外交・総合安全保障に関する調査特別委員会 第9号
- 発言数
- 33 件
- 登壇者
- 19 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1984/08/01
会議録
○委員長(植木光教君) ただいまから外交・総合安全保障に関する調査特別委員会を開会いたします。 外交・総合安全保障に関する調査を議題といたします。 本委員会は、第九十九回国会において設置されまして以来、今日まで、「総合安全保障」、「平和の確保」、「国際協力」、「資源・エネルギー、食料問題」につきまして、参考人の意見聴取、政府からの説明聴取等を行い、調査を進めてまいりました。本日の委員会につきましては、理事会において協議いたしました結果、さきのテーマごとに今日までの委員会における論議につきまして委員長から報告し、その後、委員の皆様から御発言していただく方法で進めてまいることになりましたので、よろしくお願いいたします。 まず、「総合安全保障」について申し上げます。 最初に、総合安全保障の概念でありますが、この点について、政府は・国際的要因による多種多様の脅威に対し、外交、防衛、経済等の諸施策を総合してその発生を未然に防止し、または発生した場合に適切に対処することにより、我が国の存立を維持し、国民生活の安定を確保しようとする考え方であると述べております。 また、その具体的施策として、力の均衡により平和が維持されている国際社会の現実の中で、我が国はみずからの安全を確保するために、日米安保体制の円滑かつ効果的な運用を図るとともに、必要最小限の防衛力の整備に努力しているが、同時にその安全の基盤を確固たるものとするために、平和外交、経済協力、資源・エネルギー、食料の確保等を防衛力とともに総合した安全保障政策が重要であるとの見解が表明され、さらに、一方で抑止力を維持し、他方で軍縮を推進することが、最も現実的な道であるとの言明も行われました。 このような総合安全保障政策をほぼ是認する立場から、我が国は憲法上必要最小限の自衛力しか認められないので、他の国以上に総合的な安全保障の努力を必要とするとの意見が表明されました。 その場合、問題は、安全保障の総合性を強調することによって防衛努力の位置づけがあいまいになるおそれがあることなどの指摘があり、総合安全保障の中核は軍事力であって、他の非軍事的な要素とは相互に補完的な関係にあるが、完全な代替関係にはなり得ないとの認識が明らかにされました。 しかし、同時に、総合安全保障では、脅威の目をあらかじめ摘むことは必要だが、その背後に平和を創造する考えがなければならないという意見、また、軍事力と非軍事的な要素との間に代替性がない点は認めるとしても、平和憲法を持つ日本は、軍事的手段をなるべく低いレベルに抑え、非軍事的な手段による安全保障追求の面を大きくすべきなどの意見が開陳されました。 さらに、これまで我が国は非軍事面での安全保障努力を十分行ってきたとは言えないとの指摘があり、この観点から政府開発援助の質的改善の必要性等を訴える意見がありました。 以上のような総合安全保障論に対して、これを批判する立場から、種々の議論が展開されました。 すなわち、東西両ブロックの抑止力による安全保障政策からは暗い展望しか出てこないので、世界の非同盟中立の勢力の拡大を図るとともに、抑止力をパルメ委員会の言う共通の安全保障に転化し、積極的に平和戦略を展開すべきだという意見、今や軍事力の価値は低下しており、非軍事的手段による安全保障政策を開発すべきだという意見、軍事力による安全保障という考え方は歴史的には過去のものとなり、軍縮によって、脅威のない平和を求める時代にある。軍事同盟依存の安全保障は戦争に巻き込まれる危険があるので、非同盟申立の方向で努力すべきだという意見、総合安全保障論は財界を中心とする現体制の危機意識から出たもので、実際には軍備増強をぼかす役割を果たしているとの意見、また、殊さら総合する必要はなく、防衛は防衛、経済は経済として別個に考えるべきで、西側の安全と称して米国の政策に沿った経済援助をすることは、避けるべきなどの意見等であります。 これらの論議のほか、総合安全保障関係閣僚会議の論議は貧弱であり、総合安全保障はいまだ政策として完熟度を有しないとの批判、また、総合安全保障というなら、経済協力、文化交流等を含めた総合安全保障費なるもの及びその活動を明らかにして諸外国の理解を得べきなどの意見が述べられました。 最後に、総合安全保障には、大規模災害、大地震等の自然災害の脅威という問題も含めるべきであり、この問題の方が日常性が大きいのではないかとの意見がありました。 以上で総合安全保障に関する論議の紹介を終わります。 それでは御意見のある方は順次御発言を願います。
○大坪健一郎君 ただいま委員長の概括によりまして総合安全保障の議論の大要が明らかになったわけでございますが、私どもはその総合安全保障の議論の中で、特に総合安全保障が国際的な要因に起因する多種多様な脅威に対して外交、防衛、経済等の諸施策を総合し、脅威の未然防止、脅威への対処を図ることだというふうに一般的に言われておることだけでいいのかという点を考えてみたいわけでございます。 我々としては、実は国際情勢の非常に複雑な状況の中で、単に脅威に対抗するだけが総合安全保障の立て方なのであろうか。むしろ、さまざまな国際的な予見がございますけれども、その予見を全体的に把握をして、我が国のその予見の中における立場を十分考えた上で、むしろ積極的に平和の条件をつくっていくようなそういう外交姿勢、そういったものがあって初めて我が国の安全保障の大きな、グローバルな視点が確立するのではないか、このように考えるわけでございます。もちろん、軍事力とそれから非軍事的な諸手段との間に代替性がない、だからどういう状況のもとにおいても自衛のための防衛力というものを維持して、そして戦争に対する抑止力、武力挑発、武力脅威に対する抑止力というものを持たなければ総合安全保障の一方が欠落をいたしましていざというときに対応の手段を失うということになることは明らかでございますから、私どもとしては必要最小限の抑止力を維持するという意味での軍事的ないろいろな側面に対する国の施策、安全保障の中の防衛に関する国の施策について詳細な心配りのもとに対策を講ずべきだと考えております。 この点については後で同僚議員からもお話があることだと思いますが、それと同時に、総合安全保障ということが言われるだけに、やはり非軍事的な手段を縦横に駆使して、そして軍事力の行使が行われないような環境を整備するということに積極的に対応していくということがむしろ総合安全保障をはっきりした形で私どもがつかんでいけることになるのではないかと思います。 戦後の状況をずっと見ておりますと、私どもは平和憲法をもちまして国際社会に復帰し、そして日米の協調を基軸といたしまして日米安全保障条約を結び、この日米間の協調を基軸として国際社会に臨んでまいりました。しかしながら、この日米安全保障条約を基軸としましたけれども、我が国はなおかつ独自に国連中心主義を唱え、西側の一員としての世界経済の参加への積極性を発揮し、それからまたアジア・太平洋諸国との協調にも非常に気を配ってやってまいりました。こういう状況の背後に平和憲法とか非核三原則あるいは専守防衛という抑止力に関する限定つきの自衛力を培ってまいったわけでございまして、この選択は私は間違っていなかった、非常に国際政治の中では適切な選択であったと考えております。 いろいろな御議論がございまして、申立を守るために武装を必要としないというような御議論もあるわけでありますけれども、今の国際政治の客観情勢を歴史的に見ても、また論理的に見ても抑止力という非代替性のある自衛力を持たないで、単に非軍事的な手段だけでの総合安全保障ということは、やはりそれは絵にかいたもちにすぎなくなる。したがって、我々は抑止力についてそれ相応の十分な配慮を一方で行うけれども、しかし、そのこととなおかつ我々が積極的に世界平和に寄与し、世界平和を創造するために外交努力を払い、経済的な地位の確立に力をいたし、我が国の安全のために資源の確保あるいは国際的な状況への発言を強める、こういったことを続けていくということは決して矛盾をするものでもないし、我々としてはそういう行き方が最も妥当な、そして歴史的検証にたえた総合安全保障の行き方ではないかと考えるわけでございます。 最後に、一言つけ加えたいのですけれども、非軍事的な手段といたしまして国際環境を整備するという意味で持つ外交の意義は非常に大きいと私は思います。そのために我が国の外交の状況について相当の再検討が要るのではないか。外交に関する要員の確保、それから国際関係機関への力の入れ方、そして国際関係機関におけるいろいろな国家の活動に対する、もっと計画的で積極的な対応というものが日本にはどうしても必要ではないか、こういうことを最後につけ加えまして総合安全保障に対する意見とさせていただきたいと思います。
○大木浩君 総合安全保障について若干の意見を述べさせていただきます。 すでに、委員長の方からも御紹介がございましたけれども、総合安全保障という概念について「政府は、国際的要因による多種多様の脅威に対し、外交、防衛、経済等の諸施策を総合してその発生を未然に防止し、または発生した場合に適切に対処することにより我が国の存立を維持し、国民生活の安定を確保しようとする考え方である」云々ということを申しておりますけれども、私は大体そういう考え方でいいのじゃないかというふうに考えております。 ただ、我々は現実の政治家として自分の国の安全ということについての具体的な政策ということを考える立場でありますから、ここに言う我が国の存立というのは、当然ながら単に外敵に侵略されないということだけではなく、やはり国内の治安が保たれ、また国民の選びます政治的、社会的な体制が維持される、そういったものが保障される、政治的な自由があるということが必要であるし、また国民生活の安定云々と申しますのも、例えば我が国について言えば、既に我が国が達成しております高い経済レベルというものを今後も維持できるということでなければ、やはり現実の政策としては不十分であるというふうに考えるわけでございます。 まあいずれにいたしましても、総合安全保障というのは別に学術用語でもございませんし、あるいは法律用語でもないというわけで、むしろ我々がいろいろ政策を考える場合の一つの便宜的な考え方、アプローチであろうと思うわけでありまして、しかもやはりここでよく考えておかなければいけないのは、総合安全保障と申しましても、それぞれ与えられた国の総合安全保障という場合にどういう要素が入ってくるのか、あるいはどういう要素がどういう重要性でカウントされるのかというようなことは、それぞれの国の置かれた地政学的な要件と申しますか、そういったものが非常に大きく左右するわけでありますし、また、同じ国の安全保障につきましても、それぞれの、そのときの状況の変化ということが当然に影響してくる。その国の政治的、経済的な状況、あるいはその国を取り巻く国際情勢の変化といったようなものは当然に考えなきゃいけないというふうに考えるわけでございます。 日本の場合、地政学的な条件と申しますか大ざっぱに考えてみますと、まず近隣にソ連とか中国といった非常な大国、あえていえば軍事大国が存在するわけでございますし、また、アジア地域というところにはいろいろと社会体制を異にする多種多様なアジア諸国というものが、一緒におるわけでありまして、そういった状況の中で、日本が独立国家としての安全を維持していくということ。そしてまた、先ほども申し上げましたけれども、日本はアジアにおいては極めて群を抜いた高い水準に達しております一億を超える国民、その国民の経済的な安定というものも考えていかなければならぬというわけでありますから、そういった要素を十分考えた安全保障でなければならないというふうに考えるわけでございます。 保守党政府または自民党政府は、戦後の一貫した政策的な選択として、日米安保条約を中心に置きました日米安保体制を一貫して政策的選択としてとってきたわけでございます。ただ、よく考えてみますと、この日米安保体制、日米関係というものも、戦後いろいろな進化を示しておるわけでございまして、当初の非常に軍事だけを中心の、しかもアメリカの片務的な義務といったような性格からだんだんに変化をしておるわけでございまして、御存じのとおりに昭和三十五年でございますか、安保の条約の一部改定も行われましたし、その後条約その他いろいろな法律手段あるいは実際の話し合いによって日米関係がだんだんに進化してきておるということを注意する必要があろうかと思われます。 そういう意味におきまして、私は現在の日米関係というものがまさしく総合安全保障といった見地から進展をしておるし、今後もそういった見地から我々の政策を考えていく必要があるということを申し述べまして私の意見の表明を終わります。ありがとうございました。
○和田静夫君 総合安全保障をめぐる諸問題について意見を述べます。 まず、総合安全保障というのは一体何かということでありますが、これは政府側の説明によれば、総合安全保障とは「国際的要因による多種多様の脅威に対し、外交、防衛、経済等の諸施策を総合してその発生を未然に防止し、または発生した場合に適切に対処することにより、我が国の存立を維持し、国民生活の安定を確保しようとする考え方である。」これは岡崎外務省調査企画部長がそういうふうに述べていたわけでありますが、すなわち安全保障にわざわざ「総合」という文言をつけることの企図するものは、安全保障というものは、軍事のみならず外交、経済等の諸政策の整合性の上に成り立つものであるということであると思われます。 こういうような考え方は、安全保障を軍事力のみにゆだねる、いわば唯軍事力的発想に比べるならば、私は一歩前進した考え方であるとは考えますが、一歩現実主義的な発想に立つものだと、そこのところは評価をしておいてよいと思うのでありますが、なおこの考え方に私は全面的に賛意を表明するわけにはまいりません。 その理由の第一は、総合安全保障なる用語が、我が国の軍事力の飛躍的増強に時を合わせて登場したところに作為的なものがあることを感ぜざるを得ないからであります。 総合安全保障論が提唱された当時を考えてみますと、この言葉はアメリカの軍拡要求や軍事力増強論をかわす意図があるのではないかとも観測されました。しかし、その後の経緯を見てみますと、そのように機能したとは到底言えません。実際には、逆に軍事力の飛躍的増強という現実をオブラートに包む役割を果たしたのではないかとさえ疑われます。なぜそのような結果を招いたのか、私はその理由を以下のように考えます。 それは総合安全保障という政策体系の中で、軍事、外交、経済等の諸政策の関係があいまいであること、あいまいであるがゆえに結局は軍事力にプライオリティーを置かざるを得なかったということにあると考えます。 総合安全保障の非軍事面における努力は重要だが、国民と領土の存立を確保するための究極的な手段が軍事力であることは冷厳な事実であると、外務省が本委員会で述べたわけでありますが、こういうような発想というのは総合安全保障という考え方のメリットを消却させるものだと思われます。総合安保と言ったところでしょせんは軍事力だというのでは、唯軍事力的発想に逆戻りしてしまうことになると私は考えるのであります。 私は、総合安保という概念を打ち立てる際の基本的発想として、軍事力の発動をやめさせる、究極的には軍事力の必要性をなくする、そのために必要な政策体系であると考えます。もちろん、私とて今直ちに地球上から一切の軍事力をなくすことが可能だと考えるほどの楽天主義者ではありません。だが、総合安全保障というのであったならば、基本的スタンスとして、いかに軍事力の発動を防ぎ、軍事力を歴史の博物館に送り込んでいくのか。そのための非軍事的努力とは何かを政策論として明らかにする必要があると考えるのであります。その際に、政府・自民党と最も対立する論点は抑止力理論の評価になると思われますが、その点は次の平和の確保というところで私は触れさせていただきます。 総合安全保障ににわかに賛成しかねる第二の点は、政府の展開する総合安全保障論が日米安保条約を根拠とする日米安保体制を積極的に推進するものとなっていることであります。 外務省の調査企画部長が、私との論議の中でいみじくも言われました。今日日本にとって戦争の危機があるとすれば、それは米ソ戦争に日本が巻き込まれていくというケース以外には現実性を持たない、そういうことであります。ソ連が単独で北海道に攻め込んでくるなどという想定はフィクションであるというのが調査企画部長の御意見であり、この点に関しては私も全面的に賛意を表しました。つまり、米ソ間の緊張が高まり、それが地球上のどこかで炸裂する。その余波を受けて日本が戦術核を含む戦争に巻き込まれていくというケース、これが最も現実的なシナリオとして想定されるのであります。その法的根拠が日米安保条約であり、それに基づく安保体制なのであります。 今日の核兵器がカウンターフォース戦略に立っていることは、これは防衛庁も私との論戦の中で認めたところであります。米戦略部隊が核装備していることは周知の事実であります。カールビンソンが佐世保に寄港する。トマホークを積んだ原潜が横須賀に寄港する。三沢には核装備可能のF16が配備されようとしている。岩国や嘉手納には核兵器貯蔵庫があると疑われている。さらに横須賀にはそれらの総司令部が置かれ、愛知県刈谷市にはSLBM発射送信所がある。これらの在日米軍基地は戦術兵器による核戦争の際の標的になることは間違いないのであります。したがって、安保条約に基づく米軍への基地供与は日本を核戦争に巻き込んでいく元凶であると言わなければなりません。 さらに近年、自衛隊の米軍下請化への動きは、これは著しいものがあると思います。自衛隊は今やアメリカ世界軍事戦略の一つのこまに組み込まれてしまっていると言っても私は過言ではないと思っております。それは近年頻度を増している日米共同演習の全貌が防衛当局によってまさに情報公開、全面的に公開されれば私は明白になると確信をいたします。本委員会はシビリアンコントロールの立場から今日の自衛隊の全貌を知る必要があるということをこの際つけ加えさせてもらいます。 ともあれ、米ソ緊張の激化が極東有事を引き起こす。その際、日本を戦争に引き込んでいくものはこれは安保体制であります。したがって、安保体制を離脱していくことが総合安全保障というものを考える際にも肝要であると思われます。 ここ数年、外務省は、日本は資本主義国である、資本主義国は結束する必要がある、したがって日米同盟を強めるという三段論法を用いまして、日米関係の強化、実質的なアメリカ世界戦略への従属を強めてきました。しかし、この論法には私は無理があると思う。かつ冷戦史観に基づくものだと言わなければなりません。資本主義という社会経済体制と国際政治における同盟関係は必ずしも一致するものではありません。また今日、新冷戦時代の到来が指摘される中でその流れに抗して東西の緊張緩和をいかに図っていくかという姿勢が見られません。今日本の外交に問われていることは、レーガン政権の緊張挑発政策に追随することではなくて、アメリカの世界戦略の枠組みから離脱をして、独自の積極的な緊張緩和政策、極東の軍縮、世界の軍縮を促進していく外交路線をこそ打ち立てることにあろうと思うのであります。政府の言う総合安全保障に賛成しかねる点はまだたくさんありますが、最後に二点ほど問題点を指摘しておきたいと考えます。 一つは、戦後の国際紛争に関する考察が十分になされていないということであります。第二次大戦前と戦後とでは国際紛争、戦争のあり方は大きく変わりました。それに伴い軍事力の機能も大きく変わったのであります。その点を十分光きわめる必要があります。それに関連して、発展途上国への経済協力のあり方も再考される必要がありましょう。政府の姿勢はODAをふやせばよいというように見受けられますが、それだけで果たしてよいのでしょうか、紛争を未然に防止し、政治的安定を獲得するという名目のもとに行われてきたあのアメリカの中南米への援助が今何を引き起こしているかを真剣に想起すべきであると考えます。 二つ目は、総合安保の名のもとに民間防衛が叫ばれ、国民が一定の軍事的秩序のもとに動員される、そういう危険が伴ってきているということを指摘しておかなければなりません。こうした動員は常に政治的な動員となる。そのときの政府に反対する勢力を政治的に抑圧する働きをしてきたことは戦前の我が国を初めとする歴史のまさに教訓であります。 以上で私の意見の表明を終わります。
○黒柳明君 総合的な安全保障の問題を考えるに当たって考慮すべき視点が三つあります。 第一は、今日における安全保障は平和への外交努力や経済、資源・エネルギー、食料、文化等の総合的なものでなければならないということであります。その中で、自衛のための力を正当に位置づけるとともに、経済協力等の分野で日本の世界平和に対する国際的責任として経済大国としての責任を果たすことは当然であり、あわせて軍事力だけではなくその他の分野での積極的貢献は極めて重要であります。 第二は、一国の安全保障政策は、例えば化学の実験のような試行錯誤は許されないということであります。すなわち、安全保障は国の存亡と民族の生存に直接関係する問題であるだけに失敗は許されず、また、やり直しがきかないという厳しい認識が必要です。したがって、極端な議論や性急な方途は好ましいものではありません。理想は理想として掲げその実現に強く努力することは当然でありますが、現実を無視して理想倒れになることを厳に戒めなくてはなりません。あくまでも現実を直視し、その上に実現可能な方途を提示することが重要であります。 第三は、一国の安全保障政策は何といっても国民的コンセンサスに支えられたものでなければならないということであります。 以上三点を前提として、以下具体的に申し上げます。 まず、総合的安全保障論議の展開と安全保障会議の設置についてです。既に国会で安全保障を論議する特別委員会が設置されましたが、ここで総合安全保障に関する国民的合意を確立するためさらに論議を深めるべきであります。 また、現在、防衛庁設置法に基づき内閣の諮問機関としては国防会議が置かれていますが、ここでの論議の内容はいわゆる軍事問題が主であります。安全保障の問題は単なる軍事面の問題だけではなく、資源・エネルギー、食料等幅広い視野と長期的展望に立って検討することが必要であり、この観点から総合安全保障政策の中で軍事面の役割と対応についての位置づけを明確にする必要があります。わが党は、現在の国防会議を解消し、政府部内での防衛庁・自衛隊に対するシビリアンコントロールを充実するとともに、総合的安全保障政策を一日も早く確立するため総合安全保障会議を設置すべきであると考えます。 次は、日米安保条約についてであります。国際情勢は依然として不安定なものがあり、国際緊張も緩和するに至っていません。こうした国際情勢のもとで日米安保条約が日本の安全保障に一定の抑止的役割を果たしていることは否定できません。しかし、日米安保条約の運用に当たっては極めて厳格に行われるべきであり、この点で政府・自民党と同じ立場に立つものではありません。もちろん条約の拡大解釈による質的変化は許されません。そのため事前協議制度の厳格な実施、非核三原則の堅持、さらには極東の範囲などの拡大解釈をしないよう厳しく監視する必要があります。 次に、憲法下での領域保全能力についてであります。わが党は、現憲法下においてわが国の平和的存立を守るための自衛権は認められるものと考えております。自衛権は主権国家の国際法上の基本的権利であり、国連憲章もこれを是認しております。もちろん、ここでいう自衛権とは国連憲章第五十一条で認められている個別的自衛権のことであり、我が国が一切の膨張政策を否定し、平和政策を堅持しているにもかかわらず、なおかつ不正な侵略をするものがあれば平和的存立を守るため正当な自衛権の行使は許されるものであります。この憲法が認める自衛権の裏づけとしての能力については、領海、領空、領土の領域保全に任務を限定した領域保全能力が妥当であり、これが我が党が合憲とする自衛隊構想であります。 以上の観点から、自衛権の行使に当たってはいかなる事態においても国会によるシビリアンコントロールの原則が厳格に迅速に機能するための体制とルールの確立を目指さなければならないものであります。 以上。
○上田耕一郎君 委員長のまとめにも反映しておりますように、総合安全保障の概念並びに政策について委員会の審議でもかなり重要な対立がありました。私も以下若干の問題について意見を述べたいと思います。 まず第一は、政府の言う総合安全保障の概念そのものについてであります。 この総合安全保障なるものを、国政のレベルに最初に持ち込んだのは亡くなられた大平首相でした。大平氏は、一九七八年の自民党総裁選挙政策で、中心的な一つの戦略として総合的な安全保障の強化確立を掲げ、一九八〇年春には、首相の私的諮問機関である総合安全保障研究グループに報告書を提出したわけであります。以来、かなりはやりの概念になってきたわけですけれども、その一番の特徴は、これまで軍事的な問題を中心にした従来の安全保障論の中に、対外経済協力あるいはエネルギー、食糧の安定確保などを取り込んできたところにあるわけです。ですから、総合とは言いながら、実際には日米安保体制を中心にして、いわば非軍事的な分野まで安全保障という名のもとに軍事化してしまうというものになっている、そういう概念だと思います。 この取りまとめの中にも、例えば脅威について、「国際的要因による多種多様の脅威に対し、」と書かれておりますけれども、この総合安保論が考えた脅威というのは、実際にはいわゆるパックス・アメリカーナ、アメリカを中心とする国際的な支配体制、それが七〇年代以来非常な危機に陥ってきたこと、脅威に直面してきたことにほかならないと思います。 本委員会の参考人の畑田氏も述べておりますけれども、七〇年代以来のニクソンショック、石油ショック、べトナムショックなどのパックス・アメリカーナの危機、その危機が深まるにつれて、日本に対して役割分担が求められてきたこと、また、最近急速にふえてきた日本の海外の権益、これのいわゆる防衛というような契機が背後にあって、七〇年代の末から八〇年代にかけてかなりごまかしの概念、危険な概念としての総合安全保障なるものが持ち出されてきた、そう我々は見ています。 二番目の問題は、その概念に基づく具体的な施策であります。 この施策は結局どうあらわれてきたかというと、いわゆる西側一員論、それに基づいて、西側の一員なんだから西側全体の防衛のためにと称して、軍事、外交、国際経済協力などの面で、日本がより積極的に行動しろ、あらゆることをやるという具体的な施策となって展開されてきました。 このまとめの中にも、ある意見として、総合安保の中核は軍事力だ、これをあいまいにしてはならないという指摘も出ておりますけれども、この指摘に端的にあらわれているように、実際には日米軍事同盟、安保のヨーロッパとアメリカを含む軍事同盟としてのNATOとの結合、さらには安保のNATO化、集団自衛権一まで踏み込むこと等々が総合安保論が声高に言われてきてから次々に進められてまいりました。シーレーン防衛問題、三海峡封鎖問題、レーガン軍事戦略への追随等々が出ています。それから、例えば、今マイナスシーリング、シーリングと言われておりますけれども、軍事費と海外経済協力とエネルギー、この三つの分野は国家財政の面でもいわば聖域とされて特別視されている。さらには、担当大臣まで設けられて、危機管理ということで法制面、組織面についての危険な国家総動員体制への策動さえ動き始めているという点が見られます。 こういう政策は何をもたらすかというと、脅威の除去ではなくて、脅威を増大させるということで、実は日本の安全そのものを一層危機に陥らせているということが結論的に言えます。 それは例えば、具体的に言えばトマホーク配備が有意義だというようなことで、日本が文字どおり、極東における不沈核空母にされていく、核戦場の危険さえ生まれてくるという問題。あるいはエネルギー問題でも、中東へのアメリカの軍事介入、これに追随する政策をとることによって、逆に日本に対する石油供給の不安定さを増大させる等々の結果がもたらされております。 我々は、総合安全保障の概念そのものについても反対だし、それに基づいて行われているいわゆる西側一員論的なレーガン追随のすべての政策について、それが日本の安全を危険に直面させているということで反対であります。 三番目は、それでは真の総合安全保障の政策というのはどういうものでなければならないかということであります。 当面の問題として、例えば私は二つ挙げたい。一つは、核戦争の危険を除去するために、唯一の被爆国としての日本がより積極的に行動をすべきだ、世界に訴えるべきだという点です。 この委員会でも二月二十二日に永井道雄参考人が、ニュークリアウインター、核の冬という問題、もし核戦争が勃発すれば地球全体、地球の生物が破滅するということがソ連、アメリカの学者も含めて今研究されており、来年の十月にはワシントで戦後一番重要な報告書が発表される。日本でも名古屋大学の学長がこれに参加されようとしているということなど発言されておりますけれども、こういう核の冬の問題、この八月六日にNHKも特別放映するようですけれども、こういう事態が迫っているという事実に直面して、唯一の被爆国としてやはり核兵器禁止以外にないということを訴えるべきだと。 また、トマホーク配備の問題でニュージーランドの新しい政府は、核積載艦は寄港させないと言っており、アメリカはそんなことになると軍事同盟は意義がなくなると言っておりますけれども、日米軍事同盟が意義があるということになれば、日本に核積載艦が寄港しているということになるわけで、この非核三原則の法制化、これの厳守も非常に重要になってきます。 当面、緊急問題として南北問題の解決、これにアジアの一員としての日本がより積極的に行動すべきだという問題があります。 本委員会の五月十六日に服部正也参考人が累積債務の問題で、日本人が、つぶれそうな会社が生まれたときには債務棚上げすべきなのに、累積債務問題、南北問題となると逆に利子をはね上げるという、日本人として恥ずべき行動をとっているという指摘もありました。やはりこの南北問題解決、累積債務問題の解決、これは現在八千億ドルを超えておりますけれども、こういう危険な問題、まずアジアの一員として積極的にこの解決に努力を払うべきだ、国連で決まっております新国際経済秩序、この実現のためにも努力を払うべきだ、この二つを私は緊急の問題として指摘したい。一時間が参りましたが、最後に、中心問題としては我々もこの委員会の審議で何回か発言してまいりましたが、日本の抜本的な安全保障政策としては、日本の安全を危険に陥らせている日米安保体制そのものから離脱することが必要であって、安保条約をなくして非同盟中立の道を進むべきである。そして、非同盟諸国会議に日本も参加して世界全体に米ソブロックそのものをなくすために、また軍事同盟そのものをなくすために、中立日本としての、非同盟日本としての大きな抱負と理想を持った外交政策、安全保障政策を推し進めるべきだ、そう考えております。 以上です。
○関嘉彦君 本委員会の報告は四部に分かれておりますけれども、第一部の総合安全保障と第二部の平和の確保は理論上必ずしも明白に分かちがたい点がございますので、私の意見陳述も第一部と第二部とはワンセットとして御了解願いたいと思います。 まず、民社党は、日本にとっての総合安全保障とは国際的関係によって生ずる紛争の危険に対し、防衛、外交並びに国内的措置などの総合施策によってその紛争があらわれる、顕在化することを防止するとともに、万一紛争が顕在化し、武力衝突が生じた場合に適切にこれに対処して国民、国家の独立を維持し、憲法秩序に基づくところの国民生活の安定を図ることであるというふうに規定いたします。 若干これに対して注釈的に述べておきますと、総合安保の中に宇宙船地球号の問題、例えば地球の冷却化に伴う食糧不足の問題とか、環境悪化の問題やあるいは大地震の問題などを含める考え方がございますけれども、これは科学技術の問題として別個に考うべき問題であります。余りに概念の外延を広げることはその内包を薄めることになって、問題の焦点がぼけるからであります。また、安全保障の問題を考えるときに、例えば国家の独立というように国家の問題を避けて通ることはできない。日本語の国または国家という言葉は必ずしも明白ではありませんけれども、ここでは一定の領域内において法的組織を持つ統治機構を共有する民族共同体、即ち英語で言えばネーションズテートの意味に理解し、その意味の国家の独立と日本国憲法の規定するところの市民的自由の保障された国民生活の安定を維持するというのが日本の安全保障であるというふうに考えます。 安全保障の手段について外交と防衛とその他の国内的措置を挙げましたけれども、外交上の手段のみで安全が保障されるという考え方は余りに空想的であると思います。個人の間でも利害対立がなくならないと同様に、予想し得る将来において国際間の利害、意見の対立による争いをなくすことは私は不可能であると思います。世界国家が将来にできたとしましても、各民族集団間の内乱はあり得るでしょうし、それを防止するためには世界法的秩序を担保し得る武力をその世界国家が所有しなければなりません。世界国家実現の理想を掲げつつも、それが可能になるまでの間は主権国家が併存している現実を考慮して、待民族国家の自衛上の当然の権利を物理的力によって担保するのは政府の義務であるというふうに考えます。もとより、平時において紛争をできるだけ極小化していく、ミニマムにしていくための平和外交は以下に述べるとおり必要であります。しかし、非常時に対処するための方策を考えないのは総合安全保障の名前に値しないと思います。非常時における国家の生き残りを図るための狭義の防衛と経済上並びに治安上の対応策を考えておくことが必要であります。 なお、これに関連して、日本国憲法の問題に言及しておきます。日本国憲法は占領という異常事態はもとにおいて制定されたために、その内容について十分の討論がなされなかった結果、その解釈について国民の間の意見の対立が今日まで続いているということはまことに遺憾でありますけれども、民社党は次のごとき理由によりまして自衛隊は合憲的存在であると考えます。 国家に自衛権のあることを否定する人は余りいないと思いますけれども、いかなる権利もその保障は力によってなされなければなりません。国内において国民の権利を保障するのは最終的には国家権力でありますけれども、国際間において超国家的な権力が存在しない以上それぞれの国が自分の力の行使によってその自衛権を担保するのはやむを得ない次第であると考えます。ただ、日本の憲法は敗戦の教訓にかんがみまして、第九条で国際紛争の解決を図るために戦争に訴えることを否定しております。しかし、それは国家の独立維持のために必要最小限度の武力を持つことを否定するものではありません。最近の世論調査では、憲法改正による軍事大国化には反対しつつも、自衛隊の存在を肯定する国民が八割以上いることを示しておりますけれども、そのことは民社党的な憲法解釈が多くの国民の間に定着しつつあることを示すものと考えられます。 また、これに関連して民社党は日米安保条約も合憲であると考えます。同条約は、日本の防衛力が憲法の精神に合致した防衛的かつ限定的なものであって、大規模な侵略に独力で対抗するには不十分でありますから、その不足する部分をアメリカの軍事力で補完することを定めたものであるからであります。 最後に、民社党は、現在の国際情勢をいかに分析しているかを述べることによりまして日米安保条約を積極的に支持する根拠を述べておきます。 第二次大戦後の世界は、時代によって多少の変遷はありましたけれども、基本的には米ソ及びそれぞれのブロックたる西側陣営と東側陣営の対立の枠組みの中の冷戦状態にあったと言って差し支えありません。ところで、西側陣営と東側陣営の対立という場合、それは単なる米ソという二超大国の対立てあるのみでなしに、米国を中心とする自由世界とソ連を中心とする非自由世界、すなわち共産世界との対立ということであります。対立が生ずるのは、資本主義対社会主義という経済組織の対立からではなしに、複数意見と複数政党とが存在し、市民的、政治的自由を認める開放的なオープンな国家群と単一の意見と単一の政党しか認めない一党独裁の閉ざされた共産主義国家群との対立てあります。しかも、ソ連の国是であるところのマルクス・レーニン主義は、世界の共産化は歴史的必然であり、その必然性を促進する行動は正義であるということを教えております。したがって、共産主義的な運動に対してはたとえ武力的なものであってもこれを支援することがかえって世界の平和に寄与すると考えております。それゆえ、ソ連の国家行動の意図を読むことはソ連の新聞が政府の意見しか報道しないために極めて困難でありますけれども、しかし仮に平和といってもそれは世界のソビエト共産化という意図を持つのではないかとの推定を常に捨て切れないわけであります。 ところで、日本の憲法は言うまでもなく自由民主主義の憲法でありますから、憲法を守る限り、思想的に日本が両陣営に対して中立ということはありません。もちろんそのことは直ちに日本が軍事的に自由陣営の一員となることを意味しません。例えばスウェーデンやスイスのように、思想的には自由世界に属しながらも軍事上は中立を表明しております。しかし、一国で中立を維持するためにはかなりの程度の武力を持つことが必要ですし、これらの二国も最終的には西側の支援を期待しているようであります。日本がもし政治的に中立を維持しようとするなら、その維持のためにかなり大規模な核兵器を含む軍備を持つことが必要ですけれども、そのような道は日本として決して賢明な道ではありません。やはりアメリカとの安保条約により、足りないところはアメリカの軍事力で補うという方策が賢明であります。この日米安保条約を有効に機能し得るように文化交流の促進や経済摩擦の極小化や憲法の範囲内における日本の自衛力の整備によって、いざという場合にこの条約が効果的に機能し得るようにすることが必要であるというふうに考えます。
○秦豊君 一国の安全保障政策が真の意味の総合性を有するためには政策各部門、分野ごとの緻密な比較考量と取捨選択によって、何を第一義となし何を必須となし、逆に何を切り捨てるべきかについての緻密な解析が求められております。つまりこのことを言いかえれば、軍事的手段と非軍事的手段とのバランス、並びにその間における厳密なプライオリティーの確立が必要であることは言うまでもありません。 しかし、残念ながら、我が国の安全保障政策をめぐる現状を見るときに、我が国における総合安全保障政策なるものは、その根本的な要因を欠落しております。つまり、私見によれば、我が国の総合安全保障政策なるものはまさにその総合性の欠如を最大の欠陥としております。各省庁の縦割り行政を越える総合化の努力はまだまだ不十分であります。例えば国防会議は単なる事務に流れ、また、総合安全保障関係閣僚会議も十分の機能はいたしておりません。確かに言われるごとく、非軍事的な手段は軍事的手段のすべてを代替することはできますまい。しかし、多重多層の平和外交あるいは経済協力、文化交流等の積み重ねや、緻密な国家の責任を裏づけた備蓄計画の不断の推進が、粗雑な正面装備偏重の防衛計画にはるかにまさることもまた否めますまい。 我が国がいわゆるその総合安全保障政策を策定しようとする場合には、我が国が立地条件として、あるいは置かれている地政学上の地位からして有しているほとんど宿命的とも言われるバルネラビリティー、つまり脆弱性を踏まえない計画はすべてあたかも図上演習のごとき非現実なものでありましょう。 また、ここで考えなければならないことは、一つの視点は、防衛に対する国民合意は、さきに同僚議員が触れましたごとく、確かに自衛隊を求める人々が八七%の高率を占めていることは事実であります。しかし、その八七%のまた過半数をはるかに超える国民の皆さんが防衛力の規模の現状維持を求め続け、さらには防衛費のGNP一%以内を初め、非核三原則の厳守、武器輸出三原則の厳守等々とまさにカセットされた合意であるというクールな一面を見逃すことはできないと思います。 したがって、今後我々が当委員会をベースとしたいわゆる総合安全保障政策の策定を目指し、政府の足らざるを補おうとする限り、我々の目指すべき総合安全保障政策はまさに平和国家戦略の確保あるいは完熟でなければならないと私は考えております。 以上です。
○委員長(植木光教君) 総合安全保障に関する件についてはこの程度といたします。 次に、「平和の確保」について申し上げます。 まず、防衛問題についてであります。 第一は均衡と抑上の問題でありますが、平和は力の均衡によって維持されており、核の抑止力は否定できないとの考えが表明され、この立場から、SS20などに対抗するトマホークの配備は、抑止力の維持強化の観点から日本の安全にとって有意義などの意見が述べられました。これに対して、バランス論は常に優位の確保をねらうものであり、結局は軍拡への道であるとの意見、軍事力が均衡していなくても戦争は発生し、たとえ均衡が一時的抑止機能を持つとしても戦争防止の基本的要因にはならないとの意見がありました。また、核抑止はある程度効いているが、万能ではなく、米ソは抑止論に立って軍拡をエスカレートさせたとの見方も示されました。 このような基本的立場の違いは核戦争の可能性についてもあらわれました。すなわち、MIRV化、命中率の向上などによって核戦争に勝つ戦略が登場した結果、限定核戦争はかなりの可能性があり、全面核戦争もゼロとは断言できないとの発言がありました。これに対して、核戦力の存在が核攻撃を抑止するというのが核戦略の基本であり、たとえ限定核戦争でも最後には全面核戦争になるがゆえに限定核戦争自体も抑止されているとの考え方が述べられました。さらに、米国の核の傘のもとにある日本としては、通常戦力を増強し、ヨーロッパのように核を使わなければ守れないような劣位の通常戦力バランスを日本周辺につくらないことが核を抑止する最高の手段になるとの見解が表明されました。 次は、我が国に対する脅威についてであります。脅威は歴然と存在しているとの意見、また、ソ連の軍事力の増強と行動の活発化は顕著であり、潜在的脅威を増大させているとの意見があり、他方で、防衛白書はソ連軍に関するデータを意図的に加工して脅威をあおっているが、簡単に脅威と結論づけるべきでない、脅威が顕在化するとすれば世界大戦勃発の場合とアフガニスタンに見られるようなソ連との軍事同盟締結の場合であるとの意見、脅威の原因をソ連の軍備拡張にだけ求めるのは不当で、米ソの軍備拡張の悪循環が最大の問題である等の意見がありました。 また、対日侵攻については、ソ連の軍事力増強は顕著だが、四面環海の日本の地理的状況から考えて、地上軍が侵攻してくる情勢にないとの意見、ソ連は大変な国防費を負担しており、攻撃してくる必要も世界赤化の能力もないとの意見、また、ソ連の日本攻撃は世界戦争の中でしか考えられないという意見がある一方で、日本が単独で外部から攻撃される可能性を全く否定することはできないという意見があり、これに関連して北海道北部への侵攻の問題に取り組む必要性が指摘されました。 次は、防衛の基本についてであります。政府から、我が国は平和憲法のもと専守防衛に徹し、近隣諸国に脅威を与えることなく、非核三原則を堅持しつつ自衛のため必要最小限度の防衛力を整備することとしており、また、我が国憲法のもとでは、自衛権の行使は真に自衛のため必要最小限度の範囲内に限られており、集団的自衛権の行使や海外派兵は許されないとの説明がありました。他方で、憲法と安保条約は正面から矛盾しており、憲法を守るか、それとも安保条約に合うよう憲法を改正するしかないという意見があり、これに対して、国際情勢の変化にもかかわらず憲法原則論で現実を割り切るような論旨は理解に苦しむという意見がありました。 非核三原則については、形骸化の是正、核持ち込みの疑惑を払拭するための行動の必要性、核のトランジット、寄港通過の禁止を含む非核三原則の立法化が主張される一方で、非核三原則はフィクションの上に立っているとの意見、持ち込ませずは現実的な防衛上の必要に応じ修正した方がよいとの意見、また、非核三原則立法化の必要はないとの意見がありました。 個別的自衛権については、防衛上個別的自衛権の発動で処理できない事態の場合は再検討する必要があろうとの意見がありました。 また、防衛の基本に関連して、守るべき価値は国民の平和と安全、生命財産、命と暮らしであるとする意見に対し、イデオロギーとの関連で言えば、日本が社会主義陣営に組み込まれると民生の安定も現在の繁栄もあり得ないだろうとの見解が表明されました。 次は、防衛力の整備についてであります。 まず、防衛計画の大綱の見直しは考えておらず、大綱水準の達成が急務であるとの見解、また、大綱は現在の国際情勢にマッチしないので再検討すべきだが、国民の支持が得られないのにその方向に進むのは危険などの意見が述べられました。他方で、わが国が他国から軍事的攻撃を受ける理由は全くないとの立場から、自衛力は現在の水準もしくはそれ以下で十分などの主張がありました。 防衛費については、対GNP比一%以下に抑え続けるべきではないという意見と守っていくべきだという意見がありました。また、正面装備費と後方支援費のアンバランスを是正すべきこと、正面装備のうちでも高速ミサイル艇等、領域保全に有用な兵器の調達が遅れていること、シビアな内部解析によって専守防衛にふさわしい装備体系、機動力を決める視点を持つべきこと、今後の課題として弾薬・燃料備蓄の不足、抗堪性の欠如等を検討すべきこと、教育訓練を重視すべきことなどの意見がありました。さらに、我が国では防衛問題が予算の問題として取り上げられ、国民的課題となっていないところに基本的な問題があるとの指摘がありました。このほか、リムパック84への参加、インターオペラビリティーについての協議、シーレーン防衛等は集団的自衛権の行使につながるとの主張がなされ、これを否定する政府側との間に論議が行われました。 防衛問題の最後は日米安保体制についてでありますが、日米安保体制の堅持は、防衛のあり方として防衛力の整備とともに唯一現実的な選択であるとする考えが示される一方、安保条約は戦争に巻き込まれる危険を伴うので廃棄し、非同盟中立の方向で努力すべきだ、あるいは積極平和政策を展開する過程で中立、非武装の条件を探っていくべきなどの主張がありました。さらにこれに対しては、安保条約があるから戦争に巻き込まれるという考えは誤りだ、という意見も述べられました。 次に、軍縮・外交について申し上げます。 政府は、軍備管理、軍縮は安全保障の重要な柱であるとの認識に立ち、力の均衡を維持しつつ可能な限り低い水準での軍縮の達成に努力し、効果的な検証を伴った具体的措置を積み重ねることを基本的考え方としております。これに対しては、軍事同盟の解消に触れないと本当の軍縮はできない、との批判がなされる一方、核時代の軍縮問題を軍縮とその準備的措置という概念でとらえ、国際緊張の緩和、信頼醸成などの環境づくりから次第に軍備規制、さらに縮小の方向へ導くとの考えに立ち、このような総合的政策研究をまず北東アジアで行うべきだ、との提案がありました。このほか、アジアにおける軍備管理、軍縮交渉に関するデータバンクの設置、軍備の公開性と透明性を増大させるための国連による人工衛星の打ち上げ等も提案されました。 また、核兵器禁止の目標を核保有国にはっきり確認させるべきなどの意見があり、さらに憲法第九条や日米安保条約についてそれぞれの政治的立場から議論することは大事だが、それと核を廃絶し、日本が基本的に平和国家として諸外国に対応していくことを明確に区別し、成熟した国民として対応する方向を目指さなければ我が国の政策の成功はないとの意見が述べられました。 次に、国連軍への参加問題については、参加は海外派兵の突破口をつくる目的で提案されており、平和国家日本のイメージが完全に定着し、国内で軍拡の動きが終止するまで待つべきだ、との意見に対し、方向としては参加すべきだが傷害、死亡等の際に法体系に不備があるので現実にはできないとの意見、また、国連強化のためにも積極的に寄与すべきだ、あるいは国連の平和維持活動への財政協力に加え、要員派遣、資材供与等の協力を検討していくべきだなどの見解が表明されました。 最後に、平和の確保の観点から、我が国の将来について、第二次大戦後、最悪といわれる現在の国際環境の中で、世界は米ソの姿にかわる次の主権国家は何かということを探求しており、我が国としてもこうした努力を重ねているスウェーデン、フィンランド、オーストラリアなどと討議し、軍事力、経済協力、文化交流で世界に容認される主権国家とは何かということを百年かけても模索し、それに到達しなければならないとの発言がありましたことを付言しておきます。 以上で平和の確保に関する論議の紹介を終わります。 それでは、御意見のある方は順次御発言を願います。
○堀江正夫君 ただいまの委員長報告に関連し、直接平和と安全を確保するための両輪である外交と防衛のうち、国の安全確保の最後の保障である防衛の問題について、四点ほど意見の一端を申し述べます。 まず、力の均衡による抑止と、軍縮・軍備管理の問題であります。 私は、もちろん核戦力と通常戦力とを問わず、侵略を阻止、撃破するに足る防衛力、すなわち相手の力と均衡のとれた防衛力があって初めて侵略を抑止し、平和を確保することができると考えるものであります。このことは、我が自衛隊と日米安保による戦後の日本の平和確保の現状を見るだけでも明瞭であります。したがって、ソ連の急激かつ劇的な軍事態勢強化に対し、均衡の回復の保持のために米国が各般にわたる増強政策を進めていることを高く評価し、西側主要各国、特に日本が多くの欠陥を抱えている自衛態勢の現況から、一層の防衛努力をすることの必要性を痛感するものであります。このような努力をせずに、ただ平和を志向さえすれば平和であり得るなどというのは、全く無責任な論であります。 もとより、軍事力の相互拡大は平和にとって好ましいことではありません。したがって軍備管理、軍縮を推進する必要があります。しかし、我々がまず一方的に減らせと言うのは暴論であります。少なくとも米ソが真に同意し、ともに確実に実行して初めて実効をおさめる。いわゆる縮小均衡化であります。したがって、ソ連の体質、体制を考えると、最近西側各国で行われている意図的とも見える各種の反対運動は、一方的に西側を弱化させ、東西の均衡を失い、世界を一層不安定な状態に陥れるものであり、私はこれを深く憂い、このような運動の展開を遺憾とするものであります。 第二は、脅威についてであります。 一九七〇年代以降、ソ連の軍事力の増強は疑う余地のないほど極めて顕著なものがあり、我々が日常直接目に触れる極東の状況だけでも異常とも言える各種の強化が行われていることは、マスコミがしばしば報道し、国民もひとしくこれを認めているところであります。このような極東軍事力の強化は、まさに日本にとっては重大な脅威そのものであります。いたずらに、希望的観測によって厳しい現実に目を覆うことなく、まず事態を冷静、正確に受けとめ、万一に備える態勢を整える必要があります。 第三は、防衛の基本の問題であります。 日本が憲法に基づいて自衛に徹することは言うまでもありません。そのために、みずからの自衛力とその不足、欠落を日米安保によって補完するという我が防衛政策は、将来も確保すべき日本の基本的政策であります。 なぜならば、圧倒的に多くの国民が現在の自由民主主義体制下の、日本の平和と安全と繁栄を熱望しているからであります。ただこの際、国際情勢が大きく変化し、かつ日本の国際的役割が大きく要求されてきた今日、自衛力やその運用等についての従来の基本的な考え方を今後ともそのまま墨守し、踏襲するだけで果たして日本の安全を守り、世界の平和に寄与できるのかどうかという問題についても、政治の原点に立ち返り、現実論の上に立って現憲法の規制下で冷静、真剣に検討を要する時期になりつつあるのではないかということを指摘しておきたいと思います。 最後は、国の防衛体制、自衛力の整備であります。率直に言って、戦後の日本の政治と行政の中には、最小限の自衛力の存在以外にはいわゆる有事に対応すべき分野が民間防衛、スパイ行為の防止等を初め大きく欠落をしております。今後各分野にわたりこの欠落部分を整備していくことは、独立国家として当然のことであると考えます。 防衛力について言いますと、地政的にも国力の面でも米ソにとって極めて重要な地位を占める日本が、まず現存する防衛上の弱点、欠陥を是正することが日本の安全はもとより、世界の平和確保上も緊要な問題であります。このためには現憲法下、日米安保体制の信頼関係とその運用を一層確実有効なものとするとともに、我が自衛力について何をいつまでに、どの程度整備すべきかをみずから早急かつ真剣に検討し、国民の理解と協力を得て最大限の努力をいたすべきであります。この意味で現在の政府の防衛力整備構想で対応可能かどうかを、防衛力の全般にわたって早急に検討し最善の努力をすることが責任ある政党、政府として当然の義務であると考えるものであります。 以上をもって私の意見の開陳を終わります。
○大鷹淑子君 感想を交えまして私の意見を申し述べさしていただきます。 我が国は今、豊かさと平和と自由の中にあります。アメリカに次ぐ世界第二位の経済力を持ち、物価上昇率、失業率を見ましても他の西側先進諸国に比べまして最も低い部類に入ります。私は昨年、ストラスブルクで開催されました欧州評議会に出席いたしました。これは議会制民主主義二十七カ国の議員が集まりまして民主主義の強化と促進、共通の任務などを討議する場でございました。多くのことがそこで議論されましたが、そのうちの一つに、若年属の失業率の問題がございましたが、我が国の経済の安定につきましては、日本に学べ、と言われるほどイギリス、西ドイツ、アメリカ、カナダなど先進諸国から高く評価されました。戦後既に四十年近くになりますが、この間一度も紛争に巻き込まれたことがなく、国民は平和で豊かな生活を享受しております。 しかしながら、我が国を取り巻く国際情勢を見てまいりますと、悲惨な戦争が各地で続発いたしております。五十度の炎天下で戦われておりますイラン・イラク戦争は既に四年になんなんとしております。両軍の死者はイラン約十五万、イラク約五万、負傷者及び捕虜は、両軍合わせて五十数万人に達すると見られております。またインド洋では、アラビア湾の原油基地から原油を積んで日本に向かうオイルタンカーの通過ルート上にありますモルジブ諸島がその戦略的位置の重要性が極めて高いところからソ連は積極的に関係強化をねらっております。難民の問題も国際政治に大きな影を落としています。紛争によって祖国を追われ、生きる手だてを失った多数の難民の人々、その数は、インドシナ難民約百四十六万、アフガニスタン難民約三百万、パレスチナ難民約二百万そしてまた、アフリカ難民約二百八十万人とも言われております。これに加えて今、世界は深刻な飢餓に直面しております。特に干ばつによるアフリカの全人口約四億六千万人の半数が栄養不足であると言われております。同じ地球にあって飢えのためいたいけな子供たちが一分間に三十人の割合で短い悲しい人生を終わっているのです。それに比べまして、私たちが享受しております豊かさと自由と平和を今こそ問い直すときではないでしょうか。 ここに永世中立国スイス政府発行の「民間防衛」という小冊子がありますが、その冒頭には次のようなことが書かれてあります。「この本は、わが国が将来脅威を受けるものと仮定して著かれたものである。われわれが永久に平和を保障されるものとしたら、軍事的防衛や民間防衛の必要があるだろうか。すべての人々は平和を望んでいる。にもかかわらず、戦争に備える義務から解放されていると感じている人は誰れもいない。歴史がわれわれにそれらを教えているからである。」とあります。 私が二年前ジュネーブに参りましたとき、あるスイス人のお宅を訪ねました。そして地下のシェルターに案内されました。そのときそこの御主人は、新しく建設される家にはシェルターを備えることが義務づけられている。と話していらっしゃいました。我が国がもしも万一有事になり、自衛隊が戦わなければならなくなったとき、私の体験からでございますが、例えば灯火管制、自動車の交通規制、正確な情報の伝達、防災などについて国民はどう対処するかという点が心配になります。国民の成熟した議論に立脚した民間防衛の必要性を痛感いたすゆえんでございます。 次に、国際政治における我が国の役割についてでございます。我が園は平和憲法をいただき非核三原則を国是とし、国連加盟以来一貫してその目的及び活動を積極的に支持してまいりました。それが我が国の外交の基本政策の一つとなっております。我が国は国際的地位の向上に伴い国連の平和維持活動に積極的に参加すべきだと思いますが、その場合に生じる国内法との関連の諸問題については、段階的に国民の理解と協力を得ながら、国会の場で積極的に議論をし国民的合意を得る努力をすべきだと思います。 私の意見を終わります。
○和田静夫君 平和の確保について意見を述べます。 調査室のまとめられた項目に従って意見を述べていきます。 防衛問題の第一は、抑止と均衡についてであります。この問題についての私の意見は、既に本委員会の論議を通じて展開をしてまいったところであります。クラウゼビッツも言うとおり、均衡という概念は、戦争をやめさせる理由にはなりません。歴史を振り返れば、軍事力が劣位の国が優位の国に戦争をしかけたケースは幾つもあります。 また、軍事力が均衡であることによって戦争を発生させない理由は見出せません。さらに、均衡状態は、優位に立とうとする軍拡競争、歯どめなき軍拡競争を生み出します。その上、均衡とは何かということが論者によってまちまちであります。政府は、抑止力理論が現実において機能して、戦争は均衡な軍事力によって抑止されてきたと主張をいたします。確かに核戦争は通常兵器による戦争に比べ敷居が高いことは認めましょう。しかし、それは単に核抑止が働いたからではありません。あり得べき核戦争は米ソ戦争でありますが、米ソ戦争の世界的影響力の大きさをまず問題にしなければなりません。さらに、戦後の米ソ両国は幾たびか経済危機、政治的危機に見舞われましたが、それらの危機が米ソ戦という危険なかけに打って出なければならないほどのものではなくて、またその性格も異なるものでありました。つまり、米ソの戦争あるいは紛争を考える際には、その経済的要因、政治的要因を考えねばなりません。そこのところをスポイルして核兵器の存在が、あるいは核兵器の均衡が米ソ戦を防止していると考えるのは、余りにも社会科学的手続を無視した俗論であります。 しからば、米ソ核戦争はあり得ないのかといえば、双方が決定的に傷つかないように歯どめをかけた核戦争の可能性は否定できません。アメリカの抑止力理論の展開を振り返るならば、早くから限定抑止という考え方が綿々と流れています。限定抑止というのは、実際に核戦争を起こすが、局地的、限定的なものにとどめるという考え方にほかなりません。限定抑止戦略とは、核均衡が保たれているから核戦争は起こらないのだとする中曽根首相流の抑止力理論に冷水をかけるものだと言わなければなりません。したがって、我が国が平和の確保を国是とするならば、まず抑止力理論を否定して、全面軍縮の立場に立つ必要があります。 第二に、ソ連の脅威についてでありますが、これは既に第一項で述べましたように、ソ連の単独侵略などというのはフィクションであります。軍事力が存在することが脅威だというのであれば、ソ連の脅威が存在することになりましょうが、それは同時に、ソ連にとっても日本が脅威であるということを意味します。現在の日ソ間に、ソ連を仮想敵国扱いしなければならない二国間の要因は見当たりません。 第三に、現在の防衛政策についてでありますが、我々の主張は、当面自衛隊をこれ以上増強しない、防衛費のGNP一%枠を守る、非核三原則を実効あるものとする、そして武器禁輸三原則を堅持するということであります。シーレーンの防衛などは無用であります。シーレーン防衛が近年の防衛費増大の一因となっておりますが、平時においてシーレーン防衛を行っている国はありませんし、有事においてはシーレーン防衛どころではなくなるでしょう。 ここでもあり得べき戦争がソ連の単独侵攻なのか、米ソ代理戦争なのかということが前提として押さえられなければなりません。シーレーン防衛のためと称して行われていることが、実は米ソ戦の極東への波及というシナリオに基づいて行われているのではないかという疑いを私は禁じ得ません。防衛当局はシーレーン防衛などという無用の政策をとらずに、財政再建に資するため、防衛費の削減を行うべきであります。 我々の防衛政策の基本は、憲法第九条の戦争放棄、常備軍の廃止を実現するところにあります。その国際的、国内的条件を整えていくことが重要であります。憲法前文と第九条の理念を実現していくための諸方策をとるのか、現実を、存在するものは合理的であるとして追随していくのかが政府と私どもとの立場の決定的な違いであります。 そのような観点から、以下軍縮政策と戦争の防止策について意見を述べます。 日米安保条約についではさきに第一項で私は述べましたので繰り返しを避けます。 政府の軍縮政策は、軍縮というより軍事力均衡の立場、抑止力理論の立場に立った軍備管理政策であります。政府の軍縮政策は次のように述べられています。力の均衡を維持しつつ、同時に可能な限りより低い軍備の水準で平和と安全が確保される、すなわち、一方で抑止力理論に立ち軍拡競争を事実上肯定し、他方で軍備の縮小を主張するという二律背反的考え方をとっているのであります。 さきにも触れましたように、力の均衡論は軍拡の論理でありました。A、B両国の間に軍事力のアンバランスがあるとき、劣位のB国は優位のA国に追いつこうとすると、A国は手をこまねいてB国が追いついてくるのを待っているということはしないのが当然なのであります。アキレスとカメの競争という寓話があります。足ののろいカメが先に出発する。駿足のアキレスが後からカメを追うのでありますが、アキレスがカメの位置に来ると、カメは一歩先に進んでいる。アキレスは永遠にカメに追いつけない。永遠にアキレスとカメの競争が続くわけであります。均衡論というのはそういうものなのだというふうに私は思います。 したがって政府は、均衡・抑止力論をきっぱりと捨て去らねば軍縮の立場に立つことはできないのです。政府の軍備管理政策は、アメリカ政府の路線に大筋において追随するものでありました。今こそ独自の軍縮政策をとるべきであります。 その第一歩は地域軍縮交渉を促進することにあります。地域軍縮交渉は、地域における信頼醸成措置を促進することによって促進されると私は考えます。ソ連との間で、朝鮮民主主義人民共和国との間で信頼醸成措置を促進していくことが肝要であります。大韓航空機事件のような突発事件の際の紛争処理のルール化や演習の相互通告、軍隊の配備状況の相互確認などは、緊急に必要なことだと言えましょう。また、相互の経済協力を活発化させることも必要であります。朝鮮民主主義人民共和国に対しては、無条件で国交関係を樹立すべきであります。信頼醸成措置を高いレベルに引き上げていくことによって極東の軍縮を進めていくことが、地域における戦争防止策の基本であり、また我が国の非武装化促進へのインパクトとなるはずであります。 日本社会党は年来、極東の非核武装地帯化を主張してきました。極東の非核武装地帯化は困難な課題ではありますが、この構想を進めることが我々を核の恐怖から逃れさせる唯一の道であります。その第一歩として、核保有国との間で核不使用条約を締結していく努力が求められています。そのためには我が国としても、非核三原則を遵守していくことが重要であり、非核三原則を実効あるものにしていかねばなりません。核搭載の疑いのある艦船は一切寄港させないという強い決意で非核三原則を守り抜いていくことが求められています。 最後に、戦争を防止するためには国民の平和意識の高揚が何よりも必要であります。平和教育を徹底していくべきであります。しかるに、今日の政府の平和教育への姿勢には憂うべき点が多いのであります。例えば文部省の教科書検定においては、戦前の日本の侵略性を覆い隠し、平和運動の実態を歪曲しようという姿勢が見られますが、このような姿勢は憲法の理念に逆行するものであると言わねばなりません。平和教育の徹底こそが必要なのであります。 以上です。
○和田教美君 平和の確保の問題について若干見解を述べます。 まず、中曽根内閣の登場以来、一枚看板になった感じさえします抑止と均衡論についてでございます。 委員長報告にもありますとおり、政府側は現在の世界の平和は力の均衡によって維持されており、日米安保体制による核を中心とする抑止力に依存することは絶対に必要だと強調しました。またこの立場から、政府側は核トマホークの配備についても抑止力の維持強化、米ソの戦域核バランスの回復という観点から日本の安全にとって有益であるという見解を表明しました。 我々は、戦後東西の軍事的対抗関係の中で米軍の強大な軍事力が抑止力として機能した一面を否定するものではありません。日米安保体制が我が国の安全保障にとって一定の抑止的役割を果たしてきたことは否定できない。したがって、現実的な対応として、日米安保条約の存続はやむを得ないというのが公明党の立場であります。 しかし同時に、私は抑止と均衡論が政府の言うような万能薬であるなどとは考えません。抑止と均衡論の持つ重大な落とし穴について常に警戒しなければならないと考えます。抑止論の危険な落とし穴は、この考え方自体に軍拡へのメカニズムが内包されているということです。核抑止というのは平たく言えば相手が殴りかかってきたら必ず一層強い力で殴り返し、相手を決定的に痛めつけるぞというおどしを行うことによって相手に核攻撃を断念させるという考え方です。しかしこれを現在の世界情勢に当てはめてみますと、このおどしがソ連に対し効果を持つためには西側が常に東側を上回る核戦力を持つことが必要だという考え方に流れがちです。レーガンの軍拡路線はまさにこの路線を走っており、ソ連もまた同様の考え方であります。また均衡、バランスというものの落とし穴は一体どの水準まで軍事力を増強すれば均衡状態になるのか、客観点な基準がないということです。軍事情報は本来閉鎖的であって、相手の実態がよくつかめない。そこで相互に不安感に駆られて、幻のバランス水準に向けて限りない軍拡競争が続くことになります。米ソ両国が抑止と均衡論のとりこになった結果、一九五〇年代には約一千個だった核弾頭が今では五万個に達しているという一事を見ても、抑止と均衡に対する絶対信仰はやめなければなりません。最近のような世界的軍拡傾向の中で、軍縮の問題についてもこのような視点を持つことが必要です。 政府は片方で抑止力を維持し、片方で軍縮を推進することが現在実現可能な政策目標だと主張しています。つまり抑止と均衡を支える軍事力がまず前提にあって、その枠内で軍縮を考えるという発想です。しかし十分な抑止力を持つという考え方自体に、さきに述べましたとおり軍拡のメカニズムが内包されておるとすれば、軍縮の論理としばしば矛盾が存在することを忘れてはなりません。抑止と均衡万能を越えて、軍拡を軍縮の流れに変える新しい政策目標を追求しなければなりません。 次に、我が国に対する脅威、具体的にはソ連の脅威という問題についてであります。 ソ連はSS20など極東における軍事力増強を図り、また我が国固有の領土である北方領土に軍事基地を強化しています。軍事力の持つ攻撃的属性から見て、このようなソ連の軍事力強化が日本にとって全く脅威でないとは言い切れないと思います。しかし、佐伯参考人がこの委員会で述べられたとおり、アジア・太平洋におけるソ連の軍事力増強によってこの地域のミリタリーバランスがソ連の有利に傾いたと考える必要はないし、四面海に囲まれている日本の地理的状況から考えて、ソ連の地上軍が簡単に日本に侵攻してくる情勢ではありません。レーガン路線に乗って日本政府が声高に唱えるソ連脅威論は、明らかに軍拡路線を裏づけるための誇張された発言だと考えます。仮にソ連の潜在的脅威が多少存在するとしても、日本としては力には力でという政策で対処するのではなくて、粘り強い平和外交努力によって脅威を極小化すべきだというのが私の考え方であります。 次に、防衛の基本についてであります。 政府は、平和憲法のもと、専守防衛に徹し、非核三原則を堅持しつつ自衛のため必要最小限度の防衛力を整備する、また、集団的自衛権の行使や海外派兵は憲法上許されないと言っています。我々も個別的自衛権を認め、自衛隊については領海、領空、領土の領域保全に任務を限定した領域保全能力の枠内でこれを合憲とするものであります。しかし、私がここで特に指摘しておきたいことは、非核三原則にしても、防衛費のGNP一%枠の問題にしても、あるいはシーレーンをめぐる集団的自衛権の問題にしても、政府みずからが公言してきた軍事大国化への歯どめがここ数年、現実の防衛政策の中で実質的に形骸化の危険性を強め、我々の主張との開きがますます大きくなっているということです。 この際、非核三原則の問題について一言しておきたいと思います。核トマホークの配備を評価するという政府の態度はさきに述べましたが、さらに政府は、今後横須賀などに核トマホーク積載可能の艦船が寄港をしても一々核の有無を確かめることはしない、日米安保条約上の事前協議を日本側から発議することはできないなどと答弁しています。政府の見解を突き詰めると、米国の誠意を信頼する以外にないということです。しかし、現行安保条約ができましてから、米側による核持ち込みの疑惑が何回も浮上したにもかかわらず、米側が核の問題で事前協議を求めたことは一度もありません。この事実自体が事前協議条項の空洞化の疑惑を生む原因ですが、日本側から事前協議を求める権利はないといった政府の態度は一層国民の疑惑を深めるものでしょう。これに関連して、この委員会の参考人発言で、非核三原則のうち核の寄港通過は認めざるを得ないという、いわゆる二・五原則への転換を主張する意見が出たことを我々は軽視できません。事前協議条項がいかに不完全、不十分なものであっても、それを日本側の自主的努力と決断によって精いっぱい機能させ、非核三原則を厳守することを政府に改めて要求して、私の発言を終わります。
○立木洋君 平和の確保について、四点にわたって意見を述べたいと思います。 まず第一は、今日の核軍拡競争の悪循環が際限なく続く状態の中で核兵器の脅威、核戦争の危険ということが一層増大しているわけですから、何としても核兵器の全面禁止、核兵器の廃絶ということが極めて緊急な課題であるという点であります。 今日、世界には全人類を何回殺してもなおあり余るという核兵器が存在しているわけですし、しかもその威力というのが広島型原爆の百万倍にも上るという、これだけの核兵器が貯蔵、配備されているわけですから、このことを私たちは直視せずに平和の確保の問題は問題になり得ない。ある一部の人々の中では、核兵器をなくすということには賛成だが、それは段階的にやるのが現実的だと言われる主張があります。しかし、これまでも部分核停条約や核拡散防止条約、例えばSALTI等々、いろいろな形で対応がなされてきましたけれども、しかしこれらの諸施策が現実には重要な核軍縮への方向に一歩進めるということにはならなかった。それどころか現在五万発にも上る核兵器が存在する状態になっているわけですから、我々はなぜこうした事態になっているかということを改めて見る必要がある。それはつまり、核兵器全面禁止という全人類的な合意に基づく国際協定が存在していないという点に重要な問題があるということを指摘せざるを得ないと思うのであります。この点では、中曽根内閣は、核の抑止力等に依存することが平和の確保に役立つかのような見解を述べておりますが、これはまさに国連の事務総長も指摘しているように、現代における人類の最も集団的な誤謬であるという指摘さえあるわけですから、こうした立場は全く相入れないものであるということもあわせて指摘しておきたいと思うのであります。特に、この点では日本の国会でも核兵器の廃絶を究極的なものにするのではなくて、核軍縮を最優先課題として核兵器の廃絶、そして核兵器を再び使わせない、こういう点での実効ある国際的な措置をとることを強く訴えるという決議が採択されているわけですから、このことの重要性はさらに強調するまでもなく、平和の確保にとって極めて重要な課題であり、当委員会においても一致されるであろうということを確信したいと思うのです。 二つ目の点は、非核三原則の厳守、さらには法制化、そしてアジア・太平洋地域における非核化こそ今日平和の確保にとって重要な点であるという問題であります。 アメリカの民間政策研究所の発表によりますと、現在海上に配備されている核兵器というのは一万三千発にも上っているわけであります。昨年開かれました三十八国連総会では、海洋における核を含む危険な軍備の増強、こういった事態が憂慮されて、その実態の調査を求めるという決議が初めて上程され採択をされております。このような危険な海に化してきている現在の状況のもとで、海に囲まれている日本がこうした問題を考えずに平和の確保は問題になり得ないわけであります。 これはかって、米原潜が貨物船と衝突したあの日昇丸事件、あるいは日本海においては米空母とソ連の原潜が衝突したというふうな事件を挙げるまでもなく、こうした事態は極めて深刻であります。さらには現在、核兵器を使うことが可能であるようにという政策の追求が強められ、局地戦においても使われるように機動性のある、あるいは相手の探索不可能なしかも命中精度の高い、こうした核開発が進められているわけです。こうした核兵器、典型的には核トマホーク等々が海上に大量に配備されるという状況にあり、ソ連においてもSS20等、さらには原子力潜水艦の増強等が公然と言われている状況の中で、この非核三原則をより一層厳守し、アジア・太平洋地域における非核化、このことは極めて重要であるということを二つ目の点として強調したいわけです。 三つ目の点としては、我が国への脅威の問題であります。この点では、日米安保条約のもとで、日本の主権が侵害されている。我々は脅威という問題を考える場合に、自国の主権の擁護ということが最も重要な点として指摘されなければならないと思う。こうした点では今日、日米共同作戦体制が強化され、アメリカのアジア戦略を補充する、補完する、そういう役割が担わされ、アメリカの核基地化が進行しているわけですから、やはりここに最大の問題があるということを指摘しなければならないと思うわけです。 かつての朝鮮戦争においても、日本はアメリカの前線拠点とされてきましたし、ベトナム侵略戦争においても、アメリカの出撃あるいは補給等々の基地とされてきたことは明白であります。今日、さらにアメリカの危険な戦争政策に直接自衛隊が参加可能なような状況に態勢が強化されつつあり、こうしたことは日本が核戦場になるという重大な事態が進行しているわけですから、我々はこうした点を厳しく指摘しなければならないと思います。とりわけ中曽根首相の日本不沈空母化、あるいは四海峡封鎖、シーレーン防衛等々はこのことを明確に示している点であります。この点で日米安保体制の強化が日本の脅威を増大さしているという点を厳しく指摘し、こうした軍事同盟から離脱をして、非同盟こそ真の平和の確保の道であるということを強調したいわけであります。 最後に、自衛隊の問題についてであります。 ただいまの委員長報告では、自衛隊の存在そのものを肯定するということを前提として述べられているように受けとられるわけでありますが、我々はこれに反対であります。 もちろん、我が国が現憲法下においても自衛権を有しているということは、これは明白であります。しかし、自衛隊はアメリカ占領軍の指令に基づいてつくられたアメリカの戦略を補完するための対米従属の軍隊であり、国民弾圧の軍隊であり、憲法違反の軍隊であります。個々の自衛隊の隊員が国を守るという意識を持っているという問題は別といたしましても、自衛隊のこの性格からして自衛隊は決して日本の主権を真に守る自衛組織にはなり得ないということを指摘したいわけであります。 このことを明確に指摘をし、非核、非同盟、中立自衛こそ日本の平和を確保する道である。確かに現在日本においては戦争がないという意味においては平和と言えます。しかし、戦争の準備が着々と進められ戦争の危険が増大しているという事実はまさに平和が侵害されているわけである。そうした戦争の危険が進行する事態のない平和こそ求められるべきであるということを強調して私の意見を終わります。
○関嘉彦君 最初に述べておきたいことは、世界の平和と日本の平和とは不可分のものであるということであります。もし米ソの死活的利害の対立する地域において紛争が起こり、それが米ソの本格的戦争に発展すればその米ソの接点にある日本は地政学上もその圏外に立つことは極めて難。しい。それゆえ何よりも米ソの間の戦争を防ぐということが必要であります。 では、いかにして米ソの間の衝突を防ぐべきか。今まで危険な戦争の瀬戸際に立ちながらも米ソ間の戦争が起こらなかったのは、アメリカの総合的な軍事力が優位の状態にあり、これが戦争を抑止する力として働いてきたからであります。最近、ソ連の軍事力の強化によりましてそれが均衡状態にありますけれども、双方が核兵器を使用すれば米ソ両国はもちろん世界の人類が死滅を免れない、その恐怖のために平和が維持されてきました。これは恐ろしいことでありますけれども、遺憾ながら現実であります。 このような忌わしい状態を脱却するために世界的な、特に米ソ間の核兵器の廃止を含む軍縮を進めることが必要であることは当然でありますけれども、それが成功するまでの間、西側が軍事力による抑止力の優位を維持しつつソ連の拡張主義を封じ込め、ソ連社会の脱共産化による正常化を待つことが最も安全な道であります。しかも、アメリカの軍事力、経済力が相対的に低下しつつあるにかかわらず、ソ連が極東において軍事力を増強しつつあるときに、日本自身の防衛は相当程度まで自分で負担するほどに防衛力を整備することが西側の陣営の強化に資する道であると思います。 なお、これに関連して、非武装中立論について民社党の考え方を述べておきます。 日本が非武装であればそれを侵略する国はないとか、日本が軍備を持つと再び侵略戦争を始めるとか言う人がありますけれども、それはいずれも誤りであると思います。世界には第二次大戦のときのベルギーのごとくにほとんど武装らしいものを持たなかったために侵略された国であるとか、武装によって侵略を免れたスイスのような例があります。また、日本が軍備を持つと侵略戦争を引き起こすというのは日本人のみが悪人であると考える自虐的な発想と言わなければなりません。むしろ逆に、外国の侵略に対していつでも戦うという意思と能力とを堅持し、対外的にそれを明白にしておくことが外国に対して、その抵抗からこうむる犠牲を考えて侵略を思いとどまらせることに役立ちます。 また、日米安保条約を結んでいることが日本を戦争に巻き込む原因だと言う人もありますけれども、これも誤りであります。もし米ソの間で本格的戦争が起これば、仮に日本が非武装中立てあってもその戦略的地位からして、特に日本の持つ高度の技術力の争奪をめぐって日本は米ソいずれかの支配下に入らざるを得ず、戦争から免れることは不可能であります。 中立を守っている日本をソ連が侵略するはずはないと言う人がありますけれども、今までソ連が日本に対して何ら侵略的行動をとらなかったのは日米安保条約があったからであります。日米安保条約を破棄した場合に、ソ連がその軍事力を背景に日本に外交的圧力をかけてくるということは、ソ連のイデオロギーや太平洋への進出というロシア国家の長年の戦略を考えますと、極めてあり得ることと考えなければなりません。 かように、日本は必要最小限度の防衛力を持つことが必要でありますけれども、現在の自衛隊についてはいろいろ問題があります。しかし、その改善策は既に民社党の政策資料で公表しておりますので、ここでは重複を避けます。 以上、非常時に備えての防衛の問題を述べましたけれども、平和の確保は防衛のみに尽きるわけではございません。平時における紛争の原因の除去のための外交的な努力が必要であります。 第一は、軍事力は全く不経済的であるのみでなく、その増強そのものが戦争誘発の一つの原因になりかねませんから、世界的な規模での軍縮の努力をしなければなりません。殊に、核兵器の廃絶を急がなければなりません。しかしながら、軍縮は一方的でなく、相互的、段階的でかつ検証を伴うものでなければなりません。世界には、西側陣営がまず一方的に軍備を廃止すれば東側もそれを見習うだろうと楽観的に言う人もありますけれども、そのような一方的な軍縮は、かえって東側の侵略を誘発し、戦争の危機を招き寄せることになりかねません。日本は、米ソが軍縮、特に核兵器の廃絶のために辛抱強い交渉を行うよう、側面からこの交渉の成立に寄与することが大切であります。 また、ソ連との間にはいかに情勢が悪化しているときでも、常に対話の通路を確保しておくことが必要であります。北方領土の解決を含め、経済上、文化上の交流の増進に努めなければなりません。 第二は、いろいろな国と多方面な国際協力の増進が平和の確保のために必要でありますけれども、これは第三部に譲ります。 最後に、国際連合を通ずる平和努力のことを述べておきます。 現在の国際連合がかつてその創立のときに世界の人々が期待したように十分な平和維持機能を果たしていないことは遺憾ながら事実であります。しかし、現在の国連にいかに多くの欠点があるにせよ、例えば国連総会が一種の世界の世論の表明の場としてある程度の機能を果たしており、また米ソ両国の利害がそれほど絡まっていない地方の紛争において、停戦監視軍や平和維持部隊などで、これも限られた範囲内で平和のために機能していることも否定できません。日本もこれら国連の平和維持機能を強化するために、憲法の許す範囲内で人員や機材の提供の面で協力すべきであるというふうに考えております。
○秦豊君 昨年の一月十八日、アメリカのUPI通信がアメリカ国防総省八四年−八八年会計年度における国防指針なるものを明らかにいたしました。全文百三十六ページにも及ぶ具体的な有事実行計画であります。 この計画は、国防総省のトップクラスを初めとして、統合参謀本部、国家安全保障会議、さらには世界の各地域を統括している米軍司令部の高級スタッフ等がすべてこの計画作成に参画をしたことを見ましても、内容の信憑性は極めて高いと言わなければなりません。事実、UPI通信が明らかにして以後の展開は、八三年三月二十二日、ワインバーガー国防長官自体がこのガイダンスに署名をしていることをもってしても明らかでありましょう。 この八四から八八国防指針の中で、日本の安全保障に極めて密接した部分をごく一部分抜粋をしてみたいと思います。ペルシャ湾は、アメリカの死活につながるバイタルな重要地域であるから、ソ連等による明らかな直接侵攻でなくても、そのおそれまたは脅威が近づいていると考え得る場合には即時米軍を投入できるよう、あらかじめ対策を練り上げておくべきである。その兵力の投入に当たっては、同盟国や産油国等の明白な支援要請等は待つ必要はない。サウジアラビアやペルシャ湾岸地域での反政府運動なるものをソ連が逆利用して、いわゆる間接侵略のてこにするケースも想定される。アメリカとしては、ソ連が直接油田地帯制圧のため武力行使に踏み切った際には、地域を限定せず大規模紛争として対応しなければならない。この場合の我々の反撃は、戦争の結末を左右するすべての地点に向けられるべきであり、例えば北朝鮮、ベトナムあるいはソ連沿岸部を同時多発的に攻撃することによって、ソ連側を防勢作戦に追い込まねばならない。 この記述は、ごく少部分の記述でありますけれども、つまり、このことが明らかにしておりますのは、ペルシャ湾の安危がすなわち極東の安危に直結をし、湾岸諸国の危機が日本の安全保障に連結をしているという側面でありましょう。そうして、ベトナム北部、南部、あるいはカムチャツカ、あるいは沿海州北部、バイカル湖周辺に向かって同時多発的に突き出されるアメリカの核戦力、これを中曽根総理によれば、やりと呼称され、そのやりを補完する役割として日本の防衛力の総体が盾と規定されております。しかも、アメリカの世界戦略観によれば、中東有事の際に即三海峡封鎖が要請され、そうして沿海州やカムチャツカを目指す第七艦隊のタスクフォースの護衛が日本の海上戦力に期待されている峻厳な事実は、例えば先般行われたリムパック84における我が海上自衛隊の全体的な行動を見ても明らかでありましょう。つまり、シーレーンの防衛といい、三海峡の封鎖といい、あるいは正面装備の充実といい、防衛計画の達成というすべての事柄は、すべてアメリカのこの対ソ戦略観の一部門を担うべく宿命づけられた日本の自衛隊のシチュエーションと言わなければなりません。 しかも、このことをより現実的な視点でとらえれば、アメリカの海軍省が既に明らかにいたしましたように、アメリカ太平洋艦隊に所属をする艦船のうち、SSN原子力潜水艦を初め、水上艦艇等々四十一隻の艦艇は、核巡航ミサイル・TLAMlNの装備が可能であり、しかも、一部分に対する装備は既に完了しているというアメリカ議会における記録が発表されておりますけれども、このように、全体的な構図の中で見る限り、トマホークの日本に対する寄港、あるいはトマホークの実戦配備というものが具象する全体像は、明らかなアメリカによる対ソ核戦略の決定的な転換と言わなければなりません。 しかも、このことは同時に、非核三原則の極端な空洞化、あるいは岸・ハーター交換公文、安保条約第六条の事前協議条項との絶対矛盾を招来していると言わなければなりません。したがって、この見地に立つ限り、我々が目指している、悲願としている恒久平和の確保をめぐる環境と条件は、極めて過酷であると言わなければなりません。 したがって、私見によれば、このような客観情勢を踏まえて我々が平和の確保をあえて目指すということは、つまり我々はここで平和を確保するためには、このままの路線に限りなく安易にのめり込むことではなくて、ここで冷静に立ちどまり、国民の合意を踏まえた安全保障政策を再構築するという視点を欠落することはできますまい。 そうした意味合いで、あえて自衛隊の現状に触れれば、警察予備隊創建以来三十四年、自衛隊発足以来三十年のあり方のすべてを冷静に再検討し、見直すという視点を堅持することによって、例えば兵力構成を再検討し、専守防衛に最もふさわしい兵器体系とは何かの視点を我々国会の場が具備すべきでありましょう。 平和の確保という点につきまして、以上の私見だけにとどめて開陳を終わりたいと思います。
○委員長(植木光教君) 平和の確保に関する件についてはこの程度といたします。 次に、「国際協力」について申し上げます。 まず、経済協力についてであります。 第一の論点は、なぜ援助は必要か、ということであります。この場合、少なくとも開発途上国の自然災害、飢饉等を対象とする人道的援助と、開発途上国の経済的・社会的発展のための開発援助とは明確に区別する必要があり、特に、開発援助は当該国の自助努力を補完するものであるべきなどの考え方が表明されました。この立場から、自助努力を阻害しかねない援助、あるいは必要を超えて行う援助には問題があるとされる一方で、市場メカニズムの中で鍛えた方がかえって開発途上国の自立力を生むのではないかとの考えから援助を削減する傾向が強まることを懸念する意見がありました。 他方、今日、開発途上国は一千億ドルを超す経常収支の赤字を抱えており、これを解消して現在の経済開発のペースを維持するためにはどうしても借款や贈与を受けざるを得ず、逆に言えば、貿易によって開発途上国の経常収支が均衡すれば、開発途上国は先進国からの資金援助を必要としない、との見解が表明されました。 また、同じような観点から、開発途上国の経済発展のためには、援助だけに依存せず、貿易の促進による自助努力の達成こそが急務であるとの主張がありました。しかもそのような努力は、自由交易体制という既存の世界経済の仕組みの中で行われることが望ましく、この体制から最も恩恵を受けている日本としては、この体制に逆行する世界的な保護主義的傾向を防ぎ、日本経済の自由化、特に開発途上国からの輸入の自由化が必要であるとの考え方が示されました。加えて、開発途上国の輸出の増大には先進国全体の景気浮揚が最も効果的であることが強調されました。 このように先進国による開発援助の基本は、開発途上国が輸出によって外貨を獲得し、それを開発に回し得るよう国内貯蓄の拡大を側面から支援するという、いわば自助努力を支援する援助であるべきだという意見が示されました。そのような援助の一例として、開発途上国が一次産品を加工し、付加価値を高め、雇用機会を創出できるような加工工場の建設、加工技術の提供などへの支援が挙げられました。また、環境問題の側面から、合成洗剤など公害源でもある石油化学製品の使用から、粉石けんなど天然製品への転換を図るならば、先進国においては環境安全面で利益が得られ、開発途上国においてはヤシ油、パーム油など熱帯産工業原料の景気を刺激し、天然製品の輸出増大による所得の増加も期待できるという意見がありました。あるいはまた、我が国で使い捨てられた電気製品などを中国等にリサイクルし、内国資本の充実に寄与したらどうかといった提案がありました。一方、我が国の自動車を売り込むために道路をつくることは開発途上国のインフラストラクチャーの形成になると言われるが、それは結果的には開発途上国の資源や資本を奪い、教育など本来的なインフラストラクチャーに対する資本の不足を招くとの現象が指摘され、このような援助は是正すべきなどの意見がありました。 なお、今後、我が国が経済協力を進めるに当たっては、開発途上国の分化過程を十分に認識し、国別・発展段階別の援助をする必要があるとの提言がありました。 第二の論点は、援助をする視点についてであります。 これについて、一方では、世界の平和と安定のために重要な地域に対する援助を強化しつつ、相互依存と人道的考慮の立場から援助することは、自由世界第二位の経済力を有する我が国が果たすべき当然の責任である、あるいは、開発途上地域の紛争と混乱の未然防止、早期平和的解決、安定的発展の促進は国際の平和と安定にとって不可欠であり、我が国は世界の平和と安定に貢献する観点から政府開発援助を一層拡充すべきであるとの見解が表明されました。 他方、こうした視点に対して、援助は開発途上国の経済発展に資する形で行うべきであり、安全保障的見地から行うべきではないとする考え方があります。すなわち、西側の安全と称して米国の政策を補完する形でカリブ海諸国、パキスタン、トルコなどに援助することは、日本の将来にとってよくないという指摘であります。さらに、米国が多数国間援助よりは二国間援助、援助供与国の選別、開発援助よりは軍事的・安全保障的援助の方向を強めていることを懸念するとの発言がありました。 第三の論点は、援助の拡充強化についてであります。ODAの改善については、おおむね意見の一致が見られ、我が国のODAは量、質ともに諸外国に比べて低いので、せめて各国の平均程度にする必要があるという意見、あるいは、開発途上国の援助増額、質的改善の要請に積極的にこたえるべきで、DACのガイドラインに沿ってODAのGNP比を上げるべきだという意見がありました。また、改善の具体的分野として、無償援助や技術協力の大幅な拡充、後発開発途上国向け援助の増大などが挙げられ、さらに、ODAが量、質ともに低位にあることを国民に認識させることの重要性、開発教育、援助問題に関する啓発活動等の必要性が指摘されました。援助の拡充強化の一つとして、我が国が技術協力で果たし得る役割は非情に大きいと認識されておりますが、これをより効果的に実施する観点から、幾つかの問題が指摘されました。すなわち、専門家派遣について、今後、積極的に民間活力を利用できるよう措置すべきこと、開発途上国の社会的・経済的条件にマッチした適正技術の発見のため、適正技術研究所を設立すべきこと、相手国にとってオン・ザ・ジョブ・トレーニングとしての技術移転の場である我が国の進出企業に対して、そのための訓練施設に政府が資金等を援助すべきこと、青年海外協力隊に地方公務員や民間企業社員が休職して参加できる道を拡大すべきこと、入札など国内手続に時間を要するために協力隊員からの機材輸送の要請に迅速に応じられない問題があることなどが指摘されたのであります。 また援助の効果について、現在の援助論はいわばインプット中心であり、援助の大きさのみを競う傾向にあることは否めないとする観点から、援助のアウトプット、すなわち、援助の効果にもっと多くの注意を向けなければならない、との指摘がありました。このため例えば、国会に海外経済協力問題委員会を設置するとか、国際協力事業団の評価委員会よりもさらに広範かつ全般的にODAの評価を行う恒常的機関の設置が必要であるといった具体的提案もありました。 これに加えて、効果的で実りある援助を実施し、それを成功に導くために、特にプロジェクト合意までの事前調査の重要性が強調されました。 このほか新中期目標の達成、海外経済協力基金の赤字問題などに言及がありました。基金の赤字解消については、基金側から、厳しい財政事情を考えれば、ODAの事業規模を縮小し、あるいは負担能力のある国に対する金利を引き上げることもやむを得ないとの考えが表明されたのに対し、事業規模の縮小は新中期目標の達成に逆行し、金利の引き上げは借款の質に影響するので、できる限り出資金比率の増加で対応すべきなどの意見がありました。 次に、文化交流について申し上げます。 脅威の発生を防止するには、各国との友好関係の強化、相互信頼関係の育成が重要であり、海外啓発活動、文化・人的交流の拡充によって相互理解を深める必要があること、一つの国が長期にわたり立派な仕事をしていくには、学術、文化、学生交流などが必要であり、特に留学生の受け入れを飛躍的に拡充する必要があること、日本人は世界が厳しい紛争、愛憎の中にあることを余りにも知らないので、これを体験させるためプレミアムをつけるなどして海外勤務を奨励すべきこと、国際理解のための教育、あるいは日本在住の韓国人、中国人などを含め、外国人と接触する習慣をつけるべきことなどが指摘されました。また、国連大学の創設に中心的役割を果たした我が国は、本部建物の早期建設と運営の充実のため一層努力すべきなどの意見がありました。 以上で国際協力に関する論議の紹介を終わります。 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。
○宮澤弘君 国際協力に関しまして、ODAを中心にした経済協力の問題と文化交流の問題、二つについて意見を申し述べます。 まず、ODAを中心にした経済協力について数点申し上げます。第一の点は、ODAの量的拡大の問題でございます。我が国のODAの絶対額は、昨年、アメリカ、フランスに次いで第三位になりましたけれども、対GNP比は〇・三三%で国際目標の〇・七%、DACの平均の〇・三六%にも及びません。私、昨年、北欧四国へ行ってまいりましたんですが、各国とも財政は大変窮迫をいたしておりましたけれども、ノルウェー、スウェーデン両国はGNP比一%を達成いたしておりましたし、デンマークも〇・七%と、国際目標を達成いたしておりました。そういうことから申しまして、まず第一の点は量的拡大を図ることであろうと思います。 それから二番目には、ODAの質的改善の問題でございまして、累積債務問題の深刻化等を背景に、途上国からはODAの質の改善が強く求められております。無償資金と借款、有償資金との割合の比率、いわるゆる贈与比率でございますが、贈与比率は一九八二年の数字を見ましても、DAC諸国平均が七六・九%でございますけれども、我が国が三九・七%、この辺に低迷をしておりますのはオーストリアと我が国と二国だけでございます。そういう点から申しまして、今後無償資金協力あるいは技術協力の一層の拡充を図る必要があると思われます。 それから第三番目は、相手国の実態に即した援助を効果的にやっていくための問題でございまして、このためにはプロジェクトの事前調査を徹底していく必要があると思います。これまではやはりその点の徹底を欠いていたのではないか、これが一点でございます。 それからもう一点は、事後の評価、これもなお徹底をいたしまして、事前、事後の調査、評価を徹底することによって効果的な援助をする必要があろうと思います。 それから第四番目には、相手国の自助努力を支援することでございます。そのためにも技術移転を中心にいたしました援助を拡充する必要があります。例えば、現在アフリカの諸国は飢餓で悩んでいるわけでありまして、これらの国々に対して直接的にまた短期的な食糧援助を積極的に行うことは必要でありますけれども、同時に中長期的な食糧増産の自助努力を支援するための協力が必要であろうと思います。このように我が国は今後ともこのような国づくりの基礎となる人づくり協力、ハードの施設援助も必要でございますけれども、ソフトな人づくりをさらに拡充すべきであろうと思います。 それから第五番目に、ODAの財源を確保するという見地から、例えば新たに目的税を起こすとか、あるいは円借款の財源といたしまして無税の国債を発行するというようなことも私は検討することが必要ではなかろうかと思います。これは単に財源確保という見地ばかりではございませんで、我が国民に、経済協力に自分たちも参加をしているのだという意識を持ってもらうためにも検討に値する課題ではなかろうかと思います。 次に、文化交流の問題につきまして海外における日本語教育の問題でございます。 我が国に来ております留学生はやっと一万人ほどになってまいりまして、これはアメリカの三十一万人、フランスの十二万人、ドイツ、英国の五万人にはるかに及びません。このような数は一体どういうところに原因があるのか。恐らく宿舎の問題等の経済的なこともございましょうけれども、中でもやはり日本語のことが問題であるというふうに指摘をされております。こういうことから、留学生があらかじめ出身国で日本語の勉強をしてやってくるということがぜひとも必要であります。しかし、海外におきます日本語教育の問題は、単に留学生対策ばかりでなくして、もっと広く文化交流の問題として考えていかなければならないと思います。 我が国はその点長期的な見地を欠いているのじゃなかろうか。欧米先進国にその点決定的な違いがあるように思われます。教材も大変不足であると言われておりますし、また教授法の開発も不十分である。そして、何にも増して適任者の確保が容易でないということが言われております。これは志望者が少ないということではないようでございまして、国内の日本語教師志望者というのは必ずしも少なくない。また養成機関も盛況のようであります。結局、これはその帰国後の生活保障がないということが問題のようであります。東京に日仏学院がございますが、フランスあたりは聞くところによりますと、公務員の身分で世界に三万人ほどの教師を派遣しているということであるようであります。そういうことから我が国でも国家的規模で、ナショナルプロジェクトとして教材づくりや辞典の編さん、さらに教師の派遣と確保ということを考えるべきであると思います。また、海外の大学や研究所に日本語講座を寄附すること等も積極的に行うべきだと思います。 最後に、委員長のお話にもございましたけれども、国連大学の問題でございまして、国連大学の本部は日本にございますが、まだ建物ができておりません。東京都の世話によって敷地は確保いたしているわけであります。国連本部の建物を建築することは日本の義務になっておりますので、これらの早期建設ということをさらに積極的に進めなければならないと思います。 以上でございます。
○倉田寛之君 我が国の経済協力は大変急速な拡大を見てまいりました。これに対応して諸施策を進めてまいりました政府の努力に、まず評価を加えておきたいというふうに思います。 しかしながら反面、援助の量、質両面の拡大、発展に伴いましてさまざまな批判が生じていることも事実であります。我が国が援助の受け入れ国から一転して供与国の道を歩き始めましてからおおよそ約二十年の経験でありますから、ある程度やむを得ない面もあろうかと存じますが、将来に向かって援助行政に対処するため重視すべき問題があろうかと存じます。 そこで、宮澤委員からも御指摘がありましたが、まず申し述べたいことは、技術協力の重要性についてであります。 我が国の技術協力の実績を見ますと、実績額ではDAC加盟国中の第五位に位置しておりまするけれども、ODAに占める技術協力の比率は一一・七%であります。DAC平均の一九・五%に比べて著しく低い水準にあります。技術協力の実態についてもいろいろな報告がなされております。例えば資本集約的技術が第三世界では雇用効果をもたらさず、場合によっては地場産業をつぶし、失業者を増大することもあること、あるいは援助の大部分がハードウェアに重点が置かれ、社会的、文化的面に関心が持たれないこと、また援助終了後のことに考慮が払われないことなどが挙げられます。また、農業面におきましても、日本式稲作が通用しないことが経験されております。結局、技術協力の際の大きな視点はブラント報告に指摘がありますように、全世界は高度に工業化した諸国のモデルを模倣すべきではないということであると存じます。発展途上国の弱点は、まさに技術を十分に使いこなすことができないことにあると考えますので、援助受け入れ国の実情に合った技術移転ではない真の技術協力の方向が望まれているということを指摘いたしたいと存じます。 次に、援助の評価の問題であります。 先般、服部参考人の御意見は大変示唆をするところが多かったと思います。その意見の中に、現在の援助論はほとんどがインプット中心であるが、アウトプットを見なければいけないという御意見がございました。私は、我が国のODAがDAC加盟国十七カ国の中でGNP比では十三位、国民一人当たりの量では十五位、その質では十六位という実態を見るとき、貿易収支三百億ドルの黒字を抱える我が国が果たして国際社会の中で信用を保ち得るか甚だ疑問に思われてなりません。したがいまして、まず国際公約である新中期目標は確実に達成すべきであるということを指摘したいと存じます。 それと同時に重要なことは、アウトプットが満足できるかどうかという点であります。現在援助の評価は、経済協力実施機関あるいは政策担当省庁において独自に行われておりまするが、予算の執行率を高めるための資金の浪費はないかなど、公正な評価を行うためには第三者により総合的な評価が必要と思われます。このような機構を確立するようこの際要望をいたしておきたいと思います。 最後に申し上げたいことは、以上申し上げましたように、効果ある援助を行うためには現在の援助行政や援助機構はいかにあるべきかという点であります。先般の参考人の中にもプロジェクトの仲介が政府のふさわしくない機関によって行われているとか、四省協議が審査の実を上げていないとか、プロジェクトの調査から実施までの不能率を防ぐために援助外交の一元化が必要であるとかの御意見があったと思われます。 いわゆる経済協力四省による行政と十五省庁に及ぶODA予算の執行の不整合、あるいはそれぞれ異なった省庁の監督を受ける実施機関、このような複雑さが援助行政の不能率不効率に通ずることを恐れる次第であります。援助行政の総合調整の必要についてはこれまでも政府の審議会などから提言があったと聞いておりまするが、私は援助の一層の拡大強化が予定されている今日、一元化の是非はあろうかと存じますが、この援助行政システムをどう改善していくか、一つの問題として提起をいたしたいと思います。 以上で終わります。
○久保田真苗君 この委員会では報告によりますと、おおむね開発途上国の自助努力を尊重していくこと、それからODAをふやしていくことについては異論がないというふうに考えられます。 私はこの自助努力について一言申し上げておきたいと思いますのは、開発途上国自身が自分の国の独立と尊厳を完全に達成する上で北への経済依存度を低めようとし、また途上国間相互の経済・技術協力を重視する姿勢を持ってそのように努力しているというその観点でございます。 このことは必然的に途上国が先進国から経済援助を受けるにしても、その志向するところは輸出志向ということになりますし、また北に対しては貿易の拡大というようなことが重点となっていくと思います。現実に途上国間の相互協力はある程度伸びできているということが見られると思います。そして途上国はそのことによって世界経済の中での途上国の立場を強め、あるいは途上国の役割を増大させていきたいという念願を持っていると思います。したがいまして開発の援助は、広い意味での自助努力というもの、それから途上国間の相互協力というものをよく理解し、それに資するものでないと成功しないのではないかというふうに思います。 したがって単なる日本と途上国との関係、あるいは北と南との関係だけでこれを見ていくということでは観点が不足しているのではないかと私は思います。途上国の国内にあるニーズ、またこれにかかわるいろいろな国際機関の役割、地域経済協力機関の役割というものと切り離して考えてみられないのではないかと思います。 OECDの報告によりますと、現在世界の人口の四分の三は途上国が占めながら、所得は世界の五分の一しかないと言われます。今世末になりましてもその比率は人口は五分の四、所得は十分の三ということでありますから、余り大きな変化はなくしたがっていろいろな開発援助ということは今後も必要であるというふうに考えられます。 また、途上国の輸出は一次産品が八〇%を占めておりますが、それらの原料や農産物の市場がいわば先進国主導型の世界経済秩序というものによって動かされているということにも理解を持たなければならないのではないかと思います。特に先進国の大きなビッグビジネス、多国籍企業の支配を受けているという場合が多いのであります。 例えばお茶の市場の七五%は五つの会社によって取り仕切られている。アルミニウムの市場の七六%は六社によって取り仕切られている。このような多国籍企業の大きな支配力があるわけでございます。この多国籍企業の独占的な取引力に直面する途上国は、非常に未組織で絶対的な交渉力が欠けているのでございます。例えば、お茶について言いますと生産国の取り分は二〇%ないし四〇%であるというふうにいわれるなど、第一次産品の価格の持つ不利な立場ということを考慮に入れなければならないのではないかというふうに思います。 また、一次産品への加工という問題がこの報告には出ておりまして、確かに一次産品を加工すれば途上国の所得が伸びることは明らかなのですけれども、そこには貿易障壁というものが存在しております。例えば日本の例で申し上げますと、日本は熱帯木材につきまして世界の木材の五〇%以上を輸入している国でございます。しかし日本はその場合青田買いをするということがよくありまして、また途上国での製材に対する数量輸入制限あるいは関税障壁というようなものを設けておりますから、製材の輸入量では先進国として最低でございます。このような貿易条件を改めるという覚悟がございませんと単なるODAの増加だけではこの南と北、日本の果たす役割というものは充実しないのではないかと思います。したがいまして、経済協力の最大の眼目は現行の貿易体制についてメスを加え、日本のできる役割をこの面でも果たしていくということになるのではないかというふうに思います。 また途上国におきましてはいろいろな国のニーズがあるわけでございますけれども、途上国の持っている産業の体質あるいはその国民の持っているニーズというものに十分な手当てが行き届き配慮が行き届くような経済援助というものを考えますとき、私はやはり国際機関の持つ役割というものを無視することはできないと思います。例えば、先進国が技術援助をしていろいろな農産物をつくっておりますけれども、その農産物はまた先進国の輸入によって販路を見出しているわけでございますけれども、その反面、例えばコーヒーとかココアとかいった先進国中心の輸出作物に偏ったモノカルチャーが行われます結果、途上国自身の国内の食糧問題はしばしば不安になるわけでございます。これは日本で食糧安保ということが叫ばれる立場を見ればよくわかることだと思います。 また、技術移転につきましても途上国の国民のニーズに合わせた技術、しかも途上国の雇用問題に寄与し得るような、住民によってみずからの手で育成、発展ができるような技術開発を援助するということが結局は技術移転を成功させる道であり、また途上国でのいろいろな所得をふやし世界貿易に貢献するという道ではないかと考えるわけでございます。 これらの援助の方法あるいは選択、実施の役割についてもっと国際機関に期待したいのでございます。日本政府の場合、ODAをふやすということはまず急務でございますけれども、そしてその内容、質を上げるということも急務でございますけれども、その内容を上げる中には、どうしても、自分だけで援助をするのではなく、世界の他の国々と一緒になって援助をしていくという姿勢が大事だろうと思います。政府の開発援助は、残念ながら今のところ二国間援助に比べまして、この多国間援助、国際機関への割り当ては二割ぐらいにしかすぎません。これをもっと増大するということがやはりグローバルな視野を見失わずに途上国の産業の質、ニーズに合わせた援助を行う最も適切な方法ではないのかと考えます。日本自身がODAにおけるマルチの比重をふやしますとともに、日本からの人材がやはりこの国際機関にどんどん入っていき、プロジェクトを担当し、あるいは他の国の人と一緒に真っ黒になって技術援助をしていくというその姿勢がない限り、私は、本当に途上国のニーズに合わせた援助は不可能ではないか、そんなふうに考えるものでございます。 同時に、現在の国際機関の中には必ずしもその運営が途上国のニーズを反映できるような体制になっていないところもございます。つまり、拠出の比率に応じてあるいはそれにリンクした形で投票権、運営体制への発言権というものが確保されるという場合がまだございまして、その場合、先進国が所得の七〇%を占める以上、途上国の発言を反映する可能性は非常に少ないということでございます。特に金融関係の国際機関においてこのことが大きいと思いますので、やはり私はこの体制を改めるために日本は協力すべきではないかと思います。 最後に、私、人道問題について申し上げたいのでございますけれども、これは、日本の立場からしますとやはり難民の問題が非常に大きいと思います。それから、アフリカの飢餓の問題というのもこれは今や慢性化した問題でございまして、日本はこの面で本格的な取り組みが必要ではないか。緊急かつ迅速、効率のある現在の援助を行いますとともに、中期、長期的にこの問題を見ていくということに私も賛成いたします。 私の持ち時間を経過して失礼いたしました。
○中西珠子君 国際協力の理念としては、一般に、人類の連帯とか相互依存関係、人道的責任などが挙げられていますが、平和国家日本としては平和への責任というものをつけ加えたいと思います。日本は経済大国でありますが、資源小国であり、エネルギー・鉱物資源、食糧等の対外依存度は極めて高くて、平和で秩序ある国際関係の維持は日本経済の発展にとっても国民生活の安定にとっても不可欠であります。 また、貿易立国でもある我が国の貿易においては、開発途上国の占める割合は他の先進諸国に比べて非常に高く、円滑な貿易体制の維持のためにも南北関係の改善が非常に重大であります。南北関係の改善は国際経済社会の平和な安定的発展にとって最も重要な課題の一つであり、また開発途上国を支援するための経済協力は、我が国にとって相互依存関係を調和的に推進することによって経済的な安全保障の確保に資するという観点からも重要でございます。また、人道上、道義上の見地から見ても、開発途上国の経済社会開発、民生の安定、福祉の向上のため、日本がその経済力に応じた協力援助を行うことが国際的な責任として求められております。 現在、我が国の民間の経済協力活動は世界の隅々にまで及んでおり、資金、技術、経営能力の移転を通じ、開発途上国の経営開発に多大の貢献をしております。しかし、民間の企業ベースだけでは途上国の開発問題、殊に環境問題、医療、教育等の面での地域バランスのとれた開発を援助することは大変困難でありまして、政府ベースの開発援助でこれを補完、助成することが必要であります。しかし、我が国の政府開発援助、ODAの対GNP比は、DAC平均よりも非常に低く、また、国連の要請しております対GNP比〇・七%にははるかに及びません。日本政府は、しかし、ODAの量的拡大の必要性を認識しており、ODA五カ年倍増計画というものを国際的に公約いたしております。 このODA五カ年倍増計画である新中期目標は、その実績を見ますと、八五年までに目標を達成するには、六十年度予算で二〇%以上の伸びを確保しなければならないと言われております。この分では、新中期目標の達成は非常に困難と思えますが、国連の要請であるGNPO・七%をODAに充てるという要請を留保し、また、自分でみずから決定いたしました新中期目標の達成もできないということになりますと国際的にも非難を免れないと思います。新中期目標は、どんなに財政事情が厳しくとも達成せねばならないと考えます。 ODAの質的改善の必要性につきましては、この委員会で既に指摘したところでございますが、また、他の委員も指摘されたところでございますが、我が国のODAは贈与比率及び借款のグラントエレメント、技術協力の割合、また後発の開発途上国、LLDC向け援助の割合も他の先進諸国より劣っているので、援助の量的拡大のみならず、質的な改善も急務であります。 次に、ODAの分野といたしましては、難民や深刻な食糧不足に悩んでいる途上国への人道的援助、また国づくりの基礎となる人づくり協力、経済の基盤である農業、エネルギー、インフラストラクチュア等の分野のほかに、飲料水、保健医療、家族計画また教育等の民生の向上や福祉の向上に寄与する分野での協力や援助を拡充していく必要がございます。 また、援助の対象国の選び方については、アジアが七割で、重点がアジアに置かれ過ぎており、他地域への援助をふやすべきであります。また、巨額な国費を使うプロジェクトにつきましては、意思決定の過程に納税者である国民の代表を参加させる必要があると思います。デンマークでは百万ドル以上のプロジェクトは国会の予算委員会の承認が必要とされています。しかし、日本では、国会に事前に諮ることが不可能ということを外務省その他の関係省庁が言っておりますが、もしそうであるならば、少なくとも事後十分な報告を行うということが重要であります。 また、一般的に、日本のODAは、二国間援助が圧倒的に多くて、一九八二年は七八・三%を占め、国際機関を通じて行う多国間援助は二一・七%と非常に少なく、DAC諸国の平均三三・五%よりかなり下回っております。ひもつき援助という批判もまつわりがちの二国間援助の比重を減らし、多国間援助をもっとふやすべきであります。さらに、限られた予算の中でODAの効率的な実施を図るためには、発展段階や地理的、社会的、文化的条件を異にする開発途上国の多種多様な開発需要に最も適合する協力形態をとるとともに、政府開発援助と民間ベースの経済協力の適切な役割分担を行い、両者が相互に協調、補完しつつ相乗効果を生むような総合的な経済協力の推進が望ましいと思います。 また、昭和五十六年三月の衆議院外務委員会決議にもあるように、経済協力の実施に当たっては不正の疑惑を招くことのないよう十分配慮する必要があります。また、軍事的用途に充てられるものあるいは国際紛争を助長するような対外経済協力、技術協力は行わないようにしなければなりません。予算を有効に使い、経済協力、技術協力を合目的的に効果的に行うのには事前の調査が徹底的に行われねばならぬのは当然でありますが、政府開発援助の個々の事業のあり方やその効果についてプロジェクト進行中並びに事後の評価もまた肝要であります。現在、評価の機関としては、外務省の評価委員会とJICAの評価検討委員会がございますが、その会合はともにアドホックであり、また、自分たちの協力を自分たちで評価するという形でございますので、第三者機関としての恒常的、常設的な評価の機関と体制づくりが必要と考えます。 効果的な経済協力、技術協力を長期にわたり国策として実施していくには、人材の養成、確保が必要であります。やっと昨年十月に国際協力事業団に総合国際協力研修所ができて、ライフワーク専門家の養成などが始まりましたが、その拡充強化が望ましく、また昭和四十二年に設立された通産省の貿易研修センターにおきましては、研修生の総数が現在までに約三千六百人に上っているそうですが、一層の内容の充実が図られるべきであります。最近、派遣三年間倍増計画のもとに、青年海外協力隊員も増加しておりますが、帰国後の就職や身分の安定に関し問題があります。そういった問題の解決を図るということが緊急の要務であると考えます。 最後に、国際協力推進のためには国際理解と国際協力の必要性を国民にもっとよく認識させるための方途が講じられなければなりません。いわゆる開発教育は、オーディオビジュアル・エイドを駆使して小学校から始めるべきでありますし、成人に対する啓発活動も必要であります。また、国外へのPR、文化交流、人物交流、外国からの研修生、留学生受け入れの増加も必要であり、文部省、外務省の一層の努力と関係各省の連携を緊密にして、また予算の裏づけも必須でございます。 国際協力は平和国家日本の責務であります。平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して、我れらの安全と生存を維持しようと決意した我が国は、恒久平和と国際協調を宣明した日本国憲法の精神に基づいて国際協力を推し進め、世界の平和と安定に寄与することが最も肝要であることを結びとして強調したいと思います。 時間を超過すると思いまして、大変早口で失礼いたしました。
○立木洋君 国際協力について数点意見を述べます。 第一に、ODAの改善についてでありますが、御報告ではおおむね意見の一致が見られる旨述べられています。しかし、そうではなくて、内容的には極めて重大な問題があり、ただ増加すればいいということではないので、問題点を指摘しておきたいと思います。 それはまず、選別援助というやり方であります。中曽根首相は、先般ウィリアムズバーグ・サミットを前にして、日米首脳会談で、その援助の対象国について、ソ連寄りの国、またアメリカなど自由主義諸国に近い国とに分け、その中間をさらに、どちらかと言えばソ連に近い、そうでないという四つの対象国に分けて援助を行う旨述べ、これに対してレーガン大統領は全く賛成をするという報道がありました。これはまさに援助における極めて重大な問題だと思うのです。 現に日本が現在行っているODA援助国は約百三十数カ国、地域にわたっておりますが、その中で戦略的に重視をしているということが明確にアメリカによって指摘されている国々、とりわけその二十八カ国に対する援助が日本ではますます増大し、それらの二十八カ国にわたる援助額が日本の全援助額の七割以上、八割近くにまで達するという状態になっております。これはまさに単なる偶然ではない。外務省はこの数値を否定しておりません。このようなやり方というのは、まさしく援助が戦略的な手段化するものであり、大局的には安保的な色彩を強くするものである、極めて遺憾である、こういうやり方は改めるべきだという点であります。 また、国会決議でも、紛争当事国はもちろんのこと、紛争を助長するような国や地域に対する援助は自粛すべきであるということが求められておりますが、アメリカなどの強い要請に基づいて、事実上こうした国々、エルサルバドルやパキスタン等に対する援助が増大しているということも国会決議に対する違反でありますから改めなければならないという点であります。このような戦略的選別の援助や紛争国への援助と、ましてや安保絡みの援助等は厳しく戒めるべきであるということを第一に述べたいと思います。 第二には、今日の国際情勢の正しいあり方として、南北問題を抜きにしては語ることができないわけであります。旧来の国際経済秩序を改めて経済主権を確立し、平等、公平の関係を基礎にした新しい国際関係の秩序を打ち立てることが重要であります。 この点で開発途上国は、多国籍企業の支配を排し、貧困の克服、人民生活の向上、経済的改善のために要求している新しい国際経済秩序の確立の問題とも関連するわけでありますけれども、交易の問題においても条件の極めて悪い状態にあるこれらの国々、一次産品の問題等についても供給、需要のバランスや価格の安定などを考えるならば、これはこれらの国々のみならず、需要国にとっても重要な問題でありますから、こうした点も十分に考えなければならない点だと思います。こういう意味で、南北においてもすべての国の平等、公平の立場に立って話し合いによってこうした解決の道を探求していく努力を一層強めるべきであるという点であります。 第三点は、日本の企業の海外進出について外国からの不満や意見が依然として絶えないわけであります。新植民地的な進出を厳しく規制すべきであるということを強調したいわけであります。例えば外国の労働者を無権利状態でしかも低賃金で雇用している問題や環境破壊、公害産業などが野放しで進出するとか、あるいはタックスヘーブンを利用した各種の脱税行為等々いろいろと問題になっているところであります。こうしたことは日本への外国の認識や感情を極めて悪化させることになるわけでありまして、これは民間といえどもこうした事態を放置すべきではなく、新植民地主義的な経済進出については厳しく規制をするということが重要であるということを強調したいわけであります。 第四点として、経済協力については、これは民主的公開の原則をとるべきであるという点であります。海外に対する経済協力が正しく行われ、また適切に行われるということは極めて重要でありますし、ましてや不正を助長するようなことがあってはならないことは言うまでもありません。また同時に、その援助の結果が目的に合致し、効果があったかどうかということも重視して進めるということも当然であります。こうした点から、この経済援助の問題については、その計画や実績等々適切な形で国会で公開の形で審議されるべきであるということを指摘したいわけであります。 最後に、学術、文化、学生交流等々相互の理解や友好関係の発展にとって極めて重要であることは言うまでもありませんが、これらの問題についても自主、対等、平等、互恵を重視するということが重要であり、こうしたことが行われないならば、結果としては悪結果にもならざるを得ないという事態も生じるわけですから、この点でとりわけ開発途上国に対するこれらの交流における差別的なあり方は厳に戒めるべきであるという五点を指摘して私の意見を終わります。
○柳澤錬造君 国際協力の問題を考えるについて私がまず思い出しますのは、ブラント委員会の報告の中にある次の言葉であります。「北は東欧を含め世界の人口の四分の一を占めるのみであるが、世界の総所得の五分の四を有している。これに対し南は中国を含めて三十億人、すなわち世界の四分の三の人口を有しながら総所得の五分の一で生きている。」また、「飢餓が支配的である間は平和を得ることはできない。戦争の禁止を欲するのであれば大衆の貧困をも禁じなければならない。道義的には戦争で殺されることと周囲の人々の無関心のために餓死させられる運命に遭うこととは何の違いもない」と述べていることであります。 この南北問題の解決なくして世界の平和は生まれないと言っても過言ではありません。あわせて世界の平和なくして日本の平和も安全保障も実現しないのであります。今や我が国は世界のGNPの一〇%を占めるという経済力を持った国家となったのぞありますから、それにふさわしい経済協力を推進し、国際的責任を果たすべきであります。この国際協力を考える上で重要なことは、人道上の立場から飢えに苦しむ数億の人々を救済するということも、開発途上国に対して経済援助をするということも目的は同じであります。いずれもこの地球上に人類永遠の平和をもたらすための道であります。特に我が国は南北双方の国々に対して発言のできる立場にあり、それだけに我が国の役割は重要であると言えましょう。 しかるに、ODA、政府開発援助の実績は、一九八〇年の約三十三億ドル、GNP対比〇・三二%を頂点としてその後は低下の傾向にあり、一九八二年はGNP対比で〇・二九%となっております。確かに財政事情から見ればゆとりがなく苦しいこともありましょう。しかし、世界の多くの南の国々はもっと苦しいのであり、苦しいときにこそ与えられた援助がそれらの国々にとっても価値があり、いつになっても忘れないで感謝することでありましょう。したがって、ODA、政府開発援助は、将来的には国際目標であるGNPの〇・七%まで引き上げることを目途として、当面は先進国水準の〇・三九%まで引き上げるべきであります。 また、経済援助を進めるについて留意すべき点として、一つは私たち先進国が歩んだ道を同じように歩ませるのではなく、その国が望む方法で自発的に実行できるよう相手の国の立場になって考えてあげること。二つとして、思いつきによるばらまき援助やひもつき援助のようなやり方はやめて、その国が長期的計画を立てて実行できるような援助とすること。三つとして、同時に開発援助が相手の国にとってどのような効果を上げることができたのか、そのような調査もしてみずから開発に努力するようリードすること。四つとして、さらには物の援助だけを考えるのではなく、日本人の心を与える援助も考えるべきであって、開発途上国の人づくりに協力するとともに、海外から学校の先生を招くなどして文化交流、人的交流も進めること。 我が国が以上のような諸点について十分な配慮をするとともに、世界のGNPの一〇%を占める日本として今日の国際社会においていかに責任ある地位にあるかを再認識して、南北問題の解決、難民問題の救済、経済協力の強化、貿易自由の原則の堅持などを進めることによって世界平和への道を歩み続けることを強く望み、私の意見を終わります。
○秦豊君 経済協力、経済援助の問題あるいはあり方につきまして私は一つだけ具体的な実例を踏まえたいと思います。 私の手元に、昨年の三月二十三日付から九月九日の日付に至るフィリピン政府部内の公式文書、ピラタ首相のサイン、あるいはマルコス大統領が明らかに書き込みと署名を行った五通の公文書のコピーがございますが、それはいわゆる日比間の円借款の交渉の経過、その基礎をなす、裏づけをなす文書であります。その中の一つに、マルコス大統領の生地に近いバギオのアグノ川流域の総合開発計画とされておりますサンロケ多目的ダム計画一なるものがあります。実はこのプロジェクトは、中曽根総理がフィリピンを公式訪問された五十八年五月六日以前には、実はフィリピンの官僚機構の中においても政府部内全体においても、あるいは厳しい審査で知られている世界銀行あるいはIMF、西独、イタリアを初め各国関係機関、あるいはマニラ駐在の日本関係機関の専門家の間においてさえ、よもやこのようなプロジェクトが現実化はすまい、日の目は見まいとされていたプロジェクトであります。ところが、先般の予算委員会で私の質問に対し中曽根総理は、「確かにあなたの言われるとおり一種の事前予備調査費用、フィージビリティースタディーの予算については私が了承を与えました」と私に言質を述べていますが、事実そのことが行われた五月六日以降の公式文書では、今まで十二あったプロジェクトのどこにも影も形もなかったサンロケプロジェクトがにわかにマルコス大統領の署名によってランキングトップにいきなりインサートされ、しかも、そのことがあらゆるプロジェクトを削ることによっても実行せよという意見がつけ加えられております。つまりこのことは明らかなトップダウン方式、問答無用の方式でありまして、政権の独裁的な性格はもとより、それを助けかねない日本の援助のゆがんだ実例の一つとしてぜひとも引用をしておきたいと思うからであります。 このような実例を踏まえましたゆえんは、やはり事前調査がより厳密でなければならず、また供与した援助が一体何を潤しているのか。この援助目的の効果の測定がより厳密でなければならないという意見を述べたい伏線として申し上げたわけであります。 国際的な援助の傾向はいわゆるアンタイドローン、ひもなし援助の増加でありまして、我が国に対しましては、幾ら援助額だけをふやしてみても、結局は日本の企業に還元されるだけではないのかとする厳しい視線の存することを銘記すべきである、こう思います。 また、政府の対外経済援助、無償援助、円借款、あるいは国際機関への出資等の幾つかの部門のうち、特にODA、さらに円借款のあり方については、先ほどの実例に待つまでもなく、より厳しい自戒と点検を怠るべきではないと思います。 で、さらに、先ほど同僚議員がお述べになりましたレーガン政権が今後さらに要請を強めてくるであろう、また在来強めてまいった個別的援助、つまりアメリカの用語によるとソ連並びにソ連圏を利することのないような選別的な対外援助、これに安易に同調を示してはならないという点も打ち出しておきたいと思います。 それから、もう一つの観点は、対外経済援助というものは、我が国の予算制度によりますいわゆる単年度予算ではどうも執行が難しいのではないかと疑われる面もあります。むしろ西ドイツが一部実行しておりますような五カ年くらいの中期計画を日本政府が持って、それを逐次対象分野別、地域別の実施計画、あるいは援助達成目標全体、さらには年度別のコミットメントの枠などを国会等を通じて審議し明らかにすべきではないかと思います。 とにかく、そのようなことを実行するためにも、先般御提案を申し上げましたように、例えば外務委員会、例えば当特別委員会等におきまして、海外経済協力問題小委員会など名称はともかくとしてこのようなものを設けるとか、先ほどどなたかがお触れになりましたが、外務省が経済協力局を中心につくっております例のいわゆる効果測定のひ弱なあり方ではなくて、やはり第三者性、客観性を持たした効果の測定、評価、これを常時行う機関を常設すべきであろうと思います。仲間褒めではないシビアな評価、いわゆる査察、査定、これを毎年実行して、国会にその年度リポートを、イヤーブックを報告する。国会はさらにそれをベースにして審議をする。このようなあり方こそ望まれていると思います。 以上です。
○委員長(植木光教君) 国際協力に関する件についてはこの程度といたします。 次に、「資源・エネルギー、食料問題」について申し上げます。 まず、総論について申し上げます。 第一は、現状をどう認識するかでありますが、楽観論が支配的である現状に対し、我が国としては、再び世界の石油事情が逼迫する可能性がある等依然として問題の重要性が失われていない面を重視する必要があるとの意見が述べられました。このほか、ソ連・東側諸国との関連の重要性、また、より根本的な視点として全地球的資源の枯渇に関する認識等についての意見がありました。 第二は、基本政策についての議論であります。すなわち、緊急事態への対応策と同時に、脅威そのものをなくす努力が基本であり、この見地から自由貿易体制の維持強化、相互依存関係の確立等が必要であるとの意見、またこれに関連して、対外依存度が高いことは必ずしも脆弱性につながらないとの意見、危機対応に重点が置かれ過ぎているきらいがあるので、平時と有時に分けて目標を設定する必要があるという意見、資源確保の際、経済性と安定性のトレードオフの関係、コストベネフィットの観点を考慮すべきだという意見、政府や産業界が備蓄するだけでなく、食糧を家庭で備蓄する等一般国民の役割も重視されなければならないとの意見等がありました。 このほか、資源・エネルギー、食料を個別にではなく、総合的に判断することの必要性、有時の際の所要輸入量の決定の必要性、我が国経済の発展の基盤である技術開発とこれを通ずる世界への貢献の重要性等が指摘されました。 次に、資源問題について申し上げます。 第一は、レアメタルの備蓄についてであります。 その一は、企業による金属類の備蓄は経営上困難があるので、国による備蓄が必要であるという意見であり、一方、レアメタルの備蓄は、税制上の優遇措置を与えるなどして、企業に責任を持たせた方がよいとの意見もありました。その二は、六十日分の備蓄目標は、米国の戦略備蓄三年分は別として、例えば西ドイツの一年分に比べても不十分であり、少なくとも一年分ぐらいが必要である、また対象鉱種も現行の七品目から少なくとも十一品目に増やすべきであるとの意見であり、その三は、備蓄の財源対策として、資源備蓄特別会計を新設すべきであるというものであります。 第二は、資源の安定供給についてであります。 その一は、レアメタルの安定的確保のためには、産出国への開発参入等の協力の方向が考えられるべきであるとの意見であり、その二は、海洋法条約では一定の先行投資は保護されるので、深海底資源の開発対策を積極的に進めるべきだというものであります。 次に、エネルギー問題について申し上げます。 第一は、最近のエネルギー情勢と我が国の対応についてであります。 現在のペルシャ湾情勢は、第三次石油危機に発展する可能性は少なく、また今後も長期にわたる石油異変は起きないであろう。したがって、現在の供給過剰は一九八〇年代を通じて変化せず、このため省エネルギー、代替エネルギーへの転換のペース等が緩み、将来、石油のシェアが復活する可能性があるということを前提として、このような中期的展望における我が国の対応は次の二つである。一つは、より高い水準での備蓄を達成すると同時に、輸入エネルギーを徹底的に効率利用するため、供給構造を改革すること、二つは、発展途上国のエネルギー資源開発に協力し、国際社会の均衡発展を目指すことというものであります。 第二は、安定供給と備蓄についてであります。 まず、石油の輸入先とエネルギー源の多様化を図るほか、備蓄について、現在の百二十三日分では足りないのではないかとの意見に対し、IEA諸国平均の百六十日分に追いつくために民間備蓄九十日分のほか、現在千五百万キロリッターの国家備蓄を昭和六十三年度までに三千万キロリッターにふやすという目標の達成に努力するとの政府の言明がありました。 また、エネルギーという重要な分野では公的規制を強化する必要があるとの意見があり、これに対し、重要な商品は政治商品化せず、自由な需給関係で動く市場メカニズムによるのがよく、行き過ぎたところに公的規制あるいは誘導政策を導入することが政策の基本だと思うとの意見がありました。 第三は、代替エネルギーについてであります。 まず、原子力発電は経済性もあり、国際的変動の影響を受けがたいというすぐれた構造を持っているが、使用済み核燃料の処理を外国に依存していることから、この点の脆弱性を解消することが今後の課題であるという意見のほか、原子力発電のコストは石炭火力を上回るようにならないかとの指摘に対し、廃炉費用等を算入しても相対的に有利であるとの意見がありました。 また、エネルギー自給率を高めるためにも、石炭二千万トン体制の達成を図るなど国内エネルギー資源を極力利用すべきであるという意見がありました。 最後に、食糧問題について申し上げます。 第一に、この問題に関する基本的見解として、我が国の農業は、平時にも百時にも、大きな変化なしに役割を果たすことができる状態が最も望ましく、農業を産業として確立する方法と有事に備える方法とは矛盾しないとの意見があり、一方政府は、食糧の安定供給と安全保障を確保するために、可能なものは極力国内生産で賄い、総合的な食糧自給力の維持強化を図ること、また輸入に依存せざるを得ないものは安定的な輸入の確保を図るとともに、輸入障害等不測の事態に備えて備蓄を行うことを農政の基本方針とすると言明いたしました。 第二に、食糧の安定供給についてでありますが、安定供給のためには、まず世界の食糧の需給関係に不足を生じさせないこと、次に我が国の食糧自給率を改善することが必要である。これらのために、それぞれ発展途上国に対する食糧増産への協力と、我が国の水田の生産力を最高に発揮できる状態にしておくことが重要であるという意見があり、これに対して、貿易立国をとる我が国は、潜在的な生産能力の確保さえしておけばよく、現在、それを最高に発揮する努力は、新たな経済摩擦に直面するおそれがあるので避けた方がよいという意見がありました。 また、食糧や木材に関する政策は、将来貿易収支が赤字に転ずる場合に備え、長期の貿易収支の見通しの上に立てる必要があるとの意見がありました。 このほか、減反、米価政策についての見直しの必要等について意見がありました。 第三に、食糧の安全保障についてでありますが、まず、我が国の食糧問題は、危機の発生する可能性、国際的需給関係等から見て、それほどの不安はないのではないかとの意見が述べられ、これに対し、食糧の安全確保を確率的な見通しで考えることには問題があるとの意見がありました。 また、現在の米の需給計画及び備蓄には安全保障上の観点が欠けているとの意見があり、さらに、安全保障の観点から、海洋法条約に基づく二百海里内の排他的経済水域の資源調査、気象予測、農業技術開発、種子保存等の対策を積極的に進めるべきであるとの意見がありました。 第四に、農政に対する批判として、猫の目農政と言われるような農家の不信を招く政策、臨調答申や米国の対日農業政策に対する主体性の欠如、米国の小麦売り込み戦略に見られる日米食糧関係の一方的従属構造等の意見があり、これらをめぐって論議が行われました。 以上で資源・エネルギー、食料問題に関する論議の紹介を終わります。 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。
○石井一二君 私は、外交・安全保障に関する諸問題のうち、特に資源・エネルギー、食料問題を中心に、若干の私見を交えつつ発言をいたすものでございます。 まず、現状をどのように認識するかによって、我々の懸念なり論点は大きく変わるところでございます。 二度にわたる七〇年代における石油危機を経験した今日、我々はおおむね供給過剰の基調にあり、今後あのような危機は到来しないのではないかといったような楽観論に走りがちでございます。もし楽観論に走り過ぎ、またそれが現実であるならば、現在我々が論じておるような心配は要らないわけでございます。再び世界の石油事情が逼迫する可能性、全地球的に見て資源の枯渇が起こる可能性というものは、やはり存在しておると見なければならないと思うのでございます。 そこで考えられる基本政策でございますけれども、まず緊急事態への対応策をどう考えるか、脅威そのものをなくすための努力をいかなる角度から行っていくか、脅威になるような事態が起こらないようにすること、この三つが極めて重要であることは論をまたないところでございます。 では一体、脅威脅威と言うけれども、その根源はどこにあるかということでございますが、私見でございますけれども、私は広義の意味ではやはり共産主義の侵略行為、より具体的に言うならば、ソ連における軍事的な行動を懸念の材料といたして考えておるものでございます。保現在のソ連の現実を見ておりますと、世界の大きな食糧輸入国であるという現実。また、ソ連は資源大国であるばかりでなく、アフリカのレアメタル保有国や中東諸国への影響力を強めようとしておる。ここに我々が今論じております資源・エネルギー、食料問題を中心とした不安定要因の根源があるということを、重ねてここで強調をしておきたいわけでございます。 ではここで、次にやや具体的に、そのおのおのについて若干の私見を表明したいと思うのでございますが、まず資源問題については、レアメタルについて現在備蓄をも盛んにやらんと努力をいたしておるところでございます。企業による備蓄、国によるもの、それぞれ計画もあり実施の段階でございますが、まだまだ不十分であろうと思うのでございます。そのための今後の予算上の措置、特に企業においては税制上の優遇措置を含めた行政的な施策の実施が要望されるところでございます。 また、資源の安定供給につきまして、私は少なくとも次の七点を今後長期的対策として順次実施していくべきであろう、そう考えるものでございます。 その一つは、供給源の分散化。二つは、開発参入等協力の方向。また、海外探鉱の積極化、及びその助成策の策定。また、世界のレアメタルの資源の調査と実態の把握。また、国内資源の探求、探査、そうして、現在ある資源のリサイクル、代替品の開発等を順次着手していくべきだろうと思うのでございます。 次に、エネルギーの問題でございますけれども、まず我が国のエネルギー構造は極めて特徴のあるものであると世界から受けとめられております。その一つは、第一次エネルギーの八〇%を輸入に頼っておること。また第二は、第二次エネルギーの六〇%を石油で賄っておること。そしてその石油の六五%までがいわゆるホルムズ海峡以内のペルシャ湾岸産油国に依存をするそういう事実があるわけでございます。 冒頭、私は申し述べましたように、現在はやや供給多過の基調にあり、楽観論が走っておりますけれども、災害は忘れたころにやって来るというところが重要なところでございます。私はこのような観点から輸入先の安定化はもとより、総合的な施策の実施を強く要望するものでございます。 最後に、食糧の問題でございますけれども、現在我が国は食糧はかなり輸入をいたしておりますけれども、需給関係は十分賄っておるところでございます。また現在、我が国が食糧を買わないと貿易摩擦が起きるといったような事態もあることは御指摘のとおりでございますけれども、基本的に生産能力を失うことはできない。私はそこに今後展開すべき農政の重要さ、特に少人数専業農家による大規模化への方向というものの必要性を強調いたしまして、私の意見の開陳を終わるものでございます。ありがとうございました。
○倉田寛之君 時間が余りございませんので問題提起だけにとどめたいというふうに思いますが、重要物資の我が国の備蓄というのは、欧米諸国に比べて著しく低い水準にあることは私が申し上げるまでもございません。これらの備蓄を今後必要な水準まで高めていくためには、巨額の資金を要することも当然であります。 先般尾本参考人の意見に思いをはせた資源特別会計構想についての私の質問に対する通産大臣の答弁、すなわち臨調による特別会計新設抑制の方針に照らして困難である、ということでありました。私は、我が国の安全保障の観点から、臨調あるいは財政再建の方針という制約によって必要な政策が実現されないということは極めて問題であるということをこの際指摘をしておきたいと思います。このことは関係省庁の間でも長年にわたって議論をされた由は承っておりますが、これを第一点、指摘をいたしたいと存じます。 政策相互間の優先度をどう判断するのか、あるいは備蓄の定量をいかに決定するか、そのコストをどの分野でどのように負担するか、このような問題を解決することこそ、まさに当委員会の当面する課題と考えておりますので指摘をしておきたいというふうに思うわけであります。 次に、食糧問題について触れておきたいというふうに思います。 今次の韓国米輸入問題等に関する委員会の論議にも見られますように、米の需給計画あるいは備蓄について、安全保障面の配慮がまさに見られないと言っても過言ではありません。この際、政府にゆとりある需給計画と、適正な備蓄を政策として実行されるよう求めておきたいというふうに思うわけであります。国においては、一年四十五万トン掛ける三カ年、古米を含めて百五十万トンの備蓄計画があるということでありまするけれども、この計画の年間四十五万トンという在庫は十五日分の消費量にしかすぎないという事実を私どもは理解をしなければなりません。 同時に、農業問題を考える場合に、気象予測の問題は大変重要な課題の一つであるというふうに私は思うのであります。気象予測と異常気象対策が重要であるということは論をまちません。我が国は食糧の海外依存度が非常に高い、世界的な気象の異常が世界全体の食糧の需給構造に影響をもたらして、直ちに我が国の食糧事情に大きな影響をもたらされる、こういった観点から参考人等の意見もございましたけれども、いわゆる資源・エネルギー、食料問題に関する内外の情報を、的確な気象予測も含めて収集分析をする情報処理システムを早急に確立することが必要であることを、この際、気象予測の問題として指摘をしておきたいというふうに思うわけであります。 次に、農業技術研究開発の問題について触れておきたいと思います。バイオテクノロジーの応用による新生物資源の作出、あるいは多収穫品種の開発などが進められておりまするが、これらの研究開発の基礎となる遺伝子資源の保存を含めて、この面に積極的に対応することが必要であります。 また、これに関連いたしましては、植物特許の問題を取り上げてみたいと思います。植物の品種開発は、遺伝子組みかえ技術によって、肥料の要らない植物の開発も可能になると言われております。近年、種子をめぐる開発競争が世界的な規模で激化をしていると伺っております。我が国では、植物の新品種について特許が与えられることになっております。そういう関係から、外国企業が特許をとって育種市場に進出する可能性が予想されます。この場合、我が国農業に対する影響が問題視されるに至っております。この点、国際条約、我が国の種苗法と特許法問題に検討すべき問題があると思われます。このような面からも食糧の安全保障の問題があることを指摘しておきたいというふうに思います。 最後に一点だけ、代替エネルギーとしての開発の問題でありますが、委員長報告にもありましたように、原子力発電というものは大変重要な課題の一つであります。電源開発調整審議会の基本計画にもありますように、原子力発電、その基本計画を実現するためには、安全性を国民に周知させ、国民の理解を得ること、このことがまず大きな政府の課題と指摘をいたしておきたいというふうに思います。 なお、原子力発電に関連しましては、使用済み核燃料の再処理を可能な限り国内で行い核燃料サイクルを確立することが、核燃料の安定供給と効率的利用の上でも重要であることを指摘いたしたいと存じます。 以上で終わります。
○佐藤三吾君 委員長報告がございましたが、総論においては私も意見の相違はないと思います。ただ、資源・エネルギー、食料問題は、東西関係との関連や、平和、軍縮との問題があることは、先ほど同僚議員が指摘したとおりであります。特に基本的には、緊急事態にどう対応するかということも重要でございますが、より大事なことは、国際的な脅威を起こさない、緊急事態を起こさないという対策であろうかと思います。そういう意味で、我々はこの資源・エネルギー、食料問題に対する対策というものを考えていかなければならないのじゃないかと思います。とりわけ資源の少ない日本の場合に、必要な備蓄、食糧の自給態勢の確立、こういった問題については急務であることについては言うまでもございません。 そこで、資源・エネルギーの備蓄確保の問題でございますが、我が国の必要な資源のほとんどが輸入に依存しております。レアメタルもそうでありますし、石油をそうであります。こういった意味で必要な備蓄をすることは当然であろうかと思います。しかし、そのためには輸入エネルギーを含めまして、リサイクルを含んだ効率的な利用の徹底、公的規制の強化、こういった問題が必要であろうと思います。 また、代替エネルギーにつきましては、原子力発電が行われておりますが、使用済み核燃料の処理が国内でできていないという現状、さらに安全面、コストの面では、先般の委員会で、非常に経済的であるという意見がございましたが、同じにまた、アメリカ等ではコストの面からも石炭にかわりつつあるという現状を認識するときに、慎重な今後の対策の検討が必要じゃなかろうか、そう思います。同時に、国内石炭を含めまして、代替エネルギーの開発、助成、強化、こういった面がこれからのエネルギー対策の中で重要な課題になるんじゃないかと思います。 それから食糧の問題についてでございますが、我が国の食糧自給率は三三%、先進国の中で最も低いし、しかもこの中で米を除きますと、わずかに四%にすぎません。その意味で最大の輸入国でありますし、今回の韓国からの緊急輸入がその実態を物語っておるのじゃないかと思うのであります。その意味で、国の安全保障上食糧の確保は最も大切であり、有事、平時を問わず各国とも自給自立態勢の確立が行われておりますだけに、我が国におきます穀物飼料の自給自立態勢の確立は緊急な課題であろうと思います。 また、世界的な食糧の需給につきましては不安材料が多うございまして、しかも、先ほど御指摘がありましたが、天候予測の不安もございます。そういった面で十分これらに耐え得る自給態勢の確立をしておく必要がある。そのための備蓄は、国家予算の緊迫のときでございますけれども、私は必要であろうというふうに思います。 それから、今日、政府の農業政策に対する批判は、農民の皆さんから非常に強いものがございます。猫の目行政と言われるのがその一つの端的なあらわれでございますが、この大きな原因は何かといいますと、やはり我が国の農業政策というのが主体性が欠如しておる、同時に、日米食糧関係に見られますように、一方的な従属関係に見られます。ここに一番大きな原因があるわけでございますから、米の需給計画及び備蓄には安全保障上の視点を持って早急な総合農政対策を強化することが重要じゃなかろうかと思います。国会でもその意味で、食糧自給力強化に関する決議が行われておりますが、その速やかな実効を上げることを強く希望いたしまして、私の意見にかえます。
○中西珠子君 エネルギー・資源・食料問題は、今日、大きな国際的課題となっています。最近の資源及びエネルギーに対する国際的な調査によれば、資源の需給は次第に窮屈になり、その開発、売買、配分をめぐって国際的な紛争が予想されるところであります。特に石油をめぐる二次にわたるオイルショックは広範な影響を世界経済に及ぼしました。もはや一方的に価格を上昇させることは、世界的なインフレを招き、先進工業諸国の経済をも破綻させるとの認識が広がってきました、そして今日もその影響から多くの国々は立ち上がっていません。 このような紛争は石油資源のみならずウラニウム、銅、亜鉛など多くの資源について波及するものと予想されます。我々は代替エネルギーの開発、省エネルギー政策の実施を国際的に進めるとともに資源の安定確保と公正な分配について国際的な協調を進めるよう努力しなければなりません。 特に資源を持たない我が国としては資源エネルギー問題については長期的展望に立って早急に取り組む必要があります。 世界の一次エネルギー消費量の構成比は、一九七九年実績で、石油四四・〇%、石炭三一・五%、天然ガス二一・二%、水力、原子力発電三・三%となっています。こうした石油の優位性は当分続くものと思われます。石油資源の七割を中東諸国に求める我が国にとって、中東情勢の推移は重大な関心事であります。中東情勢の基底には、依然として西のパレスチナ問題と東のイラン・イラク問題があり、この問題をめぐって情勢は流動化と混迷を続けており、一方、石油情勢については、世界経済の長期不況の中で石油需要は大きく落ち込んだままにあり、中東政治の新しい異変が生じない限り消費園に打撃を与え、依然として深刻な様相のままにあります。 第一次、第二次石油危機を経て、世界経済は混乱し、その後遺症はいまだに尾を引いています。世界は、石油への過度の依存から脱却し、依存度の低下を図らなければなりません。特に、政治不安の中東石油への偏った依存から抜け出す必要があります。 そのために輸入先の多様化や新たな石油開発に取り組むとともに、石油代替エネルギーの開発、導入に懸命の努力を払っていかなければなりません。 公明党・国民会議は、そのためにあらゆる施策を強力に推進しなければならないと考えております。 例えば一、代替エネルギーの導入を促進し、石油依存度の低下を図ること。二、省エネルギー政策を積極的に推進すること。三、石油などエネルギー資源の安定供給を確保し、国家備蓄体制の強化を推進すること。四、原子力開発利用の安全性の確立。五、LNG(液化天然ガス)の輸入の促進。六、石炭利用の見直しと活用の促進。七、中小規模水力にも力を入れ、水力発電の建設の推進。八、地熱エネルギーの研究開発などであります。 次に食糧問題について申し上げます。 我が国の農林漁業は、過去の高度成長における重化学工業優先の国際分業論のもとで、産業的地位が後退に次ぐ後退を強いられ、そのために、荒廃、衰退は著しく、食糧自給率も極端に低いものとなっています。 しかし、我が国経済の伸びが鈍化した今日においても、なお農業は長期不況と財政悪化のもとで主要農畜産物の相対的過剰基調や生産者価格の抑制が強まり、一方では農業従事者の高齢化は急速な進展を見せています。また国際収支の不均衡是正等を理由とした、農畜産物の市場開放要求や、各界からの農業、農政への批判、合理化要求はかつてない高まりを見せ、国の政策の選択いかんによっては、さらに重大な局面を迎えることは必至という実情にあります。 漁業については、沿岸漁場の汚染、荒廃、燃油価格の高騰、二百海里ショックによる遠洋漁業の縮小等に見られるように、これまで水産王国日本を支えてきた諸条件の多くが失われ、さらに、資材価格の高騰、産地魚価の低迷等が、経営の危機に一層拍車をかけるところとなっています。 我が国の農林漁業が荒廃、衰退化しつつあるこのような現状を放置することは、食糧の戦略物資化が明確になった今日、国民生活の生存にとって最も基本的な食糧の安全保障の確保並びに自然環境の維持保全等に重大な支障を来すものと言わねばなりません。 したがって、公明党・国民会議は、長期的視点から農林漁業を民族生存のための基盤産業と位置づけ、農林漁業者にとっても明るい展望が開けるよう、これらの再建発展のための本格的諸対策の実施を強力に推進しなければならないと思っております。 その対策としては、一、農業、食糧の基本政策を確立し、農業再建と食糧の安全保障を確立。二、稲作の減反政策を見直し、米穀政策の確立と生産再編のための条件整備、畑作振興等の推進。三、農業近代化政策を再検討し、地域に根差した農業経営の健全な発展を目指す。四、総合的社会政策の視点から、農村の環境整備、福祉向上のための施策を拡大強化する。五、資源管理型漁業の確立、漁業用燃油対策の強化等により、漁業経営の維持安定を図る等を主張いたしております。 食糧生産は人口増加率に及ばない上、不均衡な配分の結果、現在ですら世界の三分の二の人々は十分な食糧を得ていない状況です。西暦二〇〇〇年では、現在の人口が発展途上国を中心に増加し、四十億が六十億になると言われており、深刻な事態となることは容易に予想されます。食糧生産の拡大、需給の安定化、飢餓地域への効果的な救済措置などに対して国際的関心を高め、協力を実施する必要があります。同時に、人口の抑制、コントロールも国際的課題として各国が取り組まなければなりません。 特に我が国は、資源・エネルギー、食料の大部分を諸外国に依存しており、その存立のためにはみずから平和政策をとるだけではなく、アジアと世界の平和が欠くことのできないものであります。日本政府は、その経験、知識を各国に提供したり、国際機関などを通じて、資源・エネルギー、食料、人口問題等に対しても積極的な役割を果たすべきであることを強く主張いたします。
○上田耕一郎君 まず委員長報告の総論の基本政策についてですが、二つの問題を主張したいのです。 一つは国際的な多国籍企業に対する民主的規制、これがどうしても必要だということです。ブラント委員会の報告でも、多国籍企業は世界の総生産量の四分の一から三分の一を支配している、石油のほかレアメタルについてもその販売、加工、生産、それぞれ支配的な立場を有しているということが指摘されています。国連でも七五年に多国籍企業委員会を中心に多国籍企業の行動規範づくりが進められ、八〇年十二月の第三十五回国連総会では、商取引面についての規制の原則とルールが採択されているということがあります。これは石油やレアメタルについてだけでなく、食糧問題についても同じで、朝日新聞社から「なぜ世界の半分が飢えるのか」、これはなかなか、衝撃的な本ですが、スーザン・ジョージ女史の本が出ています。彼女はアメリカの研究所の研究員で、七四年の世界食糧会議に対する研究所の報告「世界の飢餓・その原因と救済策」、この執筆者の一人なんですが、彼女は世界の飢餓の元凶は多国籍農業企業だということを詳細な事実で明らかにしています。アグリビジネスという名前を使っていますが、最も悪質なアグリビジネスにはユナイテッド・ブランズ、ラルストン・ピュリナ、デルモンテ、ユニリーバ、第一位の悪質なものはネッスル社だ。アフリカでベビーフードを売り出して、栄養失調を大いにふやしたという実績を持っているということまで書いてありますが、こういう多国籍企業の民主的規制、これがまず第一に国際的に必要だ。 二番目に、日本にとっては自給率の異常な低下、このゆがんだ構造そのものを抜本的に直さなければなりません。エネルギー自給率については、五〇年代八〇%台が八〇年代一〇%台に低下、穀物自給率については五〇年代九〇%台が八〇年代三〇%台に低下という、こういう国は先進資本主義国には全くなくて、日本だけです。これは安保条約を背景にした対米従属構造が長年にわたって続いて、そこで生まれた非常にゆがんだ構造です。これの抜本的な是正が必要だ、この二点を申し述べたいと思います。 次に、レアメタル問題。質問しなかったので、ちょっとまとめて述べたいと思うのですが、私どもも、国民生活の安定に役立つものならば、レアメタルの備蓄一般に反対はしません。しかし、国の財政を投入してこれ以上備蓄を増強する、これはやはり重大な問題点があります。 第一点は、今日、直ちに供給不安をもたらす情勢にはないこと。 第二点は、莫大な過剰在庫を抱えている製錬、製鋼の大企業に対して在庫減らしと在庫費用の国による肩がわりになるという点です。尾本参考人は、トヨタ自動車のかんばん方式を例に挙げて、大体、株式会社というのは棚卸資産はない方がいいんだ、大体、備蓄を持つこともこれは理念に反する、だから国がやれということを言いました。かんばん方式問題は国会でも問題になって、このような議論は全く論外であります。 第三は、日本の希少金属の備蓄がアメリカの世界資源戦略と一体のものとなって位置づけられており、社会主義国への対抗、資源産出国へ圧力をかける手段としても活用されるおそれがあるからです。海洋法会議でアメリカ側の、草案に反対し、深海底資源のマンガン団塊、これもレアメタルを含んでいるんですけれども、これを軍事用、工業用の資源として確保しようというので強硬な態度をとった、有名ですけれども、これもその一例であります。私は、現在進められているこのような備蓄方針に反対であります。 今必要なことは、緊急時の備蓄資源利用について、一、軍事優先、大企業本位でなく、国民生活優先の制度的保障を明確にすること、二、アメリカの世界戦略に追従するのではなく、互恵平等の立場で資源産出国との交流を強める自主的な外交に転換することであると思います。 次に、エネルギー問題について。このエネルギー問題も、やはりアメリカの安全保障問題と深い関係があります。 アメリカの軍事評論家のマイケル・クレア氏は次のように述べています。「(アメリカの)政策立案者にとって、中東の石油を支配することは、西欧や日本をなにかあったときに、一発くらわせる棍棒のようなものだ。その維持、つまり、中東の石油を支配することは、アメリカが日本、西欧にいうことをきかせる重要な要素である」ということを公然と述べているわけです。 日本は石油業法を、共産党は反対しましたが、各党一致で通して、中東の石油をどんどん入れる。そのかわりに大事な国民的資源である石炭産業をついにつぶすという非常に不幸な歴史をたどってまいりました。その遺産に今国民全体が苦しんでいるわけです。我々は、こういう点でエネルギー問題についても自給率向上のための抜本的な政策転換が必要で、まず第一は、産油国の恒久主権を尊重する、そういう態度をとらなければなりません。そして、二国間の契約によって直接取引をどんどん増大させるという輸入に対する自主的態度が必要です。 それから、依存度を減らしていくためには国内資源の活用が必要であり、代替エネルギーの自主的開発が必要でありますし、節約も必要です。この点で言いますと、むちゃくちゃなモータリゼーション、これは莫大な資源の浪費でありますし、過度なモータリゼーションを抑えて最もエネルギーを省き得る国鉄を中心に運輸交通体系も考えるということをしなきゃならぬのに、国鉄については御存じのようなスクラップ政策がとられている、こういう点も非常に重大な問題だと考えております。 食糧問題でございますが、これも同僚委員からこれまでの審議でこもごも指摘されたように、ゆがんだ自給率の低下構造、これを直さなければいけません。ところが報告の中で、政府の立場として総合的な食糧自給力の維持強化となっていて、自給率の向上でなくて、自給力という言葉が出始めてきているわけで、七〇年代後半には政府その他も自給率の向上ということを一時言ったことがありますが、八〇年代になってから農業審議会の答申などでも自給率の向上は要らないという立場が出ているわけで、日米賢人会議の報告書などでも、食糧自給率の水準を高めることは非現実的だという言い方で世界全体の食糧生産の効率化を図るという意味での自給力の向上という、非常にあいまいな言葉にごまかされてきた点があります。これも非常な問題で、日本の農業を基幹産業として育成していく。ヨーロッパ諸国も大事な保護政策をとっているわけですから、これが必要だということを主張いたします。 最後に、エネルギー問題についても明らかなんですが、先ほど申し上げました日本が非同盟中立の方向に変わっていくこと、国連加盟百五十九カ国のうちゲスト、オブザーバーを入れますと約四分の三近くなっております非同盟諸国会議に参加する、そのことがエネルギー問題でOPEC諸国との取引をふやしていく、日本の工業生産品を買ってもらうという対等、平等の貿易を発展させていく上でも非常に大事で、この資源・エネルギー、食料問題の解決のためにも基本的には安保体制からの離脱、非同盟中立への外交政策、日本の進路の転換が最も根本的な条件であるということを重ねて指摘したいと思います。 以上です。
○柳澤錬造君 資源・エネルギー、食料問題について私の意見を申し述べてまいります。 我が国のエネルギーは、昭和三十五年には石油依存度が三七・七%であり、自給率は五六・八%でありました。それが石油エネルギーによる経済拡大を急速に進めてきましたので、石油ショックの昭和四十八年には石油依存度が七七・六%となり、自給率はわずかに一一%となってしまいました。さらにニッケルクロムなどレアメタルに至ってはタングステンの七一%を除いて他はそのほとんど一〇〇%を輸入に依存しているにもかかわらず、備蓄は五十九年度末でやっと十六・八日分だけしかありません。これではどう考えても資源小国であります。これで経済大国だと思っているとすれば、それは砂上の楼閣と言うしかありません。 したがって、まずエネルギーについてでありますが、石油は現在国家備蓄が約千五百万キロリットルで二十六日分、民間備蓄が約五千五百万キロリットルで百二日分、合計百二十八日分となっておりますが、これには流通在庫も含まれたものであります。したがって、何としても石油は速やかに百八十日分の備蓄を確保すべきであります。備蓄の方法については陸上にわざわざタンクなどの基地を建設しなくてもタンカー備蓄を利用すれば比較的容易に備蓄ができます。あわせてエネルギー自給率も今程度では先進国とは言えません。せめて昭和三十五年当時の五六・八%程度まで自給率を向上させる必要があります。そのために石炭も国内炭だけで二千万トン体制を確立するとともに、原子力等の代替エネルギーの開発も積極的に進めるべきであります。 過日の本委員会におきましても、発電コストはキロワット時当たり水力二十円、石油火力十七円、石炭火力十四円であるのに対し、原子力は十二円五十銭であり、いかに安いかも明らかになりましたので、もっと力を注ぎ自給率を高めるべきであります。 次に、レアメタルについてでありますが、昨年政府は、五カ年計画で六十日分を備蓄するという方針を立てましたが、二年目の本年で既に崩れてしまいました。このようなことで今日の日本の産業を維持発展させていくことが可能なのでありましょうか。我が国は、経済大国と言う前にいかに資源小国であるかということを認識することが必要であります。戦前においてはニッケルをコインとして国民に持たせて備蓄をしたこともありました。レアメタルは戦略物資として政府はもっと本腰を入れて取り組む姿勢を国民に示すべきでありましょう。アメリカが国内消費量の三年分を備蓄目標にしているのは例外としても、西ドイツは一年分、フランスは二カ月分であります。したがって、五カ年計画で六十日分というような悠長なことではなく、百八十日分の備蓄を目指して計画を立てるべきであります。 備蓄の方法は国家備蓄も事業団備蓄もとられて当然でありますが、急速に大量を備蓄するためには民間企業による備蓄を推進すべきでありましょう。もちろんそれを可能となるように利子補給、税制上の特別措置なと思い切った政策を採用すべきであります。また、このレアメタルを輸入している国々との外交関係も特段の配慮を払って友好な関係を維持することも極めて重要なポイントであります。 最後に、食糧についてでありますが、これはエネルギーやレアメタルと違って国内で生産できるものであります。それが一九六〇年から一九八〇年への食糧自給率の推移を見ますと、英国は五二%から七七%にアップし、西ドイツは八四%から九〇%にアップしているというのに、日本は八三%から三四%へと大幅にダウンをしているのであります。加えて本年のごときは米不足が起きています。これは全く農政不在の結果であると言うしかありません。何としても食糧自給率を高めることが急務であり、常時二百万トン備蓄を行うよう食糧備蓄法の制定を考えていますことを申し上げ、私の意見を終わります。
○秦豊君 私は備蓄に限定して発言したいと思います。 いやしくも時の政権が総合安全保障政策を呼号するならば、あるいは目指すならば、備蓄政策はまさにその総合安全保障政策の重要な一環であり部門であるという認識を前提にしなければならないと思います。したがって、国として考える場合には、いわゆる戦略備蓄・ストックパイルあるいは商業備蓄・バッファーストックをともにバランスをとって考えるべきであり、有事の際の、あってはならないけれども、望ましくはないけれども、有事の際の国民生活を一定期間は支え得る物資、資源を最低どの程度網羅し備蓄する必要があるのかについて、平時から国民の合意を裏づけておく必要があろうと思います。 ところが、日本政府の歴代のやり方を見ると、若干の税法上の特典と補助金でもって民間依存に偏しているという欠陥を指摘しないわけにはまいりません。 先ほども同僚議員が申されましたけれども、アメリカとスウェーデンの場合には戦略重要物資備蓄法による国家備蓄を基本にしており、フランスもややそれに近い方式となっております。官と民が協力する形は西ドイツ政府が採用をしておりますけれども、日本政府の現状は申し上げたとおりであります。現にアメリカ政府は、例えば中西部の岩塩鉱を活用するなどして、石油あるいは九十三品目を最低三カ年自給できる国家備蓄体制を着実に終えております。また、フランス、西ドイツ等も三カ月から長くて六カ月間の幅で対策を具体化しております。 したがって、我々は、現在のようにいわゆる国の総合安全保障政策の力点が総合を隠れみのとしていたずらに正面装備つまりハードの拡充にのみ狂奔している現状は、極めてバランスを失したいわゆる賢明でない政策のあり方であると言わなければなりません。 レアメタルにつきましては、るる述べられておりますけれども、単にニッケルとかクロム等だけではなくて、例えばチタン、コバルト、モリブデン、リチウム等とのバランス、さらには今後のハイテク産業の拡充発展を考えた場合には、今はアメリカに偏在している嫌いがあるものの、ヘリウムについての備蓄対策も必須の部門ではないかと考えます。 最後に、参考人も述べられましたけれども、まだまだ第三世界等を考えた場合には、レアメタルについてはそれを探し出す、つまり探鉱開発の段階からの国としての資本参入あるいは技術協力等の余地は残されているとの意見が開陳されておりますが、そのようなことも十分に参考とした国としての責任の裏づけのある、まさに総合安全保障政策の一環としての備蓄政策の確立を強く望んでおきたいと思います。 以上です。
○委員長(植木光教君) 資源・エネルギー、食料問題に関する件についてはこの程度といたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時五十六分散会