文教委員会 第4号
- 発言数
- 294 件
- 登壇者
- 23 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1986/04/02
会議録
○委員長(林寛子君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 去る三月二十七日、関嘉彦君が委員を辞任され、その補欠として小西博行君が選任されました。 また、去る三月二十八日、太田淳夫君が委員を辞任され、その補欠として高木健太郎君が選任されました。 また、昨一日、久保亘君及び中村哲君が委員を辞任され、その補欠として八百板正君及び久保田真苗君が選任されました。 ―――――――――――――
○委員長(林寛子君) 去る三月二十八日、予算委員会から、四月二日の一日間、昭和六十一年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管について審査の委嘱がございました。 この際、本件を議題といたします。 予算の説明につきましては、既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○本岡昭次君 まず初めに、第五次教職員定数増及び四十人学級の問題について伺います。 一月三十一日の私の代表質問に対して海部文部大臣は、昭和六十六年度までには達成できるよう全力を尽くす、昭和六十六年度には達成できるように全力を尽くすと答弁をしておられます。六十六年まであと五カ年でございますが、これから五カ年、どのようにして四十人学級を達成していくのか、あるいは第五次教職員定数増を達成していくのか、年度別計画というようなものを持ってやっておられるのかどうか、お伺いします。
○政府委員(阿部充夫君) 四十人学級を含む第五次の定数改善計画につきましては、先生お話しございましたように、昭和六十六年度までに計画どおり達成をするという決意でその対応に努めてきておるところでございますが、各年度の対応につきましては、これはそれぞれの年度で予算上の措置として財政当局とも相談をし、固めていくということに桐なるわけでございます。 具体に言えば、当面、六十二年度の予算編成に向けての検討ということで、部内で現在検討を進めております。まだ結論を得るに至っておりません。もちろん、六十二年度の予算の概算要求を夏の段階で持ち出す時点におきましては、その後のことをおおむねの見当をつけて、計画とまで言えるかどうかはあれでございますけれども、大体こんな方向で六十六年度までに持っていきたいというような見通し等を立てつつ、六十二年度の具体の概算要求をするという考えでおるわけでございますので、現段階では検討中であるというのがお答えに相なるわけでございます。
○本岡昭次君 海部文部大臣にこの点については念を押しておきたいのです。 法律は、六十六年度までにこれを完成するということで、これは国会の中で非常に長い間論議を重ねて、与野党が、あるいはまた関係者が、最終的にいろいろ問題はあったにしても合意を得た、その法律だと思います。したがって、今のように六十六年を目指して決意をしていますということでなくて、これは法律に示してあるとおり、どんなことがあっても六十六年度までに、法律に示しているとおり完成させます、達成しますということでなければならぬわけで、再度大臣の方からの、この問題についての決意じゃなくて、六十六年度には文部省として責任を持って達成させますということをやはり言っておいていただきたいと思うんですが、いかがですか。
○国務大臣(海部俊樹君) この問題につきましては、私どもも、当初立てました六十六年度に達成させるという目標をどんなことがあっても実現したいというので、最大の努力を続けていく決意でございます。
○本岡昭次君 どうも決意でしてね。法律は六十六年まででありますからそれは当然のことでありまして、それに責任を持つということでなけれ行いかぬのですが、その問題をやりとりする時間がありませんから、少し中に入っていきます。大変不満であります。 例えば四十人学級にしても、十二月の予算案が確定しないとどうなるかわからないという現状で、現場の教育委員会や学校が大変困っております。兵庫県でも、最終的に四十人学級が実現できるということを、一年生でですが、確定して、二百六十人の採用増となりました。もし四十人学級が見送られるということになれば、これは二百六十人の採用が見送られて、人事面でも大混乱が起こっていただろうと思います。私も現場へ入りましたが、夏ごろから結局人事の問題は動きを始めます。そういうことで大変混乱が起こるんですね。だから、先ほど局長も言っておられましたが、六十二年度以降の問題について、各教育委員会や現場が、人事面で、六十六年度まで四十人学級が小学校で中学校でどのような形で進行していくのかということについて、ある程度年次別の具体的な数字も示した方針を確定していくことが極めて大事である、こう思います。 先ほど、夏までに確定していくということでございますから、その点についてはぜひやっていただきたい。よろしゅうございますか。
○政府委員(阿部充夫君) 毎年度の教員の採用、先生の御指摘のように夏ごろから取りかかりますが、御指摘のような定数改善計画の問題と、それからもう一つは、具体の各県の退職教員の見込み数がなかなか立ちにくいというようなことでいろいろ困難があることは承知をいたしておるわけでございます。そういったような点からも、私どもとしてはできるだけはっきりした見通しを各県にお示しするように努めたいと思っておりますが、事柄の性格上、これは毎年度の予算で財政当局と折衝しながら固めていくという性格のものでもございますので、確定した形でということは大変難しいわけでございます。 しかしながら、各年度の予算要求をするに当たりましては、その単年度のことだけを考えるのではなくて、その後の流れをおおむね我々の頭の中に置きながらやっていきたいと思っておりますし、そういう形で、それが著しく狂って大変現場に御迷惑をかけるということがないようなことを十分念頭に置きながら、できる限りの対応を検討させていただきたいと思います。
○本岡昭次君 ぜひ今おっしゃったことはやり遂げていただきたいと、強く要望しておきます。 それと、第五次教職員定数改善の問題の中にはいろんな内容が含まれておりますが、それを全般にわたって論議する時間がありません。そこで、本年の一月二十三日の決算委員会で御質問しました養護教員の増の問題についてお伺いします。 現在、養護教員未配置校は全国で何枚あって、それは全体の何%か。また、複数配置をしている学校は何枚あるのか。未配置校に毎年何枚ずつぐらい配置していって、九六・八%という目標ですか、それを達成させるんですか。また、九六・八というのは、一〇〇%に三・二%空白があるというのはどういう意味か。そうした点をちょっとお伺いしておきます。
○政府委員(阿部充夫君) 養護教員の現在での配置状況でございますが、昭和五十九年五月一日現在の学校基本調査で申し上げますと、全国三万四千校余りの小中学校のうち、配置済みの方が二万九千校、未配置校というのが四千九百四十七校でございまして、配置率にいたしまして八五・五%の配置というような状況に相なっております。先ほどお話にも出ましたように、現在の計画が達成すれば九六、七%ぐらいのところまでいく予定となっております。 なお、複数配置校は、幾つかの県でこういう措置をとっているケースがございまして、現在やっておりますところが、四つの府県で総数にいたしまして八十五校で複数配置が行われているというような現状でございます。
○本岡昭次君 その一〇〇%達成せずに九六か七でとどめおくというのはどういうことですか。
○政府委員(阿部充夫君) 九六、七というような数字が前にあって計画を立てたということではございませんで、具体にどの程度のどの範囲の学校に今回の計画の中で配置をしていこうかということを考えました場合に、極めて小規模な一学級あるいは二学級というところについては、これを今後どうするかということは一つ大きな問題として残ると思いますけれども、当面はそれを除外をして考えよう。三学級のものにつきましては四校につき三人、七五%ぐらいの配置率で考えよう。四学級以上のものについては全校配置で考えよう。それからそのほかに、対象にならない学校につきましても、例えば無医村の場合には特別にどんな小さな学校でも考えようというような、いろいろな要素を加えましてでき上がりましたのがこの計画でございまして、それによりまして、先ほどあいまいなことを申し上げて恐縮でございましたが、九六・八%の配置になるという結果に相なるわけでございます。 その先をどうするかという問題につきましては、私どもは当面はとにかくこの計画を完成するということを最大の目標に考えていきたいと思っておりますし、その状況に応じまして、この計画完成後の対応につきましてはまた各方面の御意見等も聞きながら検討いたしたい、こういうような考えでおるわけでございます。
○本岡昭次君 複数配置四府県で八十五校という答弁でしたが、その複数配置について、文部省はどういう指導をされているんですか。
○政府委員(阿部充夫君) 複数配置を行っておられる県というのは、それぞれの県のお考えでやっておられるわけでございますけれども、私どもといたしましては、各学校に一名ずつ置いていくという現在の計画を達成するということがやっぱり最大の目標だと考えておりますので、その点に重点を置いて対応しているわけでございます。その学校の規模の状況等におきまして、各都道府県等でみずからの御判断で増加配置をされるというケースもそれはあり得ることだと思っておりますが、それについて是非善悪を言うのではなくて、私どもの方としては現在の全国に及ぼす計画の達成を最大の目標にしているということでございます。
○本岡昭次君 そうすると、各県で独自でやっているというのは、全校配置という中で割り振られた養護教諭を、本来どこかの学校に配置されるべきものを、例えば二千人とか千五百人とか、多数いる学校に回しているということになるのか、各県でそういう要求に対して特別に文部省の方が増員として送り込むのか、そこはどうなっているんですか。
○政府委員(阿部充夫君) 全国の学校につきまして、先ほど申し上げました一定の水準、基準と申しますか、それに基づいて文部省としては配分をいたしておるわけでございますし、各県におきましてもその配分されたものをこっちからこっちへ流用するとかいうような形では必ずしもやっていない。まあ私ども、全部ひもつきになっているわけじゃありませんのでよくわからない面もございますけれども、おおむね各県から聞いておりますところによりますと、県単でプラスアルファとしてつけているということのようでございます。
○本岡昭次君 わかりました。県単でプラスアルファということになると、県の持ち出しになりますね。 そこで、養護教諭の問題をお願いしたいのは、全国配置という問題は当面の目標でございますが、しかし、依然として千五百人、二千人という学校が、大規模校があるわけでございまして、そこで養護教諭が一人で子供の健康面、養護面全体を見るというのは、これは至難のわざでございます。したがって、複数配置という問題をできるだけ早く文部省としても一定の指導方針というんですか、そういうようなものをつくって具体化を急ぐべきである、これ、強く要望しておきます。文部大臣、そのことをひとつよろしくお願いいたします。 それで、この前も決算委員会のときに未配置校のことで細かいことを申し上げました。時間がありませんでしたから大臣の答弁だけいただいて終わりました。そこで、会議録もごらんいただいたと思うんですが、現在、未配置校に起こっている問題ですね。これをどう解決するかということなんですが、私がずっと述べました、病院や家庭へ送っていく時間、子供に自習をさせなければならない、あるいはまた、身体検査等保健計画に従って、保健担当教諭が子供を自習させて、体重測定から歯の検査から、身体検査というふうなことについて本来看護婦さんがやられるようなことを、保健教諭がやられるようなことを代行してやらなければならないというふうな代行業務が起こって、そして、教諭が本来任務とすべき子供の授業というものが欠けていくという、このことはやむを得ないと放置することは余りにも無理があると私は思うんですが、文部大臣として、今の段階でこういう問題を、いや、その学校へやがて配置するんだからそれまで辛抱してくれ、頑張ってくれということだけになるのか。こうした問題について、文部省としてもっときめ細かな現場に対する指導をやらなければ、小さな学校ほど教諭の数も少ないし、これは大変な事態が今起こっているんですよね。 だから、この問題について実態調査を私はお願いしたいんですがね。一遍実態調査をやって、そして例えば一般の教諭が歯医者さんの横におって、子供が歯の診療をする、それを洗うのを手伝うという本来教諭の本分でないようなことを代行しなければ学校の保健業務が間に合わないというふうなことが起こっておるんですね。そして、先ほど言ったような子供を自習させて、子供の病気、けがに対して病院まで長時間にわたって送っていかなければならぬということもしばしば起こるというふうなことについて具体的にどうすべきなのかという、その指導方針のようなものを文部省としてきちっと出していただかなければ、何とか現場でうまくやるだろう、間に合わせているんだろうということだけでは余りにもひど過ぎるという感じがしてなりません。文部大臣のこの問題についての答弁を言いただいて次の問題に移ります。
○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のような、学校教職員の皆さんにいろいろ幅広く児童生徒のためのお仕事についていただいておるということを前回も先生の御質問で私は十分伺いました。これは現場で何とか調子よくうまくやってくれというような、そんなつもりで見ておるわけでは決してないわけでございまして、記憶に誤りがなければ、たしか昭和五十四年には養護教諭は七七%配置されておるにすぎなかったわけでありますから、それをどんどんとできるだけふやしていかなぎゃならぬ、いろいろな他の施策との整合性もございますけれども、昨年も予算編成期にいろいろ折衝もいたしまして、前年度予算で六十八人であった養護教員の増加数を今度は百七十五名ということに、前年と比べましても百名以上増加できるようにしましたのは、それは仕方がないことだという受けとめ方じゃなくて、できるだけ配置ができるようにして努力目標を達成していかなきゃならぬ、こういうつもりで取り組んでおるわけでございますので、その点はどうぞ御理解をいただきたいと思います。 同時に、今日起こっておるいろいろな問題の中で、やっぱり養護教諭の皆さん方に果たしてもらう役割も、ただ単にお医者さんの横で道共を洗うとかあるいは身体検査をやるとかいうだけじゃなくて、児童生徒が突然飛び込んで、身体的じゃない心の悩みも相談をするというような報告等も受けておるわけでございますから、みんなが自分の、何というんでしょうか、管轄とか持ち場というものを余り一〇〇%固定しないで、お互いに助け合いながら、お互いに相互に力をかしながら、よりよい教育効果を上げていくために養護教諭の皆さんの果たしていただく役割は極めて大きいと思いますから、これからも目標達成に向かっては私も全力を挙げて努力をしていく決意でございます。
○本岡昭次君 一日も早いその目標達成をお願いしたいんです。昭和六十六年までだから毎年行何人ずつやればいいじゃなくて、これは一年でもそのことに集中して全校配置を完了するとかいうことを早急にやるべきだと思うんです。 それで、海部文部大臣にも最後に申し上げておきますが、大体配置されていない学校は六つの学級ですね。単学級の学校なんです。そういうところは教員配置は六人しか教員が配置されていない。あとは校長、教頭と、こういうことで、七クラス、八クラスになってくると専科教員が配置されるんですね。だから、六学級というのは専科教員もいない。そして一人前の学校としての機能を全部持ち合わせなければならぬわけです。だから、小規模校に教諭が配置されると、各教科のいわゆる部長とか主任とか言われるような名前の仕事をもう全般に受け持っていく。これはひとつ小規模ほど楽であろうという考え方を捨てていかなければならぬ。小規模ほど大変なんですね、教師にかかる負担が。だから、ましてそこへ養護教諭がいないという実態が私は極めて重大なんで、ひとつその養護教諭の配置問題は、全体の教員の定数増を六年間均等にやるという問題でなくて、一年でも二年でもその目標を達成するということでやってやらなければ、そこに学ぶ子供たちも糊も教師も努力が報われない、こう思うので、そのことを強くひとつ要望しておきたいと思います。 それから次に私は、昭和五十七年からずっと取り上げてきました国士舘大学の海外事業の問題について伺っておきます。 国士館大学の海外事業の現状はどうなっていますか。簡単に御報告いただきたいと思います。
○政府委員(國分正明君) 国士舘大学につきましては、先生からしばしば御指摘いただいているところでございますが、御案内のように、国士舘大学におきましては、五十五年ごろから事前の検討とか、あるいは適切な手続を経ないで多額の資金を次々と海外に送金して海外事業を実施するというようなことで、大変遺憾な事態があったわけでございます。その後、学内の不祥事等もございまして、私ども幾つかの項目について指導したわけでございますが、この海外派遣事業につきましても、慎重な実施ということを求めたわけでございます。 その後、国士舘大学におきましては、文部省の指導に沿いまして新しい体制もでき上がりまして、新理事長のもとで海外事業を全面的に見直し、検討が行われました結果、新規事業は一切行わない。それから既に実施しているものにつきましても極力削減縮小する。具体的に申しますと、五十八年当時支部が十ございましたが現在七つにし、六十一年度は五つにする。あるいは、派遣しております職員につきましても、五十八年当時二十四名でございましたが、これを九名に削減するというような、削減縮小するという状況に現在相なっておるところでございます。
○本岡昭次君 ブラジル問題について伺いますが、ブラジルに送金をしたこの十億円のお金は、当初私の心配したとおりの結果になりました。貸付金として理事会決定をしたこの理事会の責任をどうお考えになりますか。
○政府委員(國分正明君) 御指摘のとおり、十億円送金したものにつきまして、国士舘の説明によりますと、国士舘の内部処理あるいは現地法人との関係では貸付金ということで処理しておったわけでございますが、うち七億円につきましては、送金の際の手続を誤って寄附金として処理してしまったという報告を受けたわけでございます。この点については先生からたびたび御指摘を受けたわけでございますが、文部省といたしましても、もし誤りであるならば実態に合わせる手続をとるなど必要な措置を検討するようにという指導をしたわけでございます。 これを受けまして国士舘におきましては、この寄附金を貸付金に変更するということにつきましてブラジル中央銀行と折衝を重ねたわけでございますが、最終的に変更が認められなかった、こういうことでございます。このため、いわば資産の実質的な確保を図るという観点から種々検討しました結果、現地に支部を設置いたしまして、現地法人から逐次資産を移管するという方向で現在具体的な方法等について検討を行っているというふうに承知いたしております。
○本岡昭次君 いや、私は、理事会の責任を文部省はどうお考えになりますかと申し上げたんです。当時、文部省は理事会に対して再三応答をしました。理事会の方は、貸付金で銀行から借りた金をそのまま貸し付けるんだから、元利二年据え置き、七年から十年の均等返還で返ってくるんだから何ら心配はないというふうに文部省も受けとめて、それで国会ではその答弁をされているんですね。ところがそうでなくなってしまった。だから、そういう理事会の責任をどう考えられますかとお尋ねしている。
○政府委員(國分正明君) 理事会、まあこれは現在の理事会でなくて旧体制下における理事会であるわけでございますが、当時の理事会としては、理事会決定によりまして貸付金ということで送金したのが手続ミスということで、しかもその手続ミスというものが最終的には先ほど御答弁申し上げましたように変更が認められなかったということでございますが、この点については手続ミスが最後までいわばたたった形になっているわけでございまして、私どもも遺憾に存じているわけでございます。 なお、当時の理事体制は、その後の不祥事等もございまして、私ども理事体制の刷新ということを強く求めました結果、理事長等の交代等も行われたところでございます。
○本岡昭次君 それで、現在銀行から借りたお金はどのように返還されておりますか。
○政府委員(國分正明君) ブラジル送金にかかわります銀行からの借り入れは約十億であるわけでございますが、国士舘の説明によりますと、その返済は当所の計画どおり行っておりまして、六十年度末までに利息も含めまして約六億九千万円を返済しておるわけでございます。 なお、元本の残高は、借り入れた十億のうち約五億九千九百万、約六億というものがまだ残高として残っておりますが、返済自体は計画どおり行われております。
○本岡昭次君 その返済は、本来ブラジルから日本に送金されてくるものを銀行に返すという理事会決定があったんですね。国会でもそういう答弁がありました。しかし、ブラジルの金はもう全然動かない。それは資産に変わってしまう。そうすると、国士舘大学のどこからか金はつくってきて返さにゃいかぬという事態になっています。だから、順調に返っているんじゃなくて、国士舘大学は大変な損失を受けたことになっているわけです。その点はどうお考えですか。
○政府委員(國分正明君) 確かに当初の計画では、御指摘のとおりブラジル現地からの返済金をもって銀行への返済に充てる、こういう計画になっておったわけでございますが、それがいかなくなりましたために、国士舘大学といたしましては、まあ一言で言えば学校全体の資金のやりくりの中で計画どおり返済してきたわけでございます。ただ、基本的には新たな借入金に依存するということは避けまして、経費の節減、例えば先ほど申し上げました海外事業の縮小でございますとか、あるいは役員についてボーナス等をカットするというような役員報酬の減額でございますとか、あるいはいろいろな車両等の処分でございますとか、こういう経費の節減や余裕資産の処分等によりまして実質的な経営努力により資金の調達を図って、返済日体は計画どおり行われているというふうに聞いております。
○本岡昭次君 国士舘大学への私学助成金はたしかカットされていたはずでございますが、現状はどうなっていますか。
○政府委員(國分正明君) 御指摘のとおり、不祥事件等がございまして補助金の不交付措置ということをとったわけでございます。この適用によりまして、五十八年度及び五十九年度につきましては補助金が不交付であったわけでございますが、その後、新しい体制のもとにおきまして、理事者側と教官側が一致して改善に努めまして、その改善が著しいと認められましたので、私学振興財団におきましては、運営審議会等にも御相談し、そしてまた、いわゆる制裁規定の定めるところによりまして、その制裁措置を緩和するということで、六十年度の経常費につきましては通常の二五%相当額、金額にしまして約一億七千万ほどになりますが、二五%相当額を交付することとした次第でございます。
○本岡昭次君 エジプトのカイロヘも別に三億四千五百万円、先ほど言ったブラジルのサンパウロ、ベレムヘ十億円、計十三億円、そのほかニューヨークにも一億円余りがあるんですが、こういう大金を動かして海外事業をやろうとした。私は当初、今のような結果になることを想定して厳しい警告を発してきたんですが、結果として同じことになりました。私の言ったとおりになったわけです。 それで私は、当時の柴田総長の独断専行で、柴田総長が責任をとって辞職したからそれて終わりだということにならないと思う。やはり理事会というところで決定して、そして実質それは全部国士舘大学が不良資産を抱えて、そして現金を内部で調達をして銀行に返済をするという事態を招いています。したがって、先ほど助成金を、改善が著しいからまず第一段階二五%の助成をして順次一〇〇%助成に戻す、こういうことのように聞いております。私はそれでいいと思いますが、しかしそのために次の二つのことを条件として具備してほしいということを今まで論議したものから要求しておきたいんですが、これはできれば大臣に答弁していただきたい。私は今言いましたように国士舘大学問題についてはもうこれで最後にしたいと思っております。 新体制になって改善に努力されておることを私も多とし、頑張っていただきたいと思っております。しかし、先ほども言いましたように、今日のような国士舘大学に多大の損失を与えた当時の理事の方が、まだ新しい体制の中でも理事で残っておられると聞いております。新体制の中で、旧体制の理事が何ら責任もとらずにそこに残っているということについては、私は納得ができないのであります。その点についての責任ある対処を文部省としてしかるべくやっていただきたい。 それから、今までも大学の改善については理事者側と組合側が双方、文部省とかかわり合いながら国士舘大学の改善について努力を重ねてこられたと私は見ています。そういう意味で、これから助成金を二五%を五〇%に、七五%に、一〇〇%にというふうに、順次改善の状況を見てもとに戻していかれるのでありましょうが、そのときには、理事者とともに組合との間においても、文部省はそうしたことの確認を同時にやっていかれるべきが筋ではないかと私は見ています。 この二点についてひとつ文部省の方とそれから文部大臣に、国士舘大学の今後の問題について一言お話をいただいて、これは終わります。
○政府委員(國分正明君) まず第一点の、旧理事が残っているではないかということでございます。 私ども、指導に当たりまして、運営体制、理事体制の刷新ということは申し上げたわけでございますが、やはり私学でございますので、個々の理事に対して退職を求めるとかそういうことはいかがかということで、一般的な理事体制の刷新ということを指導申し上げたわけでございます。その結果、理事長ほか何名かの方がおやめになり、新しい理事長、副理事長等が就任されまして、基本的には体制は刷新されたというふうに認識しております。ただいま御指摘の問題につきましては、国士舘自体でもいろいろ議論があるようでございますので、御指摘の点は国士舘当局にもお伝えしたいというふうに考えております。 それから第二点の組合との関係でございますが、私ども文部省が国士舘大学の組合とじかにいろいろ何らかの取り決めをするとか確認をするとかというのはいかがかと思うわけでございまして、これは国士舘大学当局と組合との関係でいろいろお話をするということであろうと思います。ただ、私どもとして一般的に申し上げられますことは、組合の方がお見えになっても、従来もそうでございましたが、十分応対は申し上げたい、かように考えております。
○国務大臣(海部俊樹君) 国士舘大学の問題につきましては、率直に申し上げて、私学のあるべき姿という点からいっていかがかと思われることがかなりございました。それで御承知のような措置をとり、また、本委員会でもしばしば問題になったことについて、私学部長がそれなりの対応をしてまいりました。 私が文部省に参りましたときに、いろいろな報告の中で、この問題については新体制をつくり、運営等にもきちっと一つのけじめをつけてもらう。同時に、必要以上の海外事業についてはこれは徹底的に縮減の方針でいくということを聞きました。私は、信頼を取り戻すためにはやはり思い切った新体制をつくることと、従来の事業の、縮減と言わずにできれば完全に手を引いたらどうかというようなことまで強く言ったのでありますけれども、私学の自主性ということもあり、また国際親善、国際交流ということ等も考えると、まるまるそれを認めないというわけにもいかない。現に、いい意味で立派な成果を上げておっていただくほかの私学の例等もあるという話等も承りましたので、その辺の指導監督よろしきを得るように十分な注意を払ってきたところでございます。 これからもその方針で、立ち直りを促していきたい、こう思っております。
○本岡昭次君 それでは次に、学校給食について伺っておきます。 六十一年度予算案には、学校給食の充実費として六十五億六千五百万円計上されていますが、具体的にどのように学校給食を充実させていくための予算でございますか、説明をしていただきたいと思います。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食につきまして国が関与いたしております点と申し上げますと、まず施設設備の整備は、国が補助金を出して学校給食の開設者に対して奨励していくということでございます。大体予算としての多くの金額は、学校給食施設設備の充実費、それから準要保護、要保護の家庭の子供についての給食費補助というのが金額的には大きいものだというふうに思っております。
○本岡昭次君 文部省は、昨年一月に学校給食の合理化についての通知を出しています。この中で、合理化するに当たっては各設置者が、「学校給食が学校教育活動の一環として実施されていることにかんがみ、これを円滑に行うことを基本とする」と言い、留意事項として、地域の実情に応じた適切な方法により行うこととしています。そこで、最近起こっている各地域の学校給食民間委託問題についてお伺いをいたします・ まず、東京都の定時制高校で行われている調理員派遣方式です。これは、給食の質を落とすことなく学校教育活動の一環として円滑に行われているとお考えでございますか。
○政府委員(古村澄一君) 「学校給食業務の運営の合理化について」という通知を出しました趣旨は、私たちは学校給食そのものの教育上の意義というものは強く認識いたしておりますが、学校給食を実施いたす点につきまして、むだがあるところは省く、あるいは運営の効率化を求めるというのは当然のことでございますので、その線に沿って通達をいたしたわけでございます。 したがって、その中では方法論を三つ例示いたしておりますが、それぞれの地域の実情がありましょうから、その地域の実情に合った方法をひとつ設置者としてお考えいただきたいということで通達を申し上げたわけでございますが、具体的に東京都が夜間定時制の学校給食について民間委託を実施したということは聞いておりますが、これにつきまして、個々具体的にどういった問題があるかということまでつまびらかに承知いたしているわけじゃございません。ただ、民間委託をする場合に当たりましても、通達の中をごらんいただきますとわかりますように、いろんなことを留意事項として挙げております。そういった留意事項に基づいて、学校の設置者が学校給食の質を落とさないようにということを前提にしながら、そういった合理化の工夫をしてほしいということを御指導申し上げたわけでございます。
○本岡昭次君 いや、御指導申し上げたのはいいですが、現に東京で定時制高校に対して行われた民間委託、いわゆる調理員派遣方式というのは、給食の質を落とさないで、教育の一環として、文部省のお考えどおり実施されているとお考えですかどうかということをお尋ねしているんです。
○政府委員(古村澄一君) 東京都のそういった民間委託について、具体的に質が落ちていったというふうなことを聞いているわけではございません。そういったふうな情報は得ておりません。
○本岡昭次君 私は、東京都高等学校教職員組合などの資料によると、次のような問題点が指摘されていることをここで明らかにしておきます。学校運営での問題として、これは海部文部大臣もよく聞いておいていただきたいのです。 給食調理のふなれから給食時間に間に合わないときもある。調理員の労働時間の都合で一時限と二時限の間に給食時間があったのを、業者から授業開始前に食べさせてほしいと要請があった学校がある。仕事の都合でおくれてしまった生徒の給食がなかった。衛生面で、合成洗剤の毒性は大きな社会問題で、学校給食の現場からも関係者の努力により石けんへの切りかえが進んでいたが、派遣調理員方式になり、また合成洗剤に戻ったところがほとんどである。素手で泡だらけになって洗っている調理員の健康問題と食器への残留が心配である。パート労働者の健康管理も業者側がどの程度きちんとしているのか学校側では管理できない。栄養職員の問題。献立をつくるだけで調理室に入られず、作業工程を見ることもできない。ということは、どのようなものができるのか毎日本安の連続である。調理経験の少ないパート労働者に時間内に調理をしてもらうためには手間のかからない簡単な献立しか作成できず、質の向上などは期待すべくもない。あるところでは、御飯にケチャップをかけて、ケチャップ御飯だといってやっと間に合わせて出したというところも出ているという実態が私たちのところにある。 もし文部省として、いや質は低下しない、むしろ向上した、教育の一環としてより充実したとおっしゃるならば、それでは文部省側がそれに値するデータをきちっと出してやっていただかなければ大変なことになる、私はこう思っているんですが、いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 今先生の御指摘、お挙げになりました具体的な事例を、私たち東京都の方から聞いておりませんが、もしそういう事態があるとすれば、これは大変遺憾なことであるというふうに思います。それは通達の中でも、例えば献立については、東京都の場合は東京都の方でちゃんと決めるというふうに示してありますし、給食調理のふなれから給食の時間がおくれたというふうなことはおよそあってならないことでございます。これはやっぱり東京都教育委員会と民間業者との間のきっちりした契約関係の詰めというものをはっきりすべきことであろうというふうに思います。 したがって、具体的に私の方はそういった事態があったということを個々具体的に聞いているわけではございませんので、今の御指摘のお話につきましては東京都の教育委員会からよく聞いてみたいというふうに思っております。
○本岡昭次君 東京都の教育委員会が、あるいは全国の教育委員会がどうしたかというふうに、責任を回避されるのはいかがかと私は考えます。文部省が合理化通知を出したことによって今いろんなことが全国各地に起こっているのであります。したがって、文部省として合理化通知を出した結果、あなたがおっしゃるように、給食の質を低下させず、しかも教育の一環として充実強化の方に向かっていきつつあるのかないのか。あるいは、文部省が考えなかったような問題点が現場に起こっているのかどうか。こうしたことをきちっと調査をやって集約をしてくれなければ、私のところは合理化通知を出しているんだ、後は教育委員会がしっかりやることだでは済まないと思います。文部省がそういう合理化通知を出さなければ現場は今までどおりやっていたのでありまして、別にそういう新しい問題を学校現場に起こす必要は何もなかったということであります。 したがって、私は東京都の調理員派遣方式というのは再検討を要するというふうに現在結論づけております。文部省として、調理員派遣方式というこの方法が、文部省の合理化通知に言ってるところの目的に対して相反する一つの状況が現場に起こっているということについての調査をここで私はやってくれることを要望します。いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 民間委託あるいは合理化、民間委託ばかりでございませんで、パートの問題等提起いたしまして通達をお出しいたしましたので、その後の全国におきます実施状況の調査というのは私たちも非常に関心を持っておりますので、調査をいたしてみたいというふうに考えております。
○本岡昭次君 いつ調査されますか。
○政府委員(古村澄一君) できるだけ早くというふうに考えてます。
○本岡昭次君 できるだけ早くと言わずに、大臣もおられることですから、四月、五月、六月と、月をとこか限定して言ってください。
○政府委員(古村澄一君) 四月、五月というふうに月を限定いたしまして調査結果がまとまるかどうかありますが、できるだけ早く調査をいたす所存でございます。
○本岡昭次君 それでは、できるだけ早く調査をして、特に東京都の問題については早急に調べてください。 次に、広島県熊野町の弁当給食というのがございます。弁当給食とは、学校が町の弁当業者に弁当を一括注文をして子供に手渡すという方式のようであります。現在、弁当業者の弁当を食べている子供が六割、家から弁当を持参しているのが四割、こういう状況です。熊野町教育委員会は、これからの給食のあり方として理想的であると言っておるようであります。文部省として、この弁当給食を理想的と考えますかどうですか。私は、学校給食法という法律に基づいてやる学校給食が、このように弁当業者から一括買って渡して、家から持ってくる者がおってもいい、これが理想的な学校給食となれば、これは大変なことだと考えます。 文部省の合理化通知も、下ではこういう形でゆがめられているんです。いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 御指摘の、広島県の熊野町の現場では、いわゆる給食と言っているのかもしれませんが、このやり方というのは、昭和五十九年から実施をいたしたようでございます。 私たちが考えておりますいわゆる合理化によります民間委託というのは、先ほど御説明いたしましたように、いろんな留意事項を決めてやっておりまして、今のような仕出し弁当をとるというふうなものは学校給食に当たらないというふうに考えております。
○本岡昭次君 しかし、文部省の合理化通知というふうなものに触発されてこうしたことまでが下で起こっているという事実は、深刻に受けとめておいていただきたいのであります。 それからいま一つ、山形県寒河江市における学校給食の民間委託問題があります。寒河江市では、最近学校給食の民間委託が提案をされています。しかし、現在までどのように民間委託をやるのかという具体的な内容が明らかにされず、なおそのための予算も計上されていない状況であります。しかも、子供たちの学校給食を守る県民会議や柴橋小学校の学校給食を現行どおり市直営で行うことを求める地区民の会などが結成されて、市教育委員会と話し合いをしております。しかし、当局は見切り発車をやるという現状であるわけですが、こうした事実を知っておられるのかどうか。 それからまた、委託先も委託内容も何も明らかでなく、予算も計上せずに、一方的に民間委託を行うんだというようなことを決定し議決していくというような乱暴なやり方が果たして認められるのかどうかということがあります。文部省の言う「地域の実状等」というのは、何もこのような無茶苦茶なことをやるということが私は「地域の実状」ではないと思うんですね。これは地域住民全体のコンセンサスを十分得ていく努力をやっていく。その中で、結果としてさまざまな合意を得られたもので出てくる中身が「地域の実状」と、こう考えているのでありますが、文部省いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 基本的には、学校給食の合理化をどういうふうにしてやるかというのは、そこの教育委員会がその地域の状況等を見た上でその方法論を考えるべぎことだというふうに考えますが、学校給食を円滑にやっていくというためにも、やはり住民、いわゆる父兄との間の、何といいますか、意見というものも聞き、あるいは市の教育委員会側のやろうとすることも御説明をするとか、そういったことをやっていくのが通常のやり方だろうというふうに思います。 したがって、具体的に寒河江市の場合にどういうふうになっているかということを十分知っているわけでございませんので、寒河江市の問題についてのコメントをするのは大変難しゅうございますが、一般的に言えばそういうことではないかというふうに考えます。
○本岡昭次君 したがって、一般的に言えばその地域住民等、あるいはまた給食を受ける子供たちの親、あるいは教育関係者等々と十分な話し合いをやって合意を得て、そしてどういうふうに民間委託をするのか、そしてその委託の内容はどういうふうにしてやるのか、それに対して予算はこれだけだ、だから従前とこのように変わってくるんだというふうな中身の合意は最低必要だと思うんですね。それをやらないまま、とにかく民間委託だということだけで決定して、今までそこに働いていた人たちの雇用も打ち切っていくというような乱暴なやり方、私はこんなことは認められるべきでない。ましてやこれが文部省の合理化の通知の趣旨でもない、こう思うんですが、いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 具体的にどういう状況になっているかということを知りませんので、なかなかそれについてはっきり言えるわけではございませんが、例えば、今先生御指摘のように、民間委託することによってその調理員の労働問題、いわゆる雇用問題が、解雇されるといいますか、そういう問題になるというのは私は大変好ましくない。これは一番先に通達を出しますときにも県の教育委員会に申し上げましたのは、民間委託をすることによって解雇しなきゃならぬというふうなところまでいくのは行き過ぎだろうということを説明いたしておりますが、その辺は、寒河江市の場合はどうなっているのかよくわかりませんが、いずれにしても、住民あるいは議会といったものもございますので、十分市議会等の御意見等を聞いた上でやっていくということが必要だろうというふうに思います。
○本岡昭次君 だから、私が言っているのに、もっと具体的に民間委託の内容、どういうふうに民間委託をするのかということについて、やはり受益者である子供の親、あるいは具体的に給食の行われる学校の関係者が知らなければ、それでは従来よりもこれでよろしいということにならぬですわね。少なくとも民間委託の中身というものが一番重要な意味を持つと思うんですが、それが明らかにされないまま民間委託を強行するなんていうのは全く無謀以外の何物でもないと思うんですね。このことについて一言だけコメントを。
○政府委員(古村澄一君) 一般的に、こういったことをやるときには、計画の全容といいますか、そういったことについて示してからやっていくのが通例だと思います。
○本岡昭次君 さらに、本年三月三日付で「学校給食の食事内容について」という文部省の体育局長の通知が出されています。私はこれ読みました。「1、学校給食の食事内容の充実等」という項目があって、(1)、(2)、(3)、(4)と、こうあるんです。私はこれを読んで、このとおりだと思うんですね。全く異議ありません、これ。しかし、一方では今言ったようなさまざまな問題があって、学校給食のセンター化や民間委託とか、あるいは弁当給食とか、何かもう学校給食が、学校給食法に基づいて、文部省に学校給食課という担当の場所もありながら、全国もう何か大混乱をしておる状況を考えますと、この通知を出されたこのことと現場で起こっておる実態が、大変アンバランスな、ちぐはぐな状態になっていると思います。そして、今文部省が進めておられるセンター化とか、あるいは民間委託とかいうことによって、果たしてこの「学校給食の食事内容の充実等」というところの(1)、(2)、(3)、(4)に書かれてあることが本当に実現するのかどうかという問題については、私はできないであろう、こう思うんですね。 そういう意味で、文部省として、今後この学校給食をどのようにして行っていくという基本方針を持っておられるのか、改めてここでお聞きしておかなければならぬ、こう思うんです。いかがですか。
○政府委員(古村澄一君) 先ほど冒頭に申し上げましたように、学校給食についての教育上の意義というものについては、私たちも高く評価をいたしております。したがって、学校給食についてはこれを続けていきたいというふうに思っております。 ただ、その業務の運営をやっていくときに、やはりむだを省くといいますか、そういった合理化すべき点は合理化していくということが必要だろうと、そこから合理化の通知を出したわけでございまして、学校給食の本質的なことまでに私たちは物を申しているわけではございません。したがって、この食事内容の通知につきましても、ここに書いてありますことは当然要請されることでございますので、これに基づいて学校給食をやっていただきたいというふうに考えておるわけでございます。
○本岡昭次君 矛盾はないとおっしゃるんでしたら、一つだけお尋ねします。 この1の項に、「食事は調理後できるだけ短時間に適温で供食できるよう十分配慮すること。」と、そのとおりでありますね。「調理後できるだけ短時間に適温で供食できるよう十分配慮する。」しかし、センター化というようなところになると、三万食も現にやっているところもある。少なくて五千食。そういうようなところが、ここに書かれてあるように、それは「できるだけ」ということの中に含まれるのだというのかもしりませんけれども、何万食とっくったものを各車に積み込んで、昨今の交通渋滞の激しい中で運び込んで、それで学校において子供が食べる段階で適温であるのか。あるいは短時間ということに該当するのか。一体センター化とこの問題はどうかということをお聞きをしたくなるんです。センター化と、「短時間に適温で」というふうなことは、どうですか、矛盾しませんか。
○政府委員(古村澄一君) 確かに、センターから学校まで運んでおる時間は、時間がかかるではないかということでございますが、ここで通達の中で申し上げましたのは、まさに一般的に考えられることを御指導申し上げておりまして、センターにおきましても、あるいはセンターの規模にもよりますし、立地条件にもよりますし、そういった点から、センターにおいてはできるだけそういった温度が冷めないような保温装置をするとか、そういったことによってこの辺のところをカバーしていただきたいというふうに考えているわけでございます。
○本岡昭次君 私は、給食問題だけを論議しているわけにいきませんので、もう次に進みますが、とにかくばらばらなんですよ、文部省の今やっておられることは。このことについては、ここに書かれてあるように、「食事は調理後できるだけ短時間に適温で供食できるよう十分配慮すること。」、言ってみれば、子供がおいしく食べられるようにということでしょう。また二番目は、献立作成に当たってはどうとか、いろいろいいことが書いてあるんです。だから、ここに書いてあること、これは一般的な指導じゃなくて、ここに書いてあることを具体化するためにはどうしたらいいかということを文部省が真剣に考えて、予算をつけなければならぬことは予算をつけ、そして具体的な裏づけをつけて下に対して、地域の教育委員会に対して指導をしていかなければ、ただ文書を書いて出したらいいんだということではならぬということを強く注意を喚起しておきたいんです。 最後に文部大臣の御意見を伺っておきます。 学校給食は、昭和二十九年学校給食法制定以来三十二年間にわたって教育の一環として、いろんなことがありましたが、とにかく実施されて、現在社会的にも定着してきました。それで、文部省や教育委員会、学校教育職員あるいは教育関係者、父母、そして現在約八万人にも及ぶ全国の学校給食調理員の皆さんの大変な努力と、給食をよくしようとする並み並みならぬ情熱によって僕は今日の学校給食がつくり上げられたんだと思います。そして、さらに安全でおいしく栄養のある楽しい学校給食の実現に向けてこの努力が続けられているのであります。まさに体育局長の出されたこの「学校給食の食事内容の充実」も、言ってみれば、安全でおいしくて栄養のある楽しい学校給食をつくろうという意図のもとに私は出されたんだと、こう見ているのであります。 文部大臣、よりよい学校給食の実現へ向けて、懸命に今第一線では努力を続けているのでありますが、そういう関係者への激励も含めて、今後学校給食の充実を目指していく、その文部大臣の決意を聞いて、私はこの問題について終わりたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のように、学校給食は、当初は児童生徒の体位向上のためにバランスのとれた食事を提供していきたいという大きな時代の要請もあり、また、スタート以後は学校における教育の一環として教師とともに食事をする。また、後片づけや整とんやその他のことでいろいろ教育効果が上がっておる。私もこの前の文部大臣在任中は何度も学校教育の現場に行きまして、学校給食の果たしておるいい面の役割というものを十分に肌で感じてまいったわけであります。また、その時間にたしか大きな一覧表をおつくりになって、きょうの献立の中にはこういう色つき野菜が入っています。これは栄養ですとビタミンとかなんとかが入っておりますとかいうようなことなども指導されておった現場を見て、ああ我々の小学校のころとは大分進歩したなと思ったこともございます。また、家庭で兄弟の数が少なくなっておるということも加味して、給食の時間だけ学校で一年生から六年生まで異年齢が交流する。兄弟みたいなもので、それぞれ係を決めてやっていらっしゃる学校なんかも見ました。そこの校長先生のお話で忘れられないのは、やっぱり人のために役に立っておるんだという自覚を子供たちがみんな身につけたことは非常にいいことだったとおっしゃいました。ただその陰では、そういった食事が提供されるまでの間、それをつくってくれる農家の皆さん方や、あるいは調理をしてくださる調理員の皆さんや、栄養のバランスを考えてくださる栄養職員の皆さんや、多くの人々の御努力と積み重ねがあって今日給食制度があるんだということも私は十分肝に銘じておるつもりでございます。 昨年は、まだ党の文教制度調査会長という仕事をしておりましたけれども、予算編成の時期にも、この学校栄養職員は学校事務職員とともに学校運営の基幹的な役割を果たしていらっしゃるんだから、義務教育の国庫補助制度の中にとどめるべきだという考えを、私どもも党の仲間といろいろ相談の結果そういうこと等もしながら、さらにより一層いい給食制度の実現のために関係の皆さん方が取り組んでいただくように願っておるわけでありまして、今臨調とかいろいろな世の波を受けながら、体育局長もそれなりに頑張って、この給食制度をよりいいものに向けていきたい、こう思って努力をしておるわけでございますから、どうぞ御理解を賜りたいと思います。
○本岡昭次君 ひとつ今のような大臣の答弁の趣旨を十分具体的に徹底させていただきたいと思います。特に弁当給食なんていうようなものは、絶対にこれは文部省の手でやめさせてもらわなきゃいけないですね。そしてまた、民間委託というものを具体的に進めた場合には、果たして文部省が考えたとおりになるのかどうかという問題もやっぱり教育的な観点から押さえていただかないと、ただそのことによってお金が少なくなった、人が減ったということだけではしわ寄せが子供や学校にだけ及ぶということになって、それこそ元も子もなくなるということになりますので、文部大臣のひとつ十分な配慮をお願いいたします。 それから次に、障害児が健常児とともに学ぶ統合教育の問題について伺っておきます。 この問題について、毎年金国各地でトラブルが絶えません。障害があるからこそ普通の小学校へ行かせたいという親の思いと、学級運営上あるいは学校運営上の効率や専門教育の効果を重視していく文部省、教育委員会の考えとが対立しているからであります。 海部文部大臣は、去る三月六日、衆議院の予算委員会第三分科会でこの問題について次のように答弁されております。その人その人にどうしたら一番いいかということを、教育委員会や保護者、学校側もしゃくし定規的に考えないで、よく話し合ってもらいたいとお願いしたいと答弁されています。障害児の人生をどうとらえ、何がその子にとって幸せかを考えるときに、地域社会の中で子供を生きていかせたいと願う親の気持ちを、一方的にこれを否定するわけにはまいりません。 そこで一点お伺いします。 静岡県清水市立飯田中学校へ入学を希望している石川重朗君についての問題であります。市教委は飯田中学でなく、車で一時間近くかかる県立盲学校への入学を勧め、飯田中学への入学を認めようとしていないようであります。そのため話し合いもたびたびして、ハンストというふうな事態にまで発展した模様であります。一月三十一日にも話し合いが行われたようでありますが、私は、海部文部大臣が衆議院の予算の分科会で答弁されたとおり、しゃくし定規的な形でこの問題の解決に臨むのではなくて、文字どおりに親身になって、この子供の一番いい就学は何かという問題について指導が行われ、できればその親の考えというものが尊重されるような形で解決されるように、文部省の善処をお願いしたいと思うんですが、いかがでございますか。
○政府委員(高石邦男君) 具体的な事項を御指摘になっての質問でございますので、その内容に即して御答弁申し上げたいと思います。 清水市における子供は、ことしの春盲学校の小学部を既に卒業しております。そして、現在十五歳ですから、既に義務教育の就学義務を負っている年齢をオーバーしている子供でございます。その子供の親は、近くの中学校に就学させたいという希望を持っております。ところが、この子供は全盲でございまして、しかも重度の精神薄弱という子供でございます。受け入れる側といたしましては、これは盲学校において教育をしなければ、普通の中学校に受け入れても教育不能というような状況下にあるわけでございます。したがいまして、そういう観点から、この子供に対しての適切な教育機関としては盲学校が適切であろうというような判断を県の教育委員会、それから市の教育委員会も基本的に持っているわけでございます。ところが、御父兄の立場は、どうしても普通の中学校に入れたいということで折り合いがつかないというような状況になっているわけでございます。 したがいまして、基本的には子供をどういう学校に入れるのがその子供の教育上ベストであるかということを考えて対応していくべき問題でございますし具体的なこの事例の子供は全盲であることを考え、また、重度の精神薄弱という点を考えてみますと、普通の中学校では到底教育が困難である。したがって、盲学校で受け入れて教育をするというのが適当ではないか、こういう判断を文部省としても考えているわけでございます。
○本岡昭次君 文部省の判断は判断としてそれはあっていいわけなんです。しかし、先ほど言いましたように、障害児を持つ親が我が子の教育について将来の問題を考えて、文部省なりあるいは教育委員会と違う考え方を持ったときに、文部省の考え方、あるいは教育委員会の考え方だけでもって、それを一方的に措置していくというやり方が果たしていいのかどうかということを私は申し上げているのであります。 だから、文部大臣も、しゃくし定規的に考えないでよく話し合ってもらいたいとお願いしているのでありまして、現在もなお話し合いが続いておるという段階でありますから、文部省としてもそのことが教育的にいいんだからという文部省側の問題と、それから親が、私の子供にはこういう教育を受けさせたいんだという問題をやはり対等に考えて、そして両者の考え方でどこか具体的に解決する中身はないかということを時間をかけて話し合っていくことが私は極めて大切ではないか。その中で、解決の方法も現場の中で一つの知恵として必ず出てくるものだと、こう思っているんです。 だからそういう意味で、文部省なり教育委員会の考え方を一方的に押しつけずに、障害児の親の考えというものを十分しんしゃくしてこの問題の善処をやってもらいたい。私はこういうふうにここでお願いをしているんですが、文部大臣いかがですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 前回予算委員会の分科会でこの御議論が社会党の他の委員の先生から出ましたときに、正直言って私には非常に聞きなれないA1とかB2とか、いろいろな専門用語がぽんぽん出てきまして、この基準がどうだ、これから上はどうだというお話でした。そういった御議論をお聞きしながらふと思い出しましたことは、これも前回の在任中のことで恐縮なんですけれども、私は養護学校というのも見せていただきましたし、特殊学級というのも見せていただきましたし、そこで行われておる教育の実態というものも見てまいりました。問題は、先生おっしゃるように、親が子を思い、親が我が子をこうしたいという気持ちも極めて大切な要素だと思います。けれども、それはあくまで親の気持ちであって、児童生徒の立場に立って何が一番いいんだろうかということを、今度は科学的に、専門的にいろいろな御意見を持った方々の客観的な委員会なんかで指導していただくこともその児童生徒のためにはなるんじゃないだろうか。 現に、特殊学級や養護学校なんか加配教員もたくさんおっていただいて、それは普通の学校とは違う至れり尽くせりの教育、授業をしていただく姿を見ると、本当に頭の下がる思いがするわけでございます。そういう行き届いた至れり尽くせりの環境の中に行かれた方がその児童生徒のためになると思うときには、そちらにやはりお勧めをするということもあるわけですから、この具体的なケースにつきましては、その親のお立場、教育委員会のお立場、しかし一番肝心な児童生徒のための立場という視点もまた加える必要もあろうかと思いますので、そこをあくまで学問的に、科学的にいろいろな知識を有する方々の就学指導委員会と申しますか、そういうようなもの等も考えていただく、あるいは直接教育委員会と親の皆さんがどちらの立場がいいのか、具体的にはもうケース・バイ・ケースになってきますが、その子供さんかどういう過程でそれ以前の教育は過ごしていらっしゃったのか、それでよかったのか、どこが悪かったのか、それからこれから先はどうした方がいいんだろうとかということも十分やっぱり納得のいくよう仮お話し合いを願って決めていただくのが望ましいというのがあくまで私の考えでございます。
○本岡昭次君 私はやっぱりこの種の問題は、子供の人権という立場から考えていくということを忘れてはならないと思っています。 要するに、障害児はさまざまな障害を持って、そしてそれはその子供が自分の人生として生きていくのでありますから、そのときにいろいろな教育機関が、あなたはこの学校へ行きなさいと言っても、その子供の将来の人生にわたって責任が持てないのであります。あくまでその子供は内分の力で生きていかなければならないし、その子供に対して一番大きな責任とかかわり合いを持つのは親であります。障害の重い子供であればあるほどその親が、その子供の独立できない、自立できない状態に対して大変な苦労をしてかかわっていかなければならぬのです。だからこそその親が、この子供が重い障害を負いながら、人生の重荷を負って生きていくことについて、せめて義務教育の中でこういう学校でこのように学ばせたいと言っている願いの方が私はやっぱり人権上の問題として考えていった場合にそのことを優先されるべきではないかというふうな気がするんです。 本当に教育委員会なり文部省なり、またそのときに盲学校へ行った方がいいと判定をされた先生が、その子供のすべての人生にとってかかわっていけるかといったら、これはかかわっていけないわけなんです。いかに科学的、教育的と言ってもね。僕は障害児問題というのはそういう人権問題にかかわっていると思うんです。普通学校は障害児に対して十分な対応のできる条件にないことは私はよく知っております、私も現場の経験がありますから。だからといって養護学校の方が、盲学校の方が施設、設備が整っているからということでもってそこを切り離していくんでなくて、今言われている健常児と一緒に障害児が学ぶ統合教育というもののあり方を、これから二十一世紀に向かって、やはり我が国の教育というものは懸命に模索をしていくべきだという考え方に立つんです。 時間もありませんので、海部文部大臣に最後にお願いしたいのであります。 教育の国際化ということが言われております。私は、教育の国際化というのは、何も入学時を四月を九月にするとか、あるいは海外子女等の関係をどうするとか、あるいは学生の国際交流とかということだけじゃなくて、やはり世界の教育先進国と言われている日本が、最も教育の問題で困難とされている障害児の教育例題について、統合教育という新しい教育の一つレベルをつくっていく、そこに向かって懸命に努力をしていく姿、人間を人間としてどう大切にしていくかという、いわば人権教育というふうなところに対して新しい学校教育の姿を求めていく、その努力があって初めて私は教育の国際化という問題が世界の皆さん方から本当の中身あるものとして認められていくと考えます。したがって、でき机はこの障害児教育の問題も、そういう高い視点に立ってこれからひとつ真剣に検討していただきたいし、文部省にお願いしたいんですが、この清水市の問題も粘り強く地元との話し合いによって解決をしていくようにという指導を再度お願いをしておきたいと思います。 そのことについて最後に文部大臣の答弁をいただいて次に移ります。
○政府委員(高石邦男君) 御指摘のように、障害児の人権、障害児の自立、障害児をどうやって教育したらいいかというのがいわば特殊教育の最大の課題であります。したがいまして、明治以来盲学校をつくったり養護学校をつくったり特殊学級をつくってきた長い歴史というのは、まさに障害児そのものに着眼しての教育の場の展開であるわけでございます。そういう意味で、盲学校において盲学校の専門的な形で教育をしていくのがいい成果を上げるというのは、これは百年かかって証明されていることなのでございます。そういう意味で、養護学校、盲学校の教育というのはもっと充実していかなければならないというふうに思うんです。 それからもう一つは、その子供たちが社会に出た場合に、社会の中で自立できるということも必要であります。そういう意味で、障害児と障害を持たない子供たちの交流教育、そういう場も一方において用意されなければならないということで、そういう交流教育の機会というものは一方において拡大していかなきゃならないというふうに基本的に思っているわけでございます。そういうことから、清水市の問題もいわばこの子供のためにどのようにしてあげるのが最大の成果であるかということを念頭に置いて議論すれば、おのずから結論は出てくるというふうに思っておるわけですが、社会党の先生方とも非公式に相談した段階でもそういうふうな話がありまして、なかなかそこがうまくいかないという悩みを持っておりますので、できるだけ早く双方の意思が一致して、円満な解決に向けて努力してまいりたいと思います。
○本岡昭次君 それでは最後に一問お尋ねいたします。これは既に衆議院の段階で質疑のあったことでありますから繰り返しになりますけれども、お願いいたします。 去る三月二十二日、兵庫県宝塚市立宝塚小学校の卒業式へ右翼が乱入した事件であります。警察庁、この事件の事実関係と警察の対応について、簡単に御説明願います。
○説明員(菅沼清高君) お尋ねの事件は、三月二十二日の午前十時二十分ごろ、兵庫県の宝塚市内にあります宝塚市立宝塚小学校が体育館で卒業式を行っておりましたところ、兵庫県の西宮市に所在いたします右翼団体の構成員十九人が会場に入りまして、式場内に国旗が掲示されていないということに腹を立てまして、数人が壇上に上がりまして持っていた日の丸の旗を掲げようといたしまして、これをとめようとした父兄の一人を押しのけたり、演台の上にありましたマイクを取り上げまして日の丸掲示を迫るというようなことで、式を数分間中断させたという事件でございます。 これに対しまして、警察は直ちに現場に急行いたしまして、被疑者十九人全員を検挙いたしました。関係先を捜索するなど所要の捜査を推進いたしております。検挙いたしました十九人のうちで、五人につきましては現在もなお引き続き身柄を拘束して取り調べを継続いたしております。 罪名につきましては、威力業務妨害と建造物侵入でございます。
○本岡昭次君 事前に右翼の動きを察知した教育委員会等が、未然にこうした問題を防止するための要請を警察にしたと聞いております。こうしたことを防止するための情勢判断に甘さがなかったのかどうか。いかがですか。
○説明員(菅沼清高君) 宝塚市内の小学校における国旗の掲揚問題につきましては、昨年一部の週刊誌が売布小学校の問題を取り上げまして、右翼が大変強い関心を持っていましたし、また、この事件の直前の三月二十日にも、市の教育委員会や売布小学校の方に右翼団体が抗議要請などもやっておりましたので、二十二日の一斉に実施されました小学校の卒業式に際しましても、警察といたしましては、場所が小学校であるということも十分配慮いたしまして、右翼が関心を持っておりました売布小学校を中心とした重点的な警戒措置を講じていたわけであります。宝塚小学校につきましては、事前の動き等もございませんでしたし、教育委員会や学校からの要請等もありませんでした。 右翼の街宣車が宝塚小学校に入ったということがわかりましたので、すぐに二人の警察官が駆けつけまして、学校内であるということを十分考慮いたしまして、静穏に退去するように警告措置をとったのでありますけれども、警察官の制止を振り切った者が壇上に上がりまして式を妨害するということになったわけでございます。しかし、無線連絡を受けて駆けつけました警察官らによりまして、先ほど申し上げましたように、全員検挙いたしております。 宝塚市内には二十二小学校があるというふうに承知いたしておりますけれども、小学校ということを考慮いたしますと、特段の要請等がないにもかかわらず全校に警察官を張りつけるというようなことはいかがなものかというふうにも考えられますし、こういった場合には、情勢と情報に応じて重点的に警戒措置を講じて、後は状況に応じて遊撃的に対応するというのが妥当な方法であるというふうに考えておりますし、兵庫県警や宝塚警察署がとった措置につきましては、特に問題はないというように考えております。 今お話しのございました申し入れにつきましては、事件の起こった後で、市の教育委員会と小学校の方から、入学式等のこともあり、よろしくお願いしたいという話はあったというように聞いております。
○本岡昭次君 ここでそれをやりとりする時間がもうありませんから、最後にいま一つ警察にお伺いしておきます。 今もありましたように、これから入学式とかいろいろ学校行事があるわけでありますが、そのときに、再び学校に右翼の乱入というようなことを許してはならない、こう考えるんですが、それに対する警察の現在の考え方を聞かせておいていただきたい。
○説明員(菅沼清高君) 言うまでもございませんけれども、警察は、いかなる立場からするものであれ、違法行為はこれを看過しないという基本方針のもとに厳正に取リ締まりを行ってきておりますし、今後もその方針で臨みたいというふうに考えております。 入学シーズン等を前にしておりますので、同種の事案等が生じないように、既に必要な指示等はいたしております。
○本岡昭次君 この点、文部大臣に二、三お伺いをして終わります。 文部大臣、この事件について詳細に報告を受けておられると思います。いかなる理由にせよ、右翼が学校の卒業式に乱入をしたということを私たちは絶対許すことができないという立場に立ちます。大臣の所見はいかがですか。
○国務大臣(海部俊樹君) いろいろな前提条件を一切抜きにいたしまして、右翼が学校の式場に乱入したということは、これは許してはならないことでありまして、警察がそれなりの対応をきちっとしてくれたということは、私は、これからも引き続きそのような厳しい態勢をとってもらいたい、こう願っております。
○本岡昭次君 学校における日の丸の指導の問題でありますが、兵庫県でもいろいろ論議がありました。兵庫県議会においても論議があって、兵庫県の知事は、国家権力や行政権力によって強制すべきものでないという趣旨の県会における発言を行いました。そういうことで、兵庫県においても、関係者の合意をどうつくっていくかという、学校内の努力にこの問題はゆだねられているのであります。私はそれでいいと思っています。 今後、日の丸がなければまた右翼が乱入してくるからというふうなことでもって、結果として右翼の力をかりて日の丸問題を解決していくようなことになれば、それは文字どおりファッショだと考えるんです。文部大臣もこうしたファッショには絶対反対されると思うんですが、この日の丸問題と右翼のこうした関係、こういうことについてどういうふうにお考えになりますか。一言御意見を伺っておきたい。
○国務大臣(海部俊樹君) 大変困った問題だと私は思います。次元が全く違うことでございますから、だからこういった、法で許されない乱入、暴力行為というものは、これは厳に慎んでもらわなきゃならぬし、もし未然にそのことがわかったら抑さえてもらわなきゃならぬということは、先ほど警察にも私が希望を表明したとおりでございますけれども、それと日の丸、君が代の問題とは全く次元が違う問題でありますから、今先生御心配のように、日の丸を上げなければ右翼が来るとか、そんなような角度で私はとらえたくもないし、とらえてもおりません。全く別の角度から皆さんにお願いをして、この問題は理解を深めていっていただきたいと思っておる問題であります。
○本岡昭次君 もう二分ほどあるようですから、最後に一問質問しておきます。 登校拒否児を精神病院に入院させるという問題について、私は一月三十一日の本会議の代表質問で中曽根総理から答弁をいただいております。中曽根総理は、そのようなことがあれば非常に重要な問題であるという認識を示されて、そういうことがないよう精神病院等に対する指導を強化していくと答弁をいただきました。「精神病院等」という言葉がありますので、やはり文部省についても何らかのかかわり合いがあるのではないかと思うのでありますが、この問題について、文部省の立場からどのように。指導を強化されましたか、また、今後されようとされていますか、答弁をいただきたい。
○政府委員(高石邦男君) 精神病院とのかかわりでございますので厚生省の所管に属する内容でございますので、厚生省と十分連絡をとってこの問題に対処していかなきゃならないというふうに考え、連絡し合っているところでございます。 なお、厚生省では、一部の精神病院において入院等についての問題があるという認識をしておりまして、本年二月十二日、各都道府県の精神保健主管課長会議を開催し、その席上、精神病院への同意入院及び措置入院の適正について一昨年出した通知に基づき指導の適正を図っていきたいということで、そういう指導を各県の主管課長を通じてやっているという段階でございます。
○本岡昭次君 終わります。
○粕谷照美君 文部大臣が最初に大臣になられたときに、予算委員会で私はこういう質問をしました。小学校に入る前までに父親としては子供にどのくらいの字を覚えておいてもらいたいか、文部大臣としてはどうか、こういうのでございます。ちょうど入学式の前だったものですから、これがテレビ放映をされたわけでありますけれども、何か奥様のお友達がそのテレビを見て奥様に話をしたところ、奥様が、何を言っているの、自分は何にもしないで、私がどんなに頑張っているかも知らないでと、こういうふうにおっしゃったとかというのが新聞に、コメントに出ていたのをまだよく覚えているわけでありますけれども、あのときの大臣の御答弁は、まあ字は、父親としては、自分の名前弧読めて書けてと、その程度に最低は押さえておきたい、それから文部大臣としては、カリキュラムがあるのでそれに追いついていけるような状況の中で、とにかく迷子にならないようなこと、日常生活ができるような、その程度のことで入学してきてもらいたいというようなことがあったわけですけれども、あのころはちょうど落ちこぼれなんという嫌な言葉がはやり出していたころだったと思います。 今就学前の教育は、保育所とそれから幼稚園、大体力〇%を超える子供たちが入っていて入学をするわけですね。ところが、子供の数がもう非常に少なくなったものですから、保育所も次々と倒れていく、それから幼稚園も店じまいをしなきゃならないような状況になっていて、そういう幼児減が園に与える影響というのは戦国時代のようなものがあるというふうに私は理解をしているわけでありますが、その幼稚園の中で、今子供はお客になるわけですね。子供の取り合いが大変なんですね。そして、夜になると、働いているお母さんやお父さんが帰ってくるとそこへ園の人が出かけていって、お土産を持ってきて、あなたのところはあちらの園に入ったけれども、ぜひこちらに来てもらいたいとか、あそこの園にはバスはないけれどもうちの園にはバスがあって、そして、ちょっと遠いけれども敷地は広々としていていい教育ができるからと、もうこういう状況になっているというふうに、園の経営者なんかも頭を痛めているわけであります。 そういう中で、今大きいことはいいことだと、通園バスでもって子供たちを集めてさらうような形で幼稚園へ連れていくという、こういう教育というのはいかがなものかなと私はいつも思っているのであります。それで、お互いに幼稚園が近くにあるようなところは協定をし合いまして、大阪なんかは、とにかく徒歩で歩ける範囲内のところにはよその園のバスは子供を集めるためにとめないというような協定をやっているんですね。これは私は、自分たち自身でそういう規制をつくってお互いに守りましょうという姿勢、大変いいと思うんですけれども、でも、それも守り切れないような今必死の状況になってきている。そんなことも考えながら、公立の幼稚園にしても保育園にしても統廃合を余儀なくされるなんという実態があるんですけれども、この幼稚園教育の中でできるだけ歩いて通えるような条件というものがいいんではないかなと、こういうふうに考えるんです。その点についてはいかがなものでしょう。
○政府委員(高石邦男君) 身近な、子供が歩いて行けるところで幼児教育を受けるというのが望ましいというふうに思います。
○粕谷照美君 でも、それができないような状況になっていることはもう御存じだと思いますね。そして、特に音楽を売り物にしたり、英語を教えることを売り物にしたり、非常に、何といいますか、幼稚園教育が本当に幼稚園教育じゃなくなっている。いわゆる偏差値偏重教育に埋没させられているような状況になっているということに心を痛めているわけで、文部省なんかそういう団体の方と接触することが多いわけでありますから、その辺のところは十分にお話し合いを進めていただきたいと思います。 一クラスの幼稚園児の数、あれ、いまだに園児の数は四十人なんですね。これ、何年間ぐらい四十人でやってきていますか。
○政府委員(高石邦男君) 昭和三十一年の幼稚園設置基準で制定されまして、それ以来一クラス四十人以下というのが一つの基準になって運用してきているわけでございます。
○粕谷照美君 既に小学校ももう四十人学級になっているわけです。それよりももっともっと社会的訓練を受けていない子供たちを四十人見るというのは大変なことだというふうに思いますね。 この幼稚園の学級編制基準というものを見直していくという考えは文部省にありますか。
○政府委員(高石邦男君) 現在、幼稚園教育要領に関する調査研究協力者会議で、今後の幼児教育のあり方について論議をしていただいております。その中でこの一クラスの学級編制の問題も重要な課題として取り上げているわけでございます。 ですから、方向としては四十人からもっと減らしていくという方向を念頭に置きながら検討しているというのが現状でございます。
○粕谷照美君 たしか去年で学法化しない幼稚園に対する補助の問題は打ち切りになったのではないかと思いますけれども、現状はどんなふうになっておりますか。
○政府委員(國分正明君) いわゆる私学法の幼稚園に対します経常費で、経常費補助をもらっている、私どもの言葉で学法化志向園と呼んでおりますが、これが昨年の三月末日に学法化の期限が到来いたしましたのが全体で千九百七園でございます。それが当初の予定どおり学法化いたしましたのが千四百五十二園、率にいたしますと七六・一%という数字でございます。それから、途中、とてもこれは学法化できないということで補助金を辞退した、あるいは諸般の事情で廃園したというのが四百二十五園、率にいたしまして二二・三%という数字でございます。それから最終年度――六十年度でございますが、まで国庫補助金を受けながら、最後まで学法化できなかったものが三十園ということで、率にいたしまして一・六%というふうになっておりますが、その後、年度を越しまして数国が学法化したということは聞いております。 以上のような状況でございます。
○粕谷照美君 幼稚園にも大変無理をして学法化して、努力をしたところと、最後までしょうしようと思ってこられたのではないかと思いますができなかった三十園、あと数国が年度を越してできたと、こういうふうに言われますけれども、その園に対しては、今まで出していました助成金みたいなものはどういうふうな形になりますか。
○政府委員(國分正明君) 現在の私学振興助成法によりますと、いわゆる学法化措置義務期間を経過しました個人立等幼稚園に対しましては、機関補助たる経常徴補助はできないことになっておりますので、昭和六十年度予算におきましても法律の趣旨に従って対処しておりますし、ただいま御審議いただいております六十一年度予算におきましても、国の神助対象にしないということで予算措置をしているところでございます。
○粕谷照美君 私どもが指摘をしてきたのは、そういうことを最初から努力もしないということがはっきりしないわけで、この辺が難しいところですけれども、ずっと補助を受けてきたということについてやっぱり問題があるのではないか、これを返したらどうだということをずっと言ってきたわけであります。 そういう姿勢が文部省にないということがわかったわけなんですけれども、今後どうされますか。それはそのままでよろしいんですか。
○政府委員(國分正明君) 法律上の学法化措置義務というものは、その期間経過後におきましてもなお残っているわけでございますので、私どもは引き続き、所轄庁でございます都道府県に対しましてなお学法化するよう指導してまいりたいというふうに考えております。
○粕谷照美君 ぜひそういうふうに指導をしていただきたいというふうに思っております。 文部大臣、先ほど高石局長が、幼稚園の一クラス四十人の問題は今いろいろと討議中でありますけれども、それを少なくする方向でとこういうふうにおっしゃったわけですけれども、大臣、いかがお考えですか。
○国務大臣(海部俊樹君) いろいろな制約を一切抜きにしまして、ここには大蔵大臣もおりませんので気楽な気持ちで夢を語らしていただくと、やっぱり少ない方が行き届いたいい教育ができるということは、私ども先生と全く同じでございます。けれども、現実には予算の壁やらいろんな制約がございまして、小学校、中学校の四十人学級ですら、ここでいろいろおしかりを受けながら、努力いたしますとまでしか言い切れない微力を省みますと、必ず少なくしますとは、今の段階では申し上げかねることでございまして、少なくなる方がいいという気持ちは局長も私も皆一緒でございますので、その方向に向かって努力をさせていただこう、こう考えております。
○粕谷照美君 今の文部大臣の願望みたいな御答弁ですけれども、やっぱり決意としては、少なくしなければならないと思う、こういう答弁をいただかなきゃ、これはちょっと問題があるんじゃないでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) 言葉足らずで申しわけありませんでしたが、文部省が一生懸命努力して、また、予算のときに大蔵と努力すればできる例えば小中の四十人学級の問題なんかは、私もいささか応援団として関与してきたわけですから、やるべく努力しますと決意を表明できますが、幼稚園のことは、地方交付税の方の分野になってきますと、自治大臣でもここへ来てもらって、頼むこういう返事をしてくれと言わざるを得ない立場の問題になりますので、私としては精いっぱいぎりぎりのところまで言って願望の気持ちを表明した、こういうことでございます。
○粕谷照美君 それではやっぱり今度は予算委員会で自治大臣、大蔵大臣、文部大臣をそろえてやらなきゃならない、そういうふうに思っております。そのときはぜひしっかりと頑張っていただきたいと思います。 さて、先ほど本岡委員が質問をされておりましたけれども、障害児の問題についてであります。 最近また、時期になりますといつもニュースに出てくるわけですけれども、障害児が上級学校にチャレンジをしたというニュースであります。特にこのごろ目につくのは、福岡県の、脳性麻痺、しかも重度で鉛筆も握れないという中学校の三年生が、普通高校に入学をする試験を受けることになった。また、三十二歳の同じような状況の人が定時制の高等学校を受験をするということになった。これに対して福岡県教委は、特別の入試の方法を許可をした。また大阪でも、極めて重度の脳性麻痺の子供、これ、もう鉛筆を持てないところの話じゃないんですね。音声入力装置、コンピューターを百数十万円で教育委員会が憤って、そしてその子に受験をするチャンスを与えた、こういうのがあるわけですけれども、文部省、県教委がとった対応をちょっと説明していただきたいと思います。
○政府委員(高石邦男君) 心身の障害を有する者を高等学校に入学させるかどうかというのは、各県それぞれ今までも問題として検討が加えられてきたのでございます。福岡県の場合には、その子供について普通の高等学校に入学させて教育ができるという判断をした上でその子供の受験の機会を与えたわけでございます。ところが、その受験に当たりましては、脳性麻痺で手足が不自由なために筆記が困難であるということから、口述等によりまして介助者の代筆等、入学選抜の学力検査で特別の措置をとりまして入学試験をやったわけでございます。 文部省といたしましては、心身の障害を有する者でも高等学校の教育を十分消化できるという見込みがある者については、できるだけその機会を拡大していくということは必要であろうと思っております。
○粕谷照美君 この福岡の中学生は普通の中学校に入ったんですね。盲学校を卒業して中学校は普通の中学校に入った。そして普通の高等学校に入学をする。そういう条件が認められたときに、その彼の周りに級友が大勢集まってにこにこしているテレビを見まして、やっぱりお互いの人間関係というのはすばらしく成長するんだなということをしみじみ感じたわけですけれども、文部大臣、これについてちょっと一言何か感想を述べていただきたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のあったこの件につきましては私ただいま初めてでございますけれども、いろいろな障害を持っていらっしゃる人が、普通の人と一緒にできるだけのところまでは交わりたいという努力、現に私の郷里の愛知県でも、平和町というところが一生懸命努力をして、特殊学級とそれから普通の学級と共同で時間をやる。理科の時間だったと思いますが、熱帯魚の観察だとかいうようなときになりますと、何か交わりができて、非常に生き生きとしておった、そんな現場を見たり、報告を聞いたりしたこと等もありました。 そのことなんかとあわせて考えながら、だれが見ても、その人がその障害を克服して普通の児童生徒と一緒になって勉学に励むことができるというなれば、それはやっぱり願わしいことで、お友達も喜んでにこにこされるではないだろうか、ほっとする話だなという気持ちで今お伺いをしておりました。
○粕谷照美君 この場合、高等学校は特殊学級じゃなくて、普通の学級に車いすの子供たちを入れて勉強するという、ともに学びともに育っていくというそういう姿勢なんだろうというふうに思っております。 またもう一つ、神奈川県立の高等学校の斎藤恵子さんという人が、全盲ではありませんけれども、ほとんど目が見えない、教科書も全然読めないという全盲に近いような生徒ですけれども、この方が横浜市立大学に推薦入学をされたという記事が載っておりました。今大学で点字で受験を認めている、こういうのは、千葉大とかあるいは筑波大などを含めまして百校近くあると言っていますが、それ、文部省つかんでおりますか。
○政府委員(大崎仁君) 身体に障害をお持ちの方方の受験の機会の拡大につきましては、文部省もかねがね各大学にお願いをいたしておるところでございます。 御指摘の点につきましては、まず共通一次では、当然点字による出題、解答というのを認めておるわけでございます。その他の各大学につきましては、それぞれの大学の御方針でございますが、私どもの調べでございますと、昭和六十年度の統計で申しますと、肢体不自由あるいは視覚障害、聴覚障害、全体を含めまして六百七十一人の方が現に入学をしておられるわけでございまして、そのうち視覚障害の方が約七十五名入学をしておられるわけでございます。これは、基本的には点字あるいは特殊な拡大鏡というようなものを用いての入試を認めたという結果であるというふうに考えておるわけでございます。
○粕谷照美君 私は、そういう措置を大学や高等学校がとるということは、小学校、中学校の子供たちにも非常に大きな励みを与えるというふうに思っているわけであります。しかし、そういうときにはやっぱり本人の強い意思とその子供たちに対するボランティアの協力体制というのがどうしても必要になってくるというふうに思いますし、また、こういうところですから、選抜ですから一定の学力がなければならないという、それもまた非常に厳しい条件があろうかというふうに思います。しかしそういう中で、小学校についてあるいは中学校について、義務制についてはなかなか厳しい姿勢じゃないかということを、私は先ほどの本岡委員の質問も含めまして感じているのです。 金井康治君という子供が、普通の学校に入りたい、こう言って教育委員会に申し出たところが、教育委員会はこれを拒否した。そして、市の職員たちも学校の先生たちも、校門にピケを張ったり、ぜひ入らないような条件をしよう。というので、何というんですか、非常に気の毒な思いをさせた一時期があったわけであります。私どもの方もそれに取り組みまして、最終的には金井康治君はことしの三月、無事に普通の中学校を卒業することができました。そして、今東京都立の高校の入学試験を受けまして、一次は合格をしたわけでありますが、ちょうどきょう二次の試験なんです。ところが、二次は体育なんかというのがあるものですから、ああいう車いすに乗って、首も曲がったきりで、腕も動かないような子供は、体育ができないんです。金井君を支援する人たちは、きょうは教育委員会にも話し合いに行くんだと、こういうふうなことを言っていたわけですけれども。 こういう子供たちが普通高校に入る、そういうときに、体育の評価というものを何とかしてもらえないだろうかという要望が大変大きく上がっているわけであります。「全国「腎炎・ネフローゼ児」を守る会」なんかにも、去年で十四回ですからことしは十五回目の全国大会になるんでしょうか、とにかく外から見える子供は何とかしなさいという通知が文部省の方から出ている。しかし外から見えない子ですね。腎炎・ネフローゼだとか膠原病の子供だとか心臓病、あるいは小人症という病気だとか内分秘症とかあるいは気管支ぜんそくの子供たちについては、どうしても体育が一あるいは二。そして内申書の成績が悪いためにもう入れない。最初から受験をあきらめなきゃならない。こういうことを言って、何とかしてくださいという要望を大臣のところにも毎回毎回持っていっているんではないかというふうに思いますが、文部省は、この点についてはどのように考えていらっしゃいますでしょうか。
○政府委員(高石邦男君) まず、体育のような場合に、障害を持った子供がハンディがあるということはまさにそのとおりであるわけです。したがいまして、体育の指導に当たりまして、そういうことを加味しながら実際上の教育をしなきゃならない。実技に参加できないという子供もいると思います。そういう場合には、そういう者を見学させて体育の授業を受けさせているというような形等のいろんな工夫が行われて、教育の展開が行われているわけです。 ただ、評価に当たりまして、そういう子供だから例えば一とか二であるのを四にするとかということになりますと、これはこういう障害を持っている子供だけじゃなくて、例えば色覚異常のお子さんで絵が十分に――色彩感覚がないという者にはまたつけ加えるとか、そういういろんな問題が個々において出てくるわけでございます。したがいまして、評価自体を、げたを履かせるといいますか、そういうような形で処理するということは、非常に困難だと思います。ただ、入学させる場合の入学の判断として、そういう子供については特別の配慮をして内申の読み方をいろいろ工夫していくと、それはあり得ると思うんですが、出す内申書の点数を水増ししてげたを履かせるというようなことをやると、他のいろんな教科その他についても同じような問題が出てきて、かえって不公平さを増すという事態になりかねないので、そこは慎重にやらなければならない。ただ、合否を考える場合にそれをどう読み取るかという段階での判断というのはあり得るかと思います。
○粕谷照美君 確かに、今局長がおっしゃったように、学校教育法施行規則の第二十六条、「児童が心身の状況によって履修することが困難な各教科は、その児童の心身の状況に適合するように課さなければならない。」、これはあるんですね。しかし、評価については全然触れていないわけであります。文部省が今そういうことを答弁をされたということが、現場の先生方、内申書を書く先生、内申書を受ける学校側、そういうところに正しく伝わっているかというと、なかなか伝わらないですね。こういう点について、何か指導される気持ちはありますでしょうか。
○政府委員(高石邦男君) これは全国的に大きな影響を与える取り扱いでございますので、指導課長会議等で少し議論をして、どういうふうにやっていったらいいかということを研究してまいりたいと思います。
○粕谷照美君 ぜひ、安心して、その子供たち親たちが教育ができるように、一刻も早くその措置を講じていただきたいということを要望いたします。 さて、ここに林委員長いられるわけですけれども、私ども女性の議員が去年の七月ケニアヘ行きました。それで、ナイロビの日本人学校を訪ねて行ったんですけれども、その日本人学校、先生方みんな本当に一生懸命頑張っていらっしゃったのですけれども、そのときに教頭先生が、こういうところにも障害を持った子供たちが入ってくるようになったと。どんな障害を持った子供たちが入ってくるんですかと聞いたら、ダウン症の子供たち。私たちは普通のクラスにそういう子供を入れて教育をするなんということを考えてみたこともありません、経験もありません、どうしていいかわからないのですという話をいただきました。 私は、日本の普通の小学校、中学校ではそういう経験をお持ちの先生の方が数が少ないんで、経験を持たない方の方が数が多くて、経験をお持ちの方、知っていらっしゃるという、理解を示される方の方が極めて少数だというふうに思うんですけれども、これから海外にもそういう子供たちが行くように、なったんだなということも含めながら、普通の学級でそういう子供たちを教育をする、いわゆるインテグレーションといいますか、統合教育といいますか、そういうものについての文部省の考え方をまずお伺いしたいと思います。
○政府委員(高石邦男君) 実は、先ほども申し上げましたように、明治以来、義務教育を展開するに当たりましてまず小中学校等を整備していったわけです。どうしても障害の種類、程度に応じてはそれでは教育の成果が上がらないということから、盲学校をつくる、聾学校をつくるという歴史が始まったわけですね。そして、そういう盲者、聾者だけではなくして、やっぱり肢体不自由児であるとか精神薄弱であるとか、そういう子供たちもかなりいるということがわかって、じゃ、それを特殊学級という形で展開していこうというので、また特殊学級が戦後大きく伸びていったわけです。それでは不十分じゃないか、もっと専門の機関、組織をつくって、クラス数も少なくして先生も多くして、そして、施設設備もよくして専門の教育をやる必要があるんじゃないかというので、養護学校の義務化が行われてきたわけですね。ですから、そういう一連の流れからいいますと、その障害の種類と程度に応じて教育をしてやるというのが明治以来ずっととられてきた一つの教育政策であったし、それについては、いろんな立場の人たちを超えてそうだという方向で今まできたわけなんです。 ところが最近は、そういう障害児も普通の学級に入れて教育したらいいじゃないかというような議論が一方において生じてきたわけです。それは欧米諸国における交流教育というようなものの影響が若干あると思うんです。そこで、私は一昨年係官を欧米諸国に派遣して、調べてもらったんです、欧米は本当にそうなのかと。ところが、調べてみますと、イギリスにいたしましてもフランスにいたしましてもアメリカにいたしましても、日本の場合は、そういう特殊な養護学校で教育している者、特殊学級で教育している者が全体の一%なんですね。ところがヨーロッパ諸国は、それを七、八%ぐらいまで幅を広げて障害児特殊学級の対象になるという考え方をしているわけです。したがいまして、そうなりますと、いわば日本の普通の小学校に入っているような者も、諸外国ではそれは特殊学級の対象の子供だという考え方があるわけです。そうしますと、そういう一%を超えた数%の範囲内にある人たちというのは、普通の学校に入れて教育する方がいいじゃないかというような考え方が一方において出てきたわけです。それはまさに日本でやっていることなんですね。普通の小中学校でやっていることなんで、日本の場合の特殊学級とか養護学校というのは、もっと重い、どうしても普通の子供と一緒に教育できない、そういう者について一クラス、場合によったら三人とか四人という学級編制にして教育をしていくという仕掛けにしているわけですから、そこはやっぱり子供の立場に立ってどういう教育を展開したらいいかということを考えていかなきゃいけない。 例えば全盲の子供が、普通の小学校に入ってどうもうまくいかないといって、三年、四年になって盲学校に行くようなケースがあるわけです。ところが学校では非常に困る。というのは、基礎基本のそういう教育が身についていないものですから、なかなかそこも中途半端になる。やっぱり全盲の子供はその発達段階に応じてきちっと教育をしていかないと成果が上がらないという事例の報告が何ぼでも出されているわけなんです。そういうようなことを考えて私たちは、いたずらにそれを隔離して、分離して教育をするという発想ではなくして、今申し上げたような考え方で特殊教育の展開をやっているわけです。 しかし、一方においては、やっぱり障害者は最終的には社会の中で生きていくわけですから、その社会の中に生きていく際に障害を持たない子供たちも理解していかなきゃいけない。それから、障害者自身もそういう社会の中に生きていくような体験をさせていく、指導をしていくということは必要なことであります。したがいまして、そういう場面を、交流教育として普通の子供たちと交流させるようなチャンスをもっと拡大していきたいというような教育がとろうとしている政策でありまして、核はそこに置きながらそういう場面の展開を十分やっていくということが非常に重要である。 トラブルが起きる地方の実態を見てみますと、大体親の気持ちで、子供をどういうふうに教育したらベストかということじゃなくして、自分の子供は普通の学校に入れるんだというようなところが非常に強いんで、そこが障害になってなかなが話が合わない、トラブルが解消しないということが地方における障害児のトラブルの原因でああというふうに理解しているわけでございます。
○粕谷照美君 私どもも、そういう車いすの子供たちはもう学校からはじき出されていることについてこれは大変だからというんで養護学校をつくるという運動をやってきた立場なんですね。しかし養護学校ができて、そこへ入ってみて、卒業した子供たちが出ていくと、養護学校についてのいろいろな考え方というものを、非常に今まで期待していたものに対して裏切られたような感じがする。そういう中から養護学校卒業生の人たちや親の中からいろんな要求が出てくる。これは時代の進化ですから私はもう当然のことだというふうに思っているわけであります。 だから、そういうものをどうやって受けとめていくかというのが行政の仕事ではないでしょうか。そこのところをずっと私も予算委員会で質問をして、当時総理大臣の鈴木善幸氏は、何といっても子供の保護者の考え方が一番大事なんです、最終的にはそこなんだ、こういうふうに御答弁をされました。そのときに私は、初めはよく聞こえなかったんですけれども、ずっと予算委員会の左側の方におられました前島委員が拍手をされたので、前島委員も私といつも同じような質問をしていたものですから、ああそうか、じゃ前島委員も拍手をするような今御答弁だったんだなということに気がついて、後で議事録を読み借すなんていうちょっととんまなこともあったんですね。ところが、その総理の御答弁に対して当時の田中文部大臣は、やっぱりそうじゃないんだということを言っていらっしゃる。ちょうど共通テストの頭の毛があるかないかという、その辺のところの答弁の違いで、ああ私、あのときもやっぱり言ってやればよかったなと今反省しているんですが、やっぱり違うんですよ、そこのところが。 それで、今局長のおっしゃった、職員を派遣しましてというのは多分上野課長補佐のことだというふうに思いますが、よく勉強して。いらっしゃる。よくわかるんです。わかるんですけれども……。私が非常に近しく、一緒に運動なんかやっておりますビヤネール多美子さんという方がいらっしゃって、この方はしょっちゅうスウェーデンに行ってきて、スウェーデンにトムテボータ盲学校というもう盲教育百八十年の歴史を持っている、すばらしい歴史を持っているんですね。一時は二百人近くの子供たちが全国から集まってきていた。これが今度いよいよ閉校になった。閉校されたというその理由は何かといえば。スウェーデンが障害児と普通児を一緒に勉強させる統合教育を一九五〇年代から始めて、その始まった運動の成果が認められていって、親たちがやっぱり愛する子供は自分の手で育てたい、地域の子供と一緒に遊ばせたい、勉強させたいということで地域の学校に入れるようになった。それでこの学校が成り立たなくなってまいりました。それで、百八十年という長い歴史を持ったこの盲学校が閉じられた。そして、じゃ。閉じられた盲学校はどうなったかといいますと、やっぱり視覚障害者のセンターとして存続をすることになった。だから盲児が学校へ行っていて、そして何か基本的な訓練を受けなきゃならないなんというときは先生も含めてそういうところに勉強に行くんだというふうになったということが報告に載っております。また、イタリアでも障害児学級を廃止したというニュースを私は見ました。法律化したんだそうです。そして、中学校の学級定員は二十五名だけれども、そこに障害児が入学をすると二十名になって教員が一名加配になる、こういう報告も受けているわけであります。 さらにまた、世界人権宣言などもやっぱり子供の教育はまず親がしっかり、優先的に、どういう学校にやるかというようなことが判断をされるんだというふうなことも言っているわけでありまして、文部大臣、私が今ずっとお話しました件についてのコメントをちょっといただきたい。
○政府委員(高石邦男君) 歴史は繰り返すと言いますから、考え方がいろいろまたもとに戻るということもあり得ると思うんですね。したがいまして、ここ十年ぐらい今まで地方で一生懸命言われてきたものは、そういろ専門的な、例えば難聴のための学級をつくれ、それから全盲じゃない子供については、非常にそれに近い特殊学級をつくれというのが実は特殊教育の関係者からずっと強く要望されてきた流れなんですね。そして、本当に普通の学級に入れて教育の成果が上がればそうすることがベストだと思うんです。 だけれども、今までのトラブルの事件を見てみますと、その子供の教育効果というよりも親のメンツというか親の考え方、それに振り回されてこのトラブルの解決ができないというのが実情でございますので、我々は客観的に、そういう子供たちが普通の学校に入っていい成果が上がるという教育効果が上がれば何も、普通の子供の場合に公費が大体五十万足らずでございますけれども、特殊教育諸学校、養護学校では五百万かけているんですね、一人に。それだけの金を投入し、一クラスの児童数も四十人であるのが大体七、八人。そして重度になると三、四人。それだけの多大の公費を出費しながらやってきているわけで、やっぱり日本のやっている特殊教育というのは世界的に非常に進んだ、いわば日本のやつをちょっとまねしなきゃいけないというぐらいが世界の趨勢だと、率直にそう思っているんです。 したがいまして、そのトラブルの内容が、子供の立場に立ったものじゃなくて親のメンツで、ただ親がそう主張するからそうしたらいいじゃないかという考え方にはなかなか同調できないという気持ちでございまして、今おっしゃるように、それが本当に普通の子供の中に入れて教育をした方がベストであるということであれば、それはそういう方向に政策を転換するということはあり得ると思いますけれども、現状はそういう認識をしていないというのが率直な感想でございます。
○粕谷照美君 局長、メンツなんということを言ったら怒るんですよ、みんなが。メンツじゃないんですよ。自分の子供を育てるのは、局長が責任なんか持たないんですから、文部省が責任を持たないんですから、最後は親が面倒を見なければいけないんですから。その保護者たる親がどのような考え方をするかということをまず前提にしていくということが大事なんだというふうに思うんです。 しかし、私は養護学校もすばらしい教育をやっているというふうに思います。親がそれを信じて、この学校に預けましょうというような条件をつくっていくことがそこに働く人たちの私は任務ではないだろうか。だから、養護学校や盲学校を否定しているのではないのです。そういうところとどのようにしていい関係を持っていくかというのが一つと同時に、それでも私はやっぱり普通の学校だという親たちの要望というものを満たすような条件をつくらなきゃいけないと思うんです。 これは「障害児を普通学校へ」という全国の連絡会がありまして、毎回ずっとニュースを出しているんです。本当に涙ぐましい連絡をとりながら、お互いに励まし合いながらすばらしい実践をやっているので、ぜひ後で文部大臣も見ていただきたいと思うんです。 さて、そういう要望をしながら、この障害児の問題で最後にもう一つ障害児学級のことについて触れてみたいと思います。 障害児学級というのは、一年生から六年生までとかというふうにして、もうがちゃっと押し込んでいるようなところもあるわけですけれども、ぜひ低学年、中学年、高学年、そして中学校でと、こういうふうに分けてやっていく。たとえ生徒が二人でも低学年は一学級として置く。何でもかんでも集めて先生が教育をするなんということは大変なことなんですから、その辺については文部省はどういうふうに考えておりますか。
○政府委員(阿部充夫君) 障害児教育の問題につきましては、御指摘のように、特殊学級の学級編制について、これをできるだけ改善をしていかなきゃならないという宿題があることは御指摘のとおりであろうと思います。 先生も御案内のように、現在、昭和五十五年から六十六年までの間ということで行っております十二カ年計画の中におきましても、特殊学級につきましての定数の改善措置を講じていこうということで、現在十二人の基準になっておりますものを十人に改善をするということ、重度障害等の場合にはさらにもっと改善措置があるわけでございますけれども、そういったことを一生懸命進めている段階でございます。 上級学年、中級学年等に分けていったらどうかという御提案も、今後の検討すべき課題の一つではあろうかと思っておりますけれども、現段階では特殊学級全体の基準を改善するという宿題をまずやりたいということで、現在一生懸命取り組んでいるというところでございます。
○粕谷照美君 まあ十名と、こういうことでありますけれども、私はやっぱり八名ぐらいにしていかないと、ああいう子供たちを見るというのは大変なことなんで、その辺も検討をしていただきたいし、先生が病気になれば見てくれる人がいないわけですから、何としてもそれは教員加配はしていかなければならぬ。一学級当たり二人は出す、こういうことも大事なんじゃないかというふうに思っております。 それと同時に、こういう子供たちを抱いたりおぶったり、もう大変なんですね。そういう意味で、そういうところに働く教職員が腰痛だとか内臓疾患、公務に起因する病気にかかったような場合、もう即刻公務災害に認定すべきだというふうに思いますけれども、どうでしょうか。
○政府委員(高石邦男君) 体育局長がおりませんので、直接の担当局長じゃないから正確な答弁はできないと思いますが、公務執行上でそういう病気になれば、当然公務災害の対象になると思います。
○粕谷照美君 今のは通告しておきませんでしたので、局長いらっしゃらなかったんだと思いますけれども……。 しかし、非常勤職員として今介助職員が採用されているわけですけれども、やっぱりこういうものもぜひ常勤化していくというふうな障害児のための予算というものも、厳しい条件ではありますけれども、人を大事にするという立場から努力をしていただきたい、文部省頑張っていただきたいということを要望いたしまして、次に移ります。 一つは教員採用の問題であります。予算委員会で質問をしておりますので、その続きという形になりましょうか。 私は、教員の採用をめぐって情実だ、縁故だ、思想信条差別だなどという不公正、不公平な条件というものは根絶をしなければならないというふうに考えているわけでありますけれども、埼玉県が教員採用試験の成績を公開するということがニュースに載っております。文部省は、これ、どのようにつかんでおりますでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 埼玉県が、今年度の教員の採用選考についてからであると思いますけれども、公開という言葉が適当かどうかわかりませんけれども、不合格者について御本人からの問い合わせに対してはごくあらましの状況をお知らせするというような制度を取り入れだということを聞いておるわけでございますけれども、その後、具体の運用等についてどれぐらい問い合わせがあるかとかいうようなことについては、採用選考は最終的に済んだのが一昨日かそこらぐらいのことでございますので、まだ把握をいたしておりません。
○粕谷照美君 新聞の方が随分詳しく書いているんですけれどもね。 不合格者を対象に、やや低い、低い、かなり低いといって、自分の試験成績がよくわかるように――よくでもないですね、ある程度わかるような形で公開をしているようですね。二次の面接については、高い、やや高い、中位、低い、かなり低いと、ああこれじゃあきらめもつくかななどというような、そういう条件を整備しているようです。私どもは、密室の中で採用劇が行われないで。このような公開があるということは大変いいことだというふうに思いますけれども、文部大臣はいかがお考えですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 御承知のように、任命権者は各教育委員会でありますから、それは教育委員会の御判断でなされることだと思いますが、あえて私の今の率直な気持ちを申し上げると、本人がひそかに自分だけ、どの程度のできであったのだろうかということを問い合わせた場合に教えてあげるという埼玉県のやり方というのは、その点では大変親切だと思うのです、本人のあれはわかりますから。 ただ、公開といいまして、教員試験の発表のときに中身まで全部はあっと公開してしまうということになりますと、ここから先は慎まなきゃならぬかもしれませんが、それも今言われておる偏差値の弊害とちょっと僕はオーバーラップしてきて、教員をやめてほかへ就職しようとせっかく志しておる人が、そんなことが公開されてしまったら、あなたは教員試験のときには大分あっちの方だったねなんということになっても、これはその人の人権問題になるんじゃないかという気がしますので、あくまでこの程度で、本人がおおむねどの辺であったかをひそかに知りたい、教えてあげる、これぐらいのことは親切でいいんじゃないかなと、率直にそう考えております。
○粕谷照美君 今のは試験の結果の公表でございますのでね。今度は、試験問題を公開をするというのは、これは文部大臣いかがお考えですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 試験問題の公開につきましては、勉強させていただきます。
○粕谷照美君 試験問題公開をしているという大学、あるんじゃないですか。文部省、御存じないですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 今の御質問は大学でしたか。大学はしております。そして、模範解答集までつくって売り出されておりますから、各大学ではどんな試験が行われているかは全部公開されています。今私は、教員の採用試験の内容のこととちょっと錯覚しておりましたので、勉強させていただきますと申し上げました。
○粕谷照美君 そうじゃないんです。教員の採用試験なんです。ところが、その採用試験を大学側が公開をしているというんです。入手をして公開をしている。
○政府委員(阿部充夫君) その具体の事例を私も存じておりませんけれども、試験問題につきまして、例えば論文テストでどういう題が出たというようなことは受験生はみんな覚えておるわけでございますから、それを帰ってきて言えば、それはもう当然一般に知れ渡ることでございますし、受験者の多い関係の大学等では、あるいはそんなことをやっているケースもあるのかもしれないと思うわけでございます。県によっていろいろやり方があるんだろうと思いますけれども、そういった程度のことについての公開をしているケースもあるいはあるかと思います。 ただ、具体に細かい点についてまで、筆記試験の全部の問題等についてまでということになりますと、またこれがその傾向と対策と申しますか、受験勉強みたいなものを非常に誘発するとか、いろいろなマイナスの面も出てくるというようなこと等もありまして、各県では試験問題そのものを全部公開するということはやっていないのが普通だ、こう思っております。
○粕谷照美君 そうなんですよね。教職試験受験産業、学校もできているわけですね。神田にありますよね。東京、大阪何とか、こうやりますと、一カ所に三千人ぐらい集まってくるんだそうですよ。大変な大繁盛しているんだそうですけれども、大体そういうところは、試験を受けて出てきた生徒からすぐその問題を聞きまして、問題を復元して、そして一冊の本にして売りまくっているわけですね。物すごく売れるんだそうです。そして、公開模試をやって偏差値を出す。ですからもう先生も、偏差値で何県を受けようかなんて、こういうことにもなるわけですね。それから、論文、作文、これのいろいろな合格調査とかノーハウを教えるとか、水泳の実技について大変厳しい訓練を受けながら教員になるわけですけれども、私、この試験問題公表した方がいいと思うんですよね。こんなふうにして民間でちゃんとやっているんですから。なぜ公表しないかといったら、やっぱり教員の適性を判断する問題を公開するということになりますと、ああこれで適性判断ができるのかとすぐ批判が出てくる。そんなのを恐れているんじゃないだろうか、こんな感じがします。 そしてまた、今でも指摘されているんですけれども、本当に教員の適性とかなんとか、いろんな基本的なことの試験よりは、どちらかといえば法律なんかいうそういう問題が出ている。面接に至っては、それこそ思想信条、重箱の隅を掘り返すみたいな質問をしているなどということが明らかになるのを恐れているんではないか。こういうことを受験生たちは厳しく批判をしておりますので、ぜひこの試験問題などについても、共通一次なんかでも高校の入試なんかでもすぐ翌日新聞に載りまして国民の批判を受けるわけでありますから、そういう条件をつくっていただきたい。そういうことをしないで教師の適性なんというのは私は問えないというふうに思っています。 それとあわせまして、条件つき採用が地方公務員六カ月ですね。今でも地方公務員である教職員、小中は六カ月ですよね。これ、一年間に延ばしましょうというんでしょう。そして、きょう何か二次答申の原則ができたみたいでありますけれども、何で教員だけ一年間にするんですかね。一年間にしますと、これは法律を変えなければならないというふうに思います。国会の場で当然審議が行われなければならないというふうに思いますが、その点はいかがですか。 それとあわせて、そういう新卒者に対しては、聞くところによれば、これ、校長さんだとか退職者を充てましょうなんていうんですね。去年の採用者、私見たんですけれども、小学校で五万九千人受けて一万一千三百八十六人採用されていますね。中学校で一万三千四百八十五人、高校で一万三百六十三人、それから特殊学校で千五百十八人、養護教諭が千幾らですか、ちょっと数字が見えないんですけれども、全部合わせて三万八千二百三十九人です。この一人一人に退職教員をつけるんですかね。人数でいえば三万八千人ほどの教職員の増ということになりますね。四十人学級もできないできないと言っているときにこれやるんですかね。 それから、特に問題校、ツッパリがいるとか、いろんな問題校に重点的にやるとしても、そんなのはここの学校で突っ張っていたのが転校していったらもうすぐそっちの方に移っちゃうわけですからね。どこのところに配置すればいいなんていうものではないわけですよね。その辺のところは文部省としてはどういうふうに考えていらっしゃるんでしょうか。臨教審はそういうことを言っているようでありますが、先日も仲川委員の方から、こんなに大勢出せないなんていう御討論もあったように思いますけれども、いかがですか。
○政府委員(阿部充夫君) 御指摘の点は、臨教審が「審議経過の概要(その三)」の中で述べております初任者研修制度についてのお話であろうかと思いますが、この制度は、採用後の新任教員に対して充実した実地指導を行うということで、実践的指導力でございますとか、現在教員に対しいろいろ社会から要請されております使命感の問題でございますとか、そういったものを養っていこうということを目的にしているものと理解をしているところでございます。 これを具体にどうするかということにつきましては、臨教審自体が現在御検討になっておられることでございまして、近く答申が予定されておりますが、そこまでにどういう形で出てくるのかということもございますので、文部省としては、臨教審の御指摘が出た段階でその具体化の検討に着手をするという考え方で、現段階で臨教審で御審議なさっておられることについて、いい、悪い、おかしいとか、そういうようなたぐいのことを公に文部省が言う、あるいは非常に結構であるというようなことを言うということについては、これは差し控えさしていただきたいと思うわけでございます。 一つ技術的な問題についてのお尋ねがございましたのでつけ加えさしていただきますが、条件つき採用期間を半年から一年に延ばすということが「審議経過の概要」の中で確かに述べられておるわけでございます。これを具体化する際にどうするか、法律、制度上どうするかということは、まさにこれも答申が出てからのことでございますけれども、現在の地方公務員法あるいは国家公務員法におきまして、条件つき採用期間というのは原則が六カ月であるということになっておりますが、地方公務員の場合には人事委員会が定めるところによって一年まで延長することができる、国家公務員の場合にも人事院規則で一年までは延長できるというような規定はあるわけでございます。やる場合にこういう規定によってやるのか、それとも別途法を改正して国会で御審議いただいてやるのかというようなことはまさにこれから考えることでございますので、一つ一つのこれからの検討課題というふうに思っている次第でございます。
○粕谷照美君 私は、公務員平等の原則があるわけですから、事務職についてはそれでよろしい、県庁の役人はそれでよろしい、しかしまた県庁のお役人になる指導主事などになって入っていく、そういう教師もいるわけですから、そういう教員についてだけ一年なんていうのはとんでもない話だ、こういうふうに考えているものでございます。 時間がありませんから、文部大臣に最後に一つお伺いしたいと思います。 予算委員会の中でも、人勧で給料が上がっていくたびに別のところが削られてしまう。文部省は人件費支給機関になってしまった、こういうふうに言っているわけであります。予算について全力で頑張り抜いていくという決意を表明していただきまして私の質問を終わります。
○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のように、文部省予算というものは、いろいろな制約を受けまして全体として伸び悩みであることは御承知のとおりであります。しかも人件費が、粗っぽく申しまして四分の三ということになりますと、私どものやれる事業というのは非常に少なくなってくる。そこへ今年度も人事院の勧告を完全実施しますために、たしか平年度化して千六百億ほど食い込んで引き受けていかなきゃならぬということになってまいりますと、非常恒つらいわけであります。 こういった厳しい状況のもとでありますが、教育は国家百年の大計と言われますように、国の状況がいいとか悪いとかによって教育に対するいろいろな投資が伸びたり減ったりすることは、私個人としては望ましくないと思っておりますので、絶えず継続的に教育研究というものは充実し、繰り返されていかなければなりません。特にまた今臨時教育審議会等を通じて、いろいろ立場によって御意見は違うかもしれませんけれども、いい教育改革をしようという願いでみんながこれを見守っておっていただくところでありますから、文教に関するいろいろな必要な予算措置、財政措置等についても、私は国の将来を考えでできるだけ関係機関が配慮をしてもらいたい、強い決意をもってこれからも臨んでいきたいと思っております。
○粕谷照美君 頑張ってください。
○委員長(林寛子君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時三十分まで休憩いたします。 午後零時三十一分休憩 ―――――・――――― 午後一時三十一分開会
○委員長(林寛子君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、昭和六十一年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○柳川覺治君 私は、海部大臣にお仕えした身でございまして、お仕えした大臣に御質問するのは大変恐縮と存じますが、歴代文部大臣がお集まりになられますと、まず開口一番お言葉になるのが高校野球での始球式のことでございます。先日、春の訪れとともに春の選抜大会の開幕において、海部大臣は、さすがに再びエースの到来であるということで、高校生、また国民に向かっての大臣のごあいさつ、そして始球式の球が見事に、ワンバウンドでなくストライクゾーンに投げられました。本当に今財政再建の厳しいとき、また、臨教審が二十一世紀の我が国の教育の大改革を目指す胎動のとき、再び文部大臣の御登場を心から歓迎申し上げる次第でございます。 大臣が前回の御就任のときは、ちょうど五十二年度予算案を年の暮れに決定する、そのときの御登場でございましたし、それから、五十三年度予算の概算要求の編成という大事業をされました。今振り返りますと、私は文化庁の次長と体育局長でお仕えしたわけでございますけれども、本当に今で言うとルンルンの時代と申しますか、文教行政が本当に明るさを持ったときだというように振り返っております。大臣の大臣折衝でお決めになりました予算が前年度に対して一七・四%増、そして、五十三年度予算の概算要求をおまとめになられたときの五十三年の予算が二〇%を超える増であったということでございます。文化庁でも、女の厄年と言うとしかられますけれども、小さいのを入れまして三十三本の新規が一年度で実現したというようなときでございました。また、社会、体育、学術、そういう方面に大変な伸びがございまして、ようやく文部省の大リーガーである初中、大学、公立文教施設の管理局と同時に、マイナーリーグの方の文化庁、社会、体育、学術の方にようやく光が差した。これで足腰が強くなるということの、まさに海部大臣のときは文教の栄光のときであったと思います。 その海部大臣がこのたび六十一年度予算の編成に当たられまして、大変財政再建厳しい中で御苦労されたわけでございますが、私学助成の防衛初め、また、十数本の新規もございました。海部大臣の予算編成に当たられた御苦労と御感懐、また、どこに重点を置かれたか、お聞かせいただければありがたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 柳川さんには前回在任中、確かにお言葉のようにお仕えをいただいてお助けをいただきましたが、その前、私は、稲門のころには、同窓会では先輩としてお仕えを申し上げてきたつもりでございますので、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。 確かにおっしゃるように、この前のときは非常にいい時期でもございましたし、たしか私学助成でも高校以下の伸び率が四〇%を超えておりまして、予算のどの項目を見ても、こんなに伸び率としては伸びたところはないというので、皆さんとともに喜んだことを今思い起こすのでございます。 それに比べてこのごろは、ということに相なりますと、まことに厳しい状況ではございましたけれども、しかし、皆さん方の御理解とお力添えをいただいて、今年度の文教予算の中でどんなところに一番力を入れてきたかと仰せられますと、やっぱり他の政策との整合性の問題がございまして、一〇%カットの天井や五%カットの天井、それぞれ経常予算やあるいは投資的予算によって天井はありますけれども、それでも文部省全体としては、与えられました枠の中で、必要なものは伸ばす。まあ必要じゃないものは絶対ございませんけれども、やや緊急性を欠くものは足踏み御協力を願うということで内部のやりくり等もいたしまして、委員御承知のように、四十人学級の問題も私学助成の問題も科学研究費の問題も留学生の問題も、それぞれ私たちが当面取り組んでやらなきゃならぬと思う問題には、主張をすることは主張をして予算を確保してきたつもりでおりますし、また、さらにきめの細かい問題に行きますと、木材を教室の中に使用して児童の心に潤いを与えたらどうかとか、あるいは、青少年の健全育成のためにいろいろ自然教室とか野外活動とかやったらどうかとか、いろいろなところに配慮をしてきたつもりでございます。 与えられた枠の中で、全力を挙げてよりよきものを完成さしていきたい、こう思っております。
○柳川覺治君 今大臣のお話のとおり、大変厳しいまた乏しき中に、励みと申しますか、明るさを見出せる新規のこともお組みになられましてありがとうございました。ただ全体として、五十六年度からの抑制の中で、今人件費のシェアが、大臣もおっしゃられましたけれど、七四・五%という大きな、文教予算の全体を人件費が占める、政策経費をどうしても削らざるを得ないという流れの中で、五十六年から六十一年までを振り返ってみますと、人件費関係の、全体での文部省予算の伸びは一千億の増を見ておりますが、そのうち人件費が五千七百億円の増、したがいまして、物件費は、この一千億を除きまして四千七百億円が物件費としては減少しているという状態でございまして、まあ人件費、何か人間の体で言うと、どうも口に入るもののために手足の方をもいでいるような感じでございまして、これでは心不全になるんじゃないかという心配があるわけでございます。 大臣、先日、文教予算につきましては相当新しい角度から、文教国家百年の計についてというお話をされましたが、これから、来年度以降のことになりますが、本当に私ども、例えば海部大臣のときに社会教育の方で公立の社会教育施設費が二百億近い状態になる、また、社会体育施設費も百億を超えたということで大変な喜び。また、それがちょうど石油ショックの後、地方財政も国と同様、人件費の方に充てるということで、なかなかにこの面に財政が、地方財政も回らない。その時期がようやくその重荷から解放されまして、今まで抑制であった社会教育・体育施設、文化施設等のそういう方面にも、市町村が住民、国民の要望にこたえた胎動があったという時期でございましたが、それが数年ならずして、今振り返ってみますと、五十六年に例えば社会教育施設費は百八十六億でございましたのが九十四億、社会体育施設費は百億が六十六億というように大きな減少をしているわけでございますね。今いろいろな子供たちを育てる面から、また高齢化社会、情報化社会において人間が生きがいをという面が強く言われておるときにこれは何としても残念でございまして、この面に再び活力と明るさを、健康をということの面が今大きな期待になっておると思う次第でございまして、そのことも含めまして、先日の大臣のお話の点をこの場でお示し賜ればありがたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 新しい政策をやろうとか、あるいは今当面行われておりますいじめに対応して、結果としていじめがなくなることに役に立つように、スポーツ・体育あるいは自然山野跋渉あるいはグリーンスポーツとか、山の中へ入っていっていろいろ共同生活をするとか、あるいは文化に親しむとか、いろいろ青少年の健全育成ということ等を重点に考えますと、夢はだんだん膨らんでいきまして、青少年活動というものは文化の面でも社会教育の面でももっともっと広げていきたいという気持ちは委員御指摘のとおりでございます。そういったことをしますためにも、また別の面から見まして、文部省予算の中で人件費の占める割合が粗っぽく言って四分の三、しかも人事院勧告を完全実施しますために平年度化して千八百億の金が要るというようなことを聞きますと、それをやっぱり政策予算の中へ受け入れていかなきゃならぬ。もうちょっと政策をやっていくための予算は何か新しい発想で考えてもらえないだろうか。例えば私たちは今臨教審からいろいろな答申をもらったり、「審議経過の概要」で示されておる問題を見ておると、またさらに第二次ではいろんな答申も出てまいりますけれども、そういったものを政策の上にのせていくためにもお金は要ると思います。 教育は国家百年の大計でございますから、そのときどきの国の自然増収があるかないか、多いか少ないかということにかかわらず、継続して繰り返し努力を重ねていかなければならぬ面もあると思いますので、何か特別な配慮をしていただいて、教育関係予算というものが我々の政策努力を予算面からだけ足を引っ張ってしまうことにならないようになってほしいなという強い願いを持っておりますから、そういう気持ちでこれからも関係方面とはよく話し合いをして、要請もして、努力をしていきたいと、このように一思っております。
○柳川覺治君 財政当局のお考えもあり、各省とのバランス、構成の立場もあるわけでございますから、原則一律一割カットという線で物が切られますと、大は大なりに、小は小なりに大変なことでございますけれども、特に文教予算の中で、マイナーリーグと申しましたが、そういう面のところはほんのわずかの予算によって大きな励みが出るという分野、その面はもうそろそろ一律削減という、まあそれぞれ担当の人たちの立場もありますから、それが結果においては一番人の和に結びつくわけで、よくわかりますけれども、やはりその面のひずみがかなり大きくなってきているんじゃないかなということを感じますので、この面につきましては、文部省の中の予算要求の対応の中で御工夫を賜ればありがたいと思う次第でございます。 ところで、恒例によって例年ごろ合わせがされますが、今度の予算についてどんなごろ合わせがございましたか、会計課長。
○政府委員(坂元弘直君) 先ほど柳川先生の御質問、五十二年、五十三年の予算編成の伸びを聞いておりまして、今の会計課長として、本当に当時の会計課長はうらやましいなと、つくづくそういう感慨を持った次第でございます。 本年度の、六十一年度の予算が四兆五千七百二十一億九千七百万円でございます。先ほど大臣からも御説明いたしましたとおりに、伸びはほとんどなかった。むしろ若干の、ほんのわずかでありますが、三角でございますが、その中でもそれなりにめり張りを持った予算を、財政当局の御協力もいただいてつくったつもりでございますが、ごろ合わせになりますとどうしても手前みそと申しますか、あるいは先生方から聞いておられると、何を虫のいいことを言っているかというふうにおとりになるかもしれませんけれども、私ども内部でいろいろとつくったごろ合わせを、みんなの投票で、大体このぐらいがいいんじゃないかというのを一、二御紹介させていただきますと、一つは、今の予算づくりの苦労を吐露したものとして、「よりよい中身に一苦労、むだをなくしたこの予算」というのが一つございます。それから、これでは余りにも消極的で、もうちょっと将来に明るさを持ったごろ合わせはないかということで、もう一つは、「よい子の将来七色の虹に輝け、一緒に越えよう苦難の道も」というような愚作を御紹介させていただきまして、大変恐縮ですが、私のお答えにかえさせていただきます。
○柳川覺治君 大臣、大臣は得意ですから、何かおつくりになりましたか。
○国務大臣(海部俊樹君) 速記録に残りますので、会計課長は極めて次元の高いいいものだけ言ったと思いますが、私ども、この数字を見せていただいて、ほんの思いつきですけれども、きれいなことを言えば「しごかれて何に一つの悔いはなし」、「とは言いにくい厳しい予算」と下の句をつけるとよくわかると思います。もうちょっと政治家があのときぴんと感じたことを言いますと、四五七二一九七ですから、「渋いけど「四の五の言って質屋に行くな」という予算」と、こんなふうに私どもは読んで、お互い慰め合っておりました。
○柳川覺治君 さすがに御苦労の跡がしのばれるわけでございます。 そこで、今年度予算で特に大臣が頑張り通されました私学助成でございますが、五十七年度からの総額抑制の結果、私大の経常経費に占める補助金の割合が二〇%にまで低下しております。このままでは今後の授業料等の増高を招くことが憂慮されるわけでございますが、大体今年度の授業料の高騰の見込みはどのくらいですか。
○政府委員(國分正明君) 六十一年度の大学の授業料の見通してございますが、現在九三%の中間集計の段階でございますが、前年対比初年度納付金で三・九%のアップというふうになっております。
○柳川覺治君 予想外に増高率が低いですね。
○政府委員(國分正明君) 六十年度のアップ率が三・九%でございますので六十年度と同じでございますが、人事院勧告等が五%強、あるいは物価の上昇というふうに考えますと、各私学においてそれぞれの経営努力をされているのではないだろうかというふうに考えております。
○柳川覺治君 また一方、六十七年度をピークに十八歳人口の増ということで今急増対策が行われておりますが、十一万六千人でございますか、その増高に対しての急増対策が進められておりますが、私立大学の今定員増の割合はどのくらいになりますか、全体の伸びの中で。
○政府委員(國分正明君) ちょっと手元に資料がございませんが、六十一年度からいわゆる増募という形になるわけでございます。全体で、国公私合わせまして八万六千人の増を図る。そのうち四万四千人につきましてはいわゆる臨時定員増で対応しようということでございますが、現在までの大学の新設あるいは学部の増設、それから恒常的な定員の増の状況を見ますと、当初私どもが予想していた以上に申請が多うございまして、特に私学のうちでも短期大学について、例えば臨時定員増につきましては当初七年間で予想していたものをもう既に単年度で超えるかもしれない、こういうような状況にございます。
○柳川覺治君 臨教審も、我が国の初等中等教育には見るべきものあり、しかし高等教育については、見るべきものなしとは言っておりませんけれども、そう高く評価していない。これからの我が国の、大学院の問題も含めて、高等教育の充実ということに対する課題があるわけでございますが、日本の高等教育に関する財政的な打ち込みも諸外国に比して低いのではないかということが言われておりますが、アリメカあるいはイギリス、フランス等の状況との比較についてお教えいただきたいと思います。
○政府委員(國分正明君) 高等教育に対しますいわゆる公財政支出の状況でございますが、手元にございます資料で、諸外国と、若干年度のずれがございますが、国民所得に対します国、地方の負担、いわゆる公財政支出の状況を見てみますと、日本が〇・九%、アリメカが一五%、それからイギリスが一・九%、それから西ドイツが一・八%ということでございまして、先進主要国、いろいろ制度の相違等がございますから一概に言えない面もあろうかと思いますけれども、これで見る限りにおいて、日本は先進諸国に比べまして高等教育に対します投資が低いのではないかというふうに考えております。
○柳川覺治君 そのような状況の中で、今後とも我が国の高等教育に占める私学の果たす役割はますます大きくなっていくというように感じます。 そこで、今後の私学助成の充実方策につきましてどのように考えていかれるのか。また、この助成につきましては、小規模の学校からは手厚くという要望がございますし、また一方で、それぞれ大学が特殊性を持って教育研究にまじめに取り組むというものに対する少し重点的な配分ということの要望もあるわけでございまして、今までこの面の傾斜配分等の措置もされてきておられますが、今後、私立大学に対する助成の方途についてどのように考えていかれるのか。 それから、財政当局の間にいかんせんルールが必ずしも確定していないというのがどうしても私学振興助成の経費でございます。積算は人件費等ありますけれども、人事院勧告等によって国立大学も公立大学も上がるということであれば、当然に私学の方も授業料は上がるわけでございまして、人件費等についての高騰はあるわけでございまして、それとの対応が、今財政が苦しいからということもございますけれども、ルールができていないという問題があるわけでございます。これはなかなかお金のないときにルールをつくるというのは難しいことでございますけれども、やはり一つの課題であろうと思います。 この面につきましてのお答えを賜りたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 全体の考え方についてまず申し上げさせていただきますが、やはり私学が結果として社会や国のために果たしてきた役割というものは極めて大きいものがございます。そして、私学振興助成法という法律ができましたときに、人材委託費的な発想もございまして、何とか一つの目標として五〇%、半分ぐらいというところに目標点を置いて我々お互い党内で議論しておったことを委員も御承知と思いますけれども、残念ながら私学の助成の制度は、そのほかの制度と違いまして、まだ制度として未完成、未熟、中途な状況のときに財政再建の厳しい時期にぶつかったというわけであります。ですから、制度が一たん完成をして、我々が初め望みとした五〇%そこそこのところまでいっておったとするなれば、他の政策との整合性の中でずっと一〇%の削減に該当させられても、あるいは国の厳しい状況の中ですからやむを得ないと受けとめなければならぬかもしれませんが、私どもは、やっぱり制度自身がまだ未熟ですから、その点を十分勘案していかなきゃならぬと思いまして、昨年も、結果としては横ばいでございましたけれども、そのような努力をしたつもりでございます。 同時に、これから中長期の目盛りで言いますと、頭数だけで形式的に配分するというのじゃなくて、その中でもやる気のあるところ、いい研究をしてくださるところ、努力をするところ、いろいろそういったものにはそれなりの傾斜配分をしてやる気と希望にはこたえていかなきゃならぬという気持ちがいたしますので、これは中長期的な今後の課題でありますけれども、単なる機械的な、形式的な助成ではなくて、やる気のあるところへ特別助成の傾斜配分なんかは考えていくべきではないだろうか、私は個人としてはこう考えております。
○柳川覺治君 時間がございませんので、外国人留学生の受け入れ、二十一世紀初頭を目指して十万人の受け入れということにつきまして、今の進捗状況、可能性についてお尋ね申し上げます。
○政府委員(植木浩君) ただいま柳川先生御指摘のとおり、二十一世紀初頭に十万人の留学生を日本の大学等で勉学をしているようなことを目途に努力をしてまいりたいということでございます。 近年、日本への留学生数が非常に増加をしてきておりまして、六十年五月現在で一万五千人の留学生が日本の大学等で学んでおります。これを最近の伸び率でまいりますと、平均をいたしまして二〇%近い増加率というのがごく最近の状況でございます。私ども十万人計画ということで推計をいたしておりますのは、前期で一六%ぐらいの増になっていくのであろうと推定をいたしておったわけでございますが、それを上回るような勢いで留学生の数が増加をいたしております。
○柳川覺治君 外国の人を受け入れる、同時に日本の若者が海外で学ぶということの必要性も、特に私は隣の韓国とかアジア地区に日本の若者が何らかの形で学ぶ機会が必要であろうと感じておるわけでございますけれども、この面については、今度はスポーツの方ではスポーツ派遣事業、アジアヘの派遣の新規を組まれまして大変喜んでおりますけれども、この面の何か積極的な施策はございますですか。
○政府委員(植木浩君) 最近、やはり日本の学生の海外への留学もふえる傾向にございますので、基本的には外国の大学の事情など、留学関係の情報を充実する必要があるわけでございます。そういうわけで、日本国際教育協会の留学情報センターの充実に努めてきております。 それから、国費によります留学生の派遣につきましては、学生国際交流制度というものによりまして、大学からの推薦に基づきまして、国費で日本の学生を海外に一年程度派遣をいたしております。そのほか各国が、各国の日本にございます在外公館等を通じまして、日本からの留学生を募集をいたしておりますので、文部省としてもその選考等に協力をしている状況でございます。
○柳川覺治君 私も最近特に感ずるんですが、一昨年アメリカ、カナダに参りまして向こうの学校を視察しましたが、その際に、例えば学校建築の世界に学校建築プランナー会議というのをアメリカとカナダ両国で行っているわけですね。トロントでその会議がありましたから参らしてもらいましたら、日本でぜひこの会議を開けるようにしてほしいという向こうの会長からの要望もございました。それならばということで、この七月にアジアの中国、韓国、ASEAN六カ国に今呼びかけまして、社団法人の文教施設協会、それから体育施設協会、外務、文部の御後援をいただいて自主的な活動として行うということで、この七月にアジア文教施設シンポジウムを計画し、今推進しようとしているところでございます。 教育それ自体は、一国の民族の魂、あるいは命の問題でございますから、極めて独自性もあるわけでございますけれども、人間教育という立場ではやはり国際的な共通の問題でございましょうし、また、学術はおのずから国際性を持つ。そして、文化の面におきましても、この民族が、この人がと織りなしたものが、異な物が普遍につながるという、そういう世界の問題でございまして、言うまでもなくスポーツにつきましては、国境、あるいは人種の違いを越えて、最も人の交わりをつくり、心の交わりを培う世界でございます。 そこで、文部省の御担当になる教育、学術、文化、スポーツというこの世界は、それ自体国際性を内包しているというような観点から少し物を見ていきますと、経済協力事業団、国際協力事業団ができましたときに、この中に文部省の分野も大いに入るべきだという御意向がありましたけれども、文部省自体は、それ自体、教育、学術、文化、スポーツの世界の持つ国際性、そこを大事にして、文部省自体でこの面のことの推進を図るという、必ずしも経済協力という観点と違った、それ自体の持つ性格からということで、協力事業団の方と距離を置いたという形になっております。 また、外務省の方で国際文化交流基金をおつくりになって、文部省はその協力をしているわけでございますけれども、何か今国際社会において、例えば外国から来た留学生も日本の大学に留学しながら日本人とともに欧米の姉妹大学の方に研修、一時的な留学するというような、そういうもう少し広がったことも要請されてくると思う次第でございまして、これらの点につきましては、今後の課題でございましょうが、ODAという観点でなく、文教という観点からのこの国際性にこたえていくということについての課題が幾つかあろうと存ずる次第でございまして、この辺、植木局長、あなた国際通でございますが。
○政府委員(植木浩君) ただいま柳川先生がおっしゃったとおりでございまして、元来教育とか学術、文化はそれ自体国際性を確かに内包しているものでございます。そういうわけで、ほかの省庁がやっておりますいわゆる経済政策としてのいろいろな人的交流とはおのずから本質を異にするわけでございます。 とは言いながら、文部省も、例えば外務省等がおやりになっております経済協力のために大学の先生を推薦して派遣をするとか、外国からの技術研修生を経済協力事業団が受け入れたときに大学でいろいろとお世話をするとか、一生懸命できる限りの協力はいたしておるわけでございますが、確かに教育、学術、文化の国際交流というのはもっと本質的な角度からこれを進めなければいけないという点はおっしゃるとおりでございまして、そういう意味で、冒頭御質問ございました留学生交流も、十万人計画ということで一生懸命やっておりますし、また、学術関係でもいろいろな国際共同研究あるいはアジア諸国に対する学術教育等も、経済政策という角度ではなく、学術政策あるいは教育政策、こういった角度から進めておるわけでございます。 現在、文部省関係の昭和六十一年度の予算案で教育、学術、文化の国際交流関係の予算をまとめてみますと、既に五百億を超すような状態になっておりまして、前年度と比較いたしますと、大変厳しい財政状況の中でございますが、四・二%増という状況になっておりまして、ただいま柳川先生がおっしゃったような趣旨を体しまして、さらに教育、学術、文化の国際交流の充実を進めてまいりたいと思います。
○柳川覺治君 文部省も、外務省の御理解のもとにアタッシェを各地に派遣されておりますけれども、本当は教育アタッシェ、学術アタッシェというものが完全に位置づけられるべきであるという感じを持っておりますが、なかなか定員の厳しいときに、何か民間のような形ででも、海外に学術情報の、また学術について日本といろいろな情報交換等もできる、そういうようなことにつきまして、私も考えているんですが、どのような形ができるのか、これから文部省でも御研究を賜りたいと思う次第でございます。 それから、本年九月にソウルにおいてアジア競技大会が行われます。そうして一九八八年、二十四回のオリンピック史上で二度目でございます、再びアジアにおいてのソウル・オリンピック大会が行われる。日本は、極めでいろいろな政治情勢がございますけれども、このアジアにおける二度目のオリンピックが大成功することを心から念願し、御支援をしておるわけでございますけれども、この近隣国での国際大会における我が国選手の活躍に対する国民の期待は言うまでもなく大きいわけでございまして、このソウル・オリンピックに向けての選手強化について積極的なお取り組みをされているようでございますが、その様子をお聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(古村澄一君) 御承知のとおり、ソウルにアジア大会、続いてオリンピックというのが開かれるわけでございまして、このことが日本の体育界に対して強い刺激になってくるだろうというふうに期待いたしておるわけでございます。しかしながら、近ごろの世界の競技力を見てみますと、日本もなかなか勝てなくなってきた。ほかの国が強くなってきたのか、日本が弱くなってきたのかここはわかりませんが、メダル数を勘定しますと、だんだん悪くなってきているということでございます。 そこで、せっかく隣の国でオリンピックが開かれて国民が大変期待をしているときに、日本の日の丸が上がらないということでは大変国民が失望いたします。そのために、やっぱり根本的に考えるところは考えにゃならぬということで、従来から国際競技力向上のための選手強化事業というのを日本体育協会を通じてやっていただいておりますが、競技成績そのものがやはり精神力、いわゆる精神力にまつところがかなりある。自己最高がそのひのき舞台で出ないというのが大変国民が失望しているところでございます。したがって、そういった点でのメンタルマネジメントのあり方というのをひとつ早速研究したらどうかということで、ロサンゼルスのオリンピックの結果を見まして、そういったメンタルマネジメントについての研究及びその実施ということを日本体育協会に対してお願いもし、六十年度から予算をつけて措置をいたしておるわけでございます。 なお、その後、この次のソウル・オリンピックにつきましては、メダルを取れる可能性のある日本の強い種目を中心にして、特別強化事業というものを六十一年度予算の中に計上いたしたということでございます。
○柳川覺治君 従来必ずしもオリンピックの種目でなかったもので、例えばテコンドーのようなものがソウルのときには種目になるであろうか、また、バドミントンが将来オリンピックの種目になるであろうということでエキシビションが行われるというような動きもございます。この辺はある面では穴場だと思いますので、先日拳法の人たちがテコンドー、韓国のを見てまいったそうでございます。そのときに少し習えば勝てるかなということを言っておられました。今テコンドーの方と拳法連盟ともまた話し合いをしていこうということの動きもございます。そういうような、バドミントンとかそういうようなところに、わずかでも結構でございますから、励みを与えるという意味で何らかの形で助成措置をしていただくことを、御答弁結構でございます、陳情させていただきます。 それから、子供の教育という中に、子供にはあらゆる場を与えてやるということ、それからそこに感銘を受けるということが教育のやっぱり一つの大きな大事なことだ。今、水泳の選手権大会――野球はあのとおりでございますけれども、水泳の選手権大会などに行きますと、応援席が、観覧席が閑古鳥が鳴いている。声を出しているのは大学の桜泳会とか稲泳会とか、そういうところだけという状態がございます。私は、学習指導要領の方で、スポーツのすばらしい競技を見る、見学というのは教育活動の一環だというようにさせていただきました。もっともっと学校において時間の許される限り、今粕谷先生からも受験受験でということでございましたが、やはり競技スポーツの場に子供たちが見学をして、そこにある感銘を受ける。そして、今子供たちはいじめの問題その他でも非行問題、何か我々大人に対して、親に対して、教師に対して本音で当たってくれという、そういう体当たりが来ておるというのが子供の心情でないかという感じがいたします。そこで、そういう激しい鍛錬の上で栄光を得る、その厳しい競技の場を見学する、またみずからを鍛えていく、自己鍛錬ということにみずから励む、そういう場が今極めて大事だと思いますので、この辺につきましても、見学の機会等につきまして、私も競技団体の方にもそういう働きかけをするように勧めていきますので、文部省におきましても何らかの御指導を賜りたいと思う次第でございます。
○政府委員(古村澄一君) ただいま先生がおっしゃいますとおり、確かに鍛え抜かれた選手が一生懸命にやっていることを見るというのは大変見ている側にとってもプラスになり、それが子供であればなおさら感慨深いものがあろうかと思います。したがって、そういった点について学校教育の中で活発に取り入れられるよう指導をしてまいりたいというふうに考えます。
○柳川覺治君 時間がありませんから急いであれですが、先日、日本体育・学校健康センター法の成立に際しまして、本委員会におきましても附帯決議がつけられました。あの附帯決議の中の総合体育研究研修センターでございますか、これの早期実現につきましてお見通しをお聞かせいただきたい。あの幡ケ谷の土地は既に渋谷区では総合体育施設が完成しておりますので、この辺につきまして体育局長の方から……。
○政府委員(古村澄一君) 先ほどのセンター法案につきまして御審議の際に強い御要望があり、附帯決議にもつけられました体育研究研修センターの設置の問題でございますが、これは非常に長い問題、懸案事項でずっときてまいりまして、結局、今財政が一番難しい時期にかかってきたということが片方ございます。したがいまして、私たちが思っていましたよりも足取りが遅いわけでございますけれども、土地そのものの使用目的もはっきりいたしておりますので、これについては一日も早くそれの建設の手順というものを決めてまいりたいというふうに考えております。
○柳川覺治君 なお、私はかねてから欲しいなと思って私自身実現できなかった残念なことですが、日本には芸術院があり、そして学士院がございます。人はより深くより美しくという世界がございます。そして、より高くより強くという健康体育の世界があるわけです。私は、バランスの上からも体育院というものがあってしかるべきじゃないかということを、文部省で予算要求をしょうとしましたら、時期尚早の感で、玄関まで出ないで済んでしまったわけでございますけれども、この辺の問題、これはまたスポーツに励む人たちへの大きな励みにもなる問題であろうと思いますし、また、もう一つ、国際交流基金等はお世話もいただいておるわけでございますけれども、スポーツにつきまして、スポーツが世界の平和と人類の交わりに最も最たるものでございます。この面の国際スポーツ交流基金的なものが文化の基金と離れてもあっていいんじゃないかということを感じたわけでございますけれども、これもお金がかかることで、あのときに実現しなかったわけでございますが、この辺につきましてもこれから御研究を、お願いだけ申しておく次第でございます。 それから、来年度国民文化祭という予算が本当に実現されました。心から喜んでおる次第でございます。海部大臣のときにいずれ国民文化祭をということで、体育の方が国民体育大会の前にインターハイを行うということで、海部大臣のときに高校文化祭の予算三千万円が実現いたしまして、今高校文化祭はそれなりに高校生の自主的な運営も含めまして、片方で力、そして片方で美ということで、両々体育と文化が進んでおるわけです。このたび国民文化祭ということが計画されました。これの概要、どこをねらっておられるのか。これはアマの分野だと思いますけれども、それに高校生とかそういうものはどういう絡み合いをするのか。また、これは室内だけでやるのか。文化ということになると野外の大地の中でという分野がありますが、その辺はどういうようなあれをされておるのか。また、この実施に当たって日本体育協会という存在は、あそこに寄附があった場合は、試験研究法人と同じように、国と同じように損金算入の扱いがございます、試験研究法人のように。芸術関係はそこがまだできておらないという面がありますから、こういう機会に芸術振興協会みたいなものが一本できまして、そこへの寄附金その他については免税措置等の恩典もある、いわゆる民間の心ある人たちの御協力も、そこに文化の花開くための、また、そのことによってみずからも楽しむという面を誘導してもいいんじゃないかという感じがいたすわけでございますが、実行委員会を置かれるようでございますけれども、それには将来そういうような形のものが考えられるのか等、雑多に質問して恐縮でございますが、賢明なる加戸さんにお願いします。
○政府委員(加戸守行君) 御質問ございました国民文化祭の構想は、三浦朱門長官就任の際に提唱されたものでございまして、現在御審議いただいております六十一年度予算案に計上さしていただいております。従来の高等学校総合文化祭経費三千万円を含めまして合計二億四千万円を新たに六十一年度において計上しているわけでございます。 その考え方としましては、従来からプロを中心といたしました芸術祭が実施されております。と同時に、文化の面で見てまいりますれば、いわゆる素人といいますか、一般国民の文化活動を高めたい、そういった両々相まった形で芸術文化の振興を図りたいという考え方に基づくわけでございまして、全国の民族芸能、あるいは民謡、演劇、舞踊、合唱、音楽、吹奏楽あるいは邦楽といったような芸術文化、お茶、お花、さらには着物、食生活といったような、いわゆる生活分野の文化と言われるもの、そのほかに俳句、川柳、短歌であるとかいった文芸関係、あるいは美術と、広範なものにつきまして文化活動が一堂に会することによりまして日本文化の全体的な動向が把握できるような場をつくりたい。さらには、こういった国民文化祭を契機といたしまして新たな芸術文化の創造を図っていきたい、あるいは促していきたい。そして、こういう国民文化祭を、マスコミ等によります紹介を通じまして日本国民がその関心を深めていただく、あるいは関心を呼び起こすということによりまして文化活動への参加意欲を燃やす。 まあ申し上げますといろんな形で抱負、夢はたくさんあるわけでございますが、具体的には、国民文化祭の事業といたしまして予算が成立いたしますれば、国民文化祭実行委員会を速やかにスタートさせまして具体化を図る予定でございますけれども、事務段階での考え方といたしましては、主催事業として総合フェスティバルあるいは分野別フェスティバル、そのほかにシンポジウムといったようなものを想定いたしております。それから、企業あるいは関係団体等の協賛を得る協賛事業という形で、特に関係団体、企業の参加を大いに求めまして、まず国民的な全国的な盛り上がりを図りたいというような具体的な事業を想定しているわけでございます。これらを、十一月の下旬を中心といたしました期間で国民文化祭の各般の行事を進めるということを想定いたしております。 そこで、高等学校の総合文化祭との関係につきましては、予算は一括計上でございますけれども、従来から行われております高校総合文化祭はそれとして実施していただき、それとは別な形で国民文化祭を実施をしていく。将来の問題としてはこれが融合するということも考えられ得るわけでございますけれども、今の段階では一応別途なものとして想定をいたしております。それから、実際に行われます事業が、今申し上げましたように各種の実演関係あるいは展示、展覧会、そういったようなものが中心でございますので、ほとんどがまず室内で行われるものが多いのではないか。ただ、もしこういった事業が今後続けられるといたしますれば、室外におきます、例えば盆踊りのようなものというのは室内で行うには必ずしも適しませんものですから、当然屋外におきます行事等も予定されてくるのではないかと考えております。 なお、体協になぞらえました芸術振興協会といったようなユニークな構想をお示しいただいたわけでございますけれども、考え方としましては、国民文化祭が全国民的な行事として、かつ、いわゆる民間団体の力によりまして実施され、それを国がお助けをするというような形に持っていくことが姿としては望ましいわけでもございますし、貴重な御提言として受けとめさしていただきまして考えてまいりたいと思います。
○柳川覺治君 この文化祭は文化部の方で所管されると思いますけれども、文化庁は、いにしえからの文化と新しき文化、現代文化との両方が時々クロスする必要があると思うんですね。ですからこれは、まさにこの文化祭はクロスするところであろう。 そこで、私も夢中でやってきました、例えばあの風土記の丘とか、これは大変な広場を持っております。そういうようなところ、あるいは歴史の道で調査をされる、そういうものがやはりこういう文化祭のときに生きてくるというようなことも含めた御構想をしていただくと本当にありがたいなということを感じておる次第でございます。 そこで、歴史の道の調査がどのようになっているのか、それから、歴史の道から先に一体文化庁は何をやってくれるのか、その辺につきましてちょっと一言。
○政府委員(加戸守行君) 柳川先生御在職中に構想されました風土記の丘あるいは歴史の道、それぞれ事業が行われているわけでございまして、風土記の丘につきましては現在まで十県で完成いたしておりまして、現在進行中のものが山梨県で一件でございます。そのほかに熊本、山形、栃木といいますか、三県におきまして計画中の段階にございます。 それから、歴史の道でございますが、これにつきましては、スタートが五十二年で、風土記の丘構想よりは十年ほど遅いわけでございますが、現在までに調査と整備の二段階事業がございまして、まずその歴史の道を整備するための前段階としての調査につきましては十四県で調査が完了いたしております。そのほかに七県におきまして調査が継続中という段階でございます。今申し上げました調査が終了したものの中で、今度は市町村別にその歴史の道の整備をしていただくわけでございますが、一応整備が完了しましたものが八市町村分でございまして、現在整備中の段階の市町村が六市町村ございます。 それから、そのほかに、風土記の丘あるいは歴史の道に引き続く新たな構想はという御質問でございますが、現在こういった歴史の道等につきましての態勢を、何とか整備を着実に進めていきたいという考え方でおるわけでございまして、これからの持っていき方につきましては、また先生の貴重なお知恵なり御提言なりをちょうだいできればと思っておるわけでございます。
○柳川覺治君 鉄やコンクリートでは子供たちにかた過ぎるということで、一部木の教室とか木の活用、木づくりの環境というのを進めておられます。先ほど大臣もグリーンスポーツの構想のこともお話しになられました。今、学校の周辺に隣接する出とか、そういうことを生かして、学校体育の森というふうなことで、それが子供たちの大変な活動の場、また重層構造で学年が交わる、そういう場がつくられております。 こういう中で、木の環境づくりの中でどのように環境づくりが進められていくのか、その辺の御構想を承りたいと思います。
○政府委員(阿部充夫君) 四年前に柳川先生から管理局長のポストを引き継がしていただきましたときに、今後の学校施設等のあり方についていろいろと御指導いただいたことを記憶をいたしております。 たしか御指導の中身は、学校というものは、児童生徒の教育の場というだけではなくて、やっぱり生活をしていく場なんだということを常時考えておけ、あるいは学校施設、運動場等まで含めまして、そのあり方いかんというのが学習指導面あるいは人格形成面で大変効果をもたらす可能性を持っているということ、そしてまた、これからの学校施設の整備については、これまで量的な整備に追われてきたけれども、質的な充実ということに考えを向けていく、ウエートを移していく時期だというようなことを御指導いただいたことを記憶をしておるわけでございまして、以来四年間、そういった御趣旨に沿って対応を進めてきたつもりでございます。 そういった中で、屋外環境の整備事業でございますとか、中学、高等学校にセミナーハウスをつくっていくとか、あるいは学校施設そのものにつきましても多目的なスペースの整備ができるようにするとか、いろいろな形での対応を逐次進めてきたわけでございますが、昭和六十一年度の予算におきましては、ただいま御指摘の木の利用ということにウエートを置きまして、一つは木造建物の建築単価、これを六十数%、七〇%近く引き上げまして実態に合わせるようにするとか、あるいは木の教育研究施設ということで、学校の中あるいはその近辺に木造の合宿施設のようなものをつくるとか、あるいは学校の中の空き教室等について木仕上げをいたしましてその整備をし、和室その他の格好で利用をしてもらうとか、あるいは間伐材等を利用いたしましてアスレチックコース等をつくってもらうとか、そういうたぐいのものに対して奨励的に援助をするということでこういった面での普及を図っていきたいと考えておるわけでございます。 もちろん木材というのは火災に対して弱いというような欠点があるわけでございますけれども、しかしながら反面、非常に潤いがある、子供の心にも何と申しますか潤いと温かみを与える、あるいはぶつかったときにもけがは余りしないとか、いろいろないい点を持っているわけでございますので、そういった現行の建築基準法等の制度の中で可能なものについてはできるだけこれを進めていきたいということで、指導のための通達等も昨年出しまして、その促進に努めているところでございます。
○柳川覺治君 時間がございませんので最後でございますが、沖縄復帰のときに、文部省は、あの戦いの激しさの中に樹木を失った、緑を失った沖縄に、復帰記念として学校植樹というものを行いました。これは二千万円の予算でございましたが、当時、お亡くなりになられましたけれども、社会党の山中吾郎先生もこれはいいことだということで予算委員会で御質問されて、二千万の要求がそのまま成立さしていただきました。それが今二十年以上たっておるわけで、私も先日その植林の大きくなった木を見てまいりましたが、来年は一巡の最後の国体が沖縄で行われます。この国体をめぐって、日の丸の問題等なかなかに難しい問題を沖縄の方々は苦労されておられます。この沖縄という特殊な事情に対して、我々はやはり国体が大成功で終わるというために、何かやはり気持ちの上でのあらわれを、国体に対する補助金のほかに何かあっていいのじゃないかということを感じておるわけでございますが、今の木の環境づくりということ、この面のことも生かされながら、沖縄県当局との間で、あの学校植樹の延長でも結構でございますが、何か我々の気持ちが本当に伝わるような、そういう事業をお考えいただければありがたい。 突然の質問で恐縮でございますが、沖縄の国体が本当に成功するというために何か温かい我々の気持ちということがあっていいのじゃないかと思いますが、大臣、御感想だけで結構でございますから。
○国務大臣(海部俊樹君) 沖縄の国体は、海邦国体と銘打って、国体の第一巡が終わる節目にもなりますので、沖縄の皆さんもこれに対しては大変大きな関心を持ってぜひ成功させたいと思っていらっしゃるところでありますし、私も先日沖縄県の青年会館の竣工式に招かれまして沖縄へ参りまして、青年団体の代表の皆さんといろいろお話しをしてまいりましたけれども、大変これには期待をしていらっしゃるところであります。したがいまして、これを無にしないようにするためには、やはりみんながそこで、それを利用してと言うと言い方が悪いのですが、それを契機にして、ちょうど東京オリンピックのときに世界青少年キャンプというのを我々青年局の運動の中でやって大変成功しましたことを思い出しまして、沖縄というとなかなか行きにくいいろいろな条件、事情もあるかもしれませんが、なるべく多くの人が海邦国体に参加をし、見物人としてもそこに参加をして。行くときに、それぞれの地方の木がありますね、国会の前庭にもずっと何県の木、何県の木とあるように、ああいったもので、沖縄でも気をつけてやってもらえば育つはずだと思いますから、みんながそういうものを持って寄り添うとか、いろいろな各県の木を持っていくとか、海邦国体が命度はいろいろな人々の交流の場として心の中にもいい思い出として残っていくようになることが非常に望ましいことだと思っておりますので、先生の御提言をよく取り入れて勉強さしていただき、まだ時間もあることですから、考えてできることがあったら協力もしてみたい、こう考えます。
○柳川覺治君 ありがとうございました。
○高桑栄松君 それでは最初に、臨教審の第二次答申原案というのが三月三十一日の朝日新聞に、項目みたいなものでありますけれども出ておりまして、これを見ますとやはり個性尊重とか個性重視とか個性確立とか個性が非常にたくさん出てまいりますので、もう一度取り上げさせていただこうと、こう思ったわけであります。 その前に、この前参考人として岡本臨教審会長がおいでになって私の質問にお答えになったのを聞いておりますと少しあいまいな点がありますので、これはやっぱり個性を論ずる前にきちっとしておく必要があるということで、若干レクチュアになりますけれども、大臣、ひとつお許しをいただきまして、遺伝と環境ということについてお話をさしていただきます。 生物は環境に順応することができる。しかし順応にも限度がございます。そしてこの順応という段階で遺伝子には変更がない、全く変わりがない、これが前提でございます。だから、順応したことが遺伝子が変わったと思っては困るということであります。例えば鼻が低い人が手術をして高くなった。子供が高くなるか、これはならないんです。これは遺伝には入らないんです。お化粧も同じですね。大変されいだけれども顔を洗ったらもとへ戻った。これは遺伝は変わりがないんです。修飾はできるんですよ。ですからそこを、遺伝と今の環境による順応といったことを間違ってもらっては困る。これはもう明快にしてもらわないと遺伝の話が進まないわけです。したがって、遺伝子は遺伝子を損傷するような外部の物理化学的な作用があるときに初めて遺伝子へ変化が起きます。例えば放射線ですね、放射線によって遺伝子が変化すると突然変異というのが起きるわけです。これは逆伝子が変わったもので、そのまま遺伝していきます。 そこで一つ御紹介したいのは、ルイセンコ学説というのがあるんです。これは一八九八年に生まれたソビエトの農業遺伝学者であります。この人について世界伝記大事典というのを見ますと、ルイセンコは「スターリン政権時代に政界の指導者」、つまりスターリンですが、「指導者と結び付き、強引に反対派の遺伝学者たちを失脚させて、ソ連農業の最高権威として君臨した。」、こういう紹介であります。 よく聞いていただきたいのは、臨教審が同じようなことをしてもらっては困るということであります。その意味で、はっきり学問は学問として取り扱ってもらいたい。これから申し上げることはそういうことに関連して申し上げるわけです。 ルイセンコ学説というのはどういうことかといいますと、遺伝形質を運般するのが遺伝子である、その遺伝子は一定の法則に従って次に伝えられていく、これはメンデルの法則でありますが、彼はこれを否定したわけです。つまり、環境によって遺伝が変わるんだという言い方をしたんですよ、反対者をスターリンのバックアップによって全部失脚させて。この文章によりますと、「権力と威信の座へ駆け上った。」と書いてありますがね。それで次のフルシチョフ時代に少し応援をもらって、しかしフルシチョフ政権が終わったときに失脚してしまった。つまり、学問でなかったんです。メンデルの法則を否定したのは完全に間違いであった。つまり、権力と結びついた学問というのは非常にこわいということです。 これはルイセンコ学説という有名な論争でありまして、いや日本でもこのルイセンコに少し傾倒した人がおりまして、私みたいな、遺伝は知らないけれども医学は習いましたから、これは大変なことだ、本当かな、そんなことがあったらメンデルの学説が、もう百何十年続いてきて、信じられてきて、いや、信じるんじゃないんですね、追試をされて証明されているものが変わるんだろうか、こんなことがあるのかなと思いましたが、しかし、あのころ一生懸命言っていた人は今寂として声ないです。だから、間違ったということであります。 それをちょっと申し上げておきまして、そこで個性に戻ります。差し上げた資料を見ていただきたいと思います。この前実はこのことをちょっと申し上げたのですけれども、資料を差し上げていなかったので、大臣も探すのに手間取っておられて、お困りだったようですから、きょうは委員の皆様にも差し上げて、見ていただきたいということであります。 まず、三枚目に広辞苑から引いた「個性」と「人格」というのがあるんです。人格というのを後で使おうと思ったものですから「人格」というのも引いておきました。「個性」というのは、「(individuality)個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。」、これは最初の基本的な解釈ですよね、原則的な。二番目、②というのは時として応用なんですがね、「個物または個体に特有な特徴あるいは性格。」となっている。いずれも個なんです。個の性なんです。集団の性ではないということを明快に頭に入れておいてもらわぬと困る。個性という言葉を使ったからには個なんです。個の性なんだから集団の性ではない。これは明快に字引から知っておいていただかぬと困ります。「人格」は違うんですね。「(personality)人がら。人品。」と書いてあります。まあ四つまで書いてありますけれども、④は法律用語でありますから。要するに、例えば「道徳的行為の主体としての個人。」なんて書いてあります。そういうものがここにございます。 それをひとつ頭に入れておいていただいて、一枚目、二枚目、つまり、昨年六月二十六日の第一次答申の九ページと十ページをごらんください。見方でございますが、丸で囲んだのが、個性という字をすべて囲みました。九ページには六個ございます。十ページには十四個ございます。十ページを見ると、個性以外は平仮名かと思うくらい個性という字が多いということでございます。それで、私は医学士でございまして、文学的素養は全く欠けておりますが、私が思ったのがこの程度。きょうは文学の大先生の林先生がおられるので、ちょっと前で講義はしにくいんでありますけれども、ひとつ医学士の講義だと思ってください。 私が医学的に見ておかしいと申し上げたのは、遺伝だとか個性という定義から出発したわけでありますが、九ページを見ていただきます。一番上の四角のところ、「個人の尊厳」というのは、個人は非常にいろんなレベル、いろんな人がおりますから、これは「生命の尊厳」というと間違いないんじゃないかというふうに思います。それから、「個性豊かな」というのは、私は、個性は素質であり、その人以外にないもので、これは遺伝であると申し上げておきます。したがって、これは豊かではない。長所と短所がある。したがって、この「個性」は「特色」と置きかえると非常に文脈が続く。「特色豊かな文化」ならよろしいと思います。その次、下がりまして、「個性重視の原則」、私は否定しておりますので、「個の確立の原則」と、高桑流に直していただくと話が大変よくわかるということであります。したがいまして「(1)個性重視の原則」は「個の確立の原則」になる。つまり、個性というのには長所と短所があるんだからということであります。そして後から出てくるのはすべて、いろんな意味で個性ではないんじゃないかと思っております。 その次、(1)の二行目ですね、「個人の尊厳、」、これは「生命の尊厳」だと思います。それから「個性の尊重、」、これは考えたんですけどね、これは「人格」と言うと非常に話が通りますね。「人格の尊重」、つまり、個性という素質を尊重するのではない、個性プラスアルファの人品、骨柄、陶冶されつつ成長していく人格を尊重する。「人格の尊重、自由・自律、自己責任」ですね。 ここで一つ、粕谷委員から、この「自律」は立つのか律するのかというのがありましたんで、これちょっと文部省の側ではどう受け取られたか、どなたか教えていただきたい。大臣じゃなくてもいいんです。
○政府委員(齋藤諦淳君) 臨時教育審議会といたしましては、律するの「律」を、意識をして使っておられます。
○高桑栄松君 「自律」のこれですね。
○政府委員(齋藤諦淳君) はい。
○高桑栄松君 はい、わかりました。 これは、粕谷委員を代弁いたしますと、立じゃないか。みずから立っていくんじゃないかと。私も自律というのは、ひょっと考えてみたら、自律神経というのがありますよね。これに神経がつくんです。これは意思によって影響を受けないのが自律神経なんですね。意思は関係ないんです。だから、ははあ今の個性というのは意思と関係ないから勝手に走るという自律かなと思ったりしたんですが、それはまた字引を引いてみますと、「自立」というのにもちゃんと格好のいい解釈がついていました。だから確めておこうと思ったんです。私よくわからないんです、これ。「立」なのか「律」なのかわかりません。これはいずれ粕谷委員から御質問が将来あるかもしれませんが、一応。 その次、「個性重視の原則を確立」というものが困るものですからね、「個の確立を志向すること」だ、こんなふうにすると文脈がまことによくわかるということでございます。 その次、九ページ下から三行目、「各個人」、個人というのはもう各なんですね。だから「各」というのは要らない。その方がきれいじゃないか。「また、個人は家庭、学校、地域、国家などの各レベルにおいて複雑な相互依存」、これはそのとおりだと思います。それでつまり「生命の尊厳、人格の尊重の考え方の根本に、あるものは、」、こうなるんじゃないかな。私的な、プアな文学的知識の上で言っておりますけれどもね。 十ページ、一番上を見てください。「各個人」の「各」は除く。次は、「個性的」というのはいいんですね。修飾語ですから、個性じゃないんだ、「個性的」なんだ。だからこれはいいだろうと思ってそのままになっています。一行日もそのままです。 さあ四行目が問題ですよね。全部読みますと、「個性とは、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している。」。こんな個性ってあるのかな。集団に与えられるんだろうか。つまり、集団を構成している人はバラエティーに富んでいますよ。その人が、もし平均値が集団をあらわすんだとすれば、集団を構成している人たちがかわったときには平均値は変わるんですから、個性なんてあり得ないんです。大体一人がわっても変わるでしょう。内閣総理大臣がかわったら内閣の性格は変わるんじゃありませんか。個性なんかありっこないんだ。集団に個性があるというのは臨教審の大きな僕は間違いだと思います。これはこのとおり残ったら、後で歴史に恥をかく。それに列席をした我々の恥でもあると僕は思っていますよ。これはもう絶対直してもらわなきゃ困るんじゃないのかな。私を納得させてもらえばいいです。したがって、四行目、この一行は全部捨てるということです。「個性とは、個人に具わった特性である。」と、ばっちり「個人」に取りかえちゃう。 五行目です。原文読みますよ。「それぞれの個性は相互に無関係に孤立しているのではない。」。うそです。孤立しているんです。だって関係ないものだもの、個性というものは。関係ありませんよ。個は関係がある。個というものは相互に関係ありますよ、個人は。個性という遺伝は相互に依存関係なんかありません。したがって、「それぞれの個性は相互に無関係に独立しているものである」、当たりまえですよ。そのとおりだ。「であるが、」なんです。「真に自らの個性を知り、それを育て、」じゃだめなんだ。「長所を育て、」、「それを生かし、」は「短所を押さえることが個の確立てあり、」、こういう定義をしておいた方がいいんじゃないか。「自己責任を貫く」、私はこれ考えてみたんだけれども、やっぱり文学的素養がプアなものだから、責任を貫くという言葉は果たすのかと思って、果たす方に僕とったんです。「責任を果す」という言葉を使います。「自己責任を果すためには」、「最もよく」というのも修飾語でありますから、「他者の個性」じゃないんだな、これ。「他者の人格を尊重しなければならない。」。「尊重し、生かす」なんというのはね、尊重したら生かしますよね。だから、「尊重しなければならない。」で切る。 次、「また、自由とは、放縦や無秩序、無責任、無規律と全く異なる」というと、私考えてみたんです。自由には放縦、無秩序がありますよね。あるから、これを抑えようというのがみずから律するの自律なんでしょう。だから、全く異なってはいないんだ。部分的に異なっているんだと僕は思うんです。したがいまして、「自由とは、放縦や無秩序、無責任、無規律と異なるものである」、「全く」というのは修飾語で強過ぎると僕は思います。「自由は」でなくて、「自由には、重い自己責任を」これは「伴うもの」じゃないでしょうね、求めらるんだろうと思うんです。自由を与えられるからには責任が求められるんですよ。伴っているのならほっといてもいいんです。教育なんか要りません。一緒に歩いていってくれるのなら要らないはずだから。「自由には、重い自己責任が求められているのであり」と。それで、これから選択の自由が増大するんだから、自由を享受すると同時に、自由の重み、責任の増大に耐える能力を身につけなさいでいいと思います。「それゆえ、」ここで「個人の尊厳」は「生命」にかわるということです。「生命の尊厳、人格の尊重、自由・自律」、これまた「立」か「律」かが出てまいりましたが、私よくわからぬ、これは。ずっと行きます。これも、私みたいな理科系の人間が書くならいいけれども、「自分を生かすことは他を生かすこと、自分を知ることは他を知ること、自分を尊重することは他を尊重すること、その逆も真である」、いやまあ大変丁寧というかくどいというか、「すべて表裏一体の関係にある。」というのはね。私はやっぱり臨教審の答申というものは、もう少し文学的表現があってもいいと思うんだな。ちょっとやっぱり僕は、「個性」というところの丸を見ただけでがっかりするぐらいこれ多いんですよね。 まあ次へ行きますよ。「このように自他の個性を知り」、これ前に出てきたのがまたもう一遍繰り返されるんだな、たしか。違うかな、そうですね。「このように自他の個性を知り、他の人格を尊重し、自他の個を生かすこと」なんですね、個性というのは。何遍もくどいようですが、長所、短所ございますが、「個」ならいいと思っている。「自他の個を生かすことは」、これが私よくわからなかった。「個人、社会、国家間のすべてに通ずる不易の理想である。」、不易の理想なんでしょうかね。私の文章をごらんいただきます。「生かすことは、社会を構成する個人に求められる規範である。」、ルールですよと、それが本当でないのかなと思うんですね。「理想」なんでしょうかね、「不易の理想」、そこがちょっと私とは意見が違うんです。そして、「個の確立は」――後で「原則」出ますね、さっきの表現なんですよね、「個性重視の原則は、」これこれの原則であるという「原則」が続くんです。ですから私は文学的表現に、少し接近いたしまして、個の確立の原則と書かないで、「個の確立は、今次教育改革の主要な原則」であると、これでわかるわけです。 一番最後に参りますと、「豊かで、多様な個性」というのはないということです。あり得ないんだ。個性が豊かで多様であったら大変なことです。人格ならありますね。教養を積んで人格を陶冶して豊かな多様な人格が形成されていった、それを教育基本法は最大の憲法にしているわけでしょう、人格の完成とか陶冶とか。ですから、豊かで多様といったら人格だろうと僕は周って、「人格」というのを字引を引いておいておいたんです。「人がら。人品。」と書いてあります。それで、「多様な人格は、個の確立の土台の上にはじめて築き上げられる」、この方が非常に論理的だと私思っているんです。 以上、たった二枚でございますから、あと数十ページあるんで、とてもじゃないがきょう七十五分ではどうにも勝負になりませんので僕は勘弁していただきますが、これは一応私は文学者じゃないとくどいように申し上げましたが、文学的ではないにしても、医学的にやっぱりきっちりしてもらわぬと困るし、言葉というものはやっぱり自分勝手につくられちゃ困るんですよね。 それで、ルイセンコのやつをもう一度取り上げてみますとね、うまいこと書いているんだ、伝記に。人気が容易に衰えなかったのは、ルイセンコの言葉や方法や考えが彼らにとってわかりやすかったからだというんです。彼らとは何です。専門家じゃないんですよ。専門家は追放したんですから。素人にわかりやすく言ったんです。したがって、臨教審のこれは素人にわかりやすいかもしれない。豊かで多様な個性的な文化、これは家庭にも個性がある。何か本当らしく聞こえちゃうんですよね。私も十日ぐらい前までは何となく本当らしいけれども、うまくないなと思っていただけなんです。詰めてみたら、やっぱり医学的考えでいうとおかしいんだ、これ。医学だけじゃない、広辞苑、字引を引いてもおかしい。ですから、これはやっぱりルイセンコの批判を受けているように、考え方が素人にアピールしたからそれでいいというものじゃありません。臨教審は大変偉い人がたくさんいます。しかし、遺伝をどれだけの人が知っていたか。知らない人がやっているんなら問題にならないですよね。そして、臨教審または今次内閣の権威の上に立ってこれをそのままやって、四十年後に批判を受けるんじゃないだろうかと、私はもう大変気になるんです。 ですから、私一例を挙げましたので、私のが一〇〇%いいなんて僕はそんなにうぬぼれておりません。でも、これはやっぱり考えていただきたいということで、これは文部大臣、何かコメントございますかね。
○国務大臣(海部俊樹君) 先生の大変学問的な経験に裏打ちされましたお話を私は承っておったわけでございまして、これに対して特にどうのこうのいう意見はございませんけれども、ただ、一つ私の聞いております範囲では、先生この間岡本会長ともこの問題で御議論をいただいて、岡本会長は臨教審の会合に行って、国会でこういうやりとりがあったということもその場で御報告もされて、臨教審にはほかにいろいろ多くの医学の専門家の先生もおいでになるようでありますし、いろいろなことを御議論なさっておると、このように承っております。 ただ、私どもとしましては、今先生御指摘になりましたこの第一次答申を受けとめましたときには、そういう医学的な背景が私の知識として浅うございますから、読みましたときに素直に私の受け取った考えというのは、なるほど戦後の教育改革の中でやっぱり個性というものが余りにも大切にされなかった。何か画一的な、そして全体を形式的平等主義の中に並べて、そして世の中のためにこの程度の教育をすればいいというような、そういった風潮を少し改めて、人間にはいろいろな個性があるんだから、いい個性も悪い個性もあるということは私も十分ここで教わって今知っておりますけれども、いい個性はうんと伸ばし、悪い個性は伸ばさないようにしていくのも、これは教育の大切な役目の一つだなと、こう受けとめております。 それから、せっかくいい個性があっても、画一的な教育の中でそれが埋没してしまって伸びないようではいけませんから、そこで臨教審の御議論の中では、きょうまでも、ややもすると形式的平等主義に陥りがちであった教育の中から、一人一人がどんな資質を持っておるのか、どんな適性を持っておるのか、どんな能力を伸ばしてあげたらいいのかという点に焦点を置いて、そういう教育改革をやるべきだというような立場で審議、御議論が進んできたと私は受けとめておりましたし、私もそれはいいことだと思っておりましたので、個性尊重の原則という、ここに出てくる個性個性という言葉の中には、当然教育基本法が目指しております人格の完成を目指していろいろな努力をしていくわけですけれども、そういった人格の完成を目指していくその一連の過程の中で教育の果たす役割は非常に大きいわけですから、そういう意味でこれは書かれたものだという受けとめ方をしておりました。 それで、先生のお話をいろいろ聞いておりまして、なるほどそういう立場があるかと思って読んでおりますと、私も、なるほどそうだなと思い出しますと、何しろこの方面専門の学問の経験がございませんので、これはさらに臨教審がただいま岡本会長等の御体験、先生との質疑を踏まえてお帰りになって御議論が進められておるということでございますから、その結果をまたこちらも関心を持って見守らさせていただきたいと、こういう気持ちでございます。
○高桑栄松君 わかりました。どうもありがとうございました。文部大臣は、もうすぐなかなか明快に御返事をしてくださるので、質問のしがいがございます。 そこで第二次答申の原案で、また個性になるので大臣もちょっとお困りでしょうが、やっぱり指摘だけはしておきませんと……。 大学に関係しまして、同じ表現なんですが、この中で、第二部の第四章で、「大学教育の充実及び個性化」、つまり、大学教育の個性化というのが出てきます。それから、同じく第二部第四章に、「大学等の個性確立」なんです。大学教育の個性化と大学の個性確立と、大学教育と大学と出てくる。もう一つある。今度は第四部に、「高等教育機関の個性化」というのがあるんです。「大学教育」、「大学」、「高等教育機関」、いずれも個性化というんですが、この三つに何か違いがありますか。どうなんでしょう。
○政府委員(齋藤諦淳君) 答申の原案は目下作業中でございまして、固まったものがまだできておるわけではありませんけれども、第四部会を中心になされておる議論の過程におきまして、一般教育とか専門教育とか、そういう教育の中身を個性的なものにしたいという考え方と、それから大学という教育機関、つまり制度的なものの個性化というものを図っていきたいという考え方と、さらに大学を越えた高等教育機関、専修学校とか、そういうものも含めた全体のそれぞれの機関の個性化を図っていきたいという、そういう三つの方向から議論されておったという経緯がございます。そういう考え方の一部がこういう報道にもあらわれておるのではないか、こういうように見ておる次第であります。
○高桑栄松君 やっぱり教育の個性化というのを――僕も前から抵抗しているんですけれども、特色ある教育というのならいいと思うんです。個性化というのがどうしても遺伝的に固定するように見えるわけです。言葉が悪いと思うんです。個性的とおっしゃるとそれは形容詞です。しかし、個性的ということも、個性というものを考えると、やっぱり特色あるの方が私ははっきりするんじゃないか。つまり、特色は五年たったときに変わってもいいわけですよ。「個性化」というと、変えちゃいけないという、裏にそういうものがあると思います。ほかにないんだから。その人にしかないんだから。何々大学の個性というのはこれだといったら、学長がかわろうと教官がかわろうと学生がかわろうと、もう永久不変である。何か原子爆弾でも落ちて突然変異でも起こさぬ限り変わらないというんじゃ困るわけだ。ですから、特色ならいいと思うんですよ。だから、教育なんていうものは、やっぱり特色あるとかというふうにここは変えてもらった方がいいんじゃないかな。 それから第四部教育行財政のところで、「個性重視の教育が実現」というのがあるんですが、先ほど粕谷委員から、一年研修で一人に一人つけるんですかというお話でしたが、「個性重視の教育が実現」といって、一人に一人の教師が要るんですね。四十人学級で四十人置くか、それとも一人一分で四十分かかる。個性というのは全部違うんですよ。集団で個性を考えるというのは画一化なんですよ。ここはやっぱりうまいことを言っているけれども、画一化の中で個性個性と言っているんですよ。違うと思うんだ、これ。個性重視の教育を実現するというのは、それは集団教育ではできないはずなんだ。僕はやっぱりできないと思います。一人を伸ばすために一人教師つけなきゃいけないんじゃないか。いや極端な話ですよ、私は。 ですから、それは極端な話、やっぱり集団の中で個性を伸ばす教育というのは、言葉としてはいい、いかにももっともだ。教育改革にふさわしいような斬新なものに聞こえる。しかし、それは個人、家庭教育じゃないのかな、個性重視というのは。やっぱり集団教育するからには、画一主義が中心になるんじゃないんですか。その中で個性をどういうふうに伸ばしてやるかといったって、一人一分と考えて四十人学級で四十分だ。四十分かかる、一分考えても。指示をもう一分入れたら八十分です。冗談じゃありませんよ。これは難しいんじゃないかな。 その次、四部の中の地方分権の部分で、「それぞれの地域の特性を考慮して、個性豊かな、各地域化民に密着した教育行政」と、「個性豊かな」がどこにかかるのかなと思って考えたんですけれども、「地域」にかかるのか、「地域住民」にかかるのか、「密着した教育行政」にかかるのか、大体「個性豊かな」という修飾辞を入れたからだめなんです。「地域の特性を考慮して、」「各地域住民に密着した教育行政」、この方が非常にすっきりします。「個性豊かな」が入ったばっかりに、これは一体何を言おうとしているんだろうか。これは修飾語だ。臨教審は、修飾語で個性、個性と、前にもお話ししたが、本当にこせこせこせこせ使っておるわけです。それはだめですわ。これはやっぱり修飾語は捨てた方がいい。表現は明快に、これはそうしなければだめだと思うんです。 その次でございますが、今度は「管理・運営」の部分ですけれども、「個性重視の原則」、これはさっきお話しをしました。「すなわち自由、自律、自己責任」、「すなわち」という言葉はイコールでございますから。個性重視イコール自由、自律、自己責任、こうなるわけです。だから、すなわちはイコールであるということをお忘れなく。したがって、「個性」との関連がどこにあるのかということになるわけです。 それから、同じ「管理・運営」のところに、「運営にあたっては、各学校の個性を大切にするとともに」とあるんです。やっぱり学校に個性があるんだな。不思議ですね。校長がかわっても個性は変わらないわけだ。教師が全部入れかわっても学校の個性なんだから変わらないわけだ。生徒が全部かわっても変わらない。建物ですね、そうすると個性というのは。建物なんだ。それは焼けない限り変わらないんだ。「学校の個性を大切に」、これ、学校の校舎をと書き直した方がいいです。こんなばかな話ないんだ。皆さん笑っているけれども、ここにあるんですよ。ちゃんとあるんです。第四部4の(1)の①です。ちゃんと書いてあります。 ですから、私は歴史に残ると思うんです。海部さん、あなたが大臣のときに――あなたは臨教審でないと言ったってだめなんですから。一番インフルエンシャルなのは総理大臣ですね。本当は違いますよ、文部大臣ですよ。総理大臣は、職務を分掌してあなたに教育責任を任せているはずなんだ。彼は余計なことを言わぬ方がいいんだ。おっしゃっていますよね。だから毛があるとかないとかという話に発展しちゃうのでありまして――まあ余り茶化すと何か責任が残りますから。 そういうことで、私はここに出てくる個性というのは、やっぱり特色とか人格というのに置きかえるとかなり文脈がいいんじゃないかと思っております。これが教育改革の基本方向ということで話をさしていただきました。 それでは今度はその次の各論の方をひとつお話しさせていただきます。 この間、三月二十九日ですから三、四日前に、臨教審研究班がアリメカを視察してきて、入試改善で中間報告を出したと朝日新聞に載っていました。これはほかの新聞にも皆載っています。非常に興味のあることが出ております。米国大学を十六でしたか、視察をした結果得た結論です。 学力の成績が抜群によい者と悪い者は、もうそれだけで合否は決まってしまう、それはもう文句なく決まるでしょうと、これが一項あります。その次に重要なことがあるんです。これは文部大臣もよく聞くと、今までおっしゃったこととどの辺が合うか矛盾するかわかると思います。二番目が、面接試験や推薦状は客観的事実をつかむ上で余り役に立たないからだめだ。よろしゅうございますか、非常にこれは重要なんです。私はこれは非常に重要だと思いますよ。それで、三番目というか、そこで入試には、学力以外の評価基準として、人物や行動を重視すると。非常にもっともなんですよ。 そこで、人物や行動を重視する、これは評価できるんでしょうかね。どういう方法があるでしょう。文部大臣、お考えがありますか。
○国務大臣(海部俊樹君) この記事を読みましたときに、私も非常に新鮮な刺激を受けたという気持ちでしたので、その当の御本人と会って語を聞いてしまいましたので、ここで私のお答えが私自身の答えというよりも、その本人に教えられたことも含めての答えになりますから、先生の御質問に答えたことになるかどうか、いささかちゅうちょするんですが、米国では、このごろ本人に書かせるんだそうです。自分自身はボランティア活動をこれだけ継続してきましたとか、その間にこういう積み重ねがありましたとか、人にできないような社会正義を貫くためにこういうようなことをこうしてきましたということを自分で書かせるんだそうです。学校の先生が内申書に書いたり調査書で出したりすると、どうしてもそこにはいろいろなゆがみが出てくるから、自分自身で書いたものを出して、それによって自分自身の人物評価をしてもらいたい。それはあくまで受験生とその学校との完全な、パーフェクトな信頼関係がなければまたそれは崩れるのじゃありませんかというような皮肉な質問を私もしてみたんですけれども、それはいろいろな調査によって、またそこにインチキな申告があるとかえってマイナスが多くなるから、このごろはそれが一番信頼される方法になっておるんだというようなことを当の御本人の千石先生が私に教えてくれました。
○高桑栄松君 私は今のもっともらしいお話に対して私の意見が――もう昔から同じなんですけれども、あるんです。 入試が選抜か資格かということなんですよ。資格であれば私が最初から言ったハードル論でいいわけです。あとはどんなにできるのがいても全部同じなんだ。本当にだめなのだけ落とせばいい。ハードル論です。ハードル論はアメリカもいいと言っているわけです。だめなものはだめだと言っているんだ。いいものをいいと言っているわけだ。しかし中間ですね、点数をつけられるかということは本人の評価ですね。主観ですよね、主観。客観じゃありませんよ。主観というのは、おれはこう思うということなんですね。おれはこう思うということは、ほかの人が評価したら違うということですよ。自分が書いたって同じです。自分ならもっとよく書くんじゃないですか。テクニックさえうまけりゃもっといい。人に教えられて書くかもしれないわけだ。完璧にもっといいものができて、本人とは別のものができるかもしれない。いずれにしても主観なんですね。主観というのは人によって違うということです、一般論で言いますと。人によって違うというのは不公平ということです。客観ということは、客観的であるということは、だれが評価しても同じだということです、客観ということは。同じでなきゃ客観と言わぬのです。だから、客観的というのは公平ということなんです。ですから、人物や行動を客観的に評価する方法があるかというのが一つ。私はないと思いますから言っているんですよ。 それからもう一つは、数値でなければならぬのです、評価というのは。数値でないものは評価にならないんです。私は疲労研究をやりました。非常に難しい、点数をつけるのは。つけないものは科学の研究対象にならぬ。私の発明というとおかしいが、集中維持機能というのは自分で考えた新しい概念でありますが、点数をつけて点数で出すようにしました。そうでなかったらどっちが上だか出てこないんです。例えば、「僕は非常に疲れた」のと「僕はとっても疲れた」のと、一体どっちが点数が上なんですか。「とっても」と「非常に」と「甚だしく」と、わからぬわけだ。「はなはだしく」、「とっても」、あ、六字だからこっちだなんというわけにはいかないですよね。これはやっぱり三・八だとか四・二だとかと言わぬとだめなんです。そうすると、三・八と四・二、〇・四違いますね。だれでもそれは評価できる。数値にあらざるものは評価の対象にならぬ。それは資格試験はいいです。選抜試験には難しいです。 そこで僕は、人物、行動というのを見守っていますよ。どういう客観的な、つまり公平な評価ができるか。不公平じゃいけないわけでしょう。文部省、そうでしょう。これはもう文句ないでしょう。不公平じゃいけないと思うんです。そうすると、一点遮って入るんですから、どうするんだということです。 私は、臨教審の研究班の報告を読みまして、内心興味津々ですよ。できないことを書いているなと。科学者なら書けないんです、これは。総理大臣じゃありませんが、参考資料ならいい。総理大臣が言っている参考資料というなら、人物、行動、うそでも何でもいい。ああそうかそうかと思っていればいいです。だけれども、参考資料じゃなくて選抜の資料。選抜は競争でございますから。 それで、アメリカと日本の違いというのは、私流に説明さしていただきますと、日本は勉強する努力というのは大学入試までなんです。入ったらしないんだ。五月病というのもそれでしょう。五月病というのは勉強しないということですよ。だから、勉強、努力は入学まで。アメリカは卒業するまで。大きな違いなんです。ですから、卒業できるかどうか、どれだけの単位を取れるかどうか、その単位は世界に通用するかどうか、そういう厳しいやつなんです。オランダのライデン大学は卒業生は四割だと書いてありました。だから、六割はまあ入ってこいというようなものだ。出れないだけの話なんです。ですから、人物、行動をもし盾にとるなら、入ってきたのを落とすという体制をとればいいんです。それがこの間申し上げたスペシャルスチューデントです。 どうも臨教審の三月二十八日の報告を見ますと、成績のよい者と悪い者とはっきり分ける。私はあのときに成績順で例えば〇・八までとれと申し上げた。ハードル論でいけ、こう申し上げたわけです。そして〇・四はその中でどうとるかという問題だと。それは手を挙げさせてもいい。私はくじ引きでもいいかなと思った。くじ引きは不公平なんですね。間違いなく不公平です。入りたいというときに入れなかった人の不利益がありますから。しかし、不利益ではない理由の一つは、入ってから間違いなく落ちるよということです、できなければ。だから浪人するのと同じなんだよ、いいかということです。スペシャルスチューデントというのはそれを言ったわけです。――登録しない。ただ、できたときに単位はさかのぼって与えてやる。だから、どうもこの報告を見ましたら、我田引水みたいですけれども、私のハードル論と〇・二余分に採用する論とがミックスしているように思ったりした。私の論が何か全部ここに出てきているのかなと思ったんです。あの石川会長代理は、私がここで質問をしたときに、私のところは一・四とっていると言いました、慶応ですね。〇・四余分にとる、そして、卒業のときにちゃんと〇・四、どうなるのか知らぬけどいないんですね。一出るようになっているらしいですよ。だから、それがやっぱり本当だろう。一点を争って入れなかった子供の不利益を思いますと、私はやっぱり〇・二ぐらいは余分にとるというふうなことを僕は意見として申し上げたんです。私は批判だけ申し上げているんじゃなくて、一応私の提案というのはいつも出しているつもりなんです。だめだだめだと申し上げているんじゃないんです。何だかレクチャーが多くなって申しわけありません。 九月入学の問題点に参ります。 臨教審ということで、文部省はさっきからわからぬとおっしゃっておられるんで、わからぬではやっぱり話になりませんでレクチャーになっちゃいますけれども、二期制を考えているんだろうか、一期制なんだろうか。春秋なのか、それとも一期、秋にするということなんでしょうか。どうでしょう、文部省。どう思いますか。
○政府委員(大崎仁君) いわゆる春秋入学制というのが「審議経過の概要」に出ておるわけでございますが、これは答申を待ちませんと最終的な御答申の趣旨はわからないわけでございますが、ただ、私ども仄聞をいたしますところでは、要するに、一つの大学が年二回同じような入学試験をして学生を入れあというようなことをお考えということではないのではないかというふうに理解をいたしておりまして、二学期制というのを徹底いたしますと、秋からの学期に、現在学校教育法の施行規則に特例を設けて入学が既に緩和の道が開かれておりますが、それをさらに特別の必要性、その他に基づきまして、秋学期からの入学というものが、より可能性を自由にし、かつ拡大できるようにした方がいいのではないかというのが基本的なお考えではなかろうかというふうに思います。
○高桑栄松君 私、やっぱり大学の現場を踏んできた人間でございますので、私は私なりでちゃんと大学にアンケートをとってみました。不可能なんですね、二期というのは。今少数とおっしゃいました。これは特例で処理できると思います。それこそスペシャルスチューデントでいいわけだ。後ずっと回ってきたところで単位をやるという方法はあると思います。公に春秋二期となれば、六、四になるか三、七になるか知りませんが、一応五、五で、定員百だったら五十ずつ分けるという形でくるんだろうと僕は思うんですよ。一応そう思いますよ。だから、三人、五人入ってこられちゃむしろ迷惑なんだ。三人でも相手にして講義しなきゃだめ。実際しなきゃだめなんですから。 それから、理科系を例に挙げますと、例えば医学部は学部四年で百人ずつですよ。講義は百人入る講堂でやるんですよ。四つしかないんです、講堂は。四つしかありません。フルに動いているんです、年間。もう四組秋に入ってきたら、教室がもう四つ要るわけです。明らかに要ります。五十人だから半分ずつで複式というわけにいかないんだな、大学は。いきません。だから、これやっぱり全員収容ですよ。施設が倍要ります。実習室がそうで、実習室は、今、北大を見ますと二つです。これで全部やっている。フル回転です。ですから、実習室もすべて倍要る。それから講義、私は衛生学年間八十時間の講義です。人がかわるともう八十時間やらなきゃだめです。ここへもってきて、文部省の委員だ何だと、出てこられるわけないじゃありませんか。 しかも、海部さん御存じでしょうが、昔は一、一、二だった。今一、一、一が普通ですよ。非常に多いんですよ、一、一、一というのは。一、一、二はもちろんありますよ。しかし、一、一、一のところが多いんだから。これがみんな、一、一、一、教授、助教授、助手で二倍の講義と実習をこなすことになるということです。これは理科系の大学は不可能だと言っています。二期は不可能。文科は知りませんよ。文科はきっと――文科の林先生おられるから余り勝手に憶測してはいけませんけれども、文科だって同じなんじゃないかな、やっぱり。時間は倍要るわけだしね。そうすると、スタッフも倍、施設も倍、全部倍にしておやりになるのか。ですから、これはアドバイスですね、そうすると、臨教審出てこないんだから。秋の意見は、少数受け入れだったら特例でやると今おっしゃいましたね、あれでいいと僕は思っているんだ、それは。帰国子女の受け入れなんか、あるいは留学生のスペシャルスチューデント、そういう人を場合によれば特例で受け入れる、秋でも春でもいつでもいい、それはできると思う。 それからもう一つは、ただ秋学期の方が僕はいいと思うんですよ、国際対応を考えるんだから。国際対応なら秋ですね。そうすると、日本の予算年度と半年違うんだけれども、これは文部省としては問題はないんでしょうかね、予算が半年でかわるということは。どうでしょう。
○政府委員(大崎仁君) いわゆる入学の始期全体を変えるということにつきましても、これは臨教審で現在検討が継続中であるというふうに承知をいたしております。 入学の始期が変わるということになりますと、会計あるいは就職、その他全般にわたりましての影響というのを十分検討の上で判断をなすべき事柄だというふうに考えておりますが、現在御審議が継続中の案件でもございますので、私どもとして、具体に個別の事柄についての詳細な検討というのはいたしてはおらないというのが現状でございます。
○高桑栄松君 何かよくわかりませんけれども、三日おくれても暫定予算するかどうかといってもめているわけだから、これ、半年おくれてもいいのかな、予算措置がなくてもいいのかな。ひょっとしたら、大学入試に合わせて、国の予算もアメリカ流に七月からするのかなと。アメリカは六月に終わりますからね。ですから、予算もお考えになった方がいいのかな。これは私素人でございまして、そんなのまあどうでもいいと言っちゃいけませんが、適当なんです、これはね。 もう一つは、これは松永前文部大臣との間で九月入学の話が出たときの話でございますが、私は高等学校以下が連動しなければ意味がないんじゃないかというお話をしたら、松永さんは、私も賛成ですとおっしゃった。私は今でもそう思っています、もし秋学期なら。私は、ここまできたんだから秋学期にやったらどうだと思うんです。そのかわり、高等学校も連動させる、中学も小学校も連動させる。ただ、移行期というのはどうしてもあります。これは仕方がない。それが嫌だったら今までどおりやるしかない。教育改革と銘打ったからには何かしないといけないんでしょうから、せめて国際対応で秋学期というのも考えようによるといいかなと、私はこれはある意味で賛成なんです。 それから、予算委員会のときに質問をしたことに非常にかかわりがあるんですが、博士研究員制度というのが新聞にちょろっと載りましたね。あれは我々には常識なんです。常識なんで、何も目新しいことじゃないんですね。科研費をもらいますと、私たちは人夫賃は出せることになっています。しかし、オーバードクターのような、研究の主力になってくれるような、中心になってくれるような、研究室の推進力を雇うことはできないんだ。だから、人夫賃なんですね。謝金なんです。ですから私は、科研費なんかでもオーバードクターを雇うような、そういうことができないかな。そうすると、オーバードクターという問題の非常に大きな対策になると思うんです。オーバードクターを二年なら二年契約で雇う。我々、大型の科研費というのは、やっぱり三年計画でもらうことになっています。ですから、三年または二年雇えるわけですよ。その中で、おまえには幾らやるからなと雇うわけだ。そして、この人がある程度研究論文を出せるようになりますと、非常にできる人は売れていきますよ。もう嫁にもらい手いっぱい出てくる。それが、わけがわからないオーバードクターでいるから、オーバードクター問題で何でも全部文部省解決しろと言われてお困りなんだと思う。だから、私はオーバードクター対策としては、科研費をぐんとふやし――ぐんとでもないな、そう言うと大抵だめになるからね。余りふやさなくても、要するに旅費に使えと言ったあれですよ。今度は人にも使えと。それでオーバードクターを雇ったらいい。今、文部省にその制度ありますね。特別研究員制度だったろうか、大学が終わって二年ぐらいか何か忘れましたが、あります。しかし、あれも枠があるんだ。某大学何名なんだ。ですから、私がもらってきた研究費で雇うというわけにいかないんだよ。ですから、私がもらってきた研究費で二年なら二年雇う。アメリカはそれですから。ですからアメリカは非常に活気があるんですよ。だから日本からどんどん行くわけです。そして、そこで名を上げれば、帰ってきたら迎えるというところが出てくる。それはもう自由競争の原理ですよ。ですから、こういう意味では私は、博士研究員という言葉はおかしいけれども、オーバードクター対策でこれをやった方がいいんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
○政府委員(植木浩君) 先生今御指摘のように、六十年度から特別研究員制度という、いわばニューフェローシップ制度をつくりまして、博士課程修了者等を中心にいたしまして二年間研究に従事していただきまして、若手研究者の育成、確保を図るという施策を始めたところでございます。 今お話しございました、科学研究費をそういった若手の研究者をいわば雇用する人件費に支出できないかという点につきましては、実は何回かいろいろと御議論をちょうだいいたしておるわけでございまして、私どもいろいろな方と御議論もしておるわけでございますが、やはりまだ科学研究費で人件費、いわゆる給与とか手当等を支出するということにつきましては、日本の雇用慣行全体から考えますと、どうしてもまだそこに踏み切って、円滑に機能するというところまで自信が出ないものでございますから、科学研究費補助金から人件費を支出するということは、私どもとしてはまだそこまで踏み切っていないわけでございます。ただ、今先生から御指摘ございました、例えば大学院博士課程を修了したような人が、科学研究費のプロジェクトに関連いたしまして、短期間、資料の収集であるとか、いろいろな整理の補助であるとか、実験補助とか、そういうものにはこれは科学研究費も謝金という形で支出を認めておるということで、現に若手の研究者の方がそういう形で科学研究費からサービス的な業務で謝金をもらっているところでございます。 そういったこともございまして、六十年度からスタートいたしましたニューフェローシップ制度、特別研究員制度におきましては、もちろんそれぞれの御本人に研究奨励金が二年間出るわけですが、そのほかに、その個々の研究奨励金をもらっております若手研究者に科学研究費から研究費が出るようにということを工夫をいたしまして、昭和六十年度からそういう形で大学の博士課程を修了した人などを中心といたしました若手の研究者に科学研究費も活用していただいておる、そういう状況でございます。
○高桑栄松君 特別研究員制度というのはもっと前からあったと思ったけれどもな。六十年じゃないな。昔からあったでしょう。
○政府委員(植木浩君) 日本学術振興会の事業といたしまして従来から奨励研究員制度というのがございました。それを、いろいろ有識者の方から改善の意見をいただきまして、六十年度から新しい特別研究員制度としてスタートしたわけでございます。
○高桑栄松君 そうそう奨励研究員でしたね。私の教授時代だったか、もうちょっと後がな、ありましたものね。やっぱり日本の、例えば科学を振興させる、特に基礎科学を振興させるときに、基礎に残るという人は貴重品なんですよね。それで、要するに生活が保障されればやりたいと思っているわけだ、皆。だけれども、一、一、二であればまだいいけれども、一、一、一でございますからね。これはもう余裕ありません。だから教授一、助教授一、助手一で講義と実習とそれから研究指導とやれっていうことは難しいですよね、研究自身とですね。そして研究費を取らなければいけませんから。やっぱり研究の中核になる若手研究者をどう刺激して頑張らせるか。それには今のようなやっぱり科研費を使っていく。今のは定員があるわけですよね。だから定員内でやらされるから……。 ただ、科研費を大量に取ってくる人は能力のある人なわけだ。そうでしょう。だから、その人は自分の研究費から使ってやればいいわけだ。だから、何でも画一的にやろうとなさるとやっぱり大学に何名とかという割り当てになるわけで、そうではなくて自分の取ってきた科研費でやれないか。例えば一千万取ってきたら、月十万でも少ないけれども我慢しろよというようなことで百二十万抜けないかというようなことです、私の言っているのは。まあそれもっと頑張るように希望いたします。それ、議論にはなりませんものね。 その次に、授業五日制というのが何て書いてあったかな――学校五日制ですね。これは私大賛成なんですよ。小中学校でお困りの向きもあるような話も聞くんですけれども、私は、授業五日制と称しまして、私が北大の医学部長のときに、あの紛争の真っ最中ですが、授業五日制をついに採用いたしまして、文部省にはしかられるような気配でございましたから、土曜日は自習ゼミとカリキュラムには組みました。それで土曜日も半日あることになっていますが、自習ゼミでございます。それで、授業は一割減らしました。これは大変ないろんな問題がありましたけれども、我が北大医学部は今から十年以上前に既に発足をいたしました。もうとっくに、ずっと学年進行で、今授業五日制です。恐らく国立大学ではないんじゃないかと思うんです。国際基督教大学は五日ですよね。だから多分ありませんよ。私のところがトップだったはずで、それ以来ないようです。よく知りませんが多分ないと思います。 北大医学部にはあっちこっちから見学に来ました。どうしてやれましたと言うんですね。どうしてやれましたって、一割減らしただけの話であります。そして、土曜日は外せという至上命令で外さしたわけです。これは、私が主張しましたのは、祭日が当たるとカリキュラムの中で一日抜けますね、抜けるんです。日曜日に当たったときは月曜日が抜かれますね。月曜日の授業担当者は統計的にほかのよりも七分の一当たる確率高いわけです。私、統計学を教えていたものだから。大体月曜日のトップは私の授業なんです、何年も。一番嫌だというところにトップに出ていって講義をしたものです。それで、欠席の多いやつは、もう僕は強烈に文句言ったんです。朝眠いのか、そんなやつは落第するだけなんだぞというようなことを言ってね。それで、月曜日トップというのはこっちも辛いけれども学生も辛かったと思う。しかし頑張ったわけだ。それで、祭日に当たったときに、休講ではないんだと、この分は年間カリキュラムの中で組んでいるんだから、それは土曜日に講義しろ。補講に充てさした。それから、中間試験が一講目はいい。二講目のときに中間試験をやると、一講目のときだれも勉強しないわけですよ。試験の勉強をしていましてね、講義を聴いてないわけだ。多分海部さんも身に覚えがおありかと思いますけれども。我々そうしたですよ、大体。だからあれはだめ。授業妨害になる。したがって、二講目以後の人が中間試験をするときは土曜日にやる。土曜日を中間試験の日とそれから補講に充てさしたんです。そのためにあけてありますよと言う。そしてあと学生には自由に、クラブ活動をやってもいい。勉強をするなら図書館あけてある。レクリエーションに行ってもいい。自分勝手なことをしなさいと。それで毎週ゴールデンウイークということに北大医学部は今なっております。 それで、先生方にとっても土曜日は要するに授業の態勢をとらないでいいんですよ。臨床は違いますけれどもね。外来がどうしてもあるからこれはだめのようですがね。教育関係は土曜日は非常にフリーなんです。そして研究会が土曜日にあることが多いんだ。だからどうしても土曜日あけたいというのがあるんですよ。ですから私は、土曜日の有効利用というのは非常にたくさんあると思って説得をしまして、一年かけて全教授の賛成を得てやりました。ですから私は、今でも同じ意味で賛成です。教師にとってもリラックスできる、教材の準備ができる、会合も持てる。子供たちは毎週ゴールデンウイークである。ただ小中はいろんなことがあるみたいですから、私は大学の立場で申しますと、大学だけはいいんじゃないか。大学の教授方は、授業が減るのを権威が減ると思うんですね。大間違いですよ。頭のいい教授は一割減らしてもちゃんと教えますから。だから、時間かけなきゃ教えられないというのはだめなんだ、これは。だから減らした方がいいですね。外国は皆そうやっていますからね。 ついでに高桑提案をいたしますと――メモをとられるほどのことじゃないんですよ。私は労働衛生をやっていたものですからね。一週間を見ますと、土曜日というのは案外事故率は少ないんですよ。事故率は月曜日が多いんです。つまり土曜日は、ああ帰れる、土曜日半ドンだ、あすは日曜日だと思って刺激をされて、非常に能率も上がるし、生き生きとするらしいですよ。月曜日はきのうの疲れが残っていて、何かウォーミングアップが足りないんです。月曜日は事故率が多い。それで私は、土曜日にかえて月曜半ドン制を言ったことがある。当時の新聞社がおもしろがりましてね。特集を組ましてくれというようなことを言った。そして、私の言ったのがでかでかと、「月曜半ドン制の提唱」となりました。学校も同じでないかなと今思っています。月曜日は嫌だと申し上げたでしょう。月曜日というのは嫌ですよ。半日で終わったらきっと気分的には楽でないかな。だから月曜半ドン制というのは文部省もお考えになって――週休二日がだめだったらですよ、月曜も半ドン、土曜も半ドンにしたらいいんじゃないですか。そうすると、ちょうどもう半日休みですね、ウォーミングアップに充てることができる、こういうのが私の労働医学の立場の研究から出てきた。疲労は真ん中にもう一回ありますよ。本当は水曜も半ドンがいいんですね。月曜半ドン、水曜半ドン、土曜半ドンというと全部半ドンになってしまいそうだから、そこまでは高桑も提案いたしません。月曜半ドンというのはいいんじゃないかというふうな気がいたします。 その次は、健康教育の充実というのが前から出ておるんですが、第二部の第三章というところに、健康教育を充実するというのは前にもかなりな見出しで出ていまして、私は大変これは大事なことだと思って何遍か提案しているんです。二度以上健康教育を充実しろということを言ったんです。それは、教職員免許資格の中に健康教育、学校保健を必須にしろということなんです、これは昭和二十四年までは必須だったんですから。教育心理と教育衛生といったかな、必須だったんです。昭和二十四年に教職員何とか法が変わったときに選択になったんです。しかし、選択になってだれがとるかということになるわけですけれども、私は思うのに、健康の教育というものこそ生命の尊厳を教える。今は死に直面することがない。だから死というものを子供たちは知らない。死というものがどんなに人間にとって厳しいものか、悲しいものか、そういったことを子供たちは身近に教えられていない。こういうことがあります。しかし健康教育は、健康というのはやっぱり生命が根源なんですね。だから、健康教育を小さいときから教えていく。そうすると、弱い子はいたわるという精神になると思うんです。だから弱い子をいじめるという精神は出ないはずなんだな。健康というのはそういうものなんですよね。だから、健康教育が選択になったからいじめが出たんじゃないかと、私は文部省に責任を追求したいような気持ちがないことはない。 それで一つ伺いますけれども、主任制度というのがあるかないか、今現実にどうなっているか知りませんが、主任制度というのが三つかなんかおりましたね。保健主事が入っていますね。ちょっと教えてください。
○政府委員(阿部充夫君) 保健主事につきましても、主任制度の一つのものと思っております。
○高桑栄松君 そうですね。たしかその主任制度は三つでしたかな。
○政府委員(阿部充夫君) これはかなりいろんな種類がございまして、学年主任とか教務主任とか、学年主任なんかですと各学年におりますから数もたくさんございます。そのほかに、高等学校の場合なんかですと学科ごとの主任がいるとか、いろんな格好での主任があるわけでございます。
○高桑栄松君 保健主事というのは養護教員ではないですね、今お答えいただきます。そして、その資格の中に、健康教育、学校保健を選択でとるということが資格でしょうか、どうでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 特別の資格要件は定まっていないと記憶しております。
○高桑栄松君 そこなんですよね。主任制度に認定をしながら、管理職手当だとかいって反対も受けているようですが、そういう重要なポストをセットしながら、資格が、健康教育をとっていなくてもいいわけだ。そこに私は、健康教育を充実と言いながら非常に軽視しているんじゃないか。片手間仕事でできるんじゃないか、こんなふうに思うんですよね。ですから私は、健康教育を充実するということを大分前から臨教審でうたってくれました。私は非常に感謝しています。年来の主張でございます。ですから、多分医学系の方が一生懸命言ったんだなと思って喜んでいるんです。 結局、この健康教育を充実するということは、充実というのは言葉じゃだめなんであって、やっぱり一人一人の子供の健康を見守ってやる、そういう先生の知識、今養護教員でさえも充実していないという質問があったわけですけれども、それとは別に、自分の学級の一人一人の健康を見てやる先生方の健康知識がないんじゃないか。だからこれは私は教職員資格に入れてほしい。これは日本学校保健学会がもう十数年来希望し続けて、多分しょっちゅうお願いに上がっていると思うんです。私も日本学校保健学会の会長を務めた人間でございますが、そういう意味でもこれは何とかやっぱりちゃんと教員の資格に必須科目に入れるべきではないか、こう思っておりますが、どうでしょうね。
○政府委員(阿部充夫君) この問題につきましては、前から先生の御意見というのも承っておりますし、それからまた御指摘にありましたように、最近臨教審の御議論の中でも健康教育の重視ということが議題となって論議をされているという状況でございますので、御指摘の趣旨は私ども十分わかるし共感をする面も多いわけでございますが、ただ、現実に大学での教員養成の課程の中にそれを必修として入れ込んでいくということに相なりますと、そのほかにも例えば国会でもしばしば御指摘をいただいておりますが、特殊教育についても全部全教員に理解させるというような御指摘まで、いろいろな大変もっともな御意見があるわけでございますが、それがいわゆる開放制のもとで大学の中でどれだけの単位を必修として学生に拘束し得るかという問題との間のジレンマに私ども悩むわけでございます。一昨年、昭和五十九年に免許法の改正を国会に御提案申し上げました際には、そういういろいろな御要請に各大学がこたえ得るようにということで免許基準の一部引き上げということを御提案申し上げたわけでございますけれども、結局成立をしないで終わっておるわけでございまして、これからの大きな宿題であると思っております。 なお、大学で必ずやらなければならないということではなくても、例えば新任教員の段階で十分研修をさして身につけさせるというようなやり方も別の方法としてはあり得るかと思います。臨教審の御議論等も見ながら、私どもも今後の対応いろいろと検討さしていただきたい、かように考えております。
○高桑栄松君 わかりました。全く無視しているのではないという、非常に前向きにお考えいただいて、今のような考えがあれば少しでも前進しますよね。私はやっぱりいじめなんかの対策にも健康教育というのが今大事なんじゃないのかな。日本人の意識調査でいつやっても健康がもう第一に挙がってきますから、これは非常に大事なことだろうと思います。 それじゃ、時間になりましたので、ひとつ教育財政のところを見ていただきますが、一番最後の章の一番しんがりに、「教育財政の展望」というのがあるんですが、ちょっと伺って、臨教審でないとおっしゃるかもしらぬけれども、「本格的な審議は、基本的に今後の課題とせざるを得ないが、教育財政の見直しに当たっては、スクラップ・アンド・ビルドの考え方に立って、」と書いてあります。これは教育改革の財政問題はスクラップ・アンド・ビルドの対象になるということでしょうか、どうでしょうか。
○政府委員(齋藤諦淳君) 教育行財政につきましては、今第一部会でいろいろ検討をされておりまして、運営委員会あるいは総会等にもまだ一切原案がかけられていない状況でございます。したがって、この記事がどういうようなことであるのか必ずしも私ども事務局としては十分把握していない、こういう状況でございますので御了解願いたい、こう思います。
○高桑栄松君 スクラップ・アンド・ビルドというのはこれは改善なんですね。スクラップ・アンド・ビルドは、もとの形の中で取りかえているわけで、これは改善なんですね。改革と言うからには、やっぱり抜本的なものが必要である。スクラップ・アンド・ビルドじゃないですよね。ですから、教育改革と銘打ってこれだけ大きなウエートをかけてきて、そして財政がスクラップ・アンド・ビルドであったら、そのためにエネルギーを使うことはないんじゃないか。私はもうむだではないかと思うくらい、これはもう非常にうまくない言葉だと思っています。ですから、スクラップ・アンド・ビルド、イコール改善であって改革ではない。ですから、改革であるからにはやっぱり特別に大型の予算を別個に組まなければ教育改革はできないと思っておりますが、文部大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) 第二次答申でどのようなことが出てまいりますのか、私どもはまだそれを見守っておる段階でありますけれども、御承知のように、変わらなけりゃならぬこと、やらなければならぬこといろいろあると思います。そういったときには、これがまだ答申の原案ではないんですけれども、まさに最後の一行なんかは十分大切に尊重してもらいたい言葉であるなど、私はそう思ってこれを読んでおります。
○高桑栄松君 これで私の質問を終わらせていただきます。
○吉川春子君 三月二十日の委員会で時間の関係でやり残した君が代、日の丸問題でまず伺います。 法制局見えていますか。――学校の入学式における君が代斉唱、日の丸掲揚の問題は、学校の教育課程の特別活動の中の学校行事の問題であり、当然学校教育法第二十八条六項「教諭は、児童の教育をつかさどる。」における教育の内容ではないかと思いますが、いかがでしょうか。――法制局に聞いたんです。
○法制局参事(福田穰君) 内容に含まれておると考えております。
○吉川春子君 法制局にちょっと二、三伺ってから文部省に伺います。 小学校、中学校の学習指導要領では、日の丸掲揚、君が代斉唱について、「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童(生徒)に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、国歌を齊唱させることが望ましい。」とあります。決めるのは、教育課程を決める学校ではありませんか。
○法制局参事(福田穰君) そういうことになっておると存じます。
○吉川春子君 入学式、卒業式において君が代斉唱、日の丸を掲揚すると教育課程の内容を決めるに当たって、子供の教育に直接携わっている教師の意見が尊重されるのは教育の条理ではないかと考えますが、この点についてはいかがでしょうか。
○法制局参事(福田穰君) 済みません、今ちょっと質問を聞き落としましたので、もう一度お願いいたしたいと思います。
○吉川春子君 入学式、卒業式において君が代の斉唱、日の丸を掲揚すると教育課程の内容を決めるに当たって、子供の教育に直接携わっている教職員の意見が尊重されるのは教育の条理ではないですかというふうに伺いました。
○法制局参事(福田穰君) それが至当だと考えます。
○吉川春子君 かつて文部事務次官、現在国立教育研究所長である木田宏氏は、その著書「逐条解説 地教行法」で、「教育作用の本質は、指導であって、決して監督ではない。」、「教育者が主体性を持たないでは教育は生命を失う」、「指導、助言、援助等の非権力的作用にこそ、教育行政の最も大切な仕事がある」と述べています。戦後の憲法、教育基本法に基づく教育行政の本質は指導、助言、援助の非権力的な作用にこそあるのではないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
○法制局参事(福田穰君) 前半は私ども法制的の専門外でございますが、一般に教育行政というものはそういうものであろうかと存じております。
○吉川春子君 法制局はもう結構でございます。ありがとうございました。文部省は、衆議院で我が党の三浦久議員の質問に対し、学校の教育目標、方針として、入学式、卒業式のときに君が代を斉唱すると決められた以上は、そこで働く教職員はその方針に従って教育を展開していくということが公務員関係の当然の義務というふうに言っていらっしゃいます。しかし、どのように決められたかが問題であるわけで、さきに挙げましだ昭和四十七年の大阪地裁の日の丸掲揚についての判決が、校長が教職員とよく話し合って納得の上で実施することが望ましいと判断しています。この判断は教育行政の条理に合ったものだと思います。 そこで、文部大臣に伺いたいんですけれども、今から私が読み上げます文章をよくお聞き取りいただいてお答え願いたいわけです。戦後、文部省の新教育指針は、 教師自身が民主的な修養を積むこと 生徒を民主的に教育するためには、先ず教師自身が民主的な修業を積まねばならぬ。それも 理論や観念としてではなく、教師の生活に結びつき、実行を通して修養することが必要である。学校の経営において、校長や二、三の職員のひとりぎめで事をはこばないこと、すべての職員がこれに参加して、自由に十分に意見を述べ協議した上で事をきめること、そして全職員が仁の共同の決定にしたがい、各々の受け持つべき責任を進んではたすこと――これが民主的なやり方である。このような学校経営そのものによって教師は民主的な修養を積むことになるのである。文部省の指針なんですけれども、この方針は今も変わっていないわけですか。
○政府委員(高石邦男君) 少し基本的に申し上げなければならないと思います。 まず、小中学校の義務教育についてどういう教育を施すかということは、我が国では憲法、教育基本法、学校教育法という法律の目的、目標に掲げてあるわけでございます。その具体的な目的、目標を達成するために、我が国では学習指導要領の基準というのを決めるわけでございます。その学習指導要領の決められた基準の中で教育を展開するという義務が、具体的な教育の展開に当たる先生方の立場でございます。したがいまして、先生が自分の思うように得手勝手に自分の考え方だけを教えるというわけにいかないという仕組みが現在の小中学校の制度であるわけです。文部省の決めております現行の学習指導要領の基準で、国語であるとか算数であるとか社会であるとかいろんなものを具体的に決めているわけですが、そして一定の授業時数等も決めているわけですが、その枠組みの中で教育を展開していくということが必要であります。したがいまして、その枠組みから外れて先生方が勝手に、それにかかわらず、法令にこだわらず、学習指導要領にこだわらず、展開するということは許されないということでございます。
○吉川春子君 端的にイエスかノーかでいいんですが、今のその指針は基本的には生きているんですか、死んでいるんですか。
○政府委員(高石邦男君) 簡単に答えることができない、誤解を受けるから、説明を申し上げているわけでございます。 教育の現場の実践に当たるのは教師であります。したがいまして、教師がそういう工夫を凝らしながら最大の教育効果を上げていくようにしなければならない責任は当然あるわけであります。 そこで、その効果を上げていく教育の具体的な内容の展開に当たっては、学校全体で学習指導要領の基準に基づいて教育方針が決められるわけであります。教育方針が決められる際に、職員の意見を十分聞きながら決めるというのが通常であろうと思います。ところが、なかなか校長と職員の意見が合わないということが具体的にあり得るわけであります。その場合には、学校の最高責任者は校長でありますし、校務をつかさどる責任を持っておりますので、校長が最終的な決断をする、決断した以上はそれに従って教職員は授業を展開しなきゃならない、こういう仕掛けでございます。
○吉川春子君 私が今読みましたのは文部省の方針なんですけれども、自分で決めた方針からもかなり今日の文部省の姿勢が変わってきている、そういうことをあらわした御答弁ではなかったかと思います。 さて、三月二十二日、兵庫県の宝塚市立宝塚小学校の卒業式へ、右翼の政治結社が、日の丸掲揚、君が代斉唱を訴えて乱入するという事件が発生しました。生涯に一度の小学校卒業式を暴力行為によって台なしにされた子供たちの心にどんな傷が残ったかと思うと、私は憤りを禁じ得ません。このような右翼の暴力的な教育介入について、文部大臣は先ほど否定されました。当然のことであると思います。しかし、この件について文部省は全く責任がないと言えるんでしょうか。自民党は去年に続いてことしも各都道府県支部へ通達を出して日の丸、君が代を徹底するよう各教諭を指導せよと指示しています。政党は、もちろんいろんなことをおっしゃるのは自由なんですけれども、天下の政権党の自民党であるということで影響が大きいということは否定できないと思います。そして、一番責任あるのは、やはり文部省が、前回私がここで質問いたしましたように、教育条理に反するような行政指導、こういうものが相まって今日の右翼のああいう事件を起こす、それが背景としてあったということは事実で、私は文部省にも反省を促しておきたいと思います。 この問題はもう論議が尽きないので、そのことだけ指摘して次の学校給食の問題に移っていきたいと思います……
○国務大臣(海部俊樹君) 委員長、発言させていただけないでしょうか。――ただいまの御指摘は、やっぱりせっかくの卒業式の場ですから、児童生徒の目の前でああいった右翼の乱入があって学校教育の場で極めて非教育的な行為が起こったということは、私は次元の違う問題として許すべきではない、警察にもそういったことは十分対応してほしいとお願いをしたところでございますが、しかし、さらにもう一つ別の面から言えば、たった一回の最後の卒業式のチャンスに、自分の国の国旗も掲揚されなかったというようなことでは、児童生徒にとっても大変よくないことだと、私はこれは次元が違う問題だけれども、思っておるわけであります。 なぜかというと、どうして日本の国の学校の卒業式に国旗や国歌を教えることがいけないんだろうかということがどうしてもわからないんです。オリンピックのときなんかにでも、日の丸が上がり、国歌が演奏されればみんな愛国心を感じ、さあ頑張れよと。それでいいんじゃないでしょうか。 時間がたくさんないようでございますから答弁は簡単にしますけれども、私はいつか、文部大臣、偉そうなことを言うけれども、あの旗は四十年前にどこではためいた旗か知っているかと言われたことがありました。けれども、光の部分と影の部分があって、事実を全部受け取りながら、いいことは繰り返し、よくないことは繰り返さないということを身につけていくことも教えていくことも教育の大切な一面だと思うんです。テレビを見て、ああこれが国旗か、大相撲を見てああこれが国歌のメロディーか、そんなことで初めて知るようなことではよくないので、私は小学校の現場ではぜひ教えていただきたい。児童生徒の発達段階に応じてですけれども、教えていただきたい。せめて卒業式には掲揚され、斉唱されることが望ましい。それを知ってから社会に出てもらうことの方が児童生徒のためになる。こう思っておりますので、あの暴力の事件と日の丸を掲げてくださいという我々の願いとは全く次元の違う問題でありますから、それをきちっと区別しながら、やっぱりすべての人々がそれを教えてもらう。教えないのは大人の責任だと私は思っております。 そういう意味で、先ほど御指摘のありました卒業式、入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についてという通達も、毎年お願いをし続けておるというのが実情でございます。
○吉川春子君 ちょっと残念ながらこれに立ち入る時間的な余裕がありませんので、私たちはそういう意見とは違って、教えるのは構わないんだけれども強制することはどうかということで前回から御質問をさせていただいているわけなんです。 学校教育の施設設備補助の予算について伺いたいと思いますけれども、去年と比べてかなり減額されているんですが、この五年間、予算の推移はどうなっておりますか。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食、施設設備両方合わせて数字を申し上げますと、五十八年度が百一億円、五十九年度が八十四億円、六十年度が七十二億円、六十一年度が六十五億円ということでございます。
○吉川春子君 臨調行革のもとで学校給食費が大幅にしわ寄せを受けて、昨年比で一〇・八%、そして五年間で四〇%マイナスになっているわけです。全国の小中学校における完全給食の実施率が、この間いただきました資料では、児童生徒数で小学校で九八%、中学で五八・七%という水準です。 文部省は、かって保健体育審議会に対して義務教育諸学校における学校給食の改善充実の方策について諮問し、理由として、学校給食の完全な実施を目途としてと述べておられます。これに対して保体審は四十五年に答申しておりますけれども、完全給食の普及についてはどういうふうに述べておりますでしょうか。
○政府委員(古村澄一君) 四十五年の保健体育審議会の答申の当該部分を申し上げますと、まだ未実施校が多く残されているという現状を踏まえまして、「このような実情にかんがみ、四十五年度以降おおむね五か年で完成することを目途として、年次計画による完全給食の実施を推進し、未実施校の解消を図るべきである。」というふうな答申になっております。
○吉川春子君 保体審は、すべての小中学校で学校給食を実施するように年次計画を立ててということを言っているわけですけれども、この保体審の答申について、全体的に文部省はどう受けとめて、また、答申に沿った施策をどう進めてこられましたのか、簡単で結構ですけれども、御説明ください。
○政府委員(古村澄一君) この保体審の答申は、学校給食の基本的なあり方といいますか、そういった方向についての答申をいただいたものというふうに認識いたしております。したがって、その線に沿って行政指導をし、施策を進めてまいったということでございます。
○吉川春子君 それにしてはまだ中学校の四割が完全給食未実施として残されているわけで、これについてやっぱり全校実施を目指して今後とも頑張っていただきたいと思うんですけれども、そういうことでよろしいんですか。
○政府委員(古村澄一君) 御承知のとおり、学校給食法におきましても学校給食を奨励していくという姿勢になっておりますし、文部省としても奨励をしてまいりましたが、中学校の四割の大体の残っておりますところというのは、主として政令都市を中心にいたしました大都市の中学校でございます。学校等の状況を聞きますと、そういった給食施設をつくるについても校地がないとか、共同調理場をつくるにしても土地が見当たらないとかというふうなことが大変隘路になっておるということですが、私たちとしては、関係の市町村に対しましてたゆまない努力をしてほしいということを申し上げているわけでございます。
○吉川春子君 文部省は、昨年一月二十一日に「学校給食業務の運営の合理化について」という通達を出されましたけれども、例えば広島県東城町の教育委員会は、学校給食の合理化の一環として、現行の完全給食から将来は家庭の手づくり弁当へ移行するとして、現在行っている完全給食の廃止を打ち出しています。通達の効果はこういう形であらわれたのかという皮肉な見方もありますけれども、こういう給食の廃止ということまで合理化の中に入れて文部省は考えているんですか。
○政府委員(古村澄一君) 給食の廃止ということをこの通達の中で意味しているということは全くございません。
○吉川春子君 そうすると、広島の東城町のようなやり方は好ましくないと、こういうことですね。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食法が奨励をいたしておりますので、そういった線に沿って市町村が当然努力すべき事柄でございますから、方向としては逆の方を向いているというふうに思います。
○吉川春子君 給食の民間委託の通達の中で、「合理化の実施については、学校給食の質の低下を招くことのないよう十分配慮」せよと言っていますが、学校給食の質とは、客観的に何をもって言うんでしょうか。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食の質といいますと、これは通常、質がいいとか悪いとかという社会常識があると思いますが、例えば非常に粗悪な物質を買い入れるようになったとか、あるいは衛生面で非常に不備なことがあって悪くなっていくとかというふうなことも入るでしょうし、いろんなことが入ってくると思います。したがいまして、質の範囲はどこまでというふうなことを私たちは想定して言っているわけではございません。
○吉川春子君 それはちょっと無責任な御答弁ですね。つまり、質を落とすなということを条件にして民間委託を進めるとか合理化を進めるわけですが、これを特定しなければ、じゃ質が落ちたのか上がったのかわからないということであれば、無制限に民託やら合理化が進んで歯どめがないというふうになるわけですね。 学校給食の質の中には食事内容ということについても含まれると思いますけれども、さきに挙げました保体審の答申で、「学校給食が栄養的かつ衛生的でしかもこどもにとって魅力的なものとなるためには、単に栄養の量的な摂取にとどまらず、食事内容の質的な充実を図ることがきわめてたいせつ」として、具体的に次のようなことを挙げているわけですね。例えば、 ア 献立・調理の多様化と味の向上を図ること。 ウ 調理後できるだけ短時間内に供食できるようにすること。 工 良質な動物性食品や緑黄色の野菜および果実等の使用増加を図ること。 オ 食材料は過度に加工したものは避け、できるかぎり新鮮な生のものを使用すること。 カ 有毒な食品添加物はもとより、不必要な食品添加物が使用されていると思われる食品は、使用をしないようにすること。 文部省は、このときの保体審の答申に基づいて学校給食食事内容について体育局長の通知も出されているわけなんですね。私は、曲がりなりにもと言うと失礼なんだけれども、とにかく文部省としては、従来、教育の一環である学校給食の質を高める努力はそれなりにやっていらっしゃったと思うんです。 ところが、今回の合理化の方向は、どう考えても今まで文部省のやってきた、例えば食事内容の改善、すなわち給食の質の向上ということについても逆行するんじゃないかと思うんです。それは業者あるいは企業は利益を上げることを目的として存在しているわけで、教育の一環としての給食というものは望めず、いかに利益を上げるかということを第一義にしているわけでしょう。そういうところに給食を任せちゃって構いませんよということは、これは質の向上どころか確保も望めないんじゃないかと思いますが、この企業の利益追求と教育の一環である給食という関係は、どうごらんになりますか。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食が学校教育の一環であるというふうに私たちが御説明申し上げておりますのは、いわゆる給食指導を通じていろんな栄養指導の面とか、あるいは人間関係の醸成とか、あるいは整理整とん、そういった共同作業の点での教育的効果、そういったものを期待して学校給食指導の場面が学校教育活動の一環であるというふうに申し上げておるわけでございます。 それで、そういった学校給食の献立をつくっていくものですから、民間に委託する場合におきましても、やはり設置者として責任の持てる体制にしてほしいということから、昨年の通達の中にも、献立の作成は設置者がやるんですよとか、あるいは物資の購入とか調理業務については設置者として責任が持てるように指導しろとか、条件を一応出して、そういった条件を踏んだ上で適当な民間会社があれば民間会社に委託をしてもいいですと、こういう指導を申し上げたわけでございます。民間会社に行けば質が落ちるのは必然であるというふうな論理をとっているわけではございません。
○吉川春子君 そういう論理をとれば合理化せよということは言えないわけですからね。それはそうなんですけれども、実質的な問題として質が低下するのではないかと指摘したわけです。 文部省は、従前より、学校給食の調理業務は民間委託をしないという姿勢で来ておりまして、例えば昭和五十六年十月二十九日の当委員会でも、当時の高石局長が、配送業務などの委託はやっても調理業務自体は民間委託せずに直営でやると、こういうふうに明言しているわけですね。ところが、昨年の十一月の当委員会で、私の質問に対して古村局長は、調理の民間委託はあるし、学校給食室を民間業者に使わせて給食をする方法も可であると述べていますけれども、こういうふうに政策を百八十度変えた理由はどういうところにあるんですか。
○政府委員(古村澄一君) 御承知のとおり、臨時行政調査会におきましていろんな行政の見直しがなされました。そのときに学校給食業務についても見直しがされまして、臨時行政調査会から学校給食業務の運営をもっと合理化してほしいという答申がなされたわけでございます。臨時行政調査会の答申は政府は尊重するという法律にも明記がございまして、私たちとしてはその線に沿ってよくよく考えれば、学校給食をやっていく場合にむだな部分があるなら省けという御意見はまさに当然のことでございますので、そういった線に沿って指導をいたしたわけでございます。
○吉川春子君 今の御答弁は、大変悲しいですね。長い間文部省が続けてきて、この線は崩せないと臨調行革が発足した後答えているわけですね。それでもしかしその圧力に屈して、教育の方向を転換したということはちょっと残念ではないかと思います。 学校給食法四条と五条の二は、明らかに直営の原則をうたっています。だからこそ文部省は四十年間も直営方式を是としてきたのであって、調理という最も重要な部門を業者に任せてしまうのは学校給食法に反するんじゃないか。臨調はそう言ったかもしれないけれども、法律に反するんじゃないかと思いますが、どうですか。
○政府委員(古村澄一君) 学校給食法の四条は、「設置者は、」「学校給食が実施されるように努めなければならない。」という規定でございまして、第五条は、「国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。」という努力規定が書いてあるわけでございます。学校給食業務を民間に委託すること、委託するについて学校の設置者が責任を離れてしまっては、これは学校給食として成り立ちません。したがって、あくまで学校の設置者がやることを民間会社に委託をするということでございますから、給食法上の問題は生じないというふうに考えております。
○吉川春子君 学校給食法を素直に読めば、民間委託ということは全然出てこないわけです。もちろん条文にも出てこないし、やっぱり自治体が責任を持ってやる。センター化については記述がありますよね。しかし、センター化であってもこれ直営でしょう。業者に全部任してしまいますよということは、このどこの条文を見ても全然出てこないわけですね。そういうことで、学校給食法の観点からいっても非常に問題だと思うんです。 労働省に伺います。 学校給食室を業者に使わせて、そこの業者の使用人を使って学校給食をつくらせる場合、東京都の足立区でスタートしたわけですけれども、この法律関係について伺います。 職業安定法四十四条、施行規則第四条により労働者供給事業は禁止されていますが、四条の一号は、学校給食の調理に関する一切の責任は学校ではなくて業者が負うと、こういうことになるわけですか。
○説明員(坂根俊孝君) 地方公共団体が学校給食の調理業務を民間業者に委託した場合、請負契約によって行わせる場合には、今のお話にございましたように、職業安定法四十四条及びその内容について決めております同法の施行規則四条との関係が問題になるわけですが、今先生がおっしゃったのは四条の一号の問題でございますが、これは要するに受託業者、請負業者が請負業者としての法律上、財政上の責任を負うということでございまして、対外的に最終的にどこが責任を負うかという問題とは直接には関係がない。言いかえますと、要するに、業務そのものの実施、調理業務の実施そのものを受託しているわけですが、その受託された範囲内において請負業者が責任を負うべきであると、こういうことでございます。
○吉川春子君 調理、つまり学校給食をつくるということについての責任を業者が負うわけですが、例えば調理の過程にいろいろな不備があったりして食中毒が集団的に発生した場合の責任は、これはどこが負うことになりますか、
○説明員(坂根俊孝君) 食中毒が発生した場合の対外的な責任の問題と、それから委託生、受託主相互間の責任の問題と、二つに分けて考えるべきだと思いますが……
○吉川春子君 簡単でいいです。
○説明員(坂根俊孝君) 少なくとも委託者に対しては受託者が、その関係で損害を生じさしたということになれば、その責任を負う必要が通常はあるということになると思います。
○吉川春子君 零細業者で大量の食中毒の損害賠償責任が負えないということも実際には予想されるわけですが、業者に明確に食中毒の責任がある場合でしかし支払い能力がないような場合、食中毒の損害賠償責任というのはそうするとどういうことになるんでしょうか。
○政府委員(古村澄一君) 食中毒が起きたときに、子供あるいは親との関係の責任の問題は学校の設置者が負うということになると思います。ただ、学校の設置者と受託者であります会社との関係は、今度はこれは委託者側から受託者側に対して責任の追及をしていくという論理だろうと思います。
○吉川春子君 そうすると、委託した業者に支払い能力がないような場合は学校が責任を負う、自治体が負うと、こういうふうに解釈していいんですね。
○政府委員(古村澄一君) そういうことになる場合があり得ると思います。
○吉川春子君 労働省に続けて伺いますが、施行規則四条の二号について、自治体の職員である栄養士が、自分の作成した献立に基づいて民間業者から派遣されて給食をつくっている調理員に対し一切直接指揮監督はできないと、こういうふうに言われているんですけれども、そういうことですか。
○説明員(坂根俊孝君) 一切という、まあ程度にもよりますが、委託主が受託側の労働者に対して指揮監督を行うということになりますと、先ほどの施行規則四条との関係で問題が出てくるということでございます。
○吉川春子君 例えば、今まで調理員と栄養士が同じ給食室で作業していたわけですけれども、今度調理職員が民間の業者から派遣されてきたとなると、栄養士が調理室に入って、自分の献立どおりにつくられているかななんて思って見ていることはどうですか。
○説明員(坂根俊孝君) 要するに、注文側としてその注文どおりにいっているかどうか見る、そしていろいろな注文を出すということはあり得ると思っております。
○吉川春子君 そうしますと、学校給食の調理室の中に一緒に栄養士も入っていることができるということですね。
○説明員(坂根俊孝君) 一緒に入って見ているということ山体は別に問題はないと思っております。
○吉川春子君 そうですか。そういう答弁でいいんですね。レクのときと違うんですけれども。
○説明員(坂根俊孝君) 要するに、栄養士の方なりが調理現場に一緒におられて、そこで受託業者の労働者に対して、これをこう切りなさいとかそういうようなことで個々に指示を行うということになると問題があるということでございまして、そういうことがなければ一緒にいたからといって、そのことは問題はないと思います。
○吉川春子君 学校給食の中で、栄養士の果たしている役割というのは非常に大きいものがありまして、一九七四年に制度として文部省は学校給食に栄養士を配置するわけですけれども、東京の栄養士のいる学校といない学校の給食の違いを調べたことがあります。調べましたところ、魚や野菜を買う場合でも、栄養士のいるところは九七%まで栄養士が行って品物を選んでいるのに対して、いない学校では四〇%が何も調べないで品物を買っている。栄養士のいる学校といない学校では大きな違いがあるということを文部省は言っているわけです。 また、これは足立区の栄養士が出している給食通信なんですけれども、これ、毎日出しているんですね。子供たちにいかに栄養の知識を与えるか、おいしい給食を与えるかという、教育実践としてもすばらしいわけですけれども、今度、こういう栄養士の努力がなかなかできにくくなるような学校給食の民間委託というものが行われようとしている、あるいは実際に行われているわけなんです。 それで、学校給食の調理部門について一切学校が口出しできない、これが民間委託であることは明らかなんですけれども、民間委託する場合に、学校給食は単なる仕出し弁当ではないというふうにここでも答弁なさっているんですけれども、私は、もう限りなく仕出し弁当に近づいていくのが民間委託ではないかというふうに思うんですよね。こういうことについて、こういう形の給食でも教育の一環であり続けるのかということについてはどうですか。
○政府委員(古村澄一君) 私の方は、仕出し弁当のようなものは学校給食ではないということは前からも申し上げておりますし、私もそう思っております。したがって、民間委託をする場合にはこういう点をきっちり設置者側の責任をとれるようにしてくれということが去年の通達の眼目でございました。そのことを守っていただければ、学校給食の質の低下を招かないで民間委託というものがスムーズに行われるだろうというふうに思っております。 先ほど申し上げましたように、学校教育活動の一環というのはそういった角度から見ているわけではない。しかしながら、学校教育活動の一環として行われている学校給食ですから、したがって、なおその点に留意をしてここまでの強い指導をしたということに相なっておるわけでございます。
○吉川春子君 最初の方で質問しましたけれども、質の低下という問題のその質ということについても、客観的にどうということはないというから、下がったか上がったかも民間委託によってはわからないわけだし、それから、その調理というのはとにかく一番大事な部門だからこそ、今まで文部省はほかは合理化できて民間委託できるけれどもここはできないんだと、そういうことでつい二、三年前までは言っていらしたわけですね。しかし、その方針を変えた理由は、さっきの御答弁にもあるように、教育的な理由じゃないんですね。臨調行革、ここから言われたから変えましたと、こういうことなわけです。この学校給食の民間委託ということがやはり教育の一環である給食を取り崩していくものだということを私は指摘せずにはおられません。 文部大臣に伺いますが、今まで論議を聞いていらして、答えていただけると思いますが、学校給食は敗戦直後スタートして、その当時は無償だったかもしれませんが、非常に大きな役割を果たしてきたと思うんですね。国民の食生活の改善やら体力の向上やら、そういう点ではもうその効果は否定できないと思うんです。今子供たちの状態はどうかと考えますと、物が豊かになったと言われますけれども、子供たちは親の生活状態によってかなり格差のある食生活をしている実情があります。昔はなかった高血圧、糖尿病、こういう成人病も子供たちの中にふえ続けているという数字も報告されています。正しい栄養の知識、食生活、そういうものを子供たちに、まさに教育の一環として与えて教育していく必要が今あるんだというふうに思うわけですね。そういうときに文部省は臨調行革のもとで、これが子供の心や体に責任を負うべき文部省のやることなのかと思われるような通達をお出しになった、それが去年の通達だと思うんです。 知育偏重ということが言われて、徳育、知育、体育と、こういうことが強調されておりますけれども、私は、健康教育、健康な子供を育てるということが教育の中で非常に大きな役割を果たすんじゃないかと思うんですけれども、その最も大切な子供の体を豊かに育てる、食生活をきちんと身につけさせる、これをこういうことで切り捨てになるような給食の合理化というものはやってはいけないんじゃないか、こういうふうに思いますけれども、もう時間がないものですから、その点について大臣のお考えを伺いたいと思うんです。
○国務大臣(海部俊樹君) 給食の果たしてきました役割は、私も先生と同じように評価をいたしております。同時にまた、時代の進歩とともにその役割もだんだん変わってきつつあると思います。私も給食を一緒に食べに行きまして、お米の給食がいいと言う子供に、なぜいいのと言ったら、朝もパン、昼もパンでは腹が減ると、こういう答えをもらいました。中には、朝御飯抜きで来るという子供もおりました。これは御家庭の協力もいただきながら、学校給食ではやっぱり児童生徒に、物ができるときの感謝の気持ちとか、栄養士の皆さんが栄養のバランスをつけてくださったその御苦労や、これにはどういう栄養があるんだということなんかも身につけながら、しかも先生と一緒に同じものを食べて成長していくという大事な効果があると思います。 そういうことを踏まえていくんですから、文部省の通達も、質を落とさないように、いろいろなよそからの指摘や合理化をしろという強い要請はございましたけれども、児童生徒のためのことは最小限きちっと守りながら、給食の果たしてきた役割を踏まえてこれを守り育てていこう、こういう気持ちで通達を出しておるわけでございますから、どうぞ御理解をいただきたい、こう思います。
○吉川春子君 時間ですから、終わります。 ―――――――――――――
○委員長(林寛子君) この際、委員の異動について御報告いたします。 ただいま八百板正君及び小西博行君が委員を辞任され、その補欠として久保亘君及び関嘉彦君が選任されました。 ―――――――――――――
○関嘉彦君 きょうは文部省の予算の委嘱審査でございますので、予算に即して質問したいと思いますけれども、まず最初に、文部大臣のこの予算編成に対する基本的な方針をお伺いしたいと思っております。 と申しますのは、私は行政改革ということは賛成で、もっとどしどしやっていくべきだと思うんですけれども、どうも現在行われています行政改革を見ていますと、例えば各省一律に定員を削減するとか、あるいは予算のシーリングを設けて一律に何%減にするとか、そういったふうな改革の仕方であるように思うんですけれども、私はやはり社会情勢の変化に応じて、ある省はうんと、二割ぐらい予算を減らす、そのかわりにほかの省はもっとふやす、そういったふうに改革をしていくのが私は本当の政治家の任務じゃないかと思う。私自身は、やはり対外関係の費用であるとか文教予算はもっとふやすべきである、そのかわりにほかの省の予算を減らすべきであるというふうに考えているんです。 同じことが文部省内の予算におきましても、やはり各局一律に減らすとかなんとかというんじゃなしに、ある局の予算はうんとふやす、そのかわりに不必要な予算は削っていく、そういうのが必要ではないかと思うんですけれども、海部文部大臣の予算編成に対する基本原則と申しますか、それをお伺いしたいと思います。
○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のように、私も教育を大切に考える議員の一人といたしまして国の教育は百年の大計とも言われ、継続した努力の積み重ねが初めて成果を上げるものだと考えておりますから、個人の希望を率直に言わせていただければ、これは非常に大切に考えていただきたい。別枠というお言葉がございましたけれども、予算編成全体の中でやっぱり非常に大切な予算であるというふうに受けとめていただきたい、私はそう願っております。
○関嘉彦君 文部省内部の各予算の配分はいかがですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 政策を立てますときに、先生御承知のように、経常的経費が一〇%のシーリング、対前年一割カットというような大原則は方針として示されておりますけれども、文部省の内部におきましては、大ざっぱに言いますと、文部省全体の枠は他の政策との整合性の中で、その枠の中で伸び悩みで極めて苦しい状況にありますが、その中でも今度は文部省の内部におきまして、重要じゃない大切じゃないものはありませんけれども、特に重点を置こうというので四十人学級の問題とか私学助成の問題とか科研費の問題であるとか留学生の問題であるとか、そういうようなこと等はこのカットの枠を取っ払ってと言うとちょっと言葉が過ぎるかもしれませんけれども、お互い内部のやり繰りの努力によって折衝の過程で削減されないで対前年同様のところまでようやくこぎつけてきておる、こういう現状でありますが、さらに私学なんかの場合には、これは大蔵省の担当にもよくお話しをいたしまして、やる気のある大学に重点的に活力を与えてもらうためにはここにはひとつ一〇%の上積みを最終的にはしてもらわなければならぬというので努力もしたわけでありますけれども、そのために文部省の内部の他のところで、先生御指摘のように、従前のカット率よりももっとたくさん食い込んで縮減をした部面もあるわけでありますけれども、これはこの際、国の状況等の中で我々も耐えていかなければならないものだと、こう理解をした次第でございます。
○関嘉彦君 それじゃ、まずふやしていただきたい方を先に取り上げますけれども、今まで何回か質問に予告だけはしておきまして時間がなくてやらなかった問題ですけれども、国立大学、これは大学に限らずほかの高等学校以下でも同じかと思いますけれども、主として国立大学の非常勤講師の謝礼は一体どの程度になっておりますか。
○政府委員(西崎清久君) 国立大学の非常勤講師に関しましては、それぞれ専門の先生方が担当できない分野について、先生御案内のとおり、外部からあるいは内部からも非常勤職員としての任用を行った上で給与を出しておるわけでございます。 予算単価は、六十一年度といたしましては一時間当たりの予算単価が三千七百八十円でございます。予算総額といたしましては七十二億円ということになっておるわけでございますが、この予算単価の積算としては三千七百八十円でございますけれども、これは外部講師の方々と内部講師の方々とは若干各大学において額を異にしておりまして、配分単価としましては、予算積算単価よりも外部講師については若干高い配分単価を実施上は行っておる、こういうふうな実情にございます。
○関嘉彦君 一時間当たりの単価三千七百八十円で計算しますと、一こま一時間半の授業ですね、これを月に四回ないし五回やるとして、大体二万二千円ぐらいから二万七、八千円ぐらいの間ではないかと思うんですけれども、私はこれは世間の常識からいって非常に少ないんではないが。我々、非常勤講師というのを非常に勤める講師だと言っているんですけれども、いわば犠牲的に働いているのが非常勤講師じゃないか。 私、今から十年ほど前に都立大学をやめて浪人しているときに、二、三の私立大学に行ったんですけれども、大体私立大学は国立大学の非常勤講師に右へならえして決めております。私は名誉教授というので特別に優遇してもらったんですけれども、そのときに一月の謝礼が大体二万円でした。たしか、二万円と言ったらそれは一回ですかと聞かれて、いや一月ですよと言ったことがあるんです。その当時、私の娘が大学生で家庭教師しておりましたけれども、とにかく一時間半ぐらい外に行って教えて私とほぼ同額、しかも向こうのほうは食事つきなんです。非常勤講師は食事は全然出ないんですけれども。私の娘の労働の単価よりも私の労働の単価の方が安いんだというので、いささかがっかりしたことがあるんです。 もちろん非常勤講師の中には、例えば会社の社長さんとか、あるいはお役人でも局長なんかの人で、いわば社会奉仕のためにやっておられる人もあるわけで、決して報酬目当てでやっておられる人ばかりとは私は申しませんけれども、語学なんかの教師は非常勤講師を使っている割合が非常に多いわけですね。そうすると、必ずしも報酬の多寡によって努力が左右されるとは申しませんけれども、やっぱり余り少ないと、一回の謝礼が五、六千円だとすると、うっかりタクシーでも乗っていくと足が出るわけで、そういうのではやっぱり授業に身が入らないんじゃないか、ともするといいかげんの授業になってしまうんじゃないか、そのことを心配するわけで、これをもっと増額することが必要ではないかと思うんですけれども、大臣、いかがでしょうか。
○政府委員(西崎清久君) 大臣のお答えの前にちょっと申し上げますと、確かに先生がおっしゃいますように、私ども各大学を調べさしていただきますと、もう手当は要らないから非常勤講師の発令をぜひしてくれ、授業をしたいと、大変大学の先生方のステータスは高いものですから、そういう方もいらっしゃるわけでございます。しかし、それに便乗して私どもが手当の増額をサボってはいけませんので、多少ずつではありますが、年々アップはさせていただいております。公務員給与の改定に伴うアップ率で、例えば六十年から六十一年にかけましては五・四%のアップをしておる、こんな実情でございますが、もちろん今後ともこの点につきましては努力をいたさねばならないわけでございます。 ただ、実情で申し上げますと、例えば大学を卒業されまして七年目で常勤講師に採用されますと、その常勤講師の方は十九万二千六百円というのが俸給月額でございます。この方が毎週十時間やって、月四週でございますが、これを割り戻しますと、一時間当たりが大体四千四百四十円ぐらいになるのでございますね。これは若い常勤講師の方でございます。したがいまして、私ども今配分単価は三千七百円よりもちょっと高くと申し上げましたが、外部講師の配分単価につきましては大体四千六百円ぐらいの配分単価にいたしておるわけでございます。 そういうことも考え合わせましていろいろとやっておるわけでございますが、なおこの点につきましては先生の御指摘でもございますので、いろいろと人件費につきましては、国の財政事情非常に厳しいものでございますからなかなか難しい点はございますが、先生の御指摘は留意してまいりたいと、こういうふうに考えております。
○関嘉彦君 若い講師の場合はそういうふうに言われましたけれども、かなり年輩の講師でもそれほど多くはないわけですよね。やはりそういう点を配慮して、ことしは仕方ないんですけれども、来年度あたりから特にこの算定基準そのものを考え直していただきたいと思うんですけれども、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) よく勉強をして、研究させていただきます。
○関嘉彦君 ふやしてもらいたい方はまだたくさんあるんですけれども、今度は均衡上減らす方についても触れていきたいと思います。ふやす方は後でまた申し上げますけれども。 こういった費用というのはどんな費用でも効果がゼロという費用はないわけであって、何らかの効果があることは認めるんですけれども、役用対効果の分析においてそれほど、大して効果がないのではないかと思われる項目があるわけなんです。その一つの例として、学歴社会弊害是正のだめの啓発事業七百万円ですか、計上してありますですね。これは主としてどういうふうにお使いになる予定ですか。
○政府委員(齊藤尚夫君) 臨時教育審議会の第一次答申におきまして、学歴社会の弊害の是正は、社会慣行や人々の行動様式に深く根差している、したがって広く国民に対する啓発活動を行う必要があるという御指摘をいただいておるわけでございます。このため文部省といたしまして、特にPTAの全国組織でございます日本PTA全国協議会、それから全国高等学校PTA連合会と協議をいたしまして、その求めに応じましてこの予算の計上をいたしたわけでございます。PTAは学校と家庭をつなぐパイプでもございます。それからその構成員は、子供の進路選択に直接影響を与える教師や父母であるわけでございます。このPTAがこの問題について研究協議を行うということは、広く学歴社会の弊害の是正に向けて大変大事な課題なのではないかというふうに考えておりまして、そのことをお願いをいたした次第でございます。 先生御指摘のように、大変小さな経費でございますし、したがって事業規模も小さなものでございますが、全国組織でこのような研究協議を行うことによりまして単位PTAでもこのような研究協議が行われる、そのことが学歴社会の弊害の是正につながるというふうに考えまして、大変小さな経費でございますが、大きな効果をねらって予算要求をいたしておるわけでございます。
○関嘉彦君 私の印象を申し上げますと、臨教審あたりで学歴社会の是正ということが言われているので、文部省としても何かしなくちゃいけないというのでこういう予算をつけられたんじゃないかというふうに思うんですけれども、その苦心のほどは察しますけれども、私はやはり学歴社会を是正するのは社会全体の風潮を直していくことが先決問題で、例えば公務員試験の試験方法を改めるとか、そういうことが、ほかの民間会社の採用方針なんかも改めるでしょうし、それによって学歴社会というのは直っていくんじゃないか。PTAのお母さんたちを集めて討議しましても、建前としては学歴社会よくないということをみんな言うでしょう。しかし、PTAのお母さんたちが実は学歴社会の信奉者じゃないか。会議なんかのときには確かに建前の議論は出ますけれども、本音を変えることはなかなか難しいんじゃないか。金額はわずかですけれども、こういう金額を計上してありますと、何かこれによって学歴社会の解消のために努力しているんだということだけで安心してしまうんじゃないかと私は思いますので、こういう費用というのは余り必要でないんじゃないかというふうに私は感ずるんですけれども、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) 私は、学歴社会というものが必要以上に幅をきかせてその肩書が何にでも優先する社会はやっぱり間違いだと、こう思っておるわけであります。 そこで、文部省としましても、できるだけそれは是正をしていかなきゃならぬ。ただ、今日、先生がおっしゃいますように、社会全体の意識や雰囲気が変わっていただかないとなかなかこれを打破することはできないから、文部省がまずその小さな芽でも出そう、物を言おうという決心をしておるところでございまして、教育の目的は何だと言われれば、先ほども高桑先生からいろいろお話を承りましたが、人格の完成であり個の確立である。これが花だとするなれば一般社会ではそういう花の議論よりもむしろだんごの話をしよう。だんごとは何か。いい暮らしがしたい、いい会社へ入れば月給が高い、いい会社へ入るためには有名校へ行かなきゃならぬ。有名校へ行くにはどうするか。それが全部一般社会ではだんごとして肯定されておるものですから、学歴というものが必要以上に幅をきかせることに対して余り抵抗がない。あるいはむしろ、自分の子供だけはそういうところへすっと送り込んでおいた方が社会でいいだんごが食べられるようになるだろうという、小さなお城の中の幸せたけが支配しておるような気もいたしております。 ですから、もう一歩前進して、本当に学歴はその人が学問を身につけたということで、どこで何をどれだけ勉強してきたかということにとどまるわけで、肩書とか形式というものが必要以上に採用のときとか就職のときとか、中へ入ってからの昇進のときなんかにその人の能力と離れて幅をきかすようなことがこれが悪くしておるもとだと思いますので、微力でありますが、こういった風潮を少しでも打破していきたい、こう考えておるところであります。学歴が必要以上に幅をきかしておる社会の悪い風潮だけは何とか是正していきたいと考えて一生懸命行動しておるところでありますから、御理解をいただきたいと思います。
○関嘉彦君 まあ文部大臣としてはそうお答えにならざるを得ないだろうと思います。その気持ちはよくわかります。しかし私は、やはりこういった七百万円の費用を計上するよりも、試験制度を改めるなり、卒業の学士号を再検討するなり、それの方が学歴社会を改めるにははるかに役に立つんじゃないかということを申し上げて、次に移ります。 同じく、これも減らしたらどうかと思っているんですが、実はレクチャーでその費用の内容をお聞きする時間がなかったので、まずどういうことに使われているかということを質問いたしますけれども、「生涯スポーツ振興事業」に「学校体育施設開放事業」というのがございますですね、四億二千万円。これ一体どういうふうにお使いになる予定でございますか。
○政府委員(古村澄一君) 学校施設を住民に開放していく、運動場、体育館、プールといったものを開放していく場合には、やはり管理指導員といいますか、そういったものが必要になる。その場合の報酬というのが大きな部分でございます。
○関嘉彦君 私は、一般の社会人の体育が向上していく意味において、初めの段階においてはそういったふうな費用を国で持つ、あるいは何割かを国で持つというふうなことが必要だと思うんですけれども、かなり一般的に体育が広がってきているように思います。主婦の人たちなんかもかなり活発にそういった運動なんかに参加しているようですけれども、果たして国でこういったふうな補助金を出す必要があるのかどうか。市町村でやるんでしたら別でありますが、あるいはむしろ利用者負担を考えてもいいんじゃないかと思うんですけれども、大体これは一府県当たり、あるいは一校当たりどのくらいのことを考えておられますか。
○政府委員(古村澄一君) 今の学校開放の状況を申し上げますと、大体、小中高等学校を見まして、運動場、体育館の開放をやっております学校が七〇%、それから水泳プールの開放が四〇%ぐらいということでございます。やはり当初学校を住民に開放することについてはかなり学校側の抵抗感がございます。教育委員会としても、学校の施設が壊れるとか、あるいは学校の中へ責任の持てない人が入ってくるというふうなことで、非常な抵抗感があったのが、五十年代の初めから文部省が指導し、こういった補助金をもって奨励をしてまいりました。ということで、現在七〇%なりあるいはプールについては四〇%の開放率になっております。 ただ、今後の日本の状況を見てみますと、臨教審でも御議論いただいておるようでございますが、生涯学習社会の中でスポーツを一生涯やっていく、そういった需要というのはますますふえてくるだろうということになりますと、やはり学校施設の開放というのが一番身近にあるスポーツ施設だと思います。したがって、そういったものを積極的に提供していくことを提案されるように伺っておりますが、私たちといたしましても、こういった状況に向けて、なお奨励をしていくためには、やはり国としての予算を必要とするのではないかというふうに考えているわけでございます。
○関嘉彦君 お話をお伺いしますと、かなり普及しているように思うんですけれども、大体一枚当たりどの程度の予算を考えておられますか。
○政府委員(古村澄一君) 一校当たり金額といたしましては六万円でございます。
○関嘉彦君 私は、六万円程度のものであるならば、利用者負担として一向差し支えないんじゃないか。その程度のものであるならば、利用者も、自分でも金を出してやっているんだという考え方を持つことがやっぱり必要ではないか。何でもかんでも国におぶさり、あるいは公の団体におんぶするというのは大体スポーツマンシップに反するんじゃないかと思うんです。 これも私は必ずしも文部省予算を減らせと言っているわけではなしに、ふやすべき点は大いにふやさなくちゃいけない。そのためにはそれほど効果の上がらない、あるいは、初期の段階においては効果はあったかもしれないけれども現在においてはもうそろそろ整理してもいいんじゃないかと思われる費用があるんじゃないか。私、全部フォローしたわけではない、ちょっと目についたのだけ取り上げたわけですけれども、その点も今後の方針として検討していただきたい。大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) 地方に参りますと、これは国から補助があるんだということになりますと、それなれば我々も出してやろうとか、いろんな波及効果がありまして、必ずしも金額の多寡によらずに、いろいろな運動が広がっていくという現象なきにしもあらずでございますけれども、御指摘の点もございますので、これもさっきの問題とあわせまして、ひとつよく実情をもう一回検討をし、勉強をし直させていただきまして、所期の目的が果たされるように、このお金が生きて使われますように考えさせていただきたいと思います。
○関嘉彦君 今度は金を出す方ですけれども、大した金額じゃないと思いますけれども、各官庁それぞれ白書を発表しておりますですね。文部省が最近白書を発行されましたのは何年でございますか。
○政府委員(五十嵐耕一君) 最近のものでございますが、昭和五十五年度でございます。
○関嘉彦君 ことしは昭和六十一年ですから、かなり間隔があるように思うんですけれども、私は、文部行政がどういうことをやっているのか、そのことをやはり国民に十分PRする、そして国民の支持を得ていくということが教育行政として必要であるし、また、金の使い道なんかについても国民が十分監督できることになるんじゃないかと思うので、少なくとも二、三年に一度は白書を発行すべきじゃないかというふうに考えるんですけれども、今後もやはり五、六年に一回しか発行されないつもりですか。
○政府委員(五十嵐耕一君) 先生御指摘のとおり、文部省が行っております教育行政の動向を広く国民に知っていただくことは非常に大事なことであるというふうに考えておるわけでございます。そういうことで、文部省では昭和三十四年以来「我が国の教育水準」というタイトルでいわゆる教育白書をほぼ五年ごとに取りまとめて刊行してきたところでございます。これは、教育が長期にわたる息の長い事業であり、短期間に行政施策上の動向を見定めることにはなじまない面もございますので、学校教育の分野を中心に教育の普及度、教育内容、方法、教職員、教育費などの諸側面につきまして国際比較を交えながら考察し、我が国の教育の現状と課題を明らかにするという趣旨で、ほぼ五年ごとに先生御指摘のとおり刊行してまいったわけでございます。今申しましたようなことで、私どもといたしましては五年ぐらいが適当な期間ではないかというふうに考えておるわけでございます。 それで、ことし、昭和六十一年度が五年目であるということで、もうそろそろタームではないかという御指摘でございますが、今までも御質疑がございましたように、現在臨時教育審議会等で教育改革の論議が進められておるわけでございまして、そういう方向を見定めながら、適切な時期にこれらにかかわります政策を含めてまとめて刊行したいというふうに考えておる次第でございます。
○関嘉彦君 文部行政はほかの官庁と違う点があって、そう短期にいろいろ変わるものじゃないので、ほかの、例えば外務省なんか毎年出しております、防衛庁も毎年出しておりますけれども、必ずしも毎年出す必要はないのじゃないかと思うんですが、五年という期間はちょっと長過ぎるように思うんです。大臣いかがですか。
○国務大臣(海部俊樹君) 今お話を聞いておって私がふと思いましたことは、教育白書というのは確かに五年に一遍ずつでございますけれども、私どもが日ごろ教育はどんな状況になっておるのかなというような疑問を持ったときに、それにこたえるような、例えば学校基本調査であるとか、あるいは文部統計の要覧であるとか、父母の教育費の負担がどう変わっておるかとか、あるいは国際比較をして教育の指標はどう変わっておるかというような問題につきましては毎年毎年それぞれ発表しておるわけでございまして、白書としてまとまっては出ておりませんが、白書の中の重要な部分については、また必要と思われる部分については、毎年文部省もお出しをしておるということでございます。 なお、御指摘のように、五年が長過ぎるのではないかということに関しましては、しからば四年がいいか、三年がいいか、これもまたきょうの宿題として私山身がちょっと勉強をさせていただこうと、こう思います。
○関嘉彦君 その場合に、ちょっとお願いしておきたいんですけれども、私は、各官庁で出している白書を調べておりまして、国名、地名の表記の方法がまことにばらばらであります。前回申しました例えば「ヴェトナム」ですね、あるいは「ベトナム」としたり、「ヴァテイカン」を「バチカン」としたり、人名で言うと、「シュヴァイツアー」を「シュバイツァー」としたり、ほかの官庁には出てこないんですけれども、教科書のときに言いましたけれども、「ヴォルテール」を「ボルテール」と書いたり、やはり私は外務省の白書の使い方が一番正確じゃないか。少なくとも原音に近い発言をしているように思います。もちろん外国語を正確にあらわすことは不可能ですけれども、特に文部省の場合はそのことを注意して、固有名詞の仮名表記の場合注意していただきたいと思いますけれども、どうでしょうか。
○国務大臣(海部俊樹君) それはできるだけ正確に近いものに近づけていく努力をするのがいいに決まっておりますから、教科書での扱いと外務省の文書との扱いと、同じ日本の公的な文書の扱いにずれがあるというのもこれは好ましいことではございませんから、それぞれの立場でよく連絡をとり、扱いが統一されていくように努力をさせていただきたいと思います。
○関嘉彦君 終わります。
○委員長(林寛子君) これをもって昭和六十一年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管についての委嘱審査は終了いたしました。 なお、委嘱審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(林寛子君) 御異議ないと認め、さよう決定したします。 本日はこれにて散会いたします。 午後五時二分散会 ―――――・―――――