして、もちろん地方の協力といい。ますか、それはもう当然なことでありますけれども、国がこういうことをやっているんだということにしてほしいわけであります。十六歳人口の問題もありましたが、そういう意味で、地方立にしますと、その地方だけがターゲットになってしまう心配もあるわけでありまして、国がやるという意味は、まさにそこに全日本的な意味がある、あるいは世界に呼びかけるという意味がある。世界じゅうからそういう志の人が寄ってくるところに夢と希望があるわけでありまして、ぜひその辺はひとつお考えをもう少し大きくしていただきたいと思うわけでございます。 あと一、二分時間がありますので、ちょっと申し上げますと、さは言うものの戦後の日本の文教行政また福祉行政、これは予算一つとりましても、福祉、厚生省の予算が総予算の約二〇%、文教予算が約一〇%、交付税や国債償還などを除きますともっとパーセンテージは高くなるわけでありますが、福祉と教育に三〇%も国の予算を投入してきた国というのは世界にないのじゃないか、そういう誇りと自負心を持っております。防衛の問題がよく言われますが、わずかに四%でありまして、よそではまさに防衛に二〇%、三〇%の予算をつぎ込んでおる。このこと自体は非常に私は、日本の政治に携わる者の一人としても、国民の一人としても、大いに自慢していい事柄ではないかと思うわけでありますが、それにもかかわらず、何か今曲がり角に来ているのじゃないかなという気がしてならぬものですから、あえてきょうの御質問も言わせていただいたわけであります。 重ねて申し上げますが、鳩山文部大臣、国民の輿望が先生にはかかっておりますから、どうかひとつ大いに御健闘されますようにお祈りをして、私の質問を終わります。
○鳩山国務大臣 御期待は痛み入りますが、先ほどちょっと申し上げませんでしたが、また、こういうことを言うと物議を醸すかもしれませんが、先ほど先生御提案の高専のお話とかあるいは日本の文化とか考えた場合に、文部省と各省庁とのそれは縄張りとか役割分担とかいろいろあるだろう。先ほど申し上げた食ということでいえば、当然それは産業としては通産省かもしれませんし、食品衛生ということであれば当然厚生省ということにもなってくるわけでございましょう。あるいは現代の名工などというような考え方がありますね。あれは労働省でしょうか。しかし分野としてはまさに伝統文化に属することをなさる。これは各省庁とのいろいろな交わりがあることがわかりますが、しかし文化行政としては決して遠慮してはいけない。およそ文化としてとらえられることについては全部に文化庁あるいは文部省は目配りをしなければならないなということをつくづく感じまして、そういう観点から、先生が先ほど話されたような構想についても、私どもなりに考えていきたいなというふうに思っております。
○渡瀬委員 ありがとうございました。以上で終わります。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 吉田正雄君。
○吉田(正)委員 教育に深い造詣をお持ちの鳩山文部大臣、また教育の理想実現に向けても情熱をお持ちだと聞いております。率直に言って、昨日の所信表明をお聞きいたしまして、いささか物足りないといいますか、大臣の教育に対する燃えるような心情、教育改革に対する不屈の信念を吐露する気迫、あるいは子供たちを取り巻く家庭、学校、地域の環境が悪化する中で、悩む子供たちに注ぐ愛情といったものが余り感じられなかったのは残念であります。既に発表されている文教政策を事務当局がコンパクトにまとめたものは、文書で配付をして読んでくださいということでよろしいのでありまして、先ほど来の答弁をお聞きをいたしておりまして、従来の形式にこだわらず大臣自身の所信を端的にお聞かせ願いたかったのであります。時間の都合でいろいろ多くをお聞きしたいのでありますけれども、大きく二つの分野でお尋ねをいたしたいと思います。 きのうの所信表明では、冒頭で、「教育は、我が国が創造的で活力ある文化の薫り高い国家として発展し、世界に貢献していく基礎を築くものであり、我が国の将来は、究極のところ、教育の成果に帰するものであります。「人づくりなくして国づくりなし」と申し上げているように、国づくりの基本は人づくりでありこと申されておりますけれども、全く同感であります。確かに戦後四十七年間の歴史を振り返ってみるとき、憲法と教育立国の理念は力強く作用し、荒廃、貧困、食糧難の時代を国民は辛苦に耐え勤勉に励み、諸外国からの援助と相まって日本は次第に復興し、今日では無資源国のハンディを克服し、すぐれた科学技術と工業生産によって世界の経済大国にまで発展してまいりました。 しかし、貧困からの脱却、経済大国へと発展するきらめく舞台とは裏腹に、汚職と疑獄、金権腐敗の影を歴史に落としてきたのも事実であります。その影は、企業の成長、日本の発展と時を同じくしながら、暗黒をつくる巨大な怪鳥の翼のごとくになったのであります。一言で言うならば、戦後日本の政治史は金権腐敗、汚職の歴史でもあります。記憶に新しいロッキード・グラマン事件は、特定企業、商社と一部政治家の結託による汚職でありましたが、競争社会の激化に伴い、業績優先、企業社会の傾向が強まり、没人間性、倫理喪失に拍車がかかりました。リクルート事件では、企業、政、官、財界、自治体、教育界にまで汚染が拡大し、さらには資本主義経済の中枢である証券、金融界にまで汚染が浸透し、暴力団とさえも手を結んで計画的な犯罪を白昼堂々と行うところにまでまいりました。共和に続いて表面化した佐川急便事件は、戦後の金権腐敗、汚職を集大成したかの感があります。 今や日本列島は、地震、火山と並んで世界最大、最悪の汚染列島になったと言っても過言ではありません。物質的豊かさの追求が人生の最大の目的であり、手段を選ばず利潤を追求するかのような社会、全力が社会のすべてを支配できるかのような風潮は、憲法や教育基本法の理念が想定し、追求する社会、人間像とは全くかけ離れた異質のものと言わなければなりません。政治腐敗や社会のひずみが教育にも波及し、あるべき教育本来の姿が見失われた結果の人間形成が社会各層の指導的幹部の倫理観の欠如となってあらわれたのではないかとも思われるのであります。 今国民は、かかる状況の根源を徹底的に解明し、腐敗防止を初めとする抜本的な政治改革と教育改革を強く望んでおり、それはまた政治家、教育行政の責任でもあります。 そこで、文部大臣にお尋ねいたします。教育腐敗が教育界並びに子供たちに及ぼしている悪影響をどのように受けとめておいでになるのでしょうか。また、文教行政の最高の責任者として、日本が国際社会の名誉ある一員として生きていくために、憲法の示す理想を実現する基本的な力である教育をどのように推進されようとしているのであるか、お考えと決意のほどを承りたいのであります。
○鳩山国務大臣 率直に申し上げて、政治にとって一番大切なものは私は信頼だと思っております。私自身は初めて総選挙に出馬して以来今日に至るまでありとあらゆる機会にそのことを申し上げ続けてまいりました。政治が信頼を失ったら、選挙で勝つとか負けるとかということだけではなくて、信頼を失った政治というものは、基本的にもうどうにもならない状況になっていくだろうと思うわけで、そのためには何としてでも政治改革を断行しなければいけない、そして国民が本当に政治への信頼を取り戻してくれるようなそういう政治改革をやらなければならないとつくづく思うわけであります。 当然国会は国権の最高機関と憲法に位置づけられている。その条文を恐らく小学校でも既に子供さんたちは目にしているわけでありましょう。もちろん今では末は博士か大臣かなどというような言い方はないとは思いますけれども、しかし、やはり政治家というものは国民に対して大きな責任を持つ、また強い力を持つ立場として、そういう目で子供さんたちから見られているわけであります。そういう政治の現場でさまざまな事件が連発して起こる、そういうことばかりが国会の論議の的になっていくということは、教育界に与える悪影響は私ははかり知れないものがあると思っています。 これは専門用語を使うわけではありませんが、例えば先生は、二十六年間ですか、教鞭をとられた。私が生まれた年から二十六年間先生は教鞭をとっておられたというふうに理解をいたしておりますけれども、そうやって一つの教育をやっていく。もちろんそれは幼稚園でも小学校でも中学校でも高校でも一緒だと思うのですが、例えば先生が一つの教育を行う場合に、三十年前に先生が例えば一年間授業を行った、ことしまた同じ授業を先生が一年間行ったとしますね。同じような教育をしても、その教育の効果のあらわれ方は、いわば学校外のさまざまなプラス・マイナスのインパクトによって違うだろうというのが、当たり前のことかもしれませんが、一般的な学説としてありますね。これは、非常に負、マイナスのインパクトとしていろいろな要素が出てくるわけです。これは例の有害図書の問題とかあるいは町を歩けばいろいろな看板があるとか、そういうようなこともマイナスのインパクト。少子化傾向の中で兄弟の数が減って兄弟げんかをしないから、子供のころに覚えるべき人間関係が覚えることができないというのも負のインパクト。でも私は、そういうものの中に大変大きな負のインパクトとして、政治がさまざまなスキャンダラスな面を持っているという点を挙げなくてはならない。残念ながら挙げなくてはならないというふうに思っていますし、バブルというような状況あるいはその崩壊過程も、何か一つの悪いインパクトにもなっているだろう、そんなふうに思っております。 私の教育に対する基本的な考え方は、憲法、教育基本法等を大切にしながら、臨教審の答申もありますから、そうした個性を尊重しながら一人一人の子供を見詰めて愛情ある教育をやっていってもらいたいというのが教育についての私の基本の考え方でございますが、前段の部分については、私は大変大きなマイナスの要素をもたらしていると思っております。
○吉田(正)委員 まことに残念なことだったのですけれども、教育界においても過去入試に絡みあるいはその他の問題で数々の疑獄、汚職が発生をいたしております。 とりわけ、最近ではリクルート事件に関与して文部省の最高幹部であった兄事務次官の高石邦男氏が逮捕され、大きな衝撃を国民に与えました。汚職の根絶を図るためには、その発生の原因、それを許した組織、機構、運営のあり方などを徹底的に追及をし、再発を許さぬ断固たる事後措置と対策を講ずることが必要だろうと思います。 事件の詳細については省略をいたします。本院文教委員会においても当時論議されたと思いますけれども、腐敗の再発防止、政治倫理の確立の思いを込めて改めて質問し、大臣の見解をお聞きいたしたいと思います。 高石邦男氏が文部省の枢要な地位を幾つか占められる間に、業界誌を発行するなど教育界にかかわりを持ったリクルート社の江副社長ほか多数の人が文部省の各種委員会の委員や審議会委員に就任をいたしております。 そこで、お尋ねいたします。 政策や具体的な方針を作成し決定するに当たって、特定の関連企業から多数の委員を入れることは、たとえ贈収賄等のことがなくても、審議の行方や決定に何らかの好ましからざる影響を与えることは明らかであります。リクルート事件では、この点をどのように反省をされ、受けとめられたのか、お尋ねをいたします。
○野崎政府委員 お答え申し上げます。 各種審議会の委員につきましては、関係法令に基づきまして適正な人選を行う、こういう考え方で来ておるわけでございます。ただ、今先生御指摘ございましたように、いわゆるリクルート事件の当時におきまして、委員の選任が必ずしも全省的な目配りがきいていなかったのではないか、あるいは特定の者に偏っておったのではないか、こういうような反省を私どももいたしたわけでございまして、現在の委員の人選につきましては、全省的な目配りとそして特定の者に偏ることのないように、そして世の中に誤解が生じないような、誤解を招かないような、そういうような観点で適切な運用に努めているところでございます。
○吉田(正)委員 今の答弁では、一般論というか抽象的にはそのような表現で済むと思うのですけれども、具体的にはそのようなことを再び発生させない内部的なチェック体制というものはあるのでしょうか。その辺どうなっているのでしょうか。
○野崎政府委員 委員の人選につきましては、もちろん私ども官房といたしまして、官房そして次官、大臣、それぞれ委員の人選につきまして、全体としての目配りはきいているか、こういうことを十分見ながら慎重な運用をしているところでございます。
○吉田(正)委員 これは組織の常として、上の方で決定をすると、下の方では疑義ありというふうに思ってもなかなかそれが言い出せないというのが組織の傾向ではないかというふうに私は思っておりますから、目配りではなくて、関係者の意見なりあるいは下からの意見というものを十分吸い上げるような努力をされるべきではないかと思うのですが、どうですか。
○野崎政府委員 まさに御指摘の点は、私どももそのような考え方で従来運用をしてきたわけでございます。これはまずそれぞれの審議会の担当課がございますから、それぞれの審議会の担当課、あるいは協力者会議ですと、その協力者会議を持っているところでまず人選をいたします。その際にはいろいろなその分野における適任者がだれかというようなことを広く検討するわけでございますが、もちろんそういうことで運用をしてきておるわけでございまして、先生御指摘の点は大変大事な点だと私ども思っておるわけでございます。 ただ、リクルート事件におきます反省からいたしますと、そういうことがそれぞれの課で行われた、したがって全体として特定の人に結果として見ると偏ってしまうとか、そういうような反省もあったものでございますから、先生のお話の点も十分考えながら、しかしやはり全体としての目配りも大事だ、こういうことで現在運用しているところでございます。
○吉田(正)委員 今答弁をいただいたように、やはり委員の赴選任というのは極めて重要な任務を持ったものでありますから、ひとつ厳正といいますか疑惑を招かないような人選をやっていただきたいというふうに思います。 次に、昭和六十三年五月二十七日、帝京大学が設立を予定されていた福岡の生涯学習振興財団に八億円寄附することを理事会が決定をいたしました。このとき高石邦男氏は文部事務次官に在任中であり、翌六月十日に退職し、当敵財団の理事長に就任が予定されていた時期であります。同財団の県教委への設立詞可申請は七月六日になされ、認可は七月八日に行われております。寄附金は、申請日と同じ七月六日に拠出をされております。 ちなみに、帝京大学に対する私学助成金を見ますと、額の順位からいいますと、昭和五十六年度が三百四校中二十四位、額で二十二億六千六百万円です。五十七年度が三百三校中二十四位、二十二億一千八百万、五十八年度が三百三校中二十一位、二十五億二千五百万、五十九年度が三百四校中二十位、二十二億九千三百万、六十年度が三百十一校中二十位、二十二億六千万、六十一年度が二十一位、二十億九千三百万、設立前年度の六十二年度は三百十三校中十六位、二十四に五千六百万円と急上昇をいたしております。財団認可後の六十三年度は三百十九校中二十位、元年度が三百二十二校中二十七位、二年度が三百二十五校中三十七位と普通に戻っております。財団設立の前年度の助成金が突出していることは明らかでありまして、そのために帝京大をトンネル機関に利用したとの疑惑が持たれるのは当然であります。 その後、十一月三日にリクルート社の株譲渡が発覚し、衆議院リ特別委で証人喚問され、二十三日に理事長の辞任を表明されております。その後、十二月六日、中島源太郎文部大臣は、参議院の文教委員会で、同財団を散会の方向で検討することを明らかにされましたが、その後の経過についてお尋ねをいたします。
○野崎政府委員 お答えいたします。 今御指摘ございましたように、生産学習振興財団、これは昭和六十三年七月六日に福岡県教育委員会に対しまして設立許可申請が行われまして、七月八日に設立の許可を受けたわけでございます。そして、これにつきましては、現在その設置目的に沿いまして財団としての事業を実施をしている、こういうように承知をしております。
○吉田(正)委員 適正に運用されておるということでありますけれども、この設立当初から高石文部次官が次の衆議院選挙に立候補するという決意も固められておったわけでありますし、この財団が非常に手際よく設立をされた。しかもこの寄附金がまだ認可申請も出されないうちに学校の理事会で寄附を決定しておる。そして申請と同日に寄附金が拠出をされておる。認可以前に行われておるというこの事実をとっても、この財団の設立というものが当時の高石文部次官の衆議院選挙に大きな力を発揮をしていただくという意図があったんじゃないかと思いますし、また、仮に当選をしておったとするならば、その後の彼の政治活動にも大きく寄与をする、そういう計算が働いたんではないかと、私は事実そのとおりだろうというふうに思っているのですよ。そこで、中島文部大臣が参誠院の文教委員会で、解散も検討しているということをおっしゃったのは、これらの経過、事実というものについて大臣みずからが疑惑を持たれた結果ではないかというふうに思っておるのでありまして、単に適正に運用されておりますという通り一遍の回答では、これは回答にならぬと思うのです。
○野崎政府委員 お答え申し上げます。 この財団は、豊かで活力ある地域社会づくりに寄与することを目的として、生涯学習会館を設置、運営する、そして教育関係団体等に対する援助や各種相談事業などを行う、こういうことを事業内容としておるわけでございます。 この財団の設立に当たりましては、福岡県の教育委員会に対しまして事前に十分な打ち合わせが行われた。そして申請書類が完備をしていたというようなことで、許可申請が提出されてから後スムーズな決済が可能になったということでございまして、同県においては同種の例もある、このように聞いておるところでございます。なお、財産の拠出というのは、当然認可の前にそういうものがございませんと認可できませんので、そういうようなことになっておると思います。 なお、その後の経緯でございますけれども、高石氏は昭和六十三年十一月二十三日付で本財団の理事を辞任をしておりまして、その後の財団の運営につきましては、今申し述べました設立の趣旨、目的に従いまして自主的判断と責任において運営が行われている、このように理解をしているところでございます。
○吉田(正)委員 財団設立には極めて厳しい条件、制限というものがあって、非常に厳密な審査を受ける、これは教育関係だけではないわけですけれども、今私学が極めて財政上苦しい運営をやっておりまして、また文部省でも予算編成に当たっては、私学に対する助成金をめぐって最後まで大蔵省との間に激しいやりとりが行われる。最終的には政治的判所ということで補助金が決定をするわけでありますけれども、その二十四億円の補助金の中から八億円もこの特定財団に寄附をするということは、これはもう仮にここで高石文部次官が関与をされておらなかったら、こんな巨額の金を寄附するわけもないし、また認可がこんなにすらすらといくとは思われないのですね。したがって、私学助成の面から見ても、これは厳しくチェックをしなければならぬわけですし、仮に疑惑を持たれるようなそういう行為があったならば、返還を求めるとか、そういうことをやらないと、もしこれを何ら問題がないということにして許すならば、今後の私学助成にとって極めて大きな問題点を残すことになるのじゃないか、何ら反省がないんじゃないかということになると私は思うのです。そういう点では大臣、どのようにお考えですか。
○鳩山国務大臣 先ほどの先生の冒頭の御質問に関しましては、私はいわゆる政界での一連の事件ということでお答えをしたつもりでございます。実は、その際に先生は教育界という表現もとっておられたので、私はその辺あえて含めないで御答弁申し上げましたが、教育界と先生がおっしゃったのが、いわゆるリクルート関連の今御質問の趣旨であるということを後から理解をいたしまして、今後そのような、いやしくも教育にタッチをする私どもの関係から、そういうような問題が起きないように、再発はもう絶対に許されないこと、それは全国の青少年の教育の責任を持つ官庁の中でそういうようなことが起きれば、それこそ先ほど私が申し上げたマイナスのインパクトというのはさらにさらにはかりしれなく大きいものになりますから、その辺は十分気をつけていかなければならないと思っております。 いきさつ等については、今官房長から何度も御答弁申し上げましたように、私は余りよく承知してない部分もございますから、また必要があれば政府委員の方から答弁を続けさせます。 実は、先ほど船田先生を中心に私学助成のあり方についてみんなで相当の勉強をやったということを申し上げましたが、ちょうどそのころに絡んでおったわけですね。ですから、具体的に帝京がどうだからこうだということは私どもは申し上げませんでしたが、実際私学助成がこんなに減ってきてしまって、大学も新増設が続いておりましたでしょう。臨時増募もやる、恒常増募もやる、しかも大学の新設もやるということですから、いわば経常経費の分母がどんどん大きくなっていく。したがって前年より何億かふえる。平成四年度予算は私学助成は大宇と高校以下と、装置と設備と合わせてちょうど七十二億円増になるわけですが、七十二でパープレーだなんておっしゃった方もいますが、ただ当時も十億や二十億、三十億、四十億ふやしましても、分母がふえますから一%ずつ落ちるのですよ、まず経常経費の助成率が一%ずつぐらい落ちていく。これを何とかしないと大変だ。私学振興助成法の精神なんかどこかに飛んでいってしまっているじゃないか。でも、それをやろうとするのに、吉田先生も御指摘があったように、世の中からまた私学助成したものが何か使われ方が変じゃないかという疑いを持たれたらできないわけですね。だから本当に今までの私学助成の仕組みでいいのだろうか、もっと国民が納得して、もろ手を挙げて賛成してくれるような助成の仕組みはないだろうかということから船田先生を中心とする研究会を開いた、そういういきさつがありましたので、今先生がお話しになったような心配をみんなで持ちながら議論をしたことを覚えておりますし、今でも私学助成の使い道が世の中の指弾を受けるようなことがあっては絶対いけないと思います。
○吉田(正)委員 大臣は当時自民党の文教部会長で、文教制度調査会内に設けられた私学助成に関するプロジェクトチームの座長を務めておいでになりましたね。ですから、今の答弁である程度それは理解できました。 とにかく、いずれにしても、教育に関してそういう汚職であるとか腐敗が発生する、あるいは私学助成に名をかりて国民の疑惑を招いて今後に悪影響を及ぼすようなそういう行為については、これは文部省にまず最高の責任があるわけですから、そういう点で今後とも厳重なチェック体制をとってもらいたいと思うのです。 そこで、もう少し具体的にお聞きをいたしますけれども、文部省はこの事件が起きた翌年の三月二十日に日本私学振興財団と協議し、私学助成を受ける私立学校が行う学校法人以外の団体への寄附について届け出を義務づけることを決定し、同年四月実施を目指し、同財団の私立大学等経常費補助金取扱要領を改めたのですね。 そこで、これは事務当局になると思いますが、改正等の手続はどのようにして行われたのか、それから改正の具体的な内容がどうなっているのか、お聞かせ願いたい。
○奥田政府委員 御説明申し上げます。 今先生御指摘のように、平成元年度から、私立大学等経常費補助金の交付を受ける学校法人が、学校におきます教育研究に関する事業以外の事業に対しまして一件につき五百万円以上の寄附金を支出するというような場合には、あらかじめ日本私学振興財団へ届け出るということで、これを御指摘がありましたように平成元年三月二十日付で財団の理事長裁定をもって通知をしたところでございます。 この趣旨は、これを義務づけることによりまして、学校法人が寄附を行う場合には慎重かつ適切に行うということを期待して行ったところでございます。
○吉田(正)委員 例のリクルート事件とこの財団との関係がやはり疑惑を持たれた。問題があったということで、今の取扱要領というものを変えざるを得なかったということだろうと思うのですけれども、五百万円未満の場合には届け出る必要もないということですから、幾つか分散をしてやれば幾らでも、これは俗に言うしり抜けといいますか、抜け道があるわけですね。したがって、それらの対象外の五百万円以下の金額についてはチェックのしょうがないのじゃないですか。その辺どのようにお考えになっているのですか。
○奥田政府委員 お答えいたします。 学校法人が社会的な実体として存在しているわけでございまして、特に寄附金等につきまして違法な寄附金ということになりますと、先生御指摘のようにいろいろな問題があろうかと思います。そこで今お話しのように、少額の寄附金につきましては、いろいろ関係者の御意見等も聞きまして御議論を申し上げたわけでございますけれども、総合的に考えまして、五百万円未満の寄附金につきまして届け出を課するというふうなことは当面必要ではないのではないか。今後そういうことで、先生御指摘のように、それが五百万円以上になる、そのいわば抜け道として使われるというふうな実態が出てくれば、それはその時点でまた考えるということでございますけれども、一般的に申し上げまして、社会通念上少額というふうに考えられる五百万円以下の寄附金につきましては、とりあえず対象外にしたということでございます。
○吉田(正)委員 今の答弁では国民が聞いても納得できませんよ。 例えば、五百万円未満は届け出る必要もない、何に使ったかもわからないという場合、今政治倫理の確立て、政治改革で大問題にもなっておりますけれども、いろいろなパーティー券の問題がありますね。例えば某政治家がある大学へ行って、私のパーティー券、例えば二万円のものを二百五十枚買ってください。五百万円未満でおさめてしまえば幾らでも出せるということになるのではないですか。チェックのしょうがないのじゃないですか。今違法などか不適切な支出については、そういうことはないだろうとおっしゃっておりますけれども、現実にはこういう事例は幾らでもありますよ。そういう点で私は五百万円未満でしかも届け出制ということではチェックのしょうがないのではないかということを言っているのです。答弁になってないですよ。
○奥田政府委員 お答え申し上げます。 パーティー券は、これは債務の履行というふうに法令上解釈をされているようでございまして、これは寄附金には当たらないということになります。 それから、国から補助金を受けている学校法人の場合には、先生御案内だと思いますけれども、政治資金規正法によりまして政治活動に関する寄附は禁止されておりますので、こういうことがわかれば、これは問題になるということでございます。
○吉田(正)委員 あなたは実態を知らないようですね。パーティー券を買っても、寄附金扱いをやろうと思えばできるのですよ、適法かどうかは別にして。例えばパーティー券を持っていく。百枚なら百枚を買って、それに相当するものを寄附金として出すことだってできるわけです。現実にはそういう事例がいろいろ取りざたをされておるのですよ。だからそういう点で、出については厳しくやるべきだ、入りについてもそうですけれども。いずれにしてもわからないじゃないですか、報告しないのですから。寄附金で処理をされたらわからないでしょう、五百万円。 そういう点で私は、この問題については、今の取扱要領の改定では、これはザル法、まあ法律ではないのですけれども、底が抜けている要領だというふうに思うのです。 この点については、事務当局に聞くよりも、基本的な考え方として、大臣、一体どうすべきだとお考えですか。
○鳩山国務大臣 これから大いに勉強していかなければならないことと思いますが、ちょっと皮肉のような話になるかもしれませんが、しつこいようですが、今経常経費に対する助成率が多分一三%台だろうと思います。もしこれが私学振興助成法の精神どおり五〇%補助をもらえたとします。本当は五〇%も一三%も違いはないかもしれないけれども、例えば五割の経常経費の助成というのが完全に成立したとすれば、私立学校というものも非常に公的な責任が強くて、半ば公的な存在というような見方もできるわけです。そうなってくれば、当然これは、いわばディスクロージャーの問題というのでしょうか、非常に難しいけれども、少なくとも私学のあるいは学校法人の経理とか会計というのがどのようになっているかということをもう少し研究をしていかなければならない、そういうような方向で物を考える必要が出てくるのではないか、私は漠然とではありますが、そんなことを考えております。
○吉田(正)委員 大臣も内容については御存じだと思うのですよ。そういうことで、非常に難しい内容を含んでおりますし、大臣の答弁によって今後の私学助成に悪影響が出るということも大変心配されているのじゃないかなというふうに推測をするのです。 しかし、いずれにしても、五百万円が少額だというふうな話がちょっとありましたけれども、私はこの厳しい学校財政の中で五百万円が決して少額だとは思えないのですよ。そういう感覚だから放漫財政になっていくというふうに私は思うのですね。その点について、どのように内容を変えるかどうか、それは研究されて、その結果ということになると思うのですけれども、もう一回大臣、その辺どういうふうにお考えですか。
○鳩山国務大臣 ですから、先ほど申し上げましたように、一つの私学あるいは学校法人に私学助成が行きますね。もちろん私学もいろいろなお金、それは授業料から入学検定料から、あるいは私学として寄附を募ったり、あるいは基本財産の売り買いとかいろいろなのがあろうと思うので、私はそういう会計とか経理のことは全く素人でわかりませんが、そういう中に、例えば私学助成のお金というのもまじって、お金にはお札にこれが私学振興財団と書いてあるわけではないのですから、とのお金がどこへ行ったかという判定はお金という本質上なかなかできることじゃないと思います。 ただ、そういう難しい問題をはらみつつ、今先生御指摘のようなことは私も十二分に心配をしているわけで、五百万という区切りがどういうところから出てきたかはよく勉強をしあるいは検討したりしていかなければならないと思っておりますが、私はまだこれでも、今後の私学助成のあり方というものが、しつこいようですが、倍、三倍になることを夢見て、そういうふうに教育に投資としての価値を認めて、国全体が、社会全体がそういう政策を認めてくれる時代が来るというふうに夢見て考えておりますから、そういう事態を想像してみるならば、ディスクロージャーな問題かもしれませんが、いやしくも私学助成の金が何に使われたかわからないという疑惑を抱くようなことがあってはいけないというふうに思っております。
○吉田(正)委員 大臣、認識をされていると思いますから、今度は具体的な内容についてもう少しこの問題を、今後の私学助成の、今おっしゃったような経常経費の五割というものは、私どもも文部省、大蔵省に要求をしているのですから、そのためにも、やはりこの財政はガラス張り、厳正でなければいかぬと思いますので、そういう点で十分に今後気をつけていただきたい。これは要望しておきます。 今ちょっとパーティー券という言葉が出たのですが、これももう既に報道されて事実が明らかになっているわけですけれども、例の「高石邦男君と語る会」のパーティー券の購入依頼というものを文部省や各県教委が介入もしくは直接依頼したという幾つかの事例が明らかになっているのですね。現在も政治倫理の確立、腐敗防止という中でも、このパーティー券の問題というのが論議をされているのですけれども、いやしくも中央官庁である文部省当局とか県教委が、公約機関がそういう特定の候補のパーティー券の購入の仲介的な役割をするというのは、これはもう問題にならないと思うのです。それに対する考え方と、今後それをどのように防止するのか、これも大臣のお考えをお聞きしたいと思うのです。
○鳩山国務大臣 先般の予算委員会で、あれは厚生省と民生委員ですかの、政治連盟でなかったとか政治連盟だったとかというようなことで若干紛糾をいたしたりしておりましたが、これはまさに政治と行政、司法を含めてお互いにチェック・アンド・バランスの関係に立たなければならない、そういう三権の間柄において、その政治的中立を守らなければならない公務員、国家公務員を巻き込んで選挙運動を行うなどというようなことは決してあってはいけないことであります。もちろんそれがパーティーであろうと何であろうと、そうしたことについては。 私は、法律、国家公務員法とか人事院規則とか詳しく知っているわけではありませんけれども、ただ、昔祖父が政治家をやっておりましたころに演説会があって、祖父は当時現職の総理で出られなくて、立会演説会なのか何か、個人演説会かわかりませんが、私の母がかわりに演説をしなければならないことがあって、その送り迎えを大蔵官僚である父がやって相当うるさく怒られだということを聞いたことがあります。それが便宜供与をしたのか何かわかりませんが、それがうるさく問われるようなことであってしかるべし、正しいというふうに私は思っておりますから、そのようなことは絶対に行われないように、私は当時は新聞報道で一連のパーティー券等の話を聞きまして、その後文部省の首脳たちがその再発防止についてはいろいろ詰めてきたと思っております。 そんなところで、私はそういうことは絶対あってはならぬと思っております。
○吉田(正)委員 それでは、この今の問題については時間の関係もありますから、この程度でやめます。 もう一点、これももう既に新聞、雑誌等で報道されておりますけれども、渡辺秀央郵政大臣の入学あっせん問題についてお尋ねをいたしたいと思うのです。 渡辺郵政大臣は、御承知のように昭和五十一年十二月に初当選をされて以来ずっと今日まで連続当選をされておいでになっているわけです。その当選から平成二年二月まで第一秘書を務めた側近中の側近である長沢秀幸氏の告発手記によって、この問題が表面化をいたしました。長沢氏が告発をする以前から渡辺代議士の地元新潟三区では、大学入試は渡辺先生に頼めば何とかなるというひそかなうわさが流れておったのは事実であります。今回彼の告発手記を読んで、それが不幸なことに事実であったことを知り、私自身も驚いております。手記によれば、渡辺代議士は入学から進級、さらに卒業までありとあらゆる陳情を請け負うあっせん屋として裏金を受け取っていたとその実態を詳しく述べており、その事例の多いことに愕然といたしております。 去る二月十九日の衆議院予算委員会で社会党の和田静夫議員が追及したことは、当日御出席の鳩山大臣もお聞きになって承知をされているはずでありますけれども、渡辺郵政大臣は、その幾つかについて金銭の授受を認め、不徳のいたすところと陳謝をいたしております。以前から多くの父母や受験生は大物政治家に金を渡せば何とかなるらしいといううわさを聞いていたと思いますが、受験生を持つ親のわらにもすがる思いや金の力で政治家を利用しようとした企てが成功した今回の事例によって、入試に対する国民の不信感が増大したことは極めて遺憾であります。 そこで、大臣、今回の渡辺郵政大臣の事例は不正入試として教育史上に大きな汚点を残すことになりましたけれども、これに対して大臣はどのようにお考えになっておるのか、また今後このような事例が再発をしない対策をどのようにおとりになるのか、お尋ねをいたします。
○鳩山国務大臣 渡辺郵政大臣の入試に絡む報道があることは私知っておりますし、また予算委員会での何回かのやりとりも、当然一閣僚としてその質疑応答は聞かせていただいておりましたが、ただ、私としては、その事実関係等は一切承知をしておりませんので、具体的なことを申し上げる立場にはないわけであります。 入学試験というものの厳正あるいは公正というものについては、これは将来の日本人をどう育成するかという観点はもとよりでございますが、何よりも受験をするお子さんたちがそういう疑惑を感じるとか不安を持つとかということがあれば、こんな気の毒なことはありませんので、青少年育成上も大変大きな問題であると考えております。そのような観点から、文部省としては、これは毎年国公私立すべての全大学に対して通知を発しまして、大学入学者の選抜に当たっては、公正な方法により行うよう指導しているところでございます。 私は、これは大変一般論がと思いますが、今先生もお触れになりましたように、世の中全般に何か政治家にそういういろいろな陳情をする、就職だとか交通達反だとか入学関係だなんというのは一番多い相談事の一つだというふうにこれは言われていることもあるわけですね、実際問題として。ですから、世の中一般の風潮としてあるとすれば、それをなくしていかなくてはならない。そういうお願いを、例えば文部大臣という立場などは積極的にしていかなければならない、そういう役職ではないのかなというようなことを私は最近時々感じる場合がございます。 以上、郵政大臣の件については、事実関係を把握しておりませんので、具体的なことは申し上げられません。
○吉田(正)委員 この文教委員会の場は、法廷でもなければ予算委員会ともちょっと性格が異なるようにも思いますけれども、そのようなことが報道されただけでも、これは大変な問題でありますから、従前の通達、さらには今後それがより厳正に行われるように大臣以下文部当局の御努力をお願いをいたしたいというふうに思います。 次に、先ほど来自民党議員の皆さんも御質問をなさっておりましたけれども、学校五日制についてお尋ねをいたします。 学校五日制の導入については、昭和六十一年四月に臨時教育審議会第二次答申が「週休二日制に向かう社会のすう勢を考慮しつつ、子どもの立場を中心に家庭、学校、地域の役割を改めて見直す視点から、学校の負担の軽減や学校の週五日制への移行について検討する。」と初めて提言してから、関係各省庁においても検討が進められ、学校五日制の導入は完全週休二日制の早期実施の動きとともに確実なものとなりつつあります。すなわち、平成二年六月の経済審議会報告は、「学校週五日制については、国民のコンセンサスの形成を図りつつ、その早期実現に努めるべきである。」と述べ、平成三年七月四日の臨時行政改革推進審議会の国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する第一次答申では、「年間総労働時間を千八百時間程度に短縮するという目標達成に向けての取組みを強化する。その一環として、公務員の完全週休二日制を早期に実行する。また、学校の週五日制に向けた検討を急ぐ。」と述べ、昨年八月七日の人事院の完全週休二日制に関する報告・勧告でも、学校五日制については速やかに対応すること、完全週休二日制は平成四年度のできるだけ早い時期に実施することを政府に勧告をしていることは、大臣も御承知のとおりであります。去る二月二十日には、文部省の社会の変化に対応した新しい学校運営等に関する調査研究協力者会議が平成四年度の第二学期から毎月第二土曜日を休業日とする報告書をまとめ、先ほどの大臣答弁の中でも、その線で検討中であるというふうに答弁をなさっております。そこで幾つかの点についてお尋ねをいたします。 まず最初に、学校五日制の社会的、教育的理念といいますか、評価をどのようにとらえておいでになるのか。週休二日制との関連でお聞かせを願いたいと思います。
○鳩山国務大臣 これは若干抵抗のある言い方と先生受け取られるかもしれませんが、週休二日制と学校五日制というのは、先ほど申し上げたように、もちろん関係はあるわけです。世の中一般が敗戦の焦土の中から、国破れて山河ありという中で焼け跡民主主義が出てきて、などというそれこそ私が生まれたころの話ですが、そういう国づくりが進んできて、国際的に見てもいろいろな数字が示すような経済大国になってきて、そういう中で国際摩擦というものもあって働き過ぎだというような評判もあるとか、いろいろな中から当然余裕を求めて、人間働くことは最高の生きがいかもしれないけれども、もっと幸せや喜びを、楽しみをダイレクトに求めたらどうかという、これが週休二日制への一つの流れの源にあるだろう、私はそう思うわけであります。 それで、大人の方々の、働く人たちのそういう週休二日というものと学校五日制というのは無関係ではない、十分関係があると私は思っていますのですが、若干抵抗があるかもしれませんと申し上げたのは、それでは学校の先生方を週休二日にしてもらうために子どもの学校五日制というのを考えているとか、そういうことではないものですから、そこのところは十二分に――これはまとめ取りということについてはまたいろいろ御議論をしなければならないと思いますけれども、よく町を歩いていて言われるのは、要するに学校の先生にも週休二日制が徹底していくから学校が五日制になるの、こういうふうに言われるわけです。というのは、国家公務員の完全週休二日が平成四年度のできるだけ早い時期からということになっておりましょう。これは法律が通っていく。そしてこれが地方公務員に波及すると、当然世の中一般は夏休みのまとめ取りとかそういうことを十二分に理解してないから、先生が週休二日になるから子供も五日制になるのかというふうに言われると、いや、そこのところはちょっと分けて考えてくださいよというふうに私なりに説明をしておるわけで、もちろんそういう時代の流れの中での事柄ではありますけれども、お子さんたちがもっといろいろな体験を積んで個性を伸ばしていけるように、少しは余裕を持っていかなければならないだろう。月に一遍の土曜日を有効にお子さんたちに使ってもらって、そのことが社会体験とか奉仕体験とか自然体験の増加につながって、それが学力と言うか言わないかは別にして、いわば一種の問題解決能力、将来大人になったときの問題解決能力の源には、やはり体験の積み重ねというものがあるとするならば、そうした土曜日の体験が必ず将来の役に立つという形で何とかこれを定着をさせていきたいと考えております。
○吉田(正)委員 ちょうどお昼になりましたので、残りの時間については午後に回させていたがきます。
○伊藤委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。 午前十一時五十九分休憩 ――――◇――――― 午後一時一分開議
○伊藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。吉田正雄君。
○吉田(正)委員 先ほどの学校五日制に関する当初の大臣の見解をお伺いしたところ、五日制の問題と週休二日制の問題について大臣のおっしゃっている意味はわかるのですけれども、私の質問とちょっとかけ離れているような感じもいたします。また後ほど宇都宮議員の方からも五日制に関連してお話があると思うのですが、きょうは時間がありませんから、いずれ機会を改めて、さらに五日制と二日制の問題については当委員会で論議をさせていただきたいというふうに思っております。 そこで、この二月二十日の日に出されました調査研究協力者会議の最終まとめに関連をして、文部省の五月制導入の当面の具体的構想、方針についてお伺いをいたします。 まず第一点は、条件整備しながら逐次段階的に完全五日制を目指すということがうたわれており、ますけれども、整備次第でいつになるかわからないというふうに思うわけです。そうではなく、当初から完全実施することにより成果を大きく上げることが、条件整備の若干のおくれのデメリットをカバーし、未知への不安を解消することになると思うのです。これは、研究協力校の場合も、月一日の学校あるいは月二日の学校というふうにあったと思うのですが、開始に当たって父母は大変心配されたと思うのですけれども、実施の結果の報告分析によりますと、父母の理解が非常に強まったということがうたわれておるわけです。そういう点を考えますと、条件整備というだけではいつになったら条件整備になるかわからないわけですから、そうではなくて、やるというその決断をもって、むしろ同時並行的に進行することの方が条件整備も早まるんではないかというふうに思うのですけれども、いずれにいたしましても、この最終まとめでは段階的導入を提案をいたしておるわけですから、当面やむを得ないとするならば、完全五日制の早期実施を目指し調査研究校を大幅にふやすべきだと思うのですけれども、その具体的な計画があるのかどうか。また条件整備というからには、条件成熟の地域では画一化を避けて月二回以上実施していい地域もあるんではないか。そのような学校もあるんではないか。現に研究協力校では二回やっているところがあるわけですので、その点でそれを地域に広めるという考え方があってもいいんじゃないかというふうに思いますけれども、この点についてはどのようにお考えになっておるのでしょうか。
○鳩山国務大臣 具体的な点は初中局長からお答えいたしますけれども、例えば先生方からも強い要望があり、文部省としても一生懸命やってまいりました四十人学級という問題があります。これは五十人学級より四十五人の方がいい、四十五人学級より四十人学級がいいというのは、これは世の中すべての基本的な見方で異論はほとんどなかったわけですね。ところが、この学校五日制という問題は、我々はそれを言いかえて地域・家庭二日制などと呼びたいとも思っているのですが、先ほど先生もお触れになりましたように、調査研究協力校六十八校の中でどういう意識変化が出たかということについては政府委員が御答弁申し上げますけれども、一般的な世論調査の中でどっちかというとまだ反対の方が多いなどというような、つまり学校五日制賛成か反対かと単純に聞かれると、反対という人の方が多いなどという世論調査も過去に幾つかあったというふうに聞いておりまして、これは条件整備の中で一つ有力なものが、やはり世の中の理解を得ていく、それはいろいろな社会教育同体等の理解を得るということも条件の一つでしょう。塾のようなものの理解を得るということも一つでありましょうが、やはり私は、一番は家庭だろう。何といっても家庭の理解というものがなければいけないわけで、家庭が正しく理解をしてくれれば、土曜日が塾通いということにもならないと思うのです。極端な話、土曜日子供にいられちゃったらおれがゴルフ行けないじゃないかというような父親の状況だったら、この五日制というのはやっても本当のしかるべき成果が得られると私は思わない。ですから、一つずつ乗り越えていかなくちゃならないハードルがいろいろあるだろうということで、私ども段階的ということを申し上げているわけでございます。
○坂元政府委員 調査研究協力校の保護者のアンケートの状況でございますが、全体の平均で申し上げますと、調査を始める前は四〇・八%が賛成であって反対が五一・三%でありまして、残るのはわからないということであります。それが調査を終わって試行した後の賛成は四八%で八%ふえております。それから条件つき賛成というのが三〇%ございまして、ただこれの分析が大変難しい。全体とすれば、私どもやる前とやった後とはやった後の方が賛成者がふえているという状況にあるという分析をしておりますが、ただ、この条件つき賛成の三〇%の、ではどういう条件が満たされればいいのかというその条件が、社会において週休二日制が一般化する、子供の学力が低下しないよう学校が授業時数の確保や指導方法の工夫を行う。それから、これはまた同じ条件でありながら自己矛盾なんですが、子供の月曜日から金曜日までの学習負担がふえないようにするというようなもろもろの条件がございまして、条件つき賛成というのも、ではその条件が整わなければ反対なのかどうか、その辺が大変分析が難しいところでございます。ただ全体とすれば、先ほど御説明申し上げましたとおりに、やる前とやった後では、やった後の方が全体としては賛成者がふえている、理解が深まったという状況にあることは御指摘のとおりでございます。 それから、来年度の調査研究協力校をふやしたらどうかという御指摘でございますが、御承知のとおり現在九都県、六十八校でやっておりますが、来年度は各県五校ずつということで二百三十五校を指定するための予算を計上いたしておるところでございます。 ただ、各県五校といいましても、これは非常に規模の小さい県と東京、大阪のように規模の大きい、あるいは地域の非常に広い北海道などを含めまして平均五校でありますので、それぞれの地域でそれぞれいろいろな事情でふやしたいという御要望があることを私ども承知いたしております。したがって、御要望どおりの数字を全部これで拾えるというふうには考えておりませんけれども、各県の事情を今聴取している最中でございまして、その聴取の結果に基づいて、少しずつでも御要望に応ずるような方向で二百三十五校にふやして研究していこうとして指定をしたいというふうに考えております。 それから、今大臣が御説明申し上げましたとおりに、協力者会議の考え方は、条件が云々というよりも、まず歩きながら考えたらどうか。そして来年度は月一回をやる、それでその月一回をやる過程の中で出されたいろいろな問題点をクリアしながら前へ一歩一歩進んでいったらどうかという考え方でございます。御承知のとおりに、非常に条件の整った、地域の住民の理解が得られやすいところもありましょうし、非常に得られにくい、特に学校種別で申し上げますと、身障者、特殊教育諸学校などは、保護者は極めて消極的でございます。そういうような状況でございますので、必ずしも条件さえあればいいのだというより、むしろ保護者の理解が一番大きなポイントではないかというふうに私ども思っているわけでございます。 それから、先生御指摘の、ある程度保護者の理解が得られるようなところは月二回、研究指定校に関係なくやらせてもいいではないかという御指摘でございますが、御承知のとおりに、学校五日制の問題は教育課程の基準との問題もあり、学校教育のあり方の基本にかかわる問題でございますので、これは結局国で、私どもが慎重にかつまた前向きに検討し判断すべき事柄ではないか。そういう意味で、調査研究協力校以外の学校で二回以上の実施を行うということは適切ではないのではないかというふうに私どもとしては考えているところでございます。
○吉田(正)委員 先ほど大臣からもちょっとお話が出て、学力低下を防ぐようにとかいろいろな話があったのですけれども、五日制の導入に当たっては、子供の負担を増大させないよう配慮するというふうに最終報告では述べておるわけですけれども、休業土曜日の授業や行事など、他の曜日に仮に振りかえるとか上乗せするということになると、何のために五日制にしたのか、これはわからないということになるわけでありまして、そういう点では、教育課程の編成や実施の段階で、その辺を十分配慮した五日制でなければいけないというふうに思うわけでありますけれども、この点について。 それからもう一つ、先ほどの大臣意を尽くしたお話、まあ時間がなくてそうなったんだろうと思うのですけれども、教師の五日制と週休二日制とは違うんだというふうなことで、教師にはその他の休業日もあるじゃないかというふうなお話もちらっとあったと思うのですが、しかし、この最終報告書では、五日制を実施することによって、教師にも自分の研修等を含めて学習とその他のゆとりが出てくるんじゃないか、そういうまた利点があるという点での指摘もここではなされておると思うのですね。そういう点で、その辺の整理が必ずしも十分なされてないんじゃないかと思うのですが、この点についてお伺いいたします。
○坂元政府委員 最初の点でございますが、休業日の土曜日の授業を他の曜日に上乗せしないで実施すべきじゃないかという御指摘でございます。 学校週五日制を実施するに当たりましては、指導内容の改善や指導方法の工夫を行うなど、学習指導の一層の充実を図り、子供の学習負担が増大しないよう配慮しながら教育水準を確保するよう努めるべきであるという協力者会議の指摘がございます。 現在のところ、私どもとしましては、週二日までは、学校行事とかあるいは教科外授業の工夫など、見直し、精選などによりまして、今の基準と定められております授業時数は大体確保できるん。ではないかというふうに考えております。 ただ問題は、どういうやり方をするかというのは、やはりそれぞれの学校が地域の実情に応じて判断をしていただくのが最もいいんではないかというふうに考えておりますが、ただやみくもにそう言いましても、何も手本がないじゃないかという御指摘もございますので、私ども、現在研究協力校でどういうやり方で、もちろん小学校などは大体授業を上乗せしないで処理をしているというようなデータになっておりますが、そういう研究協力校などが実際にどういう方法でこれをクリアしていったかという実践成果の事例集を作成しておりまして、これを各都道府県教育委員会に配付をして、参考にしていただきたいというふうに考えております。 それから、後段の学校五日制と教師のいわゆる四十時間勤務の問題でございますが、私どもは、学校が休みの土曜日は原則として勤務を要しないし、言いかえれば先生も休みにする、そういうふうにとるべきだと考えております。 ただ、いろいろな事情で生徒が学校に出てくるということも考えられるものですから、その場合には、各学校でそれぞれ校長先生と先生方がいろいろ相談をして、交代なりなんなりで休業土曜日に学校に出てきていただくということも経過的には工夫していただきたいということも考えております。 ただ、先ほど大臣もちょっとお触れになりましたが、公務員の週四十時間制というのが、今聞くところによりますと、十三日の閣議で決定して法案改正を国会に上程するということになっておりますが、実際にいつからスタートするかはわかりませんけれども、私どもも、基本的には教員の勤務時間も公務員の勤務時間と合わせて、一般の公務員が四十時間になるときには教員の勤務時間も四十時間にすべきだという姿勢で臨みたいというふうに考えております。 そうしますと、現在先生御承知のように、まとめ取りは、現在月二回の分につきましてはすべてまとめ取りで処理をしているわけでありますが、そこで月一回は勤務を要しない日が休業日にできるといたしましても、あとの月一回の処理をどうするのかというのも、これまた大きな問題ではございますけれども、経過的には長期休業日のときのまとめ取りということで処理をしていかざるを得ないのじゃないかというふうに考えておりまして、これは法案が成立するまでの間に文部省全体で検討をしていきたいというふうに考えております。
○吉田(正)委員 これは直接学校五日制とは関係ないですけれども、大臣、私の地元にも中小企業がたくさんあるんです。それで週休二日制が大企業ではどんどん実施をされておるのですね。それで中小企業の中でも形式的に週休二日制をとったところの勤務実態がどうなるかというと、結局は残業にしわ寄せをされているということで、二日制にした意義が余りないということでありますから、私は、やはり子供の心身の発達段階なり、さらには家庭の、家族の時間であるとかあるいは地域活動等、あらゆるものを活用するといいますか、そういう範囲を広げるということによって五日制というものを、子供に負担がかからないような、土曜日のものをすぐほかの曜日に割り振るというのでは本来の五日制の趣旨に反すると私は思うのですね。 そういう点で、先ほどは具体的な学習指導要領や指導の内容等において、その辺は適宜解決をしていくという趣旨のお話もあったと思うのですが、私は、学習指導要領が改訂されて、いよいよ新学習指導要領の実施段階ということですから、またここでということはちょっとどうかなという感じもするのですけれども、しかし早期完全五日制を目指すならば、五日制に向けた学習指導要領のあり方について今から検討していく必要があるのじゃないか。すぐことし出すとか来年出すということじゃないのですけれども、どうせ実施が段階的に行われていくということでありますから、その五日制に向けての学習指導要領というものを早急に検討していく必要があるのじゃないかと思いますけれども、この点についてはいかがですか。
○坂元政府委員 先ほどちょっと触れましたが、私どもの机の上の試算ですと、月二回までは何とか今の授業時数の基準、これは学校教育法施行規則で定められておりますが、これをクリアできるだろうという感じをいたしております。さらに、例えば学校により良して、先生も御承知のとおりに、長期休業日の前後あるいはいろいろなときに短縮授業を行っておりますが、この短縮授業も、学校で調べてみますと、少ないところは年間四十日、多いところは年間六十三日から六十五日という短縮授業を行っているわけで、そのときの短縮授業の時間数が平均で大体一・五時間、これは最小に見積もって一・五時間といたしますと、四十日と六十数日の差というのは三十時間あるいは三十数時間に該当するわけでございます。その辺の工夫をすれば何とか月二回の段階まではクリアできるだろう。 さて、月三回以上になった場合には、授業時間数等については若干の見直しをする必要が出てくるのではないかという感じが私どもはいたしております。ただ、その場合に、二回をやっている段階で保護者、国民の皆さん方が一体どういう御判断をするのか。言いかえれば、学校五日制はもちろん完全五日制ということで進めているわけでありますが、学校五日制の結果、うちの子供の学力が落ちだとか落ちないとかという議論が必ず出てくると私は思います。そういう保護者の声にも耳を傾けながら検討をしていかなければならない。その場合に、例えば学習指導要領そのものをいじって対応するのか、そうではなくて、先生からおしかりを受けるかもしれませんが、上乗せと同じ理論じゃないかと言われるかもしれませんが、長期休業日、年間七十数日ありますが、その一部を短くして対応するのか、その辺は保護者、国民の皆さんが納得するような形で幅広に検討しなければならない課題じゃないかというふうに私どもは考えているところでございます。 いずれにしましても、月二回という段階に入った段階では、そういうものを含めて、学習指導要領の問題を含めて幅広く検討していかなければならないと考えております。
○吉田(正)委員 時間がありませんので、例えば盲、聾、養護学校等の場合の条件整備であるとか、あるいは私立学校、進学塾に対する指導等については、後ほどまた宇都宮議員の方からも多分出るのじゃないかと思いますから、それは省略いたします。 最後に、今の答弁とも関連するのですけれども、五日制の完全実施の重要不可欠の条件として、高校の学校間格差が受験競争をあおり立てていることを考慮し、近い将来公立高校の入試を廃止すべきではないか。子供たちの多様な可能性を伸ばすという観点に立ては、知識偏重の入試だけで不合格にするという制度は、私はもう改めるときに来ているだろうと思います。同時にまた、先ほども大臣が申されましたけれども、一九八九年十一月二十日に国連で採択された子供の権利に関する条約は、十八歳未満のすべての子供に三つの基本的権利、すなわち生存の権利、発達の権利、保護を受ける権利を保障しているわけであります。したがって、高校進学を希望するすべての子供に学習の機会を与えるということは、この子供の権利条約に照らしても当然これは国が保障しなければならぬことだろうというふうに思っておりますし、また現実に今や進学率が九五%にも達し、準義務制化している高校を、名実ともに、五日制を考えた場合に、中高一貫教育へ導いていく必要があるだろうというふうに思っております。そういう点からも、五日制への重要な条件整備として、近い将来高校入試を廃止し、希望者全員が入学できる、そういう改革に向けて積極的に取り組むべき時期に来ておると私は思うのですが、この点についてお伺いをして質問を終わります。
○鳩山国務大臣 先生の今のお考えは、私個人的にはまことに傾聴に値するお考え方だとよくわかります。ただ、今高校の中退十二万三千人というような問題があって、これはどうして起きているんだろうか。選択の幅が挟過ぎる、その子供の興味とか適性とか能力に見合った進路選択になっていない、進路指導もうまくいっていないのかもしれないとかいろいろな意見がありますけれども、これはある意味で言えば、実質上高校というのが準義務化して、九五・四%というのですからほとんど行くようなものですね。高校というのはほとんどみんな行くところだ、しようがないから、何選んでいいかわからぬけれども、流れに身を任せて行ってみた。でも考えてみたら、こういう勉強はおれの性分に合わなかった、おれの適性、能力に何か合わないような気がするというあたりから学業に対する、あるいは学校に対する不適応のような現集が起きて十二万三千人というような大台になってきているのではないか。そういうような見方をいたしますと、十五蔵の春を迎える方たちが、ありとあらゆる条件が整備されておって、いろいろな好みに合わせて何でもできるという、どんな形態の高校にも行けるとかいうような条件があれば、今先生がおっしゃるようなこともよく考えることができるわけですが、一生懸命答申を受けて多様化のための努力をいたしておりますけれども、現在のような状況で、例えば高校を業務化する、高校までを義務教育としてとにかく行かなくてはならぬとするか、あるいは試験は廃止してとにかく全員高校には入るものとしますと、かえって十二万三千という数字がさらに大きなものになってしまう可能性もあるというふうに考えまして、この辺は慎重に考えなければいかね問題だと思っております。
○吉田(正)委員 この問題につきましては、過去長い間の論争といいますか、中高一貫、高校全入制度を実現すべきだという、これが父母、国民の強い要求であるわけですね。今現在でも多くの父母の皆さんからは、もう実質高校は準義務化をしている。したがって、選択の幅とか多様化という言葉が今使われましたけれども、今学校の実態はそんな状況ではない。単なるペーパーテスト、いわゆる偏差値で輪切り、区分が行われて、本人の意思には関係なく学校が選ばれるんじゃなくて限定をされる、これが今おっしゃったような中退者が多い一つの原因だろうというふうに思っているのです。これももう何十年来の論争でありますので、ここ一、二分でどうこうということではありませんから、これもまた機会を得て、高校入試改革、教育改革の一環として五日制と結んでどうとらえるべきかについて、またここで論議をしていただきたいというふうに思っております。終わります。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 宇都宮真由美君。
○宇都宮委員 社会党の宇都宮真由美でございます。よろしくお願いいたします。 まず、大臣にお伺いしたいと思いますけれども、大臣は昨日の所信表明の中で、「我が国の将来は、究極のところ、教育の成果に帰するものである」、そういうふうにお述べになられました。私もそのとおりだと思うのですけれども、今の政治腐敗等も一番手っ取り早いのは、ひょっとしたら教育を理想的なものにすることじゃないかと思われるぐらい教育の大切さということは感じているのですけれども、残念ながら今の教育状況がそういうふうな状況にあるとは思えない事柄が幾つか指摘されると思っております。すべての子供たちが健全で明るい学校教育を受けられる、このようにしなくてはならないと思うのですけれども、現実にはそうはいっていない。例えば学校不適応と言われる子供たちの問題です。登校拒否とか高校中退とかいじめとか、そういうことも含まれるのではないかと思いますけれども、特に登校拒否の子供たちがふえている。これは四十一年くらいですか、調査が開始されましてからずっとふえているという状況、待に五十年代からはかなりの傾斜でふえていると思います。そのふえているという事実をどのようにお考えになられるか。学校不適応、登校拒否の原因あるいはそれに対する文部省としての対策と絡めて御見解をお伺いできればと思います。
○鳩山国務大臣 今でも決してなくなったり大きく減ったりという状況にはありませんが、一時いわゆる学校内での暴力的な児童生徒の問題行動ということが盛んに話題になっておった、これが今から十年ぐらい前。今ではもちろんそういう部分でも物事はとらえなければなりませんが、先生御指摘の学校不適応現象というものはもう社会問題と言ってもいいわけであります。先ほど私が十二万三千人の高校中退という話をしましたけれども、一学年当たりの人数等を考えてみますと、一番多いときが同一年齢で二百五万人でしょう。いずれこれは百何万、百二十万というような数になっていくということを考えますと、それに対する十二万三千人という数が一割にも当たるような数だということは御承知のとおりでございますし、また一般に不登校、登校拒否児が四万八千人というふうに言われていて、これが中学生が四万人、小学生が八千人。しかしこれは五十日以上休んだという条件で調べたわけですから、これを例えば三十日以上休んだ子供というふうに計算し直すとどれくらいになるかということも今検討いたしておるわけで、こういう大変大きな問題があるということを認識して、教育上の最大の課題の一つだというふうにこれをとらえていきたいと思っております。 その原因等についてはいろんなことが考えられると思っておりますけれども、子供の方は個性豊かに生きていきたいと願っている。ところが教育現場の方は、あるいは家庭の理解というのもあるかもしれませんが、なかなかそういう方向になっていかない。そういうはざまで苦しんでいく子供たちの姿というのが描かれるような気がしてならないわけでございまして、例えば、先ほどのお話に出ました児童の権利条約などという点も、そういう子供を救えるような形で条約の精神が解釈をされていくならば批准する大きな意味もあろうか、そんなふうに思います。
○宇都宮委員 確かに登校拒否の問題は子供たちだけの問題ではなくて、社会問題、家庭、学校、社会すべてが考えなくちゃならない問題だと思います。 それで、ちょっと私積極的な言い方になるかもしれませんけれども、子供というのは生まれたときは昔の子供も今の子供も変わりはないのではないかと思うのです。でも、今の子供たちが発育する中で、家庭とか社会とか学校とかがいろいろ変わっております。その影響を受けて子供たちは変わるのではないか。だんだんと豆校拒否がふえているという事実は、むしろ先に変わった学校とか社会とか、そういうところに原因があるのであって、さらに極端な言い方を言わしていただきましたら、子供たちが学校に適応できないのではなくて、学校が昔に比べて、昔は多くの子供たちが適応できていた、にもかかわらずそれが多くの子供たちには適応できなくなった、そういうふうなところからも考えていかなくちゃならないのじゃないかと思うのですけれども、この点、ちょっと極端ですけれども、いかがお考えでしょうか。
○鳩山国務大臣 非常にすぐれた物の見方だと私は思います。先ほど社会その他がマイナスのインパクトを教育に与えるということを、あるいは教育というのか子供たちに与えるというのでしょうか、そういう話をしました。私はそういう観点と同一線上のものに今の先生のお考え方というものをとらえてみれば、確かに時代が変わる、社会が変わる、親の欲求が変わる、子供を見る目が変わる、そしていろいろな周囲の環境も変わる、そういう中で子供もまた昔の子供と違っていろいろな新しい精神構造を持つんだけれども、学校や社会の方がうまく合わせてくれない、そういうふうな見方で物事をとらえることは、先生のような視点で物事を考えることは私は重要だと思います。
○宇都宮委員 例えば今登校拒否の子供たちを何とか学校に行かせなくちゃいけないということで、そういう子供たちに対する指導等現場の先生方が非常な努力を払ってなさっていらっしゃると思います。文部省の方でもそういうことに努力をなさっていると思います。ただ問題なのは、例えば今A君が学校へ行けない、だからそのA君を何とか指導して学校に行けるようにする、それはもちろん大切なことですけれども、そうこうしているうちに今度はまたB君が行けなくなる、C君が行けなくなると、そういうふうな対応だけではだめだと思うのです。A君を学校に行かせるようにすることと同時に、その次に続くB君とかC君とかが生まれないように、登校拒否の子供たちができないようにする対策が必要ではないかと思います。そのような政策として今文部省の方で具体的になさっていることあるいは考えていらっしゃることがあれば教えていただきたいと思います。
○坂元政府委員 確かに先生御指摘のとおり、登校拒否というのは家庭あるいは従来はどちらかというと個人の属性からくるのが大きな原因だというようなとらえ方をしていたわけでありますが、私ども現在この問題につきまして学校不適応対策調査研究協力者会議という会議で御検討いただいているわけでありますが、一昨年ここで中間報告を出しまして、その中間報告の中では、これはまさにだれでもがなる可能性のあるそういう現象としてとらえるべきなんだ、したがって単に家庭とかなんとかいうだけではなくて、学校、社会が一体となってこれに取り組むべきだという指摘がなされておるわけでございます。ちなみに、この協力者会議の最終報告は本年三月、来月出る予定になっております。私ども、この最終報告を得ましたら、その報告の趣旨に沿って、現在やっております対策に加えまして適切な対策をやってまいりたいというふうに考えております。 現在私どもがやっております対策は、例えば教師用指導資料を作成、配付する、あるいは教員研修を行う、あるいは教育相談活動を推進する、あるいは自然教室の推進などの施策を実施するなどの事業をやっておりますけれども、さらに来年度は、そういう学校不適応に対応するために、緊急の措置といたしまして、教員をそういう学校に加配するということで、現在定数配置も、若干ではありますが、考えているところでございます。
○宇都宮委員 今の現状だけをとらえて登校拒否の子供たちを学校に行かせるようにする、そういう対策だけではなくて、ぜひ社会の変化あるいは学校の変化、変化するということが、もちろんいい変化もいっぱいありますから、すべてが悪いことだとは私言っておりませんけれども、また逆に言えば変化の中ですべてがいい変化とも言えないと思うのです。そういう意味で、現状だけをとらえるのではなくて、歴史的にとらえるといいますか、全般的にこの日本は何となく先へ先へと急いでおりますので、時には教育の現場では過去をも振り返って歴史的に登校拒否の原因等を考えていただきたいと思います。 そして、そこでちょっとそれに関連するかとも思うのですけれども、今学校に行けない子供たち、授業には出られない子供たちが保健室に行って一日過ごす。保健室登校とか言われておりますけれども、そういう児童生徒がふえている状況、これはどういうところに原因があるとお考えになっていらっしゃるか、その点ちょっとお願いします。
○坂元政府委員 先般、私どもの体育局の学校健康教育課で調査をいたしまして数字を発表いたしておりますけれども、なかなか的確な分析は難しい。ただ、やはり教室というところは、御承知のとおりに教科を中心として授業を展開しておるという性格上、私どもも個に応じた教育を、それぞれの子供に着目して一人一人の個性に応じた教育をしていただきたいという指導はしておりますけれども、さはさりながら、四十人の学級の教科の教育というのは、やはり真ん中の平均的な子供に着目して教科を画一的に前へ進めていくというのが実態であろうかと思います。やや画一的な雰囲気が教室にある。心に痛手をこうむって登校拒否になっておる子供たちにとっては、そこでみんなと同じようにワン・オブ・セムとして扱われるのはやはり耐えられない。またそれに耐え得る精神的な、要するに復原力というものができてない状況でそこに入るのが大変本人としても苦しいので、保健室に来て養護の先生にいろいろと自分の苦衷をしゃべったりして、そこで安心感を得て学校からまた帰っていくというのが大方の大勢、多くの人たちの実態じゃないかというふうに思っております。 ただ、その分析につきまして、ちょっとここに学校健康教育課の資料を持ってきておりませんので、細かいことはお答えできませんけれども、そういうところが大きな原因じゃなかろうかというふうに私は個人的に考えております。
○宇都宮委員 保健室登校ですね。これにつきましては、保健室、養護の先生というのは唯一子供たちを評価しない先生である、まあそういうふうになっております。私は、こういう教育現場の学校不適応などの原因も、本当は今の受験制度に根源があるんじゃないかと思っているのですけれども、今の子供たちはいろいろな意味で大人たちから評価されるということに対して重苦しい、そういう感じを持っているんじゃないかと思うのです。そういう意味で、先ほどのお答えの子供たちの個性云々の問題も確かにあると思いますけれども、養護の先生が評価しない、評価と無関係な先生であるというところで保健室に逃げ込むんでないか、そういうふうなことも言われているんですけれども、この点については文部省としてはどのようにお考えでしょうか。
○坂元政府委員 確かにそういう側面もあるかと思います。私が先ほど、教科の授業は個に応じた授業をやるようにといっても、どうしても平均的な子供に着目をして前へ進まざるを得ない、組織教育のこれは宿命でございますけれども、そういう宿命を負っておるということを申し上げました。ということは、それはまさに、平均的な子供たちに着目してということは、そこで先生が評価を行うという、平均的な子供とそれ以上の子供とそれ以下の子どもとそこで評価が行われるわけでありますから、確かにそういう意味では養護の先生は子供の教科の面についての評価を行わない、あくまで子供の心身が故障があったときに、それに対応してくれるのが養護の先生だという意味では、先生の御指摘も当たっているところがあるんじゃないかというふうに感じます。
○宇都宮委員 評価することも必要かもしれませんけれども、その評価ということを少し緩やかにしていただけるような文部省の指導をぜひお願いしたいと思います。 それから、この学校不適応の問題を考える場合に、もう一つの観点として私考えておりますのは、学校に適応できない子供たち、その子供たちが社会に対してはどうなのか。学校不適応が即社会不適応ではないと思うのです。そうだとすれば、社会と学校との比較、そのような観点でもこの学校不適応の問題は考える必要があるんじゃないかと思うのですけれども、その学校不適応と社会不適応といいますか、学校不適応の子供たちが社会に対しては適応できているかどうか、そのような調査というか、もし検討なさっているようなことがあれば教えていただきたいのです。
○坂元政府委員 登校拒否問題へ適切な対応を図る観点で、御指摘のような社会に出た場合に、その子供がどういう対応をしているかという点について、その実態をつかんでおるかという、端的に言えばそういう御指摘かと思いますけれども、追跡調査を悉皆的に行うというのは大変難しいんじゃないかというふうに私ども思っております。ただ、現在科学研究費補助金によりまして、登校拒否の態様別指導方法のあり方に関する研究というのを千葉大学の坂本教授が研究代表者で行っておりまして、この中で登校拒否児の追跡調査研究も行われているというふうに聞いております。そこで私ども、この研究成果を踏まえて、今後サンプル調査のような形で、今御指摘になったような社会に出てから社会との適応関係はどうなのかということについて今後調査ができるかできないかということを検討してまいりたいというふうに考えております。
○宇都宮委員 ぜひお願いいたします。 次に、少し細かなことを聞かせていただきますけれども、登校拒否の児童生徒と親の就学義務の関係なのですけれども、登校拒否の子供さんを持っている場合に、親の就学義務が問われるということはないのでしょうか。
○坂元政府委員 形式的にはもちろん当然中学校まででございますが、就学義務の免除の申請をしていただき、そしてそれを許可するという手続が形式論としては私は必要かと思いますけれども、実際にはそういう手続は行われておりませんし、私どもとしましては、学校現場の校長の判断に任せるということでこの問題は対応しております。したがって、登校拒否児で就学義務の免除の手続をしておるという例を私ども聞いておりません。
○宇都宮委員 ありがとうございました。 そして次に、登校拒否の子供たちにとっては、学年末等が来たときに、自分が学校に行っていないということで、自分が進級できるか卒業できるか、そういうことが一つの大きな不安になっていると思うのです。進級、卒業の認定は学校の校長の裁量行為とされていますけれども、その認定について、まず第一には小学校、中学校、高校で差はないと考えでいいのかどうか、教えていただきたいと思います。
○坂元政府委員 義務教育と高等学校とはやや事柄が違うのではないかという感じはいたしております。通常卒業の認定を行う場合に、例えば授業時数についてはどの程度を目安として判断要素として入れたらいいかというのは、これは大変古い行政実例でございますが、かつて昭和二十八年に初中局長に対する質問に対する回答とした行政実例が出ておりまして、これは総授業時数の半分程度を目安とする、半分程度出ていなければ卒業なり進学の認定についてはちょっと困るのではないかという回答をしております。ただ、これはその当時の実情、社会状況の中での一つの目安でありまして、学校において進級や卒業の認定を与えるに当たりましては、出席の日数のみを機械的、形式的に判断するのではなくて、子供の、生徒の履修の状況や指導の結果、これは端的に申し上げますと、非常に休みが多い子供であっても、ある程度履修状況がいい子供などを頭に描いておりますけれども、それと本人の心身の状況なども十分考慮して判断する必要があるのではないかというふうに私ども現在指導をしているところでございます。
○宇都宮委員 小中高では特に差はないとお聞きしてよろしいわけでしょうか。
○坂元政府委員 一般的に申し上げますと、今私が御説明した抽象的な抽象論は、例えば卒業の認定に当たっては、単に授業時数のかつての行政実例だけを目安とするのではなくて、児童生徒の履修の状況や指導の結果、心身の発達状況などを考慮して総合的に判断する必要があるという一般的なあれは小中高を通じて共通な考え方として言えると思いますが、ただ高等学校については、義務教育ではないということもあって、若干小中学校よりもシビアな取り扱いが行われておるのが実態ではないかというふうに考えております。
○宇都宮委員 それから、先ほど言われました昭和二十八年の文部省初中局長の回答ですね、それでは半分以上も欠席した生徒については特別な事情のない限り卒業の認定は与えられないというふうな回答だったと思うのですけれども、その総授業時数の半分ということが今進級あるいは卒業をするかどうかを認定する場合の基準みたいなものになっているということですか。
○坂元政府委員 基準ではなくて、卒業を認定する、あるいは進級の認定をする場合に、例えばこれは二十八年、相当長く休んでいた子供がいたのだと思いますが、授業時数について大体どのくらいを目安にして判断をしたらいいかという質問がございまして、今先生が挙げたような形で初中局長の名前で回答をした、そういうことでございます。これは先ほども申し上げましたとおりに、一つの目安でございまして、今日のような社会状況の中で、あるいは家庭が崩壊しておると言われている中で、それから学校が子供たちにとって、大変心に痛手をこうむった子供たちにとっては大変シビアな場所になっておるという状況の中では、一つの目安であって、もっと総合的に判断した方がいいんではないか、そういう指導をいたしております。
○宇都宮委員 進級、卒業の認定で出席日数というのが重要であるということは否めないと思うのですけれども、そこで、登校拒否児の場合、家庭における学習ですね。例えば、あれは厚生省の方でしたか、ふれあいの友訪問とか、ボランティアで大学生の方が登校拒否の子供さんのところに行って話し合ったりとか勉強を見たりとかするのだと思うのですけれども、そういう家庭学習を出席の日数に入れるということは、文部省としてはどのよう姐御指導なさっていますか。
○坂元政府委員 学校に全然出てこないで、先ほど私が申し上げました教育相談センターやなんかがありますが、そういうところに行っていろいろ相談を受けて指導を受けるというのは、大体出席日数に入れておるのが普通でございます。それから今先生が御指摘になった、ボランティアの大学生さんあるいは民間の人たちのところに行っていろいろ指導を受けておるということを学校が承知している場合は、これも出席日数にカウントしているのが普通のようでございます。
○宇都宮委員 まとめてお答えいただいたかと思うのですけれども、そうしますと、例えば民間とか地方公共団体の登校拒否の子供たちを対象とした適応や治療のための教室、塾、まあいろいろ悪い事例も聞きますけれども、そういう塾がある。そういうところへの出席、例えば教育委員会が行うような適応指導教室、あるいは不登校児等を、これは厚生省の方でしたか、一時保護所等に宿泊させてする指導、そういうのも全部出席日数の中に入れると、それでよろしいのでしょうか。そして保健室登校もどうなるのか、ちょっと授業との関係で。
○坂元政府委員 現在、先生が御指摘になりました民間のそういう学校不適応の子供たちを預かる機関というのは、昨年の調査で全国で二百三十九カ所ございます。この二百三十九カ所について、現在それぞれの所在する教育委員会にいろいろな観点からチェックをしていただきたい、情報交換を十分やるような体制をつくってもらいたいということで指導しておりますが、教育委員会がそういう民間の施設に行っておるということを十分認定をした場合には、私どもとしては出席日数に入れて差し支えないのではないかというふうに思っておりますし、それから保健室登校というのも私どもは出席日数にカウントしているのが普通じゃないか、それもそれでいいではないか、そういう感じでございます。
○宇都宮委員 例えば、民間等の登校拒否児も行くような塾というか教室ですね。その場合に、そこに行っていることが出席日数に数えられるというための民間の施設の条件みたいなのは特にないのですか。
○坂元政府委員 私どもこの点につきましては、先ほど私が御説明しました文部省の協力者会議、これは来月最終答申を出しますけれども、中間報告の段階ではこの点に触れておりませんが、来月出される最終答申の中では、そういう民間施設をチェックするポイントと申しますか、それについては示していただこうというふうに思っております。ある種の基準みたいな、チェック基準ですが、そしてそのチェックする基準みたいなものを各都道府県のその種の学校不適応問題を担当する指導主事なり担当者に示しまして、そして自分の都道府県にあるその種の施設をそれに基づいてチェックしていただきたい。そのチェックの結果を全国的に持ち寄りまして、そして他の県のそういう施設についても、十分その県の教育委員会がチェックしたところに従って、保護者から仮にどこか紹介してもらいたい、同一県内ではちょっと嫌だと、いろんな体裁や何か考えるのでしょうけれども、嫌だと、他府県がいいといった場合に、ほかの県のその名簿を見れば大体チェックできるという、そういうものをつくりたいというふうに今考えております。
○宇都宮委員 次に、学校五日制の問題に移らせていただきたいと思います。 学校五日制、私も賛成する者なんですけれども、そして先ほどから大臣が何回も言っていただきましたけれども、要するに、週休二日制と学校五日制とは違うんだ、週休二日制を実現するための学校五日制ではないんだ、そういうことをずっと言っていただきましたので、その点は私も安心はしたのですけれども、ただ、では学校五日制の、いろいろあるかと思うのですけれども、根本的な目的といいますか、一番重要な目的というのは大臣はどのようにお考えでしょうか。
○鳩山国務大臣 一言で申し上げるのは難しいのかもしれませんが、この四月からの新学習指導要領で、小学校の一、二年生で理科、社会を統合したような形で生活科というのを設けることにいたしておりますが、あの生活科という科目も、いわゆる一般の知識を伝授するというよりも、体験というものを重視しようということであると思います。私はそういう意味で、今後の多様化する世の中で、個性を伸ばしつつ、子供がいずれ大人になって厳しい荒波を乗り越えて生き抜いていく中で求められる資質、それはたくましさとか優しさとか国際性とか、そういうもので表現することができましょうけれども、でも、例えばそのたくましさというものを分析すれば、いろいろな経験をしているということが人間の強みになってくる。 今度は全く生活科とは逆のことを申し上げますけれども、医師をどうやって養成するかという、医学部の入試は難しいということで定評があるけれども、医学部の入試で何といいましたかな、アメリカで開発された方式がありますね。いわば知識を問うのでなくて、問題解決の力みたいなものを見る独特のやり方というもの。まあそろそろ日本に輸入されてくるのではないかと言われているわけです。つまり、医師という職業は、知識を何でも知っていればいいというのではないだろう、それぞれの患者の訴えを聞いて正しい答えを出すというのは、これは一つ一つのケース・バイ・ケースで、一つ一つのケーススタディーで問題を解決して答えを出してやるというものだから、これは単純な知識ではだめなんだというような理論的な考え方がアメリカで出ているともいいます。 私は、ですから、人間に求められる能力というものは、少なくとも紙の上で学習したこと、これも大切だけれども、それだけではないことは間違いないわけで、そういう中で今の子供たちに不足しているものがどんなものがあるかというと、例えば都会にあっては自然体験というのが、私など典型的な、みずからをナチュラリスト、自然愛好者だと思って生きてまいりますと、今の子供がいかに自然を知らないかというのはまことに驚異的な部分もあるわけで、そういう自然体験とかあるいはボランティアということがこれから大事だとすれば、奉仕体験などというものも積んでいったらいいんじゃないか。そういうさまざまな体験が将来の子供の問題解決のためのエネルギーになるだろうというふうに考えているわけであります。 ちょっと理屈っぼくなるかもしれませんが、そういうことを考えてみますと、やはり家庭体験というのは当たり前のことなんですが、家庭体験というものも残念ながら不足しているものの一つとして入れなくちゃいけないんじゃないか。文部省が私のためにつくってきてくれている答弁資料には家庭体験なんというのはないけれども、私は家庭体験、つまり週休二日あって親も比較的家にいれる時間があるならば、そのときに本当の親子の会話というのが、あるいは兄弟同士の会話というのが、昔はこういうものは当たり前だったものが今失われつつあるので、そういうことが何というのか人間の根本をむしばむようなものに将来なっていく可能性があると私は思っていますから、やはり親の理解があって、その休みになった土曜日に親子が一緒に何かやるとか、少なくとも一緒に食事したり大いに会話を交わすということは、学校五日制の原点に置かなければならないと思っています。
○宇都宮委員 ちょっと耳の痛い話もあったのですけれども、例えば土日に親子の会話をするためには選挙制度も変えていただかなければならないのじゃないか、そういうところもあるのですけれども、まずはそれは確かに重要なことだと思います。 そして、もう一つ重要なことは、やはり学校に縛られないという日をふやすということに一つの重点もあるのじゃないかと思うのです。私が今回の学校五日制の導入の仕方、ある意味ではかなり急であったという気がいたしますのと、そして学校五日制の完全実施のためには、学習指導要領ですか、これの改訂というのがかかわってくるのじゃないかと思うのですけれども、それは来年度ですか、四月から今度新しい学習指導要領が実施されるときなんです。だから改訂をしなければならないその指導要領が実施されるときに学校五日制が入ってくるという、その導入の仕方等考えますと、かなり週休二日制を実現するために学校五日制をするのではないかというそういう不安がなきにしもあらずなんですけれども、その指導要領との関係ですね、これが新しく来年度から実施されるという、そのあたりはどのようにお考えなんでしょうか。
○鳩山国務大臣 具体的なことは初中局長からお答えいたしますけれども、平成四、五、六、これが小中高の新学習指導要領なんですね。その小学校に新学習指導要領が全面実施される年に学校五日制の最初の試みというか、試行ではありませんが、本格実施が月一遍という形で二学期から行われるというのは、私はこれは一つの偶然だろうと思う。つまり、少なくとも学習指導要領はそういうことは予定していなかったわけですよ。だから、これは妙な偶然になったなというふうに思っているわけです。そのことがどういう影響があるかというと、やはり学習指導要領というのは、これは大変重要なものでございますからね。教育課程審議会にも大変な議論をしていただいて、いろいろな世論の動向等も見まして学習指導要領をつくって、そしてこれを、しかも導入までに教科書をつくって、またそれを検定、採択とか相当な時間があるわけで、今回の新学習指導要領は平成元年にでき上がったものですから、これを実施するまでもこれだけの年限がかかりましょう。大体平均すれば十年に一遍ぐらいの大作業をやるわけです。ですから、例えば生活科というのを今度やってみて、それがどういう効果を及ぼすかというのも数年たたなければ結論は出ないわけですね。だから、先ほど坂元初中局長から御答弁申し上げたように、学校五日制の完全実施をやるとしたら、これは教育課程を変えなくてはいけない、学習指導要領も変えなくてはならぬということになりますから、私は軽率なことは言えませんけれども、一つ一つハードルをやってみて、完全学校週五日制に進んでいけるような時期があるとするならば、それは次期学習指導要領の改訂期と当然軌を一にしてくるものであろう、いずれはそういうタイミングになるのであろうけれども、今それを予測することは不可能だと思います。
○坂元政府委員 大臣が大体御答弁申し上げましたが、今大臣が申し上げました学習指導要領について議論をした教育課程審議会が、これは六十二年の十二月に答申を出しておるのでございますが、その答申の中でも学校五日制についても触れておりまして、学校五日制については教育水準の維持あるいは児童の負担軽減をも考慮し検討しなければいけない、その場合に実験校等で十分実証的な研究を積んで、そして段階的に導入していったらどうか、そんなような提言がございます。したがって、教育課程審議会では学校五日制についてもいずれ導入されていくであろうということは予想していたのだと思いますが、当時の教育課程審議会がこの平成四年度から導入するというようなことまで予想していたのか、もっと先であったのかというのは、ちょっと私どももその点については調べてはおりませんけれども、いずれにしましても、学校五日制を完全実施するためのすべての条件をすべて導入する前の段階で予測するというのは大変難しいのではないか。先ほども、これは自民党の先生でしたか、一回導入したらもう後に戻れないだろう、これは私は全くそのとおりだと思います。そうしますと、すべての問題をクリアしないで四回を導入するというのは大変難しい、後で文部省としても責任を負い切れない、国民に対する混乱が起きたら大変だというようなこともございました。ただ、すべての条件をクリアしてすべて予想してできる、それを全部クリアして学校五日制を導入するんだということになると、これはもうある意味では何年先になるかわからないのじゃないかという感じがするわけでございます。 そういう意味で、月一回ということならば、授業時間数の問題ですが、授業時間数の問題も学校現場で工夫の上でそう苦労をしなくても対応できるだろう、そういう感じを持っておりますし、机の上だけで申し上げますと、大体月二回までならば授業時数は今の基準を何とかクリアできるだろうというような机の上の計算がございます。ただ、三回、四回になりますと、授業時数が完全にクリアできなくなるおそれがあるということで、もちろんこれも、学習指導要領、それから授業時数も基準でありますから、多い場合もいいし、基準の範囲内で若干下回っても、それは基準を破ったということにならないわけでありますけれども、いずれにしても三回、四回に進む段階では、その学習指導要領の投授業時数を見直すことも含めて幅広い、それから国民世論の動向等で、例えば長期休業日を何とか短くしてそこでやればいいじゃないかという意見も全く出てこないとも限りませんので、いずれにしても幅広い検討はする時期が来るだろうというふうに思っております。
○宇都宮委員 五日制導入の目的が、要するに学校に縛られない時間、日をふやすということですので、学校に縛られない日はふやしたけれども縛られている時間は結果的には同じだとか、あるいは仮に時間も激らしたとしても子供たちが負う負担は同じだというのでは、本来の意味の学校五日制の実現にはならないと思いますので、そのあたり、何か学校五日制の実現のために子供たちの長期休暇を減らすということはぜひやめていただきたいと思います。 それで、学校五日制、これは先ほど大臣も言われましたように、試行ではなくて、要するに、もういずれは完全実現をするんだ、それに向かっての段階的な実施であるということですので、大体めど、どのくらいのめどで完全学校五日制を実現しよう、そういう計画がおありになるのか、そしてまた、そのためにはどのあたりを整備しようとなさっているのか、できるだけ簡単にお答えいただきたいと思うのです。
○坂元政府委員 先ほど申し上げましたとおりに、月一回から導入していきまして、そしてその過程で出された問題点をクリアしながら前へ進んでいくという手法をとったわけでございます。そういう意味で、私は最大のポイントは国民、保護者の協力が得られるかどうかに尽きるのではないかという感じがいたしておりますけれども、国民あるいは保護者のそういう協力を得ながら、そして問題点を解決しながら前へ進んでいく。ちなみに、例えば申し上げますと、特殊教育諸学校などにおきましては、確かに教育機関ではありますけれども、ある意味では、保護者から見るといわゆる福祉施設と同じような役割を学校に現実に期待して子供を預けているというのも、これは否定できない事実でございます。そういう子供に対する手当てが、私ども今地方交付税である種の手当てを号えておりますが、その手当てで足りるのかどうか、そういうことも見きわめていかなければなりませんし、それだけで済むのか。例えば私どもいろいろな方からこれに踏み切るまで意見を聞きました。特殊教育諸学校の保護者の方々は、今学校五日制に関係なく夏休みももっと短くしてもらいたいぐらいなのに、土曜日を休みにするとは、そういう率直な意見もございました。そういうこともありますので、一回から二回へ進む、その二回から三回へ進む場合に、幅広い検討は必要でありますが、同時にそういう保護者の方々の御協力も得られるかどうかということを見きわめながら一歩一歩前進したいと考えておりますので、何年たったら何回であってという、そして何年たつと完全実施になりますというスケジュールはちょっと立てられない、立てる自信がございません。
○宇都宮委員 ちょっとよくわかりませんけれども、要するに目的が完全な学校五日制の実施というのであれば、ある程度いつごろまでにというそのめどが立って導入なさるのではないかと思っていたのですけれども、ちょっとそのあたりわからないということでしたら仕方ございません。
○鳩山国務大臣 こんなときに答弁すると政府委員側ははらはらすると思いますが、大変な社会問題というと変なんですが、社会に大変動を起こさせる要素なわけですよね。それは子供さんの数が全部で何千万になるかわかりませんが、その方々が土曜日、少なくとも午前中、学校というところで勉強しているのじゃなくて、それが世の中にばっと出るわけでしょう、世の中というのは家庭も含めて。だから、そういう意味でどういう対応がとられるかというのは残念ながらまだ予測できない部分があるんですね。ですから、坂元初中局長にも相当なところを回ってもらわなくちゃいけないわけですよ。例えば私学関係にもできるだけ歩調を合わせてくださいというお願いにも行脚に出かけるわけだし、あるいは社会教育団体、それは青少年団体も婦人団体も、あるいはPTA関係も、そういうようなところにもお願いに出向かなくちゃいけないし、これは社会党の方からはどういうあれだったか私ちょっとまだ記憶をしておりませんが、公明党の皆様方からは、特に美術館とか博物館とかそういう公共施設の方でいろいろもっと考えたらどうだという御意見もあるわけですね。すると当然そういうところにもお願いに歩かなくちゃいかぬ。そういうところがあり、また世論として、学習能力というのでしょうか学力がどうなるかという問題もあるわけで、月二遍ぐらいがちょうどいいんだといっておさまることだって絶対ないとは言えないでしょう、例えばの話だから。だから、私は基本としては学校五日制という流れがあるとは思っていますけれども、世論はどう言ってくるかわからないですよ。 かつて学習指導要領を変えて、ゆとりということが出たときに、ゆとりというものを実施したけれども、入学試験の方はかえって難しくなって、全然簡単にならなかった。だから学校で勉強することと入学試験と余計差が開いたなんという話もあるわけですね。私は昭和四十二年に大学を受験しているのですが、先生より私の方が一年先輩じゃないか、年が一つ上ですが、その当時の私が受けた大学の入試問題をそのまま文部省にあったから取り寄せてみたら、やはり今のその大学の問題より明らかに簡単なんですよ。しかし、教科書の方はどうかといったらむしろ我々のときの方が難しかったぐらいなんだ。よく世の中というのはそういう矛盾が起きますわね。教科書は簡単になった、学習指導要領も易しくした、しかし入試の方はますます難しくなるなんという。先ほどの話じゃないですが、入学試験が易しくなるということは余りないので、難しくなる方に一方的に行って逆戻りしないという傾向もある。 いろいろ余計なこともお話ししましたけれども、何か世の中一般そういういろんな反応をすると思いますので、その反応を見きわめて見きわめていかないといけないから、だからいつとは申し上げられないというのが、結局は結論は同じなんですが……。
○宇都宮委員 大臣と政府委員の方の協力関係がいかにうまくいっているかというのがよくわかりましたので、ぜひ協力して頑張っていただきたいと思います。本当の意味での学校五日制の完全実施を一刻も早く実現していただくようにお願いしたいと思います。 子供の権利条約の関係なんですけれども、ちょっと時間がなくなったのではしょって、またいつか機会があればゆっくり質問させていただきたいと思いますけれども、この子供の権利条約というのは今国会で出されるということで、批准されると思うのですけれども、そこの十二条に子供の意見表明権というのがうたわれていると思うのです。その関係で、今いろいろ問題になっております校則との関係ですね。校則というのは、その学校の生活、あるいはそれからさらに進んで子供たちの私生活、あるいは髪型とか服装とか、そのようなことにまで現実問題としては及んでおりますけれども、子供の権利条約が締結された後、校則に関する文部省の指導で異なることがあるのかないのか。それから校則が子供たち、生徒たちを拘束する法的根拠というのは何なのかということとあわせてちょっと簡単にお答えいただきたいのです。
○坂元政府委員 最初に権利条約との関係でございますが、権利条約は現在、本国会に上程する、批准をお願いするという前提で政府部内で検討している最中でございます。法制局と外務省、私ども、あるいは関係省庁と今詰めておる最中でございます。したがって、今先生御指摘の十二条の、児童が自己の利害関係を有する問題について意見を表明する権利があるという、その権利との関係で校則の問題はどうなるのかという点についても、現在解釈を詰めている最中でございますので、権利条約との関係での校則の扱い方の問題については答弁を御容赦いただきたいと思います。 ただ、それに関係なく、私ども、校則につきましては、ここ数年来、学校内が一つの組織体として動く限り校則が必要である、必要であるけれども、それは地域の実情、子供の実態、それから時代の進展に応じて常に見直していかなければいけない、それから余りにも填末なことを校則で決めるべきではない、さらに校則を具体的に適用する場合も、画一的な適用の仕方ではなくて一人一人の子供の個性に応じて指導をするということ、さらに校則は学校から押しつけるということよりも、むしろ生徒がみずから守らなきゃいけないんだという雰囲気を醸成する、そういう手続なども十分考えて校則を考えてもらいたいという指導をしているところでございます。 それから、校則の法的根拠でございますが、これはもう先生、専門家で、私よりむしろ専門家でございますので、おわかりのとおりでございまして、人格の完成を目指す教育を施す、そういう組織体としての学校で一定のルールを校長が定めて子供たちを規律するということは、これは累次の一最高裁の判決、それから地方裁の判決でも認められているところでございます。ただ、それが、先生も御承知のとおりに、余りにも合理的な範囲を逸脱するようなものはともかくとしてという前提がもちろんあるわけでありますけれども。最近は使っておりませんが、昔はいわゆる特別権力関係、一般権力関係などという言葉で学者が説明したりなんかしておりましたが、判例ではそういう言葉を使ってはおりませんけれども、そういう特別な関係にある学校と子供との間は、法律上の具体的な根拠がなくても、一定のルールを定めて、それを合理的な範囲内である限りは子供に強制することが可能である、そういう判決、判例に基づいて、私ども、校則は「校務をつかさどり、所属職員を監督する。」ということが規定されておる学校教育法二十八条の校長の職務として決め得るものだというふうに考えております。
○宇都宮委員 ちょっとしり切れになると思うのですけれども、では二点だけ。 校則が子供たちを拘束するために子供たちに知らせる必要はあるのかどうか、知らせるとすれば、その時期はいつ知らせるべきか、この点についての文部省としての学校に対する御指導があったら教えていただきたいのと、校則で決めるべき範囲をどの程度、余り瑣末なことはだめだということなんですけれども、それに対する指導はあるのかどうかということをちょっと教えていただきたいのです。
○坂元政府委員 私どもとしましては、規則を決めて、そして生徒にそれを守っていただくという限りは、当然あらかじめ生徒に校則の中身を知らせるということは手続上絶対必要であろうというふうに考えております。通常学校では生徒手帳というものをつくっておりまして、生徒手帳を配付をして子供たちに校則の中身について周知徹底を図っておるというふうに理解をいたしております。 それから、今度校則で決め得る範囲の問題、程度の問題でございますが、これは今私が申し上げました累次の裁判例でも、合理的な範囲内である限りという言い方しか、そういう抽象的も言い方でとどめておりますけれども、これは私は、地域の実情、学校の状況、それから生徒の状況等を勘案して、それぞれ差があってしかるべきではないかというふうに考えております。 ただ、一般論として、私どもは、具体的にこういう校則はいいですかという相談を受けたことはございませんが、一般論としては、余り瑣末なことを決めない方がいいんではないかという指導をしているところでございます。
○宇都宮委員 どうもありがとうございました。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 輿石東君。
○輿石委員 私は、ただいまの宇都宮委員の質疑について大変感じたところがあるわけでありますが、午前中から、学校五日制の問題、登校拒否の問題、中退者の問題も含めて、文部大臣の御答弁の中にも、今相当世の中大変動を五日制の問題でも起こしそうだ。社会が変わる、学校が変わる、そしてまた、その変化について子供も学校も親も大変不安と期待が交錯している状況だろう、それが五日制の問題でもあろうと思うのであります。そうした中で、子供や学校にマイナスのインパクトを与えている要因も多々ある、その事例についても語られたわけです。 私は、時として政治問題、外交問題に発展をする、子供にとっては主たる教材として一日も欠かせない教科書の問題について、その問題に絞って御質問をしたいと思うのでありますけれども、特に歴史教育の問題については、過去何度か論議もされ、政治の課題にもなりました。歴史教育をめぐる教科書の問題の背景、それからその根底にある課題をどうとらえ、それについてどう対処をされていかれるおつもりか。まず大臣にお尋ねをしたいと思うのであります。
○鳩山国務大臣 教科書問題は国政の場で取り上げられる回数は最も多い方かと思いますが、私は、日本の教科書の作成の仕方というものは、民間に執筆をさせる、もちろんそのためには発行者があるわけですが、発行者と執筆者の協力関係のもとにそれぞれの教科書の原案ができ上がって、それを学習指導要領に照らして文部省が検定をさせていただ、いて、そしてそれをまた、採択という問題もありましょうが、御自由にそれぞれの地域でお使いいただくというやり方はなかなか妙なるものがあるというふうに基本的には考えているわけでございます。 ただ、そういう中で歴史教科書の問題がさまざま、しばしば問題になりますことは、私も経緯としては理解をいたしておりますが、特に、やはり歴史というものは書き方が難しいものだろうと私は思います。もちろん国語等も、どういうテーマを取り上げるかということは、なかなかこれは思想的な問題も絡むことがあるのかもしれませんが、少なくとも数学のようなものの教え方、あるいは理科の教え方というものは定型化している部分があろうと思うのですね。これは前に予算委員会だか何かでもお答えをしたわけですが、例えば中学校の数学でいえば、二次方程式の解の公式ということと二次関数、これは高校になりますと頂点の座標を求めるというのはほとんど同じ技術的なものから成り立っているわけですね。ですから、これは二次方程式を教えて、それから二次関数へ入っていくということは、大体どこの国でもとり得る同様の方法だろうと思うわけです。どの教科書でも、日本のどの教科書でも、同じような書き方がされているわけです。私も子供が今高校生一人、中学生が二人いまして、余り芳しくないとき私がみずから教えておりますから、それぞれの教科書は相当見ているのですが、大体同じことになっている。ところが歴史になりますと、やはりどの事象を取り上げるかというのが、これはなかなか難しいところがあって、何も文部省が検定のときにどうしたこうしたという問題以前に、やはり執筆者の基本的な考え方というのがあったりするものですから、それがこの教科書問題というのにしばしば暗い影を投げかけてきた。 でも、確かにいろいろあったろうと思うのです、確かにいろいろあったろうと思うのですが、私自身、家永三郎先生の歴史、日本史の教科書を、あれは使わされたというのか与えられたことがあるんですよ。私は教育大附属高校というところにおったものですから、あれがどういう状況のものの教科書であったのか、私もよく調べてはいないのですが、そのころからさまざまな問題があったことはまことに憂慮すべきこととしては見ておったわけです。でも、この昭和五十七年ごろのいわゆる教科書問題というのがあって、国際的な摩擦のような問題もあって、例の、宮澤総理が官房長官として談話を発表されて、そして教科書検定基準に国際理解、国際協調という一文を書き加えたというのは、あれはしかしやはり画期的なことだと思います。というのは、私も教科書検定基準というのは文部大臣になって初めて読みましたけれども、あれは学習指導要領と違いますから、細かい内容が書いてあるわけではないのですよ。そういう中で、国際理解、国際協調という観点を取り入れて教科書をつくりなさいという指示をしたというのは大変大きな変化だと思うし、そのおかげで非常に一般からも納得してもらえるような歴史教科書づくりが進んだなと私なりに思っているわけです。 ですから、もちろん先生方専門家ばかりですから、先生方に私は物は言えませんけれども、一般に何か日本の歴史教科書は非常に自分勝手に書いてあるんじゃないかというふうに言われる方がいますが、そういう批判は当たらないで、例えば韓国等の問題でも、創氏改名から強制連行、そして従軍慰安婦の問題も一社高校で取り上げているのがありますし、なかなか多様性のある教科書ができていると思うのですが、一つの歴史教科書の宿命として、これからも国会での議論もあろうかとも思うし国際的な議論もあろうかと思いますが、これは歴史教科書というものにつきものの宿命性のようなものが感じられる部分があります。 いずれにいたしましても、私は現在はなかなかいい教科書ができて使われていると思っております。
○輿石委員 今文部大臣の方で、歴史教科書についての歴史的な経過が若干話されまして、みずから高校時代の教科書を使わされたというような言葉もあったわけですけれども、まさに子供にとっては、その使わされる教科書であります。その教科書がどのような形で、どういう経過を経でつくり出されるのかというのが、直接国民、子供たち、親、教師にさえもよくわからない。そして出てきたものは使わされなければならない、使わなければならないという結論に達するわけであります。宮澤首相初め、お話がありましたように、歴代の首相は、過去の戦争の反省から正しい歴史教育の必要性を訴えてきましたし、この国際社会の時代に相互理解が不可欠だという姿勢も施政方針演説でも述べているわけですね。 そうした歴史的な経過があるわけですけれども、先ほど文部大臣が言われた、宮澤首相が官房長官時代のお話もありました。高校の新日本史の教科書にかかわる問題ではありますけれども、そこで私は、もう少しその歴史的経過について、文部省として、過去論議があった点や、本年度は、先ほどもお話がありましたように、くしくも明治五年の学制発布以来百二十年という歴史を掲げられたこの年に、学校五日制というものが開始をされる。教科書に絞ってみれば、まさに生活科の教科書、保健の教科書が、戦後四十七年たってなかったものが新しく出てきた。そしてまた小学校の六年生の日本史の教科書に、これもまた戦後初めて東郷元帥が登場してくるという背景があるわけですね。そして文部大臣は、自分勝手に日本の教科書はつくられていない、大変反間にゆだねて編集もされているので多様な教科書づくりになっているというふうにおっしゃられたわけですけれ。ども、本当にそのようになっているかどうか、その辺をちょっときょうはテーマにして質問をさせていただきたいと思います。 まず最初に、私どものとらえ方が間違っていたら御指摘をいただきたいわけですけれども、独立後間もない昭和三十年、一九五五年に、「うれうべき教科書の問題」というような問題が国会でも取り上げられて今日まで来ていると思いますけれども、その間には家永裁判もありましょうし、一九八二年の宮澤官房長官のあの談話や、教科書検定基準が追加、改正をされたという歴史もあるわけですけれども、少し歴史的にもうちょっとお話しいただければありがたいというふうに思います。
○坂元政府委員 大体先生が今御指摘されたとおりだと思います。 一九五五年、昭和三十年に「うれうべき教科書の問題」ということで、これは当時の日本民主党教科書問題特別委員会が発表いたしまして、教科書がやや偏向しているんではないかという、そういう訴えかけをしたわけでございます。その後幾つかいろいろな議論がございましたが、それまでは私どもの教科書の検定という仕組みは常勤の者がほとんどいませんで、専ら非常勤の職員で、非常勤の先生を検定のときに連れてきて、そして検定審査をしていただいたという経緯がございました。それではいけないので、やはり「うれうべき教科書の問題」をどう評価するかということは別といたしまして、教科書そのものを慎重に検定するという、そういう体制づくりが必要だろうということで、教科書調査官制度といういわゆる常勤の調査官制度を創設したのは三十年の後でございました。 それから昭和四十年、一九六五年に、今先生おっしゃいました東京教育大学の元教授の家永三郎氏が裁判を提起したわけでございます。その裁判の結果が杉本判決という形で、昭和四十五年に東京地裁から、検定制度自体は違憲ではないが、本件検定は思想内容の審査にわたるものであり、憲法、教育基本法に反するという判決が東京地裁から出されました。その後、東京高裁、いわゆる高津判決等でございますが、これにつきましては、一審判決を破棄いたしまして、検定の合憲性が認められたところでございます。 昭和五十五年にもやはり、一九八〇年でありますが、自民党の機関紙自由新報が教科書が偏向をしているのではないかという訴えかけをした事例がございます。 それから昭和五十七年、先生御指摘の一九八二年に日中、日韓教科書問題、いわゆる「侵略」を教科書検定で「進出」に直させたんだという新聞報道がなされまして、それについて中国、韓国から、事実を歪曲する教科書検定、「侵略」ではないかという意見が寄せられて外交問題に発展したことは御指摘のとおりでございまして、その結果、先ほど大臣から御説明いたしましたような、教科書検定基準の中に国際理解、国際協調を重視するという規定を入れたところでございます。 それから、さらに下がってまいりまして、平成元年に学習指導要領が改正されまして、教科書検定規則と教科書検定基準もあわせて大綱化したところでございます。そして平成三年に、新学習指導要領がスタートする前の年でございますが、平成四年度から使われる小学校の教科書の検定結果を六月に発表をいたしました。そして同時に、御承知のとおりに、原稿、申請本とそれからでき上がりました教科書を一般に公開するということも行ったわけでございます。 以上、大変飛ばして簡略でございますが、大体昭和三十年からの教科書をめぐる問題の大きな問題はそんなところに尽きているのではないかというふうに思っております。 なお、家永裁判、家永三郎氏が起こした裁判については、まだ一部最高裁なり下級審段階に係属しているものがございます。
○輿石委員 今局長の方から御丁寧に御説明をいただきました。幾つかポイントになる、問題になる節目のある歴史的な問題もあるわけですが、私はちょうどその一九八二年、高校日本史の問題をめぐって外交問題になり、その記述修正のために教科書検定の基準も改正しなければならない、そして追加をしていった。この歴史が繰り返すという言葉がありますけれども、そんな予感がしてくる問題は、今日やはり韓国、中国との外交問題です。先ほど大臣もちょっと触れましたけれども、従軍慰安婦の問題や強制連行の問題でまた再び十年後の今日同じような状況で、中国、韓国の方から日本の教科書にその問題を記述として歴史的事実として入れるごとはどうなのか、入れてほしい、そういう要求もあり、宮澤首相もソウルでの、初めての外国への遊説が韓国でありました。そこでソウル演説をしているわけですね。そのソウル演説の逐一をここで復習する必要はないと思うのであります。帰ってきてまた百二十三国会の施政方針演説でも言われているわけであります。それに対して我が党の田邊委員長も、やはり歴史の教科書に日本の歴史の事実を正しく教えることが現在に生きる我々大人の責務であるというふうにも質問をしているわけであります。そうした経過もありますので、今後大臣として、やはりその一九八二年の高校日本史の教科書をめぐる外交問題にまで発展した、当時の小川文部大臣だったですか、と思いますけれども、やはり同じような立場にある面では置かれているのではないか。このことについてどう今お考えを持っておられるか、若干聞かせていただければありがたいと思います。
○鳩山国務大臣 当時の文部大臣と仏とが同じような立場に置かれているという認識は、私は今はしておらないのでございますけれども、確かにシンガポールで海部総理が演説をされた概要と宮澤総理が韓国でなされた演説とこの間の国会での総理の演説、いわゆる後世のために、後世代の者たちのためにも歴史を正しく伝えていきたいということが述べられております。これはもちろん一般論として述べられた事柄ではございますけれども、そうした海部総理や宮澤総理の御発言の趣旨は、例えば、これは初中局長なのでしょうか、例えば都道府県の教育委員長あるいは教育長を集めたような会議とか、あるいは都道府県教育委員会の主管部課長会議とか教育課程講習会とかいうような場でも、どういう議論が、例えば政府の最高首脳がどういう演説をしたかというようなことは当然伝わっていっているものと思うわけでございます。また国際理解、国際協調という観点で近隣のアジア諸国との第二次世界大戦におけるかかわりについてできる限り教えるようにというようなことも、相当指導はされてきたというふうに考えておりまして、私としてはかなりいい歴史教育ができているものというふうに思ってはいるわけです。少なくとも、これは特定の国々を批判することになってはいけませんけれども、しばしばいわゆる全体主義的な国家と言われる中で、何というのでしょうか、一党独裁の国家では政権がかわると過去に評価された人間が急に評価されなくなったりまた復活したりということがよくありますね。私は、ああいうことはできる限りない祖国日本でなければいけない、歴史というものが客観的にとらえられて、それが正しく教えられていかなければならないと思うわけであります。 したがって、近現代のことは問題になりやすいでしょうけれども、じゃ近現代だけ教えればいいという問題ではありませんでしょう。例えば我が国と朝鮮半島との関係についていえば、私も子供に勉強を教えたときの記憶ぐらいですからよく覚えておりませんが、白村江の戦いとか任那日本府とか高句麗の好太王碑、そういうような時代から、あるいは一二七四年、一二八一年の文永・弘安の役で蒙古大襲来のときでも朝鮮半島との微妙な関係があっているわけです。例えば、そういう朝鮮半島一つとっても、日本と朝鮮半島の長い長い歴史というものをきちんとできるだけ客観的に教え込んでいって、そういう中で迷惑をかけたことは迷惑をかけたこととして伝えていくという意味では、総理等の演説も全く正しいものというふうに私は考えております。
○輿石委員 私は、そこで一国の総理が国を代表して外国で発言をされたその重みは国民として大変重要だろうし、それを受けての文部省の姿勢というのも大事だろうとは思うわけですけれども、そこで私が大変心配になるのは、それでは一国の総理が外交的な問題で外国でそういう談話なり会見をした、その発言によって教科書が変わるというようなことがあったら、これは大変な事態でありますし、教育の中立性や指導要領や教科書検定は何のためにあるのかと問い直される大きな問題にもなろうと思うのでありますけれども、その点はいかがですか。
○鳩山国務大臣 それは全くおっしゃるとおりだと思います。つまり、一連の例えば国際社会での問題の提起というのがあるとしますね。例えば従軍慰安婦という問題がある。高校の日本史では既に一社は取り上げているということを知りましたけれども、従軍慰安婦というのを一体どういうふうに教えるのかというなかなか難しい問題もあります。特に事柄が事柄ですから、大人の社会で大いに議論することは構いませんが、教科書に適当な内容であるかどうかということもあろうかと思いますのでも、例えば従軍慰安婦のことがいろいろ取りざたされているのは事実です、それは韓国と日本だけでなくていずれもっと広がるかもしれませんが。そういうことを、今の国際的なやりとりのようなものを見ておって、そしてその発行者や執筆者がどういう教科書の原稿を書くかということなんだろう。文部省としてこういうふうに書けとかああいうふうに書けということは絶対あり得ないことだし、できないことですから、国定教科書じゃありませんから。ですから、だれがこう言ったから教科書をこう書きなさいというようなやり方は文部省は一切とらおいわけでございます。あくまでも発行者と執筆者が打ち合わせして、こんなことも話題になってきているから書き込もうかな、我々は、それを、出てきたものを検定をさせていただくという立場にすぎないということです。
○輿石委員 文部省としては、編集者または発行者に、民間にゆだねた目的もそこにあるわけだ、そこへ介入する気持ちもないし、介入した覚えもないというふうに大臣明言をされました。その点について後ほど若干触れさせていただきますが、そこへ入る前に、私は初中局長の方にお尋ねをしたいと思うのであります。それではたびたび出てきました指導要領と検定制度の問題について触れさせてもらわなければならないというふうに思うわけであります。 そこで、新指導要領と検定制度も九〇年に新しく変わっていますが、その新検定制度のねらっているものは何かということをお話しをいただきたいと思います。
○坂元政府委員 新しい学習指導要領のねらいとしているところは四つございまして、心豊かな人間の育成、それから基礎・基本の重視と個性教育の推進、それから三番目は自己教育力の育成、主体的に判断できる能力を育成する、あるいはみずから学ぶ意欲を高めるという自己教育力の育成、それから文化の伝統の尊重と国際理解の推進、以上四点が新しい学習指導要領のねらいとして私ども学習指導要領を新しくしたところでございます。 それから、新検定制度のねらいでございますが、教科書検定制度は、今大臣からも御説明申し上げましたとおりに、民間の創意工夫を生かしつつ児童生徒の発達段階に応じた適切な教科書を確保することにより、教育の機会均等を実質的に保障し、全国的にある一定の教育水準を維持するということを目的とするものでございます。今回の改善は、このような教科書検定制度の基本的な目的、役割にかんがみまして、臨教審の答申を受けまして、民間の創意工夫と著作、編集機能の一層の向上により教科書の質的向上が図られ、個性豊かで多様な教科書が発行されるようにする観点から検定制度について全面的に見直しを行いました。 基本的な方針は、検定の合否は文部大臣が教科用図書検定調査審議会の答申に基づいて行い、またその際審議会の審議に基づいて必要な修正を行わせた上で合否を決定することとしたわけでございます。従来は最初に条件つき合格というようなことを審議会で決めますと、後は行政手続でいろいろな修正をやっておった。その辺の部分がややオープンじゃないやり方じゃないかというような御批判があったわけですが、それをすべてその審議会の審議に基づいて検定を行うという仕組みに変えたわけでございます。教科書としての適格性の判定に重点を置き、審査を一層公正に行うことができるようにするとともに、制度全体を大幅に簡素化し、重点化することにより簡明でわかりやすい検定制度の実現を目指した。同時に、国民にわかりやすくするために申請された原本と、それからその申請された原本が検定の結果どういうふうに変わったかということを一般に公開するという制度も導入したところでございます。
○輿石委員 今の局長のお話ですと、先ほど午前中からのずっとお話にも、文部大臣のお話の中にもありました。十二年ぶりに変わったという新指導要領、これはもっと簡潔に言わしていただければ、一人一人の子供の個性を大事にしていく、そこに重点が置かれる。そしてまた新しい検定制度も、またその新指導要領の目的にかなうような教科書づくりをするためにある。それで民間へゆだねる方法や、結局は先ほど局長の言葉の中にもありました個性豊かな多様な教科書をつくるために、臨教審の第三次答申でもうたわれているその精神も受けながら、この検定制度を改めたというふうに思うわけですけれども、そのように理解をしてよろしいかどうか確認をしたいと思います。
○坂元政府委員 そのとおりでございます。
○輿石委員 だとしますと、その精神で教科書が本当に子供たちのために個性豊かで多様な教科書づくりになり得ているかどうか、その視点から質問をさせていただきたいと思うのであります。 きょうは、教科書問題でも歴史教育に絞ってというふうに冒頭お約束はしたわけですから、それでは冒頭の質問にもかかわりますが、小学校の六年生の教科書の中に今回教えるべき人物として四十二人の人物が登場されている。その中には既にお話しをしましたような東郷平八郎、戦後四十七年初めて小学校の教科書に軍人が登場してきた。このことは、指導要領が発表された翌日、全紙、マスコミにも大きく取り上げられ、「平成教科書軍人闊歩」などという大きな見出しで書かれているのであります。その間、四十二人の扱いについて相当文部省の中でもやりとりがあったというふうにも聞いておりますし、そういう資料もあるわけであります。その辺の経過についてお話をいただければありがたいと思うわけであります。
○坂元政府委員 小学校におけます歴史学習につきましては、従来から、歴史的事象を網羅的に取り上げ通史的に学習するのではなくて、歴史上の主な事象を取り上げ、それを人物の働きや文化遺産を中心に学習することとしてきたわけでございます。これは子供の、児童の発達段階を考慮して、歴史を学ぶことへの児童の興味や意欲を持たせ、我が国の歴史に対する関心と理解を深めるようにしたところでございます。ただ残念ながら、従来の小学校における歴史学習が中学校と余り変わらない網羅的な学習になっているとの指摘もありまして、今回の改訂におきまして本来の趣旨に沿って学習指導が徹底するよう改善したところでございます。 一つは、網羅的な学習に陥らないようにするため、小学校の歴史学習で求められる歴史上の主な事象を十二項目に分けて内容を重点的に示したということでございます。 それから、歴史を生きた人間の歴史として子供、児童が興味を持って学べるように、人物や文化遺産を中心とした歴史学習を徹底するために、指導事項との関連を考慮いたしまして、歴史上大きな働きをした中心的な人物を政治、経済、文化などの広い分野から取り上げることとして四十二名を例示したところでございます。 その中に東郷元帥を取り上げるという点につきまして、文部省内でいろいろ議論があったのではないかという御指摘ではございますけれども、そう厳しい議論のやりとりがあったというふうに私は承知をいたしておりません。ただ、前の局長から詳しく引き継ぎを受けたところではございませんので、その点については自信のある回答ではありませんけれども、そういう引き継ぎは前の局長からは受けておりません。
○輿石委員 今局長のお話ですと、小学校の六年生に四十二人の歴史上の人物を取り上げて指導をしていく、そういう方向に指導要領を変えたその背景や要因についても語っていただきました。それはまさに歴史教育が小学校六年生で始まりでありますから、通史的に網羅的に教える今までの形よりも、人物と文化遺産を中心にして歴史の区分けも十二に分けて教えていく方がより具体的で子供たちの興味、関心もとらえられるだろう、そういうねらいはよくわかりますし、その方法もよかろうと思うわけでありますけれども、私がお願いした質問は、その中で戦後四十七年、軍人を、日本海海戦、日露戦争の題材として東郷平八郎を入れなければならない必然性がどこにあるのか。一方では、先ほど文部大臣は当時の大学受験の経験。も話されました。それから追っていきますと、多分昭和二十三年生まれぐらいかな、戦後の世代であります。いよいよ戦争を知らない世代が国民の六二%にもなろうというこの状況で、戦争の体験や戦争の歴史を正しく伝えていくということは大変必要でありますけれども、文部省内で東郷平八郎をめぐって大変な論議があったのではないかという私の質問に対して、局長は、私は当時の局長でもなければそこに参加をしていなかったので詳しいことはわからぬけれども、それほどの問題はなかっただろうというふうにお答えになりました。しかし、今は亡き当時の中島文部大臣から西岡文部大臣にかわったときの話であります。当時、中島文部大臣は、東郷平八郎で日露の日本海海戦を教えることは、局地戦争を取り上げて教えることは、私は賛成はできない、四十二人の中に入れるというのは、私は納得できないよという言葉で明らかにしているのであります。一説によれば、それから西岡文部大臣、文部大臣の交代を待ってそのことが決着がついたとも一部報道されているのであります。私は、その辺は大事な問題でありまして、文教行政の最高責任者がこれは入れてはおかしいと言っているものが入ってくるというこの背景、そこには教科書の中立性、公正さ、教育の中立性が保障できるかどうか、そう疑問を持たざるを得ない側面もあるのであります。 もう一度その辺の経過について説明できたらお願いをしたいと思うのであります。
○坂元政府委員 当時、私体育局長であったかと思いますが、中島大臣が東郷平八郎を歴史教科書に取り上げるということについて意見を出しておるということについては仄聞していたところでございます。ただ、中島大臣の交代を待っていたかどうかというのは、これはつまびらかじゃございませんが、最終的には文部大臣の承認を得て先ほど申し上げましたような四十二名の人物を挙げることに決まりまして、その中に東郷平八郎が入っ夫ということでございます。
○輿石委員 その辺は、当事者でないからという言い方ですから、それ以上お聞きをするのは失礼かと思いますからやめておきますけれども、私は文部大臣と違って戦争を若干、終戦を知っている人間の一人として、一つの事実として、私は小学校二年のときに終戦を迎えました。そして八月十五日、太平洋戦争が終わり、一カ月たった九月に、よく言われる墨塗り教科書でありますね。私どもは、当時何のことか少しもわからない、その中で、教室で東郷元帥や乃木大将、戦艦大和などへ黒い墨を、教科書を塗りつぶした。きのうまでこれは大変立派な業績を上げた軍人であるという教え方をした、一カ月後にはそれはだめだということで否定をし、墨塗りの教科書にかわる。そして四十七年たった今日、またそのことが復活したと、そう極端に見ることは危険かもしれませんけれども、そういう危惧を抱いている国民や教育現場や親がいることも事実でありますから、この辺については国の文部行政をつかさどる大臣としてどう考えられているか。そしてまた、このことが慰安婦の問題や強制連行の問題を外交問題として出てきたときに教科書へ記述するの、かしないのか、するとしたらどこへどのような形でするのかという課題が、もしやすると間もなくやってくるかもしれない、そういう状況にあると思うわけでありますけれども、その辺どのように把握をされておりますか。
○鳩山国務大臣 先ほどから先生と初中局長のやりとりを興味深く聞いておりまして、私も当時のいきさつを、新聞報道等は接触した記憶はありますけれども、具体的ないきさつ等何も承知する立場にありません。ここにこの四十二名の例示、例えばというこれは例示なんでございましょうが、選ぶというのはなかなか大変なことなんだろうなあと思って、私が一人で四十二名選べと言われたらどういう人を入れるのかなあと思って、日本の長大な歴史の中でさまざまな登場人物がいるものをたった四十二名に絞り込んでいくというのは非常に難しいことなんだろうなあ。例えば源平といっても、平氏からは平清盛だけでございまして、源氏は頼朝と義経で、木曽義仲は入っていないし、北条氏は時宗で泰時も義時も入ってないんだなあ。無論、鳩山一郎も吉田茂も入りてないんだなあ。こういうことをいろいろ見ておりまして、どういうふうに選ぶとこれは四十二名になるのかなあ、大変難しい作業をしたのだろうと思うのですね。私は、そういうすごく難しい作業をして苦労した中で、当時のいろいろな議論の中からこういう四十二名が選ばれたわけでありましょうし、東郷元帥というのも私ども戦後生まれの人間としては大変偉い方という印象、イメージを持っておりますし、今でも私の地元の後援会名簿には何とか平八郎さんというのが、私の後援会長も平八郎という名前がついておりますし、やはり相当尊敬を集めた方なんだなあというふうに思っております。 まあこの四十二人を選定する過程は相当難しかったのだろうと思いますが、何もこの四十二名を今後の学習指導要領、未来永劫これを不変と考える必要はないわけで、それは百年たったらこの四十二名の中に輿石東と書いてあるかもしれませんから、その辺は余り、何というのでしょうか、非常に難しい作業をしたのでしょうが、今後決して固定的に考えるべきことではないというふうには思います。
○輿石委員 新大臣もそのように今答えられたわけですけれども、同じようなことを当時の西岡文部大臣が言われているわけですね。これは一つの例示であって、これを強制したりする考えは文部省としてはさらにない、これは編集者や著者、教育現場でこの四十二人にかわる人物を入れかえてやることにはいささかも差しさわりない、こういう言い方を西岡発言として当時の文部大臣が記者会見でやっていますね。しかし、私が先ほど、指導要領と教科書と検定制度のかかわりについて、指導要領のねらい、教科書検定のねらいをお尋ねしたのもそこにあるわけであります。しかし、今回の新指導要領、新教科書検定制度、二つとも変わりました。その中で、教科書会社、民間に自主的につくらせているという文部大臣のお答えではありますけれども、今回その六年生の歴史の教科書を見ると、新しく二社が加わって八社すべてが東郷平八郎も入れてあるわけですね。こちらで入れる入れぬは編集者や発行者の自由裁量に任せると言っても、教科書会社は検定に通らない限り、児童や生徒はどんどん減っていく、死活問題になる、自主規制をして、これが入ってないと検定が危ない、そう見れば入れることは当然であります。それだけに教科書検定基準のあり方やその指導については大変な影響力を及ぼしますし、またその検定基準や指導要領があるのは、先ほどから言われていますように、学力の全国的な水準を維持するとか公正中立とかということをうたっているわけですけれども、本当にそのようになり得ているのかどうかということが大変心配なのであります。 検定制度にいたしましても、簡素化、重点化と言いながら、今までの原稿本、内閣本、見本本という三段階を、真ん中の内閣本を吹っ飛ばして、一発検定と言われる、ある面では書かせる検定だとも批判があるわけであります。今後その検定制度についても、どうか緩める方向で考えていっていただきたいと思うのであります。それなくして文部省のねらっている個性豊かな、多様な教科書などというものは出てこないと思います。 そこで一つ、今度生活科と保健体育の教科書が新しく登場したわけであります。私がちょっと調べたところによりますと、家庭科の教科書は一冊百六円だそうであります。この問題については、教科書の無償については大臣自身も大変頑張っていただきまして、堅持をすることができました。私たちはその点では大変敬意を表するわけでありますが、その教科書の単価が家庭科百六円。週刊誌でも二百五十円であります。それで検定基準も厳しい、単価も百六円ということで、果たして主たる教材である、子供にとっては一日も欠かせない教科書が、よりよい、個性豊かな、多様な教科書ができるだろうか。そういうことも心配するわけですが、その辺につきまして何かお考えがありましたら、お答えをいただきたいと思います。
○鳩山国務大臣 諸外国に比べて日本の教科書は非常に地味にできていると思いますね。これは制度が違う。例えばアメリカあたりでは、分厚い、ごっつい教科書で、基本的に家に持って帰らないとか、あるいは学校の所有物で、次の学年に、日本で言えばお方かお下がりかわからないけれども、そういうふうにやっていくとか、いろいろと仕組みが違うかと思いますけれども、よくこれぐらいの値段で一生懸命つくっていただいているな、単価アップもほんのちょっとはやれますけれども、なかなか思い切ってできない。結局いつもあれは四百二、三十億というオーダーでずっと来ているのかなというふうに思っておりますが、正直申し上げて、今百六円というお話でしょうか、もっと十分なお金をお支払いして、なおかつ義務教育の教科書の無償が継続できるような、そういう理想は描いてはいるのですが、何分国家財政との関係で、いつもこういう押し合いへし合いの中で、無償給与は堅持したけれども、ますます定価の方は単価アップは縮められてということで、非常に教科書発行会社にも厳しい経営とか厳しい採算をお願いをしているというのが実態であります。私先ほど申し上げたように、教育はお金ではない、お金が十分あるからいい教育ができるというわけではないけれども、でも少しでも見やすい、いい教科書をつくるために、そういうところにはそれこそ将来の投資という形でお金を支出できるような、そんな了解が国会全体、政府全体にあればいいなというふうに思っております。
○輿石委員 午前中の岩屋議員の質問にかかわったかと思いますが、そこで大臣、今義務教育無償という原則から教科書無償を堅持をしていただいた、それには敬意を表しますと私も述べたわけですけれども、今百六円の家庭科の教科書にかかわって、四百二十億円ぐらいかな、こんな発言もありました。午前中のコンピューター導入の話の中で、文部省予算は人件費がもう八割近くだ、七八%だ、だからまさに防衛費やなんかと同じように別枠で考えてもらわないと大胆な政策提起もできないというお話もありました。私たちもその点についてはまさにそのとおりだろうというふうに思います。それで、文部省予算の中の公務員または国家公務員の人件費が八割近い、七八%だという中で、一%アップすれば四百億くらいの金は飛んでしまうとこう言われましたね。そのアップ一%ぐらいしか全体のシェアといいますか、教科書会社は抱え込めない。民間で、教科書をゆだねるところで個性豊かな、多様な教科書づくりもできるのだ、そこには編集者や発行者の自主的な判断が入るからと言われたわけですけれども、これから長い見通しの中で、生徒や児童減がずっと行ったら、もしかすると、こんなもうからない教科書はほうり出せという形になって民間ではできなくなる危険も出てくる、そんなことを思うものですから、その問題に触れさせていただきました。教科書の無償堅持とその辺のことについても、ぜひ今後御検討いただきたいと思うのであります。 時間がありませんので、最後に私は、このように教科書問題があるときは外交問題になり、政治問題になり、うっかりすると政治の教育への介入も心配されるという問題まで派生されてくる要素のある問題、慰安婦の問題や強制連行の問題にも触れさせていただきました。 そこで、もう既に民間では日韓で教科書を共同研究してつくろうというような動きもあるのであります。またドイツとポーランドの合同委員会の例もあります。今後そういう問題について文部省として国際間で教科書問題を同時に考えていくという考えがおありかどうか、ないとすればそれはどういう理由が、あるならばどうしようとするのか、その辺についてお尋ねをいたします。
○鳩山国務大臣 国定教科書制度をとっておるならば、国が決めて、国が教科書をつくって、これを配付するという形だろうと思います。現に国定教科書というのは世界じゅうに相当例が多いのだと思いますし、韓国では歴史は国定教科書でしょうか、どうでしょうか、多分そうではないかと思います。何も私は先生がテーマにされたからというわけではありませんが、歴史教育に結びつけるわけではありませんが、民間同士でどういう教科書が理想的なのかを研究し合うのは大いに結構なんですけれども、ただ、国定教科書でない我が国としては、例えば文部省がどこかの国とどういう教科書がいいかということを打ち合わせするというのは非常におかしな、早い話が我が国の検定制度、先ほどからしつこく申し上げておりますように、民間に自由に執筆していただいて、それが学習指導要領にどの程度きちんと沿っていただいているかを検定させていただいて、これを採択して使用していただくという仕組みと、日本の政府が出ていってよりよい教科書について打ち合わせをするということとがなじまないという観点を私はとっているわけでございまして、こういう研究はぜひとも民間同士で大いにやっていただきたいというのが私の基本的な物の見方でございます。
○輿石委員 まさにそういう点があろうかと思います。国定教科書で全国一律につくられている教科書と、そしてまた日本のような形での教科書と、そのまま同時に同じレベルで研究が進められるものではないということも承知をしているわけですけれども、民間でのそういう動きについては大歓迎で、やってほしいというお話もありました。それならば、直接そういうものに介在をしなくても、側面からそういう民間の研究について援助をしていくという姿勢はございますか。
○坂元政府委員 国定教科書の性格から見て、先ほど共同研究というのはなじまないというふうに御説明申し上げました。純粋に民間でそういう研究をする場合に、その研究が科学的に見て、これはもちろん社会科学でありますが、科学的に見て価値のある研究であるかどうかということで、例えば科研費の申請等があれば、科研費を審査する審議会において妥当であるということになれば、科学研究費の補助金の道は開かれているところでございます。
○輿石委員 その辺は、今言われましたように、すばらしい、傾聴に値する研究だとすれば、文部省としても積極的にそういうものに支援をして、それを育てるような方向でお願いをしたいと思うのであります。 それと、申し上げたいのは、特に大臣も言われましたように、この歴史教育、戦争にかかわる教材については、その国、その国のとらえ方の違いも大変あろうと思うのであります。例えば日韓でよく国際摩擦になる問題は、私どもが加害者で中国、韓国が被害者だと、そういう意識が強過ぎますと、お互いにそのところの感情の摩擦やもつれが出てきて、これが外交問題にも派生じかねない。だからこそその誤解を生まないような手だて、それが国際化時代の相互理解につながるだろう、そういう精神についてはきちんと踏まえていただきたいという意味で民間での研究を育ててほしいというふうに申し上げたのであります。その点についていかがでしょうか。
○鳩山国務大臣 よりよき教科書づくりということは、これは永遠の課題、未来永劫途絶えることのない課題だと思うわけでございまして、特にそれは教科書の内容あるいは教え方などということもあろうかと思っておりますが、そういう不断の努力を怠ってはならないことはよくわかりますし、民間の方でそういう研究をされることに対しては、先ほど初中局長がおっしゃったように、例えば科研費というようなものが該当するならば、そういうものはぜひ使っていただいても結構というふうに考えております。
○輿石委員 きょうは教科書問題、歴史教育の問題で質問をさせていただいたわけでありますけれども、どうか子供たちにとって学校が楽しい場所であり教科書が大変興味深いものであってほしいと願うのであります。 学校五日制を踏まえ、大変な不安と期待が社会の中にも家庭にも地域にも学校にもあるわけですから、最高の教育行政に携わる文部大臣、文部省として、この大きな課題に私どもも一緒に協力を惜しまないつもりですので、御検討をいただければありがたいということを申し上げ、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 平田米男君。
○平田(米)委員 公明党の平田米男でございます。 まず最初、今月の十九日から二十三日までの間、カンボジア議連、超党派でカンボジアを訪問をいたしました。PKO、UNTACの活動はまだこれからでございますけれども、カンボジアの復興に向けて、もう既にそのUNTACの準備として各国が人員を派遣して、カンボジア復興、特にUNTACの活動の準備のために大変努力をしておいでになる。中国も参加をしておいでになって、またいずれ韓国も参加するという話でございますが、残念ながら日本はまだPKO法案が成立しておりませんので、UNTACの代表に明石国連事務次長が任命をされたわけでございますし、また難民高等弁務官であります緒方さん、いずれも日本人でございますが、国内体制の整備のために十分な対応をまだ日本はできていない、こういう現状の報告を私受けておるわけでございます。 このPKO法案、今国会どうなるかまだ不透明でもございますけれども、しかし、そのPKO法案がどうなるかということ以外に、またそれ以外に、カンボジアに対してアジアの一員、アジアにおける先進国である日本としていろいろなことをやっていかなければいけない。 また大臣は、日本は教育大国あるいは文化大国、こういうものを求めていかなければならないという視点でさまざまな御発言をされておいでになるわけでございますが、やはり私も、そのような観点から、カンボジア支援というのは文部省のできる範囲内でどのようなことがあるのか、これを考えてみる必要があるのではないかというふうに思います。さまざまあるかと思いますが、二点早急に対応をすべきではないか、このように考えております。 一つは、世界的な遺跡とも言われておりますアンコールワットの修復事業でございます。文化庁に伺いましたところ、ことしの概算要求で来年度予算三千万円を要求した。その中身としましては、カンボジアの技術者を受け入れて、遺跡保存に関する技術研修を日本で行う、大変タイムリーで、また文化大国という観点から極めて有意義な計画ではないかと私は思ったわけでございますが、残念ながらそれが予算案には載ってこなかった。どのような考えでこういう結果になったのか、非常に残念でございますけれども、一つは、こういう問題に対して大臣としてどのような御所見をのか。また今年度の予算、補正もあるのかもしれませんが、そういう中でこのような問題はどう考えていかれるのか。また、これは単に一年二年の問題ではございませんで、この修復には百年かかるとも言われております。そういう観点から、これは息の長い対応をすべきではないか、こんなふうにも思うわけでありますが、まずその辺の考えをお示しをいただければと思います。
○鳩山国務大臣 具体的には吉田次長からお答えをいたしますけれども、アンコールワットと言えば世界的な大遺跡であって、それがカンボジア内のさまざまな内戦状況ということで相当厳しい状況に置かれているのでありましょう。また、その保存、修復に当たれる技術者がほとんどいなくなってしまっているというふうにも聞いておりまして、そういった意味では平田先生のように現地へ行かれた方々からもいろいろとこれから教えていただきたいと思っております。 それで、文部省としては、これまで、民間のアンコール遺跡救済委員会というのがあるのですが、それに参加をさせていただいて現地へ行った者もあるようにも聞いておりますし、この大変重要な世界的な遺跡を、今先生百年というふうにおっしゃいましたが、私もそういうふうに聞いておりまして、そんな三年や五年で保存、修復できるものではないよということを聞いておりますから、こういういわば地球規模的に見ても一大文化財保存、修復事業に日本が乗り出すか乗り出さないかというのは、国際貢献という観点から見て非常に我が国の評価にもかかわる部分であろうと思っておりますので、そうした意味では、それこそ息長くこうした事業に我が国が協力できますように、これは文化財保存という意味と国際協力ということと両方含められた事業でございますから、意味合いもそれだけ大きいと思っております。 先生は予算編成というか予算要求のときのお話を知っておられて今話されたわけでございまして、我々としては自慢のできることではありませんが、こういう予算がなかなか認められないというところにまだまだ日本が文化大国とは評価できないのかな、あるいは国際貢献という意味でも、それはODA等いろいろやってはいるけれども、まだ世界の評判がどうもいまいちというところにとどまってしまうのも、こういう予算が削られてしまうからかななどと考えたりいたしております。 以下は次長から……。
○吉田(茂)政府委員 先生ただいま御指摘の予算でございますが、先生御指摘のとおりでございまして、昨年十二月の予算編成の過程におきましては、対カンボジア政策全般の状況の中で、時期等の問題もございまして実現を見なかったわけでございますが、今大臣申し上げましたとおり、これまで既に民間のアンコール遺跡救済委員会、こういう組織もございます。そういった組織等を通じまして、私ども、アンコール遺跡の現状あるいは修復技術者の状況、カンボジア側の要望などについて、その実態の把握をしてきたところでございまして、今後こういったものも踏まえて、大臣申し上げましたようなアンコール遺跡の保存、修復の協力のあり方を鋭意検討してまいりたいと思っております。
○平田(米)委員 積極的に進めていただきたいと思うわけでございます。 そこで、これは予算が通らないのでどうしようもないということは言っておられないものですから、何とかできないかということを考えておるわけでございます。きょうは外務省に来ていただいておりますが、日本はユネスコに日本ファンドというのを積み立てております。これは伺いますと八百万ドルであるということでございますけれども、アンコールワットの修復関係では、一九九〇年に三十七万ドル支出をして、タイで国際会議を開くとか、現地調査をするとか、資料の整備をするというようなことをやっておいでになるわけでございますけれども、この文化庁が考えたこういうプロジェクトを何とか日本ファンドを使って、これは遺跡の復興のためということになっておりますので、実現ができないか、こんなふうに思うわけでございますが、外務省、その辺どうでしょうか。
○赤阪説明員 外務省の赤阪でございます。 ただいま先生御指摘のとおり、カンボジアにとりましては、このアンコールの遺跡は国家国民の象徴としての意味合いを持っておりまして、カンボジア政府もこれまでいろいろな形でその修復のために各国に要請を行ってきたところでありますが、我が国としましては、その保存、修復のために、ユネスコの文化遺跡保存日本信託基金というのがありますので、そこを通じまして、今先生御指摘のとおりの約三十七万ドルの協力を行ってまいりました。 これも先生今御指摘のとおり、カンボジアのアンコールワット遺跡の修復というのは、今後息の長い協力が必要なものでありますので、特にカンボジア国民自身がこれを保存、修復するという観点から、その人材育成を図っていけるようにということを我々としても考えていかなければ、ならないと思っております。そういったカンボジア人の人材育成を含めた今後の我が国の協力につきましては、本件保存、修復事業全体がユネスコを通じて行われております関係上、ユネスコと緊密に連絡をとりますとともに、またこの点文部省ともよく御相談しながら、日本信託基金の活用も含めて積極的に対応していく所存でございます。
○平田(米)委員 そういうことでやるというふうに理解をしたわけでございますが、ぜひお願いをしたいと思います。 もう一つは、カンボジアからの国費留学生は一九七五年まで毎年数名受け入れてきたわけでございますが、その後はずっとないわけでございます。これも早期に再開をすべきであるというふうに私は思うわけであります。これはことしから受けるというわけにいきませんので、ことし準備をして来年四月からは受け入れたい。語学の問題あるいはまた試験に受かるかどうかの問題もありますが、これはできるだけ弾力的に考えて、少なくともこれまでの数あるいはその二倍、三倍を受け入れるような文部省の姿勢というのが必要ではないか、こんなふうに私は思います。来年四月から留学生を受け入れるためには、夏までに現地で募集をして選考をしなければならない。そして秋には候補者リストを文部省が受けて、そして最終選考をした上でことしじゅうに内定をする、この作業が必要なわけでございます。これは余り時間が十分ではないとは思うわけでありますけれども、しかしその気になればできるものでございます。ぜひともやらなければいけない、こんなふうに思います。このカンボジアからの国費留学生の受け入れについて、文部省の考え方そして外務省の考え方をお伺いをしたいと思います。
○長谷川政府委員 我が国がアジアの一員といたしましてアジア地域内の平和と安定等のために協力していかなければならないということは、文部省といたしましても十分に承知いたしております。カンボジアの復興ということは、この点からも極めて重要なことでございまして、同国の人材の養成という点につきましてカンボジア政府の方からの希望を聴取しながら、国費留学生として日本の大学で勉強をしたい、そういうような希望があります場合には、当然積極的に対応してまいる所存でございます。 数のことを申されたのでございますけれども、最近アジア諸国からの国費留学生の希望数というのは非常に多うございまして、いろいろな国との均衡なども考えなければなりませんし、また先方の希望なども十分に聴取しなければなりません。外務省の方とも十分連絡をとりながら、そのあたりを調整いたしまして、できるだけ早期に実現するように努力したいと思っております。
○赤阪説明員 外務省といたしましても、カンボジアの復興支援及び日・カンボジア間の友好関係強化という観点から、文部省と協力のもと早急な国費留学生受け入れ実現に努力したいと考えております。 留学生の受け入れとなりますと、その専門分野あるいは先方の希望等も調査する必要がございます。所要の調査を現地公館を通じて行いまして、早急に実施していく所存でございます。
○平田(米)委員 その調査というのは早急にかかっていただけるのでしょうか。またどのくらい期間がかかるものなのか。それを明らかにしていただけますか。
○赤阪説明員 具体的な方針につきましては、今後文部省とも協力させていただいて外交ルートを通じて現地で必要な調査を行いたいと考えておりますが、具体的にどれほどの期間がかかるかというのは、現地の方の事情もありますので、具体的な期間は今ちょっと判明しかねる次第でございます。
○平田(米)委員 抽象的な答弁にならざるを得ない部分もあるかもしれませんが、いずれにしましても、文部省も積極的に取り組む、こういうふうに言っていただきました。少なくとも従前の実績は上げていただきたいと思うのです。今おっしゃったように、希望者たくさんいるわけでございますが、日本がアジアの一員として、しかもアジアの唯一の先進国としてきちっとその国際的責務を果たすかどうかというのは、やはりこういう一つ一つの積み重ねであろうと思いますので、結果はだめでした、こんなふがいない報告をぜひともされないように御努力をいただきたい。文部省そして外務省の両省にお願いをする次第でございます。もう外務省、結構でございます。 次に、まさにきょう大臣が盛んにお述べになっておりました文部省予算のシーリング枠の問題でございます。きょうここにおいでになっておる大臣を初め政府委員の皆さんも、また各党の委員の皆さんも、何とか日本における文部行政、教育、文化の充実ということを一生懸命努力をしておるわけでございますが、いかんせんシーリング枠というものがあって動かない。これを撤廃しない限りは、今の教育、文化行政の質的転換というのはなし得ないところではなくて、このままでは教育、文化行政そのものが窒息をしてしまう、私はそのような認識を持っておるわけであります。大臣の所見は、これまで質問をした同僚委員が引用しておいでになりますので申し上げませんが、このシーリング枠をどうしたら撤廃できるのか、これを大臣と少し議論をさせていただきたい。 先ほどはしなくも、そのために政治改革をやらなくちゃいけないんだ、このようにもおっしゃいました。行き着くところそれなのかもしれません。今政治家の本来の職務というのは、各省庁にわたる予算をどこに重点配分するのか、これをきちっとできなければ、本来の政治家の使命というのは果たせたものとは言えないと思うわけでありますが、残念ながらいわゆる族議員というものが各省庁のまさに応援団になりまして、結局一律の解決しかできない。政治家としての責任の放棄と言われても仕方がないような結果に終わっている。これを解決するには、大臣おっしゃったような、最終的には政治改革をやって政治システムが十分機能を働かせることができるように転換をする、変革をするということが必要かどば思うのですが、ただ、これを待っていてもなかなか難しい。 私はいろいろなことを考えておりまして、例えば文部省に何とか自主財源をとれないか、あるいはもっと民間のお金あるいは地方のお金、最近地方公共団体が豊かになった、豊かでないところもあるとは思いますが、そういうお金を、例えば今研究費に困っております大学、そういうところに還流をすることができないか、そういうことも考えておるわけでございますが、シーリング枠が撤廃できればこれは言うことないわけでございまして、その点、大臣の決意はなかなか状とするところでございますが、ただ、果たして具体的なプロセスがあるのかどうか、この辺をもしあればお聞かせをいただきたいと思うわけであります。
○鳩山国務大臣 決意を表明するはやすく行うは全国会議員の協力がなければできないほどの難しい課題であることはあえて承知で、教育予算にシーリング枠をはめ続けたのでは人づくりは最終的にできなくなるということを平気で申し上げてきているわけでございまして、そういう私の発言に対して大蔵省がどういう気持ちで臨んでいるのかわかりませんが、恐らく、なるべく文部大臣がそういう言い方を数多くしないようによく注意しろということでも大蔵省から文部省当局にも話があっているかもしれないと思うことすらありますよ、私は正直申し上げてそれは。 だけれども、言うはやすく行うが大変かたいことを、いつかだれかがどこかでやっていただかなければ困る。少なくとも、防衛費は今状態がちょっと変わってきましたけれども、防衛費は別枠だ。当時で言うとODAが別枠だ。ODAももちろん国際貢献という意味ではよくわかる。しかし、ODAが別枠なのに何で教育が別枠一つまり別枠というか、いわば伸びが特別の伸びを一切認めてもらえなかったのかと考えますと、本当に情けない思いがするわけでございまして、そういう意味で、それはもちろんODAも重要でしょうが、教育予算というのはもっと重要なんで、少なくともそういうような動きは出てきてもいいのではないか。少なくともそういう方向に向けて努力をしたいと思っています。 先ほど輿石先生から御質問がありましたが、山梨県であられますよね、山梨に金丸信先生という方がおられる。私どものいわば政治的な大変関係の深い、力のある方であります。私は金丸先生の指導というのを随分長くいただいてきておりますが、あの先生が、今からちょうど一年半ぐらい前になるのでしょうか、自分はいわゆる国防関係のボスだ、あるいは公共事業のボスだ、こういうふうに言われてきたけれども、こうやって長く政治生活を続けてみて今つくづく感じることは、防衛予算を削っても、公共事業を削っても、教育の予算はふやさなくちゃならぬということだということを現実に演説でも何度かされましたし、私も呼ばれればもう毎日のように今でもそういうお話を承っておるわけで、そういった意味では、日本の政治家の意識というものも大分変わってきてもらえたのではないだろうかなと思う反面、例の四百三十兆円という話が国会でも議論になっておりますが、一体教育はどの程度の部分なのかなあと思うと、これはなかなか楽観的な見通しを語ることはできないのかもしれない。まあできることというのは本当にまだ限られているかもしれませんが、少なくとも従来のこのきっちりとしたシーリングのままであったならばどうにもならないところに来ているということを、もう各界、各方面、全政党、全政府の方々にお話をして回りたいという気持ちです。
○平田(米)委員 大変であるということがにじみ出た御答弁であるわけでございます。シーリング枠の中で文部省がこれまで痛めつけられてきたのは、やはり人件費の比重が大変大きい、これが一番の原因ではないかと思うのですね。だから、何とか人件費だけを別に考えられないか、これも一つの方策として私などは考えるわけでございます。いろいろな手段を講じながら、何とか風穴をあけなければいけない、そういうものの積み重ねによってシーリング枠の撤廃というのが実現できるのではないかというふうに思います。私どもも努力をしてまいりますが、大臣も若さとバイタリティーで何とか実現にこぎつけていただきたい。金丸さんがそういうふうにおっしゃっておられるんだったらばすぐいってもいいんではないかと思うのですが、いかないのがこの日本の政治システムの困ったところでございまして、またそれもともどもに考えて努力をさせていただきたい。大臣の御健闘を祈りまして、この質問はこれで終わりたいと思うわけでございます。
○鳩山国務大臣 言わずもがなで、かえってお願いをするようなことですが、先生のそういう力強い御誓言を聞いて大変うれしく思うわけで、これは恐らく文教委員の全員の皆様方の共通の理解であろうというふうに考えております。現実に予算のシーズンになりますと、何というのでしょうか、この平成四年度もそうでしたが、この予算を組み終えるためには、どこをどう工夫したら年を越せるかなという非常に厳しいせっぱ詰まった議論をせざるを得ない。余り大声で言うと自治省が怒るかもしれませんが、そういう議論をしなくちゃならないということ自体が情けないわけで、人づくりということ、文化、スポーツ、学術を含めて、これをやって、国づくりの基礎をやるんだと言っておきながら、年を越すのに何か質に入れるか売っ払わないと年を越せないなということでは、これは本当の教育大国とはとても言えない状況でございますので、いま一度そのせっぱ詰まった状況を御説明させていただいた次第です。
○平田(米)委員 では、次の質問に移りたいと思います。 二月二十六日付で学校五日制に関連しまして青少年の学校外活動に関する調査研究協力者会議の「休日の拡大等に対応した青少年の学校外活動の充実について」、その審議のまとめが出ました。これを拝見いたしますと、これはひとり文部省の力だけでは対応できない、まさに国家全体として対応しなければいけないという内容ではないかというふうに私は思うわけでございます。やはりこの内容がおっしゃっていることは、僕はほとんど間違いないと思います。なぜかならば、やはり日本の国家、社会そのものが産業優先といいますか、そういう視点で非常に機能的につくられたがために、教育はもう学校だけにお任せ、本来地域の教育力あるいは家庭の教育力というのがあって初めて全人的な教育ができるわけでございます。しかし産業優先の考え方でいきますと、これはなかなか面倒くさい話になったわけでございまして、単純に考えれば、教育は学校だけ、そして家庭あるいは地域は産業のために全力を挙げよう、こういう視点から考えれば、今のような実態になった。これを転換しなければ学校五日制の完全な実施というのはできない。そういう意味では、日本の国家目標を変え、そしてそれに見合った国の体制、社会の体制を再構築する、そういうような重要な課題、大変な課題というのが学校五日制であるというふうに私も認識をし、またこれも指摘をしておるわけであると思います。これはひとり文部省だけが一生懸命取り組もうとしてもだめだ。そういう意味で内閣自体があるいは我々国会議員全員がきちっとしたこれに対する問題意識、学校五日制に対する問題意識を持たなければいけないと思うわけでございますが、そうやって話を広げますとなかなか大変なことになるので、この五日制の問題は、また次の一般質問で我が党の鍛治理事から質問があるかと思いますので、私は文部省の及ぶ範囲内ですぐできることは何かということをひとつ考えてみたいと思うわけでございます。 幾つかあるかとは思いますが、一つ私の身近で考えておりますのは、学校施設の開放ではないか、こういうふうに思うわけであります。既に文部省はそれなりに取り組んでおいでになることは理解をいたしております。教育委員会に管理責任を持たせて、そして要望があった団体に運動場とかあるいは体育館を開放する。これも調査によりますと、積極的にやっておいでになるようにも思うわけでありますけれども、団体に入った人でないと使えないという問題があるわけであります。五日制を実施したときに一番この影響を受けやすいのは小学生じゃないかなというふうに思うのですね。中学校以上は自分のことは自分でできるわけでございますので、保護者の手を必要とするのは小学生。そうなりますと、その小学生たちが一番身近な施設としては、やはり小学校があるわけですね。地域の公園といっても中学生たちが占拠していたりしますと遊べない。また余り遠くまではなかなか自分たちでは行けない。それは指導者をつけるとかなんとかというプランもあるようでございますが、これはまた予算もかかることでございまして、またシーリングの話にいってしまいますが、膨大な予算を必要とする対応策なわ付でございます。しかし、今ある小学校をいかに機能させるか、これは現にあるわけですから新たな予算は要りません。若干は要るかもしれませんが、知恵を絞ればできるのではないか。これは在校生に対する開放ということを新たにするということがその第一歩ではないかと思うのです。今は団体に入らなければ在校生も休日等にはこの施設は使えないわけであります。休日に使えないということは、要するに、今度学校五日制で休みになった第二土曜日ですか、そのときには使えない。団体に入ればいいのですが、全員が入るなんということはできない。そういうことから考えますと、在校生に対する学校の開放は直ちに文部省として手をつけていただきたいな、またつけられるのではないかな。最近は何かそこで事故が起きますと、すぐ管理者責任というのが問題になって、私も弁護士ですから、国賠法というのがあって国の責任が非常に重くなるあるいは校長、教育委員会の責任が重くなるということはあります。しかし、それはやはり乗り越えていただいて、何とか実現をしていただきたい。すぐやりますというわけにいかないかもしれませんが、今年度中には十分な検討をしていただいて、遅くとも平成四年度中には十分検討いただいて、平成五年度からは何とか実現をしていただきたい。もっと早ければ、この二学期から一部五日制が始まるわけでございますから、できればそうしていただきたいと思うわけであります。 あわせてお伺いをしたいのは、これまで試験的に一部の学校では学校五日制をやってきたわけでありますが、そういう学校五日制をやってきたところで学校施設の開放というのはどうやってきたのか、これをお伺いできればと思います。
○鳩山国務大臣 具体的なことあるいは後段の御質問については政府委員が御答弁申し上げますが、要するに、言葉で言うと、先ほどのシーリング外してはありませんが、学校、家庭、地域の三者の連携というのはありとあらゆると、ごろで語られるわけですが、これも言うはやすいのですが実際に行うのは大変難しいわけですね。いわゆる社会教育あるいは現在生涯学習局の皆様方の苦労というのも大変なものがあると思うのですね。生涯学習社会を建設しよう、これは理屈では十二分にわかりながら、現実にそれを進めていくのは大変難しい部分がある。今度の学校週五日制の休みになる土曜日というのも、いわば家庭・地域二日制というふうに考えれば、それを家庭教育あるいは社会教育、生涯学習という場面でどういうふうに引き取るかということになるわけですね。そうなりますと、最も現実的な可能性から考えて小学校、中学校の開放というものをもっと進めたらどうだ、団体に入ってなくてもという先生のお話よくわかりますので、政府委員の見解をこれからお聞かせすることになろうかと思いますが、例えば先生に多分文部省の方がお渡ししたと思いますが、学校体育施設の開放率というのをお渡ししてありますかね。あるかと思いますが、これが例えば運動場とかありますね。公立小学校八四・三%、公立中学校七七・九%、公立高等学校四五・二%とかありますね。この開放率とは一体何ですかというのは、施設保有枚数分の施設開放校数掛ける百ですから、年に一度開放したら開放したことになるわけですね。だから、そういった意味では、実際どの程度開放しているのかというのは、この数字からでもわからないわけで、毎週開放している学校と年に一度の学校と当然あるかもしれないわけですね。私の地元文京区というところは大学が極めて多いわけです。国立大学も相当あるわけです。大学だらけの感のある町なんですが、この間も町の方々と懇談をしたら、大学開放みたいなものが少しはあるので、何かこの間講義があったんで行ってみたんだよ、こう言うのですが、しかし、では年間を通して考えてみると、学校というのは実に我々と身近でない遠い存在だということをさんざんおっしゃるわけで、この学校開放という言葉も、言葉で言うのは簡単なんですが、これを本当に根づかせていくためには、今先生がおっしゃったように、団体に入っていなくても使わせる配慮などというところが第一歩としてあるのかなど、先生のお話、まことに傾聴すべきものと思って承っておりました。
○坂元政府委員 学校五日制の調査協力校で休業日となる土曜日の開放状況はどうかというお尋ねでございますが、先ほども御説明申し上げましたとおり、現在九都県六十八校でやっておりますが、すべての学校で休業日とした土曜日については、子供の遊び、スポーツ、文化活動などを行う場として校庭、体育館、図書館、特別教室などの学校施設を積極的に開放してきております。(平田(米)委員「在校生一般にですか」と呼ぶ)在校生一般にです。(平田(米)委員「団体に入っていなくても」と呼ぶ)はい。 それで、私ども基本的に学校五日制のねらいが、学校に偏重し過ぎている教育機能を、家庭とかそれから地域も持っている教育機能を積極的に発揮していただきたい。しかも週休二日制という社会のとうとうたる流れの中で、親が、言いかえれば教育者が土曜日家庭に帰ってくる、そういう流れになっているわけでございます。そういう意味では、むしろ親が積極的に土曜日の子供の相手になって一家団らんとか、それからいろいろなスポーツ活動を行うとか、積極的に子供と遊んでやってもらいたいという気持ちを基本的には持っております。 さはさりながら、そうは言っても週休二日制がまだ完全に定着しているわけじゃないわけでして、その場合に、幼稚園とかあるいは小学校の低学年ですと、今までは少なくとも土曜午前中は学校に行ったから安心していたけれども、これからは午前中も心配だという父兄が必ずいるはずでございます。そういうことも考えまして、幼稚園とそれから小学校につきましては、平均でございますが、学校を学校休業日の土曜日に開放した場合に、各学校で保守管理を行う人が一人雇える、そういう人件費を交付税の中で平成四年の九月から積算していただいたところでございます。 それから、最終的に学校全体で一人で何ができるかということになるのですが、PTAの関係者は、学校五日制がスタートしたら、その前に準備期間を置いて、学区単位のボランタリーリストをぜひつくりたい。そういうことを単位PTAとして運動したい。そしてボランタリー・リストに基づいて都合のいい人に土曜日来てもらって、そして児童生徒のいろいろな文化活動とかスポーツ活動に援助してくれるというような仕組みをぜひつくりたいと言っておりますので、そういうものも相まって学校が土曜日に積極的に開放されるように、私ども指導していくし、ぜひお願いもしてまいりたいというふうに考えております。
○平田(米)委員 では、次の質問に移らせていただきます。 平成六年から実施をされます高校の学習指導要領の中で、「心肺蘇生法等の応急処置の意義と方法について理解させる。」こういうことになっております。最近交通事故で亡くなる方が大変多いわけでございますけれども、そういう方々が救急車で病院に運ばれるまでに相当な時間を要するというのが現実でございます。これは、連絡があって駆けつけて、それから搬送をするということでございますので、これはやむを得ない、どれだけやってもそれだけの時間がかかるというわけでございますけれども、呼吸がとまってから四分たちますと心臓がとまってしまう、心臓がとまってから一、二分たちますともう回復できない障害がその身体に起きてしまう。ですから、幾ら救急車が早く駆けつけても、呼吸がとまっている人に対して救命をする、命を救うというのは非常に困難であると言われておるわけであります。 その呼吸がとまっている人たちに対して、近くに人がいた場合に、心肺蘇生法という簡単な人工呼吸法、これをやると呼吸を回復をして、大勢の命を助けることができる、そういうことでこの普及がうたわれておるわけでございますが、平成六年の高校の授業の中で応急処置の一つとしてこれを勉強していただく、これは大変有意義なことだと思うのです。単に技術としてこれをとらえるというよりも、もう少し深く教育ということを考えた上でこれを取り扱っていただきたいというふうに私は思うのです。 最近、マスコミで痛ましい事件が報道されまして、何人かの子供が同級生を死ぬまで殴って殺してしまう、あるいはけ飛ばして殺してしまう。子供たちの心の中に、命を大切にする、そういう考え方がなくなっているという実感を受けるわけであります。心肺蘇生法を技術として身につけるだけではなくて、その技術を身につけることによって人の命を大切にするということをそこでその子供たちが身につけてもらいたい、こんなふうに私は思うのです。人の命を救うというのは、人の役に立つという点では最高の行動でございます。そういう行動をなすだけの力を自分が持てる、持っているんだという自覚を子供たちが持てば、命に対する粗末にするという子供たちのそういう心が、逆に命をこの上なく大切にする、そういう精神に転換できるのではないか。だから単に技術の習得という観点ではなくて、そういう心を子供たちに持たせるという観点でこの心肺蘇生法の教授ということをとらえていただいて、積極的にやっていただきたいな、こんなふうに思うのですね。 それで、先日も我が党の石田委員長が日本医科大学附属病院の救命救急センターへ視察に行きまして、ダミーを使って心肺蘇生法の技術習得をさせていただいたわけでございますが、私もダミーを使ってやらせていただきました。非常に簡単といえば簡単でございますが、ただ覚えてから一カ月もたちますと忘れてしまうというのがあります。それでまた、目の前で事故が起きたときにとっさにその方法が思い出せるかどうか、なかなか私自身も自信がありません。 そういう意味で、それを何とか克服できるものはないか。その実習を受けたときに、日本医師会が出しております「あなたにもできる心肺蘇生法保存版」、こういう黄色いカードをくれたわけでございます。こういう方法で心肺蘇生法を実行レなさいという、簡単に書いてあるものでございますが、ただこれもちょっと活字が小さかったりしてとっさのときに果たして見えるかどうかわかりません。こういうものをもう少し改良していただいて、その授業を受けた子供たち、そういう子供たちに僕は持たせてもらいたいと思うのですね。これをいつも定期券入れなりあるいは財布の中に持っている。単に紙切れを持っているということではなくて、いつでも人の命を救うだけの技術、そして心を自分が持っているんだという思いをそれぞれの生徒に、子供たちに持たせることができるのではないか。そう簡単にはいかないよという意見もあるかもしれませんが、しかし、その機縁には私はなるというふうに思うのですね。そういう意味で、こういうカード、またこれもいろいろ御検討いただいて改良していただきたいと思うのですが、持たすことを実現をしていただきたい。 また、単に授業で一回二回やるだけではなくて、いろんな機会で、学校の行事あるいは地域の行事、そういう中で、心肺蘇生法のコンクールというのはあれかもしれませんが、いろいろな形で日常的に、生徒だけではなくて大人も含めて市民が接触できるといいますか、試すことができるといいますか、訓練を受けることができる、そういうチャンスをつくるような施策も考えていただきたいな、こんなふうに思うのですが、いかがでしょうか。
○鳩山国務大臣 先生方が人の命を救う心肺蘇生法に関して大変御熱心であられることについては敬服をいたしております。従来から中学校の保健体育においては、いわゆる応急処置について指導してきたところでございますが、今回の学習指導要領の改訂、先ほど先生おっしゃったように、高校ですから六年からということになりますが、高等学校の教科、保健体育において新たに指導内容を盛り込ませていただいたところでございまして、それが実施されて実際指導がきちんとできなければなりませんので、平成六年に間に合わせることができるように、保健体育の全教諭を対象とした応急処置研修事業というものを、これはもう始めているところでございます。 これは先生の御指摘は全く正しいわけで、その黄色いカードを例えば持たせることは可能かどうかについては、まだ政府委員に聞いてみなければわからないところもありますが、まさしくこの心肺蘇生法を身につけたぞということ、これ自体が大変大きな教育効果を持つことは間違いない。生命の大切さの問題でもあるかもしれない。あるい、は自分も生命を救うことができるかもしれないというある意味での自信になるかもしれない。人を思いやる気持ちにもつながるかもしれない。そういう意味で心肺蘇生法をきちんと教えるということそのものが技術以外に教育的側面を持つという先生のお話には私も一〇〇%賛成でございます。
○逸見政府委員 カードを持たせることにつきまして日本医師会の方に私どもお尋ねいたしました。日本医師会の方では数年前から各都道府県の一部の医師に参考までに配付して、医師会員の講習会で活用されているということでございますが、私ども小学校、中学校、高等学校の生徒にこれを持たすことはいかがでしょうかというふうなことでいろいろとお話をいたしましたが、すべての生徒に持たすのはいかがなものであろうか、蘇生法について十分理解してない、これは小学校についてやるということになっておりませんので、小学校からすべて持たせるというふうなことについてはいかがであろうかということで、どういった内容のものをどういった対象に持たせるのがいいのか今後の検討課題であると思いますが、医師会の方々とお話しいたしましても、直ちにやってくれ、やるべしというふうなことではないようでございまして、まず、先ほど大臣が申し上げましたように、高等学校においては、あるいは中学校においては従前からも心肺蘇生法をやっておったところでございます。これは教科の中でやるわけでございますが、それ以外にも、例えば心肺蘇生法実技講習会、交通安全教育指導者中央研修会、これは例えばプールを開く、そういった際に、プールでおぼれた際には一体どういうふうなことで人工呼吸等をしなければいけないかというふうなことでやる機会がございます。それから交通安全教育の中の一環として、この心肺蘇生法というふうなことを指導する機会もあろうかと思います。そういった大変重要な機能をいたすものでございますので、可能な限り機会をできるだけ広げまして、児童生徒にこういったものの重要性を説くように、指導するように努力してまいりたいと思います。
○平田(米)委員 医師会が余り乗り気じゃないというような御答弁のようでございますが、私は全員に持たせろということを申し上げているのではなくて、高校でカリキュラムとしてやるとおっしゃるわけですから、そこでこれを持たせるだけの授業をちゃんとしていただきたい。技術をきちっと持たせてください。そして同時に心も教育をしてください。そしてそういう方々に持たせていただくことがいいんじゃないかというふうに限定してお願いをしておるわけで、提案をしておるわけでございまして、もう一度その辺どうでしょうか。今すぐここでオーケーということは、大きな組織ですから、また数も大変なことですから――しかしそんなにお金のかかることじゃありません。こんなもの一枚五円かそこらでございましょう。百万人に出したって五百万円でございます。大したものじゃありませんので、ぜひやっていただきたいなと思うのですが。
○逸見政府委員 高等学校につきましては、平成六年度からそれこそ本格的な、先ほどダミーを使った実習を先生なさったということでございますが、私ども応急処置研修事業の中でダミーを買うことも認めておりまして、そういった具体の研修活動を通じて、身についたものとして授業を行うということにいたしておりますので、少なくとも高校生についてそういったことを持たせるのがいいのかどうか、速やかに検討はしてみたいと思います。
○平田(米)委員 ぜひお願いをしたいと思います。 では、次の質問に移りますが、先ほど輿石委員が歴史教育について質問をされました。私もちょっと視点を変えてこの問題について若干お伺いをしたいと思うわけであります。 先ほどの御質問のやりとりを伺っておりまして、大臣は、もう内容については非常にバラエティーに富んでいるし、また随分よくなってきたというふうに認識しておるというふうにおっしゃいました。この認識についてはそれぞれ意見が違うので、いろいろ議論があるのもいいかと思うのですが、問題は、諸外。国からいつまでも云々される。云々されることによって、日本が何か怠けているようないいかげんであるような印象を国際的に与えてしまう。このデメリットというのは大変大きいのではないかというふうに思うのです。それをいかに解消をするかということを考えていかなければいけない。 だから、それは中身がいけないから中身を変えるというアプローチの仕方、これは一つだと思います。ただ、中身が自信があるのだったら、中身はこうですよということを積極的に、そういうふうに問題にされるような国々とコミュニケーションをして、政府はもちろん相手方の国民にもわかっていただけるようなチャンスを、特に向こうのマスコミにわかっていただけるようなチャンスを我が国としてきちっとつくるべきではないか。これはある意味では外務省の仕事なのかもしれませんが、しかし、その前に文部省がそういう姿勢を持つ必要がやはりどうしてもあるんじゃないか。外交というのは本来国の機関としては外務省がやることでございますけれども、しかし、これだけボーダーレス世界になりまして、ありとあらゆることがそれぞれの国に情報化という形で伝わっていくわけですから、ひとり外務省だけに任せておいては、日本の国際的な関係というのはうまくいかない。そういう意味で、文部省がどこまでできるかはまたこれから検討を要するかとは私は思うのですが、日本の教科書の内容あるいは検定のあり方、こういうものはこうやっているんですよ、こういうことを近隣諸国にきちっと知っていただく、さらには世界にも知っていただく、こういうような方策を考えるべきではないかなというふうに思うのです。 そういう方法としてはいろいろ考えられるかと思います。先ほどの輿石委員からの質問の中では、西ドイツがやっておるような教科書についての近隣諸国との話し合い、これは一つの方法かもしれません。これは国定教科書だからできたんだという御答弁がございました。しかし、教科書そのものは著者あるいは教科書の出版社がつくるわけでございますが、しかし、その歴史認識について意見を交換する、こういうようなことは国としてもできるんじゃないか、あるいは国そのものがしないにしても、国がきちっと対応をした形でいろいろなチャンネルで話し合いをして、お隣の朝鮮との間はもう二千年、三千年、考えれば長いおつき合いがあるわけですから、一つの事実の見方についても、向こうからの見方どこちらからの見方は全然違うわけでありまして、秀吉に対する見方はまさにその典型でございまして、こちらはすごい英雄になっているわけでありますが、向こうから見れば大変な侵略者だ、こういう見方になるわけでございます。しかし、それをお互いにきちっとやる。そしてまた日本の見方、そして近隣諸国の見方は違うんだということを生徒たちに教えるということも大変な歴史教育ではないかと私は思うのですね。そういうことで、まず文部省としてコミュニケーションをきちっとやっていただきたいというのがその一つですね。その方法として今申し上げたようなものが一つあるんじゃないか。 もう一つは、各国の教科書の展覧会みたいなものをできないかというふうに思うのです。一部には韓国の教育の内容が反目的ではないかというようなことをおっしゃる意見もあります。お互いに疑心暗鬼であってはいけないわけでございまして、両方の教科書を見比べるあるいはそれぞれの国の教科書を見比べることによって中身に対するきちっとした認識ができるわけであります。これは歴史教科書に限っていいんではないかというふうにも思うわけでありますが、また検討していただいて、中身については十分な御検討をいただいて結構だと思いますが、そのような教科書の展覧会を日本あるいは韓国、さらにはお隣の北朝鮮でも将来やっていただきたいと思うし、中国あるいは東南アジアの諸国、こういうようなところでやれないものかな、こんなことを考えるわけでございますが、いかがなものでしょうか。
○坂元政府委員 共同研究の問題は先ほどお答えしたとおりでございますが、いろんな形でコミュニケーションをしたらどうかという御指摘はごもっともでございます。私どもも今まで韓国の日本の大使館に文部省からアタッシュが行っておりますので、その人間を通じまして、常時我が国の教科書の状況、それから検定制度などについては韓国政府などに説明しているところでございます。 それで、ちなみに今の私どもの教科書で、韓国と日本の歴史の間で起きた、ある意味じゃ痛ましい、我々が反省すべき問題として指摘されるいろんな事項について、どのような事項がどのように書かれているかといいますと、韓国の併合、植民地化、これは当然でありますが、全部書かれております。それから土地の収奪、所有権がはっきりしない土地を収奪した、これもほとんどの教科書で書かれておりますし、日本史教育の強制、日本語使用の強制、これも同様であります。それから神社参拝の強制も半分の教科書で書かれておりますし、創氏改名の強制、これはほとんどの教科書で書かれております。さらに関東大震災のときに在日朝鮮人を殺害したということはすべての教科書に書かれております。それから強制連行についても書かれておりますし、日韓基本条約は当然でありますが、さらに在日韓国・朝鮮人に対する差別意識が日本に非常に多いということについてもすべての教科書に触れられているところでございます。私どもとしてはかなり教科書の中身が五十七年の検定基準の改訂以来充実してきているのではないかというふうに考えております。 今回の韓国との問題で例の従軍慰安婦の問題でございますが、従軍慰安婦については韓国の教科書には全然書いてございません。これについて韓国の文部省、文教部の説明は、感受性が鋭敏な児童生徒に対する影響等も考えてというようなことを、なぜ書かないんだという現地の新聞記者の質問に対して、そういう理由も一つの理由として挙げておるというふうに聞いておりますけれども、それでもこれからは従軍慰安婦について書くということで、その書いた結果については日本政府にも何らかの形で申し入れるというような仄聞を聞いておりますが、我が国の教科書では高等学校の教科書で一種類そういうことが書いてございます。いずれにしましても、これから高等学校の検定が始まるわけでございまして、これほど韓国との関係で問題になった事柄でございますので、執筆者がどういう対応をしてくるか、私どもとしましては、従来そういう検定をした例がございますので、それは適切に対応してまいりたいというふうに考えております。 それから、世界的な教科書の展覧会などを開いたらどうかということでございますけれども、これも言いわけで恐縮でございますが、我が国が検定制度だということで、今直ちに私どもとしてそれを開くというような考え方はございませんが、現在教科書研究センターという財団法人がございまして、ここでは重立ったところの教科書はすべてそろえて一般にも公開をいたしております。こういう財団法人教科書研究センターのそういう活動なども、私どもとしては一般の先生や人たちにもこれからも周知、PRしていく必要もあるのかなというような感じを持っている次第でございます。
○平田(米)委員 どうも検定制度だから云々というのがまくら言葉になって先に進まないのですが、検定制度であるかどうかということは、僕は余り大きな問題ではないというふうに思うのですね。コミュニケーションをきちっとやるということが必要だということでございまして、文部省が教科書をつくるかつくらないか、つくらないから教科書についてはコミュニケーションしない、つくればするという、こんなことにはならないと思うのですよ。日本の教科書はこれだけ進んでますよと今おっしゃいました。大変自信があるわけですわ。これだけすばらしいものですということをお隣の国に行って政府にはおっしゃっているわけです。政府におっしゃったって国民に伝わらなければだめですよ。それは向こうに出かけていって向こうの国民に語りかけるということが必要なんですよ。その方法として、私は一つ例として教科書展というのを申し上げたわけでありますけれども、シンポジウムでもいいでしょうしあるいはマスコミで取り上げてもらって向こうで放映していただいてもいいでしょう。そういうことをきちっとしないと、どこまでいっても誤解があって、日本は謝ってない、謝ってない、全然やってない。これではたったわずかしか離れていないお隣の国との間に心の交流というのは私はちっともできないと思うのですよ。 大臣は、教育大国、文化大国なんだ、こうおっしゃいました。またこれまでの質問の中で、政治の中では信頼が必要だとおっしゃいました。私は、この信頼というのは、お隣の国との信頼という意味でも、国民と国民の間の信頼というのも同様に極めて重要だと思うのです。それができるために、やはりコミュニケーションをきちっとしないと信頼ができませんよ。お互いに顔を見ていたってあいつは信頼できるかどうかというのはわからないわけで、向こうが何を考えているのかこちらが何を考えているのかわかり合って初めて信頼できるかどうか判断できるわけです。今おっしゃったような自信を、教科書に対するすばらしいものだという認識をお持ちならば、それこそ文部省が外務省と協力をしていただいて、やろうと決めていただければいいのじゃないでしょうか。外務省の腹だけではこれは決まりません。文部省がやろうというふうに決めていただかなければできないわけですから。ただ検定制度の中へ僕は逃げ込んでいただきたくない。それは大臣がおっしゃっていることと僕はどうも違ってくるんじゃないかなというふうに思いますが、どうですか。
○鳩山国務大臣 先生のおっしゃる趣旨をじいっと聞いておりましてよくわかりました。つまり、今まで幾つかいろいろあったようなことが、このままずるずると未来永劫、何年かたつとまた同じような話が繰り返されますよという意味でおっしゃってのことだということが理解できまして、その点については私もよくわかるのでございますけれども、ただ、例えば日本の国として教科書の内容について諸外国と、まあ諸外国といっても当然近隣諸国ということになろうと思いますが、打ち合わせをするというようなことだけは、我が国の検定制度にどうしてもなじまないわけですね。だからつまり、日本の教科書はこうなっていますが御意見とうですか、こう聞く。それで先方から、いや、こういうのは書いてないけれども、これはもっと入れなよ、これも少な過ぎるじゃないか、こんな余計なことを書くなよというような打ち合わせは、我が国の検定制度というものの趣旨からいってとり得ないし、また正直申し上げて、先ほど数学と歴史が大きく異なるんですよということを申し上げたわけですけれども、それはAX2+BX+C=〇(A≠〇)、これを解けといえば、X=-B±√B2-4AC/2Aというのは世界じゅうどこへ行っても同じだ。しかし歴史というのは、見方が日本の見方、それはわがままな一方的な見方であってはいけない、できるだけ客観的なものでなければならないということはよくわかりつつも、その歴史というものは、やはり地球儀を見て日本人は真ん中に日本の国を置くのと同じような部分がございますので、それぞれの国の歴史認識というのは、それぞれの国の個性の一部という側面がありますから、国同士がダイレクトに打ち合わせをして、その結果が教科書の内容に直ちにダイレクトに反映するというような仕組みはちょっととりにくいということを申し上げているわけです。ただ、先生が。おっしゃったように、いつまでもそういうことを繰り返すのは、ある意味でいうといろいろな意味での広報ですね、広報不足という面もありはしないかということについては一考させていただきたいと思っております。
○平田(米)委員 ぜひ御検討いただいて、コミュニケーションを広げていただきたいと思うのです。ポスト冷戦の中で、これからは民族対立というのは非常に激しくなる。それは民族の歴史を踏まえれば悪くいけばそういうことになるのです。しかし、それを乗り越えてい。かなければ人類というのは利口にならないと思うんですよ。でも、それは我が国と隔絶した話ではなくて、我が国がこれからそういう世界の中でどういう模範を示していくかという視点でとらえていかなければいけない問題だと思います。大臣のいつまでも同じような繰り返しを絶つために考えたいというお言葉を力強く受けとめさせていただいて、期待をさせていただいて質問を次に移りたいと思います。 もう一つは、実は教科書はすばらしいんですが、じゃ果たしてそれをきちっと教えているかどうかということが今度問題になってくるわけです。 先日の新聞を見ましたところ、学者の先生方、日本の学者と韓国側の学者の人々が両方の小学校四年生から大学生までを対象にしてアンケート調査をやった。そこの中で、植民地支配の事実に関し、「もっと詳しく教えてほしい」「もう少し詳しく教えてほしい」と言っているのが韓国が七五%、日本が五三%。それから朝鮮総督府の名を正確に知っていたのが日本が二八%、韓国は七九%。一例としてこういうのが挙げてあるわけであります。また、ほかの学者の御指摘を伺いますと、例えばある大学の社会学部で盧溝橋事件についてどういうものなのか、こう質問したら、わかったのが三分の一しかいない。中には新潟で花見見物客の重みから橋が落ちて多数の死傷者を出した事件だ、こういうような大変ユニークな答えをした学生もいた。お隣の中国、そして日本がわずか数十年前に行ったその事件の事実さえ日本国民の、そして日本の将来を担う大学生が十分に理解をしていない、こういう現実がいろいろ指摘をされておるわけでございます。 文部省に伺うと、ちゃんと歴史教育はやっております、いろいろ各教育委員会にも歴史教育に力を入れるように、特に近代史の教育には力を入れるように、近現代史には力を入れてくださ。いということを言っておりますというお話を聞いておるわけでありますが、しかし現実はどうもそうではないんではないかという指摘もあるわけです。これはまあ何で文部省が言っていることと学者の言っていることと食い違うのかな、何かもうなぞでございますが、しかしこれはどこかに問題があるんじゃないか。 一つは、高校生の場合、大学入試がありますので、高校三年生の三学期というのはほとんど授業ができない。中学生も高校入試のために、やはり三学期になると授業というよりも入試のための補習をしてしまうとか、こういうことで結局歴史の最後になる近現代史に回す時間がなくなってしまう。幾らいい教科書をつくっているといっても、実際に教育をしていなければ教科書に書いてないのと一緒なわけでございますね。これはやはりきちっと改善をしていかないといけないんじゃないかと思うんですよ。これから国際化というのは非常に急速に進んでまいりまして、世界の歴史をきちっと学ぶ、そして日本の歴史もきちっと学ぶことによってよき国際人またよき日本人に初めてなれると私は思うんですね。そこの肝心な部分、そして近隣諸国とおつき合いをするためには、近現代の日本の歴史、そして世界の歴史というものがきちっとわかっていないと、まさに基礎学力がないということになるのではないかと思うのです。国際人として、いや、日本人としての基礎学力がないのではないかなというふうに思うのです。 これはやってくださいやってくださいと言っていてもどうもらちがあかない。例えば、そのための対策としては、近現代史は特別に授業をやって、世界史という中から外して、そこだけきちっと授業を重点的にやるとか、あるいは大学入試などには近現代史というものにきちっと重点を置くとかというようなことをしないと改善できないのではないか。だから、通達をやっています、いろいろな会合のときにちゃんと言っていますというレベルから、もう一歩二歩超えた対応を文部省として考えていただかないと、すばらしい教科書がありますということが空文に帰してしまうような気がしますが、その点どうでしょうか。
○鳩山国務大臣 とにかく近現代史については、なかなかいいものができているのですよと申し上げながら、現実に日本の子供がそれを学習する機会を得ぬままに卒業していっているのは実態としてあろうと思います。それは我々も経験したところで、大体明治維新からいわゆる近現代が始まるのですが、大正デモクラシーくらいまで教えれば相当よく教えた先生であって、もっとひどければ日清、日露でおしまいなんということはしばしば例がございます。 私は、自分の子供なんかが今中学あるいは高校で歴史を習っている姿を見ましても、大変妙な話ですが、教科書をただどんどん読み進めていく、教科書を読み進めていって、教科書の穴埋めでもできれば試験ができる、そういう授業をやると近現代まで来るのですね。ところが、先生にもいろいろ興味あるところはあるでしょうから、例えば世界の歴史だったらアウストラロピテクスから始まるわけだし、日本の歴史だったら昔は大陸からナウマンゾウ、オオツノシカ等が渡ってきましたというところから中学の歴史は始まるわけです。ところが、それを教えていく中で、例えば今の中学の歴史ですと、ローマ帝国とキリスト教のところが大変興味があって教えたりなんかすれば、もう近現代がしり切れトンボで中学卒業になってしまいます。 だから、そういうふうに考えると、確かにこれは大いに工夫をしなければならない。全般に量が多過ぎるのかもしれませんね。全部教えようとしたら教科書の読み飛ばしになる。そうすると近現代まで教えられる。しかしほかに、例えば何か一つテーマを選んでじっくり教えたら、とても太平洋戦争までは来ないという実態があることはよく承知をしておりますので、あとは専門家が答えます。
○坂元政府委員 私も今大臣がおっしゃったのと同じ経験があるわけでして、大体日本史の授業も世界史の授業も近現代史の入り口で終わってしまう。たまたま先生が室町時代が専門ですと、その前後はノートを見ながら講義しているのに、室町時代になると喜々として、我々も先生の授業を聞いておもしろい、そうなりますと、そこにウエートがかかってしまう、そういう嫌いは今でもあろうかと思います。 ただ、私どもの考え方として、世界史も日本史も、指導に当たって全体の指導内容の少なくとも。三分の一程度が近現代史に当てられることを想定して学習指導要領なりそういう仕組みができているわけでございます。その点、先ほど先生、いろいろやっておると言って、しかし実際にはそうじゃないではないかという御指摘がありましたが、私ども、海部総理の昨年のシンガポールでの政策演説、それから今回の宮澤総理の韓国での演説等を十分教育長の方々に私から直接説明したときも、今言ったようなことを含めまして、近現代史がどうしても手薄になるから、歴史の先生に三分の一程度は近現代史に当てるということで授業の計画をつくって授業を行うようにぜひ指導していただきたいとお願いをしたところでございます。 先生がおっしゃった近現代史だけを独立したらどうかということも一つの考え方ではございますけれども、これはまた新しい学習指導要領そのものにかかわる問題でございますので、将来の検討課題というふうに考えております。
○平田(米)委員 あと一分しかないので、もう一つ聞きたいことがありまして、これは国際化という観点で前回にもお伺いしましたが、英語教育の問題でございます。 先日初中局長が小学校にも英語教育をというようなことを考えているのだという記事を拝見しましたが、小学校まで広げていただくことは結構なのですが、要するに、使えない英語教育ではどうしようもないわけでございます。前回も、大学入試で英会話の試験、ヒアリング、スピーキングの試験をぜひやってもらいたいと言っておるわけでありまして、そういう方向でとおっしゃっていただきました。 しかし、現実問題はなかなか厳しいようでございまして、拝見をしましたところ、ここ最近は、国立大学の場合毎年一学部ずつヒアリング試験をする学部がふえてきただけでございまして、現在、平成四年度四十五学部しかありません。ほとんどが教育学部なのです。教育学部だけに偏っておるのはそれなりの理由があるのかもしれませんが、これは積極的にもっと考えないと、意味のないお金と人材を使っておるだけになってしまうと思うのです。 平成三年五月二十八日に高等教育局長から国公私立大学長と大学入試センター所長に対して平成四年度大学入学者選抜実施要綱というのが出ているわけでありますが、この中で、「外国語における聞き取り試験等を適切に組み合わせて実施することが望ましいこと」と書いてあるのです。これは「望ましいこと」と言っているうちは変わらないと思うのです。「努力しなければいけない」と書いてあるところは、やらなければいけないということになると思うのですが、努力しなければいけない、やりなさいという方向にこれ自身が、要綱が変わらないと、僕は実際問題教育学部からさらにほかの学部に広がるヒアリングの試験あるいはさらにスピーキングの試験というのは行われないのではないかと思うのです。この辺どうでしょうか。
○前畑政府委員 現状はただいま先生御指摘のとおりでございます。ただ、具体の大学における入学者選抜の試験のあり方についてどこまで文部省としてコミットすることが適当かということになりますと、かなり慎重な対応が必要だろうと考えております。 したがいまして、先ほど御指摘の通知の中でも「努めること」というふうにしている部分もありますし、あるいはこういうふうにしてほしいと言っている部分もありますし、あるいは「望ましい」こう指摘している部分もあるわけでございます。ヒアリングをやるべきかどうかあるいは英会話の面接試験をやるべきかどうかというところまで、それをやるべきというふうに申し上げた方がいいかどうかについては、なお慎重な検討が必要である、このように考えております。
○平田(米)委員 十分な検討をお願いいたしまして、質問を終わります。
○伊藤委員長 御苦労さまでした。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時五十九分散会