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102回国会参議院1985/04/25

補助金等に関する特別委員会 第5号

発言数
122
登壇者
14
会派数
6
開催日
1985/04/25

会議録

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) ただいまから補助金等に関する特別委員会を開会いたします。  国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関する法律案を議題といたします。  本日は、本法律案につきまして、参考人として御出席いただいております青山学院大学教授館龍一郎君、神奈川大学教授渡辺精一君、広島大学教授米原淳七郎君、統一労組懇自治体部会事務局長小林洋二君及び朝日新聞社論説委員広瀬道貞君の以上五名の方から御意見を聴取いたします。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ、本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございます。本日は、本法律案につきまして忌揮のない御意見を拝聴いたし、今後の審査の参考にいたしたいと存じておりますので、よろしくお願いをいたします。  それでは会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきましたところで休憩といたします。その後、午後一時に委員会を再開いたしますので、その際各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  それでは館参考人にお願いいたします。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) ただいま御紹介いただきました館でございます。お招きをいただきまして、意見を述べる機会を与えていただきましたことを大変光栄に存じます。次に私が感じておりますところを申し上げて御参考に供したいと存じます。  改めて申し上げるまでもないことでございますが、アメリカにおける景気の多少の低迷から輸出の停滞等多少の陰りが予測されないでもありませんが、全体として見た場合に日本経済は大変順調な発展を示しておりまして、特別なことがない限り当分順調な発展を続けていくということが予想されます。仮に輸出の停滞等から景気に陰りが生ずるというようなことがあれば、金利が低下して民間の投資が刺激されるということになりまして、むしろ内需の振興に役立つということもあろうかと思います。このように経済が全体として比較的順調な発展を示しつつあるにもかかわらず、多額の公債、しかも依然として多額の赤字公債を発行せざるを得ないというのが現在の姿でございます。  何をもって財政再建と見るかということは大変難しい問題でございまして、一義的に決めにくいところがないわけではございません。ただ、大変常識的に考えてみますと、今日のように経済が順調に発展しつつある際には、経常的な歳出は経常的な歳入によって賄われ、しかもそのような状況が安定的に維持されるというのが正常な姿でありまして、このような状態を実現するのが財政再建ではなかろうかというように考える次第でございます。ここで安定的に維持されるというように申し上げましたが、これは一度経常的な歳出は経常的な歳入によって賄われるという状態が達成されても、次の年にまたもとの状態に戻るというようなことでは、これは財政再建とは言えないということでございます。すなわち歳入の構造や歳出の構造がそれを維持できるようなものでなければならないということでございます。  さて、以上申し上げましたような観点から、先ほど述べました日本の財政の現状を見たときに、経済が順調に発展しつつあるにもかかわらず多額の赤字公債、特例公債を発行せざるを得ないという現状は不健全でありまして、構造的な赤字が存在するというように言わざるを得ないと存ずる次第であります。したがって、経済が十分な活力を備えている現在のような状況にある間に、今申しましたような財政の状況から脱却して財政の弾力性を回復するように努めることは、後の世代に負担を残さないために我々がなすべき義務であるというように申してよろしいと思います。ここで財政の弾力性を回復するということを申し上げたわけでございますが、これは必要な際には機動的な財政政策を行い得るような、そういう体質を回復するという意味でございまして、そういう弾力性を回復するように努めるということが後の世代に負担を残さないための我々の義務であるというように考えるわけであります。  さきに衆議院の予算委員会に呼ばれまして、その際述べたことがございますが、六十年度の予算において特例公債の一兆円の減額ができなかったということは、これは大変残念なことであるというように思いますが、その点残念ではございますが、補助金の整理合理化を初め歳出の削減合理化によって一般歳出について三年連続マイナスの予算が組め、一兆円の公債減額を行い得たという点は一応評価することができるのではないかというように考えております。  ところで、補助金等は、五十九年度の予算で見ましても一般歳出の約四割を占めております。この補助金等の徹底した節減合理化なしにはもはや財政の節減合理化は行い得ないというのが実情でございまして、補助金の節減合理化の必要性が多くの人々によって指摘されていることはもう皆様もよく御案内のとおりでございます。  ところで、この補助金等の大宗は、七〇%から八〇%近くになろうかと思いますが、補助金の大宗は地方公共団体向けとなっているので、補助金等の整理合理化のためには、国と地方とが相互に唇歯輔車の関係にあるという自覚のもとに、それぞれの役割分担を見直し、国と地方を通ずる行財政の効率化、減量化に努めることが不可欠であると申さなければならないと存じます。特にこの数年来の緊縮型の予算節約によって全体として相当の節減合理化が行われてきたことを考えますと、今や国と地方を通ずる費用負担を見直すということは避けて通れない課題になっていると言ってよろしいと存じます。  ところで、国と地方の財政状況を見ますと、国も地方も収支不均衡の大変厳しい状況にありまして、両方とも大変厳しい状態にございますが、公債残高をとっても公債依存度をとっても、公債費をとってみても、いずれも地方に比べまして国の方が一層困難な状況にあります。地方では、御案内のように、赤字公債の発行額はゼロになっております。それから公債の残高を見ますと、五十九年度で地方が四十一兆、それに対して国が百二十二兆ということでございますし、六十年度は地方が四十二兆、国が百三十三兆というように考えられます。それから公債依存度を見ますと、五十九年度は地方が九・九%、国が二五%、六十年度では地方が七・八%、国が二二・二%。公債費で見ますと、六十年度、地方が五兆六千億、国が十兆二千億、大体そのような値でございます。今申し上げましたように公債残高で地方は国の約三分の一ということになります。依存度でも大体三分の一でございます。公債費は、これは先ほど数字を申し上げましたように、大体地方が国の二分の一という程度になっております。それから、昨年出されました中期の地方財政の見通しでも、地方の方が多少ゆとりがあるということも否定できないところでございます。  これらの状況を踏まえますと、六十年度の予算編成に当たって行われました人件費補助の見直し、それから地方公共団体の事業として同化、定着している事業に対する補助金等の廃止あるいは一般財源化、さらに高率補助率の引き下げ等の思い切った整理合理化は当然である、あるいはやむを得ない、物によって当然というものとやむを得ないというものとがございますが、そういうように言ってよろしいと存ずる次第でございます。これでも整理合理化が不十分だという考え方も非常に強くあり得るというように私は考えております。  さて、高率補助率の一律引き下げについてはいろいろの議論がございますが、高率補助と限らず、一般に補助金はどうしても既得権化しやすい性質がありまして、不必要になってもなかなか廃止が難しいという問題があるということは一応おきまして、高率補助について申し上げますと、高率補助が財政資金の効率的使用の意欲をどうしても減殺しやすいということがありますし、全体として事業拡大を生じやすいという、そういう問題を持っているということも事実のように思います。  それから二番目に、補助率を決定した当時と現在とでは、国と地方の間で財政事情が大変大きく違いまして、先ほど申しましたように、地方の方に比較的余裕があるというように変わってきておるように思います。特に、財政状況の比較的いいといいますか、あるいは余裕のある地方団体にまで高率の補助金が交付されているといった点を考慮いたしますと、一律削減というのはやむを得ない措置であるというように考える次第でございます。  また、高率補助の一律削減という点については、補助率自体がほかとのバランスとか、各種補助金相互間のバランスを考慮して従来決定されてきたということを考えますと、財政再建を急がねばならない、余裕のあるうちに急いで行わなければならないというこの際においては、いたずらに補助率体系を複雑化するよりも一律カットを行う方が合理的でもあり、また実際的でもあるというように考える次第であります。何と申しましても、財政再建を急がなければならないというこういう時期において、実行可能性ということも常に重視しなければならないことでございますので、そういう点からもやむを得ないことであるというように考える次第であります。ただし、これが理想的な姿であるかといえば、必ずしもそうではありません。そこでこれを契機に国と地方との費用分担のあり方等についてさらに検討が深められるということを期待するものでございます。  補助金のカットが単に国の財政負担を地方に転嫁するようなものであってはならないと存じますが、国が困っているときに、比較的余裕がある地方が応分の援助を国に対して行うということは当然のことではないかというように考えます。兄貴が困っているときに弟が助けるというのはごく自然の情であるというように考えるわけであります。人心険しゅうして道義地に落ちたりというようなことを戦後申したことがございますが、しかし、そういう兄貴が困っているときに弟が助けるといったような道義はまだ日本に残っているものと私は確信しておりますし、そういうものは守っていくべきであるというように信じておるわけでありまして、国が困っているときに比較的余裕がある地方が応分の援助を行うというのは、これは当然のことであるというように私は考えるわけであります。  また、こういう措置をとることによって、時として大変厳しい批判の対象となっている地方のむだであるとか、あるいは補助金待ちなどと言われているような安易な国依存の姿勢が改められるということになるのではないかというように考えておりまして、国民の一人としてはそのことを強く期待するのであります。  財政再建を行うためには、増税を行うとか歳出の思い切った節減合理化を行うとか、どうしてもそういう措置が必要になります。増税はもちろん、歳出カットも行政サービスの低下という形で痛みを伴うものでありますが、この痛みを分かち合うという精神が必要でありまして、構造的な赤字を抱えた現在、痛みなしに財政再建ということは到底達成し得ないというように考えておるものでありまして、そういう意味から、この法案、先ほど申しましたようにこれを契機にして将来さらに役割分担というようなことについての検討が深められることを期待するものではございますが、さしあたり緊急の財政再建という意味から御審議いただくということが望ましいというように私は考えておる次第でございまして、以上をもちまして私の意見の陳述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) どうもありがとうございました。  次に、渡辺参考人にお願いいたします。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 渡辺でございます。ふだん考えておりますことを申し述べる機会が与えられましたことに感謝申し上げたいと思います。時間が限られておりますので要点を申し上げることになろうかと思います。したがって、場合によりますと歯にきぬ着せない言い方が出てこようかと思いますが、あらかじめ御容赦いただきたいと思います。  提案されています法律案に対する私の基本的な立場は残念ながら賛成できないということでございます。申し上げることは、賛成できない理由は何であるかというところになるべくは焦点を絞ってみたいと考えております。  この法律案の最後を拝見いたしますと、提案の理由が三行にわたって書かれてございます。すなわち、「国の財政収支の改善を図るとともに、財政資金の効率的使用を図るため」云々と出ておるわけでございます。私の浅い知識から申し上げるならば、通常の法律案提案の理由としては、例えば「財政資金の効率的使用を図るため」云々という言葉が先に出てきて、そして「国の財政収支の改善を図る」ということが最後にきて、その改善を図ることに資するというような形で述べられるというのが通常の理由ではなかったかと思っております。ところが、「国の財政収支の改善を図るとともに」ということがいきなり冒頭で述べられている。これは何を意味するか。一言で申し上げれば、この法律案の内容は、期するところ、国家財政の都合によるものに基づくということになるのではなかろうかと考えるわけであります。実は、その国家財政の都合ということがベースに据えられての改正案であるというところから幾つかの問題が派生的に出てくるわけであります。先ほども館参考人がおっしゃられましたように、おおむね補助金の八割ぐらいは地方公共団体に向けて交付されるものであります。したがって、私がこれから申し上げようと思う幾つかの問題点は地方公共団体との関係に主として焦点が絞られることになろうかと思います。  まず、派生的に出てまいります第一番の問題点でございますが、これはもう既に皆様御承知のように、国、地方間の機能や事務分担のあり方あるいは経費負担区分、さらには財源配分等の総合的な見直しがまず前提として行われるべきであった。あるいは補助金に絞って申し上げるならば、補助金の総合的あり方及び個別補助金のあり方についての十分な見直しが前提作業としてどうしても必要ではなかったかと思うわけであります。にもかかわらず、そのような手続は、私の承知している限りではお踏みになったとは伺っておりません。  一つの例を申し上げます。昨年十二月二十一日に財政制度審議会が答申を出されました。その中に次のようなことが述べられております。すなわち「国と地方の関係についての幅広い角度からの見直しや、個々の事務事業の見直しを踏まえて検討すべきであるという考え方もあるが」、こういうふうに述べた後で答申は、しかし「当面の暫定措置として「高率」の見直しという観点から、地方公共団体向けの高率補助率の引下げを実施」し、「暫定期間中において、事務事業の見直しと併せ、今後引き続き検討を行うべきである。」と述べられているわけであります。ここに、はしなくも私が前提として行うべきであったという幾つかの作業が見送られたまま、暫定的にということで本法律案が上程されたことが十分にうかがえるわけであります。  そうだとしますならば、特に高率補助金に係る補助率の切り下げの一年度限りという申し合わせが実はここで重要な意義を持ってくると考えるわけであります。にもかかわらず、それが果たして一年後守られることになるのかどうか、残念ながら私は極めて大きな疑問を持たざるを得ないのであります。  なぜ疑問を持たざるを得ないのか。一つには、国家財政がわずか一年の間に目立って好転するということはおおむね見通すことが難しいということがございます。  理由の二つ目は、実はいち早く、ことし一月三十日の衆議院大蔵委員会で竹下大蔵大臣が、一年間議論した上で恒久化したいというふうに述べられたと新聞に伝えられております。恒久化したいということが既に述べられているわけであります。  さらに、三つ目の理由を申し上げますと、実は残念ながら、悪しき前例というものが近い過去一つございました。御承知のように、昭和五十九年度までは地方財源不足が巨額なものになってまいりまして、毎年度、自治省は地方財政対策と称する特別な対策を講じてまいりました。その過程で、地方交付税特別会計が資金運用部資金から多額の借金をする、借り入れをするということが一つの対策として行われてきたわけであります。ずっとその借入金の利子負担が国の全額負担ということで行われてきた。にもかかわらず、昭和五十八年度には半分を地方が負担するということに切りかえられました。ただし、そのときに、五十八年度限りの臨時的措置であるという関係大臣の申し合わせのもとで行われたわけであります。しかし、翌年度これが恒久化されてしまったわけであります。このような悪しき前例がありますために、高率補助金補助率切り下げの一年度限りという申し合わせが果たして守られるかどうか、大いに疑問を感じるところでございます。  派生的に出てまいります二番目の問題は、補助金整理合理化の手法と内容が、率直に申し上げれば、お粗末であると考えます。  まず、手法でありますけれども、その一つの例は、法律案が策定されるまでのいきさつに求めることができます。御承知のように、昨年の夏、大蔵省はいち早く、経常経費一〇%、投資的経費五%のマイナスシーリングを設定いたしました。各省庁はそれを受けて、それぞれの省庁の概算額の削減作業に入ったわけであります。その過程で多額の補助金を抱える厚生省が壁にぶつかった。何とかしてくれという話の中で、大蔵省が改めて打ち出したのが高率補助金原則一律一〇%カットという方針だったわけであります。つまり、せっぱ詰まった状況でそういう方針が出された。もっとも、私は表面に報道されたことだけしか事情を知りませんので、その中から申し上げるわけであります。政治的な動きというのは、後ほどまたお教えいただければありがたいと思います。  手法がお粗末であったというもう一つの例を申し上げますと、大蔵大臣が言われるところの内なる制度改革ということが、五十九年度には年金と地方財政、この二つの分野について行われたけれども、しかし六十年度については余り期待できなくなったという事情が新しく生じた。そういう中から、この補助金の整理合理化を大幅に行おうという考え方が登場してきたことのようでございます。そうだとすれば、これもまたもう少し慎重かつ十分な経過をたどることができなかったのかという疑念がそこに生まれるわけであります。  手法がお粗末だったという三つ目の例を申し上げます。補助金の整理合理化は各省庁の自主的判断にゆだねられたという方法がとられました。それはそれなりに政治的な意義があろうかと私も思うのでありますが、しかし残念なことには、省庁の垣根を越えた総合的視野での補助金の整理合理化がついには期待できないことになったという問題を残したわけであります。  さて、手法に続いてお粗末の次は内容についてであります。  その一つは、補助率カットの対象になぜ高率補助金を取り上げたかという、その理由が必ずしも明らかにされていないということであります。再び財政制度審議会の答申を引用させていただきますならば、次のように述べられております。「ある程度以上高い補助率は、財政資金を効率的に使用しようとする意欲を減殺したり、いたずらに事業量を拡大しようとする傾向を助長する等、いろいろな面で弊害を生ずる可能性も認められる。」と述べられているわけであります。この一番最後のところに注目したい。もう一度申し上げるならば「いろいろな面で弊害を生ずる可能性も認められる。」というわけであります。要するに明確ではない述べられ方がしてあるわけでありまして、そうだとすれば、これは十分な説得力を欠く御意見であると申し上げざるを得ないわけであります。  次に、高率ということの意味であります。法律案によれば二分の一以上の補助率を高率ととらえているようでありますが、なぜ二分の一以上を高率ととらえたのか、その理由も必ずしも明らかではない。三たび財政制度審議会の答申を拾いますと、そこには「高率」と述べられたその次に「(例えば二分の一超のもの)」というふうに述べられております。例えばづきである。しかも括弧の中に入っている。どうも財政制度審議会も確たる信念のもとに答申をお書きになったとは受け取りにくいわけであります。  三つ目に例を申し上げます。カットの量的範囲がおおむね一律一〇%程度とされているようでありますが、なぜそのような線が出されたのか。あえて申し上げるならば、なぜ八%ではいけなかったのか、一二%ではまずかったのか。その辺のことについてもまた理由が私の知る限りでは極めてあいまいであるというふうに感じるわけであります。  以上、るる申し上げました手法と内容とがどうにも率直に申し上げればお粗末である、そんな感じがして仕方がないわけであります。  さて、派生的に出てまいります問題の三番目でございます。整理合理化の網の目から外されたものがあるという問題がそれであります。  二つございます。一つは公共事業費でございます。御承知のように、昭和六十年度国家予算ては公共事業費に関する補助率のカットは経常経費の場合と同じように行われましたが、しかしその結果、浮いた財政資金はほかの公共事業費に回されることとなって、公共事業費としての補助金の総額は減らされなかったということがございます。ついでに申し上げれば、その結果、公共事業費だけは財政再建に何ら資するところがなかったということになるわけでありますが、まあそれは余分なことでございます。恐らくそのように扱われた背景にはいろいろな事情があったのだろうと推測いたしますが、いずれにしましても、結果として公共事業費は、少なくとも総額について見る限り、補助金整理合理化の対象とは明確に位置づけられなかったということが言えようかと思います。  網の目から外された二つ目の例は、いわゆる隠れた補助金についてでございます。御承知のように、租税制度の中には特定の企業なり法人なりに対して特定の税負担を軽減ないしは免除する特例措置が幾つもございます。その多くは通常、隠れた補助金と言われております。もしも補助金の整理合理化を全体的視野から行うというのであれば、隠れた補助金もその対象にせざるを得なかったはずであります。にもかかわらず、部分的には行われたようでありますが、しかし私が今申し上げたような意味合いにおいて全面的に隠れた補助金が洗い出されたという話は残念ながら伺っておりません。  さて、派生的に出てまいります問題の四番目は、法律違反のおそれがありはしないかという懸念でございます。地方財政法第二条二項は次のように述べております。国は、いやしくも地方公共団体の自律性を損ない、または地方団体に負担を転嫁するような施策を行ってはならないというのがその条文でございます。私の見るところでは、この条文に今日上程されている補助金等整理合理化法案は抵触するのではないかという懸念であります。その中心的課題は、もしも整理合理化するというのであれば、それに合わせて地方公共団体に対し財源の付与が考慮されなければならないと考えるからであります。そのうち高率補助金の原則一律一〇%カットについては、文字どおりカットしただけで、地方公共団体に対する何らの財源付与の措置が講じられておりません。これはしたがって直ちに問題になろうかと思うわけであります。  次に、地方公共団体の事務として同化、定着している事務の負担金、補助金を整理し、一般財源による措置への振りかえを行うという点につきましては、これは確かに表面的には一般財源に振りかえられるならばそれなりの財源措置が行われたということはできるかもしれません。しかし、そういう言い方が実質的な意味においても言えるというのであれば、それは国税三税の三二%という地方交付税の法定交付総額が、その分増額されるというのでなければならないわけであります。この点に関し、新聞報道によりますと、大蔵省は、カット分は地方交付税で補てんするので、財政力の弱い自治体には負担の影響力が及ばないという考え方をおとりになっていらっしゃるようであります。しかし、私がただいま申し上げましたように、三二%という交付税率が引き上げられませんので、その限りにおいて財政力の弱い自治体、すなわちここでは交付団体ととらえてよかろうかと思いますが、交付団体は少なくも十分な財源上の措置が講じられないという立場に立たされる、これは疑う余地がないわけであります。のみならず、不交付団体には問答無用の負担のそっくり転嫁とでも申しますか、ということが行われることにもなってまいります。私が強調申し上げたいのは、補助金というのはなるべく整理するのが望ましい、私は原則的にはそう考えております。しかし、一般財源をその分ふやすのでなければならないということはぜひとも必要なことであります。  なお、地方財政法二条二項に抵触するのではないかとの関連でもう一つつけ加えて申し上げますならば、冒頭申し上げましたように、もしも整理合理化をするというのであれば、国、地方間のもろもろの関係を洗い直し、かつ補助金についても総合的、個別的に時間をかけて洗い直すという作業が前提として必要である。これが行われていないということもこの条文に抵触する一つの事情になろうかと思うわけであります。  なお、つけ加えて申し上げるならば、特に自治省が管轄する事項につきましては、財務当局である大蔵省は自治省の意見を聞くだけでは不十分でございまして、全国の自治体の意見をも何らかの方法ででき得る限り徴する必要があるというふうに考えます。  時間がなくなりました。多少あとはしょって申し上げたいと思いますが、五番目に派生的問題として出てまいります問題は、もしもこの法案が通るようなことになりますと、地方交付税法第六条の二項に数字を挙げて規定されております地方交付税率三二%という数字もいつかの将来安易に改正されかねない、しかも低い数字に改正されかねないという不安を感じるわけであります。安易に改正されかねないというところに重点を置いて申し上げたいと思います。  さて、最後に第六番目の派生的問題といたしまして、話が戻るわけでありますが、国家財政の都合ということがすべてをリードしてしまっているというところが基本的に問題になるわけであります。地方財政法第十条は、国家財政が困難化したときに負担を一部地方公共団体に転嫁してよいというようなことはうかがえることができない規定になっております。十条の条文を御紹介してみますと、「国と地方公共団体相互の利害に関係がある事務のうち、その円滑な運営を期するためには、なお、国が進んで経費を負担する必要がある」場合に「国が、その経費の全部又は一部を負担する。」というのがその条文であります。これを裏返して申し上げるならば、国が進んで経費を負担しなくとも円滑な運営を期することができるようになったとき経費を負担しないことが許されるというふうに理解できると私は考えます。今申し上げたうちの前半に御注意いただきたいと思うんです。もう一度申し上げますと、国が進んで経費を負担しなくとも円滑な運営を期することができるようになったときということであります。つまり、このくだりの中には、先ほど申しましたように、国家財政が困難化したとき経費を負担しないことは許されるというニュアンスを酌み取ることは私はできないと考えるわけであります。  最後に申し上げます。国家財政の都合ということは無論地方公共団体としても無視することはできません。できることならばあらゆる手だてを講じて協力するというのは当然のことでございます。ただ、それが今まで申し上げましたようにいろいろな点で手抜かりや問題点を抱え込んでのことである、これはやはり望ましくないと申し上げざるを得ないわけであります。  以上で私の申し上げたいことを終わります。失礼いたしました。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) ありがとうございました。  次に、米原参考人にお願いいたします。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 広島大学経済学部の米原でございます。本日はお招きいただきまして大変ありがとうございます。これから私の本法律案に関する意見を申し上げさしていただくわけでございますけれども、その前に一言お断りを申し上げておきたいと思います。  それは、私は不作法な礼儀知らずの田舎者でございまして、また、どうもついこういう何かの意見を述べます場合には失言癖がございまして、すぐほかの方を怒らしてしまうという癖がございます。本日はこういう大変品位の高い国会という場所でしゃべらしていただきますので、そのようなことがないように気をつけますけれども、もしかしたらついそういうことが出てくるかもしれませんので、その点は何とぞ御容赦いただきたいというふうに最初におわびを申し上げておきたいと思います。  今から意見を申し上げさしていただきますが、現在我が国の財政に関しまして、私は次の三つのことが最も重要なことであると思っております。一番目は増税なき財政再建をやっていただくこと。二番目は、国と地方との間の責任分担を明確化して、個々の行政ごとに、これは国の仕事である、これは地方の仕事であるということをはっきりさしていただきたいということ。それから三番目は、財政支出を効率化していただきまして、これから財政支出がふえるということは余りないと思うんですけれども、その中でなるべく国民の満足が大きくなるようにお金は使っていただきたいこと、この三点が私は今の我が国の財政について重要なことであろうというふうに思っておるわけでございます。  今回御審議なさっておられます法律案は、大別いたしまして次の五つの内容があるというふうに聞いております。すなわち一番目は補助規定を削除し交付税措置に振りかえるということ。二番目は職員設置費等人件費に係る補助金を交付金措置にかえていくということ。それから三番目は補助金等の臨時特例に関する法律による特例措置を恒久化するということ。それから四番目は、行革関連特例法につきまして、これが五十七、八、九年度、三年間だけであったのを六十年度もう一年延ばすということ。それから五番目に、二分の一を超える高率補助率につきましてはこれを引き下げていくという、この五つの内容があると聞いております。  私は、この五つの内容のうち一、二、三につきましては余り大きな問題はないのではなかろうか。補助金を削減して交付税措置に切りかえるとか、補助金を交付金化していくということにつきましては原則的に賛成でございます。しかし、四番目の五十九年までの特例措置としていろいろな補助金の補効率が引き下げられておりましたのを、もう一年ごとしも続けるという点、それから五番目の高率補助率につきましてその一割カットをするという点、この点につきましてはどうも賛成いたしかねるわけでございます。  これはいろいろと理由がございます。ですけれども、例えば一つ、この高率補助金の中に含まれております生活保護費補助金の引き下げ、これを八割から七割に下げるということについて考えてみましても、これは何かおかしな措置であるように私は思うわけでございます。その理由は、こういう生活保護を行うというような仕事は、本来これは国の仕事でありまして、地方が自主的に行う仕事ではないというふうに考えておるからでございます。国の仕事と思いますのは、生活保護をいただくということは、全国どこでも、北海道におりましても、九州におりましても、東京におりましても、同じように生活保護の恩恵に浴するというのが筋であろう。各地域によりまして、東京は生活保護がたくさんもらえるけれども北海道では余りいただけないというような、そういう地域間の格差はあるべきことではなかろう。であるならば、国が責任を持ちまして全国一律におやりになるのが筋であろう。  現在の法律、私は経済学部ですので法律には疎いんですけれども、どうもこれは国の機関委任事務でありまして、本来国が行うことを地方にやってもらっているという仕事のようでございます。そうでありますなら、私は、これは国が十割出すのが本筋だろうと思うわけです。今は八割しか出ておりませんが、これは全部やるとついつい地方がむだにするのじゃないかというような不信感をお持ちだからそうなっているというような話を聞きますが、私はよくその理由はわかりませんけれども、本来なら全額国がお持ちになられるべきものだろうと思うわけです。それを今度は七割にされようとしておられる。しかもこの理由といたしまして、高い補助率は財政資金を効率的にしようとする意欲を減殺したり、またいたずらに事業量を拡大しようとする傾向を助長するということをおっしゃっておられるわけでございますが、これはちょっと物の本質を間違っておられるのではなかろうか。やはりこれは国の仕事ですから、国が負担すべきものですから、これを補助金として高率補助であるとかいうふうに考えるのがおかしいんじゃなかろうか。三割地方が持てといいますと、これは国と地方とが共同して一緒に責任を持ってする仕事だというふうに性格を変えることになると思うんですが、私はそれはちょっと筋論からいっておかしいんではないのかと思います。  また、財政再建という見地から見ましても、これは国と地方との間の負担割合を変えるだけのことでございまして、財政全体としての支出を減らそうという話ではございませんから、財政再建というのに私は余り役立たないんじゃないのかという気がするわけでございます。  細かくお話を聞きますと、今回の措置は基本的には補助率を下げて、地方の補助金が減ったならその分を起債で補てんして、またその起債は将来交付税で見ようというようなことらしいんですけれども、これは単に現在の赤字を将来に先送りするというだけのことのようにしか私には思えないわけでございます。ちょっと極言いたしますと、国の公債発行を減らすために地方の公債発行をふやしましょう、ただそれじゃ地方の方もお困りでしょうから、地方に公債発行をふやすようにお願いした分は将来国の方でまた基準財政需要にでも入れて面倒見ますよと言って地方をなだめられた、何かそういうようなことだけの話のように思えるわけです。日本という国は立派な国でございますから、もっと財政の根本的な改革になるように、小手先の、今の赤字を将来に送るといったようなことだけじゃない、もっと立派な政策を考えていただきたいというふうに思うわけでございます。  また、私は財政再建ということを割に重要視して考えておりますから、財政支出全体が見直しをされ、そしてそれを削減されていくという方向に反対するわけじゃございません。増税なき財政再建をやっていただくためには、どうしても歳出というものはより厳しく見直していただき、不必要なものといいますか、効率の低いものは減らしていくという方向はとっていただきたいわけでございます。  その場合に、それじゃ一体何が非効率なのか、何が国民の生活に役立っていないのかというようなことは非常に難しいことでわかりにくいことでございますけれども、この点の判断はなるべく地方に任せていただきたいというふうに私は思うわけでございます。経済学で消費者主権ということをよく重要視いたします。これは何を買えばいいのかというのは消費者が一番よく知っているという話でございます。例えば酒を飲む。ある人は日本酒が好きと言うだろうし、ある人はビールがいいと言うかもしれません。いや、おれはウイスキーだ、おれはしょうちゅうと言う人もいるでしょう。それを知っておるのは飲む人自身でございます。周りの人はおまえはしょうちゅうを飲めとか、おまえは日本酒を飲めとか強制すべきものではない、それぞれ飲む人が自分で決めるべきであります。  その見地から申しますと、地方財政というものは、お金を使いまして住民のために仕事をする地方団体が、この金はどう使おうということを決められるようにしていくというのが一番いいことであろうと思います。地方団体が自分自身でこの金は余り効率的でないとか、これは住民にとってそんなに役立たないということを御判断になるというのが本筋だろうと思うわけでございます。そのような見地から考えますと、我が国は特定目的補助金と申しますか、この金はこういうふうに使いなさいというふうに決めて国がお出しになられている補助金というものが何か余りにも多いように思うわけでございます。しかもこの特定目的補助金をお出しになられるときに、いや、この補助金についてはこういう使い方をしなさい。よく言われることでございますけれども、一つの建物の中に例えば保育所と児童館を入れるというような場合には、玄関を二つつけなさいとか、看板を別々に上げなさいとかいうようなことまで指定されるというお話を聞くわけでございますけれども、そんな細かいことに偉い国のお役人の方々が頭を使われるというのはもったいないと私は思うわけでございまして、そういう金の使い方は、地方で、それぞれの地域で自分の地域の実情に合ったように自分で思いどおりに、自分たちで一番いいと思うように使えるようにする、そういうことをお考えいただきたいと思うわけです。この点から申しますと、今回の法律案の中に入っております補助金の交付税への転換とか、補助金の交付金化というのは非常にありがたいことだろう、こういうことを今後もどしどしやっていただきたいというふうに思うわけでございます。  アメリカなどの補助金をちょっと見させていただきますと、一例でございますが、総合雇用訓練法という法律に基づきます補助金があるそうでございまして、それぞれの地域の失業をなくしていくというようなことを目的とした補助金であるそうでございますが、この補助金でございますと失業対策事業にも使えるし、職業訓練事業にも使ええますし、職業紹介事業にも使える。そのほか失業率の高い地域に進出いたします企業に対する地方団体の融資にも使える。そういう工場団地を建設しますときの道路の建設にも使える。企業誘致を促進するための公共施設の建設にも使える。もう何とありとあらゆることに使えるといったような補助金があるようでございますが、補助金の理想というのはそういうことではないだろうかと思うわけでございます。今後こういう方向でぜひとも地方行政というものはお考えいただきたいというふうに思うわけでございます。  それから今回の法律案の内容の四番目にございます行政改革関連特例法案の一年延長ということにつきましては、先ほど申しましたようにちょっと賛成しかねるということを考えておるわけでございますけれども、どうもこれについては地方団体の反発というものが強いように感ずるわけでございます。この反発というものは単にお金を削られたという反発よりも、むしろ三年といいながら四年になるじゃないか、悪い言葉で言えばだまされたんじゃないか、国は約束してあっても約束を守ってくれぬのじゃないかというような反発のように私は感じるわけでございます。だから、予算とか国の財政とかいうものは、非常に難しいとは思いますけれども、なるべく地方団体との信頼関係というものを大事にしていただきまして、地方団体が国に対する不信感を持たないようにやっていただきたいというふうに思うわけでございます。  今回の特例法案も一年限りということで法律案が出ておるわけでございますけれども、地方団体の中にはこれももしかしたら二、三年ぐらい続けられるんじゃなかろうかというような疑心暗鬼といいますか、非常に疑いの目で見ておるということがあるわけでございますので、もしこの法律案を一年限りということでお出しになられるなら、それはそれできちんと守っていかれるのが大切なことではなかろうか。今の時点でもし一年じゃだめだ、もう二年、三年かかるんだということがはっきりしておるんなら、はっきりとそうおっしゃって法律をおつくりになられるのが地方の信頼を得るのに必要なことじゃなかろうかというふうに思っておるわけでございます。  もう時間が参りましたので、ほかにも一、二申し上げたいこともございますんですが、これで終わりにさせていただきます。どうも大変失礼なことばかり申し上げまして済みませんでした。これで終わりにさせていただきます。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) ありがとうございました。  次に、小林参考人にお願いいたします。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) 小林でございます。こういう機会をいただきましてありがとうございます。それでは四点ぐらいに絞りまして私の見解を申し上げさせていただきたいと思います。  まず第一に申し上げたい点は、本法律案について地方自治体の首長さんあるいは議会、住民の皆さん、あるいはそのもとで働いています私ども二百万を超えようとする自治体労働者、こぞって本法律案については反対の意思を表明いたしました。これは意見書などの形で政府にも届けられているというふうに思います。ところが、この補助金カットについて影響が自治体や住民には及ばないようにする、そういう財政措置をとったんだと、そういうふうに言われておりますが、しかし事実は、交付税で見ると言いましても交付税の制度は何ら変えられていない、総枠は変られていない。あるいは起債で見ると言いましても、その後の政府の責任は不明確であることはもう申すまでもないわけであります。ましてや不交付団体については全くストレートにその負担がかぶるわけでございます。また一年限りという問題につきましても、今後ともこの方針を貫くことは既に明らかにされているわけでございます。  したがって、まず第一に申し上げたい点は、本法律案は全国の自治体、すなわち国民の民意に即してないわけでありまして、最初に態度を申し上げますが、廃案にさるべきものというふうに思うわけでございます。  第二に申し上げたい点は、交付税あるいは起債の肩がわりということが、あたかも自治体の、地方公共団体の自主性を尊重するような言い方がされておるわけでありますが、私は自治体の自主性が大いに尊重されて財政運営がされるということはもちろん大事なことだというふうに思いますが、しかしこの法律案の本当のねらいは、そういう自主性というふうなことに名をかりて地方自治体に肩がわりをするということが実は本当の姿になっているのではないかというふうに思います。とりわけ国民の生存権に直接かかわる、この法律案の中に盛られている子供の福祉とか、あるいはお年寄りの問題とか、障害者の問題とか、このような社会的弱者まで含めて地方自治体への肩がわりという内容でありますので、これは大変な内容だと言わざるを得ないわけであります。しかし地方自治体は決して財政に余裕があるわけではありませんから、しかも全体として国の施策はこうした財政に対して、今申し上げましたような子供の福祉とか、お年寄りの問題とか、障害者、こういうようなことまで含めて財政削減の方向を全体として指導されているわけでありますので、自治体への責任転嫁ということは、強いて申し上げれば、結局のところ住民の皆さんへの犠牲ということにならざるを得ないわけであります。そういう点で、こうした行政は、個々の行政で国の責任を明確にして、すべての国民が最低保障がきちっとされるということが極めて重要であります。  これはもうちょっと視野を広げて申し上げれば、今日貿易摩擦などが大きな問題になっているわけでありますが、これはもう国際的な常識になっていますように、日本の労働者の低賃金あるいは長時間労働、こういうことと相まって福祉や教育、医療、年金、住宅など国民生活基盤を著しく犠牲にして、こうした国民犠牲の上でコストを引き下げ、国際競争力をつけて経済成長を図ってきたことが主な原因であります。私ども労働者が申し上げるだけではなしに、諸外国の資本家の代表まで含めてそのことは既に明白にされているわけであります。こうした点から申し上げれば、今回の措置は国際的な批判にも到底こたえられない内容ではないかということを申し添えたいと思うわけでございます。  第三に申し上げたい点は、本法律案は国と自治体、地方公共団体の財政負担区分の変更の問題なんであって、国民的影響はない、こういうふうにおっしゃる向きがございますけれども、しかしこれは事実と大変異なっているというふうに思います。  私どもは自治体の第一線で働いておりますので、今回の法律案が提起されているこの段階において、もう大変な影響が出ているということを二、三の例で申し上げ、国民に影響がないということは事実と違うということを申し上げたいと思うのであります。  例えば生活保護に例をとって申し上げますと、私どもの仲間であるケースワーカーの皆さんは、生活困窮者の皆さんに対していろいろな相談をしながら、もちろん自立の道を目指しながらも、万やむを得ず保護を受けざるを得ないという方については、それを適用することに努力しているわけでございますが、しかしこうした法律案が出た中での全国的な状況は、全体としていかに保護率を下げるかという指導がますます強まっているわけでございます。保護率を全国的に見ますと、千人当たり十二人程度というのが一般的な傾向のようでございますが、例えば埼玉県などの中小零細企業の多い、比較的保護率が上がらざるを得ないような地域では、この全国的な平均を一人二人上回らざるを得ない。こういうところもあるようでございますが、このようなところについて厚生省の指導は、保護率が高いというのはケースワーカーなどの職員の質が悪いからだということなどを監査のときに指摘しているわけであります。これに沿って、市ではやむを得ずケースワーカーの専門職を異動して税務職を充てるというような異常な事態も生まれまして、そしてこの保護率をかなり下げる、七、八人にまで下げたと、こんな事態も生まれているわけでございます。もしこのような法律案が通るというような事態になれば、全体として削減傾向という指導がますます強まることは必至でありまして、ますます深刻な事態になるのではないかというふうに思います。  あるいは寝屋川市などの例をとりますと、現在まだ補助金問題につきましては国会で審議中にもかかわらず、この三月に成立した当市の予算を見ますと、こうした福祉などの補助金カットという状況を先取りいたしまして、大体こういう方向に沿ってこの市の予算では九千六百四十万円の福祉予算を削減しました。こういうことは、政府の方から見ますと大変結構なことかもしれませんが、しかし中身を見ますと大変冷酷だと思います。例えば心身障害者医療費負担を百二十五万円削ったり、あるいはあかつき・ひばり療育センター運営費を三百九十二万円削るなど、障害者福祉にも直撃をしているわけでございます。交付税で見るとか起債で見るというふうに言いましても、地方自治体の方はそのことについて確実な保証がないもとでは、もう先取りして削減をし、財政を考えざるを得ない、こういう事態に追い込まれている一例なのではないか、こういうふうに思うわけでございます。  あるいは、これは補助金問題と直接は関係ございませんが、例えば広島市では今まで寝たきり老人の皆さんには無料で入浴サービスをやってきたわけでございますが、しかし今回、一回当たり、所得の格差は入れたようでございますけれども、千三百円から四千七百円ぐらいの入浴サービス料をいただくと、こういうような事態さえ起こっているわけでございます。  今まで申し上げたことはいずれも一例でございますが、いずれも非常に深刻な影響を与えているのではないかと思います。あるいは学校の教材費も今回対象でございますが、これもまた深刻な影響を出してきています。現在教材費は、国の補助によれば、小学校では一クラス当たり五万八千円程度であったようでございますが、既にこれを昨年四万円に削減をしているようでございます。そしてまた中学校は一クラス当たり九万四千円であったものが六万五千円にカットされる。そして今度は交付税で見るとはいうものの全面カットということでございます。つまりこれはどう受けとめても、自治体当局、教育委員会当局から見れば、教材費は削るのが妥当と、こういう指導というふうに受け取ることにならざるを得ないわけであります。一クラス当たり四万円とか六万円という教材費で一体どんなものが買えるかということは、もう十分わかることだというふうに思います。例えば学校によっては、クラス一つに地球儀がないというようなところもあるわけでありまして、見るに見かねたPTAの皆さんがこれを肩がわりする、こういうような形で義務教育の教材まで父母負担に求めざるを得ない、こういう事態さえ生まれているわけでございます。こういうようなことにつきましては、一例でございますけれども、いずれにしても、こうした傾向はますます広がるのではないかという懸念を申し上げたいわけでございます。  第四に申し上げたい点は、私はカットという問題について、冒頭申し上げましたように、それは到底容認できないということを申し上げましたが、現行の国庫負担あるいはそれに伴う基準行政、これも極めて不十分でありまして、カットが問題だということだけではなしに、私はむしろカットどころか大いに改善をしなければならないということを申し上げたいわけであります。  これも私ども第一線で働いておりますので具体例で幾つか申し上げますけれども、例えば保育所というのは非常に今日問題にされています。これを大阪に例をとって申し上げますと、大阪の衛星都市二十市で働く保母さんたちは、この冬の間に二万六千世帯のゼロ歳児を持っている家庭を一戸一戸訪問いたしましてお母さんたちや家庭の事情を調査いたしました。これは大変な作業でございましたけれども、その状況を集約いたしますと、二万六千人のお母さんたちのうち二万四千人は就労経験がございました。しかし子供が生まれた、ゼロ歳児が家庭にいらっしゃるという家庭では、現に働いていらっしゃるお母さんは五千人に減っておりました。そのゼロ歳児保育として五千人のうち保育園に預けていらっしゃるお母さんは千三百三十四人でございます。つまり大阪の二十市の中で二万六千人のゼロ歳児を持った家庭があるわけでございますが、保育園に預けているのはわずか千三百三十四人という、こういう状態でございます。この重要な要因に保育料があるということはもう明らかでございます。  私ども全国の二百の市を抽出いたしまして保育料調査をいたしました。その保育料の最高額を分類いたしますと、最高額と申しましても、現在の基準で申しますと共働き世帯は大部分最高額になるわけでございますが、一カ月当たり四万円以上というのがそのうち六二%でございます。その六二%のうち五万円以上というのが一四・七%であります。岩手県などでは七万円というところさえあるわけでざいます。ゼロ歳児一人を、ゼロ歳児といいますか、これは乳幼児でございますが、三歳未満児でございますが、お一人預けて要するに五万円時代になった。もし二人持てば十万円。保育時間などの不足がありますと、それにさらに二重保育を入れますから、十万円を超える、十五万円、二十万円という事態になるわけでありまして、これでは到底保育園に預けられない、こういう事態が生まれているというのが大きな要因でございます。  これは、いずれも措置費の中で保育料についての基準に基づいてこうした事態が生まれているわけでありまして、かつてポストのような保育園をという時代はまさに遠い昔になりつつあるわけでありまして、これはまさに措置費そのものを、大幅にカットどころか、引き上げなければならないということを申し上げたいわけでありまして、その中身の上でも、保母の配置や看護婦の配置などなど、先進国で既に確保されているような保育水準が、先進国日本でありますから確保されなければならないというのはもちろんであります。  例えば新潟市では、昨年度こうしたもとで超過負担を覚悟の上で保育料を一万二千円引き下げました。そうした結果、百人も保育所の入所がふえたわけであります。このことが示しますように、これは新潟市の場合大変な超過負担を覚悟の上でやっているわけでありまして、このようなことではなくて、子供のことは日本の民族の将来にかかわることでありますから、こうした保育内容の改善をすべきではないかと思うわけでございます。  あるいは老人ホームに例をとりますと、名古屋市では老人ホームに入られているお年寄りは千七百七十二人でございます。ところが、入所を切実に希望されて待機されている方が百六十人もおります。大阪で例をとりますと、四百八人も待機されている方があります。こうなりますと、もっと切実な入所を必要とするお年寄りが入所を希望されましても、私どもはそれを断るということが仕事になってしまうわけであります。そして、待ってくださいと、こういうことになります。しかし、老人ホームで待機されている皆さんに待ってくださいということは、つまり定数があかなければ入れないということになりますから、これはもっと言葉を詰めて申しますと、お年寄りの死を待つという、まさに冷酷な事態であります。これも老人ホームなど老人福祉に対する国の補助基準の低さから生まれることだと思います。  あるいは、今回下水道補助金も対象となっていますけれども、日本の下水道の普及率はわずかに二九・七%でございます。これを国際的に比較いたしますと、イギリスでは九七%、西ドイツでは八八%、フランスでは六五%、アメリカでは七二%の普及率になっているわけであります。これもまた、先ほど申し上げましたように、国際的な批判から到底たえられるものではないと思うわけでございます。  最後に、財政再建という見地からこのような法案が出ているわけでありますが、しかし財政全体を見ますと、全体として抑制されているわけではありません。突出し、使うべきところにはかなりの多くの財源を投入しているという国の状態を私は決して見落とすことができないわけでありまして、ましてや国か地方かという問題ではなくて、財政運営というのは何よりも国民の命と健康を最優先する、そういう財政運営が図られてこそ国の責任が果たされるものだと思います。  私ども自治体労働者は、憲法に基づきまして、住民全体への奉仕者として精いっぱい働いているわけでありますが、特に福祉や教育、命と健康を守る仕事に携わっている私どもとしては、文字どおりそこで働く職員の生きがい、気概というものが住民サービス内容にも非常に影響するわけであります。そういう点から申しましても、このような今や健康あるいは福祉を削減していくというような方向、その心理的影響は、財政問題だけではなしに、大変大きいものがあるわけでございまして、本法案が廃案にされて、正しい方向が確立されることを申し添えまして発言にかえます。ありがとうございました。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) ありがとうございました。  次に、広瀬参考人にお願いいたします。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 広瀬でございます。  補助金の整理合理化法案は大ざっぱに言って三つの部分から成っていると思います。  第一の部分は、これは幾つかのわずかな補助金でございますが、これを整理して一般財源化していくという部分です。これには私は賛成です。もっと広範囲にこの種の措置を考えてよかったのではおいかと思います。  二番目の柱は、公共事業の高率補助について例の補助率を切り下げる措置をもう一年延長するという部分であります。自治体の間には非常に反対が強いわけですが、これはいわば自治体側にも選択の余地があります。つまり事業の量を減らすとか、一部を返上するとか、そうした選択の余地があることからしてやむを得まいというふうに私は考えます。  三番目、これが今回の法案の一番の眼目だと思いますが、生活保護費の補助率などを八〇%から七〇%に切り下げるという部分があります。これには大反対です。今この部分を修正する、実質的に廃案にするということになりますと相当混乱も予想されます。しかし、我が国の地方自治の前進という非常に大きな立場からこの問題を十分に検討していく必要があろうかと思います。  私はきょうは特に第三番目の問題について自分の考えを申し述べさしていただきたいと思います。  私は基本的には、補助金というのは整理し、削減していくべきものだと思います。その理由ですけれども、第一に補助金の制度というのは自治体を阻害する度合いが非常に強い。特に二千六百件もの補助金の網の目が覆っているというのは我が国独得の現象でありまして、地方にしてみれば、どんな仕事をしていくについても政府の関係省庁の許可を得なくちゃいけない。一々陳情して、イエスが出たものだけについて予算化し、事業をしていくというのが実情です。これが地方自治の本旨にいかに反するか、説明を要しないと思います。  二番目に、補助事業というのはどうしてもむだが多くなります。つまり、その補助金がとれるかとれないかというのは、当初から自治体としては予測できないことでありまして、住民のニーズとは関係なく、むしろ中央省庁に予算があるときにはその事業ができる、ないときには何にもできない。全く中央任せであって、ニーズから離れたところで事業をやっていく。必然的にむだが出てくるということだと思います。  三番目に、補助金を削った方がいいという三番目の理由は、国の財政再建、特に増税なき財政再建をやっていくためには、歳出の相当の部分を占めます補助金にもメスを入れざるを得ないということです。つまり地方も応分の協力をしていくべきだと考えます。  四番目に、補助金が悪いのは、非常に配分が不公平だということです。かつては新潟、特に新潟三区が住民一人当たりの国からいただく補助金というのは最高額でありました。これは自治省で毎年、行政投資実績というのを調査して出しておりまして、それによるわけですけれども、政治力で一部の地区が非常に公共事業でも補助金でもたくさんもらってくるということがあった。最近はちなみに島根県と山梨県が非常に高くなっておりますが、そういう政治力を反映するような補助金の配分、国の資金の配分というのは非常に不公正であるわけです。それで、大変に忙しい国会議員が恐らく時間の大部分は自治体の面倒を見ること、各省に足を運び陳情団とともに陳情することに費やす羽目になっているんじゃないかと思いますが、こういうことはやはり地方自治の本旨にも反するし、国政全般にも大変なマイナスでありまして、やはり国の仕事、地方の仕事というのははっきり分けていくのがいいわけであって、そういう意味でも補助金というのは整理していくべきものだと思います。  そういう論者であります私が高率補助の一律削減に反対するのは次のような理由からであります。  補助金というのは、大ざっぱに言って二つに分類することができると思います。  第一は、制度維持のための補助金と言っていいと思いますが、例えば憲法にはすべての人が初等教育を受ける権利があるというふうになっている。義務教育の制度を維持していくために国と地方が協力していく。学校の先生の給料の半分は国が出し、半分は地方が出す。つまり義務教育の制度を維持するためにそうした補助金が設けられておるわけであります。それからまた、憲法では最低限の文化的な暮らしをだれにも保障するということがあります。これは生活保護の制度でありまして、これも国と地方で相協力してやっていく。先ほどある参考人も申しましたけれども、これは大部分国の役目であるから国が八割出し地方が二割出すということになっているんです。あるいは失対事業も、失業者が町にあふれるということだとこれは大変な社会の問題になってくる、それも救済していかなくちゃいけない。それで失業対策事業の制度というのが設けられて、国と地方で八対二の負担でいこうという、そういう補助金であります。  つまりこの種の補助金は何も国が地方に一方的に出すというのじゃなくて、国と地方と協力して制度を守っていく、そのための補助金だとこう見ていいと思うんです。つまり、これは名前は補助金でありますけれども、国からいえば補助金でありますが、地方からいえば、これは地方が二割国に出している補助金だということも言えるわけです。民間の会社でいうならば、A社とB社が協力してある種のことをやる、双方が負担の割合を決めている、それでA社が仮におれはもうやめた、もう一割おまえの方で出せということになれば、B社には契約を打ち切る権利も生ずるでしょうし、全体にAとBの関係を見直すということだって主張できるわけです。そういう双務的なものでありますから、国が一方的にこの種のものを変えていくというのは非常に問題が多いというふうに思います。  補助金の二番目のもの、これは政策誘導的な補助金、あるいは政策的補助金と、こう言っていいかと思います。これが二千六百件のうちのほとんどでありますが、例えば建設省は、今の日本の最大の課題は下水道を広げていくことだと考えるとします。そうすると、市町村、府県に下水道予算をぜひふやしてもらわなくちゃいかぬ、そういうことから下水道事業についてはかなり高い補助率の補助金を出そうということになるわけです。あるいは農水省にしてみれば、府県、市町村が農政をサボることがどうしても困る、農政関係に大いに予算をつけてもらいたい、そういう農政関係の予算を引っ張り出していくために各種の農業の補助事業を設けだというのが発生的な理由じゃなかろうかと思います。各種の会館にしましてもそうであって、各省庁競って会館の補助金をつくっておりますが、やはり自分の関係の会館に府県、市町村の金を出さしたいというのが基本的なねらいだと思います。こうした政策誘導的な補助金というのはそれぞれ目的もあるわけですけれども、これが今の補助金制度の大変な弊害をつくってきているというのも実情だろうと思います。私が整理し削減すべきだと言うのは、まさにこちらの方の補助金であるわけです。  例えば制度的な補助金を削るとどういうことになるのかということを二、三言っておきたいんですけれども、国民の大部分の関心というのは本当に増税なき財政再建ができるかどうか、ぜひそれをやってもらいたいということだろうと思うんです。つまりその場合は、何も国税だけじゃなく、て、地方税も、そしてまた保険料なども含めた公的な負担がふえずに済むかどうかということになるわけです。さっきの制度的な補助金を削っても、これは地方がそっくり肩がわりする、つまり国と地方と合わした公的な歳出といいますか、それは一銭も減らないわけです。つまりこれは増税なき財政再建に寄与するところはゼロである。これじゃ余り意味がないということがまず一点であります。  それから、地方に肩がわりしてもらう。その分で国の財政は一息つくわけですけれども、問題は地方の自主財源がますます減っていくということです。御承知のように、日本の地方自治というのは何も制度的に国にがんじがらめになっているわけじゃない。端的に言えば金の面で握られて地方自治が十分に働かないということだろうと思います。つまり自主財源がこの段階で減っていけばますます地方自治は後退していく。こういう時期にしか本当は地方自治は前進しないんですけれども、かえって逆に後退を迫られるということになろうかと思います。  第三番目は、この種の制度的な補助金というのは、私は地方の貧富の差をますます拡大していくことになるんじゃないかというふうに思います。御承知のとおり生活保護の問題、あるいは失対事業の問題、これをたくさん抱えている市町村というのは旧産炭地を初め不況業種の多い地域であります。財政的にも非常に困っているところ、そういうところがまさに直撃を受ける。若干の代替措置はとられるわけですけれども、そういう財政の苦しいところを直撃するような政策がいいのかどうかという問題です。  四番目に、これは国の財政再建に寄与すると。それが第一のねらいになっておりますけれども、本当に効果があるのかどうかという点もあります。つまり今回の法改正に伴って、例えば一千億円を地方交付税の中に上積みするとか、あるいは建設公債の増発を認めるとか、いろいろな措置がとられております。そうしますと、一体四十数件の一律補助の削減で、その分の財政的な効果は二千八百億とかなんとか言われておりますけれども、果たして純粋なところで幾ら国に貢献するのかどうか。これだけ大騒ぎして一千億程度では本当にばかばかしい話だという感じもいたします。  急ぎますが、恐らくこれは余りおっしゃらないんですけれども、何で今生活保護とか失対事業に手をつけるかという基本的なところは、かなり水増ししてこれらのものが使われているんじゃないか。地方にもっと責任を持たせれば生活保護の認定なども厳しくなり、実質的にこの部分の歳出が減っていくんじゃないか。その辺に一つのねらいがあるんじゃなかろうかと思います。確かに私たちは生活保護の認定がおかしい例はいろいろ知っております。暴力団の連中がもらっているとか、あるいは非常に高齢者で実質的にもう働けないような人が失対の既得権といいますか、そういうのがあって、形だけ仕事をして、もらっておる例だとか、いろいろこれで一体いいのかなというような感じのする事例があります。しかし、また一方で本当に困っている人が排除されているという例もあるわけです。私は生活保護にしろ失対事業にしろ、もっと適正に本当に困っている人が救われ、そうでない連中は排除されるような、そういう検討というのはぜひとも必要だと思うんです。ただし、それはこういう一律削減というような措置じゃなくて、もっとそのものずばりの対策があってしかるべきだろうと思います。  最後に一言申し上げておきたいのは、本当に国の財政が困って、もうどうしようもないんだ、削減しようにも削減の道がないんだ、理屈にも何にも合わないけれども地方に協力してもらいたいということであるならば、それは一つの理由になるんじゃないかと思うんです。ところが、実際はそうじゃないというふうに思います。  大蔵省が出している補助金総覧には全補助金の使途、金額などがありますが、これを眺めていると、一体こんな補助金が本当に必要なのかどうかという気がしできます。例えば動物収容施設整備費補助金というのがあります。これは犬や猫の飼い主が捨てたくなったときに保健所に持っていく。保健所で収容しなくちゃいかぬ。その収容施設をつくるときには国が半額補助しましょうという補助金なわけですが、私はこれらは本来地方自治体の仕事であって、何も国が犬、猫に口出しすべきものじゃなかろうと思います。こういうのは真っ先に削ればいいわけです。六十年度予算では確かにこの補助金は削られておりますが、五十九年度まで延々と続いてきたわけです。  次のページをめくってみますと、国民健康体力増強費補助金というのが出ております。これはオリンピックの年にできた制度ですが、恐らく優秀な選手を全国から見つけたいということなのか、あるいはスポーツのすそ野を広げたいということかもしれませんが、これにまた多額の補助金が出ております。しかし国民の健康だ体力だに一体国が何の寄与ができるのだろうか。もしできるとすれば私はそれは自治体でありスポーツ団体だと思います。国がこういうところに口を出すのは余計なことじゃないかと思うんです。これは六十年度の予算にもついているわけですけれども、一体どうしてこういう補助金が削られないのか。若干調べてみますと、財団法人健康・体力づくり事業財団というのがもう既にあって、そこへたくさんの職員などが雇われている。簡単に削ると財団の維持ということが問題になってくる。  しかしここで考えたいのは、行政改革というのは国と地方の仕事を見直して、どうでもいいような仕事は削っていく、どうでもいい分野に仮に職員がいるならば、それもできるだけ配置を変えていくというのが行政改革だろうと思うんです。その種の、つまり役所の縄張りといいますか、そこに抵触するようなところは既にもう予算は削れないということになってしまって、削減は限界だと言うのは、これはかなり私はお役人の自分勝手な言い方じゃなかろうかというふうに思います。つまり、まだまだカットする余地があるのであって、すぐに地方にしわ寄せするというのは正しい手法とは言えない、そういうふうに思うわけであります。  以上、乱暴な言い方でしたが、また御質問があればお答えしたいと思います。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) 以上で参考人の方々の意見陳述は終了いたしました。  午後一時に委員会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午前十一時四十六分休憩      ―――――・―――――    午後一時開会

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) ただいまから補助金等に関する特別委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例等に関する法律案を議題とし、参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 国の補助金等は一般会計の中で三〇%ぐらいを占めております。十四、五兆でございましょうか。そして、そのうちの約八割が地方自治体向けであるということになりますと、国の地方自治体に対する補助金制度というものがどうなるか、どうあるべきかということは国にとりましても地方にとりましても大変重要な問題だと思います。  そこで、まず館参考人にお伺いをいたしたいと思います。地方自治体に対する国の補助金制度の利害得失と申しますか、あるいは功罪と申しますか、こういう点はメリットがある、こういう点はデメリットがあるということを総論的に御見解を承りたいと思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) お答えいたします。  まず補助金のメリットとして考えられますことは、一つは、国が補助金を出すことによって全国的にバランスのとれたいろいろな施策を実現していくことができるということ、そしてそれによってナショナルミニマムと申しましょうか、そういうものを達成することができるということが第一のメリットではないかというように思います。それからもう一つは、特定の行政目的を達成するためのいろいろな施策を補助金を出すことによって促進することができる、国が非常に重要と考えている行政目的を達成するのを促進することができる。この二つが一番重要な役割といいますかメリットと言ってよろしいかと思います。  これに対しましてデメリットとしてどういうことが考えられるかと申しますと、一般に補助金一般としては、午前の公述の際にも申し上げたことでございますが、補助金はどうしても既得権化しやすいということがございます。不必要になってもなかなか廃止ができにくいという問題がございます。それからさらに、どんどん肥大化していく傾向を持ちやすい、それに伴いまして資金の効率的な利用が阻害されることになってくる可能性があるという問題がデメリットとして考えられますが、さらに地方との関係で申しますと、安易な国依存の態度というのが形成される危険性があるということがあります。午前中にも申し上げましたように、補助金待ちといったような状態さえつくり出されるという問題があるように思います。これを今度は地方の側から見たときには、補助金という形をとるためにどうしても国の地方に対する介入といいますか、口出しが少し多くなるというような問題、それに伴って地方の自主性が阻害される危険性があるといいますか、そういう問題がデメリットとしては大きいのではないだろうかというように考えております。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 広瀬参考人に承りたいと思います。  先ほど広瀬参考人も現在の補助金制度を大いに改善合理化をしなければならないという御発言があったと思いますし、また承りますと、参考人は補助金の実態について国、地方を通じていろいろ御調査になった経験もお持ちだと承っております。そこで、現在の補助金制度を改革するとすれば具体的にどういうところからどういうふうに手をつけるべきであるか、いわば補助金改革の広瀬私案のようなものがありますれば承りたいと思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 国の行財政の改革というのは五十七年度予算ぐらいから本格的に始まってきたと見ていいと思います。一時は歳出の中で補助金というのは三三%まで達したことがありました。ところが今日はそれが二八%ぐらいまで下がってきでおります。つまり毎年のマイナスシーリングというのはそれなりに補助金の整理には役立ってきたのかなという感じがいたします。ところが実際を調べてみますと必ずしもそうではないわけです。と申しますのは、五、六年前も補助金の件数というのは大体二千六、七百件だったのです。今日もこの件数というのはほとんど変わっておりません。ではどういう削減が行われたのかと考えてみますと、例えば補助金の制度はそのまま残しながら一件当たりの補助金の金額を減らすとか、あるいは事業年度を延ばすとか、つまりその種の削減しか行われていないわけです。言いかえれば自治体を覆った補助金の網というのはそのままになっている。  補助金の削減のあるべき姿というのは、端的に言えば件数が減っていくということだろうと思うんです。件数が減るということは、その仕事が国の手を離れて自治体の方に完全に任されるか、あるいは国も自治体もその仕事から手を引くか、つまり政府の守備範囲というのがそれだけ狭くなるということだろうと思うんです。それを担当してきた中央の省庁の担当の係の職員は不要になってくる。あるいは自治体側もそういう補助金を取ったり報告したりという事務量が減ってくる。つまりそれが補助金削減の、補助金整理の本当のねらいだろうと思うんです。つまり国と地方の仕事の範囲を見直して不要不急のものを削っていく、それがあらわれるのが金額じゃなくて本当は件数だろうと思うんです。その件数がほとんど減ってないということは、見かけの上では補助金のウエートは下がってきたけれども補助金制度そのものは全然改善されてないということだろうと思うんです。  それじゃ、どうすれば本当の意味で整理していくことができるかということです。私はまず第一に財政当局の努力というのが必要だろうと思うんです。ところが財政当局は補助金を一〇%カットしなさいと、こう各省庁に要求するわけですが、その場合に問題が幾つかありまして、第一の問題は各省庁をもう全く一律に削っていくということ、福祉も道路関係もあるいは産業関係も軽重をつけずに一律に一〇%を削りなさいという言い方しかできないということ。それから、それを受けた省庁は、件数を減らすなどというのはもうもってのほかだ、件数を減らせばさっきも言いましたように職員の数が不要になってくるわけで、こういう財政難の折にも各省庁とも職員の陣容、編成というのは何とか守っていきたい。そうしますと必然的に補助金のカットというのは広く薄く、件数は変えないまま金額だけを若干削っていくということになってしまう。大蔵省に任せる補助金整理というのはそういう意味で非常に効率が悪いというふうに思います。  では、一体だれがそれをやっていくのかということですが、私は第一はやはりその地方団体が自主的に考えるものじゃないかと思います。実際かつて全国市長会がこういう補助金は不要じゃないかと、こう言って膨大なリストをつくったことがあります。全国知事会もそのリストをつくったかどうかは、私リストづくりまでいかなかったかと思いますが、基本的には補助金の整理というのを常に言っておる。だったらば、そういう地方団体がこういう事業についてはすべてもう地方に任せてくれ、国の補助金は要りませんという格好で持ち出していくのが一番いいと思うのです。しかし、この場合にも二つ問題があります。  一つは、その場合に必らず地方というのは補助金は整理してくれ、そのかわりその分の金額を一般財源として回してくれという要求をします。これは通常の場合には極めて妥当な要求なわけですけれども、こういう財政が苦しい時期だから、一〇〇削って一〇〇地方にそのかわり別の財源を出せというのはちょっと通りにくい。一〇〇削るかわりに一般財源として六〇よこせとか、七〇よこせというような主張ならば非常に通りやすいのじゃないかと思います。  二番目に、せっかくリストをつくるわけですけれども、地方公共団体の中にはやはりそれぞれ立場があって、おれのところはどうしても農業補助金は欲しいのだとか、自分のところは下水道補助金は切られたくないんだとか、非常にニュアンスの差が大きいわけです。そのリストを政府に出してその実現を強く迫っていくというような行動力はなかなか出てこない。そうすると、地方団体でそういう案をつくった段階から、むしろそれを政治的に実現していく大きな役目は案外国会議員であってみたり、自治省であってみたりするかもしれないと思います。つまり案は自治体でつくるが、それを強く迫っていく者がいなくちゃいかぬということだろうと思います。財政が豊かか貧しいか、貧しいところは、こういう言い方はなんですが、貧すれば鈍すというか、本当に趣旨としては補助金制度ありがたくないけれども、しかしそれにも頼らざるを得ないんだという自治体も非常に多いわけで、そういうところを抱えてどうやって補助金整理を進めていくかというのが最大の課題じゃなかろうかと思います。  以上です。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 今度の法律案の中には補助金の一般財源化が一部行われております。先ほど広瀬参考人も、また米原参考人もおっしゃったかもしれません、これは賛成であると。一般財源化というのは、地方の自主性を高め、あるいは国の行政事務の簡素化につながりますから私もまた賛成です。しかし、この補助金の一般財源化ということが口では言われますけれども、なかなか大幅に行われない。そこで一般財源化が行われない原因といいますか、理由はどこにあるのか。国の各省庁にあるのか、あるいは地方自治体側にもそれがあるのか。簡単で結構でございますから、広瀬参考人の御意見を承りたいと思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 私はやはり大半の理由は中央の各省庁にあると思います。午前中もちょっと申しましたけれども、やはり各省庁が仕事熱心から、決して悪意があるとは思いませんが、仕事熱心から自分たちの関係する分野の仕事を府県なり市町村に大いにやってもらいたいと。農水省も建設省も全部そういう観点から農業補助金を出し、あるいは建設関係の補助金を出して府県、市町村の政策を誘導していこうとする。予算をその分野に出させようとする。これが行き過ぎた結果が、あるいは府県、市町村を誘導するのは補助金しかないと、そういういわば補助金ばらまき戦争みたいなのが各省庁に起こってきて、それが今日のとんでもない状況を生んだのじゃないかというふうに思います。  今はその各省庁がどんな事業にも同じような補助率の補助金を出すために、結果的には誘導効果さえないわけです。つまり下水道だけの補助率が高ければ、府県、市町村は下水道工事に大いに予算をつけることになりますけれども、もう各省同じようなことをやるものだから、結局誘導効果というのはだんだんなくなってきている。そこを一つ考えても今は各省庁が補助金制度を自主的に見直すべき時期に来ている。それができないのはやはり縦割り行政の実情といいますか、縄張り優先主義がその改善を妨げている。そういうふうに思います。  もちろん市町村の責任もありますけれども、市町村はいわば非常に弱い立場にあるわけです。例えば今転作奨励金関係の事務費でいろいろの補助金がありますが、そういうのは正直に言って不必要だと、こういう市町村が非常に多いわけです。ところが、それをうっかり要りません、不必要ですと、こう言うと農水省からひどく怒られまして、そんなに余っているならほかの農業補助金も渡さぬぞというようなおどされ方をする。つまり対等の立場にありませんから、市町村にも責任があると、こう言いつつも、実際は市町村が中央に対抗できない。言いなりにならざるを得ない。責任の大半は中央だというのが私の見方です。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 きょうは私の意見を申し上げる席ではございませんけれども、広瀬参考人のただいまの御指摘は、私の地方の経験からいっても、かなりポイントを得たお答えをいただいたのではないかと思います。  今度は少し質問を変えまして、国の財政と地方財政、これに対する認識の問題につきまして渡辺参考人と米原参考人お二方、神奈川県なり広島県で地域社会を背景に仕事をしておいでになりますので伺いたいと思いますが、国と地方の財政状況につきましては、例えば行政改革審議会、昨年のこれは七月でございますか、この意見の中でも「国と地方の財政事情は、国、地方ともに収支不均衡状態にあるものの、国においては今後とも危機的状態が続く状況にある。」、こう指摘をしております。それからまた午前中の館参考人の御意見の中でも、国、地方とも大変厳しいけれども、国の方がより厳しいのではないかという御認識の表明があったと思います。  そこで、この問題につきまして、まず渡辺参考人、どういうふうにお考えであるか承りたいと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 表面にあらわれた数字から判断いたします限りでは、去年七月に御紹介ありました行革審の意見書にありますように、国、地方双方とも財政は苦しいけれども、しかしより国の方が苦しいんだということはあらわれているだろうと私も思います。ただ、あらわれているのでありますが、しかしそのことをもって、だから国の負担を地方にゆだねる、転嫁するという結論がストレートに出てまいりますと、そこに問題が出てくるのではなかろうかというふうに考えております。  国よりも地方の財政の方がゆとりがある、ないしは余裕があるということが実は数年前から臨時行政調査会等を初めとして国レベルの一定の省なり機関なりからそれとなく述べられているということは私も承知しております。そのゆとり論と言われるところの内容がどんなものであるかということについては、人によってさまざまのようにうかがえます。私は、何人かのあるいは幾つかの機関が言われていることを私なりに整理してみますと、およそ三通りぐらいに整理できるのではないかと考えます。  一つは、財政における地方債依存度並びに地方債現在高及び公債費に関する指標などを比較をしてみますと、国の方が厳しいということであります。二つ目は、国の財政は依然として歳出に歳入が不足する状況は続いているけれども、しかし地方の場合は、例えば昭和六十年度の地方財政計画によれば、補助金による影響を除けば収支とんとんになってきているではないかということ、それに関連して積み立てもかなりやっている自治体があるではないかといったようなことであります。それから三つ目は、例えば地方自治体には上乗せ福祉的なことをかってほどではないにせよ現在もなお見受けられるし、さらには一部の自治体に限られるとは言いながら、国家公務員の給与水準に比べるとかなり高い給与水準を設けている自治体もあるではないかとか、その辺のところが三つ目の問題として整理できそうに思われます。  以上三つの問題は、先ほど申しましたように、いずれも数字を比較する限りにおいては確かにそのとおりだと私も思うわけであります。しかし、表にあらわれた数字から離れまして実態を検討してみますと、地方財政によりゆとりがあるとは言われるけれども、実は言われるほどではないんだ、ないしはむしろゆとりとは全然別の問題があるんだというようなことが幾つか発見できるように思われるわけであります。時間の余裕があれば後ほどまた申し上げさせていただいても結構でございますが、したがいまして先ほど申しましたように、表面にあらわれた数字だけをもって、だから地方に負担を転嫁するというストレートの結論が出てまいりますと、私もちょっと待ってほしいというふうに考えざるを得ないというふうに思うわけであります。  なお、午前中の話の最後に申し上げましたが、そうは言いながら極めて厳しい国家財政に地方財政が全く拱手傍観してよいかと問われれば、決してそうは言えない、基本的には私はそのように感じております。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 同じ質問でございますが、米原参考人、簡潔にひとつお答えをお願いします。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 国と地方とどちらが一体余裕があるのだろうかという話は私は非常に難しいと思っております。と思いますのは、国というものと地方団体というものとはそもそも性格が違うということがあると思います。  国の場合は後ろに日本銀行が控えておりまして、まず国が破産するということはあり得ないんですね。これは国がつぶれれば公債不払いというようなこと、国債不払いということがあるかもしれませんけれども、まず日本の国がつぶれない限り、これは国債というものは価値を持ち続けるんですね。ところが地方債といいますのは、地方団体の後ろには日本銀行に当たるものがないわけなんです。もし銀行が金貸さない、おまえのところはもう赤字で危ないから貸さないと言えば、これは取りつけ騒ぎが起こり得る可能性があるものなんですね。宮澤元知事さんも御存じのように、ニューヨーク市は確かにその一歩手前まで行ったわけですね。  日本の場合は、地方債の発行は国の許可制のもとに置いておりまして、そうならないような歯どめがかかっておりますから何とかそうはなってないんですが、地方団体というのはもともと余り借金ができない。すれば危ないという性格のものでございます。ですから、今確かに数字の上から見れば国の公債残高の方が地方の公債残高よりもずっと大きい、公債費比率、公債の元利償還に使っている金も比率から見て国の方が大きいといいましても、国というものはもともとそういうものなんです。地方というのはもともとそうなれないものなんでございますね。ですから、私はそういう数字を見まして地方に余裕があるということは言えないと思います。  ただ、国の方で、幾ら地方が借金して地方債が今後ふえても、それは国で面倒見るよ、最後は国が出してやるよとおっしゃられれば、それは少々地方団体が借金が多くてもそれなりの余裕があると言えるかもわかりませんけれども、それがもしなければ、地方団体というものは倒産の危険性が高いものでありまして、決して余裕があるものとは思いません。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 最後に小林参考人に承りたいと思いますが、ことしは国の行革に対して地方行革の年だというようなことも言われております。これまで地方でもおのおの独自に大分行革を進めてきたことは事実でありますけれども、そこで今後この地方行革をどのように推進すべきであるか、推進する場合にまたそこにどういう問題点があるかということについてお答えをいただきたいと思います。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) お答えいたします。  この補助金カット問題も私は地方行革の一つの重要な手法なんではないかと、こういう考え方に立っていますが、今の御質問は補助金問題に直接関係ない格好での御質問でございますので、そういう立場から申し上げたいと思いますが、まず第一にはっきりしなければいけないことは、地方行革、つまり地方自治体の行革でございますから当然にして憲法と地方自治法に従って自治体が自主的に決定をするということがやはり完全に保障される必要があるというふうに思います。しかし、残念ながら例えば今度発表されました地方行革大綱も、これは地方から自主的にぜひこういう大綱を発表してもらいたい、こういうふうなことではなしに、これは残念ながら政府側から、あるいはその背景には財界があるのかもしれませんが、そういう中央的な発想に基づいているものでありまして、私はこれはもう発想の段階から地方自治に極めて大きく抵触しているのではないかという気持ちでおりますが、第一にやはりこの地方自治がきちっと保障される、このことが何よりも必要だと思うんですね。  そして二つ目に私ども重要視しておりますことは、行政改革というのはやはり住民生活が向上する、そのためにむだを省く、効率的にする、そういうことでなければいけない。その尺度がはっきり確立していなければならないというふうに思います。いわゆる住民生活を削って別な分野に持っていくということは、これは社会進歩にも反しますし、そういうことであってはならないのではないかというふうに思います。そういう点で申しますと、私は地方行革というのは、三つ目の点で言いますと、やはり国と地方との関係が勢いそういう問題との関係で大きく問われてくる点が当然浮かび上がってくるというふうに思います。  今、前の御質問で自治体が豊かかどうか、国と比べてどうなんだと、こういう問題もございましたが、私はそういう点でちょっと一言言わせていただければ、行革の前提にもなりますので申し上げれば、やはり収入と支出という二つの要素があって、相まって初めて財政という議論になるわけでありまして、地方は基本的には収入の面につきますと極めて制約されているわけでありまして、それに基づいて支出が当然制約される、こういうことになっているわけでありますが、私はそういう点でいきますと、国の責任というのはやはり口は出さずに財源を保障する、こういうことが求められてくるのだというふうに思います。  そういう意味でいけば、今、特に地方行革は住民生活に直接かかわっていますから、全国共通で申し上げれば最低保障ですね。今日的な最低限、一般的にミニマムと言われていますが、そういう国民生活のミニマムをいかにしてどう確立していくかという、そういう点でここはやっぱり地方の意見に沿って国が責任を負ってきちっとした確立をする、こういうことが相まって地方行革、いわゆる住民本位と私は申し上げたいんですが、スムーズに進むし、これは戦後四十年の地方自治の歴史があるわけでございますので、そう短兵急にいくものではなしに、時間をかけて住民の皆さんの意見もよく聞くし、議会でも十分に審議をするし、そういう民主的な手続が綴られれば、私はこの戦後四十年の歴史を踏まえるならばスムーズに進むことができるのではないかと思っていますが、今日的ないわゆる臨時行政調査会のような方向での画一的な、あるいは中央主導的なやり方は大変大きな矛盾を、むしろ不要な混乱をつくり出すのではないかと、こういう考えでございます。

宮澤弘自由民主党・自由国民会議

○宮澤弘君 終わります。

穐山篤日本社会党

○穐山篤君 参考人の皆さんには、きょうは大変御苦労さまであります。補助金の問題が中心課題ですが、せっかくの機会でありますので財政再建の問題について若干御意見を伺いたいと思っております。  御案内のように、昭和五十年から相当たくさんの公債の発行が行われているわけですね。この十年間で発行残高、ことしの分も含めますと百三十二兆九千億円ということに相なるわけです。満期到来の個人にしろ団体にしろ組織には返済をしなければなりませんけれども、それを具体的にやるために、去年赤字特例公債の十年返済というのを四条公債と同じように変えたわけですね。今の政府の方針でいきますと、昭和六十五年まで特例公債は発行し続けるという政策になっているわけです。そうしますと、返済が六十年かかるという理屈になるわけですね。そうしますと、昭和百二十五年ですか、二十一世紀の半ばまでこの借金を背負っていくという計算ができるわけです。  かつて戦時中も公債の発行が行われたわけですが、終戦直後のインフレでまあ消滅をしたわけですが、今の三ないし五%の経済成長率でいってみて果たして二十一世紀の半ばまでに返済が可能かどうか、そういう点について御研究をされているとすれば館先生、渡辺先生、米原先生にひとつ御意見を伺いたいと思うんです。  それから、それに関連をするわけですが、今回の法律の中で、五十五年行革で行革関連特例法というのが出まして、今日まで五十七、五十八、五十九の三年間で大体九千億円ぐらい国は借金をしょっている勘定になるわけです。もう一年延長をしようということになるわけですから、大体これが三千五、六百億円と計算をしましても一兆二、三千億円の借財になるわけです。こういうものを返済しなければならぬ。今の財政状況あるいは政治の仕組みからいってみて、果たして返済が可能かどうか。それが財政再建にどういうふうに関連をするのかということもひとつ含めて御意見をいただきたいと思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) 大変難しい大きい問題を提起されまして、果たして御満足いくようなお答えができるかどうか疑問に思いますが、まず何よりも私どもが心配しておりますのは、さしあたり、現にまだ特例公債を発行していかなければならないという状態に財政があるわけでございまして、何よりもできるだけ早くこういう状態から脱却することに全力を尽くす必要があるというように私は考えておるわけでございます。  それからもう一つ、これは学者的な見地から申しますと、国債の発行残高が国民総生産の一定の水準に収れんして、それよりもふえていかないという状態になれば、それの弊害はそれほど大きくないというように考えておるということがございます。そういうように財政の運営を持っていかなければならないというように考えます。  それからもう一つ、その返済の問題でございますが、御承知のように借りかえは行われておりますが、借りかえというのはそのまま乗りかえるということではなくて、一応現金で返済はしているんだと私は了解しておりまして、その分をさらに同額国債を発行しておるという状態ではないか。その限りにおいては、まあ形式的といえば形式的ではございますけれども、返済は行われているというように考えまして、あとは国民経済的な観点からは、先ほど申しましたように一定値に収れんするようにする、それを超えないというように持っていくこと。それから、さしあたりそのためには何よりも現在の赤字公債依存から一日も早く脱却するように努めるべきである、こういうように考えております。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 三、四%ぐらいの経済の成長率で財政再建が果たして可能であるかどうかという御質問だったと思います。  今も館先生のお話にございましたが、最近強くなってきた一つの有力な考え方に、赤字国債の発行額や残高は政府がコントロールできる範囲内であれば無理をしてでも削減する必要はないという意見がございます。その政府がコントロールできる範囲内というのはどういう範囲内のことを言うのか。国民総生産との関係で発行額や残高との間に適切な比率が用意されて、その比率が守られていきさえすればよろしいのじゃなかろうかというふうに言われております。  つまりそのように考えるといたしますと、ここに私から言わせると一つ困難な状況が出てくるのではなかろうかというふうに思うわけであります。つまり将来発行していく国債の償還の方は国債残高と利子率の積であらわすことができる。しかし他方、発行の方は国債残高と名目成長率の積であらわすことができる。もし国債費と国債発行額がそのようにあらわすことができるとすれば、ここに出てくる一つの結論は、利子率と名目成長率とがほぼ等しくなってくれさえすれば国債費が国債発行額と同程度の水準に落ちついてくれるということになるわけであります。しかし、その利子率と名目成長率とがほぼ等しくなるという事態が現実の日本経済の中で果たして期待できるかどうかということになりますと、そこに私は疑問を感じるわけであります。  昭和五十九年度日本経済のように、五%前後ぐらいの高い成長率を維持することができた、それが今後も何年間か継続していかないと今の案は架空の案に終わってしまうおそれがあるわけであります。私は、どうも五%前後の成長率が今後数年間にかけて維持し続けられていくだろうという考えを持つことは難しいと思われますので、このような考え方には疑問を感じているわけであります。したがって、御質問の三、四%程度の成長で再建が可能かということについてはどうも私は消極的に考えざるを得ないと思います。  ちょっと長くなりましたので、とりあえず以上の御返事にさせていただきます。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 二十一世紀の半ばまでに償還を終えてしまって国債残高ゼロになるであろうかというような御質問の趣旨であったかと思いますが、私、残念ながら正確にそういうことを計算したことがございませんので、はっきりしたことは申し上げられません。感じで申し上げますならば、現状であれば非常に難しいのではなかろうか。財政赤字を消しますためには増税をするか財政支出の削減をするかという道があるわけでございますが、財政支出の削減を今後また一段とお考えいただいていくならば可能性もあるかもしれないという気がしております。  それから国債、確かに今も多額発行されておりまして、六十年度の予算でも十一兆六千八百億円の計上がなされておりますけれども、他方歳出の方でも国債費は十兆二千二百四十一億円計上されておりまして、国債で入ってくる分と国債の元利償還で出ていく分、今見ますとちょうど一兆円ぐらいしか差がございません。だから、現在は赤字財政と言いながら割に均衡に近い、国債も出すけれども償還もしておる。割にバランスが近くなっておるということでございますので、先ほど館先生、渡辺先生がおっしゃられましたような率で考える、国民所得とかGNPとの比率で風情がどれくらいかということで考えていきますならば、もうかなり御努力をいただいておりますので、そうむちゃくちゃなことにはならないのではなかろうかという気がしております。

穐山篤日本社会党

○穐山篤君 次に、補助金の問題に関連をして、臨調にしろ行革審にしろ、その他のところでも常に国と地方の役割分担あるいは機能をどう見るかということが指摘をされているわけです。本来、この種のものが提案をされるとすれば、事前にそういうものが明らかにされて、合意を得た上で財政上の分担ということになるのが正常なルールであろうというふうに思いますが、今回はそういう方法をとっていません。  そこで、これを五人の参考人の方に物の考え方としてお伺いするわけですが、国と地方の役割分担と、そう簡単に言いますけれども、何を基準にして機能の見直しをするか、あるいは役割の見直しをするか、非常に議論のあるところだと思うのですが、何かそれにつきましてお考えがあれば五人の参考人の方にお伺いしたいと思うんです。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) ますます難しい問題を次々に提起されまして、これこそ果たしてちゃんとしたお答えができるかどうかみずから疑うわけでございますが、一番最初、質問をいただきましてお答えしたのが補助金のメリット、デメリットという質問でございました。そのときに、補助金のメリットということでナショナルミニマムが補助金を交付することによって確保されるし、それから国全体としてバランスのとれた、つまりナショナルミニマムを確保するという方向を達成する有力な手段になるということを申し上げたわけでございます。それが補助金のやっぱり一番重要な機能でありますが、同時にデメリットとして、その際地方の自主性がそれによって阻害されるおそれがあるということを申し上げたわけでございます。大変常識的な重言になってしまうわけでございますが、まさにその二つの面の間のバランスをどこにとるかということがこの問題についてのポイントなのではないかというように考えております。これが全体としてのこの問題についての考え方でございます。  なお、私、地方と言うときに、一括して地方というように申し上げて今まで議論をしてまいりました。マクロで考えますとそれでよろしいと思いますし、先ほど国と地方の財政状況で、地方の方が園に比べて余裕があるということを申し上げたのも、もっぱらマクロの観点からそのことを申し上げておりまして、個別の地方自治体をとってみますと、これは千差万別で非常に苦しいところもあるというように、地方という言葉で一括して今も申し上げたわけでございますが、地方も行政区画の大きさというものをどういうように考えるかで自主性という問題についての考え方も違ってくると思うんです。  例えば、現在の行政区画をそのまま前提として考えますと、大都市周辺のベッドタウンになっているような市町村を考えてみますと、そういうところはもう昼間の人口と夜の人口とでは非常な違いがあって、それでその夜の人口、ふえている人口は大部分その土地について関心を持たないわけですね。関心を持たない大多数と非常に強い利害関係をその土地に持っておられる少数という、そういう構成の地方自治体というのもあると思うんです。そういうところに地方の時代だからといって何でもかんでも地方に権限を委譲し資金をつけてやればそれでいいのかといいますと、私はそうではないというように考えております。そういう意味で、全体としては先ほど申しましたようにバランスの問題ですけれども、具体的には個々の自治体のあり方との関連においても問題を考えていかなければならない面があるというように考えております。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 機能や役割の国、地方間の分担の基準いかんという、そういう御質問だったと思います。  現在の制度は一応基準が設けてございます。御承知のとおりでございますが、例えば国と都道府県との間の分担の基準としましては、金がかかり過ぎるものについては国がやるとか、あるいは国家的見地から行わなければならないものについては国がやるとか、幾つかの基準がございます。同様に都道府県と市町村との間におきましても、例えば広域的なものは都道府県がやるとか、市町村相互間の調整が必要であると思われるようなものについては都道府県がやるとかといったように、ここにもまた幾つかの基準がございます。私は現行制度においてとられている以上のような幾つかの基準は、これは活用することができると思うんです。  ただ問題なのは、現行制度はまず国を前提にして考えております。最後に市町村に及んでおります。これを逆転させる必要があると私は考えます。その場合に、当然一応すべての国内事務は市町村が行うのだということで市町村の事務として見る。しかしその場合に、市町村にやらせたのでは有効的な処理ができないものについては例外的に都道府県が行い、かつ同じようにして、その中から例外的に国が行うものも出てくるであろう、そういうふうに市町村をまず前提として優先的に考えて役割なり機能なりの配分を考えるべきではないかと、そういうふうに思うわけであります。  ただ、そのように考えますと、市町村が恐らく現行制度によるよりもかなり多くの機能ないしは役割を分担することになるであろうというふうに考えられます。その場合は、それらの仕事を処理するに必要な経費の財源に十分な財源と言えるだけのものをあらかじめ市町村に保証しておくということが前提として必要でございます。これは基準というよりも条件とでもいったようなことになろうかと思いますけれども、私は現在のところ一応そんなふうに考えております。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 国と地方の機能配分、役割分担に関する御質問でございますが、どうも大変難しい問題でございまして、少しお答えが書生っぽくなると申しますか、どうも抽象理論でしか私にはお答えできませんので、その点をお許しいただきたいと思います。  私は財政の役割には大きく申しまして四つあると考えております。一番目は、これも非常に書生っぽい言葉で恐縮なんですが、住民といいますか国民といいますかに、いわゆる無料の公共サービスを供給するという役割でございます。それから二番目が、高所得者と低所得者の間で所得の再分配を行うという役割でございます。三番目が、景気が悪いときに公共投資を増大させて景気浮揚を図るとか、逆にインフレのときに財政支出を削減するといったようなフィスカルポリシーの役割でございます。それから四番目が、経済の成長を図りながら国民の所得水準を上げていくという役割でございます。  この四つの役割の中で、所得の再分配を行うという二番目の役割、それからフィスカルポリシーを行って景気調整策を実行するという役割、これは専ら国の役割であろうと、私はそう思っております。  所得再分配につきまましては、先ほどもちょっと申しましたように、やはりどこに住んでおるかで所得再分配が違ってくるというのは望ましくない。同じ日本人であるならば、どこに住んでも同じように再分配していただくというのが公平であろう、国が全国一律に再分配を行うというのが適切であろうと、こういうふうに思っておるわけでございます。それで、先ほど申しましたように、生活保護なんというのは再分配政策の基本的施策でございますから、国の責任におきまして全国的に平等に画一に不公平ないように行われるべきである、そのための財源も国が全額用意されるのが筋であろうということを申し上げたわけでございます。フィスカルポリシーにしましても、景気がいい悪いというのは今は国全体として起こる現象でございまして、東京はすごいインフレだけれども大阪はデフレだなんということはまずございませんので、これも国の責任で行われるべきことであろうと思っております。  それじゃ、地方は一体何をするのかということになりますと、地方団体はその地方団体内の住民に利害関係が及ぶような公共サービスの供給について責任を持っていただく。ですから、自分の団体内に小学校をつくるとか下水をつくるとかいったようなことは、これは本来地方団体が責任を持っておやりになるべきことであろうと思っております。残念ながら税源配分等の関係で地方団体に十分お金がないならば、ある程度国がそれに援助をしていくというようなことは考えられますけれども、原則としてその地域の人々が自分たちの生活のためになるようなサービス、それを地方団体に要求されるというのなら自分たちで負担されるのが筋だろうと思います。  それから、経済の成長につきましてはこれに二つの面がございまして、一つは貯蓄をして資金をつくりまして投資資金に充てていくという問題と、それから機械設備の設置といいますか、工場をどこかにつくる、またそれに関連して工業的な、産業的な公共施設を整備していくという、金の面と物の面がございますが、金の面、貯蓄をして投資資金をつくるということは、これは国でお考えになられるべきことであると思います。それは東京で貯蓄された金を福岡に持っていくこともできますし、北海道に持っていくこともできますから、それについて地方団体が責任を持つべきことではないと思います。  ただ、どこに工場をつくるか、どこに港をつくって産業施設を整備するか、これはその地域の問題でございますから、もしある地域が、うちは工業団地をつくって地域住民の所得水準を上げたいと思われればそうされるべきでしょうし、いや、うちはもう工場なんか真っ平だ、幾ら所得水準は低くてもいい、公害のない町がいいとおっしゃられればそうされるべきでしょうから、これは地方団体が責任を持っておやりになられるべき分野だと思っております。  ちょっとどうも書生っぽいお返事で申しわけございませんが、以上のように思っております。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) 私は将来的な問題よりも現実的な問題に絞って二、三申し上げたいと思いますが、第一の問題は、やはり現在ある国と地方の財政問題を中心とするアンバランス、これはもう早急にまず第一に是正されなければならないと思います。それは機能問題を議論する大前提なのではないか。例えば一般的に言われますように、仕事は七割やるけれども財源は三割しか保証されていない、こういう一般的状況が、むしろ今度の法案のような中身で申しますとさらにアンバランスは拡大をする。そういう状態になるというふうに思うんですね。そういう意味で、財源と仕事が現行法体系のもとでも、まずきちっと一致する、このことがきちっと詰められませんで一般的な機能分担論を議論しても、なかなか着実な、つまり国民一人一人がわかりやすい状態で機能分担が進む、こういうことにはならないのではないかと思います。そういう意味で、現行法体系に基づくアンバランスを今の法体系に基づいてきちっとまず一致させる。  その上に立って、ちょっと申し上げさしていただければ、やはり私は先ほど午前中も申し上げましたが、国民生活の問題でいえば年金の問題につきましても、医療のような問題につきましても、これはやはり日本国民として生活をする、生きていく、これはもう最低保障はきちっとする、そのことは私は国の責任だと思うんですね。それは何人かの参考人の方もおっしゃっていますように、日本のどこに住もうとも最低保障はきちっとされる、このことはやっぱりはっきりしていなければいけないと思うんです。しかし日本の法体系というのは、残念ながら最低保障という物の考え方が非常に薄弱でございます。全体として希薄であります。これはヨーロッパなど諸外国の例をとりましても、賃金の問題でも年金の問題でも医療の問題でも、社会保障の問題でも住宅の問題でも、こういう国は先進国の中では非常に少ないわけであります。最低保障はきちっとされる。そしてその最低保障と平均的状態というのは余り違わない。格差がない。しかし日本の場合は最低保障が非常にざるな上に、いわゆる最下層と言われるような状態と平均的状態がそれでもなお格差がある。こういう問題は、私は即刻解決されなければいけないというふうに思うんですね。  そして、そういう上に立って制度上の問題はやはり住民参加によって、日本の場合、戦後四十年しか地方自治の体験が基本的にはないという、そういう面では私は歴史がまだ浅いというふうに思いますけれども、住民参加による地方自治制度というものがきちっと確立される。そしてその上に立って国と地方の、最終結論でございますけれども、機能の分担の問題が民主的な討論を通して、それはだから私は時間がかかると思うんです。例えば国会の一つの法案によってさっと整理されるというふうな性質の問題ではなしに、かなりの時間をかけて、自治体と国との間で協議が重ねられて、そして合意に基づいてそれが一つ一つ確立されていく。  私もそんなに勉強しているわけではありませんが、ヨーロッパなどの百年とか、あるいはそれ以上超えるような地方自治の歴史というものを勉強さしていただきますと、一つ一つのそういう機能分担の確立の問題などは大変長い時間をかけて住民参加で合意の上でつくられてきている歴史がある。そういうものが日本の場合で言えば、非常になおかつまだ私に言わせれば戦前的な手法といいましょうか、どうもやっぱり国がまず物を決めないといけないというふうな体質が私はあると思うんですね。そういう意味で、民主主義をきちっと確立することを前提にしなければ、私は機能分担というのは成功しないのではないかと、こういうふうに考えます。そういう中で具体的な施策が練り上げられていく必要があるのではないかと、こう思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 現行の制度は二つ大きな問題があると思います。一つは、国が相当出しゃばり過ぎているという点だろうと思います。例えば住民の交通を確保するというのは知事なり市町村長の固有の仕事、基本的な役目であるにかかわらず、例えばタクシーの認可などが一切運輸大臣にゆだねられている。そのあたりは出しゃばり過ぎの端的な例だと思います。  二番目の問題は、国と地方とどちらが責任を持つか、灰色の部分が余りにも大きいということだろうと思います。例えば保育所の問題がありますが、保育所は建設費もあるいは保母さんの人件費も補助金の対象になっております用地方住民からしてみれば、市長さんに陳情しても、市長さんはこれは自分もそう思うが国が何しろイエスと言わないものだからだめですと、こういう言いわけができる。もちろん厚生大臣が一々地域の保育所の責任を持ってくれるわけじゃない。一体どこに責任があるのかという、非常にあいまいなことになるわけです。そういう国の出しゃばり過ぎと、そういう灰色の部分が広過ぎて責任の所在が明確でないというのが今の制度の一番問題だと思います。  臨調では国と地方の関係について、相当大きな課題だとして論議をしたことになっております。そこには、総論的に身近な行政は地方公共団体に移していくべきだ、中でも府県ではなく市町村に移していくべきだと、こう言っております。そしてさらに、その仕分けのときには総合性と現地性と効率性とこの三つを重視しなさいと。つまり、ばらばらじゃなくて総合的にできる団体というのがどこであるのか、現地性というのは恐らく責任の所在を明確にするという意味だろうと思いますが、できるだけ住民の近くで責任が常に監視されるところが受け持つのがいい、三番目の効率性はできるだけむだの少ないようなところがいいんだと、そういうことだろうと思うんです。  私は、できるだけ身近な市町村に移しなさい、あるいは三つの原則のもとに見直しなさいというこの臨調の答申は基本的には正しいと思うんです。ところが問題は、その総論を言うだけであって、具体的な仕分けの作業が全く進まなかったという点です。臨調の答申の中で、ほかの分野は相当細かく具体的に改革の方向を示しておりますが、国と地方の関係については以上申し上げましたような原則を言うにとどまってしまった。つまり仕分けの作業ができなかったということです。  私自身は次のように考えます。もちろん外交とか防衛とか園の基本的な仕事がありますが、それは別としまして、福祉でも教育でも基幹的な分野は国が責任を持つべきである。福祉については年金制度を守っていくとか、医療保険制度を守っていくとか、生活保護制度をちゃんと維持していくとか、このあたりは当然国の仕事になると思います。しかし同じ福祉の分野でも保育所をどうする、どこにどんなものをつくる、あるいは老人福祉についてはバス制度を設けるとか、あるいは巡回員の制度をつくるとか、そうしたことは挙げて私は地方団体にゆだねるべきだと思います。というのは、地方団体の方が実情に合ったそれぞれ知恵の回る政策をしていくわけで、全国画一的に老人福祉のために巡回員制度を設けるべきだというような抽象的な政策というのは、ほとんど福祉の場合には役に立たないと思うんです。  農業についても、食管制度は国がやる、あるいは価格制度は国がやる、土地改良は国がやる、この辺まではわかりますが、村づくりという点については、これはもう市町村、府県に任せるべきだと思うんです。今の農業補助金の件数でいって半分近くがこの村づくり関係の補助金ですが、そういうものはもう一切合財地方にゆだねればいいと思うんです。そういう仕分け作業がこれまでどこでも進んでこなかったという点が最大の問題じゃないかと思います。

穐山篤日本社会党

○穐山篤君 広瀬参考人に特にお伺いしますが、ここ一、二年補助金が少し整理整とんをされてはきましたが、また新しいものがたくさん出ているんですね。例えば民間活力という方針が出ますと、それに便乗して農水省であろうが何省であろうが民間活力の補助金がたくさん項目が出てくるわけです。例えばテクノポリス構想なんというのが出ると、これまた各省がみんなそれに食いついて金の引き出し成功に向けて努力をしている。  それからもう一つは、調べてみますとほとんど毎年あるわけですが、国際個とか年というのがありますね。青年年、婦人年、森林年というのがあるわけですが、それに膨大な予算が毎回ついているわけです。ふだんは何にも仕事をしないでそのときだけ一過性の行事が非常に多いですね。これは縦割り行政の一番悪いところだろうと思うんですよ。地方は財源が決まっている、それから政策について優先度を決めなければやっていけないという現実的な側面があるわけですが、中央の場合にはそういうことは余り考慮をしないでどんどん進めていく。こういうことについて特に長年御研究をされているわけですが、特に新しい補助金ですね。民間活力とかバイオテクノロジーとか、そういうふうな問題に便乗した補助金というものが非常に多いというように私は見るわけですが、その点についていかがでしょう。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 全く御指摘のとおりだと思うんです。補助金の推移を見て気づくのは、やはり今おっしゃったような、うまく言えば時代を先取りしてということになりますが、私に言わせれば時代に便乗して各省がいろいろな補助金をつくってきたというのが実情だろうと思います。  例えば高度成長の時期であれば、産炭地振興だとか地方自治体が乗ってきそうなものをいち早くその構想をぶち上げて補助金の獲得競争をやらせる。そして国の次年度の予算をふやしていく。各省の戦略がその一点にあったというふうに思います。新聞も本当に利用されてきたわけで、毎年夏ごろになると各省が新政策をぶち上げて新聞もそれを書く。それが秋から冬にかけての予算折衝の材料に使われているということだろうと思うのです。こういう補助金整理のさなかにもかかわらず、次々と新しいものが生まれてきております。もっとも大蔵省に言わせれば、サンセット方式というか、以後のものはすべて終期を設けることにしたというわけでありますから、その点若干の進歩かもしれませんが、いかに補助事業をつくるテクニックがうまいかという点は驚くべきことだと思います。

穐山篤日本社会党

○穐山篤君 どうもありがとうございました。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 社会党の上野雄文でございます。  穐山先生に続きましてお尋ねを申し上げたいのですが、最初に館先生大変恐縮でありますが、先生のお話を承っておりまして、端的に申し上げますれば地方財政富裕論でありまして、兄貴が困っているときはやっぱり弟の方は兄貴の方を少し手伝うのが当たり前ではないか、私もそれはそれなりにわかるような気がしないでもないのであります。ただ、しかし先ほど先生はマクロで見た場合とミクロで見た場合とでは違いますというお話をされたわけでありますが、国の財政の現状と地方を比べてみまして、マクロの議論であっても先生が述べられた経常的な歳出は経常的な歳入によって賄われる状態が一番正常な状態だと、こう言われているわけですが、今はそうでないわけですね。経済の方は伸びているけれども、国の財政は大変な状態にある、こう言われておられるわけであります。  それでは、マクロの議論でも、地方は借金五十六兆円抱えているわけですが、国の百三十三兆と比べればそれは少ないということはだれしもわかるわけですが、一体手伝えと言われた場合に、では、どの辺まで自治体の場合辛抱できるのだろうかというような、そういうようなあらましのことでも先生のお考えがありましたら、さらに砕いてお聞かせをいただきたいなと、こう思うのです。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) お答えいたします。  私が申し上げましたのは、今御指摘のありましたように、マクロのレベルで考えたときに、御承知のように、国は赤字公債といいますか、歳入補てん用の特例公債を出さなければならないという状態にあるわけでございますが、地方の場合には地方建設公債の発行で一応賄われるという状態にマクロのレベルではなっておるということに加えまして、先ほど申し上げましたようなマクロの数字が見られるということから、総体として言えば、やはり国に比べて地方の方が、全く相対的なことですが、楽であるというようなことを申し上げているつもりではありませんけれども、相対的に余裕があるというように申してよろしいのではないかと思います。  個別の自治体をとれば、これは大変苦しいところがいっぱいあるわけで、国よりも苦しいところもあるというように思いますけれども、全体としてはそうであるということと、それから、これは先生の御質問に直接関連はまだない点でございますけれども、兄貴が困っているときに弟がというように申し上げまして、そうしてほしいものだというように思いますが、今度のこの法律にかかわる問題について見ますと、大部分は国が財源手当てをしているわけでございますね。いろいろな形ではありますけれども、大部分は財源手当てをしているということも実は話をいたします前提になっておるということを申し上げさせていただきます。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 先生のお気持ちを短絡的に考え過ぎたのかもしれませんが、ただそこで、実は日本の地方自治制度が本格的なものになったのはもちろん戦後だと思うんですけれども、地方自治体がそれぞれ一個の人格を持ってそれなりに経営に当たっているわけですね。今度の場合、今お話しのような背景の中で、お互い責任を分担し合いましょう、国と地方は車の両輪だと、こういう議論もわかるわけですが、その議論がありながら今度はさっと切るについて、全く相談なしに一方的にやられたといういきさつがあるわけですね。私は話し合いなり何なりが持たれるような場があればこんなに騒ぎになる筋合いのものではないんではないかと、思うんですね。  きのう実は知事会、市長会、町村長会の代表の方々がお見えになりました。私たちは絶対反対だと青い続けてきたけれども陳情という手段以外に方法はありません。さらに一年限りの措置だということがついているけれども、そのことを信用できますかと言ったらば、明確に信用できますということを言った方々はおられないのですね。そうなることを願望し、期待をしているという言葉なんです。  私は、前段、国と地方の機能分担とかなんかというふうに言われますけれども、じゃ政府と地方との話し合い、そういうのがない現状で、何か手だてはないのかな、こう思いますと、地方財政法で財政上のお互いの持ち分、とりわけ第二条の第二項には負担の転嫁をしてはいけないんだというその辺しかないわけですね。これも言う人に言わせますとこんなにすばらしい条文の法律はないんだということを言いますが、しかし今回の措置を見ると、まさにこれが画餅に帰してしまっているということを見ますと、私は自治省が地方自治体を代弁すると言ってみてもしょせんは国の機関であるわけですね。完全な代弁者となり得る資格は私はないんだろうと思うんです。何かうまい方法はないのかなと常々思っているんですが、先生にもしお考えがありましたら、一方的なことをばさっとやられたという今度の経験から、私はそんなことをお尋ねしてみたいと、こう思って申し上げたわけですが。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) 大変難しい問題でございますが、先ほど、一番最初の公述の際にも申し上げた点でございますが、さしあたり緊急に財政の再建をしなければならない、それが急がれているという条件のもとで、今度の法案について私はやむを得ない、あるいは当然であるという評価をしたわけでございますが、同時に今後の問題としてその点はこれが一番望ましい姿というように考えているわけではないので、ぜひ御検討をお願いしたいということを申し上げたわけでございます。  それじゃ具体的にどうすればいいかということについてまではこれは私、考えておりません。ただ、ぜひそういう検討の場が設けられるということは非常に重要だと思います。と同時に、従来曲がりなりにも緊縮予算が組まれ、財政再建の方向に歩が進められたについては、一律にシーリングを設けるというような形で非常に厳しい問題提起をすることによって、各省庁なりそれぞれの関係の方が真剣にこの問題を受けとめ、考えていただいた結果であるというような面も非常に大きいように考えているわけでございます。  今回の問題につきましてもやはりこういう形、先ほど申しましたようにこれが理想的というようには思いませんけれども、しかし、もっと時間があれば、こういう問題提起をすることによって、本当に真剣にこれは考えなければならないという空気がつくり出されてきて、初めて検討の場が具体的になってくるのではないかというように期待しておるわけでございます。よろしくお願いいたします。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 その点で、結果としていろいろな問題が出てくる、それは結構なんですけれども、私はいつもこの問題は国と地方の関係ということになりますと、どうも今度のように一刀両断ではさっとやってしまって、本来、前でこのことが議論をされて、そしてその後予算化されるという道筋がなきゃならぬことなんだろうと思うんですね。ところが、今逆転をしておるというところに異常さが実はあるだろうというふうに、これは私の意見でありますが、そのことが今回のいろいろなやはり混乱を起こしておる最大の問題だというふうに思っております。  渡辺先生、先ほど宮澤先生からの質問で、時間の関係ではしょって地方財政の現状のとらえ方で、ミクロの点で時間がなくて述べられないということでありましたが、その点先生に、つけ加えて地方財政のミクロの分まで含めた見方をお示しいただければと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 地方財政のミクロの点とおっしゃいましたのは、つまり先ほど私がお答えさせていただいたのは、地方財政ゆとり論についてのことでしたが、その件でございますか。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 はい。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 先ほど私は、私なりに整理して、言われるところの地方財政ゆとり論の根拠を三つ申し上げてみたわけであります。  その第一が地方債の依存度ないしは地方債残高が国の国債のそれに比べると低い。公債費に関する幾つかの指標についてもまた同じことが言える。こういうことが第一の問題であるように私は考えます。これにつきましては、実は国家財政と地方財政が基本的に異なるという性格を考えなければならないのではないかと思います。国家財政の場合には御承知のように、出るをはかって入るを制するという運営上の基本原則がございます。地方財政はそれと全く逆でございまして、地方財政の場合は、入るをはかって出るを制するということであります。国家財政の場合は今申し上げましたような運営の基本原則がございます。したがって、景気対策その他のために財源がどうしても必要であるということになった場合には、国債の発行に踏み切らざるを得ないということは当然の要請として出てまいります。ただ、それはあくまで建設国債に限るわけでありますが、事情によっては赤字国債までをも発行して、出るをはかって入るを制するという、その入るを制するための対応を試みなければならないということもやむを得ず出てくることがあろうかと思います。それが昭和五十年度ごろ以降から具体化されてきているということになるわけであります。いずれにいたしましても、したがって結果として地方債ないしは公債償還にかかわる数字が地方財政の場合に比べて国家財政の場合は大きくならざるを得ないということが出てまいるわけであります。  同時にもう一つ申し上げたいことは、国債と違って地方債を発行する場合には自治体の単独意思では発行できませんで、事業ごとに自治大臣の許可を得なければならないという制度のもとに置かれております。したがって、地方自治体としては地方債を発行したいけれども発行できないという状況が、国の場合とは違う状況として出てまいります。もちろん余り発行し過ぎますと、国の現在の財政状況と同じように首が回らなくなるということがございますので、そういう点だけに絞って言うならば、たまたま許可制度があってそういう状況に陥るのを防いでくれているということは、一定の効果を上げているというふうに現実問題としてはとらえることができるようにも思われます。地方債許可制度についてはまだいろいろな問題がありまして、総合的には私は好ましくない制度だと思っておりますが、しかし今の問題との関連で絞って言う限りは、自治体は自分が思うように地方債を発行できないできている、それが結果的に国家財政における国債と比べて例えば依存度が低くなってきているという結果をもたらしているということになるのではなかろうかと思います。  それから、二番目に申し上げましたことは、地方は国の場合と違って、団体によってはかなりの積み立てをしているところがある、ないしは地方財政全体としては財源不足額が減少傾向をたどってきていて、昭和六十年度地方財政計画では、補助金による影響を取り除けば収支とんとんになっている、国はそうではないということがあるわけであります。しかし、この点につきましても、過去積み立てをしてきた地方団体が最近になってかなり取り崩しているということもございますし、それから積み立てを余りとやかく言われるということは、財政の健全な運営を長期的視野から図ろうとするそのための積み立てが余り好ましくないと言われているような気持ちを地方自治体に起こさせる心配もあるわけであります。  積み立て問題についてはそういうことがございますし、それから財源不足傾向が緩和されてきているではないかということにつきましては、これは私は一概にはそう言い切れないと思います。確かに昭和六十年度地方財政計画では、先ほど申しましたように収支とんとんという状況にはなってまいっております。しかし、この状況がいつまで続くかと考えてみますと、いろいろ事情があって、私は六十一年度には再びマイナスの状況を呈するようになるだろうというふうに考えております。なお、私の推測するところでは、昭和六十年度地方財政計画で収支とんとんになったというのは、計画策定段階において個別歳出をできるだけ削減するという一定の操作が行われたというふうに考えざるを得ないと私は思っておりますので、その結果としての収支とんとんということであれば、やはりそれは問題だというふうに考えるわけであります。  それから三番目は、上乗せ福祉をしているじゃないか、あるいは個別自治体によってはかなり水準の高い人件費を支給しているところがあるではないかというようなことが言われているわけであります。  例えば、上乗せ福祉の問題につきましては国の水準自体が低過ぎる、したがって、心ある自治体はやむを得ず上乗せせざるを得ないという事情が少なからずあるんではないかと私は思います。上乗せ福祉にしましても人件費の問題にしましても、両方に共通して申し上げたいと思うことは、いずれも自治体が単独で検討し、決定するべき分野の事柄でございます。にもかかわらず上乗せ福祉や人件費の高過ぎることなどがけしからぬということになるのであれば、それは住民の声によって是正されるべきである。そのために自治体は住民にできる限りの情報を公開する努力は行わなければならないというふうに考えているわけであります。  簡単に申し上げてしまいましたが、私が整理した三つのいわゆる地方財政余裕論の論拠につきましては、以上のようなことを少なくとも考えた上でないと、例えば補助金のカットによって国の負担を地方に転嫁させる、それが妥当であるという結論を軽々しく導き出すことは不適切ではなかろうか、そんなふうに考えているわけであります。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 広瀬参考人にお尋ねというよりもあるいはお教えをいただきたいということになるのかもしれませんが、補助金の問題の弊害について四つほど挙げられたわけですね。それから先ほど宮澤委員からも、それでは何か補助金の削減の問題をめぐっての広瀬試案がおありですかというようなお話も伺わせていただいたわけでありますが、この際ジャーナリストとしてのそういう感覚も含めてくださってお答えいただければと思うんですけれども、これをやってみたらどうだというようなものがお気づきのところがありましたら、私なんかも補助金問題は、自主財源として与えてくれるならば自前の仕事として地方自治体がどんどんやればいいんであって、一々手とり足とりやってもらわなくてもいい。お話にありましたように、農業関係の補助金なんか、半年ぐらいしばらくある地域に行かなかったらある日田んぼの中に立派な建物がいつの間にか建っている、減反政策の見返りとしてぽんとやっている。ところが、その部落では今度はその維持管理に人手を使っていかなきゃいかぬという問題が出てきているわけですね。これこそ我々自身もむだだというふうに思うんですが、そういうものはもうどしどし切ってもらっていいと思います。ですから、何か具体的な、この際国と地方の機能分担や何かということが議論されているときだから、これをやってみたら改めてまた国民世論というものも沸き上がってくるんではないかなというようなものがありましたらひとつ。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 二つだけ例を挙げてみたいと思うんですが、一つは箱物と言われる、さっきもお話がありましたけれども、会館関係の補助金というのはこの際全廃してもいいんじゃなかろうかというふうに思います。と申しますのは、今各省が、しかも省単位じゃなくて周単位と言っていいぐらいそれぞれ会館だとかホールだとか美術館だとか、いろいろ名前は違いますが、その種の補助金を持っております。戦後の本当に貧しい時期、自治体もお金のない時期ならばこの種の大きなホールをつくる、会館をつくるというのは自治体の独力ではできなくて、国の施策も有効だったかと思いますけれども、戦後四十年というのはやはり自治体も実力をつけてきた、地方をつけてきたという時期でもあるわけでありまして、やはりそこはおのずから変わってきていいと思います。  島根県のある町の例なんですけれども、人口一万一千人の町です。ここが五十五年から六、七年の三カ年間に七カ所も大きな会館を建てたわけです。もう集落ごとに何百人も入るような施設をつくる。もう名前は全部農林省何とか会館あるいは文部省の何とか公民館とか文化センターとか厚生省の老人センターとか、名前は全部違うんですけれども中身はどうかと言えば集会所があって簡単な食堂があってというような、その種の同じようなものなわけです。人口二万一千人に七つですから千何百人で一つずつそういう会館を持ったという状況になるわけです。これは我々から見れば余りにもむだじゃないかと思うわけですが、早速その弊害が出てきておりまして、維持費だとかそういうことに金がかかる。それから幾ら補助金といっても半分は町の負担ですからその町の債券も返していかなくちゃいかぬ。早速赤字団体に転落してしまったわけです。この種の補助金というのは何といいますか取ったが勝ち、分捕っただけもうけみたいな気持ちがあるものですから安易につくってしまうわけで、私は、いろいろそれは反対だという意見はあるでしょうが、こういう財政非常の折ですから数年間箱物の補助金は一切ゼロにする、その点で地方の協力も頼むというのは一つの方法じゃないかと思います。  それから、これは全く違う分野ですが、例えば今は市町村道にも国の補助金がついております。私は市町村道というのは本来市町村が、つくるもよしつくらぬもよし、舗装するもよししないもよし、自動車優先にしようと歩行者優先にしようと、あるいは自動車を禁止した自転車の道路にしてもいい、全く地方が自分たちのアイデアでつくるべき性格のものだと思うわけです。ところがこれも国の補助事業ですから自動車が通らなきゃ建設省がオーケーしないし、したがってどこの市町村道も歩行者とか自転車というのはいつも迷惑を受ける。こういうものも、市町村道についての補助金はやめます、ただしこれについては財源ゼロというわけにいきませんからその分は地方交付税に入れる。さっきの会館の方は私は見返りの財源はゼロでいいと思いますが、そういうことをすれば国と地方の関係を皆で考える非常にいい材料になろうかと思います。  以上でございます。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 渡辺先生、先ほど地財法にこれは反するというふうに明確にお述べいただきました。私もそういう立場に立つものでありますから全く同感だという感じを持ったんです。  先ほど館先生にも関連してお尋ねを申し上げたわけですけれども、しかしこういう立法がどんどん進んでいってしまえば仮に地財法があったにしても歯どめにならぬというのでいらだたしさというものを覚えるわけなんです。先生はずっとこの地方自治の問題を研究されておられて、国と地方とのその面での何か有効なもの、これはもっとも最初から国優先で地方の方は二の次、三の次だという考え方に立てはもう全くこれはどうにもならなくなってしまうことだと思うのでありますけれども、もう少しやはりしり抜けでない、今で言えば地財法はしり抜けという格好にならざるを得ないと思うんですが、そうでない歯どめを何とかしなきゃなるまいと思うんですけれども、研究者の立場から何かそういったものについてお考えになっていることはございますでしょうか。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) どうもその歯どめがなくても権威ある国民の代表機関である国会を通過した法律でありますから守られなければならないというふうに私は子供のときから現在に至るまでいちずに思い込んできておりますので、残念ながらその何らか歯どめがないかなどということを考えたことはございませんのでまともなお答えができないのは大変申しわけなく思うんです。  ただ、まともなお答えではないかもしれませんが関連して申し上げたいと思いますことは、先ほど機能と役割分担のところで広瀬参考人が自治体の意思がまず最大限に尊重されるべきだというような種類のお話をされましたが、私はあわせて経費の負担あるいは財源の配分につきましても同じようなことが言われるべきではないかと思います。  例えば補助金の整理合理化の必要性を大蔵省が感じとったとき、それを大蔵省なりあるいは国の何らかの機関が、主導というのは主にリードするという意味でありますが、主導で行うというのではなくして、まずこれぐらいの金額の補助金整理合理化を行いたいんだということを地方自治体全体に対して明らかにして、これについてどう思うか、もし削減が妥当であるというのであればどんな補助金を削減するべきであるかといった意見を自治体側から出させて、それを受けて国段階で議論をする、それで一定の結論を得るというのがまずとられるべき道筋ではなかろうかというふうに私は考えております。  全くお答えにならなかったかもしれませんが、とりあえずそんなことで御勘弁いただければありがたいと思います。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 大変申しわけない質問をして、私も立法府におりながら反省をするわけですけれども、そういう状態なのが今の状態であって、まさに異常だと私は思っているわけです。  そこで、補助金の問題については私、参考人の先生方の意見とかなり一致するところがあるのでありますけれども、今度は負担金、交付金、そういったものに目を移していきますと、きのう臨教審の概要の報告が出てまいりまして、教育のあり方であるとか学制はこうあるべきだとかというような問題がいろいろ議論されてそれが新聞にも詳しく報道されておりますが、同時に忘れてならないのは教育財政の問題だと思うんですね。その中でもとりわけ義務教育の問題については一体どこがどういうふうに責任を持つべきかというのはもう重大な問題であるはずなんです。それで二十八年以来ずっとフィフティー・フィフティーの負担が、国と地方、とりわけ県との負担という問題において人件費を中心にしてきちっとでき上がってきているはずで、まさに最近この問題でも議論をされている同化、定着という文言にぴったり当てはまるものであろうと思うんですね。そういうことがあったにしてみても、教育全般をこの際見直すというので臨教審ができたわけですけれども、そこが会議をやっている最中に、教育財政問題も議論しないうちにばっさり旅費と教材費が削られるというこの異常さというのは私はどうも理解できないでいるわけなんですが、その辺についての端的なお考えをそれぞれの参考人の方々からお伺いできればと思うのであります。ひとつ率直な御意見をお聞かせいただければと思うんです。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) それではお答えいたします。  臨教審そのものについては、私自身の個人的見解はございますがここで申し上げる場所ではないというように思いますので控えさせていただきまして、もっぱら義務教育費の国庫分担の問題に限って申し上げますと、義務教育について国が責任を持つということはこれは明らかでありますが、持たなければならないということは明らかであり、そして給与について二分の一ということももう定着していることでございます。ただ、国が責任を持ってやらなければならない範囲がどこであるかという問題になってまいりましたときに、教材費とか旅費というところまで国が責任を持たなければならないものであるかどうかという点については私は必ずしもそうではないというように考えておるという点が一点ございます。  それから第二に、これはやめてしまうというわけではなくて地方にやっていただくということでございまして、やめるということではないというように私は理解しておるということを申し上げます。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 義務教育費の問題は生活保護費の問題と同じように、地方財政法第十条にかかわる負担金の問題であります。この地方財政法第十条は私午前中のときにもちょっと申し上げましたが、「地方公共団体又は地方公共団体の機関が法令に基いて実施しなければならない事務であって、国と地方公共団体相互の利害に関係がある事務のうち、その円滑な運営を期するためには、なお、国が進んで経費を負担する必要がある」云々といったような条文になっているわけであります。  午前中お話し申し上げたときはそれを御紹介しながら次のように読みかえることができるのではないかと申し上げました。すなわち、国が進んで経費を負担しなくとも円滑な運営を期することができるようになったとき、国は経費を負担しないことが許されるというふうに読みかえることができるわけであります。たた、この場合の経費を負担しないことが許されるというのは、これは国が全然責任を負うのが免除されるというふうに理解されるべきではなくして、一般財源化することによって、しかも現在の地方交付税率三二%の中でおさめてしまうというような一般財源化ではなくして、ふやす一般財源化ということの中で国が財政上の責任を負う。ただねらいは、負担金を交付する、そして自治体が受け取る、その過程を通して国の考え方を一々気にする必要がなくなる、そこにそのねらいがあるというふうに私は思います。それがその事務が地方自治体の事務として同化、定着するに至ったということの本質的な意味であろうと私は考えております。  したがって、義務教育費国庫負担金のうち、旅費と教材費についでこれが補助負損の対象から削除されたのは、私は実質的な意味で一般財源化の措置がとられなかったという意味合いにおいて非常に残念だったというふうに思っております。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) まことに申しわけございません、私、不勉強で、その点につきまして何か自分の意見を言わしていただくだけの勉強をしてまいりませんでしたものですから、申しわけございませんけれども、ちょっと差し控えさしていただきたいと思います。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) 現在の教育臨調などの議論、私も新聞で承知している範囲でございますけれども、教育は大事だ大事だという議論を一般的にはしているような姿になっていますが、実はその期間中におっしゃるとおりどんどん教育予算は削減をされている。今度のこの補助金カットのみならず学校給食に至るまで次々と削減されている。これは教育は大事だ、教育の荒廃を何とかしなきゃいかぬという議論とは全く逆行するものでありまして、実は最も議論されなければいけないことは、今日の四十人学級とか学校給食とか教材費に至るまで削減ではなくて充実をしていく、そういう方向がとられなければいけませんし、今度の場合でも一般財源化と言いますが、何らその裏づけはなくて、午前中も申し上げましたように実は教材費もどんどん減らされている、こういう事実というのは議論とは全く私は違っているというふうに思うんですね。  それから本来教育の内容というのは私は国民の教育権にかかわる問題ですから、国段階で一律的に議論されることではなしに、父母やあるいは現場の教師などが参加をしまして、まさに地方自治体のレベルで自由に民主的に議論をされて内容が充実されていく、国は専ら教育整備をしていく、そういう分担が明確でなければいけないのではないかと思いますが、そういう事態ではないことについて私は大変憂えているものでございます。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) おっしゃるとおり今の半額国で持つというのは二十八年から復活されたはずです。シャウプ勧告の後初等教育というのはこれは国じゃなくて地方自治体の固有の仕事であるはずだ、非常に革新的な考え方ですけれども、それまで行われた国の負担というのは地方交付税の中に入れられて、地方がすべて出していった時期が二十六、二十七、二十八と続いたわけですね。私はこの考え方は非常に革新的であり、民主的な考え方だと思うんです。今の国が半分持つというのは例えば教育水準を全国的に維持するとか学校の先生の給料をそう地域によって落とさないとかいう意味では大変結構な役割を果たしておりますが、一方やはり弊害もあると思うんです。それは例えば全国の小学校の校舎が文部省の規定どおりどこも同じ校舎であって、地域の実情もなければ、例えば給食のための部屋もないとか、非常に画一的、安上がり的な校舎にしてしまっているということがあるわけです。あるいはまた教科書の無償制度というのが、もちろん助かる家庭も多いわけですが、一方で文部省の教科書管理というのを非常に容易にしている点もあると思うんですね。  それらを考えますと、やはり初等教育についてもう少し自治体が主張もし、しかし金も負担していくという制度が私はあってもいいんじゃなかろうかというふうに思います。もちろんその場合義務教育の費用というのは国の歳出の中でも相当の部分を占めますから、それを地方に移していくという場合には地方交付税の三二%というのが若干引き上げられなければなりませんが、地方が自分たちの考えで校舎を考える、教育を考える、負担も考えるということは、私は必ずしも今の時期に何といいますか、おかしい考え方じゃないんじゃないかというふうに思います。もちろん今回の措置であります一方的に地方に肩がわりさせるというのは、最初から申しておりますようにおかしな点がありますが、もっと大きな立場で言えばそういう発想というのはあっていいんじゃなかろうかと思います。

上野雄文日本社会党

○上野雄文君 どうもありがとうございました。御無礼な点がありましたらお許しをいただきたいと思います。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 公明党の中野明でございます。きょうは参考人の先生方大変御苦労さんでございます。与えられた時間の範囲内で二、三お尋ねをしたいと思います。よろしくお願いいたします。  まず最初に米原参考人にお伺いをいたしますが、けさほどの御意見の中で一、二点言い残されたこともあるように感じておりますので、それを含めましてまず米原先生に、地方におられまして、今行政改革というのが国、地方を挙げての大きな政治課題でございますが、先生のお立場でごらんになって、国と地方行政改革の進みぐあいといいますか、どうお感じになっておりますか、その点をお述べいただけたらありがたいと思います。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) お答えさしていただきます。  国の行政改革、地方の行政改革、それぞれここ数年間議論されておりまして、それなりの御努力があるように思いますが、マスコミと申しますか、新聞等でよく報道されますのはどうしてもやはり国の行政改革という問題が報道されるように思います。それに比較しまして地方の行政改革というのは、地方版の隅にちょっと載るぐらいで余り報道されないように思いますが、地方団体もいろいろございますので十把一からげに申し上げることは非常に難しいんですけれども、私は機構改革であるとか定員削減であるとかというような面は努力している地方団体は国よりもよっぽどよくやっているんじゃなかろうかという気がいたしております。それはつまるところ、地方団体におきましては知事さんとか市長さんとか町長さんの力が割に強いように思うんですね。知事さんなり市長さんなりが、うん、うちは少し膨れ上がっているから局とか部を減らそうということは割にできるんですね。私が知っております例は、そういうことが非常に好きな市長さんがおられまして二、三年に一回は必ずやっておられると、それなりに定員も減らされていかれるという方もいらっしゃいますですね。  ところが、国の場合を見せていただいておりますと、一体だれに権限がある、だれが力を持っているのかというのがよくわかりませんで、どうも総理大臣もそんなに大きな力は持っておられないんじゃなかろうか。総理大臣の号令一下各省庁で組織がえを行われて、統合とかなんとかというのが大々的に行われて定員もばっと減っていくというトラスチックな目覚ましいことは余り行われていないように思います。それは結局国の場合はそれぞれの省庁が非常にお強い、また、省庁の中でも各局とか各課というのが強い力を持っておられるんで地方団体ほど上に立つ人の思いどおりにさっさと事が運ばないということなのかなという気がしておるわけでございます。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 それでは、広瀬先生にお尋ねを申し上げたいんですが、先ほどいろいろ御意見をお述べいただきまして、その中で私どもも一番危惧しておることは同感でございますが、こういう一律のやり方をすると地方間の格差というのがますます大きくなるということで我々も非常に心配をするわけでございますが、この点を含めまして、国の方は一本でございますが、地方は三千三百を超える、大は東京都から小はそれこそ八百ぐらいの村までばらばらなんですね。そういうことから考えまして、いよいよこういうやり方を続けていきますと地方の小さなところは行政の体をなさぬのじゃないだろうか、そういう心配が出てきておるわけでありますが、こういう機会にもし参考人の方で御意見がございましたら教えていただきたいんですが、地方公共団体の適正規模といいますかね、それは何かこれから先のことを踏まえてある程度きちっとするべきじゃないだろうかと私どもは考えるんですが、御意見がございましたら教えていただきたいんですが。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 地方が裕福かどうかという問題が先ほどから一つ出ておりますが、私は今一番大きな地方財政について目立つことといえば、だんだん豊かなところと非常に貧しいところの差が大きくなってきた、地方交付税の制度があって基準財政需要額に応じていろいろ配分はするけれども、それではかなり間に合わない部分が出てきたということだろうと思うんです。そして今回のような措置は、確かに一応救済措置というのは講じられることになっておりますが、基本的には差を大きくしていくものだろうと思います。恐らく地方自治体などの御意見も十分お聞きになったと思いますけれども、比較的まあこの程度なる大したことはないやというところと、本当ににっちもさっちもいかぬ、一体六十年度の収支の最後のところはどうなんだと深刻に心配しているところとはっきり二つに分かれております。そういう意味でこういう削り方は非常にまずい方策だったというふうに思います。  それじゃどうやってその自治体間の差をなくすか、あるいは財政力をつけていくかということですが、やはり基本的にはおっしゃるとおりある程度の規模の自治体というのが出てこなくちゃいかぬと思うんですね。しかし、その場合何といいますか、臨調で、これは答申そのものにはならなかったわけですけれども、四国を一つにしてしまえば例えば知事さんは一人で済むとか、県会議員は全部合わせて百人ぐらいで済むから今の半減だとかいろいろ出てきましたが、そういう変な効率主義じゃなくて、福祉にしろ教育の問題にしろ事実上やっていけるという、やっていけるかいけないかという、そこだけが私は仕分けの基準になるべきだというふうに思います。  じゃ何人ぐらいが適当かといえば、別段試案があるわけじゃありませんけれども、やはり千人以下とかいうのは、これは幾ら我々が地方自治が大事だと、国からもっと地方に仕事を移していくべきだと言っても、受け皿としてちょっと弱過ぎるんじゃないかなという気がしております。  以上でございます。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 もう一点広瀬参考人に御意見をお伺いしたいんですが、先ほどもお述べになっておられましたように、今回こういう無理なやり方をなさって、そのことにつきましては米原参考人もおっしゃっておりましたが、そして結果的に国の方が地方に転嫁したということだけに終わっているわけですし、転嫁した割にいろいろ手当てをしているものですから国の財政も余り減っているようにも私ども思いません。それが衆参でこういうふうに議論をして、参議院では特別委員会までつくって審議をしているわけですが、これほど大仰なことをしてという感じ、一年限りだったら、という感じを私も受けているわけですが、何か真のこういうことをするねらいといいますか、それはどの辺にあるというふうにお考えになっておるか、もし御意見がありましたら両先生からお伺いしたいと思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 私はおっしゃるとおり、これだけ大騒ぎして一体何が残るんだろうか、幾ら残るんだろうかという点から見ますと、非常に疑問の多い法案だというふうに思います。  それじゃ一体どうしてこういうことになったのかということですが、これは推測ですけれども、一つはやはり行きがかり上ということがあると思うんですね。というのは、六十年度の予算の編成でマイナス一〇%のシーリングを設ける。これを十分にこなせる省庁もある。それはどういうところかというと、最初申しました補助金でいうならば政策誘導的な補助金をかなり抱えていて、一〇%カットならばその金額を削っていけば済むという、そういう省庁は比較的容易にこのマイナス一〇%を乗り切ったと思うんですね。一方、厚生省のように削ろうと思うとすぐ制度にぶつかってしまうという方は、これはいろいろ考えた末、厚生省だって随分保健所関係の政策的な補助金だとか箱物だとかたくさん持っているわけですけれども、そっちの方を温存して、一律カット、制度的なものを減らしていくというふうに走っていったと思うんです。つまりそれは何といいますか、政策誘導的な補助金の方が役所としては使うにおもしろいし、制度的な補助金というのは右から左に出ていくだけで全然おもしろ味がない。削るならばこっちを削れという感じになったんじゃないかと思うんですね。しかし、いざそういう案をつくってみると非常にやはり問題が多い。格差が広がるということもその一つだと思いますが、それで年末の大蔵省、自治省、厚生省などの話し合いでプラス一千億というような別の措置が出てきて、それじゃ一体何のためだったんだということになったんじゃないかと思います。  それからもう一つは、やはり基本的には地方に財政再建についてもっと協力してもらいたい。その協力の正常なルールといいますか、そういうものが開ければいいんだけれども、それがないため非常に切り捨て御免的な措置に入ってしまった。これはやはり、地方が国に比べれば若干まだゆとりがあるんじゃないか、応分の協力をしてもらいたい。その応分の協力にはいろんな方法があると思うんです。一番わかりやすいといいますか、はっきりしているのは、地方交付税の三二%というのを三〇ぐらいに減らすというのが一番わかりやすいんですけれども、これは地方自治の本旨にも反するし大混乱になる。それから、政策的な補助金を減らすという方法もある。制度的な補助金を減らすという今回の方法も可能性としてはある。そういう幾つもの選択肢の中から中央省庁にとって一番抵抗の少ないものを選んだというのが私は今回のこういう案になったんじゃなかろうかと思います。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 大した内容のある法案でもないのにどうしてこれほど大仰なことになったんであろうかという点でございますが、実は私もよくわかりません。ただ希望といたしましては、せっかくこうして特別委員会までつくっていただきまして御審議をいただいておるわけでございますから、今後、国と地方はどうあるべきなのか、地方財政はどういうふうに進んでいくべきなのか、それから、これまで御議論がいろいろございました補助金制度はどう改革していくべきかということにつきまして十分御審議をいただきまして、今後の正しい財政のあり方について御判断いただければ非常にありがたいんではなかろうか、このように思っております。  補助金の改革につきましてこれまでいろいろ御議論がございましたけれども、一つだけ言わせていただきますならば、今の補助金というものは、地方団体にとりましてはもらい得といいますか、もらえれば得、もらわなければ損といったようなものが非常に多いわけでございますので、先ほどからお話しございました陳情とかいったようなことで一生懸命もらうように努力される、これを改めていただきたいというふうに思うわけでございます。  それは、今の我が国の補助金は多くの場合、こういう事業をしますからそれの何分の一の補助金を下さいという格好になっておるわけでございますが、そういう考え方をもうやめまして、教育なら教育、福祉なら福祉で、これだけおまえのところに金をやるから好きなように使えと、そのやる金額は、例えば交付税の基準財政需要のように、おまえのところは入口は何人だ、お年寄りは何人おられる、生活保護者は何人いるじゃないかと、それを基準にして、それじゃこれだけお金を渡すからおまえのところで好きなように使いなさいという格好で補助金が出るようなことにすれば、実はアメリカの補助金の四分の三はこういう格好で出ていっております。だから、そうすればわざわざ陳情とかいうことにむだな時間を使いませんとも、それぞれの地方団体は客観的な人口とか老人数とかいったようなことで補助金が来ますから今のような問題はかなり整理されるんじゃなかろうか。ちょっと極端なことを言えば、今の財政危機というのは、国が余り補助金を出し過ぎて地方に仕事をさせ過ぎるから国も地方も金が足らぬということになっているんじゃなかろうかということを私は思うわけでございます。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 館参考人にお伺いをしたいんですが、先ほどもちょっと話が出ておりましたが、先生も、国と地方の役割分担を明確にして費用負担の見直し、これが大前提だとお述べになっております。これはもうだれしもそれを望んでいるところでございますが、今回の措置は、先生の御意見では、地方が国よりは少し裕福だから、兄が困っていると弟が協力するのは自然であり当然じゃないかという意味のお話がございました。また他の参考人からも、車の両輪だからやはり国が困っているときにはこれは協力すべきと、そういう御意見も出ておりました。私もその点についてはそれほど異存はないわけですが、問題は、今回のやり方のいわゆる手続、方法と中身の問題ですね、これが非常に問題になって国会でもいろいろ議論になっているところでありまして、こういう一方的な、先生のような第三者の立場でそうおっしゃることは素直に私たちわかります。  しかしながら、地方と国というのは対等の立場ではないという現状から見まして、大きいところが小さいところに協力をしろと言うわけですから、それなりの手続とそして中身の話し合いが詰まって初めて協力ができると私は思うわけです。ところが、協力してくれと言う方が自分で考えて一方的に押しつけてきてするということは、これはもう第三者じゃなしに当事者同士ですから、そこに不信関係が生まれてきてがたがたしているんではないかという心配を我々もしているわけでありますが、今回のこのとられた臨時特例的な一年限りという措置、しかしながら手続の方法と中身に非常に問題があるわけですが、この点について先生はこういう出し方、やり方、これについてどうお考えになっておりますか。ちょっと教えてください。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) それではお答えいたします。  一つ先ほどから御議論も伺いながら感ずることでございますが、何年も前から補助金の整理合理化、補助金には非常にむだが多いということが言われてきておりまして、補助金の整理合理化を行うべきである、こういうように言われてまいったわけであります。実際に具体的にそれでは補助金の整理合理化をするということになりますと、ほかのものについては随分そういう検討を行ってきていましたけれども、内容からいって一番大きくなるのはどうしてもやはり地方との関係を含む補助金になるわけでありまして、非常に抽象的に補助金というものがあるならそれを削るということで済むわけですけれども、実際はやはり地方へ補助金が出されてという形になっておりまして、地方との関係なしにそのむだと言われている、そして国民の多くが期待している補助金の整理合理化ということは実際上はなし得ないということではないかというように考えておるということをまず最初に申し上げまして、そしてさて今回の補助金の、ここで問題になっています補助金の中身について見たときに著しく不当なものであるかというように考えてみますと、私はこれを例えば負担との関係において町の人に聞いたときに、まあそれはやむを得ないかなというような性質のものが割合と多い、それは地方に分担してもらうということにしてもやむを得ないんではないかというように思うものが多いのではないかと中身について私は考えているわけでありまして、どんな補助金にしてもそれぞれそれを出すだけの意味があって設けられたものですから、その意味だけを取り上げて議論をすればこの補助金というのはやめられないということになってくると思うわけでありまして、そこでそういう観点から中身を見たときに私は率直なところここに挙げられている中身というのはそう不当でないというように考えているということを中身の問題についてまず申し上げて御理解をいただきたいというような気がするんです。大体町で聞いたら、いやそんなものも出ていたんですかというようなものも随分含まれているというように私は思うんです。ですからそのことを率直に申し上げます。  次に手続の問題、確かに多少急ぎ過ぎたという問題がなかったということは言えないように私も思います。しかし一方、現在国の財政が置かれている状況を考えたときにやはりある程度急いで財政再建に進まなくちゃならない、特に補助金の問題にということになりますと、これは地方との関係の問題を先ほど申しましたように含めることなしにはこれをやることができないという状態になっていて、なかなか先ほど上野先生からもお尋ねがありましたけれども、そういう場所がないんですね。なかなか議論をしていく場所がないというようなときにこういう形で問題提起をしていくというのもある程度政策のインプルメンテーションということを中に含めて考えたときにはやむを得なかったということではないかというように私は考えておりまして、そういう諸般の事情を御理解いただくことが国民のためにはいいんじゃないかと私考えておりますということを申し上げさしていただきます。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 きょうは議論をする場所ではありませんので、御意見は御意見としてお伺いをいたしますが、少し考えが私どもと違っております。  それで、もう一問だけじゃ最後にお尋ねをしたいのですが、この法案の成立がおくれておるために地方に結局お金がいっていないわけです。そのために地方の公共団体等は現実に非常に困っております。私どもも審議をしながら、これは将来にわたって大事な中身がありますので、審議は真剣に慎重にやらなきゃならぬという両挟みで非常に苦しい立場に立って審議をしているわけなんですが、この法案に絡みまして、通らないために地方は例えて言えば生活保護費なんかは一人一人には迷惑かけるわけにはいきませんから立てかえているわけでございます。お金のないところはそれを借金をしなきゃ、どこかから借りてきて立てかえなきゃならぬ。本来ならばこれは国が当然払うべき大半のお金を地方が立てかえて払っております。その利子をどうするかという問題がこれまた一つ残っているわけですが、各先生方一言ずつで結構でございますが、この利子は一体どこが払うべきが至当かということについて御意見をいただいて、私は終わりにしたいと思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) 問題があること自身は新聞等を通じて承知しております。しかし、事柄がやはりいろいろな法律とのかかわりも深い問題であるというように思いまして、私、専門がやはり経済学でございまして、法律については自信を持ってお答えできる状態にございませんので、この際意見を留保させていただきたいと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) それは当然国であるというふうにお答えすれば御質問者のお気持ちに多分沿うのであろうと思います。真実私もそう思います。なぜであるか、とりあえず気がついた二、三の理由を申し上げてみたいと思います。  一つは、国が財政再建を旗印に掲げて乗り出しましたのは、昭和五十六年七月に出された第二次臨時行政調査会の第一次答申を受けて策定された昭和五十七年度予算からのことでございました。それから既に四年経過しております。四年の間に何をしていたのかということを私は国民の一人としてやはりどうしても指摘せざるを得ない。これは、何をしていたかというのは法律案作成者に対してのことであります。それからもう一つは、前に申し上げたことの繰り返しになりますが、期間があったにもかかわらず自治体側の意見を全く聞くことなしに、しかも負担を一方的に転嫁するということでありますから、せめて利子ぐらいはということであります。とりあえず二つの理由を申し上げたいと思います。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 私も全く素人考えでございますけれども、国の法律制定がおくれて地方に迷惑をかけたということであるならば、やはり国が何らかの措置をされるべきだろうと思います。余り大きな金額でもなかろうと思いますので、特別交付税の中ででも少し考えていただけたらどうなんだろうかという、全く素人考えでございますが、そう思います。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) 利子というよりは現行法はちゃんと生きているわけでございますので、当然現行法に基づいて支出されるというのは当然なことだというふうに思うんです。仮に利子ということになればもちろんこれは国が責任を負わなきゃいけないだろう、常識が通る行政府でなければならないのではないかというふうに思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) きのうある町長さんと電話で話しておりましたところが、彼は今回の措置には大反対なんですけれども、そんな激しい反対論は言わずにむしろ早く通す方を言ってくれよみたいな話をされてびっくりしたんですけれども、つまりこの法案に反対な自治体が、今みたいな、何といいますか、締めつけでもう足元が非常に危なくなってきている、もう少々悪法でもいいから早くやってもらった方がいいんだみたいな空気になってきておるわけですね。  私は、それは大問題だと思うんです。むしろこういう法案ですから、審議の時間は相当かかるだろうし、一方でそういう自治体の足元をさらうようなことはやめて、つまりある種の措置でもってちゃんと払うべきものは払って、法案の審議はやはり慎重にやるべきだと思います。  結果としてどこが払うかということですが、自治体に払わない分は、その金は中央にあって利子を稼いでいるわけですから、その稼いだものを地方に渡せばいいわけで、これは当然中央が払うべきものだと思います。

中野明公明党・国民会議

○中野明君 どうもありがとうございました。

桑名義治公明党・国民会議

○桑名義治君 米原参考人とそれから広瀬参考人にお願いをしたいんですが、故大平総理のときに地方の時代ということを盛んに言われたわけでございます。そこで、地方をどういうふうに開発していくか、どういうふうに進展をさせていくかという政治の一つの流れが出てきたわけでございます。私たちはやはり、地方議員を含めまして、政治家の考えている事柄は、真の民主主義の確立は地方の確立だ、こういうことはこれはもうだれも否定することのできない事実だろうと思うんです。  ところが、国の財政がこういうふうに大変に苦しくなったということで今回のような措置がとられたわけでございます。それと同時に、今回の法律にもうたっておりますように、行革関連特別措置法による措置が、これがまた一年延長された、こういうことで、だんだんこの地方の時代という理念が忘れられつつあるんではなかろうか、こういうふうにも私は思うわけでございますが、この点についてどういうふうな御感想をお持ちになっておられるのか、この点をまず、総括的なお話でございますが、伺っておきたいと思います。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 桑名先生のおっしゃられたとおりに、地方の時代という考え方が若干後退してきているのではないかというふうに感じます。それから、今度の生活保護の問題にしましても、また今お話しの行革関連の一年延長にしましても、その影響が強く出ますところは、どちらかと言えば、財政力が弱いといいますか、所得水準が低くて生活保護世帯も多い、過疎地域とかなんとかで今まで補助率をかさ上げしていただいておったというところに影響が強く出てくるということを考えますと、地方団体もピンからキリまであるわけでございますが、裕福さが高いピンの方よりも下の方についてやはり御配慮をお願いしたいという気がするわけでございます。    〔委員長退席、理事伊江朝雄君着席〕  特に、地方の出身者といたしまして、最近の世の中の風潮というものは、都市と田舎と比較いたしまして、一時田舎の方がよ過ぎるんだと、田舎に行ってみる、道路も全部舗装されているじゃないか、昔と全く違っているというようなお話をよく聞くわけでございますけれども、まあ田舎の人間にも舗装道路を歩くぐらいのことはお許しいただきたいと思います。  財政的に見まして、過疎地域というものは確かに効率は悪い地域でございまして、一人当たりの財政需要といいますか、交付税で見ましても基準財政需要一人当たりを見ますと、都市の二倍、三倍も高い経費がつくというのは、これはもう事実でございます。そのために、補助金も田舎の方にはたくさん行くわけでございます。それで田舎はよ過ぎる、都市が冷遇されているというふうに判断していただきましてはやはり問題があるように感じるわけでございますが、といって、それじゃ過疎地域を今のまま残して全部手厚くこれに財源措置をすべきかといえばこれまた非常に大きな問題があるわけでございますので、先ほど中野先生もおっしゃっておられましたように、田舎の方におきましても、人口が千人とか二千人といったようなところをいっぱい残すのではなくて、どこか拠点的なものを地方にもつくっていただきまして、過疎の中心地、ちょっと言葉はおかしいのですけれども、そういうような考えで今後進んでいっていただければというような感じを私は個人的に持っております。  以上でございます。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 大平さんが地方の時代と言ったことは私なりに解釈すると次のようなことだったと思うんですね。  中央政府と地方自治体と公的な機関が二つあるわけですけれども、例えば高度成長の時期に産業基盤をどういうふうにつくっていくかとか、あるいは都市に対する爆発的な人口の集中に、例えば水にしろ道路にしろ、どう対応するかとか、そういう仕事は中央政府の方が得意であった。つまり中央政府に任じた方が能率的にいったということがあると思うんです。  ところが、そういう時代が終わって、福祉だとか文化とか教育が非常に重要な時期になってくると、そういうものは中央政府でいろいろやるよりも地方自治体がやった方が非常に実のある効果が出るんだと、公的機関の中ではそういうものは地方に任していく方がいいんだということだったと思うんです。そのためには、権限と財源をだんだん地方に移していくというのがその方法だったと思うんですが、おっしゃるとおり、今回の措置というのは財源的にまず地方の時代に逆行するものだと思います。じゃ権限の点ではどうかということになりますと、この問題が去年の年末、全国知事会の場で問題になった折に、たくさんの知事さんたちが、中曽根さんに、財源ばかり中央から取るのはおかしいじゃないか、もっと権限移譲も進めてくれという要求を出したわけですね。中曽根さんが早速自治省幹部を呼んで、そういう措置をとりなさいと、こう命じたということになっておりますけれども、結果的にはそういう権限の地方移譲というのは全然進まずに、この財源の問題だけが具体化してきた。非常にあちらでもこちらでも、何といいますか、地方の時代というのに逆行する現象が続いている。大平さんが健在であっても果たして中央官僚の壁が破れたかどうか疑問に思いますけれども、今は非情にそうした理念が政治家の間にも薄れてきているのかなということを心配しております。

桑名義治公明党・国民会議

○桑名義治君 渡辺参考人にお伺いをしたいんですが、渡辺参考人の先ほど午前中の公述の中で、いわゆる今回の措置については地財法の二条の二項の違反ではないか、そういう疑いが非常に強いというような御意見の開陳があったわけでございます。それとあわせて考えられますことは、今回のいわゆる生活保護費の負担率のダウン、これも生活保護法の一条あるいは憲法の第二十五条ということを考えてみれば、この二つにも抵触するおそれがあるのではなかろうかというような危惧を私たちも持っているわけでございますが、この点についてはどういうふうな御見解をお持ちでございますか。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 何回か申し上げることになって恐縮でございますが、生活保護に係る補助金も地方財政法第十条にかかわる事柄でございます。そこで、この条文の解釈は私先ほど申し上げたように解釈したいと思っておりますので、したがって、その補助率を下げるという形で下げた部分を地方に負担転嫁するということは本来的にとるべきではないというふうに考えます。それは地方財政法第十条で取り上げられている事務の全体について言えることでありますが、とりわけ生活保護に係る負担金につきましては、おっしゃいましたとおりに生活保護法第一条及び憲法二十五条に抵触するというふうに私は当然考えるべきだというふうに思っております。

桑名義治公明党・国民会議

○桑名義治君 それから、館参考人にちょっとお伺いをしたいわけですが、先ほどからたびたび議論になっておることが、いわゆる地方の財政余裕論でございますが、今回のこのとられている措置というものは、総括的に申し上げますと、館参考人は、これは当然なことだという、当然な措置だというような御意見だろう、こういうふうに思うわけでございますが、それと同時に、先ほどから広瀬参考人の方からもお話があっておりましたが、この事柄はますますいわゆる地方の格差を増大していくんではないか、弱いところはなお一層直撃を受ける、こういうような意見の開陳がございました。  実際、私は小倉に住んでいるわけでございますけれども、田川方面あるいは飯塚方面、この産炭地方面を私はよく見て回るわけでございます。田川の市長も、先日衆議院に参考人として呼ばれて意見を開陳されているわけでございますが、この中で、田川市も大変な状況になって、わずか六万五千人ぐらいの人口の中で約六億円のいわゆる衝撃を受ける。しかも産炭地というところ、こういう財政力の弱い地域というものはこれは失業率も高いわけですね。この失業をどうカバーしているかというと失対でカバーしているわけですね。それから生活保護でカバーしている。山田市においては生活保護世帯が約半数ではないかというふうに言われておるわけでございますが、こういうところにこういうような生活保護の負担率というものが地方自治体にかぶさってきますと、国では一割カットかもしれませんけれども、しかし地方自治体の二割の負担が三割の負担になれば五〇%増になるわけですね。財政力の弱いところになお一層そういうようないわゆるしわ寄せが来るということになってくれば、これはそういう弱体の各地方自治体にとってはこれはもう壊滅的な打撃を受けるわけでございまして、これが産炭地域のほとんどの市町村がそういう影響を受けるということは、これはもう火を見るよりも明らかでございまして、田川市、直方市でさえもそういう状況なんです。  しかも、そういったところには地方公債、地方債で手当てをしたらどうだというお話がございますが、田川郡の中にはいわゆる起債が四〇%というような高率なところもあるわけでございます。実際に今論議をされている中ではそういう地方債というものは、起債というものはこれはもう当然一五%が大体危険ラインだと、こういうふうに言われている中でこれが四〇%の率を持っている、そういうところに果たして地方建設債であるいは起債を認めるかということになってくると、これはちょっとやはり県としても認めがたい、あるいは自治省としても認めがたいというようなそういう状況の中に追い込まれている地域が随分あるということでございます。  そういうところに今回のこの法というもので非常な打撃を受ける、こういういろいろなことを考えると、参考人はマクロでそういうふうに言っているんだ、こうおっしゃっておられますけれども、そういうふうな地域があちらこちらに点在をしているということを考えた場合に少し急ぎ過ぎたんではなかろうかと、こういうふうにも思うわけでございますが、再度この点について、大変恐縮ではございますが、御意見を伺っておきたいと思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) それではお答えいたします。  それぞれの自治体によって影響の受け方に違いが出てくるということは事実だと思うんですね。ただ、それについては、この法律との関係において起こってくる問題について言えば、いろいろな形で地財計画とかそういうことを含めてそれほど大きな打撃が特定のところに集中しないように配慮されるべきものであろうというように私は考えておりまして、その点だけを非常に強調されて、そのために事柄が進まなくなるというようなことはやはり望ましくないんではないだろうかというのが私の判断でございまして、今先生が御指摘のような点についてはむしろもっと細かい配慮といいますか、そういうものは別に行うべき点ではなかろうか、こういうように考えております。

桑名義治公明党・国民会議

○桑名義治君 もう時間がほとんどなくなりましたが、一問だけお伺いして終わりにしたいと思いますが、先ほどからいろいろと論議が重ねられておりますが、いずれにしましても今回の法案のいわゆる性格、あるいはまた今回の法案の中にも含まれている事柄ではございますが、行革関連特別法案の一年延長、全体の現在のいわゆる流れから見たときに、最終的には地方交付税の三二%にも手がつけられるんではないかという危惧をする人がもういるわけでございます、現実に。  そうなってきた場合には、これは先ほどからもちょっと広瀬参考人の方から議論が出ておりましたけれども、こうなってくるとこれは大変なことになる、地方切り捨てに最終的にはつながるんではなかろうかというところまで議論が進んでいくと思うんです。事態は、決して地方自治体は裕福な状況ではなく、もう各参考人がおっしゃっておられますように、国の財政と地方の財政を比較した場合にはまあまあいい方ではなかろうか、こういう大体意見が一致しているんではなかろうか、こういうふうに思うわけでございますが、この三二%についてはどのようにお考えになっているのか、改めて御意見を渡辺参考人と広瀬参考人に伺って終わりにしたいと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 交付税率三二%を引き下げるという方向へつながっていくんではなかろうかということについて、私もけさ第六番目の問題として申し上げましたので全く同感でございます。現在の三二%という交付税率は引き上げられるべきだということは言えても引き下げられるべきでは絶対にないと私は考えます。  昭和四十八年秋に起こった第一次石油危機が国家財政及び地方財政の上に厳しい形で表面化したのは五十年度の補正以降でございました。その間、少なくも昭和五十九年度までは十年間地方交付税をもってしても穴埋めし切れないで残った地方の財源不足が巨額なものになって続いてきておりました。その場合は地方交付税法六条の三の二項によりまして、国は地方行財政制度の改正を行うか、あるいはそうでなければ地方交付税率の引き上げを行うか、どちらかをしなければならないということになっておりますが、私の考えるところではそのいずれも行われないできた、そういうあしき前例を国は十年間とり続けてきたわけであります。したがって、仮に今後名実ともに地方財政にゆとりが出てきたと私自身でさえもが言えるようなときが来たとしましても、それは少なくもあしき前例を国がやってきたと同じ程度の期間ぐらいは、すなわち今後少なくも十年間ということでありますが、三二%ということで維持し続けていくべきではなかろうかというふうに考えます。  同時にもう一つ申し上げたいことは、五十九年度と六十年度、二年間にわたりまして実際に交付される地方交付税の現実の額は国税三税の三二%を既に切っております。この点にもあわせて注意をしなければならない。それも三二%という法定の数字を実質的に切り崩していく一つのきっかけに今やなりつつあるのではないかというふうに考えますので、その点もあわせて申し上げておきたいと思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 三二%を仮に切ることになりますと、地方自治体の間の財政力の格差というのが、是正する措置が薄れるわけですから、ますます広がっていく。やはりこれをならす方向で考えますならば、この切り下げというのは絶対に避けなくちゃいかぬと思います。  では、今国と地方の関係で何が大事かということですが、やはりだれかが国と地方のあり方について改革の方針を出していかなければ、これは全然前進しないと思うんです。毎年毎年むしろ地方財源が削られる方向でこの種の問題が蒸し返されるのじゃないかと思うんです。臨時行政調査会というのはその仕分けに、さっきも言いましたけれども、失敗した。今あります臨時行革推進審議会もこの種のことはほとんど絶望的である。とすれば、こういう国会でその種のプランをつくるような積極的な姿勢がなければとても地方自治の前進というのはない。ないところか、個々の問題についてことしはこの部分、来年はあの部分というような格好で後退が続いていくんじゃなかろうかと心配しております。

桑名義治公明党・国民会議

○桑名義治君 どうもありがとうございました。

神谷信之助日本共産党

○神谷信之助君 共産党の神谷信之助でございます。お忙しい中本当にありがとうございます。時間の関係で五人の参考人の皆さん全部に御意見をお聞きすることができないかもしれません。途中で時間が来ればやめなきゃなりません。その点は初めにお許しをいただきたいと思うんです。  最初にお尋ねしたいのは、館参考人と渡辺参考人に三点について、時間の関係もありますから一遍に申し上げますので、お答えいただきたいというように思います。  一つは、国家財政破綻の原因とその責任の問題です。これは館参考人が先ほど、兄貴が困っておれば弟が助けてやってもいいではないかというふうにお話しになりましたけれども、兄貴にどんどん貢いで、貢いだ先はのんびりと裕福な生活をしておると、借金で困っておる弟は何でそのツケ回し、責任を果たさなきゃならぬのかという話もあるんです。そういう意味から、まずこの点をお聞きしたいと思うんです。  御承知のように五十年度、五十一年にかけて景気の不況が起こって赤字国債の乱発ということになりました。四割前後の赤字国債の発行という状態になったわけです。その中で失業者はふえましたし、それから片っ方で中小企業の倒産は激しくなりました。しかし片一方、公共事業に赤字国債発行してどんどんやったりして支えて、この十年間で十億以上の資本金を持つ大企業は、私どもの調査によれば四十二兆円程度の内部留保を持っているわけです。だから、貢いだ先の方が悠々としておる。それに対してメスを入れないで貧乏人の方にしわ寄せするというのは一体どういうことか。例えば外国課税の控除問題とか、それから特別優遇の税制の問題とか、あるいは引当金の問題なんかでも、六十年度予算の編成の過程では大蔵省も考えたようですけれども、財界の反対でとうとうやれなかったわけですから、そういうのには手をつけられない。こういうところが一つあるんです。  それで、もう一つの原因は、これは軍事費をどんどんどんなに財政状況が悪くってもふやし続けてきたことである。これも既にアメリカが軍事費の増大で日本以上の財政赤字を抱え、それが高金利を生み、貿易摩擦の一因にもなっていることはもう御承知のとおりなんで、この二つのところにメスを入れないで困っているところにしわ寄せをする、この点はいかがなものかというように私どもは思うんですが、この点についての御見解をお二人の参考人からお聞きしたいと思います。  それから第二点の問題は、先ほどからも皆さんお聞きになっていますが、地方の裕福論の問題です。  館参考人の方は、公債費それから依存率、残高、これらを国と比較をしておっしゃいました。それに対して渡辺参考人の方は、国と地方との財政運営の基本が違うという問題や地方債の発行の制限の問題なんかもおっしゃっています。確かにそういう点がありまして、特に地方自治体が赤字公債を発行するというのはこれはもうよっぽどのことでなければないんで、この十年間でも一回ありましただけです。あとはどうしたかというと、交付税特別会計が投融資会計から借り入れる。言うなれば、国に例えればこれが赤字公債に該当するやり方です。これはもう既に元金だけでも六兆円超えて、利子を入れると十兆円超えるでしょう。現在交付税の先食いをしている状況になっている、こういう状態が起こっています。それから、国債と地方債は償還期間が違います。国債は六十年償還ですけれども、地方債ですと一番長くて今二十二年から五年がやっとできたところでしょう。大体平均すると十五年が普通です。だから、どんどん公債費というのは高くなります。それで公債費率が二〇%を超えると起債の制限があります。だから、借金したくてもできないという準禁治産者の状態に地方団体がなる。だから、表向きの比較だけでは裕福だとかどうとかいうことはできない、こういうように思うんですが、この点についてひとつお願いしたいと思います。  それから、もう一つこれに関連して高率補助の問題ですが、私は館参考人のお話を聞いておって、やっぱり負担金と補助金とは違うと、この点は明確にしてお考えいただきたいと思うんです。負担金の方は、渡辺参考人が先ほどから力説されておるように、これは国が進んで積極的に負担をするという、そういう対象の事業なんです。補助金の方は、奨励的な意味もあったり、いろんな意味の補助金であって、これは財政事情によって左右される場合もあるでしょう。そういう性格のものだから、この点は非常に大きく違うというように思うんで、この辺の御見解を実はお聞きしたいと思います。  それから第三点は、今回の措置は暫定的措置で理想的なものではないというように館参考人もおっしゃって、いずれにしても費用分担のあり方の見直しを避けることはできないというふうにおっしゃいました。私どもはもっと早くからこれをやるべきだと言っているんですよ。地方が仕事を七割、八割しながら財源は二割、三割で、国からもらう金を当てにしなければ仕事がやれないなんて、こんなばかな話はない。税金を出している国民は、これが国税、地方税と分けているわけじゃない。やってもらっている仕事が国の責任の仕事か自治体の責任の仕事かわからない。もっと国民に税金がどのように使われるかということをわかりやすくするためにも税財源を自治体の方に七割、八割と仕事に応じて配賦する、まずこのことを早くやらなければならぬというのを力説をしてきているわけです。今、国の財政破綻のところでこの問題をやるということは、国の財政破綻をどう助けるかということが主になって、いわゆる財政論が先に立って、財政の面から財源配分を考えよう、こういうことになってくるから、これはまさに国と地方の責任分担をごまかしてしまうというか、崩してしまうことになる、逆にまた言いますと、地方自治そのものの破壊につながるというように言わざるを得ないと思います。  この三点について私の意見を申し上げましたけれども、お二人の参考人の方から御意見をお聞かせいただきたいと思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) いずれも大変難しい問題で、丁寧にお答えいたしますと時間の関係がありますので、ごく簡単にお答えさしていただきます。  まず第一に、国債を大量に発行しなければならない状態になったについての責任は一体どこにあるのかということでございますが、これはやはり第二次オイルショックという予想しない事態が起こったということが非常に大きいと思います。と申しますのは、その以前においては財政も比較的順調に回復し、バランスの方向に向かっていたわけでございますが、予想外にこの時期に第二次オイルショックが起こって大変難しい状態になったということが一番大きいというように考えております。そうなった後の例えば負担をどこに求めていくべきかということにつきましては、例えば予算案について、私衆議院の予算の公述人として呼ばれたときにも申し上げたんですけれども、一点私としては大変遺憾に感ずるという点があるというように申し上げたのは、防衛費を聖域として扱っているという点については私は遺憾に感ずるということを申し上げたわけでございまして、全く全部賛成というわけではないということを申し上げておきたいと思います。    〔理事伊江朝雄君退席、委員長着席〕  それから二番目に、地方が裕福か国が裕福かという点につきまして実際上、実態に入ってみるといろいろなことがあるではないかという御指摘、ごもっともな点もございます。しかし、実を申しますと、国についても先ほどから申し上げておりますのはすべて表向きの数字でございまして、国自身も後年度負担の問題とかそういうことを考えますとますます楽ではない状況にあるということがございまして、そういう点を含めて考えたときに、やはり国と地方とを当面比較したときに、マクロで見る限りにおいては私は地方の方が比較的余裕があるというように考えております。  それから三番目に、今のような措置が結局非常に乱暴な措置であって、そのために地方自治が弱められてしまうことになるのではないかという御懸念をお持ちでございます。私はそういうことになっては大変だというように思いますので、むしろ今後のあり方については何と申しましても、繰り返し同じことを私も申し上げるのは、財政の弾力性を早く回復してフレキシビリティーが持てるようにしたいということを考えるものですから、できるだけそういう弾力性が持てるような姿にするために、多少無理であるということがあってもこの際はというように考えておりまして、そういうことを考えますと、今後のあり方については適当な場所を設定して検討していくということが非常に重要ではないかというように考えておるということだけを申し上げます。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 最初の御質問であります国家財政破綻の原因と責任につきましては、私は次のように考えます。国家財政破綻ということが要するに国債費の累積を主として意味するというふうに理解するとすれば、その原因は直接的には十年前の赤字国債の発行に求められると思います。このとき特例法を通した国会とそれからそれの主役を演じた中央政府、私はこの両者に赤字国債発行の責任があると言えばあるというふうに考えます。しかし、それは恐らく石油危機の直後の経済混乱の状況を考えますと、事によるとそれほど非難されるべきことではないのかもしれないと思われます。ただ、もし非難されることがあるとすれば、大量な赤字国債発行に踏み切った直後から二、三年ぐらいの間、しかるべき対策をそれとしてとらずに推移させてきた政府側に責任を求めざるを得ないというふうに考えます。  それから、防衛費の問題をお出しなさいました。防衛費につきましては、ときどきの総理大臣が異口同音に聖域がないという見解を明らかにされてこられながらの突出状況が続いてきている。しかも、痛みはともに分かち合うのだということまでをも言われながら、にもかかわらず防衛費及び二、三の経費だけは突出状況を続けてきているということを考えますと、これは国民の一人としてやはり十分に納得するわけにはいかないというふうに考えます。したがって、第一の御質問に対しては、おおむね御質問の先生の御見解に私は同じだと申し上げてよろしいかと思います。  それから、地方財政ゆとり論並びに負担金と補助金との違いにつきましては、私先ほど来やや詳しく立ち入って申し上げてきておりますので、もしお許しいただければ省略させていただければありがたいと思います。  それから最後の、今回の措置は暫定的な措置であるといったような問題につきましては、これも今まで申し上げてきた中に、私自身非常に不満であるという意見を明らかにしてきておりますので、特に申し上げることはないのであります。しかし、ついでながらということで二、三分時間をちょうだいして申し上げたいことがございます。それは地方公共団体との関連ではございませんが、赤字国債の借りかえに関する問題でございます。  赤字国債の発行は、健全財政を貫こうとする限り極力抑制されなければならないということは言うまでもないことであります。抑制されなければならないためにこれまで幾つかの歯どめが講じられてまいりました。建設国債に限るという歯どめが第一の歯どめでございましたが、それから国債整理基金特別会計への繰り入れという歯どめもございました。三つ目の歯どめが実は借換債の禁止という歯どめであったわけです。ところが、今回借換債の発行の禁止を外しまして、赤字国債の償還を六十年間とした理由につきまして、昨年十二月の財政制度審議会の報告は、これは「現実的選択としてやむを得ないと考える。」という一言だけの理由を述べたにとどまるわけであります。考えてみますと、借りかえ禁止の歯どめより前の先ほど申し上げた二つの歯どめが取り外されたときも、同じように現実的選択としてはやむを得ないという理由が述べられていたわけであります。そういう理由が三回も続くということになりますと、これはもう国民としても安心していられないという考え方を持たざるを得なくなってくると思うのであります。先ほど申し上げましたが、既に「増税なき財政再建」に乗り出して四年間経過しております。四年間経過している以上、もはや現実的選択としてはやむを得ないということだけが理由として通るような政策変更が許されるときは既に過ぎ去っているのではないかと私は考えるわけであります。  ついでながら、そんなことを気になりましたので申し上げたいと思います。

神谷信之助日本共産党

○神谷信之助君 次に、広瀬参考人にお伺いしますが、参考人もよく御承知のように、地方自治法では都道府県及び市町村の固有の事務というのは明確になっています。例えば保育所の事業でも、地方自治法に定める市町村の固有の事務の一つであり、それは児童福祉法において保育に欠ける児童についての保育の責任を市町村長に規定をしています。ですから、本来は私は全部地方自治体がその財政負担も持つというのが当たり前だ。ところが、もう御承知のように、実際には地方自治体の財源というのは、仕事はたくさんやるけれども、半分以下のわずかなものしかない。したがって、保育所の措置費の八割は国が補助金として出す、こういう仕組みになってしまっています。それで、その措置費が言うたら運営の三分の一を占めるわけで、あと市町村の負担と父兄負担になるわけですが、これがだんだん削減されてくる。片一方、地方自治体の方の財源もない。こうなってきますと、結局父母負担が急増する。この十年間で六・二倍に上がっていますね、保育料が。そうなってくると、今度は保育所に預けること自身が困難になってくるという実態が、今の子供自身の数の減少と同時に、もう一つの要因としてそれがあって、保育所の定員割れという事態が起こってきています。  こういうことを考えてみますと、まず基本的には、やっぱりそういう保育所なら保育所の事業を市町村が担当するということになれば、それに必要な財源は全部まず与えるべきだ。そして、初めて市町村自身の、住民自身が自分たちの意見で仕事のやり方を考えていく、これが本来の姿なので、そこへ私は戻していくといいますか、今の税金の国と地方との分け方自身を根本的に変えれば、国に頭を下げて頼まなければならぬという状態というのはうんとなくなると思う。まずこの点を根本的にやることなしに、いたずらにツケ回しみたいな今回の措置というのは絶対に私は許すことはできぬと思いますが、この辺についてはいかがでしょうか。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 全く賛成です。といいますのが、やはり実際にそうした保育所の事業に国が補助金を出すということになってしまいますと、それがノーマルということになってしまいますと、補助金がないならばやらなくていいんだと、地方自治体としては、優先順位を考えるときに、まず補助金のついたものからやっていこうという非常に安易な考えになってきて、保育所が本当に必要ならば他のものを削ってでもつくるというその気迫がなくなってしまうと思います。今がまさにその状況だと思います。  おっしゃるとおり、その場合にはそれに見合う財源が必要だということですが、これもかなりの部分は賛同できます。かなりの部分と若干限定をつけましたのは、それはやはり地方自治体もそれなりに優先順位を決めて、あるいは必要な場合には若干の、選択と負担という言葉もありますが、負担も求める。丸々今まで補助金としてもらったのを一〇〇%地方交付税の中に算入してやっていくべきだ、つまり三二%を三五とか四〇にふやして、それで初めて権限移譲というのもあり得るんだという考えだとなかなか事は前進しないんじゃないか。むしろこういう際は若干、一〇〇のもののうちの二〇とか三〇とか中央政府に協力してでも、あえて国と地方の仕事の仕分けを明確にしていく、そういうことが必要じゃなかろうか。仕事が来た分丸々一〇〇%会もよこせというのじゃ、なかなかそれが通りにくいのじゃなかろうかというふうに思います、本来はそれが姿でしょうけれども。

神谷信之助日本共産党

○神谷信之助君 小林参考人に聞きますが、既に自治省は、地方行政改革大綱、それを決めて、各自治体に八月までに三年間の計画を出せという指導を強めています。これは出しても、八月に間に合おうが間に合わなくても、あるいは自治省の言うモデルでなくても構わないということを自治大臣は答弁をしているんですけれども、実際は指導という形で強制的に今進められているという状況です。こういう臨調行革の路線に基づく地方行政改革、これと今回の補助金一括カット法案、これとの関係について御意見を聞かせてもらいたいと思います。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) この提案の趣旨にも明確なように、この補助金の一括カットにつきましては、明確に臨調行革に基づいているというふうに受け取っております。これは単に自治体に働く職員がそう考えているというだけではなしに、首長さんも議会の多くもそういう受けとめ方をしているというふうに思います。ただ、現実に地方自治体が自主的に進めている行政改革、これとの間では、こういうやり方が一緒だというふうには相当のところでは考えていないというふうに思います。そういう点で今度の行革大綱という、こういう一律的な、地方自治体三千三百以上あるわけでございますけれども、そこに七項目を示して、そしてそれについて答案を出しなさい、その答案はもう答えが決まっていると、推進本部をつくれとかあるいは審議会をつくれとか、そういうふうにやり方まで示している、こういうようなことと、そして今度のこの一律的なカットのやり方というものには非常に共通認識を地方公共団体を構成する者は受け取らざるを得ないわけでございます。そういう意味で、私どもいろいろ立場は時によっては違うこともございますけれども、市町村長さんなり知事さんなりといろいろ意見を交換する機会が多いわけでございますが、その中では、本音を申し上げれば、この補助金カットのやり方と、そして今度のこの大綱などにつきましても、同様に大変な御不満を持っているというのが率直な状況でございます。  先ほどから国と地方の財政論がございますけれども、今日の状態のもとで、単なる借金の大きさだけで裕福か裕福でないかという議論は全く当たらないということはもう多くのところで議論を尽くしたところでございますけれども、五十兆円を地方が超えるという状態は、それは収入の段階でも支出の段階でも国の大変な制約があるもとでもなおかつ今日のような借金をせざるを得なかったということは、私はある意味では国以上に深刻な事態になっているのではないかと思いますが、しかしそういう中でこの程度で終わっているということは、もうちょっと言えば、実は地方自治体の自主的な努力は、これは私はむしろ非常に大変なものだったのではないか。だからこの程度で終わった。しかし、これが先ほど神谷先生が御指摘のような国のような財政の運用の仕方をしたら、私はもっと深刻に地方自治体はなっていたのではないかという感じがするわけでございますけれども、そういう意味で、この地方行革のこういう進め方は、私は成功をしないのではないか、大変な障害になりまして、むしろ大きな混乱をつくり出すことになって成功することにならないのではないか、こういうふうに思うわけでございます。  要するに、行政と財政は一体でございますが、財政を考える場合に、単純に財政を財政とだけ考えることは結局のところできないと思うんです。要するに、国民の生活との関係で財政をとらえなければ財政を論じたことにならないと思うんです。つまり、例えば自治体と国とを比較した場合に、自治体は直接的に住民に関係しているわけでございます。これは国の今の考え方でいけば、住民の生活というのは我慢をしてもらえばかなりのところまで我慢していただけるのだ、こういう考え方で富裕論とか財政論を論じているように私は思うのでございますが、そういうふうに考えていったのでは、これは私は根本的に間違えているというふうに思うんです。そうではなくて、財政はいかにして国民の生活を保障するかという、そういう大前提で議論をされていかなければいけないわけでありまして、その点からいけば、先生も御指摘のように自治体はまさに七割、八割の住民生活を直接担っているわけでありまして、これがまさに財政を深刻にするわけでありまして、我慢を強いれば楽になるという、そういう論法は私は間違っていると思うんです。  そういう意味で、国の財政運営が自治体を構成する者から見れば明らかに異常な突出を放置したまま、全く行政改革と言われるものは、いわゆる臨調に基づく行政改革というのは専ら国民生活だけに向かってきているこのことに対しては、やっぱりなかなか納得しがたい事態が次第に自治体の意見として多数を占めつつある。私ども、住民の皆さんにアンケートなどいろいろとっていますけれども、そのアンケートの中に示される内容は、大部分七割、八割という方々が今回の地方行革に示されているような項目について国が示している方向に賛成でありません。学校給食をとっても清掃の問題をとっても、あるいは保育の問題をとりましても、まして健康や医療、福祉の問題をとりましても、七割、八割の方々が賛成でありません。そういうことからいきまして、これはそういう意味で国民世論に大変ぶつかる問題になっているというふうに思うわけでございまして、そういう意味でも民主的な手続がきちっと確立されていくべきだということを強く感ずるわけでございます。  そのことだけ申し上げて、発言にかえます。

神谷信之助日本共産党

○神谷信之助君 時間がありませんが、最後に渡辺参考人にお聞きしたいと思うんですが、地方財政法第二条に違反をする疑いが非常に強いというように御意見を申されておりました。昨日、私はその点で知事会、市長会、町村会の代表の皆さんの意見を聞きましたが、知事会の代表は、現在の段階では違反の疑いは強い、しかしこの法律が成立すればそうではなくなるという趣旨の御意見です。市長会の代表は、すれすれのところ、ぎりぎりのところという、そういうお話です。しかし、この法律が成立してみましても、実際には特別会計まで入れますと七千三百億ぐらいの削減ですね。それに対して実際に政府が措置するのは一千億にすぎない。あとは自治体自身の自主財源である交付税を定食いしたりあるいは借金の押しつけでやる。逆に政府の方がことし交付税会計に入れなきゃならぬ千三百三十五億円はずっと先に先送りしてしまう。そういう状況ですから、まさにこれは負担の転嫁であって、二条違反の状態というのは、この法律が成立しようがしようまいが違反の事実自身は残らざるを得ない。免罪にはならないというように思うのですが、この点についての御意見をいただきたいと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 補助金の整理合理化に伴う地方負担増は、昭和六十年度地方財政計画によりますと五千八百億円ということになっております。しかし、それは私の見るところでは、高率補助金のおおむね一律一〇%カットに基づく負担増に限定されているようでありまして、例えば一般財源措置を行う整理合理化に関しましては三二%という交付税率がふやされない。その意味では、自治体の負担になるにもかかわらず五千八百億円の計算からは除外されているわけであります。そのことを考えますと、当面国が一千億円しか負担しないということの持つ意味はさらに重要になってくるだろうというふうに考えます。  それはともかくといたしまして、地方財政法第二条の二項に抵触する状態がもし阻却されるということがあるとすれば、私はこの補助金整理合理化法律案が、先ほど申し上げましたように、どのような内容の整理合理化が可能であるかということを自治体側から発意させて行われるのでなければ阻却されないというふうに基本的には考えるべきだと思っております。したがって、昨日知事会、市長会の皆さん方がどのような根拠に基づいて意見を述べられたのか承知しておりませんから何とも申し上げかねますが、もし今私が申し上げたようなことが全然御考慮されていなかったのだとすれば、私と見解を異にするということになろうかと思います。

神谷信之助日本共産党

○神谷信之助君 時間が来ましたので失礼します。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 民社党の井上計でございます。  参考人の先生方には、本日は大変お忙しい中お越しいただきまして、私どもに御協力をいただきますことを厚くお礼を申し上げます。お疲れでございましょうし、大分同僚議員からかなり詳細にわたって質問がなされておりますから、私はなるべく重複を避けまして、二、三お伺いをいたしたい、かように考えます。  先ほど来質問の中にもありますし、また先生方のお答えの中にもございますけれども、このような法案が提出され、我々が審議をせざるを得なくなった理由、過去の理由はいろいろございます。確かに財政的に国が破綻を来したという面もあるでありましょうが、しかしこれはただ単に政府あるいは与党だけの責任ではございませんで、我々野党にもやはり責任の一端がある、このようなことを考えておりますし、また国とあるいは地方とどちらの責任かと今さら論じても、これはもう後戻りできぬわけでありまして、むしろそれよりもこの法案を審議する機会に、法案の審議の賛否と同時に、今後、将来に向けてこの地方財政のあり方あるいは国と地方との間柄、これらをどうすべきかということもあわせて私どもは考えていく必要がある、こういう考え方を持っておるわけであります。  そこで、五人の先生方にまずお伺いしたいのでありますけれども、地方の時代ということが言われて既に十数年になります。ところが、依然として三割自治という言葉が各地方でも言われております。三割自治であるからどうにもならないのだという不満が各地方であるわけであります。この三割自治という理由はいろいろとありますけれども、一つはやはり地方自治体の自主財源が三割しかない。したがって、どうにもならぬではないか。だから、もっと国から財源をよこせ。同時に、伴って権限を大いに地方に移譲しろ、こういうふうないろんな論議があるわけであります。さて、そのように三割自治と言われておる現在の国と地方との間柄が果たしていいのかどうかということ等につきまして、大変抽象的なお尋ねでありますけれども、五人の先生から一言ずつひとつお答えをいただければありがたい、こう思います。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) 私が申し上げるまでもないことだと思いますが、三割自治という状態が起こってくるそもそもを考えてみますと、やはり地方間に格差がある、したがってその格差を何らかの方法でならすという措置をとらなければ、これは非常に不平等が起こってしまう、そういうところからどうしても中央に財源を集めて配分しなければならない、そこからそもそも三割自治と呼ばれるような事態が起こってきたわけだと考えておりまして、そのこと自身はある意味からいいますと、地方の過疎化が進むというようなことになればますますその必要性、要するに三割自治の必要性ではなくて、中央に集めてそれを配分するという措置の必要性というのはふえてくるというところがあるわけです。ですから、先ほど一番最初に補助金のメリット、デメリットの点についてお答えしたように、結局ここはやっぱりバランスの問題になってくるのではないかというように思っております。  私は、地方の時代ということについていろいろな考え方があると思いますけれども、地方の時代になるというのは単に財政の問題ではないんで、やはり地方自身がそのそれぞれのコアになるようなものを持って成長していくということにならなければならないと思いますし、私は最近における技術革新がまさにそういう地方の時代を可能にする基盤を生み出しつつあるというように考えておりまして、そういう意味では、今こそそういうまさに実体経済の面を中心にして地方の時代をつくり出していくということを考えるべきで、余り財政の何割とかいうようなことにこだわらないでお考えいただけたらというように私は考えております。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 私は、三割自治という言葉は余り使いたくないと思っております。自主財源の量的中心は地方税でございます。だとすれば、地方税こそ自主財源の最たるものだということになるはずでありますが、私から言わせますとそうではないんです。国会で立法化されました地方税法の中で地方税の税目とか課税対象とか税率とか、そういった細々としたことがすべて決められております。自治体側に自他になることがあるとすれば、それは法定外普通税制度とか不均一課税制度とかといった、わずかに幾つかの制度があるにとどまるわけであります。したがって、自主的には地方税は自主財源とは言えないというのが私の考えてあります。  もしも地方自治というものにとって望ましい財源は何であるかといえば、せんずるところ使い道が自治体にとって自由になる財源、その財源がなるべく大きい割合を占めていることであるというふうに考えます。そのように考えるとすれば、地方税ももちろんそれに入りますし、地方交付税ももちろんそれに入る。したがって、それら一般財源ということになりますが、一般財源の自治体財源全体に占める割合の方こそがむしろ注目されるべきではないかというふうに考えるわけであります。だとすれば、現在一般財源の割合は五〇ないし六〇%程度となっているはずでありますので、現在は五割自治ないし六割自治と言ってもよいのじゃなかろうか。むしろそのようにとらえるべきではないかというふうに考えます。しかし、そのようにとらえた場合に、五〇ないし六〇%程度の割合で一般財源の量的位置が十分であるかということになりますと、私はそれは不十分であると答えざるを得ない。少なくも八〇ないし九〇%ぐらいは財源に占める一般財源の割合がふやされなければ自治は全うできないというふうに考えます。というようなことでお答えになりましたでしょうか。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 館先生、渡辺先生と同じ意見でございますが、もし地方税収の割合を問題にするのでありますならば、これをもっと上げるということはなかなか難しいだろうと思います。それは館先生おっしゃられたように地域格差がございますから、地方税源をふやせばもっと地域格差は膨らんできますから、その調整にまた交付税がたくさん要るといったようなことになりますので難しい。それから、やはり前申しましたように、所得再分配を私は国がやるべきと考えておりますので、今の税収の中心であります累進所得税などはこれはやっぱり国に置いておきませんと、各地方がてんでんばらばらに累進所得税をかけるということはよくないだろうと思います。  それから、権限につきまして三割自治ということを考えますならば、これはやはりもっとふやしていただきたい。今渡辺先生もおっしゃられましたように、一般財源といいますか、使途を特定されておりません財源をもっとふやしていくということが望ましいわけでございまして、それは朝から問題になっております補助金の交付税化とか、補助金、負担金の交付金化といったようなこと、これはもっと進めていただきたいと思っております。  それから、特定財源の中でも、繰り返し申し上げるのですけれども、我が国の特定財源は特定の仕方が特に細かい、よその国の特定の仕方の方がもっと緩やかである、そこのところをもう少し考えていただけたらありがたいと思っております。  以上でございます。

小林洋二統一労組懇自治体部会事務局長

○参考人(小林洋二君) 申し上げたいと思いますが、元総理の大平さんがおっしゃった地方の時代という意味については私は必ずしも賛成ではないわけでありますが、これはどっちかといえば地方の時代という名前によって国中心の高度成長型の経済を地方にも分散するというようなことが中心であったように思いますので、私はそれには賛成ではないわけでありますけれども、しかし一般的に言われています三割自治というのは、いわゆる仕事と財政が裏打ちされてないという意味で、私はこれは直ちに是正されなければならないというふうに思います。その手法は、自主財源をもっと確保する問題とか認めていく問題とか、あるいは交付税の三二%を削るどころかふやしていく問題とか、そういう地方の仕事と財政が一致する措置が直ちにとられなければならないというふうに思います。  戦後四十年地方自治が続いたということでありますが、しかし憲法のいわゆる地方自治の本旨や地方自治法に基づく地方自治というのは、実はそうした財政運営のアンバランスから、あるいは権限がないということから、大変残念ながら形骸化されてきているのではないか。実態的に言えば、もう三割どころかさらにそれが大幅に下がる状態に来ているのではないかというふうに思います。  しかし、そういう仕事と財政のアンバランスがあるのに、ではなぜ地方財政が運営されているのか。これは文字どおり住民の負担によって、使用料から始まってあらゆる項目にわたってどんどんと負担が増大をする。そして、最近の臨調の方向で言えば自立自助というような方向まで打ち出されるに至っていますので、それがますます増大される。だから、行政内容は地方自治体が決めるけれども、その財政負担の多くは住民負担によるというふうな異常な事態が生まれているわけでありまして、そういう意味では私はこのような状態は即刻是正されなければいけないし、今度の補助金カット問題でも六千四百億にも上るカットをされるわけですから、これがきちっと財源保障がされるということなしにこのような乱暴な措置がとられるということについては到底同意できないわけでありまして、ますますそれは矛盾が増大をする方向になるのではないかというふうに思っております。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 地方自治が本当の意味で前進するどころかだんだん後退しているんじゃないかという御懸念は、私も全く同感であります。一体、どうして日本で地方自治というのが前進しないのか、いろいろ考えてみるわけですけれども、先ほどから何度か言いましたが、やはり中央省庁の壁の厚さというのが第一だろうと思うんです。しかし、果たしてそれだけだろうか。もし他のすべてが地方自治の前進を非常に有効だと考えているならば、事態はもっと変わってきたのじゃないかというふうにも思います。  まず第一に、地方自治体の理事者、議会は、口ではもっと自治体を内実あるものにしたい、こう言いますけれども、本当にそうなのか。案外、面倒な仕事も国の責任で何となく過ぎていく、そういう事態に安住するような空気があるのじゃなかろうかという気がいたします。もう一つ、住民自体の自治体不信というのも相当なものであって、例えばこの仕事は中央に残すべきか地方に移すべきかというような仮に世論調査などすると、案外地方自治支持派というのは数が少ないような気がいたします。やはり住民の不信という点も見逃せない。財政の問題は恐らくそうしたものの結果であって、財政がすべて地方に手かせ足かせをはめているというふうには思いません。しかし、財政が事実上三割自治でしかないのは、あるいはもっと少ないかもしれないなという気さえしております。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 時間の関係でそれぞれまた具体的に各先生に余りお伺いできないのでありますが、自主財源をさらにもっとふやす方法、ふやすべきだということについては先生方の大体共通した御意見であろうと思い、また私どももそういう考え方を持っております。しかし、さて現実に自主財源をどうやってふやすかということになりますと、多くの壁がありますからなかなかうまいことまいらぬ、こういうことでありますが、一つの例でありますけれども、全国四十七都道府県にいわば自主財源をつくるために同じような法律、同じような制度となりますと、格差がありますからなかなかそうはまいらぬであろうと思います。  そこで、一つの考え方としては、数年前から言われておりますけれども、法人事業税の外形課税の問題がございます。県によりましては外形課税大いに結構だという意見と、県によっては外形課税は好ましくないという意見と、いろいろあるようでありますが、これらをいわばそれぞれの都道府県の状況によって外形課税を採用するかあるいはしないかというふうなことを自主的に判断して任すというふうなことが現在の行政の中でいいのかどうかという問題、これにつきまして渡辺先生ひとつお伺いをしたいと思います。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 自主財源を文字どおり自主性の貫かれた財源というふうにとらえるとすれば、これは法人事業税及びその外形標準課税という問題だけに限らず、地方税の全部の税目についておっしゃるようなことが適用されるのが望ましいと一応は考えられます。しかし、それはやはり極端なことでありまして、現実問題としてはそういう方法が選択されることはあり得ないと考えます。ただ、そうは言いながら、しかし以上申し上げた基本的な考え方は、現実的に可能であればできるだけ具体化させることが望ましいということも確かであろうと思います。そういう点から考えますと、各税目が地方税の中にある中で、御提案の法人事業税につきましては、その外形標準課税を採用するか否かということについては少なくも各自治体の自主性に任せるというようなことは、現実的意味からいっても選択されてよいことではなかろうかというふうに考えます。しかし、この問題につきましてはまだ私今まで考えてきたことがございませんので、とりあえずの気持ちだけを御披露させていただくということで御勘弁いただきたいと思います。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 広瀬参考人にお伺いいたしますけれども、広瀬参考人が午前のいろいろとお話の中にも述べておられましたけれども、他の先生方もお述べになっておりますが、要するに地方がもっと自由に選択できるような補助金といいますか、さらに総合的な補助金のあり方ということ等につきましては私どももそのようなことを考えておりまして、むしろ第二交付税的な意味を持つような補助金の方向に持っていくべきであろうという考え方を私ども持っております。ところが現実に、現在地方行政をいろいろ見ておりますと、余りにも補助金の額がますます細分化されていく。細分化されていく理由は現在の地方の行政組織にも原因があるのではなかろうか。同じようなことを隣の県がやっておる、そこで一緒になってやればもっと効率がいい、あるいはもっと工事費等々のものが削減できるのに別々にやっておるところにまたむだがあるというふうないろんな面があるわけであります。  そこで、十数年前であったかと思いますけれども、亡くなりましたが、永野日本商工会議所会頭が提唱された道州制の問題がございます。これは当時、いろんなほかの理由もあったわけでありますが、一つは地方財源をもっと有効に使うという意味での行政機構改革というふうな面からそういう提唱をされた、こういう記憶をしておりますが、最近ちょっと言われておりませんけれども、この道州制の問題については広瀬参考人はどうお考えでありましょうか。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 臨調の論議の中でも道州制というのが出まして、私は果たして大規模な道州がいいのかということになりますと若干疑問を持っております。といいますのは、やはり今の都道府県レベルで言うならば、各都道府県は大変な権限を持っている。知事さんというのは、あるいは最近は国会議員よりも偉いのじゃないかなと私なんか時々思うことがあるんですが、それぐらい権限を持って地方に君臨しているようなところがあるわけです。市町村は規模が確かに小さ過ぎると思いますが、府県については今のままでも十分いけるのじゃないか。むしろ大きくなり過ぎるとかえってマイナス面が出てくるのじゃなかろうかという気がしております。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 そこで、もう一つ広瀬参考人にお伺いいたしますけれども、やはり午前のお話の中に政治力による配分の不公正というふうなお話がございました。私ども全くそのように実は考えております。  現在有権者の方が政治家に一番何を求めておられるかというと、できるだけ国の補助金をたくさん持って帰ってくるように、できるだけ自分たちの周囲の道路あるいはその他の公共事業等が促進をされるようにそれをやることが自分たちが選んだ有力な議員である、それができないような者は実は無能な議員である、こういう考え方に有権者の考え方が非常に強くなっております。したがって、そのために不公正が起き、同時にまた国政がゆがめられるというふうな点が多々あろうというふうに私どもも反省をしなくちゃいけない、こう思っておりますが、これまたとんでもないお尋ねになりますけれども、そういうふうなものを是正していくために我々政治の舞台がどうあるべきかということ等につきまして、ひとつ率直な御意見お伺いできれば結構であります。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 非常に潜越な話になるかもしれませんが、御勘弁願います。  おっしゃるとおり、公共事業と大型の補助金というのは政治の争奪戦のいわば焦点になっていると思うんです。それは詳しく調べればいろいろなデータがありますけれども、一番手っ取り早いのは、自治省が毎年出しております行政投資実績調査というのがそれに当たるのじゃないかと思うんです。やはり政治力の強い人の選挙区では一人当たりのそういう政府投資というのは大変な勢いでふえる。その人が政治力を失うとしぼんでしまうということがあります。私は、補助金の問題というのは地方自治の問題であると同時に実は国政の問題だと思うのはその点なんでありまして、国会議員がそういう政治の実利を期待されるような政治、それが一体日本の政治全体の役に立つかどうかということです。  それで、補助金の削減というのは、私はこれは官僚の壁ということをずっと言ってきましたけれども、官僚がどんなに本当のことを言って騒いでも、政治がもしそれに背を向けるならば通りっこないわけですが、例えば今の自民党の政調の部会というのは各省単位に分かれていて、彼らが予算編成のときにどれだけその省のために予算を取ってくるか、その実績に応じて補助事業も配分されるというような実態があるものですから、なかなか予算の編成そのものが正しい姿になっていかない。その点でも補助金というのはどうしてもメスを入れなくちゃいかぬというふうに思うわけです。  それで、では一体だれがメスを入れることができるのか。新聞は、これはもうまさにやせ犬の遠ぼえで、何の効果もない。なるほどそうだとおっしゃるだけで、それで終わるわけですね。官僚も、恐らくもっと財源が足りなければ足りないなりにいい予算を組みたいのだろうと思うんです。ところが、必要性、国内のニーズというふうなこととは無関係に各省一割削減、一割削減ならば自民党の政調部会も泣いてくれると、そういうことから全く不賢明な一割削減という方法がとられている。あるいはそれ以外にはやむを得ぬという実情があるかもしれないと思うんです。  そういうぐあいで、補助金制度というのは今の政治のひずみのいわば象徴的なことだろうと思うんですが、これを直していくとすれば、もう国会以外にはないわけであって、ではどうすれば直るかといえば、私は、ある種の補助金について厳しい追跡調査を行って、それがいかに不公平な配分になっているかとか、その種のことを例えば参院の決算委員会で必ず幾つかの補助金についてそういう実績を国民に前に出していく、そういう地味な作業が何年間か続けば少しは事態は変わってくるのじゃないか。それからもう一つは、今のマイナスシーリングをまだ数年続けて、今は金額が減るだけなんですけれども、件数も減る事態までいけば、また事態は少しは変わってくるかなというふうに思っております。  以上です。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 時間がなくなりましたので、もう一問、これは広瀬先生にお聞きいたしたいと思いますが、補助金獲得のためだけとは言いませんけれども、東京に置いてある各県あるいは各市の事務所というのは大変な数だと思います。大変なまた職員を置いて、そのために相当な地方自治体が経費を費やしていることは事実であります。幾らになるか、ちょっと我々計算のしようがありませんが、もしこれが全廃されたらかなり地方が使える財源がふえるのではなかろうか、こう思います。  また一面、今お話しの中に官僚の壁というお話がありましたが、上は官僚の壁がある、下から各選挙区の地方自治体の県あるいは市の東京事務所等の職員がやはり私どものような役に立たぬ野党の議員にまで常にそういうふうないろんな陳情、よく言えば陳情です、悪く言えば圧力だろうと思いますが、そういうふうなことをする。そうして、そういうようなことで成績が上がった人ほど実はまた各自治体に帰って昇進をしておるというふうな、それがまた一つの補助金問題の悪弊の大きな理由であろう、こう思いますが、このようなことを全廃する。もちろんこれは国の権限で全廃するということはできませんけれども、もっとこういうふうなものを廃するあるいは縮小する方向に持っていくことも補助金問題として重要ではないか、こう考えておりますが、広瀬先生の御意見いかがでしょうか。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 一から十まで同感です。ただ、どちらが鶏でどちらが卵がという問題があると思うんです。今は優秀なる地方公務員というのは何かといえば、補助事業が新たにできる、それはこういうものならば該当するんだ、まあテクノポリスなどもそうなんですけれども、そうした情報をいち早くつかむ、どこに陳情すればそれが獲得できるか、そのノーハウを知っている、それが優秀な公務員ということになっている。本当は住民のニーズにこたえる自治のあり方を考案できるのが一番いい職員なんでしょうけれども、その辺はもう逆立ちしているわけです。今、東京事務所を廃止すれば、その自治体が当面不利益を受けることは明らかであって、やはり置かなくたって大丈夫だ、毎年年末にあれだけ大きな陳情団を東京に派遣しなくてもそう不公平な目に遣わないという実態ができれば、それはおのずから廃止されていくわけでしょうし、やはり私はどちらかといえば鶏は補助金制度の方で、国会がメスを入れるのが先じゃないかというふうに思います。

井上計民社党・国民連合

○井上計君 終わります。ありがとうございました。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 参考人の皆様方、どうも御苦労さまでございます。お疲れのところ恐れ入りますが、できるだけ早く切り上げますので、もう少しおつき合いいただきたいと思います。  私は、まず館先生にお伺いしたいんですが、この補助金問題は氷山の一角だと思うんですが、こういうものが非常にクローズアップされてきたのは、一つには日本全体の、けさほどナショナルミニマムとおっしゃいましたけれども、それが達成されて、上下の格差が非常になくなってきた。それで細かく言えばまだまだあると思うんです。しかし、正規分布の五%有意とか何かで九〇%ぐらいとりますと、ほとんど差がなくなってきているというふうなことで、補助金自体が余り自治体にありがたられないというか、その呼び水効果がなくなって、仮に百万円つぎ込んでもそれほどの大きな効果がなくなって、前のように格差が大きいと百万円入れるだけでざっとレベルが上がるというふうなことがあったと思うんですけれども、そういう効率がどんどん悪くなってきているのじゃないかと思うんですが、その辺いかがでございましょう。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) お答えいたします。  御指摘のとおりだと思います。いつでも補助金の問題といいますか、見直しというようなことが問題になってくるときには、それぞれ補助金が設けられたときは、その補助金は非常に重要な意味を持っているということで設けられたんですね。さらにその補助金が有効な効果を持つということがあって初めて補助金としての意味があるわけです。しかし、だんだん時代が変わりますと、その補助金の本来の目的についての一般的なコンセンサスもだんだん変わっていくことになりますし、それから時代の変化とともに、最初は効果が大きかったものが、目的に対する手段の有効性がだんだん落ちてきているということが背後にあるということはもう御指摘のとおりだというように思っております。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 こういう補助金に限らないと思うんですけれども、私政治にかかわって日が浅いものですからよくわからないんですけれども、こういう補助金のようなものは既得権化していくわけです。既得権化していくにつれてどんどん効率が悪くなっていく。今先生おっしゃいましたように、初め設けられたときが一番有意義なんだというふうなことで、こういうふうなものは、私一つ覚えで言うのですけれども、例えばサンセット方式にして、初めに設定するときにこれはもう何年でやめるというふうなことをやっておかない限り、これはやっぱり政治の世界では不可避というか、避けられない宿命にあるようなものなんでしょうね。

館龍一郎青山学院大学教授

○参考人(館龍一郎君) まさに御指摘のとおりで、どうしてもこれは最初に申し上げましたように既得権化してまいりますし、単に既得権化するだけではなくて、やはりそれが膨張していくような自然の力がそこに働くという性質がございます。ですから、サンセット方式のような形で自動的に見直しを行うか、あるいは思い切って抵抗を排して見直しをやらなければならない、そういう時期に今や来ているという一般の認識があり、そこで今回のような措置がとられるということにもなってきたと思うんですけれども、もともとはもう補助金そのものがそういう性質であるというところに発生のもとがあるのであるし、それは絶えず見直していく必要があると私は思っております。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 それで、ちょっと話を全然変えまして、渡辺先生にお伺いしたいんですけれども、自主財源の問題がけさほどから大分いろいろ出ているわけです。私のなにでは、日本の税収の一番大きなのは法人税とか所得税ですね。これが皆国税になってしまっている。それで地方税というのはほとんど微々たるものしか行っていないわけです。したがって、交付金だとか補助金が出ていくわけですけれども、外国の場合、アメリカはちょっと違うかもしれませんが、外国の税制で地方が相当取っている、例えば、先ほど井上委員の話にもありましたけれども、法人税関係でこういうようなものは地方税になっている、日本もそういうものは考えてみてもいいんじゃないかというふうな税の項目がありましたら教えていただきたいのです。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 私、税制度の専門家でもございませんし、したがって外国の税制度がどうなっているかということは余りつまびらかにしておりませんので、まともなお答えできないのが残念に思いますが、ただ日本の場合に限って申し上げれば、国税の六〇%程度が地方交付税、地方譲与税あるいは国庫支出金といったような形で地方自治体の方に移されております。その量の大きさに注目するときは、国税の一部を地方税の税目として移すということは不可能とは言えないだろうというふうに考えます。その場合との税目を移すかについてはいずれも一長一短があってなかなかはっきりとは申し上げかねるのでありますが、所得税の個人分あたりが一つは考えられてもよい税目のような気がいたします。ただ、その場合は移された後、自治体相互間の税収にかなり格差が生ずるという副次的なマイナス効果が発生いたしますので、その場合は地方交付税制度によるより一段の補完が必要になろうか、そんなふうに考えておりますが、お答えになりませんで、大変失礼いたします。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 私が実はそれを申し上げたのは、今、日本は都市集中、特に東京に集中が激しくなって、これはやはり地方分散しなきゃいかぬじゃないか。それで、それの一番の原因というのは、情報とか何かありますけれども、各企業の本社がみんな集中しちゃっている。したがって、法人税を少し地方ごとに変えると、本社をどんどん移すことができてきて地方へ行くのじゃないか。アメリカなんかは、現実にもうマンハッタンに本社があるというのは証券会社とかほんのわずかで、もうメーカーというのはみんなセントルイスだとかなんとかという地方へ行っています。そういうふうな、少し地方自治を高めるためにはそういうことも必要じゃないかと思うんですけれども、もう一度渡辺先生ちょっと御意見を伺いたいんです。

渡辺精一神奈川大学教授

○参考人(渡辺精一君) 確かに一つの案だとは思います。しかし、懸念もまたあるわけでございまして、法人税は最も景気感受性が高い税目でございます。したがって、それが地方税の税目になりますと、景気の変動に自治体の税収入が非常に大きく左右されるという問題が一つ起こってこようかと思います。現在の地方税目の中にも法人関係課税が幾つかございます。その最も大きいのが都道府県税の中にあります事業税の法人分でございますが、これが景気感受性が非常に高いために、景気の動向に応じて都道府県の財政運営がかなりやりにくくなっているということが現に問題となって出ております。したがって、法人税を移す場合にはその辺の配慮が必要になろうかというふうに考えます。とりあえずそんなことで。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 米原先生にお伺いしたいんですが、これは私の解釈ですけれども、どうもやはり日本経済が高度成長から五十年代になって低成長に入ってきたというふうなことで、この補助金なんかもいろいろ問題が出てきているのじゃないかという気もするわけです。というのは、例えば補助金間というか、自治体間の不公平を是正するときに、高度成長だとどんどん原資がふえていくわけで、ふえていくから足らないところへ入れていけばいいわけです。ところが、低成長になってそれがふえないと、不公平があってもそこへ埋めていけない、といって出ているところを削るとまた問題がある。これは国会の定数是正みたいなもので、一票の格差がどんどんふえていくときなら簡単に是正できるのですけれども、ふやせられないということになると、こういう問題が出てくるというふうに感じるわけです。  その辺で、まず高度成長のとき、この辺がちょっと私まだよくわからないのですけれども、例えば非常に少ない資源の配分を考えた場合、高度成長だと中央集権にして中央に集めてそれを集中的に使っていくということがいいのじゃないか、あるいは逆に今度低成長になりますと地方分権にした方がいいのじゃないかというふうなことを、私もまだはっきりは認識できないんですが、例えば江戸時代なんかを考えましても、やはりああいう低成長のときは地方分権制でいく、高度成長だと中央集権とか、そういうふうなことがあるのじゃないかと思うんですけれども、思いつかれた範囲で結構ですから教えていただきたいんです。

米原淳七郎広島大学教授

○参考人(米原淳七郎君) 高度成長の時期は、おっしゃられますように、やはり国全体の産業をどういうふうに伸ばしていくのかといったようなことが重要な問題になりますから、企業の立地ということについては地方団体も重要な役割を果たすと私は考えておりますけれども、それ以外の、日本の産業をどういうふうに持っていくのかとか貿易立国にいくのかといったような問題は、やはり国の役割が大きなものになるだろうと思います。それから低成長の時代になりますと、そういう産業政策というものよりも消費生活といいますか、私どもの日常生活をどういうふうにやっていくのか、一体公共財をどう消費するのか、また一体どういう行政サービスをどのように提供していくのかというのが割に大きな問題になりますから、これはどうしても消費者の身辺の問題ということで、今先生がおっしゃられましたように、地方分権的な面が重要視されてくるだろうと思います。  以上でございます。

木本平八郎参議院の会

○木本平八郎君 小林参考人に一つお伺いしたいと思ったんですけれども、ちょっと時間がなくなったものですから失礼して、最後に広瀬さんにお伺いしたいんですけれども、先ほどから出ていましたように、どんどん地方によって上下の格差はなくなっているのですけれども、しかし多様化してきていることがあるわけです。例えば村づくりというのはみんな同じようにやっていますけれども、そのおのおののつくり方というのは、これは全然もう違ってきている。けさほどもありましたけれども、例えば遊歩道をつくるときに砂利のままでつくりたいというところと舗装してつくりたいというところがあるわけです。ところが、舗装しないと補助金やらないと言われると嫌でも舗装せざるを得ない、現実にそういうことがあるかどうか知りませんけれども、そういう非常に硬直化してきた面があるわけです。  それで、例えば学校給食でも、始まったときには栄養状態が悪いから放出の脱脂粉乳がなんかを食わして少し体位をよくしょうというところから始まったのですけれども、もう今は逆に肥満児の問題だとかあるいは子供の糖尿病の問題まで出ているわけです。そうすると、学校給食のあり方も変えなきゃいかぬ。ところが、何年間もずっと、しきたりというか、いわゆる情性で同じようなことが行われていっているというふうなことで、余り補助金のそういうものの効果がなくなっているということが現実だと思うんです。  そこで、私のこれは一つの非常に乱暴な発想なんですけれども、例えば今のような補助金で、それで先日来問題になっているんですが、この補助金がふえるという可能性はちょっと当分考えられないのじゃないかと思うんですけれども、そういうことならむしろ私は三年なり五年間、補助金というものの額を昭和六十年度の分でもう凍結して、そのトータルをどうするか別にして、けさほど言われましたように、その使途はこれはもう自由に任せるということで、各自治体で歩道をつくるところもあれば学校をつくるところもあれば、自由にやらした方がうんと効率がよくなるのじゃないか。そして、その結果を見て五年後に補助金のあり方その他を実線に基づいて見直すというのも一つの手じゃないかと思うんですけれども、その辺について御意見を伺って私の質問を終わりたいと思います。

広瀬道貞朝日新聞社論説委員

○参考人(広瀬道貞君) 私もまさにそのとおりであって、こういうふうに国民がある程度の生活水準を自分のものにして、それで暮らしのゆとりだとか豊かさとかあるいは文化とか、そういうものが自分の生きがいと密接に結びついてきた時代は、画一的な補助金事業、中央政府主導の仕事というのはだんだん本来の意味がもう薄れてきたと思うんです。やはりその地域の実情に合ったやり方でいかなければ、せっかく使う金がむだになると思うんです。それで、補助事業のむだというのはまさにその点にあろうかと思います。まさにおっしゃるとおりだけれども、じゃ、ここに出てくる各大臣がそれでいこう、こう言うかといえば、絶対いかないんですね。これはやはり官僚の体質と非常に密接に結びついた問題であって、そこらにもっと違う立場からぜひともメスを入れていただきたいと思います。

桧垣徳太郎自由民主党・自由国民会議

○委員長(桧垣徳太郎君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々には長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心より厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十五分散会      ―――――・―――――

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