文教委員会 第5号
- 発言数
- 190 件
- 登壇者
- 14 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1985/04/03
会議録
○委員長(真鍋賢二君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 本日、八百板正君が委員を辞任され、その補欠として中村哲君が選任されました。 ─────────────
○委員長(真鍋賢二君) 昨日に引き続き、予算委員会から審査を委嘱されました昭和六十年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管を議題とし質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○高桑栄松君 去る三月三十日に、東京オリンピックの日本選手団長を務められた大島鎌吉さんが亡くなられたということで、記事を拝見いたしまして、私の感銘いたしました点がありましたのでちょっと申し上げてみたいと思ったんですが、大島鎌吉さんは、ロサンゼルス・オリンピックで三段跳びで銅メダルというお方で、その後世界記録もつくった方だということですが、非常に大事なポイントはスポーツに科学を入れるということで、医学者、科学者に集まっていただいてスポーツの科学研究委員会をつくったということなんですね。しかも、日本国民の民族の健康問題に非常に関心を深く寄せて体力づくり国民会議といったものを設けられたということを拝見して、私は予防医学、健康増進を自分の主たる、メインの研究分野にしてまいりましたので大変関心が深いんです。 そこで、実は質問通告してなかったんですけれども、思いついたんですけれども、ここにおられる柳川委員が当時文部省の体育局長でおられて、私が医学部長ですから十数年前になりますが、そのときに柳川さんとお話をしたときに、スポーツ医学講座というのがない、北大でどうだろうかという話で、柳川さんも応援するよとかと言われて、その気になって少し考えたんですが、当時の情勢、たしか医学教育課長が斉藤諦淳さんだったかと思っておりましたけれども、結局申請しなかったんですけれども、今国民が健康づくりに非常に大きな関心を寄せているということで、新聞ですけれども、初めて、慈恵医大だったかと思うんですけれども、スポーツ医学講座をつくろうとしているということであります。私、やっぱり国立大学にスポーツ医学講座をこの際つくるよう検討してはどうだろうかと、こういうふうに思ったものですから、急に、ちょっと一応私の考え述べさしていただいて、何かお考えがあればと思いますが、大臣よろしいですか。
○政府委員(宮地貫一君) 先生御指摘のような講座が現在国立大学には置かれていないということはそのとおりでございます。ちょっと正確な資料ただいま手元に持ち合わせておりませんけれども、私立大学にはそのような講座があるいはあろうかと思いますが、ちょっと正確な資料ただいま手元に持ち合わせておりません。ただ先生がただいまお話しになりましたような御趣旨の、いわばスポーツ医学と申しますか、あるいは健康を基礎に置きました幅の広い形で、新しいそういう学問領域について研究を進めていくということは、考え方としては確かに御指摘のようなことも今後の課題であろうかというぐあいには考えるわけでございます。 ただ、いずれにいたしましても、現在のところはございませんが、まあ、これは単にスポーツ医学というような問題だけではございませんで、例えば私どもが従来伺っているところでは、健康科学というような問題を幅広く取り上げるものとして、そういうこれは大学づくりをしたらどうかというようなお話も具体的に挙がっている問題もあるわけでございます。いずれにいたしましても、従来の学問領域だけにはとらわれない形でそういうような分野について大学の研究課題として、そういうようなものが広がっていくということはあり得ることかと思いますが、いずれにいたしましても、それぞれの大学で具体的な取り組みをされてから私どもとしても検討をいたしたい、かように考えます。
○高桑栄松君 御承知のように、ジョギングがブームになるとジョギングをやってぽっくり死んだとか、ジョギングを提唱したお方がある朝道端で倒れて亡くなっていたとか、いろいろなことがありまして、頑張ればいいというものではなくて、やっぱり医学的な健康プラス体力科学的な考えがないとこの健康づくりはうまくいかないということでありますので、ぜひ今局長言われたような面で御検討いただいて国民のニーズにこたえるというか、むしろ健康を保持、増進する立場で医学的、科学的な研究を進められることを私は提唱したいと思ったわけでございます。 次に、この前質問をいたしました福島県立医科大学の問題につきまして、医学教育及び教官の人権擁護という立場から質問を前回いたしましたが、引き続いてこの面について質問さしていただきます。 まず第一に、大学の自治というものは一体何か、何がこの自治の中で保障されているのか、どういう責任を負わされているのか、そういった法的根拠を一応確認をしたいと思いますので、これを質問いたします。文部大臣から。
○国務大臣(松永光君) 大学の自治というのは憲法第二十三条に「学問の自由は、これを保障する。」という規定がございまして、その憲法の規定に由来して大学における学問、研究の自由を保障しているということが大学の自治の基本だと思いますが、そういうことから大学における自主性を尊重していくということで、歴史的に積み上げられてきた制度、慣行、これが大学の自治であると考えております。
○高桑栄松君 学問、研究の自由と、よくわかりましたが、どうも大学の自治ということを履き違えて、これ学園紛争当時も私はそう思って、そこを取り違えないようにということを学生諸君にもしばしば強調いたしましたが、大学のキャンパスは治外法権であると、こういう考え方が今でもあるのではないかと思うんです。例えば刑事問題に属するようなものも大学自治の範疇に属しているかどうか、もう一度大臣、お願いいたします。
○国務大臣(松永光君) 大学の自治は今申したとおり学問、研究の自由、そしてそれを裏づけるために大学の管理運営につきまして、教授会を中心にした自主性を持った管理運営をしていくというのが大学自治の本旨でありまして、刑事事件などというのは、これは大学の自治だからといって学内だけで処理すべき事柄ではない、刑事事件等は、これは別の関係機関で処理すべきものであるというふうに理屈上私は思っております。
○高桑栄松君 そこで、前回の質問のときに私は文部省に調査依頼をいたしましたので、その何点かにりいて報告をいただきたいと思っております。 まず、この事件の発端というか最初に福島県立医大の産婦人科の講師が九月に辞表を出した、助手三名、助教授が十月に、十月十一日だったと思いますが辞表を出した、助手が二名、計助教授、講師外助手五名という辞表が出たわけです。承ると、九月の十二日かに出したそうですが、最初のは。その前の日が学長選挙であったそうであります、いや、関係があるかないか知りませんけれども、たまたまそうだというふうに承りました。そのときに中傷文がついて、辞表が管理者、直属上官である教授を飛び越えて学長に出され、学長はこれを一方的に取り上げた。数々の証拠は僕が持っていますが、文部省にこれを調査をすることを僕は依頼しました。そして、十二月十日に教授会が開かれ、このとき初めて教授会が調査委員会をセットいたしました。その二、三カ月にわたる間、私の持っている証拠によれば、しばしば彼は辞職を求められております。この件についてだれが最初にこれを取り上げたのか、だれが辞職を求めるような動きを指示したのか、その調査を僕は文部省に依願いたしました。お答えいただきたいと思います。
○政府委員(宮地貫一君) 前回、先生からこの事案につきましてお尋ねがございまして、私どもがその時点で把握している事柄につきましては前回の委員会でお答えしたとおりでございますが、なお幾つかの事柄についてお尋ねがございまして、特に今のお尋ねのございました点で申しますと、調査委員会が設置される前に辞職を勧めていた事実があるというような御指摘があったわけでございますけれども、事実とすればその時期なり理由、またその勧告はだれの責任において行われたのかというような事柄について私ども前回の委員会で御説明申し上げる直前に学長から事情を聞いたわけでございますけれども、いわば今回の案件については、教授の辞表の受理をしたという形で大学がいわば一方の当事者というような形になっている事柄についての処理でございますし、したがって私どもとしては設置者であります福島県に対してその間の事情を十分調査の上、速やかに回答いただきますようにただいま文書で照会をいたしているところでございまして、その点については福島県側から事実を把握した上で報告が来た時点におきましてお答えを申したい、かように考えております。
○高桑栄松君 事は人権問題なんですよね。人権問題というのは、うっかりいたしますと、いや、この当事者がと言っているんじゃありませんよ。世の中にある事例を申し上げますけれども、うっかりするとあすを待たずに首をつるということもあるんです。それを、返事が返ってこないというのは、僕は、文部省が怠慢というんだろうかな、やっぱり努力が足りないのではないかと思うんです。私が質問したのは二十八日でございます。しかし、この事件について既に申し入れをしたのは、非公式でありますが個人的に文部省の方に申し入れたのは三月の二十日です。二十八日には質問をいたしましたが、予告質問は二十七か二十六にやっております。全部僕のデータは見せてあります。まずほとんど僕は見せた。そして二十八日には、大臣に学長からの福島教授あての大学第何号という公文書のコピーをあのときお渡しいたしました。つまり、訴えた内部告発をした助教授が空宿直をして公金を着服したということが明快にそれに書いてあります。返納させたというのだから、着服しないものをさせるわけはないんだから。そういう明快な事実を僕は一つだけ証拠を文部大臣に差し上げました。しかし、証拠はたくさんございます。全部文書でやりとりしたものしか僕は今持っておりません、それ以外は風聞に属するだろうと思うから。しかも二十八日に公式にこの委員会で調査要求をしてきょうで何日目でしょうか、日数を教えていただきたい。
○政府委員(宮地貫一君) 先ほどお答えしたとおりでございまして、このことにつきましては、先生から質問の通告がございまして、事前に三月二十七日に学長及び事務局長を呼びまして報告を求め、その報告をもとにいたしまして前回の委員会においてお答えをしたわけでございます。その後二十八日に委員会がございまして、その翌日、私どもとしては、この国会においてこういう事実のやりとり、御質疑があったということについて福島県の東京事務所長にその中身をお伝えをいたしたわけでございますが、文書による照会ということで処理をいたしたいということで文書による照会を設置者でございます県当局、具体的には県の総務部長あてに医学教育課長名で照会を出したという時点でございまして、先生、御指摘のように人権問題ということについて取り扱いを大変慎重に、かつ御指摘のような事態も起こり得るということを十分踏まえ処理をしなければならないということについては、私どもとしてもそういう気持ちで本件の処理については対応いたしておるつもりでございますが、ただいまのところ、文書の照会を出したのが昨日文書の照会で出したところでございまして、その点について設置者たる県当局の公式の回答をいただいた上でなければ、私どもとしてはそれ以上事実関係の問題についてこの席でお答えする材料は持ち合わせがないというのが現時点でのお答えでございます。
○高桑栄松君 きのう出したというのは僕はびっくり仰天ですね。人権問題を何事と心得ておられるか。私が非常に一刻を争うような質問を継続しているのはやっぱり人権だからですよ。つまり福島教授は退職願いを出さされたんですからね。つまり追い込まれたんですよ。それが三月十五日に三月三十一日付の辞表を提出した。十五日学長に届いたら十六日教授会、二十日告示。この電光石火の速さをごらんください。僕はそれを言っておいたはずだ、二十八日の時点で。こんな異例の教授会はありませんよ。僕は学部長を六年やったんだから。そんなばかげたことがありますか。一日です。翌日すぐ辞職を認めている。パッと告示をした。告示によれば、あなたには不正がなかったということを告知書に書いてある。あわてて福島教授は二十一日付で民法第九十五条というのをそのときに出したんです。この前説明してもらった。錯誤に基づく辞意表明は撤回いたします、錯誤なんです。誤り、思い違いなんです。彼が思い違ったんじゃないんだ。思い違うようなプレッシャーだけがかけられたからです。行政監察結果を知らされていなかった、二カ月以上。そして、三月末に懲戒免職になる、分限免職になるかもしらない、追い込まれたわけだ。そうしたら、二十日に出た、二十一日付で出した、二十二日に学長に届いた、二十五日に教授会が開かれた、教授会は拒否した。そのときに理由を示せ、これが今局長が言った文書問題になりますからよく聞いていてくださいよ、文書問題ですよ。文書で、錯誤というのは理由を至急知らせと来た、届いたのが二十七日、郵便ですからやりとりの日にちははっきりしていると思います。彼は即日返事を書いた、二十八日辞令を交付するから取りにこいと言ってある、時間的に見て読んでいない、読んだとすればその錯誤の理由が行ってんだからその文書を見た上で判断をしなきゃいけないんじゃないか。あなたのおっしゃる文書の交通がそんなに大事なものであったら、二十七日に返事を求めてきているのに、返事の行く時間は、即刻出しているんだから、翌日着いたとしても二十八日です。そして、三十日には辞令交付をする。彼はその辞令交付をもらったのが二十八日付の手紙で三十日だそうだ。行かなかった、もちろん行くわけがない。そうしたら、辞令を送ってくると言っている。これが今日までの交渉です。文書というものがそんなに重要であったら、なぜ学長が錯誤の返答を求めたのに、その返事を出しているものを見ないでなぜやったか、これが一つ。 ついでに、福島と上野は何時間ですか、どうして一週間もかかるんですか、このやりとりが。行ったらどうだと思う、僕はそう思う。行ったっていいじゃないか、呼び出したらいいじゃないか。僕らが求めているのは事実関係なんだから、文学的な論文書けと言っているんじゃないんだ、事実関係を聞いているのに、事実関係に時間がかかりますか。証拠を隠滅するおそれがある、僕はそう思います。返事を求める。
○国務大臣(松永光君) 今局長がお答えいたしましたように、まず福島県庁の出先機関である東京にある福島県東京事務所の担当者を呼んで、そして口頭によって調査しての調査及び報告を求めたわけでありますが、しかし、普通口頭で求める場合よりも文書の方が重みがあるといいますか、県に対してですね、そこで、文書による調査報告を求めかつ文書による回答を求めたといういきさつなんでございまして、口頭では翌日ちゃんとしておるわけであります。そして、事柄の性質上、これは文書の方が重みがあっていいなということで、重ねて文書による回答を求めておる、こういうことでございます。 なお、時間がたちますと証拠隠滅云々ということございましたが、相手が県庁でございますから、そういうことはなかろうと思うんでありまして、文書による正式の回答を求めた方がより確実である、こういうことで処理しておるわけでございます。
○高桑栄松君 いや、文部大臣の御答弁、お考えというのはなかなか明快で非常に僕はいいと思って今伺っております。しかし、相手が大学自治という名に隠れて、私が挙げたのは治外法権だと思い込んでんじゃないかということなんですよ。そういう場ですべてが自治だ、守秘だ、そう言ってすべてを隠滅しようとしているから僕が申し上げているんです。それは証拠歴然としたものがあるんだから、僕はそれで言っているんですけれどもね。それじゃ事実関係を聞きますよ。この前要求してございますからね。問題は、内部告発をした助教授、講師が空宿直をして、これ新聞にいろいろ出ておりますからね、この問題について、私は何月何日彼が空宿直をした、その回数は何回に及んだか、その金額は幾らに上ったか、相当額返納させたというが、相当額とは幾らか、その理由、相当とはどういう根拠に基づいたか、これを僕は調査をお願いしてございます。いかがでしょうか。
○政府委員(宮地貫一君) そのことについては先ほど来お答えを申し上げていることに尽きるわけでございまして、空宿直の実態、いわゆる宅直と称した不正に宿直料を受領したということが言われておるわけでございますが、それが宅直が実際に行われていたとすれば、その法的な根拠、五十六年四月から五十九年十月の間においてこれが行われた日時、回数、これにより不正に受領した金額、県に返納された金額、返納すべき相当額の算定根拠及び両名に対して県または大学が行った処分というような事柄について先ほど御答弁申し上げましたように文書の回答を求めているところでございます。私どもとしては新聞記事その他について報道されておるという事柄についても承知はいたしておりますが、正式の県の文書の回答をいただきました上で御回答申し上げたい、かように考えます。
○高桑栄松君 済みません、期日はいつからいつまでとおっしゃった。何日から、いつからいつまでの間の調査。
○政府委員(宮地貫一君) 五十六年四月から五十九年十月の間において行われたということで調べております。
○高桑栄松君 はい、わかりました。 こういうまだるっこいことをやってますと、僕も議員の任期終わるかもしれないんじゃないかという心配があるな、これは。ですから、私の持っている資料を一部公開、お話をいたします。私は全部証拠を持って言っておりますから。これは文書の往復をしたもののコピーです。全部です。内容証明が大分あります。だから、これを知らないとは言わせませんからね。ただ、本人、向こうがどう言ってくるかは興味津々ですね。大変興味がある。新聞に言ったこととどう食い違ってくるかおもしろいな。これは松本清張ほどではないけれども、大変おもしろいと思っております。五十六年四月から五十九年十月まで。どうしてこの期間が出たかというと、僕が申し上げたんだな、きっと。これは福島教授というのは一方的に辞職を迫られていた段階で十一月の末に教室、講座の女子職員、女性ですよ、二人が訴え出たんだわ。助教授と講師が私たちに虚偽の出勤簿の作成を命じて——そこまでは載っています、しなければやめさせるとおどかしたというのは載っていません。カットして出されている。それで、私たちは文書を作成した。この間この方々は一切宿直をしておりませんということです。回数——いや回数はこれは秘密だ。向こうが言ってきたのと僕が合わせます。証人なんですから。全教職員の前で言ったことですから、間違いありませんからね。これはもう傍証がいっぱいあるんです。この人たちは自分の職をかけていることを御承知願いたい。もう助教授、講師が生きている、生きているというのはそこにいるという意味ですよ、そこにいる限りこの人たちはもう勤められませんね。追い出されます。訴えなかったらここまでいかない。訴えなかったら一方的に福島教授が追い込まれる。ですから、幾らの、何回、こんなものは出勤簿見ればわかるんだ、だれだって。僕にやらしてごらん、そんなもの二、三時間あれば全部やります。ばっと見て、その人の名前が何月何日と見てみればいいんだ。何時間かかります、そんなもの。それが一週間たってようやく文書が行っているんじゃ、本当にもう日が暮れてしまうな。国会は能率が悪いと——いや、僕が言っているんじゃありませんよ、よそが随分言いますけれども、これほど能率は悪くないと思うよ。国会というのは何といっても忙しくなると、今月四月五日までに全部上げてくれと僕らぼったくられているようなものですよ。これでもやっぱり僕は一生懸命、国会こんなに忙しいと思わなかったですものね。もっと暇なところだと思って喜んでいたのに大変忙しくて、いやもうとてもじゃないが大変だと思っております。だけれども、日が暮れるような調査をしていたんじゃ人権問題は、既に辞職の問題で今争っていますから、そんなことを文書をやったりとったりというのは意図的でないか、これは僕の推定でございますが、あります。今の空宿直というのを知っていますか、どういうことか、局長。御存じだったら皆さんに説明してください。僕はよく知っているから後で説明します。
○政府委員(宮地貫一君) いわゆる空宿直とおっしゃられたものがどういうものを指すのか、その点については私もつまびらかにいたしておりません。国家公務員の場合の宿日直手当については、もちろん規定がございまして、入院患者の病状の急変等に対処するための医師または歯科医師の当直勤務ということでございますので、一般論としては、命ぜられた時間に当該場所において宿直にかえて自宅待機をするということは許されないものというぐあいに考えます。
○高桑栄松君 許されなくて罰するんだったら、日本じゅうほとんど大部分の大学と大きな病院がひっかかるな。やる気ありますか、調査する。法律的根拠に基づいて全部やってみますか。僕はやったらおもしろいと思うよ。というのは、現実の問題としてどうなっているかということを今説明いたしますから、皆さんも聞いていただきたい。 産婦人科は、いつお産が始まるかわからない。始まると思って行っていると七時間待っていても始まらない。僕もやっぱり学生時代、産科の泊まりがございまして、幾ら待っていても産まれてこないんだものね。それで、こっちは寝られないんですよ。一杯飲んでいるわけにもいきませんしね。そして朝方になって産まれるんですね。だから困っちゃうわけだ。それで、大先生が二人もいるわけにいかぬということです。で、一人は宿直をする、一人は家に帰って電話がかかったら出てくるように待っていてくれということを宅直と称しています。この大学の例を——どこでもそうだと思って、今一般論で聞いていただいても間違いないな。 二人いますと、毎日のことですよね、土曜日だけというんじゃないんですよ、月火水木金土、毎日お産というのはあるんだから仕方がないですよね。ですから、一カ月全部ローテーションを組むわけだ、ダイヤを組まないと列車が走らぬですよ。ですから、あなたとあなたは月曜日、あなたは火曜日と、こうなっているわけだ。二人やっていったらへとへとになりますよ、交代要員ですから。だからおまえはこの日は宅直だよ、家にいなさい、いいなと。で、金曜日、いや僕はだめだからかわってくれと。 なぜこれを言っているかというと、全員が承知しているということです。よし、あの日はあれとあれとあれが本直だ、おれはこの日宅直だと。そして、これは文部省の僕は非難をするんじゃありませんが、宅直料は普通の日一万円、日曜祭日で一万五千円。市内の病院に行ったらその何倍かですよれ。これをさせるわけだからかわいそうだというわけだ。 で、宅直の人は実際には行かない場合が多い。したがって、それが給料に入ってくる、ここが大事なんですよ、いい。給料に入ってきてそれを出すんだから本人の意思に基づいています。宅直者はおれは行かなかったんだからその分はといって教室費にプールしてある。そこから一万円じゃかわいそうだから三千円上積みをする、残ったものはいろんな公費に使う、公費流用ですよね。いや、しかし本人が出したんだからいいんだな、これは。政治献金に近いな、これ。そうだと思いますよ、出しているんだから、財布から出しているんですから。いいですか。 したがって、この宅直は一般の人が普通、通念としては認めているんですよ、宅直というのは。これをもし破壊するんであったら、それなりの手当てができなきゃいかぬ。大体、助手が七名、八名でやれますか、毎日の二人ずつの当直やれますか。 もう一つ、小さい科ですと教授、助教授を含めて医師免許証を持っているのが七、八名というところもまれにあります。しかし、大学で大きな科というと内科、外科、婦人科、小児科です。一番大きいんだ、内科、外科、婦人科、小児科。一番大きいということは非常に重要ですから、国家試験の五つの指定科目に入っています。残ったのは私の専門とする公衆衛生でございます。この五科目は間違いなく試験なんです。大きい科です、何十人か教室医もいるというのがこの大きな科なんですよね。そういう科の助教授というのは、いいですか、臨床というのは助手になるのに十年かかるんですよ、十年選手でやっと助手なんだ。助教授というのはもっと時間がかかるんです、臨床ですから。その大先生が宅直や宿直をやるのはみっともない、大体。やっていないのが普通だ。ここではやっていた。しかも、いいですか、大臣。大臣は理解が物すごく早いからよく聞いていただきたい。いいですか。 ローテーションを組んでいるというのは、お互いに融通するからですよね。そして、これをちゃんと出しているのを承知して財布から出しているわけです。助教授、講師は全員が知らないんだ。なぜか。ローテーションに入ってないから。教授がそれを全部教室に集めて、おまえ、どうだ、いいかい、何月いいかいと、あらかじめ助手かなんか、医局長が決めたものをみんなで相談するわけだ。そして自分のよしあし、都合のよしあしで取りかえて、ではこれで行くぞと。どうしても当日ぐあいが悪ければかわってくれと、委員の差しかえみたいなこともやっているに違いないんだ、それは。しかし、一覧表があるからできることです。助教授、講師はこのダイヤには最初から全く入っていない。よろしゅうございますね。 したがって、本人が宅直だと主張しても、本人だけが主張しているのです、宅直のスケジュールに入ってないんだから。ほかの人が知らぬということですよ。だから、虚偽の文書作成をさせたんです。助手、職員は、この人たちがローテーションに入っていると、どうしてここへあなたは割り込むのかと、嫌だと言ったに違いないんだ。ほかの人も知らぬじゃありませんか。押さなかったら、おまえやめさせるぞと、これは書いてございません、ここはね。これは僕の想像的発言でございます。 ですから、そういう状態で彼が宅直に割り込んだということです。ですから、出勤簿には判こを押してある。しかし、計画表には一切載ってない。 その次が重要なんだ。その宿直料は月給に入っている。彼は一切払わなかった。プールに出さない。出せばまた話が違うんだと思うんだ。悪いことをしてもやっぱり相手が公のために、私は、教室のためにと言うんだと若干話が違う。出していませんからね。だから返納を命じたんですよ。助手は返納を命じられていない。なぜか。出しているからですよ。十分な宿直料を与えられていないからだと言ってもいい。だから、その上積みのために出してやっている。だから上積みしていたそうですよ。冗談じゃないと思うんだ。これで、いい、助教授と助手の宅直というのが大きな違いがあるということがおわかりでしょう。彼は出していないんです。明らかに着服です。着服したんだから、それは明快な事実でね、そのことを内部告発でわかった。十一月の二十七日だったかな、何かあるんです。日にちが、今、僕も今多分空宿直についてという教授から学長あての公文書かな、報告書が十二月の八日に出ているのに載っているんだ。空宿直報告書というのがあるんで、これは内容証明ですからね。これです。これにちゃんと事務職員の名前が載っていますから、申し出によって虚偽の文書を作成したということがはっきり書いてありますから。 ですから、この宅直というのを当然であるかのごとくに思っちゃ大間違いなのは、助教授、講師とそれから助手の違いが、これだけの大きな違いがあるということです。助教授が宅直して悪いなんて、宿直して悪いなんて言いません。いいんじゃないですか。だけども、普通は大助教授はやらぬということです。それはしかしやったっていい。何にも法律的にどうということじゃない。医師免許証があればいいんですから。ですから、そういうことを考えてみますと、今の空宿直というのは犯罪事実として明快なんだな。 文部大臣は仮定の問題ならお答えいただいたんで、本当であるとすればということでかな、何か、どうです、どう思われますか。これだけの事実の中でこの空宿直に対する助教授の態度です。どう思われますか。返納を命じたんですよ。それは大臣差し上げてありますよね、この前のときに。本人に相当額の返納を命じた。僕はその金額と回数と、そして最初の金額と何回やったか、回数と日にちと、日にちが必要だと僕は思っています。何かあるから、そこを調べれば。ですから、それと金額と相当額返納を命じた、相当額とは幾ら、どういう理由なのか。それを僕は大臣やっぱり今のような問題についてどう思われますか、こんなようないきさつですよ。
○国務大臣(松永光君) 実は私も三十年ぐらい前でしたが、宿直それから宿直に準ずるような自宅待機という職務に従事したことがございます。一番若うございましたから、先輩の分までしばしばかわってやったこともございます。私の場合には、職務上、宿直や自宅待機の場合でも別に手当がつかない職務でございましたので、金銭の関係はないわけでありますが、このローテーションの問題、それから後輩が特に世帯持ちの先輩の分をかわってあげる、そういったことの経験も私もしたことがございますので、今先生のおっしゃったことは、ある程度私も、なるほど病院でもああいうことがあるのかなというふうに思いました。 その場合、宅直というのをどう見るかという問題でありますが、これはある程度の拘束を受けるわけですよね。宅直だからといって酒飲むわけにいきませんし、それからまたどこかに遊びに行くわけにもいきませんし、やはり連絡があったならば直ちに飛び出す用意をしながら自宅でおるという状態でございましょうから、これはある程度の何というか、待機状態ですね。この待機状態にあるいわゆる宅直は、純粋の意味のカラ宿直とはやや違うような感じがいたします。カラ宿直といえば、もちろんそこに宿直もしてない、それから自宅待機もしてない、そういうローテーションでもなかった、であるのに宿直をしたというような形で処理されるならば、それはまさしくカラ宿直ではなかろうか、こういうふうに思うのでありますが、そのカラ宿直について手当が支払われるというのは、これはよくないことだなと。宅直の場合には、これは先ほど言ったように待機状態が続くわけでありまして、拘束を受けるわけでありますから、これは何がしかの手当が払われたとしても、それは違法とは私は考えません。 そういうふうに一般論として私は考えるわけでありますが、いずれにいたしましてもこういう問題、終局的には犯罪またはこれに類するような事態については大学の内部だけで処理すべきことじゃなくして、やはり外部の関係当局の最終的な判断があるべきこととは思いますけれども、大学の内部で起こったことでありますならば、まずは大学内部で事実を確かめ合い、そしてそれに対する適切な措置がなされるべきものだと、その上には設置者がきちっと処理すべきことである。文部省の立場としては、設置者を通じて、あるいは大学の責任者を通じて指導をするということではなかろうかというふうに思います。 なおこの場合に、先生の御発言等の中で出てきますけれども、学長さんがどうも問題の一方の当事者みたいな印象も実はあるわけでありまして、教授会の招集の仕方が、翌日招集してすぐ決めちまうなどということですね。そういうことを考えますというと、大学の学長よりはむしろ設置自治体である福島県を通じて、文部省としては真相を確かめ、適切な措置がなされるよう指導するという立場になっておるわけでございます。
○高桑栄松君 いや、文部大臣のお話はますます明快で、今度相談に行きたいなと今思っております。というのは、今僕はこの時点までカラ宿直と宅直との区別を自分では正確にしたつもりなのを、同じように考えて物を言っていまして、つまり助教授と助手が違うと言ったけれども、大臣は、いわゆる宅直はそれなりの理由があるし、カラ宿直はだめだと、これは明快だわ。この定義をはっきりしなきゃいけないということがわかりました。なるほどそうだ。片一方はほとんど拘束を受けていない、つまり助教授はローテーションに入っていないんだから。一方の人は呼べないんだ、だれがこの日の宅直かは、山田というのが入っているとするとああ、山田がおれの副だと思っているわけだ。何もなきゃそれで終わりですよ。あ、これは助教授だなんて思わぬわけですよ、書いてないんだから。ローテーションに入ってない、ですから拘束を受けるはずがないということを僕はやっぱり明快にここでわかったんです。ああ、あれがカラ宿直で、助手のは宅直であるということがよくわかりました。 そこで、これは前にも申し上げたことなんですけれども、このカラ宿直、公金横領、第一、上司を告発をしたということだけでもいわゆる管理を乱しているんですよね。そういう状況の男を今日まで——助教授、講師までが講義の資格ございますからね、助手は助けてはだめなんです。講義はできないんです。だから講義をする資格を与えて、臨床から講義の実習指導をやっていると思います。講義もしています。していなければそんなものやめさせればいいぐらい、講師、助教授はしています。この返還をさしたのが十二月ですからね。今日までこれを知らぬ顔しているんだ。それが僕、大学の管理者、医の倫理、教育——私、前に申し上げましたけれども、学園紛争時代、私があの激しい昭和四十五年から五十一年、医学部長として六年、学生を相手に大論争を続けてこれたのは、一つには大学は論理展開の場だという私の論理ですよ、論理こそ大学のすべてだ、これ以外はない、警官なんか入れたってだめなんだからというのが一つ。もう一つは、医の倫理の前に医の教育倫理がある。私はこれを教授諸公に主張した、お願いした。医の教育には倫理があります、医の教育をおろそかにしてもらってはだめだ、おろそかにすれば医の倫理は乱れていく、これは僕は主張し続けてきたことです。こんなこと、ここですらすらなんて出るものじゃありませんわ。あの紛争のときに真剣に僕訴えたからいつでも同じ言葉を僕は思い出すんです。福島医科大学はどういうところなんだろうかと僕は思いますね。 それで、その次の教授が退職——仕方がないから後で錯誤によって取り消したんですが、三月十五日に出した。三月三十一日付です。教授会はこれを拒否した。新聞が伝える理由は、錯誤の理由がわからない、信義違反である、この二つだと思うんです。新聞ですよ。ところが、本人には学長名でさっき申し上げました錯誤ということが、その理由を至急説明されたい、これが来たわけです。僕はここで教授会のあり方について文部省の見解を聞きたいんだな。 大学の自治というのは、学問研究の自由を守るところです。学問研究というのは集団でやるものじゃないんだ。全部個人ですよ。高桑は疲労研究をやったんだ、何々先生はがんをやったんだと、個人なんです。その個人の研究に、あるいは思想も入っていますね、思想の自由を保障している。大学というのは言論の自由と学問研究の自由と、僕はこの二つだと思っております。それ以外のものは一切ない。行政的な問題は全部文部官僚がやることであって、我々は教育と研究、それ以外のことはない。僕はそう思って教授を勤めてきました。私の常識ですけれども、それで通ったと思っています。それが個人の権利を守るべき、つまり集団で防衛をしてあげなければならない個人の権利ですよ。本人が錯誤で、つまり分限免職だ、もう一度繰り返しますが、これは証拠はありませんが、出納長が三回にわたって十二月以前に本人に会って、学長はあなたを分限免職だと言っています、局長はあなたを告発すると言っています、あなたとってもいられない、依願免の方がいいんじゃないですか、直江出納長が三遍会っているうち、明確に言っているそうです。証拠はございません、これは。しかし、それを裏づけるものはありますよ、ちゃんと。学長が十月の十一日だと思います、福島教授に、局長を通じてあなたの身分を預けなさい。局長に、本人が、身分を預けろって何ですか、辞職ですかと言ったらそうだと言っている。その一問一答が教授会に出されています。局長が本人に、十一月十七日か、あなたを行監を入れて刑事問題として告訴する、おれの考えだ、行監を入れるとこう言ってるんですよ。脅迫以外の何物でもありませんよ。それで行監が十一月三十日に入った。結果は二度公式文書で知らしてくれと言ったにもかかわらず、三月二十日までわからない。知らされたんではない、告知の形で不正はなかったと書いてある。だから彼は錯誤なんだ、強制的錯誤によって辞職願いを出した。 次が、文部大臣はやっぱり明快に教えてくださると思うんで伺いたいんですけれども、錯誤によって意思表示を取り消した場合には、重大な本人に過失がなければ有効であると民法には書いてございます。地方公務員の、教育六法、三省堂、参照いたしますと、辞令交付前に辞意を撤回した場合には、特段の信義則違反のない限り有効であると書いてあります。教育六法です。いや、書いてあるんじゃない、判例です。最高裁判例、三十七年七月十三日だ。最高裁判例に載っています。「特段の信義則」、ここを取り上げたんだと僕思いますけれどもね。これだけの二つの法的な保護があるにもかかわらず、教授会は本人がやめたいと言ったときには一日で決定しておいて——いや、お上げしましょうか。僕持っているんですよ、ちゃんと。本人がやめるときには一日で教授会で決定してですよ、やめるのをやめたというのを、取り消しは拒否するというんだ。これは、本人がやめさせられるというのをやめたくないと言ったら、それを保護するのが大学の自治、教授会の立場。個人の権利を守ってあげるのが教授会だと僕は心得てきた。聞いていらっしゃるかな。僕はそら耳の返事はお断りしたい。悪いけれども仕方がないものね。僕の言ったことに答えていただきたいと思うんです、大臣ね。僕は、僕の常識なんだけれども、今言ったように大学の自治というものは、教授会が個人の侵されるかもしらない権利、学問の自由とか思想の自由とか、そういったものが外的な圧力で、プレッシャーかかったときに保護してやるのが教授会だと僕は思っているんです。だから、僕の医学部長時代はいろんな圧迫に僕は耐えてきた。大学管理臨時措置法などという僕は絶対反対したやつもあった。それは僕は使わなかったです。あんなものを使ったら教育はできないということです。そんなプレッシャーで教育なんかできるものじゃないんだから。ですから、そういうのが、教授会が辞意を、おれはやめようと初め思ったけれども、そいつは思い直したと言っているのを拒否するという理由があるんだろうか。僕は教授会というのは奇妙だなと思うんですよ。治外法権だと思っているのかと。しかも、法律的にもこれだけの根拠が二つある。民法第九十五条と地方公務員法の第二十八条かなんかの最高裁判例ですよ。全くばかばかしい、こんな僕の専門外の勉強させられちゃ。本当に覚えているのも大変だしさ。何かそう書いてあったですよ。だから、少し何条間違ってもいいや。見てください、最高裁判例です。三十七年七月十三日だった。たしかそうだった。ですから、これだけの根拠に支えられているのが、教授会が拒否したと、その理由をと、僕はこれも調査をお願いした。錯誤という理由がわからないんだ。これは彼が二十七日に返事を出してますから、学長あてに。見ればわかる。信義違反って何ですか。シンギってどっちのシンギなんですかね。大体、思い違いしたというのは信義に関係するのかしら。信義って何だろう。不思議なんだな。おれは思い違ったというのだめなんですかね。そんなばかなことないと思うんですよ。そして、行政措置ということをこの前法務省が言った、この前のとき。確かに行政的な場ですよ、公務員ですから。しかし、行政措置が錯誤を許されないというのは、対象が公になって政策が行われたときには錯誤は許されません。おれは思い違った。それはとんでもない話だ。しかし、個人対象なんだから、利害関係は行政行為の一つかもしらぬけれども、個人対象なんか利害関係は本人以外に何にもないんだ。それが、錯誤が許されないとか信義だとかって問題じゃない。個人なんだから。公の問題じゃありませんよ。だから、この取り消しを認めなかった教授会の理由について明快な回答を求めたいし、出ていないことは僕はわかっているから、厳重に僕の言った趣旨に沿うてがっちり文書でもらってもらいたいと僕は思いますが、急ぎたいね。一年かかったなんていったらとんでもないですよ。冗談じゃありませんよね。大臣いかがですか。
○国務大臣(松永光君) 先生おっしゃるように、民法に錯誤による意思表示はこれを無効とするという規定があることは私も承知いたしております。本件の場合は、辞職の提出、辞意の表明、これは、もしみずから辞意の表明をしなければ、辞職願を出さなければ分限処分を受けると思ったと。実際は分限処分を受けるというふうな事情はなかったんだと。そこに錯誤の本体があると、こういうことであろうかと思うんですが、そこで、不正はなかったということを知ったので、それで前の辞職の意思表示というのが錯誤に基づくものであるから撤回をしたいと、こういうふうに申し出がなされたもののようでございます。それだけの段階ならば民法の規定だけで処理できることだと思いますが、辞職願に基づいて教授会が開かれて、そしてこれは辞職の受理、承認ということでしょうか、一つの法律に基づく行政行為がなされたわけでありまして、その行政行為が有効か無効かという問題があろうかと思いますが、それは私の専門でもありませんし、所管事項でもありませんので、それは私の方から答える立場で実はないわけでございます。いずれにせよ文部省としては、事が重大なことでもありますので、今の事情等につきましても文書で回答を求めましたので、福島県の方から文書による回答がそう長い時間はなしに来るものというふうに思っておりますので、それを見た上でまた御答弁を申し上げたいと、こういうふうに思うわけでございます。
○高桑栄松君 文部大臣もう一度。 地方公務員の、教育六法の最高裁判例を三遍ぐらい繰り返して申し上げました。辞令交付前の辞意撤回は有効なんですね。そう書いてあります。判例です、最高裁判例。何だったらお上げしますよ。ですからそういうことを見ても、その二つのポイントで僕は、教授会が認めないと言ったのはおかしいし、さっきから繰り返しになりますが、辞意表明をした理由は一身上の理由なんだな。何にも書いてないわけですよ。一身上の理由というのは漠然たるものですよね。そうでしょう。これについては一言も理由は何かと聞かないで即決しているわけだ。おかしいんだな。これはもう大変おかしなスピード受理ですよ。そして、受理したということは発令じゃありませんからね、三月三十一日付の願いなんだから。 そして、その次の行政監察が十一月三十日に行われて、彼はおどしをかけられたわけだ。確かに旅費が四十五万教室に来ていると、それを本人に渡さないで——文部省は御存じだと思います。これだけで学会に行けといったら一回行ったら終わりですよ。教授が十万ぐらいで、助教授が七、八万で、助手が六、七万でだれが日本じゅうの学会に五回も六回も出られますか。出られないのはわか り切っているけれども、予算上積算校費か何かで教授は幾ら助教授は幾らと出ているあれと同じなんだ。そんな四十五万でこの大世帯の旅費を賄うことはできないわけだ。しかし、しかし法律的に間違っていなかったかと言われると間違ったことになるわけでしょう。だから彼にとって不安だったと思うんだ。やろうと思えばおれは分限免職をやられるのかもしれないなと。出納長にまで言われている。出納長が学長と会っていることは別なメモでも明快に記載されていますから。これも公文書的なやつがある。だから、こう言った、ああ言ったは書いてないけれども、出納長が本人に会っていることはもう事実になっています。そこで、行政監察結果というのは彼にとっては非常に不安の材料だったと思います。そうですね。そうだと思いますよ。行政監察の結果がどう、シロと出るのかクロと出るのか心配だったと思う。その結果を学長に言ってやっても返事が来ないので調査委員会の委員長、教授ですが、そこにも出したんです。どうしても教えてくれなかったそうです。これは教えなくてもいいものなんでしょうかね。本人ですよ、教授ですよ。要求しているの、公文書で。だめなものなんでしょうか。何か僕はおかしいと思うんだけどね。本人はそれですっきりして、辞表なんか出さなくてもよかったんですよ。どうでしょう、これ。いかがでしょう。
○国務大臣(松永光君) それは文部大臣たる私が答えるべき問題じゃないような気がいたしますので、答弁はひとつ差し控えさせていただきたいと思います。
○高桑栄松君 文部大臣と言われると僕は気の毒だと思うんです。僕は常識の世界で考えているんですよね。大体、法律なんというものは僕は常識だと思っていますよ、常識で守れない法律はやめてもらいたい。そんな一々六法全書開いて、今これをおれがやれるか、そんなことをできますか。私は法律のとおり動いているということですよ。法律なんというものは、多分ですよ、なんと言うと法律屋いっぱいおられてしかられますけれども、多分最低の倫理のぎりぎりぐらいのところが法律なんだと思うんだ。我々はもう少し高い倫理の上に立っていると思っている。法律は、我々が自由行動をとって一切法律に触れないはずだと僕はそう思っている。ですから、監察結果をしたら教えるのが当たり前じゃないかというのが一つ。 それから、彼は教授会のメンバーなんですよね、現在。そうでしょう。いや三十一日までだから現在だめですが、一月、二月は教授会メンバーです。教授会の調査の委員会です。そこへ報告が行っているんですね。学長に報告が行き、学長から調査委員会にも報告が行っている。教授会の資料として見せてほしいと言ったら、守秘義務だと言って断わられたというのが文書に裁っているんですよね、文書というのは手紙だな、普通の。守秘義務というのは、一体教授会のメンバーに教授会の調査したことを見せないということができるんだろうか。まるで刑事事件の被告が留置場に入っているように思うんですね、文部省、どなたか答えてもらいたい。
○政府委員(宮地貫一君) 教授会に守秘義務があるというぐあいには私どもは考えないわけでございますけれども、教授会において知り得た事実や審議内容で秘密にかかわる事柄、例えば教職員の人事にかかわる問題その他については守秘義務の対象になるものというぐあいに考えております。
○高桑栄松君 再び言いますよ、本人の人権にかかわっているし、本人が被告人あたかも犯罪人であるかのごとくに十月に助教授、講師が内部告発をした段階で既に一方的に犯罪者扱いをされてきたことは何遍も僕申し上げた。僕の言うのが一方的であるかどうかは調査をしてくださいと言っているのはそこです。突き合わせてみたいんだ。どれだけ僕の言っているのが正しいか、はっきりさせたい。そのときに文部省の責任も、指導を怠ったという意味で僕は文部省にも物申したい。国費が入っておりますから。そんなばかげたことを許しちゃいけませんよ。しかも医の倫理をこれだけ文句を言われているんだ。ですから、本人に知らせなくてもいい、特別にどうとか言っても、特別と言ったって、本人が言われて本人が要求しているのに、本人には見せない。三月二十日にはシロだった、これは僕の推定をいたしますよ、クロだったら即刻免職にしたと思うんです、僕はそう思う。ここまでのいきさつを見たら、行政監察が入った段階でばちっとこれはもう免職しますよ。免職できなかった、なぜか、言わなくてもいいでしょう、免職できないんだ。そこで圧迫だけを加えたわけた。そして辞職に追い込んだ。もう明快に僕はそう思う。だって事実がそうだもの。で、三月二十日、不正はなかったと。当たり前ですよ。そのお金は全部個人的にどうこうしていない、記帳されている。きちっと帳簿に載っていた、旅費に使わなかったといってもほかのに使っている。しかし、旅費はこんなちっぽけなものでできないんで、もっとでっかい金が入っていて使っているんです。前の教授は公金をどうとか、公金だか収賄だか知りません、何かやったということで追い出された人なんだ。一カ月後に助教授も追い出されたそうですよ。その同じ教室なんだから仕掛人はだれなんだとちまたのうわさがありますけれども、これは推定の域を出ませんので御想像していただきたい。この前申し上げましたよ。三千講座に一回あるかないか、同じところで起きるのは三千分の一の二乗ですよ。九百万分の一です。VSOPなんです。その二乗なんですよ。ベリー・ベリー・スペシャル・スペシャル・ワンパターンというやつです。そういうVSOPのところを、あたかも教授会の権威というか、そういうオーソリティーを守ろうとするかのごとき発言をしてもらっては僕はやっぱり——いや、そうおっしゃっていないんでしょうけれども聞こえるんだな。もう少し指導をしてもらいたいというのが私の気持ちなんです。 それから、カラ宿直料、これは新聞ございますよ、新聞。学長はカラ宿直の宿直料の問題、新聞では千二百万を超すと書いてある。そのうち助教授、講師がどれぐらいになるか、回数による。その回数に興味津々なんです、僕の持っているデータありますから。ですから興味津々なんです。新聞に何と言ったか。それには数字が合うかおもしろいじゃありませんか。改ざんするんじゃないかという心配があるというのはそこですよ。ですから、それを学長は大学としては不問に付したと新聞に出ています。ここで国会議員としては怒りたいところですね、国費が入っておりますから。学長のポケットマネーなんでしょうか、公金というのは。僕は、ここは公金の取り扱い方のいかにずさんな学長であるかということだと思うんです。公金ですよ。不問に付すことできるのかな。自分の考えで、ああ、あいつが使ったんならいいわ、そんなことできるんですか。相当額返納さしたというのはどういう裁判をとった、調査委員会できていないんだから。いい、調査委員会できていないんですよ、返納さしたのは。そういうときに返納さしたのはだれが判断したんだろうか。どんな根拠なんだ。これを明快に文部省に調査を僕はお願いいたします。今の公金を不問に付すと言った言動だけを、新聞記事ではございますが、それを聞いて常識人としての文部大臣はどのように批判をいたされるでしょうか。
○国務大臣(松永光君) 私は、法律というものはどういうものであるかということ、常に常識ないし良識の上に立って判断さるべきことであって、物事を判断する場合にまず常識、良識、そして最後は法律と私も同じような考え方であります。ただ、大学の教授、助教授、講師等いわゆる教員の人事というのは大学自治の極めて重要な一部をなすものだと思います。その意味で教授会の検討、審議をされた上で適切になされると。まあ、人事についての大学自治の原則は尊重されなきゃならぬと思います。しかし、その大学の自治も、先生がしばしばおっしゃるとおり良識の上に立った自治でなければならぬと思うのでありますが、文部省としては、あくまでも大学の自治を尊重するという立場で対処していかなきゃなりませんので、事実関係を調べる上でも常に大学の責任者を通じて報告を求める、あるいは大学設置者を通じて真相の報告を求める、こういう態度をとっておるわけであります。先生の御指摘になった点につきましては、正確を期するという意味もあり、かつ重みも考えまして、文書による回答を求めたわけでありまして、いずれ文書による回答が参ることと思いますので、それによって御答弁も申し上げ、また対処もしてまいりたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○高桑栄松君 いや、よくわかりました。この前、大臣は「もし」という言葉でしたけれども、公金を横領したのが教職についているということがもし事実であれば許されないとおっしゃった、これは常識ですからね。何も重みがあるないなんというものじゃないんだわ。常識ですよ。当たり前のことなんだ。だから、これはそうだと僕は思っていますから、「もし」が事実であったときにこれを厳格に実施してもらいたい。大学の自治というものは先ほど説明が冒頭にありましたが、学問、研究、思想の自由でありまして、刑事事件から逃避する自治はありません。自治を主張するのであれば、みずから律することがなければなるまい。みずからの中に泥棒が助教授をしているような、教職にあるということは、みずから律していないと思います。この教授会がどういう体質なのか。一体どういうんだろう。教授会の自治を治外法権かと僕が申し上げたのは、こういう論理の末に僕は伺っているわけです。学長の管理責任はどうなんだ。時間が先生の分に食い込みましたのでやめますけれども、学長は、一言だけ言って、この次に僕は質問を保留しますから、学長は、助教授、講師が辞職願を出した段階から即座に教授にやめなさいと言って、一方的なんだ。そして結論を常に誘導しつつあったということです。これは僕は事実を追ってまた追及いたしますけれども、そういうことを、やっぱり、文部省というのは僕は大学の自治の名に隠れて逃げ隠れちゃいけないと思うんだな。県立福島医大の問題じゃありませんよ。一般には医者が、僕は、先生もそうですが、医者を教育してまいりました。僕らはそんな変な医者を出したくないと思い続けてきています。今でもそう主張しています。だから、そんなろくでもないところはそれなりの処置を厳重にとってもらわなければ、あんな人が教えてるんだからおれはどんな悪いことでもしてもいい、見つかったら返せばいいじゃないか、そんなことになりますよ。ですから、ここはがっちり文部省としては教育行政の責任があるということですね。道徳教育というのは、きのう杉山さんがおっしゃっていたが、道徳教育は教師にしなきゃいけないんですよね、本当は。本当に冗談じゃないなと僕は今思っています。これは御返答いただくことでないな。 それじゃ、これで私は終わります。ありがとうございました。
○高木健太郎君 質問の予告には申し上げておきませんでしたが、御存じのようにけさの新聞並びにゆうべのNHKで、高等学校の生徒が中退した、その数が十一万一千幾らかである、これは高等学校の百二十七校分に当たるというようなことが言われております。NHKの解説によりますと、それらは不適応であった、あるいはまた高知、それから東京、沖縄、大阪の順に多くて、高知では百人のうち三・七人、これぐらいの大勢の人がやめちゃったというんですね。そして実業学校の人が多かった。これの理由としては学業が不振であった、あるいは基礎学力が不足しておった、あるいはやる気がなかったとか、そういうことでやめたということが言われておるわけですけれども、これについて、これは文部省の調べでございますが、どのようにこれまでなっておりますか。また、このところ急にこういうことがふえたのかどうか、ちょっと経年的のお話も伺いたいと思います。
○政府委員(高石邦男君) けさの新聞に報道されました昭和五十八年度の公私立高等学校の中途退学者について申し上げますと、まず総数は十一万一千人で、前度年に比べて約五千人の増になっています。中途退学者の在籍者に占める割合は二・四%。前年度が二・三%でございます。この二・四%、二・三%というのはここ二、三年来ほとんどそういう数字でございまして、十万前後の中退者がいるということが続いているわけでございます。 中途退学の事由の主なものは、学校生活・学業不適応、これが二三・四%でございます。それから進路変更二一・八%でございます。学業不振一四・八%等となっているわけでございます。 その中退者の一年、二年、三年の傾向を見ますと、まず全日制で申し上げますと、第一学年が五三・五%、約半数近くは一年生のときに中退をしております。それから二年生が三五・二%、三年生が一一・三%でございます。定時制の場合も同じ傾向でございまして、定時制の場合はもっと一年における中退者の比率が高くて五九・二%、二年生が二二・九%、三年生が一三・五%、四年生が四・四%という状況でございます。 この中退者がこれだけの数になっているという原因は、一つは、ほとんどの希望する子供たちが高等学校に進学できるという状況で、現在進学を希望する者の九九%はどこかの学校に進学できるというような状況になっているわけでございます。したがいまして、そういう背景のもとで本人の適性、能力の合わない学校選択、ないしは余り勉強が好きでないにもかかわらず親、地域社会の雰囲気の中で高等学校に進学していくというような子供もかなり見受けられると思うわけでございます。したがいまして、今後この問題につきましては、まず中学校段階における進路指導の適正化、これを十分に行っていくことが大切であろうと思います。また、学校における教育のあり方としては、そういう子供たちもそれなりに学習意欲がわくような多様化、弾力化、そういう方向の改善もあわせて必要であろうと思っているところでございます。
○高木健太郎君 指導が悪かったということもあるわけでしょうが、やむを得ずそこの学校に入らざるを得なかったというようなこともあるんじゃないか。例えば輪切り現象で、行きたくないというのをおまえはここに行けと言われたようなことはあったんじゃないか。もう一つは、それだからこれは今後とも指導というのは妙ですけれども、家庭と教師が十分相談をして、こういうことはむだなことですし、本人にも気の毒なことですから、こういう去年からもう二三%あったということですけれども、これをこのまま放置しないように真剣にひとつその理由を考え、今後の指導に誤りのないようにしていただきたい、こう思います。理由はやはりいろいろあるだろうと思いますからして、そう簡単には私は片づかない問題かと思いますが、問題は非常に親御さんにとっても本人にとっても大変なことでございますから、ぜひ今後力を入れて指導していただきたい。 もう一つは、このやめた子供たちはどこへどういうふうに処置されるおつもりでございますか。
○政府委員(高石邦男君) 当該学校の在籍がなくなりますので、学校の立場でその子供たちのその後の追跡をするというのは非常に困難でございます。したがいまして、具体的な追跡まで行っておりませんが、いずれにいたしましても進路変更等によって専修学校等へ進学した者等もかなりおりますし、他の教育機関、要するに一条学校以外の教育機関に進学の進路を変えていく、ないしは就職をするというような多様な形態があろうかと思います。
○高木健太郎君 その結果はもうわかっているわけですか。何%ぐらいがどういうふうに進んでいったかというようなことはつかんでおられますか。
○政府委員(高石邦男君) 進路の変更というのが約二割いるわけでございますので、この子供たちは多分専修学校、各種学校等に進路変更したと思われるわけでございます。それ以外は就職をしたりしているかと思うんですが、そこまでの分析はちょっと難しい状況でございます。
○高木健太郎君 できるだけこういうこともつかまれて、大きな落ちこぼれですからして、小さな学校の中で何人かが落ちこぼれたというふうな問題ではないと思うんですね。だから、せっかくこういう学校をつくられて教育に当たるということであるなら、たとえ九九%が——入って中にはだめなやつもおるかもしれませんけれども、十分そういうことが起こらないようにすることが私大事なことじゃないかと思います。 この問題はこれくらいにおきまして、次は文部大臣にひとつお尋ね申し上げますが、高橋信次という方を御存じでございますか。
○国務大臣(松永光君) 高橋先生は、文化勲章を受章された大変立派な学者であり、なかんずくレントゲンの問題についての日本の権威者であられると承知しております。
○高木健太郎君 高橋信次さんは、昨日の午前一時半に亡くなりました。 私がこういうことをお尋ね申し上げますのは、国が文化勲章というのをその功績によって与えたというそういう人のことを文部大臣にぜひ知っておいていただきたかった。御存じであったということを大変私うれしく思います。また、それがレントゲンの専門家であって、その方面で非常に大きな功績をされたということに対しても御存じであったということは、私、文部大臣として本当にいいことだと喜んでいる次第でございます。 こういうことを申し上げるのは、まあ文化勲章とか学士院賞とかは、そういう国の最高の学術研究に対する功績に対して国がこれを褒めたたえるという意味で与えられているわけでございます。高橋教授の仕事は例の横断撮影、あるいはそれからさらに進みまして現在非常に医学の方で利用されておりますCTスキャナーというようなものについての非常に大きなサゼスチョンを与えられた。我々は非常にそれによって幸せになったということでございます。これは何もそういうことをするためにやられたというんではなくて、まさに基礎研究としてそういうことをおやりになったということでございます。 私がきょうここでわざわざこれを取り上げましたのは、日本では基礎研究が足りないということを言われております。それは基礎研究に進む者が一つは少ない。ここに「ネーチャー」という雑誌が、これは科学雑誌で英国から出されているものでございますが、そこに「ジャパニーズ・アンクリフティビティー」という表題で書いてございます。それは日本が非創造的である、日本の非創造性ということについて書いたものでございます。これは御存じのように日本には科学技術会議というのがございます。ここで将来の日本の進路あるいは科学研究のあり方というものを審議をいたしまして、これを官庁その他に進言をするという機関でございますが、それらがいろいろやっているところでございますが、結局、現在基礎研究というのが日本では非常に少ないと言われております。大体、基礎研究、応用研究と分けましてどれぐらいの経費を文部省として出しておられるでしょうか。これは科学技術庁とか通産省とかその他からも、いわゆる政府機関から出されておりますので、なかなかそれつかみにくいと思いますけれども、 〔委員長退席、理事仲川幸男君着席〕 大体政府機関からどれぐらいの研究費が出て、それから民間からはどれぐらいの研究費が出ているとお考えでしょうか。出ているものでしょうか。
○政府委員(大崎仁君) 研究関係の経費のつかみ方というのはいろいろ正確な把握に困難な点もございますが、総理府統計局で行っております科学技術研究調査報告の昭和五十七年度の値で申しますと、我が国全体といたしましては、自然科学のみでございますが、五兆八千八百十五億円という額が研究費として使用されておりまして、その内訳は、大学等がこれは国公私立を通じまして九千四百八十二億円、構成比で申しますと一六・一%でございます。あと企業等が四兆三百九十億円、六八・七%。それから、その他政府諸機関等の研究機関が八千九百四十三億円、一五・二%ということでございます。 大学等の研究は当然全体として基礎研究が中心であるわけでございますが、それを強いて、そのうちの特に基礎というようなことでさらに分けますと、大体五五%程度が基礎中の基礎という感じで使われておるということではなかろうかと思います。
○高木健太郎君 ありがとうございました。 これはアメリカなんかと比較されたこともおありだと思いますが、欧米各国と比較して日本が基礎研究に投入している政府の費用というものは、経費は極めて少ないと。 それで、この間も竹村健一さんがお話がございましたけれども、通産省の人なんかは非常に将来に対して心配していると、このままでいいだろうかと。日本は今トップクラスにいると。GNPでいえば二番目かなんといって、非常に大きい。また、諸外国に対する投資あるいはドルの保有高、そういうことでも現在一千億ドルを超した、もうアメリカを抜いている。だからして国民、我々は、それに、ああ、日本はもう立派だと、こう思っておるが、実はこれまでこういうふうに日本がやってきましたのは、向こうでいろいろつくられた、向こうで基礎研究をやられて、それの原理を日本人はうまく科学技術に応用してきたということがほとんど大部分である。これはもう皆さんよく御存じのことでございまして、今、しかしアメリカは、日本の教育のやり方、日本はうまくこういったが、なぜこういうふうにうまくいったんだろうかということを一生懸命研究して、いや、日本の教育のここのところがよかった、しかしこれは新しく基礎研究を始めて基本的に抜いていかなきゃだめだということで、非常に大きな意欲を持って政府が、あの赤字の政府が非常に大きな金額を基礎研究に投入しているということを聞いております。このままだと、少なくとも私は、またいつかは日本のいわゆる企業といいますか、貿易立国であり技術立国である日本が敗残する、衰えていくというようなことが一方では必ず起こってくるんじゃないかということを文部大臣も心配しておられますでしょうし、私も非常に心配しているわけでございます。そういう意味では基礎研究を盛んにする。わずか全体として九千億円だと、一兆円に足らない。ほかの五兆円といいますというと、四兆円はこれは民間から出ているというようなことは非常に考えなきゃいかぬ。私ちょっと間違えましたかもしれませんが、そういう非常に少ないということです。特に学生諸君は、これにも書いてございますけれども、学生諸君は非常に基礎的な学問の学科に行かないで、みんな工学部とかそういう応用科学の方へ向かう学生が多い。 〔理事仲川幸男君退席、委員長着席〕 また、せっかくそういう基礎的な研究に残ろうとしてもそれの予算が僅少である、そのために十分な研究ができない。ここにはこれをパーシモニーと書いてあるんです。パーシモニーというのはけちん坊だということなんです。要するに、そこに余り出さない。パーシモニーという、研究、講座とか、大学に対してそういう基礎的な研究をするところへの金が非常に少ない、少ないんじゃないんです、けちん坊だというわけです、パーシモニー。そういうふうにこれはとっているわけです。そのためにそこに行く学生は少なくて、また行っても企業と共同して研究をするということをやっている。そうなりますと、企業と一緒にやれば必ずそれは応用科学の方面になるだろうと思うわけで、本当の意味の基礎研究というものが落ちついてやれないんじゃないかなという気がする。この点が、私、非常に将来とも憂慮すべきことではないかなと、こういうふうに思うわけです。 この予算書を見ますと、文部省のここに書いてあります、これの五十八ページにございますこの科学研究費というところでございますけれども、エネルギーその他はこれはやっぱり私、基礎研究としてこれ非常にいい、大事なことだと思います。また、実際やっておられるのは筑波の研究所にしましても大学の附置研究所にしましても、これ非常に基礎的なことをやっておられて、これはぜひ大学でやらなきゃいけないことだと思うんですね、企業ではこういうことはできない。ところが、その下の宇宙、地球環境の解明ということでロケットを打ち上げたり、海洋でシートピアの船をつくったり、あるいは日本の海溝の共同研究というようなことがあるんですが、これが基礎研究であるかもしれませんが、もっとほかにやることがあるんじゃないかと、基礎研究でですね、余り大きな金を使わないで、いわゆるそういう巨大科学じゃなくて、これだけの金をほかへ回せばもっとできることがあるんじゃないか、これはどっちかと言えば私は科学技術庁がやるようなことじゃないかなというふうにも思うわけです。 その次の対がん十カ年総合、いわゆるがんを治療しようということからこれ始まっているわけでしょうが、がんの研究、この中でいろいろ基礎的な研究を行われているわけでしょうが、これは非常に大きな、十六億ですか、十六億ぐらいの金を出されておりますが、それがばらっと全体にまかれて配分されて一人の研究者にどれぐらい渡っているか。これ何人ぐらいがこのがんの対策の研究に携わっておられるんでしょうか、おわかりでしょうか。
○政府委員(大崎仁君) 先生御指摘のように、基礎研究の充実を図る際には、幅広い研究者の地道なかつ創造的な努力をお助けするということが最も大事であるというふうに私どもも考えておるわけでございます。 ただ、今御指摘がございました、例えば例を宇宙にとりますと、宇宙科学という点で文部省が推進をしておりますのは、むしろ天文学というものが宇宙にまで出ませんと世界の学界の進歩に伍していけないというような状況にあるということを踏まえまして、科学衛星を打ち上げまして各種の天体観測その他の学術活動をやっておる。関係者に言わせますと、いわば浮かぶ天文台ということで数年間そこに観測をした成果というのが世界の科学者共通のものになっていくというような、一例を挙げればそういうことで、現在ハレーすい星の探査等もやっておりますが、そのいわゆる巨大な経費、比較的大きい経費を伴うものにつきましても常に幅広い研究者の努力なり活動に支えられたものを私どもとして優先をさしていくという姿勢は取り続けておるわけでございます。 それから、対がん十カ年でございますが、これにつきましては先生御指摘のような幅広い研究活動、がん関連の研究活動というのは従来科学研究費の中にがん特別研究というものを設けまして、ここで特定の、現在二十億でございますが、その枠で幅広い研究活動をお助けをしておるわけでございますが、その基盤に立ちましていわゆる重点戦略ということで関係者が御決定になった課題を集中的に研究をしていただくということで、特にその特定研究という、いわば研究班的なものを関係者でおつくりをいただきまして、そこで重点的にやっているということで、その研究課題、特定研究に携わっておられる方々の数を私現時点でデータを持ち合わせておりませんけれども、恐らく百ないし二百人程度ということではなかろうかと思っております。
○高木健太郎君 私、何も宇宙科学をやめろとか、そういうことを言っているわけじゃないんですけれども、百六十九億ですよね、昨年が二百十六億という非常に大きな金だと。それに比べますとがんの方が十六億と、何かそこにちょっとアンバランスがあるような気がして、もう少しどっか、これは文部省のやるような、やるなとは言わないんですよ、それはいいことかもしれぬけれども、ちょっとバランスが文部省としてはとれてないんじゃないかという気がしましたのでお尋ねしたわけです。 それからまた、せっかくがん研究をおやりになるのに、余り広く回してしまって、じっくり落ち着いて研究ができないということでも私は困るんじゃないかというような気がしましたのでお伺いしたわけで、その点も十分これは学者の先生方よくお考えになっておやりになったことでございますからして、相談の上おやりになったんでしょうけれども、文部省というものは何をやれるかということでひとつお考えを願いたいと。 そのほかに、がんということになれば結局免疫ということもあるでしょうし、免疫というのは非常にこれは重要な問題でございますし、あるいはバイオテクノロジーの基礎研究ということも私非常に重要じゃないかと。だから、挙げればまだまだ基礎研究としてかなり大きな金をつぎ込まなきゃならぬところが非常に多いんじゃないかと。特に日本のバイオテクノロジーだとかあるいはバイオエレクトロニクスとか、そういうものは今後非常に、世界が注目している学問でございますから、そういう点もぜひこの予算の中に将来組み込んでいくだけのひとつ決意をお持ちいただきたいと、こういうふうに思うわけです。 そこで文部大臣、ちょっとくだらぬ質問で恐縮でございますが、ここへちょっと質問の中に書いておきましたのでお尋ねしますけれども、私、創造性、クリエティビティーということは総理も言われました。あるいは自主的の開発ということ、あるいは個性主義教育と、そういうことはみんな関連していることでございますが、創造性のある学問あるいは研究あるいはそういう教育というものがなぜ必要なのか、どういう意味で創造性をそういうふうにとうとんでいかなければならないのかということをちょっと文部大臣の感想をお聞きしたいと、こう思いますが。
○国務大臣(松永光君) 先ほどから先生の学者としての深い知識をもとにした御意見を承っておりまして大変参考にさしていただいておるわけでございます。 先生もしばしば御指摘になりましたように、我が国の工業あるいはそれを支える科学技術、なるほど相当程度進歩発展してきたと言われておりますけれども、同時に、国内でもそうでありますが、特に外国あたりからは、日本の科学技術、これはほかの国で研究をした科学技術を改良したあるいは模倣型のものでしかないのじゃないかと、そういう批判を受けていることを私も承知いたしております。今までのように、日本がヨーロッパ先進国に追いつけという、追いつき型のときならば、ある面やむを得ない面もあっただろうと思いますけれども、これから我が国がやはり世界の中で世界のいろいろな国々に対して貢献をしながら、同時に世界のいろんな国から信頼を受けながら発展をしていくためには日本の独自の科学技術、こういったものを発展させる、そういうことが必要であるというふうに私も考えておりますが、そのためには、先ほど先生おっしゃいましたやはり基礎研究、基礎科学の研究、これが極めて大事なことであると思います。その上に実用化される、応用化される技術が出てくるものだというふうに考えるわけでありまして、先生の先ほどからの御意見まことにごもっともであるというふうに考えておる次第でございます。 さて、そうしたことを考えてまいりますと、教育の分野でも、教育の理念というものは教育基本法に明記されておるわけでありますけれども、これからの日本を支える人々はそれぞれ個性を持った、そしてまた模倣じゃなくして独創的な能力を持った、あるいは独創的な思考力を持った、そういう人材を養成していくということがこれから我が国にとって極めて大事なことであるというふうに私も考えておる次第でございます。
○高木健太郎君 御理解を賜ってまことにありがたいと存じます。 私が最初に高橋信次君のことをお話ししましたのは、結局高橋君の仕事が非常に独創的であり、欧米各国においてもこれが尊敬されているということなんです。創造というのは、しかしこれは何も高橋信次さんがこれによって利益を得たわけではないわけです。世界の多くの人がこれによって利益を受けたということになるわけです。そういう意味で、こういう方々をぜひ忘れないようにしたいと、こういう気持ちが私にあるから申し上げたわけなんです。 実はノーベル賞の数なんかを前にいろいろお聞きもしましたけれども、日本は研究者の割に、研究費の割には非常に数が少ない。そして諸外国で今貿易摩擦がありまして、日本は非常にもうけ過ぎている、あるいは悪い人は、昔は富国強兵と言った、その「強兵」だけを取っちゃった。平和国家になるんだけれども、今度は富国を目指している、こういうふうによく外人なんかの随筆その他も書いてございまして、日本は向こうのいろいろな知識を自分で吸収してくる、しかし自分からはやらない。だからギブ・アンド・テークではないんだ、テーク・アンド・テークなんだと、そういうことが私は貿易摩擦の底にあるんじゃないかと思うんです。いわゆる国民感情的にそういうものがあるんじゃないか。 例えば私、今脳死とか移植をやっておりますけれども、アメリカで脳死で死んだ人の腎臓をもらってくる。現在また寺崎教授に腎臓がそっちでできたら私のところへ下さいという申し入れが百何十人もいた、日本から行っているわけですね。日本では脳死は認めない、認めないというかまだまだコンセンサスができていない。しかし、くれくれと言う。脳死で取れるというとそれを告発するというようなことをやる。寺崎君が先般こちらへ参りまして、大体何をやっているんだろう、日本は。そういうふうにちょっと日本を理解できないところがあるということがあるわけです。 私は、創造性というもの自身はクリエーティビティーというものによっては、自分はそんなにもうからないんだ、しかし世界の平和だとか世界の福祉とか、そういうものに貢献するという意味で、私は創造性というものがいいんだ、それをギブしなきゃいかぬ、世界に与えなきゃいかぬということになります。その与えた人に対しては、私は外国は尊敬するだろうと思うのです。そこで初めて日本が理解されるというよりも尊敬される国になってくる。これが技術立国とか、あるいは貿易立国とか言われている日本にとって私一番大事なことじゃないか。そんな、金をもうけて金持ちになるということじゃ相当いっちゃったんだから、これから先は尊敬され、愛される国にならなければ、日本のこれから先、十年二十年先は非常に私は憂慮すべき状態になるんじゃないかと、こう思うんです。 また、厚生省の方にお聞きする時間がなくなって甚だ恐縮なんですが、この間ある運転手さんから聞きましたんですが、お彼岸だったんです、その日。お子さん連れてお彼岸で先祖の墓参り行かれるでしょうと、こう私聞きました。いや、それが高等学校の生徒なんだけれども、そんな何のために行くんだ、こう言うんですね。お父さんやお母さんは先祖の世話になったろう、わしは何にもなっとらぬ、何のために行くんだと。いや、それはおまえもそう言うけれども、先祖からつながっておまえが現在ここに存在しているんだ。だからおまえはお参りに行けと。行ってもちっともおもしろくないじゃないか。いや行っておまえがここまで立派になったということを報告しなさいと。言うたってわからぬじゃないか、死んでいるんじゃないか。こう言うんで二日間けんかしたけれども、言い合いしたけれどもとうとうその子供は行かなかったと、こう言んですね。 そういう合理主義というものは非常に高いわけです。しかしそのもっと先にあるもの、いわゆる感謝だとかそういうものが抜けているわけなんですね。私は理科教育もその意味では悪いんじゃないかと思うんですね。 日本の理科教育の質問をしようと思ったんですが、日本の理科教育というのはそこにある事実をそのまま教える、こういうことになったらこうなりますよという事実だけを。ところが外国ではどういうふうに教えているか、教科書どうなっているか、日本の教科書と大体同じようなものであろうと思いますが、彼らはガリレオ・ガリレイが身近にいるわけです。あるいはニュートンが自分の隣にいるような感じなんです。隣の教室でもノーベル賞をもらっている。その人たちのおかげで我我は今幸せになるんだと。そういうふうに理科教育であっても理科教育、そういう事実を発見し、我々に恩恵を与えてくれた人に対して尊敬をするという気持ちを持っているんですね。あるいは自然というものがあるから我々が生きている、科学は進んだけれども、まだまだ自然にはわからないところがあるというようなことに対して、自然を畏敬するということ。 ところが、日本には宗教という宗教はないですね。本当に畏敬するというものがない。その畏敬するもの、尊敬するものがない、それが私、現在の学校教育の一番欠けているところじゃないかなというふうに思いましたので、こういうことを申し上げたわけです。先生をぶん殴るとか、親を殴るとか、そういうことは社会も悪いですけれども、もしも学校教育の中で教えていくとすれば、理科教育であっても何であっても、私はそういう自然だとか人間だとか、そういうものに対して私は感謝するとか畏敬するという面がどこかで教えられたらどうか。 高橋さんのことを言いましたけれども、高橋さんという方は、我々が病気になったときに、非常にいいことをしていただいたということで、学校でそういうことを教えていただくとかというふうにしたらどうだろうかなと、こう思ったんです。 周恩来という方は御存じのような方ですが、ああいう社会主義国家においても、周恩来は、井戸の水を飲むときは、その井戸を掘った人のことを考えろよと、こう言っているわけです。これは、社会主義国家であるとか自由主義国家であるとかということで変わった問題ではない、人間共通の問題であると。ここに僕はモラルがある、こう思っておるわけです。モラルの根本は。 しつけの指導書というものを文部省お出しになったわけですけれども、きょうはそれは触れませんけれども、ぜひ基本的なことを教えていただけばまことにありがたいと思うんです。 きょうまた、厚生省の方来ておられますので、もう一つお聞きしておきたいことがあります。それはモラルについてでございますが、今うちで産まれ、うちで死ぬということはほとんどなくなりましたが、大体どれくらいのパーセントで病院と家で亡くなったり産まれたりしているんでしょうか、それをちょっとお聞きしたいと思います。
○説明員(白石昌嵩君) まず出生の方から申し上げますと、昭和四十年の場合に、総数が百八十二万三千六百九十七人でございました。そのうち自宅で生まれた人は二十四万六千二百十八、全体の一三・五%でございます。それが昭和五十年になりますと、出生総数が百九十万一千四百四十、そのうち自宅の出生は一万七千九十六、〇・九%になっております。最新の数字は五十八年でございますが、出生数百五十万八千六百八十七のうち、自宅の出産は三千二百二十、〇・二%でございます。 死亡について申し上げますと、昭和四十年では、死亡総数七十万四百三十八のうち、自宅で亡くなられた方は四十五万五千八十一、六五%でございましたが、昭和五十年では、死亡総数七十万二千二百七十五のうち、自宅で亡くなられた方、三十三万四千九百八十、全体の四七・七%。最新の五十八年では、死亡総数七十四万三十八のうち、自宅で亡くなられた方は、二十三万七千二百二十五、全体の三二・一%でございます。
○高木健太郎君 これは昔はこんなことはなかったので、だんだん病院化というものがあって、生まれるのも病院、死ぬのも病院、こういうふうになってきたわけです。 そこで、子供は親の死に目には会わないという、会ったとしてももう管をつながれまして、そして無意識の状態で、そして別れるという感じはもうしないのじゃないかという気がするんです。この高橋さんの亡くなったのを電話で聞きましたけれども、意識がある間に、これはお医者さんがお友達ですから、あるいは弟子もお医者さんですから、みんなが集まっていったときに、ありがとう、ありがとうと、その高橋さんは言われたというんですね。弟子もその前で決別を遂げたということを、私聞きまして、ああこれがやっぱり人間の死だなというふうに思ったわけです。 この間はまたフランスでは、最近水の中で赤ちゃんを産むということがあるわけです、水中分娩というのがありまして。腰から下を妊婦がつかってまして、もちろん裸ですけれども、それが御主人が後ろにパンツをはいて腰かけておる上に奥さんが座わる。それで水の中に入っておりまして、そこで赤ちゃんが出るわけです。そうすると、水の中ですから赤ん坊は泣かない。妊婦はその赤ん坊を持って自分で臍帯のついたままベッドの上へ自分で上がって、そしたらお医者さんが鉗子で臍帯を切る。そこで、その赤ちゃんが泣くというように、自分で取り上げる。 これはまた特殊なことなんですよ。私が言いたいのは、それじゃなくて、こんなことやれって言っているんじゃないんです。ないんですけれども、そこにはおやじさんがちゃんといるわけです。そして、子供さんがそれを見ているわけですね。これはまことに特殊ですけれども、私は、子供が生まれる、自分の妹なり弟が生まれる、あるいはお父さん、おじいちゃん、おばあらやんが亡くなる、こういうことを肌で感ずるということが私は教育の最初じゃないかというふうに思うわけです。といって、現在の日本で今度は自宅で産めと言っても僕は産めないと思いますが、ぜひ何らかの方法で自然に本当に親しむ、生死ももちろん一つですが、中曽根総理が言われるように、自然に放牧ですか、きのう何かそういうお言葉があります。あれは放出ですか放牧ですか知りませんが——放牧なんだそうですが、その放牧だけじゃしようがないんじゃないかと思う。まあ、やらぬよりもいいですが。 また、天谷さん、自然に親しむということから、自然というものから学ぶという、それが大事ですね。加えて自然だと思うんです。ところが、日本の家というのはごちゃごちゃに建てている。天谷さんが、こういうごちゃごちゃにまるでおもちゃ箱をひっくり返したように建てていると。チロル、ババリアのあたりに行きますと、まことにきれいに建てている。これは、もうごちゃごちゃに建てている、そういう中から、それが自然なんですね、都会っ子の。そういうものから受けることも、私は何か子供にいい影響を与えてないんじゃないかなという気がするものですから、もしできましたら学校の中に、運動場は何坪とか何平米、雨天体操場といいますか、屋内体育館といいますか、これは何平米、こういうことは決まってますが、今度学校の中に木は何本植えろとか砂地はどれぐらいあれとか、そういうふうにまあ自然をそこにつくるということはできませんけれども、そういうこともあっていいんじゃないか。あるいは動物を飼うということで、いろいろテレビなんかで問題になりましたが、片方の教室で動物飼ったら、片方が飼っちゃいかぬとか、いや、それが邪魔するから授業の邪魔になるとかということじゃなくて、もしも犬から子供ができるとか、あるいは自分たちのかわいがっておった犬が死んだとか、そういうことを見せただけでも私は違うのじゃないかなと。 だから、今の学校教育が悪いと言われていますけれども、私はそういうものを少しやっただけでも随分違った影響が出てくるのじゃないか、こう思っておるわけです。私が自然、自然といいますけれども、自然というのは我々がここにあることがもう自然でありまして、何も山の中へ放牧しなくてもいいんじゃないかということを申し上げているわけでございます。 もう一つ聞きたいんですが、もう時間がなくなりましたからわかりませんけれども、もう申し上げられないので、また厚生省の方に御迷惑をかけました。この次にはぜひ聞きますから、お許し願いたいと存じますけれども、医師の過剰ということでお聞きしようと思っておりましたので、この次よろしくお願い申し上げます。何回もむだ足を踏ませましてまことに相済まぬと思っております。 今度、日本文化研究所というものを建てるというようなお話ちょっと聞きました。今度調査費がついておりますが、この日本文化研究所設立の趣旨というのはどういうものでしょうか。
○政府委員(大崎仁君) 六十年度予算に国際日本文化研究センター(仮称)ということで、構想の調査のための経費が二千万円ほど計上されております。これは、今後構想を練っていただくわけでございますが、考え方の基本といたしましては、日本の文化思想というものを総合的に研究をするとともに、その成果を国際交流の中で生かしていくということが基本的な考え方の一つではなかろうかと思っておるわけでございます。
○高木健太郎君 まだ構想の段階で趣旨とかそういうものまでできていないのかもしれませんが、先ほども申し上げましたように、日本というのは昔は中国から文化を輸入したわけですね。明治になってみましてから今度はヨーロッパ、アメリカから文化を輸入した。それらをみんな取り込んで日本人なりに、非常に利口で勤勉で立派な国民ですから、それを消化して新しいものをつくり出していったと。しかし、向こうから見た場合に、どうもおかしいんじゃないかなという気がするんで、日本文化、余り日本……世界は二人のものよとか何とかいう歌が何かあったようでございますけれども、そういう、世界は二人か、何かいう歌がありましたが、日本だけという感じになっちゃいけないんじゃないかと思うね、これは非常に重要じゃないかと思うんですね。何でも取り込んで自分のものに持ってくると、おれは偉いんだという意味で日本文化をおやりになっちゃいかぬ。日本の特徴はもちろんありますけれども、そうじゃなくて、お互いに交流という、こっちからも出すということになりますので、余り日本文化、日本文化といって日本の昔の侍だとか、そういうふうなことをイメージ描かないで、本当の日本文化というんならいいんですが、もしもできれば私は東洋文化ぐらいにされちゃった方がいいんじゃないかと、もう一つあるんですね、東洋文化というのは別にございますか、東洋。
○政府委員(大崎仁君) 現在東京大学に東洋文化研究所という研究所がございます。
○高木健太郎君 そうじゃないかと思っておりましたが、それはいいんですが、これは文部省が特別に共同利用か何かでおつくりになるんだろうと思いますが、もっとスケールの大きいものだと思いますが、ぜひ日本文化ということを、それを強調するということではなくて、日本を理解していただくという意味でこういうものがある。しかも、それが国際がつきますからだれでもがそこへ来て勉強できる、日本文化に非常に詳しいアメリカの何とかという学者がいましたけれども、それは日本に詳しいのに日本の大学じゃ講義できないんですよね、それが。いわゆる教授には雇えないということもあるんです。そういうことじゃなくて、本当に国際化に歩もうとするならばこの国際日本文化研究所というものも本当にオープンな研究所にしていただきたい、これを切にひとつ願っておきたいと思うわけです。 この間、ちょっと本を読んでおりましたら、そして今これをつくるというのはどういう意味かよくわからないんですよね。今どき何でつくるようになったのかね、何かあったんじゃないかなと勘ぐっちゃうんです。だから、そうじゃなくて、本当に日本を理解していただくためにこういう研究所をつくったんだというようにしていただきたい。 ただ、問題は、私は日本は世界から愛されなければいけない、尊敬されなければいけない、こう思いますが、理解すれば愛してもらえるというのは僕は違うんじゃないかと思うんですね。愛するから理解できるんで、理解されたから、理解したから愛するというわけにはいかないんじゃないかと思うんですね。だから逆じゃないかと思うんです、それが。要するに情動的なものが前にあって、そして向こうを理解するということであって、情動的な、情緒が何もなくてそれで理解しようといったってなかなか理解できない。悪いところばっかり見えちゃうんじゃないかというふうな気がしますので、日本文化研究所というところも理解させれば日本は尊敬され、愛されるというふうにお考えになったんでは私は逆なんですよと、こういうものを用いて、こういうものを一つの場にして本当の意味の国際交流をし、日本を知ってもらう、愛してもらうというふうな研究所であるべきだというふうに思うんですが、これについては大臣、どういうふうにお考えでしょうか。これ今なぜ日本文化センターが必要なのか、どういう目的でこれをつくられるのか、ちょっとその御感想だけをお伺いして私質問終わります。
○国務大臣(松永光君) この日本文化研究所というのは、先生がおっしゃったような趣旨と合う形でつくられるものと私は理解しておるわけであります。というのは、先生も御指摘のように、日本人というのは世界の人々から一風変わった人間のように受け取られたりしている面も実はなきにしもあらずであります。最近の日本人が、外国に長く駐在している人の場合でも、例えば娯楽する場合でも日本人だけで集まって行動するなどという特性を持っておる。それからまた、日本人の行動様式がどちらかというと先進諸国からは理解しがたいという面もあるということがしばしば指摘されております。そこで前々からいろんな学者の先生方が、ずっと古い時代からの日本人がどういういきさつでここに住みつき、どういうふうにして発展をしてきたのか。それから、先生御指摘のように、古くは主として中国を経由して、時には韓国を経由の場合もあったでしょうが、いろんな文化を入れて、それで日本人が吸収した。明治維新後は主として西欧から新たな文化を入れて吸収をして、そういった経過を経て現在の日本になっているわけでありますが、そこらの外国の文化を吸収していった過程、そのことの結果として今日の日本の文化にどういうふうに生かされておるかという問題、あるいは近代社会でいえば明治維新というものがどういうことでああいうふうな改革がなされたのか、そういったこと等含めて日本の文化というものをひとつ研究をしてもらいたい、そしてまたそれを外国の人たちにも開いて、そして日本人及び日本の文化というものを正しく理解をしていただきたいと、こういった趣旨で設立されるものと思うわけであります。 それで、なぜ今の時期にということでございますが、先ほども言いましたいろんな学者の人たちがそれが必要だという指摘がしばしばございました。それにあわせて日本の国際的な地位が高まるに従って、日本人というものを、あるいは日本の文化というものを正しく理解していただくというそのためのセンターになるようなものが必要ではないかと、こういうことが出てまいりまして、その結果今の時期につくろうということで準備がついたと、こういうことなんでございます。その趣旨とするところ、目的とするところ先生の御指摘に合っているんじゃなかろうかと、こういうふうに思うんであります。 なお、最後でございますが、先ほどから先生の非常に高い学識に基づく御意見を拝聴さしていただきまして、先生の御意見、御所論を参考にさしていただいて今後の文教施策の推進をしてまいりたいと、こういうふうに思っている次第でございます。
○高木健太郎君 どうもありがとうございました。終わります。
○委員長(真鍋賢二君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。 午後零時三分休憩 ─────・───── 午後一時開会
○委員長(真鍋賢二君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、昭和六十年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○吉川春子君 そろそろ新学期が始まろうとしております。新しいクラスで子供たちも学ぶことになる場合が多いと思いますけれども、学級定数、クラス編制の問題について伺いたいと思います。 で、三年間棚上げにされてきた四十人学級が再びスタートを切るわけですけれども、今年度四十人学級の対象となる児童減少市町村とは、いつの時点を標準にして決めるのかということについて伺います。
○政府委員(阿部充夫君) 児童減少市町村という言葉の定義でございますけれども、これは昭和五十五年三月の時点で、先生御案内の定数改善の第五次計画がスタートいたしました時期でございますけれども、その時点で、その直後三カ年間の児童の減少傾向を見まして、それが減少になっているものについてこれを児童減少市町村ということで定義をし、それについての定数措置等の計画を立てたわけでございます。したがいまして、現在の児童の減少傾向等とは関係ございませんし、関係ないというか、直接絡んでおりませんその時点のものでございまして、全国三千余りの市町村がございますけれども、そのうちの約三分の一、九百余りの市町村がその当時それに該当するということにいたしたものでございます。
○吉川春子君 そういたしますと、五十五年度から三カ年続けて児童数の減少の市町村であったところは、すべて四十人学級がことしからスタートするというふうに理解していいわけですね。
○政府委員(阿部充夫君) 昭和五十五年度からの計画によりまして、児童減少市町村の中の一部の学校につきましては既に四十人学級スタートをしてきたわけでございますけれども、それが六十年度で最終年次になりまして、六年生まで完成をするというわけでございますが、途中で計画がいわば抑制をされるということになりました結果、ある部分の学校については四十人学級に手がつかないままで来たわけでございますけれども、今回千八百人余りの定数措置をいたしまして、児童減少市町村内の小学校につきましては、すべて六十年度から四十人学級が一年生から六年生まで同時に実施をできるというような予算措置を組みまして、現在御審議をお願いをしておるわけでございます。
○吉川春子君 そうしますと、もう一度この点確認いたしますが、五十五年から三年間児童減少市町村であれば例外なく、どの市町村においても、ことしは四十人学級がスタートが切られるということですね。例外はないんですね。
○政府委員(阿部充夫君) 文部省といたしましては、そういうことで予算措置をしておるわけでございます。
○吉川春子君 それではわかりました。自治体の都合などで返上したとか、そういうところも五十五年度の時点ではあったかもしれませんが、それも含めて実施できるということですね、今年度は。
○政府委員(阿部充夫君) 各自治体から申請が出てまいりますのは通常の場合、まあ五月一日が基準日を中心にいたしまして計画が出てまいりますので、私ども現段階で各市町村段階で具体にどうなっているかというところまでつかんでおりませんが、文部省の側といたしましては全部申請があれば対応すると、そういう構えで予算措置をしておるわけでございます。
○吉川春子君 その点についてはわかりました。 学級編制を新学期のスタート時点で各学校とも行うわけですけれども、教員の採用の数は五月一日現在の児童、生徒の数を基準にして決めているというふうに伺っています。四月のスタートの時点と五月の一日の子供の数は、転勤の時期でもありますので変動する可能性が大きいわけですが、仮に四月に九十一名いて三クラスで、四十五人学級として三クラスでスタートを切ったところが、転校生が出て五月の一日には九十名になってしまった場合に、学校としてはどうすればいいんでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 具体に学級編制をどういうふうにするかというのは、市町村の教育委員会がお決めになることでございますが、したがいまして、学校と市町村の教育委員会で御相談をいただくということになろうかと思います。
○吉川春子君 そうしますと、まあ三学級で最初にスタートしたから五月になって減ったからといって二学級にはできないと、三学級のままずっと一年間経過するという事例が多いわけですけれども、こういう場合は教員の人件費についてはどうなりますか。
○政府委員(阿部充夫君) 文部省といたしましては、毎年五月一日を基準日といたしまして、その日の児童、生徒の状況に合わせて学級数の算定をいたすわけでございますので、そういう意味でそのための経費、その時点で算定された定数に伴う教職員給与の負担をいたしておるわけでございます。具体にあとそれをどう運用するかというのは各県の問題でございますが、文部省が定数の算定をいたしますのは、県全体について全部で幾らという定数を算定をいたします。したがいまして、その後その定数を各学校に具体にどう割りつけていくかというあたりのところは各県がおやりになる、こういう建前になっておるわけでございます。
○吉川春子君 県の方でも児童、生徒の数の変動の予測が狂って、そして県全体でもやっぱりクラスの数が児童の減少によって減らさなければならなくなったようなことがあると思うんですね。そういうときにやはり四月スタート時点での人数でもって文部省に申請するということが、水増し問題というふうに言われている問題ですね。
○政府委員(阿部充夫君) まあ、大変水増し問題というのは難しくて、いろいろなものがあるわけでございますけれども、通常三月あるいは四月に子供が転校していったというものを五月時点までいたことにするというような形のものが大部分でございます。したがいまして、四月後の異動だけではないわけで、三月中あるいは二月というようなケースもあったかもしれませんけれども、要するに四月一日前後で子供が動いたというものを動かなかったことにしておくというような形のものが大部分であったと思います。
○吉川春子君 子供が動いたのに動かなかったことにしておくということは、どうしてそういう事態になるんでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) まあ、子供がいなくなったのにいることにするというのは、要するに先生の数をできるだけたくさん確保しておきたいということがあるだろうと思います。それはまあ学校の教育条件というところから見まして、先生の数がたくさんいた方が多々ますます弁ずということは心情としてはあり得ることだろうと思います。そういったことと、そのほかに学級の編制がえ等をいたしますと、やはり何かと問題があるというようなこともございましょうし、あるいはまた先生に過員を生じたというような場合に、四月に一度配属された先生をよそへ転出させなきゃいけない。その中のどなたかを選んで転出させるというようなことが人事上なかなか難しいとか、まあいろんな事情があろうかと思いますけれども、そういうようなことをあわせましてこのいわゆる水増し問題というのが起こったと考えております。
○吉川春子君 北海道の問題も大分大きくマスコミに報道されましたけれども、例えば札幌では非常に人口が、社会増が確実にあるということが予測されるわけですね。四月あるいは五月段階では子供の数はそんなにふえなくても、例えば九月とか十月とかまでになるとかなりふえてクララスをふやさなきゃならないということは、毎年の事例から見て目に見えている。そういうような場合に、九月、夏休み終わった時点でクラス編制をするということがなかなか教育上できにくいとすれば、四月の段階である程度そういう社会増があるということが見込まれる場合には、一定のクラスの数をその時点の、四月時点の生徒の数よりは少しふやしてスタートさせるというそれぐらいの弾力性は持たせた方が教育の効果が上がるのではないかと思いますが、文部大臣、このことについてはいかがでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 技術的なことが含まれておりますので私からお答えさせていただきたいと思いますけれども、後のことを予測いたすということになりますと、今回の場合も大体そういうケースなわけでございますけれども、かなり過大に見積もる傾向がございまして、結果として実態と合わないという状況がしばしば出てくるという点もございます。いずれにいたしましても文部省といたしましては、そういうようなこともあるので学校ごとの定数を文部省で決めるとかそういうことは全くしないで、その運用をすべて各都道府県にお任せをし、都道府県全体でこれだけということで定数を差し上げておるわけでございます。また、具体の運用といたしましても、各都道府県におかれましてはある程度の数をプールしておかれていろいろな事態に備えるとか、いろいろな工夫を試みておられるところもあるわけでございます。そういう意味では今の制度は、かなり私どもは弾力的にできておって都道府県で弾力的な運用ができるような配慮をしておるつもりでございます。
○吉川春子君 都道府県で弾力的な運用ができるような制度であれば、こういう水増し問題というのはこれほど起こらないのではないかというふうに思うわけですね。それで、やっぱり今非常に教員をたくさん確保しておきたい、しかしそれには四十五人学級ということで割り出した教員の人件費の負担の規則があってそこから一歩も出られないわけですね。だから、そういう形でやっぱり最初の見込みが狂うと後は県単にするか、県単にしなければ水増し問題か、こういうふうになるわけなんで、その点、ある程度子供たちの数がふえそうだという場合にあらかじめ校舎の施設などは余裕を持って建てておくことができるという規定がありますけれども、学校建築の場合にはそういうことが許されているわけですから、教師、人材の面についてもそういうある程度ふえることを見込んで弾力性を持たせて学級編制をしても水増し問題などでたたかれることがないようにするということは可能ではないかと思うんですけれども、いかがですか。
○政府委員(阿部充夫君) 今回の件に関連いたしましていろいろな方からいろいろな御意見を承ったわけでございますけれども、やはり弾力性ということで幾つかの幅を持たせますと、その幅のところが実は限度になってしまうということになるわけでございまして、一つの制度をつくりますとその制度の枠内で措置をしていくというのが当然のことであろうと思うわけでございまして、そういう意味で先ほど来のお答えの繰り返しになりますけれども、一定の枠で各都道府県に差し上げて、その上にさらに上積みしてということになれば、それが、そこが限度ということで新しい限度ができるだけのことで、その前後のところでまた同じ問題が出てくるわけでございます。そういう意味で現行の制度で私どもは各県が対応していただけるというふうに考えておるわけでございます。また、現実にいろいろ問題等が起こった県も全国で数件あったわけでございますけれども、その他の県につきましても自主的な調査を依頼いたしましたが、これは自信を持って全くそういうことはないと答えてくるところがほとんどでございまして、大概の県はそれができておるわけでございます。そういう意味でも現行の制度内で適切に各都道府県に対応していただきたい、こう思っておるわけでございます。
○吉川春子君 私が今申し上げたのは、やっぱり都道府県教委の意見を聞いた上で申し上げたんですね、つまり今水増し問題を起こしていない県に行って調べてきて、やはり、もう少し弾力性を持たしてもらいたいということを県の当局も言っているわけなんですね。昨年水増し問題でたたかれた北海道はことしは学級の編制の認可の数なんかどうなっていますか。
○政府委員(阿部充夫君) まだ北海道の方から申請あるいはそれに類することを全然聞いておりませんので、私どもでは把握をいたしておりません。
○吉川春子君 全く把握をしていないというお答えは意外ですけれども、新聞の報道によれば水増し問題で大変北海道がたたかれたから、その後遺症として二つのことが起こっているということが報道されています。 一つは、このままでいくと過密クラスが大量発生するのではないか、つまり四十五人を超える学級が年度途中以降大量に発生するということが予想される、それは小学校の認可学級に比べて八十クラス、中学は三十クラス余り少ない、そういう申請になっているわけですよね。だから私は、水増し問題ということは厳密に法の適用からいえば確かにまずい問題ではあるけれども、そういうことでマスコミ等なんかで大分たたいた、その結果が過大学級という形で子供たちの教育条件に低下をもたらすということは大問題だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 私どもといたしましては、五月一日現在での学級編制で今回の基準によりまして四十人学級あるいは四十五人学級という制度のもとで定数を算定をし、それを差し上げておるわけでございます。また、その後児童生徒数がふえたというようなことで学級編制、学級数をふやさなければならないというようなケースにつきましては、これは特例的に弾力的にその後の増加にはこれは対応するということで措置をしてきておるわけでございますので、したがいまして、各都道府県、市町村がそういう形で対応していただければ先生おっしゃるような状態にはなることはない、こう考えております。
○吉川春子君 例えば四月にクラスの編制をしてスタートして七月とか九月とか十月とかそういう時点でクラスがえをするということが現場を見て可能とお考えなのかどうか、教育的な面からいってどう思いますか。
○政府委員(阿部充夫君) これはそれぞれの都道府県、市町村等あるいは学校におきまして判断をしてどちらがいいかということを決めていくわけでございますから、私どもの方は無理やりにそこは学級を分けるとかいうようなことは言うつもりはないわけでございます。
○吉川春子君 全国の四十六人以上の過大学級は小学校、中学校それぞれどれくらいありますか。
○政府委員(阿部充夫君) 昨年の五月一日現在の数字でございますけれども、一学級の児童生徒数が四十五人を超えております学級数は小学校で八百十学級、中学校で四百四十一学級ございます。これは比率で申しますと、学級総数に対しまして小学校で〇・二%、中学校で〇・三%という状況になっております。
○吉川春子君 全国の過大学級で学ぶ生徒の数は、今文部省がおっしゃった数字を基準にしてざっと計算してみても七万五千人に上るわけですね。七万人を超える、こういう子供たちが、四十五人学級でも行き届いた教育がされないとして、四十人学級に移行している中で、四十六人から最高は五十一人の学級でもって学ばせられている、こういう実情があるわけです。それは今文部省の御答弁でも明らかですけれども、この数字を見ますと、途中で人数がふえたらクラスを割ればいいじゃないか、それは各都道府県に任せているといっても実際には途中で非常にクラスが割りにくい、そういう実情がこの数字になってあらわれていると思いますが、いかがですか。
○政府委員(阿部充夫君) 割りにくいという判断がなされてそういう学級編制がなされているということであれば、それはそれでいいのではないかと思っております。
○吉川春子君 何でそれはそれでいいんですか。四十五人学級でも教育効果が落ちるときに、四十六人から五十一人までのこういう過大学級がこれだけの数あるということは、非常に教育効果あるいは子供への影響を考えたときに好ましくないわけですね。それでもって、こういう事態はならないためにも、最初の時点でやはりある程度弾力性を持たせてクラス編制を認めればこういう事態にはならないし、逆にそういう弾力性を持たせてやっていたところが水増しだということでこういうたたかれ方をしますと、また非常に過大学級がふえていく。だから、今局長のおっしゃった五十八年の数字は、恐らくことしは物すごくふえると思うんですよね。そういうようなことは非常に私は好ましくないというふうに思うわけなんです。そのことはやっぱり重要な問題点ということで強く指摘しておきたいと思うわけです。 年度途中でクラスを割らない場合、四十五人を超えるクラスになっちゃった場合に、現場の先生の話を聞くと、途中でクラスを分けるということはなかなか難しいということがあって割らないわけですけれども、そういうときに教員は、数がふえたということで採用してその県へ配置してもいいんじゃないんですか。
○政府委員(阿部充夫君) 今の標準法の考え方は学級数を基礎にして処理をしておるわけでございまして、したがいまして学級の数に合わせて何人という措置をしておるわけでございますから、学級を割る、割らないというところはそれぞれのところで御判断をいただくわけでございますが、文部省といたしましてはそういう見地から、学級数が変更になってふえたという場合に措置をするという制度にいたしておるわけでございます。 なお、先ほど来のお話を繰り返すことになりますけれども、教員の定数については、全体として各部道府県に定数枠を差し上げておるわけでございますので、その後の増加、減少の必要性というのはそれぞれの県内で考えて弾力的に運用していただくということを希望しておるわけでございます。
○吉川春子君 教員の配置はクラスの数ではなくて児童の数によって教員の数を配置することができれば、途中でクラスを割らなくても教員の数だけはふえるということが可能になるわけですね。そのことは現場の学校にとっては非常に助かることなんですが、児童の、生徒の数を基準にして教員の配置の数を決めるということを制度上何か、何かがネックになっていてとれないということですか。
○政府委員(阿部充夫君) 教員一人当たり児童生徒何人というような基準で考えるということも一つのお考えだと思います。ただ、現在の制度は学級編制を根拠にしてつくっておって、それによって先生方からも強い御要望をいただきまして、四十人学級にせよ、あるいはもっと少なくしろというような御指摘をいただき、それは現行制度にのっとっての御意見であるわけでございますけれども、先生おっしゃいましたように、児童生徒一人当たり云々というような格好の基準に直せば、これはまさに各学級編制等はそれぞれの学校の自由だということになってくるわけでございますけれども、それがいいかどうかということについては、一つの御提案であるとは思いますけれども、現行制度を根本からひっくり返すようなことにもなるわけでございます。せっかくこの制度にのっとって充実を進めてきたという過去の積み上げというものもあるわけでございますので、少し長い目で見た勉強の課題として私も承らしていただきたいと思いますが、今すぐそう改めるということはこれは無理である、こう思っております。
○吉川春子君 そうしますと、先ほど来、学級編制は地方自治体の権限ですなんておっしゃっていましたけれども、今まさにそういうことはちょっと困るんだということを言われたと思うんですけれども、この学級編制ということは機関委任事務なんですか。
○政府委員(阿部充夫君) まあ、法令上の解釈なかなか難しいと思うわけでございますが、学級編制を行うというのは、これは学校の設置者であり管理者である市町村の教育委員会が決めることでございまして、それについての、したがって学級編制そのものは、何と申しますか、これは団体事務で固有の事務だというふうに考えていいんだろうと思いますが、学級編制の認可という仕事がございまして、これは都道府県の教育委員会が市町村の教育委員会の申請に対して認可をするという仕組みになっておりますが、この認可の方は法学上の分類でいきますと機関委任事務に該当するのではなかろうかと、かように思っております。
○吉川春子君 自治省お見えになっていますか。 この機関委任事務と団体委任事務と一般的にどういうふうに分けて解釈していらっしゃるんでしょうか。
○説明員(柳克樹君) 機関委任事務と申しますのは、ただいま御説明ありましたような例があるわけでございまして、要するに知事あるいは都道府県の機関に対しまして事務をさせるという意味で委任をしているというものでございます。団体委任と申しますのはそういうものではございませんで、都道府県あるいは市町村に対しまして、何と申しますか、そういう団体に対しまして事務を委任しておると、そういうことでございます。したがいまして、機関委任の場合ですと、御承知だと思いますけれども、例えば議会の関与がないとか、監査委員の監査の対象にできないとか、そういうような区分がございます。
○吉川春子君 もう一つ自治省にお伺いしますけれども、機関委任事務でなくて団体委任事務というか、そういう形にした場合、国庫補助金との関係はどうなりますか。この相関関係があるものでしょうか、それともそういうものとはリンクしないものなんでしょうか。
○説明員(小林実君) 地方団体が行います事務は、固有事務、それから団体委任事務、それから今御質問の機関委任事務がございますが、経費の面では今の地方財政法では原則として全額地方公共団体が負担することになっております。その財源につきましては、税あるいは交付税、国庫支出金、それから収納手数料等があるわけでございますが、国庫支出金につきましては、実は団体委任事務あるいは機関委任事務という区別で措置をしておるのではなくて、事務の性格にかんがみて措置をしているわけでございます。 現在の地方財政法で申し上げますと、例えば義務教育あるいは社会福祉等につきましては、国と地方公共団体相互の利害に関係がある事務でございますが、なお国が進んで経費を負担する必要があるもの、これに該当するわけでございまして、これにつきましては国庫負担金として法令上負担区分が決まっておりまして、これに従いまして国庫支出金が支出されると、こういう仕組みになっているわけでございます。
○吉川春子君 自治省、ありがとうございました。結構です。 私は、きょうは時間の制約がありますのでこの問題についてこれ以上入りませんけれども、問題提起とさせていただきたいのは、クラス単位でもって教師の数を決めるということだけではなくて、児童単位でもって教師の配分を決めるということと、それから学級編制の権限については、やはり実質的に地方自治体の権限であるという立場は立ってやっていく必要があるんじゃないかということを指摘しておきたいと思います。 それで、今、児童数の減少によって小学校教員が非常に過剰になってきております。埼玉県では九十二市町村あるわけですけれども、そのうち大宮、浦和、それから文部大臣の川口、川越、所沢、越谷、こういうところが軒並み三十一人以上の過員を生じていて、二十一人以上の過員も合わせますと、県南の十市に及ぶわけです。これは、これだけ教師の数が余っていくということは非常に重大な問題だと思うんですけれども、大臣、御感想はいかがでしょうか。
○国務大臣(松永光君) 児童生徒の減少に伴いまして、教員採用数も児童生徒の増加期に比べれば減少していることは事実でありますが、教員の数につきましては児童生徒の減少に伴って教員定数が急減する、そういう都道府県がある場合には最低保障という制度が設けられておるわけでありまして、小中学校教員について今過剰人員、過員が生ずることがないように努めてきておるわけでありますが、昭和六十年度において最低保障に該当するほど定数が減少する都道府県はないという報告になっております。
○吉川春子君 そうしますと、今ちょっと大臣からもお答えがあったんですが、埼玉県のような事例は全国的にもかなりあらわれていると思いますけれども、その実態の把握を具体的にやっていらっしゃるわけですか。
○政府委員(阿部充夫君) 教職員の定数等は都道府県単位でこれを行っております。大臣からお答え申し上げましたのもそういう都道府県単位で前年度に比べて著しく減少する、新採の教員がとれないというような状況のところにつきましては最低保障制度というのを設けまして、前年度の九八・二以下に下がる場合にはそこまでしか教員を削ることはしないというような制度も設けて救済を行って、できるだけ変化が急激に起こらないように、なだらかに処理がされるようにというような配慮をしておるわけでございます。もちろん、それぞれの県の中で、先生おっしゃいましたようにこの市ではとか、あるいはこの学校ではということになりますと、それは過員を生ずるというケースは出てくるだろうと思いますが、これはやはり県単位で人事はやっていただくという前提のもとに、若干県内でも広域的な交流によってこの問題にはぜひ対処をしていただきたいと思っておりますし、また、小学校、中学校の間での交流というようなことも、これも現に行われることでございます。そういうようなことでございまして、各市町村単位にどうなっているかを詳しく文部省で調べておるということはございません。
○吉川春子君 新聞の記事によりますと、大阪などでは二割になるんですね。二割減るんじゃなくて二割になると、こういう激減が予想されるわけですけれども、こういう実態に本当に対応していく策を持たないと大変なことになるというふうに思います。一部の県では今言われたように小学校の教師で中学の免許を持っている人はことし何人か中学へ回ったとか、あるいは退職者が出たのでようやく救われたとか、そういう非常に綱渡り的な要素でもって、ことしは何とか乗り切ったにしても、来年以降すごく深刻な問題になることは非常に明らかだと思うのです。四十人学級を一日も早くやってもらいたい、もし再び棚上げするようなことになると生首を切らなければならなくなる、こういう悲痛な訴えが現場から上がってきています。全国教育長協議会の予算要求のトップにも四十人学級の実現ということが上がっておりましたけれども、これは教育条件の整備という面からも、それからやっぱり人事の面からも、両方の面から言って死活問題なんですね。ことしスタートした四十人学級が文部省の計画でいってもかなりのんびりとはしているんですけれども、しかし再び棚上げにしたりするようなことじゃなくて、あらゆる障害を乗り越えて四十人学級は必ず実現するんだと、できるだけ早期に実現するんだと、こういう文部大臣の決意をお聞かせいただきたいと思うのです。
○国務大臣(松永光君) 四十人学級、着実に進行するよう、六十年度から進むわけでありますが、計画どおり実現するはずでありますし、それは向けて最大の努力をしてまいる所存でございます。
○吉川春子君 大蔵省とのいろんな関係もあると思いますけれども、そういうことも含めて断固としてやり抜くと、こういうことですね。
○国務大臣(松永光君) 計画に向けて着実に進んでまいります。
○吉川春子君 将来の児童生徒減を見込んで、その時点で教師の首切りをやるということは避けたいという理由で臨時採用の教師が急激にふえて、こういう形で急場をしのごうとする動きも出ておりますが、文部省はそういうことはつかんでおられますか。
○政府委員(阿部充夫君) 各県の状況を具体につかんでおるというわけではございませんけれども、いろいろな各県それぞれ人事行政上、産休の問題あるいは育児休業の問題等々いろいろな問題を抱えて、それに対応する一つの方策として臨時採用と申しますか期限つきの講師というような格好で採用されているというケースがあることは承知をしておるわけでございます。
○吉川春子君 私が伺いましたのは、例えば名古屋市では八四年四月の時点で小中高等学校の臨時採用の教員は二百五十四人に上っていると臨時教員問題の改善を求める会のニュースが報道しております。それによりますと本来必要とした人数が六百二十七人であったのに、本採用は三百五十人、その結果補充した臨時採用の教員が二百七十七名となっています。採用不足率は実に四四%と半数近くになっています。文部省はこういう実態をどうごらんになりますか。
○政府委員(阿部充夫君) 各都道府県におきましては、教員の人事を行い、採用等の数を決めます際に、翌年度の教員定数がどうなるかということをある程度推測をしながら対応していくわけでございますけれども、実際の問題といたしまして、例えば退職を予定している数どおりの退職者数が出ないとか、いろいろな不確定要素がございます。したがいまして、そういうものに向けて、例えば採用候補者名簿に登載をいたします際に控え目に登載をしておくというケースはあり得ることでございますし、また現実にあるわけでございます。ところが、実際に採用の段階になりました時点で、思ったよりたくさん退職者数が出てきたというようなことになりますと、その部分については候補者名簿に載ってない方の中から、これは臨時の講師としてお願いをするというようなケースがあるわけでございまして、これはそれぞれの、なるべく私どもは的確な予測をし、適切な対応をしてほしいという希望は持っておりますけれども、しかし、それぞれの県の事情からいってやむを得ないことではなかろうかと思うわけでございます。
○吉川春子君 四四%も見込みが違うということは実際にはあり得ないわけですね。それは多少はあると思います。私も退職者が思ったより余計出ちゃったから四月段階になって大慌てしたという事例はあると思いますけれども、しかし、四四%も臨時教師で埋めるというようなことは、これはもう意識的にやらない限り、こういう数字は出てこないというふうに思うわけです。本来、本採用で採らなければならない教師を臨時で採るということは、採用される教師自身の身分保障の点でも非常に重大な問題があるわけですけれども、また教育内容の点でも非常に大きな影響を与えざるを得ないと思うのです。名古屋ではそういう数字の結果、小学校に二十八名の時間講師を採用しているのですね。小学生というのは非常に生活指導といいますか、そういう点が重視されなければならないのに、教科だけその時間限りで教えるというような、こういう教師を大量に小学校に充てていたり、あるいは徳島県の養護学校の例では非常に講師の比重が高いわけですね。養護学校も御承知のように教科だけ時間で教えて、あとはさよならということでは、とても対応できない教育の内容が含まれているわけです。これは五十八年の数字と伺いましたけれども、県立の養護学校のあるところでは四割が臨時教員で占められているとか、こういう実態があるんです。大臣、私はこういう特に一般的に、講師でなくて本採用がいいということはありましても、特にこういうようなところで講師の比重が高いということは教育効果を上げるという意味から言っても大変問題だと思いますけれども、御意見いかがでしょうか。
○国務大臣(松永光君) 委員がどういう資料で御質問になっているかわかりませんが、今の名古屋での例と、いかなる理由でそうなったのか、私どもの方でも真相を把握した上で適切な対応策があれば考えていきたいと、こういうふうに考えます。 いずれにせよ、正確な事実を私はまだ手元にいたしておりませんので、そのいきさつ等を調べてみたいと、こういうふうに思います。
○吉川春子君 ぜひ大臣、その実態をつかんでいただきたいと思うんです。 今挙げましたのは名古屋と徳島の県立養護学校の例ですので、それに限りませんけれども、つかんでいただいて、そしてこういう実態を改善するような努力をしていただきたいというふうに思います。 それで、臨時教師の採用の問題はいろんな問題を含んでいるんですけれども、例えば鳥取県とか秋田県では新規の学卒採用が〇%。で、全部臨時教員の中から新採用を採っているわけなんですね。つまり、学校を卒業して一年ぐらい、少なくとも一年は臨時教員をやって、その中からその教師を採用していくと。事実上の試補制度のような形が現在行われていますが、そういう問題については文部省はつかんでいらっしゃるのか、そしてどういうふうにお考えなのか、お聞かせください。 〔委員長退席、理事仲川幸男君着席〕
○政府委員(阿部充夫君) 全体をつかんでいるわけではございませんけれども、鳥取県の話などは新聞等でも承知をいたしましたので状況は聞いたわけでございます。 鳥取の場合でございますと、昭和四十年代の初めのころに、過疎化に伴いまして定数事情が大変悪化をしてきたというような状況が一番最初のことのようでございまして、その関係で新採教員の採用枠がなくなって、講師として採用した者の中から入れていくというようなことが行われ始めてきた。それが五十年代に入りまして、最近になりますと、幾らかは新採も採れるような時期にはなってきた、定数事情ということのようでございますが、既にこれだけ長くそういう方式が定着しておりますと、これまで講師でいる人たちのことをとめておいて新採を入れるというのもこれまた一つ問題があるだろうというようなことがございますので、それで従来からのそういうやり方が続いている、こういう説明を伺っておるわけでございます。試補制度、いいか悪いか、いろんな御議論があろうかと思いますけれども、鳥取の話では別段試補制度を目指してやっているわけではないと、こういうふうに聞いております。
○吉川春子君 確かに複雑な問題がありますが、やはり新採、卒業してすぐじゃなくて、一年間教師として試されて、そしてあれは向いているとか向いてないとか、あるいは県教委のおめがねにかなうとかかなわないとか、こういう条件が新たに採用の基準として加わるということを私はおそれているんですけれども、そういうものがもし加わったとしたら好ましくないんじゃありませんか。
○政府委員(阿部充夫君) お話でございますけれども、私は必ずしも先生のおっしゃるとおりには考えないわけでございまして、やはりある程度十分時間をかけて、そういう制度を文部省がすぐとりたいとかということではございませんけれども、時間をかけて、この人はいい人だというのを見た上で正式に採用するというやり方もこれは一つのやり方ではないかと私は思っております。
○吉川春子君 大変な重大な発言ですね。それは覚えておきます。引き続きまた別の機会にこれは必ずやります。そんなことが許されたらちょっと大変な問題になると思うんです。 それで、就学援助の問題について一、二点伺いますが、就学援助というのは、今教育費が家計を圧迫している中で、非常に義務教育の無償制度を支えるという観点からも大切な役割をますます加えてきていると思います。 文部省は、就学援助の認定基準ですね、こういうものについて、例えば収入の何%とか、あるいは足立区では高過ぎるからその所得基準をもう少し下げなさいとか、こういう指導をなさっているんでしょうか。 〔理事仲川幸男君退席、委員長着席〕
○政府委員(阿部充夫君) 要保護、準要保護の認定につきましては、大分前になりますけれども、昭和三十八年は局長名で各部道府県に、認定については大体こういったところでということについての基準をお示しを申し上げておりますし、また引き続き三十九年にはさらにそれを解説をした通知等を都道府県に差し上げておるわけでございまして、それにのっとって各都道府県あるいは各市町村で対応していただくということを期待しておるわけでございまして、その収入がどの程度であればというようなことを数字等の基準で指導しているということはございません。
○吉川春子君 ことしになって足立、北、墨田、いずれも東京都ですけれども、所得基準を下げたんですけれども、こういうような指導を文部省はやってはいらっしゃらないということですね。
○政府委員(阿部充夫君) これにつきましては、要するに要保護に準ずるものということでございまして、要保護というものは生活補助を受けている家庭のことをいうわけでございますから、それに準ずるものということでこの通知にありますような判断基準をお示しをしておるわけでございますので、これにのっとって適正に処理をしてほしいという希望はもちろん申し上げております。しかしながら、金額にして収入が幾らから上だとか下だとかいうようなことについて言っているわけではございません。
○吉川春子君 就学援助を受けたいと、こういう希望を持っている場合に、民生委員がその取りまとめをしたりする自治体がかなりあるわけです。その場合に、民生委員の方全体という意味ではありませんけれども、個々の民生委員によってはいろいろと独自の基準を示して、受けるべきだとか受けるべきじゃないとか、そういうことでトラブルもかなり私の耳にも届いているんですが、民生委員の役割というのはどういうことにあるんでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) ただいま急なお尋ねでございますので手元に法令集を持っておりませんけれども、厚生省関係で生活保護者についてのいろいろな援助をするというような立場のものであろうかと思っております。
○吉川春子君 民生委員の役割について文部省がかつて初等中等局長の名前で通達をお出しになっておりますけれども、この中には、民生委員は、生活状態によって就学援助制度が受けられるのに受けられない子供もいる、そういう者をやっぱり捜して受けさせるように努めるのも民生委員の役割だと、こういうのを三十八年の五月二十五日ですか、出していますが、この立場は今日も変わっておられないわけですね。
○政府委員(阿部充夫君) 市町村の教育委員会が準要保護者の認定をするという場合に、この現在の政令の規定によりまして民生委員の助言を得ることができるということにいたしておるわけでございまして、そういう形で民生委員の助言を得ながら処理がなされているということでございますので、民生委員が積極的にいろいろな活動をしていただく、助言のための活動をしていただくということは望ましいことだろうと思います。
○吉川春子君 積極的にどういう助言をするかということが問題になっていて聞いているわけなんですけれども、この通達の立場でいいわけですか。——こういうふうに書いてあるんですよ。「市町村の教育委員会から準要保護者の認定について助言を求められた場合はもとよりであるが、さらにその責務において準要保護者の発見に努め、これら世帯に属する児童生徒がもれなく就学援助を受けられるよう市町村および保護者に対し適切な指導助言を与えられたいこと。」こうなっております。
○政府委員(阿部充夫君) 手元に通達は持ってないわけでございますけれども、従来からの方針を変えたつもりはございません。
○吉川春子君 従来からの通達に沿ってぜひやっていただきたいというふうに思います。 文部省が認定基準の目安にしております十一項目は、非常に貧民救済的色彩が濃くて前近代的だと思うんです。例えば就学援助制度適用の認定基準の中に、「学校納付金の納付状態の悪い者、昼食、被服等が悪い者又は学用品、通学用品等に不自由している者等で保護者の生活状態が極めて悪いと認められる者」、こういうような項目があるわけですね。これをその子供たちが家へ持ってきますと、今被服の状態が悪いなんという子供はいませんでしょう、ぼろを着ている子供なんていませんでしょう、これはいかにも貧乏たらしいことになっているので、うちは対象じゃない、こういうふうに思う父母も多いんですけれども、こういう基準の決め方は非常に現在の状態に即さないと思いますが、いかがですか。
○政府委員(阿部充夫君) この就学奨励、就学援助の制度と申しますのは、やはり基本的には子供さんの教育について親御さんが責任を持っていただくという部分が多いと思うわけでございますけれども、どうしても学校へ親の都合で来させられないというような子供たちに就学の機会を与えようというのがねらいでございますので、そういう意味から申しまして、やはり家計の状態、家庭の状態等が子供を学校へやれないぐらいの状況であるということであろうかと思うわけでございまして、そういうことの認定として、言葉が一つ一つが適当であるかどうかということはあるにはあるのかもしれませんけれども、従来からつくっておりますこの基準というものは、それ自体は決してこの制度の趣旨からいっておかしいものではない、こう考えております。
○吉川春子君 私は言葉が適切でないと思うんですよね。やはり経済的な理由によって教育の機会均等が害されないようにという趣旨でこの制度が発足したと思います。であるとすれば、本当に極端に貧困でどうにもならない状態じゃないと、これは受けられないというかのような印象を与えるような基準はやはり見直すべきではないかというふうに思うわけですが、これは地方自治体でまた独自の目安をつくって認定基準というふうにしてもいいわけなんですか。
○政府委員(阿部充夫君) この就学奨励に関しましては就学奨励に関する法律があり、それに基づいて国の補助制度が決められておるわけでございますから、その援助措置については国の制度に従っていただく必要があるわけでございます。ただ、またそれとは別に各市町村が就学援助事業をやろうということであれば、それについて国が規制をするという必要はないと思っております。
○吉川春子君 そうすると、この就学援助、これはさっきの機関委任事務にまさに当たるということなんですね。
○政府委員(阿部充夫君) この仕事及びこれに基づく認定という仕事につきましては機関委任事務に当たるものであろうと思っております。 なお、別に法令の規定によりまして就学奨励に関することを各市町村等がやる、あるいはやり得るということになっておりますが、それはそれで団体の固有の事務であるということになろうと思います。
○吉川春子君 就学援助制度を子供たちに受けなさいということで、自治体、市町村はいろいろ工夫をしているわけですけれども、そういう自治体が独自に文書を出して、こういう基準でということで呼びかける余地があるのかないのか、そこを伺います。
○政府委員(阿部充夫君) 現在の就学奨励に関する法律に基づく制度につきましては、文部省がお示しをしている線でやっていただきたいということでございまして、それを各市町村等が別途の仕組みにするということは認められることではないと思います。
○吉川春子君 文部省の就学援助制度の適用基準が非常に古いものであるし、こういうものについてはやはり見直すべきだ、一人でも多くの人が経済的な理由によって教育が受けられなかったり、あるいは悲しい思いをしないようにという、そういう趣旨でやられているわけですが、大臣、この就学援助の予算は大分文部省が絞り込んできまして、予算人員と実際の給与人員の格差が広がっておりまして、予算人員が四・六五%、給与人員が五・七八%なんですけれども、この就学援助の予算をやはり給与人員に合わせてもう少し拡大すべきじゃないかと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(松永光君) 望ましいことは、就学援助ということによらずしてきちっと就学できるような、そういう状態にすることが望ましいわけであります。子供の教育をするのに、義務教育等の段階ならなおさらのこと、他からの、国の援助を受けて、補助を受けてそして就学するというふうな世帯がなくなることが本当は理想の姿なんでありまして、しかし、経済的な貧しさのために就学困難な児童・生徒がいるということが現実にあるわけでありますから、そういう場合においては、教育の機会均等あるいは教育水準の維持ということも考えまして、今議論になっておる就学援助制度が実はあるわけであります。望ましい姿は、その援助をする世帯が減ることが望ましいわけであります。 なお、昭和六十年度の予算としては二百十二億九千万円、前の年よりも四百万円増額された予算が確保されておるわけであります。
○吉川春子君 この給与人員に合わせて少し予算をふやすという問題について端的にお答えいただきたいんですが、いかがですか。
○政府委員(阿部充夫君) 現在の予算でございますけれども、これは先ほどお示しを申し上げております認定基準をもとにいたしまして、全国の平均的なあるいは標準的な状況というものを念頭に置きながら措置をしておるものでございまして、必要な額については措置をしていると考えておるわけでございます。 御指摘の点、実際の給与人員と違うではないかという御指摘があったわけでございますけれども、これは全国の四十七都道府県の中で特定の幾つかのところにおいて非常に突出した措置が行われているということの結果でございまして、私どもとしては大多数の府県の状況から見た場合に、現在の額が著しく少ないとは思っておりませんし、必要な額は措置をしている、こう考えておるわけでございます。
○吉川春子君 最後に一問だけ、学校栄養士と事務職員の問題について伺います。 十一月十四日の財政制度審議会の第一特別部会で、義務教育費国庫負担制度の見直しということで、「義務教育に要する経費について国庫負担を行う基本理念は、「教育の機会均等とその水準の維持向上とを図る」ことにある。」としながら、「この基本理念からすれば、教壇に立つ先生の給与について国庫負担を行うことは必要であるとしても、事務職員や学校栄養職員の給与まで国庫負担する必要はない」というふうに大蔵省は説明しているわけですね。 それで、大臣にぜひお考えを伺いたいんですけれども、学校というのは教員だけいれば成り立つものなのか。栄養士とか事務職員とか、あるいはその他たくさんの職種がありますけれども、そういう人たちが力を合わせて協力して、子供たちの教育条件を豊かにしたり、そういう仕事の中で子供たちの教育水準、教育環境が守られていくんじゃないかというふうに思いますが、第一点の質問としては、教員外職員について文部大臣としてはどういうふうにお考えになっているか。あるいは文部省が大蔵省の考え方についてどういうふうに反論しておられるのかという点を伺いたいと思います。
○国務大臣(松永光君) 学校現場では直接教育に当たる教員と、その他必要な事務職員あるいは学校給食という制度に基づく栄養職員も教育を運営していく上で、推進していく上で大切な人員であるというふうに思っております。
○吉川春子君 反論している中身について……
○委員長(真鍋賢二君) もう時間がございませんので、他の委員会の都合がありますので簡略に願います。
○政府委員(阿部充夫君) 財政当局との折衝いかん云々というお話でございましたが、その問題ばかりではなくて、ごく一般的に私どもとしてはただいま大臣がお答えしたような姿勢でいろいろな問題に対応しておるところでございます。
○小西博行君 きょうは、教育問題の中でもいろいろありますけれども、学校管理と教育費という二つに焦点を絞って御質問をさせていただきたいと思います。 もちろん教育全般につきましては、間もなく臨教審の答申という形で非常に幅広い観点からいろんな問題が出てまいると思いますが、そのときにはまた私は学校管理という非常に大切な部分についても質問をさせていただきたいと思いますが、きょうは具体的ないろんな問題が最近起こっておりまして、その問題に対して、学校管理がうまくいけば私の知っている範囲では、たくさんの問題点の何割かはそれでもって解決できるんではないか、そういう感じがしておりますので、一つ一つ質問させていただきます。 まず一点は、昨年の四月七日にこの文教委員会で森文部大臣に対して私が質問いたしました都立向丘高校の定時制の服務違反の問題、この問題についていろんな事例を挙げ、しかも、これも証拠もはっきりしたものを持っておりまして、その問題に対して早く調査をして、その指導、あるいは処分すべきものはしなさいと、こういうことで申し上げたわけでありますが、文部省の具体的なそれに対する対応、そして結末、こういうものについてお聞かせ願いたいと思います。
○政府委員(阿部充夫君) ただいまお話にございましたように、昨年の四月に都立向丘高校定時制関係につきまして、週一研修その他の研修のあり方の問題、あるいは長期休業とかクラブ活動期間中の勤務のあり方の問題、さらにはいわゆるやみ給与と申しますか、そういう問題等について御指摘をいただいたわけでございまして、私どもといたしましても、そういうことが事実であるとすれば大変に遺憾なことだということで、早速都教委に対しましてその実態を調査をし、それから適切な措置を構ずるようにという指導を行ったところでございます。 都教委におきましてはその実態を調査しました上で、まず御指摘いただいたことはそのとおりであったと思います。それにつきまして、給与上の問題等につきましては、関係の教職員に対しまして懲戒処分を含む服務上の処分を行い、違法に受け取った給与については返還をさしたということがございます。また、そのほか研修や勤務のあり方等につきましても、各学校長に対し、あるいは各教職員に対しまして、服務規律の厳守について通達をし、徹底を図っていくというようなことでございました。かなりの部分解決を見つつあると思うわけでございますけれども、なお週一研修の問題等につきましては、昨年に既に週一研修の、年度初めに包括的な許可が出されてしまった後であるというようなこともございますので、これは昨年度中には解決いたさなかったわけでございますが、新年度に向けましてこの三月にもまた都の方は通達を出しまして、そういうことがないようにということで指導しておりますので、新年度に向けてその解決について一層努力が行われるように引き続き都側に指導すると同時に、その状況を見守っていきたいと、こう思っておるわけでございます。
○小西博行君 たしか、あのときにいろいろ調査いたしまして、定時制高校の大体一割ぐらいが東京にあると、百何校という数字が出ておったと思うんですが、それぞれの定時制高校についてかなり私は問題があるんではないか。例えば教員の人事移動その他につきましても、定時制から一般の昼間の学校の先生になれないというような形が実際ありまして、各定時制高校の中ではこの向丘と同じような形で実際に勤務時間に十分学校にいないで、そうして塾なんかのアルバイトというのがかなりございましたですね。そういう問題があるから、これはただ向丘高校だけの問題じゃなくて、定時制全般にわたる大きな問題だから、その辺の実態調査もあわせてしてくださいと、このように申し上げておったわけですが、この処分の内容につきまして、名前と具体的なもの、これ報告いただきましたけれども、これは私が具体的に証拠を示して、ここで質問申し上げたその方だけの処分みたいな実は格好になっておりまして、必ずしも私はそうではないと、たくさんの問題がある、そのように私思いますので、その辺についてはどうですか、調査十分やられましたか。
○政府委員(阿部充夫君) 御指摘がございました不祥事につきましては、東京都の教育委員会におきまして、先生に別途御報告を申し上げましたように、種々調査をいたしました結果、向丘高校の場合、それから都立富士高校の場合、それからこれは小学校の教員が四谷の塾に行っているという問題等につきまして、その確証を得て処分を行ったということでございまして、都としてはもちろんこういうケースをいろいろ調査をいたしましても、なかなか見つけるのは難しいという問題あろうかと思いますけれども、都としては努力をしてくれたものと思っておるわけでございます。
○小西博行君 大臣、お話聞いていただいたと思うんですが、実はこれもう少し詳しいような資料、たくさん実は持っておるわけなんですが、これは昨年やったものですから、いまさらくどくどは申し上げないんですが、要するに定時制高校の中にいろいろなそういう問題がございますと、ですからたまたま一つの高等学校で内部告発という形で私に上がってきたわけですね。それは証拠全部つかんでた、めったにないことだと思うんです。そのかわり、その事務職員の方は転勤という形でょその学校の方へ移っております。そういうことで定時制高校の中にはたくさんの問題があるんではないか。だから、その問題について十分調査をして指導しなさいと、そういうことが私の実は本意でございまして、この数名の方を処分していいというものではないと思うんです。その点は大臣、ぜひよく調べていただいて、具体的ないい対処の仕方をしていただきたいと、定時制の問題というのはもっと広いいろいろな問題ございますけれども、その点だけでも約束していただきたい、こう思います。
○国務大臣(松永光君) 先生のおっしゃること、まことにごもっともだと思いますので、さらによく調査をして、適切な対処をしたいと、こういうふうに考えております。 なお、定時制高校というのは、元来は勤労青少年は高等学校の教育をするための極めて有意義な制度として発足をし、相当大きな効果を上げてきたわけでありますが、最近は全日制高等学校への進学が非常に高まってきて、そうして定時制高校の方に積極的に自分の方から行きたいというふうな人が非常に減少してきている。生徒数におきましても、全国的な数字でいえば昭和二十八年当時は五十七万人おったものが現状では十四万人になておるということで、制度発足当時に比べて非常に異なった状況に今定時制高校はあると思っております。そういうことも実は今先生の御指摘のこととも絡んできはせぬかと、こう思うわけでありまして、そういうことで今後の定時制高校のあり方について文部省の中に高等学校定時制・通信教育検討会議を設けて、そこで専門家の意見に基づいていろんな検討をしていただきたい、こういうことになっておるわけでありますが、それはそれとして、冒頭申し上げましたような調査はこれまたしっかりやってみたい、こういうふうに考えております。
○政府委員(高石邦男君) 今大臣がお答えしたとおりでございまして、先生から御指摘がありまして早速定時制教育全体のあり方、これは基本的に検討されなきゃならないと、その上に立って教職員の服務の問題、人事上の問題、そういう問題の個別の問題があるわけでございます。したがいまして、この検討会議において各県の実情をまず把握し、そしてどうあったらいいかという基本的なあり方を検討し、あわせて具体的な対応を考えていくというふうにしているわけでございます。
○小西博行君 さっきちょっとお答えいただきました週一研修ですね、あのときこういう研修願というようなことを一年一括で提出していると、それから毎日毎日についても実際の授業が五時半からということで昼からその時間まではほとんど学校へ出てこない先生も大勢いらっしゃる、それも全部研修ということ、自宅研修ということで一括出してしまって、そしてその日によっては一時間の授業だけ出てくる、あるいはそれもサボるということが現実にあるものですから、こういう研修願とか実際の報告、これをもっと明確にしなさい、そういう指導をしなさいということもあわせてそのとき申し上げたんですが、この辺についてはどうでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 確かに御指摘のとおりでございまして、この週一研修の問題等、具体には向丘の例になるわけでございますけれども、都教委において調査をしていただいた結果も先生御指摘のとおりの実態があったということでございます。この問題につきましては、先ほど来先生のお話にございますように一向丘高校だけの問題ではないということでもございますので、東京都におきましてはこういった研修の承認のあり方につきまして一括してこれを行うというようなことがないように、そしてまたそれが本当に研修としての性格を持っているのかどうかというあたりを十分調査し十分事情を聞きその上で研修の許可をする、そして研修については必ずその結果を報告してもらうというような形に改めるべく東京都の方では通達を出しておるわけでございまして、先ほど申し上げました週一の問題だけは昨年度じゅうに処理し切れなかったわけでございますけれども、その他の研修についてはすべてそういう形での研修の許可が行われるように今変わりつつあるというところでございます。
○小西博行君 大臣、お聞きのように、これは後でまた小樽の問題も少し、この間三浦先生の方からやりましたが、学校現場のいろんなそういう問題がなかなか上へ上がってこないんですよ。ですから、よっぽどでないとそういう証拠はつかめないものですから処罰するにしてもしにくいという、文部省の立場でもそうだと思うんです。その辺は一体どうなんでしょうかね、今のようなシステムではそういうものはキャッチできないんでしょうか。例えば学校のいろんな問題というのは各部道府県の教育委員会の方で把握しなければいけないはずなんですね。ところが、それが十分そこで押さえ切れない。どういう原因があるんでしょうか。
○政府委員(阿部充夫君) 学校内のいろいろな事柄でございますので、そこには校長がおり教頭がおるわけでございますので、そういった校長、教頭といった管理職は事情を知っているはずであると思います。したがいまして、その設置者である都道府県なり市町村なりの教育委員会が校長、教頭と常に連絡をとっておくというようなことにすればそこのところがわからないはずはないと思うわけでございますが、そういう意味で今後とも各教育委員会の校長、教頭に対する指導あるいは連絡というものを大事にするように、より一層注意をしてまいりたいと思います。
○小西博行君 そういうような通達だとかというのはもう数々やっておられるんじゃないでしょうか。だから今の時点になってそれやると必ずうまくいきますよという言葉が非常に空虚に感じるわけですね。だから、私はその点を、文部省の方のいろんな調査の仕方も少し工夫が要るんではないか、そういう感じが実はするわけでしてね、ですから具体的にこういうようにかかった人だけがばかを見るみたいな実は感じがありまして、いろいろ調べてみますと、非常にこれは広範な問題として浮かび上がってくると思うんです。私どもも具体的なそういう時間というのはなかなかとれませんものですから、どうしても文部省の方からいろんな対策をとっていただきたいと、いや、それはもう都道府県の問題ですよというようなことで、教育の問題というのは非常にそれがすっきりしない形で終わってしまう、こういう感じがするものですから、大臣、せっかく新しく大臣になられたわけですから、そういう学校教育とか教育委員会、この形をもう少ししっかりしたものにしなければ意味がないと私はそのように思いますが、どうでしょうか。
○国務大臣(松永光君) 先生御承知のとおり学校運営は校長先生を中心にしてそして他の教員さんたちと協力し合ってやっていくべきものなんであります。そしてまた地方の教育行政は都道府県教育委員会がその責任において行う、我々の方は指導、助言等々ということに制度上なっております。これ一般論でございますが、結局、文部省の方では直接の責任を持っておる都道府県教育委員会を通じて実情を把握する、こういうことになっておるわけでありますが、ところが都道府県教育委員会は、やはり校長先生を通じて実情を把握する、こうなるんでしょう。まあ、一般論であり、また私の想像でありますけれども、そうすると校長さんがどういう報告をするんであろうか、こういう問題とも絡んでくるような気がいたします。いずれにせよ通常の学校運営がなされているならば先生が御指摘になられるようなことはないんだろうと思うんです。そしてまた調査もスムーズにかつ正確になされると思うんでありますが、時に通常じゃないところ等の場合にはやはり調査が難しいという実際上の問題があろうかと思う。そういうことから先生の御指摘のようになかなか調査が遅いじゃないか、真相を把握してないじゃないかといったことが起こってきていると思うんでありますけれども、甚だ遺憾なことだというふうに思い探す。しかし制度がそうなっている以上その制度を活用しながら実情を把握するしか方法はないわけでありまして、なお一層精力的にかつ熱心に今申したような仕組みを通じて真相を把握すると同時に適切な措置がなされるよう指導、助言をしていく、これしかないわけでございまして、そういうことで一生懸命これからも努力をしていきたい、こう考える次第でございます。
○小西博行君 定時制問題に返りますが、先ほどちょっと御意見いただきましたけれども、実際問題としては、もう定員割れという問題がかなり出ているんではないか、それから昨年のときもいろいろ調べてみましたら、やっぱり生徒、生徒の勉強に対する能力といいますか知識といいますか、こういうものが高等学校教育とは全然違った非常に学力が低い方も最近は非常に多いと聞いておるんですけど、この問題に対して文部省もさっきいろいろ研究機関を設けてやろうというようにおっしゃっているわけですが、どのようにしようと思っていらっしゃるんですか、現在の定時制問題。
○政府委員(高石邦男君) 現在、定時制の定員の充足率は五〇%から六〇%でございます。そして子供の学力は相対的に低いということでございます。それから、定時制に行っている子供が真に勤労青少年であるかどうかというところが問題でございます。勤労青少年でなくて全日制に行けないから定時制に行っているというような子供がかなり存在するというふうに思われます。そういう背景のもとに今後の定時制教育のあり方を基本的に検討していかなきゃならないと思います。 そこで、まず第一には、真に設立の当初の理念である勤労青少年のための教育機関として若干整備していくということが必要であろうと思います。そして全日制に行けない者が定時制に行くというような安易な進路指導は避けるということが必要であろうと思います。そういうことで真に定時制教育振興のためにどうあったらいいかということを考えていきますと定時制の学校の数はもうちょっと整理統合していったらいいじゃないかというような議論が当然出てくると思います。各県では、それぞれの地域に置かれている高等学校を廃止する、統合するということになると、県としては大変な問題を抱えるわけでございます。したがいまして、そういう問題に対処できるような基準、指針になるようなものをこの検討会議で出してもらいたいというふうに思っているところでございます。
○小西博行君 確かに定時制問題というのはたくさんの問題を含んでいると思うんですね。去年の実態でも、英語の授業を先生がやろうとしてもローマ字で自分の名前を書くことすらできない生徒もいるんだと。ですから、それは高等学校の教科書に基づいて授業しなきゃいけないんだけれども、その時間には自分の名前をローマ字で書けるように訓練をしておりますと。そういうようなちょっと私らもびっくりしたわけですが、そういう子供さんもまた大勢いらっしゃる。それから、給食のときは七〇%ぐらいの生徒が出席していると、あれは夕方の五時半ごろだったでしょうか、給食を食べるともうわっといなくなると、そういう問題も言っておられました。したがって、私、先生に対しても非常に同情を禁じ得ない面もあるんです。一生懸命に教えてあげようという熱心な先生でも、学力が非常にまちまちと、しかも全体の程度が低いということになりますと、実はこの間、去年指摘したわけですが、公務員でありながらアルバイトに行って塾で自分の勝負をかけているという先生方も大勢いらっしゃったわけです。そういう気持ちとしてはわかるわけでありますが、この定時制問題を何とかしないと、あるいは人事の異動についてあのときも申し上げたわけです。定時制ばっかりずっとやらなきゃいかぬというのじゃなくて、優秀な先生方は人事交流で昼間の学校の先生にもなれる。そういうようないろんな改善が必要ではないか、私はこのように考えるんですが、大臣、思い切ってその辺の決断をどうでしょうかね、ひとつしていただきたいんですが。
○国務大臣(松永光君) 定時制高校というのは、今局長も言い、私も申し上げましたように、勉強したい、しかし働かにゃならぬ、そういう向学心に燃えた勤労青少年に高等学校等の教育の機会を与えるという大変意義のある制度であったわけですね。そしてまた、かつては向学心に燃えた学習意欲に燃えた勤労青少年が学んでおったところであったわけですね。ところが、最近はそれがほとんど一変してしまっておるという実情のようであります。だから、そういう実情に合わせた学校にしなきゃならぬという問題もありましょうし、それからまた、数は少なくとも本来の趣旨に基づいた高等学校としての教育を受けたいという者がいる以上、この制度そのものは存続させにゃならぬという問題もありましょう。いずれにせよ、そういういろんな事情が変化してきておるわけでありますから、その変化に的確に対応できるようにしていく必要があるということで検討会議が設けられたわけでありますから、その御意見をまって適切な処置をしていかにゃならぬ、こういうふうに思う次第でございます。 なお、先生の言われました教員の側が意欲を持って教育をしようと、こう思っても、なかなかその意欲を燃焼させるチャンスがないという方もいらっしゃるかもしれません。そういう方々に対する人事の問題もあろうかと思いますが、これもよく研究をして適切な対応を考えてまいりたいというふうに思う次第でございます。
○小西博行君 十分検討していただきたいと思います。 それから次に、二月二十五日ですね、衆議院の予算委員会で我が党の三浦先生から質問をさせていただいたと思うんですが、北海道の小樽市の不正常な偏向教育という問題ですね。これも実はもう五十二、三年ぐらいからこういう問題はずっと私どもの党の方にも情報が入っておったようでありますが、私は五十五年に議員になってこちらに参りましたから、三浦先生なんかと同じように五十六年に小樽に行きましていろいろな調査をさしていただいて、そのときに相当いろいろな形で質問をさしていただいたわけです。何とかこの問題については、当時は田中文部大臣だったと思いますが、早急に調査をして対処して指導していきたい、こういうことで私どももこれはもう安心していたわけです。途中で情報を収集いたしますと、かなりいい状態になってきておりますからということだったものですから、しばらく調査を控えておりましたら、また最近もと以上になっていると、こういう情報が入ったものですから、この間三浦先生の方からこの問題について質問さしていただいたと思います。そのときに文部大臣は、北海道教育委員会を通じて適切な指導をやっていくとこういうようなお言葉があったそうでありますが、もう既にあれから一カ月たっておりますが、具体的にどういうような対策をとられたか、その面をお聞きしたいと思います。
○政府委員(阿部充夫君) 小樽市の教育問題につきましては昭和五十年代の初めごろから教育課程の問題が大変問題になりまして、文部省といたしましても北海道教委を通じまして必要な指導を繰り返してきたわけでございまして、教育課程でいわゆる白カリとかいろいろなことが言われておりましたけれども、最近五十八年度、五十九年度の状況につきましては道教委の方からは学習指導要領にのっとって適正な教育課程の編成がなされるようになってきている、しかしなお、今後とも見守っていくというような報告を受けておるわけでございまして、この点につきましてはかなり時間はかかりましたけれども、逐次改善されてきたというふうに判断しておったわけでございますが、最近になりましてまたここ数年来幾つかの問題が起こってまいりまして、前回三浦隆先生からの御質問をいただいたわけでございます。この点につきましては早速道教委を呼びまして、道教委と小樽市教委に対しましてそれぞれその実態をよく把握をし、それについて適正な措置をとるようにという指導をいたしまして、もちろんすぐその場でそういう方向で道教委も市教委もやるつもりでおるわけでございますけれども、それにしても対応の時間が必要だから若干の余裕が欲しいということで、一カ月ぐらいということで実は今週中にもまた来てもらうという予定にいたしておるわけでございまして、その中で具体にまた後ほどいろいろ御質問がございますればお答えさしていただきたいと思いますが、道市ともにかなりこの問題に積極的に取り組みつつあるというように今中間的に考えておりますけれども、なお近日中に報告をもらった上でさらにまた必要なことについては厳しい指導を重ねていきたい、こう思っておるわけでございます。 なお、この点につきましては、通常は道教委だけに来ていただきましてお話をして、道教委を通じて市教委に話していただくということにしておるわけでございますけれども、今回につきましては道教委、市教委ともども来てほしいということで両方に来ていたたいて、直接小樽市教育委員会に対しましても文部省としての指導をしたいというようなことを考えているところでございます。
○小西博行君 文部大臣お聞きのとおりです。イタチごっこみたいなものです。だから、わっと情報が入って言ってやるとしばらくよくなる、それからまたおかしくなる。それをずっと繰り返している。この前のときもそうでした。教育長をお呼びしていろいろなお話を聞いたりしました。ところがどうなんでしょうか、これは北海道の中ですからね、内部にいてそれがわからない、市の教育委員会が全然知らないということもないと思うのですが、私はそこに一つの問題があると思うのです。それを私は改善しなければ相変わらず同じようなイタチごっこを繰り返す。非常に不細工なことだと思うのでありますが、僕はこれは大臣の責任だと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(松永光君) 先ほどもお答えいたしましたように、制度、仕組みがそうなっておるわけでありまして、文部省としては道教育委員会を通じて指導するということになっておりますし、その関係上、今先生御指摘のように、手ぬるいという感じを受けるかもしれません。本来の姿から言えば、小樽市教育委員会がもう常に実情を把握しておって、そして適切な措置をする。同時にまた、道の教育委員会も適切な対応を文部省から指導を受けるまでもなく自主的にやるということが通常の状態だろうと思うんでありますけれども、なかなかそういってないと。極めて遺憾なことでありますけれども、現在の制度、仕組みを活用して、そして、何回にもなるかもしれませんし、あるいはイタチごっこ的なこともあるかもしれませんが、根気よく先生御指摘のような問題が起こらぬようにやっていく以外に方法はなかろうと、こういうふうに答えざるを得ないわけでございます。
○小西博行君 これはまさに文部行政というのはなかなか倒産しませんので、私は熱心にやるということで結構だと思うんですけれども、一般の企業の場合で例えば品質が悪いものをどんどん出していると、チェックすると、そしてまた同じようなことが出てくるということになりますととっくに倒産ということに私はもうなっていると思うんですね。しかし、私はその問題についてはもう一度大臣として本当に真剣に考えていただきたいと、工夫していただきたいと、さっきも申し上げましたように、ぜひお願いしたいと思います。 あの質問のときに官房長官をお呼びしていたわけですね。それでまずその実態調査が必要だと。政府からも現地視察を検討すべきではないか、こういうことを申し上げたと思うんですが、この問題に対しては具体的な動きはございませんか。文部省の方ではどうですか。
○政府委員(阿部充夫君) こういうたぐいの事柄につきましてケース・バイ・ケースということもあるいはあろうかと思いますけれども、原則として文部省が直接学校の現場等に出向いていってということが適切かどうかということはやや私ども慎重にならざるを得ない点があるわけでございまして、大臣からもお答え申し上げましたように、やはり道教委、市数委というのが間に挟まっての国の行政でございますので、そういう意味から、現在のところはその道教委、市教委を通じての指導ということで、それがある程度の成果を上げつつあるというふうにも私ども見ておるわけでございますので、そういうことでしばらく様子を見さしていただきたいと、こういう気持ちでおるわけでございます。
○小西博行君 その問題はその程度にしておきたいと思います。 それから次は、町田市の忠生中学校ですね、これは先生の方が生徒を刺したというあの例の中学校でありますが、荒れる中学の代名詞のように言われておりましたですけれども、この二年間で非常にいい状態になっていると。校内暴力は一掃していると。それから教員あたりの見学といいますか、研修といいますか、そういう場として提供して皆さん方が勉強していると。そういうことも私、聞いているわけなんですが、この成功の理由というのはどこにあったんだろうか、その点をお伺いしたいと思います。
○政府委員(高石邦男君) まず一つは、学校の教職員が協力一致して学校の教育、生徒の指導に当たる体制がなかったわけです。特に職員室もばらばらでございまして、一本の職員室になってなかったというようなことから、まずそこの職員室を一本にしていってその協力体制をつくっていくというところから出発したわけでございます。 それから第二番目は、家庭、地域との連携が不十分であって、学校に対する授業参観も学校との懇談会も余り行われなかったと。これを根気よく頻度を高く行って、学校、地域との連携を密にしたということが第二番目でございます。 それから第三番目は、何といっても校長のリーダーシップにあると思います。校長がやる気を起こして、全教職員が一致協力して生徒指導に当たるという体制づくりができ上がったということで、学校内部、それから学校を取り巻く地域社会、これが相協力して子供の教育環境をよくしていくということで大変な努力をした結果、二年の間に見違えるような学校になったというふうに思っております。
○小西博行君 恐らく今さっきの御答弁のように、校長さんのリーダーシップというのが一つと、それから学校の先生方が一致団結して事に当たっていったと。これを私はある意味のいい意味での学校管理というふうに私は理解しているわけです。ですから、その管理というのは何かしら統制機能ばっかりを強調される方がいらっしゃるわけですが、大臣、管理という言葉ですね、どのように理解されていますか、管理。
○国務大臣(松永光君) 管理という言葉を使えば、余り適切ではないというふうな感じを受ける人もいるわけでありますが、要するに学校現場というものは教育をする場にふさわしい秩序が必要なんでありまして、その秩序を維持するということを管理と言うならば管理も必要なことだ。しかもその管理が乱れれば、結局、教育をするにふさわしい条件環境が損なわれるわけでありますから、そういう意味での教育の場にふさわしいような条件、雰囲気、秩序、これを保つということは大切なことだというふうに思います。何も上命下服というような感じじゃなくして、みんなで協力し合って教育をする場にふさわしいような状況をつくり上げるということが大切なことだというふうに思っております。
○小西博行君 管理というその概念ですね。私はこのようにとらえておるのですよ。プラン・ドウ・チェック・アクションという言葉があるわけですね。プラン、つまり計画を立てて実施して、それが果たして計画どおりいったかどうかということをチェックする、それから再びアクションをとっていく。このサイクルを普通は管理のサイクルと普通言っています、あるいはプラン・ドウ・シーという表現をしている人もいますけれどもね。管理というのはつまり計画があって、それを実行して、それがうまくいったかどうかというのをチェックして、うまくいけばもう一回その方法を繰り返す、あるいは改善して次の新たなる計画に織り込んでいくと、これが一つの私は管理というふうに理解しておるものですから、ややもすると最後のチェックばっかり管理だと、何か統制されるのだと、私はその辺が実は何々管理という言葉の中に、うっかりするとこれは大変なことになるぞと、校長の主導権で何もかも全部やられてしまうぞと、こういうふうに解釈される方があるいはいらっしゃるのではないか。だから私は、管理というのはそういうふうに考えていますから、学校管理というのもそういう意味で校長さんをリーダーシップにして、そしてこの学校全体の教育体制をどう持っていくかというような一つの計画が当然要ると思いますね。それを実行してみると、これがうまくいかなかった場合には再度の計画を練り直すと、こういう形を一つの管理。つまり学校全体についての今申し上げたようなことですね、プラン・ドウ・チェック・アクションという一つの手法をそこへ持ち込んでいくことが管理であると、このように解釈しているのですが、大臣、これでよろしいでしょうか。
○国務大臣(松永光君) 一つのすばらしい見識であるというふうに思います。
○小西博行君 私は、今忠生中学という、これもたまたま忠生中学が大きな問題になったわけですが、全国のこういう中学校というのはいろんな問題をあるいは抱えているわけですね。ですからこういういろんな事例、悪い事例だったわけですね。それからだんだんよくなってきたというこの事例をもう少し整理をされて、各先生方が研修という形でやっているようでありますけれども、こういうものを私はもっと教育の現場に取り入れることができるような、文部省の方でそれをまとめるか何か私は必要ではないかと思うんですがね。そういう作業は、これはこれだけの問題ではありませんけれども、いい面がそれにございましたらね、何かそういうもので皆さん方に知らせると、こういうことをやっておいでになるでしょうか。
○政府委員(高石邦男君) それは常に留意しておりまして、そういう事例を集めました生徒指導の手引、そしていろんな事例集を紹介するという形で各全国の学校に配付する等の行為を行っております。そのほか忠生中学校においては研究発表会をやりまして、約二千人ぐらいの教職員が集まって、どうして再生していったかということを詳しく現場で発表されたのを研修したというようなことで、そういう研修の機会にもこういうことを利用しながら正常な、しかも効果の上がった事例について全国に参考にできるようにしているところでございます。
○小西博行君 私は、その中で先ほどおっしゃいましたように校長ですね、校長さんの資質というか能力といいますか、こういうものが非常に大切だと思うんです。もちろん学校の先生方に信頼のないような校長というのはとても管理はできないわけですね、当然。言うことを聞きませんし、協力もしないということで校長さんを任用する場合のいろんなペーパーテストやるかもしれません。面接か私よくしりませんけれども、その辺の校長を任用するための資格といいますかな、こういうものをもっと幅広く検討をしてはどうかと思うんですが、現在はどういうような形で任用されていますか。
○政府委員(阿部充夫君) 小中学校の校長の任用のやり方でございますけれども、最近ではほとんどの県、四十七都道府県のうち四十二県におきまして任用の客観性と公正を確保するという見地から管理職選考試験というのを行っておりまして、勤務成績、能力、適正、教職の今までの経験といったようなことを総合的に判断をして評価をして校長に任用するということをやっております。具体の選考試験の方法といたしましては、ほとんどの県が面接を重要なものということでこれを基本に据えまして、そのほかに論文試験をやったり、あるいは場合によっては筆記等の試験というものをやるというようなことのようでございまして、これは先生おっしゃったような点から見ましても、面接というのは大変重要なことだと思いますので、私ども結構なことだと思っております。 なお、年齢的に御参考までに申し上げますと、大体五十三歳から五十五歳ぐらいが新任校長の中心でございますけれども、いずれにいたしましても、大部分五十歳以上の者からの任用というような状況になっておるわけでございまして、御指摘のような点はさらに今後とも各教育委員会において校長の選考の際に大事な判断基準としてしてもらうように話をしていきたいと思っております。
○小西博行君 学校の規模にもよりますけれども、一人の校長がいて、それから教頭がいて、そしてその下に三十人とか四十人とか、これが多くなればなるほどこのコミュニケーションというのが非常に難しくなってくる。しかも、この専門の分野が違いますよね、数学の先生だった人が校長になっている。そういうことで高校のことについて余りわからないという、こういうことが非常にあるもんですからね。そこで、主任制度というものができたようなんですけれども、この指導職ということですね。これはもう少し何か身分を明確にするか、あるいはこれは全然なくてもいいものか、その辺についての文部省の考え方。大体答えの方は予想はつきますけれども、おっしゃっていただけませんか。
○政府委員(阿部充夫君) 先生御承知のように、主任につきましては、従来から学校の中でかなりそういう形のものが一般につくられておったというものをより一層的確に機能していただくようにという意味で制度化をしたということでございまして、これが既に十年近くたっておるわけでございますけれども、逐次各県、各市町村で置かれるようになってきました。現段階で、昨年でございましたか、沖縄県で実施をされましたことによりまして全国に置かれるようになり、機能的にも逐次定着をしつつあると思っておるわけでございます。 この職の中身は管理職という位置づけでなくて、御指摘にありましたように指導職と申しますか、連絡を調整をするとか、あるいは指導をするというような仕事をやっていただくということでせっかくつくった制度でございまして、現在、定着を見つつあるところだということでございますので、今の段階でこれを、性格を変えるというところまでは考えておらないわけでございますけれども、こういった主任が本来の機能を発揮していただければ非常に学校の運営にはよくなってくると思うわけでございますので、そういう意味で、現在の指導職という主任がその本来の機能が十分発揮できるようにより一層の定着を図りたい、こう思っておるところでございます。
○小西博行君 私は専門職としては非常に優秀な人材であっても人を管理するとかということになりますと、非常に不得意な人がいらっしゃるわけです。これは企業の場合でも同じことなんですね。さっきの校長の登用にしてもそういう点を十分考慮した上でやっぱり指導、監督、責任というのが非常に強いんですからね、ぜひ校長の任用についてはそういう面を重要視して登用していただく、そういうようなシステムが私はぜひ必要ではないか、このように思いますので、お願いしたいと思います。 ちょっと時間がだんだんなくなりましたが、大臣、率直にお聞きしまして教育費の問題に入りたいと思うんです。 「なるほどザ・ワールド」というテレビ番組ごらんになったことございますか。あれはキンキンというのですかね。
○国務大臣(松永光君) 私は見たことないんでございます。
○小西博行君 これは非常にいい勉強になります。私もたまたまこの間宿舎でテレビを見ておりますと、これがございましてですね。そして、これは何かといいますと、今の教育費です、学校教育費と呼んでいいでしょう。一番高い、幼稚園から大学まで私学で一番高いコースをいった場合に幾らかかるかというようなクイズがあったわけですよ。私は恐らく二千万ぐらいかなと思っておりましたら、これは何と大変なものなんです。大臣、大体どのぐらいかかると思いますか、高いコース。医学部までですね、六年間の医学部まで。
○国務大臣(松永光君) これはなかなか当てにくうございますが、千万を超すケースもあるんじゃないかなと思います。
○小西博行君 これが何と四千七百九十一万七千百円。というのは、これは幼稚園、幼稚園は二年間、これは青山学院ですね、これが百七十万四千円。小学校六年、これが青山学院、四百九十七万五千六百円。中学校三年、日大女子大附属、二百四十五万千五百円。それから高等学校三年、これは川崎医科大附属、七百七十八万六千円。それから大学、これは六年です。金沢医科大学、三千百万円。合わせて約四千八百万です。こういうふうな、私も実はびっくりしたわけですがね。最近のいろんなもの見ましても、一千万ちょっとぐらいはオーバーするだろうというのは大体よく言われているわけですがね。つまり数字のマジックといいますか、平均で物を見る場合と、それから最低と最高と見る場合では、必ずこういうふうに分布がありましてね。これは何か一番高いコースばっかりでこうだと。もちろんこれは当たりませんでしたけれども、実はびっくりしたわけなんです。 そこで大臣、これは平均でふだんはこう話しておるわけですが、実はこれ、正規分布の場合だったら、平均だったら、五〇%はそれより高いということが言えるんですね。これは正規分布になるかどうかは問題としましても、正規分布とした場合に、あと半分ですね、一千万が平均とした場合は、一千万よりはたくさんかかるということなんです。その一番高いところはこの四千七百九十一万ということになると思います。そういう面で見まして、教育費というのは普通には平均でいろんな議論がされるわけですけれども、しかしそうじゃなくて、非常に高いところもあるし、分布から見て私はそういう感じがするんですがね。これから教育費についてはそのような観点で考えてもらえないかということがまず一点なんです。ただ平均だけで物を言うんじゃないと。
○国務大臣(松永光君) 特異な例は私は除外をして、何といいましょうか、平均的なものに目を向けざるを得ないんじゃないでしょうか、政治の議論をする場合、あるいは教育の議論をする場合。特別なケースはやはり一応別に置いて、通常の例を中心にして議論していく。もちろん通常のケースとして、父兄の負担が過大にならぬような、着実な施策を進めていくという立場で取り組まざるを得ないというふうに思います。
○小西博行君 もっとも、平均というところは数も一番多いということなんですね。ですから、とっぴなやつというのは非常に数が少ないということは当然言えます。しかし、私学の医学部ということになりますと、そんなにとっぴな数字でもないんではないか。いろんな情報を聞きまして、入学金その他をたくさん入れますとね、そんなにびっくりするような数字じゃないようなことも私聞くわけです。ですから、いずれにしましても、大臣、教育費というのはかなり大きな金額はかかっているということは私は事実だと思います。そういう意味で、私ども、これ、四野党で教育費減税ということを主張しているわけです。きのうのたしか同僚議員の質問に対しては、何か歳出面からの助成という形を従来とってきたんで、ちょっとなじまぬのじゃないか、税制上のことでやるのはなじまぬのじゃないかという御意見もございましたが、それ以外に、なぜ政策減税の中の教育費減税というのはなかなか難しいとおっしゃっているのか、たくさんの理由があると思うんで、皆さん方もあるいはよく御存じだと思いますけれども、詳しくちょっと説明してもらえませんか。
○政府委員(西崎清久君) 昨日の私のお答えにかかわりますので、若干御説明申し上げますが、昨日私が申し上げましたのは、現在教育減税問題について公党間でのお話し合いが前提になっております、そして公党間のお話し合いの結論をまって、政府、その一環として文部省も適切に対処したいということを申し上げ、従来教育減税という形で文部省が施策をとっていなかったということについてコメントをさしていただいたわけでございまして、現時点でその事柄について全く文部省が対応するつもりがないということを申し上げたわけではございません。 それから、今先生のお話で今後教育減税についての問題としてどういう隘路あるいは観点があるかということでございますが、従来から私どももこれらを検討してきた段階におきまして、やはり税金を納めていない低所得層の人たちは減税ということが問題としては及ばないという点とか、それから、あるいは中学卒業で就職する人もいるわけでありまして、そういう人たちと、こういう高校へ行っている人との同年齢層におけるバランスの問題、あるいは減税と申しましても所得控除の金額をどういうふうに押さえるか、これは私ども税制の専門家ではございませんが、税制上個別の事情をしんしゃくするについては非常に問題があるというふうな税制調査会などの指摘もあるものでございますから、そういう点なども従来減税が行われにくかった事情ではないかというふうに考えておるわけでございます。
○小西博行君 減税問題ですね、今の教育費減税という問題についてはまた時間を改めて、一つ一つの反論ということで準備はしておりますけれども、ちょっと時間が余りないものですから、その問題についてはこの際はやめさしていただきたい。 それからもう一点どうしてもこれ文部大臣にお聞きしておきたかったんですが、今教育問題を臨教審ということで大きく改革しようという大切な時期に、この間、予算委員会で同僚議員の御質問で、私は教育基本法というのは非常に大切であるし、これは守っていかなきゃいけない。しかし、言葉の表現その他が一般向きではないし、特に教育現場ということになりますとか、あるいは父兄なんかになりますと、特にその問題が非常にわかりにくいから、これをもう少しわかりやすい共通の言葉ということで文部省の方でひとつそういう考え方はないだろうか。これは私どもは教育憲章という名前を挙げておるわけなんですが、教育憲章という名前がいいか悪いかというのは別問題としまして、何かもっとわかりやすい共通の認識に立ってそういうものをつくっておく必要があるんではないか、それやった方がいいんじゃないか、こういうことを前々から提唱しておるわけですが、これは何か文部大臣はもう全然その気はないというようなお考え方をこの間答弁でなさったようなんですけれども、今ちょうど臨教審が一生懸命いろんな角度から審議している最中にそういうことを文部大臣がおっしゃったというものですから、ちょっと驚きまして、その真意を一遍確かめたいということで今質問さしていただいておるわけです。
○国務大臣(松永光君) 私は今の段階で、言うなれば文部省主導型といいますか、官製の憲章、こういったものは考えておりません、こう申し上げたわけであります。今先生のおっしゃいますように、我が国の教育の理念とか目標というものは教育基本法に実は明記されておるわけでございます。しかし、先生も御指摘のように、ちょっともう少しわかりやすい言葉はないかな、こういう御指摘があることも承知いたしております。そこで、教育基本法の定める理念や教育の目標をもっとわかりやすいような形で何らかの文章的なものにして、そして国民共通の認識として、本体というかもともとの基本は教育基本法ですよ、しかし、それをわかりやすい形で教育の目標を掲げるという、それが大切なことだという大変貴重な御意見があることも承知いたしております。それはわからぬでもないんでございますけれども、問題はどういうやり方でどういう形式でそれを定めるかという問題も実はあるわけでありまして、そしてまた、今度は中身に盛り込むべき事項を、どんな事項を盛り込むべきか、いろいろ議論も実はあるわけであります。したがって、望ましい姿は、言うなれば一般国民の間からこういうふうなのが、教育基本法をわかりやすく説明すればこんなものなんじゃなかろうかというようなことが一般国民の中から盛り上がってきて、そしてそれを大部分の人が承認するという形になれば、これは上からのものじゃございませんね。そういったこともあり得ると思うのでございますけれども、それはそれで一般国民の盛り上がりでございますから、私としては先生のおっしゃる教育基本法、すばらしい理念が掲げられておりますし、教育の目標、これも教育基本法に定められておる、これについてはほとんどの人が異論のないところと思います。私も実は異論がないわけであります。ただ、今申しましたとおり、どうもわかりにくいなという御指摘があることも事実であります。そういうことからタイトルをどうするかは別として、もっとわかりやすい形での教育の理念なり、目標なるものを何か書いたものがあればいいんじゃないかという御意見、わからぬわけじゃございませんけれども、政府の立場としては官製のものを定めるという気持ちはありませんと、こう申し上げたわけでありまして、先生のおっしゃることが意味がないという意味じゃございません。私もよく考えてみれば、言われてみればもっともな点もあるというふうに感じたわけでありますが、制定の形式の問題、どういうふうなことで盛り込むかという問題、少なくとも上から押しつける形はする気持ちはない、こう申し上げたわけでございます。
○小西博行君 ありがとうございました。 しかし、私どもとしてもこの問題については非常に大きな問題ですから今後も勉強していきたいというふうに考えております。 最後に、これは全然また観点が変わりますが、さっき高木先生の方からすばらしい質問をしていただいて私も感動したわけでありますが、たびたび高木先生の質問は感動するわけでございます。というのは、つまり教育という、独創性というさっきお話がございまして、これから先はそういう基礎的研究といいますか、そういうものが日本の将来に非常に大切ではないか、こういうお話がございました。私もこの間ちょっとほかの雑誌を読んでおりましたら、シュミットさんとキッシンジャーの対談の要綱というのがちょっと出ておりまして、日本の将来についてどのように考えるか、将来発展するかどうか、そういう問題について二人が対談している中に、やっぱり日本の将来で一番心配なのは哲学あるいは個性、そういうものが日本の中に現在ないので、その面が非常に問題だということが載っておりました。 それからもう一つは、ジェトロで長いこと二十年ぐらい海外、特にヨーロッパで生活しておりまして大変苦労された方なんですが、その方とお話をしておりまして、日本は今貿易摩擦ということで非常に問題になっている。しかし、実はその根底の中には、どうしても安い物をたくさんつくって一斉に売り込んでいく。例えば自動車の場合だったら日産もトヨタも、東洋も同じような車でウワッと安いやつで攻めていく。しかも商品としては絶対に日本はいいのだと、品質は絶対に負けない、しかも、海外から見てもすばらしい。ところが同じようなやつが一斉になってウワッと押しかけてくるものですから、日本に対して非常にそこに不信感がある。ヨーロッパなんかの生産の形態やなんかをいろいろ聞いてみますと、少ないやつを高く売っていくのだという、そこが違うのです。日本の場合は大量生産で安くたくさん、だから電卓なんというのは最初あれ四十万もしたやつが今千円ぐらいで出るような時代ですね。最後はそれが全部電卓業界をみずからつぶしてしまう。そこに非常に問題があるのだということを聞きまして、私も実は経営工学の方で少品種多量生産で会社どんどんやりなさいというので大量生産をいろいろ指導してきた張本人でもございますけれども、現実にその辺がどうも日本人の哲学としてその辺の教育の中に、そういうものがこれから非常に大切になるのじゃないかなということをちょっと私はびっくりしまして、これからそういう問題についても少し研究してみたいというふうに考えておりますので、さっきの非常に先端技術に対する基礎的な勉強、それにあわせて、もう一つは、そういう日本人としての哲学といいますか、そういうものをどういう形で教育の中にこれから入れていくか、もちろん道徳という問題もございますけれども、そういう問題が日本と海外との貿易摩擦解消の一つの介助にあるいはなるんじゃないか、あるいは理解してもらいやすくなるんじゃないか、そういう感じがするものですから、教育の中でそういう問題をひとつとらえていくことも大変必要だと思いまして一言申し上げたいと思います。 何か御意見がございましたら最後に。
○国務大臣(松永光君) 二十一世紀に向けて世界のいろんな環境も、我が国を取り巻くいろんな条件も大きく変化をしてくるわけでありますが、そういう変化に主体的に対応できる人材を養成していくことが大切である。その人材の中には独創性を持った、あるいは独創的な思考力を持った人材を養成することが大切だということを、高木先生から御指摘をいただいたわけであります。 それと、もう一つつけ加えて申し上げさしていただきますならば、先生のお話の中に、やはり人間、敬けんな心を持たなきゃいかぬということをおっしゃったと思うんでございます。豊かな心というふうに表現をいたしますが、あるいは道徳教育とも申し上げますけれども、社会の規範、個人として守るべき規範を身につけて、かつそれを実践できるということなんでありますが、その中にはもう一つ敬けんな心を持つ必要がある。そういったことを高木先生から御指摘を受けたような感じがするわけでありまして、大変な感銘を受けたわけであります。いろいろな先生方のとうとい御意見を承りまして、それを参考にしながら教育行政を進めてまいりたいと、こう思っておる次第でございます。
○委員長(真鍋賢二君) これをもって昭和六十年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部省所管についての委嘱審査は終了いたしました。 なお、委嘱審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(真鍋賢二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時一分散会