文教委員会 第4号
- 発言数
- 81 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1987/09/04
会議録
○愛知委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 本日は、臨時教育審議会の「教育改革に関する第四次答申」について、参考人から意見を聴取いたしたいと存じます。 御出席の参考人は、元臨時教育審議会会長岡本道雄君及び元臨時教育審議会会長代理石川忠雄君であります。 この際、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。 両参考人には、御多忙中にもかかわらず当委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。何とぞ、忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いいたします。 なお、議事の順序といたしましては、まず岡本参考人から第四次答申の大要を御説明願った後、委員からの質疑にお答えいただくことにいたしたいと存じます。 それでは、岡本参考人にお願いをいたします。
○岡本参考人 おはようございます。臨時教育審議会の会長をしておりました岡本でございます。 きょうは、先生方大変お忙しいところ文教委員会をお開きいただきまして、ここで私がごあいさつ申し上げることができまして、また、先般来審議してまいりまして提出いたしましたこの「教育改革に関する第四次答申」、これは最終答申でございますが、これにつきましてあらましを御報告申し上げる機会を得ましたことを、まことにありがたく思っております。 御承知のように、本審議会は五十九年八月に発足いたしまして以来、三年間にわたって審議を重ねまして、四次にわたる答申を出し、この八月二十日に設置期間を終了して任務を終わったわけでございます。 この間、文教委員会の先生方におかれましては、終始この教育改革の問題に大変強い御関心を持っていただきまして、常に高い立場から熱心に御審議をいただいて、その結果に応じまして、貴重な御意見あるいは御激励をいただいたり、御叱正をいただいたりいたしてまいりました。この点、私ども審議の経過におきまして大変有益に拝聴いたした次第でございます。この機会に、臨教審を代表いたしまして厚く御礼申し上げる次第でございます。 三年間に逐次答申ということで答申を出してまいったわけでございますけれども、これは御承知のように、全般を貫く方向としては個性重視ということで、具体的には生涯学習体系への移行というようなこと、またそれが教育全般にわたって、幼稚園から大学院までと申しますか、幼児から博士までと申しますか、家庭、学校、社会全般にわたって、広範多岐にわたる改革提言を行ってまいったということでございますが、この第四次答申、最後のところで、これを総括するということでございますが、これはこれまでの答申を全体として一つの位置づけといいますか、そういうものをいたしております。 その位置づけというのは、これは御承知の明治の第一次の教育改革、終戦後の第二次の教育改革と言われるものがございますけれども、この間教育審議会の位置づけとしては、我が国百年の近代化を振り返って反省しまして、それで文明も本当に成長から成熟への移行期であるというようなこと、そういう時点に立った改革であるというようなことで位置づけております。 それで、第一章では「教育改革の必要性」ということでございますが、これは時代的な必要性でございますので、最前申しました成長から成熟へ移行しておるときである、科学技術が大変進歩してきた、国際性の重要性が増してきたというようなことを挙げております。それから二十一世紀の社会というものはどういう問題を持っておるかというようなこと、そういうことを考えまして、今後の教育の基本的あり方というものに関連しましては、教育基本法の精神というものを基本にしながら、具体的にこういうふうにやってほしい、あるべきだということを述べておるわけでございます。 第二章の「教育改革の視点」と申しますのは、そういうふうな改革をいたしますときに、現状から考えてどういう点が大事だということにつきましては、まず今まで八つ挙げておりました考え方を三つに集約いたしまして、その中で重要なのは、やはり個性重視の方向であるということと、それから生涯学習体系への移行ということ、それから変化への対応ということで、これからの大きな変化は何と申しましても国際化が非常に大きな変化である、それから情報化、こういう二つを挙げておるわけでございます。 第三章というのは、これの具体的方策でございますが、これは従来挙げておりましたものを整理いたしたものでございまして、その整理のいたし方は、第一が生涯学習体制の整備というもの、第二が高等教育の多様化と改革、第三が初等中等教育の改革、第四が国際化への対応のための改革、第五が情報化への対応、第六が教育行財政の改革、この六つの項目に分けて今までの答申を整理いたしたものでございます。 それ以外に個別の提言としまして、文教行政というもの、それから入学時期に関する提言、この二つを挙げておりますが、文教行政につきましては、文部省の政策官庁としての機能の強化というようなこと、生涯学習体系への移行への積極的対応、許認可行政と指導のあり方、教育委員会の活性化とか私学行政、高等教育及び学術行政の推進というようなことを挙げておる。 それから入学時期でございますが、これはいろいろ慎重に審議してまいったのでございますけれども、いろいろ考えて、これは将来移行すべきものと考えまして、関連する諸条件の整備に努めるべきである、世論の動向を考えながらその方向に努めるべきであるという提言を行っております。 以上のような答申の概要でございますが、教育改革というものは、本当に国民全体の改革への揺るぎない意志と協力を得て進められるべき息の長い仕事でございますので、よく終わったときに何点だというふうに聞かれるのでございますけれども、私は、まず教育改革の成果というものは本当に息長くしっかり実行していって後にわかるものだというふうに思っております。したがって、このたびのこれが、これからの教育改革の端緒として、本当に政府も国民も挙げて努力していただきたい、そういうふうに思っておりますので、本委員会の先生方も、どうぞ今後ともに相変わりませずよろしく御協力をお願い申し上げる次第でございます。 重ねて、これまでの先生方の御好意に深く感謝申し上げて私の説明を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○愛知委員長 ありがとうございました。 —————————————
○愛知委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。古賀正浩君。
○古賀(正)委員 自由民主党の古賀正浩でございます。 本日は、岡本先生、石川先生、臨教審の大役を終えられてほっとされた中で、また御多用中のところ本当にありがとうございました。本日はよろしくお願い申し上げます。 さて、臨教審の三年間が終わったわけであります。この間におきまして、臨教審の精力的な御活動、御論議を軸といたしまして、我が国にはかってない規模で一大教育シンポジウムが行われたの感がございました。 我が国は、申すまでもなく、世界にたぐいなき教育熱心な国ということが言われております。これは最近に始まったことではなくて、既に江戸時代におきましても、藩校に加えて寺子屋教育の普及等によりまして、例えば識字率におきましても当時から欧米諸国にひけをとらなかったというようなことも言われているところであります。 明治維新後、我が国は、先進欧米諸国に追いつき、近代国家を建設するという至上命令あるいは国家目標に向けまして、その方策として明治政府がいち早く教育制度の整備を心がけてきたということは、緩急順序といたしましても極めて正鵠を得たやり方であったというふうに思う次第であります。あのときから百二十年を経まして、我が国は、途中太平洋戦争後の大変革等の渾身の努力なども行いながら、今日、いわばその初志を一応貫徹したということが言えるのではないかと思う次第であります。世界に名立たる経済大国を実現しまして、追い求めるべき先行者がいなくなりました現在、我が国は、人類のいわばフロントとしてみずからの道を切り開いていくというような段階に至ったということが言えると思います。 このような歴史的な段階に当たりまして、時代の変化、国民の教育に対する切実な要請などに従いまして、我が国教育改革の基本方策に関する壮大なシンポジウムが行われたというわけでございます。 申すまでもなく、教育改革の諸問題は極めて広範多岐にわたる課題でございます。これらについて精力的な取り組み、精緻な御審議をいただき、四次にわたり立派な御答申をまとめていただきました会長初め臨教審の諸先生方に、心より敬意を表し、お礼を申し上げる次第でございます。ただいま会長からごあいさつもいただきましたが、これを拝聴いたしますにつけ、会の論議を集約し、取りまとめられるに当たりまして、いろいろと御苦心が多かったろうというふうに思う次第でございます。 そこで、まず会長に率直にお気持ちをお聞かせいただきたいと思う次第でございますが、会長といたしまして、今回までの答申をまとめるに当たり最も苦心をされました点は何であったのか、そして、膨大な提言でございますけれども、その中の最大のポイントは会長としてどうお考えになっておられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
○岡本参考人 会長として最も苦心した点ということでございますけれども、苦心したと申しますか苦しみましたと申しますか、これは先生方からも絶えず批判を受けておる点でございますけれども、本当に国民が渇くように期待しておる問題に、そのまま特効薬のようなものが出せないということが私は大変苦しみではございました。しかし、そもそもこの審議会は、社会と文化の変化に対応する改革の基本的方策を示せということではございましたけれども、私は、この際にこの審議会ができた一番大きなものは国民のそういう気持ちであったと思いますので、この点すぐそれにこたえるものができないということには大変焦燥感を感じてまいった次第でございます。苦心したというのは、苦しんだというようなことでありましたらそういう気持ちが一番強かったと思いますが、努力しましたのは、バランスのとれた余り偏らないもので、本当に二十一世紀の青少年の道として間違いのないものをつくりたいということに苦心をいたしたわけでございます。 それから、この提言の最大のポイントと申しますのは、何と申しましても個性重視ということでございます。それは、この審議会が百年にわたる近代化の総括としてということでございますと、画一に対して個性重視、それと生涯学習体系ということを大きく打ち出したというようなことがポイントではないかと思っております。
○古賀(正)委員 ありがとうございました。 ただいまお触れになったところに関連いたしますけれども、私は選挙をやる身でございまして、地元におきまして子供を持つ親御さんたちと話し合いをする機会がいろいろございます。そういう中で私が感じておりますことは、最近の特にお母様方の一番の関心と申しますか悩みと申しますか、そういったものほかつてのように家計とか物価とかいうことではないのではないか。ほかでもありません、すぐれて子育ての問題、自分のかわいい子供の教育の問題、そういうことに非常に関心と悩みがあるような気がするわけであります。 具体的には、よく世に言われております年々ますます過熱ぎみあるいは異常な形になってきております進学競争の問題とか、学校におきますいじめや校内暴力等、学校荒廃の問題、そういういろいろな問題がありますし、そのような中で、いかにかわいい自分の子供がすくすくと育ってくれるかということではないかというふうに感ずる次第でございます。 率直に申しまして、臨時教育審議会が始まりました際に、親たちの熱いまなざしというのは、これらの悩みに対して何か即効的な目の覚めるような改革等が出るのではないかというような期待が大きかったのではないかと思う次第でございます。期待が余り短絡的であり、過剰である、あるいはそういう期待は筋違いだよとおっしゃられればそれはそれまででございますし、ただいま岡本先生からも触れられたところでございますけれども、そのような落胆と言えば大げさ過ぎるかもしれませんが、若干の失望感が現在なきにしもあらずの親御さんたちに対しまして、元会長とされまして何か贈るべき言葉みたいなものがあれば、ぜひこの際にお伺いさせていただきたいと思う次第でございます。
○岡本参考人 今おっしゃっていただきましたように、また私が最前申しましたように、本当に子育て中の親の切実な気持ちというものは身に強く感じる次第でございますが、これに即効薬がないということを私はそう簡単に申しておるのではございませんので。 実は御承知の方もおいでになると思いますけれども、入試に関しましては共通一次を委員長として行ったものでございますが、あのときのアイデアは約十三年かかったアイデアでございまして、国大協が取り扱いましてから七年で、私はその間五年間ほど取り扱った。それで、現在入試に関するいろいろな議論のすべてを尽くしておるわけでございますが、それがあの時点ではああいう方向へというのが一つの大きな皆が頼りにした方向でございます。それが、五年ほどするともう既に諸悪の根源のように言われておるのでございますが、この入試の改革というのは、御承知のように明治以来たびたびありまして、昭和のときには学科の全廃、学科さえ試験しない。それも二回やっておりますが、二回とも失敗でもとへ返っているというのが現状でございます。そういう極めて深い過去の実情に即しまして、これは大変なことだ、いろいろな深い問題があるのでそう簡単には解決がつかない、そういうことを私は知っておるのでございます。 それともう一つ、校内暴力、いじめその他の問題でございますけれども、実は私は四年間青少年問題審議会の会長をいたしておりまして、このものずばりの問題に答申を出しておるのでございます。このときも十分審議いたしまして、これは健全育成より仕方がないということも結論を出しておる。 それで、親御さんにということでございますが、私はこの点は何か特効薬がないかと自分も心から思いますけれども、これは大変長く深い問題であって、そう簡単ではない。その意味では、私、最前成長から成熟へと申しましたが、親の気持ちがやはり本当に成熟するといいますか、臨教審はいいことを言っておるけれども、自分の子だけはいい学校へ入れたいという本音と建前の乖離しておる状態ではこれは解決つかないので、やはりそこの辺の自覚というか、そういうものもしっかり努力していただかなければならぬ、そういうふうに思っております。
○古賀(正)委員 どうもありがとうございました。 私、思いますけれども、教育に関しますいろいろな問題は、もちろん最終的には行政が、つまり内閣が責任を負うべき課題であるということでございますけれども、行政自体によってすべてが解決されるというようなことではおよそございませんし、また学校という限られた制度の中で対策が完結するといったようなものでもないというようなことでございます。したがいまして、その取り組みは非常に広範に、行政も学校も家庭もあるいは教職員組合、企業、マスコミその他、もろもろの各界各層の方々が、いわば国民総参加のような形でそれぞれ協力し合い役割を果たす、そういうことが肝要ではないかと思う次第でありますし、また、この改革も制度改革というよりももっと次元の広いと申しますか、国民の意識改革を含めたようなそのような次元での取り組みが要るのではなかろうかというふうに思う次第でございます。 そういう中で、今回の臨教審の御答申が、家庭の活性化とかあるいは企業の協力あるいは教職員組合に対するその節度への期待や呼びかけというようなものをいろいろと含んでおられます。そういうことを非常に多とするものでございますけれども、やはり全体的な教育改革の推進が、いわば国民総立ち体制のような形が不可欠であるということを考えますれば、どうも臨教審の御答申、何かもう少しそういう配慮が足りないんじゃなかろうかな、生意気でございますが、私は素直にそんな感じも持つわけでございます。もちろんそういうことは具体的な施策を実行する段階、次元の話であるというような御認識での御答申のお取りまとめかということも思いますけれども、そのような点につきまして、元会長の岡本先生の御見解があれば敷衍して承りたいと思います。
○岡本参考人 ただいま先生からおっしゃっていただきました家庭、学校、社会への呼びかけですね、そういうものが大事だということにつきましては本当に私も痛感いたしておりまして、その点を十分にということで、特に第四次答申には文章からすべてをそういう方向へやろうじゃないかというようなことも議論してまいった次第でございます。必ずしも十分でございませんでした点はそのとおりだと思いますけれども、ただ文章としては、この一次、二次、三次答申をごらんいただきますというと、家庭に向かって、学校に向かって、それから社会、教育団体に向かってそれぞれ相当な言葉を費やして語りかけております。また同時に、語りかけるということに関しましては、公聴会を開きましたり、それから「臨教審だより」というのは、本当にあれをつくるときのいきさつを知っておりますけれども、やはりこれは国民運動というか、そういうものが大事なんだからひとつわかりやすいものをやろうというようなことでああいうものを出しておりましたり、パンフレットをつくりましたり、それから委員が皆自由に発言してマスコミから伝えるというような相当思い切った方法をとっておるように思っておりますが、私、これにつきましては大変大事なことで、国民意識の改変といいますかそういう問題でございますので、例えばアメリカが行いましたときに、済んだ後、大統領は三十回講演したとか、ベル長官は百回やったとかいうようなこともございますので、今後、私どもの意のあるところをしっかり機会あるごとに伝えるということは大変大事なことだと思っております。
○古賀(正)委員 ありがとうございました。 私どもは、今、臨教審の大変な御努力によりまして我が国の長期的将来まで展望しながら、今から取り組むべき教育改革の方向について、いわば羅針盤をお与えいただいたわけでございます。いよいよいわば教育改革丸が船出をするという段階になったわけでございます。先ほど岡本先生のお話もございましたように、教育改革というのは一朝一夕にして成るものではございません。その効果の発現には長い日時を要するというのがまた教育でございます。私どもは、二十一世紀を展望してというような言葉をよく使うわけでございますけれども、そういう意味におきましては、つまり効果の発現に非常に長期を要するという意味におきましては、教育の分野においては既にもう二十一世紀は始まっておると言っても間違いがないわけであります。そういう意味におきまして、今から取り組むべき教育改革の推進というものは、今後もう遅疑逡巡する余裕がないというものである、非常に急がなければならないというふうに思います。政府におきましても、中曽根総理御自身も、その推進体制等についていろいろお考えもあるようでございますけれども、臨教審の先生方の御苦労、御熱意にこたえて、私ども立法府を含め、国、国民挙げての取り組みが必要じゃないかというふうに思う次第でございます。 そういう中で、今回の御答申の中で教育白書をやってはどうかという御提案がございまして、私は本当にこれは適切な御提案だなというふうに感じ入った次第でございます。今後、答申に沿いまして着実、速やかな教育改革を推進していくに当たりまして、毎年、その取り組みの状況、成果、達成度、問題点などを整理をして国民の前に明らかにする、そういうことが国民に理解と協力を求め、そして行政の取り組みをずっとチェックをして、よりよき効果的な改革を推進していく上に非常に大事じゃなかろうかと、高く評価をする次第でございます。 いよいよこの答申の方針の実行ということに当たりまして、時間となりましたので、最後に元会長に一つお伺いさせていただきたいと思いますが、答申をまとめられました元会長とされまして、今から政府や国民に特に言っておくべきとお考えのことがあれば、最後にお伺いをいたしまして、私の質疑を終わらしていただきます。
○岡本参考人 この審議会の活動を、これから長く始まる教育改革の入り口というか大出発であるとお取りいただきました点は、まことに私たちの本当に望んでおる次第でございまして、本当に今後長くこれを機会に大きく教育改革が国民の課題になっていくことを期待しております。 したがって、政府と国民に対してということでございますが、何といいましてもこの答申が実行されないといけないのでございまして、御承知のようにこの審議会は最初のころよりも後にはだんだん人気がなくなったと言われておりますけれども、私は、これが今後いかに実行されるかということを国民が見ることによって、この審議会への評価というものは格段に変わってまいると思うのでございます。その意味ではとにかく実行していただくことが大事だと思っておりますので、政府は、これの実行に出すべき予算は組んでしっかり出してもらう、それから国民もやはり、最前白書のこともおっしゃっていただきましたように、熱しやすく冷めやすくてもう教育のことは遠くへ行くんじゃなしに、これを機会にしっかり教育のことを考えて、じみな工夫でも一歩一歩重ねていってほしい、そういうことをお願いいたしておきます。
○古賀(正)委員 どうもありがとうございました。時間となりましたので、質問を終わります。
○愛知委員長 馬場昇君。
○馬場委員 「元」と書いてございますが、岡本元会長、石川元会長代理のお二方には、非常にお忙しい中をおいでいただきまして、ありがとうございました。実は私どもは、元会長、元会長代理ではなしに、現職であられますときに、答申されました後に、この委員会で十分議論をしたいということで、この委員会でも要求したのですけれども、皆さんが答申されました大学審議会の法律を審議しておりまして、ついに私どもの要求が入れられなくてまことに残念でございましたが、きょうおいでいただきましたことには心からお礼を申し上げたいと思います。 臨教審が非常に回数も多く、いろいろ精力的にやられたという努力については、私は心から敬意を表することができるわけでございます。 先ほど会長も言われましたように、我が国の社会が成長社会から成熟社会になる、その百年の中で今大きく教育改革をしなければならないんだ、そういう意味で答申したんだ、二十一世紀に向かっての教育改革という意味で答申した。そういうことで言いますと、まさに歴史的な答申になるわけですよね。しかし私は、これが歴史的な答申であるとすれば、私たちの側からも、この答申に対してやはり歴史的な批判、評価というものをきちんとしておく必要があろうというぐあいに思うのですけれども、これはこの委員会の公式な機関では時間もございませんけれども、私は少なくとも二、三の点について私の答申に対する評価をまず申し上げておきたいと思います。 率直に言って恐縮ですけれども、この答申というのは、結論からいいますと国民不在の教育改革論議であった、残念ながら私はこう言わざるを得ないわけでございます。 その第一の理由といたしましては、まず国内外の教育の実態把握というもの、現状をどう認識するかという、国民と一緒にそういうことをする作業というのが非常に不十分であったと私は思います。また、例えて言いますと、今日の子供たちはどうなっておるのかという問題、あるいは子供たちが何を考えておるのか、学校は今どうなっておるのか、家庭教育や社会教育はどうなっておるのか、それを取り巻く地域社会はどうなっておるのかという、国民と一緒になっての現状の把握、分析というものが足らなかった、だから国民不在の教育改革論議になったんだ、私はこう思います。教育改革というのは、まずその実態把握、現状認識について国民のコンセンサスを得て、その上で改革をつくり上げるべきものだと私は思うからでございます。 ちょうど、同時にアメリカでも教育改革を行っておるわけでございますけれども、御承知のとおりアメリカでは現状の調査というのを二年間くらいかかってやっているのですね。そして、その上に学力向上の処方せんという改革をやっておりますね。二年間実情調査に費やしておる。そういうことが行われなかった、不十分だったという点をまず私は感じておるわけでございます。 次の問題としては、先ほどもちょっと議論になりましたけれども、この答申というのは、子供とか青年とか父母などの国民全体の期待にこたえてはいない答申だ、私はこう思います。先ほどもお話しございましたが、非常に苦しまれたというお話もあったのですけれども、現在の教育の最も深刻な病根であるところの校内暴力だとか、荒れる学校とか、いじめとか、偏差値万能の試験地獄だとか、学歴社会だとか、学校歴社会だとか、教育費貧乏と言われる財政の問題とか、こういう問題を国民は緊急に改革していただきたいという気持ちを持っておったわけです。だが、これに対してほとんどこたえていないわけでございます。 さらに言うならば、この答申というのは、子供や親の側に立って考えたのではなしに、教育をする側に立った発想になっております。物言わぬ子供とか青年とかの苦しみが放置されてしまっておる、こういうような感じがいたします。 私は、岡本さんがあるところでお話しになったのを聞いて非常に共鳴したのです。岡本さんはこういうことを言われました。今の教育に何といっても必要なものは、青少年にわかりやすい目標を持たせることであるということを岡本さんがあるところでお話しになったのを聞いているのですが、私は、この答申を見も限りにおいて、子供や若者、すなわち教育を受ける側に勇気をつけるような答申には全然なっていない、こういうような感じがするわけでございます。 いま一つ、これはよく言われておるのですけれども、第一次の答申というのが東京都議会議員選挙の直前に行われた、第二次の答申というのは衆参同日選挙の直前に行われた、第三次の答申というのは地方統一選挙の直前に行われた、こういうことは何と弁解しようとも、やはり中曽根首相の政治戦略というものに臨教審が乗って答申をしたと言っても言い過ぎではない、私はこういうぐあいに思いますし、歴史的な答申であればまだたくさんの歴史的な評価をしなければならぬわけですけれども、時間がありませんので要点だけ私の評価をさせていただきたいと思います。 そこで、質問に入るわけでございます。 今の評価とかかわるわけですけれども、何といっても今問題なのは、学歴社会というものがある、さらにその学歴社会と同等に、あるいはそれ以上に学校歴社会というものがあるわけです。学歴社会、学校歴社会というものがあって、それに向かって受験戦争、入学試験地獄というのがあるというのは、これはもうだれが見ても当然のことでございます。だから、問題は、この学歴社会だとか学校歴社会というものをどう改革するかということなしには、それに向かって怒濤のごとく押し寄せておる受験戦争とか入学試験地獄を解消することはできないと私は思うのです。 ところが、今度の臨教審というのは文部省だけではなしに内閣直属で行われておるわけでございますから、この学歴社会というのは皆さん方の答申によってはすべての官公庁あるいはすべての企業にも影響するはずであるわけですから、例えばこういうことはできなかったのか。学校でいいますと、受けさせる学校、例えば大学とか高校とか、そういうものに試験でランクづけをする、こういうことをやめるというようなことはできなかったのか。あるいは内申書を出すという、こういう学校のもう神聖にして侵すべからざる固有の権限だと今までしておったもの、ここにメスを入れることはできなかったのか。あるいは大学でいいますと大学の学校格差があるから競争も熾烈になるわけですから、大学の学校格差、高校の学校格差というものをなくすことがどうしてできないのか。さらに言いますと、大学で卒業証書なんかを出さないようにしたならば、学校ごとの卒業証書を出さないようにしたならば、学歴社会というものはなくなるはずでございます。こういうことはできなかったのか。さらに、出た場合には免許制度とか資格制度とかまた昇進制度だとか、いろいろ社会にはありますね、こういうものにメスを入れる。こういうことによって、社会と学校の共同の改革で学歴社会、学校歴社会というのはなくせるはずだ、そういうことこそ議論すべきではなかったか、答申すべきでなかったかと私は思うのですが、この点についてはどうですか。
○岡本参考人 学歴社会というものが本当に入試の過熱を招いておるということでございますので、その認識に立ちまして特に生涯学習というものを持ってきたわけです。 それで、この入学試験の過熱、学歴社会というその学歴は、人生の初めのときの学校だけで、どこの学校に入るかということでほとんど一生が決まるというところに問題があるものですから、したがって過熱をするということで、生涯学習、いつでも、どこで学んでも、それが正当に評価されるという社会をつくることが基本的には入試の過熱を防ぐものである。最前から申しておりますように、入試の問題とかいじめの問題はなかなか特効薬はないけれども、これには相当基盤の広く、長い対策が必要でございますので、それの改革に対して、この生涯学習というものを打ち出したのはそういう点でございます。したがって、今おっしゃいますように、そのときにはこれが正しく評価されるということが大事でございますので、資格というものにつきましては、資格試験に学歴をできるだけ排除するというような工夫もいたしております。 その他、今おっしゃいましたようなことで私が特によく申しておりましたのは、入りやすく出にくい大学をつくるということが大事じゃないか。規模は小さくてもそういうトライアルをやろうというようなことで調査したこともございます。さらに採用の問題ですね。これも大きゅうございまして、企業の採用、それから官庁の採用というものにつきましても注目いたしまして、注文もいたしております。また、実際にそれに対しての手も打っておるという次第でございます。 いずれにしましても、この学歴社会というものを打破いたしますと申しますか、入試の改革というものにつきましては、そういう生涯学習というようなものを大きく挙げること、それから大学の学歴社会というものに関しましては、どこを出たということでなしに、大学で何をしっかり学んだかということが大事であるというので、学校の教育をしっかりすること、それから採用に関してはそういうことということで、いずれにしましても、この話が即効的でないということについての焦燥感というか不満があるわけですけれども、これは繰り返して申しておりますように社会のいろいろなところに関連のあるものでございまして、長い改革の歴史をもってしても抜本的な改革は言うべくしてなかなか難しいのでありまして、今後、臨教審が挙げましたような方向に向かって長い努力が必要である、そういうふうに考えておる次第でございます。
○馬場委員 生涯学習というようなことを答申に書いてある、そうすると学歴社会というのはなくなるんだ、学校歴社会というのはなくなるんだ、理念的にそうおっしゃるのですけれども、国民から聞いた場合には全然つながっていませんよ。ああ、それで本当に学歴社会、学校歴社会がなくなるのか、生涯学習でなくなるのですよとおっしゃるけれども、全然そう感じておりません。そこが国民から遊離していると私はさっきも言ったのですけれども、議論をするわけじゃありませんが、少なくとも大学ごとの卒業証書ぐらい出さぬようにする、それ一つやっても大したものですよ。そういうことぐらいやはり言うべきじゃなかったかということをまず思います。時間が非常にないものですから議論できなくて残念ですけれども……。 次に、個性重視の教育というのはどういうことだろうということが、これまた国民にははっきりわかりません。そこで、私は具体的に聞きますけれども、臨教審が華々しく発足しましたときに、学校の教育の自由化論争が行われましたね。この自由化という主張をした人の意見というのはある程度私たちも知っておりますが、この自由化論というのは個性重視の教育でなくなったのかというのが一つ。もう一つは、個性重視の教育というのは、教育基本法に言う人格の完成というものとこの個性重視の教育というものとの関連はどうなっているのか。こういうことについてちょっと説明してください。
○岡本参考人 個性重視でございますが、御承知のように、この臨教審の初めに、自由化論争といいまして華々しく注目を浴びたわけでございますが、あの自由化そのものも、実はあれは相当臨調や行革では熟してきたものかもしれませんのですけれども、我々としましては初めて接する言葉でもございまして、そこに相当習熟した人と初めての人との間に落差があったかと思いますが、あれが御承知の第一部会と第三部会で論争になったわけです。あの論争そのものは、実は教育の改革というものが経済や行政とは違うのだということをシンボリックにあらわしていると私は思いまして、その点あの自由化論争というものをいつまでも観念だけで審議しておってはだめなので、具体的問題に入ればこれだけの二十五人の委員の合意が得られると思って、論争をそこそこにしたわけでございますけれども、あれを個性重視というものの方向へ持っていったということにつきましては、これは大変賢明な方向であったと私は思っております。 それで、個性重視ということと自由化の問題には大変共通な部分がございまして、自由、自律、自己責任というようなものは両方に共通しておりましたので、その点は両者の間に関係はないということはございません。あれによって自由化がなくなったのではないのであって、教育の場においての自由化は、個性尊重という言葉で一番適当でないかというふうに思っております。 それから、教育基本法の人格の完成と個性重視、これはまたさらに密接な関係がございまして、あの答申の中に方々に出てまいりますように、教育基本法の人格の完成というものが十分意識されなかったのは、こういう個性重視ということが行われておらないわけだ、したがって教育基本法の人格の完成をというものを実行するためには個性尊重というものをしっかりやろう、そういうことでございます。
○馬場委員 よくわからないのですけれども、時間が余りありませんので、ではさらに具体的にお聞きしたいのです。 例えば、個性重視というものはこういう間違いを犯しはしないかという点をちょっと心配するのですが、個性、特定の側面においてすぐれた能力を積極的に評価する、こういうことになりますと、エリート教育ということに結びつきはしないか、エリート養成になってしまうのではないか、あるいはできの悪い子は捨ててしまって効率のいい子だけに金をつぎ込んで、個性重視という格好で教育をやってしまう、こういうことに個性重視というのが走ってはいけないと思うのですが、そういう心配はないのか。 さらに積極的に言いますと、難しいことを言わぬでも、個性重視というのは、一人一人の子供の納得するまで教育をしてやるというのが一番個性重視だ、私はこう思うのです。そういう意味からいいますと、四十五人学級ではだめですよね。例えばそれを三十五人、二十人学級にする、学級の人数を減らして、一人一人に行き届いた納得する教育を根気強くやっていく、これが個性重視ではないか、こういうぐあいに思いますし、これは教育基本法にも言っており、憲法でもありますように、とにかくできる子供もできない子供も、どの子供も先生も親も大切にするのだ、子供は一人として大切でないものはないわけですから、こういう教育こそ個性重視の教育でないかと私は思うのですが、これについて、過ちを犯す危険性があるというのと、私が言った納得のいく教育を根気強くやる、それが個性教育の具体的実践じゃないかと思うのですが、どう考えておられますか。
○岡本参考人 個性重視ということにつきましては、むしろもっと問題になりましたのは、悪い個性も伸ばすのかという話がしょっちゅう出ますけれども、これは常識としていい個性を育てることだということでございます。先生がおっしゃいましたエリート、私ども、エリートというものは育てるものだと思っておるのです。それと同時に、劣った者というか、そういう者もしっかりお育てになる。この点は何もエリートだけを育てて劣った者を切り捨てるということではございませんで、個性でございますから、一人一人のそれを大事にするということでございます。 ただ、先生がおっしゃる中で、子供が納得するまでということなのですけれども、私は、今度の四次の答申で、子供は教えられねばならないということをはっきり書いておるのですけれども、子供の納得を待つということ以外に、教育にはやはり納得させるという面がありますので、特に基礎、基本というものにはそういうものがあっていいと思っておりますので、この点、納得するまでということには、なかなかそこまでは、それ以上に、納得させるというものも要ると思っております。 それから、おっしゃいますように、学級のサイズとかそういうものは、やはり先生がおっしゃいますようにできるだけの努力をして、一人一人の生徒に目がきくように、教師もそういう環境で教育ができるように、これは大事なことだと思っておりますので、その努力は今後も続けられるものと希望しております。
○馬場委員 石川会長代理にも御意見があったらぜひ質問にお答えいただきたいとも思います。 ちょっとよくわからないのです、私には。しかし、非常に時間がないものですから。——どの子供も大切ですから、そういうことを中心にして個性重視ということを考えていただきたい。少なくとも個性、エリート的なものを重視、そういうことにならぬように、これはそういう考えだろうと思いますので、その辺は今後の文部省なんかの実践にかかっておると思いますが、ぜひ私の意見を申し上げておきたいと思います。 次に、教育財政の問題について、何かわからぬようなことを書いてありますね。答申で読んでみましたら、「教育改革を真に実効あるものとするためには、政府は、今後、内外の情勢の変化に対応しつつこといろいろありまして、教育改革をするために適切な措置を講ずる必要がある。これはどんなに頭のいい者が読んでも、教育財政をどうせいというのか、さっぱり私はわからない。国民ももちろんわからないと思うのです。そういう中で、あなた方が議論されましたときにこういうことじゃなかったかと思うのですが、中曽根総理の政治戦略というのが「戦後政治の総決算」、その中で行財政改革とか教育改革とか税制改革とかいろいろ言っておられますね。そういう中からこの臨教審も発足したわけでございます。しかし、中曽根さんの言う行財政改革というのとこの教育改革というのは二律背反する課題だと思っているのです。これはちょっと二律背反ですよね。 例えば、あなた方の委員の中でもこういうことを言っておられる人がおる。金はかけずに大改革せよと無理を押しつけられた、その分、動かすものも動かせなかった、ということをある委員がきちんと報道機関に言っておられます。またある委員は、予算が大幅に増額する具体的提言は困ると大蔵省が注文をつけてきた、こういうこともある委員は報道機関に言っておられます。こういうことでは私はあの教育改革はできないと思う。もう御存じのとおり、とにかく日本の子供一人当たりの教育費の父母負担なんかというのは世界一ですよね。そうして今、教育費貧乏だとか教育費地獄だという言葉が流行しておるわけでございます。そういう点について、本当にこの教育財政について何を言おうとされたのか、これを説明してください。
○石川参考人 お答え申し上げます。 臨教審でこの財政の問題を討議したときに、確かにいろいろな意見がございましたし、またいろいろな意見も聞かされたことも事実であります。しかし、臨教審全体の考え方としては、やはりこういった時代の転換期に当たって、新しい時代を我々がこれから迎えなければならない、そのために、過去の教育を見直すと同時に、将来こういうことをやっていかなければ恐らく二十一世紀には対応できないだろう、そういった意味でやはり、教育あるいは研究というような、ハードではなくてむしろソフトの側面に、これからは日本はお金を大きく投じていく必要があるのだ、これは皆さんが一致した意見だったろうというふうに私は思います。 ただしかし、その反面、それならば今までの教育財政の中に見直すべき点が一体ないのかということになりますと、それはそれでやはり考えてみなければいけないということもありまして、その意見もかなり強くあったわけであります。 結局、そういった状況の中で、基本的にはこういった研究・教育の側面にこれからは政府は大きく力を入れて財政措置を講ずべきであるということで、ここに書いてございますように、積極的な意図も幾つかのところでちゃんと示してありますし、最終的には、そのために適切な財政措置を講じろということも言っているというのが、お答えになるかどうかわかりませんが、お答えであります。
○馬場委員 では、具体的に例えば教育予算についていいますと、ずっと国家予算の一一%から一〇%ぐらいに下がってきまして九%台、今八%台になりますね。だから、国家予算が五十五、六兆ありますと一%というのでも大分違うわけですが、中曽根さんになりましてから、例えばこの五年間で教育予算は一千億しか上がっていない。その教育予算の中で人件費は六千億伸びているのです。だから、ほかを食っちゃっているわけです。そういうような中で、聖域という言葉を使っていいかどうかは別として、例えば国家予算の一〇%以上はどんなことがあっても教育予算に使うべきだとか、あるいはGNP比の何%かはやはり、よその国は七、八%使っておる、日本は四、五%ですよ、諸外国のようにGNP比の何%ぐらいは教育に使うべきだとか、ゼロシーリングを今やっていますけれども、少なくともこういうものから教育費は別枠にするのだとか、今軍事費を聖域、聖域と言っておりますけれども、そういう意味で教育こそそういう手だてを講ずべきだ、こういう提言をなされれば、臨教審は尊重しなければならぬということになって設置されているのですから、教育財政は物すごくよくなるし、そこから教育の改革ができていけると私は思うのです。 それからもう一つは、皆さん方の答申を見てみた場合に、教育の条件整備というのは余り出ていない。これも金がかかるから出ていないのかどうか知りませんけれども、具体的にそういう国家予算の何%とかGNPの何%とかゼロシーリングの別枠にするとか、そういう教育費をふやすという議論はなかったか、その辺についてのお考えはどうですか。
○岡本参考人 先生の今のお話でございますけれども、まさにその議論が大変ございまして、私が今石川先生にお勧めしましたのも、実は石川先生は、教育は大事なんだから、せっかく臨教審をつくったのだから、とにかく教育に関してはなにを考えないで、できるだけの主張をどんどんすべきだという主張をおっしゃったのです、今は大変つつましいお話をされましたですけれども。やはり国の審議会でございますので、行政改革ということに関連しましても、それを無視するというわけにはいかないだろうという一般的な気持ちが皆にあったのでございます。ですけれども、私自身もその点はもう少し強いと申しますか、財政というもののサイクルと教育のサイクルは違うのだから、やはり教育に関しては独自に国としては十分なプライオリティー、優先性というものを持つべきであるというようなことは絶えず主張してまいりましたので、おっしゃるような議論は中で十分いたしておりますが、全体として政府の審議会としてこういうところに落ちついたわけでございます。特に基礎研究、高等教育というような項目を挙げまして、これに対しては思い切った重点配分をやれというようなところに落ちついたわけでございます。
○馬場委員 私はやはり、いろいろ議論されたということでございますが、勇気を持ってもう少し抜本的な、これこそ教育改革の目玉だといって、財政問題なんかでも立派な提言をしていただきたかったわけでございます。 次に、大学審議会についてお尋ねしておきたいと思うのですが、これは私どもも、この答申をなさいました直後に飯島部会長に来ていただいて、相当突っ込んだ議論を実はやったことがございます。ところが、この間出ました文部省の大学審議会の法律並びにその説明では、私どもが臨教審の飯島部会長と話したのと大分違うような感じもしましたので、臨教審の意図を大学審議会について聞いておきたいと思います。 まず、これは大したことないといえば大したことないのですが、考えようによっては非常に大したことなんですが、こういう大学審議会の構成と委員の選任のやり方を中心に申し上げたいのです。 中央教育審議会には、委員にはこういう人をやると書いてあるのですね。例えば、中央教育審議会の委員は人格が高潔で、教育、学術、文化に関し広くかつ高い識見を有する者、こういう人を任命するんだと書いてあるんですが、今度の大学審議会には人格が高潔でというのは外してある。——お笑いになるけれども、これはまた文章面だけで考えると、物すごい悪らつな意図が含まれているような気がするのですよ。そういう意味で、例えばどう書いてあるかというと、人格高潔でというのは外して、その後は同じですよ、「大学に関し広くかつ高い識見を有する者」、こうなっているのですから、何で中教審に人格高潔を入れておいて、大学審議会で外すのかということも私考えました。 そこで、また後で質問するのですけれども、臨教審の答申にこういうことが書いてあります、その委員についてですよ。「大学人をはじめ、広く社会の各方面の学識経験者の英知を結集する」、「大学人をはじめ」というぐあいにして冒頭に書いてあるのですね。私はこのことを飯島さんにも話を聞いたのですが、このときの説明で飯島さんは、委員の構成は、委員の多くの基本的部分を大学関係者及び学術関係者で構成する、それだけでは社会的視野が不十分であるので、各界の学識経験者を入れる、こういうことで私たちは議論をして答申をしたんですとおっしゃっております。このことは、やはり大学人、学術関係者、これが主軸であって、その周囲に各界各層の人が集まって英知を出し合う、こういうことに聞いておるわけですけれども、臨教審においてはそのような考え方で答申をなさったのかどうかということをお聞きしておきたいと思います。
○石川参考人 実は先日、参議院の文教委員会にこの大学審議会の参考人ということで呼ばれまして、その際にもお答えをしたのですけれども、これは大学人が主軸にならなければいけないのであります。しかし、大学人というのは非常に見識豊かであっても、社会全般の問題について十分な認識がないかもしれない、したがって社会の各方面の有識者に集まってもらって、大学の将来のあり方、特に時代の変化に対応する大学のあり方を討議して、それを行政に反映する形をとりたいのだということを申し上げました。恐らく飯島さんが言われたこともそういうことであって、余り違いはないと思います。
○馬場委員 私も大学人が主軸になるということに理解しておったのですが、今そのとおりの答弁でした。 そこで、これも飯島さんと、それでは委員の選任に当たっては大学関係者から意見の具申は求めるのですかどうですかというようなお話をいたしましたときに、いわゆる基本的部分を大学人にするのだということでしたが、そのときの飯島さんの話では、基本的部分、主軸の大学人については国大協とか大学基準協会その他、大学の自主的団体とコミュニケーションを持つことが必要であろう、こういうことをおっしゃったわけでございます。この辺について一つ。 時間がありませんのであわせて質問をしますが、もう一つは、これも多分参議院で議論になったかと思うのですけれども、大学審議会というのは個々の大学あるいは大学一般に対して直接助言とか援助ができるのかどうか。私はそういうことができないと理解しておるのですけれども、そのことについてお聞きしておきたいと思います。 今度は逆に、大学側がこの審議会に意見を持ってきて、それを審議会が文部大臣に勧告するということはどうなのかという点についてお聞きしておきたいと思います。
○石川参考人 委員の選任の問題について私どもが考えましたことは、選任をする場合に、特に大学関係者については、先ほど申されました国大協とか基準協会とかいろいろ団体がございますが、そういうところとよく相談しながら文部大臣が決めて内閣の承認を得る、そういう形になるのだろうというふうに私は考えております。 それから、個々の大学に対して大学審議会が、おまえの大学はこうせよとかああせよとかというようなことを言うのではないということであります。これは先ほど申しましたように、大学をめぐる環境は今非常に激変をしつつある。例えば学問の研究分野一つをとっても非常に大きな変化がある。そういうときに、そこで審議されて、大学に対して、こういう考え方がありますよということを言うことはあるけれども、それは別に個々の大学に対してこうせよ、ああせよということではない。つまり大学の自治は当然前提としてあるのだ、大学の改革を行うのは主体的なその大学自身の努力である、そういうふうに考えられていると思います。 それから、大学審議会には委員のほかに専門委員とかいろいろな委員が多分出るだろうと思います。しかし、その方々は、何かの問題を議するときに、いろいろな大学の意見を聞くということは私はあると思います。個々の大学から出された意見がそのまま文部大臣への勧告になるわけでは決してありませんけれども、やはり大学審議会の中で討議をされてこういうふうにしたいということになれば、それが文部大臣への勧告ということになるのだろう、私はそう思っております。
○馬場委員 次に、今度の答申の中で、内容は別といたしまして、私はよかったなと思いました点が一つあります。今まで中央教育審議会とかいろいろな教育を改革する審議会があった中で、文部省自体を教育改革の論議の対象にしたことは私は聞いていない。臨教審が文部省を改革の論議の対象になさった。このことは私は非常によかったのじゃないかというぐあいに思いますが、問題はその内容その他でございます。 この答申を読んでみますと、文部行政は形式的な法律解釈論や通達に流れ、瑣末にわたっていた、こういうぐあいに書いてありますし、岡本会長も談話で、国や文部省にも教育荒廃の責任があるという立場で文部省にも反省を求めた、こういうことを言っておられるわけでございます。 ここで聞きたいのは、瑣末とは何だ、文部省のどういう点の自己変革を求めたのかということも聞きたいのですが、時間がございませんので、例えば具体的に聞きますと、文部省は学習指導要領なんかを、これは法的拘束力を持つのだといって法律を解釈して、そして学習指導要領を法的拘束力だといって押しつけておるわけですし、あるいは従来なかった都道府県教育長を文部大臣の承認制に合しておる、こういうような問題、教育委員も元公選制であったのを任命制にしておるわけでございますが、こういうことについて、これを議論されて、その法的解釈がどうだとかいって瑣末だということになったのかどうか、こういうことも疑問に思っておるわけでございます。 あわせてまた、次のことを申し上げたいと思います。ある委員が、答申をされた後、文部省の改革が教育改革のすべてだということを言われました。私も一部当たっておると思います。それで今後いよいよ、あなた方が答申をされたわけですから、教育改革の方途を検討して実行するのが再び文部省の仕事になってきたわけでございますから、文部省が例えば、あなた方の答申の中で、これは文部省にとって都合がいいというものだけ取り上げてそれを実行して、都合の悪いものは手を抜いてやらない、都合の悪いものの一つに文部省の改革がある、こういうぐあいになったら私は大変なことだろうと思いますし、今まで私が見てきた場合に、一次、二次、三次答申がありまして、文部省が取り上げたのは、例えば初任者研修の問題とか大学審議会の問題、学校教育を管理するとか統制するというようなものだけをつまみ上げて今文部省はやっている、そのほかのことを余りやっていない、こういう面もありますから、最終答申をそんなつまみ食いされたら大変なことになるわけでございます。そういう意味で、文部省改革の議論の内容と、文部省に今後こうあってもらいたいという点についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○岡本参考人 この文部省の改革、それを強く要求したと申しますか、最終答申にまで残して、これはどこまでもやるのだと主張してまいったのは、これは臨教審としては大変大きな意識を持ってまいった次第でございます。 それで、その内容につきましては、政策官庁への移行とか指導助言のあり方とかいうことがございますが、大綱に立って、余り瑣末なことはやるなということでございますのは、先生の御理解のとおりでございます。しかし、指導要領のあり方とか教育委員会委員長の任命とか、そういう問題に関しましては、十分その必要を感じまして、これは事が瑣末であると実は思っておらないわけです。これは大事なことなんだからしっかり維持すべきであるという結論でなにしておるわけです。 その次の文部省の改革は、最前のようなことで、私は絶えず国会へ出まして申しておりますのは、現在の教育の状態というものを悪いと思うなら、これは国、文部省、それから日教組を含む教育現場、自治を主張した大学、それを許した国民、四者が全部責任があるのだから、今おまえが悪いという言い方をしないでみずからが反省するということだということで主張してまいって、文部省だけが残っておるので、これだけはどうしてもやらなければならないと思っておりますが、おっしゃいましたように、文部省は自分の改革でございますので、大学紛争のときもよく言われましたように、自分の座布団は自分で上がらないということでございますので、これにつきましては実行を見守るように今後の体制というものは十分しっかりしておかないといけない、そういうように思っております。
○馬場委員 最後になりましたけれども、基本的なことについて考え方を聞いておきたいと思うのです。臨教審が発足いたしますときに、少なくとも憲法、教育基本法に従って審議をするのだということになっておるわけでございますが、この臨教審答申の基本というものについて最後に私は聞いておきたいのです。 これは憲法、教育基本法の理念の尊重ということに尽きると思いますけれども、憲法二十五条に国民の生存権があるわけだし、それに基づいて二十六条に国民の教育を受ける権利がある。そして、教育というのは教育基本法にのっとって行われるべきだ。その教育基本法の前文に「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」となっているのです。そして、第一条の目的には「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者」、こういうことが教育基本法、憲法の精神でございますけれども、この答申を見てみました場合に、一番力を入れて言わなければならないのはこの憲法、教育基本法の精神、すなわち民主主義の教育というもの、平和教育というもの、そしてそれを実現するための政治教育、こういうものが教育の場で基本的に尊重されなければならないというのが強調されておらなければならなかったと思うのですが、平和教育だとか民主主義教育という言葉が余り出ていない。これは、出ていないからといってそれをないがしろにしろとおっしゃる気持ちはないと思うのですが、臨教審答申の中に、憲法、教育基本法の精神は脈々として流れておると思うのですが、それについてのまとめた御答弁をお願いしたい。 もう一つは、今文部省の話をいたしましたけれども、やはり教育基本法の十条に教育行政についてはっきり出ておるわけです。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」これが教育基本法の第十条でございます。「不当な支配」の最たるものは、国家権力としての行政権力が教育の目的だとか教育方針等の価値決定や実現の過程に介入してはならぬということだと私は思いますし、国民全体に対して直接責任を負うということは、国民の意思と教育が直結しておることであって、国民の意思と教育の間にいかなる権力の意思も介入させてはならない、これが教育基本法十条の意味だろう、こういうぐあいに私は思います。そこで、憲法、教育基本法の精神というものがこの答申で貫かれておるかどうかということについて、最後に聞いておきたいと思います。
○岡本参考人 御承知のように、この審議会が設置されました基本には、教育基本法の精神にのっとりということがございますので、会長である私としましては、これは本当に全体を貫いて注意してまいった次第でございます。したがって、教育基本法を大きく分けますと、大きく分けるといいますか、記述を見ますと「人格の完成」というものがございまして、これはどこまでも個人というものに着目した一つの目的を述べたものでございます。その中に包含しておる内容は当然皆尊重すべきものでございまして、その点は、このたびの臨教審におきましても、個性尊重の原理と申しますか原則というものでそれを十分表現し得る、またその説明もいたしておる次第でございます。 それから平和、民主主義ということでございますが、教育基本法には平和的な国家の形成者としてのという領域もございまして、この部分が大変大事でございまして、私はこのたびも、これからの教育のあり方のところに、まず最初に、教育基本法にも言っておるとおりという言葉を入れまして、この人格の完成と平和的国家の形成者としての国民というものをきちっと挙げておるのでございまして、その点、このたびの審議会の基本的な要件といいますか枠組みの、教育基本法の精神にのっとりという点においてはこれでよろしいというふうに思っておる次第でございます。 なお、行政の教育内容への介入ということでございますが、これは繰り返しどこでも言われておりますとおり、やはり国民の教育というものを国家の機関に委託してそれを行政が行っておるという一つの太い筋がございますので、それをもって行政の教育への不当な介入であるというふうには解さないというのが私の理解ですし、また一般にそういうふうに思われておると考えております。
○馬場委員 憲法、教育基本法、特に教育行政については、今の会長の意見と先ほど言った私の意見と違うのですけれども、少なくとも憲法、教育基本法の精神が脈々と生きた教育改革でなければならぬということは、ぜひ、今もう元会長になられましたけれども……。 そこで、最後に元会長、元会長代理について、教育改革はあなた方はこれが出発点だとおっしゃっているわけだから、答申されましたものは、今後のものについては関心もおありだろうし意見もあられると思いますが、一言、ポスト臨教審問題について文部省で今いろいろ議論が行われているようですけれども、少なくとも中曽根総理が言う「戦後政治の総決算」、その中の行財政改革、税制改革、教育改革、そういう中に踏み込んだようなポスト臨教審というのは私はつくるべきではない、こういうような考え方を持っております。どういうものがどうなるか、今議論されておるようでございますけれども、ぜひ今後文部省の改革だとかそういうことに十分留意をされまして、その意図と違うとかなんとかというのがあったときにはどんどん発言をしてくださいということをお願いをして、私の質問を終わります。
○愛知委員長 有島重武君。
○有島委員 公明党・国民会議の有島重武でございます。 三年間にわたりましての臨時教育審議会、先月二十日をもって終了なさった、こういうことでございます。本当に長い間、御苦労さまでございました。せっかくの御努力が実りますように、また教育改革というのはこれから長い道でございますけれども、それが後日の道しるべとなって、また戒めとなるように、私たちもこれを受けとめてまいりたいと思っております。 きょうは九月四日ということで考えますと、総理からの諮問をもらったのが五十九年九月五日付でございますね。ちょうど三年目ということです。そして、きょうはまた衆議院の当文教委員会に元会長、元会長代理、事務の方にお出ましをいただいたわけで、私どももまた、この会議が次のステップとなるよう、何か意義あるものに努めてまいりたいと思っておる次第でございます。 そこで、恐らくいろいろおまとめをなさっておられる、もう後は知らないよというわけにもいかないからまとめていらっしゃると思うのですけれども、この答申を出されましたその背後にありますいろいろな御議論、これについて文書としてお残しになる、そういう作業をやっていらっしゃるんじゃないかと推察するわけだけれども、いかがでございますか。
○岡本参考人 おっしゃいますように大変貴重な資料でございますので、これは資料は資料として保存いたします。それから、それは公文書館に全部保存いたす所存でございます。
○有島委員 私どもは、臨教審に対してその発足以前から、数えてみますと十五回、いろいろな申し入れだとか談話だとか、直接お話し合いをさせていただいた場面もございましたけれども、ただ、我々の機関紙上にその趣旨を載せたとか談話の形とか、いろいろな形でもって申し上げたことがございました。それは恐らく伝わっているんだろう、確かに手ごたえのあった点も幾つがあった、こういうふうに思っておりますけれども、これは実は昨日うちでまとめてみたのです。こんなにたくさんあったのかな、こういうことであります。そちらにも恐らく資料があるかもしれませんけれども、これは改めてまとめて元会長にお渡ししておきたいと思います。 この委員会というところは、本当は参考人や何か来ていただいていろいろお説を承りながら注文をつける、こういうことでございますけれども、もう終わってしまったことなんだから注文をつけるというわけにもいかない。しかし、今後のこととして、先ほど申し上げましたように戒めとしていきたいし、しるべともいたしてまいりたい。そうなりますと、反省すべき点もいろいろおありになるんじゃなかろうか、そういうことを率直にお話しいただければありがたいな、こう思っております。 それで、第二臨調というのがございましたけれども、第二臨教審というようなことがもう既にちらちらと話題に上っております。もしそういったさたがあればまた喜んで引き受けよう、こうお思いになりますか。
○岡本参考人 最初の反省ということにも関連いたすわけでございますけれども、このたび初めてあの審議会を主宰いたしまして、大変大事なことは、その審議会でやる内容をよほどはっきり、しっかり決めて、そしてそれに即した委員をしっかり選ぶということだろうと思います。その点、反省といいますか今後大事なことだと私は強く思っております。 これからできるものについて、私がどう、我々がどうというようなことは全く申し上げるあれではないと思っております。
○有島委員 岡本先生はそうおっしゃったけれども、石川先生はいかがでしょうか。もう臨教審は解散されてしまったわけだから、お一人お一人全然関係はないと言ってもいいわけですからね。
○石川参考人 反省すべき点というのは、私もやはり一つ、二つではないのでありまして、いろいろございます。しかし、これは死んだ子の年を数えるようなものでありますし、また私自身の個人的な心境にわたるものもありますので、余りここで申し上げることは控えさせていただいた方がよろしいのではないかと思いますが、一つには、委員会の構成とかいろいろな問題がありました。 それから、次の第二次臨教審ということは、まだ何も私は聞いておりませんし考えたこともございませんので、それはどういうふうになるのか、ちょっと今ここで申し上げられないということでございます。
○有島委員 しつこく聞いて申しわけないけれども、もしそういったおさたがあればお受けになるかどうか。
○岡本参考人 極めて率直な御質問でございますが、ただいまの私の心境では、くたびれ切りましてもう懲り懲りであります。
○石川参考人 有名な国会答弁の言葉にございますけれども、やはり仮定の問題にはお答えできないということでございます。
○有島委員 その必要が全くないと思っていらっしゃるのか、あるいはその必要があろうかと思っていらっしゃるのか、そういったことも含めて伺いたかったわけですけれども、余りしつこいと失礼ですから……。 そこで、先ほども話題に出ておりましたけれども、臨教審が政治に引きずられた形跡があるんじゃなかろうかということがしばしば言われましたし、私どももそう感じております。第一次答申は都議会の選挙の前であった、第二次答申は衆参ダブル選挙の前であった、それから第三次答申は統一選の前であった、こういったことが言われております。そういった政治日程に少々引っ張られて、こういった政府の審議会というのはなかなかしんどいなというふうなことをお思いになりましたか。
○岡本参考人 お答えいたします。 私は、このたびの審議会の位置づけに関連して、過去の日本における教育審議会の歴史みたいなものも注意して見てみたのです。文部大臣だけのものと総理の直轄のものとがございまして、全体で十二、三ございますが、六つか七つが総理直轄のものでございます。私は、そのときの政治に無関連にこういうものができるとは思っていないのです。ある程度は政治の要請によって起こるということは当然だろうと思っております。政治家の皆さんは本当に国民の将来をお考えになって、そしてそこでまとめて提案なさるので、これを単に政治と教育という面でとるのでなくて、国民の必要性を代弁されるということでとっておるので、私は腹からそう思っておるのでございまして、その点は、政治の方から提唱されて教育審議会ができることは当然だと思っております。 そこで、このたびのがいろいろ政治日程に引っ張られたということでございますが、私はそういう気持ちが元来根本的にない男なものでございますから、一次答申、二次答申、三次答申とまず全体を分けて、こういうことになるのかなと思って逐次答申というものの性格において今日に参りましたけれども、それをひっくるめて、これが政治日程で使われたのだというふうなことを言われておることも知っておりますが、臨教審自体としましては、逐次答申というものに基づいて、そのときそのときに答申を出す意義というものをしっかり合意して出してまいったということでございます。ただ、三年というもので全体をレビューするのは大変忙しいことでして、この点は大変忙しい審議会であったということを痛感いたしておりまして、疲労こんぱいいたしておる次第でございます。
○有島委員 委員の選定につきまして、後日またこうした種類の審議会をつくる場合の委員の選定の仕方ですけれども、今度の場合に、会長、会長代理の方々がまあまあお決まりになって、その方々が一つの御見識をお持ちになってメンバーを相当お集めになるというようなことは、多少はあったのか、全くなかったのか、今後は従来どおりの方式でいいのか、そういった点についての御意見を率直に承っておきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
○岡本参考人 このたびの審議会では、委員の選定につきましては、御承知のとおり正委員と申しますかこれは選ばれて出てまいったということでございますが、ただ、専門委員の選定に当たりましては、文部大臣のなにによって総理大臣ということになっておりますけれども、その文部大臣は会長にお聞きになって選定されたといういきさつでございます。 さて、今後でございますけれども、もし今後そういうものができることになりましたら、最前申しましたとおり、やる目的をはっきりしてそれに応じた適当な委員をしっかり選ぶということが大事だ、こういうことが私が申し得るすべてでございます。
○有島委員 今の専門委員の方じゃなくて、レギュラーメンバーの方々のことに限って申し上げた場合に、今までの方式が最上であるのか、あるいは四、五人の核の方を決めておいて、あとは幅を持たせてもらうという人事のあり方の方がよろしいとお考えなのか、そういうことは言うべくしてできないから、決めてもらったその中でやりましょうということは仕方がないことだとお思いになるのか、この教育の問題に限って言った場合にどういう御意見をお持ちになっているか、もう一遍お聞きしたいと思います。
○岡本参考人 私は、このたびのは法律で委員は総理が選んでというふうに決まっておるものだと思っておりまして、その点、これがどうであったということは法律に従ったものだというふうに思っております。今後それをどういうふうにお考えになってどういうふうに変えられるかということは別でございますけれども、それぞれ慣例もあって行われるものだろうと思っておりますが、最前の大学審議会のメンバーにいたしましても、およそすべてに関連してこの問題は重大でございまして、それぞれのときに最善の道がとられるというふうに考えておる次第でございます。
○有島委員 委員の皆さん方、専門委員の皆さん方、事務局の皆さん方、また関係者の多くの皆さん方も本当に御苦労さまでございましたが、事務局につきまして、これは余りにストレートな言い方になるかもしれませんけれども、この事務局が文部省にある。しかし、会長が全く別に固有の事務局を持つということがいいのじゃなかろうかと私たちは初めは考えたわけです。そして、申し上げたこともございました。結果は、文部省の中にある、文部省の手に握られておるというか、そういうことでございました。この次にこの種の審議会をやるとした場合に、その事務局のあり方について、事務局の決め方について何か御意見がおありになったらばお教えいただきたい。
○岡本参考人 事務局のあり方というものは大変大事でございまして、御承知のとおり、このたびは、審議会の出発に当たりまして、従来の各省にあるような審議会と違って、事務局に引っ張られてそれの決めた軌道の上を歩むようなことはするまい、事務局は黙っておれということを主張して出発したのでございましたが、実際は委員だけでやってみますと本当に大変なものなんです。第一次答申を出しました後で、これは大変難しい大課題だと思ったのが実感でございます。しかし、これを貫こうという努力をいたして今日に参ったのでございます。事務局というものはそれくらい力を持っておりまして、その助けを得ないとなかなかやれるものじゃないのですけれども、助けられることはしながらも、それに盲従しないというか主体性をしっかり持つということは、これはまさに委員の資格としたら、人格高潔というのはこういうことじゃないかと私は思うのですね。それは私はできることだと思っています。私、事務局がどうしても聞かぬでどうにもならなんだという経験は一つもしておりません。これは最初にああいう宣言をしたこともあったのでしょうか、事務局がむしろ大変遠慮しまして、その点でもう少し頼るものが欲しかったともいいますか、本当に事務局に左右されてということはございません。これは何か、私が事務局と近いようなことを言うた委員があるとかなんとかということもありましたけれども、私はその点には努力もいたしましたし、そういう心配は全くないというふうに私は思っております。
○有島委員 石川先生、ちょっと同じ問題で申しわけないんだけれども、今後の問題といたしまして、やはり事務局というのは、行政側あるいは行政からの人材をいただくということの方がいいのか、あるいはシビリアンでもって構成する、これはお金がかかるかもしれませんけれども、そっちの方がベターなのか、今後の問題としてどんなことをお感じになりましたでしょうか。
○石川参考人 今、元会長が言われましたように、今回の臨教審の事務局に限っては、むしろもっと遠慮しなくてもいいんじゃないかというふうに私が感じたくらい実は遠慮がちでありまして、それで必要なことを十分やっていただいたというふうに私は思っております。ですから、こういう形なら別に今回の臨教審のようで差し支えないと私は思いますけれども、これはやはり事務局を構成する人の人柄にもよることでありまして、全部が全部そのとおりいくかどうかはわからない。しかし、行政側の担当しているいろいろな人なしに事務局を構成するということは全く難しいだろうという感じがいたします。ただ、そこに例えば外からの人を、専門的な人を何人か入れてやるというようなことはできるだろうと思いますけれども、行政側から人材が来ないで事務局を構成することはできないだろう、私はそう感じております。
○有島委員 当初、文部一省では解決できないような問題を扱うんだ、こういうことでございました。それは一体何だということで、中教審でもってできる範囲と、臨教審じゃなかったらできない問題は何だというようなことは、随分繰り返された質問でございます。ここでそれを蒸し返そうとは思いませんけれども、一つの反省としてあるいはこの後の道しるべとして、やはりずっと現実とすり合わしていくと、しりすぼみになったということを我々は感じておる。それから一般にそう評論もされておる。岡本先生、石川先生としては御反省をお持ちなんだろうかどうなのか、お願いします。
○岡本参考人 初めに比してしりすぼみになったということにつきましては、国民一般は、自分のかかわるような問題点に特効薬を出さないということで、そういうことになったと私は思います。それから臨教審内部で、これは単なる文部省内部の審議会でなしに全般にわたってだという意味で意気込んでおったのが内部的にしりすぼみということはございませんので、この点はこの審議会の提案として、文部省以外の省庁の協力がないとできないというようなものを羅列して統計をとってございますけれども、相当ございます事実につきましても、その点は決してしりすぼみはしておらないと思います。ただ雰囲気として、初め大きく皆から期待を持たれておったのが鎮静をしてきておるという事実は認めますが、これに関しまして、これが実行される段階で再びこれに対する信頼が起こってくるというのが現在の私の気持ちでございます。
○石川参考人 各省庁間にわたる協力の問題というのは、私は答申の中にかなりたくさんあると思います。例えば生涯学習の関係をとってみますと、これは実に多岐にわたっておるわけであります。また、初等中等教育関係でも、例えば自然学校なんということを考えますと、やはり他省庁との協力なしてはできない。例えば高等教育でも科学技術の基礎研究をやるということになりますと、これは文部省だけではとてもできないのですね。いろいろな範囲にわたってやらなければならない。とても項目を一々列挙するわけにはまいりませんけれども、そういうことで、文部省一省でできるというものよりも他省庁にわたる問題というのがかなりございますから、これから実際に実行していく過程になりますと、恐らくそういった問題が表面に浮かんできて、これはなかなか大変だなということになるのではないか、私はそう思っております。
○有島委員 「個性重視の原則」あるいは「生涯学習体系への移行」それから「変化への対応」ということで、国際社会、情報社会あるいは高齢化社会、こういった線でもって、こういった原則でもって教育全般を見直していこう、これはいろいろな議論はあろうと思うのですが、その方向というのは正しい方向じゃないかと私どもも思っておりますし、いろいろなところでの意見を聞いてみてもそう異論はないように思う。ただ、それが国民の合意形成とかなんとかいって大上段にかぶったときに、例えば生涯学習体系、これは私どももう二十年来の一つの執念を持っているわけです、こうならなければならないと。それで学校教育というものもその中に位置づけていかなければならないと思っておりますけれども、それじゃ教師の方々がそれを望んでおられるか、あるいは行政府がそれを望んでいるか、あるいはお子さん方の立場からいえば恐らくそうだろうと我々はそう思ってそれは言っているわけですけれども、お母さん方は現実に受験で追われていますから、そこでコンセンサスをつくっていくということはやはりなかなか難しいことではなかろうかと思いますね。だけれども社会情勢としてはそうなっていく。だから変化の対応ということに絡ませながらそれを進めていこう、そういった御苦心がいろいろあったと思いますけれども、その方向性は二十一世紀に向けてちょっと揺るがない方向であるというふうに我々は見ておるわけであります。 その際に、私たちは、この教育改革ということを、自分たちにも力はないけれども一生懸命やってみて大切なことは、どこから手をつけていけばこういくだろう、大きな船がどの辺からかじを切れば曲がるだろう、とまるだろうというのと同じように、どこの時点でどういったところから手をつけていけばこうなるだろうという手順ですね、こうしたこともこの中でひとつ明らかにしていただきたい、こう思っていたわけですが、まあやむを得ない。 そこで、確かに生涯学習には基礎、基本が大切だ。これは学校教育の中でやってもらうということですね。だけれども、そう思っても肝心な基礎、基本というのは受験勉強でもって随分揺らいじゃう。さっきの個性の問題もそうですね。では受験制度というものを直しましょう。だが、大学全体がそう行っておらぬから、ここから手をつけても本当にうまくいかなかった。そうすると、それじゃ大学をどこから手をつけたらいいか。それは大学の単位の与え方だとか卒業の仕方、資格の与え方というようなところ、それから国際的な問題もある、そういうようなところから手をつけていって、その次には、これがある段階で熟してきたならばこうなってくる、あるいはこうなってくる、そういうような大体のアウトラインを我々は期待しておったわけですが、皆さん方も、そういったことは議論の中では非常にあったのか、あったのだけれども出なかったのか、あるいはそういったことはこれから全部、最終答申の一番最後にありますけれども、あとは行政にお任せ、そんなようなことであったのか。最後にその辺を、正直なところといいますか、フランクにひとつお答えをいただいて、私の質問を終わりたいと思います。
○岡本参考人 今、教育改革全体に向かって有効な改革をするために、順序と申しますか、こういう点からかかればそれに対してこうなるという一つの行程ですね、そういうものをしっかり議論したかということかと御理解いたしたわけでございますが、お話にありましたように、基本的なものはやはり大学にあるのだ、一番最後のところが大事なんだから、その改革が大事だというような議論も途中には随分ございまして、それに対しても注目しておったわけでございますけれども、そうしていろいろ議論しております間に、生涯学習ということ、学歴偏重というような大変多岐にわたった大きな問題を解決することが、入試の問題やあらゆる問題に関係するのだということで、生涯学習というものをこの基本に打ち出していこうというようなことになってまいったのが審議会の全体の考え方の流れでございます。
○有島委員 では時間でございます。ありがとうございました。
○愛知委員長 林保夫君。
○林(保)委員 本日は御苦労さまでございます。 本当に長々と、三年余にわたりまして、聞きますと六百六十八回、二千八百十六時間、三十二万字でございますか、私なりに申し上げますと、先ほど来お話がありましたけれども、多くの障害もあり困難もあったように思いますが、もともと私ども民社党は、どうしても教育改革をやらなければいかぬのだ、こういう視点に立ちまして、言葉が適切かどうかわかりませんけれども、教育臨調をやれ、こういうことを早くから提唱しておりまして、たまたま中曽根内閣になりまして、こういう臨教審に発展いたしまして御苦労かけた、こういうことになろうかと思います。その間、私の党からは、それだけにいろいろな注文なり意見を出させていただきました。そしてまた、それを御配慮いただきましたことに対しましてもここに感謝申し上げたいと思います。私自身も、ことしの春でございましたか、岡本会長さん、中山会長代行さんに長時間にわたりまして私どもの意図するところを申し上げる機会を得たりいたしましたこと、これまた感謝申し上げます。 過日も、答申の出ました七日の日に、項目は避けますけれども、時宜を得た提言でありますが、しかしなお、私どもが提唱しておりました問題について、これはやはり障害があったのでございましょう、御議論願えなかったような点もあろうかと思います。その中の一つに、教育憲章の制定とか中央教育委員会の設置とか教科書法とか、まだまだいろいろあったと思いますが、これらについても御検討いただいた結果がこれだろうと思います。しかし、それにいたしましても、これはぜひやらなければならないことでございますので、これからが教育改革は本番だ。先ほど岡本元会長も大出発だとおっしゃいました。その点を踏まえまして、くたびれたと言われないで、これからもひとつ頑張って、各方面からの御指導、御助言をちょうだいしてともどもにやりたい、こういう決意を持っておることをまず冒頭に申し上げておきたいと思います。 そういった中で、過般、二十日の日でございましたか、臨教審の解散がありました。あの解散パーティーで中曽根総理の、長々とやらなければならぬ、これはよくわかるわけであります。長々とやっているとこれまたくたびれますので、そのとき元会長のおっしゃられましたお言葉を振り返ってみますと、社会が、日本が成長から成熟に至る、これを爛熟にしてはいかぬのだ、それから廃退につながってはいかぬのだ、私はそれが強く印象に残りましたので、後でメモを書いておいたのです。それから幼児から博士と言われましたですか、大変なことなんだ、しかし、なおその中で個性尊重と生涯教育、あるいは変化への対応という原則を出したのだ。こういうことで、実は、ただいまも冒頭に御意見の開陳がございましたけれども、元会長の教育理念を、今私が申し上げたような点をもう一遍ここで聞きたいな、議事録に残しておきたいな、このように考えておるわけです。特に印象深かったのは、たしか岡本元会長はこう言われたのです。教育をみんなでやっていかなければならぬ、改革しなければならぬ、そのときに自分の子供だけは別だということだけは言ってはいかぬのだ、こういうお言葉があったと思いますが、それらを含めまして、御意見の開陳のやり直しになって恐縮でございますけれども、お聞かせいただけたらと思います。
○岡本参考人 ただいま大変御丁寧なお言葉をいただきまして、恐縮でございます。 私は、この時期に教育審議会が持たれましたことの意義を大変強く感じておりまして、それは、私がかねて申しておりますのは、荒廃と言われる問題点は教育だけではない。また同時に、これは日本だけの問題ではないということ。したがって、この時世といいますか風潮といいますか、さらに具体的に言えば、科学技術文明というものに大きな問題があるんじゃないかということを強く思っているわけです。したがって、このたびの審議会が、文明の成長から成熟への転換期にあるというときに、ここに審議会を持ったということの意味は大変大きいと申しておるわけでございまして、あの四次答申の位置づけというものに対して、私は大変大きな感動を持っておるわけです。したがって、これが大きな大出発である、教育の改革のこれが出発であると申したのもそういう意味であります。 成長と成熟ということを簡単に申しますけれども、成熟ということは、きょう先生が挙げていただきましたように、私は本音と建前が乖離している間は成熟していないんだと思うのですね。成熟したというのは一体何だ。社会だとか文明だとか国家だとかいろいろ申しますけれども、少なくとも国民自体は精神的にそう成熟しておるとは思えない。それは本音と建前が乖離していることだと言っておるわけです。というのは、確かに個性尊重で、価値の評価の多様化ですね、大事だけれども、それはわかるけれども、それは建前で、自分の子だけはいいところへ入れたい、こういうのは私は乖離しておると申しておるのです。そういうものがある以上、これが一致しないと、入試だとかいじめだとかいう基本的な問題は、そう小さいことをいじっても改革はできないというのが、私のあのときに申した気持ちでございます。 それと、もし私の教育に対する気持ち、政府も国民も含めて、私が自分の言葉ではっきり申しますならば、あのときにも申したと思いますけれども、私は自分の専門が脳でございますので、人間は人間を浴びて人間になるんだということでございます。人間は人間を浴びて人間になるんだから、これが実は教育の原点だと思っておりまして、それで子供の教育ということを人のことのように、みずからを省みないで論じておるのは困るのでございまして、子供は我々を浴びて人間になるわけでございますから、私はこれが恐らく原点だと思っておりまして、この意味は、一家庭の教育に関しましても、国家の社会環境におきましても、学校におきましても、人間は人間を浴びて人間になるんだということ、そうして、親であることの恐ろしさとか先生になることの怖さとか、国家社会のあり方なんていうものは、それを無視して教育なんていうものはできないのでありますから、人間は人間を浴びて人間になるんだということを原点だというふうに思っておりまして、そのことを強く感じておりますので、この機会に申させていただきました。ありがとうございました。
○林(保)委員 ありがとうございました。 そして、私なりにずっとつたない勉強をさせていただきまして感ずるのでございますが、教育の三大視点として、個性の重視と生涯教育への移行と変化への対応を出しております。まことに適切な処方せんだ、このように実は思うわけでございますが、もう一つ何か欲しいなと。岡本元会長さん、今ありがたい格言を聞かせていただきましたけれども、私も子供のときから、じいさんからと言ってもいいのですけれども、人一人生くるにあらずということを教わっておりますね。ところが、臨教審発足当時、今は少しよくなったかもしれませんけれども、なおあると思いますが、非行とかいじめとか、いろいろな学校及びその周辺で、社会悪とも言っていいようなものが、余りにも個性重視といいますか、それを履き違えたと言っていいと思いますが、そういうところから来ている。ましてや、この中の文章の中にもあるのですけれども、国際社会の一員である以上は責任を感ずる、人格のある人をつくらなければならぬし、二十一世紀の日本及び社会を背負う、担う子供を育てなければならぬ。そうすると、もう一つ何か、教育基本法の中には平和な国家、社会の形成者という言葉がありますね。私の党が言いたかったのも、そういった意味での、教育憲章といった言葉に出ていると思うのですけれども、近ごろ愛国、憂国というととかく差しさわりがありますので、違った言葉でもいいと思うのですが、私は公共の哲理といったようなものが教育に鋭くビルドアップされなければいかぬ。これは公共の精神ということだと思いますが、そういう点で、今回の御答申の結果、批判申し上げるわけではございませんけれども、もう一つ欲しかったなという感じを持つのでございますが、いかがお考えになりますでしょうか。
○岡本参考人 これは個性重視というところから出ておるわけでございますけれども、あのときに詳しく説明いたしておりますように、個性重視ということは自由、放縦、放任ではない。自律、自己責任というものだということも強く申しておるわけですね。それと同時に、個性尊重というものは、個人だけでなしに家庭、社会、国家に対する個性の尊重である。したがって、みずからの個性を尊重し得る者は他の個性をも尊重するのだ。したがって、自分の国を愛する者は他の国をもしっかり愛するのだということでございまして、これは最初のときからこの審議会の基本的な主張でございまして、したがって、国を愛するということ、このことについては十分述べておるはずでございまして、教育基本法の中にある平和的国家の形成者としての、心身ともに健全なという中に、これは十分に読み込んでおるわけでございます。 この点は、国際化というものが、私は会長談話に地球精神というようなことを申しておりますが、だんだん広い範囲で国際化ということも論じられておるわけでございますけれども、いかに広く国際化しましても、国というものに対する単位は、これは人類のさがといいますか、これなしに私は生きれないと思うのです。この辺の自覚をよほどしっかり掘り下げておくことが大事なので、この点で私が今思い出しますのは、臨教審の会長になりましてすぐ、田中美知太郎先生を訪問いたしましたときに、先生がおっしゃいました中に、人間の文化の中で一番最初のものは親を思うことである、孝行である、動物でも親は子をかわいがるのだ、子が親をというときに初めてこれが人間になるのだ、これが文化の初めである、それから高い文化の一つは国をつくるということなんだ、こうして毎日の中では国というものが平気であるように思っているけれども、これはなかなかの文化であるので、それをしっかり評価しなければいかぬということでございました。しかも私は、自国の文化とか伝統というものは、これはしっかり意識して守り育てないとなくなってしまうものなんです。決してその国固有のなんというのは余りないのですよ。そのときにその民族がいかにそれを大事にしたかということがその国の伝統であり、文化であって、これは大事にしないと消えてしまうものだということも大先輩から習っておるのです。 そういう意味から申しまして、私はこのたびの「教育の基本的在り方」のところに、教育基本法からずっと起こしまして、人格の完成とそれから平和国家の育成者というものを二つとりまして、今申したような内容、そういうものを十分に出しておるつもりなんです。そのときに伝統というものがそういう意味であるということ、したがってまたそれを尊重するということが大事なんだ、大事な伝統というものはしっかり尊重せぬと消えてしまうのだというようなことを申しておるわけでございます。 そんなことで、今のお答えになりましたでしょうか。
○林(保)委員 ありがとうございました。高邁なお話で、私どもも心がけたいな、こう思うところでございます。 石川元会長代行さん、今岡本先生のおっしゃいました、私が質問いたしました公の精神あるいは国際化の問題について一言お触れいただきたい。 それからもう一つは、今度の答申をずっと見ておりまして、非常に新しい多様化という時代で、国公立の公を大事にしなければならぬという精神もここにあると思います。しかしなお私学のウエートが非常に大きくなっておる。民間産業、民活というところまで来ておりますね。こういう新しい時代の趨勢を先生なりのお立場からどのようにとらえられて、これをどのように進めていくかということで、ひとつ御所見をいただきたいと思います。
○石川参考人 個人の個性重視の原則というのは、あそこに書いてございますように個人の尊厳、自由、自律、自己責任ということでございます。それと公の社会との関係の問題はもちろん関連するわけでありまして、教育基本法にある平和な国家、社会の形成者というところには、今会長が言われましたように十分林先生の御質問の趣旨が書かれていると私は思います。そういう意味で、臨教審は全く違った考え方に立ったわけではないということをちょっと申し上げておきたい、そう思います。 それで、日本の高等教育というのが現在非常に重要な局面に直面しているということは事実であります。と申しますのは、戦後四十数年たちまして、いろいろな分野で日本を含めて世界が大きく変わっている、変わりつつあることは確かだけれども、それがどこにどう落ちついていくかということになりますと、だれもよくわからない。そういういわば複雑で流動的で不透明な時代が現代でありまして、日本も実はそういう時代に直面している。しかもそれは科学技術の進歩に伴う工業化の発展によって出てきた現象であるということを考えますと、私は高等教育のこれから先持つ意味というのは非常に大きいだろうというふうに思います。追いつき型の近代化をやってきた時代と高等教育の持つ意味は本質的に違ってくるだろうというふうに思うわけであります。 ちょっと一つの例を引きますと、日本の活動量というのは戦前に比べて何十倍も大きくなっております。戦前、例えば鉄の生産量というのは太平洋戦争に入るときに四百万トンぐらいでありますが、今日は潜在力としては一億数千万トンある。それにつれて全部が大きくなったのですね。したがって、そういう日本の活動を支える人材というのはどうしても高等教育を受けた人間に多くを求めなければならない。その高等教育を受けている人間の八〇%は私学である。そう考えますと、この八〇%の人間なしに日本はもう動くことができないような状況に今なっているわけであります。したがって、この質をどうやって高めるかということが非常に大切である。それは研究と教育の両面においてやはりきちっとやらなければいけない。そういうことを踏まえながら、臨教審では私学の振興の問題は国の責務であるということを書いたわけでございます。
○林(保)委員 あと一分しかございませんので、非常に残念でございますけれども、最後にさせていただきたいと思います。 これからポスト臨教審の問題は、一昨日も塩川文部大臣に質問したところでございますが、教育改革の大綱をつくられて、文部省の方は実施本部ですか、そして審議会を設ける。それから内閣の方では、昨日御討議があったようでございますが推進審議会ですか、そういうことでまだ模索中のようでございますが、答申の中にもありますように、国民各界各層が合意しなければならぬ。私なりに考えてみますと、教育という問題は身近な問題でもございますので、一億二千万人人口があれば一億二千万の意見があるのが本当だろうというぐらいの難しい問題だろうと思います。しかしなお、その中で一つのコンセンサスを得て前へ進めていかなければならぬという課題を持っておりますだけに、今大学審議会の設置は大体決まったようでございますが、答申の中にあるどれをどのようにやっていくか。新聞報道なんかで見ますと、秋季入学なんかも、あれをやれば教育改革をやったのだということになるというような目玉のような話も出ておりますし、それについては文部省が実は一兆七千億円お金が要る、そんなに、困るじゃないかというような議論もあります。 私は、先ほど岡本先生のおっしゃったように、臨教審が何かしぼんでしもうたというようなことにはなってないと思うのです。臨教審を始められた、そして今日答申が出た。言葉はちょっと悪うございますけれども、いろいろなところで実際に歩いてみまして、両先生、ボディーブローは随分効いていますよ。そうすると、それをどのように秩序立ててやっていくかということが大事だと思いますので、どこら辺からやっていくか、目玉と言ってはおかしいのでありますが、御期待を持っておられるのでしょうか、こういうことを両先生に承りたいと思います。
○岡本参考人 どれを最初にということでございますけれども、御承知のとおり、法令を改正してとか運用によってとかいろいろやれる方法もあるわけでございますが、あの中でどれをということにつきましては、私は皆しっかりやってもらいたいと思っております。 特に、こういう問題はというのを五つほど挙げておりますけれども、あの中に基礎研究というのを強く言っておるのです。これは大変私見になってまいるのですけれども、私は、いろいろ国の現状と国際的な観点にも立ちまして、基礎研究の推進というものをよほどしっかりやってもらいたいと思っております。これは臨教審全体としてというよりも私の立場からはそういうようなことで、全体としてはどれも早急に実現に向かってほしいというふうに思っております。
○石川参考人 ただいまの臨教審の答申というのは私どもは非常に大切だと考えておりますので、それはぜひ全体としてやっていただきたいということを思っております。 ただ、御承知のように、問題が非常に広範にわたっております。例えば、一つの部分を解決すればそれが全体にわたるかどうかということになりますと、関連はしながらもほかの要因もそれに絡まっているというようなケースがたくさんあるわけであります。したがって、私は、この問題について臨教審の中でどういうような順序でどういうものから手をつけてということは議論いたしませんでしたけれども、個人として申し上げれば、それぞれの部門において同時並行的に問題を取り上げていくということが一番大切なのではないか、そう思っております。
○林(保)委員 ありがとうございました。 私の方は、政府の教育改革推進状況をこれからしっかり監視しながら、是は是、非は非といたしまして、しっかり改革の方向を、国民の皆さんにも期待されるような形でやっていきたいと思います。 では、両先生、ありがとうございました。
○愛知委員長 山原健二郎君。
○山原委員 きょうは、一つの任務を終えられまして「元」という名前で御出席いただき、本当に御苦労さまでございます。 きょうは論争するつもりは全くありません。私も、第一次答申から第四次答申までが出るたびに小さな論文を発表しておりまして、私の場合は極めて批判的な論文でございますけれども、お暇がありましたら読んでいただきたいと思います。 それで、きょうは事実の経過だけをお伺いしたいと思っております。 一つは国歌・国旗の問題でございまして、最終答申に「国旗・国歌のもつ意味を理解し尊重する心情と態度を養うことが重要であり、学校教育上適正な取扱いがなされるべきである。」という言葉が入っておるわけですね。審議経過の概要あるいは第三次答申までを見ますと、この問題には触れておりません。ここで唐突に入ってきた感じを受けるわけでして、新聞を読みますと、一部には文部大臣の強力な要請によって加筆したとも言われておるわけでございますが、この経過について、どういう理由でここに取り上げられたかということ、また、部会及び総会でどのような議論がなされておるかについてまずお伺いしておきたいのです。
○岡本参考人 お答えいたします。 国歌・国旗でございますけれども、御承知のように、国際化のところで、他国の国歌・国旗を尊重することが国際常識として大事だということを申しておるわけでございまして、この問題につきましては決して審議をしておらないのではございませんので、整理いたしますと、この問題が実にたくさん議論の中には出てまいっております。それを答申としては、国際化の中で常識なんだからということでああして申したわけでございます。 それで、文部行政についてというものは、最前もちょっと申しましたように、文部行政をとにかくこのまま放置することはできないのだ、これに対して十分な提言はせんならぬというので、最後まで主張してあれを落とさなかったのでございますが、そういう中に当然これは入れるべきものであるという議論も総会には出ております。それで、この問題は常識だと私は思っておりまして、大事なことだから時と場所があれば入れるべきものだと思っておりましたが、御承知のように、文部大臣から、運営委員会においでになりましたときにそういう話をおっしゃいました。これはもう公知の事実ですから申しますが、そのときに教職員団体のあり方についてもおっしゃいましたし、それから私立学校、公立学校の知事部局と教育委員会との監督関係の話もございました。 私はこの三つともお聞きいたしまして、こういうふうにその場で答えておるのです。文部大臣の御希望は承りました、これは総理も御希望を述べられることもあり、先生方からも絶えず御希望をお聞きいたしておりますし、国民の希望も聞くように努力しておるわけでございます、その意味で御希望は承りましたと、臨教審でよく考えて対処いたしましょう、こう答えておるのです。 そのときに、私がさらにつけ加えておりますのは、教職員の問題につきましては、答申を出した以上、逐次答申というのはそれを出した後の反応も見得るのだから、過去の日教組の問題というのはこういう点があったということは私は詳しく承っておる、しかしそれが現時点でどうなっておるかということに対して私は重大な関心を持って見ておるので、場合によってはこれはもう一度強く申します、それはこっちの審議会の問題ですと、私は少なくともそう考えておるというようなことを申しておりました。 それから私立学校、公立学校の問題は、これは多様化と言っておるときに、すぐこれを一本化せんならぬものかということはなかなか問題がありますから、これはよく審議することになるでしょうと。 それから国旗・国歌の問題は、これは当然と思っておりますので、私はこんなものは当然と思っておりますと。それから日本が国際化して、国際の常識は同時に日本の常識でありますから、これは当然だと思っておりまして、最前のような総会におけるこれまでのいろいろな議論も踏まえまして、また文部省の行政のところもございましたので、適当な場所と考えて、ああいうふうに入れたというのが事実でございます。
○山原委員 審議経過の概要をもう一回読んでみたのですけれども、この問題についての論議は出されていないんですね。当然だ、常識だということでくくられればそれまででございますけれども、しかしこの問題は、歴史的な経過からいいまして必ずしも常識、当然のことだということでくくり切れないものを持っておるということも事実なんです。そのことを申し上げるだけできょうはとどめたいと思います。 それから、今教職員団体のことにつきましてお触れになりましたが、これについてもちょっと事実関係といいますか、国際的な立場で見てみたいと思うのですが、臨教審の最終答申には「戦後、一部の教職員団体が政治的闘争や教育内容への不当な介入などを行ったこともあって、教育界に不信と対立が生じた」とあります。「一部の教職員団体」とは何を指すかということもお聞きしたいわけですが、時間がございませんので、きょうはおきたいと思います。 それから、こう書いてあります。「勤務条件の改善を図ることを目的とする教職員団体は、その本来の任務を自覚し、違法な争議行為を行わないことや教育の中立性を守ることはもとより、いわゆる教育課程の自主編成の主張などにみられる教育内容や学校運営に対する不当な介入を厳に慎むべきである。」この言葉もまた新たに出てきた言葉でございまして、新聞紙上では、国歌・国旗の問題と教職員団体に対する厳しい指摘、この二つが話題となって載せられております。 そこで、ちょっと私の考えを述べたいのです。今日の教育の荒廃の事態を克服するに当たりまして、教職員が、教材研究あるいは授業改善など、父母の願いにこたえた教職員の自主的な努力とその権利を守る教職員組合の正当な活動まで規制することは、私は不当だと思っております。 若干申し上げますと、臨教審は、今も元会長のお言葉にもありましたように、教育の国際化ということを盛んに述べておられます。では国際的にはこの問題についてどういうことが言われているかといいますと、これは一九六六年のILOとユネスコの教員の地位に関する勧告があります。これは突然出たものではなくて、ILOの一九四八年の結社の自由及び団結権の保護に関する条約及び一九四九年の団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約などを踏まえた上で、教員の地位に関する勧告というものが出ております。これが国際的な一定の合意に達しておるものなのでございまして、その中にどういうふうに書いてあるかといいますと、「教職員団体は、教育の進歩に大いに寄与することができ、したがって教育政策の決定に関与させられるべき勢力として認められるものである。」勧告はこう述べております。さらにこう述べています。「当局及び教員は、教育活動の質の向上のために設けられた措置、教育研究並びに改良された新しい教育方法の開発及び普及に、教員が教職員団体を通じてまたはその他の方法により参加することの重要性を認識するものとする。」こういうふうに述べられておりまして、教職員団体の活動というのはそういう意味で国際的には認知されておるものなのですね。その点から見ますと、臨教審の答申の中に「国際化」という言葉がふんだんに使われておりますけれども、しかし教職員組合というものに対する見方というのが非常に偏狭になっているのではないかという心配があるわけですね。このことを私は一言お聞きしたいと思っているんですが、時間も余りありませんけれども、もしそのことについて論議されておりましたらお答えいただきたいのです。
○岡本参考人 国際化というのはこれからの大きな命題でございますので、例えば九月入学なども国際化という観点からは推進すべきだというようなことがございます。ところが、国際化というのはいつでもどこの国もすべて同じになれということではございませんので、そのおのおのの特徴を生かしてアイデンティティーを失わないということが国際化であると私は思っております。その意味で、このILOの勧告というのは一般論を論じたものでございまして、その点、教職員が教育に対して関心を持ってそれに対して一つの提言を行うということは当然なことでございますけれども、それが決定権を持つというようなことになりますと、自主的に決めるというようなことになりますと、それはもう日本の教育の制度には相合わないわけでございますので、その点、決して教員団体が教育に対して意見を持つことを否定したものではございませんけれども、それをもって正当な決定の道筋であるというような考え方は基本的にはこの国ではとっておらないので、そういうこの国の特徴をきちっと生かすことがやっぱり国際的であると私は思っておりまして、このILOの勧告に対しましても、現在の状態が必ずしも合っておらないというふうには考えておりませんので、この点、そういう実情にあるというそのことをしっかり直視していただいての反省というものが大事でないか、そういうふうに考えておる次第でございます。
○山原委員 この問題は、これは当然今後論議すべき問題だと思いますけれども、本当に今の学校というのは、もうぎりぎり管理体制のもとで何ともならぬようになっているんですね。そこらのところを考えないと、やはり臨教審答申の中身というのは非常に保守的な戦前回帰型の状態が出ているんじゃないかという気がして仕方がありませんけれども、これは今後の論争の問題だと思いますのでおきます。 それからもう一つは、文部省が政策官庁として脱皮するという問題ですね。これはもともと、教育基本法第十条は、御承知のように「教育は、不当な支配に服することなくここの「不当な支配」というのは、これはほとんど権力による支配なんです。あの戦前の教訓の中からこれが出てきたわけですが、「不当な支配に服することなくここの自覚に立って、諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」これが行政の任務ですね。この点から申しまして、この教育基本法第十条の精神からいって、文部省が政策官庁に脱皮するというのは、これはもう大変な違いになってくると思うのでございますが、この点についてどのような論議がなされておるかということが一つ。 それからもう一つは、これは石川先生にお伺いした方がいいと思いますが、今度大学審議会の設置の前に大学改革協議会ができておりまして、その中で、政府から出されました資料を見ますと、大学及び教員の評価の問題が大分論議されておるようにお聞きしているわけですね。評価の問題については、大学あるいは大学人の評価というのは大変難しい問題だと思うのです。 今新しい産業革命と言われる超電導の問題がありますけれども、超電導のもとを調べてみますと、十九世紀のときにオランダのライデン大学のオンネスという教授が、ただひたすら物を冷やすことはかり勉強しておったというんですね。ただ当時は量子論が盛んで、この教授はまずあっさり言えばばか扱いされておったのですが、それが今になって超電導の重大な発見のもとになっているということですからね。学者の評価というのはこれはもうさまざまな自主性に富んだ中で研究をすることが保障されて初めてできるわけでございまして、それは十分御承知のこととは思いますが、情勢がこういうふうに変わる、経済界がこういうふうに変わるからそれに見合う教育をやるというこの発想では、必ず教育・研究の発展というのは行き詰まりが生じますから、そういう意味で、評価の問題がどういうふうに論議されたかということを一言お聞きしておきたいんです。 この二つです。
○石川参考人 大学の改革の問題というのは、私は、経済界がこうだから、どこがこうだからというのではなくて、もっと大きな時代の変化のうねりが来ている中で、まさにその国の文化を大きく担う大学が一体どういうふうに自己革新を遂げていかなければいけないか、そういう問題だろうというふうに思うのです。しかしその場合に、一体我々の周辺に学問、研究、教育の上でどんな大きな変化が起こりつつあるか、それに国の文教行政が対応するのにどこに力点を置き、どこに力を注いだらいいか、お金を注いだらいいか、そういういろいろな問題をやはり政策として議論してみるということは非常に大切である。そのことによって個々の大学を縛ろうとか大学の自治を侵害しようとか、そういうことを考えているわけではないわけであります。その大学審議会で議論されたものを、ある大学はそれを確かにそうだといって自分の自己革新に役立てることもあるでありましょうし、あるいは大学自身が、大学改革をやりたいんだけれども、しかしこういうところに国の目が向かないということは困るではないかということを大学審議会に申し立て、そこで議論してもそれはいいではないか、そういうことを申しておるわけであります。 したがって、その大学、教員の評価というものが非常に難しい問題であるということはこれはよく私どももわかっております。どうやったらそれができるのかということについては今まで余り考えたこともないんですね。ただそのまま、今までのあり方で非常にルーズな緩やかな評価に、社会の評価に任せてきたというのが実態でありますけれども、やはり大学の中で大学の自治が認められ、教授会の自治が認められるとすれば、それに伴う大学の責任というものもあるし教授会の責任というものもあるわけであります。ですから、研究者あるいは教育者の集団である教授会なり大学なりがどういうことを考えてその責任を果たしていくか、それをしっかりやってもらいたい、こういうことでありまして、私は、評価の具体的な方法というのはまだ、どこで議論してもそれがまとまって出てくるというような段階にあるとは思いません。
○山原委員 最後に一言。 政策官庁としての脱皮の問題ですが、これは私が今言いました教育基本法第十条と矛盾はしないというふうにこの答申はお考えになってつくられたものでしょうか、それだけ伺っておきます。
○岡本参考人 先生のきょうの御質問で、基本法の第十条ですね。「教育は、不当な支配に服することなく、」したがってこれは整備に関するものだけだということで、それも書いてないじゃないかということでございますが、第二次答申にそれは詳しく出ておりますので、教育環境の人間化の観点、過大規模校の解消、四十人学級の円滑実施、施設設備の改善。第四次答申のときには、それ以外に政策官庁への移行ということがあります、 政策官庁への移行ということは、今石川さんからもお述べになりましたように、大学というものがどうあるべきかということについて審議をすることでございますが、これは大学といわず教育そのものが、国民の権利が政府に委託されて、それをかわってやっておるという意味で、政府がそういうものについて各方面の意見を徴しながら審議するということは、教育基本法十条に抵触するものではない、そういうふうに考えておる次第でございます。
○山原委員 時間が来ましたので、これで終わります。
○愛知委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人に一言お礼を申し上げます。 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時四十一分散会