文教委員会 第2号
- 発言数
- 201 件
- 登壇者
- 18 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1988/03/22
会議録
○委員長(田沢智治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 去る十九日、久保亘君が委員を辞任され、その補欠として糸久八重子君が選任されました。 ─────────────
○委員長(田沢智治君) 次に、教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件を議題といたします。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○安永英雄君 私は、主として臨教審の答申と、それから文部行政について、臨教審の答申内容については反対という立場で質問をいたします。 まず、この前の大臣の所信の中で「既に各般の施策の具体化に着手してきております」という項目がございました。私はここに問題を感じるわけでありますが、文部省の方からあらかじめ着手を今日までやってきた項目について資料を出していただいておりますので、この資料に基づいて質問をいたしたいというふうに思います。 まず一番に、今日までやられた、着手された項目を見まして、項目にして百四件既に着手したというふうに見られております。法律的にこれを処理したいというのが六件、そして他はすべて法令、省令あるいは通達あるいは通知と、こういった形で処理をしてきたというふうに報告があっておるわけであります。そこで私は、これを随分内容的に検討してみましたけれども、どう見ましても推進大綱を含めまして文部省が着手したものは、これは非常に軽重本末あるいは緩急の度合い、こういったものに大きな誤りがあるというふうに私は思います。特に文部省は臨数審の答申というものに影響してといいますか、藉口して、各都道府県の知事や各教育委員会に通知あるいは通達を出して素早く従前からの文部省のいわゆる政策路線、こういったものだけをつまみ上げて軌道に乗せていっておるというふうに私は見ます。この点については大臣どう思いますか。
○国務大臣(中島源太郎君) 今委員は臨教審答申を踏まえての既に文部省はいろいろな点で施策を進めておるではないか、その緩急にいろいろな見方の誤りがあるのではないかという御指摘のようでございますが、臨教審に入ります前に既に教育の改革については大きな路線があったように思います。そのテーマというのはやはり日本の教育水準というのは世界的に高いところにありますけれども、しかし社会自体が成熟度を増しますと、その社会自体が多様化、個性化並びに国際化、そのような変化をいたしてまいります。その変化にみずから対応できるようなたくましく心豊かな青少年を育成すべきであるという大前提がありまして、それにどう対応するか、こういうことが主であろうと思います。この点はまさに教育基本法でも書かれてあるものでございまして、教育はいつでもどこでもやらなければならない。これは生涯学習として路線が組まれてございますし、またもう一つは個性重視の教育を進めていこう、そういう点が大きな柱でありまして、その柱に準じていろいろと施策を進めておる、こういうふうに御理解いただければよろしいのではないかと思います。
○安永英雄君 そんな抽象的なものじゃないんです、私聞いているのは。百四項目にわたって今日までずっと中教審の第一次が出たら素早くどんどんやっているけれども、そのやっているのが文部省がつまみ食いしているじゃないかということなんです。そんな基本法の問題あたりを出してきて、それはもちろん大前提ですからありますけれども、基本法の中から軽重本末やあるいは順序の問題が臨教審に限って出てきますから、私はそれを言っているわけです。時間がありませんから。 そして着手したものは、私じっと見てみますというと、法律事項にかかわるものか、あるいは国会に報告して審議にかけるものばかりなんですよ。今の現行の法律あるいは政令あるいは省令、こういったものの律しられないようなものが広範多岐にわたっておりますから、律しられないようなものがたくさん出てきている、それを私は見るわけです。そういうところを私は言っておるわけで、はっきりと国会の審議というものと行政というのはおのおのやはり建て前を考えておかなければいかぬと思うんですよ。これは当然なことだと思う。だから法律がなしに、母法がなしに次々に通達やあるいは通知、こういったものやら勝手に省令を解釈しながらどんどん出していく。しかもやっていることは従前からの文部省がやっておったことなんで、あの広範多岐にわたるこの臨教審の内容を整理し、軽重本末をつけながらじっくりやっていくという姿勢が見えないと私は言っているわけです。 時間がありませんので一つの例を申し上げたいと思うんですが、例えば初任者研修について当然これは教特法や教育委員会法の改正を必要とするものなんです。そういうことは当然わかっておると思うんです。今答えられて、第二次の答申が出て教員の資質の向上ということが出ると、もう直ちに初任者研修、洋上研修、試行、こういったふうなものを次々に指示や省令あたりを勝手に解釈して出すというのはこれは私は不届き千万だと思う。越権だと思う。この点についてはどうですか。
○国務大臣(中島源太郎君) これは今私が今申し上げました路線にまさに沿っておると、このように考えておるわけでございまして、教育は人づくりでございます。また、その人を教える教員の資質の向上というのは常に向上を目指さなければならない。これはそういう基本論ではないとおっしゃいますけれども、やはり基本法にもそれは盛られておるところでございまして、どのように教員の資質を向上させようか。それにはまさにそれぞれの資質はございますけれども、初任というのが初めて人が人を教えるその場に立たれるわけでございますので、その場合にできるだけ意欲、あるいは実践に即した指導力、あるいは幅広い知見、そういうものを備えていただくために、やはりその教育の場におられた指導される方、そして教育の場で子供に接する、あるいは生徒に接する、その実践的な指導力をつけるための研修をやっていただくということは好ましいことと、こう思いまして、そしてまさに先生おっしゃるように試行を行ってきたわけでございまして、これは越権とかそういうことではなくて、まさに教育が進むべき道に即して行ってきた、このように考えております。
○安永英雄君 私の言っているのは、教員の資質の向上というのは、これは非常に大事なことなんです。私もそのとおりだと思うんです。だから、初任者も含めても結構ですから全部の教職員、教員というものの資質の向上というのはやはりこれは考えなきゃならぬ。あなたがおっしゃる基本法に、あるいは筋が通っているとおっしゃるけれども、全般の教員の資質の向上、研修ということの中におけるこの初任者研修というふうな、この中に含まれておるわけですから、全般の資質の向上という関係で研修をどうしたらいいかという問題はもう少し研究しなきゃならぬと私は思うし、じっくり考えなきゃだめです。そういった意味で、試行というのは当然のようなお考えを今おっしゃるけれども、これだったら、今度提案されておりますが、研修という問題、こういった問題は、あなた既に筋が通っているからといって法律なんというのは関係なしにやろうとなさるんですか。また今までのことを認められるんですか。これは先導的試行あたりから試行試行という言葉を使うけれども、これは越権ですよ。法律は関係なし、予算も使っているんですよ、去年。私はこの点はもう少し、研修の問題、時間とりたくありませんので、大臣、一言でいいですけれども、研修の問題はやっぱり初任者の研修だけじゃないということだけははっきりしておいていただきたい。
○国務大臣(中島源太郎君) 大変いい御指摘でありまして、まさに私どもは、その初任者だけでなく、教育に身を置く者は常に向上の精神を持って当たらなければならない、そういうふうに考えております。その中の一環としての初任者研修でございまして、これは試みに行い、そしてその中でいろいろな御意見がございますので、その御意見のいいところを伸ばし、そして悪いところは改めつつございますが、そしてこれからどのようにやるかということは、今まさにその法律を国会にお出しをして、これから審議をいただくわけでございまして、その審議を十分にしていただきまして成立早からんことを願っておりますが、それに準じて私どもは正式にこれを行っていきたい、このように考えておるところでございます。
○安永英雄君 次に、いわゆる教育委員会法、これを改めなければ実施できないことを知りながら、六十二年の十二月十六日に出されました文部省の助成局長通知というものが出ていますが、ごらんになりましたか。これは内容は、今度いわゆる教育委員会の活性化ということで法律を提案されておる、目玉は教育長の給与、こういったものは各市町村の助役やあるいは収入役、こういったものと同じぐらいにして特別職にせいというのが確かにこれは目玉になっておる。この通知を見ますというと、これは通知じゃなくて通達でもなくて、これは命令ですよ。よく読んでください。こんな私は通知や通達見たことない。これを読むと、法律なしに、こうやれこうやれと命令しているじゃないですか。そしてしかも、今度の法律で提案をしてきておる。これぐらいはっきりした越権はないですよ。 時間がありませんから読みませんけれども、教育長の待遇から教育委員の選任、研修、教育委員会の運営、すべてにわたって今度の法律の内容以上のものが具体的に書かれている。特にひどいのは「教育長の待遇」なんですけれども、昭和四十七年五月三十一日付文部省発の「市町村教育委員会教育長等の待遇改善について」という通達を出しておったけれども、「助役ないし少なくとも収入役に劣らない待遇の改善方を求めたところであるが、今日なお相当多くの市町村において必ずしも十分な待遇がなされていない」、「関係者において、より一層の改善に努めること。」とか、そのほか微に入り細にわたり、法律ができない限りこういった指示ができないのに出しているというのは、私はこれは不届きだと思うんです。もう臨教審の答申が出たら文部省の方は何でもかんでもできるような錯覚を起こしているんじゃないか。まず文部大臣のそういった行き過ぎについて認識されておるかどうかを私はお聞きいたします。
○政府委員(加戸守行君) 昨年十二月に私の名前で出しました通達でございますので、事実関係から申し上げさしていただきたいと思います。 臨教審答申を受けまして、文部省の中で教育委員会の活性化に関します調査研究協力者会議を開きまして、一年半の検討をいただきました結果を踏まえまして各都道府県に通知を流さしていただいたわけでございますが、事柄としましては、教育委員会の活性化のために、各項目にわたりまして、教育委員の選任あるいは教育長の選任、教育委員会の運営、事務処理体制のあり方、地域住民の意向等の反映、首長部局との連携等の大きな六項目につきまして通知を流さしていただいております。事柄は、今申し上げた下記事項ということでいろいろなことが書いてございますが、「下記事項の趣旨を踏まえて、教育委員会の組織及び運営の改善・充実に努められるよう、格段の御配慮をお願いします。」ということでございまして、こうしていただければありがたいという趣旨で御指導、助言を申し上げているわけでございます。 内容としまして、一つの具体例として教育長の待遇について御指摘ございましたが、これは従来から文部省として力を入れているところでございまして、昭和四十七年に市町村教育長を助役ないし少なくとも収入役に劣らない待遇の改善方を通知申し上げたところ、今までになかなか改善が図られていない。現在約三分の一の市町村におきましては収入役と同等以上の給与の処遇は受けておりますけれども、三分の二が必ずしもそうなっていないという実態がございます。これは財源措置等におきましても既にそういった措置は行われておるわけでございまして、その財源措置を踏まえて当然していただきたいという、ある意味では従来からそうあってしかるべき事柄の当然の要請をしている。その他の事柄につきましても同様でございますけれども、法令の範囲内におきまして運用の改善をお願いしているというのがこの通達の趣旨でございます。
○安永英雄君 そこが間違っておるんですよ。名前は通知と書いておるけれども、そのとおりじゃございませんかと言わんばかりですよ。そうしたらなぜこんな法律案を出しますか。何で法律案出しますか。あなたのところから出しておる法律案は臨教審の答申に基づいてというふうに全部出しておるが、今の話では、教育長の給与その他については従前から、昔から考えておった、臨教審の答申とは関係なしと、こういうふうな言い方するけれども、そこが間違っておるんです。 臨教審すらこういうことを言っているんですよ。「文教行政において従来の指導助言が本来の機能以上に指揮監督的にとられている場合があり、また、過度に形式的な法律解釈論や通達に依拠する傾向があったこともあり、」、「強制的影響が強い感は免れない。」という改正の答申まで出している。これ臨教審すら出しておるんですよ。反省を求めている。権力的な姿勢が認められる。通達か通知か省令か今のところわかりませんよ、あなた方のことで臨教審の実施について使っているのは。私はそういった意味で、この国会もあるいは国民の理解も得なければ教育改革はできない。あなた方だけで今ある法律を勝手に解釈し、そして今言ったように、これは通達の範囲でございます、これは通知の範囲でございます、その中でやったのがなぜ悪い、こういう態度では広範多岐にわたる教育改革なんというようなことはおおよそできない。私はその点を申し上げておるんであって、この通知については改めて私は局長に一言申し上げる。 どれだけ市町村がこの通知によって大混乱に陥りましたか。小さな市町村で助役やあるいは収入役の給与の特別職なんというのを、教育長を置けるなんというような状態にないところは必死になって反対したじゃありませんか。どうしますかと協議会にまでかけている。市議会でも問題になっている。そして聞くところによるとあの法案からそこを外したという。これぐらいばかにしたことはないですよ。今度の法案から外しているという、自治省から反対されたというんで。私は反省をしなきゃならぬと思うんですよ。局長、どうですかな。またあなたから聞こうとは思わぬけれども。 大臣、時間がありませんから。私は大まかな立場で言っている。一文一句を言ってるんじゃない。この教育改革という問題は国会の方でも審議を十分にやってもらわなきゃならぬ。国民の理解も得なければならぬ。そういった意味で私は実施は進めてまいらねばならない、文部省の好きなところだけつまみ食いしちゃならぬということを申し上げたんであって、総括的に大臣の意見をお聞きしたい。
○国務大臣(中島源太郎君) 今具体的な通知につきましては政府委員である局長からお答えしたとおりでございまして、これは教育委員会の組織、運営につきましてその改善を求めた要請でございます。文部大臣といたしましては、やはり指導、助言あるいは援助を与えることができるという範囲内のこととしてそのような通知を出さしていただいた、このように考えております。
○安永英雄君 もう少し大きな立場から答えられるかと思っておったんですけれども、小さな立場、局長の通知だけ取り上げてやっちゃだめですよ。 そこで、次は所信の中で、今後とも臨教審答申に示された広範多岐にわたる提言を確実に推進してまいりますという決意が述べられました。これは簡単にお聞きしますけれども、大臣はこの答申を今後の文部行政の基本的な立場に把握をして遂行してまいる考え、要するに統一的な改革の基本に据えるというふうに考えられておるのか、包括的なあるいは総合的な改革の目標としてとらえられておるのか、明確にお答え願いたい。
○国務大臣(中島源太郎君) この臨教審の答申についてでございますけれども、これは数多くの有意義な御指摘をいただいたと、このように考えております。それは大変多岐にわたっておりますので、総括的に一つのいい御指摘と目標であると、このように考えておりまして、その中で、じゃ、当面何をやるのかと、こういうことでございますが、そこで、その中から八項目に絞って当面進むべき教育改革ということで昨年閣議決定をいたしたところでございますので、当面その八項目を進める、着実にスムーズに進めることが私どもの課題であり使命であると、このように考えております。
○安永英雄君 ちょっと取り違えておるようですが、私も大綱は随分読みました。当面それでやっていこうということはわかるんです、書いてありますから。あなたもおっしゃったんです。私は全部の、まあ人によると百三十項目あると、こう言っておったり、いろいろ数の数え方によって違うわけですけれども、私は百五十ぐらいあると思う。百五十項目にわたっている。いわゆる教育全般にわたっている。それを二十一世紀へ向けてやっていこうというのですから、当面じゃなくて、あなたは大綱で大体終わるかもしれませんけれども、私の聞いているのはもう少し大きな、臨教審が第四次まで答申をしてきたその全部について、早い話が全部あれを改革の目標あるいは実施の目標というふうにされておるのか。あるいはあの設置のときに随分論議になりましたけれども、この臨教審の答申を尊重するという言葉で随分問題になりましたが、尊重という言葉は議会言葉では取捨選択もできるというふうなことも論議したことがあるんです。全部やりますか。そのことを聞いている。
○国務大臣(中島源太郎君) これは先生おっしゃいますように、二十一世紀に向けての非常に多岐にわたる御指摘でございますので、これは方向としては大変結構なことと受けとめております。ただ、教え方によって百三十項目とか百五十項目ございますので、これを一つの精神とすれば、それはもちろんそれを進めてまいります。その百五十項目をすべてやるかということになりますと、したがって当面これでいこうという方向を申し上げたわけでございまして、精神はもちろん十分に尊重いたしましてこれを全面的に進めていきたい、このように考えます。
○安永英雄君 ちょっとわからないんですが、取捨選択なさいますか。
○国務大臣(中島源太郎君) その中で緩急がございますから、すぐに始められるもの、それから理解を得つつ進めるもの、あるいはフォローをいたさなければ進められないもの、こういうものがございますので、そういう意味で私は三段階に分けてその中を考えておるところでございます。
○安永英雄君 三段階だろうが、全部やるということですね。 次に、臨時教育改革推進会議の問題についてお聞きいたします。この新しい機関というのは何をするんですか。
○国務大臣(中島源太郎君) 今申したように、ちょっと流れはいろいろございますので、大きい点、小さい点ございますけれども、つまり教育を改革していかなければならぬということで臨教審三年間御審議をいただいて、大変多岐にわたる御指摘をいただき、その中で当面進めるべき八項目というものがあり、これをスムーズに進めていくことが私どもの使命、課題である、こう考えておりますので、まさにそれをスムーズに進めるための推進役として大所高所から各般の御意見をいただきつつ、それを推進していただくための機関として設置をしていただくようにお願いをしておるところでございまして、これを総理府に置くということは、これは文部省だけでなくて各省にわたることが出てまいりますので、その調整もお願いしつつ推進をしていただく、こういう意味で設置をお願いするということに相なると思います。
○安永英雄君 総理府に設置したと言うんでありますけれども、あの答申を見ますと、これの実施という形になれば文部省が八〇%ぐらい持たなきゃなりませんよ。他の省は大体一〇%か二〇%程度ですから、主にこれは文部省のいわゆる教育改革推進についての機関でしょう。これは何となく今性格おっしゃったようですけれども、法律案を見ますと、これは明らかに実施状況の検討と効果的推進ということで、はっきりこれは、あなたの今おっしゃったような文部省の推進役になってもらいますという大所高所とはとれないんですよ。これははっきりした独立の、悪い例ですけれども、ポスト臨調みたいな、あれとは性格全く違いますよ。これをつくったような気がするんですけれども、もう少しひとつ、これは出発に提案されているわけですから、特に文部省が一番関係があるんですから、大臣の率直な御意見を承りたいと思うんですが、もう一回この新機関を置く理由おっしゃってください。
○国務大臣(中島源太郎君) 教育改革というのはまさに国民的な課題でございますし、政治の最重要課題だと私は思っております。その中で、進めるべき方向を着実に進めていくということが課題であると思いますので、その任にあります者は言うまでもなく文部省でございます。ただ、わかりやすく言いますと、その中で生涯学習の体制を例えばつくっていきますときに、国でつくりました教育機関あるいはスポーツ施設、あるいは地方公共団体の設置いたしたものもございましょうし、あるいは民間の研究機関あるいはスポーツ施設、その他もございましょう。それをネットワーク化していく。それだけを考えましても各省にわたることがございます。したがって、やるべき中心は文部省が責任を持ってやりますけれども、この教育改革は政府全体の責任であり、またその調整も必要であるということから、推進機関として今おっしゃった臨時教育改革推進会議を総理府本府に置く、こういうことにいたしておるわけでございます。
○安永英雄君 私はこういう機関は要らないと思う。また臨教審ができるときもこの部屋で、当時の森元文部大臣とも随分やり合ったんですけれども、またその轍を踏みそうな気がするんです。先ほども所信の中で、文部省の行政として当然この臨教審の推進をやっていくという決意を述べられたわけですが、何でお目付役のような、完全実施の検討ですよ。あなたたちがやっているそのことを、できているかできていないかという監視役、多少各省との調停もあろうけれども、幼保一元化ですらできなかったようなあの中で、何ができますか。そういう新しいこの政策、こういうものを出すのじゃないでしょう。そうすると、私は文部省サイドから考えるならばばかにした話じゃありませんか。これまでも、文部省随分あの臨教審つくるときに初め反対したんです。そして、今度は答申ができて今からやろうといったら、お目付役をまた総理官邸につくるという、そんなあなた、少し意地見せたらどうですか。私どうしても今説明された必要性というのは認めない。何も推進役でしてもらう必要もなければ、あるいは効果的に推進していったけれども、これは大きな私は期待しておった予算なんというのは、どれだけとりましたか、後でまたやりますけれども。最後、臨教審つくるときには、予算がとれやしまいかという文部省根性出して、とうとう向こうにひっついていってどれだけの予算がついていますか。私は要らないと思うんです、こんなものは。遠慮なくおっしゃってください。 もう一度言いますが、腹の底から文部大臣はこういったポスト臨教審が欲しいのかどうか。これは長くおっしゃってもらっては困りますので、短く。
○国務大臣(中島源太郎君) おっしゃいますことに端的にお答えをいたしますと、第三者機関として教育改革をウオッチし、監視する機関とは考えておりません。あくまでも私どもが先生方と協議し、進めていく方向を推進し応援し、スクリュー役となっていただく、こういう機関として期待をいたしておるところでございます。
○安永英雄君 もう時間、余りとりたくないですけれども、この出している法律、これはこのまま読みますと、あなたの考えているようなことじゃないですよ。第三者機関に立たなければ、こんなことはできませんよ。文部省の何かPTAみたいな、そんなものにはなりませんよ、これ、この法律じゃ。これは今のうちに断っておいた方がいい。 そこで、これは法律案見ますと七名の委員ということになって、文部大臣の意見を聞いて総理が任命するといいますから、これはどういう人を任命しよう、大臣は推薦しようと考えているか。特に聞きたいのは、今もう終わりましたけれども、ポスト臨調みたいな形で臨教審の委員というのが残るような形になるのか、あるいは全く別な者が来るのかで、ひとつ短く答えてください。
○政府委員(川村恒明君) このたび国会に御提案申し上げました法律では、ただいま御指摘のように委員七人でございまして、「委員は、人格識見共に優れた者のうちから、文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」、こういうことでございます。まあ臨教審のできるときにもただいま先生御指摘のようないろいろな御議論がございます。できるだけ各界各層幅広くというふうないろいろな御意見がございました。委員の選任というのは、これは法律をまずつくっていただく、法律の成立を待ってから、その国会のお許しを得た段階で初めて個別の御相談をさせていただくということでございますから、今ここでどうするんだという具体のお話いただきましても、ちょっと、まず法律の方をお願いしたいと、こういうことでございますけれども、一般的に申し上げれば、臨教審のときに御指摘がございましたように、もちろん教育についての識見を持っていただくことはもちろんでございますけれども、国民の各界各層からできるだけの、国民各界各層の合意を得られるような、また幅広い分野から人選をするというのが、一般的に言えばそういうことが選考の基準になるのではなかろうかというふうに思っております。
○安永英雄君 先ほど言ったように、法律ができてからでないと言われぬなんというのは、そこらは妙に守っちゃって、ほかはむちゃくちゃに通達やら通知出してやってきているというのは間違っているよ、あなたたちは。 次に、これは報道機関からちょっと聞いたんですけれども、中央教育審議会というのを復活させるという、そういう動きがあるというんですが、事実ですか。
○政府委員(川村恒明君) 中教審についてのお尋ねでございますけれども、中央教育審議会は文部省の設置法に基づいて従前から設置せられております審議会でございます。教育、学術、文化に関する基本的重要施策について審議をすると、こういうことでございます。その審議会自体は昭和二十七年以来現在までずっと一貫して設置せられておりますけれども、たまたま臨教審の置かれておりました五十九年から三年間はこの活動を一時休止をするということで、法律上の組織としては存在するが委員が発令されないということで推移をしておったわけでございます。 そこで、臨教審がそういうことで三年の期限も満了いたしましたし、これからこの答申を受けて文教施策を推進していかなければならない。そういうときにこの中教審のポジションでございますけれども、ただいま申し上げましたような教育、学術、文化に関する基本的重要施策について審議をする必要があるということの判断に立ち至った場合は、当然これは活動を再開していただくということになろうかというふうに思っております。
○安永英雄君 おっしゃるとおり、ここで当時の森文部大臣とも随分やって、臨教審といわゆる中教審という問題でやって、とうとう最後森さん負けちゃって、臨教審に賛成をするという形になったときに、臨教審ができた限りにおいてはこの中教審は冬眠する、寝ると、こういうことでとうとう、私の主張のこれはもう要らぬじゃないかというのを押し切ってまだ冬眠させると。この時期が来たわけで、今おっしゃるとおりです。私は、いろいろないきさつはあるにしても、あれだけ中曽根総理あたりが臨教審つくるときには、あのときにはもう公表されたら悪口雑言、文部省はもうちゃかんちゃかんにたたかれたでしょう。特に中教審程度のスケールの小さいこういうところで教育の総合的な答申ができるものか、文部省には任せられない、こういって否定してきた。そうしてその結果、臨教審が答申を出してきた。中教審のやるべきことというのはないんじゃないですか。これは解体すべきだと思いますが、どうですか。
○政府委員(川村恒明君) 中教審の任務は、先ほど申し上げましたように、教育、学術、文化に関する基本的重要施策に関する事項と、こういうことでございます。臨教審があれば中教審は要らないではないかと、その当時の御議論もございましたけれども、それはやはりそれぞれのポジションが違うわけでございまして、臨教審は総理府に置かれて、文部省だけでなくて各省にわたる全体の事項について審議をするということでもございます。 一方、中教審は文部大臣の諮問機関ということで、その置かれておりますポジションも異なるわけでございます。また中教審の所掌事務は、教育、学術、文化と、こういうことでございまして、臨教審の教育改革というときに文化は対象になるのかならないのかということも随分御議論になりましたけれども、少なくとも臨教審では文化に関する事項は基本的には御審議にならなかったというふうなこともございます。中教審はそういうことも審議をしなければならない。それでまた、臨教審で御指摘になった事項でも、例えば大変一般的、抽象的な質疑しかしておられない。そういう施策について、これを文教の施策につきまして具体的にどう進めていくかという議論が、これからしなければならぬ事項もかなりあるわけでございますけれども、そういう事項についてまた中教審で御審議をいただく必要もあろうかと。それはそれぞれの個別の施策、段取りというふうなことと関連してくるわけでございますけれども、中教審は中教審としての当然の存在意義がございますし、また活動をお願いしなければならぬようになるであろうというふうに思っておるわけでございます。
○安永英雄君 おっしゃるのは、恐らく中教審の設置という中のあの目標の中には、それはあなたが今おっしゃったとおりのことです。これを要約すると臨教審の目標なんですよ。臨教審の目標なんです。同じなんです。それはそうでしょう。例えば四六答申、あの有名な、悪名高かったんですけれども、四六答申を見てごらんなさい。臨教審と同じ幅で同じ範囲で、あなた方は見事な答申が出たと、こう言われたんですが、中教審というのは臨教審が取り扱ったようなことをやるところなんですよ。そして今から広範多岐にわたる文部行政の基本はできたとあなたはおっしゃっているんです。中教審が何をやれますか。中教審はあくまでも臨教審の答申の範囲内しか動けない、私はそう思うんですよ。多少はよそとの関係とか、先ほどの推進役のポスト臨教審よりもなおつまらない、こういうものになる。だから私は要らないというふうに思うんです。 しかし、とにかくどうしてもこれは大臣の、文部省内の最高の諮問機関なんだから置いておきたいというのならば、私はいろいろ時間かけて申し上げたいと思うんですけれども、ただ、今までの中教審から臨教審にいったいきさつなんというのは、そのことをちょっと言いましたけれども、そんな端っぱな話じゃなくて、やはり二十一世紀を目指しての教育改革ということになれば、私は従前の中教審の性格ではだめじゃないか、これは見直しの時期が来たんじゃないかと私は思うんです。何も私は茶化すつもりはない。新しい答申が出て今から改革をやろうという新大臣なんですから、手元の中教審というものの性格については、ちらっと今言ったように、これをどう運用していくか、中教審を、というふうなことをここでやるとするならば、今までの中教審の設置の目標なり構成なりというものはこの際考えた方がいいんじゃないか、こんなふうに私は思うんですけれども、いろいろ言いたいことがありますが、大臣の端的なお考えをお聞きしたいと思うんです。――大臣に聞いているんだ、もう時間がないんだから。
○国務大臣(中島源太郎君) おっしゃる意味はわかります。いわゆる臨時教育改革推進会議、これが推進役に徹していただくということでございますので、いろいろな二十一世紀に向けての具体化の方策、これはいわゆる現在は休眠から覚めようといたしております中教審の方々の肩にかかることが非常に大きいし重いものがあろうと思いますので、その重さを十分に自覚をいたしまして、私どもも新しい中教審再開に当たりましてはそういう人選をもって当たりたいと、このように考えます。
○安永英雄君 私は大臣の今おっしゃったこと大事なことだと思います。それはたとえ、私はなくせと言うけれども、要らないと思いますよ。第一今の状態で中教審になり手がありますか、何もかにも出してしまって。何をするんだということで。しかしまあどうしても置きたいということであれば、今大臣がおっしゃったようなところは大事なことですから、私はやっぱりこの際、性格が全く違ってくるわけですし、変えなきゃならぬと思うんですよ。しかもそれについては、民主的な、本当に今まで臨教審が批判されたところを逆に批判されないような、政治的な中立を守っていくとか、あるいは教育委員会の教務を初めから否定するような人間が出てきたり、とにかくたくさんな構成、人事の上において臨教審は先訓を残しておる。こういうことをやっぱり十分考えて、新しい、どうせつくるということであれば、中教審の見直しあたりは十分やっていただきたい。今おっしゃったから、私は近々大臣に、この中教審を改革するということであれば、私は十分考えを持っていますし、我が党としても持っていますので、これは突き合わしても結構だと思います。ぜひひとつ慎重に、まあ新聞にちょっと年内にともいう話もあるし、あるいはまた生涯教育体系というのをここにお任せするとか、いろいろなことがちょっと出ていますけれども、これはやっぱりこの時期に中教審の見直しは必要だというふうに私は思います。 次に、教育基本法について端的にお伺いいたします。教育基本法は憲法の精神にのっとって教育の目標を明らかにした我が国の教育の基礎であります。今から教育改革の原点として基本法を据えて進んでいかなきゃならぬと私は思うんですけれども、また臨教審の中でも随分討議されたようですけれども、最後はすっきりした形が私は出ていると思うんです。大臣の教育基本法に対する考え方を、改革の理念としてどう思っておられるかお伺いしたい。
○国務大臣(中島源太郎君) 私も、委員おっしゃいますように、日本国憲法に盛られましたその理想的な国家をつくり上げるのはまさに教育であるという教育の位置づけをしたのが教育基本法でございますし、その教育基本法にのっとって教育改革あるいは文教政策が進められるべきものと、このように考えております。
○安永英雄君 私は、誤ってならないのは、何といってもやっぱり教育基本法という問題ですし、この点に、もちろん論議することについてやぶさかでないわけですけれども、これにさわっちゃいけない、これはやっぱり守っていかなきゃならぬというふうに思います。臨教審の設置の目的にしましてもそのことをはっきり示されておるわけでありまして、これを外れていけば、これは先ほど当初申された細部の実施、これに影響してくること間違いないわけですから、この点の御配慮を十分お願いしたいというふうに思います。 次に、教育予算の問題についてお伺いいたします。昨年度に続きまして防衛費のGNP比一%枠を意識的に突破しておる。そして前年度比は五・二%、政府予算の伸びというのは四・八%全体的に伸びている。この中で文教予算というのは〇・〇六、実に残念な結果が出ておるわけで、こういった文教予算の総枠について大臣はどのように受けとめられておりますか。
○国務大臣(中島源太郎君) まさに文教予算そのものは、絶対額からいきますと二十九億をアップいたしましたものを計上いたしておりまして、六十三年度予算では約四兆五千七百六十六億円、こういうことになっております。伸び率からいたしますと〇・〇六%ということでございますが、一般歳出の面では大体ここのところ一四%前後でございまして、そういう意味では全体の伸び率〇・〇六とは申しますけれども、その中で特に重点にはそれなりの予算を計上できた、このように考えておりますので、六十三年度はこれで賄ってまいり、特に基礎研究あるいは私学助成、その他諸般の措置は一応でき得た、このように考えております。
○安永英雄君 何かこう安心されておるような感じを受けるんだけれども、責任感じませんか。何かある部分だけ取り上げてそこは少し伸びました、こう言ったけれども、総トータルについてはよその省と比べて〇・〇六、ようやりました、精いっぱいでございますという受けとめ方ですか、どうですか。
○国務大臣(中島源太郎君) よくも悪くも精いっぱいでございます。
○安永英雄君 実に情けないことですね。もう少し気合い入れてやってもらわなきゃだめですよ。大臣も総理も、所信の中で盛んに「教育は、国家社会発展の基盤を培うものであり、次代の日本を担う青少年を育成する上で一日たりともゆるがせにできない国政上の重要課題であります。」、どこに行ったって、本会議でもやり、この前も大臣からもお聞きしたんですけれども、実に今みたいな形で精いっぱいでございますでは済まないんじゃないですか。 これは三年前の話蒸し返すのもおかしいんですけれども、初め臨教審なんて必要ないと言ったけれども、最終的にはあそこで政府機関で持ってもらえば予算関係等は潤沢にもらえるんじゃないかというのをここで表明されたことありますよ。そして〇・〇六。そして臨教審の内容に私は反対する立場ですけれども、そのことを抜きにして教育費という問題、二十一世紀へ向けての改革のこれは初年度なんですよ。それが〇・〇六でいっぱいでございますというふうなことでは大臣、済まされないんじゃないですか。昭和三十五年が一二・四%、これは国の予算の中に占める文教予算一二・四%、これがピークでして、それからずっととにかく二十四年間下がりに下がって、ことしが八・〇七%。教育改革をしなきゃならぬというのは私どもも考えておる。それには金がかかる、臨教審には反対ですけれども。少なくともこれは一〇%台に持っていかなきゃならぬのじゃないかと私は常々思っているんですけれども、具体的に一〇%以上ということを私は申し上げましたが、大臣の決意のほどを承りたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 御趣旨はよくわかります。意味はわかります。私も六十三年度はこれで賄わしていただきたい、こう思っておりますのと、それから今おっしゃった比較は一般会計との比較でおっしゃっておられると思いますが、私ども一般歳出の中での文教予算を比較いたしますと、大体一四%前後を確保しておる、このように考えております。一般会計の中にはもちろん国債費としての利払いその他十一兆でございますから、そういう面からいたしまして、一般歳出と比較して頑張ってまいりたい、このように思いま
○安永英雄君 もう一つの問題は、家計に占める教育費の割合が年々高まっていることはもう御存じのとおりです。教育費が家計にとって重圧になっている。この父母負担軽減のための文部省としての具体的な取り組みというものをお聞かせ願いたいと思う。これデータは時間がありませんから、出しません。
○政府委員(川村恒明君) 父兄負担の軽減ということは大変重要なことでございまして、教育の機会均等というものを実際の具体のものにするためにはやはりその経費が過大にかかるということは大変問題だということは御指摘のとおりでございます。 文部省としての取り組みで二つございます。一つは、いわゆる歳出面での施策ということでございまして、従前から育英奨学事業でございますとか、私学助成でありますとかいうふうな、直接それにかかわる部分の歳出の充実を進めていくというやり方が一つございます。もう一つは、これとも結びつくわけでございますけれども、税制上の問題ということがございまして、いわゆる父母の中でも特に教育費の負担が高いというところを見ると、やはり中高年齢層のところの教育費の負担が高い。これはいろいろな調査をしてもそういうものが出てまいります。でございますので、現在税制改正いろいろ御議論ございますけれども、その税制改正の中で、そういう特に負担の重い中高年齢層に対する所得税の負担の軽減ということが重要じゃなかろうか。この点につきましては、昨年の百九国会で所得税法の改正をやっていただきまして、かなりの所得税のそういう部分の層の人たちの軽減が図られたというふうに承知をしておりますけれども、さらにこれからこちらの方につきましても、税制改正全体の中でさらに軽減の措置をお願いしていこう、そういうことで歳出と税制と二つの面で施策を進めてまいりたいというふうに思っておるところでございます。
○安永英雄君 そういうのを軽重本末の重の方に持っていかないとだめですよ。こういった配慮というのがなくて、くだらぬとにかく船に先生乗せちゃって、北方領土へ行って、あそこですよというような、何になりますか。こういうようなことをまず文部省が取り組まなきゃならぬですよ。まあ時間も参りましたので、大臣どうですか。今、与野党で二兆九千億から三兆円にわたる減税問題について話し合っておるんですが、私はこの教育費の軽減、こういった問題を持ち込むということで、私は今動いているんですけれども、大臣どうですか、来年の、今の話じゃ去年もやりましたけれども、大したことはないですよ。文部省が乗り出して、父母負担の軽減ということで減税やれといったこと聞いたこともない。どうですか、今でも間に合うんですよ。今一緒に行きましょうよ。
○国務大臣(中島源太郎君) 委員のおっしゃいますのは、教育費に対して減税をしろと、教育費減税ということはもう既に先生も御存じのように、論議を大分されておると思いますが、これは一見確かに考え得べきことのように思いますけれども、その反面がございまして、例えば義務教育だけで社会に出ておられるお子さん方の御家庭にはプラスがない。あるいは税金を払うに至らない所得の方々にはプラスがない。こういう点がございまして、そういう均衡を考えますと、あながち教育費減税やったから本当に困っている方が助かるかと、そういうわけにもまいらぬ点がございまして、そこで今委員が申しましたように、そういう面では助成を片方でしましょう、それから一番教育費の負担が重いという年齢層あるいは所得層に対して所得減税をより多くすれば、それで負担が軽減される。その方がむしろ正しいのではないか、こういう御論議を経て今お答えしたような方向に進んでおると、このように思っております。
○安永英雄君 総理大臣みたいなことを言っちゃいかぬですよ。教育の全般の行政についての最高責任者ですよ、あなたは。そんなことはだれだって考えていますよ。だからしないと言っちゃだめですよ。父母負担の軽減、この問題だけをひっ提げて文部大臣が動けば実現しますよ。時間がありませんから申し上げませんけれども、ひとつ奮発してください。 終わります。
○糸久八重子君 私は、女子差別撤廃条約と男女雇用機会均等法にかかわる問題から質問をさせていただきます。 国連が提唱いたしました国際婦人年と、これに続く国連婦人の十年で我が国の女性問題についての社会的認識はある程度高まりを見せました。そして昨年の五月には「西暦二〇〇〇年に向けての新国内行動計画」が発表されました。その中の学校教育の部分について言えば、学校教育活動全体を通じ男女平等の相互協力、理解を深めるよう配慮する、家庭科教育については男女が協力して家庭生活を築いていくという観点に立って充実を図るとあるわけです。今回の教育課程審議会の答申を見ますと、家庭科の改定は中学校では男女共学領域の指定、高校では三つの家庭科目から一科目の男女選択必修となっております。すなわち高校では家庭一般四単位女子必修というこれまでの措置に変わって、家庭一般、生活技術、生活一般という家庭科にかかわる三科目の中から一科目四単位履修を男女に課すということでございます。生活技術、生活一般はいずれも家庭科にかかわる領域をほぼ二単位しか学ばないという仕組みになっておりまして、これが男女差別撤廃条約の趣旨を生かした改定というべきか、大変に疑問に思っておるわけでございます。 総理府が発表いたしました女性に関する世論調査によりますと、法や制度の平等はある程度進んだけれども、男女の役割分担意識が相変わらず根強いことを示しておりますし、最近の若い女性にその傾向が非常に高くなっているということを言っておるわけでございます。過去において、家庭科というのは女子の家庭思想型温存の役割を担い続けてきたと言っても過言ではありません。婦人問題企画推進有識者会議の意見も家庭に対する責任、特に子供の養育、教育に対する責任は男女が共同して負うものであること、及び男子生徒も生活者として自立と技術の習得が必要であることが十分に学習されるよう充実すべきであると、そうしておるわけであります。「西暦二〇〇〇年に向けての新国内行動計画」のサブタイトルも「男女共同参加型社会の形成を目指す」ということになっております。差別撤廃条約の趣旨に沿うには高校での家庭一般を男女必修にすべきではないかと私は思うのですが、いささか前置きが長くなりましたけれども、男女平等推進、とりわけ固定的男女役割分担意識をどう変えていくのか。これと関連して家庭科教育のあり方について大臣の御見解をお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) おっしゃる趣旨はよく理解できるところでありまして、二十一世紀に向けましても、また今日の家庭生活、社会生活を見ましても男女の相互協力、相互理解のもとにこれが営まれるということを主にいたしまして、これからの内容も改定をいたしていくと、こういう方向でございます。 高校の家庭科について言及されましたけれども、これは三科目の中から一科目四単位必修でとってもらうということで、私としましては今の男女平等の精神にのっとっておると、このように考えております。また二十一世紀に向けましても男女共同参加型社会、この方向で進む中でございますから、十分委員のおっしゃいます意を体しまして今後進めてまいるつもりでございます。
○糸久八重子君 ただいま申し上げました中に、家庭一般を男女必修にしてはどうかという、そういう内容が含まれておりますけれども、その辺の御見解はいかがでしょうか。
○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘のとおり、昨年の教育課程審議会におきましては高等学校段階で男子も女子も四単位必修、ただお話の中にございましたように、その科目につきましては家庭一般、生活技術、生活一般というふうな三科目が予定されておるわけでございます。 そこで、先生御指摘の家庭一般を男子にも女子にも必修にしてはどうかというふうなお話でございますが、現在私どもは教育課程審議会の答申を受けまして家庭一般の内容、それから生活技術の内容、生活一般の内容につきまして種々検討をいたしておるところでございます。今後の見通しとしましては本年末ぐらいに指導要領を作成するというふうな日程でございますが、やはり家庭一般なり生活技術、生活一般の内容につきましてはそれぞれの特色と申しますか、科目の特色に応じた内容構成をいたさねばならないわけでございまして、家庭一般についての内容、生活技術の内容、生活一般の内容いずれにいたしましても男子も女子もそれぞれ選択でとれるというふうな内容にするわけでございますので、生活一般だけを両性、男性女性に必修にするというふうな考え方ではなくて、それぞれの内容構成をした上で三科目のいずれか一つの科目を四単位で男子も女子も選択でとるというふうなことで今後検討をさせていただきたいと、こういうふうに考えておる次第でございます。
○糸久八重子君 私が申し上げますのは、今日本の国で一番大事なことは男女の役割分担意識を取り払うということなのですが、それをするためには家庭一般を男女共学にすべきであると、そう申し上げたわけでございます。 均等法の八条には「労働者の配置及び昇進について、女子労働者に対して男子労働者と均等な取扱いをするように努めなければならない。」とあります。この趣旨からすれば当然女性の管理職の登用を積極的になさらなければならないと思います。ここ十年間前進はある程度見たものの、依然として男性優位の社会であります。義務教育の大半は女性教員が担っているという現状の中では、女性管理職はまだまだ少な過ぎるのではないかと、そう思うわけです。女性の場合は受験の機会もかなり制限されますし、やっと通過して管理職へのパスポートを獲得してもまずは男性から採用という状況は依然として変わっておりません。諸外国のようにもっと教育の場での女性の登用を保障すべきであると考えておりますけれども、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○政府委員(加戸守行君) 女性管理職の登用問題につきましては、年々わずかずつではございますが比率は向上しているところでございます。例えば公立の小中高等学校の女性管理職の登用状況、昭和五十年には一・四%でございましたが、五十八年には一・八%、そして昭和六十二年五月一日現在では二・九%ということで、近年その登用率の伸びは出てまいっておる状況にございます。しかしながら、全教職員数に占めます女性の比率が四割を超えているという状況の中でこの程度の比率ではまだまだ不十分だと思われるわけでございます。 女性の場合は、特に結婚による退職あるいは育児による退職等がございまして、管理職適齢期の数が減少しているということもございますし、また一面におきましては、かつては日本女性の美徳とされておりました控え目さとか優しさというのが管理職登用をちゅうちょさせるような原因にもなっているということはあったかと思いますが、今後そういった面につきましては、女性の登用率もどんどん伸びていくだろうと期待しておりますし、粕谷先生や糸久先生のような方がたくさん出てこられるようになれば比率も上がるのではないかと考えております。
○糸久八重子君 管理職登用の問題だけでなくて、教育現場で働いている女子教職員は男女差別の渦の中に置かれていると言ってもいいわけであります。 一つ例を挙げますが、退職年齢についてですけれども、六十歳定年制が施行されたにもかかわらず六十歳定年というのは校長のみであります。一般教職員、特に女子は五十歳半ばが事実上の定年になっていることを御存じでございましょうか。退職勧奨という肩たたきが勧奨というお勧めの域を超えてこれが執拗に繰り返され、職務命令だと授業中に何度も呼びつけられたり、これに応じなければ以降の退職手当の優遇措置は認めないとか、不当な配置転換をするとかというおどかしがあるわけです。そういう退職強要にすらなっているという状況でございます。 ある地方では、五十二歳になりますと全員が勧奨対象とされて、プライバシーにかかわることまで暴かれたり、嫌みを言われたり、プライドを傷つけられて仕方なく泣く泣く退職に追い込まれるという人が増加をしております。この人たちは脂の乗り切った超ベテランの教師群でございます。しかもこの結果、職場の年齢構成が大変アンバランスになりまして、学校によっては一般教員の平均年齢が二十七歳というところまで出ているわけであります。学校には若い教師も、そして熟練教師も必要とするのではないのでしょうか。若年で退職いたしますと、年金受給まで七年から八年くらいはだれが生活の保障をしてくれるのか。せっかく自立の精神を養っていたにもかかわらず、これを断ち切って夫や子供にすがれとでもいうのでしょうか。若年退職では年金額も非常に低くなります。平均寿命まで残された三十年近くを低額の年金で暮らさなければならないわけです。年金も改悪されまして、支給年齢も延長されました。年金満額支給年齢まで健康で働く意欲のある者には労働権を保障すべきではないのでしょうか。このことは均等法、それから差別撤廃条約の趣旨にも大きく反することではないかと思いますけれども、この点で大臣の御所見はいかがでございましょうか。
○政府委員(加戸守行君) 退職勧奨の問題につきましては、昭和六十年のいわゆる公務員法改正によります定年制導入までの段階ではいろいろなことを耳にしたことがございます。現在、定年制はもちろん男女差別はございませんし、また、現実に組織の新陳代謝を図る観点から依然として退職勧奨が相当大きなウエートを占めていることも事実でございますけれども、各都道府県におきます退職勧奨基準におきましては男女差は設けておりません。ただ年齢につきましては、県内の基準で、例えば一定年齢に達した場合、それ以後の退職勧奨を制度として行っているところがほとんどでございますけれども、その場合はあくまでも本人の自発的な意思に基づき、あるいは本人の同意によって行われるものでございまして、かつて定年制にかわる新陳代謝の措置として退職勧奨が活用された時代とは異なりまして、現時点におきましては、先生が今おっしゃいましたようなことは余り私ども最近は耳にしていないところでございます。あくまでも本人の同意に基づきます退職勧奨であるというぐあいに理解しているわけでございます。
○国務大臣(中島源太郎君) 委員先ほどから御指摘のように、男女平等ということは当然守らなければいけませんし、その中でむしろ女性の方がきめ細かい心遣いその他がございまして、円熟した教育者としてますますその地位は必要であろうと思いますが、私の感覚では、五十八年、地方公務員法の一部改正で定年六十歳としかれまして、これはもうまさに男女平等でございますし、これが原則的に守られているというふうに考えておりますが、今の実態の点でそういうことがありますのかどうか、むしろそれは地方公務員法に従って行われるべきであろう、また実態がそうあるのではないかと私は考えておりました。
○糸久八重子君 最終的な報告が本人の意思によるということになりまして、その過程でそういうふうにさせられているという方の私はお話を申し上げたわけです。 若年勧奨の理由の一つとして、児童生徒の減少により教員に過員が生ずるというのがあります。教員に過員が生じたときこそ四十人学級の早期完結と先進諸国並みに三十五人とか三十人の学級実現に向けて努力をすべきであろうと思います。そして、そのことは今の教育現場が一番求めていることなのです。学級編制、教職員定数改善第五次計画の完結まで残り三年でございます。四十人学級と教職分の配置改善、双方を合計した進捗率というのが九年間で四二・七%とあるわけでございますけれども、残りの三年の間に四十人学級計画の二万四千三百九人と配置改善計画の二万一千二百四人、合計して四万五千五百十三人を確保するとお約束してくださいますでしょうか。第六次計画へ積み残しはしないで完結させるとお約束をしてくださいますか、いかがでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) おっしゃいます四十人学級につきましては、六十六年完成を目指して頑張っておるところでございまして、これは今後ともおっしゃる目標に向かいましてもう最善の努力をいたしてまいります。
○糸久八重子君 お言葉だけに終わらないようにしっかりとお願いを申し上げたいと思います。 次に、臨教審答申の具体化策といたしまして、初任者研修制度を初めとして法律が提出をされているわけでありますけれども、初任研や教員免許法改正で具体的にどう教育改革がなされるとお思いでしょうか。
○政府委員(加戸守行君) 初任者研修の創設に係ります教育公務員特例法の一部改正案並びに免許基準の改正を行います教育職員免許法等の一部改正案の御審議を国会におきましてお願いしているわけでございますが、いずれも教員の資質向上を目的とするものでございます。 教員公務員特例法の一部改正につきましては、先ほど大臣から申し上げましたように、教員の幅広い知見あるいは豊かな教養、あるいは専門的な知識、実践的な指導力、こういったような教員の資質の向上のために、いわゆる指導教員によります指導等を含めました一年間にわたります初任者研修によりまして、教職につきました方が円滑に教育活動に入っていけるように、そして自立して教育活動が展開できるようなことをねらいとしたものでございます。 それから、教育職員免許法の改正の方でございますけれども、これはいわゆる採用以前の段階におきまして、教員にふさわしい方の人材養成という観点から、特に最近必要とされております生徒指導関係等のいわゆる免許基準の引き上げを内容といたすものでございますし、また免許状の種類を三種類といたしまして、高度の知識、経験を、学校におきます理論的な基礎を培ってこられた方を広く学校現場に誘致をするということをねらいとしております。さらに特別免許状あるいは非常勤講師制度の創設によりまして、社会人を学校現場に誘致をするという考え方で学校の活性化をもたらしたい、こういったような大まかな点でございますが、ねらいといたしまして今のような教員の資質向上を全般的に図っていきたいと考えておるところでございます。
○糸久八重子君 教員の資質とはどういうことを言うのでしょうか。
○政府委員(加戸守行君) 従来からいろいろなことが言われておりますけれども、例えば児童生徒に対します教育的な愛情あるいは教科、教職に関します専門的な知識、理論、それからそれに基づきます実践的な指導力、あるいは幅広い知見であるとか豊かな教養であるとか、要しますれば教員が児童生徒との人格的な触れ合いを通じて教育を行う、そういった職責にかんがみまして、教員に必要とされるような今申し上げた教養、知識、経験、指導力、こういったような総合したものを教員の資質と考えております。
○糸久八重子君 大変いろいろおっしゃられましたけれども、望ましい教師像というのは非常に単純なものだと思うのですね。つまり子供が好きなこと、そして教育の技術をいつも学んでいるということ、そして教育の内容をいつも勉強しているということだと思います。教育の技術の先生というのは子供であります。そして校内にいる先輩や同僚でございます。 六十三年度、全国で初任研についての試行がなされましたけれども、法律の成立を見ないうちに試行を行うということは国会無視も甚しいと思います。初任者研修制度は新任教員を一人前に見ない事実上の試補制度ではないかと考えられますけれども、新任教員の資質の全国的な実態はどうなっておりますのでしょうか。
○政府委員(加戸守行君) 新任教員の資質に関します例えば具体的なアンケート調査等、正確なそういったデータ等は持ち合わせておりませんが、諸会合あるいは教育委員会、あるいは校長先生方等のいろいろなお話を伺っておりますと、学力的な面では新任教員というのはそれぞれかなりのものを持ち合わせてきておりますけれども、言うなれば教員としての使命感あるいは教育的な情熱という点において、あるいは実践的な個に即した具体的な指導力においてはやはり弱いというような感想等が寄せられているところでもございます。 そういう意味におきまして、私どもは今申し上げましたような初任者研修制度の創設あるいは免許基準の改定等におきましても、やや今の教員に不足がちと見られております使命感の向上とか、 あるいは教育的な愛情、情熱というものを培養していただくこと、さらに個に即して具体的事例に即した実践的な指導力を身につけていただくということが必要であろうかと考えているところでございます。
○糸久八重子君 新しく採用されました教員の実践的指導力と使命感を養うという美名のもとに行われる初任研でありますけれども、洋上研修とか合宿研修など、新任教員を教育の現場から全く隔離して研修を行うということ、このことは、教師は職場で育つという立場からすれば、子供たちが一日一日発達していく姿を見ながら授業を組み立て行き詰まりを先輩教師から学ぶという基本的な視点に欠けてしまうのではないか、そして子供や同僚が全く見えないという結果になってしまうのではないかと思います。まして新任の教員を指導する指導教員制度は指導者好みの教員に色づけさせられるのではないかと大変心配になります。ことし一年の試行で多くの問題点が挙げられております。以下少し挙げてみたいと思います。 子供たちについて言えば、先生が二人いることで緊張感が増し、頭痛や腹痛を訴える子供が見られる。対象教員と指導教員との間に子供への指導、指示に食い違いが生じ、子供が戸惑ってしまう。一つの教科、単元を二人以上の教員から教えられるので学習しにくい。担任である対象教員と一緒に生活する時間が少ないので子供は乱れがちだ。 それから、対象教員について言えば、指導技術、方法など指導教員と比較されるので子供たちの信頼が薄れる。指導内容が多岐にわたるため対象教員の自主性、創造性が発揮されず個性がにじみ出ない。学級をあげる回数が多い。研修内容が多過ぎ、自主的に教材研究をする時間がとれないばかりか、子供と触れ合う時間が少なくなる。校内校外研修と学級経営に追われ全くゆとりがないし、学級経営が不十分で子供がかわいそうである。そのほかに、父母の間での信頼が薄れてしまう、つまり対象教員よりも指導教員の授業の方がわかりやすいとかいうことで信頼が薄れてしまう。学校行事の調整が非常に難しい。三人配置のところは授業補充ができない。校外研修が即役立つものでないだけに、苦痛としか言えないという本音も聞かれたわけでございます。 本来経験の差はあっても、子供たちと生き生きと触れ合い学び合っていく中にこそ教師の成長があるものなのです。よい教師はよい職場とよい地域で育つのであります。このような問題点に対しまして大臣はどういう御感想をお持ちでしょうか。大臣にお伺いしましょう。
○国務大臣(中島源太郎君) いろいろな御意見は私も読んだことがございます。一方で大変資質の向上が著しいとか、それから研修を受けてよかったという御意見が多数ありまして私も安堵はいたしておりますし、また一方で今おっしゃったような御意見もございます。私も目にいたしました。 その中で二つ申し上げたいんですが、若い先生が初めて教壇に立たれるときに愛情と、それから常に向上心を持つこと、先生おっしゃったとおりでございまして、その中でまた先ほど先生おっしゃいましたように、やはり現場に長くおられますと、それだけ円熟さを増していかれるわけでございますので、そういう先輩の先生から直接やはり生徒に接する接し方あるいは指導力というものを学びとるということは、やはり先生にとりましても生徒さんにとりましてもそれはむしろ進めるべきことではないかと思います。 ただ一方で、指摘されましたような負担は確かにあると思います。それだけ御自分の自主的な勉強もなさっていくでしょうし、それからそういう研修の時間がかかるわけでありますから、時間的な余裕その他負担のあることは確かでございますが、その負担をいい意味のプラスに転じていくように、それを願っておりますし、またアンケートの中にはそういういい面が多かったというお答えも多いわけでございますので、今後、まさにそれが試行でありますので、その中からいい面を伸ばし、そして改める点があれば改めてまいりたいと、このように考えておるところでございます。
○糸久八重子君 最近の学校の中では個性豊かな教師というのが非常に少なくなりました。大変教師みんな画一的なのですね。やはり子供と直接触れ合うわけですから、いろいろな個性を持った人たちと、つまり教師とつき合うということが子供の成長のためには本当に必要だろうと思うのです。そういうことから考えても、画一的なこの初任研をすることによって本当に枠にはめられた教師群ができてしまって、これでは子供の個性が豊かに伸びるなんということはとても考えられないわけですね。そういう意味で、この初任研制度というのは非常に問題があると私は指摘をしたいと思います。 それから教免法についてなんですけれども、学問というのはみずからのために行うもので、学んだことが仕事に生かされれば十分報われるものであるわけで、資格と結びつける理由というのがわかりません。大学院と学部の差が、特に義務教育の中での望ましい資質とどう関係があるのでしょうか、お伺いいたします。
○政府委員(加戸守行君) 今回の教育職員免許法改正案の中におきまして、専修免許状制度を創設いたしております。これは大学院修士課程修了程度を基礎資格とする免許状でございますが、現在既に高等学校の領域におきましては、大学院修士課程修了程度を一級免許状、四年制卒業程度を二級免許状という形で現存するわけでございますが、高等学校の世界におきましてこういった一級、二級の差の格差とか、そのためにもたらされた違和感というのは私どもは承知してないわけでございますが、今回小中学校につきましても大学院修士課程修了程度の免許状としての専修免許状制度を導入いたしますけれども、これは小中学校の世界におきましても高等学校と同様に大学院の修士課程を修了したような高度の知識をあるいは基礎的な理論をお持ちの教員を誘致したい、そして教員の全般的な資質向上にも資したいというねらいでございまして、このことによりまして、学校内におきまして専修あるいは標準的な免許状でございます一種あるいは二種といったものの免許状の種類の差による格差とか教員の違和感が生ずるものとは考えていないところでございます。
○糸久八重子君 教師にとっては研修は大変必要なことでございます。本来、研修とは自主的自発的に行うべきもので、強制されて身につくものではありません。公立学校の教員には、自分が勉強したいという要求がかなえられるような休職の制度というものはありません。教育公務員特例法には「研修を受ける機会が与えられなければならない。」とされておりますけれども、長期研修についても、大学院大学に入ることについても教育委員会の厳しい審査を必要としているわけでございます。教員の学びたい要求を保障するためには、専修免許制度をつくる前に、教員の研修休暇制度をつくることがまず先決なのではないか。教育改革の先取りとして初任研や教免法を制定することが教員の資質向上を目的としているならば、その資質向上のために限られた者だけでなくて、広く多くの教員の要求を満たせる研修休暇制度こそ必要なのではないかと思いますけれども、大臣の御見解をお聞かせください。
○国務大臣(中島源太郎君) 二つありまして、委員が御指摘のように、教員たる者常に向上心を持って勉強し研修にいそしむ、これは必要なことでございます。そして今の免許制度につきましても、これが常に向上心を持ってこれに臨んでいただくと、こういう一つであることは事実でありますし、また御自分の自主的な勉強、自主的な研究をしたい、こう思っていただき、またそういう時間がとれるということもこれは必要なことだと思います。 ただ、おっしゃいますようないわゆる研修休暇制度、こういう制度ということになりますと、他の要するに公務員との整合性その他ございますので、直ちにこれは実施すべきかどうか。そう御質問されますと、むしろこれは慎重に考えるべきことではないか、このようにお答えせざるを得ないところでございます。
○糸久八重子君 それでは最後になりますが、インフルエンザの予防接種の問題に入ります。 我が国ではインフルエンザワクチンは保育園、小中学校主体に毎年集団接種が行われておりますのに、毎年学級閉鎖が続出して、この年齢層を中心に流行を見ない年はないわけでございます。したがってワクチン効果に疑いが持たれてきておるわけでございますけれども、ことしの冬の接種率は四二%であったと厚生省は申しております。それはワクチンの効果がまずないこと、それから予防接種が原因での健康被害が出ていること、親の同意をとること等々で接種率が非常に激減をしているわけでございます。先進国では学童にインフルエンザ予防接種を集団的に行っているところはないと聞いております。インフルエンザ予防接種が原因で障害認定をされた人が六十一年度末で全国で八十六名であると厚生省の感染対策室が報告をしております。 このような効果不明で被害が明らかというインフルエンザ予防接種を社会の防波堤として学童に集団接種しようとする考えを改めるべきだと思うわけです。文部省として学校における集団接種を廃止して厚生行政に返す意向はないのでしょうか。副作用が多い現在、文部省は子供の側に立って考えてほしいと思いますけれども、これにつきましての御所見をお伺いしたいと思います。
○政府委員(國分正明君) インフルエンザの予防接種につきまして、ただいま御指摘がございましたように、効果についてどうであろうとか、あるいは副反応があるのではないかというような御意見があることは私どもも承知しているわけでございます。基本的には現在予防接種法に基づきまして厚生行政の一環として行われているわけでございますが、厚生省におきましても公衆衛生審議会等にお諮りして、その意見を聞きながら改善しているというのが現在であろうと思います。厚生省におきましてはインフルエンザの予防につきまして、現在のところワクチンの接種以外にないというのが実情であるということから、改善を加えつつ当面維持していきたい、こういう考え方のようでございますが、私どもは例えば学校が場所を提供する等してこれに協力する立場にございますが、今後とも厚生省の方針にのっとって対応してまいりたい、こういうふうに考えております。
○糸久八重子君 終わります。
○委員長(田沢智治君) 午前の質疑はこの程度とし、午後零時三十分まで休憩いたします。 午前十一時三十九分休憩 ─────・───── 午後零時三十一分開会
○委員長(田沢智治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件について質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○林寛子君 先日の大臣の所信に対しまして、きょうはいただいた時間の中で少しお伺いしていきたいと思いますし、中島文部大臣初めて大臣として御就任をいただき、そして所信を拝聴しておりまして私は一番うれしく思いましたことは、中島文部大臣がかつて直接御自身で文化というものを手がけられ、そして文化振興のためにエネルギーをお使いになっていたというその御経歴からして、私は少しは日本の文化行政が明るくなるのではないかという大変希望を持ってこの委員会に中島文部大臣をお迎えしたわけでございます。 ですけれども、まず所信を拝見いたしまして、二十一世紀に向けて御存じのとおり創造的な活力ある社会を構築していくというために教育改革を推進していくということは、国民の強く期待するところでございます。教育改革は今や審議会の手から離れて本格的に実施する段階になったわけでございますけれども、私どももこの委員会で絶えず、臨教審の五十九年八月二十一日発足当時から六十年六月二十六日の第一次答申、そして六十一年四月二十三日の第二次答申、六十二年四月一日の第三次答申、そして六十二年八月七日の第四次の最終答申と、その間るるこの委員会で臨教審の答申に対しての質疑を行ってまいりましたけれども、その間臨教審が、御存じのとおり六百六十八回、延べ二千八十六時間という時間を審議していただき、しかも公聴会は全国各地で十四回、団体、有識者からの教育改革のヒアリングは延べ四百八十三人、現地視察が三十四回、六十三カ所に及んだわけでございます。 私どもとしましては、なぜ国会議員の手でこれができなかったんだろうという内心じくじたるものはありますけれども、それだけにお時間と有識者の精力を費やしていただいた答申をいかに二十一世紀へ向かっての教育改革にそれを活用し、実施していくかという大きな課題が逆に私どもに残されたわけでございます。それに沿って教育改革の関連法案として政府から六法案が提出されると言われておりますけれども、今後どのような手順でこの教育改革を進めていらっしゃるのか、まず伺いたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 私の経歴に触れて御激励をいただきまして、大変恐縮でございます。文教委員会の委員の皆様方の御協力を得まして、精いっぱい頑張ってまいりたいと思います。 また、今、これからの教育改革の進め方でございますが、おっしゃいますように、臨教審で三年間大変な御努力と御審議をいただきました。それを八項目にまとめまして教育改革推進大綱を閣議決定していただいておりますので、その方向を着実に進めていくことが私どもに課せられました責務であり課題であると、こう考えております。 まさに、大きく言えば、これから二十一世紀に向けて変化する社会にみずから対応できるようなたくましく心豊かな青少年を育成する。同時にまた、その学校教育は生涯学習のごく基本的な重要な部分でありまして、八十年の生涯を通じていかに意義ある社会人として過ごし全うするかという意味で生涯教育の問題その他が掲げられておるわけでございます。少なくとも生涯学習の問題あるいは教員の資質の問題、教育内容の改善の問題等を含めまして逐次着実に改革を本格実施に向けて進めていきたいと、こう思っておりますので、今おっしゃいました各法案を御提出いたしておりますので、御審議の上速やかに成立をさしていただきますように心からお願いを申し上げる次第でございます。
○林寛子君 大臣の所信に従って順次質問をさしていただこうと存じましたけれども、まだ後で同僚の仲川委員からも質問がございますし、いつもこの順序でいきますと一番私が伺いたい部分が外れてしまいますので、きょうは、大変失礼ですけれども、午前中の質問と重ならない程度に逆に後ろから質問をさしていただきたいと思いますので、所信の御質問から逆にいきたいと思いますので、お許し賜りたいと思います。 今大臣がおっしゃいましたように、過去の経歴についてという御発言ございました。文化というものはそもそも何だろうかという大前提がございますけれども、私は文化に対する造詣が深い大臣が、風土、歴史、そこに住んだ人々の心が織りなす哀歓が文化である、こう中島文部大臣が発言なすっているのを私は存じ上げております。私はその中で一番恐ろしいなと思いますことは、文化の定義はいろいろあろうと思われますけれども、今、御存じのとおりマスコミ、あらゆるもの、世界じゅうで経済大国日本という言葉が使われております。けれども、経済大国日本の裏で経済摩擦が起き、あるいは貿易摩擦が起き、今や科学技術摩擦が起きようとしております。そして日本バッシングが始まっていると言われる昨今の中でやっと、経済成長とあるいは貿易摩擦、経済摩擦を解消していく上に各国の文化というものも必要なんだということが、あらゆるジャパンバッシングの中で初めて文化というものが少しは日が当たってきたと。 私はそういう意味では、大変経済摩擦だ、貿易摩擦だ、科学技術摩擦だというのは悲しいことではございますけれども、ただそのときそのときの少しずつの手直しでは今やそれは解決できないんだ、もっと日本文化というものを、各国の文化との交流によってそういう摩擦の解消に少しは文化を使うべきだという、そういう声が出てきたということに私は本当にうれしい用いを一方でしている一人でございます。 そういう意味で、今まで文化というものが、あるいはまあ言葉は悪いかもしれませんけれども、私の目から見ますといつも日の当たらない日陰者の文化というのが私はあったんじゃないか。また私たちの意識の中にも、あるいは文部省の文化庁設置以来の行政の中でも文化はいつも日陰者扱いをされてきたのではないか。私は大変そういう気がしております。言ってみれば、経済摩擦の対症療法として少しずつ小刻みな譲歩を迫られている諸施策の中で、何としてもこれにかわって私は文化というものを、文部省が率先してこの時期にこそ文化を見直していただきたい。また、見直さなければ二十一世紀にもっと大きな格差ができるであろう。 ただ、昨年来大変マスコミを騒がせました、例えばある会社がゴッホのヒマワリ、五十三億円で買った、それが全マスコミに報道されまして、その五十三億円のゴッホのヒマワリが宣伝価値からいうともう三倍の元を取ってしまったというのが日本の現状でございます。また昨年ざっと計算しましても絵画というものが七百三十四億円、そして版画が七十二億円、彫刻は六十三億円が日本に輸入されています。もっとふえているかもしれません。そしてヨーロッパの美術館の傑作を集めた国際美術展、そしてワーグナーの超大作オペラを日本でいながらにして鑑賞できるということもございました。また、ロンドンの国立劇場で侍姿の日本人俳優がマクベスを演じるということもございました。そして、大がかりな日本前衛展もこれはパリで開かれました。 経済大国という看板への関心のおかげで、世界が現代の我が国の文化の創造に深い関心を示すようになったことは、本当に皮肉な現象ですけれども、先ほど申しましたように私は大変歓迎すべきものである、この時期を逃がしてはならない、そう思うんですけれども、我が国の文化を取り巻く環境は先進国と言うには余りにもお寒い現状である、そう認識しておりますけれども、大臣の御認識はいかがでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) おっしゃる意味もよく理解できます。二つの面でお答えをしたいと思うんですが、一つは、文化というものを大きく見ますと、わざわざおっしゃっていただきました。それが正しいかどうかじくじたるものがございますが、私は、文化というのは一朝一夕にできない。その土地の風土と歴史とそこに生きとし生きる人間の魂の哀歓というものが折り合ってできた遺産が文化だというふうに私自身は考えておるわけでございます。 そして、文化の国際交流というものも、まず自分の身近な文化を理解し吸収する、それは史跡でもありましょうし、芸術作品でもありましょうし、あるいは町自体が文化でもあり、またその文化の伝承の中で、今与えられている八十年の生命というものは、これは珠玉のような貴重なものである。その貴重さを認識すると同時に、それぞれの各地、各国での遺産としての文化、そこに住む人間の生命のとうとさ、これをおのれを尊重し、そしてすべてのものを理解し尊重するということろに文化は栄えるのだ、こういうふうに考えております。 また、狭義に理解をいたしましても、その文化活動の中には伝承と、それから現在の文化を振興し、そしてあすに伝えるという政策の一貫性が必要でございまして、そういう意味では文化というものは金目で評価できるものではございませんけれども、伝承をあすに伝えるという意味では、これは無限の力が要ることでございまして、現在文化庁予算といたしましては四%増の三百七十八億円を計上いたしておりますけれども、これはその中で精いっぱいやると同時に、また六十四年に向けましてさらに文化の振興に全力を注いでいきたい、こういう心を新たにいたしておるところでございます。
○林寛子君 大臣のおっしゃるとおり、お金を出したから芸術性が高まるというものではないことは、既に皆さんも御存じだろうと思います。そのとおりなんです。時間がかかることは、これは科学技術であろうと教育であろうとすべて同じでございますから、文化だけが特別だと言うつもりはございません。けれども、余りにもその努力が日本の姿の中からは見えないということを悲しむ一人であるということを申し上げたわけでございます。 例えば、いろいろな例がございますけれども、サッチャーさんというイギリスの女性宰相を私どもさわやかだな、大変女性としてうらやましいな、あれくらいの決断力と行動力というものを政治家として学ばなければいけないなと思って拝見している一人でございますけれども、今や彼女は民活論者のような感じがいたします。財政再建もしています。けれども、その民活論者的なサッチャー首相の、あの保守政権の下でも、英国というのは国立劇場に九十七億円、演劇に四十億円、音楽、舞踊にそれぞれ二十億と十億、舞台芸術の創造活動には二百四億円もの公的補助金を支給いたしております。ところが、演劇、バレー、オペラを含めた我が国の補助金は約二十億円にしかすぎません。 今、大臣がおっしゃいましたように、文化庁の六十三年度予算、この間もこれを拝見いたしまして御説明も受けました。三百七十八億円という数字も、今もおっしゃいました。けれども、その補助金一つとってみても、余りにも経済大国という国の補助金にしてはお寒過ぎるではないか、そういう気がするわけでございます。 もう一つ続けて言わしていただきますと、過日の予算概要説明の中で「国立文化施設については、かねてより準備を進めております第二国立劇場について、実施設計に着手することとし、そのための経費を計上いたしております。」という報告をいただきました。けれども、この第二国立劇場一つ、今まで何年かかりましたでしょう。総計幾らのお金を使ったでしょう。また、この先これができ上がるまでに幾らのお金を必要とするんでしょうか。また、でき上がってオープンは何年後になるんでしょうか。余りにも一つのものを立案実施するのに時間がかかり過ぎて、これが国立のものとは思えないような遅々とした歩み方でしか物ができない。 しかも、この国立第二劇場の予算どうのこうのと委員会でもめています間に、民間ではどんどんアジア一という音楽ホールもできました。そして、他省庁の管轄の外郭団体では青山通りに立派な劇場ができました。所管庁の、文部省の文化庁が予算を出して立案して、第二国立劇場という名前を仮称でもつけながら、一体いつになったらでき上がるのか、こんなことをしていたのではもうでき上がったときには民間の劇場が全部でき上がって、器はつくったけれども中身で上演するものがないというぐらい民間に取られてしまいます。それが現状でございます。大臣もそれはお感じになっているであろうと思いますけれども、私はやはり何としても納得ができない。経済大国と言われて、民活でどんどんできていくものと、国が政策をしてつくっていこうというものとのその差はできる一方なんですね、格差ができる一方なんです。 仏つくって魂入れずという言葉を私はよく言います。器だけつくって国立劇団持つわけではない、国立バレエ団持つわけではない、国立のオーケストラを持っているわけではない。器だけつくって中身はないんですね。予算説明でも、第二国立劇場云々ということで設計費を、「経費を計上いたしております。」というお話ですけれども、果たしてそれでいいんでしょうか。また文化庁がいましたら、どういう経過でどうなって、簡単に言ってください。
○政府委員(横瀬庄次君) ただいま御指摘の第二国立劇場の設置の経過でございますが、これは昭和五十五年に現在渋谷区のもとの通産省の東京工業試験所の跡地について、その第二国立劇場の敷地として決定をいたしまして、その後設置準備につきましていろいろな調査を行ってまいりました。そして昭和六十一年度に設計協議というのをやりまして、基本設計にかかりまして、昨年の十二月までに基本設計は終わりました。 ただいまお話のございましたように、来年度の予算におきまして実施設計、これは六十四年の十月まで十八カ月という予定で実施設計をやる予定になっております。実施設計が完了いたしましてから、ほぼ足かけ五年程度の建設期間が必要でございまして、全体の建設費は現在のところの予算上の要領では四百五十億円程度のものを予定しておりますけれども、そういうことで、開場につきましては、これはこれからいろいろまだ紆余曲折があろうかと思いますので確実に申し上げるわけにはまいりませんけれども、私どもの事務的なめどでは六十八年の四月開場ということを目途にして頑張っているところでございます。
○林寛子君 大臣、説明を聞いていただいても、六十八年完成を目標にということで、大変寂しい思いをなすっていらっしゃると思って、きっと大臣としても早くしろ、もっと予算をつけてとおっしゃりたいであろうお気持ち、お立場上言えないんだろうと思いますけれども、今お聞きいただいたとおりの現状でございます。一つ政策を実行するにしてもそれだけかかるというのは本当になぜだろう、民間では理解できない、一体国の行政の方向はどっちを向いているんだろうという疑問を持たれても仕方がないような進行状況でございますこともとくと御理解いただいて、今後の推進に大臣としての御尽力を賜りたいと思います。 また、例えば演劇を例にとりますと、我が国ではスター俳優、まあ名優と言われる方も大勢いらっしゃいますけれども、その人たちでも今の現状では舞台だけではとても生活ができないというのが現状でございます。そして年収二百万円以下、低収入で頑張っていらっしゃいます舞台人もほとんどと言ってもいいくらいな人数でございます。公的補助金の乏しさは、文化の消費者でございますいわゆる観客あるいは聴衆者に外国では考えられないほどの高い入場料を負担させるというのが日本の現状でございます。そして、その高い入場料のおかげでどんどん観客あるいは聴衆人口が減っていくというのが今の日本の現状であることは申すまでもございません。 先ほども大臣がおっしゃいましたように、お金を、予算をつけたからといって直ちにすぐれた芸術ができるとは思わないとおっしゃったのはそのとおりでございますし、私はあえて今は日本は経済大国、そして文化は小国というのが日本の現状であろう、経済大国、文化小国というのが私の実感でございます。本当に寂しい思いをしております。 そしてまた、先ほど申しましたように、経済摩擦等々を緩和するために文化をという話でございますけれども、日本の窓口を考えてみますと、国際交流基金というのが海外への窓口になっているにしかすぎないわけですね。それはしかも文部省の外郭団体ではなくて、これは外務省の外郭団体として国際交流基金があるということも私は納得がいかない。文部省は何しているんだ、文部省独自の国際交流じゃなくて文化交流基金をなぜ文部省が持ち得ないのかという、これも私の素朴な疑問の一つでございます。 何としても私は中島文部大臣に、大臣になっていただいたものとして何かを残していただきたい。日本の文化のために中島源太郎文部大臣がこれをしたというお仕事の一つの中に、ぜひ国際交流基金ではなくて文部省独自の国際文化交流基金というものを何としても大臣がお考えいただいて、私が思っていることを大臣のお力で現実に設置できるような御配慮も賜りたいと思います。 そして、その文化交流の中心の国際交流基金が今あるわけですけれども、その国際交流基金の予算が六十三億円でございます。そして、例えばブリティッシュカウンシルというのがございますけれども、何とブリティッシュカウンシルは年間五百三億円でございます。まるでけたが違うんですね。ですから国際交流基金だけではなくて文化交流基金をつくって、これに近い金をとれとは言いませんけれども、経済摩擦、貿易摩擦を緩和するために文化を使うというのであれば、それくらいの意気込みを大臣にぜひお持ちいただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) 文化について大変いい御指摘をいただきました。文化そのものはやはり大衆に親しまれ、大衆の中からはぐくまれるということが一番大切だと思いますので、そういう入場料金が他国と比べて高い、これはやはり観客にとりまして大変な負担でございますので、この点につきましても早急に一考しなければいかぬと、こう思っておりますし、また、今国際文化交流基金の御提言がございました。これはまことに一つの貴重な御見識だと思いますので、この点を心に置きまして、御趣旨に沿いまして努力をいたしてみたいと、こう思っております。
○林寛子君 ぜひ文部大臣としての何か遺産を文部省にお残しいただければ大変私どもとしてはありがたいし、またそれが二十一世紀の日本の文化のためになるということを重ねてお願いを申し上げておきたいと思います。 それから、国際交流ということに絡みまして、高校の国際交流が大変盛んでございます。過日、新聞によりまして、これは文部省が調査されたということでございますけれども、外国へ修学旅行しました高校が百三十四校に及ぶという大変うれしいデータが出てまいりました。しかも全日制の高校が六十一年度全国で延べ百三十四校ということでございます。約二万九千人の生徒が修学旅行に参加している。また海外からの留学生の受け入れは一割強の五百八十二校、留学生を受け入れて数は約七百人に上る。そしてまた、一方では約三千二百人が外国へ留学したという、私どもにとっては国際交流というものが高校にまで及んだなということで、大変うれしい話だなと思って実は拝見はしたんですけれども、果たして外国からの留学生というものをこれだけ日本に受け入れるようになったとおっしゃいますけれども、実態の留学生受け入れの体制というものはどうなっているんでしょうか。これは正規の生徒なんでしょうか。いかがですか。
○政府委員(西崎清久君) 高校生の留学につきましては、日本から外国へ、外国から日本へと先生御指摘のとおりでございまして、我が国からの海外留学につきましては、新たに高校生に関する留学制度というものを、学校教育法の施行規則を改正して策定して、その円滑化を図っておるところでございます。 先生御指摘の外国から日本へという点につきましては、まだ数としても微々たるものでございまして、この点につきましてはやはり今後私どもといたしましては、ほぼ同じぐらいの数が相互交流という形で行われることが望ましいというふうに考えておるわけでございます。しかし、まだそれは途上にあるわけでございまして、今後の課題といたしましては、私は日本の学校における受け入れ体制、先生の御指摘の点もその点にあると思うわけでございますが、この点について教育委員会なり学校内で、十分な配慮を行う必要があるというふうに考えております。やはり言葉の面、あるいは教育課程の面、生活環境の面で、なかなかまだそこまでいっていないというのが現状でございますし、私どもの指導の点もまだ十分でないという点は、確かに率直に申し上げましてあると思うわけでございます。制度をつくった現時点におきまして、これからの課題として私どもも教育委員会、学校と十分協議しながら進めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○林寛子君 今局長のおっしゃるように、やはり数が少ないからとはいうものの、日本に留学してきた生徒が言葉の上での不自由さはあるとはいうものの、やはり単なる聴講生で終わってしまっているという現状というものは、私はやがてはこれは考え直していかなければいけない。留学してきた生徒が単なる聴講生だけで終わってしまったのでは留学してきた意味がないのではないか、そう思う一人でございますので、これも将来に向けて多くの留学生を、高校の国際交流という観点から、何かを対処していかなければいけないだろうと思いますので、これをぜひ考えていただきたい。また将来に数がふえたときに、多くの人たちがやはり留学してきてよかったと言われるような、留学生の受け入れ制度というものの整備をぜひしていただきたい。今の発展途上国と言うと悪いかもしれませんけれども、日本に留学した生徒たちに聞きますと、留学生がかえって反日感情を持つということも、必ずしもうわさではないんだ、私は現実にそういう声も聞いてまいりました。ですから、留学生の受け入れというものは逆効果にならないようにぜひ留意していただきたいと思います。 それから、せっかく今も申しました日本から外国へ留学する生徒の数、大変な伸び方でございます。私が先ほど申しましたとおりの数でございます。けれども問題は、その子供たちが帰ってきたときの帰国子女の受け入れ体制、これがやはり外人が日本に留学して帰ったのと同じように、やはりせっかく外国にお父さんの勤務についていって、たまたま向こうで勉強したその子供も含めて、これだけ国際化国際化と言われて、しかも外国で教育を受け、外国生活をした人たちを、これから二十一世紀は大いに日本の顔として活用しなければいけないという現状において、帰国子女のその貴重な財産をどのように受け入れ、なおかつどのようにこれからそれを活用していくのか。そのためにはその帰国子女の受け入れというものの体制を強化しなければいけないと思いますけれども、帰国子女に対するこの体制の考え方はどうなっていますでしょうか。
○政府委員(加戸守行君) 現在海外におきまして勤務する者の子弟、小中義務教育年齢の者が約四万一千人ございまして、そのうち毎年約一万人程度がいわゆる帰国子女と言われる方、日本に帰ってこられているわけでございます。こういう方々につきましては、海外でいろいろな経験を身につけているわけでございますし、特に外国の異文化を理解して帰ってきている。そういった点では日本の学校教育におきましても、相互の国内で育った子供たちとの間の、例えばお互いに啓発し合うという利点もあるわけでございまして、しかしながら一方において、外国での経験のために日本語の使い方が十分でないといったような面もございます。 そういった点で、これらの帰国子女につきましては、例えば帰国子女の研究指定校という形で現在八十六校ございますけれども、そういった外国からの帰国子女と日本の子弟との間の相互交換、交流ができるように、あるいはスムーズに円滑に受け入れができるような体制を工夫する。さらには帰国子女教育の受け入れ推進地域というのを全国で十二地域でございますが、指定をいたしまして、そこでも十分な受け入れ体制を図っていただく、こういったような研究協力とか、あるいは受け入れ推進地域の指定、そのほかに例えば大学入試あるいは高校入試等につきましても、日本の子女との若干格差といいますか、言葉の面等もございますので、十分な入試上の特別な配慮をしていただくというようなこともお願い申し上げておるわけでございます。 いずれにいたしましても、こういった貴重な外国での体験を積みました帰国子女が日本に帰られて、そして日本の全体の教育のまた向上に資するような形で大いに施策を進めていきたいと考えている次第でございます。
○林寛子君 これはぜひ考えて実行に早速移していただきたいと、ぜひお願いをしておきたいと思います。 続きまして、その留学生の話に絞ってちょっと伺いたいと思いますけれども、この急激な円高によって日本に留学している生徒たち本当に苦労しているんですね。そして留学生に、その円高というものが彼らの生活を直撃している。留学生の形態では国費で三四・二%、日本の企業が支払っているのは三・七%、残りの六割強が私学の私費留学生とされています。この数字が間違っていたら後で訂正してください。 私は、そういう子供たちがせっかく留学していながら、とにかく円高のためにアルバイトに忙しくて、アルバイトをもっとふやさなければやりくりができない、食べていけないということで、アルバイト疲れで勉強どころではないという声が一部に出ております。私は大変憂うべき状況で、円高は文部大臣のせいではございませんから、ことで論議することははばかりますけれども、例えばこの円高による留学生の生活苦というもの、これをどう対処しようとしているのか。また私は少なくともそういう子供たちのためにも何とか留学生バンク的なものをつくって基金を募るとか、あるいは政府が円高差益で得たものをそこに回すとか、何らかの工夫が施されなければならないと思います。新聞によりますと、地方自治体では一人五千円ずつ助成金を出すんだという県も何県かは手を挙げているようでございますけれども、文部省としてはどのようにお考えでしょうか。
○政府委員(植木浩君) ただいま先生おっしゃいましたように、日本には今二万二千人の留学生が来て大学等で学んでおりますが、その大部分はいわゆる私費留学生でございます。最近の急激な円高に伴う対策といたしまして、従来からは医療費補助ということで、これは国費、私費の留学生を問わず病気になったり、けがをしたりしたときが一番困られるだろうということで、医療費の八割補助ということをやっておりまして、私費留学生からも大変感謝をされておりますが、円高対策といたしましては、昨年の秋から授業料の減免措置を拡大いたしました。特に私立大学で学びます私費留学生につきまして授業料の三〇%補助ということで来年度も大幅な助成を行いたいということを考えております。 そのほか従来から私費外国人留学生で勉学を続けるに当たり経済的に困られる方で、しかも成績が優秀な人という方につきまして、日本国際教育協会の事業といたしまして、私費外国人留学生学習奨励費という制度がありまして、これは学部で大体月額四万円、それから大学院で月額六万円を私費留学生に支給しております。人数は今まで二百五十人でございましたが、来年度は五百人ということでふやしておりまして、そのほか最近は民間の企業が社員寮を私費留学生を中心に開放しようとしたり、それから民間の企業等が団体をつくりまして奨学金を私費留学生に支給する。こういうものが年々数団体ずつふえているという状況でございますので、もちろん私ども文部省としても一生懸命努力をするつもりでございますが、各方面の御協力を得まして総合的に推進をしていきたいと考えております。
○林寛子君 ぜひ、せっかく日本に来ても円高の余波が留学生に留学の意義をなくすというような日本にならないように、ぜひその辺のところはよく目配り、気配りをぜひしてあげていただきたい。また、地方自治体に対してもその辺の行政指導は、こういうときこそ行政指導をして、協力をして留学生の実が上がるようにぜひしていただきたいと思います。 それから、老齢化社会になって、一九九六年、日本も総人口の一四%を六十五歳以上の老人が占めるようになるというのが一九九六年だとされております。昨年の七月十一日、地球上の人口が五十億、本年の多分七、八月ごろにはこのアジア地域だけで人口が三十億になる。アジア人口だけで三十億に達するというのが予測されております。けれども、今の義務教育の中で親を大事にし、年寄りをいたわりましょうなどということはどこにも書かれてないわけですね。やがて老齢社会がまいりますけれども、私どもやっぱり道徳教育というものは何としてもこれからの教育の中で重要な重みを持たなければ、二十一世紀、物で栄えて心で滅びるというような日本になってはならないと存じます。 けれども、国際的に通用する日本人をとか、あるいは二十一世紀に通用する国際人を教育するんだとか、いろいろな国際人としての言葉が安易に使われ過ぎてはいないか。国際人というものは一体何なのか。私ども外へ出てまいりまして、国際会議なりあるいはいろいろなことに出ますけれども、まず国際会議に出て、自国の国旗あるいは国歌を持たない国というのは、世界広しといえどもないと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) 世界の国が幾つあるかということもございますけれども、まあ百七十カ国前後と思いますが、すべて国旗あるいは国歌を持っておると思います。
○林寛子君 私は、自分の国の国旗、国歌を持たない人間が外国へ出ていった場合には無国籍国民であろうと思います。国連の旗を見ましても、全部国旗が並んでいます。またオリンピックもそのとおりでございます。ですから、私はこの国旗が気に入らないとおっしゃる。まあこの国旗がいい悪い、これは自由でございます、言論の自由ですから。ですけれども、この国旗が気に入らないとおっしゃるのであれば、じゃこっちにしましょうよといって代替の国旗をお示しになるのが私は当然だろうと思います。国歌もそうでございます。君が代というものが気に入らないというのであれば、じゃ国民から募りましょうとか、あるいは亡くなったけれども、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」を国歌にしようだとか、何かそういう代替があって初めて私は論議というものができるんであろうと思いますけれども、ただ学校の中で卒業式にも国旗を上げない、君が代も歌わないことにするという、そういう学校が、過日新聞ではまたある私立有名校でしないということが載っておりましたけれども、それに対して文部省はどのようにお感じですか。
○政府委員(西崎清久君) 国旗、国歌につきましては、先生御指摘のとおり日本国民としての自覚を持つ、そして国際社会において信頼される日本国民の育成、こういう観点からやはり国旗の意義を理解し、そしてこれを尊重する態度を養なう、これは学校教育の基本でございます。 御指摘の学校における扱いでございますが、小学校の社会科、それから小中高の特別活動、小学校では音楽もございますが、国旗、国歌についていろいろこれを尊重する態度を養なうように従来から指導しておるわけでございますが、特に特別活動における学校行事、入学式、卒業式では国旗を掲げ国歌を斉唱することが望ましい。これは私どもの指導としてはぜひ国旗を掲げ国歌を斉唱するようにということで、教育委員会から学校へ十分指導してもらっておるわけでございます。 国旗の掲揚につきましては、かなりもう九割以上の学校で一〇〇%近くにだんだんなってまいりましたが、国歌につきましてはなかなかその実がまだ十分とは言えないという現状もございます。今お話しのようなケースはその中の一つとして挙がってきておるわけだと思うわけでございますが、この点につきましては私どもは教育委員会を通じまして十分今後とも指導要領の趣旨に従った国旗、国歌に関する取り扱いを適正にというふうなことで指導に努力をしてまいりたい、こういうふうに考えております。
○林寛子君 私は、昨年、戦後全国を一巡した国体が最後の沖縄で、天皇陛下の御出席を要望しながら、御病気のために皇太子御夫妻が出席をされました。私も出席したかったのですけれども、残念ながら出られませんでしたのでテレビを見ておりました。開会式、国旗掲揚、たまたまテレビがスタンドの先生に引率された生徒の一群をブラウン管に映し出しました。国旗掲揚でも先生が立ちません。生徒も立ちません。君が代斉唱になりました。先生は脱帽なさいません。暑い日でございました。生徒も歌いません。私は本当に情けない思いを、ブラウン管を見ながら国民として寂しい気持ちを味わいました。何人かのテレビをごらんになった方は同じ思いをなすっただろうと思います。また後で、ある会場で日の丸の旗をおろして火をつけたという報道がされました。 けれども、私は今申しましたように日の丸が気に入らないということはおっしゃって結構、自由なんですから。それなれば日の丸のかわりにこれをという論議をやっぱり進めなければ何でも反対だけでは私は国際人として通用しないのだということだけはやっぱり文部省にしっかり指導をしていただかなければ、日の丸の旗を上げただけで軍事大国になるのであれば、こんなありがたい安上がりはありません。そんなことはあり得ないんですから、ぜひその辺の指導を間違いなく遂行していただく私は責任があろうと思います。義務教育というものは将来の日本人を育てるのが義務教育なんですから、何としてもその辺の指導をはっきりしていただきたいとお願いしておきたいと思います。 それから、今西崎局長の中から音楽というお話がございました。これは文部大臣にお伺いしたいんですけれども、ことしのことですから予測をしちゃいけませんけれども、九月に新しい学習指導要領が出されるのか出されないのか、ちょっとそれを私が言うわけにいきませんけれども、まず九月に新しい指導要領が出るんでしょうか、出ないんでしょうか。
○政府委員(西崎清久君) 学習指導要領につきましては、昨年十二月に教育課程審議会の答申をいただきまして、その内容に即しましてこれから私どもは協力者の協力を得ながらそれぞれ教科、課目について十分な検討をしていく予定でございます。したがいまして、先生御指摘の九月という時期はいささか若干まだ早い時期でございまして、やはり年末ぐらいまで慎重に検討してまいりたい、こういうふうに考えております。
○林寛子君 私は文部大臣にぜひこれは伺いたいんですけれども、なぜ義務教育の小学校、中学校では邦楽というもの、あるいはお琴でもいいです、あるいは三味線でもいいです、あるいは尺八でもいいです。日本伝来の楽器というものを小学校、中学校で一度も聞いたことがないと言って卒業していく生徒がたくさんおります。また、御存じのとおりに「さくらさくら」というのがありますけれども、これとてもお琴で「さくらさくら」というものも聞いたことがない。とにかく小学校、中学校すべて洋楽器で音楽を指導する。私はぜひ今西崎局長の本年中にという学習指導要領の話が出ましたけれども、何とか私は将来の日本をしょって立つ子供たちに義務教育の中のどこかで、また予算を伴うとおっしゃるかもしれませんけれども、日本伝来の和楽器というものをどこかで耳にするぐらいは耳にさして卒業してほしいなと思っておりますので、学習指導要領の中にぜひ和楽器を入れて指導するというようなことが果たして可能かどうか、可能でなくても可能にしていただきたいなという要望を大臣に申し上げたいと思います。
○政府委員(西崎清久君) 先に現状からちょっと私の方で御説明申し上げたいわけでございますが、先生御指摘の点は二つあるわけでございまして、一つは現実の学校の取り扱いで、先生もおっしゃいましたように必ずしも十分に和楽器の扱いが行われていないんじゃないか、こういう点が一つと、それからもう一つ、指導要領の点でございますが、現在指導要領におきましては、小学校におきまして六年生で一応箏曲、尺八の音楽を含めて、これは鑑賞でございますが、指導要領にのせております。共通教材としては「春の海」でございますね、宮城道雄作曲、これはぜひ聞かせるということにいたしております。それから、中学校では鑑賞教材で箏曲、箏曲の「六段」というのがやはり共通教材、これはやはり共通でございますから必修的にというのでのせておりまして、小中でやはり邦楽については鑑賞教材として指導要領上は扱うことにしておるわけでございますが、問題は、先生おっしゃいますように現実に学校でどういうふうに扱われているか、あるいは御指摘のように十分にそれが行われていないんじゃないかという懸念が私どもあるわけでございますので、両方の面で私どももこの点につきましては十分に留意してまいるようにいたしたい、こういうふう に考えております。
○林寛子君 時間でございますので、まだまだございますけれども同僚委員に譲りたいと思いますけれども、文化に対して今までの方と違った中島文部大臣としての業績と色をぜひ文部省に残していっていただきたいことを所信に対する質疑の冒頭にお願いを申し上げて、質疑を終わります。
○国務大臣(中島源太郎君) 御趣旨を体しまして、一生懸命やらしていただきます。ありがとうございました。
○仲川幸男君 臨教審の答申を受けてたくさんの法案が出されました。私、八年目が回った文教委員会ですが、これほどの法案が重なってきたという記憶がないわけであります。そしてその法案も、問題が余りありませんでいく法案というのは見渡したところ大変少ない。大臣、今度御就任になってきょう初めて質問をし、お答えをいただくわけですが、よその委員会のことはとやかく申しませんが、この文教委員会というのは比較的本音の話をしながら、そして大臣にもわりかた、まあわりかたと申し上げておかなければならぬかもしれませんが、わりかた本音でお答えいただいて、そして内輪的なムードをつくりながら審議をしてきたわけでございます。言わしてもらうなれば、文教については、与野党とも超大人が集まっておると、こう自負しておるわけでございます。 そこで、今度のような大変重要な法案がかかってきます。八法案、関連を入れますと九法案でありますが、この法案を文部省も出したのでありますから、委員会で最後の文教が通らないと法律になりませんから、これは何が何でも通していただきたいという熱望であろうと思いますし、私たち委員会も、出てきた法案でございますからどうあれ決着はつけなければならない、こう思っておるわけでございますので、私たちも覚悟をいたしておきますが、大臣としてもひとつ御覚悟のほどを賜って、少し時間的にもまた精神的にも懸命の努力を払わなければならないと思います。そういう意味では野党の皆さんも含めて率直なお話し合いを願って、御理解をいただいて、私たちも与党でございますから全法案を通さなければならないと思っておりますので、ひとつそのあたりをお願いを申し上げておきたいと思います。 大臣の実直なお人柄、文化の推進等々お話がございまして、もうそのことについては私も少し申し上げたいこともございまして、文化のお仕事にも携わっておったことでございますから、思いましたが、時間が恐らくありかねるであろうと思いまするので率直に入ってまいりたいと思います。 臨教審の答申の中で、たくさん問題点はございます。私たちもまことに不十分だ、突っ込みが足らぬでないかと、こういうところが臨教審答申の中に数多くあります。限られた時間でやられたことでございますから、敬意こそ払え、そのことについてとやかく申し上げたくないと思っておりましたが、この一点だけはひとつぜひ当面する大臣のお考えを、事務当局からでもよろしゅうございます。 同和教育というのが、実はこれにはいろいろ問題がありまして、第一次答申にも出てこない、第二次答申にも出てこないから、公と私とにかかわらず臨教審の複数の委員に、また臨教審事務所にも、臨教審答申が今の教育を論ずる中に同和教育がないというのはおかしいではないかと言いましたが、とうとう最後まで出てきませんでした。それはそのことについてとやかく申し上げても今さらしようがないと思います。それぞれのお考えがあったことでありましょうが、事務局はいささか怠慢であったのではないかということを申し上げておきます。 それで、御承知のように、二十一世紀の時代にはもう同和という問題が、その言葉がこの世の中から消えたいと思います。御承知のように昨年の三月の末で法律が切れまして、四月に新しい法律ができました。その法律の主なものというのはソフトの問題ではありませんで、まず同和事業をどうしてしまいをするかという問題でありましたから、これからこの問題については見通しがつきました。およそ見通しがつきました。もう見通しがついておらないのは同和教育の決着であります。終着駅であります。お考えをいただきたいと思いますし、大臣がそのことについて何か御発言があったらここでいただいたらと思います。
○政府委員(西崎清久君) 先に私の方から御説明申し上げなければなりませんが、臨教審におきまして同和教育についての取り上げがなかったということは御指摘のとおりでございます。臨教審はいろいろ広い各般にわたる課題を取り上げておられるわけでございますが、どういう課題を取り上げるか、どういう課題について審議をするか、いろいろ臨教審でのお考えがあっての上のことと思うわけでございますが、臨教審で取り上げられなかったとしても、同和教育につきまして学校教育を含め大きな課題であることは私ども十分承知しており、認識しておるところでございます。 今後の問題としては、私どもはやはり昭和五十一年以降学校教育における同和教育のあり方、やはり三つの課題としてとらえておりまして、同和教育の推進に当たっての基本的考え方、これが一つで、詳細は省略いたしますが、学校教育における同和教育の内容はどうあるべきか、これが第二点。そして学校教育における同和教育の政治的な中立の問題とか、いろいろ課題があるわけでございますが、そういう点についてのあり方の問題を第三点としてとらえて、今後の問題としてもこの点は十分留意し、努力してまいるという基本姿勢には変わりはないということを申し上げさせていただきたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 大変に御勉強の仲川先生でございますので、同和問題につきましては私はやはり憲法、基本法にのっとりまして、すべての国民は法のもとに平等である、それから、不合理な差別を排して人権の尊重を貫く、これが基本精神だと思っております。また、これを進めるに当たりまして、やはり教育の中立性に留意をいたしながら進めてまいる。局長がお答えいたしましたように、学校教育、社会教育を通じてこの同和教育は進めていくということでございますが、また仲川先生おっしゃいますように、二十一世紀にはその同和という言葉そのものがなくなるように、これはまさに法のもとに平等であるということが事実上達成できますようにあらゆる面から努力をいたさなければいかぬ、このように考えます。
○仲川幸男君 ありがとうございました。 それでは、きょうは大変文化の問題が出てございまして、今、林委員からもいろいろとお尋ねがございましたが、中島文部大臣の所信の中にも強く著作権問題に触れておられるわけでございます。問題は、先ほどお話しにもございまして、この文化を育てるためにはいろいろ予算の問題もありましょうし、あらゆる要素が必要でありましょう。きょうは私が大臣に、また文部省にお尋ねをする問題は、この著作権問題に絞ってお尋ねを申し上げたいと思います。 基本となりますのは、立派な実演家、また立派な学者、立派な文化人を育てるというものの基礎に、その人たちを守り育てなければ育たぬという、この基礎の中の一番大きな問題に今著作権問題があるのでございますから、この問題をしっかりとらえておかないと大変難しい問題が次から次へと起こってくると思うのであります。それが昔はその心配が余りございませんで、ある人が立派なものを発行すれば、それが人気が出ればよく売れる、出なければ売れないということで済んだのですが、今の状態になってこれほどコピー産業が発達をしてしまいますと、もう一冊出ればきれいにあとは要らないということになる。このことはもう文化人の芽を摘むことの最も現在の悪でなかろうか。反対に言いますと、育てることを阻害するものであろうと思うわけであります。大臣も、先ほども申し上げましたように著作権問題に特に強く触れておられますので、そのことを十分御承知と思うわけであります。 それで、第一に一つお尋ねをしておきたいことに、今回、いずれ法案が出てまいりますが、その 法案に載って出てこないもの、それは隣接権国際条約の加入問題であります。これは文化国家日本の象徴とも言うべきものでありますので、少々私たちが聞き及びますと、国内的にも問題があるので、文部省が御遠慮をしておるのではないかなと、こう思う一、二年でありました。そのことはそのことで国内のコンセンサスを求めて、もう時期が来ておると思うのですから、このことをやらないと、隣接権国際条約の加入という問題がはっきりしないと、やはり日本の文化の顔が世界から美しく見えない、こう思うので、この一点についてひとつお考えを承りたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 基本的なことだけ申し上げますが、おっしゃるように著作権というのは著作者の権利を守るということによりまして知的創造活動を推進する、あるいは文化創造の基盤である、こういう意味で大変重要なことだというふうに認識をいたしております。 特に隣接権条約加入の問題でございますが、今、具体的には政府委員からお答えをいたさせますけれども、これは外国のやはり実演、レコード、放送などが我が国の中で円滑に利用できるという利用秩序が形成されるかどうか、ここのところが、ちょっと後で具体的にどういう点がどうと申し上げますが、これを待ちまして、精神的には速やかにこの条約加入をいたしたい、このように考えております。どこが問題かということは実務的に政府委員からお答えさせますが、基本論だけ申し上げさしていただきます。
○政府委員(横瀬庄次君) ただいま大臣から御答弁申し上げましたとおりでございますが、隣接権条約の加入問題につきましては、仲川先生御指摘のとおり、かねてから著作権審議会の専門の小委員会におきまして検討してきたわけでございますけれども、本年一月に報告が出されまして、これによりますと、ただいま大臣が申し上げましたように、外国の実演あるいはレコードについて我が国の中で利用された場合に、これに例えば放送の二次使用料等が支払われることになるわけでございますので、その外国の使用料の徴収等につきまして、国内の団体が実演とレコードとそれぞれあるわけでございますが、外国からこれは隣接権に加入している条約の締約国、これは今現在のところ三十二カ国あるわけでございますが、これらの主要な国の団体といわば権利の委任契約を結びまして、国内における使用料については外国の団体にかわって国内の団体がこれを徴収するというような、そういう仕組みができることが必要でございます。それと同時に、外国の権利につきまして、主に放送で利用されるわけでございますから、放送事業者との間でどのぐらいの使用料にするかというような、そういう具体的な契約も必要でございますので、こういったような具体的な利用の秩序というものについて見通しがつけば、その時点で速やかに我が国が隣接権条約に加入することが適切である、そういうような報告でございます。 したがいまして、私どもといたしましては、こういった円満な利用秩序というものが関係者、これは主に当事者間での努力に期待するところが大でございますけれども、必要に応じまして関係者の間の話し合いを促進するというようなこと、あるいは場合によっては助言をするというようなこともございますでしょうが、そういったことでできる限り円満な秩序形成が速やかにできますように、私どもとしても努力をして、そしてできるだけ早期に隣接権条約への加入を実現したい、これが私どもの考え方でございます。
○仲川幸男君 大臣のお話で尽きておるから余りあとの話を聞かなかった方がいいと思うんですが、最も早いときにひとつそれを実施しようという、細かくお話しをすると、国内のいろいろなところに調整ができたらというように聞こえる。私はもう時期が来ておると思うのですよ。というのは、利害がある者に対しては必ず三割あるか二割あるか、反対意見もあるし、そして理論はもう十分文化人ですからわかっておってもなかなかそれがイエスと言えない、そのあたりは文部省で高度な判断をして私はやっぱりやるべきだと思うのです。これはお答えは要りません、重ねて申し上げておきたいと思います。 文化の問題については中島大臣もさようでありますけれども、竹下総理も大変強く文化国家を打ち出しておられるわけでございますが、国内問題になりますと、先ほど林先生の御質問の中で大部分あったと思うのですが、長い伝統と努力の積み重ねの中で生まれてきたのでありまして、私たちは余り気に入らぬのですが、結婚式に二億円もかけたとかいろいろなことがテレビでも放送をせられたりしますと、文化人というのは、芸能人というのは、実演家というのはそれほど恵まれておるのか、こう思うわけでありますけれども、国内の実演家は先ほど年間二百万というお話があって、私もここで黙って聞いておったんだが、それほどのことはないんじゃないかなとも思ったりするが、今隣から本当だと、こうおっしゃっておるから間違いありますまい。ありますまいが、このようなほかの産業と比較して恵まれておらないこの人たちに、やはり何かで育て報いる、このことをひとつ十分お考えおきを願いたいと思うわけであります。 それから、これも今の文化に十分関係をいたしますが、著作権問題で直接文部省が手を下しております教育の現場での著作権問題についてお尋ねをいたしておきたいと思います。少々古い話になりますが、ここに昭和三十九年三月七日に当時の福田局長が各都道府県教育委員会、県へ通達をまず出しておるわけであります。読み上げておる間もありませんが、要約をしますと、先生、あなたたちは人のものを持ってきたりしないで自分の自主的なもので補助教材をつくって勉強を子供に教えなさい、こう書いてあると思って間違いないわけであります。 補助教材の問題に最終的に触れるわけでありますが、この問題にも私は大臣、ちょっと野党の皆さん方とは意見が少々違うかもしれぬのですけれども、現場で先生が自分の力で集め集めして子供に教えるほどの時間と最高の知恵があるかというこの二つの問題は現実の問題としてやはり考えないと、なかなか若い先生がもうようようその日その日の教壇を一生懸命にやるのが精いっぱいで帰ってきて、相手の習熟度も十分把握しないままでやれるかというと、これはそこまでに文部省も要求をしてはなかなか現場は私は難しいと思う。そこでこれほどその道の大家たちが集まって、そして精練をされて、研ぎ澄まされたという言葉でもいいが、これは経済が裏打ちしておりますから研ぎ澄まされておらないと売れないんですから、研ぎ澄まされた、経済も関連した教材が現場へ出ているんです。そうすると、それは自分の知恵よりも何よりもそれを使うことの方が先生も十分な活動ができる、生徒も十分に教えてもらえる、こういうことになるわけです。理解も一番しやすくなっておるはずなんです。 そこで問題が起こったのは、結局、補助教材を現場で先生たちが買い込んで生徒に教えるということには、何か先生が怠慢であるかのような空気が一時出た。今はそれほどのことはありませんが、そういうことでありますので、私は塾とか補助教材のそういうものを現場で使わすことを奨励するというほど強い言葉では申し上げませんが、これは必要に迫られたものではないかということを申し上げておきたい。これは、局長首振っておりますけれども、現場の先生たちの教室の中の様子を見たら、それを使うことが悪いということには私は今のところではなかなかならないのではないだろうか。教育の組み立て、時間の組み立てができないのではないだろうか。それを全部自分で集めてやれということは、私は先生たちのあの時間帯を見ておって無理だと思いますので、あえて申し上げておきたいと思います。 そこで、発生しましたのは、今度はそのこととまた違いまして、その教材を使っておるんです、もう率直に言って、全国どこも皆使っておるんです。私ら原則論言って、これからのような皆さん思っておられるかもしれぬが、もう全部使っておる。ところが、今度はそのことに問題が起こりまして、もう一枚買ったら極端に言うと、全学年使えるほど何時間もかからぬコピーができております。先生たちは、これに著作権があって、著作権法違反ではあるということをお知りでない先生さえ私はおるのではないだろうか。やっぱり道徳を教えたり、そういうことを教えておる中で、懲役三年以下、罰金百万円以下だのという重い罰則のついておるこの著作権法違反というものを、やはり学校、県の教育委員会、市町村の教育委員会、校長、学校現場の先生というのは、はっきりとこのことは認識をさせておかないと物が間違うと思います。どういう形で認識をさすのか、みんな買うのか、買わなかったらどうするのかということは、それは予算もありますから、そのことはどうなるのかわかりません。それは、それぞれの市町村の現場でやられたら結構だと思いますが、文部省もそれを受けとめておかないと、私はやはりこれからの指導ができないと思う。 これはちょうどいい時期ですから一緒に言っておきますと、大学でも書籍をコピーしておるんです。学校現場ばかりではありません。商社も大会社も皆やっておるんです。それは全部著作権法違反やっておるんです。ひどいのは楽譜などもそうなのです。田舎で皆奥さん連中に歌を歌わす、何ページだけ百枚こしらえてきてくれと。これも全部著作権法違反です。そのあたりもまず理論的な組み立てをして、方法はどうするか大変難しいことであろうと思いますけれども、それぞれの利害者もおることですから、十分ひとつお話をしながらやってください。一連のものについてひとつお答えをまずいただきましょうか。
○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の点多々あるわけでございますが、最後に御指摘の点で著作権に絡まります学校教育における校長以下教職員の意識と取り扱いの問題、これは私どもも、先生お話しのように著作権法という法律での規制が厳としてあるわけでございますので、安易にコピー、複製が学校で行われ、著作権法違反という事態が起きてはいけないわけでございます。したがいまして、実態は必ずしもなかなか捕捉しがたい面がございますが、私どもも少しこの点につきましては、個別の学校の若干の実情なども今後調べてみたいというふうに思っておりますし、今後指導部課長会議とかいろいろな会議の機会がございますので、この点については指導に努力をいたしたいというふうに考えております。 それから、前段の方でのお話でございました点、いささか私どもでも考えるところがあるわけでございますが、御案内のとおり、先生や私どもの時代ではやはり先生がガリ版を切っていろいろな教材や補助的ないろいろなドリルなんかをつくって、テストもそうでございました。現在社会の学校教育では教育産業が非常に発達してきておるというふうな現状もございますし、学校におけるいろいろな先生の教え方という問題もございましょうが、私どもはやはり先生方の創意工夫というものを大事にしたい。それからもう一点は、父兄負担の問題もある。 こういう点からいいまして、御指摘の三十九年の通達以来の考え方は、やはりできるだけ先生が手づくりでというふうなことを指導してきておるわけでございますが、現状はやはりいろいろな社会情勢から御指摘のような事態が起きていることは事実であろうかというふうに思うわけでございます。しかし、やはり先生方が創意工夫をしながら、いわゆる問題テストを市販教材に頼らないようにという姿勢では指導してまいらねばいけないんじゃないかというふうにも思っておるわけでございまして、なかなか現状の問題としては難しい点ございますが、それぞれ今後についての課題として私どもも受けとめてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。 以上でございます。
○仲川幸男君 お話は、なかなか私が申し上げたとおりにもお答えがいただけぬ面も前からのいきさつ上ありましょうし、現在もなかなかそれを当面の責任者の局長からお話を聞くのも無理かもしれませんが、このことだけはこれは大臣にもお願いをしておきたい。やっぱり教育の現場ですから、これはどう申しますか、法律違反であるということだけははっきりと、以後の対策は対策として、それを教材として出しておるものをコピーして配るということについてはこれは著作権法の違反であるということだけは、やはり教育関係者、文部省のみならず教育関係者、これは御承知で私が言うまでもないと思うんですが、それを自分だけがコピーして使うのならこれは著作権法にかかりませんけれども、そのことだけはひとつ十分徹底をしていただけるようにお願いをしたいので、これにはちょっとお答えをいただきたいと思います。
○政府委員(横瀬庄次君) 著作権法のサイドからの御説明をいたしたいと思います。 先生が今御指摘の、教材として業者が持ち込んだものにつきまして、それをコピーすることについて著作権法の問題としてどうかという御質問だと思いますが、著作権法の第三十五条では、学校の授業に使うために担任の教員が公表された著作物の一部分を複写機で複製するというようなことは、原則としてはできることになっております。ただ、同条にただし書きがございまして、そこに著作物の種類や用途、複製の部数や態様に照らして「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、」自由に複製ができないというただし書きがございます。 これをただいまの先生の御指摘のケースに当てはめてみますと、まあ教材にもいろいろございまして、店頭で売られているものとか、あるいは学校にだけ販売されているものというのがございますが、主に学校向けに販売されているケースについて考えてみますと、これを複製いたしますと、これは販路がほとんど学校に限られているわけでございますので、学校で複製が行われますと、それが直接販売量に影響するというふうに考えられるわけでございますので、こうした場合にはそのただし書きの「著作権者の利益を不当に害することとなる」というケースにかなりの場合当てはまるのじゃないかというふうに考えるわけでございますが、ただ、特に部数とか態様にかなり影響される面もございますが、一般的には著作権法上問題があるというケースが多いというふうに考えます。
○仲川幸男君 私は次長の答弁が全部不服だとは言いませんが、とらえ方には甘さがあるのではないか。私がお尋ねしたのは、教育現場で著作権法違反はしてはならないということだけは徹底をしなければならぬ。こういうことであったので、その点はあなたのお答えはそのまま聞いておきます。 ちょっと大臣、ここで文化庁の問題がこれこのように出てまいります。それで、文化庁は次長が来ているからそれでいいんですが、文化庁長官は、あれは政府委員でないものだから、特別なお招きをしない限りはここへおいでを願えぬようですけれども、私は先ほど基本的に申し上げました。この委員会の空気からして、やはり文化庁の長官もこういう問題があるときには御出席を願って聞いておいていただくことが、文化庁の長官が出てきておるから長官にどうしても答弁をさして、そしてせんじ詰めに遭わそうだなんていう考え方を持っておる者は一人もおらぬのですから、ひとつそのあたり御配慮をいただければ大変ありがたいと思います。その点は、これから文化行政というものは、総理大臣もさようでありますし、文部大臣もさようでありますし、全部の国民が文化というものに対しての感度が違ってき始めたのですから、お願いをいたしておきたいと思います。 それでは最後に一つ。ポスト臨教審問題がテーブルの上にのって、先ほどから安永委員からもいろいろお話がありました。余りお褒めをするようなつもりにならぬのでありますが、ポスト臨教審がやらなければならない交通整理をしておきなさいよという、こういう最終的な結論になるかもしれないと思うのですけれども、もう一つ大事なことが、七人と聞いておりますし、新しい指針は出さない、専ら臨教審の答申に向かって、その方法論を審議していくと、こういうようなことのようであります。そして三年ということでありますが、まあどうでしょうか。かなり文教に十年、二十年、文部省のお役人は別として、その周辺にもかなり文教に対しては造詣を持っていらっしゃる方もあるし、熱心に見守っている人もある中で、この七人が何をするかということは大変私は難しいことだと思うんですよ。ひとついよいよ法案も上がってまいりますし、そういうような方針で十分やっていただけると思いますので、期待をいたしております。 そこで、一番問題にここでなりますのは、私が申し上げた交通整理と、その人たちに何をどの範囲のことをやってもらいますかということと、どういう人に七人お願いをしますかということが問題になってくると思うんです。ちょっと余談なことになりますのですけれども、これ週刊新潮、まあ週刊誌というのは余りここで題材に取り上げたくないんですけれども、その人の名前は言わぬといたしまして、有田部会長と飯島部会長を名指しで、そして、この人たちが臨教審をだめにした元凶である、こういうものが出回ったんですね。そして、この人は評論家でありますが、これを書いたベースになっておりますのが、今度は新潮の週刊誌ではないんですよ。週刊誌ではないんですが、有田一寿、そして飯島宗一両部会長がだめにした。ここちょっとだけ読んでみますから。 日本の教育は病んでいる。にもかかわらず臨教審の第三部会長有田一寿氏は「日本の教育は他国にうらやまれる存在だ」とぬかした。偏差値だけが抜きんでて根本が腐っているのにその自覚が皆無なのだ。第四部会長の飯島宗一氏は愚劣な「新テスト」を考案した張本人である。臨教審はいってみればこの二人の無知蒙昧な人物のために、あたら改革のチャンスと時間をふいにしたのである。 私は余りにも度が過ぎると思うんですよ。三年間御一緒に、私たちも自民党の中では批判の対象ぐらいに言われました。言われましたが、あの人たちの三年間の御苦労も、あの人たちなりに一生懸命に努力をして、あそこまでのものを、いろいろ私たちも満足だとは申し上げておりませんけれども、その努力をしたことに対しての最大の敬意を臨教審の委員の皆さんに払うべきだと思う。 そこで、私がなぜこの話を大臣にしておりますかというと、この人たちはこのときの臨教審の内部の人でありますよ。それは文部省がどうタッチしたかは別として、人選の責任は文部省にもあるわけであります。それは一つのものの会議がありまして、そしてその中の一つのものの中で激論をし、お互いにいろいろな論議を尽くし合うことについて、そのときにはあなたが言っておることが間違っているんだという議論もいたしましょう。けれども、一たん臨教審という本当に日本の歴史の中で大変大きなものがまとまって、この中で、日本の教育の指針としてください、このことに対してはそれがいいという人もあろう、悪いという人もあるでしょう。いろいろありますけれども、この大きな教育方針が定まった、その内部の人から今私が読み上げたようなものが出てくるということについては、私たちはそれはじっと黙しておれずであります。記録に残るものにして二人の名誉を回復しておきたいと思います。 そこで、これはこのことを言おうとするのではないので、今度、後に七人の人選を大臣せられるわけであります。そして大変ポスト臨教審というものの仕事が難しいということも先ほどから、またこれからも延々と続くでしょう。この国会の間、その難しい仕事をする人選に十分御配慮をいただきたい。私がひとつ推薦を申し上げておきたいと思います。今度のことは新しい計画はしない。そして中教審も動くといいましょう。それはそれぞれの文教族もこのことに対してはそれぞれの御発言もあるし、動きましょう。その中でポスト臨教審、七人の人が何をするかということは大変限られたものに私はなると思う。それが現在で一番足りないものは、文部省も含めて足りないのは、やはり鹿児島県の、沖縄の、まあ私の県も僻地であります愛媛県の現場を一番よく知っている人が臨教審を受けて現場に一番即応したものを出すということであります。発表をするということでありますから、もうあの高い高い高度な学者、大変有名な評論家というようなところでないところで、現実に足が地についたものでお願いをいたしておきたいと思うわけであります。 私の質問はこれで終わりますが、ひとつこれからのこの八つの法案に取り組みまして懸命の努力をいたさなければならない中で大臣の奮起を望んでおきたいと思います。お答えをいただきたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 仲川先生の冒頭と、最後を締めくくっていただきまして、冒頭におきましても、いつになく数多くの法案を提出さしていただいております。ふなれでございますけれども、一日も早く委員会に付託をいただきまして活発な御論議をいただき、そして成立を見さしていただきますように私どもも最善の努力をいたしてまいりたいと思いますので、御指導のほどよろしくお願いをいたしたいと思います。 また、これを進めるに当たりまして、まさに臨時教育改革推進会議の方々のメンバーというものは、これまた大変重要なお仕事をお願いするわけでございますので、まず第一に国民の方々に信頼を得られる方々であるべきこと、そして各分野にわたって、幅広い分野からその知識をお持ちの方々にお集まりをいただかなければならない。この人選は、まさに私が御意見申し上げ、総理が御任命をされるわけでございますけれども、誤りなきよう、そして一番当初申されましたように、私どももここでは開かれた論議をいたし、そしてそういう方々に一層の御推進をいただきながら、着実に教育改革を進められますよう努力してまいりますことを重ねて申し上げまして、決意とさしていただきたいと存じます。
○佐藤昭夫君 まず初めに、本来であれば私の質問は公明党の次というところでありますが、委員長初め理事会の皆さん、公明党の皆さんの御配慮をいただきまして、順番を繰り上げて質問をさしていただきますことを感謝申し上げたいと思います。また、時間が持ち時間三十三分ということで非常に限られておりますので、ひとつ当局の御答弁はごく簡潔にお願いをあらかじめしておきたいと思います。 そこで、第一の問題は東京大学の学院構想の問題であります。東大当局はこの問題について当初昭和六十三年度予算案における調査費の計上を要求してきたところでありますが、文部省としてはそれを計上するに至らなかった、受け入れなかったというその理由は何でしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) こういったたぐいの学内改革に関する調査費の扱いでございますけれども、個別の事項につきまして調査費として計上する場合と、例えば大学院関係でございますと、大学院改革調査費というようないわゆる袋の調査費というような格好で執行上対応するという場合とあるわけでございます。私どもといたしましては、今回のこの東京大学の御構想について調査費の御要求があったわけでございますけれども、これを具体にどう対応するかということにつきましては、なお東京大学でも中間的な検討の途中の段階でもあり、また大学院制度いろいろ難しい問題を抱えている中での問題でもございますので、さらに慎重に対応すべきであるということで当初の概算要求という形ではのせなかったわけでございますが、今後いわゆる袋の調査費の配分をするかどうかという問題につきましては、今後の進行状況等も見ながら、現実に六十三年度の予算が成立をした後、各大学の御要望等を承りながらどの大学にどう配るかということを考えていくわけでございますので、現段階ではまだ未定ということをお答えする以外にないわけでございます。
○佐藤昭夫君 いわば調査費を六十三年度計上するに足るだけのものでなかった、あいまいな点が含まれておったということだと思いますが、それを受けて、東大側はその後練り直しをして今回第二次構想というものを打ち出しました。二月十六日に中間答申を出し、一カ月後、三月十五日、評議会で承認を得たということで、これはマスコミ等にも報道されておるところでありますけれども、この第二次構想の内容は大まかに言ってどういう内容でしょうか。簡単に要点をお答えください。
○政府委員(阿部充夫君) 中間的な報告の段階であると思いますので、私どもも紙に書かれたもの以外に詳しい点は承知をいたしておらないわけでございますけれども、要すれば、東京大学としては、今後大学院に重点を置いた教育研究を進めていきたいという基本的な考え方に立ちまして、学内の組織といたしまして学院という形のものをつくっていこうということのようでございます。 学院と申す形に二つのタイプがあるようでございまして、一つは統合型と言っておりますが、学部と研究科を統合した形としての学院を設けるという考え方でございますし、もう一つのタイプは包括型ということで、学部と大学院研究科は従来どおりの形で置かれておりますけれども、その連携組織としての学院をつくるというような考え方、二つの考え方を併記いたしまして、そういった事柄について今後さらに検討をして詰めていこうというのが中間報告の概要であろうかと思います。
○佐藤昭夫君 今要点の説明のありましたこの第二次学院構想、これはどうなんですか。事前に文部省として相当の指導をして事実上オーケーを与えてきたものなのかどうか。むしろこれからそれを東大側からの報告を受けて検討を開始するということになるのか。どうなんでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) この件につきましては、東京大学がいわば自主的に学内での改革構想を検討するということで進めておられる構想でございますので、私どもといたしましても、節目節目に、例えばこれまでも中間報告が出たことがございますけれども、そういう段階でのこういう考え方だということについての資料等はちょうだいをいたしておりますけれども、中身について討議をし、文部省として指導したというようなことはないわけでございまして、まだ学内での検討段階ということでもございますので、私どもとしてはその検討の状況を見守っているという段階でございます。
○佐藤昭夫君 そうしますと、文部省としてはこれから正式に検討に入る問題だということで、さっき答弁でちょっとお触れになりましたが、個別の調査費と、それから一般的包括的調査費というんですか、六十三年度予算案でも何ですか、一千万弱ですかというぐらいの予算があるということですけれども、これからの一定の日数の調査が必要だということですから、直ちに予算成立すると即時調査費がつくというような、そういう性急なことにはなりませんね。
○政府委員(阿部充夫君) 調査費の配分をいつの時点でするかという、包括的な調査費を個々の大学にいつ配分をするかということは、各大学の御要望等を承りながら新年度において考えていくという事柄でもございますので、現在の段階ではあくまでも東京大学に対してどうするか、その時期はどうなのかということについてはまだ検討中、未定と申し上げる以外にないわけでございます。
○佐藤昭夫君 そこで、私の意見でありますけれども、この学院構想はなかなかわかりにくい答申の文章ですけれども、多々問題をはらんでいます。大学院重点大学として、まあこの席にもそれぞれ地方の選挙区をお持ちの方多々おられますけれども、国立大学の中でも旧帝国大学、旧帝国大学の中でもとりわけ東大をエリート大学化していこうとかということで、東大よりもさらに上と、こういうことらしいですが、一方、教養学部の未来がどうなるかということで、これのレベルダウン、事実上の短大化、短大のような位置になってしまうんじゃないか。そして一方、学院長とか学院会議、こういうものを組織的につくって教授会の上に立つ、そういう一部教授の何といいますか、専断体制といいますか、そういう組織上にもいろいろな不安が出てくる。 しかも、この構想が中間答申が発表されて、さっきも触れましたが、一カ月足らずの短い十分な学内討議もされないまま評議会で決定をされたということで、多くの教官、職員、大学院生、学生の間で批判が高まっております。そして、三月十五日に慎重検討を申し入れた学生に当局側がかたくなな対応をして、指が切れるという重大な負傷事件さえ起こるということになっているわけでありまして、したがって文部省として今後検討していくということでありますけれども、私の意見を押しつけるわけじゃありませんが、文部省としてはこの学院構想の適否について慎重にひとつ検討を今後やってもらいたいというふうに思いますが、その基本対応どうでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 臨時教育審議会の答申におきましても、我が国の大学のこれからのあり方について、特に大学院について飛躍的な充実と改革を図っていくことが大事であるというような御指摘もいただいておるわけでございますので、各大学が、東京大学に限らず、自分の大学の大学院のあり方について真剣に御検討いただくということは、私どもは基本的には結構なことだと思っておるわけでございます。ただ、何と申しましても中間的な報告の段階でもございます。なお、私どもとしても、この報告文だけではわからない部分も多々あるわけでございますので、内容について適否を言うことは差し控えたいと思いますが、大学院全体にかかわる重要な事柄として、これから内容が固まるにつれて、文部省といたしましても十分な検討をいたしたい、かように考えております。
○佐藤昭夫君 次の問題でありますが、教育基本法第十条の精神について若干質問をいたしたいと思いますが、まずそれに先立って文部省にお尋ねします。 そもそも政党と教育委員会との関係というのは、指導、被指導という関係はあり得ない問題ですね。
○政府委員(西崎清久君) 都道府県教育委員会、市町村教育委員会がございますが、政党の立場と教育行政当局の立場は別個でございますので、指導し、指導を受けるという立場にないことは御指摘のとおりでございます。
○佐藤昭夫君 法制局にお尋ねをいたします。 そこで、ある政党が教育委員会に対して不当な指導をしようとする。仮にということにして一般論でお尋ねしたいんですが、これは今の教育基本法第十条の根本精神に照らして、あってはならないことですね。
○政府委員(大出峻郎君) 教育基本法第十条第一項の趣旨は、教育は国民の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、専ら教育本来の目的に従って行われるべきであり、その間に党派的な「不当な支配」が介入することや、一部の勢力の利益のために行われることがあってはならないことを規定したものと考えられております。このような趣旨から教育が「不当な支配に服すること」があってはならないとしているわけでありますが、ここで言う「不当な支配」と申しますのは、昭和五十九年六月二十八日の衆議院内閣委員会において、当時の森文部大臣が答弁されておりますように、国民全体の意思を代表するものとは言えないような社会的勢力、例えば政党とか労働組合、宗教団体等による教育本来の目的をゆがめるような教育への支配、干渉をいうものというふうに考えられるわけであります。 どのような場合にここに言う「不当な支配」に当たるかどうかということでありますが、これは具体的事実の内容なり状況により判断すべきものでございまして、例えば外部の団体等が教育行政機関に対して教育に関する事項について陳情をしたり、あるいは要望や意見を述べるなどのことが直ちにここに言う「不当な支配」に当たるとは言えないというふうに考えております。
○佐藤昭夫君 陳情、要望、そのことを云々しているんじゃなくて、いわゆる指導、冒頭聞きました指導、非指導という、この関係でのいわゆる指導の問題について一般論としてお尋ねをしておるものであります。 そこで、今の問いの今度は逆の見方といいますか、ある政党が教育委員会を不当に指導しようとしたときは、教育委員会の側はそれに屈してはならないということも同時に第十条の精神ですね。
○政府委員(大出峻郎君) どのような場合に教育基本法第十条第一項に言う「不当な支配」に当たるかということにつきましては、先ほども申し上げましたように具体的事実の内容なり状況により判断すべきものでございまして、御指摘の指導ということにつきましても、現実に具体的にどのような行為がなされたかによるところでございまして、一般論としてお答えすることは大変困難でございますが、教育基本法十条一項に規定をいたしておりますように「教育は、不当な支配に服することなく、」、「行われるべきものである。」ということは当然のことであろうというふうに思います。
○佐藤昭夫君 もう一問法制局に一般論としてお尋ねをしておきますけれども、そういう政党と教育委員会との関係といいますか、そこで特に政権政党の教育委員会に対するアクションについては特別の慎重さが求められるというふうに一般論としては私は考えるんですけれども、どうでしょうか。
○政府委員(大出峻郎君) ここに言いますところの「不当な支配」に当たるかどうかの判断に当たりましては、先ほども申し上げましたように具体的事実に即し、どのような内容の事項をどのような態様で行ったか等について総合的に勘案すべきものであると思います。御指摘のように政権政党であるかどうかというようなことによって特に区別されるものではないというふうに考えております。
○佐藤昭夫君 特に区別される要因はないということでありますが、政権政党の方が一般政党よりも教育委員会に何かのアクションをする場合、影響は大きいですね、政権政党の方が。どうでしょう。
○政府委員(大出峻郎君) ただいま影響が大きいというような御趣旨のお話がございましたけれども、それはまさしくその具体的な事実関係の問題でございまして、法律論といたしましては政権政党であるかどうかというようなことによって区別されるものではないというふうに考えております。
○佐藤昭夫君 理屈としては区別すべき要因はないとおっしゃいますけれども、私は実際問題として政権政党の方が一般政党の場合よりも何かのアクションをしたときの影響は大きいと思う。これは常識じゃないか。そこで、一体これから何を言い出すかということで興味津々かと思いますけれども、この問題は本日はこれでやめておきます。あと続編はまた次回にいたします。 次の問題でありますが、君が代、日の丸教育がどんどんと鼓吹をされる。そういう中で、いろいろな各地で今日まゆをひそめるような事件が次々に起こってきているわけでありまして、私の地元京都でこんなことが起こるということを私がみずから口にしなくちゃならぬというのは恥ずかしいような、残念な思いなんでありますけれども、京都府立久御山高等学校というところで、京都の地理御存じの方、宇治市、まあ私は宇治に住んでおりますが、隣の自治体ですけれども、町ですが、そこにある府立高等学校、その卒業式での校長の暴言問題というのが今大変議論になっています。 二月二十七日の同校の卒業式において、卒業生の代表がその答辞の末尾部分でも、去年の夏休みに突然学校の屋上に日の丸が掲げられた、私たちは以来毎日それを見て登校している、生徒の中で賛否両論があるが、私たちはこの問題を通して現在の社会を十分考えていきたいと。この答辞は、各クラスの代表が出て答辞委員会というものをつくって、そこの集団討議に基づいてつくられてきたもので、この卒業生代表が自分の意見を勝手に述べたというものじゃない。しかも今紹介しましたように、日の丸絶対反対だとか、そういうことを言ったんじゃない。賛否両論があるけれども、未来に生きる青年としてよく考えていきたい、こういうふうに述べたという、別にそれほど非難に値するような内容じゃありません。 ところが、これに対して突如校長が、校長は当然一番最初に式辞をやっているんです。しかし式次第を無視して突如立ち上がって、まあ弁士中止というような勢いですね。今の答辞の中に不穏当な内容がある、日の丸に反対しているのは一党だけだと。この一党はどこを指しているかというのは大体おわかりかと思いますが、一党だけだということを言われたら、いや違うよと、うちも反対しておるよということでお怒りになる政党はあると思うんです。ところが、そういうことを言って、それからさらに重大なことがある、君たちの中にも外国籍の者がいる、事実十数人の中国、朝鮮、韓国国籍の生徒がおるわけです。自国の旗を大切にするように他国の国旗を大切にすべきだ、こう発言をして満場騒然となったんであります。それはそうでしょう。あの日の丸の旗のもとで侵略をされて民族がたくさん犠牲になった。あの中で、今までの教科書問題の、あの記述をめぐって国際問題にもなってきておるという、こういう問題のもとでの校長のかかる発言でありますから、問題になるのは当然であります。そして卒業式が満場騒然で約十分間中断をするという異常な事態になった。ここにはもちろん父母も相当数参加しておる。 さらにこの学校では卒業式の式辞、祝辞、それから答辞、送辞、こういうのはきちっと記録に残して永年保存をするというしきたりになっておったんですけれども、この生徒の日の丸発言部分、これは永年保存から削除するということを校長は一方的に宣言をする。それから、例年生徒会の名前で掲示板、どこの学校でも生徒会用の掲示板がありますね。そこに答辞を張り出す、それは許可しないというふうに発言をするとか、さらにはだれがこの問題を外に漏らしたかということで、教職員組合の同校の役員ですね。特にその中では三十八度を超える発熱で、卒業式が終わったら家へ帰って寝ておったという人がおるんですけれども、それを呼び出して二時間十分にわたって詰問をするという、本当に人道上も許されないようなことが起こって、大変な批判を呼んでいるわけであります。それで、さすが京都府教育委員会教育長もその後京都府議会の中で、とりわけ厳粛たるべき卒業式の場で、反対しておるのは一党だけだという事実としても違うでしょうし、およそ卒業式の場にふさわしからざるそういう発言をしたというのは不穏当だというふうに、京都の教育長も余り立派な教育長じゃないですけれども、ですが、さすがこの問題についてはそう言わざるを得なかったということになっておるんですけれども、そういった点で、今幾つかの例を挙げました。一党だけ反対だとか、それから外国、特に中国人、朝鮮人、そういう子供を前にしての言い方。それから、式には父母も参加しているんですから、外に漏れるのは当たり前ですよ。それを何か組合の役員が漏らしたんじゃないかということでそれを詰問する。こういうやり方について、何か文部大臣にひとつ聞かぬといけませんから、大変失礼になりますので、文部大臣、御所見あるでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) 御指摘の点につきまして、私も大綱は報告を受けておりますが、事実関係のことでございますから、政府委員からまずお答えをさせます。
○政府委員(西崎清久君) 京都府の久御山高校の卒業式におけるケースにつきまして、概要先生から三点御指摘があったと思うわけでございます。 第一点は、卒業式における答辞の内容についての校長の発言の問題でございます。校長の発言につきましてやはり内容としては二点あろうかと思うわけでございますが、一点として国旗、国歌に関する指導を全校生徒にいろいろと説明をした。この点はやはり学校教育における国旗、国歌について正しい認識を持たせるという趣旨においては、私は、府教育委員会の報告もそうでございますが、それは適切であったと、こういうふうに思うわけでございます。ただ、校長発言の中での政党にかかわる発言につきましては、学校教育における政治的中立の問題、政党の考え方に言及するということにつきましては、やはり若干慎重さを欠いておるというふうな、府の教育委員会における報告もそうでございますし、私どももそのように考える次第でございます。 それから第二点の、確かに久御山高校におきましては韓国籍の方その他若干外国籍の方がおられるわけでございます。人数は先生の御指摘の人数よりはちょっと少ないように私どもは受けておるわけでございますが、そういう外国籍の生徒がおるという関係で校長がその際発言をいたしましたことは、私ども報告を聞いたところでは、外国籍の方々は保護者、同胞からそれぞれの国旗についての指導や民族教育を行っておられるものと理解しているというふうな発言が内容としてあるわけでございまして、一方的に国旗、国歌についての指導ということではなくて、そういう点にも配慮した発言が入っておる。学校教育におきましては、国旗、国歌の教育については、やはり他の国々の国旗、国歌も尊重するということは関連して必要なことでございますし、その線上において校長がそういう発言をしておるということについては、私どもとしては、あるいは府教育委員会の報告におきましても問題はないというふうに考える次第でございます。 それから、第三の内容の記事、いろいろな報道にかかわる記事について当該高等学校の分会の方々から校長が話を聞いたと。先生の御指摘ではいささかその話の聞き方が校長側の一方的な話じゃないかという点もあるわけでございますが、府教育委員会の報告によりますと、やはりその前に、事件が起きたときに当該先生が校長さんに原稿を、こういう原稿はどうであろうかというふうなことで校長さんに見せにいらしたそうでございます。そのときに校長さんが、こういう原稿はちょっとこのケースについて非常に誤解を招くということであるので、こういう点の原稿の外部への発表は差し控えてほしいというふうなことを校長さんがるる話をされていたのが前提としてあったそうでございまして、にもかかわらずいろいろな報道の内容が当該原稿の内容とほぼ一致しておるということもあったので、校長さんとしては校長としての職責上、分会の先生をひとつどういう経緯であるかということでお呼びして種々お尋ねをしたと、こういうふうに聞いておるわけでございまして、その経緯があるとすれば、私どもその第三点についても特別の問題はないんじゃないか。府教育委員会の認識もそのようでございまして、そういう報告を受けておる次第でございます。 いろいろ先生御指摘の点、要約いたしますと三点になろうかと思いますが、以上お答えとさせていただきます。
○佐藤昭夫君 詳しくは政府委員の方からということで大臣おっしゃいましたが、今の局長の答弁の中でなお私申しておきたいと思いますのは、一つは厳粛たるべき教育といいますか卒業式という場で特定の政党の政策を非難したと受け取れるような発言があったこと、この点についてはあなたも府教育委員会が府議会の場で言っているように、ちょっと適切さを欠く点があったということで、これはそうしておきましょう。 それから、外国人生徒を前に自分の国の旗を大事にするように他国の旗を大事にしようというのは、即この場合は日の丸の旗を大事にしようということですわね、具体的には。(「それは違う」と呼ぶ者あり)いや、そういうことになりますが、具体的には。そういうことになります。自国旗を大切にするように他国旗を大切にするべきだというんでありますからね。この場合は明らかに日の丸の旗を大切にしなさいというふうに受け取らざるを得ないですよ。 そこで、さっき言っていたように、この日の丸の旗のもとに侵略をされて、民族同胞がたくさん殺されたという、この消し去ることのできない思いと感情があると思うんですよ。だからこそ教科書の記述をめぐってあれだけ外交上の問題にもなるじゃありませんか。だから、局長はああいう今のような答弁を言いましたけれども、そんな簡単な問題じゃありませんよ。一般論としての自国旗を大切にするのと同じように他国旗も尊敬をしてという、そんな一般論じゃないということは、文部大臣、あなたも政治家のお一人ですから、そこは政治とはどういうものかということについてよく御判断をしていただかなくちゃならぬだろうと思う。 それからもう一つ、三つ目の、分会の先生を、組合の役員を呼び出して詰問した、それが結果的に事前指導のあれと似たようなあれだということですけれども、これは明らかにその後校長が謝罪しておるんです。府教委からの報告はないか知りませんけれども、そんな熱まで出ておったということを知らなくて実は二時間引っ張っておった、申しわけなかったというふうに謝罪しておるんです。それは、私は知りつつやっておったんじゃないかという、どうもたち悪い。だけれども、まあそれはいい、それはいいです。 それで、大臣、この問題については、本当にこういうことが蔓延をし出したらゆゆしいことですから、さらに文部省としてよく調査をして、本当に正しい教育が進んでいくように必要な助言をするということで対処をしてもらいたいと思うんです。だから、私の言うたことが一方的な言い方だというんでしたら、調査をしてもらったらいいんです。私はちゃんと、私の地元ですからそれなりにちゃんと情報網もあるし、いろいろあります。こんなの、でたらめなことをこんな場で言うはずがない。だから、ひとつ必要ならば調査をさらにやっていただいて、教育いかにあるべきか、卒業式いかにあるべきかという点で必要な指導をぜひお願いをしておきたい。そこの基本態度について、文部大臣、最後にお尋ねしておきます。
○国務大臣(中島源太郎君) そういうお尋ねでございましたので、事実関係に基づくものでありますから、政府委員からお答えさせたわけでございまして、私は大要を報告は受けておりましたけれども、事実関係を詳しく知っております政府委員がお答えしたのが正しいお答えであろう、こう申し上げる以外にないのでございますが、その中ですべて正しいというのではなくて、政府委員も申し上げましたように、政党に関しましてこの趣旨に反対する政党、つまり日の丸が国旗であることに強く反対しているのは一党だけであるということに関しては慎重を欠いておったかな、こういう答えがありましたと、それらも含めて政府委員の答えのとおりと、このように考えます。
○高木健太郎君 中島文部大臣から大変広範にわたる所信をお伺いいたしまして、いずれも大変大事な問題でございますが、きょうは時間の関係上、その中の幾つかについて御質問を申し上げたいと思います。 まず、その第二としまして、初等中等教育の改善と充実に力を入れるということでございまして、その中に道徳教育についてこういうふうにやりたいということで、道徳教育については学校、家庭、地域社会と密接に連携して一層の充実を図る、このように申されておりまして、私もその御方針には賛成でございます。文部省としましては六十一年の三月に「小学校 思いやりの心を育てる指導」という、こういう小冊子を出しておられます。私はこういう道徳のものではこの指導書しか知りませんが、その後同様な指導書を出しておられるかどうか、ちょっとそれをお聞きしたいと思います。
○政府委員(西崎清久君) 道徳教育は学校教育の大きな一つの柱で、私どもも年来努力しておるわけでございますが、先生御指摘のいろいろな指導書につきまして、私ども年来の経過がございます。 御指摘の六十一年三月の「思いやりの心を育てる指導」、小学校編が出ておりますが、その後六十二年三月に「郷土を愛する心を育てる指導」、これは小学校編でございます「郷土を愛する心を育てる指導」。それから六十三年三月、これはまだ刊行予定でございます。もう近く出す予定でございますが、「生命を尊ぶ心を育てる指導」、これを刊行予定にいたしております。六十一年以前にはまたたくさんございますので省略いたしますが、やはり道徳教育を十分充実していくためにはこのような指導資料が大変必要だということで、年来努力しておることを申し添えさしていただきます。
○高木健太郎君 その効果はどうであったかは後でお伺いしたいと思いますが、御存じのように、それまで学校内暴力あるいは家庭内暴力というのが非常に一時盛んでございまして、我々を憂うつにさしたわけでございますが、それらはだんだん鎮静化したということを聞いております。しかし一方で、いじめが少し多くなった、そしてその結果として登校拒否が増加しているということを聞いておりますが、それはいかがでございましょうか。これは現実に現場の教師の方から、また教育委員の方からお聞きしましたけれども、非常に陰湿になってきている。登校拒否がふえたということを聞いておりますが、その実情はいかがでございますか。
○政府委員(西崎清久君) 登校拒否の問題についての先生の御指摘でございますが、確かに登校拒否は従来からの数字として増加傾向にあるわけでございます。反面、いじめ、校内暴力が数としても減っておる、こういう点も先生御案内のとおりでございます。 この登校拒否につきまして、数字的に申し上げますと、昭和六十一年度の数字といたしまして、五十日以上長期欠席という形で押さえておりますが、小学校で四千四百七人、それから中学生で二万九千六百七十三人でございます。若干ずつふえておりまして、この点につきましては私どもも若干憂慮しておるわけでございます。この点、我々の指導の方針といたしましては、さまざまな対応があるであろうということで、まず登校拒否児童生徒のいろいろな、何と申しますか、カウンセリングでございますね。カウンセリング、相談でございます。なぜ登校拒否に立ち至っているか。これは精神状況もありますし、家庭の状況もありますし、学業の問題もございます。こういう点について個別に登校拒否児がどういうふうな原因でそういうふうになっているかということについて学校で、例えば養護教諭などを中心として、担任はもちろんでございますが、そういう点について原因なり実情の把握、これがまず第一ということで、積極的に取り組むように都道府県教育委員会を通じて指導しておるわけでございますが、これらの原因分析を現在いろいろやっておる最中でございます。 一つだけ例を申し上げますと、小学生について言えば、不安を中心とした情緒的な混乱、神経症的な拒否症状、こういうのがかなり多うございまして、千五百件ぐらいこういう症状が見えておるわけでございます。それから次に多いのは、身体の発育や学力の遅滞などの劣等感、こういう問題、これが第二のケースで、これが百四十六件ほど挙がっておるわけでございまして、こういう一つの状況があらわれておる点がやはり原因として考えられるわけでございますので、今申し上げましたようないろいろな登校拒否児の個別の実情に即した今後の生徒指導というふうなことで努力をしてまいりたいと、こういうふうに考えている次第でございます。
○高木健太郎君 いじめは少し減ってきたというお話でございますけれども、そのいじめの原因として、異質的なもの、あるいはよく昔言われました浮浪者に対してやるとか、あるいは帰国子女のいろいろの生活様式あるいは態度が違うとか、あるいはごくわずかの顔面にほくろがあるとか、そういう少し自分と違った、一般とは違ったものがあるということに対して、それがいじめの対象になる。そのいじめが恐らく先生も把屋できないようないじめの仕方をして、非常に陰湿になっている。そのために登校拒否ということも私はあるのではないかなというふうに思うわけです。 この学校暴力とかというようなものは割と目立ちますから、それは顕在化しますから、それは管理とかあるいは叱責をする、そういうことによってかなり抑圧することができると思いますけれども、登校拒否というのはこういう消極的なものですね。隠れたようなもの、あるいは拒否反応といいますか、あるいは暴力の方をいわゆる攻撃といたしますと、登校拒否というのは一種の生体の逃避反応と見ることもできるわけです。こういうものは、同じ方法ではなかなか解決できないものでないか。そういう意味では、今局長言われましたように、カウンセリングをしてやるということもありますが、私は割に精神料医、専門の精神料医あるいは心理学者、そういうものとの十分な連携が必要ではないかというふうに思います。そういう協力関係は今までおとりになったかどうか。あるいは学校によってはやっているというようなことであるか、その状態をお聞きしたいと思います。 学校には養護教諭もおりますし、あるいは学校医もおりますけれども、学校医必ずしも精神科の専門医ではない。こういう意味では専門家の私は診断が重要じゃないかと思いますが、これはどのようにされておりますか。
○政府委員(西崎清久君) 先生まさに御指摘のとおりでございまして、かなり精神的な、専門的な、医学的な状況把握ということが必要であるわけでございます。 そこで、私どもは指導といたしましては、登校拒否に関する教育相談状況の調査というのをやっておりまして、やはり教育相談というのは学校の中でいろいろやってもまだ専門的にならないということで、一つは教育研究所というものがございまして、教育研究所にはやはり心理学者等、専門的な児童心理の研究者がおりますので、そういう人にもお願いをしたい。それから各都道府県には教育研究所以外に教育センターというのがございます。この教育センターにもまたさまざまな専門家がおるわけでございまして、そういう点についてもいろいろと総合的な横の連携を持って対処する必要があるということを指導しておるわけでございますが、必要がある場合にはお医者さんの応援も得なきゃいけないというふうな状況にも立ち至ろうかと思いますので、今後の課題といたしまして指導教育相談事例に関する調査というのを私ども少しやっております。 事例調査をまずやりまして、事例で挙がってきたところでどういうところでの相談のネットワークを組めば一番実効が上がるかというのをこれからもう少し詰めてまいりたい、こういうふうに考えております。御意見の趣旨を十分踏まえて努力さしていただきたいというふうに思っております。
○高木健太郎君 ぜひそういうことを十分おやりいただきたいと思います。中学校までは義務教育でございまして、いわゆる国民として基本的に持つべき一つの素養であると思いますので、これらが十分に登校拒否によってできないということは、将来の日本にとって非常に私重要な問題になると、こう思っております。それでなくても非常に経済的には豊かになりましたけれども、子供自身の全体のレベルから見まして何かかたわができてきてはいけない、こう思いますので、ぜひその点をお願いしたい。 それからまた、こういう子供は留年制度というのがないというふうに、私は詳しく知りませんから、例えば学校登校拒否で五十日以上行かなくても三年間おれば中学は出してしまうというようになるんでしょうか。それはどうなっているんですか。登校拒否が五十日以内であれば出すのか、あるいは実力がなくても世の中にそれで出してしまうのかどうか。もしもそういう子供がふえてくると私非常に困った問題だと思っておりますが、その点はどういうふうにされるおつもりですか。
○政府委員(西崎清久君) 小中学校、高等学校もそうでございますが、学年の進級、それから卒業の認定は学校教育法の施行規則で、平素の成績を評価してこれを校長が認定するというふうになっておるわけでございます。その平素の成績というものの中には出席日数もございますし、それからテストの結果もございますし、日常の平常点もあると思うわけでございますが、そこは法令上で厳密に出席日数云々のことで五十日という明確な日数を示しておるわけではございません。当該それぞれの学校がそれぞれの各学校段階に応じて当該学校の一応の定めをしておるというのが現状でございます。 したがいまして、御指摘のような五十日という一つの数字であるわけでございますけれども、それを一日でも超えたらすぐ留年というふうな仕掛けにはならないわけでありまして、当該学校の方針と個別の生徒の状況、進級させた場合、五十日を超えて欠席しても進級して十分たえられるということで校長が認定をすれば、それはそれで進級できるわけでございますし、そういう点で児童生徒の状況から見て、やはりこれは留年ということが保護者あるいは児童生徒にとっても幸せであるということで、それぞれ納得ずくで留年ということも制度的にはあるわけでございまして、考え方としてはやっぱり個別の一人一人の児童生徒の状況に応じてその問題は判断してもらいたい、従来こういう指導をしておりますので、この登校拒否児の数が増加して直ちに全部留年ということにつながるというふうには私ども考えておりませんし、留年の数が非常に今ふえているというふうにもまだ聞いておりません。数字ちょっと把握しておりませんが、この点はこれから留年問題は数字の問題としても少し私ども留意して調べてみたいというふうに思っておる次第でございます。
○高木健太郎君 留年しないでここら辺なら出してしまえというふうなことは、それは校長の一存に任されているとすると、私非常にこれよく考えておかなきゃいかぬ。その子供にとっては留年しない方がいいのかもしれませんけれども、結局は社会に出て、その子供は将来とももう追いつけない状態の人間をつくってしまうということになりますから、留年というのは、なおさら留年させると登校拒否するんじゃないでしょうか。そういう非常に難しい問題をこれははらんでおりますから、個々の問題を少し学校別に十分ひとつ御調査いただきたいと、そう思います。 最近、私、NHKの「おはようジャーナル」というふうに思いましたが、埼玉の川口市で自主夜間中学というものが開かれておりまして、子供は見たところ二十人ぐらいおりましたが、それが近所のお母さんとかあるいは学生、お父さんはおりませんでしたが、そういう方々が自主的に夜間中学を開いているわけです。そして、ほとんど一対一でその子供に当たっておりまして、それでお母さん方も、教える側も二千円出すのですね。それから子供さんの方の父兄も二千円を出す。互いにお金を出し合ってまで何か夜間中学を開いている。そこには登校拒否で今まで学校へ行かなかった子供がだんだん行くようになりまして、だんだん社会的なつき合いといいますか、そういう関係がおもしろくなる。そうして勉強するようになる。そういう光景を映しておりました。ごらんになったかとも思いますが。私、その登校拒否の子供を救い上げて、それで一般の社会人として成り立っていくようにするのには、単に専門医に聞くことも大事ですけれども、おのおのに何かやはり原因なりそういうものがございまして、やはり個人的な教育あるいは相談、手間は要るけれどもこれをやらないと救い上げることができないように思ったわけですが、これについては何かごらんになったり、あるいはそういうことございますか。 一般の公立の夜間中学だと、途中からは入れないとか、やっぱり団体としてグループとして教える。そういうところには行かないんです。個人個人で母親と相対するようにしてやると勉強するようになる。今、登校拒否になりやすい状況が実は家庭環境の中にありまして、子供には個室を与える、そこにはテレビもあればそれからビデオもある、それからファミコンもある、いろいろなものがそろっておりまして、ファミコンやっていると全然退屈しない、ますます部屋の中にこもってしまう、そういう子供がだんだんふえている。これも一つの原因になっているんじゃないか。それから、原因はさまざまですけれどもそれを何とかして救い上げてやらないと、また将来の日本をしょって立つ子供たちが非常に私これは危険なことじゃないかと、こう思っております。ごらんになりましたでしょうか。
○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の番組は申しわけございませんが見ておりません。ただ、先生御指摘の問題は、私ども、かつて不動塾という塾で、いわゆる登校拒否児と申しますか、そういう子供たちを預かって、そして民間教育施設として教育をするという塾で、いろいろ事件として取り上げられて社会的にも問題になったというケースがあるわけでございます。この点は、先生御指摘のように登校拒否児についてはやはりいろいろな複雑な要素があるものですから、学校の教員が、これはレアケースですけれども、どこか民間教育施設で引き取ってやってくれれば大変自分は助かるというふうなことで、そして追跡して調査をしたり学校にぜひ出なさいという努力を怠って、どこかの民間教育施設で登校拒否児が収容されていてそこで教育を受けている、こういうケースがかつてあったわけでございまして、私どもは、そういうことでは就学義務の適正な履行にもならぬわけでありますので、昨年のいろいろな指導主事を集めた会議で、特に登校拒否児については、家庭にいるのか、どこかの施設に入っているのじゃないか、そこを受け持ちの先生が把握をして、そして学校でちゃんと教育する責任体制をとるべしと、こういう指導をしておる経緯がございます。 そこで、先生御指摘の夜間中学というケースは、何と申しますか、義務教育が中学になる前の戦前の小学校その他いろいろなケースで、義務教育が、中学が受けられなかった方々について東京都などで特に夜間に中学校としての教育を行っているケースは、これはこれで一つあるのでございます。しかし、今お話しのケースはそういう義務教育としてのいわゆる夜間中学というケースではなくて、どちらかといえば、不動塾とはちょっと似て非なるものかもしれませんが、どうもそういうふうな気配で、親御さんが入っておられるという点では不動塾とちょっと違うようでございますけれども、どうもやはり正規の就学の問題とのかかわりではいささか首をかしげるような姿に受け取れるわけでございますので、そういうことではなくて、やはり学校教育として責任体制で登校拒否児に対応できるように今各都道府県教育委員会と盛んに私ども課長会議を含めてやっておる次第でございますので、今御指摘のような点を含めて、これからのケーススタディーに入れさせていただきたいというふうに思っておる次第でございます。
○高木健太郎君 名前は自主夜間中学というんですね。自主的にやっておるということでございまして、一般の夜間中学なんかにはその子供たちは行けない場合もある。ひとつそういうケース、いろいろのケースがあると思いますが、お調べいただいて、そういう子供が落ちこぼれていって社会人としてやっていけないような子供をつくってしまわないようにひとつ気配りをお願いしたいと思います。 もう一つ、次お尋ねしたいのは、日本が経済的にこういうふうに豊かになってきましたので、外国人の日本で働く人が多くなってきて、それとともにまたその方々の子弟の教育が非常に多くなってくるんじゃないか。新聞でごらんになりましたように、最近フランス人の学校が手狭になってしまってフランス政府から外務省に対して代替地を求めているという話がございました。これもそういう子弟が多くなったという一つのあらわれであると思います。 今外国人の子弟で、先ほど佐藤委員からお話のありました日本の学校へ入る子供がいると思います。日本は、どういうわけですか、いろいろ原因はあると思いますけれども、欧米からいろいろ文 化を輸入した、それによって日本が発展してきたということもありまして、欧米人というものに対してはある程度の尊敬といいますか親しみといいますか、そういうものを、畏敬の念をある程度持っておる。ところが、東南アジアあるいは韓国の人に対しては子供でも冷たい目を向けているように思えるわけでございます。将来恐らく大人の労働者のうちダーティーワークに従事する外国人の労働者がたくさん私は出てくる。今でも五十万人ぐらいいるという話を聞いておりまして、それらはほおかぶりをして、それが東南アジアの人とはわからないような顔をして、おはようとありがとうとだけ言えばいいというふうにして労働者として働いている。そういうことも報告されております。こういう外国人労働者に対する差別感情というものが膨れ上がるおそれが将来あるんじゃないか、これがかえって東南アジアの人々に対して反日感情を持つに至るのじゃないか。そうすると不買同盟というふうに、悪く考えればだんだん悪くなっていくというふうな、私は心配症ですからそういうことを心配しておるわけです。特に子供のいじめの原因として、汚い者、無力な者に対する差別感情が強いように見えます。いじめが子弟に、特に東南アジアの子弟に対してはいじめがその人たちの上に広がることを恐れているわけでございます。 そこで、さきにここに挙げました思いやりの心ということです。私これを十分には読みませんけれども、ざっと読みましたところでは、家庭とか学校内あるいは地域社会の中でいろいろな事例をお挙げいただいて、その解説や指導をしておられて、そして人に対する思いやりの心を持たなければいけない。それを見ますと、何かこれから国際化する世の中、そしてそういう子供がたくさん日本にも入ってくるだろう、そういう世の中に対しまして、家庭という身内、それから地域社会という区域の中、そこでは非常に思いやりがある、愛情もある。ところがその中を外れると案外今度は敵対を持つ。例えば会社と会社が非常に憎しみ合う。会社の中では非常に和をとうとび、お互いに力になり合うけれども、一歩外へ出るとそれはかえって敵として扱うという、そういう感情があるわけですね。私は、思いやりの指導書も非常に結構ですけれども、もう少し広げた思いやりの心あるいは国際化した思いやりの心、今度おつくりになるときにはぜひそういうものを入れていかないと間に合わないんじゃないか、そういうふうに思うわけでございますが、日本がますます国際化する中で、私は、人的開国、人間開国、人の開国ですね。国際化というのは、いろいろ文化を輸入するとかこちらからも出すとか、そういう国際化もありますが、人間の開国、向こうから入ってくるものに対して自分の心を開いておくという人的開国、こういうもののルールをつくっておく必要があるのではないかと私は思います。 特に、アジア諸国との人的交流がどうしても盛んになりますので、そういうものに対する日本人としての対応の仕方というものを子供のときから教えておく必要があるのではないか。関釜連絡船というのは今も通っているそうでございますが、それで大勢の韓国の方がお見えになるわけです。そうすると、下関へ着きますと、そこにはハングル語の看板が一つもないんですね。英語はたくさんあるわけなんです。ところが、ハングル語の韓国語で書いた看板だとか案内だとかそういうものがない。それから英語に比べて、もちろんそうですけれども、韓国語が話せる人が非常に少ない。そういう意味で私はアジアの人に対して将来思いやりの心を持つように、何も韓国とは限りませんけれども、そういうことを心配するものですから、子供のうちから国際感覚、特にアジアの人たちとの交流のために思いやりの気持ち、そういうものをはぐくんでいただくようにひとつ御尽力をお願いしたい、こういうように思います。また、こういうものを今度お出しになるときにはそういうことをぜひその中に含めて、国際人としていかにあるべきか、そういうことをひとつ持っていただきたい、こういうふうに思いますが、いかがでございましょうか。
○政府委員(西崎清久君) 大変大切な視点を御示唆いただいたわけでございますが、確かに帰国子女というだけで、日本に帰ってきた子供たちが同僚の子供たちから差別的な扱いを受けるというふうなことも見聞きするわけでございまして、やはりその点では、外国人がクラスに入ってくるということについての若干の抵抗、違和感、確かにあろうかと思います。しかし本来の学校教育としては、先生御指摘のとおり、そうであってはならないわけでありまして、人間皆平等ということで、この点はやはり道徳教育の問題と、やはりホームルームでございますね。先生が中心になって、クラス全員でいろいろなホームルームの時間で、どの友人とも仲良くしていくというふうな指導が小中学校では特に大切なわけでございます。そのプロセスで、御指摘の思いやりという気持ちを東南アジアの子供たちにも十分向けて、欧米人だけでなくてというふうな観点、これが大切だと思うわけでございます。今直ちに指導資料のいろいろ今後考えていくべき問題は、まだ具体のテーマは考えておらないわけでございますが、先生御指摘の点は少しお預かりをさしていただきまして、何らかの機会で指導の問題として考えてまいる必要もあろうかと思いますので、ひとつ受けとめさしていただきたいというふうに考えております。
○高木健太郎君 どうぞよろしくお願いします。 次に、性教育についてちょっと御質問申し上げます。やはり六十一年の三月、文部省から「生徒指導における性に関する指導」という、そういう本が出ております。これにはその年まで、六十一年までのいろいろな統計資料あるいは実際の問題児あるいは経験例等が記載されておりまして、それに対する指導が非常に詳しく載っております。私もこれでかなりの程度子供に教えることができるんじゃないかと思っております。 その中で総理府の統計資料が載っておりますのですが、見ますと、性交経験者の数が、十四歳から二十二歳に至る各年代におきまして、どの年代においても昭和四十九年から五十六年に至る間に次第に増加しております。毎年増加している、どの年代でも増加しているということです。それから、人工妊娠中絶というのは、総数として、日本人全体としましては婦人の人工妊娠中絶というのはだんだん減少している状況にございますけれども、十代の人工妊娠中絶というのは五十年以来増加し続けておりまして、千人に対して六・五人が人工妊娠中絶を行っている、こういう統計がここに載っております。現在どうなっているか私はよく存じておりませんが、また十代の売春というふうなことも言われているわけでございます。 私は、エイズが最近やかましく言われましたが、そのエイズの関係からだけ考えましても、何も道徳ということを考えなくて、エイズという点から考えましても、これは放置しておけない重大な問題でないかなというふうに思うわけでございます。日本学校保健会から、六十三年三月三十一日付で「エイズに関する指導の手引」というものを出しておられます。私、ちょっと遅きに失したんじゃないか、もう少し早く出すべきじゃなかったかと思っておりますが、お出しになったということについては評価いたしたいと存じますが、どの程度現場の学校、家庭で性教育がアメリカやスウェーデンのようにはっきり教えられて、子供が理解しているかどうかを把握しなければ私は何にもならない。だから、こういう本だけを出して、その成果がどうなっているかということをはっきりしなければ、出したからこれでよいというものでは私はない。ぜひその正確なフォローアップをしなければいけない。もしこういう点について調査結果がおありでしたら、どのような成果が上がったか、それから、毎年どれぐらいそれについてフォローアップしているか、そういう調査がございましたらお尋ねしたいと思います。 あわせて、今後どのような具体的の施策をおやりになるか、その点についてもお尋ねしたいと存じます。
○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の六十一年三月の「性に関する指導」の資料、これはあのときも申し上げましたが、大変評判がようございまして、各都道府県で利用されておるわけでございます。 その後のフォローアップの問題でございますが、全国でこの指導資料とそれから性に関する指導がどういうふうに行われているかという悉皆調査はもちろんまだやっておらないわけでございますが、二、三の例を申し上げますと、富山県の例でございますが、この文部省が作成いたしました指導書に基づきまして性に関する指導の手引書を現在つくっておるそうでございます。つくりつつあるというか、少し時間がかかっておるようでございますが、目標なり指導組織なり事例を入れていくというふうなことで富山県は努力をしておる。そして、教員の研修会でこの十九集という指導の資料を使って教員の指導の徹底を図っているというふうなことでございます。 それから、じゃ、学校はどうかというところが問題でございまして、富山市の奥田中学校、南部中学校等では、指導計画の中にこの文部省作成の資料のいろいろな内容を織り込んで、学校で具体的にこの中のいろいろな検討事項なり指導事項を入れて、学校で実際の指導に使わしてもらっているというふうな報告も受けております。それからまた、高岡の牧野中学というところでございますけれども、ここではやはりいろいろな性教育に関する研究をしていこうというふうな形になっておるわけでございまして、高岡市による研究指定校の指定を受けて、この牧野中学では性教育の重点校としていろいろ研究をしておるようでございまして、そのときにはこの資料を基本にしてやっておる。その成果は、ちょっとまだ私どももらっておらないわけでございますが、いずれこれは私どもも把握してみたいというふうに思っております。これらは一つのケースでございます。 先生第二にお尋ねの、今後性教育に関してどういうふうに文部省としてフォローアップをしていくかという点でございますが、確かに全体の数字としても私ども把握しておりまして、警察庁から聞いておりますところでは、かなり二千件近くの性逸脱行動で補導された女子、少年の状況というのが中学であるわけでございます。高等学校では二千件弱でございますが、これもやはり上がっておるわけでございまして、全国的にも性行動の面での補導された数というものもございますし、それからもう一つは、先生ちょっとお触れになりました妊娠中絶その他いろいろな問題についての理解なりという点での本来的な性教育という問題も大きな課題でございます。これからそれらの点についてどういうふうに私どもとしてフォローアップしていくかについては、少し各県の指導主事を集めまして、これは全員集めるつもりではございませんが、重立ったこの点についての研究をしておる指導主事を集めまして、どういう観点とどういうふうな方法でこの問題のフォローをするかということをやってみたいというふうに考えております。少し時間をいただきまして、その上で性教育に関する実際の現場の指導の現状と今後の課題、もう少し十九集から進んだところでどういうふうに対処するかということを詰めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○高木健太郎君 余り性のことばかり話しても悪いんですけれども、ヨーロッパのある博物館なんかはそういう模型がちゃんとあって、そして実際にどんなふうに男女の性が行われているかということをボタンを押せばわかるようになっている。それを見た日本から行った科学館の館長は、ちょっとあれは行き過ぎかと思うけれどもと言いますけれども、博物館あたりでそれが見られるようになっているわけですね。日本はどうしてもそういうところは隠すことになっている。 ところが、最近の子供というのは、いろいろなテレビとかそういう影響でかなりそういう面は知っているわけなんですけれども、親には隠して中絶をしたりなんかしている。私の教え子なんかの婦人科医は、きょうはもう三人も来たとか、きのうは四人でしたとかと言っているわけです。それはみんな十代の子供なんですね。ここにある何件というような統計は実は報告されたものだけなんでして、隠れて中絶しているというのはこれにはのってないわけです。非常に多くの十代のまだ若い何もわからない子供がそういうことをやっている。それで体を壊しているんじゃないか。あるいはまた非常に恐ろしいエイズにかかるという危険もあるんじゃないか。だから、余り隠してばかりじゃもうだめなんですよというふうなことを私は考えておりますので、今指導主事を使っていろいろ調べてみたいということでございますけれども、これは隠さなきゃならぬ、人前に出せるわけじゃありませんけれども、しかしかといって隠しおおせるものではない。そういう点でどのようにこれから指導していくかを十分ひとつお考えいただきたい、こういうふうに思います。 それから次に、生命倫理のことについてちょっとお尋ね申し上げます。私の友人でやっぱり産婦人科の老大家がおりまして、それが人間生誕の瞬間にあって常に強い生命の感動を覚えるということを私に話しました。述懐しておりました。また、生の終わり、死を迎える瞬間ということを知るということも私は非常に大事な、生のとうとさをまた知ることになる。ところが、最近はそのいずれの瞬間も多くの人はこれは知らないわけでございます。悪い言葉でございますけれども、それは多くが密室において行われている。非常に私、悪い言葉と思いますけれども、密室において行われているというような言葉が使われておりまして、多くの人の誤解さえ招いているわけでございます。生死の時を、生死の瞬間を知って初めて私は生命の尊厳というものがわかるのではないかとさえ思うわけでございます。 最近の医学の進歩によりまして、この生死の倫理は著しく変貌しつつございます。新しい生命倫理というもの、あるいは国際的にはある程度合意された生命倫理というものを幼いときから、小さいときからその年に相応した生命倫理の話について、あるいは生死について少しずつ教えておく必要があるのではないかと思うわけでございます。欧米諸国では小学校のときからいわゆる死学というものを取り入れているわけです。この日本において文部省はどのようなことを、まあこれは何回でも私が申し上げるので、私の顔を見ると死学とお思いになるかもしれませんが、死学というものを、死というものを少しずつ教えていくことが私は大事だと思いますが、どのようにお考えでございましょうか。
○政府委員(西崎清久君) 生命を尊重するという点、死につながる人生の問題でございますが、まず現状でございますけれども、小学校で申しますと、道徳の指導要領におきましては「生命を尊び、」云々、そして「自他の生命を尊重することなど」について内容として教えるということが小学校の道徳には一応入れてございます。それから小学校で申しますと、あと理科で「生命を尊重する態度」、それから中学校で申しますと、やはり道徳でございますが、「生命を尊び、」、「自他の生命を尊重し」というふうなことで、自分の生命のとうとさについても十分理解できないことが軽はずみな行動につながっていく。まあこれは指導者段階でございますが、そういうふうな点で現在の指導要領でもいろいろ生命の尊重のことは書いてあるわけでございますが、昨年の十二月の教育課程審議会の答申で、この点について課程審としても非常に重点を置いて内容を出していただいておりまして、「教育課程の基準の改善のねらい」の第一項目の中で、この第一項目と申しますのは「豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育を図ること」、この改善のねらいの第一項目でございますが、この中で「生命を尊重する心や他人を思いやる心を育てる」と、この点を非常に重点としてこのたびの課程審の答申は出していただいておりますので、今後指導要領をつくりますプロセスにおきましては、先生の御意見も踏まえて、課程審の答申にも即してこの点は少し私ども留意した指導要領の構成を考えてまいりたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
○高木健太郎君 生命倫理のことにつきましては、各大学に、医学部だけではなくて各大学に、これは何も国公私立の区別なく生命倫理委員会というようなもの、あるいは研究委員会といいますか、そういう委員会が置かれているわけですが、それぞれ別々に生命倫理のことをやっているわけです。ところが、生命倫理に関するのは科学が、特に生物学が進歩するとともにもう極めて急速に発展しているわけでございまして、追いかけるだけで大変でございます。そういう意味では私は生命倫理に関する情報収集あるいは研究あるいは討議の場、そういうものをつくるセンターをどこかにおつくりになっておいたらどうか。そこにあらゆる情報を集める。そしていろいろのそこに質問があれば、そこへ問い合わせればコンピューターからすぐそういう情報を得ることができる。例えばスウェーデンでは最近脳死の法律ができました。それは特殊の人は知っているんですけれども、一般の人はそれを知らない。どこの国にはどういう法律があるか、どこの国は体外受精に対してはどういう法律を持っているか、あるいはイスラエルではどうなっているのか、そういうことは我々にはとてもじゃないけれども探すことができない。そういう情報を集めて、これを参考にして日本の生命倫理の確立に資する。こういうふうにしておかないと私は追いつかないじゃないかなと思いますので、特に研究所という改まったものをつくらないにしても、どこかの研究所の中の部門に入れるとか、あるいはどこかにそういう生命倫理研究センターというようなものをおつくりになって情報を集め、研究する。そうして各大学の生命倫理委員会はそこに行けばいろいろな勉強ができる、こういうふうにしておかれないと、もうとてもついていけないんじゃないか、私はこう思いますが、これに対してぜひお願いしておきたいので、御感想をお聞きしておきたいと思います。
○政府委員(阿部充夫君) 御質問にもございましたように、最近は脳死をめぐる諸問題でございますとか、あるいは体外受精卵の凍結の問題でございますとか、生命倫理の基本にかかわるような幾つかの問題が出てまいっておりまして、私ども大変悩む問題が多いわけでございます。これらの問題につきましては、これは私よりも先生の方がずっとお詳しいわけでございますけれども、日本医師会でございますとか、あるいは各種の医学系統の学会でございますとか、いろいろな場で今議論が行われておるわけでございますけれども、御指摘のような各種の情報の収集整理というような面では恐らくまだ十分でないということは御指摘のとおりだろうと思っております。これを今後どういう方向に持っていくかというのはなかなか難しい問題でございますが、こういった分野の学会の関係者、あるいは直接の所管は厚生省かと思いますけれども、いろいろ御意見等も伺いながら私も勉強させていただきたいと思っております。
○高木健太郎君 ぜひそういう研究センターを、ある大学を指定するなりどこかひとつ設けるというふうにお考えいただきたいと思います。そうでないと、とてもそれについていくことができないんじゃないか、こう思うので私からお願いするわけです。時間もありませんから、この後十五分ぐらいのところで間に合うような質問を一つお尋ねしたいと思います。 それはスポーツのことでございますが、一つはスポーツを振興する、それはみんながスポーツをしたいからだということも、文部大臣そういうふうにおっしゃっておりますけれども、やはりみんなが健康のためにはスポーツが必要だということが非常に喧伝をされまして、そしてフィックスですか、だれかがジョギングというものをアメリカで始めまして、それで日本にもジョギングが非常にはやるようになりました。ジョギングというのはぶらぶらと走るということでございますけれども、ぶらぶら歩いても走っても構わないわけですが、日本はジョギングというと走ることだ、こう思っているようでございます。それで、このフィックスは自分がジョギングをしている途中で心臓麻痺で亡くなりました。そこからジョギングというのはこのごろまたはやらなくなりまして、このごろはウォーキングというものがはやっておる。ちっともそこに、どの人に対してはどういう運動が適当であるのか、その運動の適量というものが全く示されていないじゃないか。一方、スポーツということの専門ということになりますと、むやみと走らせたり跳ばせたり、いわゆる選手養成というようなことになりまして非常に厳しい訓練をそれに課する。それは一般の人たちの健康にはほとんど私は役立たない、かえって体を壊すのではないかなというふうにも思うわけです。 それで、私はここでお願いしておきたいのは、スポーツのその人に対する運動メニューというものをつくるように、専門家集団によって何か一定の様式をつくっておかれる必要があるのではないか。私たちなんかよく言っておりますのは、どれぐらいの速さで走ればいいんだ、どれぐらいのスピードで走ればいいんだと。そうすると、あなたはもう六十五か七十だからこれくらいで歩きなさいと。それじゃ私はだめなんですね。同じ七十でも、もうよぼよぼの人もおりますし、元気な人もおるというわけです。そういう場合には、歩いてみてお互いに話ができる程度にいつでも歩きなさいとか、そういうふうなもう少しわかりやすい運動メニューを与える必要があると私は思う。これをぜひつくっていただきたいと思います。そうでなければ、せっかくの楽しかるべき運動によって倒れるということが起こり得るからでございます。これにはたくさん国でも研究班をおつくりになりましたり、あるいは体育大学の人と一般の人との比較とか、そういうことをやっておられて、私その報告もいただいております。今までは何でも運動というのはすればいいというのを、若いうちにやった人はどれぐらい長生きする、年をとってから始めればどうなる、そういうその人の経歴というものもある。それから遺伝的な素質もある。いろいろなものがありますから、私は健康ということと同時に命、寿命ということもございますから、そういうあらゆるものを含めてぜひその運動メニューというものをつくっていただきたいと思います。 横綱というのは非常に体力がいいようでございますけれども、横綱の平均寿命というのは一般の人に比べて十か十五ぐらい短いです。だから、決してあれは健康、寿命というものに対しては、私はいいものではないと思っております。これをひとつお願いをしたいということです。 それから、もう一つ時間がなくなりましたのでお聞きいたしますけれども、国技である相撲なんですけれども、相撲のことを最後にちょっとお聞きいたします。双羽黒が急に失踪してどこかへ行ったわけですが、ところが後でちゃんと出てきて、この間断髪式をやりました。たくさんの新聞記事があのときに出たわけです。私も相撲が好きでございまして、見させてもらっておるんですけれども、あの双羽黒という若い二十四歳の横綱がああいう形でやめたということで、国民、特に若い小学校や中学校の子供に与えた影響は私は大きいと思うんです。最近になりましていろいろな憶測が飛びまして、いや八百長だの何だのというようなのが、週刊誌のことを言ったらまた仲川先生から恐られますけれども、週刊誌にもたくさん載っております。私非常に不愉快なんです。本当はどうなんだということをやっぱり知っておきたいわけです。それで、お互いに理由があるでしょう。いろいろな問題があるでしょうけれども、我々が週刊誌でなければ真相が知れないということではなくて相撲協会に対していろいろお世話をやいておられる文部省として、これに対してどういうふうにお考えなのか。まずこの事件に対する文部省の御見解はどうなのか。それから、相撲協会と文部省との関係はどんなになっているのか。それから、相撲協会から公式に何か連絡がありましたか。 それから、相撲道の刷新というのは、稻葉修先生が最近、三月ももう四、五回でございますが、「この道」というものを書いておられますけれども、いろいろ指導もされていたようですが、文部省としては何かお考えがあるのか。そういうことについて御見解をお願いして、私質問を終わりたいと思います。
○政府委員(國分正明君) 質問が多岐にわたっておりますので、もし答弁漏れがございましたら御指摘いただきたいと思います。 まず最初のスポーツといろいろな事故との関係でございます。御指摘のように、最近ジョギング中に心臓発作等で死ぬとか、そういうようなことがよく報道されるわけでございます。御案内のとおり、スポーツはそれぞれの人の体力あるいは能力、年齢等に応じて行う必要があるわけでございますが、お話にもございましたように、とかくやみくもにやればいいんだろうというような傾向があるわけでございます。また、現実に指導に当たる人たちも、ややもしますと経験主義的な指導に陥りがちということがあるわけでございます。私どもとして同じような問題意識を持っておりまして、昨年の十二月に保健体育審議会で御議論をいただいたまとめをちょうだいいたしました。これはスポーツプログラマーの養成、こういうことでございまして、一般の人たちがスポーツをやる際にどういうスポーツをやったらいいのか。その人の年齢、体力、健康状態あるいは好み等を承って、それにはこういうことから始めたらよろしいだろう、こういういわばアドバイスする人を養成する必要があるのではないかということで、現在答申をいただいて、その制度化の具体的な作業に入っておるところでございます。その場合に、これらの指導者は、単に経験主義というようなことでなくて、スポーツの医科学に関する知識を十分持っていただく、そういう人たちを養成したい。そういう人たちが幾つかの、先生、メニューとおっしゃいましたがスポーツに関するいろいろなプログラムを用意しておいて、この人にはこういうプログラム、この人にはこういうプログラムというような形で、できるだけスポーツを行って逆に健康を害するということがないように今後とも努めてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。 それから二点目の相撲の問題でございます。私どもも相撲協会、財団法人でございまして文部省の所管の法人と、こういうことになっておるわけでございますが、相撲協会の方からいろいろ今回の事件についてのお話を伺ったわけでございます。一口で申しますと、横綱双羽黒が親方と口論して部屋を出ていってしまった、その際若干の後援会長あるいは親方の奥さんに暴力を振るったというようなことでございますが、相撲協会としては親方あるいは親方から報告を受けました相撲協会の幹部が本人に対していろいろ説得あるいは慰留等々を再三にわたって行ったようでございますが、本人が何としても自分はもうやめるということでございまして、その意思がかたいということから緊急の理事会を開きまして、一部処分等の強硬意見もあったようでございますけれども、本人の将来ということを考えまして廃業届、親方と本人から出されております廃業届を受理したと、こういうことでございます。いずれにいたしましても、横綱が体力の限界ということで引退するというようなことでなくて、若くして廃業したというようなことは大変私ども残念に思っておるわけでございます。 なお、一部相撲協会のあり方等について御議論があるわけでございますが、相撲協会におきましても最近におきまして種々改善、改革を運営上も加えてきておりまして、今後とも国民に愛される大相撲という観点から御努力いただくことを私どもとしても心から期待しているところでございます。
○高木健太郎君 エアロビクスというのがあるわけですが、この間ちょっとある機会に、このごろいろいろなスポーツセンターがありまして、そこにエアロビクスというのがあります。NHKでもエアロビクスと言っているんでしょうか。見ているとダンスのようなんですね。しかし、あれをやり出したクーパーというあるアメリカの航空基地におった人なんですけれども、元来はあんなものじゃないわけですね。泳いだり、歩いたり、走ったりというような単純な運動でございまして、そのときの心拍とかあるいは気分だとか、そういうものを測定して、そしてそれが回復するところの時間をはかってそれで五段階に分けて、だんだん段階を上げていって、今度はあなた何百メートルどれくらいのスピードで走ってよろしいというように医師などの運動メニューといいますか、さっき局長言われた運動プログラムですか、そういうことをやるやつなんですね。それがエアロビクスというのが大体有機性の運動という有酸素性運動というわけなんで、酸素が欠乏しないような状態で運動するということなんですね。それが何だかああいうようになっちゃった。誤解されちゃってダンスするようなことがエアロビクスになっちゃった。ああいうのを実に私残念なんですね。だからエアロビクスがこういうものだということをやはり文部省としてはきちんと教えておいてやらなきゃいけないのじゃないかと思うんです。 今の運動プログラムということも同じような意味で、これはエアロビクスがこういうものですよ、プログラムが必要なんですよということをみんなにわかるようにまた指導書でもお出しになって、それでみんなに知らせておかないと、無理して跳び箱を跳んで足を折ったり機械体操で首を折って死んじゃったり、あるいはラグビーがこのごろひどいのですけれども、私ラグビーしておりましたけれども、ここを頸椎骨折を起こしてこれから下動かない。最近あれはフランスじゃなかったかな。フランスの少年ですか。やはりここを自動車事故で折りまして、これから下全然動かない。それがビデオを前に置きまして、自分がシアンを含みましてそれで自分が死ぬところをビデオに撮って死んじゃったわけですね。自分がここから下が動かないということをまことに残念に思って死にたくなったんでしょう。自分一人で死んじゃったというわけなんです。だからこれから下が、せっかく丈夫なこれから伸びるという子供の十八歳ぐらいの子供が、ここが動かなくなっちゃったという子供がラグビーなんかして多いんです。私もラグビーの委員をしておりますけれども、せっかくの運動によってこれから下が動かないような体をつくってしまうということは、たとえ数が少なくても正しい指導は十分しなければいかぬ。指導員はもちろん悪いですけれども、ぜひそういう指導はきちっとしておいてもらわなければいけないのじゃないか、こういうふうに思います。 文部大臣にもひとつその点、倫理の指導、精神の指導、人間の生命尊厳の指導、それから運動、それからセックスの指導、そういうものをやはり私は指導ということが大事だと思うんです。その点をひとつお含みいただき、もし御見解があればお聞きして終わりたいと思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 高木先生、大変いろいろ貴重な示唆に富んだ御指摘をいただきまして、先ほどから拝聴いたしておりました。多岐にわたりますが、その根底には倫理観念をお持ちの先生でございますし、そういうことをよく心に置きまして文教政策の指導をいたしてまいりたいと思います。ありがとうございました。
○勝木健司君 今回の臨教審の関連法案といたしまして、初任者研修の本格実施のための教育公務員特例法並びに地教行改正案、新テスト導入等のための国立学校設置法一部改正案、三種類の免許を新設する教育職員免許法一部改正案、ポスト臨教審法案など幾つかの重要な法案が提出されております。これらの法案につきまして質問をいたしたいと思います。 まず、大学入試問題でございますが、ことしの大学入試もう一部二次募集を除きましてすべて終わったところであると思います。そこでお聞きしたいのでありますが、昨年と比較して改善策、足切り状況などの実施状況も含めて実施方について御報告いただきたいというふうに思います。
○政府委員(阿部充夫君) ことしの大学入試の状況でございますけれども、特に国公立についてのお尋ねかと思いますが、共通一次試験の受験者数が三十九万六千人ということで前年度とほぼ同数でございますが、各国公立大学への出願は昨年の経験等を踏まえてのことかと思いますが、五十八万二千人ということでございまして、前年複数化のときに延べで六十九万四千人に達したのに比べますとかなり少なくなっておるわけでございます。また、ことしは前年度の経験等にかんがみ、あるいは各方面の御要望等も受けまして二段階選抜、いわゆるマスコミ用語で申しますと足切りでございますけれども、こういったことができるだけ少なくなるようにというような配慮から共通一次試験を受けた後で各公立大学への出願を行うというシステムに直したわけでございますけれども、そういったことも影響してかと思いますが、昨年度は延べにいたしまして約九万九千、約十万人でございますが、第一段階で不合格になったという数字がございますけれども、本年度の場合には第一段階で不合格になりました者の数が延べで一万五千人、実数で四千人というようなことで、この関係につきましてはかなりおさまってきたのではなかろうかというふうに見ておるわけでございます。 なお現在、当初合格発表が行われておる段階でございますので、具体に各大学への入学がどういうことになってくるかということはまたこれからの状況を見なければならないと、こう思っておる次第でございます。
○勝木健司君 次に、受験機会が複数化された、また足切りの続出などということで、この間の猫の目のように変わる入試制度の中で受験生また受験生の父母の不安というものが増大しておるように思います。今回の国立学校設置法の改正案におきまして、六十五年新テスト導入を目的とした大学入試センターの改組等が盛り込まれております。しかし聞くところによりますと、私立大学の参加というものが危ぶまれるなど、現在のところ新テストが混乱なく行われるかどうかということは予断を許さない状況にあるというふうに思います。六十五年新テスト導入は予定通り行われるのか、また私大の参加などがない場合には延期も考えておられるのか、お伺いをいたしたいというふうに思います。
○政府委員(阿部充夫君) 入試にかかります問題というのはいろいろな要因がございますので、一概に入試方法だけを手をつければどうにか改善されるというふうにはならない性格のものでございますけれども、臨時教育審議会等でいろいろ御議論がありました場合にも、国公立ばかりでなく私学まで含めた一般的な傾向といたしまして、学力一辺倒と申しますか、学力による一発勝負というような傾向が大変に強い。こういったものに対して受験生の個性、能力、適性というものを、いろいろ多角的な角度から見て判定をするということが今後の入試にとっての望ましい方向であるという判断がなされてきたわけでございます。この点は基本的には従来から私ども考え、共通一次をスタートしましたときの考え方と基本的には同じであろうと思っておりますが、こういったことを具体に実現をしていくための一つの手段と申しますか、手がかりといたしまして新しいテストという構想も出てまいり、これについて各大学が自由に、しかも多様な形で御利用いただくことによって、入試の全体の多角化、多様化という方向が実現していくのではなかろうかというような考え方で、いわゆる新しいテストの構想というものも出てまいっておるわけでございます。 もちろん、入試につきましては一発何かをやればそれで解決するということでもございませんし、特に私学に関しましてはこういった新しいテストについての理解をいただきながら可能なところにおいてこれに参加をしていただくということをねらいとしておるものでございますので、やはりこれは粘り強く、ある程度時間がかかってもそういう方向で進めていくということが大切なことではなかろうかと思っておるわけでございます。そういったような見地から、この新しい入試改革につきましては国公私立の大学はもとより高等学校関係者の御議論も入れながら全体で相談をしていただいて一つの方向を出してきたものでもございますので、こういった方向の実現に向けて文部省としては着実に努力を重ねていきたいと考えている次第でございます。
○勝木健司君 新テストを導入する場合には、受験生の負担を減らして、また各大学の特色を生かすというためにも、二次試験というものは科目数にこだわることなく大幅に減らしていく。また、学力試験よりも面接とか論文とか、あるいは実技などを中心にしたものにするなどという工夫が必要だというふうに思われますけれども、この点につきまして大学側の理解は十分に得られておるのかどうか、また各大学の個性的な選抜への取り組み状況も含めてお伺いをしたいというふうに思います。
○政府委員(阿部充夫君) 先ほども申し上げましたように、大学の入試改革の究極の目的は多様な、多角的な尺度によって入試が行われるようにという、先生おっしゃっているのと全く同じことであろうかと思いますけれども、そういう方向を目指しておるわけでございまして、こういった趣旨からこのテストを考えておるわけでもございます。そういう観点から、このテストを利用される大学の場合に、その大学が独自に行われる、まあ二次試験と申しますか、そういうタイプのものにつきましてもできる限り学力検査の重複になるようなことは避けて、面接、小論文あるいはスポーツ、文化等の各種の分野における諸活動についても適切な評価が行われるというような、それぞれの各大学が独自性を出しながらこういう問題に対応していってほしい、まさにそこに多様な入試の実現、個性的な入試の実現という臨教審の基本に掲げました目標にも合致することになるのじゃないかと思っておるわけでございまして、そういった趣旨で関係の方々に、特に私学の方々等に対しましてはそういう点についての御説明を申し上げ御理解をいただくように努力をしている最中でございます。 なお、特に国立大学につきましては、従来から国公立大学の共通一次試験というのを行ってまいりまして、その時点から二次試験については、学科目をできるだけ減らして二重負担にならないように、学力以外の分野についてのいろいろな工夫努力をしてほしいというようなことで指導助言等も行ってまいりました。かなりの大学におきまして、例えば現在国立大学全体で申しますれば、二次試験で課せられる科目は平均二教科というところまで来ておるわけでございますが、なお、一部の大学では相当学力に偏った試験が行われているというような実態もございますので、私どもといたしましては、そういった大学につきましては大学団体に対し、あるいは個別にそれぞれ今後のこととしてぜひこういう本来の目的に合致するような方向での各大学の二次試験の改革も進めてほしいということをお願いをし、指導を重ねている段階でございます。
○勝木健司君 いずれにいたしましても、六十五年の新テストは実施されるという方向で今進められておるということで、私大の参加も一部あり得るということでよろしいですか。
○政府委員(阿部充夫君) 六十五年度実施ということにつきましては、高校関係者まで含めて、関係者の間の協議の結果として出てきた方向でもございますし、一つの方向を目指して着々と進んでいくということが入試改革にとっては大事なことだと思っておりますので、六十五年度という予定に従って実施をいたしたいと思っているわけでございます。 なお、私学につきましては、かつて昨年の暮れでございましたか、全体の意向についてそれぞれまだ固まっておりませんけれども、大体どんな感じかというようなことを問い合わせましたところ、数十校がこの問題については前向きに検討するというような回答が出てきておるわけでございます。ただ、具体に何年度からどの大学が入るかということになりますと、それはなお今後の各大学での検討の状況を見なければならないと思っておりますが、いずれにいたしましても、高等学校に対する側あるいは受験生に対するアナウンスをする必要等もございますので、今年の夏までには六十五年度に入るか入らないかということについての各大学の方針を明確にしてほしいということで要望いたしておりますので、そういった線に沿って六十五年度実施に向けて努力をいたしたいと、こう思っておる次第でございます。
○勝木健司君 次に、初任者研修についてお伺いしたいと思います。 初任者研修の実施のための教育公務員特例法及び地教行法の改正案についてでありますが、六十二年度におきましては三十二都府県、四政令指定都市で初任者研修の試行というものが行われまして、六十三年度予算では全都道府県、全政令指定都市で本格実施が行われることとなっております。この間の試行というものがうまくいっているのかどうか、またトラブルが生じたという報告はないのか、それに現場の先生方の意見というものはどうなのかということを御報告願いたいというふうに思います。
○政府委員(加戸守行君) 現在、昭和六十二年度からスタートしました試行、二千百四十一名の新任教員を対象として三十六県市で行われているわけでございます。現在までのところ、この試行につきましては試行を始める段階におきまして座り込み等の抗議行動等は若干ございましたけれども、試行に入りました段階で実力行使、妨害等の行動は特にございません。そういう意味ではある程度円滑に行われているものと理解いたしております。さわさりながら試行でございますので、当然試行を受け入れやすい地域あるいは学校を選んだという状況等もございますので、六十三年度あるいは六十四年からの本格実施に当たりましては、そういった十分の理解も得られない地域もあり得ようと思いますので、最大限理解を求めて円滑な本格実施ができるような努力をする必要があるかと思っているわけでございます。 現在、その試行につきましての評価でございますが、全般的に私ども六十二年度の試行終了段階で正式に各県から報告をとることといたしておりますが、既に今までにいろいろ寄せられました意見、あるいは公聴会等で、アンケート等によって調べました結果等がいろいろあるわけでございますけれども、全般的に申しますと、試行対象になりました新任教員が自主的、意欲的に研修に取り組まれまして、資質、能力の向上が著しいという意見が圧倒的多数でございますし、また、この波及的な効果といたしまして、新任教員を守り立てようとする、そういった学校全体としての計画的、組織的な研修指導体制が整備されまして校内の活性化が図られた、あるいは初任者を育てていこうとする雰囲気が教職員全体の中に醸成されまして、教員としての使命感の自覚や教員としてのあり方を考える一つの契機となった、こういったような意見あるいは成果が挙げられているわけでございます。 逆にまた、一面におきまして、例えば試行でございますために新任教員あるいは指導教員につきましての負担の程度が過大になっているというような意見も寄せられております。これは一つには、試行の結果を報告として出すというようなある程度報告義務等がかなり多いのではないかなという印象を持っておりますけれども、それと同時に、いわゆるこの初任者研修におきます研修プログラムの内容がある程度詰め込み主義にならないように精選を図っていくということもこれからの課題として必要ではないかというような御意見もあるわけでございます。さらに一般の児童生徒あるいは父兄に対しますこういった初任者研修制度の趣旨の理解を求めるという努力もなお重ねて行う必要があるであろう、そういったような点が問題点として指摘もございます。 全般的に申し上げますれば、私ども非常に評価は高いと考えておりますが、各般の問題につきましては、今後試行の成果を踏まえましてなるべくそういった手直しをし、問題点を解決し、本格実施に備えたいと考えている次第でございます。
○勝木健司君 初任者研修につきましては一部に反対があるようでありますけれども、反対運動によるボイコット、また形骸化をねらった介入というものが起こるおそれはなしとは言えないというふうに思います。そのようなことが起こらないように万全の配慮をし、また文部省や教育委員会は毅然たる態度で臨んでほしいというふうに思います。初任者研修の実施に取り組む決意というものをここでお示しいただきたいというふうに思います。
○国務大臣(中島源太郎君) 御説のとおりでございまして、これは特にその内容、教育は人づくりでございますので、おっしゃるとおり、その重要さを認識いたしまして進めてまいりたいと思います。
○勝木健司君 次に免許法の改正についてでありますが、今回の改正では教員免許が専修、一種、二種の三段階となることになっております。今回の法案の趣旨、目的を示していただきたいというふうに思います。
○政府委員(加戸守行君) 法案の概要といたしましては、ただいま先生おっしゃいましたように免許状の種類を三種類とさせていただくということでございますが、これは特に現在高等学校では大学院修士課程修了程度の方を一級免許状という形で処遇されているわけでございますけれども、小中学校につきましてはそういったシステムがございません。そういった点もございますが、小中学校におきましてもやはり大学院修士課程修了程度の方を迎え入れる、あるいは現在いらっしゃる教員が二年間の現職研修によりまして、今度創設いたします専修免許状を取っていただくというようなことで学校の中に教員の資質向上を図ろうとする、あるいは研修をしようとする意欲を持っていただこうというようなことをねらいとしたものが一つでございます。 さらに大きな事柄といたしましては、教員の免許状の資格基準を引き上げるということでございますが、これは特に現在の教員に不足がちであると思われております例えば生徒指導に関する問題、あるいは特別活動に関する問題等を学校の必須単位として取っていただくということでございまして、本来の教科事項以外の分野につきまして、教職専門という観点から、免許基準単位の引き上げを図っている次第でございます。さらに、新しく社会人の活用ということで、社会的な経験を積まれ、特別の教科分野につきましての専門家を学校教育の中に招聘するという観点から、教職資格を持たない方に対しまして特別免許状を授与する、あるいは非常勤講師として免許状なしで教えることができるというような制度を取り入れることによりまして、学校教育の活性化、学校に新風を吹き込んでいただく、そんなことも考えているわけでございまして、大きな点は以上申し上げたような事柄でございます。
○勝木健司君 例えて申しますと、例えば専修免許というものは、大学院修了を基礎資格とするものとされておりますけれども、これは大学院修了というのは、専門分野の能力を示すものであっても教師としての指導能力を示すものでは必ずしもないのではないかというふうに思われます。今回の三段階免許は学歴によって教師の間に格付あるいは差別を行うものであってはならないし、またそういうものとして利用されるべきものではないと思いますが、お伺いしたいというふうに思います。
○政府委員(加戸守行君) 確かに今回、専修免許状、一種免許状、二種免許状という三種類の免許状を創設したわけでございますが、大学卒業程度の、いわゆる四年制卒業程度を基礎資格といたしますのを一種免許状といたしました。これを標準的な免許状と考えているわけでございまして、そして今回の専修免許状につきましては、そういった一種免許状を有する者あるいは一種免許状の資格を持つ者が、一つ特定の分野あるいは教科でございますれば教科の一領域についてうんのうをきわめられた、あるいは教職専門の領域につきまして二年間のさらに学問を深められた、こういった特定の分野を専攻された方に対します免許状が専修免許状でございまして、いわゆる標準免許状よりも上位免許状という概念ではなくて、教員のいわゆる児童生徒に対する指導資格としては一種免許状と全く同様でございますが、その上に一定の単位数を、特定の道をきわめられたということを専修免許状として創設しようとするものでございます。したがいまして、今申し上げたような授業に当たりましての資格の差というものはございます。 さらに、一種免許状を取られました方が、在職中に在職経験を単位に換算した上で残りの単位を追加して取っていただければ専修免許状を取得する道も開けているわけでございますから、そういう意味では学歴による差を、ランクづけを学校教育の場に持ち込むという性格のものではないと私どもは考え、そのような意味での提案をさせていただいているところでございます。
○勝木健司君 時間の関係で次に進ませていただきます。 次に、臨教審の四次にわたる答申を実現するため、今国会にいわゆる臨時教育改革推進会議設置のための法案が提出されております。いわゆるポスト臨教審は、臨教審答申で提言されました内容に限って審議し、臨教審答申で十分審議されなかったテーマあるいは新しいテーマを対象としないと伝えられておりますけれども、これは確かでありますかどうか御確認いただきたいというふうに思います。
○政府委員(川村恒明君) この国会で御審議をお願いしております臨時教育改革推進会議の所掌事務に関するお尋ねでございますけれども、この法案でお願いしておりますこの会議は、臨教審の行った答申に基づく「施策の円滑かつ効果的な推進」に資することということでお願いをしているわけでございます。そこで臨教審の答申でございますけれども、答申を実際に見ると、大変これは膨大なものでございますけれども、非常に一般的抽象的な提言にとどまっているものもあるし、具体的な施策についてこれを盛っていることもある、あるいは今後検討すべきということで問題を残したものもあるというふうに、いろいろなものがあるわけでございます。でございますので、その臨教審の行った提言について一般的抽象的にしか触れていないこと、あるいは今後引き続き検討すべきといったような事項について、これをどう扱うかというのが一つ問題になるわけでございますけれども、このお願いをしております推進会議は、そういうものを含めて全体としての教育改革の円滑かつ効果的な推進ということでございます。 そこで、今お尋ねのございました臨教審で全く触れていないことということがありましたけれども、このお願いしております会議は、あくまでも臨教審の答申に基づく施策の推進ということでございますから、教育改革関係で臨教審の触れていない事項というのはほとんどないように思いますけれども、もしそういうものがあるとすれば、それはこの会議の所掌するところではないであろうというふうに思っておるわけでございます。
○勝木健司君 臨教審で審議されなかった部分あるいは新しいテーマということで、そういうテーマについてどこで取り扱われていくのかということでありますけれども、報道によりますと、第十四期中教審を発足させて、そこで審議すると伝えられておりますけれども、これは事実でありましょうか、お聞かせいただきたいというふうに思います。
○政府委員(川村恒明君) 臨教審が全く触れなかった事項というのがもしあるとすれば、教育改革、教育関連であるとすれば、それはそれぞれ審議をする必要が起こった場合には、中央教育審議会でございますとか教育課程審議会でございますとか、あるいは学術審議会でございますとか、それぞれの既存の審議会が設けられておりますから、それはそこで御審議をいただくことに当然なるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。そういう意味で中央教育審議会につきましても、これは臨教審ができるときの若干の経緯がございまして、審議会自体は存続するが、三年間委員の発令をしないということでまいっておったわけでございますけれども、こういう臨教審の答申もございますし、これから文教施策を推進していく上でこれは中教審でやることが適当というふうな事項がございますれば、これは当然中教審にお願いをしなければならない。そういうことで私どもも中教審に審議をまたお願いすることもあり得るというふうに考えておるわけでございます。
○勝木健司君 当初、臨教審を発足さした段階では、総理直属の機関とした理由というのは、省庁にまたがる問題については各省庁の枠を越えて政府全体で教育改革に取り組むことにあったはずであります。教育改革というものが実行の段階に移ったということで、また臨教審でも審議し切れなかったテーマというものが多く残っているにもかかわらず、中教審に審議を移すということは教育改革を文部省の枠内でやるということを意味し、政府全体で総合的に教育改革に取り組むという姿勢、方針から若干後ろ向きの姿勢になったのではないかというふうにうかがえますけれども、お伺いしたいというふうに思います。
○政府委員(川村恒明君) 教育改革に政府全体で取り組むということは何ら変わっていないというふうに承知しておりまして、現にこのたび御審議をお願いをいたします臨時教育改革推進会議は、これは文部省ではなくて総理府に設置をする。総理府に設置をするというのは臨教審と同じでございますけれども、それはこの教育改革の仕事は文部省がもちろん中心ではございますけれども、政府各部全体にまたがる問題ということで、全体的な推進を図るということで総理府に設置をお願いしているということでございます。中教審は文部大臣の諮問機関でございますので、これは文部大臣の所掌にかかわります事項につきまして、文教施策の教育、学術、文化に関する重要施策の推進に必要というふうな判断がある場合には、これは当然中教審で御審議をお願いする、こういうことになろうかと存じております。
○勝木健司君 臨教審で積み残されたテーマでありますけれども、例えば九月入学の問題とか、あるいは大学改革の問題、幼保一元化の問題など社会全体に大きな影響を与える問題があるわけでありますけれども、こういう問題は省庁の枠を越えて取り組まなければならない課題であるというふうに思います。こういう問題に対しても中教審で審議するのかどうかという問題が残るわけでありますけれども、お伺いしたいというふうに思います。
○政府委員(川村恒明君) ただいま御指摘のございましたテーマそれぞれによって事情が若干違うのではないかと思いますけれども、例えば大学の設置形態というお話がございましたけれども、それは昨年の国会で大学審議会の設置をお願いしたわけでございまして、やはりこれは大学審議会で御審議を当面まずいただくのが最も順当ではないかというふうに思うわけでございます。 それから、いわゆる秋期入学と申しますか、九月入学の問題でございますけれども、九月入学につきましては、これはその実施に踏み切る場合には大変に影響の大きい問題でございます。臨教審では基本的な方針として、将来に九月に移行すべきということは御指摘がありましたけれども、それでは具体的にどうなるのか、それを実施する場合にどういうメリット、デメリットがあるのかというふうなことについての御審議は必ずしも十分ではなかったと、こういうふうに承っております。 それで、私どもとしてはその臨教審の答申を最大限に尊重するということで、まず具体的にじゃどういうふうな一体メリット、デメリットがあり、移行していく場合にどういうふうなやり方があるのか。これはやはりかなり実務的な積み上げをまずやっていくことが大切であろう、影響が大きいだけにそういう取り組みはきちんとした基礎的な取り組みが必要であろうと思っておりまして、私どもとしてはこの国会で御審議をお願いしております六十三年度の政府予算案にまずそういう実務的な取り組みをきちんと積み上げていこうというための予算をお願いをしたりしているわけでございます。そういうふうな積み上げができた時点で、これをいよいよ政策課題としてどういうポジションで取り上げるかということになりますれば、それはその時点でまた、それは中教審にお願いするのか、あるいは出てきた結果によってそれはやはりポスト臨教審と申しましょうか、この推進会議でやった方がいいのか、それはその時点の判断になろうかというふうに思っております。
○勝木健司君 ポスト臨教審の構成についてでありますけれども、会議というものは文部大臣の意見を聞いて総理が任命する七人以内の委員で構成することとなっているようでありますけれども、その構成は教育関係者だけでなく、産業界、労働界など広く各界各層の教育改革に熱意ある人材を委員として迎え入れるべきだというふうに思いますけれども、いかがでありましょうかということでありますし、もう一点は、そういう重要な委員会でありますので国会の承認事項とすべきであると思いますけれども、いかがかということであります。 時間もありませんのであわせて質問をさせていただきますと、ポスト臨教審の設置期間というものは三年間ということでありますけれども、このことは三年間で臨教審の提言内容はほぼ完全に実行に移せるということなのかどうか。三年後はポスト臨教審も存在しなくなるといたしますれば、教育改革は再び完全にまた文部省の手に戻ることになるんじゃないか。教育改革というものはこれからが本番であるというふうに考えます。臨教審発足時の問題意識からすれば、これはゆゆしきことじゃないかというふうに思います。政府全体で取り組むことを明らかにしていただきたい。文部大臣の御所見をお伺いしたいというふうに思います。
○政府委員(川村恒明君) 大臣のお答えの前に御説明を申し上げます。 まず、この会議の構成員でございますけれども、この法案でお願いしておりますように「人格識見共に優れた」人という中からお願いをするということで、御指摘のようになるべく幅の広い分野、また国民の各界の同意が得られるような方ということが当然この「人格識見共に優れた者」ということの中で読み取れるのではないかというふうに思っております。 それから、その委員の国会同意の件でございますけれども、これは臨教審の場合と若干事情が異なっておりまして、臨教審の場合は教育全体についての政策的な提言を行うということでございまして、したがいましてその委員の発令に当たってはこれは国会の御同意をいただくことがやはりそういう取り扱うテーマの関連において必要であろうということで、これは国会において法案の修正がなされたというふうに承知しておりますけれども、このたびの推進会議は、臨教審のようにこれから教育改革全体についての政策的提言を行うというよりも、臨教審が行った答申に基づく施策がいかに推進をされるかということについて御審議をいただく、こういうことでございますので、あえてそのためにその委員の任命について国会同意ということをお願いする必要はないのではないかというふうに思ったわけでございます。これは政府に非常に多くの審議会が設置せられておりますけれども、通常はその発令につきましては国会の同意を要しないというふうなことになっておるということもございまして、あえて国会同意というふうな法案の仕掛けにはしていない、こういうことでございます。 それから三点目の、三年間で短いではないか、こういうことでございますけれども、御指摘のとおり教育改革自体はこれは長期的な取り組みが大変必要な課題でございます。三年やったらそれでおしまいというものではないわけでございますし、臨教審の答申もすぐやらなきゃいかぬものもありましたし、また中長期的にじっくりと取り組むべきというふうな御提言もいろいろいただいているわけでございます。でございまして、私どもはこれから二十一世紀にかけてじっくりと教育改革に取り組んでいくということにつきましては何ら変わりはないわけでございますけれども、やはりこれを政策として推進する場合に一応の、何と申しましょうか、目標の期限と申しましょうか、というものを明らかにして、その間にこの改革への取り組みというものをきちんと明らかにするということがやはり政策を全体として進めていく上に非常に効果的ではないかというふうな判断でございます。この三年間で教育改革が終わるということではなくて、この三年間でその臨教審答申、非常に広範多岐な答申に対する取り組みの基本を明らかにするということで三年ということでお願いをしている、こういうことでございます。
○国務大臣(中島源太郎君) いろいろ御質問いただきましてありがとうございました。 今、最後の御質問については政府委員からお答えしたとおりでありますが、私ども今回教育改革の本格実施の年ということで、いつになく多い法案を提出をさせていただいておりますし、できるだけ早く委員会に付託をいただきまして御論議をいただくように、そして速やかに成立が期されますように私どもも一生懸命やりたいと、こう思っておりますが、その推進機関であります臨時教育改革推進会議、この委員はまさにそれだけ重要な部分でありますから、まず国民から信頼を持たれる人選でなければならない。同時に、委員がおっしゃいますように幅広い分野からそれなりの方を選定いたしたいということで、これはおっしゃいますように文部大臣が意見を申し上げまして総理大臣が任命されることでございますから、幅広く御意見を伺いながら、そして責任を持って総理に御進言を申し上げたいと、こう思っております。 当然、これが国会同意が必要かということでありますが、今もう既に答弁申し上げましたように、国会同意を得ましたその委員によりましていろいろな広範多岐にわたります御指摘をいただいておりまして、それを推進する時期に入ってまいったものでございますから、今回はその推進機関といたしまして私の範囲で意見を申し上げたいと、こう思っておるわけでございます。 そして、最後の三年間というのは、もちろん教育は国家百年の大計でございますし、その政策の一貫性も必要でありますが、しかしやはりけじめというものはどこかで必要でありますので、三年間の間に教育改革のめどをしっかり出していきたい、目途をつかみたい、それによりまして一つの区切り一つの区切りで進めてまいりたい、そういう意図のあらわれでございますので御理解を賜りますようにお願いを申し上げておきます。
○下村泰君 今国会の文部大臣の所信というのがございましたけれども、これだけの活字の中に何回読んでも障害者に対する教育のことは「幼児教育、職業教育及び特殊教育」、ここだけなんですね。予算の方を見ますと、やっぱり予算ですから、これはお金のかかることですから、そのことに関してはこれ大分長く書いて、まあ長いといっても知れていますけれども、「特殊教育につきましては、心身障害児の職業的自立のための進路指導等の実践研究を新たに実施するほか、」、ずっと書いて、こんなこともやるし、あんなこともやりましょうと書いてありまするけれども、通り一遍的なこと。かつては映画の名プロデューサーでもあった大臣が御自分の演説をこればかりにして、この障害者の教育のところは簡単に片づけたというのは何か意図があったんでしょうか。
○国務大臣(中島源太郎君) いえ、全く後ろ向きの意図はございません。むしろ下村委員が常に提唱されておりますように、この障害者教育はまさに重要でございまして、まず社会自立を目指していくということを含めまして、その状態あるいは種類その他障害者の段階に応じまして教育を進めていく、まさに適切な教育が必要だということは十分心に置いてございます。特に下村委員が三項目にわたりましていつも説いておられます就学指導の充実あるいは教員の資質の向上、障害者理解教育の推進、これは下村委員のお言葉をいただきつつ、またいただくまでもなく心に置いて進めてまいることには変わりございませんで、今まで以上に推進してまいる覚悟でございます。その所信の中に本当に一行しかなかったというのは残念でありますが、全体が限られた中でございますので、その一行の中から決意のほどを酌み取っていただければ幸いでございます。
○下村泰君 私はそんな頭がよくないものですから、そこまでは読み取れませんですけれども、今の大臣のお言葉で十分だと思います。ただし、それは現場の方とうまくそれがかみ合ってくだされば結構なんですけれども、私、第三次答申があるんですけれども、これはちょっと障害者の教育のところを読んだのですが、「障害者が、家庭や地域社会から孤立しないで、障害の種類と程度に応じた適切な教育が受けられるようにすることを基本として、幼・少年期の段階において社会的に自立するための基礎となる本人のもつ能力を最大限に引き出し、伸長する。」、これは目的みたいなことが書いてあるんですけれども、このア、イ、ウ、エ、オまでがございまして、それで分けて、それについて細かいまた指導的なことが書かれているんですけれども、今の理念の解釈にはこういうふうに書かれておりますね。「障害者に関する施策において重要なことは、障害を有する者も有しない者も共に社会を構成する一員であり、手を携えてより豊かな社会をつくりあげるべき仲間であるという認識のもとにすべての施策が展開されることである。」と、こういうふうに大変またすばらしい文句。ところが、こういうことを言っても、病気の状態を早く発見して、それに適応するには教育だとかなんとかとずっと書いてあるんです。ところが、この辺まで読んでいるととても気持ちいいんです。すばらしいな、この答申はと思う。ところが、おしりに来てがくっとするんですね。「しかし、障害の種類や程度に関係なく誰でも通常の学校に就学させるべきであるとする行き過ぎた統合教育が障害を有する者の真の健全な育成を阻害する可能性のあることに留意する必要がある。」、この一項目で全部だめなんです。御破算になっちゃうんです、これは。そうすると、今度は教育委員会その他でよく問題になる障害児の就学問題、ここにこれが完全に適用されますね。うなずいているところを見ると、もう台本はでき上がりますな、これは、完璧に。どうですか。
○国務大臣(中島源太郎君) 基本的なことを申し上げます。 これはまさにおっしゃるとおりの点はあると思います。ただ、教育基本法でしたか、それぞれ能力に応じた教育を受けられるようにと、こういうことがございまして、ただこの答申の中にも、特殊教育を受けている者あるいは通常の教育を受けている者、これが共同活動の場を得て自然な触れ合いをするようにと、こういう心遣いはいたしておる点もございます。ただ、もう一つは、やはりその種類、それから重度によりまして、私どもが考えるのは、その子供が一体どういう教育を受けたら将来一番幸せであろうか。それを考えますと、それぞれのお子さん方の程度、種類がございますから、それに一番やっぱり即した教育の場をみんなで考えるということも必要でありましょうし、したがって、それが常に同じ場であることが幸せかどうか、これはやはり真剣に考えるべきことであろうと、こう思います。基本的にはそう思っております。
○下村泰君 もちろん、今大臣のおっしゃったことはその⑤の項目の中にも入ってくるわけです。ただ一番の問題は、一番最初に書かれているこの言葉が私は非常に何か事が起きたときに相手を説得させるような項目にこれはなりはせぬか。いわゆる障害児者を持った方の親御さんを説得する場合にこれが一番恐ろしい気がするんです。これは大臣とそれから文部省のお役人さんの感覚と現場と違いますからね。ですから少々問題が起きてくるわけです。で、この答申の中にも、大いに交流の教育をしなさいと。時によっては、たびたび問題になっておりますけれども、土地の教育委員会に勧められて養護学校へ行きなさいと言われても、普通学級に入ってみてどうしてもだめだ、だからやっぱりこれは養護学校に行った方がいいと納得する親もおれば、今度は逆に養護学校を取り消して普通学級に転校したこれは秋田の例があります。こういうことがあるんですが、現場では本当に教育の理念ということがわかっているのかなという疑問が生まれてくるんです。 例えば普通学級と交流しようと。これはどうなんですか。文部省が指導をする、実際の現場の校長先生なら校長先生の単独的な御意見ということで決まるものなんでしょうかね。
○政府委員(西崎清久君) 交流教育という形で、普通の学校と特殊教育諸学校との間でさまざまな児童生徒の間での関連づけた活動が行われるわけでございまして、これは文部省としても指導し、県、市町村の教育委員会も指導しております。それぞれの学校の考え方もございますが、地域的な問題がございます。それから規模の問題もございますし、それぞれの発達段階もございますので、具体的にはやはりそれぞれの地域のそれぞれの学校に応じた校長先生なり先生方の御判断というところがやはり一つの線と申しますか、最終的な取り扱いの判断になろうかと、こういうふうに思っております。
○下村泰君 もちろんお仕着せでやれと言ったってやれない場所もありましょうし、それからやれる場所でありながら校長さんの単独の御意見で、その人の人柄によって時によってはやらない人も出てくる、これは否めませんわね。いかがですか。
○政府委員(西崎清久君) 基本的には私どもの指導も県なり市町村の教育委員会も、校長としては恣意的な判断でやるやらないということではなくて、交流教育をやるべきだという前提で判断をしていただく、これが一つの路線でございます。ですから、やはり校長先生としては交流教育をするという方向で具体の判断をしていただく、こういうふうに私どもは指導もし、今後も努力を促してまいる、こういうふうな考え方でおります。
○下村泰君 ちょっと私、これは新聞の切り抜きなんですけれども、これは毎日新聞なんですが、「障害児を公立校は受け入れよ」という意見で、山崎尚美さん、十九歳、三重県鳥羽市にお住まいのこれは大学生ですけれども、 愛知県で、知恵遅れの児童を一般の公立中学に入学させることに教育委員会がストップをかけたというニュースを耳にした。私は納得できない。 これは、私も取り上げた事件ですけれども、 私の小、中学時代、特殊学級があったが、中学の方では、普通のクラスにも知恵遅れの子の席があった。私も中三のとき、二人の知恵遅れの子と同じクラスになったが、クラス全員助け合って、知らず知らずのうちに、その子たちとふつうの友だちのようになれた。いやそれ以上のものになれたような気がする。不思議と団結力も強かった。みんながその子たちを応援し、その子たちもそれに応えてくれた。みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために―― 障害をもつ子供にとっても、そのまわりの人間にとっても、これは重要な問題だ。本当に本人のためを思うならば、受け入れるべきだ。それが本当の教育ではなかろうか。ぜひその子が入学できるように、私もこの場をかりて訴えたい。 次が「幼児期から福祉教育を望む」、勤労学生、竹村由知さん二十六歳。この方は、滋賀県の甲賀郡。甲賀忍者ですな、あそこは。そんなことは余計なことですけれども、 この夏、一カ月間、大学通信教育課程のスクーリング受講のため、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターに滞在、数日ではあるが、身体障害者グループと生活を共にして、次のような体験をした。 それは、私を含め多くの人たちが、障害を持つ人に気軽に話しかけたり、手を差しのべることができないということである。これには、それぞれの福祉意識や性格が大きく左右していることは言うまでもないが、それ以上に我々が福祉教育を受けていないために、障害者に接した場合に対応の仕方がわからない、ということではなかろうか。 日本は「経済先進、福祉発展途上国」といわれている。経済力に見合うだけの平和福祉国家としての道を歩むべきだと考える。そこで必要なのが国民に対する福祉教育である。 若い世代、とりわけ幼児期からの福祉教育が望まれる。数年後には小学低学年に「生活料」なる教科が新設されるようであるが、その中心に福祉教育が据えられるよう要望したい。 こういう記事なんです。これは、本当にこのとおりだと思うんですが、いかがですか。
○政府委員(西崎清久君) 先生から二点御指摘がございました。 第一点は毎日新聞紙上で愛知の子供さんの投書ということで、中学への問題というふうにお聞きいたしました。ただ内容で伺いますところでは、いろいろ生徒同士の交流とか仲よくとか手を差し伸べてということからすれば、入学させるべきだというふうな結びでのお話であったように伺いましたが、先ほど来お話ございますように、入学させて在籍をさせて教育をするかどうかの問題と、それぞれ特殊教育諸学校の在籍、普通学校の在籍者の交流の問題と、これ二つ別でございまして、私どもとしては入学、在籍の問題は前段でちょっと先生お触れになりましたように、やはり建前としては最終的には教育委員会の判断によってそれぞれ就学すべき学校の指定ということが、もちろん途中で親御さんなり児童生徒の状況、意見を十分参酌するということは必要でございますが、そういうふうな形で行われるべきだという考え方がございまして、愛知の子供さんの御主張が交流教育という意味での相互のやはり手厚い、何と申しますか、配慮が望まれるということであれば、まさにそのとおりだと、こういうふうな感じを持っております。 それから、第二点の福祉教育の問題でございますが、やはり学校教育で今福祉の問題を大切なこととして取り上げておるわけでございまして、ちょっと御参考に申し上げますれば、小学校の道徳のところでは、やはりだれにも親切にし弱い人や不幸な人たちをいたわるとか、特別活動では勤労のとうとさや奉仕の精神などが体得できるように、中学校では公民的分野、社会でございますが、そういうところでやはり福祉教育、特に生存権の問題を中心といたしまして社会保障制度の問題、福祉社会の方向の問題と、こういうふうなことをそれぞれ教科として教えることにいたしております。福祉教育が全く現在学校教育で行われていないということではないわけでございまして、第二にお触れになりました通信教育の青年からのお話として承った内容ではありますけれども、やはり今後我々は御指摘のような点も踏まえて、福祉教育ということはやはり学校教育の中でもう少し重点として、今後の問題としてとらえていく必要はあるというふうに思うものですから、先生御指摘の二点につきまして留意いたして今後努力してまいりたいと、こういうふうに考えております。
○下村泰君 今局長がおっしゃったこと、それも実際のいわゆる交流教育ですね。交流教育の数をふやせば、回数をふやせば、僕は活字の上で教えるより一番早いと思いますね、そういう教え方の方が。 と申しますのは、これは私の経験談を語りますが、頭の中でいろいろなことを解釈しても実際にその場に直面してみなければどうにもならないこともあるんですよ。例えば脳性小児麻痺のお子さんに「猿臂をのばす」という言葉がありますけれども、ちょうどお猿さんが、動物園なんかに行きましてお猿さんのおりがありますが、子供なんかが近づくとぱっとひっかかれますね。あの動きは物すごく早いんですよ、ぱっと。それと同じ動きをする子がいるんですよ、脳性小児麻痺の子で。本人はそんな意識ないんですよ、自然とそうなるんですから。それに私は出っくわしたことがあるんです。びっくりして手を私はぱっと引っ込めたことがある。そうしますと、その御両親が悲しそうな顔をして私の顔を見るのですよ。ちょうどこれはあゆみの箱の運動をしている最中でしたが。このときに私は参りまして、何と言ってわびていいのか。こういうことはとてもじゃないけれども活字じゃ教育できないのですよ、実際にその場に居合わさぬことには。それが私は一番大事なことだと思う。もし日本人全部が、これは理想ですけれども、日本人全部が障害者に対する観念が本当に理解があるような状態になったら、私はいつも言うのですけれども、本当に盲人用の信号機も要らなきゃ、駅のプラットホームのぼちぼちマークも要らぬのですよ。本当にみんながそういう気持ちになれば。 ですから、私はなぜその現場を言うかというと、こういう事件が起きたのです。神奈川県の相模原市立の大学中学校というところで、この学校は六十年の四月からダウン症、自閉症などの精神遅滞児を受け入れることになった。これは結構なことだ。現在は三学年で六人の生徒が研究学級という教室をつくって、そこに入って授業を受けておる。ところが、この三月十一日に卒業式があった。ところが、その卒業式のときに「式場入り口の受付名簿からはずされ、保護者に渡された卒業者名簿にも、三年生三人の名前がなかった。事前に配布された卒業記念アルバムにも三人のスナップ写真がのっておらず、たび重なる事態に、式場で涙ぐんでしまう母親もいた。」と。 そして、父母らが抗議をしたところ、「学校側は「意図的なものではない。父母から指摘されるまで気付かなかった」」、こんなばかな先生いますか。これ、断る理由の言葉だと思いますが、常識で判断して。できないでしょう。しかも校長さんは「今回が初めての卒業生だった」と。障害児を抱えている学校とすれば注目されるじゃないですか、世間からも。しかも、障害児を持った母親たち、親たちにとってはどんな目で見ますか。これがこういう障害児を受け入れている学校の校長の言葉ですか、これは。「配慮が足りなかったことを認めた。」、認める認めないの問題じゃないですよ、これは。相模原の教育委員会の方では「人権問題にもかかわる重大なことだ。徹底的に調査し厳しく対処したい」、当り前だ、こんなことは。つまり現場はこういう感覚なんですよ、まだ。だから、私が先ほど心配しているのはこういうことなんですね。 限られた時間は五十五分だそうですが、別に私は五十五分の時間いっぱいにやろうという気はありません。私も納得いく話をさせていただければそれでおしまいにしますけれどもね。 ですから、こういうこともある新聞の社説に載っています。 障害があるから障害者なのではない。障害があるために普通の人と同じような生活が出来ないから、障害者と呼ばれるのだ。従って、いま社会がしなければならないことは、障害があっても、その人が普通の人と同じように生活が出来るように、世の中の仕組みを変えていくことなのだ――これが、国際障害者年の理念の一つである。 大変すばらしいですよ。ことしまた折り返し点の年でもありますし。 そこで、これ一つだけお伺いして終わりたいと思うんですが、最近、障害者教育に一般の先生方が、一般教員が大変理解を深められて、そのお気持ちを持った人がだんだんふえてきている。これは大変結構なことだと思うんですよ。ただ私問題は、障害者のお子さんたちの面倒を見るの容易なことじゃないです、これは、とにかく。私もさんざんやっていますけれども。そこで、こういう先生方も給料同じなんでしょう、これ。どうなんですか。月給は同じですか、ほかの先生方と。
○政府委員(西崎清久君) 特殊教育小学校を担当の先生方には、特殊教育担当に係る調整手当でございますね、これが支給されております。若干の一般の先生方よりは多い給料が支給されている、これは事実でございます。
○下村泰君 若干という言い方では大したことないですね。それを大したことあるようにしていただけませんかね、これは。これはもう本当にこういう仕事というのはもう並み大抵じゃないですよ。ですから、そういう教育に携わる先生はこれだけのものを差し上げますよと。そうすると無理やりにそういうふうに今度なりたがる先生も出てくるんじゃないか、数もふえてくるんじゃないかと非常に楽しみなんですが、どうですか。
○政府委員(西崎清久君) 現在は八%の手当が支給されておるというふうに承知いたしておりますが、確かに先生おっしゃいますように特殊教育担当の先生方がこの問題でいろいろ御苦労になっておるということは事実でございます。 私思いますには、やはり特殊教育の問題というのは限られた先生方だけがやるということではなくて、いつか先生も御指摘になりましたけれども、一般の先生方も特殊教育については十分理解を持って、そして教育をする必要があるというふうに思いますし、それにはやはり専門的な勉強もしていただかなければならない。そういう点についての努力もあり、実態面でのいろいろ御苦労もあるということで手当の支給があるわけでございますが、余り限られた先生方だけにいたしてしまうのもどうか。やはりいろいろな意味での広い先生方の担当ということを考えますと、余り差を大きくつけてしまうことにも若干問題がある、こういうふうにも思うものでございますから、その点につきましては、にわかにすぐ大幅にアップというお答えはいたしかねるわけでございますけれども、検討課題としてお預かりをいたしたいと思います。
○下村泰君 どうぞ御心配なく、強硬にやってくれと言っているわけじゃありませんから。ただ、そういうふうにしていただけりゃありがたいなと。と申しますのは、結局そういう先生方がたくさんふえてくださって子供さんの面倒をよく見てくれるということになれば、むしろ厚生省も助かるわけですね。厚生省さんの方も助かるわけです。ですからそれこそ厚生省さんの方と話しして、向こうから幾らか予算取って、そして文部省の方でそういう先生方に給与するということも私は一つの案じゃないかな、こういうことを簡単に考えるんですけれども、私の話どうですか、文部大臣。
○国務大臣(中島源太郎君) 大変胸に、身につまされる話でございまして、私も養護学校を参観いたしましたが、通常の教育でもそれぞれの児童生徒には個性がございますけれども、要するに養護学校におられるお子さん方はお一人お一人その種類、程度が違いますし、それから今お元気であっても、ヘッドギアつけておられて、いつ急に倒れられるかわからない。そういう心遣いというのは非常に教師の方々も一つの教室の中でもお一人お一人がマンツーマンのつもりで見ておられなければならないという点では、肉体的ももちろんですが、精神的に非常に細かい神経をお使いでお疲れになるだろうなという感じはいたしました。 したがって、その前の御質問にありましたように、一つは環境整備、例えば建物ですとか雇用の拡大ですとか、障害者なるがゆえに障害者ではない、障害者なるがゆえに通常人と同じことができないために障害者であるという部分をできるだけ物理的にも減らしていき、そして人間的にも減らしていかなければならぬ、これは痛切に感じました。おっしゃる意味はよく理解できますので、心において進めてまいりたいと思います。
○下村泰君 次の質問は次回に譲りまして私の質問はこれで終わりにいたしますが、ただいまの御答弁をぜひ実際に口上だけでなく、内容の伴った障害者教育をひとつお願いしたいと思います。 終わります。
○委員長(田沢智治君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。 午後四時四十九分散会