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第120回国会衆議院1991/02/16

予算委員会公聴会 第1号

発言数
113 件
登壇者
19 名
会派数
5
開催日
1991/02/16

会議録

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 これより会議を開きます。  平成三年度一般会計予算、平成三年度特別会計予算、平成三年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。  この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成三年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず市川公述人、次に岸本公述人、続いて森公述人の順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、市川公述人にお願いいたします。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 おはようございます。  御紹介賜りました市川でございます。地球環境に関連いたしまして意見を述べさせていただきます。  二酸化炭素あるいはメタン等に代表されます温室効果ガスの蓄積によりまして地球の温暖化が予測され、また特定フロンによるオゾン層の破壊に基づきます紫外線の増加等、いわゆる地球環境の変動に関しまして、現在精力的にその現象の解明、影響の評価並びに対策等に関しまして国際的、国内的に研究が進められ、また行政的な措置が国際的調和のもとで進められております。このことは、人類の活動が地球の有限性を通じまして再び人類のもとへ返ってきたということを認識した人類の最初の反応でございます。このことは、人類が他の生物から区別されていると言われます英知、ホモサピエンスでございますが、そのサピエンスの部分が問われている状況にあると考えております。ここで人類の英知が問われていると申し上げますのは、何もこの人類の中にだれか非常に賢い人がいて、現象を解明し、影響を評価し、さらには適切な対策を立てるということを意味しているのではございません。もちろんそのことも重要でございますが、人類一人一人の英知が問われるということでございます。このことに関しましてはまた後ほど言及したいと思います。  このような地球環境に関連いたしまして意見を申し上げるわけでございますが、私の背景に関しまして二つのことで御了解をいただきたいと思います。  一つは、私の学問的背景でございます。私は現在地球環境研究の場におりますが、地球環境研究と申しますのは、これもまた後に触れさせていただきますが、全学問分野にわたる広範なものでございます。到底一人でその全域を見渡すことはできません。したがいまして、地球環境研究に参加している研究者は、それぞれその研究者の背景、それに基づいて地球環境問題を眺めるわけでございます。私のもとの学問的背景はシステム科学でございます。したがいまして、私がこれから申し上げる地球環境観といいますものは、このシステム科学的視点に基づいているということをまず御了解いただきたいと思います。  二番目は、私の職責上の背景でございます。私は現在、国立環境研究所の副所長といたしまして、同研究所に併設されております地球環境研究センター長を仰せつかっております。しかしながら、今日ここで申し上げます意見は、そのような職責上の立場からのものではございません。地球環境研究の研究者の一人といたしまして、個人的な立場で意見を申し上げたいと思います。この点もあわせて御了承をいただきたいと思います。  まず最初に、今日話題となっております地球環境変動、あるいはそれをひっくるめまして地球環境問題といいますならば、それは一体どういうものであるかということを申し上げたいと思います。  御存じのとおり、宇宙は五十億年前に誕生いたしまして、それ以来今日まで変化を続けております。地球もその誕生以来、生物もそして人類もその誕生以来今日まで変化を続けているわけでございます。したがいまして、人間の周辺にあります地球環境が変化をするということは当然のことでございまして、何もそのこと自体怪しむに足るものではないわけでございます。例えば、数億年の昔の大気、これは非常に二酸化炭素に富んでおりまして、酸素が少のうございました。しかしながら、海洋に発生いたしました藍藻類その他植物が極めて盛んに炭酸同化作用を行いまして、そして二酸化炭素を減らし、酸素を増加させ、今日の大気の組成に近づけてきたということは我々既に知っているわけでございます。すなわち、その時点において何が起こったかといいますと、もし酸素を嫌い炭酸ガスに頼って生きていた生物がいるとするならば、それを絶滅あるいは衰退に追い込んだわけでございます。申し上げたいことは、地球環境を変えたのは人類が最初ではないということでございます。生物の歴史におきまして、その地球環境を変え、自分自身あるいは他の生物を絶滅に追い込んだ、そういうことはたくさんあるわけでございます。  さて、そういたしますと、なぜ人類が今日地球環境を問題にするかということでございます。要するに一番のポイントは、人類が地球環境の変動を感知し、その変化の速度が人類が対応できる速さを超えているのではないか、そういう感触を持ったことが地球環境問題それ自身なわけでございます。別の言い方をしますと、ホモサピエンスである我々は、地球環境が変動しているようだ、どうもそれに対して人類の対応が間に合わないかもしれないということを感知するまでに利口であったわけでございます。英知を持っていたわけでございます。問題は、それに対処できるだけの英知を持っているかどうかというのが問われているわけでございます。  ここで以上のことをまとめまして、ここで話題としております地球環境変動を定義させていただきます。人類の活動により引き起こされ、人類の生活に影響を与え、人類が対応できる速度を超えた速さで環境の変動が起こり、人類のために解決を迫られている十年ないし百年単位の環境変化を申します。  ここで、人類が対応できる速度を超えということと、それから十年ないし百年の単位であるということを御記憶におとどめいただきたいと思います。例えば千年のオーダーでございますと人類はかなりのことに対応できます。今日の科学技術の世界をごらんいただいてわかりますが、近代科学が始まって以来わずか三百数十年、そしてここまでつくり上げました。千年あればかなりのものに対応できるわけでございます。しかし、その時間がないんではないかというのが今日の地球環境問題でございます。  ただし、ここで十年ないし百年と申し上げましたけれども、我々の研究あるいは対処がそういう近視眼的なものであっていいということではございません。後ほど申し上げますように、そのようなことを見知し、そして将来の対策を考えるためにはもっと長い研究が必要であり、また将来にわたる研究が必要なわけでございます。このことについては後で触れさしていただきます。  申し上げます第二といたしまして、地球環境問題というのの構造はどういうものかということを申し上げたいと思います。  国連の環境計画、御存じUNEPでございますが、そこでは地球環境の変動現象といたしまして、オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨、海洋汚染、有害廃棄物等の越境移動、野生生物の減少、森林減少、砂漠化、開発途上国公害が挙げられております。これらの個々の問題につきまして、その現象の解明、影響評価及び対策というものがどういうふうにとられているかということを個々に申し上げる時間がございませんので、ここでは一括いたしまして地球環境変動、地球環境問題が持つ一般的な特徴を申し上げさしていただきます。  第一は、今個々の現象、問題を挙げましたけれども、これは、これらが自然法則を通じて相互に複雑かつ密接に結合いたしまして地球環境変動システムとでもいうべきものをつくり上げているということでございます。  よく知られている例を申しますと、酸性雨によって森林が減少しあるいは森林の活性度が下がりますと炭酸同化が下がりますから、二酸化炭素の増加を招きまして温暖化に貢献する。これはまあ比較的簡単な例でございます。単一のものでも複雑な挙動をいたします。例えば御存じのとおり北極圏に近いところには凍土がございますが、その凍土の中には太古からの植物が埋まっておりまして、気温が低いために分解が徐々にしか進んでおりません。別の言い方をいたしますと、そこにメタン等が大量に入っているわけでございます。もし地球の温暖化が進み、かつその北極圏近傍の凍土の表面を解かすほどになったとするならば、そこから大量のメタンが放出される。メタンは御存じのとおり二酸化炭素に比べまして約十倍の温室効果を持っております。したがいまして、これは温室効果を促進いたしまして温暖化をさらに高めるわけでございます。高めますとさらに凍土が解けてメタンの放出を促すわけでございます。このループが閉じて回り出しますと、極めて短時日のうちに地球の温暖化が進み、大気の温度としては別の平衡点、今日の平衡点ではなくてより温度の高い平衡点に移る心配が考えられるわけでございます。さらにもう少し複雑な例といたしましては、これは国立環境研でわかったことでございますけれども、植物は亜硫酸ガスに対して徐々に耐性を獲得してまいります。亜硫酸ガスがありましてもそれに耐えるようになってくる。ところが、そこに紫外線が照射されますと、その耐性が劣化するということがわかっております。そういたしますと、仮にオゾン層が破壊され紫外線がふえますと、植物の硫黄酸化物雰囲気に対する耐性が弱くなりまして、これまた炭酸同化作用が低下するということになるわけでございます。  以上申しました幾つかのシナリオがございますけれども、これがそのまま実現するということではございません。このうちどんなシナリオを実際にたどるのかということにつきましては、今後さらに十分な研究を待たなければならないわけでございます。私がここで申し上げたかったことは、地球環境変動のそれぞれの現象というのは互いに自然法則を通じて密接に関連し、したがって、それを全体をシステムとしてとらえ、その影響を評価した上で正しい対策を立てなければならないということでございます。  第二に申し上げたいことは、これらの諸現象は、今申しました自然現象を通じてだけではなしに、人間の集団あるいは国の意思決定を通じても相互に関連しているということでございます。  例えば、途上国への開発援助、これがもし環境に対する配慮を欠いたものであるといたしますと、途上国の公害が進みまして、それがさらに地球環境を悪化させるということにつながるわけでございます。環境への配慮を欠いた途上国援助などと申しますと、何となく公害輸出的なぎらぎらした感じがいたしますけれども、それは必ずしもそうではございません。善意に基づいた援助といえどもその可能性があるわけでございます。一時、今日でも言われておりますが、アプロプリエートテクノロジーという言葉がありました。すなわち、途上国には先端技術を移転するよりはそこの国に適した技術を移転した方がいいのではないかということでございますけれども、一般にアプロプリエートテクノロジーというのは環境負荷が大きいものが多いわけでございます。  一例を申し上げます。我が国におきますGNP当たりの二酸化炭素の排出量を考えますと、一ドル当たり約百グラムでございます。ところが、現在発展途上にある某大国におきましては一ドル当たり千八百グラムでございます。十八倍の二酸化炭素を放出するわけでございます。すなわち、二酸化炭素放出という観点から見れば極めて効率の悪い技術なわけでございまして、そういう技術が拡大するということはこれは大変なことであるということが御理解いただけるかと思います。  第三は、地球環境変動といいますのは地域環境の問題と不可分であるということでございます。要するに、いきなり地球全体でぼかっと何か起こっているという話ではございませんでして、地域で起こっているいろんなことが大気あるいは海洋を通じて地球全体に集積されていろんな現象が出てきているわけでございます。ここで、すなわち地球規模で考えて足元から行動するというようなことが本当の意味を持ってくるところでございます。  それで、ここで問題がございます。それは、社会における一人一人のとった行動が地球規模に集積されて、そしてその人に戻ってくるまでに大変な時間がかかり、かつ直ちに目や手に触れる形をとらないということでございます。例えば地域環境問題でございますと、自動車のエミッションを減らせばそのあたりの空気がきれいになるということで比較的早く人々に戻ってくるわけでございますが、地球環境の場合にはとった行動が地球規模で集積されてその影響が出てくる。しかもそれに時間がかかる。それだけでなしに、実はそこのところでとった行動から結果を予測するまでの間に、これまで人類が獲得してきた学問的知識を基盤とした推論というものが必要なんです。逆に言いますと、そういう学問的基盤に基づく推論を我が身一人一人の問題として認識していただかないと地球環境問題というのは解決しないわけでございます。これが最初に私が申し上げました実は人類の一人一人の英知の問題である、こう申し上げた理由でございます。  次に、私は研究者でございますので、地球環境研究に関して言及をさしていただきます。  第一は、地球環境研究といいますものは分散型の巨大科学であるということでございます。地球環境には非常に広範な学問分野が関連いたします。例えば大気、海におきます流動を考えるとすればこれは物理の問題ですし、その中の反応を考えるとすれば化学の問題でございますし、さらに生物あるいは土壌への影響を考えますと生物学、農学等と、人間への影響を考えれば医学、さらに対策技術ということを考えますと工学の問題でございまして、自然科学全般にわたるわけでございます。それだけではございません。例えば変動現象の影響、経済社会への影響、さらには対策の影響等を考えるということになりますと法学、社会学、経済学等々、人文社会諸科学の出番ということになるわけでございます。これらが連携を持って、かつ盛大に進められなければならないわけでして、そういう意味ではまさに巨大科学でございます。しかも、それは要するに高速の加速器であるとか核融合であるとかあるいは宇宙開発であるとかといったように人、金、物を一カ所に集めて精力的にやれば済むということではございませんでして、先ほど言いましたように、学問領域を超え、研究機関を超え、国を超えて分散して進めなければならないという意味で分散型でございます。  さらにもう一つつけ加えますならば、現在、地球環境研究、これだけのことをやればいいんだということがわかっておりません。研究を進めればさらに研究すべき新しい課題が出てまいります。そういう状況におきましては、だれかが命令して一斉にやれというわけにはまいりません。研究者それぞれがお互いの研究情報を交換しつつ、それでは自分はどういう形で貢献できるかということを考えながら、全体として地球環境現象の解明あるいは影響評価の方へ進めていくわけでございます。そういう意味で、みずからを律するという意味での自律型の巨大科学でございます。自律分散型巨大科学、こう呼ばせていただきます。  このような自律分散型の巨大科学を推進するに当たって最も重要なことは、それらの分散した研究者がお互いに情報を交換し協調し合う場を設けることでございます。地球環境研究等企画委員会、あるいは昨年十月に設置されました地球環境研究センター等は全般に対するこういう調整の場を提供するもので、まことに時宜を得たものと思われます。また、本年度予算等に入っておりますが、幾つかの各分野の研究センター、気候システム研究センターあるいは生態学センター等々、こういうものも大きな効果を上げ得るというふうに私は期待している次第でございます。  第二は、地球環境研究は大きな時間的な広がりを持っているということでございまして、長い時間をかけた研究観測が必要であるということでございます。二酸化炭素の増加に関しましては、既に十九世紀末にフーリエが言及しておりますし、二十世紀初頭におきましてはアルレニウスが計算をいたしまして、三度C程度の上昇が起こり得る、こう言っております。さらに、一九五七年から八年にかけましての国際地球年に端を発しましたハワイ、マウナロアの長期の大気バックグラウンドの観測といいますものが、今日の二酸化炭素の増加を確認しているわけでございます。オゾンホールにいたしましても、我が国の長期にわたる南極観測の結果として認識されたものというのは、これは世によく知られているところでございます。このような長期の観測、長期の研究に基づいて初めてその現象が見えてくるものでございます。  第三に、地球環境研究は国際的協力がなければどうしようもないということでございます。特定の国がその国あるいはその周辺のみ調べましても、到底地球全体はわかりません。したがいまして、それらの成果を持ち寄りまして、情報を交換し、分析をいたしまして初めて一つにまとまるものでございます。このことから、地球環境研究の分野におきましては、世界気候研究計画あるいは地球圏生物圏国際研究計画等国際的な研究計画が進んでおりますけれども、これらの研究計画は、文字どおりその利害で争うことなく、真の国際協力として進んでおります。要するに、その成果について経済的利益に基づく分捕り合いというようなぎらぎらしたことがないわけでございます。  ここで、一つの問題が出てまいります。やはり途上国の問題でございます。例えば、観測網をつくりますときに、観測の精度というのはその中で一番精度の悪いところで決まってしまいます。途上国であるからといって、そこの観測がアプロプリエートであっては困るわけでございます。途上国といえども、今日期待し得る最高の精度で観測していただかなければならないわけでございまして、そこに我が国を含めまして研究先進国の果たす役割というものが見えてくるわけでございます。  第四は、民間における研究でございますが、先ほど来現象解明、影響評価及び対策、こう申し上げておりますけれども、現象解明、影響評価の段階におきましては、民間で研究をするインセンティブがございません。これは直ちに理解いただけるかと思います。対策のレベルになりますと、いわゆる環境ビジネスの成立の可能性が出てまいりますので、民間等において期待できるわけでございますが、この現象解明及び影響評価のレベルというのは、国あるいは地方公共団体を含めてでございますが、そこでの研究というものがすべてであるということでございまして、これは我が国のみならず外国でも同様の事情にあるわけでございます。  その次に、地球環境研究への予算について若干触れさせていただきたいと思います。  私は、実は一介の研究者でございますので、私の研究所に来た予算書はともかくといたしまして、国全体の予算書は読み切れませんので、そういう意味でやや一般的かつ包括的意見を申し上げることを許していただきたいと思いますが、先ほども申し上げましたように、我が国におきます研究開発投資といいますものは、若干手元の資料が古くて恐縮でございますが、一九八八年現在で申しますと十・六兆円でございまして、GNPの二・八%に達しております。米国の二・五%、西ドイツの二・九%とほぼ同一の水準にございます。しかしながら、その中で政府負担の割合を眺めてみますと、二・一兆円、一九・九%でございまして、米国の四七・四%あるいは西ドイツの三七%に比較いたしますと約半分であるということが言えるわけです。対GNP比でとりましても、日本は〇・五六%、米国は一・二%、西ドイツは〇・九五%でございまして、先進国が軒並み一%レベルにあるのに対しまして、これもまた約半分でございます。  国からの研究開発投資といいますものは、主として大学あるいは研究所等の基礎研究に回るというのが、これは諸外国、日本を含めましての常識でございます。ここから、日本は基礎研究に手を抜いて、他国の基礎研究の成果にただ乗りしているといういわゆる基礎研究ただ乗り論ということが外国から言われることになるわけでございます。外国からの批判は別にいたしまして、実はこのような国からの支出が少ないといいますことが大学、研究所等におきます研究環境の著しい悪化を招いておりまして、明治以来今日まで、人材養成の意味でも基礎研究の意味でも今日の科学技術立国の基盤を支えてまいりました大学、国立研究所の衰退というのは目を覆うばかりになっておりまして、これはもう諸外国にも知られております。イギリスから来ました学者が日本の一流大学におきまして、これは化学の実験室でございますが、こんな危ないところにおられるかというので帰っちゃったという例さえ聞いております。この問題というのは、我が国の将来の科学技術に対しましてあたかもボディーブローのごとくじわじわきいていくというまことにゆゆしき問題でございますので、ここで皆様方の御理解を得たいところでございます。  話がやや一般的になりまして申しわけございません。地球環境に戻さしていただきます。  先ほど申しましたように、地球環境の場合には、現象解明、影響評価というものに対して民間の力を期待できません。言いかえますと、他の科学技術と違いまして、政府支出といいますものがまともに我が国の地球環境研究の力になってくるわけでございます。そういう意味で国からの支出というのは大変な大きな意味を持つところでございます。  それじゃ、外国と日本と比較してどうかということでございますが、これはまた地球環境研究といいますものが非常に広範にわたっておりますためにいろいろな費目に入ってきておりまして、集計するのが大変難しゅうございますので、私どもの身近なところでちょっと申し上げますと、米国の場合ですと大統領府にございますが、地球科学委員会というのがございます。ここがUS・グローバル・チェンジ・リサーチ・プログラム、米国地球変化研究計画というのを所掌しておりますけれども、ここでは一九九一年度でございますが、観測、データ管理、モデル化及び予測というそれだけでもって直接で千三百億円、間接を含めますと二千四百億円ぐらいに達しております。私のわかる範囲で我が国のそれに対応するものを拾い上げてみますと、厳しく見れば百億円、甘く見ても二百億円程度ということで約十分の一という状況でございます。  平成三年度の政府原案におきまして、地球環境保全関係の予算が大幅にアップされました。その中で特に地球環境研究総合推進費といいますものも大幅にアップされましたので、このこと自体は大いに私は評価したいと思いますが、ただいま申し上げましたように決して十分でなく、先進国といたしまして諸外国に自信を持って言える金額ではございません。この辺に関しまして先生方の御理解を賜りたいと思います。  時間を過ぎまして大変恐縮でございますが、ここで終わらしていただきます。御清聴を感謝いたします。(拍手)

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 ありがとうございました。  次に、岸本公述人にお願いいたします。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 岸本でございます。あわや遅参という到着の仕方をいたしまして申しわけございません。ただ、委員長も冒頭私の名前を間違えてお読みになりましたので、これでチャラにしていただければありがたいと存じます。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 御無礼をいたしました。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 何せけさ三時過ぎまでテレビを見ておりまして、テレビを見ながら気になったことをちょっと中東関係の専門書を引っ張り出して読みふけっておりましたら朝の五時半になって、ちょっと起きるのがつらかった次第でございます。先生方も皆さんそうじゃございませんか。  きょう私は、経済学者として予算案についての意見を述べたいと存じます。  御承知のとおり、予算案を発表されますと、大蔵原案の段階ですが、大蔵省が苦心のごろ合わせを発表いたしますね。ことしのはもう実に苦心の跡がしのばれるものでございまして、なぜかというと百万円単位まで読み込んでありますものね。七十兆三千四百七十四億千九百万円、これを「なるさ世の中良い暮らし」、大分字を補わないとこのごろ合わせが頭に入らない。その意味では、ごろ合わせとしてはいささかうまいとは言いかねる。しかし、七十兆三千四百七十四億千九百万円、九百万円台まで読み込んだごろ合わせというのは前代未聞、御苦心に対して敬意を表さなければいかぬと思います。  しかし、私は大蔵省のごろ合わせが発表されると、いつも対抗的に自分のごろ合わせを発表しまして、そして原稿を頼まれたりしたらそれに書くことにいたしております。ことしのは単純明快、そんな百万円台のところまで覚えるというのは皆さんに難しいから、一般の人が来年度の予算規模を頭に入れるのには、なるべくわかりいい数字、億円のところまでぐらいでいい、そう思っています。そうすると、七十兆三千四百七十四億円、七〇三四七四、これ簡単に言っちゃえば、七〇の零をローマ字読みでオーと読みまして、私が当てているごろ合わせは「なお民用なし」。民用というのは変な言葉ですが、要するにまあ民需用といいましょうか国民生活用というか、それがなお足りない。「なお民用なし」。三四のところをもし素直にサンヨと読みますと、参与、参加しあずかる、「なお参与なし」と言ってもよろしい。  予算編成過程というものが御承知のように概算要求の段階から始まる。私も国立大学の現場におりますので、平成四年度概算要求の大学現場からの取りまとめの現場責任者として、もう去年の秋以降苦労いたしております。この四月ごろに大学で取りまとめる、そして出す、それをもう随分前からやっているわけですね。そういう意味で、公務員としてはまさに職を通じて、自分の職責を通じて予算編成に現場のメンバーとして関与はいたしております。しかし、国民全体あるいは市民レベルで見て、予算編成というものに市民参加というのがあるかどうかというと、怪しいですね。もちろん予算編成のプロセスで、いろいろな圧力団体が皆さんのところにいらしていろいろな要望をなさる、皆さんそれをお受けになって頑張る、それは一つの参加のプロセスです。しかし、それだけのことであったらやはりそれは不透明で、自分の属している団体の枠で、何というのでしょうか予算編成への参加のルートは開かれているけれども、それを自分の、その枠を離れて考えてみて意見を述べるといったチャンネルが非常に小さいと私は思います。  そして、ことしの場合、非常に奇異な感じがいたしますのは、大蔵原案、政府原案の取りまとめの責任を持たれた大臣が、予算案編成と同時にみなかわってしまう。予算案の編成についての所管大臣としての抱負経綸、信念、そういうものがおありだったはず、またそういう所管大臣の政治信念や政策や、そういうものを反映するものとして予算案というのが編成されていいんだと私は思う。ところが、案が編成されたと思ったら大体はかわっちゃった、こういうのは甚だしくその予算編成というものの意義を軽んじることになりはしますまいかと苦言を呈したいところであります。  さて、限られた時間に膨大な予算書のあれやこれやまで申し上げるわけにはまいりませんので、歳入面と歳出面についてそれぞれ若干のことを申し上げて、責めをふさぎたいと存じます。  この九一年度予算案、平成三年度予算案というのは、日本経済が、あるいは世界経済が九〇年代に入ってこの二十世紀末最後の十年間というものを乗り切っていく、あるいはこの最後の十年間に、先ほどお触れになった地球環境問題を初めとするさまざまな人類史的課題にチャレンジする、その中でも日本はまた格別の責任を持っている、義務も持っている、可能性も持っている、それにこたえるべき九〇年代財政のいわばスタートだと言ってようございます。  日本の場合、その九〇年代財政の課題としてやはり明記すべきは、何といっても財政再建であります。特例公債の発行をしなくても予算が組めるようになった、これは財政再建の第一歩ではあります。皆さんの御努力の成果と言うべきでありましょう。しかし、特例公債の新規発行をしなくなっても、過去の累積国債の利払いというのはまだ続くわけでありまして、一般会計歳出の三割を超えるぐらいの部分が利払いに取られている。したがって、一般会計の歳出規模を大きくしましても、それの実質的な政策的運用といいましょうか施策の実行という点では、なお片手ぐらいは背中に縛られたまま行動しなきゃいかぬ、そういった状況にある。そういうことが指摘できるかと思います。  それで、その財政再建のためにどのような手だてを尽くすのかということが、どうもまだはっきりしないのじゃないでしょうか。景気がよければ自然増収が期待できていろいろやれるとか、それから税制改革の面ではそれは工夫がありました、利子課税についておやりになった、二〇%源泉徴収するぞということになった。国債の利払いを、国債を買った人がその利払いを受けると二割税金に持って行かれる。みんな返してくれると思ったら、二割も国庫に吸い上げられちゃう。これは財政再建の上では、国債償還の上では実に巧妙なシステムだと評価すべきものでありますね、国の立場からすれば。しかし、全体としての財政再建の方途というのは、目に見えていないと私は思います。  なぜならば、税制改革というものが、やはり全体像が見えてない。例えば消費税をおやりになった。私は欠陥消費税だと思います。益税という変な言葉があります。利益の益と税金の税。これが物すごい額に上っている。大蔵省は数字をつかんでいるだろうと思いますが、ともかく当初予想、消費税導入時の大蔵省の当初予想だって、物すごい規模の消費税差益といいましょうか、滞留する部分がある。買い手からは消費税として取っておきながら、国庫には納入されない部分、それが業者の手元にとどまっている部分、これがすごい規模である、こう言われているわけですね。そういった欠陥を最初からはらんでいることを承知の上で導入なさった以上、これは税の、徴税の公平という観点からいったって早急にこの改善がなされるべきであることは、言うまでもありません。  しかし、それについて今回手もつかないということになりますと、消費税問題一つとったって、税制改革は緒についてない。しかも、消費税というのは税制改革全般の中の一つとして位置づけられたはずでありまして、そうすると、そこにさえ見直しの手がつかないということになりますと、財政再建の前提となるべきあるいは手段となるべき税制改革の全体像が見えていない、こういうふうに厳しく言わざるを得ません。  いわゆる地価税あるいは新土地保有税についても同様でございます。固定資産税との整合性いかん、税概念として、税理念として、税理論として、その整合性いかん、あるいは実際上の徴税、課税の技術面から見ても整合性いかん、こういうことは十分に問題になりますし、また〇・三%、初年度〇・二というような税率で所期の目的を達成できるのか、土地保有税に託された目的を。それも大いに疑問でありますし、そもそも土地保有税というものを考えるならば、それは土地価格全体をどういう方向に持っていくか、こういうことの位置づけの中で正確な、精密な議論の上に持ち出されるべきものでありますが、例えば四百三十兆円の公共投資をこれから十年かけてやる。そのときに土地の価格がネックになりはしないかというような問題を抱えている中で、それとの関係もなしに〇・三だ、〇・二だ、初年度はあめ玉で〇・二だというようなことで所期の目的が達成できるのか。目的達成できるかどうかよりも、新たな不合理を生みはしないかという大きな懸念を持たずにはいられません。  歳入面に関してはもう一つだけ簡単に触れます。  それは、いろいろな政策課題がある。その中で九〇年代の本格的なスタートでもあるということで、公共投資のSIIで要求されていることも盛り込みたいということで大変苦心の予算編成になっていることは認めますが、そのいろいろな新規事業をやろうということと、それから赤字国債を出さないようにしようというような財政再建上の要請、それと何とかつじつまを合わせようというその努力はどこで達成されているかというと、結局地方財政へのしわ寄せという形で数字がつじつまが合った、こういう格好になっていると思われます。しかし、今触れた公共投資の実現、これは主たる主役は何といったって自治体でありますから、地方財政にしわ寄せを負わす格好での中央政府予算の編成だけでは、中央政府ではバランスがついていても国全体で果たして望ましいバランスの姿になっているかどうか、これはやはり深刻に検討すべき問題ではないでしょうか。  歳出面について簡単に触れるしか時間を残さなくなってしまいましたが、私、九〇年代十年間で一番大事な問題は二つあると思いますね、日本経済の課題として。それは、何といったって生活基盤というものをできるだけ他の先進国の水準に近づけていく。十年しかありませんから、十年で他の先進国の水準に追いつき追い越すというのはやはり無理だろうと思いますよ。だけれども、できるだけ近づけていくということは、これは可能だと思う。  そのときにやはり一番問題になるのは土地価格でしょう。一九五五年、昭和三十年、日本の土地の値段と賃金との比率がほぼ戦前の賃金対土地の値段の比率になった。だから、そこで賃金対土地の値段を今一対一になったというふうに考えましょう。そうすると、一九八九年、三十五年間のうちに土地の方は百八十倍、賃金二十倍。一対一からスタートしたものが一対九になって、かつてなら十年勤労所得をためたら土地が手に入ったかもしれないけれども、それが一対九にまで伸びてしまったら九十年働いて九十年ためてと、いかに長寿社会になったとはいえ、これはもう期待する方が無理、こういう事態に今なっちゃっているわけです。したがいまして、公共投資を生活基盤中心で拡大していくということを、水準アップしていくということを実現するためには土地の価格をどうするかということ、これは大変問題です。  三十五年間で九対一まで差が開いちゃったやつを今、土地の値段を今の水準で固定して、凍結して後上がらないようにする、こうしたって、賃金を今後何年間かで九倍にしなければ一対一の比率は回復しない。十年で持てる、八年で持てるというふうな、そういう水準には回復しない。賃金を九倍に持っていくなんてことは今後何年かけてやるか、これを想定するにしても容易ならぬことであるのは明らかです。  土地の値段をできるだけ下げましょうというふうに言うのも、これも口で言うのは簡単だけれども、現在の日本経済の体質の中に、土地の値段がこれほど高いあるいは土地の値段というものは下がらないということを前提にした経済ビヘービアが至るところに組み込まれている以上、これが下がるということになれば日本経済のかなりの骨格に影響する、パフォーマンスにも影響する、そこをどう誘導しながらやっていくか、そういう角度から歳出の全体的な戦略が立てられるべきではないかというふうに思います。  もう一つの課題は、何といいましても高齢者の増大に対してどう対処するかということであります。  念のために申し上げておきますが、二十一世紀になったら高齢化社会が来る、そういう考え方はやめていただきたい。高齢化社会というのは、日本で化けるという字を使いますから、化け終わっちゃった後が高齢化社会。高齢化率が一四%なり一五%に達したら高齢化社会になって「そこまではまだ高齢化社会ではない、そこに近づいていくプロセスだ、こんな理解が広まっておるのですけれども、欧米の理解でいったら、例えば英語で言って高齢化社会とでなのはエージング・ソサエティーでありますから、社会の高齢化が進んでいるその一歩一歩が高齢化なんですね。  現在日本でなるほど高齢化率はまだ一一%台。しかし、お年寄りが住んでいる地域で見たら、私の田舎、兵庫五区でございますが、あそこなどはもう高齢化率は二〇%を超えているわけですね。日本の至るところ、地域で見たら、高齢化社会は来ているのです、十五%基準を当てはめたって。現にお年寄りは高齢化の中で生きているわけですね。そういう意味ではできるだけ年々、現に高齢化社会の中に生きている地域の老人のために万全の高齢化対策が上乗せされていくのでなければいけないと私は思います。まあ昨年度から「高齢者保健福祉推進十か年戦略」というのがスタートしているようでありますけれども、それの実際の充実のさせ方は余りにも遅々としているのではありますまいか。もっと重点的にやるべきものであろうと思います。本当はここをもう少し丁寧に申し上げたいのでございますが、与えられた時間がほとんど尽きかかっているようでございます。  さっき市川先生が同業の研究者の立場から、日本の国立大学や研究所の施設設備、予算状況はひどいよとおっしゃいました。私も現場におりまして全くそう思います。そして私、これは期待されている役目じゃないのですけれども、せっかくここにお呼びいただいたので、この際諸先生方のぜひともの御理解を得たい。まあ、どうなんでしょう、公述よりも陳情になっちゃうかもしれませんが、どうか文教政策、それも国立大学についての政策をしっかり考えていただきたいと思います。  例えば従来、学費が私立よりうんと安かった。貧乏秀才は国立大学へ来た。国立大学へしか行けないという人たちがたくさんいた。しかし今、私学と国立の学費格差はだんだん狭まってきて、何も大学レベルだけじゃないですね。公立なんというのは私学の滑りどめというふうなぐあいに至るところのレベルになっている。何のための公教育か、このことがもう一遍、原点から問われていいんじゃないでしょうか。  しかも、大学レベルで申しますと、大学の予算配分が特に人文・社会科学分野で申しますと旧帝国大学中心になっていて、横浜のような全国第二位の大都市、ここにある私どもの大学でさえ人文.社会科学分野には大学院ドクターコースはない。しかし、世界の各地から私どもの大学にやってくる連中はドクターコースに行きたいわけですね。だけれども、それを受け入れる我々の能力というのは、人文・社会科学分野は旧制大学院だけでいいんだというような政策の結果、対応がうんと狭められております。今市川先生おっしゃったように、地球環境問題一つとったって、それはもう単に自然科学の問題ではない、人文・社会科学との協力がなければ問題は解決しない。経済開発の問題、湾岸の後に日本が大きく負わなければいけない経済再建の問題、そういう開発、発展という問題をとってみたって、これは宗教の問題から文化の問題から、もちろん経済政策から財政、金融、資金のファイナンスの問題から全部動員しなければ総合的な政策というのは立たない。そういう意味では、全国津々浦々に社会科学、人文科学でしかるべきレベルの教育施設が展開されていること、これは二十一世紀をにらんで日本が世界の期待にこたえる上で非常に重要なことではなかろうか、かように申し上げたいと存じます。  不十分でした。終わります。(拍手)

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 ありがとうございました。  次に、森公述人にお願いいたします。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 名古屋大学法学部で憲法を担当しております森と申します。  私は、専門の憲法学の立場から、今、国会の焦点になっております憲法問題、とりわけ自衛隊法百条の五に基づく特例政令によって自衛隊機を中東地域に派遣するという問題と、いわゆる多国籍軍への財政支援、この二つの問題について私の意見を若干述べさせていただきます。  本論に入ります前に若干申し述べたいことがあります。  その第一は、立憲主義、法治主義の原則からしまして、公権力の行使というのは厳格に憲法または憲法適合法律、これによって拘束されているということであり、事の緊急性や重大性や、ましてや諸般の事情なるものを理由としましてこの拘束を解除することはできないという点です。目下の湾岸危機は、あるいは湾岸戦争は、もとよりイラクの不法なクウェート侵略に端を発しておりますし、イラクが国際的に非難をされておりますのは、独善的な正義を振りかざし無法を重ねているからでありますが、だからといってそれへの対応をする側が、対応する国内において自国の法治主義をいいかげんにしてよいということにはなりません。  第二は、国際紛争に対する日本の憲法上とるべきスタンスはどうなっているかという規範論であります。それは簡単に言いますと、国際紛争にはあくまでも平和的、非軍事的に対応するというその一言に尽きます。すなわち、国際紛争が生起すればそれを平和的に解決するよう努力する、あるいは不幸にしてそれが軍事的紛争に至っても、それに軍事的にコミットはせず、和平に向けて平和的、非軍事的に努力するということであります。  第三は、したがいまして、憲法のこの原則からしますと、自衛隊及び関連諸法の存在が、あれこれの論理を用意しようとも、違憲の嫌疑を晴らせられないという点が問題の出発点であろうかと思います。なお、この点は日本の憲法学界の今もなお通説たり続けておりまして、同様のことを恐らく午後から公述されます星野安三郎先生も述べられるかと思います。  さて、以上を踏まえまして本論の第一に入ります。  一月二十九日に政府は、自衛隊法百条の五に基づく特例政令を公布、施行いたしました。問題は多々ありますが、ここでは主にその法的整合性の欠如と法治主義違反について申し述べます。  自衛隊法百条の五は、なるほど輸送対象を「国賓、内閣総理大臣」と並べて「その他政令で定める者」と記しております。したがいまして、ここに「その他の」ではなく「その他」という文言を使っている以上、国賓、内閣総理大臣が規範的には例示にならないということは法形式論としては言えるでありましょう。しかし、政令に委任された事項の内容は、国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会が制定した法律の趣旨、目的の枠内で、かっこの法律を執行するに必要なものでなければならないという原則がございます。  自衛隊法百条の五が制定されたときの立法趣旨は、当時の議事録を読ませていただきましても、国賓等を国内の近距離で輸送することが想定されておりましたし、一九八六年十二月四日参議院内閣委員会における政府答弁によりますと、国賓、内閣総理大臣という例示、列挙されたものとおよそかけ離れたものは予定していないというふうに答弁がございます。「その他」という規定の内容を定めたのが自衛隊法施行令百二十六条の十六でありますが、その十六は、その限りでは、中身を見ますと、かけ離れていないというよりも、百条の五を代表列挙といたしまして、それに準じて定めたものというふうに言えると思います。しかも、この施行令の改正は自衛隊法百条の五の公布と同時になされておりますので、その施行令に列挙された者から対象範囲が論理的に特定されますので、そうした範囲に対象が限定されているものとして、「その他」というのは国賓等を内容上限定して列挙していたというふうに考えていいかと思います。  こうして見ますと、問題になっております当該輸送というのは、立法趣旨において、例えば成田─羽田間のVIP輸送のごとく、輸送の地理的範囲におきましても、それから輸送の対象におきましても限定されておりました。したがいまして、当然のことながら、八六年十月二十八日の衆議院内閣委員会でも政府は「在外邦人の救出とか緊急援助隊、こういったものについては含まれない」と明確に答弁しておられます。ところが、このたびの特例政令は、この「その他」に湾岸危機に伴い生じた避難民というのをカテゴリー的に加えるというのでありますから、いかにかけ離れた政令であるかは一目瞭然であります。当該授権の範囲を超えており、法治主義ないしは法律による行政、これに明瞭に反すると言わざるを得ません。  この法的整合性の欠如を補うために提出されましたのが二月八日の政府見解でありますが、ここで示されました論理は極めて危険な内容というものを持っておるように思われます。この見解によりますと、「その他」の授権範囲につき、授権根拠法に代表列挙されたものから「かけ離れているか否かは、高位高官であるか否かという社会的地位にのみ着眼して判断すべきものではなく、その者の置かれた状況、国による輸送の必要性その他」、またも「その他」と出てくるわけですが、「諸般の事情を総合して評価すべきである。」ということであります。「その者の置かれた状況」というのは客観的要件、「国による輸送の必要性」というのはいわば主観的要件と思われますが、それが設定されてはおりますけれども、ともに極めて漠然としており、かつ広範であり、のみならず「その他」の文言を使って一たんここで切断しておいて、究極のところで「諸般の事情」を持ち出すわけでありますから、この論理からいたしますと、要するに政府は、法律上委任された範囲を自由にかけ離れて、自衛隊機による輸送は、今後政令さえ公布すれば随時可能となるわけであります。  果たせるかな二月十二日、この予算委員会において工藤法制局長官は、在外邦人救出も、特殊緊急事態の場合は、臨時応急の措置として全く許されないものではないとの見解を表明しました。このでんでいきますと、緊急事態を根拠に、その者の置かれた状況によっては、あるいは国による輸送の必要性があると判断された場合は、一片の政令を発しさえすれば、極端な話ですが在外アメリカ軍人の輸送すら可能になってまいります。仮に、そういったものは含まないのだというふうに答弁をいたされましても、特例政令の授権根拠法である自衛隊法百条の五を制定するその際に政府は、在外邦人救出は含まれないとしておりましたのですから、今度それは含まないというふうに先ほどの事例を答弁されましても、もはやだれも信じないでありましょう。事は緊急事態に限定されるという説明もありますけれども、在外邦人の救出ということを要する事態は、一般に緊急事態として生起するものであります。  このような特例政令の公布とその導出の論理というのは、端的に言ってて法治主義の破壊でありまして、やや比喩的に言いますと、よみがえった緊急勅令というふうに言えるかと思います。緊急の必要を理由として議会閉会中に天皇が法律にかわるべき勅令を発し得た戦前の悪名高い制度のことでありますが、その緊急勅令ですら、次の議会における承諾を得られなければその効力を失うものと明治憲法八条でされておりました。政府が緊急の必要を理由として自由に特例政令を連発することができ、しかもそれが国会の同意を要しない政令である以上、このような手法は戦前よりもひどい議会制民主主義破壊にほかならないと言わざるを得ません。  現行憲法は緊急時の法的対処もまた国会の両院によることを原則としておりまして、衆議院解散に伴う閉会時に限って参議院の緊急集会による措置を認めていますが、それとて臨時のものであって、次の国会開会の後わずか十日以内に衆議院の同意を必要としております。これは憲法五十四条であります。こうした国会の理念からいたしますと、委任範囲をこれほど明確に逸脱して制定された特例政令は、国会がこれを無効と議決する措置も不可能ではないというふうに私は考えております。  政令の憲法適合性を判断するのは裁判所だけであるという議論があるようでありますが、周知のとおり、日本の裁判所は事件性を要件とする付随的違憲審査制をとっておりますので、抽象的違憲審査は行いませんから、この種の政令の合憲性、合法性をそれ自体として審査する道はありません。また、仮に裁判所が無効と判断いたしましても、それを廃止するのは制定者である政府でありまして、これは、違憲、無効と判断された例えば尊属殺規定の刑法二百条、これがいまだに立法権者である国会によって廃止されていないため、条文としては残っていることを思い起こしていただければ明瞭な論理であります。つまり、授権者、国会は、政令が授権範囲を明確に逸脱している場合には、その無効を議決してその逸脱を正すことが権限として留保されているというふうに考えられると思っております。  この点では、議院内閣制をとる国で一般に議会による政令統制がむしろ制度的に用意されておるという点を参照すべきかと思います。日本と同様に国会を国権の最高機関とするイギリスでは、スタチュトリー・インストルメント・アクトという一九四七年の法のもとで、政令のようないわゆる委任立法につき、第一に公布後議会に単に提示するもの、これをベア・レイイング・プロシーデュアといいますが、公布後議会に提出され四十日以内に議会が取り消しを決議できるもの、これをネガティブ・プロシーデュアといいます。それから、議会が積極的に承認しない限り効力を失うもの、これをアファーマティブ・プロシーデュアといいます。といったような類型があって、政令等を議会で審査するための特別委員会、これをセレクト・コミッティーといいますが、これを常設しているという事例がございます。いずれにしましても、議会の統制を制度的に確保し担保しているというこの種の例は、参照されてよいように思われます。  なお、在外邦人救出がにわかに叫ばれ始めました最近の議論を見ておりますと、批判の多い特例政令を無理やり公布して自衛隊機を海外に出そうとする別の真意といいますか、そういうものが見え隠れするような気がいたします。果たせるかな政府は、今秋導入予定の政府専用機を在外邦人救出にも活用するため、自衛隊法に新たな任務規定を追加する方針を固めたという報道を見ました。一国民としても大変憂慮あるいは心配を深めているところであります。  さて、次に第二に、いわゆる多国籍軍への九十億ドルの財政支援が憲法上容認されるかどうかという第二の論点に移ります。  憲法は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するがゆえに、戦争のみならず武力の行使、武力による威嚇をも永久に放棄するという立場をとり、そのために一切の戦力の不保持を命じております。ところで、この「陸海空軍その他の戦力」というのは、英語文の正文によりますと、ランドシーアンドエアフォーシズアズウエルアズアザーウオーポテンシャルというふうに記しています。すなわち、ここでの戦力とはウオーポテンシャル、つまり直訳いたしますと、戦争遂行を可能にする力能、あるいは法的用法でいわば翻訳しますと、戦争の用に供するものという含意が内在しているという点であります。もちろん、憲法の文言解釈の問題としては、例えば航空機、船舶、食糧等々といったものが戦争の用に転用し得るからといって、その保持が一般的に禁じられているというふうにここから読むのは荒唐無稽な議論であります。  しかし、戦力とは、武器弾薬といった物的標識ではなく、外敵との戦争、戦闘を目的とした人的物的手段の組織体のことですから、例えば同じテントやプレハブ建築でも、一般市民のものは戦力ではありませんが、軍が持てば組織体の一部として戦力になり得ます。かつて恵庭事件のときに検察庁は、被告人により切断された自衛隊の通信線が、自衛隊法百二十一条の保護対象とされていた「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の「その他」に該当するとして起訴したわけでありますが、これは、どこにでもある通信線も、自衛隊が所有ないし使用すれば「防衛の用に供する物」たり得るということの一つの事例ではないでありましょうか。  自国で戦力の保持が禁止され、自国で武力の行使を国際紛争の解決のために充てることを永久に放棄するとした憲法を持つ国が、他国が武力の行使をするためその国の戦力に該当する部分を調達することないしは調達資金を供与することは、論理的にも違憲となりますし、もともと憲法が全く予定していない事柄でなかろうかと思われます。  憲法が明文で予定していない公権力の行使は、それだけで違憲となります。それが多国籍軍という現に交戦中の一方の当事者に向けてのものであればなおのことでありまして、多国籍軍の行動が国連安保理決議を受けてなされているがゆえに加盟国日本にも協力義務があるという理解もあるようでありますが、多国籍軍は国連自体ではありませんから、この戦争は国際法上はあくまでイラク対多国籍軍構成国の間のものでありまして、この点は多くの国際法学者が指摘するとおりであります。したがいまして、日本は、国際法上はこの戦争につき第三国として中立の立場が求められることになりはしないかと思われますし、百歩譲って国連安保理決議を勘案いたしましても、日本は逆に、国内の憲法上、軍事的関係においては中立でなければならないという命題が引き出されてくるように思われます。  国会の議論は、問題の資金供与が武器弾薬以外に限定されるか否かが一つの争点のようでありますが、仮にそれを物的標識としての武器弾薬以外に限定するといたしましても、協力法案の議論で既に明確になりましたように、後方支援が前線と一体のものであることはもう多言を要しません。また、仮に輸送、医療、食糧、生活、事務関連の五分野に使途を限定するといたしましても、それを検証するシステムが定かでない以上、武器弾薬に充当しない保障にはなりません。  湾岸協力会議に設けられた湾岸平和基金に拠出される資金は、GCC理事会事務局長と在サウジアラビア日本大使の両名で構成される運営委員会で運用されるようでありますが、その機関に対しどれほどの検証、追跡が日本の主体的な立場として可能なのか、制度的にどう保障されているのかという問題であります。もしも武器弾薬に充当されれば違憲であるという立場をとるならば、充当されないことの手続的保障が不十分ないしは欠如する拠出は、それだけで手続的に違憲となるという論理があろうかと思います。  以上、二点に限って申し述べてきたことは、あくまでも憲法上の規制からする、このたびの自衛隊機派遣、財政支援の手続、内容両面にわたる違憲の疑いについてでありますが、こうした指摘や主張をしますと、必ず、あるいは時に、一国平和主義で時代おくれというそしりを受けているものでもあります。しかし、和平のための外交努力よりも自衛隊機をいかに飛ばすか、あるいは事実上の戦費をいかに拠出するかといった軍事的関心に軸足を置いた政治のあり方は、少なくも憲法の命ずる平和主義に沿ったやり方とは私には思えません。  また、国際的枠組みが急変してきているがゆえにその新時代に即応した日本の対応が求められているとき、こうした憲法的規制のままで日本の国際的責任が果たせるのかという批判もございます。しかし、自国のことのみに専念して他国を無視したがゆえにさきの大戦で世界の孤児になった日本が、それを反省して憲法の平和主義を選択したときも国際的枠組みが変容したときでありました。冷戦構造が生まれたのは憲法制定より後のことであります。世界の諸国民が平和を愛する諸国民であり、国際社会が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているがゆえに、日本はその歴史的反省も込めて、徹底した平和主義を当時選択いたしました。こうした憲法制定時の、憲法からする国際社会へのいわば思いというのは、イラクの侵略に直面した今日にこそむしろ妥当するところがありはしないかと思います。だといたしますと、日本がとるべき名誉ある地位は、軍事的コミットを排し、和平のためのイニシアチブに邁進することではなかろうかと私は考えております。  どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 ありがとうございました。     ─────────────

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。

中谷元自由民主党

○中谷委員 市川、岸本、森先生におかれましては、本日は、委員会におきましてそれぞれ大変御示唆に富んだ御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。  自民党を代表して、公述人の皆様方に二、三質問をさせていただきます。  まず、市川公述人につきましてお伺いします。  先ほど地球環境問題につきまして、この問題は人類の英知であり、ほかの動物と区別される人間にとって必要なものとしてとらえるべきだ、特にこれは非常に気づきにくい、わかりにくい問題であるので、それが目に見えて、体に異常が発生したときではもう遅い問題で、やはり人類の英知というのは、そういうほどを知るという崇高な英知であるというふうな御意見に同調をさせていただきます。  そこで、我が国は、大いにこれから先進国としてまた経済大国として、人類のそういった環境問題に取り組んでいかなければなりません。特に緊要な問題として温暖化現象もございますけれども、中東紛争の方も収拾の糸口も見え始めてきたという段階で、せんだって起きましたイラクの原油流出事件について、何らかの形で日本が貢献できるんじゃないかというふうなことを私なりにも考えております。  報道によりますと、流出した油は海水とまざって帯状に分かれて湾内を移動しておりまして、アメリカ政府が派遣した顧問団を率いる沿岸警備隊の調査によりますと、現在の技術では流出原油の一〇%から一五%を除去するのが精いっぱいで、これが時間がたちますと多くの生態系に異常が起きるというふうな指摘もございます。  そこで、我が国政府として、この環境問題について大いに国際社会に貢献していかなければなりませんが、環境的な見地で我が国がこの中東の原油流出事故にとり得る役割それからその手段について、先生の御見識から御意見を拝聴したいと思っております。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 お答えいたします。  我が国の環境研究あるいは対処の技術といいますものは、各方面において世界の第一級の水準にございます。しかしながら、原油流出ということに関して申し上げますと、我が国の経験は極めて少ないものでございます。御案内のとおり、瀬戸内海水島コンビナートにおきまして原油タンクからの流出事故がございましたが、我が国のこの点に関連する研究者あるいは技術者が触れた唯一の例である、こう考えてよろしいかと思います。したがいまして、御案内の、例えばアラスカのル・バルディス号、二十六万バレルといったような流出事故その他、大変多くの体験を持った世界のこの面での技術者の持っておりますノーハウに比べまして、我が国のこの面でのノーハウというのは残念ながら少ないと言わざるを得ないと思います。私は、あえて言いますが、これは少ないノーハウであればあるほどいいのであって、もしこれが我が国の周辺で非常に技術水準が高くなっているようでございますと、これは大変なことでございます。  さて、そういたしますと、我が国がこの問題に対して対処できる範囲というのはかなり限定されてまいります。ただ、具体的にどういうことができるかということを考えてみますと、それについて何か言えるだけの情報は、少なくとも私ども研究者のところまでは届いておりません。  まず、流出原油量につきましても、少なくとも私どもの耳に入るところでは諸説紛々でございまして、五十万バレルから、大きい方は千百万バレルでございますから、一体そのどの辺にあるのか、あるいは流出油が漂っている面積等についてはいろいろデータがあるようでございますが、一体それがどれだけの深さのものであるかというようなことについても、どうも一致した観測値はないようでございます。  加えまして、それがどういうふうに挙動していくかということを考えるといたしますと、少なくともあの付近における潮流、ペルシャ湾というのは、御案内のとおり奥行きが八百キロか九百キロぐらいでございますか、幅が二、三百キロ、狭いホルムズ海峡で数十キロというところかと思いますが、海の干満といいましょうか潮汐によって流れを生じておりますし、それから一番奥には例のチグリス、ユーフラテスが合体した川が注いでおるというようなそういう地理的条件でございますのですが、そこでの潮汐流といいましょうか潮の流れ、この辺のデータが必要でございますし、それからまた風の方向等もかなり詳細なデータが必要になるわけでございます。そのようなところを完全に我々が把握できる状況にございません。  これは妙な言い方でございますが、我が国がああいう地点においてそういう研究といいますか調査をある権限を持って実施できるような状況にこれまでなかったというところにあるわけでございまして、決して怠慢であるということではございませんのですが、そういうものが十分そろっておりません。したがいまして、そういうものがそろいますと何かのことが言えるのでございますが、現在のところ、何ができるかあるいはどういう結果になるかということについては何も言えないというのが一番間違いのない答えだと思います。  ただ、そう申しますと、例えば市川、ここに何のために立っているんだということになるかと思いますので、やや冒険でございますが、私として踏み込んだ意見をお差し支えなければ申し上げさせていただきたいと思います。これは、しかしながら、私が申し上げましたからそのとおりになるとか外れたとかということが問題になるようなことではございませんでして、私のこれまでの環境に関連いたしましての知識というものからできるだけ概要をつかみたいということで申し上げるわけでございます。  まず、全貌を私なりにつかんでいきたい、こう考えますと、流出量は最悪の場合で約千万バレル。御存じのとおり、我が国の一日の原油の処理量というのは三百七十万バレルでございます。したがいまして、我が国の消費量からすれば三日分。もちろん、かつて体験した最大の原油流出が二十六万ですから、それをはるかに超えた大きなものであることは間違いございませんが、少なくとも量自体を日本の消費量を升としてはかってみますと三杯分ということでございます。  そうしますと、環境負荷として問題になります、例えばでございますが二酸化炭素の出てくる量ということを考えますと、これは日本の三日分に相当するわけでございますので、それが直ちに温暖化に寄与するというようなことは、これは考えにくい話になるわけでございます。今は全部燃えたというお話でございますが、もちろんそれが全部燃えるわけではございませんので、その部分が燃えるわけでございますけれども、仮に全部燃えたとして大気に対してはそういう負荷がかかる。  さらに、当然御心配があるかと思いますけれども、硫黄酸化物あるいは窒素酸化物を考えてみます。硫黄酸化物は、これは燃えますとそれなりに出てまいりますが、窒素酸化物の場合には御案内のように燃焼温度が高いと大量に発生いたしますが、ああいう状況で仮に火がついたということを考えますと、それほど高い燃焼温度にならないとしますと、窒素酸化物等は余り、もちろん出るわけでございますけれども、そんなに多くはないというふうに考えられる。そういたしますと、あれが燃えたという状況を考えてみまして、日本の三日分に対応するものが燃えて、確かに脱硫操作あるいは脱硝操作がないわけで、裸で燃しているわけでございますから、その影響というのはあるのでございますが、世界のいろいろな国を見まして、あれぐらいの量を脱硫、脱硝がそれほど十分でなしに燃している国というのはございまして、したがいましてあれが硫黄酸化物、窒素酸化物を出したとしても直ちにどうこうという量には達しないのではないかという気がいたします。  もう一つ心配になりますのがブラックスモーク、いわゆるすすでございますけれども、これが非常に高層まで上がりますといろいろ気になることが起こりますが、成層圏に達しないで対流圏にとどまっている、一言で言えば雲の下にいるということでございますといずれ地上に落ちてくるということから、直ちにいわゆる地球規模での温暖化その他の大問題につながる心配はないのではないかというふうに考えられます。  以上が……

中谷元自由民主党

○中谷委員 簡潔で結構です。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 今度は海の中でございますと、これは率直に言いましてよくわかりません。と申しますのは、ペルシャ湾と申しますのは生態系が非常に活発であるということが衛星観測なんかで見られておりますので、その生態系の強さがまさってあれを消化するのか、あるいは生態系を超えて、あれが強くてあそこの生態系を破壊するのか、これは今のところでは直ちに結論を出すことは難しいと思います。言えますことは、できるだけよく掃除をするということでございます。

中谷元自由民主党

○中谷委員 どうもありがとうございました。  続きまして森先生に対して、九十億ドルの使い道は軍備費に使えないんじゃないかという反論でございますけれども、九条の私なりの解釈によりますと、九条で禁止しておりますのは国権の発動たる戦争であって、国連の決議に基づく武力行使に協力することまでは禁止はしていないと思います。それから、陸海空軍その他の戦力は持たないというのも、芦田修正によりまして、この「前項の目的を達成するため、」すなわち国がやる戦争の目的を達成するための陸海空軍及びその他の戦力でありまして、国連の決議に基づく武力行使に協力するということはこの九条に違反をしてないんじゃないかと思います。  ここで、国連憲章の第一条によりますと、国連憲章は、自衛行動と国連の強制措置のほかは武力行動はすべて禁止され、その他の侵略国の制裁のためすべての加盟国は協力するということになっておりますし、したがって、国連のもとでは中立ということはあり得ないし、国際連合としては加盟国の中立ということは認めないというのが建前にもなっておりますので、今回は安全保障理事会で拒否権を発動されたわけでもないわけでありまして、明らかに侵略国はイラクと断定をされておりますので、こういう面で国連の決議を尊重するということは日本の憲法には違反しないんじゃないかというふうな見解を持っております。  それから、あくまでも中立とすべきだというふうなことでありますけれども、もしこの日本が中立をしてみますと、海外における日本の経済行動も、各国との貿易等も非常に中断をしなければならないわけでありまして、第二次世界大戦中、ノルウェーが中立を宣言したわけでありますけれども、ドイツはこの中立違反は実行に訴えるというふうにノルウェーに通告し、これに対してイギリスはノルウェーの鉄鋼がドイツに輸送されたという事実を知ってノルウェーの沿岸に機雷を敷設したことについて、ドイツがノルウェーに空挺部隊を進攻させたというふうな事例もありますので、あくまでも中立をしたいならば、その国の経済は犠牲にし、そして戦争が終わるまで中立を守らなければかえって侵略される危険性も持っておりますけれども、この点について、先生のもう一度の御見解を求めたいと思います。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 お答えいたします。  たくさんの問題を出されたので、的確に全部お答えするにはかなり時間がかかろうかと思いますので、ポイントだけをお答えさせていただきます。  今回の湾岸戦争が国連決議に基づいてなされている多国籍軍の行動である、こういう御理解でありますが、私が申し述べましたことは、国連決議に基づいているかどうかという点についての問題ではなくて、法的な主体の問題として、今戦っている多国籍軍というのは、国際法主体としてはあくまでも国連ではないということを申し述べたにすぎないわけでありまして、その意味で言うならば、今回はこの決議に基づいているというふうに言われておりますが、国連軍が行っているいわゆる制裁戦争ではございませんので、それに協力をするということが規範論理的に直ちに国連加盟国である日本に求められてきている筋合いの問題ではないということがポイントであろうかというふうに思います。  それから、中立宣言をすると弊害が起こるかどうかという点につきまして、私はその筋の専門家ではありませんのでお答えする能力を持っておりませんで、私が申し述べましたことは、そのような、つまり国連軍が動いているわけではないという前提からしますと、あくまでも国際法的には、これは多国籍軍という主権国家とそれからイラクという主権国家の間のいわば軍事的紛争であるということからすると、日本は第三者に法論理的になるということを申し述べたわけで、そのことを中立という表現で申し述べました。もう一つは、日本の軍事的な中立は憲法上から要請される、こういうことを申し上げたにすぎないのでありまして、それ以上のことは申し述べておりません。  お答えになりましたかどうか……。

中谷元自由民主党

○中谷委員 以上で質問を終わります。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 次に、野坂浩賢君。

野坂浩賢日本社会党・護憲共同

○野坂委員 先生方には、御多忙のところ公述をしていただきまして、大変ありがとうございました。  時間が余りありませんので、ごく簡潔に質問をいたしますので、できるだけ手短に御答弁をいただきたいと思っております。  岸本先生、それと森先生にお尋ねをいたします。  まず岸本先生にお尋ねをしたいと思っておりますのは、御案内のように、これからの経済の見通しについてお伺いをしたいと思っております。  今度、湾岸戦争で九十億ドルというものを支出をするというのが国会で議論されております。これが与える経済成長への影響ですね。現在三・八%というのが予算として出されておりますが、経済的にはどういう影響があるだろうか、これが一点。  それから、G7でいろいろ会議がございましたが、アメリカは公定歩合を〇・五%引き下げた、イギリスもそれをやった、逆にドイツの場合は〇・五%引き上げた、こういう図になっておるわけでありますが、最近、日本でも公定歩合を引き下げるというようなことがテレビニュース等で流れましたけれども、消費者物価は年推定二・四%というふうに政府は関係書類から出しております。  そういうことと、去年の今ごろから余り消費者物価は上がっていなかったのですが、最近東京等では四%台になっている、卸売物価の指数は二・四%上がってきておるという状況下でございますので、これの金融対策、アメリカ、イギリスとの関連や、日本国内における消費者物価、卸売物価の状況、こういうものを考えて、どのような方策が必要なのかということを一点伺っておきたいと思っております。  それから、この際ですから御両氏にお願いしたいと思いますが、湾岸戦争問題をめぐりまして、戦費とはいかなるものかということが議論されております。森先生からも今お話があったところでありますが、正面装備、前線で戦うもの、あるいは後方支援、こういうのがあります。これらは一体のものであるから我々は戦費ではないか、こういうふうに規定づけておりますけれども、政府側は、いや、あれは輸送関連、医療関連、食糧、生活関連、そして事務関連と、だから武器弾薬には関係がないから、言うなれば平和回復活動資金だ、こういうことで戦費とは言わないわけでありますが、我々は、前方も後方もあわせてやらなければ戦いにならぬ、戦闘行為にはならぬ、そういう意味で戦費であるというふうな認識をいたしておりますが、大学の先生でありますから、それらの点については理論的に明快にこの際お答えをいただきたい、こういうふうに思います。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 三つの御質問があったと思います。  一つは、湾岸戦争への多国籍軍への協力かアメリカ軍への協力なのか別として、ともかく九十億ドルの追加支出が経済成長にどういう影響を与えるかという点でございました。まずそこから、考えていることを簡単に申し上げたいと存じます。  最初に、しかしお断りしておきたいのは、九十億ドルの問題を考えるときに、経済成長への影響というものをどういう意味で気にするのか、そこをお互い考えておく必要があるんじゃなかろうか。経済成長に悪い影響を及ぼすからやめた方がいいというふうに考える脈絡をたどりたくてそういうふうに思うのか、それともそれとは一応切り離して九十億ドルの客観的な影響を考えるのか。当然、この問題を考える際には後者の脈絡で考えなければいけないと私は思います。やらなければいかぬことは、経済への影響がどうあろうとやらなければいかぬというふうなものであろうと思います。  そうお断りしておいて、端的に申し上げれば、九十億ドルがどう影響するかというのは九十億ドルの調達の仕方と密接不可分でありますから、昨夜、自公民三党でもう合意なさったような、ああいうのが決まったことを前提にして申し上げますと、短期国債で補う分がある、それから財政支出の削減で補う分がある、両方あるわけですね。短期国債で補う分というのは、言うまでもなく、国債を発行して一般国民あるいは市中から資金を吸い上げる。それは当然、購買力と申しましょうか日本の市中の需要力をその分減殺するわけであります。一般の場合ですと、国債で吸い上げた資金は、国債で吸い上げなければ市中に滞留していて退蔵されている資金であって、経済的には活性化してないやつ、これを政府が吸い上げて財政支出として活性化して利用するから景気には好影響、成長には貢献する、こんなふうに言えるわけでありますが、今回の場合は、短期国債で吸い上げられた市中資金は単純に海外にその資金額が流出するわけでありますから、購買力の削減効果だけが出てくるということが言えますね。その規模がまあどれくらいになるか、一兆二千億円のうちのどれくらいをそれでやるかによってまた違ってくるわけですが、いずれにしても、例えば総額一兆二千億でいって、日本のGNPに対してそう大きな規模じゃないからこれのデフレ効果は大したことないというふうに見る人もいないわけではないのでありますけれども、私、今回の短期国債による資金調達は二度たたると思います。  第一回は、短期国債を発行したときに、今言ったような意味で資金流出で購買力削減、そういう効果で一度たたる。そして今度、この短期国債を短期間に償還するために何らかの形で税での補てんをしなければいかぬわけでありますから、償還しなければいかぬわけでありますから、税として集まった財政資金がその分だけ財政資金としての効果を持たないわけですね。したがって、その分、財政活動を不活性化させるという形で、今度は税で償還する段階でもう一度たたる。そういう意味で二度たたると申し上げたいと存じます。  例えば、全部を短期国債で賄うんじゃなくて、公明党、民社党の要求を入れて、まあ二千億円ほどは防衛庁予算の削減といいましょうか、それの振りかえでやる、そんなふうな要素が合意されたようでございます。防衛庁予算の削減の方は、直接には私は景気に対して大して大きな影響を持つものではないと思いますが、短期国債によらないで、その他の一般歳出の中から歳出減をやる分というのは、やはりそれはそれぞれに大きな影響を持つんじゃないでしょうか。皆さんならよく御承知のとおり、今度の予算案で何億つけた、それはもう一億、二億の規模でも、今度の予算で何億ついたというのが、これがもうのどから手が出るくらい欲しい。そういうお金をこうつけてくれ、つけてくれと十数年にわたって運動したあげく、ようやくにしてそのお金がついて、さてこれで何かやれるぞというふうなぐあいに期待している多くの部分というのが経済の中には至るところにあるわけでありまして、それらが犠牲に供されるということは大変、部分的なようでありながら、金額的にはそう大したことないというふうに見えるかもしれませんけれども、そういった新たに予算がついて動き出す部分というのは、これは経済の中に新しい活動の芽が出ていくわけであります。その芽がもしつぶされるとしたら、長い目で見てそれは相当、金額以上のダメージを経済運営に与えることになりはしないか、そう強調したいと存じます。  それから第二の質問は金利の問題でございましたが、日本の公定歩合、去年の八月末に引き上げられて現在まで来ている。もうそろそろ引き下げの時期ではないのかという声が去年の秋の終わりごろからちらほら聞こえ出してきて、特に十月一日、株式市場が二万円を切った、あそこの段階では公定歩合の引き上げが株の足を引っ張ったということで、そういう声が一段と高まるきっかけとなりました。御指摘のように、海外の金利政策がまだらでございますね。上げた国、下げた国と、こうあって、それはどちらも主要国がそうしているのでありますから、日本がそのはざまに立ってどういうスタンスをとるかというのがなかなか難しい状況にあると言わざるを得ないと思います。それから、御指摘の物価状況との関連もなかなか判断が難しい。  しかし、結論から申しまして、理屈をごちゃごちゃ説明することは一切省きますが、私は公定歩合の引き下げが現在差し迫って必要な段階だとは考えておりません。バブルと言われているものが本当にはじけてあく抜きが済んで、日本経済がバブル抜きでしっかりした体質に変わったか、これはとてもまだそうは言えません。もちろんバブルを抜くのに、高金利をやっていればバブルが抜けるという問題ではないし、バブルを抜くのには、場合によっては金利を下げた方がいいということもあり得る。これは認めますが、しかし公定歩合引き上げに至った日本の経済体質の中から考えてみますと、今引き下げというふうに移るべき時期ではないのではないかと思わざるを得ません。物価に対する影響という点では、もちろん高金利は一面では物価上昇の促進要因になります。それで、そういう場合には下げた方がいいという見方も成り立つわけですが、他面では三重野日銀総裁が物価を非常に警戒して公定歩合引き上げに踏み切られたように、公定歩合を高どまりの水準にキープしておくことが特に資産インフレ的なルートを遮断する、こういう意味では有効でありまして、もちろん地価あるいは住宅の価格動向が去年の秋以来かなりの下落があるではないかという御指摘もあろうかと思いますが、私は、資産インフレの芽というのはまだかなりな程度残っている、だとすると、日銀がなお慎重な姿勢をとっておられることには十分経済学者として理解できる要素がある、こんなふうに申し上げさせていただきたいと存じます。  それから、第三の戦費という問題でございますが、私は戦費というものを定義するだけの力はございませんけれども、いわゆる湾岸戦争へ、そして多国籍軍側へ、実態はアメリカ軍かもしれないけれども、ともかく多国籍軍側へ支援のお金を出す、これは戦争行為を行っている片側の当事者に対する資金援助であるのだから、広い意味で言って戦費でないわけがない。これはもう明快なことだと思います。もちろん、輸送車両を出すのだから直接にはこれは軍事行動には使われない、そういった説明は幾つか可能ではありましょう。しかし、そういった説明は可能ではあっても無力であります。兵士が乗って、銃を持って砂漠を走り回るのに一番よく使われているのは日本の四輪駆動車だ。日本だったら若者が山野を走り回っているレジャー用の車が実は一番有効な戦闘車両である、こういうふうにも言われている現実がございます。それ自体としては、例えば包丁は料理をするためのものであって武器ではないけれども、しかしこれは凶器にもなり得る。戦争というのは、資金援助をすればその資金援助はすべての戦闘行動の最大限効率的な遂行に向けて使われるのは明らかでありますから、これは後方支援であるから戦争への直接協力ではないなどというのは単なる遁辞でありまして、そういう不誠実な言葉は吐くべきではないと私は断言したいと存じます。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 お答えいたします。  私の述べました中でも既に触れたことでもありますが、今の岸本先生のお話をやや法学部的に言い直しますと、刑法に用法上の凶器というのと性質上の凶器という概念が、法学部で勉強された方は御存じのように基礎的な知識としてございまして、先ほどの例ですと、例えば出刃包丁というのは用法上の凶器だけれども、殺人用のジャックナイフというのですか、ジャックナイフがどうかは知りませんが、要するに人を殺すための、殺傷のための道具というのは、これは性質上の凶器というふうに一応概念的に区分されますが、いずれも凶器概念として含まれるというのが刑法上のイロハとしてございます。  私も申し上げましたように、そのことを念頭に置いてお話ししますと、戦力というのは、それ自体物的標識として武器弾薬が戦力かどうかというような議論をするべき性質の問題ではなく、先ほど岸本先生もおっしゃいましたように、それで私が申し述べた限りでは、これはもうどんな教科書にも憲法では書いてあるわけですが、例えば東京大学の樋口さんが書いておられる「注釈日本国憲法」という中にも書いてありますように、外敵との戦争、戦闘を目的とした人的、物的手段の組織体のことを戦力と呼ぶわけでありまして、それ自体が武器弾薬かそうでないかということの区分をすることが意味のある概念では戦力という概念はございません。したがいまして、さきに例も引きましたように、恵庭事件で通信線が、言ってみればその意味では「防衛の用に供する物」に含まれるがゆえに起訴されてきたといういきさつは参照になるかということで紹介をさしていただきました。その種の意味でそういったものを、したがって外敵との戦争、戦闘を目的とした人的、物的手段の組織体を支えるものはすべて戦費である、こういうふうに言わざるを得ないのが憲法解釈論としては当然のことであろうかと思います。それが自国である我が国においても憲法上禁止されている。  先ほど中谷先生から、「前項の目的を達するため、」という限定があるんだという御議論がございましたが、それは憲法学界では大変少数説でございまして、それはいわゆる芦田理論というものでありますが、これら政府の有権的解釈でもそういう理解をしておりませんでして、戦力に至らざる云々という形で戦力すべてが禁止されているという立場は、これは政府の立場でもありまして、その中身の標識は私ども憲法学界の通説とは違うというだけのことですが、いずれにしましても、そのように憲法で自国で禁止されている戦力、それを支えるのが戦費、それはしたがって最も広い意味で私の言うウオーポテンシャルに含まれてくる、こういうことになろうかと思います。したがいまして、自国で禁止されているものを他国のためにあてがっていいということにはならない。  問題はそうすると、今回の多国籍軍がいわゆる主権国家としての多国であるのか、それとも全く新たに登場してきた、いわゆる国連活動として出されているのかという標識が一つ問題になろうかと思いますが、私はあくまでもこれは、主権国家としてのアメリカを中心とする二十八カ国なら二十八カ国の主権国家が多国籍軍というのを構成し、主権国家連合としてイラクという主権国家と戦闘行為に入っている、国際社会においては、法形式論でいえばあくまでも私的、その意味では私的な、国連を公的としますと私的な戦闘行為である、こういうふうに理解をしております。  ただ、仮にですが、仮にこれが国連活動であるというふうに措定いたしましたとしても、御存じのように国連に日本が加盟する際、あるいは憲法が制定される際、そしてこの間の協力法の議論の際にも、日本が国連軍なるものが創設された場合にそれに加盟する義務を負うのかどうかという点についてはかなり御議論がございまして、学界の方でも相当議論をしましたが、歴史的な経過等々から、日本は憲法を制定した当初から、国連軍が仮に創設されたとしても我が国はそれに加盟の義務を負う立場にないということ、つまり、仮に義務だとしてもその義務を履行できる立場にないということを内外に宣明し続けてきたといういきさつがございました。そのことを少し念頭に置きますと、仮にこれが国連の活動であると仮定いたしましても、それを支える戦費というものは自国の憲法上の規制から出せない、そういう国なんだいうことを国際社会に憲法は制定当初から訴え続けてきた、そういう立場は憲法の規範からして崩すわけにはいかないということを申し述べた、そういうことです。

野坂浩賢日本社会党・護憲共同

○野坂委員 ありがとうございました。  市川先生にお尋ねをしますが、時間がありませんので一言でお答えをいただければありがたいと思います。  今のペルシャ湾岸の原油流出、千百万バレルと言われておりますね。我が国でもオイルフェンス等を送ってはおるのですけれども、そういう点については早急に対処、対応するというのが我が党の願いでもあるわけですが、先生が今お話しになって、環境の変動を人類は監視しなきゃならぬ、しかしその人類が対応する速度よりも二酸化炭素その他の方の汚染物質がそれを超えていくという場合には重大問題であるというお話があった。例えば西丸震哉先生なんかは、この調子でいくと二〇三五年ごろには寿命が短くなるぞというお話でありますが、今の現状維持をするために対応が完全にできておるのかどうか、できる見通しか。そして、ペルシャ湾岸の百四十キロ、五十キロの幅で流れておる原油を早期に排除をしなければ、人類に与える影響、生体物に与える影響、そういうものはたとえ費用がかかっても積極的に日本は対応しなきゃならぬじゃないか。こういうことについて、あと五分しかありませんので、よろしくお願いいたしたいと思います。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 お答えいたします。  人類が対応できる速度を超えて環境が変わっていることに対して我々として最大限のことをなすべきである、これは先生の言われるとおりでございまして、我々研究者を含めましてその方向に向かって努力をしているところでございます。  御存じのとおり、現在人類が出しております二酸化炭素あるいはメタンさらにフロン等々、いろいろな環境負荷の物質が現実に人類が対応できないような速度の環境変化を起こすのか起こさないのかというところがこの研究として一番のポイントでございまして、現在のところ我々が知り得る範囲において早急な結論はまだ出せない、もう少し詰めていかなきゃならないという事情にございます。この辺が、例えば二酸化炭素の排出に関しましても意見の分かれているところでございます。疑わしきは規制するという行き方と、まだその影響によるものかどうかはっきりしていないということで対処しない国と、二つあることは先生も御案内のとおりでございますが、一方が誤りであるという断定を今の時点ではできません。ですから、それを今後とも積み上げていく必要があるわけでございます。  ただ言えますことは、できます努力は最大限にしていくということが重要なポイントでございますので、先生御指摘のように、ペルシャ湾におきましてあのような原油流出がある、あれはもう間違いなしに環境に負荷を与えます。その大きさは別といたしまして、それが相対的に現在人類が出している総量に対してどういう割合を持つかということは別といたしまして、間違いなしに負荷になります。したがいまして、その負荷を幾分でも軽減するように現在最大限の回収をするということでございます。そして、その影響を分析するということになりますと、その影響は長期にわたりますので、現在よりはむしろ平和が訪れましてから十分な探索をするという面で我が国の貢献ができるというふうに考えております。  以上でございます。

野坂浩賢日本社会党・護憲共同

○野坂委員 終わります。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 次に、石田祝稔君。

石田祝稔公明党・国民会議

○石田(祝)委員 公明党・国民会議の石田祝稔でございます。本日は、公述人の皆様におかれましては、御多用中のところわざわざお越しいただきまして貴重な御意見を賜り、本当にありがとうございました。公述人の皆様にそれぞれお伺いしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。  まず最初に、森先生にお伺いをしたいと思います。  我が党は自衛隊機派遣には反対でありまして、その撤回を求めております。さて、先ほどその例政令の無効決議を国会ですればいい、こういうお話がございました。例えばこの決議がなされた場合にどういうふうに行政を拘束するのか、またそれが事実可能であるかということもあわせましてお伺いをしたいと思います。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 大変難しい質問でございまして、私が例に引きましたイギリスの例というのも、それぞれの実定法、各委任命令を認めているそれぞれの法におきまして、それぞれの法ごとに議会による統制の筋道を、例えば我が国でいいますと災害対策基本法の百九条の四項にございますようなものを設けているということが一つの法的な根拠になっております。  ただ、私が申し上げましたのは、したがいまして、原理的に議会制民主主義と議院内閣制をとっている我が憲法構造において、議会が委任をした政令がその範囲を逸脱して命令を出してしまった場合に、議会の側にそれを正す何らの根拠もないということは言えないだろう。したがいまして、私が申し上げたのは、正すという妙な言い方をいたしましたが、それが実効的にどのような効果を及ぼすのかということが法的、規則的に言い切れる問題でないこともまた事実であろうかと私は考えております。ちょうどそれは、先ほど例として挙げましたように裁判所による統制というのもございますが、裁判所による統制もまたその意味では同じでありまして、裁判所は一件こっきりでやるわけでありますから、そのような、例えば当該の政令が憲法違反であるということを仮に裁判所が判断をいたしましたとしても、その無効は直ちに発効するのではなくて、当該の政令を発しましたところの広い意味での立法者、今回の場合は内閣ということになりましょうか、そこが取り消さない限りは永遠に残っていくという性質とその意味ではパラレルの問題として考えていいのではないだろうかというふうに申し上げたわけでございます。

石田祝稔公明党・国民会議

○石田(祝)委員 続きまして、岸本先生にお伺いをしたいと思います。  私は、真の豊かさということについてお伺いをしたいと思いますが、先ほど先生は、九〇年代の目標として、歳出部門においていわゆる生活基盤を他の先進諸国と同程度の水準にまで引き上げることが大事ではないか、こういうお話がございました。私ども、全くそのとおりであろうと思います。しかしながら、その大きな阻害要因として土地の問題、端的に言えば土地の価格の問題というものが私は大きな阻害要因になるのではないかと思います。先生も、公共投資の四百三十兆円、これの大宗がひょっとしたら土地の価格の方で食われてしまうのじゃないか、その意味のお話もあったと思いますが、豊かさと土地の価格の問題、それと関連づけて今回出ております地価税の問題、これについてちょっと簡単に御意見をお伺いをしたいと思います。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 真の豊かさを実現するためには、やはり住居というものが人間的なさまざまな必要を満たせるだけの広さがなきゃいかぬわけですね。例えば近所あるいは友達づき合いを我が家でやる。欧米でしたらパーティーをよく自宅で開きます。しかし日本では、二、三十人集まってパーティーを開けるような住居を持つということはよほどの限られた人でございますね。そういう人間的なさまざまな活動を可能にする住居というのがポイントであって、その住居の下には土地がなきゃいけないから、当然土地の問題が絡んでくるわけでございますが、土地の価格の問題とある意味ではもう切り離して住宅政策を考えていく、こんな必要が生じているのじゃないかと思いますね。土地価格を下げて、普通のサラリーマンが、まじめに働いている人が土地を入手しやすくする、これは口で言うのは簡単だけれども、先ほど言ったように、九倍も開きが出てきたやつをどうやってもう一遍一対一のところまで戻すか、これをどれくらいの期間をかけてやるか、なかなか容易なことではないですね。そうなりますと、土地価格の問題と切り離して住宅供給、快適なしかるべき住宅供給を行う方策、これはやっぱり真剣に考えていく必要がある。これは例えば、それだけでいいとは私申しませんが、公的な賃貸住宅というものの供給を本格的にふやしていくというようなことが必要でしょうね。しかし、公的賃貸住宅が、家賃が二十七万円だ、四十二万円だとなっちゃったら、これはまた入れる人が限られちゃうわけで、そういうときに、例えば傾斜家賃制度なり応能負担の制度なりというのが考えられてもいいのではないかと思います。  念のために追加させていただきますが、しばしば日本では国土が狭いから土地の値段が高いのはやむを得ないという考え方がございますが、これはやはり根本的に間違っていると言わざるを得ません。なぜならば、現在三十八万平方キロの国土を、一億二千三百四十五万六千七百八十九人、去年日本の人口はこの数字を記録しているわけですが、この人口で割りまして一人当たり国土面積を出せば三千三百平米、千坪。国民一人当たり千坪の国土というのは狭いといえば狭い。しかし、現にその中から二十九坪を住宅地に使っているわけでありまして、したがいまして、標準世帯、四人家族で考えますと、一世帯当たり百十六坪の宅地が現に存在するというわけであります。したがって、地域的な分散あるいは人と人の間での分配よろしきを得れば、日本で現状一世帯当たり百十六坪の宅地は利用可能である。そういうふうに考えますと、住宅問題の、あるいは土地問題の解決は決して絶望ではないはずだというふうに言えると思います。国土の狭さをどこかで口実にして、まあ日本の土地の値段高くても仕方がないやという、そういう認識を持っているとやっぱり対策がぐずぐずになりはしないかというふうに申し上げたいと存じます。  それと、さらにつけ加えますならば、我々は内外価格差という問題をアメリカからも突きつけられ、かつ日本の国内からも問題状況の自覚として厳しい声が上がっておりますが、言うまでもなく内外価格差の筆頭は土地価格でありまして、内外価格差の解消、土地以外のさまざまな価格面についても内外価格差の解消の必要はあるわけですが、それの大宗はやはり土地価格の内外価格差の解消であらざるを得ないと思います。その意味でも、解決できるという確信の上で対策を御工夫いただきたいと強く申し上げたいと存じます。

石田祝稔公明党・国民会議

○石田(祝)委員 ありがとうございました。  最後に、市川先生にお伺いしたいと思いますが、先生の本を一冊読ませていただきまして、いわゆる自律分散システムということを本の中で言っていらっしゃいました。それは、離散した要素がそれぞれ自律的に行動をして全体としてうまく協調していくシステムだ、こういうふうにおっしゃいました。我が党も平和と人権と環境ということについて非常に大事だ、こういうことで今一生懸命行動しておるわけでありますけれども、例えばODA一つとりましても、全地球的に見ましたときに、国というものが一つの離散した要素だと私はとらえられると思うのです。それが自律的に行動してというふうにおっしゃっておりましたけれども、それぞれの国に日本が大変な金額を援助をして開発等やっておるわけであります。ですから、日本の立場から見たときに、本来その国の自律性というものに対してある一定の、ODAというものを通して、行動の制限を加えるような形になっているのではないか。本来のその国のリズムではなくて、我が国のリズムなりがある部分押しつけられる形になっているのではないかと思うのですね。そのときに、このODAというものが結局どういう形で本来、そういう環境の面から見たときですね、運営されていくべきなのか。このODAの基本というものを、開発また環境の点からちょっとお願いをしたいと思います。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 お答えいたします。  私の本をお読みいただきまして、まことにありがとうございました。  ただいまおっしゃいましたことはまことにそのとおりでございまして、国がこれは当然自律権を持っております。と同時に、私の本の中で言っております自律はみずから律するということでございまして、嫌な言い方でございますが、カントの言い方によれば、みずからみずからの行動を定めていく規範をつくり上げるということでございます。  さて、この現在の世界の状況を見ましたときに、それぞれの国がみずからの行動を律する基準をつくり上げて行動をしていく、その上でしかるべき国が力の足りない国へ援助をするということはまさにぴったりしておるわけでございますが、あの本の中にもございますように、自律分散システムの場合には必ず協調の場というものが必要でございます。日本はそういった意味の協調の場を用意するということで非常に大きな貢献を世界にしていけると思います。  問題は、それではみずからの行動を律する規範、それをつくる上での根本はどこにあるかといいますと、それぞれが存在し得るというところにあるわけでございます。それぞれが生き残っていけるということにあるわけでございます。問題は、地球環境の有限性によりまして、そこのところに影響が出てきているわけでございます。言いかえますと、ちょうど普通の人間社会でいいますと、お互いの生存がかかった状況でみずからの行動を決めるという、その協調を日本がとるということでございます。  先ほど一例として私は申し上げました。日本のODAというのは、それぞれの被援助国が行いたいと思う開発に対して援助をするということが基本になっております。そのこと自体はまことに結構でございます。しかし、今地球の有限性があるわけでございますから、そこに観点を置いて、その点に関してだけはしかるべく配慮をすべきである。アプロプリエートテクノロジーについて私は公述に申しましたけれども、その辺は一つの大きな問題ではないかと考えております。  お答えになりましたでしょうか。

石田祝稔公明党・国民会議

○石田(祝)委員 若干、一、二分あると思いますので、もう一度市川先生にお尋ねしたいと思いますが、いわゆる環境の南北問題と申しましょうか、例えば今二酸化炭素の問題、オゾンの問題等ございますけれども、発展途上国からいいますと、先進諸国はもう十二分に発展した段階でそういうのを我々に押しつけられても困る、こういうふうな意見もあるやに伺っておりますが、そこの部分のいわゆる南北問題、環境にも南北問題があるんではないかという気がしますが、その解決方法というか、ありましたらひとつ御示唆をお願いしたいと思います。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 お答えいたします。  現在の人間の生活の快適さを生み出す上での技術と申しましょうか、それを固定して考えますと、今後いわゆる南北の南側の生活水準が上がるにつれて大変なことが起こるというふうに思われるわけでございますが、私は技術屋といたしましてやや技術楽観主義に立っておりますけれども、先ほど申し上げました対GNPで十八倍の開きのある国の状況、日本の場合ですと一ドル当たり約百グラム、ある国の場合には千八百グラム、そこを技術的に改善することが可能であれば、現在の環境負荷を保ったまま現在低位にある国を引き上げていくことが可能でございまして、日本はその力を提供するのが義務ではないか、貢献の道ではないかというふうに考えております。  以上でございます。

石田祝稔公明党・国民会議

○石田(祝)委員 どうもありがとうございました。終わります。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 次に、佐藤祐弘君。

佐藤祐弘日本共産党

○佐藤(祐)委員 きょうは先生方どうもありがとうございます。日本共産党の佐藤でございます。  森先生にお尋ねをいたします。  先生は、本予算委員会の審議の重要な焦点の一つとなっております自衛隊法百条の五と特例政令の問題についてお述べになりました。私たちも、今回の特例政令は明らかに立法の趣旨、範囲、目的、そういうものを逸脱している、制定時の立法府と行政府の合意に反し、そういう意味では国権の最高機関である国会を政府がいわばだまし討ちにするといったようなもので許されないものだというふうに考えております。  その点に関連して、森先生は、国会は授権範囲を明確に逸脱した政令については無効と議決して正すことができるということもおっしゃいました。そうした国会の権限を制度的に確保しているイギリスの例を挙げられたわけでありますが、非常に御示唆に富んだ御意見だと拝聴いたしました。このイギリスの例をもう少し詳しくお聞きをしたい。どういういきさつの中でそういうものが生まれたのか、また他にも何かそういう例があればお聞かせをいただきたいと思います。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 お答えいたします。  私があえてイギリスの例を引きましたのは、申し述べましたように、日本の憲法の統治機構の構造の原理が、国会を国権の最高機関にしており、同時に唯一の立法機関にしているという議会中心主義であるということ、そのことを原理的に、歴史的にずっと積み重ねてきたのがむしろイギリスであって、イギリスは、御存じのように議会主権という言葉が通用しておりますように、その意味では権力分離をとらずに議会中心主義を日本よりははるかに徹底させてやっている国でございますが、そのイギリスが議会が中心であるということは、現に議院内閣制を持っている中で行政府がどういう政令を出すと議会がどういうふうに対応するのかという例としてはふさわしいかと思って取り上げさせていただきました。  もともと議院内閣制をとるということは、議会の意向に反して内閣は動かない、あるいは議会の意向を逸脱しては動かないということが論理的にも前提にされているのが本来の構造の趣旨でありまして、したがって、いわば執行権といいますか執行する機関が内閣を頂点とする行政府である、こういう構造になっておるわけなんですが、御存じのように、現代国家においては行政権の肥大化ということが先進国一般の共通の事象として立ちあらわれてまいりました。その行政権の肥大化を議会が国権の中心機関としてどのようにいわばコントロールするのかという行政統制の問題として一般的に論じられて、その文脈の中で登場してきているのがイギリスを例にして紹介したあの制度でございまして、繰り返し紹介することはいたしません。イギリスに似たような議会による統制を行っているところに、実は統一したドイツ、旧西ドイツでありますが、がございます。  申しおくれました。どういういきさつでというのはそういうことなんですが、したがいまして、イギリスは御存じのように慣習法の国でございますので、歴史的にはかなり古いかと思います。御紹介いたしましたスタチュトリー・インストルメント・アクトというのは、そういった議会慣行、行政慣行等々が積み重ねられてきたのを法制度的に文書として整備したもので、戦後一九四七年に生まれたものでありますが、事実はそれよりかなり古くからイギリスでは慣行的につくり上げられてきたものであるというふうに御了解いただきたいと思います。  同じように西ドイツも、これは西ドイツの場合には特殊にやはりナチス支配の、あの例の授権法の経験を強く持っておりますので、授権法に対する警戒心というのは戦後非常に強い中で、その行政府に対する授権を議会がどのように統制するのかということで戦後、制度的に生まれてきたものが幾つかございます。  大体四つの範疇がございまして、そういった行政府が出します命令に対し、同意、聴聞、単純提示、特別提示という四つのカテゴリーで議会はアプローチすることができる。同意というのは、言うまでもなく議会が同意しない限りそれが効力を持たない政令。それから、聴聞というのはヒアリングでございますから、これを公布するに当たって議会が事前に行政府からそれをヒアリングすることが権限として認められている場合。それから単純提示というのは、いわばヒアリングもなしに置いていくだけという、あのイギリスの第一の例で挙げました単なるレイイングというカテゴリー。それから特別提示というのは、これは議会が法規命令の公布後一定の期間内にこれを廃止する権限を権限として留保している、そういう手続でございます。  いずれにしましても、それはさまざまな政令について現実に運用されている仕組みでありまして、先ほど言いました現代行政権の肥大化の中で生まれてきたということを一般的前提としつつ、イギリスにはイギリスの特殊な歴史から、国会主権の歴史から、それからドイツの場合には授権法の歴史的反省から、いずれにしましても、議会による政令に対するさまざまな統制というのは各国が苦労しながら幾つか実現を見続けている領域でございます。  そのようなことの目で見ますと、実は日本は大変特殊な国でございまして、先ほどちょっと紹介しましたように、実定法上、公布された政令が事後的に議会の承認を要するというふうに明示的に定めておりますのは災害対策基本法の百九条の四項だけでありまして、最近ですか改正されました国家行政組織法で、省庁の内部編成を改正するに当たりまして国家行政組織法の七条では、内部部局の設置につきさまざまな分野で政令に委任している部分がありますが、この部分、これはかなり重要な部分かと思いますが、これはかつて法律事項であったのが政令事項に切りかえられたことに伴い改正された国家行政組織法の二十二条では、それでも国会に対する報告を義務づけている。この二つぐらいが唯一国会がアプローチし得る行政に対する政令事項の手法であろうかと思いますが、この一つないし二つしかないというのは大変特殊な国であると言っても過言ではないと思います。  本来、議院内閣制をとる場合には、議会がそういった政令の逸脱を正す制度的担保がやはりないと、議会から見まして、国会から見まして内閣の独走ということに歯どめがきかないということになるわけで、今般このように出された政令というのはその典型的な例ではないかと私は危惧をいたしまして、この種の現代国家の悩みの中から出てきた制度的な試みを十分我が国会においても組み込みながら、少なくもこの一件については議会がこれを正すがごときさまざまな手法を積極的にとることは、国権の最高機関たる国会としての権限としてやはり潜在的に持っているというふうに理解できるかと思っております。

佐藤祐弘日本共産党

○佐藤(祐)委員 もう一点、森先生にお伺いいたします。  多国籍軍支援のための九十億ドルの財政支出、それから自衛隊機の派遣、これについて海部総理は、これこそが憲法の理念に合致しているんだということを強調しておられるわけです。憲法の前文を引用して、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ということを宣言しているじゃありませんか、こういうふうに言われて、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」、そういうことをしないと日本は孤立していくんだというように強調しておられるわけですが、こういう海部首相のいわば憲法論について、憲法学者としての森先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 お答えいたします。  私は憲法学者でありますので、国の政策選択の適否といいますか、そのことについて政治的に論評する立場に専門上ありませんので、お答えが適切かどうかわかりませんが、憲法が指し示す規範理念は何かということの観点でお答えさせていただくならば、お読み上げいただきましたように、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という政治道徳の法則を普遍的なものとして憲法が認め、であるがゆえに憲法第九条を選択した、こういう構造になっているのが我が国の一般的な普遍原則に対する具体的対応という関係の、つまり一般的目的に対する我が国の主権的な、主体的な対応という関係になっておろうかというふうに見ているわけでありまして、そのでんでいきますと、これまでも、今回のイラクほどではないにせよ、国際社会において自国のことのみに専念して他国を無視してきた国は多々あったかと思いますけれども、それに対して今回のようないわば対応を日本は国の主権的な意思決定としてとっただろうか、つまり九条を乗り越えてまでそういったものに対してアプローチをするという態度をとっただろうかというふうに振り返ってみますと、今回の方がむしろかなり異常なレスポンスを日本政府がしようとしているというふうに思われるわけで、私としては、この「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」というのは、一つは日本の戦前に対する反省から生まれてきた言葉であるということ、であるがゆえに、我が国はその無視してはならない政治道徳の法則を普遍的なものと認めるがゆえに、我が国は国際的なスタンスとして九条の平和主義を掲げて、その立場で国際社会で生き続けていくという立場を選択したということを、憲法の原点に戻って今、銘記すべきではないかというふうに考えております。

佐藤祐弘日本共産党

○佐藤(祐)委員 あと三分ぐらいなので、ちょっと失礼ですが、岸本先生にお伺いいたします。  先生のガルブレイス教授や堤清二氏との鼎談の記事を拝見いたしました。そこでも、やはり日本の国際貢献といいますか、孤立化するのかどうかとか、そういった問題について意見の交換があったように承知しておりますけれども、その点でそういった問題での岸本先生の御意見をお伺いしたいと思います。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 抽象的、一般的に国際貢献のあり方について、日本が孤立化しないスタンスのとり方について申し上げるということは多分期待されていないと思いますので、その例を今の事態に限って所見を申し上げさせていただきたいと存じます。いろいろな角度から物を言わなければいけませんが、時間が限られておりますので、一つのアングルからだけ申します。  日本は中東石油に最も大きく依存している国ではないか、その中東石油の産出される場所で侵略が行われて、その侵略を是正するというか侵略行為を無効ならしめるために行動が行われているのである、よってそれに協力するのは日本の義務であり、これに協力しないとすれば日本は国際的孤立を招くであろう、こういう脈絡の議論が非常に強く聞かれるように思います。しかし、日本が中東石油に依存する度合いが極めて高いということは、これは中東のあの地域で産出している石油に産業構造上依存せざるを得ないというその事実だけを意味しているわけでありまして、今その石油をだれが支配しだれが掌握しているか、今支配し今掌握している人と協力するのが正しいのであるということに直接にはならないはずであります。長い目で見た場合、中東の各国の、国によって大いに違うわけでありますが、中東の各国のその政治形態は大きく変動を遂げていくに違いない。しかし、その政治形態がどうあろうとも、ここ当分の間は中東の地下に脈々と石油が流れていることには違いない。我々が中東の石油に依存すればこそ、その中東の石油というものを今だれが握りだれが掌握しているかということと離れて物を考えていく必要があるのではないか。多国籍軍が戦っている、それに対して日本が資金的、人的、物的協力をしなかったら日本が何もしてないことになる、こういうふうな議論が強いのですけれども、私は、武力行使そのものに関して、平和回復活動と言おうが、その活動の実体的形態は武力行使でありまして、その武力行使によって無辜の民衆が大変な災禍を受けていることは、惨禍のもとにあることは御承知のとおりであります。  そういう状況下で武力行使に加担しないということ、いかなる意味でも加担しないということは、何もしないということではなくて、ある一つの方向性を選んでいるということだと私は思います。何もしないことではなくて、はっきりと何かをしていることだと思います。もちろん、そのようなスタンスをとれば、例えば日米関係に一種の緊迫状況が生じるかもしれません。しかし、我々は、そういった形で生じる日米の緊迫関係には、これが長い目で見て、長い期間を通じれば本当の日米友好の、日米親善のロイヤルロードであると確信して進んでいくべきではないか、さように私は考えております。

佐藤祐弘日本共産党

○佐藤(祐)委員 ありがとうございました。終わります。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 次に、高木義明君。

高木義明民社党

○高木委員 それぞれ公述人の先生方に貴重な御意見をお伺いしまして参考になり、ありがとうございました。せっかくの機会でございますので、若干の御質問をさせていただきたいと思います。  まず、市川先生にお尋ねをいたします。  先生は環境問題を中心にされましてお話がありました。この中で特に地球の温暖化、二酸化炭素問題についてもお触れになりましたが、私たち聞くところによりますと、今世界の中で二酸化炭素の発生量のそれぞれの国の状況を見てみますと、大体アメリカが二四%、ソ連が一八%、中国が一〇%、そして我が国が五%と、こういうのが出されておる資料でございます。とりわけこの中で我が国と最も関係の深い、そして隣国でもあります中国やソ連の発生量につきましては、今大きな問題とも言われておるわけでありますが、この点につきまして、今後の環境を保全する立場から、その影響はどうなのか、そしてまた、我が国としても技術的にもあるいはまた財政的にもこういった面で支援をする必要が大きくあるんではないかと思っておりますが、先生の御所見を賜ってみたいと思います。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 お答えいたします。  先生のお話のとおりでございまして、我が国の石油消費量と申しましょうか、あるいはそれをベースにいたしました二酸化炭素発生量の割合というのは、我が国のGNPが世界において占めている割合の半分である。逆に言いますと、一〇%以上のGNPのシェアに対しまして五%以下であるという、これは一つの我が国の技術的な達成でございます。御指摘のとおり、我が国の技術的な達成よりも低い国におきましては、大量の環境負荷を出すような技術というものが動いておるわけでございます。  それで、今二酸化炭素に関連して申し上げますと、御案内のようにそのかなりの部分がまずエネルギーとして使われております。もちろん物質として使われる部分もございます。エネルギーとして使われている部分を考えますと、要するにもともとの原油の部分から我々が使うエネルギーに変換する過程がございますが、この変換過程というものの効率が必ずしも高くございません。というよりは、これが非常に技術の差が出てくるところでございます。それで、現在はいろいろな技術が導入されておりまして、例えばでございますが、コジェネレーションと申しまして非常に高い温度のものから順次利用をいたしまして、変換効率を高めるというようなことが可能でございます。そのような技術といいますものは、先ほど先生御指摘のような比較的現在の水準に比べて環境負荷の大きい国に導入することによって大きな効果を生み出すということが一つございます。  それからもう一つは、エネルギーでございますと、これはもう言うまでもございませんけれども、石油あるいは二酸化炭素の負荷を持たないような代替エネルギーというものが考えられるわけでございまして、これに対する技術といいますものも、これはいろいろな半導体技術その他、要するに物性的な技術水準とも関連いたしまして我が国がかなり高い水準にございますので、そういうようなことと関連して、そのような技術移転というものが大きな貢献をしていくだろうというふうに考えております。  私の公述の繰り返しになりますけれども、技術水準をいろいろな意味で上げることによって、現在の環境負荷を今までよりも低くしていくことができる。裏返して言えば、今までの水準を保つとすればそれぞれの国の水準を上げることができるということが基本になっているかと思います。  お答えは、以上でございます。

高木義明民社党

○高木委員 先ほどのお話の中でも、先進諸国の中で日本が環境問題にかかわる技術研究の予算が低い、こういう指摘もなされておるわけですが、今後はそういうのが一番我が国の大きな課題であろうと思っております。  そこで、あと一つになりますけれども、それと関連をしまして、今熱帯雨林の問題、あるいはまた熱帯を問わず森林の保護という問題も大きな課題でございますが、特にこの問題につきましては、政府予算もさることながら、このような環境保護をする財団の設立というのも一つ大きなテーマに上っておるのではないかと思っておりますが、この点につきまして先生のお考え、何かありましたらお聞かせをいただきたいと思います。

市川惇信国立環境研究所副所長東京工業大学教授

○市川公述人 大変申しわけございませんが、私は森林減少の専門家ではございませんので、正しいお答えができるかどうか疑問に思っております。  御存じのように、熱帯林を含めまして森林減少の大きな部分といいますものは、焼け畑その他、要するに人間の生活水準を維持するために森林をつぶしていくということ、あるいは森林資源を消費するような各種のもの、例えば紙などもそうでございますけれども、そういうものに対して使われているわけでございます。したがいまして、まず第一にとられるべき手だては、そういった森林を消費していく側について、それに代替する手段をとっていくということが技術的には第一に考えられることかと思います。その中に、先生御指摘のように、生活にかかわる部分が出てまいります。したがって、逆の言い方をすれば、森林減少を招かないような生活手段というものを提供するということが必要になってまいります。  そのような部分につきましては、これはもちろんある種の経済的援助が必要でございますので、そういう経済的援助を、これは世界的な規模でやるということは私は大変に意味あることだと思います。私は経済学者ではございませんので、その辺の経済的波及につきましてはわかりませんが、技術的に見てもそういうことは言えると思います。そのような世界的な、経済的な支援の道の一つとして、先生御指摘のような財団というものが効果的に動くとすれば、それは期待できるものではないかという気がいたしますが、私、実はその具体的な内容を存じませんので、正確なことはお答えできません。

高木義明民社党

○高木委員 次に、岸本先生にお尋ねをしたいと思いますが、先生は、平成三年度予算につきましての歳入面、歳出面にわたりましていろいろお話をいただきましたが、その中でとりわけ土地を下げること、これが例えば公共投資の問題にしましても生活環境の整備にしましても大切だというふうな御指摘がございましたが、こういう時間でございますので、もう基本要素だけで結構と思うのですが、先生として端的に地価を下げる方策といいますか、こういったことについて、この際お伺いをしておきたいと思います。

岸本重陳横浜国立大学経済学部教授

○岸本公述人 私が強調しましたのは、地価を下げることの大切さのみならず、かつその難しさも強調したのでございますが、そういった難しさを背景にした上で何がやれるかということを考えた場合、従来、日本で十分試みられていないこととして、やはり地域ごとの計画的な土地利用の方式を徹底するということが必要ですね。現状ですと、一応の地区規制はある、地区指定はある、しかし住宅地の中に商業用地やオフィス用地が入ってくることを十分には防げませんですよね。西ドイツなんかが成功しているのは、こちらは商業地、こちらは住宅地と決めたら、その真ん中に道路が通っていて、こちらの商業地が物すごくはやっているんだから、道路を越えた向こう側でも店を開けばもっとはやるだろう、そういうことを考える人がいても、こちらは住宅地なんだから、住宅地では価格の上限はこれでなければいけないんだから、これ以上での取引は認めない、住宅地は普通の人間が買える価格でなければいけないんだから、これ以上は認めないという形のそういった地区規制を非常に計画的にやっているわけですね。それが自治体ごとに強い権限を持ってそういう規制をやっている。日本の場合はそういう規制力が弱くて、そして法人が自然人の土地を侵食していくという現象が強いわけですね。法人の方が当然資金力がございます。そして、法人には相続というものが発生しません。自然人は資金力が弱くて、かつ何十年に一回かは相続の問題が発生してと、こうなる。そうすると、そういった法人と自然人とが同じ舞台で戦わされたら、まるで裸と重装備とが戦っているようなもので、やはり良好な住宅地というものが侵食されていくのは、これは理の当然だと思います。そういったできるだけ地域の市民計画に則した市街地形成というものの方式、これは私は、日本ではやはり形式的には一部分つまみ食い的にあったけれども、実際にはほとんど西ドイツのような深さと質で行われたことはないというふうに思いますね。  それからもう一つ、これも西ドイツが全面的にではないけれどもやっていることでありますが、一つの地域へ行って、その地域内で土地を買いたい人は自治体から買う、その地域内で土地を売りたい人はとりあえず自治体に売る。自治体が必ず土地売買の片っ方の当事者になる。そういう形で例えば公共用地として必要なある一定のエリアをまとめることも容易になるし、自治体計画に基づく良好な住宅地形成も非常に誘導しやすくなる、こういったことを西ドイツはやっておりますね。それも日本ではやられたことがないやり方です。私はそういったやり方で地価を下げるという──下げる、下げる、下げるというやつは、さっき強調したように、なかなか難しい問題があるわけですね。現在の高地価というのは日本経済の体質の中に組み込まれているのですから、これを一つだけいじったら、がたがたと全体がいく、そういう懸念もないわけじゃないわけでして、問題は土地の上に建つべき住宅、多くの人々が必要としている良好な住宅、これをどう供給するかということでありますから、地価を仮に急激に下げないにしても、その上に建った住宅をまじめに働く勤労者にリーズナブルな値段で利用可能にする手だてというのは、今言ったようなことも含めて十分あり得るのじゃないか、さように考えております。

高木義明民社党

○高木委員 終わりでございますが、森先生にお伺いします。  森先生は憲法学の立場からお話がございました。先生は憲法の前文を引用されてお話がありましたが、この憲法前文の中に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」こういう文言もあるわけでございますが、例えば今現実にこの侵攻、併合を受けたクウェートの人々の恐怖あるいは欠乏、こういったものから免れる権利を有する、こういう立場から見ると、我が国も例えば正義と秩序を基調とするという、そういう精神から何かをしなければならない、何ができるのか、こういうことになるわけでありますが、先生の立場からその辺について御所見があれば、お伺いをしておきたいと思います。

森英樹名古屋大学法学部教授

○森公述人 これまた政策選択の問題ですので、私がお答えする専門領域ではないかもしれませんが、憲法論だけでいいますと、そして今の具体的な状況に照らし合わしてお答えさせていただくとするならば、今読み上げていただいたような事態の侵害がクウェートにおいて悲惨な形で起こっているというのは紛れもない事実でございます。それに対して日本が憲法の立場から何ができるのかということになりますと、もう繰り返しになりますが、憲法の平和主義を前提にする限り、我が国はそれこそ海部総理を先頭にして、外交場面において諸有力国が現に展開しているような和平のためのさまざまな工作といいますか、そういうものを積極的に国際舞台の上で展開していく責務こそ、あるいはそれこそが憲法の描く我が国の国際責任の果たし方というふうに私は考えております。

高木義明民社党

○高木委員 終わります。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時四十一分休憩      ────◇─────     午後一時三十分開議

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成三年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず星野公述人、次に牟田口公述人、続いて一河公述人の順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、星野公述人にお願いいたします。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 星野でございます。  私は、憲法学が専門ですので、憲法学の立場から意見を述べさしていただきたいと思います。  渡部委員長名でたくさんの、膨大な予算書をお送りいただいたわけでございますけれども、きょうはその予算書にはない問題、御承知のように今大きな憲法問題になっている二つの問題について、一つは例の貢献費九十億ドル、約一兆二千億の支出をめぐる問題でございます。もう一つは、湾岸戦争の避難民を輸送するための自衛隊輸送機の派遣の政令についての問題でございます。この問題は金額的にはそれほど大きな問題ではないと私は思うのでございますが、しかしこれの持っている問題、また今後の帰趨いかんでどういう問題を生むかという点では大変重要な問題を持っていると私は思うのでございます。  多くの世論調査やあるいは新聞の「声」欄でも、この二つについて疑問やあるいは批判、そういうものが出されておりますし、例えば朝日新聞の三日でしたかのでは、その二つの問題が憲法の理念や精神に沿うものと思うか、それとも憲法の精神を生かすものと思うかという質問に対して、五〇%、半数が反すると言っております。また、むしろ憲法の精神を生かすというのが一七%だったと思います。これだけのやはり疑問が持たれております。  また、御承知のように、その前の、昨年の暮れの国連平和協力法案についても同じような意見があり、そしてそういうことと関係して私は廃案になったんだろうと思うのです。  そういう点で、一番重要なそういう憲法問題を中心に申し上げたいと思うのですが、実は私、午前中時間があったものですから、公述人の先生方の御意見と皆さん方のを傍聴さしていただいたわけでございますが、同じ憲法学者である森教授がこの問題についても触れられたので、違った角度から問題を見たいと思うのでございますが、一つ二つだけつけ加えさしていただきますと、そのことを聞きながら、例えば岸本さんから戦費の九十億ドルの経済効果の問題というものが出されましたけれども、あるいは純粋な経済学的な問題だと思うのですが、憲法学的からいたしますと、一つは効果の問題で違った面があるだろうというのは、御承知のように戦争に使われる費用、戦争というのは殺りくと破壊をもたらすわけで、何ら生産と建設はもたらさない。したがいまして、それを投入しても国民生活にプラスになるものはそれ自身はないということが一つでございます。     〔委員長退席、増岡委員長代理着席〕  それともう一つは、いわば戦争というのは、御承知のように刑法では禁止されている殺人、傷害、暴行、放火、破壊あるいは詐欺、ありとあらゆると言っては言い過ぎでございますが、そういうものが使われる世界でございます。したがいまして、またそのことによってさまざまな被害を受けるわけですが、そのことによって敵と味方に分かれて、軍隊だけじゃなくて、それに参加を強制される、あるいは税金を使わされる、国民同士が憎み合うという、そういう意味で人間の心を破壊する、そのような意味を持っているだろうと思うのです。  憲法が戦争の放棄を規定したことの私はいわば道徳的な意味といいますか、人間的な意味というのはあると思いますが、これはもう一つ法律的に申しますと、あれは戦前では臨時軍事費と言われたものでございます。臨時軍事費でございます。最近お若い方が多くなって、戦前のことを知らない。私は一九二一年、大正十年で、学徒召集で、内地の部隊だったので戦場には行っておりませんけれども、そういう言葉は知っております。ちょうど戦前と全く同じだったというのは、あの臨時軍事費というのは総額しか議会に出さずに、戦車がどれだけとか弾薬がどれだけ、そういうことは一切明示されませんでした。それは軍事秘密でございます。そういうことを予算書に明示しますと、相手が一体どれだけの戦力を持ち、どれだけの戦争をやるかとわかりますから、これは軍事秘密で公表されなかったわけでございます。ただ総額だけを帝国議会が承認するという、それが臨時軍事費の性格でございます。その点で今日と全く同じだと思います。  また同時に、これは戦場で使われるわけですし、ほとんど破壊され消費されるので、これは会計検査の対象にもなりません。そういう問題を持っております。  要するに、市民の世界では人を殺すと殺人になりますが、軍隊、軍事的な世界では、たくさん殺すと給料がふえ、階級が上がり、懸賞をもらうという、そういうあれがあります。要するに、市民的秩序と軍事的秩序というのが実は全く矛盾しているという関係がございます。  その点では、例えば最近ニアミスという、航空が発達してニアミスの問題が問題になりますが、よくニアミスで問題になるのに自衛隊の問題がございますが、ニアミスという言葉は、あれは民間航空の用語であって、軍用機にはニアミスという用語は本来的にない。だって、戦闘機同士近づかなかったら敵を撃ち落とすことはできないわけでございます。そうでございますね。安全ばかり考えておって離れておったらば、これはサーカスということになるわけです。したがって、御承知のように全日空と自衛隊機の、戦闘機の衝突事件がございまして、たくさんの人命が失われましたが、あれは演習の標的として使われておったというふうに軍事専門家から言われております。そしてまた、最近聞いたんですが、沖縄の米軍基地で、沖縄の米軍が普通以上に民間機に接触する、いわゆるニアミスが多くて困っているという問題、これは私は湾岸戦争と結びついているんだろうというふうに思うわけです。  そういう問題と、もう一つ政令の問題については森教授が詳細に、また明快に報告されましたので、違った角度から申し上げたいと思うのですが、御承知のように法規には最高法規の憲法とその下の法律と政令あるいは規則、大きく分けると三つございます。これは学説上法の段階構造、シュテューフェンテオリー、法律というのは段階のように存在する。最高法規の憲法、その下に、中段に法律、その下に政令がある。そしてそこの関係は、これは法学の講義でお聞きになったと思いますけれども、まず下級の法律は上位の法律である憲法に根拠を持ち、憲法の範囲内でしかつくれない。そしてまた、政令とかあるいは規則とか、そういうものは法律を根拠に持ち、法律の範囲内で、したがって範囲を逸脱したり内容が違反しておった場合には無効であるという、これは憲法九十八条に最高法規の規定がございますね、そういうことになっております。これは説明するまでもなく、例えば憲法二十六条には教育を受ける権利、「法律の定めるところにより、」「教育を受ける権利を有する。」それに基づいて学校教育法がつくられる、その学校教育法に基づいて文部省令の施行規則というふうになってくるわけでございます。  そこで、先ほどの政令の根拠条文は、御承知のように自衛隊法の百条があるわけですが、実はこの百条というのは、また法律の構成自身も御承知だと思いますが、実は百条というのは第八章の「雑則」に入っているわけです。雑則というのは、本則じゃなくて雑則、雑巾の雑、要するに本則じゃない。したがって、自衛隊法三条に基づく、任務に基づく基本的なものは第八章の「雑則」には入れないという、これはやはりルールがございます。したがって、法律の専門家というのは余り雑則なんというものは見ないわけでございますね。それほど大した問題じゃないわけです。  ところが、実はこの自衛隊法にはさまざまな問題がございますが、そういうことをやっていると切りがありませんが、例えば百三条の「防衛出動時における物資の収用等」、防衛出動命令というのは御承知のように七十六条で、日本が外部から武力攻撃を受けた場合、または武力攻撃のおそれあると判断した場合に、内閣総理大臣が防衛出動命令を下すことができるわけでございますが、その防衛出動命令が下りますと、命令に反抗したり、服従しなかったり、脱走する隊員はもちろん、その教唆、扇動、幇助までも七年以下の懲役になるというような規定がございますが、この百三条には、物資や建物の収用や、土木建築工事、輸送業者に対して、いわゆる昔の言葉で言うと徴用できるという規定がございます。これは戦前の徴発令や国家総動員法という、これは単独立法でつくられなければならぬ問題だったのが、その雑則なんかに入っている。これは国民主権の、国民がつくり、国民に知らせる義務、そういう点からして私は問題だと思うのです。  そのことはともかくとして、この百条を見ますと、百条が「土木工事等の受託」、百条の二が「教育訓練の受託」、三が「運動競技会に対する協力」、四が「南極地域観測に対する協力」、五が「国賓等の輸送」ということになっているわけです。国賓等の輸送については先ほど詳しく、しかもまたその規定の中身も、大体この百条に規定されている事業から見て、自衛隊の本務、防衛出動とか治安出動という本務とは関係ないということはおわかりだと思いますし、また規定の仕方も、例えば「土木工事等の受託」については、「長官は、自衛隊の訓練の目的に適合する場合」とか、あるいは「任務遂行に支障を生じない限度において、」とかということで、まさにその本務に対して、いわば本則に対して雑則という規定になっているわけですね。そうしますと、このような並べ方からしまして、自衛隊の輸送機の海外派遣というのはどう見ても、このようなものから見てどう考えても、類推解釈というのがありますけれども、それとは異質のものだということは常識的にわかるだろうと思います。  そしてまた、御承知のように今度は避難民の輸送。避難というのは一種の災害でございますが、これは自然災害ではなしに、軍事災害と言っていいと思うのですね。災害あるいは緊急事態というのは大きく分けて四つございますね。一つは、大地震とか洪水などの自然的災害。第二がインフレやパニック、あるいは石油の輸入がストップするというようなことは、これは経済的災害になるかもしれませんですね。あるいはまた食糧の輸入がストップするというような事態は、これはやはり経済的災害になるかもしれません。それと、内乱や革命などの政治的災害、あるいは戦争やクーデターなどの軍事的災害という四つございますが、御承知のようにその災害については災害対策基本法などがございますが、この海外出動、海外についての問題については、あれは六十二年でしたか、国際緊急援助隊の派遣に関する法律というものが制定されておりますが、ここでは自然災害に大体限られておりまして、御承知のようにこれは戦争とか、そういう災害を予想していない。したがって、第三条の別表に、関係行政機関との協議の規定がございますが、警察庁、科学技術庁、環境庁、国土庁、文部省などございますが、防衛庁は入らなかったのもそういう関係があったからでございます。  そして、ちなみに申しますと、防衛庁の長官官房の法規課が監修した「防衛実務小六法」というのがございますが、平成元年度に出されたのには、国際緊急援助隊の派遣に関する法律というのはそこに入っておりません。まさにこれは実務の対象にはしていなかった。そういう点でもこれを入れるということは──しかもまた自衛隊法は、御承知のように直接侵略、間接侵略から日本を防衛するということで、しかも先ほど七十六条について申し上げましたように、外部から武力攻撃を受けた場合、受けるおそれのあると判断した場合で、したがって活動する領域は日本の主権の及ぶ領土とか領海とか領空ということが大体原則でございまして、海外に出るということは予想していなかったわけでございますね。そういうことから見て、これをするということは、実は政令で法律を変えることになるのではないか。言いかえますと、国会の権威が無視されたということになろうかと思うのです。そしてまた、これは同時に憲法に違反するということで、憲法を変えるということになってくるのじゃないだろうか。これはやはり近代立憲主義秩序、法秩序を根本的に覆す重大な私は問題だろうと思います。しかもその緊急事態というのが自然災害とか経済災害、要するに軍事力を必要としない。もちろん自然災害でも、例えば関東大震災には戒厳令がしかれて軍隊が出動いたしましたね。あるいは米騒動、あれは経済災害と言ってもいいかもしれませんが、経済災害から政治災害になったわけですが、あのときにも戒厳令がしかれて軍隊が出動いたしましたけれども、そういうのとは違ったいわば軍事災害、少なくとも軍事災害が起こる可能性のあるところへの派遣だと思います。  新聞報道によりますと、防衛庁が保険会社に、今の保険では御承知のように戦争による死亡は保障の対象としないという規定がどこにもありますので、したがって今度行く自衛隊についてはその適用を排除してほしいと。それは明らかにそういう一つの危険なところで、しかも輸送機といっても軍用機でございますから、これはやはりねらわれる可能性がございますね。恐らくそういうことを予想しているということを考えますと、これはもっと重大な問題になってくると思うのです。それだからこそ国民の間に、とりわけ女性や子供たちの間にもこれに対するさまざまな批判が出てきているんだろうというふうに思うわけです。  そのくらいにいたしまして、先ほどの森さんのお話は主に国内問題に絞られておったので、私はいわゆる国連協力との関係あるいは日米協力との関係、いわば対外関係と日本国憲法をどう考えるかという視点から問題を見たいと思うのでございますが、第一の問題は国連協力との関係でございます。  結論的に申しますと、国際連合というのは端的に言って本質は何だという場合に、二つの顔を持っていると言ったらよろしいと思うのです。一つは平和十字軍、もう一つは人権十字軍。ちょうど昨年の湾岸危機から国際連合平和協力法案というものが提案をされて、平和協力だけが協力のように皆考えられています。しかし、その平和の「平」には実は大変重要な問題がございまして、例えば討ち平らげるとか平定し平伏させるというような「武力によってそういう物騒な「平」もございます。したがって、平和には武装平和と非武装平和があるわけです。  それともう一つは、国連の重要な面は、人権十字軍というふうに言われる。すなわち、第一次大戦までは国際人道法から国際人権法に発展したという。多くの国際法学者が国連を平和十字軍。人権十字軍は異常な場合、暫定的な場合で、恒常的には平和十字軍という。そのための経済的、社会的協力ということが中心だというのがあるわけですが、それが忘れられている面があるんじゃないか。そして日本はさまざまな外国から、経済的には先進国だけれども人権後進国とか、貿易は黒字国だけれども人権赤字国。多くの人権条約がありますが、それをほとんど批准をしておりません。  そういう問題があることだけを先に指摘しておいて、将来国際社会の中で名誉ある地位を占めるというときに一体どちらを我々は選ぶのかという問題があることだけを指摘して、時間をちょっとオーバーして申しわけございません。終わりたいと思います。(拍手)

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 ありがとうございました。  次に、牟田口公述人にお願いいたします。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 牟田口でございます。  私は、中東を中心とした国際関係を今大学で教えております。私が中東とかかわったのは、今からもう三十三、四年前、新聞社の中東特派員としてカイロに着任して以来のことでございました。その後、新聞記者の経歴としては、パリにも参りましたが、フランスも地中海を隔てて中東地域とは歴史的に深くかかわっている。こういうわけで、私は地中海から中東にまたがる地域の歴史、近代においては国際関係、そういうものを現在大学で教えているわけです。  とにかく私、昭和三十五年でしたか日本に戻りまして、大変特派員生活が、緊張となかなか魅力のある世界を取材してまいりましたので、これからずっと中東をやっていきたい、一生の命題にしていきたい、こうさる大先輩にしゃべりましたら、彼はしばらく首をかしげておりまして、君、あそこにあるのは砂漠とラクダとそれから回教とそれから油か、そんなことが一生研究するテーマになるかね、そんなことをやっていたら、君、出世しないぞなんて言われましたけれども、私は非常にその先輩には申しわけないけれども、おもしろかったから現在に至っているわけです。  かいつまんで申しますと、この中東という地域が日本人にとっては大変知られていない地域であったということでありまして、その点私は新聞記者で、足で書けなんて言われまして、あのころよくクーデターや革命が起こりまして、中東全域にとにかくこの足で出かけ、目で見、肌で感じなくてはいかぬ、あそこへ行ったらどんなにおいがするか、どんな色があったかとか、そういうことまで見て、肌につけて、それで考えてきたわけでございます。  なぜ中東はこんなに日本に知られていないのかということは、第一次石油危機の際にはっきりいたしました。とにかくあのとき、第四次中東戦争の最中に、アラブ産油国がイスラエルに味方している国々には石油を売らないとか削減するとか言って、これはイスラエルが占領地から撤退するまで続けるということになりましたので、世界じゅうがパニックに陥った。なぜかと申しますと、そのころは高度成長の真っ最中でありまして、先進国は石油の大量消費国であった。こういうわけで、石油が来なくなったら今までの経済成長はぱたっと終わってしまう。現実にその翌年は各先進国ともにマイナス成長に落ち込んだわけでございますが、これに際して日本は、そのときは官房長官談話という形の新しい中東政策を出してこれを切り抜けて、アラブの非友好国というレッテルを張られずに済むことができた。  そのころ、私も記憶しておるのですが、アラブに関する本がたくさん出まして、ちょうど現在の本屋さんの店先のようでございまして、その中には相当際物的というかあんちょこ的といいますか、アラブ何でも百科とか、イスラムがわからなくてもアラブはわかるとか、妙なタイトルの本まで出て売られておりました。  それで、とにかく切り抜けた。私は、あれは近代日本にとっては第二の黒船であった、日本政府に衝撃を与えた点では第二の黒船であったと思っておるのですが、どうにかそのアラブがわかったと思ったころ、今度はその五年後に第二次ショックが起こった。この石油危機はイラン革命、ホメイニさんのイラン革命から起こったわけで、このときはホメイニさんはイスラム革命と言っておりまして、イスラムがわからないとイランもわからない、この革命もわからないということになりますので、今度はイスラム関係の本が随分出たという記憶を持っております。  それからさらに今度は十何年たつわけでございますが、その間我々日本人は、我々と申しますのは日本のトップも含めてでございますが、何か中東というところを忘れてしまったような感じがある。その一番の原因は石油の需給が緩んだということでありまして、いろいろと中東にカントリーリスクがあるかどうかと考えるよりも、石油は黙っていれば契約一本でいつでも入ってくるというような安堵感があった。すなわち、石油の需給が緩んで市場に石油が余ったということをオイルグラットと言うそうでございますが、我が国はこの十年間、オイルグラットの大船に乗って安心していたのではないか、そこへイラクの大統領というような、全く我々の考えるタイプとは違った政治家があらわれて今度の危機を起こした。これが第三の危機ではないか、こう思うのであります。  考えてみますと、戦後の新しい日本に危機はいつどんな形で訪れたかということを、私この半年来昔を思い出してみたのですが、そうしたらあの第一次石油危機が日本にとっての初めての危機であった。考えますと、日本の周辺のアジア諸国では、朝鮮戦争がありあるいはベトナム戦争があった。しかしながら、これは日本にとって危機ではなかった。また、ソビエトという国が北の方にいまして、日本の仮想敵国だということになっておりまして、我が国は東西冷戦の国際体制の中でアメリカと条約を結んで、安全をアメリカに委託していたという事実はございますが、ソビエトが北海道をよこせとか、ある深夜突然にイラクのように攻め込んで北海道を一晩で占領してしまった、そのようなことは全くございません。そういう点で考えますと、あの経済危機が、一九七三年の十月から起こったあの経済危機が我が国の戦後の歴史にとって初めての危機ではなかったかと、あのときの状況を私よく覚えておりますので、そう振り返って見ておるわけです。  それで、二番目がまたまた五年後に中東から起こった。これは我が国の政策よろしきを得て、他の先進国よりはこの危機ははるかソフトに吸収することができた。しかしながら、これが世界の第二次危機、経済危機を招いたことは皆様御承知のとおりであります。  こういう点で考えますと、今度の危機というものもこの延長線上にある。すなわち、危機は常に中東から来ていた。現在もしかりということであります。よく俗に言われる言葉で、中東は世界の火薬庫と言われますが、まさにそのようなことが現実として起こっていた、こういう世界が中東であった。  この半年来、我が国ではマスコミその他でしきりに危機管理という言葉が使われまして、いろいろと論文を読んでみますと、危機管理学という学問の一分野があるということを私初めて知りまして、私が今まで考えていたことはなるほどこの危機管理学の中に入るのか、こんなふうに思いました。すなわち、危機に際して我が国政府はどのような政策を速やかに実効あるように行うべきかという、そういう体制が整っていたのかどうかという問いに対して、ネガティブな答えの方が多いのではないかということであります。  そこで、具体的な例はいずれ挙げることといたしまして、この危機管理というのは日本の将来の安全保障に結びついている。すなわち、中東は火薬庫であると同時に、日本にとっては日本の将来を占うための場所であって、それは石油でございまして、第一次石油危機のときには我が国の石油輸入額は全体の中で湾岸から約八〇%ですね。それで、去年でさえ、もう既に数字が出ておりまして、七一・五%であったということになります。そうなりますと、この近代社会、工業化社会を進めて我が国の繁栄を続けていくためには、中東の石油が安全かつ豊富に、恒久的に輸入されなくてはならない。そのためには、石油はこの場合は経済問題ではなくて、政治の一分野として、政治の中でこれを考えるべきであろうというふうに私は考えるのであります。  私は、イラクの与党バース党が三十年記念で世界からお客さんを呼んだときに、私は日本から一人呼ばれて行きまして、そのときフセイン大統領、そのときは副大統領でしたけれども、フセイン語録なんという本をちゃんとバース党が外国語に訳して用意しておりましたので、それを買って、日本との関係がフセインさんの外交政策の中に出てくるかと思ったらちゃんと出ておりまして、相互補完という言葉を使って言っておりました。我々は日本が欲しい石油を持っておる、日本は我々が欲しい技術を持っている、そういうわけで両国の間は相互補完の関係が成立する、だから経済を中心とした両国関係は大いに発展させるべし、両国関係の前途は洋々たるものがある、こういうことを言っておりました。  そういうわけで、中東諸国も日本に対する期待は大きい。それから、我が国といたしましても、中東は大いに企業その他の進出すべきところであると同時に、今度はそのような国々の将来のためにいろいろなお手伝いをする必要もあると思いますので、政治的にこの中東諸国とのパイプを太く、しかも柔軟に用意しておくことが必要であろう、こう思うのであります。  次に、昨日湾岸戦争は一転機を迎えました。すなわちイラク政府が、バグダッド放送によれば、撤退を持ち出した。いろいろ条件をつけておって、これからどうなるか、まだまだ第一回の声明だけでは、これで戦争が終わるかどうかは私は甚だ疑問視しておりますけれども、とにかく戦争はそんなに長く続くものではない。多国籍軍の筆頭をなすアメリカは人口は二億数千万でありまして、イラクはわずか千八百万です。イラクが幾ら頑張ったって、弾が尽きればこれは運の尽きだ、勝敗の分かれ目は決まっているわけでありますから、間もなく、その期日を限ることは難しいですけれども、戦争は終わるであろう。  そこで、もう我々はこの中東、ブッシュ大統領が新秩序と申しておりますが、その青写真を考えておく必要があるということでございまして、ここで私の提言を申し上げますと、まず関係諸国の、主権国の領土保全、これが第一である。すなわち、クウェート首長国の領土保全、そしてイラク共和国の領土保全、これがまず第一であります。  そこで、イラクを撤退させるためにこれ以上の爆撃及び攻撃を続けまして、イラク人に死傷者を与えれば与えるほど、戦後のアメリカが描いている青写真の実現は難しくなるんであろうということをアメリカの政府当局にも考えてもらいたいと思うわけであります。と申しますのは、中東と言わずとも、イスラム世界、今から百年前、十九世紀のイスラム世界を見ますと、これはヨーロッパ列強の植民地となって搾取されていた、そういう地域でありまして、これらの国々が独立したのは第二次大戦後がほとんどであります。そういうわけで、列強帝国主義による搾取の跡というものが血の中に残っている。そういうところでイラク共和国の体制破壊まで試みて、国連安保理決議の線を逸脱してしまうと、これは単に新秩序づくりということではなくなって、そういう一般大衆の心理の底にある反西洋という感情を噴出させてしまう。それが既に現在ではあちこちでデモとなってあらわれているということがございますので、そういう点を心して行わなければならない。  それで、もう時間になりましたが、そこで日本の貢献策について一、二申し上げます。  中東の平和の実現のために日本は大いに金を出さなくちゃならぬというのが私の考えでございます。すなわち、中東には日本の将来の、日本のあすの安全保障がかかっている。そういうことから考えますれば、いろいろな危機が起こった場合には、危機の解消、そして秩序の回復のために日本は応分の努力、それには金銭的努力はもちろんでございまして、しなければならないということでございます。  すなわち、この夏以来の湾岸危機における我が国の対応を見ておりますと、私個人といたしましては歯がゆい面が随分多かった。例えば難民救済の問題でございます。最初クウェートから何十万という難民がヨルダンの方へ逃げてくる。調べてみますと、クウェートには九十一万人のエジプト人及びアジア系の労働者がいる。白人はわずか千か二千でございます。この連中が着のみ着のままで逃げ出すというときに、私は現地に暮らした経験がありますので、彼らののどの渇きを真っ先に思ったですね。だから、日本は真っ先に飛行機を送って、ジャンボの飛行機の中にミネラルウオーターをたくさん積んで持っていけ、それからその次に政策を考えていけ、難民救済の先頭に立つべしと僕は思ったのでありますが、その後の我が国政府の政策の中身を見ますと、救援機を飛ばすという点に関しては世界の中で我が国が一番貢献している、援助額が多い、そして現地当局は大いに感謝している。しかしながら、日航機と全日空機が現地に届いたのは九十九番目か百番目であったということで、その他の例えば北欧からの飛行機とかいうものが日本から出したお金で飛んでいるのにもかかわらず、その日本の援助というプレゼンスが出ていないということであります。やはり外交は足長おじさんであってはいかぬ。やはりタイミングを心得て、難民救済は日本はアジアの一国としてその先頭に立つと言えば、これは軍事費の問題ではなくて、ヒューマニズムの問題でありますから、国際赤十字その他の国際機関を使えば容易にできることではないかということでありまして、今後はそういう面では大いに率先してそういう面からやってもらいたい。  その大原則となるのは、日本はアメリカと違うということであります。日本はアジアの一国であって、アメリカの大陸の一国ではない。アメリカもまた、逆もまた真なりでありますから、我が国といたしましてはアジアの一国、すなわち東南アジア及び中東の諸国とのつながりを忘れずに、その上に立ってアメリカと協力し、日本の将来の安全保障の政策を立てていくべきではないか、こう思っている次第でございます。  どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 ありがとうございました。  次に、一河公述人にお願いいたします。

一河秀洋中央大学教授

○一河公述人 中央大学の一河でございます。  平成三年度の予算についての意見を陳述する機会を与えていただきまして非常に光栄に存じます。御礼を申し上げる次第でございます。私、実は専攻が財政学でございますので、平成三年度の予算全般についての意見を陳述させていただきたいと存じております。  平成三年度の予算でございますが、この平成三年度の予算には非常に難しい課題が求められていると言わなければならないだろうかと存じております。と申しますのは、長いこと懸案でございました財政再建、これが平成二年度、今年度においてまず第一段階の目標を実現いたしました。そこで、平成三年度におきまして今後中期的あるいは長期的に財政運営をどのように方向づけていくか、これが平成三年度の財政の課題だろうかと思うのでございます。  考えてみますと、確かに平成二年度におきまして財政再建の第一段階の目標が実現されておりますが、これは一つには国会、政府の御努力があり、しかしながら一つには幸運な事情があったと言わざるを得ないかと思うのでございます。つまり、一つは概算要求基準の設定等によりまして歳出増加を極力抑えつけた、それも一律に抑えつけた、こういう事情が一つございます。しかし、いま一つには、大型景気とバブル経済によりまして税収の自然増が極めて大きな金額に上った、これが財政再建の有力な一因だったことは否定できないところであろうかと思うのでございます。  ところが、その後を受けまして、平成三年度の予算はいわばポスト財政再建初年度でございます。さまざまの課題がございます。  第一には、今後高齢化社会が進行する。国際化が進行して、前お二人の公述人の陳述にもございましたように、我が国の負担が増大をする。国内的には社会的なニーズが激変をしてきております。その中で行政を支える財政としてどのような前向きの姿勢をとり得るか、あるいは方向づけができるか、これが平成三年度予算の一つの課題だろうと思うのでございます。  また、もう一つ平成三年度にとって困難な課題は、景気後退の可能性がかなり強く出てきておりますし、少なくともバブル経済は崩壊しつつあるわけでございまして、税収の伸びが鈍化してまいります。税収の伸びが鈍化する中で、財政運営の自由度あるいは健全性を確保するために公債依存からさらにどのように脱却できるか。いわば財政の支出を増加させる要因、しかも収入の伸びを低下させる要因、この二つが絡み合っている中で、対立している政策目標をいかに両立させるか、これが平成三年度の財政運営の困難な課題だろうと考えられます。  そこで、このような観点から平成三年度の予算を拝見いたしますと、表面的にはきれいにまとめ上げられているという感じがいたします。と申しますのは、一つは、租税負担率が昨年と申しますか平成二年度の二八・三%から二七・四%、見込みではございますがこれは十六年ぶりの低下でございます。  第二には歳出増加でございます。歳出予算規模、殊に政策経費と言われております一般歳出の大きさが前年度当初比で五・三%増、これは昭和五十四年度、つまり財政再建を言い出してから以来の伸びになっております。殊に公共事業費は同じく前年度当初比で六・〇%の伸びでございまして、日米構造協議で決着を見ました四百三十兆円の十年間目標、これについて、地方単独事業の大幅の伸びということもありますが、全体として見ますと必要な伸び率六・三%を確保しております。  そして第三に、中期財政計画で見込んでいるほどではございませんが、公債依存度を低下し、建設国債の減額にまで踏み込んだ、その意味では財政再建路線が一応は継続をされている。  この意味で、平成三年度予算は、負担の抑制、歳出増加、しかも財政収支バランス、一見したところ矛盾する要求の極めて微妙なバランスを図った予算だ、こういうふうに見えるのでございます。  しかしながらその反面で、少し立ち入って考えてみますと、平成三年度予算にはさまざまの問題点がございます。特に三点ほど申し上げたい点がございます。  第一は、表面的な歳出増はかなり積極的な政策姿勢を示しているようにも見えるのでございます。ところが、前年度当初比で比較をしてみますと大きな伸びになっております。しかし、実は予算の中に確実な補正要因である給与改善費等を一部既に盛り込んでおりますから、その意味ではある程度総合予算主義でございます。そこで一次補正後と比較をしてみますと、三年度予算、歳出は必ずしも大幅な増加とは言えないし、積極的な政策姿勢が見えていると評価することは必ずしもできないだろうと思うのでございます。  例えば、公共事業費は前年度当初比では六・〇%の伸びである。しかし、対補正後では三・二%ほどの伸びにすぎません。あるいは内容的に見ますと、生活関連重点枠というものはございます。しかし、全体として見ますと、省庁別あるいは目的別の配分、これはいわば一律増分主義が続いておりまして、いわば重点がございません。少なくともこの予算を見る限りは、将来の豊かな生活はどのようなものであろうかということのイメージが一向に浮かんでこないのでありまして、この点は極めて残念と思うところでございます。  総理府が昨年五月に実施をいたしました「国民生活に関する世論調査」がございます。これを見ますと、国民の中で、自分の生活程度が中流であると意識をしております者は八九・〇%ございます。まさに一億総中流意識でございます。ところがその反面で、資産程度について中流と考える者はということになりますと七八・一%で、途端に落ち込むのでございます。しかも、下流であると考える者が、生活意識につきましては七・二%程度ですが、資産程度につきましては一五・二%、二倍以上になります。あるいは、この調査は中を「中の上」「中の中」「中の下」と分けておりますが、「中の下」と「下」に属するとみずから資産程度について考えております人の比率は四五・六%、国民のほぼ半分が資産についての強い格差意識、窮乏感を持っていると言って差し支えなかろうかと存じます。この点で、平成三年度の予算は、このような国民の要求にこたえるための方向づけを持っているとは到底言えないと言わざるを得ないと思うのでございます。  住宅、生活環境整備あるいは土地等の施策について、重点的な御配慮をいただきたいものでございます。  また、この点に関連をいたしましては、平成三年度税制改正として土地税制の見直しがございますが、必ずしも徹底したもの、十分な効果があるものとは期待できないわけでございまして、この点も残念に思うところでございます。  第二に申し上げたいのは、予算の前提でございます。さしあたって前提となっております経済見通しは名目五・五%、実質三・八%、これは昨年の十二月でございますから、湾岸戦争以前のものでございます。さしあたっては先ほどからるる問題になっております九十億ドル、この九十億ドルについて、たしか経済企画庁の試算では実質成長率も消費者物価も〇・一%程度の影響にとどまるということでございますが、果たしてその程度にとどまるかどうか。心理的な影響もありましょうし、景気の世界的な落ち込みということもありまして、少なくとも予算の前提になっている成長率を今年度達成できるということは極めて疑問に思うところでございます。そうなってまいりますと、税収が見込みに達しない。しかも、今後戦後復興援助、あるいは湾岸危機からの余波を受けました近隣途上諸国援助、さまざまの必要性が歳出増加にはね返ってこざるを得ませんでしょうから、平成三年度予算は歳入の前提も歳出の前提も既に崩れている。よほど積極的な歳出抑制を心がけないことには、国民負担率のかなり大幅な上昇か、あるいは大量の赤字国債の復活か、いずれかの道を歩まざるを得ないことにならざるを得ないのではなかろうかと懸念をいたします。  この意味では、平成二年度第二次補正予算にしても、安易な増税による財源調達というものは避けるべきでございまして、いわば戦争関連支出、湾岸戦争支援のための支出というのは、ある意味では世界的な安全保障という国際的な公共財のための費用分担でございます。その意味では、湾岸戦争は我が国の安全保障を考えるための新しい条件ができてきたと言えるわけでございまして、平成三年度に始まります新中期防衛計画にいたしましても、基本的な条件が変わってきているあるいは変わってきている可能性がある以上は、初年度分から積極的に見直しが考えられるべきではなかろうかと思うものでございます。  最後に、いま一つ申し上げたいのは地方財政対策でございます。  交付税特例減額五千億円あるいは法定加算の繰り延べ二千五百四十五億円と、いわば財政収支のバランスをとるために地方財政に対するしわ寄せが行われている、こういう言い方をしてもよろしいのではなかろうかと思いますし、これは極めて重大な問題だと思うのでございます。  今後高齢化社会がさらに進行してまいりますと、年金あるいは医療にとどまらず、さまざまの福祉サービスが必要になってまいりますし、この福祉サービスは全国一律のものではなくて、地域によって非常にニーズが異なっております。あるいは高齢化と労働時間の短縮、これは逆に言いますと自由時間の増大でございまして、この自由時間の過ごし方に対する行政のニーズ、これが新しい行政ニーズとして出てまいりましょうし、これも地域によって住民の選好の非常に異なる分野でございます。この意味では、地方財政にゆとりのあることは非常に望ましいことでございまして、この際地方財政のゆとりを国の財政のやりくりこ回すのではなくて、地方自治体の独自行政の範囲を大いに拡大することに回すのが望ましい、国の財政のしわ寄せを安易に地方財政に先送りで行っていくことは厳に慎むべきではなかろうかと思うのでございます。  また、この点に関連をいたしましては、昨年末、国会は国会及び行政機能の移転決議をなさっております。二十一世紀に向けまして、東京一極集中是正、多極分散、この方向づけをなさったわけでございまして、非常な卓見であると敬意を払っております。この卓見を姿勢だけに終わらせないで、早速にも方向づけを行わなくてはならないと思うのでございます。  しかし、このような我が国の経済の多極化を行おうとする場合、前提になりますのは中に何を入れるかということでございまして、中央省庁の機能拡大、中央集権、これをそのままにしておきながら地方分散、これはいたずらに効率を落とすだけで、意味のないことだと言わざるを得ないだろうと思うのでございます。多極分散の前提は、やはり中央行政機能の圧縮、地方分権化でございまして、一時的な財政状況から国の財政運営のやりくりのしわ寄せを地方財政に押しつけるのは極めて大きな誤りだと言わざるを得ないだろうと思うのでございます。この三つの点で平成三年度予算について不満を持つものでございます。  以上、平成三年度予算についての総合的な私見を陳述をさせていただきました。ありがとうございました。(拍手)

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 ありがとうございました。     ─────────────

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。原田義昭君。

原田義昭自由民主党

○原田(義)委員 それでは、時間も限られておりますので、二、三点お聞きをしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。  まず、星野先生にお伺いしたいのでございますけれども、先生は、仮に今度自衛隊機を難民避難のために使うという場合、この仕事といいますか任務を自衛隊の本務とお考えですか、それともそれ以外の仕事とお考えですか、これをお聞きしたいと思います。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 現行の自衛隊法を前提としますと、本務ではございません。

原田義昭自由民主党

○原田(義)委員 私は、先ほどの先生の御説明、階段構成というのですか、憲法があって法律があって政令がある、これはそのとおりだと思います。その上でこの雑則の条文を一つ一つ読んでみますと、例えば土木工事、それから教育訓練、運動競技会への参加等々、これは先生がおっしゃったように、いずれも自衛隊の本務ではないわけであります。この自衛隊法の三条に「自衛隊の任務」として書いておりまして、国を守ることが「主たる任務」ということが書いてあります。これは、言ってみれば「主たる任務」以外にも仕事があるということを明らかにして、それを雑則で書いておるんですね。  ですから、先生は、仮に今回難民の問題があるとすれば、これは雑則で書くのはおかしいとおっしゃいましたけれども、それは一つの議論です。ただ、私は、本務でないものを書くのは雑則だというルールというのはここにきっちりできておると思うんですよ。これについてはいかがでしょう。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 いや、私が申し上げましたのは、今の自衛隊法の枠から外れるということを申しましたので、さっきの避難民の、それは人道主義と言うからには実は前提があるわけですね。例えば、御承知のように国際赤十字ができたのは戦場にも愛をということで、要するに敵国の負傷者にもするということで、いわば中立的な、したがって民間事業だったわけです。ところが、片方で今度は九十億ドルのいわば戦費を、午前中にありましたように、いわばイラクと多国籍軍は敵対的な、そういうところにしておいて、それはやはり中立をも破っているという、そういう点で私は問題があるということを申したわけです。  そして、先ほど言いましたように、ですから今度は国際緊急の改正という問題が出てくる。そのときに自衛隊を使うというときに、今度はまた憲法との関係が問題になってくるということを申し上げたわけです。

原田義昭自由民主党

○原田(義)委員 私は、今法律論をやっておりますから、中立かどうかではございませんで、要するに権能として「主たる任務」以外のことを自衛隊が確かにやろうとしているわけですね。そういう意味で、それをこのどこかの条文で読めないかということでございます。それで、今土木何とか、教育訓練、こういうことです。その最後の項目に「国賓等の輸送」、こういう文章の中の政令で今書こうとしている。これについてはさんざん議論がございましたけれども、私は、その政策的な是非、今おっしゃったように中立だからどうだ、それから人道的にどうだというのではなくて、自衛隊の権能としてこの百条の五の政令の中に、向こうに派遣して、しかもそれは自衛隊の主務でも何でもない、これは人道上避難民を救うという、そういう目的のために飛ぶと言っているのですね。このことは、政令に入れるについてどうかにつきましては、確かに国賓と避難民を一緒にするのはおかしいな、確かに座りは悪いなというような議論があるのですけれども、法律上の権能、この政令の中に書き込むということについては余り問題はないような感じがいたしますけれども、どうでございましょうか。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 先ほど申しましたように、法治国家というのは、憲法を頂点として、それこそ手続的にも内容的にも、統一性がなくて、それを逸脱したらばそれこそ法治国家じゃなくなる。そういう点で申し上げましたし、なぜ避難民を救済するのに自衛隊機を出さなくちゃいけないのか。それこそ国費で民間機を借りてということもあり得るわけですね。その問題が実は憲法秩序と関係があるわけでございます。

原田義昭自由民主党

○原田(義)委員 それは、法律論として今議論しているわけであって、政策論を、べきかどうか、これはまさに国会ないしは内閣が責任を持ってやるわけでございますが、法律論としてはこの中に入るべきか、入ってはいけないということにはならない、私はそんな感じがいたします。  それから、次は牟田口先生に、もう時間がありませんから、お聞きしたいと思います。  今度、きのうのイラク等の発言等大変驚くべきことが毎日続いておるのですけれども、私は、この戦争につきまして、何をおいても一番驚いているのは、イラクはこれだけの軍事力を持っておった、このことについて大変びっくりしておるわけであります。この一カ月戦った後、改めてアメリカの行為それから多国籍軍の行為というのはやはり大事であったな、そんな感じがいたします。  ただ、将来にわたってもちろん平和を何とか追求しなければいけないわけでございますけれども、イスラエルのリンケージの問題について、大変難しい問題なんですけれども、率直な意見を聞かせていただきたいのは、アメリカは大変このリンケージの問題を心配に思っているのですけれども、我が日本がイスラエル、あのパレスチナの問題をどう考えるべきか。アメリカとの関係では確かに一緒に主張しなければいけないのでしょうけれども、戦争、これを和解するということの前提ではこれは絶対おかしいですよ。しかし、そもそもパレスチナ問題について我が国がどういう立場をとるべきかにつきまして、歴史的に見ても、私はやはりイスラエルは今相当がめっておるな、これに対して何とか早く撤退をするようにということについては、日本としてはおかしくない議論だろうと思います。ただ、アメリカが非常にそれを心配しておる。アメリカにはそういうユダヤ人がたくさんおるということもありまして、このことももちろん考慮しなければいけません。そういう意味で、私は、この戦争が終わった段階で、この問題についてはやはり日本独自にイスラエルを説得する、アメリカをも説得するというような気構えが必要だろうと思います。先生がおっしゃいましたように、中東は世界の火薬庫ということを言われました。いつでも紛争が起こる可能性がありますけれども、やはりイスラエルの問題をこの日本が独自の立場から主張する、また説得に当たるということが必要だろうと思いますけれども、先生はどうお考えでしょうか。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 ただいまの御質問、同感の面が大変多くございます。  中東和平の問題、まず第一にこの湾岸の平和、それから中東全体の平和ということを考えますと、まずフセイン・イラク大統領が撤退して、クウェートをもとの状態に復すことが第一。この問題とパレスチナ問題とは別個なものであるから、これをリンケージさせてはいけないというのが私の考えでありまして、それはブッシュ大統領の御意見とも一致している点が多いのではないかと思います。と申しますのは、今まで中東は世界の火薬庫と言われていたのは、このパレスチナ問題、すなわちアラブ・イスラエル紛争があったからでございます。ですから、その紛争が、もう四度も戦争をやって、いまだに解決の見通しがつかない。何か見通しがつきそうな希望の灯がぽっとともると、それが間もなく別の状況によって消されてしまうというようなことが今まで続いてきたのが現状でございます。  そこで、このリンケージ問題について申しますと、我々は少なくともこの二十世紀のうちにアラブ・イスラエル紛争を解決して、ここに恒久的な平和をもたらすのが世界の火薬庫をなくすことでありますから、そのために努力しなければいけないわけでございますけれども、このイラクの行為とパレスチナ問題とは別であって、俗にアラブの大義と言うパレスチナ問題というのは、イスラエルによって奪われたパレスチナ人の権利を回復すること、これが大前提で、俗にアラブの大義と言われておるのでありますが、それを今しきりに持ち出しているのがフセイン大統領で、彼は盛んに自分がパレスチナ問題の解決のための口火を切っているような印象を世界に与えておりますけれども、私から見れば、せっかくここまでアラブが築いてきた国際社会への共感、アラブの大義に対する共感をぶち壊している、足を引っ張るというかぶち壊しているのがフセイン大統領ではないかと思うのであります。  そういうわけでございますから、まず、この湾岸の平和がもたらされた後には、国際社会は責任を持ってこのアラブ・イスラエル紛争の解決のために努力しなくちゃいけない。そのためには日本もその責任を回避してはならず、大いに努力すべきであると思うのであります。  そこで、我が国はこのパレスチナ問題についてどのように対処すべきかということは、既に今から十七、八年前、オイルショックのときに官房長官談話として出された新中東政策というものがございまして、そこにすべて書かれております。これを踏まえて三木武夫首相が施政方針演説で中東問題を真っ先に取り上げた。日本の戦後の歴代首相で中東問題を施政方針演説に取り入れたのは三木さんが初めてでありまして、三木さんはそのときに国連安保理決議二四二の実施ということを言われたように記憶しております。  そこで、私は、我が国の中東政策がどのようなものであるかということを改めてここにおられます皆さんに思い出していただきたい、そんな老婆心からここに持ってきたのでありますが、とにかく我が国の新しい中東政策と申しますのは、一九六七年の国連安保理決議二四二の実施ということでありまして、それをさらに踏まえた三三八というものがございます。これは第四次中東戦争の停戦決議でありまして、六七年から六年たっている。しかしながら、その二四二がいまだに実施されていないので、中東平和にはこの二四二の速やかな実施が必要であるということをうたっている。  ですから、我が国の中東政策の根本たるものはこの官房長官談話に出ていることでありまして、その後、国会の答弁の記録を見ますと、当時の園田外務大臣、それから大平首相というような方々のこのパレスチナ問題に関する記録が残っております。それによりますと、日本はパレスチナ人の失われた権利の回復の実現に努力するということをはっきりとうたわれておりまして、それでは権利の実現とはどういうことかと国会で問われた際に、大平さんは、それは例えばここに、パレスチナの土地に、小さい土地でもそこにパレスチナの主権が確立されたら、それを独立国家として日本は承認するということである、こう言っておりまして、このような我が国の中東政策は、アメリカはもちろんEC諸国よりもはるかに進んでいるわけでございます。  それにもかかわらず、この現状を見ますと、二四二、三三八が現在でも実施されていない。そして、永遠に中東和平の原点は二四二と三三八にあると言われていながら、この国際社会はその実践を怠ってきた。それはたび重なる安保理の決議にもかかわらず、特に二四二の決議にもかかわらず、イスラエルは占領地から撤退しない。そして、それが現在まで二十四年も続いているという状態でございます。ですから、中東の恒久的和平の実現には、この二四二の実施のために国際社会が協力しなければならぬということでありまして、その中で一番怠慢であったという責任を問われる大国は、私はアメリカであったのではないかと思うものでございます。そして、我が国にも責任がその点ではないとは言えない。  この我が国の新中東政策の最後には、「わが国政府としては、引き続き中東情勢を重大な関心を持って見守るとともに、今後の諸情勢の推移いかんによってはイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないであろう。」と言って、俗に言えば、イスラエル政府に対してすごみをきかしている面が最後に一言書いてあるのでございますが、以来二十四年、我が国は対イスラエル政策を再検討したというようなことは私は記憶にはございませんので、やはり新しく湾岸の平和が回復したら、時を改めて適当な時期、しかも早い時期に国連を主体とした国連安保理決議二四二、三三八の実現への総合的努力を行うべきであり、日本はそのために積極的に努力しなければならない、こう思っております。  どうもありがとうございました。

原田義昭自由民主党

○原田(義)委員 ありがとうございました。

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 次に、新村勝雄君。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 三先生には御苦労さまでございます。  最初に、星野先生にお伺いをいたしますが、今国会の大きな論点の一つとして、いわゆる特例政令の問題があります。これは我々は明らかに法律の授権の範囲を超えて政令をつくったというふうに考えておりますけれども、そうであるとすれば、政府が授権の範囲を超えて、いわば政府の恣意によって行政が行われるという事態が予想されるわけでありますけれども、その場合に政府の恣意をチェックをする法的なあるいは制度的なものが明確でないという感じがするわけでありますけれども、その点はいかがでしょうか。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 その点は午前中に森さんが言ったことに私は尽きると思うのですが、例えば戦前でも、明治憲法でも、命令をもって法律を変えることができないとか、今の内閣法でも、特別の新しい権利を付与し、義務を課するような政令はできないという、明確に上位の法律に拘束されるというのは、これは近代法の原則でございますから、その辺は、言ってみますと、いわば国権の最高機関であり唯一の立法機関である国会の権威が否定されているということになるし、しかも戦前と違って、戦前は天皇の立法権の協賛機関でしかなかったのが、内閣は連帯して国会に責任を負い、国民に責任を負うという点で、それこそ国会の皆様がそれをどうするかということは、私どもも研究いたしますけれども、それは自分たちの権威においてそれをどう是正するかということは皆様の方の責任ではないかというふうに思うのでございます、責任を転嫁するという意味じゃなくて。その辺を我々がこれまで放置したところにやはり依然として天皇制的な政府中心の、政府という言葉は明治憲法の言葉で、今の憲法には「政府の行為によって再び戦争の惨禍」としか出てこないのですね。ところが、政府見解とかなんとかを求めること自身は、実は法律をつくったときにその解釈は国会がすべきであって、政府見解を求めるというようなことは本末転倒ではないだろうか。そういう日本のいわば国会中心の議会制民主主義の伝統がまだまだ弱い、それをどうするかというのがお互いに今後の課題ということだけを申し上げておきたいと思います。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 その問題については、確かに立法府がしっかりしなければいけないということはあるでしょうけれども、単にしっかりするというだけでは解決できないわけでありまして、いかにしっかりしても制度的な方途あるいは手続がなければ、これはいかにしっかりして頑張ってもどうしようもないということなんですけれども、政府の恣意を抑えるあるいはそれを抑制する制度的なものをやはりつくっていかなければいけないと思うのですけれども、それはどういう方法で、どういう手続でやるべきでございましょうか。それらについての御意見なり御助言なりをいただきたいと思います。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 それは森さんが年前中話したから私は繰り返しませんけれども、それぞれの国においてそのような伝統の積み上げの上に国会がさまざまな法律や制度をつくってきたということであり、したがいまして、やはりまたそういう規則や法律を国会自身が制定すればいいわけでございますね、そういう手続を。そして、それを守らせるか守らせないかということは、やはりこれはそれを支える国民の意識とかそういうことになってくるんだろうと思うのです。  今も申しましたように、そのような伝統の上にその伝統が確立されてそれを法規化したという、そのことによってその法規が、手続が実効性を持ったというのが森さんのお話だったわけでございますね。私もそうだと思うのです。そして、その幾つかの例は出されましたね。私もまたそういうことについては学界の共通の問題として研究いたしますけれども、いわばそういう共通の課題を持っているんじゃないかということを申し上げることしか今のところできません。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 立法府の力を一層強化をし、また立法府がしっかりしなければいけないということだと思いますが、その点について努力をいたしたいと思います。  次に、牟田口先生にお伺いをいたしますが、湾岸情勢が一昨夜来急変といいますか新しい状況に入ったというような感じがするわけでありますけれども、端的にニュースをお聞きになってどういうふうにお感じになりましたか。それからまた、今後の展開はどういうふうに行くであろうとお考えですか。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 ここで評論家というよりも私の個人的な解説をしなければならないと思って恐縮なんですが、湾岸情勢をずっと見ておりますと、きのうのようなバグダッド放送による声明、これは遅過ぎたというのが私の率直な印象でございました。これを一月十五日あるいは十四日になぜやらなかったのか、こういうことでございまして、放送を通じて国の内外に伝えるというときにも、私が言う一月の十四日には直接伝うべき人がバグダッドに来ていた、その人になぜ言わなかったのか、そういうことが遅過ぎたという一つの理由でございます。  それは何かと申しますと、アメリカ、イラクの外相会談が失敗した後でデクエヤル国連事務総長がバグダッドに乗り込みまして、アジズ外相それからフセイン大統領とさしの会談を行った。私はこれに最後の希望、平和への最後の希望をつないでおりまして、そのために私なりのシナリオを描いたのですが、それはブッシュのおどしには屈しない、しかしながら自分は平和を欲している、それで私の平和に対する理念と見解というものは事務総長と一致した、そこで兵を引いて世界の平和のために尽くす、こう言えば、これはフセイン大統領にも撤退の大義名分ができたと思うのです。なぜそのとき言わなかったのか、これが第一の疑問で、せっかく最後に彼の撤退の花道をつくってくれる人を粗略に扱って別れてしまったというのがこのフセイン外交の大きな失敗であったと思うので、今度一カ月後に出たというのはそれだけ遅かった。  それで、まだ私の考えではこの声明だけでは直接停戦へとは結びつかない。撤退の条件が余りにも多過ぎます。中には、イラクを多国籍軍が攻撃して破壊した、それに対する損害賠償とかいうことが加わったりしまして、六つも七つもある条件というものは、とてもこれは国連決議の無条件実施という、即時撤退というあの国連決議には全くそぐわないものであるから、これは多国籍軍としてはこういう一片の声明だけで停戦に持っていく、戦闘を、攻撃をやめるということにはいくまい、こう思うのであります。ですから、私は第二の声明、今度はブッシュが全く新味がないと言っていましたが、それを受けて今度は第二の声明、第三の声明が当然出てくる。それによって多国籍軍も戦闘の方法を再検討するであろうと思うのでありますが、最後には私はやはり玉音放送がなくてはいかぬ、こう思っております。そうでない限りは、イラク国民も、それからこの半年、彼の不屈の精神といえばそれまでですけれども、頑固にクウェートに頑張っていて、それでやっと引くなら、戦争を起こしてから引くのは一体どういうわけだということは、やはり最高責任者の直接の声明がない限りはなかなか信用できない。そういうわけで、私は最後にこの停戦の決め手になるのはフセイン大統領の生の声ではないか、こう思います。  もう一つの御質問は、これからの展開はどうなるかということでございまして、これは全く、私は軍事評論家でも軍事専門家でもございませんので、責任あることは申せないと思うのですが、私の望むところは、地上戦はなるべくやめて、その前にイラク軍がクウェートから引いてもらいたい、こう思うわけです。とにかくフセイン大統領は独裁者と言われておりますが、この独裁者のツルの一声でイラクという国はこの十一年来戦争を二度もやっているということでありまして、わずか一年間か何かの間隔を置いて二度もやっている。それで、イラク軍は八年の戦争に耐えたから歴戦のつわものであると言われているけれども、私は逆にもう戦争に疲れているのじゃないか、フセイン大統領のもとでは戦争ばかりだというような風潮が当然彼ら戦う人々の意識の中にはあると思うのですね。ですから三十万の軍隊、展開している三十万のイラク軍に水と食糧を補給するのは大変爆撃のもとでは難しいと思うので、その中で前線の士気にいろいろと変化が起こってくるんではないかというのが私の当面の観測でございまして、それでさらにアメリカを主体とした多国籍軍といたしましては、あくまでも国連決議の枠の中で事を行い、地上軍がクウェートを制圧しても、これが北上してイラク本土に入りバグダッドを占領して、無条件降状を強いて、サダム体制を破壊するというようなところまでいってはならない、こう思っております。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 中東情勢にお詳しい牟田口先生でございます。そこで、よく言われるように、この戦争というか湾岸の問題は、いわゆる近代的な、西欧的な理性あるいは世界観、それからイスラムの大義というかイスラム的な世界観あるいはイスラム的な理性といいますか、そういったものとの相克であるというふうなことが言われておりますけれども、そういう意味からいって、イスラム的な世界観というものといわゆる近代的な西欧的世界観との関係、こういった点についてはどうお考えですか。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 私は、ただいまの御意見には必ずしも賛同しておりません。と申しますのは、例えばエジプトの大統領のムバラクさんは、アラブでありイスラム教徒である。彼は撤退こそフセインにとって最も名誉ある行動だと彼に向かって二十七回言ったけれども、彼はそれに耳をかさない、あいつの頭の中はわからぬというようなことを言っていますから、同じアラブであり、同じイスラム教徒がお互い二十七回言っても通じないといってさじを投げているということから見ると、どっちかにおかしな考えがあるんではないか、こんなふうに思ってしまうのです。  私の考えるところを見ますと、フセイン大統領のやっていることは必ずしもイスラムの大義に沿ったものではない、こういうふうに思います。と申しますのは、彼は最初はそんなことを言ってないですよね。最初は、歴史的にイラクはクウェートに権利があると言って、イラク人のイラクということを打ち出して、あれはクウェートの内部で起こった一種のクーデターで、革新政権ができて腐敗した首長制を追い払い、そして援助を求めたので助っ人に行ったのだ、だからこれは純粋にクウェートの内政問題だ、こう言っておりました。これは全くソビエトがアフガニスタンに侵入した論理と同じでございます。ところが、それがもし本当ならば、テレビの前に登場すべき新政権の顔ぶれというのがどのような方針を持っているのか何にも出てこないのですね。ですから、それが第一段階で失敗すると今度はアラブの大義を持ち出して、クウェートに対する歴史的経緯は別にして、それでこのイスラエルとのリンケージを言い出したわけですね。それで、イスラエルが我慢してじっとしている。そうしたら今度は、インドネシアからモロッコまで広がるイスラム世界に向かってイスラムの大義を持ち出して、だんだんだんだんと論理を飛躍させるというかすりかえるというか、イスラム七億の民よ立ち上がれというようなことを言って、盛んにぶっているわけですね。それに呼応する大衆の動きがあるというのは、先ほども申しましたように、ヨーロッパを中心とする列強の帝国主義による搾取の思い出というのがあるから、それに呼応する者がある。  しかしながら、そうやってイスラムの大義を持ち出すのも、私はフセインにとっては非論理的あるいは詭弁ではないかと思うのであります。と申しますのは、イラクの与党バース党、そのトップにいるのがフセイン大統領でありますが、そのバース党の綱領といいますか、これはアラブの統一とそれから自由と社会主義である。そして、政策として進めているのは政治と宗教との分離であります。政教分離であります。純真なイスラム教徒は大いに神様に祈りなさい、しかしながらバース党の綱領とそれに基づくバース党の政策に反対する者は首をねじ切るというようなことを言っております。その男が、これは第一副首相のラマダンさんの言葉なんですが、そう言って聖と俗と分けて、これがホメイニ革命と真っ向からぶつかった一つの原因なのであります。それが最近は、さらに七億の信者を自分のシンパにするために、クウェートの前線、砂漠の前線へイラク兵を激励に行った。そのときテレビ、報道陣を連れていって、お祈りの時間が来たからといってじゅうたんを敷いてお祈りしているところをパチパチ写して、それから今度はバグダッドの地下ごうで閣議か何か開いて、そのときも机のわきにじゅうたんを敷いてお祈りの姿を、それを見て私は、いつからフセイン大統領は信心深くなったのか、そういうふうに疑問を持ちました。ですから、イスラムの大義というのは彼の延命策ではないか、こう思っております。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 いずれこの武力行動は終わるわけでありますけれども、その後の中東の安全保障なり平和維持機構、これが実は最大の関心事であり問題であろうと思うのですけれども、先生はどういう構想をお持ちですか。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 国連安保理決議がまず最も必要な、十分な条件ではないかと思います。すなわち、イラクのクウェートからの無条件撤退と正統政権の回復、これが安保理決議でうたわれておりますから、これをまずしなければならぬと思います。  それから、イラクとクウェートの関係でございますが、これはやはり武力によって問題解決してはならぬ。両者の間の未解決問題といったら、国境の画定であります。六一年にクウェートは独立しまして、そのとき当時のイラクのカセム首相は歴史的権利を振り回して、そしてその後クウェートの領有を宣言しました。だから全くフセイン大統領と同じことをやっているわけですね。その後いろいろな曲折を経てこれは解決したのですけれども、その後カセム政権が倒れて、新しい政権と六三年にクウェート・イラクは正式に外交関係を結んでいるわけです。ということは、イラク共和国政府はクウェートの宗主権といいますか主権を認めたという、それで相互に大使を交換している。これによって初めてイラクの反対がなくなったので、クウェートは国連の百十一番目の加盟国になることができた。こういう事実から考えますと、もう正式に外交関係を結んで相手の主権を認めているのに、去年の七月になっていきなり歴史的権利を振り回すのは論理の矛盾である。ですから問題点は、六三年に結んだ両国の外交関係樹立のその協定の中には、国境がまだ未確定で、これは将来の問題としてじっくり話し合おうといって現在までつながっているわけですね。ですから、両国関係としては、この問題を新しい平和が来た後に両国は積極的に進めなくちゃいかぬ。それに関してはサウジアラビアのファハド国王が、そのためには自分は貸し座敷を提供してもいいというようなことを言っておりますので、こうなったら国境の問題というのは、アラブの兄弟同士のけんかだからこれはアラブの枠内でおさまっていくんではないか、こんなふうに希望します。  もう一つは、次に来るのはイラクでありますが、とにかく私がさっき申しましたように、イラクの領土保全であります。と申しますのは、周辺のトルコの大統領、それからイランの外務大臣、それから多国籍軍に出兵しているシリア、エジプト、サウジアラビアの首脳が、戦後はイラクの領土保全と、自分が反対している国の領土保全と言っているわけです。これはアメリカのやり過ぎを恐れて牽制しているんじゃないかと思うのですね。例えば、世界は平和になっていく、そのときに、欧州は不戦宣言をした、それで今度は地域軍縮として最後の詰めを、この広い第三世界への地域軍縮を進めていかなくてはならないときに、あのような軍事大国がうわっと出てくる。核の潜在保有国でもある。こうなってきますと、このような軍事大国が二度とあらわれないために、見せしめとして、イラクを例えば北と南に分けるとか、北はクルド人が住んでいて、そして反政府運動をやったら毒ガスで多量に殺されたなんというような歴史がありますので、これはフセイン政権にやられているわけです。そういうわけで、イラクの力を弱めるために北にクルド、南にイラクというふうに割ってしまうと、これはまた第一次大戦後の西アジア・アラブ地域の英仏による分割のように、我々の土地を勝手に外国人が、西洋人がやってきて切り刻んだ、それでこれを新秩序だと言っているといっても、これはかえって大衆の反感をあおって、アメリカはマイナスの点を多く多く稼いでいくんじゃないか。つまり、中東がアメリカの泥沼になるというようなおそれもなきにしもあらずという点を考えて、領土保全というのは僕は必要であると思います。  次がパレスチナ問題ですけれども、これは先ほど一応申し上げましたので、これで失礼させていただきます。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 この問題が起こるその背景には、中東地域の歴史的な事情あるいは現状における多くの矛盾があるわけですね。それらの問題をやはりこれは解決をしなければ最終的な和平は来ない。ところが一方では、一方ではと言っても、イラクがクウェートを侵攻したことについては全くの許せない暴挙でありますけれども、イラクのねらい、これは中東の矛盾をリンケージで解決をすべきだという一つの主張がありますね。ところが、アメリカはリンケージは絶対だめだと言っているようでありますけれども、しかし、矛盾があることは、これは現実に矛盾があるわけですから、その矛盾をリンケージにしていくのかあるいは個々に解決をしていくのか、いずれにしてもこれを解決をしなければ本当の和平は来ないということだと思うのですね。ですから、リンケージでやるのかあるいは個々に取り上げるのかというそういう手続の問題、順序の問題ということがあると思うのですけれども、その辺のことはどうしたらいいんでしょうか。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 これはそのリンケージがあろうがなかろうが、パレスチナ問題は二四二と三三八の二つの決議を原則として、国際社会が責任を持って、国連を中心、安保理を中心として取り組んでいかなくてはならない。これはイラク大統領個人に言われるまでもなく、安保理決議に投票した国々が自分の投票に責任を持って努力しなければならなかった問題だと思うのですけれども、それを二十四年間おろそかにしていた。そのような事実を考えると、フセイン大統領の言っていることはもっともなことであると私は思いますし、それに同調する特にパレスチナ人なんかが、フセインよくやった、我々の問題をここで持ち出してくれたと言っている、そういうような大衆感情も十分理解できることであります。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 一河先生にお伺いしますが、日本の財政を大きな流れで見た場合に、やがて二十一世紀に入れば高齢化社会になるわけでありまして、その場合に財政力が弱体化をするということは、これは目に見えているわけですね。そういった流れを考えた場合には、今の時点あるいは九五、六年ごろまでに社会資本の充実、二十一世紀になって高齢化社会になってはなかなかやりにくい基本的な、社会的な要請なり社会資本なりを今のうちに十分やっておくべきであるという議論があると思います。そういったことを考えた場合に、現在の三年度予算を含めたここ最近の財政の趨勢あるいは予算の趨勢、それを考えた場合には甚だ心もとないという感じがするわけでありますけれども、そういう観点からはいかがでしょうか。

一河秀洋中央大学教授

○一河公述人 全く先生の御意見のとおりであると存じております。いわば高齢化社会に向けて私どもに残された時間というのはもはや極めてわずかで、非常に焦らなければならないだろうと思います。ただその場合に、住宅を充足をしろ、生活関連資本を充足をしろ、従来と同じような主張の繰り返しのみであっては所期の目的を実現することは極めて困難だろうと考えております。やはり何と申しましても財政削減のために行った手法が一律削減でございまして、各省各費目ともほぼ一律削減。そうなってまいりますと、重点の置き方は変えようがない。確かに政治的にはバランスがとれ、行政的にはバランスをとりやすいかと存じますが、しかし、ここのところで思い切って行政のあり方、政治的な決定のあり方にまで思いをいたしませんと、二十年先、三十年先に豊かな社会を実現することは到底不可能であろうと言わなければならないだろうと存じております。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 一極集中の排除が言われておりますけれども、一極集中の排除の決め手は、さっき先生もお触れになったと思いますが、地方分権が決め手ではないかと思うのですね。ところが、よく言われるように、中央は財政権、特に租税の徴収については、実際には地方が七割使うのだけれども中央が七割取っているというようなことがよく言われますけれども、そういう点でやはり地方分権というのが一極集中を排除する決め手である、時間が参りましたけれども、一言だけお願いします。

一河秀洋中央大学教授

○一河公述人 正直に申しまして、一極集中反対、多極分散、議論は盛んでございます。が、具体的なプランといたしましては、ほとんどハードの都市計画の先生方から出ておりまして、その中にどういう社会あるいは行政を構築するのか、これについての議論は具体的にはほとんど見受けられないと言って差し支えなかろうと存じます。確かに基本的には先生おっしゃるように中央集権ということだろうと思いますし、高成長の時代にはこれが効率的だったと存じます。ただ、地方分権を行ったら直ちにうまくいくのかといいますと、これはやはり昨年、一昨年のふるさと創生の経験で見ましても、すぐにうまくいくものではないのでありまして、かなりならし運転が必要だろうかと思いますし、そのためにも急ぐべきであると考えております。

新村勝雄日本社会党・護憲共同

○新村委員 終わります。どうもありがとうございました。

増岡博之自由民主党

○増岡委員長代理 次に、冬柴鐵三君。

冬柴鐵三公明党・国民会議

○冬柴委員 公明党の冬柴鐵三でございます。  三人の先生方におかれましては、貴重な御意見を専門的な立場からお述べをいただきまして、まことにありがとうございました。私にいただいている時限が十五分とわずかであります。それで、先生方の御協力を得まして、大体一間ぐらいずつになると思いますが、御意見をお伺いしたいと思います。  まず、一河先生からお尋ねをいたしますが、先生は、国際貢献の問題につきまして、安全保障を考える上で新しい基本的条件が変わってきている。そういうことから、初年度からということは、平成三年度予算も踏み込んで、見直しを踏み込んですべきだという趣旨をお述べになったのではないかと拝察したわけであります。  私も、安全保障をただ我が国の防衛という問題だけに矮小化されてはいけないのではないか、グローバルな立場で国際貢献、いわゆる地球環境を保全するというような観点も入れて、大きい立場から考えていくべきではないか。今回の九十億ドル、もし支出をするということになりますと、これは大変な金額でございます。そうなりますと必然的に、こういうことを予想せずに編成された平成三年度予算、防衛費の項目あるいは進んで新しい次期中期防にまで踏み込んで考え直すべきではないかというふうにかねて考えているわけでありますが、一河先生の御所見をお伺いしたいと思います。     〔増岡委員長代理退席、大石(千)委員長代理着席〕

一河秀洋中央大学教授

○一河公述人 ありがとうございます。私が申し上げたかったのは、まさに先生がおっしゃったとおりのことでございます。やはり安全保障というのは単に戦争の問題だけではなくて、広い意味での安全な生活の保全ということで、地球温暖化対策あるいはオゾン層対策あるいはODA、非常に地球的な規模で考えるべき問題であると存じます。  しかも、私たちの生活を安定化させていくためには、経済の安定ということも非常に必要なことでございまして、この点では民間経済の面で経済のボーダーレス化が進行し、あるいは一九九三年一月にはヨーロッパの再統合が実現をする、あるいはまたさまざまの意味での政策協調が、G7にいたしましても、昨年懸案になりました日米構造協議においても実現をしております。いわば民間経済のボーダーレス化、グローバリゼーションに伴いまして、公共的な部門におけるボーダーレス化、グローバリゼーションということを今後大いに考えていかなければいけないのでございまして、国内政策の視点からのみ政策的なスタンスというものは決定されるべきではないと存じます。  その意味では、先生今おっしゃいましたように、九十億ドルというのは確かに巨額でございます。 しかし、GNPの〇・二九%に相当するにすぎないといいますかにも相当すると申しますか、いずれにしても私たちが地球の上で他の国からの尊厳を維持しながら生活をしていくためには随分と負担をしなければならない金額だろうと思うのでございます。我が国が国際連合におきまして一番大きな負担をしながら、ほとんど全く発言力を持っていない。金額の問題だけではないと思うのでございます。どういう条件で金を出すかということだろうと思うのです。ですから今後、九十億ドルの後で、戦後処理のために、極端に言いますと百億ドルが二百億ドルであっても私たちとしては我慢しなくちゃいけない、一人当たり一万円じゃなくて三万円でも我慢しなくちゃいけないと思うのでございます。ただ、その場合には、国際的な安全保障機構をいかにすべきかということについての十分な発言力を持つようなイニシアチブをとるべきだと存じます。

冬柴鐵三公明党・国民会議

○冬柴委員 それでは、牟田口先生にお伺いしたいと思います。  先生は、ヨルダンの歴史学者のスレイマン・ムーサさんの大著「アラブが見たアラビアのロレンス」という大変大部な本を訳出されていらっしゃると伺っておりますが、その中でもどうもこのロレンスに対する評価が、コインを例にとればその裏表だ、どうもヨーロッパの方はそのいい面ばかり見て、「アラビアのロレンス」という大変興業収入を上げた映画も、西欧で大変人気を博したけれども、アラブの世界ではむしろそれは上映を禁止されてしまった、すなわちコインの裏側があるんだ、それほどにアラブの世界といいますかあそこの見方というのはどうも違うということをおっしゃっているように思います。  また、先生の論文の中で、いろいろ国際化という正体不明のかけ声が聞こえて久しいが、日本人は先進国とのつき合いを優先して第三世界の方をおろそかにしがちであるという御指摘をされた上、アラブという片仮名で書いた一字をひっくり返すとアブラになる。それで、日本が油なしには生きていけないということを直視するならば、我が国の中東政策というのは必然的に親アブラじゃなしにアラブ政策をとって、その心はアラブ寄りの外交をしなければならないのではないかというようなことを、先生の近著だと思うのですけれども、「「クウェート危機」を読み解く」の中でそのようなことを述べていられると思うわけです。  それで、中東戦争がいずれ終息しましょう、一日も早い終息が望まれるわけでありますが、その後を見通した場合に、今我々がとるべき、九十億ドルの支援とかあるいは中東に自衛隊機を派遣をして戦争避難民を救出するというその政策の位置づけは正しいものなんだろうか、アラブの心にかなった政策を我々は選択しようとしているのだろうかということに一抹の不安を私は覚えるんです。先生の御所見を伺いたいと思います。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 私のいろいろと書いたものにつきましてもしっかり読んでおられるので、なかなか簡単な答えはできないのですが、アラブ寄りの政策と言うとやはり語弊が出てくるので、アラブの立場を理解する政策、そこが立案の根本ではないかと思うのであります。国際化、国際化という言葉が一時盛んに言われましたが、国際化というものが西洋化であってはならない。地球は一家族なんて言っている人もいるくらいでございまして、世界にはいろいろな民族がいる。国際化というのは、その中で差別的な思想があってはならないわけでございます。  私があの本の中で国際化に対する批判を行いましたのは、東南アジアあるいは中東、それから南アジアのインド、パキスタンその他、こういうヨーロッパの何十倍もある地域、これをただアジアは一つとして数えてしまうのは単純化過ぎるんですけれども、日本は原料の産出国ではないので、そういう国々から第一次産品を買い、それを加工して輸出して、その利潤でこのような繁栄をもたらしているということを考えますと、買ってくれるお得意さんの立場を十分に考慮しなくてはいけない、こう思うわけです。ですから中東の人々は、フセイン大統領も前に言っていましたけれども、日本の手は汚れていない、ヨーロッパの列強は我々にさんざん悪いことをした、彼らの手は血で汚れているんだ、しかし日本人は手がきれいだから将来大いにやろう。それで、アラブやイランの一般の人々も、インテリなんかはそう言う人がいます。ですが、それにいい気になって乗ってしまうととんだしっぺ返しを食うということで、私の尊敬する先輩、現地に長くて深い先輩が言っていましたけれども、なるほど我々の手はきれいだ、何も悪いことはしていない。ということは、もう一つひっくり返してみると、今まで何もいいことをしていなかった。中東に対する情報がなくて、明治以来何にもしていない、知らない。知らないところでは悪いこともできないけれども、いいこともできないのだ。これは第一次オイルショックのころおっしゃっておられましたけれども、まさに日本と中東との本格的なつき合いというものはあの一九七三年、四年から以後のことではないか、こう思います。  ですから、ODAの件に関してもいろいろ問題が出ておりますが、こちらが貸せば利子をつけて返してもらって、それで帳じりが合ったらはいさようならじゃなくて、やはり相手のニーズをよく知るということがつき合いをよくしていく原因ではないか、こんなふうに思いますが、こういうことでよろしゅうございますか。

冬柴鐵三公明党・国民会議

○冬柴委員 最後になりますが、星野先生にお尋ねいたします。  過日、私、この予算委員会で、自衛隊法第百条の五第一項につきまして法制局長官にいろいろとお尋ねをしたのですが、どうも平行線をたどりました。  論点は、百条の五は御承知のように自衛隊の航空機により「国賓、内閣総理大臣その他政令で定める者の輸送を行うことができる。」これは例外的、付加的業務であることはもう先生のおっしゃるとおりでありますけれども、この「その他政令で定める者」というのと、その前に例示された「国賓、内閣総理大臣」とはどんな関係があるのだということの論争をやったわけです。全く何の影響も与えないということはないわけですね。国賓、内閣総理大臣と全くかけ離れたものを規定することを予定していない、このように法制局長官は言われるわけですが、私はそういうふうに考えたときに、国賓の「賓」という字、これはやはり敬うべき地位にある方を言うわけでありまして、多くの人の中から特定の法律的あるいは慣習的に万人が認める地位にある方、そういうことを意味する。例えば、来賓、主賓、国賓、公賓、賓客、こういう言葉をとればもう明らかだと思うのですが、かけ離れた避難民というものをここへ入れられるかという論争をしたわけです。  そのときにこのようなことをおっしゃいました。この避難民というのが非常に緊急的なものであり、これは応急的、一時的な措置なんだ、こういうふうなことを言われるわけですが、私は、授権の範囲はそれが恒常的であるか一時的であるか緊急的であるかによって広狭はない、広い狭いはない、それは憲法上も現行法上もそういう根拠は一切ないと理解をしているわけですが、星野先生、憲法学者ですけれども、その点についての先生の御所見を伺いたい、このように思います。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 恒常的なものと緊急的なものというものは、これはまた別の法で決めなくちゃならぬ、これも大原則でございます。とりわけ日本の憲法は、戦争放棄、軍備を禁止したために、参議院の緊急集会を除いて緊急事態を予想しているものがないわけです。先ほど言いましたように、ですからせいぜい自然的ないしは経済的、政治的災害しか、要するに軍事力の行使を予想していないだろうということと、もう一つ何度も申しましたのは、政令の次元だけで問題を立てると、これは水かけ論的になって平行線となるわけですが、一つの原理を頂点とする全体の法秩序でございます。いわば憲法が変わったために、具体的には第九条ですけれども、どんなに法律が変わるのかというようなことですね。  軍事法がなくなったなんというのはこれは当たり前ですけれども、例えば強制執行で、戦前は執行吏が妨害されると警察、それだけで足りなければ軍隊、これに排除されるわけです。あるいはまた、土地収用法なんというのは全く技術的なもので、イデオロギー性はないと思われると思いますが、がらりと変わっているのです。例えば、戦前、国道、都道府県道、市道、町村道と、四段階は同じですけれども、戦後は高速道路が入ってくるわけですが、イデオロギー的には、戦前の道路法では、これは統一的に問題を出してもらわないとごまかされるのです。というのは、国道の規定は、東京市から府県庁所在地、これはわかりますが、師団司令部、鎮守府、神宮まで入っているのです。そして第二号で、その他軍事に必要な道路。それが全部廃止されて、政治、経済あるいは観光に重要な道路と変わってくるわけです。そして、土地収用法の二条が一九五一年に全面改正されたときに、要するに「国防其ノ他軍事ニ関スル事業」、皇室のお墓の建設、神社の建設、明らかに憲法に違反する事業が並べられておりますので、廃止または削除いたします。  いわば国民生活の基盤にある土地だとか道路だとか、そんなものが憲法が変わるとがらりと変わるという、全体系の中でお考えいただきたいということでございます。

冬柴鐵三公明党・国民会議

○冬柴委員 どうもありがとうございました。

大石千八自由民主党

○大石(千)委員長代理 次に、小沢和秋君。

小沢和秋日本共産党

○小沢(和)委員 公述人の先生方には大変御苦労さんでございます。  まず、星野先生にお尋ねをしたいと思います。  この委員会でも盛んに今回の自衛隊機の中東派遣と憲法問題というのが議論をされておるわけでありますけれども、避難民を運ぶために自衛隊の輸送機を飛ばせるということは、これはいわゆる自衛隊の海外派遣に当たらない人道的な措置だというようなことがここでよく言われますけれども、こういう点についてどうお考えか。  それから、九十億ドルの問題についても、自衛隊を出すとこれは憲法違反になるけれども、だからこういうお金の面で協力をするんだ。何かもうお金を出すことは憲法違反でないというふうに思い込んだような議論がよくされるのですが、こういうような点についてはどうお考えか。憲法学者としての立場でおっしゃっていただきたいと思います。     〔大石(千)委員長代理退席、委員長着席〕

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 人も金も物も出さないという、要するに国際紛争を解決する手段として、国権の発動たる戦争と武力行使と武力による威嚇、午前中の議論もございましたけれども、国連憲章との基本的な違いは、国連憲章は国権の発動たる戦争というのはなくて、武力行使及び武力による威嚇を慎まなければならない。  じゃ、なぜその三つができたかという問題ですけれども、国権の発動たる戦争というのは、言うまでもなく主権の発動として近代国家はいつでも戦争できる権利がある。ところが、戦争の問題ですが、そういう規定があるわけですが、武力行使というのは、実は戦争は武力行使を伴うわけですね。冷たい戦争ってございますが、通常は熱い戦争でございます。そうすると、武力行使という概念は戦争という概念に含まれるわけです。また、武力による威嚇というのは、例えば爆撃というのは心理的には武力による威嚇になる。心理的威嚇ですから、武力による威嚇というのは武力行使という概念に含まれるわけです。武力行使が戦争に含まれるならば、国権の発動たる戦争だけを放棄する、それでよかったのに、なぜ三つを分けたのか。これは言うまでもなく国際連盟規約から不戦条約、戦争放棄したんだけれども、武力行使、武力による威嚇という概念がなかったために、日本が満州事変、あれは事変と言いました。国の政策の手段として戦争をやって、明らかに国際連盟規約と不戦条約に違反したものですから事変と言う。だから、事実上の武力行使、宣戦布告によらない武力行使をやったわけですね。それと、絶えず中国に対して武力による威嚇をやっておった。したがって、第二次大戦の経験から、幾ら戦争を放棄しても戦争を防止できない。戦争に発展するおそれのある武力行使と武力による威嚇という、それをコントロールしなくちゃならない。したがって、国連憲章は五十一条で個別的、集団的の固有の自衛権があると認めながら、その自衛権の行使として戦争に発展するのを防ぐために、武力行使と武力による威嚇を慎まなければならぬ。ところが、その後にできた日本の憲法が、脱法行為をやりましたから、その三つを「永久にこれを放棄する。」あらゆる意味で、人も金も、三位一体でしょう。戦車だけで動くわけじゃないわけですね。兵隊さんもいるし、飯も食うし、それを運ばなくちゃならぬ。金が一番大事じゃないですか。金の世の中というだけじゃなくて、金がなかったら何も購入も、何も輸送もできないじゃないですか。一番悪質です。それはある意味で一番悪質ということになるでしょう。  そういう点で、やはり憲法の基本的な問題と、輸送機の問題は、それ自身は別に輸送機でありということだけれども、先ほど申しましたように、多国籍軍に戦費を出している、いわば敵対関係になっている。敵対関係についても、戦前のは軍機保護法ですね、軍機保護法が戦後廃止されますけれども、あそこでは外国は敵国と軍事同盟国しかないんです。ところが、「平和を愛する諸国民」となったために、今の憲法では敵国という観念はなくなったわけです。だから、そういうふうに哲学も変わり、やはりそういうことを我々は考えなくちゃならないし、例えばアラブでも、先ほど牟田口先生がおっしゃいましたけれども、私は、人類史的には、日本国民というのは、欧米先進国と中進国とアジア、アフリカ、ラテンアメリカ、アラブ、発展途上国をつなぐかけ橋だと思っている。  そして、これも具体的な事実を申し上げますと、この間教員組合の教研集会がございました。そこで、湾岸危機とこの二つの問題で、何とかやはり停戦をということでアメリカ大使館とイラク大使館に代表が行ったところ、アメリカ大使館はけんもほろろだったそうですが、イラクの大使館が大変感激した。とりわけ教員組合が教え子を再び戦場に送るなということでそういう派兵を阻止したということが私たちにとってどんなにありがたいことか、これは送られる方からしますと。それとまた日本は武器を、武器禁輸三原則に伴って武器そのものは送っていませんでした。手を汚していませんですね。ですから、この間湾岸危機があったときに、ある私の教え子の息子ですが、高校生が、もし戦争になっても日本人が誇れるのは日本製の武器そのものが使われていない、これは誇っていいことだと言うのですね。そういう意味で自信を持ったいわば平和的なそういう貢献というものをもっともっと探っていく必要があるんじゃないかということをついでに申し上げておきたいと思います。

小沢和秋日本共産党

○小沢(和)委員 星野先生にもう一問お尋ねをしたいのですが、この自衛隊機の中東派遣、だれが考えても憲法違反であり、そしてまた自衛隊の海外派遣については、この前の国会であの法案が圧倒的な国民の反対によって葬り去られたということから、もう結論は出ていると思うのです。それを今度の国会にまた同じように法案を持ち出したらつぶされるというので、先ほど来先生も厳しく批判をされておりましたように、自衛隊法の百条の五というような雑則の中のまた政令というようなこそくな手段でこの道を開いたという点では、私も本当にこの点について怒りにたえないわけであります。  先生の先ほどからのお話を伺っておりますと、今まで政府が国会が委任した範囲を超えるような政令をつくったときにどうすべきかというようなことについて、日本ではまだ十分にそのことがどうされるべきだというルールができていない。だから、これを機会に国会としてそういうルールをつくっていくべきだというふうなお話に先生の先ほど来の御所見を伺ったのですが、そういうことでよろしいでしょうか。

星野安三郎立正大学法学部教授

○星野公述人 その点で、少なくとも今の憲法秩序はそれが貫徹できるようになっていると思うのですね。というのは、戦前の国務大臣というのは、明治憲法五十五条で、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」。また、戦前の憲法には内閣がなかったわけですが、今内閣の総理大臣が国務大臣の罷免権を持っていますのは、連帯して国会に責任を負う、しかも総理大臣は国会議員じゃなくちゃならないし、国務大臣の半数は国会議員でなくちゃならぬ。そういうことで、国務大臣というのは行政官の長ですから、いわば政令というのは、結局は日本ではまだ明治天皇制の官僚制が強いために、結局それに負けているというだけで、今の憲法というのはまさに主権者国民に国会を通じて責任を負うためにそれだけの権限を与えている。ですから、憲法的には国会がつくった法律に反する政令なんかできるはずない、本来あり得るはずないという前提に立ってつくられているのですね。ですから、その趣旨をやはり徹底していく以外ないんじゃないんですか。なかった場合はどうか。まさに戦前の反省からそのような制度に変わったということをもう一度自覚してみる必要があるんじゃないかと思います。

小沢和秋日本共産党

○小沢(和)委員 どうもありがとうございました。  では、次に、牟田口先生にお尋ねをしたいと思います。  私は、今度の中東問題というのはイラクが悪いということはもうわかり切ったことだと思うんです。しかし、だからといってアメリカが今やっていることを、全部それに協力をしていくということが中東問題の正しい解決の方向とは言えないのではないかというふうに考えております。  こういう点で先生に一、二お尋ねをしたいのですが、私は国連が進めておったいわゆる経済制裁、これはもう相当に効いておって、戦争という手段に訴えなくても、時間がもう少しかかっても、この経済制裁によって結局はイラクをクウェートからの撤退まで追い詰めていくことができたのじゃなかろうかということを考えますが、先生はどうお考えか。  それからもう一つは、アメリカは今戦争の大義名分としてはクウェートからイラクを追い出すということを掲げてはいるわけですけれども、まあアメリカはそれ以上にフセインこそ最大のガンだということで、もうフセイン体制の打倒とかあるいはイラン革命以後あの中東でアメリカの影響力が後退しておった、これを機会にあの地域の体制を再編成して、アメリカが思うようにあの地域をコントロールできるようにしたいということこそが本当のアメリカの戦争のねらいではないか。この辺どういうふうにお考えになるか、お尋ねしたいと思います。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 お答えいたします。  アメリカの政策は、武力に訴えるより前に、力の政策よりも経済制裁の効果をもっとじっくり見きわめた方がよかったんではないかという御指摘がございましたが、私もそれについては賛成でございます。と申しますのは、先ほども申しましたけれども、イラクは人口がわずか一千八百万の国でありまして、予備役まで招集して、この危機を切り抜けるために十七歳から四十七歳までですか動員して、それで百二十万の兵隊を国内及びクウェートに張りつけているわけですね。そうしますと、大体男性の六人に一人ぐらいが兵隊に引っ張られているということになりますので、そうなったらこの半年間におけるイラク国内の生産性の低下というのはもう明らかなことであると思うんです。  それと同時に、今度は経済制裁であります。例えば食糧の問題で見ますと、イラクの食糧自給率は三割。だから輸入に頼らなくちゃいけないので、主なその輸入先がアメリカとカナダであったわけですね。これが経済制裁で全然来なくなっている。それで、このような事態を予測してもう半年前から、つまり去年の春からイラクは大量に食糧を買い込んでいたというような説もありましたけれども、さらに調べてみるとおととしが不作であった。その不作の分を補うために緊急輸入したのであって、もう去年の春から半年後に湾岸危機、クウェートを占拠しようというような長期的な政策を立てていたとは思われないというような指摘もございます。  それからさらにこの経済制裁の効果としては、今度はハイテク戦争なんかと言われておりますけれども、イラク軍の立場から見れば、兵器のスペアの補給というのが至上命令であります。これをイラン・イラク戦争の場合で考えますと、当時イランはあのホメイニ革命、それからアメリカ大使館占拠というような事件も起こりまして、イランの方は国際的に孤立していて、アメリカから買ったF14の戦闘機その他当時における最新兵器がありましたけれども、この経済制裁によってやみしかないというわけで、十分な補給がない。これに対してイラクの方は相対的にまだましだというわけで、あのような非妥協的な革命政権はつぶせというような国際的な共感もあったせいかイラクの方に大分武器が入り込んだ、これによってイラクは制空権をとることができた、こういうふうに言われております。  今度の場合、そのように今度は兵器のパーツが来ないという点を考えますと、まあ僕なんかが考えて一番単純にわかるのがタイヤですね。現にバグダッドを走っている自動車にタイヤがもうなくなってきて、台数が減ってきた。だからよその自動車の一つを外してこっちへと、こういうふうにやっているような状態で、このタイヤが一〇〇%日本及び韓国からの輸入である。こういう点を考えると、ましてや音速の何倍かで飛ぶような戦闘機、航空機にとってはタイヤの摩滅というのは目に見るよりも明らかで、このスペアがなかったら、もうせっかくのソ連製のすばらしい戦闘機であろうとも中古品同然になってしまう。だから、イランに大量に飛行機が避難しておりますけれども、それもそういうためで、戦闘能力を失っておるから壊されるよりは外に預けておいた方がいいというような考えじゃないか、こんなふうに思いまして、経済制裁の効果というのはこのような千七百万ぐらいの国だったら、それは国際社会が一致して国連安保理決議で決めたんですから、今度はイラン・イラク戦争みたいにやみがないという点で見たら、もう本当にイラクの経済というものはダウンして、これが戦闘能力にもう非常な支障を来していたんではないか。ですから、それをやめて武力解決に踏み切ったというのは、まあ今まで経済制裁が功を奏したためしがないなんということが、いろいろ前例もございますけれども、私にとりましては、この際、国際社会の総意から生まれた経済制裁が実効を上げるのを本当は見ていたかったんですが、そういう点では大変残念に思っております。  それからもう一つの御質問で、アメリカはこの地域、湾岸、これは石油銀座と俗に言いますけれども、この地域を自分の管理下に置くための腹づもりというのが今度の武力対決、戦争開始の一つの意図ではないかという御質問でございますが、私は相当部分そういう見方は正しいんではないかと思っております。と申しますのは、アメリカの中東政策と申しますのは一九四七年以降のことでございまして、このときは東西冷戦が始まったばかり。トルーマン大統領が俗にトルーマン・ドクトリンと言われておる封じ込め政策を発表しまして、中東でいいますと中東の北部、ソ連と接する約二千キロの地域に反共の盾をつくる、そういうようなことで、特にイランがそのために軍事力が弱いからといってアメリカが積極的に軍事的なてこ入れをした、こういうことがありますが、それは結局ソビエトの、ソビエトといいますかロシアの、帝政ロシア以来の伝統的な政策である暖かい水を求めてやってくるという南下政策阻止、これが東西冷戦の中におけるアメリカの基本的政策であったんだ、それが封じ込め政策と言われていると思うのです。  ところが、その中東の場合は、イランの南にペルシャ湾がある。ここは世界の石油銀座、埋蔵量の約三分の二はここにある。そして、ここで操業をしている会社のほとんどはメジャーと称し、メジャーの主力であるアメリカの五社であった。そ ういう点から見ますと、これはアメリカの利権であるということがあります。そこで五七年に、反共のために、ソ連の南下を、浸透を防ぐためにアメリカは武力でこれを阻止するというアイク・ドクトリン、中東特別教書というのが出ましたが、これも明らかにペルシャ湾の防衛が眼目でありまして、そのためアイク・ドクトリンじゃなくてオイル・ドクトリンだとかいって皮肉られたものであります。ですから、その線上にあるのがブッシュ大統領の中東政策であったと思うのです。  特に、石油開発の現状を見ますと、アメリカは何十万本という石油の井戸を持っておりますけれども、これがもう大分老化してしまって、日産十バレル、二十バレルというまるで赤ん坊のクラスの井戸がたくさんある。ですから、わざわざ地下に機械を入れて、ポンプを入れてくみ上げる、そのためにコストが高くなる。ですから、アメリカの石油産業は先行きがないと言われております。そして、石油消費の増大によって、アメリカは現在では国内消費の半分以上を輸入している。そうしますと、そのような大量の石油を輸入するその当てはどこかといいましたら、この湾岸が第一でございます。しかもそれはアメリカの利権になっている。こうなりますとこの防衛が第一。その湾岸の石油と申しますのは、とにかくアメリカと違って青年期である。ですから、本数が少なくても噴出力が激しいから大量の油がとれるというわけで、このような地域はほかにない。そうしますと、これはアメリカにとっては将来の安定にかかわる問題である、この石油の確保は。そういうわけで、サウジアラビアとは一生懸命にこう仲よくしていた。そういうような政策の延長線に今度のブッシュ大統領の政策があらわれた、こういうふうに思っております。

小沢和秋日本共産党

○小沢(和)委員 どうもありがとうございました。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 次に、伊藤英成君。

伊藤英成民社党

○伊藤(英)委員 民社党の伊藤英成でございますけれども、きょうは三人の先生方の貴重な意見、ありがとうございました。  まず、牟田口先生にお伺いいたしますけれども、今回のこの湾岸戦争に関してでありますけれども、御承知のとおりに今回の戦争は、いわゆるイラクといわば国際社会との戦いということでありますし、そこでお伺いするわけでありますけれども、今議論をしておりますこの九十億ドルの支援とかあるいは自衛隊の輸送機の問題等、こうした支援をもしも一切やらずに、日本は戦争が終わってからのいろんな支援といいましょうか協力ということだけをしようというふうにした場合には、日本との国際関係、日米関係を中心にして国際関係がどういうふうになるであろうかということをお伺いしたいと思うのです。  実はつい最近ワシントンから帰ってきましたある人と話をしましたら、つい最近ワシントンで日本人の皆さんが献血の運動といいましょうか献血をしたそうでありますが、いわばそうせざるを得ないくらいの状況のように彼らは思っておりますよと。あるいは今いろいろなところに黄色いリボンがずっとこうつけられたりして、この間もテレビでそういう報道をされたりしておりましたけれども、そういうような状況を見ておりますと、ああますます日本としてはできるだけのことはやらなければと、こう私は思ったりするわけでありますが、そんな意味で、先ほど申し上げたように、もしもこういうことをやらなかったら日本を取り巻く国際関係というのはどういうふうになるだろうかということを、先生の御意見をお伺いしたいと思います。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 もしもと言われると、私もう大変返答に窮してしまうんですが、このような経済大国になった日本といたしましては、このような国際的な世界の危機が今湾岸にあるという、そしてしかもその地域は石油の産出国であって、我が国の将来にとって密接な関係にある、不即不離の関係にあると言ってもいいほどの大事な地域である。それだったらば、そういう認識があれば、手をこまぬいて戦争が終わるまで待ち、そしてそれからその復興のための金を出すとかなんとか、それでもいいじゃないかというようなことは私は許されないと思うのですね。ですから、金も出せば人も出せというのが私の考えでございます。  ですから、金を出すというのは、例えば今度の九十億ドルの件でございますが、これに関して、払うのは我々国民でございます。そのためにこの予算の中でも、どの件、どの件、どの件は増税、それからこっちは減らしてこっちはふやすというような、盛んにやりくりしておりますが、要するに問題は、増税が起こった場合には、その分だけ特別に払うのは国民であります。でありますから、このような危機に際して、これは世界の危機であることはもちろんだが、我々日本の将来にとっても危機であるのだ、だから我々は対岸の火事のようにそれを眺めていてはできない、だから増税するのだ。今確定申告の時期だから、九十億ドルというのは日本の将来にとっての必要経費であるというような考え方、もうなくてはならぬものである、あるいは将来の日本の繁栄のために今の世代の我々が出すべき先行投資であるというふうに国民の皆さんにわかりやすい論法で説明する。そのためにはもちろんこの国会での論議が十分尽くされて、国民の総意が生まれるということが必要でありますが、そのために私は皆さんの御努力を心から期待するものであります。  そして、人を出すという問題に関しては、私がしゃべるよりも星野先生の方がはるかに適材だとは思いますが、このように自衛隊の問題を持ち出さなくても、民間人として、ボランティアとして現地に赴くというシステムが、例えばアメリカなんかはもう歴史的にボランティア活動というのが盛んである、そういうボランティア思想というのが社会にしみついている。しかしながら、我が国を考えるとまだまだそういう段階ではない。ですから今度は、草の根民主主義なんという言葉をよく聞きますけれども、このようないざというときに、よし、おれは出ていってもいいぞ、私は出ていくぞ、そういうようなやる気を起こさせるようなシステムづくりを一刻も早く危機に備えて、先ほど申しました危機管理でございますが、そういうときに備えてつくっていくことが大事であろう。  それからもう一つは、アメリカにいる日本人の旅行者あるいは向こうの居住者、そういう人たちが最近肩身の狭い思いをしているというようなニュースを聞いておりますが、だからといってアメリカの世論が日本バッシングと言っているようなものでもない。現状では、きょうは日本は金ばかり出して、人も出さぬ、武器も出さぬと言って盛んに、議会でも大分そういう強硬派がいるようですが、しかしながら一般のインテリあるいは日本を知っている人、そういう人たちの間には、それはきょうの問題だけれども、もし日本が今のアメリカの要求に応じて憲法をいじる、自衛隊法を変えるとかといって軍隊を送るようなことの道が開ける、これは日本が将来軍事大国へ直結する道じゃないか。現在でさえGNP一%の国防予算というものは、世界の国防予算では三位とかなんとか言われておりますね。それの歯どめがなくなったらたちまち日本が軍事大国になる、それも困ると言って、これはいかぬ、しかしこれも困ると言って、アメリカも長期的な対日観というのですか対日認識というのはまだまだないようでございます。  それからもう一つ申し上げたいのは、日本が自衛隊を海外に派遣するというふうなことになるには、いろいろ法律上の問題がございますけれども、それでもう早くも東南アジア、中国、韓国の人々がそれに大きな懸念を持っておるということを海外、例えばタイとか中国、韓国の新聞論調を私は読んだこともありますので、そのようなときには、きょうの隣人、あすの隣人を失わないために、日本はまず我々と相談せよというふうなことを言っております。これは大変貴重な意見だと思います。  それから、一般の大衆感情にまで、日本が自衛隊機を派遣するということが人道上の立場だということまで伝わりにくいということがありますね。僕が聞いているところでは、自衛隊機派遣ということを聞いてもう短絡してしまって、特にヨルダン中心のアラブ人たちは、日本は戦闘機を送って、軍隊を送って、そして多国籍軍に参加するのか、そっちの方に短絡してしまう。そういうような大衆の反応という点から考えますと、ヨルダン航空をボランティアが出てチャーターして、それで難民輸送に当たっている、こちらの方がはるかに感謝される、率直に感謝されることであった、そういうふうに思っております。

伊藤英成民社党

○伊藤(英)委員 牟田口先生、もう一つお伺いしたいのですが、遠からずこの戦争は終わるだろうと思うのですね。早く終わってほしいのですが、その戦後、あの当事国の皆さん方の復興、その復旧のためにどのくらいの費用が要るだろうというふうに思われますか、ざっとどのくらい要るだろうと。

牟田口義郎成蹊大学教授

○牟田口公述人 これに関しましては、軍事の専門家あるいは戦略それから経済の専門家、そういう方のお答えの方がはるかに適任だ、適していると思うのでございますが、イラン・イラク戦争でイラクがどのくらい戦費を調達して、それで対外債務が残っているかということを一応御参考までに申しますと、イラン・イラク戦争が終わった後で対外債務が約八百億ドル前後でございます。そして、戦争の被害を受けて、例えばバスラの港、それから川の一番南のファオの港の再建その他、都市の再建それから経済の再建、たくさんお金がかかります。これが概算で一千億ドルかかるだろう、こう言われております。そのような債務を抱え、経済再建も行っていないときに今度戦争をしたら、しかもハイテクの兵器によって爆撃されて被害を受けた、こうなったら、バグダッド市内のいろいろの被害も既に出ているということは御承知のとおりで、一体どれだけの被害が出るか、この一千億プラス八百の何倍かというような額になると思うのです。  イラクの再建のために努力しなくてはならぬと思うのですけれども、日本とイラクの関係はあの戦争が始まるまでは大変よくて、日本の企業が大変活躍しまして、インフラその他発電所か何かの建設で、結局戦争のために焦げついて、約七千億円ですか、今イラクは日本に借りがあるわけですね。その前に、中曽根さんが、通産大臣のときに、中曽根借款と俗に言われていますが、円借款で、これは六千億ですか、そのうち四千億ぐらいまだ使い残りがあるのです。これはもう軍事面では一切タッチせず、きれいな使い方でイラクの建設に使われたけれども、イラン・イラク戦争が始まったので、残りの四千億円は凍結しているわけです。だからこれを凍結解除して出す。それにはこの七千億近い借金をどうするか、これを果たして棒引きできるかという問題。日本はイラクその他の周辺国の建設のために大いに活躍すべきであるけれども、そういう具体的なものになりましたら、それは個々の問題として、今までの経済関係、それの上に立ってどう持っていくかが大事なことであると思って、私にはとても具体的な対案は出てまいりません。お許しください。

伊藤英成民社党

○伊藤(英)委員 時間が余りないようでありますけれども、一河先生にお伺いしたいのですが、実は中東の復旧のためにもこれは大変な金が要ると思うのです。一説によりますとそれこそ何兆ドルという話まで出ているのだと私は思っておりますが、その中で日本の果たすべき役割というのは大変大きいものがあると思うのですね。そういう中東の問題もあるあるいは東欧の問題もある等々世界的に見ると大変な資金需要があるわけでありますが、御承知のとおりに、日米構造協議の後、四百三十兆円の公共事業をこれから日本がやることにしております。もちろんあの四百三十兆円が決まった後でいろんな問題が起こっているということも、あるいは顕在化している、東欧等でいろいろな問題が起こっていることもありますし、そして今回のような中東の問題もあるということでありますが、世界のそうした資金需要というようなことを考えて、その中で日本がどういうふうに役割を果たしていくのだろうかというふうに考えたときに、四百三十兆円の公共事業の問題についてこれから考え直さなくていいのかなというような意見もあり得ると私は思うのです。そこで先生の御意見があれば伺いたいと思います。

一河秀洋中央大学教授

○一河公述人 資金需要が増大をするので、四百三十兆円は考え直す必要があるのではないかということでございます。  ただ、考えてみますと、日米構造協議、日本がかなり追い込まれたという印象を持っていろいろ進行を見ておりました。一つは、取っかかりということもございましたが、アメリカの要求が日本の国民にとっても非常に受け入れやすいものであったということが、いわば日本が追い込まれていった一つの理由ではなかろうかと存じます。土地問題にしても、内外価格差、大規模店舗にしてもみんなそうでございます。この公共投資四百三十兆円もまさにその一つだと思うのでございます。いわば国民のニーズが単にフローの豊かさからストックの豊かさに変わってきている現在、生活関連あるいは住宅整備等を中心にして公共投資を求める要求が非常に強いわけでございます。  したがって、この四百三十兆円は、金額が問題ではなくて、内容が問題だろうと存じます。対GNP比からいいますと、四百三十兆円は膨大なようでございますが、高成長期に比較をいたしますと、対GNP比としてはあのころよりは低い数値になっております。したがって、先生おっしゃる湾岸復興その他の資金的な需要は、これは民間資金よりはむしろ公的な資金の方に問題があるのでございまして、やはり一面では歳出の削減の努力、一面ではやはり国民に負担増を求める納得、この二つがこれから先どうしても必要になると存じまして、四百三十兆円の金額そのものよりは、これについては内容が問題だと考えております。

伊藤英成民社党

○伊藤(英)委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。

渡部恒三自由民主党

○渡部委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  明後十八日の公聴会は、午前十時より開会することとし、本日の公聴会は、これにて散会いたします。     午後四時十四分散会

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