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107回国会参議院1986/11/19

科学技術特別委員会 第2号

発言数
11
登壇者
4
会派数
1
開催日
1986/11/19

会議録

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) ただいまから科学技術特別委員会を開会いたします。  まず、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。  科学技術振興対策樹立に関する調査のうち、地震の予知及び防災に関する件について、本日、東海大学開発技術研究所教授浅田敏君、清水建設株式会社代表取締役副社長大崎順彦君及び日本放送協会解説委員伊藤和明君を参考人として出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) 次に、科学技術振興対策樹立に関する調査のうち、地震の予知及び防災に関する件を議題といたします。  本日は、本件について参考人の方々から御意見を承ることといたします。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  浅田参考人、大崎参考人、伊藤参考人には御多忙中のところ貴重なお時間をお割きくださり、当委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。  当委員会は、科学技術振興対策樹立に関する調査を進めているところでございますが、本日は地震の予知及び防災に関する件につきまして忌憚のない御意見を賜りまして本調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。  それでは、本日の議事の進め方について申し上げます。  まず、参考人の方々からお一人三十分程度御意見をお述べいただいた後に、速記を中止いたしまして、懇談に入りたいと存じます。懇談に入りましたならば、参考人がお述べになりましたことを中心に委員の皆さんは自由に質疑をしていただき、それに対しまして参考人の方々からお答えをいただくというように取り運びたいと存じます。なおその際、便宜、質疑されます方は、委員長から指名させていただきますので、挙手をお願いいたします。  これより参考人の方々から御意見を承ります。  まず、浅田参考人にお願いいたします。浅田参考人。

浅田敏東海大学開発技術研究所教授

○参考人(浅田敏君) 浅田でございます。  本日は、まず地震の起こるわけということから始めまして、地震予知の現状あるいは地震予知と社会とどういう関係があるかということにも及びたいと思っております。  まず、地震の起こるわけを理解するには、地震がどこに起こっておるかということが大事でございます。  地震学の発達のぐあいも考えまして、まず一九五〇年ごろの結果を見ますと、非常に地震の数も少なければ点もばらついております。しかし大体どこに起こるかということは見当がついておりました。しかし、その後地下核爆発の検知という点から世界地震観測網ができまして、地震の震源の決め方は非常に精密になったわけでございますね。  これを見ますと、非常に寄り集まって非常に細いところに起こっていることがわかる。一九六四年以後の結果を見ますと、非常に細いところに地震が寄り集まっていることがわかるのでございます。さらによく見ますと、非常に細いのともっと太く黒々と地震の寄り集まっているところがございます。例えば日本などは黒々としておりますですね。アリューシャン、千島、日本、あるいは太平洋はほとんど全部黒々としております。  要するに、これは何をあらわしておるかといいますと、地震は大洋中央海嶺というところに起こっている、それが細くなります。それから黒々としているところに起こっている。それは日本のような潜り込み、海洋底地殻が下に潜り込んでおる、そういうところに起こっておるのでございます。それは非常な大地震の生じるところですね。  この地震の起こっている線をまた別のかき方をいたしますと、その線の性質、名前によりまして別の線をかきますと地図がかけまして、これがいわゆるプレートテクトニクスというものを端的にあらわしているのでございます。中央海嶺、潜り込み地帯、それともう一つは、日本語にいいのがございませんけれども、トランスフォームホールトと言われるアメリカの西海岸などでございます。  でも、我々に関係がありますのは潜り込み地帯です。潜り込み地帯について一般的に御説明申し上げますと、まず潜り込み地帯には海溝がある。海溝の内側には大地震がある、こういうわけでございます。もう一つ、潜り込み地帯には火山がある。火山というものは海溝からある離れた点から、海溝から遠い方に並んでおります。これを火山前線と普通言っておりますけれども、そういう潜り込み地帯に起こる火山の特徴であります。  ついでに申し上げますと、潜り込み地帯でないところに起こる例えばハワイのような火山のことを、これもまた日本語がいいのがまだございませんけれども、ホットスポットと申しておりまして、そういうのが世界じゅうに、あっちこっちにございます。  潜り込みというものを非常に端的にあらわしていることは、地震の震源を日本でも最近非常に精密に決めることができるようになりました。非常に精密に決めてみますと、潜り込みの面の上に地震が起こっておることがわかります。  もう一つ起こっておりますのは浅い地震でございますね。浅い地震の特徴というのは大体十五、六キロより深いところには起こらないのであります。潜り込みの面は、海溝のところから滑り込んで、まさに海洋底、板といいますか、潜り込む板と言っておりますけれども、そういうものを非常に端的にあらわしております。恐らく板の厚さというものは数十キロから数百キロ、あるいは板と言いましても下の方はぼやけておるのかもしれません。  もっと模型、漫画風に表現いたしますと、これは非常に漫画的にかきやすいものでございます。板はどんどんどんどん潜り込んでいきます。毎年数センチ潜り込んでいきまして大陸側の地殻をひずませる。それがある程度以上ひずむと我慢できなくなってもとに戻る。それが太平洋沿岸の大地震です。東海地震も、東南海地震も、南海地震も、関東地震もみんなそうでございます。ですから、それはこういう逆断層と申しますけれども、低角の逆断層で起こるのです。  そういうわけですから、日本の地震は太平洋沿岸に大地震が起こる。例えば一九四四年の東南海地震、四六年の南海地震です。関東地震は房総と三浦半島のところにございまして、東海地震がもし起こるとしますとこの駿河湾の付近に起こることになっております。  非常に簡単に申しますと、南海地震と東南海地震あるいは北海道沿岸の地震というのはもう起こってしまったのです。関東地震も起こってしまったのです。ですから、恐らく我々の、若い方は別ですけれども、普通の人間の寿命から見ますと、再来時間と地震では申しますけれども、それは長くて、もうその地震に遭うことはできないのではないかと思います。  ただ、房総の沖から三陸の沖にかけては、今申し上げたように模型的に単純化して申し上げにくい。ちょっとわからないのですが、一番大きいのは三陸沖地震がありました。それは昭和八年でございます。その前に明治にやっぱり三陸沖地震がありまして、万を超す人が亡くなりました。しかし、その二つは少し違うらしくて、房総沖から三陸沖にかけては余り模型的に申し上げることは保留しておきたいと思います。しかし、これは津波警報をちゃんと気をつけていれば、少なくとも命は助かる可能性は多いのでありますということを申し上げておこうと思います。  再来時間、地震というものはひずみがたまっていきまして、それに耐えられなくなってまた起こるのですから、しかもそのひずみを起こすもとである海洋底地殻というものは絶えず動いているのですから、これはどうしてもやっぱり繰り返すということが非常に自然に理解できます。その地震の繰り返し時間のことを再来時間と申しております。周期とは誤解を招きやすいので言わないことになっております。普通再来時間が一番よくわかるのは南海地震、東南海地震あるいは東海地震でございまして、百年で一遍ぐらいの割に起こっております。これは歴史によく残っておりますのでわかります。  それから、北海道の地震もごく最近起こりましたけれども、これはその前の地震も歴史に残っております。百年足らずでございます。ですから、一番典型的な潜り込み地帯の海溝側の大地震というのは百年ぐらいで起こる、日本付近では、と思っていいかと思いますが、しかし関東地震も必ずしも典型的でありませんし、房総沖から三陸沖にかけての地震も典型的ではないと思います。  もう一つ起こるのは内陸の地震でございます。内陸の地震というのは、非常にはっきり言えば太平洋沿岸の大地震のエネルギーのお余りで起こるのであります。ですから規模も小さい。マグニチュードは、後から例外を申しますけれども、七・三を超えることは余りございません。しかし、例えば一九四八年の福井地震のような、地方の中小都会の真下で起こりますと、激烈な損害を起こすのであります。福井は人数が多かった上に真下で起こって、その上地盤が悪かったので非常な損害を生じました。そういうことになりますと、むしろある意味では太平洋沿岸の地震は、大部分海の方に出ておりますものですから、北海道の沖合で起こった地震はそれほどの被害は生じないのです。ですけれども、内陸の地震は当たりどころが悪いともう激烈な被害を生じます、幾ら小さくてもですね。  内陸の地震はリカーレンス、再来時間というものが非常に長うございまして、普通千年と言われております。ですから、新潟地震はもう起こらない、あれと同じものはもう起こらないですと言ってよろしいかと思います。福井地震も同様でございます。でありますから、日本の内陸の地震で、歴史上一回起こってまた最近起こったというのはもう数えるほどしかありません。このことは、どうやら昔の地震学者の今村明恒博士も御存じであったようであります。  要するに、今村博士が調べられたことによりますと、歴史上起こってまた起こったところは六つしかない。でありますから、論理を逆転いたしますと、一遍も歴史上起こってないところが危ないのであります。でもこういうふうにはっきり理解されるようになりましたのはこの十数年でございまして、昔は地震の起こってないところは安全だと、こういう考えだったのです。河角先生の時代はそういうふうに考えられておりまして、河角先生の危険度というのは地震が起こったところを危険としておりましたので、結局、非常に皮肉な話でございますけれども、河角先生の危険でないと言ったところが危ない。その一番典型的だったのが新潟地震でございます。内陸の地震は、ですから対応の仕方を、考え方を変えなければいけないですね。  予知をするというときに、作戦ですね、防災上の、予知だけが唯一の作戦かどうかはわかりません。そのことについては後から申し上げようと思いますが、どうも学問は今でも実につまらないところで進歩するのでございまして、日本海中部地震が起こった瞬間に一つ進歩したのですね。そのことを申し上げようと思います。  日本海中部地震が起こらなかったときには日本海岸には何も特別な地質構造線はかかれませんでしたけれども、起こったあとにはこういうふうに地質構造線をかきたくなったのです、こういうふうな意見を言う人が何人か続出しまして、私自身もああそうかとすぐ理解したのでありますが、要するに、日本海に地震が並んでおります。能登半島から右に地震が並んでおりまして、それはやはりある種の地殻、地質構造と一致しておるのでございますね。  また後で申し上げたいと思いますけれども、日本海中部地震が起こるずっと前から津波の研究者はある絵をかいておったわけです。浪源をかきますと、日本海の能登半島から右には浪源が表に出ているということが常識だったのであります。では私自身はどうかといいますと、そういうことは知っててよかったのでありますけれども、意識の中で浮かんでこなかった、ネグレクトしておったわけでございます。これは後から申しますけれども、どうも非常に残念なことであります。  ですから、日本海岸では津波が来ないと言われていたらしいのですけれども、日本海岸で津波が来ないのは能登半島から西側でございます。もちろん遠くからの津波は参りますけれども、もう物すごい津波が来るのは能登半島から右であります。しかし、もうかなりの地震が起こってしまったが、まだ多少すき間はあると思うのです。そのすき間についてどう考えるかという問題はありますが、太平洋沿岸の地震と日本海の能登半島から東側の地震というのは、何か非常に大きな地質構造線と、太平洋沿岸では海溝でありますけれども、関係があります。  内陸の地震というのはみんなもっと小さい活断層と関係があります。例えば伊豆半島沖地震というのが一九七四年にございましたけれども、これはたまたま非常に飛行機から見るとよく見える写真が撮られておりまして、非常に明瞭な活断層です。地震というものは、太平洋沿岸の地震は低角の逆断層ですけれども、内陸の地震は逆断層もあれば正断層もあれば横ずれもあります。例えば余震を見てもちゃんと線の上に並んでおります。  どれぐらい地震が起こったか少し考えてみますと、百年ぐらいですが、太平洋沿岸に起こった地震は、例えば一九八〇年以来大きいのは一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つぐらいございますが、これは必ずしも人命の被害が大きいとは限りません、ですけれども、七つぐらい。しかし小さい太平洋沿岸の地震はもっとずっとたくさんあります。ですから、目立つ地震はもう太平洋沿岸の方がやっぱりずっと多いのです。何しろ百年に一遍ですから、小さいのまで入れると非常に目立つ地震が多い。内陸の地震は非常に少ないのであります。  ですから、太平洋沿岸の地震は大地震が起こりますと、ある地殻変動を生じます。例えば関東地震でいいますと、房総半島の先は一メートル半も上に上がりますし、丹沢山のあたりは一メートル近くも下がる。そういう格好の地殻変動を生じますが、地震が終わると途端にそれが回復するような形に地殻変動が進行します、百年とか二百年とか、恐らく関東地震でしたら二百年とかあるいはかかるのではないかと思いますけれども、進行しております。  もう既に関東地震のときは測量もちゃんとできるようになりましたので、すぐ測量がされまして、それから四十何年の間に例えばこの間は五十五センチ伸びたのですね。それは関東地震のときに起こったのと逆です。しかし五十五センチではまだ少なくて、まだまだということであります。  地震の予知をするときにはどういうことが問題になりますかというと、もちろんリカーレンス、再来時間ということが問題になります。太平洋沿岸の地震については再来時間も考える、しかし内陸の地震については活断層も考えなければならない。再来時間というのは千年とか場合によっては何千年でございますから、頼りにすることはできません。昔、いつ地震が起こったかわからない、でも最近は歴史に頼らなくても、地面を掘って、地面を掘った中の断層のできぐあい、地層の重なりぐあいを観察いたしまして何千年前に起こったとかなんとか、そういうことが少しはできるようになっております。  太平洋沿岸の地震については、内陸の地震とは違いまして勝負が速いものでありますから、いろいろ典型的なことがわかる。例えば昔、百年も前に地震が起こったところにまた最近起こってしまったというところはもうよろしい。でも昔起こったけれども、例えば十九世紀に起こったけれどもずっと起こってないというところは、これは危ないというのが根室沖地震であります。宇津さんという方が、これが根室沖地震の空白である。空白というのは地震が起こらなくなるのですね。つまり、応力がたまってきますと小さい地震が起こりにくくなる、岩石がかたくなって起こりくくなる。宇津さんのかいた絵は非常にもっともらしかったのですけれども、今落ちついて考えてみますと、宇津さんのではなくて、こういうふうにかいた方が正しいようであります。  こういうふうに、地震の予知というのは非常に心細い面がどうしても残るのでございます。例えば空白の話は、メキシコの沿岸ではもっとよくわかるのでありまして、これは一七四八年のオアハカの地震などというものは非常にはっきりしております。今度のメキシコシティーが非常な被害を受けました地震の空白も非常にはっきりしております。空白というのは一種の地震の前兆の一つですね。長期的前兆と称しております。  長期的前兆というのは、地震の大きさに従って数年とか十年とかいうことでありまして、その一つの一番いい例と思われているのが、日本では新潟地震の前の新潟地方の地殻の隆起でございます。例えば、もしかしたら一九四〇年ぐらいから、あるいは五〇年から上がり始めて、上がって少し下がったところで地震になったというわけでございますが、これも今のところ長期的前兆の一つだと、こう思われております。でも長期的前兆というのは地震の大きさによって違いますので、小さい地震の長期的前兆というのは二、三カ月というのもあります。あるいは地震波の速度も変わるんだという話がありまして、マグニチュード五とか六ぐらいですとやっぱり数カ月というふうに短いのであります。  ただ、ここで一つ申し上げなくちゃならないのは地震の——申し上げたのはやや優等生的な例ばかりでございまして、こういう前兆が見つからない地震というのはいっぱいあるのですから、地震予知の実用化というのは非常に問題があるのですね。もう一つぐあいのいいことには短期的前兆というのがありまして、直前の前兆というのがありまして、この方がいつも起こっておるんですね。  例えば、一番身近なものでは井戸の水が濁るとか井戸の水がくめなくなってしまうとか、そういう話は非常にいっぱい出ております。例えばラドンの濃度で、これはラドンの濃度では一九七八年の地震のときに非常にはっきりした直前の前兆が出ました。五日前に非常な大きな変化が生じたのです。が、実は五日前からではなくて、その後何年も何年も観測が重なりましたからふだんの変化というのがわかっておりますので、実は十月初めごろから何かが出ていたんだということがわかっております。例えば気象庁の体積ひずみ計を見ますと、やはり十月ぐらいから特別な変化が出ておりました。もうここではその後何年も何年も、もうそろそろ十年ぐらい観測しておりますけれども、こういう例は一つも出ませんので、やはり一九七八年の地震と関係があったのではないかと考えております。  地震の前兆の横綱と言いたいような例がございまして、これは一九四四年の東南海地震のとき、当時の陸地測量部がその水準測量を観測しておりましたときに非常に巨大な変化が起こったのです。それを茂木さんという方がわかりやすく直したのがこれでありまして、直前の変化のうちの最もはっきりしたものだと思います。我々は、そういう大型の地震があるときには必ず直前の前兆は我々が比較的容易に捕捉できるほどあるものだというふうに思っております。  最後に東海地震の話でございますけれども、一八五四年の地震は東海地震と東南海地震とが一緒に起こった地震でございます。そのときの震度の高いところは非常に日本海に近いところまで及んでおりまして、簡単に言いますとなぜそうなったのかよくわかりません。太平洋沿岸のフィリピン海溝といいますけれども、その沿岸に起こる東海地震のタイプの地震はもう非常に何回も何回も起こっております。東海地震が危ないという理屈は、まだ一九四四年では駿河湾の中の部分には地震は及ばなかったというのが根拠になっております。  いずれにしても、周りの地殻変動は地震が起こるように非常にストレスがたまったときに起こるようなストレーン、ひずみが蓄積しております。非常に理屈に合ったひずみであります。これは御前崎の沈下でありますけれども、現在沈下を続けております。新聞にちょっと出ました。ここは上がったのではないかという話がございますが、やっぱり一月ぐらい様子を見ないと言うことはできないと存じます。  図面といたしましては最後ですけれども、日本海中部地震のことを申し上げたいと思います。  このごろは震源の決定が非常にうまくできまして、最初にここまで地震が起こりまして数十秒後にここまで起こりました、こういうことは非常によくあることであります。一カ月後にここから後の地震が起こりました。その境目がこういうふうにくびれておりますのは、昔の地震学を見ていた私たちにとりましては本当に驚くべきことでありますが、実はこの地震は歴然たる空白地帯に起こったのであります。そのあげくにちゃんと前震まで起こっておりましたので、具体的に言ってこれが予知できなかったのは非常に残念です。  それは要するに学問的に余り注目を引かなかったわけですね。でもそういうことが注目を引きまして、ここは空白であるからいずれは起こると申しましても、今すぐ起こるか、あるいは百年後に起こるかということはなかなかわからないのです。ですから、後から考えれば非常に起こることが明白であったように思いますけれども、その前にはなかなかわからない。でも例えば日本海岸でも能登半島から東の方は強烈なる津波が来るんでありますぞということは、あるいは地震関係者なら聞かれれば、ちゃんと勉強してみればそういう答えが出たんですから、例えば地震学の手持ちの知識でも、聞かれればそういう民生に対してサービスすることはできたと思うのです。そういうことは実はいっぱいございます。  ですけれども、そういうことを全部地震学者が考えるということはやっぱりできないのではないかと思います。やはり地震の予知のためには地震学の外の部分も非常に大事じゃないかと思います。例えば、これから地震予知というものがだんだん学問が進歩するにつれてルーチン化され、あるいは東海地震だけではなく全国的に考える時代が来ると思いますけれども、そういうことは行政とか場合によっては財政とかあらゆることと関係がありますので、これはもう地震学者だけの仕事ではないように私は感じております。  非常にスピードアップいたしましたのでございますが、これでおしまいにいたします。

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) どうもありがとうございました。  次に、大崎参考人にお願いいたします。大崎参考人。

大崎順彦清水建設株式会社代表取締役副社長

○参考人(大崎順彦君) 御紹介いただきました大崎でございます。  三十分ほどお時間をいただきまして、今の浅田先生のお話は地震学といいますか、理学の分野のお話でございましたが、私は工学者でございまして、地震といったものを工学的にどうとらえるか、またそれに対しまして、例えば耐震、防災というような問題で工学的にどう対処するかといいました、地震工学と言っておりますが、そういう地震工学の立場から若干御説明をいたしたいと思います。  まず、地震でございますが、今お話のありました地震といいますのは、地球全体を震わせるような、いわば全地球的な規模で起こる現象でございますが、そういう地震が原因でございまして、我我の非常に身近にありますところの地面とか、あるいは地面のごく浅いところなどが震動、震えますが、それを地震動、こう言っております。この地震と地震動ということは、これはまずはっきり区別して考えていただきたいわけでございまして、よくマグニチュードということと地震動の強さの震度ということを混同していらっしゃる方がございますけれども、マグニチュードといいますのは地震の方の全体のエネルギーをはかる尺度でございまして、それに対しまして震度と言っておりますのは地震による地面の揺れ、地震動の強さをはかる尺度でございまして、この点は地震という言葉に対する地震動というようなことではっきりとまず区別していただきたいと思います。  地震工学はこういう地震動に対しまして対策を考える学問でございますが、対策を講じますためには、地震動とはどんなものであるか、いわば敵の正体をはっきりとつかむことがまず先決問題でございまして、地震動の正体とは一体何だ、どんなものだということがまず第一の問題でございます。そのためには、地震によりまして地震動が起こる、地面が揺れましたときにそれを記録してやらなければなりませんが、その記録いたしますための機械が御存じの地震計でございまして、これによりまして地面の動きを記録しております。  ところが、おかしな話でございますけれども、地震計というのは非常に精密な機械になっておりまして、ちょっとひどい地震が来るとすぐに壊れてしまう。家が壊れたり橋が壊れたりする前に真っ先に壊れるのは地震計だというような変なことがございます。ですから、従来の地震計では我々が一番問題とする非常に強い地震動——強震動と、こう言っておりますが、強震動というものは実は記録することができなかった。日本ではしょっちゅうどこかで強震動を受けておりますので、強震動に関する記録とか知識というようなものはもう十分あるんじゃないかとお考えになるかもしれませんけれども、実はそうでございませんで、例えて申しますと、大正十二年の有名な、東京が壊滅いたしました関東大地震のときの地震動、そのとき東京では一体地面がどんなに揺れたかという記録は実はないのでございまして、これは当時のいろいろの現象を総合いたしまして、これから復元をいたしまして、恐らく関東大地震のときの東京の地面の揺れはこんなものであったであろうということを推定した記録でございますけれども、ああいった有名な大地震、関東大地震にいたしましても実は記録がとれていない、地震計の方が壊れてしまいまして記録がとれていないというのが実情でございました。  これではいけないというので、非常に強い強震に対しましても絶対に壊れないような地震計、きちんとどんな強い地震の記録もとってくれるような地震計が必要だということになりまして、そういう地震計を強震計と、こう申しております。これが強震計の一つの型でございますけれども、どんな強い地震が来てそこいらの家とか何かが全部ぶっ壊れましてもこの地震計だけは壊れないできちんと記録を残してくれる。いわば、飛行機が墜落いたしましても、その飛行記録でありますとかあるいはパイロットの会話とかをきちんと残してくれます、皆さん御承知のフライトレコーダーでありますとか、あるいはボイスレコーダーというものとまあ性格的には似ておりますけれども、これが強震計でございまして、こういう強い地震動の正体をとらえるためには、どうしてもこの強震計を備えつけておかなければいけないということを最初に世界で言いましたのは実は日本の学者なんでございますが、実際にそれをつくりまして据えつけましたのはアメリカに先を越されてしまいました。  そして、これは昭和十五年でございますけれども、今からもう約五十年昔でございますが、これはアメリカのカリフォルニアにエルセントロというところがございますが、そこで非常に強い地震動がございまして、それをこのアメリカの強震計がキャッチいたしました、その記録をお目にかけているわけでございます。ですから、昭和十五年五月十八日のこの記録というのは、実は人類が強震動というものの正体を初めてとらえたいわば歴史的な金字塔のような、そういう非常に有名な記録でございます。  それでは、我が国日本においてはどうであったかといいますと、おくればせながら戦後になりまして日本でも強震計を製作いたしまして、それを備えつけまして日本で最初に強い地震動の正体をとらえましたのが、これも皆様御存じと思いますが、昭和三十九年六月十六日、新潟地震の記録でございます。これが日本において最初にとらえました地震動の正体、そういうものでございまして、新潟地震は皆様もうよく御記憶になっていらっしゃると思いますが、四階建ての鉄筋コンクリートのアパートがすっかりひっくり返ってしまったというような大被害を生じました、そういう地震でございました。  それで実は強震計は今日本にはどのぐらいあるのだということでございますが、これが現在日本の各所に設置されております、強震計の置かれております場所でございますが、台数にいたしまして現在約千七百台ぐらい日本全国では備わっております。  それでは、それで一体十分なのかといいますと、ぜいたくを言えば切りがございませんけれども、大体我々の間では日本であともう千台ぐらい欲しいと。あと千台ぐらいありますと大体平均いたしまして五十キロの間に一つ、そういうネットワークといいますか、この強震計の綱で日本全体をかぶせることができまして、あと千台ふえましたならば恐らく日本のどこで強震動が起こりましても必ずどこかの強震計がその記録をとってくれる、そういう体制が整備されるだろうと思います。ちなみにこの強震計の値段でございますが、一台相当性能のいいもので三百万円ぐらいでございまして、千台備えますにもわずか三十億というような値段であるということは申し上げておきたいと思います。  それで、かなり現在までも強震計の記録が世界的にはもちろん日本の国内でもたまってまいりまして、そういうものを分析いたしまして、地震動というものの正体は何か、どんな性質を持っているのかと。また、その性質のうちで、構造物を壊したり、あるいはその結果として人命を失わせたりする要因といいますか、ファクターとして一体どんなものがあるかということでございますが、これはいろいろございまして、例えばこれが一つの地震動の記録でございますが、一番強い揺れ、ここですが、この一番揺れの強い、それはどのくらいの強さであったかという最大の強さということはもちろん一つの要因でございます。  それから、地震動というのは、始まりましてずっと続いて、あるところで終わりますけれども、これが一体何砂あるいは何十秒続いたかという継続時間、これも長いのもあれば短いのもありますが、この継続時間がどうであったかということも非常にその被害、震害ということから見ますと重要なファクターであります。それからまた、始まりましてずっと強くなってまいりまして、まただんだんおさまってくる、この始まってから強くなり、またおさまっていくまでの全体の形といいますか、ここで包絡形と書いておりますが、これがまたどんな形をしているかということが非常に重要なファクターの一つでございます。  それからもう一つ重要なことは、震動しておりますけれども、この震動、揺れの中には非常に速い、がたがたがたがた揺れますそういう揺れ方、そういうのを高周波成分、周波数の高い成分、こう呼んでおりますが、それとゆっくり揺れる、ゆらゆらとゆっくり揺れる、そういう地面の揺れ、それを低周波成分、こう呼んでおりますが、こういうものがミックスしているわけでございます。それがどういう割合でどういうふうにミックスしているかというそのまじりぐあい、これがまた大変重要なファクターの一つでございます。  ですから、こういう地震動の正体というものをとらえまして、それに対して一体どう対策を立てるか、例えば建築の設計をどうするかというような問題になりましたときには、こういうファクターの一つだけを取り上げて、例えば最大の強さがどうだったからというようなことだけでは不十分でございまして、こういう地震動というものの持っております性質の全体、いわば全体像といいますか、地震動の全体像というものをつかんで、そういう全体像に対しまして対策を講じるというような方法をどうしてもとる必要がある、こういうことでございます。  それでは、いろいろのファクターがございますが、そういう全体像というものを何か一目でわかるようにあらわす、そういう方法はないかというのが問題でございますが、ここでもう一つ重要なことを申し上げますと、ここに書いてありますのが地震動の性質、ですから害を与える方の、いわば加害者の持っております性質でございまして、そういう加害者の全体像、これももちろん必要でございます。それと同時に、これは比較的最近になってわかってきたことでございますが、その地震動によって揺られて被害を受ける方、例えばこの建物、あるいは超高層あるいは普通の住宅でもそうでございますが、地震動の影響を受ける方の被害者の性質、それもまた非常に重要なファクターであるということがだんだんわかってまいりました。  それで、そういった加害者の全体像、それから被害者の立場というものを一まとめにいたしまして非常にわかりやすくあらわしましたのがこの図でございまして、応答スペクトルというような難しい言葉で呼んでおりますが、意味は、こちら側に、横軸の方にいろいろの建物が並んでいると、こう考えていただいていいと思うのです。これは非常にわかりやすくするために建物を階数で、十階建て、二十階建て、三十階建て、四十階建て、五十階建てと建物の階数でごく簡単にあらわしてございますが、要するに、高さにいたしますと割合低くて、構造といたしましてはがっちりしている、いわゆる剛構造と言っておりますが、剛構造の建物はこの辺のところに来る。それから背が高くて、柔構造と言っておりますが、非常にゆっくりゆらゆら揺れるやわらかな構造物、それがこの辺のところへ来るということでございまして、ですから、同じ地震動を受けましても、剛構造と柔構造では非常に受ける力が違う、受ける影響が違うということをあらわしているわけでございます。  地震の全体像も実はさまざまでございまして、こんな簡単な一本の線であらわせるわけではございませんけれども、地震動の正体、全体的な傾向といたしましては大体こんな形になってくる。ですから、少し割り切ってお話をいたしますと、鉄筋コンクリートとか何かで十階建てとかいう、ここらあたりですね、こういう建物が一番大きな力を受ける、大きい影響を受ける。それから逆にゆらゆらする非常にやわらかい構造物になっていきますと、同じ地震動でもその構造物が、建物が受ける地震の力というものは格段に小さくなってくる。地震動というものはそういう性質を持っているんだということが徐々にわかってまいったわけでございます。  超高層というもの、皆さん、あれは大丈夫かというようなお話をよく聞きますが、日本では、昔は超高層などはとんでもない話だと考えられておったわけですが、現在になりまして超高層が日本のような地震国でもできるんだ、つくって大丈夫なんだというふうになってまいりましたのは、この応答スペクトル、この形がはっきりわかってきたわけでございまして、例えば四十階建て、五十階建てになりますと、実は地震によって受ける力というのは非常に小さいのだということがはっきりしてきて、この辺の事情が、地震国であります日本におきましても超高層というものの建設を可能にしたその原因はこういう曲線の形にあるわけでございます。  それで、きょう話をせよと言われました一つの話題といたしまして、地盤によって地震の被害が違う、地盤で一体どう違うんだというようなお話がございますが、これもごく大づかみにいたしますと、これは今と同じ応答スペクトルです。こちら側は建物の階数が書いてありまして、こちらはかたい建物からやわらかい建物に移っていく、こうお考えいただいて結構でございますが、こちら側に地震によって受ける地震力が書いてあります。地盤の違いといいますのは非常にかたい地盤、例えば東京を例にとりますと大体山手と考えていただいていいと思いますが、同じ地震を受けましても、山手の建物にかかる地震の力はこんな格好になっております。ですから大体十階以下、これは七、八階の建物ということになりますか、山手におきましては七、八階建てぐらいの建物が一番大きい力を受ける。逆に地盤がやわらかい場所、東京で申し上げますと下町でございますが、下町でございますと今度は逆にこんなカーブになりまして、ここらあたりということになりますでしょうか、二十階ぐらいの建物が一番大きい力を受ける、そういうようなこともほぼつかめてまいりました。  実は昔から、地盤が悪いと、地盤がやわらかいと非常に大きい地震の被害を受けるというのは皆さんのもう古くからの常識のようになっておりましたが、必ずしもそうではございませんで、昔は日本の建物は木造でございましてやわらかい建物であったわけでございます。ですから、地盤がやわらかいところではやわらかい建物が大きい被害を受ける。ですから木造が過去においては大きい被害を受けたと。ですから地盤がやわらかいと被害が大きいんだと、短絡して常識のようになっておりますが、実はそうではございませんで、地盤がかたくてもかえって大きな地震力を受ける場合もあるのだというようなこともわかってきたことの一つでございます。  では、それに対しましていかにしてその安全を確保するかということでございますが、これも皆さん御存じと思います。地震に安全な耐震設計の仕組みは日本ではどうなっているんだということでございますが、まず基本をなしておりますのが、皆さんよく御存じの建築基準法という法律がございまして、その法律で安全でなければならないという設計の理念といいますか、一番基本的なことはこの法律で縛っております。それから、ただ安全につくれと言いましただけではどうやっていいかわからないということがございますので、もう少し詳細にわたりまして、ここはこうせいとか、ここはこうした方がいいとかいうことを、いろいろ判断の基準と申しますか、設計するに当たって判断するよりどころになるものを建設省の告示でありますとかあるいは通達、一連の告示、通達がたくさん出ておりますけれども、ここで押さえていると。  それで、日本の耐震設計の基本の枠組みというものはこの二つで、これから上でできているわけでありますが、実際に設計をやるという段になりますと、なかなかそういう法律の規定あるいは告示、通達の規則などでは律し切れないものがたくさんございまして、そういうのはやはり設計者が自分で判断する。それから、設計者の経験でありますとかあるいはその設計者の持っておりますいろいろの知見、知識、そういうものを十分に使いまして全体として非常に安全な建物を設計していく、そういうふうな仕組みになっているわけでございます。  それでは、一体現在日本の建物ほどのぐらいの地震に対して大丈夫なんだ、どのぐらいの地震が来たら壊れてしまうかというその大体の基準でございますが、これもなかなかはっきりは言えませんけれども、建築基準法で一つの目標として持っております目標でございますね、これは大体こういうことになっております。平素はもちろん人命は傷つけてはいけません。それから、建物はそれぞれの建物に応じた機能を持っておりますが、そういう機能がもちろんだめになってはいけません。それから、建築物というものは一つの財産、資産でございまして、その資産価値というものがいつも十分なければいけない。  それに対しまして、この下の二つがそれぞれ地震が来たときに一体どうなるんだというその目標でございますが、二つにこれは分けて考えておりまして、上の段で言いますと高頻度地震ですね、かなりしょっちゅうやってくる。少し具体的に言いますと十数年に一度ぐらい来る地震。これほどのぐらいの強さかといいますと、大体皆さん御存じの震度四とか震度五とかいいますが、それで申しますと震度五のうちの小さいぐらい、これですと十数年に一回ぐらいはまず来るものと覚悟しなければいけません。実際にもまた来ておりますけれども、そういう高頻度の地震に対しましては、人命はもちろん傷つけてはいけない。それから建物の機能も失われてはいけません。ただ、例えばごくつまらないところに若干ひび割れが出ますとか、あるいはどこかが少し壊れるとかというようなことでわずかに資産としての価値、これは少し落ちることがあるかもしれない。このくらいがしばしば経験する地震に対しましての設計の目標であります。  それに対しまして今度は希頻度地震、非常にまれにしか来ない。建物が耐用年限七十五年とか百年とか申しますけれども、そういう耐用年限の間に一回来るか来ないか、そういう地震。再現期間にいたしますと大体百五十年から二百年に一回ぐらいまあ来るだろうというぐらいの強い地震。ですから、震度で申しますと大体震度七というようなところでございますが、こういう地震を受けましたときに、もう財産としてはめちゃめちゃになってしまう。建物としては、資産としてはだめになってしまう。それは仕方ない。それから建物の機能ももうそれですっかり失われてしまう。それも仕方ない。しかし、こういう地震に対しましても建物が例えばぺしゃんこになるとか、あるいは全体がひっくり返ってそのために人命が失われるということだけは何としても防ぎたい。それがこういうごくまれに起こるか起こらないかという強い地震に対する一つの設計の目標でございます。ですから、現在の日本の建築は大体この目標を最低限満たすように設計をされているはずでございます。  ただ、先ほど申しました非常に設計者が優秀でありますとか、あるいはかなり予算的に許されて建築基準法が定めております最低の基準、ミニマムリクアイアメント以上のことをやっていることもたくさんございますので、そういう立派な設計に対しましては、この辺もこんなにめちゃくちゃにはなってしまわない。逆に、非常にお粗末な設計者が設計をするとか、あるいは予算的に極度に無理なことを言われているとか、あるいは一たんできました建物の維持管理ですね、建物といえども人間と同じで、年をとってまいりますと弱ってまいりましていろいろの成人病にかかりますけれども、そういう肉体的なといいますか、建築物の寿命に対する、老化に対します維持管理、そういうものが非常におろそかにされているというようなことがあるといたしますと、割合しょっちゅう起こる地震のときでも相当やられてしまうというようなことが起こる、そういうケースもあるということは十分考えられるところであります。  それから、もっと申し上げたいこともあるのですが、時間が参りました。将来、今後の動向でございますが、動的設計、これはちょっと専門的になるので省きますけれども、やはりその設計者が一体どんな地震に対して設計をしたらいいか、また中央、地方によりましてどの程度余裕を見込んでいけばいいかというようなことは、実は非常にわからない問題でございまして、皆困っているのでございまして、この地震の予知というようなことで、日本の大阪ならどのぐらい考えておけ、あるいは沖縄ならどの程度の地震を考えればよろしいと、あるいは静岡県はどうかというようなことを、あした起こると言われましても手おくれでございますので、大体五十年か百年ぐらいの範囲内で、設計としてはこのぐらいの地震が起こることは考えておけよというようなことまで、長期的な予知でございますとそこまでやっていただければ非常に楽になる、そういうことがございます。  それから強震観測網、これは最初に申し上げましたが、何としても地震動という敵をもっともっと正体をはっきりさせたい、こういう強震観測網の整備ですね、こういうことも今後十分考えていただきたいことでございます。  それから、最近はやりの免震構造というのがございます。免震構造というのは一体どういう考えなんだということを申し上げますと、また先ほどのこの図面にちょっと戻りますけれども、先ほどお見せした図面でありますが、要するに、何かがっちり建物をつくっておきますと、ここら辺かたいんですね、がっちり建物をつくっておきますと非常に大きな地震力を受ける。それに対しまして、非常にやわらかいソフトな建築にしておくとかえってこの力が少ない。これを利用しているのが免震構造でございまして、入れ物はこれはがっちりつくっておかなきゃいけないわけですね。平素何かぺこぺここの辺動いては困りますので、入れ物としての箱はがっちりつくっておく。しかし、その箱の下に非常にやわらかいクッションを入れてやりまして、建物の全体として見ると非常にやわらかい構造になっている。こういうクッションを入れてやるわけですね、おしりの下に。そういたしますと、建物の性質としてはこっちの方にまいりますので入ってくる地震力は非常に小さい。ですから非常に耐震的に楽な設計ができる。  これが免震構造のいわば原理でございまして、実際にそのやわらかいクッションをおしりの下に入れると、これはまたいろいろの考えがございますけれども、ちょっと見えにくいと思いますが、ここに入っておりますのがそのやわらかい座布団みたいなクッションでございまして、これで全体を非常にやわらかくしてやる。ただ、やわらかくて地震が終わったときに、どこかにヒューッと行ってとんでもないところでとまっては困りますので、地震が終わり、あるいは地震の最中でも余りその座布団がとんでもないところに動いていかないように、それを油圧で、オイルでじゅわっと押し戻してやらなきゃいけない、そういう押し戻す装置ですね、それがまあこういうふうに走っている。ですから、やわらかくしてやるクッションと、もとの位置から余り変なところに動いてしまわないように戻すというメカニズム、これを加えたものが実際の免震装置の構造でございます。  ただ、免震装置も頭で考えますと今言ったような大変簡単なことでございまして、だれでもすぐにできそうに思いますけれども、これは専門的にはまたいろいろ問題がございまして、そういうものを相当解決しないと本当の実用にするははちょっと怖いというようなところがありますので、私どもも今度こういうような建物を二軒建てまして、一つはこれは普通の建物なんです。それから、こちらは、上の構造は全く同じなんですが、下に免震構造が、クッションが入っている。そういうのをこう並べて建てまして地震が来るのを待っている。まあ数カ月に一回ぐらいは記録がとれますので、そういうようなものを鋭意集めてまいりまして、そういうデータがかなりそろったところで、よし、それではもう免震は実用できるというように踏み切る時期がかなり近い将来に来るのではないかというふうに私は考えております。  最後になりましたが、お手元に、これは私の書きました本で岩波新書の「地震と建築」というものが差し上げてあると思いますが、自分の本の宣伝をしてまことに恐縮でありますけれども、岩波新書ですから、一般の素人の方にも今お話しいたしましたようなことをもっと詳しく、しかもわかりやすいように書いているつもりでございますので、先生方お忙しいと思いますが、もし何かお時間でもありましたら、さっとお読みいただければ大変著者の私としてはうれしいと思う次第でございます。  どうも長い間御清聴いただきましてありがとうございました。

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) どうもありがとうございました。  殊に著書までいただきましてまことにありがとうございました。  次に、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人。

伊藤和明日本放送協会解説委員

○参考人(伊藤和明君) 御紹介にあずかりました伊藤でございます。NHKで解説の仕事をしております。では、お許しいただいて座ってお話をさせていただきます。  御承知のように、日本列島は地震国、火山国でございまして、今伊豆大島の三原山が盛んに噴火をしております。きょうはちょうど火口を埋めました溶岩が中央火口丘を越えて流れ出しまして、この先かなり長期間にわたって噴火が続くのではないかというふうに言われているわけなんですが、こういったありさまを見ましても、日本列島というのは地球の上でも非常に変動の激しいところなんだという感を改めて深くするわけでございます。  きょうは地震の予知と防災についての委員会ということでございまして、浅田先生、大崎先生それぞれに御専門の立場からお話をいただいたわけですが、私は、今は何といいますか、災害ジャーナリストといいますか、昔、実は私は地質学という地球のサイエンスを勉強していた時代がございました。それを生かして今マスコミで自分のそういった仕事をしているわけでございますが、そういったさまざまな取材の体験などから、きょうは以下の三つの点についてお話をしたいと思うんですが、まず第一に、最近の地震災害を通してどういうような問題点、どういうような特徴というものが浮かび上がってきているかという点。それから二番目に、現代の大都市というものがどのような危険性を潜在させてきたかという点。それから三番目に、地震に対する耐震とかいうようなもちろんハードな対策というのは重要でございますけれども、人間の心理や行動に基づくようないわばソフト対策というのが今後の大きな問題になってきているのではないか。こういった点についてお話を申し上げようかと思います。  まず、近年の日本における地震災害の特徴でございますが、お手元に簡単なレジュメを用意いたしましたので、大体これに沿ってお話を申し上げようと思いますが、一口に申しますと、最近の地震災害の特徴は、私は地盤災害だと思っております。地盤の崩壊であるとか破壊あるいは液状化といったような現象、これが非常に災害として目立つようになってまいりました。日本の場合は、建物が全壊をしたり倒壊したりするという被害よりも、その建物のいわば基盤に当たる地盤が破壊されるというケースが非常に最近目立っている。日本海中部地震の津波災害はちょっと別にいたしましても、ほとんどの地震災害がそういう地盤にかかわる災害であるというふうに申し上げていいのではないかと思います。  そういったものを分類いたしますと、一つは山地斜面といいますか、急斜面と申しますか、そういったものが崩壊する災害。それから二番目に、山そのものが崩壊する、いわば山体崩壊とよく呼びますが、こういう山体崩壊とそれに伴って岩屑流というようなものが発生した災害でございますね。それから三番目に、都市周辺などで開発された丘陵の造成地での地盤破壊、崩壊といったものが災害を招いているケース。それから四番目に、埋立地などによく発生するわけですが、砂の地盤の液状化というような災害でございます。大体こんなふうに分けられるのではないかと思うのです。  まず山地斜面の崩壊、これは強い地震動によりまして山地の急斜面が崩れまして人家などを埋没するものでございまして、ここに書いてございますような伊豆半島沖地震、あるいは伊豆大島近海地震のときに、伊豆半島の各地で発生をいたしまして大きな被害を出しました。この二つの地震による死者は、すべてがそのような斜面崩壊の犠牲になったと言ってもいいと思うのです。こういうような斜面崩壊と申しますものは大地震のたびにほとんど必ず発生しているわけなんですが、とりわけこの二つの地震の例の伊豆半島の場合は、昔の火山の噴出物が風化したもろい地質、もろい地盤である上に、特に最近の観光開発によりまして新しい道路あるいは新しい鉄道が開通する、その工事のために人工的に急斜面をつくったということもかなり被害を大きくした一因になっているという点が一つ指摘できるのではないかと思います。  それから、二番目になりまして山体崩壊、これは実はここに書いてございますが、おととしの九月十四日に発生しました長野県西部地震という地震がございます。  この地震のときに、あの木曽の御嶽山の山腹が大崩壊を起こしました。幅五百メートルぐらいにわたって大崩壊を起こしました。しかも、その崩壊した山の部分が岩屑流、ここに書いてございます岩屑流、これはドライアバランシュと呼びますが、言ってみれば乾いた岩雪崩というような状態でして、普通の泥流とか土石流というのが水を媒体にして流れ下るのに対しまして、この場合は空気が媒体になって大量の土石、御嶽の場合ですから溶岩とかいろいろな過去の噴出物が空気の流れに乗って流下するという現象でありまして、非常に猛烈なスピードを持ちます。それが一つの谷を流下して、そのためにその通り道に当たりました谷の両側は全く破壊をされてしまいます。高さ大体八十メートルから百メートルぐらいにわたって破壊をされまして、十キロ下流まで流れ下って王滝川という川の本流に入ってそこに堆積をします。堆積をしたところは、何と川床が三十メートルも上がってしまってすっかり地形が変わってしまうというような出来事が起こりました。まさに非常に恐ろしい出来事が起こって、自然の脅威そのものを感じさせたというわけなんです。  この岩屑流の通過した谷には温泉宿が一軒あっただけでございまして、この温泉宿の四人の家族が生き埋めになりました。そのほかここに、この谷に釣りに入っていた釣り客も合わせて大体十三人の人がいまだに行方不明のままになっているという状況でございます。ただ、せめても不幸中の幸いだったのは、十キロ流れ下ったと申しましたが、その間には一つも集落がなかったということでございます。もし集落があったならば、これは数百人あるいはそれ以上の大災害の死者が出るような大災害になったのではないかと思われるわけです。  次に、三番目の丘陵造成地の崩壊による災害でございますが、これが非常に大きな問題となりましたのは一九七八年、昭和五十三年の六月十二日に起きました宮城県沖地震でございます。この地震では死者が二十七人出まして、全壊家屋も多数出たわけなんですが、この死者というのは実はブロック塀とか門柱の下敷きになって亡くなった方方も多かったんですが、そのほか建物の被害の方がまた問題でございまして、最も被害の大きかった仙台市では、水田を埋め立てて造成した、仙台市の東側に当たるんですが、卸商センターと呼ばれているいわば流通センター、こういうところに非常に被害が集中をいたしました。  それから、仙台市の西と北の方に丘陵地がございますが、その丘陵地を開発して造成された、いわば新興の住宅地に被害が集中したという特徴がございます。とりわけそういった丘陵造成地では造成をするときに谷を非常にずさんに埋め立ててつくった、そういった造成部分などで崩壊が発生をいたしました。もとの地山とそれから埋め立てた土との間がずれるというようなことが起こったわけでございまして、住宅そのものは堅固でありまして何ともなかったのですが、その足元の地盤がさらわれるというような形で地盤ごと崩れたり倒壊したりする、せっかくローンで購入したマイホームが全壊するというような悲劇があっちこっちで生じたわけでございます。この問題は、仙台市の膨れ上がる人口を吸収するためにそのような造成を行ってきた、そういうときに地震が起きてそういうような結果になったわけでございますけれども、改めてこの都市近郊開発の問題点というものをさらけ出したのではないかと思います。  こうした丘陵地の開発造成というのは首都圏の周辺でも大規模に行われておりまして、とりわけ神奈川県三浦半島あたりへ行ってみますと、非常な急斜面に住宅がへばりついているというような状況が出現しております。こういうようなところに震度五以上の強い揺れが襲いますと一体どういうような事態になるのか、これは極めて憂慮される状態ではないかと思います。  それから、四番目でございますが、砂地盤の液状化による災害。液状化災害と申しますのは、先ほどのこの大崎先生の御本にも詳しく書いてございますので、お読みくださればおわかりいただけると思いますが、一九六四年のあの新潟地震のときに信濃川の河畔で顕著に発生をいたしました。それから一九八三年、三年前のあの日本海中部地震でも秋田県、青森県下で発生をいたしました。  この液状化といいますのは、よくそろった砂粒の地盤で、その砂の間隙を水が埋めているようなそういう地盤で発生をいたします。これは言いかえれば、砂の地盤で地下水が非常に浅いところにあるようなところで起こるものでございます。ふだんはその砂粒同士の支持力というものが働いておりましてがっしりとしているのですが、そこに地震の強い揺れがまいりますと砂粒同士を支えていた支持力が外れてしまいまして、砂が水の中に浮いたような状態になる。つまり液体のような状態になってしまうので液状化というふうに呼んでいるわけですが、その上に建物が建っておりますと、あの新潟地震のときに御記憶かと思いますが、建物が沈下する、傾く、あるいはあの県営アパートのように倒れるというようなことが生じるわけであります。また、道路なども亀裂が生じたり段差が生じたりするというような被害が出ます。  この液状化というのは、これによって死者が出るということはございませんけれども、物質的被害が極めて大きくなるという特徴があるわけでございます。しかも、こうした液状化というのは水辺の埋立地などに発生しやすいわけでございます。新潟地震のときには、液状化被害の分布を地図の上にずっとプロットをしてまいりますと、まさに信濃川の旧河道、昔川が流れていた道があらわれてまいりました。そういうところを埋め立てて、特は昭和三十年以降にビルや住宅を建てたところに被害が集中をしました。当時のNHKも、あそこは建てたばかりでございまして、新潟放送局も見事に沈下をしてしまったということもございます。  それから、三年前の日本海中部地震では秋田市や能代市で随分被害が出たのですが、これも実は沼などを埋め立てて新しい住宅を開発したところ、そこに液状化被害が集中したという特徴がございます。  一般に埋め立てには砂な使うことが多いわけなんですが、地震さえなければ砂の地盤というのはしっかりした地盤を形成しているのですが、海岸や河川あるいは池や沼などを埋め立てますとそこに当然水が関与をしてくるわけでありまして、砂プラス水という条件がそろって、そこに地震の強い揺れが来ると液状化という現象を引き起こすということでございます。  以上、近年の日本での地震災害というのはそのほとんどが地盤災害であるということを申し上げたわけでございますが、とりわけ開発によって造成されたいろいろな人工地盤と言っていいと思うのですが、そういったものが災害を招きやすくしている、また災害を拡大する要因となっているということは、これは軽視できない問題ではないかと思います。以上が第一のパートでございます。  次に、そういった点も踏まえまして、今度は現代の大都市の抱える問題というものをちょっと概観をしてみますと、個々の建造物の耐震性というのは増してきたのですけれども、都市環境全体は余りにも雑然としてしまって防災都市構想などというのとはちょっとかけ離れたような姿になってきているのじゃないかと思います。  実は、地震はよります壊滅的な災害、一つの都市が壊滅するような地震というのを振り返ってみますと、一九四八年、昭和二十三年の福井地震以来日本では起きておりません。この福井地震では三千九百人近い死者が出たわけなんですけれども、それ以来、何と百人以上の死者を出すような地震というのはほとんど起きていないのです。ほとんどと申し上げたのは、たった一例、先ほどからお話に出ております日本海中部地震で、津波によって百人の死者プラス四人で合計百四人の死者が出た。それ以外、福井地震以来三十数年、こういうたくさんの死者を出す、百人以上の死者を出すような災害というのは日本では起きておりません。  以前の日本の歴史というものを調べてみますと、日本列島に大災害の相次いだ時期というのは妙に固まっていることがございました。例えば最近では終戦前後でございます。昭和十八年鳥取地震、十九年東南海地震、二十年三河地震、二十一年南海地震、そして二十三年の福井地震、これはいずれも千人のオーダーの死者を出すような大災害が発生をしてきております。ところが、福井地震以後というのは、今も申し上げたように、何か非常に平穏な時代になっているような印象なんです。確かに、それは日本海中部、宮城県沖といろいろ地震はあるじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、都市が壊滅するような地震というのはどうも起きておりません。  これは自然の方の揺らぎなのか。十勝沖地震のような巨大地震はあっても陸地から遠かったので余り壊滅的な災害にならなかったということもあるわけですが、私はよく、この三十数年の平穏な時代を地学的に平和な時代だというふうに言っております。  実は、この地学的平和の間に日本は御存じのような高度成長を達成してしまったわけなんです。これはまことに幸いなことだったのではないかと。日本の高度成長のときと地学的に平和な時期というのがうまいぐあいに一致してしまったのではないかと。もしこの間にあの関東地震のような、都市が壊滅するような大震災があったならばやはり日本の成長というのはもう少しおくれたのではないか、現在のような繁栄を獲得するのはもう少しおくれたかもしれない、そんな印象をいつも持っておるのです。  ところが、この間に都市の方はどうなったのかといいますと、これはもうおわかりのように、超高層ビル、地下鉄、地下街、地下埋設物、高速道路あるいは新幹線のような高速鉄道、港湾の埋め立て。何と言いますか、大都市が立体的に過密になってきたという現状があります。しかも、これらはいずれも震度五以上の強い地震というものは経験しておりませんのですね。昨年の十月四日に震度五というのが東京でございましたが、あれは五と言うにはちょっと小さい、私は四の強ぐらいではないかと思います。実際にあの地震では被害が出ておりません。被害の出るような強い地震というものを、例えば東京をとってみると五十数年も体験をしていないという事実がございます。  実は、江戸時代以来、江戸から東京にかけて被害を出した地震というものを調べ上げると、大体三百八十年の間におよそ三十五回、被害の出た地震がございます。ということは、大体十年に一回は東京に被害の出るような地震があってもいいはずなんですけれども、不思議なことにこの五十数年、六十年近くも東京では大きなといいますか、ほとんど被害の出る地震というものは起きていない。その間に、今申し上げましたように地震の強い揺れを体験していないようないろんな構造物ができ上がってきて、これは、言ってみれば一方では危険の蓄積に向かってまっしぐらに進んできたのではないかというような印象を持っております。ですから、今例えば東京を中心とする大都会に広がっているのは、私は、どうも大地震に未経験の繁栄が広がっているんだとよく申しますが、これがどうも現代の日本の大都市の現状なのではないかというふうに思っております。  以上が二番目のことでございますが、さて三番目にお話し申し上げたいのは、地震災害の中でも人間自身の心理とかあるいは行動といったものが思いがけない災害を引き起こす可能性があるという問題でございます。  これは、よく知られておりますように、地震が起きて災害が発生しますと、その発災後に流言であるとかあるいはデマが発生して大混乱を招くというのがございます。一つ大きな地震がありますと、もっと大きいのが来るというような流言がよく発生をしたりいたします。あの関東地震のときの朝鮮人暴動騒ぎというのが非常に有名でありまして、いろいろな本にも書いてありますけれども、あの事件といいますのは、もちろんこのときはまだNHKの放送も始まっておりません。ラジオがなかった時代。あるいは新聞社なんかもこの地震によって壊れてしまいまして、言ってみればそういう公の情報が皆無、全くなかったような中で発生をした、言ってみれば口コミ災害と言ってもいいのかもしれません。そういう中で発生した朝鮮人暴動事件の流言やデマによってたくさんの人が命を失うというような悲しい出来事になってしまったわけですが、現在を見てみますと、これは私はむしろ情報があり余り過ぎた、情報過多の時代なんじゃないかと思います。  これは、もう御存じのようにたくさんマスコミの種類というのがございまして、中には一部の雑誌などが興味本位で記事を書き立てるというようなことがございまして、そういった記事がこれまでもたびたび地震に関する何と申しますか、流言のようなものの発生を招いてきたというようないきさつもございます。例えば何月幾日にどこどこで大地震が起こるというような流言がよく飛び交うわけでございます。人心を惑わした例もございます。しかしよく考えてみますと、これは当たり前のことなんですが、何カ月も前に、何月幾日にどこで地震が起こるというような、日を特定した地震の予知というものは現在の地震予知技術をもってしてもこれは不可能でございまして、今後も恐らくこの種の流言は発生する可能性があると思うのですが、こういった流言というものは、すべて科学的な根拠のないものであるということをこれは申し上げておかなければいけないと思います。  次に、問題は地震予知情報というものが発表されたとき、ですからこれは地震が起きる前の話ですけれども、そういう情報の受け手の側の対応の問題というものが一つ挙げられるのではないかと思います。現在、東海地震の発生というものが直前に予知されましたときには、警戒宣言というものが総理大臣から発表されることになっております。警戒宣言発表までの手順といいますのは、ここにいらっしゃいます浅田先生を会長といたします判定会の判定に基づきまして、気象庁長官、それから総理大臣に報告され、総理は閣議を開いてそれを発表するというそういうシナリオになっているわけなんです。  仮に、将来そういったシナリオどおり事が進行したとしましても、実は問題はむしろその先にあるわけでございまして、これは強化地域の内か外かによってもその対応というのは異なるわけなんですが、今予想されております東海地震の警戒宣言、一両日ないし数時間以内に巨大地震が発生するであろうという予知情報が出るわけですが、その予知情報を受け取った一般の住民がどういうそれに対するリアクションというものを示すのか。あるいは果たして社会的な秩序というものが保っていけるのかという点になりますと、これは甚だ私どもの立場からいいましても不安な面が多いのではないかと思うのです。  これは、具体的な一例をお話し申し上げますと、それは東京都民の反応の問題でございます。東海地震が発生したときには、東海地震は先ほど浅田先生のお話にもございましたように駿河湾の中で発生するわけでございますが、東京の震度というのは一般的には五であらうというふうに予想されております。もちろん地盤の強弱なんかによりまして震度六近くになるところもあるだろうとは思いますけれども、東海地震のときの東京は、関東地震のときのような壊滅的な災害にはまずはならないだろうというふうに考えられるのです。  ところが、東京都民がそれではこの東海地震についてどういうような認識を持っているのかと申しますと、これは東京大学の新聞研究所がおととしアンケート調査をした結果を引用させていただくのですが、その調査で、例えば東海地震が発生をしたときの東京の震度はどのぐらいかという質問をしますと、そのときに東京二十三区の人たちの四九・一%、それから多摩地区の人の五〇・〇%、つまりほぼ半数の人々が震度六ないし七になるという、つまり烈震あるいは激震になるというふうに思い込んでいるということが挙がってまいりました。それから、東京の木造家屋どの程度の被害になるかという同じような質問、アンケート調査をしたわけでございますが、二十三区内の人たちは、ほとんど倒れるというのが二四・0%、半分近く倒れるというのが四五・二%でございまして、半分からほとんど全部の建物が倒れるというふうに予想している人が何と七割にも達しているということがこの調査結果からわかったことでございます。  これはまさに東京都民が東海地震について過剰反応を示していると言ってもいいと思うのですが、よく考えれば、恐らく東海地震と関東地震を混同している、六十三年前の関東地震のあの記憶がいまだに残っているものですから、そういうような混同が何かこういう過剰反応を引き起こしているのかなというふうにもとれるのです。この意識が、実は将来東海地震の警戒宣言が発表されたとき、東京都の防災対策の上で非常に大きな障害になりはしないだろうかというふうに懸念されるのです。  例えば、平日の昼間に警戒宣言が発表された場合、仮に各企業が従業員を一斉に退社させたとしますと、それでは一体そういう結果どういうことが起こるだろうか。これは、ある民間の研究所がシミュレーションを行いました。その結果、例えば二時間後には新宿の駅に十五、六万人の人が集まってくるだろうという予想が出てまいりました。新宿駅の収容能力は精いっぱいで二万人ぐらいでございます。そこに十五万人の人々が集まる。しかも、電車は減速運転をいたしますので輸送力が非常に低下をしてしまっている。その上、今お話ししたアンケート調査のように、半分ぐらいの人が震度六から七の地震が今にも襲ってくるというような恐怖を持っているとしますと、これは大変な混乱、パニックというものが発生するおそれもあるのではないか。そのようなパニックがターミナル駅などの至るところで発生したとしますと、これは地震も起きないうちにどうも人間自身の方が災害を起こしはしないだろうか。これは地震災害ではなくて地震予知災害が起きはしないだろうかということを私は大変心配している次第でございます。  そういった意味からも、災害時あるいは災害の発生が予知情報のようなもので予測された時点での人間の心理、行動といったものに主眼を置いた防災対策をこれはやはりひとつ考えていかなければいけない、これから推し進めていかなければいけないのではないかとふだんから感じている次第でございます。  時間が参りました。以上、これまでの取材体験というものを通しまして私の感じているところをお話し申し上げた次第でございます。

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) どうもありがとうございました。  それでは、これより懇談に入ります。  速記をとめてください。    〔午後三時三十五分速記中止〕    〔午後四時五十九分速記開始〕

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) 速記を起こしてください。  他に御発言もないようですので、懇談をこれで終えることといたしたいと存じます。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の方々には、長時間にわたり当委員会のために貴重な御意見をお聞かせくださいまして・まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。委員一同を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。  なお、本日参考人の方々から御提出いただきました参考資料につきましては、その取り扱いを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

伏見康治公明党・国民会議

○委員長(伏見康治君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時散会

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