P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
102回国会衆議院1985/04/23

科学技術委員会 第8号

発言数
18
登壇者
7
会派数
3
開催日
1985/04/23

会議録

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 これより会議を開きます。  科学技術振興の基本施策に関する件、特に創造科学技術の研究開発の問題について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、本日、参考人として東北大学教授西澤潤一君の御出席を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 この際、西澤参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。  本日は、創造科学技術の研究開発の問題につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序についてでありますが、まず参考人に一時間程度御意見をお述べいただき、次いで委員の質疑に対して御答弁をお願いしたいと存じます。  それでは、西澤参考人にお願いいたします。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 大変重大な会議に意見を述べる機会を与えられましたことを心からお礼申し上げます。レジュメとしてお配りしてございます資料に基づきまして、御説明をさせていただきたいと思います。  よく日本には独創的な仕事がないということが言われますけれども、私は決してそういうことはないのではないかという気がしております。結論的なことを先に申し上げますと、日本の中にある独創的な科学技術の芽を十分に拾い上げまして、これを育成するようなことをいたしましたならば、決して世界に対して恥ずることのないぐらいの多くの種があったというふうに思っております。むしろ種を工業に結びつけていくところの組織づくり、ないしはそれに対する努力というものが今後非常に重要な問題でございまして、それさえできるようになりましたならば、恐らく世界じゅうに相当誇れる程度の新しい科学技術が日本の中から育ってくることになるのではないかというふうに考えております。  ちょっと小さくて読みにくくて申しわけございませんが、第一表というのがございます。これは科学技術史年表のようなものから拾い上げまして、特に電気関係を中心といたしまして我が国で創造された主な事項というのを並べでございます。一九一七年、東北大学教授でありました本多光太郎先生がKS鋼をつくって発表なさいました。このようなことをずらりと並べたものでございます。  こういう表をつくってみまして私自身が大変驚いたわけでございますが、白丸がついておりますのは当時東北大学職員であった先生方のお仕事でございます。それから黒丸が東北大学を卒業してどこかに行かれた方のお仕事でございます。これでごらんになりますと非常にはっきりと、決して私が色をつけてこれを抽出したわけではございませんが、非常にはっきりと東北大学の先生方ないしは卒業生のお仕事が非常に多いということがおわかりいただけるのではないかと思います。これは決して私が現在の東北大学の宣伝をしたり自慢したりするという意味で申し上げておるのではございません。つまり、いい先生方がいらっしゃいますと、その先生方の周辺から非常に立派な仕事が出るということと、やはりある先生方は非常にいい仕事をなさるということであると思います。すなわち、ある意味では天才的な方々がおられまして、そういう方々を探し出してきて仕事をさせれば大変立派な仕事が出てくるのだということと、それからそういう先生方の周辺にはいい人が育つ。つまり、創造科学技術につきましても教育効果があるのだという二つのことを示してくれるのではないかというふうに考えるわけでございます。  最初に申し上げましたように、このような表から二つのことがわかるわけでございますが、これをずっとごらんいただきますと、レジュメの方にも書いてございますけれども、日本の中でこれが工業化されたという例はほとんどございません。例えばほんのわずかではございますが、第一番目の本多光太郎先生によりますKS鋼というものが日本で若干工業化されたと思われます。それから松前重義先生の無装荷ケーブルというのは、松前重義先生御自身が工務局長としまして日本じゅうの電話線の幹線に無装荷ケーブルを敷かれたわけでございますし、朝鮮半島からさらに中国東北地区の端までこの線を敷かれた。実際に御自分でそれを推進されたというようなことのために、実用化されたわずかな例になるわけでございます。最近のものでは、半導体関係は今いろいろと書きますと物議を醸しますので省いてございますが、一番最後の吉田進さんのトリニトロンというのが御存じのように現在工業化され、かなりの数が御家庭で使われておるような状態になっております。  そういうことでございまして、そのわずかな例外を除きますと非常に少ない。ちょうど真ん中ごろで加藤与五郎先生と武井武先生のフェライトというのがございます。その隣はかなり物理的な磁場中冷却というものでございますが、このフェライトが日本人の発明であるということを余り御存じない方がおられるくらいでございますが、このときには非常に珍しいことが起こりました。それは、加藤与五郎先生がこのフェライトはぜひ日本で工業化すべきであるということを言われまして、当時の秋田県選出の代議士であられました斉藤憲三先生をくどきまして新しい会社を設立されたということでございまして、これは大変異例な事態でございます。本当にそういうことがほとんどすべてにわたってやられておれば大変うれしいわけでございますが、それは非常にわずか、唯一のケースになっているわけでございます。たまたま戦争中であったせいもございまして、その開発は必ずしも十分ではなかったということになるかと思います。戦争中に欧米で、特にフィリップスというオランダの会社が非常に熱心に開発をいたしまして、終戦後ふたをあけてみましたら向こうの方がかなり技術水準が上だったということも言われたわけでございます。そのために相当の特許料をフィリップス側に支払うという事態になったわけでありまして、そのわずかの斉藤憲三先生の御努力も残念ながらその程度にとどまったということになるかと思います。これが最初に申し上げましたように我が国におきますいわゆる科学技術開発と工業化ということの間に今もなお依然として存在するというふうに私は考えております。  一番ひどい話でございますが、後の方に松尾貞郭さんの航空機よりの電波の反射というのが書いてございます。これは八木先生のところの助手でございますが、たまたま実験中に電波を出している装置の前を航空機が横切りました。そのときに電波がはね返ってくるのを見つけたわけでございます。これが現在盛んに使われておりますレーダーの基本でございます。戦争中にこれが外国で非常に活発に利用されました。八木先生の発明なさいました八木空中線が、その電波をはじき出しましたりあるいは受けとめてはね返ってくるのをはかるときに使われるわけでございます。そもそも電波を発生させるもとになりましたのが、その次にございます一九二八年の岡部金治郎先生の陽極分割型マグネトロンでございます。したがいまして、レーダーというのは戦争中に向こう側で大変活用されたわけでございます。これは戦争でございますから、いいか悪いかは別といたしまして、非常に活用されたわけでございますけれども、そのほとんどすべてが東北大学の製品であったわけでございます。  たまたま何か聞くところによりますと、シンガポールを占領いたしました陸軍の将校がイギリスの捕虜をつかまえて、この変なものは何だと聞きましたら、YAGI(ヤジ)アンテナだと言ったという話がございます。ヤジとは何だと言ったら、イギリスの兵隊が大変おかしな顔をいたしまして、我々は日本人の名前だと聞いているがと言ったという話があるわけでありまして、事ほどさようにこの実用化というものに関しましては、決して今まで立派な成果を上げていたということは残念ながら言えないわけでございます。それが現在までの私の見ております総論でございます。  三ページ目あたりに入らしていただきたいと思います。早速でございますが、表が入らなかったものでございますから、その次の四ページ目の図表をごらんいただきたいと思います。  この表をつくられましたのは筑波大学の山田圭一教授でございまして、大変衝撃的な絵であると私は思っております。ちょっと字がぼけておりまして、ごらんになりにくいので大変申しわけございません。この場合はたまたま高分子化学という分野について調査をされたわけでございますが、一番という曲線は外国で高分子化学に関する論文が幾つ出たかということを、幸いなことにケミカル・アブストラクトという雑誌がございまして、主な論文が出ますとその要目をかいつまんで短く書いたものを出すという雑誌がございます。その雑誌から幾つ出たかというのを拾ってまいりまして、もちろんそれに載らないような論文は数えられないわけですが、このケミカル・アブストラクトに載ったような程度の論文は幾つあるかということがわかるわけでございます。それを毎年毎年数えてまいりまして、実際のカーブはこんなきれいなものではございませんで、その下のところどころに黒丸が書いてありますが、この黒丸のような分布になるわけでございます。これを統計的な手法を使いまして処理いたしますと、一番のようなカーブになるわけでございます。大体一番たくさん高分子化学の論文が出たのは、一九五四年から五五年にかけてであるということが言えるわけでございます。  次に、この論文を見て慌てて日本で研究費を出すわけでございます。その研究費の総枠を書きましたものが二番の曲線でございます。これでおわかりと思いますが、日本では何か大事なものが外国から発表になりますと慌てて研究費が出てくるということになるわけです。出さないよりははるかによろしゅうございますが、現状ではこういう状態になっておるわけでございます。  三番目に、このような研究投資をいたしますために、あちこちで研究が行われまして日本で論文が出てまいります。この場合でも、大変ありがたいことでございますが、日本でも真島利行という先生が日本の論文の抄録を載せる化学総覧という雑誌をつくっておられまして、それに載りました論文の数を数えて引いたのが、この三番の曲線でございます。したがいまして、研究論文に関して申しますと、外国と日本との間にはちょうど十年のおくれがあるということになるわけでございます。そういうことから申しますと、日本の研究はやはりあちらの改良ないしはトレースワーク、いわゆる追試と申しまして、外国でこういう仕事が出たから自分たちもやってみたというたぐいの論文が多いということは、これからも非常にはっきりしているわけでございます。  四番目は特許でございます。研究投資をしておりますので、論文も出ますが特許も出てまいりまして、これが四番目の曲線でございます。  五番目が製品でございまして、このころからようやく会社から製品が出始めるわけでありますが、六番目がそのときの研究者の数でございます。これが大変異様な感じを持つわけでございまして、研究費は出ましたが研究者の数はまだまだ足りなかったということになるわけでありますし、製品が既に山を過ぎたというときに研究者の数がピークに達しているということになるわけであります。  それから、ちょっととぼけたことになっておりまして残念でございますが、高分子化学工学科とか高分子化学教室というのができるわけでございますが、その数が七番目の階段のようなデータでございます。すなわち製品の山が五番でございますから、既に騒ぎ始めていて研究者の方もむしろ削られ始めているときに、卒業してくる学生の数は依然としてふえ続けているということになるわけでございます。これから、現実に我が国の科学技術に対する対応の仕方がいかなるものであるかということがはっきりお酌み取りいただけるのではないか。非常に残念なことでございますが、現実には相当長期にわたりましてこういう体制が続けられてまいりました。  以上が第二表の示すデータでございます。たまには日本の中から出た新しい研究というものが引き金になりまして、それが日本の中で研究開発され、さらにそれが工業化されるというパターンも欲しいと思うわけでございますが、最初に申し上げましたようにそのような例は現実には非常に乏しくて、大体は外国から何か論文が出ますとこれは大変だということで研究費を出し、また学生を養成していくということになっているわけでございまして、非常に残念なことではないかと思います。  いささか我田引水の感がございますが、産業革命以来と言われます半導体工業は、今その重要さが大変認識されているわけでございますけれども、まだ日本の大学には半導体工学科というものはもちろんございませんし、半導体工学研究所というようなものも大学の中には一つもないということでございます。ちょうどこの四月一日から韓国のソウルの大学に半導体研究所というものが設立されまして、私ども記念講演を要請されて行ってきたわけでございますけれども、韓国がそのような熱の入れ方であるのに対しまして、日本の場合にはそういうものをつくろうということすらまだ言われていないというような実情も一つの具体例かと思います。  現実の今までの日本の科学技術研究に対する展開の仕方というものは、大体以上のようなデータでおわかりいただけるかと思います。  レジュメの三ページ目の三という項目にいくわけでございますが、私は日本における独創科学技術の重要性というものは、ほかの諸国と全く意味が異なるというふうに考えております。それは私があえて申し上げるまでもなく釈迦に説法でございますが、現在食糧輸入という問題に関しては、自由化の反対というようなこともございまして決してそんな単純なものではないというふうには考えておりますが、特に保存がきかないという点からそんな簡単なものとは考えておりませんけれども、恐らく次第次第に食糧不足が深刻化してくるのではないかというふうに感じられるわけでございます。  二番目に、日本のように資源を全部外国から持ってこなければならない国というのは非常に例が少ないわけでございますけれども、とにかく資源を全部外国に依存しなければ生活すらできないという事情にございます。当然この資源を加工いたしまして、よその国ではできないような製品に仕上げて、よその国に買ってもらうということになるわけでございますので、資源を全部外国に依存しているという国の特殊事情のために、やはり独創科学技術というものはほかの国とは違う重要性を持っているというふうに考えられるわけだと思います。  それから三番目に、最近ようやく反対意見が出てきたわけでございますけれども、相当長い間にわたりましてブーメラン現象ということが言われたわけであります。それは、鉄鋼ないしは造船のような分野で技術を韓国、台湾にかなり出したようでございますが、あちら側の国の技術レベルがどんどん上がってまいりまして、最近では海外入札で日本側が敗退するという例が非常に多かったわけでございますし、よくうわさ話では、日本の自動車産業も近く海外の鉄鋼を使って車をつくるのではないかというようなことが言われているような状態でございまして、技術を輸出すれば当然日本の産業が困ることになるので技術を出すなということを言うわけでございますけれども、現在韓国、台湾あたりに参りまして聞いてみますと、日本が技術を売ってくれないということを非常に批判するわけであります。たまたまアメリカ側は割に気前よく外国に技術を出すというような事情がございまして、日本に対する批判が非常に高まっていると思います。このようなことでは日本は非常に困ると思うわけであります。すなわち、日本周辺の国には当然日本の製品を買ってもらわなければいけない、いわゆる経済圏になるかと思いますが、そういう国々の生活水準が高くなって日本の製品を買ってくれる、また友好関係が保たれて日本の製品を気前よく買ってくれるというふうになっていなければ、結果的には日本の産業自体が市場を失うという羽目になるわけでございまして、アジア圏はもちろんでございますが、やはり日本の周辺の国々と経済的にも協力関係を保ってやっていく、簡単に言えば国際分業というような格好になっていかなければ日本の製品は売れなくなると思いますし、人間の感情から申しましても孤立することになってくると考えられるわけでございます。そのようなことで、そういう国々にかなり重要な技術でも分けてあげて、彼らの生活水準を上げることに協力をしてあげるということをする必要があると思います。そのようなことで、日本というのは独創科学技術を特にほかの国に比べて重要な要素としている国だと思います。アメリカでございましたら、もちろんアメリカの科学技術というのは大変すばらしいわけでありますが、同時に大変たくさんの資源と農産物を持っておりますので、そういうものに経済依存することができるわけでございますが、日本の場合にはそういう第二、第三の綱を持っていないわけであると思います。以上のようなことで、やはり我が国では独創科学技術の開発をするということが、ほかの国々に比較いたしまして、言うなればたった一本の生命線であると言わなければいけないのではないかと私は考えております。  四番目に入らせていただきます。  そのような状態でございますけれども、我が国の科学技術開発によりまして何か新製品がつくられる、新製品が売れますと利益が会社に還元してくるわけでございます。その研究投資と利益の戻ってきた割合がどれくらいかということをアンケート調査したわけであります。かなり古いデータでございますが、アメリカの結果によりますと〇・六%、つまり一〇〇研究投資をいたしまして、そのときに戻ってまいりました利益はわずか〇・六にとどまったということになるわけであります。独創開発というのは難しいのだということがここに出ているわけでございます。ところが驚くべきことに我が国では、一〇〇の研究開発投資に対しまして六〇の利益還元があるというのがその当時のデータでございました。これはつまりアメリカに比べまして日本の研究開発投資が百倍の成功率を持っているのだということになるわけでございまして、もしこのとおりであれば何も心配する必要がないわけでございますが、実はこの数字を読んでみますと、アメリカでは本当にだれもやっていないことを研究開発いたしますので非常に成功しにくいわけでございますけれども、日本の場合ではよその国で成功したものしかやらないという習慣がございます。したがいまして、極端な場合には、よその国で成功したものといいましても、よその国がその製品によってお金をもうけ始めますと初めてやるということまで言えるような状態が残っているわけでございますから、当然成功率が高い、そのために〇・六%に対する六〇%という異常に高い数値が出ているというふうになっているのだと思います。したがいまして、例えばだれかが新しい研究をやって新製品を開発しようということを考えたといたします。実際本当に新しいものでございますと、アメリカのデータによれば成功率は〇・六%でございますから、大多数が残念ながら失敗してしまうはずでございます。ところがそういうことをやって失敗をいたしますと、日本の従来のデータは六〇%でございますから成功するのは当たり前というに近い社会環境がございます。したがいまして、失敗したときには、あの男は無能な人間であるというレッテルを張られてしまうということになるわけでありまして、このような六〇%というような数値がございますために、かえって日本の中では本当の意味での独創的な科学技術開発がやりにくい風土であるということを申し上げざるを得ないと思います。  大学の場合には、世界的な調査がございまして、割に研究開発の効率がよろしいそうでございます。これは決して経済的に恵まれていませんでも、学生を教育しながら研究をしていくことがかえって新しいことを見つけ出すために有効であるという調査がドイツにあったそうでございますが、日本におきましても先ほどの表でお目にかけましたように、過去戦前までの新しいものの研究開発はほとんど大学であったということが言えるわけでございまして、大学の研究開発の効率は抜群によかったというふうに言えるわけでございます。しかし、最初に申し上げましたように、これらが工場に持っていかれてそこで製品となった場合の成功率は、大体日本の中で出ましたいろいろのアイデアは、先ほどの例にも申し上げましたように外国が目をつけまして、あちら側で工業製品となり、それがひいては日本の中に再び製品となって戻ってくるというような格好がほとんどでございます。それでも世界の文化に貢献するという功績はあるわけでございますが、経済的な問題として考えますと、これはやはり大変ゆゆしき問題ではない一かというふうに感ずるわけでございます。  次には、もう少し日本における社会環境というようなものを申し上げさせていただきたいわけでございます。  さっきも申しましたように、私どもも再三言われた言葉でございますけれども、日本人の特許なんかに特許料が払えるかということをおっしゃる方が相当おられたわけでございます。それから風潮といたしまして、日本人が発明したものを、これは日本人のだれがやったのだということを言うのを非常に嫌悪する風潮がございます。何とかして外国人がやったのだということを言いたくてしようがないというふうに思われることがたくさんございました。これが一つの民族感情といたしまして現在でも非常に強く日本人の心の中にあると思っております。  実は私ども大学にいて原理的な研究だけをしていたのではだめで、工学部系統でございますから、現実に物をつくって工業界の方々に見せればそういういいことがわかるわけでございますから、工業化してくださるかということを考えまして、実際に現物をつくってお目にかけ、またこれを諮っていただく。諮っていただければいいことがおわかりいただけるわけでございますが、そこまでいたしましても、やはり工業化しようということを言ってくださる方は非常に少ないわけでございます。  これは後ほどまた例として申し上げますが、ごく最近の事件でございますが、サイリスタといいます特別な半導体のデバイスをつくりまして発表いたしましたところが、一番最初に飛んでまいりましたのがアメリカのゼネラル・エレクトリックでございます。逆にどんなものに使うのかということをこちら側から聞いて、教えてもらったような状態になったわけでございます。その結果、もう一遍こちらにありますものをはかり直してみましたところが、向こうがこれ以上の特性が出ていれば非常に重要なものと考えなければいけないというふうに言ってくれたわけでございますが、それをはるかにしのぐデータが出てまいりました。早速あちこちに大変なものができましたということを報告したわけでございます。ところが、残念ながらどこもそれを取り上げてくださらなかったということでございました。最近になりましてアメリカの電力中央研究所の方に持ち込んでくれた方がございまして、あちら側で現在非常に活発に試験が行われております。幸いにして二、三のメーカーが製品をつくることに協力をしてくれましたために試料として外国に出すことができるようになったわけでございますが、あちら側からの評価は大変高いものでございました。現実には現在第二段階の試験に入っております。これは現実に機械として組み立てて使ってみるという試験でございまして、来年早々からは、これは電力系統でございますが、電力送電線とかあるいはニューヨークの地下鉄のモーターにくっつけて実際に走らせてみようということを大体現在進めているわけでございます。そこまでアメリカ側ではやってくれるわけでございますが、残念ながら日本の中ではそういう該当する研究所がほとんど動いてくれないということになってまいります。これはアメリカ側では大変喜んで、ぜひ我々にも使わせてくれということを言っているわけでございます。  幸いにしてそういうものができたということは、日本民族として若干アメリカに誇れるような仕事ができたということでは大変うれしいわけでございますが、非常に大問題がございまして、恐らくそういうものを応用し、実際に使うときにいろいろな技術がまた必要でございまして、それらに対する特許はほとんどアメリカ側で独占されざるを得ないだろう。そういうことになりますと、いざ日本がそれを実際に使おうという段階では、もともとは私どものつくりましたものを使うわけでございますけれども、それを応用するときにいろいろなことをまたほかにやるわけでございますが、それに対する特許はほとんどアメリカ側にありますために、日本人がつくったものを使うときに、アメリカに特許料を支払わなければいけないというような事態が今から既に想定されるわけでございます。私どももそういうものを食いとめるべく、応用に関する特許も、素人でございまして怪しげでございますけれども、何とか努力してなるべくたくさん取るようにしているわけでございますが、結果的には恐らくアメリカに相当の金を払わなければいけない状態になってくるのではないかというふうに考えられるわけであります。したがいまして、物ができましても、実際にそれを応用するというような環境がございませんと、結果的には相当大事なお金をアメリカ側に払わざるを得なくなってくるということになってくるわけでございます。  これは残念ながら工業という分野での話だけではございません。研究室の学生にいろいろな仕事をさせるわけでございますが、アメリカでこういう仕事をしているから同じことをやれと言うと大変喜んでやるわけでございますが、アメリカでやっていないことだけれども大事だからやれと言いますと大変嫌な顔をいたしまして、なかなか言を左右にしてやってくれないということがございます。どういうわけでこれだけの水準まで伸びました日本人がこのような非常におかしな考え方を持っているのかということは、教育者として私自身恥ずかしいことでございますけれども、よく理解ができないわけでございます。どうもわかりませんが、最近の教育が深い理解をさせるという教育から知識をたくさん詰め込むという教育に少し行き過ぎたためではないかというふうに感じているわけでございます。そのようなことで、日本における独創科学技術に対する体制は甚だ悲観すべきものであるというふうに私は考えております。  また一つつけ加えておりますけれども、細かい問題ではございますが、例えば大学の中でいろいろな分野に対する講座もふやそうということを考えなければいけないことがございます。これは本来は古くなって要らなくなったものを転用するという形で行われることが望ましいわけでございますけれども、最近定員法がありますために、なかなかそういうことが難しいわけでございます。しようがないものでございますから、技能職員の席を減らしまして教授、助教授の席をつくるということをやってまいります。そのためにどんどん技能職員が大学の中からなくなっていってしまっております。  それからもう一つは、東大のある研究所で非常勤職員の雇用に関しましてトラブルが出まして、いわゆる非常勤、定員以外の職員を雇うということに今非常に規制ができているわけであります。そのために、特に大事な研究というのは一つは材料でございますけれども、材料の研究をやろうと思いますと大変に手数が要るわけでございまして、人員数も相当動員しなければいけないという状態でございますが、いわゆる手足となって働いてくれる技能職員の数が大学の中から非常に減っているわけでございまして、そういう仕事をやろうと思いますと大変やりにくいということが、恐らく日本じゅうの大学どこでも共通した現象として出ているのではないかと思うわけであります。そのために、非常に根本的なイノベーション、創造科学というのは材料関係に出ることが多いわけでございますが、その大事な材料関係における研究能力が最近とみに低下しつつあるというふうに私は感じております。そのようなことが現在の日本の状況でございまして、甚だ憂うべき状態であるというふうに申し上げたいと思います。  では、これからどうしていったらいいのかということをレジュメの六番目くらいに書いてございます。  最初に申し上げましたように、工業化ということはだれがやってもかなりよくできるということが言えるわけでございますが、研究という面に関しましては、よく言えば天才、悪く言えば気違いがやらなければなかなかうまくいくものではないというふうに思っております。したがいまして、そういう研究能力のある人間を探し出してきて、その人に一生懸命働いてもらうということが必要でございます。例えば本多光太郎先生であるとかあるいは東大の三島徳七先生あるいは八木秀次先生というような先生方が既に過去の具体例としておられるわけでございますが、日本の中にも今も何人かはそういう方がいらっしゃるはずでございまして、そういう方を拾い上げまして、そういう方に仕事がやりやすいような環境をつくって差し上げて大いに働いてもらうということがどうしても必要でございます。しかし、残念ながらこのようなことをしようと思いますと、大体日本はよく言われますように悪平等主義が好きでございまして、これは後追い技術の開発をやる場合にはみんなで仲よく協力してやっていくということが必要でございますけれども、外国のどこでもやっていないようなものを探し出してきて、それを技術にしていくということになりますと、みんなで仲よくということにはなかなかならないわけでございまして、重点的にそういう能力のある方に研究費を差し上げ、スタッフをつけて研究展開をやってもらうことが必要ではないかというふうに感じております。  たまたま私自身もやらされておりますので、またも我田引水の感がございますが、現在科学技術庁の方でやっておられます創造科学技術推進プロジェクトというものが具体的なその一つの例ではないかというふうに思っております。これができましたことは私としても大変感謝申し上げたいというふうに思っております。お耳に入っているかと思いますが、相当の成果が既にこの中から出てきているわけでございます。ただ、これは残念ではございますが、初め伺っておりました予算からどうも下の方からマルが一つ消えてなくなったようでございまして、初めの構想から見ますとかなり後退した規模になってしまっているということが言えるだろうと思います。私個人といたしましては、お金がないところでやってみせるのが本当の教育研究であると思っておりますし、また学生には大変いい教育でございます。お金がないから何とかしようと思いますと、案外変なところからいい知恵が出てまいりまして、かえってお金がある人がやっているよりもいいことができるということもあるわけでございます。  そういうことでございまして、研究をやる力を持った人というのはある意味で天才児であると思いますが、そのような人を見つけ出すのもまた天才児であるということが言えるのではないかと思います。過去の具体例を申し上げるのが一番お話ししやすいわけでありますので具体例を申し上げますと、東大の物理に長岡半太郎という先生がいらっしゃったわけでございます。この先生はラザフォードというイギリスの学者の前に原子の格好はこういうふうな格好をしているのだということをおっしゃったという大変立派な基礎的な業績もお持ちでございますが、同時に大変人を見る目もお持ちであったというふうに考えております。東北大学を創設しますときに、それまでは、大学は欧米から文物を輸入し、もって我が国の文化水準を向上せしむるにありということになっておりまして、専ら外国から文化の種を持ってくるということに中心があったわけでございますが、そういうことばかりやっていないで、そろそろ新しいものを日本の中でつくっていくような教育研究をやる大学をつくろうではないかということになったそうでございます。それで長岡半太郎先生に人事構想を全部任せられたという話でございます。私はもちろん長岡先生も大変偉い先生だと思いますが、同時に、そういうことを考えてまた長岡先生に任せられた方も大変立派な方だと思いますが、私の調べる範囲では、残念ながらどなたかわからないわけでございます。この長岡先生もお偉かったわけでございますが、長岡先生にやらせた方も大変立派でございますし、今後ともまたそういう方が必要になってくるというふうに考えております。  長岡先生は、現在の理化学研究所を創設なさいました。大変立派な業績を上げられたわけでございます。また東北大学の人事を全部構想されまして、先ほど来申し上げておりますような大変立派な業績を上げられた先生方を集められたわけでございます。その後、東大を御退官の後、大阪大学の総長として再び赴任されまして、大阪大学でもまた大変立派な人事構想を実現されて、大変大きな業績を上げられたわけでございます。一例として申し上げますと、湯川先生が大阪大学の教授として赴任されました。またノーベル賞をおもらいになるような業績を上げられたというのも、その一つの例であろうかと思います。  そういう意味で、研究能力のある個人をぜひ見つけ出すという仕事が大変重要でございまして、そういう評価能力を持った天才児もまた日本の中から発掘しなければいけない。この方も数は少ないわけでございますが、長岡先生の例に見ますように、日本の中にもそういう方はいらっしゃると私は信じております。ただ、そういうことを具体的な名前を入れて話を始めますと甲論乙駁になりまして、大体固有名詞を固定することができなくなってまいります。したがいまして、こういうものは多くの方々が集まって投票して決めるという形のものではなかなか選びにくいということもございまして、現在の日本の社会の中で、このような超能力を持った方を探し出しましてお仕事をお願いするということは非常にやりにくい社会環境にございます。日本の中では、現在多数決で決めるということは非常に決めやすいわけでございますけれども、事研究というものないしは研究能力のある人を見つけ出すということでは多数決ではやれないということが、日本における一つの非常に苦しい点であるというふうに考えております。  また、次に入りますと、一つの難点でございますが、アメリカでは例えば大学の教授が一週間のうち一日は工場へ行ってコンサルタントをやるようにということがむしろ奨励されております。これは非常におもしろい話でございますが、共産圏でも同じでございまして、私が個人的な友だちといろいろ話をして聞いたところによりますと、研究費の七割はアカデミーから出す、しかし残りの三割は工場からもらってこいということが言われるわけです。しかも大変おもしろいのがついておりまして、その工場からもらってくる三割のうちの一部は個人生活費に使っていいのだということを言われまして、私も大変びっくりいたしました。それが実情でございます。つまり欧米であれ共産圏であれ、要するにコンサルタントというものは結果的には非常にいろいろなプラスがあるということを考えているようでございますし、まあこれは私どものような時代に育ちました者は、民族のためであれば自分が損をしてもやろうという気概を持っているつもりでございますけれども、これからの若い研究者がそういう考え方で本当にやってくれるものかどうかということは、やはり非常に疑わしい点がございます。そういう意味では、共産圏にありますような個人生活費に若干戻すということもあるいは必要であろうかと思います。会社にコンサルタントとして行けば、当然これは会社から対価をもらうのが筋でございまして、私の個人的な考えでは、その何割かは国庫に還元させる、それで何割かは個人の収入にさせるとかあるいはまた研究費に使ってもよろしいというような形で、これはむしろ奨励されることが必要ではないかと思っております。  特に工学関係でございますと、アメリカでは理学部の教授もコンサルタントをやることをむしろ勧められているようでございますけれども、生産現場というものの中には非常にいろいろな研究の種が転がっております。そういうものを見ましたり、また工学部の教官の場合には、これから自分たちの教え子が出て行ってこういう形で働くのだということを絶えず掌握しておくことが、やはり新しい息吹きを持った生きた教育になるわけでございます。そういう意味では、現在兼職禁止というようなものが非常にたくさんございまして、工場へ行って工場の息吹きを伝え、また自分たちの成果を工場へ持って行って工業化させるというようなことがなかなか円滑には行われておらないわけでございます。これがどうも日本の工業と基礎学術との間に大きな谷間をつくっておる一つの理由ではないかというふうに感じております。幸いなことに私立大学では最近むしろそういうことを非常に奨励するような傾向が出ているようでございまして、それは非常な大きな救いでございますけれども、残念ながら官学の方は依然として余りそういうことはやらないようにする風潮が続いているわけでございます。最近、文部省で共同研究というような形でいわゆる委託研究を大学の中でもやらせようということを計画しておられるようでございますけれども、こういうやり方がより強く行われるようになりませんと、せっかく日本の中で出ました種が外国で実を結んでしまうということが依然として多く行われるのではないかというような気がするわけでございます。  次は、やはり種は文部省というところにたくさんあるケースが多いわけでございます。そういたしますと、当然文部省の科学研究費というもので日本の中に新しい種を育てるといったぐいの研究が一つの主なターゲットになるかと思います。したがいまして、このうちからまたこれはもう少し育ててみるべきではないかというものが出てまいります。こういうようなものが、先ほど申し上げましたように創造科学技術推進事業というふうな格好で大学で出ました種を育てるということで、これは苗木を育てるという形になるかと思いますが、そういうものがやはり科学技術庁を中心にして行われる必要があろうかと思います。その後を通産省が引き継ぎまして、その苗木を育てて収穫をするということで国の経済にそれを戻していくというのが、一つの分業体制ではないかと思います。これらのことが非常に円滑に行われ、かつ協力することができれば、今申し上げましたような問題を解決する一つの手段になりはしないかと私は考えております。もちろん種が会社側で出ましたときには、それは主に通産省所管事業でございますから、当然通産省が文部省のやっているようなことをやる、ないしは科学技術庁がやっておられるようなことをやるというようなことも出てくるわけでございますが、原則的にはここに書かせていただいておりますような分業体制が非常に円滑に行われることが必要ではないかというふうに感じております。そういう意味で、これからここの間に一つの流れができるということができましたならば、私としては大変うれしいことであるというふうに感じております。  さて、もう少し具体的な問題でございますけれども、アメリカでございますとスタンフォード大学のそばにはスタンフォード・リサーチ・インスティチュートというのがございます。これは研究会社であります。大学の教官が兼務して、そこに出て行きまして、産学協同の委託研究のたぐいのものをやるというような体制になっておりまして、先ほど問題を起こしたと申しますような臨時職員のたぐいのものはこのような財団法人の方に所属させまして、そこで研究開発に従事させるということがよろしいのではないかと思います。これはいささか危ない発言でございますけれども、大学で申しますと、ある先生が例えば人間を一人余計もらったというようなことになりますと、隣の教授がまたおれのところにもよこせということを言うことになりまして、大体において進歩的であるべき大学の先生が非常に保守的でございますし、また悪平等が非常にお好きでございます。そのために、文部省としても多分お困りになるのだろうと思いますけれども、特定の先生にだけ研究室を広くしてあげたりあるいは人間をたくさんつけてあげたりすることがなかなかやりにくいわけでございます。また一遍つけてしまいますと、今度はなかなかこれが削れないということになりまして、やはりこれも非常に問題でございます。そういう意味では、かなり大きな研究展開を必要とするときには、新しい建物も必要でございますし、また技能職員ないしは補助職員のたぐいの者も非常にたくさん要るわけでございまして、そういうものは財団法人として大学のそばにつくりまして、それをその場合場合に応じて使ってもらうというようなことにすればよろしいわけでございます。ここら辺はアメリカ式でございますけれども、研究費の一部を割いて技能職員を採用する、そして委託研究費もひっくるめて研究費が切れればその技能職員をそのまま使っていくことができなくなるわけでございますから、仕事が終われば自動的にその数を減らすということになるわけでございますし、建物の方も使い終われば返すということになってくるわけでございまして、臨機の処置をやるためにはやはりこのような措置が必要であろうかと思っております。アメリカの活発な大学にはほとんどその隣にそういう研究を中心とした財団法人の建物や人がおりまして、現在アメリカの工業の非常に大きな力になっているかと思います。日本の中では幸いにして私どもの方は、文部省がいろいろ御努力してつくってくださったために現実にそういうことができておりますけれども、非常にまれな例でございます。そのために、せっかく工業化さるべきときに工業化されないケースがたくさん出ているというふうに考えております。これらの問題が、私が考えております非常に具体的な問題でございます。まだそのほかにもいろいろあろうかと思いますが、私の乏しい頭ではこれくらいのことしか今は考えられないということでございます。  次に、レジュメの最後のページに入らしていただきます。七番目でございますが、光通信では私も幸いにして若干の貢献はできたわけでございますが、現在光通信網がどんどん整備されつつございます。また一方、宇宙通信、衛星通信というものができまして、国際間の通信が非常に楽になりました。楽と申しますのは、つまりたくさんのデータを非常に早く伝えることができる。例えば昔のようにモールス符号で送っておりましたのでは、伝えていきますために時間がかかってしようがないわけでございますから、たくさんのデータを送ろうというのには大変な時間がかかったわけでございます。現在は、光を使って送りましたりあるいはマイクロ波を使って送ったりいたしますと、瞬時にしてデータが国と国との間を駆けめぐるわけでございます。したがいまして、日本のどんな片田舎におりましてもニューヨーク・マンハッタンの町の真ん中にいるのと同じような速さでデータが手に入れられるということになってまいりました。また、そういうもので伝えられるべきデータを蓄積し処理をするということの武器として大型電子計算機が実用化されております。すなわち、この両者が右の手と左の手でございまして、現在の情報に基づく社会革命というものは、この両者が存在して初めて可能になったものであるというふうに考えられるわけでございますが、世界じゅうどこにいても平等に同じようにデータを手に入れることができるようになりましたことは、また大変大きな利益と危険性をはらむわけでございます。  同時に、今度は半導体工業の成果でございますが、ロボットができまして、今まで多数の工員がこなしておりました機械の操作をほとんどロボットがやってしまうということになるわけでございます。また、夜間にほとんど無人の工場でロボットが黙々と生産を続けているということになってまいりました。生産効率が上がり、生産速度が速くなってまいりました。このために生産手段というものが非常に強化され、何かこれが生産されればいいというものが決まれば、たちまちにして製品として流れ出してくるということも言えるかと思います。また同時に、航空機が進歩いたしまして、物を運ぶということが非常に簡単になってまいりました。そのために世界じゅうが国際化されざるを得ない状態になっております。かつては、例えば私どものおります仙台市で一番いい商品であるということを言えば、大きな顔をして売っていることができるようになっておりました。ところが、これからは世界じゅうで一番いい商品であるということを言わなければ売れない時代になります。また、そういう製品がどんどんと流れ込んでまいりまして、きのうまで売れておりました仙台市で一番いい商品というものがたちまちにして売れなくなりまして、つくっておった商店や会社は倒産することになるわけであります。これからはこういうような情報、生産、物流手段の進歩によりまして、非常に高度の製品を生産しなければ国際社会で経済的な豊かさを確保していくことができない状態になっていくというふうに思っております。したがいまして、これも最初に申し上げましたように、科学技術というものが進歩していなければ経済的な競争に一遍で敗退してしまうという環境が今熟しつつあると申し上げられるかと思います。  この点からいいましても、科学技術のレベルを世界最高に保っておくということが、ますます重要な時期に入っているかと思います。そのためにも、簡単に言えばよき設計をする人でありますが、すばらしい科学技術開発のできる天才児をぜひ日本民族の中から発掘いたしまして、こういう人たちに思い切って働いてもらう。週休二日制などというようなのんきなことは言っておられないだろうと思います。このような形で選ばれた人は、夜も日もなしに働いてもらいませんと、これがすばらしい製品となって世界じゅうに送れるような水準を維持することは困難ではないかということでございまして、そういう天才児にはもう極力夜も日もなしに働いてもらうという形、努力してもらうような社会体制をつくらなければいけないと思います。これこそまた日本民族の生命線ではないかというふうに感じているわけでございます。  最後に八番目といたしまして、時々誤解を招きまして、科学技術は犯罪人であるかのごとく長いこと言われてきたわけでございます。先日ある方が科学技術は自然破壊をするのだということを言っておられました。これも大変大きな誤解でございます。科学技術が急になくなったといたしましたならば、人間は山へ行って木を切りまして燃料をとり、また食糧を料理するために使うわけでございますが、この辺の山は数日ならずして丸坊主になることは間違いがございません。科学技術がありますために、人類が生存するために必要な自然破壊を極力少なくしているわけであります。したがいまして、科学技術の本来の使命は、人類生存のために必要な自然破壊を極力少なくするということにあると私は思っております。したがいまして、この資源の消費を効率的に行うということが必要でございますが、どのようなところで科学技術の価値が本来あるべきものである。もちろん間違ったいろいろな使い方があることは否定できないわけでございますが、これは本来科学技術者の使命というよりは使い方の問題ではないかというふうに思うわけでございます。よく言われることでございますが、科学技術はもろ刃の剣でございます。人間を非常に幸せにする力もあると同時に、また人間を非常に不幸せにする力も持っておるわけでございます。いずれにしましても、さればとて科学技術の開発を怠るということが行われましたならば、資源消費を効率化することもできなくなるわけでございます。特に日本の場合には、現在持っております経済水準を維持することもできなくなるわけでございます。そういう意味で絶えず最高級の科学技術を持っているということが、日本の繁栄をより長く保つために絶対必要であるというふうに思うわけでございます。  先ほど若干の例を申し上げました。また、私どもの方でつくりました電気を流しますと光が出るというダイオードがございます。先ほど通ってまいりました上野の駅の表示板には、それが非常にたくさん使っていただけております。桜田門のところの警視庁のわきに交通情報板というのがありまして、緊急な事項が起こった場合にはそこに情報が表示されるわけでありますが、あれは私どもの研究室で誕生いたしました発光ダイオードが使われているわけでございます。私どもの研究室から出発いたしましたものは非常に明るいわけでありまして、太陽が光っているところでもちゃんと見えるという明るさがあったためにああいうものに使われるようになったわけでございまして、そういうものがいろいろな形で人間の生活にプラスしているわけでございます。先ほど申し上げましたように、サイリスタといいます電流を切ったり入れたりすることのできるデバイスでございますが、この効率は九九%でございます。自動車のエンジンの効率は、若干間違いがあるかと思いますが二五%であると聞いております。つまり自動車が走っておりますと七五%のエネルギーはむだに使ってしまっているわけでございます。最大のエネルギー消費は今火力発電でございます。火力発電があたかも罪悪を流しているように聞こえるかもしれませんが、大体火力発電所の効率が五〇%を割っております。それは、ほかがもっと悪いから今それが使われているわけでございますが、そのようなことで人間の社会でやっておりますいろいろな機械の効率というものは大変低いわけでございまして、現在日本人が、ちょっとデータが古いので間違っておるかもしれませんが、赤ん坊をひっくるめまして石油一日一人当たり大体六リットルを使っているわけでございますが、その半分はむだになってしまっております。つまり、火力発電所で例えば半分ぐらいにしているものを全部数えあげますと、何と半分以上は捨てているのと同じであるということになっております。こういうところに、例えば新しい科学技術を使いまして実際に世の中の役に立つものをつくり、エネルギー消費を少しでも減らすことができるようなことが起こりますと、現実に私どもは涙が流れるほどうれしかったわけでございますが、アメリカのいろいろなところからやってきて、ぜひ自分たちに分けてくれ、自分たちに売ってくれというようなことを頼まれるわけであります。こういうものをつくっていけば、今盛んに騒がれております貿易摩擦なんというものは全くなくていいのだ。世界じゅうの人に感謝されながらそういうものを売ってあげることができる。また、それによって自分たちの経済水準を高く保つこともできるわけであります。これこそ私は、日本民族がこれから先生きていく大きな道ではないか、あるいはそれしかないのではないかという気もするわけであります。そういう世界では、よく言われますような貿易摩擦などはございません。貿易摩擦は出口なき紛争であるということを言った方がございますけれども、貿易摩擦にも大変立派な出口があると思います。  大変ずさんな御報告をさせていただきましたが、私の申し上げることはこれぐらいでございます。(拍手)

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 どうもありがとうございます。     —————————————

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 それでは、これより質疑を行います。  この際、委員各位に一言申し上げます。  質疑につきましては、時間が限られておりますので、委員各位の特段の御協力をお願いいたします。なお、委員長の許可を得て御発言をお願いいたします。

渡部行雄日本社会党・護憲共同

○渡部(行)委員 先生にお伺いいたします。  まず第一に、工業に目を向けて科学技術を工業化するための組織づくりが大事である、こういう趣旨のことを言われましたが、それはどういう組織を想定しておられるのか、その点が一つ。  それから二番目は、私この間テレビを見て、光ファイバーは先生が発明をされて、その特許を取ろうとしたら日本の特許庁はこれを許可しなかった、そのためにアメリカに持っていかれて、今逆にアメリカに特許料を払っているような始末である。こういうばかげた現象はどこに問題があるのか。これは本当に私は大変な問題だと思っております。そういうものをなくしていくにはどうしたらいいのか。つまり、すぐれた先端の技術、学術というものについて、その価値を見通すだけの能力がないのかどうか、その辺も含めてお伺いしたいと思います。  それから第三点は、先ほど先生は、アメリカでは財団法人によって大学周辺に研究所を持ってやっている、そして必要に応じた研究ができるようなシステムになっているという趣旨のお話でしたが、それに対比してソ連はどういうふうなやり方ですばらしい天才の育て方をやっておられるのか。そしてまた、財団法人の中で研究した成果は、どういう方法でこれが民間に流れ工業化されているのか、この三点についてお伺いいたします。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 頭が悪いものでございますから三つが次々と出てこないかもしれませんが、一つずつ順を追って御報告させていただきます。  組織づくりでございますが、これは最終的にはだれが入るかということが非常に重要である。でございますから、組織も大事でございますが、同時にそこにどういう人をはめ込むかということが大事であるわけであります。例えば文部省の科学研究費なんかにもあるわけでございますが、その成果に関します評価をやる組織が必要であると思います。同じく科学技術庁の場合でございますといろいろな研究プロジェクトがございますが、そのおのおのを総括いたしましたようなところで、おのおのの研究成果が非常に成功したかしなかったかということを評価する組織が必要でございます。同じく通産省の中にも、将来技術に対する見通しであるとかあるいは研究補助金の使い方がどの程度の効率があったかということを評価する組織が必要になるわけでございます。したがいまして、こういうような研究を促進なさっておられます省庁の一部に評価組織があることが必要でございまして、そういう評価をいたしますと、例えば成果の中から、これは非常に立派な成果であるということが拾い出されてくるわけでございます。その拾い出されたものを、では次にどういう形で奨励してやろうかという形に当然つながっていくわけでございまして、評価が同時に実を拾い上げる組織になると思います。そのような組織がどうもとかく弱いのではないか。  また、これもいろいろと問題になる言葉でございますけれども、一部に、研究費はもらうまでが大変だという非常におかしな言葉があるわけでございます。これは、本来そういうことはあるべき言葉ではございません。もらってから忙しくなるのが当然でございますが、もらうまでが大変だというのはその一端をあらわしているかと思います。つまり、研究費をせっかくもらいましても、それを本当に有効に、すばらしい成果を上げるために使おうという考え方が余り定着していないということになるかと思います。最初の渡部先生の御質問に関しましては、私は評価をやるような組織づくりをし、またそこにすばらしい能力を持った人を拾ってきて入れるということが必要ではないかと思います。これは絶対に年功序列などで人事を決めるべきものではないというふうに考えております。  続きまして、第二項目に入らせていただきます。これはとかく日本にあるわけでございますが、組織上の特許庁側のいろいろな失態に関しましては、私どもとしましては早速また高等裁判所に提訴いたしまして法的に争っております。実は私が大変びっくりしたわけでございますが、かなり大事な特許が二つございまして、その二つともが高等裁判所の方で、これは再度審理の上、特許すべきものと認めるという審決をしてくださいました。早速喜び勇んで特許庁の方に持ってまいりました。そういたしますと、これは世の中で申しますいわゆる再審請求が通ったということでございますが、その再審請求が通った二つの大事な特許を持って特許庁に参りましたところが、これがまた拒否されたわけでございます。社会常識からいいましても非常に異例な事態が起こったというふうに私どもは感じておりまして、それに対しましては、また再度高等裁判所の方に持ってまいりまして、法的にはっきりさせていただこうということをお願いしております。  ただ、これは具体的なことでございますけれども、先生のお話はむしろそれより深いところに関するお言葉であったと私は判断いたしますので、そういう形のお話をさせていただきますと、ある方が、自分たちは光通信の開発研究をやったのだけれども、絶対に西澤の仕事なぞを見て始めたものではない、アメリカでやったからやったんだということを新聞にお書きになった方があるわけであります。これは私にしてみますと、一体どういうお気持ちでそういう発言をなさったのか全く理解に苦しむわけであります。よく言われることでございますが、世界じゅうで何か新しいことが発見されると必ずロシア人がいる。そのアイデアはロシアに何十年前にあったというわけであります。それこそ私、どんなものか見たことございませんが、いわゆるガリ版で切ったようなものまで引きずり出してきて、自分の国が最初だということを言っているのではないかという気がいたします。  私がびっくりいたしましたのは、光通信で光を出しますのは半導体レーザーでございまして、これも私どもの特許出願が世界じゅうで一番早かったわけでございますけれども、そうしましなら、日本のある方がもっと早いのがあるということを言ったのですね。どんなものかと申しますと、ある有名なノイマンという大変な学者がおりまして、その人が先年亡くなりました。亡くなりましたときに、自分の持っておりましたノートブックがあるわけでございます。これはもちろん公開していないわけです。そのノートブックを、非常にいろいろないい考えを出した人でございますので、本屋が出版したわけでございます。ですから、それが世の中に出ましたのは当然私が半導体レーザーができるはずだということを言ったのよりも後でございますが、その中に実は半導体レーザーなるものが書いてありました。もちろんその後をよく読んでみますと、こういうことが考えられるけれども、これは多分うまくいかないだろうと書いてございました。しかも、それも私どもの特許が出願された十年ほど後に出版されたものでございますが、それがあるから実は一番最初に考えたのはノイマンだということを言った人があるわけであります。これは日本人でございます。雑誌にちゃんと書いてございます。ですから、これが日本人の甚だ困ったところでございまして、何とかして外国人が先にやったということを言いたくてしようがないんじゃないかという気がいたします。そういう民族感情がまだ研究者の中には相当ございまして、それが結果的には日本の中における独創的な技術を伸ばすのに非常に大きなマイナスになっているのではないかと私は感じております。  三番目の財団組織の問題でございますが、アメリカでは現在これが非常に機能しておりまして、もちろん弊害がないわけではございません。しかし、非常に多くの成果がそこから出ているということも事実でございます。ソビエトの方がやはり非常に優秀な研究者がいるわけでございますが、どうもそれを取り巻く研究者群の構成がまだ不十分じゃないかというふうに感じますし、ソビエトの政府でもそういうことは非常に痛感しているようでございます。近年、新しく実用化研究所というようなものを非常に強力に設立されつつあるようでございまして、現実にはどういうところにそういうものがあるというようなことも私ども聞かされたりあるいは見せられたりしているわけでございますが、工業化するための研究所、組織づくりを熱心にやっているわけでございます。まだその成果が十分には出ていないのじゃないかと思いますが、将来こういう方面が充実されますと、共産圏の工業力も大変高い水準に到達するであろうというふうに感じます。  いわゆる基礎研究者の育成に関しましては、私は日本よりも非常にすぐれた組織と手法を開発していると考えております。いささか言葉は悪いわけでございますが、一種の相撲部屋組織みたいなものになっております。ある有名な偉い教授がおりまして、その部下がいるわけでありますが、例えば地方の高等学校の教官などになりまして赴任しております。自分の高等学校の生徒の中に非常にすぐれた才能を持った生徒がおりますと、それを自分の親元の教授に推薦するわけでございます。そうしますと、その教授は地方を回りまして自分でその生徒に会っていろいろと試問を行います。その結果、やはりこれは非常にすぐれた生徒であるということがわかりますと、自分の大学に入学する許可を与えまして、同時にこれは奨学金がつくわけであります。このような形で、各教授が自分の部下の中にそういう非常にすぐれた逸材を抜き出してきて集めるということをある意味では競争しながらやっているような状態がございまして、そのためにソビエト連邦におきます基礎研究の水準というのは非常に高くなっているというふうに私は感じております。したがいまして、経済的にも非常に強力な国々のそういう研究開発ないしは工業化に対する体制というものは非常にすぐれたものを持っておりますし、おくれておりますところも現在着々と整備中であるというふうに感じております。

渡部行雄日本社会党・護憲共同

○渡部(行)委員 どうもありがとうございました。

大原亨日本社会党・護憲共同

○大原委員 参考になるお話を伺いましたが、簡単に言いますと、半導体についての専攻の学部とか大学の研究所が韓国の方はもう既にできつつありますし、研究費の問題もそうですが、文部省のそういう創造的な研究について受け入れる態勢が、いろいろな批判が科学技術庁にも出ておるようですが、欠陥があるのですか、それともどういうところに問題があるのでしょうか。これが一つ。  それから、お話によりますと、大学が種子で、科学技術庁が苗で、通産省が収穫だと言われておりました。だから、科学技術のスタッフの積み上げは通産省が非常に大きい歴史を持っていると思うのです。だから、科学技術庁は今の御指摘のような機能を果たしていない。ある人は、文部省を解体して、文化、スポーツを残しておいて、科学技術庁と文部省を一緒にして、それを中心にしたらどうだという議論があるぐらいですけれども、科学技術庁についての御意見がございましたらお聞かせください。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 今、文部省におけるいろいろな問題点ということがございました。ソウル大学には、まだ学科はできておりませんが、半導体研究所が既に四月一日から発足しております。そういう時代に応じた研究教育体制の整備というものがスムーズに行われていないことが先生の一つの言葉と思いますけれども、まさにそのとおりでございます。それが文部省の責任だということになるかとなりますと、私は非常に疑問を感ずるわけでございます。  かつて文部省の研究助成課長という方がおられまして、戦後日本の将来は研究をちゃんとやらせるかやらせないかによって決まるのだということを言われました。審議官に昇進させたいから上げていいかということを言いますと、いや大事な仕事だから自分は今のポジションにそのままいるんだとおっしゃいまして、周辺や後輩の方が非常に迷惑をされたという例を聞いておりますが、そのような熱意のある方もいらっしゃいまして、この方が昔は科学研究費の配分を自分の責任としてやっておられました。今でも時々伺うわけでございますが、あの助成課長時代は非常によかったということを言われます。ところが、そういう大事な科学研究費の配分を官僚にやらせるとは何事だ、大学の先生が分けるべきだということになりまして、これの審査員を大体たらい回しにするようなことになっております。たらい回しと申しますと少し問題があるかと思いますが、二年ごとにかわるというようなことになりまして、その方をどうして選ぶかということになりますと、これはかなり事務的に選ぶわけでございます。そういうことがございまして、むしろ科学研究費の配分のやり方が少しおかしくなったんじゃないかということを言った方もおられます。最近またそれにいろいろ手を加えて新しいやり方を導入しておられるようでございますが、決して文部省のお役人の云々ということではございませんで、むしろ私としますと、大学の教官の方でもそういうことをまじめにやろうという気持ちをもう少し強く持つことがどうしても必要なのではないか。  これは申し上げるまでもないことでございますが、大学に関しましてはなかなかトップダウンという命令系統にはなっておりませんで、大学の教授一人一人の裁断能力というものに任されているものが多分にあるわけでございまして、これがいいときは大変よろしいわけでございます。一例を申しますと、イギリスの大学におきましては例えば物理学教室には教授はたった一人しかおりません。一番激しい例でございますが、教授が十六歳で任命された例がございます。これは大変立派な仕事をしたケルビンという人でございますけれども、その当時研究室におりました講義をする先生方が四十何歳、そのヘッドに立ったケルビンがたった十六歳だったという例がございまして、この中からまたすばらしい成果を上げたわけでございます。そういうことで、大学の命令組織というのは普通と同じようにするのがいいとはなかなか言えないわけでございますが、どうも悪いときにはそれがあだになるわけでありまして、新しいことをやろうと思いますと、大学の中ではなかなかやりにくいというのが実情であろうかと思います。  研究に関しましては、科学技術庁と一緒にするというようなお話も出たわけでございますが、これは一概にどちらがいいということはなかなか言えないのではないかというふうに私は考えております。やはり大学の研究の主なものは未知の事実に対する追求ということがございまして、それが役に立とうと立つまいとまだ我々がわかっていないことを調べていく、そのうちから大変立派なすばらしい役に立つものが出てくることもたくさんあるわけでございます。その方の例といたしましては、少し話が大きいわけでございますが、アインシュタインの相対性理論などというものはそういう範疇から生まれた仕事でございますし、大学の理学部というのは本来的にはそういうたぐいの研究をやることがその職務でございます、もちろん教育をやることも重大な職務でございますが。こういうことになりますと、工学系の場合とかなり違った様相を持った研究になるわけでございます。工学系の場合には、すぐに工業として役に立つことに近いところを調べていくということになりますので、研究に対する態度、姿勢も二つの学部の間ではおのずから相当の差があるわけでございます。特に日本の場合には相当差があるわけでございますが、そういう意味では、科学技術庁と合同するということが直ちに大変大きな成果を生むということはなかなか言えないのではないかというふうに感じております。  ただ、例えば大学の教官が科学技術庁から若干は研究費を受けてやることもできる。また文部省の方が会社の人に若干は研究費を出して、基礎研究のいいものがあったならばそれを奨励することもできるようにする。通産省と科学技術庁との間も同じでございますが、そういう若干の交差をするということは効果を非常に上げるとは思いますけれども、合併したらよくなるかどうかということになりますと、難しいこともたくさんございますし、なかなか一律には断ずることはできないわけでございます。  私が考えておりますのは、そんなことでございます。

矢追秀彦公明党・国民会議

○矢追委員 先ほど来の先生のお話、私も基礎医学の研究をやっておりましたので、非常に同感を持って拝聴させていただきました。  二、三点お伺いしたいのですが、一つは人材の発掘です。いわゆる入学試験ですね。現在のままでは、平均化した人が出てきても天才的な人は出にくくなるのではないか、これが一つ。  もう一つは、大学の教育のあり方ですけれども、私は歯学部ですが、講座制というのがかなり障害になってきているのじゃないかと思うわけです。最近は徐々に変わりつつありますが、筑波大学の医学部はかなり思い切った新しいことをいたしましたけれども、そういう意味では大学の教育のあり方についてのカリキュラムあるいは講座制というものはもう少し何とかならないのか。これが第二点。  三番目、研究費のことは、私も科研を全然もらえなくて残念だった方の組なんですけれども、研究のあり方についてもまだまだむだ遣いがあるのではないか。一つのテーマを決めて研究班を組んでやるような研究も随分ふえてきてはおりますけれども、まだまだ学部の壁あるいは講座の壁がございまして、結局一つの講座に来る研究費というものは微々たるものになってしまう。科研は今言ったようになかなかつかない、その辺をどう調整しておられるのか。その三点をお伺いしたいと思います。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 私などよりももっといろいろとうんちくがおありの先生に私が申し上げる筋ではないわけでございますが、私なりに考えていることを申し上げさせていただきます。  入学試験の問題は、まさに先生のおっしゃるとおりだと思っております。私などでも、昔でも入学試験のときには相当勉強させられた思いがございまして、一概に勉強するのが過度だからいけないということではないと思っております。私は、どうも入学試験の問題が問題ではないか。たまたま数学は暗記試験だと言った人があるわけでございますが、そのように非常に学問に対する間違った態度を育てるような試験の出し方に問題がある。具体例はいろいろとございますけれども、やはりもう少し深くよく理解して、基礎をどれだけマスターしているかを試験するものでなければいけないのではないか。より高い水準の勉強をするためには、やはり基礎をちゃんと理解していなければいけないわけでございますが、最近は教官もひっくるめまして、どうも知識の方に価値を置きがちではないかと思っております。したがいまして、どちらかというと暗記力テストみたいな問題がとかく出がちである、これがひいては生徒の素質を十分に育てるときにむしろ弊害になってはいないかと感じております。したがいまして、カリキュラムであるとか何かの方も全く同じでございまして、どうも知識をたくさん詰め込んでやるということでありまして、工業技術を伸ばす、工業化してあるものをさらによい品質にしていくというようなときには結構役に立つ人間の養成法でございますけれども、根本から新しいものを生み育てていくときには、やはりこういうやり方だけでは十分な人材の養成ができるとは私には考えられないわけでございます。そういう意味では、先生のおっしゃったことはまさに私もそのとおりだと思います。そういう基礎的な力を養成するような教育のあり方、入学試験のあり方を、教育体制の中に育てていかなければいけないのではないかと考えております。  それから第二点でございますが、講座の問題であると思います。講座のあり方が非常に古い学問のあり方から出発しているわけでございまして、それがどうもいつまでたっても変わっていないという点に問題があるわけで、これは先生のおっしゃるとおりであると思います。本来でございますと、講座というものはひとりでに中身を非常にリフレッシュしていって、研究体制、内容の方も次から次へと新しいものがそこから出て来、結果的には世界最先端を駆けている。つまり、目立たないわけでございますけれども、実は気がついてみたら世界最先端であったというのが本当の先端であると思います。そういう格好の学問が各講座、部門で展開されているのが望ましいわけでございますけれども、その実はどうもなかなかそうではない。ただ、講座制にも若干いいところがございまして、なかなか捨てがたい点もございます。いずれにいたしましても、先ほど来申し上げておりますように、少なくとも時機に応じて例えば職員の教がふやせるとか部屋の面積がふやせるとか、ないしは講座を二つに割るとか、あるいは最近文部省でも実際にやっておられるわけでございますけれども、大講座制というのが出発いたしまして、教授が複数であり助教授もまた複数であるというような運営も始まっているわけでございますが、場合によれば教授が一人であって助教授が三人であるとか、そういうような時機に応じた体制がとれるようなものであることが望ましいのではないかと感じております。  ただ、私どもは現実に、その講座制に対して批判をする方から逆にいろいろ弊害が出ていることを感ずるわけでございます。いわゆる研究の自由を余りにも尊重しますために、責任のとれないような研究を展開する人間がかなりふえてきている。失敗することはやむを得ないわけでございますが、第三番目のお話として先生から出していただきました研究費のむだ遣いの話がございますけれども、案外人のまねをする研究がむだになっているわけでございます。自分の方でだれそれ教授と同じようなことをやってみたらまさにそのとおりになったとか、向こうは十まで行ったけれども自分の方でも七まで行ったというたぐいの研究が非常に多いわけでございます。そういうことを研究者の自由と称しましてやりたがる連中が結構いるわけでありまして、こういうものが実は研究の効率を非常に低下させております。講座の場合にはやはり教授が責任を持つわけでございますから、その教授の判断でこれをとめることもできるはずでございますけれども、そういう場合の責任の持っていきどころという意味では、やはり講座制は捨てがたい魅力があるなど感ずるわけでございます。一つは、やはり戦前に比べますと大学の教授の数が異常に膨張いたしまして、それだけに平均能力の方も下がってしまったのだという意見もあるわけでございますので、こういう弊害もそういうところから出てくるかなという気もしております。  先生の三番目のお話に入らせていただきますと、まさにアメリカの各講座についてまいります研究費というのは全くないのであります。したがいまして、委託研究とか補助金をもらわない限り助手も雇えないというのがあるようでございます。そういう点からいいますと、アメリカの大学の先生は日本の大学の先生がうらやましくてしようがないということを言うようでございますね。日の当たらない研究の中から次に非常にすばらしいものが出てくるようなチャンスがあるわけでございますから、そういうものを奨励するためには、現在やられておりますように講座部門当たりにある一定職員が配分され、また研究費の配賦が自動的にあるという体制はやはり捨てがたい魅力があるわけでございます。同時に、先生の御指摘のありましたように、むしろ研究費の分け方などには非常にむだがあると思います。その最大のものは、先ほど私が申しましたように、いわゆる追試と申しますか、外国でやられたことをまたそのとおりやってみるというたぐいの研究の割合が日本は異常に多いのではないかという気がいたします。何かすぐれたものをやろうと思えば、初めはまねから出発することもあるわけでございますから、まねが全部悪いということを言うわけではございませんが、異常に多過ぎるということははっきり申し上げられるのではないかと思います。  それからもう一つ具体的に感じておりますのは、年度というのがございまして、研究費をどうしても年度内に使わなければいけないというのが案外非常に苦しい点でございますね。八月末に研究費の配分が決まりまして、慌てて業者に機械を発注する、三月いっぱいにそれを納品させよう、会計法上は四月いっぱいまで許されているのだと思いますが、そのようなことをやりますと、とかく不十分な機械設計でも我慢しなければいけないということが出てまいります。これはあるいは予約とか、若干年度をまたがっても不正行為がなければ認めてやるというたぐいの措置でもあれば、これは相当やれるのではないか。  それから、最近私ども感ずるのですが、研究の展開によりますと急に非常に多額の研究費が要ることがあるわけであります。こういうときに、幸い今度は科学技術庁のお金を私どもつけていただいておりましたので、若干身銭も切っているわけでございますが、レスポンスがかなりできたことが非常にありがたかったわけでございますが、どうも一般には、ここで急遽研究展開をやらなければいけないときになかなか研究費がつかない。文部省に科学研究費の申請を要請しておりますと五年ぐらいかかるのは普通でございまして、その年のうちにつけていただくなどということは夢物語になるわけでございますが、先ほど御質問のございました評価というふうな体制ができましたならば、そういうところに急に駆け込みまして臨機の措置を講じていただくことも可能になるのではないかという気がいたします。理想といたしましては、臨機の研究費までつけていただけるようなことがあれば、これは展開には格段の進歩があるものと思っております。

遠藤和良公明党・国民会議

○遠藤委員 私は、三点お伺いいたします。  一つは、日本の教育全般に関する先生のお考え方ですけれども、日本経済新聞の「私の履歴書」を読ませていただきまして、大変感銘しました。その中で「不器用の勝利」とか「愚直一徹」という言葉を発見いたしまして、安心もさせていただいたわけでございますが、先ほど話がありましたように、いわゆる知識偏重とか暗記重視といった教育ではなくて、創造科学を推進していくための真の英才教育といったものが必要ではないかと考えるわけでございますけれども、そういった観点から現状の教育に対するお考え方を伺いたいと思います。  二点目は、いわゆる萌芽研究を発掘するというもう一歩突っ込んだ形で発掘をどうするかということが問題ではないか。アメリカで研究しているからという説得をつけないと研究費が出ないのは大変言語道断の問題でありまして、むしろいわゆる創造研究博労チームのようなものをつくって、いい馬を博労が探し当てるように、各大学の研究機関を博労チームが歩きまして、そこでいい研究、萌芽的研究を発掘していくといった、より一歩踏み込んだ評価システムをつくる必要があるのではないかと思うわけです。創造的研究というのは大変リスクを伴うものでございまして、アメリカが千分の六というのは私は大変うらやましい状況ではないかと思います。カルバーニのカエルの足ではありませんけれども、何をやっているかわからない、そういったところにまで研究の価値を見出していくシステムを日本でもつくらなければいけないと思います。こういうことと関係して、いわゆる科学技術アカデミー構想ですね、これについて先生はどういうふうにお考えになるか。  それから三番目でございますが、いわゆる日本の特許制度が百年を迎えまして見直しが言われているわけですが、先生の研究の関連もありましたが、もっと踏み込んで日本の特許制度全体を見直す必要があるのではないか。特に今、昭和五十八年度では、実用新案と特許合わせますと四十七万件申請がありまして、大体審査期間二年五カ月。このままほうっておくと十年後には七年ぐらいかかるだろう。こうなりますと、創造的研究に対する評価というものが大変おくれるわけでして、こういう形でいわゆる創造的科学技術研究に対する権利保護の問題が出てくるのではないかと思いますが、こういう見直しの時期に当たって特許制度そのものに対する先生のお考え方というものをお尋ねしたいと思います。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 大変御理解の深いお話をちょうだいいたしまして、私、大変うれしく思います。なかなか世の中では先生のような御判断に基づいた御意見がいただけないのが実情ではないかというふうに感じております。  私の個人的な書き物がお目にとまりまして甚だ恥ずかしい思いがいたしますが、まさに英才教育というものが必要であると思います。ただ、最近、一つには、若い方に対しましてはもう少しやはり苦労させてもいいんだという態度も同時に示すことが必要ではないか。いろいろな仕事をなすった方々をひもといてみますと、必ずしも決して恵まれた環境のもとに育っているとは限らないということがあると思いますので、同時に若い方には、少しぐらい困難があっても自分の道を貫いていけということを言ってやる必要がありはしないかということも感じているわけでございます。ただ、この初等教育に関しましては先生のおっしゃったような問題が非常に重大でございまして、わりかた自分で育っていくだけの努力をする素地がございませんから、やはり小さいときに育てられたものはそのままの形になって育っていきがちでございますから、その間の教育というものは実は非常に重要ではないかと感じております。  先ほど御質問のございましたソビエトにおける英才教育のあり方ということも、一つ先生の御質問に対しても御参考になろうかと思うわけでありますが、本当に能力のある人間を見抜くということも、これは非常に難しい芸でございまして、とかく小学校の先生方の一般の能力からすれば、点数の高いものが実力であるというふうな抜き方をすることになってしまいますので、先生のおっしゃったように、何か見る目のある方が人間につきましても発掘をして歩くというようなことが必要ではないかという気がしております。  ただ、一般的に申しますと、やはり現在の教育が知識をたくさん持つということに中心があるということが一つの大きな欠点でありまして、知識などというのはそのときになってから慌てて勉強しても結構何とか間に合うわけでありまして、本当に根本的によく物事を理解しておくということは急場には間に合わないわけでございます。そういう意味から言えば、どうも少し余計なことまで教え過ぎるために子供の頭が十分教育をそしゃくし切れていないのではないかというような感じを私は持っております。ただ、これは私のつたない経験から言っているわけでございまして、教育の専門家もいらっしゃるわけでございますから、そういう方々にはしかられるようなことを申し上げることになるかと思いますが、むしろ教えることを少し減らして大事なことだけにする、それはしかし根本的によく理解させるようにすべきではないか。  たまたま、この間ある先生も言っていらっしゃいましたのですが、高等学校の教科書などを私ども見ますと、大変難しいことを、悪い言い方をすれば末端に属することまで非常に克明に書いていらっしゃるということで実はびっくりするわけでございます。こんなことまで高等学校で教えているのかというのが最近の私どもの印象でございますが、あんなことまで教えるよりも、もう少し基本的なところをちゃんと理解させるような方向に持っていくべきではないかということで、先生のおっしゃるとおりだと思います。  二番目でございますが、萌芽的研究の発掘というのもまさにそのとおりでございまして、先ほど申し上げましたように、昔文部省の助成課長は絶えず日本の大学をずっと歩いて回りまして、いろいろな研究室に行っては先生方に会って、その中から問題をむしろつかまえておられたわけでございます。これも大変難しいように見えますが、実はいい仕事をなさる先生というのは大体において決まっているのでございますね。そういう意味から言えば、それほど大変な努力をしなくても、選ぶ方の方は適材であれば結構いい仕事というものは抜いておられるように思うわけでございます。また、その当時の実績というものも結構あったわけでございます。そういう意味では、まさに先生のおっしゃるように、萌芽的研究をむしろ探して歩くという探題みたいなものと言えばよろしゅうございましょうか、そんなものがあることは、そこまでお考えいただければ大変ありがたいことであると思います。  ただ、現在出ております一つの風潮で憂うべきものがあると思います。それは、とかく開発研究というもの、要するに独創研究というものはむだが多いのだということが、逆に研究者にむだでもいいんだという考え方を植えつけておるわけでございますね。アメリカの〇・六%という数字が、やはりあちらは結構競争が激しいわけでございますから、みんなが必死になって成功させようと思って努力をした結果が〇・六%なんだということを何とかこの日本の中でもよく周知させたいと思っております。自分の仕事はむだの方に入るからいいかげんでいいんだというような極端な考え方も若干一部には今育ちつつあるのではないか。そういうことがありますと、せっかく今持っておりますわずかな富を次の世代のために、新しい研究を育てるような組織づくりのために使うことなく、あたらむだにしてしまうということになりはしないかというふうなことで、非常に私はその点を憂えております。  それから第三番目の特許制度の件でございますが、まさにここには非常に根本的な問題もたくさんございます。  たまたま特許制度ができましたときの話をこの間聞いたわけでございますが、伊藤博文総理大臣に対しまして外国人が、日本人には機械は売らないと言ったというのでございますね。何で売らないのかと聞いたら、日本に二台でも三台でも機械を売りますと、すぐにまねをして同じような機械をつくってしまう、そのために自分たちは日本にはそういう機械を売らないんだ、しかし二十台ぐらいまとめて買ってくれれば、あとはまねされてもいいから、それならば相談に乗ってもいいと言ったという話を最近聞いたわけでございます。このときに初めて伊藤大臣が特許というものがあるということを知られて、それで高橋是清さんに特許制度をちゃんとつくるように命令されたということを伺ったわけでございます。  どうも初めにスタートしたときの日本人の性質というものが今もってつながっているという点が一つの大きな問題ではないかという気がするわけでございます。司法の中心が裁判所にあるわけでございますが、言うなれば、私は特許庁というものは科学技術裁判所のようなものでなければいけないというふうに感じております。それが、とかくどうもいろいろと何か余り好ましくないようなつながりがございまして、ジャッジが適正を欠くことがあるということを実はその責任者からも最近伺ったわけでございます。そういうことがあることがまず非常に困ったことで、ぜひこの特許制度制定百年を記念いたしまして、最高裁判所に匹敵するだけの、最高裁判になるものではないと思いますが、いずれにいたしましても裁判所の権威に並ぶような主体性のある組織を確立していただきたいということを、この間実は長官にお願いをしたわけでございます。  基本はそこにございますけれども、やはり今先生のおっしゃいましたような特許の数が多過ぎる。これは要するに末端特許が非常に多いということに原因があると思います。そういう意味から言えば、まさに特許の審理の年数のうちに、一つは特許法が改正になったと聞いたわけでございますが、私は実は改悪ではないかということを申し上げました。これは全く個人意見でございますが、昔は出願後二十年、公告後十五年の長い方をとるという法律だったようでございます。それが何年か前の改正のときに、短い方をとるということになってしまったわけでございますね。ですから、出願後二十年間もたもたしておりますと、私どもにはとかくそういう特許が多いわけでございますが、特許が切れてしまう。昔でしたら、公告になっていなければあと十五年間の権利がございますからその権利は使えたわけでございますが、そういう意味では特許出願者の権利をむしろ否定するような形に特許制度が変わったのではないかということも感じております。  そんなことと、先生のおっしゃったような件数が多い、また処理の方法もこれはなかなか難しいわけでございまして、電子計算機で管理するというわけにもいかない点がございますので容易ではないと思いますが、その両面を踏まえたような改正ができませんと、特許自体が何も意味を持ってこなくなるという気がしております。  最近、お耳に入っているかと思いますが、何かアメリカの特許庁が大変味な裁定をやったということを知りまして感銘を受けましたので、ちょっと御紹介させていただきます。  日本のある会社がアメリカに大変重要な物質の特許を出願したそうでございます。ところが、長い間アメリカの特許庁がこれを認めませんで、最近ようやく審理が終結いたしました。法則どおりでいきますと、結局権利は成立いたしましても既に期限が切れているそうでございますが、アメリカ側の特許庁は本件に限って審理に異常に手間取ったことが原因で出願者に迷惑をかけたと思うので今後二十年間の権利をやるということを決めたそうでございます。これはもう大変味な計らいでございまして、日本ではこういうような味な計らいをやっていただきたいとお願いをしてもすぐにはなかなか無理かと思いますが、アメリカではそれくらいのことまで行われているということで、大変明るい話を聞いた思いがいたしましたので御紹介をさせていただきました。  以上でございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 大変勉強させていただいたのですが、先生のお話を聞きながら、日本のいわゆる創造的科学技術の振興上の現在における弱点が、いろいろ多面的な形で鋭く指摘されたのじゃないかというふうに伺ったわけでございます。  昨年の十一月に科学技術会議が答申を出しておりまして、その中にも独創的、創造的科学研究の振興というのがございますね。そして同時に、その研究者がそういう力を発揮できるような運営上の改善というのが出ておりまして、その運営上の改善という面についても触れられたと思っております。けれども、またその点について補足することがございましたら、ちょっと文章を読んだだけではわからぬものですから、それが補足できればお知らせいただきたい。それが第一点です。  それからもう一つは、基礎的な研究などに対する評価、この評価のシステムということも出ているわけですが、これは一体どういうふうにしたらいいのかという問題が第二点です。  それから三番目が、これは私も文部省に関係する文教委員会に所属しているわけですけれども、絶えず問題になることは、学問の自由と大学の自治ということが戦後大学の理念になっておるわけでして、戦前における大学が産学協同あるいは軍学協同という形に使われてきた苦い経験から、いわゆる自治と学問の自由という問題ときょうお話しになりました実用化の問題、これは絶えず問題になってくるわけで、現在ではその双方がかなり錯綜しているというふうに多少変化はしているわけですけれども、しかし同時に、この大学の理念についての問題は軽視できない問題でございますから、その辺の関係について。きょうお話を伺っておりまして、例えばアメリカにおける財団法人との関係ですね。  それから、最近エリート教育の重要性が非常に強調されています。私はある新聞記者に聞いたのですけれども、先端技術の先端を行っている科学者といいましょうかエリートの企業社員などが、もう研究、研究でいわば追いまくられる形で、また本人もそれに対して非常に興味を持っている。しかし、その中で何カ月かすると人間的な機能が喪失をしてしまって、ある者はもう精神不安定の中で精神病院で治療とかあるいは診断を受けながら工場へ通っていくとか研究室へ通っていくとかいうことも出ているようですし、またアメリカの場合、原子力あるいは今度のSDI研究なんかに没頭している学者の中にもそういった面が見られるという論文も拝見しますと、その辺のかみ合わせといいますか、独創的、創造的科学の振興と、同時にまた先端技術の前進、そういう面でのかかわり合いというものを一言、簡単で結構ですが先生のお考えを伺いたいと思います。

西澤潤一東北大学教授

○西澤参考人 大変難しい要点をおつきくださいましたので、私の能力を超えた点も多々あるかと思いますが、私が考えておりますのは運営上の弱点の問題でございます。とにかく今のところでは評価をして重点配分をするということがやはりどうしても必要ではないかという気がいたします。いずれにいたしましてもお金には限りがあることでございまして、理想からいえば、やりたい人にみんな分けてあげるということが気持ちは大変よろしいわけでございますが、そういう感傷的なことを言っていておさまる問題ではない。やはり評価をして重点配分をしていくということが、もちろん若干の弊害も伴うかと思いますが、今早急に手をつけなければいけない問題ではないかというふうに考えております。  それで問題は、ちょうど先生から二つ目のお話としてあったわけでございまして、評価システムということにかかわるわけでございますが、これもやはり試行錯誤をしなければいけないのではないか。それだけに少し早目に手をつけてどんどん改善をしていくということを経なければ、なかなかいい運営ができないのではないかと思っております。  抽象的なことばかり幾ら申し上げましても、それは念仏でございますので、それでは困るということになると思います。とにかく一つの方法として今盛んに言っておりますのは、例えば人間に対する評価とか、あるいは将来の科学技術予測であるとか、あるいはいろいろな同僚や先輩、後輩あたりのやっている研究テーマに対する評価というようなものをやらせるわけでございます。これを密封保存いたしまして、五年たったらあけてみる、ないしはまた十年たったらもう一遍見直してみるということをいたしますと、どの人間が最も的確な評価能力を持っていたかということが少しは実証的に証明できるのではないかと思います。ただ、これを抽象的にやっていたのでは水かけ論になってしまいますので、やはり何らかの実証的な方法で、だれに評価を任せるのが一番いいのかということの客観性を持たせるということが必要ではないかと思います。昔、大学の先生は後任まで自分で決めたという話があるわけでございまして、天才よく天才を知るということがあるわけでございますけれども、もちろん天才じゃない人が教授になった場合には甚だ悲劇が起こるわけでございます。これはどういう形かで修正を必要とするわけでございますけれども、いずれにいたしましても、現在の日本の社会では客観性を持った評価法というものを使いませんと何もできなくなってくるわけでございます。そういう点では五年でわかるかということもあるわけでございますが、やらないよりはいいということで、とりあえず評価者を選んでスタートさせるということがいいのではないかということを申し上げているわけでございます。もちろんもっといろいろと有効な方法を私などよりもお考えになられる方がたくさんいらっしゃるわけでございまして、そういう中から何らかの方法を編み出してとりあえずやっていただく、まずい点は改良していただくということが必要ではないかというように考えております。  第三番目のお話でございますけれども、戦後の大学の自治という問題でございます。これは先生に申し上げるまでもなく、よく言われることでございますが、大学というものは二つの発祥の起源を持っているということが言われます。一つは、東ドイツあたりを中心としまして出ました、いわゆる薬剤師を発想の原点に持つ大学であると思います。これはやはり薬屋さん、医者という形につながっていきますので、どちらかというとかなりプラクティカルな、実用的な意味を持った大学になっていると思います。一方、フローレンスあたりで出ました、いわゆるメディチ家が大変なお金をためまして、自分の好奇心から人を集めでいろいろなことを調べさせたというのがまた一つの大学の発祥だとか言われておりますけれども、どうも日本では不思議なことにフローレンス式の、いわゆる金持ちの中から出てきた大学というものの形が非常に大事であるというふうに考えられまして、実用性のあることを調べていくということから発祥しました大学のあり方を嫌うという風潮がとかくあるように感じております。  私はそれは大した問題ではないというふうに考えておりますけれども、人類と動物とはどこが違うかということをよく言われるわけでございまして、動物は道具を使わないが人間は道具を使うということをよく言われます。動物でもちゃんと道具を使っているようでございますから、この分け方は必ずしも穏当ではないと思いますが、非常に違いますのは、やはり人間というのは意識的に自分たちの社会をつくったというところにあるかと思います。動物でも社会はつくっておりますが、これは本能的なものでありまして、意識的に自分たちの社会をつくったというところにあるかと思います。動物でも社会はつくっておりますが、これは本能的なものでありまして、意識的に社会を構成しているということがやはり人間が他の生物と違うところだろうと思います。極論をいたしますと、自分たちの社会は自分たちが守るのだという考え方で、やはり我々学者も自分の仕事に尽くすべきではないかと私は感じておるわけでございます。  しかし、そういう点から申しますと、やはり絶えず探求していく、未知のことを調べていくという大変楽しい仕事をやらされているというのは、これは大学研究者の何とも言えない特権でございますけれども、その特権におぼれることなく、やはりその中から、すぐに役に立つ必要はないと思いますが、将来の人類社会のために何らかの貢献のできるようなものを探し出していく。ですから、アインシュタインの相対性理論のようなものは、すぐにはわかった方が三人しかいなかったとかいうような話がございますし、その当時もその後も、本当にこんなものが人間の生活に役に立つかということを長いこと言われてまいりましたけれども、最近になりますと、大変すばらしい学問だということが評価されるようになってまいりました。そのようなものも当然大学の研究の中には含まるべきものでございますから、少なくとも未知のものを調べていくというふうなことも非常に大学の方としては大事な仕事になると思います。しかし、先ほど例として申し上げましたように、ほかの方がやったことと同じことをやってみせて、向こうの七割ぐらいまではいったぞというふうなたぐいの仕事も結構多いわけでございまして、そういうものが案外基礎で、むしろ実用性がないことのために重要視される傾向もあるわけだと思います。そういう意味では、何らかの形で本当に未知のことを明らかにしていくということに限るだけでも、大学の研究内容というものは相当改善されたところがあるというふうに私は感じております。  それと同時に、やはり人間社会を自分たちが守っていくのだということを考えますれば、我々研究者にはやるべきことが山ほどあると思います。私も不幸にしてあと五年足らずで停年になるわけでございますが、この五年の間にやらなければいけないことをまだ幸いにして山ほど抱えておりまして、個人的には幸いでございますが、社会に対しては大変申しわけないことで、その職を去らなければいけないということになってくるのだろうと思います。しかし、大学の教官の中には、社会のことなど考えるな、学問は曲がるといったことを言った人があるわけでございますが、そのような風潮がどうも本当の学問研究のあり方をむしろ曲げていやしないかということを個人的には感じておりますし、絶えず発言をしているつもりでございます。  最初に私、申し上げましたけれども、最後のところで申し上げましたように、人類社会は大変な危機に向かって今はく進をしております。エネルギー資源とかそのほかの資源をこれほどひどいむだ遣いをせずに有効利用していくというふうなところでは、科学技術は大変大きな責任を持っておると思います。そういうものを一つずつでも解決をしていくというところに、学問研究の責任をもう少し強く意識すべきではないかというふうに私は感じております。

鳥居一雄公明党・国民会議

○鳥居委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  西澤参考人には、本日長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時五十三分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗