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101回国会参議院1984/02/15

国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会 第1号

発言数
78
登壇者
13
会派数
6
開催日
1984/02/15

会議録

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) ただいまから国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会を開会いたします。  高齢化社会に関する件を議題とし、高齢化社会の基盤及び高齢化社会の福祉のあり方について参考人から考見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、四名の方々に御出席いただいております。  まず、厚生省人口問題研究所所長岡崎陽一君から意見を聴取いたします。  この際、岡崎参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ小委員会に御出席いただきまして、ありがとうございました。  本日は、高齢化社会の基盤につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。  また、議事の進め方といたしましては、まず四十分程度御意見をお述べいただき、その後二十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いをいたします。  それでは、岡崎参考人にお願いをいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) おはようございます。ただいま御紹介いただきました厚生省人口問題研究所の岡崎でございます。  ただいま委員長から御指示のように、高齢化社会の基盤につきまして私が知識を持っております程度で陳述と申しますか、お話を申し上げたいと思います。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) どうぞお座りになって結構でございます。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 資料を使わしていただきます関係で座った方がありがたいので、それでは失礼いたします。  高齢化社会の問題が最近随分あちらこちらで多くの議論を呼んでおりますが、その際に、私ども人口問題を研究しております者がしばしばお招きにあずかる機会がございますが、恐らくこれは、人口高齢化という現象が客観的な事実として起こっておりまして、その人口高齢化ということから諸問題が社会経済の側面に起こってまいります。その意味で、人口の高齢化の将来を展望するということが高齢化社会の基盤をお考えいただくときの基本的な条件になるからであると存じます。この点は私もそのとおりだと思いますので、本日はせっかくお招きいただきましたので、人口問題の観点から人口高齢化の見通しについて述べ、それに関連いたしまして経済社会の諸方面に起こってくると思われる若干の事実を述べてみたいと考える次第でございます。私の後に、この問題についての各論的な御専門の方々をお呼びいただいておりますので、細かい点はそれらの先生方にお譲りをいたしたいと思う次第でございます。  まず第一に、人口高齢化がなぜ起こってくるかという原因でございますが、人口高齢化が起こるということを既に御存じの時点で高齢化の原因をお話しすることは、ある意味ではむだであるとお感じかもしれませんけれども、高齢化の対策をお考えいただくときにも参考になると思いますので、まず第一点として、人口高齢化をもたらす原因が我が国の場合についてどういう点にあるかということを簡単にお話ししたいと思う次第でございます。  その第一点は、出生力の推移、もっと具体的に申しますと、我が国の出生力が低下をしておる、そして現在でもかなり低い水準にとどまっている、将来もまたそうであろうということが大きな問題点であるのでございます。御存じのとおり、我が国の出生率は、大正九年ごろから、つまり戦前から既に緩やかな低下を始めていたのでございますが、戦後になって出生力の低下が特に著しくなったと思います。戦前の出生力の低下は、ある意味で経済社会が進歩していくのに伴った自然的な低下であったわけでございますが、戦後の我が国の出生力低下は、まさに近代的な出生力低下と呼ぶに値する大変目覚ましくかつ急速なものであったという点が大きな特徴でございます。そしてまたその点が、我が国の人口高齢化を急速にする大きな原因になっているわけでございます。  御存じのとおり、昭和二十二年から二十四年にかけましてベビーブームが起こったわけでございまして、そこに配付していただきました統計資料がありますが、その表の1に出生数並びに出生率の数字を掲げておきましたが、昭和二十二年の一年間の出生数二百六十七万九千人、また、その年の出生率三四・三パーミルというのは、今日では発展途上国でしか見られない高い出生率でございましたが、これが戦後のベビーブームという事態の現象でございます。特殊な事情がございまして、戦争中に結婚することができなかった人々、また結婚しても子供を産む余裕がなかった人々が戦後に結婚をし、そして出産をいたした、そういった特殊な事情で三年間ベビーブームが起こったわけでございます。  問題はその後の急速な出生力の低下にございますが、同じく表の1にごらんのとおり、昭和三十年になりますと一年間の出生数は百七十三万一千人、出生率で一九・四パーミル、昭和三十五年には一年間の出生数百六十万六千人、出生率は一七・二パーミルになっているわけでございます。ベビーブームは特殊な高出生率の時代でありましたけれども、十年間のうちに出生率が半分に低下してしまった。また一年間に生まれる子供の数が百万人の落差で少なくなっているという事態でございます。この戦後の出生力の低下、そして今日までそのような低い出生率が続いているのでありますが、戦後の我が国の経済の発展、それから都市化等々、いろんな社会経済条件が日本の人々全体の中に少産という意識を植えつけ、そして今日のような低出生率の状態が続いているわけでございます。  ただ、表1をごらんいただきますと直ちにお気づきのとおり、昭和五十年代に入りまして出生数が急激に減少をしております。昭和五十年が百九十万一千人の出生数でやや多かったのでありますが、昭和五十五年に百五十七万七千人、五十八年には百五十一万という少ない出生数になっております。また出生率も、昭和五十年に一七・一パーミルであったのでありますが、五十五年には一三・六、五十八年には一二・七と継続的に出生率が低下をしておるわけでございまして、このことについて人口高齢化と関連づけた上で、一部専門家の間にも我が国の出生率が極めて特徴的な低下をしている、そしてこの状態が続けば我が国の高齢化は、後で御説明いたします我々人口問題研究所の推計人口よりも、もっと厳しい高齢化に当面するのではないかという意見を述べる専門家がございますが、この昭和五十年代の出生率の低下につきまして我々研究所の研究結果によりますと、五十年代に入った特殊な事情によって出生数並びに出生率が低下しているという判断をしておるわけでございます。その根拠といたしましては、昭和五十二年に行いました第七次出産力調査並びに昭和五十七年に行いました第八次出産力調査の結果によりますと、一組の夫婦が生涯に産み残します子供の数が、昭和五十年代に入りましても二人を少し超える大きさに安定をしておるわけでございまして、この子供数、出生力は昭和三十年代、四十年代の出生力と全く変わっていないという結論が得られております。  また、しばしば、若者の間で結婚を忌避する意識が強まっている、したがってまた、出生数も将来低下するであろうという意見が述べられておりますが、昭和五十八年の第八次出産力調査で独身者を対象にした調査をいたしましたが、この結果もまた若者の間でさほど強い結婚忌避志向が見られるわけではなくして、日本人の従来どおりの、生涯のうちいつかは結婚をするという意識がずっと強く残っていることがわかった次第でございます。  ただ、昭和五十年代に入って起こりました顕著な事実は、結婚が徐々におくれておるという事実でございまして、昭和四十年代から始まりました高学歴化、特に女性において言えることでございますが、その高学歴化の結果結婚年齢が少し後ろにおくれている。そしてまた、学校を卒業いたしましてから一時就職をする、結婚がおくれる、結婚がおくれるからまた出産時期もおくれていく、こういう現象が五十年代に起こっておるのでございまして、このことが五十年代に入っての出生数の減少、出生率の低下を説明する、こういうふうに判断をしている次第でございます。その意味で、後で述べますとおり、我々の研究所の将来推計人口では、昭和三十年代、四十年代に見られました平均子供数二人という安定した出生態度が将来も持続するものとして計算をしているのでございます。しかし、この出生数の戦後の低下と出生率の低下が今後かなり急激な人口高齢化をもたらすということについては既に述べましたとおりでございますし、また後で推計人口を使って御説明する次第でございます。  それから、人口高齢化の第二の要因として、死亡率の低下という事実を挙げることができます。我が国の死亡率は、戦前から既に順調に低下をしていたわけでございますが、これまた出生力と同様に、戦後特に顕著に死亡が減少をしているのでございます。その事実は表の1並びに表の2でごらんいただくことができるのでございますが、死亡率が低下をした結果として我が国の平均寿命が大変顕著に延びておる次第でございます。  表の2で、昭和二十二年当時、男女ともにようやく平均寿命が五十歳を超えたのでございますが、三十年代に入りますと、男女とも平均寿命が六十歳以上の状況におり、五十年代になりますと、平均寿命が男女とも七十歳を超えるという状況になっております。最近の生命表によりますと、女子の場合は既に八十歳に近い平均寿命に達しておるという次第でございます。  表の2の真ん中の欄に、「六十五歳まで生きる割合」という数字を挙げておきましたが、昔の場合、昭和二十二年の場合には、生まれました男の子供のうちで六十五歳まで生き残れる割合は三九・八%、女の子の場合でも四九・一%と半分に満たなかったのでありますが、ごらんのとおり、五十七年の最近の生命表で見ますと、男の子百人中八十人が六十五歳まで生き残る、女の子でありますと百人中八十九人までが六十五歳まで生き残れる、そういうふうな高い生存率になっておるわけでございます。  なお、六十五歳で一応高齢者という年齢に入るわけでございますが、その時点での余命はどのぐらいになっているかというのが表の2の一番右側の欄に書かれております。五十七年の最近の状態では、男の人が六十五歳に達した時点でなお十五・一八年の平均余命を持っておりますし、女性の場合には六十五歳時点で十八・三五年の平均余命を持っている。したがって、ごく単純な足し算をいたしますと、最近の寿命でありますと、男性は六十五プラス十五・一八ですから八十・一八年、女性の場合は八十三・三五年生きられるという計算になるわけでございます。つまり、人口の高齢化という現象をもたらしている一つの大きな要因として、死亡率が顕著に低下をしたということを指摘することができます。  我が国の死亡率がこのように顕著に低下をすることができた理由は、比較的単純明快に説明ができるのでございますが、昔は結核、肺炎、気管支炎、胃腸炎というふうな、あるいは伝染病による死亡が極めて多かったのでございまして、既に乳児の段階で多くの生命が奪われたのでありますが、今日では抗生物質等有効な医薬が開発されまして、伝染病による死亡の危険は極めて少なくなりましたし、また、健康保険制度の発達によって多くの人が非常にすぐれた医療に接することができるということで、病気による死亡が少なくなったということでございます。ただ、最近わずかに残っております死亡原因といたしましては、がん、脳卒中、心臓病という、いわゆる成人病による死亡が大きなウエートを今占めているのでございまして、厚生省のつくりました死因別の生命表によりますと、もしがんがなくなった場合には男の平均寿命がさらに三年ほど延びるだろう。女性の平均寿命がさらに二年ほど延びる。それから、脳卒中による死亡を完全にコントロールすることができれば男の平均寿命が二年ほど延びる。女性の平均寿命も二年ほど延びるであろう。心臓病が完全になくなった場合にも男の平均寿命が約二年、女性の平均寿命も同じく約二年延びる。こういうふうな計算でございます。ただこの計算は、もし完全にがんがなくなってがんでは死ななくなった場合というふうな意味でありまして、がんで死なない場合には脳卒中で死ぬとかほかの死因で死ぬことがありますので、一つの仮定的な計算でありますが、成人病による死亡が今それほどの大きさのウエートを占めているということを申し上げることができると思います。したがって、もし仮に今後がんの予防あるいは治療その他成人病の予防が進みますとさらに死亡率が下がりますので、我が国の人口の高齢化は一段と進むであろうということを申し述べることができます。  次に、二番目の項目といたしまして、人口高齢化の見通しについてお話を申し上げたいと思いますが、これにつきましては、我々の研究所が発表いたしました将来推計人口が一番私としては頼りになると存じます。その数字は、統計表としては表の4に結果を掲げてございます。将来推計人口は五十六年の十一月に発表したものでございますが、五十五年国勢調査で明らかにされました日本人――日本人といいますか、日本に住んでいる外国人を含む総人口の男女別、年齢別の人口を基礎人口にいたしまして出生率について一定の見通しを立て、また死亡率についても一定の見通しを立てて、コウホート要因法と言われております将来推計人口を計算するに一番オーソドックスな方法を使って計算をしたものでございます。  この際、出生率の見通しをどうしたかということが一つのポイントでございますが、先ほど申し上げました理由で、この推計を計算いたします時点はまだ出生率が低下中の時点でございましたけれども、我々の判断では、昭和六十年までまだ少し年々の出生率が低下をするであろう。合計特殊出生率という特殊な方法で出生率のレベルを表示しておりますが、一・六八というレベル、合計特殊出生率で一・六八というところまで下がった後で徐々に、先ほどの出産力調査の結果が示しておりますとおり、そしてまた我々が、出産のおくれが起こっておって、そのおくれはやがて回復できるというふうに判断しておりますことを根拠にいたしまして、最終的には合計特殊出生率がいわゆる人口の置きかえ水準に回復するんだと、そういう前提でこの推計を計算をしております。  また死亡率につきましては、最近死亡率の低下速度が少し鈍化しておりますけれども、なお若干ずつ死亡率が低下いたしまして、男性の平均寿命が昭和九十年ごろから七十五・〇七年、女性の平均寿命が同じころに八十・四一年に達する、その程度の緩やかな死亡率の低下を前提にしてこの計算をいたしました。いまから考えてみますと、この死亡率の低下につきまして、専門家の中では、もう少し顕著な死亡率低下が起こるというふうに述べている方もおられますけれども、少し見通しがはっきりいたしませんもので、そのころ我々、今申しましたとおりやや控え目な死亡率の低下を前提にして計算をいたしました。その意味で、もし仮に死亡率がもっと顕著に下がっていくとすれば、高齢者の数がふえる分だけ人口高齢化はもう少しきつくなるであろうということも言えると思いますが、いまのところ我々の見通しました出生率、死亡率の見通しはさほど大きな外れを持っておりませんので、いまのところこの推計でお話をさしていただきたいと思います。  そこで、表の4をごらんいただきますと、ここには総人口とそれから本日のテーマでございます六十五歳以上の高齢者の数並びにその割合が書かれているのでございますが、総人口につきましては、ごらんのとおり昭和八十五年まで我が国の人口がさらに増加をいたしまして、八十五年に一億三千二十七万六千というところに達しますが、その後約六十年ほどにわたって人口が減少いたしまして、昭和百五十五年といいますと計算いたしました出発点からちょうど百年後でございますが、一億一千八百四十九万五千と、ほぼ現在の我が国の人口に近いところで落ちついていくだろうと、こういうふうに総人口の動きが見通せたわけでございます。  その際大きな問題は、六十五歳以上の高齢人口がどういう大きさでふえていくかということでございますが、ごらんのとおり昭和七十五年、今世紀の末に昭和五十五年時点の約二倍でございます千九百九十四万三千人まで増加し、さらに昭和九十年から昭和百二十年にかけまして二千七百万人、あるいは時によっては二千八百万人に近い数字まで高齢者の数がふえるであろうという見通しが得られた次第でございます。そして六十五歳以上人口の総人口に占める割合は昭和七十五年に一五・六%になるであろう。昭和五十五年時点には九・一%であり、今日五十八年時点で九・八%と統計局が推計しておりますが、昭和七十五年に一五・六%という今日西欧諸国が示しているレベルに達します。その後さらにこの割合が増加いたしまして、昭和九十年から百二十年にかけまして二〇%を超える。人口全体の中で五人に一人以上の高齢者があらわれると、こういう事態が来ると予測されます。昭和百二十年以降は少し高齢者数も減少し、その割合もまた減少して、最終的には高齢者の数で二千二百万人を少し出る程度、割合として一九%というところに落ちついていく見通しでございます。  なぜ昭和九十年から昭和百二十年にかけてこんなに多数の高齢者があらわれるかと申しますと、この時期に六十五歳以上の人口の大宗を占めます人口は、大正末期から先ほど申しました昭和のベビーブームの時期までに生まれた人口、これは多産な時代の人口でございますので、概して年々二百万人以上の人口が生まれておったわけでございます。私自身もそれに入っているわけでございますが、既に日本の人口の中に生きている今中年の人口が続々と高齢人口の仲間入りをしてくるという時期に当たるのでありまして、もともと生まれたときから大型の人口構造でございましたが、戦後の死亡率の低下の恩恵を受けまして、昔であれば死んでしまったはずの人々が無事に生き残って、先ほど申しましたとおり六十五歳まで達していく。そしてまた六十五歳に達してからもかなりの年数生き残っていく。そういう低死亡率のおかげでこのような高齢者の大群がこの時期にあらわれるのでございます。その意味でこの多数の高齢者という将来の見通しはほとんどもう既定の事実でございまして、この事実を否定すること、あるいはこの事実を避けるということはもはや不可能であるということでございます。ただ、戦後の昭和三十年以降に生まれました比較的少数の人々が高齢者に達してくる遠い将来には、ごらんのとおり高齢者数が二千二百万人を超える程度のところでおさまっていくということでございます。  しかし、人口高齢化の問題のもう一つの重要な点は、高齢者の数がふえるということと同時に、それを支える働き盛りの人口数が相対的に減少してまいりまして、支えられるべき高齢者の数とこの方々を支える働き盛りの人口との間のバランスが相当大きく変わっていくということでございますが、このことを一番簡単に人口統計的に示します指標が表4の右利二つに響いてある数字でありまして、そのうちの左側の六十五歳以上人口、つまり高齢者を分子にとりまして、十五歳から六十四歳までの働き盛りの人口を分母にとりました数字、これが一番普通に使われている老年人口指数の計算の仕方でございます。十五歳から六十四歳の働き盛りの人口の上に何%の六十五歳以上の人口が乗っかる構造になるのかということでございますが、それによりますと、昭和五十五年には一三・五%でありますから、ひっくり返して申しますと七人、十五歳から六十四歳の人口が七人がかって一人の高齢者を支えるというふうな構造になっております。七十五年になりますと二三・三%でありますから、十五歳から六十四歳の人口が四人がかって一人の高齢者を支えるという構造になり、後、九十年から百二十年になりますと三人がかりで一人、こういうふうに次第次第に十五―六十四歳の人口に対する重みが重くなってくるのでございます。  ただ、今日の状況では十五歳から十九歳というと大部分学生でございますので、むしろ成人式を過ぎた二十歳から六十四歳を働き盛りの人口と見たほうがいいのではないかという意見もございますので、御参考のために分母を二十歳から六十四歳の人口にとり直して計算をしたものが一番右側に書かれている老年人口指数の数字でございます。しかし、重みが加わってくるということについては、このように生産年齢人口の定義を変えましても、その重みが徐々に加わってくるということについては余り変化はございませんで、ごらんのとおり、今後高齢化社会の一つの問題点として、働き盛りの人口の肩にかかってくる高齢人口の重みというものが相当重くなってくるということが人口統計上はっきりと出てきておる次第でございます。  そこでもう一つ重要な点を御指摘したいと思いますが、この働き盛りの人口を仮に十五歳から六十四歳、あるいは二十歳から六十四歳というふうにとりましたこの生産年齢人口そのものの年齢構成がかなり変わってくるということをお示ししたいと思いまして、表の3に生産年齢人口の構成の変化を掲げておいた次第でございます。上欄がその実数でございまして、下の欄がパーセントでございます。六十五歳以上の人口の中でも我が国ではかなりの方が働いておられますし、今後恐らく六十五歳以上でも社会的参加ができる方が多いと思われますので、念のために、六十五歳以上の人口も加えた上でそのような計算をしてみました。ごらんのとおり、この表で御注意いただきたいのは、十五歳から二十九歳といういわゆる若年層、それから三十歳から五十四歳という中堅層というふうに言えると思いますが、この一番働き盛りで一番活気のある、活力のある年齢層というのはほとんど増加がないわけでございます。七十五年にかけ、また百年にかけてほとんどふえない状態でございます。しかし、五十五歳から六十四歳、それからできれば六十五歳以上もそうでありますが、この二つの中高年層とも言い得る人口層が非常にふえるということがこの表でごらんいただけると思います。  生産年齢人口全体についての重みがふえるということを先ほど申し上げたわけでございますが、その生産年齢人口自体の年齢構成がかなり中高年の方に偏っていくということは、今後高齢者を支えると意の施策をお考えいただくときに中高年層の活用ということがいかに重要であるかということがわかっていただけるのではないかというふうに考えて、この数字を御参考のためにお示しをした次第でございます。  最後にもう一つ、比較的人口に近いところから御説明できる数字を一表だけつけ加えておきたいと思いますが、それは世帯の構造ということでございまして、一人一人の高齢者の数がふえるということを申し上げたわけでございますが、その高齢者がこれからどういうふうな家族構造の中で住まうことになるのかということは一つの大きな問題でございます。我が国では諸外国に比べて同居率が高いということが一つの特徴であり、そのことが日本的な高齢化社会というふうなことを考えさせる一つの理由になっておりますけれども、実際に世帯構造がどんなふうに変わってきているかということを厚生省の統計でお示ししたのが表の5の数字でございます。これは、世帯の中に六十五歳以上の者がいる世帯の構造を示したものでありますが、昭和四十七年から五十八年にかけての約十年間のこの統計を見てまいりますと、高齢者がいる世帯の中で単独世帯、これはまさに高齢者がひとりで暮らしている人々ですが、その数がふえております。特にその割合がふえていくわけでございますが、昭和五十八年の最近の厚生行政基礎調査では、単独の六十五歳以上の高齢者の数が百万人を超えだということが新聞にも出ておりましたが、最近はついにひとり暮らしの高齢者が百万人を超えております。また、夫婦だけで高齢者が住んでいる世帯、これもまた実数並びにパーセントがふえているわけでございますが、反対に三世代世帯というふうな日本的な形での高齢者が住んでいる世帯の割合は減少をしてきているわけでございます。  ただ、この数字は世帯単位の統計でございますので、いわゆる同居率を示す数字ではございませんので、念のために厚生行政基礎調査並びにその他の厚生省の統計から同居率に当たる数字を見つけてまいりましたところによりますと、六十五歳以上の人々が子供と同居している割合は、昭和五十七年の時点で六八%になっております。ただ、昭和三十八年の厚生省の調査では同居率が七九・九%、約八〇%でありましてかなり高かったのでありますが、昭和四十八年には七四・二%、やや下がっている。そして五十八年には六八%に下がっているような次第でございまして、もともと我が国では同居率が高いのでありますが、その傾向は次第に低下の方向に向かっているということを申し上げることができると思います。  これはいろんな理由によって同居率が低下していると存じますが、私はやはり人口の高齢化、高齢者の割合がふえているということは、反対に申しますと、高齢者と同居すべき子供の数が相対的に減っているわけでありまして、意識といたしましては、我々の社会では高齢者並びに子供両方とも、世帯的に同居を拒否する気持ちはさほどないのでありますけれども、何しろ同居すべき相手側の子供の数が減っておるという関係から、人口の高齢化が進むにつれて自然的に同居率が低下をしていくということが重要だと思います。それに加えて、意識の変化によって高齢者の側でも必ずしも同居を望まない、あるいは子供の側でも老親との同居を望まないというふうな意識が強まってくることもあろうかと思いますが、私はやはり基本的には人口の高齢化ということが同居率を下げてくる理由であるというふうに考えております。  人口の側面から直接的に申し上げられる高齢化社会の基盤に当たるお話といたしましては、以上のようなことが主たる点になるわけでありますが、最後に申し上げたいと思いますのは、高齢化社会の基盤、それを安定なものに保つためには、何といいましてもやはり高齢者が健康な状態で長くおられるということが一つの大きな基盤づくりになると思います。諸統計によりますと、年齢が高まるにつれて有病率や受療率が高まってくるのは避けることができませんが、それにもかかわらず、高齢者が元気でおられればそれだけ医療費あるいは医療関係のマンパワーがかかるということもないし、もちろん高齢者にとっての幸せであるということは言うまでもないことでありますが、できるだけ高齢者の健康状態を維持できるということが基本的に重要であると思います。  第二に、先ほど申しました理由から、中高年人口を活用するということについての施策は極めて重要であると考えます。中高年人口がふえるということ、それからまた逆に、日本ではむしろ若年人口を活用するということが今までの慣例的な行き方でありましたが、今後特に中高年層をどういうふうにして雇用ないしはその他の社会的な参加に活用できるかということを考えることが重要であると思います。  三番目に、高齢者の方々が単に楽隠居をするというふうな形では本来生きがいが得られないのではないかというふうに私は考えますが、高齢者の方々の中で働く能力をお持ちであり、かつまた働く意思がある方々がこれから多くなると思いますけれども、そういう高齢者でもなおかつ働きたいという人々に対して適当な雇用機会が十分用意されるということは極めて大切であると思います。これはまた単に雇用でなくても、ボランティアであるとか、あるいはもっと自由な形での参加でもよろしいのでありますが、そのような社会参加の機会が与えられるということが大切であると思います。  最後に、第四点といたしまして、人口問題を特に勉強しております者から言いますと、高齢化社会の基盤をつくるためには、次の世代を担うべき子供人口でございますが、子供人口が量的にも質的にも確保されるということが極めて大切であると考えるわけでございます。先ほども申しましたとおり、現在の我が国の状況では、五十年代にやや出生率の低下が見られますが、出産力調査の結果によりますと、必ずしも日本の出生力は西欧諸国に見られるような絶望的な出生力の低下にはなっていないということが確認されます。しかし、もし高齢化社会に対する施策、あるいは今後のいろんな状況が変化いたしまして、若い人に対する負担が非常に重くなり過ぎて結婚ができなくなる、あるいは子供を十分に産むことができなくなるというふうな事態になった場合には、これは今御説明しました人口高齢化とは違ったもっときつい人口の高齢化になりますので、結局高齢化社会の重みが若い人に重くかかって、したがってまた子供も産めなくなる、そういう悪循環の状態に陥りますので、この点についての御配慮が必要であると私は思います。同時にまた、数が確保されましても、その質が問題でありまして、子供が健全に育つための家庭的な基盤の確保並びに教育に関する配慮が必要であると思います。  人口問題の観点から申しますと、高齢化社会の見通しと、それから高齢化社会についてこれから基盤を固めていくことにつきまして、御説明できる事柄を今与えられました時間でお話をいたした次第でございます。  なお、御質問がございましたら、答えられる範囲でお答えさせていただきたいと思います。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) どうもありがとうございました。  以上で岡崎参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。

抜山映子民社党・国民連合

○抜山映子君 把握しておられるのかどうか、寝たきり老人、ぼけ老人の数と年齢の関係、わかりましたら教えていただきたいんですが。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 厚生省の統計にございまして、寝たきり老人の数は厚生行政基礎調査で調査をしているわけでございます。ここに持っております厚生行政基礎調査、五十七年の時点で寝たきり老人の数が三十二万四千人という数字が出ておる次第でございます。一定の定義で、六十五歳以上であって半年以上寝たきりというふうなことで調査をした数でございますが、これが私ども今統計的にはっきり出てきた数字としてつかまえている数字でございます。  それから、今痴呆老人という御質問がございましたけれども、これはなかなか定義が難しくて把握が難しいようでございますけれども、東京都で調査いたしました結果で厚生省が推計をいたしましたもので約五十万人痴呆老人と申しますかぼけ老人と申しますか、そういう数の老人がおられると、こういう推計になっておる次第でございます。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 今ぼけ老人の話が出たんですけれども、このぼけ老人の問題というのは、昔から比べますとかなり急速に目立ってきておりますね。昔も一部はおったと思うんですけれども、これのぼけ防止策ですね。どういうものが考えられるんでしょうかね。  それともう一つちょっと伺いたいのは、これ非常に妙な質問かもわかりませんけれども、結局老人問題といいましても、生理学的にも生物学的にも体力というものが昔と全然違うんじゃないかと思うんですね。たとえば古希という言葉がありまして、昔は七十歳古来まれなりというんですけれども、今七十歳が果たして古希かどうか。現実に政財界で、これは保守革新を問わず七十歳、八十歳でかくしゃくとしておられる方はたくさんおられますですね。そうしますと、やはり同じ高齢化といいましてもその中をもう少し細分化していかないと、六十五歳以上を一律に高齢者と言っておりますけれども、もうこれだけ急速にしかも高齢化率が上がってくれば、そういう同じ高齢者の中での年齢をもう一回細分化していく。むしろ中高年の人口をもっと活用していくという立場から見ますると、そういう発想がむしろ必要になってきているんじゃないかと思うんですけれども、そういう点についてどのようにお考えでしょうかね。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) ぼけ老人の防止策につきましては、かなり医学的な知識が必要であろうかと思いますので、ちょっと私、十分に専門的知識を持っておりませんのですけれども、予防的な施策、それから訓練等によってぼけ老人の割合は、年齢別に割った場合の割合は低下させることができるんだということを聞いておりますので、一般にぼけ老人の数がふえますのは、後の方の質問と関係ありますが、高齢になるほどぼける率が高くなるわけです。そして人口推計によりますと高齢者の数がふえてまいりますから同じ六十五歳以上の中でも七十五歳以上の、我々が後期老人と呼んでいる数がふえますので、ぼけになる確率の高い人口層がふえてくることから全体としてはぼけ率が高まってくる、またぼけ老人の数がふえてくる。こういうことでありまして、年齢別に割った場合のぼけ率はむしろ低下させることができるというふうに私は聞いております。したがって今後の施策として男女別、年齢別に分けたぼけ率を下げるための施策をとることが必要でございます。  そして第二の御質問に対しましては、私、ここでは簡単のために六十五歳以上一括して高齢者というふうに呼びましたが、我々のやり方では、七十五歳のところで線を引きまして、七十五歳以前の方を前期老年、前期の高齢者あるいは前期老人層というふうに呼びまして、七十五歳以上の方を後期高齢者、後期老人層というふうに呼んで計算を分けることをやっております。そして有病率とか受療率などを見ますと、七十五歳のところを境にして飛躍的に有病率が高まる、受療率が高まるという現象がございます。おっしゃるとおり、年齢によって分けますと、一口に高齢者として一括することはできない現象が起こっております。おっしゃるとおり昔ならば六十歳でももう老人だったんですが、今六十歳を老人と考える人はおりません。今後もっと健康状態がよくなれば、恐らく後期老人層と私が今申しました七十五歳以上ぐらいのところが老人、高齢者扱いになる時代が来るだろうと私は思います。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 そうすると、実際の老人というのは七十五歳から老人だという時期が来る可能性があるということですか。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 私はそういうふうに存じます。また、そういうふうにすべきであろうと存じます、いろいろな健康等の施策において。

森山眞弓自由民主党・自由国民会議外務政務次官

○森山眞弓君 この統計では、老人を全部まとめて数字を出しておられますけれども、男女別に非常に違うのではないかと思います。いまのように仮に前期後期と分けるとすれば、後期の老人はもうほとんど圧倒的に女性が多いのではないかと思いますと、その対策についての男女別にやはりきめ細かさが必要でしょうし、四つほど挙げられました対策の中でも、たとえば中高年の活用とおっしゃいます問題も、特に女性の中高年の活用ということに目を向けるべきではないかと私は思うんですけれども、男女別の違いといいますか、その二つのグループによって特に考えなければならない配慮というものがもしありましたら御指摘いただきたいと思います。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 御指摘のとおり、男女別に分けて施策を考えませんと、きめの細かいこれからの高齢化対策はできないと思います。高齢者だけを考えたときでも、特に大きな特徴は、男子の高齢者の場合は配偶荷のいる高齢者が多いのでございますが、女性の高齢者の場合には、死別した、配偶者がいなくなった高齢者が非常に多いという特徴がございます。これだけでも男女別に考えた高齢化対策に相当大きな違いが出てくるということがわかります。ある意味で男の方が、年をとっても配偶者がいるままで高齢になりますので、つまり身の回りの介護などが配偶者によって行われているケースが非常に多うございます。しかし女性の場合には、すでに夫が死亡しておりますから、身の回りの世話になるのは、嫁であるとか娘であるというふうな、次の世代の世話になっているケースが非常に多くなっております。  なぜ男が有配偶で高齢者になり女性が死別で高齢者になるかと申しますと、これは簡単でこざいまして、もともと女性の方が平均寿命が長い。死亡率が低い。したがって生き残る率が多いのでありますが、同時にまた、結婚する時点で男性が三歳ほど年齢が高い。女性が三歳ほど年齢が低いので、結婚した時点からもうすでに年齢差がございますので、その分だけ男性が早く死んでしまう。 こういう状況でございますのでいまのようなことが起こります。ただ、そういうことが起こることは事実でありますので、対策についてそれだけでも大きな違いが出てまいります。  それから、中高年層について男女の対策の差でございますが、最近は女性の社会参加が非常にふえております。これは子供の数が減ったことが一つの大きな理由だと思います。昔は、日本の女性は子供を平均五人産みまして、子供が一応育ち上がったころはもう自分の寿命も終わりかけておったのですが、最近は、二人目の子供が小学校に上がります時期が三十五歳ぐらいのところで終わります。それで、もし七十五歳まで活力があるといたしますと、女性は四十年間という長い参加できる時期を持っていることになります。そういうことから最近は、女性が特に四十歳台になりまして再び労働市場に出てこられる方もおりますし、その他の社会参加をしておられる方もあるのでありますが、その意味で私は今後男性の中高年の活用と同時に、女性の方々の活用ということが大きな意味を持ってくると思います。  しかし私は、もう一度申し上げたいのは、女性には独特の役割があるという一人口論的に見た独特の役割でございまして、女性にのみ出産、育児の責任を負わせるという意味ではありませんが、子育てについて非常に重要な役割があるということを申し上げておるのでありまして、その役割と女性が男性と同様に社会的に参加をしていかれる役割とを何とかしてうまく調和をさせる方法がどうしても必要であるというふうに考えております。

大島友治自由民主党・自由国民会議

○大島友治君 今との関連で、将来について、やはり高齢化における男女の就業の問題になりますが、今の出生の傾向を見ますと、非常にここ三十年来は子供の数もずっと少なくなっているし、それから男女の別を見ると、どうしても男の方が多いようですね、毎年百五十万ないし二百万の中で二万ないし五万というのが。そういう傾向がずっとここ三十年ある。そうしますと、今までの形態でいけば確かに女性のひとりというのは多くなってくる、老齢化社会で。長生きしていますからね。ただ、これはつぼまってくるのじゃないか。将来を見ました場合に、高齢化の時代になってきますと、男性の高齢化になる者が多くなってきて、そして女性の方がどうしても少なくなって、その差がつぼまってくるのじゃないかという傾向があると思いますね。そこで、今のように女性の就業なり雇用というものを考えると同時に、やはり男性の方はずっとシェアが多くなってくるんじゃないかという将来性があると思うんですが、その辺どうなんでしょうか。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 生まれるときは、男の子供が六%ほどたくさん生まれます。それはずっと今まで変わっていないのでございますが、何しろ女性の方が死亡率が低いので、女性の方の方がずっと多く残っていくことになるわけでございます。だから、その点は将来も変わりがなくて、やっぱり、特に死亡率が下がって高齢化社会になるにつれて女性人口の方が多くなっていく、そういう傾向を持っておりますですね。だから、やはり高齢化社会は女性社会だというふうに思います。

橋本敦日本共産党

○橋本敦君 人口高齢化の主要な原因が出生力の低下と死亡の減少というお話をいただいたわけですが、その中でもやっぱり主たる大きな要因は田生力の低下ではないかと、こう思うわけですが、その出生力の低下という傾向が、大体我が国だけでなくて先進資本主義国でもそういう傾向が強いというお話を伺っております。そこで、将来の人口動態の予測ということで、今も見通しのお話をいただいたんですが、先生がおっしゃった我が国の将来見通しと、先進資本主義国と言われている諸国の将来見通しとでは、若干の差異があるのか、大体同じ傾向にいくのか、その辺がどうなっているだろうかということがお伺いしたい第一点です。  それから二つ目に、そういう従属人口の増加、それから生産人口との比が極端になっていくのを防ぐためにも、おっしゃいました子供人口の量的な増大が望まれるということはそのとおりだと思いますが、健全な社会構成として、人口問題を研究なさっているお立場からいいますと、子供の出生力向上が大体どの程度ぐらいになるのが望ましいというようにお考えでしょうか。  そしてまた、大事な課題だとおっしゃった子供人口の量的増大を確保していく上で、特にこの点が必要だとお気づきになっていらっしゃる点があればアドバイスをお願いしたい。  以上三点お願いしたいと思います。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) 私どもの得ておりますデータによりますと、今のところ西欧諸国の高齢化、一つの違いは、つい先ごろまで西欧諸国の高齢化は先ほど申しました高齢人口割合一五・六%、あるいは十六%と言ってもいいですが、その程度で長く横ばいの状態が続いていたわけでございます。これは、戦前から先進国では人口高齢化を起こしておったわけでございますが、戦後どういうわけか先進工業国は非常に高出生率になりまして、人口が若干若返るような傾向さえ見られた、そういう事態が続いていたわけでございます。そんなわけで、一五、六%の高齢状況が戦後長く西欧諸国の高齢状態であって、そういう状態がずっと続いていくというふうに見ていたわけでございますが、一九六〇年代中ごろ、特に一九七〇年代に入りましてから西欧諸国の出生率が急低下を始めております。最近また少し落ちついたようで、少しまた逆戻りもしているようでございますが、西欧諸国の人口高齢化がちょっと一段加速される事態になってきたわけでございますが、国際連合が計算いたしました主要諸国の将来推計人口を見てまいりますと、一五、六%という従来の高齢段階は少し甘かったのでありまして、日本と同じ程度の二〇%程度まで将来西欧諸国の高齢割合が高まっていくという可能性になっておりますが、その点から見ますと、我が国とさほど違わない高齢化の状況が見通されているようでございます。その点で、大ざっぱに申しますと日本と西欧諸国は大体同じような高齢化の道をたどっていくというふうに見られます。ただ一点だけ、日本の高齢化は先ほど申しましたとおり昭和九十年から百二十年にかけて特殊な事情のために大変高齢者の数と割合が高くなる時期がございます。この点と、日本の高齢化のスピードが非常に速いので、その点について対策がスピードアップされなければならない、非常に高い山が見えている、峠が見えているということについて、我が国は特に注意が要るということが違いだと思います。  それから、子供人口を確保するということはきわめて重要なことでございますけれども、私、きょうはその点を少し強調し過ぎましたので、誤解をいただくといけないと思うわけですが、我々は、日本の人口はもともと非常に数が大きく、国土が小さい割に人口が多いということから、余り人口がふえることはよろしくないことであろうと判断をしているわけでございます。それで、人口の構造並びに人口高齢化を見通しました場合に、平均二人とちょっとそれを上回る子供数が平均的に確保されれば一番よい状態だと思っているわけでございます。そして私は今、出産力調査等ではほぼ二人を少し上回る、まあ五六%、夫婦単位にいたしますと百組中五十六組が二人の子供、それから百組中二十五組が三人子供を産む。その前後は、一人っ子とか四人以上というのは非常に少ない。だから日本の夫婦は非常にうまい子供の産み方をしておりまして、そして平均子供数が二・幾らと、ちょうど人口の置きかえ数字に当たる産み方をしておりますので、その状態が確保されていくということを一番望ましい状態であると考えている次第でございます。  そこで、今のところ人口増強策あるいは出生奨励策をとる必要がない幸いな状態になっておりますが、もし将来について御配慮いただくとすれば、やはりその、子供を産む年齢に当たる三十歳から、男の場合ですと三十歳、女の場合ですと二十八歳から子供を産み始めるわけでございますが、二人の子供が大学を卒業する時期が大体男性で五十五歳ですね、女性はまあ五十二歳になるわけですが、そういうモデル的なライフサイクルを考えますと、三十歳から五十五歳までの時期は極めて大切な時期に当たりますので、その時期の人々に余り重い税金だとか負担をかけないような施策が必要であり、反対に言いますと、五十五歳以上の人々にもっと働かして社会的に貢献をしてもらうという対策が一番望ましいのじゃないかというふうに私は考えている次第でございます。その意味からも中高年齢層の活用が高齢化社会において極めて大切な施策になると存じます。

橋本敦日本共産党

○橋本敦君 ありがとうございました。

青木茂参議院の会

○青木茂君 これはお願いなんですけれども、面倒なお願いで恐縮なんですけれども、もしできましたら、今先生がおっしゃいました、いただきました表と同じというか、もっと簡単でいいですけれども、国際比較表ですね、これが後からでもいただけると大変ありがたい。あるいは先生お書きになりました「技術と経済」ですか、これの九ページに外国との比較がございますね、これの裏づけになる資料をもしいただけたらありがたいというお願いでございます。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 岡崎参考人、いかがでしょうか。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) はい、事務局を通して後でお届けいたします。

内藤健自由民主党・自由国民会議

○内藤健君 時間が参っておりまして済みませんが、一つだけお尋ねします。  最近の高齢者の自殺者の推移というのが、割合がおわかりになるでしょうか。そして、もしおわかりになればその理由ですね。以前に私はこういうことを聞いたことがあるんですが、高齢者の自殺の原因が老後の孤独感というのが非常に多いように聞いたことがあるんですが、先ほどもお伺いしますと、今単独世帯というのがだんだんとふえてきておりますので、そこらあたりがどうなのかと思いましてお尋ねをしてみたんです。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) ちょっとただいま自殺者の表を持っておりませんので、正確にはお答えできませんので、後で資料をお届けいたします。そして、理由につきましては、わかりましたら調べますが、自殺の理由というのはたしか私の記憶では非常に難しいというふうに言われております。警視庁が自殺者の調書を持っているそうでございますけれども、何しろ死んでしまった人の話でございますので、本当の理由がどういうところにあったかはなかなか難しいというふうに言われておりますが、できる限り調べまして資料をお送りしたいと思います。

内藤健自由民主党・自由国民会議

○内藤健君 お願いします。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 さっき前期老人層と後期老人層のお話をいただいたんですけれども、その推計の資料がございましたら。それと、できましたら、さっき森山先生がおっしゃった男女別のものまでわかれば、その資料をお願いしたいと思うんですが。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) いまの資料、持っておりますので、後でお届けいたします。

森山眞弓自由民主党・自由国民会議外務政務次官

○森山眞弓君 私にもちょうだいしたいと思います。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) はい、委員長の方にお届けいたします。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で岡崎参考人に対する質疑は終わりました。  岡崎参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

岡崎陽一厚生省人口問題研究所所長

○参考人(岡崎陽一君) どうもありがとうございました。よろしくお願いいたします。     ―――――――――――――

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 次に、東京大学教授松原治郎君から意見を聴取いたします。  この際、松原参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。本日は、高齢化社会の福祉のあり方につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。  また、議事の進め方といたしましては、まず四十分程度御意見をお述べいただき、その後二十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いをいたします。  それでは、松原参考人にお願いをいたします。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 松原でございます。  今、小委員長から御丁寧なごあいさつをいただきました。実は私、昨年と一昨年と二年間にわたって数回入院をいたしまして、手術をいたしたりしたものですから、言葉が少し聞き取りにくい点をおわび申し上げて話に入りたいというふうに思います。  きょう与えられました題目は高齢化社会と社会福祉の関係ですけれども、この場合に、私どもの分野では高齢化社会の位置づけを次のような側面でやっておるわけです。  一つは、高齢化社会ということ、つまりエージング・ソサエティーということと、高齢者社会あるいは高齢社会、つまりエージド・ソサエティーとは違うんだというふうに考えております。  それからさらに、先ほど御質問がございました、高齢者層のもうちょっと細分化をする必要があるんじゃないかというふうに思っているわけです。  それから、地域別の高齢者の差がかなり早くから存在するわけです。この問題もこれから考えなければいけないんじゃないか。  この三点を高齢化の位置づけの中でまず述べておきたいと思うんです。  普通、高齢化社会と言うときには、これを大体七%を超えた場合に高齢化社会というふうに普通呼んでいるわけです。日本で七%に達したのは一九七〇年代でして、そういう点からいいますと、もう現在既に高齢化社会に到達しているわけです。  しかし、高齢者が中核となる社会といいますか、あるいは人口全体の中における高齢者の比率の高い社会というようなものを高齢者社会、つまりエージド・ソサエティーというふうに考えますと、これは普通大体一二%以上というふうに統計上考えているわけです。  そういうふうな点から考えますと、一二%に達するのは大体来世紀であるわけです。しかし、考えようによっては来世紀というのはあと十余年しかないわけで、そう考えますと、もう既にそのための準備を、行政的にもあるいは私的にもこれを行わなければ間に合わないんじゃないかというふうに思うわけです。これを第一点で述べたかったわけです。  この高齢化社会と高齢者社会という区別のほかに、日本は世界の中での位置づけからいいますと、これまで必ずしも高齢者社会ではなかったわけです。  それで、先生方にお配り申し上げました資料で申しますと、一枚目の左側の真ん中あたりにありますV-2図にございますように、日本は今世紀の終わりから来世紀の初め、二〇二〇年まで、これは岡崎先生からもお話があったと思いますが、一直線に伸びるわけですね。外国は、確かに最近のデータでは、二十一世紀に入ってからもう一度上がるというデータが出てきているわけですけれども、しかし、一九九〇年ないしは九五年から一度下がるわけです。つまり、一つ山ができて、それから来世紀に入ってからもう一度高い山になるという形をとるわけです。ところが、日本だけは一直線に高齢者社会に到達するというふうに言っていいわけです。そう考えますと、二〇二〇年までに日本の国際的位置づけをしながら高齢者社会への政策をここで立てなければならないだろうというふうに第一に思うわけです。  それから第二は、年齢の細分化の必要があるわけです。細分化については、私どもは、まず第一に前期と後期と高齢者を二つに分けることから始めまして、さらにそれを幾つかの年齢別に細分化するということを図ったわけです。七十歳を前提にして前期と後期に分けるということをまず図ります。それからその次に、年齢別に動きを見ていくわけです。そのような過程の中で、全体として、やはり高齢者の中にも個人によって個人差がかなりあるということがわかります。  ただ、大まかに言えますことは、たとえば年齢が平均五十六歳から五十七歳のところに一つのポイントがあります。ここが平均の定年の年齢です。第一期の定年年齢です。それから六十二歳から六十三歳のところに一つ境がありまして、ここで大体フルタイムは終わりになるという年齢です。それから六十七歳と六十八歳の間が平均引退年齢です。大体この時期になると、現役の仕事から引き下がるというのが普通です。先生方御質問にございましたように、七十過ぎてもお元気に御活躍の方もおいでなわけですが、ただ、平均的に年齢別に見れば大体そのくらいが一つのめどになるということです。ですから、高齢化社会になることは高齢者を細分化してこれを眺めるということをしないと高齢化社会をきちんと位置づけることにならないんじゃないかというふうに思います。  それからもう一つ言えることは、もうすでに地域的には早くに高齢化が進んでいる地域があるわけですね。配りました資料の多分一枚目だと思いますけれども、右上のところのV-5表にございますように、五十五年ですけれども、島根県、高知県、鹿児島県、それから鳥取県、長野県等々はすでに一二、三%を超えているわけです。それに比して大都市のある、ないしは大都市の郊外の埼玉県、神奈川県、千葉県あるいは大阪府、愛知県等々は六、七%という、地域差がかなりあるわけです。最初に述べた諸県では、高年齢人口から言えば高齢者社会にすでにもう到達している社会であるわけです。こういった社会がある意味からいいますと成り立っているわけですね。行政的に成り立たしめられているという言い方をすれば先生方に怒られるかもしれませんが、すでに成り立っているわけです。  そういうことを考えると、そのような諸県から私どもが高齢者社会の姿をとらえて、これに学ぶということをしなければならないんじゃないかというふうに思うわけです。調査を中心にいたします私ども社会学の立場からいいますと、まず地方の県を必ず対象にするということの、大都市と比較の意味で対象にするということの意味はここにあるわけです。そのように、私ども高齢者社会は先の話だというふうに考えること自身がおかしいんじゃないかというふうに思っているわけです。  このような中で、つまり高齢化社会とそれから高齢者社会を考えていく中で、では老人たちは、ないしは現在老人以外の世代にある人たちが老人という世代をどういうふうに考えているか、つまり老後生活というのをどう考えているかということをとらえてみたいと思うんですけれども、お配りしました資料の先ほど言った「老年人口の比率の推移」というものの下に、「老後の生活に対するイメージ」が載っております。このイメージを国際的に見ますとちょっと違う性格を持っているわけですね。といいますのは、仕事から引退した生活というイメージを強く持っているのはアメリカ、イギリス、フランス等の欧米諸国なんです。それに対して日本は、体が衰えた後の生活、つまり、ある意味では仕事から離れた後の生活、残余の生活というものを高齢社会というふうに考えているという性格が強い。これは日本、タイなどですね。ただ、日本はタイに比べるならば、年金生活者として生活する時期というのがタイに比べると高いわけですから、その点では欧米並みになっているんですけれども、全体としては、欧米諸国がハッピーリタイアメントのイメージをある程度持っているのに対して――もちろん全部が持っていると申しませんが、日本では非常にそれが少ない。日本は、言い方が悪いかもしれませんけれども、もう老いをさらして初めて高齢化社会に入るんだというふうに思っているわけです。その辺をどう考えるのかを私ども考えないといけないと思うんです。それは、その下の表の、老後生活がどの時期に開始されるかということからも明らかですし、それから次の、退職の実態と望ましい退職時期との動きの差でも明らかです。日本はもっと働きたいという意識が非常に強いですね。七十を過ぎても働きたいというのが世界で一番高い。確かに働ける限りは働くということは日本人の一つの魂でもあるわけですけれども、しかし老後をハッピーリタイアメントというふうに考える欧米諸国と日本がどうして違うんだろうかということについてももう少し考える必要があるんじゃないかというふうに思っているわけです。ですから、建前として高齢化社会を考えるということはできるんですけれども、いろいろと内容を考えますとかなり複雑になっていくかというふうに思うんです。  そういうことを前提にして、これは私の範囲外なものですから簡単にいたしますけれども、二の高齢化社会と労働人口の問題があるわけです。といますのは、高齢化社会自体はまだ世界的に見れば低い段階にある、つまり高齢者社会に到達するにはまだ時間があるというふうに考えられますけれども、しかし確実に退職年齢は上がっているわけです。したがって、労働人口の中での高齢者の比率は高まっております。企業もいわゆる三角型、自然調和として三角型、あるいはせいぜいちょうちん型ぐらいの性格を帯びていたんですけれども、しかし将来は逆三角になっていく可能性があるわけですね。企業の中に高齢者の比率の方が高くなるという、つまり企業内部における高齢者の圧力が高くなるということが当然起こってくるわけです。そういう場合に、企業は一体どう対応するんだろうかということがもうすでに起こっているんじゃないかというふうに思っているわけです。今は企業は、何というんでしょうか、その場しのぎの形でこれに対応しているという側面があるんですけれども、もうすぐ国全体の対策としても企業対策、あるいは企業における中高年対策ということをする必要があるんじゃないかというふうに思います。これについては、質問があればお答え申しますけれども、私専門でないので、前にある研究所を通して調査をしたことがございますけれども、それをやっているときょうの本論から外れてしまいますので、目次だけ示すということにしておきたいというふうに思います。  最後に、高齢化社会の中で、家族あるいは地域社会がそれにどう対応するかということです。その場合に、高齢化社会の中でのまず高齢者の意識、家族に対する意識を見ていきますと、驚かされますのは、どの意識をとりましても高齢者自身が子供と同居したいという意識が非常に高いという事実です。現実にも同居の比率が高いんですけれども、志向、つまり意識の持ち方自身からいいますと、非常に高齢者の度合の高さが問題になります。  事実を先に見ておきますが、一枚目の紙の右側の二番目に「普通世帯比率の推移」がございます。これで見ると、七〇年代に入って、核家族は大体六三%台で動きがとまりました。しかし、その他の世帯がふえて、つまり三世代世帯がふえて核家族世帯が減ったのかというと、実はそうではないんでして、世帯数がふえたわけですから、核家族の絶対量はふえております。それから、それよりも単独世帯がふえているんですね、比率では。単独世帯の比率が一六%台になりつつあります。  このような形をたどってみますと、核家族世帯の停滞というふうに考えるよりは、むしろ核家族世帯の安定化というふうに考えた方がいいだろう。つまり、今後動きを持つとしても、核家族世帯がそんなに急速に減るということはあり得ないというふうに思っております。ただし、その中で六十歳以上の同居者がふえるということは事実です。昭和四十五年と五十年と五十五年とを比べてもおわかりのように、五十五年では子供らと同居している者が六八・七%に及んでいるわけです。比率からいいますと五十年より下がっているように見えるんですけれども、実数はふえているわけですね。このようにしまして、比率は若干減っていますけれども、子供らと実際上同居する人の数は増しているわけです。  今度は、そのような人々が将来子供とどういった住み方をするかということを問いますと、V-5の図にございますように、「子ども夫婦と同居する」、「台所・トイレも一緒」にして同居するというのが一番多いんですけれども、しかし年とった親夫婦がそろっている場合には、あるいは健康である場合には、子供夫婦と同一敷地内に住むんだけれども別棟で生活したいというのが多くなっております。これでわかりますように、日本の同居志向は非常に高いんです。  これを国際的に見たのが、これは二枚目のV-6図、「配偶者の有無別にみた別居高齢者ともっとも近くに住む子供との距離」、これは近接別居の距離です。これで見てわかりますように、有配偶者の場合も無配偶者の場合も、日本が最も遠いというのが実情です。  志向を調べますと、日本だけを見たのがV-7、V-8、V-9です。これでわかりますように、日本も、同・別居志向といっても、健康な場合、それから健康ではないけれども夫婦とも生きている場合、それからどちらかが亡くなってしまった場合というものとで違いがございます。これで明らかなように、特に健康な場合には必ずしも同居しようとは思っていないという側面がある。しかし、将来は子供に面倒を見てほしいというふうに思っているわけですね。  これはV-7の図をみていただきたいんですけれども、国際的に見ますと明らかに違いますように、日本とタイは「いつも一緒に生活できるのがよい」が最も高い。それに対してアメリカ、イギリス、フランスでは、斜線、つまり時々食事をできるのがよいというのが高いわけなんです。  それから、V-8図にございますように、親子が同居を肯定するものが、アジアの国々とヨーロッパ、アメリカの国々とでは明らかに違うということがありますね。  その次の図は、権利という形で聞いているので、ちょっとこれは不明ですけれども、アジアと欧米とは余り違いがないというふうに言って差し支えないと思います。「老後の面倒をみさせる権利」の問題です。  以上、データを先に出しましたけれども、これで明らかなように、老後の生活に対して同・別居の型の諸形態で言いますと、日本の高齢者は、老後子供と同居したいという傾向が非常に強い。ただし、同居するんだけれども健康な限りには別居して、どちらかが健康でなくなった場合に同居したい、ないしは一人だけになったら同居したいというふうに考えているというふうにお考えいただければ幸いだと思います。  しかも、もう一つ発見できたことは、それが日本型というふうに私どもは考えていたんだけれども、実は日本型ではなくて、家族に関する限りはどうもアジア型というのがあるんじゃないか。つまり日本を含めてインド、シンガポール、フィリピン、韓国と欧米諸国とでは――欧米の中には南アメリカも入っていますけれども、欧米諸国とはどうも傾向が違うんじゃないか。つまり、アジア型の場合には家族というものに対するイメージが高いんじゃないかというふうに思うんですね。ですから、これを前提に置いて家族の役割というものを考えなきゃいけないんじゃないかというふうに思うわけです。  その結果、四に書いていることとも関連いたしますけれども、福祉に欠けるものを全部社会福祉でカバーすると考えることがあるいは得策であるのかどうかという問題がこれに絡んでくるんですね。ちょっと余計なことを申し上げますけれども、もちろん社会福祉というふうに言っても、お金が自然にわくわけじゃないんです。逆に言えば、社会福祉は一般税制で取った金から回しているわけですね。例えば生活保護なんかそうですね。それに対して家族福祉というのは、家族の能力に応じて福祉をやっているわけですね。それで、一般財政から金を出して福祉を高めるのがいいのか、一般財政は一定の段階にって、税制を一般の状態に保って各家族から階層別に金を出させることが必要なのか、階層別にですね。その辺をお考えいただきたいというふうに思うわけです。つまり、建前だけで言うと、社会保障は必要であるというふうなことに実際にはなるわけです。しかし、社会保障というのは財政的な裏づけが絶対に必要なわけです。だとすれば、不分明な形にして家族にそれを負担させるということをするよりは、ある程度家族に福祉の負担をさせながら、家族福祉と社会福祉とを結びつけながらこれを進めるということが必要なのではないかというふうに私は思うわけです。  それともう一つ、同居意識というふうに言いましても、先ほど言いましたように、健康の間は別居したいという意識が高いのですが、同居の場合も、同じ屋根の下に住むんだけれども、トイレやバスを別にしたいとか、あるいは時には台所も別にしたいという高齢者もおいでになるわけです。これは統計上は同居の中に入っちゃうんですけれども、しかし、私ども社会学の立場から言えば、実質的には別居であるわけですよね。つまり、近接別居の非常に距離が近くなった形態というふうに考えて差し支えないわけです。そういうふうに考えると、これまであった同・別居のとらえ方自身を、つまり調査の方式自体を変えなくちゃいけないんじゃないかというふうに私は思うわけです。特に最近では、同・別居意識と高齢者がおっしゃっているおっしゃり方の中に、もちろん人間関係としては長くすっと親しくつき合いたいと思っておられるんですけれども、しかし社会生活の側面では独立した生活を保ちたいというふうにおっしゃっている面があるんじゃないかというふうに思うわけです。そういうことを前提にした完全に同居してしまう形態、それから近接別居型の形態等々を含めた同・別居の諸形態をここで考える必要があるんじゃないかというふうに思っているわけです。  そのことと、最後に申し上げたいのは、今度は家族福祉と社会福祉と結びつけるかぎなんですけれども、先ほど申しましたように、各種の福祉を一つの柱の中で展開させるためには、地域というものを母体にした、つまり社会福祉の総合化というものをもっと図る必要があるんじゃないか。地域の中には各種の社会福祉の諸機関がございます。例えば児童館とか、あるいは婦人福祉、老人福祉の諸施設等々があるわけです。あるいは亡くなるまで教養型の学問をしたいとおっしゃる高齢者もおいでになる。そういった人々を考えると、厚生省、文部省あるいは労働省といったような組織ではなくて、地域を単位とした横の連携といいますか、総合化の動きというものが今必要なんじゃないか。それは単なる施設の運営の総合化だけじゃなくて、施設を利用する方々の福祉の総合化に将来は対応するものというふうに考えるべきだろうというふうに思うわけです。  このようなことを最後に申し上げたかったわけで、非常に取りとめないことを申し上げたんですけれども、ここで言いたかったのは、社会福祉と社会福祉以外の福祉というものを切り離して問題にすべきではない。例えば生活保護を受けている人がいるわけですけれども、そういった人を山奥へ連れていけば済むことだという、福祉施設を山奥へ建てればいいんだというふうな考え方自身がおかしいんじゃないか。一定の地域を場にしながら、各種の、家族福祉とそれから社会福祉とを結びつけることが今必要なんじゃないかというふうに思うわけです。  ちょっと四十分より前なんですが、一応話をここで終わらせていただいて、先生方の御質問に答えられるかどうかわかりませんけれども、私の知っていることを申し上げて終わらしていただきたい、こういうふうに思います。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で松原参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 細分化の問題でございますね。先ほど厚生省の方から、一応前期と後期、七十五歳を基準でいくというお話を伺ったんですが、先生は、今七十歳前を三つにこう分けられましたけれども、そうすると、やはり一応仮に前期、後期を分けるとしたら、先生のお考えでは七十歳というものが一つの区切りというふうにお考えでございましょうか。例えば、家族型の福祉施策を進めていく段階で、家族で見れる範囲の福祉と、やはり公的な福祉に頼らなければならない分野が出てくるんですね、いずれ高齢化が進んでいくと。そのけじめの年齢というのは大体どのぐらいでとらえておられるのか、その辺をひとつあわせてお伺いします。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 私もよくわからないんですが、ただ、非常に大まかに言えば、七十歳を境にして体が不自由になる人の比率が急にふえるということは確かなんですね。ですから、七十歳を一つの区切りにするのがいいんじゃないかということを思ったんですが、先ほどちょっと非常に足早に申し上げたんですが、ただ、年齢別に区切って働きとの関係をとっていきますと、六十七歳と八歳ぐらいが一つの境になりそうなんですね。そこであそこを区切りにしたんですけれども、ちょっと先生にむしろ教えていただきたいんですが、逆にお聞きしたいところなんですが、細かく区切らなければいけないことはわかっているんですけれども、どういうふうにどこで区切ったらいいかということは非常に難しいんですね。ただ、年齢で区切るのは果たして本当にいいのかどうかという問題があるんですけれども、しかし、統計的に問題にするためには年齢で区切らざるを得ない。そうすると、ともかく調査対象を一年単位で区切っていって、それのクロスした時日とそれから区切りとをそこでつくっていくという以外に今のところやり方はないんですね。大まかに言えば大体七十ぐらいを――七十五を後期と厚生省の方が言ったのは、社会福祉の対象となる人間が圧倒的に多くなるという意味で七十五歳をおとりになったんだろうと思うんですけれども、前期と後期という分け方を私ども流に、何か社会に対するボランティアを含めた貢献の度合い、職業やボランティアを含めた貢献の度合いから言うと、七十歳というのが一つの区切りじゃないかと思ったのでそうしたんですけれども、ただ、それもいいかげんなというか、言い方は悪いんですが、既存のデータで切っただけで、それを一歳刻みにいきますと先ほど言ったようなことになりますが。何かお答えにならなくて申しわけありません。

青木茂参議院の会

○青木茂君 ちょっとお願いします。  こういう考え方ができるかどうかなんですけれども、最後の子供が結婚して親の手元を離れますね。離れましてから自分が死ぬまで、これはある意味においては孤独特代というのか、老後の一つの定義になるかもしれないですね。それの戦前戦後比較を男女別にできるかどうかということなんです。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 戦前戦後比較というのはどういう意味ですか。

青木茂参議院の会

○青木茂君 つまり、最後の子供が結婚して親の手元を離れてから親が死ぬまで、戦前において何年であり、戦後において何年か。恐らく戦後において非常にこれが大きくなってきているんじゃないか。そういう意味で実質的な老後というものが非常に戦後ふえてきた。恐らく戦前においてはゼロに近いんじゃないか。ところが、戦後においては二十年近くそれがあるんじゃないか。そこら辺に高齢化社会の一つの問題点があるような気がするんですけれども、そういう何か数字的なことがどうもよくつかめていないんですけれども、計算できるかどうかということなんです。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 私どもが統計の調査表をいじりさえすればできると思います。今のところ先生に教えていただいたのが初めてで、子供さんが結婚されたという年齢を軸にして調べておりませんので、何とも答えられないですけれども。

青木茂参議院の会

○青木茂君 もしそういうことがわかりましたら、後からでもお教えいただけるとありがたいんですが。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) はい。

橋本敦日本共産党

○橋本敦君 先生のお話の中にありました、「老後の生活に対するイメージ」の問題で、日本では健康が衰えた後の生活だという、これが三一%で高い。ところが、アメリカ、イギリス、フランスあたりは、仕事から引退した生活、こういうことで、非常に大きな差があることに私は興味を持つんですが、こういう違いは一体どこから来ているのだろうか、どこに大きな違いがあるのだろうかということをひとつお教えいただきたいということが一つでございます。これが第一の質問です。  それからもう一つの問題として、日本の場合同居志向が非常に高いことがよくわかりましたが、実際は同居が進んでいる部面もありますが、逆にまた、単独世帯がふえていくという傾向がある。そこで、この同居志向を本当に満たしていくといいますか、そうしていくためには、住居問題の解決、それからやっぱり同居する若い世帯の生活能力の向上なりいろんな要因が解決されないと、同居志向が本当に希望どおりなかなか進まないと思うわけですね。そこで、同居志向が高いという日本の現状から見て、それを実現していくために一体どう解決をしていく必要がどこに何があるのか。たくさんの問題があると思いますが、お気づきの点、お教えいただきたい。  この二点の質問をお願いします。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 第一点の、日本と欧米の違いなんですが、これは、一つは家族の問題があるんじゃないかという気がいたすんですね。家族と、それからもう一つは、それと結びつきがありますが、近代化の違いというのがあると思います。ヨーロッパあるいはアメリカ、アメリカはヨーロッパと一体なんですが、ヨーロッパで近代化を促進したのは個人の自立ということですわね。つまりいかにして個人が、親を含めて独立するかということが中心にあった。それに対して日本を含めたアジアの国々というのは、家族からとか学校から、あるいは子夫婦から独立することが近代化ではなくて、近代的な産業に適応することが近代化であるというふうなとらえ方をしてきた面がありはしないか。そういう点でどうもアジアと欧米とは違うんじゃないかというふうな気がするんですね。ですから、これはちょっと社会を変えても急に変わる問題じゃないんじゃないかというふうな気がするんです。ただ、欧米諸国でも最近はリタイアするのが必ずしもハッピーではなくて、中高年で首になる例もたくさんあるわけですね。ですから、ハッピーリタイアメントなんというようなのはどうも図式的過ぎるんじゃないかという気もするんです。ただ、調査した限りでは、今言ったことはどうも間違いないみたいな気がいたします。  それから、第二の点の同居志向ですが、日本の同居志向は、恐らく今後新手ずつは変わっていくだろうというふうに思います。ただ、にもかからず高年齢になると、現在の若い人でも、高年齢になれば同居意向にどうも戻りそうな気がするんですね。ですから、若干ずつ減ってはいくけれども、つまり亡くなるまでひとりで過ごすというような傾向がふえてはいくだろうけれども、しかし、それにしても基本的に同居志向がなくならないんじゃないかというふうな気がしますね。ただ、形態は同じ同居といっても、先ほど申しましたように、大分遣うんじゃないか。つまり同じ屋根の下に住んでいてもバス、トイレは別にするとか、もちろん部屋は別でしょうけれども、つまり独立した生活を、それこそテレビのおしんさんの家族みたいな傾向が強まっているんじゃないかというふうなことはどうも確かなようですね。その程度しかお答えできないんですが。

橋本敦日本共産党

○橋本敦君 ありがとうございました。

太田淳夫公明党・国民会議

○太田淳夫君 先ほど、地域単位ごとに社会福祉を生かすということでお話しいただきましたんですが、やはりお年寄りの方々のケアシステムをつくり出していくとか、あるいは高齢化社会の中で活力をつけていくとか、そういう点で地方自治体の皆さん方の果たす力というのは大きいんじゃないかと、こう思うわけなんです。いわゆる武蔵野市方式というのがあるのでございますけれども、これは地域の老人対策として、ある面では評価をされているわけですね。住宅を、その家を老人対策に生かしていくということで、これは立派な家に住んでみえても、老後は住宅だけでは生活できないといってとで、今までは、中には家を売られて施設に入られるという方がおみえになったんですけれども、それをお年寄りの死後、市に寄附するということで、自分の生活する費用はそこから差し引いてもらうということで、老後は市に面倒を見てもらうという制度らしいんですが、これは経済学者の中には、庶民、市民にとりましては可能な自己防衛策だといって非常に評価する方もおみえになりますけれども、社会学者として、先生の立場からどのようにお考えになるか。あるいは、そういう地域の自治体の中で老人対策の問題について具体的にこういうような成功している例があるとか、もしもそういうことがございましたらお願いしたいと思うんですが。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 武蔵野方式の方から先に申し上げますが、あの方式は、私個人としては少し疑問を感ずるわけです。といいますのは、最近ようやく同居ではあるけれども親子が、特に親が独立を保ちながら同居の形態を保っていくというふうな性格が強まっているわけですね。そういう中で武蔵野方式を持ち込むと、つまり死ぬまで財産を放さない、あるいは死後は市へ寄附してやるんだというふうな形式が全体にはやること自身に私は賛成できないんです。同時に、必ずしもそれがはやるとは思えないんですね。現に武蔵野方式ができてから、じゃ、どこ似市町村でも武蔵野方式をたどったかといいますと、実はそうじゃないんですよね。そういうことから言って、必ずしもふえないんじゃないかというふうに思うんです。もちろん、そういう考えを持っている人は何人がおられるわけですから、今後もあちこちにできるかもしれないけれども、すべての老人がそのような形をとるとは思っていないわけです。  それから、先生が最後におっしゃった件ですけれども、これは東京都内にもかなり進んでいるところがございまして、例えば墨田区とか、あるいは荒川区とか、あるいは杉並区あたりもそうですね。例の阿佐ケ谷だとか、あの辺もそうですけれども、例のおけさ踊りなんかやる、あの辺はいわゆる厚生省管轄の福祉施設と、それから文部省管轄の施設とが結びついて仕事するというようなところが出ておりますし、東京都内だけで見ましても、かなりたくさんあると思うんです。それから三多摩でも、いわゆるコミュニティー活動に目を向けながら、それをとらえていけば、武蔵野も三鷹も、あるいは調布もそうですし、その辺をごらんになれば、幾らでも例はあると思います。今、地区の名称までちょっと思い出さないんですけれども。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 先ほど地域の方の高齢化が非常に進んでおるという御指摘がございましたですね。例えば島根県あたりは一三%。しかし、現実に個々の市町村を見ますると、ちょっと過疎にいけば大体二〇%を超しておる、高齢化率が。私のところの山口県でも、大島郡の東和町というところは、もう三四%という高齢化率なんですね。しかしそこでは何とか町長を初め町民が頑張って生活をしておるわけですね。先ほど先生の御指摘ですと、やっぱりそういうものが既にあるんだから、そういうところからいろいろと高齢化対策等を学ぶべきところがありはしないかという鋭い御指摘をいただいたわけですけれども、そういう問題は実際にあれでしょうか、我々高齢化小委員会として、そういう現実にもう大変な高齢化が進んでいるところについての調査ももちろんして、将来の方向を模索するということの手助けはやっぱりしてあげることも必要だろうとは思うんですが、どうでしょうか、そういうところから将来の高齢化社会、日本全体の高齢化が進んでいくというものについての学ぶべき部分というのはやっぱりあるのでございましょうか。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) あると思います。ただ、余計なことを申しますが、関西、特に瀬戸内と東北とは違うんですね。瀬戸内は土曜、日曜は若い人が帰るところがあるんです。山口県の大島郡とかは私よく知らないんですけれども、前に調査に行ったことがあるんです。私の知っているのは、錦帯橋から北へ上がったところの……

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 錦町でございますか。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) ええ、そうです。あそこなんかは休日になると若い人が帰ってくるわけですね。平生は平均年齢が六十何歳というような高齢者だけなんです。ところが東北は、出ていくとちょっと簡単には帰らないものですからね。ですから、高齢者だけの村というのは相当手厚くやらないと対応できない。もちろん酒もそうですけれども。ですから、先生おっしゃったとおり、至急にそういった先例を、マイナス面だけじゃなくて、プラスの側面、つまり高齢者がどのように地域に対して貢献しているのかということを認めるという方向で調査を進めていくというふうなことが私は必要だろうと思いますね。

大島友治自由民主党・自由国民会議

○大島友治君 私も今お聞きしようと思ったのですが、今のに関連ですが、先ほどのこの表、今の高齢化の多いところと少ないところ、大都会の傾向は、これはもう非常に少ないという率になっていますね。ただ、東京は入っていないですね、これ。考えてみますと、今の実態としては、日本の経済発展と同時に、東京へ東京へと人が集まってきた。それから、今の島根とか遠隔地の方は割合に出る方だから、若い者は出ていって年寄りは残るという実態がある。それで東北が一つむ入っていないのはどういうのかということ。  それから、これによると、今から三十年なり四十年将来になると、出てきた者がこの周辺に、千葉なりに住みついてくれば、今度はそういうところが高齢化のウエートがずっと伸びてくるんじゃないか。逆に、今度は過疎化を防ぐために地方に分散するような傾向になれば、これはある程度逆転の方向に行くんじゃないかというふうな感じが、将来を見た場合には見えるんじゃないかと思うんです。したがって、今の現実の姿では、福祉に対する施策も、特別ウエートの高い、まあ三〇ないし、その他のところもありますけれども、二十年、三十年将来を見た場合には、いずれ格差が逆転の方向になってくるんじゃないかというふうな感じがするんですが、どうなんでしょうか。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 大島先生おっしゃるとおりで、さっき申しましたように、東北なんかは若い人が全部出ていったら住めないですね。ですから、若い人がある程度残っているということがある。ただ、私が申したのは、つまり既に高齢者社会になっている地域があるんだからそこから学びなさいということを申し上げたわけなんで、対策事業は制度的に国がおとりになるわけですね。ですから、地域差というのはないはずでございますね。  ただ、先生がおっしゃったとおり、大都市における高齢化というのは進んでいるんです。つまり、大都市内での細分化が進んでいますから、高齢者が大都市に残るという傾向は大きくなっているわけです。ですから、東京なんかがここに出てこないのはそのためでもあるんですね。東京なんか既にある程度高齢者が、さっきのお話にございましたように、子供たちが結婚して出るとしても、若い人は郊外に出るけれども年寄りは都心へ残るという傾向はありますので、先生のおっしゃるとおり、確かに将来都市と農村の差は薄くなるというふうに私は思っております。

大島友治自由民主党・自由国民会議

○大島友治君 したがって、年齢的に規定した場合と地域的に見た場合では、また状態が変わってくるということになりますね、これは。

松原治郎東京大学教授

○参考人(松原治郎君) 変わってくるという面もありますけれども、平準化されてくるという気がするんですが。都市と農村という差が余りなくなってくると思います。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で松原参考人に対する質疑は終わりました。  松原参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。  午前の調査はこの程度にとどめ、午後一時三十分まで休憩をいたします。    午後零時四分休憩      ―――――・―――――    年後一時三十二分開会

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) ただいまから国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、高齢化社会に関する件を議題とし、高齢化社会の基盤及び高齢化社会の福祉のあり方について参考人から意見を聴取いたします。  まず、一橋大学名誉教授馬場啓之助君から意見を聴取いたします。  この際、馬場参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてありがとうございました。本日は高齢化社会の基盤につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。  また、議事の進め方といたしましては、まず四十分程度御意見をお述べいただき、その後二十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いをいたします。  それでは、馬場参考人にお願いをいたします。

馬場啓之助一橋大学名誉教授

○参考人(馬場啓之助君) どうも恐れ入りました。皆さんの前で御報告いたしますことははなはだ光栄に存じております。  座りましてよろしゅうございますか。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) どうぞ。

馬場啓之助一橋大学名誉教授

○参考人(馬場啓之助君) それでは高齢化社会の基盤という点と福祉のあり方につきまして若干の見解を申し述べてみたいと思います。  日本の人口老齢化につきましては、すでに御承知と思いますけれども、三つの点を私は強調したいと思うわけでございます。  第一点は、日本の人口高齢化がスタートいたしましたのは一九五〇年でございます。昭和二十五年でございますが、この昭和二十五年の状態におきまして、出生率はヨーロッパに比べまして大体六割程度高かった、それから死亡率の方はヨーロッパとほとんど差がなかったわけでございます。ヨーロッパと申しましても、代表的な国を選びまして、イギリス、フランス、西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、この単純平均をとりまして、単純平均で比べまして一・六倍ということになるわけでございます。死亡率の点もそうでございます。本来は総和平均をとらなければいけないんですけれども、簡単に単純平均をとりました。  それで、ほかの国に比べまして非常に特徴のあります点は、ヨーロッパの先進国に比べて出生率が非常に高かった、しかも死亡率の方は改善されまして外国と余り変わりがない。こういうのは非常に特徴のあることでございまして、こういう一九五〇年に出生率の急減が始まったわけでございます。減少の状態は非常に急激でございまして、一九四九年と一九六一年をとりまして比較いたしますと、その間千分の三十三から千分の十六に半減をしております。よその国で、こんなに急激に出生率が減ったというのは例が少ないようでございます。それがまず第一点でございます。  ところが、国連が一九五〇年に発表いたしました報告書がございます。人口の高齢化とその社会経済的な意義という有名な報告書が出ておりまして、その報告書に標準化された生命表というものが付表としてついておりますが、それをプリントいたしましたのが表1のAとBでございます。書いてございませんが、Aは男子でございまして、Bは女子でございます。これは十万人の人が生まれたと想定いたしまして、十万人の人が年々どういうふうに生存していくかという表をつくったわけでございます。その表をちょっと加工いたしますると、十万人の人が年々どういうふうに死亡していくかというのが簡単に計算できるわけでございます。それを計算いたしましたのが表1のAとBでございまして、これで見ますと非常に顕著な事実があるわけでございます。  寿命水準が初めは二十歳台のときからだんだん高齢になっていくのをここに比較してございますが、寿命水準が二十歳から四十歳までの場合には、十万人の人の中から死亡するのは、零歳から一歳までのいわゆる幼児死亡率が圧倒的に多かったわけでございます。十万人の人に対したものですから、例えば三万三千二百三十一人死亡したというのは、結局これは三三%の人が寿命二十歳台の段階では死んでおります。それから三十歳になりまして、それが二五%程度に減少いたしました。四十歳になりまして一九%の人が死亡するということになっております。  ところが、寿命は四十歳と五十歳の間に非常に顕著な差がございます。五十歳になりますと幼児死亡率が一四%になりまして、それに反しまして七十歳台で死亡いたします人が一九%というふうにふえます。というのは、結局死亡率の中心が一歳までの幼児死亡率から七十歳台に移行するわけでございます。  どうしてそういうことになるのかということは、これは統計が出ておるわけでございまして、別に特別な説明がございませんので推定するよりほかないわけでございますが、非常に重要な要因というのは、結局健康水準が、医療水準が非常に上昇したということだろうと思います。五十歳から死亡率の中心が七十歳台に移っておりまして、その寿命の数字が七十・二歳までずっと出ております。現在日本は八十歳台でございますから、七十歳台から八十歳台に移行しておりますので、死ぬ人は大体七十歳から八十歳の間に中心が移ったわけでございます。  このことは、別の言葉で申しますと、人口老齢化に対しまして、寿命水準が、四十歳までの段階におきましては、人口の老齢化と逆行いたしまして、人口のいわゆる若年化をもたらすわけでございます。ところが、寿命が五十歳台を超えました場合には、どうも人口の老齢化を促進するという顕著な事情がここに生じてきているわけでございます。  それで、その当時、一九五〇年の段階におきまして、男子の寿命水準が五十歳台、それから女子の場合は六十歳台に非常に近づいておりました。だから薄命が五十歳倉から六十歳台に移行しつつあった。日本の場合は出生率が非常に高かったわけですが、医療が非常に改善されておりましたので、いわゆる世界の先進国並みの寿命であったということが言えるわけでございます。もちろん、これは寿命が原因になりまして、そして死亡率や出生率が影響されているわけでは毛頭ございません。出生率の犬小や死亡率の改善されていくという状態は、むしろそれが原因でありまして、それが寿命という形で表現されるわけでございます。だから、寿命の水準が原因となりまして死亡率がどうした、あるいは出生率がどうしたということを申し上げているわけではございませんけれども、寿命水準が高くなるような状態におきましては、それと相関関係がございまして、出生率と死亡率がだんだん変化していくということをあらわしているわけでございます。  そのことから直ちに出てきます結論といたしまして、結局、寿命水準が低かった四十歳の段階までに出生率の減少が起こりました場合におきましては、人口の老齢化ではなくって、人口の若年化につながっているわけでございます。日本の場合は、人口の老齢化を促進するような状態になって出生率の急減が起こったわけでございます。  これは国連の五〇年の報告書の中でも非常に強調しておりまして、今まで先進国だけの問題であったと思っておりました人口老齢化というものに日本が新しい例を開きまして、出生率のかなり高い段階で出生率が急減をいたしますると、その当時まで中進国と言われておりました日本のような国にまで人口の老齢化が始まるということを言いまして、それがいわゆる発展途上国にもだんだん波及していくといういわばその先鞭のようなものをつけたのが日本だ、そういう意味で日本の人口老齢化というものは非常に強調をしなくてはいけないんだということを国連の報告書の中で言っております。後で国連が別の報告書を出しておりますが、後に出しました報告書では、人口老齢化というのは世界的現象である、先進国だけの問題ではなくて、後進国も含めまして、発展途上国も含めて、結局世界的な現象になったんだ、世界的な現象になったということのいわば先鞭をつけたのが日本の特殊な事例だということを強調しております。これが注目しなければならない第一の点であります。  それから第二の点は、先ほど申しましたように、しかも日本の出生率の減少が非常に急激であったということでございます。先ほど申しましたように、千分の三十三から千分の十六まで十年ほどの間に急減をいたしました。十年ほどのテンポで出生率が半減してしまうというのは非常に珍しい例でございます。  それから第三番目に、日本の場合は、戦前、一九二〇年、大正九年ごろでは都市と農村で出生率が非常に違っていたわけでございます。農村は出生率が非常に高かったわけです。都市が千分の二十七ぐらいの出生率でありましたのが、農村はそれの大体三割から四割高かったわけでございます。それを戦前の言葉で、お聞きになったかと思いますけれども、農民的多産という言葉を使っておったわけでございます。日本の人口の特徴は農民的多産にあるんだということがよく言われていたわけでございます。ところが、人口の老齢化が始まりましたのと偶然時期を同じくいたしまして高度成長が始まりました。高度成長というのは、ご存じのとおり、都市を中心にしていわゆる都市集中の現象を起こすわけでございます。そのために、農村の場合は、いままでは非常に大勢の子供を生んでおったわけでございますけれども、年に八十万ぐらいの人がどんどん農村から都市へその当時移動していたわけでございます。  それで、いわゆる結婚難なんです。結婚適齢期になりますと都会へ出ていってしまう。そうすると農村で結婚するということが難しくなります。その当時農村の結婚難というのは非常に大きな問題だったわけでございます。私どもその当時農林省におりましたのですが、当時の農林省におりまして地方へよく講演に歩いたわけでございます。そうすると、句か質問がないかということをお伺いいたしますと、農村の結婚難は大変な問題だ、どうしたら結婚難を解消できるかということを質問されたわけでございます。ところが、私は農村の結婚難を解消するような手だてがあるということをはっきり申し上げる知識がなかったわけであります。そういう問題を出されましてもお答えができませんと言って謝ったことがございます。  その当時、ちょっと余談になって恐縮でございますけれども、昭和三十年代では、年度を置きまして人口統計が発表されますが、たとえば五年ごとに人口統計が発表されるといたしますと、その五年間に寿命の伸び方が五年以上伸びておったわけです。それで、学校で話していたんですが、若い奥さんと結婚しておった私の友人に、おまえ、鉄筋コンクリートの家をつくったけれども、鉄筋コンクリートの家をつくっても、そんなに寿命が長くないからむだじゃないかということを私が聞きましたら、いや、私の細君は若いんだということ、それから最近の人口統計を見ておりますと五年間に五年以上寿命が延びている、死ぬ暇がないじゃないかというわけですね。  人口統計だけを見ますると、五年間に五年以上寿命が延びておりますと、確かに死ぬ暇がないという感じが出るわけであります。もちろん、その人は統計学者じゃないんで余りそういう知識がないんですけれども、その当時は御存じのとおり幼児死亡率が非常に高かったわけで、大学の教師をしているような年配になりますと、もうその幼児死亡率の高い段階を超えたんですから、寿命が延びると申しましても、死ぬ暇がなくなったということが直接に出てくるようなそういう寿命の延びでなかったわけですけれども、そういうことが三十年代にございました。現在はまさかそういうことはないと思います。  以上三つの点が、日本の人口につきまして強調しなくちゃならない特徴だと思います。  それで、この特徴の帰結といたしまして、人口老齢化が始まりましたのは、大体三十年ぐらいおくれて日本は始まっております。ところが、人口の高齢化がだんだん進んでまいりまして、そして高齢化社会がいわゆる高齢社会、エージド・ソサエティーになりました場合には、もう高齢化は進行しなくなるわけですね。前とよく似たような状態が続くのが高齢社会。すると、高齢社会が始まりますのが、この間私ヨーロッパへ出張さしていただいたんですが、イギリスあたりは既に高齢化が終わりまして高齢社会になっています。フランスもそうですし、ドイツもそうだったと思います。そして二十世紀が終わりまして二十一世紀になりますと、大体千分の十四、五人の段階で高齢化社会がやみまして高齢社会になるわけです。準定常状態になります。そうすると、現在の状態と同じような状態が今度は続くということですから、対策を立てますのに、現在を念頭に置きまして現在の対策を将来も続けていけばよろしいわけでございます。  ところが、高齢化が進んでおります高齢化社会におきましては、高齢社会を目安に置きまして、準定常状態になりますのはどのくらいのところでなるかということを目安にいたしまして、それで準備しなきゃいけないわけですから、だから高齢社会と高齢化社会の区別をするということは日本の場合は非常に重要なわけでございます。  それで、外国で人口老齢化が始まっておりました段階でいろいろな書物が出ておりますけれども、高齢社会と高齢化社会、エージド・ソサエティーとエージング・ソサエティーというのを区別して、エージング・ソサエティーではこうだし、エージド・ソサエティーではこうだというふうに区別して議論しているのはほとんどない。どうして区別しないのかということが私ども研究者としては非常に疑問に思う点です。と申しますのは、日本は高齢化社会が五十年たたないと――もう既に現在高齢化社会になるわけですが、高齢化社会が日本で終わりますのは、前の人口研の推計によりますと二〇四五年だと言われております。二十一世紀の中ごろにならないと高齢化が終わって高齢社会にならないわけでございます。だから、高齢化の期間が非常に長いということ、三十年おくれて始まったものが五十年たたないと準定常状態にならないということが言えると思います。それが第一に申し上げたい点でございます。  それから第二に、高齢化社会と福祉社会というところへ移らしていただきたいと思います。  私が前に書きました論文で、高齢化社会は福祉社会でないとスムーズに気持ちよくは過ごせないんだということを申したわけでございます。その考え方は現在も変わっておりません。で、福祉社会に移る、福祉社会の準備を高齢化が続いております段階においてやらなきゃいけないというのが第二の論点になるわけでございます。  福祉社会というのは、その前が産業社会でございます。産業社会は、御存じのように、産業化をしましてでき上がった社会が産業社会でございます。産業社会におきましては、社会の運営のルール、いわゆるゲームのルールという言葉で外国の人たちが言っておりますが、ゲームのルールがあったわけでございます。これは産業社会の業績主義の社会倫理から発生したものでございます。その産業社会の倫理から出ましたこのゲームのルールといたしまして三点があったと思います。  いわゆる機会の均等、それから競争いたしますときに公正な競争を行うこと。機会が均等でありまして、だれでも同じような機会が与えられまして、その機会のもとで公正な競争をするということ。公正な競争を行いまして、その結果として実は平等でない結果が出ることは、これは当たり前でございます。競争いたします建前というのは、少しはよい状態になろうというのが競争の建前ですから、競争が公正に行われましても結果は不平等になるということは、これはもう当然でございます。その結果が不平等になりましたときに、その不平等なものを是認すると申しますか、承認するというのが、非常に重要なゲームのルールだったわけでございます。これはスポーツなどをやっておりますと、公正な競争が行われておる社会におきまして勝敗が決まってきますから、決まった結果を気持ちよく受け入れるというのが、適正な差異の承認ということで、これが三番目のゲームのルールでございます。  このゲームのルールで産業社会が栄えてきたわけでございますけれども、高齢化社会になりまして、高齢化社会が福祉社会の準備をしなければいけませんということが言えます以上は、この三つのゲームのルールだけでは不十分であります。そこで新しいルールがつけ加わらなければいけない。新しいルールといたしまして、いわゆるソシアルミニマムの保障を行うというのが加わるわけでございます。そこに(イ)、(ロ)、(ハ)と書きましたゲームのルールの(ロ)と(ハ)の間にそういう新しいルールがつけ加わるわけでございます。  これは二十世紀の初めにおきましてイギリスで、いわゆる産業民主主義というそういう運動が行われましたことがございますが、その産業民主主義の中でいわゆるミニマムの保障を求めたわけでございます。いわゆるナショナルミニマムと当時は言っておったわけですが、日本の場合には、このナショナルミニマムにつきまして、少しナショナルミニマムに福祉施設の利用可能性を保障するということをつけ加えまして、社会学的な幅を持たせましたものをソシアルミニマムと言うことができるかと思いますが、その保障をつけ加えまして、結局、適正な差異の承認ということがスムーズに行われるようにするのが非常に大事だ。ですから、高齢化社会が続いております間に、いわゆるゲームのルールといたしまして、そのソシアルミニマムの保障ということをつけ加えなければいけませんということでございます。  既に、行政関係におきましては、いわゆる社会保障制度の改革案といたしまして、共通な基礎年金をつくらなきゃいけないということを政府は考えておるようでございますけれども、それに対応いたしましてソシアルミニマムの保障ということが言われるのでございまして、したがって高齢化社会が続いております段階におきまして、ソシアルミニマムの保障ということを制度化してはっきりすることが非常に大切だと思うわけでございます。多少私の議論めいたことになりまして申しわけございませんけれども、それが第二番目の高齢化社会と福祉社会で申し上げたい点でございます。  その場合に福祉社会というのを――私、前にも同じような話をよそで多少内容が違ったことを話したことがあるんですが、新聞記者の方から、福祉社会にいつなるのか、現征日本は福祉社会がどうかということを聞かれまして、さあ福祉社会か福祉社会でないかということを認定するのは非常にどうも難しい点だということを、その当時はあいまいなことを申したわけですが、実はこのゲームのルールの中に新しくいわゆるソシアルミニマムの保障を入れるか入れないかということが、福祉社会が成立したかしないかということの”ライテリアになると現在は考えております。班に政府の改革案の中にはそういうことが出ております・しかし、それは共通な基礎年金というものがはっきり制度化されたということにはまだなっておりませんが、まあ福祉社会に移行しつつある段階だと思います。  それから三番目の社会保障の長期展望。そこに書いておりますように、一九七九年度から八二年度までの三年間にわたりまして社会保障研究所で作業をいたしまして、社会保障の長期展望という作業を行いました。その作業に私も参加いたしました。その中から二つの点が示唆されていると考えました。  第一にはっきりしておりますことは、改革をしないで現在のままで移行いたしましては、社会保障制度が空洞化すると申しますか、社会保障制度が崩壊するのではなかろうかという心配がある。したがって、社会保障制度の改革ということは、好むと好まざるとにかかわらず、どうしてもやらなきゃならない現象だということ、これが第一の示唆でございます。  初め十年ごとに計算をしたわけでございまして、それで昭和百年、二〇二五年ですか、二〇二五年まで計算したんですが、二〇〇五年から社会保障基金の赤字が発生いたしまして、初めの赤字は大したことないんですけれども、それから十年たちました二〇一五年になりますと、GNPよりも赤字の額の方が大きくなるわけです。ほうっておきますと大変なことになりまして、赤字の方がGNPより大きいということ、そんなことはあり得ないということを言われるかと思いますが、それは計算上そうなることでございます。実際は赤字がそういうふうにふえるということは非常にインフレになるということでございます。それから何とかしなきゃいけないということが言えるわけでございます。  そこで、長期展望の計算を少しやり直しまして最終報告を出しました。その最終報告から第二の示唆が出るわけでございます。  もう時間来まして恐縮ですが、ちょっと五分ほどいただきたい。  それで、改革をいたします場合に、年金支給開始年齢を六十五歳に統一する、同時に社会保障基金がマイナスになることがはっきり見込まれました場合には前広に拠出率を高めていく、それが改革のために必要な点でございます。そうやりました場合どうなるかということを計算いたしました結果が、表三にいろんな数字が上がっておりますそれでございます。  ところが、社会保障基金がマイナスにならないことになりますけれども、マイナスにならないのは結局拠出率がだんだん上がっていくということでございます。拠出がたえ得るかどうかということ。拠出がふえますことに対しましては、余り好ましくないことであることは確実でございますけれども、社会保障制度がパンクしてしまうよりも、多少お金を出しても社会保障制度を維持していった方がよろしいということで、御賛成が得られるといたしましても、それには限度があるということが言えるかと思います。  ところが、いま申しましたように、支給開始年齢を六十五歳に統一いたしまして、拠出率を上げてまいりますと、拠出率がボーナス抜きの賃金に対しまして、ボーナスは大体五カ月分と考えまして、その五カ月分のボーナスを除きました賃金に対しまして何%になるかという計算をいたしますと、三六%ぐらいになるわけなんです、二〇二五年にはそうなるわけです。もちろん税金も払わなきゃいけません。保険料を三六%も払っておりますと、そうすると年をとって引退した方が非常に楽になる、子供を養っておった場合に比べまして。  子供を養うために教育費もかかりますし、家も建てなければいけないし、いろんなものがかかります。そうすると引退した人の適正な比率というのはどのくらいかということは、おのずから想像がつくわけでございます。日本の場合は現在、年をとって引退した人は、その働いている人たち、活動期にあります人に比べまして、大体五〇%ぐらいです、今のところは。その五〇%というのは別に日本だけ特殊な事情ではございません。外国でも大体五〇%ぐらいが適当だということをよく言われるわけですけれども、ところが賃金の三六%も天引きされまして、そして年をとって年金がその給料の八八%になるわけですね。  八八%というのは、年とってそんなに要らないと申しますのはちょっと恐縮でございます。多々ますます弁ずるというのは、言われればそれまででございますが、三六%も税金のほかに保険料払って、そして老後に八八%も年金をもらわなきゃならないというんだったら、もう少し拠出を下げて、そして年とってそんなに年金たくさんもらわなくてもよろしいよということを言う人も出てくると思うんです。出てくるかこないかよくわかりません。聞いたわけじゃございませんからわかりませんけれども。  そうするためにはどうしたらよろしいかという一つの案ですが、私この間まで中央労働委員会の委員をしておりまして、賃金あっせんをずっとやってきたわけです。そのときに、会社がこのままじゃつぶれてしまうというような場合に、別の会社に移るというときに、ただし月給が減りますよと。月給減るときに、三割月給が減りますよと言うと、三割も減らされちゃとてもだめだと言うんですね。それは減らない方がよろしいわけですけれども、そのときに、まあせんぜい我慢できるのは二割程度だと、よくそういうことをおっしゃる人がいるわけです。これは組合の委員で労働委員会に出てきた人の話ですけれども、一般の組合員の人がそういうふうにみんなおっしゃるかどうかということはもちろん保証できません。組合の人がそういうふうなみんなの意見を代表して言うんですから無責任なことじゃないと思うんですが、二割程度なら我慢するけれども三割も減らしては少しきついよ、そんなことだったら組合の大会にかけて承諾が得られませんよとよくおっしゃる。  ですから、二割減らしたらどうなるか。年金を二割減らすわけです。年金を二割減らしますと年金が平均賃金の七一%になります。そのかわり拠出率が二〇%強になります。二〇・何%。まあ二〇%ぐらいならば何とか我慢してもらえるんではなかろうかというのは、これは私の想像ですから、それは責任は私が持ちましても、必ずそうなるということではございません。  そこで、二割節減したらどうなるかという計算をしたのが第四表でございます。第四表のようなことになりますと、まあ何とかできるのではないかというのでございます。そして先ほど申しましたように、いわゆるソシアルミニマムの保障をするということは、福祉社会のために非常に重要なクライテリアになりますから、その間に二十一世紀の中ごろまでにいわゆるソシアルミニマムの保障を共通な基礎年金の保障ということで制度化していくということが非常に重要な点ではなかろうかと思うわけでございます。それであれば、高齢化社会から高齢社会に移っても、何とか社会の統合を維持してうまくやっていけるのではなかろうか心  私の意見になりまして恐縮でございますけれども、御報告申し上げたい点は以上でございます。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で馬場参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は小委員長の許可を得て順次御発言を願います。――  別になければ、以上で馬場参考人に対する質疑は終わります。

馬場啓之助一橋大学名誉教授

○参考人(馬場啓之助君) どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 馬場参考人には、お忙しい中を本小委員会に出席いただきましてありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。     ―――――――――――――

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 次に、日本社会事業大学教授三浦文夫君から意見を聴取いたします。  この際、三浦参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は高齢化社会の福祉のあり方につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。  また、議事の進め方といたしましては。まず四十分程度御意見をお述べいただいて、その後二十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと思います。よろしくお願いをいたします。  それでは、三浦参考人にお願いをいたします。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) 急なお話でございまして、ちょうどあいにくと今大学の入学試験の真っ最中でございまして、入試委員長をやらされておりましたものですから、事前に十分な資料を用意できずに大変申しわけございません。非常に簡単なレジュメを用意させていただきました。後ほどきょうお話します若干関連のあるものについて書きました雑文がございますので、お配りさしていただきたいというふうに存じております。あるいは今までのお三人の方々のお話と重複する点もあろうかと存じますけれども、その点御容赦願いたいと思います。  最初に、高齢化社会というものに対しての見方みたいなことについて、私自身がこんなふうな考え方をしておるということを御披露さしていただきまして、その上で福祉の問題、ここで言う福祉は特に社会福祉に限定されると思いますけれども、福祉のあり方みたいなことにつきまして最近考えておりますことを御披露さしていただきまして、御批判に供したいというふうに存じております。  言うまでもなく、この高齢化社会というのは、人口構造が高齢化する社会というふうに言われておるわけでございますけれども、高齢化社会を見る場合に、実はここにレジュメに書きましたように、三つぐらいの次元と申しましょうか、あるいは視点ということから、高齢化社会をとらえる必要があるのではないかというふうに存じております。  その一つは、いま申し上げましたように、高齢化社会というものの基礎は人口構造の高齢化でございまして、そういう意味で、人口学の側面から、この人口の高齢化というものがどういうふうに進み、あるいはどういうふうな問題を生み出すのかという、こういうレベルの議論が一つあろうかというふうに思います。この点については、もう既に岡崎参考人の方から詳しいお話があったかと思いますので、ごくごく簡単に申し上げたいと思いますけれども、例えば我が国の人口高齢化、これは不可避的なものでございますけれども、今後の人口の推移の中で世界に例を見ないほどの異常に高い人口高齢化の水準に到達するということ、これはもう確実でございますし、それから実は一億人を超える人口の中でピーク時に約二二%近い六十五歳以上の人口を抱える、大変大きな老齢人口を擁するということも、これまた明らかになっておる事実ではないかというふうに思います。  そのほか、人口構造の中身を見てまいりましても、例えば私ども七十五歳あたりを一つのメルクマールとしますけれども、同じく六十五歳の人口でも、前期高齢層と後期高齢層というものを対比してみますと、特に二十一世紀に入るころから、この後期高齢層、七十五歳以降の高齢人口のふえ方の方がより顕著であるというふうな事実も、これは予測されておるわけでございます。  あるいはまた、性別で見まして、男女の六十五歳以上の人口の推移を見てまいりましても、ただでさえ平均寿命では女性が長うございますけれども、それに戦争の影響等がありまして、一九九〇年ぐらいに六十五歳以上の高齢者の中での男女比でいきますと、その性差が一番開く時期でございまして、男一〇〇に対して女性がたしか一四六か一四七ぐらいに開くかと思います。それからまた少し縮んでまいります。これを例えば今申し上げました後期高齢層の場合を見ていくならば、実は男女比はさらに大きくなりまして、男一〇〇に対して女は二〇〇を超えるというふうな状況でございまして、こういうふうな人口学上のいろいろな所見というものから幾つかの問題を我々は考えることができるだろうと思います。  そしてまた、この人口学的な側面から出てくる問題は、二十年はおろか、場合によりましては、半世紀ぐらい先までかなりの精度でもってこの事実を我々は認めることができますものですから、将来の問題を考える場合に、この人口学的な視点から幾つかの課題を確実に予想するということが可能ではないかと思います。  それからもう一つの高齢化社会を取り上げる場合の次元でございますけれども、ここで私は経済、社会、人口学的と書きましたけれども、適切な表現がございませんので、英語で言うとソシオデモグラフィックとでも言うんでしょうか、人口学だけの所見ではございませんで、それにいろいろな社会、経済的な諸条件が加味されまして、そして高齢化社会の幾つかの問題を生み出しておろうかと思います。  例えばここで家族という例を出しておきました。いろいろな問題がございますけれども、六十五歳以上の高齢者が将来どういうふうな家族関係の中で生活をするのかということは、これは福祉の問題等を検討する場合に欠かすことのできない大変重要な問題になろうかというふうに思います。あるいはこの話も既に岡崎参考人の方からもあったのではないかと思いますけれども、岡崎さんが昨年でございましたか発表しております、六十五歳以上の人々の世帯の類型はどうなるのかということについて予測を出しておりまして、たしか近代型とそれから保守型という二つの予測を出しておりまして、近代型の場合に子供と同居しておるというふうな者の割合がざっと四七%ぐらい、保守型の場合には約五八%ぐらいという、そういう予測をしていたかと思います。これは西暦二〇〇〇年の時点でございます。  そういうぐあいに西暦二〇〇〇年ぐらいのところで、誤差率が大体一〇%前後ぐらいはございますけれども、一つの傾向を見ることができると思います。これは人口学の所見よりはより精度は落ちるわけでございまして、したがいまして、またせいぜい二十年前後ぐらいしか見通しはきかないだろうと思いますけれども、しかしそういったことも一つの見方としては出てまいります。  これと同じような意味での問題というのは、例えば労働力の推移などもそれの一つかと思います。労働力の推移は、生産年齢人口のほかに労働力化率がどう動くかということが問題に、なります。特に、現在六十四歳までが――六十歳までの男子の場合にはこれはほとんど問題がありません。労働力化率は大体九十何パーセントになっておりますけれども、問題はその六十歳を超えました高齢の労働、人々がどこまで労働力として参入してくるのかというあたりになりますと、これは幾つかの社会的、経済的、文化的な諸条件が入ってくるために、この予測はそう長期にわたりまして確実に予測することはできないかと思います。さらに、この労働力の問題では、女性の労働力化率の問題、これが非常に大きいと思います。そんなことを加味していくならば、この労働力の推移ということでいきますと、青いせい二十年ぐらいのところ、しかも誤差率をかなり含めまして予測することができるかというふうに思います。  それから、同じような問題では、地域別の老齢人口の分布というのも大変重要な問題になろうかというふうに思います。現在我が国では六十五歳以上の高齢者が九・六%という割合を示しておりますけれども、あるいは一九八〇年、昭和五十五年の国勢調査で見ていくならば九・〇五%ということであったわけですが、その昭和五十五年の国勢調査の地域別で見ていくならば、島根県だとか、それから高知県、鳥取県、あるいは鹿児島、あるいはまた四国というふうな西南地域の方に人口の高齢化の進展が非常に激しゅうございます。それに対しまして、大都市地域の場合は、御案内のとおり、まだ人口の高齢化の割合はそれほど高くはございません。これは六〇年代の経済の高度成長期における人口移動の結果として示されるものというふうに考えてよろしいかというふうに存じます。  したがいまして、地域別の老齢人口が将来どうなるのかということは、この人口の社会的移動にかかってくるために、封鎖人口としての我が国全体の人口の推移、予測に比べ、せいぜい二十年先ぐらいしか予測はむずかしいだろうというふうに思います。しかも、その中ではかなりの誤差率を含むということになろうかと思います。そんなふうなことを考えていくならば、細かい数字は別としまして、現在過疎地域を中心に人口の高齢化が進んでおりますけれども、このパターンは恐らく今後相当変わってくるのではないか。過疎地域は依然として人口の高齢化は進むと思いますけれども、人口の定住化傾向が強まってきまして社会的移動の割合が減ってきております。そうしますと、経済の高度成長期に都市に流入してきた人口はそのまま実は都市の中で老齢化してくるということが起こってくるために、二十一世紀に入るころから大都市地域における人口の高齢化というものが急速に進展するのではないかということなども予測されております。こういったことは、先ほど言いました人口の移動という社会的、経済的な諸現象と絡み合うために、余り長期にわたってまでは予測は不可能でございますけれども、大体二十年ぐらい先ぐらいを予測するということは可能ではないかと思います。  高齢化社会の議論を考える場合には、今言った人口学とこういう経済、社会的な諸要因を含めたものとを結びつけまして、この高齢化社会の課題を考えるということになろうかと思います。それに加えて、これはもう少しむしろ経済、社会、技術等の変化というものが高齢化社会にどういう問題を生み出すのか。例えば経済の成長率がどうなるのか、あるいは経済構造がどうなるのか。これはたまたま経済のソフト化、経済の問題など触れておきましたけれども、こういう傾向というものが高齢化社会にどういうインパクトを与えるのか、あるいはその技術の革新というものが高齢化社会にどういう影響を与えるのか。例えばロボットの導入であるとか、あるいはコンピューター、OAであるとか、あるいはニューメディアであるとか、こういう新しい技術が開発されてきております。そういうものが国民生活にどういう影響を与えるのか、あるいは年金等の成熟というものがどうかかわりを持つのか。そういう幾つかの諸要因というものを結びつけまして、先ほどの一、二のところに出てくるいろんな諸課題というものをより具体的に理解することができるのではないかというふうに思ったりしております。ただ、第三の条件というのは、上の一、二ほど長期的あるいは中期的な見通しは大変困難でございまして、多分もっと短期的な予想しかできないのではないか。ここら辺を結びつけて高齢化社会の問題を整理してみる必要があるのではないかというふうに思ったりしております。  そこで、そういったところで出てくる高齢化社会の問題でございますけれども、高齢化社会の問題を考える場合に、私はここでは高齢化社会への対応を考える視点ということで三つぐらいの問題点を出しておきました。というのは、いま申し上げましたように、高齢化社会への対応の課題を取り上げる場合に、先ほど触れました人口学はかなり長期的な予測がきくもの、それから社会、経済、人口学の側面からいわば中長期的にとらえられるもの、あるいは社会、経済、技術等の変化によるいろんなインパクトというふうなことを結びつけまして、そういう意味で総合的に取り上げていかなきゃなりませんけれども、このほか高齢化社会を考える場合に幾つかの論点から総合的な視点というものが求められてくるのではないかというふうに思います。  いま申し上げたように、まず長期、短期の議論が一つございます。これは我が国の高齢化社会の進展を見ていく場合に、特に六十五歳以上人口の推移を見ていきますと、二十一世紀、大体西暦二〇〇〇年ぐらいを一つの山にしまして、それからその前と後ぐらいに、高齢化社会の課題を考える場合に、これを二つに分けて考える必要があるのではないかと見ております。といいますのは、大体西暦二〇〇〇年前後、これから二十年前後ぐらいまでは、先ほどの分析手法からいくならば、人口学的、あるいは社会、経済、人口学的なそういうふうないろんな裏づけから問題をある程度具体的に把握することができます。それに加えまして、我が国の人口の高齢化の進展を見ていくならば、人口問題研究所でも既に発表しておりますように、西暦二〇〇〇年の時期の老齢人口比率は一五・六%でございます。恐らくプラス・マイナス一%ぐらいの誤差があるかもしれませんけれども、ほぼ確実に予測できるわけでございます。つまり、一五・六%ぐらいの水準ということになりますれば、現在の欧米諸国の人口の高齢化した国々の水準とほぼ同じぐらいの状況でございます。その意味では現在欧米諸国のぶつかっている問題というのは一つの参考になり得ると思います。  ところが、我が国の高齢化社会の進展というのは実はそれから以降が問題でございまして、現在の欧米の一五、六%ぐらいの水準をさらに急速に追い抜きまして、二〇一〇年には一八・八%、それから二〇二〇年には二七、八%という予測が出ておりまして、これほど高い人口高齢化を持つ国々は今まで経験したことがございません。そういう意味では二十一世紀の人口高齢化の進展の中に出てくる問題というのは、今までの欧米諸国で予測した問題をさらに超える問題が出てくるのではないか。そういう点で二十一世紀前後ぐらいまでの状況への対応、二十一世紀以降の対応ということは性格的に大きく変わってくるのではないかというふうに思われます。  あるいはまた、二十一世紀までの間は老齢人口の比率がそれほど高くはない、欧米並み水準ぐらいであると申しましても、ただ注目すべき問題は、この間に我が国の労働力人口というものが中高年齢化する状況が非常に高まってきます。つまり六十五歳以上人口の比率が高まる前に、その前の五十五歳ぐらいからの人口の比率が高まってくるということは当然のことでございまして、そういう意味では二十一世紀までの問題というのは、増大する高齢人口の問題もさることながら、実は労働力人口の中高年齢化に対応する問題などがより深刻な形で登場し、あらわれてくるのではないかというふうに思います。  そういう意味では、現在の問題はともかくとしまして、西暦二〇〇〇年ぐらいまでのこの時期における問題点、それから二十一世紀を超える時の問題点というのは、かなり違ってまいりまして、この両者をどういうふうに統合するのか、この両者を結びつけながらいろんな対策を考えるということが大変重要な課題になるのではないかというふうに思います。この間における整合性を対策上どう図るかということは、我々が高齢化社会の課題を考える場合にぜひとも念頭に置いておかなければならない問題ではないかというふうに思います。  それからもう一つの高齢化社会への対応策を考える場合に、実は高齢化社会の問題は増大する老齢人口だけの問題ではございません。むしろ老齢人口を支える他の世代の問題ということも同じようにかかわってきます。  例えば、きょうは細かい話をするゆとりはございませんけれども、老齢人口比率を示す場合には、当然分母の方に総人口なり生産年齢人口なりをとります。そして分子の方に老齢人口をとるわけですけれども、その分母の方の問題も出てくるわけです。つまり人口高齢化を生み出したところの出生率の低下というものは、当然現在の非常に少ない児童数を生み出しております。そのために、それぞれの家庭におきましても、いわゆる一人っ子とか二人っ子という、そういうふうに非常に小規模の家族というのが出てきておりまして、その子供たちの健全な発達なり成長というものをどういうふうに確保するのかという問題なども、実はこの問題と結びつけて考慮しておかなければならない問題かと思いますし、先ほど触れましたように、労働力人口は中高年齢化しできますので、その意味では高齢化社会の課題は、労働力の中高年齢化という状況に対してどういうふうな問題を考えるかということなども出てまいります。  そういうぐあいにいろんな世代ごとにこの問題は出てくるということで、高齢化社会の問題は老人問題だけに限定していない、もっと広い立場でも取り上げる必要があろうかというふうに思います。しかもそれぞれの世代間のいろいろの関連というのが大変問題になってくるかというふうに思います。  それから第三番目に、そのことは当然のことながら、例えば高齢者の問題になりますれば社会保障、福祉、医療というふうなものが特別に重要な意味を持ってまいります。ところが、生産年齢人口にとりましてはむしろ雇用政策の問題が中心になってまいります。あるいは年少人口にとりましては教育の問題が中心になると思います。それぞれ対策の重点が出てまいります。そういう意味で各世代ごとのいろんな問題があると同時に、対策はいろんな分野ごとに問題が出てきまして、そうした面からの多面的な視点というものと総合性というものが要求されるのではないかというふうに思います。  それからさらに、これは後ほど触れていきたいと思いますけれども、この高齢化社会の対応というのは、いわゆる全国レベルの議論、あるいは地方レベルの問題、そういう形であらわれてまいりますし、それに対する対応の仕方も、政府の役割、あるいは地方自治体の役割、そのほかに企業がそれに対してどう対応するか、あるいは地域社会がこれに対してどう対応するか、あるいは家族なり個人なりはどういう対応をするかという、そういうぐあいに高齢化社会への対応ということは、いろんな責任主体と申しましょうか、そのレベルにおいて対応の仕方も変わってくると思います。こういったそれぞれの対応の仕方というものを明らかにするということも、高齢化社会の対応を考える場合に欠かすことのできない重要な課題になるのではないか。そういったことを含めて、私はここで総合的な視点からこの高齢化社会の問題を整理する必要があるのではないかということで、「四つの総合化」なんということを書いてみたわけです。  それから第二番目に注意しておかなければならないと私どもが考えますのは、まあコウホートと変な言葉を使いましたが、これは勝手に使った言葉で、これは人口学の言葉ではございますけれども、適切な言葉ではございません、勝手に使った言葉です。というのは、実は我々はややもすると現在の問題、現在のいろいろな感覚で実は二十年先を考えると、何といいましょう、一つの過ちを犯しやすいわけでございまして、例えば同じく高齢者の問題を考える場合にも、現在の高齢者の置かれている状況なり、そして現在の高齢者の持っておりますいろんな生活意識なり生活感情、これが二十年先の高齢者と同じであるというわけにはならないだろうと思うわけです。その点で現在当面のいろいろな諸課題に対する対応の仕方ということと、二十年先の場合はおのずとその観点を変えなければならない。  ここでコウホートと申しましたのは、これは同一出生世代というふうな言い方だろうかと思います。そうすると、現在の高齢者の問題は――高齢者となりますと、大体明治の世代ないしは大正の前半の時期でございますけれども、二十年先になりますと、もう昭和、場合によっては二けたぐらいの者が六十五歳の人口にこれは入ってくるわけですので、おのずと受けとめる感覚が非常に変わってきます。そうすると、高齢化社会の対応策を考える場合に、今の感覚での対応を考えるだけでは決してうまくいかないだろう。そういったことで、私はここでコウホート的視点を入れてみたわけです。  この問題と絡み合いまして、第三番目に言えることは、このような高齢化社会の進展を予想していく場合に、既存のいろんな制度なりいろんなシステムというものが高齢化社会に必ずしも適合的ではなくなるということも、同時に考えておかなければならないかというふうに思います。その端的な例が、御案内のとおり、年金なら年金制度でございまして、やや誇張した言い方になるかと思いますけれども、例えば厚生年金保険を一つとりましても、これができましたのは、昭和十六年の労働者年金保険法、これは昭和十七年に施行されますけれども、これが母体になります。昭和十九年に厚生年金保険というふうに名称を改めるわけでございまして、その後昭和二十九年に抜本改正を経まして再出発をしますけれども、基本的な仕組みというのは実は戦時中につくられたものがそのまま維持されてきております。  その当時、戦時中に高齢化社会を予想した年金制度なんというのは考えることができなかったわけでございます。あるいは昭和二十九年の年金制度の再出発のときにも、この高齢化の問題ということを正しく受けとめていたかどうかということになりますと、これまたそういったことはほとんど問題にされておりません。老後の生活安定ということが盛んに問題になりましたけれども、これが高齢化社会においてどうなるかということについての見通しは、残念ながら十分に持ってつくられたものとは言えないと思います。そのために、人口高齢化が進む状況になりますと、現行の年金の仕組み、制度というものが必ずしもうまくいかなくなってくる。実は最近、今日行われております年金のいろんな諸改革の問題というのは、実はそういう問題を内包しておるのではないかと思います。ですから、年金問題というのは、ただ単に財政問題ではなくして、もう少し根っこにある重要な問題を含んでおるのではないか。  同じような意味で言いますと、医療の問題についてもしかりかと思います。もう既にお話もあったかと思いますけれども、我が国の医療の制度というのは、従来のこれほど人口の高齢化が進んでいない状況下をバックグラウンドにしております。したがって、医療に対する対応の仕方も、あるいは急性の伝染病に対する対応の仕方というあたりに重点を置いた医療のシステムを持ってきたわけですけれども、老齢人口が非常にふえできますと、御承知のとおり成人病、老人病ということになりますと、これは急性の病気から慢性的な病気になってまいります。そしていろんな病気を合併症として持ってまいります。それから、どこからどこまでが病気で、どこからどこまでが不健康なのかと言われると、区別がつかなくなってきております。そういうふうな状況下において、従来のように非常に急性にあらわれてくる病気に対処する対応の仕方でそういう医療システムに対応するということが、いかに問題を生じてくるかということはもう御案内のとおりかと思います。  そういう観点から言えば、医療の制度というものは、私は、高齢化社会の中においては抜本的に改革されなきゃならないのではないか。そういう意味では、既存のいろんな制度というものは高齢化社会を予想してつくられたという点が非常に弱かったのではないか。そういう意味で、私はどうしても改革的な観点でこの高齢化社会の問題に取り組む必要があるのではないかというふうに思ったりもしております。そんなふうなことを実は高齢化社会の問題を考える場合に十分に念頭に置いて我々は対処していく必要があるのではないかと思っております。  そういう動きの中で、きょうは特に社会福祉というところに限定いたしまして一、二の問題を御披露さしていただければというふうに思います。  実は余り科学的な話ではございませんけれども、いまもちょっと年金、医療の制度改革の議論を出しました。同じような意味で社会福祉につきましてもいろいろな改革が必要になろうかというふうに思います。ただ、最近私自身が感じておりますのは、年金とか医療の場合における制度改革の場合のスタンスというふうに申しましょうか、そういうのと、それから福祉の場合の改革のスタンスというのとは、ちょっとずれがあるんじゃないかなという感じを持っております。  実は最近、このごろ毎年いろいろな機会がありまして欧米諸国に私は参る機会が多うございまして、向こうの高齢化社会対策あるいは老人対策というものを直接に見たり聞いたり、あるいはいろいろ議論したりという機会が多うございました。そのときに感じておる問題でございます。やや誤解のある言い方かと思いますけれども、実は年金にしろ医療にしろ、国際的に見まして、これはまだまだ問題がたくさんあることは重々承知の上でございますけれども、ただ仕組みからいきますと、たとえば今の年金の仕組みというものをこのままにしておくならば、恐らく既にいろんな方が指摘されておりますように、今すぐはまだ問題じゃございません。いろいろ問題ございますけれども、今後の高齢化社会の進展の中に年金が成熟していくならば大変矛盾もふえますけれども、同時に一方におきましては、年金の給付水準あたりが非常に高くなってくるということがよく指摘されております。ただし非常に不公平な部分もたくさん残しております。  そう、いうぐあいに年金制度等を見ていきますと、現行のままでいきますと、欧米諸国の年金が果たしている役割に比較すると、まだまだ問題は残っておりますけれども、しかし今のままにそのまま推移にゆだねていくならば、恐らく現在の欧米諸国で享受しておる年金の給付水準ぐらいは十分に維持できるだろうというふうに思います。  あるいは医療の問題につきましても、いろんな問題があることは重々承知の上でございますけれども、例えば医療費として国民所得に占めておる割合等を見ていくならば、あるいはまたその中における医療保障その他に使っておる金額等を見ていくならば、欧米諸国に比較するならばまだ低うございますけれども、しかし、まあまあかなりのいい線に近づきつつあるというふうなことが言えそうです。くどいようですが、いろんな問題が残っておるところはたくさんございます。ですから、制度の改革と申しましても、それは今のままの制度をそのまま温存し維持していくならば、むしろ高齢化社会の中においては非常に過重な給付が出てみたり、逆に非常に負担が大きくなってみたりという、そういったことが予想されまして、そういう観点からできるだけ公平な制度のあり方ということが求められてきておる。  ちょっと言葉が足りない言い方になりましたけれども、年金とか医療ということについては、一応約束された制度、仕組みから見ていくならば、まあまあ欧米と比較して見ましてそれほどおくれておるとはどうも言えそうもない。くどいようですけれども、年金が未成熟であるという状況を前提としておりますよ。成熟するならばということになりますと、当然そういうことになろうかと思われます。  ところが、どうも福祉――ここで言うと、福祉は老人福祉を特に中心に考えたいわけですけれども、福祉を見ていきますと、これは大分ずれがあるなということを最近えらく痛感しております。実は私自身も国の方の中央社会福祉審議会に関係しておりますので幾らがその辺の事情もよく知ってきたつもりでおりますが、ところが行くたびに強く感じますのは、どうも我が国の老人福祉というものは欧米諸国から見て非常にずれておるという感じを持っております。例えばこれは老人ホームの数がどうか、多いか少ないかという議論だとか、あるいは家庭奉仕員、ホームヘルパー、在宅を進める場合のホームヘルパーの問題がございます。現在我が国で一万八千人ぐらいおりますけれども、例えば我が国の人口の十二分の一ぐらいのスウェーデンですら約七万五千ぐらいの家庭奉仕員がおるということになりますと、日本は非常に少ない。あるいはオランダあたりが約十一万人のホームヘルパーであるとかいうことを見ますと、我が国の一万八千がいかに少ないかということは、これはもう重々御承知だと思います。ただ、もちろん、例えばスウェーデンの例でいくならば、スウェーデンの場合の六十五歳以上の高齢者の四%しか実は子供と一緒に暮らしておりませんので、それだけホームヘルパーの必要性が出てきますから、そういういろんな状況もあろうかと思っております。  そういう量的な問題もさることながら、実は一番痛感しましたのは、老人ホーム等を見ていく場合に、まだ我が国には、経済的要件によって、例えば貧困老人のための老人ホームとしての養護老人ホームというのが厳然として残っておるわけです。あるいは低所得の老人についての居住施設、老人ホームになりますけれども軽費老人ホーム、軽い費用の老人ホーム、御承知のとおりですね。これは低所得の老人のために残されてきておる。つい最近まで、一昨年の十月までございました。家庭奉仕員の派遣についても、低所得者に限定して家庭奉仕員の派遣が行われるという、こういう要素が実はいままでも残ってきておりますし、またごく最近まで残ってきたというのが実情であるわけです。  我々はそういう状況を余りぴんとこなかったわけですけれども、欧米諸国に行きまして一番痛感しますのがそこら辺のずれでございまして、例えば家庭奉仕員につきましては、向こうでは経済的要件はかかわりございません。要するに家庭奉仕員が必要なところには、だれにでも家庭奉仕員の派遣が行われます。あるいは老人ホームについても、それは別に低所得だからどうこうということじゃなくして、老人ホームを必要とする者については老人ホームにみんな入ります。ただし、その場合の費用負担などについては応能負担をやります。  ところが、我が国の老人福祉の中には、残念ながら、貧困とか低所得というものを前提としましてサービスを提供するという方式がまだ残っております。これは実は欧米諸国などを見ていきますと、この種の対応の仕方というのは、戦前には欧米諸国に見られましたけれども、戦後にはほとんど見られません、この対応は。どうもその点では福祉に関しての仕組み、体質は、いま言った老人ホームの数が多いとか少ないとか、ホームヘルパーの数が多いか少ないかという議論のもっと前に、どうも三十年か四十年少しずれがあるんではないか、何かそこに日本の福祉の一つの特殊性があるんじゃないかなということを最近私など大変痛感するようになりました。  そういう意味で、最近私が盛んに言っておりますのは、この種の福祉、経済的要件によってサービスを提供する者を選別するやり方を選別的な福祉モデルというふうな形で呼んでおります。どうもこの部分がまだ吹っ切れずにおりまして、ホームヘルパーであるとか、あるいは老人ホームであるとかという、そういうふうな福祉のいろんなニードに対応するサービスというものは、経済的要件にかかわりなく普遍的に提供される必要があるのではないか。その意味で、普遍主義的な福祉モデルへの転換ということをもっと我々は意図的に追求すべきではなかったのか。特に、老人福祉法が昭和三十八年にできまして、その時期は、ちょうど背景としては、高度経済成長期でもございましたし、つまり福祉の方に割くべきいろんな資源というものに比較的恵まれた状況だったと思うんです。そのときに私どもはもっとこの問題を真正面から取り上げまして、福祉の普遍主義化というものをもっと図るべきだったのではないか、このように最近痛感しております。  したがいまして、先ほど医療とか年金とかの例で申しましたけれども、これは仕組み、制度からいくならば、欧米をずっと見まして、いろんな問題を持ちながらも、まあまあ制度的的には比べることのできるほどのものを持っておりますけれども、どうも福祉に関しましては少しずれがあり過ぎたのではないか。したがって、高齢化社会に対応していくためには、このおくれをできるだけ早く取り戻しながら、そして高齢化社会にふさわしい福祉の仕組みというものをつくっていく必要があるのではないかということを最近私どもは感じ始めてきております。  そのためには、もちろん選別的な福祉モデルというものは、これは不必要とは申しません。貧困者がおり、また低所得者がおる中で、ややもするとその人たちが福祉の中から取り残される危険がありますので、そういう人々に対してやはりサービスを提供する、それが大変重要だというふうに思います。それと同時に、一方においては、経済的要件にかかわりない形で、だれでもがニードにおいて福祉のサービスを受けられるようなぐあいに福祉を広げてくる、普遍主義的な福祉モデルと申しますけれども、こういうものを、実はおくればせながらではありますけれども、早急に展開させる必要があるのではないか。  幸いにしまして、この方向については、一昨年家庭奉仕員の改革ということによりまして、低所得者に限定していた家庭奉仕員の派遣を所得制限を撤廃したという点で、そちらの道が切り開かれたというふうに思いますし、また厚生大臣の私的諮問機関としてつくられております社会保障長期展望懇談会あたりの提言も、社会福祉においてはこの種の普遍主義的な方向へ社会福祉を転換さす必要があるということをうたっておりますので、この方向をぜひとも進めていく必要があるのではないか。  ただ、くどいようですけれども、この方向は、高齢化社会の問題よりも、当然今日の福祉において達成しておかなければならなかった問題があった、少しこれがおくれていたということだと思うんです。最近の非常に厳しい財政状況の中でこの課題をなし遂げることは大変難しいとは思いますけれども、ぜひともこの課題はなし遂げていかなければならないのではないか。そういう意味でまだ残っておりますのは老人ホーム等ですね。やれ低所得者向きだとか、貧困者向きというんじゃなくして、老人ホームが必要なものは、所得にかかわりない形でどんどん広がってきております。それに応せられるような形の老人ホームというものをつくっていく必要があるのではないかということになろうかと思います。  ただ、その場合に問題になりますのは、それでは老人ホームをつくれというけれども、どういうような仕組みでつくっていくのか、これが非常に問題だと思うんです。実はいままでの社会福祉の場合には、先ほどの選別主義的な福祉モデルというのが基礎になっておるために、これについては国の責任ということが中心になります。例えば生活保護がそうでありますように、これは国が中心にならなければ、この種の低所得者、貧困者に対するサービスというものは、これは整備されません。その意味で、国の責任でこれは整備されるということが当然だったと思います。  ところが、普遍主義的なサービスを提供する場合には、同じようなやり口、やり方でいいのかどうか。私は福祉の供給システムという議論を最近始めておりますけれども、その福祉の供給システムのあり方がそこで問われてしかるべきではないかというふうに思います。これはいきなり普遍主義的なサービスを提供するのに民間活力をというのではなくして、その前にもっともっと国が丸抱えで施設をつくったり施設の面倒を見るというだけじゃなくして、国の補助のあり方がもっといろいろ変わっていいのではないか。そんなふうな形で社会福祉の新しいサービスとか施設の供給の仕組みをここで新しく検討しなければ、実は普遍主義的なサービスの転換というのは絵にかいたもちになるのではないか、その辺あたりを当面は検討しなけりゃならぬというふうに思っております。  それからもう一つ、先ほどのコウホートという議論と関連いたしまして、これから二十年先になりますれば、確かに厳しい財政状況はあろうかと思いますけれども、老人ホームだと、ホームヘルパーについてはかなりの程度の整備は進むであろうというふうに考えもしますし、また進まなければならないだろうと思います。それだけで高齢化社会における福祉の課題にこたえられるかというと、実はそうではなくして、そういったものを前提とした上で、今度は一人一人の国民の選択に基づく、選好に基づくいろんなサービスが求められてくるのではないか。例えば老人ホームなら老人ホームの例をとりましても、どこでも一律同じような老人ホームということだけではなくして、それぞれの好みに合ったような老人ホームというものが選択されることも事実だろうと思います。今までの老人福祉等におきましては、この種の選択という問題が余り入っておりませんでしたけれども、今後の二十年、三十年の高齢化社会の進展の中での福祉を考える場合には、一人一人の国民の選択ということがニードの多様化とともにあらわれてこざるを得ないだろう。これに対応する福祉というものを今後考えなければいけないのではないか。  そういう意味で、私は選択的福祉モデルなんという言葉を使っておりました。恐らく高齢化社会で予想されます福祉というのは、ここにも書きましたように、従来の選別主義的なこれら貧困低所得者に限定するような福祉のモデル、それから普遍主義的な福祉のモデル、それに今後恐らく書き加えられるであろう選択的な福祉モデル、こういう福祉の一つのミックスとして、複合体という形で、高齢化社会における社会福祉というものが構想されるのではないだろうか。もしもそういうふうな形で構想されるとするならば、それにふさわしい実はサービスの供給の仕組みというものをどうつくり上げるか、これあたりが実はいま問われなければならぬ課題ではないかと思うわけです。  実は、今のお手元にお配りしました雑文でございますけれども、その中でこの問題に若干関連して触れました問題は、特に福祉の供給のシステムの議論から、今言った福祉のコンプレックスということになりますと、福祉の提供も得る仕組みも、従来の何もかも全部政府でというわけには到底いかないだろう。もちろん政府で確保しなければならない福祉のサービスなり施設というふうなものも当然ございます。それと同時に、この政府の補助金だけではない形で一補助金ではありますけれども、もっと民間のいろんな活力といいましょうか、民間自身の力を生かすような形での福祉サービスの提供の仕組みがあっていいのではないか。  ただし、この場合にすぐいきなり市場メカニズムというところに流れるのではなくて、市場メカニズムも確かに一つの重要なサービスの供給の一つのチャネルになるというふうに私は思いますけれども、ただし福祉の場合には、ややもすると市場の持つ限界、欠陥ということで福祉を損なうような側面も出てまいります。例えば有料老人ホームの倒産問題にあらわれたように、利用者の福祉が損なわれるような事態が起こりかねないわけです。あるいはベビーホテル問題でたびたび問題になりましたように、市場メカニズムにゆだねていくならば、これは福祉を損ねる部分も出てまいります。ですから、そこら辺については、公的な形あるいは社会的な意味での規制をちゃんと加えながら、それと同時に、市場メカニズムの持つよさというものを生かすということは十分あり得るだろうというふうに思います。  ただ、これは取り締まりだけではできるものじゃございませんので、できますれば、将来はそういったものに対するいろんな助成とか融資とか行いまして、そういう民間、特に市場メカニズムで福祉の施設なりサービスの提供するものを促進させるというふうなやり方もあってしかるべきではないかというふうに思います。  それからそのほかに、特にこれは在宅サービス、最近広がっております在宅サービスの場合に特に大きな問題になろうかと思いますけれども、この在宅サービスのかなりの部分は、地域の連帯によって支えられ、地域の連帯によって提供される諸サービスもたくさんございます。例えば先ほどのホームヘルプ、家庭奉仕のサービスでございますけれども、全国で見てまいるならば、全国の中でいろんなボランティアであるとか、あるいはまた地域住民ですね、こういう人たちが連帯に基づいていろんなサービスを提供するというのが非常に広がってきております。これも本当にサービスの供給をして責任を持って提供を進めていくという場合には、ボランティアだとか、民間の篤志家だけに任せておくというんじゃなくして、これが安定的な形のサービスの供給組織となり得るような形の、そういう意味でのバックアップというものはどうしても必要になるのではないか。  そういった意味では、今後の社会福祉の施設にしろ、いろいろな諸サービスにしましても、これを広げていく場合に、もちろん公が中心に進めていくものもありましょうし、それから今申したように民間を助成する形で進める場合もありましょうし、あるいは民間にゆだねていっていい部分もあり得るだろうしという、そういうふうなサービス、施設の供給の仕組みというものをこれから少し考えていく必要があるのではないだろうかというふうに思うわけです。我が国の場合における日本型福祉という場合に、実はそこら辺のところを整理しなければいけないのではないだろうか。先ほどお配りしました雑文の中にも書いておきましたけれども、実はそれぞれの国はそれぞれの国にふさわしいと申しましょうか、それぞれの国々に応じた福祉の供給のシステムを持っているというふうに思います。  例えばスウェーデンなどに参りますと、スウェーデンにおける社会福祉サービス、向こうでは対人社会サービスといいますけれども、これらはいわゆるコミューンの責任として、つまりこれは大体税金でほとんどが賄っております。同じような例は大体北欧諸国では似ているものが非常に多うございます。一方、例えばこの間オランダに参りましたけれども、オランダの場合はということになりますと、これはむしろ民間団体、民間の非営利団体です。社会福祉団体が中心になっております。四つほどの団体が実はオランダにありまして、カソリック糸、プロテスタント系、それからヒューマニスチック、その他というふうな四つぐらいに分かれた大きな全国的な団体がございます。それが老人ホームなどを提供しております。それに対して公が補助を行っている。西ドイツはもっとはっきりしておりまして、六つほどの団体がございまして、その六つほどの団体が自己のいろんな計画に基づいて老人ホーム等の建設を行う、これを各州が条件に応じていろいろな助成をし援助をする、こういうふうなやり方をとったりしております。イギリスあたりに参りますと、実は同じく老人ホームをつくる場合でも、ローカルオーソリティー、つまり地方公共団体でつくるもの、それからいまの非営利的な民間でつくるものが一緒になって協力しながらつくっていきます。アメリカの場合になりますと、そういったもののほかに実は営利団体が入り込みます。  こういう国々によっていろんな福祉サービスの供給の仕方があり得るわけでございますけれども、一体我が国の社会福祉というものはどういうことを目指しながら進むのかということを検討しなければいけないのではないだろうか。我が国はスウェーデン型のそういう方向で進もうとしておるのか、あるいはオランダだとか西ドイツのような形のものに進もうとしておるのか、あるいはイギリス型のものを志向しておるのか、あるいはアメリカ型を志向しておるのか。そういったところの見通し、実は私がパラダイムという言葉を使ったのはそういう意味でございますけれども、そういう大きな枠組みが非常に不明確なままで状況対応的にいろんな問題が講じられてきておる。そこら辺のところを今後どう改めていくのかということが重要ではないかというふうに思ったりしております。  これは私個人の意見でいきますと、一つの供給組織、例えば分なら公だけの責任だけでつくっていくということは、恐らくこれは不可能に近いだろう。特に、今後非常に増大する高齢者、後期老年層、それから先ほど申し上げた家族機能の変化等を考えていくならば、老人福祉のニード、需要というものは非常に増大していきます。それを何から何まで補助金、財政だけで対応するというのは不可能に近いだろう。そうしますと、先ほどのような形の複合体の中で対処していかざるを得ないのではないか。松原さんからもお話があったかと思いますけれども、日本型社会福祉という場合に、家族とか、それからいろんな企業みたいのが非常に議論されます。それも一つの特徴だと思いますけれども、福祉を考える場合に福祉のパラダイムを考えるべきではないだろうか。例えば民間の活力という場合も、ほっぽらかしては決して民間の活力は出ないわけであって、例えば市場メカニズムを福祉の場合に活用しようとする場合に、それを民間だけに任せるわけには到底いきません。これは一定の何らかの意味で公の形のサポートなり、それからコントロールなりという、こういったことを伴わなければ決して生きないだろう。あるいは地域住民の自主性、自発性を生かそうという場合でも、これをただ単に自主性にお任せするというふうなことだけで進むわけではございませんで、これが生きるような形でどうすれば、どういう条件をつくればよろしいかという、こういったことをもっともっと我々は考えていくべきではないんだろうか。  最近ちょっと懸念しておりますのは、日本型福祉という中で、何か公でやるもののほかは全部自前でやりなさいという、その種の考え方が非常に出ておりますけれども、恐らくそういう形では社会福祉の必要とされるサービス、施設というものは十分に用意することができなくなるのではないだろうか。  ですから、結論的な言い方――結論は出ませんけれども、社会福祉の日本型と言う場合には、どのような福祉のパラダイムを考えようとしておるのかという、ここら辺あたりを今少し論議しまして、そこに一つの方向性を見出していくことが今必要な問題なのではないだろうかというふうなことを今感じたりしております。  どうも結論めいたことが出ませんでしたけれども、一つの問題提起ということで、私のきょうの意見はこれで終わらしていただきたいと思います。どうもありがとうございます。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で三浦参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は小委員長の許可を得て順次御発言を願います。

抜山映子民社党・国民連合

○抜山映子君 今後老齢化が進みますと、老人ホームなんかも増設しなくちゃいけないということになりますが、ある本で読みますと、ピークに達しますと、今の各県下にある高等学校と同じ数だけ老人ホームが必要になるだろうというようなことが書いてございました。そうしますと、今先生がおっしゃったように、選別的福祉から普遍的な福祉に持っていかなくちゃいけないだろうというお説、もっともだとは思うんですけれども、財源の問題もあり、どういうように日本として対応していかなくちゃいけないかということになりますと、日本では宗教団体の活躍も外国ほどでなく、福祉的な面については割と鈍い面がございますし、またボランティア活動も日本では余り欧米のように活発ではございません。それで、私が個人的に考えるのは、学校の教科にボランティア活動という教科を組み入れて対応するのが一番いいんじゃないか。  老人ホームに入所している方が果たして今幸福かどうかと申しますと、私も何カ所か実際に見学してまいりましたが、大変に孤独で本当に目もうつろなんですね。この間、実は参議院の本会議である議員さんがノーマライゼーションという言葉を使われました。これは身体障害者の場合に使われたんですけれども、老人についても、一カ所に老人ばかり収容するということになると非常に孤独感を持つ、それから老人ばかりが固まりますと日々人の死に遭うわけですね、仲間の死に。そういうことで非常に陰々滅々としてくるというようなことがございまして、私は、社会全体の中に中年あり、若年あり、ティーンエージありという中に老人が入って、ノーマライゼーションの中に全体的に老人をみとるいう形が一番望ましいんだろうと思うんです。それで学校の教科に入れることはどうだろうかということを考えるんですけれども、その点について先生のお考えをお聞かせください。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) 幾つかの問題が出ておりまして、まず一つは老人ホームの数でございますが、高等学校ほどの数というのはややオーバーかと思いますけれども、大体今の欧米諸国、ヨーロッパ諸国等を見ていきますと、老齢人口の約一〇%が、老人ホームあるいは老人のためのいろんな住宅、それから老人のための医療施設、そういう社会的に用意されたものに大体入っております。その点では、今後老齢人口がふえていきますと、同じような状況を考えましても、かなりの数になるということは間違いございませんで、そういう意味で老人ホームをどういうふうにつくっていくのかという、財源問題を含めまして、これは御指摘のとおり大変重要な問題だと思います。  ただ、このつくり方が、従来のような形で、例えば老人ホームというふうな建物をつくる場合、御承知のとおり、これは地方公共団体または社会福祉法人でつくりますけれども、その場合に、土地代は一応別としますと、建設については設置者以外四分の三の国及び都道府県の補助がございます。そしてあと残った四分の一というふうなものは自己負担というふうなことになるわけです。自己負担というのは設置者がやるわけですけれども、こういう形で老人ホームをつくるというのも、一つの方式かもしれませんけれども、これだけではなくして、もっと多様な形で補助のやり方があってもしかるべきではないだろうか。  例えば現在有料老人ホームが最近非常にふえてきております。これについては融資はおろか――融資は一応制度はあるんですけれども、ほとんどが機能しておりません。ですから、これは完全にそういうことについての助成がありませんで、専らそれらは利用者の負担の方に全部がかってきます。だから、非常に高い入居料というふうなことになりまして問題が起こるわけでございますので、こういうものに対しても、補助金が無理だとするならば融資その他の形で助成策を講じることは十分に可能であろう。そういうやり方を考えるならば、もっとこの老人ホーム等の設置についても、従来のやり方のほかに、いろんなやり方によって老人ホームをふやしていくことは十分にこれは可能であろうというふうに思います。そこら辺のところを、先ほど申したようないろんなタイプに分けまして供給のシステムを少し検討してみる必要があるのではないかということが一つございます。  それからもう一つ、実は、将来の方向は、先ほど触れるのを忘れましたけれども、老人福祉に限らぬで、福祉全体が、施設を中心にするというよりは、在宅を中心に地域の中においてケアをやるという、こういう体制づくりに移らざるを得ないし、また移りつつございます。また、これは論理的に言っても、そういう方向は必要になってこようかというふうに思います。その点で、老人ホームをつくるというだけでなくして、地域でそれのケアをする、そういうふうなシステムを地域の中にどうつくるかという、これが大きな課題になろうかというふうに思っております。  そのときに、今先生御指摘のように、地域を支えていく場合、やはりそれを支える人々の問題というのが大変問題だと思うわけです。そういう意味では、今のボランティアも含めまして、ボランティアだけではなくして、今、老人ホームが地域につくられる場合に、これは迷惑施設ということで反対運動が起こったりする状況でございまして、そういう状況は非常に問題がある。どんどん高齢者はふえていきますから、高齢者を社会から疎外するのではなくして、社会の中の一員として処遇していくという、こういうことはサービスの提供の側面においても言うに及ばず、日ごろの人間の交流におきましても、そのことは非常に重要だと思うわけですね。そんなことを含めた形で、これはやはり学校教育を含めて社会教育、あるいはもっと広くマスコミ等も含めて、ここら辺の問題には取り組んでいく必要があるのではないか。実は、この辺については、既にお手元に配っているかと思いますけれども、「高齢化社会と福祉社会」という雑文の中でその辺の問題は触れておりますので、後ほどまたお読みいただければと思っております。

橋本敦日本共産党

○橋本敦君 ちょっと先生に二点ほどお教えをいただきたいと思うことがあります。  まず第一の問題は、高齢化社会への対応というのは、それぞれの国の既存の施設の見直しや改革、そしてまた将来像、これを持って進んでいくでしょうし、先生がおっしゃるスウェーデン型、オランダ型、西ドイツ型、いろいろあると思います が、そういうことを展望した場合に、先生のおっしゃる我が国の姿はどの方向に進むのか、つまり日本型と言われるものはあるべき姿として可能な状況があり得るのか。我が国においては、何といっても戦後社会保障の歴史が浅いものですから、我が国日本型と言えるもののあり方というのは非常に難しいと私は思うんです。それはなかなか困難ではないかと思うんですが、それが可能な条件があるのかどうか。ちょっとこれが気になりますので、先生のお考えを伺いたい、これが一つです。  それからもう一つは、社会主義諸国でも、多かれ少なかれ高齢化社会というものに私は直面せざるを得ない状況だと思っておるんですが、社会主義諸国の進んだ国々での対応はヨーロッパ諸国などと比べて、その理念なり考え方なり、あるいは水準なりでどんなふうな差異があるのか、あるいは余り差異がないのか、これからの問題として未分化の問題がいろいろあるのか、そこらの実情も、あちらこちらお行きになっていらっしゃると思いますので、参考のために教えていただきたい、この二点でございます。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) 実は、後者の方の問題については余り私は詳しくございませんで、若干見たりしてきたのは、ユーゴスラビア、中国などは見てまいりましたですね。そのほかの国々、社会主義諸国も非常に産業化の進んだ国々もありましょうし、いろんなタイプがあるものですから、ちょっと一概に説明しかねる点が実はございますが、ただ共通してやっぱり非常に大きな悩みを持っておることは事実のようでございまして、文献を見るとか、それから向こうの人たちが来たときに議論をしますと、高齢者自身をどういうふうに社会の中に溶け込ませていくかということを非常に配慮しておるということのようでございます。  その点は社会主義――どこでも同じだと思いますけれども、そういったことが非常に問題になるほど高齢者問題というふうなものはあって、高齢者が持つ能力というものを社会にどう組み込むか、こういったことに非常に大きな関心を持ってきておるようでございます。例えばノルウェーとかブルガリアかどこかの場合に、法律か何かで、高齢者の場合の働くというのを、同じ労働時間じゃないけれども、社会内に組み込んでいく、できるだけ高齢者の能力を生かすという、そういった方向を非常に強めているという点は教訓的だろうと思います。それから中国に参りましても、あすこでは社会サービスの方を専ら年金受給者の高齢者が担っております。交通整理であるとか、それからそのほかの町の美化運動だとか、こういったことに高齢者がいろいろ参加しておる。こういった教訓はなかなかおもしろいものだと思っておるわけです。資本主義諸国の場合には、高齢者主言う場合は、年金をもらいますと社会の外に出されておりますけれども、その辺あたりが参考になる点がなという感じを持っております。  まだそのほかいろいろあるんだろうと思いますけれども、老人ホーム等の問題は、私ユーゴで見てまいりましたけれども、向こうでは雑居制が残っていたり、費用負担などはやっぱりございます。ただ、あそこは管理が人民管理でございますので、利用者も含めて、その管理については、入居者、職員、それから地域の行政体みんな入ってその管理をすることになっておる。これは大変おもしろい例でございましたけれども、若干トピカルなものしか見ておりませんので、総体的にどうも御質問に答えられるだけのものを持っておりません。  それから前者の問題は、実は一番私どもが頭を悩ましている問題でございまして、これは先生も御承知のとおり、戦後の我が国の社会福祉というのはいわゆる行政主導型が非常に強いと思います。恐らく今後とも行政のそういう中で果たす役割というのは非箱に大きいだろうと思うわけです。ただしかし、果たしてこれでいいのかどうかという点を私などはある意味で懸念をするわけです。これはただ単に財政が苦しいからということよりも、行政の持っておりますものが国民生活に入ってくる場合に、余り国民生活に行政が介入するというのは、どうも民主的な社会の中においては望ましいものとは思えないわけで、もちろん国民生活の最小限度のところを維持するためには、行政の果たさなきゃならない課題は大きいと思いますけれども、まだまだそういう意味では課題は残っておると思います。  もう一つは、私は特に生活保障みたいなものについてならばこれはわかるわけでございますけれども、もっと国民生活の内部に保ってくるようなサービスが入りますと、行政が何もかでもやりますと、行政イコール権力という図式でいいのかどうかわかりませんけれども、それがどうも国民生活に介入してくるということについてはやや懸念を私ども持っております。そういう意味では、どちらかというと、行政の対応を進めるとすれば、地方自治を強め、民主化を強めなきゃならないのと同時に、地域住民自身による福祉をもう少し育て上げていく必要がありはしないか。  実は、ボランティアなどの議論はそういう流れで考えていく必要があるのであって、例えば人手が足らなくなった、金がなくなったからボランティアという発想では困るわけであって、そうじゃなくして、むしろ国民自身がサービスを推進していくという、そういったものとしてもっともっとボランティアなどをわれわれは考えていかなきゃならない。  ただ、御指摘のように、その土壌が非常に弱いということは事実でございますので、そこをどう育て上げるか。これは今のまま放置しておくならば、いつまでたっても育たないんではないかということで、いろいろな可能性を追求してみて、地域住民が社会福祉に参加をし、ボランティアの中での奉仕をするとか、いろんな形がありますが、そういう方式を広げていく必要があるのではないだろうか。  先ほど三つのモデルということを冒頭に挙げましたのは、つまり市場的なものよりも、そういう地域住民の参加による福祉というものが、今後の方向として築き得ないだろうかという、若干ロマンチックなところでございますけれども、そういうものを持っておるのは事実でございます。それを追求していく必要があるのではないかと思っております。

森山眞弓自由民主党・自由国民会議外務政務次官

○森山眞弓君 ボランティアに関連してですけれども、日本にはそのような土壌が少ないという話がたびたび出ましたが、最近よく話に出ますのに、点数制をいたしまして、自分がサービスをした、その点数を自分の点数として、今度は自分が年とったり病気をしたときにどなたかほかの人から返してもらうとか、あるいは東京でやったのを大阪に行ってからまた向うで返していただくというような組織を大変活発にやっていらっしゃる方があるようですが、これは一つのアイデアだと思うんですけれども、こういうやり方について、いかがでしょうか、外国に例がございますでしょうか。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) 実は、ボランティアについて私は三つぐらいのタイプを考えておりまして、我が国ではボランティアが非常に弱いというのは――数はかなりのものでございます、総理府その他で調べた調査によりますと。ただ、その中身を分けていきますと、適切かどうかわかりませんけれども、一つは非自発的というものがある。ちょっと変な言い方ですが、ボランティアというのはもともと自発的なものでございますけれども、町内会で決めたとか老人クラブで決めて、老人ホームで何かやりましょうと、これは非常に多うございます。そういうものが一つ。  それから第二番目に、いま御指摘のもので、私は対価的ボランティアという言葉で呼んでみておるわけです。これはボランティアをやる場合、ボランティアをやるけれども、その結果として、例えば自分が寝たきりになった場合にはまたそのボランティアの活動をしてもらおうという、そういう一種の対価ですね、これがお金になりますと有償ボランティアという変なことになりますけれども、対価的ボランティアというのが最近非常に広まってきておる。今先生の御指摘のあった点数制というのは、福祉バンクだとかいう形でやられておりますが、一種の対価的ボランティアの方式ではないか。そしてこれは大変今はやっておる、非常に広まっております。  ただ問題は、ボランティアというふうなものが「情けは人のためならず」という形で自分に戻ってくるという形からもう一歩進みまして、福祉の場合のボランティアというのは、無償の行為とまでいきませんけれども、一つの連帯という形に発展さしてくるということになると、もう一つ第三番目のボランティアとして従来言われていた無償性だとか自発性だとか連帯性という、こういうものに支えられるボランティア、三つありますけれども、三番目の方につながっていく一つのプロセスとして対価的ボランティアというものは十分にあり得るのではないかというふうに考えたりしております。

森山眞弓自由民主党・自由国民会議外務政務次官

○森山眞弓君 よその国にはありませんですか。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) ほとんどそれは聞いたことはありませんですね。それはどちらかというと、これは今の対価的ボランティアよりも、今のボランティアにおけるお金の問題と関連がありますけれども、最近、これはどこでもそうですけれども、ボランティアは全然無償である、ただであるというのは必ずしも一般的でなくなりまして、ボランティア活動をやる場合に、例えば実費でやるとか、あるいは何か事故を起こしたときに対する保険のための問題であるとか、それからあるいは食事代だとかいう、こういうものを出すというのは随分多うございます。ただし、それはあくまでもそれが動機となってボランティア活動に参加するんじゃなくして、結果としてそのような費用が出てくるということはございますけれども、今のような形のいわゆる点数ボランティア的なこの例は余り聞いたことはございません。

森山眞弓自由民主党・自由国民会議外務政務次官

○森山眞弓君 そうですか。ありがとうございました。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 高齢者層を細分化する、前期と後期に分けるということは、非常に重要なことだと思うんですけれども、先生の場合七十五歳を一つの基準にしておられるということは、その理由をちょっとお伺いしたいということ。  もう一つは、ヨーロッパの老人福祉施設その他は、私も市長時代にちょっと見させていただいたんですけれども、その当時非常に感じたことは、欧米の福祉の基本の中に宗教的なものが大きく背景としてあるということを感じました。特に我が国の場合は貧困というところから確かに福祉が出発しているということは事実ですけれども、ヨーロッパにもやはり貧困の問題もまだ当然あるだろうと思うんですが、その当時感じましたことは、なるほど施設は立派だけれども老人の孤独さから自殺率が非常に高い。私が行きましたのは北欧でございましたけれども、そういうことで行政の面で非常に問題にされておりまして、老人を家庭に引き取る運動とか、あるいは在宅老人との交流を施設に入っている老人がするとかいうことを盛んに行政面から進めておりました。  当面、端的に見た場合に、二〇〇〇年を予測したときには、欧米型のどこを我々が選んでいくかという選択をしていかなければいけないだろうと思うんですけれども、そういう中におきまして、現在そういう欧米の、いわゆる先進という言葉は余り好きではないんですけれども、そういう福祉をやっている国々で非常に行き詰まっている問題がたくさんございますですね。そういう問題についてちょっと実態と先生のお考えをお伺いしたいと思うんです。

三浦文夫日本社会事業大学教授

○参考人(三浦文夫君) まず最初の、前期後期の年齢区分を七十五に仮に置かしてもらいましたけれども、最近老年医学の方々と議論しますと、医学の方々はむしろ八十歳に置くべきではないだろうかと。というのは、心身機能の低下傾向が非常に顕著に出てくるのは八十が一つの境目になるというようなことを言われております。私どもが七十五と言うのは、いま言った心身的なもののほかに、社会的な生活ということを考えていきますと、七十五ぐらいが適切がなということでございまして、これは根拠があるわけじゃございませんで、これは時代とともに動くと思いますけれども、当面は七十五ぐらいを一つの基準に置いて、前半と後半でいろんな対応策を考えてみたらどうだろうかと、こんなふうに思っておるわけです。それから第二番目の方の問題でございますけれども、これは大変大きなテーマでございまして、どこからお答えしていいかわかりませんけれども、たまたま今自殺の問題が出てまいりました。確かにスウェーデンなどは自殺率はかなり高こうございます。なかなか向こうは発表しませんけれども、高こうございます。いろんな背景があるんだと思いますけれども、これは細かい語で恐縮でございますけれども、別に宗教とか、それから社会保障が行き届いたから自殺ということじゃなくして、スウェーデンの国というのは急激な都市化が進められた国でございまして、今では世界でも最もトップクラスの非常に高い所得の国でございますけれども、戦争中から戦後にかけて農業国から急激な工業国に転換を遂げてきたということがありまして、ちょうど日本の高度経済成長期がそうであるように、農村地域から都会にずっと人が流れ込んできておるわけです。そして大都会の中で生活をする。ですから、そこで地域的なつながりを余り持たないわけです。それに、家族生活自身が、先ほども触れましたように、現在では六十五歳以上の四%しか子供と一緒に暮らしておりません。大部分が夫婦だけで、そしてどっちか欠けますとひとり暮らしになってしまう。そして都会の中で地域的なつながりを持たないままに実は放置されておりまして、その老人たちもまた元気なうちは、いろんな社会活動というのに参加するわけでしょうけれども、それこそ今の七十五歳以降ぐらいになって後期老年層になりますと身動きが余りできなくなってくる。そういった人たちが実は家の中に閉じ込もりがちになってくるというふうなことで、これが一つの孤立、孤独を生み出してくるというふうなことが問題になっておるようでございます。  このために、三年か四年ほど前からストックホルムの福祉行政局の方ではそういう問題を今大きなテーマとして取り上げまして、いわゆる訪問をしてみたり、その人たちを社会に引き出してみたりという、そういう活動を今盛んに展開し始めてきております。これが行政だけではどうしてもできないものですから、地域の労働組合だとか、それからいろんな各政党にお願いしまして、政党で働きかけるとかいう形でその人たちとの接触を、社会的なコンタクトをとらすという、こういう活動を展開してきておるという点がございまして、ある意味では非常に個人主義的な形で進んだサービスというものが、行き着くところ、やっぱり相互の連帯みたいなものにぶつからざるを得なくなってきた。そんなことを私ども聞いたりしておりまして、そんなふうなことで、いろんな切り口があるんだろうと思いますけれども、行き着くところは、どうも共通した問題が西欧各国に出てきておるのじゃないだろうかというふうな気がしております。  恐らく、先ほどちょっと触れましたように、スウェーデンなどと比較しますと、我が国の場合は、例えば二十年先でも、先ほどの岡崎推計によりましても、約四七%ぐらいな同居率でございますし、しかも実際の世帯数からいきますと、まだまだ同居的な生活習慣というのが二十年先ぐらいまでかなり残ってきておりますから、その点ではスウェーデンなどと違った対応の仕方というのがそこで出てくるのじゃないだろうかという気はしております。  大変大きなテーマでございますものですから、的確なお答えができなくて恐縮でございますけれども、感じとしてはそんなふうな問題があろうかというように思います。

松岡滿壽男自由民主党・自由国民会議

○松岡満寿男君 わかりました。

安永英雄日本社会党

○小委員長(安永英雄君) 以上で三浦参考人に対する質疑は終わりました。  三浦参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  なお、本日、参考人の方々から御提出いただきました参考賢科のうち、発言内容把握のため必要とされるものについては、本日の会議録の末尾に掲載したいと存じますので、御了承願いたいと存じます。  本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後三時二十八分散会      ―――――・―――――

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