内閣委員会 第17号
- 発言数
- 116 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1984/07/24
会議録
○委員長(高平公友君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。 臨時教育審議会談設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○穐山篤君 質問に先立ちまして、委員長にお願いをしておきます。 その一つは、質問の時間設定の問題ですが、私は教育問題には非常に関心を持っておりまして、六時間をお願いしたわけですが、とりあえず三時間というお話であります。同僚委員が既に四時間という最低限度の慣行をしいてもらったわけですから、少なくともその時間だけはまず第一に確保してほしいと思うんです。 それから二つ目は、矢田部委員の場合でも私の場合でもそうでありますが、教育と財政措置の問題について、非常に重要でありますので大蔵大臣の出席を要請したわけですが、都合で出席ができない、こういう返事であります。私も物理的にある意味ではその状況がわかりますが、これから質問をする者すべてであろうと思いますが、財政問題については皆発言を要請されていると思うんです。したがって、この教育と財政の問題については、大蔵大臣の出席を改めてお願いしてこの問題についての論議を深める、このことをひとつ検討してもらいたいと思うんです。 その点について、理事会にお諮りをいただきたいと思うんですが、どうでしょうか。
○委員長(高平公友君) 当然のことながら、質問時間等につきましては、理事会でいろいろ調整していただいて、その方向で努力をいたしておるわけでありまして、今ほどの御要求の時間につきましては、なるべく皆様の御協力を得て、多少最終時間の調整もありますけれども、お答えしたい、こういうぐあいに考えております。 なお、大蔵大臣の出席要求につきましては、先日も矢田部さんの御発言がありました。国対の方へ私の方からも申し入れておりますが、国対の方でもいろいろと取り決めもあるようでありますけれども、しかしそれはそれとしまして、この臨教審の問題はやはり何といいましても財政的に関連があろうか、こう思いますので、私の方から強く要請しておりますし、なるべく御期待に沿えるのでなかろうか、この上ともひとつ努力をいたしたいと思います。 以上であります。
○穐山篤君 臨教審がいよいよ本格的に審議がされるわけでありますが、その矢先に文部省内で不祥事が次々とあらわれまして、まことに遺憾至極だと思うんです。文部大臣の心境もよくわかるところでありますけれども、文部行政の民主化という問題につきましては後ほど具体的に指摘をしておきたいと思います。 さてそこで、今回、臨教審の提案に当たりまして、総理並びに文部大臣から次のように背景が述べられております。前後を省略しますが、「このような教育改革に対する国民の要請を踏まえ、今後とも我が国が活力ある国家として安定した発展をしていくことができるよう、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年の育成を目指して教育全般にわたる改革を推進していく」というふうに、この臨教審の審議がこれから十七年後の二十一世紀を担うというふうに、ある意味でいいますと、年代を特定しているわけです。このことは、当面の文部行政と臨教審との関係にも触れざるを得ないと思うわけであります。 それから今度の国会にいろいろな法案が出ています。いずれも二十一世紀という言葉を使っておりますが、意味合いがかなり違うんです。例えば健康保険法の改正について言いますと、急速なる高齢化社会に備え、二十一世紀を展望し、中長期的対応を行わなければならない、こういうふうに二十一世紀を展望しながら実際にはここ五年、十年、十五年の具体的なことの改正をお願いしたい、こういうふうになっているのが特徴であります。それから、まだ法案審査には入っていませんが、国民年金法の一部改正、この中でも、二十一世紀においても安定的な制度運営が確保されるよう制度全般にわたる改革を推進する必要がある、こういうふうに、二十一世紀と言いましても、いろいろな背景、意味合い、具体的な措置の方向というものが違うわけです。 特に、臨教審の場合には、二十一世紀を担うという青少年を対象にしているわけですから、ここに私は非常に特徴がある。したがって、その二十一世紀を担う青少年の教育問題を論議するときに、果たして二十一世紀というのはどういう状況に社会環境がなっているのだろうか、国際的な条件というのはどういうふうに見ることが妥当であるのか、こういうことはある意味では検証をしておく必要があろうと思うんです。 そこで、逐次お伺いしますが、経企庁おいでになっていますか。——最初に、経企庁にお伺いします。 材料として、二十世紀の終わりあるいは二十一世紀を展望した長期的な論文といいますか、そういうものが二年前に出たわけです。経企庁の中に経済審議会長期展望委員会というのがある。これは膨大なものでありますが、要約して二十一世紀というのは歴史的にどういうものであるのか、あるいは二十一世紀における基本的な戦略というものは那辺にあるのか、直接、教育にかかわらないで結構でありますが、周りの条件がどういうふうになっているというふうに研究をされているのか、その点をお伺いしておきます。
○説明員(谷口米生君) ただいまの御質問でございますが、まず最初に、二〇〇〇年の日本、いわゆる長期展望というものがいかなる性格のものであるか、ちょっとお断りしておきたいと思う次第でございます。 一昨年、五十七年六月に公表されたものでございますが、この長期展望と申しますのは、私どもにございます経済審議会の総合部会のもとに設けられた長期展望委員会というものが作成したものでございます。この性格と申しますのは、長期展望委員会におきまして各界の有識者の方にいろんな角度から御議論をいただきまして、その結果を取りまとめて公表したものでございます。したがいまして、この長期展望に書かれておりますことは、通常のいわゆる政府の経済計画と異なりまして、政府の諮問を受けて作成したというようなものではございませんで、そういう意味で比較的こういう委員会の独自の責任におきまして二〇〇〇年の日本がどういう姿になるのであろうかという一つのデッサンといいますか、そういうものを描いたものでございます。かなり膨大なものでございますが、簡略にまとめて申し上げたいと思います。 この長期展望の中で、大きくは三つに分かれようかと思います。これから二十年間の日本の経済社会の歴史的位置づけというものが第一点。第二点に、いわゆる二〇〇〇年の我が国経済社会というのはどういう姿なのか、これが第二点目であろうかと思います。第三点といたしまして、その二十一世紀に向けての我が国がとるべき基本戦略あるいはその課題というのは何であろうか。この三点に尽きようかと思います。 まず、二十年間の歴史的位置づけでございますが、これは端的に申し上げますと三つに要約できるかと思います。第一は、人口増加率が鈍化するということでございます。それから二番目が、中成長の維持と申しますか、四%程度の中成長が続く時代であろう。それから三番目、国際的地位の向上。この三つが特徴となる、我が国として歴史的な転換期になるという位置づけでございます。 次に、二〇〇〇年の日本というのはどういう社会であろうかという展望でございますが、幾つか並べております。 一つは、先ほど御質問の中にございましたように、高齢化が進展しておるということでございまして、六十五歳以上の高齢の方でございますが、八〇年には十一人に一人であったものが二〇〇〇年には六・四人に一人という時代になる。 二番目が、先ほど申しました中成長の時代でございまして、ヨーロッパ先進国等に比べまして貯蓄率が高いとかあるいは技術革新が進む等の要因で約四%程度の成長が期待されるであろうというのが二番目でございます。 三番目を申し上げますと、産業及び社会のソフト化、サービス化が進むであろうということでございます。物離れ、資源離れといいますか、そういうものから知識、サービス等のソフトなものの評価が相対的に高まる、そういう社会であろうかということでございまして、具体的には第三次産業のシェアが増加する。ちなみに、サービス業は名目値で二〇〇〇年には五〇%に達するであろうというような予測になっておりまして、就業者数も第三次産業で著しく増加いたしまして、サービス業に従事する人の割合は総労働人口のうち五二%になるであろうということでございます。これが三番目の特徴でございます。 四番目に、国際化の進展ということがうたわれておりまして、例えば貿易等の面でも金融、保険等のサービス貿易がふえ、海外直接投資もふえるであろう。 五番目、国民の生活はどうなるかということでございますが、高齢化等が進む中で自由時間が増加し、家庭生活やコミュミティー、いわゆる地域社会重視という傾向が強まってくるであろうという予測になっております。 最後に、二〇〇〇年という社会を展望したときに、一体とるべき戦略なり、我が国経済社会が抱えておる課題は何であろうかということでございますが、これも幾つか論点がございますが、まずこの二〇〇〇年までの二十年間に大きな潮流の変化といたしまして、先ほど申しましたように、国際化、高齢化、それから成熟化、この三つが基本的な大きな流れであるということになっております。 国際化というものに対していかに対応すべきか、基本戦略は何かということにつきましては、まず世界経済の活性化に積極的に我が国が寄与すべきであるというのが第一点。第二点は、日本経済及び社会を国際的により開かれたものにすることだというのが第二点。第三点は、南北問題あるいは食糧問題等、世界的規模の諸問題に積極的に貢献していくべきである。こういう基本戦略でございます。 これに対しまして、とるべき課題といたしましては、ガットあるいは各国経済政策との協調の度合いを高めるべきである。それから内需主導型経済成長、技術協力、直接投資を積極的に進めていくべきである。三番目といたしまして、軍縮への努力、累積債務国の問題の解決に寄与する。こういったことが課題とされております。 次に、高齢化への対応といいますか、基本戦略でございますが、これには幾つか重要な点が挙げられておりまして、まず第一に、インフレの防止ということが言われております。そういった経済運営。二番目、高齢者の社会参加を進めるということでございます。三番目に、効率的で適切な福祉サービスの提供ということ。四番目に、住みよい居住環境の形成等々いろいろ言われております。 これに対する課題でございますが、高齢化した方々に対する教育訓練機会の充実でございますとか、いわゆる多様な職種の確保、まず職場の確保等が言われております。二番目といたしまして、世代間でバランスのとれた年金制度を目指した制度改正というものをうたっております。三番目に、高齢者、障害者の利用を前提とした都市施設づくりというものを言っております。主な点ではこういうことを言っております。 成熟化への基本戦略でございますが、ここで創造的な技術開発を進めていくとともに、創造的な人材を養成するという点が第一点。第二点は、個人企業の競争的環境を保ち、日本的特徴を持った企業組織等を維持する、民間の活力を発揮しやすいような経済政策を実施する。三番目に、活発な文化的、社会的活動が可能な環境の整備を行う。 こういう基本戦略をもちまして、これに取り組むべき課題といたしまして、研究開発投資の拡大でございますとか、民間活力が発揮されるインセンティブを持つような社会的枠組み、規制緩和等でございましょうが、こういうことがうたわれております。三番目に、自己実現の機会を豊かにするような個人の機会の平等が保たれるような社会的フレームを維持すべきだ。 長々と述べてまいりましたが、基本といたしましては、やはりこの二十年間に社会がかなり成熟化、高齢化、国際化するという認識のもとに、さまざまな予測なり問題意識を提起しているような次第でございます。 以上でございます。
○穐山篤君 経企庁が自由に討論した中でそういう問題意識を持たれているわけですが、これも分析としては二〇〇〇年というものが一つの区切りになっているわけです。二十一世紀の展望というのにはやや材料が不足している、こういうふうに思います。 次に、厚生省来ておりますね。——厚生省には、先ほど私は健保の問題、それから国民年金法の一部改正の問題にも若干触れましたが、この二十世紀の終わりから二十一世紀にかけて、日本の人口の変動状況、それから教育環境をめぐる条件としましては義務教育の年齢階層がおおむねどういうふうに変化していくのか、こういう人口の状況から二十一世紀をひとつ示してもらいたいというふうに思います
○説明員(長尾立子君) お答えを申し上げます。 まず、人口全体の将来像でございますが、五十六年の十一月に私どもの人口問題研究所が推計をいたしましたものに従いまして御説明を申し上げます。 まず、全体の総人口でございますけれども、現在、人口の増加率やや下がっておるわけでございますが、これはまださらに下がっていくのではないか、人口増加率自体でございますが、下がっていくのではないかと言われておりますけれども、二十一世紀には総人口といたしまして約一億三千万、一億二千八百十一万というような数字でございますが、そういう数字でピークに達するのではないかと思われますが、その後、二十一世紀末には現在とほぼ同じの一億二千万程度に静止するのではないかというふうに言われております。 この人口の中身でございますけれども、まず出生率でございますが、現在、出生率は四十九年以来低下の傾向にございます。普通出生率、全体の出生率で見まして、五十八年で十二・七というところに下がっておるわけでございますが、いわゆる合計特殊出生率、一生の間に一人の女の方が産む子供さんの数というもので見ますと、五十六年度で一・七四までに下がっております。これは大体二・〇九になりますと人口が再生産される数字というふうに言われておるわけでございますが、五十八年に至りまして、ややこの点につきましては上昇の傾向が見えておりまして、一・八まで戻ってきたというような状況でございます。この状況につきましては、人口研の推計といたしましては、二十一世紀の最初の四半期ぐらいのところで大体この人口の置きかえ水準二・〇九と言われております水準にまで安定していくのではないかというふうに言われております。 この出生率の推計につきましてはいろいろ各方面で御議論があるわけでございますが、女子の進学率の向上によります結婚年齢のおくれでございますとか、戦後のベビーブーム以後に急激に出生率が下がっておりますが、この時期の結婚適齢期の方が今ちょうど親御さんになっておられるというようなことで、出生率は現在一番下がっておるという状況になっておりますが、二十一世紀にかけては改善をしていくのではないかというふうに考えております。 その次の死亡率でございますけれども、死亡率の低下傾向は、人口全体が高齢化に至りましたためにやや低下傾向は緩やかになっておるわけでございますが、さらに改善を見ておりまして、先回発表いたしました平均寿命では、男子につきましては七十四・二〇、女子につきましては七十九・七八になっておりまして、世界でも最高の長寿国になっておるわけでございますが、こういった死亡率の低下はさらに続くのではないかというふうに思っておりますけれども、人口全体の高齢化の中で余り目覚ましい改善はないのではないかというふうに考えております。 今まで申し上げました状況が引き起こします人口の全体の構造でございますが、これは先ほど経済企画庁からも御説明がございましたように、全体といたしましては高齢化ということが申し上げられるかと思います。現在の我が国の人口の構造はいわば中高年齢化ということになっておるわけでございますが、二十一世紀に入りますと確実に本格的な高齢化社会に入っていくということが申し上げられるかと思います。 昭和四十五年に我が国の六十五歳以上の方の人口の比率は七%を超えたわけでございますが、国連の統計等によりますと、七%を超えますと人口が高齢化している社会であるというふうに言われておりますが、我が国は四十五年にこれを超えております。現在の時点では九・八%でございます。二十一世紀の二〇二〇年になりますと二〇%を超えるのではないかというふうな推計をいたしております。これは各国が持っております将来の高齢化状況の中でも非常に高い部類に属するように考えるわけでございます。現在の全体の人口構造は、いわゆるピラミッド型、つまり下の方が多く、上が少なくなった形を持っておりますけれども、これがつぼ型、真ん中が膨らんでいく形になりまして、やがて矩形に近い形になっていくのではないかというふうに考えております。 この高齢化ということに伴いまして全体の幼少人口、先生御質問の幼少人口と老齢人口というようなものは全体としてどういう形になっていくかということでございますが、二十一世紀に入りまして十年ぐらいたちますと幼少人口と老齢人口の割合が逆転をする、つまり老齢人口の方が多くなるということになるというふうに推計いたしております。その後、若干の反転、つまり幼少人口が老齢人口を上回るという比率があるかと思いますけれども、結局二十一世紀間全体としましては老齢人口の方が多いような状況になるのではないかという推計をいたしておるわけでございます。 こういった状態というものが我が国の社会経済の中にさまざまな影響を与えると思いますが、このうち私どもが一番考えておりますのは、高齢者扶養の重さということでございます。先生御指摘ございましたように、今後の社会保障を考えましたときに、年金はすぐれて高齢者のための施策でございますし、医療につきましても高齢者の方の医療費というのは若い方よりも多いわけでございまして、この点についての社会全体の扶養の重さということが非常に大きくなってくるのではないかというふうに考えておるわけでございます。 それから全体の年齢構成についての御質問でございますが、これを申し上げます。 現在、昭和五十八年の時点でゼロ歳から十四歳層、義務教育層というお話でございますが、ゼロ歳から十四歳層で申し上げさせていただきますが、これは全体の二二・五%でございます。これが昭和七十五年、つまり二〇〇〇年になりますと一七・六になりまして、昭和九十五年、二〇二〇年になりますと十六・七になるというふうに推計をいたしております。 以上でございます。
○穐山篤君 もう一つ、核家族化が進むわけですが、一世帯当たりの平均の人数、これの変化というのはわかりますか。
○説明員(長尾立子君) お答え申し上げます。 将来の世帯人員がどういうふうになるのかというのは大変推計の難しい問題でございますが、昭和三十年に平均世帯人員は四・六八人でございます。これが昭和四十年に至りまして三・七五人になりまして、五十八年の現在三・二五人ということの状況になっております。こういった平均世帯人数の推移というのは今後も続くのではないかと思っております。 もう一つ、この世帯という問題につきましては、核家族、夫婦と子供だけの世帯というものと、いわば親御さんの世代、おじいちゃん、おばあちゃんが御一緒に住んでおられる世帯、三世代世帯と申しますか、そういう方々がどういうような推移を示すかという問題があるわけでございますが、昭和三十年時点ではこの三世代世帯、おじいちゃんと御一緒に暮らしておられた方は四三・九%ございましたが、昭和四十年に至りましてこれが二七・三%になりまして、現在は一五・四%という比率になっておりまして、いわば夫婦二世帯同居という形が大変少なくなっているということが申し上げられるかと思います。
○穐山篤君 私の調べたところによりますと、二〇〇〇年になりますと世帯の平均が二・九五人、大変な変化を来すことになります。これは先ほど説明のありました老齢人口、年少人口の割合、世帯の変化ということが教育環境に重大な影響がある、今のところはそういうふうに申し上げておきます。厚生省、ありがとうございました。 それから郵政省おいでになりますね。——二十一世紀について物を言っておりますのは、もう一つの官庁としては郵政省であります。二十一世紀の電気通信というタイトルでかなり膨大な分析をしております。きょうは、それの細かいところをお聞きするわけにいきませんが、ここの二十一世紀の電気通信によればどういう状況に多分なるであろう、一番進展をしておりますのは先端技術としては電気通信が主たるものでありますので、そういう意味でひとつ分析、見通しというものをかいつまんでお話をいただきたいと思います。
○説明員(江川晃正君) ただいま先生から御指摘いただきました答申でございますが、これは電気通信審議会がございまして、今年一月に答申をいただきました。「二十一世紀に至る電気通信の長期構想」ということでいただいておるわけですが、郵政省といたしましては、この答申及びそれ以前にも社会のいろいろな識者の方々から二十一世紀の電気通信政策のあり方を探るという視点に立っていろいろお伺いしていたところです。そういう成果として集約していただいた答申が、今、先生から御指摘いただきました電気通信審議会の答申ということになっております。 本日もここで先生から御指摘いただきましたように、経済問題、人口問題というような基本的な課題と並んで電気通信がどうなっているかというふうに問われるくらいに、電気通信というものが二十一世紀の社会においては基本的な形で社会の中に組み込まれる、社会システムという言葉を使っておりますが、社会システムの一つとなっているというふうにこの答申でも言っているところでございます。その意味で大変基本的な、あるいは基盤を構成するような要素を持つものとして電気通信が二十一世紀の社会の中には定着しているだろうという認識に立っているところでございます。ただ、残念なことですが、この世界なかなかに技術革新の激しいところでございまして、この答申の中においても、ただいまの厚生省あるいは経済企画庁の答弁にありましたような数字をもって説明するというところまでいっておりません。いわば定性的な議論に終わっておりますので、ここでも定性的な議論でお許しいただきたいと思います。 その答申が言っておりますのは、二十一世紀の社会というのは社会のさまざまな局面で情報化の進展が見られるというふうに考えておりますが、それを四つの局面の情報化の進展というふうにとらえております。一つは、情報の産業化という局面といいましょうか、データベースとかいわゆるニューメディアによって代表されるジャンルでございます。それから二つ目の局面といいますのが産業の情報化、お聞き及びと思いますが、オフィスオートメーションあるいはファクトリーオートメーション、ロボットが出てきたりなんかするああいう世界のことでございます。それから三つ目の局面が家庭の情報化、ホームセキュリティーとかホームバンキングとかホームショッピング、あのジャンルの情報化の進展でございます。さらに、四つ目の局面としまして、社会の情報化という局面を考えております。これは例えば行政情報通信などの充実、わかりやすい例で申し上げますと、医療情報システムなどがこれに入ろうかと思います。 このような四つの局面での情報化の進展というものがあるだろうと我々考えておりまして、こういうような社会構造や社会生活全般に大きな変化をもたらしつつある動きといいますか、方向といいますか、そういう大きな動きというものは、社会を構成しておりますいろいろな要素をトータルネットワーク化することによってもたらされるものだと考えております。例えば銀行、今で言いますと、銀行の決済システムということと、物を買うシステム、物を運搬するシステム、全部違うわけですが、それらが一つの情報インプットによって物が入り、金がしかるべきところに決済として支払われていくということが、全部一つのディマンドといいますか、命令によって行われるようになってくる。この辺を我々トータルネットワーク化するというふうに申し上げているわけでございますが、そういう社会というのはトータルネットワーク化されたものになってくるだろうと考えておりますが、その担い手の先導的役割あるいは中心的役割を果たすのが電気通信である、そういうふうに考えている次第でございます。 こういう段階になりますと、電気通信といいますのは、今の電気通信で申し上げますと、例えば電話とかテレビとかCATVとか一個一個が別々のメディアとして存在しているわけですが、それらが全部融合化される。一つの端末機で電話のような応対もできるし、それからテレビのような画面での応対もできるし、のみならず、ただいまのテレビで申し上げますと、一方的に向こうから送られてくる情報を見聞きするだけですが、ストップをかけて今の情報はあれはどういう意味だ、もっと突っ込んだ話を聞かせろということをこちらからぽんと送ると、向こうがまたそれより突っ込んだ情報を返してくるというような、これを双方向と言っておりますが、双方向の情報通信もできるようになるだろうというように、いろいろと電気通信のメディアが融合され、かつ、そのシステムが高度化されてくる。今申し上げたような状態を高度化というわけですが、高度化されてくるだろうと考えております。 そういう社会あるいはそういう段階におきましては、すべての人があらゆるネットワークにアクセスできる、アクセスと我々言っておりますが、要するに何でも使うことができるというわけです。必要な情報の取得も可能になるだろう。こういう社会のことを我々の言葉でこの答申では高度情報社会というふうに名づけております。こういう高度情報社会が到来するであろうが、そこでも中心的な役割を果たすのが電気通信であり、かつ電気通信によってこれが可能になるであろう、そういうふうに考えているわけでございます。 蛇足になりますが、現在という時点を二十一世紀の高度情報社会に向かって位置づけてみますと、まさに高度情報社会に向かっている今は過渡期にあるというふうに位置づけている次第でございます。 そういう位置づけの中で、それでは二十一世紀の高度情報社会に向かってとるべき施策は何かという点で申し上げますと……
○穐山篤君 簡単で結構ですから。
○説明員(江川晃正君) はい。 アイテムだけ申し上げます。 一つは、競争原理の導入ということで、これは電気通信事業法案を現在参議院においても御審議いただいているあの制度の改正になっております。あと、そのほかに申し上げますと、電気通信システムの高度化を図ったり、情報通信産業の充実強化を図ったり、情報通信の基盤を整備していったりというような課題がたくさんあるわけでございます。そういったものに向かって今からやっていかなければならないという提言をこの答申はいだしている次第でございます。 長くなりまして、失礼いたしました。
○穐山篤君 ありがとうございました。 以上、周りの社会的な経済的な文化的な条件というのを今測定ができる範囲で述べてもらったわけですが、さて、今度は文部大臣、二十一世紀を担う青少年ということになりますと、少なくとも現在五十歳以上の人のことを言っておるわけじゃないと思うんです。少なくとも三十歳台から今日では四十歳台、それから今後生まれてくるであろうという人たちが二十一世紀の教育を受け、二十一世紀の日本を背負っていく、こういうことになるわけですが、今それぞれの説明とあわせて、文部省としては二十一世紀というものをどういうふうに教育の分野から、人口のボリュームの問題もあるでしょう、あるいは今電気通信の話がありましたけれども、教材の問題も新しい問題が提起されているわけです。そういうことを考えて、文部省が分析をした二十一世紀というのはどういうものでしょうか。
○国務大臣(森喜朗君) 二十一世紀の社会を的確に予測するということは極めて困難でございます。今、郵政省あるいは経済企画庁等々の二十一世紀への予測といいましょうか、こうした社会になるのではないか、こうした時代をある程度予測ができるという御指摘が幾つかございました。文部省といたしましては、やはりそうした例えば国際化、情報化あるいは高齢化あるいは科学技術化といいましょうか、コンピューター化と申しましょうか、そうした時代にたくましく主体的に生き抜いていける、そういう子供たちの教育はどうあるべきか。もう少し具体的に言えば、二十一世紀を担うべき子供たちというのは端的に言えば今現存していないわけでありまして、今私どものこの社会にいる子供たち、この子供たちが将来二十一世紀の一つの橋渡し役をするだろう、こう考えておかなければなりません。 そういうふうに考えますと、予測ができないだけに、幾つか今、都市化、情報化、国際化、高齢化、いろいろの御指摘が各省の分析からございました。そういう社会に生き抜いていくためには、先般のこの当委員会でも私は矢田部さんのとき申し上げた記憶がございますが、そうした社会の変化や文化の発展に主体的に対応する能力、これを持つ子供たちをつくる、私はこのことが現世の私たちにとって大事な務めではないかというふうに考えております。 具体的に言えば、困難に向かっていくそういう強い意志というものも必要でございましょうし、問題の解決に積極的に挑んでいく知的探求心、あるいは知識や情報を選択、活用していく能力、あるいは最も大事なことは、自己を抑制し、他者を尊重しつつ、そうした良好な人間関係を築いていく資質、こうしたことを持っていなければ二十一世紀に対応できないであろう。特に、先ほど経企庁等の中にもございましたように、国際化社会の中で生き抜いていくということは、まず自分の国を大事にして、そして日本人としての伝統あるいは宗教性、文化性、そうしたものをしっかり見きわめ、よその国の国民とこれはお互いに生き抜いていくといいましょうか協力し合っていく、こうしたことなどもこれからの二十一世紀を担ってくれる子供たちにとってどうしても持ってもらわなきゃならぬ資質であろうというふうに私どもは考えます。 そういう資質を養成していく教育の制度はどうあるべきなんだろうか、そんなことを私どもは今、将来を見据えて考えておるわけでありまして、そのことを、やはり教育界、文部省としても十二分にこのことに対する構えをしておかなきゃならぬ。そのためには、これは文部省だけで考えるというには余りにも、今幾つかの御指摘がございましたように、あらゆる各省庁あるいは教育に関連する行政各部が皆それなりに関連をすることでございますから、政府全体で長期的な問題としてこのことをとらまえていくということが大事ではないか。こういう意味から、臨時教育審議会というものを新たに総理大臣の諮問機関としてぜひお願いして、そして各界各層の皆さんから幅広く論議していただく。同時に、このことが国民全体に対しましても教育に対する重要性、将来の教育はどうあるべきかということの幅広い国民の多くの英知をぜひちょうだいをしなきゃならぬ問題である、こういうふうに考えてこの臨時教育審議会を今お願いいたしているわけでございます。 二十一世紀の将来というのは非常に予測しにくいことでございますけれども、先ほどから各省それぞれ二十一世紀という言葉をいろんな形で用いておりますが、端的に言えば将来を指すということにもなるのでありましょうが、やはり人間というのはこれは感情の動物でございますし、そうした二十一世紀、あと十七年たったら新しい世紀になるのだ、そしてそれにはいろんな角度から世の中がこういうふうに変わっていくのではないかと予測する、それに対して二十一世紀はこう、単に将来はこうあるべきということではなくて、二十一世紀はこのような方向を予測できるだけにこう構えていかなきゃならぬ、その構えの準備をしていかなきゃならぬ、こういう高まりというものを持つためには二十一世紀という言葉を用いるということが私は極めてこれは妥当なことだろうというふうにも考えております。 私どもといたしましては、文部省としてはどういう二十一世紀を考えるかということにつきましては、今申し上げましたようないろいろな角度を十分に勘案しながら、二十一世紀はどのような教育がふさわしいのだろうかということをぜひこれから御論議をいただきたい、こういうことを期待を申し上げているわけでございます。
○穐山篤君 二十一世紀という言葉をいろんな人がいろんなところで使うのは結構でありますが、政治家が使うならある意味ではよくわかりますけれども、科学的な分析がなくて余り二十一世紀というのを口にすることはよくないというふうに思うんです。 そこで、文部省にお尋ねしますが、さっき人口は一億三千万人になる、一億三千三十六万人というのが厚生省の発表の二〇〇八年です。いずれ、これはトーンダウンしていって一億二千万人台で定着する、こういうふうに説明がありました。それから老齢人口対年少人口の説明もありましたが、そこで文部省に伺います。 年少人口というのはゼロ歳から十五歳までですが、今の状況からいいますと、高校まではほぼ全入です。現在九四%でありますので、一〇〇%に近い数字と考えて、二十一世紀当初には、小学校、中学校、高校、この層がどういうふうになっていくか、変遷をするであろうかという研究をされていると思いますが、その点について具体的に数字で示してもらいたいと思います。
○政府委員(齊藤尚夫君) ただいま先生から具体的な数字で義務教育及び高等学校段階の生徒数の変遷について述べよという御指摘でございます。大変恐縮でございますが、現在、手元にその資料ございませんので、御容赦を願いたいと思います。
○穐山篤君 少なくとも二十一世紀を議論する場合に、科学的な根拠がなくて二十一世紀という話というのはいただけないんです。多分、二十一世紀には就学前の階層が大体こういうふうに分布するであろう、それから小学校から高校まではこういうふうに人員としては出るだろう、これは教育環境の整備という問題点からいってみても重大な参考の資料になるんです。財政問題についても同様です。四十人学級とか四十五人学級という話、全部がかわってくるわけです。これは具体的に説明をしてもらわなければとても前には進めない話ですね。
○政府委員(西崎清久君) ただいま先生からのお話は二十一世紀ということでございますが、私どもの方で現在把握しております数字といたしましては、昭和七十一年までの数字を把握しておるわけでございます。 まず、小学校について申しますと、昭和五十九年度が一千百三十五万人でございますが、昭和七十一年度は九百三十四万人まで減るわけでございます。約二百万人近くの減がございます。 それから中学校について申しますと、五十九年度五百六十二万人でございますが、昭和七十一年度は四百六十万人というふうになるわけでございます。 そのような意味で申しますと、小中学校の学級編制の問題等は、この児童生徒の減を利用して私どももこれから整備を進めてまいりたいというふうな考え方を持っておるわけでございます。 一方、高等教育の人口について申しますと、昭和五十九年度の十八歳人口は百六十八万人でございますが、昭和六十七年度が二百五万人に十八歳人口がふえてまいる、約三十七万人の増でございます。これが昭和七十五年度について推計をいたしますと、百五十一万人にまた減るというふうな傾向が予測されておりまして、高等教育の人口につきましては、昭和六十七年度のピークというところに対する高等教育計画をどうするかというふうな問題があるわけでございます。 先生の御指摘の二十一世紀という点についての数字ではございませんで大変恐縮でございますが、全体の傾向としては以上のような傾向がございます。
○穐山篤君 私が冒頭にいわゆる二十一世紀論をあえて申し上げたのは、ほかの法案と違いまして、ほかの法案というのは、全部展望して今何をやるか、十年後何をやるか、そして二十一世紀に安定的な医療制度にしたいあるいは年金にしたいという、この続きがあるわけです。ちゃんと続きがある。ところが、臨教審だけは二十一世紀と言ってぼんとその先を言っているわけです。それを言う限りは二十一世紀というのはこういう状況に多分あると思う、こういう具体的なものがなければ、教育について。単なる教科書だとかなんとかという問題を審議するだけなら問題ありませんけれども、広い範囲で就学前の教育もあるでしょう。それから先ほども指摘をされておりますように、二〇一五年になりますと老齢人口と年少人口が同じになって、それ以降は逆転の現象に入るわけです。そうなりますと、生涯教育という問題が非常に重視されなきゃならぬ。今からでも重視をしなきゃならぬわけですが、比重が高まってくるわけです。 そういう万般を考えて見ると、もっと根拠のある数字を欲しい、根拠のある環境整備を欲しいという意味で、私はあえて二十一世紀論というものを持ち出したわけです。今のお話によりますと、一九九五、六年ごろのお話であって、二十一世紀の話は何にもないですね、材料が。もう少し勉強して、具体的に答弁してください。
○国務大臣(森喜朗君) お言葉を返すようで恐縮でございますが、先ほど私が申し上げましたように、二十一世紀という言葉はいろいろなふうに取り上げられているわけですが、健保は展望してとかあるいは二十一世紀を安定的なものにというふうな表現もあります。私どもは、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年をぜひ育て上げていかなければならぬ、こういうふうに二十一世紀という問題をこの中で用いているわけです。したがって、先ほど申し上げたように、二十一世紀というのはある意味では将来を指すという、ただ将来を漠然と指したものではやはり具体的な計画や目標が設定できないであろうから、二十一世紀という一つの目標は人間としての感情を持ちますから一つの高まりになるだろう、こういうふうに申し上げて二十一世紀という言葉を用いているわけでございます。 しからば、二十一世紀は一体社会がどう変化し、文化というものが変わっていくのだろうかということを私たちもいろいろと検討はいたしておるわけです。それは先ほど厚生省あるいは経企庁、郵政省等でもお話がございましたように、都市化、情報化、あるいは国際化、高齢化、あるいはコンピューター化といいましょうか、そうしたいろいろなことが予測されるわけでございますので、そういう時代に対応する人間の生き方というのは一体どういう生き方がいいのだろうか、あるいはそういう社会というものを築いていくために日本の教育はどうあるべきなんであろうか、こういうことを御議論いただきたい、そういうことをこの臨時教育審議会でお願いしたいという意味で二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年をぜひ育て上げたい、そのためにはどのような教育に関連した行政の各部のお考え方を持っていただけるだろうか、これを御議論いただこうということをお願いするという立場で二十一世紀という言葉を用いているのでございます。 ただ、今御指摘をいただきましたように、学生数、あるいは義務教育の数字、あるいは高等学校等の数字はどうかということについては、人口動態というものを予測しながらある程度立てていけるわけでございますが、きょうはその数字というものを持っておりませんでした、こういうふうにおわびを申し上げたわけでございますので、ぜひ御理解をいただきたいと思うわけでございます。
○穐山篤君 前回、林先生が自分の意見を入れながら質問されていました。私は、半分賛成で拍手もしました。しかし、私もその中身をよく調べ、分析をしましたが、問題の指摘は、例えば日教組の問題にいたしましても、その他の問題にいたしましても、それは当面の課題です。当面の課題で解決していくことによって二十一世紀につなげるということはあったにいたしましても、それは当面の文教行政の問題。二十一世紀を構えてくるならば、二十一世紀らしい具体的な話を私は受けたいと思っている。その具体的なまずスタートというのは、二十一世紀というのは教育の環境というものはどういうふうに掌握しているか、それがなかったら二十一世紀論なんというのはこれは文学青年が書く文章です。少なくとも、ここで議論をしよう、お互いに審議しようというならば、二十一世紀を十分に踏まえるということが必要ではないでしょうか。その意味からも、私は具体的に数字、教育環境についての前提条件が整備されないで二十一世紀の話を持ち込んでくるのは、とてもじゃありませんけれども、いただけない。具体的な数字を出してください。 委員長、それが出るまでだめですよ。私の質問というのは順番がちゃんとあって、理屈にかなっている。
○委員長(高平公友君) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(高平公友君) 速記を起こしてください。 暫時休憩いたします。 午後二時三十三分休憩 —————・————— 午後二時四十三分開会
○委員長(高平公友君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、質疑を続行いたします。
○政府委員(西崎清久君) ただいま穐山先生御指摘の二十一世紀にかかわる児童生徒の環境の問題といたしまして、基礎的な数字の御質疑、私ども資料不十分な点、まことに申しわけないと存じます。 高等教育人口につきましては、先ほどお答えいたしましたように、昭和七十五年度、二〇〇〇年のところが百五十一万人減るという数字がございますが、小中学校関係につきまして先生御指摘の数字を用意いたしておりませんでしたので、次回までにこれを取りそろえまして、また御審議の材料にしていただきたいというふうに考えておる次第でございます。 そのような意味で、きょうはお許しいただき、御質疑をお続けいただければ幸いでございます。
○穐山篤君 そこの部分はこれから具体的に臨教審について質問をする前提条件になりますが、ここで審議をとめるわけにはいかない、私も十分御協力を申し上げなきゃいかぬという意味で、そこの部分は全部保留をしたいと思うんです。不鮮明なところがあるのは非常に残念でありますけれども、次の問題に移ります。 次は、文部大臣、型どおりで非常に恐縮でありますが、前回、矢田部委員の質問にありませんでしたので、私から質問申し上げますが、今回の臨教審提案の教育改革の視点といいますか、それから臨教審にこういうことを諮問したいのだ、この二つにつきまして説明をいただきたいというふうに思います。
○国務大臣(森喜朗君) 臨時教育審議会におきまして具体的にどのような審議をしていただくかということにつきましては、これは総理の諮問に応じまして審議会自身でお決めをいただくということが適当であるというふうに考えております。しかし、私は、衆議院の内閣委員会でもあえて大臣はどう考えるかというお尋ねでございましたので、先ほどもちょっと触れましたけれども、またおしかりをいただくかもしれませんけれども、将来の我が国を担う青少年が今後における社会の変化あるいは文化の進展、そうしたことに主体的に立ち向かっていける、そういう能力を持つ青少年をぜひ教育をしていかなきゃならぬ、こういう考え方を基本的に持っておりまして、そしてあえて三つの視点を私は答弁をさせていただいているわけであります。 第一には、人間形成の基礎を確実に身につけさせるということ。教育には、本来これまで先人が築き上げてまいりました規範や知識を継承するという使命があると思います。人間形成に当たりましては、このような観点からその基礎を確実に身につけさせることが肝要でございまして、このことは学校教育だけではなくて、幼児期から教育全体の課題であるというふうに私どもは考えております。 第二といたしましては、一人一人の個性を伸ばしていく。このことをやはり一つの教育の視点としてぜひ考えていただきたい。もちろん、この点につきましてはゼロ歳から生涯まで人間はいろんな立場で教育を受ける権利もあるわけでございます。 第三番目としては、生涯にわたる学習の機会を充実させる。 こうした三つが私は個人的には教育改革をお願いする視点ではないだろうか、このようにお答えをさせていただいてきたわけでございます。 いずれにいたしましても、どのようなことを審議会に諮問するかということにつきましても、これは国会でまだ御審議をいただいている段階でございますので、国会の御論議を踏まえまして総理が全体的にこの国会論議を中心にした考え方をおまとめをいただくということになるわけでございますが、私どもといたしましては、これは大体基本的そして包括的なものになるのではないか、具体的にどのようなことを審議するかにつきましては、先ほど申し上げましたように審議会自身でお決めをいただくということが最も適当であろうというふうに考えておるわけでございます。
○穐山篤君 実は、衆議院でこの臨教審法案が可決をして参議院に送られてきたときに、世間の声というものに私も注目をしました。たくさんいろんなところから報道されておりますが、私は代表的なものを二、三取り上げてみたいと思うんです。 一つは、今月の二十一日に投書の「声」の欄で出たんですが、ある四十七歳の会社員の投書であります。前後ありますけれどもそれを省略しますが、「そんな問題意識を持ちながら本紙四面の「レポート教育改革—この人に聞く」を読んだが、どういうわけか、目的に関する議論が少ない。」。これは、文部大臣も「教育改革 この人に聞く」ナンバー九と十でインタビューに答えられています。これは連載でずっとあるわけです。この人は新聞を見たり、雑誌を見たり、いろんなものを読んでいるわけですが、「どういうわけか、目的に関する議論が少ない。」、これは非常に的を射た疑問だと思うんです。これは一般市民の声です。 それから新聞がすべて世間の声を代表するとは言いませんが、注目すべき社説があります。ここは私ども国会議員にとりまして聞き流しにできないことでありますので、私はこれを取り上げてみたいと思います。 「参議院に移った臨教審法案」、こういうふうに次に書かれています。「私たちは審議を通じて教育改革の方向や財政的な裏付けなどをはっきりさせることを要望した。衆院の審議では、これらの点は触れられずに終わっている。参院では、臨教審の具体的な目的をはっきりさせるようあらためて求めたい。それこそが、国民の代表としての国会の果たすべき義務だと思うからである。 教育改革の具体的な内容は、臨教審それ自体の審議にゆだねるべきことだとしても、何を改革するのかという、審議の目的まで臨教審にまかせてよいのだろうか。いまの教育の、どういう現象が問題なのか。それをどのような方向で改革すべきなのか。この基本的な枠組みまで臨教審にまかせるのでは、議会主義は成り立たない。」。なかなか適切な表現であります。 それからもう一つは、我々国会議員が心しなければならぬという意味で申し上げるんですが、「参院での臨教審討議に望む」、「教育改革は国民的合意を求めつつ進めるべきであり、そうでなければ実効もあがらない。その第一段階として、この法案が成立するとしたら、全会一致によることが望まれる。」。これも国民の声でしょう。私は、たくさんのものを用意しましたが、三つの世間の声というものをここに出したわけです。 そこで、もう一度お伺いします。今、世間の声を申し上げましたけれども、何のために、その目的が十分国民に知られていない、これは非常に残念なことです、いい悪いは別にしましても。国民を蚊帳の外に置いて、国会の中だけで審議がされているといううらみがないわけではない。 そこで、私は文部大臣と官房長官に、過去の話で恐縮ですが、お伺いします。 昭和三十一年の二月、これは鳩山内閣のときでありまして、臨時教育制度審議会設置法案というのが提案をされたわけです。これは御存じのものだと思うんです。これは明らかにする必要があろうと思いますが、設置目的のところに法案として次のように書かれています。「内閣の諮問に応じ、教育に関する現行制度に検討を加え、教育制度及びこれに関連する制度に関する緊急な重要政策を総合的に調査審議する。」と、こういうふうに法案は、第二条で述べているわけです。 この審議の記録をずっと調べてみました。今のこの国会と同じように具体的な諮問事項がそのときに明らかにされなかった。そこで、衆議院ではあらゆる角度から、諮問はどういう視点からどういうものを考えるのかということが追及されたわけなんです。その結果どういうことが明らかになったかといいますと、この臨時教育制度審議会には次のようなことを諮問したいというふうに文部大臣がついに言わざるを得なくなった。 第一が、教育基本法の改正であります。第二が、道徳の基準の検討であります。第三が、教育制度の再検討であります。四つ目が、教育に対する国の責任と監督の検討でありますということを、いろんな議員から追及を受けて、ついにそういう答弁をしたわけです。くしくも、ここには教育基本法の改正という問題が内容として入っていましたが、衆議院では衆寡敵せず通ってしまった、可決をしたわけです。しかし、最終的には審議未了、廃案という歴史的な経過があるんです。 そこで、私はこの問題について官房長官、過去の話でありますが、あるいは文部大臣にいたしましても過去の話でありますが、ちょっと感想だけ最初お聞かせをいただきたい。
○国務大臣(藤波孝生君) 戦後四十年の年月が経過してきておるわけでありますが、その間に文部省を中心として、あるいは国会におきましてもいろいろな教育論議が行われておることは御高承のところであり、私どもよく勉強もさせていただいてきておるところでございます。その間に、その時代その時代でいろんな角度から教育の正しいあり方を検討するという作業が進められてまいりましたし、また国会におきましても、そういったいろんな角度からの論議が重ねられて今日に至っておるわけでございます。 三十一年当時、清瀬文部大臣の当時に、今、先生御指摘のような、そういう御論議があったということを私どもも聞いておるわけでございます。今日、この臨教審の設置をお願いいたしまして、教育の改革を考えていこう。しかし、それは先ほど来いろいろ御指摘をいただいておりますが、内閣総理大臣がこういうふうな教育を目指す、そのためにはどう改革をしたらいいかというような取り組みではなくて、いろいろ国民の皆さん方の中にも、あるいは教育界の中にも、あるいは国会におきましても、今の教育の姿を諭し合って、例えば非常に問題行動が多くなってきておるとか、あるいは偏差値を中心として子供たちが点数にがんじがらめになっていて、知育、徳育、体育のバランスのとれた人間に育て上げようと文部省が一生懸命呼びかけてみてもなかなかそういうことにはならないとか、いろんな教育界に問題があるのではないか、そういうふうなことをぜひひとつまないたの上に上せていただいて、そして各界の代表的な方々にお集まりをいただいて御論議いただく、そして今日の教育の姿がどういうふうになっておるのか、将来に向かってはどんなふうに改革をしていったらいいだろうか、いろいろお知恵を出していただいて改革の案をお取りまとめをいただこう、こういうことで今度の審議会をお願いしようと思っているわけであります。 中曽根政治の中で教育改革というのは、中曽根内閣総理大臣自身がこういうふうに教育を持っていこうという考え方を持って、そちらへ導こうとしていくための隠れみのに審議会を使おうとしておるのではないかというような論調をよく見かけるのでございますが、そういうことではなくて、審議会に立派な方々にお集まりをいただいて、そして同時に、全国のいろんなサークル、特に教育界を中心にいたしまして教育をどう持っていこうかという論議の高まりを見せていただいて、それのいわば中心といいますか、中央というかで、この審議会でいろいろ国民の皆さんの意見も取りまとめて御論議をいただくことにしよう、こういう気持ちで審議会をお願いしていこう、こう考えているわけでございます。 文部大臣もたびたびお答えになっておられますように、現在の憲法、そして教育基本法にのっとってこの論議をお願いしよう、こういうふうに考えておる次第でございまして、今御指摘がございましたように、昭和三十一年当時にいろいろ御論議あったことは勉強もいたしておりますけれども、今日の審議会をお願いして教育改革に取り組んでいこうという姿勢はそういった考え方に立っているというふうに御理解をいただきたいと思うのでございます。 これが感想でございます。
○国務大臣(森喜朗君) 私にもあえて感想をということでございますので、私の意見を含めて申し上げさせていただきたいと思います。 昭和三十一年といいますと、私がちょうど高等学校に入学した年でございます。ですから、高度経済成長に入る前でございまして、私たちも小学校、中学校というのはまさに新しい教育を展開されて、小学校に入って、小学校二年生のとき終戦になったんですが、それまでやっぱり私も同じように将来は兵隊さんになってというような、そんな気持ちを持ってたしか学校へ入った。それが敗戦ということで大きく教育が変わってきました。私たち子供たちとしての受けとめ方は、それはそれなりに順応していったと思うんですが、恐らく当時の大人社会というのはやはり相当の抵抗もいろんな形であったのではないかと思うんです。 三十一年にこの法案が出て、当時の清瀬文部大臣の答弁をちょっと読んでみたことがございますが、その中には、例えば今のこの教育基本法では愛国心を教えることができないとか、あるいは親孝行を教育することができないというような答弁を清瀬さんがなさっておられる記録が議事録にあるんです。今でもその教育基本法は生きておりますし、今、文部省といたしましては学習指導要領で、国を正しく理解して自分の国に誇りを持つ、自分の国に対して愛情を持つ、あるいはお父さんやお母さんを大事にするということはちゃんと教えているわけでございますが、今はそういうことはちゃんと理解はできるわけですけど、その当時としては、当時の大きな変革の中にあった、歴史的な経過を経てきた当時の大人の皆さんから見ると、恐らくそういうことはできないという判断をとられたのではないか。そういう意味で、歴史の経過というものを非常にそこに見る思いがあるわけでございます。 今日の教育は、穐山先生も御承知のように、大変な大きな成果を誇り得ることができると思うんです。量的にもこれだけの拡大もいたしておりますし、質的なレベルも大変高うございます。世界じゅうの国々が日本の教育に対して大きな注目をいたしております。私は、大臣に就任をさせていただきましてから約半年たちましたが、もちろん国会の審議の合間でございましたので、すべての方にお目にかかれませんでしたけれども、諸外国の教育担当大臣には、もう十人ぐらいになりますが、随分お目にかからせていただきました。その皆さんは、みんな日本の教育に大変な大きな関心を持っておられる。それだけ今日、短期間の間に日本が国際的な大きな評価を受けるような、その役割を担うようになったというのは、まさに戦後教育のこれは成果だろう。もちろん、基本的には戦前の教育というものがベースにあるだろうと思いますが、敗戦によって、大きな反省と同時に、日本の国は平和、民主主義あるいは平等、そうしたことを大事に日本のこの近代国家としてのステータスとして取り入れた、そのことがこれだけの大きな私は成果を誇り得たのだろう、こう思うんです。 しかし、一方においては、これだけの評価を誇りながら、社会においては何か今の教育がおかしいではないかという声は、これはどこにも聞かれることです。これは私どもの党だけではなくて、穐山さんの政党も、すべての政党がやはり教育は何かこれはおかしなところがあるのではないか、教育についてもう少し抜本的に見直さなきゃならぬのではないかというお声は各党みんなにあるわけです。しかし、教育の論議をしようといたしますと、必ずここで政治的な論議というものにすりかわってくる可能性がある。それはなぜかというと、戦前回帰、あるいはどうも昔の復古主義といいましょうか、昔の国のようにするのではないか、このおそれというものが常に出てくる。 そこで、今度の法案をお願いするために、官房長官が今申し上げましたように、憲法、教育基本法の精神を大事にしようではないか、このことをまずはっきりと臨時教育審議会に期待もし、そして教育基本法の精神の中で教育改革をやるのですと、これを国民の前に明らかにして、そして教育改革の論議になると必ず昔の政治の体制あるいは昔の教育の体制に返るのではないかという危惧はまずひとつこのことによって担保していただいて、そして本当に教育の諸制度全体に対して論議を深めていただきたい、こういう考え方で政府はお願いをいたしておるわけでございます。 三十一年当時は、それなりに時代のそういう環境というものがあったのだろうと思いますが、今日、今お願いを申し上げておりますのはあくまでも、また先生におしかりをいただくかもしれませんが、将来の日本の国が対応していかなきゃならぬのは何だろう。それには、先ほどから経企庁や郵政省や厚生省がいろんな角度からそういう社会の変化の要因を申し上げ、それについて、さあ教育もそれについて考えていかなきゃならぬぞ、それについては文部省はこうするのだ、文部大臣がこうするのだということは、これは教育の今日までの戦後のあり方から見て、総理大臣や私が申し上げるということは越権であって、幅広い多くの国民の中からこうした御議論をぜひ通していただきたい。こういうことが今度の審議会のお願いでございまして、感想からやや外れてしまいまして恐縮でございますが、当時の三十一年の感想も含めて、今のこの時代は全く新しい将来の方向を見据えて教育論議をしていくというのが大変大事な時期ではないだろうか、私はこんなふうに感想として持っておるわけでございます。
○穐山篤君 昭和三十一年、この臨時教育制度審議会設置法案が提案されたときにも、今日と同じように憲法及び教育基本法は厳然としてあったわけです。にもかかわらず、この設置法の審議の中で、実は教育基本法の改正が含まれているんです、こういうふうに言われたために、良識派と言われる参議院の審議を通して未了、廃案になっているわけです。その当時も今日も、少なくとも教育の基本というのは憲法及び教育基本法がそのスタートになっているわけです。私は、その意味で教育基本法の問題は後ほど俎上にいたしますけれども、今、官房長官がいみじくも指摘をしたように、中曽根総理は誤解を受けている、こう言われているわけですが、私は誤解でないというのを具体的に以下申し上げておきたいと思う。総理の本会議におきます答弁と森文部大臣の答弁というものを、一応問題にしたいと思う。 総理は、本会議では、具体的にこういう角度で諮問をする、諮問の基本的な考え方はここだということは余り示さなかった、あるいは衆議院の議事録を見ましても少しも触れていない。何を言われたかといいますと、教育改革七つの構想は個人的希望であります、審議会での課題は審議会の考え方にお任せをいたします。任せると言いながら七つの構想というものをある意味ではテーブルの上に乗せている、こういう感じを私は受けたわけです。 それから文部大臣の答弁は、小野委員からの質問で、総理と文部大臣の間に意見の食い違いがあるじゃないか、こう指摘をされましたが、文部大臣は「総理と私の間に意見の違いはございません。」というふうに締めくくりましたが、その前提が問題なんです。その前提は、これは文部大臣の答弁です。総理の七つの構想、教育と文化の懇談会の提言などを審議の参考にしてほしいと望みますというふうに、文化懇の提言が一つ材料がふえたわけです。これは大変な意味の違いであります。 それからもう一つ、衆議院の答弁で総理大臣は、私の表現が適切かどうかは記録を見てもらいたいんですが、教育基本法についての総理の考え方が述べられました。尊重しなければならぬ、憲法と一体のものだ、こう言われましたが、その落ちが悪いんです。教育基本法の解釈は私の解釈でいくのだ、こういう意味合いの答弁が記録で残っているわけです。私は、そこに非常に疑問を持ち、あるいは不安を感じたわけであります。一つは構想、一つは文化懇の提言という、この二つのものを参考にしてほしい。しかし、これは個人的意見だと言いましたが、もう既に臨教審のテーブルの上にのせようとしている意思が十分に働いているわけです。 そこで、文部大臣、文化懇の提言などをと、こう言われましたから、文化懇の提言を私も読んでみました。いいことも部分的には書かれています。しかし、この人たちのスタンスはどこにあるかといいますと、いみじくも総論のところに実はまとめられているわけです。教育基本法にかかわらず私どもは審議をいたしましたというふうにスタンスがはっきりしているわけです。臨教審は、提案理由の中で「教育基本法の精神にのっとり、」というふうにきちっと原則、これを固めているわけです。ところが、文化懇の提言の立場は、教育基本法には一切こだわりなく審議をいたしました、審議の結果を答申します、こうなっているわけであります。部分的にいいところもあるんです。しかし、それでは教育基本法にのっとりという精神は全く無視されたものをテーブルの上に上げようとするわけですから、これは大変な考え違いだと思う。とりあえず、その点についての文部大臣の見解はどうでしょうか。
○国務大臣(森喜朗君) 先般、総理の私的諮問機関としての文化と教育に関する懇談会の報告、これは私も大変興味深く拝見をいたしました。これは総理の私的諮問機関で、予算委員会でもこのことについては議論があったようでございますが、総理はそれぞれの委員の方々から直接いろんな御意見を私的に伺う、そのことを便宜的に懇談会としてまとめて御議論いただいて、その報告を整理されたものを総理として受けられた、このように私どもは理解をいたしておりまして、したがってそのこと自体は政府を拘束するものではございませんし、また臨時教育審議会に文化懇の考え方をベースにする、こういうことの関係は全くないわけでございます。私も予算委員会で御答弁を申し上げたような記憶もいたしておりますが、この文化懇など、いろんな多くのさまざまな意見が教育に対して寄せられている、このことについては大変やはり貴重なものもあるわけでございますから、そうしたものを参考にされるであろう、そういうふうに私は申し上げておるわけであります。 しかし、そうしたことを新しい機関が参考にされるかどうかということは、これは審議会自身がお考えになることであるというふうにも私は明言をいたしておるわけであります。しかし、教育に関して幅広くいろんな角度から御議論をいただいている。特に、文化懇の御議論をいただいた、おまとめになったことなどは、必ずしもその審議は教育基本法と間違った方向のものを出しているというふうには私は読んだ感じとしては受けとめてはおりません。しかしながら、これらは、各方面のいろんな大事な意見というのはあるわけでありますから、これも一つの重要な参考の資料とされるということは私は期待してもいいのではないか。 しかし、もう一度申し上げますが、そのことは臨教審があくまでも、そのことを必ずしも採用されるかどうか、あるいは参考とされるかどうか、これは審議会の皆さんが御議論をなさることであろう、こういうふうに私は申し上げているわけでございます。審議会は、したがって、先ほども穐山さんの御質問にもございました際に申し上げたように、そうしたいろんなおそれ、あるいは過去の日本の歩みの中から、あるいは教育論議の中から、かなりそうしたことが政治的な論議を呼ぶわけでございますから、憲法や教育基本法の精神を大事にして教育改革をしたい。そしてまた、この臨時教育審議会で御審議をいただく諸先生方にはぜひ教育基本法というものを大事にした考え方で論議をしていただきたい、こういうことを私も期待を申し上げているわけでございます。 〔委員長退席、理事坂野重信君着席〕
○穐山篤君 事の手順として、政府は臨教審にこういう程度のものを諮問したい、これが一つあって、その上に七つの構想なり何とかの提言というものも、これは個人的な意見だけれども参考にしてもらっても結構ですよ、こうくるなら、中身の当否は別にして、手順として私は了解できるんです。この臨教審の設置の目的も抽象論の域を出ないんです。皆さんの答弁というのは、人格主義であるとか国際化であるとかというふうな抽象の域を出ないんです。そして、具体的な諮問の基準といいますか、原則というものが明らかにされていないんです。しかし、これは参考にしなさい、これは世間では余り通用しない手法なんです。 私が先ほど昭和三十一年の設置法のことをあえて申し上げたのは、現在も隠しているわけじゃないと思います。しかし、昭和三十一年のこの臨時教育制度審議会設置のときにぎゅうぎゅう詰められて諮問をする方向というのが明らかになって、それが原因で廃案になっているという歴史があるんです。だから、私どもとするならば、教育が非常に荒廃をしている、改革をしなければならぬというのは我々もそう思います。あるいは教育現場の人もみんなそう思っていると思うんです。 しかし、明らかにされていないのは、何を諮問をするのか、昭和三十一年のときのような間違いはないだろうなという心配を持つのは、これはごく普通ですよ。過去そういう過ちがなくて納得できるような方法で法案が成立しているならば、だれもその危惧を持つ人はいないんです。過去、汚点を一つ抱えているわけです。それだけに、文部省なり政府は、積極的に臨教審に臨む態度というものを明確にしていく責務があると思う。そのうちの一つが、私は何を諮問するんですかということを聞いているわけです。自由濶達に二十五人の先生が議論をしてくれ、これはいいです。これは大いにやってもらえばいいのだけれども、何を政府は期待をして、何を諮問するのか、何にも書かれていないんです。それでわかりましたというふうに国会は了承できますか。その点をもう一度、なぜ諮問事項を明らかにできないのか、しないのか、やらないのか、明らかにしてもらいたい。
○国務大臣(森喜朗君) たびたび申し上げておるのでありますが、教育の諸制度全般に対して広く御論議をいただきたい、これがお願いをいたしたい希望の第一でございます。しかし、穐山さんが今御指摘がございましたように、もっと具体的に何を指摘するのか、このことを明らかにしろということでございますが、総理や文部大臣がそのことをこのような形でこういうものをやれと言うことは、かえってこれは教育の議論からいうとなじまない。逆に言えばこのことは越権行為になる、私どもはむしろそう考えているのです。しかし、じゃ何をやるのかということについては、これは最終的に国会の御論議を明確にさせていただいて、そして国会で各先生方がいろんな御論議を衆参両方いただいているわけでございますので、そうしたことを踏まえて総理が改めて諮問を明らかにしなければなりませんが、今予測いたしますところでは、これは包括的な基本的なことをお願いをするということになろうかというふうに考えております。 ただ、先生がたびたび御指摘をされますように、そのことが三十一年当時のようにとんでもない方向に行ってしまうということのおそれもあるということでございますから、法律上今枠組みを決める、いわゆる臨時教育審議会という入れ物をお願いする、その中の大きな前提として憲法や教育基本法を大事にしっかり守っていきたい、そしてそのことも論議を通じまして、総理も私もたびたびそのことは明言を申し上げて、そしてまた審議会の委員の皆さんにもぜひそのことをしっかり大事にして御議論をしていただきたいという期待を、しなさいということを私も申し上げるのはこれは越権でありますから、期待を申し上げている、こういう表現をいたしておるわけでありまして、こういうふうにして、いろいろ先生が御心配をなさるようなことにつきましては十分に担保してあるというふうに私は思うんです。したがって、あとは何をどう変えるのかというようなことを総理や私どもから申し上げることはかえって越権であって、そのことも御専門の皆さんや、幅広くいろんな識見を持たれる方や、産業界や、労働界や、雇用の関係やら、いろんなことなどを十分踏まえた幅広い中からお選びいただく方々に諸制度全般に対して御論議をしていただくということが私どもの願いでございます。 したがって、委員の皆さんがいろいろ議論をした結果、変える必要はないよということになるのかもしれません。そんな極端なことはあり得ないと思いますけれども、そのことを総理や私どもから初めからこういうふうに変えたい、こういうことをこういうふうに直せという、そういう事柄のものではない。私どもは、そういうふうに教育というものはあくまでも国民のすそ野から論議を積み上げてこなきゃならぬものである、こういうふうに考えているわけです。今、先生から御指摘ありましたように、ただ自由濶達に論議をしろ、こう申し上げているのではなくて、先ほど先生も各省から聴取をなさいましたように、将来の日本の環境というのはこうあるだろう、社会の変化というものはこのようにいくだろう、そういう諸制度に対応でき得るような教育としての全体的な制度をぜひ御論議をいただきたい、こういうふうに申し上げているわけでございまして、それ以上具体的なことを総理が諮問するということは、どうも私は教育上あるいは臨時教育審議会というこの性格上なじまないのではないか、むしろそのように考えているわけでございますので、ぜひその点は御理解をいただきたい、こう思う次第でございます。
○穐山篤君 総理にしろ、文部大臣が個人的に懇談会をつくって濶達にひとつ自由に議論をして、おれのところに参考の意見を持ってこい、これなら私は結構だと思う。しかし、国民の税金を使って、二十一世紀を担う青少年の教育というものを対象にするわけです。 そこで、今、文部大臣が先走りしましたけれども、私は諮問の事項の中にこうしろとかああしろということを入れてくれとは頼んでいないんです。また、それは言うべきじゃないと思う。例えば、いうところの六・三・三・四の学制の問題についてとか、あるいは教科書のあり方についてとか、あるいは高度情報化社会に照らして教材のあり方についてとか、何か方向があってしかるべきだ。物を頼むわけでしょう。物を頼むときに何でもいいから議論してくれという頼み方はないですよ。それはない。この諮問の事項を明らかにしてもらわなければ、絶対にこの審議は進まないんです。 私は、細かいことを聞いているわけじゃないんです。大筋こういうことについて、こういう問題について審議会で自由濶達に議論をしてほしい、その方向、大綱、それが国民の前に明示されないで、何でも結構ですから自由濶達に討論してくださいでは無責任です。これは個人の懇談会ならいいです。これは権威ある設置法であります。税金もこの中には使われるわけです。私は、法律に書かなくても結構です。委員会の中で、この中で審議をしたい、こういう方向をお願いをしたい。これは国会のみならず国民全体あるいは教育現場の人や父母も何を審議してくれるのだろうか、これは当たり前の疑問です。この点、もう一遍明らかにしてください。 〔理事坂野重信君退席、委員長着席〕
○国務大臣(森喜朗君) ですから、申し上げておりますように、二十一世紀を担っていくであろうその青少年がどのような教育を受けるであろうか。それは、社会がいろんな形で変化をしてまいります。文化というものもどんどん変わってまいります。ですから、それに対応し得る教育制度というものを全体的にぜひお考えをいただきたい。その中の細かなことについては、今、先生がちょっと例を御質問の中に指摘されました。例えば当然そのようなことも含まれるかもしれません。しかし、今の段階で教科書をとか、六・三・三・四制をどうするとかいうことを申し上げることではなくて、そのことを全体的に包括して諸制度全体をぜひ、各行政の各部との関連もあるので、どういう教育制度がいいのだろうかという御論議をしてくださいということで、その目的はそれで明確に私はいたしておると思うんです。 ただ、諮問についてはこれからの段階ですから、これは国会の論議を終えてからということになると思うんです。当然、総理がお考えいただくわけでありますが、総理は国会の衆参を通じての各先生方のいろんな御議論を十分に参考にされて、その論議の集積を待って、そしてその中で諮問の内容というものをお考えになるであろう、このように申し上げているわけでございまして、今具体的にこういう方向のものをということを申し上げるということはかえって越権でございますので、幅広く教育の諸制度全般に対してと、こう申し上げているわけでございますので、これは私は全く明確にしていないということには当たらないのだろうというふうに思うんです。 ただ、確かに諮問についてどうだということをお尋ねいただきますと、これは総理にお考えをいただくことでございますので、たびたび申し上げておりますように、国会の論議を十分に参考にしなきゃならぬ。したがいまして、国会の御意思の判断を得てから総理はお考えになる、そして国民の前に明確になさるということではないでしょうか。
○穐山篤君 繰り返しになりますけれども、これは国民全体が教育改革についてみんな関心を持っているんです。みんな関心を持っている。したがって、この臨教審なり、それから久保さん提案の国民教育審議会の方でも何を諮問してくれるのだろうか。二十五人の先生方は何を材料にして審議してくれるのだろうか。私たちの希望に沿った議論を、材料を取り上げてくれるのでしょうか。中身がいい悪いの議論の前に、何を政府は二十五人の委員にお尋ねになるのでしょうか。これは日本じゅうの人がみんなそういう考え方ていると思うんです。 総理の本会議の答弁によりますと、総合的な人間教育、教育の国際化、人間主義、人格主義の観点から検討することを望む。この一つ一つの、例えば人間教育とか教育の国際化、なかなか見事なものです。そういうものを常に念頭に入れながら、教育基本法を頭の中に入れながら審議会としてはこういう問題をひとつ自由濶達に議論してください、こういう問題について審議をして御意見をいただきたい、こうならなければおかしいですよ。 そこで、官房長官、用事がおありのようですから、一つだけお答えをいただいてお引き取りいただきたいんですが、今度の第二臨調、大平総理、鈴木総理、中曽根総理大臣、あのときの議事録もずっともう一遍私も点検をしてみました。提案理由のあったときには、高度成長で肥大化した行政機構というものを減量化を図って小さい政府にぜひしてほしい、こういう希望が述べられて、あとはひとつ行政の効率化、公平化に向かって審議してください、なかなか表向きは立派でした。ところが、臨調が発足しますと、少し本会議答弁や委員会の審議とは違った現象が起きました。すべての新聞が国鉄の労使、赤字問題を徹底的に取り上げて、それ見ろ行政改革、こういうふうに残念ながら短絡した歴史があるわけです。中曽根さんが行管庁長官であったわけですが、答申を見てみんな日本じゅうの人はびっくりしているわけです。行政の問題も指摘をされました。しかし、政策の問題にまでくちばしを入れてくれというふうに頼んだわけではないけれども、答申にはちゃんと政策の問題まで介入をしています。自由濶達にやってくれということだから多分やったと思うんです。そういう間違いを二度も三度も起こさないようにするためには、こういう問題をひとつ審議をしてください、こういう筋道を立てるのが私は一番大切だと思うんです。官房長官、その点どうでしょうか。
○国務大臣(藤波孝生君) 設置法の法律の中に、「第一条 社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現の緊要性にかんがみ、教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図ることにより、同法に規定する教育の目的の達成に資するため、総理府に、臨時教育審議会を置く。」、「第二条 審議会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、教育及びこれに関連する分野に係る諸施策に関し、広く、かつ、総合的に検討を加え、必要な改革を図るための方策に関する基本的事項について調査審議する。」、こういうふうに書かれておりますが、こういう気持ちで諮問をしまして、そして審議会においていろいろ御検討をいただく、そして審議会としてのいろんな意見をお取りまとめ願うという作業を三年間にわたってお願いしたい、これが審議会に臨む政府の考え方でございます。 きちっと具体的に細かく、大体こういうふうに教育を持っていきたい、教育というのはこうあるべきだ、それから見ると今の教育界というのはこういうところはこういう問題があり、こういうところはこういう問題があると思うが、こういうふうな幾つかの問題点についてぜひ二十五人以内の委員の方の御意見を伺わせていただきたいと聞く聞き方もあると思うんです。これも確かに方法としてはあると思いますが、文部大臣がお答えになっておりますように、諮問は極めて包括的かつ基本的に、教育基本法の精神にのっとって教育をさらによりよくしてまいりますために、特に将来二十一世紀に向かって進む日本の国が、二十一世紀の担い手となる青少年の教育をどのように進めていったらいいでしょうか、お気づきのところをぜひひとつどんどんとお出しいただいて改革についての建設的な御意見をいただきたい、こういう姿勢で政府は審議会に臨もう、こう考えておるわけでございます。 それじゃ、具体的に何にも提示しないでどうやって会を進めていくのかということは、これまた文部大臣からお答えになっておりますように、審議会御自身のいろいろ御検討の結果、審議会の会長さんを中心にいたしましていろいろ御討議をいただいて、こういう問題が特に大事だと思うから先にまず論議しようよ、その次にはこういう問題がやっぱりどうしても大切だと思うから、ひとつみんなで集中的に意見を述べてみようかというような話になるんでしょうか。 それから文部大臣の御意見を聞いて総理大臣が任命する専門委員の制度を法律の中に設けさせていただいておりますが、これなどは二十五人以内の委員の方とは別途に特に学識経験豊かな、教育の問題について御造詣の深いいろんな方々に御就任いただけばいい、文部大臣もそんなふうにお考えになっておられると思いますが、そういった方々も積極的に参与されて、そして基本的、包括的な総理大臣の諮問に対して審議会が答えていくために、特にこういう点がまだ残っているよ、こういう点を特にもっと突っ込んだらどうですかというような、いろんなそういうお話もありましょうし、これは特別なことがそこで起こるのでなく、ごく一般的、常識的にそんなふうな段取りで審議会の御論議が進んでいくことになれば非常にありがたいのではないだろうか。 時期時期に取りまとめられて、今こんなふうに論議が進んでおりますというようなことが外に出ますと、国民の皆さん方もその問題についていろんな反応もお示しになるでございましょうし、そして同時に、国会でも引き続き文教委員会などを中心にいたしましていろんな御論議もございましょうし、そういういわば、何か言葉は大げさでございますけれども、最も大事な教育の問題について、国を挙げて各方面でいろんな教育論議が高まって、その中でこの審議会の御意見というのが非常に大事に論議が重ねられ深められていきますと非常に国にとって大きな意味になるのではありますまいか、こんなふうに考えておる次第でございます。 総理大臣がこんなふうに教育を考えている、こういう方向に持っていきたいなどということを申し上げて、その方向についての御論議をいただくというようなことは極めて僣越なことであって、二十五人以内の方々にひとつ十分御論議をいただこうということを心の底から考えて審議会に臨もうとしておるのでございまして、ここまで参りますと、これは信頼関係でございまして、ぜひひとつ御信頼をいただきまして、立派な二十五人以内の委員の方々にお願いを申し上げて論議が深められていくようにぜひお願いをしたい、こんなふうに思っておりますので、どうぞ御理解をいただきますようにお願いをいたします。
○穐山篤君 私は繰り返し言っているわけですが、過去、常識的に問題が処理されていれば、言いかえてみれば皆さんと我々との間に信頼関係があれば別段難しい議論をしなくてもいいと思うんです。しかし、ほかの問題はともかくとしても、教育問題については過ちを過去犯しているんです。その過ちはまだ我々の記憶の中に残っているんです。これが二十一世紀になってしまえば過去の歴史的事実として葬られるかもしらぬけれども、少なくとも我々の目の黒いうちは過去の汚点は忘れることはできないんです。それも憲法を大事にします、教育基本法にのっとりますと、こう言っておきながら三十一年の諮問では、教育基本法の改正を期待します、これが諮問の中身なんです。それも審議をしている過程でわかった話なんです。その危惧が合ないとも言えないし、それは教育に携わる、関連をする人たちの一番大きな危惧です。 それと同時に、父兄だとか、あるいは教育の現場の人たちだとか、一般の方々は、この臨教審でどういうものを議論してくれるのだろうか、現在の教育の荒廃の状況をどう分析してくれるのだろうか、これはみんな注目しているわけです。その立場からいえば、おこがましいという話があったけれども、これは政府の責任ですよ。ああしろこうしろでなくて、こういう問題を十分幅広く審議してくださいと、これが何で頼めないんですか。物を頼むのに、どういうものを頼むかという中身がわからないで頼めるわけはないですよ。世間では通用しません。何でもいいから、理屈なしに百万円貸してくれというような話と違うんです。私は細かいことを言っているわけじゃないんです。大筋について、最終的に細かい話を詰めるんでしょうけれども、こういうことを考えています、こういうことを諮問したいという例示をひとつ出してもらいたい。
○国務大臣(森喜朗君) たびたびでまたおしかりをいただくかもしれませんが、教育の諸制度全般にわたってというふうに申し上げておるわけでありまして、今あえてその中で何かと問われれば、いろんな角度のことはある程度指摘はできると思うんです。そういうふうに申し上げますと、恐らくこちらの方にマスコミの関係者もいらっしゃいます。私が六・三・三・四制もぜひ検討に加えてもらいたい、こういうふうに申し上げれば、これは政府は六・三制を変えるのかというふうになってしまうんです。 例えば、他省庁との関係で何があるかといえば幼保の問題がございます。やはり幼稚園と保育所というのは、それぞれ性格も機能も違うけれども受ける立場から見れば同じなんで、幼保の問題も一つの課題として考えられますと、予算委員会で御答弁申し上げました。それで、新聞には幼保の一元化という話がどんどん走ってまいります。そして、保育団体の皆さんは、これは絶対反対だということで私どものところへどんどん意見を持ってこられます。 それはそれでいいと思うんです。国民にそういう議論が出てくることは、それはそれなりに私は評価をいたします。ただ、そのことだけだというふうにとられてしまうおそれがあります。教育というのは、高等教育もございますし、義務教育もございますし、中等教育もございます。あるいは学校教育もございますし、社会教育もありますし、また家庭教育もございます。先生に今さらそんなことを御無礼に申し上げる必要ありません。 ですから、大変幅の広いものでございますし、制度を一つ一つ何か挙げろといえばこれはたくさんございますが、過去の衆議院の御質疑、あるいは予算委員会、参議院も含めまして、具体的に高等教育についてどう考えるかとか、あるいは入学期とか入学試験、選抜はどう考えるかということについては、今日まで私は、総理もそうでございましたが、あくまでもこれはそのことを審議会にお願いするという、そういう私どもは拘束した考え方を持つということは審議会の皆さんに御迷惑になるというふうに、そういう立場に私たちは常に立って、私的な考え方でありますが、例えば入学期の制度についてはこう考えるのも一つの検討方法だろう、こんなことも御論議をいただければ大変ありがたいがなという、そういう希望や期待感で申し上げた例は何回かございます。 しかし、今ここで諸制度全体ということになって、そしてここでこのようなことをというふうに申し上げると、そのことだけが全くひとり歩きしてしまうということになってしまうわけでございます。したがいまして、教育の諸制度全般にわたって、こういうふうにあえて申し上げ、そのことが先生から見るとこれは無礼じゃないか、もっとそんなことは具体的に細かなことを挙げるべきではないかという御意見が一つある。 それからもう一つの先生の御心配の点は、前もそうだったけれども、結果的に、最終的に問い詰めていったら教育基本法の改正というふうになったではないか、そういう過去の反省があるのだということでございますから、「教育基本法の精神にのっとり、」と法律に明記をして、国会答弁においても教育基本法は変えません、また改正するそういう教育改革ではございませんし、審議会の皆さんにこのことを期待をいたしております、こういうふうに国会論議で、少なくともこの神聖なる国会の場でこれだけ申し上げておって、それが危ないのだ、それが信用ならないのだ、こう言われますと、それ以上どうしたらいいのか、どう申し上げていいかということになるわけでございまして、そこは国会で、これだけの国権の最高機関で担保しておることでございますので、どうぞその中身を申し上げないことがむしろこの論議を本当に審議会の先生方御自身にお決めいただくという、私はそういう意味で独自性といいましょうか、主体性といいましょうか、そういうことをむしろたっとぶといいましょうか、尊重するという政府の姿勢をぜひそこで理解していただきたい、こう思うわけでございます。
○穐山篤君 私は、教育改革の視点とその諮問の質問の一番最初に国民の声あるいは新聞の論調というものを読み上げたんです。世間の人たちは、今私が申し上げているような疑問をみんなが持っている。それを新聞の社説は、審議を通じて教育改革の方向や財政的な裏づけなどはっきりさせることを要望してきたけれども、衆議院の審議ではこれらが十分に触れられていない、参議院では臨教審の具体的な目的をはっきりしてくれ、これは日本国じゅう、全体の意見です。今お話のあった具体的なことは、臨教審で大いに議論をすればいいことなんです。しかし、教育改革の具体的な内容は臨教審それ自体に審議をゆだねて自由濶達にやりゃいいと思うんですが、何を改革するのかという審議の目的まで臨教審に任せてよいだろうか、これも世間一般の人の疑問です。 私は、だから教育基本法の改正を、見直しを議題にしてくれなんということはないと思う。そんなことはないと思うんです。しかし、二十一世紀というものをやや客観的に見て、人口の流動の状況なりあるいは社会、文化、技術の発展の状況、こういうものを見ると、これから十七年以後の二十一世紀を展望して、教育というものについてひとつ明かりをつけてほしい、こういう分野で議論をしてほしい、これは当然のことです。なぜ、その諮問の原則といいますか、大綱が言えないんですか。私は繰り返し言っておりますけれども、過去汚点があるから特に私はこの点譲らないんです。諮問の大綱がわからないで諮問をするなんというばかげた話はないです。これは絶対に譲れないんです。衆議院は衆議院なりに議論しましたが、参議院までも物笑いになるような審議は絶対に私は嫌です。ぜひ、ひとつ答えてください。
○国務大臣(森喜朗君) 私は言えないと申し上げているのじゃないんです。諸制度全般にわたりまして、各行政諸部にかかわり合いがございます諸制度全体について御論議をいただきたい、こういうふうに申し上げております。具体的な諮問の事項については、国会の論議を踏まえて、国会での御意思をいただいてから総理はお考えになるでしょう。それを申し上げておくと、それだけじゃ無責任だ、こうおっしゃいますから、私の予測としては基本的、包括的なことになるのではないか、このように申し上げているわけでございまして、決して言えないとか言わないということを申し上げているのじゃないんです。 ただ、教育全体、先生はちょっと例をさっき申し上げられましたですね、六・三制とか。諸制度全般になりますと大変大きい事項になります。それをここで私が一つだけ特記してこういうこともと言うことはかえって越権ではないでしょうか、こう申し上げているわけでございまして、このことについては私は衆議院でも御了承もいただいてきたつもりでございまして、決して言わないとか言えないということを申し上げているのではございません。非常に幅広く、また繰り返しになっておしかりをいただくかもしれませんが、学校、家庭、社会というふうに大きく分けてもございますし、学校教育制度の中だっていろいろと複雑にたくさんのものが絡まり合っているわけでございますから、特定のことだけを申し上げてこのようなことを改革をということは今申し上げることはかえって失礼ではないだろうか、こういうふうに申し上げておるわけでございますので、そこはなぜ言わないのだ、なぜ言えないのだというふうにおとりをいただくと大変私どもも困るわけでございます。 諸制度全般にわたってと、こう明確に申し上げているわけですので、それでも具体的に何か言えということであれば、それは私は私的な立場といいましょうか、政治家としての立場でこういうことも検討してもらいたいなということをここで申し上げることは、それはやぶさかではございません。しかし、そのことが、あたかも政府がこのことを今議論をしてくれ、このことを改革してくれというふうに問うておるというふうにひとり歩きするということは、かえって教育というものの中立性の立場から考えましても適当なことではないのではないかというふうに申し上げておるわけであります。
○穐山篤君 繰り返しになりますが、二十五人の審議会の委員の人たちが教育制度全般についていろいろ議論して、政府が気がついていないような問題も議論するかもしらぬ、あるいは提言があるかもしらぬ。それは、またあっていいと思うんです。しかし、政府が二十一世紀に責任を持つ、あるいはこの法律の制定を通して国会が将来を担保するということになれば、細かいことは私は別ですよ、これはあっちにしろ、こっちにしろという意味じゃなくて、ひとつこういう枠組みについて審議してほしい、しかしそれ以外に、もし先生方議論があって提言があるならば出してください、これが物を諮問する態度じゃないですか。 これは私だけの疑問じゃないと思うんです。一斉に各紙とも、国民の疑問、不安、要望、期待というものがこういうものに具体的に出ているわけです。だから、私は細かいことを言わないし、また心配をされるひとり歩きということについても自分でも幾つか経験がありますから、その点は慎重に配慮したいと思うけれども、少なくとも枠組みぐらいは明示をしてもらわぬと。この私の質問に答えてくれないとするなら、これは臨教審を設立する目的まではっきりしなくなっちゃう。いかがですか。繰り返しですけれども、これは一番重要な問題です。
○国務大臣(森喜朗君) たびたびで恐縮でございますが、ですから私は申し上げておりますように、教育の諸制度全般に対しましてぜひ論議をしていただきたい。ただし、今、先生が、例えばこんなこととこんなことなども含めて、もちろんそのほかにもいっぱいあるだろうからそのことも含めて諮問の枠ぐらいを示したらどうか、こういうことでございますから、これも先ほどから申し上げておりますように、このことについては総理が諮問をいたします。その諮問の枠組みという、先生が枠組みとおっしゃいましたが、私は諮問の中身というふうに申し上げていいかと思いますが、そのことは国会の衆議院、参議院の論議というものを大切にしなければなりません。そして、国会で御論議をいただいて、国会での御意思をいただいて、初めて総理がその諮問の内容をつくり上げるのではないでしょうか。(「たたき台を出さなきゃおかしい」と呼ぶ者あり)しかし、国会でのたたき台、今、矢田部先生のおひとり言に答えて恐縮でございますが、中身についてはということについては、これまで具体的にいろんな論議や御質問の中で文部省としての考え方や、あるいは私個人としてというふうに改めて念を押して申し上げたりしてきているわけであります。 ですから、諸制度の中に、そこまで今、穐山さんがおっしゃるとするならば、そのことをこれから私は当然総理にも御相談申し上げ、御報告申し上げなきゃならぬことでありますから、例えば六・三・三・四制の柔軟な改定といいましょうか、なども含めてとか、あるいはゼロ歳から生涯にわたる教育諸制度全般に対してというふうに、もっとこれはアバウトになっちゃうかもしれませんが、もうちょっと細かく言えば、子供の就学年齢から卒業する段階、あるいは義務教育を終える年齢、そういうことなども含めて教育諸制度についてというふうなそういうまとめ方にされるのは、これは私が今申し上げられることではないのじゃないでしょうか。 ですから、先生方の御意見を私は一生懸命伺っておりますし、これは当然国会の速記の中でこうして残っているわけでありますから、そのことの、議論を踏まえて総理が改めておつくりを申し上げるということでございまして、じゃ何をやるのだということについては、先ほどから申し上げておりますように、いわゆる将来に向けての社会の変化に対応でき得るような柔軟な幾つかの教育行政の諸制度全体をひとつお考えをいただく。これを申し上げて御理解をいただけない、それ以上具体的なことを申し上げろということについても、これは私はそのことはかえって御無礼になるのじゃないでしょうか。逆に、そのことを具体的に申し上げた方がかえって先生からおしかりをいただく面が出てくるのじゃないかというふうに感ずるんですが、その辺についてぜひ御理解をいただきたい、こう思うわけであります。
○穐山篤君 だから、私は言っているんです。政府から諮問がない事項でも審議会は自由濶達に議論をしてください、そして幅広く審査をして、調査をして提言をしてください。結果として政府が諮問をしない事項あるいは気がつかない事項も多分提言として出てくるでよう。あるいは意見として出てくるでしょう。これは当然のことだと思うのです、審議会というのは。あと二週間ほどで国会が終わることになります。皆さん方の手順からいえば、今国会中に二十五人を発令して審議会を設置して、そこで総理が諮問をする。二週間後に審議会に諮問をする中身が言えて、国会にはなぜ言えないのですか。国会の軽視も私は甚だしいと思う。これは私だけじゃないです、自民党の皆さん方もみんななるほどと、こういうふうに言っています。先日、林先生の質問の中にもそういうものが含まれていたんです。これは委員長、とにかく相談してください、委員会の意思として。
○委員長(高平公友君) それは、あなた今質問して論議しておるものを、委員長と言ったって。質問してください。
○穐山篤君 いや、出せないと言うから。出せないと言うんです。
○委員長(高平公友君) 今どういう答えになるのか質問してください。
○穐山篤君 今、我々国会は、どういうことを諮問するのか、二週間後には総理が諮問のテーマを出すわけです。なぜ国会に示すことができないんですか。これは国民世論も何を審議してくれるのだろうか、我々の心配や荒廃した教育の現状をどうやって審議してくれるのだろうかと大いに期待をしているわけです。中身が全く明らかにされない諮問なんという話は今まで聞いたことがないです。私は、委員長が御意見あるようですけれども、参議院は少なくとも良識の院と言われているわけです。世間様がよくわかるような審議の仕方をしなければおかしいです。もう一遍答弁してください。二週間後には諮問はわかるんでしょう。それは委員会の審議を十分踏まえてということはあります。ありますけれども、おおむねこういうことを頭の中に考えている、その点が明示されないでこの臨教審の法案の審議が終わるというようなことがあったら参議院としてはみっともないです、そんなのは。全然、科学的じゃないですよ。もう一度答弁を要求します。
○国務大臣(森喜朗君) 二週間後に諮問を申し上げるというようなことなども今は全く、もちろん一日も早い御審議をちょうだいして、ぜひ御理解をいただきたい、こう私どもは願ってはおります。その国会の御意思をいただいてから人選の仕事もしていかなければなりません。当然に国会にお願いをしなければならぬことも幾つか出てまいります。したがいまして、私どもとしては全く今の段階で、総理が諮問されることを今ここで決めてあること自体がかえってこれは越権じゃないでしょうか。むしろ、国会の論議を十分に深めて、その御意見をちょうだいして、そして先ほど先生がたまたまちょっと例で申し上げられたこういうこととこういうことなどを踏まえて諸制度と、こうおっしゃった。そのこういうこととこういうことということを何を出すか、仮にそういう形をとるとするならば。それもやっぱり一番多く論議が出てきておったことを取り上げてやるべきじゃないでしょうか、具体的に。ですから、そのことを、私は今の立場から大綱を示すということはかえってこれは国会に対して御迷惑になることであろう。 ただ、それじゃ何かということになりますから、先ほどからたびたび申し上げておりますように、教育の諸制度全般にわたって御議論をちょうだいしたい、そのことについて改革をぜひ進めていきたい、こういうふうにお願いをいたしているわけでございまして、そのことについてそう御理解をいただきたい、こう申し上げるしかないわけでありまして、それを具体的にこういうことか、こういうことか言えよということであれば、それは言えないことではないと思います。しかし、それはあくまでも文部大臣個人の考え方を示すにしかならないのじゃないでしょうか。そのことを政府がこういうことについて変えろということには私はならないだろう、こう思うんです。 今は、教育論議を国民も見ておるが、教育改革の論議をここはしておるのではないと私は思うんです。教育改革の御論議を国民の代表の皆さんがいろんな形でこれからしていただくその審議会の設置、その枠組みといいましょうか、その舞台を今、国会でお願いをしておる。しかし、さはさりながら、全く教育のことについて触れないというわけにはいかないでしょうから、いろいろ具体的な御質問に対しては文部省としてはこう考えますとか、あるいは私は個人としてはこのようなことを希望しますとか、期待しますということの御議論は申し上げてきているわけでありまして、今はそういう意味で審議会に諮問をするそのことなども含める一つの材料といいましょうか、参考というのは、この審議会の設置の法案の御論議というのは非常に大事であって、その御論議の帰着といいましょうか、その経過も総理は十分聞いて、それをもとに諮問の内容を決めるというのが私はやっぱり正しいあり方だろう、こう思うんです。
○穐山篤君 答弁になっていないですよ。理事会でよく相談してもらいたい。
○委員長(高平公友君) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(高平公友君) 速記を起こして。
○国務大臣(森喜朗君) 今、委員長御指摘なさいましたが、総理があえてこういうような形で教育の改革の一つの視点みたいなことは申し上げた。これは、さっき穐山さん自身も例として取り上げられました。国際主義とか人間主義、こういうような考え方でというふうに申された。私もさっき冒頭にあえてそういうことでおしかりをいただきましたから、個人として三つの視点が考えられます、一つとしては人間形成のいわゆる基礎を確実に身につけるというようなこと、あるいは二つとしてはそれぞれの個性を伸ばしてあげるということ、もう一つは人間生涯にわたる教育のそういう機会を充実さしてあげること、こうしたことなどの三つは視点として考えられます、こう申し上げたわけで、委員長がたまたま今お取り上げになりましたから、それぐらいのことは言えよということでございますから、これは先ほど私は申し上げたんです。総理も基本的な考え方については、穐山さん自身が例示としてお取り上げになりました。私もそう申し上げたわけでございます。 そのことは一つの基本的な視点でありますから、後は国会の論議をちょうだいして、そのことによって、国会でこの臨時教育審議会法案を成立させていただいた時点で総理が改めて諮問の中身といいましょうか、大綱といいましょうか、その諮問を考えますと、こう申し上げているわけであります。それまでについて、じゃ何をやるのだということでございますから、教育諸制度全般にわたります、それは学校も社会もあるいは家庭もあります、教育制度の中にも幾つもございます。例として穐山さんのおっしゃいました六三制もあるでしょう。高等教育もあるでしょう。幼保の問題もあるでしょう。いろんな問題があります。教科書の問題ということも穐山さん取り上げられました。もちろん、そういう教科書の問題も取り上げてください、これは文部大臣としては今言うべきことではないんです。しかし、教科書の問題の御論議をいただくことになるかもしれません。これは国会答弁を通じて私は申し上げてまいりました。ぜひ、その程度で私は御理解をいただきたい。こういうふうに、委員長、ぜひお取り計らいをいただきたい、こう思います。
○穐山篤君 見解に賛成とか反対とかということを私は言っているわけじゃないんです。国会にこの法案を提案をする以上、視点はいいです。国際化にどう対応するかということ、あるいは人間形成の基盤をどうやって強化をするか、これは何も二十一世紀を眺めなくたって、現在でもそのことを常に念頭に入れておかなければ文教政策なり文教行政というのは手おくれになる可能性を持っているわけです。特に、二十一世紀をしょって立つ青少年のためにというならば、基本的にこういう問題を議論してほしいと思う、しかし足りないものは審議会自身が独自に議論をして提示をしてもらっても結構です、こうなければこの臨教審設置の目的に合わないでしょう。私は、細かいことは別にして、骨子だけでも明示をしてもらいたいと思う。
○国務大臣(森喜朗君) また、おしかりをいただくかもしれませんが、骨子だけをという、その骨子をどのようにするかを国会の論議というものを十分に参考にしてこれから決めるのじゃないでしょうか。そこは穐山さん、私はそのことの方がより正しいと思うんです。今あらかじめ、ですから、じゃ何をということであれば、教育の諸制度全般でございます、こういうふうに今申し上げておるわけでありますが、骨子についてはやはり国会の皆さん方の御意見というものを十分踏まえて総理がお考えになることじゃないでしょうか。そのことも私はやっぱり物事の順序としては正しいというふうに考えております。
○穐山篤君 私も、繰り返しになりますが、たたき台を国会に出して、国会の中の議論を受けて、そして最終的に総理がそれを整理整とんして諮問いたします、これならば私は手順を踏んでいると思うんです。そういう手順にしてもらえないですか。
○委員長(高平公友君) 速記をとめてください。 〔午後四時十分速記中止〕 〔午後四時二十三分速記開始〕
○委員長(高平公友君) 速記を起こして。
○穐山篤君 非常に私の問題提起は重要であります。総理大臣と文部大臣の間に意見の食い違いがないと言われておりますけれども、私が検討したところによりますとまだ食い違いが残っています。今のどういうテーマを審議会に求めるかという問題については明確にされませんでした。そこで私は、理事会の先生方に、政府も各党もひとつ私の質問、提言を引き取ってもらって研究をしてもらう。したがって、残余の当面の文教行政と臨教審との関係、あるいは会長及び専門委員の任命などの問題につきましては、残念ながらきょうは保留にして、次回に譲りたいと思うんです。 そこで、各党に引き取ってもらう、政府も考えてもらうということを考えてみた場合に、代案を提案しております久保先生に私の問題提起についての考え方をお伺いして、私の質問はきょうはこれで保留にしておきたいと思います。
○委員以外の議員(久保亘君) 私は国民教育審議会を提案させていただいておりますけれども、この審議会は文部大臣のもとに設置をされる、つまり政府の側に設置をされる審議会でございますから、何を諮問するかということについて私がここで申し上げましても大変複雑な関係になるものだと思っておりますけれども、私が提案者として期待をしているという立場でお聞きいただきたいと思うのでありますが、それは鳩山内閣のときに臨時教育制度審議会の設置が提案されましたが、そのときには明らかに戦後の教育を支えてまいりました日本国憲法と教育基本法を見直して戦後教育をやり直すという意図が大変強かったのでありまして、国民の支持を得ることはできなかったと思っております。 今度の中曽根内閣による教育改革の提起は、今日起こっておりますいわゆる教育の荒廃という名前で呼ばれております青少年の問題を背景にしながら、そのことを解決しなければならないという国民の大変強い要請にこたえる形で教育改革が提起をされているという点において特徴がございます。しかし、この世論を背景にして教育改革を提起しているにもかかわらず、教育改革の目指す方向とか精神とかいうものは、三十一年の臨時教育制度審議会設置を目指したときの考え方とほとんど変わらないものだと私は考えているのであります。 私どもがあえて国民の合意や参加を強調して国民教育審議会を設置するよう提案いたしておりますのは、今日、国民が本当に望んでいる教育改革の緊急な問題を解決するために、この審議会がきちっと方針をまとめ、そしてそのことに対して政府が実行責任を持ってやる、こういうことを望んでいるのでございまして、特に行革審が出しておりますいろいろな問題、国会で意見がまとまっている問題にまで行革審が今日抑制を加えてきておりますが、これらの問題に対して教育改革という立場から私はこの教育審議会が国民の真の声をきちっと反映するようなことをやっていただきたい、こう思っております。それが緊急の課題でございます。 それから中期的な課題としては、今日の青少年問題を引き起こしているその根源にあるものは学歴偏重の社会であります。この学歴偏重の社会が大学のあり方に問題をもたらしております。そして、この大学のあり方が高校以下幼稚園に至るまで入試地獄、受験戦争の中に子供たちを巻き込んで、それこそ偏差値で人間を評価し、点数で子供を差別するという教育の憂うべき状態を引き起こしている。これらの問題をできるだけ速やかに改革していくにはどうすればいいかという問題が緊急な課題であり、少し時間のかかっていく中期的な問題ではなかろうかと思っております。 長期の問題として、先ほどから議論になっております二十一世紀の教育はいかにあるべきかという問題がありますが、二十一世紀というのは突然やってくるのではありません。二十一世紀の問題を考えるとするならば、二十世紀の残っております十六年間を私たちは問題にしなければならないのでありまして、これが二十一世紀にどういうふうに引き継がれていくかという二十一世紀を展望しながら今日の教育の問題を考えるという視点に立って、ぜひこの国民教育審議会にすぐれた結論を出していただきたいと思っております。 何よりもこれらの短期、中期、長期にわたる教育改革を論議いたします教育審議会の基本に据えられるべきものは、日本国憲法と教育基本法を積極的に支持し、この法律の上に立って教育改革を考えるということでありまして、やむなく今日の国民の意見からして教育基本法の精神を尊重するという立場をとらなければこの教育改革を進められないという消極的な姿勢では困るのであります。特に、教育基本法の解釈は私の解釈が今日の内閣の解釈であるというような立場をとって一内閣一政権でもって日本の百年の大計となる教育改革を進めようとすることは、大きな誤りを犯す危険性を持つものだと思っておりますから、この教育審議会に諮問を行います場合には、日本国憲法と教育基本法の理念を積極的に支持して、その上で日本の教育を豊かなものにしていくということが諮問に当たってはまず提案されなければならない問題だと考えておるのであります。
○峯山昭範君 私は、ただいま議題となっております臨時教育審議会の設置法案に対しまして質問を行うものでありますが、内閣委員会としましては、器をつくるための議論をする委員会でありますから、文教政策そのものの議論につきましては少なくともこれは文教委員会でそれぞれの専門家にやってもらうというのが本来の姿であろうと私は思います。 そういうふうな意味で、きょうは組織論、内閣委員会で議論をする設置法の上での議論を初めにやりたいと思っております。そして、その後、教育改革に伴う財政需要をどういうふうに確保していくかという問題、それからもう一つは、ただいま議題となりました諮問の中身の話、これは非常に大事な問題であります。それからもう一つは臨教審の運営と人選の問題、この三点を後ほど質問したいと思っております。そこで、きょうは総務庁長官にお見えになっていただきましたので、総務庁長官とそれから官房長官に初めにお伺いしたいと思います。官房長官はお見えになっておりませんが、お見えになってからまたやりますが、総務庁長官はお見えになっておりますので、総務庁長官に人事院勧告の問題、これをお伺いしておきたいと思います。 ことしもいよいよ人事院勧告の季節がやってまいりまして、最近いろんな新聞等に出ておりますが、国会が八月の八日に終わりますと、十日前後に勧告が行われるのじゃないかというふうに言われております。 そこで、この人事院勧告は直接的にはこの法案とは関係ないわけではありますが、一般職の国家公務員を対象として人勧が行われるわけですから直接関係ありませんが、しかしながら地方公務員の、いわゆる今議題となっております臨教審に関係する教職員の皆さんの給与という問題になりますと間接的に影響を及ぼすということになりますので、この際、人勧に対する長官の御所見をいろいろお伺いしておきたいと思います。 人事院勧告につきましては、五十七年度が凍結、そして五十八年度の勧告は六・四七%、それが二・〇三%実施をしていただきまして、単純に計算をいたしましても四・四四%積み残しとなっているわけであります。ことしの民間の春闘もほぼ終わりまして、約二%前後の昇給があったようでありますので、ことしも少なくとも積み残し分プラスニ%前後を足しますと、算術的に見ましても六・五%以上の勧告が出るやに私たちも予想をしているわけでありますが、そういうような中で、今までは総務長官だったんですが、今度からは総務庁長官になられたわけでありますが、給与担当大臣として今までの総務長官はほとんどの内閣委員会にお見えになりまして、内閣のそれぞれの閣僚の中で、今までは総理府総務長官、今度は総務庁長官ですね。これは総務庁長官が唯一の給与の担当大臣ですから、言うたら味方です。そういうような意味で、内閣委員会でも本当に、私は断固として完全実施のために頑張るということを毎回ここでおっしゃっていただいたんです。そういうように大臣もおっしゃるかもわかりませんが、とりあえず、大臣の御所見を初めにお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君) 人事院の勧告制度というのは、申し上げるまでもなく労働三権の代償措置でございますから、その勧告は政府としては最大限に尊重をしなければならぬ、これは政府のしばしば言明をしておる基本的な方針でございます。この夏、八月にどのような勧告が出るか、今の時点ではこれは何とも予測しかねるのでございまして、やはり勧告が出た段階で給与関係の閣僚会議等でいろいろ論議をして最終的に政府としての対応が決まるということでございますので、今私の口からどうこうだというのはいささか差し控えなければならぬのではないか、かように考えておるんですが、最大限尊重して完全実施に向けて努力しなきゃならぬということはこれは基本ではございますけれども、同時に、やはり今日の厳しい財政の状況、そしていわゆる行財政改革ということで、現在の制度であるならばそれぞれ受益をしていらっしゃる国民の中のいろんな団体あるいは地域、個人いらっしゃるわけでございますが、そういった方々に御辛抱を願わなければならぬという今厳しい情勢にあるわけでございます。 こういったことを考えますと、政府としては国政全般の立場に立って、しかしやはり公務員というものの生活を守るというのはこれは政府としての基本の考え方でなきゃなりませんから、そこらをあわせ考えながら私は最終の結論を出さざるを得ないのではないか、かように考えておるわけでございますが、昨年六・何%の御勧告に対して二・〇三ということを決めたのも、厳しい今言ったような状況のもとでの政府の対応であったんですが、それはやみくもにやったのではないかという一部の御意見がありますが、そうではございません。当時、私は官房長官でございました。五十八年の勧告は、御案内のように一・八九でございます。そこで、少なくとも私は公労委の仲裁を頭に一方に置きながら、そして同時に、五十七年度の凍結というのは方やむを得ざる異例の処置であるという認識のもとに考えるべきであって、これは当然だという考え方は私はとるべきでない、したがって何とかこの凍結分を少しでも解消に向けて努力をする必要ありということで二・〇三という決め方をしたわけでございます。 したがって、五十九年度の勧告の場合にもやっぱりこの積み残し分、これをどのように扱えばいいのかということが私としては一番頭の痛いところでございますけれども、先ほど言ったような基本的な物の考え方に立って人事院勧告が出た段階で対応をしたい。これは閣僚会議で決めますから私の一存でいくわけではありません。いろんな閣僚の方からの御意見もありましょうから、そこらの御意見を踏まえながら最終的に決定をしていきたい、かように考えているわけでございます。
○峯山昭範君 これは非常に私たちが心配している問題でありまして、確かに勧告が出てから具体的には検討をするということになるのであろうと思います。しかし、今までの総務長官は、いかなる勧告が出ようとも完全実施をやります、政府の中でそういう発言をして頑張ります、こう言うておったんですけれども、その点からいきますと、私たちが非常に心配しておりましたように、今回、総務庁長官は従来のいわゆる人事給与関係の担当大臣だけではなくて、行革関係の担当と両方、中身からいいますと二律相反する仕事をやっておられる立場でありますので、非常に厳しい情勢にあるというのもよくわかるわけであります。 そこで大臣、私は人事院総裁といつもこの席で議論をするわけでありますが、勧告の中身を、いわゆる積み残し分と言って、例えば率がそのまま数字ではあるわけですが、これを分離して、大臣が先ほどおっしゃいましたように、官房長官当時、当時の勧告が一・八九ですか、それを二・〇三にふやした、ですから積み残し分を幾らかでも食っていわゆる解消に努めた、こう大臣はおっしゃりたいのでしょうけれども、実際、率に切り込んでこういうことをやったのは余りないんです。ずっと昔、人勧が始まった当初です、そういうことがあったのは。そういう点からしますと、私はやはり問題があるのじゃないかと思っておりまして、何とか完全実施に向けて努力をしてもらいたいと思っているわけであります。 そこで大臣、最近の新聞報道によりますと、段階的実施を表明という見出しで新聞報道があるんです。日経新聞のインタビューに応じてということで大分中身に切り込んだ話があるわけでありますが、もし大臣がこういうふうな、勧告が出る前にこういうインタビューのとおりのお話であるとすれば、給与担当大臣としては完全実施というのは初めからあきらめておる、そういうことなのかどうか、ここら辺のところも含めてお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君) 私は、できれば完全実施したいわけです。しかし同時に、先ほど言ったような現在の厳しい状況を考えますと、やはり建前論ばかりではおかしいではないか。しかし同時に、政府の誠意というものも示さなきゃいかぬのじゃないかというようなことで、私はテレビあるいは新聞等でもただいまお答えしたような趣旨で答えております。そうしますと、きょうもそこらをいっぱい車で、後藤田長官けしからぬと言うてやっていました。つまり、不完全実施けしからぬ、こういうことです。それはよくわかる、その気持ちは。しかし、同時にまた、片方からは今そんなことを言われちゃ困るというので、両方から今しかられておるので、私は昔の行政管理庁、つまりは行財政の改革の担当大臣であると同時に公務員の人事の担当をしておる立場ですから、そこらはやむを得ないのかな、両方からやられるのは。私はそう思っているんです。 しかし、私はあくまでも誠意を尽くして、何とか早く完全実施の線に持っていきたいという気持ちはずっと抱き続けております。ただ、先ほど言ったような厳しい状況ということもよくお考えを願わないと、幾らここで言ったところで、後になって、あのときはこうでございましたと言ったのじゃこれはどうにもなりませんから、私は本音でこの問題は対処すべきだ、こういう考え方でございますから、そこらはひとつ御理解を賜りたい、かように思うわけでございます。
○峯山昭範君 その点は私たちも、ここで何ぼ完全実施のために頑張りますとか言って、実際全然できないのじゃどうしようもないから、それより大臣のようにそれは本音で勝負した方がいいです。我々も本音をここでやってもらった方がいいんです。しかし、頼みの綱はやっぱり大臣です。しかも、本音で勝負できる実力大臣です、今の内閣の中で。ですから、そういうふうな意味で公務員の皆さんの期待というものも非常に大きいわけですし、そういう点ではぜひ完全実施に向けていろんな角度から努力をしていただきたい、このことだけはお願いしておきたいと思います。 官房長官もお見えになりましたので、人勧の問題について先ほどから質問させていただいているわけでありますが、官房長官のお考えもちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(藤波孝生君) 今、少しお時間をいただきまして、記者会見をしてきましたが、そこで質問が出まして、人勧に関してストライキをやった、それに対して政府はストの処分をした、法律を守っていない政府がストライキをやったからといって処分をする資格があるかといって訴えたことについてどう考えるかという質問でございました。これは司法の裁きを受ける以外にありません、こう今お答えをしてきたところでございますが、一瞬非常に答えに窮したところでございます。非常につらいことです。 ですから、やっぱり人事院という仕組みがあり、勧告の制度があって、今、総務庁長官からお答えになりましたように、政府はこの勧告が出たらこれを誠心誠意、最大限に尊重して、完全実施に向けて努力するというのが基本的な姿勢でなければならぬと思うんです。今日の財政状況の中で、勧告の実施を見送る、あるいはこれをカットして実施するというようなことで来ておりますことは実に残念なことだ、こう考えておりますが、本年度の勧告の時期も迫ってきておりますので、今、総務庁長官からお答えもいたしましたように、勧告を受けた段階でひとつ政府の中で相談をしまして、完全実施に向けて最大限の努力をするということしか答えようがありませんけれども、皆一生懸命そのつもりで努力しますから、ひとつ少し時間をいただいてお見守りをいただきたい、そんなふうにお答えを申し上げておきたいと思います。
○峯山昭範君 それでは、法案そのものについて質問したいと思います。 我が党としましては、衆議院での議論は別にしまして、参議院の当設置法案が出ましてからの審議としましては初めてでありますので、多少今まで同僚議員の皆さんから質問があった問題とダブる問題があるやにも思います。しかし、大事な問題でありますので、幾つか質問をしておきたいと思います。 きのう文部大臣に通告をしました問題と多少中身が変わっておりまして、もし大臣で無理なときには事務局でも結構であります。 我が国の教育改革の歴史というものを振り返ってみますと、先ほどから議論になっておりますが、総理大臣の諮問機関として戦前は五回にわたって審議会が設置されているそうであります。また戦後は、昭和二十一年の八月に教育刷新委員会、昭和二十四年の六月に教育刷新審議会の二回にわたってそれぞれ設置されているようであります。今回、改めて臨時教育審議会を総理府の諮問機関として設置して教育改革を行おうとする理由、これはどこら辺にそういうあれがあるのか、簡単で結構ですが、その点お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 先ほどから答弁を申し上げてまいりましたが、戦後の教育は、日本の今日の国際社会の中の役割から含めまして、大変ある意味では成果を誇るべき確実な発展を遂げてきた、こういうふうに私は考えています。また、国際的にも日本の教育というものに対します評価というものも非常に高く認められているわけです。 しかし、今世の中の国民の声にいろいろな角度で耳を傾けてまいりましても、どこか教育がやはりおかしいのではないかという声が非常に強いわけであります。 特に、これも先ほど申し上げましたが、私どもの党もそうですし、先生の党もそうですし、いかなる政党もみんな教育の改革をやはり国民の前に公約として掲げておられるわけです。教育は、こういうふうに、すべて完全ではございませんが、量的にも条件もある程度整ってきておりますし、レベルも大変高いものもあります。戦前、戦後積み上げてきまして、大変大きな成果を誇り得るようになる、国際的にも認められている、にもかかわらず教育というのはどこか何か考えなきゃならぬという声がなぜ多いのか。そういう角度をいろいろと検討いたしてまいりますと、やはり社会の変化あるいは文化の発展に対応する、そういう教育の諸制度にどうもなっていないのじゃないか。 いかなる制度もいかなる政策も、すばらしい成果は誇っても、やはり一つの限界がある、あるいは寿命がある。そのいろいろな意味での寿命や限界というところにきしみが出てきている。そこが柔軟に対応し切れないところに今日の教育が原因と言われておるような社会的な病理現象が出てきておる。そういうところを、政府は一番ここのところを大事に考えていかなきゃならぬだろう。こういう意味で、このたびの二十一世紀を担う青少年がどのような教育を受けていくことがいいだろうか。こういう諸制度全般に対しまして、特に教育はいろいろな行政の各部とも関連がございますので、これをぜひ内閣全体でとらえるということが国民の要請にこたえることになるのではないだろうか。こういう判断のもとに、総理大臣が諮問をして臨時教育審議会に御議論をいただこう、こういう判断を政府としてとったわけでございまして、したがいまして行政組織法第八条によって総理府に審議機関としてお願いをしよう、こういう考えになったものでございます。
○峯山昭範君 今、大臣がおっしゃいますように、内閣全体の問題としてということ、確かにそのとおりでしょう。私たちも、実は総理府に設置するのが望ましいと思っているわけです。ですけれども、多少いろいろ最近は状況が変わってまいりまして、状況が変わってきたというのは、何も総理府がいかぬというわけじゃないんですが、御存じのとおり、総理府というのは早う言うたらなくなったんです……。なくなってはいないんです。わかっています。わかっているんですけれども、相当スリム化されているわけです。行政管理庁と昔の総理府が一つになって総務庁ができて、それで総理府というのはがたっと人数にしたって何にしたってみんな少なくなっちゃった。 そういうような意味では、内閣全体の問題ですから、内閣の附属機関としてはいかぬかということがあるわけです、この審議会を。そういうふうな議論はあったのかなかったのかということも含めまして、要するに残された総理府の責任者というのは内閣総理大臣で、その下に官房長官がいて官房副長官がいて、それでその下にこうなっているわけですから、それはあるのはあるわけですが、相当スリム化されて、本当に端的に言えば審議会の数も大分減らしたわけです。 そういうふうな意味からいきますと、国民的な議論がこれはどうしても必要だということになれば、内閣にその機関を設置するということも考えられぬわけじゃないわけです。昔は現実にあったわけです、例えば憲法調査会にしましても、国防会議にしましても、そういうのを内閣の直属の機関として審議したこともあるわけです、設置法で。そういうような点からいきますと、どっちがいいかということになりますといろいろありますが、そういうふうな七月一日から総務庁として合併して、そういうふうな中で総理府に臨教審をどうしても置かにゃいかぬという問題、そういう点を考えてみますと何か問題が残っているような気もするわけですが、そういう点は十分議論をして、その上で総理府が一番いいということになったのかどうか、そういう点をあわせてお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) スリムという言葉を峯山さんおっしゃいましたが、私はこの行政改革というのは、やはり肥大化したものをある程度スリム化して、より将来に向けて意欲的に取り組んでいく、そのために柔軟な対応をしていく政府でなければならぬ、こういうことが行政改革、これは後藤田先生の領分で余計なことを申し上げるとおしかりをいただくかもしれませんが、私はそういうふうに行政改革というものをとらえております。そして、その中で例えば新たなる将来への展望ということに対して意欲的に取り組んでいくということのまず一つが教育の諸制度の見直しであろう。それが将来、日本の国を背負っていく子供たちに対する我々現世に生きる大人、なかんずく政治家の責務であろうというふうに考えているわけでございます。したがいまして、スリム化したというよりも、むしろかえって柔軟にいろんな事ごとに取り組んでいける、そういう制度として総理府に設置をするということは、私はこれは妥当であろうというふうに思います。 内閣にいかがかというようなお話でございますが、事柄が教育のことでございます。したがいまして、法律の中にも明記をいたしましたように、文部大臣の意見を聞いて総理大臣が人選等にも当たるということにもなりますし、事務局に文部事務次官を充てるというふうに明記をいたしたことも、教育という特殊な諸制度についての検討を十分専門的な行政の機関がこのことについてむしろ積極的に、そしてまた主体的に取り組んでいくということを法律の中にこのことも明記をいたしたのはこういうことでございます。したがいまして、むしろこういう形をとって、そのことがより幅広く、先ほども穐山さんの御質問に対して官房長官も申し上げましたように、幅広い国民の多くの皆さんの御意見を十分に吸収をしていく、そういうことがかえって適切な方法であろう、こういうふうに政府は判断をいたしたものでございます。
○峯山昭範君 この点については余りこだわりません。いずれにしましても、総理府直属の八条機関として正式に設置するという方向になってきているわけでありますから、その点については余り言いませんが、教育改革を行うに当たって一番大事なことはやっぱり政治的中立の確保という問題であろうと思います。そうしますと、そういう大原則があるわけでありますから、内閣より総理府の方がよりベターであるかもわかりません。そういう点で我々も総理府の方がいいのじゃないかというふうに考えたわけであります。 そこで、総理府に八条機関として設置したからイコールそれですぐ政治的中立が担保できるか、確保できるかということになるとそれはすぐそうとも限らないわけです。大臣、ここら辺のところをどうお考えですか。
○国務大臣(森喜朗君) 国家的な大事な将来の命運を左右するものでありますだけに、しかもなおかつ、今、先生からも御指摘ありましたように、教育の中立性ということを一番大事に考えていかなきゃならぬだろう、こういうふうに私どももそのことについては十分配慮を加えまして、したがいまして、先ほど申し上げましたように、戦後の日本の教育の中立性、戦後の日本の憲法を具体的に教育の中に示したものが教育基本法、そしてそのことが教育の諸関連法案の一つの基本になっているということでございますので、教育基本法の精神を大事にして教育改革をしたい、こういうふうに明記をいたしたのもそこのところでございますし、あるいはまた私どもも答弁で申し上げておりますように、教育改革は教育基本法を基本にしてやる、あるいはまた審議会の皆様方にも教育基本法の精神を大事にしてということを期待したい、こういうふうに申し上げているわけでございます。かえってそういう意味で、これは衆議院段階で公明党さんを中心に国会同意あるいは国会への報告義務というようなことなども衆議院の意見としてこれにつけ加えられたわけでございますので、そういう意味で十分に私どもは中立性を確保している、こういうふうに考えているわけでございます。
○峯山昭範君 社会党さんから提出されております対策が文部省に設置するとなっているわけです。これは大臣、文部省に設置するという場合と総理府に設置するという場合とどう違うのか、そこら辺のところ、一遍、大臣の御見解をお伺いしておきたいと思うんです。これは実は私たちも総理府と言った関係上、いろんな角度から随分調べてみました。しかし、今のいろんな体制から見ていると、答弁を一生懸命やっておられる大臣も文部大臣ですし、事務局も文部省から来る。要するに、ひさしを貸して何とかをとられると言いますけれども、名目は総理府になっておるけれども、実際は文部省設置とこれはほとんど変わらない。どこか変わるところがあるんですか。ほとんど一緒じゃないですか。大臣、違いますか。
○国務大臣(森喜朗君) 文部省に設置をいたすということは、これは文部省の固有の所掌事務でございます。あえて申し上げて御無礼かと思いますが、教育や学術や文化は文部省固有の事務、こういうことになるわけでございます。総理府ということは、先ほど申し上げましたように、内閣全体でこの問題を取り上げていく、御答申をいただきましたことも総理がそれを遵守していく、そして政府全体でこれを受けとめていく、こういうことになります。また、教育諸制度ではございますが、先ほど穐山さんの際にも申し上げましたけれども、各行政の関連の部と大変密接な関係がございますし、特に昔の教育と今日の教育というのは非常に幅の広がり、また問題の持ち方も非常に奥も深い、いろんな関係等、行政機関との関連もございます。 そういう意味で、御論議をいただいて御答申をいただいた場合には内閣全体でこれを受けとめていくという、これは国民に対する義務、責任があるというふうに考えます。その辺が文部省に置くことと全くこれは意味が違ってくるというふうに考えております。しかし、くどいようでございますが、事は教育でございますので、文部大臣の立場あるいはまた事務局に文部事務次官を充てるというようなことについて、十分にそのことに配慮を加えておるということでございます。
○峯山昭範君 それは大臣、僕は、ほとんど変わりませんねと言うてもらいたい、本当を言うたら。そしたら社会党さんにも賛成してもらえるかもしれない、ほんま言うたら。教育改革でしょう。教育改革ですから、これは要するに総理府に設置しても文部省に設置しても、文部省独特の、文部省だけの専属のとおっしゃっていますが、教育改革そのものは本当を言うたら、内閣全体のと一生懸命おっしゃっておられますけれども、確かに内閣全体として考えなきゃいかぬ問題ではありますけれども、九〇%は少なくとも文部省でしょう。今のいろんな問題から見て、九〇%ぐらいは。そうしますと、ほとんど文部省が管轄している問題が多い。そういうふうになってくれば、私はほとんど文部省専轄でいける、そう思うんです。(発言する者あり)しかし、今不規則発言でおっしゃっていましたように、銭、お金の問題ということになりますと、確かに総理府でやった方がいい。教育にかかるお金、予算、そういうようなものの問題があるでありましょう。しかし、これはやっぱりいろんな点から考えてみまして、私は今のいろんな要素を検討してみますと、文部省設置と総理府設置については余り変わらない、そんな気がしているわけです。これは私が勝手に思い込んでいるわけですから、それでいいことにしておいてください。 それから次に、臨教審の設置期間が三年間、こうなっています。三年間というのは、これは長いか短いか議論があるわけです。実は、私たちの党でもいろんな議論がありまして、党の案を出したときに、三年ぐらいの間には答申を出してもらわなければ困る、こういうことで三年間というものにしたんですが、最近の新聞やいろんなあれを見ていますと、三年間は短い、こんな短い間に何ができるか、こう随分書いてあるわけです。これは確かに言われてみれば、教育改革というのは国家百年の計ですから、そう簡単に行政改革みたいに第二臨調のときに次から次と順番にそのときの問題に応じて総理が次々に諮問をして、それで二、三カ月でぼんぼん答申が出てくる、それが第一次答申、第二次答申でどんどん出てきて、それで思わぬ方向へ発展していった点もなきにしもあらずなんです。 そういう点からいきますと、やっぱり拙速にやるというのは問題がありまして、これは官房長官も御存じだと思いますが、この間のNHKの世論調査によりますと、「教育改革をすすめる場合、あなたはどのような方法がよいとお考えですか。リストにある甲、乙二つの意見のうち、あなたのお考えに近いものをお選びください。」、こういう世論調査で、甲が、「政府が強い指導力を発揮して、すみやかに改革をすすめる」、乙が、「時間がかかっても広く国民の意見をきいて、慎重にすすめる」、こういう意見で、それで結局、政府が強い指導力を発揮してというのが一六%で、時間がかかってもゆっくりやれ、慎重に進めるというのが六四・八%というようになっているわけです。そういう点からいきますと、ここら辺のところは、諮問の仕方並びに期間というのは非常に問題がある、私そう考えているわけでありますが、ここら辺の問題についての御見解も一遍お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 三年間が長いか短いかというのはこれは見方にもよるだろうというふうに思いますが、従来、こうした審議会の審議期間ということから見れば、むしろ三年というふうに少し長期間に私どもはこれを求めているわけであります。それは学校制度を初めといたしまして、教育のあり方というのは国民全体に深いかかわり合いがございますし、たびたび申し上げておりますように、国の将来を左右する大きな課題である、そういう意味では十分な審議、慎重な審議が求められている。したがいまして、またその審議の過程の中で、先ほど官房長官も御発言ございましたように、その都度、こうしたことが今議論されておりますと、適宜にそれをやはり国民の前に明らかにしていくということは大事だと思います。そのことによって国民の、また各界各層いろんなところからそれに対する答えが返ってくるだろう。そういうようなことなども十分考えて、国民の深い理解と協力を得るということがとても大事なことでありますので、そういう意味ではかなりの時間をかけた審議が必要である、こういうふうに考えているわけです。 ただ、私もちょっとこれは自分でぶつかった例でありますが、三年でやれるのかというような意見もよくあるんですが、ややもすると三年間で教育改革をやってしまうのだというふうなとらえ方をしておられる国民の方もあるようでございまして、これは三年間で御議論をいただく、慎重に議論をしていただくというのが三年間でございますし、しかしその中では可及的速やかに、緊急に国民の要請に対してこたえていかなきゃならぬもの、あるいはまたこたえるべきであろうという判断をしたもの、そんなものが出てくると思いますから、これはその都度国民の前に明らかにする、またそのことによって政府にそのことを随時御答申をいただいて政府がそれに取り組む、政策としてそれはまた国会の皆さんに十分そのことについて論議をしていただくということもあるわけでございまして、したがいまして、まずまずそういう意味から考えますと、十分に議論をして成果を上げられるということの判断としてはこの三年間というのが適切なものであるというふうに私どもは判断をいたしたわけであります。
○峯山昭範君 中教審の四十六年の答申の問題でありますが、この問題が今までたびたび委員会等でも取り上げられてきております。明治初期の学制改革、それから終戦直後の教育改革に次ぐ第三の教育改革を目指したものである、こういうふうに言われているわけでありますが、この中教審の四十六年の答申が現実に実施されておれば今回の臨教審は必要なかったのではないかという新聞の報道もあるわけでありますが、この四十六年の中教審の答申の概要と、なぜこの中教審の答申が実施されなかったのか、その問題点等についてお伺いしておきたいと思います。
○政府委員(齊藤尚夫君) 中央教育審議会の四十六年の答申につきましては、幼児期から高等教育までの教育全般にわたる改革とその拡充整備の基本方向を明らかにしたものでございまして、文部省といたしましては、以来、今日までこの答申の趣旨を尊重いたしまして、それを指針といたしまして、各界各層の御協力を得つつ、同答申に盛られました事項の実施に積極的に取り組んでまいったものでございます。 その主なものを申し上げますと、小学校から高等学校までの教育内容、方法の改善、これは新しい学習指導要領を実施中でございます。それから学級編制や教職員定数の改善、これは今も議論になっております四十人学級の実施等がございます。それから幼児教育の普及充実、幼稚園教育振興十カ年計画を実施したところでございます。それから特殊教育の拡充整備、養護学校教育の義務制の実施もいたしておるわけでございます。それから教職員の資質向上と待遇の改善、人確法の制定等によりまして教職員の処遇の改善を行っているわけでございます。それから高等教育の改革とその計画的な整備充実、高等教育の整備計画を前期、後期と実施しているところでございます。その他、私学助成の拡充、奨学事業の拡充、それから大学入学者選抜制度の改革といったものについてそれぞれ四十六年答申の趣旨に沿って実施をいたしてきたところでございます。 ただ、この四六答申につきまして、答申の趣旨どおり実施していないというふうに指摘をされますものをあえて挙げるといたしますと、新たな学校体系の開発のための先導的試行の問題、それから市町村に対しまして幼稚園の設置義務を課する問題、それから公立と私立の学校に関する地方教育行政の一元化の問題などが指摘されるわけでございます。 なぜ実施できていないのかということについてその理由を簡単に申し上げますと、先導的試行につきましては、試行それ自体が現行の学校体系の特例として法律改正を要するわけでございます。また、当時、それに盛られました学校体系の改革案そのものにつきまして国民的なコンセンサスも得られていない状況にあった、そういう判断のもとに文部省としてはこれに直ちに着手することを避けることとしたわけでございます。 それから幼稚園の設置義務を課する問題につきましては、幼稚園と保育所との関連もございますし、直ちに設置義務を課するよりも、施設設備の補助等の財政的援助を行うことによって幼稚園の計画的整備を図ることを考えてやってまいったわけでございます。 それから公立と私立の学校に関する地方教育行政の一元化の問題につきましては、私立学校に関する事務は、私学の独自性と自主性を考慮いたしまして、教育委員会の所管外とされているわけでございます。公私立学校に対します地方教育行政の一元化の問題につきましては、私立学校関係者の御理解が十分得られないというような事情もあって、今日まで実施していないわけでございます。 簡単でございますが、以上でございます。
○峯山昭範君 それではいろいろとありますけれども、委員の人選の問題は後ほどやるとしまして、今回の臨教審の法案を見ますと、委員の数は二十五人以内となっているわけであります。これは総務庁長官にお伺いしたいのでありますが、これは閣議口頭了解事項とか閣議の決定で委員の人数というのは二十人以内にするという決まりが従来あったわけでありますが、これが今回二十五名になっておりますが、これはどういうふうにお考えなんですか。
○国務大臣(後藤田正晴君) この問題も、二十人におさめるか、二十五人にするかということで政府部内でいろいろ議論があったことは事実でございます。ただ、教育改革というのは大変すそ野の広い仕事であるし、そしてまた各方面からの学識経験を持った人、こういった方ができれば委員になって慎重な御審議を願うのが適当ではないのか、こういう御要請があって、これは私もっともだと考えたわけでございます。 過去の二十人以内にしなさい、あるいはこの委員の中に公務員とかあるいは国会議員、これが多いのを是正しなさいとか、あるいはこの種の審議会の数が多過ぎるからこれの廃止、統廃合もやりなさいといったようなことで漸次やってきたわけですけれども、今回の教育のこの審議会には今言ったような理由で二十五人ぐらいがいいところではないのか、すそ野が広いから。しかし同時に、この種の審議会というのは、余り数を多くしてそれじゃいいのかということになりますと、これは私は専門家ではありませんけれども、やはり余り数が多いといわゆる会議にならない、本当の意見の交換が非常に難しくなるといったような意見もございます。 こういったようなことで一応二十名ということを決めたんですけれども、この審議会も二十五人程度であれば、そういったいわゆる審議会として、会議体として能率が上がらぬというようなことはないのじゃないか、ならば教育の特殊性ということから考えて二十五人程度がよかろうということで、閣議決定は原則は二十人以内にしておりますが、あえてこの審議会は二十五人、かように決めた経緯でございます。
○峯山昭範君 大臣は、やっぱりなかなかうまいこと説明しはりますな。従来、人数が多くて、二十人で会議になって二十五人で会議にならない、そんなことありませんし、五人ぐらいですからそう関係ありませんが、やっぱり人数が多いということについては極力減らす。分野は確かに広いから、それじゃ各分野から全部選ばなきゃいかぬかというとそうでもないと私思うんです。大事な教育という問題だから、それぞれの分野から、各分野から一人ずつということになると百にも二百にもなってきて、本当に大変なことになりますよ。そうじゃなくて、本当に少ない人数で、本当に有効な審議が行われるようにすべきだと私は思うんです。したがって、こういうことをわざわざ申し上げたわけであります。 それともう一つ、これは文部大臣に聞いておいてもらいたいんですが、兼職の禁止というのがあるんです。大臣も御存じだと思いますが、これもやっぱり今の総務庁長官がおっしゃった閣議決定、閣議了解事項、事務次官等の申し合わせ等ありまして、これは参考になると思いますので、そのときのこれは閣議口頭了解事項ですが、一遍読んでみます。教育問題はすそ野が広いからこれは例外だ、こう言うてしまえばそれは終わりなんです。これも私は例外にしちゃいかぬと思うんです。原則は原則できちっと守るべきだ。何でか言うたら、非常にいいことを言っているからです。これはこういうふうになっているんです。 各種審議会委員等の人選について 審議会委員等の任命に当っては、基本的には適任者本位ということで選考されているが、今後、特に次の諸事項に留意して人選し、審議会本来の使命を十分に活用するようにしたい。一、候補者の選出については、出身校あるいはネーム・バリュー等にこだわらず、なるべく関係のある広い分野から清新な人材を起用するようつとめる。二、会議によく出席して、十分にその職責をはたし得るよう、本人の健康状態、出席状況に留意しこれに該当しないような高齢者又は兼職の多い者を極力避ける。兼職の数は最高四とする。三、広く各界の意見を行政に反映させるため、委員の長期留任は特別の事由のない限り行なわない。任期三年のものは三期まで、任期四、五年のものは二期までを原則とする。四、当該省庁出身者又は現在当該省庁の顧問の職にある者は、原則として、これをその省庁の審議会委員には任命しない。 これは四番まであるんですが、全部あえて四番まで読みましたが、この間から候補者の名前が出て、この委員会で大分しかられました。あの中には、兼職四以上の人が、ようけ、いはるんです。それで、これはまだあなた選んでいないとおっしゃるかもしれませんが、これも例外的に認めるというのか。これは総務庁長官と文部大臣、やっぱり両方の大臣のお考えを、この際、お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 御質問の中にございましたように、私どもといたしましては、まだ国会の御論議も得ておりませんので、まだ人選等については協議もいたしたこともございません。もちろん、分野も幅広く考えていかなきゃならぬということもございますが、今、先生がお読み上げになりましたようなことの留意事項については当然、人選を申し上げるときには念頭に置いておかなければならぬものだろう、こういうふうに考えております。
○国務大臣(後藤田正晴君) 今お読みになったのは、今までの審議会がやはり高齢者とかあるいはお一人の方がたくさんの審議会の委員になっていらっしゃるとか、いろいろ欠陥がございましたので、今お読み上げになったようなルールといいますか原則を決めたわけですけれども、当然、今、文部大臣がお答えになりましたように、そういったことを踏まえて文部省あるいは内閣において立派な方を御任命なさるであろう、かように私は期待をいたしております。
○峯山昭範君 これはそういう過去のいろんな例から見て、幾ら有名であっても健康上出席できない人もいるでしょうし、そういうような意味ではぜひそこら辺のところも十分配慮して人選に当たっていただきたいと思っております。 それからこの法案によりますと、「文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」と、こういうふうになっているわけです。ここのところの問題ですけれども、第二臨調のときには委員の人選については、「委員は、行政の改善問題に関して優れた識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」と、こうなっているわけです。臨時行政改革推進審議会の委員のときもそうですが、第二臨調のときには今私が読みましたようになっておりまして、第二臨調の後を受けて行政改革推進審議会というのがその後できたんです。その委員の任命については行政管理庁長官の意見を聞いてなんというのは全然ありません。総理大臣が直接任命するようになっている。これは臨教審の委員の選任に当たって何で文部大臣の意見を聞くとわざわざ法文の中にうたったのか、これはどういうことなんですか。
○国務大臣(森喜朗君) 法律上の技術的なことでございますので、審議官からお答えをいたします。
○政府委員(齊藤尚夫君) このたびの審議会は、教育改革について御議論をいただく審議会でございます。教育及びこれに関連する分野ということになっておりますが、やはり教育が中心であるというふうに考えられるわけでございます。その意味で、我が国の教育に責任を有する文部大臣の意見ということを総理の任命に当たっての条件とさせていただいたということでございます。
○峯山昭範君 この点は余り深く追及しません。しかし、いろいろありまして、もう一つ、この会長の選任の方法です。 第二臨調の会長の選出方法というのは、「委員のうちから、内閣総理大臣が指名する。」と、こういうようになっておりました。今回のこの臨時教育審議会の方もこういうふうになっているわけでありますが、行革というのは、これは少なくとも政府がリーダーシップを握ってがっちりやらないといけないわけでありますから、総理大臣が指名するというのもこれはやむを得ないと思うんです。ところが、この教育という問題はこれは行革とは大分違う、そういうふうな意味では政治の介入を許さないという空気が現実にあるし、それは許しちゃいかぬわけです。そういう点からいくと、中立性というのが非常に大事になってくるわけです。そういう点からいきますと、私は、会長の人選というのは何も総理が任命するというふうにしなくても会員の互選でもいいことでないか、現実にそう思うわけですが、何でこれを内閣総理大臣が指名するというふうにしたのか、これは非常に私は大事な問題だと思うんですが、ここら辺のところはどうですか。
○国務大臣(森喜朗君) この臨時教育審議会は、人的構成におきまして二十五人以内の委員、こういうふうに明記をいたしております。そのほか必要に応じまして専門委員を置くことができる、こういうふうにもいたしております。この専門委員につきましても、国会の論議の中でも出てまいりますが、やはり事柄によっては大変いろんな制度に幅広く広がっていく可能性があると思うんです。特に、教育でございますので、先ほど穐山先生の御質問の際にもおしかりもいただきましたけれども、とても幅広い制度全般、家庭教育あるいは学校教育、社会教育にもあるわけであります。事柄によっては専門委員が相当、事の審議上大きくなっていくことも予想されるわけです。そして、当然その中に事務局構成も置かなければなりません。これだけの組織になってまいりますと、審議会自身がかなりの組織になるというふうに予想しておかなければなりません。このような規模の審議会の運営ということは、審議会の設置目的の達成をまた左右する重要な問題ということにもなりますので、管理運営の責任者である会長は指導性をやはり発揮していただくという意味で、そういう意味で内閣総理大臣の指名とすることが適当だというふうに考えたわけでございます。
○峯山昭範君 指導性を発揮しなきゃいかぬからということですな。互選でもできると私は思うんですけれども、しかし、これは余り、うちも賛成になりましたから深く追及はしないことにします。 それから臨教審の専門委員の問題です。これは大臣、非常に大事な問題なんですが、大臣も今おっしゃいましたように、第二臨調のときにも、結局は第二臨調の委員さんというよりも専門委員さんの役割というのは非常に重要だったわけです、実際問題としては。それぞれの部会で専門委員さんが議論したやつが、それが結局最終答申まで余り変わりませんでした。そういうような意味で非常に専門委員さんが大事になってくるわけでありますが、第二臨調のときにも各界から専門委員二十一人だったですかが出て、それぞれ部会をつくって審議した経過があるわけでありますが、この臨教審の場合は専門委員は何人ぐらいをお考えになっておられますか。
○国務大臣(森喜朗君) 専門委員につきましては、審議事項が具体化した段階で必要な専門分野についてそれにふさわしい学識経験者を任命するということになるわけでございまして、具体的な人選等につきましては、これは審議の内容に応じてまいります。したがって、会長の意見もそのとき伺いながら、そしてまたそれぞれの専門的に審議をするその中身にもよると思います、制度にもよると思います、そういう形で判断をして選ばなければならぬと思いますので、今の段階で何人というふうにもなかなか申し上げにくいことであります。例えば学校の制度について、あるいは大学の機関について、こういうふうに並行的に出てきた場合には当然それが膨れ上がってくることも予想されるわけでございますので、その点については、ただいまのところ何名というふうに申し上げることは適当ではないと思います。
○峯山昭範君 今のよくわかりました。そのとおりだろうと思います。しかし、今、大臣がおっしゃったことは、法律の中には大臣が言うたことと違うことを一つ書いています。それは何を書いているかというと、これは御存じでしょう。専門委員の任命についても法律の中に、「学識経験のある者のうちから、文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」と、こうなっているんです。ところが、第二臨調の方式では、「学識経験のある者のうちから、会長の推薦により、内閣総理大臣が任命する。」となっています、「会長の推薦により、」と。今度の法案は、会長の推薦というのは全然ないんだ、会長の意見も聞くことになっていない。今、大臣は会長の意見を聞いてと言うていたけれども、そんなになっていない、法律上は。 ですから、そこら辺のところは非常に大事な問題でありまして、これは会長がだれになるかわかりませんし、どうなるかわかりませんが、これは法的に見ると会長は全く無視されておるんだ、この法律は。そうやおまへんか、これ。前の臨調のときには会長の意見を聞いて、「会長の推薦により、内閣総理大臣が任命する。」と、こうなっていた。今度はそうなっていません。今度は「学識経験のある者のうちから、文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」と、こうなっているんですが、そういうような意味では、僕が先ほど言いましたように、会長は互選にして、そして互選したその会長から意見を聞いて、それで、もちろん文部大臣の意見も聞いて任命する、こうすればもうちょっとよかったのじゃないかと思うんですが、この辺のところはどうですか。
○国務大臣(森喜朗君) 専門委員をどのような形で置く、あるいは専門委員の機関をつくるかどうか、これはやはり会長が審議の中身によって、あるいはまた審議の事項によってお決めになることだろうと思います。したがって、専門委員を置くということになれば、これは会長が御判断をされるわけでございます。したがって、その委員の人選、任命は総理大臣がなさるわけでありますけれども、やはり先ほど申し上げましたように、事は教育にかかわることでございますので、教育の責任を持つ教育行政の任にある文部大臣がその意見を申し上げる、こういう法律の中身の仕組みになっておるわけでございます。
○峯山昭範君 それから事務局の話もちょっと聞いておきたいと思います。 第二臨調のときには、事務局に百四名の職員がおりまして、しかも建物も別のところへ移りまして、二年間にわたって精力的に審議が行われたわけでありますが、事務局の体制は大体どういうふうになる予定でございますか。
○政府委員(齊藤尚夫君) 事務局の組織につきましては、法案が成立した段階で関係各省と協議に入る、政令事項でございますので、政令の段階で固めていきたいと考えております。そういう意味で、まだ成案が得られた段階ではございませんけれども、事務局の中に管理部門とそれから調査部門というセクションを設けまして、それにふさわしい体制をとって審議会の事務を処理したいというふうに考えておるところでございます。
○峯山昭範君 教育改革を行うに当たっては、国民的合意を得るというのが非常に大事な問題であります。国民的合意を得るために、諮問事項の性格とか内容、方向、そういうようなものについては我々はあらかじめ明らかにした方がいい、そういうように思っていたわけでありますが、先ほどから大臣の御答弁をずっと聞いておりますと、大まかないわゆる枠組みの御答弁でありました。 それはそれとして、少なくとも国民的合意を得るために、実は大臣、僕は先ほどの同僚議員の質問を聞いておりまして、大臣の答弁も初めから終わりまで約三十分ぐらい同じ答弁でやっておりました。あれを聞いておりまして、私しみじみと思うんですけれども、要するに何で我々が諮問事項の中身について一生懸命詰めるかといいますと、やっぱりこの問題は非常に大事な問題だし、その中でどんなことを審議するのだろうかという、国民の知りたいというか不信があるわけです。一〇〇%信頼されていれば何をやろうと平気なんですけれども、大まかにこういうことをやるのじゃないかという、そういうことを知りたいということがあるわけです。それを知ることによってみんなも安心するし、国民的合意もできるわけです。いわゆる国民的合意をつくるために文部省はどういうことを考えているのか、逆に。私は、そこら辺のところをもう一回お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) これは先ほどからも申し上げましたが、私どもとしては教育改革を全くただ何にもしないで論議をしるということを審議会にお願いするという、そういう気持ちではございません。教育改革をする一つの目的というのは、これはちょっと抽象的な言い方になるかもしれませんが、これからの教育の諸制度がいろいろございますので、この制度について、社会の変化あるいは文化の発達等々のそういう条件に対して柔軟な取り組み方ができるような制度でなければならぬのではないか。現実の問題としては、量的にも拡大し、レベルも世界が注目するほど高い。しかし、国民のどこからもみんな、教育がどこかおかしい、教育をやはり改革しなければならぬ、これはどの政党もおっしゃっておられる。 量的にも拡大し、レベルも高いのに、なぜ悪いのだろうかということをいろいろ突き詰めて議論をしてまいりますと、昭和二十一年三月二十一日、アメリカの教育視察団が来た。そして、その当時に日本の教育制度というのが戦後のスタートをいたしたわけです。いろんな、その中にももちろん改善もなされたものもございますけれども、やはり制度としては昔のままになっている。 例えば人間のいわゆる寿命というのも、その当時は人生五十年という一つの基準であったかもしれませんが、今日では八十年というふうになる。あるいは就学前の教育も、峯山さんや私どもまでの時代は必ずしも幼児教育なんというのは徹底していなかったけれども、しかし就学教育というのは家庭や社会において、これはある意味では、完備しているというわけにいきませんが、かなり行き届いたものがあったと思う。今日は保育所、幼稚園を含めて九五%ぐらいの幼児教育のこの制度は完備をしている。にもかかわらず、核家族化を中心として家族構成がかなり変わってしまっている。そういう中で就学前教育、就学後の教育というのはこれでいいのだろうかという議論も、これはやはり変化に対応していかなきゃならぬことでもあろうと思います。 あるいは今学校の先生が一番お困りなのは、高学歴化社会という社会に入ってしまっている。つまり、昔は先生のおっしゃることというのは、これは学識においても最高のものだと我々は親から教えられてきた。しかし、今では学校の先生並みと言うと大変御無礼ですが、先生と同様な学力を持っておられる親御さんの方が非常に多くなってきている。そういう中で学問がどんどん普及もしておりますが、一方においては、社会全体が高学歴化になりますと、先生の悩みというのは大変だろうと思うんです。そういうこともやはり社会の変化の一つにもあるだろうと思います。 そういう意味で、社会の変化に柔軟に対応し切れないところが、今日そのきしみやひずみの中から荒廃した現象、例えば登校拒否でありますとか、自閉症状児とか、あるいはまた暴力行為、家庭内、校内暴力、いろんなさまざまな問題点というのが出てきておる。 そうしたことが、教育そのものが悪いというよりも、教育の対応ということが十全にどうもとられなくなってきたのではないかということが一つ。もう一つは、地域偏重になって、過熱した学歴社会というものが、結局地域を中心に、今の学校教育ではマスターしなければ社会に出て評価されないというような、そういう環境にもなってしまっている。 その中で、いかにゆとりある教育を精査してやれといって、例えば永井文部大臣が精査して海部文部大臣の際にゆとりある教育というのを展開をした。これは例え話で、教科書を薄くしてかばんを少しでも軽くしてあげよう、そしてもっともっと、余り勉強ばかり教えるのじゃなくて、人間の完成ができるように、人格形成を目指せるように、そういうことを学校の教科の中にもっと入れるべきだということの配慮でやったけれども、結果的には国民の皆さんからはどうも余り歓迎をもって迎えられていない。現に国会、衆議院も参議院もそうだと思いますが、私どものところにも請願書が随分来て、もっと英語の時間や数学の時間をふやせというのが随分たくさん書類として積み上げられる。 共通一次も、文化活動やスポーツ活動を通じながら高等学校の学力の到達程度を見ようということでスタートしたはずなのに、あるいは難問、奇問というとてつもない、大学の先生が答えられないような問題をつくっておったということを解消するために、あるいはまた高度経済成長の中で高等教育に進むということの進学率が高まってきた、それに対応してということで共通一次の制度を設けたけれども、事志と違ってどうも最近では、それなりの効果も評価もある一面においては、一方においてはこのことが諸悪の根源だという説もかなりある。 こういうふうに、いろんな諸制度というものは改善をしてみましたけれども、全体的な面でもう一度見直してみる必要があるのではないか。こういうことから、教育制度全般に対してぜひ御論議をいただいて制度として見直してもらいたい、これが今度の教育制度の一つの方向でございます。 ただ、問題点はここからでございますが、そこの目的あるいは審議する事項を明確にしろということは、これはむしろ総理や私が今の段階で申し上げることはこれは大変僣越になる、あるいは審議会そのものを拘束することになる。そういう意味で、基本的、包括的な事柄になるであろうが、それも今、穐山さんにおしかりをいただいて、今言えとおっしゃっても、これはやっぱり国会の論議を踏まえて、国会の御判断が出てから総理が御判断をされることであろうというふうに私どもは申し上げてきているわけであります。ただ、あえて視点などについてそれぐらいのことは言ったらどうかというお話でございましたから、これは穐山さんも例として幾つか、人間重視とかあるいはまた国際性とかいうふうなことを申されましたが、これは時間をかえってちょうだいして恐縮でございますから、総理大臣が施政方針の中で教育改革に関する視点というものを申し上げておるわけでございますので、それが基本的な総理の諮問事項の視点になるのではないかというふうに私は予想をいたしております。 なお、私、文部大臣という立場でも視点は三つほど先ほど申し上げました。これを繰り返すことはかえって御迷惑でございますからやめますが、そういう角度でぜひ幅広く御論議をいただきたい、こういうことでございますので、ぜひ御理解をいただきたい、こう思うわけでございます。
○峯山昭範君 多少視点を変えて、あと二、三質問したいと思います。 教育改革というのは非常に大事な問題でありますし、私たちも今何とかしなければならないというのもよくわかるわけであります。しかし、これは時期的に見て、文部大臣、本当にえらい時期です。これは今、行政改革で、財政再建で本当に御存じのとおり大変な時期でしょう、実際問題として。それで、総理大臣がリーダーシップをとってここまで頑張っておられるわけでありますから、これは何としても成功させなければいけないわけでありますが、いずれにしても教育というのは国家百年の大計でありますし、そういうふうな意味で私が非常に心配する点はどういう点かといいますと、これは大臣、政府はこれから低成長の時代とおっしゃっています、一つは。それからもう一つは、巨大な赤字を抱えて財政再建の真っ最中です。そして、しかも安上がりの政府ということで頑張っているわけです。しかも、増税なき財政再建という命題に取り組んで必死に奮闘しているわけです。 そういうふうな時期に臨教審の皆さん方が議論をする。そういうことになりますと、答申の中身そのものも、そういうものが絶えず頭の隅にちらついて、結局安上がりの教育改革というふうになるのではないかという点を心配するわけです。四十六年の中教審の答申、あれを全部実施するとすれば六十九兆円かかるというふうな記述があるそうでありますが、そういう点からいきますと、これは本当に大変な時代に大変な改革をやらなくちゃいけない。しかも、時期的に見れば非常に厳しいときにこういう改革をやらないといけないと私は思うんですが、この点に対するお考えをひとつお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 教育改革そのものがどれだけの財政を伴うかどうか、これは私がここで申し上げるということは適当ではないと思いますが、もちろん必要によっては財政的な負担というものを政府はしていかなきゃならぬ、これは当然総理が御決意をされた以上は、そのことは十分考慮に入れておられると思うんです。予算委員会でもそうした御質問も、先生もたしかなさったような気がいたしておりますし、何人かの方々からもそういうお話がございました。また、いろんな機関でそうした事柄につきまして必要なものがあるとするならば、当然それについては政府は責任を持っていかなきゃならぬということであると思います。 ただ、教育改革は三年の中でやるということではなくて、三年間の中で議論をしていただく。確かに峯山先生おっしゃるように、大変な時期にということもよくわかりますが、むしろ行政改革を進め、また財政の計画をきちっとしていこう、こういう時期、つまり日本の国そのものが二十一世紀を目指して一つの目標として、肥大化した行政機関というものもやはりある意味ではスリムにもしなきゃならぬでしょう。スリムにするということは単に細くするということだけではなくて柔軟に対応できるように力を蓄えていこうという意味もあるわけで、その力を蓄えて次への飛躍をする。まさに、戦後のこれだけの日本が大きな力を得たというのは教育の成果によるわけでありますから、さらにこれから五十年後、百年後の日本の将来を目指していく場合には、そこを担う子供たちに柔軟な対応ができる教育というものを十分に今のうちから検討しておかなきゃならぬだろう。国の事情というのは大変厳しい時期でありますが、むしろこの時期に将来を展望して一つの目標設定をして、その中で議論をするということが大事だ。 ただ、先ほど先導的試行の際の数字を挙げられての先生の御指摘でございましたが、それは今直ちにやればそういう数字になるかもしれないという、そういう試算というのは出ておったというような気がいたしますけれども、これから臨時教育審議会がどのような形で御論議をされて、どういう提言をなさるかは、私どもとしては今そのことについて意見を差し挟むというわけにはまいりませんけれども、しかしながら少なくとも将来長きにわたっての改革の道というものがあるわけでございます。もちろん、早急に改善をし、早急に制度として取り入れなきゃならぬ面もございますし、あるいはかなりの大きな財政的負担がかかるということであれば、将来においての準備をしていくということもあるだろうというふうに考えるわけでございます。
○峯山昭範君 それでは、先ほども申し上げておきました、これからの問題は通告をした分です。教育改革と行財政改革の関係、特に教育改革に伴う財政需要をどういうふうに確保していくかという問題であります。 まず初めに、六十年度の予算編成と行革審の答申の問題についてお伺いしておきたいと思います。 七月十六日に、臨時行政改革推進審議会の行財政改革小委員会が、「昭和六十年度予算における行財政の改革の推進方策」というテーマの報告を提出しております。特に、文教関係につきましては、五十九年度で抑制期間が終えるということになっておりました四十人学級の計画の実施をさらに抑制すること、それから私学助成総額の抑制など極めて厳しい内容になっているようであります。 そこで、文部大臣は、この六十年度予算編成作業が現在進められ、あるいは近づいていると思いますが、こういうような問題についてどういうふうに臨もうとお考えになっていらっしゃるか、これをお伺いしておきたいと思います。ただし、これは大臣、この問題が出た後、どこかの委員会で大臣は、行革審の小委員会の報告が出されたといってもそれはあくまでも小委員会の報告であって、現在、現時点でその当否や賛否を言うことは差し控えたいという答弁を大臣しておられるんですけれども、それはそれとしましても、これは非常に大事な問題でありますし、これから始まる予算編成の中で重要な問題でありますので、この問題についての、大分日にちもたちましたし、検討も行われていることであろうと思いますので、御見解をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) ちょっとお答え申し上げようと思ったところを先生に先取りされてしまいまして、正直なところ。しかし、基本的には、小委員会の報告でありますので、これが審議会で今議論をして間もなくその答えをいただくということだろうと思いますから、それまでについては今のところはこの問題に意見を挟むということは適当ではないというふうに思っております。 それからもう一つは、六十年度の概算要求の作業が迫ってきておるわけでありますが、まだ財政当局の方向づけというものも明確ではございません。その枠組みもまた定められておりませんので、そのことをまず頭に置かないで議論というのは非常に難しいだろう、こう思います。ただ、先生からもいろいろ今御指摘がございました事柄については、恐らくことしもそういうシーリングが設定されるのではないかということは十分予想されるわけでございますので、文部大臣という立場から見ますと、非常に難しい教育予算を編成しなければならぬ、概算の要求をしなきゃならぬということは私自身も十分にそのことは受けとめておかなければならぬと思いますが、御指摘ありました私学、四十人あるいはまた教科書等々については、私どもとしては何とかしてこのことは少しでも前に進めていきたい、このように考えておるところでございます。今の段階としてはこういうふうに申し上げるしかないと思います。
○峯山昭範君 次に、第一次から第五次にわたる臨調答申というのがあるわけでありますが、この臨調答申を今後どういうふうにしていくかという問題であります。 この行革審の見解は、単に年度ごとの予算編成にのみ影響を与えるというものではなく、いわゆる第一次から第五次までの答申を出した第二臨調の考え方の延長線上にあります。その臨調答申は、教育行政に関する機構や予算の問題はもとより、学校教育の多様化、弾力化の推進、あるいは学校、家庭、社会のかかわりから見た教育のあり方など、いわば教育関係者や文部省の専門領域にまで踏み込んだ教育全体、教育そのものについて言及しております。 そこで、文部大臣はこの臨調答申を今後も尊重していくのかどうか、そしてこの問題について文部省としてどういうふうに取り組んでいかれるのか、これも一遍お伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 臨調答申で指摘されました行政改革の具体化の方策につきましては、大変文教の関連事項が多い。峯山さんがおっしゃいましたように、かなり教育制度について突っ込んだ話をいたしておる点も十分承知をいたしております。教育の弾力化、多様化という方向については、これは臨時教育審議会等で当然議論になっていくことではないかというふうに予想されるわけでありますし、文部省独自といたしましても、文部省の固有の教育あるいは文化や学術に対しまして、その都度必要な改革というものあるいは改善というものも進めてきておるわけでございます。私どもといたしましては、答申の趣旨を十分尊重いだして、行政の簡素化、効率化を進めるという政府全体の方針に沿って所要の改革の推進を図ってまいりました。また、今後ともこの臨調指摘のいわゆる行政の改革あるいは効率化、そうしたことについては私どもも十分その中で対応していかなければならぬ、このように考えておるところでございます。
○峯山昭範君 当然、臨調の答申は尊重していく、政府としてはそういうふうな方向でなければいけないと私は思うんですけれども、これからの問題として、臨調答申とこれから審議が行われ答申が出てまいります臨教審の答申とのかかわり合いという問題があるわけであります。 それで、政府が臨調答申というのを尊重して教育行政を進めていく、今、大臣はそうおっしゃっているわけでありますが、臨時教育審議会のこれから行われる教育全般にわたる答申が出された場合、政府はそれをそのまま尊重して施策に実施する。尊重義務というのがありますから、当然尊重してやるのだろうと私は思うんですが、その場合、この臨調答申を前提として、臨調答申の枠内でそれを尊重するということになるのか、臨調答申をはみ出した答申が出てきた場合に、そこら辺のいわゆる整合性といいましょうか調整はどういうふうにするのか。もっとわかりやすく言うと、臨調と今の臨教審とどっちの答申を尊重するのかということです。もっと言いますと、臨教審の委員の皆さん方は臨調のいろんな答申やそういうものを頭に入れて、その枠内で審議が行われるのか。そうすると、枠内で審議が行われればそれからはみ出したやつは出てこないわけですから、そういうことになってくるのか。初めからそういう枠がかぶせられているのか。これは非常に大事な問題だと私は思うんですが、ここら辺のところはどうですか。
○国務大臣(森喜朗君) 改めて申し上げることではかえって御無礼だと思いますが、行政改革は変化に対応して適正かつ合理的な行政の実現を目指すというものでございます。文部省といたしましては、当然このような臨調答申の趣旨を踏まえて行政の簡素化や効率化を進めるために改革を図ってまいりましたし、これからも図っていかなきゃならぬと考えます。 今回の教育改革につきましては、これは臨時教育審議会においてどのような教育改革の方策を取りまとめていくのか、あるいはまた第二臨調の指摘による行政改革の問題等についてどのようにこの範囲の中で考えていくのか、これは審議会自身でお決めをいただくということになるであろうと思いますが、私ども関係する担当の大臣といたしましては、行政改革も、この臨調の指摘というものも十分その中に踏まえて御議論をしていただきたいという期待は当然持っていかなければならぬと思います。 したがいまして、臨時教育審議会設置法案の第三条におきまして、審議会の答申等を受けたときはこれを尊重しなければならない旨を政府として規定をされているわけでございますので、政府としては臨調答申の整合性というものも十分配慮しながら臨時教育審議会の答申内容の実現のために最大の努力をしていくということを今の段階で申し上げることが適当であるというふうに考えております。
○峯山昭範君 それは尊重するというように大体みんななっているんです。しかし、それでも一生懸命、精力的に尊重するように頑張っても、やっぱりどこか残るわけです。ですから、四十六年の中教審の答申にしても、数からいえば大部分は実施した、三つだけ残ったというぐらいのものですから。しかし、実際問題としては残ったのが非常に大事だということになることもあるわけです。 それはそれとして、大臣、三月の予算委員会のときにもこの問題については質問を私はしたつもりなんですけれども、要するに、ここら辺の臨調の行革、それから臨教審の答申、それから財政再建、こういうふうな問題の整合性というのはどうしてもどこかで調整をする必要がある、こういうふうに考えているわけです。三月の予算委員会では、文部大臣はこういうように答弁されているんです。教育問題にも長期的問題と短期的な問題が、あります、四十人学級計画や私学助成、教科書無償制度、育英奨学制度などはいわゆる文部省固有の所掌事務であり、短期的な課題として臨調答申の対象になっているものであり、新しい審議会が検討課題とする二十一世紀を展望した教育全般のあり方を見直すことは直接に対立する関係になるものではない、新しい審議会には自由濶達な議論を期待している、こういう答弁をしておられるわけであります。 しかし、これを後でよく読んでみると、大臣、 これからできる審議会で審議する課題が二十一世紀を展望した教育全般のあり方を見直すということになれば、大臣が言ったこの文部省の固有の制度そのものも対象になるのは当然でありまして、固有の制度だから二十一世紀の方とはかち合わない、こう大臣はおっしゃっておりますけれども、実際はそれがかち合うわけです。ですから、そういうような意味で、僕はその問題がテーマになるとかならぬとかということは別にして言っているわけです。 それで、この同じ問題について、当時の後藤田行政管理庁長官の答弁はこうおっしゃっているんです。新しくできる教育審議会がどう審議をしていくかは定かではないが、行政改革の第二臨調答申を頭に置きながら適切な審議、適切な答申があるものと考えている、こうおっしゃっているわけです。新しくできるこの審議会の審議に当たっては、第二臨調の答申、こういうようなものをがっちり頭に入れて、財政再建中の厳しいお金のないときだからしっかり構えてもらわなければ困る、こう行政管理庁長官は言うておるわけです。それぞれ大臣のおっしゃることをよく後で見てみますと違うんです。 それから中曽根総理大臣は、つい先日の七月二十一日の自民党の夏季セミナーで、行政、財政、教育の三つの改革断行の意欲を改めて強調したいということで、その中にいろいろ細かいこといっぱい書いてありますが、きょうは読みません。 いずれにしても、これは要するに、これから進める教育のこの新しい審議会と第二臨調とのかかわりをどうするか。文部省としては第二臨調の答申は尊重するとは言いながら、第二臨調の答申というのは少なくとも第一次から第五次までに分けて答申の中身いっぱいあるわけですが、それが全部枠になるということになってくると、今度の新しい審議会の審議のやり方というものは随分変わってくる。例えば、もっと簡単に言うと、大臣がここで、いや新しくできる審議会の委員の皆さんは第二臨調の答申やそういう問題については全く気にしないで、それこそ国家百年の大計なのだから、二十一世紀を目指してちゃんとした教育改革をしなければいかぬのだから、そういうことは全く考えないで本気でその問題をフリーに考えてもらいたいと大臣はおっしゃるのか、後藤田長官の言うように、第二臨調の答申を頭に置きながら適切な審議、適切な答申をやってもらいたい、こう言うのか、これはまるきり方向が違います、ほんま言うたら。これは非常に大事な問題だと思うんですが、大臣の御見解をお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 先ほど私の予算委員会の際の答弁も先生が引用していただいたわけでございますが、私といたしましては、もちろん国務大臣という立場で行政改革をこれは守っていかなきゃならぬ、臨調の指摘も重視していかなきゃならぬというのは当然のことではございます。しかし、その中にあっても、いろんな工夫を凝らしながら教育の少しでも充実した諸制度を完備していく、あるいは厳しい情勢の中で予算を獲得していく、そのことは文部大臣として大事な仕事だと思いますし、そのことは私自身の願望にもつながっているわけでございます。 したがって、先ほど先生が引用されました予算委員会の答弁も、まさに将来の教育改革は将来の教育改革として御論議をいただきたい。当面の問題としての四十人学級でありますとか私学の予算とかいうことについては、これはやはり短期的な問題でございますので、当然臨調の指摘の中で、行革の枠の中で進めていかなければならぬ。しかし、最大限の努力をすることはもちろんという前提で申し上げているわけでございます。 先ほどからしばしば臨時教育審議会にかける諮問事項ということについての論議が出ておりますけれども、臨時教育審議会には私どもとしては余り大きな枠をはめてしまうということはいかがなものか、できるだけ自由な論議をしていただきたい、こういうふうに私自身も国会で再三答弁をいたしております。したがいまして、臨時教育審議会の皆さんが臨調の指摘等についてどういう判断でいくかということについては、これは会長、そして委員の皆さんで十分に御論議をしていただきたい、こう思いますが、私は、今、先生がまさに御指摘されたとおり、国家百年の大計を論議するときでございますので、そうした余り枠をはめた論議ということはかえって委員の中での濶達な論議ができにくいという面もあるのではないか、私はこのように考えます。 例えば、教育基本法のときもこれは衆議院段階で随分御議論をいただいたところでありますが、教育基本法は変えない、そしてそのことも十分その中で議論をしてもらいたい、こう申し上げておりますが、義務教育の年限等ということについてしからばそれは触れないのか、こういうふうに御質問をいただいた際にも、私はそのことも踏まえて十分な論議をなさっていただいた方がいいのではないか、要は教育基本法の精神というものを着実に守るということが大事であって、論議そのものは余り拘束をしないということが将来の百年の計の教育を議論することにふさわしい、こういう私は立場をとってまいりました。 したがいまして、今、先生から御指摘いただきましたところも大変難しいところでございますが、文部大臣という立場で、最終的にはこれは総理が御判断をされて諮問されることでございますが、私の立場からまいりますと、でき得れば自由な論議をやっていただくということが日本の将来の教育にとってとても大事なことだというふうに私は願望も込めてそんな考え方も持っているわけでございます。当然、したがって答申をいただきました際のことが整合性があるかということにこれからの後の判断は出てくることだろうと思いますが、その点について答申を受けて政府がそれを守っていくということの義務は持つわけでございますが、当然そこのところで第二臨調との整合性については十分考慮し、配慮しながら政府として具体的な実行をしていくということになるのではないかというふうに考えます。
○峯山昭範君 大臣のおっしゃらんとすることはよくわかるんですけれども、教育改革というのはお金がかかると思うんです。これは四十六年の中教審の答申を見ましても、お金なしで教育改革ができるなんて思いません。そういう点からいきますと、今のこの行革の問題と、私は、先ほども言いましたように、時期的な問題として非常に厳しい時期にあるということです。そうしますと、これは文部大臣はできるだけフリーな審議をやっていただきたい、そういうふうに思って、そういうふうに諮問されるのかもしれませんが、少なくとも同じ委員会で同じときに答弁していただくと、そのほかの大臣は違うことを言うわけです。現実に今第二臨調の財政再建中であるからこういう厳しい情勢にある、その第二臨調の答申はきちっと基本として頭に入れていただかないと困る、こういうことになるわけです。 ですから、そういうふうな意味で、総理がどういうふうに諮問されるのか私はわかりませんが、この問題について諮問するときに総理がどう言うかというのは、これは非常に重要な問題なんです。委員の皆さん方は、第二臨調、行革の最中でありますから、この問題を頭に入れて審議してくださいと言うか、いや、こういうことは全く考えないでフリーな立場でちゃんとやってくださいと言うか、非常にこれは重要な立場だと私は思うんです。この問題、大臣としても早急にそこら辺のところは議論をしておいていただきたいと思うんです。 それから、それと同じことになるんですが、これはその先の話ですが、臨教審の答申が三年後に出ます。あるいは途中で出るかもわかりませんが、その出た答申が臨調の目指すいわゆる行財政改革の方向と相入れないものになる可能性もあるわけです。例えば、四十人学級をすぐやれということになるかもしれぬ。そうすると、第二臨調はもうちょっとやめておけ、こう言うておるわけですから、そこの調整というのは非常に難しい問題が出てくるでしょう。そういうふうな場合に、こ れは文部省としてはどういう態度をとるか。第二臨調の方針を守るのか、あるいは臨教審の答申を守るのかということが出てくるわけです。 そういう場合に、そこら辺の整合性のある調整というのはこれはどこがやるのか。最終的にはこれは総理がやると言ってしまえばそれで終わりかもしれませんが、非常に重要な問題であろうと思いますし、そこら辺のところに対する配慮。あるいはもう一つは、そういうふうな非常に厳しい中でのいわゆる審議が行われるわけでありますから審議をやる場合にも今度は臨教審の委員の皆さんに対する、大臣が絶えずおっしゃっておりますように、自由濶達な審議ができるようにということで、そこら辺の委員の皆さんに対する政府からの圧力、余計な口出しというのがあるんですが、そういうようなものは途中でしてはいけないと私は思うんです。そういう二つの点を、あわせて御見解をお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 総理が諮問事項について御判断をなさると思います。その前段階といたしましては、当然、教育行政の責任にある私との間でいろんな協議もいたさなければならぬと思います。そういう中では、今、先生から御指摘をいただきましたような事柄等も含めて、国会でありました論議については十分総理に報告もし、そしてその点についてはそうした矛盾が起きないような、そうした諮問というものを十分考えなきゃならぬと思います。基本的には、審議をしていただくことの御論議はできるだけ枠をはめずに自由に論議をしていただくということになりますが、それをいよいよまとめていくという段階になりますと、事務局を中心にして委員の皆さんの意見を取りまとめるということになりますが、その段階でそうしたことに整合性を持たせるように考えていかなきゃならぬと思います。 ただ、これは私が申し上げることは越権だとあえて申し上げて申し上げるということのお許しをいただきたいわけでありますが、議論をいただくのは三年間でございまして、そして教育の制度を見直して新しい教育制度を展開するのはそれから後のことでございます。したがいまして、財政がどのような形にこれから推移していくかということもまだこれは予測はできません。長期的に展望いたしました際に、例えば相当の経費がかかり得るということなども出てきた場合に、これをどこから始めるかということのいわゆる時期というものもこれは考慮できるわけでございましょうし、あるいは短期間にやらなければならぬというようなことなどについてはケース・バイ・ケースで判断をしていくということも出てくると思います。 要は、三年間の中で教育改革をやってしまうということになりますと、今、先生が御心配いただきましたような点はたくさん出てくるだろう、こう思いますが、あくまでも御審議はこの三年間で論議をしていただく、実行していくことについては長期的にかなりの時間をかけるということも出てくるのではないか。あるいは論議をすることによって、場合によれば、これは衆議院段階で総理も答えられておりましたが、改革に必要だという答えが出れば、それは必要な財政的な負担は当然していかなければならぬ、このようなことも総理は答弁として申し上げているわけでございまして、いずれにいたしましても、取りまとめをいたします段階に十分そのことの整合性があるように留意をしていきたい、このように考えております。 要は、この教育改革は私、文部大臣という立場で、将来の日本の教育がより充実して、そして教育制度が本当にすばらしいものになってほしい、こういう私は希望に燃えてこの臨時教育審議会にお願いをしたいという気持ちでございますので、このことも十分総理に申し上げて諮問事項を決めていただきたい、このように考えておるところでもございます。
○峯山昭範君 大臣がお考えのように、財政事情が三年後にそれはすぐ解決しているわけじゃありませんから、何十年か先に、何十年と言うと余りあれですが、十何年先に財政事情がよくなって、しかも臨教審の答申が十分実施できるような財政状態になっておればこれは問題がないわけです。しかしながら、現在の財政事情、これは好転する見込みありません。今、昭和五十九年でしょう。それで今の百二十兆円の赤字公債を昭和六十五年に解消しようということでしょう。もう既に六十五年までは見込みはない。政府が立てた計画がすんなりその年度で終わったことがないんですから、大体それからまたずっと延びます。ですから、三年後に出て、三年後なんてまだ真っ最中ですから、とても無理です。それからいってもちょっとやそっと、簡単に財政事情が許せるような状態になるような気はしないわけです。 そこで、そういうようないろんな点を考えてみまして、きょうは具体的に幾つか第二臨調の第一次から第五次までの答申の中身が文教政策の中で予算的にどういうふうに反映しているかという問題もお伺いしたかったんですが、余り時間もありませんので、具体的な問題として幾つか取り上げてみたいと思います。 まず、私学助成の問題について。これも臨調の第三次答申で出ておりまして、大臣も相当この問題については頑張ってこられたわけでありますが、第三次答申は、「私学助成については、当面総額を抑制し、その配分に当たっては、私学の独自性が十分発揮され、その質的向上が図られるよう、適切な教育・研究プロジェクトについての助成を重視する等の改善を図る。」、こういうふうになっているわけであります。ところが、その後の文教予算はまさにこの臨調の指摘に忠実であるというのか、忠実以上の、助成の削除が始まっているわけです。 それで、大学、短大等に対する経常費助成について見ますと、私の手元にデータやいろんなグラフが全部来ておりますんですが、それは別にしまして、昭和四十五年度が百三十二億円、私学振興助成法施行の五十一年度が千二百九十億円であった経常強助成が五十六年度に二千八百三十五億円となっておりまして、その後五十七年度は同額に据え置かれ、五十九年度には二千四百二十八億円まで今度は減額されております。 私立大学の経常的経費の総額に占める割合は、五十五年度の二九・五%をピークにしまして、五十九年度は二二%程度まで下がるように推計をされております。さらに、六十年度予算では、大蔵省は行革審報告などを背景にしまして一〇%以上の削減率を考えているということでありますから、私学助成が法律上制度化された私学振興助成法の成立にはこれは文部大臣も相当尽力されて、その当時のことを御存じだと思いますが、あの当時の私学経常費助成については五〇%をめどにするということになっていたわけでありますが、実際問題としては、これが臨調答申後年々削除され、また減っておるわけです。 こういう問題については、大臣どういうふうにお考えですか。これは事務当局でも結構ですが、この問題について御見解をまずお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 私学の経常費助成は、先生から御指摘がありましたように、私ども法律制定をして国会にお願いしました際、二分の一以内という、しかし私どもの気持ちは、二分の一をめどにしたい、そういう気持ちで、この私学の法律の精神はまさにそこにある、このように考えております。また、私学が日本の教育に果たしている役割というものも、高等教育機関についても特に八割というシェアを占めているわけでございますので、まさに日本の教育の大きな位置づけをいたしておるということも私どもとしては大事に受けとめておかなければならぬということでございます。 先生も御承知のように、今数字でお示しをいただいたように、年々この私学助成については、シーリングの枠の中に置かれまして厳しい状態になっておりますことは、大変残念なことでございます。私は、個人といたしましては、いつも国会でも申し上げておるのでありますが、国立の大学等につきましては、これは公務員の給与ということで枠外になっている。私立学校の私学助成も実質的には八割が、実際はこれは人件費に充てられているというのが実績でございますから、そういうことから考えますと、この私学の助成というものは、ある意味ではこれは人件費と同じような扱いをするのが当然ではないかという主張、これはまた文部大臣としても、私はそのことは、そういう気持ちは今でも持っておるんです。予算編成の際にもいつも私はその点については、事前にも、党の立場のときからも大蔵省あるいは大蔵大臣にもそう申し上げてきたところでございますが、残念ながら今日まではやはりこれは同じような枠の中にとどめ置かれているということについては私自身も大変残念だ、こう考えておるわけでございます。 したがいまして、五十七、五十八、五十九とゼロシーリングからマイナス五、マイナス一〇というシーリングの枠の中におさめられましたので、この範囲の中で私どもとしては最大限の努力をして予算を計上させていただいた。五十九年度におきましては、大学につきましては十二%まで下げられましたけれども、高等学校以下については直接の国民のかかわり合いの深い教育であるということから一〇%ぎりぎりのところでとどめさせていただいて、逆に交付税である程度のこれはめどをつけていただいて、前年と変わらないという形をとったのもこういう考え方からでございました。 しかし、これからは大変厳しい状況の中で、まだ大蔵省としての枠は設定はされておりませんので、今の段階ではただ一生懸命にやるということしか申し上げられないわけでございますが、私はでき得れば、こうした私学の助成というものの実際の中身というもの、こうしたことも十分考えて私学助成については最大の配慮を党としてとってもらいたい、こういうことを政調会長あるいは副会長の方にも申し入れを、これは非公式でございますが、今いたしておるところでございます。 全体の枠としてシーリングの枠の中に置くのか、あるいは基準方式というような話も政調会長からも出ておりますが、このことはどういう意味をなすものかはまだ明確ではございませんが、聞くところによりますと、優先順位、プライオリティーの問題だということも耳にもいたしております。そういうような事情というものをある程度勘案していくということであるならば、私学助成については十分これまでの経緯、法律の精神、そうしたことを十分踏まえて、私学助成については人件費ということの性格もございますので、十分配慮をしてもらいたいということを私は現段階では党に働きかけをしていきたい、こういうふうに考えているところでございます。
○峯山昭範君 大臣、私学の助成の問題というのは、これは経常費助成ですか、私学と国公立との格差を埋めるためにはこの助成を上げる以外にないのじゃないか、そんな気がするわけです。これは、臨調が指摘するように、研究プロジェクトを重視するなど配分基準をどう見直すにしても、現在のこの資料によりますと、大学生四人のうち三人は私立大学の学生ですし、国公立大学の学生に比べて格差というのは歴然としてあるわけです。教員一人当たりの学生数とか、これは数字いっぱい出ておりますが、私の手元に資料としては届いておりますが、学生数は国立が八・六人に対して私立が二十五・六人、学生一人当たりの校地の面積ですか、これは国立が三千五十九・四平米に対して私立は九十四二一平米、学生一人当たりの教育費が国立が二百六十七万九千円、私立が百十四万四千円、これは五十七年度です。それから授業料は、国立が二十五万二千円、月額二万一千円、五十九年十月から、私立は四十五万円。 こういう状況でありますから、どれを見ても、例えば私大のマスプロ教育の物差しである定員に対する水増し率、これも年々改善されて、五十八年度で一・三六倍、こういうわけでありますが、私立大学の授業料や納付金がほぼ限界に来ている。そういう点からいきますと、この私学助成という問題が非常に重要になってまいりまして、初めの方針どおり五〇%に近づけるということが非常に大事になってくるわけであります。こういう点も配慮していただきたいと考えております。 それで、何で私こんなことをやるかといいますと、こういう臨調の答申が出ると、今文部省としてはそれをどんどん進めているわけです。ところが、実際問題としては、我々としては臨調の答申どおりにしてもらいたくない問題もあるわけです。ところが、文部省というのは非常にまじめで、こういう点についてはすぐさっささっさ進めているわけです。そういう点が非常に問題なのであります。ですから、そういう点を含めまして、これから財政面を抜きにして教育論議というのは実際できないということになるわけです。 したがって、臨調の答申とこれから審議されて答申が出てくるでありましょういわゆる臨教審の答申との財政面でのかかわりというのをどうするかというのが今後重要な問題になってくると私は思うんですけれども、そういう点を含めまして、財政面を抜きにした教育論議というのは机上の空論だと言う人がいるんです、実際。ですから、そういうような意味では、机上の空論にしないためにも財政的な裏づけというのが絶対に必要になってくる。そういうふうな意味で、やっぱり文部省としてもそこら辺のところに力点を置いて、がっちりした諮問の仕方あるいは考え方を明確にしていただきたいと私は思うわけであります。御答弁をいただきたいと思います。
○国務大臣(森喜朗君) 私も、教育論議というものは、財政的な裏づけといいましょうか、そうしたことを頭に置かずして議論というものはあり得ないと思っております。先ほどから先生に御指摘をいただきましたように、私自身も党におりまして文教関係の仕事をずっと続けておりまして、したがって教育の諸制度というものを充実させていくということについては、やはり財政的な問題と必ずここで交錯をしてまいります。したがって、臨時教育審議会ではどのような事柄を御審議いただくということは、私の今の立場で申し上げることは越権でございますが、当然、総理が諮問事項を決める。あるいはこれから御論議をいただく臨時教育審議会の審議内容、教育にかかわる公の徴用、国が持つ負担、あるいは個人が持つ私的経費、こうしたことは当然私は論議があるだろうと思うんです。そういう御論議がなければ、将来の教育諸制度などというものは議論ができないと私は思っております。 総理がどういうお考えを持っておられるかということについては私がここで申し上げることはまだ適当ではないと思いますが、国会では、先ほど申し上げたように、総理も必要があるということであるならば財政的なものはきちっとしなければならぬということも答弁をしておられます。中曽根さんといたしましては、中曽根内閣の最大の課題に教育を据えているわけですから、教育は大変大事なものなんだ、教育をより大切にしたいという中曽根内閣の姿勢を国民に信頼をしていただいておるわけでございますから、当然そのことを十分に踏まえての論議がこれからあるであろうというふうに考えますので、先生からのせっかくの私に対する激励も加えての御質問であるというふうに私は受けとめさせていただいて、先生の御指摘にありましたように、総理にこのことについても十分含めて諮問というものをしていかなければならぬということは申し上げたい、こういうふうに思っておるところでございます。
○峯山昭範君 時間が参りましたので、あと臨教審の運営とか人選の問題、あるいは臨教審での審議の内容と諮問内容、審議のあり方等につぎましては同僚議員の質疑に譲ることにしまして、本日の私の質疑はこれで終わりたいと思います。
○委員長(高平公友君) 両案についての質疑は、本日はこの程度にとどめます。 本日はこれにて散会いたします。 午後六時二十八分散会 —————・—————