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102回国会参議院1985/04/16

文教委員会 第6号

発言数
197
登壇者
21
会派数
5
開催日
1985/04/16

会議録

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、連合審査会に関する件についてお諮りいたします。  国民年金法等の一部を改正する法律案について、社会労働委員会に対し連合審査会の開会を申し入れることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、連合審査会開会の日時につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。     ─────────────

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) 次に、教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件を議題といたします。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 高校入試の問題につきまして質問をいたします。  ことしの高校入試の問題に絡みまして、埼玉県の浦和、これは大臣のところですが、ここの中学校で先生が三年生の全員の内申書、この原簿を置き忘れて子供がそれをたまたま見たんです。自分のもらった通知表とそれが違うということで生徒が抗議したり騒いだりという問題が起こりました。そして、一部の生徒はその後、授業や試験をボイコットしたまま卒業してしまったという事件があります。さらにまた、千葉県の松戸の中学校では、高校への入学願書、これを持っていった先生が一通出し忘れたと、そのためにその生徒は受験できず、結局、私立へ進んだという事件があります。これまた、同じく埼玉県の狭山の中学校の問題でありますが、仲間同士で足を引っ張り合わないということで志願校は全員が二校までというふうに内々決めておった。ところが、一人抜け駆けをやって私立に合格した生徒が出たということで、いわゆる進路指導の上で、あるいは行き過ぎではないかというふうな批判も出るような事件が起きておるわけです。これらを大体考えてみますと、いわゆる生徒全体、これをとにかくどうやって浪人を出さずに希望者全員をうまく高校に送り込むかという学校側の考え方と、それから我が子ということを中心にした親や本人、この立場、これがなかなかかみ合わない、これがぶつかる、こういうふうにことが起こっております。これはただ単に関東一円の問題、埼玉やあるいは千葉の問題だけじゃなくて、多かれ少なかれこういったことは毎年行われて事件として地方でも取り扱われていることであります。  そこで問題は、ただ単に学校側の問題だとかあるいは父兄の問題だとかということじゃなくて、やっぱり基本的に、根本的に大きな問題がこれは潜んでおるわけでありまして、偏差値問題あるいは受験産業への依存、受験競争による人間形成のひずみ、ゆがみ、こういったものがいろいろ底辺にあるわけでありまして、それがたまたまこういった形で噴き出てきておるという問題で、親の責任でもなければ学校の取り扱いが悪いというわけでもないわけでありまして、これはやっぱり根本的にこの問題をえぐらないと、今から私が質問するし、あるいは文部省の方で高校の入学者選抜についてという通達やあるいは通知、こういったものが出ていますが、その問題を解決をしないと、小手先だけでは解決はなかなか難しいというふうに思うんです。要するに全員が入って、高校に入りたいという者が入るだけの受け皿をまずつくるということ、したがいまして高校の増設、新設、そのためには国の予算、その他こういった問題が起こらないためにも国として相当やっぱり力を入れなければ、高校は県の問題だ、地方の問題なんだというふうには捨てておかれない問題がたくさんあると思うのであります。そういった今特徴的に出てきておりますこの事件を顧みまして、大臣としてこの高校入試、極端に言うなら高校教育、高校入試、中学教育、こういったものについてのお考えを承りたい。もう少しつけ加えますと、中学は高等学校の予備校みたいになってしまっておる、高等学校は大学のまさに予備校になってしまっておる、こういったあり方や、あるいは国がこの高校入学についての果たさなきゃならぬような役割というのはどこにあるのか、そういった点について大臣のお考えをお聞きしたいと思います。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 先生御承知のとおり、現在中学を卒業する者の九四%が高等学校に進学をしておるわけでありますが、高等学校進学希望者の九九%近くがいずれかの高等学校に入学しておると、こういう状況になっておるわけであります。これは我が子をせめて高等学校には学ばせたい、進学させて高等学校卒業資格は我が子にはぜひとも取らせたいという親の希望もありましょうし、またそれを可能にするだけの経済力も国民に大体ついてきたということもありましょう。そしてまた、そういう高校進学希望者がふえてきたことに対応して、各県が高等学校の新設、増設に努力をしてくれた、それに対して国の方でも、人口急増地帯という特別の地域に限ってではございますけれども、今までは高等学校建築につきましては国の補助はなかったわけでありますけれども、昭和五十一年から高等学校の建設に対する国庫補助という制度もスタートをさして今日に至りまして高等学校の整備が進んできた、こういうことがあって、量的な拡大、そしてそれに伴う施設の整備は相当程度進んできたというふうに見ておるわけであります。ただ問題は、私立高等学校、相当立派な高等学校がありますけれども、こっちの方は月謝が高い、県立高等学校、こちらの方は私立高等学校に比べれば父兄負担もぐっと少のうございますから、そこで県立高等学校に入りたいという希望者が相当いるわけであります。ただ、県立高等学校は受験機会がただの一遍でございますから、そこから中学生の学習到達度を考えながら中学浪人を出さないような形で進路指導をせにゃならぬということからいろんな問題が起こってきておるということなんでありまして、そしてまた偏差値だけで入学者を決めるというようなことがありますというと、どうしても受験勉強に中学校の教育というものが偏る傾向が出てくる。中学生時代はそれぞれの学習も大事でございますけれども、体育とかクラブ活動とか、そういったことを通じていわゆる知・徳・体の調和のとれた教育がなされることが望ましいわけでありまして、偏差値だけによる選抜がなされますというと知・徳・体の調和のとれた中学校の教育が成り立ちにくい、こういった問題も実はあるわけであります。そういったところから、公立高等学校の入学者の選抜は、それぞれの高等学校長が、それぞれの県の教育委員会の定めるところに従って入学者の選抜をするわけでありますけれども、文部省としては、今申し上げたような問題点が多々あることにかんがみまして、その改善方策を検討し、実施してもらいたいという趣旨で、去年、高等学校選抜方法に関する指導を通達の形で初中局長が都道府県の教育委員会に出したという経過が実はあるわけであります。これも高等学校の入学試験制度の改善をしたい、それを通じて入学試験制度そのものの改善と同時に、中学校の教育が望ましい形で行われるようにしたいということから、右申し上げたような通知を文部省としては出した、こういうことでございます。  なお、先生の御指摘になりました浦和の問題でございますが、これは担当者のちょっとしたミスによるものでありまして、内容的には何ら不正とか途中でいじったとかいうことはないようでありまして、ただ、いわゆる通知表と、それから高等学校に出す調査書ですか、それとの書き方が違うものですから、そのために生徒が見て数字が違うじゃないかということで誤解を生んで問題が起こったようでありますけれども、これは先生のちょっとしたミスによるものでありまして、これからそういうことがないようにということで指導をしたところでございます。  狭山のこと松戸のことがございますけれども、これは質問の主たる趣旨じゃないと思いますのでその点についての答弁は差し控えますが、さようなわけで高等学校入学者選抜制度というものは非常に大事であるということで、それに私どもは真剣に対処しておるというところでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 大臣として、中学校、高等学校教育、あるいは一番問題のある入試問題という問題について関心を持たれておりますし、また、今おっしゃったような形で、文部省として今から質問をいたします通達あるいは通知、こういったものについて配慮をされておるということもわかります。  そこで、時間もありませんから、まず第一番に通達の方です。五十九年の七月二十日に出されました事務次官通達でありますが、内容は施行規則の一部改正ということがこうあったという通知でございますけれども、これはすべて後の取り扱いに出てくる問題とは思いますけれども、一つだけここでお聞きしたいのは、記の二番目、転学を希望する生徒の問題でありますが、従来は欠員のある場合には転学を許可することができるということになっておりましたが、今回施行規則を変えられまして、「欠員のある場合に限らず、教育上支障がない場合には転学を許可することができる」というふうにされたということでありますが、これは、今非常にサラリーマンの転勤その他の問題でいい措置だと思いますが、それにしましても、ことが各県、各校でちょっとした見解が違うところがあるんですが、「教育上支障かない場合には」ということで、私どもとしては、転勤してそしてそこに行きたいと、こういった場合には大体受け入れますよという通知だろうと思って大喜びしておりましたら、なかなかそうは現実にはいかないようなところがあるようですが、それはやっぱりこのところで「教育上支障かない場合」という形がもう少し明確にならないと、断わる場合があるし、あるいは全部そうですかと言って入れる場合がありますが、これは非常に抽象的でありますので、しかもこれがいろいろ問題になっておりますのでお答え願いたいと思います。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 従来は欠員の範囲内で転入学を認めるということでございますから、例えば、今、一クラス四十五人で十学級のところがある、途中で出てきたその範囲内しかできなかった、しかし、これをもう少し拡大していきたいということで、欠員という条件を外して教育上支障のない限りにおいてということにしたわけでございます。ただその場合も、クラスを新たに年度途中でふやすというようなことは非常に難しいわけでございます。したがいまして、県によりましては、あらかじめそういう人たちのために何人かの、同%かの常に保留定員を持って、あらかじめ四十二、三人からの編制にしておいて、そして入ってくる人に十分な機会を与えるようにという、こういう措置をしている県もあるわけです。しかし一方、そういたしますと、定員いっぱい入れないで何をしているというような議論もありますから、なかなかそういうような画一的なこともできないということで、今回はそこを思い切って弾力的に扱ってほしいという発想でございます。  したがいまして、四十五人編制でやっているところが定数がふえる、クラスがふえることは教育的にいろいろ問題がないわけではございませんけれども、例えば四十七人とか四十八人というような状況まで一クラスの人数がふくれ上がっても教育上支障がないと認定してもらえれば入れてほしい、こういう考え方で欠員というのを、教育上支障のないようにというようにしたわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 そうすると、転校したいと、こう言ったら大体入れるという態勢はできているというふうにとっていいですね。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 例えば大都市の有名と言われている高等学校に入りたいという者を全部吸収するほどには、まだ状況は整備されていないと思います。ただ東京都でございますと、東京都の公立学校の中で総合的にそういう学校をたくさんつくって、そしてできるだけ公立学校に入りたいという者は一年の一学期、二学期、三学期と、その学期も非常に刻みを各学期ごとに試験をやる、それから一年、二年、三年を通じてやるというようなことで対応しているわけでございまして、そういう意味においてはできるだけ希望者の希望に沿えるようにという努力を各県ともやっていただいているわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 それ以上は聞かぬ方がいいと思います、転勤したからって、その地域の有名校というのに当然、文部省もそう言っているじゃないか、入れるというわけにはいかないところも確かにあると思いますので。しかし、受け入れ態勢はそういった形で、今おっしゃったとおりの態勢が——私のところは福岡ですが割と多いんですよ。そしてやっぱりもめておる。そういった形でやっぱり宙ぶらりんにならないようにする手だてだけは十分とっておくようにしておきたいと思います。  次に、局長名で出されております「公立高等学校の入学者選抜について」という通知についてお聞きをいたします。大体これは出たのが昨年の七月の二十日ですから、去年の国会中で、私どもも出たことはわかっておったわけですし、これについては随分意見も言いたいと思って前もって質問しますけれども、まだ審議会で検討中で、大体あなたのおっしゃるようなことでしょうという答弁ばかりでございましたけれども、出た途端に、臨教審、こっちの方の審議その他で、ここの場でお互いに討論したり内容を明らかにして出されたものじゃ実はないわけでありますので、そういった意味でお聞きします。  今度の通知の中でまず一番大きな問題は、高校入試を「各高等学校、学科等の特色に配慮しつつ、その教育を受けるに足る能力・適性等を判定して行う」ということです。戦後の新しい教育、二十三年にスタートした当時は、進学希望者の全員入学が基本方針だったわけです、全部入れる。これはしかし当然なことでありまして、当時の社会情勢からいったり、あるいは戦前、戦時中の旧制の中学校に入る数あたりを考えたら、これはその当時進学希望者の全員というのがこれは文部省の方針であった。それがその後だんだん希望者が増加をして、施行規則が改正されて「入学定員を超過した場合には、入学者の選抜を行うことができる。」、ここで選抜が出てきたわけです。そして三十八年になって「学力検査は、特別の事情のあるときは、これを行なわないことができる。」ということでありますから、無試験の方が例外という形にここからはっきりなってきたわけです。そして四十一年にこれは通達が出まして「高等学校教育を受けるに足る資質と能力を判定」すると、ここから非常に問題が出てきたわけです。そして今回「各高等学校、学科等の特色に配慮しつつ、その教育を受けるに足る能力」というふうに変わったのはこれはどういうことですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) この四十一年のときの改正は、高等学校教育にはやっぱり一定の適性能力を有している者を選抜して入れる、したがってその適性能力が高等学校教育を消化できない子供たちはこの選抜によって合格できない、こういうことで高等学校教育というものについての一定の一つの総合的な概念で対応してきたわけでございます。ところが、今御指摘がございましたように九四%の進学率、九九%の合格率という状況になりますと、そういう一つの総合的な高等学校教育を受けるに足る能力判定といっても非常に難しい。したがって、高等学校の中には工業もあり商業もあり農業もあり、そして普通科ありということで、それぞれ現在高等学校教育の担っている中身というのも多様化している。したがって選抜というのはその学校が実施をしている教育を消化する能力、適性を持っておれば、持っているという観点で選抜すべきじゃないかということで、この選抜の基本原則として各高等学校という言葉を入れたわけでございます。したがいまして、精神といたしましては非常に重要な、あと、その選抜の具体的内容について改正するに当たって重要な基本原則ということを今申し上げたようなことで考えたわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 そうしますと、結局、選ぶ側の、進学希望者の方の好みというものから見たいわゆる希望者主義といいますか、これにはっきり切りかえたということですか。適格主義から受験する側の希望者主義への転換というふうにはっきりここで私ども認識してよろしいですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 各学校はそれぞれ特色を持って教育を展開しておりますので、その学校で展開されている教育を受けたい、そこで教育を受けたいという子供たち、そしてそれにふさわしい子供たちを選抜するということでございますから、およそ抽象的な高等学校教育を受けるに足りる適性能力を持っているという意味での適格者という概念はこの際はとらなくて、それぞれの学校の特色、そしてそれに合う子供の適性能力、そういうものの基盤に立って選抜を実施しようと、こういうことでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 この通知全般を通して考えていきますと、こういうふうに方針を変えたということで、受験生の方の負担が軽くなるというところをやっぱりねらっておるというふうに考えてよろしいですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 後でまた質問があろうかと思いますが、そういうような考え方で学力検査の問題、それから教科、出題の方法、そういうものもいろいろ工夫してほしいという一連の流れはそういう基本的な考え方に立っているわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 私は通知はそういう趣旨であろうとは思いますけれども、実際に各県の段階で検討しておる場合には逆に負担になるというふうにとっているところが多いんです。高校教育の適格者主義から各高校の適格主義と今おっしゃった。こうなってくると選抜はいよいよ厳しくなるということで、負担が軽くなるどころか非常に選抜が強められたというふうに感じておるところが非常に多いようです、受皿の方に限りがあるわけですから。しかも各学校に確かに格差というのが出てきておる。受験生が自由に受験できても全員の入学は不可能であるわけですから、受験する側からの希望者主義への転換と見ることはこれはできない。これはやっぱり選抜性を強めたという見方があるんですが、その点は審議会その他のところでも出たかと思いますが、局長、どう思いますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) そういう気持ちは全くございませんで、例えば実施する試験教科、科目についても検討してほしいと、それからその実施する教科をおよそ高等学校は、例えば五教科やっておれば全部五教科を受けさせなくてもいいじゃないかと、例えば工業とか農業ではそのうちの三教科ということを受験すれば足りるんじゃないか、それから複数の受験機会を与えるというような意味では試験問題を二つつくらなきやならぬということで、試験を実施する側には相当いろいろな負担が増大してきたと思うんです。しかし、それを受ける受験生については、選択の幅を広げるという発想が基礎にございますので、受験生側に立って受験を強化するというような意図は全くないのでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 それは受ける側に負担があるというのは後で、また今から細かく質問していきます。  次に、全国的に定員いっぱい合格させるように指導しておる教育委員会がほとんどですね、定員いっぱい入れると。各高校の適格者主義が強化されていった場合には定員割れが、これがあっても不適格者が出てくるということで切り捨てるケースがふえてくるんではないか、こういうふうな危険があるわけですね。一つ例を申し上げますと、これは鹿児島の教育委員会のとった措置でありますが、あそこは二年前か三年前かから始めたのですが、高校教育を受けるに足る資質と能力という抽象的なものじゃなくて、これは目安をつくっておる、合格基準点。そのために定員未充足でも不合格になった受験生は急増しておる、こういう実態が出てきておるということであります。時間がありませんから私の方でちょっと言ってみますが、鹿児島県の場合は入試得点が最低で国語が二十三点、社会が二十点、数学が十六点、理科十八点、英語十二点、しかも総合で九十点。だから、この点数をとらないと学校の方に入れる定員は余裕があっても入れない、これはもう先ほどおっしゃった原則とされておる高校教育を受けるに足る資質と能力というのは点数であらわせばこういうことなんだ、そしてこの点以下の者は教室で机もあいておるし、受け入れ態勢はあるけれども、これは入れないというふうなことをやるもんですから、結局、どんどん不合格者がふえていって百四十四人に達したというふうに報じております。それもよくよく見てみますと、五教科の総合点が合格点に達しておるにかかわらず、一教科の基準が足らなかったということで落とされておる、こういう私からいえばちょっとあっけにとられるような措置が行われておるということで、これは先ほど局長が言われた、厳格に、高校教育を受けるに足る資質と能力ということで、全国的には大体もう余裕があれば全部入れるという方式をとっておるにかかわらず、こういったところも出てきておるわけですね。こういう基準点まで各教科の点数を示して、総合点ではもう合格点になっているけれども、一教科のところが足らないということでその本人が落とされる、こういうことが出ているわけですが、文部省の指導として、先ほど局長が言われたような、高等学校の教育を受けるに足る資質と能力というのはこれは一つの考え方であろうとは思いますけれども、ここまで厳格にいったらちょっとこれは教育的な取り扱いではないんじゃないかというふうに考えられます。  教育委員会が全国的に定数の全部充足するような形で入れておるのが大半だと私は思いますが、この精神のウエートの置き方で鹿児島式のところも出てくるし、また、全般的に余裕があれば全部入れるという大半のところもあるし、これは文部省の指導としてはどちらの方を選ばれますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) どちらの方を指導するかという端的な質問を受けると非常に答えにくいわけでございますが、県立の高等学校は県の教育委員会が設置し管理するという一つの基本原則がございますし、それから最近、中退者が年間十一万と言われておりまして、その中退者の分析をいたしますと一年生でやめていくのが非常に多いわけでございます、十一万のうちの半数近くは一年生で。その原因の中に学力不振というか学校の学習についていけないということで進路を変更するというような事態もあるわけでございます。したがいまして、県の教育委員会としてはそういうもろもろのことを考えて、そしてできるだけ入れてあげたいけれども、どうも途中でついていけないで落後するというようなことがあっては、かえってその子供の進路選択としてはまずいであろうというような判断も加えられていろいろな施策をとられると思うんです。したがいまして、大勢といたしましては定員があれば定員いっぱいとって、そしてできるだけ教育の機会を与えていくという方策を基本に踏まえつつも、各県によってはそういう事情を配慮して今のような対応をすることもあろうかと思いますので、一概にどちらというふうにお答えしにくい質問であろうと思っております。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 しかし、こういう通知を出す限りにおいては、やっぱり一つの考え方というのは示すべきだと思うんです。これは混乱をしますよ。  時間がありませんけれども、一言だけ私は申し上げておきたいと思うんですけれども、今おっしゃったように中途退学者というものが出るというなら初めから入れぬ方がいいじゃないかと、だからもうそういうのはたくさん出てくるから、これはこの前の委員会でも質問がありましたけれども、これの始末はしなきゃならぬ、この対策はしなきゃならぬけれども、今のように九〇%以上超した高校志願者といいますか希望者というものがおる、極端に言うならもうほとんどこれは義務制化しなきゃならぬような時期が来るのではないか、少なくとも高等学校に入りたい者は全員入れなきゃならぬような機会というのをつくってやらなきゃならぬじゃないかというふうな時期が私は来ているような気がするんです。私は高等学校教育を批判するわけじゃないですけれども、今言ったように中途からやめていくというものと、高等学校に入れる、この入れ物が完全にあるならそれに入れていくというのはこれは別物だと私は思います。関連させちゃいかぬと思うんですよ。少なくとも高等学校に入って勉強したい、その機会を与えてもらいたいということで入ってきた、これに対する教育的な指導というのが私は薄いんじゃないかと、こう思うんです。  義務制側の方は、落ちこぼれというのを、これは義務制と高等学校とは違うとは思いますけれども、教育という問題からいくなら同じだと思うんですよ。見てごらんなさい、現場に行ったら落ちこぼれというのを午後も残し、朝も早くから来させて、そしてとにかく落ちこぼれを何とか救ってやろうという努力が義務制の中学校では徹底的に行われている。高等学校の方ではついていけないという形で簡単に切ってしまって、やめようとすると、ああそうか、おまえ学力不振、だからついてこれないからやめろ、ここらあたりに対する教育的な努力というのは私は少ないような気がする。  だから、私はあえて言いますけれども、機会を得て入った者についてはやっぱり全員が学力不振にならぬようにやらなきゃならぬ努力がこれは高等学校にある。やめていく者については、これはまた別の意味でこれの将来の選択指導とかいろんな問題が社会教育の中にもありましょうし、あるいは専修学校とかいろんな形のものがある、その対策はとってやらなきゃいかぬと思うんですよ。ただ単に鹿児島みたいに、まだ入れられるのが百何ぼもおるのに点数が足らないと言うて落としていくというのと、やめていくというのと、理由に引っつけて考えるというのは、これは理屈が通らない、これは高等学校教育を放棄したものと私は思うんですよ。そういった点について大臣どうでしょうかね。私はこれは基本的な問題だと思うんです。そう簡単に、途中で学力不振でついていけないのを、どんどん出てくるので、初めからもう学力不振と言われた、ある程度の点数からはもう入れぬでおいた方がいいんじゃないかという形で、あいておってもそこに入れないという形は私は不届きだと思う。これは教育を取り違えておるというふうに思いますが、どうですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 今の鹿児島県で百四十四人あいているのに入学が許可されなかったという問題でございますが、それがどういう原因で、どういういきさつでそうなったのか詳しい事情知りませんので、あるいは文部省で通知を出したように、複数の受験機会があれば、その子供に適した学校があればそこならば入学を認めたのかもしれないということもあり得るんじゃないでしょうか。全県一遍でやりますというと、うちの高等学校じゃとてもじゃないがついてこれぬおそれがある、そうすると、入れた後で先ほど言ったような退学が出るということは、かえって気の毒だということもあって百四十四という数字が出たのか、あるいはそういうこともなしにやったのか、詳しい事情がわかりませんので鹿児島県のことについての批評はできないわけでありますが、私は今先生のおっしゃったことには問題が二つあると思うんです。  一つは、先生御指摘のように、高等学校の中で学力不振ということで中途退学などが出ないようにもっと懇切丁寧に指導すべきだと。もしそれができればそれは大変望ましいことだと思うのでありますけれども、しかし、場合によっては相当それをやっても、なおかつ無理だという場合もあるのじゃなかろうか、その問題が一つあると思います。  それともう一つは、先ほどの初中局長の答弁の中にも出てきておった問題でありますが、特色のある高等学校をつくったらどうだろうか、例えば、英語なら英語は本当になかなかできない、しかしこの子は体育とか武道とかそういった点はまことにすぐれておるというのであれば、それを重点を置いたような高等学校があれば大変な興味を示して、体育を中心にした、あるいは武道を中心にした、あるいは場合によっては機械、工業等を中心にした高等学校の教育をしていけば、そこの学校ならば出れるという場合もあり得ると思うのでありまして、その意味で、個々の高等学校の中における親切な指導という問題と、それからその子供の能力、適性に応じた内容の教育のなされる高等学校をつくっていくという問題、そしてそういう高等学校に適性に応じて入学をさせるという問題、そういった幾つかの問題があろうかと思うのでありまして、先生御指摘のとおり、入学はさした、途中で退学というのは大変その子の生涯を考えると不幸な事態なんでありまして、その不幸な事態をなくすための努力というのが、今申したとおり、指導の問題と、それぞれ特色のある高等学校をつくるという問題と、その特色のある高等学校に合った、その子供がその高等学校の特色に合うならばそこに入れてあげるという問題と、両方からこの不幸な事態は解消するように努力するのが望ましいことではないかなという私は感じを持っております。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 次に、学力検査の実施方法及びその結果の利用方法、これは県内の公立高校で一律にする必要はないというふうに示されておるわけでありますが、この実施の教科ですね。これはもう現在ほとんどの都道府県で五教科ですが、これは学校の特色に応じてその数を定めるという場合もありますね。試験問題の一部だけを共通必須として残りは選択にする方法もある。それから同一問題で実施して高校や学科の教育目標によって配点を工夫する、こういう場合が私はあると思うんですが、中学校は義務教育でございますから、国民、社会人としての必要な基礎的な学力、教養等を身につけることが一番必要なことでありますが、各高等学校の試験料目の設定の仕方によっては中学校の教育を著しく混乱させ得る心配はないかという問題であります。  今でもそれはありますね、今でもあるけれども、学校の特色に応じて、五教科、あるところは三教科、こういうふうなやり方があらかじめわかっておるということになってくると、中学校の方の教育というのは、今でも影響されるわけでありますが、その点の心配がないか、混乱がないか。これは聞きますと、ことしの結果のあれは出ていないということでありますから、あえて聞きませんけれども、その時期が来れば聞きたいと思うんですけれども、局長どう思いますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 高等学校の入学の選抜のための実施教科がどういうものか、どういう内容のものが出題されるか、それが中学校教育に与える影響というのは大きいと思います。したがいまして、実施教科の改善に当たりましては相当やはり各県の検討会議で具体的に検討を重ねて、中学校側の意見も聞きながら、そして中学、高校の意見の一致するところに従って、今御指摘のありましたような多様の選択肢がとれないかどうか、そしてとった結果中学校に悪い教育上の影響がないかどうかということ、そういう点を克服してやっていくということが非常に重要だと思います。  したがいまして、ことし六十年度の状況では、そこの実施教科まで手をつけたところはございませんので、どうしてもこれを手をつけるとすれば二年ないし三年の経過措置をもって対応しないと中学校教育への影響というのが出てくるので、各県は慎重な対応をしていると思います。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 先ほども申し上げたのですけれども、特色のある高校づくり、高校の個性化、これがまず前提に立たなきゃならぬが、現在の場合は果たして、あそこの高校はこういう特色がある、あそこの実業学校はこういう特色があるというふうにその特色を選ぶ側から見れば選べるかどうか、そういう実態は私はないような気がするんですよ。結局、高等学校は今序列化されておる、格差を有しておる、明らかに。先ほども私は有名校という言葉を使いましたけれども、やっぱりそういうまだ特色のある高等学校あるいは個性のある高等学校というものがあらわれていないときに、ちょっとこの通知は乱暴じゃないかというふうな私は気がする。むしろ序列とかあるいは格差、これを今実施すればますます助長するというふうな傾向が今出てきておるのではないか、ことし一回やってみて。これはやらぬ前の各県の論議等も聞いてみましても、ここを非常に心配しておる。  はっきり言いますと、五教科という学校を選ぶといった場合にはこれは国立大学進学校、三教科は私立学校。先ほど大臣も言われましたが、何も取り柄のないのは体育という形で、今そういう体育の構想もありますが、そういったところが配点が何点か知りませんけれども、こういう国立学校向け、私立学校向け、あるいはもう朝から体育ばっかり、体育科なんというのがありますが、そういうふうにむしろこのことを実施することによってますます格付けができはしないか。  はっきり特色のある、大学であれば早稲田、慶應、いろいろ特色がある。おれはあの精神、大隈精神にというような形でできているけれども、今の高等学校を見てみたらどの学校もそう変わりはしませんよ。あそこの特色にほれて行くということじゃない。むしろこういう、点数を、配点を五教科、三教科どうでもいろいろ練ってやりなさいと言ったら五教科のところに集中しますよ。というのは、大学の五教科七科目ですか、あれと合わせて高等学校の方が主張するものだから五教科になってしまって、昔は三教科も二教科もあったものですよ。それが五教科になったというのは、国立大学、東大に向けてやるときには五教科ですよ、これは。こういうランクがこれをやることによってできはしないか、ますます格差が固定しはしないかというふうな心配があるのですが、どうですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 高等学校の格差を是正していくというのは今日まで大きな行政上の課題としてとらえてきたわけでございます。それから一方において、特色のある、個性のあるそれぞれの高等学校をつくっていく、これまた大きな課題であるわけでございます。したがいまして、これをずっと煮詰めていきますと、格差是正ということになると同じものがずっと並んだような形になってしまう、それではやっぱりまずいので特色ある高等学校をつくれということになるということで、これは非常にそのプラスとマイナスの要素を持ち合わせたような状況が戦後四十年間続いているわけでございます。  そしてごく常識的には、それぞれの県内で、職業学校の諸学校、それから普通科の学校についてある意味においての特色を持ちながらその教育を展開していくというような状況になっているわけでございます。したがいまして、その二つのいわば非常に難しいテーマでございますけれども、問題に対応しながら、要は子供たちの教育効果を最大限に引き伸ばす仕掛けをどうしていくかというのが最大の課題だと思うんです。ですから、例えがいいかどうかわかりませんが、非常に理数系にすぐれている子供、文科系にすぐれているような子供、そういう者に重点のある普通科ということがあってもいいんじゃなかろうかというようなことで、今後この試験の仕方とそれぞれの学校の特色というのは並列的に進むものであって、格差是正をやってしまわなければというふうにこの入試改善はできないということになりますと、なかなかそれはいつの日にできるかという議論もございますので、両方の難しいテーマを抱えながら、要は子供たちの、子供の適性、能力を最大限に引き伸ばしていく教育の仕掛けを考えていきたいと、そのための方策として今回の入試改善というのはそういう角度から検討し実施してほしいと、こういう内容を考えているわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 局長自身も通知出されてやっぱり自信がないようでありますが、私はやっぱり格差是正というものをやって、それからこの点は教科の数あたりも自由にやってよろしいということを言わなきゃならぬ。ちょっと早い。だから、これ混乱しておるわけですよ。この通知もらって目を白黒させておるんですよ。そしてこれ父兄に発表したところが、わっと来てみんな依然として五点とる、あんた三教科のところへ行きなさい、大騒ぎですよ。これは混乱を確かに招いています。だから、そう言っても格差是正はできないと言うけれども、格差是正についてどれだけやりましたか、あなた方。こっちの方の案の方を示してもらいたいような気がするんですよ。こっちの方が成功しますよ。そうしたら、格差がいよいよはっきり五教科高校、三教科高校、もういよいよレッテル張られてしまってにっちもさっちもいかない。教員の異動だってそうでしょう。校区の問題だって大変なことになりますよ、これ。これはもう中学校の進路指導の上ではここのところが一番の障害になっているんですよ。  そこで私はひとつ提案があるんですけれどもね、格差を是正するといった場合、これは確かに人事異動の面はこれは各県教委にありますけれども、これはやっぱり指導する必要がありますよ。民主的なとにかく人事配転をやらせるような指導をしないと。有名校に十年も二十年もおる。そうしてそこのところはいろんな差し入れもありまして動かぬのですよ、これ。これは県の責任だとは言っても格差是正にはここがポイントだ。この指導はやりなさい。  それからもう一つ言いたいことは、特色のある高校づくりのためにはこのコース、今大臣が言われたコースとか、あるいはカリキュラムの多様化とか、こういうことじゃなくて、教育内容、この中に私は個性がなけりゃならぬと思うんですよ。あそこの高等学校に行ったらこういうすばらしい毎日の授業があってる、魅力のある、私は個性のある、特色のある高等学校をつくらなきゃならぬ。一番基本は、どういう体育の学校をつくったらいいあれじゃなくて、その高等学校の中における特色のある授業ですよ。一日一日、一時間一時間の授業ですよ。ここに特色がなけりゃ何も魅力がない。私はそう思う。そのためには私は、これは大きな問題ですけれども、これは日にちを改めて私は論議したいと思うんですけれども、学習指導要領の強制、これはやっちゃいかぬ。教科書検定によった画一的なこのやり方というのは、例えば教科書の問題、こういったところをがちっと押さえておるから何があなた特色がありますか。私はそう思うんですよ。毎日毎日教えていく指導要領というものを微に入り細にわたってまでこれでいくといったら、どこの学校だって同じですよ。画一ですよ。思い切ってうちの学校はこういう面でといったときに、あなたのところから示されておる指導要領というのも弾力的に運用できるような形にしないといけませんよ。あるところは図書館を中心にした高等学校の経営、あるいは芸術的な問題、こういうところにすばらしい絵の先生がいらっしゃる、これを中心にしてうちの高等学校は、これはもう芸術的なとにかく特色のある高等学校にしよう、こういったときに今の指導要領ではできないんですよ。あなた方が示されておる。私は時間を取りたくないんですけれども、特色のある高等学校というからには、先ほど言いましたような行政上の各県に対する援助というものも国では必要だろうと思うけれども、教育内容についてももう少しですね、この自由化論者が言うようなああいうことは私は言いません。言いませんけれども、もう少し弾力的にこれを運用できるような指導要領や教科書検定——検定というのはちょっと現場とはあれになりますけれども、教科書あるいは教科書採択と言ってもいい、こういったものにもう少し弾力的にやらないと特色は出ない。そういうことを積み重ねていった上で、そしておのおの好みに任してやらしていく。三点だろうと五点だろうと、ここは三教科だけだけれども、ここにはこういう特色があるから私はあえてどこそこの農業高等学校に行くと、こういうふうな雰囲気、環境というのができなければ、私はこの自由にしたところが早過ぎるというふうな感じがしますが、この点局長の方の考え方、中心は特色ある高等学校づくりについては授業内容の個性化、こういうのが必要であって、それに伴う指導要領の弾力的な運用というのは今後やっていかれるかどうか、この点をお聞きしたい。これだけなんです。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 今度の教育課程の改定で五十九年度高等学校も学年進行で完成するわけでございますが、その示した教育課程は相当弾力的に特色ある教育が実施できるようにしてあるわけでございます。例えば選択、必須の割合にいたしましても、必須の割合を非常に下げている。そしてそういう意味で特色ある芸能とか体育を中心にした高等学校をつくろうと思ったらつくれるというようになっておりますので、それがまだ現場に十分そしゃくされていないという点はございますが、現在の教育課程の中でも、まず相当活用して特色ある高校をつくるのには十分な一応の環境づくりはできているのじゃないかというふうに思います。  それから基本的に学習指導要領の基準もあくまで基準でございまして、そう事細かに一々の授業内容についてチェックしているような内容ではございませんので、そこも相当特色ある子供の教育ができるような形になっているというふうに思っております。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 あくまでも指導要領というのは変える必要はないし、また運用についても弾力的に今よりもさらにやる必要はないというふうな答弁ですけれども、本当に高等学校の特色をつくるとすれば、そこまでいかなきゃできませんよ、それは。これは改めて私はまた別の機会に申し上げたいと思う。  次に、受験機会の複数化という問題ですが、これはどういう意味をこの通知は持っておるわけですか。何の効果を、どこのところをねらっておるわけですか、はっきり言ってください。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 現在は公立高等学校は受験機会が一つだということに大部分の県はなっております。したがいまして、そうなりますと、受験する側、そしてその進路指導をする側も、どうしても中学浪人を出したくないということで偏差値による依存体制というのができ上がる。そして一方、父兄側から言いますと、チャレンジする機会がないと、したがって、何となくもやもやして、中学校の進路指導の先生がおっしゃるからやむを得ずそれに従うというような不満が残るというようなことがございますので、要するに、受験機会を複数化していけばチャレンジできるチャンス、それができるんじゃないかと、そして自分としては背伸びしたつもりかもしれないけれども、精いっぱいやってみるということで通常の相場のレベルの高い学校を受けるという機会もある、そしてまた、二度目は、浪人したくなければそれにふさわしい学校を選択していくというようなことで、いわば親、子供たちの持っているそういう選択の拡大というものはやっぱり保障していくというのは非常に重要であろうということから、この受験機会の複数化ということを考えたわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 この複数化の方法として、定員の保留そして第二次募集、それから高校をグループ別に分けて受験日にちを変える、こういう方法があると思うんですけれども、これはことし、この通知によってこれをやったところが、詳細には調べていないんですけれども、どこかありますか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) ことしはまだ実現を見ておりません。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 これが、各県でこの通知をもらって面食らってどうしようかということで、そっけない文書だけでわからぬところなんですよ、だから、しないんですよ。これあたり考え方を聞きたいと思うんですけれども、各県の教育委員会は待っているんですよ。第二次募集制度をとった場合、第二次募集枠、これはどの程度とれと、とれというよりも、とったらどうでしょうかというふうに指導しておるのか、どうですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) そこの内容は具体的に指導しておりません。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 おらないから困っているんです、本当に。これはいろいろな障害、受け入れ側でも、それから受ける側の方でも戸惑っているわけですよ。    〔委員長退席、理事仲川幸男君着席〕 ここまで出すなら、あなた方御自由にというわけにはいかないし、この審議会等の中でもいろいろ論議になっておると思うんですけれども、参考ぐらいは——全部まとめて言いますけれども、こんなのは初めてですよ、通達とか通知とか。これだけの重要な大転換をやるときに項目だけをずらっと十二まで並べて、そしてこれは一つの参考ですからどうぞあなた方の責任でと、こういう態度というのは文部省は今までないですよ。大体、普通、出したら、後ろには厳重にこれを守れというこれがひっついてくると、鏡なんですよ。鏡だけ出しておいて、そして御自由にでは不親切過ぎるですよ。だから戸惑ってしまうんです。  何も考えていないんですか。第二次募集枠でこのくらいの枠をとっておいたらいいんじゃないかとか、こういうものはないんですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 内部でも、そしてこの協力者会議の中でもいろいろな議論がありまして、非公式に、そういう割合と申しますか、その論議が出たことは事実でございます。ただ、それを言うことがプラスかマイナスかということがいろいろ議論がありまして、とにかくそれは各県の判断に任せようということで、県によっては二割ぐらいの保留をするところもあろうし、また三割ぐらいないしは一割ぐらいということでそれぞれの県の事情が異なるであろうと。要するに、子供たちの、受験生の実態を見て、子供たちがチャレンジすることのできるチャンスを保障していくと、そしてなお、一部の受験生に有利にならないように配慮していくというようなことを考えてひとつ結論を出していただきたいということで、文部省が画一的に何%ぐらいと言うのはかえって各県の自主的判断を損なうであろう、こういう判断でございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 これは親切に指導すべきですよ。だから、審議会とかなんとかいう議事録はなかなか出さないけれども、それは丸々出さないでもいいけれども、ポイントのところは、こういう論議がありましたぐらいはこの後ろにつけて出すべきですよ、これは。それは押しつけじゃない、親切ですよ。あなたたちは、すぐ親切と押しつけと使い分けるでしょう。こういうときに思いやりをしなければいかぬです。  そこで、この機会が複数選べるということになると、これは単純に受験機会をふやすだけでは、合格する生徒は全部合格する、全部。不合格者はどこへ行っても、行き場がなくなる。鹿児島あたりに行ったらぽんぽんはねられるんですよ、先ほどのあれからいくと。そうして、はねられておって、合格したならいいと言ってこっちに来ると。こうなったときにあなた方、大変なことになってくる。これは受験生のためにはならぬですよ。ここが各県教育委員会の頭の一番痛いところです。機会があったら大層よかろうと、だれにも選べるということはあるけれども、どいつもこいつも皆受けるんですわ、できる子もできぬ子もみんな受けてしまう。そうすると、できる子は全部通っていって、二つ機会を与えておけばと言っておったのが、先ほどの教科のも絡んできて、どうしたって受験生のためには、これは競争激化、悲惨な状態になる。この点は私は、現実にやれば起こると思う。起こるから今差し控えておる。この点あたりは、先ほどのこととあわせて、これは親切に指導するか、あるいは各県の責任者とこの点あたりの実態をよく打ち合わせをしてやらないと大変なことになりますが、そういった終わった後の、今聞きますと、これを採用したところはないと言うんですから実績はないでしょうが、実績がないでも、各県とよく打ち合わせをする、特に現場教師あたりの意見も聞くということをしないと混乱しますよ。そういう今後の検討ということはどうでしょうか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) この通達を出す前の協力者会議にも県の教育長等が入っておりまして、その県の教育長の意見もありまして、具体的な数字を出されると割りつけみたいになるからそこは十分研究さしてほしい、それから、一部できる子供のために有利になるというような仕掛けはよくない、したがって、受験機会を二回与えるといっても、第一次で合格した者は二度目のチャンスは放棄するとか、させないとか、いろんな工夫があると思うんですね。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 今言ったのは、あなたの方針ですか。そこのところがはっきりすればいい。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) だから、させないとか、そういういろんな議論がありますので、したがって、今後各県で具体化していく際には、その方式をどうしたらいいか、やり方をどうしたらいいかということを十分練り上げた上で実施に移していかなきゃならないということで、今後教育長協議会ないしは指導部課長会議においても十分研究を重ねて、現場に混乱のないような状況で対応するようにしたいと思います。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 今の点は、複数化という問題は、ことし各県がやらなかったのはよかったですよ、結果としては。今あなたがおっしゃるような検討を十分練り上げて改めて通知を明確に出さないと大混乱を起こして、せっかくのこの通達というのがあれですから……。私の気持ちから言えば、通達を出したけれども、あすこの、機会が複数になったというところはちょっと待て、これは今後検討するというぐらいの、通達を重ねて出すぐらいの配慮があっていいぐらい非常に危険なものです。  次に調査書の問題について伺います。  これは先ほど大臣にもお聞きしましたような例の内申書というふうなものに該当する問題でありますが、これがまたそっけないですね、この通知は。何を言っておるのかわからぬですよ。読んでごらんなさい。クラブ活動、生徒会など成績外の記録は入学選抜の重要な資料として「積極的に利用する」、そして「安易に点数化して利用することのないよう十分に配慮することが望ましい。」安易に点数化するな、しかし積極的に利用しろ。これは具体的に何を言っておるんですか、調査書の内容について。どういうことですか。十分配慮することが望ましい、そして安易に点数化するな、積極的に利用しろ。これはみんな矛盾したような形で、大体どういうふうにして調査書を活用しようと言っておるのかわからぬのですが、もう少し説明してください。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 日本人は非常に潔癖と申しますか、一点二点の差で落ちた合格したということになると父兄も納得するし国民も納得するということがありまして、どうしてもすべてのものを点数化してそれを評価しようということの傾向があるわけでございます。したがいまして、教科の学習成績についてはある程度点数化したものが出るでしょうけれども、それ以外のクラブ活動の実績であるとかその他その子供の持っている人物評価、そういう点についてはこれを何点というような点数化してやれば結果的には同じようなことになるので、そういうような点数化することは望ましくない。しかし、非常にこの子は特色ある能力を持っている、クラブ活動等において特異の能力があるということが記述されておればそれをやっぱり評価して、そういうコースの場合には配慮して合否を決めるというふうなことを考えるということでございまして、これまた画一的にこれはこうしろ、あれはこうしろ、これはこう評価しろ、どうしろというようなことを通知の中で表現してがっちりガードを固めて指導するについては余りにも複雑で非常に要素を考えなきゃならぬというようなことで、その原則を述べたのがこの通達の中身でございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 何回私も読み直してもこの調査書というのはどういうふうに利用するのか一つもわからぬです。今の説明ではわからぬ。はっきり言って、端的に言ってクラブ活動やら生徒会活動をやらないとこの入試に不利になりますか、これ、はっきり言って。そこを言ってください。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) やらなければ不利になるというのではなくして、非常にそういう面で特異な業績を上げているのはそれはプラス要因として加味するということだと思います。やらないから、これはやっていないから落すというような形ではなくして、教科以外の評価というものはその生徒を拾い上げる物差しとして利用していただきたい、こういうふうに思っております。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 少なくとも今の現状、高校入試の現状からいって、そんな悠長なことを言えますか。しかも、通知の中に調査書と言って、先ほどの話じゃないが、内申書を見た、子供がわんわん言い始めたというふうなことにまで発展する。この調査書の中で私が聞いたのは、これは自主性を尊重するのがクラブ活動とか生徒会活動でしょう。これがあなたの言うところでは一つもわからぬが、入試ということですよ、これは。入試選抜のためのあなた方が通知を出したのに、そんなあいまいなことで調査書というのはこんなもので選考しちゃならぬというなら話はすっとわかる。これで選考せいといったときに調査書が出てくる。その調査書というのは選考のときにどういうとにかく取り扱いをするのか、それを聞いておるんで、私はクラブ活動のことを聞いておるんじゃないですよ。どうなんです。点数は五分五分と、どうもこっち最後のところ落とす、どっち落とすかというときに、そのときに追加してクラブ活動やら生徒会活動やらやりおったのはこっちの方だったらこっちに少し点数増してこっちの方を選抜すると。いよいよぎりぎりのときにこれは参考にして加えるというふうな考え方なのか、これは一つのやっぱり点数化をある程度考えて、こういう内申書が出たときにはこういうふうにして有利にこれは選抜のときには採用するのだというふうにするのか、もう少し明確に言ってくださいよ。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) そこが非常にまた微妙な難しいところでございまして、例えばある特定の子供が県の大育大会で陸上の百メートルで県の記録を持っている。そういう者はなかなか体育の点数だけでは評価できない。そうするとそういうような子供を体育系のコースの高等学校に入れる場合には評価をして入れてやるということがあっていいんじゃないか。だから、どっらを選択するかというときだけではなくて、その今言ったような事例についてはその子供をとってやる。いわば切り捨てるための物差しじゃなくして救うための物差しとして教科以外の評価というものを利用していったらいいだろうということでございまして、その利用の仕方その他についてはこれまたそれぞれの学校の特色に応じて対応していかなければならないので、画一的にこうしろああしろということは適当でなかろうという判断でこういう抽象的な表現になっているわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 それじゃわざわざ出す必要はないですよ、要らぬこと、混乱だけです。なぜ出すんですかそういうことを、自信もないのに。それこそ何も言わぬ方がいいですよ。内申書の取り扱いについて各県やっていますよ、いろいろ工夫して。わけのわからぬことを出しなさんなよ、混乱ばかりさして。  次に、推薦入学という形もこれは大いに推奨をしておる。各県でどうしようかという問題のときにこれまた出しておるんですね。大体推薦入学で入るような生徒は普通の試験でも入るようなのが多いのです。そして、一部の者が推薦で先に入学してしまう、それで決定する。大体推薦というのは先にやるんですよ。みんな子供がわかる、あれは推薦を学校から出してもらった。残った生徒はこれは心理的に圧迫受けるでしょう。これは高等学校だって同じですよ、大学の試験受けるときに。そんなものを大体推奨をするとは何事ですか、これこそ任しておけばいいんです。大体推薦基準というのをどういうふうに考えているんですか、推薦の基準。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) それぞれの学校によって推薦基準は違ってくると思うんです。例えば農業であれば自営のための自営者養成ということで、自分はどうしても後継ぎをやるということであればそれはもう入れてやるというような推薦の仕方もできましょうし、それから芸能関係で非常にすぐれた能力を持っているということであれば他の教科は悪くてもそれは入れてやるというような形で、それぞれの教科、学校の種類によって推薦の基準はそれぞれ異なってくると思います。要するにその学校の目的、趣旨に合致する生徒を学科試験によって入れなくて、そういう今までの実績を見て入れるというような仕掛けが入試の多様化の一つであろう。こういうふうに考えたわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 これもまだ練る必要がある。一番初めにおっしゃったように各学校それぞれ違いますからと言ったら、要らぬことを言う必要はない。文部省が示すからについてはやっぱり推薦基準というのはこういうことにしなさいというふうにもう少し親身になってしてやらなければいかぬですよ。これは押しつけじゃないですよ、こういうことは、出す限りにおいては。ただ単なる通知ということだってそういうことじゃいけませんよ。  時間がありませんからもう一つ。今春の都立高校入試で中国帰国者の子女三十名、これが受験してその三分の一に当たる十一名が不合格になったと、    〔理事仲川幸男君退席、委員長着席〕 こういう厳しい状態であります。で、あなたの方から出された通知では、帰国子女について特別枠の設定その他の「弾力的な取扱いをすることが望ましい。」というのが出ておる。どうも、東京都の方の立場を聞いてみますと、この通知というのは、いわゆる帰国子女という中に中国帰国者の子女というのは入ってないと思っておったというんですが、この通知はどういうふうに出しているんですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 帰国子女は、一般的に、日本人で海外に行っている人、その子供たちが日本に帰ってきた場合を予想しているわけでございます。したがいまして、外国の留学生とか、そういうものは別に考えているわけでございます。  中国の子供に対しましては、これはまあ帰国子女という範疇でとらえるか、もっと違った次元で特別な配慮を加えて対応するというような観点でとらえるか、いろいろ差があろうかと思いますけれども、東京都においては、最終的には総合的な判断で合格さしたということでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 結果はあれですけれども、混乱しているんですね、これ。これは東京都だけじゃなくて各地に起こる問題。この中にはっきり入るわけですね、この通知の中に。帰国子女というのと中国の帰国者の子女、これはもうあの通知で入っているというふうにとっていいですね。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 帰国子女と一般に申します場合に中国を除くという考え方はございません。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 今ごろになってそう力まぬでもいいじゃないですか。入るんだということですな。  そうすると、これは昭和二十八年というんですから随分古いんですが、「中華人民共和国からの邦人引揚児童生徒の転入学に関する措置について」というのが、これは古いやつが出ていますが、これは生きているんですか、死んでいるんですか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 大分古い通知でございますので文言その他が現状に合わない点もあろうかと思いますけれども、これを生きているということでもって使っておるわけでございます。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 そうすると、先ほどおっしゃった通達というのとこの二つで、中国子女というのは「公立の高等学校においては、時期、定員にかかわらず転学を認めるものとする。」ここは生きているわけですな。だから、先ほど言った通知とこれとは別々にあるんですか、これがこっちに含まれているんですか、今さっきの答弁ではどうなんですか。これの方が明確ですから私は生きておる方がいいんですよ。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) これは少し性格が異なっておりまして、この二十八年の通達は、帰国した子女が中学校から高等学校へ進学するという場合を言っておるわけではなくて、これは、中国の高等学校レベルのものから日本へ転校してくるという、いわゆる転校のケースについて述べているものでございます。そういう意味で、この部分についてはこのまま生きていると判断をしておるわけでございますが、現実には、三十八年当時は相当数こういうケースがあったと思いますけれども、最近では中国で高級中学という高等学校レベルのものへ行っている子供が帰ってくるというケースは耳にしたことがございませんので、そういう部分では、生きてはおりますけれども実際には働いているケースがないということかと思います。

安永英雄日本社会党

○安永英雄君 時間が来ましたので最後に大臣にお尋ねをいたします。  いろいろ私申し上げたのは、十月に高校入試選抜についての通知、通達が出されて、それを受けて各県の方は非常に混乱しておった。はっきり言うなら、何といいますかね、言わぬでいいことまで入っていたり、言っていることについては、もう説明その他は全然抜きにして、何を言っているのかわからぬような通達が出されておる。それは珍しいですよ、文部省として。私は、押しつけということじゃなくて、地方の方にやっぱり協力をする、助言をするという限りに出された通知というのは、もう少し充実したものでなきゃならぬし、もう少し親切なものが出されなきゃならぬと思うんです。地方の方が国に期待しておるのは何かというと、今回のような抽象的なあるいは技術論というものじゃなくって、高校入試の改善にとってネックとなっておる、地方の方では、地方で片づけようとしてもどうにもならない問題があって、こういう紙切れもらって、さあここの大学——臨教審もいろいろ、何言っとるのかわかりませんけれども、てんで今の現状をもうほったらかして言っておる。だから文部省としては何かやらんならぬ。やらんならぬとすれば、大きなことはやらぬでおって紙切れ出しておる。これでとても今の偏差値、輪切り、こういったものとかいうものは解決できない、地方の方は。したがって、大学入試制度の改善、これを大きな関係があるわけです。高校間の格差の是正、これは言葉じゃ言い得るけれども、国の方が働かなければこの格差是正はできないんですよ。例えば用地取得費を含む国庫補助制度の確立。先ほど大臣は、自分も努力している——確かにそうです。かつては、高等学校の建物、これについては補助なんていうのは一切出さない、こういう時期がありましたけれども、少なくとも今は上物だけは国が出すということになっているけれども、一番ネックになっておるのはやっぱり用地ですよ、用地取得。これをやっぱりとってやらなけりゃならない。これを国庫補助の対象にしなきゃならぬ。用地まで見てやる、補助金を。こういうことをやっぱり積極的にやらなければ、この高校入試のいろんな問題は解決しない。あるいは学級編制の基準の改正、改善。これはいつも問題になりますけれども、高等学校の学級編制基準、これは大いにやっぱり変えなければ、これは先ほどおっしゃった、特色のある高等学校の構想などというのはできませんよ。あるいは進路指導教員の増加、加配。中学校も高等学校も。特に中学校。定数どんどん切っていきますけれども、進路指導体制の確立ということをそれはやらなければだめなんですよ。学級担任、これが走り回って、家庭を回り、学校を回り、そしてうっかり忘れとったものを見つけられて子供から抗議を受ける。忙しいんですよ。こういった——やっぱり高等学校もしかり。進路指導体制というのはもう少し確立して、定数のところあたりも加配をするというふうなことを、これは国がやるべきである。国がこういうことを高等学校の入試の問題についてはやるのが本務。臨教審だってこの入試の問題については無関心じゃありますまい。臨教審が言えば予算がとれるとか何とか、このごろ言っておりますけれども、予算が伴う問題なんですよ。紙切れの問題じゃないです。この中にどれが出ていますか、金を使ったところ。何も出ていやせぬ。そしてこんな簡単なものだから大騒ぎさせておる。  そういうことですが、こういった問題の、いわゆる国として、文部省として、大臣として、この高校入試の問題についての基底になる、私が今申し上げたような課題の解決に向けての大臣の考え方を私は聞いて終わります。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 高等学校につきましては、先ほども申し上げましたとおり、進学希望者の九九%が入学をしておるということは量的には相当程度充足をされてきた。これから六十五年以降は急減期を迎えるわけでありますけれども、なおその間は人口急増地帯等を中心にまだ高等学校進学希望者がふえるという状況がありますので、そういう特別の地域についての対応策というのは六十一年度以降も考えていかにゃならぬ、こういうふうに思っております。六十年度は今までのように校舎につきまして国庫補助という予算は確保できたわけであります。  なお、大変おしかりをあるいは御注意を受けている高校入試の改善についての通知の問題でございますが、考え方は二様ありまして、日本人はさっぱりしている人が多うございますから、点数で決められるならあきらめもつくわということがあるわけでありますけれども、しかしその結果が実は偏差値を生んでいる、偏差値偏重を生んでいるということもございますし、そのことが中学校教育の望ましいあり方についてマイナス要因になっているということもありまして、そこで偏差値偏重じゃなくしてもう少し受験者あるいは父兄が納得してくれるような制度に改革することが望ましいんじゃなかろうか。そういうことで一つは、公立高校の入学試験の機会が一遍しかないから、中学浪人を出すわけにいかぬということで安全を考えて偏差値による進路指導がなされる。複数の機会があれば、一つはチャレンジするということで子供にとってのチャレンジの機会がある。もう一つは偏差値偏重がやや是正される。それにあわせて試験の点数以外の要素も考えてあげることによって子供を救うことができる。さらにもう一つは推薦入学制度ですね、これ現在は主として職業高校にだけあるようでありますけれども、普通高校についてもそれを考えてはどうだろうか、こういったことからこの通知が出ておるわけでありまして、すべてこれよかれかしということでやっておることでありますし、それから不親切だという御指摘もございましたけれども、やはり各都道府県教育委員会のこういう問題の関係者が自主的に検討をし、研究をしてそれぞれの県の実情にあった内容の改善措置がなされることが実は望ましいことだというふうに考えるわけでして、そういうことでそう細かい点までは指導しなかったという面も実はあるわけであります。  なお、六十年度の入学試験のときからこれがなされなかったのは出された時期が十月でありますから、そこで各県ではそれぞれ勉強会を開いて、そして六十一年度あたりからやるべく準備をしているというふうに承知しておるわけでありまして、三カ月か四カ月の間にやっちまうというのは、これまた大変な問題でありますので、各都道府県教育委員会とも先生の御指摘のような混乱が起こらぬようにというわけで勉強していただいているというふうに考えておるわけであります。なお、今後ともこの問題大事な問題でありますので、私どもも一生懸命勉強して対応していきたい、こう考えておる次第でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 現職の国立大学の教官であって、しかも戦後我が国においてはもう最高のバイオリニストであり、オーケストラのコンサートマスターまでやったという海野前教授のいわゆるバイオリン汚職事件について、四月の八日、受託収賄罪で東京地裁の判決が下りました。一年六カ月の懲役そして執行猶予三年という極めて重いものだというふうに思いますけれども、この判決を聞いて今文部大臣はどのようなお考えをお持ちでしょうか、最初にお伺いをいたします。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 確定した判決ではありませんので、いろいろ判決について論ずるのもいかがかと思う点もありますし、また、法律論から言えばほかの議論も出てくるかもしれませんけれども、しかし道義的な問題として考えますというと、極めて遺憾な事柄であるということで深刻に受けとめているわけであります。今先生の御指摘のように我が国でも著名な演奏家でありますし、同時にまた有名な国立大学の教授にかかわる事件でありますので、なおさらのこと深刻に受けとめている次第でございます。  私どもとしてはこうした事件が再び起こらないように、二度と起こらないように、各大学の関係者がこれを機会に自浄努力に努めていただくと同時に、私どもも職員綱紀の厳正な保持のための必要な指導助言を今後とも的確に行って、そしてこうしたことが起こらぬように最大限の努力をしていかなければならぬ、こういうふうに考えている次第でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 この問題につきましては、今からもう三年半前になりますけれども、五十六年の十二月の十六日、決算委員会で私取り上げまして、いろいろ局長にもお伺いをしたり、学長からもおいでいただいて御報告をいただいたりしておりますので、ある程度の内容はわかるわけですが、しかし、当時は勾留、そうして捜査中ということもありましたし、大学側にして見ればそれこそ対応に大わらわ、そういう時期でもありましたので、内容についてはっきりさせることができなかったことがあるわけで、そのことについてまずお伺いをしますが、この問題を受けて当時芸大は音楽部弦楽器問題対策委員会を開いて器楽器の購入の仕方、購入楽器の真偽についても検討事項としている、こういうことが文部省側から答弁があったわけですね、一体あのガダニーニは本物だったんでしょうか。

坂元弘直文部省大臣官房会計課長

○政府委員(坂元弘直君) 先生御指摘のとおり五十六年十二月に大学内に弦楽器問題対策委員会を置きまして、さらに十二月の十八日に、ガダニーニが本物であるかどうかということをさらに細かく専門的な見地から検討する分科会を設置いたしまして、試奏による楽器の性能、言いかえれば音色とか音量を確認することあるいは文献等による形状等の照合調査、測定器によるニスの状況等を専門的に調査確認するということ。それから第三点は、鑑定書発行元への鑑定書の真偽の照会をするということ。それから第四点は、欧州において一流とされる鑑定家による現物の鑑定をやっていただく。その四つの方法で真偽を確めようということで進めてまいりました。  一、二の問題につきましてはそれぞれ学内で検討をしたわけでございますが、鑑定書発行元への鑑定書の真偽の照会でございますが、まず最初に、分科会としましては楽器を購入いたしまして起訴されておりましたカンダ・アンド・カンパニー社長の神田に対しまして、バイオリンの鑑定書の真偽等について質問状を発しました。それにつきまして神田社長の方からまずバイオリンは本物であるということ、これは当然だと思いますが、それからウオリッツアー社の鑑定書は偽造したものである、大変悪かった。それからアーリング・ストリング社の鑑定書は同社から受領した真正なものであるということ、それから四点のヒル商会の鑑定書は神田がアーリング・ストリング社から購入したときに既に添付されていたものであることという回答を得ました。  そこで、分科会といたしましてはバイオリンに添付されていた鑑定書について調査分析を実施するとともに、鑑定書のコピーをそれぞれ発行元に送付いたしまして調べたところ、アーリング・ストリング社からは真正なものであるという回答をいただきました。  ただ、ヒル商会からは、たまたまヒル商会の経営者がこの事件を調査した段階でかわったということもございまして、同商会では発行した記録はないという回答を得たところでございます。  そこで、さらに第四点目の、欧州で一流と目される鑑定家に現物を鑑定していただこうということで、音楽学部の教官が五十七年六月に欧州に出張した際に、ガダニーニの現物を持参いたしまして、鑑定を依頼いたしました。ドイツのバイオリン製作者同盟会員でありまして、ドイツの公認鑑定人でありますフィリッツ・シュタイナー社にまず鑑定を依頼いたしましたところ、五十七年六月十四日でございますが、楽器は非常によく保存されており、すべての部分がオリジナルなもので、ガダニーニの作であるという鑑定書をいただきました。大体、評価額については、現時点では——当時の五十七年六月でございますが、現時点では二十一万ドイツマルク、当時の為替レートで約二千二百万円であるという評価を得たところでございます。  それから、アーリング・ストリング社でも、やはり現物を持っていきまして、鑑定をしていただいたところ、ガダニーニの晩年の作であるということは間違いないという鑑定をいただいたところでございます。現時点というのは、当時でございますが、評価額は四万ポンドで、当時の為替レートで約二千万円弱という評価をいただいたところでございます。  そういうような検討結果を得まして、分科会では、一応、楽器の性格上大変楽器が古いということもあって、一〇〇%間違いないと、あるいは一〇〇%にせものだという断言はできないわけでございますが、総合的に考えてガダニーニの作品であるという一応の結論を得たところでございます。  そこで、その結論を五十八年四月七日の分科会報告ということで、本委員会に報告して了承を得たというふうに私ども報告を得ているところでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 本物だということが信じられる条件が整ったということは、私どもにしても大変うれしいことだというふうに思っておりますが、新聞報道などで、これが使われないでいるということになってますね。そういうことを検討している間だから使われなかったということもあろうかと思いますが、しかし、このバイオリンを購入したということは、こういうすばらしい楽器を生徒に触れさせることによって技術も向上させていきたいという願いがあったのではないかと思いますけれども、これはどういうふうな今保存状況になっておりますか。

坂元弘直文部省大臣官房会計課長

○政府委員(坂元弘直君) ガダーニーニ以外に、芸大でかなりいろいろな、古くからいい楽器を購入しているわけでございます。その保存については大変神経を使っているところでございますが、先生、御指摘のように、いい楽器に触れさせることによって学生の技能を高めていく、あるいは音感に対する技能を感得するということが必要であるわけで、確かに結論を得るまでの間は、一応ガダニーニは使用しないというような暗黙の了承のもとで保存をしていたようでございますが、恐らく私ども、その辺はつまびらかではございませんが、その後、必要に応じて学生に触れさしているんではないかというふうに私ども今推察しておりますが、どの程度の頻度で学生に使わしておるかということについては、今の段階では詳細には承知いたしておりません。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 楽器の問題と同時に、もう一つ個人レッスンの問題があったと思います。  教官が兼業する場合には許可申請書を出す、許可されればそれは当然認められる。それでは兼業とは一体何か、こういうことになりますと、定期的、継続的、そして報酬を得ていること、こういう説明があったわけで、個人レッスンは兼業には入らない、したがって、これは学校側としては把握をしていないということになろうかと思いますが、芸大では昭和四十四年に教授会が申し合わせをしまして、芸大の学生に個人指導をする場合には指導料を取らない、こういうことを申し合わせていたというふうに聞きますが、そのことが当時は崩れていたのではないかということが一つ。  もう一つは、個人レッスンは音楽教育上どうしても必要なんだということが話し合われて、とにかく五十七年三月まで、自宅や学校外で芸大志望の弟子を教えることをやめようということがあの事件の中で申し合われたわけですが、それは一体、現在どういうふうになっているかということをお伺いします。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の個人レッスンに関する考え方でございますが、当時五十六年十二月でございましたか、先生の御質疑に応じまして、当時の鈴木官房長からお答えした点は先生今お話のとおりでございます。  ただ、若干補足いたしますと、個人レッスンという内容で把握する内容が問題でございまして、自宅等で行われるレッスンにつきましても、やはり不特定多数の者あるいは定期的かつ継続的に特別の施設あるいは教場を設けてやるというような場合、そういう場合はやはり兼職兼業というふうな概念に入ってこざるを得ないというような考え方を私どもは持っておるわけでございます。  ただ、ピアノ、バイオリンとか、そういうような事柄について、ごく個人的に音楽の早期教育というようなことから、例えば中学の卒業生等を若い時代から教えていくというふうな、限られた人数でやる場合、こういうものについては兼職兼業の概念に入らないのではないか、こういうふうな考え方が一貫してとられておるところでございます。  それから、次の問題といたしまして、四十四年当時に教授等の申し合わせで、芸大の先生がみずから教えている学生について個人レッスンで指導料を取らないというふうな考え方は、当時から現在までにおいても引き続きその申し合わせは生きているというような考え方でございますが、ただ個人レッスンにつきまして、先ほど申し上げましたように、中学校を卒業した若い人ですね、自分の学生じゃないけれども、若い人を五、六人程度教えているとか、あるいは社会人で学校を卒業した者を教えているとか、そういう学外の人たちを対象にした個人レッスンについては指導料を取っているというケースはあるわけでございます。  そういう意味で、自分のところの学生というものの個人レッスンと、それから自分のところの学生以外の個人レッスン、その点で指導料を取る、取らないというふうな区分がある、こういうふうな理解で私どもはおるわけでございます。  それから、次の第三点でございますが、事件が起きました直後、五十六年十二月でございましたか、教授会の申し合わせで、当面個人レッスンはやめよう、その間いろいろと学内で検討しようということで申し合わせが行われたことは先生御指摘のとおり事実でございます。その後、当分の間個人レッスンについては見合わせて検討しようということで、約半年の検討を経まして、五十七年五月に至りまして、音楽部教授会で検討の結果を取りまとめをいたしたわけでございます。やはり、音楽教育の特殊性から大学外での個人レッスンというものは、やはり音楽教育に携わる者として、これは再開をすることは、やはり必要であろうというふうなことで、この場合の個人レッスンは幼児から社会人までのすべてを対象とすることはやはり必要であろうというふうな考え方をとりまして、ただ個人レッスンが課題曲の発表とか入試に絡んで行われてはこれはいかぬ。この先生が入試の試験委員だから駆け込みでその先生に個人レッスンを頼みに来る、こういうことであってはいかぬ、そういうことは受け付けないようにしようということとか、あるいは金銭に関係して疑惑を受けることのないように一層注意してやる、こういう申し合わせを半年後の五十七年の五月にやっておるわけでございます。そういう意味から申しますと、先生御指摘の個人レッスンを今後やらないようにしようというふうなとりあえずの考え方は半年後さらに検討を経た結果で訂正されると申しますか、また考え方を改めて再度申し合わせを、ただいま申し上げたようにやり直しておるというのが現状でございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 今御説明にありましたけれども、駆け込みで入試を目標にして来るような生徒については個人レッスンはやらない。しかし、こう考えてみますと、小さいときから、もう三歳ぐらいからバイオリンを習わせている人たちもいるわけですね。その子供たちが芸大をやっぱり受けたい、当然考えているだろうというふうに思うんですね。駆け込みでなければよろしい、駆け込みだったらだめだというのも、これまた不思議なことだというふうに思いますが、要は音楽教育にどうしても個人レッスンは必要なんだという判断を御本人も、また受験する人たちも親も考えているようであります。  この点についてちょっと伺いたいと思うんですが、ことしの入試の現状を見ますと、芸術学部が平均して二四・四倍といいますから、随分高いようですね。で、最高がデザイン科の四二・二倍。音楽部が平均四・一倍、こういうことらしいですが、四二倍あるところと四・一倍あるところとこんなに格差がありますね。考えてみますと、デザイン料というのは、そういうふうに師事しないでもよろしいと。師事してなくても、受験の機会がある程度機会均等に行われる条件がある。ところが、この器楽、音楽科の方というのは、もう小さいときから勉強しておかなきゃならない。しかも、もう特定の先生に、しかも有名な先生に習っていなければもう入学すらできないという、そういう現状をみんな知っているから、それでもなおかつ四・一倍というのは、私は高いと思いますけれども、これではやはり憲法に認められた機会均等というのは保障されないのではないか。そのところを国立大学が保障できないような条件を今までほうってきたのではないだろうか。こういう音楽教育に対する文部省の今までとってこられました政策、これからどのようにしていこうかというようなものも含めてお伺いいたします。

西崎清久文部省大臣官房長

○政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の点は、非常に初等中等教育、高等教育全般にわたる広範な問題を含むわけでございまして、私の方から的確にお答えができるかどうかということでございますが、一つの例として申し上げますと、東京芸術大学におきましては、本件の事件を契機としてというわけではございませんが、昨年の十一月に、「我が国における芸術教育のあり方について」という中間答申を出しておるわけでございます。この芸術教育のあり方についてという芸術大学の中間答申で書いておりますことは、先生の御指摘の点に関連して申しますと、やはり大学の入試ということに関連して、非常にレベルが上がっておる、日本の音楽というもののレベルが上がっていることに対応するわけでございますが、そういう点に関連して言えば、高等学校教育における音楽教育というもののすそ野というものが大変必要ではないか、そういうことを指摘しておるわけでありまして、これは東京芸術大学の中間答申でございますから、みずからの附属高等学校における音楽教育、その生徒の入学等にもこれから関連していくわけでございますけれども、そういう点についていろいろと検討しなければならない。それから地方における音楽教育のすそ野を広げることについてもいろいろ検討すべきであるというふうな考え方も盛り込まれておると思うわけでございますが、そういう点から申しますと、この東京芸術大学の中間答申が言っておりますように、初等中等教育の音楽教育というもののあり方、特に専門の音楽高校というものについてのこれからの教育のあり方というふうなところに目が向けられなければならないというふうな感じが私どもとしてもしておるわけでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 東京地裁の裁判長は、教育公務員の地位にありながら、当然守るべき一線を踏み越えて犯行に至ったもので、厳しく非難をされてもやむを得ない、こういう原則にお立ちでの判断のように私は読んでいるわけでありますけれども、これはもう国立の教官だったら犯罪になる、私大、私立の大学の教官は、教授は一体どうなるんだろうか。私学も公教育であるということは私学自体がみずからの姿勢を表明しているところであります。公教育であります。そして国庫補助も十分とは言えませんけれども、出されているわけであります。この東京芸大の問題がたった一人で終わっているというふうには考えている人少ないわけですね。もう氷山の一角だというふうに思っているわけですが、ここのところは一体どのように判断をされておりますか。

國分正明文部省高等教育局私学部長

○政府委員(國分正明君) 私立大学についてのお尋ねかと思いますが、私ども私立大学におきまして芸大の本件のような事例が具体的にあるかどうかについては直接現在承知しておりませんが、御指摘のように私学においては絶対ないという保証はこれまたないわけでございます。御指摘にもございましたように、芸大の先生は国家公務員として、また教育公務員特例法の適用を受ける教育公務員といたしまして、公務員法あるいは特例法の服務規律のもとにあるわけでございます。また公務員ということから刑法上の収賄罪等の適用もあるということでございますが、私立学校の教員につきましては、法律的には公務員法の適用もなく、また直接に収賄罪等の適用もないということで、法律関係は異なるわけでございます。しかし、学校の教職員という点におきまして、モラル上の問題としては国立、私立を問わず、共通のものがあろうかと思うわけでございまして、個別にはそれぞれ私学が服務規律を定め、あるいは先ほどの楽器購入等でございますれば、適正な楽器購入が行われるよう個別に私学が体系、規則等を定めて処置するということになろうかと思っております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 私学にしても、国立にしても、とにかく大学自体の自助努力といいますか、それが必要であるという今の御答弁だというふうに伺ったわけです。先ほど御説明をいただきました東京芸大の改革案、十一月に答申が確かに出されております。その改革案につきまして、同じ芸大の船山隆さんという方が自分自身の心情も含めながら寄稿をされているわけでありますが、同僚の「海野教授を懲戒免職にする決定をしたが、その苦しい決定は、新聞報道の「全員一致」という文字が示すような明解なものではなく、複雑で両義的な重い「沈黙」によるものであった。」、こういうふうに書いております。そして改革の内容をずっと書きながら、最後にこの「両義的な「沈黙」のなかで海野教授の懲戒免職を承認した私は、もし改革への自分の内なる火が消えた時には、自らに同じ「懲戒免職」を命じなければならないと肝に銘じた。」、こういう私は大学の教官としての姿勢というのは非常に大事だというふうに思うわけですけれども、しかし考えてみますと、芸大の改革は芸大自身で行われるという一つの範疇というものが決まっているというふうに思うんですね。芸大でこういうふうに考えて改革をしていかなければならない芸術教育は、こう考えてもどうしてもぶつかるものがあります。それはやっぱり法律といいますか、またそれに伴って予算の承認などというものも国立でありますからあるというふうに思いますけれども、この点内容をお読みになっていると思いますが、文部省は一体どのようにこの改革案を受けとめられておりますか。

宮地貫一文部省高等教育局長

○政府委員(宮地貫一君) 先生御指摘のように、昨年十一月に出されましたものは東京芸術大学の改革を中心としたものではございますが、芸術教育のあり方全体についての考え方を、中間答申ではございますが、まとめたものでございます。大変広範な指摘がなされておるわけでございまして、基本的には私どもこういう芸術教育というもののあり方の本質をどう考えていくのかという問題にも関連する問題ではないか、かように考えております。  現在、教育改革ということで基本的ないろんな論議がなされているわけでございますが、例えば大学の修業年限というものについてどう考えるかというような問題などについても、これは大学制度全般の中で今後どう取り扱っていくべきかということはやはり一つの議論の課題ではございます。もちろんこういう芸術大学の場合にありましてもその修業年限というようなものが基本的にどう考えられるべきか、やはり一つの大きな問題点でございます。例えば修業年限一つとりましてもそういうようなことを基本的に考え直す一つの問題点が指摘をされているわけでございますし、そのほか基本的にこういう芸術教育、特に音楽教育等に関しての早期教育が必要だということであれば、附属の高等学校以外にも、さらに中学校段階、小学校段階についても何らかの特設のコースを考えるべきでないかというようなことも議論をされているわけでございます。  私どもこれらの点は貴重な指摘であると受けとめておりまして、今後の大学制度全般の中で考えていく際に当たりまして、これからの我が国の芸術教育、それも高等教育段階における芸術教育というものをどう考えていくかということについても基本論に立ち返って検討をしなければいけない、かように受けとめているわけでございまして、私どもいわばこの事件を契機にしました大学教育、高等教育における芸術教育のあり方の基本にまで立ち返りまして、私どもとしても問題点について十分その点を認識しながら今後の課題として取り組んでまいらなければならないことだと、かように感じております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 そうしますと、臨教審でこういう答申が行われるのを待つ、あと二年ですね。そういう考え方にお立ちになっているんですか、あるいはそういう討論を経ながら必要に応じて大学設置審で審議を進めていくという考え方に立たれておりますでしょうか。

宮地貫一文部省高等教育局長

○政府委員(宮地貫一君) 大学制度全般についての議論が臨教審においても議論としてこれからさらに行われていくでございましょうし、これは臨時教育審議会の方で今後の取り組みとしてどのような課題をどう取り組んでいくかということにかかわるわけでございますが、ただいま申し上げましたような修業年限の問題その他のことについて申せば、これは大学設置基準の基準分科会と申しますか、大学設置審議会の中の基準分科会で検討すべき課題ということで、この点については基準分科会としても一般論としてはもう既に議論は自由討議というような形で何度か議論をいただいているところでございます。そういうような大学制度全般のことについて議論をいたします際に、この芸術教育のあり方についても、やはりその中の一環として議論をされるべきことだというぐあいに私ども感じておりまして、必ずしも先生御指摘のような臨時教育審議会での議論の結論が出なければそのことは課題として取り組まないのかというような御指摘のように伺ったわけでございますが、大学設置審議会の基準分科会においても今申しましたような一般論としての議論は既にいたしておるわけでございまして、その点は大学制度全般にかかわる問題でございますので、事柄としては十分慎重な議論を経なければなりませんが、問題点の意識は私ども十分意識をして対応してまいりたい、かように考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 先ほど大臣もおっしゃったように再びこのような事件がないようにという、そのことを十分に勘案をして今後努力をしていただきたいし、また大学側からも努力をしていただきたいというふうに思っておりますが、文化庁来ておられますでしょうか。——一つお伺いしますけれども、私、国連婦人十年の中間年のときに、たまたま婦人議員でずっとヨーロッパを回りましてローマへ行きましたときに、ローマの野外音楽堂でオペラを、アイーダですけれども、観劇するチャンスを得たわけであります。  あのときに思いましたのは、私どもの座ったのは一等席だったんですけれども、二千円なんですね。非常に安いんですよ。周りを見回してみますと実に気楽な服装をした、そして家族連れ、子供連れの人たちがいっぱい並んでいるんですね。すばらしいオペラだったわけですけれども、それが終わった後で子供たちがわあっと前に駆け出していってそして自分の好きな歌手に対して応援を送っているんですね。アイドル歌手に対してそういう子供たちが駆け寄るというのは我が国では見られますけれども、本当にあれを見まして、私はやっぱり音楽教育のレベルが小さい段階から大衆的に行われているんだという感じを持って帰ってきたわけですけれども、そういう文化的なものを向上させるというために文化庁としての努力をされている点について教えていただきたいと思います。

加戸守行文化庁次長

○政府委員(加戸守行君) 我が国の文化振興に関しましては、伝統的な古典芸能の保存あるいはその水準維持という大きな柱と同時に、現代の芸術に対します振興、普及に対しますいろいろな各般の施策を講じているところでもございます。特に今先生がおっしゃいましたような、特に子供たちに対します面というのも意識いたしまして、ちょうど昨年、昭和五十九年度からでございますけれども、中学校芸術鑑賞教室という新しい施策を興しまして、中学校の現場にオーケストラあるいは合唱団といった中央の一流のプロを派遣いたしまして、学校の中学校の体育館で生徒、父兄に対します芸術鑑賞の場を設定するという事業を実施いたしまして、大変な好評を受けているわけでございます。そういった情操涵養といいますか、中学校段階からの芸術に対する関心の増大というような面もございますが、一般的な芸術振興の観点からは、各般の芸術団体が実施いたします各種の創作活動等に対しまして、特別な新しい企画あるいは新しい演目、創作活動というものを奨励するための補助金を従来から出しておるわけでございますし、さらに御承知のように秋の芸術祭という一つのセレモニーでございますけれども、その場で独創的な舞台芸術作品を募集いたしまして実施をしていただくということによりまして芸術家の意欲的な創作活動を促していくという事業も行っております。さらに一般の、音楽を初めといたします芸術団体、特に将来性に富む芸術家を育てるという観点から、国外に一年あるいは二年の期間国費によりまして在外研修を実施し、あるいは国内におきます研修を実施するということによりまして将来の芸術家の素地を培うというような施策も講じております。そのほか、すぐれた業績を上げられました芸術家に対します芸術選奨という形で文部大臣賞を差し上げる、あるいは芸術の新生面を切り開いた方々に対します、同じく芸術選奨、文部大臣新人賞というような顕彰制度を設けまして芸術活動を奨励する、こういった各般の施策を通じましてレベルアップを図りますと同時に、先生おっしゃいましたような一般の、底辺といいますか、一般国民の間に音楽あるいは芸術に対します理解を深め、それが高度なレベルアップにつながるという方策を今後とも考えてまいりたいと思っておるわけでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 私は、このことについてもう少し予算面で話をして進めていきたいと思いましたが、時間の関係で次に移りますが、大臣、文化的なこの予算というのは非常に少ないというふうに私は思うんですけれども、あれも少ないこれも少ないとどこからも言われると思いますが、ぜひ頑張っていただきたいと、こういうことを要望しておきます。  次に、少年指導委員の問題について質問いたします。  先国会で風営法が第十三回目の改正ということで通ったわけでありますが、この風営法が新たに改正された目的というのはどこにありますか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 最近の風俗環境が大変悪化いたしまして、少年の健全育成という観点から大変大きな影響があるというところから、風俗営業その他に対して規制を加えまして少年の健全な育成に資するというのが第一の目的で改正されたと承知しております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 確かに公安委員会提案理由説明を読んでみますと、性産業の多様化等野放しの状況が、少年非行が昭和五十五年以来四年連続戦後最悪の記録を更新している大きな原因の一つだと、こういう認識の上に立っているわけですが、私どもあの法律を読んでいく中で、非常に警察の権限というのが大きくなってきている、子供たちの非行も大変なことであるけれども、しかし、それ以上にこの警察の力が大きくなっていくということに大変な危機を感じましてこの法案に対しての質疑、討論を行ってきたところでありますが、法律が成立したわけでありますので、きょうはその法律の中にできております少年指導委員についてお伺いします。  既にもう規則も出され、各県では委嘱もされていると思うんですよね。一体どのような状況で、人数はどのくらい委嘱をされておりますか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 現在なお集計中でございますけれども、昨日までに報告を受けた状況では、全国で千七百六十人の少年指導委員が委嘱されたというふうに報告を受けております。  なお、将来的には、各都道府県ごとの非行情勢とかあるいは地域の実情、住民の要望等を勘案いたしながら本制度のさらに充実を図ってまいりたいというふうに考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 この少年指導委員の職務は一体どういうことですか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) お答えいたします。  今回の改正法の第三十八条の二項それから、それの委任を受けました少年指導委員規則等に規定されておりますけれども、大きく四つにその活動が分かれておりまして、まず第一は、補導を要すると認められる少年に対して指導あるいは助言をするというような、いわゆる少年補導活動ということが第一でございます。二番目は、風俗営業者等に対します協力を要請する活動、三番目に、少年とかあるいは保護者等からの相談に対しまして適切な助言とかその他の援助をいたす活動、四番目に、少年を取り巻く風俗環境浄化活動に対しましていろいろと協力援助をするというような、この四つの活動を展開しております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 今の御説明によりますと、指導、助言だということが主たる職務になっているようであります。私も指導、助言するということについては異議がないわけですけれども、この補導という言葉は今まで法律的な範疇がなかったと思うんですね。その法的な補導という具体的な内容は一体どこにありますか、どういうことを言いますか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 基本的には補導といいますのは、個々の少年に対しまして、その健全な育成のために働きかけて善導する活動というふうに私ども承知しておりますけれども、少年指導委員が行う少年の補導とは、主として盛り場等を徘回したり、あるいは風俗営業あるいは風俗関連営業等に出入りするなど大変有害風俗環境の影響を受けているような少年に対しまして、具体的には、早く帰りなさいと帰宅を促すとか、こういったような適切な注意とか、その場での指導、助言を行うということでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 それでは、ここには、例えば逮捕などというようなことはないわけですね。少年警察活動要綱第二十条に定義はあるわけですけれども、しかし、現実にこの逮捕のようなことが行われているという指摘が、たしか委員会の中でも先国会では指摘をされたのではないかと思いますけれども、ここでは絶対にそのようなことはない、捜査権は指導委員にはないという理解でよろしゅうございますか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) お答えいたします。  先生御指摘のとおり、私ども内部的には要綱等がございまして少年の補導という概念はございますけれども、これはあくまでも、警察官の少年の補導という活動に根拠を与えた要綱でございます。したがいまして、今回の風営法に言いますところの少年指導委員の職務としての少年の補導といいますのは、あくまでも、少年補導委員に何らの特別の権限を付与しているわけではございませんので、御指摘のような逮捕活動といいますような具体的な捜査活動は行わないということが建前になっております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 建前とは一体どういうことですか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 行われないということであります。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 民間人にすぎない指導委員ですから、私はそのようなことは絶対あってはいけないということを考えます。そういうことを絶対にしない、させないという徹底は、どこに、運用規則の中に載っていますか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) お答えいたします。  少年指導委員に対しましては、いろいろと具体的な活動を行う前にいろいろな講習を行いまして、少年指導委員の活動の目的とかあるいは限界、具体的な活動方法につきまして指導を行うというふうに規則で定めまして、各県ともこれを受けましてさまざまな形で講習等を行っておるところでございます。今後ともこうした教養につきましては随時実施いたしまして、適正な活動が行われるように努めてまいりたいというように考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 そのねらい、目標というのは私はわかります。それじゃ、そういうことをやるのは現実には少年指導委員なんですね。この少年指導委員を選ぶというのは法律の中で原則が決められているんですね。法律の中でこういう人を選びなさいなんということが決められているというようなのはほかの法律にあるでしょうかね。例えば教育委員はこのような人でなければならないなどというようなことが、しかも雑則の中で決められているなんという法律はありますでしょうか。第三十八条読んでみますと、「人格及び行動について、社会的信望を有すること。」「職務の遂行に必要な熱意及び時間的余裕を有すること。」「生活が安定していること。」「健康で活動力を有すること。」、こんなのわざわざ法律で決めなくても、私はもう少年を指導するんですから当然のことだというふうに思いましたけれども、なぜわざわざ法律でこのような項目を規定しているんですか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) やはり少年の健全育成に当たるべき民間の有識者ということの選抜に当たりましては、それなりに厳しい資格要件が必要ではないかという観点から法律事項として定められたものと承知しております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 生活が安定しているというのは、一体どの程度のことを生活が安定していると言うのかですね。時間的な余裕といいましても、もう本当にやろうと思ったらこれなんかどんなに時間あったって足りないくらいのことをやらなきゃならないような状況もないわけでないというふうに思いますので、この辺のところ法律で決めているということが私は非常にこだわるところでありますが、一体、この少年指導委員に元警察官あるいは現在警察で委嘱している補導員というのがなりますか。私は好ましくないと思うんですけれどもどうでしょう。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 現在どういったような職業の方々が委嘱されたかにつきましては集計中でございまして、結果は出ておりませんけれども、元警察官ということではほとんどいないんではないかというふうに承知しております。それから、少年補導委員につきましては若干のダブりがあろうかというふうに承知しております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ぜひ、こういう指導委員を選ぶには委嘱、任命みたいなことになろうかと思いますけれども、選ぶときにはやはり地域の人たちの意見を聞いていく、そういう青少年を補導するに当たってのいろいろな機関があるわけですから、そういう人たちの意見を十分に聞いていくという姿勢が非常に大事だと思いますけれども、これ三十八条の四項に「少年指導委員は、名誉職とする。」というんですね。この名誉職というのが好きで、ぜひという、こういう人たちがまた案外いるんですね、地域に。名誉職というのは一体どういうことを言うんでしょう。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 名誉職とは、法律上有給職に対する用語でございまして、生活を保障する俸給、給与等を受けずに公の機関の職にある者を指すものというふうに私どもは理解しております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 ボランティアみたいな形になるんでしょうか、ボランティアよりはもっと非常に厳しい権限を与えられているというふうに思いますけれども。給与をもらわないのを名誉職とこういうふうに言うのですか。それだったら少年指導委員は、例えば給与をもらわないとかなんとかと書いてくださればもっと明確になるんですけれども、名誉職なんていいますと、警察の感覚としてはこれでいいかもしれませんけれども、一般人の感覚としては何か非常に異質なものを感じるわけであります。名誉職のこの方々は一切の金銭的なものはいただかないんですか。例えば、活動するに当たって必要な経費などというのがありますね。そういうものは一切いただかないんでしょうか。それから、例えばこの規則の中に、飲酒、酒を飲んでいるとか、たばこを吸っているとか、家出した少年だとかいろいろありますよね。そんなところにこの指導委員の何かこんなものを持っていって話しするわけですね。そうしたら、そういう中にたまたまいろんな子供がいて事故が起きた。そういうときこの名誉職である指導委員は何にも補償のないままに終わってしまうのか。これも一つ疑問があるところですが、それはどうでしょう。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) あくまでも御指摘のとおり少年指導委員につきましては民間の有識者のボランティア活動ということを原則としておりますので、それに対します金銭的給付はいたさないということで何ら予算的な措置は講じておりません。一方また、具体的な少年補導活動等において先生御指摘のような危険な場所あるいは場面があろうかと思いますので、そういった場合にはやはり警察等との連携を密にしながら危険のない方法でやるように、現在なおその辺の具体的な補導上のノーハウ等につきまして講習を継続しているところでございます。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 さらにこの規則を読んでみますと、守秘義務が法律の上であるわけですね。三十八条三項にありますね。ところが守秘義務を漏らしたというようなことに対しての罰則規定というのはないわけですね。人格高潔な方々がなられるのですから、守秘義務を漏らすなんていうことはないという前提にお立ちになっていらっしゃるかもしれませんけれども、これはちょっと問題だというふうに思いますけれども、いかがですか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) この守秘義務ということも先生御指摘のとおり大変大事なことでございますけれども、これもまた罰則で担保するのでなくて、仮に守秘義務違反があれば解嘱するというような処置で対処することが適当であるというふうに考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 そういう考え方が問題なのですね。本人は解嘱されればそれはそれでいいですよ。名誉も傷つけられますし、社会的な信用も失うかもしれません。しかし漏らされた子供たちの人権というのは一体どうなるのですか。

伊藤一実警察庁刑事局保安部少年課長

○説明員(伊藤一実君) 他の法律等を見まして、こういったようなボランティアの例を見ましても、こういった守秘義務違反に対する罰則設けている例はございません。そういったようなバランス等も考えて、講習等を通じましてしっかりとしたその辺の少年指導委員としての任務でありますとか設置目的を十分理解してもらうということがまず第一ではないかというふうに私ども考えております。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 大臣にお伺いをいたしますけれども、こういう次から次へと警察関係で少年非行をなくするための施策が行われていくということは決して望ましいことだというふうには思わないわけですね。そのことは家庭や地域や学校の教育力が低下をしているということだと思うのです。先回も非常にいかがわしい本に対して有害図書規制法なんていうのを出そうなどという動きがありましたけれども、ああいうような動きを見ましても、例えばポルノの本なんかを自動販売機の中に入れている。それをどかせようと地域のお母さんたちが動いていった。お父さんも動いていった。ところがその持ち主をたどってみますと、やくざ、暴力団関係の人がいた。そうするとそういうときに引っ込んでしまうのはお父さん。お母さんたちはもう徹底的に最後まで子供たちのためにと頑張って、ついにその自動販売機を取り除いたなどという運動もあるのですけれども、私は地域の運動、家庭の教育力、学校の教育力を高めるということの方が少年非行をなくする第一の要件ではないかというふうに思いますけれども、それをお伺いして質問終わりたいと思います。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) あらゆる方法であらゆる人たちが努力をすることが少年非行をなくす道だと私は思います。この風官法の関係で言えば、一つは、風俗営業等に関連する人たちが良識を持って青少年の健全育成に有害になるような行動をみずから慎んでいただくことが一番大事なことなのでありますけれども、現実はなかなかそうではありませんので、そこで法改正も必要であった。そしてまた日本の社会が安定して善良な人たちが積極的に青少年の非行等についてそれが起こらぬような努力をみんながしあえばいいわけでありますけれども、現実の社会では見て見ぬふりをする人もおったりあるいは関係方面に積極的な連絡する人もいないなどということもありますので、そこでこういう法律ができ、かつ少年指導委員という仕組みができたと、こういうふうに思うんでありまして、これは学校における教育、家庭における教育、社会における教育、そしてこういう仕組み、いろんな分野で努力をしていくことが青少年の健全育成にとっては極めて大事なことだというふうに私は考えているわけでございます。

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時四十分休憩      ─────・─────    午後一時三十三分開会

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 三浦長官、お越しをいただきましてお尋ねをするわけでありますが、あなたが、就任の交渉の中で、私は事務的なこと、官僚的なことは一切やれぬのだから、それでは不適当であろうというお話も伝わっておりました。そういうことでなくて、民間人から二人目の、もう十五年も六年もでなかろうかと思うんですが、長官として御就任をいただきました。それなりのこれからお働きをいただきたい、これが私たちの願いでありますし、また事務的なことは、今までの慣例でもありますし、また優秀な加戸次長が、私の県の出身者でもございますが、控えておりますので、今後はそういう形でひとつお願いをいたしたいと思うわけであります。  さて、ここで初めて国会という正式な場所で御発言でございますので、御就任の弁をひとつお聞かせを願いたい。二、三あわせてお答えをいただきたいと思うわけであります。  申すまでもなく、長官、有名な作家でございます。日本にも作家というのは、私もどの程度おいでになるのかわかりませんし、どこあたりまでが作家というのか存じ上げませんが、たくさんの中からあなたが選ばれたことについて、あなたに何を要求をせられておると思われますか。これが第一のお尋ねであります。  あわせてもう一つ。文化を守り、はぐくみ、育てていくためにこれからお努めいただくわけでありますが、このことだけは努めたい、進めたい、このことだけは守りたい、そして、このことはやってはならないと、民間から文化を眺めておって思うんだというようなことがございましたら、あわせてお答えを願えればありがたいと思います。

三浦朱門文化庁長官

○説明員(三浦朱門君) 私、民間から文化庁に入りましたけれども、基本的には代々の長官を中心に文化庁の職員たちがやってきた仕事、それは基本的には何も問題ない、そのままでよろしいと思っております。  ただ、なぜ私が民間から入りましたかということを考えますと、これが第一の御質問にかかわると思いますけれども、なぜ私が民間から入ったかと申しますと、時代の動きというものは大変に激しく変わっておりまして、最近の文化現象はどんどん新しい状況を呈しつつある。それに対して、今までのような整然とした官僚機構で処理してきました文化行政でよろしいだろうかという反省あるいは疑惑が恐らく文化庁内部にありまして、この新しい状況を自分のうちに取り入れて、そして検討しなきゃならない。そして、それに対してしかるべき対応をとろうというふうな動きがあったのだろうと私は想像いたします。そのために、外側の新しい文化的な状況をよく知っていて、しかも、それを文化庁の人々にわかり得るような言葉で話ができる人間、それが望ましい条件だったかと思います。  なぜ私がそれに該当したかと申しますと、これは全く私の想像でしかございませんけれども、一つには私が長い間教師をしておりました。教師というのは特殊な状況——文学の教師をしておりましたから、特殊な感情あるいは特殊な状況を普遍的な形で表現できないと、教師というのは勤まらない。そういう意味で、私は、文化という取りとめのないものを文化庁の人たちにある程度客観的な形で表現することが、伝えることができるのではないかということがその条件の一つかと思います。  それからもう一つ、私は文芸家協会とかペンクラブのような文学を中心とするさまざまな団体の理事を二十年近く勤めてまいりまして、その方面での知人が多い。したがって、文化庁の意向とか文化庁の解釈というものを、それらの私の同業者たち及びその集団に伝えまして、文化庁と文学全般の調整をすることができるのではないか。私は文士ではございますけれども、同時に芸術学部という学部で二十年間奉職していた関係上、それ以外のさまざまな芸術のジャンルにも知り合いが多い。そのようなことが、私をうまく利用すれば、変わりつつある文化状況に対して対応する道を見つけるきっかけをつかめるかもしれない、そう文化庁が考えられた。それが私に就任しろという要求が出てきた理由かと思います。これが第一点でございます。  それから第二点の、文化を守り広めていくためには、これだけはどうしても守っていきたいということ、あるいは育てていきたいということ、並びにこればかりはやってはいけないということ、この点について私の考えを申し上げます。  先ほど来、文化現象が変わりつつあるということを申しましたけれども、それがどういう変わり方をしているか、それをまず私の私見を申し上げたいと思います。一口に言いますと、これは専門家から大衆へ、もう一つの立場から言いますと物から心へということかと思います。  専門家から大衆へといいますのは、今日、日本でもプロのコーラス団体というのはたくさんございます。しかし、それよりもはるかに多くの、けた違いの数の素人のコーラスのグループがございます。そしてプロのコーラスの方が確かにこれは問題なく上手なんです。しかし、プロのコーラスの人たちの歌を、では下手なアマのコーラスたちが一生懸命聞くかというと必ずしもそうではない。歌いたいけれども必ずしも聞きたくない。このような人たちにとっては、コーラスを芸術として考えますと、芸術というのは鑑賞するものよりも自分で参加し自分で創造するものであるということだと思います。  これはコーラスに限らずあらゆる場合にこれを見ることができます。例えば、原宿に休みに行きますと、十代の若者たちが思い思いの服装をして踊ったり歌ったりしている。それは単なる無意味なものだと言えばよろしい、それで片づけることもできます。しかし同時に彼らの中に、自分も表現する側に回りたい、芸術を鑑賞し受け取る側にとどまりたくない、そういう感情があるように思います。  また表現の手段にいたしましても、昔はステージとかあるいは出版のための手段とか、それから音楽の楽器あるいはそれを録音する器具とか、これらのものは非常に高価なものでありまして、国家とかあるいは大きな資本を持った者でないと持つことができなかった。ところが今では録音の道具などというのは大学生でも簡単に買える。コピー機とかあるいはワープロなどが発達しますと、だれでも書物に近いもの、雑誌などをつくることができる。ビデオコーダーが発達しますとだれでもが映画かそれに近いようなものをつくることができる。こういう表現手段というものが大衆のものになったということも相まちまして、今や芸術あるいは表現活動の担い手が専門家から一般人にかわろうとしている。  これは例えば文化財につきましても、戦後これが、発見し、復元し、保護するというのが精いっぱいであったのに、今や一般の人々が、なぜそれらのものを専門家の手に任しておくのか、博物館の中にしまい込んでおくのか、我々に見せろ、我々のものであるということを確認したいという要求が強くなっております。  これの裏づけになっているのが物から心という動きだと思います。高度経済成長というものをどのように評価するかは別にいたしまして、日本人はとにかく食うに困らなくなった、そして大体似たような収入で似たような生活条件の中で暮らす。そのときにやはり隣とは違うもの、自分独自の世界をつくりたい。それがある場合には脱サラとか、あるいは働くのは生活費を得るためであってそのお金を使う、充実した使い方をする、それが生きがいだというふうな考え方が出てきました。そのような人たち、つまり、お金を稼ぐこと、あるいは物質的にただ量的に豊かになるのが目的ではなくて、質的な豊かさを、つまり心の豊かさを求めるという風潮が、先ほど来申しております専門家から素人へ、プロから大衆へという動きとマッチしまして、表現活動の担い手が次第に広範な大衆に移ろうとしていると私は判断いたします。  そして文化庁の仕事というのは、その意味で、かつてはプロとか少数の専門家を把握しておれば仕事の何割かが済んだものを、これからは大衆の動きをとらえてその要求にこたえることが文化庁の仕事の大きなものになるかと思います。文化財の展示にいたしましても、あるいはさまざまな表現活動に対する奨励にいたしましても、プロから大衆へという動きを持たなければならないと思います。  このようなことが、つまり大衆に奉仕するということが文化庁の基本的な仕事であると私が判断しますことから当然出てくることが、文化庁は何をしてはならないかということであります。つまり奉仕をするという姿勢が大切なのでありまして、指導するとか、あるいはあるものを統制するとか、そのようなことをすることだけは文化庁は絶対にしてはいけない。文化というのは人間の心、人間の自由なる心が生み出すものでありまして、その自由なる心によって育てられ、はぐくまれ、守られて、そしてこの日本そのものをつくってきたわけでございます。これをやはり外側から手を加えて抑えつけようとしたり、あるいはどのような方針であろうとも特定の方向に持っていこうとするとき、これはやはり日本人の心を、一人一人の心を傷つけ、むしばみ、そして損なうものだと思います。したがって私は文化庁の仕事というのは、してはならないことというのは、上から抑えつけるということだけは絶対にしてはいけない。人々が願っていることを、例えて言いますと、人々が歩いている道を舗装し、照明をよくし、太陽が暑ければ並木をつくり、寒ければ休む場所をつくる、そのような奉仕に徹するのが文化庁の仕事であろうと考えております。  以上でございます。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 お話はよくわかりました。文化といい文化財といい、長い歴央を経たものが醸し出したものでありますので、お話しの点の中から大変敬意を払うものもございます。文化財、文化というものは私は過去のドラマの中から形成をせられてきたものが大変多いと思います。例外もございますけれども多いと思いますので、これから大切にしていかなければならないと思うのです。  ただ時と所を選ばないと、文化財というもの、文化というものも余り役に立たないと思うのです。あなたの「一生懸命の哲学」という本のどこかで読ましていただいたものの中にこういう一くだりがあったと思うんです。熱帯の国へ行っている日本の大使館の奥さんやお嬢さんが野外で野点をしてその国周辺の高官を呼んだら、日本は家の中でやれぬので外でやらなきゃいかぬようだ、あのお茶というのは大変暑苦しいものだな、こう言ったと。日本の文化のエッセンスみたいなものであるお茶がそういうときに使われますとそんなことを言われるということを、あなたは御記憶があるかどうかわかりませんが、三浦朱門さんの本の中で読んだ記憶があるわけなんです。それは心しておかなければならないことだと私たちも思っておるわけであります。  そこで、今後の問題をこの際にお願いをいたしておいて、一言だけで結構ですがお返事をいただいて終わりたいと思いますが、文化財に愛情というものが、これはドラマの中から生まれてきたものですからそういうものが自然と起こるわけなんですが、愛情というものを皆さん持っておられますので、それを現在の少年非行等含めての教育の問題に最大限活用さしていただきたい、こういうことであります。私は中国人はえらいと思うのは、あの故宮を見まして、これだけのものを、長い長い何千年の戦乱の中で、北京で現在まであのままに保存をしてきたというあの中には、私はそういう文化財に対する愛情があったと思うのです。それは私は教育だと思うんですよ。教育の中にあるものだと思うんです。今後ひとつ御検討を願いたいと思います。私のあなたに対する、長官に対する質問はこれで終わりますが、一言何かございましたらお答えを願って、お引き取りいただいて結構であります。

三浦朱門文化庁長官

○説明員(三浦朱門君) 私が確かに「一生懸命の哲学」の中で、そういう意味のことを書きました。それは一言申し上げますと、文化交流ということなんですが、私たちは自分たちの文化というものをわかっているつもりでございます。そのために、自分たちがよいと思うものは、きっと他人もいいと思っているに違いない。それがしばしば間違いでございまして、私たちのいいものはよその人は余りよくないかもしれない。よその国がいいと思っている習慣、あるいはものが、我々にとっては余りよくないかもしれない。したがって、文化交流というものは、これがいいと思うものをよその国に押しつけますとよさがわかってもらえない。むしろ、向こうの人が望むものを出していく。そして、向こうの人は、変なものを望んでいるとしたら、これをもちろん評価してくれるのはありがたいんだけれども、これはこうなのだがと説明しながら、向こうが望むものを、望んで求めるものを中心にこちらの本当の姿を少しでも理解してもらうようにするということ。文化交流というのは押しつけることではなくて、本質的に輸入が中心になるべきだろうと思います。  例えば、私どもがある国に対して非常に大きな深い興味を持つ。そして、その国の衣食住のすべてを一生懸命知ろうとする。恐らくその国は、日本人一億二千万が自分たちにそのような関心を持つことについて警戒したり不愉快に思う人もいるでしょうけれども、おおむねこんなにも自分たちを知ろうとする日本人というのはどういう人間だろうか、日本人を知ろうではないかという気持ちが起きるに違いない。  例えば、文化交流というのは、そのような輸出にこう励むものではなくて、これは輸入を中心とすべきものでありまして、その限りではお互いに輸入し合う努力がある限り、相手を拒否しない限り、国と国との関係はともかくも国民と国民との間の友愛感というものは決して消えることはないと思います。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 それではどうぞ。  大臣お尋ねをいたします。臨教審と文部省、そして国会、なかんずく国会の文教委員会、そして各党での文教政策を担当しております、私も与党自民党の文教族と言われる一人かもしれぬのですが、皆さん大変臨教審の問題で心配をいたしておりますが、ただ二十四日に中間報告が出て、二十五日にこの委員会に責任者が来てお話しをいただくわけでございますし、質問をするわけでございますので、その問題については少々外しておかなければならないと思うものですが、大変、我が党のことになりますけれども、いささか問題を醸し出しておるというよりも、本当に文教に精魂を打ち込んでおる連中が心配をいたしておる、こういうことでございます。私も与党の自由民主党の文教関係者の一人で、この場必ずしも適当かどうかということについても実は考えておったのですけれども、やはり公の場で記録に残るところで申し上げておかなければ、政治というのは後になって物を申しても仕方がないと思って、あえてきょうこういう形で大臣にお尋ねをするわけでありますが、大臣もなかなかお答えにくいところもたくさんあろうと思います。けれども、大臣、臨教審がいかなことを言おうとも、この間そのあたりからもるる御質問もあったけれども、いかな結論が出ようとも、それはあなたの大臣のとき、次の大臣のとき、きょうはあえて官房長も横におってくださいよという注文まで私は出したことは、今後そのことについて責任を持っていかなければならないというのは、小さく言えば文部省でありますし、大きく言えば国の全体の文教政策をやっておる関係者であるということももう事実でございますので、そのあたりで大変心配をいたしておるということを言うわけであります。  そこで、こういうことになると思うのですけれども、臨教審の、この間質問の中にもあったと思うのですけれども、臨教審の答申をなるべく最大限に、もうちょっと強い言葉のようですけれども、ひとつお受けをいたしましょうというものの考え方の中から私が今から申し上げることが起こるわけでございますので、どうぞひとつ御意見を出してください、その中からいいことをひとつ文部省が政策の中へ織り込みましょうと、こういうのでございましたら、今私たちはそれほど心配をいたしておらぬわけであります。  自由化の問題が個性主義、我々まだ自由化と、こう言っておるんですよ。その方が一番わかりよいから言っておるんですが、九月大学入試の問題につきましても、共通一次についても、それから中高一貫の六年制の問題についても、どうですか、学歴社会問題等々ございますが、これら個々の問題について、臨教審の参考人から来ていただくので、そのことについてはきょうは今申し上げたように申し上げないつもりでありますが、この話一番よくわかると思うのでお聞きを願いたいと思うわけです。  この間、田舎の文教族の女の方々のお集まりがございまして、いささか話をしなきゃならぬので話をいたしました。そしたら、あれ先生、大学あれ来年ですか、九月、再来年ですかと、こういうお尋ねがございました。まことにお答えするのにも大変、それぐらい、マスコミの報道をかみこなしてないといえばそれまでですけれども、私はやはりそれが文教族でないところならいざ知らず、文教関係のPTAのお母さん方の集まりの中からそういうものがありました。どうでしょうか、ひとつこのあたりで一度大臣のお話を聞いて、後お尋ねをいたしたいと、こう思います。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 仲川先生よく御承知のとおり、臨教審では四つの部会に分かれてそれぞれ検討課題を決めて、そして審議をしていただいておるわけでありますが、その審議をなさっておる過程におきまして、どういう事柄についてどういう議論がなされたかといったような事柄を国民の前に明らかにすることが適当であろうということで、部会の論議がなされたたびごとに部会長さんまたはそれにかわる人が記者会見をなさって、部会の論議の概要を報告していらっしゃるわけであります。部会というところは物事を決めるところじゃないわけでありまして、先生もよく御承知のとおり、論議をして、そして決定というのは総会においてさらに論議を深めた上で意見をまとまったものが臨教審の合意事項と、こういうふうなシステムになっておるわけであります。  ところで、部会で論議がなされた場合にこういうことが論議の対象になったと、こういった記者会見をなさる。そうすると、それに基づいて新聞あるいはテレビに報道がなされますというと、そのことが既に決まったかのごとく受け取って、その結果、先生が今御指摘のようなことが起こっておるというふうな面があるようでございます。したがいまして、部会の論議の内容を部会長さんその他責任者がマスコミ関係者に記者会見なさる場合にもできるだけ、どういう記事になるか予測はできぬわけでありますけれども、一般国民に誤解を与えたり、要らぬ心配をさせたりするようなことがないような形でなされれば結構なことだと思うのでありますが、これはこれからもそういう誤解が起こらぬように心していかなければならぬ問題ではなかろうかと、こういうふうに思っております。ただ、そのことを余り厳しく言いますというと、今度は部会の審議がなされたたびごとの記者会見等の内容が極めてそっけないものになってしまうというと、これまた世間から閉ざされた形の審議にもなりかねませんので、そこらは緩急よろしさを得なきゃならぬのじゃなかろうかと、こういうふうに私は思っておる次第でございます。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 我が党ばかりでございませんので、各党にそれぞれですが、我が党のことでお話を申し上げますと、もう大臣十分私が申し上げるまでもなく御承知のとおりに、大臣、政務次官、その職になくても文部行政を、文部の政治を、文教政治を長い間十年、二十年、三十年とやってきて、それもその一面の物の見方でなしに、各地に問題があれば各地に行き、問題をかなり真剣に討議をし、それが他の政治関係等、政策関係等に及ぼす影響も考え、日本の経済状態の中からもどう割り出すべきかということも考えながら、それぞれの党は懸命の努力をして毎日毎日現在もしておるわけであります。国会の中も文教委員会が開かれるたびに問題は新しく提供せられ、また古い問題を掘り起こしながらやってきておるわけであります。今何か世間の人が見ておりますのは、臨教審だけが文教政策の方向を考えておるという感なきにしもあらず、私はそのことで我々がそこに位置するが故に残念だと思うのではありません。それはそれでわかるときがくればわかりますと申し上げて一番いいと思うのですが、そうであろうと思うのですが、私は文部省はその周辺をよく見ながら、この三年間の臨教審がいろいろ討議せられる間、よく重心を下げてひとつ連絡をいただかないと、行革のときにはそういう形でなかったと思うのですよ。今大臣が言われることもよくわかりましたし、文部省もそこのそれぞれの補佐的な役目をする方たちを出しておるんですから、またそれは文部省へ帰ってくるし、ある意味では今二足のわらじをはいてやっておるので大変御苦労があると思うのです。きょうは次長も来ておられるようですが、そのあたりを私もこれ以上むき出しにしたお話をいたしませんが、このことは自民党の議員からもあったということについては、ひとつ文教委員会の中の一つの大きな意見として、大きなというのは大変失礼をいたしましたが、意見として十分文部省が考えていただいておかなければ、青写真ができまして、どうしても合わさないでも、こっちを見ても、こちらを見ながらやっていくんならいいんですが、これをスライドさすということにしなければならないのなら、私は大変なことだと思うのです。ひとつ重ねてお答えをいただきたいわけでありますが、もうそのことをおわかりをいただいておいたらよろしいと思いますので、ただいまから申し上げますのは臨教審で比較的やってない問題を五点ほどお尋ねをいたしておきたいと思います。  教育の中に、私たちは谷間という言葉をときどき使って失礼だと思うんですが、大変弱い部分がたくさんあります。それは一つは障害児、特に一番後から発車しました精薄、養護学校、養護学級関係ですが、これらの問題、もう一つは学校事務職員の問題、もう一つは、これは谷間という問題とは違うのですけれども、スポーツ、これは今私が五点質問をいたしておりますのは、比較的臨教審の中で問題が大きく浮かび上がっておらない問題ということで申し上げておりますので、お答えは次長からどうだという、それはそうでないんならない、いや案外そのことには触れておらないんだという臨教審からお答えをまずいただいて、そして初中局長にお尋ねをすると、こういう順序になると思うのですが、道徳の問題、体育、スポーツの問題、学校の教職員組合との問題、もう一回言いますと、障害児の問題、学校事務職員の問題、スポーツの問題、道徳の問題、教職員の問題、この問題が臨教審で取り上げて今まで御論議がなされておるのでしょうか。

齋藤諦淳総理府臨時教育審議会事務局次長

○政府委員(齋藤諦淳君) 御案内のように、臨時教育審議会においては四つの部会を設けて絶えず総会で調整しながらそれぞれ審議が進められておるわけでありますけれども、今先生御指摘の点につきましては、特殊教育といいますか、障害児の教育につきましては、第三部会でせんだって関係者のヒアリングを行い、なお今後第三部会に心身障害児教育についてのプロジェクトチーム、これを設けることになりましたが、そこで今後審議されていこうと、まだ今突っ込んだ審議はなされておりませんが、そういう構えになっているわけでございます。  それからスポーツによる学校の問題でありますけれども、これは学校教育だけでなしに、スポーツは社会教育にも関連するわけでありますけれども、学校教育につきましては、やはり第三部会で健康教育についてのプロジェクトチーム、これが設けられておりまして、これも今までのところまだ議論はなされておりませんが、これから審議に入るという状況でございます。  なお、学校の事務職員の位置づけにつきましては、学校運営の活性化ということで重要な課題と考えられましょうが、現在までのところ審議はなされていない、こういう状況でございます。  道徳教育につきましては、従来からも、いろんな道徳教育のあり方、文部省なりそのほかの関係の省庁等からいろいろ状況等を聞いたりはいたしておりますけれども、今後、道徳教育のチームをつくって、これもこのチームを中心に検討していきたい、こういうことでございます。  なお、組合関係の問題でありますけれども、教育行政の問題は実はいろんな部会に関係するわけでありますけれども、主に教育行政のあり方の問題につきましては第一部会で検討課題のテーマに挙がっておるわけでございますが、現在までのところまだ突っ込んだ議論はなされていない、こういう状況でございます。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 もう、ここにいる各委員の方が十分御承知だからあえて多くを言いません。学校教育の中でこれがいかに大切であるかということは、もう十分であります。この中には臨教審で当然深く掘り下げていただかなければならない問題があると思うのですよ。いろいろ大きなテーマも結構でありますが、そういうふうに少々文部省が臨教審を指導するぐらいなことは私はあっていいと思うんです。大変言い方があらかましくなりましたけれども、少々そういう、私はテーマを指導せいとかいうことじゃないですよ、ないですが、いろいろな学校問題の中で、向こうよりはあなた方の方がよく知っておるんですから、そのことはちゃんと言ってやらないと、間違いが起こったら私は一番最後には臨教審が担ぐんでないので、文部省に最終的には戻ってくるような気がしますので、お願いをいたしておきたいと思います。  それで、もうその一つ一つについてはそれほど、ここでみんなが知っておる問題を申し上げる必要もなかろうと思うのですが、スポーツの問題は、これは今青少年の善導に対する私は特効薬じゃというふうに考えておりますので、文部省もひとつ十分——バットかついで裏の運動場から、ひもじい、お母さん飯だと言って帰ってくるようなのに余り不良や問題児はおらないわけですから、私はスポーツという、体育という、そういうものが特効薬であるということを身をもって感じておりますので、ひとつそのお答えを願いたい。  精薄の問題については、今の不良化の問題、問題児の問題も愛情という問題がなければなかなか直らない。基本的にはあの子供たちに愛情を持たすということであります。自分たちより弱い者はいじめないという、そのことが障害児教育に取り組む教育委員会、文部省の姿勢、ひいては先生の姿勢に影響があります。でき得れば、日本じゅうの先生を一度は、一年は障害児教育に携わらしたらいいなとさえ思っております。ひとつそのあたりをごく簡単なお答えで、後で大臣に一言お願いを申し上げておきたいこともありますので、スポーツ、障害児——もう一つ落としましたが、学校事務の問題は、学校の中で一番仕事をたくさん持っておるのが学校事務、あるときには校長の秘書的役割もし、あるときには学校のもろもろの対外的な交渉もしておるわけですから、このあたりのところも十分これからの政策の中にお考えをいただきたい。特に学校事務というのは、一度入りましたら、後で交流をさせないと、長い間あの中におらなければならない。接する面が非常に狭いものですから、何とかひとつ希望の持てることにしてやりたい。私の県のことを申し上げて大変失礼なんですけれども、これに事務長制度という管理職手当を一〇%出すものをつくってやりました。五十七年であったと思うのですが、つくったら、それから非常に変わった空気が事務職員の中に、我々も一生懸命努力をしたらそういうことになりますという登竜門的なものもつくって現場をしのいでおるわけでありますから、文部省自体もひとつお考えおきをいただきたい、こういうことを申し上げておきます。  ごく簡単なお答えを一言ずついただきます。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) まず、スポーツを通じての人間づくりといいますか、そういう面でございますが、先生の御意見に私も全く同感でございます。青少年の体を丈夫にするということだけではなくして、それに加えて、スポーツを通じて心の教育をしていく。貧しいときには、ある意味では貧しさを克服するためにおれは頑張るんだというふうな気持ちもおのずからわいてくるわけでありますが、豊かになってきますというと、おれはもうこれはいいわというわけで、向上心がややともすれば実は出てこなくなる傾向もありますし、また、豊かになりましたから、大変栄養のあるものを食べてエネルギーが充満しておる、そのエネルギーを発散させぬことには青少年の健全育成ができないという問題も実はあるわけでありまして、スポーツを通じて体を鍛えると同時に、健全な心を養っていくということは極めて大事なことであると思います。これは先生と全く私同意見でございます。  次、障害児教育の重要性、これも私先生と同意見でございます。そして、この障害児の教育というものをすべての先生が一遍は経験するなどということも、可能であるならば、私はすばらしいことであると思います。障害児の教育をすることが、障害児でない人の教育をする上でも、その経験というものは大変大きな効果があるんじゃなかろうかと、こういうふうに思われる点もありますので、これも先生の御意見、まことに貴重な御意見だというふうに思います。  最後の学校事務職員の問題でございますが、私どもも、学校の事務職員は学校を立派に運営していくための極めて大事な基幹的な職員であるというふうに思っておるわけでありまして、この人たちが意欲を持って学校事務に従事していただけるような環境づくりというものは常に心がけていかなきゃならぬ課題であるというふうに考えておる次第でございます。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 よくわかりまして、そう努力をしていただきたいと思います。  大変くどいようですが、ちょっと最後に、臨教審が六月ですか、再答申を出すのでしょうか、この二十四日のはもう原案が出ておるのでしょうけれども、私はあの中を見ますと、たくさんな御意見がございますので、これは理論と別に、これからのその収集の作業の中に、この方がいいと思うのはたくさん併記をしてもらって出してもらう、もう絞ってもらわぬでもいいと思うのです。併記では困るというようなことのないようなムードをつくりたいと私たちも努力をいたしますが、お答えは要りません、お考えおきをいただきたいと思います。  もう一つは、これは今の問題がいろいろございます。これから大臣のところへ、大臣あの会にも出てくれませんか、この会にも出てくれませんかというのがたくさん来ます。それはあるときには課長のところで、局長のところで握りつぶして、これは大臣が行かぬでいい、今までの慣例がないと——官房長も笑っておいでになりますが、そういうことがあるんではなかろうかと、これは、あに文部省のみならんやでありますが。私は、今箇条書きをした五つの問題が、大臣が出てくれました、局長が出てくれました、今までは課長でした、こういうところに一つの大変大きな力がある。運営をやって現場におりますと、それがひしひしと、だれが来てくれるのだろうかということであります。福井で事務職員の、これは事務研修会でありますが、あります。次々と年じゅうそれぞれが、会をやる者にとっては一年じゅう、二年も三年もかかってそれを仕上げておる会に、ひとつできるだけ大臣が、お忙しい体でございましょうけれども、以下また、それぞれの会に局長なり審議官なり出ていただくことをお願いをいたしまして、私の質問を終わります。  お答えがございましたら伺います。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 私は、教育関係者のお集まりの大会には、お呼ばれをいただければ、時間が許すならば出席したいと、こう考えておりますが、何せ体は一つでございますので、場合によっては政務次官にかわっていただく、あるいは局長さんにかわっていただくということもあろうかと思いますけれども、日程の都合がつく限り、先生のおっしゃったような大事な大会にはできるだけ出席するということで今後とも対処していきたいと、こう考えておるわけでございます。

仲川幸男自由民主党・自由国民会議

○仲川幸男君 終わります。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 きょう最初にお尋ねいたしますのは、医師及び歯科医師の入学定員の問題でございます。最近、医師及び歯科医師の過剰という問題が取り上げられるようになりまして、その入学定員を削減してはどうだという論議が政府部内及び医師会あるいはまた歯科医師会、大学等において、いわゆる関係のところで論議されております。と同時に、その関係の子弟を持つ人たちが、いつそういう削減が行われるのであろうかということで何らかの不安を持っているという状況でございますので、この点に関しましてお尋ねをしたいと思うわけです。  このことは何も歯科医師数に限らず、高等学校なりその他の専門学校なり学校を国あるいは自治体が、あるいは私立で建てますときに、それが果たして国民の需要に合うか合わないかということで、歯科医科大学以外でも大変考えておかなければならぬ問題だと思うわけです。高等学校の定員につきましても、人口の増減によりまして、あるときには余ってくる、あるときには足りないという問題でありまして、単に人口の方面からだけ考えられておりますけれども、実はそれ以外に、今後日本が経済的あるいはその他の理由によりましてより多くの高校生を要求するときもありましょうし、あるいは高校入学の志願者が減るという事態も起こると思います。そういう意味で、学校の設置数、それに要する教職員、あるいは設備に要する国の財政支出というような問題にかかっておりますので、ここにお聞きしますのは、何も医科歯科の定員数に限らず、学校設立というものについて文部省においてはぜひお考えいただきたいということでお尋ねしますので、よろしくお願いいたします。なお、今まで、いつも私の質問がしり切れトンボになりまして、せっかく厚生省の方がお見えになっておるのに十分お尋ねもしませんので、きょうは初めにお聞きいたしますので、十分ひとつやっていただきたいと、こう思います。  医師数につきましては、戦時中に医専が乱造されました。これは国のいわゆる戦争という特殊の状況のもとにおきまして軍医の養成ということで、それまでの四年制というものを打ち破って中学から直接医専に入ると。非常ないわゆる医師乱造、あるいは医専乱造時代と言ってもよいと思いますが、そのために、それまで平均二千人ぐらいの定員であったところが、一万人ぐらいずつがあの四、五年でできたわけでございまして、医師が非常にふえたという時期でございます。  第二番目は、戦後医専が廃止されまして、そして定員が三千人ぐらいになりました。しかも、それが約十年ぐらい続いたわけでございまして、医専廃止に伴ってそのような状態が起こりましたので、いわば現状維持時代といってもよいかと思います。  ところが、昭和三十六年に国民皆保険という制度ができました。それ以外の要素としましてはいろいろ挙げられましょうが、ちょうど医専乱造時代にできました医師が幸いにして戦争で亡くならないで戻ってこられた。その人たちの後継者を欲しいというお気持ちもあったかと思いますけれども、医科大学をたくさんつくれという要求が始まったと思います。と同時に、国民健康保険によりまして患者が激増をいたしてまいりました。そのために医師が不足したということでございます。この詳しい数字は時間の関係上申し上げませんが、大まかにはそうだと思うわけです。これが結局四十年代の、御存じのように一県一医大という運動にまで上昇しまして、医師乱造時代ということになりました。そしてそれまで、その四十年代前は学校は全然ふえませんで、定員を増しまして千人ぐらいの医者がふえたわけですが、四十年代に入りまして学校がそれまで四十五年には五十校であったものが八十校になりました。そうして医者の数はそれまでよりも四千人ぐらいふえたということになります。学校でいいますと四〇%が増し、また定員数でいいますと約一〇〇%増してしまったと、こういう状態になりました。そして今ことに来まして、まあこれを第四期と私呼んでもよいと思いますが、昭和五十五年過ぎましてからこれはふえ過ぎではないかということで削減の計画が練られ始めたと思います。既に医師会は昭和四十六年に医師がふえ過ぎたのではないかということを警告をしておりまして、だが結局はごく四、五年前になりましてから医師削減問題ということが起こってきたと思います。  そこで、まず最初に厚生省にお尋ねいたしたいと存じますが、一県一医大の構想が発表されまして、そして十年を経ないで一転して医師数の抑制策を講じられたということなんです。定員削減策に移行していこうとしておられるようでございますが、その根拠はどういうふうであろうかということでございます。  もう一つは、もう数年前からお考えになっておるようでございますが、昨年の五月に厚生省に将来の医師数需要に関する検討会というのを設立されまして、この間それの中間報告が、昨年の暮れでございましたか、中間報告が出たということを承っておりますが、その件に関しましてこれまで検討されましたことを御報告をお願いいたしたいと思います。できるだけ要点をひとつお聞かせいただきたいというふうに思います。

横尾和子厚生省健康政策局医事課長

○説明員(横尾和子君) 最初に、御質問の第一点であります私どもが将来の医師需給につきまして検討を開始いたしますまでの経緯を申し上げます。  厚生省は昭和四十五年に、将来の医師数として昭和六十年までに最小限人口十万当たり百五十人の医師が必要だということを公表してまいりましたけれども、この百五十人という水準が五十八年に達成したということをもちまして改めて将来の必要医師数がどのくらいであるかという検討をする必要が出てきたということが第一点でございます。    〔委員長退席、理事杉山令肇君着席〕  また、各地におきまして医師がふえてくるに伴いまして各方面からも医師数について見直しをすべきではないかという御意見が出てまいりましたが、このことは具体的には五十七年七月の臨時行政調査会の第三次答申の中に、医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立すべきであるという御提言となってあらわれたわけでございまして、これに対しましても引き続く五十七年九月閣議決定の今後における行政改革の具体的方策について見直しを行うということを取り決めたという経緯がございます。  また、具体的に昭和五十九年には国家試験の合格者が年間を通じまして八千人を大幅に超えるであろうということの予想が確実になってまいりました。  以上のようなことを背景といたしまして、また特に国会からは、さきの健保法の改正に際しまして、医師数の見直しをすべきという附帯決議もいただいたということを踏まえまして検討に着手をした次第でございます。  御質疑の第二の点で中間意見の内容をということでございます。  結論から申し上げますと、現在の医師の養成力は毎年約八千四百名余りの医師が免許を取るという形になっております。大体今の死亡数が二千ぐらいでございますから、正味で考えまして毎年六千人ぐらいずつ医師がふえるわけでございまして、現在までの医師総数が十九万人ということを考えますと、この六千人純増するということはかなり大きいものでございます。これは勢いで行って果たして将来の医師需給はどうなるであろうかということを検討いたしまして、結論は、この毎年ネットで六千人ふえるという勢いを若干下げまして、ネットで五千人プラスアルファぐらいの純増で当面考えてはどうだろうかというのが入学定員に置きかえますと一〇%の削減になるという内容でございます。  この内容を、この結論を出します前提でございますけれども、私どもは一つの方針を打ち出しまして、間違っても医師不足が起こるような状況が生じてはならない、その意味で医師に対する需要については非常に大き目に考えようということは、患者さんのふえ方であるとか受療率であるとかについてはかなりゆとりを持って推計をする、また医師の供給についてはきつ目に推計する、例えば高齢の医師が引退をされるということ、あるいは女性の医師の生産性については若干男性の医師よりは少なくなるというような供給側については厳しい推計をいたしました結果、それでもなおかつ需給のギャップは一〇%ぐらいあるであろうという形で推計をしたものでございます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 ありがとうございました。  それでは私は、ゆとりを持たせるとかいろいろございますけれども、こういう医師を育てるといたしまして文部省側としては、医大を一つつくるというと大体三百億ぐらいかかるんですね。学生一人一年間に六百二、三十万かかる。そして病院で一人の医者が働くとしますと約八千万の経費がかかるんですね。また診療所で働きましても医師一人に六千万がかかる、これはよく言われていることでございまして、その一人ふやす、減らすということは国家経済の上に非常に大きな影響を与えるということでございます。そういう意味ではどういうようにこれを考えておくかということは極めて重要なことでございまして、これは何も医師あるいは歯科医師に限ったことではございませんけれども、学校設立というものについてはこれだけの大きな費用がかかるんだということをひとつ考えていただきたい。  一方、ゆとりを持たせるということは、今度は過剰になり過ぎますと、恐らく患者側から言いますというと、医師を選択する余裕が出てくる、いい医師が生き残るということもございますし、まあ過疎地に行くとかあるいは現在船医が少ない、ほとんどないじゃないかと思うんですが、そういう船医がないとか、そういう足りないところに行けるということがございますし、あるいはまた医師がいろいろの仕事をこのごろするようになって幅が広がりましたので、多様化という面もある。また、自由化競争によりまして医師の素質もよくなるのではないかということも考えられるわけでございますが、一方におきましてはさっき言いましたように国民の医療負担がふえる、あるいは国の財政に対する負担が大きくなる。また、大きくなれば大きくなるほど乱診乱療ということもございますし、医師のモラルの低下ということも一方で考えなきゃならぬ。こんなものだけじゃなくて、極めて複雑な世の中の社会の変化を鋭敏に受けとっていくものでございますから、ただ数だけではなかなか決まらない問題だと思うだけに、十分なこれは検討を加えておく必要があろうかと私は考えているわけです。  そこで、結局適正数ということをよく言われておりますが、この適正数の算出方法につきましては今課長からお話しになったようでございますが、文部省としてはそれを引き受けなきゃならぬ立場にありますが、文部省としても何かこの適正数についてお考えでございましょうか。また、厚生省としては適正数は今もなお十万に百五十であるというふうにお考えでございましょうか。その適正数について、まず厚生省の方からのお考えをお伺いをしたいと思います。

横尾和子厚生省健康政策局医事課長

○説明員(横尾和子君) 人口十万対百五十人というレベルでございますが、これは昭和六十年における最小限の必要医師数という表現で述べておりまして、また現実に百五十人を超えた現在においてなお不足を訴える領域というのはたくさんあるという現状もございますので、私どもは百五十人が適正数というふうには考えてはおりません。また、将来の適正数がどういうものかについてのはっきりした推計をまだしておらないわけでございますが、中間意見の報告の内容は、仮に適正数というものが推計できたとしても、それは結果として申し上げました一〇%削減よりも低い水準のところに落ちつくのではないかというような形の性質のものが先ほど来御説明申し上げている一〇%の意味でございます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 文部省側はどのように適正数を踏んでおられるでしょうか。将来一%ないぐらい、一%ぐらい以下の削減は、あるいは削減をしなければならないというふうに、あるいはまたそういうことに対して何か検討をされているわけでしょうか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 医師が不足だという前提のもとに、先生が先ほどおっしゃっておりましたようなこの医科大学ないし医学部の新設あるいは定員増を行ってきたわけでありますが、既に医師の養成の拡充ということはその目的を達したというふうに文部省としては見ております。簡単に言えば、地域によっては過剰状態が起こっているということもあろうかと思いますが、しかし地域によっては不足のところもまだあるようにも思われますし、先生御指摘のような分野によってはこれまた医師が不足している分野もあるという状況ではなかろうかと、こう思います。  いずれにせよ、医師の適正数、地域的な問題、あるいは分野的な問題も含めて適正規模というものは第一義的にはやはり厚生省の方で判定をしていただく問題ではなかろうかと、こう思うわけでありまして、こちらの方は、私どもの方は養成の方を担当する分野でございますが、したがって養成を担当するにいたしましても、やはり適正数ということは常に念頭に置いておかなければならぬ課題でありますので、厚生省とも綿密な連絡をとりながら、同時にまた関係大学の意見も徴しながら適切に対処していかなければならぬ課題であるというふうに考えておるわけでございます。そういう前提のもとに文部省の中に専門家による調査研究協力者会議というのを設けまして、その協力者会議で医学教育の質的な改善、それから医師養成のあり方、その中でも当然のことながら医師としての倫理観の育成あるいは医療技術の高度化に対応する医師を養成するといったような問題も含めて、専門家による検討をお願いすることにしておるわけでありますが、その中でやはり医学教育のあり方ということとの関連で適正な学生数はどの数であろうかということも含めて調査研究協力者会議で真剣に検討していただくと、こういうふうな体制をつくったところでございます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 医師の適正数が大体現在目的を達成されたと。大体百五十になったと。それはもう昨年百五十に達したということだと思いますが、これは平均してですから、地域によっては少ないところもあるということです。仰せのとおりだと思います。大体昭和七十五年ぐらいには二百人ぐらいになるんじゃないか、十万で。これは大体一致した意見のように思います。また、厚生省の計算では昭和百年には三百人ぐらいになるんですか、そのようなことでも、やはり医師過剰ではないというふうにお考えなんでしょうか、大体一割ぐらいになるんじゃないかと、年寄りだとかいろいろのことを考えるとですね、そういうふうにお考えですか、三百人ぐらいでもいいんだというふうにお考えですか。

横尾和子厚生省健康政策局医事課長

○説明員(横尾和子君) 私どもの委員会の推計でございますと、昭和七十五年で二百二十人に大体なると思います。ただ、そのときに非常に多目に医師需要を見積もりましても二百人を切りますので、実際問題としては二十程度もうそこでギャップができるわけでございますが、恐らく昭和七十五年ぐらいになりますと高齢の医師の方は今よりは若干リタイアをされる方がふえるのではないかということ、あるいは今現在ですと、診療所の医師一人当たりの外来取り扱い患者数というのはかなり高い人数が多うございますので、それをもうちょっとゆっくり診療するというようなこともあり得るのではないかということで、この二百二十というのは医師の人数そのものでございますが、実際診療に従事する方々としてはやはり二百近いところまで落ちるのではないか、そういう形で昭和七十五年では需給がほぼとんとんのところになる。しかしながら、百年でまいりますと、同じような形で推計をいたしましても、供給側は三百でございますが、それの実際の診療に従事するような方々が二百六十ぐらいまで仮に落としましても医師に対する需要は二百三十五でございまして、そこに一〇%プラスアルファの乖離があって、その部分は何らかの形で医師の失業というような姿になるんではないかというふうに思っております。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 まあ、どちらにしろ、少しは減らさなければならぬということが起こってくると。それが例えば今からやったとしましてもその効果があらわれるのが十年とか十五年先になるわけですから、文部省としても私考えておく必要があるんだと思います。ちょっと今文部大臣がお話しになりましたように、こちらは養成する側だからというお話がございました。もちろん養成のために医科大学ができたのかもしれません。私は、どうも厚生省の方から何か言ってくるからこちらが引き受ける、何か下請みたいな気が、そういうお言葉のあれをとって悪いんですけれども、もう少し私は、厚生省としては大体医療はこういうふうだからこうだとおっしゃってもいいんですが、文部省はこれは教育機関でありますし、また研究機関でもあると思うんですね。これが基本にないと、厚生省の言いなりといえばおかしいですけれども、厚生省に従属するような考え方になりはしないかと。今お聞きしますと、何か協議会というようなものをおつくりになったと。まだその報告を私は聞いてはおりませんけれども、またいつおつくりになったか、この前もちょっとそういうお話もございましたが、できるだけ何回か分けてでも報告を出していただいて、そして養成機関、大学等にそういうことを検討しているが大学の方の意見としてはどうだということもお聞き取り願うと私は非常に適正な数が決まる、その上でまた厚生省とも話し合っていただく、かなり簡単なサイクルでサークルが組めますので、過不足のない、あるいは不満のない、後で後悔のない、そういう数を決めることができるのじゃないかと。だから、文部省としては私、より積極的にこの協議会の進行をやっていただきたい、これをひとつ切にお願いするわけでございます。多分大学の設置法に医学部の設置の目的は書いてあると思うんですが、そういうことをしっかりとらまえてよく御相談をしていただく必要があるのではないか。と申しますのは、つくるとかやめるとかということをこの四十年の間に繰り返しているわけなんですね。そうすると、我々から見ますと非常に無定見じゃないか、大体政治は何をしているんだ、この間はふやせと言ったじゃないか、また今度は減らせと言う、何をしておるんだという不満もあるんじゃないか。それに、やはり学ぶ人、家庭、そういうのに非常に不安を与えるということがございますので、できるだけ今度は一度お決めになったら少なくとも昭和百年まではとにかくきちっといくというふうにしていただいたらどうであろうか、こういう点はいわゆる初等教育の方では割と人口だけに左右されますからして、かなり決めやすいところがあるかもしれませんが、それでも私は日本の経済の状況が悪くなれば中学、義務教育だけでやめていく人も恐らく出てくるのではないか、こういうふうに考えますので、教育の施設あるいは設備というものにつきましてはかなり先の長い計画でもって決めていただかなければならない、そういう場合には関係各庁と十分なお話し合いを必要とすると思いますので、その点文部大臣のひとつ御決意のほどをまず聞いておきたいと思います。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 先生の御指摘まことにごもっともでございまして、私が先ほど申し上げましたのは、適正人数といいますか、医師数、これの認定そのものはやはり厚生省の方がまず第一義的には検討して、そして出していただく、それを前提にして厚生省と連絡をとりながら、かつこちらの方は医師の養成と、それから医学に関する研究機関を持っておるわけでありますので、各大学の関係者の意見を聴取しながらこの適正規模の問題については対処していく、こういうふうに申し上げたわけでございます。    〔理事杉山令肇君退席、委員長着席〕  なお、医師の養成の関係でございますが、数の問題と質の問題とあるわけでございまして、質の中には技術的な意味の質と、もう一つは倫理の問題も含めた心の問題があろうかと思うのでありまして、そういう質の充実した教育をしていく場合には、やはり大学における定員はどの程度が望ましいのかという数字もあろうかと思います。そういったことも含めて専門家による調査研究協力者会議、お願いをしておる先生方は主として大学の医学教育を担当していらっしゃる先生が大部分なのでありますけれども、そういう専門家の方々に数の問題も含めて内容の充実、その内容の充実の中には先ほど言ったような学問的な学術の面での充実と倫理の面での充実をも考えた上での検討をしていただく、そしてその中に定員の問題も当然入っている、こういうことでございますので、精力的に検討していただいて、そしてある程度の方向づけ等がまとまりましたならば先生方にも御報告する、こういうことで進めてまいりたい、こう考えているわけであります。  なお、高等学校の問題についても先生から御発言がございましたが、御指摘のとおりでございまして、現在九四%が高等学校に進学しております。希望者の九九%が進学しているという状態でございまして、現在と同じ進学率あるいは合格率とすれば、人口急増地帯を除けばもう設備等の面での量的な不足はない状況であります。ただ、人口の伸びておるところを含めてまだしばらくの間は進学希望者が数の上ではふえてくるという実は問題もありますが、同時に、後三、四年すればこれは急減するという問題も実はあるわけなのでありまして、そこをどう将来を見通しながら調和さしていくかということが大変難しい問題なのでありまして、これは公立と私立と両方ありますので、両方の考え方等を調整しながら適切な対応をしていくことが我々の務めであるというふうに考えて努力をしているところなのでございます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 ありがとうございました。ぜひ強力にこういう将来の見通しを立てて、そしてそのときになって慌てないように、またそのときになって急に変更するというようなことをしないようにお願いをしておきたいと思います。  厚生省の検討委員会の中では、今お話しになりましたように、入学定員の削減、ごくわずかだけれども、一割というと、四十年たって一割というのは誤差の範囲だというふうに木田宏さんは書いておられました。まあ、私はそれも一つの見方かと思いますが、しかし、定員を削減しないと大き目に見て一割切るなきゃいかぬというのですから、あるいは医師会が言うように、定員百人のところを七十名にしようというと、三〇%ということになりますね。そういうふうに大きく切れというところもあるわけなんですから、これはまだ動いている問題じゃないかと思うんです。それで厚生省の検討委員会では、卒業生の削減、それから国家試験合格者数の削減、というと試験を難しくして落とすんでしょうかね。そういうことが結論として出ているということを、これは新聞で読みましたので新聞が間違っているかもしれませんがそういうことが書いてある。私、文部省の方へそれでお尋ねしたいのは、今後入学定員を減らさなきゃならぬということになる。そうでないといろんな医師過剰のデメリットが表に出てくる。そういうことであればこれはやっぱり切っておかなきゃいかぬということになります。そういう場合に、高等学校ではどうされるかお聞きはしませんけれども、いわゆる施設も設備も余るわけですね。あるいは教職員も余ってくるんじゃないか、こう思うんですが、それに対して何かお考えでしょうか。あるいはこれは自然の成り行きに任して教職員はそのまま置いておけ、学校が少し小さくなっても、机が余ってもいいじゃないかというようにお考えか、あるいは何かその他のことをお考えでしょうかということが一つ。  もう一つは、試験を難しくするとか、だんだん範囲も広がっていきますので留年生がふえてくるわけですね。これは非常にふえていると思います、私は。きょうはその数のことは申し上げませんが。それから医師国家試験の不合格者もかなりたまってきたんじゃないか、こう思うわけです。こういう人たちをどう措置してやるのか。もうどこへも行くところがないですね、この人たちは。これをどうするのかということも一つ。合わせて二つお答えいただきたいと思います。  厚生省でも何かお考えいただけたら——ただ私の方は切ればいい、あとは文部省が何かやるんだというふうにお考えなのか、あるいは厚生省としてはやはり文部省に手をかして、それなら私の方では、せっかく医学の教育を六年受けてきたんだから、これはこういうふうにしたらどうかというようなお考えがあるかどうか。両省にひとつお答えいただければ幸いです。

宮地貫一文部省高等教育局長

○政府委員(宮地貫一君) 医師養成について、かねて先生から、御経験の豊かなお立場からの御意見をいただいておりまして、私どもも貴重な御意見として、今後の医学教育の改善のために先生の御意見を生かしながら私ども進めてまいりたい、かように考えておるわけでございます。  お尋ねの第一点は、いずれにしろ定員削減というようなことに、事態に対応する考え方としてどうかというようなお尋ねでございますが、私ども、確かに適正な医師数ということを前提にした上での医学教育ということで対応してまいらなければならないわけでございますが、現実の具体の対応で申せば、既に御説明もいたしておりますように、例えば百二十名の入学定員というところについて、特に新設の医科大学での百二十名入学定員ということであれば、やはり臨床教育その他の面からすればなかなか百二十名ということでは十分な対応が難しいというようなこともあるわけでございまして、かつて先生から、そういうことでは今までやったことが不十分になるということになるのではないかというおしかりも受けたわけでございますけれども、現実問題として臨床教育その他の点で十分手の行き届いた教育をするという観点から、百二十名のところを百名に落とすということで六十年度予算でも対応したわけでございます。当面考え方としては、百二十名の入学定員のもの、百名の入学定員のもの、さらに八十名の入学定員のもの、国立の場合でもいろいろあるわけでございますけれども、そういうようなものに対応するに際して、まあ、やはり臨床教育上少人数教育で徹底した医学教育ができるという観点かち対応をせねばならないことかと、かように考えております。  なお、その際の教官の定員であるとか、あるいは施設、設備の問題とか、それを将来どう活用を考えておるのかというような点もお尋ねの中にあったかと思うわけでございまして、具体の課題といたしましては、全国的な規模で申せば、十八歳人口そのものはこれから六十七年度に向けてふえていく時期になるわけでございまして、国立大学全体の対応で申せば、臨時定員ということでそれぞれ相当数を国立大学で収容するということも考えなければならないわけでございます。したがって、ほかの学部の臨時定員をふやすというような形で、削減したものの一般教育の担当教官についてはそういうものに充てるということも考えられるわけでございますし、専門教育の面から申せば、専門教育の分野をそれだけ手厚くしていくということも考え方としてはあり得るわけでございます。さらに、より広く考えれば、例えば、これからの日本の大学全体について言えることでございますけれども、国際化を図り、より開かれたものにしていくという観点で、留学生の受け入れ等も積極的に対応していかなければならない課題の一つでございます。そういう際に、医学教育の面でもそれがどのような方向で活用できることがあるのか、考えられるいろんな点は、私どもとしても関係の先生方の御意見も十分伺いながら検討を進めてまいりたい、かように考えておるわけでございます。  なお、お尋ねの第二点でございました、留年その他の学生に対する対応の仕方で何か考えはないか、というような趣旨のお尋ねがあったかと思うわけでございますが、私ども、もちろん、医学教育という観点からすれば医師国家試験に合格するということが必要なわけでございますけれども、しかしながら、教育上の観点からすれば、あるいは、医師免許を取ることなくしてほかの分野に転換をするというようなことも、教育上考えることの必要な場合もあり得るかと思うわけでございまして、それはそれぞれの大学において、そういう学生に対する広い意味での進路指導といいますか、そういうようなことも、広い観点から行われなければならない課題ではないか、かように考えておりますが、いずれにいたしましても、医学教育全体の考え方の中で、単に私どもとしては需要供給ということだけではなくって、医学教育そのもののあり方、大臣からもお話がございましたように、医学教育の質を高めるという観点がやはり基本的に必要なわけでございまして、そういう観点からこれらの問題に取り組んでまいりたい、かように考えているところでございます。

横尾和子厚生省健康政策局医事課長

○説明員(横尾和子君) 医師の新規参入を抑制する手法といたしましては、入学定員の削減のほかに、確かに、国家試験を難しくして合格者数を少なくするという方法もあるわけでございますが、私どもはやはり、六年間学業に励まれる学生さんのことであるとか、そのために費やされる経費ということを考えますと、国家試験を難しくしてコントロールをするということは極力避けたいというふうに考えております。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 確かに困っている人が随分あるわけですね、国家試験に何回受けても通らない。そういうのは医者にならぬ方がいいというのは、簡単に言うことはできるんですけれども、しかし、私大なんかでかなり大きな金を使っているわけなんですね。本人もまた非常に大事な青春をそこで使っちゃってるわけなんですね。だからこれを何か救済する措置、あるいは進路指導ですか、これを指導するといっても、それまでのやつが全然何の役にも立たないんですね、これは。だから、これで例えばリハビリの方へ行けるとか、あるいは鍼灸なら鍼灸でも、少しでも入れるとかいうことならいいんですけれども、鍼灸に行こうとすると、これはまあ鍼灸の方でまた反対があるでしょう、恐らく。だからそう簡単に指導はできないと思うんですが、これはしかし、国家的の不経済でもあるし、本人の不幸である。家庭の不幸でもある。そういう人たちを初めっから入れない方がいいので、あるいは卒業試験とか国家試験で落とすんじゃなくて、落とすんなら早く落としてもらわないと、非常にこれかわいそうなことになっちゃうんじゃないか。このことは私今ここで十分申し上げておきますので、厚生省、文部省力を合わせて、その人たちのひとつ救済の方法をお考えいただきたい、こう言っておきます。  そこで、歯科医師のことを、せっかく出てきていただきましたので、重ねてお伺いいたします。  この間の新聞で、御存じだと思いますが、私が持っておりますのは読売でございますけれども、歯科の私立の大学で定員割れをしちゃったということですね。それもかなり大きな定員割れでございまして、私学で十五校歯科の大学がございます、その十五校あるうちで六校で定員割れをしている。そのうちひどいのは昭和大、これは昭和大学歯学部と思いますが、百二十名の定員のところ二百何十名を採ったんだけれども、それがみんな途中でやめちゃいまして、通ったんだけれどもやめちゃった。二百名近く採ったのに全部やめちゃったからまた二次試験をやった。二次試験に受かった人がまたやめちゃった。二次試験受けた人は全部通しているんですね、しかも。そうして、それで結局は七十二名しか残らなかったということですね。  ここで問題は、六校あるんですから、定員割れがほかにも出ているということなんですね。これがどういうわけでこんなことになっちゃったのかということが一つですね。ことしはひのえうまの子供がちょうど来ているので受験生が全体として少なくなったということも理由じゃないかということが書いてございますし、ただ、私としまして考えることは、もう二次試験受けたやつは全部入れちゃうわけでしょう、それから二百何十名、受けたやつはほとんど全部入れちゃってそのうち半分やめちゃう。これは随分質が落ちちゃったんじゃないかなという気がするわけです。もう一つは、こうやって私大が減ったのはいわゆる歯科医師過剰で、これで将来の生計を立てていくということが困難である、不景気であるということでみんながやめていくのかという問題です。  こうなると、今度は医師の方にも将来こういうことが起こってくるので、医師過剰なんというようなことを今から心配しなくてもひとりでにどんどん減っていくんじゃないかというようなことも考えられるわけですから、この歯科のことをひとつ十分研究しておくと将来参考になるんじゃないか、こう思いますが、まず最初にこのように歯学部の定員割れの原因はどんなものが考えられるでしょうか。これは厚生省の方がよく御存じかしれません。厚生省側の一つのお考えと、それから文部省側としてはどういうふうにこれをとらえておられるのか、両方でひとつここでお互い意見を出し合っていただきたいと思うんです。

三井男也厚生省健康政策局歯科衛生課長

○説明員(三井男也君) 先生から歯学部、歯科大学の受験者の状況についてのお話でございますが、この傾向はもう数年前に傾向としてはあらわれておるというふうに考えるわけでございますが、私どものサイドで思いますことは歯科疾患、歯科疾患といえばいろいろございますけれども、代表的なものはやはり虫歯であり、また歯槽膿漏あるいはそのほかには不正咬合というふうなものが三大疾患として考えられるわけでございます。特にその代表でございます齲蝕、虫歯のことですが、これは先進国と言われておる諸外国の例で見ますと、ここ十数年の間に激減をしておるわけでございます。我が国の場合昭和三十二年から逆にふえる傾向を示しておりまして、ここ十年は横ばいであるというふうに厚生省の実態調査ではなるわけでございますが、本年発表されております文部省さんの学校保健統計等を見ますと、WHOが基準に考えております十二歳の一人平均の虫歯の数というものは明らかに減少が認められております。そのような歯科疾患の減少というのが世界的な傾向としてあるというのは、やはり若い方々のこれから歯学を勉強していこうというふうな方々にもかなりの影響はあるのではないかというふうに私どもとすれば考えるわけでございまして、また先生が御指摘のように、私ども歯科医師が国民の歯科医療を担当するという面からいけば中の上といいますか、その適性というのはなかなか難しいと思いますが、やはり十分な能力を持たれる方になってほしいなというふうに考えるわけでございます。

宮地貫一文部省高等教育局長

○政府委員(宮地貫一君) 私立大学の場合に合格発表後入学を辞退するケースというのは例年どの分野にも通例見られるわけでございまして、そういう辞退者がどういう進路を具体的にとったかということについては、実はその詳細については承知はいたしていないわけでございます。  ただ、全般的な傾向で申し上げますと、医学部の志願者数、これは全体で申しますと、国立については志願者数が、五十五年度以降の数字でございますけれども、ほぼ一万三千ないし一万四千ぐらいの志願者数でございまして、それに対して入学者が全体で約四千五百というような数字で、この数字は五十五年度以降五十九年度までも余り変動はないわけでございます。私立になりますとそれが五十五年度は志願者数が約四万二千余りでございましたものが、五十九年度の数字で申しますと志願者が二万六千余りということで、志願者の数から言えば相当やはり減少の傾向は出てきております。もちろん、これは入学定員で申しますと三千人余りでございまして、相当のなお倍率にございますけれども、やはり医学部についても私立については減少の傾向が出てきていると思います。  ところが、歯の方でございますが、歯学部についてはその傾向が、国立は若干減っておりますが、減っている数は国立の場合には定員の数が八百四十でございますが、志願者が昭和五十五年度で三千百名余り、五十九年度で二千三百というように若干落ちてはおりますけれども、落ち方はそれほどの数字ではございません。  ところが、私立の歯学部の場合でございますと、志願者が五十五年が約一万四千でございましたものが、ここ五十五年度以降年々相当の数で志願者の数が減ってきておりまして、五十九年度では六千五百余りが志願者の数でございます。入学定員が二千四百でございますが、そういう形で私立の歯学部について全体的な傾向として志願者の数がこのところ相当数が落ちてきているということは傾向としては言える数字でございます。六十年度の数字はまだ把握をいたしておりませんが、恐らくこの傾向は変わりがないんではないかというぐあいに考えております。原因はどこにあるかという点を私どもも的確に御説明を申し上げる材料は持ち合わせないわけでございますが、全体的に志願者の数から申せば相当減ってきているという点は、歯学部の希望者の中で歯科医師の将来ということについてやはり従来どおりの考え方では対応できないものがあるというふうなことなども、歯学部の志願者が減ってきておる一因ではないかと考えております。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 これは歯科医師の方もいわゆる歯科医師過剰ということで歯科医師会の方からは減らしてくれというような注文が来ているんじゃないかと思いますが、そんなことしなくてもだんだんひとりでに減っていくということでございますし、定員割れしているところもある。ただ、問題はある大学をおつくりになった、歯学部をおつくりになった、そこにはできるだけ優秀な人を集めたい、特に人間の体を扱うところであるし、歯も生命に関係するような疾患もたくさんございますから、そういう意味では私はいい歯科医師をつくりたい、そう思うのに、来たものは全部入れるというようでは、私、選抜というか、何か資格試験をしなきゃいかぬのじゃないかなという気さえするわけですね。だから、選抜だけに任しておいていいのかどうかということは、この際今のうちに考えておかなきゃいかぬのじゃないかなあと思いますし、だから、こちらの方で向こうから定員削減と言われる前にある基準で一度試験の成績をよくお調べいただいて、どの程度の者を入れているのかということは、これは政府の責任として、文部省の責任としてある程度の調査は私必要じゃないかと思います。また、それが入って今度は国家試験でまた何にもならないということになると、二重の損失になるということになると思いますので、この点ちょうど新聞にそういうことが数日前載りましたのでお聞きしておいたわけでございます。  厚生省の方きょうはどうもありがとうございました。以上で厚生省側の方は終わりました。  それじゃ次に、私、公共の施設といいますか、特に文化施設の一般利用の利便を図るという意味でひとつ御注文なりあるいはお尋ねをしておきたいと思います。  これは時間ございませんので、きょうはこの問題だけで終わってしまうと思うんですけれども、国公立の主として大学でございますが、図書館があるわけでございます。その図書館は一番困るのは五時に大体閉館にしてしまうわけなんです。そうすると、学生も職員もそれはちょうど忙しい盛りでございまして、昼間はそれを利用することはほとんどできないということでございます。また日曜、祭日はこれは閉館にいたします。こういう意味で、各大学においていろいろ工夫をされておりまして、特別に何かアルバイトを雇う、それでも書庫には、書庫の本はもう貸し出さないと、試験勉強なんで自分で持っていった本は読むことができるし、開架の図書は見ることはできるというぐらいのことでアルバイトを雇っている、だから管理体制が非常に休日やあるいは時間外、五時以降の開館は極めて困難であるというので各大学とも困っておられるんじゃないかと思います。特に最近一般のためにいろいろ公開しなきゃいけない、大学のいわゆる一般公開ということが盛んに言われておりまして、大学におきましてはいわゆる公開講座というものを各大学でやっておられる。これは私非常にいいことで、実際また聴講者も非常に多いわけなんです。その謝礼やその他を私きょうは余り問題にはしませんが、それが図書館その他には学外者がなかなか入りにくいということです。特に学外者は勤めに出ておられる人が多いわけですから、お昼間入っていくというわけにはいかない。問題をつづめて言いますというと、学内者、学外者を問わず時間外あるいは休日、日曜日にそういう図書を利用する方策としては文部省はどういうふうにお考えでございますか。それのいわゆる管理体制を利便を与えていただきたいと思いますが、どういうふうにお考えになっていますか。それをお聞きしたい。

大崎仁文部省学術国際局長

○政府委員(大崎仁君) 大学の図書館につきまして、五時以降の利用ということが学生、研究者はもちろん一般の方々にとって非常に大きい意味を持つということはかねて御指摘をいただいておるところでもございまして、文部省といたしましては、国立大学につきましては先生お触れになられましたように、パートタイムの職員に対する経費を措置するというようなことで、予算的な手当もいたしながら図書館関係者には夜間開館の方向の促進を呼びかけておるところでございます。  最近の状況を申し上げますと、昭和五十五年には、国立大学の例で申しますと、実施大学が六十一大学でございましたが、逐年増加をいたしまして、五十八年度におきましては七十七大学ということで、全体の八三%弱のところは大体大学によって異なりますが三時間程度の延長ということで八時ごろまでは開いていただくという状況にはなっておるわけでございます。また、学外の方々の利用ということにつきましても、これも大学によりましていろいろ公開の程度に差はございますが、何らかの形でということでございますれば、ほぼ全大学の図書館で学外者の利用の道が開かれているわけでございます。ただ特別の紹介が必要であるとかいろいろ諸条件がございますし、また公共図書館と大学図書館との性格の相違ということもございますので、どこまで自由にするかという難しい問題もあろうかと思いますが、今後とも重要な研究課題として努力をさしていただきたいと存じます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 ぜひ、この際、大学の公開ということがございますので、一般市民に対しても同じいわゆるタックスペイヤーとして、これは公開にすべきじゃないか。ただいろいろ問題があるとは思いますが、そこをひとつやっていただきたい。どうも日本の官庁というのは昔からソリッドである、フレキシブルでないと言われている。それが一番欠点で、貿易摩擦もフレキシブルであれば起こらなかったかもしれないということでございますから、ぜひ、フレキシブルに対応していくというように御努力をお願いいたしたいと思います。  同じようなことですけれども、これは中学や高等学校の体育館なんですけれども、あるいはグラウンドの使用というのもこれは大変難しい問題でございますが、草野球というのが非常に盛んでございます。さっき仲川先生からも体育のことをお話がございましたが、やるところがないと言うんですね。都会では特にそれがない。そうすると、学校というところは広々とあいている。しかし無用の者入るべからずと、門が閉めてあるというようなことで、市民は何であそこへ入れてくれないのだという私は不満があるのではないか。これも同時にひとつお考えをいただきたいと思います。  もう一つの問題は、国公立の博物館あるいは美術館がございます。私どもは幸せにして優待券をいただいておりまして、大変喜んで利用をさしていただいておりますが、一般の方々は——フランスなんかでは、ああいう国立、公立の施設は日曜、祭日は——祭日はあるかどうか知りませんが、日曜は半額とか割引の入場券を出すわけですね。これは日本ではそういうあれはないわけです。一律いつでも同じ値段である。ところが一般の人だってやはりそういう博物館とか行くのはよほど暇人でない限り昼間から上野へ行ったりなんかしていることはなかなかできないわけでございますね。勉強したい人、そこで学びたい人、そういうものに触れたい人、そういう者を優遇してあげるということは、積極的にやってあげるということは私これ非常に重要なことじゃないかなと、文化の推進にとって非常に重要なことであると思いますので、この割引ということを一度御検討いただきたいと、こういうように提言をいたしておきたいと思いますが、今はどういうふうになっておりますでしょうか、もうそうなっているかもしれませんので。

加戸守行文化庁次長

○政府委員(加戸守行君) 博物館、美術館等の利用促進につきましては、それぞれ各館におきまして無料公開日を設ける等の措置を最近においていろいろ講じてきているような状況にはございます。例えば国立の施設につきましては、例えば東京国立近代美術館、上野にございます、あるいは国立西洋美術館、これも上野にございますけれども、毎月第一日曜日につきましてはこれを無料公開日といたしまして観覧に供しているというようなケースもございますし、あるいは京都にございます京都国立博物館では毎月十五日という特定の日を定めまして無料観覧日にしているというようなケースもございます。その他の施設もそれぞれ特定の日に一定の意義ある日等を選びまして無料観覧日にしているようなケースもございます。  なお公立のものにつきましては昭和五十八年の六月でございますが、事務次官通知をもちまして公立の文化施設、例えば美術館、博物館につきましては特定の日を定めて無料公開を行うことによりまして、住民の文化活動への参加を促進するということが望ましい旨の通知を出しまして、現在、実情等は全部把握しておりませんが、例えば公立の博物館のうち県立分につきましては全国で七十九施設ございますけれども、そのうち通年無料の場合もございます。あるいは特定の日を定めて無料にしている等の施設が四十七施設ございまして、全体の県立の施設につきましては六割がそういった措置を講じているという状況にはございます。  なお、先生今御提言ございました、日曜日の割引等の措置でございますけれども、そういった日曜日の場合、特に観覧希望者が多いわけでございまして、混雑するケースもございますので、その日に割引をすることが妥当かどうかというのはそれぞれ館の事情等によっても違うと思いますけれども、その施設等の実情に応じまして適切な方策が講ぜられますよう、なお今後とも住民のそういった博物館、美術館利用の促進の観点から指導してまいりたいと思っております。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 非常にお考えいただいておりまして、私の方がわかりませんで大変失礼いたしました。ありがとうございます。ぜひとも今後ともそういう意味で公共の施設として一般市民が利用できるような格段のひとつ御尽力をお願いしたい、こう思います。  これは新聞で御存じのように、京都が何か京都古都税というのを取ろうというわけですが、あれも私は何かあれも国民のものじゃないかなという気がするわけです。そこへ行くのにどうも税金を取るということになりますと、要するにお寺の拝観に行くのに結局税金分だけが高くなっちゃうんじゃないかなという気がするんです。これは京都府とひとつ文部省なり文化庁なりでお話し合いを願って予算でもとって少しでも足せないか。お寺へ行くのに税金をそこへ行く人が納める。京都府としては非常にこれはいいわけでしょうけれども、一般国民にとってはこれは不利益なことでございます。私が思うのはこういういわゆる文化遺産というものは国のものであり、みんなのものである。そういうものに対してはみんなで守る、いわゆる政府がこれを管理し、あるいは政府がそれを補助していく、これが私当然じゃないかなと思いますので、無理なことかもしれませんが、古都税というのを見まして、何かそういう感じがしましたので一言申し上げておきたいと思います。  もう時間もなくなりましたので、最後にちょっとお尋ねいたしたいと思います。  それは実は私の教え子が飛騨の高山に住んでおりまして、そして古文書、あるいはお寺のいわゆる過去帳ですか、そういうものを調べまして、病気の経過をいろいろ、昔の病気はどういう病気であって死亡率は、何歳ぐらいに死んでいるというふうに過去帳から学んだという人がいるわけです。あるいはまた、ごぼうだねといいまして、高山の近くではごぼうだねというと、精神病の患者はごほうだねがついているというんでいろいろ嫌われた。それをいろいろ探るためにそこらの古文書をいろいろ調べた。これによりまして、四十五年に精神衛生功労者として厚生大臣から賞をいただいた、そういう人なんですけれども、ところが、その論文が大変世界の注目を引きまして、国際交流があって外人の研究者がその人をよく訪ねてくる。そしてお寺の過去帳であるとかあるいは町の帳籍簿あるいはまた市に古文書保存所というところがあるそうですけれども、そういうところでそういうものを見せてもらいたいということを申し出るわけですが、これがなかなか面倒でおいそれとは見せてもらえない。それぞれ事情があるらしいんです。せっかく外国からそれを見るためにおいでになっても、ちょっと一日や二日ではその手続が終わらないということなんです。そこへ長く滞在していなきゃならぬというようなことにもなる。お寺の過去帳なんというようなものは昔のものがいろいろわかりますので、何か部外秘というような、人に見せられないというようなものも中にはあるのかもしれません。また古文書の中にもそういうものがありますし、あるいは破損を憂慮するというようなことからお見せするのが大変困難であるということがあるかもしれませんが、少なくとも私はそういうところの研究者、それは大学の教授であるとかいうと見れるんですけれども、一般で研究者であるとかあるいは外国のそういう研究者にそれがより簡単に見れるような指導ができないものでしょうか、こういうお尋ねでこざいます。いかがでございますか。

加戸守行文化庁次長

○政府委員(加戸守行君) 先生御質問ございました古文書と申しますのは、日本におきます歴史上の史実を伝えました貴重なかけがえのない文化財でございまして、もちろん文化財保護法の精神からいいまして保存、活用というような二本柱になっているわけでございますけれども、一般的に申し上げまして古文書、先生今おっしゃいましたように和紙等の脆弱な材質でできておるものでございまして、長年の間に虫食い等の破損が発生しているというケースが非常に多うございまして、その管理、保存の取り扱いというのは非常に難しい微妙な問題等もございます。したがいまして、一般的な利用の形態といたしましては、例えば写真フィルム等によりましてその内容等を一般に周知公開するというような措置はとられておりますけれども、原本等の場合は特にそういう学術的な見地から研究者等に対しまして、例えばその筆跡を調べるとか、あるいは史実を調査するという特殊な研究目的の場合に限って許可をする例が一般的ではなかろうかと思います。  そういった意味で、手続等につきましてもいろいろな問題がございますが、基本的には保存と活用の両方の調和を図るという見地から法の趣旨に基づきまして、できる限り専門的な研究者には便宜に供するという方途を講じていただいておるところでもございますが、ただ、先生おっしゃいました過去帳の場合は通常寺院と檀家の間の何といいますか、長年の関係を伝えているという特殊なケースでございまして、一般的には判断をどうするかは寺院の方の判断によって取り扱いが定められておるわけでございまして、特に過去帳のケースにつきましては、それがかつて身元調査等の資料に使われたというような事例もございまして、あるいは研究者が過去帳の内容を論文等で発表した結果として、思わぬ余波等もあったという事例もございますので、そういった意味での慎重を期するケースもあろうかと思います。  ただ、一般的に申し上げまして、研究の見地からの専門的な研究者は十分取り扱いを慎重にしていただくことを前提といたしまして活用に努めるよう、なお指導をしてまいりたいと考えております。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 研究者というのは、ぜひその原帳を見たいものでございまして、またそこから思わぬ成果が上がることもあるわけであります。だから、一般に全部公開しろというわけではないわけですが、そういう研究者をどこか文化庁なら文化庁で登録する、そういうものはこの目的に限ってはこれを許すとかいうようなライセンスなり、カードなりがありまして、それがただ市役所だけで、そこへ行ってはいいけれども、今度はほかの町へ行くともう見れない。だから、全国そういうものが共通のライセンスでもお出しになる、こういうふうにすれば私は研究がよく進むし、お互いの交流も進む、方々の学会には現在何史学、何史学といういわゆる史学の研究会、あるいはそういう割と余り大きくない史学研究会というものがあるわけです、学会とまではいかないものも。そういうものもある程度の注意を与えてはそういうライセンスカードを渡す、そういうことによって私は文化調査というのは進むんじゃないかというふうに思いますので、これらもひとつきめ細かな指導なり、あるいは配慮をお願いしたいと思います。  今度日本文化研究所が、この前もちょっとお尋ねしましたけれども、できると、できるか今調査中でございますが、恐らくできるんでしょう。これはいいことだと思いますが、またきれいな箱をつくっちゃって、研究所という、そして錠が方々にありましてなかなか寄せつけられない、入りにくいというようなことではなくて、そういうところへ資料を十分お集めになりましたら、それをどうやったら一般により広く応用できるようになるかという、そういう面を私ぜひお考えいただいた上でこういう研究所もお建てになったら私いいのではないかと思うわけです。  またお聞きしたいと思っておりましたけれども、どうも海外援助でも施設は、箱はつくるんですけれども、ソフトウェアの方がどうも日本は苦手なんです。だから、せっかくつくって何もそれが利用できない。いわゆる仏つくって魂入れずということが非常に多いわけです。  こういう施設がまたできます。あるいはまた、先ほどからお話ししましたように、図書館だとか、そういういろんな施設がある。そういう施設をつくるのもいいけれども、そして管理するのも皆さん方の責任ですから、これは非常に重要だと思います。しかし、余りに管理を厳しくする余り何にも使えないということでは、私は宝の持ちぐされではないかというふうにも思いますので、今後そういう意味でぜひソフトウェアの方をひとつ十分心がけていただきたいというのは生意気でございますけれども、そちらの方にも御関心を持っていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  以上で質問を終わりますが、もし大臣何か御決意のほどがございましたら、将来の何か考えがございましたら、ひとつ御発言をお願いいたします。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 今先生御指摘の国際日本文化研究センター、これは設けるという前提で内容につきまして検討が進められておるところでございます。しかし、同センターというのは日本の文化について研究していただくと同時に、内外の研究者に開かれたものにするということがねらいの一つのようでございますので、先生御指摘の各種の文献、資料等につきましては、内外の研究者の利用に供するという方向で構想が立てられる各のだというふうに私たちは考えておるわけでございます。先生の貴重な御意見を参考にさせていただきながら今後とも適切に対応していきたいと、こう考えておる次第でございます。

高木健太郎公明党・国民会議

○高木健太郎君 ありがとうございました。終わります。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 文部大臣はきょう四月十七日のストに対する談話を突然発表されました。人勧実施は政府の義務であり誠意をもって労働組合の交渉にも応じて回答を示すべきであります。しかるに政府はこれまで一貫して人勧を値切ってきたばかりか、今回も労働組合との交渉にも応ぜず、人勧実施に対する回答も示さないという不誠実な態度を示してきました。交渉にも応ぜず回答も示さないままこのような違法ストなどという談話を突然発表したことは、労働組合及び国民に対する誠意ある政府の態度とは言えない、この点を私は強く指摘いたしましてきょうの質問に入ります。  三月の二十八日の質問に続いて、子供たちに学校教育の中で平和についてどう教えるか伺います。  大臣に最初に伺いますが、今から四十年前三発だった核が今数万発にふえているということ、そしてそのわずか一%程度使って戦争が行われても核の冬という現象が起こり、人類は生存の危機にさらされるというアメリカ、ソ連などの科学者の指摘についてどういう見解をお持ちでしょうか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) まさに核は廃絶しなきゃならないということが人類の悲願であるということで、それについては学校教育でもそれぞれの段階で教えているところでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 私は大臣のお答えが欲しかったわけですが、常識的などういうお考えをお持ちかなということを伺いたかったわけです。  前回の文教委員会で、なぜ小学校の学習指導要領の中に核について敬えよという点がきちんと入っていないのかという私の質問に対して、高石局長が、小学生には核の問題という難しい話を教えたところで消化できないというふうに答弁されていますが、私はそうは思いません。しかし局長の答弁には具体的な裏づけがもしあるというのならば教えていただきたいし、小学生について核の問題に対してどんな意識を持っているのか、調査でもしたというのならばそのことについても教えていただきたいと思います。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 広島、長崎の原爆、こういう非常に具体的な問題であれば小学校段階でも消化できるわけでございます。したがいまして、そういうそれぞれの段階で消化できる段階で内容を教えていくというような取り扱いをしているわけでございまして、それがもっと進んだ核兵器であるとか、それから二つの核の問題であるとか、核兵器の制限である、そういうような問題になりますと、それぞれ中学校、高等学校の段階で教えていくことが適当であろうというふうに思っているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 小学生が核についてどういう意識を持っているかというようなことは文部省として調査なさったことがあるんですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 調査したかどうかわかりませんが、私はその調査したという話は知りません。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 小学生が核戦争などについてどういう意識を持っているかということはちょっと古い調査ですけれども、子供の調査研究所とNHKの共同調査の結果があります。それによると、「将来核戦争が起きて人類は滅亡すると思うか」との質問に六七・五%が「核戦争は起こらないとおもう」、二九・四%が「滅亡するとおもう」というふうに答えております。  なお二月に、国民研究所、日教組の意識調査によると、中学生の場合は、日本が戦争に巻き込まれる、核戦争による人類破滅への不安については八割が回答しているというふうになっています。昨年NHKが東京タワー付近に核が落とされると東京はどうなるかと、こういう内容の番組を放映しました。その翌朝のNHKニュースによれば、この番組を見た小・中・高校生からたくさんの電話が寄せられたということです。核についていや応なく小学生も関心を持たざるを得ない時代だと思いますが、小学生に対して核について教えることは否定しないという局長の答弁もありましたが、大臣はこの点についていかがお考えですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 今局長が答弁したように、長崎とか広島と具体的に日本に起こったことに関連しての核であるならば小学生でも理解をすることができるでしょう。しかし核の問題は非常に複雑な国際政治の問題ともかかわるし、またその核の理論というのも大変難しい理論もあるわけでありまして、したがいまして、小学校から中学校まで義務教育でございますから、どの段階で核についての指導をするかということは文字どおり子供の発達段階、理解能力、それを考えながら指導すべき事柄であるわけでありまして、そういう点からすれば専門家の意見等を聞きましてもやや難しい問題であるから、これは小学校段階よりもむしろ中学校あるいは高等学校の段階の方が適当であるというふうになっておるんだと私は思っております。  なお、小学校でも中学校でも余りたくさんのことを教えるということになりますというと、それこそ下手をすれば詰め込み型になりかねませんし、ゆとりのない状態にもなりかねないわけでありますから、子供の発達段階に応じて必要なものを教えていく、こういうことになっておるわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 知識の詰め込み教育ということについてはもちろんよくないわけですけれども、日本国憲法の理念である平和について教えるべきだと指導要領の中に書かれておりまして、また広島、長崎などのことについては小学校の段階でも教えていいだろうという答弁があったわけですけれども、どうでしょうか、指導要領の中に広島、長崎の問題などは教えるべきだと、核の問題もこういう形で教えるべきだということを書き込むべきだと思うんですけれども、いかがですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 先生御存じのとおりだと思いますが、小学校、中学校、高等学校の学習指導要領はできるだけ簡素化して、基本的な内容について教科書等も精選されたような形にすべきだということで漸次簡素化してまいったわけでございます。その結果、小学校においては「平和な国際社会の実現のために努力している国際連合のはたらきや、我が国が世界において重要な役割を果たしていること」について教えるというようなのが社会科の小学校の学習指導要領にはございますし、中学校ではまたもう少しその内容を詳しくということで、中学校の段階では、「核兵器の脅威に着目させ、戦等を防止し、平和を確立するための熱意と協力の態度を育てる。」ということを指導要領で示しているわけでございます。したがいまして事細かにこれを教えろあれを教えろということを書けばまたもとのもくあみで、膨大な詳細な学習指導要領にしなきゃならないということになりますので、大体のところこれでいいんじゃないかというふうに思っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そうしますと、その小学校の学習指導要領の中に平和について教えよという中には核の問題も広島、長崎などの問題は教えよということも含まれていると、ただ簡素化したので具体的な文字にはなっていないだけだと、こういうふうに理解してよろしいですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) そのとおりで、教科書にはほとんどの教科書に広島、長崎は小学校の段階で出ているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 次に、一九八三年六月の文部省「検定課長の「口頭メモ」」についてお伺いいたします。  このメモには次のように書かれています。「政治単元への導入として「反核・軍縮」運動を取り上げているが、反核・軍縮運動の把握が十分でなく、時事的事象の扱い方としても適切とはいいがたい。」、「ヨーロッパを中心に展開され、世界的に広まった反核・軍縮運動は、」「ヨーロッパにおける職域核戦力の不均衡とその是正という現実の問題をめぐって活発化したのである。」、「反核・軍縮運動をいわば一種の精神運動のように捉えさせてしまうことのないよう、十分留意する必要がある。核廃絶はすべての人の願うところであるが、現実にはなお平和は核戦力の均衡の上に維持されており、核兵器の性能は年とともに向上の一途をたどっている。核兵器の存在をやむを得ないこととして認める多数の人々があり、冷厳な国際政治の現実がある。このような核廃絶をめぐる現実についても十分留意し、反核・軍縮運動が実現のきわめて困難な目標をめざすものであり、現実には一定の相互管理方式の下に核の保有が続けられているという事実について明確な認識を得させる必要がある。」、これは教科書検定の際の核問題についての文部省の基本的な考えを示したものですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 文部省のこれらの問題に対する取り扱いの基本的な態度は、そういう歴史的な事実、そして現実的な事実、そういうものをしっかり教える、その上から正しい理解が得られるということでございまして、ある特定の立場で都合が悪いものは教えないでいいというわけにいかないということで、そういう事実を述べる以上はその現実の状況というものを的確に理解できるような教科書の記述にしてほしい、こういう趣旨で対応しているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 今申し上げました文部省の検定課長の口頭メモは、そうしますと教科書検定のときの基本的な立場としてとらえていいんですね、一言でいいですけれども。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 私が申し上げた答えは一般的なことでございますが、個々の教科書の記述につきましてはその記述の内容に応じまして修正意見、改善意見を述べるわけでございますので、一般論としてこういう態度があるというわけではなくして、その書かれた教科書についてそれが先ほど申し上げましたような尺度で書かれているかいないかということをやるわけでございますので、その内容に応じてどういう対応をしていくかというのが決まっていくわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そうしますと、この口頭メモを付しました具体的な教科書というのは何についてこれを指したんですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) どういう教科書の申請についてそういうやりとりをしたか私は詳細に承知しておりませんが、少なくとも核の問題について現実的な内容が、現実に存在するその状況がわかるようにという説明を求めたわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 大臣にお伺いいたします。  今、地球上には全人類を滅ぼして余りある核が存在するわけですが、にもかかわらずといいますか、核戦争が今日まで起こらなかった、そういう理由について大臣はどういう見解をお持ちですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) これは難しい理論でございまして、結局抑止効果、核を使うということは相手の反撃もあってお互いに絶滅に近い大変な被害を受けるということもあり、また幸いにして核を持っておる大国が自己抑制もしたんでしょう。いろんな事情から核が使われなかったということは大変幸せなことであったというふうに思います。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 つまり、今の私の質問に対する文部省の答えがさっきのメモなわけですけれども、要するに核が均衡しているから戦争にならなかったと、大臣の今のお答えはそれと共通していると思いますけれども、そう理解してよろしいですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) なかなか難しい理論でありまして、いろいろ立場によってその理論は違うかもしれませんが、いずれにせよ核というものはボタンを持っている人のやはり自己抑制というものが働いておったというのが一つあろうかと思います。それともう一つは、自分自身にも大変な被害が及んでくるということもあるでしょう。いずれにせよ、なぜ使われなかったのか、いろんな理由もあるでしょうけれども、それを正確に解明することができるのは相当すぐれた国際政治の専門家でなければ的確な理論構成はできないんではなかろうかなというふうに私は思います。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 そうですか、わかりました。  アメリカは今まで朝鮮、ベトナム、台湾海峡などで何度か核を使おうとしたという事実があるんですけれども、御存じですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) その事実があるということをあなたが何で指摘なさるのか、私にはわかりません。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 御存じであるかないかだけお答えいただければ結構です。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 私はそういう事実があったとは思いません。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 それでは私の方で指摘いたします。  これはアメリカが長年秘密にしていた文書を昨年発表したその秘密の公文書の中に書かれているわけですけれども、それからアイゼンハワーの回顧録などにも書かれているわけですが、例えば、「攻撃に伴なう犠牲を過大にしないためには、われわれが原子兵器を使用しなければならないことは明白だった。この必要性は私が大統領当選者としてまだニューヨークに滞在していた間に、マッカーサー将軍から示唆された」、こういうふうに記されています。それから岩波新書の中にも、一九五四年フランスがディエンビエンフーでべトミンの猛攻にさらされていたときに、この戦争の戦費の七五%を賄うほど深く関係していたアメリカは、核兵器の使用を提案した、と。これはいろいろなところにあるわけですけれども、一九五三年三月三十一日の国家安全保障会議特別会議の討議にかんする備忘録、最高機密の文書ですけれども、その中にも、「ついで大統領は、朝鮮半島での原子兵器使用問題を提起した。あきらかに、そこには、たくさんの良好な戦術目標があるわけではないが、もし原子兵器使用によって、われわれが共産軍にたいして重要な勝利を達成し朝鮮中央腰部の線に達することができるなら、それは代価を払うに値することだと思われる。大統領はそうのべた。」、このようにアメリカ自身が何遍か核を使おうとしたという事実があるのです。  私は、文部省の検定との関係で伺っているわけなのですね。なぜ核兵器を使用したいというように何遍も思いながらそれを思いとどまったのか、このことについては大臣いかがですか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 委員が述べられたことが客観的な事実に合致しているのかどうか私にはよくわかりません。私の推測では、関係者の一部にそういう意見を持った人がおったかもしれませんけれども、結果的にはボタンを押す権限を持っている人が、そこまでいったかどうか知りませんけれども、いずれにせよより上部の人の高度の判断からそういう事態がなくて、そういう事態を自己抑制それからその他の事情から判断をしてそこまで至らなかったという結果が大事なことではなかろうか、こういうふうに思うわけでありまして、そのことについてこれ以上私からコメントする立場にはないわけであります。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 私は、文教委員会で言う以上、いいかげんな資料に基づいて言っているわけじゃなくて、ちゃんとアメリカ自身が発表した資料その他に基づいて申し上げているわけですが、なぜ核の使用を思いとどまったかということはいろんなところに出ていますけれども、例えばアイゼンハワーは、台湾海峡で米中の緊張が高まった一九五五年、必要なら核を使うということでダレス長官との間で確認した基本方針を持っていたと。しかし思いとどまった理由は、その回顧録によると、「この目的を達成するために核兵器の使用が要請されるようになれば、世界の大部分でアメリカにたいする強い国民の反発が引き起こされるだろう。それは、とくにアジアでは強烈だろうし、日本の場合には、とくにわれわれにとって有害だろう。」、こういうふうに述べているわけなんですね。なぜ私がこのことについて大臣にお伺いしたかといいますと、先ほどの文部省の口頭メモに平和運動について実に否定的な記述があるわけですね。さっき読んだとおりです。反核・軍縮運動の実現が極めて困難な目標を目指すものという事実を子供たちに教えるというふうに言って、さらにこの文章が発表されるきっかけになりました学校図書の中学社会公民の記述に対する指示の中では、米ソの交渉によってしか核軍縮の道がないということを補えと、こういうことまで言っているわけですね。  大臣に伺いたいんですけれども、平和運動は無力だと、国民の世論は世界の平和に影響が与えられないと、こういうような考え方についてこれは大臣のお考えでもあるのかどうか、その点をお聞かせください。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 全く無力だとは私は思いませんが、しかしそういう運動だけで平和が守れるというふうに簡単な問題ではないというふうに私は思っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 一九八〇年の秋の第三十五回国運総会に対して九月十三日付で、「核兵器にかんする包括的研究」と題するワルトハイム事務総長の報告が提案されました。これは日本を含む十二カ国の研究家が寄り集まって作成されたわけですけれども、そのパラグラフの中に、これも質問の通告をしてありますが、「核軍縮への道が長く困難であるにしても、ほかにとるべき選択はない。核戦争の危険を防止することなしに平和はありえない。もし核軍縮が現実になるものとすれば、恐怖の均衡による相互抑止という行為は放棄されなければならない。抑止の過程を通じての世界の平和、安定、均衡の維持という概念は、おそらく、存在するもっとも危険な集団的誤謬である。」というふうに指摘しているわけですけれども、これについて大臣としてはいかがお考えでしょうか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 国連事務総長がそういう今お読み上げになりましたようなことを報告していることは承知しております。  そこで、これは先ほど来議論がありますように、そういう核をなくするということは人類の一つの強い願望であるし、やっていかなければならないものだということは多くの国民に支持されていることであるということはそのとおりでございますが、しかし現実的にアメリカ、ソ連を初めとしてイギリス、フランス、中国等の国では核兵器を持っておりますし、そういう具体的に持っている国々がお互いに自制していくという努力が当然必要でございまして、一九六三年には部分的核実験の禁止条項が結ばれておりますし、一九六八年にはこれ以上核兵器を持つ国がふえないようにということで核兵器拡散防止条約がアメリカとソ連の提案によって六十二カ国の間で調印されている。そしてまた最近はアメリカとソ連とは核兵器制限交渉ということを行っているという事実があるわけでございまして、ただ精神的な運動だけでこの問題の解決は難しいということの現実はやっぱりとらえて教えておくということも重要なことであります。そして理念として今お読み上げになったような理念を持って運動していくということも重要であるというふうに思っているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 核の均衡によって平和が維持されているという考え方を明確に否定しているのが今私が読み上げた国連の文章です。百歩譲って均衡によって平和が維持されているという見方があるとしても、それは一つの考え方であって、もちろん国連の大方の考えには反するものなんです。  文部省の教科書検定の基準の一つは、ある特定の立場に偏らない公平なものであるかどうかということだと局長も答えていらっしゃいます。平和は核の均衡によって維持されるという立場を検定の基本的な立場として押しつけているような先ほど申し上げた口頭メモというのは基本的な立場ではないというような趣旨のことも言われましたけれども、私はここで文部省の見地からはちょっと違うんだということで取り消すべきじゃないかと思いますが、いかがですか。

高石邦男文部省初等中等教育局長

○政府委員(高石邦男君) 均衡論に立って平和教育をやるとか、国際的な平和の問題を取り扱うというような立場でないわけでございまして、あくまで歴史的な現実、それをとらえて正しく教えていくということが必要でございますので、そういう意味での教科書の検定をやっているわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 わかりました。均衡論の立場に立って文部省は検定をやっているわけではないというふうに承りました。  それで、大臣は先日の私の質問に対して御自身の御家庭のことに触れられてお答えになりましたが、私はきょうちょっと自分の家庭のことに触れさせていただきますが、私の長男が中学生のときにこう言ったんです。お母さん、僕がどんなに勉強していい学校へ入っても、いい高校へ入っても、あす核戦争があればすべて終わりだ、勉強したってむだじゃないか。それで、私はそのときに母親としてとっさに言葉を失いまして適切な回答を子供に与えてやることができなかったわけですが、多かれ少なかれ今の子供たちはそういう不安を抱えながら生きている、勉強しているということがあろうかと思います。大臣ならば日本の教育の最高の責任者としてどういう回答を与えてくださるんでしょうか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 核戦争があれば全部おしまいだから今から勉強して何になるというふうな気持ちを持っている中学生さんがいらっしゃるならば、大変気の毒だなあというふうに私は思います。  この前も申し上げたとおり、私の経験から言えば、私の小学校の同級生も長崎の原爆で何人か死亡したし、私自身、家内が原爆が落ちたすぐそばの地下工場で働いておって、同級生の三分の一が死亡し、三分の一は髪の毛が抜けたりあるいは体のあちらこちらに被害が残っておるという状態の人であったということを承知の上で私は家内をもらったわけであります。  しかし、実際にじゃ私の家内も親戚の者もどういうふうな心境でおろかというと、今さら核のことは余り言ってもらいたくないという気持ちが強いようでありまして、そのために被爆者手帳は持っておりますけれども、いまだかつて使ったことはありません。ありがたいことに地下の工場の中で一番奥におったものですから、実際問題としてはいろんな後遺症とかそういった問題もなく、子供もおかげさまで何の被害もなく健全に育ってきておるわけでありまして、経験から言えば、委員や委員のお子さんよりも私の方が実は現実的には核の怖さを知っている立場なんでありますけれども、しかし今さら勉強して何になるなどという考え方はおかげさまで私の子供は持っていないんで助かっておると、こういうことなんでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 非常に今の私たちの生きている時代というのは核戦争の恐怖ということに隣り合わせて生きていて、考えなくてもやっぱりそういうところに引きずり込まれるという可能性はあるし、考えなくて済むという時代ではやはりないわけで、こういうものと対置しながらしかし、それをなくす方向に勇気を持って進んでいかなきゃならない。つらいから考えないということで済めば私はそれはそれでいいと思うんだけれども、そういうことが許されない時代であるというふうに私は思うわけで、未熟な子供たちにもやはり絶望の時代だと、恐怖の時代だということではなくて、やはり、こういうものを取り除いていくためにどうしなければならないかという展望を与えるのが教育の役割ではないか、こういうふうに思うわけなんです。その点はいかがでしょうか。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 常に核の脅威を考えて、先ほど言ったように核戦争が起これば全部おしまいになるんだからというせつな的な気持ちになって毎日を送ったり、あるいは子供にそういうことを、せつな的な気持ちになりかねないような教え方というものは私はいかがなものだろうか。人類というものはもっと英知のあるものである、二十一世紀の将来は明るいものであるというその明るさを基本にした教育あるいは子供の育て方という方が私は望ましいというふうに考えております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 業の兵器だと中曽根総理はよく言われますけれども、核が均衡して、もうこれはなくそうと思ってもなくせないものだと、そういうような立場こそ絶望の立場だし、そういう立場で、学校教育の中で、核やら戦争のことについて教えるべきじゃないんだと、やはりこれは人間の力によってなくせるし、なくさなきゃいけないという立場こそ私たち大人が持つべき態度だというふうに思うわけですね。そういう意味で、学校の中で核を教え、平和教育をするわけですから、そういうときの立場として、やはり核均衡論というような立場に偏った教え方はよくないというのがきょうの私の質問の趣旨なんです。幸い、幸いといいますか、均衡の立場に立たないということも局長が言われましたけれども、教科書の問題についてはこれから引き続きさらにやっていきたいと思います。  四月三日に当委員会で教員外職員の学校教育に果たす役割について伺ったわけですけれども、戦後の学校教育法二十八条及び四十条で小中学校に事務職員を置かなければならないとされた、その理由はどういうところにあるんでしょうか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 私も当時の事情をよく承知をしているわけではございませんけれども、やはり学校という組織が効果的かつ能率的に教育活動を展開するという面で大変大事な職であるという判断からこの規定が置かれたものと考えております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 先ほど文部大臣は、事務職員は基幹的な職員であるというふうに言われましたけれども、その具体的な意味をもう少し説明していただきたいんですが。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 学校事務職員がいろいろ学校に関係の事務を処理をするわけでございますけれども、教員と同じように教壇に立つわけではございませんが、しかしながら学校の管理、運営等について種々の業務に従事をしていく、それがあって初めて学校全体の活動が円滑に行われるという意味で非常に重要な職員だということで基幹的という言葉を使っておるわけでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 確かに阿部局長がおっしゃられましたように、学校が教師だけではなくて事務職員とか、栄養士とか、用務員、警備員、緑のおばさん、いろんな職種の人の努力によって支えられているということは明らかです。事務職員を例に言えば、生徒の施設破壊に困り果てて番長を呼んで、事務室でよく話し合いをして、彼らと一緒に修理した、そうしたら、ともに作業した結果、それ以降そこは絶対に壊されなくなった、こういうような事例もあります。また、給与の仕組み等をよく理解して、教職員の生活と権利を守り、子供が教育を受けやすい施設、設備をつくり、学校環境づくりを目指して働いています。学校事務職員は、身分は行政職とされていて、仕事も一般行政職と共通する面はあるんですけれども、子供の学習条件を教師とともに保障するという、そういう非常に重要な面があるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 先ほど来申し上げていることと同じでございますけれども、学校の運営が効果的かつ能率的にその目的に沿って運営がなされるようにという面で大きく参画をしている職だと思っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 文部省の事務職員とか、学校栄養士の配置計画が今行われているわけですけれども、これが全部完了しても未配置校が残るわけですが、全校必置を求めて長年の要求運動があるわけですが、それにはどういうふうにおこたえになっていくんでしょうか。

阿部充夫文部省教育助成局長

○政府委員(阿部充夫君) 先生御案内のように、ただいま第五次の教職員定数改善計画を進行中でございますが、国の財政事情等から大変当初の計画どおりには進行していないという状況にあるわけでございまして、私どもといたしましては、この計画を達成をするということが当面の一番大きな課題であるというふうに考えておるわけでございまして、昭和六十六年度までに予定した数の配置を完了するようにいたしたいというところで全力を挙げているところでございます。それ以後の問題につきましては、なおその時点でさらに検討するということにさせていただきたいと思っております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 学校給食の民間委託、職員のパート化の通達をこの一月二十一日ですか、出されたわけですが、それと栄養士の配置との関係はどうなりますか。

古村澄一文部省体育局長

○政府委員(古村澄一君) 学校給食の合理化の通達は御承知のとおり、学校給食の現場にパートタイム職員の活用であるとか、あるいは共同調理場への転換あるいは民間委託の活用というふうなことを内容にいたしたものでございますが、これらは学校給食の内容の、質の低下を来さないということを建前にして合理化を図りながらやってほしいという通達でございまして、基本的には学校の現場には栄養士がいる、したがって栄養士が献立なりそういった点について十分サゼスチョンをする立場にあるということを前提にしてつくったものでございます。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 通達の問題にきょうは触れる時間がありませんが、要するに栄養士はきちんと今までどおり置いていくということでいいんですか、一言で言うと。

古村澄一文部省体育局長

○政府委員(古村澄一君) 栄養士の配置基準は御承知のとおり、旧基準でございますと生徒二千五百人に一人という基準を、今度の十二カ年計画では七百人以上の生徒に対して一人というふうな基準の上昇を図っております。今の状態におきましても少なくともそういった学校給食が実施されていることについては栄養士の目が行き届いているということを前提にして学校給食が行われているというふうに理解いたしております。

吉川春子日本共産党

○吉川春子君 時間がなくなっていろんな質問を省略しなければならないんですが、人件費の国庫負担を栄養職員、事務職員については廃止するという動向が去年から出てきたわけですけれども、長年にわたって文部省が努力して配置しようということの取り組みをしてきたわけですけれども、そういうこととも逆行するのではないんでしょうか。人件費の国庫負担を廃止するということは、事務職員や栄養士を必然的に学校から消すことになるのではないんでしょうか。ことしもまたこういう働きが出てくることも予想されますけれども、こういう働きに対して文部省としてはやはり断固として人件費の国庫負担を外さないんだと、そういう決意を大臣から伺いたいと思います。これが私の最後の質問です。

松永光自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○国務大臣(松永光君) 栄養職員や事務職員の給与について国庫負担の対象から外す、そして一般財源化した場合には、それが直ちに栄養職員や事務職員を廃止することになるとは言えませんけれども、しかし前々からお答えいたしておりますように、義務教育費国庫負担制度の根幹をなすものは教職員の人件費である。栄養職員や事務職員も学校における基幹的な職員であるから、これは実際教壇に立つ教職員と大体同じような取り扱いにするのがこれが国庫負担制度の精神ではなかろうか。その精神を私どもは守っていきたいという立場で今後とも一生懸命努力をしていく、こういうことでございます。

真鍋賢二自由民主党・自由国民会議

○委員長(真鍋賢二君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後四時十九分散会

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