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104回国会参議院1986/03/20

文教委員会 第2号

発言数
238
登壇者
21
会派数
6
開催日
1986/03/20

会議録

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員の異動について御報告いたします。  昨十九日、小西博行君が委員を辞任され、その補欠として関嘉彦君が選任されました。     ―――――――――――――

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。  臨時教育審議会における審議状況に関する件及びいじめ問題等に関する件について、それぞれ参考人の出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 御異議ないと認めます。  なお、日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。

本岡昭次日本社会党

○本岡昭次君 文部大臣の所信の中身について、若干の質問をさしていただきます。  この所信につきまして、私は幾度となくこれを読み返しました。その中で、たくさんのお尋ねしたいことがあります。しかし、時間の関係がございますので、その中の二点だけに絞ってお伺いをしておきます。  まず第一は、具体的な課題のトップに掲げられております児童生徒のいじめの問題でいございます。かなりのスペースを使ってここに大臣の所信として書かれてございます。しかし、いま少し私たちの心にじんとしみわたるような、あるいはまた、なるほどそうかとうなずくようなものがなくて、非常に抽象的な言葉の羅列になっているのではないかと思うのであります。もちろん文章でありますから、こういう表現しかできないんじゃないかと思いますけれども、この児童生徒のいじめの問題について、この文章では書けない、文部大臣の、ひとつこういうことをやってやらなければならないだろうという、子供に対する具体的な文部大臣としての施策、そうしたものをいま少し加えていただかないと、これをもし国民が読んだ段階では、文部省に対する期待というものがあるだけに、ちょっと期待外れということになってしまうんじゃないかと考えます。ひとつ海部文部大臣の、いじめ問題をこのようにして変えていく、なくしていきたいんだということについて、述べていただきたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 私は、今の学校の中におけるいじめの問題がだんだんエスカレートしてきて、新聞報道なんかでも極めて象徴的なケースが繰り返し繰り返し報道されております。このことを見ましたときにまず感じますことは、国に平和がなければ、文化の創造も科学の振興も質の高い社会生活もないように、学校の中で一人一人の児童生徒の個性をうんと伸ばしてあげようと思っても、学校の中に学校の平穏がなかったならばそういったことは不可能なわけでありますから、ですから、いろいろ児童生徒のためを思うならば、まず第一に学校の状況を平静にしなきゃならぬ。それで、この「初等中等教育の改善充実」のところに、最初にいじめの問題を取り上げたわけでございます。  どうしたらいいかということでありますけれども、これはやっぱり、ケース・バイ・ケースという言葉が当たるかどうか知りませんが、いじめがどこでどのように行われておるのかということを、的確な把握がまだ十分に行われていないのではないかという疑いを私は持っておるわけで、これは人生最初に出会う教師はお父様でありお母様ですから、やっぱり御家庭で、子供との日常の接触の中で何か変わったことがあるなとお気づき願わなければならぬし、けれども起こる場所は主としてほとんどが学校でありますから、やっぱり学校の先生にも手を差し伸べ、行き届いた指導をしていただけたらこのいじめはなくなると思うわけです。  前任の松永文部大臣も、こういったことに心を痛めて、何回か文部大臣としての談話を発表したり、あるいは教育委員会を指導したり、いろいろなことをやられたし、現場の教職員の皆さんもそのことには気づいてまじめにお取り組み願っておることが多かろうと私は思いますが、あえて、にもかかわらずと申しますけれども、私が就任して以来一カ月ちょっとの間で、あの中野区の富士見中学校の例を初め、後を絶たないということは、一体我々のそういう願いや努力や談話というものはどこでどのように受けとめられて、どのようにそれが下へ浸透していったんだろうかという気持ちもいたしますので、今ここでもう一回、すべての教職員の方々とすべてのお父さんお母さんが、もう一回我が事としてこの問題を取り上げてぜひ取り組んでいただきたい。これがやっぱり第一に必要な教育改革の入り口である。これは私はあえて臨教審の御審議なんか願うまでもなく、教育を大切に考えるこの文教委員会の皆様方やあるいは学校の教職員の皆さん方が、これはまず自分の責任、自分の問題として受けとめて片づけなければならぬことだと、このように受けとめ、このような気持ちで今後も取り組んでまいりたい、こう思っております。

本岡昭次日本社会党

○本岡昭次君 今おっしゃるように、学校自身がいじめの実態を正確に把握していないんではないかという問題、私もそういう事実があると思います。したがって、私の住んでいます兵庫県においても、あるいはまた神戸市においても、それぞれの教職員が、また教育委員会が、あらゆる教育に関係する組織が、いじめの実態の把握を今一生懸命にやって、そして今さらながらに自分たちの知らなかったこと、気づかなかったことの恐ろしさを皆痛感をしておるわけでありまして、これからそれに対して具体的な手を差し伸べていこうというスタートについたと、私はこう見ております。だから、かなり学校の現場は、いじめ問題についてこれをなくしていくための手だてがそれぞれの地域地域で起こっていくんではないか、そういう期待を私も持つようになりました。今までは、起こってみて初めてそんなことがということがあったのでありますが、やっぱりアンケート調査をしますと、かなりそういうものが潜在的にあるということを皆が認識したようであります。  そこで私は、文部省として。とにかく学校の先生、あるいはまたお父さんお母さん、地域の皆さん、頑張ってくださいよという、そこのところは、基本的な問題としていいと思うんです。しかし、やはり文部省としても施策の上で具体的な問題を出していかなければならぬと思うんです。私は一月三十一日の代表質問の際にも、例えば学校五日制というふうなテーマですね、こういうふうなものを大胆に掲げて、そして、とにかく今の子供たちの置かれている厳しい競争関係とか、あるいは社会全体が管理社会化している中で置かれている。解放感というようなものがなかなか味わえない学校、心情的には学校が楽しくないという部分が非常にふえているという事柄に関して、学校自身を楽しくしていくということは基本にあるわけでありますが、しかし、学校そのものに子供が通うその日を、従来のまま月火水、木金土と行かなければならないかどうか。社会全体が週休二日制に進み、そしてお互いに余暇を善用して、そして、より人間らしい生活をその中で組み立てていこうじゃないか。また、余暇そのものが内需を喚起するというふうな論点もあり、あるいはまた、働き過ぎであるという問題からのテーマもあり、私は、子供のいじめという周辺の状況を見るときに、やはり土日、この二日間を子供を学校から解放させて、そして、やっぱり官庁も銀行もすべてそういうようなところも週休二日制にして、一週間のうちの二日間は子供が家族と一緒になって、そして親子という関係がともすればきずなが薄くなっている現状を修復し、そしてまた、崩壊しつつある子供社会というものをそこにもう一度つくり上げてやるやはり地域の努力、そうしたものを、私は学校五日制、そして社会全体は週休二日というようなものをもっと強力に推進していって、いじめというふうな問題に象徴される、子供の中で起こっている教育の荒廃状況というものを解決してやるべきではないか、こう思うのであります。  特に学校五日制という問題になれば、学校の教員もその間学校から解放され、また、そこで新しいエネルギー、あるいはまた地域社会の中で学校以外のところで子供と接し、親と接し、そしてまた新しい関係で子供たちの教育に臨むこともできると思います。学校を五日制にすれば、その二日間子供が塾へ塾へと行くようなことになれば同じことじゃないかという論議がありますが、しかしそれであるならば、塾へ塾へと行かない方法というものをどうすればいいかということを別の施策でもってそれは解決していけばいいので、私は、学校五日制、そしてその裏返しにある社会全体が週休二日制に完全に移行していくというこのことは、今の社会の仕組みそのものを非常に緩和させ、緊張関係をなだらかなものにしていくために非常に効果的なものがある、こう考えておるのでありますが、文部省としても、もっと大胆に学校五日制という問題を提起すべきときが、子供たちの心身の健全なる発達という問題を見たときも、非常に重要なテーマを持っているのではないかと考えます。  どうですか、海部文部大臣。大胆にひとつ推進されてはいかがでありますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) ただいま具体的にお示しのあった学校五日制という問題からまずお答えさせていただきます。  今、学校の授業というものが、児童生徒を中心として六日制で現実に組まれておるわけでありますので、直ちに今五日制をここでいいとか悪いとか、私の立場で議論は非常にしにくい状況でありますけれども、おっしゃるように、社会一般の週休二日制の普及というものはございますし、同時にまた学校で、教育水準を低下させないことを基本としつつ、授業というのはどうあるべきか、このことについては、確かに検討すべき一つの問題だと思いますので、教育課程審議会等で今いろんな角度の議論をしていただいております。社会全体の流れの中で、どのようにして教育水準を落とさないように五日制ができるかということは、授業の面から今御議論願っておるというふうに御理解をいただきたいと思います。  ただ、ここでちょっと私の率直な気持ちを御質問に答える形で言わしていただきますが、じゃ、児童生徒が週二日完全に暇になったときに、むしろ今の社会の状況は、お父様お母様と児童生徒がその二日間を心を豊かにするために完全に使えるのだろうかどうだろうかという、これは私個人の素朴な疑問でありますし、また、ドイツの青少年育成ゴールデン計画というのを私がずっと視察してきましたときに、向こうのおもしろい発想は、青少年が非行に走るのはどうも休日の時間の利用方法を大人社会がうまく健全に導いてあげないから、ほっておくと非行に走ることが多いんだ。大人社会の責任として、余暇をどのようにして健全にリードしてあげるかということが大事な政策だというので、野外活動の施設をつくったり、学校の先生や社会教育の指導者が、余暇活用政策というような政策を一生懸命おやりになっておったという現状等も見ております。  今先生御指摘になったいじめとの関係で、心を豊かにして、結果としていじめをなくするためにという大前提がつくとしますならば、私はむしろやっぱり体ごとぶつかり合って汗を流していろいろな生活体験をする機会というのが、どうもこのごろ、特に中学校の現場では少ないのではないだろうか。ゆとりの時間というようなものの活用方法なんかも考えて、もうちょっと学校の場で、先生や同世代年齢がぶつかり合って、昔家庭で経験したような兄弟同士の相撲とか、まあ兄弟げんかというのは余りいい言葉じゃないかもしれませんが、そういう切磋琢磨の場というようなものも、やっぱり生活体験の中でうんと、むしろカリキュラムの中へ組み込んで、結果としてエネルギーとか時間というものが健全な方に導かれるようにしてあげることも必要だなと私は思っておりますので、今教育課程審議会で授業の五日制の教育課程のことは御議論願っておりますけれども、学問以外に、心を健全なものにする、あるいはもっと言えば正義感を世の中にみなぎらせるとか、ルールを守った人間関係が大切だというようなことを身につけるような教科の充実ということも極めて大切だなと思っておりますので、この問題につきましては、教育課程審議会の御議論の結果等も踏まえて、研究、勉強を続けさせていただきたい、このように思います。

本岡昭次日本社会党

○本岡昭次君 私は、今文部大臣のお話を聞いておりまして、やはり学校五日制というものはかなり重要だと、逆に思うようになりました。というのは、やっぱり教育問題というのは、学校とか教育そのものの中だけに閉じこもるんじゃなくて、もっと社会全体に対していろいろな影響力を与えていくものであってほしいと思うんですね。  だから今も、学校を五日制にしたら子供は二日間どうするんだという問題のテーマができるわけです。そうすると、今の社会では子供たちをどうするかと戸惑う。しかし、戸惑うでは余りにも日本の民族、国民性のまずさというものを感じるわけですね。子供を成長、発達の過程の中で、たった二日間うまく育てる仕組みを持たないということは、私は、子育ての面において決定的な弱点だと、こう思うんです。だから、例えば学校が将来四日制になっても、三日間子供たちが、まさに今おっしゃっているように、泥んこになって心身の健全な発達というものをそこでつくり上げていく、そういう社会を我々はつくっていくべきで、ないからだめだというんでは、やはり何が一体進歩なのかということを思うのであります。だから、やっぱり学校の五日制というようなものは、いろんな意味で社会に大きな影響を及ぼし、そしてそれはある意味では、日本そのものがこれからつくっていかなきゃならない教育とか文化面での豊かさというものをやはりつくり上げていく大きな力になるんじゃないかと、私はこう思います。  そういう意味で、おっしゃるように、今にわかにそれをやるということについての社会全体の仕組みがないということはよく知っております。しかしながら、あえてそうした問題も提起しながら、子供たちの問題を親や地域社会がもっともっと関心を持つようにしなければならぬということで、ぜひとももっと重大視していただきたいと思います。というのは、私たちの同世代の親とよく私は話すんですが、みんなが一番困っているのは、子供と話をしようとしても、話をしても子供は受けつけてくれない。子供は親に対して何も言ってくれない。だから、言わない、知らないということで、子供と親との関係、特に父親との関係がどんどんどんどん疎遠になっていくんですね。僕は、そこのところは、文部大臣もおっしゃったように、学校教育との関係で、学校では解決できない重要な問題をそこで構成していると思うんです。だから、とにかく親、特に父親ですね。父親と子供とが、とにかく健全な親子関係というもの、そして会話、対話、話し合い。悩み、苦しみというものを子供が親に、また親が子供に自由に言えるような、そういう状況をまずつくってやる。その環境づくり。その意味で私は学校五日制、週休二日制というふうなものをやはり大胆に我々が追求していくべき意味がある、こう考えておるので、ひとつこれからの文部省の施策として、積極的にこれは取り入れていただきたいと思います。  それから、二点目の問題は、いじめの次に書いてあります中身であります。それは、「過熱した受験競争を緩和し、健全で伸び伸びとした中学校教育の実現に資するとともに、」と書かれてございます。ちょうど今の時期は公立の高等学校の入試が一応終わったという状況で、子供あるいは子供を持つ親が悲喜こもごもの状態にございます。そこで、高校入試選抜方法の問題について、私は結論として、今日の時代では今のような非情に選別を強めていくような形での高校入試というものはやめて、子供たちが地元の高等学校へ希望する者はみんな進学できるという、一言で言えば高校入試をもう廃止するというテーマに向かって文部省が大胆に進んでいってやらなければ、「過熱した受験競争を緩和し、」と幾らおっしゃっても、ちょうどがんが転移をしていくように、こちらを立てればあちらが立たずということで、私は基本的な解決はないと思います。幾ら推薦制をやってもやはり結果は同じこと、中学校における状況は少しも変わらない、こういうことになると思います。したがって、文部省として、とにかく希望者が全員、現在のような受験競争という大変な関門をくくらずして高等学校へ皆が進学していく状況をどうつくっていくかということについて、いま少し積極的にかかわっていただきたいということを思うのであります。  それで、その問題は議論すると果てしがないと思いますので、一つだけそのことにかかわって質問しておきます。  この間も私は参議院の本会議の代表質問で、高校の中途退学者が余りにも多過ぎるのではないかということを申し上げました。文部省の方もそれの追跡調査もしていただけるようでありますけれども、私は、高校を中途退学する自由はあっていいと思います。もう退学するんだということはあっていいと思います。しかし逆に、今度は退学した子供が再びもう一度その高校に再入学とかあるいは編入するという、そういう門も一方で開いてやるというような形での高等学校の体制というんですかね、そういうものも一方では必要ではないか。せっかく入ったけれどもそこの学校が自分に合わないからといって出てしまったら、その子供はそのままもう再び高等学校に戻れないということでは、今のように一年に十一万人もの子供が中途退学、さらにこれがふえていくとすれば、これは一体高等学校とは何かということを問われると思うので、やはり文部省として、中途退学するそのことはけしからぬじゃなくて、それは嫌であれば退学するという自由はあってもいいから、今度はその子供たちが再びもう一遍勉強したいというときに、その高等学校の門を再びたたいて入れるという条件をつくってやる。そういうことがあって初めて私は教育の弾力化とかあるいは硬直化を打破するとかいうふうな事柄になっていくんではないかというようなことを、中途退学が非常に多いということの中からふと思うんですが、海部文部大臣はいかがお考えになりますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 全体として、先生のおっしゃること私も理解できるわけでありますし、それから高等学校も同世代年齢の九四%近くのところまでずっと上がってきたということは、まさに希望する人の大半が入っておるのではないだろうか。このことは戦後の教育の普及の成果として私はいいことだと受けとめておりますけれども、中途退学する人の数がかなりあることもまた事実であります。  これは厳しい言い方かもしれませんけれども、進路指導のときに、君の将来は何だということをもう少しきちっとしてあげたら、途中で高等学校の必要性を認めなくなって結果として中途退学してしまうということも少なくしてあげたら、初めからその志す実技なり専門分野に入った方がその本人のためにもなろうと思いますし、また、今お話しの、現実にもうやめようと思ってやめたけれども、もう一回やろうと思って来る人の処遇はどうだという角度の御指摘がありましたが、そういったこと等についてはちょっと専門家の局長の方から答弁させますが、全体としてはなるべく希望は満たしてあげたいと思いますが、進路指導の段階なんかでももうちょっとしっかりとしたらいいのではないだろうか。両々相まって中途退学の問題は片づけていきたいな、私はこう思っております。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 例えば、一年生が終わって二年生の段階で中退したというような子供の場合に、二年生への編入というのは制度上可能であるわけでございます。したがいまして、普通高校その他の学校においてそういう希望者が本当に再度学習を続けたいということであれば、そういう道は制度上可能であります。  もう一つは、単位制高校の構想が臨教審の一次答申で出されておりまして、そういう単位制高校というのはもう少し幅広い、生涯にわたった教育の機会を保障していくという構想でございますから、その内容が実現していきますと、より幅広い活用ができるというふうに理解しているわけでございます。

本岡昭次日本社会党

○本岡昭次君 それでは局長に、ちょっと今のに関連したことで質問します。  制度上可能だ、中途退学した子供が再度高等学校に編入していく――どうですか、今まで、そういう中途退学した子供たちが再度高等学校に復帰をしたいというふうな希望があるときに、それを高等学校が迎え入れた、そういうことができたというケースというのは数多くございますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 実は、そういう問題がございますので、来年度中退者の実態調査をして追跡してみたいと思います。中退者が再度そういう希望を持ってどういうふうになったかというようなことを含めての調査をしていきますので、そこでデータを明らかにできると思います。今の段階ではどの程度の数字であるかということは把握しておりません。

本岡昭次日本社会党

○本岡昭次君 最近では、中退どころか、いわゆるいじめとかあるいはまた勉強がおもしろくないとか、いろんな関係で中学校の段階で長期にわたるいわゆる登校拒否というふうな形になりまして、そして中学の卒業すらままならぬというふうな実態もあっちこっちにあるようですし、学校での勉強していく状況というのが、中学は三年、高校は三年というふうに一つの枠に区切って、そしてとにかく三年間たったら上へ押し上げていくんだということだけでは済まない大変複雑な個別化された状態というものがあるので、やっぱり文部行政というものも、そうしたことに対応できるものをやっていかなきゃいかぬのじゃないか、こう思うんですね。だから、今おっしゃったように、ここ何年かの高等学校の中途退学者の実態問題、そして、その子供たちが一体どうなっていったのかということは、これは徹底的に調べていただかなければならぬと思います。かなりこれはずっとふえていく傾向にあります。  さらに、中学校の段階で登校拒否というのか、学校へ行くのが嫌になってしまって、そして日数が足らないからというふうなことで卒業証書も出せないというふうな形で、何かわけのわからぬような形のまま、やみからやみという表現は適切でないかもしれませんが、何かこのまま切れてしまう。そして今度は夜間中学というところにお世話にならなきゃならぬというふうなこともあり、今の教育の具体的な現場の中では、現在の制度の中では解決できない問題もかなり出てきているようなので、そうしたことが私の見るところでは全部高校に対する受験競争、受験制度の中から起こっているという、この原因が非常に多いのであります。  そういうことで、特に高等学校の入学者選抜方法の問題の改善、それから中途退学者の今後の対応の仕方ということについて文部省の積極的な対応をお願いをいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 最初に、きのうですか、臨教審が大蔵省の意見を求められたと報道されておりますが、その中で、大蔵省は、教育改革に対する財政上の制約について、かなり厳しい意見を主張した、こういうことのようであります。このことについて、今教育改革の当面の責任者であります文部大臣はどのようにお考えになっておりますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 昨日、どのようなやりとりが行われたかは、現場におりませんでしたので臨教審の事務局から答弁させますが、全体として私は、教育改革をしますときに、いろいろな柱が出てきて、同時にまた、答申で示されたものは政府も最大限に尊重をして施策を進めていこう、こういう基本的な構えておりますと、どうしても教育改革を行うには予算的な裏づけの必要な面が出てくると思います。そういったときには、「審議経過の概要」にも示されておりますように、国政全体との絡みはありますけれども、必要な財政措置は講じられなければならない、こう思っておりますし、そのような気持ちを持ってこれからも対処していきたいと考えております。

齋藤諦淳総理府臨時教育審議会事務局次長

○政府委員(齋藤諦淳君) 昨日朝、運営委員会懇談会におきまして大蔵省等のヒアリングがあったわけでありますけれども、大蔵省の説明につきましては、財政の現状と展望と申しますか、日本の国債依存度は非常に高いという問題でありますとか、あるいはそういう意味で前年度マイナスシーリング等を行わなければならないという、そういう状況の説明がございました。なお、教育改革に要する経費についても考えなければならないけれども、スクラップ・アンド・ビルドの考え方というようなものも、そういう意味での既存政策の見直しについても検討していただけないであろうかというような話もあったわけでございます。  そういうようなことで、臨教審としては、これは淡々と聞かしていただいたという、こういう状況でございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 臨教審は、これから教育改革に関するいろいろな意見を取りまとめられる中で、大蔵省のスクラップ・アンド・ビルドの考え方を淡々と聞かしていただいておってはいかぬのじゃないですか。臨教審の設置法にも明確に、教育改革に関する臨教審の答申は尊重するとなっているんですから、当然、具体的な提案がなされて国民がこれを支持するならば、そのことについて、政府はこれを財政的にも裏づけて実行する責任がありはしませんか。それを、大蔵省から国の財政が厳しいんだから金のかかるようなことはやってくれるな、金がかかるんならどこかほかのところを節約してくれ、こういうことを言われて、臨教審が淡々とお聞きになって、そういうことに対してごもっともというようなことでは大変困るんでありますが。

齋藤諦淳総理府臨時教育審議会事務局次長

○政府委員(齋藤諦淳君) 昨日のヒアリングは、あくまでもヒアリングということで、議論をする場でないというような立場で運営委員会で聞かれたようでございました。そういう意味では、そういう実態的な資料なりあるいは考え方をもとにして、今度は臨教審が独自にどういうように考えるかということは、これは臨教審の運営委員会なりあるいは総会の場で議論されるところである、こういうように見ておる次第でございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 私たちも臨教審に対して何度がこの委員会でも意見も申し上げまして、最近やっと教育改革に関しての財政上の問題まで臨教審は議論をされるように、なったと聞いておるのであります。そういうときに、大蔵省、財政当局から一方的にそういう制約を加えるような意見を聞いて、これに対して臨教審が意見なしというのはどうもぐあいが悪い。やはりさっき文部大臣が述べられましたような立場をもっと明確に強調して、教育改革に必要な財政措置は優先的に行われなければならぬ、そうでなければ教育改革に対して責任が持てないというぐらいのことは主張しておかれなければいかぬのではないかと思うんですが、大臣、いかがですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先ほども申し上げましたように、教育改革に財政措置が伴わなければならないときには、ぜひそれは考えてほしい。文部省といたしましても、大蔵省に物を言われておるだけじゃございませんで、最近の予算の仕組み、先生ももう十分御理解願っておると思いますが、人件費の占める割合が随分ふえてきて、文部省の政策予算の占めるシェアというものがだんだん厳しくなってきておることも御承知のとおりでございます。文教政策は聖域とは申しませんけれども、学問、教育というのは不断の努力の積み重ねが必要であると私は考えておりますし、また、国家百年の大計としての教育改革でございますから、これの必要な財源措置についてはどうか何らかの特別な配慮もしてほしいという気持ちを、私は至るところで常にお願いもし続けておりますが、来年度予算編成に当たっても、そういった気持ちで努力をしてみたいと思っております。決して黙って淡々と話を聞いておるだけじゃございません。よろしくお願い、いたします。

久保亘日本社会党

○久保亘君 頑張ってください。  次に、大臣の所信表明の中でも、教育改革の当面する最も重要な課題として既に具体的に取り組んでおるものということで、大学入試制度の改革が取り上げられております。この大学入試制度の改革についてお尋ねをしたいと思うのでありますが、この問題については予算委員会でも粕谷議員が取り上げられたのですが、この問題は非常にわかりにくくなっておるのであります。  私が最初にお聞きしたいのは、文部省の入試改革協議会というんですか、この協議会は臨教審の答申を受けて検討が進められているのかどうかということがまず第一の質問であります。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 御指摘のように、第一次答申の中で大学入学者の選抜制度についていろいろな具体的な指示があって、こういったことを考えなさいという答申が出ておりますので、それを受けまして、昨年文部省の中に改革協議会というものをつくりまして、その改革協議会が、第一次答申で指摘された問題を中心テーマとしながら、どのようにしてよりよい入学試験制度ができるだろうかということを今協議願っておる最中である、このように受けとめております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 最終的に大学の入試制度の改革を決定するのはだれですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 大学の入学試験というのは、これは最終的に大学の決定する問題であると私は思っておりますが、全体として法律が必要なときとか、あるいは国会の御議論の中で、こういった国立大学の共同利用機関をつくって、そこで入試センターができて、そしてお手伝いをしていくとかいうようなときには、これは国会の御意思で御決定をいただき、行っていく、こういうふうに理解しております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 それでは、臨教審が改革を答申いたしました共通一次についてですが、大学入試の共通一次試験というのは、臨教審の答申では否定されたのでしょうか、それとも共通一次という試験制度の中での改革を求められたのでしょうか。この点については、中曽根総理大臣は明確に、共通一次の廃止を答申されたものであると私は考えておる、こういうふうなことを国民に向かって述べられておりますが、これは文部省の入試改革協議会はどういう前提に立ってやられておるんでしょうか。答申を受けてと言われたから、答申は、共通一次を否定したのか、あるいは共通一次を改革しろと言ったのか、それはどういうふうにお考えでしょう。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 第一次答申の中にあります文言は、「偏差値偏重の受験競争の弊害を是正するために、各大学はそれぞれ自由にして個性的な入学者選抜を行うよう入試改革に取り組むことを要請する。また、現行の国公立大学共通一次試験に代えて、新しく国公私立を通じて各大学が自由に利用できる「共通テスト」を創設する。」、こういうことになっております。  私どもの受けとめ方は、共通一次試験の制度は、国会の御議論をいただいて入試センターをつくり八年前にスタートさしていただきましたが、よかれと思ってやりましたことが、結果としてですけれども、やっぱりここに指摘されたように偏差値偏重の弊害を生んできた。そのことをまず臨教審では指摘されて、これを変えて新しいテストを創設しろと、このような答申を受けておりますので、少なくとも実質的に、今言われております弊害を取り除いてそして新しいテストを創設しなければならないと、こう受けとめておりますから、文部省の改革協議会におきましても、共通一次試験の持ってきたきょうまでの弊害を実質的にどうしたら除くことができるのだろうか、そして新しい大学の入学試験の制度というものはどのようにして組み合わせていったらいいのだろうかということについて、新しいテストの創設について御議論、御研究を願っておる、こう受けとめております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 そうすれば、やっぱり共通一次試験についてはこの制度を廃止すべきだという答申だと読み取っておられると考えてよいように思いますね。だから呼び名が今度は、これは仮称でありましょうが、「共通テスト」となっております。一次を抜いただけになっているわけですね。一次という二字を抜いておるわけですね。  それで、共通一次テストから共通テストに変わるということは、今度新たに創設される共通テストは大学入試の一次試験の役割をなくするもの、こういうふうに理解していいんでしょうか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) これは非常に難しい言葉の解釈の問題になるわけですけれども、私どもの理解では、おっしゃるように共通一次試験というものはなくなるわけです。そして、一次という二字を抜くだけでもないわけでありまして、ある方は私に、日本語の試験と片仮名のテストとどう違うかとおっしゃった方もありましたが、この括弧に書いてある「共通テスト」というのは、これは改革協議会の方ではまだ仮の名前、仮称として受けとめておるわけでありまして、大学がこの新しいテストというものを共通一次試験のいい成果と悪い結果、光の面と影の面に分けて、いい面はやっぱり精神として受け継いでいってもらう。共通一次試験の果たしてきた役割の中でのいい面は受け継いでいってもらうが、指摘されたよくない面は、受験生のためにも完全に排除して新しいものを使っていく、こういうことになるわけです。  そこで、先生おっしゃるように、ではこれは性格は一次試験になるのかならぬのかとおっしゃいますけれども、そのことも含めて今改革協議会が、大学の自由な利活用というところに重点を置いていろんな組みかえや姿形を御研究願っておるわけであります。偏差値による輪切りとか、大学の序列化という嫌な言葉や現実をなくしますためには、すべての受験生がこの五教科五科目を受けて、コンピューターではじかれた点数に従ってずっと並べられる、それが大学の序列化にもつながってよくないという御批判ですから、大学は、極端なことを言いますと全く使わない大学がある。あるいは全部従来どおりお使いになる大学がある。一科目だけ使われる大学がある。あるいは推薦入学のときには共通一次試験を受けなくてもよろしいとおっしゃる大学もある。あるいは受けてもその点をどれだけに評価するのか、全体の半分で評価するのか、十分の一で評価するのか、評価の仕方も全く自由です。そういういろんな利活用の方法をまさに御研究願っておるわけでありますから、利活用の方法によってこれがどのようなことになるのか、我々としてはこれも含めて総合的な判定の対象にされるだろうと思っておりますけれども、これは七月の報告を待ってみませんと、もうちょっと詰めた議論の明確なお答えは御勘弁をいただきたい、こう思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 今のお話を聞きますと、共通一次テストは輪切り、序列化の弊害を生んだ、この制度は廃して新たな共通テストをつくらなければならぬ、こういうことでこれを受けとめたと。廃止しなければならないような制度をなぜこれから二年間も続けられるのか。廃止しなければならぬ弊害を生んで、これは失敗だったという制度をなぜこれから二年間も続けなければならぬのか。新たに生まれる共通テストは全く大学側の自由に任すというようなテストならば、共通一次の弊害をそのまま持ち続ける試験制度をなぜ二年間も続けるのか。これはどういう根拠ですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 共通一次試験の問題を御議論願いますときにも、一番大きな議論になりましたのは、従来の大学の入学試験制度というものが、当時のはやり言葉で、いわゆる難問奇問と言われるような難しい問題になってきた。それがいろいろな弊害を生んできたので何とかしなければならないという要請と、それからもう一つは、論文記述式だけに頼って大学の入学試験をやっておったのが、進学率の上昇、大学入学者数が非常にふえてきたという現状から見て、非常にいろいろな弊害が出てきた。そこで、そういったもの等をもっと合理的にテストをして大学が自由に判断できる基礎的な資料を得るようにしたらどうだろうかというのでスタートされたものでありまして、共通一次試験が始まって、全部間違いであって間違いばかりだからやめてしまえというわけではなくて、昔へ戻ることがより悪いと私は思っておるんです。同時に今各大学の先生方も御熱心にこの新しいテストヘの移行について御議論願っておりますのは、なくして昔へ戻したらいいかというと、事ほどさように簡単ではない。よりよいものに前進させなければいかぬ。その成果を踏まえて、いいものは受け継ぐがよくないところは是正していこうと、こういうお考えで取り組んでいただくわけでありますので、昔に戻してしまう弊害だけはまず何としても排除しなければならぬという大前提がありますので、私どもは、先を急ぐことかもしれませんが、今度決めていただく新しいテストは、どうぞ皆さん見てください、御活用、御利用は自由ですけれども、いいから使おうこのテストということで、胸を張って使っていただけるようなものを御研究願いますと言っておるわけです。  そこで、後半の御質問ですが、それなればなぜあと二年間ほうっておくのか、この御議論は国大協の先生方にも十分ございまして、国大協の先生方は、この第一次答申の答申を得て、六十四年ごろをめどに新しいテストについていろいろな御議論は進んでおりますが、それとは別に、今の共通一次試験の弊害を何とかなくしていくような努力もしようと、こういうことでいろいろおやり願っておるのが、受験科目の減少の問題であるとか、あるいは複数受験の実現であるとか、従来最大の弊害と言われました、一次試験後における自己採点の結果受験産業が介入していろいろな偏差値輪切りというようなことが行われた。もっと高校の進路指導というものに頼るような、そして受験生のチャレンジしようという精神を生かすようなそんな制度にできるならば、こういった問題は臨教審の答申を待たずに共通一次試験の中でも解決できるものは変えて弊害は除いていこう、こういう御努力を国大協でも現在進めていただいておると我々は理解しておりますが、一歩前進二歩改革でよりよいものへ進んでおると、このように理解をいたしますので、どうぞお見守りを賜りたいと思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 そういう共通一次の改革、あるいは複数受験とか願書の提出を共通一次の前にするとか、いろいろな改革によって共通一次の持っている弊害が解消されていくという考え方に立つならば、共通一次を否定する考え方は生まれてこない。その辺は初めから矛盾に満ちた前提でやられているので、しかし六十四年度には共通一次がなくなることはもう大前提となったようでありますから、そうすると、六十四年度の共通テストと呼ばれる試験が、文部大臣のお言葉をかりれば大学側の選択の自由。一科目でもよい、やらなくてもよい、それはもう大学としては共通テストを対象にしなくてもよい。いろいろあるんですが、そうすると、そういうやり方になりますと、複数受験で、大学がそれぞれ違う。学部によっても共通テストの受けとめ方が違うということになります場合に、高校生の立場に立ってみた場合には、どういう影響が出るとお考えですか。高校生の志望校の選択とそれから高等学校における教育そのものに、そういう選択の仕方というものがどういう影響を及ぼすというのをお考えになりますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) これは高校生一人一人の将来の希望が確固としたものであるなれば、自分は将来この学校を受けたいとか、この学校のこの学科を受けたいとかいうような希望がおのずから芽生えてきておるはずでありますから、そういったところを、進路指導をしていただく先生が、この学校はこういう入学試験の制度を用意しておると。また、学科によっても、いろいろお話を聞いてみますと、受け入れられる大学の方も高校の推薦を認めたり、あるいはこの科目だけを課そうとか、いろいろなことをお考えになっておる。従来、人間の選抜のときに、一回一発のぺーパーテストでその人の大学進学が左右されるのは、もうちょっと手間暇かけて親切に選抜すべきじゃないかという御議論もありました。そこで、新しいテストを受けてもらえば、そこで基礎テスト、基礎資料というものが大学側の手に入る。同時に志望してきたその学科について適性があるかということを大学側が独自の判断で見ていただく。志した生徒の方も、ここで学ぼうというんですから、そういう二段階、三段階のいろいろな角度からの評価を受けて、幅広く、奥深く、自分の人格や自分の適性を選抜の対象にしてもらうことの方が、一回一発だけのペーパーテストにすべてをかけるよりは、より親切でより妥当な結果が出るのではなかろうかと私は思っておるんです。  そういう意味で、いろいろ大学側の方が自由に利活用されますから、メニューも変わってきます。きょう現在も既に大分大学側によって対応の仕方が違っておるわけでありますけれども、やっぱりそういったものを乗り越えて、幅広い奥深い人格のテストといったようなものになっていけば、私は非常にいいことではなかろうか、こう受けとめておるというわけであります。

久保亘日本社会党

○久保亘君 大学の同じ課程を選ぶ場合でも、大学ごとに皆そのやり方が違う、こういうことになり、そして大学の方は選択の自由だから、ことしは二科目使ったが来年は五科目にするとか、そういう自由がずっと大学側に与えられていくということになった場合には、高等学校の実際に受験する側の生徒、受験生を教育する側の高等学校の教育というのは、それはかなりな影響は受けざるを得ないでしょう。それは、今文部大臣は大変理想的な進学、人生の選び方の問題についてお話がございましたけれども、現実は、そんなにすかっとした理想的な状況にはなかなかなってこない。過激な競争が今あるわけですし、入れ物が決まっているんだから。だから、そういう中で共通テストというものがただ非常に技術的に簡単に考えられていって、これが入試制度に抜本的な改善の役割を果たすだろうと考えるならば、八年前と同じようなことを形を変えてまたやることになりはしないか、こう思うんです。  そうなってくると、私、余り中曽根さんと意見が一致することはないんでありますけれども、中曽根総理大臣が共通テストというのは受ける側の自由だ、受験する側の自由だ、そしてこれは大学入試の必須条件とはしなくてよろしいという考え方というのは、これはまた一つの見識だと思っているんですが、この点について、予算委員会では文部大臣のお答えは明確に首相の考え方とは違っておりました。私も聞かしていただきました。これはどういうふうにその後意見調整をなさいましたか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) これは制度の基本に関する大変な問題でありますから、予断と憶測でもって文部大臣が物を言うのは慎まなければならぬことだと思いますが、予算委員会の率直な御質問のときには、私は、大学側に自由な利活用をして、そしてそれぞれの個性と特性のある選抜をしてもらうんだ、こう答えました。たまたま今久保先生おっしゃるような御発言が総理大臣のお考えとしても出てまいりましたので、それは私は改革協議会の方へそのような御議論、御意見があったということもお伝えし、大学入学試験の制度の基本に立ち返ってそういった姿形があるということをいろいろな角度から御議論をください、総理大臣もそういったことも含めてもう一回研究をしてもらってくれ、こうおっしゃっておるわけでありますから、そのことは全部大学側、高校側の立場の方がお集まりになっておる協議会で今そのことも含めて御議論を願っておる最中だと受けとめております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 なかなか理解しにくい名答弁なんでしょうが、メイにもいろいろございまして……。  それで、総理大臣がおっしゃっているのは、こういう考え方もあるから、これもひとつ検討の視点にしてもらえぬかというようなことではないのであります。一次答申が出た後、中曽根さんは東京の街頭に立って、この答申は共通一次の廃止を答申されたものと私は理解しておる、だから六十二年度から共通一次は廃止します、やると言ったら必ずやります、こういう演説をされたんです。まあこれは選挙の演説だから少し割り引いてお聞きしてもいいんですが、やっぱり一国の首相が国民に向かってそういう演説をされた。その後六十二年度か六十四年度かという調整で六十三年度が出てきたり、いろいろありましたよ。文部省も火消しに大変なようだったですけれども、そういうこともございましたが、今度はそういう一次答申からの流れを受けて、共通一次の弊害を考えてこの制度を改める以上、受験生の側に自由がある、こういうふうに考えるべきだという答弁をなさったのでありますね。  それで、今国民の間にあるのは、総理大臣は受ける側の自由、文部大臣は受け入れる側の自由、こういうことで答弁をなさったという状態だけで国民は受けとめている。一体どうなるのか。これはひとつ改革協議会の方で七月までやってもらいましょう、そういうことにもなかなかいかぬのでありまして、それで改革協議会に、それじゃどちらの意見に立って検討してくれと言われたのか、こっちがいいかあっちがいいか、ひとつ検討してくれと、こういう御意見なのか、その辺はどうなっているんでしょう。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 確かに御指摘のようなやりとりを、私と総理大臣と、予算委員会であったこともこれはございましたし、先生もお聞き願ったということでありますが、私は、大学の入学試験の制度の中で共通一次試験が果たしてきた役割に、やっぱり評価すべき点と弊害を生んだ面とがあるわけですから、評価できるいい面はその成果を踏まえながらよくない点は全部改めていく。そのときに、まさに受験生の方が学校が決める試験のあり方というものに対して、それを受けるか受けないかの自由まで与えてしまうということは大学側としてどうなんだろうかという私には疑問もございましたので、あのような答弁を率直にいたしました。  けれども、改革協議会にいろいろ制度の抜本についての御議論をお願いしております以上、自分がこうだとか自分がああだとかいうことを余り予断と憶測を持って言ったり、物事をお伝えするときにこの方向に立って検討してくれなんて言うことは、これは言うべきことではないと考えておりますので、いろいろな、そういう国会の御議論やあるべき姿や大学が自由に利用、活用するその方法の中でそういったことが考えられるのかどうなのか、いろいろな御議論があったわけでありますから、そういったことを全部含めて御検討をお願いをしておるわけでありまして、そこで、その御検討の結果を踏まえて、私たちはそれに従って判断をしていきたい、こう思っておるわけであります。

久保亘日本社会党

○久保亘君 それで最初のお尋ねに返るんですが、そこのところの意見の分かれ目というのが、共通一次を共通テストに改めることによって、この共通テストというのはいろいろ大学側が入学試験をおやりになる場合の参考とはされても、大学入試の制度の一環として共通テストをつくるか、それとも、共通一次という大学入試の試験の一環としてではないものとするかという分かれ道なんですよ、総理大臣の発言と文部大臣の発言は。やっぱり一次試験という枠内でやろうとすると文部大臣の発言になるわけです。共通一次テストというのはいろいろ弊害もあったし国民の間にも反対の意見もあるから、この際共通一次は廃止しよう、しかし、入学試験をやっていく上に何か大学側にも参考となるようなもの、試験そのものではないが、そういう立場で共通テストを考えようということになると、非常に出発点が違ってくるわけです。  だから、そこのところはもう現在意見を統一してかかるべき問題であって、そこから論議をしてくれということになれば、七月に結論が出るんでしょうか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) この問題は、私どもの受けとめ方は、従来の大学の入学試験の制度を改革していかなきゃならぬというので共通一次試験の制度がスタートしたものと理解をしております。ところが、共通一次試験の制度も、何回も申し上げておりますように、弊害が目につくようになってきましたので、この弊害は除去していくことが受験生のためになると、こう判断をいたしました。そして、臨時教育審議会の第一次答申もまさにそのことを踏まえて、大学の入学者選抜を個性的に自由に各大学がそれぞれ行うように新しいテストを創設しろと、こう指摘されておるわけです。  ですから、これはどうなんでしょうか、大学によって共通テストを自由に利用、活用してください、利用、活用の方法はひとつ受験生の立場に立って十分考えてくださいということになるわけですから、どれだけ利用するのか、利用したのがどのような評価をされるのか、そういったメニューがたくさんできると思うんです。その中の一環として、共通一次試験にかえて共通テストになった場合に、例えば高校の推薦なんかで、今日でも共通一次試験を受けなくても本試験に直接臨まれるような制度というものも現実にあるわけですから――これはごく希有な例ですけれども。そういったようなこと等も改革協議会が判断して、自分の学部や自分の学科ではそういうのもあってもいいんだよというようなことを御決定なさるなれば、まさに大学の御自由な判断だと私は思います。ですから、そういうようなことを我々が余りきょうまでの固定観念に縛られたり、きょうまでの共通一次試験の光の面、影の面だけに問題を当てて考えておるよりも、やっぱりせっかくつくりました改革協議会の中で、自由な立場でもう一回各界の代表の方々に御議論を願っておくということも、より受験生のためになるのではなかろうか、こう思っております。  ただ、あくまで受けとめ方としては、共通一次試験というものにかえて共通テストを大学入学のときに大学が自由に利活用できる基礎テスト、入学試験の仕組みの中の一つとして我々受けとめておりますが、それをどのように活用されるかは大学の御自由だというふうに受けとめていただきたいと思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 そうすると、新しい共通テストの性格とか方法とかいうものは七月までには結論が出る、こういうことで理解しておけばいいですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 協議会の先生方には鋭意御努力をいただいておりますので、七月に報告をいただくという予定は変わっておりません。それまでには基本的な骨子の報告がいただける、このように思っております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 岡本会長がお見えになるそうですからまた臨教審にもお聞きしたいと思っているんですが、私は、非常に不思議に思っておりますのは、臨教審が共通一次をやめて新しいテストの制度をつくれと言われた以上、その辺の基本的な性格というのは臨教審もきちっと判断してああいうものをお出しになったんだと私は思っているんですがね。それが今臨教審の設置者の側で勝手な解釈でいろんな意見が言われておって、迷惑しているのはこれは国民の側なんです。国民の側が迷惑しているんです。  だから、臨教審も一体どういう考えであれを書いたのか。文部大臣と総理大臣はそれぞれ自由な判断をされておるが、臨教審はどう考えて新しいテストを答申したのか。その辺も、もしわかっておられればおっしゃっていただければいいですが、わかっておりませんということなら今度岡本先生にお聞きします。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 実は、あの後総理大臣にお目にかかって、時間をかけてお話をいたしました。その結果、はっきり言えますことは、第一次答申の後で総理大臣が共通一次試験というものについていろいろ街頭演説なんかなさったということでありますが、それは、弊害を全部なくしろ、こういうことでありまして、そして問題の出し方なんかも、マークシート方式はもっと人間的に考える問題にしなさい――それは一次答申にも指摘されておることでありますから鋭意全力を挙 げてやってもらいます。偏差値とか大学の序列化とか輪切りとか、ああいった嫌な言葉がなくなるようにうんと努力しろ――それもいたします。そして、現にそれができるように一生懸命協議会の方でも御議論願っておると思います。  ただ、一つだけ違うように言われましたのが、受験生の側からの自由ということでありますが、いろいろなメニューがずっと出てきたら、どの大学に行こうかなという大学の選択をする大前提の自由はあくまで受験生にあるわけでして、この県に住んでいるからこの大学に行けというようなことではありませんので、受験生が大学を受けるときに、一次試験を受けなくても、共通テストの新しいのを受けなくてもチャレンジできるような発表をしておるメニューがあったら、どうしても新テストを受けるのは嫌だというそれだけの理由の方があったら、そういうところを受けてもらったらいいんじゃないかと私は思ったんですが、それとはちょっとまた違うようでありましたので、総理は、文部大臣と考えは一緒である、髪の毛ほども違わないとおっしゃってくださったんですけれども、しかしそれらのことは、違う違わないの水かけ議論をやっているだけではいけませんので、それらの意見のあったことも全部お伝えして、全部協議会でそれらのことを踏まえて御議論を願っておるわけでありますので、その議論の結果を待ちながら、どういうようなことが現実に、試験を行われる大学の皆さんとこれを受けたいという受験生の立場と、そこの調和点がぎりぎり見出すことができるのか期待して、御議論を見守っておるというところでございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 テストの問題はまた機会がありましょうから……。  次に、臨教審が部会で、大学の一年二期制を今度の答申の中に盛り込まれるような方向で論議されたと聞いておりますが、これは、それを制度として受けとめる側の文部省として、一年二期制というのはどういう形のものになるのか。例えば、大学の入学試験も年に二度あるのか。それから、今の四年制の大学で言えば、二分の一ずついわゆる入学期制というようなものに変わるのか。入学期制で、時差で二回入ってくるという格好になるのか。その辺はこれはどういう理解をしたらいいんでしょうか。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 先般公表されました「審議経過の概要」の中に、先生御指摘のいわゆる二学期制の徹底、あるいは春秋の入学の可能性の検討というようなことが述べられておるわけでございます。  私どもの理解といたしましては、これは正式の答申が出ないと臨教審の御真意が私どもに的確にわからないわけでございますが、現行制度との関連で申しますと、まず、学期の区分につきましては、現在、二期制あるいは三期制というものが前提となった設置基準の書き方になっておるわけでございます。ただ、臨教審で強く二学期制というのを、御検討の過程で御意見が出ているというふうに承っておりますが、その御趣旨は、私どもの承知しておりますところでは、一応二期制の形態はとっておるけれども、通年授業をして、一年間かかって授業をして最後に評価をするというような形をとっているところが多いのではないか。むしろはっきり学期というものを明確に区分をして、その学期の中で組織的、集中的な教育をかっちりやって、評価もその学期末にちゃんとやるということにする方が大学教育上さらに効果的ではないかという御議論が一つあろうかと思います。また、その学期の区分が明確になるということとも関連をいたしまして、その学期区分が明確になるのであれば秋からの入学。これも、現在特例措置で学期の区分に従った学年途中の入学というのは規則で認められておるわけでございますけれども、そういう学期の区分が明確になることによって、学期のいわば区切り目である秋学期と申しますか、そのスタートの時点に入学を認め得る可能性をさらに広げていいのではないかというような御指摘が一つは考えられると思っております。ただ、それをさらに発展をさせますと、学年自体、四月学年スタートということ、あるいは場合によっては九月学年スタートというようなことと両面あってもいいではないかというようなことまでお考えかどうかというのは、これからの答申を拝見してから判断をいたしたいと思っております。  ただ、先生のお尋ねに関連をいたしますと、同一の大学が一般的な形で一般の学生を年二回入学させるというようなことは、少なくとも一般的な形として想定をされておるのではないというふうに理解をいたしておるところでございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 そうすると、これは将来九月入学制度に移していくための一つの手がかりと考えられますね。そういうことになりますか。同じ大学が四月にも九月にも新入生を受け入れるということは一般的にはない、こういうわけだ、二学期制をとっても。そうすると、大学によって四月から始まる大学、九月から始まる大学ということはあり得る。そうすると、やがてそれはまた統一されていって九月になると、こういうことが想定されているんでしょうかね。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 私ども、今の段階では推測でしか物を申せないわけでございますが、先ほどちょっと言葉が足りませんでしたが、一般的に、二回入学というのは恐らく非常に困難であろうと申し上げたんですが、現在の運用を申し上げますと、例えば九月の段階で、帰国子女でございますとか留学生ですとか、その他特別の必要性に応じました定員の入学枠というのを設けまして、そこで正式に入学を、簡単なテストもし、認めておるという大学が既に出ておりますので、そういう意味では特別の必要に応じまして――四月に一般的な入試をして入学許可をし、さらに九月にある特定の目的、必要性に応じた入学を認めるというような、そういう大学がふえてくるということも当然あり得る形だろうとは思っております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 もう余り時間がありませんから、この入試問題の最後に、本来大学の入試というのは、国公立の大学といえども大学そのものにある、こういうことでございます。まして私学の場合には、私学の特性ある入学試験というものをやってきたんだと思うのでありますが、今度立教大学でありました問題について文部省が事情聴取を行われたということが報道されておりますが、あの問題で、一体何の用があって文部省が私学の入学試験に関する問題で調査を行われたのか、随分私どもにはわかりにくい問題でもありますから、御説明いただきたいと思います。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 立教大学の、高等学校からのいわゆる推薦入学に関しまして、先日新聞報道がかなり大きい形でなされましたので、私どもといたしまして、どういうような御事情であるかという一種の確認を、私どもとしても事実関係を承知しておきたいという気持ちで、電話で一応のお尋ねはいたしました。しかし、事柄といたしまして、先生おっしゃいますように入試自体が不当なものであったということではないようでございますし、基本的に学内問題であるという認識をいたしておりますので、現時点で、特にそういう調査を今後するというようなことは考えておらないわけでございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 これは私学の自主的に御解決になる問題なんでしょうが、せっかく調査をされたなら、高等学校の生徒が当然卒業すべき者が留年をするということは、これは公立の場合にはどう思われますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 公立の場合に、必要な単位を修得しておれば卒業させるというのが通例であろうと思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 そうすると、私立の高等学校の場合にはそれはそれぞれの学校の教育的指導の上で御自由である、こういうことで理解しておけばよろしゅうございますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 私立の場合には、最終的には校長が卒業終了の認定をする権限があるわけですが、そこでその高等学校における必要な全部の修得をしているかいないかという認定の問題にかかわると思うんです。したがいまして、留年する子供については、まだ全課程の修了をしてい ないという認定をすれば、留年ということはあり得ると思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 この問題は、私また機会を見て、物の考え方の問題、当該の学校のやり方どうこういう問題じゃなくて、これは公立の場合どうなるかという問題で少し議論をしたいことがございますが、また改めてやります。  最後に、先ほど本岡さんがお聞きになったいじめの問題について少しお尋ねしようと思っておりましたが、また次回に譲りますので、私最後に一つだけ、教科書検定をめぐる昨日の二審判決について、判決の評価ではなくて、この判決を受けて教科書行政に散り組む文部大臣のお考えを承っておきたいと思います。  なお、この教育権にかかわる司法の判断では、この二審判決だけでなく、他に一審、二審の判決もあり、また同様な教育権をめぐる論争に対して最高裁大法廷の示したあの判決もございます。こういうものを含めて教科書問題に取り組まれる文部省のお考えを承っておきたいのであります。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 教科書検定の制度というのは、きのうの判決にも出ておりましたように、全国的な一定水準の維持のために教育の特質を配慮しつつ、必要かつ合理的と認められる介入をしていい一いいという言い方はあれですが、これも憲法違反ではないということになっておりまして、やっぱり全国的に一律な内容を指示し、より公正な、より適正な教科書を児童生徒に与えていくという制度そのものは憲法違反ではないという御指摘ももらったわけでありますから、これからもより適切な、一層公正な教科書が世に出ていくように努めてまいりたい、これが基本でございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 これは最終の判決ではないのでありまして、この判決を盾にとって、他に教育権をめぐっての判決が幾つもありますが、そういうものは都合が悪いのでということで口を閉じて、そしてこの判決だけを盾にとって、憲法の精神、教育基本法の精神を生かす教育行政ということでなくて憲法に違反するかどうかという側での判断でもって文部省の行政権限を強化をして振り回す、こういうことは私は誤りであろうと思うのです。だからそういう点で、最高裁の示しております判断等にも、国の教育権や内容に関する介入などはやはり抑制していくということが基本になければなぬということであって、一つの控訴審、二審の判決を盾にとって、文部省がかつて国民的に問題とされたような、教科書の検閲と言われる批判を受けるような行政をこの判決を盾にとっておやりになるということならばこれは私は大変な問題だと思うのです。そういう点について私は大臣にお聞きしたかったのです。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 教科書検定の制度、仕組みの中で教科書検定の行政を進めていくという基本はこれは何ら変わるものではございませんし、また、御指摘のように、きのうの判決は高等裁判所の判決でございまして、まだ最高裁判所でどういう御判断が示されるかはわかりませんけれども、私どもは今日まで同様に、全国的に一律な水準を保っていく、公正ないい教科書が出ていくようにという態度は、きのうの判決が出たからより一層どうとかこうとかいうような態度変更をしたり、それをそのような方向に持っていこうというようなつもりは全くございません。教育基本法に従って、その他の教科書検定の諸法規に従って、従前同様の態度でやっていきたい、こう思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 先ほど久保委員が質問をされましたけれども、臨教審に大蔵省が教育改革の支出を抑えてくれるようにという意見書を出された、それに対する文部大臣の姿勢はわかりましたので、私はこの質問についてはやめたいと思うのですが、大蔵省の委託でソフト化社会の家庭、文化、教育について分析をしてきたソフトノミックス研究チームがいろいろなことを報告をしているわけであります。この報告の中に教育改革も小さな政府と規制緩和による民活路線の例外であってはならない、そういうことを言っております。またその中で、非常にたくさんのことを言っているのですが、教科書についても検定制度の廃止を提言して、これに伴って偏向教科書が登場するおそれはあるけれども、市場原理が十分に働けば自然に淘汰されるはずだなどというようなことをいろいろ言っているわけであります。  大蔵省に、このソフトノミックスというので何でこんなことをやるんだ、文教の内容に大蔵省がなぜこんなことを研究をさせるのかということを質問しましたら、いや、それは大蔵省としてのまとまった見解ではなくて、その研究委員の人たちの考え方を書いた、それが報告をされたというだけのものでありますと、大蔵省との強い関係を否定をされているわけでありますけれども、大蔵省はこんなようなことを、文教に関するようなことを研究させている、金をかけないような教育をやろうというふうにしているということについて、文部大臣いかがお考えでございましょうか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 言論の自由といいますか、研究の自由といいますか、それぞれの立場の方がいろいろ御研究なさったり、いろいろ御議論なさることまで私どもがとやかく言えませんし、また、教育について、すべての国民の皆さんの御理解と御協力がなければ解決できないから協力をしてほしいと、時には私自身も訴えることもあるわけですから、あらゆる立場の方があらゆる御研究をなさることはこれは結構かと思いますけれども、今先生具体に御指摘のソフトノミックス研究チームのあれを読みまして、特に教科書に触れますところは、私としてはあれは全く反対で嫌なことなんです。  といいますのは、やはり教科書というのは主たる教材で、人生においてまだ個性も経験も固まっていない児童生保徒に与える教科書が、よくても悪くても、悪かったら自然淘汰だと。このごろよく大人の世界の応用問題を教育の場に持ち込まれて、健全な消費者の選択の自由さえ確保されれば、いいものは残り悪いものは滅びるのだから、何も心配して規制することはないといろいろな角度で私に物を言ってくださる方も多いのですけれども、そういう大人の世界の経済原則で、選択の自由さえあれば悪いものはなくなるというだけで教育の問題や教科書の問題を片づけられることは大変影響が大き過ぎると思いますし、間違いであると思いますけれども、私どもも、聞いてみますと、これは全くごく自主的な研究会の報告書の中の一部分であって、これをとらえて大蔵省がどうのこうの言うつもりはないようなことだということもわかりましたので、自由な御意見の表明として受けとめておりますけれども、中身については、私はこれは賛成できない表明だと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 私は、逆に言いまして、検定制度の廃止を提言していることは大変いいことじゃないか、こういう考え方を持つものですから、その後の偏向教科書が出る云々の問題については意見もありますけれども、しかし私は、大蔵省は関係がないなんて言いながらもやっぱり委託しているチームなんですから、十分に注意をする必要があるというふうに考えているわけであります。まあこれは本日の主題ではないわけですけれども。  そこで、ひとつ教育関係の予算について質問をいたします。  まず最初に、文部省の教育予算というのが年々随分比率を下げてきているというふうに思うのでございますけれども、ことしの政府予算に占めるシェアはどのくらいになっておりますでしょうか。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 昭和六十一年度予算について申し上げますが、政府予算全体の一般歳出で押さえてみますと三十二兆五千八百億円でございます。この一般歳出に対しまして文部省所管予算が四兆五千七百二十億という数字でございまして、シェアといたしましては一四・〇三%ということに相なっております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 一般歳出予算で一四・〇三%、これは大体ここ三年ぐらいずっとそういうあれが続いているというふうに思いますけれども、しかし、主要経費別に対政府全体で見るとどういうことになっておりますか。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 先生の御質問の御趣旨は、人件費、物件費という所要経費での分類かと思うわけでございますが、文部省予算は御案内のとおり人件費のシェアが大変大きゅうございます。したがいまして、六十一年度予算においての人件費の占める割合は七四・六%でございます。物件費、これは政策経費になってまいりますが、これが二五・四%というふうな数字でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ちょっと質問と答えが外れているのですけれども、対政府全体ということで見てみますと、私の調査では八・四五%なんですね。去年が八・七二、その前が九・〇三、その前が九・〇〇、その前の五十七年度が九・二三、昭和五十年度で言いますと一一・二九%であった。もう年々下がってきているんですね。これは間違っていますか、私の計算は。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 先生のおっしゃいます数字は、私どもただいま手元にはございませんが、主要経費で申し上げますと、文教予算、福祉予算、公共事業、いろいろ主要経費がございます。これを昭和四十年度と六十一年度で比較いたしますと、まあ二十年間の比較でございますが、文教予算は当時は一三%でございましたが、六十一年度におきましては九%になっておる。あるいは福祉予算につきましては、一四%であったものが、これは高齢化社会等もございますので一八%になっておる。そういうような数字はあるわけでございまして、国債費、地方交付税などが政府予算では相当大幅な伸びで、国債費が当時は〇・六%であったものが二〇%になっておる、そういうふうな傾向があるわけでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 政府の伸びそのものも下がってはおりますけれども、それでも本年度は三・〇三%の伸びなんですね。ところが、文部省の伸びは〇・〇四%減ですね。年々下がっているということを先ほどから指摘しているわけでありますけれども、ことしても、人勧による給与改善費の平年度化分千六百億あると思いますけれども、これ、どこにしわ寄せされておりますか。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘のとおり、給与改定に伴う経費としまして、平年度化分が本年度は千六百億円が必要に相なったわけでございます。全体の予算といたしましては、ほぼ前年度並みというふうな予算の姿が各省横並びであるわけでございます。  私どもは、この千六百億を主とする人件費の伸びにつきましていろいろな努力をいたすわけでございますが、その一つが、義務教育費の国庫負担金にかかわります恩給費等追加費用に関しまして、従来二分の一負担で行ってまいりましたものを三分の一カットいたしまして、これを交付税の方に肩がわりするというふうな措置を講じたわけでございます。これが約八百四十億ございます。  それから、公立文教施設に関連いたしましての施設整備費でございますが、これのカットが大体三百億余でございます。正確に申しますと三百二十七億でございます。これは事業量の問題でございます。事柄として、大規模校の解消、是正というふうな外側の方の政策が充実を図っておるわけでございます。  そのほか、公立社会教育施設、社会体育施設につきましては十数%のカットで、合わせますと約三十億程度のカット。それから国立学校の施設費でございますが、設備費もございますが、施設費で申しますと二百億余、設備費もそれに似た数字というふうな感じでそれぞれの減を図っている。大体千六百億につきましては、全体の姿ではほぼ見合うような数字を作成して本年度予算といたした。結果としてマイナス十九億で、マイナス〇・〇四%減という数字になったことは先生御指摘のとおりでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 まあ文部省の人件費の中には、何も教職員だけではなくてその他いろいろな人件費も含まれていると思いますけれども、人事院勧告が出されて、それをちゃんと実現をしていかなければならない、そのたびに文部省関係の政策に関する予算が次々と削られてくる、この矛盾を文部大臣どのようにお考えになりますか。教育改革しなきゃいけない、こういうときにますます下げられていくということについて、いかがお考えでしょうか。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 初めに私の方で事務的にお答え申し上げます。  実は、私どもが人勧に必要な経費等の全体の整合性のために減を行う数字につきましては、政策的経費として実害をなるべく伴わないものという考え方を基本にいたしておるわけでございます。例えば、恩給費とか共済費につきましては法律上の支出が義務づけられておりますので、交付税化されてもその支出については担保されておるというふうな点がございます。それから、公立学校施設につきましては三百億余の減を行ったことを申し上げましたが、小中学校の新設は大分鈍化しておりますし、急増市町村も減ってまいりました。そういうふうな事業量の全体の減に見合う申請に対しては大体間に合うような数字ということで減を行っておるわけでございまして、その減につきましては、なるべく教育政策が後退しないようにというふうなことを旨として行ってきておるわけでございます。  しかし、先生御指摘のとおり、全体の構成で人件費が非常に大きい、七割以上になっておるということは否めないわけでありまして、この人件費のシェアが毎年上がってきております。そういう意味では、政策経費、物件費が大変苦しくなっているということは私どももひしひしと感じておるわけでありまして、今後の教育改革を行うにつきましては、その政策課題に対応する新規の政策が財源措置を新たに行うことなくしてはなかなか難しい状況になっておるということは私どもも十分実感として持っておるというのが現状の認識でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ことしはまだ政策的には大したことはなかった、こういうことだろうというふうに思いますけれども、しかし、このまま推移していきますとどんなことになるんでしょうか。見通しはどういうふうに持っていらっしゃいますか。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 恐らく人件費に伴いますシェアというものは、毎年の給与改善というものが行われますと今後とも上がっていくであろうということは予想されるところであります。一方、私どもで考えております政策経費である物件費につきましては、臨調答申、行革審答申で削減すべきものについてはほぼ削減をし尽くしてきておるという感じが否み得ないわけでございます。そういう点もございまして、義務教育費の国庫負担金の基本は維持しつつ人件費について本年度は地方交付税への肩がわりをお願いしたというふうな経緯もあるわけでありまして、本年度は物件費以外に人件費にかかわる負担金問題についてのいろいろな措置を新たに講ずることにしたというのも、物件費についてはほぼ限度に近くなってきておるという現状からの措置でございます。  今後の見通しはという御指摘でございますが、この点については私ども大変苦慮しているわけでございますけれども、政府全体の予算編成の構造と申しますか、それからゼロシーリングの問題、あるいはしかし最前提としての国債費の脱却の問題、いろいろな各方面からの課題があるわけでございますので、その中で教育費予算をどういうふうに確保していくかということについては、私どもも今後慎重に検討し、せっかく努力をしなければならない、こんなふうに考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ぜひ努力をしていただきたいと思うんですけれども、今回の措置にしましても、結局自治体に負担を転嫁させてきているわけですね。昨年の一括法案で教材費。族費がおりていったということについても私どもはそういうふうに認識をしているわけです。このまま推移していきますと、削減が続いていきますと、文部省予算のもう大半が人件費になってしまって、文部省は一体何をするところかといったら、教育公務員給与支払い機関になるんじゃないかなんて、こんな悪口を言われているような状況になるのではないかというふうに思うわけでありまして、私は文部大臣の責任というのは非常に大きいと思いますので、奮闘のほどを心から期待いたします。  それでは、去年一括法が通った教材費、旅費。国庫負担法から外れていましたね。松永文部大臣は、もう市町村長さんも十分にこの点は御存じですから、教材費が減って教育に影響が出るなどというようなことはないと思います、こういうふうにおっしゃっておられました。影響が出るか出ないかはこれ調査してみなきゃわからないということで、十一月に質問いたしましたらまだ調査の統計が出ておりませんでしたが、この結果ですね、どんな事態が起きておりますか。御報告いただきたいと思います。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 御質問にございましたように、昭和六十年度におきまして教材費、旅費の一般財源化という措置を行ったわけでございます。文部省としては、この措置を行うに当たりまして、一般財源化をしたけれども、必要な額についてはできるだけ各県あるいは市町村において確保してほしい、こういうような通知等も二回にわたって出しまして指導を行ってきたわけでございます。  現在、九月補正段階での状況でございますけれども、旅費につきましては、六十年度の当初予算の状況といたしまして、全国総額で約四百五十億円が計上されておりまして、昭和五十九年度に比較いたしますと三億円、若干の増ということに相なっております。それから教材費の方につきましては、これは市町村経費でございますが、これにつきましても、九月補正後の状況で、全国総額で約三百二十六億円、これは昭和五十九年度に比較しまして約十億円、パーセンテージにいたしまして三%の増ということに相なっております。  なお、各市町村段階では、その後も補正等が行われておりまして、十二月以降も補正等もあると思われますので、これがさらにこの金額より上回ることになってこようかと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 文部省から措置状況の調査をいただきました。減っている県が随分多いんですよね。今御報告いただいた中で、目を見張るほどふえているところというのは神奈川。倍ぐらい伸びております。その他の県は私の数えただけでも随分減っているんですよね。  これ、県別に出していただいたのではまた問題がはっきりしないわけでありまして、市町村別のものがなぜ出なかったかということはいかがですか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) ただいまのお尋ねは、恐らく教材費についてのお尋ねであろうかと思いますけれども、教材費につきましては、県別に見てまいりました場合に、かなり前年度よりふえたというのが十四県、それから大体同じぐらいのものが二十九県、減ったものが四県というようなことで、減りましたものも、最も少ないところで〇・八八ぐらいのところということでございますので、若干減ったという程度であろうかと思っております。  市町村別に見ますと、これは三千を超す数というようなことになりまして、大変膨大な資料ということになってまいりますし、また現在、先ほども申し上げましたように、九月補正あるいは十二月補正といったようなかっこうで流動的でございますので、まだその数字だけでは事柄が判断できないというようなこともございます。そういった点で市町村別の資料は、現段階ではお許しをいただきたいということでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 じゃ、現段階では結構ですけれども、きちんとまとまったら御報告いただけますか。資料など出していただけますか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 全体が固まりました時点では、事柄を御理解いただけるような資料をまとめたいと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 文部大臣、二十六日、高校選抜の始球式に出られるわけですね。日程、そういうような状況で、できればいいなというふうに思っているわけですけれども、私も高校野球のファンなんですけれども、どうも最近、高校野球が行き過ぎているんではないかという批判なども随分出ております。埼玉県の高野連の調査というのを私いただいたんですけれども、球児の青春は、六割が勉強ゼロ、食べて寝るだけだと。これ、何とかしなくちゃいけないというんで、こういうアンケート調査をやって改革を考えているという、そういう運動もあるわけなんです。  こういうスポーツを推進していくということと子供たちのエネルギーを爆発させてぶつけていく場所というのは、これ一緒になるんだろうというふうに思いますんですけれども、みんながみんな野球をやるわけじゃないんですよね。全体的な学校のスポーツはどのようにあるべきか、また体育というものはどのようにあるべきか、ここのところが今問われているような時期に来ているんではないかというふうに考えているわけです。  スポーツ担当大臣として、その見解をお伺いいたしたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 人間の発達段階において、いろいろ経験しなきゃならぬ生活体験がございますが、文部省としては、教育基本法に書いてありますように、平和的な国家及び社会の形成者としてあるべき人にはやっぱり徳育、知育、体育と調和のとれた、バランスのとれた発達を心から願っておるわけですから、スポーツ振興というものも、今御指摘のように、代表選手が全国的に競うということ、これも母校とか出身の県とか、いろいろな期待もあり、意義は大きいと私は心得ております。  それはそれとしまして、スポーツのすそ野を広くしてすべての児童生徒がそういったスポーツに打ち込むべきであるし、打ち込む時間も大切だと思っております。むしろ参加をして、そういうところではルールを守ることを身につけるというような人間関係とか、あるいは社会集団生活の規範的なこともあわせて身につけることができるという多面な効果があるわけでありますから、学校教育の場においてもスポーツの振興は大いに図っていかなきゃならぬ、調和のとれた人間形成に役立つものである、このように私は理解をしております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ぜひそういうような形に持っていかなければならない、それにはスポーツを愛する人たちの努力というものが非常に必要になってくるというふうに思うわけです。  それで、きょうは、それに長く触れているわけにいきませんので、そういう高校生がいる反面、千葉大学の医学部の学生グループが、自分たちの出身高校の生徒を対象に、不安度を図る心理テストを実施した。その結果、全体の約五分の一に当たる百人が神経症と見られる三十点を超えている。中でも、入学者に中学浪人が多いと報告のある高校では、対象者の四割が三十点以上だった。大変な、神経症並みの状態に高校生が陥っているんだという報告が出されております。  私もまた、いじめの問題で自殺が相次ぐものですから、警察庁にお願いをしまして、統計を出してくれと言いましたら、ここ五年間ほどの統計が出てまいりまして、小学生は五十八年が十、五十九年が十。中学生は五十八年が百二、そして五十九年が七十九。大変な数字に上っているんだという、こういう実態があるわけであります。  こういう問題を含め解決していくためには、いろいろな施策が行われなければならないというふうに思いますけれども、やっぱり緊急にやらなきゃならないのは四十人学級の問題だろうというふうに思います。この四十人学級の問題について、文部省が中学の四十人学級を拡大していく、六年後の完全実施を目指す、こんなのは当たり前のことなんですけれども、問題は、こういう方針を立てて六十二年度にこれを大幅にふやすための教員の定数増を予算案の概算要求に盛り込むことにしているというニュースが出ているわけなんですね。これはどういうことなんですか。四十人学級だけが、概算要求でやりますよなんというようなことを文部省が突出して決めだというのは、これは本当なんでしょうか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) まだ個々具体のケースについて文部省が突出して決めたということはございません。ただ四十人学級の問題は、他にもいろいろと経緯がございまして、重要な問題でもあり、また、この定数改善計画というものは目標年度も決めて打ち上げておる構想でありますから、これをきちっと達成させるために来年も引き続いて、今年と同じような気持ちで取り組んでいかなきゃならぬという基本においては何の変更もありませんけれども、それだけを突出して決めてやろうといったものではございません。おっしゃるように、他にもいろいろたくさん重要なテーマもございますので、そのときになってまた検討をする問題でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 小学校の四十人学級の計画、六十年度で計画どおりに完了しているのかどうなのかということではどうでしょうか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) ただいま手元にその正確な当初計画との比較をした数字を持っておりませんけれども、小学校の場合には、六十年度をもって児童減少市町村の計画を全部完了いたしまして、六十一年度から一般市町村に着手をしておるわけでございますので、ほぼ計画どおり進みつつある、こう思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 その他の市町村、確かにことしから始まるわけですね。文部省の概算要求は三千三百十二、査定が二千九百七十三。文部省の要求を三百三十九人減らされたという結果になっていますね。これ、大蔵は何でこのような査定をしたんですか。基準。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 昭和六十一年度の予算におきましては、小学校の場合に、御指摘のように三百人ほど文部省要求から削った格好になっております。これは、小学校の場合もその他市町村の全校一斉にということではなくて、現在の国あるいは地方の財政事情から見まして、このために特別の施設の増設が必要だというようなケースについては、これを少し後送りにしていこうと、こういうような形で計算を、非常にアバウトな計算をいたしたわけでございます。  ただ、具体には、どこの学校がその施設の増加が必要かどうかというようなことは、さらに詰めて考えますと、例えば特別教室を転用すれば当面やれるというような性格のものも出てまいりますので、実態としてはこの四十人学級が動かないケースというのはずっと少なくなるだろうと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 中学校もことしから児童減少市町村が計画の第一歩として入るわけですね。去年の十二月の二十八日、私ども大蔵大臣にお会いしたときは、まだその時点ではゼロだと、非常に厳しい状況の中で認められた今回の枠だというふうに思いますけれども、これはどんな計数になって、どのくらい入りましたでしょうか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 中学校の場合には、御指摘のように、まだ急増が六十一年度まで続くというような状況もございますので、そういった点から財政当局等もかなり難色を示したということは事実でございますけれども、私どもといたしましては、現在種々の問題が中学校で起こっているというようなことも念頭に置きながら、これに何としてでも着手をしたいというようなことで、この計画に部分的にではございますけれども着手をするということにしたわけでございまして、具体には児童減少市町村の、しかも施設に余裕のある学校で、そして特に大規模校、十八学級以上の大規模校からまずは手をつけるという形で措置をいたしたわけでございます。これに伴いまして、教職員の増は三百二十一人というふうに概算をして、その措置をいたしております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 三百二十一取れたということは大変うれしいことでありますけれども、しかし、文部省の要求そのものが九百八十三でしょう。そうしたら六百六十二減らされているわけですね。先ほどから申し上げましたように、子供たちがもう大変な状況に陥っている。子供たちだけでないんですね、先生も大変なんですね。  教師の精神疾患、随分多いと思いますけれども、この数学、ちょっと発表してみてください。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 精神疾患にかかっている者がどれぐらいかということはにわかに数字が出ないわけでございますけれども、精神性疾患で病気休職をしている実態といたしましては、昭和五十九年度の数字で申し上げますと全国で九百九十名、これは教員全体約百万に対しまして〇・一%程度というようなことになっております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 校内暴力やいじめの問題などが取り上げられて大変教師自体も苦しんでいるんだと思うんですけれども、五十四年度から数えてみましても六百六十四、五十五年度が七百八十二、五十六年度が八百二十、五十七年度にいきますともう千一といって、千を超えているわけですね。そして、五十八年度が九百六十一、五十九年度が九百九十、もう千人近い人たちが精神疾患で休職をするというような状態に今陥っている。まことに学校は、本当に病んでいるんではないかと、こういう感じもする中で、特に中学校に多いわけですから、この四十人学級が一日も早くやられなければならないと、こういうふうに思っております。  文部大臣、概算要求にそこのところ出していくとおっしゃったんですけれども、それだけ今突出して考えているわけでないとおっしゃいましたけれども、四十人学級についてはこれからどのようにしてやっていきたいとお考えになっていらっしゃいますか。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) いろいろな関連があって、四十人学級の問題は、よりよい教育環境を整備するために目標を立てて現在取り組んでおるわけでございます。今先生の御発言を聞きながら私もしみじみ思い出しましたが、予算編成のときも、中学校のゼロをとにかく芽を出すようにしろといって最後までいろいろ我々も党の立場で頑張ってきたつもりでおりますけれども、これは挫折するわけにいきませんので、六十六年度の目標を達成するまでにどんなことがあっても懸命の努力を続けていきたいと、こういう気持ちを相変わらず持っております。変わりません。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 私は、臨教審の委員がいろいろと対談をしている「臨教審だより」を大変興味深く読むわけですね。報告書というのは余りおもしろくないですけれども、この対談が非常におもしろい。たよりナンバー十一に溜臨教審委員がこういうことをおっしゃっている。あの方は現場の教師ですからね。フランスに行きました、低学年は二十六人の生徒に対し正教員のほかに補助的な先生がついている、学力の不足している子供、読み書きのおくれている子供たちに対しては二十人に対して専門の教師が三人ついていると、こういうことを言っているんですね。  だから私は、六十六年完了の日程というのは遅過ぎる。これから生徒がどんどんどんどん減っていって、しかも教師が余るわけですね、ことしは八千六百人も自然減で。だから、伸ばした伸ばしたと言いますけれども、やっぱり教師の数は減っているんですよ。教員養成系の大学の卒業生が就職さえもう困難な状況に陥っていて、何とか学校の中でも対策をしなければならないというような非常に緊急の事態に陥っているというふうに思います。文部省の責任は大変大きいわけでありまして、ぜひともこの六十六年完了の日程は短縮する方向で努力をすべきだと考えますが、大臣、いかがですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) できる限り一生懸命予算要求の時期に大蔵省に実情を話し、政策の重要性を話し、頑張って努力をしてまいりたいと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 総理がニューヨークのブロンクスビルの小学校を視察されたときの感想を本会議で本岡質問に対しておっしゃっておりましたけれども、文部大臣もそれをお聞きになったんじゃないかと思うんですね。私もテレビを見ながら本当に目をみはる思いでした。  日本の私立の小学校をいいいいなんて言いますけれども、これをずっと見てみますと、やっぱり一クラス四十五人なんですね。とても二十人だの 十五人だのなどという数にはなっていない。今アメリカあたりでは、もう競って一クラスの生徒の人数を二十人にしよう、特に十五人を目標にしようなどというような運動が次々と展開されているわけでありますけれども、文部大臣はこれをどういうふうにお考えになりますか。四十人完了したらもうそれてよろしいというふうにお考えになっていらっしゃいますか。いかがでしょう。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) これは先生、理想を述べますと切りがない話にもなっていくと思いますし、多ければいいか、少なければいいかという議論は、じゃ、どの辺まで少なくしたらいいかという議論もあって、これはなかなか学問的に言いにくい難しい話だと思いますが、現実の他の政策との整合性の中で、今置かれております立場からどうやって脱却していくかというそのぎりぎりの選択の中で、四十人学級というのを我々は目標として置いたわけであります。ですから、この目標がまだ中途で達成されておらぬときに、理想論ばかりここで言っておりましてもいかがなものかという反省がございますし、私はある程度の数の切磋琢磨というものも必要だ。  私がまだ党におりましたときに、大蔵大臣がいつも、おまえは何人学級で大きくなったと言われますして、必ず、切磋琢磨するそんな規模があればいいではないか、相撲だって大部屋から強いのが出るぞとよくおっしゃる。相撲と教室とは全然違いますよと我々は反論をし続けてきましたけれども、やっぱりまず四十人学級を達成する。四十人学級を達成しますと――理屈を言うわけじゃありませんが、今教師一人当たりの児童生徒の数というのは、平均しますと二十五・玉とかそういうような数が出てきておると私は理解しております。そうしますと、四十人学級がきちっと達成されれば、地域によっては二十人のクラスも二十五人のクラスも当然できるわけでありまして、そういうことになっていきますと、その段階で初めて、さあ次に余力があったらじゃ三十五人がどうだとか三十六人がどうだとかいう新たな議論が出てくると思いますので、現実に具体的に改革をしていかなければならぬという責任を持っております立場としては、目標年次に必ず達成させるように全力を挙げて努力をするということが今ここで申し上げられる精いっぱいのお答えでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 六十六年に達成をしたらその時点で、それではこれから考えましょうか、こんな政策は私ないと思うんですね。やっぱり何年かかかって温めていきながらある程度のものを発表していく。第五次計画が終わったら第六次計画に入っていく、このくらいの私は考え方を持たなければならないというふうに思いますけれども、いかがですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) それらの点につきましては、臨教審でも中長期の目盛りでいろいろ御議論願っておるようでございますし、また私も、ちょっと申し上げましたように、今のところは四十人学級できちっとやっていく、それが当面の施策ですけれども、やっぱり中長期で考えまして、どのようなところへ持っていくことが具体的な可能性もあり、また私どもも夢を語れば、より行き届いた、より目の届く、児童生徒のためになるような教育はどうしていただいたらいいのかということ、そういったような角度から研究、勉強、検討を続けていかなければならぬことは当然だと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 文部大臣、ガードがかたいですね。大体、臨教審は二十一世紀に向けて教育を考えるんですよね。この中にもあるようにもう日本が人種のるつぼに化するようなことがあるかもしれないなんというそういう時代に、まだ四十人学級にこだわっていてはだめだと思うんですよね。臨教審自体は、「審議経過の概要(その3)」で一学級の定員についてもう少し減らす方向で――竹下大蔵大臣は私と同級生ですけれども、あの時代は一学級の定員は六十名でした。私は同級生の写真をこう数えてみたら六十三名。同じ六年生が八つあったけれどもみんな六十二、六十三ですよ。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 それがずっとこうよくなってきたわけでありまして、まだ減らしてもいいんだと臨教審も考えているわけですから、文部大臣たるものそのくらいのことは一言おっしゃっていただかなければならないと思いますが、いかがですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先ほどから申し上げておりますように、他の政策との整合性とか、現在置かれております厳しい財政状況とか、毎年毎年大蔵省とこの問題で議論しておるという、肌で感じております問題を一切のけて夢を語るとするなれば、行き届いた配慮のできるような教育条件をつくってあげなければならぬなということは私も思っておりますし、それが児童生徒の数ということからのみ考えれば、現実はそんな夢を言ってもまだ四十人学級になっていないわけですから、まずこれを片づけることに当面は全力を挙げていく。達成されたらどうするかということは、研究、検討、勉強も続けてやっていかなければならぬ、これは当然のことであります。

中村哲日本社会党

○中村哲君 本日は、文部大臣の所信について総括的に御質問をしたい、こう考えておりましたのですが、先ほどから我々の属しております党の同僚がいろんな問題に触れまして、それらの問題は同時に私がねてから問題だと思っておることでありますので、多少そういうことに、ばらばらなことを申しますけれども、触れたいと思うんです。  最初に本岡さんが、今の学校のいじめというような、ああいう暴力の問題が出ておりましたけれども、私自身は義務教育の学校の教師をしたことがありませんで、大学を出たときに大学の見習いの研究者でありましたので、大学に関することは多少土地カンはあるんですが、そういう初等、中等等の学校の実情は、ここで御質問するだけの用意もありません。しかし、ああいうことを聞いてすぐ思うのは、我々大学としまして、真っ正面から暴力問題と対決しました。そして、私の大学なんかは、世界的にも年表の二番目ぐらいに出ておりまして、パリ大学の紛争、それから法政の二百八十名の検挙とか、そんな大学でありますが、こういう大学のあの暴力問題というのは、十数年対決してきたんですけれども、ただ学校の問題だけでなくて社会的な欠陥というか、それに対するもの、こういうものを集約的に大学に若い連中は持ち込んでいるということが基本だったと考えております。それがはしかのようにやや下火になっていくと、一方では新聞のいわゆる社会面に出てくるような、いろいろやくざ等のところにも出てくるような暴力と、それから一方においてまさに文教委員会で取り上げられるような初等段階での暴力、ああいうものに分散していったのではないかというふうに私などは考える。もちろんそこには違う問題もありますけれども。なぜなら、大学で手に負えない、機動隊が出てもおさまらないというそういう暴力の中に、いろいろセクトがありますけれども、あの学生たち、その連中の言うのは、自分たちは渡世者だというふうなことを発言しているのでありまして、このことは日本のああいう学生暴力現象というものが、ただ普通見られるような左翼というのでなく、私どものように戦前八年間大学の教師をしておりましたけれども、そういうときにあった右翼のビヘービアと共通するものがありますので、そういうことから、これらの異常な現象というものをただ日本の進歩的な人たちの言論や行動のためでなくて、もうちょっと根は深いということを感ずるのでありますが、やはり文教関係の方々もそういうことをきちんとつかまえるといいと、こう思いまして、一応申しておきたいと思います。  そういうことで、私どもよりは海部さんの方が学生たちに割合に――戦後の学生の中の一人でおられたと思うし、そういうふうに問題を社会問題として理解されることが必要だと、こういうふうにその点は思うんです。その点、御意見どうですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先生のお話を承りながら、私も戦後の学生の時期を思い起こすのでありますけれども、あの大学紛争があったり暴れておりましたいろいろな人を見て、例えば早稲田でやる紛争によその大学の人がいっぱい応援に来るとか、東大の安田講堂に籠城しておった人のうち、本当の東大生は一割以下であったとか、そしてお言葉にも出ましたように、先生の学校にも大変強いセクトがあったと記憶しておりますが、セクト同士のつながりの方が学校の中の連帯よりも強かったとか、早稲田騒動のときは、私は国会を代表して、社会党の代表の方にも一緒になっていただいて、学生に、そういうつまらぬことはやめろと、学校は解放して、そんな泊まり込んで暴力で占拠しちゃだめだと、いろいろ説得に行ったりしたことがありましたけれども、あんなころにやっぱり社会に対する不満とか不平とかいうようなものが発火点になっておる組と、それから親孝行に参加しようという全く次元の違う状況で、大学の授業料が上がることはこれは親に対して不孝だから、親孝行するためには大学の授業料値上げに反対すればいいんだという、最も素朴なところでのアピールとか、いろいろな組が入り乱れておったことを私は今思い出しながら先生のお言葉を聞いておりまして、大学紛争というのはまさに社会の縮図みたいなもので、社会のいろいろなものが絡み合っておったんだなあとしみじみ思います。  それから、今当初例質問のあった中学の現場におけるいじめというのは、大人になっておる大学生とまだ義務教育の段階の中学生との人格の到達の度合いとか、あるいは今の中学の暴力、いじめの問題は、そういう社会での原因、例えば家庭における親のしつけとか、あるいは心の徳育教育が行われないようになったとか、ここに不正なものがあるぞというときはみんなが立ち上がって力を合わせて解決するというようなことが雰囲気として薄れてきておる。そういう意味では社会とのつながりというものは確かにあろうと思いますけれども、こういう人たちが、せっかく今おさまっておる大学紛争ですから、おさまったことをもう二度とまねしないように、そこへ入っていかないように、また、現在の学校のいじめの問題はどうやったら解決できるだろうかということは、当面の対策としてはやはり御家庭のお父様お母様と現場の教職員の皆さんの一致協力にお願いするとともに、先ほど来議論になっておりますように、エネルギーや時間を健全な方向に持っていくような教育内容を考えるとか、あるいは心の教育をもっとしっかりしていくとか、あるいは戦後きょうまで続いてきた、自分さえよければ、そして人に迷惑さえかけなければ自由なんだという物の考え方からもう一歩出て、人間と人間との関係をきちっとしていく。教育基本法に言っております「人格の完成」というものを目指す努力というものは一体どんなことなんだろうかという長い目盛りの対策まであわせ考えて、この問題は取り組んでいかなきゃならぬことであると、私はそのように今率直に受けとめております。

中村哲日本社会党

○中村哲君 今の海部文相のお話にもありましたが、この初等の教育の対象になっている生徒というものは、まだ物の判断が、殊に社会的な問題については、大学生とは違いますので、そのことが昨日の家永裁判の中でも言われている教科書の内容について、大学生の場合には一応いろいろな社会的な判断を持っているんだろうけれども、そういう点がまだ未発達である。そのことがあるために教科書は非常に慎重につくられなければならないので、検定という制度を設けているんだというような趣旨のことが感じられるわけなんです。そのことは確かにあるんですが、だからといって、今後とも、ああいう検定の名をかりて、文部省が考えるような考え方をただよしとして、学者たちがつくるああいう教科書に対して、きちんとした論拠を示さないで字句を訂正しろというようなことが行われますと、大変行き過ぎになると思うんです。  というのは、私は社会関係なものだから、「現代社会」という教科書をちょっと雑に見てまいりますと、本によって範囲が全然違うことに及んでいる。歴史に重点を置いているのもあると思えば今のマネタリズム等、スタグフレーションとか、そういうことまでを書いてあるのもある。こういうふうに、「現代社会」を例にとるといろいろなことに及んでいるんで、しかも何人かの人で書いているから、私ども見ても、項目がどういうことを取り上げているかということはわかるけれども、何かまとまって理解できない。こういうものを高校生がテキストとして教えられると、まとまった考えじゃなくて、雑な知識は入るけれども、本当に身についたものを得られないんじゃないかと思う。そういう意味では、私どもが見ましても家永氏の史観というのは家永氏独特のものでありまして、これはアメリカでも家永氏の研究というのは早くから出たりしておりますように、今日の代表的な歴史家であり文明史家であるんですが、その人の書かれた内容がどうであるという、そういう批評を受けるのは場合によってはやむを得ないとしましても、一人の学者、思想家、そしてそれが雑学をやっている人じゃなくて、長年にわたって世の中の問題、歴史の問題を考えてきた人が自分で書きおろしているようなもの、やっぱりそういうものが本当は教科書であるように私は思うんです。  例えば福沢諭吉の一つの著書、そういうものを教科書にするとすれば、そうすると全体の体系というものがありますから頭に入る。けれども、雑然とした、テレビで放映しているような雑な知識をただ詰め込んで、それでこれを覚えて、そして試験にはその中からどこか出すと言われても、しかも学校によっては使った本の内容が全然違う。これで若い人の出発点になる知能テストになるんだろうかというようなことを感ずるんです。  そんなことを一方的に申すのもどうかと思いますけれども、先ほどの紛争に関係しましては、私は戦後、偶然のことで早くから大学の学部長の一人でありまして、谷川徹三先生が文学部長だった。そこへ大内兵衛という、我々が大学でもちょっと習った先生が総長として来られまして、その大内さんが私どもにまず言われたのは、大学自身いろんな問題があるときでありまして、一橋の学長をした、参議院にもいた人が、法政大学を見ていると日本の大学で何が起こるかわかると言われたぐらいいろんな問題が起こったんですが、そういう中で大内先生が言われたのは、つまり、教授というものは一たび自分が発言したこと、それに対して責任をとるべきだ。そのことは何を言っておられるかといいますと、要するに市民的民主主義、大内先生自身は社会主義にも触れておられますけれども、実際にはアダム・スミスとかミルから始まって余り変わらなかった。ただ、マルクスのことは触れておられますけれども、マルクス学者じゃなかったと聞いておりますが、つまり日本の教育というか、思想史を見ていても、やっぱりそういう市民的昂主主義というものの思想体系、それの片りんをきちんとつかむ、そういうことに欠けているのであって、何か雑学的な、雑な知識に過ぎるように思うんです。だから、昔の旧制高校というのがいいか悪いか別にしまして、ああいうところではそういう代表的な思想家のそういうものをテキストに使っておりまして、そういう人の思想というものは、語学を習うにしたって、その中にはバークあり、あるいはミルありということで入ってきた。今日の教養課程の講義は、そういうことが身につくようなテーマをきちんと取り上げているんじゃないということ。  それで、学生紛争のところに戻りますと、学生紛争の直接のきっかけというものは、誘因というものは、試験地獄を経て入ってきた者が、入ってみると高校のときと同じような教養課程で、やはり同じようなことをまたもう一回二年間やる、これが問題なんだと言われる。それから、それを教える方の教師も、これは教養課程というものを、戦後つくったときにはそれが理想だったんですが、教養課程の教養的なことをやれる先生というのは、専門のことだけしか知らないというような人じゃなくて、本気に人生を知り学問を知ったようなそういう人たちが教養課程を教える、これが理想だったわけです。それがまた、大学の現状がそうならなくなってしまったんです。  我々は大学におりまして、まず反省することが多いのでありまして、そして大学問題一般については、私は私大連盟の常任理事を二十年もしておりますものですから大体いろんな問題に触れてきたし、私大の難しいのは理事長としてで、学長だけではなく理事長の役割をしていたものですからいろんな問題を感ずるんですが、時間がなくなりましたから一番最後に申したいんですが、今私大というものが急造されておりますけれども、本当に大学をつくるような条件があって、そういう精神的な背景があってつくられているかといいますと、企業のようにして、この辺に大学をつくれば学生が入ってくるだろう、そうすると採算とれるだろう。何かそういう式の私学が多過ぎる。こういう意味で、私学の側から考えますと、教育上の問題としては非常に大きな課題がある。歴史のある大学は違いますけれども、そうじゃないところと非常に違いが大きい。そして、歴史のある大学が国庫助成等について発言しますと、それに右へ倣えしてくっついてくるというようなことで、教育そのものを私学としてもっと考えなきゃならないというふうに思いまして、国庫助成のときをきっかけに私は発言して、学長会議というのをやったんです。  そこで、国庫の助成をしてもらうのは幸いたし、そして政治の舞台にいるときはサポート・ノー・コントロールとこう言うけれども、援助してもらえばやっぱりその機会にいろんな発言が外から出てくるのは当然なんで、やはり大学自身の内実をどういうふうに高めるか、こういうことで、問題はやっぱり大学教授の問題なんです。つまり、急造されても大学教授、大学の教育をしかも専門を持ってやるという、そういう属一というのはそんなに多くはない。その点が日本の場合やや実情に合っていないというようなところがありまして、こんなことを余り言いますと自分たちの方の長年やってきたことの足らざることを言うことになりますから、時間が来ましたものですからこの程度にします。  そのことについて一言お聞きしておきたいのは、官学の方は文部省が全体を広い意味で管理されている、私学というのは非常に自由なんですね、一遍つくられてしまうと。そういうので、そういう学校の設立の場合に何かやっぱり国としても計画をきちんと立てて、大体の計画を立ててやるべきであって、数が多くなればいいというようなものではないと私は思っているんですが、特にお答えになるようなことじゃないんです。ただ、危険負担を私学に征している、こういうふうな感じがするので、そのことだけは申しておきたい。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先生のお話をるる拝聴いたしておりました。ただいまの最終的な御指摘は、私学にもう少しきちっと目配りをして、私学ができるときにどのような必要があり、つくった以上はどのように研究の内容を高めさしていくのか、いろいろな角度から国立と公立と私学との今果たしております役割とか、学生を負担しておりますシェア等から見て、私学に対してもっともっと十分なきめ細かい指導をしていけと、こういうような御趣旨のお話だったと受けとめました。  私は、やはり私学というものは、御指摘のように八割近くの学生をただいまのところ現実にお預かりをして、教育、研究の場で一生懸命努力をしておるわけでありますから、先生の御趣旨も体して、私学の方だけに危険負担をさせないように、また、一人一人の児童生徒が自分の自我というものをきちっと確立して、学生生活を有意義に送ることができるような、そんな誘導政策もしなければならぬと、こう受けとめながら考えておったところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 私は、文部大臣の所信表山に対する質問の前に、昨日、いわゆる教科書検定第一次訴訟について東京高等裁判所の判決があったわけでございますが、その内容は、国が全面勝訴したと、こうテレビ、新聞で聞いておるわけです。文部大臣は、この判決につきましてどのような所見を持っているか、まずお伺いいたしたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) お尋ねの東京高等裁判所の昨日の判決は、文部省として、今日まで全国の児童生徒のために内容の一定した、そして申立て公正で事実に基づいたいい教科書を出さなければならぬということで法に基づいてやってまいりました検定の制度というものが、昨日の判決では、その正当性、必要性を改めて確認された妥当な判決だったと受けとめますと同時に、今後とも教育の内容を適切なものとするためになお一層努力をしてまいりたい、このような所存でございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 ただいま大臣の御所見でございますが、実は私もきのうの判決は、教科書検定の正当性、さらにまた必要性を改めて確信をし、また確認をして、まことに妥当な判決であったと思います。  教科書は、学校教育におきます基本的な教材として、児童生徒に適切な教育内容の履修、こういうものを保障する上で私は非常に大変重要な役割を果たしている、このように考えるものであります。  文部省はひとつしっかり検定をこれからも行ってほしいと思いますし、また、文部省はきのうの判決を受けて今後どのような姿勢で教科書検定を行っていくつもりか、これまた文部大臣のお考えをお伺いいたしたい、このように考えます。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 文部省といたしましては、従来から教科書の記述が客観的かつ公正で適切な教育的配慮が施されたものとなるよう、教科用図書検定審議会の答申に基づき、厳正公正に教科書検定を行ってきたところであります。昨日の判決もさることながら、今日までと同様にこのような姿勢で教科書検定を行ってまいりたい。先ほど御答弁申し上げましたとおりでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 文部大臣の所信に対します質問を続けさしていただきます。  さすがに文教行政のベテランでありまして、この所信表山を読ましていただきましたが、極めて簡略なところもありますが、その中に十二分に御自分の意思、そういうものも入っておりました。その中で特に教育改革、これはもう国政の重要課題となっておりまして、臨教審の第二次答申が四月中に出てくる予定と聞いておりますが、文部省としてはどのようにこの教育改革を進めていくのか。またさらに、文部大臣として二十一世紀を目指した教育改革に取り組む抱負と姿勢をお伺いをいたしたい、このように考えます。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 今日までもいろいろな立場で教育改革に関する議論は文部省の内部で続けてまいりましたし、中央教育審議会というものもあっていろいろ議論をいただき、答申をいただいてきたことも事実でございましたが、先生御承知のように、社会の進歩、発展とともに、予期せざるいろいろな情勢等も出てくる。さらに、二十一世紀は従来の社会の物差しや想像をはるかに超えた新しい時代が来るだろう。こういう世の中の変化に伴って、今のままではいけないという考え方が出てきて、ちょうど一年半前に国会の御議論等もいただき皆様の御理解をいただいて臨時教育改革審議会ができている。第一次答申では既に具体的な指摘も受け、ついこの間は「審議経過の概要」というものが出ました。先生もお読み願ったと思いますが、二百三十二ページに及ぶ中で、二十一万語を超える言葉で問題がいろいろ提起され、それの答申がこの四月の終わりごろをめどに出てくるものと我々は承っております。これは政府としてその答申は尊重をするわけでありますから、どんな答申が出てくるのかを見て、一歩前進二歩改革できるように教育改革は進めていかなければならないと思っております。  大変たくさんな、改革をすべき問題がいっぱいございますけれども、また御質問に応じて個々のケースについてはお答えをさしていただきたいと思います。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 間口も広く奥行きも深いわけでございますから、ぜひひとつ大臣の抱負のように、また、大臣の思ったとおりにやっていただきたい、このように考えます。  いじめ問題について伺いたいと思いますが、三月の二十七日に、このいじめ問題に関する参考人 の意見陳述を伺うとか、いろいろな御予定があるようでございますし、また、今までもこのいじめ問題につきましては各委員からそれぞれの立場でお話しがあったわけでございます。  そこで、私どもの子供のころもいじめ問題というのはなかったわけではないのですけれども、根本を掘り下げてみますと、現在、マスコミがこの児童生徒のいじめ問題を大きく取り上げ、自殺者も出る、心身ともに健全な児童生徒の育成を図る上で非常に大きな問題であると思います。文部省は、さきに都道府県教育委員会を通じてこのいじめの実態調査を行っておると聞いておりますが、その際、どんなケースがいじめとしてあったのか。また、どこまでがいじめという定義あるいは枠づけをしておるのか。また、どれくらいいじめとか報復があったのか。さらに、文部省は現状をどう認識されておるのか。さらに、一番大切な原因究明、また、その背景をどう考えているのか。これらの問題についてお答えを願いたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 詳細は後ほど政府委員からお答えをいたしますけれども、私は、先生の御質問を聞いて、率直に、一体昔のいじめと今のいじめとどこがどう違い、原因は何と心得ておるかという角度の御質問に対して、一体昔と今と、いじめというのは何だったんだろうか。これは私なりの言葉でありまして別に理論的でも学問的でもないと思うのですが、昔もやはりたたいたりたたかれたりいろいろあったんですけれども、それをいじめと呼んだのかどうか。あるいは、昔それが原因で今まで失う自殺というような悲しいことがあったのかどうか。私はなかったような気がいたしますし、最近報道される象徴的な例、例えば中野区の富士見中学校の例なんかでも、よく報道を読んでみましても、繰り返し繰り返しやられるとか、いじめられる相手といじめる方が変わらないとか、また、それを余り深刻に受けとめていなかった。気がづいていなかった。あれをいじめと受けとめるのか、いじめと受けとめないのか。単なるからかいと受けとめるのかどうなのか。何かその辺のところが私にとっては非常にまだあいまいもことしておって、ここから上はいじめでここから下はいじめではないというような基準はどうしてもつくりにくいような感じがしますけれども、ただ一つだけ言えることは、昔は兄弟が多くおりましたから、御家庭の中でも切磋琢磨する機会はあった。たたかれれば痛いですから、たたくときには手かげんしなきゃならないとか、弟や妹をほうり投げるときは机とか柱のない、あいている方へそっとほうり投げるぐらいの心の配慮や思いやりというようなものも家庭の教育機能の中であったような気がしますが、このごろは、兄弟の数は、御家庭で兄弟げんかできるような適正規模がない。これはいい悪いの評価は別でございますが、そういうようなことがあって、昔と今とは確かに変わってきたなということは実感でございます。  しかし、国に平和がなければ文化も創造できませんように、学校に平和がなければ児童生徒が個性を伸ばすというような雰囲気もなくなるわけですから、まず緊急に手をつけてあげなきゃならぬことはこのいじめの対策である。私は就任早々、いじめだけはなくし、そしていじめによる自殺はまずなくする。自殺にいかなくても、いじめによって心が傷つけられる児童生徒の数というものは物すごく多いと思いますから、こういったものはなくしていく。そのためには皆様方の御理解と御協力を得るためにも現場の総点検をしなければならぬ、こう思って実態調査をやってみたんですが、必ずしも満足のいけるような十分な調査であったとはまだ思いません。したがいまして、これはすべての教職員の皆さんやすべてのお父さん、お母さんにもっともっとこの問題を厳しく深刻に受けとめていただいて、同時にまた、諸先生方のいろいろな角度の御議論や御指摘もいただきながら対応をしていかなきゃならぬ大変幅の広い難しい問題だと思っておりますが、放置しておくわけにまいりませんので、全力を挙げて取り組んでまいりたいと思っております。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 今大臣のお話を聞きました。しかし、今現在、我々がこうしている間もいじめられている子供があるかもしれない。また、そういうことに対しては緊急の措置というものも必要であろうと思いますが、その点につきましてどういうお考えがあるか、これまたひとつお伺いします。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) この問題については、ここ一、二年大変な関心が寄せられておりまして、文部省としては、昨年既にこういうことを検討するための検討会議を設けたわけでございます。そして、その提案を受けまして、都道府県の教育委員会、市町村、学校、親、そういうものに対する注意を促すような提言があったわけでございます。それを受けて六月に局長通知を出して、実態把握に努められるようにということを指導してまいったわけでございますが、依然として不幸な事件が続くということで、全国的な総点検をやる必要があるということで、悉皆調査によって各学校のいじめの実態調査をやったわけでございます。  いじめの実態調査をやりましたのは、いじめの事実関係を客観的に把握するという統計的な意味合いよりも、それぞれの学校でいじめ問題について校長を初め教職員が一体となって認識し、事実の把握に努めてもらいたいといういわば注意の喚起を促すというような意味合いを含めて悉皆調査をやったわけでございます。  その悉皆調査の結果が既に発表されていますように、小中高を含めて約十五万五千件というような件数として報告されたわけでございます。ところが、その報告の中身をいろいろ分析いたしますと、例えば中野区における事件はこの報告の対象としてとらえられてなかったということの事実関係も新たにわかってきたわけであります。したがいまして、再度その実態調査の結果とそれからそれぞれの取り組みについての注意をお願いするということで、また局長通達を出すというようなことを繰り返してきているわけでございます。そういうことで、それぞれの市町村の教育委員会、学校の末端の段階でまず事実把握に努めていただくということから問題は出発するであろう。  それからもう一つは、いじめの問題は単なる事件として十五万件を追っていって、そして一つ一つを事件処理して解決するというような性質ではない。いわば現在の教育が持っている大きな問題点、それに対する一つの注意を喚起するような事件であろうと思います。したがいまして、通常の教育の場においてそういう子供たちが発生しないように学校における正義をみなぎらせるとか、そして、自然との触れ合いでもっとたくましく生きていくとか、他人に対する思いやりを深めていくとか、そういうような教育の展開が必要であろう。そういう教育の展開を道徳教育であるとかその他の教科の指導で徹底していかなければならないという長期的な対応、この二つの対応が必要であろうと思っております。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 いじめの問題に見られる、今の教育の一番大切なこと、欠けていることは、やはり思いやり、あるいはまた人間としての温かさ、日本人としての自覚、そういうものが欠けているのではないか。学校におきます道徳教育、そういうあり方、こういうものを考え直す、この点につきまして文部大臣としては、道徳教育、そういう点について大臣の御所見をお伺いいたしたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先生御指摘のように、戦後我が国は、ひたむきに追いつこう追い越そうという、欧米先進国型の国になりたいという国民的な目標で走ってまいりまして、物によっては目標は達し、物は追いついたけれども心が追いついておらないのではなかろうか。今日のいじめとか、いろいろそれにまつわる非行の問題や、学校が荒廃しておる問題の大半は、その心、言葉をかえて言えば徳育、そういったようなところにもっともっと力を入れて教育をしていかなければならぬことであろう。先生の御意見に私も同感でございます。  同時に、民主主義は、昔から自分自身を大切にし、個人が立派になり、人に迷惑をかけなければいいという、そういった角度で我々は教わってきた記憶がありますけれども、やっぱり自分だけよければいい、人に迷惑さえかけなければいいだけでは足りないわけでございまして、おっしゃるとおり、他人に対する思いやり、自分に大切なものは人にとっても大切であるし、自分自身が人に迷惑をかけないだけじゃなくて、一歩進んで人のために何ができるだろうか、相手の人は句を困っておるんだろうかというような思いやりの心や温かい心を身につけるということも極めて大切なことだと思っております。  したがいまして、小学校、中学校のレベルで道徳教育の時間にそういったような人間関係、みずみずしい人間と人間との心の通い路を大切にしていくのが社会にとって大切だというようなことを教えていくこと、これは私は非常に大切なことであり、教育基本法に書いております人格の完成を目指す努力というものも、やっぱり完成された人格者というのは、当然そういうものを身につけていらっしゃるのが完成された人格者で、そういったことに向けての道徳教育というものは非常に大切だ。先般も教師の皆さんのいろいろな意見を新聞が世論調査でお調べになっておりましたけれども、こういった心の教育は大切である、父兄の皆さんからの世論調査でも学校で道徳教育をもっと大切にしてほしいという御要望等も出ておるわけでありますから、その線に沿って頑張ってまいりたいと考えております。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 大変力強い大臣の発言がありまして、私どもこれからいじめ問題、そういうことで犠牲者のないように祈るとともに、また、これは私ども自体にもやはり責任があるんじゃないか。政治家にも責任があるんじゃないか。また、第一線で働く学校の先生方だけではなく、家庭教育、いろいろな大きい根本的な問題があろうかと思いますが、全部の人がみんなで力を合わせてこの問題をなくし、そのような社会にしたい、このように私は念願する次第であります。  それでは進ませていただきます。現在、教育課程審議会におきまして、初等中等教育の教育内容のあり方、この審議が行われておりますが、その審議は具体的にどのような問題意識を持って進められておりますか。この問題についてお答えを願いたいと思います。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 現在教育課程審議会では、幼稚園から高等学校までの段階を一貫して検討していこうということで、そしてしかもその一貫性というのは、教育内容についてもそして教材の取り扱いについても、できるだけ基本を重視した一貫的な教育の達成を目指して検討していこうというのが一つでございます。それから、社会の変化、環境の変化というのがありますので、そういうものに対応していく内容を十分考えて二十一世紀を展望した今後の教育はどうあったらいいかというような内容についての検討を行っているわけでございます。  ただいまのところ、総会でいろんな検討を行っておりますが、近く臨教審からの第二次答申が出されて教育内容についても基本的な方向が示されると思いますので、そういう内容を踏まえた上で具体的に論議を進めてまいりたいと思っております。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 次に、学校管理。最近の学校の対応を見ますと、教師が積極的に子供の中に入っていって指導していくという姿がちょっと見当たらないという私は感ずるわけでありますが、これはやはり私の子供のころを思い出しても、ませていたせいか、私ども子供のころ、やはりきれいな先生に教わって、毎日その先生に会いたくなるような、そういう感じがあったわけですね。あるいはまた男の先生に、毎日ドッジボールをやり、あるいはげんこつを食って、裸で相撲をとって、そしてやはり教師と子供の触れ合いがあったわけですね。文教委員の先生方は全部私より専門家ですから、現場で現実に子供を扱った方々がほとんどですから、そういうさっきのいじめ問題にも返るわけですが、やはり教師と生徒という本当の触れ合いがあった。そういうものは五十年もたっても今もって私どもはその当時のことを、日曜日に教師のお宅へ行く、そして奥さんが、給料安かったんでしょうけれども、当時むすびをつくってくれるとかもちを焼いてくれるとか、そういうようなことが、我々としても五十年たって思い出すわけです。今の先生方はそういうことをしているのかどうか。やはり五時になると、あるいは時間になるとすっと帰っちゃって、クラブ活動もやらないというような、私はそういう、懐古調じゃありませんが音の教師と子供の触れ合い、そういうものがちょっと欠けているんだという感じもするわけです。  そこで、先ほどもちょっとお話が出ましたが、四十人学級を早期に実現、そのために教頭を二人制にするとか、全教職員が一丸となって困難な場面に対処していただきたい。校長、教頭の責任は大きく、これを私は、いろいろ日教組は反対すると思いますが、それをバックアップすべき教育委員会もやはり学校の管理運営、そういう面について責任を認識して、正すべきものは正してもらいたい、こういうことを感じるわけでございます。私もこの質問をするに当たっては、やはり自分の兄も県の校長会長もやりましたし、現場の校長先生の御意見も、あるいは現場の教頭、そういう方々のお話を承って四十人学級実現、さらにまた教頭二人制を、非常に今の先生方というのは事務処理とかいろいろなものも多いですね。そういう面について、ひとつこれからの姿勢を明確に、私の質問に答えていただきたい、よろしくお願いいたします。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先生が小学校のころ習われました、大変すばらしい先生に出会った経験を持っていらっしゃること、大変うらやましいと思いますし、同時にまた、今全国で、一生懸命そういったことで時間をかけ、汗を流しておっていただく先生もたくさんいらっしゃると私は信じておりますけれども、しかし現実に、いろいろな問題で交流が足りない、心が足りない、心の通い路がないから教え子と教師の間が水臭いものになっているんじゃないかというようなうわさ等も聞きますので、私はこの間、中学校の校長先生の理事会というんでしょうか、出かけていきまして、一つの私のお願いとして言ってきたんですが、校長先生はお忙しいでしょうけれども、ひとつ校長室のドアをいつもあけっ放しにしておいて、時間があったら学校の中をぐるぐる見回っていただいて、困った顔をしておる子供がおったら何しているんだと声をかけていただきたい、手をやいている先生があったら、ともに力を合わせて解決に取り組んであげてくださいというようなことを心からお願い申し上げましたのも、今先生がおっしゃるように、学校の中というのは、もうちょっと先生や校長先生や児童生徒等の心の通い路というものが大切ではなかろうか。それができれば教育にまつわるいろいろな荒廃というあの砂をかむような言葉もなくなってくるんじゃなかろうかと思うんです。私どもの記憶からいきましても、いろいろあああのときこうだったなというやっぱり先生に思い出はいっぱいございます。テストをやって、私の点がすく悪いときなんか、どうしたんだ、君はもう少し頭のいい子のはずなのになんて書かれると、ああできなかったのは今だけで、先生はちゃんとわかっておってくれるんだなというのが大変心の救いになったことを今でも私は覚えておりますし、先生とのそういう小さな言葉の交わし方、接触というものがどんなにか学校全体を活力ある教育の場にしていくかということを思いますと、私は、今井上先生おっしゃるような、学校の現場というものがより一層強くなっていくことを心から願っておるわけでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 大臣も時間でございますから、教師の使命感、教員の使命感を高めるに、教員実習、その日数をさらに長くとること、あるいはまたこの養成の段階において十分指導していただく、初任者段階での研修を充実させる、あるいは臨時教育審議会の「審議経過の概要」の中で示されてい る初任者研修制度は、私は重点的に実践を通じて研修を行う、教師の使命感を養う上で大変効果的なものであると思いますが、臨教審の答申が出された場合、これをぜひひとつ実現させていただきたい、そのように考えますが、大臣の御所見を伺います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 教育は人なりという言葉がございますけれども、私はやはり教育は児童生徒と直接触れて御指導をいただく教師の人格とか指導力とか、そういったものによって大きく左右されるもので、やっぱり教育専門家として教壇に立っていただく先生方に自信を持って実践的指導力を身につけて、そして使命感を持って臨んでいただきたい、これがもう心からのお願いでございます。  したがいまして、その教員養成の段階で、教員養成は今のままでいいんだろうか。特に教員養成の段階における教育内容を精選したらどうかという御意見も随分ございます。また、ただいま先生御指摘をいただきました採用された教師の新任教師の研修の問題も、実践的な指導力を身につけて教壇に立ってもらうためには極めて大切なことであり、現在もたしか二十日間と記憶しておりますが、研修の期間がありますが、臨時教育審議会においてはそれでは少ないのではないか、もう少し長くして実践的指導力を身につけていただくことが児童生徒のためでもあり、また、教師として教壇に立っていただく先生のためでもあるという角度で議論、検討が進んでおり、近く答申がいただけると思っております。現職既に五年目の教師の人々の現職研修という問題は既に文部省も着手しておりますし、また、現職の教師の皆さんに何千人という数で海外研修旅行に出ておっていただく制度も既に先生御承知のように始まっておりまして、いい教育をしていただきたい、経験を積んで指導力をより一層高めていただきたい、こういう角度からやっておりますので、養成の段階、採用の段階、研修の段階すべてを通じて使命感を高め、よりよい実践的指導力を高めていただくように願っておりますので、具体的に御指摘のありました初任者研修の問題等につきましては、臨教審の答申を待ち、各都道府県教育委員会とよく連絡、協議をいたしまして、実現に向かって努力をしていきたいと考えておるわけでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 どうぞ大臣、結構です。

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 大臣、御退席いただいて結構です。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 次に、十八歳人口に対応いたしました高等教育の整備、特に私学の問題、御案内のように、六十七年をピークに十八歳人口が増加し、また、その対策として恒常的定員及び臨時的定員の計画を立てておりますが、その進捗状況はどうなっておりますか。  この私学の問題につきましては、大臣の所信表明を見まして、非常に我が党も文教部会の方々を中心として今年度の予算も大蔵へお願いして、百点満点とはいきませんが、まあまあの成績をおさめた。これは、文部省の強い姿勢、また、我々政党政派を超越した私学に対する情熱、そういうものが実ったせいでもあろうと思います。しかし、いわゆる予算的な問題、これは解決したわけでありませんが、ことしはまあまあの線に行った。しかし今後、六十七年からいわゆる人口が減るわけですから、これはピークからずっと減るわけですから、そのときの対応、そういうものをひとつ細かくお願いをしたい、このように考えるわけでございます。進捗状況の問題とともに、昭和七十四年が百五十万、その後は百三十万に減少します。この対策を今どのように考えておりますか、それをひとつお答え願いたいと思います。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 先生御指摘のように、昭和六十一年度から十八歳人口の急増が始まりまして、昭和六十七年度をピークといたしまして、その後減少に転ずるわけでございます。文部省といたしましては、大学設置審議会に新しい計画的な整備の方向を御提言いただきまして、その方向を踏まえまして、基本的にはそのピーク時における大学、短大等の進学率はそれ以前の進学率を維持するということを一つの基本といたしまして、同時に、その後の減少ということも踏まえまして、ピーク時までの増員というものを、いわゆる恒常的定員増のほかに、期間を限りました臨時的定員増ということを併用いたしまして措置をするという考え方に基本的に立って、必要な措置を講じておる次第でございます。  その線に沿いまして、六十一年度におきましては、国立については主として臨時増募ということで、四千九百七十人の臨時増募を含みまして五千六百六十五人の定員増を措置をいたしましたが、同時に、私立及び公立の恒常定員増、臨時定員増、全体合わせますと、前年度に比しまして約五万人の学生定員の増員ということになっておるわけでございます。全体のピーク時までの予定数値と比べますと、大体この数字が五八%程度の増員率というような形になっておりますが、これによりまして六十一年度の受験生の御希望ということには一応おこたえができておるのではないかというふうに考えておるわけでございます。  なお、御指摘のように、さらに今後六十七年度以降の減少ということを一応踏まえまして、ただいま申し上げました臨時増募というようなこれまでなかった措置をとったわけでございますが、さらに減少が続くということも予想されますので、この点につきましては、また引き続き検討すべき重要な課題であるというふうに考えておるところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 ことしも東北あるいは四国、南九州、そういうところで大学また短大の定員割れがあったということを聞いておりますが、その定員割れというのは事実でございますか。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 全国的に見まして、私立の大学、短期大学全体といたしまして、今定員どおり入学していないいわゆる欠員の数が、昭和六十年度では全国で約一万五千人という数になっておりまして、これを入学定員数との比較で見ますと約三%という数字になっておるわけでございます。  その内訳を地域ごとに見ますと、御指摘のように、比率で申しますと、北海道地区が六%、北東北地区が九・一%、あるいは四国地区が九・四%、北九州地区が六・二%というような数字になっておりまして、地域による差がかなり見られるということは御指摘のとおりでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 そうしますと、これらの大学、短大が今まで日本の教育に多大の貢献をしてきたわけです。これがそういうような状態になりますと、経営という面につきましても行き詰まる。そういう点において文部省は援助策を考えているのか、その点もひとつお伺いいたしたいと思います。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 高等教育の整備を図ります重要な観点の一つといたしまして、地域的な配置の均衡ということが指摘をされておるわけでございまして、その線に沿いまして、私どもといたしましては、一つは大都市集中ということをできるだけ抑制をするということでずっと努めておりまして、その結果、例えば東京二十三区における大学、短大の在学者数が全体に占める割合というのを見ますと、昭和五十年度には三〇%が在学しておったわけでございますが、十年後の六十年では二二・六%ということで、かなり大都市と申しますか、東京だけについて見ましても、そういう状況が見られるわけでございます。基本的にはそういうことで、各地域地域に特色のある高等教育機関が地域と密接な連携を保ちながらぜひ発展をしていっていただきたいということで、私ども、全体の均衡のとれた発展ということに意を用いた認可その他の努力ということはいたしてきたところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 そのために、都市の大学と地方の大学と相互乗り入れですか、そういうものもあっていいんじゃないか。さらに、外国の大学と日本の大学、この吸収合併というようなことじゃなく、いろいろなものをひとつ考えて、やはり水は高いところから低いところへ流れる、人は必ず低いところから高いところへ行くんですね。そういう原理がありますから、やはり私はこの大都市中心の教育のあり方を、名前は言えませんが今各私学、私立の大学が各地方へ行くというお話も聞いておりますが、私は大変いいことだと思いますが、その前に、今の都市の大学と地方の大学、そういうものの交流あるいは外国の大学と日本の大学の、吸収合併じゃなく、そういうものを進めるお気持ちがあるかどうか、また、そういうものに対しての御援助、そういうお考えをお聞きいたしたいと思います。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 御指摘のとおり、いろいろな特色を持ちました大学が相互に交流、協力し合うということは、我が国の高等教育の発展にとっても大変望ましいことであるというふうに私どもも考えておるところでございまして、その意味では、単位の互換というような制度も既に開きまして、ほかの大学で勉強をするとその成果を当該大学の単位に認めてあげる。さらに発展をいたしますと、教員が交流をする、あるいは一緒に適切な課題について共同研究をするというようなことで、大学間の交流、協力が大いに発展をしていただくことが大変有意義だと考えておる次第でございます。  現在、そういういろいろな制度的な措置も努力をしておるところでございますけれども、さらにそういう交流、協力の発展のための適切な方策ということにつきましても、重要な課題として取り組んでまいりたいと思っております。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 私学におきます諸問題は、この間も田沢先生からも詳しく私学としての立場、いろいろお話があったわけです。また、私どもも、党としても強く働きかけるわけでございますが、今お話を聞いていて、非常にこれから、今年度からは学生数がふえる、そして六十七年からは減るわけです。私学自体もこの日本の教育のために、国がお金がない、そういうときに私学が守ってきたわけですから、しかも、この高等教育の八〇%近いことを見てきたわけですから、その私学が、何回もくどいようですが、六十七年からはどっと減っていくということで、非常に先行き困るということでございますので、文部省は、ひとつ今からその対策を立てて、救助策、あるいはいろいろな面で私学の団体の方々とも相談をする、これはひとつお願いをいたしたい、要望さしていただきたいと思います。  工藤政務次官、御自分でも現場におり、文教行政のベテランであり、行政面にもある方ですから、できれば工藤政務次官のひとつ強い御所見をいただければ幸いでございます。

工藤巖自由民主党・新自由国民連合文部政務次官

○政府委員(工藤巖君) 我が国の教育の中で私学の果たす役割というものが大変大きなものがございますことは、ただいま井上委員の御指摘のとおりでございます。特に高等教育の場におきましては、学生数のおよそ七五%が私学に依存をしておる。しかも、私学は、それぞれの建学の精神をもってあらゆる困難を克服しながら特色のある教育を進めてきておるわけでありまして、我が国の教育に私学の貢献しているところは極めて大きいと言うことができるわけであります。また、御指摘がありましたように、昭和六十七年をピークとする十八歳人口の急増に対応いたしまして、私学に期待をしなければならない要素もまた多々あるわけでございます。  そういうわけで、文部省といたしましても、従来とも私学の振興は最重点課題の一つとして取り組んできたことは御承知のとおりでございまして、今後とも教育研究条件の整備に、あるいはまた父母の負担軽減のためにもでありますが、私学振興助成法の趣旨に沿いまして、私学の援助については十分に力を入れてまいりたいと考えておるところであります。  今、いわゆる行革臨調で各経費が削減されつつある中でありますけれども、私学の補助金につきましては、今年は前年同額のおよそ二千四百三十八億という金額が計上されており、さらに施設の助成、私立大学等の研究装置等の施設整備費補助については、前年よりも一割増しの補助金が計上されているわけでございます。今後とも、私学の助成については重点課題として取り上げてまいりますとともに、六十七年以後の生徒が減少してくる段階においてのことも考慮に入れて配慮をするようにという御趣旨を十分踏まえながら、私学関係者とも協議をしながら、遺漏のない体制をとって進めていきたいと考えておるところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 大変明快な御答弁をちょうだいいたしまして、ありがとうございました。ひとつ文部大臣、文部政務次官、ともに私学に対します御助成をお願いいたしたい、このように考えております。  次に、私は医師、歯科医師の過剰問題についてお伺いいたしたいと思います。  この問題は、昨年、参議院の本会議で当時の中山幹事長が質問なさり、また、予算委員会あるいは社会労働委員会、各所でやっているわけですが、今回、歯科医師の過剰問題、医師も七十年には一〇%あるいは歯科医師も二〇%も削らなくちゃならないということを厚生省から答申が出ているわけですが、私はその問題について、時間がありませんので、ちょっと突っ込んでお願いしたいわけですが、厚生省としてどのようにこの問題を考えているか、それを概略で結構ですからひとつお伺いいたします。

三井男也厚生省健康政策局歯科衛生課長

○説明員(三井男也君) 厚生省におきましては、歯科医師の適正数ということにつきまして、昭和四十五年に、昭和六十年までに人口十万対五十という目標を掲げたわけでございます。この目標を既に達成されたということでございまして、五十九年のデータでございますが、今日では歯科医師数は六万三千百四十五人ということでございまして、人口対に直しますと、十万対五十二・五というのが現在私ども手元に把握しておる数字でございます。今後の養成数等の推移をそれに合わせて見ますと、昭和五十七年にはおよそ十万六千人という歯科医師になりまして、人口対では十万対八十三人ということになりますし、昭和百年には十五万四千人という歯科医師になりまして、百二十一人という割合になるわけでございます。  このような割合を諸外国、先進諸国との状況におきまして比較をいたしてみますと、我が国の増加の曲線は大変急カーブを描く。例を見ないのではないかというふうな問題、また、先進諸国におきます疾病構造の変化、具体的には齲蝕の著しい減少というものを見ますときに、我が国における需給のバランス等について慎重に対応していく必要があるというふうに厚生省としては考えておりまして、先ほど先生おっしゃいましたような答申を受け、私ども、昭和六十年一月に文部省に格段の御配慮をお願いすべく、現在お願いしておるところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 ただいま厚生省の歯科衛生課長から御答弁伺いましたが、まさにそのとおりなんですね。しかし、これは厚生省でやることはできぬ。やっぱり主管は文部省でございますから、文部省としてぜひこの問題を早く解決していただきたい。  そこで、例えば一昨年医科大学三校、またことしは歯科の大学、東北大学の歯学部、これ一校、わずか二十名ですが、こういう問題をやっていただきましたが、これはもう本当に今の状態としてはどうにも焼け石に水でして、今の厚生省の答弁でも、歯科医師需給に関する検討委員会、もう二〇%何としても早くしなくちゃならない。こういうところから見て、昭和五十年当時の水準に戻す、こういうことが一番必要なわけですが、昭和五十年度以降、六年間に拡大された入学定員の増加は、国立が一一五%で四百六十、私立が一四%の三百、国立が著しい増加を示しているわけですね。私立歯科大学及び歯学部におきましては、定員削減、お互いに前向きで検討をされておりますが、先ほど言いました、やはり私学におきましては経営基盤の安定という重大な問題が絡んでおります。非常に難航が予想されるわけでありますから、ひとつぜひ国立の大学を早く、来年からお願いをいたしたい。この点について当局の御答弁をお願いいたします。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 先生御指摘のように、歯科医師の需給状況がいわば供給過剰になりつつあるのではないかという御心配をかねてからいただいておるわけでございまして、厚生省の検討会議でも、中間的なものではございますが、既に御報告をお出しになり、また、その結果を踏まえた厚生省からの御連絡もいただいておるところでございます。  文部省といたしましては、厚生省の御検討がまたさらに続けられて、いずれ最終的な御結論が出るというふうに承知をいたしておりますので、その検討の状況も十分見守らせていただきながら、同時に、全体の供給過剰基調というものに適切に対応しなければならないだろう。その際に、やはり教育研究条件の充実でございますとか、将来にわたる歯学教育のあり方でございますとか、さらには、せっかくのすぐれた先生方、施設設備を持っておられる歯学部自体の新しい御活躍の可能性というようなことも含めまして、歯学教育改善会議というようなものを設けましていろいろ御検討を賜っておるところでございます。  ただ、そういうことではございますが、問題が重要でございますので、ただいまお言葉ございましたように、六十一年度には東北大学の歯学部について二十人入学定員減ということをさせていただきました。また、私立歯科大学の方でも、いろいろ経営問題がある折からではございますが、既に、昭和六十一年度入試につきまして募集人員の減を行うことが望ましいというような申し合わせもいただきまして、五大学で八十七人程度の募集人員減が行われたというふうに承知をいたしておるわけでございます。  そういうような状況下に現在おるわけでございますが、ただいま申し上げましたような各方面の検討状況等もにらみ合わせまして、国公私を通じまして適切な措置がとり得るように努力をいたしたいと思っておるところでございます。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 局長の御答弁、本当にありがたいですが、東北大学で二十名減らしていただいた。これは、大体一人五千万かかるんですね。そうすると、二十人で約十億。非常にお金のないときですから、これは財政的に非常に助かるんじゃないだろうか。しかも役所というのは、一人でも定員を減らされるのは本当に嫌な気持ちはよくわかりますが、これもひとつ、ことし医科の方が三つやったのがいろいろな圧力で二つになっちゃった、そういうことですので、何としても六十二年度は、一校二校じゃなく大幅にこれを減らしていただきたい、それをひとつ御答弁をお願いいたします。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 一人当たりの経費については、何か多少違う数字を持っておるようでございますが、それは別といたしまして、先ほど申し上げましたように、全体の基調の中で、歯学の場合には先生御承知のように私立が七割を占めるというような状況もございますが、国立につきましては文部省が直接責任を負う立場にあるという状況にもございますので、両方それぞれの状況を勘案いたしまして努力をさしていただきたい。ただ、地域社会その他からのいろいろまた強い御要請、御要望というのが片やございましたので、それらの状況もあわせて判断をしながら、努力をさしていただきたいと思います。

井上裕自由民主党・自由国民会議

○井上裕君 答弁が非常にまじめな答弁で、時間がなくなりましたので、大臣、政務次官の御答弁をいただけば一番いいんですが、もう時間がありませんので、私の考えていることを……。  獣医学、獣医の方がことしから六年制になった、薬学も四年を六年にしている。まあ高桑先生、世耕先生も大専門家ですから、医科大学も今六年やって二年の研修制度、これ約八割いっているんですね。そうすると、八割ということは、もう八年制の大学にした方がいいんじゃないかというやはり学者の中のお話もありますし、そういう中でいろいろひとつ文部省としてもお考えをいただきたい。  それから、今度の日航機事件それから熱川の問題、あれはもう本当に新聞、テレビで御存じのように、これは歯科医師の果たした、法歯学、一番これが決め手となったわけですね。号やなんかじゃ決め手にならないわけなんです。歯の崩出、歯の退行性病変といいまして、皆さんが神経と言いますが、歯髄の状態によって年齢がわかる、歯の摩耗によって年齢がわかる、あるいはその治療によって社会的地位がわかる、あるいはいろいろな歯質によってどこに育ったかもわかるような今段階になっているわけですね。その法歯学そのものが医科大学におきましては法医学の中でやられているんですが、歯科の場合には法歯学の講座を持っている学校もあるわけですが、国立てはまだそういう講座がないわけです。こういう問題もひとつ将来やはり大学教育あるいはまた教育内容、そういうものの中に、この日航機の事件を契機に――こういうものがあってはならないんですが、これはまた警察庁で、科ども陳情しているんですが、いわゆる警察医嘱託医制度、警察歯科嘱託医制度あるいは警察に歯科の協力医制度、そういうものを求めて全国的な状態の中で歯科の法歯学をやる、そのためにも専門的な問題をやはり教育の内容の中に入れていただきたい。大臣席にお帰りになりましたし、政務次官もおいでですが、もう時間がございませんのでひとつ要望して、特にこの定員の問題は六十二年度の概算要求に五校といわず何としてもこれはやはり定員を減らしていただきたい、こういうことを強く要望して、私の質問を終わらしていただきたいと思います。  ありがとうございました。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 それでは最初の質問は、今度の臨教審の教育改革の中で基本的な原則とされている個性重視ということについてまず伺いたいと思うんですが、臨教審の改革の柱として流れているのは、最初は自由主義、自由化というのが出ておりましたですね。それから個性主義、個性尊重、今個性重視という言葉が使われているわけであります。第一次答申の九ページに「個性重視の原則」というのがございますが、後でこの内容について質問させていただきますが、ちょっと驚いたんですけれども、十ページを見ていただきますと、個性という言葉が二十五行の中で十四個出てくるんですよ。何とこせこせと個性が入っているのかなと実は驚いたんです。ですから、こうなりますと個性とは何を言っているのか。個性の定義について、大臣に伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 日ごろ簡単に私どもも個性個性と申しますが、個性の定義と言われますと、それぞれの人が自分の生活体験を通じてきちっと身につけてきて、守るべきものとして確立しておるものがそれぞれの個性ではないだろうか。そして、その個性にはやっぱりいろいろな資質やいろいろな能力が入っておって、得意とするものや得意としないものや、あるいは人によって感動をするものの対象が違っておったり、いろいろあろうと思いますけれども、やっぱりそういったものを全部含めて他人にない自分自身のものというものが個性ではなかろうかと、私はそのように受けとめております。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 ちょっと似ているけれども、違うらしいですよ。広辞苑という字引を引いていただきますと――これは岩波書店ですね、個性は、「個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。」なんですね。だから、これは医学的に言うと、素質、つまり遺伝なんですよ。だから、個性というものは変わりゃしないんですね。変わることがない。遺伝でございます。これは非常に重要なポイントでございまして、ひょっとしたら臨教審も間違っているんじゃないか。私、字引を引いたのは、私の考えで言うとまずいと思って申し上げたんです。個性というものはこれは遺伝なんですね。遺伝子に入っているものなんです。したがってこれは変わらないということを念頭に置いていただきませんと、どうもこの言葉が、個性というのと、個の確立と僕が申し上げたのとは違いがここにある。申し上げたのはこれなんです。  それじゃ、大臣にひとつこれを見ていただきます。六月二十六日に出た第一次答申の九ページ、「(1)個性重視の原則」とありますね。――ありますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) ちょっと済みませんが、資料を正確に出させます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 この「個性重視の原則」の最初の一行目のところで、「個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立する」、これが第一次答申の基本的原則というのに入ってきておりますから、非常にこれは大事な部分だと思うんです。  それで十ページを見ていただきます。「各個人はそれぞれ独自の個性的な存在である」、この「的」がつくというところがこれはまた大事なところなんですね。個性ではないんですね、「個性的」なんです。確かに、個性があって、その上に教育だとかいろんなことで修飾されてくるんで、個性的なんです。これは結構だと思うんです。だから、「個性的な個人が集まって集団の活力を形成している」、そのとおりでございます。  その次なんです。「個性とは、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している。」、これ、僕はどうしてもわからないんです。そんなことはないんです。個性とは「個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格」なんですね。広辞苑の②というのも、「個物または個体に特有な特徴あるいは性格。」。つまり、集団に個性というのはないんだな。だから、これはまず間違いではないか。お考えありますか。――レクチャーだと思って聞いてくださるなら後続けますけれどもね。お困りですな、

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 率直に言って困っておりますし、まことに申しわけありませんが、私は先生の経験豊かな学識に物を申し上げる知識はございませんので、臨教審の事務局の次長も来ておりますので、おまえ答えられるかと言いましたら、私も書いた本人ではございませんのでと、そう正直な感想を漏らしております。――よろしゅうございますでしょうか。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 それでは、大変恐縮ですが、半分レクチャーを兼ねて聞いていただきます。  「それぞれの個性は相互に無関係に孤立しているのではない。」、これもはっきり違いますよ。孤立しているんですよ。その人にしかないんだから、何にもよそと関係があるんじゃない。ただ、親の遺伝子をもらっているから、子供と親は関係ある。しかし、友達とはもう関係ないんです。だから、「個性は相互に無関係に孤立しているのではない。」、違う、孤立しています。これ、困っちやうんですね。――お読みになっていますね。まあレクチャーだと思って聞いていただきます。よろしいですね。  そしてその次の次のパラグラフ、「このように自他の個性を知り、自他の個性を尊重し、自他の個性を生かすことは、個人、社会、国家間のすべてに通ずる不易の理想である。」、ぼんやり読むと立派に聞こえますけれども、「個性を知り、」というのは、個性には長所と短所があるわけなんです。だから、これは文言を入れますと、自他の個性の長所、短所を知り、なんです。「自他の個性を尊重し、」、これは違うんだ。個性の長所を尊重しなきゃいけない。短所まで尊重してもらっちゃ困る。「自他の個性を生かすことは、」、これは長所を生かしてもらわなきゃいけない。短所は入ってこないんですね。  一番最後の行ですけれども、下から二行目から、「豊かで、多様な個性は、」と、そんなことはないんですよ。個性は一つか二つか知らぬが、これは豊かで多様ではあり得ない。個性というのがあるんです。「基礎・基本の土台の上にはじめて築き上げられる」、これ、おかしいんですよね。私の言葉をして言わしむれば、「豊かで、多様な個性は、」じゃないんだ、豊かで多様な個は――個人の個なんです、個性じゃないんですね、遺伝子じゃないんだから。個は、基礎・基本のということは、何の基礎・基本だか、上の方を受けているようですけれども、個性という基本の土台の上に築き上げられる、これならいいと思います。  ですから、私はこの十ページに十四の「個性」が出てくるのをさっきこせこせと申し上げましたけれども、これは非常に、個性と個というものの定義、それがはっきりしておらぬですね。どうもはっきりしないように思って個の確立を主張したんですけれども、私は、海部さんとお話しをする機会があると思ったんで、少し勉強をしてみたんです。そうしましたらね、この個性というのは、例えば十ページの上の四行目に行きますと、「個性とは、」というのを特色という言葉に置きかえる。個性豊かな文化なんてないんだ、特色豊かな文化でなきゃだめなんです。特色というのならいいけれども、個性という言葉を集合体に当てはめることは不可能なんだ。それから、九ページの、「個性豊かな文化の創造」というけれども、「個性豊かな文化の創造」というのは、個性というものは創造できるものじゃないんだ。だから特色豊かな文化の創造というんならいい。だから、ほとんど「個性」と書いてあるのは、集合名詞に与えられたものなんですから、特色に富んだとかという言葉になるはずです。創造というからには変わるということなんだから、個性じゃないですよ、これ。ですから、私が申し上げたのは、個性重視ではないと言ったんです。個性重視という意味じゃない、個の確立てなければならない。私の教育改革の基本理念として、私が今申し上げているのはそこなんです。個性と個の確立は違うんですよと申し上げたのを私も一遍詰めてみたんです。詰めたら、どうもこういうことですね。だから、やっぱり私の考えておったことの方が僕は正しいと思っています。  それで、そうすると個の確立というのはどういうことか、個性との違いは。個性は素質以前ですね。そして、その長所は伸ばし短所は抑えていくという必要があるわけです。その伸ばしたり抑えるのは何によってか。それは教育とか環境ですよ。そして個性をプラスアルファ、つまり教育とか環境によって個というものが次第にその年齢に応じた個が形づくられていくと、それを私は個の確立と申し上げた。したがって、その個というものをどのように確立させていくか。そして個が確立されるのは何のために必要か。私は今四つ挙げてみます。  一つは、民主主義の原則なんですね、個というものは。個の尊厳と書いてあるのは、これ民主主義の原則ですよ。個をとうとぶ、個の権利をとうとぶ、だからこれは、個の確立というのは一方では民主主義の原則なんですね。  もう一つは、まあ順序は不同ですが、国際化ですよ。自分の顔を持っていない人間は外国へ行って相手にされない。だから自分の意見を持たない人間はだめ。ところが日本人は個がないんだ。集合ですよ。画一と文部省はおっしゃっていたけれども、しかし日本人の行動はほとんど集合です。大学紛争もそうでした。セクト、内ゲバ、全部集団の行動であって個ではなかったわけです。その中でいじめも起きているということです。ですから、国際化にまず個というものがなければ、国際人として外国人としゃべったときに、おまえはだれの話をしているんだとなりますから、これはやっぱり個の確立が必要だ。  三番目は生涯教育ですよ。つまり、個の確立というからには、自分がその時点で自分はどういう人間であるかということを自己評価しなければならぬのです。つまり、自己評価をしたからには、足りない部分はもっと勉強しよう。生涯教育。ですから、個の確立というのは生涯教育の基礎的理念でもある。  そして四番目に、今アップ・ツー・デートで問題になっているいじめという問題がある。後でいじめの問題はまた論議さしていただきますが、なぜ集団の中でいじめが行われるんだろうか。昔は個人であった。確かにそうですね。私もそういう経験がある。今はなぜ集団なんだろう。その集団というものの中に傍観者がいるということが非常に大きいんですね。私は、この傍観者というものはやっぱりこれは本当にうまくない。罪悪じゃないかと思っているんです。  だから、そういった問題を考えますと、私は個性重視という考え方は間違いではないか。これは文部省に申し上げているんじゃなくて、文部省を通して臨教審に申し上げているつもりです、これ は間違いではないのかと。個性尊重とか個性重視という言葉は、どうも私は医学的な考えで言うものですから明快に物を言い過ぎるかもしれませんが、素質以前となりますと、尊重なんかしたって困るわけですというのが一つあります。  それでもう一つ申し上げたのは、個性重視ということは教育を施す側が言っているのであって、重視される側の子供は、世の中へ出ていってみたときにだれも重視してくれなかった、私の個性を重視してくれなかった。じゃ、だれの責任なんだという話になりはせぬか。つまり、甘えの構造が出てくるのではないか。本人は、私は個性がある、こんなに立派なのにだれも認めてくれない。一方ではナルシシズムというのになるんじゃないですか。自己陶酔ですね。おれは立派なはずなんだ、世の中が悪いんだというようなことを言って、酒にでも酔って中毒にもなるかもしれません。ですから、これは甘えの構造ではないのかというのを私は危惧をするわけです。この定義から言うだけじゃなくて、私はやっぱりそういうことがあるんじゃないか。そうすると、個性を重視するのはだれなんだというと、自分でなければならぬのです。自分が自分の持っている個性を、そしてその長所を大事にする。そうでなかったら、その個性を伸ばすことはできない。つまり、個性を大事にする、それは自己評価ということと裏表になるわけです。だから自己評価をしていく。そしてそれがさっき言った生涯教育につながる、これが私の言う個の確立なんです。だから個というものは個性の基盤の上にプラスアルファ、そのアルファが教育であり環境ではないか。学校教育だけじゃございません、もちろん。  それからもう一つ申し上げておくべきだと思ったのは、海部さんのお話の中から私はそう思ったんですが、だから個性イコール能力じゃないんですね。個性と能力は違うわけです。個性というものは遺伝だと申し上げている。だから、その中にプラスアルファで何が自分のものになっていったかが能力になるわけです。そして、その能力が自分自身の確立だと、これを僕が申し上げたので、したがいまして、教育という言葉がみんなそうなんですが、日本の教育というのは教え育てるという教える側の言葉ですよね。教える側なんですね、教え育てるんですから。ところが、英語はエデュケーションでしょう。エデュケーションのエデュースというのは、隠れた能力を引き出すということになっていますよ。隠れた性能を引き出すというのがエデュース。それで、エデュケーションというのは、その人の能力を引き出してやる、持っているであろう能力を引き出す、プラスしてやる、育ててやる、こういうことがあると思うんです。ドイツ語のエルツィーユンクというのもそうです。エルというのは外へということでございます。ツィーエンというのは引っ張るということです。引き出すというのが教育なんですね。ですから、日本語の教育はどうしても教育サイドの言葉である。子供たち、教育を受ける人間を主体に考えていないのではないか。こういうことが言葉の上からも言えるし、個性重視というのが同じような意味で使われているのではないか、こんなふうに私は思ったわけですが、お話があれば承りますよ。なければ続けます。

齋藤諦淳総理府臨時教育審議会事務局次長

○政府委員(齋藤諦淳君) この問題は、臨時教育審議会の総会で議論をして書かれたものでありますので、私がその多くの意見を申し述べるということは不可能だと思いますけれども、状況だけを簡単に申し上げることはちょっとお許し願いたいと思うわけでございますけれども、一つの大きな考え方としまして、日本の教育というものが過去非常に画一的であった。画一と集団の中で、個性という、個人というものが埋もれてしまっておった。そういう意味で、その個性であるか、個であるかということは別にして、とにかく一人の人間というものをそれをひとつ見出していくというのが今度の教育改革の大きな方向であるという、そういうような考え方でこの個性の重視という言葉が出てきたわけでございます。  なお、その過程におきまして一部の委員から、先生今おっしゃったのと同じような趣旨であろうかと私はそんたくしておるのでございますけれども、とにかく人間の個性の育成には壁というものが必要である。つまり、何といいますか、教えられる目標なりあるいは望ましい考え方というものがあって、その壁にぶつかることによってある個というものが伸びていくんだという、そういう考え方を非常に言われた方もおられます。それが個性重視ということになれば、まさに今お話しがございましたように、いいのも悪いのも個性であるから、それをすべて伸ばすのかというような意見もありましたですけれども、しかし、そういう意見を含めながらも、大数としては、とにかく今は非常に集合的になっており、画一的になっておるので、その中でまず個性を重視するという、それを共通項として出していきたいのだという、こういう議論が盛んになされたわけでございまして、そういう状況を説明さしていただきたい、こう思うわけでございます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 私も第一次答申を隅から隅まで読んだんじゃないんです。個性重視というのはどこかなと思って読んだので、だから文章として、個性というのが二十五行の中で十四個出るというのは、少し僕は文字をとうとぶ文部省として――文部省じゃないですね、臨教審ですね、失礼しましたが、としては、やっぱり表現というものは大事ですから、同じ言葉をそうたびたび使うのはやっぱり文学約何とかに大変乏しいとかって言われますよね。だから、これはやっぱり表現も考えるべきだし、今申し上げたようなことを今後念頭に置いていただきたいということでございます。  次に、大学入試のことで先ほどからも再々質問がございまして、総理大臣と文部大臣との間の意見の相違等々がありまして、私も大変興味深くあれは承っているんですよ。決して海部さんを困らせるつもりではございませんけれども、まず私、マークシート方式のことを聞いてみたいと思うんですが、総理大臣が言われたのかな、マークシートは非人間的だとか。どこが非人間的なのか、文部省の知る限りの御答弁をお願いいたします。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 既に先生御承知のことを私申し上げる結果になろうかと思いますが、マークシート方式はいわゆる客観テストの手段であるわけでございますが、その特色といたしましては、やはり客観的、公平な判定ができる、あるいは正確性、信頼性、さらに迅速性というような長所がございます。またその反面、表現力でございますとか記述力、あるいは各個人個人の創造力というような点の評価が非常に難しい。あるいは個性――また個性という文字がここにちょうど答弁書に出ておるのですが、個性表現ができにくいというような点が従来から指摘をされておるわけでございます。  それで、ここから先は推測でございますが、いわばそういう個人個人の持っている特性のようなものの判定、測定ということには不向きであるという点をとらえられて、恐らくそういうような表現をお使いになったのではないかと推測をいたしておるわけでございます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 マークシート方式が、人間が答える限りにおいては人間的でないということはあり得ないですよね、これは。それで、例えば考えないでチェックしているとかという、これは総理大臣が言ったんだったか、というのが僕の耳に入っているんですけれども、考えないでというのは、鉛筆を立てて倒したら何番目に落ちたかということですね。非常に単純に統計学をお話ししますと、六つの選択肢がある。どこだかわからぬけれども当たるかもしれないといってぼんとやった。そうすると、例えば一が出る確率は六回に一回ですね。六回に五回は間違うわけですが、一回は当たります。しかし、その下にもう一回六つの選択肢がありますと、正確なところにもう一回落ちるためにはもう一回六分の一の確率なんです。ということは、六、六、三十六回に一回しかない。それが偶然うまくいった人は、頭で全然考えなくてうまくいったら、これはもう特段に入学さしてもいいんじゃないか、三十六回に一回の確率しかない偶然なんだから。ですから、選択肢の使い方によって幾らでもなる、こんなものは。  それから、機械が読むのはけしからぬというのを、これも総理大臣だったか、何でも総理大臣が言ったような気がしちゃって申しわけありませんけれども、しかし、機械だから読み違いがないんですよね。人間だったら読み違うわけです。疲れたりするとますます読み違う。だから、人の読み違いの方が危険がございます。機械の方が極めて正確である。これはまあ局長おっしゃったのと同じでございますね。それは確かにそうだと思うんですよ。それから、やっぱり大量処理ができるということですよね。もう個人がやっていったら大変なものが、大量処理ができる。そして、さっき言ったエラーがないということであります。  ですから、後で共通一次にはまた改めて触れようと思いますが、国家公務員の採用試験で、これは予算委員会の総括で伺ったのですけれども、これも面倒だから私からお話しいたしますが、人事院の方のお話で、コンピューターと連動しない段階でマークシートを使っていったのが昭和二十三年、連動きしたのは四十三年だそうです。ここに高級官僚がいっぱいおられますが、みんなマークシートで入ってきたわけです。非人間的テストを受けてきたのではないかということでございまして、これはもう情報化時代を全く何と思っておられるのかと思うんですよ。マークシートは情報化時代には最も利用すべき方法の一つなんですね。  ですから、記述式の話はまた後で時間を見ながらお話しをさしていただきますけれども――いや、今記述式と比較した方がいいですね。記述式というのは、今個性がどうとかおっしゃったけれども、記述式には考えるプロセスがあるとおっしゃったけれども、これは僕は考えてみたんですよ。結論がAはBであるとしますね。しかし、考える過程が大変おもしろくてなるほどと思ったけれども、結論がBではないとなった。片方はAはBだとなっている。結論ははっきり違うわけです。そうすると、考える過程に採点するのだろうか、間違ってもですね。その間違い方がどれくらい違ったというのを判定する基準があるだろうか。ですから、考える過程でそれを採点するのなら、記述式は私はおもしろいと思います。しかし、大学受験者三十何万人ですよ。全部同一判定基準で考える過程を検討できるでしょうか。できるわけがない。  私は医師国家試験の試験委員をいたしまして、私のときには三、四千人ぐらいしか受けていなかったと思いますが、それでも、私の出したのが当たっちゃったものだから、採点させられたわけです。あのときは記述式ですから、三千枚やるとしたら何分かかると思いますか。一枚一分と見て一時間六十枚です。一日五時間で三百枚、十日で三千枚。全く頑張ってですよ、きょうみたいに昼飯抜きにして。  そういうわけで、三千枚やるのに十日かかるんですよ。しかも、記述式ですと、最初のころは張り切ってやりますけれども、疲れてくると、えい、だめってなものですね。そして、そのうちにかわいそうになってもう一回見直すなんてことをしてごらんなさい。一枚一円五十銭ぐらいもらったんじゃどうにもならない。私のときはそんなものでした。  だから、記述式というのは、ごく少数ならいい。それからもう一つ問題があるんですよね。読みにくい文字で書いてあるときはどうなりますか。一分で一枚を読むとしたら、相当されいに書いてあって、それでも斜め読みですよ。ずっと読んでいたら、とてもじゃないが一枚一分なんかで読めませんよ。だから汚い字のときに、字が汚いからといって減点なさるか、どんなに苦労しても、三時間かけても読むか、これは困ると思うんですね。それから誤字はどうするか。一点ずつ減らしていきますか。  ですから、やっぱり記述式というのは、今言ったような採点者の主観的なものが入る余地が多分にあるわけです。疲れたから腹が立ったとか、字が汚いからだめだとか、内容がちゃんとできておってもけ飛ばすかもしれないんですよね。そういう主観的な採点が入ってこないか。  こういうことを考えますと、記述式というのがマークシート方式にまさるという根拠は、僕はないと思います。そういうことで私はマークシート賛成でございますけれども、コメントがあれば伺いますよ。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先ほど来の御質問を予算委員会の場でも先生からいただきまして、私も私なりに真剣にいろいろ考えてみて、個の問題も、個性の問題も、いろいろな本を読んだり資料を調べたりしてまいりましたし、また、ただいま御指摘のマークシートの問題と記述式の問題についてもいろいろ考えました。また、総理大臣とお目にかかりましたときも、マークシート方式はただ単なる反射神経を見るだけではなくて、もうちょっと考える問題の出し方もあるんですといろいろ申し上げましたら、その点は総理大臣も、そうだろう、昔のマル・ペケだけではないだろうということに御理解もいただいておるわけでありまして、ただ、このマークシート方式の問題の出し方をどうするかということをまさに検討をしていかなければ、これをやみくもに否定してしまうだけでは、また先生御指摘のように昔へ戻ってしまうわけでありますから、前進させていくためには、マークシート方式、今もいろいろ御検討願っていい問題を出していただいていると思いますけれども、さらにより一層人間の思考力を見ることができるような、そんな内容の問題にしていきたい、こういうことを考えてもおりますし、改革協議会の方にも、あるいは入試センターの方にも、あるいは文部省自身にも、幅広くいろんな研究をし、勉強しろ、よくこう言っているわけでありまして、少しでもよくなるように、我々も、微力ですけれども考えていきたいと思います。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 次に、共通テストでございますが、共通にお話を聞きたいと思っているわけです。  もう再々予算総括で粕谷委員からもお話がございまして、毛があるかないかくらいの違いじゃなかったかとかいう、任意テストの問題があったりしたわけですが、今大臣が言われたように、廃止してしまうと逆戻りだ、これはもう明快にそのとおりです。ですから私は、廃止というのはおかしい。つまり改善でなければならぬのでないか。そして、トライアル・アンド・エラーですよね、試行錯誤なんだから。人間のやることは全部試行錯誤でございますからね。やっぱりやってみてだめだったら、ばっと変えるんじゃなくて、やっぱりこれだけ考えてやってきた、大臣も御承知のように、共通一次は八年かな、準備期間を置いて、五年の実施期間を経て、その間センターでもう随分研究していますよ。私たち、この委員会でも入試センターに参りました。私あのときに、なるほど共通一次はやっぱりそれだけの効力があるものだと認識しましたよ。  だから、どう改善するかが問題なんであって、一挙にやめてしまえということはおかしいですよ。これはもう確実に僕はおかしいと思うんです。ですから、世の中が、殊に教育というのは継続的なものでございまして、受験生が待っているわけだ。それで共通一次は、まあ後で偏差値輪切り論のお話もいたしますけれども、そのつもりで五教科七科目でやってきた。それを今度は五教科五科目だ、二年でやめるのかと。これはもう大変な混乱だと思うんですよ。ですから、やっぱり教育というのは段階を経て、これはやっぱりやむを得ない。急進的な改革はできないと思うんです。何としても徐々に徐々に、ステップ・バイ・ステップですよ。そうしていくのが本当だ、僕はそう思っている人間です。  もう一つ、任意テストの問題というのは、不思議に思っているのは、大臣からの答弁もあったんですが、これ、総理大臣のを受け継がれたんですね。受けた場合基礎資料にするとおっしゃっているんですね。受けない場合はないわけだ。何の基礎資料なんでしょうかね、これ。何のための基礎資料なんですか。受けた人は基礎資料にする、受けない人はない。これ、何の基礎になるんでしょうか。受けただけでも優先権が与えられるとか、何かなきゃおかしいんじゃないでしょうかね。仮に、受けて不利だったら受けない方がよかったということですね、これは。受けた人が資料として不利に判定されるんだったら、受けないで一発勝負でいった方がいい。受けるからには、何のための基礎資料で、どういうのに使おうとするのか。参考ならやるだけむだですよ、それは。時間とお金もすべて含めてむだです。基礎資料って何だと思いますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 共通一次試験がスタートしましたときから、正確に、計量的に結果の出るものはそちらの方でする。それは、高校における学習到達度を見るということが非常に大きな目標でございましたし、もう一つ、大学の方は自分の学校に受け入れて教育するに足る能力を持っておるか、適性があるかということを総合的に判断して合否を決めるわけでありますから、そのときの基礎資料として利用していただくというふうに我々は理解もし、そして共通一次試験も流れてきました。しかし、結果としていろいろな弊害も出てきたので、これを新しいテストに変えていくわけですけれども、その新しいテストも、受けてもらって、その結果を基礎資料にして、大学はさらに個別な選抜に入っていく、そして総合して決める。私は、一回一発のペーパーテストだけで、難問奇間と言われるような入学試験を突破しておったころと比べますと、そうしてきちっと、これはこれ、これはこれというふうに目的を決めて、その総合結果で判断されることの方が受験生にとっては、ちょっと幅広く奥深くその人のすべてが選抜の対象になるわけでありますから、先生おっしゃるように、やめてしまってもとへ戻してという発想じゃなくて、何とか一歩前進二歩改革でいいテストにしていきたいものだと、こう願っておるわけでございます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 一歩前進二歩改革ならいいですけれども、一歩前進二歩後退ということになるおそれがあると僕は思うんです。共通一次の現在よりは私は悪くなるんじゃないかなあという感じで今申し上げているわけです。一歩前進二歩後退にならないように僕はしたいと思いますね。ですから一生懸命に申し上げているんで――いや、私のが一〇〇%いいなんて思っていません。私のは一つの考えでございますから、聞いていただいて、臨教審にちゃんと意向が入っていれば、そこで専門家が一生懸命やっているんだから、何かいい答えが出るんじゃなかろうかと、こう思いますね。  だから、二次試験を独自にやるということは、これはもう前から同じなんですよね。これは二次試験をどこだってやっているんですから。ですから、簡単に言いますと、国立は六十二年、来年から五教科五科目になるでしょう。途端に二次を強化していますからね、国立大学は。二次強化の傾向を示しているんです。北大なんかでもそうです。みんなもう今までより二科目ぐらいふやしていますよ。何のことはない、負担減じゃないんだ。こっちで今度は負担が増になるので、同じなんです。ですから、選抜ということがある限り、これはもうやむを得ない現象なんですね。だから総理大臣はあえて先着順と言ったんだと思うんです。あれだけの頭のいい人が、先着順がいいなんて考えているわけがない。だからあの辺は相手にしない方がいいと思ったんです、僕は。そういうお話は。そうですよ、先着順がいいと言ったら、並び屋が一年前から並ぶかもしれない。三百六十五日アルバイト料を払えばいいんだから。そして、それだけで入るとすれば、一番が仮に東大なら東大に入った、後はやめればいいんです、中途退学。履歴書に載るわけだ。そんなばかげたことはあり得ないんですね。だから、これは先着順はでたらめだと思います。  しかし、後でお話ししますが、私がくじ引き論というのを引っ張り出したら、これはやっぱり教育学を一生懸命にやっておられる教授方にぱっとそれはだめですと言われた。後で私のくじ引き論がもう一回出ますけれどもね。それは、やっぱりくじ引きというのは、我々ひょっとすると富くじのことを考えちゃうんですね。富くじは当たることを期待していないんだ。落ちたっていいんです。大体落ちるのが普通なんです。統計学がそう教えていますよ。みんなから集めておいて政府がテラ銭を――政府だけじゃないか、テラ銭を取って、残ったものを分配するんだから、だれかが損をするのは当たり前なわけだ。ですから統計学的に言えば当たらないのが本当なんです。ですからあれは当たると思ってつき込んだ人はよっぽどおかしいんですよ。だから、偶然を期待して、うまくいったらよかったなあということでだめになって悲観をする人はいないんです。しかし、入試は違うんだな。入りたいんですよ。入った人はうまくいったけれども、入らない人は何でおれを落としたんだと、その不利益の差が歴然たるものがあるわけだ。ここが富くじと違うんですよ。だから、くじ引きの悪さというのはそこにあるんだ。落ちた人がどんなに不利益だと思うかということです。  ですから、今度の推薦で立教大学の問題が出たでしょう。総長が辞任するというんでしょう。ちょっと私は理解に苦しみますけれどもね。しかし、推薦制度の欠陥というのも僕は出ていると思うんです。推薦だって何か基準がなきゃおかしいんだから。ですから、そういうことでいきますと、推薦制度というものが何を基準にするのか、評価するものがなければいけないんですよね。ですから、推薦をして、それで何だかうまくいかなかった人を一年間留年させるというんですね。不利益の最たるものです。一年ですよ。最たるものです。ですから、やっぱり合理的に、だれも文句を言わない方法というのが要るんですね。それは何といっても客観的な数値しかないんです。数値で表現されない現象は科学の対象ではないんです。自然科学ですね。科学の対象となるのは数値表現しかないんです。つまり、客観的な評価ができるかどうか。数値しかありません。したがって、点数というのは非常に重要な意味を持っているわけです。そして、統計学はここに入ってくるんです。  ついでだからやりますと、大臣、統計学というので私のような話は初めてかと思いますからお話しいたしますと、偏差値輪切りというのは、入学イコール選抜でしょう。キャパシティーがあるんだから、その容積しか入れないんだから、選抜なんです。選抜というからには序列をつけなければだめなんだ。序列です。そうでしょう。序列をつけるからにはつける基準がなければだめです。その基準は今申し上げた数値が要るんです。何点ですよ。そうすると、入る側にしますと、何点を境にしてどのくらいの範囲が入れるだろうか、偏差値です。序列は輪切りです。だから、選抜が行われる限り序列があり、それは輪切り、そして入る可能性、確からしさ、これが偏差値なんです。確率というのは確からしさですから。我々はそれに頼って生きているわけでしょう。きのう天気予報では雨だと言ったから傘を持ってきたのは普通でしょう。きょうは隠れですと言ったら持ってこないでしょう、皆さん。確率ですよ。一〇%、私なら傘を持たない。十に一回降るかというのなら僕は傘を持たない。降ったら天気予報が悪いだけの話。二〇%以上になると僕は持つんです。二〇%というのは五回に一回当たるんですよ。五回に四回失敗します。しかし、雨の降ったときの不利益を考えると、僕は二〇%で傘を持つことにしている。一〇%は十回に一回ですからこれは降らないのが当たり前。だから、それは統計学なんです。確からしさなんです。我々の生活は全部確からしさの中で生きているんです。全部そうです。ですから、飛行機の点検もそうでしょう。何年たったら、何マイル飛んだら点検しろとか、それはやっぱり何マイルだったらがたが来るという確率論です。初めは十機に一機ずつやれとかといってやっていたわけだ。これは十機に一機が見つかれば全部やるということなんでしょう。見つからなかったらあとの九機は大丈夫だ。確率なんですね。生産管理ですよ。しかし、それで一機落ちたら大変なわけです。この安全性は大変ですね。だから生産管理、安全管理、我々の日常生活。我が国鉄の発車は三十秒以内の誤差しかないなんというと、これは二分おくれたら停車場へ行かぬ方がいいということになる。出たに違いない。これは確率論です。アメリカなら、十分ぐらいおくれても平気だから、ひょっとしたら間に合うと思って走るわけだ。そうしたらあそこは二分前に出るなんということもあるんですね。ですから、日本の国鉄の正確度というのは確率論の中ではちゃんと評価されている。  それから、私が今申し上げた偏差値輪切りは選抜が行われる限り絶対に抜けられない。だから、共通一次による偏差値輪切りを問題にする理由はないんですね。ただ、受験産業がとおっしゃったけれども、あれほど頼りがいのああ進路指導はないんですよ。あれでいったら間違いないんだから。確率ですからね。落ちる確率のないところへ行ったら一〇〇%入ります。ですから、うちの娘の話をするのはあれですが、うちの娘もそうでして、私はうちの娘と論争しまして共通一次必要論に負けちゃったんです。私は総理大臣と同じくらいの年代ですから、あなたよりはもう十年以上年をとっていますけれどもね。だから、中曽根さんの言うことは、僕の経験から出発した考えでいけば賛成なんだ。僕はあれでいいと初めは思っていた。娘と論争したら、やっぱり向こうの方が現代知識を駆使して、おやじは負けちゃいまして、それで私は共通一次賛成論になった。なるほどと。改善をすればいいんですね。長所は今大臣がおっしゃった高校の到達度を見る、大学を受けるに足る基礎学力を見る、そして、標準的問題が出る。非常にいいですよ。間違いない。これはもう短所というのは偏差値輪切りだけでしょう。あとはないんだ。偏差値輪切りとだれが言ったのか知りませんが、昔からあったんですよ。いじめと同じです。あったんです。ただ、昔は少数しか大学へ進学しなかったから、大きな問題にはならなかった。今は、これだけ進学率が高まりますと、我も我もだから、この中で偏差値輪切リが有効になるんです。昔のように、よしおれは浪人してまた受ける、三年目になっても頑張るというのは昔の少数時代でありまして、今は、来年受かる可能性というのは、再び三十万人受けますからね。同じなんだ。もう量が多いのです。ですから、二度目のチャンスということは、昔のように浪人して頑張るという時代では少しずつなくなっていると僕は思うんです。したがって、やっぱり偏差値が大事なんです。あそこでいいと言われたら間違いなく入るから、二次試験受けて通るということです。  ただ、私のハードル論でございますけれども、大臣もよく御存じだからあれですが、そうすると、偏差値輪切りを捨てる。しかし高等学校の到達度とそれから大学で勉強するに足る基礎学力を見る。そのためには加算をするな、加算をするから何点なら東大だ、何点なら北大だとこうなるのであって、だから一次でこれだけ取らないと二次は幾ら頑張ったってだめですと言われるわけだ。それで輪切り。そして、何点以内ならあなたは入るかもしれない。Aなら一〇〇%入る、Bならフィフティー・フィフティー、Cならだめかもしれないが頑張んな、Dならやめなさいというのが一次の採点ですよ。ですから、これは極めて有効ですよ。だから、加算をしなければ偏差値輪切りはなくなるんだ。そして長所が全部生きる。それで私は、大学受験者に共通一次をまず二次試験を受ける資格試験として与える。これをハードルにするというのは松永さんがおっしゃったんですけれども、ハードルがいいということですねと言ったら、そうですと。ハードルにする、そしてそのハードルは高い方でやるといけないのであって低い方にセットするということです。これ以上であれば我が大学は大丈夫だ、そういうセットをするわけです。そしてその中には、大学でそのレベルをセットする、そういう余地を残していいと僕はそう思っているんです。  ついでに、あと三分ぐらいあるから、そうすると大学入試を終わってあといじめだけ残すことになりますから、いや、大臣をいじめるつもりはございませんけれども……。  私、アメリカ留学のときに、スペシャルスチューデントというので入ったんです。ピッツバーク大学の大学院ですが、これはアメリカの学大を出た連中は、大学院ですからみんな成績が何かしらぬけれどもいろいろなもので入学を許可されているんだ。ところが我々のような外国学生は、スペシャルスチューデントというので、授業料払うのだけれども登録さしてくれない。四分の一学期何遍も試験がありまして、そこを通ったら初めて、取った最初からの点数が全部加えられて単位を取れることになって登録されている。その間にだめだった人は登録されないままにやめさせられる。ですから私が、今のハードル論の次にもう一つあったのは、入口を広くして出口を狭くというのはどなたでも言っている。しかし具体論がないでしょう。だから私の具体論は、一というキャパシティーがあったら例えば〇・八は点数ではっちり切る、残った〇・二と一点差で落ちたかもしれない次の〇・二ぐらいを、つまりトータルで一・二になりますから、その〇・二と〇・二を、例えば定員の倍のところで点数を切って、その残った中から、取り方の問題になるんだが、例えばくじ引きという、そこで僕のが出てくるのですが、くじ引きで取る。そうすると、一点を争って――私は自分の経験で言うと、十人ぐらい違いますからね。ボーダーラインですと、北大医学部で六、七人違います。ですから、一点を争って落ちたやっと入ったやっとの物すごい差があるわけだ。だから、もうちょっと下げて、実際にやってみろ。そういうところでやれ。そして、〇・八は登録学生である。残った〇・二プラス〇・二、〇・四はスペシャルスチューデントで、授業料は取るけれども登録はさせない。つまり履歴書に書けないんです。そして、半年とかの段階ではっちり〇・二は落としてやる。キャパシティーの一・〇にする。したがって、それは覚悟の上で入ってこいということです。〇・二は落とすよと。ただし一点争ったんじゃない、おまえもチャンスはあるよ、よかったら来なさい。半年でやめさせる理由は、むだを少くするためなんですね。で、次の入試があるだろうということで。これが私のスペシャルスチューデント方式というのでございまして、まあ聞いていただくだけでこれはしようがないと思うので、よろしくどうぞ。  何か一言ぐらい、ちょっとコメントを入れてください。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) メモをとりながら真剣に拝聴させていただきました。これについては、いろいろ多様な進路というものを用意しておいて、大学当局が受け入れてもらうときに十分参考にすべき御意見であろう、こう受けとめます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 ありがとうございました。

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 大変休憩時間をオーバーして遅くなりましたけれども、おわびをしながら、この際、午後三時二十分まで休憩さしていただきます。    午後二時二十一分休憩      ―――――・―――――    午後三時二十二分開会

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 それじゃ、質疑を続けさせていただきます。  さっきまでのまとめみたいなものを私がひとつ文部大臣に申し上げておきたいと思いますが、予算委員会の総括のときには、私はこれは総理大臣に申し上げておいたんですが、同じようなことを、今度は文部大臣に申し上げたいと思います。つまり、要するに制度として、総理大臣が言っている任意テストを行うのであれば、総理大臣がこれに細かく指示するのはもはや任意ではない。ですから、これは海部文部大臣に細かいところはお任せなさい、任意ではありませんか、こう申し上げたわけです。  今度、同じことを文部大臣に申し上げたいと思うんですが、大学の自治というのがありますね。それで、どこを見ても大学の自由だと、試験をどういうふうにしようが自由だと、こういって書いてあるわけですね。大学の自治というのはそうなっております。ですから、文字どおり大学の自治ということで、総理大臣が何と言われようと、例えば共通テストを使おうとマークシートを使おうと、これはマークシートは使っちゃいけないとかという何かあったようでしたけれども、すべてはこれは自治の名において自由ではないか。国立も私立も公立もですね。そういうことを私は文部大臣に申し上げておきたいと思います。  それでは、いじめの問題に入らしてもらいますが、文部省がどういう対策を今まで指示してきたかというのは先ほどの先生方の御質問で大分伺いましたが、私の理解では三回ぐらいですか、通達を出しておられたようですが、いずれも、言うなれば学校、家庭、それから地域と三者協力してしっかりやれということでありまして、しっかりやれということ以上には出ていないように思うんです。しかし、そう言われたものの効果があったんだろうかということですが、何か新聞紙上しか知りませんので、その効果というのがどの程度上がったのか私はわからないし、それから効果が余りなかったから連続三回ぐらいの通知が出たのでないかと思うのですが、その辺、文部省どういうふうにお考えでしょうか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 効果は漸次出ているわけでございまして、例えば都道府県とか市町村の段階で相談窓口を整備しろと、これは通知の中に書いてありますけれども、教育委員会それから学校でも。したがいまして、先回の実態調査でもそういうような窓口の整備を県の段階ではかなり整備してきております。市町村の段階ではまだそこは十分でない。それから、学校の中の相談窓口という点についても、父兄がわかるような形で相談できるような窓口を整備したというPRを含めての体制整備が必要だろう。その点も漸次整備されつつある途上でございます。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 これから申し上げることは前の文部大臣には申し上げたことで、海部さんにはまだ初めてのものですから一応お話しをしておいて、これはやっぱり今は大事だと思うものですからもう一遍申し上げるんですが、ハーバード大学の教育学部長をしたフランシス・ケッペルという人が書いているので、私はそれをなるほどと思って、教育学に大変プアな私は、この考え方を大事にしているんですが、学校教育に対する期待に二つある。一つはコンペティティブバリュー、競争の価値。もう一つはコオペラティブバリュー、協調の価値。つまり競争と協調、学校教育に対する期待としてこの二つがあるのだということでありまして、例えばコンペティションの方は、教育はすべての人に有意義であり、受ければ受けるほどいいものだ、勉強しない人はリーダーになれませんよというふうな競争の原理がここにあるということであります。コオペラティブバリューというのは、適正な社会的、道徳的行動を学校教育の中で教えるとか、公的問題に対する正しい判断をすることを教えるとか、人種的、宗教的あるいは社会的背景を超越した協力というものを教えていく。そして、社会組織の中における一員としてのあるべき姿を認識させるのだというのがコオペレーションにあるんですね。この二つの価値というものは互いに競合するものだ。しかし、現代社会のようなソーシャルテンションの高まる時代においては、競争の価値よりも協調の価値を優先させるべきであるということを説いております。この競争というのは、民主主義の一つの理念の自由を支えるのがこの競争でありますが、協調というのは同じ民主主義のもう一つの理念、平等を支える理念がこのコオペラティブバリューだと、こういうことを言っているので、私は、これを大変なるほどと思って聞いているわけで、ともすれば教育の中に競争の原理、コンペティションが非常に強く打ち出される。あるいは自由化といったものもそれに近かったのではないかなと思うんですが、現代社会はむしろコオペレーションを重要視しろ、こう言っているわけでありまして、私はいじめのことを考えてみても、社会主義とは何か、公平というのはどういうことを言っているのだ、協調するということはどういうことなんだ、公的な判断はどういうものなんだと、こういったことを教える、そういうことが学校教育の中にやはり欠けているのではないか、こう私は思うんです。そういうチャンスというものがないのかなと思うんですが、そういうことをこれから私は次の中でもう一度お話をさしていただくことを今考えております。  そこでもう一つ、文部大臣も言われておりますけれども、我々兄弟が多いときには、上と下がおって、殴られたり、それをまた下へ伝えていったりと、何か横だけじゃなくて縦社会があった。これはまさしく社会組織なんですよね。社会組織のミニアチュアなんです。しかし、今確かに兄弟が少ないとかということで、横の社会だけがあって縦社会がない。これは確かに社会秩序、モラルというふうなものを教えるのにその場がないのでないか。つまり、教育というのは文字だとか言葉の上で教える、これはもちろん必要でありますけれども、行動で教えるということは非常に大事なわけです。小さいときというのは、そういう体で覚えたもの、行動で覚えたものは非常に頭に入りますから、そういう意味では、私は、これは公明党の方の教育の部会で前から言っていることですけれども、果年齢混成教育というのをやれないだろうか。これは私も言われてからなるほどと思ったんです。つまり、果年齢混成教育というのは、僻地で一学年の人数が少ないところだけが複式学級をやっている。今度はそうではなくて、兄弟というふうなもののない社会、今度は学校で兄弟のそういうものをつくってやるという意味で、複式学級をつくるということはどうなんだろうか。つまり、大きい学校で複式学級をあえてつくる。私は、どういう組織をつくった方がいいか、僕は専門家でないんでわかりません。例えば一年と二年、三年と四年でいくのか、一年と四年、二年と五年でいくのかわかりませんが、そういう複式学級をすることによって、上の子が下の子をいたわる精神、面倒を見るとか、それから上の人を、面倒を見てもらった人を敬うとか、こういったようなことが言葉でなくて自然に出てくるのではなかろうか。こういう意味で私は、都会に複式学級を置くということは一つの考えでないか。状況によってはこれはパイロットスクールで積極的にやってみたらどうだろうというふうに思うんですが、大臣、いかがでしょうか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) せっかくの御提案で、私もきょうまでのいろいろな体験の中から、なるほどそうだと思っております点がありますから、先生の目指していらっしゃるものとちょっと違うかもしれませんけれども、率直に申し上げさせていただくと、学校では一年生から六年生までを任意に学校兄弟というグループをつくりまして、そしてこれは教室ではありませんが、給食の時間にうんと長い時間をつくって、その六人の兄弟がお互いに仕事を分担して、机を持ってくる人、食器を持ってくる人、つけ分ける今後始末をする人、異年齢の、要するに家庭で失われた兄弟の関係を学校の中へ持ち込んで、そして大変教育効果を上げているという学校がございましたので、私もそこへ見に行ってまいりました。  校長先生のお話では、なるほど人のために自分も役に立つんだとか、家庭で失われた弟や妹、異年齢との間の接触を通じていろいろな生活体験をし、徳育教育の面でも、集団教育の面でも、人格形成の上においても役に立っておった、こういう事実を見てまいりましたので、今の御質問を聞きながら、なるほどそういう異年齢混成教育ということは効果が上がっておった事実を私も体験してきたなと、こう思うんですが、さあ一歩進んで、今度は教室の中で今の複式学級、やむを得ず地方で行っております僻地の学校なんかの複式学級は、今は解消しようという方に一生懸命努力をしておる最中でございますので、もし、それを制度として各教科なんかを当てはめますと、異年齢では、高年齢の人は、この教科のこの程度のことならばもう自分は知っているよ、満足しておるよという人もおろうし、また、低学年の方からいくと、それはちょっと難し過ぎて、児童生徒の発達段階に伴って教育していかなきゃならぬ教科内容というものとのずれが出るんじゃないかということを私は大変心配をするわけであります。  ですから、部活動とか、あるいは強いて言えばゆとりの時間をもっと使って、せっかくの学校ですから、異年齢が接触できるような機会を考えていくとか、もっとそういった果年齢が接触できる場を学校が考えたらどうかということを今先生の御質問の中から示唆を与えられておると、こう受けとめまして、今後検討をしていきたいと思います。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 命のをもうちょっと敷衍さしていただきますと、今おっしゃったのは、確かに知的教育だと格差が大き過ぎる。それから、知的教育でない部分がありますね。体操だとか工作だとか、いろんなのがあるわけで、そういった場で使えるんじゃないか。だから、何でも画一ではなくて、トライアルをやってみたらどうかというのが考えです。  それからもう一つ、今現場を見てとおっしゃったので思い出したんですが、いろんな本を読んでみまして、ある本で、いじめというものに対して班を編成している、これは非常にうまくいったというのが書いてあって、その本を読んでいる限りは、班で、いいリーダーさえいればいじめなんかない、こういうのがありまして、私もなるほどと思って感心しておったら、あっちこっちに、新聞投書に、完全に反対の投書が載っていますね。外国から帰ってきた人です。日本に来てうちの子供を学校に入れたら、班だと。ぎょっとしたというんですよ。どうして班なんだろう。個性がみんな違うのを、さっきの個性でございますが、違うのを班という一つの枠の中で、その枠に入らなければいけない、入るようにする、つまり、画一管理主義があるのじゃないか。外国の学校に行ってきた子供たちにはもうびっくり仰天であったというんですね。だから教育というのは、本当にまあケース・バイ・ケースで、あらゆる場面があって、そのすべてに適用される方法はないのかもしらぬなと、そんな気がちょっとするんです。  大枠というものは文部省は持っていた方がいい。ただ、この大枠を細かく適用すると、管理主義、画一主義になる。そこからはみ出たのは規格外品になるんですね。日本の悪さはそこなわけであります。規格外になるんです。規格外イコール劣等なんですよ。規格外ですぐれた者がいるかもしれないのを、規格に外れたのは劣等である。それが試験でもそのまま出てくるということでありまして、やっぱり日本は何かというと規格に当てはめ、その規格に外れたらいけないんだという、その画一主義というものの一つの表現がそうなるんじゃないかな、そんなような気がいたしますね。  それで、あと時間があれですので、私は、先ほど井上委員もおっしゃっていましたが、今こうしてしゃべっている間にもいじめが進行しているかもしれぬ。ということは、通達で頑張れと言ったってまずいんじゃないかということです。ですから、私は応急措置として、ロングレンジで考えれば、道徳教育だとか思いやりだとか、本当に人間としての人間らしさですね、ヒューマニズム教育というのは基本ではありますが、子供は大人の社会の反映だといいますから、ひょっとすると大人の社会も直さなきゃいけないというと、とてもじゃないが五年、十年というわけにはいきませんので、いじめは遠いかなたに行ってしまうんじゃないか。もっとも、言い方が悪いかもしれませんが、私は一つの流行だと思っていますので、やっぱりある時間が過ぎたらなくなります、と僕は思っているんです。何かに変わると思います。だから、対策は今だと思うんです。したがって、抽象的な指示ではなくて、具体的な指示が要るんだろうと思うんです。一生懸命にやりなさいじゃなくて、じゃ、何をするんだ、何なんだと。  そこで、これも予算委員会でお話しをいたしましたけれども、あれは細かいお話はしていませんので、もう少し細かい話をさしていただきますと、前にお話しいたしましたが、大阪市立大学の調査によりますと、子供がいじめられていたらだれに相談するかというアンケートをとったら、先生というのが九%であった。友達というのが一八%。残った七三%ですか、それがじっと耐えている、行くところがない。そこですよね。だから私は、行くところがない子供たち、その子供たちが追い詰められていくのを考えると、非常にこれはもう、そこに解決の場所を見出す必要がある。それからいろんなケースリポートで、子供が死んだというふうなのを、自殺をしたというのを見ていますと、例えば親に言った。親はどこどこへ言いに行った、だめだった。先生のところへ行った。先生も相手にしてくれなかった、だめだった。つまり、受けとめる側もそれがどれだけの意味を持っているかをわからないというか、取り上げ方が違うわけだ。だから、たまたま持っていった先生が、これは大したことはないと思えばそれっきりになるわけです。親は努力してみたけれどもだめだった。いじめる側の論理もある。このいじめる論理というのもそれなりにやっぱりもっともらしい。それで何となく先生もそう思って見ているんじゃないか。いじめられっ子はいじめられるだけのものを持っているからだと。そういうことで結局、特殊なケースのときに子供が追い詰められていって、極端なときには自殺に追い込まれるということじゃないのかなと、こう思うんです。  そこで私が提案いたしましたのは、その訴える場所、駆け込み寺と申し上げたんですけれども、これは相談窓口とまた違うんです。これは違うんです。私の言うのは、相談窓口というふうなのは相談に行ってどういうふうに対応されるか。それで済んでいなかったんではないかというのが一つある、僕は。それから、私の読んでいる本の中に、養護教員は駆け込み寺だと書いてあります。なぜかというと、養護のお姉ちゃんのところに行けば、ある時間は全くフリーでいられるわけです。全く一人でフリーでいられる。そして、利害のない先生に何でも言える。だから駆け込み寺なんですね。駆け込んで保護されるけれども、対応策がないわけだ、この養護のお姉ちゃんはですね。やってくれる方法がやっぱりないわけですよ。大体教育課程取ってないですから、養護教員はね、教育心理とか。あれは取っているかな、忘れちゃったですけれども、(「取っています」と呼ぶ者あり)取っていますか、失礼しました。  そういう状況で、私が言う駆け込み寺は、駆け込んで単に保護されるのではなくて、駆け込み取り上げ寺なんです。必ず取り上げる、それが条件の第一。もう駆け込んだからには取り上げる。駆け込む人は本人でもいい。それから親でもいい。いじめられっ子の親でもいい。子供でもいい。先生でもいい。それからこれを見た人もいるんですね、友達。だれでもいいから駆け込んだら必ず取り上げる。そこが解決の第一歩の重要なポイントだと思っているんです。そして関係者。それに相談をする関係者は、私は、先生も信用されない、親もだめ、友達もだめという段階ですと、全部入ってもらう必要がある。だから、いじめられっ子、その親、いじめっ子、その親、受け持ちの先生、それから管理者としての学校の校長、あるいは生徒指導主事、それからPTA会の役員とか、あるいはカウンセラーとか、学識経験者、つまり必ず第三者が入って、当事者同士のほかに第三者、関係者が全部集まる。  そして、駆け込んだからには取り上げて、第一ステップはどう対応するかを考える。軽量の度合いですね。軽かったら内々で済ませることができるのじゃないか。非常に重い場合には、第二ステ ップは、私は教育による解決だと思うんです。つまり、クラス討議にかける。そのクラスが全員そこに出席をして、校長先生も受け持ちの先生も親もカウンセラーもみんなが入って、というのは教育をする人が学校の先生だけではだめだ。利害関係があるのじゃないか、ない人にやってもらわなきゃいけないということで、そしていじめる論理もいじめられる論理も全部そこでディスカッションしていく。そのときに初めて協調の精神ということが教育になってくると思うんです。公の正義とは何なんだ、公平とは何なんだ、人の権利をどう尊重しなきゃいけないんだ、だから競争の原理のほかに協調の原理。社会主義とは何か、公平とは何か、協調とは何かということをそこで子供たちに学ばせる。一回でだめだったら二回。二回でだめだったら三回。繰り返し繰り返し教育をすることによって子供たちがみんな社会正義を学ぶ。協調の精神を学ぶ。そのときに傍観者がなくなると思いますね。  どうも子供が自殺に追い込まれるというのは、友達が私の味方になってくれなかった、私は孤独だ。だから、社会生活でしか生きていかれない人間が社会の中から孤立したら死ぬしかない。これは普通の考えだと思うんです。ですから孤立をさせないための一つは、いじめっ子がいようと、いじめられっ子との関係があっても、傍観者がいなければいいんじゃないか。そして、明大の学生でしたか、追跡していって、勇気ある追跡で亡くなった。あんなに騒がれた。本当に大変な立派な、命をかけたんだから大変な行為であったと思います。しかし、これが騒がれなければならないほどまれであったのかということも考える必要があるんです。つまり、社会正義というものに対する個の確立がないということを僕は言いたいんです。そのときに私はこう思う、この主張がアメリカの民主主義の中にはあるわけだ。日本は全体主義だから、全体の中にいないと私がはじき出されるかもしれない、この恐怖というものが我が国の集団志向の中にあると私は思うんです。私は、どちらかといえばヨーロッパ的な考えに近い人間です。だからそう思っていますけれどもね。だから、個の確立というのもそこにもちゃんと入っているということでございますが、今のに対するお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 先生の御説を承りまして、私は、そういったことが本当に学校教育の現場できちっと対応されていくとすれば、いじめられる子供が駆け込んで取り上げていただける。要するに取り上げていただけないから今日の悲惨が続いておることも事実です。私も何度か申し上げましたが、まさにあの象徴的な富士見中学校の例なんかは、駆け込んでいっても、そして取り上げてもらったような格好だけはとってくれても、実質的に取り上げられていなくて、だれも本人の心の痛みをわかってくれなかったから、最後に、遠いおばあさんのところまで飛んでいったということですから、あのとき途中の段階で、どこかががっちり受けとめて取り上げて励ましてやってくれる、対応するところがあったならば、それは救われたのではないだろうかという気持ちが今でも私にはするわけであります。  すべての学校教育の現場で、今先生御指摘のように、駆け込んで来たら取り上げる、取り上げたらすべてのクラスで、自分の教室で起こり得る可能性のある問題として、ああいったことをテーマにしてみんなが議論してくだされば、個性の長所の方は伸びていくでしょうし、短所の方はぐっと伸ばさないように抑えていくでしょう。そして、一人一人の個が完成されていってそこに社会正義も生まれ、人に対する思いやりも出てくるわけでありますから、当面の急務として、駆け込まれた以上はやっぱり取り上げて、解決に向かって教職員も生徒もみんなが心をあわせて、その問題と一遍取り組んでみるというのは、まさに大切な先生の御指摘でございますので、私も感銘深くそのお話を聞いておりましたし、同時にまた、そのような方法をさらに徹底させていかなければならぬと思っておるところでございます。ありがとうございました。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 ありがとうございました。大臣の御答弁で、十分検討していただけるなと思いました。私は、今申し上げたように応急策でありますから、根本的な対策ではないと思います。応急策として駆け込み取り上げ寺を制度として設けてはどうかなと思うんです。  以上で私の質問を終わらせていただきます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 最初に、きのう東京高裁で教科書裁判の判決が出ましたが、これについて伺います。  この中で、検定は合憲との判断を示して、国と国会は「必要かつ相当と認められる範囲では、教育内容についてもこれを決定する機能を有するものと解せられる。」と述べておりますけれども、大臣はこのお考えに賛成でございますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) おっしゃるように、教科書は主たる教材でございますので、全国一律の一定の水準を確保し、申立て公正で事実に基づいたものであるべきでありますから、私はそのように中立公正、事実に即した教科書内容であるように検定制度をこれまでもやってきましたが、これからもやっていきたいと思っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 きのうの判決は、国会で多数を取ったところが教育に介入することもできるんだと、こういうような趣旨ですので、国民の教育権を保障して、教育への不当な介入を排除する等を決めた憲法や教育基本法を完全にじゅうりんするもので、国家権力による全面的な教育支配統制にさえ道を開くもので、私たちはこれは最悪の判決であるというふうに受けとめております。こういうような偏向教育を許すようなことはせずに、私たちは一人一人の子供に合った教育を実現するために、教育労働者、研究者、全国の父母などと力を合わせて、今本当に解決しなければならないもろもろの問題を解決して、真の教育改革に取り組んでいきたい、このことを申し上げましてこの問題については先へ進みます。  大臣の所信表明に対して質問をさせていただきたいわけなんですけれども、大臣の所信表明の中で、科学技術の振興ということについて述べておられるわけですが、非常に重要な基礎研究の推進を図っていきたい、このようにも言っておられます。そこで、この四年間基準的教育研究費、すなわち教官の研究旅費、学生の当たり校費はどの程度ふえているのか、数字をお示しいただきたいと思います。

坂元弘直文部省大臣官房会計課長

○政府委員(坂元弘直君) 国立大学におきます教育研究関係経費のうちで、先生御指摘の教官当たり校費、学生当たり校費、積算校費、それから研究旅費というのは、私どもとしましても、基幹的経費であるという認識のもとに取り組んできているところでございます。  ただ、御承知のように財政状況が大変厳しいということで、毎年その所要額を確保することに苦慮してきているわけですが、特に、先ほど粕谷先生からの御指摘のような、そして私どもの官房長からもお答えいたしましたように、人件費の増をある程度賄うために物件費の削減を余儀なくされてきておるということで、物件費の中の一つであります教育研究経費、当たり校費につきましても、その削減をどうにか避けるというところが実際には精いっぱいのところでございます。したがいまして、本年度物件費が相当削減されたわけですけれども、教育研究の基幹的経費であります当たり校費につきましては、前年度と同じ単価で所要の予算額を計上いたしております。  過去五年間とのぐらいかということですが、先生も御承知のとおりに、過去五年間財政状況が厳しいという今御説明申し上げましたような事情によりまして、当たり校費の単価は変わってきておりません。ただ、私どもとしましては、今申し上げました当たり校費の補完的な役割を果たしております教育研究特別経費というものがございますが、この経費につきましては毎年若干ずつ増加してきておりまして、本年度も前年度に比較しまして一〇・四%、十六億三千万円、トータルで百七十三億円を確保したところでございます。こういうような措置によりまして、国立大学の教育研究に支障がないように、何とか私どもとしても努めているつもりでございますし、今後とも努力をしてまいりたいというふうに思っております。  それから、学術研究の振興上大変重要な役割を果たしております……

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 簡単にお願いします。数字だけでいいですから。

坂元弘直文部省大臣官房会計課長

○政府委員(坂元弘直君) 科研費――科学研究費補助金につきましては毎年増額してきておりまして、六十一年度につきましても、前年度より十五億増、四百三十五億の予算措置をしているところでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 国立大学の基準的教育研究費については、今御答弁のとおりこの四年間ほとんどふえておりません。これに対して、先端技術開発を中心に大企業への補助金は大幅にふえています。例えば、伸び率の大きいものを六十一年度の予算案から拾ってみますと、水総合再生利用システム開発は六十年度に比して七十五倍で九億の予算が組まれていて、石川島播磨、川重、東芝、三菱などに出されるお金です。それから、電子計算機相互データシステム開発では、前年度比六十一・二倍で七億三千四百万、これも東芝、日立、日本電気、富士通等に補助金として出されるお金です。それから額の大きいものは、石油開発技術研究開発等で三菱、川重、新日鉄に対して八十八億二千五百万、それから軽水炉改良技術確証試験等これが百一億三千五百万、これも三菱、自立、東芝、こういうところに研究開発、技術開発の補助金等として出されているわけです。  大臣に伺います。国立学校に対する基準的な教育研究費はほとんど伸びていない、実質的には減っているという中で、特に大きな企業の先端技術関係の開発を中心にこのような大変な研究費が出されているということについては、どうお考えでしょうか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 先ほど会計課長からもお答えいたしましたように、積算校費等の伸びは残念ながら基盤的な経費をぎりぎり確保するというようなところで横ばい状態でございますが、文部省関係では、科学研究費補助金とかその他教育研究特別経費の確保であるとか、そういったことで基礎研究につきましては、文部省関係の予算全体が大変厳しい中ではかなりの充実をしてきておるということでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 私の質問に対して答えていただきたいんですねご言いわけは結構なんです。  大学の研究費の不足を反映して、民間資金の大学への導入がこの間大変ふえています。この四年間の科学研究費に比べて、受託研究費、それから奨学寄附金、この推移はどうなっておりますか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 奨学寄附金につきましては、五十六年度が百十七億円、それから五十七年度が百三十二億円、五十八年度が百五十億円、五十九年度が百八十三億円と、年々増額をいたしております。また、受託研究費につきましても、五十六年度が二十二億、五十七年度が二十三億、五十八年度が二十六億、五十九年度が二十八億と、これも年々増額をいたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 国費である科学研究費が増額しないのに反して、企業からの受託研究費、奨学寄附金の伸びが、今のお答えでも明らかなように大変大きいわけです。ある大学では、隣り合わせている研究室で、一方ではマル金、一方ではマルビなどと言われているように、一方では海外旅費まで出る、一方ではもう本当に国内の旅費も出ない、こういうようなアンバランスが生まれているという例も報告されておりますけれども、特定の講座、特定の教授に多額の研究費が集まるということは、均衡ある発展という点から見てもゆがみを与えているのではないでしょうか。大変まずいん方やないでしょうか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) ただいま御指摘の奨学寄附金等につきましては、やはり外部からの寄附でございます。もちろんこれを受け入れるかどうかに当たりましては、学内の審査組織等で十分審議をした上で、教育研究上支障がない、かつ、教育研究上積極的な意義もある、こういうことでこれを受け入れているわけでございまして、確かに御指摘のように寄附金がかなりの量入る部門とそれほどない部門とはございます。もちろん私どもといたしましては、地道な研究につきましても外部の方が御認識いただいて、そういった関係で奨学寄附金等もぜひいろいろと御配慮いただければありがたいとは思っておりますが、何分にも外部からの寄附金と、こういう性質でございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そういう外部からの寄附金を受け入れる場合、国立大学ですから、憲法十五条の、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」という規定と、それからまた、これを受けた教育基本法の第六条二項の立場を踏まえなければならないと思うんです。この立場からいえば、特定企業の利益につながるようなことは厳に慎まなければならないと考えますが、そうですね。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 大学は、御案内のとおり学術研究の中心でございまして、仮に外部から寄附金を受け入れて研究等を行う場合におきましても、あくまで真理の探求という学術研究目的のためにこれを受け入れるわけでございます。また、そこで行われました研究の成果は、これは広く公開をされて、いわば社会の共有の財産になる、こういう性質でございますので、特定の企業のために奉仕をするとかそういうことではないと考えております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 特定の企業のお金が特定の研究室や教授のところへ流れる結果、いろんな好ましくない事件も今まで起きてきたわけですが、こういうことを防ぐためにも、大学に民間からの資金の受け入れの是非、使途を含めて協議する場をつくることが必要ではないでしょうか。それから、民間からの資金をプールしておいて、大学の研究のために大学の判断で必要なところに使う、こういう方法をとることが望ましいのではありませんか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 民間から寄附金等の申し込みがございましたときには、大学に学内規程がございまして、それに従って学内の審査組織による公正な審査があるわけでございます。そこで適当と判断をされたときにはこれを受け入れることができるということになっておるわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そうすると、今私が申し上げましたようなことは、既に各大学においてやっているという意味ですか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 文部省といたしましても、できるだけそういった審査組織を設けてこれを行うようにこれまでもお願いをしておりまして、私どもの知る限りでは、各大学等でそういった審査組織等で審査をした上で受け入れを決定しておる、かように承知いたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 私の昨年の質問主意書に対しても、文部省は、大学の使命を踏まえつつ、大学の研究活動自体にこういうお金を使うべきだとお答えになっておりますので、そういう趣旨を徹底してやっていただくようにするべきだと思います。  憲法二十三条の、「学問の自由は、これを保障する。」という規定ですが、そのためにも大学の研究は自主、民主、公開の原則が保障されなくてはならないと思います。また学問は、国民の福祉、文化に役立つように使われなくてはなりません。そのために研究の成果は公表されなければなりませんが、企業の秘密ということを理由にして公表が抑えられることのないように、公表の自由ということは研究者が持たなくてはならないと思いますが、いかがでしょうか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 先生御指摘のとおり、民間等からのいろいろな受託研究や共同研究ということで、一緒になりまして研究をする場合にも、研究成果の公表を前提として行っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 昭和五十八年の五月十一日に文部省は通知を出されました。「民間等との共同研究の取扱いについて」という文書では、「研究成果の公表」について、次のように書いてあります。「共同研究による研究成果の公表の時期・方法について、必要な場合には、国立学校の長は民間機関等との間で適切に定めるものとする」、こういうふうにしているわけです。この点について私が昨年質問主意書を出しましたが、それに対する答弁は、「特許の出願等の関係から必要な場合に、公表の時期・方法について大学等と民間機関等との間で適切に定めることとした」としています。企業との相談によって公表が抑えられるということになれば、公開の自由が侵されるということになるんじゃないでしょうか。また、特許のために基礎的な研究成果を特定企業が抑え、公表されないということは、全体の奉仕者としての公務員の本来の姿にもとるのではないかと思いますけれどもいかがでしょう。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) ただいま先生御指摘の箇所は、こういう趣旨でございます。  例えば、民間の企業と大学等で共同研究を行った場合に、特許の出願ということになる場合がございます。その場合に、特許の出願に当たりましては、その前に研究成果を公表いたしますと、一定期間内に特許の出願をしないと特許の出願ができなくなってしまう、こういう事情がございますので、その場合には、大学の関係者と企業等の研究者があらかじめよく相談をいたしまして、研究成果の発表にも支障がない、かつ特許の出願にも都合がいいというような時期を調整するということでございまして、基本的に研究成果を公開する、公表するという前提は全く変わりないわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そういたしますと、その研究成果の公表が制限されるような共同研究については、国立大学において行うべきではない、文部省はこういう立場というふうに理解してよろしいですね。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) そういった共同研究を行う場合には、あらかじめ大学の関係者と企業の研究者とが十分に相談をした上に行うわけでございます。先ほどから繰り返し申し上げておりますように、大学の学術研究は研究成果の公表を前提にしておりますので、そういった段階で研究成果の公表が不当に制限されるようなことはまずあり得ないと思っておりますが、私どもとしても、大学におきます学術研究は研究成果の公表を前提として行うものである、かように理解いたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 ちょっと時間の関係で先へ行きましょう。  大学等における研究は、平和と進歩を目的とするものであり、その成果を公表することを目的として行われるものでありますから、秘密を前提にして行うような軍事研究はしてはならないものと考えますが、いかがですか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 大学におきます学術研究は、先ほど来申し上げておりますように、やはり真理の探求を目指しておるということで、研究者の良識と自主的な判断に基づきまして自由闊達に展開をされるべきものでございます。何といっても、やはり研究者が学術上の純粋な見地から研究意欲を燃やすということが前提になるわけでございます。こういった大学におきます学術研究の目的、使命等から見まして、大学の研究者がそういった軍事研究のようなものに取り組むということは到底考えられないところでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 一九八〇年の四月に出された科学者憲章でも、「自己の研究の意義と目的を自覚し、人類の福祉と世界の平和に貢献する。」と、こうなっておりますので、軍事研究はやらない、これが科学者の立場だと思うんです。  さて、そうしますと、例えば自衛隊との共同研究については、文部省はどうお考えですか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 私どもの知る限りでは、これまでに国立大学と防衛庁との共同研究は行われた例はないと承知いたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 将来においても、自衛隊と国立大学の共同研究ということはないというふうに考えてよろしいですね。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 大学におきます学術研究は、やはり研究者の良識と自主的な判断によって行われるものでございますので、私どもといたしましては、研究者の良識と自主的判断、こういうことで学術研究が行われる、かように考えております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 それではお答えにならないんですよ。どうなんですか。将来的には自衛隊と国立大学が共同研究することがあり得るんですか。

植木浩文部省学術国際局長

○政府委員(植木浩君) 先ほど来申し上げておりますように、大学の研究者が軍事研究に取り組むということは到底考えられないところでございます。しかしながら、今のような具体的な、あるいは将来にわたりどうかという御質問に対しましては、やはりそこは、最終的には研究者の方が良識と自主的判断によって決めるべきものであると考えております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 自衛隊との共同研究は、軍事研究はやらないという学者の立場から、ないであろうというようなお考えというふうに受けとめました。  それで、国費により大学または大学院に入学する自衛官は毎年七、八十名おりますけれども、彼らは、大学等に在学中であっても、「自衛隊法により、自衛官として負うべき服務上の義務等については何ら変わるところはない。」、これが私の質問に対する防衛庁のお考えです。この「服務上の義務」というのは何でしょうか。

廣中佑見防衛庁教育訓練局教育課長

○説明員(廣中佑見君) 自衛官を含みます自衛隊員の服務上の義務につきましては、自衛隊法五十二条から六十五条に規定されておりまして、例えば上官の命令に服従する義務、品位を保つ義務、秘密を守る義務等、その大部分は一般職の国家公務員に準じたものでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 その大部分は一般の国家公務員に準じたものですが、例えば治安出動であるとか、あるいは防衛任務、その中には諜報といいますか、情報収集なども含まれると思いますけれども、こういうような一般の自衛官に課せられております任務についてはどうなんですか。

廣中佑見防衛庁教育訓練局教育課長

○説明員(廣中佑見君) 防衛庁は、自衛隊の任務遂行に必要な専門的な知識、技能を修得させるために、国費をもって自衛官を大学に入学させ、研究に従事させております。この場合に、これらの自衛官は自衛官としての身分を離れるわけではございませんので、在学中といえども自衛官に課せられる服務義務は当然課せられるわけでございます。  ともあれ、これらの自衛官は命令によりまして学業に専念させるわけでございますので、在学中におきます自衛官の服務義務と学生としての身分との間には何らの矛盾はないというふうに考えております。また、在学中におきまして学業の専念義務を外すような事態が生じましたら、別命によりまして自衛官としてまた復帰させる、こういうことになろうかと思います。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 防衛庁の貸費学生は六十年六月末で三十六名いるとお答えになっていますけれども、「大学別人数については、防衛庁の所掌事務の遂行に支障を生ずるおそれがあるので公表は」できないというふうにお答えをいただきましたが、この「支障を生ずる」というのはどういう意味なのか説明していただきたいと思います。

廣中佑見防衛庁教育訓練局教育課長

○説明員(廣中佑見君) 第一に、相手方大学の了承を得ておりません。それから第二に、大学名を公表することによりまして大学側に迷惑をかけるおそれが予想されますものですから、公表は差し控えさせていただいた次第でございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そうすると、具体的な大学名ではなくて、どういう学部、どういう学科に何人いるかということは公表できるんですね。

廣中佑見防衛庁教育訓練局教育課長

○説明員(廣中佑見君) それは、説明することは可能でございまして、主として理学系、それから工学系でございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 では、ちょっと時間の制約もありますので、どういう学部か、もうちょっと詳しくそれを後ほど文書でもって出していただきたいと思いますが、委員長、お願いします。

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 後で資料が提出できるんですね。

廣中佑見防衛庁教育訓練局教育課長

○説明員(廣中佑見君) 提出できる範囲内で提出いたします。

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) では、後で資料を提出してください。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 大臣にお伺いいたします。  今、そういうような防衛上の職務を負った学生が何人か国立大学その他の大学に来ているんですけれども、そして、その学生たちは、治安出動、防衛任務も含めてその任務はずっと負ったまま来るわけですね。要するに、そういう学生を大学に受け入れて勉学させるということは、大学の自治や学問の自由との関係ではどうなるかという点について伺いたいわけです。つまり、例えば防衛任務の中には必要な情報を収集する任務などというのもあります。学生自治会の動向あるいは教授の講義内容、こういうようなことも、仮に、情報収集して上官の命によって報告するというような義務もあるわけなんですけれども、こういう学生が一般の学生と机を並べて大学という学問の府で勉強するということが大学の自治との関係でなじむものかどうか、いかがお考えでしょうか。

大崎仁文部省高等教育局長

○政府委員(大崎仁君) 一般的に申しまして、大学が入学者の決定を行うに当たりましては、その大学、学部の設置の目的でございますとか、あるいは教育の内容等に照らしまして、入学希望者の個人個人の能力、適性あるいは学業遂行の見込みというようなことを適正に判断して決定をするわけでございます。そういう中で、自衛官に限りませず、既に職業を持っておられる方が勤務先との関係をはっきりされて入学をされるということは当然あり得ることでございますし、そういう方々を受け入れることも大学の一つの役割であるというふうに考えておるわけでございます。  なお、御心配の点につきましては、当然大学にそういうことでお入りになる以上、学則を初め大学の決まりをきっちり守って、これは学生として修学をされるわけでございまして、先ほどの防衛庁の御答弁でも、いわば学業に専念するということ自体が職務として見えておるということでございますので、御心配のようなことはないというふうに考えておるわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 通常の場合は心配するようなことはないと思うんですね。いざそういう治安出動であるとかいろいろな事態が生じたときに、その学則と矛盾するわけなんですね。しかも、二十四時間そういう任務を負っているという性格があるわけですから、そういう点で私は、これは大学の自治の問題と非常に矛盾するのではないか、こういうことを指摘して、次の問題に進みたいと思います。  次は、文部大臣が最近の雑誌の座談会で、日の丸、君が代問題について述べておられます。「この前の在任中に学校教育の中で定着させるのが望ましい」と書いた、これは「いろいろな配慮があったから」そのようになさったと述べておられますが、ここに言われている「いろいろな配慮」とは何なのか、そして、「いまが一区切りのときだ」と思ったとも述べられておりますけれども、その意味は、現在は、そう「いういろいろな配慮」をする必要がなくなったんだと、こういうふうに受け取っていいんですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 日の丸、君が代に対しましては、私はこれは、強制して嫌々掲げてもらうというようなものじゃなくて、掲揚してもらうことが望ましい、日本人ならばみんな喜んでこれは掲げましょうという態度であってもらうことが一番願わしいわけであります。  それから、君が代、日の丸についていろいろな御議論があることを私はよく知っておりますけれども、私個人の素直な感情から申しますと、光の部面と影の部面が歴史にはあるでしょうけれども、そのすべてを受け継ぎ、すべてを背負っていくのが我々国民であって、いいことは繰り返して拡大していく、よくないことは繰り返さないようにしていこうというのもこれは教育の持っておる大切な使命の一つだと私はいつも思っておるんです。ですから、君が代、日の丸のことを議論しますときは、私は、これはみんなが掲揚し斉唱してくださることが望ましいという基本的な気持ちをいつも方々でお願いし、訴えておるわけでございます。  御引用なさった雑誌の座談会というのは、私もいろんなところでいろんなことを発言しておりますので、何年のどういう雑誌かということがちょっと今ぴんと思い起こせませんけれども、いつも言っておることは大体同じことでありまして、嫌々、無理無理にやれというのじゃなくて、みんなにやってやろうという合意を持ってもらいたい。そして、日本人だったらみんなこの旗を揚げ、君が代を歌ってほしい、こういう強い願いを持っておるということをいつも表明いたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 雑誌の名前を申し上げればよかったですね。「世界」の四月号です。最新号です。  ある新聞が昨年の十月に行った全国世論調査によりますと、国民が、祝日に日の丸を掲げていない家庭は七〇%を超えています。また、秋に文部省が、公立の小中高校に、入学式、卒業式で国旗、国歌を導入せよ、もっと徹底せよという通知を出したことについて、「国旗の掲揚や国歌の斉唱には賛成だが、強制するものではなく通知の必要はなかった」という人と、それから国旗、国歌とも反対で「今回の措置はよくなかった」、こういう両方を合わせますと五九・八%、六割に達するわけですね。  こういう世論については、そうしますと今大臣のおっしゃったようなお立場との関係でどういうことになりますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 大変残念な世論でございまして、私はやっぱり、日本だったら日本のしるし、日本だったら日本の歌、メロディーというものは国際的にももう当然認められていることでありますし、私も時々サミットにお供して参りましたが、世界じゅうの国は何の不思議もなく我々代表団のところへは日の丸を置いてくれるし、オリンピックなんかでも、我が同胞が頑張って勝ちますと演奏されるのは君が代のメロディーでありますから、それについて異論を挟む外国の人もなければ国民の皆さんもないと思うんです。  ですから、もうちょっと素直な気持ちでというと言葉がまた悪いかもしれませんけれども、素直に国旗と国歌は日本の歌であり日本の旗なんだということで、掲揚し斉唱していただきたいわけで、通知が来るからかけてやる、通知が来ないからかけないとかそういう次元で私は物を考えたくないと思っておるんです。絶えずやっていただくことが望ましいと心から願っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 私が先ほどの大臣の御答弁に共鳴するところが一つあるとすれば、強制するものではないということですね、国旗、国歌。  文部省が日の丸掲揚と君が代斉唱をもっと徹底することを通知した昨年、ある新聞が、「長い間、教委や校長の権限でそうした異論を抑え、押し切って進めてきた効果があらわれ、あと一息となった。さあ、いよいよ最後の仕上げにかかろう、というのが、今回の文部省通知の意味合いかと思える。」というふうに批判的に書いています。  ここに埼玉県の教職員組合の調査があるんですけれども、日の丸、君が代を小中学校に導入する経過について、教委の指導が小学校で二五%、中学校で二七%、校長の一方的な指示で導入したのが小学校で四三・八%、中学で三二%なんですね。つまり、自然に、自発的にやるのではなくて、こういう形でしか導入できなかった。これは埼玉だけではなくていろんな例があるんですけれども、そういうことを考えると、この日の丸、君が代についてはまだ国民的な合意が形成されていないのではないかと、このように思われますが、いかがですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) あらゆる世論調査を私もずっと見ましたけれども、国民的に、君が代、日の丸が国旗、国歌だという合意は、形成されておると思うんです。形成されてから、いろいろな理屈をつけておれは反対だとかおれは嫌だとかおっしゃる方があることも私は知っておりますけれども、それじゃこれ以外に国民的に合意が求められるほかの族とか歌なんというものは考えられぬわけでありますし、国民的どころか世界的に合意されておるわけでありますし、この事実だけは私は曲げない方がいいと思います。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 賛成だというふうに考える人も、押しつけは困ると言っているのがさっきの新聞の世論調査の結果ですね。だから、教育の現場に校長が職務命令というような形で一方的に持ち込むという例も私も大分見ておりますので、国民的な世論がまだ形成されていないところを無理にやるのはいかがなものかというふうに申し上げたわけなんですね。  それについて昭和四十七年の四月の二十八日大阪地裁判決がありますけれども、この判決の中で、  国旗の掲揚については、物理的側面と教育的側面をもち両者は不可分な関係にある以上、「校長が、教職員とよく話し合って、納得のうえで実施することが望ましい」と判断する。また、  校長が職員会議における教職員の大多数の反対をおしきって強行したことは、学校教育法五一条・二八条三項にもとづいて校長が自己の判断と責任でなしうるかという法的評価はともかく、異例の措置であり、教職員の反発は首肯しうる。 というふうにしているんですけれども、この判決について、つまり現場の教員の納得を得てからやっぱり導入すべきだという考え方についてはどうお考えですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 日の丸、君が代につきましては、子供の発達段階に応じてそれをまず正しく教えるということが必要だと思うんです。教えられなければ日の丸、君が代が国旗、国歌であるということもわからない、そこが実は十分行われていないという問題があります。したがいまして、学校教育上の位置づけとしては、まずしっかりそれを教えてほしいということを学習指導要領では願っているわけでございます。教えられていく一つの過程として学校行事等の卒業式、入学式にはそういう国旗、国歌を斉唱し、掲揚することがいいと、望ましいということを指導しているわけです。  したがいまして、それぞれの教育委員会ないしは学校で教育上の配慮でそれを行事の中に取り入れてやるということの方針を決めた以上はそれに従わなきゃならない。最終的には学校の教育課程の編成権は校務をつかさどる責任のある校長にあるわけです。職員が反対するから校長がやりたいと思ってもできないというような法制になっていないわけです。教育の現場でうまくいっていたところは大部分の教職員が協力して、そして国旗、国歌をちゃんと行事の中に取り入れようと言ってやっているのが九〇%を超えているわけです。非常に残念ながら、一部ではそういう状態でないところがあるのでいろんなトラブルがありますけれども、トラブルがある場合に、両者がいがみ合って話がつかぬときはそのままにしておけというわけにはいかない。最終的には校長の責任と判断でそれを処理する、これが法律上の制度になっているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 この質問はまだ続くんですけれども、時間の関係がありますのでまとめたいと思うんですが、大人の社会でも、さっきの世論調査のように、押しつけは反対だという世論が過半数を占めているわけですね。大人の世界でも合意が得られないものを子供に強制的にそれを押しつけるということに一つ問題あるし、そういう権限が文部省にあるという法的根拠はどこにもないんだけれども、私は、そんなに熱心に日の丸、君が代についてやるんだったらば、では一例を挙げますけれども、学校給食どうなんですか。学校給食は中学で実施しているところがまだ六割しかないんですよ。父母は圧倒的に学校給食を要求しているわけですね。しかし、文部省は、私の知る限りでは、学校給食について教育の一環なんだからやりなさいという強力な指導をしたということは聞いていないし、日の丸、君が代でこんな押しつけをやるくらいだったらむしろ学校給食でやったら文部省の株は上がると思うんですよね。だから、そういう意味で非常にこの日の丸、君が代の問題については異常であるし、政治的な一方の考え方を教育の理場に持ち込む偏向教育の一つの典型的な例であるというふうに思うわけなんですね。  私は、この質問の最後に文部大臣にお伺いしたいのは、文部大臣が自発的にやってもらうのが好ましいと最初におっしゃいましたけれども、そのことと、もうとにかく職員会議で全員が反対しようと何しようと、校長の職務命令を使ってでもやってきたわけですね。そういうこととの関係ではどうなのか。やはりもっと納得してもらってやる。そして、合いじめの問題などでも学校現場でいろいろ解決しなきゃならない問題があって、教職員は一致して協力してこういう問題に当たれと文部省は言っているじゃないですか。それを、教職員が一致できないような問題をばっと投げ込んで強引にやってくるということは、文部省の指導にも日の丸、君が代といじめの問題では矛盾があると思うんですね。そういう点どうですか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) 日の丸、君が代の問題と給食の問題とは次元が違うと思いますので、日の丸、君が代の問題に絞ってお答えをさしていただきますけれども、私は、日の丸、君が代を現場の先生方がみんな反対ばっかりしていらっしゃるとはどうしても思えないんです。それから、日本国民の皆さんがそんなにたくさん反対して、定着していないとも思えないんです。私どもが見ております世論調査では、もう八割以上の方は完全にこれを理解し、支持してもらっておるから、定着しておると思うんです。  私が、強制しないで自発的に、これだとみんなが受けとめてもらうような姿が望ましいという、私の願いを込めて何度もお話ししたとおりの心情でありまして、それを押しつけるのが偏向教育だとおっしゃるならば、その国の旗や歌を、こんなものはだめだということの方が偏向教育だと私どもは言わせていただきたいということにも相なるわけですし、また、例は悪いかもしれませんが、児童生徒の中には、教わらなければ日の丸の旗を知らぬ、あれはテレビの放送が終わったら出る旗だ、君が代のメロディーは、お相撲が終わると聞く歌だというようなことが世間で言われるようなことは、教えていない大人の責任だと言われてもいたし方なかろうと思うんです。この国に旗がたくさんあり、この国に歌がたくさんあり、どれにしようかと国民的合意を求めて右往左往しておる状況ならいざ知らず、この国には日の丸は一つ、君が代は一つしかないわけでありますから、それの果たしてきたきょうまでの役割について、光の部分もある、影の部分もある、そして、それに対する一方的な御批判もあろうけれども、最初に申し上げたように、すべてを含めて事実として受けとめながらそれを我々は次の世代に持っていく。いいものは繰り返す、よくないことは繰り返さないという願いと誓いを込めていくのも教育であると、私が最初に申し上げておるとおりでありますから、どうかひとつ、国歌と国旗に対して、私は何とかして皆さん方に合意の中でこれを掲揚し斉唱されるようにしてほしい。特に。教育の現場では、これは教えてもらわなければ覚わらないわけでありますから、国民としての基礎、基本の一つは、この国の歌、国の旗というものをきちっと国旗、国歌として身につけ理解することも国民として身につけなきゃならぬ大切な資質の一つだと私は考えておりますので、どうぞその点は御理解の上御協力をいただきたい、こう思います。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 ちょっと済みません。これで終わると私あれですから……

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 時間ですから、最後にしてください。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 法的な根拠は何もないしね。この問題やると時間がかかりますけれども、まず、押しつけるべき法的な根拠は何もないし、国歌だ国旗だって決めていることもないんですが、私がきょう大臣に伺いたかったのは、やはり合意でもって、国民のコンセンサスを得て教育の現場でもやるべきなんだということで、押しつけに対する反対の世論――さっき挙げたのは読売新聞の世論調査です、そういうことも含めて御意見を伺いたかったのであって、この問題は引き続きまたこの次の委員会でもやりたいと思います。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 文部大臣には去る一月の決算委員会でも質問申し上げましたけれども、野党少人数で委員のやりくりがつきませんので、またきょう改めて御質問申し上げます。  私の質問は、文部大臣の所信表明に関して三点ほどお伺いしたいと思っておりますが、その前に、けさほど来大学の入学試験の問題がいろいろ論議されました。そのことにちょっと触れておきたいと思います。  私は、国会議員になりましてからたびたび文教委員会にも出席いたしましたけれども、大学入試の問題については一切発言しませんでした。それは、この問題は非常に難しくて、現存の制度を非難するのはこれは非常に易しい、しかし、単に今の制度が悪いと言っただけでは問題は片づかないんで、それに対する代案を出すのでなければ議論しても私は意味がないと思ったので、今まで私は代案がないから黙っていたわけであります。  大学の入学試験の問題というのは、大学にとっては非常に頭の痛い問題。極めて多数の、私が最後におりました早稲田大学の政経学部では、千二百人の定員に対しまして一万五千人ほどの志願者があり、実際に試験を受けるのは一万二、三千名ですけれども、この膨大な答案を五、六十人の専任の教官が採点だけで三日間、朝の九時から大体夜の八時ぐらいまで、昼食夕食の時間は休みますけれども、それに専念してやるぐらい非常に分量が多い。単に採点だけじゃなしに、試験の出題にいたしましても、あるいはその公表の手続にいたしましても、入学試験はこれは取り返しがつかない、一つの間違いもあってはならないので、非常に教職員が神経をすり減らす仕事であります。私は、大学の先生というのは給料は安いですけれども、もし教授会と大学入試の事務がなければ、こんないい商売はないんじゃないかと思っております。そのくらい大学入試の仕事というのは本当を言うと嫌な仕事であります。というのは、問題を出題していても、こんな問題で果たして学生を選別していいのかどうか、こういう採点方法で、こういう入学試験でいいのかどうか、いつも心に悩みながらも、ほかに方法がないから今までの方法でやってきたわけで、私は入学試験の制度について、一切欠点のない制度なんというのはあり得ないと思う。くじ引きでやるというんでしたらいいんですけれども、試験をするという以上はだれかを落とさなくちゃいけないし、一切不満のないような、欠点のないような制度というのはあり得ないわけであります。  ところが、最近余り入学試験の事務なんかを御存じないような政治家が、中曽根総理大臣を初めとしまして、いろいろ入学試験について意見を言われておる。確かに今の制度を非難するのは易しいことです。しかし、それにかわってどういう制度があるのか、あるいは今の共通一次確かに欠点がありますけれども、その以前の制度と比べてどっちがいいのか、そういうことを十分検討をせずに、欠点のない入学試験制度をつくりますとか、受験生が自由に選べます制度をつくりますとか、ちょっと素人目に見ますと、これはえらい立派な制度が生まれるんじゃないかという期待を持つと思いますけれども、私はそういうことは手品でもない限りそういうことをつくることはできないと思う。そういう無責任な放言が最近時々聞こえてきますので、私はこの問題をあえて、質問予定外でしたけれども、取り上げたわけでございます。  例えば、先ほど高桑委員も言われましたけれども、輪切りであるとか、切り捨てであるとか、これは試験をして採点をする以上は輪切りになり切り捨てる、落第した者を落とす、これは当然であります。あるいは大学の序列化になるといいますけれども、これは入学試験の結果ではなしに、むしろ社会が大学に序列をして、例えば会社が東大なら東大しか採らないとか、早稲田からしか採らないとか、あるいは公務員の試験でも、一流大学の先生が出題したようなペーパーテストによって公務員の試験をする。その場合にどうしても東大とかなんとかに行っていた方が有利である。そういう社会が既に大学を序列化しているわけです。その結果が入学試験にあらわれているにすぎないわけで、何か入学試験がすべて人間を序列化するとか、大学を序列化するとかいうふうな言い方をすることは、私はそれは素人の議論。素人受けはするかもしれないけれども、それは私は間違いだと思う。  それからさらに、入学試験あるいは共通一次でもいいんですけれども、それにいい点を取った者が人間的にもすぐれているんだというふうな社会に評価がある。これも私は非常に一面的な考え方で、むしろ社会の方に原因があるのであって、いわゆる共通一次の試験で落ちた者でも、ほかの能力においてすぐれた者なんかがいるわけですから、そちらの方面の能力を高く評価する。例えば入学試験の場合においても単にぺーパーテストの試験だけじゃなしに、例えば海外協力なんかに貢献があった者を優先的に入れるとか、そういうふうなことをすれば、私はそれで随分改善することができるだろうと思う。  私が特に取り上げたいのは、これ、文部大臣と総理と意見が違うようなふうに新聞に書いてあったんですけれども、受験生の方でどういう試験を受けるかということを自由に選択すると、そういうのがいいんだというふうなことを総理が言われたそうですけれども、そういうことをもし認めるとしますならば、例えば受験生の方で、おれは体育を中心にした試験を受けたいんだとか、いろんな注文を出してくるでしょう。とても対応できるものじゃないのであって、大学がいろんな種類の試験をやって、おれのところでは共通一次でやるし、おれのところでは、先ほど高桑先生も言われたようなハードル式のものとして、それを使って第二次試験をやるとか、あるいは自分の大学では、そういったものと関係なしに社会経験とかなんとかによって試験をやるとか、そういういろんな試験制度のバラエティーがある大学を受験生が選択する自由を持つ、私は一向差し支えないと思うんですけれども、入学試験そのものを受験生が選択するなんと言ったら、これは大学は大混乱いたします。とても教育なんかできるものではない。しかも、極めて短時間のうちに入学試験というのは採点して、先ほど言いましたように、少しも間違いないように採点して公表しなくちゃいけない。一年も二年も時間をかけてやれる試験であるならば話は別であります。あるいは戦前のように、数百人の受験生を審査する試験であればこれは話は別でありますけれども、多くの私立大学なんかでは、恐らく一学部で一方、何万、場合によってはそれを超えるような採点をしなくちゃいけない。そういうところで受験生の方に試験を選ばせるというのは、いたずらに受験生なり親なりに幻想を与える。かえって私はその混乱の方が恐ろしいと思います。これは本当は文部大臣に言うべきことではなしに総理大臣に持ち上げなければいけないことですけれども、なかなか総理大臣に質問する機会がないので、私がそう言っていたということを総理にもお伝え願えればありがたいと思います。これは別に御意見は要りません。大体文部省及び文部大臣の考え方はわかっておりますから、御返事は要りません。  次に、質問通告しておきました文部大臣の所信に関する質問を申し上げます。  第一は、教科書において、外国人の人名及び地名の表記方法であります。片仮名で表記する場合の表記方法であります。  文部大臣は所信表明の中で、「教育、学術及び文化の国際交流、国際協力」を推進しなくちゃいけないということを述べておられます。私も賛成であります。その中に、例えば留学生をふやすことであるとか、国際共同研究であるとか、外国人に対する日本語教育というふうなことを挙げられておりますけれども、私は、一番大事なことが一つ抜けているように思うんですけれども、日本人が国際的に物を考える、インターナショナルマインデッドになることが私は国際協力あるいは国際化の一番大事な点じゃないかと思うんです。インターナショナルマインデッドになるというのはどういうことかというと、日本と違う文化を持った外国の伝統的な文化を理解できる、あるいはそれを評価する、そういう心構えだと私は理解しておりますけれども、そのためには外国人の固有名詞、地名であるとか人名、これはやはりできるだけその原音に近く発言することが必要ではないか。日本語は発言が非常に簡単で、アイウエオの五十音さえ知っておれば表現できますけれども、こういう言葉というのはむしろ例外的に易しい言葉じゃないかと思うんです。いろんな難しい発言なんかがあるわけです。子音なんかでも日本語以外の発言があるわけです。  そういう違った発言があるし、あるいはそれに伴うところの、地名なんかでもそれぞれの文化的な伝統を背負っているわけですから、文化的な伝統があるんだということを知るためには、例えば「ベトナム」というふうなことを日本人は言っていますけれども、あれはやはり「ヴェトナム」じゃないかと思いますし、「ベニス」にしましても「ヴェニス」だと思うのであります。あるいは人名にしましても、「ボルテール」なんて書いてありますけれども、ボルテールなんて言いましたら、昔、「ギョエテとは、おれのことかとゲーテ言い」という川柳がありましたけれども、「ボルテールとは、おれのことかとヴォルテール氏言い」という川柳ができるんじゃないかと思いますが、外国人には通用しないわけです。  そのために教科書がどういう仮名遣いをしているか。普通名詞は、例えばサービスなんて既に日本語になっておりますからこれは問いませんけれども、固有名詞で地名、人名、それを調べてみました。全部じゃないですけれども。四、五冊社会科の教科書を調べてみたんですけれども、地名に関しましては、「ヴァ」というところがほとんど「バ」になっている。「チェコスロバキア」あるいは「ベトナム」、「ジュネーブ」であります。それから人名に関しましては、本によってまちまちでありますけれども、「ヴァ」行だけじゃなしに、「グロティウス」も「グロチウス」というふうな書き方をしている本もあれば、あるいは「カルヴァン」、これは「ヴァ」になっております。それから「シュヴァイツァー」、これも「ヴァ」になっております。教科書によって非常にまちまちであります。  私は、これはやはり統一した方がいいんじゃないかと思いますし、統一するのであるならば、「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」、あるいは「トア、ティ、トゥ、テェ、トゥ」、日本人が全然発言できない言葉であればこれは仕方ありません、LとRの区別なんて発言できませんから、これは仕方ありませんけれども。発言できる言葉であるならば、できるだけそういった発言を日本人もするようにし、そういう表記をしていくことが外国人に対しても礼儀上当然だと思うのであります。  かつて「ヴァンス」国務長官というのがアメリカにいて、あれを「バンス」と書いて、だれだったか日本の政治家が「ミスター・バンス」と言って、何か向こうが変な顔をしていたという話を聞きましたけれども、これは国際礼儀上も私は失礼に当たるのではないかと思います。  文部省は、今までどういう方針でこの地名、人名を指導をしてこられたか、それをまずお伺いしたいと思います。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) まず、外国の国名につきましては、外務省の外務報道官編「世界の国一覧表」で使われている表現を使っております。それから音楽用語、音楽家名等につきましては、文部省編の「教育用音楽用語」を使っております。それから学術用語につきましては、文部省編の「学術用語集」というものを使っております。その他の外国の地名、人名等の外来語の表記については、これはその発言に最も近い表現であらわすという、そのあらわし方が、今おっしゃったように非常にデリケートな微妙なところがあるので、幾つかの考え方があらわれて、差が出てきているわけでございます。したがいまして、外来語の言葉の使い方を教科書等においてどういう取り扱いをしていったらいいかという点については、御指摘のとおりに一定の画一した、日本の漢字であるとか送り仮名のように、画一した一つの尺度を持っていないというのが率直なところの現状でございます。  したがいまして、これらの問題については、将来国語審議会が日本語化した外来語の使い方についての検討というのはいずれしていかなきゃならぬだろうという問題意識を持っているようでございます。したがいまして国語審議会においてそういうような観点での審議が進められてまいりますれば、それが一つのよりどころになって教科書の検定の際の物差しができ上がっていくと、こういうふうに考えております。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 これは、教科書だけじゃなしに、政府の出している白書が実はまちまちなんです、国の名前、人名なんかについて。それで私は白書を見るたびに当該省庁に注意をしているんです。私は外務省が一番正確だと思う。外務省及び通産省が比較的正確であります。しかし、それ以外の省のやつは、全部私見たわけじゃないんですけれども、非常にまちまちであって不統一であるということは、第一見苦しいと思う。これはやはり至急文部省として、外務省の方針に従ったような片仮名表記、これを教科書の中にも使われることをお勧めいたします。  大臣、何かこれについて御意見ございますか。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) やはり外国の人のお名前とかそういったものはできるだけ正確にした方がいいわけで、私は、今のアメリカの大統領が当選された直後のころ、新聞にリーガン大統領とかレーガン大統領とか出ておりましたときに、たしかレーガンに統一しろという声が出て、その後レーガンに統一されたという身近な例を今思い起こしながら、なるほどそうした方がいいなと思いながら先生のお話を聞いておりました。  でき得る限り、外国の国名とか地名その他については、外務省の出しておるようなものにきちっと従ってやっていくように指導した方がいいと、今御質問を聞きながら感じておったところでございます。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 参考までに、日本の新聞社は余り国際的じゃないと見えまして、すべてベトナム、ボルテール式であります。これは私は随分新聞社に変えるように言ったんですけれども、なかなか変えません。恐らくスペースを節約するためじゃないかと思いますけれども、私は、そういったスペースの問題じゃない、日本人が本当に国際的になり得るかどうか、非常に重要な点だと思いますので、新聞を参考にする必要は全然ございませんから、むしろ新聞を指導するようなつもりでやっていただきたいと思います。  それから二番目、これもやはり文部大臣の所信表明にございます。「しつけなどの基本的生活習慣を確実に身につけさせ、他人を思いやる心や、家族、郷土、国を愛する心などを育てることが重要となっております。」と書いてあります。私も賛成です。しかし、国を愛するどころか、その前に、一体国というのをどういうふうに教科書で教えているかと思って、これも社会科の教科書を調べてみました。全部じゃございませんけれども、ここに数冊持ってまいりました。高等学校の「現代社会」ですね。どの教科書にも個人と国家という章がありますから、恐らく文部省の指導要領では個人と国家の関係を教えろということになっているだろうと思いますけれども、教科書によりましては、国家について非常に的確な説明をしているのもありますけれども、国家あるいは国家のレーゾンデートル、存在理由について全然触れていない教科書があるわけであります。国家とは一体何であるかを知らずに国を愛する心を育てようといっても、一体何をどういうふうに愛していいのかわからないんじゃないかと思います。  これは、日本語自体に非常にあいまいな点があって、国あるいは国家という言葉が、ある場合には郷土、カントリーを意味する言葉として国という言葉が使われる。お国はどちらですかというふうな。また、ある場合には、国民共同体、英語でえばネーションだと思いますけれども、国民共同体。これが例えば国益なんかという場合、ナショナルインタレストの国という言葉として使われる。また、特に法律用語ですけれども、国対地方公共団体というふうに、中央政府対地方政府、中央政府の意味で国という言葉が使われて、今度の家永裁判の教育権は国にあるか国民にあるかと、私はあれはナンセンスな問題の立て方だと思う。国民を正当に代表しているのが国会を含めて中央政府であり、それでそういった中央統治機構を国家、その場合はステートを意味しているわけであって、これはやはり国という言葉が非常に多義的に使われていることの一つのあらわれだと思いますけれども、国を愛する気持ちを教えるという場合には、その場合の国というのは何であるか、なぜ国家が必要なのか、それはやはり説明しないと国を愛しようがないじゃないかと思う。  私は、家族であるとか郷土というのは、それを愛するのは人間の自然の感情だと思います。国民共同体、同じ歴史を持ち、同じ文化を持ち、同じ言語、場合によっては同じ宗教を持っている国民共同体、他と区別されたものとして自分のアイデンティティーを確認しているところの国民共同体、これを愛する気持ちも私は自然だろうと思う。外国の子供と日本の国の子供がけんかしているのを見れば、まず外国人の頭の方を二つ、三つ殴っておいてまあまあととめに入るのが普通の日本人じゃないかと思う。これは自然の感情。私は自然の感情がそのままいいとは決して申しません。理性によってコントロールしなければいけないけれども、家族、郷土、国民共同体、これは自然の感情だと思いますけれども、統治機構としてのステートというのは、これは私は人為的なものじゃないかと思う。  現在の国家は、いわゆるステートとネーションが一緒になっている、いわゆるネーションステートになっているところに近代国家の特色があるんじゃないかと思いますので、同一地域に住む、ほかと区別された同一の所属意識を持って集団生活をして、その人たちが共通の統治機構のもとにある状態が私は国民国家だろう。やはりそのステートがなければ国民共同体の維持ができないわけであります。ステート、権力機関そのものは決して人間の目的ではない。しかし、そのステートがなければ国民共同体は維持できないわけであって、その意味において我々はステートを大事にしなくちゃいけないし、そのステートの枠組みによってつくられたところのネーションステートを愛する気持ちを持つ必要があると思う。  そういう点、よく書いてある教科書もあります。実によく書いてあると思った教科書、どれだったかちょっと忘れましたけれども。しかし、残念ながら全然触れていない教科書もあります。これもやはり、教科書裁判なんかがありましたけれども、教科書裁判の各論の部分は私は読んでおりません。家永さんが書かれた教科書の個々の字句、これが妥当であるか妥当ではないかということは、これは全体を読んでみなくちゃ判断できませんがら判断は保留しますけれども、総論的に、いわゆる国が、国会に代表されるところの国が、合理的な範囲内で普遍的な一定の水準を維持するために検定をするというのは私は賛成であります。しかし、そのためにもやはりその内容に注意していただきたいと思う。それを、私は今すぐ答弁を求めませんけれども、教科書審議会あたりで十分研究してやっていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 特に歴史とか社会の教科内容につきましてはいろんな意見がございますし、今御指摘のありましたような意見も十分耳を傾けて、教育課程審議会における審議の対象にしていかなければなりませんし、教科書をつくる場合の審議に当たっても留意していかなければならない重要な事項であると思っております。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 もう一つ、いわゆる国立大学における非常に勤める講師としての非常勤講師の給与の問題を取り上げるつもりでしたけれども、あと十分しか時間がないようなんで、これは後回しにして、時間があればそのときに取り上げます。  次は、やはり所信表明の中でいじめの問題を強調しておられますけれども、これに関連した質問でございますが、いじめの原因あるいは少年非行の問題、これはこの中に大臣も言われているとおり、いろんな原因が、家庭に問題があり、学校に問題があり、地域社会に問題があり、一朝一夕に解決できる問題だと思いませんけれども、しかし、やはりこれ一つ二つ解決していくのでなければ根本的な解決にはならないだろうと思います。その地域社会あるいは社会からの影響で一番大きい影響を子供に与えているのはテレビジョンじゃないかと思う。これが子供の情報機関、特に小学校、中学校ぐらいまではこれが非常に大きなウエートを占めているわけです。ところが、これは子供向けの番組というのは大体午後から夕方あるらしいんですけれども、私は時間が食い違っておりますので実際に見たことはないんですけれども、まあ娘であるとか、そのほか新聞なんかで書かれているところによりますと、子供向けテレビの内容に、暴力的場面であるとか著しい度を過ごしたような暴力的な場面、あるいは子供の購買欲をそそるような玩具、食品の広告、コマーシャル、これが非常に多いそうであります。  実は、東京都の青少年問題協議会というところが二月二十一日に意見具申をしております。「新しい『子ども―テレビ関係』の確立をねがって」というテーマで子供とテレビの問題を取り上げているんですけれども、私は事実をよく知らない面もあるんですけれども、おおむねこの意見は正当ではないかと思います。こういうテレビの問題が出てきますと、必ず表現の自由、言論の自由、憲法上保障されているところの言論の自由に抵触するんじゃないかということがマスコミあたりから騒がれますけれども、私は、表現の自由、言論の自由というのは、これは手段であります。言論の自由それ自身が目的ではない。言論の自由にしましても団結の自由にしましても営業の自由にしましても、いわゆる市民的自由と言われている諸自由、複数ですけれども、市民的諸自由と言われているのは、人間が、ヨーロッパで言えば神の命令に従って生活する、キリスト教徒でない我々普通の人たちにも通用する言葉で言えば、正しい理性の命令に従って生活する、そういった道徳的な自由、モラルフリーダムですね。シビルリバティーとは違います。モラルフリーダムを達成する手段にすぎないのであって、決して無条件のものじゃないはずです。もしこの市民的な諸自由が、教育基本法に言うところの人間の人格の成長を妨げるようなことがあれば、これは私は規制するのが当然ではないかと思う。この問題出すといつもマスコミの方からたたかれる。しばしばマスコミから反対意見が出るんですけれども、私は、やはり余り度を過ぎた子供向けの番組があれば注意する必要がある。  郵政省から来ていただいていますか。――放送法ですか、放送法四十四条の三以下に、放送番組審議会があって、その番組審議会がNHKの会長なり民放の会社の社長なりに番組について意見具申をすることができるようになっております。しかし、実際にこの番組審議会というのは、そういう悪い、青少年、子供に害のあるような、そういう番組に対して、今までどういうチェック機能を果たしてきたか、実際に機能しているのかどうか、あるいは会長なり社長に対して実際に番組内容について意見を述べたことがあるのかどうか、そのことを郵政省にまずお伺いしたいと思います。

岡田吉宏郵政省放送行政局業務課長

○説明員(岡田吉宏君) ただいま先生御指摘ございましたように、放送法は放送事業者に番組編集の自由を保障しているわけでございますけれども、その一方で放送番組の自主的なチェック機関ということで放送番組審議会の設置を義務づけているわけでございます。  郵政省といたしましては、このような現行制度におきましては、放送番組の適正化を図る上で放送番組審議会の果たすべき役割は極めて大きいと考えておるわけでございますが、ただいま御指摘 ございましたように、最近、放送番組審議会の機能が形骸化しておるのではないかというような御指摘がいろいろございますのは事実でございます。  ただいまありました、意見を述べておるかということでございますが、定量的な全社にわたるデータは持っておりませんけれども、実際に番組審議会では各先生方からいろんな御意見は出ておるようでございますけれども、正式の放送法四十四条の三第四項の意見として提出されているものは、例えば在京五社で、この一年間で見てみますと、七件というふうになってございます。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 余り機能していないような印象を受けますけれども、郵政省としてもやはりこの問題、次の時代を背負う非常に大きな問題ですから、もっと関心を持ってこの審議会を活用していただきたいということを希望しておきます。  文部大臣に対しての希望なんですけれども、この青少年問題協議会の意見具申の中には、文部大臣が所信表明の中で言っておられるように、例えば外で遊ぶ、一日テレビの前でしがみついていないで外で遊ぶ機会をつくる、これは自然に触れる機会をふやす、そういうふうなことも書いてありますけれども、テレビそれ自身に関して、例えば一週一日ぐらいは家庭の申し合わせでテレビなしデーをつくるとか、あるいはお母さんが子供と一緒にテレビを見て、そのテレビ番組を批判をする能力を子供に養わせる。あるいは学校において先生が子供向けの番組を生徒と一緒に見て、その番組をいろいろ批評し合う。いろいろ具体的な提案がしてあると思います。私は、やはり本来ならばこれは臨教審あたりでそういった、臨教審会長としてテレビ番組についてどうも青少年に及ぼす影響が非常に大きいので、しかるべき措置をとってもらいたい。あるいはお母さんたち、学校の先生たちも、子供を放任するのではなしに一緒に見てその番組を批判する、そういう批判力をつける、そういう面について配慮してもらいたいというふうな報告書なり談話を出されるのがいいんじゃないかと思っておりますけれども、大臣のお考えをお伺いしたいと思います。

海部俊樹自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(海部俊樹君) テレビが与えます影響は非常に大きいものがあることは御指摘のとおりでございますし、また、ある新聞の投書に、文部大臣も一遍一日朝から晩までテレビを見てみたらどうだ、それから感想を聞きたいという投書が載っておったことも事実でございました。  ところが、いろいろテレビを見ておりますと、大人の世界の応用問題としては表現の自由の範囲内であっても、子供にこれをそのまま見せるということは、人格形成の上でいい影響があるんだろうか。むしろ悪い影響の方が多いんじゃないだろうか。刺激が強過ぎる。また、異性との出会いはもっと厳粛なものであるべきだと我々が思うような番組も率直に言ってございますので、この間私は、個人的でしたが郵政大臣にそのことも言いまして、教育の場でこういうことが問題になっておるが、例えば何とかクラブという番組を見るなんて僕に注意をしてくれた人もございました。それは結局、今ここで御議論になっておりましたように、今のところはそれぞれのテレビ局にあります番組審議会なんかがのりを越えたものはいけないんだというチェック、歯どめをしていただくことになっておるようでありますけれども、制度としては、なかなかそれが有効に機能しておらないのではないかという御指摘、御批判もあるようであります。  私は、やっぱり公共の放送としていろいろな影響が多いわけでありますから、特にそれは番組編成審議会の皆さんにも子の親という立場でちょっとお考えいただきたいと同時に、各御家庭におきましても、親が子供と一緒にテレビを見て、その番組のいい悪いを一緒に語り合いながら、やっぱり親の責任もそこに加わってまいりますし、大変難しい問題でありますけれども、それぞれのお立場における方々の自律、自主のお気持ちといいますか、それぞれの立場の方がひとつしっかり人間として、大人として責任を持って、健全に育成できるなるべくいい番組をつくっていただきたい、このことを私の立場からも心からお願いを申し上げておきたいと、かように思います。

関嘉彦民社党・国民連合

○関嘉彦君 大臣としては、今それ以上は言えないと思いますけれども、今後もっと真剣に取り組んでいただきたい、それを希望しまして、質問を終わります。

林寛子自由民主党・自由国民会議

○委員長(林寛子君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後五時十二分散会      ―――――・―――――

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