本会議 第11号
- 発言数
- 8 件
- 登壇者
- 2 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1988/10/11
会議録
○議長(原健三郎君) これより会議を開きます。 ────◇───── 永年在職議員の表彰の件
○議長(原健三郎君) お諮りいたします。 本院議員として在職二十五年に達せられました広瀬秀吉君、田邊誠君、伊藤宗一郎君及び山口鶴男君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。(拍手)表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(原健三郎君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。 これより表彰文を順次朗読いたします。 議員広瀬秀吉君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する 〔拍手〕 ………………………………… 議員田邊誠君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する 〔拍手〕 ………………………………… 議員伊藤宗一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する 〔拍手〕 ………………………………… 議員山口鶴男君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する 〔拍手〕 この贈呈方は議長において取り計らいます。 ─────────────
○議長(原健三郎君) この際、ただいま表彰を受けられました議員諸君の登壇を求めます。 〔被表彰議員登壇、拍手〕
○議長(原健三郎君) 表彰を受けられました議員諸君を代表して、広瀬秀吉君から発言を求められております。これを許します。広瀬秀吉君。
○広瀬秀吉君 ただいま、私たち四名に対し、衆議院永年在職議員として、院議をもって表彰の御決議を賜りました。議会人として、政治家としてこれに過ぐる名誉と光栄はございません。まことに感謝感激の至りであります。 ここに、年長のゆえをもちまして、被表彰者一同を代表して心から御礼の言葉を申し上げる次第でございます。(拍手) 顧みますれば、初当選より二十五年の長きにわたり本院に在職し、日暮れて道遠しの感なきにしもあらずではありますが、国権の最高機関たる国会の使命に献身し、その職責を大過なく果たすことができ、本日この栄誉に浴し得ましたのも、議長、副議長を初め、先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻のおかげであります。それとともに、郷土と選挙区の皆さんが、この間、心温まる御支援と力強い御協力をもって九回の当選を与えてくださったおかげでございまして、この機会に衷心より深く厚く御礼を申し上げる次第でございます。(拍手) 私たちが初めて本院に議席を得ましたのは、一九六〇年でありました。 この年は、日本の戦後政治史の中で特筆される日米安保条約改定をめぐり、国論を二分した激しい政治対決が行われ、当時の岸首相が総辞職をし、寛容と忍耐、所得倍増政策をひっ提げて池田内閣が登場するという、極めて劇的な六〇年安保闘争の年であったことを私は今も鮮やかに思い起こすのであります。 そのような情勢の中で、反安保闘争の先頭に立たれた社会党浅沼委員長が、池田総理の目の前で、右翼少年の凶刃によって刺殺されるという、天人ともに許さざる政治テロが行われたのであります。当時、私たちにとって、平和、民主主義、基本的人権尊重の理念を凝集した日本国憲法こそ最高の価値であり、政治の原点まさにここにありとの確信に燃えておりました。「浅沼のしかばねを乗り越えて」を合い言葉に、護憲・平和・反戦・反核軍縮、その実現を求めて政界に身を投ずることになりました。 今日、日本経済は世界の驚異と言われるごとく飛躍的に発展し、アメリカに次ぐ経済大国に成長しました。日本の近代史の中で、半世紀に近い戦争のない平和の時代を持ち得たことに、その最大の要因があったと言っても過言ではないでありましょう。 平和の中でこそ民主政治は健全に発展し、国民生活は豊かに繁栄いたします。私は、微力ではありますが、政治生涯をかけてこの信念を守り抜くとともに、大蔵委員十一年の経験を基礎に不公平税制の是正に努め、さらに、議運理事として、政治倫理綱領、行為規範の作成に心血を注いだ経験 を踏まえ、政治倫理確立に向けてさらに力を尽くすことをお誓いをし、人類の生存がかかっている地球上の食と緑と森林の保全のため余生をささげる決意を表明して、お礼のごあいさつといたします。ありがとうございました。(拍手)
○議長(原健三郎君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。 ───────────── 田邊 誠君のあいさつ このたび、院議をもって永年在職議員として表彰の御決議をいただきました。誠に身に余る光栄であり、感謝にたえません。 二十五年の長い年月にわたり、衆議院議員として国政に参画し、この栄誉に浴することが出来ましたのは、ひとえに郷土群馬の皆さんの変わらぬ御支援と、先輩、同僚議員各位の御指導の賜物であり、ここに改めて心から御礼申し上げます。又私事になりますが、四年前に亡くなりました妻の陰の苦労に感謝の念を表すことを御許しいただきたいと存じます。 私が国会に初めて議席を持ちましたのは、昭和三十五年秋、浅沼社会党委員長が右翼の凶刃に倒れた直後、その屍をのりこえて勝利しようと誓った第二十九回総選挙でありました。 当時、わが国は国論を二分した日米安保条約の改定で騒然たる情勢のあと、一転して所得倍増論を指標とする経済成長期に入っておりました。このなかにあって私はその政治信条の第一を終始平和憲法体制の確立においてまいりました。戦争体験と敗戦のなかから立ち上がったわが国が自らの手で二度と戦争を起こしてはならないとの国是をもとに、非核三原則の厳守、核廃絶、軍縮の政治理念の具現のための活動をたゆみなく続けてまいりました。 第二は議会制民主主義を存立させるために、国会の権威を高め、徹底した論議の保証と、話し合いによる終結を求めて国会運営に力をつくしてきました。 そして第三には私のライフワークとしての社会保障拡充による真の福祉国家をつくるための制度づくりに積極的に参画して今日を迎えました。 しかし、かえりみて微力の私のなし得たことの余りに少なかったことを反省しております。 そして畢竟するところ、これらの政治信条を実現する道は、拮抗する二大政治勢力の構築による政権交代以外にないことから、社会党の政権政党への再生をはかり、政党政治の活性化をなし遂げるため渾身の努力をかたむけて、私の役割をはたしてまいりました。 今日の表彰を期に、経済大国になったとはいえ、未だ多くの恵まれない人達に「もっと光を」与えようと志した政治に向ける私の初心を忘れず、二十一世紀に向かって、わが国政治の正しい進展のため、更に目指す道を進んでまいることを御誓い申し上げ、御挨拶と致します。 ………………………………… 伊藤宗一郎君のあいさつ 表彰への御礼に先立ちまして、天皇陛下の一日も早い御快癒を、御臨席の各位とともに、赤誠の限りを尽して念じ上げる次第であります。 さて、ただいま院議をもって、永年在職議員として表彰の御決議を賜わりましたことは、まことに身に余る光栄であり、議会人としてこれに過ぐる名誉はなく、謹んで拝承いたしたく存じます。 思えば、四半世紀の永きにわたり、本院にあって議会活動を続けてこられたことは、ひとえに先輩、同僚議員各位の御指導のお蔭であり、わけても郷土宮城県、選挙区宮城第一区の皆さまの変わることなき御支持、お心のこもった御後援の賜ものであり、伏して感謝の誠を捧げる次第であります。また、この日を待たずに亡くなられた大切な方々も大勢おられ、それらの方々の御霊に、謹んでこの光栄と名誉を報告させていただきます。 加えて、ここで各位のお許しを得て、今日まで風雪をともにしてきた妻をはじめ、亡き父母、陰となって私を支えてくれた縁者、事務所関係者に感謝の念を表させていただきたいと存じます。 振り返れば、これまで各位の御支援を頂戴しながら、逓信委員長、災害対策特別委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、入閣しては国務大臣防衛庁長官等、数々の役職を務めさせていただき、表彰を賜わりました今は、国務大臣科学技術庁長官として再び内閣に参画している身であることを思うと、感激しつつも我が任の重さに身の引き締る思いでいっぱいであります。 昭和三十年代のはじめ、三十代の白面の青年がミカン箱の上から「ふるさとを発展させよう、国を良くしよう」と訴えてから、今日までの歳月がたちました。富国と村おこしは一体不離との気持ちは、爾来、聊かも変わることない私の政治信条でありますが、今や、わが国は、世界とともに生きる日本であります。地球、人類の共存共栄を目指して進んでいかなければ、日本の存立も危うくなります。徒手空拳の身から閣内の一員となった今日、「世界・日本・宮城」の一元的発展に、政治家としての使命感を新たにしているところであります。 その一つの方策が科学技術の振興であることを、この際あえて強調したいと存じます。 科学技術は、経済発展の強力な引き金となるばかりでなく、その成果を世界に還元することにより、国際協力と人類の福祉向上に限りない貢献をなし得るものであります。 目下、私流に申すところの「世界の素封国家・日本」の役割を聊かでも果すべく、この推進に渾身の努力を傾けているところであります。 畏くも、陛下は終戦に臨まれ「任重クシテ道遠シ」と語られ、いま私は、滂沱の涙の中、このお言葉で奮起した青年の日を想い起こしております。今後とも、その日を政治家としての原点に置き、この身朽ちるまで郷土、国家、そして世界のために、限りある身の力をふりしぼりつつ、精進して参る所存でありますので、何卒この上ともの御鞭撻と御支援を賜わりますようお願いいたしまして、御礼の御挨拶といたします。 ………………………………… 山口鶴男君のあいさつ この度、永年在職議員として、院議をもって表彰の御決議を賜わりましたことは、議会に席を置く政党人としてこれに過ぐる名誉はなく、身に余る光栄であり、まことに感謝にたえません。 二十五年の永きにわたり本院に在職し、本日この栄誉に浴することができましたのも、ひとえに郷土群馬の皆さまの変らぬ御支援、御協力の賜物であり、先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻のおかげであります。ここに改めて厚く御礼申し上げます。 私が、初めて本院に議席を得させていただきましたのは、一九六〇年、あの歴史的な安保条約をめぐり厳しく対決した国会、浅沼委員長が凶刃に倒れた悲劇の直後に行なわれた第二十九回総選挙でありました。 議場の最前列、一番はしの議席についた時「この議場にかつて戦争を鼓吹し、賛美する声が響いた時代があった。再びその過ちを繰返えさせてはならない。平和と国民の暮しを守るため微力をつくそう」と誓ったことが、昨日のように思い出されてなりません。 いらい四半世紀の時が流れました。この間核兵器の廃絶を求める国民の声、世界の多くの人びとの願いによって、INF全廃条約の締結、戦略核五〇%削減合意など画期的な成果をあげることができましたが、わが国にとって重要な海洋核戦力は、かえって増強の傾向にありま す。核のないアジアと世界実現のため、真剣な努力を続ける決意です。 また、この間国民の勤勉な努力と素晴しい活力とによって、わが国は高い技術をもつ経済大国へと成長いたしました。しかし物価問題、狭い住宅、長時間労働、不公平税制など「生活小国」の実態は変らず、いまこそ経済力に見合った「ゆとりある生活」実現への努力が急務といわなければなりません。 あと十二年で二十一世紀を迎えようとしています。日本も世界も、大きく変ろうとしている歴史的な転換期に遭遇しているのです。多くの矛盾と不安につつまれた現実から、未来を展望しどのような架け橋を築こうとするのか、議会制民主政治に課された責務は重大です。初心を忘れず、憲法完全実施の政治をめざし、確かな一歩一歩を進めていきたいと思います。 本日の栄誉と感激を肝に銘じ、今後とも一層の精進を重ねたいと決意しております。この上とも御指導、御鞭撻を賜わりますよう御願い申上げ、御礼の御挨拶といたします。 ────◇─────
○議長(原健三郎君) 本日は、これにて散会いたします。 午後一時十二分散会