安全保障特別委員会 第6号
- 発言数
- 77 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1990/10/04
会議録
○瓦委員長 これより会議を開きます。 国の安全保障に関する件について調査を進めます。 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 最近の中東情勢とわが国の安全保障問題について、本日、参考人として財団法人日本国際フォーラム理事長伊藤憲一君、元海上幕僚長大賀良平君、アジア経済研究所中東総合プロジェクトチーム研究員酒井啓子君、防衛大学校教授西原正君及び軍事評論家藤井治夫君に御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○瓦委員長 御異議ないものと認めます。よって、そのように決定いたしました。 ─────────────
○瓦委員長 この際、委員会を代表いたしまして、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 参考人の皆様には、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。当委員会におきましては、国の安全保障に関する件について調査を行っておりますが、本日は、特に最近の中東情勢とわが国の安全保障問題について、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、御意見は初めにそれぞれ二十分ずつお述べいただき、次に、委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。 また、念のため申し上げますが、参考人からは委員に対する質疑はできないことになっておりますので、御了承願います。 それでは、順次御意見をお述べいただきます。 まず、伊藤参考人からお願いいたします。
○伊藤参考人 ただいま委員長から御紹介いただきました伊藤でございます。 ただいまから二十分ほど、中東情勢と我が国の安全保障にかかわる問題について、私の所見を述べさせていただきたいと思います。いろいろな角度からいろいろな論じ方があろうかと思いますが、私は、現在中東で起こっている事態の本質は何かという点につきましてまず所見を述べ、続いて、それとの関連で我が国はいかなる対応をとるべきかということについて所見を述べることといたしたいと思います。 八月二日、イラクは突如クウェートに軍事侵攻し、その後、クウェートを併合して今日に至っております。これに対しまして、国際連合安全保障理事会は反対ゼロの経済制裁を決議し、これを実行するために、アメリカを中心とする多国籍軍及びアラブ合同軍というものがサウジアラビアを中心として展開いたしております。この状況につきまして、その本質は何なのかということを把握することが我が国の対応を考える上で最も決定的かと存じます。 これは世界の石油供給の過半を制するサウジアラビアの油田、石油をめぐるとり合いであるという見方も可能かと思います。また、これはイラクとアメリカの、あるいはアラブとアメリカの対立なのであるという見方も可能なのかと思います。しかし、私は、それらはいずれも、より深い洞察によって見た場合の問題の本質ではないのではないかと考えるわけであります。 御承知のように、昨年末、東ヨーロッパにおきまして、激変とも言うべき事態の急展開があり、これを受けて、昨日は統一ドイツが誕生いたしたわけであります。国際システム、世界秩序は、今や急速に、古い時代の論理、構造から二十一世紀に向けた新しい論理、構造に向かって移行しつつあると考えるわけであります。その移行過程で起こった一つの攪乱現象としてこのフセイン大統領の行動をとらえる必要があるのではないか。言いかえれば、フセイン大統領は今起こりつつある世界的な規模での二十一世紀的秩序への移行について全く無知、無関心、蒙昧であって、中東における独特の環境と自分自身の生い立ち、これはテロリストとしての生い立ちといってよいかと思うのでありますが、それを背景とした一種奇形児的指導者として古い時代の論理、構造でこの新しい、つくられつつある、生まれつつある世界秩序に挑戦しているというふうに私は考えるわけであります。 私は、古い秩序から新しい秩序への本質的な移行としては、三つの側面からこれをとらえることができるのではないかと考えておるものであります。 第一は、これまでの国際秩序を支配していた対立・対決型の論理から国際社会がようやく協調・協力型の論理に移行しようとしている、そのときに、サダム・フセイン・イラク大統領は、まさに対立・対決型の論理に依拠して、協調・協力型の論理を粉砕しようとしているわけであります。 第二の側面は、これまで諸国家間の権力闘争としての国際政治は最終的に軍事力を担保として決定されるという、ジオポリティックス、地政学の論理で運ばれてまいったわけでありますが、近年、軍事力が、核の手詰まりを背景といたしまして、急速に現実的使用が不可能ないし困難な状態にみずから落ち込んでいったという状況がございまして、軍事力の使用を封じ込められた状態の国際政治は、経済力によって権力闘争を追求するという色彩を非常に強くいたしておるわけであります。私に言わせれば、東西冷戦というのはいわば第三次世界大戦であり、東側が完敗し西側が完勝したわけでありますが、西側による東ヨーロッパの解放あるいは西ドイツによる東ドイツの統合は、いずれも一発の銃声もとどろかず、一滴の血も流れず、無血のうちになされたわけでありますが、これは、国家間権力闘争の手段が軍事力から経済力に移行したということを証明しているものであります。ところが、サダム・フセイン大統領は敢然として、いや、そういう世界にはさせない、やはり軍事力で決定する世界に世界秩序を引き戻すのだといって全世界に向かって挑戦してまいったのがイラクによるクウェートへの軍事侵攻であると考えるわけであります。これに対して経済制裁をもって報いている世界というのは、軍事力によってではなく、経済力によってあくまでも血を流さずにこの問題を解決したいと試みているわけであります。 また、第三の側面といたしまして、これまで新秩序づくりというのは、常に勝者が敗者に自己の一方的な条件を課するという、過酷かつ屈辱的なものでございました。いわば勝者の平和でございましたが、その結果、例えばベルサイユ講和会議によって敗北したドイツは、臥薪嘗胆、第二次世界大戦を引き起こしたわけであります。そういう悪循環を繰り返さないためにも、これからの平和というのは勝者なき平和、これは一九一七年にウィルソン大統領がピース・ウイズアウト・ビクトリーという言葉で訴えた理念でございますが、これをついに実現しようという段階に差しかかっているわけであります。そのときに、イラクのサダム・フセイン大統領は再び勝者の平和を新秩序づくりの論理として対クウェートの関係で持ち込もうとしているわけであります。よって、私が見るところの本質は、今新秩序が二十一世紀に実現するか、それとも、それが最初の試練であるイラクのクウェート侵攻によって粉砕され、再び我々は、十九世紀の国際政治を支配した対立・対決型で軍事力によって物事を決し、勝者が敗者を支配する、そういう秩序に逆戻りするかのかなめに立っている、これが中東情勢の最も本質的なポイントではないかと私は考えるわけであります。 もちろん石油の確保ということも重要なことでありますが、それはマテリアルな計算でございますから、別途石油の確保が見通されるのであれば、あるいは石油の値段が高騰したところで日本経済がそれに耐え得るものであるならば我関せずの態度をとることも許される理屈になるわけでありますが、この問題の本質は、そういうマテリアルなレベルを超えた世界新秩序をどのようにつくるのか、そしてそれが今なるかならぬかの瀬戸際にあるという認識に立てば、日本が中東の事態に対岸の火災視して拱手傍観してよいことはないはずであると私は考えるわけであります。 そのような観点で、次に、日本はいかに対応すべきかという観点から一言二言追加させていただきたいと思うわけであります。 現在、国連平和協力法案の審議を通じて具体的な対応策が検討されておるようでございますが、私はそういう現下のレベルを超えまして、今後十年、五十年あるいは百年の日本の対応という非常に長期的な観点から申し上げたいと思うわけであります。そういう観点に立った場合、やはり私どもはここで、戦後四十五年間行ってきた日本国憲法第九条の解釈を、正面からこの解釈でよいのかということに対決すべきではないかと考えるわけであります。 戦後四十五年間につきましては、日本は非常に特殊な国際政治上の位置に置かれてまいりました。日本の安全保障はアメリカという強国がこれを完全に保障してくれる、したがって日本は世界の平和であるとか秩序であるとかあるいは自国自身の安全保障については全く考える必要がない、こういう状態でありました。また日本は小国であり、世界経済に占める比率も小さかったわけであります。そういう時代はこれまでの憲法九条の解釈で格別の実際的問題が生ずることはなかったと考えます。しかし、ここに至りまして、すべての状況が変わっていることを踏まえるならば、我々はあるべき憲法九条の解釈に返らなければならないのではないかと考えるわけであります。 時間が限られておりますので、結論的な発言に要約させていただきまして、詳細は御質問があればお答えすることといたしたいと思いますが、憲法九条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めております。これは一九二八年の不戦条約の「締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄する」という条項をそのまま書き写したものでございます。そして一九二八年の不戦条約は、自衛権の存在を当然のこととして認めていたわけであります。これを引き受けまして、我が憲法九条の解釈においても自衛権の存在は当然のこととして認められているわけでありますが、問題は、今日自衛権なる概念は個別的自衛権と集団的自衛権の二要素を不可分の一体として含んでいるということであります。 集団的自衛権の概念の先駆的考え方は、既に不戦条約の中にあらわれておりまして、不戦条約に対して付した解釈条約の中でイギリス、アメリカなどは既に集団的自衛権を留保することを明言いたしており、それは国際的に認められたわけでありますが、一九四五年、国連憲章が制定されたとき、その五十一条によって改めてすべての加盟国は個別的及び集団的自衛権を有することを認められているわけでございます。そしてまた現実にも、今日国の大小を問わず、相互依存というものが単に経済現象にとどまらず政治、安全保障の分野に及んでいる現状において、集団的自衛権を放棄して自衛を全うすることのできる国はこの地上に一国も存在しないわけであります。 我が国がこれまで個別的自衛権はあるが集団的自衛権はないなどという神学論争的主張を許されてきたのは、一たん有事のとき、貴国は我が国を助けてくれなくても、我が国は貴国を助けますと言ってくれる特殊な国アメリカが存在していたからにすぎないことを私どもは銘記すべきであろうと思います。そのアメリカが今、急速に特殊な国であることをやめようとしていることは、今日のアメリカの対日批判を見ればよくわかることであります。たとえ日米安保条約が法的に有効性を保つとしても、我が国はもはや本質的、戦略的な意味でアメリカに安全保障を完全にゆだね切って、自国の安全保障について本質的、戦略的思考をしないで進むことは許されない段階に入ってきているのではないかと思うわけであります。 次に、憲法九十八条は「日本国が締結した条約及び確立された国際法現は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と述べておりますが、他方において、我が国の締結した国連憲章は、その四十三条でその加盟国に、国連有事の際の兵力提供の義務を課しております。これを受けて日本国憲法は、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは各国の責務である、日本国民は国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うと述べているのでありまして、憲法九十八条及びこの前文によれば、日本が国連の軍事的措置に兵力提供の義務を負い、この義務を遂行すべきことは言うまでもないことであります。 以上述べた後、私がここでつけ加えたいと思いますのは、この一点でございます。この国連憲章四十三条による兵力提供の義務の遂行は、我が国の有する集団的自衛権の行使ではないということであります。国家がその市民に自力救済権を認めないように、国連も基本的にはその加盟国に自力救済権としての自衛権を認めたくないという立場をとっております。したがいまして、国連憲章五十一条が加盟国に個別的または集団的自衛の個有の権利を認めるのは、国連の公的救済制度つまり軍事的措置が不備である場合にやむを得ず不本意にしぶしぶと認めるという趣旨でございます。 ということは、我が国がその義務として国連の軍事的措置に参加することになったとき、このとき国連の公的救済措置が発動されるわけでございますが、そのとき、それは国連が公的救済措置の制度の完備していないときに例外的にしぶしぶ認めている我が国の集団的自衛権の行使などではそもそもあり得ないということでございます。そして国連軍としての我が国の行動は、国際社会での義務であって権利ではないのであります。権利は放棄できても義務、責任は放棄できないと考えるわけであります。 結論を申し上げますと、私は憲法九条の解釈に正面から立ち向かうべきときが参ったと思います。そして、自衛権を認める以上、個別的自衛権は認めるが集団的自衛権は認めないという論理は成り立ち得ません。そして、国連加盟国としてその義務を果たすならば、我々は、集団的自衛権の行使としてではなく加盟国の義務として国連に兵力を提供しなければならないということであります。 御清聴ありがとうございました。
○瓦委員長 どうもありがとうございました。 次に、大賀参考人にお願いいたします。
○大賀参考人 大賀でございます。 私は、自衛隊のOBでございまして、ここにいらっしゃる諸先生のように国際政治の御専門家、あるいは中東問題の御専門家、あるいは軍事評論家という方々とは違いまして、全く何も、裏ソースも何もございませんし、また系統的な勉強もいたしておりません。きょうは、新聞で読んで感じましたことを自衛隊のOBとして所見を申し上げてみたいと思います。 今、伊藤先生から、今回の湾岸の事変については明快な国際政治上の御意見がありましたが、私も時々、このポスト冷戦はどうなるのかというようなコメントを新聞記者の方々から求められることがあるのです。大きな戦争はないでしょうけれども、東ヨーロッパから中東あるいは中ソ国境、ソ連周辺、そういうところの非常に歴史的な民族の移動あるいは国境の変更というところで、民族の混在の中からいろいろな紛争が起こるのじゃないだろうか、あるいは、今回のケースがそうだと思いますけれども、地域的なヘゲモニーをとろうとするようなことが起こるのじゃないだろうか、あるいは国際テロ、核とか化学兵器の拡散、麻薬と、いわゆる低強度の紛争というようなことについていろいろな問題が起こるのじゃないだろうかという程度のコメントをしておりました。それで、そういうものを今後どういうふうに――それの警察的な役割あるいは抑止的な役割をするのは結局はアメリカではあるまいか、もうソ連はそれだけの力もなくなったし、国連は今回は大変明確に意思は出しましたけれども実際に実力はない、そういうものに対する警察的な役割はアメリカの仕事じゃないでしょうか、そういうことを申しておったわけでございます。 今回図らずも、極めて顕著な形でイラクの併合という問題が起きたわけでございます。これは今伊藤先生もおっしゃったように、これからの世界の平和とか安全保障をどうやっていくかという端的なモデルケースになるのじゃないだろうかと思います。そういう意味で国連も、また日本もこれに対して的確に協力し、かついい結論を出すようにしていただきたい。これを一つのケースとして今後のそういういろいろな紛争の対応の形ができるのじゃないか、そういうふうに思うわけでございます。 日本がお金を出すことは大変結構で、お金も大事でございますが、やはりお金も出すけれども汗も流し、必要だったら血も流すということがなければいけないのじゃないか、そういうふうに個人的には考えております。あるテレビの番組で御婦人の出演者が、中東に若い者行け行け言うのは年寄りばかりだ、年寄りに行ってもらいなさい、若い者には恋人もたくさんおるのだ、こういう発言をしておられましたら、ある方が、アメリカの二十万の人はみんな恋人を持って行っているんですよ、あるいは乳飲み子を置いて行く御婦人、お母さんもおるんですよ、こうたしなめておられましたが、まさにそのとおりだと存じます。 そこで、日本は積極的に対応していかなければならないと思うわけでございますが、今回のことを見ておりまして最初に感じましたのは、やはり何となく遅いなという感じでございます。四十億のお金も、お金の割に評価が少ないと言われるのも、そういうところではないか。あるいは日本の国家としての対応というものがどうも明確に出てこないというのがそういう批判の対象になるのではないだろうか。危機管理ということが大分前から言われております。それは、最初はハイジャックの事件だとか大韓航空機の事件だとか、そういうことでその都度いろいろなことが言われまして、安全保障室だとか一部の組織改革も行われましたけれども、そういうものが余りこういうときに機能していないような気がいたします。 その第一の理由は何かと、ある新聞社からコメントを求められたのですが、申しわけないのでございますけれども、やはりリーダーに立たれる方の危機管理に対する認識なり見解というものが不十分ではないのだろうか。今日、日本だけではなく世界のどこで何が起こっても日本は影響があるし、また日本という国はそれに対応していかなければならない。しかし、どうも日本の国内のことだけで、日本の国内が安全であればいいや、日本が波風が立たなければいいや、そういう認識ではないのだろうかというふうな感じがしてなりません。今回、海部総理が中東に行かれる直前に起きたことなのでございますけれども、こういうことについて日本の外務省なりそういうところが一体どれくらいの認識を持っておられたのだろうかなという疑問を持つわけでございます。 第二番目には、やはり情報の収集、整理が悪いのではないだろうか、そういう観点からの情報収集組織がないのではないか。外務省の公式な国際的な情報収集は行われていたと思いますが、それは一つの表のルートかもしれませんけれども、外務省の方は外交の二元化とかといって別のことについて非常にお好きではないのですが、やはり別の情報ルートを持たなければいけない。内閣調査室とか防衛庁とかとチェックしながらいかないと、一つの情報ルートだけを見ておりますと、そこで間違ったこと、あるいはそれをチェックできないという欠陥があるのではないだろうか。そういう意味で、情報のことをもう少しグローバルな、世界的な視野から考えなければいかぬのではないだろうか、私はそういうふうに思うわけです。 第三番目には、やはりこういうときにも早く現地に人を出して現地の情報を収集するとか見てくるということも非常に大事ではないだろうかと思います。私、ちょうど二年半ぐらい前に掃海艇派遣問題が起きたときに、外務省、防衛庁、一度現地を見てこられたらどうなんでしょうかという話をある方にしましたら、いや、行きやしないよ、君たち行ってこいと言われて、旅費をいただいて見てきたわけでございます。そのときに、バーレーンにだけしか行けませんという外務省のコメントがありましてバーレーンだけ行ってきたのでございますが、現地の大使が、もしここに一人でも自衛官出身の方がおれば、もう少しはここでもいろいろな情報がとれたのではないかとしみじみ言っておられました。そういうこともございますので、そういう意味での現地における継続的な情報収集ということも必要ではないか、そういうふうに感ずるわけでございます。 次に、一体日本が何をやるのか、こういうことでございますが、国連平和協力法案の骨子というのを新聞などで見たわけでございますが、中身は余りよくわかりません、今後もう少し具体化すればわかるのだろうと思うのでございますが。民間あるいは各省庁、地方から人を登録しておいて出す、そういう方法もあろうかと思いますけれども、こういうことは、少人数で、三名とか四名とか五名とか、団長さんが一人決まればちょっと見回したら大体一つの編成ができる、そういう方が短期間、既存の向こうにある組織の中でお手伝いする、そういう程度のことはそういうことでできるだろう。しかし、何かまとまってきちんとやろうとしたら、かなり組織されたものを出していかないととても対応はできないんじゃないだろうか、そういうふうに思うわけでございます。 例えばここに書いてあります難民の救済の問題でも、医療救援をやる、向こうに医療施設があるんだ、そこに行ってお手伝いをする、こういうことならそれはできると思いますけれども、例えばそこに難民キャンプができた、そこへ行って医療施設をみずからつくってやるとすれば、お医者さんが十人、看護婦十人行って、それを支えるには何十人という人が要るわけですね。そういうことをやろうとすれば、やはり自衛隊みたいな組織をきちんと使わないとできないんじゃないだろうか。 次に国連の監視団。ああいうのは過去の例があります。こういうのは三名とか五名とかいうグループですから、それはできる。しかし、平和維持軍みたいなものになるとやはりきちんと組織されたものも要りますし、また小火器の携行もやっておるようでありますが、そういうのは自衛隊みたいな組織を使わなければできないんじゃないだろうか。だから今、自衛隊の身分や参画のいろいろな問題がありますが、自衛隊を使うならば、これはやはり必要なものは小火器も携行させてきちんとして、そして本来それは自衛隊法の改正で自衛隊の任務として私はやらせるべきじゃないか、それくらいの腹を決めてやらないと、でかでかと振り上げてみても実際やる場合になったら何もできないんじゃないだろうか、私はそういうふうに思うわけであります。 ただ、今日の問題で多国籍軍の支援ということについては、国連の方針に従って今回多国籍軍というのは一応出ている。先ほど言いましたように国連軍自身という軍は編成されていないわけでございます。前の朝鮮戦争のときはたまたまああいう格好で国連の旗がアメリカを中心とする部隊に与えられたわけでございますが、今回はそこには至っておりませんが、今回の事変は、伊藤先生からお話があったように、何としてもきちんと結末をつけなければいけないわけでございます。 これに支援するということになるわけでございますが、この支援の問題は、伊藤先生がおっしゃったようにはっきり腹を決めてやればそれ相応のことはできると思いますが、今の段階ではどこまでできるのか。ただ私が申し上げたいのは、日本の国家の意思として民間あるいは官庁のお役人がやれば憲法に違反しないけれども、自衛隊がやれば憲法に違反するというような解釈は、同じことをやるのですから成り立たない。民間やどこかから寄せ集めてきた人は身分が普通公務員だったら憲法違反じゃないけれども、自衛隊がやったら憲法違反というような解釈は、これはあくまで国家の意思として日本人がやるわけでございますから、そういう解釈は成り立たない。 だからそういう意味で、例えば船の問題でも、実際に今回の事態でアメリカが今たくさんの兵隊を送り込んでおります。あれは長い間アフガニスタンにソ連が入って以来の研究されてきたプランニングで入っていっているわけでございまして、今すぐ商船が足りないから日本が出してやらなければいかぬとか、飛行機が足りないから出してやらなければいかぬという事態ではないと思います。まず、ちょっとおくれていますけれども、大体計画に従って整々と入っている。いわんや通信の支援なんというものを、軍隊が出ていくのに通信支援なんというものは要るわけがないので、これはなければ軍隊そのものが戦争できないわけでございますから、現在の段階では通信も輸送の支援もそれに要るとは思われませんが、若干海上の輸送力としては、アメリカの計画、従来の展開計画の中ではおくれておりますから、そういう意味で、将来いかなる事態かに商船を欲しい、アメリカのプランではヨーロッパに入るときにはヨーロッパのホスト国、あるいは韓国に入るときには韓国から提供されるということを国防報告に書いておりますけれども、そういう意味で船舶の提供なんかが欲しいというようなことはあるのではないかと思います。 そういう場合に、例えば朝鮮戦争のときもそういうことがあったのですが、民間の契約でどんどん船が入っていったのですね。現在ペルシャ湾にはタンカーは幾らでも入っているわけですね、日本の商船、油とりに。そういう海域で民間の契約で入る、これはどうかわかりませんけれども、政府はそれは憲法違反だと仰せになるのかどうか、民間の契約は許さないんだ、そういうことになるのか、あるいは政府がそういうものをチャーターして提供するということはどうなのか。日本人の行為として、一方は民間の行為、国の行為、そういうものが違反かどうかという大変微妙なことがあるわけでございまして、そういうものを具体的にやはりきちんきちんと詰めて考えていかなければならないんじゃないだろうか。そういうことが今回の対応では非常に、法案の中身が骨子だけで私どもはよく存じませんけれども、実際の実態に合わせてみてやはり問題をきちんと整理する必要があるんじゃないか。そして、何か大きな、かなりまとまったことを日本がやるということになれば、これはやはり自衛隊の組織を使わないと、あるいは第二自衛隊か何か別のものを、しょっちゅうたくさんのものと装備を持つということであればまた別でございますけれども、それは全く国費のむだ遣いでございまして、先ほど申し上げたように自衛隊をきちんとして使うという方向に整理されるのが適当じゃないか、そういうふうに思います。 もう時間もあれしてまいりましたので、一応ここで私の話を終わらしていただきたいと思います。
○瓦委員長 どうもありがとうございました。 次に、酒井参考人にお願いいたします。
○酒井参考人 ただいま御紹介にあずかりました酒井でございます。私は、このような場所でお話をした機会はこれまでございませんので、非常にしゃべりなれない、お聞き苦しいところがあるかと思いますが、御容赦いただきたいと思います。 私は、主にアラブの地域研究という形で研究をやっておりますので、これまでお話しされましたお二方の先生方とはまた違った、アラブからの視点ということを若干お話しさせていただきたいと思います。 先ほど伊藤先生の方から、新国際秩序の確立という形で、国際関係、国際政治の方から非常にクリアな分析をしていただきましたが、これで一つだけポイントとして落としてならないのは、その新国際秩序に対して真っ向から利害を分かつ国が存在する、それがアラブ諸国であるということを視点から落としてはいけないであろうと思われます。すなわち、超大国あるいは先進国主導の新国際秩序というものが築かれることになりますと、それまでの国家的枠組みというものが大前提として今後国際秩序が築かれていく。そもそもこれまでの国家の枠組みといったものを問題にしてきた地域がアラブ諸国でございまして、そういった観点からもアラブ諸国の中で、これは政権担当者としてではございませんが、むしろ民衆、大衆のレベルで、サダム・フセインの今回の行動を支持するまでには至らなくても、これに対してある程度の期待をかけるといった要素を非常に強く持っております。このアラブ民衆の中におきますサダム・フセインに対する期待感というものがどういう点から起こってきているのかということを考えてみたいと思いますが、これは三点ございます。 一点目には、アラブ諸国と申しますのは、そもそもアラブ民族という一つの民族が分断されてできた結果である。これはアラブの国民自身が自発的に分断して国家を築き上げたものではない。むしろ当時の、第一次世界大戦後のイギリス、フランスといったヨーロッパ諸国によって恣意的な形で国境を引かれてしまったという遺恨を現在に至るまでずっと残してきております。特に六〇年代には各アラブ諸国間の国家統合案などが非常に頻繁に出されておりましたように、現在の国家の枠組み、これは例えば東西ドイツが統合する、あるいは南北朝鮮が和解に向けて進んでいくといった方向性と同じような方向性をとってしかるべきであろうというような発想が当然アラブ諸国の中にもございます。ですから、こうしたアラブの統一を進めていく上で、アラブ諸国の中にビスマルク待望論、日本で言いかえてみますれば織田信長待望論とでも申しますか、力の面でもお金の面でも、あるいは外交的な面におきましても非常に力強いリーダーを待ち続けている。リーダーが生まれてきた際にアラブは最終的に統一されていくのであろうというような一般的な大衆における期待感が存在しておりまして、この期待感にある程度サダム・フセインという人物がオーバーラップする部分がございます。 第二点目は、アラブ諸国間の富の不平等という問題でございます。 これは、先ほどアラブの統一という希求についてお話しいたしましたけれども、もちろん国民国家というものが成立していきますれば、その国境が大前提となりまして物事が運営されてまいります。ですから、アラブの統一というような大義におきましても、これは徐々にトーンを変えてまいりまして、それぞれの国家、エジプトならエジプト、シリアならシリアというような形を前提に中東における域内関係が進められてきております。それは事実でございますが、ただ少なくとも最低限のアラブ諸国間の協力は維持するべきであるという発想はまだ残っております。これは特にイスラエルとの問題が非常に大きく作用しておりまして、各国ともにそれぞれ国民国家というものを持っているのであればその方向性で動いていくということは可能でございますけれども、不幸にして、アラブ民族の中には国家というものを与えられなかったパレスチナ人の存在があるということで、常に、パレスチナ人の問題を考える以上は、そのパレスチナ人を含んだアラブ諸国民の間の協力関係というものを維持しておかないと、あるいはパレスチナ人というものをうまく封じ込めていくためにはこうしたものに対して常にアラブ諸国から援助を与えざるを得なかったというような関係がございますので、経済的な面に関して言えばこれまでも協力関係が非常に密接に続けられていたということが言えるわけです。 しかしながら、一部湾岸諸国の中には、そうした最低限の経済協力関係といったものについても比較的軽視する傾向が出てきた。これは、八〇年代におきます石油だぶつき現象によって産油国の経済的な利益が、収入が徐々に減少してきたということから発生する問題でございますが、湾岸諸国の中に、経済志向のみ強めて、対外関係、いわゆる安全保障的な経済援助といったものに対して認識が非常に薄れてきたということがございます。こうした典型的な国がクウェートであったわけでございますけれども、ヨルダンでありますとかパレスチナ人、あるいはスーダンといったアラブ諸国の中でも貧しい国々の大衆にしてみれば、こうした一部の富裕なアラブ諸国のある意味では勝手な路線に対してサダム・フセインが鉄槌を下したというような、ある意味では打ち壊し運動的な性格を付与して考えている民衆が存在するという点が指摘できると思います。 三点目には、先ほども簡単にお話しいたしましたが、イスラエルの問題がございます。 現在イラクのクウェートに対して行っております占領問題、これを一方的な力の論理による占領であるとして国際社会が非難を強めておりますわけですが、これと同じような問題を当然中東域内に抱えている。それが先ほど申しましたようなイスラエルによるパレスチナ占領地支配、あるいはシリアに対する、ゴラン高原というところがございますが、そういったところの支配、こうした問題が発生して既に二十年に至るわけでございます。もちろん当時国連及び国際世論におきましてイスラエル非難の声が上がったことは事実でございますが、時間とともに既成事実としてそれが受け入れられていくようになってしまった。こうした事実が厳然と目の前に存在いたしますので、これはイラクの占領問題を問題にする以上にイスラエルの問題を同時に問題視すべきではないかというような発想が非常に出てきやすい、そういう構造になっているということが指摘できると思います。 以上のように、アラブの中でサダム・フセインの行動そのものに対してプラスイメージを付与している部分が存在するということでございます。 ただ、こういったプラスイメージを、もともとそれではサダム・フセインが意図して行動を行ったかどうかということを考えてみますと、必ずしもそうは言えない。むしろイラクという国は、先ほどお話しいたしましたように国民国家というものができて比較的長い歴史を持っておりますし、実質的には、政策等を見ますと極めて一国主義、イラクという国内のみの権益を重視するという方向に近い政策をとっておりますので、アラブの大義、アラブの統一といったスローガンは、むしろ今回プロパガンダ的に使っているところはございましても、実質的には一国のみの権益で動いていると考えてしかるべきだと思います。 これは具体的に申しますと、八月十二日にフセイン大統領が妥協案あるいはクウェート問題についての解決案という形で和平案を出してきております。資料でお配りしてございますので後で見ていただければありがたいのですが、その中で当然アラブの統一と、あるいはアラブ地域における占領地の包括的な解決といったようなことを掲げてはございますが、一番大きなポイントは、イラクのクウェートにおける歴史的な権益といったことを主張しているという点でございます。すなわち、この問題は、経済的な解決策によって解決できる問題でございまして、アラブの中で今広がっておりますアラブの大義あるいはアラブの統一といったイデオロギー的なぶつかり合いでは必ずしもないという点は注目すべきだと思います。 こうしたイラクの現実的な発想、ある程度の経済的な権益を確保さえすれば、いわゆる国民国家の枠組みというような形での今後の国際的新秩序については異議を唱えないといった方向に導くために、むしろフランス等は、イラクを過度に追い詰めることなしに、ある意味ではイラクの大義名分をある程度聞く、そういった問題も新しい国際秩序の中で解決の方向を考えるということを前提とした上でイラクに撤退を要求している。イラクサイドにおきましてもこれについてはかなり高い評価をしているというような外交関係の中で動き方をする国も存在しているということは注目すべきだと思います。アラブ諸国の中でも、現在サウジ、エジプトを中心とした反イラク陣営と言われている国々がございますが、この反イラク陣営の中におきましても、特にサウジにつきましてはまだまだイラクとの間のいわゆる手打ちといったものを捨ててはいないであろうというような傾向が見られます。すなわちこれは九月の十七日でございますが、サウジの外務大臣が、イラクがクウェートから撤退するのであればイラクに対して経済援助を惜しまない、すなわちイラクが今回の行動をとった最大の原因は経済的な不満でございますので、これに対しては経済復興に対してサウジは援助を惜しまないといった現実的な解決策を模索しているというような報道もございます。 このように、一方で現実的な対応を模索する要素が存在すると同時に、アラブ大衆、民衆の中でサダム・フセインをアラブの英雄という形で一種神格化していくような動き、二つの動きがあるということが指摘できると思うわけですが、むしろ今後非常に問題となりますでしょう点は、サダム・フセインの現実的なクウェートに対する権益の要求という問題よりも、むしろアラブ諸国の中で今起きておりますアラブの大義への期待、アラブの統一への期待あるいはアメリカがサウジに対して軍事介入をしたという、駐留をしたということによって再び巻き起こっております反米感情、こういったものが今回の事件の収拾の仕方によっては極めて大きな形で遺恨を残すということにもつながりかねないという点が、長期的なスパンで見ますと大きな問題ではないだろうかと私は考えております。 すなわち、先ほど申しましたように、サウジあるいはフランスが今志向しているような形でイラクという国をこれまでどおり国民国家の枠組みの中に封じ込めて問題を解決していくというような方向をとれば、ある程度大きないわゆるイデオロギー的な、あるいは精神的な波及効果というものを最低限に抑えることが可能かもしれない。しかしながら、これが例えば軍事衝突になる、あるいはサダム・フセインが外部の手によって転覆させられる、あるいは暗殺させられるというような事態が発生したときにその効果はどうであろうかということを考えますと、むしろアラブ人の気質から考えましてプラスイメージのみを残して神格化される可能性が非常に強い。すなわち、サダム・フセインが行いました侵略あるいはその他暴挙といったマイナスイメージのものはむしろ忘れ去られ、プラスイメージのみが残りまして、あちらこちらにそういったいわゆる遺影を掲げて、小型サダム・フセインといったような形を目指すグループが出てこないとも限らない。こうした問題が非常に大きな問題だと思われます。 特に最近のアラブ社会の傾向といたしましては、イスラム原理主義者と言われますいわゆる反西欧型、伝統的志向型の宗教勢力が各国において極めて大きな力を伸ばしております。特にアルジェリア、チュニジアといったかつての社会主義国、こうした社会主義的運営がままならなくなっていく中で、西側諸国にもつきがたいということで伝統的な社会運営に復古するという方向を強めている国が非常に多うございます。非常におもしろいことに、この伝統主義の復活を進めております国と、現在イラクに対してある程度の支持あるいは黙認といった行動をとっている国が非常にオーバーラップしております。つまり、イラクの行動に対してプラスイメージを持っている国々は、イコール社会総体として反米的な対応をとりやすいというか、社会的な側面から見て反米感情の生まれやすい国々だということを忘れてはならないと思います。すなわち、特にサウジにおける米軍の駐留といった問題に関しても、これはサウジの中でも、米軍が一体いつまでいるのであろうかといった疑念が現在でももう既に起こってきていると言われておりますし、そもそもサウジの王室そのものがイスラム教の聖地を守っていたがゆえに正統性が与えられているというような存在でございますので、これが異教徒によって肩がわりして守ってもらったというような現実が長ければ長くなるほど、サウジの王制そのものが正統性を失っていくというような問題点がございます。 非常に長くなりましたけれども、このような形でアラブ諸国の中の長期的な問題点を考えますと、現在イラクに対して強硬的な解決策を要求していくということが必ずしもプラスに転化するかどうかというのは非常に疑問であろうということを指摘したいと思います。 最後に、日本の対応ということで一言お話ししたいと思いますが、一つ、日本は中東地域に対しては非常に大きな発言権あるいはパイプを持っております。これは欧米諸国のような形での政治的なパイプではございませんで、むしろ経済的なパイプということで考えていただければいいと思います。この政治に関与してこなかったということは、ある意味では、中東諸国において日本が非常にプラスのイメージで見られる要因でもございます。すなわち欧米諸国どの国をとりましても、これまでのアラブの根本的な問題、つまり国境が恣意的に引かれてしまったとか、あるいはイスラエルに対して経済的な援助を大きく行っているといった問題に関してどの欧米諸国もすべて関与してきております。ソ連も、これまでは関与してきておりませんでしたが、現在ソ連から大量のユダヤ人が出国している。そういった問題をもとにイスラエルとの関係を改善しつつございます。 そういう意味では、日本は、これまで経済的な関係のみに絞って中東との関係を維持してきたという点におきましては、中東ではこれまで中東問題でいわゆる悪いイメージを持っていないということで唯一の国だったと言ってしかるべきかと思います。特に日本と中東の経済関係に関して言えば、特にイラクに言及させていただければ、七〇年代の後半から八〇年代の前半にかけて日本とフランスがイラクの最大の貿易相手国でございましたし、現在でもサウジ、イランといった国の中で日本企業の占めるシェアというのは非常に高いものがございます。中東の人々の間にもそういった日本企業に対する憧憬、協力に対する期待といったものは非常に強くございますので、そういった欧米諸国とは違った独自の経済関係といった、性格は若干違いますけれども、独自のパイプといったものを生かして日本なりの中東とのコンタクトというものができるのではないであろうか、このように考えております。 非常につたないお話でまことに申しわけございませんでした。御清聴ありがとうございました。
○瓦委員長 どうもありがとうございました。 次に、西原参考人にお願いいたします。
○西原参考人 本日は、この委員会にお招きいただき、まことに光栄に存じます。私は現在防衛大学に奉職しておりますけれども、本日は一研究者として個人的な見解を述べさせていただきたいと思います。最初に湾岸危機の背景について申し上げ、そして米ソの対応、それから日本の国益、そして日本のとるべき方策あるいは日米同盟というようなことについて所見を述べさせていただきます。 湾岸危機には三つの大きな意義があると私は思っております。それはこれまでの中東危機とは違ったという点で見たいわけでございますが、その第一は、大規模な米軍が介入して、穏健派アラブ諸国の支持を得ているということ。これは、こうした形のものはこれまでございませんでした。第二は、アラブ諸国がイラク派と反イラク派に分裂して、反イラク派は合同軍を結成してサウジアラビアに展開していることでございます。これもこれまでございませんでした。第三に、国連安保理事会の五大常任理事国が一致してイラク非難の経済措置及びそれに伴う軍事措置をとってきたことでございます。これもこれまでございませんでした。そういう意味で、米ソが共同歩調をとって、イラクの行動を平和への脅威と断じて行動していることは、国連の平和機能を可能にさせております。 この危機の解決に当たりまして米ソが協調体制をとっているということの重要性は、特に強調されるべきだと私は思います。もしイラクのクウェート侵攻が数年前に起きていたとしたら、ソ連がイラクを支援し、米国がそれに対抗することになり、米ソの対立は直ちに西太平洋に波及していったと思われます。米国がその際、ソ連の太平洋艦隊の動きを抑えるために、日本に三海峡封鎖を要請したであろうと思われるからでございます。また、カムラン湾のソ連海軍とスービック湾の米海軍との緊張も生じたことは疑いないと思います。こういう重大な事態になり得たことを考えれば、今回の危機が米ソ協調のもとで処理されていること、そして、そのため中東の軍事緊張が北東アジアに波及する不安を除去していることは我々にとって大きな安堵感を与えるものであります。 現在の湾岸危機への対処は、一九四五年の国連創設時に想定されました五大国の協調という集団安全保障体制が初めて機能したケースとなっております。これは、国連中心主義を標榜する我々日本としましても、危機解決への参加をより容易にしてくれていると思います。 次に、米ソの対応について一言述べさせていただきたいと思います。 ブッシュ政権は、イラク軍のクウェート侵略に反対し、いち早く国連の安保理で対イラク経済制裁決議を採択させ、それを効果あらしめるためにイラクへの陸海、最近は空ですが、のルートを閉鎖し、かつサウジアラビアを防衛するため短期間に大量の兵力を投入いたしました。これはブッシュ政権の危機管理能力の高さを示すものでした。米国はベトナム戦争での失敗による後遺症を克服して、国際正義を保持し、海外の利害を保護し、中東の石油資源に依存している現在の国際経済秩序を維持していく覚悟を外交力と軍事力で示しました。これに対しましてソ連は、これまでのところ、イラクへの武器供与中止、軍事顧問団の大量引き揚げなど、イラクの軍事力を牽制する措置をとってはきました。しかし、ソ連軍の派兵は国連軍としてのみ行うという立場をとってきました。ソ連は、アフガニスタン派兵の失敗や国内のイスラム系国民の反発、さらには自国経済の破綻、ソ連邦の解体進行などの多くの問題から、中東に自国軍を派兵することの不利を感じているようでございます。ここに米ソの実力の差を明確に見ることができると思います。 今や二大超大国の時代は終わり、一超大国の時代とさえ言えます。しばらく前から日本の研究者の中には、米ソ覇権時代は終わり、多極化時代に入ったという表現がよく使われてきました。しかし、中東情勢に対する米国の迅速な対応を見ますと、米国の覇権時代はまだ続いているようでございます。ソ連は米国に追随せざるを得ない状態でございます。ただし、米国は現在大規模な財政赤字を抱えた覇権国という皮肉な状態になっているということも我々は忘れることはできません。こうした状況の中で、日本の国益について考えさせていただきたいと思います。 国際政治におきましては、どこの国も国益に基づいて行動しております。その際、狭い自国の利益だけを求める国もあれば、より高い国際的な道義、国際的な正義を求めることが自国の使命であり、したがって、そうした使命を負うことが国益であるとする国もございます。概して大国はこの両方の国益を求めるものでございます。米国の湾岸危機における国益は、湾岸石油の安定的輸入を確保すること及び米人人質が無事解放されることという狭い利益ばかりではなく、イラクのクウェート侵略、併合という暴挙を否認し、クウェートの原状回復を確保して国際正義を確立すること、外国人を人質としてとること自身が国際正義に反するものであるから、人質に関する交渉は一切しないということ、イラクの軍国主義を抑制して、中東の石油に依存する西側諸国、東欧諸国、第三世界諸国などの経済の安定を図ることなど、より高いレベルの道義を求めることにあります。もちろん、国連加盟国でイラン経済制裁に参加し、また兵力を派兵している国の多くも概して同じ考えをしているものと思われます。 そこで、日本の国益をどう考えるべきかという問題になります。 日本も今や西側主要国の一員として、政治的自由と市場経済をもとに形成されている現在の国際政治経済システムを維持していく上での責任の一端があるとするならば、日本の国益は米国のそれと基本的に合致しております。日本の狭い利益は、石油の安定供給が確保されること及び人質が無事解放されることの二点にございますが、同時に、日本のより広い意味での利益は、国際正義を確立していくために、イラク軍のクウェート撤退を強く求め、イラクの軍国主義の抑制を図るということにあるべきであります。日本国憲法の前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」ということがあり、また「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」となっております。この点は先ほども別の参考人から御指摘がございました。したがって、こうした前文を読む限り、我々は強く積極的な役割を国際秩序を維持する上において果たしていかなければならないということになり、しかもこれは、私は一種の国際公約であるというふうにさえ考えるわけでございます。 日本のとるべき方策について次に幾つか申させていただぎたいと思いますが、私は、日本が国際社会で名誉ある地位を占めたいと思い、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と言う限り、日本の各政党はこれを国連中心という形で表現してまいったわけでありますから、我々日本としましても現在は行動のしやすい時代に入ってきたとさえ言えるかと思います。 国連憲章の第四十九条には、国連加盟国は、安保理事会が決定した措置を履行するに当たって、共同して相互援助を与えなければならないとあります。また、日本国憲法第九十八条第二項には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とございます。この点も先ほど別の参考人から御指摘がございました。 国連の安保理は、イラクに対して経済制裁措置をとる決議をしたのでありますから、日本はこれを実効あらしめるための応分の努力をすべきでございます。これまで日本がとってまいりました措置は、一、イラクとの貿易停止、二、イラクの日本国内資産凍結、三、イラクへの経済制裁措置に加わったがために経済的困難に直面している国々に大規模の経済援助をするという三点でございました。総額四十億ドルの支出決定は海外で高く評価されております。また、日本が現在検討中の国連平和協力法案が、自衛隊員を含めて人員派遣の道を開こうとしているのは、私はまことに適切だと考えております。自衛隊を国連の平和維持目的のために派遣することは集団的自衛権の行使に当たるとする説がございますが、国連がとる安全保障上の措置に参加することは、集団的自衛権の行使ではなくて、集団安全保障措置への参加でございます。私はこの違いを明確にしていくべきだと思います。 また、憲法第九条は、日本が国連平和活動に参加することを禁止しているという見解がございますが、この解釈も私には妥当とは思えません。憲法は前文におきまして、日本が国際平和のために寄与することを誓っておりますし、第九条も「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」とございます。国連の集団安全保障体制の維持に参加することは、第九条で禁止しております武力の威嚇または武力の行使には当たらないと考えます。国連憲章自身も第二条で、加盟国がこの武力の威嚇または武力の行使をすることを慎まなければならないとしております。その上で国連憲章は第七章で、集団安全保障のためにとる軍事的措置を取り決めております。 もう一つ私が不同意に感じます見解は、湾岸地域に展開している米英仏の地上軍やアラブ合同軍などは国連が決定したものではないから国連軍ではなくて、したがってまた、日本がこれに加担するのは集団的自衛権の行使になる、そして憲法は集団的自衛権の行使を禁じているという見解でございます。先ほど申しましたように、私はこの見解には不同意でございます。多国籍軍は国連の明示的な要請によって出動したものではございませんが、国連は明白にイラクのクウェート撤退を決議しており、そのための効果的措置がとられることを要請しております。その意味で、多国籍軍は準国連軍ともいうべきものであり、日本がこれを支援することは憲法違反にならないと考えております。 次の点でございますが、国連憲章第五十一条は、加盟国に個別的または集団的自衛の固有の権利を認めております。この点も先ほど出た点でございます。従来日本政府の解釈は、日本はこの両方の権利を本来持っているけれども、憲法第九条によって一方的に放棄したとするものでございます。しかし、第九条は明示的に放棄したとは書いておりません。しかも相互依存関係がこれだけ緊密になっている今日の国際社会、特に日米のような関係にありましては、個別的自衛権と集団的自衛権の区別をつけることは無意味になっております。したがって、将来別の危機がどこかで発生し、そこへ米軍が展開し、かつ米軍の勝敗が日本の安全に大きな影響を及ぼすと考えられる場合、日本が米軍を限られた形にしろ支援することは集団的自衛権の行使とも言うことができましょうし、また個別的自衛権の行使とも言うことができると思います。海外に派遣された米軍を支援することが憲法第九条に違反するとするのは私には不適切に思えます。むしろ重要なのは、どこまで日本が米軍を支援するのが日本にとって妥当なのか、日本の国益に合うのか、政治、経済、国民性、歴史的な背景、さまざまの観点を考慮して、日本の国益に従って判断するということが重要ではないかと考えます。 政府が現在検討中と言われます国連平和協力法案は、自衛官の海外派遣を、当面の間、国連平和維持活動でかつ非戦闘目的に限定することとしております。これは今日国民的合意を得る上で一見適切のように思えます。しかし実際には、非戦闘目的のためならなぜ自衛官が必要かということになります。非戦闘目的ならば文民でも民間人でもよいことになります。自衛官を派遣する以上、後方支援機能を受け持つとしましても、ある程度の危険を覚悟して国連軍ないしは多国籍軍を支援することは当然それらの軍隊から期待されるところであると思います。それこそが危険を分かち合って平和を守るということにつながると考えております。 いわゆる丸腰論、自衛官の丸腰派遣論は、日本国内では通じても国際的には通じない議論だと考えます。国連の平和維持軍はどんなものであれ、任務によって携帯する武器は異なりますが、必ず自己保身の武装をしております。武装した多国籍軍にまじって日本の自衛隊のみが丸腰で参加することは、むしろ多国籍軍の全体の効率を低下させることになるかもしれません。多国籍軍が日本の部隊を守らねばならなくなるかもしれないからでございます。丸腰の自衛隊が集中的に敵勢力によってねらわれる可能性もあるかもしれません。また、自衛隊が丸腰では、テロ攻撃を受け、人質になる可能性もあります。自衛官が参加する以上、彼らが誇りを持って参加し、かつ彼らの任務が世界から敬意を受けることが重要であると考えます。それが憲法の前文で言っております我々が国際社会で名誉ある地位を占めるための一つの道だと考えております。 最後に、日米同盟と日本の役割について一言申し上げたいと思います。 日米それぞれ異なった歴史的な経験、国民性を持っていますから、同様に我々は振る舞うことはできません。しかし、日米が現在世界の国民総生産の約四〇%を占めているということを見ただけでもその関係の重要性がわかります。しかも、日本は世界最大の債権国であるのに、その安全を世界最大の債務国米国に依存しているのが現状であります。米国の苦労を分かち合うことによって日米同盟の安定を図ることが日本の戦略であるべきであります。しかし、このことは日本が米国に追随することであってはならないと思います。日本は中東情勢に関して独自の見解を持ち、米国と苦労の分かち合い方について協議すべきであります。しかし、その際日本が発言力を持つためには、応分の寄与と応分の犠牲を払っていることが重要であります。 ここ一カ年の国際政治は著しく変化しておりますが、主要国はその変化を通して国際関係の新しい秩序を目指しております。それは、ソ連もこれに加わりたいという意向を示しておりますが、政治的自由と市場経済を柱にした国際体制を維持拡充しながら、米国の軍事力を基礎にして第三世界の安定を図るという極めて困難な試みでございます。日本はそうした秩序形成過程に積極的な役割を果たすことが期待されております。日本が他国に秩序形成の苦労をさせておいてその秩序の便益のみを享受するというのでは、日本は世界から尊敬されないだろうと考えます。このためにも日本の国会は、これまでの決議や法律、憲法解釈などを見直して、日本が時代に合った新しい役割を果たしていけるようにすることが必要だと考えます。また、政府や国会が湾岸危機での自衛隊の役割を考える際に、幹部自衛官を招いて検討することが重要だと考えます。 自衛隊を国連に出せば、あるいはそうした国連に出すための討議に参加させれば、その後自衛隊の役割が強くなるという不安があるようですが、それはむしろ国会自身がシビリアンコントロールに関しての自信がないことを表明していると同じように私には受け取れます。シビリアンコントロールは危機管理についての体制をつくることから始まると私は思います。現在湾岸危機に関しまして時限立法をという構想がありますが、現在成立しているのであれば別ですが、十一月末に成立するという見通しのものであるならば、私はそれはもう遅いという感じがいたします。これらを含めて、現在の湾岸危機は日本が危機管理能力を飛躍的に高める必要を教えてくれていると思います。 どうも御清聴ありがとうございました。
○瓦委員長 どうもありがとうございました。 次に、藤井参考人にお願いいたします。
○藤井参考人 藤井でございます。 私は、中東問題につきまして、特に今政治の日程に上ろうとしている国連平和協力法なるものを中心にして、若干意見を述べさせていただきたいと思います。 この国連平和協力法をめぐる論議は、非常に混線し、交錯し、また脱線しかねないような状況を呈していると私には思われます。総理の発言を見ましてもどんどん変わってきている。そうして次に、自衛官は併任で、かつ小火器を携行してこれに参加する。地対空ミサイルも必要である、こういう発言をした陸上自衛隊の幹部もいるようであります。つまり、もし丸腰でそうして平和的に自衛官を海外に出そう、本気でそう考えていらっしゃるのであれば、これはとんでもない無知である、そうしてまた、そんなことはわかっているのにだんだんこういうふうにシナリオを描いて演出してきたのであるとすれば極めてこうかつである、そう言わなければなりません。つまり、自衛隊を紛争地域に出せば必ず海外派兵になるわけであります。つまり、自衛隊は武装部隊として参加し、敵対行為に参加する、こういうふうに考えているわけでありまして、これは軍隊であればある意味では当然であります。つまり、戦時国際法という観点からこの問題を眺めてみますと、事態は極めてはっきりするわけであります。 つまり、自衛隊は国際法上の武装部隊、交戦者としての権利の保障を求めているわけでありまして、もし交戦者として認められない状態で敵対行為を行うならば、例えば捕虜になった場合、裁判を経て処罰され、死刑になるかもしれないのであります。だが、交戦者であれば捕虜になっても戦時国際法の定めるところにより人道的な名誉ある待遇を受ける権利を有するわけであります。しかも、その交戦者としての資格要件というのは極めて厳格に定められているわけでありまして、それは陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約、同規則等によって明らかになっております、ほかにもございますが。つまり、平たく申し上げれば、軍人というのは戦うのが業務でありますから、戦っても処罰されることはないわけであります。ところが、私ども一般人はその資格を欠いておりますから、もし戦うと違法行為として罰せられるわけであります。 そういう意味で、正規軍というのはすべて交戦者としての資格を持ち、そしてつまり、自衛官の身分を持って行けばそういうふうな交戦者としての扱いを受けるわけであります。協力隊というのは紛争地域へ派遣されるわけでありまして、万一のことを考えなきゃならない。だから、制服組としては自衛官の身分を残すことを求めるのはある意味では当然のことである。だが、それを認めれば、日本国全体にとって極めて重大な結果がもたらされるわけであります。 交戦者というのは敵対行動ができるわけであります。敵対行為とは加害行為とその準備行為でありまして、敵と戦う、ミサイルやあるいは火砲を発射する、こういうことをしなくても、そういうふうな加害行為に協力し、その準備行為をなす、つまり、補給とかそういうことをやってもこれは当然敵対行為になるわけでありまして、そのためにはやはり武装部隊でなくてはならない。その武装部隊とは、決して武器を持っている必要はないわけでありまして、その武装部隊の構成員である、そういうことでもって足りるわけであります。 足立純夫という防衛大学校の教授をされていた方が書かれた「現代戦争法規論」というのを見ましても、そこには、戦争法規上は武装部隊の構成員たる本質に影響しない、つまり、戦闘員や非戦闘員、そういう区分は何の影響もない。したがいまして、衛生部隊の要員であっても、それは武装部隊の構成員であればそれで交戦者としての権利を持ち、武装部隊として扱われるわけであります。そのような場合には、敵の攻撃を受けない、衛生部隊はそういう権利を持っておりますが、しかし、捕虜になる可能性はございます。だが、捕虜になった場合でも、先ほど申しましたような処遇を受けるわけであります。で、輸送や通信や修理などの活動に従事している場合は敵対行為そのもの、そしてまた特別の衛生部隊のような保護は受けませんから、したがいましてこれは攻撃され、むしろそこがねらわれるという危険性さえあるわけであります。そして、もしこの協力隊なるものが武装部隊に所属した場合はもちろん、武装部隊に随伴する場合でも、文民としての保護は受けないのであります。したがいまして、もし一般職の国家公務員である隊員がこういうふうな敵対行為に参加した、こういうことになりますと、敵に捕獲された場合は裁判を経て処罰されることがあり得るわけであります。 一体協力隊とは何であるのか、その戦時国際法上の意味合いをはっきりしなければならないし、また、その協力隊の任務が非軍事的分野に限定されている、あるいはいない、こういうふうなことは全く論議することは無意味なことでありまして、その協力隊が国連軍あるいは多国籍軍に対しましてそれに随伴して戦闘支援任務を遂行すれば、これは大変なことになってくるわけであります。 私は、協力隊というのはあくまで文民として一切の敵対行為を行わない、そして平和的な住民の資格で医療等の活動をする、こういうのであれば理解できるわけでありますが、そうでなければ大変危険なものであると言わざるを得ない。そうして、自衛隊というのは、国会における政府答弁というのは空理空論の累積でありまして、そういう論議は全く無意味。少なくとも、制服組というのは、軍隊としての出動を求め、そして無条件に交戦者としての資格を持つことを要求し、したがってまた自衛官としての身分を残せとかあるいは小火器を携行させよとかいうことも要求しているわけであります。もし協力隊というものが、自衛官を中心にし、そして多国籍軍を含む戦闘行動に協力していく、こういうふうなことになりますならば、これは明らかな海外派兵であります。そして、それは戦闘行動をやるかやらないかによって決まるのではなく、後方支援を含む活動をしても、そういう協力をするということであればそうなるわけでありますから、私は協力ということをこの際外すべきではなかろうかと思うわけであります。 自衛隊の管理下にある艦船や航空機、これは非武装のものを含めてすべて国際法上の軍艦であり軍用機であります。単なる輸送機であって全く武器は持っていないといつても、これは軍用機であります。つまり軍事力であり、また武力であります。したがいまして、そういうふうな定義は明確にされているわけでありますから、例えば新聞報道によりますと、自衛隊の補給艦を使う場合は大砲や機関銃が積まれている、その大砲や機関銃に封印をしてそして派遣するんだ、こういうことを言っておりますが、全くナンセンスなことでありまして、大砲や機関銃が搭載されていなくてもやはり軍艦は軍艦、軍用機は軍用機であります。封印をしてもどんな効果もあるわけではございません。封印をすれば武力でなく封印をしてなければ武力である、こんな国際法はないわけであります。単なるおまじないにすぎない。 したがいまして、こういうふうな活動に自衛隊も使うかどうか、参加させるかどうか、ここが根本的な問題なのでありまして、自衛隊と国際紛争の関係を明確にすべきである。私は、自衛隊の任務は、現在の法律に規定されておりますように国土防衛に限定すべきである、これを国外に広げるのは非常に危険である。なぜならば、そういうふうなことをやろうとすれば法体系全体を改定しなければならなくなるからであります。罰則も強めなければならない。現在の罰則はこういう行動に対して適用はできませんから、したがいまして、その罰則も変えなければならないし、自衛隊の行動の中にこういう活動をも入れなければならない。あるいは国民に協力を強制するというふうなこともしなければならない。こういうことが問題に次にはなってくるわけであります。 さらに、こういうふうにしてまさにアリの一穴、突破口を開けばそれはどんどん広がっていくわけであります。とりわけ犠牲者が出たときには大変なことになってまいります。必ず戦闘部隊を派遣せよという圧力が強まってくるわけでありまして、もう完全な海外派兵、こういうことになってくるわけであります。 制服組は何を求めているか。現在、冷戦が終結しソ連の脅威が事実上ゼロになっている、こういう状況の中で新たな脅威としての地域紛争を設定し、そこに出番を求めようとしているわけであります。したがいまして、出る場合にはユニット、部隊として出せとか、こういうことはいろいろ国会の場合も要求しておりますが、そこに自衛隊としての存在意義を求めようとしている、こういうことであります。 しかも、彼らの書いている文献をいろいろ読んでみますと、日本の国家戦略目標の達成に貢献するのだ、こういうふうな考え方がその根底にあるわけでありまして、国連軍とか国連平和維持軍というのは単なる建前といいますか、そういうものにすぎないわけであります。実態ははっきりとした海外派兵であり、一たんこの道に踏み出すならば、もう本当の正真正銘の海外派兵になっていくことは明らかである。 そして、国連の平和維持軍への協力、これをするとしても自衛隊は全く不適当であります。なぜかといいますと、国連平和維持軍というのは決して敵を打ち破るというふうな任務を持っているものではございませんが、自衛隊の幹部教育を調べてみましても、例えば陸上自衛隊幹部学校CGS、指揮幕僚課程、この教育は戦術が五二%、戦略が一六%、計六八%が敵を打ち破る教育である。そういう教育を受けた幹部を、平和維持活動、こういうふうなところへ持っていっても役に立たない。ある場合には極めて危険な結果をもたらすことになるわけであります。もしそういうことをやるのであれば、私は、警察行動の範囲内において何らかの新しい組織をつくって、それにそういうふうな任務を担当させるというふうにするのが正しいと思います。 それから、今回のこういう問題につきまして、やはり日本がこのいわゆる中東貢献策なるものを策定してどんどんと多国籍軍への協力を進めていっておりますが、これは日米安保条約の性格を変えるものであり、極めて危険であるという側面があることを言わなければなりません。 本年四月十八日にアメリカ国防総省が発表したアジア・太平洋の戦略的枠組みというのを見てみますと、その中には、地球的な規模でアメリカの安全保障努力から日本は重要な利益を得ている、したがってその経費の追加負担を求めるのは当然、こういうふうに申しておりますが、まさにこの四十億ドルというのはそういう意味合いをも含んでいるわけであります。つまり、日米安保というのは、日本が侵略を受けたときにそれに対して日本を守る、そのかわり日本の中にアメリカの基地を設けることを認める、こういう条約であったはずでありますが、その日米安保が途方もない方向へ広がっていっているわけであり、そして日本はアメリカの要求のままにこの経費の負担等をやることになっておる。しかもそれは中東だけではなく、今後至るところ、世界の至るところでの事態においてそういうことがなされる、そういう道を切り開くものであり、したがって、日米安保が非常にそういう意味では危険な方向へ脱線してきているということを言わなければなりません。 では、国際紛争に対して我々はどう対応していくのか、これが第三に申し上げたいことであります。 私たちは、まず、国際紛争の予知と予防に力を入れる、これが大事だと思います。地震予知というのがございます。これはしかし難しい。だが、戦争の予知というのはそれほど難しくはないと私は思うわけであります。兆候が発見されたならば直ちに応急対策を講じる。その道はいろいろございます。だが、そういう応急措置だけではだめである、やはり平和保障、根本対策をやらなきゃならない。それは一体どういうものであるか。これは考えればすぐわかることでありますから、そのような根本対策を講じ、紛争が起こらないようにしていくことに日本は全力投球をすべきである。資金はございます。年に一兆円以上捻出可能であると私は考えております。 第二に、やはりあくまでも国連中心でなくてはならない。多国籍軍への協力というのは、結局、場合によってはベトナム戦争型になりかねないわけでありまして、こういうものは慎むべきであると思います。 第三に、あくまでも非軍事的手段に限るべきである。そういう非軍事的手段を中心にいたしまして国連に協力していく、こういうふうにすべきであろうと思うわけであります。 現在、冷戦が終結した、そういう中で、一体これからの世界はどうなっていくのかということについてさまざまな意見が出ております。去る九月に発表されました防衛白書によりますと、まだまだ、ソ連の潜在的脅威という言葉自体は削除したけれども、事実上ソ連の脅威はある、こういうふうに申しておりますが、そんなことはありません。ソ連の脅威というのはもう全くなくなってきたと見るべきであります。そして防衛白書は、かわりに地域紛争多発の方向、傾向というのが出てきている、こういうふうに指摘しておりますが、この認識も私は間違っていると思うわけであります。 世界をどう見るか。まず第一に、冷戦が終結し米ソの核軍拡競争にストップがかかった、そしてまた第三次世界大戦が起こる可能性というのが消えてきている、こういうことは人類史の大きな前進であります。その側面をはっきり確認しなくてはならない。 だがしかし、そういう状況の中でもイラクのクウェート侵略が起きたわけであります。つまり、世界大戦の脅威は去りつつあるが、侵略戦争というものはまだなくなっていないのであります。まだ、戦争がなくなっている、そういう状況ではない。したがいまして私たちは、そのようなあらゆる戦争をなくしていく方向へさらにもう一歩前進しなくてはならないわけであります。その方向というのは、あくまで国連中心にそれをやっていくということでなくてはならない。 防衛庁の幹部は、この冷戦の終結以後、米ソ超大国の対決がなくなってきつつある段階において、小さなクマがぞろぞろと出てくるようになってきた、そういう状況をにらんで防衛力増強に努めなくてはならないと主張しておりますが、そんなことはないわけであります。確かにイラクはクウェートを侵略した、だが、そのような戦争というものは、残念ながら戦後百五十回以上も起きているわけであります。つまり、米ソは戦わなかったけれども、第三世界ではもう至るところでたくさんの戦争が起き、そして、残念ながら二千万人もの人々が犠牲になってきたという事実がございます。そういうものをなくしていかなくてはならないということを、はっきり今課題として我々の前に提起されているわけでありますが、それは何よりも、例えば武器輸出をしないというふうなことを大国がやれば、そういう戦争が起きる、あるいはその規模が大きくなり長期化するということが避けられる。こういう意味でも、武器輸出をしないというふうな、そういう措置を国際的にとる方向で日本は役割を果たさなくてはならない。つまり日本は、海外派兵をしない、武器輸出をしない、そういう平和主義の国是に立脚しているわけでありますから、この国是に立つ外交政策をこそ展開しなければならないのである、こういうふうに私は考えるわけであります。 どうもありがとうございました。
○瓦委員長 どうもありがとうございました。 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。 午後零時四十分より再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時八分休憩 ────◇───── 午後零時四十一分開議
○瓦委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 これより参考人に対する質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。三原朝彦君。
○三原委員 伊藤先生、ちょっと伊藤先生にまず質問させていただきたいのですが、先生の古い論理から新しい論理へというお話、理論的な解説、私も大いに勉強させていただいた次第であります。 ところで、先生がおっしゃったこれからの日本の役割、つまりマテリアルなもの、物質的、経済的なものへの国際協力の観点からさらに一歩踏み込んで、世界の新秩序形成のために日本が何をできるか骨を折ろうということをおっしゃって、その中で日本がすべきことというのは、その一つは個別的及び集団的な自衛権を国連憲章の枠内で実行していこうじゃないかということをおっしゃったのです。つまりこれは、私が考えるに、自衛隊を国連の中にある軍事参謀委員会とかいう国連軍のあの委員会のもとで、国連軍の旗のもとで行動させて世界平和に寄与しよう、具体的にはそういうことなんでしょうか。そのことをちょっと……。
○伊藤参考人 それでは御質問にお答えさせていただきます。 先ほど、憲法九条の解釈としては、日本国は自衛権を有し、その自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権が不可分の一体をなしているものであると解釈するのが国際的通念であり、かつ自然な解釈であるということを申し上げたわけであります。したがいまして、この解釈に異を唱え、個別的自衛権は有するが集団的自衛権は有しないとの立論をするためには、我が憲法上に明文の根拠がなければならないと考えるわけでありますが、さような根拠は我が憲法上全く存在しないわけであります。むしろ憲法前文等を通して通観すれば、我が憲法は集団的自衛権を含む一体としての不可分な個別的及び集団的自衛権を有すると考えるという法解釈を述べたわけで、それ以上踏み込んだことは先ほどは申し上げなかったわけでございますが、御質問いただきましたので踏み込んでみたいと思います。 私は、これまでの政府の解釈が個別的自衛権は有するが集団的自衛権は有しないとの議論をしてきたのは、私が述べましたようなあるべき法解釈をしようということでそうしたのではなく、むしろ自衛権そのものが日本にはないのだというような議論を前にして、とにかく個別的自衛権だけでもあるということを政府解釈として確立しておきたいというようなアプローチの仕方、それからもう一つは、集団的自衛権を、これは本当はあるのかもしれないけれども、あるということを政府解釈として打ち出してしまうと、歯どめがなくどんどん日本が日本と関係のない国際紛争に巻き込まれていくようなことになるのではないかというおそれから、この二つの根拠でそういうふうになっていたのだろうと思うわけであります。 第一の点につきましては、これまで日米安保体制のもとで日本が全くひとり立ちできない被保護国、弱小国として過ごしてきた間は、そのような解釈でもこれは放置しておいてやむを得ないという事情があったかとも思いますが、今やそういう事情でないことを申し上げました。 それから第二の点につきましては、これは私はかように考えるわけであります。 現段階まで至りますと、やはり一応憲法の解釈は憲法の解釈としてしっかり正面からあるべき姿でしておくべきである。そういたしますと、これは個別的であると集団的であるとを問わず、もう今日の安全保障関係においてこれを分離することは不可能なわけでございます。集団的自衛権を否定することは自衛権そのものを否定することに通ずるような国際軍事環境なわけでございます。政治環境なわけでございます。そういうことでありますので、これは自衛権を認める以上集団的自衛権を認めるという法解釈をはっきりとさせる時期に至ったと思うわけであります。 しかし、そういうことをするとどんどん歯どめのない国際紛争への日本の巻き込まれが始まるのではないかという点につきましては、これは法解釈の問題ではなくて政策の問題、政治の問題でございますので、憲法解釈として集団的自衛権は有するけれども、それの行使に当たってはこれを最小限度にとどめるという政策的決定を別途行えばよいわけであります。例えば、我が国の非核三原則は憲法上何ら根拠を有するものではございませんが、国是として確立しているわけでございます。同様に、集団的自衛権につきましても、これは何も憲法に根拠を持たせる必要はないわけであります。政策として、国会の意思として、内閣の意思として、国是として最小限度の行使にとどめるという政策を打ち出すことが可能なわけでございます。私は、集団的自衛権の発動として自衛隊が海外に派遣される場合の要件というのは幾つか考えることができますが、それは一つには我が国自身の安全保障と直接的なつながりを有するということであり、第二には自衛権発動の対象の急迫不正性が明白な場合でありますが、三番目といたしまして、海外に派遣する自衛隊の任務は医療、通信、輸送、建設、偵察、掃海などの非戦闘任務に限定するというような条件、国是を政策としてつけることは可能であり、かつ適切ではないかと考えているわけでございます。 なお、先ほど藤井参考人からそういう区別をすることは無意味であるという御説がありましたので、一言私の意見をつけ加えさせていただきます。 戦時国際法上は確かに無意味であるかと思います。しかし、国際政治的には、また我が政策上は、この区別をすることは極めて重要でございます。それから、このように申しましても、私は国際平和に対する日本の人の貢献をどんどん拡大していき、それを日本の貢献策の主たる目玉にすべきであるということを主張しているものではございません。今回の中東危機に際してのアメリカの動向を見ても、アメリカは軍事的なリーダーシップをとって出兵いたしましたが、その出兵を政治的に有効なものとするためにはソ連のサポートを取りつける必要があり、それが九月九日の米ソ・サミットになったわけでありますが、ということは、アメリカは軍事的には大国でありますが、政治的にはソ連が依然として一定の影響力を持っている状況であります。そしてまた、アメリカはこの中東派兵の軍事費を単独で全額負担できない状況にあって、日本等に経済支援を求めてきているわけであります。ということは、日本は経済的に大国であるということであります。今後の世界秩序を考えると、アメリカが総合的なパワーでありながら軍事において独占的地位を持ち、政治の分野でソ連、経済の分野で日本というような役割分担が浮かび上がっていると思います。したがいまして、日本はやはり基本的には経済の貢献でよろしいかと私は思います。資金援助でよろしいかと思います。 しかし、金しか出さないというその日本の姿勢が、出した金の有効性すら五割引き、三割引きに値引きされて評価される源をつくっているわけであります。したがいまして、人の派遣はしなければいけないというのは、私はシンボリックな意味で申し上げておるのであり、日本人のガッツ、心意気を示すために必要と考えているわけでございまして、日本は集団的自衛権に基づいて、多国籍軍にシンボリックな人を派遣し、これを非戦闘任務に参加させるべきであると考えるわけであります。 なお、国連軍が安保理の決定により組織される場合は、これに参加することは日本国の国連加盟国としての義務であります。したがいまして、これは拒否できません。拒否したいのであれば、国連を脱退しなければなりません。そして国連軍として参加いたしました場合には、軍事参謀委員会の助言とアドバイスにより安保理が戦闘任務を発令した場合には、これを拒否できないものと考えております。 以上でございます。
○三原委員 次に、大賀先生に質問させていただきたいのです。 先生は制服組の退役の方として、その立場からちょっと私、素人でありますが、お伺いしたいのですが、今我々は何とかして、今まさに伊藤先生がおっしゃったシンボリックな意味でもお金だけじゃなくて、何か我々ももっとさらに世界秩序のために我が国は貢献しなければということで呻吟、苦労しておるわけであります。我々も今から先議論するのですが、この平和協力のための法ですね。それで後方支援といいますか、輸送だとか何々とか分けてやりますが、そういうことがもしかするとシンボリックな意味では日本人が現地に行っておるということで役に立つかもしれませんが、制服を着ていらっしゃった方として、そういうことでもやはり我々のやっていることは今現に出ておる多国籍軍とかサウジ軍とかそういう人たちにも大いに役立つのだろうか。一説によりますと、そういうところほど敵からは、何も守るものがないということで標的にされてというような話もあるのですが、制服組の方としてどうでしょう。
○大賀参考人 お答えします。 役に立つかどうかということはよく調べてみなければわからないのでございます、シンボリックな意味とは別に。しかし、少なくとも今の時点で、例えば医療――アメリカの医療というのは日本より立派な医療を全部持っております。だから、そういう意味での医療とか輸送とか、現段階では特別必要としていないのではないかという認識を、私は軍につきましてはそういう認識は持っております。 しかしこれが、戦闘が始まるとかそういう状況になってきて、死傷者がたくさん出るからそういうものの医療の設備が欲しいとか、それはアメリカにはないだろうと思いますけれども、ほかの国にあるいはそういうことが起こるのかどうか、この辺はわかりません。あるいは船が足りなくなる、どんどん後続輸送、そういうようなことは実行的にあるのではないかと思いますけれども、現段階ではちょっとないのではないでしょうか。しかし、シンボリックなことは私は大変重要なことだと考えております。
○三原委員 酒井先生にお尋ねします。 何年前でしたかちょっと忘れましたが、カダフィがテロリストに対して大いに世界で後ろで糸を引いておるということで、米軍がイギリスから戦闘爆撃機を出してピンポイントでやって、家に当たったけれども隣のテントに当たらなかったという事件がありましたね。私は、解釈はいろいろあるでしょうが、それによってカダフィさんが、つまり、これはおっかない、世界秩序に対して身勝手なことをやるとおっかないということで、それ以降彼が行動を慎んでおるというふうに認識しておりますが、この前実はアメリカ空軍の参謀総長が、いざとなったらあのファミリーも、サダム・フセインの家族をやってやるんだ、それぐらいやらないとというようなことを言って首を切られたわけですが、どうなんでしょう、今一応の話をしていただいたのですが、サダム・フセインの本当にシンボルとして国内における地位、ピンポイントで例えばそういう事態が起こったとしたら、また新たなサダム・フセインが出るのだろうか、それともそのことがイラクに対して戦闘意欲みたいなものをなくすような、失わせしめるようなそういう国家形態、国民感情なんだろうかということをちょっとお尋ねしたいと思います。
○酒井参考人 お答えいたします。 カダフィのケースは今回のケースと非常に近いものがございます。アメリカの対応も、アメリカの世論操作という点でいきましてもカダフィに対する攻撃を行っていたときとほぼ同じで、カダフィの際には六カ月間かけましてそういった世論形成を行ってきたわけですが、今回はもっと速い形で行おうとしているということを考えますれば、空軍参謀総長の解任のときの発言でもございましたけれども、やはりそういうやり方が効果があるであろうということは頭の中にあるとは思います。 ただ、それがイラク及びその周辺の湾岸諸国の政治的安定性をもたらし得ることになるのかどうなのかという点が問題だと思いますが、第一点、サダム・フセインの国内における地位と申しますのは、御存じのとおり強権政治でございまして、全面的な権力がサダム・フセインに集中しております。でありますがゆえに、サダム・フセインの政権転覆というような事態が起こった際には、その後かなりの程度に群雄割拠状態になり得る。党の中でも、もちろんイラクの国内政治はバース党という党と軍と両者が拮抗関係にある、今は党が軍隊をコントロールしているという状況にございますけれども、これが、サダム・フセインという人物が消えて党がそのまま政権を維持しようとした場合であっても、軍の中で弱体化した党というイメージを非常に強く持つ者が出てきてもおかしくない。かつてイラクの現代史を見ますと、かなり頻繁な程度に軍のクーデターが発生いたしまして、それによって政権が混乱していたという時期がほとんどでございます。ですから、そういったことが極めて起こりやすい状態にあるということは確かだと思います。 その後、第二のサダム・フセインが生まれるのかという御質問につきましては、クウェート侵攻の際に軍の中にクウェート侵攻に反対したという理由で処刑された者があるという報道が幾つかございましたけれども、と同時に恐らく軍の中にはクウェート侵攻を支えている部分が当然あるだろう。これは、軍の情報はなかなかつかめないのでございますけれども、イラン・イラク戦争の最後の時期においてイランが停戦をするというふうに言った際に、イラクがその停戦に乗っかる形で戦争が終わったわけなんですが、そのときにやはり、継戦、イラクの勢いが波に乗っているときにさらにもっと領土を拡大したいといった意見が軍の中に存在していたということから考えますと、今回の事件においてもサダム・フセインが転覆というような事態になったとしても、さらにそれ以上に拡張主義的あるいは反米的なセクションが軍を中心にして起き上がってこないとも限らないということは言えると思います。
○三原委員 私たちは何もサダム・フセインを亡き者にしようとかいうことではなくて、今クウェート侵攻があったのを引き、そしてなおかつ我々日本国民、そしてまた諸外国の国民の皆さんが、無実の人たちが人質にされておるという事実を何とかして常識的な状況にということで、我々もいろいろ、何か遠いところからですけれども苦労しておるところなのです。しかし酒井先生の話によると、そう簡単には、フセイン一人が亡き者になったからといって、そのことによってすべてが解決するような構図でもない、強権政治をやっておるのもそういうことなんですね。 時間になりましたので、私の質問はこれで終わらせていただきます。
○瓦委員長 小澤克介君。
○小澤(克)委員 委員の小澤でございます。 参考人各位におかれましては、多忙の中をわざわざ当委員会にお越しいただきまして、貴重な御意見をいただきましたことに感謝を申し上げたいと思います。 質問をさせていただきます。若干ぶしつけなものを含むかもしれませんが、御容赦を願いたいと思います。 まず最初に、伊藤参考人にお尋ねいたします。 伊藤参考人の発言の中で、サダム・フセインに対してテロリスト出身である、これは事実関係は私よく知りませんが、その後に奇形児的という発言がございました。これは一国の元首に対する大変な発言であろうかと思います。参考人でありますからとやかく言ってはならないのかもしれませんが、これが仮に政府委員であれば大変な国際的な問題を引き起こすものであるということを指摘しておきたいと思いますし、さらに奇形児的という発言は、障害者に対して、特に身体障害者に対して否定的な評価を伴う発言として、これは人権上看過し得ない発言だと思います。この点については理事会等で適宜、例えば議事録から削除する等の適切な処置をお願いしたいということをまず最初に申し上げておきたいと思います。参考人であろうともその発言にはおのずから節度というものがあろうかということを指摘しておきたいと思います。 さて、いろいろお尋ねしたいことがあるのですが、まず伊藤参考人の発言の中で、今回米ソ冷戦構造という枠が外れて、国際秩序移行期においてサダム・フセインがこれに真っ向から挑戦をしたという御認識がございました。しかし、よく考えれば、米ソ対立下にあればこの種地域紛争は対して、例えば米国がそれに対する一定の方針をとれば直ちにソビエトはそれに抵抗するような方針を出すというのがこれまでの一般的、歴史的な経過でございますから、そうすれば国際的な活動はなかなか動きがとれずに、このイラクの全く不法な侵入に対して適切な行動がとれないまま、むしろその軍事占領を既成事実化するという方向になったのではないだろうか。そのことは、イスラエルによるパレスチナ西岸地域占領が現在もそのままになっているということからも容易に推測されるわけでございます。 そのように見ると、今回のサダム・フセインはむしろ情勢変化を読み違えたものであって、かつての冷戦下においては多少のことをやってもソ連がガードしてくれるといった、読み違いによって起こったのではないだろうか。むしろ、このフセインの暴挙に対する国際的なリアクションの方がこの新情勢によってもたらされたものである。その意味では、冷戦の枠組みの緩みが今回のイラクによる侵攻を誘発したという認識は必ずしも妥当ではないのではなかろうかということを思いますが、いかがでしょうか。 それから、伊藤参考人の御意見の中で極めて重大だと思うのは、自衛権に関して個別的自衛権と集団的自衛権の不可分性を強調され、そして憲法の解釈としても、集団的自衛権について憲法は容認するものであるという御趣旨の、まあそこまではおっしゃられなかったようですが、少なくとも見直しの必要があるという発言がございました。 しかしこれは、集団的自衛権についてまず時間的な関係から、御承知のとおり国連憲章が成立したのは昭和三十二年のことでございますし、その五十一条による集団的自衛権は、当時ラテンアメリカ諸国などが汎米体制等が機能しなくなることを危惧したために、そのようなものに対する配慮としてアメリカの提案によって挿入されたものである。そして集団的自衛権の概念は、国連憲章の五十一条には「固有の」と書いてありますが、その文字にかかわらず国連憲章で特に認められた概念である。ある国が武力攻撃を受けた場合に、それと密接な関係にある他の国が共同して防衛に当たるということでありますが、自国が直接の攻撃を受けていないのでありますから、個別的自衛権とは全く本質的に違うものであります。そして実質的には他国に対する援助、共同防衛、同盟としての第三国の強力行便の役割を果たすものであり、これは実質的には国連憲章が集団安保の立場から否定したはずの理念でございます。しかし、先ほど言ったラテンアメリカ諸国等の主張から妥協の産物として成立したものである。そのような歴史的経過等を無視した暴論ではないだろうかと思うわけでございます。これについての御見解を賜りたいと思います。 さらにまた、現在米ソ冷戦の枠組みがどうやら解消に向かって、本来の意味における集団安全保障、集団的自衛権とは違う集団安全保障の方に機能する機運がようやく生じてきているわけでございますから、その中にこの集団的自衛権というのは本来は解消していくべきはずのものでございます。その中にあって、今日になって突然日本がこの集団的自衛権を合憲であるとし、これに加わるということは、まさしく方向が逆向きではなかろうかと思いますが、いかがでしょうか。 それから、もう一点だけ質問させていただきます。 国連憲章四十三条等から、国連憲章のいわゆる本来の意味での、まあ幻に終わった国連軍でございますが、このようなものが結成されるに至れば日本はこれに協力をし参加をする義務があるというふうにおっしゃいました。しかしながら、この四十三条に基づく本来の国連軍を創設するために軍事参謀委員会が安保理のもとに結成されまして、そしてこの四十三条に言う安保理と各国との特別協定の策定作業をしたわけでございます。そして、一九四七年四月三十日にレポートを理事会に提出しております。そして、結局合意ができなくてこの協定はできず、したがって、現在に至るも本来の意味での国連軍というものはできていないわけでございますが、そのレポートの中で、特にその十四条に、加盟国の寄与については、必ずしも軍隊であることを必要としない、軍隊の提供ができないときは施設その他の援助の提供によってその義務を果たすことができるということが明示されております。これは軍事参謀委員会で合意できたことについてのみまとめたレポートでございますから、伊藤参考人の先ほどの発言は基本的に誤解ではないだろうかということを思います。 以上について、まずお答えを願いたいと思います。
○伊藤参考人 たくさん御質問がございましたので、メモをとっておりませんでしたのであるいは失念する場合には、再度リマインドしていただければと思います。 冒頭の私のサダム・フセインに関する評価につきまして言葉遣いに不適当があったという御指摘があった点につきましては、率直な印象を申し上げますと、そういう本筋から外れた言葉の揚げ足取りのようなことばかりをやっているから私は議論が進まないんだと思います。私は身体障害者を侮辱するような意味は全くございません。そのことは私の話を聞いていればおわかりいただけたのではないかと思います。しかし、私があたかも意図的に身体障害者を侮辱しようとしてそういう言葉を使ったかのごとく表現されたのは、議論の本筋から離れる揚げ足取りではないでしょうか。(発言する者あり)私は少なくとも身体障害者を侮辱する気持ちは全くございません。そのことをはっきりさせていただきたいと思います。(発言する者あり)私は引き続き発言してよろしいのでございましょうか。
○瓦委員長 静粛に願います。
○伊藤参考人 サダム・フセインにつきましては、私は、本質的にヒトラーであるとかあるいはスターリンであるとかと同じタイプの指導者、国家元首ではないかと思っております、という表現をもってかえさせていただきたいと思います。 次に、御質問に対する回答に入りたいと思いますが、第一の点、新しく構築されようとしている世界秩序、これに対する妨害者、破壊者、阻害者としてサダム・フセインが立ちあらわれているということを私申し上げたわけでありますが、この私が言っている新しい世界秩序、新秩序なるものの内容について小澤先生の御理解が食い違っているのではないか、私が申し上げたものとは違う御理解に基づいての御批判でなかったかと思うわけでございます。したがいまして、この点につきましては、お手元に資料といたしまして「古典的戦争と新しい戦略」と題する私の資料がございますので、それをお読みいただければ御質問の趣旨は御撤回いただけるのではないか、そういう意味で申し上げている世界秩序ではないのだということが御理解いただけるのではないかと思いますので、お手元に差し上げました資料をもって、そちらの方がより詳しく言葉を尽くしておりますので、回答にかえさせていただきたいと思います。 第二点は何でございましたでしょうか。
○小澤(克)委員 集団的自衛権と個別的自衛権の不可分性の問題です。
○伊藤参考人 この点につきましての私の論点は、国連憲章は各国に自衛権を認めております。しかし御指摘のように、国連は本来公的救済制度としての国連軍による安全、秩序維持を目標といたしておるわけでありまして、それが完成した暁には自衛権は認めないという立場でございます。そして、それが完備、完成しない場合、やむを得ず自衛権を認めるという趣旨でございます。五十一条をお読みいただければ明白でございます。そして、この場合において個別的自衛権と集団的自衛権を全く区別いたしておりません。そのことに御留意いただきたいと思います。 私が終始申し上げたことは、個別的自衛権と集団的自衛権に自衛権を分解して、その一方を認め、他方を認めないという発想は日本国憲法に関する政府解釈以外には存在しないということを申し上げたわけで、それが極めて不自然、人工的な解釈だということを申し上げただけでございます。したがいまして、憲法上明文の根拠が他の箇所にあるのであればそういう特殊、特異な日本国だけの解釈も可能かと思いますが、そういう明文上の根拠がない以上、世界万国共通の自衛権の解釈に立ち戻られてはいかがかということを申し上げているにすぎないわけでございます。 三番目は何でございましたでしょうか。
○小澤(克)委員 軍事参謀委員会のレポートの十四条に関してです。
○伊藤参考人 日本国が、国際連合が国連憲章四十二条、四十三条に基づいて国連軍を組織することになったとき、これに参加する義務があるかないかという意味でございます。 国連憲章四十三条を読ませていただきます。「すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一又は二以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。」約束すると言っているのは義務を引き受けるということでございます。 なお、この国連軍の結成に日本が参加する義務を負うという意味は、その背景として、各加盟国はその能力に応じてということが当然の前提とされている以上、その能力のない国が便益だけあるいは援助だけということはあり得るだろうということでございます。御指摘のように施設だけを提供するという協力の仕方で免除される国もあり得るかと思います。しかし、世界でこれだけの大国になった日本が、例えばコスタリカであるとかあるいはオマーンであるとかと同じ程度の協力しかせず、それをもってこの四十三条の義務を果たしたと言えるのだろうかということを考えれば、四十三条に明白に兵力を利用させることを約束すると書いており、日本国に自衛隊がある以上、日本は兵力提供の義務を負っていると考えざるを得ないのではないかという私見を申し上げたわけでございます。 以上でございます。
○小澤(克)委員 幾つか誤解があるようでございます。時間がもうありませんけれども、まず奇形児発言は、もちろん意図的に発言されたのであればとんでもない話であります。無意識のうちに奇形児について否定的価値判断を含む発言をされる、そこに差別の本質があるということを指摘しておきたいと思います。 それから、集団的自衛権と個別的自衛権を区別する理解が日本以外にはないなどとおっしゃいましたが、これは全く誤解ではないでしょうか。集団的安全保障というのは、五十一条で特に国連憲章に追加されたものでございます。自国が直接脅威を受けたためのみずからの反撃である自衛権とは本質を異にするということは、国際法の極めて概説的な教科書にも明確に書いてあるところでございます。それから、恐らく参考人はこの軍事参謀委員会のレポートをお読みでないんだろうと思います。明確に各国で合意した中身、十四条でございますが、「軍隊の提供ができないときは」というのは、何も経済的あるいは物理的にできないという趣旨に限定はされないわけであります。以上指摘しておきたいと思います。 時間が非常に少なくなりました。大賀参考人あるいは西原参考人にもそのような発言があったかと思いますが、現在の多国籍軍について、これがあたかも国連の方針に従って派遣されてあるかのような御認識がございましたが、これは基本的に誤りではないかと思うわけであります。現在の多国籍軍及びアラブ合同軍は、国連憲章五十一条を根拠とするものかもしれませんが、特に安保理等の決議に従って派遣されたものでないことは明確であります。安保理決議、この間出されましたものを全部私、目を通しましたが、多国籍軍の行動について安保理としてオーソライズしたものは、安保理決議六百六十五号で、同地域に海上部隊を展開しているすべての国連加盟国に対し臨検等々を行う措置をとることを要請する、これのみでございまして、それ以外には現在の多国籍軍を個別に国連がオーソライズしたものはございません。基本的な認識が違うのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○西原参考人 今の御指摘の点にお答えさせていただきます。 私はその点少し気をつけて発言したつもりでございます。私は、多国籍軍は国連の明示的要請によって出動したものではありませんがと申しました。ありませんが、国連は明白にイラクのクウェート撤退を決議しております。そして、そのために効果的な措置がとられることを要請しております。アメリカ大統領ブッシュの最近の発言を見ましても、その意味での米軍配備の目的を説明しております。したがって、私は多国籍軍を準国連軍として考えるのが今適切じゃないかというふうに考えております。
○小澤(克)委員 時間がございません。準国連軍などというようなあいまいな規定は国連憲章のどこにも出てこないものではないかということを指摘しておきたいと思います。 次に、平和維持軍について何人かの参考人が言及されました。私も本来の意味での平和維持、ピース・キーピング・オペレーションですか、については、これは武力の行使の範疇には恐らく入らないだろう、ただし、コンゴ派遣軍については若干の疑問があるけれどもと思います。 しかし、仮に平和維持軍を派遣するのであれば、これは現在の自衛隊の目的あるいは装備、訓練内容等とは全く違ったものであることを指摘したいと思います。平和維持活動は軍隊とは基本的に任務が違う。紛争当事者の間に入って、身に危険が迫っても忍耐強く冷静に衝突事件を防止、鎮静することが任務であり、したがって、攻撃されることはあっても攻撃してはならない、また、その現地の対立する双方の社会、文化等をよく理解しておかなければ仕事が務まらない、そのような性質のものであります。我が国への直接侵略に対する自衛権の発動を目的としている自衛隊とは全く性質を異にするものであり、したがって訓練等も違ったものであるとするならば、大賀参考人は第二自衛隊をつくるのはそれは別である、必ずしも反対しないという御趣旨の発言がございましたが、名称はともかく全く別の組織として組織し訓練をすることが必要である、そしてそのようなものを既に用意している諸国も北欧諸国にたくさんあるというふうに認識しておりますが、いかがでしょうか。
○大賀参考人 お答えします。 確かにそういう点はございますが、そういうことは教育すればいいことでありまして、別にそう難しいことじゃないので、そういう目的に参加するのであれば、それらしい教育を自衛隊にすることで十分任務は達成できると考えております。
○小澤(克)委員 他の参考人にもたくさんお尋ねしたいことがあるのですが、時間が終了いたしましたので、残念ながらこれで質問を終わらせていただきます。
○瓦委員長 冬柴鐵三君。 〔委員長退席、宮下委員長代理着席〕
○冬柴委員 参考人各位におかれましては、お忙しいところお運びいただき、大変有益なお話を伺いまして本当にありがとうございました。二十分しか与えられておりませんので、恐縮ですが、順次簡潔にお答えをいただきたいと思います。 今の質問でもあったのですが、現在、中東湾岸地帯に展開をしている多国籍軍と言われるものの性格をどのように理解するのか、特にこれが国連憲章とのかかわり合いでどうなのか。純粋に多国籍軍であれば、これは侵略を受けるおそれがあると考えられたサウジアラビアが、独力ではその侵略を防止することができないという観点からアメリカ等に国連憲章五十一条、集団的自衛権を行使して守ってほしい、そういうような二国間の関係で進駐をしているのではないか、そういう極端な見方から、ある程度国連がこれをオーソライズドしている部分もある。そういうようなものがあると思うわけでありますが、その点につきまして、多国籍軍、特にアメリカ軍というふうに言っていいと思います陸海空軍と国連憲章とのかかわりを、それぞれどのように理解していらっしゃるか。伊藤参考人、大賀参考人、それから西原参考人の三名の方に順次一言ずつお答えをいただきたいと思います。
○伊藤参考人 お答えいたします。 これは純法律的な理解、それから政治的な理解と、区別して考える必要があろうかと思います。 純法律的に申しますと、あそこに展開いたしております多国籍軍及びアラブ合同軍は、国連決議の精神を旗印といたしましてはせ参じたボランティアの行動でございます。したがいまして、純法律的に言えば国連軍ではございません。しかし、今申し上げたようなにしきの御旗を掲げ、しかもそれを世界のイラク以外のほぼすべての国が認めかつ支援しているという意味において、西原参考人の使った準国連軍という言葉は妥当かつ適切ではないかと思います。政治的にはそういうことでございますので、私は、これは国連軍扱いして参加することが日本にとっての利益であり、利益と申しますのは、日本が置かれた国際社会の地位にふさわしい貢献をするというときに、この多国籍軍をどうみなすかというときにおいて国連軍とほぼ同様にみなしてよいのではないかというふうに考えます。
○大賀参考人 私も伊藤先生と全く同じ見解でございまして、今多国籍軍が国連軍であるとは思っておりません、法的には。しかし、国連の決議の精神にのっとって展開されているものと思っております。そのことは海上の問題も同じでございます。海上に出ている船も性格は全く同じ。それに対して国連軍は規制措置を、武力を行使していいという権限を与えたわけでございます。性格的にはいずれも同じだと思います。海上のも、サウジに入っているのも性格的には同じだと思います。
○西原参考人 私も、先ほどの質問で申し上げましたように、国連の明示的な要請によって現在の多国籍軍が展開しているわけではない、しかし、国連の決議を効果あらしめるために彼らの存在があるという点を考えまして、準国連軍というふうに考えております。私、それが今のところ一番いい解釈ではないかというふうに考えます。
○冬柴委員 私は三人の方々のお考えとは違う立場をとります。まず、多国籍軍は国連の指揮下にないということが決定的に違うと思います。そしてまた、イラクに対して武力による威嚇、また武力行使を目的としてそこに駐留をしているという、いわゆる特定国家に対してそのような態度に出ているという点で私は違うと思います。 ここに国連安保理決議の六百六十五号の翻訳がありますが、ここの冒頭には、クウェート政府に協力して当該地域に海軍力を展開している加盟各国に対して――オーソライズドしているのは海軍力を展開している加盟各国でありまして、その三項では、この関係各国、いわゆる海軍力を展開している各国が加盟国に対して求めがあった場合、そういう求めをした場合には加盟各国は援助を提供するように要請をする。日本も加盟各国でありますから、そのような海軍力を展開している加盟各国から援助を求められた場合には援助をしてやってほしいという要請、これが国連決議のすべてであると私は思うわけでありますが、その点について、多国籍軍が国連の指揮下にないという点をどのように理解されるのか。一言ずつで結構ですから、今の三人の方にお答えをいただきたいと思います。
○伊藤参考人 私、冒頭申し上げましたように、国連の掲げた理念、理想にはせ参じたボランティアでございますから、自主的、自発的にやっているわけでございまして、これは募金活動とか社会福祉活動とかでボランティアが皆自主的にやっているのと同じことで、国連の指揮下にないのは当たり前のことではないかと思います。それを前提にして話しておりました。
○大賀参考人 全く同様で、海軍力を展開するのであっても国連の指揮下には全然ないわけでございまして、それは同じことでございます。
○西原参考人 国連が名実的に要請したものではございませんから、国連の指揮権下にないのは私当然であると思います。しかし、実質の展開の様子及びアメリカその他の動きを見ていまして、実質的に国連の決議の目的を達成するためにいるという点を我々は理解すべきだ、私はそう思います。 それからもう一つの点は、要は、法律でもって厳格な解釈もあるところでは必要ですけれども、現在我々はどういう秩序を求めているのか。そういう中にあって、でき得る最大限のことをアメリカその他がやってきているという面から、目的からいきましてもこれは国連が掲げた理想を達成したいという目的でなされているものであると考えるべきだと思います。
○冬柴委員 国連の意思は国連が独自で決めるべきものでありまして、現在の国連の安保理の意思というのは、海上に展開している海軍力は経済封鎖を効果あらしめるための活動にとどめるべきである、そこまでしか認めていない。いわんや陸上に大がかりな武装兵を展開することまで国連が是認はしていない、私はこのように解します。これ以上は議論にわたりますから、これでとどめたいと思います。 酒井参考人にお伺いいたしたいと思います。 いわばイラクの、イスラムの側から見た今回の大変示唆に富んだ御意見を伺いました。そこで、イラクを現状の国民国家の中に封じ込めるといいますか、それは自動的にイラクのクウェートの権益をいわば是認するという形が解決策としては一番無難ではなかろうかというふうに述べられたように私受け取ってしまったわけです。実務的にはそうかもしれませんけれども、そうなりますと、イラクのクウェート侵略という事実、そういう不正義を是認しなければならないという大変難しい局面に至ると思うわけであります。その点、酒井参考人はどのようにお考えになっていらっしゃるか、伺いたいと思います。
○酒井参考人 私は、確かにイラクの今回の行動を国民国家という枠内に封じ込めるということが最も現実的であろうというふうに申し上げましたが、その現実的という意味が、クウェートの併合なりあるいは領土的割譲といったものをイラクに与えるという意味での現実的な解決策とは申しておりません。私はむしろ、先ほどのお話の中でも触れましたが、サウジ等が、湾岸諸国が経済援助をイラクに対して行う、それの見返りに今クウェートから撤退するというような提案もしております。私は、サウジは完全に、長期的に米軍を駐留させておくという状況が可能だとは思えませんので、ある一定の時期にはサウジ等がもう一度アラブの域内で解決を模索するといったことを考えているやに思われますので、そういったところで、むしろ経済的な援助でイラクを押しとどめられるのであればそちらを推進するような道を模索するのが望ましいのではないだろうか、このように考えております。
○冬柴委員 もう一点ですけれども、イラクはチグリス・ユーフラテスのすばらしいメソポタミア文明を生んだところにあるわけですけれども、どうも食糧自給率が現在非常に落ちているようにも聞いているわけですが、この国連による経済封鎖、これは効いているのかどうか。事情をよく知っていらっしゃるあなたから、どれぐらい持ちこたえられるのか、その点についてお答えいただきたいと思います。
○酒井参考人 食糧自給率は、小麦が三七%というような非常に低い数字で出てございます。ただ、日本などと比較いたしまして粘り強い点が二つございまして、第一点は、イラン・イラク戦争でかなりの食糧不足にも耐えてこれまでやってきたという状況、もう一つは、もともと流通システムの悪い国でございますので、家庭内備蓄といったものがかなり進んでおります。そういう意味では、一般的に日本の常識で考えるような息切れの仕方というよりはもう少しもつであろうというふうに考えております。特に、冬季に入りまして、収穫期に差しかかっておりますので、そういったもので一時的には潤う可能性はあるでありましょう。ということを考えますと、冬が明けてから以降は本格的に苦しくなるであろうけれども、当面はある程度もつのではないだろうかと思われます。 ただ、一点問題でございますのは、実際にマーケットに物があふれていたといたしましても、国民の間にそういったものがいつかは消えてしまうであろうという長期化に対する懸念、そこから走ったパニック状態、心理状態というものが発生する可能性は現在でもあるかと思われます。
○冬柴委員 藤井参考人にお尋ねをいたしたいのですが、国連憲章の中には、特に第七章の三十九条あるいは四十二条あたりでは、国際の平和及び安全の維持という国連の活動と、国際の平和及び安全の回復という国連の活動が、用語が「又は」ということで厳格に使い分けられて書かれているように思えます。そういたしますと、維持活動と回復活動というのは違うのじゃないかというふうに私は思うわけであります。 先ほど来、藤井先生のお話を伺っておりまして、この回復というところに加担をする、回復ということは脅威を取り去る、あるいは侵略された地域を奪還する、破壊された平和を回復する、復旧するという能動的な軍事活動というのが前提になるように思うわけでございます。ただ、維持という場合には現状維持でありますから、そこには回復とは違った、軍事活動を表に出した活動はないんじゃないかと思うわけです。前提にはしないんじゃないか。そういう意味で、国連の平和維持活動、典型的には平和維持軍、これは武力行使は前提としておりませんし、そういうものと回復というのとは違うんじゃないか。 それで、伊藤先生を初め三人の先生方がおっしゃっているように、現在展開している多国籍軍は国連軍に準ずるんだ。しかしこれは、回復か維持かという範疇に分けますと、どうも回復の方に入らざるを得ないように思うわけであります。能動的な軍事行動というものを目的として、そこに自動的にそういうものを目的にはらんだ駐留のように思えてならないわけですけれども、藤井先生、その点、こういう意見についてはどう思われますか。
○藤井参考人 お答えいたします。 憲章の法律的解釈は、私、軍事問題をやっておりますから立ち至って申し上げにくいのでありますが、おっしゃるように平和維持、つまりキープするか、あるいは回復するか、これはメークというふうに言われていると思いますが、これもやはり二つの区分をはっきりすべきであろうというふうに思います。 いわゆる平和維持活動というのは監視団と平和維持軍と言われているものがあるわけであり、維持軍の方は、小火器は持っておりますが、しかしいわゆる武力行使、攻撃をする、そういう目的を持っていない。監視団の方はもちろん全く非武装であります。そういうふうな活動というのは、大体今までの経過を見てみますと、武力紛争が終息した段階において、しかも平和維持軍を構成するのはいわゆる中立国のような、北欧とかカナダのような国も入っておりますが、比較的大国ではないそういう国々の軍隊がそれに、特別の待機軍をつくったようなところもございますが、そういう形で参加している。そういう意味ではこれは一応終わった段階に機能、役割を発揮するようなものであって、ノーベル平和賞も受けている、そういう肯定的に評価できるような部分があると思います。ただ、日本がそれに参加するということになりますと、たとえ小火器といえどもやはり反撃をしていくということになりますから、その限界というのはしっかりしなければいけないと思うのですね。やはり私は、正当防衛、緊急避難とかそういう限界を明確にする必要があるし、また自衛隊そのものがそれにかかわるというようなことがあってはならないと思います。 それから回復の方ですが、これはいまだかつてそういうものはできたことはありませんし、朝鮮戦争において非常に変則的な形で国連軍という旗を掲げてやりましたが、これは実質的には多国籍軍であったというふうに見られるわけであります。多国籍軍というのは一体何であるかということになりますと、にしきの御旗を掲げるというようなことはあるかもしれませんけれども、しかしそれは、国連で認められていない場合はやはり集団的自衛権に基づく行動であり、したがって日本はそういうものにかかわることはできない、もちろん後方支援であれ参加することはできないというふうに理解すべきであると思います。 現在の事態は、イラクが侵略を始めたわけでありますが、これに対して、デタント後新しい防衛の根拠を求めようとしている国が、絶好のチャンスであるとしてこれに駆けつけたという面がやはりあると思いますね。したがいまして、事態の発展いかんでは、つまり非常に積極的にイラクに対して攻撃をかけていくというようなことが起きた場合にはこれは二重の侵略が起きる、そういう危険性をはらんでいるように思われるわけです。したがいまして、イラクの侵略はもとより非難されるべきですが、そのような二重の侵略になっていくようなことは絶対避けるべきであり、その方向で日本は役割を発揮しなければならない。大体、武力行使が行われる、侵略が行われるというような事態において、それに対して武力でもって対抗していくというのは最後の最後の手段でなくてはならないし、たとえ国連軍が編成される場合でも、国連憲章は軍事的措置というのはもう最後の方に置いているわけでありますから、そういう意味で当然まず平和的に説得で解決していくという努力をすべきであり、そういう方向で日本はリーダーシップをとるべきであり、また、そういうふうなやり方がこれからの世界においては非常に現実的に有効なものとして認められていくに違いないと私は考えております。
○冬柴委員 時間が参りました。先生方、どうもありがとうございました。
○宮下委員長代理 次に、東中光雄君。
○東中委員 日本共産党の東中光雄でございます。 最初に伊藤参考人にお伺いしたいのですが、先ほどのお話で、日本は個別的自衛権はもちろん集団的自衛権も持っておるんだ、その両者を区別するのは日本だけのことだということでありました。国連憲章の五十一条でも個別的または集団的自衛権と、やはり個別的と集団的と分けていますね。しかし、日本は今までの政府の立場は個別的自衛権は放棄しているものじゃない、集団的自衛権はないんだ、こういう立場でありますが、先生の論でいきますと集団的自衛権がある、だから今中東に派遣されている多国籍軍についても、日本は自衛隊がそれに参加をするということも憲法上いいことなんだ、許されることだ、そういうふうに解釈すべきであるというお考えのように思うのです。 そうしますと、ベトナムでアメリカが戦争をやったのは集団的自衛権の発動としてベトナム戦争をやったということになっていますが、それに対して日本は憲法上参加し協力していってもいいんだ、こういうことにもなるのじゃないかという気がするのですね。どこまで開くのかなという感じを持っているのですが、その点、いかがでございましょう。
○伊藤参考人 お答えいたします。 先ほど小澤先生からも最後のコメントで同様の御発言がありまして、お答えしようかと思っておりましたらそれで終わりになったので、ちょうど東中先生から御質問をいただいて両先生にお答えする形になるかと思うのですが、私は個別的自衛権と集団的自衛権を区別することができないというようなことを申し上げているわけではないのでございます。私が申し上げていることは、自衛権というものを個別的自衛権と集団的自衛権の二つに分けて、分けるということは区別することかもしれませんからその意味では区別できるわけでありますが、その一方はいわゆる日本の憲法の理解としての自衛権、あるいは日本の憲法の理解に限りません、すべからく自衛権というものの要素をなすけれども、他方は要素をなさないというふうに解釈することは、我が日本国憲法の解釈として日本国において行われている例外的な解釈であるということを申し上げたので、自衛権というものを認めるときにはその内容として当然に個別的及び集団的双方の自衛権が含意されている、内包されているという理解は普遍的であるということを申し上げたわけでございます。それは例えば不戦条約の解釈としてもそうでありますし、国連憲章の解釈といたしましてもそうでありますし、それから我が国の九条と似たような条項を持つ他国憲法においてもそうでありまして、我が憲法においてのみ何ゆえか自衛権は認めるけれどもその内容について個別的自衛権だけで集団的自衛権の部分は含まれていないという解釈が行われているのを特異であると申し上げたわけで、特異である以上は特異な根拠がなければならないにもかかわらず、憲法上そのような根拠はないのではないか。ないならば、普遍的な解釈として、自衛権の中には当然に個別的及び集団的自衛権双方が混然一体として存在している、また、そうでなければ一国の自衛を全うすることができないという政治的、軍事的環境が、いよいよ二十世紀そして二十一世紀と進む過程の中で、これは経済におけるボーダーレス現象と同じでございますが、進行しているということを申し上げただけでございます。 したがいまして、今中東だけじゃなくて、じゃベトナムも云々という御質問がございましたが、それは、憲法解釈の問題としてはこれを自衛のために必要だと解釈すれば当然派遣可能でございますが、しかし、先ほど私が申し上げましたように、集団的自衛権にわたる部分の行使については日本は慎重であるべきである、制限を課すべきである、そして、それは憲法解釈の問題としてではなくて、国是あるいは政策の問題として打ち立てるべきである。したがいまして、その場合には私はベトナム戦争に参加すべきではないと思いますが、それから、例えば中東に参加するとしても戦闘行為などには参加すべきでないと思いますが、とにかく今のような世界環境の中で、日本が少なくとも何か人を出して、世界の若者にまじって日本の若者も汗を流しているんだという姿を、シンボリックでいいのですよ、何も私は全力を上げて参加させるなどと言っているわけではないわけでございます。
○東中委員 憲法上集団的自衛権を行使できるという考えだ、だから憲法上ベトナム戦争にも参加することができるし、集団自衛権が――集団自衛権というのは、戦闘行為、実力行使をすることを言うのでしょう、派兵とか派遣展開は何も自衛権の発動じゃないですからね。そういう点で、私の申し上げたのは、それをいろいろな政策的にやるのがいいか、やるべきでないか、その選択の話として参考人は言われておりますけれども、選択の話ではなくて、憲法上の権利の問題として私たちはそういうふうにやると幾らでも広がっていくということになるのだということを指摘をしておきたいわけです。不戦条約等々を引用されましたが、日本国憲法九条というのは世界のどこにもないわけです。その憲法の解釈について言うているのだということを前提にしまして、先生の御意見には賛成することは全くできないということを申し上げておきたいのです。 それから、伊藤参考人と西原参考人が言われたことでありますが、国連軍なり国連の平和維持軍なりに日本が参加をするのは拒否することはできないとされましたし、むしろ国際的な義務である、憲章の四十三条それから日本国憲法九十八条と前文の趣旨からいってそうだ、こういうお話がございました。しかし、日本が国連加盟に際して国連加盟申請書につけて外相声明を出しておることは御承知だと思うのです。一九五二年六月の十六日付で、岡崎勝男外務大臣名で国連事務総長あてに送られた外相声明には「国連加盟したその日から国連憲章に明記された義務を引き受け、日本政府の裁量の範囲内のあらゆる手段で履行する意思を表明する」と、わざわざ「日本政府の裁量の範囲内のあらゆる手段」ということをつけ加えて、軍事的義務は負わないということを宣明したのであるということは当時の条約局長であった西村さんがるる説明をしているところでありますが、加盟時においてそういう軍事的義務を負わないということについての留保を表明した。それでもなお今日に至って、そわは四十三条はそう書いています、しかし、そう書いているけれども日本が加入するのはこういう憲法を持っているのだからということでやったということなんですが、西村さんの一九六〇年の八月十日、憲法調査会第三委員会第二十四回会議での発言を見ますと、その点が非常にはっきり出ております。 「国際連合においては安保理事会の決定する集団安全保障措置が発動される場合には、好むと好まざるとを問わず加盟国はその義務を履行しなければならないたてまえになっております。したがって黙っておれば、日本は国連憲章の規定によりまして当然安保理事会の決定する集団安全保障のための軍事行動に参加し、またこれに協力をしなければならないことになります。」だから、国際的軍事行動に参加する義務を負うてしまうから、「これは一見」して明らかな「憲法第九条の関係で実行できない国際的義務でございます。だから憲法第九条に基く留保をする必要があると結論した」わけで、そのことを文書に書いたというふうに言っています。 「国際連合事務総長あて加盟申請文の最後に日本政府の声明として、日本は国連に加盟したあとは国際連合憲章から生ずる義務を忠実に果す決意であるということを宣言いたし、そのあとに、ただし日本政府はこの機会に戦争を放棄し、陸海空軍三軍を永久に所持しないということを明らかにしている憲法第九条に対し注意を喚起するという一項をつけ加えておいたわけです。」この表現はいろいろ専門家の意見を聞いて変えたということですが、趣旨はそういうことだということを言っています。だから、「日本のディスポーザル」、要するに、処置権、裁量にない手段を必要とする義務は負わない、すなわち軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国際連合憲章の義務は負担しないことをはっきりさせた、こう言っているのですが、それとの関係でどうお考えでございましょうか。 〔官下委員長代理退席、委員長着席〕
○伊藤参考人 少なくとも、今の東中先生の御指摘によりまして、その国連加盟時の外相声明がなければ日本国は国連軍に対する兵力提供の義務があるということは明確になったのではないかと思いますので、それでは、その外相声明の効力いかんという点に論点を絞ってお答えさせていただきたいと思います。 私は、その外相声明なるものが、当時有効な法的手続を経て国際連合の日本以外の加盟国によって日本の留保として受諾されたものであるか、つまり、契約として法的効果を生じているものであるか、これは日本側の一方的希望表明の政治的宣言にすぎなかったのではないかという点につきまして私自身調査未了でございますので、疑点を呈しつつ、なお論点を次に進めさせていただきますれば、国連憲章第四十三条は、四十二条の軍事的措置が安全保障理事会によって決議された後、「すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一又は二以上の特別協定に従って」兵力等を利用させるというふうに規定しているわけであります。したがいまして、一または二以上の特別協定に従って兵力を提供することを約束するわけでありまして、ここに二つの意味があると思います。 一つは、各国はその能力に応じて最善の努力をすることを期待されているわけで、コスタリカのような国に兵力を出せと言っても無理なわけで、コスタリカが兵力を提供しなくても義務違反にはならないと私は考えます。これが一点でございます。その観点からいいますと、国連加盟時の日本と今日の日本を比べたとき、世界が日本に対してどの程度のことをすれば義務を果たしていると考えるかというレベルが違うという問題を考える必要があるのじゃないかと思います。それが一点でございます。 それから第二点目といたしまして、一または二以上の特別協定に従って提供することを約束するわけでございますから、この特別協定の過程で、サボタージュをしようと思えばそれは幾らでもできることでございます。ありとあらゆる理由を構えて協定の締結交渉を引き延ばし、署名しないまま時間を経過させることは可能でございます。したがいまして、問題はそういうことではなくて、国際社会の中でその名誉ある一員として日本が生きていく道はそういうことなのか、そうでないのかという政策論争、基本的な国策に関する御議論をいただくことがやはり必要なのではないかと私は考えるわけでございます。 東中先生の御質問にお答えできたかどうかと思うわけでございますが、結論といたしましては、私は、外相声明にもかかわらず日本は兵力提供の義務がある、あるいは兵力を提供しない場合には著しい国益の損失を来すのではないかと考えているということで、お答えにさせていただきます。
○西原参考人 伊藤参考人の御見解と私、大体同じでございます。 ただ、一つ違うかもしれないと思いますのは、私は、国連憲章四十三条でなくて、先ほどには四十九条を引用いたしまして、国連加盟国は安保理事会が決定した措置を履行するに当たって共同して相互援助を与えなければならないということの重要性を私は指摘したいと思いました。そこで、四十三条によって日本が兵力提供の義務が、国連の要請に従えばすべてやらなくてはいけないかということでは決してなくて、伊藤参考人も申されましたように特別協定によってなされるわけです。しかも、その特別協定は、それぞれの国の憲法に従って批准されなければならないというのは四十三条の第三項にございます。したがって、そこで日本の意見、政策を十分述べることはできると思います。 それから、先ほどの御指摘で、日本の岡崎氏が、昭和何年でしたでしょうか、日本の国連加盟時になされた声明についておっしゃいましたけれども、こうしたことを、あれからもう何年たつかと思われるくらい長い前のことにこだわるよりも、現在の時点で日本が何をすべきか、何ができるかということを照らし合わせて考えていくべきじゃないだろうか、過去のいろいろな声明を、日本が新しい役割を果たしていくためにはどう手直しすればよいかということが今要求されているのじゃないだろうか、私はそういうふうに考えております。
○東中委員 御説はよくわかりました。現在の時点で政治的なことを含めての判断だというふうに私は理解をした わけですが、国連憲章でこういう義務があるんだ、それから日本国としてはその義務を果たさなぎゃいかぬのだ、拒否できないのだとまで言われたものですから、そうではなくて、国連憲章のその四十三条にしましても四十九条にしましても、あったのですよ。そういう中で日本国は、憲法九条を持っている日本国が加盟するに際して、憲法上その義務をそのまま受けるわけにはいかないのですよということを、これは公権力の行使として外相声明を出しているのでしょう。当時の西村条約局長というのは政府を代表しておるわけで、日本国の公権力を代表した発言として言うておることを、それから大分たっておるのだからということで言われたのでは、それは憲法論なり条約論なりからいくと非常に問題なんじゃないかというふうに私たちは考えます。 もう時間がありませんので、酒井参考人わざわざおいでいただいているのですが、先ほど多国籍軍の問題が出ておりますけれども、アラブの立場から見まして、多国籍軍というのは国連の決議に基づくものでないということは明白であります。安保理事会の決議も一切何にもありません。デクエヤル事務総長もそう言っています。国連の安保理の決定は、あのイラクの無法な侵略に対して原状回復、クウェートの主権回復ということをやるための経済制裁をやる、経済制裁をやって、そのことによって平和的に解決しよう、軍事的になったらいかぬのだ、平和的に解決しようということが国連の安保理事会の数次にわたる決定だと私たちは思っています。ところが、サウジアラビアが要請をして、その要請にこたえてブッシュ大統領は空軍及び地上軍をサウジアラビアに派遣をするということで、二十万とも言われる米軍が派遣をされ、展開をしているわけでしょう。そして、それは何をするのかと言えば、イラクに対する侵略抑止力、それから同時に、もし侵略があればそれは防衛するのだ、要するに戦争準備ですわな、展開をし、戦争準備をしている。アラブのサウジアラビアヘアメリカから行っている。こういうやり方、これは結局、国連憲章の四十二条以下の軍事的制裁という方向の準備行為にもなるわけです。それは平和的解決、このイラク問題の解決にとってむしろ非常に有害である、危険である、私たちはそう思っているわけですが、アラブのことについて非常に詳しい酒井さんの立場からどうお考えになるか、お伺いしておきたいと思います。
○酒井参考人 この問題の解決がどういうところにあるのかというのは、非常に難しい問題だと思います。実質的に撤退ということのみをとらえて解決と言うのであれば、それに関してはかなり追い詰めるような形、有効な、ある意味ではアメリカ軍が入ったということでかなり追い詰められているという状況は確かにあるとは思います。しかしながら、中東全域の長期的な安定化というような形での問題解決ということを考えれば、これほかなりマイナス面が大きいというふうに考えてございます。
○東中委員 時間ですから、終わります。
○瓦委員長 神田厚君。
○神田委員 参考人の皆さん、大変貴重な御意見をありがとうございました。二、三御質問をさせていただきます。 まず、伊藤参考人に対しまして御質問しますが、先生は、これからは経済力の時代だ、こういうふうにおっしゃられました。このような時代において、経済大国と言われる我が国は、国際的にどのような役割と責任を果たしていくべきかということについてお答えをいただきたいと思います。
○伊藤参考人 お答えいたします。 私、戦略論というのを勉強しておりますが、この分野でアメリカで最先端の活躍をしておりますエドワード・ルトワックという人がいますが、この人が、ナショナルインタレストという雑誌の最新号にジオポリティックスからジオエコノミックスへという論文を発表いたしております。これは、これまでは軍事力を最終的な担保として国家間の権力闘争、つまり国際政治が行われてきたけれども、だんだんとその軍事力が使えなくなってきて、これは核の手詰まりとか、そういう軍事力の軍事的、政治的、経済的いろいろな構造が、自業自得的につくり出した結末なんですが、その結果としてだんだんと経済力が国家権力闘争の手段として使われ、前面に出てくる、そういう時代になってくるのじゃないか。これは、ジオポリティックスに対してジオエコノミックスである、こういうことを書いた論文を発表いたしておりまして、彼は、私、今理論的な面でいろいろ交流している相手でございまして、私も得心いたしておりまして、お手元にお配りしました文芸春秋の「古典的戦争と新しい戦略」という論文の中で御紹介申し上げているとおりでございますが、しかしここでひとつ明確にしておきたいことは、ということは軍事力が不必要になることでは全くないということでございます。軍事力の現在の存在、構造が前提となって初めて経済力が国際政治を決定する要因になるということで、これが崩れれば、つまり不用意かつ一方的な軍縮などを断行いたしますとこの構造が崩れて、再び軍事力によって決定される世界に逆戻りするという戦略的論理構造があるわけでございます。 さて、その世界における経済大国日本の役割でございますが、私は、これはいよいよ増大していくと思います。これが一面でございます。他面、ほかの国々もばかではございませんから、そういう時代に移行いたしますと、ほかの国々も自国の権力闘争追求の手段として経済力を重視するようになります。そのことは何を意味しているかといいますと、諸国家の外交政策がレッセフェール、自由放任からどうしても保護貿易主義的あるいは管理貿易的方向に進んでいく時代になるのだろうと思うのです。そういう時代で、日本はその経済力の使い方に慎重かつ賢明でなければならない。日本が率先して経済力を暴力、腕力として使えば、世界はますますそういう相互排斥的、閉鎖的世界になると思いますが、そこで日本が開明的な役割を果たし、例えば米の自由化などというみずからの最も痛い問題を、痛みを世界に率先して担うという形で世界全体の保護主義化、管理貿易化をそうならないように導いていく責務がいよいよ日本の肩にかかってくる、こういう役回り、立場ではないかと考えます。
○神田委員 大賀参考人に御質問いたします。 この問題が起こりまして、自衛隊の皆さん方は今回の事態に対し、民間任せで自衛官が何ら貢献できないことに対してどのように思っておりますか。
○大賀参考人 お答えします。 お断りしておきますが、私、やめてもう十年にもなりますから、自衛隊の人がどういう、今防衛庁でどんな勉強をされているかということは存じませんが、先ほど来お話しになっているように、新しい時代に日本が、お金は一面大事な貢献ではありますが、もちろん人の貢献も大事なのだ、日本の若者は汗も血も流す、必要があったら流さなければいけないのだということを私はこれからの一つの、シンボリックというお話が先ほどありましたが、そういう意味で大変重要なのだ、そういう場合に最も組織として使えるのが自衛隊だと思うわけです。そういう意味で、私はOBの一人としてぜひ自衛隊を使っていただきたいと考えるわけです。 シンボルということは、例えば難民の救助をやりましても、お金さえ出せばよその飛行機で連れ帰ることもできるわけです。しかし、日本の飛行機が行ってくれた方が日本の国益にもなる、十機のうち一樹でも二機でも日本から行く方がいい。そういう意味で、シンボルというのは日本の国益に非常に重要なことだと考えております。
○神田委員 大賀参考人に引き続き御質問いたしますが、政府の考えている平和協力法において、仮に自衛隊の身分としてではなく、しかも生命を守るための小火器さえ持てないという場合は、大変いろいろな事態が起こることも考えられます。この問題についてどう考えられるか。自衛隊としては国連平和協力隊にどのような形で参加することが最も望ましいとお考えになりますか。
○大賀参考人 お答えします。 私、平和協力法の中身がよくわからないのでございますが、あそこに幾つかの項目が書いてございますが、あれらのことを本格的にやる、かなり大規模にやるとすれば、例えば民間のボランティアとか政府の一部の人を引き抜いただけではできないのじゃないか。当然自衛隊の組織を、自衛隊でなくてもいいです、組織されたものできちんとやらなければいけない。そのためには、自衛隊という組織があるのだからそれを使った万が一番効率的でもあるし、有効である。その場合には自衛隊の組織として、あるいは自衛官の身分として当然使われるべきである。それは先ほど申しましたように、同じ日本人が、国家の政策として一方のことはやってよくて一方のことはやったらおかしいんだとか憲法違反だという議論には、どうしてもなじめません。しかも、必要な小火器は、国連平和維持軍でも必要の限度において維持しているわけですから当然持っていかせるべきだ、こういうふうに思います。
○神田委員 酒井参考人に御質問申し上げます。 参考人は、アラブの固有の問題、すなわちアラブ間の民族問題、富の不平等の問題、イスラエル問題なども解決されない限り、今回の事態が再び繰り返される可能性を指摘されておりましたが、それだと中東の戦争の火種はいつまでも残ることになると思うのでありますが、かかる中東諸国に平和と安定をもたらすにはどうしたらよいか、そのために我が国ほどのような貢献と役割を果たすべきだというふうに考えておられますか。
○酒井参考人 非常に難しい問題でございますけれども、基本的にはやはりパレスチナ問題に対する解決策を推し進めるということが非常に重要なポイントになるかと思います。 それで、これに関してはなぜこれまで進んでこなかったかということを申しますと、超大国でございますアメリカ、これがやはりイスラエルとの関係を抜きにしては語れないということで、ある意味ではアメリカ自身がパレスチナ問題に中立的な立場で解決をすることができなかったという問題点がございます。ですから、そういった意味では、西欧諸国なり日本の立場ということを考えますと、アメリカのような形ではパレスチナ問題に関してコミットしてきていない、PLOとの関係もほかの欧米諸国に比べて日本は非常に関係を強く持っているということを利用しながらこういった問題を国際的に解決していく。もう既にソ連、フランス等が包括的解決のための国際会議といったものを提唱しておりますけれども、そういった方向で日本が何らかの役割を果たすということは十分可能でございますし、アラブ諸国等から見ますと非常にニュートラルな形で歓迎されるのではないかというふうに考えております。
○神田委員 藤井参考人に御質問申し上げます。 参考人は非軍事的貢献に限るべきだと言っておられますが、米国を初め各国が軍隊を派兵し、体を張って抵抗したからこそ、イラクのクウェートに続くサウジアラビアへの侵攻などを抑えることができた、こういう事実があるというふうに思うのであります。世界各国が非軍事的貢献にとどまってもイラクによる侵略を防ぐことができると考えておりますかどうか、この辺のところをお答えいただきたいと思います。
○藤井参考人 お答えいたします。 先ほども陳述の中で申し上げましたように、私は、さしあたりこうする、同時にまた長期的にどうするという二つの分野で問題を考えてみる必要があると思います。長期的な問題はやはり一番大事でありますが、その中では軍事的手段というものはだんだんと価値を薄めていくというのが今日の、また今後の世界の趨勢だろうと思います。 それで、非軍事的手段というのは長期的に考えました場合何であるかと申しますと、やはり人権と自由、民主主義、それから生活の改善、南北の平等、そういうものと、もう一つはやはり軍備の縮小である。今度のイラク事件が起きまして、私、ミリタリー・バランスというイギリスの研究所が出している文献を調べてみましたら、イラン・イラク戦争が八年続いて、そしてその中で当然軍拡が行われたわけでありますが、大体後半期におきましてはイランはどんどんと軍事費を減らしているわけであります。ところが、イラクはずっと同じ水準でピーク時の軍事費を維持し続けている。そういう状況の中で今度の戦争が起きたわけであります。したがいまして、軍拡というものはただ単に軍事力をふやしたいからやっているわけではなくて、やはりそこに魂胆がある。したがいまして私たちは、軍事費の状況を見れば戦争がどこで起こるかということを予知することができるし、また当然それを防ぐためには軍縮というものを全世界的に促進していかなければならない。したがいまして、単に米ソの軍縮だけではなく、あらゆる地域において地域軍縮というものをやらなければいけない、そういうことを痛感したわけであります。そういうふうに、非軍事的手段方法で戦争を防いでいく、これは考えればたくさん出てまいりますから、そのことをお考えいただきたいと思うわけであります。 しかしそれにもかかわらず起きたときにはどうするのかという問題がございますが、さしあたり日本として考えられることは、やはり集団的自衛権の行使というようなことは憲法とそれから平和主義の国是においても許されないわけでありますから、それ以外のあらゆる努力をする、こういうことが必要である。 では、しかし、日本が軍事力、自衛隊をサウジに持っていかない、そのことによってサウジが侵略される、こういうことが起きたらどうするのだということになりますと、これはやはり時間をかけて解決していく。国連憲章にも経済制裁とかいろいろな現実に起きた武力紛争の解決の方向は示してありますから、そういう方向で、現に国連がやっていますような、まず経済制裁を徹底的にやるとか、そういうふうな手段でもって、最終的には、もうどうしてもできなければ国連軍の編成というふうなこともあり得ると思いますが、しかし、そういう強制措置ということになりました場合には、日本は憲法の制約からできない、こういうふうに考えて対応していけばいいのではないかと思うわけであります。
○神田委員 藤井参考人にもう一つお聞きしたいのでありますが、国連中心という形で日本の外交を進めるという形になっております。集団安全保障のかなめである国連軍への参加ということをもし仮に求められたらどうすればいいというようにお考えでありますか。
○藤井参考人 お答えいたします。 先ほども申し上げましたが、私は、平和維持軍、これもいろいろございますが、正当防衛、緊急避難で、そして日本の警察が持っている程度の装備を持っていくというふうなことであれば、自衛隊を除いて、そのような受け皿といいますか、そういうものをつくって対応していくという方向は積極的に推進されてむしろいいのじゃなかろうかと思います。しかし、それが強制措置を含むというふうな方向へ発展していくということになりますと、これは日本としてはできない。だから、そういうことはないようにすると同時に、そうなる場合には日本の場合は撤退するというふうにすべきであろうと思います。 それから、国連軍という強制措置をとる組織をつくる場合においては一体どうするのかといえば、これは日本は参加できない。それ以外の最大限の財政あるいは平和維持的な活動における人的な協力、そういうことはできるけれども、軍事的な、つまり相手を攻撃して事態を解決するということは、憲法九条におきまして国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇及び武力の行使は禁じられているわけですから、そういうことはできないというふうにしてお断りすべきだと思います。
○神田委員 それから、西原参考人にちょっとお聞きしたいのでありますが、先生は憲法の前文は国際公約だというふうにおっしゃられましたが、その点はどういう背景でそういうことが言えますか。
○西原参考人 いや、私は法的な意味で国際公約ど申したつもりではなくて、むしろ政策的にというぐあいにとっていただければ結構かと思います。憲法前文で我々日本人はこうすることを誓うということを強くうたっているわけですので、そういう面では一種の公約的な意味合いがあるであろうというぐあいに私は申しました。
○神田委員 終わります。どうもありがとうございました。
○瓦委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終わりました。 参考人の方々には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。 次回は、明五日金曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後二時二十四分散会