文教委員会 第7号
- 発言数
- 219 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1985/04/17
会議録
○阿部委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中西績介君。
○中西(績)委員 私は、先般の補助金一括法を審議する際にも触れましたけれども、その際にまだ不十分な面がございましたので、旅費あるいは教材費の問題について一、二確認をしておきたいと思っています。 そこで、教材費が国庫負担から除外をされることになるわけでありますけれども、そうした場合には、この前も論議をいたしましたように、教材費については各市町村に交付金として一括して交付をされます。そうしますと、ひもつきでなくなるわけでありますから、私たちが一番心配しておりましたのは、この点について教材費として予算化されるようにということを指摘をいたしましたところ、各自治体に対する文部省からの要請なりあるいはそうした指導を強めていくということを言われておるわけでありますけれども、この点に関してもう一点私は確認をしておきたいと思います。 それは、このようにして除外をされますと、今までは教材基準というのがございまして、昭和四十二年から第一次十カ年計画、そして五十三年から第二次十カ年計画を立てて実施をしておるわけですね。現在までの達成率は、養護学校を除きますと大体四八%と言われています。ということになりますと、あとの年限というのはごくわずかなんですね。そうするとなおさらのこと、このように規制が弱くなり、しかも教材費そのものが十カ年計画で今なお四八%の達成率であるということになってくれば、将来的に枠かも外されるということになってまいりますと、やはりこの点が遅延をしていくのではないか、こういうことを私は一番恐れるわけでありますけれども、この計画を将来なお維持し続けるのかどうか。これが一つ。 なおかつ、この達成率を早急に達成するための措置はどのようにしていくのか。この前の答弁の中には、ある程度この分についてはプラスアルファをつけて落ち目になった分を引き上げて予算化しておるということを言いましたけれども、今までは往々にして、ひもつきから解いて予算化した場合の例などをずっと考えてまいりますと、初年度だけは必ずやるんですよね。しかし、次年度からはそれを外していく、あるいはだんだんそれが弱まってくるという傾向があるのです。こうしたことを考え合わせていきますと、今申し上げるように、この計画はどのようになっていくのか、それをこれからどう措置をしていくか、この二点についてお答えください。
○松永国務大臣 先生おっしゃいましたように、教材整備の第二次十カ年計画、残念ながら今日、その達成率は五〇%弱、先生御指摘の四八%台であるわけですが、なぜその程度にとどまっておるのか、その程度までしか進行しなかったのかということであります。これは、実は年々ふやしていくという前提であの十カ年計画はできておったわけでありますが、五十七年度が一〇%減、五十八年度は一〇%減らした分についてのさらに一〇%減、そして五十九年度は今度はさらに一五%減、国の財政事情が厳しいものですから、教材費国庫負担額の予算が残念ながらそういうふうに縮減されてきたわけであります。そういたしますと、これは二分の一でございますから、残りの二分の一については地方交付税の措置であったわけでありますが、そうすると、その地方交付税の分も今申した比率で縮減されてきた。その結果が、残念だがいまだ五〇%に達してない、こういう状況であったわけであります。したがって、教材の整備を計画的に進めていくためには、大事なことは全体としての教材を整備するための財源措置をすることであるというふうに一つの問題としては考えております。 今回の措置は、先生御指摘のとおり、教材の整備について市町村でこれを整備していくということが定着をしてきたから、そこで、国の財政事情が厳しいということもあり、今まで三カ年間も継続して大変な率で削減をされてきたということでもありますので、やむなく、市町村で整備するということが定着しておることであるからということで、地方財政当局とも協議の上一般財源化したわけであります。そして、一般財源化したにつきましては、交付税の措置としては前年度を二・八%上回る財源措置が六十年度についてはなされた、こういうことであります。 問題は、先生御指摘のように、一般財源化されたわけでありますから、ある意味ではその交付された財源をどういうふうに使うか、理屈の上では市町村の判断で使えるということにもなるわけでありますけれども、しかし、先ほど言ったように、市町村で整備するということが定着をしておるということが一つ。 それから、交付税の交付金が交付される場合にはその積算の根拠というものが示されることでもありますので、そこで、今回の法律が、衆議院は通りましたけれども、参議院を通って成立をしたならば、今回の改正内容、財源措置の内容、そして留意事項等について詳細に県を通じて市町村に通知をして、その趣旨の徹底を図ると同時に、各市町村で教材整備のための経費としてその分を必ず使用するようにという指導は徹底してまいりたい、こう考えております。 それといま一つは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、全体としての財源措置が問題でありますから、六十年度は二・八%増の財源措置がなされたわけでありますけれども、六十一年度以降も減らないように、できればふえるように財政当局に積極的に働きかけをしていって、そうして教科整備の重要性をよく認識してもらって、そして財源措置がきちっとなされるようにしていくのが私たちの務めだというふうに考えるわけであります。 なお、いわゆる教材基準の問題でございますが、これは言うなれば、国庫負担をする関係上、国庫負担の対象となる基準を示しておったことになるわけでありますけれども、これからは国庫負担はなくなったわけでありますから、そういう意味では今までとは、国庫負担の基準ということではそのことがなくなるわけでありますけれども、これを市町村で教材を整備していく場合の言うならば参考基準として活用していく、そういう形で整備がなされるように私どもは最大限の努力をしていかなければならぬ、こういうふうに考えているところでございます。
○中西(績)委員 今答弁いただきましたけれども、私が申し上げる点で一番心配をしておりますのは、まず第一に、今答弁の中で、この教材を整備することが定着をしたという言い方をしますけれども、これは、地方自治体の状況というのをどのように把握をしておるのか知りませんけれども、公共事業費だとかいろいろなものがこれから全部すっと薄らいでくるわけですから、そうなってまいりますと一般財源として措置をされる。今までは国がこのように措置してあるからということで、十カ年のこの計画の中でこれをぜひ達成をしていけということを強く指導ができたのですけれども、その枠が外れるということになってきたときに、整備することが果たして定着をしておるだろうか、私はこのことを一番危惧をいたしておるわけであります。というのは、今まで各県なりあるいは地方自治体との交渉の経験の中で私たちすっとやってきたわけでありますけれども、その際に、旅費にいたしましても、こういう財源については大体ほかの予算に食われる可能性というのが今まででも非常に強いわけですね。だから、それを達成させるために地域の人あるいはそれを要求する個あるいは学校現場がどれほど努力をしてきたかということのこうした今までの経過を十分踏まえておかないと、このようにして定着をしたという大蔵省の言い分については私は納得はいきませんね。ですから、それを今度受け売りするみたいに文部省が定着をしたという言い方をしておるといたしますと、これは現場における教育の向上あるいは環境整備を果たしていく役割というのはますます落ちてくるということを私は指摘をしておきたいと思います。 ですから、そのこととあわせて、今言う六十一年度がではどうなみのか。今までは確かに一〇、一〇、一五%ずつずっと加速度的に落ちてきたわけですから、その分を今度は逆に五十九年度から比べると二・八%引き上げるということになっておりますけれども、今までの例からすると、初年度は確かに皆を導くために、うまく引き入れるために予算を増額をするなどという措置をとるけれども、さっき言うような定着をしたということがまかり通っておるといたしますならば、さらにその定着の度合いは確定的になってきたということによって逆にこれを減らしていく、こういう状況だって出てくる可能性があるわけですね。ですから、この点が、来年のことはまだわかりませんけれども、文部省が今までより以上これをさらに引き上げる、この十年計画は達成されておらないわけですから、これはもうわずか二年しかないわけですね。その間に五〇%程度のものに少しでも近づくという体制づくりをするためには、六十一年度以降における額をどれだけ引き上げ得るかということにかかってくるわけでありますから、そうした点との絡みが、この十年計画というものが維持されて文部省はこれから施行していくのか、いやこれはもう既に一般財源化されたんだから、国庫負担ではありませんから、この点についてはもうパアになったのです、こういうように言うのか、この点はどちらですか。
○松永国務大臣 先生の御指摘のような心配は私どももしていかなければならぬと思っております。 定着したという意味は二つございまして、一つは、父兄に割り当て寄附などで金を出させてそれで市町村が教材を整備するという、言うなれば父兄負担に転嫁するという習慣はなくなって、市町村で整備する教材については公費で整備するということが定着したという意味が一つあるわけです。 もう一つは、国庫負担のための予算を文部省の方で確保しますね。もし地方がその確保した予算に応ずることをしなければ、その分は不執行になるわけですね。ところが、幸いに国庫負担で準備した分は大体執行できてきた。もちろん、市町村によってやや少なかった市町村、あるいは基準どおりの市町村、多少のばらつきはあるにしても、そういうことで教材整備が進められてきた。この二つの意味で定着をしておるというふうに申し上げたわけでありますが、これからは、先生御指摘のように、交付税の金額を計算する場合の根拠としてはちゃんとこれは教材費分ということで積算をされていくということははっきりなっておるわけでありますけれども、実際に交付税交付金が行った場合には、別に仕分けをしておるわけではありませんから、その意味では、今後は今まで以上に教材整備の重要性を市町村に指導するということが一つ。 もう一つは、十カ年計画の問題でございますが、先ほど言ったようなわけで残念ながら五〇%に満たない達成率であるわけでありまして、その意味では、これから十カ年以内に一〇〇%までということはもう物理的に可能性がないという感じがすることは事実なんでありまして、十カ年が少し延びるということはもう予想されるところであります。しかし、今日まで十カ年計画ということを我々は考え、そのことは財政当局に至言って今までの教材整備の予算を確保してきたわけでありますから、国の財政が厳しいものですから計画どおりの進捗はいたしておりませんけれども、ある程度延びる結果にはなりますけれども、物の考え方の基本としては、十カ年計画の整備を多少延びても達成するということを前提にして、今後ひとつ財政当局とは折衝していかねばならぬ。そういうことで、財源措置がきちっと確保されるように私どもは努力をしていく所存でございます。
○中西(績)委員 それでは、この十カ年計画というのは維持をしていくということですね。
○阿部政府委員 十カ年計画そのものは国庫負担制度についてつくった計画でございますので、そういう意味からいえば形式的には存在しなくなると言わざるを得ないと思います。しかしながら、その考え方そのものは維持をいたしまして、そのもとになっております教材基準というのがあるわけですが、その教材基準は維持をして、これを参考に各市町村で整備をしていただくということでございますので、その精神は受け継いでいこう、こういう考え方でございます。
○中西(績)委員 この点、要望ですけれども、今言う教材基準に到達するまでということもございますけれども、これから器具などが相当高額なものあるいは斬新的なものを導入しなければならぬという、これは今までたくさんありますね。その部分をさらに見直しをしながらでも、一定の計画というものを持っておかないと、今言う六十一年度以降における要求なりがやはり弱まってくるわけですから、この点はこれからさらに十分見直しをしていただくなり、基準をどう達成していくかという視点を明確に、今度はもう一度打ち出し方を改めていただくなりしまして、そして延長するなら延長します、その際にはこういうふうにやりますというものを基準として明確に示すべきではないか、こういうように私考えますけれども、この点ぜひお考えいただければと思っておりますが、大臣、よろしいですか。
○松永国務大臣 貴重な御意見をいただきまして、先生の御意見も参考にしながら、今申しましたとおり、形式的には十カ年計画はなくなることになるわけでありますけれども、その精神は我々はあくまでも維持して、それを前提にして、多少時間は延びることになりますけれども整備を進めてまいりたい、こういう考え方でありますので、今先生の御指摘の点はこれから十分勉強して、そして教材の整備が進むように努力していく所存でございます。
○中西(績)委員 ですから、蛇足でありますけれども、こうした環境の整備だとか行政的な措置というのは文部省は相当指導できるわけですから、ぜひこういうことに力を入れていただきたいと思います。 そこで、旅費の問題について一つだけ確認をしていきたいと思うのですけれども、これもまた国庫負担から除外をされますと教材費と同じような危惧が出てくるわけであります。ところが、今までの額からいたしましても、五十九年度一人当たり五万八千八百円ですかありまして、六十年度幾らになっているか明らかにしていただきたいと思うのですけれども、こういう中身について、特に財源調整が行われる内容のものとして大変危惧しておるわけであります。 そこで、私が皆さんにぜひお聞きいただきたいと思いますのは、この旅費を見ますと、現在では五十九年度の一人当たり五万八千八百円というこの額では、研修だとか一般の出張の旅費としては不足しています。なぜかといいますと、御存じのように、校長だとか管理職の出張が近ごろ非常に多いのですね。 〔委員長退席、船田委員長代理着席〕 今指摘されている画一化、管理体制の強化が進むに従って、こういう管理職の出張というのは物すごく多くなってきております。ある県の高等学校の例などを見ますと、半分以上校長が出張しておるという事例がありまして、教育委員会などで指摘され、大変問題になったそうであります。そうなりますと、一般職員の肝心かなめの研修だとかこれがための旅費がない。ぜひ私を出張させてほしいということを要請しても、旅費がないのでしばらく待ってほしい、あるいは今度はやめてほしいという回答が管理職からはね返る場合が非常に多くなってきています。あわせて、財源調整のためにこれが使われて差っ引かれていこうものなら、一般の教職員の出張などということはますますおぼつかなくなってくる状況が出てまいります。 そこで、このように一般の教職員の研修あるいは一般旅費の窮乏化が起こっておることを御存じかどうかをまずお尋ねしたい。そして、このような実態になっておる中でさらにこの旅費が、本年の場合には幾らになっているか私今定かでありませんけれども、まさか抑えられたり横並びということはないだろうと思いますけれども、この点はどうなっているのでしょう。
○松永国務大臣 細かい点は後で局長から答弁させますが、今回の旅費の一般財源化につきましては、交付税で前年と同額の財源措置がなされると同時に、比較的多くの旅費が要ると思われる中央研修については、別途文部省の予算の中に十億円でありましたか計上されておる、そういう形でこの問題には対処することになっておるわけでございます。
○阿部政府委員 個々の学校の現場で具体に旅費がどういうふうに配分され、どういうふうに使われておるか、最近の状況がどうかということを承知しているわけではございませんけれども、旅費につきましては、一般的に我々普通の公務員等の場合には毎年五%減、三%減等々の格好で減ってきておるわけでございまして、そういう中で、この教員の研修旅費につきましては従来同様の額が確保されてきている。六十年度も五十九年度と同じ単価で交付税措置が行われておるという状況がございます。一方で運賃の値上げ等もございますので、旅費そのものがかなり苦しい状況にあることはあるだろうと想像できるわけでございますが、いずれにいたしましても、全体が削減されていく中で教員の族費については削減をすることなく確保してきているという状況であることを申し上げておきたいと思います。
○中西(績)委員 ですから、ぜひ一回調査してください。果たして一般の教職員の旅費が十分であるかどうか。不十分である上に余りにも格差がつき過ぎておる。だから、実態として現場で教育を担当しておる教員の旅費が不十分であるということの認識にもう一度立ち返らないと、先ほど言われた同額であるということは、旅費は実際には上がっていくわけですからね。そうした点から考えますと、この点は大変な圧迫を受けることになってくるわけであります。ですから、もう一度、管理職がどれだけ多く旅費を食っているかというその比率を調査し直す必要があるだろう。その際に、あなたたちがやる管理強化とか画一化という問題について、ほかにもたくさんありますけれども私はここだけ申し上げますが、これからこの点をどのように是正していくかということを考えていかなければならぬと思っております。ぜひもう一度その点を検討していただきたいと思います。 それから、学校における教材費について父母が負担する傾向というのがますます大きくなってきているわけですね。旅費だってこういう状況で金額は上がってくるわけでありますから、そういう状況を考え合わせていきますと、先ほどから言う財源調整などに絶対使わせてはならぬということが一つです。 同時に、今までのような形でこの分をどんどん抑え込んできて、全部父母負担にという傾向に持っていくということになってまいりますと、先ほど大臣からお答えいただきました父兄より徴収しないということとのかかわりからいきますと、この部分がどんどんふえていくわけでありますから、決して定着したなどということにはなり得ないのではないか。こういうことを考えてまいりますと、来年度に向けてどのように措置をしていくのか、来年度は具体的にどう対応していくのか、これは今即答はできないと思いますから、また期間を置いてお聞きをいたしますので、ぜひ再検討をしていただきたいと思います。 もう一点だけここでお答えいただきたいと思いますのは、今こうして国庫負担から外されましたから、私が一番心配するのは、今度はこれを一つの突破口にして、大蔵省が財政審に提出している義務教育費国庫負担制度改革案なるものの中で、御存じのように、学校事務職員三万三千人、七百二十億、栄養職員八千人、百六十億、さらにまた国庫負担百七十億、これは永久化するわけでありますけれども、共済、恩給費二千九百億、これを含めてのカットを彼らは考えているわけです。ということになってまいりますと、これを突破口にされないという保証がどこでなされるのか。この前から参議院の答弁、予算委員会の答弁、あるいは今度の大臣の答弁を聞いておりますと、いたし方ないような感じ、しかし人件費は削減させない、こういうことを言っておるようでありますけれども、大蔵省との間に何かそうした確約があってそのようなことを言っておるのかどうか、この点は大変重要ですから、一言だけ答えてください。
○松永国務大臣 旅費の実態でございますが、全国的にどうなっているかということをすべてにわたって調査することはなかなか手数のかかることでありまして、調査しますということを確答しかねるわけでありますけれども、それはこれからの財源措置を要求していく場合の一つの材料にもなるわけでありますから、旅費についての実態はひとつ把握するように努めてまいりたい、こういうふうに考えるわけであります。 それと、教材費等につきまして一般財源化したことで、父兄負担に転嫁されるのじゃないかという御心配でございますが、一般財源化したわけでありますけれども、先ほど来申し上げますとおり、教材費については前年度を上回る財源措置はきちっとなされているわけでありますから、旅費についても前年と同じ額の財源措置がなされているわけでありますから、一般財源化をしたとしてそれで直ちに父兄負担がふえるということにはならないというふうに思っておりますけれども、しかし、問題は、市町村で交付された交付税をその積算の根拠に基づいて支弁をしてくれるかどうかにもかかわってくるわけでありますので、先ほど来御答弁申し上げておりますように、各市町村をきちっと指導をして、そして公費で教材は整備する、父兄の負担には転嫁しないということが今まで同様きちっとなされるように、指導を徹底してまいりたいというふうに考えるわけであります。 なお、栄養職員あるいは事務職員のことでございますけれども、前の委員会でもお答えしたことがあると思いますが、また他の委員会等でも終始述べておることでありますけれども、義務教育費国庫負担制度の国庫負担の対象となる基幹的なものは学校の教職員である。これは教材費等とはある意味では少し質も違う。したがって、この人件費の関係につきましては、我々は最大限の努力をして国庫負担の対象から外されないように頑張ってまいりたい、こういうふうに決意を述べておるわけでありますけれども、別に大蔵省と約束とかそういうのはございませんが、国庫負担制度の根幹にかかわる問題でありますから、これは守り抜いてまいりたい、そういうかたい決意を持っている次第なのでございます。
○中西(績)委員 ですから、これはもう私が申し上げるまでもありませんけれども、大蔵省のこうした国庫負担制度改革案の中にはそのことが明らかにされておるわけですね。これは横並びにされている部分の中で、今言う文部省なり大臣の考え方の中に、教材費、旅費の場合と質的に異なるのだ、こういう物の言い方のようでありますけれども、このことは決して生易しいものではないと私は考えています。というのは、財政が苦しければもうどんなことだってするというのが今の中曽根内閣の手法ですから、この点は、大蔵省との間において何かそうした確約でもできているというなら信頼できますけれども、これがない中でこれがないだろうなどという、こうした考え方は大変安易ではないだろうかと思っています。したがって、この問題については将来的にも、どんなことがあっても、これは国庫負担法の根幹にかかわる問題と今言われましたように、教材費だって旅費だって全部そういう考え方から生まれてきたわけでありますから、何としてもこの点については阻止をする、この体制をこれからどう固めていくかが大変重要でありますから、この点はまた後々御論議いただければと思っています。 そこで、もう一つだけ補助金問題でお聞きしたいと思いますけれども、高率補助金の一律削減措置、これがどのように影響するかということで、一応文部省の方から「引下げの概要と対応策一覧」ということでもって資料をいただきましたけれども、これを見ていただくとわかりますように、何といってもやはり、このようにして地方債で措置をすると言いますけれども、あるいは地方交付税で措置をすると言うけれども、これは全部、財政的には今一番地方で困っているところですね。落ち込んでいるところにこうした面での大きな負担がかかるということであります。したがって、こうした問題について、高率補助ですから、一年限りですから、これを将来、来年度は引き戻させて、何としてもこの点についてはやはり将来的にも保障していくという体制をつくっていかなくちゃならぬと思うのでありますけれども、この点はどうでしょう。決意をひとつお聞かせください。
○松永国務大臣 先生よく御承知のとおり、臨調答申の趣旨に基づいて、地方公共団体向けの二分の一を超える高率補助率についてはおおむね一〇%削減、こういうふうに全般的になされることになりました。それと横並び的に、文部省所管の公立学校施設整備費補助等につきましても、二分の一を超える補助率につきましては、その超える分の一割程度の引き下げということがなされることになったわけでありますが、先生のお手元にありますように、そうなった分につきましては、地方財政計画の中で、あるものは地方債で措置し、その地方債の元利償還については地方交付税で措置するというふうになったものと、それから地方交付税で措置することになったものとあるわけでございまして、六十年度の事業執行につきましては支障がないような形で、今申しましたような高率補助につきましてカットがなされたわけであります。 将来はどうかということでありますけれども、これは地方財政当局あるいは大蔵省、そしてほかのところともにらみながら十分協議をして、六十一年度以降はどうなるかまだわかりませんけれども、今回の措置は六十年度の暫定措置でありますから、六十一年度以降事業執行に支障がないような形で、必要な文教施策でありますので、努力をしてまいる所存でございます。
○中西(績)委員 ですから、やはり今私が再三申し上げましたように、本当に補助金の必要な地域、例えば離島問題から始まりまして過疎地あるいは豪雪あるいは奄美群島を初めとする地域、あるいは今度は産炭地、僻地、こういうところの問題ばかりなんですね、特に文教にかかわる問題については。それには、一つは急増市町村の施設整備費補助金等もありますけれども、とにもかくにも大変な財源で悩んでおられる地域でありますから、これだけは将来また再び延期をするとかいろいろな体制にならないようにするためにも、文部省がやはり、教育という視点からぜひ論議を本格的に起こしていただいてこの措置をしていただくようにお願いをしておきたいと思っています。これはまた、後々ずっと残る問題ですから、引き続き注意をしながら論議を続けていきたいと思っています。 それでは、助成金の問題は、まだほかにありますけれども、一応これで終わることにしまして、文部大臣の所信表明がございまして、いろいろたくさん問題がございますけれども、きょうは私学の問題について触れておきたいと思います。 私学問題で、まず、五十九年度の私学助成金は御存じのとおり大幅に削減をいたしまして、大学は一二%、三百三十一億五千万、高校以下幼稚園まで一〇%というように削減をされたわけでありますけれども、大変な影響が出始めておるということを、ことし、六十年度の学納金、特に大学問題で考えていきますと明らかになってまいりました。これは、文部省の資料によりますと、私大が、五十九年度では全体的に医歯学部も含めまして上昇率が三・五%まで落ち込んでおったものが、また上昇の傾向を持ち始めたということは御存じのとおりです。特に医歯学部の場合には、マイナスになっておると言われますけれども、実験実習費あるいは教育実習費を加えますとこれまた上昇しておるわけであります。こういうことを考えてまいりますと、このことによって私立の大学には一般の人はだんだん行けなくなるという、結局財政的な選別が行われるということになってくるわけですね。この点はどのようにお考えになっていますか。
○松永国務大臣 高校もあるわけでありますが、大学等の授業料等が高くなってまいりまして、父兄の負担が大きいという状態でありますと、教育の機会均等という理念が損なわれることになります。そういうことから、特に私学に対する経常費助成をすることによって父兄負担が過大にならないようにしなければならぬということで、私立学校振興助成法という法律を、その当時はいろいろな方面の反対等もあったわけでありますけれども、法律をつくってそして経常費助成を始めるということにしたわけであります。そして一方においては、これは従来からのことでありますけれども、育英奨学事業、これの事業量を拡大し、そして父兄負担の軽減に努める、この二つの方策によりまして、父兄負担が過大にならないような施策を進めてきておるわけでございます。 先生御指摘のとおり、国の財政事情が大変厳しいということもございまして、五十九年度は私立大学等の経常費助成の予算が相当縮減される結果になったわけでありますけれども、幸いに六十年度は、文教関係の先生方の大変な応援もいただきまして、前年度と同額の予算を確保できたわけであります。 なお、六十年度の私立大学の学生納付金、これが中間集計でありますけれども前年度に比べて四・二%上昇しておるということのようでございます。この数字は、かつては前年比の上昇率が二けた以上の上昇率であったものが、私学振興助成の措置がなされてくるに従いまして徐々に低下してきたことは事実であります。ちなみに学生納付金の額でございますが、五十七年度は六%増、五十八年度が五・九%増、五十九年度が三・五%増の低い率であったわけでありますけれども、六十年度が四・二%に上がっておるということなんであります。この上がる率をどう見るべきかということでありますけれども、私立大学等に対する補助予算の増減が直ちに学生の納付金に連動するとは思いませんけれども、関係なしとはしないわけでありますので、今後とも私立大学等に対する経常費補助の予算の確保に努めると同時に、もう一つは、各私立学校におきまして経営努力をしていただきまして、そして学生納付金が増額にならないように、ひとつ今後とも指導を十分してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○中西(績)委員 ですから、これを見ますと、私たちが驚くのは、例えば最高と最低のところをずっととってみたわけでありますけれども、医歯学部の場合には、学納金を見ますと確かに余り上がってないということになっていますけれども、もともとが実験実習費あるいは教育実習費まで入れますと、最高は金沢医科大学で一千四百五十万ですよ。昭和大学歯学部一千六百五十万ですよ。だから、我々の常識から逸脱した中身になってきているわけなんですね。それ以外のところを見ましても、今度は文科なりあるいはその他の学部を見ましても、その上昇率というのはある程度低いにいたしましても、額を考えてまいりますと相当高いわけであります。 ですから、こうしたことを考え合わせてまいりますと、私は余りにも大き過ぎるのじゃないかという感じがしてなりません。したがって、これから後の補助金の問題、助成金の問題でありますけれども、これを科学的にどうするかということを検討せぬと、本格的にこれに手を入れられ始めますと、余りにも一般企業並みに物事が発想されているわけですから、これであってはたまらぬわけですね。ですから、我々が私学助成を健全なものにし、本当に私たちが必要なものとしてこれをどう措置するかという場合には、内容はつぶさにもう一度解明し直す必要があるのではないか、こう私は考えます。 そうした意味で、五十九年度の私立大学等経常費補助金の配分方法の見直しについてやられていますね。五項目について出されています。特に一項目目を見ますと、この分によって二百七十三億円削っておるわけですね。三百三十一億五千万を削るためにこのようにして削ったわけであります。ところが、この内容をもう一度検討し直す必要があるのではないだろうかと私は思っています。補助金の額の調整というところを見ますと、これは五十七年度から余り変わってないと思いますけれども、点数制によって実施されていま。すね。そして今回の場合には、この一三〇から五〇までの間、マイナスの一〇、一律に掛けてこうした調整をしておるようでありますけれども、この調整係数そのものが今までのとおりで果たしてよろしいだろうか、このことを強く感じます。 なぜかといいますと、ある私立大学の場合に、問題になったところで、私が漏れ聞いているところでは、もう助成金はもらう必要はない、こういうことを言い始めています。それともう一つは、この前同僚の田中委員の方から質問した際に、あれは松本の歯科大学だったですかの問題のときにも、やはり同じように助成金なしでやろうとしていますね。こうなってまいりますと、ここに挙げておる一三〇から五〇の間における調整係数、そういうもので果たしていいだろうかということを感じるわけであります。そして、それはその次の二番目の問題ともかかわりが出てくるわけですね。これは全部にかかわってくるわけでありますけれども、いずれにしましても、こうした問題をひとつ検討し直す意思があるのかどうか、それが一つ。 それともう一つは、時間がありませんから簡単にお答えいただきたいと思うのだけれども、最後にあります特別補助の問題であります。これは五十七年当時の中における特別補助の中身と、それからここにおける地方の私立大学における特色ある教育研究という、こうした中身とはどのようにかかわり合っておるのか。従来からあった分とのかかわりですね。この点はどうなっておるのか、二つお答えください。
○松永国務大臣 詳細な点は政府委員から答弁をさせますが、基本的な考え方を申し上げますと、私立大学等に対する経常費助成、二千数百億という大変な国民の税金を使うわけであります。そしてその恩恵を受けるのは、私立大学に行っておる学生またはそれに関連する人たちなんでありまして、したがいまして、全国民が納得していただけるような形の助成の方法でなければならぬ、これが一つの理念でなければならぬと思うのです。そういう考え方でいきますと、先ほど先生のおっしゃいました医学部等につきましては、これは相当国民の、納税者の納得が得られるようなことでなければならぬというふうに思います。 御承知のように、医学部というのは国公私立合わせて約八千名近い定員でありますが、そのうちの半分は実は国立ないし公立てあって、私立が残りの半分ぐらいになっておりましょうか。現在一部では、医師の医学部ないし医科大学の国公私立を含めて定員が多過ぎる、したがってもう少し減らすべきじゃないかという意見も実は出てきておるわけであります。そしてまた、私立の医科大学あるいは私立の大学の医学部等につきましては、いろいろな批判も実はある点もあるわけでありますから、それらを総合して、先ほど申し上げましたとおり、国民の二千数百億というお金を使っての私立大学等に対する経常費助成でありますから、納税者が納得していただけるような形の配分でなければならぬというふうに考えるわけであります。そういったことから、いろいろな配分の仕方というものが考えられておるわけでありまして、今申し上げたような考え方に基づいて適正になされなければならぬ、こういうふうに思っておるわけであります。
○國分政府委員 経常費補助金の配分方法の見直しの問題でございますが、先生御案内のとおり、現在の経常費補助金の配分に当たりましては、御指摘の傾斜配分、現在総定員に対します学生の割合、いわゆる水増しの状況、それから専任教員等の数に対します在籍学生数の割合、あるいは学生納付金の教育研究に対する還元状況、三つを柱に調整係数をはじき出しまして、補助基準額に掛けて現在配分額を決定している、こういう仕組みでございます。 私ども、この配分方法につきましては、五十七年度以降毎年度工夫を加え、改善を試みてきているわけでございますが、現在の配分方法が完全なものであるというふうには思っておりませんで、財政資金の効率的運用、あるいはまた教育研究条件が高まるような、補助効果が一層高まるようなそういう工夫というものを今後とも必要に応じ考えていかなければならない、見直していかなければならない、基本的にはそういうふうに考えております。 それから、二点目の特別補助の問題でございますが、この特別補助につきましては、基本的骨格は制度をつくったときから変わっておりませんが、例えば部分的に、御指摘の地方における特色ある教育研究に対する補助というものをつけ加えたり、さらにまた五十九年度におきましては、従来四年制の大学であっただけのものにつきまして、短大を加えるあるいは高専を加えるというような部分的な手直しはいたしておりますが、基本的骨格は変わっておりません。
○中西(績)委員 そうなりますと、従来の内容から余り変わっておらずに、五十九年度の場合には主要な点としてはマイナス一〇でくくったという格好になるわけです。ですから、先ほど言いましたように、例えばことし学費を全く引き上げなかったところあたりを見ますと、地方の大学でやはり相当努力をしておるわけですね、ゼロのところがあるのですから。しかも、これは地方だということになってまいりますと、数は少ない上に大変な努力をしておると思います。ところが、マンモス校の場合なんかを考えてまいりますと、相当の学生数を擁し、校納金も高いわけでしょう。こうなってまいりますと、今言う助成金問題とのかかわりからいたしますと、果たして今の助成金が、我々がこれを見た場合にこうした内容でよろしいだろうかということを考えるわけなんですね。少数でしかも地方で金額が低くやれておるところと、高額でマンモス校であるいは生徒定数の二倍を超えるぐらいの収容をしながらでもやっておるというふうなところと対比した場合に、もう全く質的なものが違うわけなんです。ですから、そういうものあたりを考えたときに、今大臣が言うように、厳正にこれを適正化していかなくてはならぬということになってきた場合に、どの部分を手がけてどのようにしたら最も適正なものができ上がるか、その視点をどこに置いてやるかということをこれから本格的に論議をしていかないと、財政が厳しいだけに、これから抑制せよということが臨調でも答申されておるわけですから、これを受けて我々がどう対応していくかという上で最も大事ではないだろうか、私はこう考えるわけです。ですから、まじめにやっておるところと、もうけ主義ですね、一番いい例が個人立の幼稚園、もらい得だからもらっておけといって、何もせぬで、期限切れたらそのままパア。こんな政治とそうしたものが癒着するような格好でやられるようなことをしてはならぬわけですよ。だからその点が、今言うように国民が納得のいく補助金政策で果たしてあるだろうか、こうしたことを十分勘案して——私は臨調が言っていることがすべて正しいとは言っていません。これは大変誤りを犯している部分もたくさんあると思っていますけれども、そうした面で、今まで問題のある部分を私たちがどう少しでも是正をしていくか、このことが大変重要ではないか、こう思っていますので、この点はぜひ今までどおりということでなくて、もう少し、例えば特別補助の問題にいたしましても、地方でそのように本格的に努力しておるところ、それから生徒数が非常に少なくて、そしてその地域の社会の大学、高等教育を担っておるところをどう補償していくかということぐらい私たちは考えていく必要があるのじゃないか。こういう点で、もう少し中に立ち入った論議をしていただければと思っています。この点、大臣どうでしょう、もう少し踏み込んでいただけないかと思うのですけれども、お答えいただければ……。
○松永国務大臣 私の基本的な考え方、これはもう多くの人が同じ御意見だろうと思うのでありますけれども、二千四、五百億という国民の税金で私立大学等の経常費の補助をするわけでありますから、納税者が納得していただけるような配分をしなければならぬ。そうしないと、私学助成という制度そのものが私は国民の支持を失ってしまうおそれがあるというふうに考えております。そういうことから、文部省としてはいろいろな基準を設けて、そして配分をしておる、こういうことなんでありますので、公正妥当、そして納税者が納得していただける、そういう形の配分にしなければならぬと私は考えておるわけであります。
○國分政府委員 大臣の御答弁に補足してお答え申し上げたいと思います。 先ほども申し上げましたように、現在の配分基準につきましては各方面からいろいろな御意見があることは私どもも承知しておりますので、いろいろな意見を踏まえて、基本的には今後とも改善、工夫を重ねてまいりたいと考えております。 今御指摘の中にございましたいわゆる大規模校に対する問題等につきましても、私学振興助成法におきまして、経常費補助金の性格が教育研究条件の維持向上と修学上の負担軽減を二つの柱にいたしておりますので、どうしても教員数あるいは学生数を基礎に配分せざるを得ないということから、大規模校にかなりの額のものが行くという面はある程度やむを得ないかと思っておるわけでございますが、それらにつきましても今後検討を重ねてまいりたいと思っております。 それから、納付金の額といったものを反映できるかどうかということでございますが、現在、傾斜配分は、ふやす場合あるいは減らす場合につきましても私学振興助成法の具体の条文に基づいてやっているわけでございます。納付金については増減できる要因が法律上の根拠がないというような難点があるわけでございますが、私ども、間接的にではございますが、納付金が教育研究にどう還元されているかということでその点を見ているという点はあるわけでございますが、それらの点につきましても、今後の検討課題かと思っております。 なお、特別補助につきましては、私ども増額する方向で今まで対処しておりまして、六十年度予算におきましても、全体が前年同額の中で、特別補助につきましては、わずかではございますが百億を百五億にふやすという努力も一方しているわけでございますので、今後ともそういう面に意を用いて努力してまいりたい、かように考えております。
○中西(績)委員 今言われましたように、結局、学生にどれだけ還元するかが問題なんですよ、最終的には。たくさん取ってもそれが全額還元されればそうした問題は起こらぬわけですから。ただ、その際に問題なのは、先ほど大臣答えたように、教育の機会均等という面からした場合に、多額を取るということになってくれば、それによって全部シャットアウトされるわけですから、納入できぬ人は進学できぬわけですから、そういう学科あるいはそういう勉強をしたいということはあっても、希望しておってもそれができないことになるわけです。ですから、そういうものとのすべての絡みの中で、今言われましたように、この法律に文章上ないとかなんとかいうこともさることながら、そうしたことも加味をしていくということぐらい考えないと、補助金というものの性格からいたしまして、還元されるというここに一つの根拠を置き、それから格差が余りあるために進学できないこと等も含めていきますと、できるだけそれは抑えなければならぬわけですから、そういうことも含めて考えますと、やはり校納金なり何なりをある程度考えてやる、こういうことを中に加味するようなものをこれから検討してもらう、これは私は大変重要じゃないかと思っていますので、また後で材料として提起をしておきます。 それから、特別補助の場合でありますけれども、これは先ほどから申し上げておりますように、条件が八つばかり出ておるようでありますけれども、これ以外にも幾つかの問題がたくさんあるわけです。例えば、研究の課題がここに上がっているような中身でなくてもほかにあれば、さらに拡大をしていける条件なりを項目の中にある程度具体的に示して、皆さんに納得いただける、こういうふうにしていかなくてはならぬのではないか、こう思っています。したがって、そういうことも含めて今後の検討課題にしていただきたいと思います。 そこで、行革第五次答申の中に、抑制せよということが盛んに言われております。ところが、この点で考えていった場合に、私学経営が企業化していく。そのことは、今論議されておる民間の活力だとか自由化論あるいは競争理念を導入して云々というようなことをやっていきますと、さらにこうした傾向を強めてくるのではないかということを危惧します。今臨教審なんかで論議することがまた影響を与えていくのではないかということを強く感じるわけであります。この面から言いますと、もらい得などというのが一番いけないわけですね。したがって、自由化論あるいは競争理念の導入だとか個性化という言葉でごまかしをしておりますけれども、このことについてはもう論議をする時間がありませんから、私は今度はもらい得の方に絞って論議をしてみたいと思います。 これは御存じのとおり、学法化を促進するための助成措置をつくってから、五十年の七十五国会ですから、五十一年から五十六年度までで五年でありました。ところが、五十九年度まで三年間の期限延長をいたしまして、いよいよ五十九年度で一定の年限が切れるわけですね。そこで、いただいた資料を見ますと、志向園が千九百七園ございまして、ことしで切れる分がございます。ところが、現在のところ三百三十四園残っています。そしてさらに、五十五年度から五十八年度までの間、四百一園あるわけでありますけれども、これは二百二十七園残っています。ということになってまいりますと、特に千九百七園中の三百三十四園が今直ちに問題になるわけでありますけれども、三月三十一日で期限切れになります。そうするとこれはどのように処置をするつもりですか。
○松永国務大臣 私立学校振興助成法の延長された附則の規定に基づきまして文部省としては対処していくわけでありまして、五年以内に学校法人になること、ならざるものにつきましては法の精神に基づきまして経常費補助はいたさないということになるわけであります。そういう法の規定に基づきまして適切に対処していく考えでございます。
○中西(績)委員 打ち切るということはわかっていますがね。 そこで、問題は、五十九年度で期限切れになる分について、残った分はただ打ち切るだけ。それじゃちょっと聞きますけれども、これに措置をした金額は大体幾らになっておるのか。そして少なくとも、私は今度で四回目の討論ではないかと思うのですよ、今までずっとこの点について討論してまいりましたけれども、いかに衆法、我々の議員立法であろうと、措置の仕方が、私は本当に指導面からいたしましても、今まで指摘をしてまいりましたように大変な欠陥があったのではないか。しかも、法の目的からしますと、多額の金額がそのようにむだ遣いされてきたではないかというような感じがするわけであります。よく考えてまいりますと、これは私立大学の補助金の不正受給に近いものじゃないかという感じが私はするわけなんですけれども、未措置の分については大体幾らになったかが一つ。そして、それはこれからどうするのかが二つ目。そして三つ目に、今言うように、私立大学の補助金の不正受給と同じような考え方でとらえていいかどうか。この点、三つお答えください。
○國分政府委員 まず第一点の三百三十四園の問題でございますが、これは御案内のとおり本年の二月二十八日現在の数字でございまして、その後三月末日までに各県の認可事務がかなり行われることもございまして、どの程度学法化されたかということに絡むわけでございますが、私ども、現在その最終的な数字については調査しているところでございまして、まだ確定した数字を申し上げる段階に至っておりませんが、大まかに各県の様子を聞いていますと、三百三十四園のうち大体七割くらいが学法化の認可申請をしておるというところまでは承知いたしております。したがいまして、このうちのかなりのものが学法化されるであろう、数字は近くまとまると思いますが、そういうふうに見ておるわけでございます。したがいまして、まだこの三百三十四園がかなり動くわけでございますので、現時点でそれに投じた額がどのくらいになるかというのはちょっと出せないということでございます。 それから、仮に学法化しない場合に、いわゆるもらい得で不正受給ではないかということでございますが、この補助金をもらった者は、当然法律の規定に基づきまして学法化の義務を負うわけでございますが、それなりに努力して学法化できなかったという場合に、例えば返還させたらどうかというような議論もあり得るわけでございますし、また、補助金をもらって学法化した幼稚園、あるいはまた学法化できないあるいはなりたくないということで補助金をもらってない幼稚園との均衡論等の問題もあるわけでございますが、私ども、この補助金が毎年毎年の教職員の人件費あるいは教材費等の形で日々の幼稚園教育に還元されておるということを考えますと、これを返還させるということはちょっとなじまないのではないだろうか、かように考えているわけでございます。
○中西(績)委員 これを見ますと特に、あれは五十六年でしたか論議をいたしまして、そして延長したわけでありますね。そのときだって随分そういう問題、返還論、均衡論、いろいろなことを含めて論議をしていったわけなんです。それを知った上でこのように、この人たちは延長することに対しても了とし、そしてその受給をするということになったわけでしょう。それから以降三年間延長する中で今度は新たに入った人もいらっしゃるわけです。その人たちの場合はなおさらその中身を十分知った上で入っているわけなんですよ。しかも、では基準が難しいかどうかという論議になりますけれども、基準はうんと緩和措置をして、従来のあれからいきますと随分基準まで下げて緩和措置までしていますよね。となってくると、本当に手厚くすべてのものを条件を整えてやっておるのに受給をしているわけでしょう。片や受給をしておらない方が相当数おるわけですから、そうした者との不均衡の関係だとか、それから、財源が今厳しいというならばいうほど、この点の取り扱いについては、相当そういう可能性のある、あるいは従前からそうした調査なり何なりがされまして、本当に志向園なんだということが確認されて、発展段階なりでやられるべきではなかったかと私は思うのです。そこいらが抜け落ちてしまって、今になって返還を求めるといったって、教職員に既に支払われているからそれを求めることはできませんという論理で解消される中身ではないのじゃないだろうか、こう私は考えるわけなんです。ですから、どのように、それが努力をしたのか、毎年文部省は調査するようになっているのでしょう。それがどのような傾向になっていったかということぐらいは、今度は数が少ないわけですから、チェックをちゃんとして、やるべきではなかっただろうか。これはこの前の論議のときも随分問題になったのです。あれほど指摘をしておるのに、そうした問題がまた不明に付されたままこのようにして措置をされるということになれば、さっき七〇%程度と言いますから、それで言いますと、数にいたしますとどれぐらいになりますか。正確に言ってください。おおよそこの程度になるだろうという、金額はもう聞きません、しかし、それについては少なくともこのような指導なり措置をしてきましたということぐらいは言ってもらわぬと、私は納得いきませんね。
○國分政府委員 まだ確定した段階ではございません。今取りまとめ中でございますので、私ども、なお三百三十四園のうち残ったものは百前後、百をちょっと切るというふうに考えております。 それから、もう少し厳密に審査して補助金を出すべきではなかったかということでございますが、私ども、個人立等幼稚園に各県が補助金を出します場合に、所轄庁であり、またそれぞれの地域の実態等を一番踏まえております県が、そういった事情、あるいは個々の幼稚園の学法化の意思とか客観的な状況等を判断して補助金を交付しているものというふうに考えております。そしてまた、特に延長措置が講じられました後につきましては、既に交付をしている園につきましても、さらに重ねて、その学法化への努力の状況というものを見きわめて厳正な認定をするように、そして補助金を執行するようにということは、機会あるごとに指導してきているというのが私どもの今までとってきた態度でございます。
○中西(績)委員 ところが、それが実際にはこうして残ってくるわけでしょう。それではなぜこのようになっていくかということのもう一つえぐった分析をしておく必要をあのときから私は指摘をして、すべきだということを言ってきました。結局何かと言うと、政治絡みではないかということを私は言いたいのです、このことは。ある人に依頼をすれば、そのことによってこれが受給できる、そういう措置をした。その際に、従前からあるように、指導する形の中に、以前例えば五十一、二年ころあるいはその後に流れた個人立幼稚園あたりの資料を見ましても、これは返す必要がないのだからとかいう指導が全部なされていったわけですね。それがそのまま依然としてこの中に残っている。それをまた受けて、私が言う政治絡み。なぜ言うかというと、そういうところの人は全部政治献金をしているんですから。非常にそれが強い。極端な言葉を使わしていただくならば、政治と癒着した補助金政策だ、こうならざるを得ないわけですよ。ですから、今度文部省という行政措置の中ではそこに対応できなかったということが生まれてきたのではないかということを私は大変残念に思います。ですから、本来ならば助成措置あるいは補助金というのはそういうものであってはならないわけですから、そうした点を断ち切るために、五十九年度でこの助成措置は終わるわけでありますから、こうしたことが一切将来出てこないようにしていかなくてはならぬ。私は、この点について、ひとつ大臣の決意なり何なりをいただきたいと思うわけであります。 そして二点目に、この四百一園、残りは二百二十七園あるわけでありますけれども、この方などについては、まだ期間がある程度あるわけですから、これから本格的な私が指摘をするような措置なり指導あるいはチェックというものを十分やっていって、従来からの目標に少しでも近寄せる、助成金というのはそういう意味で出しているわけですから、この点をぜひ措置をしていただければと思っています。この二つについて……。
○松永国務大臣 これは私の個人的な見解も入りますが、私立学校振興助成法附則に基づきまして、学校法人立幼稚園には経常費助成を出す、しかし、その時点において学校法人立てないものについては、五年以内に学校法人になります、それだけの条件も整えていきますという幼稚園には学校法人立と同様に経常費助成をいたします、こういうことでスタートしたわけでしょう。教育の場においてそういうことでスタートしたならば、そのとおりなされてしかるべきだというふうに私はずっと考え、またそう主張してまいりました。その間にいろいろ不愉快なことも私は聞いたことがございます。現実に私は、先生と同じような、私としては正論のつもりでございましたが、正論を唱え続けてきましたがために、一部からはいろいろな意地悪をされたこともございます。しかし、最終的には、先生御承知のとおり本年で切れる、したがってこの法律どおり実行するというふうにしたわけでありまして、最終的にはこの文部省の施策というものは的確になされるようになった、こういうことでございます。 ただ、先生御指摘のとおり、学法になります、そういう条件の整備をしてまいりますから、したがってこの法律の規定に基づく補助を下さいということで補助を受けておりながら、その努力もしないで、そしてその約束に反して学法にならなかったその人が受領した補助金をどうするかという問題が先生御指摘の問題であると思いますけれども、私は、なぜ学法にならないのか、なれないのか、またなろうとしなかったのか、その理由を調べてそして対応しなければならぬというふうに思います。ただ、先ほど私学部長が申しましたとおり、その交付された補助金というものは、そのときそのときに幼稚園の先生の給料あるいは教材費等で費消されておるという面も実はあるわけでございまして、なかなか難しい面もありますが、いずれにせよ、なぜならなかったのか、あるいはなるべく努力をしなかったのかどうか、まずそういった点を調査することが先であろうと思いますので、調査した上、適切な対応をしなければならぬ問題だというふうに考えます。 次に、来年度以降期限の来る分につきましては、やはりこれは適切な対応をして、本年度期限が来る分で学法にならなかったというふうな園が出るなどということにならぬような指導をしていかなければならぬ事柄であるというふうに私は考えるわけでございます。
○中西(績)委員 この措置だけは、やはり最後の締めくくりになりますから、一つの節目をつける意味におきましても、そうした面における多くの国民の皆さんからの指弾を受けるようなことにならぬようにしていきたいと思っています。なぜなら、もう何回となくここで討論をしておるだけに、我々も参加をしていますから、たとえ反対であっても、それが実施されたということになりますと我々にも責任があるわけなんですね。ですから、そこを考えるときに、大変我々としては胸が痛みそして残念に思うわけですから、ぜひこの点の締めくくりだけは十分措置をしていただきたいと思います。 いよいよ時間がございませんから、最後になりますが、こうした論議をいたしました際に、三年の期限延長をいたしました際に、当時提案者でありました西岡さんの方から、五十七年四月十六日の文教委員会でこういう確認をいただいておるわけであります。こうしたのは三年間で区切ります、これを延ばすに当たって、そうしたいろいろな矛盾なり問題点が幼児教育の中にあるので、この三年間で十分討論をしていく、こういうことを約束してあるわけです。ところが、残念なことにこれは全く措置されていないわけです。小委員会をつくりましたけれども、あのとき一回こっきりで、それから以降、我々は要求するのだけれどもなかなかそれが実現しない。今国会におきましても幼児教育小委員会をということで提起をいたしておりますけれども、これは文部省じゃありません、我々の中なのですけれども、文教委員会の中でそのことが依然として取り上げられておらない。これは約束違反です。あのとき、これを実施するに当たってはこういうことをやるのだということを何回となく答弁をしているのですよ。この五年間になされなかったことを十分反省しなければならぬということから始まりまして、この「三年間の時間をいただいて、政府与党としておくればせながら確固たる施策を確立いたしたい。こういう考え方で今回御提案を申し上げている」、こういうように、ほかにたくさんそういうことを言っています。その上に立って小委員会設置が確認され、幼児教育をこれからどうするかという問題を論議しよう、こういうことになっておったのです。ですから、これはだれに言ったらいいか知りませんけれども、今委員長おらぬのでちょっと困っているのだが、少なくとも文教委員長がいて文教委員長がそれを取り上げないわけですから、ぜひ理事会でもう一度、この歴史的経過を経たこの分について、もう一回議事録を皆さんでお読みいただいて確認をしていただいた上で、この幼児教育小委員会を設置をするかしないか、しなければならないようになっているのだから、与党の皆さんが賛成と言ってもらえば直ちにできることですから、この点はひとつ……(「怠慢だな」と呼ぶ者あり)今言葉が出ておるように怠慢ですから、ぜひこの点は確認をしていただきたいと思いますが、委員長いらっしゃらないので、今船田さん上がっておられるので、あの当時船田さんもいらっしゃったので御存じだと思いますから、この点を理事会でぜひ確認をしていただければと思っています。どうでしょう。
○船田委員長代理 ただいまの中西君の御要望につきましては、後日理事会で検討いたしたいと思います。
○中西(績)委員 まだほかにございましたけれども、時間が来たようであります。ただ、私は一点だけ高等学校の関係で……。 昭和六十四年、現在の小学校六年生が児童数ピークでずっと移行をしていくわけですね。したがって、中卒者の急増現象というものが必ず出てくるわけです。したがって、この分について高校新増設計画についてどのように方針化していくのか、これはきょう時間がありませんから簡単にお答えいただいて、後に全部残しまして論議をしていきたいと思います。さらにまた、高校入学選抜の問題につきましてもいろいろ多くの問題が出てきますし、あるいは臨教審でまた論議が始まりますから、ここいらで私たち自身がこれからどのように腹固めをしていくかという大変重要な課題もありますから、実はきょうやりたかったのですが、早急にしなければならぬ点がありましたのでこれは後に回しますが、一点だけお答えください。
○松永国務大臣 先生御指摘のとおり、昭和六十四年度をピークにしてその後は高校生の急減時期に入るわけであります。現在でも一般的には高等学校の施設等につきましては、ほぼ全入といいますか、九四%が入れるという施設になっておるわけであります。ただ、私の埼玉県などのような一部の地域におきましては、なおこの施設の整備をしていかぬと高等学校の九四%前後の就学ができないということもありまして、高等学校の新設、増設が必要な地域もあります。そこで、六十年度につきましては、県立及び市立の高等学校の新設、増設に対する国庫補助の予算を確保したわけでありますけれども、六十一年度以降につきましては、先ほど申したとおり六十四年度をピークにして六十五年度から急減するということもありますので、そのことを踏まえ、もう一方におきましては私立との関係もございますので、そういった方のことも考えながら、六十一年度以降の高等学校の問題については対応していかなければならぬ、こういうように考えているところでございます。
○中西(績)委員 終わりますが、一点だけ、そういう計画は具体的に立てられていますか。
○阿部政府委員 高等学校につきましては、各都道府県がこれを所管をし実施をしていくというのが基本原則と考えておりますので、各都道府県においてその県の実態を見ながら対応を考えていただいているということでございまして、文部省として何らかの具体的な数字等の計画をつくってやっているということではございません。各県からの御要望に応じて、ただいま大臣からお答えしましたように、施設整備費の補助金等を出している、こういう状況でございます。
○中西(績)委員 以上で終わります。またこの分につきましては、後日質問したいと思います。
○船田委員長代理 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時三分休憩 ————◇————— 午後一時二分開議
○阿部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。伏屋修治君。
○伏屋委員 私は、きょうはいろいろな角度からいろいろな問題点についてお尋ねをしたいと思っております。 まず最初に、中学校の願書出し忘れ事件、これはもう既に同僚の江田委員の方からも御質問がありましたけれども、浦和の中学の事件あるいは松戸市の中学校の事件あるいは埼玉県の狭山市の中学校の事件、こうした一連の事件について文部省はその経過を聞いておられるか、そしてその経過についてどのような考えを持っておられるか、そしてその要因はどこら辺にあるのか、その辺からお聞きしたいと思います。
○高石政府委員 まず、千葉県の事件について県の教育委員会から報告を求めて概況は伺っております。 問題は、決められた期限内に学校のミスで具体的には受験ができなかったわけでございますが、県としてはそれに対するけじめとして、校長と担当教員に対して処分をやって、一応そういう形のけじめをつけて、具体的にはその子供は私学に進学するというケースであるわけでございます。これについては、学校で取りまとめて願書を出す方式、それから個人も出せるというルール、いろいろな方式をそれぞれの県の教育委員会はルールとして決めているようでございます。しかし、現実的に千葉のような事件が起きたわけでございますから、こういう事件が起きるということは極めて遺憾なことであるし、今後二度とそういう事件のないような対応をしていかなければならないという指導を文部省もしておりますし、県もその点は深く反省し、これについての対応を考えていきたいと思っているようでございます。 それから、埼玉県の内申書が置き忘れられた件でございますが、これも書類上の重要な管理を、学校側がそういう安易な方式で置き忘れるということは非常に遺憾でございますけれども、内容といたしましては、通知簿の内容と内申書の内容と違ったような形になっているわけではなくて、様式の差異、それから出てくる若干の差はありましたけれども、それについての説明を子供並びに親に対して行いまして、その内容、記載について別に間違ったことがあったというような事実はないということで、現在両方で円満な解決をしているわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、今後の書類の管理というのは的確にやってもらわなければならないと考えておるわけでございます。 それから、狭山の事件につきましても、これは学校管理の問題と非常に複雑な絡み合いがございまして、内容的には、学校側の行き過ぎた父兄に対する対応というのがあるということで、県教委はそれに対する是正をしていかなければならないということで、今年度末の人事異動も含めまして学校の正常な体制づくりを進めてきておるという報告を受けております。
○伏屋委員 経過についてはわかりましたけれども、この浦和の中学の問題にしましても、こういう経過と処置、それだけでは事が済まないのではないかと私は思うわけでありまして、生徒がその内申書と通知表との差異について不信を抱き、担任の先生方に抗議を申し込んだということ、それがさらに親にまで広がっておるということになってまいりますと、本来信頼というものがなければ成り立たない教育というものが根本的に崩されてくると考えるわけですけれども、その後の問題の処理、円満に事が済んでおりますと今初中局長からは答弁がありましたけれども、どういうふうな話し合いを持たれ、どういう問題点が浮き彫りにされて円満に解決したのか、その辺もう少し具体的に説明が欲しいと思います。
○高石政府委員 この事件が起きまして、二月十六日に父兄の電話で置き忘れたことに気づき、六時ごろ回収しているわけでございますが、通知表の内容との差異について十名から二十名程度の生徒と教師が当日九時半ごろまでいろいろな話し合いをしたわけでございます。それから、翌日日曜日にも午前九時半ごろから前日に引き続き話し合いを行いまして、学校側はこの話し合いで生徒側も了解したと考えて、その後これが生徒の間で特に問題にされなくなったわけでございます。 こういうような形で、各個人に対する通知表というのは、大体クラス単位で成績の評価をするわけでございますが、高校進学における内申書は学校全体を単位として書くものですから、そういう意味での若干の差はそこにございますけれども、成績の評価を故意に曲げて報告をするとか記載をするような事実はないということが、子供たち、親との話し合いの結果了解されて、円満に解決したという報告を受けているわけでございます。
○伏屋委員 この内申書原本の置き忘れというのは三月二十三日付の朝日新聞に大きく取り上げられたわけで、これは全国的に、こういう内容については高校進学を控えた子弟を持つ親御さんにとっては重大関心事であるわけでございますが、そういう点について、ただ浦和の問題だけは円満に解決したといって事が済まされる問題ではないわけでございまして、文部省として全国の高校進学の子弟を持つ全国の多くの親御さんたちが納得のいくような明瞭なものを出さないと、それでなくても今教育に対する不信感というものもあるわけでございますので、そういうものを払拭する意味においても、行政の立場からどういうような方法でそういう了解を求めていくか、その点のお考えがあったらお聞かせをいただきたいと思います。
○高石政府委員 高校進学につきましては、子供たちはもちろんのこと、親たちも大変関心がございまして、どういう学校に進学させるかというのはいわば最大の課題になるわけでございます。それだけに、親、子供たちは少しでも世間で言ういい学校へ進学したいということになりますし、そしてまた、親自身の気持ちの中には、浪人はさせたくないという気持ちもあるわけでございます。そういうような状況下で学校側が進路指導をやるわけでございまして、学校の先生側も、親の言うとおり子供の言うとおりに進学させて、結果として浪人をさせるというようなことについては非常な配慮をしていかなければならぬということで、その付近をどこの学校を選定するかということで、大変何回も話し合いをした上で決定をしていくというのが現状であるわけでございます。この現状は、公立学校でいいますと、機会が一回しかないというようなところから出てくる一つの悩みであるわけでございます。 したがいまして、先回の高校入試改善では、受験機会を複数化していくということでその付近の弾力的な対応ができるようにしていくということが一つと、それから、子供たちの適性、能力に応ずる進路指導をまず基本的に考えてやらなければならない、そして、それに合う高校へ進学させていくということが必要であろうと思います。ただ形式的に格付、ランクだけでやりますと、結果として中退者が十一万も超えるというような状況、しかもその中退者の多くが一年の段階で中退をしていくというようなこともありますので、学校側も親も本人も、高等学校進学の進路を決定するに当たりましては、将来見通しを十分考えてしていかなければならない。そういう意味で、受験制度の改善ということが一つと、中学校における進路指導の適正化、これが第二で、第三番目は、受け入れた高等学校が適正な教育を施していく、この三つの内容がそろって健全な学校教育というのが展開されるであろうというふうに思っております。
○伏屋委員 その内申書の問題で、高枝入試に際しての内申書の取り扱い、そういうものに対しての親の疑念が非常に広まっておるだけに、そういうものに対して今のようなことでは疑念が完全に払拭されるということではないと思いますね、親御さんというのは極めて現実的であるだけに。ですから、そういう面ではやはり県によってそれぞれの内申書の取り扱いは違うと思います。ある県においては内申書を五〇%、それから入学試験が五〇%、こういう県もあるやに聞いておるわけでございますが、その辺の内申書の取り扱いについて、この問題が起こってから文部省として各県の教育委員会の方へこの問題点について行政的にいろいろな面のアドバイスをした経過があるかどうか、その辺を一遍お聞かせいただきたい。
○高石政府委員 内申書の取り扱いというよりも、高等学校の入学試験をめぐっての取り扱いというものを、昨年省令を改正いたしまして指導通知を発しましたので、それを受けてことしの三月どういう状況になるかという実態把握を今急いでいるわけでございます。そして、昨年の高枝入試改善の通知を出す際に、内申書に対するいろいろな意見が協力者会議でも出たわけでございます。というのは、内申書が本当に客観的に公正に処理されていないのではないかという疑点を持っている親たちがいる。したがって、その内申書の作成に当たっては、そういう疑点を晴らすような、そういう不評が立たないようなしっかりした対応が必要であろうということは、協力者会議の中でも出されているわけでございます。 したがいまして、指導通知を出した際に、そういう内申書の取り扱い、それから内申書の様式、そういうことも改めて余りくどくど書かなくて、簡にして要を得た内容にしていくということを検討してもらいたいということで、指導の通知の中にも入れているわけでございます。
○伏屋委員 その内申書、浦和の中学の問題、狭山の中学の問題、あるいは松戸の問題、こういう一連の問題は、やはり先生方は先生方として、何とか子供を高校に入れてやりたいという気持ちがあるし、親は親としての考えがあり、そういうような考えをそれぞれ子供を中心にして、持っておる。それがお互いに行き違いがあってこういうような一連の問題が出てきたのではないかと思います。そういう問題を処理するに当たって、ただ行政的な処理だけではなくて、もっとやはり子供を中心にして親と教師が本当に腹を割って話し合えるような場がなければ、またまたこのような類似した事件が他県において起こってくる可能性が強いわけでございます。そういう面での行政的な処置以外に、やはりそういうような地域の教師それから父母が密着してその問題に焦点を当てながらやっていくような、そういう解決の方法を、それは文部省としては日本国じゅうですから、なかなかそれだけのきめ細かいことはできないでしょうけれども、そういうような温かみのある指導というものがやはり県の教育委員会の方にも行き渡っていかなければならない。そうでないとやはり第二、第三の事件が起こってくる可能性が強い、こういうように。私は心配するわけでございますので、その辺は初中局長はどういうふうにお考えなんでしょうか。
○高石政府委員 今後機会を見まして指導部課長会議等ないしは指導主事会議を招集いたしますので、その機会を通じまして、そういう事例、その反省の上に立った対応策ということを十分各県で研究し、対策を講じてもらうよう指導してまいりたいと思います。
○伏屋委員 千葉県の願書の出し忘れの問題もやはりこういう内申書の問題に絡んでおると私は思いますので、今のようなきめの細かい指導を今後行っていただきたいということを強く要望いたしまして、この問題は終わりたいと思います。 次に、先ほど初市局長が触れられましたけれども、高校中退者の問題でございますけれども、その現況についてちょっとお聞きしたいと思います。
○高石政府委員 五十八年度における中退者の状況でございますが、公私立を含めまして、中途退学者数は約十一万一千人でございます。前年度に比べまして五千人の増になっております。その在籍者に占める割合は二・四%でございます。 中途退学の事由の主なものは、学校生活不適応、それから進路変更、学業不振というようなことになっておりまして、この傾向は例年と変わらないわけでございます。特に、学校生活、学業不適応、進路変更というのが大体二〇%台を記録しておりまして、入った後の高等学校生活についていけない、高等学校の教育についていけない、そしてまた、これでは自分の生きがいのある生活ができないというので、就職とか専修学校等の進路変更をやっていく、こういう子供がいるわけでございます。したがいまして、これだけの数は相当膨大な数でございまして、現在進学率が九四%、合格率が九九%という高等学校教育の実態から出てくる一つの問題でございますので、こういう内容をもう少し分析いたしまして、これについての的確な進路指導、高等学校における適正な教育ということを十分考えていかなければならないと思っております。
○伏屋委員 入学して退学していくのは個人の問題だと簡単に割り切れる問題でなくて、こういう中途退学者が十一万一千人にもふえてくるという要因は、今少し初中局長も触れられたようですけれども、もう少し考えてみるならば、やはり中学校の偏差値によるところの志望校決定、この辺にもこういう中途退学者がふえる要因があるのではないか。またもう一つは、やはり受け入れる方の高校の教科課程の問題、そういうものに原因があるように思われるわけでございますけれども、その辺はどのように認識をしておられますか。
○高石政府委員 御指摘のとおりでございまして、まず第一は、親並びに子供の学校選択に当たっての意識の問題、みんなが行くから高等学校ぐらいはという意識に駆られて、親も子供も高校進学の際にそういうような気持ちで選ぶという意識の問題が一つあると思います。それから第二番目は、中学校段階における進路指導、これが子供の適性、能力に応じて的確に指導されているかどうかという問題がございます。第三は、高等学校における教育のあり方が問題でございまして、真にその子供たちの適性、能力に応じた教育内容を展開しているかどうか。そういう点が、反省をし、対策を講じていくべき主なポイントかと思うわけでございます。
○伏屋委員 そういう問題点は幾つかあるわけでございますが、それに対しまして、大阪府の教育委員会がとっておるような、高校に留年措置というものの配慮をしておるとか、あるいは中退した高等学校の生徒を再入学させるとかというような面において積極的に指導をして効果を上げておる、こういうようなことも私は聞いておるわけでございますが、その辺はどういう認識を持っておられますか。
○高石政府委員 ここ数年中退者が十万台にあるわけでございますので、学校をやめていく子供のその後の進路がどうなっているかという分析が必要だと思います。今までは、学校を離れた後の分析でございますので、行政の立場でそれをとらえることが非常に困難であるということで、余りそこまでの対応をしてまいらなかったわけでございますが、今後はひとつ、十一万の子供全部を追っかけるということは非常に難しいと思いますが、県によってはそういうその後の進路の状況を追跡しているところもございますので、そういう県のデータを報告をいただきまして、まずその実態を把握していきたい。そしてそれに応じた対応を考えていきたい。二、三の県でやっておるところで聞きますと、やめたうちの大体五割から六割が就職をしているというようでございます。そして、一割から二割程度が専修学校等へ進学をしているというようなことであるし、また、一たんやめたけれども、定時制、通信教育に入り直すというような形で再入学をしているというようなケースもあるようでございますので、いずれにいたしましても、退学者のその後の状況がどういうふうになっているかという把握に努めまして、その上に立った対策を考えていかなければならないと思っております。
○伏屋委員 文部省も、こういう高校中退者の急増ということに対処しまして、今初中局長からお話がありましたように、追跡調査をしていきたい、そういう追跡調査の資料によって今後のことを検討していきたいという御答弁がありましたけれども、今の高校はどちらかというと教養主義的な高校ではないか、こういうふうに私は考えるわけでございます。生徒の個性というものを考えていくときに、高校そのものに個性と特色がなければならない、そういう多様化した体制を高校が持たない限りにおいてはやはり今後も高校中退者はふえていくのではないか、こういうように考えるわけで、そういうようなニーズにこたえられる高校の独自の個性、特色、こういうものをつくり出していかなければならない。そういうことに対しての文部省の高校教育に対する指導というのはどのように行っておられるのです。
○高石政府委員 先生御指摘のとおりでございまして、高等学校の教育内容については、先回の学習指導要領の改訂の際に大幅に多様化、弾力化できるようにしたわけでございます。五十九年で学年進行でやっと新しい教育課程が高等学校で全面的に実施されるようになったわけでございまして、そういう面でまだ新しい教育課程の定着状況というのはもう少し時間をかけて見てみなければならないと思っております。一般的に言いますと、教育課程改訂の際に多様化、弾力化を大幅にやってほしいというふうに、またやれるようにしたわけでございますけれども、なかなか各学校の実態はそこまでついてきていないという感じがするわけでございます。したがいまして、もっと多様化し弾力化していきまして、子供の適性、能力、興味、関心に適合するような教育の場づくりが大切であろうと思っております。
○伏屋委員 今御答弁があったとおりではないかと私も思います。ただ大学受験一辺倒の高校教育というものではなくて、高校そのものが個性があり特色のある高校というものをつくっていかなければならない。そういう面で、文部省が理科教育及び産業教育審議会の答申を受けて、専門学科の枠を超えた科目を準備したり、また専修学校との単位互換、産業現場での実習、こういうものを提案しておるようでございますけれども、こういう新しい高校教育のあり方等については、臨教審の中でも積極的に審議されておるところでございますけれども、ただただ偏差値による大学受験一辺倒というような、多感な子供さんの人間性をゆがめないような、自分の個性に合って高校へ入ってよかった、こういうような高校というものを実現してまいらなければならないし、そういう受け入れ窓口はたくさんつくっていかないと高校中退者の問題は根本的に解決しない、このように考えますので、そういう点を積極的に推進していただきたいことを強く要望したいと思っております。 次に、高校中退者のいわゆる行き先が専修学校ということでございますが、ことしは専修学校が認められまして十年になるわけでございますが、リクルートセンター等々の就職の状況等を見ましても、専修学校の卒業生というものが極めて有利に展開されておるということから、専修学校がやや乱立しておるのではないか、こういう感を非常に私も受けておるわけでございます。これは、新聞なんかで見ましても、これは読売新聞だったと思いますが、「見直される専修学校」というような形で連載されておるようでございます。そういう専修学校が量的にふえた反面において、非常に質的に落ち込んでおるのではないか。ただただ教育産業的な、利潤を追うようなそういう専修学校もなきにしもあらずである、こういうことを思うわけでございますが、その辺は現状をどのように把握しておられますか。
○國分政府委員 御指摘のように、専修学校制度が創設されまして十年経過したわけでございまして、学校数あるいはそこに学ぶ生徒も非常にふえてきております。現在専修学校の数が三千弱、そこに学ぶ生徒が五十数万人というような状況でございます。専修学校は、御案内のとおり、実際生活に必要な能力あるいは職業に必要な能力あるいは一般教養の向上ということでできている制度でございますが、何よりも特徴的なのは、その基準が大綱的かつ弾力的でございますので、時代の多様な要請というものに非常に敏感に対応していろいろなニーズにこたえるということにあるわけでございます。そういう特色を持っており、また、御指摘のように量的に拡大してまいりましたが、反面やはり、例えば募集一つとりましても、募集の内容と入ってみた実態と違うではないかとか、あるいはいわゆる設備その他も十分でないのではないかというような御指摘を間々伺うわけでございまして、多様なゆえにそういう問題点も持っているわけでございます。私ども、ここ数年、量的な拡充をしましたがために、また社会的に全体として評価は高まっておりますけれども、個別には問題の指摘がございますので、その公共性と申しますか質的充実というような面について、所轄庁でございます都道府県に対して積極的な指導を加えてきております。 なおまた、六十年度の予算におきまして、約八百万程度でございますが、ただいま御指摘になりましたいろいろな問題点について検討する調査会と申しますか勉強会と申しますか、専修学校関係者あるいは各県の担当者あるいは高等学校あるいは中学校の進路指導担当者等々に集まっていただきまして、種々の問題点を検討しよう、成果というのはこれからでございますけれども、そういうことで、今御指摘のような問題点に対応してまいりたい、かように考えております。
○伏屋委員 専修学校で、いわゆる学校法人という形で専修学校が開設されておるところと、そういう学校法人でなくていわゆる個人立専修学校、そこら辺の内訳、数がわかったら御提示いただきたいと思います。
○國分政府委員 ちょっと手元に資料がございませんで申しわけございませんが、御承知のように、制度的には学校法人あるいは準学校法人あるいは財団法人あるいは個人立、何でもよいことになっているわけでございます。一条学校と違いまして、個人立等による専修学校はかなり多いのではないだろうか、ちょっと手元に数字がございませんで申しわけございませんが、そういうふうに考えております。
○伏屋委員 そういう学校法人の専修学校は、私学振興助成法によるところの補助は行っておるわけでございますね。
○國分政府委員 昭和五十七年に現在の私学振興助成法が改正されまして、専修学校についても補助をする、従来から県段階でいろいろな補助はやっておりましたけれども、法律上の根拠を持たせるという改正がなされまして、各県におきまして設備費等を中心にいろいろな補助が行われております。また、国におきましても、大型の教育装置というものについて専修学校に補助しているという実態でございます。
○伏屋委員 また、後ほど学法の幼稚園の問題についてちょっと触れたいと思いますけれども、いわゆる個人立専修学校が学校法人を志向するという場合も、前回五十七年に決められたあの改正が適用されるのかどうか、その辺お聞きしたいと思います。
○國分政府委員 専修学校につきましては、個人立幼稚園に対するいわゆる学法化の措置義務というようなものはございません。
○伏屋委員 わかりました。それは学法幼稚園のところでお尋ねをしたいと思います。 専修学校が学校法人になるというその基準というものが、一応授業時間数とかあるいは施設、教員、いろいろな分野に分けられて学法の条件というものがあるわけでございますが、その辺、明確にもう一度言っていただきたいと思います。
○國分政府委員 ただいま御指摘の授業時間数であるとかあるいは生徒数であるとかということは、専修学校の設置基準でございまして、学校法人ないしは準学校法人の認可基準というわけではないわけでございます。しかし、専修学校がいわゆる準学校法人化するという場合に、私立学校法におきましては学校法人と準学校法人と同様な扱いをしておりますので、例えば財産等については自己所有を原則とする、あるいは評議員会その他を置くというように、そういう要件については基本的には学校法人化と同様であろうと考えております。
○伏屋委員 県または国の方から専修学校に対する補助を出す以上は、やはりそういう条件も厳しいものがなければならないと思うわけでございます。しかし、現実にそういうような条件に当てはまらないような専修学校も存在するわけでございまして、建物も敷地も全然個人のものでない、借用のものである、そういう形の中で専修学校として出発しておる、こういうような学校もあるわけでございまして、こういうものはもちろん学校法人としての助成、補助というものは受けてはおらないと私は思いますけれども、将来、こういうものが学校法人を目指して県あるいは国から補助をいただきたいというような場合には、それをどう処理されるお考えですか。
○國分政府委員 先ほど申し上げましたように、各県で専修学校に設備費等を中心に補助しているわけでございますが、その実態について、ただいま御指摘のようなケースがあるかどうかつまびらかにいたしておりません。ただ、私どもが補助の対象としておりますいわゆる大型の教育装置につきましては、法人立のものを対象としているわけでございます。なお、学校法人化のための補助制度というのは、各県においてもないように承知いたしております。
○伏屋委員 専修学校は、さっき冒頭に申し上げましたように、量的には非常に拡大されております。質的には、今申し上げたように、土地も建物も一切自分のものではない、借用するという形の中で専修学校が開設されておるという実態、それから、先ほどお答えがありましたように、入学定員が実質の入学者とは全然違う数字が出ている、そういうことやら、あるいはその専修学校のPRなんかにうたわれておる文句が実態とは全くそぐわない、こういうような実態もあるわけでございまして、ここ十年たったわけでございますから、それだけに高校中退者の人たちが志向するこういう専修学校の内容というものをもう少し質的に高めていかなければならない、このように考えるわけでございまして、今後のそういう質的向上について、もう一度御見解をお伺いしたいと思います。
○國分政府委員 先ほどもお答え申し上げましたように、質的向上あるいは教職員の資質向上、教育条件の整備というようなことにつきまして、量的に拡大しただけにこれからその点についての施策を充実していかなければならないと考えておりますが、一方、専修学校というのは、冒頭に御答弁申し上げましたように、いわば非常に柔軟に各種の多様なニーズにスピーディーに対応していくというところに特色があるわけでございますので、余りにその基準というものをきつくしたり厳格にしたりすると、逆に専修学校の持ち味というものが殺されるという側面もあるわけでございまして、その辺の兼ね合いというものをどう考えながら公共性を高め質的向上を図っていくかというところに難しさがあるわけでございます。先ほど申し上げましたように、近く勉強会等も発足させますので、それらにつきまして、御指摘の点も含めて検討してまいりたい、かように考えております。
○伏屋委員 高校中退者がふえるその原因、要因については、新しい高校像というものを早く確立して、中退者をふやさないように努力してまいらなければならないし、また、それらの条件がそろえられたとしても、やはり自分の個性になかなか合わないということからこういう専修学校を選んでまいるわけでございますので、それだけに、だまされた、こんなはずではなかった、こういうような専修学校が出てこないようにしていかなければならないので、審議会を通じて、今のようなそういう多様なニーズにこたえられる、柔軟性のある専修学校を考えていきたい、そういうような御答弁がありましたので、それに大いに期待したい、このように考えておるわけでございます。 それから、午前中の質疑の中でも中西委員からちょっと触れられたようでありますが、幼稚園の問題でございます。 幼稚園の問題は、昭和五十七年のときに私学振興助成法の一部を改正する法律案の中で、もう二度と再延長はやらない、今回限りの措置とするという附帯決議がつけられています。そしてまた、その三項の進捗状況について国会に適時報告するというような附帯決議がついておるわけでございますが、その経過について少しお聞かせいただきたいと思います。
○國分政府委員 御指摘の昭和五十七年にいわゆる期限の延長がなされました際に、二度と再延長しないという趣旨の附帯決議がつけられておることは承知いたしております。この法律自体、さらに延長の改正法案、いずれも議員立法で制定されておりますので、私ども政府側の立場でどうこうするというのはいかがかと思うわけでございますが、その趣旨は十分承知しておるつもりでございます。 なお附帯決議には、学校法人化のための基準の弾力化等についても一層努力するようにという趣旨のものもございますが、私どもも法制定当時、基準の弾力化について指導したわけでございますが、その後重ねて各県の実情に応じて弾力的に対応するようにという指導通達等を出して今日に至っておるという状況でございます。
○伏屋委員 その私学振興助成法によれば、助成をいただいた翌年度から数えて五年間のうちに学校法人にならなければならないというふうになっておるわけでございますけれども、それがなかなか——五十一年度に助成を受けた人は五十二年度から始まるわけでございますが、それが五十七年度までにできないということからこういう法律改正が行われたわけでございます。それでもなおまだ学校法人化しておらないという園の実態が、六十年四月七日の毎日新聞で明らかになっておるわけでございます。 この新聞記事によりますと、九十園という幼稚園が法人化を守っておらない。「幼稚園の補助金もらい得」というような大きな見出しで記事が出ておるわけでございます。補助金という性質、経常経費の補助という形であるだけに、返還ができないという特殊な条件でもあるわけでございます。そういうところからこういう見出しが出てきたのではないかと考えるわけでございますが、その辺の実態。それから、学法志向園というものがあるわけでございますが、それがまた同じようなわだちを踏んでいけば大変なむだ遣いになるというようなことから考えて、その辺の処置をどういうふうに考えておみえになるのか。
○松永国務大臣 私立学校振興助成法ができて、その法律に基づく経常費補助を受ける幼稚園は、原則は学校法人立、学校法人立てないものにつきましては、補助を受けるようになった年の翌年から計算して五年以内に学校法人にならなければならない、こういうことで経常費助成がスタートしたわけであります。そして、学校法人でない幼稚園がこの法律に基づく補助を受けるについては、この法律の規定に定める五年以内に学校法人になりますということを約束して補助を受けてきたわけであります。五年たちまして、途中で三年延長ということはありましたけれども、その期間が来てなおかつ学校法人にならない幼稚園があるということは甚だ遺憾なことであるというふうに思います。 その補助を受けた幼稚園で学校法人にならなかったものについて、受けた補助金の措置をどうするかというのが大きな問題であるわけですが、なぜ学校法人にならなかったのか、あるいはなれなかったのかという原因、理由をよく調査してみなければならぬと思います。もし当初から学校法人立になる意思はないけれども、学校法人立になりますと約束しさえすれば補助金がもらえるということで、何らの努力もしないで、結局ははなからもらい得の気持ちで補助金をもらい続けておった幼稚園があるとするならば、教育界でそんなずる賢いことは心情的に許されてならないというふうに私は思います。したがいまして、なぜならなかったのか、いかなる努力をしたのかということをよく調べた上で、適切な対応をしなければならぬと思っておるわけであります。ただ、先生御指摘のように、受けた補助金というものは、その年その年にその幼稚園の先生の給料あるいは教材費などに使われたものと思われるわけでありまして、その意味で、この返還を求めるというのについてはいろいろな問題点があることは事実であります。その点も考えながら、実情を調査いたしまして適切な対応を考えなければならぬと思うわけであります。 なお、来年度以降も五年の期間が来るいわゆる志向園があるわけでありまして、本年三月末までに学校法人にならなければならない幼稚園で学法にならなかったものが百園弱あるわけでございますが、来年度以降そういう園が出てくることは大変遺憾な事態でありますから、そうならないような指導を私どもはしていかなければならぬというふうに考えておるわけであります。
○伏屋委員 これは非常に重要な問題でございまして、そういうような不公正が許されてはならぬ。行政は公正でなければならぬ。そういう言うなればもらい得というような園が今後絶対出ないように指導してまいらなければならない。 また、既に六十年三月で五年の期間を満たして学校法人化しなければならなかったものに対して、文部省として積極的に調査をし、対応を急ぐというような御答弁がありましたが、各県においてもこういう学法志向の園に対する指導に非常にばらつきがあるように思えるわけでございます。これは、五年後に学校法人化するかしないかという事前調査において県に積極的な指導体制がとられておるならば、このような税金のむだ遣いのようなことは未然に防げたのではないか、このように考えるわけでございます。今後も学法志向園というものはあるわけでございますので、県の指導のばらつきに対しても、文部省として積極的に指導を行っていただきたいと思うわけでございます。 毎日新聞の記事の中に各県の状況の一覧が出ておりますけれども、それを見てみますと、愛知県なんかは特にひどいわけで、四十六園がそこに出ておるわけでございますが、そういう学法志向園が学校法人化されないという要因、学法志向園がなかなか実現できない、そこら辺の要因はどこら辺にあるとお考えですか、大臣は。
○國分政府委員 経常費補助をもらっておき、なおかつ期限内に学法化できない幼稚園があり、またその理由はどういうことか。いろいろな要因が重なり合っておりまして、これをデータ化するのはなかなか難しいわけでございますが、私ども、各県の担当者等から事情を聞きますと、まず園児数の減というのがあることから、将来に対する経営不安というのが全体的な背景としてあるわけでございます。さらに、具体的には、例えば園地の取得あるいは借用について地主との交渉が難航しているというのもあるようでありますが、多いのはやはり土地の問題。学校法人になりますと、土地を学校法人のものにしなければならないということもございまして、宗教法人なり家族からの同意が得られないというのが大きな原因になっているようでございます。
○伏屋委員 そうばかりではないようでございます。学校法人国あるいは学校法人志町園、それ以外に宗教立の個人幼稚園、いわゆる百二条園と言われておりますけれども、そういう園が県において特別の補助を受けておる、そういう実態も明らかであるわけです。私の手元にある資料によりますと、六県ですけれども、百二条園として県から学法園、志向園に大体匹敵するぐらいの補助を受けておる実態があるわけですね。こういうことがあれば何も学法を目指さなくてもいいではないか、こういう結論になってくると思うのですね、極端に言えば。こういう百二条園に県が補助を出している。それはわからぬでもないのですけれども、私学振興助成法というものがあって、それから助成するという形で学校法人化していく、こういう法の趣旨からするとそれに反するようなことになる。極端に言えば、私学振興助成法をなし崩しにしていくような補助が行われている実態があるわけです。そういうものに対してはどうお考えですか。
○國分政府委員 具体的にそれがどういう補助であるか、私ども承知しておりませんが、現在の私学振興助成法によりますと、目下問題になっているのが経常費補助を受けたいわゆる志向園の学法化の問題でございますけれども、経常費に限らず、例えば教材その他経常的な経費、設備費補助といったものの補助を受けましても、現在の私学振興助成法上は学校法人化の措置義務がかぶると考えております。
○伏屋委員 百二条園に対する補助も、学法あるいは学法志向園と大体同じように経常費の補助として出されており、その金額も園児一人当たりの単価にしまして、大体私学助成法に基づく補助に匹敵するだけの補助が出ておるわけですね。そうなってくれば、もうこちらでやって学校法人に踏み切らなくてもよい、こういう形になってくると考えるわけでありまして、今後、学法志向園の期限が来ても学校法人にならないというルーズな面へのなだれ込みというのですか、そういうような危険性が多分にあるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。学法志向園を掌握するときの事前の調査も、県によって非常にずさんな調査があるようでございますから、学法志向園の事前調査、あるいは県によっての実態、こういうものに対する文部省の指導を今後どういうふうに進められていくのか、もう一度御答弁をいただきたいと思います。
○松永国務大臣 今私学部長が答弁申し上げましたとおり、公費によってすなわち国民の税金によって経常費助成をする場合には私立学校振興助成法の附則の規定がかぶるということでありますから、学法になることの義務と関係なしに公費による助成をするということは甚だ遺憾なことなのであります。もともと私立学校振興助成法を制定する場合に、五年の期間という期間はつけましたけれども、なぜ義務を課したのかといえば、百二条園は百二条園として存在して結構なのでありますけれども、公費による助成をする以上、国民の税金でありますから、その使い道について公の支配が及ぶようなものでなければならぬということが一つあったわけであります。 個人立等の場合には、公費で助成するとして、そのお金が個人のお金とまじってしまうわけでありますから、そうなってきますと公の支配が及んでいるという形にはならない。それは憲法の規定からいっても問題があるというふうなことから附則二条というものができたといういきさつがあります。だとすれば、県がそういう振興助成法附則第二条の規定を無視して公費による助成を続けているということはいかがなものであろうか、こういうふうに思われますので、その実態等を把握しなければならぬ、把握した上で我々は適切な対応をしなければならぬ、こういうふうに思う次第でございます。
○伏屋委員 それは実態として県によってあるわけでございますので、その面は、今大臣の御答弁がありましたので、今後の調査を急いでいただいてそれに対処していただきたい。いやしくも私学振興助成法を崩していくような措置が現実的に県において行われるということは許されないことでございますので、そういう面は厳重に各県を指導していただきたい。 それから、今後も学法志向園の中で五年間の期限が来る園が多数あるわけでございます。そのときに、学法を志向し努力したけれども、結局学校法人にはなれなかったというようなことが二度と起こらないように、その面の積極的な指導もここで強く要望して、その問題はそれで終わりたいと思います。 次に、中国残留孤児の子女の教育の問題についてでございますが、この問題については社会党の佐藤委員の方から詳しくいろいろな御質疑があったようでございます。 ここで、中国残留孤児の方がそれぞれ高等学校へ進学するという形の中で、都の教育委員会等々が六項目の緊急措置を決めたということは、非常に前進であると私ども思いますけれども、一番の壁は日本語にあるのではないかと思います。高校進学において海外駐在員の帰国子女に対する受け入れ枠というものは、特別の枠をつくっておられるようでございますが、そこにおけ至言葉の障壁をどのように解決しておられるのか、また、中国残留孤児の子女も、そういうような駐在員の帰国子女と同じような扱いをつくっていく意図があるのかどうなのか、その辺をお答えいただきたい。
○阿部政府委員 御指摘の中国から引き揚げてまいります子女の教育の上で一番問題が、御指摘のように日本語の教育でございます。義務教育段階の場合には、その学校へその地区地区の学校で受け入れます。同時に、実際の指導上、机、いすの言葉から始まりまして、いろいろな日本語の指導をできるだけやっていくという努力をしておるわけでございますし、この受け入れ態勢のために、文部省としては研究協力校というような制度もつくりまして、その学校に対しましては、教員の加配措置も講ずるとか、あるいは中国語関係の非常勤の先生方を入れて、子供との意思交通ができるようにするとか、いろいろな援助措置等も講じておるわけでございますし、さらにそれに加えまして、日本語教材と申しますか、そういうたぐいのものもお配りをするというようなことで、まずは義務教育の段階で十分な指導ができるようにということに力を注いでおるわけでございます。さらにそれに加えまして、義務教育の年齢を過ぎた者につきましても、日本語等の能力が十分でないという者につきましては、希望に応じまして中学校等に引き受けて、普通の子供と同じようにさらに重ねて勉強してもらうというような仕組みもとっておるわけでございます。 またさらに、高校入学の点につきましては、昨年、これは初中局長名の通知でございますけれども、各都道府県に対しまして、帰国子女ということでもちろん中国の子供たちも含めてのことでございますけれども、帰国子女の高校入学、入試のあり方につきましては、特別枠をつくるとかあるいは具体の試験のやり方について工夫を加えるとか、それぞれ地域の実態、子供たちの実情を踏まえて、適切な措置を講じてほしいというような通知もいたしたわけでございます。先生のお話に出てまいりました東京都のケース等若干、昨年の通知でございますのですぐに対応ができなかったという面もあろうかと思いますけれども、二次募集段階での特別の対応ということではございましたけれども、相当考えてくれた対応をしてくれたというふうに評価をしておるわけでございますが、今後ともそういった方向で、義務教育段階の充実の問題と、それから高校入試の改善と申しますか、適切なものに改めていくという方向につきまして、引き続き指導等を重ね、また援助も行ってまいりたい、かように考えておるところでございます。
○伏屋委員 今御答弁がありましたように、確かに、そういう中国残留孤児の子女の教育についての受け皿というのは、多様な受け皿というものを考えておられることは、御努力はよく評価したいと思います。 しかし、やはりその受け皿ができたとしましても、受け皿があったとしても、一番毎日毎日の言葉、その言葉に大きな障壁があるところに問題がいろいろ派生しておるわけでございますので、そういう言葉を、私も予算委員会の一般質問のときにもちょっと触れたのですが、日本語教育をまず進めていかないと、この中国残留孤児の帰国子女の教育ばかりでなくて、留学生受け入れの問題についても大きな障壁になるということでお尋ねをいたしましたけれども、そういう日本語教員の社会的地位というものからの資格認定の問題について尋ねたわけでございますが、その後それが、検討しておるということでございますが、どのように具体的に検討が進められておるのか、その辺をお聞きしたいと思います。
○阿部政府委員 日本語教育の問題、特に中国引揚者について申し上げますと、まずは日本へ帰ってまいりました段階で、厚生省サイドで帰国孤児定着促進センターというようなところで四カ月ほど家族、親、子供一緒に勉強しながら、定着のための努力をする。その後各地に散らばってまいるわけでございますけれども、これに関しましては、各県、市等が主催で日本語講座等をいろいろな形で催しております。これに対しまして文部省といたしましては、日本語教材の作成配付をするとか、教師用の指導書をつくるとか、それからまた指導者の研修会等を行うとかいうこともやってまいりましたし、特に前年度からは、新しく指導方法改善のための具体的なカリキュラムをつくっていこうというようなことの研究等もやっておるわけでございます。 お尋ねの点にお答えになるかどうか、ちょっと担当の政府委員がこの問題について参っておりませんので、私の承知しておる範囲だけで申し上げたわけでございますが、そんなところで対応しておるところでございます。
○伏屋委員 今の局長の答弁と私が求めたものとはちょっと違うわけでございまして、日本語の今現実に行われておる言葉の障壁を除去する努力、それは確かにあると思います。それは評価したいと思いますが、それ以上にやはり言葉の障壁というものを一日も早く解決するためには、日本語を教える教員というもののすそ野をもっと広げていかなければいけない。留学生の問題に関連しても、当然そういうことは言えるわけでございまして、その日本語の教員のすそ野を広げる努力、そしてまた、そういう人の社会的な地位を認めてあげるための資格認定制度というものが、私の予算委員会における質問において検討するというように言っておられたけれども、その検討が具体的にどの点まで進んでおるかということが私の尋ねたことでございまして、ちょっと違うわけでございますけれども、その点わかりませんか。政府委員の方見えませんので……。
○阿部政府委員 まことに恐縮でございますが、社会教育局担当の仕事でございます。私ちょっとそこまで承知をしておらないわけでございます。
○伏屋委員 この問題はまた後ほど文書でいただきたいと思います。 五十八年度に日本語教育施策の推進に関する調査研究会というのがつくられたということも聞いておりますし、また、日本語教員の資格認定制度の創設について検討するという予算委員会の答弁もありましたので、今どの辺まで進んでおるか、こういう面での御答弁を文書でいただきたい、こういうように思います。 中国の養父母がいわゆる残留孤児をどのような苦労をして育てられてきたのかということを考えるときに、やはりそういう養父母の努力に報いるためにも、残留孤児の帰国、その子女の教育というものについては、もうこれ以上尽くせないというぐらいのきめ細かい対応、そしてそういう障壁を除去する努力、こういうものがなされていかなければならないし、今後の日中間の国際交流においても、やはり日本に帰ってきてよかったというような思いがその子弟になければ、今後の日本の置かれた立場というものも複雑になってくるのではないか、このように考えるわけでございます。その言葉の障壁の問題は今後も御努力を続けていただきたい、このように思います。 もう一点、違う面から、経済的な面からお尋ねしたいのですけれども、こういう帰国子女、子弟がいわゆる進学をするときの経済的な援助、これが厚生省と文部省両方で行われておるようでございますが、その現状をお聞かせいただきたいと思います。
○宮地政府委員 文部省の所管しております点で申し上げますと、育英会の貸与の問題があるわけでございます。 日本育英会の奨学生でございますけれども、学業成績と家計収入の基準によって選考するわけでございますが、特別な事情のある者、例えば災害等により主たる家計支持者を失った者等について特別な配慮をするという制度がございます。中国からの引揚者の子弟につきましても、その実情に照らしまして、このような特別な事情があると認められる者については奨学金を貸与するということでございまして、現在、六十年二月末現在での数字でございますけれども、高校生については十名採用されているというのが現状でございます。
○伏屋委員 厚生省の方はどういうような援護措置をとっておられますか。
○熊代説明員 厚生省の方といたしましては、財団法人中国残留孤児援護基金の方で、国民の方々から寄せられました寄附、指定寄附をもとにいたしまして、奨学制度をつくっております。その指定寄附の利息の一部をもちまして奨学制度をつくっているわけでございますが、高等学校につきましては月額一万円、それから高等学校以上の専修学校等につきましては月額一万円でございますが、入学資金につきまして三十万円以内で別に定める額を奨学金として貸与するということにいたしております。貸与の対象といたしましては中国帰国孤児及びその子弟等でございます。
○伏屋委員 入学金はさておきましても、月一万円の厚生省の経済的な援助というものはまことに渋いと言わざるを得ないと思います。こういう月一万円をもっと拡大する意思が厚生省にあるかなしか。
○熊代説明員 先ほど申し上げましたように、中国残留孤児援護基金は、約十億円の目標をもちまして基金をつくりまして、その果実で、第一の仕事といたしましては中国に残る養父母等の扶養費の援助、これにつきましては、大まかに申しまして国が二分の一、基金がその残余の二分の一ということでございますが、実施いたしております。第二の仕事といたしまして帰国孤児及びその子弟等の就学の援助、ただいま申し上げたことを実施しているわけでございます。基金が行う就学資金の制度につきましては先ほども申し上げました金額でございますが、公立高校の授業料、五十九年度入学者につきましては、月額五千六百円ないし六千二百円程度というふうに承知しております。それから、日本育英会の奨学金の自宅通学の公立高校生の場合でございますが、月額九千円というのを勘案しまして定めたものでございます。専修学校につきましては三十万円の入学資金でございますが、確かに一万円というのはかなり低い額とは思いますが、十億円の範囲内で、しかも扶養費の支払いということもございますので、将来の授業料や入学金の動向ということを一つは見ないといけないと思いますが、いま一つは、極めて現実的な理由でございますけれども、養父母等に対する扶養費の支払い状況等を勘案いたしまして検討しまして、できるだけ中国孤児の就学に役立つ制度に変えていきたいというふうに考えております。
○伏屋委員 現実に対応して、そういう月一万円という金額を柔軟にこれから増額する方向で厚生省も御努力をお願いしたいと思います。 文部省の方は育英資金においてその手当てをしておる、こういうことでございますが、先ほど局長も御答弁ありましたように、やはり、特別な配慮をされておると言いながら、育英資金の奨学金というものは学力が非常に重視されておるというものが一面あります。そういう面からも、中国の子女は日本語というものが大きな壁であるだけに、そういうものに対する育英会の措置というものが、学力という面を全く除外することはできないにしても、言葉の障壁があるということを十分考慮して、そしてこの育英資金を手当てしていただきたい。そしてまた、その育英金資金の手当てについての特別配慮というものが具体的にはどのぐらいのどの範囲の配慮をするのか。日本のいわゆる育英資金を給付されておる人と比較しまして、特別配慮というのはどういう配慮をされるのか、その辺を伺いたい。
○宮地政府委員 先ほど御説明をいたしたわけでございますけれども、育英会の場合に特例推薦という制度がございまして、学力または家計のいずれか一方については推薦基準に合致しておるけれども、それぞれ学力、家計、いずれにいたしましても推薦基準に合致しない者でありましても、学校長が奨学生として適当であると判断して推薦しました者については採用するということで、特例推薦という形で採用をいたしておるわけでございます。 なお、金額の面につきましては、一般の奨学生と同様の金額で貸与をいたしておるわけでございまして、先生御指摘の、中国残留孤児に対する特別の手厚い制度としてどう考えるかということは、将来の検討課題ではあろうかと思いますけれども、ただいまのところ、育英会の対応といたしましては一般の奨学生と同様の扱いということで対応いたしております。
○伏屋委員 今後の検討課題ということでございますので、その辺をやはり配慮をしていただいて、中国残留孤児の方々が極めて厳しい生活環境の中でやっておられることを考えたときに、文部省も特別な配慮をしていただきたい、このことを強く要望したいと思います。 次に、コンピューター教育の問題についてちょっとお尋ねしたいと思います。 文部省と通産省の間でコンピューター教育というものを導入するに当たってのいろいろな話し合いがなされた、こういうふうに聞いておるわけでございますが、通産省が来ておみえでしたら、通産省はどういう意図でこの文部省との話し合いに臨まれたのか、その辺、御説明をいただきたいと思います。
○中野説明員 御指摘の点でございますが、御案内のとおり、高度情報化社会とよく言われておりますけれども、技術進歩によりまして、簡単に申し上げますとだれでもコンピューターを使える、そういう時代を迎えておるわけでございます。こういう時代で、いわば情報化の基盤整備にはいろいろな課題がございますが、その一つにソフトウエアの人材の養成という問題がございます。簡単に申し上げますと、現在四十万人ぐらいおりますが、欧米各国とも大変要員の不足という問題を抱えておりますし、将来ますます深刻になる、こういう問題もございます。それからもう一つは、コンピューターはいわば一般の個人なり企業がごく普通に簡単な知識で利用する時代ということでございますので、国民各層の正しい知識、あるいはコンピューターの限界、あるいは利用能力といいますか、そういう普及を進めることも大事な課題だと考えておるわけでございます。欧米各国ではここ数年、学校教育にマイクロコンピューターを導入するという大変積極的な導入が進められております。私どもも、通産省の立場から申し上げまして、学校教育の場でもコンピューターの活用につきまして、基本方針といいますかあり方をぜひ文部省さんの方で御検討いただきたいということで、昨年来いろいろな場で意見交換をさせていただいております。幸い文部省さんでも、ことしになりまして専門家の方が集まりまして検討を開始しておられますので、私ども通産省といたしまして、ハードウェア、ソフトウェアを担当しておるという立場から、従来からやっておりますいろいろな施策もございます。文部省さんの基本方針を受けまして、私どもでできることを積極的に御協力申し上げてまいりたい、こういうふうに考えておるところでございます。
○伏屋委員 文部省はどういうようなお考えを持っておみえですか。
○高石政府委員 学校におけるコンピューターの問題は、観点が三つあると思います。一つは、コンピューターを学習者の学習理解を助けるための教具として利用する。例えば算数のドリルとか英語演習とか、そういう教育そのものに利用する、それが一つ。もう一つは、コンピューターを使って教育情報処理をやる、ないしは学校経営上の事務処理に利用するというような点。それから第三番目は、コンピューターそのものについての理解及びその利用方法に関する基礎的な教育、この三つの観点があろうかと思います。したがいまして、そういう観点からそれぞれの小中高等学校の発達段階に応じてどういう利用の仕方が最も効果的かということを研究していきたい。そのために、情報化社会に対応する初等中等教育の在り方に関する調査研究協力者会議を設けまして、今鋭意そういう観点で議論をしていただいているわけでございます。
○伏屋委員 通産省の方は、いわゆるプログラムを組む人たちが今後六十万人近い人数が不足してくる、そういう人材養成を早い時代から行うべきであるという意図で一応文部省との話し合いを持たれた、こういうことでございますが、そういう若年からのコンピューターの教育ということが文部省の一つの教育の中に取り組まれてくると、私はいろいろな問題点が起こってくるのではないかと思うのですね。ですから、確かに通産省側の希望としてはそういうものがあったとしても、文部省としての問題点は余りにも山積しておるということから、このコンピューターを教育に導入するということについては軽々に判断できない面があるんではないか、こういうふうに考えるわけでございます。 今、初中局長から三つの面についていろいろお話がございましたけれども、それでなくても今の教育課程を子供さんが消化するに当たっても非常に壁が厚いという面もあるわけでございまして、そこへまた新たなコンピューターの教育というようなものが入ってくると、それだけまた子供さんの負担が重くなってくるのではないか、こういうことも考えられるわけですけれども、その辺の問題点を初中局長はどう考えておられますか。
○高石政府委員 御指摘のような観点で、子供たちの心身の発達段階に応じてどんな教育を与えたらいいかというのが教育の命題でございます。したがいまして、いろいろな新しいものを導入する際に、それが本当に有効適切にプラスになる方向で役立つということでなければ、子供に過重な負担だけを残すということになりますので、そういうことも十分配慮して対応していかなければならない。一方、情報化社会を迎えるわけでございますから、そういう時代に対応できる子供の教育も必要であるという二つの要素がありますので、そういう観点から、十分な研究を積んだ上で、子供の健全な発達段階に応ずる教育の展開に有益であるというような前提でコンピューターの利用というものは考えていかなければならないと思っております。
○伏屋委員 教育的な観点から、確かにそのとおりでございまして、そういう観点からコンピューターを教育の中に導入するに当たって、やはりソフトの作製にも大きな問題があり、コンピューターの専門家にソフト作製を任せ切れない面があると思います。そういう教育的な観点から考えていくときに、国語、算数あるいは英語とか、いろいろな問題をやる場合に、ただコンピューター専門家だけではなくて、そういう教育に具体的に携わっておる専門家がいかにソフトをつくるときに、そういう機会に参加することができるかということが、今初中局長が心配してみえるような面を克服していく大きな問題点ではないかと私は思います。そういう問題から考えていくときには、これからの課題が非常にたくさんあると思います。そういう課題を今後具体的に検討する中で、これは軽率に取り入れるべきではない、むしろそれ以外の、やはり教師と子供が肌で触れ合っていくような教育の方こそ重視していかなければならぬ。確かに片一方で、高度情報化社会ですからコンピューター操作というものも必要でしょうけれども、その根底、それを使うのも人であるだけに、やはり人間をつくるというものに文部省は重点を置いていかなければならぬ。この問題については軽々にこれは取り入れるべきではない、私はそう考えておりますので、その点もよく検討していただきたい。また、これを仮に取り入れるとしましても、コンピューターというものは非常に高価なものであるだけに予算的な裏づけというものは非常に貧弱である。今までの教材費を整備するという面においての国の補助二分の一というものも、これはカットされたわけですね。まるっきりカットされたわけではありませんけれども、一般財源化された。こういうような一歩後退の中で、仮に教育の中にこういうコンピューター機器を導入するということになると、財政的な面においても大きな負担になっていく。それだけに、ほかの教育的な非常に効果を上げなければならない面までの財政がカットされるというようなことになっては大変なことだと私は思うわけでございますが、その辺の財源的な措置というのはどんなふうに考えてみえますか、仮の話で申しわけありませんけれども……。
○阿部政府委員 いわゆるマイコンでございますけれども、現段階ではその活用が一般化されてないということで、御存じの教材基準に乗せてないわけでございます。当面の対応といたしまして、昭和六十年度からコンピューターに限らず新しい各種の教育機器が、レーザーディスクでございますとか、ワードプロセッサーでございますとか、いろいろなものが出てきております。こういうものについて実験的に取り上げてやってみようという学校に対しまして特別に補助をするという制度を設けることにいたしまして、そのために国費で二十億円の補助金を組んだわけでございますけれども、当面はこういうことで実験的な対応をしていただく。そして、先ほど初中局長からお答えいたしましたような初中局サイドの調査協力者会議等の状況等を見守りつつ、これが定着するようなことになれば、これを教材基準の中に新しく取り入れていくというようなことも考えなければならない時期が来るかもしれない、こう思っておるわけでございますが、当面は慎重に対応していきたいという意味で、特に意欲的にやってみたいというところに補助金を支給するというような方式で対応するつもりでおるわけでございます。
○伏屋委員 先ほど申し上げましたように、そういう問題を想定しながら、それを一つ一つ乗り越えていく中で、これを情報化社会に適応するように取り入れていただきたい、このことを強く要望したいと思います。 最後に、もう時間が参りましたので、このことをちょっとお尋ねしたいと思いますが、毎年受験期の結果が大体わかる時期になりますと、いわゆる週刊誌に東大入学者、京大入学者というようなものが克明に取り上げられるわけでございまして、そしてその出身校、性別、いろいろな形でもう事細かく週刊誌に取り上げられておるわけでございます。これは委員長もよく御存じだと思いますが、これが親に与える影響というのは非常に大きい。受験競争には大きな影響を与えておるということを考えるときに、何とかこの辺も自粛してもらいたいというふうに私は思うわけです。この週刊誌というのはいろいろな新聞社との関連の週刊誌でございまして、新聞の記事においては極めて教育的な立場というものを堅持されながら今の教育の諸問題について論評を進めておられるわけですが、片面その関連の週刊誌記事においては今申し上げたような受験競争をあおるような記事が余りにも多過ぎるのではないか、そういう心配は私一人ではないと思います。そういう面について、文部省はこれ以上エスカレートしないように何らかの指導というものがあってしかるべきではないか。これはもうここ何年来ずっと続けられておることでございますので、そういうような片面で臨教審において入試の改革とか偏差値教育はいけないとかいろいろなことを問題にしながら、現実にはそういう週刊誌があおるようなことになってくると、教育に対する、どこを信頼していっていいのかわからないという、親御さんにとって非常に不信感だけが残っていくのではないか、そういうふうに思いますので、その辺は大臣はどういう御見解を持っておられますか。
○松永国務大臣 先生御指摘のように、新聞社の出版、発行に係る週刊誌に東大その他有名大学の入学者の高等学校別の氏名の報道がなされております。これは、実は国民の側に知りたいという強いニーズがあるんじゃなかろうか、それにこたえる形で週刊誌の方で新聞社等がその記事を掲載しておる、こういうことになっておろうかと思うわけであります。しかしながら、大学の受験競争の過熱化という観点からいたしますというと、必ずしも好ましいことであるとは思わないわけです。ただし、我が国は自由社会でありまして、報道の自由というのがあるわけでありますから、政府の方で余り好ましくないから云々というようなことを言うわけにもまいらぬわけでありまして、新聞社というところは極めて良識のある方々が多いわけでありますから、新聞社等の良識に期待するという立場でございます。 ただ、文部省といたしましては、進路指導その他につきましては、いわゆる有名校偏重の風潮を是正する、あるいはまたそれぞれの大学が特色のある発展をするようなそういう施策を進める、こういったことで対応していくということが我々の立場なんでございまして、そういう方向で努力をしていきたいと考えておるわけであります。
○伏屋委員 私は、何も言論の自由を封殺するというような意思は全くありません。報道の自由でございますのでそれは結構でございますけれども、今ほど教育というものが重視され改革が求められておるときはないだけに、片面においてこういうような受験競争をあおるようなことがあってはならない、私はこういうことを思うわけでございまして、行政的にどうこうせよということを何も申し上げておるわけではございません。教育の中心者である文部大臣が、いろいろな報道機関の方々との懇談会とかあらゆるいろいろな機会の中で、大臣談話というような形ででもそういう話を進められることによって影響を及ぼしていく、そういう御努力をしていただきたい、こういうふうに思うわけですけれども、大臣いかがですか。
○松永国務大臣 報道の自由に対してはいささかも制約を加えてはいかぬという立場が私の立場でありますが、同時に、先生御指摘のように、報道の仕方によっては受験戦争の過熱した状態にさらに拍車をかけるようなことがあってはならぬわけでありますので、理性的な対応をしていただくように、そう刺激的なことにならぬようなことは期待したいという気持ちでありますので、報道の自由に対する制約は加えないという立場で、適当な機会がありますれば意見を申し上げてみたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○伏屋委員 大臣の御努力を期待申し上げます。 来年はもうそういう記事が余り出ないことを私も望んでおるわけでございますので、期待しまして、私の質問を終わります。
○阿部委員長 滝沢幸助君。
○滝沢委員 諸先生、大臣、どうも御苦労さまです。 実は、私は先般「国語問題に関する質問主意書」「戸籍法第五十条に関する質問主意書」という二つの質問主意書を提出させていただきました。これは二つになっておりまするけれども、挙げて国語問題という視点から物をとらえているわけでございます。法によって一週間以内にお答えをちょうだいしました。ありがとうございますと申し上げるべきなんだけれども、しかし、正直のところ、中曽根康弘の名においてかくのごときお答えしかいただけないとするならば、私は内閣総理大臣というものの権威を疑わざるを得ない。不親切と言うならばそうでしょう、形式主義と言うならばそうでしょう。手袋のまま握手するようなものでございまして、答えるは答えたけれども肝心かなめのところを、今バイパスということがはやりますから、町内には入ってこない、こういう感じでございました。 それで、法務省から見えていただいておると思うので、進行に協力しましてあなたの方を先に申し上げさせていただきます。 実は、これ世総理大臣がみずから書くのではないことはわかっておりますけれども、法務省のどなたがお書きになったか知りません、しかし、いやしくも総理大臣の名においてこういうふうなお答えをちょうだいしているわけであります。「現行戸籍法施行前においては、子の名に用いられた漢字には極めて難解なものがみられ、これにより本人及び第三者に与えた社会生活上の不便は少なくなかった。」と言っているわけです。 具体的にどんな不便がありましたか。名前が難しいことによってどのような不便が具体的にありましたか。お答えください。
○細川説明員 お答え申し上げます。 子の名前に書きがたい文字あるいは読みがたい文字を用いますと、御本人自身がこれを書くのに非常に苦労されるという面もございますし、他方、名前は社会的な存在でございますので、第三者、社会一般の方がその名前を聞かれて直ちに字にあらわすことができない、あるいは読むことが難しい、そういうことがあったというふうに聞いておりまして、これが「社会生活上の不便」と言われるものだと考えております。
○滝沢委員 具体的にと言っているのです。私は、名前が難しいために本人が、特に第三者が非常に不便をしたという例はほとんど聞かない。私が質問書で聞いているのは、例えば名前を簡単な文字にしても名字は変えられないのでしょう。名字が変えられなかったならば、難解には変わりないでしょう。難解な名字ありますよ。それは変えることはできないのでしょう。そして、新戸籍法施行以前に生まれた私たちのような名前は変えられないのでしょう。亡くなった人の名前だって社会生活の中にはたびたび出てくるのです。きょうは亡くなった父のたれ兵衛の何年忌というようなことを言うわけです。それは変えられないのでしょう。ですから、ある以降に生まれた子供の名前だけを簡単にしても、何の益もないじゃありませんか。実益がないと私は言っているのですよ。具体的な不便をうまく答えられなかったですが、実益がありますか。名前だけ漢字を簡単にした実益は何ですか。
○細川説明員 お答え申し上げます。 人の姓名のうち姓につきましては、民法上「子は、父母の氏を称する。」ということになっておりまして、それ以外の姓は選択できないことになっております。したがいまして、姓につきましては戸籍法上制限はないわけでございますが、これは既に存在する名前を承継するわけでございますので、これ以上難しい字の姓がふえるということはないわけでございます。 これに対しまして、名の方は、新たに親が命名されるわけですので、非常に難しい字がつけられる可能性があるということでございます。この戸籍法五十条の名に用いる漢字の制限を撤廃いたしますと、漢字というものは非常に多うございまして、康煕字典によりますと約四万九千字があるということでございますが、そうすると、こういう字がすべて用いられることになりますので、非常に難しい名前も中には出てくるのではないかということでございます。 具体的な例を挙げるという御指示でございますが、何が難しい字であるかは読まれる方の漢字の造詣によって異なるのだと思いますが、御本人が自分の名を読みがたい文字である、他人が読んでくれない難しい字であるから変えてほしいということで、家庭裁判所で許可を得て名を変更したという例をたまたま持っておりますので、これを若干御説明申し上げたいと存じます。 一番目の例は、これは私、何と読むのかよくわからないのですが、くさかんむりの下に人という字を書きますか、その下に片仮名のヒという字を書きまして、これに子という字をつけます。家庭裁判所の審判書によりますと、親御さんはこれをハナコと読ませるそうなんですが、御本人は、だれも読んでくれないということで、これを変えてもらいたいということを家庭裁判所に申し立てまして、許可を得たという例でございます。 もう一つ申し上げますと、これは漢字の音といたしましてはエイという字だと思います、また訓としてはミチルという字だと思いますが、この字を書きまして、その次に雌雄の雄という字を書きます。これは親御さんのつもりとしては盈雄(みちお)と読ませることだったと思いますけれども、御本人の申し立てでは、第三者には難しくてミチオと言っても読んだり書いてもらえないということで、これも家庭裁判所の許可を得ております。 そういったような例もございますので、漢字の制限があることによってそういった難しい名前が防止できるということは言えるのではないかと考えております。
○滝沢委員 いみじくもあなたから家庭裁判所でお名前を取りかえる話をおっしゃっていただきました。今のままでも特殊なものは家庭裁判所がちゃんと認めてくれるのです。 今メモをお渡ししました。何と読むか読んでちょうだい。
○細川説明員 先生からごちょうだいいたしましたメモには横の棒一本がございます。イチと読んだりハジメと読んだり、いろいろ読むのではないかと思いますが、それでよろしいのでございましょうか。
○滝沢委員 だから、私が言っているのは、漢字を制限して漢字の画数を少なくするような、常用漢字を用いるというような発想ではいかぬのです。今不便を感じているのは読みが難しいということでしょう。一を三つ書いて、あなたは読めないのだ。それは一一一(しもつきはじめ)と読むのです。一一はシモツキですよ。一が一つはニノマエですよ。二の前だからニノマエさんだ。一だけの名字があるんだ。そういうことの方が不便なんだ。 しかし、ここで一番大事なことは、憲法には人権というのがある、幸福追求の権利もある、そして表現の自由というのがある、思想、信条の自由と良心の自由ということも保障されている。それなのに名前は——あなた、子供を持ったことあるでしょう、お年を見れば。親が子供の名前をつけるときにどんな気持ちですか。私も経験がある。それこそ十カ月、それ以前からも子供の名前について祈りを込めて真剣に夫婦で相談するのです。そして、仮に尊敬する歴史上の人物ないしはおじいちゃんまたは尊敬する人々のお名前を一字ちょうだいしたいといって役場に行ったときに断られる。水上勉が、子供がどうもいつも小さくて亡くなる、そこで故郷に帰ったらあの雪解のところにフキノトウが出ていた、その生命力に感じて豊子とつけようとしたら受け付けにならぬ、そして非常に絶望したと書いてある。名前というのはそういうものなんです。そして、お答えには全然触れられていないけれども、姓名学という、迷信と言えば迷信だけれども、一つの学問体系もある。そういうことなんだ。そのことによって膨大なる金がかかるとか、公共の安寧秩序を侵すというなら別だけれども、名前ぐらいは自由につけさせたらいかがですか。これを私は言っているのです。 文部大臣、当用漢字というものを戦後の二十一年につくったとき、あれはほとんど義務とするような思想だったのです。その後のお答えによれば、これを常用漢字に書き改めたのは、字数をふやしただけではなくて、これは目安である、強制はしないというところに特徴があるのです。ところが法務省は当用漢字の「当」という字を「常」と直しただけじゃありませんか。文部省は、これは強制しない、目安だ、こう言っているのは、法務省はこれをきちっと統制しているのです。これを憲法違反だと言ったら、憲法違反ではない。なぜだと言ったら、戸籍に届けてある名前のほかにも名前はどれを使ってもよろしい。それは、例えば雅号みたいなものですか。私は東洲というのです。しかし「洲」はさんずいがある。これは確かに常用漢字じゃないのでしょう。迷惑かけないというならばそれを使ってもいいからと、そういう名前を認めているならば戸籍も認めたらいいじゃないですか。 せんだって分科会で質問したときに、法務大臣は大変同意の様相だったのだけれども、局長にひざをつっつかれて答えられない、こういう状態なんです。君に答えると言っても無理だろうけれども、お帰りになって大臣にきちんと申し上げてちょうだい。私は後で法務委員会に出させていただく機会があったならば、このことについてのいわば決着をつけたい。そして、これは何年かかっても、私は政治信念においてこのことを実現させなければ、子を持つ親たちの本当の願い、祖先以来私の家はずっと「義」という字がつく、私の家は「幸」という字がつくなんという一つの伝統の中に生きている日本人の幸せの追求はできない。こういう立場に立って今後とも努力させていただく。あなた御苦労だったけれども、帰って大臣にどうかひとつきょうのことをおっしゃってちょうだい。後でまた法務委員会で伺わせていただきます。 そこで、文部大臣、今のお話だけれども、当用漢字のときに、これは確かに両省が協議した上で戸籍法五十条ないし施行規則六十条というのを書いたと思うのです。しかし、常用漢字になるときに、もう少し相談が足りなかったのじゃないですか。文部省の方は、これを目安とするだけだ、一ランク下げるのだから、法務省の方もこれをひとつやわらかくしてちょうだいというような相談がなかったのかどうか、その辺の消息をお答え願いたいと思います。
○加戸政府委員 昭和五十三年でございますが、文化庁次長名で法務省の方にお願いをいたしましたのは、この人名漢字の取り扱いにつきましては今後民事行政サイドからの御判断で取り扱われることが適当であろう。ただ、国語審議会におきまして当時当用漢字表を常用漢字表に改定する作業が進行中でございましたので、常用漢字表という形で、一つの目安というような考え方で進めていくというような状況を背景といたしまして、国語審議会の中でも従来どおりある人名につきましては一定の制限を付することが適当であるという意見もかなりございましたし、また一方におきまして人名漢字は制限すべきでないという意見もございました。そういった国語審議会におきます議論の状況等を踏まえまして、法務省サイドで適切に御判断いただきたいという考え方でお願いを申し上げている次第でございまして、以後昭和五十六年に常用漢字表が制定されました段階で、従来の制限漢字表を増加した形で、千九百四十五字にプラス百六十六字というような人名漢字が追加された形で現在二千百十一字で運用されているという状況にございます。
○滝沢委員 名前のことだけで時間をとってもいけませんから、一応ここで区切らせていただきまして、次に国語の問題に移らせていただきます。あなた、どうも御苦労さん。ひとつ大臣に今の旨をおっしゃってちょうだい。 実は、先ほど申し上げましたとおり、国語問題につきましても、戸籍法もこの一部という考えであるのでありますが、質問書を提出させていただきました。そうしましたら、文部大臣、御答弁書は参ったのでありまするけれども、どうしてこういう認識になっているのでしょう。例えばこんなふうなお答えが出ております。「一概に国語力が低下しているとは言えない。」というのですが、文部大臣、あなたも若い人たちといろいろ接していらっしゃると思う。だけれども、今の若い人たちはかつての世代の人たちよりも国語力が落ちていませんか。
○松永国務大臣 私の感じでは、私どもの中学時代、あるいは大学を私どもと一緒に出たころの人に比べるというと、今の人は少し国語力というか、字を書いたりすることが大分落ちているかなあという感じは私は持っております。それを直ちに国語力というべきかどうかは別といたしまして、書いたりする字は、昔の人はうまい人が多かったような感じがいたします。そういう点は、やや今の人が落ちているかなという感じがいたします。これは、学校教育の中で、昔よりも国語の時間が少なくなっているように思われます。また、ペン書きあるいは毛筆などというのも昔よりも少し少なくなっているというような感じもするわけでありまして、そういったことの影響等もあって、書いたりする字、それから字の使い方等も昔の人の方が少し進んでいたかなあという感じを私は持っております。
○滝沢委員 大臣、大変遠慮っぽくおっしゃって、少しなんというようなものじゃないですよ。私も、二人の子供もおかげさまで大学を出してはきましたが、法事のはがきが書けないんですな。 大体、今、社会の風潮として、英語のようなもの、ちょっと新聞に書いてある最近の外来語のようなものがわからなければ赤い顔をしなくてはならない。だけれども、日本語が話せないことがちっとも恥ずかしいことではない、日本の文字が書けないことが全然恥ずかしいことではないという社会的風潮を私は憂うるわけです。それを生み出したのは、戦後の文部省が行ってきました国語教育の責任じゃありませんか。いかがですか。
○加戸政府委員 基本的に、戦後の国語改革の問題につきましては、国民の文化水準の向上という視点から、特に教育上の負担を軽くするということが、ひいては一般国民に対します。そういった文化水準の向上につながるであろうという視点から行われたものと承知いたしておりますが、その結果といたしまして、子供たちにとりましては、ある意味では学習がしやすくなった、あるいは正確な表現を行うことができるようになったという利点もあるわけでございまして、そのことが一般的には国民に対します国語の普及の効果があったと考えられるわけでございます。 また、別な意味からおっしゃいますれば、旧制度と比較しました場合の長所、短所というのはそれぞれあり得るわけでございますけれども、戦後四十年の間に国民の間に定着してきておるというこの現状を踏まえまして、いろいろな施策、対応を考えているわけでございますが、ただ、先生御指摘ございましたような旧当用漢字表の時代は、一種の制限的な色彩が強かったということは事実でございますし、そういったことを踏まえまして、常用漢字表を五十六年に制定いたしました際にも、一般生活における目安ということで、これは強制するものではなく、特に法令、公用文書あるいは報道等の分野におきます一種の共通の努力目標という考え方をとったわけでございますし、また、その中にありましても、常用漢字表の取り扱い方につきまして差が生じても、それはそれぞれ構わないという許容を設けているような状況でございますので、実情に適した形で国語が一般国民の間に定着していくことを期待しているというわけでございます。
○滝沢委員 大体漢字を制限して、いわばこれは一つの考え方として、絶対にこれを強制していくんだというならば、これも一つの考え方か知らぬけれども、もとの方を使ってもよろしいんだよと。そして、この仮名遣いというものは、歴史的仮名遣いというものに対してきちんとした法則があって、みんなの人がそれを何ら疑わず使っていたときに、新仮名遣いというものを編み出して、これを学校教育等に用いて、いや古い方を使ってもいいんだよ、こういう今の制度は何の益があるのか。これは戦争に負けて、日本の国をいわばだめにする政策の一つとして、日本の国語、日本の文化を破壊する一つの戦略なんですよ。それをいつまでも独立国家としての、あのサンフランシスコ平和条約以後もそのまま踏襲しているところに私は間違いの原点があると思うのだけれども、それはそれとして、この二様の、例えば文芸雑誌なんかを見ますと、一般の記事の方は新仮名遣いで書いてあるわけです。ところが作品欄となると、俳句でも短歌でも全部旧仮名遣いで書いてあるわけですね。こういう二様な生活。ですから、今学校でどんな教育をしましょうと、あの人たちがまともに社会人として生きていこうとするのには、旧仮名遣いの知識もなければ、知識人として、一般社会人として生きていけないのです。こういうような煩瑣なことをしたことで何か益がありますか。国語の難しいための負担を軽減すると言っているのだけれども、かえって負担を重くしたのじゃありませんか。どうですか。 〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
○加戸政府委員 国語につきましては、特に現在の社会におきまして、その情報の伝達というのが正確に、かつ効率的に行われるというような視点も要請されるわけでございますし、特に法令、公用文書あるいは新聞、雑誌、放送といいました公共的な生活の分野におきましては、一定の共通の基準というものがあって相互の情報伝達、コミュニケーションというのが円滑に行われるというような考え方もございまして、現在の常用漢字表、あるいは既にことし発表いたしました改定現代仮名遣い試案というものにおきましては、一つの目安あるいはよりどころという考え方をとっているわけでございまして、決して芸術等の各種あるいは学術の専門分野における用語とかあみいは個々人の表記にまで及ぼそうとするものではございません。そういう意味で、一つの公共的な社会生活の分野におきまして、共通の一応の目安といいますか、よりどころといったような基準的な考え方で運用していただくということを基本にしているわけでございまして、特に古典には及ぼすものでもございませんし、あるいは……(滝沢委員「私が聞いているのは、実益があるかということを聞いているんだ」と呼ぶ)そういう意味で、いわゆる一般公共生活におきますよりどころ、目安というのを定めることは、国民の間にとっても非常にメリットのあることであろうと考えております。
○滝沢委員 今の内閣は自民党内閣と聞いているのだけれども、いつから社会主義内閣になったのか。馬場先生、御存じあるかどうか。つまり、今のお名前を統制するのも社会主義なんだ。そうなら、どうして服装を制限しないのです。女か男かわからぬ、不便だ、服装をこうしなさいってどうして制限しないのです。文字を、古い方を制限する思想が、どうして外来語を制限しないのです。外来語をこれ以上使ってはいけませんよ、これは使っていい、これは使っていけませんよ、しかし、これは目安ですから専門的な方は別ですよ、こういうふうにどうしてしないのです。日本の国の今日の文化そして我々の今日の生活というのは、今突然できたものじゃないのです。御存じのように、二千年とも、また五千年とも言われる四つの島における祖先以来の数々の努力の末に成り立っているわけです。それを一片の通牒で、この文字は使ってはいけない、この文字は使ってもよろしいと。しかし少し難しくなりますと、芸術と文化の方には我々は関与しませんというようなことで、本当の文化を築くことができますか。 私は、こういう議論を国会でしなければならぬところに悲しみを持つわけです。一日も早く文部省はこのような制限をやめるべきだと私は思う。特に、今度の仮名遣いの試案というものが示されまして、来春ほどに、あるいはまた六月ごろですか、確定するというのだけれども、これについてもいろいろと意見がある。 そこで、日本の国で初めて文字を使われたものは、今までは、古事記、日本書紀等の言うところによりますと、百済から王仁という方が来られて、千字文と論語を持ってきた。これが応神天皇の十五年である、ここら辺であろうということになっているのだけれども、実は大臣に先ほどちょっと資料も差し上げておきましたけれども、毎日新聞社から出ました本がございます。その本によりますと、大変いろいろと書いてあります。この本でございます。松本善之助さんという方がお書きになった「ホツマツタヘ」という本です。これは、いわば古事記の、さらにはまた日本書紀の原典になったであろうと言われる文書だそうであります。この本によりますれば、日本には古代に日本独特の文字があったと言っているわけです。それを今見ますると、非常にいろいろと学ぶものがあります。これは愛媛県の宇和島市の小笠原家というところから十五年ほど前に出てきた四十巻の本だというのであります。いわば、これをいろいろ見できますると、数々おもしろいことがありますけれども、今の言葉の中にこの言葉が非常に出てくる。例えば隠れんぼうという言葉が最初からあったというわけでございます。なるほど、隠れごっこと言わないゆえんだろうと思う。 ところが、それはそれとしまして、今現代仮名遣いはわ行の「ゐ」と「ゑ」を抜いたわけです。いろは四十八字と言われたものが四十六字になってしまっているのでございます。ところが、古代の日本語の原点であると言われたこれにも四十八字になっているのです。そして、しかも五十音図がそのとき既にあるわけです。つまり、それにはわ行の「ゐ」も「ゑ」もあるわけですよ。しかし、ちょっとおもしろいのは、半濁音「ぱぴぷぺぽ」がないのです。これは私、ここからは滝沢学説なんだけれども、これは多分に、途中において朝鮮半島からの文明が入ってきたときに、あの民族独特の半濁が日本語の中に結局生きたのではないか、こう思うのだけれども、それにしても、簡単に今、何回の会議をなさった結果か知りませんけれども、あの五十音図の中からわ行の「ゐ」と「ゑ」を取るというようなことをなさってはいけないのです。言葉というもの、文字というものは非常に、先ほどから申し上げておりまするとおり重い歴史の伝承なのです。そのことを踏まえまして、今後の仮名遣いのあの試案が確定されるまでに、どうかひとつ賢明な選択をしてちょうだいしたいと思うのです。 このことにつきまして一言お聞きしておきたいことは、せんだって、三カ所ですか、あのことについての説明会をなさいましたね。あのときに交わされました主たる議論のないしは質問のことはどのようなことでありましたか。
○加戸政府委員 国語審議会におきまして、改定現代仮名遣い試案を本年の二月二十日発表させていただきまして、その後全国五カ所で説明会を開催いたしました。そこにおきます議論といたしましては、主として「じ」「ぢ」「ず」「づ」という、いわゆる四つ仮名の問題に関します質疑等がかなり多かったと承知しております。
○滝沢委員 それらの質問や議論を踏まえて、確定されるまでにどのような努力をされるお考えですか。
○加戸政府委員 先ほど申し上げました五カ所におきます説明会の質問、あるいはその後、文書、口頭等によりまして各方面から寄せられた意見を六月中に整理いたしまして、これを国語審議会におきます検討の材料とさしていただく予定でございます。
○滝沢委員 そこで、さっきバイパスと申し上げましたけれども、この仮名遣い等についてのお答えも、社会に定着しているというだけで終わっているわけです。私は、そのことだけじゃありませんけれども、一々具体的な例を挙げていろいろとお伺いしているわけです。それに対しての何のお答えもなく、現代仮名遣いは社会に既に定着しているというお答えで済んでいるのだけれども。 そこでまた、今おっしゃいましたからもう一度申し上げますけれども、例えば、大地の「地」、地球の「地」ですね、これは「ち」と書くけれども、「地面」というときには、どうしてこれが「じ」になるのだろう。「妻」というときは「つま」なんだけれども、「稲妻」とかいうときは「ず」となるのは理論的じゃないと私は言っているわけですよ。こういうことはどうなんですか。あるいはまた、「絵の具」の「ゑ」と「居ます」の「ゐ」を廃止したけれども、これでは、ひしゃくの「柄」だか、美術品の「絵」だかわからない。「いる」ということは、「ここにいますよ」ということなのか、あの弓で「射る」ということとごっちゃになる、こう聞いているわけです。 こういうことを具体的にいろいろ並べて私はお伺いしているのに、あなたの方では簡単に、現代仮名遣いは定着していると言うだけなんだ。こういう答えを出す姿勢そのものが、私は官僚体制の今日の日本の政治の誤りの原点だと言っているわけですよ。もっと人情味のある、もっと議会と執行部との間の信頼と、そして政治をよくしようないしは教育をよくしようという情熱の交換ができませんか。同じ思想になれとか簡単に同意しろなんと言っていませんよ。違う考えはいいんです。だけど、もっと真剣に議会と四つに組んで議論をしようという姿勢になれませんか。大臣、いかがですか。
○松永国務大臣 国語の問題、それから常用漢字の問題等について、先生がうんちくを傾けた議論をしていただきまして、私ども拝聴したわけでありますが、これはどう考えるべきかということでございますけれども、我が国のいわゆる国語というのが、よその国の言葉に比べて、日本国民自体から考えてもう少し易しくならぬだろうか。社会が変化し発展するに従って、国民もいろいろなことを学習していかなくてはなりません。国語のためにたくさんの時間を割がなければならぬということになりますと、ほかのことも学習しなければならぬわけでありますから、そういったところから、もう少し易しいことで社会生活に不便がないという状態にすることが日本の発展にとって非常にプラスになるというふうな考え方がありまして、それで戦後、常用漢字とか当用漢字あるいは漢字制限、こういったことが始まったものと私は理解いたしております。我が国と同じようにいわゆる漢字を使っている国は中国でありますけれども、日本よりもはるかに伝統とかそういったものを重んずる国でありますけれども、それでも、先生御承知のとおり、あの国は新しい体制になってから随分漢字を、略する漢字を実際に使うようになっておられるわけでありますけれども、これも私は、中国という国が御自身でお考えになって、少し簡略化した方が、新しいことを学んでいかなければならぬということもありますので、そういうふうになさったのではなかろうかな、日本よりもはるかにあの国の方が歴史や伝統を重んずる国だと思いますが。我々も我が国の歴史と伝統を重んじていかなければなりませんけれども、社会生活上、普通使う国語につきまして日本の文化を損なわない範囲内で簡略化することができれば、それが日本の進歩発展にプラスになるというふうなことから、今の常用漢字とかそういったものが始められたものと私は理解をいたしておるわけであります。 仮名遣いの問題、これもそういう考え方の延長線上の問題だろうと思いますけれども、いずれにせよ、専門家が国語審議会で真剣に検討をし議論をしていただいてその結果出していただいた答申でございますので、さらに各方面の意見をお聞きになった上定められることだと私は考えております。 さようなわけでありますので、何も日本の歴史や文化や伝統を軽んずる気持ちはさらさらございませんし、大いに尊重しなければならぬということは私どももよく承知しておるつもりであります。しかし、同時に、ある程度易しくといいますか、そういうことでほかの分野もさらに学習できるような状態にすること、そういったこととの関係の中で国語の問題が簡略化されてきたというふうに私は解釈をしておるわけでございます。
○滝沢委員 実は大臣に答えてほしいのは、こういう答えを書くときに総理大臣がみずからペンをとれとは言わないけれども、もっと真剣な勝負をする姿勢になれないのだろうか、こう言っているわけです。それは後からでいいのです。 ところで、今いみじくも大臣は、かの中国におきましてもとおっしゃっていただきました。だから、私は最初に、いつ自民党は社会主義になったのかなと、こう言ったのですよ。あれは社会主義体制になったから漢字を制限したのでしょう。台湾をごらんなさい、もとどおりですよ。自民党さんの路線というのは台湾のような自由主義の路線なんでしょう。だから文字は自由に使いなさい、そうでしょう。そして、大変簡単に簡単にとおっしゃいますけれども、日本語が難しいのは、日本人の思想が情操が豊かで奥深いからなんです。簡単なのは野蛮ということです。それならワンワン、ピーピーだけになってしまいますよ。鶏と同じ程度の知能指数になればピーピーだけになってしまいますからね。つまり、日本語が難しいのは、日本は歴史が深い、思想が豊かだ、情操が細やかだ、こういうことなんですよ。ですから文部省は、それはしかし全部教えようったって、あなた、昔の小学校だって、義務教育六年で終わったころ、あの難しい字を全部教えたのじゃないですよ。本当に教えたのは少ないのです。だけど制限しなかった。だから社会の必要によって、本人の意思によって、難しい文字も難しい言葉も探求していかれたのです。ですから、なぜ教育の中に用いる——この程度までは教えようというのはいいよ、小学校三年生でこれだけの漢字を教えよう、六年生これだけ、高等学校これだけにしようというのはいいよ。だけれども区別するのです。これはまともなやつだ、これ以上は専門家の分だなんというのは区別しなくたっていいのですよ。そしてこの仮名遣いも、何も新しい仮名遣いの法則を発明しなくたっていいのです。自然にしておけばいいのです。ただ、学校としては、教育のカリキュラムの中ではこれを区別するのはいいよ、ここまで教えるのだと。それは昔だってやっていたのです。昔の小中学校、読み書きそろばんといったって、微分積分なんてやっていませんよ。同時に、論語を全部読めなんて言ってませんよ。万葉集を全部暗記しろなんて言っていませんよ。だけれどもそれをやってきたんだ、志ある人は。そこのところが私は大事だと思うのです。だから、いつ自民党は社会主義になりましたと、こう問うているのです。先生方たくさん今お見えでありますから、そこら辺の原点をみんなでもっときわめていくべきじゃないかな、こう思うのですよ。 中国がああなったのは社会主義体制だからですよ。歴史を重んじるというけれども、孔子すらも——後でまた修正したけれども、孔子すらも否定した思想のもとにあの漢字の制限が行われたのじゃありませんか。文部省はいつ批孔批林みたいな思想になったのです。 大臣、国語の話は、専門的なことはいいから、議員との議論にこの質問主意書のようなさらっと逃げて通るような姿勢で今後ともやるのですか、もっと真剣に四つに組んで議論するだけの誠意と愛情がありませんか、こう申し上げているので、その点だけ……。
○松永国務大臣 先生の質問書に対する政府側の答弁書が簡略過ぎるという御指摘でございますが、どうも昔からこういうふうなパターンであったようであります、実際の話。この点につきましては、関係方面と相談をいたしまして、もう少し親切な答弁の仕方ができないものかどうか関係方面に申し述べてみたい、こういうふうに私は思います。 実際の話を言いますと、時と場合によるでしょうけれども、どちらかというと簡単明瞭に答弁しようというようなことでこういう結果になったと思いますけれども、もう少し懇切丁寧さのあった方が親切な答弁の仕方であろう、こういうふうに私は思っております。
○滝沢委員 とにかく、簡単明瞭という言い方をすれば、あなたの考えは全面的に否定します、これでいいわけだから。それを、答えたような答えないような、隣町を候補者が通ってスピーカーが鳴ったけれども、はて、だれ候補かわからぬみたいなことで、いやしくも議会の議長の名において内閣総理大臣に聞くところの文書としての答えになりますかどうか。もう一度各省庁、各大臣相談してやっていただきませんと、これを見てくれた国民の皆さんが失望するのじゃありませんか。この数ページ、私のような学問のない者がまとめるためには相当な時間を費やして、いろいろの木を見たりしてそれだけの努力をしているわけです。これをお役人さんが、すすっと罫紙に数行書いて答えられたんじゃ、私はいいですよ、しかし、私をそして文部大臣を選んだ国民の皆さんがこれを許しますか。これは考え方の違いとは違いますよ。今後もあることです。重ねて、閣議でもこういうことが議論になったということで——総理大臣の名において衆議院議長に答えておるわけですから。この形式の権威をひとつ認識して、質問主意書というものに対してもっと真剣にまじめに取り組んでいただくように要望したい。
○松永国務大臣 質問に対する答弁という形ならば答弁はこれで尽きている、こういうふうに思います。さらに詳しく説明すべしというならば、説明はやや不足かなという感じでございます。
○滝沢委員 開き直ったというか、それではしかし議会と執行部との信頼関係は保てぬじゃありませんか。それを、ただ自民党は多数だという、力によって対決するというなら別ですよ。対決をするのと議論をするのは違います。このことで時間をとると困るんだけれども、今のようなお答えがそのままだったらば、これはちょっと納得できないことになりませんか。 説明のない答弁というのがあるのですか。議会で質問しても、私たち聞く方が困るほど、今までの経過とか法律の解釈とか、こうこうしてきたところでございますみたいな話を我慢して聞いているわけですよ。こっちはそのことはわかっているのだけれども、いわゆる考え方だけを聞きたいのに、きのうあたりの本会議もそうでしょう、嫌になっちゃうほど長く今までの経過とか現状の説明みたいなことがあるわけですよ。これも議会と執行部とのお互いの信頼関係だろうと思うから我慢して聞いているんだ。ところが肝心な答えの方は、すすっと逃げているのがきのうあたりの本会議、そうですわな。それで、この場合は一切合財バイパスして、すすっといっている。これに対して答えとしてはこれで尽きているというならば、私は改めてまた提出させていただきますけれども、いかがですか。
○松永国務大臣 先生の質問に対する答弁としては形式は整っています。中身も一応答弁はしてあります。ただ、こういう答弁の仕方が親切な答弁の仕方がどうかという点については、これは別のことなんでございまして、その点については関係者によく申し伝えておきたい、こういうふうに思います。
○滝沢委員 それでは、次の問題に移らしていただきまするけれども、実は、先般の委員会におきまして、学校教科書における歴史的記述の問題に特に焦点がだんだん絞られてまいりまして、侵略という言葉の使い方についての議論をいたしたところでございます。そうした議論の中で出てきましたのは、結局は侵略という言葉を使うバランスの問題だというふうにお答えをいただいているわけであります。 そこで、バランスということはいろいろありまするけれども、一つは、森文部大臣の当時、森大臣がおっしゃったのは、それは、例えば北方領土のことにしろその他私たちがもっと書けと言うことはそれには書いてないけれども、公民の分野に書いてあるんでしょう、それになくても国語の文に書いてあるんでしょう、どれかに書いたらいいんだというようなお答えであったわけです。しかし、それは検定をする場合には通用しますし、セットにして学校が指定してくれて子供さんがそれを学ぶならいいですよ。だけれども、書いてない国語と書いてない地理と書いてない歴史とずっと買えば書いてないことになるわけですから、そういうのはへ理屈というもので説明にならぬ。このバランスはだめですね。もう一つのバランスは、同じ中国に攻め入ったような行動をしても、どうして日本の場合は侵略で、欧米諸国が来たときは進出なんですか。このことは国際的バランスがとれてないですね。例えば、戦後ソビエトが北方領土に入ってきた、これはソビエトが侵略をしてきましたとは書いてない。とすれば、これは問題ではないのかという、国際的バランスのことにこの前の委員会では大体話を絞ってまいったと思っておるのです。これは三月七日のことでございました。大臣に資料も差し上げておきましたけれども、そのときに局長は、全部の教科書は見てないけれどもというようなお答えで、これは大臣もそうでございました。二、三は読んだというようなことで、そこの中で大臣は、「一部の教科書には、必要以上に日本が侵略その地悪いことをしてきた国であるということを子供に印象づけるような感じの教科書がある」というふうにおっしゃっていただいております。ここで全部の教科書を持ってきて議論する時間はありませんので、私は一概だけをいろいろと調べました。資料も差し上げておきましたけれども、東京書籍株式会社が発行しております中学校用教科書「改訂新しい社会 歴史」というものがございます。これは五十八年三月三十一日に文部省が検定を済ませまして、五十九年度から使われておるものでございます。この中で、戦争事象に対する侵略という言葉を使っておりますのが、日本を指した場合には五カ所、ドイツの場合は一カ所、ドイツとイタリーをセットにした場合に一カ所、そして列強という言い方で日本も含めての話でありますが、これが一カ所使われているというわけであります。ところが、外国に関する同じ意味と解されるような事象に対して侵略の言葉は使わずに、別な言葉、すなわち進出、あるいはまた植民地とした、手に入れた、ないしは領土にしたなどということで表現しているものが十五カ所ございます。これはバランスがとれていますか。理想的なバランスですか。
○高石政府委員 先ほど北方領土の問題のバランスについてちょっと誤解があるといげませんので、それも申し上げておきたいと思いますが、社会科の中で歴史的分野、地理的分野、公民の分野、これが社会科を構成している内容になっているわけでございます。したがいまして、地理的分野の中で北方領土については全部の教科書で書いてある、どの教科書を採択しても書いてあるということになると、北方領土は日本国有の領土であり、そして現在は不当に占拠されている、返還を求めているというような記述が書かれているわけでございまして、その地理的分野に書かれているほかに、歴史的分野の記述にもそれと同等の、もっと詳しく書くべきでないかという御議論に対しては、そういう全体の教育を受けるわけでございますから、子供たちに的確な教育ができるということになりますので、それはそれでいいのではないか、こういう意味でのバランス論を申し上げたわけでございます。 それから、今御質問のありました侵略、進出の問題でございます。私もこの教科書をざっと見ているわけでございますけれども、一般的に言いますと、満州事変以前、いわば日清、日露戦争の前後の日本の中国に対する行為は、大方列国と同じように進出という言葉で表現されていると思います。ところが、その後のいわゆる第二次大戦、支那事変と言ったり日中戦争と言ったりしておりますけれども、その行為につきましては、日本の行為を侵略というふうに大部分の教科書には一般的な傾向として出ている。特に御指摘のありました東京書籍の「新しい社会歴史」の教科書ではそういうような形になっておりますので、日露、日清当時日本の国を侵略呼ばわりして、イギリスであるとかロシアであるとか他のヨーロッパ諸国が中国に入っていったのは進出であるというようなことになっていると、そこは非常におかしなバランスになる。したがって、やはり歴史の流れでございますから、時の流れに応じて縦横のバランスがどうであるか、こういう見方をしていかなければならないのではなかろうか、こういうふうに思っている次第でございます。
○滝沢委員 そうすると、この本はバランスが大変理想的にとれているというお答えと闘いでいいですか。
○高石政府委員 理想的という言葉までは使えないと思いますが、大方バランスのとれた記述になっていると理解しております。
○滝沢委員 もちろんそう答えなければ検定をなさった立場からいうと困るのでしょうけれども、ちょっと煩項ですが、一緒にページをめくって勉強してみてくれませんか。 「侵略」という言葉がこの一冊の本にあらわれておりますのは、九十一ページに「明・朝鮮と、倭寇の侵略地」ということで地図が載っております。そして二百三十一ページに「列国の中国侵略」ということで、これは日本は出兵をしたということで下関条約等をめぐることについて書いているわけです。これは一九〇〇年のことを言っているわけです。そして二百六十八ページ、「世界恐慌と日本の中国侵略」という大きな見出してございます。これは今お話のありました満州事変のことでございます。そして二百七十五ページ、「中国は、このような日本の侵略を国際連盟にうったえた。」こう言っているわけです。 そして二百七十六ページ、ここはちょっとおもしろいところなんですが、「日中戦争」ということになっております。実は日中戦争なんという戦争はないのですよね。これはまた議論のあるところでありますが、法律的にはないのです。中国の方で言っている話です。日本ではかつて日中戦争を布告したなんということはないのです。これは支那事変ないしは日支事変、時の政府以来こう言ってきたわけです。戦争に負けて東京裁判以来こういうことになったのでしょう。これは大東亜戦争と太平洋戦争もそうです。ちゃんとこのたびの事件を大東亜戦争と呼称すると時の閣議で昭和十六年十二月十二日に決めているわけですから、その後、これを太平洋戦争と改称するなんというような閣議はやっていないわけですから、形式を重んずる政府がこのような戦争の呼称の間違っているものを検定してはいけません。アメリカの教科書に太平洋戦争と書いているならよろしい。中国の教科書に日中戦争と書いているならよろしい。日本の教科書ですから、日本の閣議決定を書かなくちゃいけません。それにしても「日中戦争」という大きな見出しで、「共産党は、日本の侵略に対抗するため、内戦をやめようとよびかけ、」「蒋介石にこれを認めさせた。」というけれども、これは南京だか何か知りませんけれども、いわば動けない状態にして蒋介石に認めさせたんだから。しかし、これこそ中国の中の話ですから、ここでそれまで言及する必要はないことです。それは向こうの話です。 二百八十二ページ、「ドイツの侵略にならってこというふうな言い方で日本がドイツの侵略にならってしたというふうに書いてあります。 二百九十一ページには、「満州事変や日中戦争をひきおこして、中国への侵略をおし進めていった。」こういうふうに書いてあります。さらに「ドイツとイタリアが、他国を侵略しこれはドイツ、イタリアのことを言っているわけですが、これはあの国々が侵略をした、こう言っているわけです。 以上が侵略という言葉を直接使った表現です。 次が、侵略以外の表現で同じようなことを表現しているものでございます。百二十二ページの「ポルトガル・スペインの動き」という中で、「スペインが進出したアメリカ大陸にはこういうふうに書いてあります。そして「力で征服し、広大な植民地をつくった。」こう書いてある。この前も申し上げましたけれども、広辞苑によりますれば、侵略ということは不法に押し入って財物、領土等を奪い取ること、こうなっているわけですから、植民地にしたということは奪い取ることでしょう、これは侵略になるのかもしれません。しかし、日本はかの戦争によって領土は取りませんからね。取ったのはアメリカの沖縄でしょう、ソビエトの北方領土でしょう。日本は取らなかったのですから。 そして、次のところに、「オランダは、十七世紀の初めには、ジャワを占領して根拠地とし、アジアの各地に進出した。」「ロシアは、十六世紀の末、シベリアへの進出を開始し、北からアジアにせまった。」みんな外国は「占領し」で「侵略」じゃないのですよ。日本は戦争が勝っているときに南方や中国にしたことは占領でしょう。何で日本は占領したと書かないのです。占領したけれども、後で手放して負けて降服したと書くのが本当でしょう。 そして、百六十二ページには、「アメリカ合衆国の独立」の中で「イギリスは、十七世紀の初めから約百年のあいだに、北アメリカの東海岸に十三の植民地をつくった。」こう書いてある。これだって侵略でしょう。 また、百六十四ページには地図がありまして、この地図の説明の中に「ロシアもまた、黒海・バルト海方面やシベリアに進出して、ヨーロッパの大国に発展した。これらの国々では、専制政治がおこなわれていた。」こう書いてある。これも侵略ではなくて進出だ。 さらに百六十七ページ、ここにはナポレオンのことが書いてある。「ナポレオンは、産業の発達をはかり、新しい社会に合った制度や法律を定め、一時はヨーロッパの大部分を支配した。」ナポレオンのやったのが侵略でなくて何ですか。 百七十三ページ、ここには「ロシアやオーストリアなどに支配されていた、ポーランド、ハンガリーなど東ヨーロッパの諸民族は、十九世紀の半ば、あいついで独立運動をおこした。」「ロシアの改革」「ロシアは、アジアへ進出するいっぽう、バルカン半島への進出をはかり、」ロシアは全部進出ですね。ロシアは絶対侵略はしたことはない、進出はした。 百七十四ページ、南北戦争のことも書いてあります。「アメリカは、独立後西方へ領土をひろげ、十九世紀の半ばには、メキシコからカリフォルニアを奪って、太平洋岸に進出した。」アメリカさんも進出。 百七十六ページ、「海外へ進出して富を増したヨーロッパの国々はことなっているのです。「進出して富を増した」というようなことで書かれるのと、正当防衛だと思ってした戦争に対して侵略だ、侵略だとみずからの国のみずからの政府に言われる国民の兵士は大変な違いですね。 百八十二ページにはこういうことが書いてあります。「シベリアから南へと進出する機会をうかがっていたロシアも、この機会をとらえて、黒龍江以北の地と沿海州とを領土にした。」そして、百七十八ページには「欧米諸国のアジア進出」と書いてある。進出ですよ。 そして、二百三十三ページ、「アフリカでは、イギリスが、エジプトから南アフリカにも勢力をのばすと、フランス、ドイツ、イタリアなども、争って進出した。こうして、広いアフリカはほとんどヨーロッパの列国に分割されてしまった。これらの国々は、さらに太平洋の島々にも進出し、また、アメリカ合衆国も、十九世紀の末には、スペインと戦ってフィリピンを手にいれた。ロシアは、シベリア鉄道の建設にのりだし、東アジアへの進出をつよめた。 三国干渉後の列国の中国進出も、こうした帝国主義の動きのあらわれであった。」こう書いてある。そして「義和団の乱」となって、「列国が進出した中国ではこういう言い方になっておる。そして「日英同盟」というところでは、「義和団の乱ののちも、ロシアは満州の占領をつづけた。」こう書いてあるわけです。そして二百三十四ページ、「ロシアの中国進出を喜ばないアメリカも、」云々と書いてある。 三百ページには、「ソ連の勢力下にはいった東ヨーロッパの国々では、ソ連の指導のもとに、社会主義の国家がつくられていった。」ところが、例えばハンガリーにしてもチェコスロバキアにしても、あれがソビエトの侵略でないという言い方は日本が侵略だとするならばないのじゃないですか。「指導」ですか。同じく三百ページに「アメリカと結ぶドイツ連邦共和国(西ドイツ)と、ソ連と結ぶドイツ民主共和国(東ドイツ)との二つの国がつくられ、ドイツは分裂した。」同じようなことでも表現というのは、これは日本語が豊かなせいでいろいろうまい言い方もあります。 三百二ページ、「北朝鮮軍が急速に南下するとこれは「南下」ですね。「国際連合の安全保障理事会は、ソ連の欠席のまま、韓国への武力援助を決めた。」こう書いてございます。 また、三百八ページ、これは欄外でございますけれども、「このとき日本は、国後島や択捉島など北方領土が、固有の領土であることを主張したが、ソ連がこれに応じなかったため、平和条約を結ぶことはできなかった。しかし、現在もその努力はつづけられている。」となっているけれども、これはソ連が侵略をやめないからでしょう。 三百九ページ、「アメリカの支配からはなれ、自主性を強める動きがおこってきた。」これは「アメリカの支配」ですね。そして「キューバに建設中のソ連のミサイル基地」、こうなっております。 三百十二ページ、「一九七五年には、解放戦線がわが勝利をおさめ、翌年、南北両ベトナムは統一をなしとげ、ベトナム社会主義共和国となった。」つまりこれも武力介入、そして侵略でしょう。 このように数えてみただけでも数々あるわけであります。これは、今局長おっしゃったようなバランスのとれた教科書ではないのではないかと私は思うのだけれども、検定されたという立場を抜きにして、今一緒にお読みした感想をおっしゃっていただけませんか。
○高石政府委員 日露、日清戦争前後の日本の中国に対する状況をこの教科書はどういうふうに表現しているかといいますと、大方、日本の中国進出ということで、侵略という言葉はこの前後にはこの教科書はほとんど使われていないわけです。世界列国の中国に対する内容も大体進出という言葉を使っているわけでございまして、先ほども申し上げましたように、教科書全体の流れから見てその使い方がバランスがとれているかどうかということを考えなければなりませんし、それから、まだ主権の存在しない領土にいろいろな国々が入っていくことの表現としてどういう言葉を使うかという、その言葉遣いもいろいろ差があると思うわけでございます。したがいまして、一般的に言えるのは、先ほど申し上げましたように日露、日清の戦争を中心とした日本の海外へのいろいろな対応というのは、一般的に大体進出という言葉が使われて、それは世界の列国の対応もそういう表現になっている。ただ、第二次大戦後の状況については、大部分の日本の教科書の中では侵略という言葉を使っている。これについてはいろいろな歴史の見方があろうかと思うのですが、大部分の通説として、日本の行為を歴史的に記述する場合には侵略という言葉を使うことが多いということから、そういう申請がなされた場合に、特にこれらの点については、近隣諸国との友好関係、そして我が国のもろもろの行為を含めて意見をつけないということで今日まで検定をしてきておりますので、全体的の流れの中での記述から見ると、大体のところバランスがとれているのじゃないかと思うわけでございます。先生の御指摘のような比較で、ここは進出、ここは侵略、ここは領土支配というような、歴史の流れを無視というか歴史の流れ、時の流れにかかわりなく、そして世界の情勢にもかかわりなくその言葉自体がどうかということになると、そういう点については必ずしもバランスがとれていないという意見もございましょうけれども、私がざっと見たところによると、大方そういう今申し上げたような形で一応バランスのとれた記述がなされているというふうに理解しているわけでございます。
○滝沢委員 どうして日清、日露戦争当時は侵略じゃなくて、例のあの大東亜戦争は侵略なのですか。
○松永国務大臣 先ほど局長が御答弁申し上げましたように、いわゆる満州事変以後の行動については進出という言葉じゃなくして侵略という言葉が大体使われる、その前は日本の場合も含めて諸外国も大体進出という言葉が使われておるようであります。それは、考えてみまするに、第一次世界大戦後国際連盟ができたわけでありますが、現在は国際連盟が事実上瓦解した後国際連合ができているわけでありますが、国際連盟ができた当時から、過去のことは別として、他国の主権を侵して領土を奪う、そこに武力をもって進出するということは許されないというふうな考え方が定着をしてきたわけです。そうした国際連盟の考え方に基づいて、それに違反して武力を用いて他国を攻撃し、そして自国の領土にするあるいは長期間占領する、こういった状態については、そういった行為については侵略という言葉が大体使われているというような経過があるように思われます。
○滝沢委員 実は同じ時刻に、河北委員会におきまして我が党の青山議員さんが北方領土の教科書記載のことをお伺いしていただいているはずです。北方領土のことを考えますると、今局長、大臣がお答えになった、満州事変を境としてそれ以前は進出でもよかろう、その後はなべて侵略なんだとおっしゃっているけれども、御存じのように、あの北方領土というのは、日本が既に連合国に降伏をして、そして一切の抵抗をやめた状況の中で、八月から九月にかけてソビエトの軍隊が攻めてきまして、無抵抗の我が国の国民を追い払ってそこに駐留したというか、占領したというか、したわけです。これをしも侵略でなくて何が侵略ですか。河北委員会できよう問題として議論しようとしておりますることは、大体、教科書の検定基準、そして学習指導要領の中で、ヤルタ協定に基づいてなどという表現でソビエトの行為をいかにも合法化するような姿勢はいけないのではないか。ソビエトの北方諸島に対するあのあり方はまさしく侵略なんだ、不法なんだ。そして我が国の領土権はここに厳然と存在するんだ。そして三つ目には、この返還運動は民族の国家内叫びとして今後も我々は続けるんだ。この三点を強調するようにこの指導要領を変えてほしい、変えるべきじゃないのか、こう言っているわけです。 ちなみに、いつも私は議論するのでありまするけれども、例の検定基準に(15)を加えて、近隣諸国との関係を考慮しなさいと言っているんだけれども、近隣諸国の状況を考慮することは、近隣諸国に対し遠慮することだけですか。近隣諸国の状況を考慮して、中国に日本が行った行為を侵略と書けということであって、ソビエトが日本に侵してきたことを侵略と書けということではないのですか。どうしてここに違いがあるのですか。一方、我が国の行為は戦争状況の中で行ったこと、ソビエトは、我が国は既に抵抗せず、しかもソビエトとの間には不可侵条約が結ばれている、そういう状況のもとで一方的に攻め込んできた。これが侵略でなくて何が侵略です。この辺のことを河北委員会でも伺っているはずですから、ここでもひとつ伺わせていただきます。
○高石政府委員 これは一例で、やはり東京書籍の北方領土に関する記述を読み上げてみますと、こう書いてあります。「北海道の北東には、日本国有の領土である歯舞諸島・色丹島・国後島・択捉島がつらなっている。これらの島々は、江戸幕府とロシアとのあいだで結ばれた条約によって日本領とすることが決められ、そののち、明治になって結ばれた千島・樺太交換条約によって、千島列島全部が日本の領土となった。第二次世界大戦後、日本は、サンフランシスコ平和条約によって千島列島を放棄し、現在は、ソビエト連邦が占領している。しかし、日本政府は、択捉島より南は、放棄した千島列島にはふくまれていないとして、その返還をせまっている。」 それで、言葉として、占領というのは侵略よりもっと恒常的ないわば不当に支配する状況を示す言葉ではないかと思うのです。侵略はどちらかというとその行動を評価しての言葉であります。明らかにソ連はこれらの島々を占領しているということを教科書に書き、そしてその島々に対する返還を要求しているということを書いているわけでございますから、これだけの記述を書いてあれば、一般の子供たちが理解するに十分な記述じゃないかというふうに思って検定を行っているわけでございます。
○滝沢委員 それは言葉のあやというものでございまして、あなたは占領というのは侵略よりも強い恒常的な状態、強い表現だ、こうおっしゃっているけれども、私の国語の及ばざる力によれば、侵略というのはその行為そのもの、攻めてきてそしてそこに居座ってそこを取るということが侵略である、しかし、それが継続してそこに居座ることが占領だ、こういう認識かと私は思うのです。 ところが、それはそれとして、今おっしゃったように子供さんはこれを読んで大変納得していると言うんだけれども、今の北方領土のことについて子供たちの意識調査をしたことがありますか。
○高石政府委員 文部省では意識調査をしたことはございません。
○滝沢委員 総理府が中心となりまして例の北方領土返還の運動は大いに推し進めようとしている。そして、かつて国会決議もなされた。そして、もう一度改めて決議をしようとして今、河北委員会を中心として各党が寄り寄り相談をしているわけです。そのとき、文部省も毅然としてこれらのことにいわば歩調を合わせ、参加する姿勢というものが私は欲しいと思うのです。 ある生徒が先生に尋ねた。先生、北方領土なんというけれども、あれを返せというのは無理じゃありませんか。あれはヤルタ協定でソビエトが来たんでしょう、そしてサンフランシスコ条約で放棄したのでしょう、こう言ったというのですよ。全面的な意識調査等をなさらなかったと言うならば、こういう生徒の叫びも一つあるということを聞いていただきまして、決して、この教科書の記述によって北方領土についての認識は、あまねく今の青年、学生、生徒、児童諸君に認識を深めているというふうなものでないというふうに理解を改めていただかなければなりません。いかがですか。
○高石政府委員 文部省も基本的に、北方領土は日本国有の土地であり、そして常に政府を挙げて領土の返還を迫っているということは、戦後、五十年以前については教科書にそこまでの記述がまだ十分でなかった点がございますが、五十二、三年ごろからは、今私が申し上げたように、教科書の記述の上でも明確にしてきたわけでございます。したがいまして、子供の教育に当たりましては、そういう基本的な態度がしっかり子供たちに周知徹底するようにしていかなければならないと思っております。
○滝沢委員 一つ要望がございます。 局長、北方領土の記述については、やはりソビエトのしたことは侵略である、そして今も占領しているというようなぐあいに、あの行為が不当なるものであるということ、これが一つですね。二つ目には、あの四つの島々は日本国有の領土であるということ。そして三つ目には、これの返還運動は民族の、国家の悲願として今後も続けるんだ。いう、この三点を記述するように、改善意見を今後付すというぐあいにお願いしたいのですが、いかがですか。
○高石政府委員 北方領土は日本国有の領土であり、そしてそのために大変な努力を払ってその領土の返還を求めている。そしてどういう経緯でそれがそういうふうになっているか、そういうことがわかるような教科書にしていくことは非常に重要であろうと思います。
○滝沢委員 私が申し上げているのは、ソビエトが侵略したとここにちゃんと書いて悔しいと言っているわけです。 そこで、大臣、これは言うまでもないことでありまするけれども、今私たちは、自分の国の歴史を自分の国の国民に教えているわけです。ですから、中国の教科書で、日本いけないんだよ、日本は侵略だよと教えるならば話はわかりますよ。だけれども、日本の国の教科書が、日本の国を第三者の立場で物を見る目というものは、必ずしも教育的見地ではないと私は思うのです。これはこの前申しましたが、学問としての歴史と教育としての歴史は違う。学問としての歴史は、第三者的な立場に立って物を見る視点もこれは長じて大人になっては必要でしょう。だけれども、教育の段階においては、教育という立場に立っての歴史、すなわち第三者としての冷ややかな目ではなくて、国を思い、国を愛し、そして子供の健全な成長を願うという愛情に満ちた視点に立って歴史を見なければいけない、こう思うのですよ。そういうふうに思いまするときに、私は、今の我が国の教科書が用いている表現というのは極めて遺憾なものである、こう思うのですが、大臣、この点についてはいかにお考えでございますか。
○松永国務大臣 これからの教育は国際社会で通用する日本国民の育成ということでなければならぬわけでありまして、その意味で、独善的な歴史というものを国民に教えることは適当ではない、やはり歴史の教育というものは、客観的な事実に合致し、かつ公正であり、バランスのとれた、そういう内容でなければならぬというふうに思うわけであります。そしてまた、我々の先輩たちや我が国の過去の行為が侵略を繰り返してきたなどということを必要以上に教えることも私は適当でないと思います。我が国は、我が民族は、昔の歴史を見ますというと元来平和的な民族なのであります。被害を受けた国の立場からすれば、一時侵略ととられるような誤った行為をしたことも事実でありますけれども、過ちは過ちでありますから、それなりに教えることも必要でしょう。しかし、総じて日本は極めて侵略的な民族であったなどということは事実に反することでもありますから、それを故意に強調することを私どもは適当なことであるとは思いません。常に公正に、客観的な事実に合致し、そしてまたバランスのとれた内容の歴史教育をすべきものであるというふうに考えるわけであります。
○滝沢委員 ありがとうございました。 そこで、大臣、局長、私が今お読みした教科書は一冊でございまするけれども、これを見ても、バランスのとれたものだとも思わないし、そしてこれが日本の国が日本の歴史を日本の国民に教える教科書だとはとても思えないのですよ。どうかしてよその国のこの部分の教科書等も手に入れたいと思っておりまするけれども、これはバランスはとれていない、日本をあしざまに書いている教科書と私は認識をしております。このことについてはまたいずれ後ほどに議論さしていただきますけれども、総じて日本の今日の学校教育は日本をあしざまに教えることに満ち満ちている、ここの中からは大臣のおっしゃる国際社会においてまともに生きていける国民すらも養成されないのではないか、私はこう思うのですよ。例えば、日本の国の国旗をとうとばない者がどうしてアメリカの国旗を尊敬することができるのです。日本の国の歴史を尊敬しない者がどうして中国の歴史に対して理解を示すことができるのです。このように思いまするとき、今後も私は私なりに勉強さしていただきまするけれども、どうぞ文部省におかれましても、政党政派の次元や大臣、局長、課長という立場を認識しての、きょうの会議をどのように操縦しようかという視点ではなくて、命を賭しても国の将来を栄えしめよう、よき日本を築こう、よき日本人を養成しようという原点に立って事に処していただきまするように要望しまして、私の質問を終わらしていただきます。 ありがとうございました。 〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
○阿部委員長 山原健二郎君。
○山原委員 この委員会に、四月二十四日には臨教審の会長さん、またその他の方がお見えになるということになっておりますが、私ども現在のところほとんど資料がございません。 それで、四月十日の臨教審の総会の後、岡本会長が記者会見をされまして会見メモが出ております。こういう簡単なものでございますけれども、これを見ますと、これまでの審議の概況及び部会における審議の状況が出されることになるとおっしゃっておりまして、それが四月二十四日ということになると思います。 そこで、この記者会見メモの中には、第一部会、第二部会、第三部会、第四部会の四部会の各審議の項目も載せられております。この項目のうち、どれが各部会の基本方向として出されようとしているものか。すなわち、六月に行われます第一次答申に向けて盛られるものは一体何なのかという点についてお伺いをしたいのですが、御答弁できましたらよろしくお願いします。
○齋藤(諦)政府委員 臨教審におきましては、「審議経過の概要」ということで適宜取りまとめて公表することとされておりますけれども、昨年十一月十四日に最初の「審議経過の概要」、これはこういう議論があったということだけについての公表がなされたわけでございますが、この二十四日をめどに「審議経過の概要(その2)」として、中身に触れながら取りまとめる、こういう段取りで作業がなされているところでございます。 その二十四日の「審議経過の概要(その2)」がどのような内容になるかということにつきましては、現在審議会で検討を行っているところでありますので、必ずしも確定的になっているわけではございません。まだ起草委員等もその案について手を入れたりしている、そういう状況でありますが、構成としましては、これまでの審議の概況、それから各部会における審議の状況の二部に構成されるというようなことになるという予定でございます。 このうち、これまでの審議の概況におきましてどのような事項があるかということにつきましては、去る十日に会長が記者会見メモのような形で世に事前の案として公表されたわけでございますけれども、この「審議経過の概要(その2)」には、一次答申にどう向けてというよりは、今まで何をしてきたかということを忠実に書いていきたい。しかし、今まで議論が進められてきた段階で方向なりあるいは考え方が相当明確になるものがあれば、それはそれで明らかにしていきたい。したがいまして、その中から今後総会を通じて議論を行って、何をどう答申するかということにつきましては、これから五月、六月に向けて総会で審議をして決めていく、そういう段取りになっておるわけでございます。 なお、そうは言いましても、各部会で方向性の出ておるもの、それはおのずからこの概要に明らかなわけでございます。それにつきましては今後二十四日に明らかにされるところであろう、こういうように考えている次第でございます。
○山原委員 きょう、四月十七日にも臨教審総会を開いておられるわけですね。そして、十九日には記者会見をする、二十四日には概要を発表する、こういう日程ですから、恐らくきょうの総会あたりが二十四日に向けての最終的な取りまとめをする会ではなかろうかと私は思いますけれども、例えば、今までの第一部会を例にとりますと、一番新聞紙上その他をにぎわしてまいりましたものはやはり個性主義であったと思います。それから第二部会の場合は、学歴社会についての項目であったように思います。それから第三部会の場合は、いわゆる中高一貫の六年制中等学校の問題と単位制高等学校の問題、それから第四部会は、共通テストの問題などではなかろうかと思うのですけれども、大体そんなふうに理解してよろしいでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 一次答申がどのような形になるかはまだこれからの審議になるわけでございますが、今まで各部会の中での方向性の出ておるものにつきましては、今先生が御指摘になりましたようなことが大体中心になっておるところでございます。
○山原委員 そうしますと、第一次答申以降引き続いて検討する項目というようなものもほぼ明らかになっているのかどうか、いかがでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 各部会では包括的にいろいろなことが議論されておるわけでございますが、その中から第一次答申以降どうなるか、このことにつきましては、まだ全体の審議の進め方ということについて必ずしも運営方針が明らかにされていないところでございます。現在は、とにかく今まで議論してきたところをこの段階でまとめて、その中から何を第一次答申に盛り込むか、その視点でこれから作業を進めたい、そういう考え方で運営されているところでございます。
○山原委員 それでは、少し各論といいますか中身に入ります。 例えば、第一部会におけるこれまでの基本的合意点というのが出されております。これは天谷部会長のいわゆる合宿集中審議メモの中にあるわけですが、基本的な合意事項として、画一主義から個性主義への移行、改革を大胆かつ細心に推進するというのがあるわけですが、基本方向として第一部会は大体こういう点で合意に達しているのでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 天谷部会長が第一部会の経過について記者クラブで言っておりましたことは、第一部会が集中審議のメモを作成した、このメモはやはり相当考え方の基本になっている、したがってこれを中心にこれから「審議経過の概要」にまとめていきたいんだ、こういう趣旨のことを述べておりましたけれども、そういう意味ではそのメモの中に今先生挙げました画一主義から個性主義へということが入っているわけでございまして、そういうことが中心になるのではないか、こういうように考えられるわけでございます。
○山原委員 私は、臨教審の使う言葉そのものが非常に理解しにくい面がありまして、例えば画一主義というのは何かという問題、あるいは個性主義とは何かという問題などがかなり不明確に使われているのではなかろうかと思います。 それはそれとしまして、例えば画一主義から個性主義への移行、改革を大胆かつ細心に推進をする、これが今日までの第一部会における基本的合意点だというふうになりますと、例えば文部省としては戦後教育を画一主義であったと認めているのかどうかということが、文部省は参加をされておるわけですから問われるわけでございますが、この画一主義という問題について、文部省としては戦後教育というのは画一主義であったというふうな立場に立っているのでしょうか。
○松永国務大臣 文部省が画一主義という立場に立っておるわけじゃありませんが、教育の問題について議論をする人たちが、現在における日本の学校教育が画一的過ぎるという批判が各所にあることは事実でありまして、その画一的なものについて改革したいというのが改革意見の論点だというふうに理解をしておるわけであります。
○山原委員 文部大臣の答弁としてはわかりますけれども、非常に重要な教育改革の基本理念を検討する第一部会において、基本的合意点として、画一主義から個性主義へ移行、改革を大胆かつ細心に推進するとなってまいりますと、これは文部省として一定の見解があってしかるべきだと私は思うのです。私は今、画一主義という言葉のよしあしを言っているのではありません。実際にそういう批判もあることは事実でございましょうしね。同時に、画一主義とは一体何によってつくられてきたのかということについては、臨教審第一部会においてはどんな討議がなされているのでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 第一部会におきましては、人類が近代工業社会から二十一世紀の情報社会へ変わるけれども、日本の場合にはいわゆる追いつき型近代化、そのために全員ができるだけ水準を高くして、そのことによって教育もその影響を受けながら、あるいは教育自体がそういう一つの推進の役目もしていたのではないか、考え方としてはそういう考え方をとりまして、そこから画一的な要素が生まれてきた。 具体的にどういうところに画一主義があらわれておるのかといいますと、この合宿集中審議メモでも書かれておりますけれども、例えば大学設置基準なり許認可の見直し、ここにやはり画一性の問題があるのではないか、あるいは中高一貫教育の推進など高校教育の多様化を図る、この辺のところにも、やはり現在の高等学校が六・三・三という一つの制度だけになっている、そこに制度の画一性があるのではないか。それから義務教育段階においても、ここのところは「過度の画一化を戒めこういうように言っているわけでありますけれども、やはり過度の画一化があるのではないか、こういうように言っておるわけでございます。 ただ、臨教審全体といたしましては、第一部会がそう言っているだけでありまして、例えば第三部会におきましては、初等中等教育、特に義務教育においては共通性の確保と個性化の調和をどう図るか、そういう問題意識を持っているところでございまして、そういう意味ではこれから総会でいろいろな議論がなされるのではないか、こういうように思うところでございます。
○山原委員 画一化ということをどういう意味で使うかということにも問題があると思いますけれども、例えば画一化というものを考えましたときに、こういう見方もあるわけですね。今おっしゃったのは、設置基準の問題であるとか許認可の問題あるいは六・三・三制度の問題から論じておりますけれども、戦後の教育はかなり自由な雰囲気の中で発展しつつあったと私は思うのです。ところが、そこへ教育委員の任命制が来ます、内容面におきましては、学習指導要領の法的拘束力の問題が来ます、五段階評価が来ます、勤務評定が来ます、官制講習会が来ます、あるいは教科書の強烈な検定というものが出てくるわけですね。そういう面からの画一化というものもあるわけです。そのように広範多岐にわたって、画一化、画一化と言うならば、その根本的問題に本当にメスを入れたのかどうか、このことが問われているわけでございまして、そういうところに多面的にメスを入れないままに、だから画一化だ、だから個性主義だ、こういう行き方で、果たして教育改革の基本理念というものが確立されるかどうか、私はこの点について非常に疑問を持っています。これが一つです。 時間の関係で先へ進みますけれども、例えば、画一化に対する個性主義、こう出ていますが、その個性主義についてどういうことを指すか見てみますと、ある者は、個性主義と自由化は同義語である。香山さんなどは、どんなに名前が変わろうと到達するところは自由化だということを言っておりますね。そのほかの方も言っている。ところが、ある者は、自由化と個性主義とは違うんだ、こう言っているわけです。こういう状態の中で、少なくとも文部省は一定の正式な言葉の定義を持っているのではないかと思いますが、ここいらの基礎があいまいなまま教育改革なんかできるわけはありません。この個性主義という問題は自由化と同じものなのか、違うものなのか、この点については文部省はどういう見解を持って接触されておるのでしょうか。
○松永国務大臣 自由化あるいは個性主義という用語の問題でございますが、まず自由化という言葉については、何をどういうふうにあるいはどの程度自由化するかということにつきましては、それぞれの委員の人たちでいろいろな議論がなされたのでありますが、自由化とはこれであるということが正式に出たわけではございません。その議論の過程で、誤解を招くということ等もあって、より的確な言葉としては個性主義だろうということで個性主義という言葉が使われるようになったという経過のように私どもは理解をいたしております。 しからば、その個性主義とは何ぞや、こういうことにつきましても、まだ部会における審議の過程でございまして、部会の審議というのは、定められた審議事項について論議を掘り下げていくという場でございまして、臨教審としての意見の取りまとめというものは総会でなされるわけでありますが、間もなくその総会で取りまとめがされまして、「審議経過の概要(その2)」という形で出てきた場合に明らかになるものだというふうに私どもは理解しておるわけであります。それが出るまでは、仮定の話として私どもの方でいろいろとコメントする立場には実はないわけであります。ただ、部会においても総会におきましても論議が深められまして、立派な審議経過の概要の報告なり答申なりがなされることを我々は期待をしておる、こういう立場にあるわけであります。
○山原委員 もちろんきょうの段階で答えにくい、あるいは答えることの不可能な問題もあると思いますが、先へ聞いていきたいと思います。 二十四日に経過報告が出されるわけでございますが、その中に、共通認識として次のようなことが述べられるように聞いております。 戦後教育においては、いずれかというと教育の機会均等の実現を目指す余り平等の概念が強調され過ぎ、個性の尊重、自律、自己責任というような自由の概念が軽視されてきた嫌いがあるという言葉が盛り込まれると聞いておるのでございます。これは今までの新聞報道等によりまして容易に想像できるところでございますが、今までの戦後教育が、教育の機会均等の実現を目指す余り、個性の尊重、自由、自律の精神が軽視されてきた、こういう断定ができるかどうか、文部省はどういうふうにお考えになっておりますか。
○松永国務大臣 今御指摘の事柄も、部会においてそういう議論がなされたということは承知いたしておりますけれども、部会の論議を踏まえて、総会においてさらに論議を深められて臨教審としての意見を取りまとめる、こういうことになってくるわけでございますから、今の段階で私どもの方であれこれ言う立場に実はないわけであります。
○山原委員 私は、教育の機会均等を尊重した余り、個性の尊重がおろそかにされたなどという規定の仕方自体が大変部分的だというふうに思っております。そして、第三部会と第一部会の認識が随分違っていると報道されておるわけでございます。これまでの審議の中で、自由化について、経済的に余裕のある音あるいは情報網に恵まれた者にとっては選択の範囲は拡大するが、これらに恵まれていない者は不利な条件で教育を受けることが予測される、子供の教育における機会の均等を損なうようなことは避けるべきであるというような批判の意見も出されておるわけでございます。こうしたいわゆる自由化に対する批判意見というものが今まで新聞にも報道されていますが、それも部会報告に出されるような状況なのでしょうか。
○松永国務大臣 その点も、今「審議経過の概要」の取りまとめが総会等で行われつつある段階なのでありまして、今の段階で何とも予測しがたい点であります。 ただ、申し上げておきたいことは、第一部会というのは今次教育改革の基本的な考え方等を総合的に議論していただく場でございます。硬直化とか画一化とかという議論がなされておるようでありますけれども、学校教育で言えば、初等中等教育と高等教育とはおのずからその性質等も異なるわけであります。大ざっぱに言えば、高等教育等の場合には相当個性を発揮した教育がなされるのでありましょう。あるいは自由な立場で、自由な形での学校があることもあるでしょう。しかし、初等中等教育というのは、言うなれば国民の基礎教育を行う場でございますから、高等教育とはおのずから異なる場面があるわけであります。そういうことから初等中等教育におきましては共通性といったことが非常に大事な要素の一つでありますし、そのことが、見方によれば画一的だというふうな指摘も出てくるのかもしれませんけれども、初等中等教育の本来的なあり方がそういうものであるということを第三部会の方は主張していらっしゃるのではなかろうかというふうに私は理解しておるわけであります。
○山原委員 例えば、学校の選択における親の判断が適切に行われるかどうかも疑問があるとかいう意見も報道されてまいりました。また、知育偏重を助長し、受験競争の激化を招き、知・徳・体の健全な発達を阻害するおそれもあるという意見も新聞で報道されております。そして、自由化は受益者負担、家庭教育費の増加をもたらすなどの自由化への疑問が出されておりまして、これはもう既に新聞でも臨教審内部の討議として報道されているわけです。 なぜ私がこんなことを言っているかというと、四月十日の総会におきまして、これらの自由化に対する反対、批判の意見は、天谷第一部会長の指摘で、こういうものを出せば誤解を招くということで削ることになった、こういうふうに出ておるわけでございます。一致した意見、さまざまな意見を反映するのが審議会の論議の経過の概要ではないかと私は思うのでございまして、国民にとって都合の悪いところは削るとかあるところは残すとかいうべきものではないと思うわけです。討議の経過を正確に伝えることが臨教審の任務ではないかと思いますが、誤解を招くからといって部会長の一存でこれを削除するというようなことになってきますと、これはまさに多数決で決めるわけでもないでしょうし、また部会長がそれだけの権限を持っている審議会でもないと私は思うのですね。構成されている二十五名の審議委員と二十名の専門委員、それらの論議が正しく反映をされることが必要だと思いますが、そういう努力はなされておるのかどうか、この衝に当たられている次長さんの方からその辺の事情を伺いたいのであります。
○齋藤(諦)政府委員 「審議経過の概要」の各部会の原案はまさに各部会から出てきておるわけでございますけれども、それを経過概要としてまとめるのはあくまでも総会でございまして、そういう意味では、総会の二十五人の委員の討議を経て、この二十四日に結論が出されるところでございます。したがいまして、いろいろな問題につきましても、部会長が一存で削るとか載せるとかそういうことではなしに、総会として各部会の原案の修正も行いながら調整を行っている、こういう状況でございます。
○山原委員 この審議会は議事録がございますか、あるいは速記をとっておりますか。これは、私は前からそのことを主張しているわけでございますけれども、審議の内容あるいはどういう論議がなされたかということが大事なんですよ。例えば国会に来て論議をする場合でもそれが大事なわけですから、議事録をとっているのかどうか、これはどうでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 審議会といたしましては、総会なりあるいは部会の開催の都度、記者クラブにレクをする、並びに適宜の時期に「審議経過の概要」をお出しして、広く各界、各方面の御意見を聞きたい、そのほか、それだけでは必ずしも十分でないということで、「臨教審だより」等も発行してそれぞれの考え方の内容等についてもお知らせしたい、そういうことでございまして、その点についてできるだけ公開を図りたい、こういう方針で目下運営がなされているところでございます。
○山原委員 臨教審がPR誌を出すために金を使うとかそんなことは不必要なことなんですね。私はPRなんか全く聞きたくもありませんし、委員の皆さんがどういうお考えを持っているか、どういう経歴を持った人であるかなどということは余り問題にはならない。やはり審議会における審議の経過が正確に記録されておるかどうかということが問題なのでありますけれども、今のお話ではどうもそういうものがないらしい。やはり速記者をつけて、事は教育に関する問題ですから、あいまいなことは許されないのですよ。あいまいなことをやるのだったら臨教審は解散するべきだ、私はそれぐらいに思っています。しかも、議事録の一部が出ているじゃありませんか。国会には何の報告もありませんけれども、ある新聞には連載で出ているでしょう。これは「内外教育」、ずっと連載して出ていますよ、中身が。国会には要請をしてもなかなか出してくださらない。でもこういうふうに出ているのです。これはもう会議のメモをだれかから取らない限り絶対に書けないようなことが書かれているのですね。臨教審は、例えば審議の経過におきまして知り得たことを情報として流してはならぬとかというようなことまで法律の中にはあるわけでございますが、一体どうなっておるのか。こういう大事なものがほとんど出ている。国会には出てこない。しかも、私はこういうものは公開すべきだと思うわけでございますけれども、そういう意味では非常に異様な審議の状況ではないかということを心配するわけでございます。既にこういうふうに公然化しているわけですから、少なくとも、十九日に会長さんが総会の後で経過報告をされるならば、本院に対しても資料としてその中身は提供していただきたいと私は思いますが、それだけのことができるかどうか伺いたいのです。
○齋藤(諦)政府委員 審議会としては、個々の審議会の議事につきまして、それを外部に公表することは差し控えさせていただきたい。ただし、そのほかの手段によって審議の内容を十分知っていただけるような努力をしたいという申し合わせが審議会としてなされておるところでございまするので、そういうように御理解をいただきたいと思う次第でございます。
○山原委員 十九日の記者会見の内容についてはこの文教委員会に提出することができるでしょうか。二十四日にこちらへ来られるというのですね。理事会においては皆さんの方からもそれまでに資料を出してほしいという要求が出ておりますが、十九日に記者会見をされるというならばその資料というものはもうできておるわけでございますから、我々委員の方にも提供していただけるものだと思いますが、その点はいかがですか。
○齋藤(諦)政府委員 記者クラブには原案の形で事前の慣習的な行為として行われるわけでございますが、今先生御指摘の点につきましては、審議会に伝えまして、委員会の御指示にも従いながら配慮をしていきたい、こういうように考えるところでございます。
○山原委員 なぜこんなふうにしつこく聞いておるかといいますと、例えば第三部会で、中高一貫教育で前期後期の三年間で区切ることなく六年制中等学校をつくるというのが出ておりますけれども、これはどういう論議がなされたか、私はこういう疑問を持っております。これができますと、これは前にも文部大臣がお答えになりましたが、当然学習指導要領を変えなければなりません。それから、音楽、体育、芸術コース、理数科コースに分けて、十二歳から十八歳までに一貫した教育内容を達成していくというわけでございますから、六年制のうち三年を卒業した者は中学校三年卒業同等とみなすということを御答弁になっております。だから、教育基本法は変える必要はないというふうなお答えでございました。そうしますと、理数あるいは音楽ばかりやって三年で卒業する。その中で、例えば小学校から中学校へ行く場合に、私は音楽をやりたい、ピアノをやりたいということでこの中等学校に入ります。その途中で、例えば六年制学校は私にはもうふさわしくない、普通学校へ行きたいと言いました場合に、これが認められるのかどうか。例えば、今の普通の教育はいわゆる英数国社を中心にしたものでございますけれども、これは保証されていないわけですよね。芸術、体育、理数というふうに分かれて、少なくとも専門的なコースの勉強をしているわけですから、現在の普通の中学校の生徒とは違った教科の中で勉強しているわけですから、そうしますとこれが袋小路になるということも考えられるわけでございまして、そういうことを考えますと、新たな学習指導要領もつくらなければなりませんし、中等学校を学校教育法に入れるのか、あるいは教員免許もまた変わってくるわけですね。現在、中学免許、高校免許は違うわけですから、こういうものも変わってくる。それから学級編制の基準も変わってくる。中学校は四十人学級を六十六年までにやるというわけです。高等学校の場合はまだ計画にもありませんから四十五人学級ということになってくるわけです。 しかも、こういう状態から次に大学を考えますと、現在の芸大にも収容能力には限界があるわけですから、この中等学校に見合う大学をつくらない限り、この中等学校の子供たちは行き場がなくなってしまう。ちょうど高専をつくったときに、袋小路になるということで新たな大学づくりをやらなければならなかったわけですね。そして科学技術大学などを文部省も結局つくらざるを得なかったあの袋小路をなくすというような問題、こういうことも当然論議されておると思うわけでございますが、そういう点は何を見たらわかるのでしょうか。六年制中等学校というものがぱっと出てきたわけですけれども、その背景にあるこういう論議は何を見たら私たちはわかるのでしょうか。 共通テストの問題だってそうですよ。この間藤木さんがおっしゃいましたけれども、この委員会では二年間かかっている。二年間かかってすったもんだの激論をやって、共通一次の問題を、マークシート方式がどうかと外国まで見学に行ってやったわけですね。そして、もしこれによっていろいろな支障が出てくるならば、附帯決議の中に満場一致で、この委員会に報告すべきであるということまでやっておるのですね。それを臨教審では去年——発足したのは九月、十月段階でしょう。いわば半年程度しか過ぎていない臨教審が、この委員会が二年間かかって論議したものを、全く違ったものをぽかっと出してくる。一方では、国大協がまた別の問題を出してくる。こういう矛盾した形を思いますと、随分混乱を与えています。 そういう意味で、共通テストの問題はきょうは結構ですけれども、六年制中等学校についての論議は、私たちはどこで見られるのでしょうか。どういう経過を経て出てきたのか、その点を伺いたいのですが、いかがでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 去る三月三十一日の第三部会の集中審議の部会長メモで六年制中等学校について若干の説明がなされておりますけれども、今度の「審議経過の概要」においてもこういう考え方のいろいろな議論が紹介されるところになるのではないか、こういうように考えております。 なお、先生の御指摘の点につきましては、この三月三十一日のメモによりますと、「現行の中学校教育と高等学校教育を統合し、これを青年期の教育として一貫して行うこと」、こういうようなことで六年制の中等教育機関を設けたい、こういう趣旨でございます。もちろん、これがどのように実施されるか、法律改正なり予算措置等にも及んでくるわけでございまして、特に法律改正につきましては国会の審議も当然経なければならないところでございますけれども、そのような点については審議会としては六月の答申に向けてさらに検討を加えられるところではなかろうか、こういうように考えるわけでございまして、その際、もちろん教育基本法を初め従来の法体系を十分考慮しながら検討が進められるところであろう、こういうように考えるわけでございます。
○山原委員 この問題はこれでおきますけれども、例えば六年制中等学校というのが出てきますね。それによってどういう影響が出てくるかというようなこと、あるいは学校教育法の改正であるとかいろいろなことに波及してくると思います。それは検討されると思います。同時に、この六年制中等学校という、一つの複線化ですから、戦後教育の単線化の問題と比較をしますと複線が出てくるわけです。飛び級が出てくるということになってきますと、これは戦後教育に重大な影響を与える中身になってくるわけでして、それが仮に効果があるのか、あるいは一層受験地獄を激化させるのかというような功罪の面についての論議なども、私は当然国会でもやるべき問題だと思うわけです。国会側から六年制中等学校制度というのは出ておりません。出てきたのは臨教審から出てきているわけですから、臨教審でその功罪についてどういう論議がなされたのか、どういう激論が行われたのか。こんな問題だったら恐らく大激論ですね。四十年の経過を経てきた戦後教育の一つの根幹をここで崩すわけですから、そうなってきますと、その審議の経過については精密に御報告していただかなければ、我々としては論議することが極めて困難であるわけです。したがって、私は、本当に要請したいのですけれども、ちゃんと議事録をとる、あるいは速記を入れる、そういう基本的なことをやって、臨教審が真に国民の期待にこたえるならば、改めて意見がその中に集中されて出てくるという方向をぜひとってもらいたいと思います。今さらそんなことを言ってもだめだ、こう言われるならばともかくですけれども、あなたは臨教審にずっと参画されまして、その辺はどういうふうにお考えになっているのでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 その点につきましては、記者会見等におきましても、各部会長等が随分工夫をしながら、その中身について御理解をいただくように努力をしておられるところであろうと思うわけでございます。並びに、再三申しておりますように、「審議経過の概要」におきましても、いろいろな考え方があればそれをどういうようにお知らせするか、現在いろいろ腐心して検討されているところでございます。
○山原委員 部会長が発表するときにメモを出されておりますけれども、そんなことでいいのかなという感じがしますね。先ほど言いましたように、第一部会長が、さまざまあった自由化に対する批判が、これは国民に誤解を与えるから削除しますというようなことになってきますと、本当に真実が伝えられるかどうか。部会長の一存でメモ、それは苦労して作成されると思いますけれども、それが本当に真実を国民に伝えるのかということになりますと、私は多少疑問を持っておりますので、そういうことを申し上げておるわけです。 それから、少し話を伸ばしまして、第三部会で教育条件、その中には教職員の定数、学級編制など、これが項目に出ております。恐らく教育条件の整備だろうと思いますが、具体的にはこれはどういう論議がなされておりますか。
○齋藤(諦)政府委員 教育条件につきましては、教職員定数とか学級編制そのほかのものも含めて、今のところはそれほど突っ込んだ議論がなされていないわけでございますけれども、今まで出てまいりました議論を整理して経過概要に提示したい、こういう御趣旨のように見ております。 なお、教育条件につきましては、別途プロジェクトチームをつくりまして今後さらに議論を深めたい、こういう態度で第三部会は臨んでおるところでございます。
○山原委員 これも今後長期的展望に立って具体策を検討する、こういうふうに話し合われておるようにお聞きしておるわけでございます。また、新聞を見ますと、有田部会長は三十五人学級のことなどにつきましても言及されておるように思います。こういうことは部会報告には盛り込まれるものでしょうか。その辺はおわかりになりますでしょうか。
○齋藤(諦)政府委員 教育条件につきましては、方向性等がまだ出るほど議論がなされていないところでございまして、したがいまして、どの程度詳しくなるか若干疑問の点があろうか、このように考えています。
○山原委員 私は予算委員会でも取り上げまして、文部大臣にもお伺いしたわけですが、今日の段階でもう一度お聞きしたいのですが、実は今小学校の生徒の減少が予想外に大きいために、小学校の先生を中学校へ移行さすということが出ておりまして、私も調査をしたわけでございますが、日本教育新聞に「ダブつく小学校教員 深刻な過員対策 滋賀県では自殺者も 校種間異動にも不安材料」というのが出ております。これは滋賀県のある新しい中学校に勤務につきました文先生が、本人は第一希望が小学校でございましたが、過員対策として中学校に回されまして、そのことが大変苦になっていわゆる自殺をしたという一つの事件でございますけれども、この過員問題で私の調べたところでもかなり犠牲者が出ているのです。自殺とまではいきませんけれども、例えば小学校から中学校へ転任を命ぜられましてノイローゼになるという人もおりますし、また、御本人がノイローゼになるだけでなくて、過員対策のために混乱が起こり、県の教育委員会も対応に追われている、これはこの新聞にも書いてあります。小学校の先生を中学校へやるという操作は、一方は教科担任でございますからなかなか無理なんですね。しかも、小学校の先生は小学校の先生として希望も持ち誇りも持ってやっているわけですが、それを過員対策のために小学校から中学校へ、あるいは他県へ、他の都市へ異動していくというような状態について、文部省としては何らか実態をつかんでおられるのでしょうか。いかがですか。
○阿部政府委員 各県、各地域、市町村、それにまた学校という単位で個別にいろいろな問題はあり得ると思いますが、そういうたぐいの事柄でございますので、全体としてどうなっているかということをつかんでいるわけではございません。しかしながら、先生御案内のように、児童生徒数の五十八年度から減少ということに伴いまして、教員の数についても自然減が出てまいるわけでございますけれども、私どもといたしましては、人事行政の円滑化を図る、さらには年齢構成の適正化、いろいろな任命権者としての判断があり得るだろうということもございますので、これは義務教育一本ということで、県単位でございますけれども、最低保障を行うという仕組みをつくっておるわけでございまして、現在の制度でございますと、九八・二という数字を示しまして、それ以上自然減が多いような場合にもそこまでしか切ることはしないというような対応を行っておるわけでございます。もちろん個々の学校につきましてあるいは個別の地域につきまして出っ張り、引っ込みが出てくるということはやむを得ないことでございますが、そこは地域間の広域的な異動も行っていただく、場合によっては校種間の異動ということも必要だろうということで御対応願わなければならないと思っておりますけれども、県別の単位といたしましてはそういう問題がないようにという配慮をしておるわけでございます。 また、昭和六十年度につきましては、先ほど申し上げましたそういう最低保障制度にひっかかるほどの減員が出るというようなケースはないと承知をしておるわけでございます。
○山原委員 私がお聞きしたところですけれども、神奈川県の場合は、ことしの四月に小学校より中学校へ行った先生が二百六十八名です。前年比にしますと百五十八名多くなっています。千葉県が二百九十一名小学校から中学校へ、これは前年に比べまして百二十三名、松永文部大臣の埼玉の場合も百三十九名が小学校から中学校へ行っておりまして、これは昨年に比べまして二十六名か百二十六名かちょっと記録が不確かですが、こういう状態なのです。例えば神奈川の場合ですと、五十六年度の異動に比較しますと、小学校から中学校へ転勤させられた者が実に十一倍となっておりまして、千葉県などでは将来異動できる者が底をついてしまう、埼玉の場合ももう行き詰まってきているというようなことを伺っておるわけでございます。 これらの状況の原因は何かといいますと、もちろん大幅な児童減と四十人学級の凍結もこれに影響しておると思うのです。小学校、中学校で、六十年から六十六年の間に児童滅による教職員の自然減はどのくらい出てくるかというと、今までの文部省の計算で見ますと約七万人を超すのではないかと思いますね。そして、当初計画との差はどういうふうになっているかと見てみますと、五十五年度に策定した四十人学級のときに比べまして約二万人の差がある。それで、この問題についての文部省の見方が少し甘いのではないかという気がするのですが、ちょっとこの点をお聞きしたいと思いますが、中学校はいつから生徒減に移るのでしょうか。
○阿部政府委員 中学校の場合には、生徒数のピークが六十一年度でございますので、六十二年から生徒数は減ってくる、こういう状況になります。
○山原委員 そうしますと、あと二年後ですね。そうした場合に、今度は中学校がまたそういう事態になってきますと、結局小学校における過員を中学校で吸収できなくなる。退職者の問題も出てくると思いますが、例えば埼玉の場合では今後深刻な影響が出てくると言われております。そうなると勧奨退職を多くやらなければ結局教員採用の抑制が出てくるのじゃないか。これは私の杞憂でしょうかね。 さらに、例えば小中学校の教員の年齢のバランスが保てなくなるという学校運営上の問題も出てくるのではないかというふうに思います。例えばお年のいった人を出さなければ新採用できないということになりますと、学校運営のバランスに問題も出てくるのではないか。そういう点の心配は今全くしておりませんでしょうか。
○阿部政府委員 先ほどの先生のお話にも出てまいりましたけれども、六十年から六十六年までというところを見込みますと、教職員の自然減が七万数千名ということでございます。これに対しまして、現在計画中の改善計画がそのまま実現いたしますとすれば五万名余りの増が予定されるわけでございますので、差し引き二万名前後が定数減ということに相なるわけでございますけれども、一方いわゆる団塊の世代がそろそろ退職という時期にかかってまいりますので、退職者の見込みをとりますと、この七年間の退職見込みが従来の普通の退職率ではじいていきまして十八万人ぐらいというようなことになります。したがいまして、十六万人は新たに採用しなければならないという状況になるわけでございますが、これが各年度別平均で見ますと二万三、四千名ぐらいの新規採用見込み数ということに相なるわけでございます。最近、五十年代の前半等におきまして、非常に急増期でございましたために三万人を超す新規採用があったという時期がございますけれども、これは全体の流れからいえばむしろ特例な時期でございまして、それ以前の四十年代の前半になりますと一万人しか新規採用がなかったわけでございまして、四十年代の後半につきましては二万人、そういう状況を考えますと、二万数千名という採用というのは普通の状況に戻るというところが全体のそういう感じでございます。もちろん各県別に見ましたりしますと、これは若干のでこぼこは出てくるだろうと思いますが、そういった意味におきまして採用が非常に難しくなってくるということはないというふうに私どもは見ておるわけでございます。そしてまた、先ほども申し上げましたけれども、最低保障という制度を設けまして九八・二以下に下げることはしないということをいたしておるわけでございまして、これは毎年の平均的な退職見込み三・六%の半分しか切らないということでございまして、退職者数の半分はどんなことがあっても採用できるようにという配慮をする、そういうことで年齢的なバランスもとれるようにというような配慮もいたしておるわけでございます。先ほど申し上げましたように、個別な人事等につきましては、これは綿密な配慮を各県の教育委員会等においてやっていただかなければならないと思っておりますが、そういうことで、ある程度地域間の異動をする、学校間の異動をするということについて我慢していただかなければならない面はあるかと思いますけれども、全体として首切りであるとか新採ができないとか、そういう状況になることはない、こういうふうに思っておる次第でございます。
○山原委員 これはお読みになったと思いますが、「内外教育」ですね、二月十二日、三月八日、連載されておりますが、名古屋大学の潮木教授でございますが、小中学校の将来、需要予測というのを出しております。この中に「教職志望者の就職難時代が本格化する」というのが出ておりまして、六十六年以降は一段と深刻化する。東京の例を挙げておりますが、東京では停年退職、停年前の退職、児童数の減少などをすべて総合してみまして、小学校の需要数は六十一年から六十五年にかけて年平均百四十名、これは昭和五十五年の千八百八人、昭和五十六年の千二百二十一人に比べますと大変な減少率である。もし四十人学級を実施した場合の年平均七百七十一名、これでも五十五年、五十六年の五一%にしかすぎない。六十六年度以降さらに大幅減少する可能性があるというふうに書かれておりますが、お一人の学者の御意見だけでいろいろしんしゃくするわけにはいきませんけれども、そういう実態は全く心配しておられませんか。
○阿部政府委員 私が先ほど申し上げましたのは六十六年までの数字で申し上げておるわけでございますので、六十七年度以降どうなってくるかということはわからないわけでございますけれども、私どもとしては、先ほど申し上げたような数字で計算をしておるわけでございます。潮木先生の論文につきましては、詳しい点は承知しておりませんけれども、未確定の要素についてかなり大胆にいろいろな前提を置いてつくった全くの試算であるということを御本人から事柄としては承っておるわけでございまして、そういう意味で私どもの計算とはかなり違うと思っておるわけでございます。
○山原委員 私もきょうは余り資料を持ってきておりませんので一本当は私はいろいろな意味でこの問題について心配して聞いているわけですが、こういう心配を改善するためにもあるいは教員のバランスを保つためにも、四十人学級の実現がどうしても必要だと私は思っておりますが、むしろそれが最低保障になっているのではないかというふうに考えるわけでございます。 文部省の六十年から六十六年までの四十人学級の実施と配置率の改善を達成したとしました場合、大体予算としては幾らくらい国庫負担分がかかるのでしょうか。その点、計算されておりますでしょうか。
○阿部政府委員 ただいま手元に数字を持っておりませんので、お答えいたしかねるわけでございますけれども、私ども計算をいたします場合に、国庫負担金ベースで大体一人二百七十万ぐらいかかるという計算で、その員数分という計算になるわけでございます。
○山原委員 六十六年までに四十人学級を実施し、かつまた配置率を改善したとしても、ほとんど予算は要らないのじゃないですか。むしろ金額としてはマイナスで四十人学級の実現は可能ではないかというふうに思いますが、その点はいかがですか。
○阿部政府委員 六十年度予算の場合にも一部四十人学級等の前進を図ったわけでございますが、全体としては、かねて御報告申し上げておりますように、自然減の範囲内でということで自然減を上回るだけの改善増はしていないわけでございます。しかしながら、毎年ベースアップその他の経費の増がございますので、その関係から申しまして、数として減っても金額としてはふやさざるを得ないというのが国庫負担金の現状でございます。したがいまして、金の負担なしにこれからやっていけるものではないわけでございます。
○山原委員 文部省は四十人学級をどうもやりたくないという構えのようですね。でも、これは国会の決議でもありますし、そういう意味でこの文教委員会はいわゆる教職員定数是正の問題についてこれまた小委員会までつくって今日まで検討してきたわけですが、例えば今この三年間で四十人学級を実現しようとすると、私の試算としては、六十一年で三百九十五億円程度、六十二年で二百九十八億円、六十三年で二百億円、こういう程度でできるのではないかというふうな考えを持っておりますが、これは間違いでしょうか。
○阿部政府委員 ただいま手元に数字を持っておりませんので、何とも申し上げかねるわけでございます。
○山原委員 四十人学級の実現ということについては、もう本当に国民的な要求ですね。国会の決議もあるわけでございますが、それを実現するためのいろいろな計算は文部省としては当然してあると私は思っておりました。例えば財政的な動きにつきましてももうちょっと明確な答えができないということは本当に残念です。きょう四十人学級の質問をするということを通告してありましたが、その点どうですかね。私は皆さんの方の持っている資料を見せていただきたいと思いますが、そういうものは全くないのですか。
○阿部政府委員 計算はいたしておるわけでございますが、ただいま手元に持っていないということでございますので、あるいは御必要でございましたら後ほど、概算ということになると思いますけれども、どれくらいの経費ということは先生のところへ御報告させていただきたいと思います。
○山原委員 この問題は後で資料を見せていただきまして、お互いに四十人学級の実現、特に私が今言いましたように、教員の採用問題を含め、また過員の問題を含めまして、幾つかの点から見ましても一私の見方そのものが局部的な見方であるかもしれません。しかし現実に、私は過員の問題については神奈川県やその他の教育委員会をお訪ねしまして聞いたわけですが、実に深刻なんですね。そういう点から考えまして、四十人学級の早期実現といいますか、あるいはこの生徒滅のときに実際には四十人学級より、大阪などを調べてみますと教室のあきもございますし、むしろ三十五人学級が実現可能であるという時期を迎えているのではないかというふうに思いまして、質問をいたしておるわけでございます。これは今日がそういう意味で絶好のチャンスではないか。だから、第三部会長の有田さんも、新聞で見る限りでございますけれども、三十五人学級を口に出しておられるわけですね。そういうことを考えますと、本気でやろうとするならば突破口は出てくるような気がするのですよ。そういう点で、四十人学級の問題については本当にもう少し真剣に取り組んでもらいたい、あらゆる資料も検討してもらいたい。あるいは、場合によっては本委員会に小委員会でもつくってこの問題を精力的に検討する必要すら私はあると思いますけれども、これはまた理事会で御提議をしたいと思うのです。 文部大臣に伺いますが、この四十人学級の問題について、相当決意を固めて前進をさせてほしいと思うのですけれども、いかがでしょうか。
○松永国務大臣 私どもとしては、厳しい国の財政状況でありますけれども、定数標準法に基づく四十人学級の実現に向かって今一生懸命努力しているところでありまして、それの完成を目指して最大限の努力をしているところでございます。
○山原委員 もう一つ、別の問題になりますが、昨年会計検査院によって児童数の水増しの指摘が行われて随分問題化したわけでございます。何か教育委員会並びに学校長が不正を働いておるかのごとき新聞まで出たわけでございますけれども、この問題が今各学校や教育委員会においていろいろな問題を起こしております。また、各教育委員会とも萎縮をしているというような事態が起こっているわけです。例えば四月十四日の東京新聞を見ますと、千葉県の市川市立七中での例が出ておりましたが、六日に今年度入学式を行ったわけですが、予定された生徒のうち四月六日の入学式になってみますと六名が欠席をしたわけです。三名は転居です。二名は私立の学校へ行っております。一人は理由がちょっとわかりません。で、どういう結果になったかといいますと、一たん公表して十四組のクラス編制をしておったわけですが、この入学式の日に子供さんが来なかったために、これを御破算にしまして十六日に改めて十三組に編制した、一組減らしたわけです。そうしますと、先生方は新しい子供を迎えるわけですから相当手前から準備をしていくわけですね。入学式前に公表され、しかも子供たちは行って仲よくなり、そして担任も決まっておるわけですが、これとも別れるというようなこと。これは新聞記事でございますが、上履きにクラスの名前を書いておったのも消さなくちゃならぬというような問題が起こっておるそうですけれども、四十二人学級で十四組にしておったのですが、六名の子供さんが来なかったために、今度は四十五人と四十四人の学級にしまして十三学級に減したわけです。こういう事態が生まれてきているわけですね。 それで、東京都の場合におきましても、例えば二月九日に新しい一年生の推定を行いまして、仮決定のクラスを決めます。そして四月一日に都が認可をします。四月八日に正式に学級が決まるわけですが、例えば九十一名の生徒数の場合、本来三クラスなんですけれども、そのときに一名生徒が減りますと、ここで四十五の二クラスになるということでございまして、結局手控えまして四十五名と四十六名の二つの学級にするということですね。三学級であったものが、一名の子供が来ないために今度は二学級に減ってしまい、四十五名、四十六名の子供たちを教えるという状態が出ておるわけでございます。これは確かに、正確を期して言うならば会計検査院の指摘のとおりでありますけれども、これを果たして水増しと言えるのか、本当に四月一日段階で仮決定すれば、むしろそこらのことは学校教育の円滑な運営のために柔軟な対応をすべきではないか。だれもわざわざ人数を水増ししてやっているわけではありませんし、実際に出入りの激しい今日の情勢のもとで、これらについては本当に文部大臣が勇断を持って、柔軟にしていってよろしいという決断が必要になってきたのではないかと思うわけでございますが、もっと詳しく事情を説明しなければわからぬと思いますけれども、時間の関係でできません。文部大臣、こういう点について御検討いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○松永国務大臣 先般会計検査院から指摘をされて、それが社会問題に発展した例は、御承知のとおり、故意に転勤の日時等をずらしたりしてやった例のようなんでありまして、今先生のおっしゃったようなことではなかったようであります。教育の場でありますので、教育関係者が故意にごまかしをしたり時期をずらしたりしてやるなどということは、これはどうもよろしいと言うわけにまいりません。私はよくないことであるというふうに申し上げなければならぬ立場なのであります。 その他の問題につきましては、今先生のおっしゃった例はごく少ないケースだと思うのでありますが、すなわち九十ならば二クラスでありますけれども、九十一ならば三クラス、すれすれのところの問題だろうと思うのでありまして、ごく希有の例だと思うのでおりますが、その場合の対応の仕方につきましてはどういう方法があるのか、局長から答弁させます。
○山原委員 不正なことに対して指摘をするのは当然でございますが、それが角を矯めて牛を殺すような結果になってはいかぬという意味で申し上げているわけでございます。 最後に、就学指導委員会の問題について質問をいたしたいと思います。 現在、区や市町村及び都道府県就学指導委員会がございますが、昭和五十三年十月六日付の初市局長通達「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について」、これに基づいて設置されているのが就学指導委員会だと思いますけれども、これに今幾つかの問題が出ておるわけでございます。 一つは、教育職員七名以上と規定されておりますけれども、実際は校長さん、教頭さんばかりで、現場の経験豊かな教師がこの中に入っていないという例が多くございます。その選出の仕方にも問題があると思うのですが、実際の就学指導の場面で現場の声が反映をしていくことが大事だと思いますが、そういうものが確保されているとお考えでしょうか。 二つ目は、区市町村就学指導委員会も知能検査など諸検査を短時間に行いまして、その結果のみを重視した就学指導になっていて、家庭や幼稚園、保育園、訓練施設での成果や日常の状態など全体的把握に欠け、学校教育法施行令第二十二条の二の表や発達診断表を機械的に適用している傾向がありはしないか。結局、保護者の希望などが十分尊重されず、保護者の中にかなり不満があると聞いておるのでありますが、そういうことはございませんでしょうか。
○高石政府委員 各都道府県、市町村段階における就学指導委員会の委員構成がどうなっているかというのは、教職の関係で校長、教頭、教員という中まで分析した表を持っておりませんので、ところによれば先生御指摘のようなところもあるのじゃないかというふうに推測するわけでございます。 それから、就学指導につきましては、やはり時間をかけつつ両親の納得が得られるような形で丁寧な対応は必要であろうと思います。
○山原委員 これは指導上の問題でございますから、実態はかなりいろいろでこぼこがあると思いますので、一応指摘をしておきたいと思うのですが、例えば、都道府県の就学指導委員会では書類審査のみの場合が多くて、年間開催数も二回、三回というところが多いようでございます。 そこで、実態がどうなっているかという点について、例えば就学指導委員会の構成メンバーの実態とか、開催状況であるとか、就学指導の具体的内容がどうなっているかというようなことについて適切な指導がなされるべきだと思うのですが、この点が一つ。 それから、指導が機械的になっていないかどうかという問題でございますが、親の希望あるいは障害児の能力などを十分把握しないで、行政側の措置権限を優先させての就学指導に実際はなっているのではないか。一方的な措置通知はしないで、親と学校側と就学指導委員会とが十分に話し合いをして、専門委員が面接を重ね、教育現場を一緒に見に行くなどいたしまして、入念な教育的な心の通った就学指導をすべきだと思いますが、そういう点についての指導をなされる用意があるか、現状ではそんな必要はないと思っておられるのか、その点はいかがでしょうか。
○高石政府委員 この障害児の就学問題は、親との十分な意思疎通、理解がないとなかなかうまくいきませんので、そういうことができるような運営をしていかなければならないし、またそういうような運営をしてもらうように文部省としても指導していかなければならないと思っております。そこで、新しい文部省の施策といたしまして、いろいろな方法を講じておりますが、就学指導委員会における運営の問題だけではなくして、いろいろな関係資料を配付するとか、そういう父兄の要望にこたえる心身障害児巡回就学相談事業を行うとか、ないしは保護者に対して心身障害児の教育の実態を正しく理解してもらうための資料を配付するとか、また最近は障害児の体験入学というような制度をつくるとか、いろいろな施策を進めているわけでございます。もちろんその中核になる就学指導委員会がより有効に機能していくことが非常に重要でありますし、今後もそういう点での指導をしてまいりたいと思います。
○山原委員 現場の実態、これは今高石局長のお答えになったことでさらに指導を強めていただきたいということでございますけれども、例えば訪問教育対象児とする場合でも、近くに養護学校がないということで、スクールバスを配車すれば通学が可能なのに、訪問教育としている例も少なくないというふうなことも聞くわけでございます。 それから、就学指導委員会が対象児一人一人の障害と健康と発達について総合的で継続的な検討を行ってほしい。教育方法、治療方法を明らかにして、就学後の相談に答えたり、適切な措置変更などにも助言を与えるのが基本的な委員会の仕事ではないでしょうか。そのためにも、委員会に現場で実際に教育について知っている先生を入れるなど、構成についても適切な選出方法をお考えいただきたいということも出ておるわけでございます。 それから、さらに、これでおきますからまとめてお答えになっていただきたい。学校教育法施行令の第二十二条の二の表については、一部ではすでに実態に合っていないのではないかということが言われております。例えば聴覚障害幼児の場合、両耳が九十デシベル以上でも、早期教育の結果幼稚部から小学部に移行する六歳の時点で難聴学級や普通小学校に進学している例が多くあると言われております。未熟児網膜症の場合、全盲でも普通小学校に学んでいる例が多くあると言われておりますが、そういうことが事実としてありますでしょうか。そういう実態から見ましても、この表を見直す必要があるように思いますが、文部省はこの点について何かお考えになっておるかどうかという問題です。 それから、普通小中学校の普通学級に障害児が入学している県がほとんどの県で実態としてあるわけですが、この点について、普通学校の普通学級にどんな障害の子がどのくらい在籍しているかという点の全国的な実態調査をしておられるかどうか、これが一つ。 それから、普通小中学校に障害児が学んでいる場合、特別の条件整備が必要な場合があると思います。例えば、東京都の豊島区の小中学枝では手すりやトイレの改善が進んでおると聞いておりますし、長野県や幾つかの県では普通高校にエレベーターを設置したということもあるそうでございます。こういう条件整備の実情について把握されているか、あるいはそういう資料があるかどうか、もしございましたら提出をお願いしたいと思います。 次に、ぜひ、普通学級で学ぶ障害児のための条件整備事業あるいは施設設備整備事業を予算に計上してもらいたい。これは予算上の問題ですから、今大変な時期でありますが、個別的な重点的な要求がありますので、こういうものについても目を配ってほしいということでございます。特に障害児のための必要な予算、これは重点的に見る必要があるのではないかという親や先生方の要求があることは事実でございまして、こういう点についてぜひ前向きの検討をいただきたいと思います。 最後に、昭和五十三年八月十二日の特殊教育に関する研究調査会、会長は辻村泰男氏でございますが、ここで「軽度心身障害児に対する学校教育の在り方」が出ておりまして、特殊学級への通級、それから特殊学級と通常の学級の交流、専門の教師の巡回指導など多様な指導形態が強調されております。また、文部省としましても、障害に即した専門の教師の巡回指導を考えておられると思いますが、どのように具体化し、実施しているのか、この点についても伺いたいと思うわけであります。 この報告では、通常の学級における指導を認めておりますが、「学校教育法施行令及び学校保健法施行令等の一部改正について」では、これは昭和五十三年八月十八日付でありますが、障害児学校在籍児で盲者、聾者あるいは精神薄弱者、肢体不自由者もしくは病弱者でなくなった者は普通小中学校へとなっております。そのことは当然といたしまして、軽度の障害児であれば通常の学級における指導の対象として措置がえが行われるべきものだと思いますが、このような措置変更についてどのような方針で対処されようとしているか。 以上、幾つかお聞きしましたが、総括的に、今の私の申し上げましたことについて、御検討されておると思いますので、お答えをいただきたいと思います。
○高石政府委員 特殊教育の振興につきましては、就学義務を課したのがまだ十年足らずでございまして、まだ整備の段階でございます。したがいまして、それらに伴う予算措置、そういうものにつきましては、今後も十分考えていかなければならないと思っております。 それから、判定基準につきましては、一応の目安としてやっておるわけでございますので、現在のところそれを改善していく、改めていかなければならぬというところまでの認識はしておりませんけれども、今後の推移を見て検討してまいりたいと思います。 それから、普通学級に行っている障害児の実態というのは、一応、障害の程度、種類に応じまして特殊教育諸学校ないしは特殊学級に入れておりますので、普通学級に行っている者を強いて拾い出すということは、個人のプライバシーの問題もございますので、そこまでの実態調査を行う気持ちはございません。 それから、障害の程度、種類に応じてそういう子供たちが普通学級で受けている場合に、特別な施設、ロープをつけるとか施設設備に配慮していく、そのための助成措置はありますので、現にそういう学校も漸次整備されているわけでございます。 たくさん質問を受けましたので、全部お答えするのは時間がかかりますので、この程度にとどめさせていただきたいと思います。
○山原委員 時間の関係もありますからこれでおきますけれども、要は、細かくいろいろ申し上げましたけれども、現場の声として申し上げたわけでございます。これらの問題、それから最初申しました就学指導委員会の適切な運営、そういうものに対して、文部省として積極的な方向で検討していただきたい、また指導してもらいたいということが趣旨でございますから、ただいまの御答弁、いろいろ反論すれば幾つかあるかもしれませんが、全体として頑張っていただきたいということを申し上げて、私の質問を終わります。
○阿部委員長 次回は、来る十九日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時三十四分散会