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121回国会衆議院1991/10/02

国会等の移転に関する特別委員会 第4号

発言数
26
登壇者
9
会派数
5
開催日
1991/10/02

会議録

金丸信自由民主党

○金丸委員長 これより会議を開きます。  国会等の移転に関する件について調査を進めます。  本件調査のため、参考人から御意見を聴取いたします。  本日御出席を願っております参考人は、早稲田大学理工学部教授戸沼幸市君であります。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。  なお、議事の順序でございますが、最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、戸沼参考人、お願いいたします。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 今御紹介いただきました戸沼でございます。  ただいま委員長先生から申しつけられました点でございますが、きょうはこういう機会を与えられまして大変光栄に思っておりますので、今のお話のように忌憚のない私の考えを述べさせていただきたいと思います。  きょうは、三十分ほど私の意見の陳述というようなことをさせていただきたいと思うのですが、お手元に私のところでつくりました簡単なメモがございますので、それに沿ってお話ししたいと思います。  それで、「遷都についての考え方」という目次のようなものがございますけれども、それをちょっと見ていただきたいと思います。  その目次でありますけれども、一つは「早稲田大学「21世紀の日本」研究会の提案」というのがございますが、これを第一点に述べてみたいと思います。これは昭和四十六年に発表したものであります。  さらに、第二番目として「首都改造計画・首都機能移転再配置構想概査」というのを昭和六十年七月に国土庁で発表されましたが、それについて私も若干手伝わせていただきましたので、その点についてのコメントを述べ、それを私はどう解釈しているかという点について述べてみたいと思います。  そのことに関して、資料の1と2というのを持ってきておりますけれども、それは第一の早稲田大学「21世紀の日本」研究会の発表の新聞その他の記事でございますので、それからまず述べさせていただきたいと思います。  その早稲田大学「21世紀の日本」研究会というものの性格でございますけれども、これは実は、昭和四十二年だったと思いますけれども、当時の佐藤内閣が主催をされまして、ちょうど明治百年記念事業の一環として、政府として国民に広く、二十一世紀を展望して国民生活と国土がどうあるべきかというコンペティションを全国的に募集いたしました。そのときに各大学、東大や京大や土木学会その他十数チームが参加いたしまして、その中で、私どもの早稲田大学でもいろいろな学部が大学の中にはあるわけですけれども、それを横断的に若手それから年配の長老の先生を含めまして五十人ほどの研究会を組織しました。さらに、作業部会としては、若い学生諸君に、何しろ当時、昭和四十二年と申しますと二十一世紀はまだ三十年ほど先のことでございますので何のデータもない。わけでして、そうすると老若男女、特に若い人たちの直観力のようなものが非常に要求されるということで、大学院の都市計画、建築の学生、文科系の学生を含めまして、やはり五十人ほどのそういう作業部隊、両チーム百人ほどの大部隊で私どもが組織した会でございます。  結果は、幸いなことに各チームの中で非常にいいできだと、早稲田チームで出したのは「アニマルから人間へ」という表題とそれから「ピラミッドから網の日へ」というような標語で二つの報告書を提出しました。最近の言葉で申しますと、いわばソフトとハードの両面で国土を展望するというのが御要求でございましたので、そういうことを提案しました。幸いに私どもは政府総合賞というのをいただきまして、昭和四十六年四月の発表、これは十六日だったと思いますが、次の日に新聞発表がかなり大きくございまして、当時の佐藤総理から、よくできました、よくまとめましたということでお免状と賞金をいただいたという、私自身にとっても思い出深い研究でございました。代表は松井達夫先生でございましたが、今もう九十近いのですが、御健在でおられます。  ただ、そのときの背景だけ一言申しますと、昭和四十年代というのは高度成長で、しかもいろいろ時代が動いている。大学におります者にとっては、大学紛争というのが非常にございまして、あれは何だったかという総括を時々するわけですが、やはりある時代の変曲点を非常に鮮明に若い人たちは先取りをしている、そういう時代の中での私どもの作業だったな、日本列島も随分変わっていくなという予兆であったというふうなことを私は今感じておるわけであります。  それで、次の資料1にちょっとめくっていただきたいと思います。資料1は、当時、昭和四十六年四月十七日の新聞発表、これは各社が取り上げてくれましたけれども、その中で、たまたま読売新聞のが、古いのでありますがありましたので、そのままコピーをして持ってまいりました。これが古いか新しいか、いわば二十年ぐらい前の、今のように情報化といっても、ほとんど資料のない時代でございますので、かなり独断的な部分があるかと思いますが、そのときに遷都の話をその一節で述べているわけであります。それをちょっと読ませていただきたいと思います。  一つは、「21世紀の日本人の生活と文化」ということで、六つぐらいのことを申し上げました。  一番目は、「「日本の未来を設計する」とはどういうことか」。これは、意味、意義のようなことを述べたわけであります。  二番目は、「未来展望の二つの途(みち)」。一つは、今ある状態をずっと延ばして予測をして、そこで一つの解答を見つける、今ある筋書きをずっと追った結果出てくる未来というのが一つあるだろう。しかし、それにはいろいろな未来からのショックがあるのでそうはいかない。そうしますと、未来は非常に不確定なので、こうありたいという姿を率直に描くべきだという二つの道があるということで、私どもは後者を選びました。  三、「その中で日本をどうとらえるか」。それは非常に細かい、生活をどうするとか家族がどうなるとか、文科系の研究員たちがさまざま議論した結果をここで申し述べております。  四番目、「21世紀の政治と国際環境」ということは、政経の人たちを中心に議論をいたしましたが、その中で割合頭に残っておりますのは、国連の機能がこの時期非常に重要になるのではないかというくだりのことを割合に力説して書いております。  五番目は、「余暇と人間形成」ということで、余暇のことがそろそろ本暇になるのではないか、もう少し余裕のある生活が必要だというあたりのことを申し上げたくだりでございます。  六番目、体力づくりというようなことで、結局は体力が重要な問題ではないか。老若男女、高齢化社会を迎えて、やはり体力、健康というのが重要だというようなことを「アニマルから人間へ」と標語でくくってあります。  もう一つのテーマ、「21世紀の国土像」をどうするかということでありますが、ここでは四つほどのことを述べてあります。  一つは、二つの基礎的な元、人口の扱いと国土の面積の扱いをどう考えるかという基本的な態度でありますが、読ましていただきます。   一億三千五百万人が住むであろう21世紀は、国土面積の拡大を工夫する必要がある。たとえば大陸ダナ二十六万平方キロの利用や、交通施設を陸地部からはずす工夫、海上居住の工夫等である。また交通・手段のスピードアップは国土を縮め、逆にいうと人間が大きくなってしまうという観点から考えると、全国歩行者新道のネットワークが重要な意味を持ってくる。   二、日本をとりまく外的条件への姿勢――平和の希求=21世紀の世界史的課題の一つは、地球連邦、地球市民への道の中にある。それは東西問題、南北問題、あるいは大国小国間の問題に対して何らかの答えを出し、いかにしたら平和の条件を設定できるかの問題と言いかえてもよい。アジアを一つとみた場合、太平洋アジア地域(東南アジア全部とオーストラリア、ハワイ)と大陸アジアの二つの系統がある。21世紀初頭には、二つの文化圏がさらに大きく融合しあって、いわば新しい第三世界の文化創造の時代にはいると考えられる。   日本は二つの系の接点として平和につながる文化統合体の実現に重要な役割を持つ。両アジ アへの交通、情報網の設定と太平洋、日本海へのいろいろな設定が必要となる。日本海環状ループ(日本海大陸ダナ-韓国-北朝鮮-ジベリア-サハリン-日本)太平洋環状ベルト(台湾-東南アジア-オーストラリア-南米-北米-アラスカ-千島-日本)はそれぞれ人、物の循環ルート、一体的ベルトとして形成されよう。  三、国土システムの革新=長い年月の間にできあがった人間と自然の安定した関係に、機械の登場で新たな問題が提起された。自然に近づこうとして発明された機械が、逆に人間が自然に近づくのを妨げる手段となっている矛盾は機械という中間項の拡大解釈によるものだ。人間-機械-自然の三つの依存関係、循環構造が明らかな構図として描かれる必要がある。この循環構造の下で、より高次なものに変換し、新しい生活内容、生活表現へ向かうのだと考えたい。  また、人口分布からみると、今後十五年から二十年で東京、北九州を結ぶ線上に、さらに大きな人口地帯が形成されよう。これが第一段階(メガロポリティック・ステージ)である。第二段階は、特定地域での人口集積が必ずしも意味を持たなくなってくる段階である。スピードアップされた交通手段、情報網の普及発達は、国土の時間距離を短縮し、空間に同時性を増大させる。  この多元的ネットワークの中にあって定住地もしくは単位都市はこのネットワークと在来的な意味では区別しかたくなり、その複合的全体が一つの都市と呼ばれる段階と考えられる。つまり「あみの目都市(ネットワークシチー)」である。同時に過密問題の深刻化から北海道、東北、日本海沿岸にかけての現在の過疎地帯が国土の未来像に重要な役割を果たすことになる。人口集積地は全国に拡散分布するが、現在的意味での人口分散でなく、いわば同一都市内での立地選択である。これは国土構造の進化とみなせる。人間にとって空間選択の自由が条件として一段階増したこと化なるし、ピラミッド的中央集権的構造から分権的自治機構への転換がみられるからである。   四、新首都「北上京」の建設=日本列島の座軸は21世紀に向けて大きく転換しつつある。首都が東京であることの役割は、すでに終わった。東京に政治の中心があること自体が諸悪の根元である。新首都の立地は過密地域や東海道メガロポリスをはずれたところで、現在過疎地球とみなされているところがのぞましい。日本の首都は、歴史的に九州、近畿、関東へと北上してきた。今度は東北の番である。下半身が肥大した日本列島にバランスを与える必要がある。端的に一つの新首都をあげると、東北-北上の地。ここは国土における虚点であり、21世紀の重心的な位置ともなる。21世紀は北上京に遷都するという儀式をもって幕をあけるのがよいだろう。これが、「21世紀の国土像」です。  もう一つ、東京をどうするかということに答えなさいというテーマがございました。それを「東京再建計画」ということで、四つほどのことを述べてあります。東京再建というのはちょっと意味深長でございまして、当時から、東京は地震が起こるのではないかというのが非常に緊急の話題でございました。それで、関東大地震から七十年ほどで第二回目の地震が起こるのではないかということは当時から盛んに言われておりましたが、この再建という意味は、一つは、東京で地震が起こった後、東京をどうするかという考えに半分イメージを求める。それからもう一点は、東京は当時も相当過密だ。これはやはり破綻している状態であり、これに対してどう再建策を講ずるかという意味で、東京計画というよりも「東京再建計画」という、ちょっといろいろ心配事をしながら書いた計画でございます。これは簡単でございますので、また読ませていただきたいと思います。   一、拡大していく人間-機械システムに十分安全性を確保する。このため何よりも過密市街 地に緑と水を投入し、自然の再生をはかる。   二、巨大な人間-機械システム機構の中で人間的スケールを回復する。たとえば大きくなりすぎた市街地にはわかりやすい切れ目を入れる。機械(交通、設備)はできるだけ地下に埋め、地上を歩行者天国とする。   三、東京市街の再建は、関東圏(半径百-百五十キロ)のワク組みの中で考える。   四、これらを可能にするため土地制度を根本的に改革する。 これが当時の新聞発表そのままでございます。  その上の図でございますが、ポンチ絵ですけれども、今のことと関係しますので、ちょっとこの図柄を見ていただきたいと思います。わかりやすく表現するというのがこういうコンペのときの一つの心構えであると先輩の先生たちに言われましたので、学生たちと一緒にかい、た図でありますが、大体地図を、いつでも北を上にして東京を下に見るので、これがいけないんじゃないか。ですから、実際にいろいろな血が東京に東京にと集まる、充血が続くのじゃないか。そういうわけで、日本列島をひっくり返してみたら、実際こういう見方もあるわけでありますけれども、東京からメガロポリスにずっとつながった充血現象が、北海道から東北、日本海の方にちょっと来るのではないか。そうしますと、ちょうど二〇〇〇年になりますといろいろな地方に新しい都市が再生するんじゃないか。しかも、これは、新しい交通、情報及び自然のネットワークに支えられて生き生きするんじゃないかというふうなことをポンチ絵風にかいてあります。今、最近の言葉で言えば、一極構造の是正、多極分散国土ということになるんだろうと思うのですが、そういうことをかきました。  もう一つ、左側の図でありますが、これは環日本海ループというのを非常に重視しまして、やはり日本というのは、基本的には国土が狭い、これは日本だけでいろいろな問題を解決するのには非常にぐあいが悪い。日本には技術や人口はあるけれども、あるいはひょっとすると経済があるけれども、資源や土地がないではないか、そうすると、共同でいろいろなことをする状況が身の回りにいっぱいあるではないかというようなことを提案している。当時はソ連との関係が非常に厳しかったのでこういうことはなかなか実現化できませんけれども、そういう状況がちょっと来たかなという感じがいたすわけであります。  続いて、資料2をごらんいただきたいと思います。  これも、学生たちとやった非常に簡単な図でございまして、ちょっと独断的な解釈が多いと思いますが、それについて述べさせていただきたいと思います。  これは一九七一年の案でございます。日本列島を、その当時私どもの先生が、逆さに見なさい、物事の発想というのは逆転しなさいとさんざん言われましたので、これに従って書いたわけですが、これで見ますと、九州に昔々の首都がどうもあったろうという想定を前提に置きまして、西暦六〇〇年から七〇〇年にかけては近畿地域だ。有名なのは平城京とか平安京でございます。さらに鎌倉へ移った。これで大体平城京、平安京から比べれば四百年ぐらいかかっているというわけであります。さらに江戸に移った。これがちょうどやはり四百年ぐらいかかっている。さらに東京になっているわけですが、この次、江戸、東京になって、これから一二〇〇〇年にもし移るとすれば、ちょうど四百年たった今、二十一世紀が、二〇〇〇年がちょうどその時期ではないかということと、さらにどの辺に方向をねらったらいいかということで、北海道から東北、日本海にかけて有効な地域というのを二つ議論しました。  一つは、国土の中心ということを大いに議論いたしまして、これは諏訪地方、長野県の諏訪湖あたりがいいんじゃないか、松本、諏訪、あれは国土の地理的な大体中心ではないかということで、一つ対案として出てきたのが諏訪湖であります。  もう一つは、東北に向かったらどうだ、東北はずっと矢印の方へ行くと福島とか仙台とかあるわけですが、一番北まで飛ばせたらどこまでいくだろうかということで見つけましたのが、盛岡のそばの岩洞湖というきれいな湖があって、山もいいところなんですけれども、遷都の条件というのは風光明媚なところ、世界に美しい首都をつくろうというのは当時の私どもの一つの考え方だったものですから、そういう土地を見つけるということで仮説したのが岩手県であります。これは北上京と、コンペですので少し世の中にアピールする意味で名前をつけて提案したのでありますけれども、これは存外いい命名だったのではないかとちょっと思うわけであります。  首都は、御承知のように北上しているとか、あるいは北上川の源流のところなのですけれども、北上川という雄大な川を活用しながらつくったらどうだということで、いわば北限に。当時の状況に対して一番反対の提案というと、飛距離の大きい、非常に変わったというイメージを出す必要があるということで、方面を中部方面か東北方面がといって二つの点を仮説して仮に書いたわけであります。今、この北上京の位置というのは大体北緯の四十度で、北京とかワシントン。とか、地球レベルではたくさんの首都があるレベルでございます。さらに、ちょっと陸地部に入れて少し小高いところに入れたのは、地球の温暖化もあるではないかということとかでありますが、このときの人口規模は大体二十万から二十五万ということで、非常にスリムな首都をつくったということであります。  そのほかに、首都というのは一カ所でいいのか、もうちょっと船に乗せて回った方がいいのか、国体みたいなふうにした方がいいのかというような議論をいたしたこともございますが、一つに新都市を確定するとすればそういうことではないかということであります。  スリムな都市、美しい首都をつくるという設定は、裏返して言えば、日本全体に分権ということが大いに行き渡らなければいけないという議論がございました。分権ということで提案した図が、その下の図のⅢの七道州ブロックと四十七都道府県の関係ということでございます。ここでは、府県制度というのは四十七都道府県制度があるわけですけれども、これはちょっといろいろ窮屈になっているのではないか、ちょうどこの作業の時期は明治百年ということの記念でありましたので、首都機能移転、新首都の設計というのも人心一新という言葉でやろう、人心一新というのは明治の言葉でありますけれども、人心一新、諸制刷新という言葉が後ろにつくわけですが、そういう一連の改革を、大学人ですから自由に描いてみたということの一つが七都道府県ブロックでございます。九州と北海道はそれぞれ独立したところだ、これは地理的にはっきりしております。もう一つの切り方の仕掛けは、これは見ていただけばお気づきだと思うのですが、日本列島全部輪切りにしているわけであります。東北州、これは青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島と続くわけですが、関東州はいわゆる首都圏に新潟を入れてあるわけであります。これが一つの仕掛けたと思うのです。中部州は富山、石川、長野、岐阜、静岡、愛知、三重といくわけです。それから近畿州は福井、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山であります。中国、四国を一つの州にしたのは、もう橋がかかるというふうなこともありましたので、これも一つの州にまとめました。以上七つのブロックで考えるということがどうかという提案が一つでございます。  もう一つついでに申し上げますと、今ある市のレベルの議論でありますが、今三千ほどの市町村がございますが、これを今で言う定住圏レベルで、川筋に沿って二百から三百のブロックに分けて、そういう市制をもう少し何かまとめてやったらどうだ。三百ぐらいの市を全国につくって、その上に七つの道州制で、それで国という仕掛けで、基礎的な自治体にずんずん分権が行くようなことを空想したわけであります。この左の表は現在の人口その他でございますが、大体一千万人以上、多いところでは四千万ということで、ヨーロッパ一国の大きさ、サイズに大体相当するぐらいのサイズです。分権ということをもうちょっと踏み込んで申し上げますと、ひょっとすると外交とか経済的なこととか、そういうものも相当持った州という考え方もあるんじゃないかという議論をさんざん、そっちの専門家たち、私どものグループの政経の専門家たちが議論をいたしました。  資料3をちょっと見ていただきたいと思います。ちょっと時間がございませんので、五分ぐらいであとのことを説明させていただきたいと思います。  資料の1、2は、当時、ちょうど今から二十年前の議論でございますので、非常に空想的だったり、まだ議論が詰めてないなということを、今思い出すと考えみわけですが、しかし、何か方向としてはそう間違ってはいなかったんじゃないかという気が実はちょっとしているわけであります。  その後、御案内のように国土庁で首都改造計画というのがございました。これは昭和五十四年から始まって昭和六十年の七月に一つの報告書にまとまっておりまして、これについては先生方もお持ちだと思うのですが、首都改造計画の報告書というようなものがございますので、これの中の議論に私ども参加して、この中で首都機能の移転の問題についてはかなり実務的に議論をしたわけであります。  成果としては、多核型連合都市圏の構築に向けてという議論でございまして、とにかく二十三区に全部集まっているのをちょっと外側に力を入れて、外側にいろいろな核都市をつくって、そこに住宅も張りつけながら職住の問題を解決しようじゃないかというのが基本的なスタンスで、そのとおりのことが今起こっているというふうに思います。  もう一つの筋書きは、首都機能を少し細かく調べて、移せるもの、移せないものをどうしようかということで、展都、分都、そういうことを積極的に実務として打ち出したという成果があるように思うのです。展都は御承知のように、大宮とか横浜とか、そういうところに東京の二十三区になくていい機能を少し展開したらどうだという形におさまっていると思うのです。東京圏からもう少し外して、分都というようなものをもう少し積極的にしたらいいんじゃないかという議論があったと思うのですが、私は、そのとき分都に相当期待をかけたのでありますけれども、分都については思うほどの成果がちょっと上がらなかったなというふうなことを今にして思うわけであります。殊に竹下内閣の時代でございましたか、政府は、一省庁一機関は相当積極的に外へ移すんだというようなことを新聞で報告されましたので、その筋書きを期待しているわけです。今でも期待しているわけですが、この辺については、国土の多極分散ということについてあわせて考えますと、この分都の筋書きをもう少し進めていただきたいなという感じがいたすわけであります。  それで、この表については抜き書きしてきたわけでありますが、表の6、7、9、10、11、12のポイントだけ一言ずつ申し上げていきたいと思います。     〔委員長退席、綿貫委員長代理着席〕  表の6は、大体何人ぐらいの人が移るんだという話でありますが、政府の定員、首都機能に関連する司法、立法、行政というわけでありますが、首都機能という場合には、それプラス象徴である天皇も入ると思いますけれども、とりあえずここで計算しておりますのがその三権、それが約五万人だというのが一つの表6の結論であります。  表7は、それにプラスして準首都機能、政府が移ったとすれば、国会が移ったとすれば、それと一緒に何らかの関係で移転対象になるという筋書きのものが幾つかございますが、これはここにありますように、公団それから大公使とか諸団体、そういうものだというわけであります。  表の9は移転人口の想定でありますが、そういう関連の働く人々が約十万人いるというのが一つの結論だと思います。  そうしますと、表の10で移転総人口の想定をしますと、大体三十万人から六十万人だ。移転の仕方がまたいろいろございますけれども、既存都市の活力を利用して、ストックを利用してやれば三十万人ぐらい、新都市に丸々ということだと六十万人ぐらいになるというわけであります。  それから、表の11でございますけれども、費用の計算をいたしました。面積としては、新都市型で六千八百から八千七百ヘクタールぐらいだというわけであります。費用は、当時の計算で五兆から六兆ぐらい新都市の場合には一括してかかるのではないか、用地の計算が非常にきいてくるわけであります。  さらに、ではどこに移すかという場合の条件を幾つか書いてあります。一つは、この表の12でございますけれども、表の12で書いたのは、これは国土庁の作業でございますが、国土利用条件として、大集積地から離れているところ、ある程度離れているところ、それから人口等の全国分布から見て割合にアクセスがあるところ。それから経済条件としましては、近傍都市の集積、電力。それから自燃条件としましては、冬の条件とか水とか環境の容量ですね、可住地があるか、平らな土地がどのぐらいあるかというようなこととか、もう一つ重要な問題としては、景観というのがあると思います。それから安全性条件は、地震、火山、地すべり、洪水等。それから公共施設条件としては、飛行場があるかないか、新幹線への距離あるいは高速度道路への距離、公有地への距離というような交通公共機関とのアクセスというふうなことであります。それについて、私はこの作業に加わりながら、この一連の数字は、昭和五十八年の一月に公表された概査という形で国土庁がおまとめになった資料でありますが、それの後で私自身が勝手に、では今の図柄に想定する条件を国土に入れたらどうなるかということで、幾つかの新都市のモデルを学生たちとやってみました。これは私自身の独断でありますが、ここの図の1Vにございます。  一つは、北上京モデルというのは、これは昔やったものそのままであります。もう一つ、飛距離がちょっと長いんじゃないか、移転というような手続を考えると、遠くに行くにしても東北あたりでストップするのではないかというような図柄で、仙台という素材を活用したらどういうイメージがかけるかということが一つであります。  それからもう一つは、これは昔から有名なモデルでありますが、中部圏に浜名湖モデル、これは河野一郎元大臣がおやりになっていた周辺だろうと思われる地域を仮設して、浜名湖につくったらどうだろう。  それからもう一つ、北ばかりではなくて西の方にも適地がある、国土庁の概査では、条件にかなうような適地が北にも中部にも西にもあるという議論でありましたので、それでは西の方に仮設したらどうだというので、広島を使ってみたらどうだという議論をやってみました。それぞれ一長一短があるなどいう感じをそのときは受けました。  それについては、コメントはちょっと避けますが、広島モデルの場合は平和という条件で世の中を見る、あるいは浜名湖モデルの場合は技術革新をした日本という観点で物事を考える、北の場合は、人心一新効果が非常に高いという観点とか、あるいは国土のバランスある発展というのはダイナミックなバランスではないか、そういうことを暗示するのは北ではないかというような一長一短をそこで述べてあります。  それから最後の図、これは一分ぐらいで終わりたいと思いますけれども、資料の4は、これは先生方の方が御専門と思いますので割愛させていただきますが、国土のフィジカルな面をリードしております一全総、二全総、三全総、四全総のそういう図柄でありますが、ここで二全総の図だけちょっと見ていただきたいと思います。一九六九年につくった当時の新全総と言われる図が、実は私どもが早稲田グループでつくったときに結果的に下図になっているなというのがこの図でございまして、これは国土の第一軸、それから東京から札幌へ行くのは第二軸という議論もこの辺から出ております。  それから、先ほどの分権化構想でありますが、圏域の分け方がちょうどこれで七つになっているわけであります。ここでは北陸を中部圏、新潟とか北陸をどっちへ入れるかという議論がありますが、大体にして七つぐらいで大きな地理的あるいは経済的、歴史的な活動があるんじゃないか。  それから、最後のもう一つの図は、これは非常に明快な図解だと思うのでありますが、国土計画といっても、結局作業としては図で見るということが多いわけですが、これもなかなかすぐれた図解をしているな。北東地帯と中央地帯と西南地帯と三つに分けているということでありますが、私が思う遷都の候補地というのは北東地帯という考え方の中に存在するのではないかというような議論をしたわけであります。  どうも三十分という時間が少し延びて申しわけありませんが、これで私の考え方を述べるのを終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。  この際、委員各位に一言申し上げます。  質疑につきましては、時間が限られておりますので、委員各位の特段の御協力をお願いいたします。  なお、委員長の許可を得て御発言をお願いいたしたいと存じます。

斉藤一雄日本社会党・護憲共同

○斉藤(一)委員 先生に御意見を承りたいのですが、仮に首都を東北方向に移した場合に、今までの意見でも出ているのは、極端に言いますと、一つはスリムな都市といいますか、国会村というような都市でもいいんじゃないかとか、あるいは国会が移転する以上はやはり大都市を、国際都市のよう室ものを目指すべきではないかとか、いろいろ意見があるわけですが、そういう点では先生のお考えがどういうところにあるのかということをいま一度お伺いしたいと思います。  それからもう一つは、東京再建計画で示されている過密大都市での地震との関係なんですが、私も、ここに指摘されているように、交通とかさまざまな設備をできるだけ地下に埋めて、地上を緑道にするとか広場にするとかいうことが非常によろしいと思うのですが、これらを可能にするための土地制度を根本的に改革するという点の先生のお考えをこの際、お伺いしておきたい。  以上二点、お願いしたいと思います。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 新しい首都が非常に国際的な舞台で活躍しなければいけないということだと思うのですけれども、あわせて情報化というのも国際化を加速することの条件になっているのじゃないかと思うのです。今の状況の中で情報化社会というふうなものがどういうふうな成り行きをこの十年、二十年、三十年でするかということのはっきりしたイメージはちょっとまだないと思うのですが、ただ、さまざまな情報機器が格段に発達をして、そういうものを非常に持った例えば国会というふうなものですね、もう少し直接にいろいろなものにつながるという条件は新首都の中で非常に大きな機能だというふうに思うのです。政治機能も非常に高度な情報的な機能を備えているものだというふうに思うのです。そのときに、国際化というのがいろいろなレベルで考えられると思うのですが、そういうものに対応するいろいろな、会議場その他が新首都にあるということもあると思うのですが、その移る手順に従って、例えば十年、二十年ということでもし何かが起こるとすれば、既存都市のそういう施設を大いに活用するという状況が非常にあろうかと思うのです。  それで、さらにもう少し進んで、あるスタイルで新都市に国会なり政府が移転したという状況の中では、それに合った非常に速い技術革新を伴いながらの情報インテリジェントというのでしょうか、そういうものを非常にコンパクトに使って、しかもある種のフェース・ツー・フェース的な関係も成り立つような、そういうつくり方をするという条件はかなりいろいろな場所で自由にできるのじゃないかというふうな気がするわけです。  東京の情報化というのをどう考えるか。殊に経済的な意味での国際化というような点でいえば、恐らく東京というのは経済的な中心、世界的にも中心になる機能は依然として持つという想定が成り立ちますから、それはそれで一つ経済的な国際性をも備えた都市、新首都は、さらに政治的なさまざまな形の国際性を備えた都市、そういうはっきりした構図で、それが相互に連携し合って、あるいはそのほかの日本のいろいろな地域でもいろいろな形の国際化というのは同時に起こっていくわけだと思いますので、そういうものとあわせて独特な、やはり政治的な中枢的な判断をする場所としての国際的なそういう機能をそれ自身、あるいは日本というのはたくさんの都市が網の目のように配置されてありますので、そういうものと連合しながら、小さくてもそういう機能を持ったものがあるのではなかろうか。それが東北であろうが、あるいはそのことだけで言えばそういうものが全国的にあり得る、北海道も九州もあり得るというふうに考えます。  それから、東京の再建の形でありますが、土地問題についてどう考えるかということでありますが、これはこの数年来大きな問題であります。それで、東京の土地は、殊に二十三区はもう普通のサラリーマンが住めなくなった。これは遷都について、東京から首都機能を移転をするという大きなことの議論にも関係すると思うのです。  先日、実は私どもの早稲田の建築土木の学生に、遷都というものをどう考えるか、賛成か反対か、私が聞いたからというのではなくて答えなさいというふうに申し上げましたら、二百二十人の学生に聞いたのですが、百六十人が賛成だ。反対が四十人おりました。それから、ちょっとわからないというのが二十人です。大体二十歳ぐらいの学生でありますので、私が採点するから少しひいきをしたということがちょっとあるかもしれません。去年、おととしと毎年やっているのですが、それにしても非常に高い数字なんですね。それは国会の、ここの場所での移転決議が非常に効いているなという感じがして、若い人たちというのはやはりある遠いイメージを持たないと生き生きしないなということをつくづく感ずるわけです。  その中に賛成意見が幾つかあるわけですが、その一つは、例えば私は公務員になりたいんだ、国家公務員になりたいんだけれども、私は地方から来ているので、東京に来て公務員になったとしても土地が持てないと言うんですね、土地が買える見込みがないと。しかも、公務員になって一生懸命働いて、地方へ行って嫁さんをもらって、結婚して帰ってきてここに住んだとしても、将来いい住居を持てる保証がない。ですから、やはり東京は今までのストックで生きている、もう土地が高くなって住居も高くなって狭い土地でということで一生のイメージが、この新しく人生を始めようという人たちにはちょっと手が届かないので、早く、違う場所でないと、公務員になるためにはほかの場所に首都がなければもう行かないよというのが首都移転をしろという賛成の意見の一つのユニークな意見といえば、天下国家とは別に、土地問題、住問題ここまで来たかなという感じが非常にするわけであります。  賛成については今までいろいろな決議が出てまいりまして、反対意見も幾つかあるわけですが、その土地問題というのは、私の考えでは土問題ではないか、土というものをどう考えるかということにさかのぼらなければいけないのじゃないか。例えば地球に優しい都市はどうかとか、環境というのは、全部アスファルト化してお金を敷き詰めたようなところというのは、何か基本的に小手先の制度ではちょっとぐあいが悪いのではないか、土から考えるという状況とか水から考えるというようなこと、そこのところに戻らなければいけないのじゃないかというようなことを非常に思うわけです。  ただ、私は税制とかそういう法律の専門家ではございませんが、何かそういうことの期待が、例えば東京二十三区で町づくりが盛んに行われている、豊かさとか水とかゆとりとかそういうことをさんざん言うわけですね。そうしますと、それを何かうまく改造する手だてという、それは諸制度はもちろん効くわけですし、金融政策で引き締めてということですが、これだけ上がった土地が東京二十三区で下がるとは私は思えないんですね。その中で解答を見つけるということであれば、極端に言えば、国会が移転をするという、この跡地利用がどういう形になるかということでむしろ一つの解答が出るのじゃないかということを逆説的に思うのです、ちょっとお答えにならないと思うのでありますけれども。何かもう少し原理に戻ったところでの議論というのが国民意識の中で、サラリーマンの間で起こっているなという感じがするわけですね。ですから、それがやはり学生たちの持っている感覚で、大体行動を見ていると、何か今だけのでは、自分たちが将来ここで住むということをちょっと放棄するような調子に対してどういう答えを出すかにかかるのではないかというふうに私は考えております。ちょっと答えになりませんが、申しわけありません。

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員 戸沼先生の非常にスケールの大きい研究の御開陳をいただいたわけでありますけれども、国会決議がありました。それで、狭い意味では国会をどこに移すのかという議論になりますが、一極集中を排除する、あるいは遷都、展都であるとか、そういうさまざまなテーマに実は今取り組んでいるわけですけれども、先生のお考えは、ごく限られた国会と行政機関のごく一部、これが移ればいいというお考えでしょうか。それとも、もうちょっと広がった立法府、行政府、そのあたりが動くことによってかなり効果的な第二の東京をつくることができるというお立場でしょうか。あるいは、全く第二東京建設のために国会移転はインパクトを与えるもので、まあ東北のどこかにどんと大きな移転の仕方をすべきだとお考えでしょうか。  それともう一つは、将来を展望してSSTの離発着ができるという要因が非常に大きな条件の一つだと思うわけですが、騒音という点、それから四千五百メートルからの滑走路が必要であるという点、かなり制約された候補地が幾つか出てくることになるのだろうと思うのです。この点について、非常に大きな条件だと思っているのですが、いかがでしょうか。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 第二東京というイメージは、実は私自身は持っておりません。願わくば、分権とか道州制というのがどういう実現性があるかどうか、そういうことはちょっと別にしまして、今の府県レベルでの連合というのはもう少しやわらかかったり、かたかったりさまざまな形であり得るので、自治というようなものが同時進行的にかなり進んでほしいということが一つございます。  それで、最後にいろいろコンパクトにして政府の機関を集約すれば、これは空想的には二十五万とか言いましたけれども、現実的に計算しているわけではございませんが、ある種国家的な機能は持ちながら、かつて地方自治体が政府に預けたいろいろな許認可の権限があると思いますが、そういうものは地方自治体に返すということは当然の手続としては第一段階あろうかと思うのですが、そのほかにもう少し分都というような考え方で、例えば道州制にすると相当な外交権というふうなものもあり得るではないか。例えば北海道とか東北、ソビエトがそうなったから言うわけではございませんが、そういうもの同士が議論をする場というのは非常に大きくなるのではないか。そうしますと、そういう形での本格的な分権、分都ということで踏み込めば、これはちょっと空想的になると思うのですが、立法府を含めた全体としての政府のサイズがかなり小さくて済むような体制があり得ないかという議論を一つする必要があるのではないかというふうに思っているわけです。そういう形で理想的なタイプを考えると、割に小さなサイズでも成り立つのではないか。  国土庁の首都機能移転の概査でも出ましたけれども、政府の機関そのものがネット十万というようなことですから、それをさらに分権とか空想的な意味で解答を出せば、それは十年、二十年か三十年かかるかと思いますけれども、分権の模索、仕掛け、枠組みをつくりながらさらにそういうことをすれば、大きなサイズでなくてもいいのではないかというのが一つ。ですから、それは東京というのと違う価値体系の考え方で二十一世紀を引っ張っていく拠点が仮に東北でも、そのほか中部もあり得るかもしれませんが、そういうところにセットすることに意味があるのではないかというふうに考えるわけでございます。  そういう意味で、逆にもうちょっと大きな都市をつくったらいいではないかという議論もあり得ると思うんですね。東京の遷都効果を大にするためには百万ぐらいにしたらいいのではないかという感じは今のところ私は持っていないわけでありますが、現実的な手だてでいけば結果的にどういうふうになりますか、これはまたもう少し研究しないとはっきりしない。  それから、航空の問題は非常に大きな問題だと思うのであります。三十七・七八万平方キロの中で、しかも仮に七ブロックくらいであるとすれば、主たる航空、SSTのようなものが確保できる立地というのはそうたくさんないと思うのです。北海道とか、今有効に使っている三沢とか九州とか関西とか数カ所ということになるかと思うのですが、それについてのある程度の研究はあり得ると思うのですが、やはり環境というふうなことを重視した上で答えを出すべきものではないかというふうに思います。さらに、ローカルな空港でも国際化がどんどん進みますのでそれを乗り継ぐという形を、先ほど申し上げましたように、機械というものが便利になれば、速く行けばいいという考え方が横溢していますけれども、もうちょっと遅いのも楽しいよというのが真の豊かさの時代ではないか。地球も余り狭くしない方がいいんじゃないか。これは百年で使い切る代物でもございませんで、願わくば永遠という考え方で使いたいものですから。この百年間で日本列島で急速に築かれた技術革新の量、人工的な設定の量というのは大変なもので、この三倍のスピードでそういうことをしたら日本はやることがなくなってしまうのではないかという危険を逆に感じなくてはいけないのではないかというふうにも思うわけであります。  騒音の問題等も、そっちの方は必ずしも専門ではございませんので、的確ではなかったと思いますが、一応そのように考えております。

近藤鉄雄自由民主党

○近藤(鉄)委員 先生、どうも御苦労さまです。  私は毎回同じような御質問を先生方にしているわけですが、私たちは立法府のメンバーですけれども、立法府と行政府が日本の場合には非常に密着し過ぎている。特に私たち政府・与党というのは、言ってみれば立法府ですが、立法府のいろいろな政策決定みたいなことで行政府を一つのシンクタンクとして使っている面があるのです。私も実は役人出身でございますものですから、時々後輩に、使いやすいものですから、これをちょっと考えてくれ、資料はないか、こう言って安易に行政府に依存する。そうすると立法府としての独自の政策、調査活動というのはないわけです。できないわけですね。ですから、立法府と行政府はもうちょっと距離を置いて、立法府は独立の調査、企画のスタッフを持って、行政府は行政府でちゃんとやりなさい、そして立法府を斜め横から見てチェックする、こういうことにならなければならないわけです。日本国が貧しいときはまとめてやってしまった方がお金もかからないし効率的であったということもあるかもしれませんが、ここまで経済的に発展してまいりますと、多少のむだがあったっていいじゃないかと思うのです。  ですから、国会等の移転というものを、東京一極集中を排すために首都機能を分散するという考え方も大事ですが、それはそれとして、よしんば東京集中という趨勢が現状維持でも国会だけは持っていってしまう。それは、国会だけ持っていくことは、スタッフ一切入れたって大した人数じゃありませんね。だから一千万都市、一千二百万の東京の中から、何万人になるかわからないけれども、それを持っていったって関係ないとおっしゃっても、私は、違った意味ではそれは考えていいんじゃないか、こういうふうに思っているわけでございます。そして独自の調査機関を持つ。  例えば、委員会の調査員もちゃんとした人がいらっしゃいますけれども、率直に申し上げますと、国会図書館で調べるより役所に聞いておけとか、それから個々の委員会の調査室もございますが、そこに頼るよりはもう役所に言って資料を取ってしまう、こうなってしまいます。ですから、そういう意味で行政、立法を分ける。司法もありますけれども、さしあたって行政、立法を分けるために、国会村を東京から通勤一時間以内に。リニアモーターで一時間。ということは、十時に委員会が始まるとすれば九時ちょっと前に出ればいいわけです。帰りも、五時、六時までやったって夕方には帰れるというくらいの距離につくって、非常に簡素な、ぜいたくは要りませんからね、そのかわりインテリジェントビルにして、国会の状況なんか全部衛星を通じて全世界に発信できる、全世界の情報をとれるというふうにしたらいいんじゃないか。  ついでに言いますと、お役人は、きょうもたくさんお役人が来ておりますけれども、もう局長しか来なくていい。大体、我々国会議員が質問するのを専門の局長さんが答えられないはずがないんですね。逆に、局長さんが答えられないことを国会議員が質問するのもいかがかと思うのです。必要なことはファクシミリやらテレビ電話で全部とれますから。ということで、局長さんだけいらっしゃい。国会まで通うのがしんどかったら局長になるのをやめなさい、そこはよく覚悟してください、そういうことをひそかに考えているわけでございますが、先生の率直なお考えを承りたいのです。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 とてもおもしろいお考えだと思います。私も国会へ参るというのは、こういう機会が実は初めてでございまして、かつて学生のときに私の父親の知り合いの代議士さんのところに一緒にお供で来て少し見せていただいたことがあるので、実際の雰囲気というのは、こういうことに関心を持ちながら実はちょっと迂遠でありましたが、やはりいかにもいかめしいなという感じがするのと、やはり非常にかつての時代のイメージの建物だという感じが率直にいたしました。そこで行われている内容が刻々テレビで出てくるわけですが、あれはある意味では非常におもしろい形だと思うのですが、確かにお役人さんのそういうサポートによって国会活動のいろいろなことが起こっているなということは如実であります。  これは、先ほど金丸委員長が、率直に言ってくださいということですので、ちょっとお耳ざわりかもしれませんが、何か自立性といいますか、やはり三権の中心が国会だというふうに思うのでありますが、その自立性についてまことに頼りないな。いろいろな取り決めが非常にモダンではないな。やはり情報的装備が、というのは人的スタッフですね、結局情報といっても、機械とかなんとかいいましても、そういう質の高い情報を的確に国民に対して提供するという役割については非常にプアなまま来ているな。やはり官僚国家という筋書きの中に乗っかって、よくも悪くもここまで来てしまったな。これに対して、きょうはまあちょっと申し上げにくい面も少しあるのですが、官僚の方々は非常に頑張って優秀でありますけれども、同時にそれは、独自の新しいイメージを開くためには、やはり国会の独自の立法に対する考え方とか筋書きとか、そういうものがもう少し頼もしい形で出ていただくというのは、私は非常によろしいお考えではないかと思うのです、  ですから、それを空間的にどうすればいいかという点で、一時間ぐらいがいいじゃないかということでもしおやりになったら、これは快挙だと思いますね。ただ、政府の方も非常に心配でしょうから、もうちょっと、三十分ぐらいにしてくださいとか、あるいは、もうちょっと、局長だけではなくてもう少しサポートしたいよという中間的なことはあろうかと思いますが、今国民は、何かいろいろ言ってもやらないんじゃないか、国会移転の決議をしてもやらないんじゃないかということが反対論の大部分の意見なんですね。それに対して今先生のお考えのようなことがもし起これは、そういう筋書きは、同時にやはり首都機能の内容そのものをみずから少しお変えになるという御努力のお話ですから、これは非常に傾聴すべき議論ではないか。非常にリアリティーのある、しかも一時間というような考え方とか、できるだけ既存の、ストックとしての国会機能はここに残るでしょうから、首都機能は相当ありますでし、ようから、そういうことを先へ提案していく、そういう時代を開くという考えは、私は非常によろしいお考えではないかというふうに思います。

近藤鉄雄自由民主党

○近藤(鉄)委員 先生は都市工学の専門家でいらっしゃるわけですね。ですから、こんなことを申し上げて恐縮でございますが、私などはそういう思いつきだけで、具体的にどうなるかがわからないんですね。ですから、場合によっては私ども御協力いたしますが、必要最小限度の国会の機能を持っていくとするとどんな建物が要って、それから議員会館と議員宿舎と国会のスタッフ。それから、国会図書館だけでは――私は、アメリカの国会図書館の館長の友人がいてよく行くのですけれども、すばらしいですね。アメリカの図書館で、例えばソ連に関する資料なら国会図書館が最高にある、ソ連以外の図書館だったら。日本に関する資料なら、日本以外だったらこのアメリカの国会図書館が最高の資料を持っている、こういうことを言って自慢していますけれども、それぐらい非常に巨大な国会図書館をつくって、そこにそれなりの国会図書館の調査員を配置している。  それから、政党も持っていけばいいと思うのです。これは政党ビルをつくっちゃって、共同にしてもいいと思うけれども、ちょっと自民党と社会党と共産党全部一緒になるのが悪いというなら、それぞれ政党に必要なビルをつくって、政党にレンタルしてもいいと思うのです。だから政党も調査機関を持つ。あとは完全に立法府だけに限っての機能をやる。言いましたように、全国から情報をとる、全国に発信する、世界に向かって発信する、インテリジェントビル化するということですね。あと多少の、ゴルフまではともかくとして、テニスやなにかスポーツ施設ぐらいつくらせて、高級料亭は必要ないですが、ささやかなレストランとかつくる。そういうものに限って、こんなことをここでお願いしてはどうかと思うのですが、都市工学の専門家のお立場でお考えいただいて、土地代は別として、どれくらいの建設費が要るのか。大阪の何とかという料亭に寄ってたかって貸したお金が一兆ウン千億というお話だけれども、あのぐらいの金があれば立派な国会村ができるのじゃないかとひそかに思っているわけです。羨望というと言い過ぎだけれども思っているわけですが、専門家のお立場から少しつくって、デザインしていただいて、それを先生方がどんどん発表していただく、これほどうだと言っていただくと話が進むわけですよ。  こういう機会でお願いして恐縮でございますが、何かそういうことで提言していただければ――本当に国会と役所全部を持っていくという話はもう話だけで終わってしまう。実行不可能だと私は思うのです。そんなに簡単にできない。だけれども、国会機能だけを持っていくのだったら一兆円前後、全くつかみですけれども、それはできないことじゃないと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 大変魅力的な御提言ではないかと思いますね。  国会のイメージ、二十一世紀における国会、建築、都市工学の立場から言えば、今の形で今後百年間運用するということは、まずだれしもこうだとは思いにくいと思うんですね。ですから、そういう情報ということの本当の内容、それからそれを極端に言ったら少しガラス張りにしてやわらかいというか、もうちょっと自然が見えるとか、それで市民のアクセスがよくて、私ども、代議士の方というと非常に近づきがたい、何か特殊な関係でないと近づはないということじゃなくて、ゴルフあるいはテニスでもいいのですが、そういうことで気軽にちょっと声をかけられるというやわらかい雰囲気が出るような、そういうものだと確かにすばらしいと思いますね。それに対して、恐らく国ができたと同じ時期にみんな国会というのはつくられているわけですね。それぞれの国づくりの理想が国会の姿に写し出されていると思うので、もし先生のお考えのように二十一世紀を開く、仮に言えば、美しい国会の姿、非常に能率的で、しかし地球に優しいよりも国民に優しいというのですか、そういうような姿のものが、一つのイメージじゃないと思うので、たくさんあろうかと思うんですね。ちゃんとした情報設備もなくちゃいけない、図書館もなくちゃいけない、政策スタッフもそれなりになくちゃいけないというような格好の内容の入ったそういう姿が描ければ、これは立法側の御提言としてはもう一歩先へ行く作業ではないか。  お役に立つようであればお手伝いするにはやぶさかではございませんが、そういうお考え自身は非常にユニークなお考えではないかというふうに私は思いますね。それは、もし三権分立のコアだという御自覚があれば、いろいろな作業そのものも率先して独自なスタイルでおやりになるのも一つの方法ではないかというふうに思いますね。

山口鶴男日本社会党・護憲共同

○山口(鶴)委員 いただきました資料、「21世紀の日本人の生活と文化」、そして「21世紀の国土像」、「一、二つの基礎的な元」、「二、日本をとりまく外的条件への姿勢」、「三、国土シス、テムの革新」、こう来て、「四、新首都「北上京」の建設」、こうなるのですが、何か一、二、三から急に四の結論、こう書いてあるわけでして、一体これはどういうことかなというふうに思いますので、その間、こういう理由で四が出るんですよという御説明をいただければありがたいなと思います。  それから同時に、四では、「東京に政治の中心があること自体が諸悪の根元である。」私も悪いとは思いますが、これ一言だけでずばっと言うのでは、何か一般に対して説得性がございませんので、その辺どうか。そして、新都市の立地は「東海道メガロポリスをはずれたところで、現在過疎地域とみなされているところがのぞましい。」そして西からだんだん東に来た。したがって北上京と言うわけですが、これもちょっと余りに、一プラス二は三というような極めて端的な表現でありまして、その辺、やはりわかりやすい御説明をいただければというふうに思います。それが第一です。  それからその次は、表12の「評価指標と消去地域数」、こうありまして、見ますと括弧内は消去地域数だ、「消去法では全国百地域のうち下位にランクされる地域を消去地域数だけ消去する。」こうあるのですが、これだけでは一体どういう意味で二十とか十五とか丑とか十という数字が出てきたのか、またこの御説明だけではちょっと数学的にもさっぱりわかりませんので、これも御説明いただければと思います。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 何しろ持ってきた新聞は二十年前の新聞でございまして、しかもいろいろ書いたレポートの中を新聞記者が要約をして書いたというようなことがございますので、説明が飛躍した意味がちょっとあろうかと思います。  四の「新首都「北上京」の建設」ということで、その前段の一、二、三というのは、ある意味では世界的状況、日本的状況の中の前提条件というふうなことだと思うのですが、その際、一つは、新しい国土構想を描いてそれを実現するてこに新首都の設定というのがあるのではないかという筋書きなのですね。ですから、例えば分権その他をしよう、それからもう少し過疎地に人口地帯をつくったらどうだということの役割は、首都機能移転、遷都ということが非常に大きな意味合いがあるのではないか。しかも、二十一世紀という今の時代ともうちょっと違う時代に入るというイメージの場合は、やはり何か大きな変曲を象徴するような、平和裏にあることが国民的にアピールできるような事件が必要ではないかというような筋書きが実はございまして、それで遷都というのがいいのではないかというのが一つの前提でございます。  それから東北がいいというのも、おっしゃるように、非常に具体的にいろいろなものを調べた結果ここがいいというわけではございませんので、先ほど最後の表のところで申し上げました、例えば資料の最後のページ、資料の4というのをちょっとごらんいただきたいと思うのですけれども、ここの二全総、一九六九年につくりましたいわゆる新全総の図の最後の(C)のタイプの図でございますが、昭和四十年代の国土の地域構造というのはいわば中央地帯という東海道メガロポリス地域と西南地帯とそのほかに大きく展開する北東地帯というものが三つ区分されているわけです。そういうことを、これから国土が新しく展開していく拠点として、そういうエリアとして、二十一世紀といってもこの場合は二十一世紀の前半ぐらいのイメージでございましたが、二十一世紀じゅうをかけて展開をしていく場所がこの辺ではないかということで、あとはおっしゃるようにたまたま地図をいろいろ見まして、湖のあるところとか山がきれいなところとかということで私どもは設定して、確かに非常に感覚的で若い、当時私も今よりは少なくとも二十年は若くて助手でございましたけれども、そういうときに非常にいろいろなデータなしで、確かにおっしゃるように一というよりもゼロから何かをえいやっとやったというのが実情でございます。  しかも、東京から非常に変わったイメージのタイプの新都市をつくる、創造してみるということが当時の私どものコンペにとっては重要でございましたので、現在の姿から非常に変わった姿をつくる。そのかわり、今の時代の流れで東京に集積しているものを使いながら延長してやったのでは、当面移るときは便利でも、移った姿に新しさがないのではないか、やはり革新というようなものはある種の変換のイメージが、二十一世紀というのは本当にある種の非連続的な新しい時代をつくるものだとすれば、そういうことを象徴するためにはできるだけ遠い方がいいのじゃないかとか、いわば国土の均衡ある発展という言い方をよくするわけですけれども、これは国土のダイナミックな発展というふうなこと、ダイナミックなバランスということが国土の構造として重要ではないか、そういう思いを、ちょっと短絡的でございましたが、こういう北上京という言い方で申し上げた点でございます。  それから、もう一つの最後の資料3の説明は、時間がございませんでしたので省略させていただきましたので、少し補足させていただきます。  表12でございますが、これは例えば新都市をつくるという条件を、「国土利用条件」、「経済基盤条件」、「自然条件」、「安全性条件」、「公共施設条件」というふうに書いて、それを細かく十そのそういう指標で書いてあるわけであります。  これは、とりあえず北海道と九州と四国をちょっと除きまして、本州に限りまして国土を三千五百から四千平方キロの単位で大体百等分したわけであります。ですから、とにかく本州を割った。その中で百でありますから、これはいいのから大体並べますと、百並ぶわけです。最後の下の方に、例えば「国土利用条件」の大集積地からの距離と余り近過ぎてはいけないということで考えると、そういう条件に合うものが二十ぐらいあるということで、それも外した。さらに、「自然条件」で言いますと、平たん地の条件というふうなことがあって、例えば平たん地、余り急なところじゃ町をつくるのが大変でございますので、俗に言う国土の面積の可住地というので、傾斜が何度以下とか平たん地が比較的あるとかという条件で言えば、ずっとやってくると平たん地が非常にないのが下から五つぐらいありますということで、とにかく各項目で百ずつずっと並べまして、それを下から書いて消していって、残るとランクが幾つかあるわけですが、それは十数個ここならよかろうというようなことで仮に議論をしたという経過でございまして、これは国土庁自身がおやりになったことで、これが首都改造計画の公表された資料の中にもうちょっと詳しく書いておりますが、大体そんなことであります。

金子満広日本共産党

○金子(満)委員 戸沼さんに若干の質問をしたいと思いますが、遷都、首都移転それから分都とかあるいは機能分散とか言葉はにぎやかにうんと出る。しかし、多くの場合に抽象論、空想論がかなりあると思うんですね。では、具体的にどうするかとなるとなかなか出てこない。  私はそういう意味から言えば、東京がいろいろの意味で息苦しくなっている、何とかしなくちゃならぬ、じゃ分散だ、遷都、こういう話が出てくる。これが一つの世論の基礎にあるような場合もあると思うのです。そういう中で、やはり話というのは具体的問題で科学的に検討していかないとならぬのじゃないかと思うんですね。  そういう意味で私は、戸沼さんはたくさんの本も書かれているし、新聞にもいろいろ論文も見解も発表されておりますから、若干そのことも引用させていただきながらお聞きしたいと思います。  これは、四年前の日本経済新聞に、「「遷都」で国家機能の分散を」というものがございます。その中に、四全総とも関連して、「都心部国有地や旧国鉄用地の払い下げと競売、東京臨海部の再開発、規制緩和、民活など都心部の拡大と一極構造の強化が進んでいる。」これは事実そうだと思うのです。その一極化という場合に、いろいろの機関、機能、そういうものもあります。しかし同時に、一番大きい問題は人口の集中ですね。この人口の集中という場合に、今この委員会で言えば、国会等ですから政府機能ですね、行政を他に移転するといった場合に、人口がどのくらいそれに付随してついていくものなのか。それは、職員の数や議員の数というのはすぐに出ますよ。どのくらい人口の移動があるものなのか、戸沼さんの考え方をお聞きしたい。  それから、そういう点でもう一つ考えられる質問ですが、今、日本経済新聞の中で読みましたけれども、そういう中で、臨海部の開発とか建物に対する規制の緩和というのは、民活導入で相当やられたわけですよ。これが確かに地価高騰とか土地転がしとかいろいろの結果を生んだことはくどくど申し上げなくてもわかるわけですが、そういうもの、例えば臨海部の開発は進めるのか見直すのか、見直すとすれば早く手をつけないと実害がどんどん広がるわけです。このことは論議ではなくて、政治で、行政で今すぐやらなきゃならぬことだ、こういう点をひとつお聞きしたいと思います。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 前半の、例えば首都機能の移転をする、その場合、今ある首都機能を全部移すと仮に前提的に想定するといたしますと、大体政府の首都機能関連の方々、先ほど申し上げた準首都機能というふうな、例えば大使館とかそういうものも入れますと、大体職員としては十万人ぐらいだろう。さらに家族その他を入れれば、一家族三人とすれば三十万、さらにそれに関連して、大学やそういうものもなくてはいけませんのでそういうものをつくる、サポートするものを新しくこっちから持っていくとすればさらに三十万ぐらいで、最大六十万ぐらいだろうという感じなわけですね。  東京二十三区が殊に厳しい状況だと思うのですが、東京二十三区に夜間人口が大体八百三十万ぐらい今いると思います。昼間の人口が千百万ぐらいだと思いますので、東京二十三区はいわゆる首都と呼んでいいエリアだと思うのですが、かなり巨大な人口だと思うのです。それで、もし仮に一割近くいなくなるとストレートに考えますと、パーセンテージとしてはかなり効くのではないか。しかも、中心部のアクティビティーを非常に緩やかにするわけですから、少し緩和をして、逆に言えば、もうちょっと豊かな条件で住環境を整備するという空想が成り立ては、そういうことが一つあるんじゃないかということが一点だと思うのです。  それから、政府が移転をすることによって、経済的な、例えば本社機能と称するものが非常にたくさん東京に集中しているわけですが、もう政経分離でいきますよということであれば、かつて大阪に本社機能があったような企業がたくさん東京に本社を持っているわけですね。そういう人たちが必ずしも地価の高い東京にいる必要がないということであれば、その人たちは帰るかもしれないという想像も一つのシナリオとして成り立つわけですね。そうすると、今、上がっちゃって人が住めないという非常に深刻お状況が二十三区にあるわけですが、これはちょっと甘い筋書きかもしれませんが、そういうことが変わって、今まで集まったものが全国に展開をする。もっと立地のいいところ、情報的な、あるいは交通的な手段も発達するとすればそういうものに乗りながら、日本列島全体が一つの有機的なつながりがあるとすれば、そういう形で東京への集中圧力が相当狭くなる、少なくなるんじゃないかということが一点で、業務的な人口の分散というのは期待できるのではないかというふうに思うんですね。  仮に二十三区に八百万いた夜間人口が、じゃ八百五十万ぐらい、今二十三区はいろいろなことで、例えば住居問題、非常に御熱心ですから、手当てをする、もう少しコンパクトに住もうじゃないかという居住を選択をすれば、八百万の水準で八百五十万ということもあり得ると思うのですが、業務的に集中している人口が分散するということのメリットは、これは非常に大きいんじゃないかというふうに私は考えるわけですね。  政治と経済が一緒になって、それが日本の経済を動かしてきたというふうに言われているわけですが、そういうことがもう少し、ある意味じゃ減速をしながら、居住環境を保ちながら経済活動をするというような形にここで切りかわるという見本をつくることが非常に重要で、夜間人口そのものがここで急速に下がるというふうにはちょっと私は考えていないのですが、業務人口は下がるというふうに考えておるわけです。  それから、一つの点は、私のことでございますが、後でまた御質問があれば補足的にそのことについて申し上げますけれども、それからもう一つは、臨海部の問題は、やはり今の状況の中で地震その他の問題がありますから、かなり慎重にあそこは開発していくべきであろうというふうに思います。

金子満広日本共産党

○金子(満)委員 人口問題でいきますと、移転するんだから、それに付随したものは移転するわけですが、逆に今度はふえる部門もあると思うのです。ですから、大きく言えば、政治、経済、文化というときに、政治の部門は、中枢部は移転する、しかし産業、金融機関、それから文化、まあ観光まで含めて人口がふえてくる。国会、政府機関が移転するということになると、じゃその跡地、その建物は何にどう使うのかという問題も当然、素朴な質問でも一番現実的にあるわけですね。そういう問題もある。  それから、臨海部のああいう再開発については、とにかくこのまま進めるということについてはいろいろ問題があるという認識は、それは私もわかります。  その次にちょっと伺いたいのは、戸沼さんは、道州制の問題を前から主張されておるわけですね。今四十七都道府県、これを道州制で、戸沼さんの場合には具体的に七ブロックに分けておられるわけですね。これは「道州制と遷都論」という、一九八九年一月のに出ているわけですが、この場合、道州制問題というのはいろいろの角度で今まで検討されてきたことでもあるわけですね。  例えばその一つは、一九五七年、これはずっと前ですが、第四次の地方制度調査会の答申は、道州制を導入した場合、その知事は内閣総理大臣が任命するということに当時なっておりますし、一九七〇年に日本商工会議所が発行した「道州制で新しい国づくりを」というのも、やはり道州制の知事は総理任命ということになるのですね。そうしますと、地方自治体にかなり権限をふやす、三割自治じゃないです、もっと機能的にも権限的にも拡大していかなければ多極分散にならない。そこで、こういうように知事任命というのが言われているのですが、戸沼さんは、この道州制になった場合の地方自治、どのように民主的にやっていくかという考え方を伺っておきたいと思うのです。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 道州制に関しては、私どもの政治経済、政経学部というのがございまして、その人たちの考え方をベースにして、割ったのは私どもが割ったのですが、七つぐらいで運営するのがよいではないかということで割ったのですが、基本的に私自身の考え方は、今多少地方地方の貧しい地域の町づくりのお手伝いをしているわけですが、今国民的なテーマで自分の町をどうしようかということが非常に大きな期待で、東京で起こっている問題と、そのほかの地方のいろいろな町あるいは知事さんたちがおやりになっているのは非常に涙ぐましい努力というか、ここ四全総以来、三全総以来の時代の流れと、全部の町市がそうなったと思うのですが、現在の自治組織の中で非常に頑張っているという認識が一つあるわけですね。それに対して、ただ一つの県で、例えば人口で言えば百万を切っているような県もある。一方、一つの区で、東京二十三区の中ではそれと同じくらいの人口の区もあるということで、いろいろな意味で地域のサイズと人口のサイズが非常にバランスがとれていないという状況で、しかも、例えばリゾートというふうなことを言えば、各県全部やるとか、あるいは水を持ってくるにしても他県というのは非常にぐあいが悪い。共通でやれる範囲がかなりあるのではないかというようなことから考えて、行政の広域化ということが一つ言われて、その場合は県のレベルで、仮にここでは、これそのものも二十年前にやった提案でございますので深く考えていませんが、任命という筋書きは少なくともここには入っていなくて、この人たちの選挙によるいわば州の、名実ともにプレジデントという考え方であります。ただ、そのときに、今から考えますと、道州制というものが成り立つのは今の府県制度と非常にバッティングする考え方なのか、それをもう少し取り組んで、今のぐあいが悪いのをはや旦言葉で言えばやわらかい連合というふうな形で、これは極端に言えば二つでやってもいいし、三つでやってもいいというふうに思うのですが、そういうやわらかい筋書きがあるのではないか。  例えば、遷都という話題を出して東北と言った場合に、では岩手県にするか宮城県にす肩か山形県にするかというと、仮にそこへ行けば首都圏というのは三十キロ圏ぐらいになるわけですから、共通にまたがるのに全部共通の作業には入らないというようなことがあるわけですね。これほどこのというよりもやはり国家的な問題だから、県のレベルを超えて地域エゴでない形でやればいいということですが、絶対行政では起こらない話題ですね。ですから、例えばそういう共通の圏域というのはやわらかくする。ですから、やはり任命という考え方は少なくともこの場合はないということが一つです。総理大臣が任命という考え方では、この案は出していない。  それからもう一つは市町村、殊に過疎地で、国土庁でモデル定住圏というのをおやりになって、一つの圏域でまとまも、過疎地で人がいなくなる状況がたくさんあるわけです。そのときに、母都市として頼りになるところを含みながら、アルターで広域的にしようというふうなことなんですが、かなりそのレベルでは市町村合併みたいなものが実際起こっていて、そこが活気があるケースがありますので、そういう形の積み重ねでいわゆる市町村のある程度の、これも連合で皆さんが決めることで、これは案としてたまたま出しただけで、やはりその地域の人たちがお決めになるという筋書きが入らないと意味がないというふうに私どもは考えておるわけです。

米沢隆民社党

○米沢委員 この委員会でいろいろな先生方の話を聞いておるわけですが、聞けば聞くほど遷都というのは難しいなといのが実感です。それで、遷都の理想を追えば、あらゆる知識を集約して、あらゆる未来予測も含めて分析をして、そしていろいろなものにまた配慮して理想論をつくるとすれば、何か神様にコンピューターでも持たせて計算してもらわないと、実際は説得力のあるものにはなり得ないのかなというぐらいに非常に難しいなと思うのです。同時にまた、現実的に、そうはいってもできることからやろうという感じで現実論を展開すると、現実論であればあるほど逆にまた議論噴出です。パーキンソンの法則みたいにいろいろな議論が出て、これまた現実的であればあるほどまた難しい議論になってしまうということをつくづく考えています。  そこで先生にお伺いしたいのは、遷都論も、分都、拡都、重都、展都といろいろありますけれども、少なくとも例えば二十一世紀まで、だから約十年間ぐらいのスパンをとったときに、何しろ東京一極集中の弊害を一歩でも前進させよう、弊害除去のために。十年ぐらいのスパンをとったときに、一体どういう手法が一番現実的で効果があって、いろいろ突っ込み方はありますよ、どういう手法をとった方が、現実的に十年間ぐらいのスパンで考えたときに、いわゆる可能性として現実性があるのかな。その点について先生はどういう御意見をお持ちかというのが一つ。  もう一つは、先ほど御説明いただきましたように、遷都論の場合に北上京ですか、あっちの方がいいだろうという早稲田グループの結論があった。もし北上京が実現したときに、私は九州なんですが、専門の分野ではないかもしれませんが、一体距離という観点からして九州あたりがどういう政治環境に置かれていくのだろうかというのがちょっとわからない。今ちょっと聞いてみたい。  それから三点は、国会がもしうまく移転したとします。そうしたら空間ができますよね、ここに、東京に。しかし土地の有効利用という観点からは、やはりそこを埋めようという議論になるだろう。あるいはもう自然公園にしろという議論もあるかもしれない。その抜けた後の空間をどういう形で埋めるのか、あるいは埋めないのか。下手をすると、また金融都市東京という観点で、もう銀行や証券がわあっと林立するようなものになって、政治の機能は逃げたけれども東京の過密は全然解消できない、していないという結果が出てくるのではないか。そういう点について、特に都市工学という観点からどういう発想が生まれてくるのか。この三点を、ちょっと幼稚な質問で恐縮でございますが、お答えいただきたい。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 一つは、非常に理想的な形を追求すると、コンピューターを総動員して、あらゆる人知を神のごとく駆使してということは、これは卑近な例でこういうことを申し上げるとちょっとぐあいが悪いのかもしれませんが、ちょうど私どもが非常に理想的な美人、あり得ない美人を絶えず想像することによって自分が生きていくという生き方に近いのではないかと思うんですね。そうではなくて、やはり我々は現実的な世界の中であくせくしながら、ある知恵でやるということが私どもの、人間の生き方に合った水準ではないかと思うんですね。  もう一つ、国会は移転をすることを意思決定された。今度行政がある程度、それはこうしようという意思決定をすれば、これは現実問題として非常に加速すると思うんですね。一般国民の世論という形は、ある程度、これだけ大勢の情報化社会の中で、あることを決めるという人がいなければ、逆にできないと思うのです。世論という形では絶えずフィードバックしながらある人が物事を決める。もう非常にデータはそろったけれども、あとはやるだけですよという状況がたくさん出てくると思うんですね。そこで、選択に関しては非常に、ある種の安全という条件を気にしながら生きていくという状況のところにある程度のゴーが出れば、それはやっていいことではないか。後戻りできないこととできることがあると思うんですね。ですから、遷都というのを非常に重く考えるという立場もありますけれども、例えば近畿なんかの首都の移転の構図を見ますと、割に何度もやっているんですね、近場のところで工夫をするという形である程度歴史的には試行錯誤しているわけですね。結果的に歴史がそこをチョイスしていくという形でいくわけですね。ですから、そういうことで、私は人知に関してある程度楽観的に思っているわけです。  さはさりながら、じゃあ現実的に東京から物を移すということは大変ではないかという話なんですが、やはり最大の問題は地震だと思いますね。この地震の危機に対して、あらゆる意味で――地震が起こるという筋書きについても相当研究をする必要があると思うんですね。今、関東大地震からもう七十年に入って周期に入っているわけですから、のんきにいろいろなところを一生懸命手だてしていても、ある意味ではひょっとすると間に合わないという状況があって、一方では、東京都でも相当きつい災害の予測をしているわけですね。じゃあ、それに対する回復のプラニングがあるかといえば、必ずしもないような気がするんですね。ですから、同時進行的にそれも逆にやらなければならないことの一つぐらいに思うわけですが、そういう危機に対して、現実的に重都という考え方も出ているわけですが、仮に現実的な距離でそれをカバーするような第二の仮首都のようなものを設定するということは、現実的なこととして先ほどの試行錯誤の一つと言っていいと思うのですけれども、そういうことをすべきではないかというふうにちょっと考えているわけです。  それからもう一つ。これは最後、非常に答えにくい御質問で、九州というのは九州のどちらか。何か遠いとか近いというイメージはつくられたイメージだと思うのですね。例えば東京というのは全国からみんな近いと思うのです。確かに、東京は近いということは、アクセスの便利さが非常にいいということだと思うのですね。仮に遷都という状況が、今の状況では、遷都の立候補というのは広く科学的に見たいと思うわけですけれども、北海道と九州とのアクセスを、便が多ければ、飛行機があれば非常に簡単に、二時間でも三時間でも行けてしまう。むしろ東京は、帰ってきて羽田からおりて家に帰るときのアクセスをお考えになると、例えば北上京でもいいのですが、先生が九州の飛行場から仙台の空港へ行って、アクセスは軽く三十分で渋滞がなくて行くと、時間距離にすると、ひょっとすると近いのではないか。先ほどSSTのお話も出ましたけれども、そういう疎と疎を結ぶ交通ルートに配慮がいくほどの豊かさができれば非常に近いのではないかということが一つ。  それから、これは心理的に非常にあるんですね。これもこういう場で申し上げる言葉として適当かどうかちょっとわかりませんが、かつて東北に遷都しろという話が出たときに、関西の人たちが非常に反対しまして、東北は熊襲が住んでいるところだという議論が出て、東北の人たちを逆なでしたことがあるんですね。実は熊襲ではなくてアイヌとかそっちの系統なんですが、私はそのときに、ああ、これは関西と東北との情報交通がないんだなということを非常に感じたわけですね。実際に行ってみれば、非常に人情味も厚くて、文化を受け入れる素地もあるわけで、それは全国そういうことだと思うのです。各地と各地を東京がバリアになって、障壁になって地方間の交流を妨げるという構図があると私は思うのです。しかも、この場合は、議員の先生方はどこからでもということでしょっちゅう飛行機をお使いになると、全国的にはもう日帰り交通圏になってしまいますので、東京の過疎地へ込んだ状況の中で仮に電車でおいでになっても、車でおいでになっても、本拠に取りつく時間と、九州から一時間ちょっとでございますので、そこから着地したときの距離を考えると、はるかに遠いということは少なくともないのではないか。お立場お立場で、使う交通手段によっても違いますけれども、思うほど日本というのはそう広い土地ではないということで、文化的な意味での地域間交流を東京をバイパスして進めるべきではないかというのが私の実感でございます。

米沢隆民社党

○米沢委員 空間について。

戸沼幸市早稲田大学理工学部教授

○戸沼参考人 空間ですか。これはちょっとどうしましょうか。私の非常に空想的な、かつて東京再建で書いたときは緑地ですね。21世紀の日本グループで東京再建のときは、やはり地震のリカバリーということを非常に気にしまして、土とか木とか緑がある都心こそ非常に重要だ。これは東京の都市計画に非常に重要な救いになっておりますのは、やはり皇居が広大な緑地で残っている。それから、二十三区に幾つか緑地があるのですね。それを本当につなげるだけで非常にいいのではないか。これは有名な建物ですから、もし跡地ということになれば、壊すというよりも、こういうことを申し上げでまた不謹慎だと思いますが、すばらしい日本の歴史をつくった現場でございますから、やはり博物館とかそういう形の利用の方が望ましいというふうに私は思います。

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言御礼を申し上げます。  参考人には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  参考人には、御退席いただいて結構でございます。      ――――◇―――――

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 この際、御報告いたします。  今会期中、本委員会に参考送付されました陳情書は、国会等の移転に関する陳情書一件であります。      ――――◇―――――

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 次に、閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。  国会等の移転に関する件につきまして、議長に対し、閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

綿貫民輔自由民主党

○綿貫委員長代理 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  本日は、これにて散会いたします。     午後三時六分散会

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