予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 129 件
- 登壇者
- 19 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1984/03/29
会議録
○委員長(西村尚治君) 予算委員会公聴会を開会いたします。 昭和五十九年度一般会計予算、昭和五十九年度特別会計予算、昭和五十九年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします、 本日は、昭和五十九年度総予算三案について、お手元の名簿の六名の公述人の方からそれぞれの項目について御意見を拝聴いたします。 一言ごあいさつ申し上げます。 名東公述人、加藤公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。 本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にいたしてまいりたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 それでは、順次御意見を承りたいと存じます。 まず、財政・税制につきまして名東公述人にお願いいたします。日本大学教授名東孝二君。
○公述人(名東孝二君) まず、歳出面における行政改革の必要性から申し上げたいと思います。 本当の意味の行革をやることが肝心である。例えば補助金でありますが、補助金は、赤字国債の発行は昭和五十年度以来補助金とパラレルになっております。したがって、極論すると、補助金をやめてしまえば赤字国債どころか建設国債もゼロになります。ところが、補助金は政権党を支えている命綱だと言われております。しかもその約三分の一はむだ遣いであるという調査が全民労協によって行われております。補助金には何%かのリベートがついているといううわさもあります。しかし、ローマ帝国の滅亡の原因はパンとサーカス、すなわち食べることから遊ぶことまで国のお世話になったことだと言われております。これがローマ市民をスポイルしたのであります。農林水産省の予算の半分以上は補助金であります。上智大学のグレゴリー・クラークさんは、補助金制度が日本の農業をだめにしたとおっしゃっておられます。国民のレジャーまで管理するということで厚生省や文部省が張り切っている。こういう過保護でよいでありましょうか。まず、政治家が指導者としてお手本を示していただきたい。国会議員の定数是正ではなくて、国会議員の定数削減をやったいかがか。肉を切らせて骨を断つやり方でなければ本当の行革はできないのじゃないかと思うのであります。 次は、歳入の面でありますが、今回の減税抱き合わせ増税は収支とんとんと言われておりまますが、実際には五千億円くらいの増税となるでありましょう。しかも五%のベースアップと仮定すると、給与所得者の五六%、最も多い階層を占めている年収三百万円以下は一〇〇%の目減りになり、低所得者ほど打撃が大きいのであります。このままでは消費の減退となりましょう。しかも、現在アメリカは立ち直りつつありますが、恐らくインフレと抱き合わせの不況、すなわちスタフグレーションに陥るかもしれません。現在でも負の所得税、ネガティブ・インカム・タックスなど減税による内需の掘り起こしが必要であるというときに増税の声が高いのであります。例えば法人税増税は国際競争力を低下させると言われておりますが、しかし貿易摩擦激化を防ぐ効果があるわけであります。 それからマル優の廃止問題でございますが、利子配当問題は不公平税制の最たるものではありません。最も最たるものは所得よりも資産、すなわちストックの不公平、アンバランスであります。それと後で申し上げる必要経費の認定の不公平であります。しかし、この非課税貯蓄が五十九年度末で二百七十兆円くらいじゃないかと私は推定しているわけでありますが、この非課税貯蓄の利用が六億口座、すなわち一世帯当たり二十口座にもなりつつある。これは非常におかしいということで二〇%課税をする、そうしてさらに低所得者の分をのける、排除する、これを還付するということにしますと、一兆六千億円くらいの税収があるのじゃないかと思うんです。大蔵省試算の仮定計算例によりますと、六十年度歳入不足が三兆八千億円というふうに言われておりますので、全然問題にならない。同時に大事なことは、これだけの税金を取ると、かなりの腹痛が起こるということであります。 五十六年三月末ですが、個人金融資産が三百三十四兆円の当時でありますが、その当時の隠し金、私は五十兆円ぐらいの隠し金と推定しているわけでありますが、その中の約三十兆円の金が逃げ回る。こういう資料、これは日本銀行の極秘資料ですが、こういう資料があるわけです。逃げ場に困らない、幾らでも逃げ場がある。例えば株式など百八十兆町の個人金融資産がある。それから各種の法人資産、特に零細なものは個人と法人の区別がつきませんから、したがって個々の流動資産が五十六年末で二百兆円くらいある。それから土地資産が公示価格で七百五十兆円、それに金とか骨とう品などがある。さらに海外のタックスヘーブンがあります。自由世界だけで四十六か国、それに社会主義国がこれはもう至るところにある。それで、五十九年の末の隠し所得の推計は三十兆円ぐらいじゃないかと推計していますが、隠し金の推計は六十八兆円。このくらいはどこへでも逃げ込むことができると私は思っている。したがって、つかまえられるのは雑魚ばかりじゃないか。弱い者いじめになる、結果的にはそうなると思っております。それでも最大限計算してみると、六兆円ぐらいの税収にはなるのじゃないかどいうふうに考えています。そのかわり今申し上げたように、かなり激しい腹痛が起こってくる。恐らく途中でやめてしまうのじゃないかと思います。なぜかというと、その実態は、お隣の韓国をお調べになったらわかる。韓国で実多登録制をやったわけです。その結果、いかに逃げたかということが明らかであります。それからさらに言えば、ソ連のKGB。KGBがいかに癒着しているかということもよく言われておるところであります。これは表の権威とか表の権力が裏と癒着しているということなのであります。今申し上げたように、日本では裏と表が非常にうまく融合一体化しているわけですね。ただし、税金で優遇されておる者ほど脱税している、こういう事実があるわけであります。 こういう事実を支えておるものは一体何かといえば、それは合法的な脱漏であります。例えば、五十五年度企画庁が発表している分配所得と、それから国税庁が発表している申告所得との間のギャップが、自営業者など、などという意味はお医者さんも含めていますから、それで十六兆円ある。それから農林水産業者四兆五千億ある。こういった数字は統計上の誤差というぐらいのことではこれは解明できないです。こういう何兆円、何十兆円なんというのは統計上の誤差とは言えないわけです。しかし、これから大事なことは、今申し上げたような余剰資産ですね。隠し金といったってこれは一種のぜい肉ですから。そのぜい肉を一体どこに、はけ口を求めるか。ちょうど昭和六年、昭和の初めであれば大陸経営に金を注ぎ込んだというのと同じようなものです。だから、その金を軍事大国につき込んでいくのか、あるいは内需の拡大に持っていくのか、あるいは軍事国家ではなくして経済協力国家に徹するかという選択が私はもう始まっているのじゃないかと思うんです。 次は、いよいよ増税の本命になるわけでありますが、増税の本命は大型間接税と言われておりますが、しかし中曽根さんと竹下さんの思惑は違うようでありますが、大蔵省のねらいははっきりとEC型付加価値税というものに決まっているわけなんです。専門家が見たらEC型付加価値税に決まっているわけだ。そのときになって、あれは大型間接税じゃなかったんだと、これが正しいんだなんということになりかねませんので、はっきりとEC型付加価値税の名前を挙げておこうと思うんです。特に、大蔵省の青年将校たちがこの導入に非常に熱心だといううわさを聞いておる。現在すでになし崩しの工作が進んでおります。今回の消費課税の網の目つぶしの増税とか申告納税制度の見直し。 記帳義務の法制化について一言申し上げますと、記帳は非常に重要である、それからまた記帳を指導することは正しい。しかし、全建総連というような大きな団体がありますが、こういう団体の言っているように、記帳のできない零細業者も相当に多いんですよ。それに無理に強制をして自主申告権を奪ってしまうということ、これはまずいのじゃないかと思うんです、それと、国税通則法が、改悪と言った方がいいのじゃないかと思う、改悪されようとしている。これは国民の公正なる裁判を受ける権利を脅かすおそれがあるわけです。しかも、予算開運ではございませんので、この国税通則法の百十六条、これはひとつ切り離して慎重に御審議いただきたい、こういうふうに思っております。 さて、EC型付加価値税は、これをやりさえすれば何か財政再建可能だというような錯覚がどうもマスコミあたりでもあるのじゃないかと思うので一言申し上げると、例えば楽観的な第一勧業銀行の試算がありますが、これを見ると、こういうふうに結論づけておる。大型間接税を導入して最初四兆円の純増収を上げる。私の計算でも六十年度に導入すると六兆六千億、それに二兆円ほどの抱き合わせ減税を必ずやる。それに六千億円ほどの中小企業減税というような甘い汁をなめさせる、そうすることによって導入する。純増が四兆円、これは間違いないと思うんですが、四兆円の純増収を上げても、建設国債と赤字国債の発行から脱却できるのは二十三年後であると言っている。この二十三年の間に何が起こるかわからぬ。恐らくインフレ、不況、重税、こういうものが起こってくるのじゃないでしょうか。母体の国民経済が、消費ががっくりきて危なくなっている、そういうときに何のための一体財政再建かということを私は大蔵省にお聞きしたいんだ。これは本末転倒の議論だと思うんだ。 ところが、マスコミ有名教授、あえてお名前を申し上げるまでもないと思うんだけれども、ここにおられる先生じゃないことは間違いないんだけれども、そういう方々が支出税、エクスペンディチュアタックス、こういう名前において盛んにこれを擁護している。支出税というのは、要するにこれは貯蓄投資の奨励策ですよ。そういったような資本蓄積時代の思想的な遺物を今さら持ち出してきて、そうして今さら資本の論理を強化して、それで貿易摩擦を激化しようと、こういう論理がどうしてマスコミあたりで堂々と論ぜられるのか、私にはよくわからないんだ。また、消費とか今の支出というのは、これは所得以上に捕捉しがたいんですよ。所得でも捕捉しがたいと言っているときに、どうして消費だとか支出を捕捉できますか。そういうことにおいて不公平をますます助長する。 それから、特に大事なことは税痛がないんですね、税痛が。税金の痛みがないからのめり込んで致命傷になる。税金というものは、税金の痛みが一番大事なんですよ。痛みというものはこれは警戒信号ですからね。警戒信号だから我々転ばないように用心するわけだ。もし税金の痛みがなかったら、徹底的に走って走って最後はとうとうそれはもう御破算ですわ。だから税金を重たくして盛えた国はないと、こういう歴史的事実がある。したがって、どうしてもやむを得ない増税の場合には税金の痛みをつけなきゃいけない。ところが、為政者の方から言うと、取る方から言うと取りやすいものだからそれでいい気になって税金を取る。これが最後は致命傷になる。だから、増税には税痛という歯どめをこれは絶対にかけないといけない、こういうふうに思う。 それから、福祉充実のためとか社会保障のための目的税とか、こういうことを言っている進歩的学者がおるんだね。進歩的と自分で称しているかどうか知りませんが、ところが現在御存じのように軍事費が突出しているじゃないですか。軍事費が突出している現在においてどうして軍需産業とか武器輸出産業のために使われないという保証がありますか。勘定区分をつけるということを言っているけれども、勘定区分ぐらいつけたって政治的圧力の前にはひとたまりもないですよ、そんなものは。恐らく二、三年は、あみいは四、五年くらいは福祉のために使われるでしょう。しかし、もし万一不況でも来て失業者が出てきて、そしてどうしても軍需産業を興さなければいかぬということになったら、お金はその方に私は行くことは間違いないと、こう思うんですよ。 それで、時間が迫ってきましたので、今の反論ばかりでありますので、具体的な私の提案は御質問があればお答えしたいと思っているわけですが、不公平税制の最たるものは資産課税だと。それに対して余り急激でない、非常に穏やかな課税をしていくべきだと。所得課税から資産課税へ、資産課税から最後はこれは消費課税ですよ、最後は。その手風を抜いて資産課税を飛ばしてしまうようなことをしては、これは私は国民の納得は得られないと思います。 それで、最後に必要経費の問題について一言申し上げます。 不公平税制の最たるものの一つは、この必要経費じゃないかと思うのであります。大蔵省の言うように背広は三年に一着分だけ認める、そんなことは一体どこに基づいてやるんですかね、これは一体。そんなこと一体法律のどこに書いているのかね、私聞いてみたいんだけれども。それで、年収に占める必要経費の割合は約一〇%だと、こういうことを言っているんですね。これは今公正取引委員会の委員長をしておられる高橋さんがたしか主税局長をしておられたころの言明であったと思うんですよ。予算委員会の言明じゃなかったかと思うんです、衆議院の方の。そういうことが堂々と言われるようじゃサラリーマンとしては非常に困る。失礼ですが、政治資金というのは一〇〇%じゃないですか。それで我々の方は一〇%、どういう根拠でそういうことをおっしゃるんですか。その根拠を説明してもらいたいですよ、一〇%、一〇〇%の違いを。日本経済の今日あるは一体だれのおかげか。勤勉で優秀な人間資本、私はあえて人間資本という言葉を使う。シカゴ学派の言葉を使ってヒューマンキャピタルという言葉を使う。単なる労働者じゃないんです。日本人というのは非常に優秀で人間資本といった方がいいと思うんですよ。その人間資本の必要経費である相当文化的な相当生活水準の高い生活費を認めていただきたい。そしてフランス式に、フランスのように、まず実額控除か概算控除。実額控除、これを認めてもらいたいですね。 それで、私が去年アメリカで、アメリカの学会でチェアマンとレポーターをやった。それで、それを税務署に出すと、名東のやつうるさいからというんでマークしているわけですね。そうして学会費がどうだとか、組合費がどうだとか文句ばかり言っているんです。そういうような、欧米では通用しないような物言いをつけているようなことでは、私はこれからの日本の文化水準を非常に心配するわけです。これからますますソフト化、サービス化するわけです。人材中心になるわけです。サービス化、ソフト化ということはこれは人間資本であり、人材が中心ですよ。単に今までみたいに物的な資本とか金とかそんなものを重視しているような時代じゃないんです。今までだったらそれは金持ちを優遇しておけば何とか済んだかもしれませんけれども、しかしこれからは単なる金の問題じゃなくて、それを使いこなす人材の時代じゃないかと私は思うんです。 そのときに、人間資本を虐待するようなそういう税制をいつまでも持ち続けて、それで大蔵省あたりが何かしらわけのわからぬ通達を出して、それで学会費は認めぬとか、それから組合費はけしからぬとか、何たることかと私は思うんだ、これ。こういうことをやっておれば、今も私青木さんと会ったんだけれども、単なるサラリーマン新党の進出ぐらいじゃ済まないんです。はっきり私警告しておくけれども、税金問題というのは常に革命の火種になっているということ、だからサラリーマンは搾れば幾らでも搾れるなんというような錯覚をやめてもらわなければいかぬ、それを切にお願いしておきたいと思います。どうも失礼しました。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは、次に教育問題につきまして加藤公述人にお願いいたします。学習院大学教授加藤秀俊君。
○公述人(加藤秀俊君) 加藤でございます。 自分自身余りよき教育者でもございませんので、こういうところで教育について論じるというのは大変恥ずかしいことでございますが、ただいま名東先生から最後に人的資源の問題というのが提出されました。ややそれとつながってくるかとも存じますが、一つには日本のこれまでの教育のあり方、それから今後の教育に対する個人的な提言というふうに大体二つに分けてお話をさせていただきます。 私、昨年十月から十一月にかけまして、国際交流基金から派遣されてアメリカの六つの州で講演旅行をいたしました。至るところで質問が出てまいりましたのは、日本の教育水準が高いのは一体なぜかという質問であったのであります。これに対しては、私としては大変ある意味で当惑しながらも、多少準備していった資料でアメリカの教育者、教育学者並びに小中学校の先生に至るまでお話を申し上げてきたのでございますが、一つには日本の国家が教育というものを明治以来ずっと大事にしてきたという事実があるだろうということを申し上げました。これはたしか文部省からいただいた資料だったと思うのでございますけれども、文部省が直接に支出されている国家予算、それに今度は地方交付税で改めて各地方自治体が教育に投じられておられるお金、これを全部合計いたしますと、日本の国家支出の大体二一・七%というのが教育費に回っているというような数字を伺いました。つまり、五分の一が教育に投下されているという国は世界で余り類例がないわけでございまして、このことは、日本は教育が非常に貧困だという説もございますけれども、お金の面から見てまいりますと、相当我々は教育熱心な国であるということは大いに誇りにしてよかろうかと存じます。 それから、そればかりではございませんので、教育を受ける立場ないし学習する立場の人間たち、つまり我々国民でございますけれども、国民全体の向学心がこれほど強い国もまた類例がございません。これは推定でございますけれども、かつて友人たちと試算したところによりますと、現在日本で月謝を払っている人の数は一千万人に達しております。この月謝の中には、お茶、お花のおけいこの月謝というのももちろん含まれるわけでございますが、もろもろのカルチャーセンターとか塾とか、要するに月謝を払う人口が一千万いる。つまり、成人人口の同%に達しますか、かなりの部分の人たちが、自発的に教育のためにはお金を払いましょうという姿勢を持っている。この民族もまたすばらしい民族であると考えております。 これが前提になりまして本題に入るわけでございますが、私の見るところでは、明治以来百年の日本の教育の歴史の中で二つ大きな転換点があったかと存じます。 第一は、申し上げるまでもなく維新直後の、そして第二次世界大戦までの日本の教育のあり方でございますが、これは余り歴史的なことをここであげつらうだけの余裕がございませんけれども、明治以来、日本の国の国是というと大げさでございますが、大きな方針の一つは、教育によって国を建てていこうという思想であったろうというふうに考えます。事実、明治初年にお雇い外人というのがたくさん日本に参りまして、例の札幌農学校のクラーク博士などもその一人であったわけでございますが、こうした外国から先生を呼んできて、大いに日本人の技術や思想を向上させようという努力は、当時の記録を見れば明らかなことでございますが、お雇い外人の受け取った報酬は、当時の内閣総理大臣の三倍ぐらいの給料でスカウトしてきております。そして、日本人の学者が自立するようになりましてから、お雇い外人はどんどんまた解雇されて国に帰っていったというような事実もございますが、その際に基本的になっておりました哲学というのは、社会学用語で申しますと、業績主義という哲学であったようでございます。 これがヨーロッパ諸国の教育と日本の教育の大いに違うとしろでございまして、ヨーロッパ諸国の場合には、御存じのように依然として貴族制度が残っておりますので、名望家の子弟は、そのまま自動的に名門校に入るという仕掛けになっております。しかしながら、日本の国は明治維新直後から、人間を実力によって選抜するという大変すばらしい方法を採用いたしました。これには、中国の科挙の制度などがその背景にございますが、そこまであげつらっている余裕がございませんが、大事なことは、この第一の開国とも言うべき明治維新、それに引き続く日本の教育政策というのは、力のある人間を、たとえ貧困な家庭に生まれた子弟であろうとも、どんどん選抜して社会のリーダーにするという、一言で申しますと、エリート選抜の教育方針でやってきたということになろうかと思います。事実、東京大学の前身でありますところの大学南校というのが東京に開設されましたときには、日本全国からわらじがけで青雲の志を抱いた青年たちが何千と押し寄せたというようなことが、当時鉄道もございませんから、わらじばきでその選抜試験を受けに来た、これは田中館愛橘先生の伝記なんかを読みましても、そういう感動すべきお話がいっぱい出てまいります。 さあそこで、今度は戦後でございますが、戦後の第二の開国で日本の教育哲学というのはどう変わったかといいますと、これは第一の開国とでも申しますべき明治維新直後の教育哲学とは全くさま変わりいたしまして、結局大衆教育という時代に突入したと見てよろしかろうと思います。大衆教育というのは、教育水準の普及ということが一方にございますが、その基本になっております哲学はエリートを選抜するのではなくて、むしろ脱落者を出さないということをその基本にしてきたと思います。これは教育関係者がつくられた言葉なのか、ジャーナリズムがつくられた言葉なのか知りませんけれども、俗に落ちこぼれという言葉がございますが、落ちこぼれというのは、別な言葉で申しますと脱落者を出さないような、優等生を養成するということではなくて、むしろ劣等生といいますか、落ちていく人たちを救済しようというふうに哲学は変貌いたしました。これが日本の全人口の九〇%は中産階級意識を持ち始めたということの背景にもなっているかも、しれませんが、同時に、明治にありましたすぐれた人間を選抜するというのとかなり対照的な哲学によって過去四十年間の日本の教育は動いてきたようでございます。その結果として日本は、最近、西部先生などがおっしゃっておりますように、世界の最先端を行く大衆社会国家になったと言ってもよろしかろうと考えるわけでございます。 こうしたことが私の日本の教育に関する過去並びに現状の分析でございまして、以下五項目ほどにわたりまして今後の日本の教育についての提言をさせていただきたいと存じます。 その第一は、大変これは難しい問題でございますけれども、来るべき第三の教育の時代というのは、英才教育と申しますか、エリート選抜という明治の精神と、それから脱落者を出さないという戦後の民主主義教育の思想と、この二つの調和をとっていくこと、つまりすぐれた人間にはより多くの機会を与え、同時に絶対に社会全体として脱落者は出さない。この二つは矛盾したもののように聞こえるかもしれませんけれども、近く新聞で拝見するところによりますと教育臨調というのも発足なさるそうでございますから、そういうところで御審議いただきたい重大な問題であろうと存じております。これが、私の今後の問題としての第一でございます。 それから第二の問題、これは主として高等教育にかかわることでございますけれども、私の見るところでは、日本のみならず世界全体にかなり共通しておりますが、現代の教育の成果として出てきております病理的な現象は、余りにも専門家が多過ぎて余りにも知識人が少なくなったということだと思うのであります。専門家と知識人とはどう違うかと申しますと、これはスペシャリストとゼネラリストとという言葉で置きかえてもいいのかもしれませんけれども、かつての知識人というのは、たとえば西洋の場合で申しますと、レオナルド・ダ・ビンチといったような人は、生物学もやりましたし、機械工学もやりましたし、同時に絵もかきましたし、たくさんの発明も残したし、言うなればオールラウンドな知識を持って、そして世界というものを見ることのできる人物であります。それに比べますと、今日の高等教育、とりわけ大学教育の場合には、専門家が余りにも多過ぎるのでございます。 お医者さんの世界を見ましても、医学は医学で、自分は医学が専門であるから浮世絵のことはわからぬということになるわけでございますし、お医者さんというものがまたお医者さんでなくなりまして、外科は外科、内科は内科、外科の中でも脳外科は脳外科でまた専門になっておりますし、消化器の外科でありましても、またこれは胃の専門家と腸の専門家が違ったりなんかいたしまして、専門分化が非常に甚だしい。とりわけ乖離現象が目立ちますのは、我々のように人文社会科学をやっている人間とそれから自然科学の専門の先生方との間に横たわっている大きな溝でございます。この点につきましては、イギリスのC・P・スノーという学者がかつて「一つの文化と科学革命」という書物を書きまして、その中で、科学者とそれから人文学者と申しますか、ヒューマニストとの間の対話が現代の知的世界では全くなくなったという警告を発しておりますが、まさしくそうした「一つの文化と科学革命」、C・P・スノーが予言しましたようなことが我々の前に現実として横たわっております。これは大学教育だけではございませんので、小中学校の教育課程におきましても、英語は英語、数学は数学、社会は社会というふうに、異なった知識が異なった教科目の中で全く関連なく教えられているのが現状でございます。 そこで、先生方の前でこういうことを申し上げるのは大変素朴でございますが、アメリカのある州で行われている一つの試みというのは、総合カリキュラムの編成ということなんです。それは、一つ例で申しますと、カエルというのを研究しようというわけですね。カエルというのが対象である。これは一般には生物学の問題でございますけれども、カエルを生物学の先生は生物学の立場からお話しになる。美術、つまり図画の先生ですね。図画の先生は子供たちを相手にしてカエルの絵をみんなでかいてみないかと、カエルの絵をかかせるわけです。それから国語といいますか文学の先生は、文学の中で、カエルというのは一体だれがどういう詩の中でどんなふうに描いているだろうかと、異なった背景を持った先生方が数人で、一匹のカエルを真ん中に置いて生徒たちにカエルを見せながら絵をかかしたり本を読ませたり、それから最後には解剖をしてみたりしながらカエルというものをあらゆる角度から考えてみる、こういう総合カリキュラムを組んでいるところでございます。 大変、私、感動したのでございますけれども、大事なことは、別な言葉で申しますと、私どもの知的探求というものは問題中心であるべきなのであって専門が中心なのではない。とりわけこれから我々が取り組んでいかなければいけない多くのナショナルプロジェクトがございますが、学際的などという言葉がよく使われますけれども、これは学問の垣根というものをすっかり取り払った上で、問題は何かというのを素直な目で見る姿勢が小中学校から大学教育に至るまで大事な問題だろうと。現在行われております物理学とか哲学とかいったような学問の分類学は大体十八世紀に発生したものでございまして、もはや今日の世の中には当てはまらないだろう、これが御提案の第二点でございます。 第三点は大学教育でございます。自分みずからが大学に籍を置いていてこういうことを申し上げるのは、自分自身に対する自己批判としてここでお受け取りいただきたいのでございますが、大学というのは日本社会における最後進地帯でございます。他の産業あるいは行政では、それぞれの時代の変化あるいは時代のニーズに対応いたしましてさまざまな改変が行われておりますが、大学というところは一切改変が行われていないというのが大特徴なのでございます。 まず第一に、これは賛否両論いろいろあるところでございますが、小中学校の先生方については、例えば例の問題になりました勤務評定というのがございます。勤務評定はよくないという考え方もありますし、するべきだという思想もございますが、これは最初に問題点の第一と申し上げました、二つの思想のコンビネーションというところでまた後で御理解いただければよろしいのでございますが、しかし大学の先生というのは一切まず免許を持っていないのです。これは大学令というのをごらんになりますとおわかりのように、大学教授の資格というものは何もないのです。保育園の保母さんになるためにも試験がございます。小中学校、高校の先生になるためには教職課程というものをとって教員資格免状を持たなければなりません。しかし、大学の先生というのは、その定義を見ますと、大学教授にはだれがなれるか、大学助教授の経験のある者と書いてあるんですね。 それで、大学助教授にはだれがなれるかと見ると、大学助手ないし講師の経験のある者またはそれと同等とみなされる者。それじゃ、そのスタートの助手のところはどうかというと、大学を卒業しまたはそれと同等の能力があると認められた者と。これほどリベラルといえばリベラル、のんきなといえばのんきな定義はないのでございまして、我々は一切の資格試験なしにここまでやってきて偉そうなことを言っている全く不思議な存在なんであります。それを勤務評定する機関が全くないのです。あるとしますと、それは教授会というものでございまして、教授会とは同業者でございますから、同業者はお互いに勤務評定をすると全員がこれは無能力であることを実証されますから、皆有能であるとの建前の上で動いております。首になることはございません。ですから、世間で大学教授ほど伸びやかな世界を過ごしている人はいないわけですし、名門校と言われる大学であればあるほど、十八歳で入学しましてから六十歳とか七十歳で定年におなりになるまで大体五十年間にわたって同じ門をくぐり続ける。こういう不思議な職業人は日本社会に存在しておりません。 私は、人事権というものを教授会が持っているということが果たして適切かどうか、あるいは教授会の機能というものを、教授会は神聖であって学問の自由というものは確保しなければならないと一般に言われておりますし、原則的に私はそれは正しいと思いますけれども、しかし同時に大学教授というものがどれだけの、能力というとこれは大変失礼でございますけれども、実績を持ってこの座に着いているかというようなことを見る機会というものが用意されてよろしかろうと思います。これは外国と大変違うところでございまして、アメリカでは御存じのようにパブリッシュ・オア・ペリッシュという言葉がございまして、著作物を出すか、あるいはさもなければ消えていくか、学者の人生はそこでもう著作物がない限り、業績がない限りもうどんどん首になっていくわけでございますが、かつて大学紛争がございましたとき私京都大学におりましたのですが、そのときに我々が調査したところによりますと、日本の大学教授の五〇%は過去十年間にわたって著作物、つまり大学の研究紀要から著書に至るまで一冊もなしてございます。これでちゃんとお給料がもらえるのでありますから、みんな大学教授になりたがるのは無理もない話でございまして、私もそういう点にあこがれてなっちゃってここまで年をとったわけでございますが、この辺は大いに自己批判をいたしまして、これからの大学教授については少し厳しい方法というものがあってよろしかろう。 それから、大学の自治というのは大変結構なことでございますが、しかしそれぞれ先生方は各大学に散らばっておられまして、さまざまなことをなさっていらっしゃいます。大学の相互乗り入れと申しますか、経済学はじゃひとつ東大に行ってやってこい、しかし行政学については日大にいい先生がいらっしゃるからそこでやってきなさいというふうに、各大学で取った単位が累積されて卒業ができるといったような柔軟性があってよろしかろうと。これは世界の常識でございます。これが日本には全くございません。 第三点は、自己批判としての大学教授論でございますが、あるいは大学論でございます。 第四に申し上げておきたいことは生涯教育の問題でございます。私事にわたりますけれども、私は明後日をもちまして現在の学習院大学教授の職を離れまして放送大学というところに移籍いたします。これはみずから選んだ道でございまして、やっぱり同じところに十年もいたら相当嫌になるので、私はこれで大学教授の場所を四回変えておりますけれども、またもう一度変わるんですけれども、この放送大学というのは結局のところ私は成人教育の場であろうと。これは本当に文部省のなさった非常に立派なお仕事でございまして、今度その内側に自分が入るわけですからここで大いに褒めておかなければいけないのでありますが、このことによってすべての人間が放送によって大学教育を受けられるようになる。それはごく一部かもしれませんが、来年度に予定されております学生数が一万人でございます。これで随分日本の高等教育が変わるであろうと考えます。詳しくは後でまた御質問があればお答えいたします。 先ほどベルが鳴りましたので第五の最後の提案に移らしていただきますが、これは学問ないし教育の国際化の問題でございますけれども、国際化といいますと留学生を受け入れる、もっと留学生を出そうというような話になってくるのでございますが、その場合の一番重要な問題は言語の問題でございます。在来型の国際化、言葉ということになりますと、みんな英語を勉強しましょうという話になるわけでございますが、私はそろそろこの発想は転換点に来ているというふうに見ております。昨年度から総合研究開発機構の委託を受けまして私どもは海外における日本語教育の実態調査をやっておりますが、その結果わかりましたことは、正規に日本語を学習している人口は世界じゅうで百万人になりました。それから家庭教師その他の表に出ない姿で日本語を勉強している人の数は五百万人に達しております。ということは、日本語は世界語の中で既に、フランス語、スペイン語は強烈でございますけれども、少なくともドイツ語は抜いたということです。ですから、留学生対策というと、日本の先生があの不自由な英語だのフランス語だのを操ってあるいは外国の学生を指導するというようなことにもなりましょうけれども、これは過去の話でございまして、これからは日本の学術機関に勉強に来る外国の留学生、これは日本語ができるということを前提にして物事が始まらなければいけない。したがいまして、第五に最後に御提言申し上げたいのは、日本語教育というものがもはや世界的現象としてこれだけ膨れ上がっているという実態を御認識いただいた上でそちらの方に大いに力を入れていただきたいという希望でございます。 五分ほど時間を超過いたしました。まだ言い足りないところがございますけれども、これをもって失礼いたします。どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは、これから質疑を行いたいと思いますが、質疑のある方は順次御発言を願います。
○宮澤弘君 まず、名東先生にお伺いをいたしたいと思います。 お話の中にもございましたが、財政再建について大蔵省が試算を発表しておりますですね。赤字国債を借りかえるという前提で一般歳出を五%、三%、〇%伸ばすと、こういう試算を発表いたしておりますが、〇%の場合でも六十年度で二兆余りの要調整額と申しますか、それが出るという試算でございましたですが、あの試算をごらんになりましてどういう印象をお持ちでございますか。
○公述人(名東孝二君) あの試算そのものを拝見すると、どうもおかしいのじゃないかという感じがしているわけですね。というのは、かなり試算のもとになっている例えば景気の動向とか、その辺がまだやっぱり楽観的なところがあると見ているんですね。もっと財政状態は厳しくなると思っているんですよ。したがって、結論的に言えば六十五年ですか、これで達成するというんですね。赤字国債の発行をなくするということはこれは私不可能だと思っておりますね。これは将来のことですから、やってみなければわかりません。しかし、私の試算では、とてもこれからあと六年、七年、そんなことでとてもそこまでいけるものではないと思っております。少なくとも十年計画というか、やはり七十五年ぐらい、そのくらいの長期計画でいって私はいいのじゃないか。そう余り財政再建再建と何か目くじら立てて、それで早く早くやろうとするのは私はかえって母体である国民経済を阻害する、かえってマイナスの効果が出てくる。幸いに今少し景気は直っておりますけれども、しかしこれだってそういつまでも続く保証はないんです。そういう意味で考えると、私はあの試算というのはかなり楽観的だし、とても強気過ぎて達成不可能だと、こう申し上げていいと思うんです。
○宮澤弘君 先ほど補助金カットのお話がございました。財政再建を行うに当たりましては、一方において歳入の確保の問題であると同時に、他方歳出をどうカットしていくかということだろうと思います。そこで、補助金のカットについてちょっと一、二具体例をお挙げになりましたけれども、全般的に補助金の整理合理化という問題についてどういうお考えをお持ちでございましょうか。
○公述人(名東孝二君) 今、最近の全民労協の試算を挙げたわけですが、全民労協の場合がなりいろいろと具体的に挙げていましたね。それで、大体約三〇%くらいのカットをこれは項目別にかなり詳しく挙げています。ただ、社会保障費に対する切り込みはやっぱり少ないかもしれませんね。だから私ははっきり言って軍事費も聖域でないし、それから社会保障費もやっぱり聖域じゃない。例えば、極端に言えば松下幸之助さんが年金をもらったり退職金をもらったり、そういうことはこれはやっぱりだれが考えてもおかしいわけです。そういうことを考えて、それかといって、非常にその日の生活もできぬような人たちも一方にいますから、そういうところはやっぱりはっきりと、今のような総花式というのは私はまずいのじゃないかと思うんですね。もっと集中的にやらないと悪いので、その点はやはり多少各政党によって意見の相違があるだろうと思うんだけれども、私はこれはそうやっぱり社会保障費といえども聖域をつくっちゃいかぬ。だから、そういう意味でかなり厳しく重点的に、はっきり言えば重点項目に絞り込んで、それで本当に困っているところに重点的につき込んでいくと、これを考えています。
○宮澤弘君 補助金の整理合理化に当たって聖域をつくるべきでないというお話はそのとおりだと思いますが、そこで今もちょっとお触れになりましたけれども、補助金の大変大きい額というのは、社会保障費なりあるいは公共事業費というものは非常に大きい額を占めておりますですね。補助金自身の合理化は金目になるならないにかかわらず私はやるべき面が非常に多いと思いますが、しかし今財政再建という面から申しますと、かなりの金目を出していかなければ財政再建にならないということになるわけでございますが、そこで公共事業費や社会保障費についても補助金の整理合理化に当たってはかなり思い切ってやるべきだと、こういう御意見でございましょうか。
○公述人(名東孝二君) 今おっしゃったとおりでありまして、かなりやはり思い切ったメスを入れるべきじゃないかと思いますね。例えば医療費関係、これは今度メスが入るわけですが、医療費関係、これはかなり問題がありましたね。まだまだ問題あると思うんですよ。その点、年金だとか、特に年金の問題は官民の格差があるでしょう。官民格差が明らかにあるわけですね。そういったようなところを含めまして、年金関係の方が弱いですね。だから、メスの重点はやっぱり医療費関係でしょうね。 それから公共事業費は、これは今までのような生産性の効果が余りないんですよ、御存じだと思うんだけれども。そうすると、インフレ効果の方が高いのじゃないですか。社会資本がおくれているということはこれは事実なんだけれども、問題はやっぱりタイミングです。財政が困っているときに生産性の低い公共事業費をどんどんつぎ込んだって余り私は効果があると思わないですね。それよりは私が申し上げた負の所得税、恐らく今度の増税によって一番困るのは、課税最低限以下の例えば百万とか二百万とか、そういう方々が一番困っているわけですよ。そこに負の所得税という生活費補助を与えれば、そうすればこれは社会的な構成のみならず、かなり消費性向が高いですから、したがって景気の浮揚にもなる。こういうわけでして、何も私は公共事業費だけに限定するそういう経済界寄りの考え方でない方が、何しろ御存じのように大体GNPの六〇%は消費ですから、そういう意味においてこの点も内需拡大の場合に相当考えなければいかぬと思います。
○宮澤弘君 歳出のカットにつきまして、補助金以外にこういうものをもっとカットしたらよろしい、するべきである、こういう何か具体的な御提言がございますか。
○公述人(名東孝二君) 軍事費の問題は、これは人の立場によっていろいろと問題がありますが、これはできるだけ抑えた方が、近隣諸国といいますか、現在でも世界の第八番目ですから、余り伸ばさない方がやっぱり近隣のよしみという意味からも私は妥当じゃないか。恐らくレーガンさんがもしおやめになったときにはかなり違った世論といいますか、そういう考え方がアメリカにもありますから、何もアメリカはレーガン流だけじゃありませんから、そういうことを考えると、この点はもちろんですが、大きいのは今申し上げた公共事業費ですね、それに今申し上げた社会保障費の問題。大体大きなところはそういうところでしょうね。それから、これははっきり言って、今度私学助成は削られたようですけれども、これは私の立場からいえばあえてもっとふやしてくれと言いたいところだけれども、実情を知っている者からいうと削ってもいいのじゃないかと思っているんですよ。何かあると、お上様々で何とか理屈を述べちゃお上のお金に頼るようなそういう根性じゃだめですな。もっと私学は私学らしく補助金なんか要らない、そのくらいの馬力出さなければ私はだめだと思うね、私学は。今の経営者は堕落しているね、はっきり言って。
○宮澤弘君 私学のお話が出ましたのですが、お二人とも大学の先生をしておいでになりますが、大学の先生の月給というのは官公立とほぼ同じか、それ以上になったという話がございますが、そうでございますか。
○公述人(名東孝二君) これはケース・バイ・ケースで、私不幸にして組合活動なんかやっていませんので、その暇がないから。組合活動をやっている方はなかなかお詳しいんですよね。どこの大学が上だとか下だとか、そういうことを言っているが、私は自分で調べたことがないので断言はちょっとできないけれども、やはり国立並みには違いないでしょうね。それから、やっぱり今、加藤先生おっしゃったように、来てもらう場合、こちらから引っ張った場合は多少優遇されますし、それからもうこれはしようがないというときは低いし、多少違うんですよね。そういうわけでありまして、ちょっと一概には言えないけれども、大体これは国立並みじゃないかと思います。日大は多少いいかもしれませんけれども、私個人は少ないと思っているけれども。
○宮澤弘君 次に、ちょっと税制についてお尋ねをいたしたいと思いますが、先ほどのお話で不公平税制の最たるものは資産に対する課税、それから必要経費の認定だと、こういうふうにおっしゃいましたが、それはわかりましたが、それを除きまして、不公平税制としてこれは不公平だというふうに思われるもの、特に顕著なものがございますか。
○公述人(名東孝二君) そうですね、私が一番強調しています必要経費の問題、ここには青木先生もおられますが、その問題と、それから資産課税の問題、これは私はかなり詳細に述べる用意をしているわけです。できたら述べさしていただきたいと思っているわけですが、それ以外にはこれは問題になっている分離課税の問題とかいろいろと細かい点はあります。だから、これは挙げていけば切りがないのだけれども、要するに考え方です。考え方として一番の問題は、やはり物的資本、金持ちだとか、それから大企業とか、そういう大きいことはいいことだという哲学、それから人間よりは物とか金の方が大事だというそういう考え方、これはよく言えば明治以来の殖産興業の考え方がずっと派生してきたんでしょうね。殖産興業の考え方がいまだに尾を引いていると思うんですよ。だから、やっぱりこの辺でそろそろそういう大きいことはいいことだとか、物とか金が一番人間よりも大事だとか、こういう考え方では困るんです。 これは一例を申し上げますと、例えばフランスの例ですが、フランスではN分N乗方式ですから、例えば四人家族ですと、そうすると二、三、だから三分の一で割るわけです。夫婦とそれから子供二人ですから一で。三分の一で所得を割って、そしてそれを三倍しますからね、三で割りますから無税になることが多いんです、三分三乗。ところが、日本の場合は御存じのように五分五乗とか、こういうことが木材、森林の場合に適用されているわけです。もちろん森林業者に言わしたら、それはもう我々はそれでももうけにならぬとおっしゃるかしれませんけれども、しかし客観的に見た場合には、フランスの場合は人間を尊重するけれども、日本の場合は木材を大事にすると、こういうふうに見られるわけです。そういうところにやっぱり発想の転換が私は必要じゃないかと思います。
○宮澤弘君 最後にもう一問伺いますが、租税負担と社会保障費の負担、国民所得に対する比率でございますね、これは現在日本は三五%ぐらいだと思いますけれども、将来これからの日本を展望されまして、それは一体どのくらいが妥当であるというふうにお考えでございますか。
○公述人(名東孝二君) これは結論的に申し上げると、私は現在程度ですね。だから社会保障費を含めると大体三五%、このくらいがいいところじゃないかと思うんですよ。有名なパーキンソンの法則は一〇%がいい、やむを得ないときは二〇%だ、三〇%を超えたら国際的影響力が減退すると、こう言っているんです。三六%という数字を挙げていますが、三六%になると、戦争は別だけれども、平時としてはこれはもう破滅的であるという言葉を使っていますね。だから、例えば今のアメリカが大体三〇を超えていますが、ヨーロッパあたりは五〇とか六〇でしょう。こういうことがヨーロッパの斜陽化、衰退にも私は相当影響していると思うんですよ。 そういう意味で、臨調のお偉い方が四五ぐらいはよろしかろうとかいうふうにおっしゃっているけれども、そういう四五がいいという保証が一体どこにあるかということと、それから四五になったときにどうしてそれが歯どめになりますか。四五がよくて五〇がどうしていけないか。そういうのは水かけ論ですよ。だから、恐らく三五からどんどんせきを切って、大型間接税かEC型付加価値税という名前でどんどんせきを切ったとき、必ずやこれはもう五〇を突破することは十年たたないうちだと私は思うんです。その実例が今問題の国債ですよ。国債の発行は四十八、九年、あのころですよ。赤字国債が始まったのは五十年からで、わずか十年足らずの間に百十兆円とか言っているわけでしょう。十年足らずですよ。それほど日本人というのは感情的に情緒的にのめり込む国民なんです。 だから、もしここに大型間接税の窓口が開いたらどんどんエスカレートすることは、これは私は断言していい。もう十年せぬうちに、現在のECは五〇%とか、六〇%ぐらいですけれども、恐らくこの水準を突破することは私もう断言していいと思いますよ。恐らく五〇%を突破するでしょう。そのとき何が一体抑えにきくんですか。抑えのきくものはないと思う。抑えられないですよ。なぜかといったら、失礼ですが、今でも補助金で圧力団体が甘い汁を吸っているのに、それにさらに大きな甘い汁ができたらさらに群がっていくわけですよ。人間の欲なんていうものは切りがないんですよ。それを一体どうして抑えられるか。私は抑えられぬと思うんですよ。そういう意味において、私は現状くらいで何とかやりくりして抑えてもらわないと、日本の民間の活力、したがって経済力はじり貧になっていくと、こういうふうに考えております。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 そろそろ時間ですから、あと一問だけ。
○宮澤弘君 加藤先生にお尋ねをいたしたいと思います。時間がございませんので、ちょっと三問ばかりまとめて、恐縮でございますが、伺いたいと思います。 第一の点は、これから第三の教育の時代で、明治のエリート教育と戦後の脱落を出さない教育、この二つの調和をとる時代である、こういうことを言われました。そのためには恐らくいろいろなことをしなければならないのだろうと思いますけれども、具体的に一、二、先生がそのためにこうしたらいいという御提案がございますれば承りたいと思いますのが第一点でございます。 それから第二点は、先生は外国のことも非常によく御存じでいらっしゃいますが、日本の大学というのは入るのが難しくて出るのは易しい、外国はその逆だというふうに言われております。私どももそういうことがいいんだなと思いますけれども、そういうことについての評価と、そして先生もそれが妥当であるとお思いになれば、日本でそれを行うためにはどうしたらよろしいのかというのが第二点でございます。 それから第三点の日本語教育、これも先生のおっしゃるとおりだと思うのでございますけれども、外国人が日本に来た場合に日本語が十分しゃべれるように、事前のいろいろ外国におきます日本語教育というものをもっと充実しなければいかぬと思うのでありますけれども、それについてお気づきの点がございましたならばお教えをいただきたい。 その三点でございます。
○公述人(加藤秀俊君) 宮澤先生から三点、大変重要な問題を御指摘ございましたので、私の考えを述べさしていただきたいと思います。 第一点でございますけれども、そのよい面、よい面といいますか、明治の教育と戦後の教育とをどのようにつなげていくか、その工夫でございますけれども、私は人の一生というのは学習の連続だという前提に立ちますと、お休みという時間をつくっていいのじゃないかというふうに考えます。外国の大学で教室に参りますと、三十過ぎの人もいるし、場合によっては我々と同年代の人もいる。その人たちは、若いときに一、二年大学であるいは高校で単位をこれだけとっている、いわばこれは貯金のようなものでございまして、それから後しばらく社会に出て、またもう一度少し暇ができたからまた勉強しようというふうに、生涯を通じていわば貯金のようにして高等教育の場合は単位をとっていくというようなことができるようになれば、二つがどうにか上手につながっていくのではないか。突然の御質問でございますので、たった一つだけお答えいたしました。二、三日考えろということでございましたら、あと二つや三つアイデアが出るかと存じます。 それから第二の大学入試でございますけれども、私も入学試験というのは随分立ち会いましたし、自分でも受けましたが、私は共通一次試験というのは大変いい工夫であったというふうに評価しております。アメリカの場合、入るのは易しくてというふうに一般に思われておりますけれども、しかしその事前にSATという試験を受けなければいけないのは皆さん御存じのとおりでございます。つまりスカラスティック・アチーブメント・テストというのを受けまして、この点数が例えば八百点であればハーバード大学は無条件で入れる、六百五十点だとオハイオ州立大学が入れるというふうに、大学によって自分の持っているその点数表、得点表を持っていけば自動的に入学を許すというやり方でございまして、したがって各大学がそれぞれ個別に入学試験をするというのは私は長期的に見て余りいい方法ではあるまい。 ただ、先ほど名東先生がおっしゃいましたように、確かに私学の経営者というのは大いにサボっておりますけれども、私学の収入の最大なるものは受験料で、一時期に何億円かいただくということでもっているわけでございますから、そこのところはこれは私学経営上、私は理事者でも何でもございませんけれども、入学試験というのは、ありていに申しますと選抜するためではなくてお金を入れるためのものだと、これが一つ。それから第二に、卒業認定を厳しく、出すのを難しくするには、ちょっと日本の大学というのは、まあ我々が余り本気でないんですね。つまり、教師の側が本気にならなければ厳しく学生を評価することはできません。これも私は深くみずからへの反省として申し上げます。 第三点、日本語教育の問題でございますが、これは海外に拠点が幾つか既にございまして、日本文化センターといったようなものが今三カ所か四カ所か外務省並びに国際交流基金などの御努力によってでき上がっておりまして、事前に勉強してくるという学生は非常に多うございます。とりわけ私が一番重要視しなければいけないと思っておりますのは、日本語を勉強しているのが大体アジア、大洋州に集中しているということでございます。昨年でしたか、私、夏金沢へ参りましたら、そこにシンガポールから中学生が三十人来ているんですね。それは日本語を勉強に来ているんです。中学生の時分に現地から日本に出して勉強さして、そしてマレーシアでは日本語も、これは外国語の最優先のものになっている。オーストラリアもそうなってまいりました。 ただ、問題点を一つ申し上げますと、例えば韓国の人に日本語を勉強していただくための教材と、フランス人に日本語を勉強していただく場合の教材とはそれぞれの母国語の文法規則などが違いますから、もうちょっときめ細やかな日本語教則本というものが開発される必要があろうかと思います。これは百万人、五百万人という日本語学習者がいるということは事実でございますが、国がてこ入れして日本語学習のための、こうやったら日本語は勉強できるんだよということを教えるための教材は残念ながら今のところございません。専ら民間の努力とそれから民間の方々の、しかもこれはかなりばらつきがございまして、日本語教育がこれだけ盛んになっておりますのに、その基本になる教材がないということは御考慮いただきたいことだと存じております。
○瀬谷英行君 社会党の瀬谷でありますが、最初に名東先生にお伺いいたしたいと思います。 EC型付加価値税についてかなり手厳しいお話がございましたが、大蔵省のねらい目というのは一体どこにあるのだろうか、そういう疑問が我々の方でもいろいろあるわけです。特に、税金の取り方なんですけれども、弱い者から束にして搾り取る、こういうやり方、それから相当持っている方には甘くする、こういうようなやり方があるのではないかという点が懸念をされるわけです。具体的には記帳義務法制化等について、零細な建設業者、例えば大工さんだとか左官屋さんだとか、そういったような零細な建設業者に、記帳不能の人たちに記帳義務の法制化でもって難しい課題を与えるといいますか、実際問題として大変に実行が難しいようなことをあえてやって、そして搾り取ろうというような方法が果たして効果があるのかどうか、それがどんなような影響を及ぼすものなのか、それに対しては政府の立場からすればどうしたら公正妥当な税金の散り方ができるものなのか。今お話がございましたが、例えば資産課税の的確な捕捉をといったようなことも考えなければいかぬと思うのでありますが、一面においてそういうことも必要だろうというふうに思われますが、それらの点をどのようにお考えになっておるのか。 それから補助金のカットについても、先ほど宮澤さんの質問にもお答えございましたけれども、これもピンからキリまでいろいろあるわけですから一概には言えないと思いますけれども、例えばこういうような面では遠慮なくメスを入れるべきであるというふうに特にお感じになっているような問題がございましたならば、これを具体的に御指摘をいただいた方がいいのじゃないか、こういう気がいたします。 それから公共事業関係の費用でありますけれども、これから先、例えばこの間も私質問したのでありますが、青函トンネルなどというのは一兆に近い金をかけて今やでき上がろうとしておるが、使用法についてまだ意見がまとまっていない。率直に言ってもてあまされている。こういうような公共事業費は継続をする価値があるのかどうかという疑問があるわけであります。また、この種の問題は一体どのように処理をしたらいいものか、これらの点についてまず名東先生の方からお伺いしたいと思います。
○公述人(名東孝二君) 御指摘の申告納税制度の見直しでありますが、これは私がさきに申し上げましたように申告納税権というものがあるわけです。したがって、これをやっぱり守るということが私はまず大事な前提じゃないかと思うんですよ。だから、そういったようなものを崩していくことはこれは困る。これは記帳を正確にするということはもちろん大事です。それは経営をやっている以上は、零細業者といえどもきちっとやっぱりやるべきだということは、これは原則論として私は当然だと思う。 ただ問題は、そういうことが現実問題としてできるかできないかの問題なんですね。実際それができないということになれば、これはもちろん法的に縛るとやっぱり弊害が出るからそれでいろいろと指導するわけですよ。税務当局ももちろんだし、いろんな組合もありますし、いろんな形で私はやっぱりできるだけ指導なさるのがいいと思うんだな。それをぱっと網をかぶせた形で、それでできない者はやる意思がない、悪意だと、こういう解釈になるとこれはやっぱり大きな弊害が出てくる。基本的には自主申告権を侵すことになるわけで、そうなってくると我々サラリーマンにない申告権をせっかく持っているわけです。だから、憲法に与えられたそういった自主申告権を、せめてサラリーマンとしてはそれを守ってもらいたいと思いますよ。だから、我々も必要経費ないし自主申告権を与えてもらいたいというのが我々の率直な意見でありまして、あなたの持っている申告権を奪い取るようなことはこれはまずいと思います。 それから、今さっき申し上げた、やはりそれに関連するわけですが、国税通則法の問題ですね。百十六条の問題ですが、これはやはり今申し上げた、せっかく訴訟に持ち込む納税者の権利をこれを非常に危なくするおそれがある。一方的にしてしまう。すなわち、訴訟なり裁判というものは、これは対等が原則ですよ。そうでなくても普通で考えたら国側の方が強い、民間の方が弱いんですよ。それを国側の方にウエートを置くような規定を設けてもらうと、これはもう民間側は何のために訴えていいのか。そういったようなことは現実に今だんだんあれじゃないですか、税金問題をめぐる訴訟がだんだん減っていますよ。減ってくるというのは、訴えてももうこれはだめだというあきらめの心境が私出てきたのじゃないかと思って憂えているわけなんですよ。それに拍車を加えるようなことは、やっぱり民主国家という以上はこれはまずいと思いますね。 それから取り方でありますが、私申し上げたように増税の場合にはやはり最小限度の痛みが必要だ、したがって資産課税、所得よりも資産の方に課税を着目したらどうかと思うんですよ。その根拠は、御存じのように億万長者は上位から百人の中で七十人までが土地成金だ、こういう事実があるわけです。片っ方では農家は宅地並み課税で怒っているわけなんですよ。したがって、今申し上げたような宅地並み課税というような農家をいじめるようなことはこれはやめなければいかぬですよ。現に私、東京の農業組合長に会うたことがあるんですが、そういう片手落ちは許せぬが、しかし全般に土地に地租をかける、ちょうど明治のころのようにかけるのならば我々は承服するということを言っております。だから、そういう意味で土地問題というとタブーだという形じゃないのじゃないかと思うんです。 そういうわけで、必要なことは、例えば戦後、今日の経済発展があったわけですが、それの根底にあったものは私はやっぱり農地解放じゃないかと思う。それによって内需が確立されたわけですよ。現在も土地問題が住宅問題から産業問題からすべての隘路だということはもう常識になっているわけだ。したがって、この辺でもう一回土地解放をすることによって新しい有効需要を私は起こすべきだと思う。そうしないと、恐らく日本の経済は、今伸びている貿易が恐らくこれで外圧によってだんだんしりすぼみになりますよ。そうなるとき、内需が今申し上げたように土地の隘路によってもう伸びないとなった場合、一体どういうことになりますか。私は、どうしてもこの土地問題に手をつけざるを得ない、こういうふうに思いますね。 だから、もちろん広く浅くかけるというような発想の仕方では困るので、したがって居住用、例えば百坪以内は免税とか中小企業の方々には特別の配慮するとかという形で、重点を絞るわけですね。それで、私の試算では三大都市圏だけ、三大都市圏の大地主、売った場合に十億円以上の譲渡所得になる大きな地主さん、これが大体一万人から一万五千人しかいないんですよ。こういう方々に限定をして、泣いていただく。そうすると、大体私の計算で現在の土地増価額、値段が上がったのが二十三年間に三十七・五倍でありまして、七百三十兆円ほど値上がりしているんです。その中で大口に絞って百兆円、七百三十兆のうちのわずか百兆円ですよ。百兆円にさらに一〇%掛けて十兆円ですね。それから現在の固定資産税が三兆円ぐらいですから、引くと大体七兆円ぐらい出るわけです。だから、こういうマイルドなやり方をする。 特に、大地主の方々はお金持ちですから、特に名誉を与えて、例えば勲一等を与える。勲一等はやっぱり皆さん方のようなお金持ちで、名誉もある、権力もあるような方がもらうべきものじゃないんだ、勲一等なんというものは。我々みたいなすかんぴんだとか、それからそういう大金持ちだとか、大金持ちというのは心の満足が欲しいんですよ。心の満足を与えるために勲一等を与えたらいいと思うんですよ。
○委員長(西村尚治君) 名東先生、大変結構な話をしていただいているところなんですが、だいぶ時間をオーバーしているんです。十二時までにあと四人質問者がありますので、どうぞ御答弁の方をできるだけ簡潔に願います。
○公述人(名東孝二君) はい、わかりました。 じゃ、それでははしょりますが、青函トンネル、これは私ははっきり言うと時代おくれじゃないかと思うんだな。地方の時代で、例えば北海道は北海道としての文化を私は持つべきだと思うんだ。地域経済は、はっきり言うたらハイテク産業で日本から独立したらいいんだな。そんな時代にせっかくトンネルを建設して、私は時代錯誤じゃないかと思うんです。そういう意味において公共事業費を私は真っ先にやっぱり削るべきだと、そう考えています。
○瀬谷英行君 どうもありがとうございました。 大変に、土地をタブーとしないというお考え方、ありがとうございました。これでいくと財政再建なんか簡単にできそうな気がいたしまして、力強く思ったわけです。 時間の関係で、加藤先生にお伺いいたしますが、教育臨調が今問題になっておりますが、教育臨調のあり方というのが果たしてどういうものだろう。というのは、前に解散をいたしました臨調が非常に私には腑に落ちない点があるわけです。密室の中で作業をやって、出た答申というものが極めて無責任であった。結果的にはあの第二臨調の結論などというものは具体的には実行されないという、しにくいという面があるわけです。教育臨調があの轍を踏むということになったら大山鳴動して何とかということになりゃしないか、こういう心配があるわけです。したがって、教育臨調のあり方についてはどのようでなければいかぬというふうにお思いになるのか。 それから、就職の手段として学歴があるというようなことは、やっぱり学問をゆがめるようなことになりはしないかという心配があるわけです。やっぱり大学へ入ったという、あるいは大学を出たということは、それ相応の人間的にでき上がるということが必要だろうと思うんですね。どうも大学へ行って適当に遊んでいて、英語やドイツ語やフランス語をなまっかじりにして、肝心の日本語の方が余り的確じゃないというようなことじゃしようがないと思うんですね。したがって、人間を形成するという点で今の教育のあり方というものが果たして妥当かどうかという点。特に塾なんかの問題ですね。競って塾に通わせるという風潮が果たしていいかどうか。これも問題だろうと思うんです。我々が若いころのことを言うわけじゃありませんが、私らが小学校、中学校のころは塾に通うなんというような話は余り聞いたことなかったわけです。明治の初期の人は塾どころか学校も出ないで立派な人がいたわけですから、その点からいうと、今日の教育のあり方というものが多少機械的になり過ぎているのじゃないかという懸念があるのでありますが、それらの点についてのお考えをひとつお聞かせ願いたいと思います。
○公述人(加藤秀俊君) 非常にたくさんの御質問をいただきましたので十分お答えできるかどうか存じませんが、まず第一の教育臨調のあり方についてということでございますが、教育臨調というものが中教審とどのようなかかわりになってきますのか、ここいらのところは私わかりかねる部分もあるのでございますけれども、しかし教育問題というのを国の問題としてもう一度とらえ直そうというそのお考えは大変結構なことかと存じます。ただ、そのあり方について申しますと、私は、教育というのは教育者のものではございませんし、ましてや産業界のものでもない、これは国民すべてのものでございますから、したがってその委員の構成あるいはその委員会の機能の仕方としまして、日本の各地域の各層の、それから男性も女性も、とりわけお母さん方の意見というようなものがここに十分反映されるような、そしてその答申結果というものが実現可能であるような具体的提言を含んだような、そうした委員会であってほしいという希望を持っております。 それから第二の、大学から塾まで教育というものがかなり機械的になって画一化されている、大学が就職の手段になっているのじゃないかというのは確かに現実認識としてはそのとおりでございます。先ほどから自己批判ばかりしておりますが、これはひとえに私どもがサボッているからいけないわけなので、本気にならなければいけないわけでございます。先ほど宮澤先生からでしたか、大学の先生の給料というのは私学は国立より高いかというような御質問があったかと記憶しておりますが、私は学生の前で自分の資産公開をいたしまして、私が今、学習院大学でいただいておりますのが額面で五十万ぐらいになっているんでしょうか、手取りが毎月三十三万円でございます。これは、五十四歳、今まで三十年間学究生活をしてきた人間の受け取っている給料でございまして、これは今度新卒で出る学生諸君の給料の三倍にも満たない。これは小、中、高校の先生についても言えることかと思います。 人間というのは現金、まあ現金というのはまさしく現金なのでございますが、私がアメリカの大学で教えますと年俸六万ドルでございます。こうなりますと、朝から晩までこれは面倒を見なければいけない、自分も研究ができる、責任感を感じるのでございますが、手取り三十三万円でございますと、やっぱりちょっと、率直に申しまして、片手間ではなくて、私は決して休講もいたしませんし、十分準備をして授業はしておりますけれども、何かそれほど深刻な職業だとは考えないようになっちゃっているんですよ。でございますから、大学の場合いろいろほかにも収入源がございますからどうにかやっておりますけれども、幼稚園から小、中、高校の先生方に対する報酬、やはり十分に報酬が行き渡ったときに教育というものはしっかりしてくるだろう。それが先生の今御提出になりました塾の問題やら就職の手段としての大学の大変ゆがんだあり方や、そうしたことの根源にあるのではないかというふうに考えております。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 あとは中野君。――よろしゅうございますか。 済みませんけれども、後の方々、大変、時間ですので、できるだけひとつ簡潔にお願いいたします。
○中野鉄造君 では、簡潔にお尋ねいたします。 まず、名東先生にお尋ねいたしますが、私も先ほどから論議されております税制の見直し、改革、特にこの不公平税制の見直しということには非常に強く賛成をしているところでございますけれども、先ほどから言われております所得課税ということについてでありますが、現在の非課税貯蓄はこれは確かに小額貯蓄、郵貯だとか大衆の貯蓄が含まれているわけですけれども、しかしまた一面、御承知のように架空名義の金持ちの脱税の温床にもなっているという現実もございます。この点について、このまま放置しておってもいいものかどうか。例えば私、試算したところによりますと、ちょっと古い数字ではございますが、五十八年度の非課税貯蓄が二百二十六兆円になっております。仮にこれに利率七%とした場合に利息が約十五兆八千億、五%の利率にした場合は十一兆円、これだけの利子がついているわけですけれども、確かにこれは大衆も含まれているわけではございますけれども、今申しますような脱税の温床にもなっているというようなこともまた見逃せないのじゃないかと思いますが、これをこのまま放置しておってもいいかどうか、そういう点については先生のお考えどうなのか、これが一点。 もう一つは、私どもも景気浮揚、増税なき財政再建のためにも内需拡大ということをよく口にしておりますけれども、先生御自身はこの内需拡大について、現在、私的、公的にもかなりストックがある今日でございますけれども、有効内需ということについてどのような想定を見越しておられのか、この点についてお尋ねいたします。
○公述人(名東孝二君) まず、非課税貯蓄の問題でございます。これはさきにも御説明申し上げたわけでありますが、おっしゃるとおり、非課税貯蓄の利用が五億口座とか、こういったようなことはこれは明らかにオーバーではないかと思うんです。二〇%課税して、それで低所得者の分を除くと大体一兆六千億ぐらいの税収にはなるだろうと思うんです。そういう意味で、不公平なものを正すということは私これは大事なことだと思うんです。ただ問題は、そういったようなことが一体どういうような腹痛を起こすかということ、これが一方において考えねばいかないことなんですね。だから今、さきに日銀の秘密資料を御紹介したわけでありますが、大体推定七十兆近く。来年やるとすれば、七十兆近くの隠し金の中で半分ぐらいは動き回るというよりは逃げ回ると言った方がいい。これはおわかりだと思いますよ。例えば、先生の場合は失礼だから、私が仮に一億なり十億の金を持っておった場合、それで二十も三十も口座を持った場合に、このときにマル優を廃止して網をかぶせるということが決まった場合に私がじっとして捕まるのを待っているか、恐らく大蔵省の役人といえども私は逃げるんじゃないかと思うんですよ。じっと捕まるのを待っているなんて人間は私はいないだろうと思うんです。しかも逃げるところは幾らでもあるんですから、他国にタックスヘーブンなんかたくさんありますからね。 そうすると、逃げた場合に、今は表と裏がごっちゃになってうまく機能しているわけです。ところが、それが逃げ始めたときにどういうような問題が起こるかということがあるわけですね。だからこれはやっぱり単なる社会的正義という問題のみならず、どのくらいの社会的正義とどのくらいの税収があるかということと同時に、どのくらいの経済的な波乱が起こるかということをやっぱりてんびんにかけて計算していくほかない。計算して、社会正義なり税収の方が大事だと言うのなら、これは私はやっぱり当局としての決断だと思いますよ。私はそれをおやりになったらいいと思う。また、現にアメリカは、今度のレーガン大統領の予算教書の中に地下経済を摘発するという言葉が出ていますね。具体的なことは書いていません。具体的な内容は書いていませんけれども、ただそういうものを摘発すべきだということは明らかにうたっていますからね。したがって私は、やっぱりこれは当局としてはやるという決断だと思います。それはプラス、マイナスを計算した結果ですね。だから、それは私はそういう意味でいろんなプラス、マイナスが起こるということだけを申し上げておいた方がいいのじゃないか。 ただ、こういうことは言えますね。大蔵省のようにマル優の廃止だとか、それからグリーンカード制をやったらいいとか、そんな大上段に余りこぶしを振り上げるようなことをしなくたって私はいけると思いますよ。例えば今の源泉徴収率を四〇%とか上げればいいのですよ。そうすれば恐らく隠し金は還付請求をしないんじゃないですか。少なくとも大口はしませんよ。それはもちろん税務署の手数はかかります。したがって、例えば農林省あたり少しぷらぷら遊んでいる役人たちは、少し向こうに回ってもらって勉強して見習ってもらうとか、そういうことが必要だと思うんだけれども、それは私はそんなにそう制度をいじくり回さなくたって可能だと思うんですよ。それは恐らく大口脱税者は逃げると思う、韓国でもそうですからね。韓国でもやっぱり緩やかな網をかぶせておりますから、したがってどんどん逃げるわけです。逃げた者はこれはどうするかという問題がやはり起こりますけれども、そうするとまたプラス・マイナスの計算になってくるわけですね、追及した方がいいかどうか。 ただ、これだけは言えますね。はっきり言えることは、本当に権力と結びついている大物は捕まらないということだけは。これは日本だけじゃないんですよ。韓国で捕まらないんだから、韓国みたいな独裁の国で捕まらないのがどうして日本で捕まるのか、これ納得できないんです。ソ連で捕まらないんだから。本当の大口は必ず逃げる。なぜかといったら表の権力と結んでいるからです。どういう権力と結んでいるか、これは皆さん方の方がお詳しいんじゃないかと私は思うんだけれども。だからそれは限度があると思います、限度が。したがって、私が最大限六兆円という計算はそういうわけです。かなりこれで目いっぱいに見たつもりなんですよ。大体七十兆円ぐらいの隠し金の中で一割ぐらいしか取れぬと見ている。ということは、これは隠し金の中ではまじめで零細で割合に雑魚のところが捕まると見てます。本当の大物などは捕まらぬですよ。これは断言してもいい。 それで、次に補助金ないし公共事業費の問題、内需拡大の問題でございますが、これは私はやっぱりGNPの中で一番占めているものはやはり個人消費支出ですね、六〇%ぐらい占めているわけですよ。この辺の配慮が非常に足りませんね。一つの政策として見た場合に、個人消費に対する私は配慮がこれは全然ないと思うんだな。ということは、常に顔が産業界の方に向いている、経済界の方へ向いている、公共事業とかそういうところを常に浮き上がらせることによって波及効果をねらっていこう、そういう発想ですよ。ところが、経済界自体はかなりこれは慎重です。それは現在マスコミでいろんな調査をして、設備投資が立ち直ってきたなんて言っているけれども、実際はそうじゃないですよ。そんなに強気じゃないですね。ということは、かなり不安を持っていますよ。アメリカの景気を非常に注意深く見守っているというのが現状じゃないでしょうか。 したがって、アメリカがちょっとおかしくなったらもうすぐ引っ込みますよ。したがって、普通の投資よりもいわゆるマネーゲーム、株が高いのもそういうことですよ。マネーゲームが盛んなんですよ、今。そういう現実を考えたときに、従来のような景気拡大策なんというのは私はナンセンスだと思うんだな。やっぱり基本的には今、負の所得税のように、もう困っているのは課税最低限以下の人々ですよ、これは。本当にこれからこういう人たちにやっぱり一種の生活補助費を与えていくことによって消費をもっと盛り上げていくというところが一番私はかたいと思うんです。アメリカの場合でもそうですより株が高かった、その高い株の購売力が消費の方に回ってきたんですね。そういうことによってあれが立ち直ったわけですふね。だから日本の場合、個人消費支出に対する配慮が非常に足らない。今でも何か経企庁あたりは上向いてきたというようなことを言っているけれども、私はそうは思いませんね、私の調べた範囲では。
○委員長(西村尚治君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(西村尚治君) 速記を起こして。
○中野鉄造君 加藤先生にお尋ねいたしますが、極めて素朴な問題でございますが、今日の教育の荒廃、特に校内暴力だとか非行少年問題、これは日本国有の問題ではなくて、最近の世界各国、資本主義、社会主義国家を問わず、大なり小なりこういう現象が起こっておりますけれども、極めてこれは素朴な質問でございますが、どうしてこれはこういうことになってくるのか。ただ、こういう問題を解決するために学制改革だけで果たしてそれが解決するのかどうか。非常にこれは大ざっぱな問題でございますけれども、ひとつお願いいたします。
○公述人(加藤秀俊君) 大変重要で深刻な問題でございまして、これはお話し申し上げていたら切りがないと思うのでございますけれども、結局、人類社会全体を振り返ってみまして、飢え死にする人間がいなくなったということが最大の原因であろうと私は思っております。つまり、貧困な国にももちろん非行はございますけれども、非行が一番目立っているのは豊かな社会でございます。豊かさということは大いに喜ぶべきことでございますけれども、同時に、豊かであるがゆえにそれに伴って必然的に出てきたこれは社会病理現象、学者が分析しますとそういうことになりますが、それでは、さて具体的にどういう方法があるかということになりますと、結局、教育というものを学校に任せるという姿勢が戦後四十年の間にいつの間にか定着いたしました。まあこれは家庭教育、学校教育、社会教育、この三つがそれこそ三位一体になって動いてくれなければいけないのでございますけれども、その中で学校教育だけが教育問題として論じられて、社会教育は社会教育で一生懸命なさっておりますが、家庭教育というものの意味、これを論じることが場合によってはタブー視されたり、あるいは子供のことは学校に任せるんだという思想が親の間に行き渡ってきた。したがって、家庭教育をどのようにして復興していくかというようなことが解決策といいますか、解決への糸口になろうかと存じております。
○委員長(西村尚治君) それじゃ内藤君。ひとつ質問の方もできるだけ簡潔に願います。
○内藤功君 時間の関係がありますので、名東先生に一問だけお伺いしたいと思います。 大型間接税、一般消費税の決定についてのいろんなお話、非常に同感の点が多いわけなんですが、これが結局軍事大国化への道にもなるというお話もありましたが、今のこの軍事費ですね、これについてどういう歯どめをかけるべきか、またどのように、特にどの部門について縮小すべきかと、こういう点についてお考えがございましたらお話しいただきたいと、この点でございます。
○公述人(名東孝二君) 軍事費の点は私も専門家でないので、それで決定的なことが発言できないのでありますが、ただ言えることは、やはり経済大国は軍事大国にならなかったことがないということが歴史的に言われているわけですね。しかし、日本は、やっぱりそういう歴史的な一つの実験として、この辺でそのタブーを破ったらどうかと思っているわけなんです。せっかく経済大国になったわけですから経済大国で突っ走ったらどうか。 私も去年アメリカの学会で、いろんな学会に見えておったブッシュ海軍大佐とか、いろんな海軍、陸軍の方にも会ったんですけれども、そのときに言ったことは、やっぱり日本は経済大国としてもう専念すると、したがって経済協力国家になると、そうすることがやっぱり日本の生きていく道じゃないかということを言いましたら、そのとおりだと、なまじっか軍事力をつけると近隣に警戒を与えるし、また余り強くなるとかわいくないよと言われた、かわいくないよと。それは幾らレーガンさんが強くなれ強くなれと言ったって、極端に言うたら、アメリカと同等ぐらいになったらもう毛嫌いされるに決まっていますね。アメリカの自由になる間がまだかわいいのであって、そういう意味で限度問題だと思いますよ。アメリカにはかわいがられても、今度はお隣の中国、韓国には嫌がられるかもしれません。そういうことを考えますと、私は決して国際情勢の厳しさがないなんということは毛頭考えていません、それは。それはやっぱり力が国際間を支配しているということは認めますよ。認めますけれども、しかし今ここで日本が軍事力をつけていって、一体どこまで行くつもりなんですかね。問題は程度問題。私が本当に聞きたいのは、どこまでやったらいいのかということなんですね。また、レーガンさんのお考えがアメリカの決して支配的意見だとは私は思っていないのだけれどもね。 そういうことを考えますと、やはり私は、素朴なようだけれども、せっかく築き上げた経済大国という、経済協力国家として徹する。しかも、それも単に政府が金をばらまくというのじゃなくして、やっぱり民間が率先して、それで例えば今度、失礼ですが、中国の場合でも大きなプラントを持っていくなんというようなものじゃなくて、中国は人口が多いんですから、インドも。したがって身の丈に合った技術、小さい技術ですよ、そういう中間的な小さい技術を使いこなせるような、そういう紹介の仕方をすべきだと思うんです。単に大きなプラントを紹介して、それを中国に売り込むというだけが私は決して経済協力だとは思っていないわけです。 どうも失礼しました。
○委員長(西村尚治君) それじゃ伊藤君。簡潔に願います。
○伊藤郁男君 それでは名東先生に一点だけお伺いをいたしますが、政府部内には経済運営について二つの大きな意見の違いがまだあるわけです。一方は縮小均衡型ですね。しかし、河本さんのような拡大均衡型の意見がありまして、河本さんは政府部内で提言をしているようですが、そしてかつ河本さんは直間比率の是正という意味も込めて、もう一度早い機会に三兆円ないし四兆円の大減税やるべしと、こういう提言もされているわけでありますが、この点についてどのようにお考えなのか、その点だけお伺いいたします。
○公述人(名東孝二君) 現状をどういうふうに把握するかによって、その認識のいかんによって変わってくると思うんですが、私は率直に申し上げて、現在の五十年ぐらいの大きな波の波動が今だんだん下がりつつあると見ておる。既に、現にもう十年ぐらい下がっているわけです。だから、はっきり言うと、まだ今世紀は波を打ちながら、もちろん二十年とか十年とか、それから四十カ月とかという波があります。そういう波がありますから、今戻りつつあるのは私の目でも予定の行動なんだ、これは。ただ、これが何年間も続かないことは、私はもうはっきり断言しておきたいと思う。そういうわけで、波を打ちながら下降傾向にあるというのが私の基本的認識です、これは。したがって河本さんのように、大規模な投資をやって、そうして夢よもう一度、高度成長が来るというようなお考えは、失礼ながらこれはやっぱり錯覚じゃないかと思うんです。日大の大先輩だから味方したいところなんだけれども、ちょっと少しふろしきじゃないかというふうに私は見ています。決してそんなふうにはうまくいかないと。やっぱり内需の拡大だって限度があるので、手がたく、何といいますか、はっきり言うたら余り落ち込まないように落ち込まないようにしていくということも大事なんで、余り急激に上がろうとすると反動で落ちる。反動で落ちるときの方が恐ろしいわけですよ。無理するとそれは上がりますよ。そのかわり反動的に落ちる、こういうふうに私は考えていましてね。それは河本さんから残念ながらアドバイスを求められぬから、それで私も控えておきますが、かなり慎重を要する。運営には私はやっぱり慎重を要するというのが結論です。
○委員長(西村尚治君) じゃ、秦君。簡潔に願いします。
○秦豊君 私で最後ですから。両先生、我々予算委員会のメンバーは、日ごろは中曽根総理を初め、いわゆる高級官僚と称する人間のあの特有の日本語の中に浸っておるわけですよ。きょうはお二人の率直な、生き生きした日本語に久々に接しまして非常に愉快さをかみしめているところです。時間がございませんので、一言だけ確認さしてください。 名東先生には、例のマイルドな資産課税、あれはさっき片りんをおっしゃったような、あくまで農地というか土地重点ですね。これが一つ。それから、加藤先生には、五つ並べられた御提案の中でたしかトップにありましたね、エリート、それから脱落防止のバランス。これはしかし、例えばそれを具体化すれば飛び級も肯定というような発想にもなりますが、おっしゃったまさにエリート、それから脱落防止、これは制度の中に定着をさせ、運営をしようとなるとかなり難しいのではないかという懸念が私なりにありますが、両先生にその一点ずつだけ伺って、終わります。
○委員長(西村尚治君) まず、名東公述人に願います。
○公述人(名東孝二君) 私の立場は何回も申し上げるように、現在程度、重くしない方がいい。というのは、税金を重たくして栄えた国はない、これが私の基本の立場です。したがって、増税でない方がいい。増税をするときは税金の痛みが最も強い資産課税がいい。しかもそれもやっぱりできるだけマイルドに。したがって、使う方は最小限度のとき、やむを得ないときに限る、こういうことを言っているわけです。それと同時に、内需の拡大も限度はあるけれども、もう一回その壁を破ろうと思えば土地解放をやって、住宅建設を初めとして、その辺から壁を破らなければ、決して河本さん流の、失礼ですがああいうやり方では、公共事業費なんというようなことでは決してこの壁は破れないということだけです。
○委員長(西村尚治君) 加藤公述人に願います。
○公述人(加藤秀俊君) 一分間で済ませます。 最初のお話でございますが、私は飛び級は大いに結構なことだと存じております。その根拠になっておりますのは、人間存在というのはそれぞれに尊厳であると同時にかつ個性的でございます。みんなの人間が同じようにスタートラインから走り始めまして、そして百メーター競走で突っ走って一等、二等を決めていく。百メートルを三分以内で走り切らなければいけないというのは、それぞれの健康状態から考えまして、これは無理な話でございます。人によっては途中で一休みして三十分かかって百メーター走りたい人もいるでしょうし、あるいは一生懸命頑張って三十秒で走っちゃおうという人もいるかもしれない。そうした個別のコースの選び方を制度的に私は設定することにかなり問題はあるかと存じますけれども、少なくとも思想としてはそうした考えで臨んでいくならば、つまりそれぞれの個人のペースに合わせた施設ないしは制度でございましょうか、その検討というのが教育臨調あたりでも御論議いただきたいというふうに存じております。 それから、やや不規則発言になりますけれども、御質問がなかったことでございますが、教育というのは、私の身分を拘束しております主務官庁は文部省でございますけれども、文部省だけの仕事ではないということですね。とりわけ外国との交流がつながってまいりますと、外務省と文部省と御一緒に例えばユネスコ国内委員会というものをなさっていらっしゃいます。それから、農業の問題に関しては農林水産省というようなお役所もございますわけですし、中央官庁、省庁同士のいろいろ縄張りの問題については、私はいろいろ今まで苦労しておりますけれども、他の省庁の方々も文部省と並んで、教育は文部省に任せておけぱいいというのではなくて、皆で力を合わしていただきたいというのを私の希望として最後につけ加えます。
○委員長(西村尚治君) 以上で財政・税制及び教育に関する意見聴取は終了いたしました。 一言お礼を申し上げますが、名東公述人及び加藤公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心から厚く御礼を申し上げます。(拍手) 午後一時から公際会を再開することとし、これにて休憩いたします。 午後零時五分休憩 ―――――・――――― 午後一時五分開会
○委員長(西村尚治君) 予算委員会公聴会を再開いたします。 一言ごあいさつ申し上げます。 関公述人、渡邉公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 それでは、順次御意見を承りたいと存じます。 まず、経済・景気動向につきまして関公述人にお願い申し上げます。一橋大学教授関恒義君。
○公述人(関恒義君) 御紹介いただきました関でございます。 きょうは、ことしの予算あるいは現在の政府のとっている経済政策との関連で景気回復が可能なのかどうか、あるいは今後の日本経済の展望はどうなるのかというようなことについて意見を述べろということでございますので、限られた時間でありますが意見を述べさせていただきたいと思います。初めに私が考えております結論的なことを申し上げまして、その後そのような結論を出す理由とか、ないしは背景といったものについて時間のある限り御説明申し上げる、足りない点は質疑応答の中で補足するということにいたしたいと思います。 最近、特に昨年あたりから景気が回復してきたのではないかと言われております。事実多少成長率も高まってきているようです。特にアメリカでは、昨年暮れの四半期においては年率に直しますと六%強の成長が実現したということであるわけですが、しかしそういう事態が出ましてすぐ後で、最近過熱の後の急激な冷却というようなことが取りざたされておるようです。そういう意味で、最近の景気の動きというのは、それ自体非常に不安定というのが非常に重要な性格になっているわけですね。そういう意味で一般的には低成長時代というふうに言われております。特に七〇年代に入りましてからは、国際通貨危機、エネルギー危機、さらにはスタグフレーションというような事態が集中的に起きまして、どうも経済は停滞ぎみ、私どもはこれを構造的危機という言葉で表現しているのですが、こういう危機の中で一般的には成長率が非常に大きく下がる、低成長時代ということでして、したがってこの十数年来景気というのも成長率で申しますとパーセントの非常に低い、そういう状況の中で推移しております。 そういうこと自体が非常に経済的に把握する場合には大問題なわけですが、特に最近の傾向の中では、特に日本の場合、臨調行革路線が推進されております。ことしは予算で見ますと臨調行革が推進されましてからちょうど三年目に入るわけですが、そういう臨調行革推進の三年目、その中で一体こういう方向と結びついて景気の回復が可能なのかどうかということが特に問題になろうかと思います。私自身は、この臨調行革路線を推進する限り景気の回復の可能性は薄い、全くないとは申しませんけれども、まあ上昇に向かう可能性は非常に少ない、したがって現在多少景気回復ぎみのような傾向もありますが、これは長続きしないというふうに見ております。さらに言えば、臨調路線にこだわる限り、やはり日本経済の展望は全体として悲観的であるというふうに私は見ております。これが結論です。 景気回復のためには、しばしば言われておりますが、内需拡大の方向というのが不可欠でして、とりわけ内需拡大の中でも国民の購買力、消費力の拡大というものがやはり確保されませんと、現在の、特にこれからの景気というのは回復が困難であるというふうに一般的に考えております。それが第一点です。 第二点は、特に大企業の活動というものをやはり規制するということ、コントロールするということが非常に重要であるというふうに見ております。特に優遇税制を是正するとか、一般には上位五十社十六兆円と言われるほどの膨大な内部留保を抱えているわけなんですが、こういうようなものをやはり国民生活充実の方向で利用するようなことを真剣に考えませんと、やはり景気の回復というのは全面的には可能にならないというふうに見ております。特に、今後の日本経済の展望にとりましては、やはり経済構造をつり合いのとれた方向に持っていく。どうもいろんな意味でのゆがみが余りにも激しくなり過ぎている。産業構造につきましても均等的な産業構造をつくり出していくということが非常に必要である。と同時に、日本の場合には特にそうなんですが、民族主権を前提とした自主平等の管理された貿易ということが必要であろうというふうに思います。 以上が、特に私が申し上げたい結論的な部分です。 そういうようなことを言う理由ないしその背景ということにつきましては、幾つか問題点があるわけですが、何といっても一番大きな問題は、第二次世界大戦後の日本経済の発展過程あるいは成長過程それ自体の中に一つ重要な問題点がある。これを要約して言いますと、非常に不均等な発展を遂げた。その結果、大企業を中心として異常な過剰蓄積状態ができているということがあるわけです。この現在の臨調路線はこの不均等発展ないし過剰蓄積を一層肥大化する、そういう方向に向かって突き進んでいる。そこに非常に悲劇的な問題があるわけでして、したがって先ほどつり合いのとれた発展とか産業構造の均等的発展とか申し上げましたけれども、そういう方向に向かって全体的に変わるということが日本経済の今後の展望にとって非常に重要ではないかということです。 そこで、多少資料的に跡づけてみますと、日本の高度成長期というのは一九五五年から七〇年まで、説によっては七〇年前半までを高度成長ととらえる人もおるようですが、やはり七一年には国際通貨危機、あのニクソンショックという事態が起こっておりますので、厳密な意味では高度成長期というのは五五年から七〇年までだろうというふうに思います。その間の実質成長率は御承知のように一〇%というものだったわけですが、七〇年代に入りましてから平均の成長率が大きく低下いたしまして半減いたします。五%です。そして八〇年代に入りますとさらに低下いたします。平均的には三%に達しないというような事態が生じてまいります。ことしのこの予算案の説明の中でも、八三年度、昨年は三・四%くらいの成長が見込まれると、こういうことです。そしてことしは四・一%の成長を見積もるということになっているわけですが、この政府見通しそれ自体もやはり四・一%ですね。八〇年代全体につきましても政府が発表しましたいわゆる「一九八〇年代経済社会の展望と指針」では四%という成長を見込んでいるわけですね。七〇年代よりも政府の見通しそれ自体が一段と低い、そういう形になっております。いずれにしても景気回復というようなことを言う場合でも、その程度の水準の中での一、二%の動きが問題になるということなんでして、これはもう少し経済学的な問題としてとらえますと、これを最気回復と言えるのかどうかというようなことが根本的に問題になるだろうと思いますが、いずれにしてもそういう状態になっているわけですね。 先ほど不均等発展と申しましたけれども、この高度成長期、それから七〇年代から八〇年代にかけての大ざっぱな指標を整理いたしますと、高度成長期のGNPというのは十五年間で四・二倍になっているわけですね。ところが実質賃金は二・二倍にしかなっておりません。消費水準は二・一倍にしかなっておりません。つまり、俗に言うところの生産と消費の矛盾というものが非常に明確にあらわれているわけです。やはり七〇年代以降の経済的な困難の時代、我々の言葉では構造的危機ということですが、私この言葉にはこだわりません。経済的な困難の時代にやはり大きく成長率が後退せざるを得ないというこういう事態の背景には、そのような不均等発展があるということを客観的な事実として指摘しておきたいのです。 ところが、この七〇年代を通じましてもこの不等性は是正されるどころか一層拡大するのですね。GDP、これは新SNAになりましてGDPで発表するようになりましたが、GDPは一・六倍にふえます。しかし、消費水準は一・三倍でしかなく、実質賃金率も一・四五倍、これは政府の統計資料それ自体が示すものです。八〇年代になりますと、やはりこれがまた下がるんですが、実質賃金の上がる率も非常に少ない。公務員につきましては人勧凍結ということでこの足かけ三年の間に二%しか上がっていないという事態に立ち至っているわけですね。そして事実、実賃率はマイナス成長という事態もありましたし、それを受けて一時期成長率がマイナスに転化するということもあった。一般的な民間の賃上げも非箱に低水準で続いてくるわけですね。 昨年は大手の民間で四・四%の賃上げしか実現しなかった。ことしもどうやらほぼその前後と、まあ鉄鋼関係では三・一%になるかならぬかというようなことが特に最近問題になっている。そういう状況の中でやはり大きく実質賃金なり、国民のまさに可処分所得の水準での大きな国民購買力の増大ということはどうも見込み薄だという意味で、生産と消費のアンバランスというものが一層拡大してきているわけなんですね。そういう中でやはり臨調行革が推進されておりますから、この不均等拡大がますます激しくなるということになっておりまして、ですから景気の回復というものを期待することが理論的には難しい。いろいろな突発事故がありますから、過激になったり冷却したりということはあるかもしれませんが、それは十数年間そういうことを繰り返してきているのが現実であるわけですね。 さらに言えば、特にことしの予算の性格について関連していいますと、やはり生活扶助の保護費の額がわずか二・九%の増でしかない、さらに失対事業費の日給が二・八%増の四千百六円でしかない、年金は二%増でしかない。つまり、二%台の増でしかないような状態では、消費不況と言われるように非常に消費が停滞しているムードを予算の上からこれを打開するということが全く不可能に近い状態にあるということになっているわけですね。 特に、予算は臨調行革の推進過程の中でいわゆるゼロシーリング、マイナスシーリング、今年度の予算につながります予算においては、概算要求の段階でマイナス一〇%シーリングというものを一般的に押しつけられているということですから、実際の予算案においても二年間連続一般歳出はマイナスになっていますし、特にことしの一般歳出のマイナスは昨年よりも大きい。そこへもってきて、直接税は一兆二千四百二十億円減税になりますけれども、それに対して間接税での増税が約一兆三千七十億円ぐらい見込まれます。つまり差し引きいたします七増税になる。さらには、健保については二年間一割負担、さらにそれを過ぎますと二割負担というような自己負担率がもう既に予定されております。しかも減税額をつぶさに検討いたしますと、低所得層に非常に不利で、高所得層に有利であるという形になっておりまして、実際にはやはりますます国民購買力、消費量が急速に低下する、押しつけるということが予算の上で出ているわけです。これで景気が回復することを期待すること自体これは不可能である、無理であるということを断言せざるを得ないわけです。 さらに、それに対して総合安保関係予算というもの、例えば防衛費とか経済協力費とか先端的技術開発費というものは大幅な増が三年間続いております。これらが景気の回復になり得る要因というのはまず考えられない。先端的科学技術開発というのはやはり大企業向け補助金というような形態を非常に多くとりますし、経済協力費というのは日本の場合、二国間援助が四分の三に及んでいるんですね。この二国間援助というのは割合と独裁的な国家とかああいうようなところに集中しているわけでして、こういうところで援助費がはっきり国民生活の向上に結びつくという見込みがあるのかどうか。ないと、これやはり累積債務の方向に突っ走っていきますので、こういうものの効果は余りない。それから防衛費の増に至っては、やはりアメリカ自体がそうでありましたように、産軍複合体制というような形のものをつくりますと、これは大変な荒廃を経済の上でもつくり出さざるを得ないということで、予算面におきましても不均等発展が拡大する方向ということで、やはりこの動きにストップをかけていただきませんと、景気の回復どころか、日本の経済の展望も余りいいものは出てこないのではないかというのが私の申し上げたいことです。 あと、まだ幾つか問題点ございますが、それは御質問に応じてお答えする中で考えさしていただきたいと思います。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 次に、国際経済・金融につきまして渡邉公述人にお願いいたします。東京銀行取締役頭取渡邉康君。
○公述人(渡邉康君) 本日は風邪を引きましてお聞き苦しいと思いますけれども、ひとつ一生懸命に声を出しますので御了承をお願いします。 本日は国際経済・金融について述べてほしいというお話でございますが、時間の制約もありますので、まずアメリカを中心とした世界景気の動向、それから発展途上国の債務問題、最後に円とドルの問題とその対応策、以上の三点に絞って所見を申し述べたいと思います。 最初に世界景気の動向について申し上げますと、一九八〇年代に入って、長く低迷を続けてきました世界経済は、昨年後半以降ようやく上昇局面に転じまして、ここ数年の動きを簡単に振り返ってみますと、七九年から八〇年に生じました第二次石油ショックの影響で八〇年の初めに世界の景気がまた落ち込みまして、一方でインフレが非常に進みまして、これに対してほとんどの国が景気の回復を急がなかった、むしろインフレの抑制に努力したという傾向がございます。それに加えまして、この間、アメリカの金融情勢が非常に不安定で、ドルの金利が高い水準で非常に乱高下しまして、これに対しまして各国は自分の国の通貨の対ドル相場の下落を防ぐために高金利政策を余儀なくされました。これが世界不況長期化の背景でございます。 八二年から八三年にかけまして、アメリカを初め多くの先進諸国でようやくインフレがおさまり始めまして、これを受けまして金融政策が緩和されまして、景気回復の条件がようやく整ってまいりました。もっとも、ほとんどの国に共通する財政赤字の制約、それから非産油発展途上国の債務累積の問題、それから欧米諸国の失業増加を背景とする保護主義的な動きなどいろいろと難しい問題が残っておりまして、昨年前半の世界景気の状況は甚だ心もとない状況でありました。しかしながら、その後のGNPの規模で見ますと、自由世界において三〇%のシェアを占めるアメリカ経済が予想を上回る力強い上昇を見せまして、世界経済全体をリードする役割を演じました。八二年のアメリカの実質経済成長率はマイナスの一・九%、戦後最大の不況と言われましたけれども、昨年はこれと打って変わりまして第二・四半期、すなわち四月から六月期以降急ピッチで回復しまして、年間の成長率はプラス三・四%に達しております。アメリカを含めまして先進国グループといいますと、全般的にヨーロッパは非常におくれておりますけれども、それでも主要七カ国の平均成長率は、八二年のマイナス〇・四%に対しまして八三年はプラスの二・五%にまで回復いたしまして、ことしはこれが四%弱の水準まで伸びるのではないかというふうに期待されております。先進諸国の景気回復にリードされまして、発展途上国グループの経済情勢も徐々に改善されております。 このような状況にありまして、我が国を含む先進主要国の課題は、まずインフレの再燃を警戒しながら慎重に景気回復を図っていかなければならぬ。それからそのためには設備投資の回復を促すことが基本的には大事ではないかというふうに思います。生産能力の拡大を伴わない景気拡大というものは早晩インフレの再燃につながる危険があるからであります。既にアメリカとか西ドイツ、それにわずかですが、我が国などではかなり設備投資が上向いてきておりますが、今後そうした動きがより確かなものになって、より多くの国に波及していくのではないか、またそういうことが甚だ望ましいと申せます。 これからどういう展開になるかということを展望いたしますと、今までと同じように、引き続きアメリカ経済の影響が非常に大きいというふうに思います。アメリカの経済は、昨年からことしにかけまして世界景気回復の牽引力になってまいってきたのでありますけれども、二つの大きな問題を抱えておりまして、その成り行き次第で再び金利が上昇して、アメリカ経済のみならず世界経済全体にブレーキがかかってくるのではないかという危惧があります。その一つは、アメリカの財政赤字の拡大でありまして、もう一つは経常収支赤字の拡大であります。御高承のとおり、アメリカでは一九八一年以来、これはレーガンになってからですが、拡大的な財政運営が行われている。それが昨年来の急速な景気回復につながったのでありますけれども、一方で、昨年九月に終わりました八三年の予算は実に二千億ドルという大きな赤字を記録しておりまして、アメリカ政府は、このような大きな赤字をファイナンスするために、国債を当然ながら発行して、そして金融市場から資金を吸い上げますので、景気上昇に伴って民間部門の資金需要が活発になりますと、いわゆるクラウディングアウトが起こりまして金利上昇圧力が働くということになります。幸い今までのところはまだ起こっていないように思います。 それからもう一つの問題でありますけれども、アメリカの経常収支赤字の問題であります。アメリカが世界経済拡大の先導役を果たしまして、ために輸入が増大した。そしてその重要な今度はアメリカの輸出市場であるところの中南米諸国の外貨不足のためにこの地域への輸出がすっかり減ってしまった。それから三番目に、アメリカのドル高のためにアメリカ産業の輸出競争力が低下した。それから八一年のアメリカの経常収支の赤字は、こういうことで四百八億ドルでありましたけれども、ことしはこれがふえまして、さらに六百億ドル前後の赤字が予想されております。この赤字のために、昨今言われておりますのは、遅かれ早かれドル相場が大幅に下落するのではないかということが言われておりますけれども、このドルの信認が低下してドル相場が不安定な動きを示すようになりますと、このドル金利に上昇圧力が加わりまして、アメリカの景気にさらにマイナスの圧力が加わることになって非常に悪い影響が起こってくると思います。 最初の財政赤字の問題でございますけれども、その解決策はもう簡単で、削るしかないということであります。アメリカ政府も既にそうした方向で準備を進めておりまして、八五年から三年にわたって一千億ドル削減するとか、今盛んに手はずを進めておるようでありますけれども、秋の選挙を前にしましてなかなか難しいのじゃないか、本格的な対応はいずれにしても明年以降にずれ込むのではないかというふうに思います。もしそうだとしますと、今後、これから年の後半にかけまして金利は、大幅な上昇はまず選挙前ですから極力抑えると思いますけれども、少しずつ上昇する可能性が強いというふうに言わざるを得ないのであります。 それから、アメリカの経常赤字とドル相場の関係でございますが、大幅な経常収支の赤字が続く限り、今後ドル相場はドル以外の主要通貨に対しまして下落する可能性があると思います。しかしながら、アメリカの景気拡大が着実である、それから物価の安定が保たれている、それからドル金利が高い、それから最後に、政治的要因によるドルの魅力が変わらない、すなわち世界のどこかに政治的な不安定な動きがある、中近東にいろいろな事件が勃発した場合、必ずドルが上がる。世界最強の国の通貨はやはり強いという意味で、政治的要因によるドルの魅力ということがあると思います。こういう事情から判断いたしますと、近い将来にいわゆるドルの暴落ということは起こらないというふうに一応考えて差し支えないというふうに思います。したがいまして、先行きアメリカの金融情勢が大きく変化することはないであろうと予想いたしますが、いずれにしましても、アメリカの政策当局の慎重なかじ取りが望まれる次第でありますけれども、何分選挙前であるので、まあどうなるか、非常に用心せざるを得ないのであります。 それから次に、発展途上国の対外債務の問題でございます。 一昨年の八月にメキシコが急に対外債務元利払いが難しい、お手上げたということを言い出しまして、トロントのIMFの会議のときにそのニュースが流れまして、非常に暗い空気に覆われてIMFの会議が始まったことを覚えておりますが、これが端緒となったわけであります。第二次大戦以降、時折単発的に対外債務が困難に陥った国があらわれましたけれども、過去二年間に見られたように多くの国が一時に返済困難に陥るという事態はございませんでした。八二年、八三年の二年間に対外債務返済のための救済措置を受けた国は二十九カ国、救済措置の対象となった債務の総額は七百億ドル、八三年末の発展途上国の対外債務残高は総額で八千一百億ドルでありますから、この七百億ドルはその約八・六%に相当いたします。このようにかつてない大規模な債務の問題が生じたために、一時は国際金融システムの安全性にひびが入るのではないかというふうに、非常に懸念されたのでございますが、幸い機動的な対策が効果を上げまして国際的な金融不安に発展することなく、また債務問題そのものも危機的とまで言われた状態を脱することができました。 債務問題が生じました国に対する救済措置はケース・バイ・ケースで臨機応変に行われておりますけれども、これまでの実績から基本的な方式が生まれつつあるように思われます。その基本的な救済措置の方式と申しますのは、まず債務国の返済困難が切迫してまいったという事態が認識されました場合に、まずスイスの国際決済銀行、略称してBISと申しますが、つなぎ融資を供与いたします。一方で国際通貨基金、すなわちIMFが債務国と経済調整計画に関しまして協議を進めて、すなわちどういうふうにすれば経済が再建できるかということを国際機関の立場からアドバイスする、そこでいろいろ相談して、その国と合意に達すると、その調整計画の実行を条件といたしましてIMFが融資を供与いたします。 同時に、IMFは我々国際商業銀行に対して、こういう債務国に対して債務を打ち切るな、打ち切らないで融資を継続せよということを約束させます。それで、こういう我々国際商業銀行は、債務国による元金返済の一時的な停止を受け入れるとともに、IMFの融資の実行を条件といたしましてリスケジュール、いわゆるリスケといいますか、返済を繰り延べてやるリスケジューリング、それから新しくさらにつけ加えて新規融資を行っております。このほか、パリ・クラブというのがございますけれども、もう御承知と思いますけれども、こういうパリ・クラブなどの場を使って先進国の公的機関に対する債務の救済措置、これは民間は含みませんけれども、それをこのパリ・クラブの場で相談いたします。いろいろな救済措置が呼応して一つのパッケージとなって構成するように組まれておりますけれども、その中心となるものは、先ほど申し上げました、IMFと債務国との間で取り決められました経済調整計画であります。その計画の内容は、おのおのの債務国の経済状況に応じまして異なりますが、大体次のような共通点を備えております。それは、まず輸入削減を目的とした非常に厳しい総需要抑制策であります。 この債務累積の速度を落とすために一番手っ取り早い手段は、一輸出を促進することです。あるいは輸入を削減することです。この二つのうちのどちらか、あるいは両方するかです。輸出を促進することは、これは輸出をするといっても相手があることであるので、必ずしも成功するとは限りませんが、輸入を削減することは、これはもう債務国さえ決断すれば一方的にできることであります。発展途上国の貿易の動きを見ますと、八一年をピークといたしまして、輸出入ともに金額ベースで減少しております。しかしながら、輸入の減少が非常に大幅であります。それから去年の貿易収支は第二次オイルショックの発生前の水準にまで改善いたしまして、この結果、債務累積の問題も大幅に低下してまいりました。債務累積の問題が悪化が一応とまった、まあ手に負えなくなるのじゃないかというおそれは一応ここで歯どめがかかったというふうに言えると思います。御参考までに、発展途上国の対外債務の増加率を申し上げますと、七三年から八一年までの八年間、年平均で二〇%増加しています。ところが、一九八二年と八三年の二年間は約半分、一一%に下がりました。 こうして下がりましたけれども、一方では債務国が払った犠牲が非常に大きかったのでありまして、この経済調整政策を今後さらに続けていく、あるいは強化していくのは、これは難しいのじゃないかというふうに思います。発展途上国の経済成長率は一九七〇年代は年平均で五%であります。八〇年から八二年の三カ年は二%です。これが去年、八三年は一%に落ちているんです。発展途上国の人口の増加率は二%でございますから、一%の経済成長では国民生活水準の低下は免れない、したがいましてこういう耐乏生活は長く続けるということは非常に無理であるというふうに思います。したがいまして、これからとるべき方策は何なのかといいますと、これまで行われてきましたIMFと、それから国際商業銀行、それから先進国政府による支援体制、これをまず継続しなければならない。また一方、債務国もできるだけIMFとの間に取り決めた経済調整政策を続けなければならない。それからさらに、二年間減少を続けてきた輸出を増加させなければならない。 輸出の増加ということは一番大事でございますが、我々として二つの点に注意しなければいかぬ。第一の点は、債務国の輸出が増加すればその分だけ調整政策を緩めてもいい、緩和できることであります。したがいまして、調整策を長期間にわたって続けますと、債務国に政治的、社会的な混乱が起こるおそれがありまして、そのような不測の事態が起こりますと、これから世界的に非常に混乱が起きるのじゃないかというふうに思います。 それから第二の点は、債務国の輸出動向が、何といってもその国の信用をはかる度合いになる……。
○委員長(西村尚治君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(西村尚治君) 速記を起こして。
○公述人(渡邉康君) それでは、ちょっと簡単に申しますと、あと輸出の拡大というものは、先進国、相手がまず保護主義をとらない、なるべく輸入してやるということが大事だと。そのためには我々先進国が内需主導型の景気を無理してもとってやることが大事じゃないかということであります。 それから第二に円ドル問題がございますけれども、それにつきましては質問のときにこれはお答えしたいと思います。 どうもお聞き苦しくて失礼しました。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは、これより質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○金丸三郎君 それでは時間も余りございませんので、両公述人に簡単に質問を最初いたしますので、お答えをちょうだいしたいと思います。 いろいろ私がお伺いしたいと思っておったことは渡邉公述人から詳細にお述べがございましたので、一、二お伺いいたしたいと思いますのは、米国の景気がよくなりました場合、特に日本の景気にどういう点に影響が強くあらわれるのか、これが第一でございます。 第二は、いわゆる債務国、八千億ドルという御指摘でございました。大分、最近新聞等でも書かれておりますので、国民の間にもそれに対する不安が相当強うございます。一体こういう国は借金を返せるのか、返せないのじゃないかというのが日本人の常識みたいに思います。よその国の借金のことを心配する必要はないかもわかりませんが、どうもこれがやっぱり世界の経済を撹乱する原因になっておるのではなかろうかと思いますので、一体これは返せるのかどうか、どういうふうにしてこれを国際的に始末をしていくのか、国際経済の撹乱の因子としてどの程度の働きといいましょうか、障害を与えておると見たらいいのか、これが第二点。 第三点は、米国の財政赤字が二千億ドルということでした。ドル安マルク高ということが言われております。これも財政赤字が一つの原因じゃないかと言われておりますが、ドルの将来、円やマルクの将来、簡潔で結構です。お教えをいただきたいと思います。 次に関先生にお伺いしたいと思うんですが、大蔵省から「財政の中期展望」というのが出ております。ごらんをいただいておると思います。その背景にはやはり経済成長率が四・一とかいう見通しがございますね。五十九年度四・一というのを先生はどのように見ていらっしゃいますか。可能とお考えになっていらっしゃるかどうかという意味です。「財政の中期展望」が達成されるかどうか、私は経済成長率が税収その他に非常に関係があると思います。今後五カ年間ぐらいの日本の国民経済の成長率を四%台と先生はごらんになるかどうか。時間がございませんから申しませんけれども、高い経済成長はもう不可能になってきたと実は私は思っています。人類だけがふえております。人間が一人ふえれば食べます。着物を着ます。必ずいろんな物資を消費します。これは大きく言えば地球の体系あるいは環境といいましょうか、それを破壊していくことは必然で、今後人口がふえればふえるだけ、人間だけが極端にいうとふえていきますので、私は、そういう面から経済の成長というものは鈍ってこざるを得ない、また鈍らせるようにすることがむしろ賢明なんじゃないか。どの程度に鈍らせるかというところが問題なんですけれども。 人間の歴史八千年といいます。農業を始めたのが八千年前だと。産業革命、それから最近の技術革新、こういうことで人類の生活が豊かになってきましたけれども、しかし私は、同時に大きな広い意味の環境破壊、地球の自然の秩序が破壊されてきたのじゃないか。そういうような目から見ますと、今後五十年、百年後の我が国の経済にしろ外国の経済にしろどのようにしていったらいいものか。私一人、全くのずぶの素人でそういうことを考えておるものですから、その点についてのお考えを教えていただきたいと思います。 それから最後に、行革と景気対策の問題では先生のお考えの一端がわかったように思います。当分行革を続けてとにかく財政再建を達成するためには、まあ先生のお話で言いますと、景気がある程度そうよくならないでもやむを得ない、こういう考えていくか、経済企画庁長官のように三兆円なりの減税をしても景気をよくしろ、そして税収がふえるようにした方がいいのじゃないかと。まあ両極端のこれはいつもある議論だと思いますけれども、この点についての先生のお考えを教えていただければありがたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○委員長(西村尚治君) それでは、まず渡邉公述人にお願いいたしましょうか。
○公述人(渡邉康君) 最初の御質問にお答えいたしますけれども、米国景気の日本経済に対する波及あるいは影響でございますけれども、当然のことながら、米国の景気がよくなれば、何といっても世界で最も大きな経済を持っている国でありますから、日本の経済に対して強い影響力、すなわちまず日本の輸出が伸びます。日本の輸出が伸びるということは、内需とは別に、外需ですけれども、非常にいい刺激を生産面に対して与えるということで、国内生産が活発になるという点で非常に影響を与えますけれども、輸出だけが伸びますと、やはり貿易面でいろいろ貿易摩擦の問題というのが起きますけれども、内需を刺激することによって輸入がふえるということによって相殺効果がある意味では期待できるという意味で、お互いの貿易が増加するという点で、大変先生の御質問の米国の景気がいいということは、いずれにしてもいい影響が日本に与えられるというふうに思います。 それから二番目の問題が債務累増の問題ですが、おっしゃるとおり大体八千億ドルの借金が返せるのかと。アメリカの高金利、大体、長期金利が一割二分とかいうようなことが言われておりますから、それだけでもって一年に一千億ドルぐらいになりますから大変な金額であります。相手は、借金しているのは大体政府が主ですね。ですから、政府が破産してなくなってしまうということはまず歴史の上でない。まあ白系ロシアなんかありますけれども、大体において債務を引き継ぎますから、いかにして返せるようにしてやるかということが大事なので、過去の債務八千億のうちの大体二千億は短期であります。短期債務はくるくる期日が来ますから、これを延ばしてやるとか、ある程度金利の負担を軽くしてやるとか、そういうことですね。長期的に見てこれを助けていくしかない。先ほど申しましたように、国際機関と各国政府、民間銀行、三者一体になって、これと借金国とが共同して何年かかかってやっていくしかないというふうに思われます。 それから第三番目のドルとマルクに対する影響でございますけれども、このままアメリカのドルが赤字赤字で財政赤字を続けますと、どうしても高金利、それでドルがどうしても高くならないのじゃ狂いかと思うんですね。そうしますと、やはりマルクとか円が強含みに転ずる。しかしながら、ドルの暴落ということはないのじゃないかというふうに思いますが、今までのようにマルクが不当に下がるといってとはなくて、むしろ調整されてくるのではないか。長い目で見れば、購買力低下ということは言えると思います。したがいまして、やはりドルが財政赤字とか経常収支赤字を続ける限り強くなることはないというふうに思います。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは関公述人お願いします。
○公述人(関恒義君) 私に対する御質問は三つございましたが、その第一は、大蔵省も中期展望を発表しているわけなんですが、ことしの四・一%の成長は可能なのかどうかということでございます。この一番最後のところで、三番目の質問のところで、政府の内部の意見の対立というとちょっと大げさですが、成長を推進しようとするグループと、まあそうでなくていいというようなグループがおるようでございまして、これは官庁もそれに関連しているようですが、私は余りそういうようなところはよく知りませんが、大蔵省の中期展望につきましてはちょっとこの計算の仕方に問題があるのじゃないかということを一言指摘しておきます。 と申しますのは、ここでは成長率六・五%になっておりますね。ところが、それとの関連で、一般歳出の方を三つ、A、B、Cという三案をつくっているんですが、この三案と成長率の間には恐らく関連が出てくるはずなんですが、でれば無関係にとらえているんですね。それで、もしこの考え方が前提になっているとすれば、財政支出と成長率の間には何も関係がないということを大蔵省は前提としているとしな言いようがないわけでして、そういう立場に立っていますと、これは成長なんかどうでもいいというような考え方にならざるを得ないのだろうと思うんです。ですから、やはりこの辺は、政府自体もう少し統一的に、理論的に納得できるような方向を出すべきだと。それを踏まえた上で、先ほど申しましたように、今のようなやり方をとる限り四・一の成長は不可能だということです、端的に申しますと。理由は、やはり国民生活がますます悪化していくのに成長だけよくなるということは、これは論理矛盾なんです、はっきり言って。ですから、突発事故があればそれは多少伸びるかもしれませんが、それ以外には伸びることは理論的には期待できないということを重ねて申し上げておきたいんです。 したがって、これは五年間四%成長というのが中期見通しとして可能なのかと。これは八〇年代展望と指針でもはっきりと四%成長を掲げているわけで、これ自体は非常に低成長なんですが、むしろ現在の政府の首脳の中には、成長はどうでもいいと、臨調行革自体が二十一世紀を展望して国の歩みを変えると、こう言っているわけなんで、そしてまた、この「一九八〇年代経済社会の展望と指針」でも、四つの課題を掲げたトップに行財政改革の徹底というのを最大の課題にしているわけなんで、当面は行財政改革に集中して成長率は二の次だという考え方があろうかと思います。この「展望と指針」自体が計画じゃないんですね、見通しだけです。従来の高度成長期以来のは必ず非常に綿密な計算をして計画をつくったわけですが、ことしはそれを出していません。単なる目標でしかないわけでして、その程度の水準のものですから、私は政府自身も首脳は行政改革の徹底のときは成長率は二の次だという考え方、まあそれに反発する向きもないわけじゃありませんけれども、その声はやはりだんだん小さくなっていくのではないかというふうに見ております。 そして、この成長率の問題と関連されまして、今御質問された内容というのは、私もなかなか含蓄のある内容のように承りました。一般的にはローマ・クラブ見解以来、いわゆる成長至上主義ということに対してははっきり大きな意味でセーブがかかったように思います。そしてまた、資本主義がかつてすごいスピードで成長したような時代は文字どおり終わりつつあるということは私も率直に認めます。しかし、世界全体を見ますと、やはりこれは人口増の問題なんですが、そのことも含めまして飢餓線上にある四億、五億の人たちがまだいるというような状況のもとでは、富の再分配を含めましてある程度の成長を保障させることによって生活の向上を図るということがやはり必要であろうと思います。 日本の場合にも、いわゆる成長率というものを問題にすること自体私もそれほど重大だとは思いません。成長率の計算自身がいろいろ問題があるわけでして、例えば現在において過剰蓄積ということを問題にするときに、せっかく蓄積されてきたものが廃棄されていくというのは我々にとりましては非常に大きな損害なんでして、これを何とか活用できないかということを私は日ごろ考えるわけなんですけれども、そういう問題意識を持っているわけなんです。そういう意味では、やはりそういうむだをつくらないような形で国民生活が着実に伸びていく、いわゆる成長率を国民生活の向上というところでとらえて考えるべきであろうというふうに思います。その限りで、やはり今までのような狂気の高成長ではなくて、非常にナイーブな形であれ、徐々に人類が向上していくということは、やはり人類の発展にとっては必要ではなかろうかというふうに思います。しかし、それは今の御質問の趣旨でも、そのような趣旨ではなかろうかというふうに私は考えます。 第三番目につきましては、行革と景気対策の問題なんですが、これが恐らくこういう景気、経済動向などの問題をとらえるときには最大の問題であろう、しばらくはやはり最大の問題であり続けるのだろうと思いますけれども、この行革につきましては、私これは本格的な行革がどうかということに対して非常に疑問を持っています。やはり小さな政府をつくるということを目標に置いているのですが、これ、中身を見ますと、やはり財界には大きな政府になっているんです、はっきり言って。国民向けに小さな政府と。ここの矛盾をやはり私は強調せざるを得ません。そういうことをやりますと、ますます不均等、過剰蓄積がふえてしまって、日本経済全体にとっては大変なマイナスなんだということを強調したいんです。 ですから、財界の方々、大企業の方々もやはりその点はもう少し国民全体の立場を考える。何も企業だけがたくさん内部留保を抱えていることが偉いのでもなければ、いいことでもないんです。そういうやはり財界側のもう少し穏やかな姿勢を私は特に強調したいのです。そういう意味での行革ならば私も大賛成ですが、今のように国民には小さな政府を押しつける、財界、大企業には大きな政府を与えるという行革には絶対に私は賛成することはできません。そういう意味で、しかもこれは別に感情的な話をしているわけではないので、日本経済の将来という観点から反対しているわけです。つまり財政再建をし、経済が順調な発展の道に達するような、そういう行政改革を一日も早く達成していただきたいということを、私は強調したいわけです。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。
○佐藤三吾君 きょうはお忙しいところを御苦労さまでした。私も重複する部分があると思うのですが、両先生に二、三お聞きしておきたいと思います。 関先生、渡邉先生のお話を聞きますと、例えば渡邉先生の場合に、債務国の八千億ドルという膨大な債務残を解消していく道はどうしてもやはり輸出を振興するしかないと。それにはやっぱり先進国がそれを受け入れる体制をつくっていかなければならぬし、内需の拡大以外にない。関先生も、これから景気を上昇させるためには、つまるところ内需の拡大しかないと。こういう点では御一致しておるように受け取ったんですが、そこら辺は一体それでよろしいのかどうか、それが第一点です。 それからもう一つの問題は、さっき御説明がございましたが、アメリカ経済の動向ですね。渡邉先生、先生のお話を聞きますと、大統領選挙との関連も含めて若干の危惧はございますけれども、上向きの方向になるだろう、こういうことでございましたが、私はそうは見ないんです。大統領選挙であるだけになかなか思い切ったことはできないだろうし、その間にアメリカの景気は下降するんじゃないか、どんどん暴落も起こるんじゃないかという懸念もしておるのですが、そこでもう一遍ひとつ御説明いただきたい。そのことが直接日本の経済に響くことは、今の輸出中心の日本の経済の動向から見ると直接的だと思うので、そこら辺もあわせて御説明いただければ幸いだと思うんです。 それから関先生、行革の問題についてのとらえ方では、私も大体同じような感じをしておるんですが、一つだけお聞きしておきたいと思うんです。さっきのお話の中で大企業を中心とする過剰蓄積のむだの問題のお話がございました。私もそうだと思うんですが、私は今の臨調の考え方の基本的な誤りは、やはり国の行政が余りにも集権的になり過ぎておる。したがって、例えば予算編成期には毎日五万も六万も陳情団が駆けつけるような政治のむだがある。やはりそういう意味では地方自治、分権という方向で大胆にここはひとつやるべきじゃないかと、こういうふうに思っておるんですけれども、その面は臨調答申には一つもうかがえない。補助金の問題もそうでしょうが、機関委任事務の問題もそうだと思うんですが、そこら辺といわゆる大企業の壮大なむだというんですか、その部分を私は今やるとすれば行革のポイントに置かなければならぬと思うんですが、その辺について先生の御見解があればいただきたいというふうに思うんです。 それから渡邉先生、これは関先生も一緒にお伺いしたいと思うんですが、やっぱり私は世界的な視野に立つと、発展途上国の今の債務問題を含めて世界的にそれを解決する道は一つしかないような感じがするんです。それは何かと言えば、一方では七千億ドルというような世界的な軍事費を、これをやはり大きく軍縮の方向で、そしてその財源を途上国に回していく、こういった発想が世界的にとられていかない限り問題の解決はできないのじゃないかどいうふうな感じがするんですが、いかがですか。その点もひとつあわせてお伺いしたいと思います。
○委員長(西村尚治君) それでは関公述人にお願いしましょう。
○公述人(関恒義君) お答えいたします。 第一点の、景気対策として内需の拡大ということは全くそのとおりでございまして、ここにいらっしゃる皆さん方もその点には恐らく共通項があるのじゃないかというふうに私は思っております。それがうまく出てこないところに問題があるように私は感じております。ただ、内需の拡大というときには、私はやはり国民生活の充実の方向で考えないとまずいということを先ほどから強調しておるわけです。 それから二番目の点につきましても、今おっしゃったことと私は全く同感でございます。やはり日本の場合、戦前からちょっと集権的過ぎるんですね。確かにそのとおりだと思うんです。ですから、やはりもう少し自治体中心の分権化機構を皆さん真剣に考えなければいけないのじゃないかというふうに思います。今の日本でしたら国民の一般的なレベルも高まってきておりますので、そういうことがやはり可能であろうというふうに思います。ところが、実は臨調行革は逆行しているんですね。分権の問題よりもむしろ集権化の傾向を強めようとしている。この点も問題点としてひとつ強調しておかなければならない点だと思います。 大企業中心の過剰蓄積の問題と分権化の問題についてですが、これはやはり大企業が集中して工業団地のようなところをつくっておりますけれども、やはりある程度大企業でも地域還元ということを真剣に考えるべきじゃないかと、地域に還元するという。しかし、大企業が集中しているところにたくさん還元されるというような傾向になることもありますので、その辺はどう調整するのか。これは私は意見だけでして、そういうところは皆さんの方が御専門であろうから、やはりそういうところはもう少し深刻に考えていただければというふうに思います。ですから、やはり大企業も自分だけの利益だけで突っ走るという時代は終わったという認識を持っていただいて、それはもう国際的にも私は終わったと思います。そういう意味で地域への還元、もう少し広くは国民への還元ということを企業の責任においてやはり考えるべき時代じゃないかということで、それはどうするかということは、知恵者がたくさんいらっしゃるわけですから、お考えいただくということだけ述べさしていただきます。 それで三番目は、これは私よりもむしろ渡邉さんの方が御専門なわけですが、全くおっしゃるとおりだと思うんですね。やはり一日も早く軍縮、とにかく核軍略でとんでもない事態をつくり出していること自体は人類にとって非常に大きな脅威なわけですから、これは一日も早くこの方向をなくすようにして、それで累積債務問題を含めて、あるいは発展途上国の貧困の問題も含めて解決する方向に向かうことが一日も早いことを願います。と同時に、やはり新国際経済秩序の問題との関連なんですが、一九七九年には御承知のようにグローバルネゴシエーションの方向が国連では可決されたわけです。ところが、それは昨年のUNCTADでもほとんど具体化されなかったということがあるわけなんですけれども、やはり先進国、OECD側の諸国はこういうものにもう少し協力的な態度をとるべきだというふうに思っております。そういう方向が多少出るだけでも大分変わるのではないかというふうに思います。 ちょっと私事にわたって恐縮ですが、実は昨年、私、学術交流でベトナムヘ行ったのですが、ベトナムで非常に大変なことを知ったわけなんですけれども、ベトナムでは五十億ドルの年間貿易ができたらこれは国の歩みが変わる、こういうことを何人かの人から聞きまして私自身は非常に驚いたわけです。五十億ドルの枠さえ貿易で出てくればなということなんで、やはりそういう大きな意味での所得格差というのが現在の世界の一つのゆがみではなかろうかというふうに思います。 以上です。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは渡邉公述人お願いいたします。
○公述人(渡邉康君) 最初の点でございますけれども、確かに日本の輸出が内需の拡大に寄与して悪い点は別にないと思いますから、この点は異論ないと思うんです。 それからアメリカの経済の動向なんですが、大統領は一体だれになるのか、レーガンが再選されるのかだれになるのかわかりませんけれども、いずれにしましても大統領選挙までに増税とか急激に景気を冷やすような対策はまず常識からいってとらないし、とれないと思います。したがいまして、まず秋までは現状そう変わらない、上向きの景気体制でいくのではないか。ただし、連邦準備銀行あたりは、景気が過度に熱してくると、過熱してはいけないというので、昨今引き締めぎみになっておりますけれども、締めたり緩めたりして過熱化しないようにして、金融面でこれをコントロールしていくのじゃないか。ただし、財政面ではむしろ景気をよくしていくという意味で余り悪い方策はとらないのじゃないかというふうに思っておりますから、為替相場の上にもそれほど大きなドラマチックな変化は生じないというふうに考えております。 それから最後の点ですが、発展途上国の債務の解決のために、おっしゃったように軍備費を削れば一番いいのはわかっているんでありますけれども、現実性の問題だと思いますが、果たして東西陣営いずれの側がこれを先にやるのか、あるいは歩み寄ってそうしょう、発展途上国のためにやろうというのか、この債務累積の問題はこれは東側陣営にもあるわけでありまして、東ヨーロッパ、ポーランドを初めとしましてやはり金を貸したので困っているんです。それから西側は、御承知のとおりラテンアメリカ諸国が代表でありますけれども、ここら辺まずは現実の問題としてまさか西だけ削るというわけにいきませんし、ソ連も一緒に削るというのが先ほど関先生のおっしゃったように一番望ましいわけでありますけれども、この辺はもう政治の問題でありますので、一銀行員がとやかく言っても始まらないのじゃないかと思いますが、私も心からそう願っておる次第であります。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。
○鈴木一弘君 初めに関公述人にお伺いをしたいんですが、先ほど日本経済の展望については悲観的である、こういうふうにおっしゃいました。そうして景気回復に対しては内需拡大策がいいと、それも国民生活の向上ということが第一だというお話で、これは私どもも本当に納得をいたしております。私の方で考えていますのは、やはり一方内需拡大をやっていくのに、景気を回復するのに、最終需要の拡大も必要でありますけれども、それと一緒にやはり公共投資的なものを伸ばしていく必要があるのじゃないか。今回は公共投資はマイナスになっておりますけれども、公共事業ですね、対前年度よりマイナスになっておりますが、そこに法人税の増税があるということですからこの方は余り期待できません。しかし、その間にできた六百億円といういわゆる投資減税が出てきているわけですけれども、非常に少ないような気がしております。やはり投資減税というのが一番景気に与える効果が大きいので、こういう点についてどういうようにお考えか。それから、公共事業等についてのお考えというものもございましたらお伺いをしたいと思います。 それから渡邉公述人にお伺いをしたいのは、金融制度調査会の金融の自由化に関する小委員会というのが報告を出しておりますけれども、こういう報告を見ますというと、将来の金利の自由化のときには大口の預金金利というものを先にやろう、三億とか四億とか五億というようなCDの方の自由化が先であって、いわゆる小口の預金であるものについてはこれは規制金利として抑えていこう、漸進的にこれを普通の方へ持っていこうということで、金利の自由化された方へこれを持っていこうと、こういう考えが示されているようなんですけれども、先日ずっとここでやっておりまして、これから借りかえのための短期国債も出る、またもう一つは、大蔵省の蔵券、TBというものも現在すでに市中に出ておりますけれども、将来自由化ということになれば全面的に市中消化ということにならざるを得ないだろうと思うわけです。そうなりますと、現在のところはクラウディングアウトのような傾向というのはございませんけれども、将来そうなってきたときには若干はやはり民間資金を圧迫しますので、高金利というものがアメリカのように生まれてくるのじゃないか。もしそうなりますと、やはり大口の方だけが優遇された金利で、小口の方が優遇されない金利であるということになりかねません。こういうことで、これは将来の問題だとおっしゃるかもわかりませんが、一つの方向で示されておりますので、これについての御意見等がもし例えればありがたいと思います。 以上二問です。
○委員長(西村尚治君) それでは、最初に関公述人にお願いいたしましょう。
○公述人(関恒義君) お答えします。 御質問にありましたように、内需の拡大、これが国民生活の向上と結びつくということについては異論がないということでございます。このことについては恐らくほとんどの方が一致するのじゃないかということでございますが、その後、したがって投資をどういうふうに行っていったらいいのかということについてですけれども、その問題について、投資減税ということを行っているんだが、これについての意見はどうかということですが、やはり投資を一般にとらえるとちょっとまたいろいろ問題が出てくるだろうと思うんですね。やはり先ほど私、過剰蓄積という事実について強調したわけなんですが、この過剰蓄積を一層加速するような投資というのはまずいわけでして、これはやはりはっきりと抑える、抑制しなければならない。この辺のところにちょっと根本問題があるように思うんですね。 ですから、投資の方向を変える。国民生活を一層向上できるような投資、例えば今度の臨調行革で四十人クラスの凍結が行われちゃったわけですね。これは国会ではむしろ四十人クラスをなくす方向を一致して出したわけで、これが国民の世論だったものが、これが臨調行革ができたおかげでつぶされた。これはやはり歴史にはっきり書きとどめておかなければならないと思うんですが、やはり発達した資本主義諸国、特に先進国と言われる国々ではもう一クラス三十人を切ろうかというような状況になっているわけですね。そこで依然として四十人以上、しかも四十五人とか五十人とかいうようなクラスが経済大国二位の日本に存在するということが、一体国際的に見てどういう意味を持つのかということをもう少しやはり考えていただかないと困るんですね。そうしますと、やはりこの三十人学級に向かって進むとなれば、投資の仕方というものも、やはり小学校や中学をもっとたくさんつくるような方向で、教室をたくさんつくるというような方向で投資が行われてしかるべきではないか。その方が投資の波及効果も大きいわけですね、軍需産業をつくるよりも。それの方がずっと大きいという意味で、投資の方向をやはりはっきりと国民生活充実の方向で進める。これは一つの例ですけれども、賢明な皆さん方はそういうものは私などよりもたくさん資料をお持ちだと思うんですね。そういう方向で国の一層の充実を行っていただかないとやはり国民は困るのではないかということです。特に、公共投資は少なくともそういうことを踏まえた方向に進まなければだめだと、民間の投資と違うんですから、ところが、臨調行革の中では三公社五現業、現在四現業ですが、こういったものの民営化も含めて、大企業に有利な方向にのみ突っ走っていくわけですね。これはとんでもない逆行であり時代錯誤だということを強調したいんです。 以上です。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは渡邉公述人にお願いします。
○公述人(渡邉康君) 預金金利の自由化が大口から始まりまして小口の方にだんだん及んでいく、一つの傾向としてはまずこうだろうと思うんです。アメリカにおいて、もう既にこれは先例になっておりますが、最初に大口から外していきまして、それで最後に個人の小口の預金まで一斉に自由化していく、いわゆるレギュレーションQを段階的に外していったわけです。日本の場合に、この金融制度調査会の答申にあるように、大口の三億、五億という点から自由化していく。なぜ一気にしないかという点なんですが、これは金融秩序の問題でして、小口の方まで一気にやりますと、やはり日本は大銀行は都市銀行ですね。大銀行がありますし、それから信託銀行、地方銀行、相互銀行、信用組合とかいろんな金融機関がありまして、やはり小口金融が主な金融機関が非常に多いんです。その金利規制を一気に外しますと非常にコストが上がってくるわけでありまして、非常に混乱が起こりかねないので、やはり順序を踏んで、それでなるべく早くやっていくべきではないかというふうに考えておりますけれども、遅かれ早かれ、いずれにしても結果としては自由化になると思います。 以上であります。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。
○内藤功君 関先生にお伺いをしたいと思うんですが、現在、政府は民間活力の導入ということを景気対策の非常に重要な項目として挙げておりまして、例えば大型のプロジェクトをやっていく、その場合に、国の資金を使わないが、民間の資本、民間の活力を導入して事業をやっていけば景気は上回っていくと。もちろんこれだけじゃないけれども、大きく上回っていく一つの力になると、こう言っておるのです。例えば東京に例をとってみますと、国鉄用地やあるいは国有地がかなりありますが、こういったものを民間に払い下げて、そしてそこで高層建築物を建てていく、こういう事業でかなり民間が全体的に潤っていく、景気が潤っていくという、こういうことをかなり強調しておられるわけですが、先生の先ほどの過剰蓄積の理論でございますが、私まだ深くはよく理解はできておりませんけれども、そういったものから見てこれをどういうふうに理解をしたらよいか、先生の理論のお立場でお話を例えたらと思います。 以上でございます。
○委員長(西村尚治君) それでは関公述人にお願いいたします。
○公述人(関恒義君) お答えいたします。 民間活力論ですけれども、これは臨調行革路線の理論的な軸になっているものです。今おっしゃられたことにつきまして、私も先ほどの質問者に対しても言いましたように、こういう方向で大企業の活力を公共部門の中に投入してくるということ自体は決して日本経済を高める方向には作用しない。私の最初に述べました結論部分のところでも、大企業のそういう行動に対してむしろ規制せよ、コントロールせよということの方にウエートを置くべきなんでして、最近三公社五現業ないしはさまざまな公共的な分野を民営化するやり方というのがいろんなところに出てきております。このやり方というのは、どうやら一つの方向性を持ち始めたように私は見ております。大体、政府が出資する、例えば国鉄が出資する、何か山手開発ですか、なんていうようなものもできたようですが、国鉄の出資するそれに、三井、三菱、住友系の大企業が共同出資して参加するというような形態、こういうものが続々と誕生してきているのですね。 例えば関西新空港もそうです。これは政府が五一%出資するのですか、財界が、あと企業側がその株を所有できると。この新空港の法案を、案の水準ですが見ますと、民間の株に対しては八分以上の配当を保証する、それが保証されないうちは国家の持っている株には配当しなくてもいいというような条項さえつくられているのですね。専売につきましても、けさの新聞ですけれども、三分の二国家所有ですか、そしてあとは民間だと、こういう形で民間が公共部門にどんどんと入り込んでくるという形態で、いわば公共部門明け渡し論というような形になっているわけですが、これは二重の意味で問題が出てくる。つまりその配当を保証するためにどうしても使用料とかなんか上げざるを得ない。民間活力論では競争ということを非常に強調するんですが、競争というものはいろんな限界を持つものなんでして、例えば今度電電公社を民営化すると。第一種、第二種。第二種の方は何か届け出制というようなところで妥協しそうですけれども、いずれにせよ民営化するとしますと、アメリカからも入り込んでくる。こういうところで物すごい激烈な競争が起こりますと、これはどうしても過剰蓄積になってくるんですね。電気通信の過剰蓄積なんていうのは一体どんなものか、私もちょっとなかなか理解に苦しむのですけれども、こういう状態が起こることについて皆さんはどうお考えになりますかと逆に聞きたいんです。 つまり、公共機能というのは、やはり国民全体の立場から物事を考えるというものですね。ですから、過剰蓄積が出てきたら、これは国民の立場で解決するというのが当たり前なんでして、それをますます独占の側ないしは大企業の側に利益を保証するような方向で臨みますと、これはますます過剰蓄積の状態を加速化することになるわけです。したがって、私はこういう方向は逆行だと、こう申し上げるわけです。ですから、いまひとつ新しく出てきておりますこの傾向というのが勢いですから進むかもしれません。ますます進む可能性はあるかもしれません。しかし三年後なり四年後、五年後に結果が出てきたときには、直ちに改めていただきたいと思うんです。今までやったことのないことですから、珍しがってやることについて私は必ずしも反対はいたしません。しかし、これは必ず過剰蓄積なり大変な矛盾を起こすということを特に強調しておきたいと思うんです。ですから、むしろ国有地とかこういう国鉄などは、もう少し公共性を国民本位の方向で充実する、その限りでの効率性をもっと高めるような形で考えるべきだということを申し上げておきたいです。
○伊藤郁男君 渡邉公述人にお伺いをしておきたいのですが、それは我が国の金融開放、円の国際化の問題でございますけれども、これについて御意見をお伺いをしたいと思うんです。 この問題をめぐりましてアメリカと日本との話し合い、これは三月二十三、二十四日と行われたわけですが、この話し合いを終えましたリーガン財務長官は、日本経済新聞記者との会見で大変怒っているわけですね。これはもう中曽根総理とレーガン大統領との約束なんだ、日本政府は言葉だけで何もしない、交渉は全く進展しなかったと、こう怒っているわけですね。要するにアメリカは我が国に早急な対応を求めているわけですね。そこで、この金融開放、円の国際化問題につきまして我が国としてどのように実施していったらいいのか、この点についての御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(渡邉康君) リーガン財務長官がたしか経団連でも大分となって帰りましたですけれども、その前にスプリンケル氏が来まして、事務的な打ち合わせにおいては非常にどちらかといえば妥当な態度でどういうふうにしたら可能であるかということを詰めていったわけでありますが、リーガン財務長官は、むしろ感じとしては政治家の立場で高飛車におどかせば効くのじゃないか、日本では外圧という言葉がはやっているんだということを知っているかのごとく圧力をかけていたような態度だったと思いますけれども、それはさておきまして、円の国際化というものはこれはもう避けて通れない。リーガン財務長官が言おうと言うまいと、これだけ日本の経済が大きくなりまして、アメリカのGNPが三兆ドルですか、日本のGNPがその三分の一よりも大きくなったわけですから、やはり円だけが今までと同じように国際的な重荷を背負わないで、円は国内通貨である、あるいは寸分の都合のいいときだけ使っていいんだということは、まずできないのじゃないか。それから、アジアの中の日本の立場からいいまして、アジア、ASEAN各国、それから韓国とか台湾、中国その他の国々と日本との関係においても、やはり円というものはこれからだんだん使われてくるのじゃないか。そのために日本の国としてもこれをどうやったら自由化できるかということは真剣に考えるべきである。ただし、アメリカの都合のためにだけ無理してまでもやる必要はない。 それから一番の問題は、先ほどの預金金利の自由化があると思いますけれども、これもやはり日本独特の伝統的な今までの金融制度がありまして、最後のところはやはり御承知のとおり郵便貯金、これは八十五兆円あるわけです。この金利を自由化して、国債その他の関係の償還からいってコストが上がりますから、果たして急にやっていいのかどうか問題があると思いますけれども、やはり日本としては日本のやる順序はあると思うので、余り何もしないというのはよくないと思いますけれども、不必要な第三者の言葉に左右されることはない、しかるしやるべきことはやった方がいいんじゃないかと思いますけれども。
○秦豊君 関さんがお述べになりましたほとんどの論点について、私は共感を持って伺っておりました。 渡邉さん、そのお声で大変恐縮なんではばかろうと思いましたが、一つ二つだけ短いお答えで結構ですから伺っておきたいと思います。 アメリカ経済の予測に関する問題ですけれども、ドルの前途について東京から、一隅から見ておりますと、例えばレーガン大統領とリーガン財務長官は強いドルの信奉者に見える、したがって前途は楽観できる。ところが、ボルカー連邦準備制度理事会の議長の考え方などを推測すると、このままであればドルの前途は悲観的、アメリカは債務国に転落をするというふうな意見もほぼ述べていらっしゃいます。今、東京のアナリストの間でもあるいは金融の専門家の間でも、例えばグランビルの予測というのがかなり出回っておりまして、これはどの程度のオーソリティーなのかそれはわかりませんけれども、例えば来月からニューヨーク市場は下落傾向に入って千ポイントを割る、レーガンにせよだれにせよ、大統領選後は六百ポイントを割るだろうというふうな予測が、いわゆるグランビルが久々に発言をしたんだから傾聴すべきではないかというアクセントで受けとめられているようです。 しかし、だれが考えても、選挙の前には金利も抑え込む、鉱工業生産はふやしていく、そして株価は上がっていく、これは大統領選挙であれ自民党の総裁選挙であれ、パターンだと思うのですが、だから選挙が終われば当然逆の、その裏目の経済現象が起こってちっとも不思議ではない。さっき渡邉さんの見通しては、ことしのアメリカの経常収支は六百億ドルぐらいだろうと言われましたが、一部の民間の予測では、大統領選後の明年の上半期には経常収支の赤字が一千億ドルに無限に近づくのではないか、そうなると非常にたまりかねてまた金利に手をつけていく、つまり金利を上げていく、そうしていろんな相関関係の中で一種のデプレッションではないが、広い意味でとらえて不況の局面というのがアメリカ経済に訪れるのではないかなどというような予測が錯綜しているわけですが、一言で言うならば、渡邉さんのトップにいらっしゃるバンカーとしての感覚でとらえたアメリカ経済の予測と、こうなりますがいかがでしょうか。
○公述人(渡邉康君) 強いドルということは、ボルカーでも強いドルがいけないんだとは言ってないんだと思います。要するに、財政赤字二千億も出しましてやっていると、これは中央銀行であるところのフェデラルリザーブといたしまして困るという立場で、やはりどうしてもそれならば金融の方を引き締めていく。どうしてもそうすると金利が高くなりますから、結局レーガンの言う強いドルになっちゃうわけですけれども、強いドルの本当の意味は適正なドルだと思います。レーガンがなる前にドルが弱過ぎたために強いドル、強いアメリカということを言ったんじゃないかと思います。余り強いドルだものですから、むしろ逆に言えば円が安過ぎる、相対的な問題ですけれども、だから円を強くしろと。その逆はドルが安過ぎるんだということなんです。ですから、強いドルといいましてもいろんな意味があると思いますから、一概に軍事的な意味を含めれば、現在でもドルは強い、あらゆる点において世界で最後に逃げ込むときに何の通貨を持つかといいますと、中南米の恐らく大金持ちは、いわゆる逃避する場合の通貨といえばドルに逃げ込む、そういう意味ではやはりドルは強いということは言えると思います。ですからボルカーは、財務ではなくて、財政ではなくて、むしろ金融当局の責任者として財政の赤字に対して常に警告を発しているというふうに解釈できるのじゃないかと思います。 それから、選挙前は大体過去の例において引き締め政策とか不人気政策はとらないのが当たり前です。株価も大体いいのが当たり前だと思う。先ほどおっしゃったグランビルの予測もまさにそれだと思います。日本においても証券会社の方々に聞きますと、まず夏まででしょうなというのが一般的な意見じゃないかと思います。その先はいいか悪いかというのはむしろわからないということじゃないかと思います。先ほど申しましたように、政治ですから、この次の大統領にだれがなるのか、恐らく二千億ドルの赤字をそのまま来年も再来年も毎年出すという体制はまず耐えられないと思うので、どこかで支出を切るかあるいは増税に踏み切るか、いずれにしてもある程度不人気策をとる。しかしながら、余り大きな景気の下降をも恐れないでやるかといいますと、やはりそこら辺は、共和党にしろ民主党にしろそう大きな政策の変化はない。しかし、多少陰りが出るかなという気は個人的にはいたします。 以上であります。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 以上で経済・景気動向及び国際経済・金融に関する意見聴取は終了いたしました。 一言お礼を申し上げますが、関公述人及び渡邉公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
○委員長(西村尚治君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(西村尚治君) 速記を起こして。 ―――――――――――――
○委員長(西村尚治君) 一言ごあいさつを申し上げます。 林公述人、小林公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りましてありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。 本日はどうかひとつ忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考としてまいりたいと思いますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 それでは、順次御意見を承ります。 まず、外交・防衛問題につきまして林公述人にお願いいたします。東海大学教授林建彦君。
○公述人(林建彦君) 林でございます。私は専門が外交、防衛とやや異にするものでございますが、きょうは一人の市民の立場でもって、皆様方の国会での防衛論争あるいは外交論争をよりどころにしながら日ごろの所感を申し上げてみたいと思います。 私は、マスコミ論が中心の立場でありますが、そういう観点から見た場合、外交とは政府間のコミュニケーションの業務であるという大変簡潔な定義をなさったアメリカのケナン教授のとらえ方が私にとっては最も妥当な外交理解ではないかというふうに思っております。いわば政府間の最も効率的なメッセージの交換が行われるということがすなわち外交そのものではないかというふうに受けとめております。そう見ました場合、今日、政府間のコミュニケーションが最も機能していないのが残念ながらアメリカとソ連の間ではないかというふうに思います。これは単に私の意見ではございません。ことしの一月、アメリカの外交長老と言われるハリマン氏がニューヨーク・タイムズにおいて、レーガン大統領の外交不在を厳しく警告して次のように申しております。大統領はソ連と交渉する用意と意見を持て、レーガン大統領の対ソ非難からは何物も生まれてこないという、そういう手厳しい批判あるいは警告、注文をしておりましたのですが、私も全く同感でございます。 この点につきましては、中曽根総理が本院の予算委員会におきまして、六月のロンドン・サミットで米ソ首脳会談が行われるよう協力したいというふうに言っておられますが、その程度の発言ではなくて、ぜひサミットにおきましては、ほかの六人の首脳と合わせて米ソ首脳会談というものが必ず実現するように積極的に本当に働きかけてほしいと思います。去年のサミットを思い返しますと、中曽根さんはサミットヘ出られる前は、アジアを代表してサミットで発言をしてくるというようなことを言っておられたんですが、現実にサミットから聞こえてきたものは軍艦マーチにすぎなかったという、そういうややもしますと我が政府の代表の言っていることと、なさることにギャップがあるということを痛感しておるわけであります。 それはともかくとしまして、私は、日本の外交と防衛というものを具体的に考える上での一つの出発点、起点として、七八年の日中平和友好条約の締結、調印を出発点に考えておる一人であります。これはもろもろの理由がございますが、当時ロンドン・タイムズがこの条約の成立につきまして、日本は国益を貫いた条約をつくったという大変な評価をしておりましたが、一つの問題点としましては、この条約の成立と同時に、中国が日米の安保条約、自衛隊の存在について異議を差し挟まないという、そういう態度を非常に明確にしたことが一つのポイントではないかと思います。その結果というわけではございませんが、この翌年、日本の世論調査によりますと、自衛隊の支持率が八六%と、日米安保も六八%がこれを容認するというような数字になってあらわれたのではないかと思います。 それから、この条約の成立そのものが、これはアメリカのとらえ方でもあったわけでありますが、日本とアメリカと中国が初めて利害を共通にする、利益を共通する時代に入った、中国が常に日本とアメリカの利害対立の原因であった時代がこれで終わったのだという評価をしておりましたが、そういう意味におきましても、七八年から九年という年は日本の外交、安保の一つの大きな節目ではなかったかというふうに私は思います。そういう中にありまして、先ほども申しましたように、中国は日米安保を、第三国の問題であるという立場から文句は言わない、認めると、また自衛隊の存在も当然であるというふうに出たばかりではなく、日本の軍国主義復活と、さらにアメリカ帝国主義を警戒するという意味におきまして、一九五〇年に結ばれた中ソ条約をも延長しないという態度に出たわけであります。そういうもろもろのことを考え合わせたとき、七八年という年は、私が最初に申し上げましたように、日本の外交、防衛の一つの節目であったというふうに受けとめることが可能かと思います。いささか余計なことになると思いますが、社会党の皆さんにとりましても、この時期が一つの防衛問題の取り組みを再建なさ谷大変なチャンスではなかったかというふうに私は思います。 外交問題につきましては、内外に対して最高の責任ある立場、今日では中曽根首相を念頭に置いて考えざるを得ないと思います。 日本の外交の特質につきましては、状況追随であるとか、外に合わせる外交であるとか、あるいは外圧に弱いとか、あるいは外圧を利用する、あるいは外交より内政であるというようなことで、外から非常にわかりにくい、あるいは顔のない外交であるというような批判が寄せられております。これは時に、今申し上げた点は大変な武器になる、特質、特色にもなろうかと思いますが、先ほど私が申し上げましたように、外交は政府間のコミュニケーションの業務である、お互いにメッセージを効果的に交換し合うということに置いた場合、顔の見えない外交というのは非常にまずいのではないかというふうに思います。 そういう点につきまして、中曽根さんはこの一年間、けさもある新聞がそういうふうに評価をしておりましたが、顔の見える外交を展開したのではないか、その点につきましては私も今申し上げたような意味において評価するにやぶさかではありません。殊に先ごろの中国訪問によりまして両国の関係、平和、友好、平等、互恵、長期安定、相互信頼、こういう原則を打ち立てられたようでありますが、これは何も日中だけではなくて、アジアに位置する日本として、アジアの諸国の間に当然この原則は適用されるべきでありますし、この原則は中曽根内閣からさらに別な、後に続く歴代の内閣も当然守られるべき原則だろうと私は思います。そういう大局的に見まして、今日の我が国の外交、私は先ほども申しましたように、ある程度率直に評価してよろしいのではないか、もちろんさまざまな問題はあると思いますが、そういうふうにとらえております。 さて、防衛問題でございますが、これも先ほど申し上げましたように、七八年の日中条約というものをもう一度思い返してみますと、防衛問題と取り組む上での一つのチャンスではなかったかと。自衛隊が違憲なるがゆえに自衛隊そのものが野放しになっているという、表現はまずいかもしれませんが、そういう状況は我々市民としては好ましくない。殊に、シビリアンコントロールということがよく申されますが、議会、政府、防衛庁の内局、三つのレベルにおいてコントロールが行われることになっておるわけでありますが、私はこれにさらに国民によるコントロールという考え方を強調してみたいと思います。しかし、国民は具体的な実体的な議論をする場所もございませんし、材料もありません。そういう意味におきまして、国会の論議というものが国民の目となり、口となり、可となるという当然そういうことを我々は期待して、国会の防衛論あるいは外交論を拝聴しておるわけであります。 そういう中で、日本の防衛のあり方について多少なりとも私の意見を申し上げるとするならば、日本はもちろん軍事大国にならないし、なれない。島国国家としての利点を最大限に生かした軍事小国としてこれからも生きていかなければならないと思います。これは、私の意見というよりか、長谷川慶太郎氏が文春で、「世界が日本を見倣う日」という大変説得力のある論文をお書きになっておりますが、その中でも強調されていることであります。そうして、防衛を考える上において、軍事費の拡大は必ずインフレ経済につながる、インフレ経済を体質化する、軍事費というものは時に麻薬となり得るのだというこういう認識におきまして国民が常にコンセンサスを持つということが、防衛と取り組む国民の基本的なあり方ではないかと思います。 そういう姿勢に立ちながら、多少具体的に議論を展開するといたしますならば、基盤的防衛力構想が出されたとき、三つの原則を当時出されたと思います。二つは、国民の一人一人が日本の安全、国を守る気概を持たなければいけない。これは全く当然のことだと思います。それから二つ目が、必要にして最小限、他国に脅威を与えず、内政を圧迫しないということ。三つ目が、日米安保を堅持するというふうに原則が出されておりました。この時の防衛庁長官の坂田さんが、小さくとも大きな役割を果たす自衛隊でなければならないという一つの議論を展開されたと思いますが、先ほど申し上げました国民の八六%の人々の考え方もほぼこのあたりに位置しているのではないかというふうに私は思います。そして、国会の論議を拝聴しておりまして、私ども非常に、ややというか、そういう言葉を使ってよろしいかどうかと思いますが、不満に思いますのは、二つ目の、必要最小、他国に脅威を与えず、内政を圧迫しないという問題につきましての実体的な御議論がやや欠けているのではないかという感じでございます。実体的な議論なしに一%の是非論が論じられているのではないかというふうに私は思います。 それで、さらに実体論的に申しまして、今の三軍体制がこのままでいいのかどうかという議論につきましても、私は素人でございますから是非を論ずるわけにはまいりませんが、当然予算の上におきましても、専守防衛という日本の立場からも、三軍の体制について皆様方のさらに突っ込んだ御議論を私は期待したいわけであります。例えば極端な話、現にアメリカのフーバー研究所あたりでは、日本の三軍均衡体制というものに対して批判が出ておる。別に日本はアメリカのために軍備を持つわけでも防衛するわけでもございませんが、アメリカ的な合理主義に立った場合にそういう議論が出てくるということ自体は、国会におきましても検討いただけたらと私は思うわけであります。 それから、防衛費はふやすだけが能ではなくて、不要となったものはどんどん削るという、これは現にアメリカの議会あたりでは、今のレーガン政権におきましても、一方でふやしながら一方では削るという作業をやっておられるようであります。そういう取り組み方をぜひお願いしたいと思います。 それから、自衛隊のあり方についてというような議論はほとんど国会でなされていないと思いますが、例えば、ここで思い出すのは、西ドイツの軍隊には労働組合が認められている。組合が認められているという、もちろんそのために軍隊の中が組合化したということではなくて、市民生活と変わらない軍隊をつくるという、軍隊を聖域にするなというそういう発想からいけば、そこまで自衛隊のあり方につきましても弾力性を持たせることができると。今すぐやれということではございませんが、やはり自衛隊そのもののあり方についてもそういう議論が展開されなければならないのではないかというふうに思います。そういう意味から申しまして、一%論が出たときに、ことし三%のベースアップをすると一%を突破してしまうというような御議論があったように伺いましたのですが、自衛隊を特別な存在にしないためには、このベースアップは当然そういう勧告が出ればやるべきでありまして、それによってもし一%を突破するということがあっても、これはやむを得ないことだと私は思います。また、それを一%突破の根拠にするような議論も私はいただけないと、こういうふうに考えております。 いろいろと申し上げたと思いますが、要するに私は国会の論議を主に新聞を通して拝聴しておるわけでありますが、先ほども申しましたように、入り口の議論が大変多くて、我々が皆様方の御議論を参考にしてこの問題と取り組んでみようと思うとき、どうも実体的な面で欠けるところがあるのではないかという、そういう懸念を感ずるわけであります。したがいまして、一%論、これがいいか悪いかという是非論、また一%がいかにして出てきたかということにつきましても、十分我々は議論をする材料を持っておりませんのですが、今申し上げたような実体論を展開していただけるならば、我々にとっても考え方、問題を理解する一つの材料になり得るだろうと思います。そうでないと、水かけ論をやっている間に一%を超える既成事実がつくられたり、あるいは我々自身、シーレーンという問題もまた今回の国会で十分議論になっておるようでございますが、一体シーレーンとは何だということが我々にはよくわからない間に事実だけが先に行ってしまうという、そういう懸念を感じるわけであります。 時間もそうございませんから、そういうことを通じまして私はまた率直に申し上げたいと思うの、でございますが、日本の外交の最高の責任者、防衛の最高の責任者である方が、去年アメリカにいらっしゃった後の、ちょうど今ごろの国会での御議論と、それからことしの御議論が随分違っているというふうに私は印象を受けます。二つの顔、どちらが本当の顔であるかということは、我々国民自身、深刻な心配であるばかりではなくて、アジアの周辺国に対しましても大変心配をかけるという、そういう問題にもなると思いますので、なお残された国会におかれまして、中曽根さんの政治の本質というものを我々にもよくわかるように、皆様方の御努力によって明らかにしていただきたいということを特にお願いするわけであります。 多少、具体的な問題も用意してまいったのですが、時間もございませんし、後ほど何かつけ加えることがありました場合にさしていただきたいと思います。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 次に、社会保障につきまして小林公述人にお願いいたします。鹿児島経済大学教授小林節夫君。
○公述人(小林節夫君) ただいま御紹介をいただきました小林でございます。私は、五十九年度の社会保障予算について意見を述べることにいたします。 この問題については、既にこの参院の予算委員会におきましてもいろいろな角度から審議が行われていることは承知しておりますけれども、私は研究者の一人として、その立場から発言させていただきます。しかしながら、御存じのとおり社会保障制度の仕組みは非常に複雑でございます。今度の社会保障予算の中身を見ましても、文書にすれば何枚もの紙になるというぐあいでございまして、その一つ一つを論じると切りがないと言ってもいいほどであります。したがいまして、私はここでは非常に大事だと思われる三つの問題に絞って話をさせていただきたいと思います。 第一は、今度の予算案の特徴と、その中に盛り込まれているところの社会保障制度の改革を進める場合に、少なくともこれだけのことは考慮をすべきだということが幾つかあるということ。 第二に、幾つかの制度改革があるわけですけれども、そのうち特に重要な医療保険制度の改革と年金制度の改革をどう見るかということ。 第三は、その他を含めて、少し長い目で見た場合、今後にどういう課題があるかということでございます。 〔委員長退席、理事初村滝一郎君着席〕 五十九年度の社会保障予算は、我が国の社会保障制度が今大きな曲がり角に来ているということを反映していると思います。したがいまして、私はその予算案の細かい中身よりも、むしろ五十九年度から着手されようとしてい肩ところの制度改革を中心とした基本的な問題を重視しているのであります。 まず、五十九年度の社会保障予算の特徴でございますが、一口で言えば、前年度以上に超緊縮型になりました。その結果、五十七、五十八年度と続けられてまいりました財政上のつじつま合わせだけでは追いつかなくなってしまいまして、社会保障制度の中核になっているところの社会保険、具体的には、先ほど申し上げました医療保険と年金保険について相当思い切った制度改革を実施しようとしている点にあると思います。 少しだけ補足させていただきたいと思いますが、その場合に、歳出削減の影響を大きく受けようとしているのが医療関係の予算であります。医療保険制度の改革はことしの七月から実施されようとしています。一方、年金の方は五十九年度の予算に盛り込まれている改革と言えるものはごくわずかでありまして、大部分は六十一年四月からの実施と予定されております。ともかく、このようにして医療関係の予算を大きく削ることによって、そういうことを前提にして社会福祉など、その他の部門においてある程度きめ細かい改善策をとろうとしていると、こういうふうに理解できるのでございます。社会保障予算の規模は非常に大きい、しかもこの予算にはいわゆる当然増というものが相当ございます。したがって、財政再建のために他の予算と同じように一律的な歳出削減という措置がとられようとしているわけですけれども、その場合に受ける影響が非常に大きくなります。 しかし、私は今の国の財政状況のもとにおいては社会保障予算の伸び率が抑えられること自体はやむを得ないと思っています。また、医療保険や年金の制度改革に踏み切る必要があることも否定できません。人口の高齢化の傾向がこれから急速に進んでまいります。核家族の傾向もますます顕著になってまいります。しかも、低成長時代へ移行した、就業構造も変化した、こうした社会経済情勢の変化の中で、残念ながら現行制度をずっと長く安定的に維持することはどう見ても困難だと思います。二十数年後あるいは三十年後に確実にやってくる高齢化社会を乗り切るためにはどうしても現行制度を見直さざるを得ません。実は、同じような問題を抱えております西ヨーロッパ諸国は、既に一九七〇年代の半ばごろからその問題にぶつかりまして、これまでにさまざまな形で制度改革に踏み切っております。日本の場合は事情が違いますからそこまで追い詰められなかったわけですけれども、将来のことを考えればやはり同じような方向に進まざるを得ないと思います。 ここで一言だけ、ILOが最近専門家に委嘱しまして、二十一世紀に向けて社会保障の展開という報告書を発表いたしました。その中で第二次大戦直後に出しました報告と違った考え方を示していることだけを御紹介しておきたいと思います。それは、社会保障の基本的目標でございますが、個人とその家族に対して自分たちの生活水準あるいは生活の質が社会的あるいは経済的な偶発事故のために大きく影響されないという安心感を与えることだ、そういう確信を持たせるようにすることだということを指摘しているわけであります。時間がないので残念ですが、社会保障にもいろんな歴史がございます。しかし、今のこの時代における社会保障の基本的目的というものは、私は先進工業国に関する限りこれでいいと考えております。 次に、制度改革を実施する場合に考慮すべきことでございますが、少なくとも私はこれもやっぱり三つ程度挙げておきたいと思います。 一つは、制度改革はやむを得ないのですけれども、それは早ければ早いほどいいというものでもない。あるいは今できることからとりあえず着手すればいいというものではない。中長期的展望に基づいて将来国民の福祉というものをどういうふうに守るのかというビジョンを持って、その枠の中でその方向に沿って制度改革が進められるべきだということであります。今でもかなり社会保障制度を取り巻く情勢は厳しくなっておりますけれども、今後ますますその傾向が進むものと予想されます。私はなぜこれを申し上げるかと言えば、制度を充実、改善する場合には、ばらばらにやっても、多少のでこぼこがあってもそれは仕方がなかった。しかしながら、調整の段階に入りますとそれでは非常に困るわけでありまして、やり方によっては不必要な摩擦、混乱を生じます。したがいまして、やはり進むべき方向、もちろん試行錯誤でやらなければいけないことも起こるかと思いますけれども、できるだけそういうことが少なくて済むように、そういうことのためにはやはりちゃんとした見通しを立てて行われなければならないということでございます。 二番目には、制度改革のねらいというものは、抽象的に言えばしばしば合理化だ、効率化だというようなことが言われますけれども、同時に関連分野を含めて総合的な施策としてとられなければならないということであります。これもやはり同じでございまして、充実、改善期の場合にはそういう違ったやり方でもいいのですけれども、調整の段階ではいよいよ関連分野を含めませんと十分な効果が上がりません。また、国民の理解と協力を得ることも非常に難しくなります。そういう意味におきまして、例えば医療と保健、ヘルスの関係、昨年二月施行されました老人保健法でその方向に進みつつあるわけですが、そのほかにさらに社会福祉サービスとのつながりというものがまだちょっと空白状態にあります。年金と医療との関係、あるいは社会福祉との関係、さらに雇用の問題、あるいは教育の問題、住宅の問題、いろいろございます。そのすべてとは言いません。けれども、少なくとも密接なつながりにあるところをただ一緒にするのでなくて、インテグレートするといいますか、組み合わせていく、そういう発想がなければなりません。やりやすいことからやるとか、場当たり的にやるというやり方は、もうこれからでは通用しなくなるのじゃないかというふうに考えているわけでございます。 もう一つは、今の話と関連するのですけれども、最大限国民的合意の形成に努める必要があるということであります。社会保障の仕組みというものは非常に変えにくい。一たんつくりますとそれがなかなか画せない。不合理な面が次々と出てきても、関係団体の意見がまちまちになりますので、そこが非常にやりにくいということがしばしば言われます。しかしながら、今言いましたように、調整の段階になりますと、国民に痛みを我慢してもらうということにならざるを得ません。そういう意味において、今の制度をそのまま続けていった場合にどういう問題が生ずるだろうかという問題点を整理して示す、その対応策を幾つかの形でまとめて、それに基づいて議論をしてもらう。結局、国民の選択を求める。その場合に大きな役割を果たすのは当然国会になろうかと思いますけれども、国会外においてもそういう場が必要じゃないか。意見はなかなか一つにはまとめることは不可能かと思うんですけれども、そういう手順を踏むことが非常に大切であると思います。 次に、以上申し上げました三つのポイントを中心として、今度の予算案に組み込まれております医療保険と年金保険の改革案について意見を申し上げたいと思います。ただし、医療保険は短期保険でありますし、年金保険は長期保険であります。歳出削減を早くやろうとすれば医療保険の方が早道ということになるかもしれませんけれども、裏返して言えば、それだけその制度改革の影響は国民にすぐあらわれるということになります。年金の場合はもう省略いたしますが、そういうふうに制度の目的も違えば仕組みも違いますので、その制度改革のインパクトは変わってまいりますけれども、先ほど申し上げました三点に関する限りは共通して議論することができるかと思います。 そこで、まず医療保険制度改革案でございますが、そのポイントは、本人の給付率を下げていく。そうすることによって懸案となっていた退職者医療制度を創設する。そしてさらに、それによって国民健康保険制度に対する国庫負担を削減する。そのほか療養費払い制度を導入するとかいろいろございますけれども、大体これは御承知のとおり、昭和四十年代ごろから議論が続けられてきたことでありまして、それまでの出されていたことがほとんど並べられている。メニューと申しますか、そういうものは一応全部出てきているというふうに思います。また、歳出削減を目的とするならば、極めて巧みに、それこそインテグレートされている考え方だと思います。しかしながら、先ほど申し上げました第一のポイントからしますと、基本的に国民の医療を低成長下の人口高齢化が進む中で今後どうやって守っていくのか、また日本だけではなくほかの国も共通の悩みなんですけれども、医療費がどんどん上がっていく、国民所得、国民総生産の伸びを上回って上がっていくのにどう対応していくのか、どう解決していくかという展望が残念ながら見当たりません。被用者本人の給付率をちょっぴり下げる必要は私もあると思いますし、退職者医療制度をつくるというのは、これも前々から議論されていたことで当然やらなければいけないことじゃないかと思います。 個別についてもいろいろあるのですけれども、要するに今度の改革案は国庫負担を減らす、言うならば単なる財源対策ではないかという感じがするわけであります。もちろん、ある程度中長期的展望がなされた跡は見えますけれども、それはごくわずかでありまして、どちらかといえば明らかに国庫負担の削減を目指したものというふうに考えられます。しかも、医療費の伸びを抑える必要はあるわけですけれども、その方策が需要面からの方策に集中し過ぎている。そのほかに当然とるべき供給面あるいは構造面がちの対策というものがほとんど無視されているということ。また、給付水準の何といいますか制度間の調整をやる場合にも、高いところだけは下げて、低いところを上げるのは待ったということでありまして、ちょっとどうかなという感じがいたしますし、それから国民にとっては、保険外負担というものを含めて医療費というものを考えざるを得ません。にもかかわらず、今度は療養費払い制度の拡大というふうなことで、一体どうなるかということを不安がる人たちも少なくないわけであります。しかも一方で、政府の原案にございましたビタミン剤とかそういった一部の薬剤費を適用除外するとか、入院費中の食費などもその一部を患者負担にしてもらうというようなことは、これは納得してもらえるのじゃないかと思っていたんですけれども、いつの間にか消されてしまっている。もっと奇妙なことは、概算要求の段階で歳出削減で見込まれていた金額が、その後政府案が国会に提出される直前になって、政府・自民党の話し合いによって中身が変えられましたにもかかわらず、それによって削減される見込みの額そのものは全然変わらない、全く奇妙な話だと思うのでありますが、そういう状態であります。 最後にもう一つ。そういった制度改革案が出されたのが昨年八月の概算要求の段階であります。突如として出てまいりました。したがって、関係審議会が二月末でしたか答申を出した場合に、審議期間が余りにも短いではないか、また結論を出すことは著しく困難であるという指摘をしております。当然のことだと思います。 〔理事初村滝一郎君退席、委員長着席〕 一つだけつけ加えますと、これは今の国民だけでなくて、将来の国民にも非常に大きな影響を与えます。これほど大きな制度改革というものをやるには余りにもせっかち過ぎるのじゃないか。言い過ぎかもしれませんけれども、少し焦り過ぎているのではないかというふうな印象を受けるわけでございます。 それに対しまして年金の方はどうかと申しますと、医療保険制度の改革ほどの問題はないように思います。制度改革のポイントは、御承知のとおり制度体系の再編成とか、将来に向けての給付水準の調整とか、あるいは婦人の年金権の確立とか、現行制度の不合理な面を改めながら長期的に安定して維持できるような仕組みをつくっていこう。もちろん、これもいろいろ問題はございます。けれども、大筋としては私は納得できる内容になっていると思います。しかしながら、この年金制度改革案についても問題がないわけではありません。その一つは、しばしば指摘されますように、今度の改革は国民年金と厚生年金と船員保険だけでありまして、その他共済グループには全く及んでいない。まあそのことについては二元化を目指すというふうな閣議決定が行われておりますけれども、やはり将来一体どうするんだということについての検討が著しくおくれている。大きな方向が出ているといえば出ているんですけれども、じゃ一体どうやってそれを進めていくのかという、そこら辺の詰めというものがほとんどできていないということであります。 そのほか、例えば今度の改革案は、三十年後を展望したものとは言いながら、それで果たして済むだろうか。具体的に言えば、サラリーマンに対する老齢年金の支給開始年齢の六十歳支給というものがいつまで維持できるだろうか。これには当然後代負担とのバランスを考えているわけですけれども、しかしそれをやるためにはどうしても雇用面において高年者の雇用機会を促進する、いろんな面での助成を図るというようなことが必要だと思いますし、雇用対策だけでなくて生きがい対策その他を含めて、私が先ほど申し上げた総合的な施策が必要かと思うんですけれども、要するにそういったことが未解決のままになっているということがございます。 それからもう一つは、やはり問題提起の仕方でございますが、これもやはり医療保険に比べればまだましであります。まあ誤解かもしれませんが、年金についても五十五年改正のときに制度改革をやろうとして、政府案の一番核心の部分が削られてしまいました。その反省があったのだろうと思うんですけれども、今度は例えば有識者調査もやりましたし、関係審議会への諮問の手順などもまあまあよくできたと思いまして、私は一応評価したいと思うのであります。しかしながら、これも国民に対してどこまで理解と協力を求める努力が行われたかということになりますと、やはりまだまだ不十分であると言わざるを得ません。一つだけ例を挙げますと、例えばサラリーマンの妻に対する国民年金の任意加入一つとってみましても、ついこの間まで第一線の担当者が、入った方がお得ですよというふうに言って勧誘していたわけでございます。それと今度の制度改革を一体どうつなげるのか、どう説明するのか。まあ理屈の上ではそれはつくと思います。私はそうしなければならないとは思うんですけれども、やはり国民に対してそれをもっと親切に説明してやるべきではなかったかということが言いたいわけでございます。 最後に、今後の課題でございますが、これも時間の関係で項目だけ挙げさしていただきます。 いずれにいたしましても、社会保障制度は国民生活の安定に非常に大きな役割を果たしています。先ほども申し上げましたが、いわゆる当然増が多い。これを他の予算と同じように原則として一律削減という法則をとる、今は財政再建のためにやむを得ないと私は申しました。しかし、だからといってこれをずるずるとこれ以上続けるというのは無理があるのじゃないか、もうここらあたりで限界に来ていると言ってもいいのじゃないかということであります。 第二は、私も社会保障予算をずっと推移を見ておりまして、確かによくなりました。問題はあるけれども、全体としてはよくなったんですが、その結果として、ばらまき福祉などという批判が一時出ましたけれども、そう言われても仕方のないような施策が一部あると考えております。また、年金制度にしても医療保険制度にしても、今日これほど急速に人口高齢化が進むとは予想されていませんでしたし、またこんなに成長値ががくんと落ちる事態、そういう状態がずっと続くということも予想していませんでしたから、そこはまあ無理はないと思うのですけれども、今となって考えてみれば、やはり甘過ぎました。ぜい肉がついています。それをやはり切り取っていかなければなりません。しかし反面において、その他の施策、特に社会福祉サービスの面などにおいてはまだまだおくれている。ぜい肉どころか、まだその本来必要な最小限の肉さえも十分ついていない、そういう施策があるではないか。そういう意味で、先ほども申し上げましたような総合的な観点から社会保障政策全体としてのバランスというものを、そのあり方というものを考えながら施策を考えていく必要があるということであります。 もう一つだけ申し上げますと、長期的にはマクロの議論になりますけれども、やはり税及び社会保障負担の対国民所得比、これが要するに給付と負担のバランスにおいてしばしば国会でも論議されておりますけれども、その長期目標をできるだけ早く設定する必要がある、それとの絡みで今度の制度改革というものを検討していくべきじゃないかというふうに考えるわけでございます。 いずれにいたしましても、今度の制度改革案は国民にすぐに、あるいはじわじわと非常に大きな影響を及ぼすものでございます。参議院のこの予算委員会におきましては、そういうことを十分御考慮をいただいて、最大限慎重な審議をしていただくことを期待して、私の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 それでは、これより質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○堀江正夫君 私は、林公述人にお尋ねをいたします。 先ほどの外交、防衛についての林公述人の率直な御意見に謙虚に耳を傾けさせていただきましたが、せっかくのおいででございます。まず外交のうちで、御造詣の深い半島の問題につきまして、日本にとってはもちろん、東北アジア、世界にとっても大変大切である半島の平和と安定がこれからどうなるんだろうか、どうしたらよいのか、こういった点につきまして数点まず御見解を承らせていただきたいと存じます。 その第一は、不信と対立のもとにあります両国の厳しい現実、これはもうもちろん無視できないわけですね。したがって、この現実の上に立って、しかも半島の平和と安定を確保する、そのためには短期的、中期的に見て、長期的は別にしまして、両国関係はどのようにあるべきなんだとお考えなのか、それをまず承らせていただきたいと存じます。 御造詣の深い問題を初めに数点お尋ねしますので、余り長く詳しく御説明いただきますと、ほかに日米外交問題、防衛問題についても一点ずつお聞きしようと思っておりますので、よろしく御協力をお願いいたします。
○委員長(西村尚治君) それじゃ林公述人にお願いします。できるだけ簡潔に御答弁願います。
○公述人(林建彦君) いまおっしゃった両国というのは、南北のことでございますか。
○堀江正夫君 南北です。
○公述人(林建彦君) 南北は、殊に来年八五年にはソウルでIMFとそれから世銀の総会がございます。それから八六年はソウルでアジア・オリンピックがございます。その集大成といいますか、その後に八八年に世界のオリンピックがあるわけでありますが、こういう国際的な行事、出来事というものを成功裏に行うような環境をつくると、そういうことが周辺国の大事な役割だろうと思います。 それから、南北におきましてはそれぞれに全く違った提案が出されまして、そしてこれは完全に行き違いの状況になっておるわけでありますが、私の考えとしましては、今韓国側から提唱をされております、両方の南北の当事者が率直に顔を突き合わして話し合おうではないかと、そういう提案は東西ドイツの例から見ましても最も望ましい、そういう提案に対してなぜ北側が乗ってこないのかなと、そういうふうに私は思っております。
○堀江正夫君 ありがとうございました。 せっかくのそういう韓国の提案に対してもどうも両国関係がうまくいかない。それは最大の理由はやはり両国の思惑の違いにある、しかし同時に、北鮮の後ろにおりますところの中ソの考え方、この違い、そういったものが強く影を落としておるのじゃないかなと、こう思います。 そこで、中ソの北鮮に対する政策、これをどのように受けとめておられるか、これを伺いたいと思います。
○公述人(林建彦君) 私は、中ソが一つは影響力競争をしておると、そういうふうによくとらえられております。お互いに競争をする、また北朝鮮側はそれを非常にうまく利用して等距離外交を展開しているというふうに言えると思います。しかし、そういう中にもかかわらず、最近の二つの国と北との関係を見ておりますと、中国が大変積極的でありまして、しかも中国と北との間には往来があるわけですが、ソ連の方はもう往来が途絶えて久しい。金日成主席がソ連に訪問の希望を表明してもソ連が受け入れないという状況が今なお続いておるわけであります。一説によりますと、遠からずソ連も受け入れるのではないかという観測もあるわけですが、少なくともここ数年首脳の往来がない状態が続いておるわけであります。 具体的に中国とソ連が北に対してそれではどんな影響力競争をやっているかということになりますと、内容的には非常にわからないところが多いわけでありまして、そういう首脳の往来を通して、その首脳の往来の過程でどんなことが話し合われたかというようなことを通して判断する以外にないわけでありますが、そういう点から見ますと、中国と北との関係は、ことしの一月になって大変問題になりました三者会談の提唱そのものも、実は中国側が熱心に働きかけた結果であると、そういうふうに言われております。それから中国がアメリカと北の橋渡しをしていると。三者会談の提案の経路も北京を経由してワシントンに届いておると。それがことしの一月、公式に北の提案になったわけですが、提案になるまでの経過は既に北京を経由しているというあたりに今の中ソと北の関係がよく出ているのではないかと思います。
○堀江正夫君 今、御説明いただきました中ソと今度は韓国との問題ですね。韓国は中ソに対してやはりいろんな観点から接近政策をとっておるのじゃないかと、こう思いますが、今後のこれについての見通しはどうなのか。特に、中国が従来の態度が変わる可能性というのはあるのかないのか。さらに、それに伴って北鮮というものが中国に連動する可能性はどうなんだと、こういう問題につきましてお聞きしたいと思います。
○公述人(林建彦君) 大変難しい問題でございますが、中国の態度は今度の中曽根さんの訪中によって非常にはっきり出てきたと思います。やはりスポーツと人道的な問題は、国交のあるなしにかかわらずどんどん進めると、そういう姿勢が非常に明確にされてまいりました。 ソ連も、実は韓国につきましては、大韓機事件が起きる以前までのソ連の韓国に対する接近の姿勢というのはかなり積極的なものが出てきたなと。殊に、去年あたりタス通信の代表がソウルの国際会議に出席したり、それからソ連政府の文化財局長がこれまた国際会議に出席する、それからシベリアの木材が直接韓国の仁川に運び込まれるといったような形で、かなり実質的な面での改善のシグナルが送られていたと思います。どこでそういうことを判断したらいいかということで一番問題になったのが、去年の十月開かれましたIPUの総会でありますが、これも私が得ている情報によりますと、ソ連も東欧圏の国もほぼ出席するところまできていたにもかかわらず、大変不幸な大韓機事件が起きたために出席できなかった。そういうことでありまして、両国とも韓国の存在を、政治的にはもちろんまだ遠い先だと思いますが、そういう形で認めながら、最も非政治的な問題を次々にクリアしながら最も政治的な問題にアプローチ、接近していく、そういう大きな流れがあるのではないかと思います。そうでないと、IMFに中国は加盟しておるはずですから、来年の総会に参加の問題が出てくると思いますし、それからすぐに八六年のアジア・オリンピック、八八年のオリンピックと、これは当然私は両国とも参加するであろうし、参加することによって朝鮮半島の安定と平和の大きな枠組みができ上がっていくと、そういうふうに考えております。
○堀江正夫君 ありがとうございました。 この半島問題につきまして最後に一つだけ伺いたいと思いますが、今いろんな形での南北同時承認の問題が論議されておりますですね。まあどういう形にしろ、私はこの南北同時承認をするためには、やはりいろんな問題があるけれども、米ソ関係がもう少しよくならなければできないのじゃないかなという感じがするわけです。それに対して、南北同時承認の条件というものをどうお考えになっておるか、また見通しはどうなのか、ひとつ御造詣の深い先生の御意見をこの問題について最後に承らせていただきたいと思います。
○公述人(林建彦君) その問題は南北の統一政策とも重大な関連を持ってまいりまして、韓国側はもう既に早い時期に、過渡的には国連に二つの政府が入ったらどうかという提案をもう七三年の段階で出しておりますが、北側はそういう政策を行うことは南北の分断を固定化する、民族を裏切る提案であるという形でこれを反対をしまして、あくまでも南北の統一された一つの政府として国連に入るという提案を固執しておるわけであります。ですから、その同時承認という問題だけを取り出して議論をしてもなかなか成り立たない。この南北のそういう基本的な考え方の違いというものが打開されるのとあわせながらそういう状況をつくっていく以外、非常に回り道なことになりますけれども、なかなか妙案は出てこない。しかし、現実的には、今申しましたような国際会議や国際的なスポーツが行われるわけですから、これに北朝鮮の代表がオリンピックという意味で参加してくるのかこないのかということも大変重要な判断の材料になると思います。 そういうようなわけで、今御質問の点はなかなか的確にお答えできないわけでありますけれども、周辺の国がお手伝いできることを少しずつでも探しながら、見つけ出しながら、そういう機運を盛り上げていくということが並行して行われる方法しかないという、例えば今度中曽根総理と中国首脳との会談でも、影響力という言葉がしばしば使われているのですが、こういう言葉自体大変大国主義的な議論でございまして、南北ともこれについては直接何も言っておりませんけれども、恐らく民族的には非常に不愉快な思いをしている点につきましては南北とも全く同じだろうと思います。そういうようなところまで非常にデリケートな問題がございますから、配慮しながら周辺国もお手伝いをする、そして南北の間にそういう機運の醸成を待つという、そういうアプローチしかなかなか見つからないと思います。
○委員長(西村尚治君) 堀江君、時間が余りありませんから、簡潔に。
○堀江正夫君 次に、日米の外交問題につきまして一点だけ伺わしていただきたいと思います。 日本にとって一番大切な日米関係が、先ほど御評価いただきましたように、中曽根外交の展開によりまして今最良の時期にあると言われておるわけですが、しかし現実的には深刻な貿易問題があり、防衛問題があるわけです。そしてぎくしゃくしております。しかし、それでいいわけはないわけで、何とかしなければならぬことは明瞭でございます。両国がこれは努力しなければならぬことですけれども、まず日本として当面具体的にどういう政策をとることによってこの日米の信頼関係をより信頼性の高いものにすることができるのか、何か御意見がございましたら聞かしてください。
○公述人(林建彦君) 特に私意見を持っておりません。恐縮でございます。
○堀江正夫君 それじゃ最後に防衛について一点だけ、これはGNPの一%の枠の問題について御意見を承りたいと思います。 実は、GNP、先ほどもお話ございましたが、GNPの一%の枠内でどれだけの日本の安全が確保できるのか、こういったようなことはもうさっぱりわからないわけですね。わからないままに、国内の一部には、一%枠を外すことは平和主義の放棄になるんだとか、これがそのまま軍事大国に突っ走ることになるんだ、こういったような国際的にはもうとても通用しそうにない極端な論議も一部にはあるわけです。ところが、最近、民社党が一%を外すことはやむを得ない、政府は新たな歯どめを考えるべきだといったようなことを決められたということが報道されておりました、本当かどうか知りません。 私は、本来防衛力というのは、その国の安全を守る、すなわち相手に侵略を思いとどまらす、あるいは侵攻したときこれを排除するための方そのものなんだと、したがって当然脅威と相対的なものだと。その目的を達成するために、当然憲法の精神に基づいて、米国に期待できる軍事力にプラスしてみずから最小限どれだけの防衛力を持つかということが大事な問題。そしてそれによってどの程度に日本の安全を確保するのかということなんですね、本質は。それらを政治がはっきりと決めてチェックする、これがシビリアンコントロールなんだと、まあこう私は思うわけです。したがって、初めから防衛力について歯どめだなんという考え方はちょっと理論的にもおかしいのじゃないか。さらにまた、防衛力そのものを、当然変動するGNP比でもって数字であらわそうなんというのもおかしいと、まあこういうふうに思うわけです。そういうような論も相当このごろは行われておるわけです。それにつきまして最後に先生の率直な御意見を承らしていただいて、私の質問を終わります。
○公述人(林建彦君) 最初にも申し上げましたように、私自身もこのことを議論する材料を持たないと。できるならば国会の議論を通しまして、なぜ一%というものが出されたのか、そして出された背景はどこにあったか、それが出された根拠はどこにあったか、このことがまずわからないと一%を突破していいか悪いかという議論も実はできないわけであります。 今の御質問でございますが、最初に申し上げましたように、私はそういう材料を持たないという点で御勘弁をいただきたいと思うんです。
○高杉廸忠君 社会党の高杉でございます。 林先生に防衛で二点伺いたいと思いますが、まず防衛費のあり方についてでありますが、政府の防衛力整備の大綱の装備目標を達成するためにつくられましたいわゆる五六中業ですね、五十九年度の防衛費予算は御承知のとおりに六・五%の突出になっているわけです。それにもかかわらず五六中業の前二カ年の進捗率は二七%しかないわけです。したがって、五六中業を達成するとなれば残り三年間は八%から九%の予算の増加が必要となる、こういうように言われているわけでありますが、先生はどうお考えになりますか。これが第一であります。 第二は、お答えをいただいてから御質問いたしたいと思います。
○委員長(西村尚治君) それじゃ、今の点で林公述人にお願いしましょう。
○公述人(林建彦君) 大変難しい問題だと思いますが、最初にも申し上げましたように、我々が納得できる防衛のあり方というものは、防衛費だけが突出する予算でもなければ、自衛隊を特別扱いする立場からの議論でもございません。やはり国全体の中における防衛でなければ、国民の一人一人が国を守る、国の安全を守るというような気概も生まれてこないわけでありますから、今おっしゃったように五六中業というものが今のベースでいって達成できないという問題は、日本のこの予算全体のあり方からいって私はやむを得ないだろうと、そういうふうに考えます。
○高杉廸忠君 先ほども歯どめの話が出まして、私の方は歯どめをしなければいけないという立場でありますから、先ほどの方とは若干立場が異なるわけであります。 先ほど先生のお話を伺いました中に、軍事費は時として麻薬だと、こういうようなお話がありましたし、三つの原則として二つ目に言われました、内政を圧迫しない、そして他国に脅威を与えない、必要最小限度、こういうような一つのお話をいただいたわけであります。防衛費はふやすだけではなくて削ることも必要だと、こういうお話です。だとすれば、GNPの一%の枠、これについてはどうお考えになるのか。同時にまた、それならばそれにかわるべき何らかの基準というのが防衛費全体の歯どめとして私は必要だと思うので、どういう基準になるのか、こんなことが教えていただければありがたいと思います。
○委員長(西村尚治君) それじゃ林公述人、お願いします。
○公述人(林建彦君) 私がここで申し上げたことは、自衛隊あるいは防衛のあり方についての実体的な御議論を国民としては期待して、そして国会のそういう御議論を通して我々は日本の防衛のあり方を自分なりに考えていく、そういう立場で私は一貫して申し上げているわけでありまして、そういう立場から見た場合、なぜ一%という数字が示されたかということについても実は議論の内容を詳細に私は存じ上げていないわけです。当時のもろもろのものを見ましても、三軍のあり方がこうであると、そしてそれぞれの防衛の役割は、日本の専守防衛の立場から見ての役割はこういうものであるというような議論が積み重ねられた上でそういう一つの枠がつくられたというふうには私見ておりません。 したがいまして、今のお話も含めましてもう一度、一%というものがどういう根拠でもって論ぜられて出てきたのであるかということも含めまして、そしてさらに申すならば、三つの陸海空の役割、あり方につきましても御議論を詰めていただいた上で、その数字の問題を我々は国民として判断をさしていただきたいと、むしろお願いをしたい立場でございます。そういうことの積み重ねがなされた結果としまして、仮に一%を突破するというような状況になったとしても、その場合は国民も納得できるだろうと思うんですね。そういう私は議論であります。
○高杉廸忠君 せっかくですから、小林先生に社会保障で三つ簡潔に伺いたいと思います。 一つは、社会保障面での自立自助には当然限界が私はあると思うんです。先生は限界についてどういうふうにお考えになっていますかというのが第一点であります。 二つ目、給付と負担とのバランスについてであります。先ほどのお話にもありましたとおりに、今回の医療改革については、保険者閥の負担調整をしながら国庫負担を減らしていく特徴があると、こういうようなお話であります。そこで、全体医療費、国民総医療費がどうしたら抑制といいますか、具体的にいうと乱診乱療とか、あるいは出来高払い方式とかいろいろあります。給付面からの見直し、こういうようなお話でありますから、具体的にはどういうようなものを先生がお考えになっているのか。これが第二点目であります。 三つ目は、年金についてであります。先ほどのお話も伺いました。私は、被用者加入の厚生年金と比較して、今度改革で予想されますことは、基礎年金五万円、四十年間、そして保険料としては月額一万三千円。大変な問題になると思うんです。そこで、全国民を対象とする制度を定額の保険料で賄うことには私は無理があるのではないかと、こう思うんですが、先生はどういうふうにお考えになりますか。それと、保険料か税負担かという議論があります。先生はどういうふうにお考えになっているか、こういうふうなこともお聞かせいただければありがたいと思います。 最後に、社会保障は貧困者やハンディキャップを持つ者に対象を限るべきではなく、国民全体によって支えられるナショナルポリシーとしての社会全体の福祉の充実を目的としなければならない、こういうふうに思うんですが、先生はどういうふうにお考えになりますか。 以上です。
○委員長(西村尚治君) 小林公述人、お願いします。
○公述人(小林節夫君) お答えいたします。 非常に重要でかつ複雑な問題でございますのでもっと時間をちょうだいしたいところでございますけれども、ごく簡単にという御注文でございますのでそのようにお答えいたします。 第一、自立自助についてどう思うかということでございますが、自立自助というのは私はむしろ当然のことであろうかと思います。社会連帯といっても、それはその人のできることは立場によって違います。能力によっても違います。しかしながら、みんな一生懸命頑張っている、しかしながらどうもうまく人並みに暮らしていけないという場合に社会連帯というのは成り立つ。極端な例で、生活が荒れて勝手ほうだいなことをやっている人たちに社会連帯をといってもそれは無理な話であります。そういう意味においての自立自助は私はむしろ前提だと思います。しかしながら、先生御指摘のように自立自助には限界がございます。かつての農業社会、前近代的な産業社会以前においてはそれはかなり可能であったわけですけれども、特に産業社会になりまして、インフレーションの問題一つとりましても、あるいは家族機能の低下をとりましても、それから平均余命がこれだけ延びてきたことを考えましても、医学の水準が非常に技術的に上がってきたことをとりましても、どこから考えてもそれは限界があるわけでございます。したがいまして、その意味で、いまのように財政再建上歳出削減をしなければならない、だから国が出す分を減らしてそれを自立自助で肩がわりという発想に対しては私は批判的であります。公私の役割分担ということになるわけですけれども、自立自助を前提としながら、しかし公的部門で果たすべき役割はきちんと果たす必要があるというふうに考えます。 第二点、給付と負担のバランスに関連して医療費の伸びていくのをどうして抑制していくか。医療費というものは国民の命と健康を守るいわばコストでございますから、これは当然非常に重要な費用であります。どの国でもそうですけれども、これはほっておいてもふえていく要因が幾つかございます。しかしながら問題は、日本はほかの国と比べますとまだ国民総医療費の対国此所得比その他のマクロ指標をもって見ますと低いんですけれども、この最大の原因は、日本の老齢人口のあれがまだ比較的少ないという点にあると思います。今後は今のままだと急速に伸びていくことが予想されます。理論的にどうあるべきかということはなかなか難しい問題ですけれども、いろんなバランス論といいますか、感じとしては国民所得の伸びぐらいで並行してふえていくのは仕方がないというのが各国の考え方だと私は理解しています。 じゃ具体的にどうするかということですけれども、かつてOECDの事務局が一九八〇年に開きました社会政策に関する閣僚レベルの会議のために用意したレポートの中に、私ちょっと触れましたように、その対策として、需要面と供給面と、それから構造面と、三つの対策が考えられるということを言っています。もちろんその国の事情によってとるべき対策は違ってくると思うんですけれども、その需要面というのは、一番はっきりしているのは一部負担、患者負担をふやしていくということでありますし、供給面というのはいわゆる医療の供給体制、医師の養成数だとか医療機関の配置だとかさまざまのこと、構造面といいますのは、一番いい例としては医療機関だけでなくて、いわゆる中間施設と呼ばれるようなデーケアセンターだとか、そういったショートステー施策だとか、そういうものを含めていくということだと思うんですけれども、決め手はないと思います。要するに、日本の場合特に乱診乱療とか、入院患者の平均入院期間が長いとか、薬剤費の占める割合が大きいとかいろんな点が指摘されます。各国の基礎のデータのつくり方が違いますので単純に比較はできないとは思いますけれども、どう見ても日本だけ相当違う点がある。そういうことをやはり直していくためにはあの手この手をとっていくよりしようがない。先ほど申し上げた、一言だけ補足しますと、これもやるあれもやる、それでもまだ解決できないから患者の一部負担をというならそれは説得力があるのじゃないかというふうに理解しているわけでございます。 三番目に御指摘の点ですが、それは恐らく国民年金に関連しての御質問かと理解しましたけれども、今は財政再建が最大の課題となっておりますので私はあえて触れませんでした。中長期的に見ますと、将来の国民の税及び社会保障負担が一体どこまで行けるのか、非常に大きな疑問がございます。年金受給者からすればたくさんもらえれはもらえるほどいいと思うのも一理はあるのですけれども、これはやはり後代負担に依存せざるを得ません。その時代の若い勤労世代が果たしてそれだけの負担に耐え得るかどうかということは、これは十分検討しなければなりません。 今度の改革案に盛り込まれております国民年金の将来の保険料は、前回の財政再計算期に予想されたものより低目に抑えられています。あの当時は五十五年度価格で出ておりましたけれども、とてもあれでも払い切れない。実は今度でも疑問があるという意見がございます。私は今度の程度なら何とかして払っていただけないかなという気はするんですけれども、それすら実は疑問があります。もっと長期に見ますと、これはますます問題でございます。特に被用者と違いまして、自営業者らは低額でしかも自分のポケットから払うという仕組みをとっておりますと、結局それは免除率の増大という形であらわれてまいります。そうすると、いろんな問題が出てくることはもう先生も御承知かと思いますけれども、その場合にじゃどうするかとなりますと、当面はちょっといろいろこんがらがりますが、先の話として私は、やはり福祉税の導入ということも考えざるを得ないのじゃないか。それがベストかどうかについては私まだ結論得ておりませんけれども、それは十分検討に値する考え方である、こういうふうに考えております。 最後にお述べになりました、社会保障の役割が以前とは違ってきているではないかという御指摘は全く私も同感でございます。 終わります。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。
○和田教美君 まず、小林先生にお伺いします。 社会保障についての日本型福祉社会ということを自民党や政府の中曽根総理なんかも時々おっしゃるのですけれども、これについてどう考えるか。私の理解によれば景気が非常によくて税収がどんどんふえるときは社会保障にもお金を出す。しかし、いよいよ緊縮財政、財政破綻というような状況になってくれば、まず福祉を切り捨てていくというふうな発想が底流にある。そうして、公的福祉というものを切り諦めて、その足らない分を例えば家族が面倒を見るとか、あるいはボランティアであるとかいうふうな考え方があるのじゃないかどいうふうに思うわけですけれども、こういう考え方をどうお考えになるか、それが第一点です。 それから第二点は、大蔵省の中にも一部あると言われているのですけれども、目的税としての福祉税、これを導入をして、そうして社会保障の財源に使うという考え方があると伝えられておりますけれども、この点はどうお考えになるか。 もう一つ、これは学者やジャーナリストなんかの政策研究機関として非常によく活動をいたしております現代総研、現代総合研究集団、この最近の提言の中に、今の一般会計の勘定を一般勘定と社会保障勘定とに分けて、そして社会保障勘定については新しい税を考える。そしてそれは専ら社会保障のために将来的な展望も含めて使っていく、こういう考え方が提言されておるわけで、かなり話題も呼んだ構想でございますけれども、この点はどうお考えになるか。社会保障勘定を設けるということについてどう考えるかという問題です。 それから、時間の関係もございますので、林先生にも一点だけお伺いしたいことがありますので、ついでに申し上げておきます。 先ほど林先生は外交というのは政府間のコミュニケーションだと。それが今や米ソ関係で全く機能していないということをおっしゃいましたが、私も全くそのとおりだと思います。これはチェルネンコ政権ができましても、この傾向というものはそんなに大きく変わることはないというのが一般的な見方でございます。そういう意味で第二期冷戦時代なんていうことも言われるわけなんですけれども、しかし非常に軍縮とか軍備管理の問題を見てみますと、例えば中部欧州における通常兵力の削減交渉が行われておりますね。それで結局世間の目はINFの中断だとか、そういうことに非常に向けられているわけですけれども、しかし、例えばジュネーブでの軍縮会議では、ソ連が新しく化学兵器の現地査察、一部でございますけれどもそれを認めるような発言もいたしておりますし、まあアメリカの方にもレーガンのやり方に、ことしは大統領選挙ということもあって、単に軍拡一点張りではいけないという状況もあると思うので、軍縮、軍備管理の問題については、今すぐINF交渉が再開されるというような展望は全くありませんけれども、何かいわゆる米ソ対立という状況とは違った要素が出てきているのではないかというふうにも受け取られるわけでございますけれども、その辺について林先生はどういう展望を持っておられるか、この点をお聞かせ願いたいと思います。 以上でございます。
○委員長(西村尚治君) 最初に小林公述人、お願いします。
○公述人(小林節夫君) お答えいたします。 三つ御質問をいただきました。 まず第一に、日本型福祉社会についてどう考えるかという御質問でございます。ただ、日本型福祉社会という言葉が、実はわかったようなわからないような言葉でありまして、その定義が明らかにされておりませんので、率直に申し上げますと簡単に答えようがございません。大ざっぱに理解して申し上げれば、日本型と言おうと何と言おうと、社会保障制度はそれぞれの国の事情によって決まってまいります。社会経済情勢だけでなくて、もちろん政治情勢によっても影響を受けますし、過去のいきさつだとかいろんな要因がございます。日本の場合、今までは制度の整備がおくれておりました。高度成長期に急速にキャッチアップしてきたわけですけれども、今までは人口高齢化がそれほど進まなかった。しかし、今後はどんどんどんどん変わっていく。だから、ほかの国のまねをしていたのでは追いつきません。そういう意味で、日本は日本なりの事情というものを十分考慮して、日本に最適のシステムをつくっていかなければならないという意味ならば、私はそのとおりだと思います。ただ問題は、今、和田先生が御指摘になりましたように、日本型福祉社会という言葉によって、そういう言い方はしておりませんけれども、荒っぽく翻訳いたしますと、国の懐ぐあいが厳しくなったから、もう国民たちは、おまえさんたちの自分の力でやりなさいというふうに、これは全く短絡と言わざるを得ません。 先ほども私申し上げましたように、社会保障にはそれなりの基本的な目標がございます。そのやり方、その程度は変わっても、その基本的な目標に関する限りは私は変わらないし、それは先ほども御質問がございましたけれども、前の時代と今の産業社会の時代では違ってきている、そういうことを踏まえた上で公的部門として果たすべき役割というのはあると思います。しかし、これも行革がなくても絶えず合理化と効率化は必要だと私は思っております。その努力はすべきですけれども、しかしただ、今申し上げました財政対策として、その財源が足りなくなった埋め合わせとして、もっと家族の介護機能を強化しろとか、ボランティアでみんな頑張れというのは少し問題のすりかえである。ただし、その場合でも、広い意味での日本国民の福祉を守るためには、公的部門ではとてもカバーし切れません。自立自助は当然だということを申し上げましたけれども、本当の社会連帯で国民の福祉を守るためには、それぞれの家族の機能も、日本の場合はほかの国よりもその機能が大分下がってはきたものの、まだ高い方ですけれども、そのいい面、あるいはボランティア活動の方は逆に低いわけですけれども、その悪い面というとちょっと語弊がございますけれども、それを高めていくそういう努力は必要であろうかと思います。 第二の御質問でございますが、目的税としての福祉税につきまして御質問がございました。私の理解する限り、財政当局は目的税に非常に強い抵抗をしております。財政学者の大部分の方々は大体同じ考え方をとっておられますけれども、最近、財政学に相当詳しい専門家の中にも将来、将来ですよ、今すぐではないけれども、将来福祉税の導入もやむを得ないんじゃないかという考え方が出てきていると思います。私も実ははっきりした結論を持ちません。臨調は、その将来の負担が増大していく、その場合に、税負担を上げるよりも社会保障負担を上げていった方がいいという提言をいたしました。私は当面はそれでいいと思うんです。しかしながら、ずっと先のことを考えますと、それだけでいけるのかどうか、社会保障負担にもやはり限界があるのじゃないか。これも逃げるわけじゃございません、結局、国民の選択の問題でございますが、その振り分けをどうするかということと同時に、今のその目的税は絶対困るという考え方ではとても必要な財源を調達できなくなる、そういう問題が生ずるのじゃないかということを危惧しております。十分なお答えになりませんけれども、今の段階で考えていることを申し上げました。 第三でございますが、現代総研が提言いたしました社会保障勘定を分離してつくったらどうかということでございますが、結論を申し上げれば、これも私、十分検討に値すると思います。これは先ほど初めに申し上げましたけれども、社会保障予算を一般の経費と同じように一律にマイナス五%カット、マイナス一〇%というふうなそういうシーリングを設定して無理やりに減らしていくことに非常に無理があります。今まではある程度はやむを得なかった、またこれぐらいのプレッシャーがかからなければ、長年論議されていた社会保障制度の改革はなかなか進まない。だから私は、今の制度改革のプレッシャーは歳出削減からきているんですけれども、私も基本的には、社会保障それ自体の将来を考えれば、やはり直すべきところは直さなければいかぬ、そういう時期に来ていたと思います。 そういう意味で、それはそれでいいんですけれども、ただ、今の一般会計の中で込みにしてそこから、最大の支出項目ですけれども、その資源配分が行われるという言い方には非常に、これ以上の無理をしますと国民の、例えば年金では特にそうですけれども、医療保険についても社会保障制度に対する信頼感を損なわせるおそれがあるのじゃないかりこれが先ほど申し上げましたILOの専門家グループが最近出しましたレポートに出てくるところの社会保障の基本的目的に反する、そういう事態が生ずるおそれがあります。したがって、何とかしてほかの経費と違う、どうしても要るものは要るわけですね。削るところは削らなければならないけれども、むやみに削りますとそういう混乱、摩擦が生じます。それを防ぐ方法の一つとして)一般会計の中で社会保障関係予算だけを別に考えるということは、私はこれもまだ十分詰めてはおりませんけれども、納得できる一つの方策ではなかろうかというふうに理解しております。
○公述人(林建彦君) 大変大きな問題でございまして、また我々がその問題について直接言及をできるような問題でないように思いますが、去年ちょうど大韓機事件が起きる以前の米ソの関係を今私思い出したわけでありますが、あのころ盛んにアメリカの方から穀物長期協定なんかをソ連と結んだりして、当然来年の大統領選挙を意識した動きではあったんでしょうけれども、レーガン大統領の方からかなり米ソ頂上会談へ向けてのシグナルが行われていると、そういうふうに受け取られる国際的な雰囲気があったと思います。それがあの不幸な大韓機事件のために一遍に吹っ飛んでしまった。 あの事件にもかかわらず、アメリカの動きとしては、事件は事件である、そして米ソの外交発展は別な問題、そちらに事件の影響を与えたくないという最初取り組みが我々にも目につくほどそういう姿勢だったと思いますが、結果的には米ソが再び冷静の状態に戻ったというような歩みになってしまったわけでありまして、大韓機事件というものはそういう意味でも大変不幸な事件だったと思いますが、けさのニュースによりますと、レーガン大統領の親書をチェルネンコ氏が受け取るのを拒否したという、余り大きな詳細の報道ではなかったわけでありますが、一体それがどういうことを意味しているのかというようなことを考えたり、最近のニューズウイークにこれは載っていたわけですけれども、どうやらソ連の新しい政権はアメリカの大統領選挙待ちであると、そういうふうに判断をして対応しているというような記事もございましたし、大韓機事件を契機にしまして、やはりことしの大統領選挙が終わるまで、米ソの間に私が最初に申したような外交復活というものが期待できるのかどうか、大変疑問ではないかというふうに考えております。その上、レーガン大統領はこの四月の下旬には訪中をするわけでありますから、そこでまたどういう新しい外交的な問題が生まれてくるのかということも十分見きわめないと申し上げられないと思いますが、米ソのことし今後一年の動きというものは、それほど期待できないのではないかというふうに私は考えております。
○内藤功君 林先生に二点ほどお伺い申し上げたいと思います。 一つは、去る二十一日に日本海で演習中の米空母とソ連の潜水艦が衝突するという事故が起きたわけですが、極東では今まで朝鮮半島軍事境界線付近というのが最大の軍事的な緊張点と言われていたんですが、それだけではなく、日本海という我が国に非常に近い海洋がこういう緊張の一つの地点になってきているのじゃないかという感じがするわけなんです。そこで我が国として、非常に近い日本海におけるこういう緊張状態を解くために、やはり積極的な外交努力というものが今緊急に必要とされているのじゃないかと思うんですりただ、そう言いましても、アメリカの方はトマホークの導入だとかF16を入れてくる、グリーンベレーを入れてくる。一方、ソ連の方はSS20、バックファイアを増強しているという状況下でありますけれども、ただこれを手をこまねいて両方の軍事力の抑止に頼るというだけではいかぬ。大変大きな問題でございますが、先生の率直な、日本国民の一人として、非常に関心の問題でございますので、御意見を伺いたい、こういうことが第一点。 もう一点は、これは少し長期の問題になりますが、予見し得る将来、まあ十年ぐらい見てもいいんですが、米中間の軍事上の提携、軍事協力というものはある程度いくのだろうか、あるいはこれはいろいろ動きはあるが、結局いかないのだろうか。アジア問題先生お詳しいと思いますので、そこらあたりの御見解がございましたらお伺いをしたいということで真さいます。率直にお伺いできればと思います。
○公述人(林建彦君) 日本海の事件でございますが、直接のお答えにはならないかもしれませんが、日本海を何としてももう一度平和な海にしたいと、そういう考え方に立ちまして周辺の日本、お隣の南北朝鮮の代表、あるいは中国の代表、さらにソ連の代表も含めました日本海の国際会議を金沢で開こうという考えが、ことしになりまして期日新聞にも紹介されておりましたが、そういう民間の会議でございますが、ようやくそういう会議が動き始めたということに私はいろいろの感慨を覚えるわけですが、我々あるいは日本としてなし得ることというのは、やはりそういう地道な努力が精いっぱいではないかというふうに、またそれさえも今まで行われていなかったということに非常に意味を私は感じておるわけであります。 もう一つの問題につきましては、私特に意見を持ちません。
○伊藤郁男君 林先生にお伺いいたします。 先ほど来の外交防衛問題に関する先生の御意見、非常に興味深く聞いた者の一人でございます。特にまた、防衛問題につきましては、国民にわかるような立体的な論議がこの国会の場でもまだ十分でないと、こういうこともお聞きをいたしたんですが、まさに私もそのとおりだと感じております。 そこで、シビリアンコントロールの問題に関連をいたしまして御意見をお伺いをしたいのですけれども、このシビリアンコントロールのかなめともなるべき機関として、国会には安保特別委員会、安全保障問題に関する論議の場があるわけですが、あるいはまた政府には国防会議があるわけですね。これらの機関のあり方についてどのように現状を認識されておるのかということと、特に国防会議などは最近は防衛庁の決めてきた方針をただ単に追認するだけだと、こういう機関に成り下がっているんだと、こういう批判が多々あるわけですね。したがって、これらの機関をどのようにして強化していったらいいのか、そういう方法がどこかないだろうかと、こういう点について先生の御意見がありましたらお伺いをしたいと思います。
○委員長(西村尚治君) じゃ、林公述人お願いします。
○公述人(林建彦君) そのシビリアンコントロールの問題で、今二つの点が御指摘にあったと思います。 一つは、国会における安保委員会でございますが、この委員会が設置されたというニュースは、私、確かに承知しておりますのですが、その後せっかくの安保委員会がどのように開かれて、そしてそこで先ほど来私が申し上げているような実体的な御議論があったのかどうかという点になりますと、ほとんど存じ上げていない、実際には行われていたのかもしれませんのですが、我々の国民の耳にはそれが届いてないという。私は、安保委員会が設置されたことに対しては大変期待もいたし、そして設置された当時それを期待するというような一文を響いたこともあったわけでございますが、率直に申しまして、我々の目に届かないということを申し上げなければならないと思います。試みに安保特別委員会がどのように開かれたのかということを委員会の方に伺いまして、資料をいただいたわけでありますが、それほど頻繁に開かれてはいない。予算委員会でなさる御議論を伺っていますと、もう少しこの安保委員会というものを活用していただいて、我々にもわかるような議論をしていただきたい。それでないと国民の手による自衛隊のコントロールということも行えないのではないかと、そういうことを率直に感じております。 国防会議の問題につきましては、今おっしゃったとおりだろうと思いまして、国防会議でこそなされなければならない議論がやはり行われていない、開かれたのか開かれていないのかも我々よく了知していない、知っていないというような状況は大変残念なことだというふうに考えております。せっかくの国防会議でありますから、そこでもってもっと議論をなさって、あるいはシーレーンの問題一つとってもそういうことが政府の最高の責任ある立場の人の間で真剣に討議されたのかどうかわからない、アメリカに言われてやる、こういう姿は一番シビリアンコントロールから遠いのではないかというふうに私は思っております。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。
○秦豊君 私は六分だから林さんに集中したいと思います。 林さんも私も同じですが、媒体は違っても長く、言論界におられて、だから政治家というものはニュースの客体として突き放して眺めるという、お互いそういう行動のパターンを、恐らく小林さんもそうだろうと思います。 それで、きょうはお話を伺っていまして、国会の防衛論議が入り口でとまっている、つまり実体的でないという御批判も内包されている御意見だと思います。じゃ、そういう反省が僕にないかといえば、私にもあります。つまり、この日本の防衛構想というのは、装備調達計画に短小化されていて、グルントの国家戦略とか国家政略、中曽根さんの言葉でいえば内政と外政が微妙に絡み合って、ハーモニーを持ったその上に立った防衛計画では決してない。予備隊以来そうです。増築に次ぐ増築で、継ぎ足しに次ぐ継ぎ足しで、断片は幾ら集めても断片だと私も思っています。しかし、こういう予算を抱えた委員会で議論をすると、どうしても攻める、守るという図式になる。法案を持っていればなおさらです。だから、特別委員会ができた。しかし十分に議論していない。これも僕たちの自省の一つです。 だから、こういう議論をしていると何時間もかかりますから、幾分かの質問にはなじみませんけれども、林さんの今も研究していらっしゃる学究の世界から、国会の防衛論議や外交論議をごらんになりまして一つだけ御意見を伺っておきたいことは、さっき林さんがいみじくも言われた中曽根さんの二つの顔、本当の顔は、去年ちらついた顔が中曽根さんの素顔でしょう。ことしはトーンダウンをしている、再選のハードルが高いから。そうすると国民は混乱する、当然です。本当は、私は保守本流があえて踏み切らなかった対米スタンスを非常に大胆に踏み切っているのが中曽根さんだと思う。だからあの人にとっては一%なんというのはワン・オブ・ゼムであって、先日も総理に聞いてみたけれども、政治責任が重いなんて余り感じていない、そんなものは。そういう総理を相手にしているわけなんですね。 それで、一つだけ伺いたいのは、中曽根さんのスタンスが余り大幅で余りテンポが速いと、ここまで構築されつつある防衛についての国民合意は実は飛び散るんです。国民は、専守防衛とか四つの島の防衛ならよくわかる。自衛隊の存在もよくわかる。しかし、集団的自衛権へののめり込みとか、シーレーンは総合的なんて言いながらハードに傾いたり、こういうあり方だ上、やはり矛盾とアンバランスの上にまた何か装備だけが積み重なっていく。有事の場合の体制は一向にできていない。そうすると、壮大な徒労という言葉があるが、非常にまたそういう意味では、今国会における防衛論議というのは非常に大きな転換点にもある。中曽根さん的な方向に行くことを私は大きく反対しているんですけれども、国民の皆さんから見てわかりにくいのは、林さん直感されたとおりだと思います。その部分については恐らく角度が同じだと思いますが、そこのところから中に入っていくと、あるいは私と林さんとは意見が違うかもしれません。それはいいと思うんです。だから、そういう中曽根さんのスタンス、保守本流とは明らかに違った国民合意との接点、この辺で林さんの最後に印象を伺って参考にぜひさせていただきたいと思います。
○委員長(西村尚治君) 林公述人、お願いいたします。
○公述人(林建彦君) 今のお話に直接関係ないかもしれませんが、かつてニクソン氏がニュー・ニクソンになってからやられたことですね、それを今思い出したわけでありますが、中曽根首相が一年そこそこでそういう二つの顔を使い分けるほどお変わりになったかどうかということは断定できないと思いますが、少なくとも対外的に発言をなさったこの一連の、日本は大国にはならないんだ、軍国主義にも絶対なり得ない、ならないということを、最近北京大学でもそういう講演をされている。そして二度と戦わないということを誓うことが基本の理念であるという演説をされております。これは北京だけではなくて、実は去年の四月、韓国の東亜日報という一番古い新聞がございますが、そこの新聞との書面インタビューの中でも日本の立場を、絶対に軍事大国にはならない、日本の防衛は受け身の立場である、専守防衛以外にあり得ないんだということを極めて明確にされております。これは向こうの新聞では大きく報道されたという意味においては、日本の総理が国際的な公約をしたことと私は変わらないというふうに思いまして、このニュース報道が日本のマスコミに取り上げられなかったこと自体不思議に実は思ったわけでありますが、極めて明確に意見を述べられております。これは去年のASEAN訪問のときにも中曽根さんはそうおっしゃいましたし、ことしのたしか二月、オーストラリアの首相が見えたときも、日本のあり方については明確にされております。 我々といたしましては、そういう姿勢を、先ほど申しましたように、継承していただきたいと。これは一内閣に限らず、今後日本の政府は一貫してこの姿勢は守ってほしい。そういう基本姿勢の中における意見の違い、政策の違いは、これは政党の違いがある限り当然だと思いますが、この国際的な誓約、殊にアジアの国々に対した誓約というものだけは絶対に守っていただきたいというふうに私は思っております。
○委員長(西村尚治君) ありがとうございました。 以上で外交・防衛及び社会保障に関する意見聴取は終了いたしました。 一言ごあいさつ申し上げますが、林公述人及び小林公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。委員会を代表しまして衷心からお礼を申し上げます。(拍手) それではお引き取りいただいて結構でございます。ありがとうございました。 明日は午前九時に委員会を開会することとし、予算委員会公聴会を終わります。 午後四時四十六分散会