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102回国会参議院1985/03/26

予算委員会公聴会 第1号

発言数
98
登壇者
20
会派数
6
開催日
1985/03/26

会議録

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 予算委員会公聴会を開会いたします。  昭和六十年度一般会計予算、昭和六十年度特別会計予算、昭和六十年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。  本日は、昭和六十年度総予算三案について、お手元の名簿の七名の公述人の方からそれぞれの項目について御意見を拝聴いたします。  一言ごあいさつ申し上げます。  鷲見公述人、関公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございます。委員会を代表して心から厚くお礼を申し上げます。  本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承りたいと存じます。  まず、財政につきまして鷲見公述人にお願いいたします。法政大学教授鷲見友好君。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) 鷲見でございます。  本日は、昭和六十年度予算について、全般的な特徴、軍事費、教育、福祉関係予算、補助金一括削減、財政再建などの問題につきまして意見を述べさせていただきます。  一般会計歳出の対前年伸び率は三・七%であります。主要経費別分類で見ますと、これより伸び率の高いのは、一般歳出では防衛関係費の六・九%、経済協力費の七・八%、エネルギー対策費の四・二%の三つの費目、いわゆる総合安保経費でありまして、国民生活、民生関係費はそれよりも抑制されております。このことは六十年度だけの特徴ではなくて、いわゆる臨調行革に基づく予算編成が行われて以降の特徴であります。昭和五十七年度から六十年度の四年間に、防衛関係費は三〇・七%、経済協力費は三七・八%、エネルギー対策費は二六・四%の増加ですが、この間社会保障費は八・三%、文教費は二・一%と抑制され、中小企業対策費は一三・五%のマイナスであります。こうした予算編成が続けられた結果、種々のひずみ、きしみが生じ、臨調路線の手直しが求められているのが現実であります。  こうした中で六十年度予算が編成されましたが、一般の国民から見て問題が多いと言わざるを得ません。軍拡、大企業優遇の措置は温存、拡大され、そのためにそのしわ寄せが国民生活、教育、福祉に押しつけられていると言わざるを得ない内容になっています。  第一は軍事費の聖域化であります。六十年度予算では、軍事費は概算要求の段階からマイナスシーリング予算編成の特別枠として聖域化され、最終的には一般歳出の伸び率ゼロにもかかわらず六・九%と突出し、三兆一千三百七十一億円と三兆円の大台を突破しました。この結果、GNP一%枠まであと八十九億円を残すのみとなり、公務員給与の引き上げにより、これまで政府自身が歯どめとしてきた一%枠突破は確実となり、今国会での最も大きな問題となっているところであります。したがいまして、日本の軍事費を問題にする場合ぜひ頭に置いていただきたいという点を述べさしていただきまして予算審議の御参考にしていただきたいと考えております。  この軍事費の問題の第一は、日本の軍事費の大きさについてであります。日本の軍事費をふやすことを要求している国内外の論者には、GNP比一・八%程度から五%程度まで引き上げるべきであるという、引き上げの幅についてかなり大きな幅があるわけでありますが、共通しているのは、日本の軍事費は小さく、経済大国にふさわしくもっと大きくすべきであるという点であります。その場合持ち出されるのがGNP比一%以下ということであります。一九八二年十二月、アメリカ上院本会議で全会一致で可決された日本の防衛努力の強化を求める決議も、日本の防衛支出のGNP比、歳出予算比は他の先進工業国に比べてはるかに少ないということを理由に挙げているわけであります。  日本の軍事費が対GNP比、対国家財政比で小さいことは事実であります。しかし、軍事費の大きさを問題にする場合には対GNP比だけではなく、絶対額をとることが重要であるというのが私の主張であります。日本のGNPはアメリカに次いで資本主義諸国では第二位で、全世界のGNPの約一一%を占め、第三位以下を大きく引き離しています。西ドイツの約一・五倍、フランスの二倍、イギリスの二・五倍、イタリアの三倍で、日本のGNP比一%はイギリスの二・五%、イタリアでは三%の額に相当するわけであります。一九八一年の日本のGNPは、日本を除く中東産油国を含めたアジア三十七カ国のGNP総額よりも大きいわけであります。したがって、GNP一%であっても絶対額は大きいのであります。世界で軍事費が日本より大きい国は、軍事費のGNP比が二〇%を超える臨時異常とも言えるサウジアラビアを除けば、国連でも六大軍事支出国としている国々であり、西ドイツ以外はすべて自前の核装備をしている軍事大国であります。憲法第九条を持っている日本の軍事費がその次の大きさであるということ、そのことがまずもって問題なのであります。  一九八二年一月一日現在で、日本が承認している国百六十四カ国に日本と朝鮮民主主義人民共和国を加えて百六十六カ国中、憲法第九条を持つ日本の軍事費が第八位であります。米国防省の同盟諸国の防衛責任分担、八四年六月十九日発表でありますが、によれば、NATO諸国と日本を合わせ十五カ国中、防衛支出のシェアは日本が第五位であります。アジアの国々では、中国を除けば軍事費はインドが五十六億ドル、韓国が五十二億ドル、マレーシア二十一億ドル、タイ十四億ドル、フィリピン九億ドルでありまして、日本の軍事費はその二倍から十倍の大きさであります。  一九八〇年の数字でありますが、日本の軍事費よりその国のGNPが小さい国は、アジアでは三十七カ国中二十七カ国、例えばその中にはバングラデシュのように人口が九千万人の国のGNPが入っているわけであります。その九千万人の人口の国のGNPが日本の軍事費よりも小さいわけであります。アフリカでは五十一カ国中四十五カ国が日本の軍事費よりもその国のGNPが小さいわけであります。このような大きさの軍事費が突出してふやされれば周辺諸国に脅威となることは明らかであります。  さきの米国防省の「同盟諸国の貢献」によれば、一九七一年度から一九八二年度までの軍事費の実質増加率は、フランス四二・〇五%、西ドイツ二六・七三%、イギリス一一・五七%に対し、日本は九二・九七%となっており、さらに八三、八四、八五年度も軍事費が突出されているのであります。既にアジアの国々では、日本の軍事大国化に対して厳しい批判があることは御承知のところであります。  軍事費の問題の二番目は、国際比較の場合の基準についてであります。軍事費の国際比較は実際には大変多くの困難があり、正確な比較は困難であります。しかし、少なくとも軍事費の範囲はできるだけ同じようにした上で比較を行うのが当然であります。  NATO諸国は軍事支出のNATO定義がありまして、ミリタリーバランスの軍事費の額はそれによって統一されております。この定義では、軍事費には正規軍部隊にかかわるすべての支出、他国に対する軍事援助、それには装備及び訓練の供与も含むとなっております。次に軍人恩給、NATO駐留部隊に対する受け入れ国政府、ホストガバメントという言葉を使っておりますが、受け入れ国政府の支出、NATO軍のためのインフラストラクチャー及び文官の経費が含まれています。  第一次大戦後の国際連盟軍縮準備委員会の予算専門委員会は、軍事費の中に要塞砲や石油の供給から軍隊付牧師の給与に至るまで軍事力を増強し、あるいは軍事力に影響するすべてのものを可能な限り含むべきである、また多くの国で軍事予算以外に組まれている項目も含まなければならないとしました。どこの国でもこれらすべてが軍事費に計上されているところはありませんが、日本の防衛関係費は憲法第九条とその精神を守ろうとする国民の意向のもとで軍備増強が行われたためかと思いますが、軍事費の範囲が極端に狭くなっています。  大蔵省も御承知のように目的別分類をしているわけでありますが、この目的別分類では防衛関係費に含めているいわゆる基地交付金なども、主要経費別分類での防衛関係費には入っておりません。NATO定義に従ってこの目的別分類の防衛関係費に旧軍人恩給関係費と海上保安庁経費を加えると、一九八二年度で主要経費別分類の防衛関係費二兆五千八百六十一億円の約一・七四倍、四兆四千八百七十一億円、約百八十億ドルとなります。また、イギリス、フランスは核武装をしており、その費用は軍事費の四分の一から五分の一程度とされておりますから、両国から核武装費を除けば現在の日本の軍事費とほぼ同じ大きさになるのであります。  これだけの大きさの軍事費を、例えばGNP比二%にすれば、憲法第九条のある国の軍事費は米ソ中に次いで世界第四位、三%にすれば米ソに次いで世界第三位の軍事費の超軍事大国となるのであります。それでもなお日本は国家であるためには軍事費をふやせという議論はあり得るわけでありますが、少なくとも今申し上げた実態を踏まえた上で議論することが必要であろうと考えております。  軍事費の三番目の問題は、GNP比一%枠の問題であります。NATO定義の軍事費では既に一%枠を突破しておりますが、それにもかかわらず一%枠問題は極めて重要であります。今一%枠は何ら科学的根拠のあるものではないという意見が言われています。もともとGNP一%枠は何らかの科学的根拠によって設定されたものではありませんから、今ごろそんなことを言っても何の意味もありません。対GNP比はそれ自体は一国の経済において再生産外消耗で、国民経済的には浪費である軍事費負担がどの程度になっているかを大まかに示したものという意味を持っているだけであります。  一%枠が決定された最も重要な契機は、不況のもとで国民経済、国民生活が困難に陥っているのに、軍事費がどこまでもとめどもなく膨張していることに対する国民の不安と反対があり、それを政府が考慮せざるを得なかったからであります。国民の側からすれば軍事費をふやすなという表現の一つであります。したがって、一%枠問題は一%枠ならいいということではないし、防衛支出をめぐる不毛の議論でももちろんありません。一%枠決定以後後年度負担という財政操作をフルに利用して軍事費の伸びを実態より低く見せたり、一%枠問題でここ数年、特に昨年度と本年度には国会でも大きな問題になってきたことを見れば、一%枠が現実に一つの歯どめとなっていることは明らかであります。これを取り外せば歯どめのない軍事費の膨張に道を開くものとなることはほぼ間違いないと言うことができます。  五十八年度防衛白書で、西側の一員として同盟諸国に対しても応分の責任を果たすことを明確にした、つまり専守防衛の枠から均衡論に立って軍拡を推し進めている西側の一員として、果てしのない軍拡競争の片棒を支えることを明確にしたことになるわけでありますが、こうした上での一%枠の撤廃は極めて危険であり、一%枠はぜひ守っていただきたい。そのためには新規装備などの削減が絶対に必要であります。  そしてまた、現在の自衛隊はアメリカの公的文書、公的発言の中でも米軍の補完部隊とされているわけであります。日本国民の生命、財産を守るのではなくて、逆に危険に陥れる、そうした軍事費の増加には絶対反対の意向を表明せざるを得ないわけであります。経済的にも軍縮こそが世界の特に日本にとっては安定的発展の絶対的条件であります。  軍事費についての四つ目は、一%枠とも大きくかかわる後年度負担の問題でありますが、時間の関係で省略さしていただきます。  さらに、福祉関係では、もう時間がありませんが、ごく項目的にだけ述べさせていただきます。  国民年金、厚生年金保険料が引き上げられたり、年金の物価スライドが十分に行われていないというのが現実でありますし、政管健保は黒字になったということで、本来切るべきではない助成を九百三十九億円カットするなどのほか、地方自治体に対する補助金一律カットによって弱者に打撃を与えるものとなっているわけであります。  それから、もう一つぜひお考えいただきたいことは、教育費、特に私学助成についてであります。私は本日はその資格で出席させていただいたわけではありませんけれども、東京私大教連——東京地区の私立大学が幾つか連合してつくっている組織でありますが、そこの執行委員長をしておりまして、私学の教師であると同時に労働組合の委員長でもありますが、その立場から言いますと、私学助成をぜひ、今のように抑え込むのではなくて、これを増額していただくことをお願いしたいわけであります。  特に昭和六十七年度をピークにして大学進学者が急増するわけでありまして、それをピークにしまして急減します。それに対して現在文部省では八万六千人がこの期間にふえると推定していて、この推定が正しいかどうか私は必ずしもよくわかりませんが、この推定が正しいとしまして、これは五十八年度の進学率を基準として計算しているわけでありますけれども、それでいいかどうかという問題については触れませんが、その中で、恒常的定員を四万二千人ふやす、それから臨時的な定員増を四万四千にすると言っているわけですが、しかしこの大部分は私学に実際には受け持たせるという方向が進められているわけであります。  そのためには、例えば教室の面積はふやさなければいけない、それから教員も臨時的にふやさなければいけないというふうに文部省の方は言われておりますけれども、しかし教室の場合はプレハブ教室でもいい、それから教員の場合には専任でない、非常勤でもよろしいというように、かなり教育の質の低下を招くようなそうした方向での急増対策、そしてそれが終わった後には、これは存在するに値しない大学はつぶれてもいいというふうに考えられているのではないかと思われるようなやり方で急増急減を処理しようとされているのではないか。  しかし、こうしたやり方では今後数年間の間に教育問題は大学のところで大変大きな問題になるわけでありますし、そしてまた、現在私も私立大学の教員でありますけれども、私学の授業料は父母負担のほぼ限界に達していると言っていいわけであります。したがいまして、日本の高等教育の八割を占めている私立に対してもう少し国が長期的な教育の方向を定めて、そしてその上で今言ったような問題に十分対応できていくような、そうした教育政策をとっていただくためには、ぜひ私学助成を大幅に増額をしていただくことをお願いしたいわけであります。  そのほか財政再建の問題だとか、その他いろいろありますけれども、時間がありませんから、また後に申し上げることができる機会があればそのときに申し上げさしていただくことにしまして、私の公述をこれで終わりたいと思います。(拍手)

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  それでは次に、外交・防衛問題につきまして関公述人にお願いいたします。東京大学教授関寛治君。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) 関でございます。  私、きょうは思い切ったことを申し上げようかと思っております。細かい数字の問題よりは日本の今後の発展の方向というものをはっきりさせて、その中で一体予算がどういうふうにあるべきかということを、主として安全保障の問題に焦点を当てて申し上げたいと思うのです。  もう既にアジア・太平洋時代ということがアメリカの側でも言われております。レーガン大統領も言っておりますし、それから中曽根総理もそっちの方向の考え方をはっきりと出されているようであります。では、一体このアジア・太平洋圏の中における日本の経済と政治的なさまざまの役割というものは一体何であろうかということであります。  アジア・太平洋時代といいますと、明るい側面というものが非常に強調されます。私ここで数字を申し上げるつもりはありません。もうあらゆるところで言われております。アジア・太平洋圏が経済の成長率が高いとか、あるいは貿易が既に八二年の段階で大西洋を超えたとか、あるいは日本の投資が太平洋、アメリカも含めてでありますけれども、太平洋圏投資が非常に伸びておる。日米関係で申しますと、既に八二年の段階で三八%日本の対外投資がアメリカに出ているというような状況であります。これらは、いずれにしても、その数字の側面だけで見る限り、非常に明るい側面であります。  もちろん、この明るい側面に、それと直接関係して副作用が起こっております。経済摩擦の問題でございますね。しかし、その直接に関係した副作用というよりは非常に暗い側面がある。これは何といいましても世界の軍拡競争の中心の場所がヨーロッパからアジア・太平洋圏にだんだん移行してきているという問題です。この問題は私は現在の世界じゅうの最大問題であるということを言わざるを得ません。  世界じゅうの最大問題というのを私どもは地球的諸問題あるいは地球的問題群と呼んでおります。これは国連大学のさまざまの研究プロジェクトの中でも地球的問題群、グローバル・プロブレマティークと言っております。  こういった問題群というのは、いずれにしても問題である以上解決されなければならない。どういう形で解決するのかというのが問われているわけであります。このような地球的問題群を解決する能力を一体どこのどういう主体が持ち得るのかということなんです。私はこういった問題が解決できなければ問題群が雪だるまのように大きくなって、最終的には世界の破滅ということになることは、これははっきりしていると思うんですね。核軍拡競争もその最も深刻なものの一つであります。  私は現在の状況が継続する限りにおいては核戦争は必ず起こるという予測をしているわけであります。これは予測の仕方にはいろいろ問題があるんですが、私は幾つかのところで書いたのですが、過去の戦争に関する統計を伸ばしてみると、核戦争が起こるということになっているんです。これは、その予測の根拠についてはきょうはいろいろ申し上げません。  しかし、はっきりしていることは、何か行き方を変えなければならないんです。人類として新しい創造的なものを生み出さなければならない時期に来ているわけです。これは明らかに言って、核軍縮と同時に核軍縮を支える、あるいは核軍縮を可能はするような新しい地球的規模の発展をつくり出さなければいけない。そういう地球的な規模の新しい発展のことを私どもはグローバルデベロップメントと呼んでおります。  グローバルデベロップメントは一体現在可能なのかどうか。可能だということは、グローバルデベロップメントが、古い言葉でありますけれども、ロストウ氏がテークオフと言ったことがある。テークオフというのは、これは離陸であります。離陸というのを主としてロストウ教授が言ったのは、第三世界の貧しい国々が経済発展に向かって離陸するかどうかと。離陸する条件ができればうまく発展するけれども、離陸しなければますますひどい状態になるということのわけです。  私はこれは一国規模の離陸ではなくて地球的規模の離陸であるというふうに定義し直す必要がある。それで、地球的な規模の離陸が起こっているかというと、アジア・太平洋圏の明るい側面においてはわずかにその離陸が起こる可能性というものが見えている。にもかかわらず核軍拡競争の激化という形で離陸ができない。離陸を妨げる条件があらゆるところに出てきているわけです。この離陸を妨げる条件の非常に大きなものは何かといえば、核軍拡競争のみならず、第三世界を含めての軍事費の増大によって世界の大きな発展、グローバルな発展が妨げられているということであります。  大体はっきりしている数字で申し上げますと、一九七〇年から八十何年までの間に第三世界諸国のGNPは三倍になりました。しかし軍事費は四倍になったんです。八千億ドルと言われた軍事費がやがて一兆ドルになるであろうと言われている。この軍事費に対してフィードバックがかかっていない。このフィードバックをかけるためには一体何をしたらいいのか。これは明らかに成長率の高い大きな国が軍事費に対して制御をかけるためのアクションを起こさなければいけないわけです。そのアクションを起こす意思を持っているのかどうかということが今や日本に問われているということであります。  日本そのものの軍事費の増大とか、そんな問題じゃないんです。地球の生き残りのために日本が貢献できるのかどうかということを世界じゅうの知識人が集まって、世界じゅうの責任あるエリートが集まって議論しなければならない。そういう議論の場として私は国連大学ができたということは非常に前向きのものであったと思っております。にもかかわらず、まだ政治家、学者、私ども学者を含めてでありますが、そのための意思というものがはっきり出てない。もちろん意思があったからといって解決できるわけじゃありません。意思にブラス何が要るか。これは明らかにお金の力であります。同時に知識、情報の力であります。今や知識、情報の力がお金の力に代替する側面というものをかなり持ち始めているんです。これは知識、情報時代という中で非常にはっきりしてきております。  そこで、日本の経済力が地球全体に広がり、今や十分の一の能力を持つに至った。しかも、アジア・太平洋時代というのは日本の経済の高成長によって出現したというふうに私は見ていいと思うんです。これは少なくとも牽引力である。もちろんアメリカの経済の中心が東部から西部に移り、あるいは南部に移るというようなことがワンセットになって太平洋時代をつくり出していることは間違いありません。あるいは日本の周辺にあるNICSと言われるようなところの経済成長率が非常に高い。こういう明るい側面というものは、アメリカが当面している現在の世界政策から比較した場合に、アジア・太平洋だけは可能性を持っているということなんです。アメリカは中米問題でどうしていいかわからない。中東問題もちょっと手がつかない。ところが、アジア・太平洋地域においては国際紛争の解決の可能性というものが朝鮮半島においてほのかに芽生えてきている。これに対して日本がどうしてはっきりした意思を持って新しい手をとらないのか。もちろんベトナムは一層混乱しております、朝鮮半島から比べれば。  私どもは、一九六〇年代の終わりに東京大学のコンピューターを使って未来予測をやったことがあります。朝鮮半島の紛争解決は極めて容易であった、しかしベトナムの紛争解決はそのときできなかった。六〇年代の終わりであります。十五年もたっておりますから、そのときのシミュレーションに参加された方で外交官になっていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。もちろんそのとき、その研究はそれで終わったわけです。なぜ終わったかというと、当時はコンピューターのコストが非常に高かった。したがって、コンピューターで新しいことをやるというのは非常に難しい。お金がたくさんかかる。ところが、今は当時のコンピューターに比べると百分の一から千分の一のコストになっている。パソコンがいっぱい出てきてターミナルがいっぱい出てきた。日本電気あたりの新型のパソコンを五百台ぐらい設備する大学をつくるのは何でもない。しかしなかなかそこまで大学の方がいかないのは、これは私は大学改革の最大の問題だと思っております。  極端なことは、ここでちょっと言い過ぎになるかもしれませんけれども、明治維新以後百二十年たって今までの大学でいいわけはないんです。大学を変えなければいけないんです。しかしそれができていない。臨教審はいろいろアイデアを出しております。中には文部省廃止論まで出てきておりますけれども、私は、明治維新以後百二十年たてばあらゆるものを革新しなければいけないんです。これはいろいろな面ではっきりと証言できると思っております。  まず、日本の明治維新以後の教育の発展というものが日本の経済成長に隠れた貢献をしている。これは私どもの研究によって非常にはっきりわかっております。明治の初めは小学校、それから実業教育、それから高等専門学校レベルの教育、このレベルのところは戦前で経済発展のために非常に大きく貢献したということがわかっております。このレベルのことを国際レベルで言いますと、例えば第三世界の進んだ国々がそこにようやく到達したかどうか、あるいは共産圏でも非常に進んだ国の場合はそのレベルに到達している。例えば朝鮮民主主義人民共和国に私が行って見た場合に、はっきりしていることは、あそこでは戦前の日本の高等専門学校レベルの技術教育というものは完璧になっております。それが朝鮮民主主義人民共和国の経済発展をもたらしているゆえんであるわけです。  これはちょっと話がほかの国に移りましたけれども、戦後の日本の経済発展の最大の原動力は大学教育の大衆化であった。これは間違いないわけです。六〇年代の終わりまでこれは続いたわけです。六〇年代の終わりの大学紛争以後、この流れが消えるわけです。今や大学はもう先端的に日本の発展を進めるものでなくなってしまったわけですね。それはなぜかというと、次の段階の問題。大学が国際化し、そしてシンクタンクが新たなレベルで再発足すれば、それが必ず日本だけではなくて地球の新たな発展、グローバルデベロップメントを引きずる要因になることは間違いないわけであります。  そこで私が申し上げたいことは、アジア・太平洋圏の発展というものを通して地球的な発展をつくるために日本が貢献するべき時代に来ていると。日本経済の発展というのは非常に見事でしたから、アメリカでも今や主にビジネススクールでは日本語学習熱が非常に盛んになっております。これは大変結構なことでありまして、これを助けるためにもう既に七三年、田中内閣のときに百万ドルのパッケージをアメリカの大学にばらまいたということがあります。これはアイビーリーグの大学ですが、しかしその結果日本研究者の中にどういう人が養われたかというと、どのようにすれば日本の軍事力を増強させるのにうまく働くことができるか、どうしたらいいかということを研究するような日本研究者が非常にたくさん育った。これは非常に私は残念なことです。  ところが、そうでない人たちもアメリカの中にはたくさんいるわけです。日本の平和憲法を守って日本が世界のグローバルな発展のために役割を果たしてくれという世界じゅうの知識人がだんだん出てきているわけです。それらの人々は日本の平和外交を支持してくれることは間違いないんですね。そういう人たちの新しいネットワークというものを形成するためにも大学やシンクタンクの改革が必要であります。大学やシンクタンクが国際的なネットワークを形成する能力を持っていないために、変な外国人がやってきて日本の軍事力を増強するように圧力をかける、これは世界の未来のために非常に嘆かわしいことなんです。  アメリカ人は日本の経済の発展から学ぶという態度は非常に最近強くなりました。日本語を学ぶというのも、これは大変結構なことです。ところが安全保障の問題については、自分たちが既成の枠をつくって、これが安全保障だと思う中に日本を巻き込むわけです。日本もそのとおりに行動しろと言うわけです。これは私は大変な間違いだ、人類の未来にとって非常に嘆かわしいことだと。これが嘆かわしいことだということを議論するためには、新たな国際的なフォーラムをつくって、そういう人でない、つまり新たに世界の地球的な発展をどうしたらつくり出せるか、そのために日本がどのように貢献できるかということを真剣に考えて、軍縮のことに熱心になることのできる人たちのフォーラムを設定する、それができるような大学にしなければいけない。日本の大学はまだ国際化しておりません。その点で非常におくれております。アメリカの大学は国連大学と提携したいと言っております。アメリカは国連大学にお金を出してないにもかかわらず、アメリカの大学の中には国連大学の傘の中に入りたいというのがいっぱいいるわけです。核の傘に入るのじゃなくて、日本の国連大学の傘に入りたいという大学がたくさんある。そういうところになぜ日本は援助しないのか。これが日米貿易摩擦を解消するために非常に必要なことだと思う。  しかし、援助だけしていてもだめで、日本の大学を改革するためには日本に新たな大学をつくらなければならない。私はアジア・太平洋第一大学、アジア・太平洋第二大学、アジア・太平洋第三大学、昔一高から八高までありましたけれども、そういうのを規模は小さくてもつくる必要がある。予算がたくさん要るだろうという人がおります。ある程度要るでしょう。しかし、今は放送大学ができているんですから、人間の数が少なくても、どこの大学でもビデオ使って講義できるんです。スタッフの数が少なくてもできるということもある程度あり得るわけです。放送大学だけに独占させる必要は全くないので、あらゆるところでそういうことをやればいいわけです。  そういうふうにするためには、もう一つ私はアジア・太平洋圏の周辺部の問題がある。これはアジア・太平洋圏周辺部というとASEAN地域。ASEAN地域も経済的に非常にいいところはいいんですけれども、そうでないような部分があります。あるいはインド洋地域、これも周辺部に入り込むわけです。  あるいは日本海であります。これが一番抜けているところであります。一体、日本海はどうすべきだと。裏日本の県、自治体が全部一緒にまとまってそこに第一日本海大学、第二日本海大学をつくる。それで、新幹線を裏日本に全部二十一世紀までに引くわけです。そして、それをトンネル掘って朝鮮半島の日本海側にずっと新幹線をつける。シベリアにもつける、樺太にもつける、新幹線一回り構想、二十一世紀までにつくるべきではないか。そして、これに対して第四日本海大学ぐらいは三十八度線の非武装地帯につくる。そして第五日本海大学はシベリアにつくる、第六日本海大学は樺太につくる、それで結構なんですね。そして、ある種の日本海大学に関しては、これはミリタリースクールにすればいいんです。ミリタリースクールというのは、国連平和維持軍を養成する軍事大学にするわけです。これは多国籍的な日本海の秩序維持のための共同の安全保障の大学にすればいいと、こういうような構想を打ち出すべき時期に来ているのではないか。  そういう構想、未来構想というものは私は空想ではないと思うんですね。それははっきりと目標に決めることにおいて一歩それに近づける意思を持つこと。意思を持てば、次に民間資金だって必ず活用できるんです。今やもう民間資金を活用しなければならない時期に来ているわけです。新しい大学をつくるといっても、確かにそういうような民間資金の問題に当面するでしょう。しかし、政府予算というのは、そういう新しい方向の最初の呼び水をつくる役割をしなければいけない。これは戦後の日本の経済発展において、通産省が先端産業を育成してきた。その先端産業育成に予算がある程度使われたと、こういう側面が非常に必要なのではないか。そうすれば、新しい大学つくるのは、これは先端産業の育成に属するわけです。次のグローバルな発展、地球的な発展のための呼び水になり得るわけです。  ひところ、前に大来さんあたりが言われたのは、これはニューディールの問題。アメリカのニューディールを地球的な規模のグローバルニューディールと言った。グローバルニューディールは今ちょっと評判が悪いのはなぜかというと、このグローバルニューディールが非常に社会政策的な意味を持っていて、今のレーガノミックスの考え方からすれば、生産性を向上させて、全体としての経済の発展をもたらすという点から見ると、対抗的な予算だというふうにみなされているだろうと思うんですね。そこで、グローバルニューディールの中でそういう社会政策的な部門というものは私は非常に重要だと思うんですが、同時に、より一歩先のグローバルな発展をするための呼び水的な予算を何らかの形で日本がつけるべきではないか。  同時に、多国籍企業の規模が非常に大きくなってきた。この多国籍企業の規模というのは大体国をGNPの順序でずらっと並べたときに、もう二十位ぐらいのところに日本の多国籍企業もたくさん進出しているんです。特に銀行なんかはそういうところに進出しております。こういう国よりも規模の大きい多国籍企業に対して、地球的発展税というのをかけるように国連で新たな方向を私は打ち出すべきだと思うんです。日本はそれをやるために、その問題を研究するために、国連大学がその問題を考えるようにすべきである。世界の世論をそっちに引きつけるということが必要だと思うんです。  軍拡競争をストップさせることと地球的な規模の発展をつくることとは表と裏の関係にあるわけです。軍縮軍縮と言っていても、新たな発展をつくり出さない限り軍縮は実現できない。安定した軍縮というものはできないわけです。軍縮のためには軍拡の原因になっているものを解決するための予算の投下が必要である。軍拡の原因になっているものを解決するために、非常に解決しにくい紛争を解決しなければならないのは当然でありますが、それは非常に難しいので、さしあたりは次第に解決しやすくなっている紛争を解決する。そのために努力する。その解決しやすくなっている紛争の一つが朝鮮半島の紛争であるわけです。これはもう客観的に見ても明らかです。  なぜかといえば、アメリカは七二年に中国にニクソンを送りました。中国との関係はそのときに改善したんです。なぜそのとき朝鮮との関係が改善できなかったのか。これは私はいろいろのところで書いておりますけれども、必ずできるはずなんです。もう既にそれ以来十三年たっております。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 時間でございますので、おまとめを願います。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) そういう方向で予算とかそういうものを根本的に考え直す、地球的な発展という規模で日本の予算のあり方を考え直すことが必要な時期に来ているということで私の話を終わらせていただきたいと思います。  以上であります。(拍手)

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行いますので、質疑のある方は順次御発言を願います。

森田重郎自由民主党・自由国民会議

○森田重郎君 森田重郎でございます。  本日は、鷲見先生、そしてまた関先生、両先生には大変貴重な時間を割愛いただきまして、特に公述人として出席をしていただきましたことをまずもって感謝申し上げたいと存じます。また、ただいまは両先生から大変貴重な御意見を拝聴することができました。それぞれの先生の専門分野における大変貴重な御意見でございまして、今後私どもも大変勉強になるのではなかろうかと思っております。重ねてお礼を申し上げたいと存じます。  そこで、時間の関係もございますので、私の質問は両先生に一括して質問をさせていただきまして、独り時間をそれぞれの先生からひとつ御意見、御高見を拝聴したい、かような形でやらしていただきたいと存じます。  まず第一に鷲見先生にお伺いしたいと思います。  先生は軍事費の聖域化、この問題について四点ほど挙げられました。日本の軍事費の大きさ、これは対GNP比だけでなく絶対額で見なくちゃならぬというような問題。あるいはまた国際比較の問題。これはNATO方式でやりますと、日本の軍事費というものも相当な額になる。そしてまた、世界で四位とおっしゃいましたか、もし誤っておりましたら御訂正願いたいと思いますが、NATO方式で計算すると超軍事大国であると、こういう意味の御発言。あるいはまた、現在の防衛費の一%枠の問題というものがこれは全く科学的な根拠がない、極めて大まかなものだというような意味のことを先生お述べになりましたが、実はその件につきまして私お伺い申し上げたいことは、先生の防衛問題、先生は軍事というお言葉を使っていらっしゃいますけれども、この防衛問題、国民の安全を守るための防衛力というものが一体必要なのであるかどうか。この点について先生のお考えをお伺いしたいと思います。  そしてまた、先ほどお述べになりました中で先生は一%枠について触れましたけれども、もし防衛力というものが必要であるとするならば、例えば一般会計のうちでどれぐらいの予算が必要なのであるかというような意味での先生のお考えというのは残念ながら拝聴することができなかったわけでございますが、その点をひとつ第一点先生にお伺い申し上げたいと存じます。  それから、先生に対する第二点の質問でございますけれども、これはちょうど五年前、三月十八日、第九十一国会の本院予算委員会におきまして公述人として先生は公述をなさってくださっておりますが、それは、五年前の五十五年度予算案について、第一に財政の再建、第二に税制問題、それから第三に公共料金の問題、そして第四に軍事費、防衛費の問題、この四つの柱を中心にした御意見をお述べになっておりますが、この中で第三の公共料金の問題につきましては、先生は、思い切って公共料金は凍結すべきである、消費者物価あるいはまた卸売物価ともに政府の見通しどおりにはなかなかいかないであろう、また物価が上がれば、その結果として当然買い控えの傾向が出、また問題が起こってくる、インフレを抑えて景気の安定を図る、かような上からも政府は蛮勇を振るってでも公共料金の凍結を考えるべきだ、こういう意味の御発言をなさっておりますが、ただいま問題になっております財政再建との絡みの中で公共料金の値上げ凍結問題に対する先生のお考えをお伺いしたい。  以上二点を鷲見先生にお尋ね申し上げたいと存じます。  それから関先生に三点お尋ねいたしたいと思います。  まず第一点は、先生は国際政治の大家でございますので、きょうの公述の趣旨と多少関連しておるというような意味であえてお尋ね申し上げたいのでございますが、今般ソ連のゴルバチョフ新書記長が登場なさいましたが、この新書記長の登場によりまして今後ソ連の対外政策というものがどういうふうな形で推移するか、どんな形に変わっていくか、あるいは変わらないか、こういった問題につきましてひとつ先生の御意見をちょうだいいたしたいと思います。  次に、その問題と関連するわけでございますが、八三年以来ストップしておりました米ソ間の軍縮問題、これが十二日からジュネーブで現在進められておりますけれども、この軍縮交渉というものが果たして今後どういう方向で推移し、進展していくであろうか、これを第二点として関先生にお伺いしたいと思います。  それから三点目でございます。最後の問題でございますが、先生はきょうもその問題につきまして限定的な意味の核戦争はあり得るという意味の御発言をなさっていらっしゃいますが、昨年の八月に雑誌エコノミストに、「いま日本の防衛とは」と題するテーマの中で、「米ソ核戦争前夜の日本の選択」と題して非核の強化問題、これをお訴えになっております。その中で先生は最後の項におきまして、防衛費、先生の言われる軍事費でございますね、軍事費だけは一応国会に出てくるから自然歯どめがかけられる、そういった意味で今後の軍事予算というものをせいぜい抑えていかなくちゃならない、この問題は非常に重要である、しかもそれは単に抑えるということだけでなく、「軍事予算とトレードオフ関係にある経済協力、特に平和のための経済協力に積極的に投資していくという形で、日本は米国に対抗するべきだろう。」、こうおっしゃっておられます。そこで、私は、現在日米間に横たわる特に異常にまで緊張しつつあります貿易摩擦問題、そしてまた防衛費の問題、先生の言われる軍事予算との関連の問題、この三点につきまして関先生の御意見を承れれば大変ありがたいと思っております。  以上で私の質問を終わります。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) 森田先生の御質問にお答えします。  一つは、まず事実の問題ですが、NATO方式で計算すれば第四位だというふうに申し上げたわけではありません。NATO方式よりも、ミリタリーバランスではデフィニションという言葉を使っておりますからNATO定義と言う方がいいんじゃないかと思いますけれども、NATO定義で計算しますと、現在、日本の軍事費はフランスやイギリスとかなり近い額になるということを申し上げたわけで、そのついでに、これをGNP比二%にすれば四位になるというところで四という数が出てきたわけであります。  一%枠が科学的根拠なしに設定されたと申し上げたのは、このことは科学的根拠がないから意味がないというつもりで申し上げたわけでないことは先生もおわかりいただいていると思いますけれども、科学的な根拠がないということと、それから軍事費がどうなるか、特にあのときは五十年代の前半で、不況のときに予算がかなり厳しくならざるを得なくなってきている状況の中で、軍事費は一体どこまで伸びるのだろうかという国民の不安があったことはもう間違いないことでありまして、したがって、そんなにふえないから大丈夫だということを政府の方としても国民にある程度納得させる必要上一%というのが決められた。そのいきさつをいろいろ聞いたり調べたりしてみますと、どうもそのように思うわけであります。  しかし、そのことは、一つの歯どめとして一%程度をめどに置くということが言われたことは、科学的に根拠がないからそれは意味がないということでは決してないわけでありまして、逆にといいますか、科学的な根拠であったら、大体一%とか二%とか、あるいは三%と枠が決められないわけであります。しかし、現実は余りふやしていけないということを明らかにするという意図でされたものだというふうに思います。したがって、それが今までずっと国会でも議論になり、守られてきているというこの一%という数字そのものが科学的根拠があるかどうかというよりも、余り伸ばさないということの一つの象徴的な数字として一%があるのではないかというふうに考えております。  そこで、予算のうちでどのくらいがいいのかというような御質問ですが、私は、原則として、現在日本が戦争に何らかの形でかかわりを持つというような場合は、これはアメリカの議会の公聴会でも専門家あるいは前在日米軍司令官だとかあるいは太平洋軍の司令官だとか、そういう人たちが証言しているところを見ましても、日本ではソ連脅威論が非常に盛んでありますけれども、ソ連が単独で日本を攻めるということはあり得ないということは全部言っているわけでありまして、可能性があると言っている人はそうした専門家あるいは軍人の中でいないわけであります。日本がもしソ連に攻められるようなことがあるとすれば、それは米ソの世界的対決の中だけであり得ると。これは今正確に記憶しておりませんが、ガイラー元太平洋軍司令官ではなかったかと思いますが、そういう発言もされているわけでありますから、そういう形で日本が戦争に巻き込まれることが一番可能性としては多い。その場合には、小競り合いといったような戦争では当然ないわけでありまして、当然核戦争、先ほど関先生も言われましたけれども、そういう場合は核戦争を想定せざるを得ない。もし日本が戦争に何らかの形でかかわりがあるとすれば、核戦争にかかわりがあるというのが一番現実的な想定であって、日本の防衛問題を考える場合、まずそこから考えなければいけないんじゃないかというふうに私は考えております。  そうしますと、現在の軍備ではとてもそういう場合には対応し切れない。一%を二%にしてみても、あるいは三%にしてみても、これは対応し切れない。要するに軍備で日本が攻撃されるのを防ぐことはできないというのが私の考えであります。ただ、国民はいろいろな考えの人がいるわけでありまして、多少軍備を持たなければという人もいるかもしれませんけれども、その場合でしたら、どの程度かわかりせんけれども、沿岸警備隊だとか、その程度のものは必要かもしれないというぐらいなふうに考えております。  それから、五年前の公聴会とのかかわりとの件でありますが、あのとき確かに公共料金はぜひ凍結していただきたいというふうに申し上げたことを記憶しております。今御質問の趣旨は、公共料金を上げたけれども物価はそれほど上がっていないではないかということがその背後におありかと思います。公共料金が確かに上げられましたけれども、日本の戦後の歴史の中では異例とも言える物価上昇率がここのところ続いているわけであります。公共料金はもちろん物価上昇にプラスの要因として働いているわけでありますが、これには大蔵省もかなり物価の激しい上昇を抑えるためにいろいろ努力しておられることがわかるわけであります。  それは国債問題一つとりましても、低成長になりまして、管理政策としてマネーサプライがかなり急激に増加しないようなそうしたやり方、例えば六〇年代ですと日銀の買いオペがかなり大胆にといいますか、行われていたわけでありますが、これが抑制されるとか、あるいはそれとの関係で市場での国債売却を認めるとかいうような、いろいろなマネーサプライについての配慮をされておりますし、それから全体的な経済情勢とのかかわりとか、そういうものとの総合で物価が決まってくるわけであります。したがいまして、公共料金が上がったらそれがすべて急激な物価上昇につながるということでないことは明らかでありますが、しかし公共料金はやっぱり物価を引き上げる要因であることは間違いありませんし、そういう視点からは公共料金の引き上げは現在でも私は賛成ではありませんし、もう一つは、物価だけの問題ではなくて、国民負担の側面から見れば、公共料金の値上げはぜひやめていただきたいというふうに現在でも考えております。  以上です。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) 先ほど余り一般的なことを申し上げましたので、今度は非常に特殊的な御質問と承りまして、そのつもりでお話をさせていただきたいと思っております。  まず、ソ連のゴルバチョフ書記長の登場というのは、何と申しましても、イギリスのサッチャー氏が、非常に若くてしかも好感の持てるということを、まだゴルバチョフ氏が現在第一人者としてソ連の政権を担当することになる前に発言していたようなことがありまして、ニューズウイークやタイムも特別特集を前に顔を大きく出してやっているぐらい、西側の世界でも大変注目しているということなんです。これは注目するのは当然でして、何と申しましても、軍事力の面でアメリカとソ連が相互にナンバーワンを競い合っているような状況で軍事力というものが世界を破滅に陥れるかもしれないときに、ゴルバチョフ氏は人類の運命を半分握ってしまったという感じでございますから、何といっても、我々がゴルバチョフ氏がどう行動するかに関心を持つのは、これは当然だろうと思うんですね。  ソ連の対外政策がどう推移するかというのは、私は短期的な予測というのは非常に難しいと思うんです。偶然的なことが非常にたくさん起こります。しかし、長期的に見た場合には極めてはっきりしていることがあるんです。それは何かと言えば、ソ連はマルクス主義の国として発足したにもかかわらず、国際政治に関する考え方は、むしろ古典的な国家間の関係の秩序の伝統的な行動原則に従って行動する傾向をますます増大させているということなわけです。これはソ連が革命国家として誕生したとき一国社会主義国家として誕生したために、それまでに存在していた古い国際秩序の中で学習を努めてやらなければならなかったということであります。この学習というのが私はくせ者でありまして、現代の国際関係の最悪のケース、過去にその国が経験した最悪事態から学習するということなんです。  最悪事態からの学習ということは、これはアメリカもそうでありまして、つまりアメリカは真珠湾攻撃という最悪事態というものから学習しまして、次は第二次大戦後は、ソ連が日本が真珠湾攻撃したように核兵器で奇襲攻撃するのではないかというところに焦点を当てて外交政策を、安全保障政策を立てている。そこで大変困った事態が生じてくる。ソ連についてもこれは同じでありまして、全く過去の最悪事態というものから学習する。日本でも安全保障を議論するときには常にそういうことを政治家もおっしゃるわけですね、侵略されたらどうするんだと。いろいろな過去の例を、日本がこうむったことでなくても、他の国が最悪事態でこうむった例を出して備えよと言うわけです。  しかし、安全保障自体を増大させるということは、一国の安全保障増大は必ず他の国に対しては安全保障を失わせているわけです。そういう側面を古典的な国際政治というのは持っているわけです。そこに軍拡競争が激化する。ソ連もそのこと自体にある程度気がつきながらも、アメリカとの関係ではまさにその原則に従って行動してきた。したがって、ソ連は常にアメリカに対して軍事的に弱い立場であるから追いつけ追いつけということでやってきた。追いつけ追いつけでやってきてほぼ均等になったときに、勢力均衡の概念というのが根本的に問われざるを得ない状態になってきたというのが実情なわけです。  この勢力均衡というのは、数学の中でn人ゲームの理論、複数の人間のゲームの理論というのがありますが、これは同盟形成に関するさまざまの数学的な議論をやっているんです。極めて単純化して言ってしまいますと、数人ゲームの解答というものは時によると全くない。解答がないということはもう本当に困った問題なんです。ただ、解答がある場合、いろいろな幾つかの同盟関係が複数に同時に解答になるわけです。そうすると、その複数の同盟関係の一つから単に急激にシフトする、移るということがあり得るということなんです。これが非常に怖いことなんです。  私はかつて繰り返して言ったんですが、第二キューバ危機が起こるのではないかと。そういうことが起こり得るということなんです。もともとソ連の軍拡というものはアメリカに追いつくということから始まったわけですが、七〇年代のデタントがなぜ壊れたかというのを見ると、キッシンジャーが米中ソ三極構造あるいは二・五極構造をつくろうとしたときに米中の軍事同盟というものを前に出した。その前は米中の軍事同盟がないのにそれが出てくると、ソ連は米中の軍事同盟に対して対抗するということで太平洋に伸びてくる。あるいはNATOと現在のソ連の対抗関係を見てみましても、NATOの一員にアメリカがなっているわけですけれども、現在の米ソの軍拡競争の中の最大の争点の一つは何かというと、アメリカの方はアメリカとソ連を均等にするということを言っている。ソ連の方は、ワルシャワ条約機構はNATO全体に対して均等を求めてくる。そこで大変な食い違いが出てきておるわけです。これは複数の均衡が同時に成り立つのです、どっらをとるかという。ソ連側の主張とアメリカ側の主張が連続的に変わっているのではなくて、非連続的に違うところをねらっているから非常に危ないということなわけです。  また、日本の周辺を見てみますと、日本にとっては、ソ連というのは巨大な軍事力だから、そのままでは大変な脅威に見える。しかし、もしキューバというところに我々が身を置いてみたらどうか。アメリカから押しつぶされそうな状況にキューバがあるわけなんですね。日本とソ連との関係に匹敵するような関係がアメリカとキューバとの間の関係にある。そうすると、日本の軍事力を増強してソ連を圧倒的に封鎖するような動きというものが日米共同作戦の中で仮に起こったときに、ソ連がキューバあるいは場合によるとニカラグアとの関係で同じようなことをアメリカに対してやるかもしれない。そうすると、キューバと日本が引きかえで滅びるということが核戦争であり得るということが理論的には考えられるということなんです。あるいは最近、元防衛庁をおやめになった方がおっしゃっておられるのですが、日本はひょっとしたらモンゴルと引きかえで滅びるかもしらぬと言っておるわけです。これは非常に困る話でして、こういうことが理論的に考えられ得るということです。  だから、私どもは、軍事的な安全保障の面でソ連の政策がどう推移するかというときに、関数である西側の政策がどう変わるかによってソ連の政策が変わるんです。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 時間の関係ございますので簡略に。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) そこで、私がはっきり結論として申し上げたいことは、アメリカとカナダとの間にミシガン湖があります。これはアメリカの領土です。日本海をミシガン湖というふうに私は言っておる。アメリカのノースウェスタン大学の教授がこの前新潟大学に来てスピーチしましたが、コンピューターを使って新たなローカルエリアネットワークを日本海につくるということをサゼスチョンした。  それで、ソ連のゴルバチョフ氏は非常に有能ではあるけれども、ソ連の外交政策というものは基本的には西側の政策によって変わるのだから、やり方のいかんによっては幾らでも我々の方に引きつけることができる。シベリア開発をやれば、ソ連人の方がむしろどっちかというと日本から学びたいという気持ちが猛烈にあるんです。日本人の方ではソ連から学ぼうなんという気持ちを近ごろ持っている人はほとんどいない。それは当然そういう状態であることはわかるのですが、しかしソ連の方が日本から学びたがっているわけですから、我々の方がソ連に影響力を及ぼし得るということで、ゴルバチョフ氏は賢明だから日本から学びたいと思っているだろうということで結論にかえさしていただきます。  それから次にSDIの問題でございますが、SDIは、御承知のように、非核兵器、防衛兵器ということでレーガンは売り出したわけですね。軍縮交渉の場合に、結局、SDIに対して、アメリカはSDIを今後ますます開発していく、ソ連の方はSDIなんというのは宇宙軍拡だから、これがある限り話し合いがつかぬということで、徹底的に論争になっていることは御承知のことと存じます。レーガンさんがなぜSDIを強調することになったかというと、それはアメリカでレーガン政権第一期の間に反核の機運が非常に強くなった。カトリック教書で核戦争というのは人類に対する犯罪であるというような趣旨のことをはっきりと出した。それから核抑止力も、いざとなれば核兵器を使うのだからこれは悪であるという原則を出した。もちろん核抑止力が現在存在している限り一時的には認められるけれども、軍縮の方にすぐ移行しない限りはこれも許しがたいということを言っているわけです。こういった雰囲気というものが今までの核軍拡に頼ることを非常に難しくさしてきたわけです。だから核軍縮ということをレーガンも言い始めた。核軍縮ということの方法として、SDIは非核兵器で防衛兵器だということを鬼の首を取ったような形でSDIの宣伝を始めたというのが実情だと思います。このSDIの宣伝が本当なのか、それともますます核軍拡競争が激化するかについては、アメリカ国内でも大論争があるんです。いずれにしても大変な経費が要るということだけははっきりしている。  そこで私は、もし中曽根さんのようにSDIというものに理解を示すならば、SDIに理解すると同時に核軍縮というものを徹底的に急速に進めるべきである。日本の非核政策ももっとはっきりしたものにする必要がある。SDIが完成した途端に核抑止力がなくなるとレーガン自身言っているんですよ。アメリカが先につくればなくなるというんです。ソ連が先につくってもなくなるのですからね。したがって、SDIというのは米ソ協力して仲よく開発しましょうというなら一番話はわかるんです。もっとも、そう言うと、米ソが共同して開発するのなら初めから開発しなくてもいいじゃないかというような皮肉な言い方をする人もあります。いずれにしても、SDIというものが核軍拡競争を激化する作用を持っている、非核兵器であるにもかかわらず。今のところはそういう状態にあるだろうということははっきりしている。米ソの間でどういう話し合いがつくかについては、私はあくまで一種の核凍結、ある種の状況のもとでの核凍結に近いものが唯一の新しい軍縮交渉への取っかかりになり得るんだというふうに考えております。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 恐縮ですが、時間が過ぎましたので簡略に願います。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) これはアメリカの民主党も言っております。  それから最後に、日本の防衛費の歯どめの問題について簡単に申し上げたいと思うのですけれども、日本の防衛費については経済協力費と比較してみた場合どうなのか。経済協力費の伸び率に対して軍事費の伸び率は確かに少ないんです。ただ、経済協力費というのは日本の軍事費の中の五分の一なんですね。世界では世界の総軍事費の中で経済協力費は十五分の一にすぎない。日本の場合は確かに軍事費に対して五分の一なんです。にもかかわらず、日本のGNPが世界の一〇%であるから、先ほどのお話のように、軍事費の伸びというものが、世界の軍事費の増大に日本の軍事費の増大が貢献しているということが言えるんじゃないか。非常に貢献している。だから、世界の総軍事費がだんだんとスピードアップをストップさせるような方向に日本の軍事費が考えられるべきである、そういうような軍事費のあり方が考えられる。  その軍事費のあり方というのは、結局、世界の平均的軍事費の伸び率よりも日本の軍事費の伸び率が上回ってはならないということであります。これに対しては、日本の軍事費がまだ少ないからそこまで言うのはおかしいじゃないかと言う人がいるけれども、にもかかわらず、それは非常に重要な目安になる。世界の平均軍事費の伸び率を日本の軍事費の伸び率が上回るべきではないという結論であります。  以上でございます。

矢田部理日本社会党

○矢田部理君 両先生、大変御苦労さまです。私の方から関先生にまずお尋ねをしたいと思います。大変グローバルなお話をいただきましたので大きな質問をすべきかとも思いますが、時間の関係もありますので一、二点だけお尋ねをしたいと考えております。  確かに、軍縮の問題は米ソの核軍縮を中心にして今ジュネーブでようやく交渉が始まったところでありますが、この見通しと展開などについて伺いつつ、同時にまた、米ソの核軍縮が基軸ではありますが、アジアにおいて軍縮なり平和を求める処方せんをどういうふうに考えておられるのか。一つの事例として朝鮮問題を先生は先ほど指摘をされました。朝鮮問題はアジアの中では解決しやすくなってきているという状況、最近の動きなどを踏まえての御発言だと思われるわけでありますが、そのために日本外交としていかなる対応をすべきなのか、日本外交の展開の方向などについてもお示しをいただければ大変ありがたいというふうに考えております。とりあえずその質問をまず申し上げたいと思います。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) 日本の外交政策として朝鮮問題にどう対応すべきかということに絞りたいと思います。  朝鮮問題については、一九五〇年の朝鮮戦争以降さまざまな問題があったわけです。朝鮮戦争にまでさかのぼって議論すれば、これは切りのないいろいろな議論が次から次へと出てきます。ただ、はっきりしていることは、朝鮮戦争のときに中国は参戦をいたしまして、国連軍、つまり米軍を主体とする国連軍と戦った。それ以後しばらくの間、ベトナム戦争にかけて、アメリカの一番仮想敵国として重要な国は中国だった。ベトナム戦争の背後には中国がいると思っていた。それをアメリカはベトナム戦争の最中、まだ終わらないうち七二年にその問題を解決したということ。  そのときなぜ朝鮮問題が解決できなかったかといえば、そのとき南北両朝鮮、韓国と北朝鮮はベトナム戦争に中国以上にコミットしていたということです。今の全斗煥大統領は、実は南ベトナムに派遣されている師団の司令官だったわけです。そして北朝鮮は当然北ベトナムを支持したわけであります。したがって、そのときに非常に激しい南北朝鮮の対抗がゲリラ的な形態まで含んだものがあった。ところが、中国の方はアメリカとうまく解決してしまって、南北朝鮮の方は、七二年に七・四共同声明というのがありまして、原則だけは非常に結構な声明を打ち出したわけですけれども、その後金大中問題とか日本外交にも絡んだいろいろな問題が起こってまいりまして、六五年以来日本は南との間に少なくとも財界、政界の大部分の太いパイプをつくってしまった。北にはわずかに自民党の方では主として田中派の方がいらっしゃった。元外務大臣の伊東正義さんなんかは北にいらっしゃっているのですけれども、北とのパイプが非常に細いわけです。これを何らかの形で改善する必要がある。  私は政治レベルで、政府レベルで改善することが非常に難しいならば、民間レベルでの改善をまずやるべきである。その際、特に日本海圏の自治体が非常に重要な役割を果たすのじゃないか。日本海圏というと、もともと太平洋岸だけがメガロポリスで発達したのに取り残されまして、今の日本海圏の県というのはほとんどが東京とつながるか、あるいは太平洋岸の豊かな県、例えば静岡あたりとつながることで何か繁栄の分け前にあずかりたいというような気持ちが非常に濃厚なんです。日本海圏相互の間では競争関係が非常にある。例えば大学をとってみましても、新潟大学と金沢大学は日本海圏の平和の問題で競争していて仲が余りよくない。これも日本海圏の自治体会議みたいなものをやって、その会議に南北両朝鮮を招聘する、ソ連も招聘する、あるいはアメリカも招聘する。それを支持しているアメリカの教授がたくさんいるわけであります。そういうような国際会議を開くということを早急にひとつやるべきではないか。  それから第二番目は、中国が非常に大きな役割を果たしておりますから、北京においてその種のアカデミックな、学術的な国際会議をやるべきである。こういう方向で私どもは動いているんですけれども、まだ中国政府が韓国の人にビザを出さないような状態にあります。私は、余りにも南だけとのパイプが太くなり過ぎたために日本が動きがとれないという面が現在の大きな障害だと思う。  そこで、もちろん、北ばかりとつき合っていて南とつき合っていない人もいるので、それは両方つき合うことも非常に重要なんですけれども、北の方がパイプが細いという意味で北とのパイプを民間レベルで増大させるということ、特に学術的なレベル、経済交流のレベルで増大させることによって新たな解決の方向を模索する。そして私どもは、さっき一番最初に申し上げましたように、日本海圏の新幹線構想とか、日本海大学構想をもうそろそろ二十一世紀のこととして花火として打ち上げていいのではないか。そういうことを打ち上げながらそういう方向、目標に向かって一歩一歩近づいていくような外交政策が必要になるでしょう。アメリカでも私は対韓政策というものは揺れ動いたと思うんです。カーターのときはもう明らかに解決できる直前のような感を呈したわけですけれども、これもその後の冷戦再開ということで不可能になった。私どもは朝鮮半島の紛争が解決すればアジア・太平洋の軍縮が非常に明るい展望を持つことは間違いない。アジア・太平洋地域全体だけじゃなくて、世界全体にも大きな展望を持つだろうということを言っていいと思うんです。  私は北朝鮮と韓国両方の話し合いですから、我々が干渉すべきではないかもしれませんけれども、そのための環境づくりだけは手伝う必要がある。その環境づくりの中にいろんな花火を打ち上げても結構だと思っているのです。一つは、非武装地帯にすばらしい都市をつくる。清水建設でも大成建設でもいいですから、八十階ぐらいのビルをつくって、そして国連大学の支部をつくって、世界の紛争解決の研究センターにして、世界じゅうの紛争解決の専門家をそこに集めて、ほかの中東とか中米の紛争解決もそこで研究させる。私は朝鮮民族というのは南にしても北にしても大変偉大な民族だと思っているんです。それがああいう形になっていることは、世界の平和、地球的な発展のために大変なマイナスである。この解決のために日本人は協力すべきであるというふうに考えております。なかなか政府レベルで難しければ民間レベルから始めていくべきである、これが私の結論でございます。

矢田部理日本社会党

○矢田部理君 二問目でありますが、引き続き関先生にお尋ねしたいと思いますのは、朝鮮問題の解決がアジアの平和あるいは世界の平和にとっても非常に大事だということは十分理解できますが、同時に日本及びアジアの状況を見てみますと、一方ではヨーロッパと並んで核の集中地帯というか過密地帯になりつつあるような気がしてなりません。南朝鮮には一千発近い戦術核兵器が既に配備をされていると言われておりますし、トマホークがやってくる、あるいはSS20がシベリアに配備をされる、あるいは原潜がしばしば寄港をするということなどを含めて、アジアに核が一方で集中する。他方ではアジア・太平洋圏の中でも、我が党と朝鮮労働党との間に非核平和地帯設置構想を宣言する、あるいはまた最近では南太平洋地区で非核地帯のまとめの動きが出ております。ASEANの外相会議でもその動きがあると聞いております。一方でこの非核の動きが出ておるわけでありますが、これらを含めてアジアで少なくとも非核の体制を、日本の非核三原則を含めて、この思想をもっと広げていくための方向としてどんなことを日本としてやるべきなのか、やったらいいのかというようなことについてお話があればいただきたいと考えております。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) 核軍縮の問題が極めて重要なわけでありまして、これは一番トップレベルでは米ソの話し合いということになっております。この米ソの話し合いもあるがゆえに、どうも西側の団結を崩すとソ連との話し合いで西側が不利になるというのが、主として中曽根総理を初めとする方々の御見解だと思うんですね。しかし、それじゃ本当に現在軍縮を達成してくれるのかというと非常に危ないわけです。私どもは、そういう意味では民間レベルにおける核軍縮活動を活発化させるべきである。  ちょうど現在も横浜の国際会議場で「アジア・太平洋地域における平和と自立」ということで軍縮発展のための国際会議が開かれております。これは国連大学とアジア平和研究学会と神奈川県とが協力してやっているものであります。この中にアメリカの朝鮮問題専門家でワシントン大学教授のブルースカミングスという方が見えておる。このブルースカミングスは「朝鮮戦争の起源」という立派な本を書きまして、第一巻です、まだ第二巻以下出てないんですが、それが実はトルーマン賞をもらったわけです。これは八三年にもらったんです。私はアメリカの空気の変化というものにびっくりしました。要するに書いている内容は、トルーマンの考え方と全然違うんですが、トルーマン賞をもらったということ。  ブルースカミングスさんがきのうスピーチいたしまして何を言われたかというと、朝鮮の平和解決の条件の一つとして、まず韓国にあるアメリカの核兵器を撤去すること、これは無条件的に撤去すべきだということを言っておりました。カーターさんなんかは当然その考え方に私は賛成すると思うんですね。私どもは、七月にできれば国際会議をやろうと思ってカーターさんも呼ぶつもりであります。キッシンジャーもできれば、来るか来ないかわかりませんけれども。カーター時代の朝鮮の紛争解決のアイデアというものは私はアイデアとしては非常に見事だったと思う。そしていろいろ足らないということもありましたから、今後はもっと徹密にやらなければいけないと思うんですけれども、そういうカーター時代の考え方にアメリカの朝鮮に関する専門家が非常に強くコミットしている。つまり現在アメリカの朝鮮専門家でまともな人は、朝鮮半島の紛争解決が非常に容易であるという考え方を持っております。まあ障害条件もいろいろあります。例えば韓国、南の政治的不安定というのが一つの理由に挙がっている。カリフォルニア大学バークレー分校のスカラピーノ教授なんかも、それがある限りはなかなか難しいと言っているんですけれども、しかし核の撤去ということが引き金になりまして、呼び水になりまして、南北の軍縮に向かって進むべきである。同時に、朝鮮半島の解決は、韓国と北朝鮮とが相互に話し合うべき問題であるにもかかわらず、私は依然として三者会談、これが非常に重要だと思うんです。キッシンジャー自身が三者会談をカーター政権のできる前に提案したんです。今三者会談ができないのはなぜかというのが非常に大きな問題として提起されているんですね。  そして重要なことは、八八年のソウル・オリンピック、これが一つのタイムリミットになるということ。ソウル・オリンピックが共産圏抜きのオリンピックだったら全然意味がないわけです。共産圏を含めたオリンピックにするためには私はある種の方法が必要だと思う。極端なことを言えば、オリンピックの一部を北のピョンヤンで開きますと、一部だけ。それを南側が提起すれば私は非常に新しい方向が出てくるのではないか。仮にそこまでいかないにしても、何らかの形の話し合いというものが私は可能になると思っている。その条件はやっぱり南に置いてある核兵器の撤去。  それから日本の場合の核軍縮にとっての大きな取り組みは、ニュージーランドが示したようなことを日本政府がやるのは非常に困難だということは私は了解いたします。そこで自治体が全部非核宣言をやる。非核宣言の実行。国会の非核三原則を下から支える形で非核宣言ができれば私は新たな展望が開けるというふうに思っております。少なくとも日本じゅうの自治体の三分の二ぐらいが非核宣言をやるところが一つの目標であります。それができれば国民の世論全体がはっきりと軍縮の方を向いているということをアメリカに知らせることができるんですね、核軍縮の方向を向いている。これによってアメリカが変わるということが言えると思います。それは単に日本人だけの問題ではなくて、国際的なネットワークによって可能だということです。アメリカにおいても非核宣言自治体の数が八四年に大変数多くふえたわけです。急にふえたんです。これから非核自治体というものが世界的に高まってくるわけでして、日本もその波に乗りおくれると、せっかく非核三原則を国会で決議しているのに核軍縮の問題では後進国になりかねない。  以上です。

矢田部理日本社会党

○矢田部理君 あと残り時間も少なくなりましたが、鷲見先生に一問だけお尋ねしたいと思っております。  先ほど軍事費の問題お触れになりまして、これは関先生も触れられたわけでありますけれども、私もこの絶対額と伸び率という両面からやっぱり見るべきであって、その点で日本が世界最高の伸び率を示し、絶対額においても相当のウエートを示しているということは十分理解できるわけでありますが、同時にもう一つ御指摘があった、NATO方式で見ると世界でも大変な軍事費になっているということを御指摘いただいたわけでありますが、私もかつて内閣委員会でこのNATO方式を明らかにせいということで防衛庁にかなり迫っていろいろな議論をしているのですが、NATO方式というのがそもそも定かでない。それぞれ軍事費の幅をどの程度で見るか、どういうものを軍事費に計上するかは秘密に属する部分などもあってはっきりしないのだということで防衛庁は逃げまくっているわけでありますが、このNATO方式という軍事費の計算式はかなりオーソライズされているのかどうかということを一つお聞きしたいのと、あわせて日本の場合には、お話があったように軍人恩給が一兆数千億計上され、海上保安庁の予算などもNATO方式で言えば沿岸警備費というようなことで軍事費に計上されているわけでありますが、同時に地方自治体の予算などにも相当程度の軍事費が計上されている向きもあるわけでありまして、それらを含めると数兆円になりはしないか、五兆円近くになるというように私は思っているわけでありますが、その辺、先生の御見解をあわせてお伺いしておきたいと思います。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) NATO方式というのは、今まで私も大変苦労していろいろなものを調べてこういうものではないかということを推測したのです。それが最近になりまして、これは既に翻訳もされておりますけれども、ミリタリー・バランスの一九八三—八四年版にNATO方式の中身が載っているのです。NATO方式、防衛白書でも「NATO諸国の国防費は、NATO定義により統一された概念のものである。」というように防衛白書でも言われておりまして、NATO定義というのはあるということはわかっている。私が一番最初知ったのは、ナン報告でNATO方式という言葉が出まして、そういうものがあるなということを初めて知ったわけですが、最近でもマンスフィールド大使がNATO方式でやると、日本はやっぱり一・七か八になるというふうなことをスターズ・アンド・ストライプスか何かにお書きになったことがあります。だから、これはアメリカなどではもう十分知っていることなんですけれども、今先生おっしゃったように、私も国会の予算委員会での請求資料見せていただきますと、NATO秘であるからわからないというふうなことが書いてありますけれども、そうするとミリタリー・バランスで書いている方式に従って計算すればどういうふうになるかというふうに資料請求されれば、ちょっとこれはNATO秘だとかなんとか言えなくなるのではないかというふうに考えております。  これは、やっぱり世界じゅうでこれに対する疑問があったりしたのだと思います。これ以前のミリタリー・バランスでは載っておりません。八三—八四年版に載っております。それから、これはこういうところでも使われておりますし、NATO定義というのはかなりそういう意味では権威があると言っていいかどうかわかりませんけれども、そうしたものだろうと思います。  それから、もう一つ後の点ですけれども、実際にはこの中に対外軍事援助、そういうものも当然入ると言っているわけです。ただ日本の場合は、例えば韓国に対する援助は、これは今度の四十億ドルで決まった援助でも、もともと韓国の方は、韓国の防衛は日本の防衛に役立っているから日本が援助するのは当たり前だということで援助要求をしたという経過があるように、中身は軍事援助的な性格が強い。最近特にアメリカとの関係で戦略的な色彩が非常に経済協力費の中には強くなっているというところが問題でありまして、しかも国際機関に対する支出よりも二国間援助を強めていくというのが最近の経済協力費の日本の特徴でもあるわけであります。しかし、そうしたものを私が韓国に対する援助はこれは軍事費だというふうにちょっと計算するわけにいきませんから、そういうものを省かざるを得ない。それから、今おっしゃったような点もちょっとやっぱり政府の方でやっていただかないと、これはそうであるとかそうでないとか、そういうことになってしまってはっきりしないので、はっきりしたところだけで計算するとこのぐらいになるということを私は言っているわけですけれども、そのほかにも例えば原子力関係費などはどうするかとか宇宙開発関係費はどうするかとか、そういうような問題はやっぱりかなりボーダーラインにあってわかりにくいわけでありまして、政府の方でおやりになるならそれはわかるということで、外国ではそういうものも計上しろということでしているわけですから、本当は日本もできるだけそういうふうにしていただきたい。ただ、建前として軍事援助ではないという建前がありますから、ちょっとやっぱり日本では残念ながらといいますか、残念というのは正確さを欠くという意味で残念ながらということですが、正確さを欠きますけれども、本来の私が考えているNATO定義よりはカバレージは若干少なくならざるを得ないというのが現状だというふうに思っております。

太田淳夫公明党・国民会議

○太田淳夫君 それでは鷲見先生にお尋ねいたしますが、きょうのテーマになっております財政の問題で三点ほどお伺いしたいと思うのですが、財政の情勢は現在巨額な国債を抱えまして、六十年度末には百三十三兆円に達する残高にならうとしているのですが、今後これらの国債をどのように管理していくかが大きな問題になるわけですけれども、その意味でお伺いしたいと思うのですが、まず国債発行の歯どめについてでございますけれども、従来は国債の歯どめとして財政法四条による建設国債に限られていたわけですけれども、昭和五十年度以降赤字国債が定着をし、財政法の規定も何ら意味がなくなってきたわけですが、ここで何らかの形で制度的に国債発行に歯どめをかけるべきだ、こう思うわけです。有名なのはアメリカのブキャナンあるいはワーグナーの、憲法に規定を設ける、こういう主張があるわけですけれども、先生のお考えをお伺いしたいと思います。  第二点は、国債発行の限度についてでございますけれども、昭和四十年度に初めて国債を発行しようとしたときにインフレへの危惧あるいは財政規律のゆるみ等のおそれから、これは大きな政治問題となりました。その後、当時問題として提起されたことが幸いにも回避されたことから、国債に対する警戒が薄れて国債の乱発につながった、このように思うわけですが、そういう意味で、国債をこれ以上発行してはいけないという経済的な根拠あるいは理論的な根拠が示されれば一番よいと思うのですけれども、国債発行の限度をどのようにお考えでしょうか、お伺いしたいと思うのです。  それから第三点は、国債の管理政策についてでございますが、現在百三十兆円を超える国債が現実に発行されて流通しているわけでございますので、これは無視できません。政府は国債費を最小限度に抑制しようとすることから価格の引き下げには熱心ですけれども、その逆は余りしたがらない。これはある意味で当然だと思いますけれども、国債管理を政府の悠意ではなく、市場のメカニズムに任せてはどうか、こう思うわけですけれども、今後の国債管理で最も重要なことは現有残高そのものを減らす、これが大切なことだと思うのですが、その他で先生のお気づきの点がございましたら御意見を伺いたいと思います。  それから、関先生に続いてお伺いいたしたいと思うのですが、先ほどアジア・太平洋時代の平和的な構築のお話ございました。専攻されます国際政治の立場から、東南アジア諸国、これと日本との協調というのがやはり必要な時代になってくると思っております。その中で今、乾季攻勢ということでカンボジア問題、これがやはり重要な意味があるのじゃないかと思うのです。この問題の解決、そして東南アジアにやはり平和というものを構築をしていかなければならない、そういう面におきます日本の立場、それについてどのようにお考えになっていらっしゃるのか、お伺いしたいと思います。  それから第二点は、世界の武器の輸出禁止の問題でございますけれども、米ソ両国あるいは西欧、東欧とも、世界の平和、これを主張しながら、イラン・イラク戦争を初めといたしまして、紛争国に武器の輸出を行っているわけですけれども、そういった軍縮と言いながら、一方ではいわゆる死の商人という役割を果たしているのが現実の世界であるわけですけれども、やはり紛争国への世界的な武器輸出の実効的な禁止、こういう方策は考えられないかどうか、その点、先生の御意見をお伺いしたい、このように思います。よろしくお願いいたします。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) できるだけ要点だけ簡単にさしていただきます。  最初の歯どめとのかかわりでブキャナン、ワーグナーの説はどうかということですが、御承知のようにブキャナン、ワーグナーは現在の制度のもとではフィスカルポリシーはたかりの生み出し、赤字を必然的に生み出すと、赤字づけの財政をつくり出すというふうに言って批判しているわけですが、しかし憲法にはそうならないような規定を設けることができるというのはちょっと矛盾している話なので余り説得力がない。そういうことを言われただけで、アメリカでも日本でも、それに対して大変これは現実的な説得力ある提言だと受け取っている人はほとんどいない、一人もと言っていいぐらいいないのじゃないかと思います。まあ言ってみただけだという程度のことだろうと思います。  それから、国債の限度の問題ですけれども、限度といいますといろいろな条件とのかかわりがありますから非常に難しいわけでありますけれども、しかしごく簡単に言えば、やっぱり国債というのは赤字国債でない建設国債というところで、建設国債と赤字国債とはどこが違うかと言えば、経済的な作用その他では全く変わりがないわけですけれども、建設国債は建設事業、かなりこのごろ建設事業というのは外国公館の建設まで建設事業の中に入れられるというようなことがありますけれども、しかし、とにかく建設事業というのは一定の枠があってそれが歯どめになっているということでありますから、そこをやっぱりめどにすべきではないだろうかと考えております。  それから、現在よりも国債管理というのがうまく管理できるということは、国債を大量に発行しなければならない状況そのものがうまく管理ができればそうならないわけで、既に発行されてしまった国債管理というのは非常に難しいと思います。ただ、先ほどちょっと触れましたけれども、日銀の買いオペは、このごろは七〇年代の特に後半になりましてからはかなり抑制されているようでありますが、それはそれで逆にいろいろな問題を生み出して、したがって、また市中金融機関の国債保有量が増大し、資金ポジションが悪化するというようなことがあり、したがって、また市場での国債売却を認めざるを得ない。そうすると、国債の流通利回りと発行利回りとの格差が明確にならざるを得ないとかいろいろな問題、そのことはまた財政負担の増になるというようなことがあります。  大体国債の問題というのは二律背反的なところがなかなか多いわけでありまして、管理が非常に難しいと思います。ただ、現在の状況ではちょっとやっぱりどうしようもない状況です。国債費は 利子だけでまさに十兆円を超えようとしているわけでありまして、このこと自身は本来財政が目指しているのと逆の所得の再配分をもたらすわけで、法人税とほぼ国債の利子が等しくて、そして最近は日銀の買いオペは少なくなりましたから、法人の収入がかなり多くなりまして、そうしますと法人は法人税を払っているけれども、その半分以上は国債の利子で返してもらって、あとのところは国民の、一般の庶民の税金で賄うというような事態にもう近づきつつあるわけでありまして、何としてもこれは早くなくしていかなければいけないというふうに考えておりますけれども、ただ、現在の歳出を切るやり方で果たしてそれが実現できるかどうか。やっぱりこれは過去の負の遺産ですから、それを特別にどう処理するかというのは、例えば自民党の政調会長がおっしゃられているようなことも当然考慮に入れながら、かなり思い切った解決策を考えていかざるを得ないではないかというふうに思います。  それから、これはもうこれ以上申し上げるのは控えますけれども、歳出全体をもう少し切るべきところを切って、あるいは取るべきところを取った、そういうやり方でないとちょっと難しいのではないかというふうに思います。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) カンボジア問題から入りたいと思いますが、カンボジア問題というのは、先ほどもちょっと申し上げましたように、朝鮮問題よりはるかに解決が難しいというのが私の見方であります。その複雑な問題は、ソ連がベトナムを支持しており、そして中ソ関係がそこに絡んでいるということであります。ソ連がベトナムに軍事基地をつくったということは、実は米中の軍事同盟の動きが出たことに対して、ソ連がベトナムとの提携で米中軍事同盟を十字形に切るという動きであったし、同時にベトナムのカムラン湾基地というのはフィリピンにおけるアメリカのクラーク基地に対抗するものとしての意味があった。そういう意味では米ソの軍拡競争が非常に複雑な形でカンボジア問題にあらわれているということ、そういう側面があるわけであります。  もちろん、カンボジアの内部で起こった問題というのはこれは非常に重要な問題でして、ヘン・サムリン政権というものをベトナムが最初に支持する形が出てきたことが大きな問題になっているのですが、実はポル・ポト政権というのはある意味では中国の文革の落とし子みたいなもので、非常に不思議なのは、中国は文革を今や清算しているのだけれども、カンボジアのポル・ポト政権だけは文革の落とし子であるのに、ベトナム、ソ連との関係でこれを支持しなければならないという大きなジレンマにぶつかっているということです。そういうジレンマということは、やっぱり中にも弱みがある、しかし、ベトナムがソ連との関係を続けてカンボジアに影響を及ぼしている限りにおいてまた問題の解決が難しい。  そこで、最終的には私はやっぱりソ連がカムラン湾から撤去をすると同時にアメリカがフィリピンの軍事基地を後退させるというのが一番簡単なことだろうと思うのですが、実はこれは非常に難しい。さしあたり考えられることは、むしろ朝鮮半島の紛争解決を先にやる、そうして北朝鮮、韓国、それに台湾、ベトナム、タイを含めたNICSと非同盟中立の帯を強化するということが一番いい方法であろうと私は思っております。  実は私のところに現在台湾の、余り詳しくは申し上げられないのですけれども、非常に重要な人物が大学院の学生として来ております。彼にそれを勧めておりまして、近く平和の船というのがソ連と北朝鮮と中国に行くわけですが、それに台湾の方が乗るということになるかもしれません。今これはっきりしたことは申し上げられないのですけれども、そういうことになれば、初めて台湾の今言ったような立場というものが浮かび上がってくるのではないか。いずれにしても中国は朝鮮問題の解決には非常に熱心ですけれども、カンボジア問題ではむしろ中国自身が一当事者であるということだけに、中国に頼ることが非常に難しいという問題を含んでおります。  御承知のように、北朝鮮は今や韓国を北朝鮮の一部などとは考えていないで、一種の連邦制なんというのを主張しておるわけですが、そのことを中国に行って私が中国の人に台湾と中国との関係は同じように連邦制にならないものだろうかと言うと、中国人は非常に怒るんです。台湾は中華人民共和国の一部である、だから朝鮮とは非常に違うのだと言っているわけです。しかし現実的には、香港との関係を回復することで中国人は、今も横浜の国際会議場に来ているある中国の学者は、香港と中国本土との関係がモデルになって、中国とそれから台湾との関係や南北朝鮮の関係ができることを望むなんて言っているのですが、これは台湾の立場から見ると非常に苦しいところだろうと思うのです。そういう意味では、南北両朝鮮と台湾とベトナム、カンボジア、タイ、ビルマぐらいまでの一つの新しいNICSができれば、一番環太平洋圏の外郭として大きな意味を持ち得るのではないかというふうに私は思っております。  それから次に、武器輸出入の件ですけれども、この武器輸出入が八〇年代に入って圧倒的に中東に集中したということです。そして、アジア・太平洋圏は七〇年代の初めまでは武器輸出がやっぱり多くて、軍事費の増大スピードが大きかったのですが、七〇年代の後半からはずっと減っているんです。つまり、伸び率が減っているんです。そういう意味では、アジア・太平洋圏は相対的に軍事化と言っても、いいんです、中東に比べると。中東ではこういう問題が爆発しているのですが、実効的武器輸出の禁止ということをやるというのは非常に難しいことでして、これはやはり世界で軍縮の機運が全般的に出てくること、それから軍事大国のむしろ核兵器を持っているところが軍縮という方向に一歩踏み出すことで第三世界の軍事化をも防ぐ可能性がある。現在のところは、武器輸出入に対してさまざまなことを言っても、病気で言うと極めて対症療法的な、その程度のことしかできないだろう。より根本的には超大国間の軍拡競争のストップということと関連させて武器輸出の禁止ということが考えられるし、同時に第三世界の発展のために、余り武器を買うようなところとか、軍事費の多いところには経済援助をしないというのが一番望ましいわけです。なかなかそこまでプリンシプルができていない。むしろ軍事費を少なくすればそれに応じて経済援助を増大させるというようなことが今後考えられるべきことだろうというふうに思っております。  以上でございます。

内藤功日本共産党

○内藤功君 鷲見先生に二点だけお伺いしたいと思います。  第一点は、先ほど冒頭のお話の中で軍事費の四番目のポイントとして挙げられました後年度負担、非常に巨額になっておりますが、先ほどその点余り深くお触れになりませんでしたので、先生の御見解を伺いたい、これが第一点。  もう一つは、日米間の貿易摩擦、今、非常に激しくなってきて、開戦前夜のような空気だというような評論もございますが、そういう中でアメリカをなだめるためにやはりある程度の軍事費の増強をやるべきじゃないか、こういう意見がありますが、これについての先生の御見解をいただきたい。  二点でございます。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) お答えします。  まず最初の後年度負担の問題でありますが、特に後年度負担が問題になってきましたのは一%枠が決められた時期とほぼ符合しているわけでありまして、どういう点かといいますと、一つは後年度負担の額そのものがだんだん大きくなってきたということが一つと、それからもう一つは、国庫債務負担行為と新規の継続費、その二つの当年度歳出分の割合が非常に小さくなってきているという二つの問題です。  一つは、後年度負担の額そのものが大きくなってきておりますから、後へ後へずれ込んでいって、後の年度の防衛費の増を約束する、そういうことになっております。しかも、国庫債務負担行 為と後年度負担の額が大きくなってきている中で、先ほど言いました当年度歳出額が非常に少なくなってきておりまして、大体昭和三十年代の後半から四十年代の初めにかけましては、その当年度、新規の両者の当年度歳出分の割合が一〇%を超えているときもあったわけです、一五%ぐらいになったときもありますが、それが五十年をほぼ境にしまして大変低くなってきております。そして五十年の初め、一%枠が決められたころには四%ぐらいになりました。だから、この一%枠というのが大綱を達成するためのめどであればこういう操作をしなくてもよかったのじゃないかと思いますけれども、不況のもとでやはり軍事費が伸びるのを少なくともそのときはできるだけ抑えたいという配慮があったのじゃないかと思います。だから、全治三年の不況が終われば多少ふやしてもいいというような読みがあり、したがってそれを三、四年先送りするという意味で後年度負担がかなりフルに使われたのではないか。しかし、実際には全治三年ではなくて、もう少し不況からの回復がおくれたということもありまして前のが積み重なってしまう。そうすると、だんだん後へ送るのが多くなってきて、最近では新規の継続費と国庫債務負担行為の当年度予算の歳出分は大体一%台になっておりまして、昨年が一・六、その前が一・四、こういうようにごくわずかしか出なくなってしまう。そうすると、あとは全部後の年に送ってしまう。後の最大四年間に送ってしまうということになるわけであります。  したがいまして、防衛関係費の中の経費別内訳の推移というものを見ますと、人件費、糧食費はだんだん相対的に小さくなっている。これは退職金の関係がありまして、全部一直線に小さくなっていくかどうかということは問題がありますけれども、傾向的には小さくなってきている。その残りでは歳出化が大体六〇%を占めてしまっている。後年度負担に係る分が六〇%ぐらいですから、そうすると、かなりの部分が後年度負担で食われてしまう。一%枠を外せばそれがもう一気に、逆に言えばそういうふうだから一%の枠を外さざるを得ないということもあるわけでありますが、そういう問題があるということです。ちょっと時間がありませんから、不十分ですけれども。  それから、もう一つは貿易摩擦の面からですけれども、先ほど内藤先生がおっしゃったような意見もかなりあるわけであります。ただ、アメリカの方で公式に日本の軍備増強と貿易摩擦がトレードオフ関係にあるということを言った人は一人もいないわけです。それに近いような言い方をされている方はあると思いますが、それをはっきり結びつけて、軍備を増強すれば貿易摩擦は緩和するということを公式に言った人はないわけであります。それどころか逆に、例えばチョムスキーなどは、アメリカの主要な努力は経済競争の相手であるヨーロッパと日本にその経済を阻害するほど大規模な軍備を行わせることであるということを言っているわけでありまして、やっぱり軍備が多いと経済競争力は弱まるということをそれこそ逆に認めることでありまして、逆に日本の競争力を弱めるために軍備をさせるというのが主要な努力であるというような言い方をしております。  また、アメリカの調査会社であるヤンケロビッチ・スケーリ・アンド・ホワイト社が、アメリカの産業に対する日本の挑戦についてのアメリカの指導者の意識調査というのを行っておりますが、その中でビジネスリーダーの七五%が、日本が防衛予算をふやせば産業の国際競争力は中期的には弱まるというところにマルをつけているわけでありまして、そういうところを考えますと、日本が多少軍事費をふやしたぐらいで貿易摩擦が弱まるようなものではとてもない。これは事実が証明していて、日本が去年もことしも突出してふやしたけれども、貿易摩擦は一層激化しているということが今申し上げたことをまた裏づけているのではないか。私はそういうふうに思います。

伊藤郁男民社党・国民連合

○伊藤郁男君 関先生にお伺いをいたします。  先ほどのお話、日本海圏新幹線あるいは共同安全保障大学、国連平和維持軍など、平和と軍縮を真剣に考えていく新たな国際的なネットワークづくりのための未来構想、大変私は興味あるお話としてお聞きをいたしました。また、地球的発展という規模で日本の予算を考える時期だ、こういう御提起もありまして、私もこれを大変興味ある提起として受けとめているものでございます。  それはそれとして、時間もございませんので、一つだけ先生にお伺いをしたいことは、日ソ関係の最大の課題は領土問題にあることは間違いございません。ゴルバチョフ新政権がさっそうと登場したわけでありますが、しかしソ連の対外政策が急に変わると思うのは甘いぞという意見もあるのです。そこで、グロムイコ訪日の可能性もあるいはあり得る、こういうような状況で、日ソの間で今具体的な詰めが行われているそうでありますが、先生はこの領土問題についてどういうふうにお考えか、どのようにこの問題が今後推移をしていくと考えておられるか、この点をお伺いをして終わります。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) まず最初に一般論から申し上げますと、領土問題というのは古典的な国際政治における国際紛争の常に一番重要な争点だったわけです。ところが、近ごろは国際紛争の争点が、領土問題よりはむしろ貿易摩擦とか経済的な問題に移行してきているのです。そこで、領土ということの持っている意味が現在国際政治の面でもし重要だとすれば、これは米ソの核軍拡競争に示されているように、戦略的な兵器の配置とか、そういうもので領土というものが恐ろしく争点になっていく。もちろん日本人としてはこれは固有の領土であるという極めて伝統的な主張が当然出てくるのですが、国際政治というのは極めて複雑であって、より高次のレベルではむしろ戦略的な問題として考えられているのだということを考える必要がある。したがって私は、領土問題を本格的に解決するためには、世界の軍縮と緊張緩和ということが前提条件であるというふうに考えます。  そういう政治的な条件を考えますと、現在、領土問題でソ連が譲歩しなければ日ソ関係の改善は絶対あり得ないというのは、恐ろしく古臭い考え方だというふうに私は思うのです。一時領土問題を棚上げにしても別のことで問題を解決すべきだというふうに思うんですね。実はこれを最初に主張されたのは田中元総理だった。田中元総理は不思議なことにソ連で非常に評判がいいし、もちろん中国でも評判がいいし、朝鮮民主主義人民共和国でも非常に評判がいいわけです。その後だめになったわけですね、少なくとも日ソ関係において。だから、ソ連側が主張していることは何かというと、日ソ関係を改善させる一番の出発点は何かというと、田中・ブレジネフ・コミュニケだと言っていたんです。今度中曽根総理がゴルバチョフと会われたから、果たしてソ連側がまた次の方に意見を変えたかどうか、ここのところははっきりわかっていないわけであります。  そこで私は、この領土問題と関係することでちょっと申し上げたいことがあるのですが、日米の貿易摩擦で一番大きな問題というのは、これは円・ドルの交換比率の問題だというのはだれでもよく知っているわけです。もし円が非常に高くなれば、一挙にして貿易摩擦は改善するかもしれない。あるいはもう一つの問題は、アメリカ人が余りに日本のことを知らないで、自動車を製造しても、右ハンドルじゃなくて左ハンドルのをやるから日本で輸入しないのは当たり前だという話も一時期言われたわけですね。そういう意味で、アメリカ人の日本語能力というものを大いにつけてやれば、貿易摩擦について普通の日本のことをよく知らせればもっと輸出ができるんじゃないかという考え方がある。  もう一つの重要な問題は、だれも言わないですが、もしアメリカの土地が分割可能で輸出入目的だったら、一晩にして日米の貿易摩擦は逆転するであろうということを私は言いたいのです。アメリカの方が大体土地が十分の一から三十分の一ぐらい安いです。大学教授を見てみても、千坪から三千坪の土地に家を建てて平気で住んでいる。日本人が五十坪の家にやっと借金で家を建てて住んでいるのと比べると、全く驚くべきゆったりした感覚があるわけです。土地は分割して輸出入できないのだから、そのかわりというものが何かといえば、これは日本人がアメリカに出ていけばいいんです。アメリカというのはもともとイギリス人が出てきてつくった国ですから、カリフォルニアであろうとテキサスであろうと日本人がどんどん出ていって家を建てて、そして向こうの経済と一体化して、向こうの経済を発展させれば、それで話は済むんです。  そのことと同じことが私はソ連に関しても言えるのじゃないか。シベリアというと寒いから、今は文明の中心と経済の中心が南に移っていますから、だれもシベリアなんか行きたいとは思わない。しかしもう少し科学技術が発展すれば、私はシベリアに日本人はどんどん出ていったらいいんじゃないか。シベリア出兵のときに、日本人は何か知らぬけれども、あのロシア革命の後、シベリアを取ろうという構想を言ったんですよ。そのためにソ連政権が日本に対して非常に警戒的になったんで、最後の第二次大戦のときの参戦のことばかり言ってソ連脅威論を言うけれども、ソ連側に言わせれば、一九一七年のシベリア出兵をどうしてくれるんだというふうに言いたいだろうと私は思うのです。  しかしそれは別といたしまして、第二次大戦のときに日本は東南アジアまで占領したですよ、土地を全部。だけどもそれはすぐ崩壊した。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 時間が参りましたので簡略に願います。

関寛治東京大学教授

○公述人(関寛治君) ところが、第二次大戦後は経済の発展によって多くを拡大した。だからフロリダだろうが、テキサスだろうが、シベリアだろうが同じなんで、北方領土みたいなけちなことを言わないで、なぜシベリア全体に出ていくという考え方を持たないのかというのが、私にとっては非常に不思議でしようがない。それは日本政府のやり方一つでソ連と話し合いがつく問題だ。だんだんソ連が変わるだろうというふうに私は思っております。  以上でございます。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 鷲見先生にお伺いしたいのですが、実は今人類は二十一世紀を迎えられないんじゃないかということが言われているわけですね。私も実際その心配があるわけです。そこでお伺いしたいんですけれども、私の感覚では、戦争というか、核戦争というのは軍備の圧力がどんどん高まっていって、そこに何か火花が飛んだときに起こる。したがって今世界的に相当圧力がたまっているのじゃないか。例えばこういう部屋の中にガスが充満してきている。それがある限度に達するとすぐ爆発する可能性があるんじゃないかというふうに考えるわけです。  そこでお伺いしたいのですけれども、第一次大戦の前、それから第二次大戦の前、世界的に軍事費がGNPに対してどんどん高まっていった。それと同じような状況に今世界がなりつつあるんじゃないかという感じがするわけです。もしそういうデータあるいは研究があればお漏らしいただきたいと思いますし、なければ先生の感触というか、御意見を承りたいと思うわけです。

鷲見友好法政大学教授

○公述人(鷲見友好君) 戦前も軍事費がかなり高くなっていったということはあるわけですが、ただ戦後を比べますと、戦前はかなり低いですね。日本はちょっと例外です。日本は御承知のように、明治の日清戦争以降、一般会計の陸海軍費と臨時軍事費特別会計の合計が、一般会計と臨時軍事費特別会計との合計に占める割合が三〇%を割ったのは三回か四回ぐらいしかありません、あとは全部三〇%以上、ひどいときには七〇%を超える。こういうべらぼうな軍事費ですから、日本はちょっとこの例のようにはなりませんで、それに比べれば戦後は非常に低いということですけれども、世界的には戦後は非常に高いわけです。  先ほど関先生もおっしゃいましたけれども、ここのところまた特に大きく伸びてきているのが特徴で、最近は途上国の伸び方が非常に大きいというのが特徴です。全体として非常に急速に伸びているけれども、その中で途上国が非常に大きい。この途上国が大きいというのは、途上国では絶えず戦争を事実やっておりますからそれがいつどういうふうにまた大きな戦争にはね返ってくるかわからない危険を絶えず内包するわけでありまして、そういう意味ではどうやってこれをやめていくかというようなことは、先ほど関先生のいろいろな御提案なんかもありますけれども、やっぱりここのところを何とか押さえる方法を考えなければいけないのではないかというふうに考えております。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  以上で財政及び外交・防衛に関する意見聴取は終了しました。  一言お礼を申し上げますが、鷲見公述人及び関公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心から厚くお礼を申し上げます。  午後一時から公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時九分休憩      ─────・─────    午後一時二分開会

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 予算委員会公聴会を再開いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。  原公述人、楠山公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げます。  本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承りたいと存じます。  まず、社会保障につきまして原公述人にお願いいたします。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) 御紹介にあずかりました原でございます。六十年度予算につきまして、私は社会保障という観点から私見を述べさしていただきます。  我が国の予算は単年度予算でございまして、また予算自体はやはり短期的な目的、例えば経済の安定のための役割などがあるわけでございますから、その辺の制約は存じておりますけれども、しかし全体として考えてみますのに、国の予算というものはやはり国づくり、国民生活づくりの生活設計をしっかりと持って将来の展望を可能な限り組み込んだ政治計画でなければならない、このように考えております。しかし、近年の我が国の予算を見ますのに、行政改革とセットされた財政の均衡ということが主なねらいとして前面に出ているようなところがございまして、どうも結果的には数字づらのテクニカルな調整の産物となりつつあるような危惧を私は抱いております。今度の予算におきましてもそうでございまして、後に取り上げますけれども、例えば補助金の一括削減というような操作を見ましてもそういう感を深く持っております。  私は行政改革の必要、財政再建の必要は当然認めております。認めるにやぶさかじゃございませんですけれども、しかしあと十五年か二十年かの間に我が国はいわゆる高齢化社会に突入いたします。六十五歳以上の人口が総人口に占める割合というものが一三、四%に達するというような状況でございますけれども、このような状況に有効に対応し、そして我が国の社会をそこに軟着陸させるためにはやはりもう少ししっかりとした将来への展望を持った予算を組んでほしいと考えております。それからさらに、こういう状況のもとで現在では人生八十年時代とも言われております。五十九年度版の国民生活白書の副題にも、「人生八十年のゆとりと安定のために」というのがうたわれております。こういうことを思うにつけましても、どうも予算を見るのに将来展望に欠けるところがあると思われてならないわけで、しかも私がこれから見ようとしております社会保障というものと絡めましても特にそういう感がいたします。  社会保障というものは、国民のすべてがその生涯期間中に遭遇するおそれを持つような事故とか疾病というものに対して、安定した生活を確保できるように生涯の生活設計を行うその基礎的条件というものを社会的に整備していくという、こういうことがねらいでございます。したがって、社会保障というもの自体もやはりある程度計画的に行われなければならない、また中長期の展望を持たなければいけないという性格を持っております。したがって、この点を絡めましても特に今申し上げましたような感を深く感ずる次第でございます。  もっとも、私は現在の我が国の社会保障の水準が非常に劣っているということを申すつもりはございません。もちろん、これから述べますように、いろいろ私は改革していただきたいという意見は持っておりますけれども、現在までに我が国の政治の中で行われました御努力もありまして、福祉を初めといたします社会保障の水準は国際的に見てもかなり高い水準に達している、こういうことでございましょう。これは自民党さんの自由新報に出ました国際比較の数字でございますけれども、現在の日本、例えば医療保障制度を見ましても、給付率は本人で九〇%、保険料率は九・五%、国庫が一六・四%の補助もしておりますし、この水準は西ドイツ、フランス、イギリス、スウェーデン、それからアメリカと比較いたしましてもそれほど劣った水準ではない。  また、公的年金制度の国際比較を見ましても、厚生年金、六十歳支給開始でございますが、三十二年の加入で標準的な年金、月額で十七万三千円という数字が出ておりますけれども、これにも給付額二〇%の国庫負担がありまして、こういう数字に達している。ほかの国の西ドイツを見ましてもこれより低い水準でございますし、スウェーデン、イギリス、アメリカ等と比べましても日本が一番高い水準、今度の新しい五十九年度の改正の結果、四十年加入では十七万円に達するという予定になっておりますけれども、このようにざっと見ましてもその水準はかなり高い水準になっておりまして、私はこのことは認めます。がしかし、これから我々が迎えようとしております新しい変化とか新しい社会というものを考えた場合に、やはりそうしたときに生まれてまいります新しい社会的なニーズというものにこたえるにはもう少ししっかりとした社会的な、あるいは公的な福祉の供給システムを構築しておく必要があるではなかろうかと、こういうふうに考えておりまして、結論的に申しますと、高齢化社会への中長期的な展望に立った予算を組んでほしいというのが私の希望でございます。  もちろん、財政のむだを省くということは必要でございます。また、福祉は無料ではございません。福祉のあり方を見直すということ、これはつとに指摘されてきたことでございますし、私もその必要は痛感しております。さらにヨーロッパで経験してまいりました社会保障政策の充実、福祉の充実に伴って経済発展の活力を喪失するといった点、これも確かにあろうかと思います。しかし、そういうものを十分に我々の将来への手がかりとした上でさらにより日本的な特性を生かした新しい福祉システムを考える時期に来ている、こういうふうに私は考えます。  先ほど申しましたように、高齢化社会の到来ということでございますけれども、我が国はかつてないようなスピードで高齢化社会に突入していく。あと十年たちますと一九九〇年代の半ばでございますけれども、総人口中に六十五歳以上の人口の占める割合はアメリカを追い越します。アメリカは現在では日本よりも高い水準でございますけれども、それを追い越すというような状況になってくる。したがって、あと残された時間というのはそうないわけでございます。大蔵省さんは緊縮財政のもとであと五年たつと赤字国債をなくすというような試算を組んでおられますけれども、しかしそうしたことも一つの行き方でございますが、そういう財政の収支ということよりも、むしろ私はこの残された期間にいかにしてこの高齢化社会に軟着陸させるかというそういう点の方が重要である。もちろん財政の均衡も必要ではございますけれども、財政の再建ができ上がった結果として国民生活が滅びては何にもならない、まさに本末転倒ということになりますので、その辺のところをしっかり踏まえた予算を組んでいただきたいと、このように考えております。  そのような全体としての希望を述べた上で今度の予算を見たいと思いますが、社会保障関係費で見てまいりますと九兆五千七百三十六億円、二・七%増でございます。全体の予算の伸びから見まして、全体が三・七の一般会計の伸びでございますから、それよりもやや低い水準でございますけれども、一応伸びているということは評価いたします。今日のように財源不足の中でいろいろ予算を組むということは大変でございましょうけれども、しかし以下述べますような諸点につきましてやはり問題があろうかと思います。  まず第一点は、先ほど申しましたような一括した補助金の削減でございます。これは補助金を削減するという方向、補助金のむだが叫ばれております今日でございますから、この方向は決して否定いたしませんけれども、しかし削減するならするで、やはりもう少しめり張りのきいたやり方をしてほしいし、それでこそ政治であろうかと考えます。中身の検討もしないで一括してカットしてしまうということになりますと、一体どこが重要でどこが重要でないかというような判断も何もつかない。一方そうされた方も大迷惑ということになろうかと思います。これからの社会福祉は特にコミュニティーケアが重要になってまいりますけれども、そうした点で大きな問題を将来に残すのではなかろうか。一年の間の時限立法のようでございますけれども、こうした形がどんどん続けられますと、ただ国家財政を地方にツケを回すという形で折り合いをつけるという結果になりはしないかと心配しております。  それから、社会保障関係費の中身を見てまいりますと、国民にとりましてプラスの面はもちろんございます。厚生年金、国民年金、福祉年金の給付というものが四、五、六月に順次実施されるわけでございますが、三・四%増になったということ、それからさらに生活保護の扶助基準が二・九%増になったということ、このあたりは国民、該当者にとりましては朗報であろうかと考えております。さらにB型肝炎の検査の新設でありますとか、ホームヘルパーの増員等がございます。この中でそれぞれそれなりに評価いたしますけれども、私は特に強調いたしたいのは、このホームヘルパーの増員も結構ですけれども、これからの高齢化社会に向かって、こういう形で身体不自由な老人をいかに介護するかという、この問題が非常に重要になってくる。それに対していかに中長期の構想が組まれているかということでございます。  高齢化社会は、一面で見ますとかなり婦人中心型の社会の特性を持っております。そして、そういう面から見ますと、日本ではかなり問題がございます。例えば現在七十五歳以上の女性の自殺率は国際比較で見まして日本が一番高いということが言われております。これは国民生活白書からとった事実でございます。それからさらに、これは高齢の女性、御婦人の問題でございますけれども、高齢者の介護ということになりますとやはり御婦人が中心になっていく。例えば現在の高齢者世帯、男六十五歳以上、女性六十歳以上の者のみで構成するか、もしくは十八歳未満の者が加わった世帯が五十九年の調査によりますと全世帯の八・一%、三百万世帯を超えたという事実がございます。こういう状況のもとで、さらに寝たきり老人、六十五歳以上で六カ月以上寝たきりの老人、これは社会福祉施設の入居者を除きますけれども、これが三十六万六千人でございまして、かつての五十六年の調査よりも四万二千人増になっている。しかも、その主な介護者は三人に一人が子の配偶者、いわゆるお嫁さんが介護をしている、こういう状況でございます。  それからまた、東京都福祉局の五十五年度調査から推定いたしますと、ぼけ老人になりますと二〇〇〇年には男三十六万一千人、女性七十六万七千人という数字になってくる。こういう状況が予想されているこの状況のもとで、いかにこれを介護していくかという大きな問題がありますけれども、その中心は女性であるわけです。ですから、先ほど七十五歳以上の女性の自殺率が高いと申しましたけれども、日本の女性が今まで大変なんで、若いときは子供を育て、そして後はだんなに尽くし、さらには御主人の面倒を見ると同時に今度は親の面倒を見るという、そしてまず親がお亡くなりになった後は御主人の面倒を見た後一人取り残されるという、こういう状況が出るわけでございます。  子を育て、夫を助け、親を見るという日本の伝統的な女性の姿がここにあるわけですけれども、それにしては老いの末路が余りにも惨めな点が多過ぎるのじゃなかろうか。現代の女性というものはファミリー内の介護を必ずしも喜んでいない。特に若い層がそういう心理にあることは大体推察がつくわけでございますけれども、そうしたことを含めてこれからのこうした老人介護のあり方を検討する必要がありはしないか。  今年度予算ではホームヘルパー千七百五人増で二万一千六百十三人ということでございますけれども、年々こういう形で千七百人ぐらいをふやしたといたしましても十年たちまして一万七千人でございます。そうしますと、まあ二倍になるかどうかということでございます。ですから、先ほど申しました介護の必要な老人の数の伸び率と比較いたしまして状況は決してよくはなりっこない、依然として変わりがないということでございます。この辺のところを何とかしていただかなければ、これから迎える高齢化社会、美しく老いるということはなかなか難しくなってきて大きな社会問題になろうかと私は考えております。  それから、さらに年金、医療保険という社会保障の二つの大きな柱でございますけれども、将来どうなるか、どうするかという大きな問題がございます。国民の中でも年金制度は将来破綻するのではなかろうかという危惧を真剣に抱いている人がだんだんと多くなってまいりました。我が国のこの二つの保険制度というものがかなり水準が高いということを先ほど申しましたけれども、問題は多々その中に介在しております。  この点につきましてはもう随所でるる述べられておりますから余り詳しいことは改めて言うこともないかと思いますけれども、例えば年金におきましては制度間格差の問題、これをいかに是正するか、それから個人単位の支給を世帯単位にしてはどうかという問題とか、それから夫婦に重複している問題でありますとか多々ございます。この辺のところを早急に改める必要がございましょう。もちろん、政府は七十年ですか、だんだんとこういうものを集約していって基礎年金を中心にした制度に切りかえるということをねらっているようでございますから、その辺の配慮は十分あろうかと存じますけれども、それを少しでも早く着実にやっていただきたいと思います。  それから、医療費の問題でございますけれども、国民医療費が急増することはもう予想されたとおりでございます。この急増は高齢化によることと、それから医療技術と設備が向上することによるというやむを得ない側面がございますけれども、やはり過剰診療の問題がございます。したがって、よく言われておりますような現物給付、出来高払い方式を何とか修正して過剰診療をなくす方向にもっていかなければならない。私としてはやはり最終的には地域的な統合が必要があろうかと考えております。  医療というのは準公共財的な要素を持っておりまして、そのために外部経済が大きゅうございます。これは一人の健康のみならず、そのコミュニティー全体の健康に影響するわけでございますから、地域におきましてそれを統合する必要は大いにあろうかと思いますので、こういう方向での修正を早急にやっていただきたいと考えております。そのほか、主婦の年金権を確立する問題とか多々ございますけれども、こういうものを含めて現在かなり高い水準と言われておりますこの制度をさらに充実さしていただきたいと考えます。  それから、それにつきましても、高齢化社会という観点から見た場合の制度の問題でございますけれども、これからの何といっても大きな問題は、高齢者をいかに社会として受けとめていくかということでございます。その点につきましては、現在比較的ばらばらになっております雇用と年金と医療、この側面をやはり統合する必要があろうかと考えます。例えば雇用でございますけれども、単なる雇用の充実を図るということだけじゃだめであって、現在働きたい意欲は非常に高齢者の方々は持っておられますけれども、例えば年金の受給資格について所得制限があるために働きに出ない、あるいは働きをやめてしまうという状況もございます。そういうことを考えますと、私は総合的にこの雇用、年金、医療をセットした福祉計画をそろそろ構築すべき時期ではなかろうかと考えております。西ドイツでは年金制度とそれから医療保険制度というのをリンクさしておりまして、年金制度から老人の医療保険に人数に応じまして財源を繰り入れておりますけれども、こういう方法も一つの方法でございましょう。医療だけでは医療財政が破綻するということでございますならば、そのような他の制度と組み込んだ制度をつくるのも一つの方法であろうかと考えます。  こういうことにつきましてもやはり財源が必要になることは当然でございまして、何もないものをやれというわけじゃございません。私は財源はやはり努力すればつくれるのじゃなかろうかと考えております。現在、いろいろ新しい税制を考えるとか、あるいは間接税の問題も出ておりますけれども、私は現行税制のもとでも、例えばいろいろ言われておりますような、不公平な税の徴収のやり方を改めるとか、あるいはマル優やキャピタルゲインというものをもっと積極的に導入をするというような方法をとりますならば、ある程度の財源のめどがつくのではなかろうか。そして、やがてやはりさらに一層の福祉の充実、あるいは社会保障の充実が国民によって要求されるようになってまいりますと、それに応じてやはり目的税的な総合福祉計画税あたりを検討すべき時期が出てくるのじゃなかろうか。しかし、現在のところはまず現行税制のもとで、税の不公平な点を初めとしていろいろの欠陥を修正しながら税収の増大を図ることが先決でございますし、その後でこの問題は取り上げるべきことであろうと私は考えております。  その他いろいろ問題はございますし、言いたいこともありますけれども、大体時間のようでございますので、この後はまた先生方の御質問に答える形にいたしまして、私の話は一応ここで打ち切ることにいたします。  以上であります。(拍手)

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  それでは、次に教育問題につきまして楠山公述人にお願いいたします。前サンケイ新聞論説委員楠山三香男君。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) 楠山でございます。  ちょうど一年前まで新聞社の現場におりまして、教育行政の推移を見たり、あるいは団体の動向を追いかけたり、それから現場に伺っていろいろな実践を見せていただいたりというようなことをやっておりました。今日までもそういったことはある程度引き続いているわけでございますけれども、そういうことで、割合新聞社の中では長くそういうことをやっておりましたので、そんなところで見聞いたしましたりあるいは考えましたことをもとに、六十年度の予算案のうち文教関係の部分につきまして私の考えますことを二、三申し述べたいと思います。  ことしの文部省の予算というのは一般会計で四兆五千七百四十一億二百万円でございますか、これは昨年よりはちょっとばかり、〇・〇三%ふえたということでございますし、国の一般歳出三十二兆何がしというものと比較いたしますと、そのうちの一四・〇四%、この方でも〇・一%ばかり五十九年度よりはふえているということで結構なことだと思うのでございますけれども、こういうものは多々ますます弁ずるというところがあるわけでございますから切りがないわけですけれども、しかし財政逼迫というようなことの中では、まあまずまずということなのではなかろうかというぐあいに考えます。  そういう意味では、基本的には方向として支持できると思うのでございますけれども、さらにもう一つ突っ込んで考えてみますと、この中に、今は教育の問題というのはさまざまな形で問題になって、臨教審というふうなところでも御議論が行われているわけでございますが、そこに示されますような現状の問題点というようなものの解決への姿勢というのが幾らか見える、そういうものが盛り込まれているということが一つ。もう一つは、やっぱり近ごろ二十一世紀までどうというような話が非常にあるわけでございますけれども、そういう将来へ向けての展望を開くようなものも含まれている。そういった面からも今度の予算というものをある程度評価することができるのではないか、そういうぐあいに思うわけでございます。  まず、そういいましても、これはいつも問題になることなんでございますけれども、文部省予算のうち非常に人件費が占める部分が多い、つまり義務教育関係のことでいきますと約五三%でございますか、半分を超えてしまう、これはしょっちゅうそのくらいの数字を前後しているような形でずっと推移していると思うのでございます。    〔委員長退席、理事梶木又三君着席〕 それからさらに国立学校の特別会計へ一般会計からも支出をしているわけでございますけれども、その中に国立学校の先生の給料が入っているわけですが、それをも加えますと、文部省の一般会計予算のうちの七二・八%は人件費が占めているということになるわけで、そうすると、あと残りの部分というのは甚だ窮屈で、その中でさまざまなことをやりくりをしなければならない、文化の問題もやらなければいけないしというようなことがあるわけでございます。  そこで、やっぱり人件費の問題というのは考えなければならない大きな課題はあると思いますが、これは文部省だけのことではなくてさまざまな省庁にも及ぶことでございましょうし、私はそこに深入りはいたしません。ただ残りの部分についてどうするかということを考えながら、同時に今の問題にも及んでいくというようなことになろうかと思います。しかし、人件費が多過ぎるということが非常に悪いことのように考えるのはおかしいわけで、教育は人なりということをよく申します。私はそこに尽きるだろうと思います。さまざまな施設設備、それからそうした条件というものを整えることももちろん必要でございます。そういうことをしなければなりませんけれども、仮にそういうものができたとしても、そこに実際に子供と接触をされる先生方というものが非常に豊かなお気持ちで、そして進んで子供たちを導いてくださるということがなければならないわけで、そういう意味ではとても大切なことだと思うのです。ですから人件費というものを何か非常に邪魔者扱いにするような姿勢をとってはいけないだろうと思います。  そこで、しかし今回の場合、教育は人ということにかかわりのある、さっき申し上げました、現実の問題をある程度解決に導くことにも役立つだろうという予算が、これは復活でございますけれどもついた。つまり四十人学級というものの計画というのが三年間凍結をされていたわけですけれども、それが再開をされた。これは五十五年から十二年計画で今の学級定員が上限が四十五人であるものを四十人にしようという計画が始まったわけでございますけれども、二年間にして財政問題から三年間の凍結を見ている。今度その凍結が解除になるのかどうかと私なんかも外側から眺めてというか、どうなるのかなと思って見ておりましたら、とにかく再開をするということに決まったので非常に安心をしたわけでございますけれども、これも予定どおり六十六年度までに一応計画を完了するということで至極結構なことだと思います。  これはよく言われることでございますけれども、学級単位に物を考えることがいいかどうかというのはまたいろいろあろうかと思いますけれども、とにかく一つの先生の数と生徒の数の関係ということをとらえるのにこれは学級という単位でとらえているわけでございますけれども、その場合に、現在は四十五人という枠の中ですと大体小学校で三十三・七人、中学校で三十七・五人、これは一学級当たりの人数でございますけれども、これを先生一人当たりというようなことにいたしますと二十二人、生徒が小学校の場合には二十五人ですし、中学校の場合には十九人というようなことになるわけですが、これが多いか少ないかというようなことは非常にまた議論が分かれますけれども、とにかく先進諸国の中では余り少ない方ではない、多い方であるということは紛れもないことでございます。数字は省略いたしますけれども、そういうことになっています。  それはどうしてこれが必要かと申しますと、やっぱり今学校の先生たちの世界では一斉指導、つまり子供たちをまとめて一斉に指導するという、それから個別に指導するという、そういう両方の側面があるわけでございますけれども、日本では非常に一斉指導というのが上手であった。それが明治以来伝統的に日本の教育の水準というのを高めることに非常に役に立ったということが言われているわけですけれども、しかし、今日の中では、やっぱりその一斉指導が全部先徒を見ないというわけではありませんけれども、生徒一人一人を見ていくということをもっとやらなければいけない。指導の個別化というふうなこともしきりにこのごろ言うわけでございます。  それと同時に、今度は生徒の方、学ぶ方の側からいきますと、学習の個性化というふうな言い方もこのごろよくされます。つまり極めてそれぞれの個々の個性に応じた形で勉強していく。そういう両々相まつことが必要なんだろうと思いますけれども、そういうことを実現していくためにも、やはり先生お一人当たりの生徒の数というものがある程度のものである、余り多くない形であることが望ましいのは当然なわけで、そういう意味でこの四十人学級の再開というのは大変喜ぶべきことだと思う。こういうことが結局今の問題行動とかあるいは学力不振というようなものを改めていくのに、現実的に改めていくのに役立つということになることを信じます。そういう意味で、これは問題点の解決に寄与する予算であったということが言えるかと思います。  そこで私は考えますのに、文教予算というのをこれから考えるのに、学習者、学ぶ方の側の立場から見直してみる、学ぶ方の側にとってはこの予算はどうであるかというぐあいに考えた方が、それが一つの視点ではないかというぐあいに思うわけです。  そういうことを思いますと、次にちょっと簡単に触れたいと思いますけれども、私立学校の助成の問題でございますけれども、今幼稚園から大学、それから専修、各種学校というものも含めまして大体学校の名のつくところに通っているのは二千七百七十二万人ということになるわけでございます。大体総人口の二三%というようなことになるわけでございますけれども、これに先生などを加えれば大体二五%、四人に一人は何らかの意味において学校関係者というようなことになるのだろうと思います。そういう意味で文教予算というのを見るという見方も一つあるかもしれない。 文教予算は学校予算ばかりではございませんけれども大部分でございますから、そういう見方もあるかと思います。  そこで、今は生徒の側だけ見ますと、この二千七百七十二万人のうち私立に通っている生徒というのは二一・四%になるわけで、これは全部を平均した数値でございます。幼稚園だけで見ますと七四・八%、それから高校は二八%、短大が九〇%、大学が七五%、大学院が三四%、専修学校九二%、各種学校九八%というような数字を並べましたけれども、平均しますと二一%ですから、学校に行く者の五人に一人は私立に通っているということになるわけです。そうすると、私立の学校の問題というのを、ただあれは健学の精神をもって勝手にやっているのだからというわけにはいかない。現に、そういうことで四十五年からは、助成というか、経常費助成というものが始まって、年々ずっと伸びてきていたわけですが、これも財政の問題というふうなことから、一昨年か昨年あたりから伸びがとまり、さらに減りという形で、今回それが五十九年度と同様な額が査定をされているということは、まず、ひとまずということでございますけれども、よかったのではないかというぐあいに思うわけです。  これもいろいろと考え方があろうかと思いますけれども、今の経常費助成、学校という機関に補助をしていくのがいいのか、それからその学生に個人的な補助をしていくのがいいのかということにもその問題があって、これはもう要するに私は学習者の側からということから考えると、やはりひとつこれから考えていくポイントがあるかなという気がするわけです。  次に、もう一つは、将来に向かって前向きなことの例といたしまして、留学生の問題を挙げたいと思います。これは今留学生は二十一世紀の初頭に十万人にしようということで計画がいろいろと進められている。そういう中で、ことしはその初年度ということになるのでしょうか、それへ向かってさまざまな計画が今実際に机上プランとしてはでき、そして準備を整えているところのようでございますけれども、そういうことを反映いたしましたのか、とにかく今度は昨年、五十九年度より留学生関係の予算が一三・一%ふえて初めて百億円の大台に乗った、百億五千八百万円ということになったようでございます。これは留学生関係の予算としては画期的なことのようなんで、これからどうなっていくのかということは、計画が滑らかに進むかどうかということともかかわりがありますけれども。  今、留学生というのが大体一万二千四百十人というのが、これ五十九年の数字でございますけれども、いるわけでございますね。このうち、国費留学生というのと私費留学生といるわけでございまして、それから、学部に行っていたり大学に行っていたり、いろいろするわけで、国費の留学生の数というのはそう多くはないわけでございますけれども。ここで注目しなければならないのは、専修学校、専門学校と申しますか、つまり高等学校を卒業して行く程度の専修学校、これは専門学校と申しますけれども、ここへの留学生の志望というのが最近著しくふえた。昨年の、五十八年の場合に比べますと倍になっているんですね。五十九年度現在千六百五十六人、専修学校、あるいは高専もちょっと入っているのでございますけれども、行っているというような状況になっているわけです。  そこで、専修学校というものがなぜ注目をされるのかというようなことから、ややわき道にそれますけれども、そこにも、文教関係の予算をどう考えるかというようなときに考えていかなければならないこれからの一つの大きな課題があるのではないかと思います。これは五十一年からでございますから、ちょうど制度が発足して十年たったわけでございますね。そして、ついでに申し上げますと、高校の昨年三月の現役卒業生の場合、一〇・五%が専門学校に行っているわけです。現役だけに限りますと大学短大合わせて二五%ぐらいでございますから、そしていわゆる浪人を含めた進学率ということでいきますと三五%ぐらいになるんでしょうか。ですから、その両者を合わせますと、もう五〇%近くが高等学校を終えた後もさらに上の学校で勉強しているという実情もあるわけです。そういう中で、五〇%弱の中で一〇%ぐらいを、もうちょっとになりますか、過年度の卒業生もあると思いますから。だから、それも高等教育というぐあいに考えますと、かなりな地歩を占めている。これも注目点の一つではないか。留学生の話のついでに脱線をいたしましたが、そういうこともある。  そこで、留学生に戻りまして、そうやって十万人にしようというときには、大体国費留学生が一万人、それから私費留学生が九万人、合わせて十万人という計算をしているわけですね、計画の上では。そして今度は大学、学部というような別に見ますと、大学に二、三万人、学部に六万人、それから高専、専門学校といったようなところに一万人というような計画を立てているんですが、この今の推移から見て、もし専門学校に人気が集まってきますと、一万人どころではなくてもっとふえていくことになるかもしれないということも考えられる。  そこで、その十万人計画でございますけれども、問題は、もちろん学校個々の受け入れ体制ということもあるわけでございますけれども、宿舎の問題というが非常に大きいようでございます。というのは、一つはやっぱり留学生そのものに対して、それを十分に受け入れる土壌というようなものが我が国の社会の中にないというようなこともあるかもしれません。そういう意味で、それは実は非常に重大なんで、留学生というのが、国際交流と申しますか、お互いにお互いの国が教育研究を高め合うというような意味合いにおいて非常に進められるべきですし、それから発展途上国というものに対しては、そこの人材養成というのを日本がいささかお手伝いをするというような意味においても重要なわけでございますけれども、問題は、そういう計画を立てて呼び入れるような体制をつくっても、それを本当に心をもって迎えられるかどうかということが問題だろうと思います。  ですから、これはやはり政治家の先生方にお願いをして、かなりそういう意味でいろいろと大きく一般的な広がりを持つようなことをやっていただくというようなことをお願いしたいような気持ちが私はあります。要するに留学生をふやそうというのは、やっぱりやや暗いような感じの中でもって、前向きな夢とロマンというような言い方をするとややセンチメンタルであるかもしれませんが、そういう要素を持った計画で、私はもう少し一般的に広げた形でもって考えていきたいというぐあいに思います。  それから最後にもう一つ、科学研究費というものは、前向きなものとしてはこれは着実に伸ばしているというところがあるわけです。今六十年度の場合には四百二十億円ということになっております。それはそれで結構なんですが、どうも、額は幾らかずつずっと伸びてきているんですけれども、それに対しまして今度は採択する課題でございますね、課題の数というのが余りふえてこない。つまり学者から申請があって、それを学者、先生たちの審査があって、そうして何がしか限られた中で決まるわけですが、最終的に決まる採択の課題数というのがどうも十分に伸びていない。これはやはりそれぞれの研究にお金がかかるというようなこともございましょう。まあいろいろな条件が大型化していくというようなこともあると思うのでございますけれども、そういたしますと、やはり伸びてはいるけれども課題件数を伸ばすということについてはいま一つ貢献が足りないということで、この辺ももう少し大切な基礎研究のことでございますので考えなければいけないのじゃないか。  そういったような幾つかのことをピックアップして申し上げたわけでございますけれども、私は、繰り返しますけれども、やはり打ち出の小づちがあるわけではないので、限られた中でいろいろしなければならない。それから人件費の問題というのはもう少し広い懐の中で考えていかなければならない問題だろうと思う。そしてその限られた中でどこに何をどう使っていくのかということについてはもっともっと工夫が必要でしょうし、むだなものは省いていくということもこれからは必要なんだろうと思います。  そこで、それを考えていく一つの視点として、さっきから繰り返し申し上げておりますけれども、一つは学習者の立場と申しますか、そういう面から考えていく。それを別の言い方からしますと、自分で責任をもって同時に自分の学習というものを進めていく、そういう意識というものを育てていくということも必要なんじゃないか。つまり何か形をつくってそこに与えていく、そしてそこに来なさいという形じゃなくて、自分がやっぱりいろいろとぶつかりながら伸びていくということをやるような、そういうことに水を向けるような予算というものが考えられないだろうか。そういう姿勢で教育予算というのも見直してみてはいいのではないだろうか、そんなぐあいに考えます。  ですから、二十一世紀を生き抜くなんということがよく言われますけれども、それはすなわち学習社会を生き抜くということでもあろうかと思います。そのためには自己学習力といったようなものをつけていく。つまりそのための教育費というのが必要経費であるというぐあいに私は考えるものであります。  時間が参りましたのでこれで失礼いたします。どうもありがとうございました。(拍手)

梶木又三自由民主党・自由国民会議

○理事(梶木又三君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行いますので、質疑のある方は順次御発言を願います。

杉山令肇自由民主党・自由国民会議

○杉山令肇君 両先生につきましては大変貴重な御意見をちょうだいいたしまして感謝をいたしております。  まず、原先生に若干のお尋ねをいたしたいと思います。  先生御指摘のように、我が国は近年非常に高齢化人口が増加をいたしてまいりましたのと、二十一世紀に向けましてさらに増大をする状況下にございます。それに対応することもございまして、今後ますます年金や医療等、社会保障経費が増大をしてくる、膨大な金額が必要になると考えられるのであります。したがいまして、これらの経費を個人と政府がどのような負担割合をすべきであろうか、あるいは政府の内部でも国と地方自治体がどんな比率で負担をしたらいいのか等、一般的な原則がいまだ明確でないように思います。今後増大する福祉需要に国、地方、個人がどのように負担を組み合わせていくべきであろうか、考えられる原則がありましたら、ひとつ教えていただきたいと思います。また、その際に重要なことは、従来、ともすれば福祉といいますと、すべて公的負担がなされるべきであるという考え方があったのでありますけれども、やはり一面自助努力をするとか、さらに民間による福祉施策の活用等も考慮すべきではないかとも思いますが、先生の御意見を承りたいと思います。  第二は、増大する公的な福祉財源をいかに確保するかであります。高度成長であれば税の自然増収がありまして、それだけで十分賄えたわけでありますけれども、現在はそういう状況ではないわけでありますから、一番考えられますことは、年金の場合で言えば、保険料を引き上げるということだと思いますけれども、それだけに依存することは実際上困難であるわけであります。といたしますと、税の一般財源を充てる以外に方策がない。このことにつきまして、先生は現の税制の中でまず努力をしなさい、そしてその後でいろいろな施策を考えたらどうかという今御意見のようでありました。そういうことでありますけれども、例えば福祉に限定した目的税を早く新設をするということも一策と考えられますが、このことについても再度御意見を求めたいと思います。  次は、楠山先生にお尋ねをいたしたいと思っておりますが、まず第一点は、私学助成のあり方であります。ただいまるる詳細にわたりまして御説明をいただきました。私なりに、当然でありますけれども、過去、我が国の教育に対しまして私学の役割は大変多大の貢献もしてきたと思っておるわけであります。そして、残念なことには近年助成の道がやや減少ぎみであった。ようやく今年の予算を眺めてみますと減額傾向から歯どめがかけられたというような今年度の予算の内容であります。したがいまして、今後私学には多大の役割が期待をされておりますが、これからの私学助成はどうあるべきが望ましいのか、このことについて御所見をまず一点承りたいと思っております。  それから、今詳細に御説明のございました留学生問題でございまして、我が国の国際社会における役割を考えますと、先生お話のとおり留学生の受け入れにはもっと積極的な対応が必要である。今年度の予算も御説明をされましたように、二百三十人増計画で百億五千八百万という予算の計上であります。前年度対比が十一億六千七百万円増という状況下にございます。そしてさらに、先生から特に宿舎の問題が課題であるというお話がございました。留学生会館の基本設計ということでこれも予算として二千六百万円を計上されておりまして、大変これは政策上すばらしいことであると評価をいたしておきたいと思います。また、今後さらに二十一世紀に向けまして、先生御指摘のように、十万人体制という方向によって努力をするわけでありまして、それに関連して細かくいろいろと御要望、御意見は今承りましたが、私ども政治の立場で考えまして、政治の場に対するさらに問題点を要約してお聞かせをいただければ大変ありがたいことだと思っております。  最後にもう一点、教育改革でございます。今教育の荒廃ということに端を発しまして非常に国民的課題として教育の改善が叫ばれておるわけであります。臨教審で今審議が進められております。この教育改革の非常に積極的な論議がされておりますが、先生は元教育のジャーナリストとして御活躍をされた先生でありますので、今後の教育改革に関して、こういうところをこう変えてみたらどうか、あるいはこう充実してみたらどうかというような御所見がございますれば、ひとつ率直に考え方をお聞かせいただきたいと思います。  以上三点についてお尋ねを申し上げます。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) 杉山先生にお答えいたします。  三点ばかり御質問がございました。まず第一点は、これからの社会保障経費が非常に増大してくる、その分担につきまして個人と政府、何らかの原則があるかどうかということでございました。  結論を申しますと、原則というのはまずないと考えてよろしいのですが、過去の経験からいたしまして、大体この辺ならいいであろうというある程度の水準はあろうかと思います。例えば昭和五十九年の我が国の国民負担率は国民所得にとりまして三六%になったわけです。これは戦後最高ということでございます。国税と地方税で二五%、残りが社会保障負担になっております。この辺のところを比較いたしますと、諸外国と比べて、大きい国、小さい国がございますけれども、アメリカとほとんど水準変わらない。アメリカが三七・三、イギリスが五四・四、西ドイツが五四・一ぐらいでございまして、もう少し国民が公的な形での福祉サービスを要求するということになりますとふやしてもいいんですけれども、戦後最高でございまして、我が国にとりましては、割合市場メカニズムの効いている国でございますから、この辺が一応のめどになろうかと私は考えております。  それからもう一つ、これは西ドイツの経験でございますけれども、年金負担で約一八%ばかりの負担を長く西ドイツは続けてまいりました。そして、これが二〇%を超えると、かなり抵抗が出てくるであろうと言われております。そういう点で、たしか昨年の改正されました年金の計画では、この西ドイツ並みの二〇%というところにおきまして年金の計算をしたはずでございますので、私も大体年金だけ取り上げますと二〇%あたり、それから国民負担率全体では三六%あたり、国民がそれでもオーケーということならばもう少し公的な社会保障負担をふやしてもいいのじゃなかろうかという線を考えております。  それから、国と地方との関連でございますけれども、これはやはり地方がどれだけそうした福祉供給システムを実現できるかという能力の問題がかかわってまいります。そのために現状では地方もさまざまで、三千三百も地方自治体があるわけでございますから、その辺の格差が随分あるので、もう少し地方の能力をある共通なレベルまで引き上げた上で、これは分担を考える必要がありはしないか。まだまだやはり地方には問題があろうと考えております。ただ、方向性としては、やはりだんだんと地方に譲っていくべきでしょう。  それから、やはり何と申しましても自助が中心でございます。そういう点では私も先生と同感でございます。そのためには、最近言われておりますように、福祉国家から福祉社会へというわけであって、ただ単に国だけがやるのじゃなくて、国と、それからさらに市場メカニズムによる福祉供給なり社会保障的な要素を持ってくる。それからさらに、インフォーマルなシステムですね、これは地域の社会であったり家族であったり、いろいろな形があるわけでございますけれども、そういうところを通じてこれを確保をしていくという、こういう三つのフォーマルな点、インフォーマルな点、公的なもの非公的な点、市場メカニズム、これを統合された形でのこれからの福祉の確保という形になろうかと考えておりまして、大体世界の大勢もそういうふうに向かっているように思われます。それが二番目でございます。  それから第三番目でございますけれども、公的財源をいかに確保するかということで、私も、先ほどの第一点と関連しますが、やはり今の線が大体いい水準にあるので、余りこれから引き上げることは問題であろうかと考えております。ただ、やはりこれから急速に高齢化社会を迎えますのでどうしても財源が必要になってくる。そのころになりますと国民も納得いたしますから、その段階で目的税も考えたらどうか。これは過去の一般消費税という形で失敗もございますけれども、福祉の充実のためにということになりますと、はっきりと経費とべネフィットの対応がわかりますから、国民にとって納得しやすいのじゃなかろうか。目的税はいろいろ問題がございますけれども、そういう点では国民にとって受け入れやすい要素を持っていると私は考えております。  以上であります。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) お答えいたします。  私学助成の問題でございますが、ひところ経常費助成が三〇%ぐらいまで行ったわけですね、経常費の中でその助成の部分が。それが現在二〇%ぐういに落ちてしまった。そういう状況を見ますと、そして途端に授業料の値上げとかいうようなことがあるわけで、そこのところはやはり許す限りは伸ばしていくということが必要かと思います。    〔理事梶木又三君退席、委員長着席〕 ただし、一方において、やっぱり私学に対する不信感、一部の私学なわけでございますけれども、に対する不信感、まあ事件なども起こったりするものですから。そういうことがある。それにはやはり私学の方からも何かこたえなければいけない。つまりもう少しガラス張りと申しますか、内容を明らかにするようなことも場合によっては必要なんじゃないかというぐあいに思うわけでございます。  そこで、機関補助ということでも、もちろんそうやって見ていかなければならないのですけれども、同時に、非常にそれぞれのすぐれたことをやっているところに対して、傾斜配分と申しますか、そうした一律にばらまいて何に対して何という形じゃなくて、傾斜配分的なことももっと考えたらいいだろう。それから、さっき機関補助か個人補助かというようなことを申しましたけれども、やはりあるところまで行ったら個人補助ということをかなり主体に考えていかなければいけないのじゃないかというぐあいに考えております。それには奨学金というような問題ももう一つあるわけですが、これはよく企業の方からお聞きするんですけれども、企業が教育にお金を出そうと思っても、どうも十分に出せないというか、出しにくい。つまり税制の問題なんだと思うのでございますけれども、その辺をもう少し何か改めてくれれば、我々ももう少しお金を出しやすいのだというような話をよく伺うわけでございます。その辺のところも、細かなことはいろいろあると思いますけれども、今後の考慮すべき問題だろうと思います。  これは次の留学生のことと関係があるわけでございまして、やはり奨学金、留学生も国費留学生はいいわけですが、私費留学生の場合にはかなりいろいろな問題があるわけです。ことに日本の物価が高いというようなことで問題があるわけなんですけれども、留学生に対する奨学金というようなことで、最近、幾つかの団体が新たなそういう法人を興されて、留学生に対する奨学制度を始めるというような話も伺っておりますけれども、そういうことがやっぱりもっと起こって広がっていく。そのために、つまり近ごろはやりの民間活力と申しますか、そうした教育に対して善意のお金というのを一般から吸い上げていくと申しますか、集めていくというような努力が、またそれがやりやすいような方策が必要なのではないかというぐあいに考えます。  それから、留学生のもう一つというか、いろいろな宿舎の問題で、今度の国際教育会館の新しいものが建つということも結構なんですけれども、それに関連して、今国会に何か宿舎の土地取得に関して免税というような法案が出ているそうでございます。これはぜひそのようにとり行われることが結構だと思いますし、そういうことが呼び水になって、やっぱり宿舎の問題というようなものもさらに広がっていくというようなことになればいいかと思います。  それから、教育改革の問題でございますが、これは非常に大きな問題で一言には申せません、姿勢みたいなことだけ申し上げますけれども、一つはやっぱり余り無理なことを考えてもだめなので、それじゃ今どこに何が問題があるかというと、非常に細かく現場を見ていきますと、現場はそれなりにいいことも結構やっている。そういういいことも随分見ていって、それを伸ばしていくというような姿勢もとても大切なんじゃないか。つまり大きなところから、さっと非常に空を切って一刀両断というような形で改革というようなことを考えることも、時には発想の転換というようなことで必要なんでございますけれども、もう少し細かく現場のことを見ていくということも必要なんではないか、それが一つ姿勢の問題でございます。それから、いろいろなことを変えましても、これは昨年の三月に出ました中曽根首相の私的諮問機関である文化と教育に関する懇談会の中にあった言葉でございますけれども、人並み意識、平等志向というような文句がある。これはやっぱり改革というようなことを考えますときに、国民の意識というものを非常に考えなければいけないんですけれども、それがあの報告では平等意識、人並み志向というようなことで、やや批判的な取り扱いをしているんですが、それも確かに認めざるを得ない面もあるし、そこのところが改まっていかない限りは制度の改革というのはなかなか実らないだろう。  ですから、さっきも申し上げましたけれども、やはり個別に一人一人がどう自分の機会を利用していくのかということを考えるというようなこと、だから、ただ制度を変えていくというようなことじゃなくて、国民の一人一人かやっぱり静かに周りを振りかえり、そして自分自身の位置を考えるというふうなことが必要なんじゃないかと思います。それから制度的なことにしましては、もう少し柔軟と申しますか、例えば満六歳で就学ということになっているんですけれども、それがちょっと無理だったら仮に七歳とか、あるいはいろいろなもう少し柔軟な形でもって、今は余りにもきちっきちっとし過ぎているところがある。その辺のところが、それも意識に関係あるかもしれませんけれども、制度としてもそういうものを許容するような仕掛けのものになっていけばいいのではないか。  一々細かなことを申すとちょっとあれなんで、姿勢みたいなことだけを申し上げました。

杉山令肇自由民主党・自由国民会議

○杉山令肇君 楠山先生に、あとわずかな時間でございますから簡潔にお答えをいただきたいと思いますが、今のお話のとおり、私学助成につきまして、もっとガラス張りで国民の信頼にこたえ得るような背景条件も受け皿として大切である、この御意見についても私ども十分理解ができるところだと思っております。また、まとめでありますが、六十年度の文教予算についての総体的な評価、感想と申しましょうか、いろいろと先生の教育行政についての御高説を拝聴いたしましたが、今大変厳しい財政状況の中でこのような文教予算が組まれておりますが、これについてのまとめの評価を、ひとつ御感想を、一口で結構でありますからお聞かせいただけたらと思います。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) 最初にちょっと申し上げたわけでございますけれども、私はやっぱりできれば全体が膨らんでいく方がいいだろうと思うんです。それは、国、政府全体としてお考えいただかなければならない面があると思うのでございます。それにはやっぱりむだなものをあらゆるところで省いていくということが必要だろうと思います。それは文教予算の中でももちろんあるわけでございますし、それからもう一つは文教予算の場合には大変地方に流れていく要素というのは多いわけでございますけれども、中央政府と地方政府というものの関係、都道府県、それから市町村というようなものの関係というものも、もう少し整理して考えてみる必要があるのじゃないかというぐあいに思うんです。市町村に参りますと、やはりそれぞれかなり限られた中でもって、いろいろな特色のあることを苦労なさったりしているわけでございますね。そういうようなことももっと相互に交換し合って、そして本当に貴重な税金というものが有効に使われるような格好になってほしいというぐあいに思っております。  以上でございます。

杉山令肇自由民主党・自由国民会議

○杉山令肇君 ありがとうございました。

久保亘日本社会党

○久保亘君 社会党の久保亘でございます。  参考人のお二人の先生方にお尋ねいたしますが、最初に、初めに公述をしていただきました原先生にお尋ねいたしますが、将来の展望、つまり高齢化社会の到来に向けて、中長期の展望を持つめり張りの効いた予算を組むべきであったという御指摘がございました。私どもも非常に先生の御指摘がよく理解できるのでありますけれども、具体的に、めり張りの効いた中長期の展望を持つ予算ということになります場合に、具体的に御指摘いただけるようなものがございましたら、教えていただきたいと思うのでございます。  それから、医療制度についてお話をお聞かせいただきましたけれども、医療制度の中で、医療費というのは本来原則的には公的負担にすべきものであるという立場で先生のお話を理解してよろしいのでございましょうか。それからあわせて、医療機関というのは公的機関を中心としていくべきものなのか、その辺もお聞かせいただきたいと思います。  また、それに関連をして、現在医師過剰論が随分問題となってきております。先生のお立場から医師過剰論について、これは妥当な意見としてお考えになっておりますか。それとも医師過剰論というのはこれは問題である、こういうお考えなのか、この辺についてちょっと教えていただきたいと思います。  それから最後に、年金が、高齢化社会になりましても人間としての最低の生活を保障するような年金としていくために、財源確保の手段をどのような手段が最も望ましいとお考えでしょうか、その点をお話しいただければと思います。  次に、楠山先生のお話を伺いまして、私大変賛成をする意見がほとんどでございました。特に四十人学級の再開を大変評価をされておりまして、このお話の中で一斉指導と個別指導の問題についてお触れになりましたけれども、先生が四十人学級の再開に関連してお話しくださいました個別指導というものは、私が理解しますところでは、能力に応じて個性を生かす、そういう教育を学校教育の中でできるような環境をつくるべきだというようなふうに伺ったのでございますが、今臨教審で自由化とか個性主義とかいうことが話題になっておりますけれども、この考え方とは、先生が今お話しくださいました個別指導というものとはちょっと趣を異にするのではないだろうかなという感じがいたしました。臨教審の自由化、個性主義というものをどういうふうにお考えになっておりますでしょうか。  それから私学の助成につきまして、機関か個人かということがございましたのですが、私この委員会でも質問のときに申し上げたのでございますが、今大学の学生で見ますと八〇%が私学でございます。ところが、国が大学教育に投ずる予算は逆に五対一ぐらいで、学生二〇%の官学の方が私学に投ぜられるよりも五倍の予算を投下しております。この辺のことを考えてまいりますと、私学の助成というものはもっと強化すべきものであると、こう思うのでございますが、その中で傾斜配分というお話がございましたけれども、これは今の予算の段階では非常に困難ではないか。傾斜配分ということを加味していくとすれば、私学の助成が大幅にふやされなければできないのじゃないかという感じがいたしますが、いかがでございましょうか。  それから最後に、留学生の問題で大変いいお話を聞かしていただきましたけれども、私も留学生というのはこれは国際的な協力というだけではなくて、外交的に、外交投資でもある。相手の国に知日家、親日家をつくっていくということがこれからの国際社会における日本として非常に重要なことだと考えておりますから、留学生を大いにふやさなければならぬと思いますが、その場合、宿舎が問題になってくるのではないかと思います。留学生会館もこれは必要なものだと思います。できるだけそういうものを設備すべきものと思いますが、しかし留学生に日本人社会の中で生活をしてもらうということが目的から言いますと非常に重要なのではないか。だから日本人の一般社会の中に留学生を受け入れられるような条件をつくっていくためにどうしたらいいだろうか、こういう問題を考えるのでございますけれども、先生のお考えをお聞かせいただければ大変ありがたいと思います。  以上でございます。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) お答えいたします。  具体的に中長期の展望に沿った予算編成を考えた場合にどうかということでございました。先ほど申しましたような一律カットを一年間行うというようなことはなるべく避けて、もう少しその内容に具体性を盛るということを初め、さらには先ほど申しましたヘルパーの増員にいたしましても、これから先そうした老人あるいは高齢者の増大する方向は大体決まっております。これは人口動態ですから予測しましても比較的確実性があるわけですね。ですから、それに見合った形でこの先引き続いてこういうことを行っていくという、そういう計数にのっとった増員計画をやる。そうすると同時に、さらにヘルパーだけじゃなくて、一体そういう数多くなった高齢者をどのように社会が受けとめていくかということなんですけれども、私はやはり在宅ケアを中心にやっていかざるを得ないと考えております。  そうした場合に、その在宅ケアをするにつきましては、先ほど申しましたように、三人に一人お嫁さんが面倒を見たりしているわけですから、そうしたいわば自分を犠牲にして高齢者のために働いている方たちに財政上の面倒を見るとか何らかの形のべネフィットを与えることを考えたらどうか、こういうことでございます。それから、これは大蔵省は別に、ただ参考だということしか述べておりませんけれども、中期財政計画がございます。この計画の中にもそういうものを、実態的ないろいろな項目を含めて考えていただきたい。そうしますと、もう少しはっきりしてくるんですね。場合によっては国債発行、五年間で赤字国債の発行をゼロにしないで必要ならばある程度継続することも可能じゃなかろうか、そのように考えております。  それから第二点の医療費でございますけれども、原則的には公的負担と見てよいか。私が先ほど申しましたように、医療というのは準公共財的な要素を持っている。人が健康になることはその周りの人もまた健康になることですから、そういうことと、それから医療というのは市場財とは違いますね。これはどのようなべネフィットが与えられるか予測できません。しかも、市場メカニズムを余りにも変えますと困るので、利潤の極大化を図るような対象じゃございませんから、そういう点で準公共財的な要素を持っておりますから、やはり一番ベースは公的負担に置いておきまして、その上に選択的に私的なサービスを受けられるような余地を残しておくという方法をとったらいかがかと考えております。  それから、三番目の医師の過剰論でございますけれども、確かに今三千人を超えて五千人、六千人にだんだん増大しそうになっておりますけれども、しかしこれはどういう医師が過剰であるかが一つ問題であって、能力のある医師がたくさんいればいいんですけれども、必ずしもそうじゃない面があるわけです。ですから、まだまだ社会は能力のある医者を求めていると思います、しかも無医村もあるわけですから。そういう点を考えますと、この医師過剰論というのは単なる過剰論じゃ私はないと思うんですね。やはり能力のない人がたくさんいるということだと思います。そういう点では、能力のある医者がなかなか来てくれないという点では、ある程度これは過密過疎みたいな問題がありますね。都会には割合能力ある人が集まってきて、そうじゃないところにはほとんど来ないとかという、そういうものも絡めて検討してみる必要があります。いずれにしても、そろそろこの問題は教育問題として見直すべき時期に来ていると思います。  それから、最後の年金ですけれども、私はナショナルミニマム、基礎年金あたりはこれはやはり税でもってカバーしていく。一般財源と目的税という両方加えていくかどうかはともかくといたしまして、目的税を導入した場合にはそれを半分以上充てるとか、そうした形でしっかりと基礎年金を固めた上で、上の形の比例制を持ってくるというような方法でやるべきである、そのように考えております。  以上であります。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) お答えします。  臨教審の審議の内容ということにつきましては新聞報道によって私も知るだけでございまして、ただ個々に二、三の委員に伺ったりするということはあるわけでございますけれども、私はやっぱり公式に発表されたものについて申し上げないといけないと思いますが、個性主義という言葉が出てきたのは、二月の連休に第一部会というところが二泊三日の宿泊審議をおやりになった。その後で部会長メモというのが、これは公式な発表、文書になって出てきた。その中で言っておるわけでございますね。  それは、この個性主義とは個人の尊厳、個性の尊重、自由、自立、自己責任の原則の確立であるというぐあいに書いてあるわけです。その他いろいろございますけれども、要約すればそういうことだと思うのでございます。これはまた教育基本法の精神そのものであるというぐあいに書かれているわけです。そうすると、それじゃ自由化というのはどうなっちゃったのだ、その自由化を唱えておられた方も、それはそれでそのとおりなんだというぐあいにおっしゃったと、これも新聞の談話でございますけれども、そういうぐあいに書かれておりました。そうすると、自由化と個性主義というのは同じなんだというぐあいに目下のところ受け取らざるを得ないわけです。しかも個性主義というのが今申し上げたようなことであるならば、これは一つの考え方として、姿勢としてひとまず受け取って、それがどのように展開されていくのかというのはこれから個々のものを見ていかなければわからないのではないかということを感じます、臨教審に関して。  それから、さっき一斉指導、個別指導ということを個別学習というぐあいに申し上げたのですけれども、一斉指導というのは、これもまたいろいろな言い方があると思うのでございますけれども、やっぱりそれはだからといって右向け右と言って全部やるということではないわけで、ただ学級という一つの集団で学習を進めていくということだと思うのでございますね。だから、全部が画一になるということでは決してないと思うのでございます。そういう点に先生方は今までも非常に御苦労なさっているわけです。しかし、今度は子供が個々に、一人一人が課題を持って勉強していくということも当然あるわけでございます。そういうことをやりやすくするような条件というものをつくらなければいけないし、現にそういうことを一生懸命やったりしている学校もございますね。そのことが悪いわけではないわけで、そういう意味で個別に学習をして非常に個性的な学習を進めていくということは結構なことであろうというぐあいに思います。  ですから、いわゆる個別指導というのは先生が一人一人を丁寧に尊重しながら見ていく、そういう意味、指導の個別化というのはそういうことでございますし、それに応じてというか、それとはまた別の、子供の立場から個々が個性的な学習を進めていく、そういうぐあいに思っているわけです。ですから、学習の現場の教室の実像について申し上げたのであって、やや臨教審がいろいろ考えられる理念とはそこのところは違うということではないかと思います。  それから次の、私学助成の機関か個人かということで、これも短い時間で申し上げると非常にあれなのでございますけれども、これも考え方であって、やっぱり個人補助という考え方を一方において推し進めていく必要があるだろう、そのためにはそれに対応するような体制をとらなければいけないというのが奨学金に関して申し上げたことであるわけです。それから機関に関して傾斜配分というのをしたらそれはとても大変だという話がある。これにはやはり私はしかるべき審議機関と申しますか、さっき科研費のことを申し上げましたけれども、あれも学者のグループによってそれぞれのものが評価されているわけでございますね。しかるべきそうした第三者機関と申しますか、信頼のおけるそういうものができて、そしてやっていくということにしていかないと、全部を一律平等にかさ上げしていくということはもっとお金がかかることではないかというぐあいに思うということでございます。  それから、留学生の問題につきましてはまさにおっしゃるとおりでございまして、私も会館会館と申し上げて、そこに全部閉じ込めておけということでは決してないわけで、しかし初めて来ますとなかなか社会になじみにくい。それからできれば、例えば学徒援護会というのが寮というかを持っておりますけれども、そこなんかでもそこに外国人の留学生を入れたいというようなことを言っているわけです。そうすると、日本人の学生と外国人の学生が同じ寮にいるとか、そういうようなこともとりあえずは考えられますし、それから宿舎というものをもう少し広くとらえれば、それこそホームステーではございませんけれども、そうした民間のボランティア的なものも大いに呼びさましていかなければいけないのじゃないか、そういう意味で申し上げたので、おっしゃるとおりに、まさに日本人社会の中にどっぷりとつかってもらって、そして十分な交流を深める中でやっていけばより効果が上がる。  ただ、そこで、さっきちょっと余計なことを申し上げたのは、殊に八割が東南アジアからの学生さんなわけですけれども、そういう方たちに対して日本の社会にはまだまだ非常に偏見がある。つまり留学生というと西欧先進諸国の学生というぐあいに受け取ってしまって行動してしまうというような事例も私今までに幾つかぶつかっております。だから、そういう意味でやはり考えなければいけないところがあるのだろう、そういう意味で政治のというようなことを申し上げたわけでございます。  以上でございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 私、私学助成の問題で申し上げましたのは、私学助成をふやすのが大変だという意味で申し上げたのじゃなくて、私学助成をもっとふやすべきではないか、そうすることなしには傾斜配分というのはやっぱり難しいのではないでしょうかという、今のは大体ベースになる分ぐらいじゃないかなということで申し上げたんです。先生の御意見はよくわかりました。  たしか私、記憶違いかもしれませんけれども、楠山先生は文部省関係の審議会の委員をなさっておられるのではないかと思いますが、いろいろ文部省関係の審議会の委員等を御経験になりまして、今結局文部省の審議会とか文部省とかいうものでは教育の改革の問題というのは扱えないというような意見も強くなってきているわけなんですが、そういうものかなという気持ちが一方で私いたしております。先ほど教育改革に関して杉山先生の御質問にお答えになりまして、私お聞きしておりまして大変共感できる御意見を述べていただいたのでありますが、私の記憶違いでございましたらよろしゅうございますが、文部省の審議会に先生が参加されておりまして審議会というものをどういうふうに見ていらっしゃるか、その辺のところをもしよろしければちょっとお聞かせいただければと思います。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) お答えいたします。  文部省の審議会を幾つか知っております。一つは教育職員養成審議会。昨年、法案が出まして廃案になりましたけれども、あの審議にも参画いたしました。審議会というものが戦後さまざまな形でもって、どの省もいろいろな形で行われているというのは私も承知しておりますし、そしてそれはお役所がやることの隠れみのではないかというような批判も前からいろいろな形であると思うんです、審議会の性格によっていろいろだと思うのでございますけれども。しかし私は、いわば学者の先生方が大部分なわけでございますけれども、そういう御議論を聞いていて、やっぱりそれぞれの御意見があり、そして妥当なものが取り入れられていく要素があるなというぐあいには感じております。だから、見方はさまざまだと思いますけれども、それが有効に働くように役所ももちろんしなければいけませんし、それから第一にそこに連なっている者が努力をしなければいけないのだというぐあいに考えております。  それから、それだけでいいのかもしれませんが、一つ文部省だけではやれないものがあるのじゃないかということについて、まさにそういうところがいっぱいあるだろうと思います。その意味で私は内閣を挙げておやりになるということに、随分いろいろと中教審あるいは文部省の審議会があるじゃないか、そういうところでやればいいじゃないかという御議論もあったと思うんですけれども、とにかく臨教審がスタートしてやっている。これはやっぱりスタートした以上何とか生きるような形にしなければ、それこそ国費のむだ遣いになってしまうと思うのでございます。  そこで、私は一つだけ申し上げると、やっぱり幼稚園と保育所の問題というのは、これはまさに文部省だけじゃできないわけです。厚生省だけでもできないわけですね。そして、そこにはさまざまな、労働省にかかわるような問題も入ってくるかもしれない、いろいろあると思うのでございます。それから企業の方の問題とか、いろいろなものがかかわってくると思う。そういうことをやはり一つの内閣を挙げてというような審議会の場でもって存分にやっていただいて、その結論を出していただくということが必要だ。  現状はとにかく非常におかしなことである。実質的には同じような機能を持ちながら偏在をしている。しかも国からの手当ての仕方が全然違う。したがって父母負担が違うというその状況というのは、福祉と教育ということで機関の性質が違うことは十分承知しておりますけれども、その実際の状況ということを見ましたらば何としてもおかしい状況にあるわけですから、これを解決する方向に踏み出していただきたいというぐあいに、それはまた同時に国会という場でも大いに御検討いただきたいというぐあいに思うわけでございます。

久保亘日本社会党

○久保亘君 どうもありがとうございました。

高桑栄松公明党・国民会議

○高桑栄松君 それでは質問させていただきますが、順序に従いまして、まず最初に原先生にお願いをいたしたいと思います。お二人の先生、大変貴重な御意見を聞かせていただきましてありがとうございました。  原先生にですけれども、昭和六十年度の予算の中で一般会計の伸び率が三・七%で社会保障費の伸び率が二・七%と低く抑えられているという御指摘がございました。そこで、補助金一律カットのことですけれども、私はこれは地方自治体の責任者から直接聞いたことでごもっともだと思ったことは、この一律カットについて非公共部門、つまり社会保障関係などが特に地方自治体としてはカットできない、しかもその福祉サービスの相い手というのは地方自治体でございまして、市民と直結をしているのでどうしてもカットできない部分がある、それをカットされたのでは全額地方自治体の負担になってしまうようなものだ、本当に困っているというお話を伺いましたが、こういう必要不可欠なものまでカットするということはやはりこれは大変なことではないか、つまり福祉の軽視とか、さっき申し上げましたが、地方財政の圧迫というところにしわ寄せされているのではないか、こういったことについてのお考えをお伺いいたしたいと思います。これが第一点でございます。  第二点は、先ほど久保委員からも御質問があったのでダブってしまうかと思いますが、高齢化社会というものの到来は、日本の場合、人口問題の推計でいくと二十一世紀に入って間もなくだろうということのようで、つまり人口の定常状態になる、そういう時期まで十数年間あろうかということでしょうが、この間に、それでは、先ほどの短期決戦ではなくて中長期展望というふうに久保委員がおっしゃったのですが、一体どういう方向に向かって何をこれからなすべきであるかといったことを教えていただきたい。その間に負担の公平と給付の平等ということがいつでも言われているわけですが、それに対するお考えを、多分ダブっているように思いますが、そういったバランスについてのお考えを二番目にお伺いいたしたいと思います。  それから三番目でありますが、医療の問題がいろいろ出てまいりましたが、福祉ということの定義の中に、広辞苑によりますと二つございまして、一つは公的扶助による生活の安定、充足ということだったと思います。もう一つは、消極的ではありますが、生命の危機からの救いということで、生命の危機からの救い、これが健康に結びついているわけで、これはどんな人でも願っている。国民の世論調査を見ても、一番ウエートの高いのが健康でありたいということであります。  このことで医療保険制度の統合一本化ということが言われており、これを数年後に実施に移せるかということになっているやに聞いているわけですが、現在の医療保険制度がそれなりに理由があっても格差を生んでいるということは明らかでございます。本人一割負担という自助努力といったようなものでしょうか、今度施行されたわけですが、それでも既に本人の受診率が一〇%低下しているということがございまして、私は予防医学の立場からこれはゆゆしい問題だと思っておりますので、保険医療制度の一本化はまず格差をなくするという意味で言われているわけですが、先生のお考えを承りたいということと同時に、健やかに長生きをするという先ほどのお話に関連しまして予防医学、これが非常に重要ではないか。  私は実例として、これは予算委員会の総括質問でも私が質問の中で説明したんですが、北海道の鷹栖町、岩手県の沢内村、長野の佐久市、この辺で予防医学を実施することで医療費が事実低下したということがございます。私は今後の福祉の中で予防医学を推進すべきであるといつも主張しておりますが、これについての先生のお考えを承らしていただきたい、こういうことでございます。  次に、楠山先生にお伺いしたいのは、まず、これも私が前国会の予算委員会総括質問で総理大臣に質問をした点でございます。本気で教育改革に取り組むということであれば予算の裏づけがなければなるまい、四六答申では既に十年後の改革を目指してこれくらいの予算が要るということを出しております。私が大変不思議に思うのは、臨教審がこれほどのスピードでいろいろなことを提言が、中間でございますけれども出されている中で、財政の裏づけを事務的に検討するというような、一体そういう体制がないように私は思うものですから、不思議だなと思っているんで、先生が第三者としてこれはどうお考えか。四六答申の試算をもとにして考えると大変なことになるんじゃないか。試みに四六答申ですと、昭和五十五年で十三兆一千億と言っております。大変な額ではないかと思うんです。  二番目でございますが、日本育英会法の改正がございまして、有利子奨学金が導入されましたが、これは大変評判が悪くて、再再募集、再再再かなんかやっておりまして、現時点、きのう聞いた時点では枠に対して受領者が五六・七%でございます。これはどういったことか、あるいはこれはもはや受益者負担というのにたえられないということで、こういうことではだめだということを端的にあらわしているのかなといったようなことが思われます。このことについての御意見ですね。  三番目に、科研費、科学研究費。私は先生のおっしゃることに一〇〇%賛成でございまして、再確認みたいなもので、ひとつもう一遍御意見を承りたい。一つは採択課題が伸びていない、まことにごもっともだと思います。私も科研費の審査員なんかも何遍もいたしておりますのでよく存じておりますけれども、それは日本の科研費というものが成果をまず第一に目指すわけです。成果のないものは切られるということでございますので、どうしても安直に成果の出そうなものを目指す、でなければ研究費がもらえない。これではもう伸びるはずがないのですね。したがって、日本は応用の部分であちらこちらからパテントを買ってくるということになるのじゃないかと思うんです。  先生が指摘をされた、これを伸ばすには基礎研究でございますが、これは簡単に申しますと、日本とアメリカと西独を比較いたしますと、年次は今失礼さしていただきますが、日本は基礎研究に科研費の総額の一三・九%、アメリカは一二・三%、西独が一八・八%でございます。ところが、この基礎研究の中に占める政府出資が日本が五四%、アメリカ六八%、西独は八〇%です。断然違うんです。日本の政府が二十一世紀に向かって科学技術の面で世界をリードする立場になりたいとおっしゃるからには、むだな投資と思われるものが必要であります。そういうことで政府出資が基礎は対しては余りにも少ないのではないかということでございます。  どうぞよろしくお願いします。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) それでは簡単にお答えいたします。  第一点でございますが、補助金の一律カットのことでございます。これは、一つは政府として地方財政がやや好転したのじゃないかという、そういう判断が基礎にあったかと思いますけれども、こういうことはとんでもないことであって、一時的に好転いたしましても、この先どうなるかわからない側面は非常にあるわけであって、好転したときにはいいのですけども悪化した場合どうなるか。今お話しになりましたように、現在でも生活保護費なんかで非常に困っている自治体があるわけでございますから、そういうことも考えますと、かなり無茶なやり方ではなかろうか。ただツケ回しのようなやり方じゃないかと思っております。やはり何が重要かの論議をした上で、地方の財政事情を勘案しながらそれぞれ検討すべき問題だと考えております。  それから、第二点の定常状態と言われます状態はいかなる姿かというようなことだと思いますけれども、やはりこれからの社会、まず高齢者が多くなります。それを数が少なくなった若い人たちが支えていくということになります。現在七人に対して一人ぐらいの高齢者を支えておりますが、これがやがて四人に一人というぐあいになってくる。そういう社会になりますから、やはり何と申しましても、そういうふうに高齢者を支える人たちがそういう自覚を持っていかなる社会をつくっていくかということを考えていかなければいけない、結局は我々が社会をつくるという意識を持たなければいけないということでございます。その点での教育が非常に重要になってくるんじゃなかろうか。  これは慶応の安川先生の受け売りですけれども、例えば一人っ子と一人っ子が結婚いたしまして、両親が健在といたしますと四人の親を見る。その四人のまた親を見ますと八人になります。八人プラス四人ですから、親のまた親になると夫婦で十二人見なければいかぬ。健在ならばそういう状況になってきますね。そうなり得るんです。そして、みんなが公平に年をとりますから、そうなる可能性をみんな持っているわけなんです。それから、そのお子さんも、今度はおじさんおばさんがいない子供であって、いとこも存在しないような形になってきますから、全く新しい社会になっていく。そういう社会の中において、いかにみんなが健やかに年をとっていくかを考えていかなければいけない。これはやはり国とか何かということじゃなくて、国を含める社会全体を考える大きな課題でございましょう。そういう自覚を、あるいは認識をするための我々はやはり教育も非常に重要な課題であると考えております。  それから三番目のことでございますけれども、予防医学、非常に同感でございます。今日、先進諸国を見ますと、イタリアにしましても変えましたし、イギリスでは早くからこれは国民保健制度をつくっておりますから予防医学に徹しております。ですから、我が国もやがては指定医制度のように病気する前から医師を指定いたしまして、そして前からケアしていくという形、そういうふうにして病気になるのを防ぎますと医療費の過大になるのもある程度防げる可能性が出てくると私も考えております。  以上でございます。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) お答えいたします。  教育改革に関してお金の話が出てこないじゃないかというのは私も全く同感でございまして、実はそういう質問を委員の先生方に私随分しているのでございます。一つ私的なグループでございますけれども、天谷第一部会長をお呼びして伺ったときに、その席上で伺ったんですけれども、とにかく次の段階で、つまり第一次答申というのは六月ですか、ということで予定されていて、その次の段階でお金のことは考えるのだというぐあいなお答えでございました、それはたまたま私的な会合でございますけれども、私が知り得たこととして、お答えにならないかもしれませんけれども。ただ私も、全くいろいろなことが出てきても、実はお金がどうなるのか、どのくらいかかるか、それをなしには考えられないと思っております。ただ、同時に考えていくことはなかなか難しいのかもしれませんけれどもという気はありますけれども、そういうことでございます。  それから、有利子の奨学金についてでございますけれども、これはある程度今御指摘のように、初年度は五六・七%でございますか、大変振るわないではないかという、私はやっぱりこれ少し制度が発足するのが遅れましたね、法案がなかなか通らなくて。一般の奨学金にも影響したりした記憶があるのでございますけれども、まあとにかくそういったことがあって、何というのでしょうか、やや準備不足と申しますか、片方の方に受け入れ体制が十分結局歩調が合わなかったのじゃないかという感じがするのでございます。だから、もうちょっとこれは長い目でもって見ないと何かにわかに評価はできないのではないかというぐあいに思います。  それから、科研費のことはもういろいろ教えていただいて、むしろこちらからお礼を申し上げなければいけないということでございます。ただ私は、原現吉さんとおっしゃいましたか、文部省で科研費のことを長くもう科研費の虫のような形でおやりになっている、あの方の御著書を読みましたら、大正七年にこの制度は始まったんでございますね。何か当時総額がたしか十四万五千円ですか、その当時初任給が三十円か四十円だった、その時代に十四万五千円ということで始まったんだそうでございますけれども、いずれにしましても、制度としてもっともっとふくらんでいかなければならぬし、おっしゃるように十分な、できそうな者だけに与えられるということは、私、実情はよくわかりませんけれども、あってはならないことだというぐあいに考えます。  以上でございます。

内藤功日本共産党

○内藤功君 時間の関係で、楠山先生に一問だけお伺いいたしたいと思います。それはいわゆる受験産業の問題なんですね。小さい規模は学習塾から大きいものは全国規模でデラックスな建物を持っている、そういう受験産業の問題が今、教育界に少なからぬ影響を与えているわけですが、率直なところ、これをどう見るか。特に現状の認識、背景、今後に向けて検討すべき課題というものがあるのかどうかというような点をひとつ率直な御意見を承りたいと、こう思います。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) 私は基本的にはなくていい存在である、一番ぎりぎりに言ってしまえば、と思います。それは公的な学校が十分な機能をする状況にあればということでございます。ただ、なぜあれが栄えるかと言えば、片一方に受験という厳たる事実があって、それを突破しなければならない。その準備をしなければならない。また、それを十分に助けるということをかなり自由な立場からやり得る機関であるということで、今日の隆盛を見ているんだと思います。ですから、例えば共通一次というようなことを始めて、あれも準備段階でいろいろ考えていたことも、受験産業があれほど今日いろいろ言われるようなぐあいに敏速な対応は想定していなかったと思うんですね、あれを準備した人たちは。その結果としては今見るような状況になってきた。だから、受験産業が悪いという言い方は私はいたしません。いたしませんけれども、とにかく受験産業というか、今のああいうやり方が存在しますと、もろもろの改革というようなこともなかなか大変じゃないかと。  もう一つ、ですからそれをなくすると申しますか、少し和らげるためにはその今教育改革の中でしきりに言われている、それから現在実業界の方からも御提言などではしきりにそういうことが言われるようになったわけでございますけれども、企業の採用の仕方、基準といったようなものを改めなければならない、それが真っ先であるということを言っているわけでございますね。これはまさに聞くべきことであり、そのように実現されてほしいと思います。そうでないと、今見るような受験産業はなくならない。ただ、一般的に別の教育機関と申しますか、学習機関と申しますか、そういうものとして、いわゆる学校以外にそういうものが存在するということは、これはいろいろな形であり得るだろうと。  余りお答えになってないかもしれませんけれども、以上でございます。

伊藤郁男民社党・国民連合

○伊藤郁男君 原先生に一点、そして楠山先生に一点だけお伺いをいたします。  どの国も経験したことのない猛スピードの勢いで高齢化社会に日本は突入をしていくわけですが、そこで老人福祉対策ですが、これも元気な老人もおりますし、あるいは寝たきり老人もたくさん出てくる。痴呆性老人などという特殊な病気を持った老人も出てくるということになりますと、この老人福祉対策も一概にこれだということじゃなくて、さまざま異なった対策が必要になってくるのではないかと、こういうように思いますもので、そこら辺どのように先生お考えか。これが第一点です。  それから楠山先生、臨教審でさまざまな議論が今行われているわけですが、二十一世紀の人づくりにとりまして大変重要な問題だと思うんですが、ただ問題は、この臨教審の答申が出されたときに確実にこれが実行されていかなければ意味がないと思うんですね。四六答申も、もちろんその中で具体的に実現されたものもありますけれども、積み残されたものもたくさんあるわけですから、したがって、今度の教育改革に当たりましてそういうことのないように、その答申が確実に実行されるような何らかの機関のようなものを設ける必要があるのではないかというような意見もあるのですが、この点についての御意見をお伺いしておきたいと思います。  以上です。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) お答えいたします。  同感でございまして、老人といいましてもさまざまの年齢の方もおりますし、さまざまの能力をお持ちの方もいらっしゃいます。ですから、高齢者を例えば初老、中老、高老と分けるようなやり方もございますし、また働く意欲によって分けるやり方もございましょう。日本の場合には労働意欲率は非常に高いわけであって、アンケートの結果では八六%の六十五歳以上の高齢者が仕事があれば働くとおっしゃっている。そういうところを見ますと、これからは同じ所得保障にいたしましても雇用と組み合わせて行うというような形でいろいろ生きがいを感じながら年をとっていただくというようなシステムを考えることが筋だと考えております。  以上であります。

楠山三香男前サンケイ新聞論説委員

○公述人(楠山三香男君) 政策の継続性ということでは当然そうあるべきだというぐあいに私は考えます。つまり中曽根内閣のもとにこういうことの議が起こったということについてはいろいろな御意見もあるかもしれませんが、とにかく起こっていろいろやるわけでございます。そうすると、そこで考えるわけです。そして、ある程度のものが踏み出されるとしたならば、それが十分なフォローなしには、それこそ教育というものがおかしくなってしまうというぐあいに考えます。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 原先生にお伺いしたいのですが、先ほどお話にありましたぼけ老人の問題ですね。現在全国に五十五万ぐらいおるというのが将来百九十万ぐらいになるというふうな予想なんですけれども、私が東京都の老人研究所とか特養ホームなんかに行って受けた印象は、どうもその老人痴呆に対する医学の方が非常におくれているという感じがあるわけですね。したがいまして、将来そういうものに対する社会保障とか福祉とかいうものも非常に大事なんですけれども、むしろ今医学の方の研究は金を投じた方が将来国民経済的には非常に安く済むのじゃないかという気がするのですけれども、その辺先生のお考えをお伺いしたいと思います。

原豊青山学院大学教授

○公述人(原豊君) おっしゃるように原因究明が非常に重要だと思います。  現在わかっておりますのは、一つは年齢を原因としたものと病気を原因としたものと二つあるわけでございますね。ですから、病気した者はある程度の治療で沿っていく方向にはある程度できるわけですけれども、年齢の場合にはだめなんであって、そういう一応の原因究明した上で対応しなければ、ただ単にぼけ老人といった形で今言ったいろいろな制度をとることは問題があろうかと思います。ですから、これからやはりその辺のところを踏まえながらやっていくべきでしょうし、またそれを公的施設の中で受けとめていくか、あるいは在宅ケアで家族の温かい気持ちの中で受けとめていくか、いろいろやり方があろうかと考えております。  以上であります。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) どうもありがとうございました。 以上で社会保障及び教育に関する意見聴取は終了いたしました。  一言お礼を申し上げますが、原公述人及び楠山公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心から厚くお礼申し上げます。(拍手)  速記をとめてください。    〔午後二時四十九分速記中止〕    〔午後三時速記開始〕

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 速記を起こしてください。     ─────────────

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) 一言ごあいさつ申し上げます。  貝塚公述人、飯田公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。  本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、順次御意見を承りたいと存じます。  まず、税制につきまして貝塚公述人にお願いいたします。東京大学教授貝塚啓明君。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) ただいま御紹介にあずかりました貝塚でございます。  予算委員会に招かれまして大変光栄でございますが、私自身の税制に関します基本的な考え方をお話しいたしまして、皆様の御参考になればというふうに存じます。  最近、税制に関しましてはシャウプ勧告以来の抜本的な見直しということが盛んに言われております。政府の税制調査会の報告の中にもそういうことが書かれておりまして、私がきょうお話しいたしますことは、そういうことを中心にお話しいたしたいと存じます。細かい論点は省きまして大まかな話をさせていただきたいと存じます。  日本の税制は、戦後のシャウプ勧告というのが非常に重要な出発点でありました。シャウプ勧告というのは皆さんよく御存じのとおり、所得税を中心にして税制を組み立てて、所得税が最も公平な税制であるというふうに考えて勧告されたものであります。しかし昭和二十年代の後半に、このシャウプ勧告に基づく税制というのはほぼ骨抜きになりました。どういうところが骨抜きになったかと申しますと、資産所得ですね、利子とか配当にはほとんど税金がかからないという時期、完全に税金がかからない時期もありました。とにかく資産所得を軽課する、軽くかけるということになりまして、これはシャウプ勧告の基本的な方針と非常に違うわけであります。それからもう一つは企業税制で、投資優遇税制というものも昭和二十年代の後半から三十年代、四十年代の初めまでに盛んに行われるようになりまして、これは要するに法人税とか利潤に対する税金で特例をたくさん設けて投資促進をするということであります。  こういうわけで、シャウプ勧告が非常に骨抜きになりましたが、昭和四十年代に入りまして不公平税制の是正ということが盛んに言われるようになりました。私の見るところでは、この考え方はシャウプ勧告へ戻るという考え方に基本的に沿っているというふうに思われるわけです。現在の税制のあり方、あるいは今後の長期的な税制のあり方を考えます場合に、問題は、ここで率直に申し上げれば、シャウプ勧告へ戻るのが賢明であるか、それとももう少し別の方向を考えるのが望ましいかというところに日本の税制は来ているということであります。税制の問題を考えます場合には、私が考えますところではやはり社会、経済の変化に応じて税制もまた変わっていくのが自然だというふうに思います。税制というものを余り固定して、こうでなくてはならないというふうに考えて税制を決めて、そしてそれを長い間維持するということになりますと、やはり経済、社会の発展とそぐわない面が出てまいりまして、いろんなギャップが生じて、マイナス面が生じてくるということだと思います。  その点についてここで多少申し上げますと、最近の昭和四十年代以降の日本の経済あるいは社会の中で、私どもが見ておりまして変わってきたところというのは、今後も変わるであろうという新しい傾向がありまして、それは言うまでもなく一つは政府の支出がふえていくということであります。ということは、租税負担率が上がっていくということであります。税制はそのままにしておいても経済成長があれば、所得税は累進税率でありますのでだんだんだんだん税金は重くなる、そういう傾向が続いております。今後も恐らくこの傾向は続く。年金なんかは赤字になりますでしょうし、高齢化社会を迎えてますますその傾向は強くなるということであります。  それから二番目は、恐らく戦後の初期と違いまして現在の日本が大きく変わった点は、所得がかなり平準化したということであります。サラリーマンを中心にして考えていただければ、中間のところにたくさんの人がおりまして、もちろん非常に生活に困っておる方もおられるわけですが、しかし日本の社会はほかの先進国の経済と比べますとやはり中間にたくさんの人々が集まって、所得で見てもそういう形になっておりまして、所得はかなり平等化したということであります。  それから三番目に、これは生活水準が上がりましてどういうことになったかといいますと、皆さんある程度資産といいますか、貯蓄をして財産を持つようになって、そしてその財産を運用する、どのように運用したらいいかということについて皆さん非常に知識もふえて、いろいろなことを考えるようになったということであります。例えば金利がちょっとでも高いものを選んで資産を運用する。恐らく十年ぐらい前まではそういうことは余りありませんでした。ですから、平たく言えば今の金融機関というのは大変でありまして、そういうお客さんを集めるために一生懸命いろいろな新商品をつくっておりますが、とにかく資産の水準が上がって、いろいろな、最も有利な形に資産を運用しようとする人々が非常にふえたわけであります。そういうことがございます。  それから四番目に、これは先ほどちょっと申し上げましたが、高齢化社会に日本は急速に近づくということでありますから、だんだんだんだん人人の考え方が変わってくるといいますか、恐らく今から十年か二十年前までは割合と皆さんいろいろ生活設計を考える場合に、期間の長さというのは割と短かった。要するにどこまでの時点を考えて自分の生活設計をするかということは、恐らく高度成長期でありましたから将来は大丈夫と考えて余り先のことは考えないというのが普通であったかもしれませんが、今やそういうことではありませんで、やっぱり定年になった先のことも考えて生活設計をする。ですから、やはりそこのところで考え方が随分変わってきて、結果として何といいますか、行動といいますか、人々の経済における動きも変わってきたということであります。  こういうふうな変化を踏まえまして一体税制はどういうふうにあるべきかという問題が次に重要なことになるわけですが、私は率直に言わせていただければ、やはり従来の所得税中心主義の考え方は限界に来たということが重要なことではないかと思います。これが要するに今後の税制の問題を考える場合の基本的なやはり判断を要する点でないかというふうに思います。  この傾向は諸外国でも、特にイギリス、アメリカでははっきりしておりまして、御存じのように特にアメリカはそうなのでありますが、アメリカは、シャウプ勧告というのはアメリカの大学教授であるシャウプ先生が来られて勧告されたわけでありますが、アメリカは昔から非常に所得税を中心にするという考え方が強くあります。しかも包括的にというんですか何といいますか、シャウプ勧告に書いてあるような所得税が一番いい所得税であって、それを実現していくのが税制改革の目標であるというのが恐らく一九七〇年ぐらいまでのアメリカの考え方でありました。現在でも年配のアメリカの先生方に話を聞きますと、シャウプ先生は依然として所得税を推奨されております。しかし、若手の四十代以下あるいは四十代の財政学者に聞きますと、いや所得税はもう問題があるというふうに言われる人が非常にふえてきております。ですから従来のアメリカのような、所得税が非常にいい税金であって、これでやっていけば大丈夫であるという考え方はかなり揺らいでいるわけです。そういうことがございます。日本もある意味でそういうふうなことが徐々に見られつつあるということを以下お話ししたいと思います。  最初に現在の社会が変わってきたというところで、政府支出が非常にふえたということを申し上げましたが、その反面として租税負担率というものが上がってきております。租税負担率というのは、所得税で考えますと累進税制をとっておりますので、所得が上がると税金は重くなる。しかも平たく言いますと、一万円余分に稼いだときにかかる税金ですね、これがたんだんだんだん非常に高くなってくる。現在普通のサラリーマンを考えてみても、所得税がありまして、それプラス住民税があります。そうすると、全体の平均の負担はそう重いものではありませんけれども、限界ですね、一万円余分に稼いだときにどれだけ税金がかかるかというのは、住民税を合わせると恐らく二〇%は超しているでしょう、そして三〇%近い。経済学者からながめると、そこの税率が上がるということが大変問題であります。そういうことがあります。  ですから、そこの税率が上がってくると、普通これを限界税率と呼んでおりますが、そういう税率が上がっていくと、人々は節税に熱心になるということは当然です。一〇%の税率よりも三〇%であれば、なるべく合法的に税金がかからないようにするという形で、そういうふうに行動することになります。そういうことで税負担が重くなると、いろいろ所得税は課税が、平たく言えば課税当局の側から見れば税金がかけにくくなるというのは、これは別は当たり前のことであります。そういうことが徐々に起きてきているということです。それから、所得が平準化したということを申し上げましたが、この点が恐らく日本の現在の累進税率をどういうふうに考えるかということと関連しておりまして、現在の日本の所得税の累進度というのは非常に高い、最高税率はたしか七五%になっております。こういう税率は、確かに制度として見れば、非常に累進度が高くて立派な税金だというふうにお考えになるかもしれませんけれども、何というんでしょうか、実際に高い税率を払っている人がどれだけ世の中にいるかということになりますと、所得税というものはいろんな穴がございますので、要するに所得の高い人ほど当たり前のことでありますが節税を一生懸命やる、ですから、なるべく高い税率がかからないような方向に自分の経済の活動といいますか、そういうことをやっていくわけです。ですから本当に、何というんでしょうか、そういう高い税率で税金を払っている人がどれだけいるかということになると、これはかなり問題であります。ですから、その辺のところは何といいましょうか、税金の負担が上がりますと、累進度というものが税率の表に書いてあるほど実質的に大きな意味があるかどうかというのは疑問になってきているということを、特に所得が平準化している場合にはそういうことになるということを申し上げたいと思います。  それから、あとは要するに資産選択が非常にいろいろ敏感になっているということを申し上げました。これは高齢化社会ということと非常に対応しておりますが、昔であれば、例えば次のようなことですが、非常に単純に申しますと、貯金をしている人がどういう貯金の仕方をしているかといったら、郵便局で預けているか、銀行で定期預金を預けているかどっちかであります。両方大変競争しているわけですが、その場合、税金から見ると非常に話は単純なのですね、要するに百万円の預金がありました、定期預金の金利は年利六%であります、そうすると、その人のその預金に関する所得はもう六%の金利でありまして、六万円というんですか、この人の所得はこれだけでありますということは非常に明確に決まります。ところが今の金融資産というのは非常に複雑でして、ある金融資産を持てば、兜町で値段がついていれば値段が動きます。そうすると、値段が上がれば元来はその人はどうも所得がふえたというふうに所得税では考えるわけです。  それから、厄介なことには年金とか保険とかいうのがありまして、これは要するに会社が運営しているわけでして、信託ですか、そうしますと、例えば年金なら私的年金をとりますと、その会社が運営しておりまして、元来は保険をかけた人にこれは資産として帰属しているものなんですけれども、ですから年金を持っていれば元来はやっぱり利子みたいなものが発生しているわけですが、それを最初掛金をかけた人の段階へ戻して、これはこれだけの税金が発生すべき所得であるということを客観的に決めることが非常に難しい。ですから、平たく言いますと今の金融資産というのは非常に多様化して、そこをまた逆に金融機関とか、あるいは銀行の方が知恵を絞っておられるわけですが、要するに所得税がうまく公平にかけられるようにするには大変難しいいろいろな問題が発生しているということであります。ですから、そこで仮に非常に高い税率を利子なら利子所得にかけますとどうなるかといったら、税金の軽い方にみんな動いてしまう。昔であればそういうことはなかったわけですけど、そういうことになってきております。  以上申し上げましたようなことからおわかりになりますように、シャウプ勧告とか、あるいはそれ以降しばらくの間日本の経済を念頭に置きますと、今から二十年ぐらい前に考えられていた所得税はこういうふうにかければうまくいくという所得税の考え方は、今どこで一番困難な状況に立ち至っているかというと、資産所得を本当に公平にかけられるか、利子とかいろんな複雑な金融資産がありまして、それを公平にかけられるか。しかも総合所得で考えますと、その場合利子所得の多い人にはかなり高率に税率をかけなくちゃいかぬのですが、果たして本当にうまくかけられるかというところで問題が生じてきております。実態は、ありていに申しますと、私が最初申し上げましたように、やはりなかなかそこのところはうまく、税金を非常に高く負担すべき人々は、合理的に考えて、やっぱり穴がたくさんあればその負担の低い方向にどんどん資産を運用するわけですね。これは何も悪いことじゃなくて、経済的に合理的にやっているからそうなる。ですから、せっかく高い税率をつくっておいても、本当にどの程度払ってくれるだろうかという問題が所得税には相当程度起きてきているということになります。  以上申し上げたことから私が最終的に申し上げたいことは、やはり所得税というのはなかなか難しいところへ来ておりまして、資産所得を公平にうまく課税するとすれば、恐らくあり得るやり方は、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、割合と低率に一律にかけるならば皆さんうまく払っていただけるだろうということなんですね。そういうところで従来とは違いまして、累進度を高くすればいいんだ、総合所得にすればするほどいいんだということはやっぱり実態と合わない。別の言葉で申し上げますと、税制は水平的な公平を満たす必要がある。水平的というのは、同じ所得を得ている人は同じ税金を支払うという公平であります。垂直的公平というのは、その上に立って今度は所得の高い人は重い税負担をということが垂直的公平でありますが、今の税制というのはこれほど税率が上がってくると、水平的公平を満たすということがなかなか難しい。そうでないとしたときに、今度は幾ら累進税率表の高いのを置いておいても、これはちょっと極端に言えば下手をすると絵にかいたもちになるんじゃないか。  ですから、そこのところを考えていただいて、やはり税率はある程度低くても、広く税金を取って、そしてもちろんその場合に当然低所得者の方方がありますから、そういう人々に対しては、具体的には恐らく生活保護とかそういうところでいろいろな、これは余り申し上げる余裕はございませんでしたけれども、例えば将来付加価値税型の、これは国会で大問題になっておりますが、付加価値税型の税金を入れたときにはやはり低所得者の方にはある種のマイナスがあることははっきりしておりますから、それは例えば生活保護の基準の中に入れ込んで新しく生活保護の基準を上げるとか、いろいろな細かい手段は当然あると思いますが、そういう配慮は必要でありますが、全体的に言えばそういうことで、低い税率でもいいから広くとって、そして実質的な公平を目指す方が今後の日本の税制のあり方としては重要ではないか、日本の多くのサラリーマンを中心とする平均的な家計の担い手にとっては、その方がむしろ今の税制よりも公平であるという面の方が強いのではないかというふうに考えております。  それからもう一つは、ちょっとだけ申し上げておきたいのは、消費ということに対して、非常に日本では消費にかけるのは悪税であると言われておりますが、私自身は、現在の日本の所得税というのは所得で余りきっちりかかっておりませんので、本当は、消費と所得というふうに並べますと、所得と消費の真ん中ぐらいのところにある、あいまいもこといいますか、所得税から見ると資産所得はかかっておりません。逆に言うと、賃金だけに税金がかかっているような感じですね。それは実を言うと、割と消費に近いのでありますが、ですから日本の税制というのは所得と消費と両方のちょうど真ん中ぐらいにありまして、これからどっちを選ぶかということは、そこのところをよく考えて、所得税の方の循環というのですか、もとへ戻るということを考えますと、はっきりとした難関がありますので、消費にかけても私自身はそれほど、先ほど言いましたように、生活保護の方にはいろいろな配慮をする必要はありますけれども、消費にかければそれはすなわら悪税であるというふうには考えておりません。そういう点も考慮をしていただきまして、所得税の限界を踏まえて、所得税の減税をして、そのかわりに消費税を入れることには私は基本的には賛成でございます。  以上で私の意見を述べさせていただきました。お聞きいただきまして感謝いたします。(拍手)

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  それでは次に、対外経済摩擦問題につきまして、飯田公述人にお願いいたします。名古屋大学教授飯田経夫君。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) 御紹介いただきました飯田でございます。  日本は、輸出が多過ぎて輸入が少な過ぎるためにしばしば貿易摩擦、経済摩擦を起こすわけでございます。なぜこういうことが起こるかについて、正しい意見、正しくない意見を含めてさまざまな意見、説明がございます。単純な誤解、間違った考え方もあって、例えば、外国人に今でも日本の通産省は幾ら輸出補助金を出しているのかというようなことを聞かれますが、これは言うまでもなくゼロである。それから日本の通貨当局が、輸出を促進し輸入を抑えるために為替レート、円のレートを意識的に安くしているのではないかということを言われますが、これもノーであります。そういう単純な誤解は、私が思いますのに、事情通の人の間では最近減ってきていると思います。しかし単純な誤解でない説明が幾つかあります。以下、六つに分けて、それがおのおのどの程度正しいか、どの程度重要であるかについて私の意見を申し上げまして、御参考になれば幸いだと思います。  まず第一番目が市場の閉鎖性でありますが、市場の閉鎖性のうち、目に見える障壁、つまり関税障壁については、今日本の関税は先進国で最も低いということです。それから輸入の割り当て制といいますか、量的制限についても、工業製品はゼロに近い。農産物は若干あります。ですから関税障壁とか量的制限、目に見える障壁は世界で一番低い。ということは、十分市場は開放的だと思います。問題は、目に見えない障壁、つまり非関税障壁であります。目に見えない障壁ですから非常に論じにくいけれども、一番最近問題になっている商品の基準の問題、その検査の問題について申し上げます。  よく言われるのは、日本が物を輸入するときに商品の基準が厳し過ぎる、その検査が厳し過ぎ、時間がかかり過ぎる、こういう意見がございます。私は、これはある程度本当ではないかと思います。ただ重要なことは、これは輸入に対する差別ではなくて、国内製品も同じ基準を満たさなければいけないということは指摘できると思います。  それでは、しかしなぜこれほど基準が厳しく検査が厳しいかというと、恐らく消費者の好みがあると思います。日本の消費者というのは世界で一番口やかましい。例えば衛生とか安全の問題についても非常に厳しいので、政府としてはその国民の意向を尊重せざるを得ないということです。しかし、これが国際的に見ると、日本の消費者あるいはそれの意向を受けてやっている日本の政府は完全主義者過ぎるということだろうと思うんですね。ですから、国際化ということは、日本の消費者の余りにも完璧な完全主義を若干緩めるということを意味するのかもしれないと思います。  ただ、この非関税障壁の問題は別の角度からも考えられるわけでして、英語にレッドテープという言葉がありますように、官僚機構のしゃくし定規というのは日本だけでなくて万国共通の現象であるわけです。しかも、Aという国の設ける基準及びその検査の方法と、Bという国が設ける基準及びその検査の方法が違っているのは当然のことだと思います。そうすると、Aという国がBという国に輸出しようとするときには、Bという国のいろいろな習慣、消費者の好み等々を調べて尊重する努力をある程度やらざるを得ないわけです。日本の場合はこの努力を非常によくやっている。アメリカ及び西ヨーロッパ諸国の側では、日本市場についてこういう努力を日本ほど一生懸命にはやっていないという側面は明らかにあるというふうに私は考えます。  以上が市場の閉鎖性についての問題です。  この市場の閉鎖性を論じますと、やや議論があいまいもことして神秘的になる傾向があります。そのときによく使う言葉が文化、文化的要因だということです。かつてアメリカのある政府高官が、日本市場の非関税障壁の主たるものは日本人が日本語をしゃべるという事実だと言ったことがある。これは恐らくその人が虫の居どころが悪かったときについ漏らした失言だと思いますが、こういうようなことが文化という言葉で論じられるわけですね。  それから、アメリカの国会議員の先生方がチームを組んでよく日本へ調査に来られて、幾つかレポートが出ております。有名なのは第一次、第二次ジョーンズ・レポートというのですが、その系列にギボンズ・レポートというのがあって、これは八一年末に出ておりますが、その一節に、日本人あるいは日本の市場には、身内、自分と非常に近い人たち以外とは取引したくないという非常に強い文化的傾向があるということが書いてあります。私はこういうことを言われるときにどういう反論をするかといいますと、外国人にこういうことを言われたときに、そういうことを言うんだったら、例えばニューヨークやパリの日本人観光客の様子を見てごらんなさい、ろくろく見物もせずに土産物屋で買い物ばかりしているではありませんか、彼らはほとんど英語をしゃべれない、英語はしゃべれないけれども輸入に対してあれほど熱意を持っているんだというふうに言っているわけでございます。ですから私は、文化的要因ということを不当にあるいは安易に使うと変な議論になるという印象を持っております。  同じくギボンズ・レポート、これは八一年末に出ておりますが、これは大変注目すべきことですけれども、大変フェアなことを言っている一節もございまして、そこでは、工業製品に関する限りは日本の市場は今や——今やというのは八一年の段階でですね、今や大多数のアメリカ人が考えているよりもはるかに開放的である。その意味は、アメリカ人はもっと日本のことを文句言うかわりに輸出努力しろという意味ですね。これは大変フェアなことを言っております。  以上が工業製品についてでありますが、三番目の問題は農産物であります。  農産物について日本が大変輸入の量的制限等々でかなりの輸入の壁を設けていることは事実でありますが、私は消費者としてはそういう障壁は低めるべきだと思いますけれども、他方、客観的に見て、農業について保護的なことをやっていない国は世界じゅうどこにもないということもまた事実であるということでありまして、農業というのは大変難しい産業だということは言わざるを得ないのではないかと思います。  ただ私、例えばオレンジとか牛肉がしょっちゅう問題になるときに、非常に不幸なことだと思いますのは、オレンジ、牛肉論争が燃え盛りますと、まさに日米経済関係の根幹を揺るがしかねない大問題であるかの大声が日米両側で叫ばれる。これは当事者の方が大きな声を上げられる。しかし、仮に牛肉なりオレンジなりを完全に輸入自由化したって、せいぜい数億ドル輸入がふえるにすぎない。日本の八四年度、昨年度の経常収支の黒字は、御承知のように三百億ドルをかなり超えるところまでいっております。そうすると、これほど小さな問題がこれほど大きく騒がれて、事情通はそれでよろしいのですが、余り事情通でない一般の人たちに、例えばアメリカの庶民、アメリカの大衆に日本はそれほど輸入に対して障壁の高い国であるかという、何といいましょうか、誇張されたイメージを与えるというマイナス、その結果日本が国としてかなり多くを失っているということもまた事実であって、この辺どうやっていくか大変難しいことだと思います。  以上が農産物でありますが、次に、恐らく予算と一番関係のあります総需要の問題について申し上げます。  よく日米あるいはヨーロッパ各地で言われることは、日本の貿易あるいは経常黒字が大き過ぎるのは日本の成長率が低過ぎるためである。それは日本が財政金融で経済の成長を抑え過ぎているためである。こういう認識に立ちますと、日本の貿易経常黒字を減らすためには、例えば大型予算を組み、あるいは金融を緩めて成長率を高めるべきである、こういう意見になります。これは私は次のように考えます。  こういう議論をするのは大体ケインジアンだと思いますが、ケインジアンがこういう議論をいたしますと、必ず大蔵省は、これだけ大きな財政赤字を抱えて財政再建に困っているときにとてもやれるかと言って水かけ論になります。私は水かけ論とやや距離を置いたところでこの総需要の問題は大したことはないということを申し上げたいわけです。  簡単な計算をやってみますと、これは本当に小学校の子供の算術ですが、昨年度出ました三百何十億ドルの黒字を、経常黒字をもしゼロにするということをやったとしたら、昨年度の日本経済は名目成長率が三〇%もしくはそれ以上であるという計算になります。いわゆる潜在成長率というのは五%ぐらいでありますから、三〇%の名目成長をやったら二五%分はインフレだということです。大インフレを起こしてやっと黒字がなくなるということでありまして、ですから総需要刺激策というのは、何といいましょうか、質的な観点といいましょうか、矢印の方向としては確かにいい方向ではあるけれども、矢印の長さですね、効果の大きさが取るに足りないというふうに考えるべきではないだろうかと思います。したがって、これも総需要の問題も決め手にはならないわけでございます。  次に、為替レートの問題、五番目に為替レートの問題を考えてみたいと思います。  貿易の統計を見てみますと、日本の貿易収支、経常収支が黒字基調になったのは、御承知のように、一九六〇年代半ばからで昭和四十年不況が終わって以降であります。それ以後ほぼ二十年間日本の貿易経常収支は黒字基調であり、しかもオイルショック等の突発要因を取り除いてみると、黒字基調であるばかりか、黒字幅がどんどん大きくなる趨勢にあるということが統計数字からすぐわかります。しかも、その途中に二回のオイルショックがあって大変な輸入増の要因であったのに、オイルショックのあった二回とも、オイルショックの次の年は経常収支が赤字になっているけれども、二年目からはもう黒字に戻っている、ごういうことであります。それが六〇年代半ばからの傾向ですけれども、その途中で、御承知のように、七一年にニクソンショックで世界的に為替レートの大調整が行われて一ドル三百六十円が三百八円になりました。それから七三年の二月から三月にかけての国際通貨不安で、御承知のように、それまでの固定為替レート制がだめになって変動為替レートになったわけであります。そうしますと、その変動為替レート制を導入する前には、エコノミストを中心にして多くの人は為替を変動させれば簡単に問題は解決するというふうに考えていた節がございます。したがって、もしある国の貿易が黒字になればその国の通貨は高くなり、したがって、輸出の価格を高くしなければいけないから輸出が抑えられる、輸入品が安くなるから輸入がふえるだろう、そうすると黒字はなくなるだろうということで、ミルトン・フリードマンという有名な学者に至っては、変動為替レート制にすればどの国も貿易のファイナンスをするために外貨準備を持つ必要は一切ないということまで言っているわけですね。ところが、実際に変動為替レートにしてみましたところが思ったほどに効果がないわけでございます。もちろん固定為替レートに戻ることはとても不可能ですけれども、変動為替レートにしたらうまくいくという楽観諭が大変裏切られたということだと思います。  日本の場合、特に一九七〇年代の終わりまでは、日本の場合だけではなくて、要するに外国為替市場が一九七〇年代終わりまではほぼ各国の経常収支の状況を反映して動いたというふうに考えられます。したがって、日本は経常収支が黒字基調にあったので円がどんどん高くなっていった。それにもかかわらず日本の貿易の黒字基調は一向に弱くならなかったということが言えます。ですから、貿易摩擦、経済摩擦の問題は、こうやればいいという簡単な処方せんがない問題だというふうに私は考えております。  それでは一体なぜこういうことになるかということを、これは六番目の点として私の意見を申し上げますと、為替レートが動いて輸出価格、輸入価格が動いたときに、その結果として輸出入が敏感に反応するためには、日本でつくっているものと容易に取りかえがきくものが外国でもつくられていなければいけない。容易に取りかえがきくというのは、経済学の難しい言葉で言うと、代替可能性が高いという言葉で言うのですけれども、要するに全く同じようなもの。ところが例えばAという国とBという国が同じような自動車を同じような値段でつくっていたとしても、それは容易に取りかえがきくということにはならないわけでございます。というのは、もしA国がB国に比べてその自動車が仕上げがよくて故障しにくくて、しかもデリバリー——配達が大変正確である、あるいはアフターサービスがいいということになりますと、同じような値段で同じような車というだけでは取りかえがきかない。ですから、そういう日本製品が非常にいいために、同じようなものが外国にあっても日本製品となかなか取りかえがきかないという現象がこの二、三十年起こっているというふうに私は考えております。  そでれは一体なぜそういうことが起こったかといいますと、これは私自身の仮説でございますけれども、この二、三十年日本の競争相手である西側先進諸国で人々が非常に豊かになった。失業と飢えの恐怖がなくなったわけです。失業と飢えの恐怖があるときにはいや応なく必死になって働きますが、豊かになると働かなくなった。特に私がよく使う言葉で言うと、平の人たちのレベルというように言うのですが、要するにメーカーで言いますと、本社管理部門でなくて工場で、工場でもオフィスでなくて現場で人々がきちんと仕事をしなくなったということがあるのだろう。どういう理由か知りませんが、少なくともこれまでのところは日本はそうなっていないということです。これは別の言葉で言うと、先進国病にほかの先進国はかかって、日本はかかっていない、こういうことだろうと思います。これがある限り貿易摩擦は残るだろう。ですから貿易摩擦とともに生きる工夫をせざるを得ない。それは恐らく決め手はなくて、何といいましょうか、あらゆるやれそうなことを少しずつやって、継ぎはぎみたいな政策かもしれないけれども、何とかしてしのいでいくという以外に手はないのではないかと思います。  現に日本は資本輸出国になっております。つまりそれほど根強い貿易の黒字がございますから、貿易で稼いだ外貨をどんどんと外国へ投資していくということで、昨年の通産省の通商白書及び経済企画庁の経済白書、両白書がついに日本は資本輸出国になったということを認めました。政府の白書が認めるというのはよほど自信があって認めるはずでありまして、慎重でありますからやっと認めた。私はもうかなり前からそうではないかと思っております。これは歴史的に見ますと、どの国でも発展のある段階では経験することでありまして、イギリスの十九世紀は多量の資本輸出をやっている。それからアメリカの第二次大戦前及び第二次大戦後のしばらくの間、これも同じであります。大体その国の一番勃興期、経済が勢いを得たときにはそういうことが起こる。日本がその段階へ来たのではないかと思います。  幸いなことに、例えば発展途上国からは日本の経済協力に対してもっとやれという要求がありますし、それから先進国も含めてどこの国へ参りましても日本の企業がなぜ来てくれないんだという強い要望がございます。ですから、ここのところに一つの突破口があると思います。ただ、私が思いますのに、そういうことでしのいでいくためには農業等も含めて、非常につらいんですけれども、やはり日本の市場の開放を徹底的にやらざるを得ない。つまり、私は、初めの方で申し上げましたように、日本の市場は現在既にそれほど閉鎖的ではないわけですが、そういうことでは通用しないわけですから、どの国にも増して徹底的な市場開放をやらざるを得ないのではないかというふうに考えます。  最後に、あとほとんど時間がなくなりましたが、八〇年代に入ってからの状況を申し上げますと、大変厄介な状況でございまして、御承知のようにアメリカの高金利のためにアメリカが史上空前の貿易赤字、昨年度一千億ドルを超える大赤字を出しながらドル高になっているということです。ドル高になりますと日本の対米輸出が促進され、アメリカからの輸入が抑えられますから、アメリカの財政赤字を原因とする異常な高金利のおかげで、日本の責任でなくて日本の貿易経常収支が大きくなり過ぎてしまっている。そのことが貿易摩擦を非常に深刻にしている。これはアメリカに何か考え直してもらいたいということでございます。  ありがとうございました。(拍手)

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行いますが、質疑のある方は順次御発言を願います。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 まず、貝塚先生にお尋ねをいたしたいと思いますが、先生は最近ロンドンから研究課程を終えられましてお帰りになったそうでございます。先ほど先生から税制につきましての基本的なお考えを伺ったわけでございますけれども、国内では極めて税制につきましての百家争鳴でございます。その印象につきまして先生のおとりになりましたことをひとつお伺いしてみたい、こう思いますがいかがでございますか。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) 私、しばらく、一年近くロンドンにおりまして、ただ何というんでしょうか、イギリスの政治というものは非常に百家争鳴でございまして、物すごい対立がありまして、むしろ対立しているのが当たり前というのがイギリスでございまして、日本は確かに税制についてはいろいろ議論がございますけれども、私自身は、何というのでしょうか、少しイギリスぼけしたと言うとしかられるわけですが、イギリス病にかかった人間から見ますと、日本の全体の世の中の議論というものはやっぱり建前と本音というものがいつも両方ありまして、建前はかなり違っているが本音は余り違っていない。イギリスは建前も本音も違っているというふうな印象がありまして、どうもその点で言いますと確かに税制については非常に対立があるということは私は存じておりますし、確かに私が先ほど申し上げたような、例えば所得税がいい税金か、消費税がいい税金かというのは、これはそのとおり対立がございます。しかし、もうちょっと先のところで、じゃ、所得税が今の所得税で非常にいいかというふうに議論しますと、いやいやそうではないと言われる方がたくさんありまして、その話をちょっと先へ詰めていきますと、じゃ消費というものにかけても別におかしくないんじゃないかという判断も成立する、そういうふうな印象を持っているということだけ申し上げます。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ただいま先生は、印象として建前か本音か、税制問題が極めて議論される中で政府といたしましてもなかなか本音が出てこないというところにあろうかと思います。したがいまして、先ほど先生がシャウプ税制、いわゆるシャウプ勧告についての御見解をお話しになったわけでございますが、御案内のとおり議論の中で、目下シャウプを根幹とする税制は、先生も所得税を中心とする税制については限界があるのではないか、その限界に来ているのではないか、そのような御見解でもございますが、したがいましてシャウプ勧告にありますシャウプ税制についてはややもうここで骨抜きになっている、したがって見直すべきではないのかという見識がございます。  それからもう一つは、やはり先生先ほどお触れになりましたが、シャウプ税制に戻ってはどうかという見識もございます。それからまた、もう一つは、国情に合った、また経済に合った形の中で税制を抜本的に見直すべきではないかという見識もございます。先生のお考えは伺ったわけでございますが、このシャウプ勧告につきましてもう少し、この三つの見解が今日台頭しているわけでございますけれども、このことにつきまして改めてひとつ御見解をいただければと、かように存ずるところでございます。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) シャウプ勧告につきましてはこれは非常に立派な勧告であったと思います。シャウプ勧告というのは、私は、その当時の話でありますが、今もうシャウプ先生はたしか八十ぐらいになると思いますが、当時のアメリカの若い財政学者が、何といいますか、当時のアメリカ的な常識において一番公平な税制を、アメリカではできない税制を日本でやろうとしたということであります。そういうふうな税制でありますので、そういう意味では所得税の立場から見ると非常にすっきりしておりますが、私が申し上げたいことは、先ほど三つの観点を申し上げましたが、私自身は、やはりシャウプ勧告というものの基礎にしている税制というものは今時代の変遷とともに限界に来ている。ですから非常に単純に申しますと、所得税というものはこれ以上増税することは困難であって、せいぜいのところ現状維持、現状でもあるいは無理かもしれないということであります。ということは累進度が高くなる。ですからその部分は、何といいますか、所得税というのはそのまま残しておいて、しかし今後は財政支出が非常にふえる部分に関して言えば、新しく税源を求める以外に平たく言えば手がないではないか。ですから既存の、何といいますか、昭和三十年代ぐらいまでの日本の財政を賄う税金としては大体所得税あるいは法人税でも結構であります。しかし、それ以上突破したところについてはそのままのやり方で、より公平、より何というのでしょうか、総合所得で非常に累進度を高めていくというふうなことをやればかえってむしろマイナスになる。所得税というのはやはり人々の信認といいますか、所得税はやっぱり公平な税金であるということが非常に重要であります。公平ということは皆さんよく、もうある程度はおわかりになっているはずであって、ただ税金の効率を見れば非常に公平になっていますということでは皆さん満足しないわけですね。要するに、実質的に公平になっているか。だから所得税というのは確かにそのとおり税制としては立派であるけれども、それを実質的な公平を満たすような形にうまく保てるようなところに置いておいて、それはもうしかしそろそろ限度に来ているんだ、だからしたがって別の税金を考える状況に来ていて、私自身は抜本的と言っても、所得税そのものをやめてしまえなんというような、そんな意見は毛頭持っておりません。所得税というのはやはり基本の税金であることは間違いありません。しかし、それは限界があって、せいぜいのところ、平たく言えば恐らく昭和四十年代の初めぐらいの負担のところでとめて、それ以上やると、実際には今それ以上になっているわけですが、そういたしますとアングラマネーとか、いろいろなものが起きるわけですね。実際に起きているということは所得税の限界に来ているということでありまして、違う残りの財源はやはり別途考える方が、所得税あるいは法人税でも同じですが、そこにウエートをかけて税金をやっていくというのはもう限界に来ているということで、平たく言えば折衷論でありますけれども、そういうふうに考えているということです。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ただいま先生が所得税を中心とする課税については限界に来ている、このような御見解でございますが、過日、私ども予算委員会地方公聴会をいたしました。その折に、財界の有力者から、今日の累進税率が極めて高い、したがって、この税率の簡素化なり引き下げというものを考えなければいけないのじゃないか、先生の今の御意見の中にもそのようなことが聞き漏れるわけでございますけれども、したがって、今日まで高額所得に対して累進税率が課されてきた。しかしながら、日本経済が今日成長した過程の中では勤労意欲が極めて原動力となってきているのだ。そうなりますと、今後累進税率が適用されていくということになりますと、年々所得もふえている中で、大変重税感を感ずる。そのことは勤労意欲を極めて阻害するのではないのか。したがって、この負担税率ができるだけかからないような、いわゆる累進税率を引き下げていくことが極めて好ましいのではないかという提言がなされたわけでございます。  したがって、今、政府におきまして、負担税率を上昇させないで新しいいわゆる税課目を採用したらどうか、そのような機運がやや議論としてなされておるようでございます。その中身は申すまでもなく、EC型付加価値税、すなわち一般消費税ということになろうかと思いますが、その導入はどうなのかということでございます。先生のいわゆる所得税中心から少し改めた税制中間的なものとしての考え方が必要じゃないかということもあるわけでございますが、そのことにつきまして、付加価値税の導入等については先生どういうようなお考えを持っておられるか、御所見を伺いたいと思います。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) この点はよく毎日のように新聞に出ておることで、大変皆さん議論されておることでありますが、私は先ほど申し上げましたように、日本の財政赤字というのは確かに大きいのでありますが、現在において日本経済に著しい悪影響は持っていない、将来の問題というのは残っておりますが、ただ、現状においてはすぐに悪影響があるというわけではありません。したがいまして、所得税が持っている難点がいろいろあります。それはある程度所得税減税によってカバーする、直すことができる。かわりに、ほぼ同額の新しいタイプの消費税を導入されるのが一番今のところよろしいのではないかというふうに思っております。その場合、もちろん先ほど来ちょっと申し上げましたけれども、一応消費でかけるわけでありますけれども、課税するわけでありますから、当然常識的に考えてどこの国もそうですが、生活必需品は非課税であります。それから、恐らく社会保障給付者に対する、生活保護を得ている人々に対しては、やはり消費税がかかることによってそこである種の調整をしなくちゃいかぬということもそうであります。  したがって、低所得者に対してある種の控除を認め、控除というか、生活保護の算定の基準でそういうことを上乗せして、他方、必需品にはかけないという形で、大体所得で見てもそう逆進性はなくてほぼ比例課税になるのではないか、そういう税金に新しくかえた方がいい。  それからさらにつけ加えて言いますと、今の所得税制の持っているある種の不公平性、これも本音の議論でありますけれども、要するに現在の所得税でうまく課税されていない部分があるということも、これはそれほど証拠ははっきりはしていないわけですが、いろいろな傍証はあり得るわけです。そうすると、そこにやはり薄い率でもいいから消費税がかかるということはむしろその面では公平ではないか、そういう議論も十分成り立つのではないかというふうに考えます。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ただいまの先生のお話を伺っておりますと、直間比率を改めていくことによってその租税負担率、それはとどめることができ得るのではないか、そのような御意見と、かように承ったわけでございます。  そこで、先ほど先生が、今日のシャウプ税制の最もやはり理念としておりますのは税の公平であろうかと思いますが、その税の公平という面からいたしまして、金融資産、これに対する所得税のかけ方というものが非常に困難である。したがって、金融資産の運用の利子配当所得、この果実について今日やや緩慢である。課税が緩慢であり、ややもいたしますとキャピタルゲイン課税等につきましてはいわゆる野放しになっている。したがって、非常に脱税の温床にも実はなっているんじゃないかという感じも深くいたしておるところでございます。したがいまして、今日マル優制度がございますが、このマル優制度にいたしましても、グリーンカード制の採用をもってその管理をしようということでございましたが、これも没になりまして、今日は限度強化だ、そのように骨抜きになったと言えば言えるかと思いますが、そのような感じを深くいたしておるところでございます。そこで、このマル優制度そのものも私は少なくともやはり抜本的に同時に見直すべきではないか。やはり税の公平課税という面からいたしましても、少なくともやはり金融資産に対する課税というものは何かの方法できちっと締めていかなければならないのじゃないか、そのように痛感をいたしておりますし、また一応マル優制度につきましては決着を見ましたけれども、今後非常にひとつ思い切った議論をさせていただきたい、かように思っておるところでございます。先生のひとつ改めて御所見を伺いたいと思います。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) マル優制度につきましては、先ほど申しました私の議論からいたしますと、利子所得とか配当、資産所得に総合課税をするのはかなり困難という印象を持っております。というのは、要するにうまくいろいろな資産があるのに公平に今かけられない、何といいますか、所得税の技術的な問題があります。したがいまして、私が申し上げたいことは、しかし現在のマル優制度というのは、非常に高額所得者といいますか、そういう人々が税金を払わない非常に重要な武器になっていて、それが非常に不公平であるということはそのとおりでありますから、少なくとも低い率でいいから一律分離という形が望ましいというふうに考えておりますが、税率はかなり低くてもよろしいのではないかというふうに思っております。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ありがとうございました。  時間が少なくなりましたが、飯田先生に少しお尋ねをいたしたいと思います。  先ほど飯田先生は、我が国の関税障壁についてはほとんど取り払われてきた、このように御感想をお漏らしになりましたわけでございますが、昨年、農畜産物の市場開放につきまして大変政治的な問題まで絡みまして、ようやく決着を見たわけでございます。今年、目下電子機器、通信機器、医療機器、それから木製品、エレクトロニクス等の四分野にわたりまして市場開放のいわゆる日米通商協議が持たれておるわけでございます。その一連の報道を見ておりますと、いかにも我が国の市場が閉鎖的であるやのごとき印象を受けるわけでございます。しかしながら、当局に伺ってみますと、先生がお触れになりましたように、大変今日まで市場開放については努力がなされて、今やその関税率におきましても先進国においては最低の率である、このように伺うわけでございます。そういたしますと、国民の素朴な疑問といたしましていわゆるアメリカがごり押しをしているのじゃないか、あるいはまたエゴをむき出しにしているのじゃないか、そのような感じを持つわけでございます。したがいまして、アメリカ自身の自助努力というものがもっとやはりなされなければならないのじゃないか、かように思うわけでございますが、少し先生から敷衍して御所見を承ればと、かように存じます。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) アメリカのごり押しという御指摘がございまして、私もそういう言葉を使っていいような状況がしばしば起きているというふうに考えます。しかしながら、日本にとって日米の経済関係は大変重要でありますし、それから西ヨーロッパ諸国の経済が率直に言ってかなり弱くなってきている。やはり日本とアメリカとが中心になって経済の面ではやっていかざるを得ないとしますと、ごり押し的な部分についてなすべき反論はもちろんなすべきでありますけれども、同時に感情的になってはいけないんだろうなという感じを持っております。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ただいま先生から感情的になってはいけないという御指摘でございますが、どうも、やはり先生も先ほど国民性の違いがあるのじゃないかという御意見を述べられたわけでございますが、過般たまたま金属バットの件がございました、そしてまた外国たばこの問題がございました。それらの問題をうかがうときに、何か日本は不公正なことをやっているのじゃないかと、先生もそういう御指摘をなさっておったようでございますけれども、そういう感じを受けるわけでございます。そのことは、国民性のいわゆる好みの問題とか、あるいはまた検査等々あるやに、かように存ずるわけでございますけれども、それらの問題をやはり息の長い通商交渉の中でどう理解をさせていくのか。たまたま私も税関に参りまして感じますのは、どうも日本はお役所的だと。だから、アメリカの場合は企業的感覚といいますか、そういうものであろう、こう思うわけでございますが、役所的であるなと私どもも実感として受け取れるわけでございますけれども、そういう問題も含めまして、どうすればお互い理解をしながらいくのかということについて、もう少し先生からひとつ御所見を賜りたいと思います。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) それがわかれば私も大変うれしい、本当にいいお答えができませんですが、ただこういうことかと思います。  つまり、私が申し上げたのは一般論でありまして、個別にとりますと日本も随分問題があるということは御指摘のとおりで、恐らく金属バットも問題があっただろうと思います。しかし、そういうことになりますと、これも一〇〇%マーケットがオープンな国は世界じゅうどこにもないと思うのです。ですから、アメリカもこれおかしいじゃないかということはいっぱいあるんだろうと思うのです。ただ、今のような状況のもとでお互いに、例えば日本とアメリカがお互いにおまえも汚いことやっているじゃないか、おまえも汚いことやっているじゃないかという言い合いをやっているだけでは恐らく前へ進まないだろうと思うんですね。ですから、日本としてやれることは、かなりつらくても市場開放を一つ一つ、誤解はともかくとして、まずい点はやっぱり一つ一つ直していくということしかないのかなと。お答えになっていないと思いますが、以上だと思います。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 もう時間が参ったようでございますが、もう一点だけお尋ねをいたしたいと思います。  先ほど先生は、もう市場開放を徹底的にやらなければいけない、そのような御意見でございますが、特にやはり問題になりますのは農畜産物だろうと思います。これはようやく決着を見ましたけれども、四年後にはまたぞろこれが議論になってくるのではないか、このように思うわけでございます。そこで、各国とも保護政策がそれぞれとられておるわけでございまして、できないものはできない、できるものはできるんだと常に総理はおっしゃっていただいているわけでございますけれども、先生の見る目から、市場開放を徹底的にやらなければ日米のいわゆる総合的な解決にはならないんだと、そのようなことでございます。そうなりますと、農業問題は大変だなと、こう思うわけでございますが、先生から一言だけ簡単で結構でございますからお伺いをいたしたいと思います。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) 先生から先ほど御指摘の四業種の中でエレクトロニクス及び通信というのは、これは市場開放をやっているとも言えますし、あるいはさらにやっても恐らく余り効果がないのじゃないかと思います。といいますのは、これはソニーの盛田会長の御発言を引用するんですけれども、現在日本の通信機器の対米輸出はアメリカの通信機器の対日輸出の十一倍である。ところが、通信機器というのは消費者が買うものではなくて、企業の専門家が見て買うものであって、だからアメリカの企業の専門家が見てなぜそれほど日本の通信機器を買うのかということを考えるとおのずから問題の所在が明らかになります。ただ、もやもやしたことがいっぱいあるので、それを取り除くことが市場開放だと思いますが、それをやっても現実に余り大きなことがないというのが恐らく事実だろうと思います。そうすると、また農産物が恐らくクローズアップされますね。農業が非常に特殊な産業であることはわかりますけれども、やっぱり農業でも日本はもう少し血を流さなければいけないんじゃないかというのが私の予測でございます。

宮島滉自由民主党・自由国民会議

○宮島滉君 ありがとうございました。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 社会党の安恒です。両先生には大変お忙しいところ御苦労さまでございます。  まず最初に貝塚先生にお聞きをしたいんですが、貝塚先生が今シャウプ勧告の中心である所得税中心はほぼもう見直すときにきたんだと、こういうことでいろいろ御説明いただいたのでありますが、そうしますと、貝塚先生のお考えとして、いわゆる税というのは所得の段階、それから資産、動産等の資産にかける段階、それから消費の段階、三つの段階があるわけですが、消費の段階で税をかけるというやり方ですね、貝塚先生としましては、この三つの段階について今の所得税中心を見直すということで、一部資産所得に公平にかけるということで低率で一律にかけたらどうかと、こういう御指摘等がございましたが、これからの日本の税制のあり方について、今申し上げた三つの段階のどこに重点を置いて税制を組み立てればいいというお考えをお持ちなのか、その点をお聞かせを願いたいと思います。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) ただいまの御質問に関しましては先ほど来ある程度議論いたしましたが、もう少し具体的に申しますと、所得税の負担というのは現在が大体最高限度に来ている。ですから残る財源、新しい財源は別の形で調達すると、その場合には消費税にある程度シフトする。まあ、物品税というものは税金としては何というんでしょうか、不合理な税金といいますか、非常に原則を守りにくい。要するに、例えば奢侈品に対する課税だということになってきますと、奢侈品というのは十年たてばもう恐らく奢侈品ではありませんから、ですから税制としては非常に維持しにくい、ごく例外的なアルコールとかたばこ、これは別でありますけれども、それ以外のものは非常に課税の対象としては理屈上課税しにくいというふうに考えられます。そういたしますと、そこの部分は一般的な消費税でカバーするということになると思います。  資産課税というものは、これは現在相続税を中心とした税金でございますが、私の印象では日本の相続税というのは比較的まだ公平の観点から見て割合とうまくいっている方ではないかと思います。イギリスなんかは完全に野放しの時代がありまして、今は少し制約を課しておりますが、贈与税がまともにかかってないという時代がありました。ですから、日本の相続税はそれなりに、長い目で見て恐らく何というんでしょうか、日本では非常に大金持ちが出現するというのを食いとめているので、その点において現状維持というふうに思っています。ですから、将来は所得税、法人税はほぼ現状維持、あるいは多少の減税と、それにかわって新しい財源の部分は消費課税でと。資産課税というのは、相続税を中心としている部分は現状維特という、大体そういうミックスを考えております。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 そうしますと、所得の中では利子所得等々の不公平を今いろいろおっしゃったと思うんですが、そこで先生にお聞きしたいのですが、いわゆる消費税というのにはどうしても一つは逆累進というような問題があると思うんです。これをどうするのかということが一つ。それから二つ目には、消費税というのは一遍導入しますと、税率を引き上げていきますと増税になかなか歯どめがきかない、こういう欠点が一つあるわけですね。ここらについてどうお考えか。それから三番目には、今おっしゃいましたように、消費税を導入するかわりにその見合いに所得税減税等をやって、当面は収支ゼロならゼロと、こんなお考えではないかと思いますが、そこらの問題について聞かせていただきたい。  それからいま一つ、きょうの先生の御説明になかったんですが、後から飯田先生との関係で出てくるんですが、いわゆる先生が所属されていますところの社会科学系学者の皆さんの研究集団、政策構想のフォーラムで、貿易収支摩擦の問題として日米間の税制の違いがあるじゃないかと、だからいわゆる税制サミットということを提唱されたということを新聞で拝見して、私かなり興味深く拝見したんですが、以上の点について簡潔にお聞かせをいただければ幸いだと思います。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) お答えいたします。  最初に逆進性の問題でありますが、所得という基準をとって消費税を見ますと、やはり逆進性はどこかに出てくるということは私は否定し得ないと思います。ですから、そこの部分は、先ほど来私申し上げましたように、非常にはっきりしている低所得者層についてはそれを除く。それから、ある程度必需品にかけるということで、大体比例的な税金、比例課税に近いような状況に持っていくので、そこが恐らく解決策としてはとり得る最大のところはそういうところじゃないか。そこでも多少残るということについて私はやはり否定しないわけではありませんので、そういう点はそうだと思うのです。  それから二番目の点でありますが、間接税で増税していくと増税しやすいのではないかということは、これも非常に率直に申しますと、所得税よりは増税がしやすい税金であるということはそのとおりであります。ただ問題は、所得税の場合も、税率を固定しておいたままですと、現行の税制を保っている限り自然増収が出るわけです。自然増収の部分も考えてみれば本当は税の負担がふえたということでありますが、その部分は自然にふえていくということがありまして、消費税自身は税率を上げることは簡単ではあるわけです。所得税よりも簡単であるということはそうかもしれませんが、所得税もそのまま維持しておくとそのまま増税になるというところで、その得失が私あるように思います。  それから財政バランスのことは先ほど申し上げましたように当面ゼロ。  それから、最後に税制サミットのことについて御質問ございましたが、正直言いまして私はあの席上ではやや消極論でした。というのは、税制というのは一国の政策の一番自律性の高いところですので、よっぽどうまく議題を出して議論をしないとうまくいかないのではないかというふうに、まあアイデアとしては非常におもしろいというふうに思っております。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 最後に貝塚先生に聞きたいんですが、人生八十年代を迎えるに当たって、社会保障、福祉に非常な財政がかかるわけですが、先生のきょうのお話の中で余りそれらに対する目的税的なものがなかったんですが、例えば今国民共通の基礎年金を導入ということが大きい問題になってますね。私から言わせると、こういうものこそやはり目的税的に、私たちは所得型付加価値税とこう言っているんですが、こういう国民共通の基礎年金的なものについては、やはり私は目的税を導入すべき段階に来ていると思いますが、先生の御見解を。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) 今の御質問に対して、目的税というのはやはり国民皆さんのコンセンサスを得るときには比較的コンセンサスの得やすい型の税金だと思います。ただ、何というのでしょうか、私自身は、基礎年金ですか、元来今の社会保険料で払っている部分と、それからそれに上乗せする部分というのがあると思いますが、上乗せする部分に関しては目的税型も一案としてあり得るというふうに思っております。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 どうもちょっとそこのところは、上乗せ分は目的税じゃなくて反対だと思いますけれども、まあきょうは議論する場じゃございませんので。  そこで、飯田先生にお聞きをしたいんでありますが、飯田先生から市場開放の中で言われたんですが、六点挙げられまして、大体可能性が高いというところで。ところが、どうもヨーロッパは失業と飢えがなくなったんだから働かなくなったと、こういうことなんですが、残念ながら日本の場合もどうも頭の中だけでは中産階級が八割から九割占めている。これは私どもも大変心配しているんですが、そういう場合に先生がおっしゃったところの第六番目の問題がうまくいくのかどうか。日本の場合もうほぼ八、九割が頭の中だけ中産階級化している勤労国民の今日の問題、これが一つであります。  それから二つ目は、まあ先生から日本のいわゆる市場開放はほぼ完璧にかなりうまくできていると。いろいろなことが出たんですが、どうも私は我が国の市場開放が場当たり的だったのじゃないか。特に、例えばアメリカやヨーロッパ、東南アジアから突き上げがありますと、突き上げがあった項目を整合性をとらぬままやってきておりますから、このことに深く反省して、少なくとも中長期の計画をこの際やはり立てないと対外経済摩擦というのは解消できないんじゃないかと思いますが、この点が第二点、どうでしょうか。  それから第三点目に、これまた先生が資本支出の輸出、日本が大いにやっているということ、それから経済成長率の関係で、日本の貿易黒字を経済成長率にすると三〇%になって大変なインフレになると、こういう御議論があったのですが、その中からもうちょっと議論を突っ込まさしていただきますと、やはり日本の経済成長率の中の内需拡大という問題ですね、これがやはりどうも日本の経常収支の拡大ペースが非常に速過ぎますが、ほとんどが輸出増大によって埋められています。これが私は貿易摩擦の拡大の原因になっておりやしないかと思うんですが、この点がどうなんだろうか。  それから、日本からアメリカに向けての純資本の流出が五十九年度約五百億ドルに達していますが、まあ先生はこの点については、資本の輸出についてはやや肯定的な御意見のように思われるんですが、私はこれには、貿易緩和問題にはプラスマイナスがありはしないかなという感じが一つ。それの証拠に、アメリカのボルカー連銀総裁が三月の初め、日本からの資本流入の拡大に問題があると、もっと日本は内需拡大をやれと、こんな談話等を出していますが、以上のような点について、対外摩擦について飯田先生の御見解をお聞かせ願いたい。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) まず第一点でございますが、国民が中産階級になった後日本がうまくいくかということです。これは全く大問題でございまして、恐らく日本経済の今後あるいは日本の社会の今後を考えるときに一番ポイントがそこだろうと思うのです。ただ、私は、今のところ日本だけは少なくとも失業と飢えの恐怖がなくなって、三十年、四十年前には夢にも思わなかったほど豊かになりながら、国民はきちんと仕事をしていると思います。ただ、これがいつまでもそうであるという保証はもちろんないわけでございまして、例えば若い人は価値観も変わってきておりますし、勤労観、つまりどういう意識で仕事をするかということも変わってきておりますから、これは日本経済の将来にとってこれまでの状況がいつまでも続くということではないと思います。ただ、日本人もまたきちんと仕事をしなくなりますと、貿易摩擦はなくなりますけれども、ほかのところで悪くなるというか、大変嫌な国になるというようなことだろうと思います。  それから第二点の、場当たり的な市場開放をやってきたので、中長期計画をしてはどうかという御指摘でございますが、これは私も大変場当たり的だったと思います。ただ事柄の性質上、さっきの税制サミットとはちょっと違うかもしれませんけれども、きちんと中長期計画ができるものかなということを若干疑問に思います。  それからもう一つ、私の感想は、場当たり的にしろ、例えば十年前と比べて随分日本の市場は開放された。しかし、一つ一つ開放していくためにやはり相当のエネルギーといいましょうか、両方が頭から湯気を出してやり合ったと思うのです。しかし、そのやり合ったことが全部悪かったかというと、そうではなくて、貿易摩擦が深刻であればあるほどけんかが激しくなる。けんかに勝とうと思えば相手のことをきちんと調べる。お互いによく知り合うことができて、単純な誤解が少なくとも事情通の間で減るということが起こったのは、場当たり的にしろ、絶えずけんかをやっていたからではないかというふうに思います。  私、特に感じますのは、ヨーロッパ、中でも例えばフランスの日本に対する認識、あるいは態度がここ一、二年ですごくよくなっています。これはやはり場当たり的にしろ、摩擦の生み出したプラスの面で、ですから御指摘はなるほどと思いつつも、うまくいくのかなという、こういう疑問でございます。  それから第三番目の内需拡大の問題ですが、確かに日本経済のGNPの伸びの中身を見ると、時期にもよりますけれども、どうも外需、輸出に引っ張られている時期が多いことは事実でございます。したがって、アメリカ、ヨーロッパからもっと内需拡大をやれということはよく言われますですね。私が冒頭のお話の中で申し上げたのは、これはいわば経済学、エコノミストとしてだけの議論だろうと思うのです。エコノミストとして単純な計算をやると、とても内需拡大を中心とする総需要の拡大では黒字は大して減らないから摩擦は大してなくならない。しかし、その政治的効果というのは、恐らく数字が仮に少なくても、政治的効果というのはあるだろうと思うんですね。だとしますと、例えば予算編成のときに内需拡大の姿勢を見せるといいましょうか、中身は大したことできるはずがないし、やったって黒字が減るわけのものでもないけれども、やっぱりもうちょっと工夫があり得るのかなということは感じますので、そういう点では先生の御指摘とやや似たことを感じているのかなと思います。  それから四番目の資本輸出でございますが、これは私がやや高く評価したのは、政府ベースを含めた発展途上国への協力とか、それから民間で先進国、途上国を問わず、企業が実際に出ていって、人を雇って、物をつくって、技術を移転する、地域社会に貢献する、そういう面でございますが、現在の資本輸出の中にはそういうのではなくて、アメリカの高金利に引っ張られた非常に短期のお金ですね、これはそういうのが全然あってはいけないということはないので、経済というのはそういうものがかなりあるのが当たり前ですが、今はそれがどう考えても多過ぎるんだろうと思うんですね。ですから、企業で、メーカーでも物をつくってこつこつ工夫してもうけるとか、あるいはQCサークル等々でつめに火をともすような合理化をやっても、為替がちょっと動けば吹っ飛んでしまうとか、そういうことをこつこつやるよりは、何かアメリカの高金利でもうけた方がはるかに楽にもうかる。日本にとっては大変不健全といえば不健全、非常に困ったことになっていると思いますので、資本輸出の全部を評価しているわけではございません。  以上でございます。

鈴木一弘公明党・国民会議

○鈴木一弘君 初めに貝塚公述人にひとつお伺いしたいんですが、先ほどの御意見の陳述の中に、いわゆるシャウプ勧告の見直しということで、もはや限界に来ているというお話もありました。また、所得税についても、もうこれ以上は無理だろう。確かに私もそのように思います。その点で先生と意見は一緒なんですが、一番大事なことは、やはり税制を見直そうとか、改正しようというときに、不公平感の除去ということが最大の問題だろうというふうに私は思っておるのです。ですから、今までのところではクロヨンであるとか、トーゴーサンであるとかと言われてきているのは、やはり捕捉率の問題もありますけれども、そういう点が一番私は大きいと思うんですね。それでマクロの話から言えば、いわゆる租税負担率の問題だと思うのです。この六十年度二五・二%と見込まれておりますが、やっぱり、一体どこまでがその限界かということがございます。その限界負担率をどう考えたらいいかということをぜひお伺いしたいのです。それで、こういうことを、重税感とか不公平感というものが勤労意欲を損なうわけですから、私はその点で限界負担率をどの程度考えたらいいのかなと、これはぜひ先生の御意見を伺えたらありがたいと思います。  それから、いま一つは、先ほど物品税のお話がありました。物品税のような消費税では不合理である。確かにそのとおりだと思います。高級な家具にかからないで、漆塗りであるとか、あるいは桐のたんすとかというのにはかからないで、一般のたんすには物品税がかかるとか、非常に不合理なところがあります。皮の製品にはかかるけれども、コートに皮の襟巻きがくっついていれば、これはコートとして毛皮の物品税がかからないとか、大変おかしなところが物品税にはございますから、先生のおっしゃるとおり、その点では不合理というのはわかります。  それで、一般消費税の場合ですが、先ほども付加価値税導入の問題でメリット、デメリットのことをお話がございましたのですが、私は、問題はどうデメリットをなくすかということだと思うのです。やはり前段階控除方式というのが人類の最後の英知だとこういうふうに言われていることは伺っておりますけれども、果たしてそうなのかどうかという点で、この点もう一度先生から御意見を伺いたいと思うのです。  それから、いま一つは配当とか利子の問題でございますが、いわゆる源泉分離の課税ですね。三五%とか、あるいは割引債一六%というのがございます。そういうところにお金が逃げていく。資産の運用というのはそっちの方へみんな逃げていくということは、これは御指摘のとおりだった思いますし、それからマル優があるおかげでどの程度捕捉されているか。名寄せといっても、これは到底できるものじゃありませんので、そういうことの金融資産の問題を公平にかけられないというけれども、一体どうすればいいか。先ほどは低率に全部かけてしまったらどうかというお話がありました。しかし、その場合、架空名義みたいなものが出てくるわけですね。そういうのも同じでいいのかどうかというのは道徳上やはり残っていくのじゃないかと思いますので、その点の御意見をこれはぜひ貝塚公述人からお伺いをしたいと思います。  それから次に、飯田公述人にお伺いしたいんですが、先ほど農業問題に最後は来るだろうという御意見の陳述がございまして、私もこの問題では、この前オーストラリアへ行っていろいろ向こうの議員と会いました。いろいろ話をして牛肉の市場開放問題になってきて、アメリカの牛肉を買うなというのが向こうの意見です。いや、そうではない、日本は相当開放している、おたくの国からかなりの努力をしているという話があったわけですね。ところがそれに対して、六〇%ぐらい輸入しておりますから言ったら、いや開放していない、おれのうちの牛の肉を買わない、最後はそこへいったわけですね。そういうことを向こうの国会議員自身がおっしゃる。その点先ほどのお話にありましたように、感情的なものが僕はあるような気がしてならないんでございますが、そういう点で確かに今アメリカが一番声が大きいわけでございますけれども、そのほかにECの国であるとか、今言ったようなオーストラリアであるとか、どこかボタンを押すと今度はほかへ響くわけですから、その点のバランス論をひとつお伺いさしていただければありがたいと思うんです。  それからいま一つは、貿易黒字が、今度経常収支の黒字が長期資本の輸出になる。先ほどの御指摘のように、確かに金融投資が多いわけでありますけれども、やはり日本への投資機会が非常に少ないんじゃないか。アメリカのようなレーガノミックスによって民間活力の活用がされている。日本の場合も先月二月の半ばごろですか、あるいは初頭ごろに、民間活力に対する報告書が出ております。まず規制の緩和を総理もうんとやるとこう言っているわけでございますが、やはり国内投資の機会をふやす方法を考えなければ、幾ら資本流出をとめると言っても、これは非常に無理なことだと思いますので、この点についてのお考えが公述人にございましたら、ぜひ伺いたいと思います。  それから、アメリカの経済についてでございますが、これも見通しに強気の意見と弱気の意見が今ございます。公述人はどうお考えになっているか。例えば弱気の方でいえば、米国の経済成長の伸び率が低下して債権国から債務国へ転落する、これは見せかけみたいな債務国かもしれませんが、そういうことからドルが下がるのではないか。これが強気の方は、レーガノミックスがもっと大きな成功をおさめて、物価も安定するし、景気も拡大するだろう、そうなればまた世界の資産がアメリカに集中するという、両方の見方がございます。これによって処方せんがすっかり変わってくるというふうに思うわけでございますが、こういう点につきまして御意見を伺えればありがたいと思うのでございます。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) 三点ばかり御質問いただいておると存じますが、最初に、不公平感から見てその限界というものがあるだろうかという、これは非常に難しい御質問でありますが、私自身強いてお答えいたしますと、まあ何といいましょうか、現行の所得税というものはある程度どうしても徴税技術上、捕捉の問題とかそういうところで結果的に不公平になる場合が起きてくるということは、これはある意味ではやむを得ないという感じがします。それはなぜかといいますと、要するに非常にある高額な所得を持っている人を探す、あるいはうまく税金を逃げている人を探すということは非常に労力のかかる話でありまして、税務署というのは税務署員がある数いて、そこでなるべく平均的に税金をたくさん取りたいということで、そういうやり方をとっている限りは、非常に大きな脱税をやっている人を探すということはそれ自身意味がありますけれども、そこのところへ非常に労力をかけるということは元来無理だと思います。したがいまして、不公平感をなくすということは、やはりそこの所得税の限界があるということを意識して、どちらかと言えば、先ほど言いましたように、一律にかけていくとかというやり方である程度不公平感を少しずつ弱めていくということ以外にないのじゃないかと思います。まあお答えになりましたかどうかあれなんですが。  二番目は、付加価値税というのは一体どういう税金なのか、本当に言われているほど立派な税金であるかというふうな御質問だと思いますが、私自身は付加価値税について次のような印象を持っています。  これはフランスの大蔵官僚が考え出した税金でありまして、率直に言えば、フランスというのは所得税に対する信頼感が一番低い国であります。そこで、とにかくうまく税金をかけるにはどうしたらいいかというので知恵を絞った税金でありまして、そこのところは非常に合理的にできております。ですから、ただ脱税ができるかということについては、私、昔付加価値税の調査団でちょっと行ったことがありますが、そのときは、やはり本当に各段階で全部共謀すればそこの脱税ができるということはあるんじゃないか。しかし、非常にやりにくい税金であるということはそのとおりであります。  それから、もう一つつけ加えておきますと、日本で実際問題になっておりますのは、付加価値税を課税したときの情報が所得税の方へ流れるんじゃないかということをよく言われておりますが、イギリスは慣行として言えば昔から、付加価値税を入れるときから、要するに付加価値税の情報は所得税の方には絶対流さないという、これは非常にはっきりした役所の縦割りでそういうことになっているというふうに聞いております。これは非常におもしろいことだと思います。  それから最後に、利子配当については本人を確認するという問題がいつも残っているじゃないかというふうにおっしゃいましたが、これは全くそのとおりでありまして、最終的には本人をきっちり確認するということがどうしても必要ではないかと思います。そうしないと、やはり一律にかけるといっても依然として問題が残っているということはそのとおりだと存じます。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) 第一点の、アメリカもオーストラリアも、どこの国も感情論が出てくるというお話でございますが、これは考えてみると当然のことでありまして、言葉はいいかどうかわかりませんが、今、日本経済の勢いはすごくて、陣取り競争でどんどんと陣地を取っているという感じだと思うんですね。これがこれまで程度の摩擦で済んだのは大変うまくいったのではないかとすら思えるわけでございます。そうであるだけに、慎重かつ積極的な対応を今後ともやっていかないと大変危ないというのが私の感じでございます。  それから第二点、日本の国内投資をふやす方法はないかという御指摘でございますが、五十九年度は、まだ数字は出ておりませんけれども、実質五%で、六%に近い方の成長をするわけでございますが、これは外需があったとはいうものの、いわゆるハイテクを中心にして設備投資意欲が大変盛んでございますので、私はまあこんなものかなという感じがいたします。  それで、規制緩和というのは大変大事だと思いますが、規制緩和の一つで、国有地を売ってビルをつくってということがありますが、あれは私は東京の真ん中だけの議論ではないかと思います。私は名古屋の人間ですが、名古屋は高層ビルはほとんど建ちませんし、建ってもあいているわけですね。テナントがなかなか入らない。名古屋ですらそうですから、ああいうことではなくて、もうちょっとほかの規制緩和はあり得るかなと思いますが、日本の経済の現在の状態がそんなに悪いとは思いません。ということは、最後の第三番目のアメリカについての御質問につながるわけでございまして、今のところ大体お金もうけをする人はアメリカ経済に強気で、学者がアメリカ経済に弱気で、しかもお金もうけをする人の声がだんだん大きくなって、学者の声がだんだん小さくなっていて、アメリカについて弱気を言う人は大変少数意見だと思いますが、私は弱気でございます。  つまり、レーガノミックスというのは一体何をやったかというと、実はケインジアン以上の大規模な、つまりケインジアン以上より放漫なケインズ政策をやったわけですね。政府をますます大きくし、財政赤字をますます大きくしということをやった。それで、日本は財政が赤字でも国内貯蓄が多いからいいんですが、アメリカは国内の民間貯蓄がありませんから、史上空前の貿易の赤字を出している。ということは、非常に放漫政策をやっている。いろいろな設備の操業率も低くて失業率も高いところから、需要の刺激をやりましたので、しばらくは物価は上がらずに大変いい形で景気は回復しました。それから財政赤字で高金利になりドル高になったので、輸入がふえ、かつ輸入価格が安いので、これもインフレを抑えるのを助けているわけですけれども、基本的にやっていることは非常に危ない綱渡りだというふうに私は考えております。

内藤功日本共産党

○内藤功君 貝塚先生に一点御質問をさしていただきたいと思いますが、それは勤労者の所得減税に関する問題であります。  人事院勧告の完全実施が見送られ、賃金の上昇が停滞しているという現状の中で、勤労者層の中での減税の要求というのは非常に強いわけなんですが、免税点の引き上げを含む勤労者の所得減税、これについてどういうお考えを持っておられるか。特に、景気回復、個人消費の拡大という面からもこれは大きく問題とされておりますが、そこらあたりの先生のお考え、率直にお伺いしたいということでございます。  それから飯田先生には、先ほどほかの委員からも御質問がありましたけれども、日本経済が外需に依存し過ぎていると、内需拡大が一つの方法だということはお認めになりつつも、これは黒字が大幅に減るものじゃない、政治的効果があるのだろうと、こういうお考えでございましたが、数字的にもしお示しいただければ、先生のお考えになっている内需拡大、それによる黒字を減らす上での効果というものはどんなふうにお考えになっているか、そこをちょっとお聞かせいただきたいと思います。  以上、二点でございます。

貝塚啓明東京大学教授

○公述人(貝塚啓明君) 所得減税についての御質問でございますが、現在総需要の観点からして、私は所得減税が必要であるというふうには必ずしも考えておりません。所得減税というのは、私の理解では、最初に申し上げましたように、税制全体をどういうふうに変えていくかというときにやはり重要な要素をなしていて、端的に言えば、所得税の減税はかなり行って、他の税源に振りかえるというときに所得減税というのは最も活用されるべきであるというふうに考えている次第であります。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) 数字でございますが、私、単純きわまる計算をやったのを、今持ってくるのを忘れましたので、おぼろげな記憶で申し上げますと、これは初めの私が申し述べた中で申しましたように、つまり八四年度の日本の三百何十億ドルという経常黒字を完全に消そうと思ったら、日本の名目成長率は三〇%を超えたであろうということでございます。一つはそれです。  もう一つは、日本の潜在成長率は五%ぐらいだとしますと、せいぜい一〇%ぐらい、二けた以内、一〇%を超えるインフレはまずいということで、仮に名目成長率を一五%にするとしますと、そのときに、昨年は大体名目成長率が七か八ぐらいでしょうが、七か八と一五にした場合と比べますと、輸入の増加が六十億ドルぐらいではないだろうかという計算をたしか私はしたと記憶しております。ということは、やっぱり全体の問題の中では内需拡大というのは黒字減らしということで考えますと大変小さいという、こういうことでございます。

伊藤郁男民社党・国民連合

○伊藤郁男君 飯田先生に二点、端的にお伺いをしたいと思います。  アメリカの高金利、ドル高は一体いつまで続くものだろうか、その辺の見通しですね、個人的な見解で結構でございますが、それが第一点でございます。  それから第二点は、市場開放をもう徹底的にやらなければならないという先生のお話でございました。中曽根総理もこの本委員会の質疑の中で、劇的、印象的な市場開放をやらなければならぬと、こういうようにも言われているわけですが、一体劇的、印象的な市場開放、どのようなやり方があるのかどうか、具体的にどんなものが考えられるものだろうか。もしお考えがございましたら、この二点お伺いをしておきます。

飯田経夫名古屋大学教授

○公述人(飯田経夫君) まず第一点、高金利、ドル高がいつまで続くかということ、これはわかりません。とてもそんなことは私では答えられませんが、ただ私が感じていることは、いつまでも続かないだろうということでございます。ただ、これも非常に苦い記憶として申し上げるんですけれども、例えば昨年もエコノミストはそういうことを常に言い続けて、常に間違ってきました。ですから、そうであるだけに予測は極めて難しいと思います。ただ、最近どうもアメリカの景気もう若干伸びが鈍ってきたとか、ドルも若干もたもたしております。だから、若干変わってきたのかなという感じは持っております。  それから第二点の印象的市場開放、これも具体的に言うのはなかなか難しいかと思うのです。それは言うことは幾らでもできるわけで、例えば米をどんどん輸入しろとか、牛肉の数量制限を撤廃しろとかというようなことは言えるわけですが、政治的に果たしてどの程度の実現可能性があるかというのは、先生方がお決めになることでございます。

長田裕二自由民主党・自由国民会議

○委員長(長田裕二君) ありがとうございました。  以上で税制、対外経済摩擦の意見聴取は終了いたしました。  一言お礼を申し上げますが、貝塚公述人、飯田公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心から厚くお礼を申し上げます。(拍手)  明日は午後零時三十分に委員会を開会することとし、これにて予算委員会公聴会を終了いたします。    午後四時四十七分散会

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