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101回国会衆議院1984/07/06

内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号

発言数
130
登壇者
11
会派数
5
開催日
1984/07/06

会議録

片岡清一自由民主党・新自由国民連合

○片岡委員長 これより内閣委員会文教委員会連合審査会を開会いたします。  先例によりまして、私が委員長の職務を行います。  内閣提出、臨時教育審議会設置法案を議題とし、審査を行います。  趣旨の説明を求めます。森文部大臣。     ―――――――――――――  臨時教育審議会設置法案     〔内閣委員会議録第一三号末尾参章〕

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 このたび、政府から提出いたしました臨時教育審議会設置法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  我が国の教育は、国民のたゆみない努力により著しく普及し、その水準は国際的にも高く評価され、我が国の成長と発展に重要な役割を果たしてきております。特に、戦後においてその急速な普及充実が図られ、国民全体の教育水準の向上に大きく寄与してきたところであります。  一方、近年における社会の急激な変化、教育の量的拡大等は、教育のあり方に対しても大きな影響を与えており、今や教育改革の必要性が各方面から指摘されるに至っております。  このような教育改革に対する国民の要請を踏まえ、今後とも我が国が活力ある国家として安定した発展をしていくことができるよう、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年の育成を目指して教育全般にわたる改革を推進していくことが緊急かつ重要な課題となっております。  そこで、政府全体の責任において、長期的展望のもとに教育改革に取り組む必要があると考え、このたび、各界の人格識見ともにすぐれた方々を委員にお願いして、臨時教育審議会を総理府に設置することとし、ここにこの法律案を提出した次第であります。  次に、この法律案の内容の概要について申し上げます。  まず第一に、今後における社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現を期して、教育基本法の精神にのっとり、各般にわたる施策につき必要な改革を図ることにより教育の目的の達成に資するため、臨時教育審議会を総理府に置くこととしております。  第二に、審議会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、教育及びこれに関連する分野の諸施策に関し必要な改革を図るための方策に関する基本的な事項について調査審議して答申するとともに、意見を述べることをその所掌事務としており、また内閣総理大臣は、この答申または意見を尊重しなければならないこととしております。  第三に、審議会は、文部大臣の意見を聞いて内閣総理大臣が任命する二十五人以内の委員をもって組織するとともに、文部大臣の意見を聞いて内閣総理大臣が任命する専門委員を置くことができることとしております。また、審議会の事務を処理させるため、事務局を置くこととしております。  このほか、審議会は、国の関係行政機関の長に対し、資料の提出、意見の開陳、説明その他の必要な協力を求めることができることとしております。  なお、この法律は、施行の日から起算して三年を経過した日に失効することとしております。  以上がこの法律案を提出いたしました理由及びその内容の概要であります。  何とぞ十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いいたします。(拍手)

片岡清一自由民主党・新自由国民連合

○片岡委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。     ―――――――――――――

片岡清一自由民主党・新自由国民連合

○片岡委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木島喜兵衞君。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 文教委員会でこの問題についての一定の御質問をいたしておりますし、時間もございませんから、私も端的に聞きますし、同時にまた答弁もなるだけ短時間にお願いします。  まず第一に、この審議会ができたときに、何を諮問なさるのでございましょうか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 文教委員会あるいはまた内閣委員会等の御質問に対しましてたびたびお答え申し上げてまいりましたが、二十一世紀に向けて我が国を担う青少年の育成のために、我が国の社会がこれからどんどん変化するでありましょう、その変化に対応できる教育の実現を期し、教育改革を図るための方策について、広くかつ総合的に御検討いただく、そのために審議会の設置のお願いをいたしておる次第であります。  端的に申し上げて、何を諮問するのかということでございますが、やはりその性格上、基本的なこと、そして包括的なものになるでありましょう、こういう期待をいたしております。     〔片岡委員長退席、愛野委員長着席〕

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 そうすると、包括的であるから、今日的なあるいは今日の教育の荒廃と言われる中でもって一体何が具体的に必要かということじゃなしに、包括的である。  そこで、例えば中曽根さんの施政方針演説等あるいはその前の七つの構想等がありますね、それで言うと、例えば七つの構想で、これはどうなんですか、大臣。七つの構想の中の例えば二番目に、高校入試の問題がございましたね。しかし、あれは本来は都道府県教育委員会のいわば権限のようなものでありますから、この審議会でもって全国一律にこうする、ああするということはできない問題ではないのか。  七つの構想の中の三番目に、共通一次がありますね。各大学がだれを入れるか、これは大学の自治の問題でありますから、したがってこれを決めるということは、原則的に臨教審で決めるということにはならないのじゃないかと思うのですが、どうなんですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 今木島さんから御指摘いただきました例えば高校入試制度の改善あるいは共通一次、これは総理が昨年の十二月十日に七つの構想の中で意見として申し上げたものでございます。  これはいずれも文部省の行政にとりましても大変大事なことでございますし、国民がこのことに対して大変大きな関心を抱いておることも事実でございます。したがいまして、文部省の教育行政の大きな一つのテーマといたしまして、私どもは、臨時教育審議会があろうとなかろうと、このことについては改善の努力をしていかなければならぬ、これはまさに固有の事務でございます。  しかし、これもたびたび申し上げておることで恐縮でございますが、入試の選抜の方策ということは、そのところを改善をいたしましても、やはり基本的には日本の教育全体の流れ、あるいはまた社会全体が学歴偏重のそういう志向が大変強い、こういうところももう一度やはり再検討してみませんと、単に入学選抜のところだけを改善いたしましても、なかなか本来の目的を達することは不可能だと私は考えております。そういう意味で、臨時教育審議会は、そうした入学選抜あるいは今木島さんがおっしゃったように、まさに大学の固有の権限であります入試あるいは卒業というようなことなどについては、もちろん触れることは適当ではないと思いますけれども、大学全体のあり方等については十分検討する一つの対象になり得る大事なテーマであろうと私は考えます。したがって、これから臨時教育審議会が新たに教育改革の全体を検討してまいるでしょうが、いろいろな意味で、七つの構想等も含めて討議いたすときの重要な参考の一つになる、このように私どもは感じております。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 今の議論をもう少しやりたいところでありますけれども、結構です。  七つの構想の最後に、教員の養成なり研修等があります。一方において、今日この国会に教員免許法の改正が出ております。中曽根さんは、七つの構想の第一に学制改革を言っております。今日の教員の免許は、六・三・三制を前提として小学校、中学校、高等学校と分かれております。しかし、仮にこの臨教審において六・六制になったならば、あるいは大臣がおっしゃるように五歳からの入学となると、全く教師のつくり方のカリキュラムが変わってくる。しかも、ことし教員免許法を改正しても、ことしを入れてもその教員が出てくるのに四年間かかる。修士なら六年間かかる。ところが臨教審は三年で結論が出る。すると、六・三・三制の教師をつくっておきながら、それが六・六になったならば、少し極端な言い方だけれども、使いものにならないものをつくっているということになる、あるいは適切でないものをつくるということになるかもしれない。そういう意味では全く矛盾だと私は思う。  大臣からすれば、一方では臨教審というものを提案し、一方においては教員免許法を提案している。これができるときには臨教審がまだ出てこなかったときである。それが法案になって臨教審が出てきたものでありますから、そういう意味では大臣もなかなか難しいところにぶつかったなというお感じだろうとは思いますけれども、これを両方とも通したならば、明らかに教員養成に関する限り矛盾が出てくると思います。これをどうなさいますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 木島さん、ある程度よくおわかりの上でお尋ねになっておられるので、私も真っ正面からお答えを申し上げてかえって失礼になるかと思いますが、教育職員免許法の改正案の内容は、現下の急務でございます教員の資質の向上のための基本的な方策として、十分な検討を得て提出をいたしたものでございます。いわゆる現下の教職員の資質をぜひ改善したい、特に先生方にとっての、先生になり得るための条件としての実習等をできるだけ経験をしてもらいたい、こういうことの気持ちを含めて、この法案をお願いいたしておるものであります。  教育改革は、教員の資質の問題をその検討課題とするかどうかは、これは私はここで申し上げる立場ではないわけでございます。臨時教育審議会の中で、教員の資質の問題等も十分御議論をされるテーマになるであろうということは予測はできるわけでございますが、今木島さんが御指摘になりましたように、例えば六・六制になるであろうとか、あるいは九年間のところが区分けの仕方で若干変わることがあろうとも、それは長期的な展望に立って施策を講ずることでございます。  三年間と今おっしゃいましたけれども、三年間でその答えが出て、すぐ四年目からそのことをスタートさせるということにはならない。当然、そのことを政府がどう受けとめて、またいろいろな角度から検討をしていかなきゃならぬ。仮に義務教育九年というものが、その区分けの仕方といいましょうか、そのことが大きく変わるようなケースが出てきたといたしましても、そのことについては、また細分化した検討はいろいろな角度から加えて、そしてまたそれを具体的に政策として国民の前に展開をさせていくということになれば、もっと年数がかかることであろうというふうに思うのです。  臨時教育審議会の答申がどういう形で出てくるかは、私が今ここで申し上げる立場じゃございませんが、長期的な問題もございましょうし、あるいは短期的なものもございましょうが、教員の資質向上に関して、先生が今例えばということでお話しになった義務教育の年限のところに触れるとすれば、これはある意味では長期的な部類に入るのではないだろうかというように私は考えますから、今お願いをしております教員免許法との矛盾はない、私どもはこのように解釈をいたしております。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 先ほどの御答弁で、七つの構想が具体的な柱になるであろうということをおっしゃいました。  そこで、その七つの構想には第一に学制改革がある。七番目に教員の養成や研修がある。したがって、今のが六・三・三制であるならばという意味で変わるかもしれない。さっき申し上げましたように、教育というものはそう短兵急にやってもいけないし、同時に総合的でありますし、時間をかけてやらねばならぬものが非常に多いわけです。それだけに私は、そういう長期に見ても矛盾になりはしないのか、あるいはそごを来すのではないのか、朝令暮改はいけないと思うから言うのでありますが、どうしても両方とも通さなければいかぬですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 先ほど七つの構想を、これを基本としてというふうなことを木島さんおっしゃいましたが、私は五要な参考の一つになる、こう申し上げたわけでございます。もちろんそのことを参考にするかされないかは、当然臨時教育界議会の委員の皆さんがお考えになることであります。  さて、お尋ねの本論でございますが、先ほど申し上げましたように、今お願いしておる教員免許法は、今の先生方に対しまして、またこれから先生になっていただくであろう方々の資質を向上していくということが大事なことでございますから、その免許を取得する資格のところについて新たなる一つの検討課題を加えたということでございまして、私は全く矛盾を感じていないと思っております。臨時教育審議会で教員の資質の問題を検討するかどうかについては、これは審議会のこれからの御判断によるものであろうというふうに思いますし、仮にそのことが具体的に審議の対象になったといたしましても、今先生がおっしゃったように、まさに朝令暮改は許されないことでございますから、教員の資質あるいは教員の採用等々についての制度というものはかなり長期的な展望に立って考えられるべき課題であろう、こういうふうに申し上げておりますので、今お願いしております免許法との矛盾はない、こういうふうに申し上げているわけでございます。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 まあ、これぐらいでやめておきましょう。  そういうこと全体を考えまして、一体中曽根さん、教育改革をということをおっしゃったけれども、諮問は大変包括的なことであって――しかし、施政方針演説の中では随分具体的なことを言っていらっしゃる。それは大きく分けて七つの構想だと私は思った。しかし、そういうことを一体やるかやらぬかわからぬと言うなら、そういう問題意識がない上において教育改革をどうするかということをやるんだということになると、問題意識なきこの法案の提唱だということにならないだろうかという気がいたしますが、これは答弁は要りません。  大臣、どうですかね、いろいろ批判ありますが、さっきもちょっとおっしゃいましたが、戦後の日本の教育全体を考えたら、大きく成功したと思いませんか。例えば社会が安定してますよ。生産が拡大しているでしょう。アメリカは、例えば先端技術、大変学者は進んでおる、進んでおるのになぜ生産が上がらないのか。例えば算数、アメリカで調べたものがありますが、日本の小学校六年生、平均点五十・三かな、アメリカは二十五・幾ら、ちょうど半分ですね。八カ国調べたうちで日本は一番でアメリカは八番目なんです。そういうことがあるからこそ、先端技術の研究では進んでおるけれども、それが産業として上がってこない。だから日本の教育をもう一同見直す必要がある、これはスプートニクショック以来のことではありますけれども。  だから、そういうことを考えても、私は日本の戦後教育というものは、それは単に生産だけでなしに、社会の安定とか総合的に考えても、戦後の教育としては大変に成功をしておると思うのですが、簡単にいかがですか、イエスかノーでいいです。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 先ほどの趣旨説明にも申し上げましたように、日本の教育は、量的な面でもまた水準の面でも、極めて高い評価を得ております。そういう意味では、国民の教育に対する関心とその深まりで大きく成功をもたらしている、このように判断をいたしております。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 そういう中で、今教育を改革しようとする。  そこで、今教育改革というものがいろいろ言われておりますけれども、大きくくくった中では、例えば画一的に過ぎる、だからもっと多様化すべきであるという批判が一つの大きな社会全体の要求だと思います。しかし、私はこう思う。元来、公教育というものは産業社会の出発とともに生まれた。いろいろ説がありますけれども、人類二百五十万年とするならば、二百四十九万年の狩猟採取時代、あるいは一万年の農耕時代は親の伝承で済んだであろう。産業社会は、労働者にその知識や技術を必要とするから、そこから公教育が生まれた。したがって、均一な労働力を必要とするとき、それはおのずから両一的になります。だから、どの国の公教育も、例えば六歳なら六歳でもって一斉に入学する、年齢ごとに学年が組まれる、同じ年齢でもって卒業する、毎日毎日一時間ずつの時間表でもって一斉授業でやる。あるいは、ことに日本においては弾力性のないところの指導要領によって、その指導要領に基づくところの画一的な国定教科書に近い教科書、現在また検定が問題になっておりますけれども、そういう教科書を使う。そして例えばOECDなども、世界の中で最高の中央集権的な機関である日本の文部省と言っておりますが、そういう官僚体制の中にある。あるいは個々の学校、個々の子供で言うならば、時には髪の長さだとかスカートの長さだとか外出するのまで別制される。そういう両一化の中にある。それは公教育というもので、完全なる画一性なきところの公教育はあるだろうか。元来、公教育というものは産業社会の出発とともに出てきたのであって、その産業社会の均一なる労働力というものを必要とすることからそういう性格を持っておる。だから、先ほど申しましたように、アメリカが日本の教育をうらやむ一つの要素でもある。これをどうお考えになりますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 確かに今の教育に対して、画一的ではないかという批判があることは、私どももしばしば耳にすることでございます。今木島さんがその一つの例えといいいましょうか、引用の中で、むしろ規則に準ずるというような話がございました。例えば髪の毛がどうであるとかスカートがどうであるというようなお話がございました。これは一種の規則だろう、こう思うのであります。  だから、学校教育は、基本的には国民として必要な資側を養うということがまず大事であろうと思います。そしてもう一つの面は、一人一人の能力と適性に応じて適切に行われるという、この二つの面がございますから、少なくともその面における公教育、ある意味ではこのところは義務教育ということになるかもしれませんが、そこのところは、まああえて上からずっとおりてくれば、脂法、そして憲法のその理想を教育に実現をさせるのが教育基本法、その教育基本法の枠の中で学校教育法を初めとして幾つかの法律や規則というものがある。そのところは、基本的には先ほど申し上げた学校教育の二つの面から考えたら大事に守っていかなければならぬ。  しかし、例えば学習指導要領にいたしましても、一つの基本をお願いをいたしておるわけでありますが、これはやはり幅広くいろいろな形で拡大的に、先生がその基準を一つの参考にして多様な教育をしていただくということはもとより期待をいたしておるところでございますから、ややもすると画一に走りがちな面もございますけれども、両一である程度定めていかなければならぬ面もございますが、やはり多様な運用をしていくということも教育を展開するには大事な点だと思っております。  先生は、どう思うかということでございますので、感想を申し上げておきます。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 今御答弁のことは後にまた触れたいと思います。  画一化に対する批判がある。しからば、その画一化の批判というのは制度の画一化に対する批判であろうか、あるいは教育内容におけるところの画一化であろうか、あるいは教育行政に対する画一化であろうか、その最大のものは何とお考えになりますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 一般的に画一化ということに対してこれを指摘する場合は、それぞれのお立場と前段があるだろうと思いますが、私は、ある意味では制度的にもう少し多様にしていくということが、これから社会の変化というものに対応していくためにはそうしたことをとることが正しいというふうに思います。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 そうすると、逆に言うならば、教育行政が多様化をするということは教育行政が地方分権化されるということ、裏表ですね。教育内容の多様化とは国家的統制が少なくなるということ、地方地方あるいは学校ごとに教育内容が決まっていいという考え方、少し極端な言い方ですがね。ということだとすると、今日の文部省がOECDに、世界の中で最大の中央集権的な官庁であると言われたことはそのままでいいのだろうか。あるいは教科書がまさに国定のごとしたと言われ、しかも一昨年も国際的な問題になって、森さん大変御苦心なさった。しかし、今それがなおさらに強化されていると新聞等では言われておるけれども、いずれにしても、そういう教科書の検定制度というものがそのままでいいのだろうか。――まあいいです。答弁は要りません。  そこで、今あなたが制度だとおっしゃった。この制度の画一化はコストが一番安くつくのですね。例えば、多様化ということは学生なり生徒の選択の幅を広げることですね。選択を自由にさせようとするならば、それだけ教師がたくさん要ります。選択が自由になって多様になれば、それにふさわしい先生が要ります。画一の方は先生が少ないからコストが安いんですよ。例えば四十人学級は各政党の政策責任者が決めたことで来年からというのだけれども、これまたこのごろ行革審がまだだめだ、来年はいかぬと言っているでしょう。制度の画一化が一番批判されているのだと今大臣がおっしゃいましたが、とすれば、四十人学級なら四十人学級というものを絶対にこの法案が通るまでに――通ってしまってはいけません。それまでに、制度の画一化を廃止するということが教育改革の一つの中心であるとするならば、その一つであるところの選択自由なら選択自由ということは選択科を余計にする。選択科を余計にすれば教師が余計に要る。にもかかわらず四十人学級を制限しているのだから、そういう教育改革のためには四十人学級を、この法案が衆議院を通るまでかあるいは参議院を通るまでか知らぬが、それまでに、来年は確実にやりますという大蔵大臣との話もつけて御報告できますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 臨時教育審議会のこれからの御審議の方向と来年度のいわゆる四十人学級等も含めて行われるべき予算の問題との関係は、これはまた別問題だろうと思います。  ただ、私はきのうも内閣委員会で申し上げましたし、この四十人学級は何とかして着実に進めていきたい、こういう希望を持っております。ただ現時点におきましては、これから皆様で何とかこの法案を成立さしていただいて、仮に、参議院で審議していただくその過程の中で具体的にまた来年度の予算の方向が定まるということにもなりますから、その点につきましては仮定の問題で申し上げておるわけでございますが、私といたしましては、木島さんとこうしてやりとりしているただいまの時点では、来年度の予算につきましての概算要求の作業を進める上におきましての財政当局の基本的な考え方が定まっておりません。したがいまして、ここでどうこうということは申し上げられませんが、たびたび申し上げておりますように、私はこの四十人学級というのは大事だと考えておりますし、やはり行き届いた教育の環境を整えるという、そういう総意のもとにスタートいたしたわけでございますので、ぜひ実現の方向のために最大の努力をしたい、こう申し上げておきたいと思います。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 今申しましたように、画一化の批判というものは、多様化、これは別な言葉で言えば個性化と言ってもいいかもしれませんね。そういうことを通して学生なり生徒が、自分の人生に適して選択ができるという幅を拡大するということ。形の上では、例えば今の高等学校なら高等学校、できると思うのです。だって、普通科、商業、工業、農業、定時制、その各農業なら農業、工業なら工業にたくさんの科目があるでしょう。普通科は普通科で、例えば主に進学校では文科コース、理科コース、国公立コース、私大コース、共通一次を受けるコース、受けないコースなんて、たくさんあるわけですね。それを選択すればいいのですよ。随分多様化なんだ。多様化されているのです。されているのだけれども、それでなお多様でないというのは一体何か、もっと制度を多様にせいというのは一体何か。  要するに、これは希望によって選択し得るものでなしに、偏差値なら偏差値によって輪切りされて選別されるというところに、本人の希望とは全然関係なく選別されるところに、いかに多様のごとく見えても、それは希望の選択ができないという意味において多様ではないということ。だから職業高校は、厳密に言うとどうか知りませんけれども、一般的に七割が自分の希望するものではなくて、工業なら工業の電気なら電気に行くという者は、その三割はそういう希望を持っておるけれども、あとはただ偏差値で輪切りされて、選別されてそこに行っているだけ、そういうところに批判がされておるのだろうと思うのです。したがって、形は大変多様ですね、多様に見える。見えるけれども、そこが問題なんだろう。さっき大臣がおっしゃった、画一化の中に要請されているというのはそこなんだろうと思うのですが、いいですか。そこを確認すればその次へ進みますから。そういう意味でさっきおっしゃったと考えてよろしいですか。時間がないから……。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 時間を急がれておりますから、理由を全部言うとまた御迷惑になりますから……。  そういう面も含めております。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 だから、我々の言葉で言うと、縦の多様化と横の多様化。さっき申しましたように確かにいろいろたくさんある。あるけれども、これは点数によって輪切りされてそこへ行くのですから縦ですね。横の多様化、本人が希望するところへいつでも行けるという。この違いというものをこれからどう出すかというところが、画一化から多様化へせねばならないというときにおけるところの一つの焦点だと思うのです。  縦の多様化と申しました。これはさっき申しましたように格差であります。格差は子供にとっても、何点だからどの学校へ行くという格差であると同時に、そこに輪切りされるのでありますから、大学なら大学、高校なら高校のまた格差になってくる。大学でいうと六百点大学、七百点大学なんて、大学を輪切りされる格差になってくる。これをどう個性的なものにするか。元来そういう意味では、画一的だと言われる、平等主義だと言われる教育の機会均等と個性化という横の多様化とは矛盾するものではありません。  憲法二十六条に「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とある。だから、いろいろな個人個人の能力に応じて、能力の多様化に応じたところのそういう施設をつくる、そういう制度をつくる。みんな自分の希望するところへだれもが行ってひとしく学べるならば、これは両一化と多様化、横の多様化、個性化と画一化であると言われる機会均等、平等主義とは矛盾するものではないと私は考えるのです。この両面をどうするか、今日一番中心的な教育に対する画一性の批判をどう持っていくかということは、そこに焦点がなければならないと思うのでありますが、その点についての御見解をいただきたい。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 先生がいろいろな例を取り上げられたり想定をされて、そして御質問いただくのでありますが、それを簡単に短く答えるというのは非常に困るのです。そう簡単に画一的に答えられるものではないわけでございます。  縦、積と、いろいろ例えの仕方はございますが、やはり今先生がおっしゃったように、ある意味では今はかなりのメニューというのはそろえられておって、ある程度自由に選べるように確かになっていると思うのです。しかし、何か、一つのところに偏り、集中がちでございます。それはなぜかといえば、やはり評価の仕方というのが多様になってないという面があると思います。したがって、もう少し多様な評価の仕方ということをやるには、単に選抜の制度を変えるというだけではないので、やはり社会全体の仕組み、あるいは人を採用するときの雇用の問題、そうしたことも十分考慮していかなければならない問題でございますが、これも社会全体としてとらえていくということがとても大事な問題でございます。  あるいは、これは縦になるのか横になるのか、どうも私の藩学な知識でははっきりいたしませんが、例えば選び方一つとりましても、六・三・三・四という一つの考え方だけがいいのかどうか、あるいは義務教育の年限というものは定められておっても、もう少しそこの区切りの仕方にいろいろな選抜の仕方があってもいいのではないだろうか。あるいは今よく大検コースなんというようなことを言われておりますが、例えば専修学校や各種学校というものをもっと利用する方法があるのではないだろうか。社会に一度出て、もう一度学業に参加していくということは、これからいろいろなケースとしても考えられる。そういうことを全体の学校制度としてどう考えていくのか。こういうような面での縦割りといいましょうか、あるいは見方によれば横の区切り方ということも言えるのかもしれませんが、そういう而もやはり多様だというふうに考えられると思います。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 私が今御質問申し上げたことは、画一化に対する批判、それは、多様化せい、しかし、このことは実は本来矛盾しない制度というものを探求せねばならぬということを申し上げておるのであります。  先ほどアメリカのことを申しました。アメリカは確かに天才をつくるために努力をしておる。天才をつくるために努力しておるけれども、しかし逆に言うと、アメリカは世界の教育の落ちこぼれですね。そういうものをつくっておる。これを見るから私はその調和を考えねばならない。そのことが、アメリカが日本の教育をもう一度見直さなければいかぬなと言っているゆえんでもあるからであります。私は、日本の教育をそんなに評価したり甘く考えたりしておりませんけれども、しかし、アメリカが今日本をと、なぜかというと、そこにあるんだと思うのです。  文化と教育の懇談会で、「人並意識」とか国民の「平等意識」ということが盛んに言われますね。私は、これは日本の小さい島国の中におけるところの長い歴史がそういう気風をつくってきたんだと思いますけれども、しかし、みんなが人並み意識、おれはみんなと一緒だと思っておること、これは幸福なことですな、いいことですよ。だから、例えばアメリカのように飛び級なら飛び級をつくる、しかし飛び級をつくるということは、それだけを言っちゃ恐縮ですが、先ほど言うように職業高校、中学浪人、おまえら輪切りにされてここしか行かれないという格差が、縦の多様化が広がるだけでしょう。広がったときに、国民の平等意識というものが一体どう反応するだろうか。私は、これは明治以後の日本の教育の動きをずっと見てみねばならないと思うのです。国民は平均的な、平等的な教育制度を求めてきた、私はそういうように明治以後の教育というものを見ておるのです。であるだけに、そこのところは大変に慎重で、かつ画一化と言われるものと個性化、多様化と言われるもの、この両立をどうするかということを抜きにして考えるわけにいかないと思うのであります。  その点、これもあともうわずかしかないのです、イエスかノーか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 先生のお考え方、私もよく理解できます。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 そこで、今、明治からと申しましたが、日本は明治の初めと戦争によって教育改革を行いました。これは共通するのは何かというと、一つは日本独自の問題であると同時に、外国から刺激された、黒船によって、敗戦によって。そして、ねらう社会というものが明確だった。明治であれば近代化、戦後であれば民主化。そういうものが明確に志向されて、そこから教育改革が進んだ。  今、教育改革は世界全体が行っておる。苦悩しておる。これは一体何だ。一つは、日本だけでなくて世界全体が、そして、それは今日の産業社会の病理から来る社会のあり方、先ほど大臣もちょっとおっしゃいましたが、そこにある。だから、みんな共通の責任を持っておる、共通の苦悩をしておる。明治の教育改革もあるいは戦後の教育改革も社会が明確だったけれども、それでは未来というのは、今日産業社会の後の病理の消えた社会は一体何かは、いろいろなことが言われているけれども、明確じゃない。だけれども、そこにメスを入れなければならない、こういう中での教育改革というものが一体どうあるべきかということ。だから、私が最初に、いかなることを諮問なさるのでございますかと聞いたのもそこでありますし、あるいは中曽根さんは七つの構想とおっしゃる、あるいは施政方針でもっていろいろなことをおっしゃったけれども、それと諮問あるいはこの審議会と一体どういう関係があるのか、どういう問題意織を持って教育改革をするための臨教審というものをつくろうとするのか、この辺が不明確であるから、そして後は全部向こうに任すのですということで、それでいいんだろうか。私は大変な疑問を感ずるのでありますが、その点について御意見がありましたら……。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 できるだけ短い時間でということでございますので、はしょったお答え方ばかりいたしておりまして御理解を得られないのかもしれませんが、何事もすべて審議会にということで決して責任を転嫁しておるわけではございません。ただ、今先生のお尋ねの中でお話しになりましたように、どんな学者でも、どんな将来の予見者でも、二十一世紀というのはどういう世の中になっていくんだろうかということは本判にわかりません。  例えば科学の分野一つ見ましても、確かに先生がおっしゃったように、黒船が来て、日本の国が日を開いて、西洋から文明が入ってきた。驚いて、それに追いつけ追い越そうとみんな努力してきた。しかし、文明がどんどん進んでいけばいくほど、文化というものはどこかに押し流されてしまう。いろいろな意味で、電化やロボット化やコンピューターが進めば進むほど、本来人間が持っておった文化性というものは何かどこかに消え去ってしまったということ、これは先生も理解をしていただけると思うのです。こんなことなら、もう外に余り目を開かないで、日本も島国のままでいた方がよかったのかもしれないななんということを、このままずっと追求していくと、考える点もしばしばあるのです。例えばバイオサイエンスでもそうなんです。試験管で受精をする。いわゆる組子と卵子とを受精卵にする。これは不妊の女性の方にとってはこんなすばらしい朗報はない。こんなすばらしい福音はない。しかし、試験管で人間の生命をつくるということのそら恐ろしさを考え、これがどんなところに展開していくのかと考えていくと、人間の文明とかあるいは研究の探求心の怖さというものを本当に私はつくづくと感じます。  そういうことを一つ考えてみますと、このことで解決できるかどうかわかりませんが、これから臨時教育審議会にお願いをして、日本の将来の教育、その教育の目指すところは何か。一言で言えば、私は、まず人間形成の基礎を確実に身につけさせたい、このことだろうと思うのです。基礎をしっかり身につけて、第二は、一人一人のその個性を伸ばしてあげる。その伸ばし方というのは、先ほど申し上げたように、多様な見方というのは多様な評価をしてあげることも大事だろうと思います。第三は、そのことによってやはり人間がいろいろな変化をしていくわけでありますから、社会の変化に対応しまして生涯にわたって学習の機会が充実できるように制度として考えておくということ。私は、この内閣委員会でもその三つぐらいを申し上げてまいりましたが、そういうことを一つの視点として教育制度全体をお考えいただきたいな、担当の文部大臣として私はそんなことを視点として考えておるわけでございます。

木島喜兵衞日本社会党・護憲共同

○木島委員 時間がありませんからこれで終わります。  今あなたがおっしゃいましたが、例えば個人として、あるいは人間形成、これは、教育基本法第一条の教育の目的、同時に憲法も個人としての尊重、尊厳をうたっている。だから、中曽根さんが、外来種でもって個人主義だけの教育をやったから今日の教育の荒廃だなんておっしゃることと、今大臣がおっしゃったこととは、まさに相反対のことであり、私は大臣の言い方に賛成です。中曽根さんは、個人としての尊厳というものを、個人主義が入ったから今日の教育が荒廃しているんだと、私はこれは憲法体制を基本的に否定するものであるという意味において反対なんでありますけれども、これはこの前大分あなたとやりましたから、きょうはいたしません。  ただ、教育というものは、例えば東京都が学校群をつくりましたね、あれは公立高校の格差をなくし、受験をと言ったのです。ところが、それをやってみたら、例えば国立大学の附属高校へ、あるいは私立へみんな打っちゃって、新しい問題が生まれましたね。共通一次、難問奇問をなくする、高校の教育を正常化する、やってみたら高校は逆になっちゃったでしょう。今いろいろな問題が起こっているでしょう。なぜ難問奇問が出るかという、そこにメスを入れずして、すなわち学歴社会というもの――内申書を重視するといって、内申書を重視したがために、そのことが裁判になってきちゃった。子供は四六時中、教師を、ヒラメのごとく上目づかいに見なきゃならぬ。そういうことを考えると、この教育というものの怖さ、人間をつくるということの怖さ、そういうものを慎重に検討されんことを、時間が来てしまったので答弁は要らぬが、私の希望として申し上げて、終わります。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 有島重武君。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 連合審査に当たりまして、この審査を申し込みました文教委員会の委員の一人といたしまして、こうした委員会が成立するのに協力いただいた内閣委員会の委員の方々に感謝を申し上げたいと思います。  これまでも内閣委員会のいろんな審査を踏まえて、自公民三党の共同提案が沙汰をされております。ここまで進めてこられた方々、いろいろ御苦労がおありになったと思います。その御苦労を多とするとともに、これはますますしっかりした実のある審議会ができるようにと、私たちも本当に見守っていかなければならぬと思っているところでございます。  それからこの席で、担当大臣である森文部大臣は文教委員会にいつも御出席なさり、また内閣委員会にも張りついておられて、本当に御苦労されておりますけれども、本当の御苦労はこれからであると思います。私たちも同じような覚悟を決めて取りかかってまいりたいと思っております。  それで、私たち公明党が一貫して主張しておりますのは、この教育改革の問題については、どうしても国民合意の形成ということが一番大切なことである、そのためにこの審議会もつくっていくんだということです。それで、行政改革なんかの問題ですと、政府部内でもって思い切っていろんなことを決める、決めたことを実行していく、こうしたことをやっていけばいいわけですけれども、教育の方はなかなかそうはいかない。また明治時代あるいは終戦後のときのあの教育改革といいますか、あのころであるならばまだ、政府が新しいことを決めていく、そうすると国民はそれについていくというような形をとることもできたかもしれないけれども、現在はなかなかそうはいかない。しかも今問題になっております事柄は、学校教育を中心としてですけれども、学校教育を変えればそのまま家庭の方もあるいは社会の方もよくなっていくだろうというような楽観を許すことができない。したがって学校の教師、これが教育の一番のかなめでございますけれども、そのほかにも、そのほかにというか、各家庭における父母あるいはその係累といいますか仲間といいますか社会といいますか、そういう社会全般が、国民全部が日本の将来を思って、ひとつこれはみんなでこの方向に努力をしていこうじゃないかというような合意を形成しなければならぬ。これは本当に大事業といいますか、本当に大きな問題だと思うわけであります。  そういうことで、この法律がどんなふうにこの内閣委員会において扱われるかということはこれからの問題でございますけれども、その成否を超えて私思いますのは、これはどんなふうになっても、それをフリーハンドでもって喜んで、これはよくできた、よかったというふうにはならない。本当に国民合意形成のためのごくごく初歩的な一つのルールづくりといいますか、条件を設定しただけであって、この審議会が本当に正しく機能していくということにはこれから並み並みならぬ努力が必要である、そういうふうに認識をしておるわけでございます。  せんだって、修正案と言われるものの中では、総理大臣は委員の任命に当たっては両院の同意を得る、それから答申を受けたときにはこれを国会に報告するというようなことがございましたけれども、今後の問題としては、やはり第一番に諮問の問題、第二番目は委員の人選の問題、第三番目は、この審議会がどのように運営されていくのかというようなこと。その運営の方式は当然審議会が始まってからその委員の方々によって決められていくべきものでございますけれども、少なくとも最低限こういったことだけはやらなければならないであろうというようなことはやはり国会の我々が議論しておかなければならない、その議論が審議会に反映していくようにしなければならないのじゃないかと私は思っています。この三点であろうと思うのです。  それで基本に戻りますと、これから日本の国をどういうふうにしていくかということについては、やはり政治家が責任を持って決めることじゃないですかね。そして、それに対応してそれじゃ教育はどういうふうにしていくか、これは教育の専門家の仕事になるのじゃないでしょうか。そうして行政というのは決められたことを間違いなく守って、実行していく、こういったことになろうかと思うのですね。  この審議会が始まりますね。だけれども、一番基本に戻って言えば、原則的には、これからの日本をどういうふうにするか、これは我々政治家の問題なんだ。それから、教育をどういうふうにしていこうか、それはその社会の方向に沿ってといいますか、あるいは人間性のもとに返ってといいますか、そういうことは教育専門家の方の仕事である。こういった原則、一番基本のところを確認しておきたいと思うのです。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 有島先生の御質問は大変難しいお問いかけでありまして、文部省といたしましてはということを申し上げるにはいささか荷の重い御質問でございますから、私が今お話を伺っておりまして感じますことは、人間はこれからいろいろな将来というものを予測しながら生きていかなければなりません。その生きていくいろいろな知恵あるいはしぐさ、所作、いろいろございましょう、それはやはり文化だろう、こう思います。そういう人間の持つ文化を、洲き上がってくるもの、あるいは文化が大きく伸びていくもの、そういう舞台をつくることが教育だろうと思います。その教育がいかにあるかということが、日本人の文化創造というものに大きく絡みがあるというふうに私は考えています。教育が文化をつくり上げるという、その教育の場所をつくるのが政治の責任である、今先生のお話を承りながら、私はこのように感じた次第でございます。  二十一世紀に向けて、二十一世紀がまたどのような社会になるであろうかということは、我々、予測しがたいものがございます。これは先ほど木島さんからお尋ねがございましたが、私としては、どのような社会が来ようとも、それに主体的に立ち向かっていける人間としての個性、特性、基本的なことをしっかり身につけさせるということが第一の教育の視点でなければならぬと思うし、そしてその個性を一人一人伸ばしてあげる教育環境をつくり上げるということ。もう一つは、人間は生まれてから生涯、いろいろな場面で学習をしていかなければならぬ、学んでいかなければならぬ、その教育の場をしっかりと充実をさせていくということ、こうした考え方で進むべきものであろうというふうに考えます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 こうした問題について、本当は基本問題だからもう少し時間をかけたいと思いますけれども、社会が変化してしまうから、それにつれて教育もいろいろやっていかなければならない、政治家は教育をいろいろ変えていくための指導助言をしましょう、こういうような行き方、これもありますでしょう。社会が自然に変化をしたって、それを追いかけていくのだという意味もあるでしょう。あるけれども、どういう社会をつくっていくのだ、つくっていきたいということもあるわけですよ。それは憲法にその大筋が書いてあるわけです。それはいいです。そこで、先にいきます。  諮問の仕方について二、三確認をさせていただきたいのですけれども、諮問につきましては、担当大臣である森さんが、基本的には――基本的な問題と言いましたか、それから包括的なものだ、こういうふうにたびたびお答えになっていると思います。この点でもう少し詳しく聞いておきたいのは、諮問の形式というのは、中央教育審議会の昭和四十六年の答申の場合も、その「諮問」というのは非常に短いのですね。包括的なんですね。「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」この事項について諮問します、こう書いてあるわけなのです。これはわずか三十二文字で要約されているわけです。ただし、それには「(理由)」がきちんとつく。その次には、「(検討の観点)」というのが番号をつけて1、2、3と並んでおりますね。それから「文部大臣の諮問理由説明」というのがございますね。それから「文部事務次官の補足説明」というのがございますね。こういった形式は当然踏むべきものじゃないのだろうか。だから、たびたびここでもって問答がありました、包括的な、これからの教育について諮問します、それだけでなしに、やはりその理由、それから検討の観点、これはかなり突っ込んだものを御用意していらっしゃるのじゃないでしょうか。それから総理大臣の諮問理由説明、これがどうしてもつくでしょうね。それから担当大臣の補足説明、こういうものがつく、そういった形式をとるのじゃないかと私は思いますけれども、それはどうですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 どのような形でどのようなことを諮問するかにつきましては、先ほど諮問の中身につきましても木島さんからもそれに関連してお問いかけがございました。  政府といたしましては、どういう形で諮問するかという形式等もまだ定めておりません。もちろん、これから国会で御論議をいただくわけでございますし、そういう国会で御論議いただきましたことなども十分に踏まえるといいましょうか、参考にいたしながら諮問の内容も考えていかなければならぬわけでございます。先ほども申し上げましたように、二十一世紀に向けて我が国を担っていく青少年のために、その我が国の青少年がどのような教育を受けることが本当に日本の国にとっていいのか、また国際社会の中における大きな役割を果たしていけるだろうか、そういうことなどはいろいろと議論の中に出てまいりました。  そうしたことも考えますと、基本的、包括的というふうに私は申し上げたわけでございますが、今後国会の御論議を通じていくことでございますので、そうしたことを踏まえて検討してみたい。ごあいさつ程度の中で申し上げるという形もあるかもしれませんし、今先生が指摘されましたような形で、幾つかの項目を挙げてお問いかけをするという形式もあるかもしれませんが、基本的にはまだ判断をいたしておりませんということでございます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 その諮問の中に、どういう形式になるか知らないけれども、国会におけるいろいろな議論、今までの議論、これからの議論、それらを反映していきたい、そういうふうに受け取ってよろしいですね。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 そうした御論議を十分踏まえていきたい、こういうことでございます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 諮問について第二番目に確認をしておきたい件がございます。  それは、第一条の目的のところで「教育基本法の精神にのっとり、」というのがございますね。それから第二条のところでもって「広く、かつ、総合的に検討を加え、必要な改革」なんというようなことが述べられておる。それで「内閣総理大臣の諮問に応じこということで、包括的なものがここにはあるわけです。この問題について、まだこの法律の形でもって国会に提出される以前でございましたけれども、今国会の予算委員会、二月でございましたけれども、私はこの諮問ということについて中曽根総理大臣に質問をいたしました。  教育基本法の中にいろいろな問題があるわけですけれども、特に大切なのは第一条と第十条についてなんですが、私はそのときは第四条に限ってお聞きしますよと言って、義務教育九年間、学制改革について諮問をする場合に、やや拡大解釈をする余地を残して諮問をなさるのか、あるいは基本法をかたく守るのか、厳密にこの九年というものを動かさないで検討すべし、こうなるのでしょうか、いずれですかというふうに聞いたのです。そうしたら、総理大臣はそのときに、九年というふうに明確に言われたのです。私としては、この審議会に諮問するときにそういった枠をはめるのはどうかなという感じは残っていたわけですけれども、総理大臣はそう言われました。  そこで、その問題が報道されて、後から予算委員会でも、参議院の方でもあるいは文教委員会でも、この問題が繰り返しいろいろな方から質問されたときに、森文部大臣は、いつも包括的にというか、もっと緩やかにといいますか、諮問したいというような意向でいらしたわけですね。それで私も、文教委員会の席でもって森文部大臣に、ひとつ総理大臣との間にしっかりした合意を得てもらいたい、この問題について話し合っておいてもらいたい、そうお願いしたわけです。ちょっと聞きようによっては、それは同じことを言っているんだよ、だから矛盾はありませんよというふうにお答えもあったみたいだけれども、それじゃあ、よくよく会議録を御参照いただいて、それで処理をしていただきたい。文教委員会のときにも文教委員長に申し上げて、理事会で扱ってもらって、きょうこういったチャンスがあるから、それではこの席で文部大臣から、大分前のことでございますけれどもそのお答えを聞くようにしましょう、そのように文教委員会の理事会で合意しましたものですから、この際文部大臣から、あのときの総理の真意はどこにあったんだということをお聞きしておきたいと思います。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 総理は先般、たしか予算委員会であったと記憶いたしておりますが、基本法を改正する考えはない、また内閣委員会にも御出席をいただきまして、そのことを明確に答弁をいただいております。私といたしましても、この点については教育基本法の見直しは必要はないと思っております。今度の教育改革に当たりましても、教育基本法の精神のもとに取り組む考えでございまして、政府といたしましては教育基本法の精神を大事にして教育改革に当たりたい。したがいまして、これから御審議をいただくであろうこの審議会の皆様方にも、教育基本法の精神を大事にした御論議をぜひしていただきたい、このように期待をいたしておるわけでございます。  ただ、先生から今御指摘がございましたけれども、御論議をしていただく過程の中で、例えば制度上、義務教育の年限などは当然教育基本法で九年と定められているわけでありますから、教育基本法のところにさわってはいけないからそこの九年は頑としてさわってはいかぬぞということであったのでは、先ほどからも議論が出ておりますような柔軟な議論というものができるだろうか。私どもは、御論議として御自由にしていただくことはむしろいい結果も出てくるのではないか、こういうことを期待しながら、過去の答弁でもそのことを申し上げてきているわけでございます。きのうの内閣委員会でも、同様でもございませんが、これに関しました御質問をちょうだいいたしまして、例えば義務教育の九年を減らすというようなことに仮になれば、教育基本法の精神は義務教育を充実させることが基本的な精神でなければならぬと思っておりますから、これは精神の方に触れるかもしれませんが、逆に義務教育の年限が仮にふえたといたしますと、そのことは教育基本法に必ずしも触れるかどうかということについては、私は法律の専門家ではございませんからわかりませんが、プラスになるということであるとするならば、私はこのことは法に触れるとか触れないという問題ではないのではないかという考え方を持っております、こうきのうもこの委員会で申し上げております。  したがいまして、もう一遍繰り返して先生も確認をということでございますから申し上げますが、教育基本法を変える考えは総理も私も持っておりませんし、また審議会の皆さん方にも、この精神を大事にして御議論していただきたいということも当然期待をいたしますけれども、制度上のことでいろいろ御論議をされることについては委員の皆さんが自主的に御判断をなさることが正しい、私はこう考えておるということを申し上げておるわけであります。  最後に先生から確認の意味で御指摘がございましたけれども、このことについては総理と私の答弁は食い違っておりませんし、総理とも十分このことについての意見の疎通を図っております。総理も私と同様の考えであるということを申し上げておきます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 私の質問は、まさに最後におっしゃった二言、三言のところにだけかかわっておるので、森さんのお考え方については私はわかるのですよ。私もそんな考えを持っておりますよ。  最後のところですけれども、諮問をなさるときに、この教育基本法を拡大解釈的に割合と緩やかに諮問なさるのか、あるいはかたく九年というふうにして諮問するのか、どっちなんですかと中曽根総理大臣に私は聞いたんですよ。そうしたら、九年と言われてしまったんですね。それだから、森さんにもそのときの会議録をごらんの上で、総理大臣ともお話し合いになって、私に理解をしていただきたいというようなことをそのときに言われてしまったので、私に理解ではなくて、国民合意の形成の前に、まず総理大臣と担当大臣との間でその点でしっかりとした合意をしてもらいたい、こう申し上げたんですよ。そうすると、中曽根総理大臣としては、あのときは私はこういうふうにかたく言ったけれども、その心はこうなんだということを明確に何か言っていただかないとおさまりがつかない感じになっているわけです。それを言っているのです。今のではちょっとわからない。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 ただいま申し上げましたように、総理ともこの点については十分意見の疎通を図っておりまして、私も総理も同じ考えでございます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 そういたしますと、この二月二十五日の予算委員会のお答えは、やや欠落している部分があった、こういうふうになりますね。それはお認めになりますね。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 それは、総理に対して、義務教育の年限云々ということをおっしゃった質問に対して、総理は、義務教育を変える考えはございません、こう答えられたということを私は承知いたしております。したがいまして、そこに欠落があるとは私は、そういう中身のことについて仮定の問答をして、そういう基本法の問題にあのときは触れたものではないと私は記憶いたしておりますが……

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 ちょっとここで時間をとるのは非常にもったいないので、それでは、文部大臣はそのときの会議録を検討していただいたでしょうか。検討してくださいと申し上げたのですよ。よくよく検討していただいたのでしょうか。その上でおっしゃっているのでしょうか。  この会議録では、私の読むところ、これは総理大臣の言われたことが欠落しているのか、多少の修正をしなければならないのかというようなふうになっているのですよ。そのことを問題にしたのです。今の問題をこの場でやりとりしてもしょうがないので、これは問題をまたちょっと残させていただきたい。  委員長に申し上げますけれども、先ほど文教理事会で、この場で文部大臣から総理大臣の意向をはっきりと育っていただけるというようなふうになればそれでいいのじゃないかというようなことでございましたけれども、なお残させていただきたい、お願いをいたします。いかがでしょうか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 ちょっと時間をとるようなことになって恐縮ですが、有島先生の二月二十五日の予算委員会の会議録を今ちょっと読んでみました。もちろん前にも読んだのですが、全部頭に入ってないものですから。  先生が御指摘をされたのは、いわゆる諮問をする際に、教育基本法を拡大的に考えて諮問するのか、それとも「金輪際」と、こう書いてございますが、動かさないで検討しなさいというのか、どっちなのですかというお問いかけに対して、総理は、教育基本法を守る、つまりあなたの言われた後段の方にというような意味のことを育っておられる、それなのに森文部大臣は、私はもっと拡大したような形を何かどうも盛り込むような諮問をするのではないか、その辺が食い違いではないか、こういう御指摘だと今承知いたしました。  ですから、諮問については、まだもちろん包括的、基本的ということ程度しか申し上げることはできませんが、国会の論議等を踏まえて考えることでございますので、この際明確に申し上げておきますが、諮問の際は、義務教育を含め、いわゆるそういう細かなことについて項目を諮問するというようなことはまず今のところは考えられないわけでございますので、包括的、基本的なということを考えますと、教育基本法を大事に守る、そしてこの精神のもとで御議論いただきたい、こういうことを期待いたしておるということも先ほど申し上げましたが、いわゆる教育基本法をしっかり守って御論議をいただきたい、こういう形の諮問になるであろう、こういうふうに申し上げておきます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 ここに総理が来ていただければ一番いいのです、やや詰まってないように思いますので。でも、今森文部大臣、担当大臣が、これからの諮問の段階でもう一遍そのことはよく議論しなければならないというような意味のことも言われました。だから、この場では次の問題に入ります。  これは、諮問ということと審議会の委員の人選にもかかわることですけれども、提案をしたいことがあるのです。それは、私は二月の予算委員会でも言いましたし、またこの委員会でもきっと提案があったと思うのですけれども、こうした審議会をつくるのであったらば教育関係閣僚会議というものを閣内につくるべきじゃないかということ。そのときには、それは答申を得て、その実施段階において必要ならばそういったものをつくろう、こういうお答えでございました。私が提案したいのは、答申後の話ではなくて、諮問の以前に閣内で相当時間をかけて話し合いをすべきである、そのための関係閣僚会議というものをつくるべきじゃないだろうか、こういうことであります。  それから、きょうはせっかくの連合審査でございますので、関係閣僚をお呼びしてそれぞれの御意見を承れればいいなと思っていたのです。ところが限られた時間、大変短い時間でございましたので、それでは外務大臣と通産大臣のお二方だけでもとお願いをいたしました。それもゆうべ遅くなってからだったものですからいろいろ御都合もおありだし、それぞれ国会を尊重していらっしゃる大臣方がそれでは最大限に努力しましょうということで、きょうは政務次官の方においでを願っておるようでございますので、政務次官を通して外務大臣、通産大臣の所感を承っておきたいと思うわけであります。  「社会の変化」、「文化の発展」、こういったことが一番最初に出ているわけですね。  最初に外務省の方に伺いたいのですけれども、これからは新しいタイプの国際人が必要であろうと私たちはかねがね思っているわけであります。それで、何が新しいか。明治以来、追いつけ追い越せ型の日本の流れがあった、これからはそれとは違ったことになってくるのじゃないだろうか、そんなことも我々は考えておるわけでございますけれども、御所感をお願いします。

北川正恭自由民主党・新自由国民連合

○北川政府委員 ただいまの有島委員の御質問は、現代の日本の国際社会における関係を見ましても、国際社会人としての教育の重要性を御指摘くださったと思っております。  外務省といたしましては、当然これに対応するところの国際社会人をつくっていただきたい、こういう願いを持っております。これは教育の問題になりますので、もちろん文部省のこれに対する大きな役割もございますが、外務省としては、国際社会に役立つ人間をつくっていきたいという願いで、有島委員と同じ考えでありまして、これに対して鋭意努力してまいりたい、こう思っております。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 少しぶちあけた語になりますと、外務省だけについて言いましても、外国に駐在なさる、では家族をどうするか、こういうことがしばしば起こるのですね。そのときに、子供を置いていかなければならぬ、何で置いていくんだ、これは教育だ、こうなりますね。そうすると、これからの新しい国際人をつくるんだから、せっかくのチャンスだから現地でもってと、これは建前なんで、実際には、国内の受験戦争に負けちゃ大変だから子供は残していく。そこに家族が離散するといいますか、別れて暮らすというような実態が今までたくさんあったと思うのです。これは外務省の方々のみならず、国民全般がそういうことに非常に苦労しておる、そういうような問題があるのじゃないでしょうか。  だから、国際人を新しくつくっていきたい、そのための環境づくりもしていきたいと言うけれども、それを阻んでいる要素が随分あるんじゃなかろうか。それは外務省の方が実感を持ってうんと発言をしていただかなければならぬ問題なんじゃなかろうかと思うのですが、どうでしょうか。

北川正恭自由民主党・新自由国民連合

○北川政府委員 ただいま御指摘のとおりに、各国に派遣されておりまするいろいろの形の中の子供さんの教育ということは、その国で教育を受ける施設のあるものと国内に残していって教育を受けるもの、両方があると思います。  これにつきましては、外務省としても鋭意努力をいたしておりまして、海外においては子女教育に対して約七十六、設備をさせていただいております。国内におきましても、文部省の教育を受けながらその役割を果たしていきたい、こう思っておる次第でございまして、まだまだ十分とは言えない点が多々ございますので、御指摘の点につきましては鋭意前向きでやってまいりたい、このように思っております。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 やはり海外生活の経験者がこの審議会の中に入ってこないと困るんじゃないだろうか、そういう人が入った方がいいんじゃないだろうかというような御意見はありませんか。

北川正恭自由民主党・新自由国民連合

○北川政府委員 この問題につきましては担当、関係、いろいろな方の英知を集めていただいて委員構成をしていただけるものと考えておる次第でございますので、よろしくお願いいたしたいと思っております。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 担当大臣、これは一つの課題だと思うのですね。この間人選の基準、どういう方面から人選をするかということで七つほどの分野を挙げられました。時間がないから一々挙げませんけれども、そこには海外の面が抜けていたと思うのですね。担当大臣、人選をなさるに際しては、こういった海外という分野も大きく御考慮なさる問題じゃなかろうかと私は思いますが、いかがですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 社会の変化ということを申し上げましたが、その大きな要件の一つには国際化ということがあると思います。そういう意味では、国際認識といいましょうか、国際問題に対しまして精通をされた方、そういうことに対して理解を深めておられる方、こうしたこともその分野の一つとして十分考えられることでございます。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 通産省の方から来ていただいたわけでございますけれども、やはり御所見がいろいろあると思うのです。こうした席でもって三分、五分でやれというのは無理なのだけれども、大体通産行政を進めていく上には、国家、国民、社会、みんな豊かになるように、便利になるように、こういったことできたわけですよ。これは明治以来ずっときた。  それが、これから教育という面から見たときにいかがなものであろうということが問いかけられているということが一つございます。確かに今まで日本の国はこれだけ産業国家になった、世界で刮目をしておる、これは日本の通産行政の一つの成果であります。と同時に、お金に換算できるもの、あるいは数字に換算できるもの、点数あるいは便利、そういうことでもって、どうも人間教育というものが立ちおくれていく方向を強めておるといいますか、あるいは家庭の崩壊も、背は家庭が崩壊するというのは酒、女、ギャンブル、俗に言われたことだからそのとおり言うけれども、今はそう言ってないです。住宅、自動車、教育だと言うのだ。これが何で家庭崩壊のもとになるかというと、ローン、共稼ぎ、こういうことなのですね。これもまた通産行政の一つの成果――言っては悪いけれども、そういったこともあると思うのですね。これからの通産行政、やはり教育ということも考慮に入れながら何か物を考えていかなければならない時代が来ておるのではないか。そういった意味で、そういったものを考えられる人を送り込まなければいけないのじゃないだろうか、そういうことを聞きたい。  時間がありませんからもう一つ聞いてしまいますと、もう一つの視点ですけれども、教育産業と言われるものがございます。これは御承知かもしれないけれども、教育にかかわる産業というのは、昭和四十六年時点でもって年間大体二十二兆円のお金が動いていると言われております。だから、ことし国家予算が五十兆円くらいでしょう、教育でもって動いているお金は二十五兆円動いている、こういうことになる。それも捕捉しておるかどうか。これは文部省の管轄だから私は知らぬと言われるか、文部省の管轄でもない、通産省の管轄、いろいろなものがまじっているのですけれども、ただ教育産業と言われているものは、確かにそれは教育を推進していく一つの大きな力になっている。今後も大きな力になるでしょう。しかし、それはもうけ主義の哲学といいますか、このこともかつていろいろな席でもって議論をいたしましたけれども、これはやはり注目していかなければならないのじゃないだろうか。  これからの社会変化といいますか、あるべき教育、こういったことについて通産側からの御所見を承っておくべきである、こういうふうに思いましたので、きょうはお越しをいただきました。僕の持ち時間はこのくらいでお答えいただいておしまいになるわけだけれども、ひとつ御発言をいただきたいと思う。

佐藤信二自由民主党・新自由国民連合通商産業政務次官

○佐藤(信)政府委員 今、有島先生からいろいろ御質問がございました。大変難しい御質問でございましたが、私の方から申し上げられることは、御指摘のように、通産行政というものは、我が国の経済の均衡ある発展を図って国民生活の向上と安定に寄与する、これが一番の主眼でございます。  確かに経済成長の教育への影響の評価はいろいろあると思うのですが、今御指摘がなかった中で、一方では、経済の発展ということで所得の水準が向上して教育の機会の拡大を可能にしたという面は非常にプラスの面ではないだろうか、かように思うわけでございます。  いずれにいたしましても、今おっしゃったように、家庭の崩壊だとか教育の荒廃については、社会のさまざまな変化が要因になっている、かように考えられますので、今から御審議をいただき、そして成立をいたしますれば、臨時教育審議会の場でもってこうした問題を総合的に御検討、御議論があるものだ、かように実は期待しているわけでございます。確かに先生がおっしゃったように、今までの日本は、物で栄えて心で滅びるということがよく言われている、その点に注意しながらこれからの通産行政に取り組んでいく所存でございます。  ありがとうございました。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 最後に、ほかのことを全部はしょって一つだけ、委員の人選のことです。  人類を支えている半分は女性だということになっているわけでございますけれども、委員の人選に当たって既にいろいろなことも作業をしていらっしゃるのじゃないか。一つ聞いておきたいのは、女性委員をどのくらい配分なさろうとしているのか。二十五人のうち半分といえば十二人か十三人ということになりますか、あるいはほかの審議会なんか見れば大体一割か一割五分くらいですか、事教育ですから、父代表、母代表いろいろあると思うのですけれども、こういうことは当然配慮しているのじゃなかろうかと思います。いかがでしょうか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 人選等につきましてはこれから配慮しなければならぬと思いますが、私といたしましては、世代のバランスがとれることと、男性と女性とのバランスということも十分配慮していかなければならぬことだと考えております。

有島重武公明党・国民会議

○有島委員 終わります。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 山原健二郎君。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 最初に文部大臣に、いわゆる四十人学級のことについて、いよいよ最終段階を迎えておりますので明確な御答弁をいただきたいと思います。  昨日の新聞によりますと、行政改革推進審議会の地方行政改革推進小委員会が報告書をまとめまして、九日、月曜日に行革審に提出をして決定をする、その中身に、第五次公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数改善計画と第四次公立高等学校教職員定数改善計画、いわゆる四十人学級の実施は引き続き当分の間厳しく抑制する、こう出てまいりました。本日の東京新聞によりますと、政府は昨五日、行政改革特例法を六十年度以降も延長する方針を固めた、こういうふうに出ております。  大変なことでございまして、朝日新聞の世論調査によりますと、教育改革について何をなすべきかというアンケートに対して、トップが一クラスの生徒数を減らすこと、まさに四十人学級の実現問題が一番国民の支持を受けているわけです。その点から考えまして、三年間の凍結期間を過ぎて六十年度から実施する段階を迎えたときに、これがまたまた延期されるのかどうか。これは極めて重大な問題であり、国会の決議も二度にわたって行われておりますが、森文部大臣の決意をお伺いしたいのであります。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 山原さんが今御質問の中に御引用なさいました新聞等の情報は、私も承知をいたしております。しかし、行革審が今議論をいたしておるところでございますし、そのまとめがどのような形になったかについては正式にはまだ報告もちょうだいをいたしておりませんし、承知をいたしておりません。また、行革関連法が延長されるのではないかということも政府としてはまだ決定をいたしておるわけでもございません。  したがいまして、現時点におきまして、六十年度概算要求の作業に当たりまして、この四十人学級等につきましてどのようにするかということについては、今のこの立場では、まだ財政当局の方針が定まっておりませんので……。いつも同じようなことしか言わぬとおしかりをいただくかもしれませんが、現時点ではこのように申し上げるしかございません。  ただ、先ほど木島さんの御質問の際にも申し上げましたように、私自身は、この四十人学級はどうしても実現をしたい、六十六年度の最終目標そして全体計画は変えておりませんので、この方向で最大限の努力を続けたい、このように申し上げておきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 私は、行政改革といっても、四十人学級がどれほどのお金が要るか、文部省の計画に基づいて試算をいたしました。  六十年度百三十四億、これは四十人学級と同時に自然増、改善分を含めてです。六十一年が百十四億、六十二年が四十二億、六十三年が十三億、六十四年が六十九億、六十五年が七十七億、六十六年、完成時七十七億、平均しまして一年間にわずか七十五億円で四十人学級の実現ができるのです。この数字はきょう初めて発表するわけでございますけれども、私は三年間でやれるとすら思っています。仮に文部省の計画によりましても、日本の財政にそれほど影響を与えるものではありません。  しかも、今既に各県におきましては採用試験が行われているのです。もし、これについて早く概算要求を出しまして予算を獲得するということがなければ、例えば大阪の例ですけれども、今のままいけば百名ぐらい余計とることになってこの採用をやめさせなければならぬ、こういう事態が起こっているのです。そういうときに、この行革の枠がかっちりとはまろうとしている。文部大臣が本当に行政改革をやるおつもりならば、この国民的合意に対しておこたえになるべきである、私はその意味で文部大臣を激励したいと思うのです。概算要求を出されたら、恐らくここは与野党含めて皆、文部大臣を支持するでしょう。私はそれだけの問題としてこれを提起しておるわけですが、改めて大臣の決意を伺っておきたいのです。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 山原さんから御激励をいただいて、大変感激をいたしております。  たびたび申し上げておりますが、この四十人学級は何としても着実に進展をさせたい、この私の気持ちは今も変わっておりません。一生懸命努力をして、今先生が御指摘になったようなことなども、そうした弊害が起きないように予算編成に際しまして十分に努力いたしたいということをこの場で申し上げておきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 私の持ち時間は二十五分でございますので、時間がありません。  せっかく連合審査を構成していただいたことに感謝しますとともに、今回の臨教審設置法は、もちろん内閣委員会に設置法としてかかっておりますけれども、中身につきましては教育問題ですね。したがって文教委員会、連合審査におきましても、幾ら考えても少なくとも二日以上要るということを私どもは申し上げてまいりました。これは委員長もよく御承知のことだと思います。この考え方は捨てておりません。したがって、なお愛野文教委員長また片岡内閣委員長におかれまして、ぜひそのために努力をしていただきたいということをまず御要請申し上げたいと思います。  続いて、昨日の内閣委員会理事会に修正案が提示されました。このことにつきまして、修正案に賛成、反対という立場よりも、私はその先に問題点を一応指摘しておきたいと思うのです、これが決まりますと、内閣はこの規定に基づいて業務を遂行しなければなりませんから。  この中にこういう言葉があるわけですね。「5内閣総理大臣は、委員が心身の故障のため職務の執行ができないと認める場合又は委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合においては、両議院の同意を得て、これを罷免することができる。」「6 委員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も同様とする。」  これは大変重大な項目でございまして、文部大臣は、委員の職務上の義務違反とは何かということについてどうお考えになっておられますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 法律の技術的なことでございますので、事務当局よりお答えさせていただきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 時間がありませんから、それじゃ続けて言っておきます。  「職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行」とは何か。人格識見のすぐれた者を選出するというのが本法の精神でしょう。ここへ「非行」という言葉が出てくるのですね。そして六項にはいわゆる守秘義務が出ておりまして、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない、職を退いた後も同様とする、こういうことですね。そして罷免ができる。私は、こんな文言を見たことがありませんが、どうでしょうか、簡単に答えてください。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 修正案そのものにつきまして政府としてお答えできる立場でございませんから、一般論としてお答えを申し上げたいと思います。  非常勤の公務員の服務の問題につきましては、一般職の非常勤の場合には国家公務員法の規定が適用されるわけでございます。中央教育審議会の委員は非常勤の一般職の国家公務員ということに現在なっておりまして、一般職の国家公務員法の規定が適用されておるわけでございます。  今回、国会の同意を得るという規定が入りますと、国家公務員法の規定によりまして特別職の非常勤の職員ということになるわけでございます。非常勤につきましては国家公務員法の適用がございませんので、同様の規定を特に設けなければならないというのが一般でございます。その意味で、例えばこの前の第二臨調のときの審議会の設置法案につきましても、全く同様の規定が設けられているというのが実態でございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 じゃ、もう一つ聞きますけれども、六項に「職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。」と出ておりますが、これも五項の「職務上の義務違反」に該当するのでしょうか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 これはまさに国家公務員法の解釈の問題と同様になるわけでございます。そういうことが行われました場合に、必要に応じてそういう措置がとられることもあり得るわけでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 義務違反あるいは職務上知り得た秘密を漏らしてはならないというこの問題をだれが判断するのですか、だれが判定をするのですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 公務員法の一般ルールに従いますと、任命権者が判断をするということになります。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 任命権者はだれですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 法案の規定によりまして、内閣総理大臣ということになっております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 内閣総理大臣がここで罷免権を持つわけですね。国家公務員法の服務規律では罷免はないのです。秘密を漏らすことを禁ずるとなっているけれども、罷免は出ていないのですよ。しかも、この修正案によりますと特別職になるわけですから、その特別職になった者に対して罷免をする、しかもその裁量は総理大臣が行う。裁量の基準は一体何でしょうか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 例文として挙げられている通常の法令に基づきますと、特別職の国会の同意を得た委員に対する罷免の措置につきましては両院の同意を得て行うということがございますので、そこで十分身分保障が担保されておると思います。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 判定はだれがするのですか。判定をする場合の基準はだれが決めるのですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 公務員法の一般ルールに従いまして内閣総理大臣が行うということでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 内閣総理大臣はその罷免権という最大の権限を持つわけですから、それを判定をして、違法性がある、あるいは職務上知り得たものの守秘義務を怠ったとかあるいはそれを破ったとかというふうな判定をするためには、内閣総理大臣個人がそれを判定するのですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 お尋ねに対する適切なお答えかどうかわかりませんが、内閣総理大臣たる職にある者が判定をするということになります。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 これは、森文部大臣のお答えになるべき範疇のものではないと私は思います。だから、森大臣にお聞きすること自体心苦しいわけですけれども、これは総理大臣に出てもらわなければならぬ、罷免権ですから。しかも本法によりますと、人格識見のすぐれた人を任命をする。そして一方で、非行があれば罷免権が出てくる。これは今まで調べてみましたよ。戦後できましたあの教育刷新審議会、これも内閣直属でしたけれども、こんな条項はありません。また昭和三十一年の、清瀬一郎文部大臣当時に出ました内閣直属の臨時教育制度審議会、これにもそれはないのです、この罷免権というのは。しかも内閣総理大臣が二十五名の委員の皆さんをいわば監視下に置くわけでしょう。監視下に置いて、守秘義務はちゃんと守られているか、あるいは秘密を漏らしはしなかったかということを内閣総理大臣が判定をして、そして判定をしたものを、これは罷免に値するというものを国会に出して、国会が承認をすればこれは認められるわけですね。これはまさに教育基本法第十条の「不当な支配に服することなく、」に対する違反行為です。私は、この点は断じて認めるわけにはいかない。  今まで各党の代表、党首までが出まして、教育基本法と今回の臨教審の問題についての関係を述べてまいりました。そして、この法律の第一条には「教育基本法の精神にのっとりこと出ておるけれども、ここへ出てきておりますのは、明らかに総理大臣というものが罷免権を持つ。しかも、その罷免に値する材料というのは、みずから裁量し判断をする力を持っている。いわゆる教育に対する不当な政治的介入というのは、これ以上のものはないと思うぐらいの中身なんです。  したがって私は、この問題については総理大臣に出席をしていただいてこの中身をお聞きしないと、本当にこの法律が成立をしました場合にこれは責任を持てません。したがって、総理大臣にぜひ出ていただいて、どのようなお考え方でこの法律が成立しましたときにこれに立ち向かうか、明らかにしていただかなければなりません。また、そういう意味では、この条項は少なくとも消すべきです。どうですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 冒頭にも申し上げましたように、修正案につきまして答弁する立場ではございません。それで一般の例として御説明を申し上げたわけでございますが、それらの規定につきましては、第二臨調の際の審議会の設置法におきましても全く同様の規定があるわけでございまして、特別に教育基本法十条の規定に抵触するという問題を生ずることはないというふうに考えます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 それは、第二臨調と今度できます臨時教育審議会とは性格が違います。教育基本法は、明確に「不当な支配に服することなくこというこの精神のもとに教育が行われてきているわけでしょう。ところが、国家における最高の権力者である総理大臣がみずから判定をして、そして罷免権を行使するということになりますと、これほど教育に対する不当介入はありません。私は、この臨教審法案を提出された背景の気持ちが、ずばりここへ出ておるというふうに思うのです。  そして同時に、この判定の基準、これは総理大臣に聞かなければこれ以上質問はできないわけですから、この点については最後に何かお答えがあれば言っておいてください。(「大臣、大臣」と呼ぶ者あり)

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 先ほど審議官からも申し上げましたが、修正案は私どもがお願いをしておるわけじゃございません。私は、この臨時教育審議会の御審議をいただいているその審議の中にありましてたびたび申し上げておりますように、いろいろなことを勘案をいたし、いろいろ検討した結果、私どもがお願いした法案が最上のものである、このように考えて、ぜひそのまま御成立をいただきたい、こうお願いをいたしたわけでございます。  もちろん、先ほどから一般的というふうに齋藤審議官が申し上げておりますように、修正案そのものは、私どもはこれをいただいてそれについてお答えをするということは矛盾ですから、私、今立ち上がらなかったわけでありますが、大臣、大臣とおっしゃいますから、委員長がおっしゃったのじゃないのでありますが、私は端的に申し上げて、これに答弁すること自体が大変矛盾だと思うのです。しかし、一般論と申し上げて、あえて大臣がしゃべろということでございますから、いわゆる国会の同意人事ということになることによって自動的にこうした規定が設けられていく、私はそのように理解をいたしております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 文部大臣のおっしゃることは、やはり答弁すること自体に矛盾を感じておられるわけでございまして、それはそのとおりだと思うのです。これは修正ですからね。でも、これは成立した暁には、法律でございますから、内閣はこれに従って処理していかなければならぬという法律上の義務が生じてくるわけですね。そうしますと、この問題については正確にしておかないといけないと私は思うのです。  まさにこれは教育基本法第十条に抵触する、抵触するよりもむしろ違反行為だというふうに私は思わざるを得ません。もちろん、人事を国会へかけるとかあるいは国会へ報告するとかいうことの善意は私はわかりますよ。わかりますけれども、それに付随して、なぜこの五項目、六項目が出なければならぬのか。これが法律として出てきた場合には、これは明らかに教育基本法との問題が生じてまいります。  したがって、この問題については、この法律が成立した場合にその執行者である内閣総理大臣の出席をいただかなければ、この委員会としましても大変なそごを来す可能性がありますから、愛野委員長、また片岡委員長もこちらにお見えになりますけれども、合議をしていただいて、総理大臣をぜひ出していただいて、こういう重大な罷免権まで付与される内閣総理大臣がそれを判定するに当たってはどのような措置をとられるのか、どういう判断基準を持たれるのか、これをお聞きしないと、これがもしひとり歩きをしたら教育の自主性というのは完全に奪われるわけです。そういう大げさなことを言うなとおっしゃるかもしれませんけれども、しかし、それだけの議論は尽くしておく必要があります。それが教育の問題です。  私は、これからまたさらに類椎すれば、守秘義務が出てまいりますから、今まで文部大臣は、今度の審議会を非公開にするかしないかはできる審議会がみずから御決定なさることですとおっしゃっておりましたけれども、この法律の文言を見る限り、恐らくこの会は秘密会、そしてそれを漏らしたら処罰される可能性もある、とんでもない話だ。これは私は納得いたしません。  愛野委員長、お座りになっておりますが、御見解を伺いたい。総理大臣をまず呼んでいただきたいということ、そしてこの問題については相当慎重な審議をしていただくべきであろうと思います。  昨日も片岡委員長に対しまして柴田議員が、十日の採決という問題があるけれども、今度の修正案を見ますと、この修正案につきましてはお互いに論議を尽くす必要があって、そして時間をかけて、また参考人も呼んで、また法制上の問題も含めて審議をすべきであるというお申し入れをしておるわけでございますが、私もそのことを申し入れたいと思います。ぜひ委員長におかれましては善処されますようにお願いするわけですが、いかがでしょうか。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 山原委員に申し上げます。  本委員会は連合審査でありますから、山原委員の御要望として承っておきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 要望としてだけではなくて、恐らく今私の申しましたことにつきましては、ここに在席されている委員の皆さんも一定の考えを持っておられると思います。そういう意味で、連合審査ではございますけれども、ぜひ片岡委員長と愛野委員長、お話し合いをくださいまして、それぞれの、内閣委員会の理事会あるいは文教委員会の理事会においても協議をされますようにあえてお願いをしたいと思いますが、いかがでしょうか。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 ただいま申し上げましたごとく、本委員会は連合審査でありますから、御要望として承っておきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 要望ではありますけれども、総理大臣の権限に関する問題ですから、委員長も総理大臣をお呼びするとかということについては私は反対ではないと思います。そういう意味でぜひ御検討いただきたい、理事会にもお諮りいただきたい、これは重ねて強く御要請を申し上げたいと思います。また、理事会の結果どういうふうになるか、それはわかりませんけれども、私はこの文言を見ましたときに、文教委員会が戦後、教育基本法に基づいて、常に教育基本法に立ち戻って必死の思いで論議してきた、そういう根幹にまさにかかわる問題として提起をしております。また、内閣そのものも「教育基本法の精神にのっとりこと書かれている以上は、それに対していささかでも抵触する問題については明快にしておく必要があると思いますので、重ねて委員長にお願いをしたいのですが、いかがでしょうか。論議をしてください。論議をしてください。お願いします。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 御意見は十分お聞きいたしておりますから、ただいままで申し上げましたようにこれは文教委員会でなしに連合審査でありますから、御要望として承っておきます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 もう一度最後に。確かに連合審査でございますから運営上の困難性があると思いますけれども、この問題につきましてはぜひ内閣委員会理事会、文教委員会の理事会においても、この問題については放置できないと私は思いますので、その点について、両委員長とも大変お人柄の方でございますので、これはぜひ、そんな冷たいことを言わずに、話をいたしますということぐらい言ってください。そうすれば座ります。いいですね。よろしいですね。お願いします。どうでしょう。

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 山原委員の御質問の内容は十分お伺いをいたしておりますから、連合審査でありますから、私が申し上げましたように御要望は十分お伺いをいたしました。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 もうこれ以上言いません。お願いします。  終わります。     〔愛野委員長退席、片岡委員長着席〕

片岡清一自由民主党・新自由国民連合

○片岡委員長 江田五月君。

江田五月社会民主連合

○江田委員 本日は、委員各位の御理解をいただきまして、私どもにも二十分という貴重な時間をお与えいただきまして、しかも私たち、実はこの臨教審設置法案については頭から反対ということでなくて、審議の過程を踏まえ、あるいは仮に修正ということがあるなら修正の中身を見て、どういう対応をするかを決めていきたいと思っておりましたが、何分内閣委員会に籍を持っておりませんで切歯扼腕しておったところにこういう機会を与えていただきましたので、この法案の中身をしっかり伺いたいと思いますので、よろしくお願いします。  教育改革、これは国民的な課題だ、みんなが今教育をどうするかということに大いに関心を持っておるということを、私は前々から申し上げております。例えば子供たちの非行の問題。この非行も、非行に対してどういうふうに対処するかという視点もありますけれども、教育という視点から見ると、この非行というのは子供たちが悲鳴を上げているのだ、何とかしてほしいという気持ちが非行という形で出てきているので、教育に責任を負っている我々としては、ただ非行をどうやって取り締まるかじゃなくて、そのもとにあるものを考えていかなければならぬ。そういうふうに考えると、教育改革というのは国民的課題で、中曽根さんのおっしゃる教育改革がどういうものであるかいろいろ議論がありまして、私も中曽根さんの以前のいろいろな発言の中に、必ずしも賛成でないあるいは非常な危惧を抱くような発言もあったと思いますが、中曽根さんに言われるまでもなく教育改革はやらなければならぬ、こう思って、しかも特別の審議会を設けてそこで教育の議論をする、そういう手法も、それが頭から悪いということではない、それも一つの手法である、そういうふうに思っておりまして、これは前に、四月の二十四日でしたか、自民党と各党との政策協議で私たちも協議をさせていただきまして、その席でもいろいろ意見を申し上げたところです。  私は、政府の今お出しになっている法案はどうも余りいただけない。総理のめがねにかなった人が、それも、失礼ですが、どうも二十一世紀に責任を負いかねる人が密室で、今の若者はと怪気炎を上げる、そういう審議ではこれはどうしようもない。しかし、本当に国民的に広く人材を集めて、そして国民的に広く議論を起こして、しかも世代のバランスあるいは男女のバランスのとれたそういう皆さんが大いに議論をしていく、そういうことでなければならぬ。そのためには人事も国会同意人事でなければならぬし、あるいは総理もおっしゃっていますね。教育改革は、全国民の御支援のもとに長期的かつ国民的すそ野をもって進めるべきである。これは二月六日の施政方針演説ですが「国民的すそ野をもって」議論をしていくということになると、やはり議論というものは公開、あるいは完全な公開というのはいろいろ議論がありますが、そういう公開の趣旨が徹底するようなやり方でないといかぬと思って、これまでも主張してきたわけです。  私は、これは何もそういうことを素直に聞いてもらえる、素直といいますか、そういうことが自由に言える雰囲気のところで言うだけじゃなくて、もうちょっとそういうことを青いにくい場所でも、はっきりとそういう趣旨のことを申し上げてきたわけで、そうしますと、先日来の自民党と公明党、民社党の修正案について、私たちとしては非常に深い関心を抱かざるを得ないわけであります。同意の件あるいは審議の公開ではありませんけれども、答申とか意見の国会への報告の件、こういうものが入っておりますから、一体これが私たちが本当に考えておったような内容であるのかどうかという点について関心を抱かざるを得ない。  文部大臣は、もちろん修正案について答弁をされる立場にないこと、これは当然です。しかし、この今までの経過からすると、理事会に正式に提案をされているということでもあるから、修正案の中身についてはこれを承知しておられると思いますが、御承知でございますかどうですか、まずお伺いします。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 承知をいたしております。

江田五月社会民主連合

○江田委員 そうすると、修正案に答弁ということでなくて、そういう方向で議論が進んでいるということを前提にして、これから設置されるべき臨教審についてどういうお考えかということで答弁いただきたいと思うのですが、まず、国会同意人事ということになろうとしているわけですが、政府案は同意人事じゃない。同意大事になる、このこと自体についてはどういうお考えでいらっしゃいますか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 再三、政府といたしましては最上のものであるという立場で法案をお願いをいたしましたが、私は内閣委員会で、しかし結果は国会がお決めになることでございますので、国会の御判断も政府としては十分大事にしていかなければならぬ、こう申し上げてまいりました。

江田五月社会民主連合

○江田委員 同意ということになると、公務員特別職という関係からさまざまな制約といいますか、通常どのような法案の場合にでも入ってくるいろいろな規制がかかってくる、それが先ほどの議論の、内閣総理大臣が罷免することができるという規定であったり、あるいは職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならないという規定であったりしているわけだと思います。  この職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない、これはほかの場合でもしょっちゅうありますから、特別の規定というよりも、一般的に職務上知ることのできた秘密というのは一体何だろうか。私は、会議体における会議の中身がそのまますぐ秘密だということであってはたまらぬと思うのです。臨調だって会議は非公開で、しかしその会議の中身というのはどんどん外にある意味では漏れておった。しかし、これは漏れたなんという性質のものではなくて、そういう非公開であっても会議の中のことは、非公開の会議の中だからすぐに秘密である、そういうことではないと思うのです。例えば国家機密であるとか何か秘密があって、それがたまたま非公開の会議の席で明らかにされてそのことを知った、そういう場合が職務上知り得た秘密であって、非公開ではあっても会議の中が非公開であることのゆえに秘密になる、そういうものではないと思うのです。広く国民的な議論のすそ野を広げて教育改革の議論をしようとするならば、まさにそういう解釈でなければならぬわけで、その審議会での議論はどんどん国民にオープンにされて大きく議論が起こっていく、その中心に臨教審がある、そういうことでなければならぬと思うのですが、いかがですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 江田さんが今おっしゃいましたように、非公開だからそのことはすべて機密事項だというふうに私どもも判断はいたしておりません。これもたびたび申し上げてまいりましたけれども、今江田さんからまさしく御指摘がありましたように、国民の幅広い御論議をいただきたいということでございますし、またこれは私、個人的な私見でございますが、教育の改革に関しての御論議をいただく、そういう内容でございますので、そういう中身に機密があり得ないという判断を私どもはいたしております。したがいまして、こうした議論の中で行われましたことなどができる限り国民の前に明らかになっていくということは、基本的には賛成でございます。  ただ、修正案をお出しいただいて、そして法律の中で、いわゆる公務員としてのそれに準じていくということの規定は、私もお願いしているわけではございませんので、一般的な法律論でございますから、最低限の範囲での守秘義務というものは法律上はやむを得ないだろうと思いますが、要はこのことは会長が拡大的に解釈をなされて運営をされていくことではなかろうかというふうに考えます。

江田五月社会民主連合

○江田委員 そこで、もうちょっと伺いたいのですが、私、個人的な見解としては、こういうものはなるべく公開をした方がいい。裁判だって公開でして、公開になると確かにいろいろ圧力がかかってくるとか押しかけられて困るとかいろいろあるかもしれません。だけれども、我々議論しているときに、案外思わぬ誤解をして議論をしているようなこともありますし、政治の場でも党の壁が余り高いと、相手についていつも余計な疑心暗鬼で、本当の議論ができないということがあるのではないかと私は思っておるのです。なるべく議論というものが公開されて、そしていろいろな人がその議論をそのまま素直に聞いて、これについて例えば、それはちょっと誤解ですよとか、私たちはこう考えますよというようなことが、今度の臨教審だって委員のところに集まってくること、これを嫌悪することはないのではないか、公開でいいのではないかと思っているのですが、大臣、いかがですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 いろいろな見方はできますけれども、やはりこの自由な、そして闊達な御論議をいただきたいということが、私ども政府として一番求めているところでございます。したがいまして、委員のお立場になって考えてあげる必要があると思うのです。  ちょっとくどいようで時間がないときに恐縮ですが、内閣委員会のときにも申し上げたのでございますが、臨調のメンバーにいたしましてもあるいはその他政府のいろいろな制度の審議会のメンバーは、それぞれ審議会専属の立場で参加していらっしゃるのではない。それぞれ社会の中で、会社を持っておられたり団体の代表だったり、いろいろあるわけです。そのために特定の団体から、その人の固有の御商売に大変差し支えたという例は幾つかございます。例を申し上げるのは時間がありませんからやめますが、委員の方が本当に御自由に御論議をいただきたいということ、お一人お一人の委員のお立場に立ってということが、私ども政府が考えたこの法案全体の趣旨でございます。したがいまして、御論議をなさったことができるだけ国民の前に明らかにされていくということについての方途は審議会自身で御判断をいただくことでございますが、これはいろいろな工夫をしていただくということは私は大切なことだと考えております。

江田五月社会民主連合

○江田委員 今の日本はなかなかテンション民族というのですか、自分と意見の違う議論にすぐにかっと反応するというところがあって、そういうところはなるべくもうちょっと穏やかになって、意見の違う議論であっても十分に聞いていくような寛容の精神が社会全体にもっと行き渡らなければならぬと私も思いますし、そういうことにまだなってない状態での完全公開にちゅうちょされる気持ちはわかりますが、なるべくそういうふうにしていきたい。  今のいろいろな工夫ですが、その工夫の中で、例えば少なくとも議事録の公開ができるのではないか。それから会議の都度、例えばその日にどういう内容の議論があったかというようなこと、これを記者会見などで公にしていくという工夫もあるだろうと思いますが、そういうことはいかがですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 審議の経過については、これもたびたび申し上げておりますが、適宜公表をしていくことが大事だと思います。その仕方等については、会長や審議会の皆さんでお決めいただくことになると思います。議事録を外に出すかどうかということについては、私が今ここで申し上げる立場ではないと思います。やはり委員会なり会長などが御判断をなさることではないか、こう思います。

江田五月社会民主連合

○江田委員 やはり議事録というものは公開していく。少なくとも事後公開ぐらいはしなければ、何の経過でこういうふうに決まったかがまるでわからない。途中は、それはいろいろあるにしても、後からくらいは公開しないと、歴史というものが秘密のべールの中に入ってしまうということになって、いけないのだと思うのです。  それから、答申とか意見とかはこれを国会に報告するものとするという修正案の内容になっていますが、法律としてはその限度かもしれませんが、答申、報告、意見だけではなくて、その都度、国会にということではなくても、なるべくだれにでもわかるような形をいつも保障しておくということが必要だと思うのです。  それから、委員の人選なんですが、先ほど世代のバランス、男女のバランス、こういうものをおっしゃいまして、それはそれとして必要なことだと思いますが、同時に日教組の関係のことですね。これは先日の内閣委員会の質疑の中でも出ているようですけれども、団体の代表ということで委員になっていただくわけではない。その団体というのは、もちろん日教組というのも団体である。そのこと自体は、それはそれでわかるわけです。しかし、日教組もまた今の日本の教育に非常に大きな責任を負っている。逆に言えば、今日の教育の危機について責任の一端を負っている教師の集団であって、そこにやはりいろいろな意見もあり、いろいろな提案もある、これは当然のことです。こういう日教組という組織に集約をされた意見もまた、何らかの形でこの審議会に反映していくようにしなければならぬ。だれかの気に入った意見だけが集約されるというのではなくて、気に入った意見も気に入らぬ意見もいろいろ全部まとまってくるということでなければいけないと思うのですが、そういう工夫をなされるおつもりがあるかどうか、伺います。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 私は、日教組だからこの団体の代表はだめだということを申し上げているわけではございません。  人選についてはこれから考えなければならぬことでございますけれども、例えば教職員団体でありますと、日教組でありますとか全日教連とかというふうにある。そういうふうな形で選ぶのがいいのか。小学校長会だと言えば中学校長会も高等学校長会も、そうなれば教頭会も、こうなってくる。あるいは国立大学を代表するということであれば、私立大学を入れなさい、いや短大も入れなさい、医科大学を入れなさい、あるいは産業関係の大学も入れなさい、こういうふうになってくるから、そういう形での団体の代表という形は審議としてはどうもいい形にならないのではないか、今の段階では私はそういうふうに考えているわけです。  しかし、今先生から御指摘ありましたように、現場の声が反映するということは大変大事なことだというふうに考えております。そういう意味で、どういう形で現場の先生の代表をお選びするかということは非常に難しいことでございますが、これもきのう私は内閣委員会で申し上げたのですが、その結果選んだ方が仮に日教組であったとしてもこれは結構なことだというふうに答えでございます。したがいまして、きょう一部新聞では日教組は入れないというふうに書いてございましたが、私はそういうふうに申し上げているのではございません。団体の代表という形で選ぶのではない。先生としてお選びをいただいた形の中でこの方が日教組に参加をされておられたとしても、そのことが排除の条件になるというふうに私は考えていないということでございます。先生が今おっしゃいましたように、できる限り現場の声が反映でき得るということは十分考えていかなければなりませんし、仮に委員におなりにならないといたしましても、各種の教育団体等から意見聴取はやはり頻繁に行わなければならぬことだというふうに私は考えておりますし、そういう運営の仕方があるべしだというふうに考えております。  なお、時間が来ていて恐縮でございますが、今先生から御指摘ございましたように、どういう形で選ぶ分野があるのかということも配慮しろということでございましたが、先般内閣委員会で鈴切さんからそのお尋ねがございましたので私はとっさに思い出すままに、こういう基準がいい、こういう分野がいいのではないかと幾つか申し上げたのです。そのときたまたま七つぐらい申し上げたものですから、それがいつの間にか七つの基準というふうに新聞等でひとり歩きをしておりまして、何かその範囲だけで選ぶのかというふうなことで、先ほど国際化という問題も有島さんから出ておりました。  私ども、これから議論をして詰めていかなければならぬことでございますが、国会の御論議等も十分参考にしながら、私が今自分で考えております一つの分野というのは、まず第一には、子供の成長に直接かかわってきたお父さん、お母さん、こうした形でお選びをしなければならぬだろう。そうして第二には、これは一からウエートの順に申し上げているわけではございませんが、今申し上げたような学校教育に携わっておられる先生方。そうした教師や経験者あるいは社会教育や体育やスポーツの実践者、またこれに精通している方たち。それから作家や芸術家等、文化に識見を持っておられる方。あるいは人間の発達や社会の発展について識見を有する方。例えば経済学、社会学、人間科学、教育学、これは昨日嶋崎先生からも御指摘がございましたが、社会福祉関係、こうした分野も考えなければならぬ。そして国際関係の経験あるいは国際関係の識見を持っておられる方。大学の管理や運営に識見を持っておられる方。あるいは私立学校、専修学校も当然考えなければなりませんが、こうした関係者。そして木島さんのお話の中に出てまいりましたけれども、地方公共団体というのは大変重要でございますから、この分野。あるいは財政運営について識見を持っておられる方。文教行政に精通しておられる方。そして経済界、労働界というふうに産業構造、雇用問題等に識見を持っておられる方々。そして、できれば新聞や放送という言論界のお考えを代表するような方々。こういうような方々のことが今の段階である程度精査されて私の頭の中にあるわけでございます。  そして、先ほどちょっと触れましたように、世代構成をできるだけバランスを保っていきたい、そういうふうに考えておりまして、私は今まで以上に若い世代をお願いをし登用することが的確ではないか、こういうふうに総理にも申し上げようと考えております。当然、女性の加わることも十分配慮していかなければならぬ。こうした考え方で人選を進めてまいりたいと思いますので、ぜひ審議会の法案を一日も早く御賛成いただければ幸いでございます。

江田五月社会民主連合

○江田委員 もう時間が参りましたが、この審議につきまして私もこれからまたいろいろと御提案もしていきたいと思いますし、今までも幾つか提案もさせていただきました。例えば、広く意見を集めていくんだというようなことでございますけれども、この臨教審というものがどこかに鎮座ましまして、意見集まれ、こういう形で集めるのでは本来いけないんだと私は思うのです。今、教育の荒廃とか言われますけれども、現場では本当に皆さん、いろいろな工夫をなさっている。血の出るような苦労をし工夫をして、今のこの難しい時代に何とかすばらしい、次代を担う国民を育てようと父兄も先生方もあるいは地域のいろいろな方々が苦労をして教育の現場で努力をされているわけですから、そういうさまざまな工夫を学んでいく、現場に学ぶという姿勢がなければ、これは到底国民的な議論が起こるわけもない。  ひとつ大きく国民的な議論を起こして、その中からなるべくすばらしいコンセンサスを見つけていくように、そういう一助にこの臨教審というものがなることを心から期待をして、私の質問を終わります。     〔片岡委員長退席、愛野委員長着席〕

愛野興一郎自由民主党・新自由国民連合

○愛野委員長 佐藤誼君。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 時間は余りありませんけれども、教育の何をどのように改革しようとするのか、その改革すべき教育の中身、この点について私は質問をし、文部大臣と若干討論もしてみたいというふうに思うわけです。  臨教審法案の中身については、かなり時間をかけていろいろ議論されておりますけれども、割合に議論が薄いのは、今申し上げたような、教育の何をどのように改革するのか、この議論が薄いような気が私はするのです。一般の国民の方も教育改革を望んでおりますが、その中身がどうなるのかという期待を持っておるけれどもなかなか俎上に上ってこない、こういう歯がゆさを持っていると思いますので、時間は限られていますが、幸いの連合審査ですから、それをまず質問していきたいと思います。大臣、なかなか能弁でございますから、時間が限られていますので、ひとつ端的にお答えいただきたいということを最初に申し上げておきます。  ことしの二月二十六日、朝日新聞の調査によると、国民が教育で改めてほしいというこれを見ますと、偏差値教育が二九%、入試制度が二二%、教育内容が一五%、こういう順序になっております。つまり、偏差値教育と入試制度、これを合わせると五〇%超すのです。これはやはり国民の重大な関心だと思うのですね。首相もその点に関しては、偏差値教育の改善ということを言っておりますね。私はこれは非常に重要なポイントだと思いますので、若干その部分を取り上げながら質問をしてまいります。  つまり、今日の学歴社会と結びついた過熱した受験競争、それが引き起こした偏差値教育、いろいろな要因によるものと思いますが、そのよって来る主要なる要因を大臣は何と考えるか、その改善の処方せんのポイントは何であるか、端的にお答えいただきたい。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 端的にということでございますから、幾つかの要因はございますが、教育というのはやはり社会のいろいろな構造、そのことにかかわり合いがあると思っておりますので、一つだけ申し上げるということは誤解を生む要素もございますが、やはり人間の、私ども住んでおる社会の、そういう学歴を優先する社会というものがどうしても優先をしている。そのことが今日のこうした教育の中でいろいろな弊害を生んでおる最大の要因だと私は考えております。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 私は、それは私なりに言わせますと、要因をとらえる深みが足りないのではないかというふうに、率直に言えば私はそういうふうに思います。  そこで、今日の過熱した受験競争やあるいは偏差値教育の実態、これは御案内のとおりでございますから、ただ御承知のとおり子供のときからの塾通い、業者テストの連続による偏差値による序列化、この偏差値による輪切り指導、進学指導ですね、それに伴ってくる落ちこぼれや非行問題、高校生の大量の退学ですね。まさにこれは挙げれば切りがないし、今日言われるような七・五・三の、新幹線教育と言われるようなたくさんのひずみを持ってきている。端的に言えば、先ほど言ったような学歴社会を背景にした過熱した受験競争、それが引き起こした序列化を求めていく偏差値教育だというふうに私は言えると思いますが、いろいろな要因がありますけれども、その中で日本の高度経済成長政策とともに進めてきた、あるいは進められてきた能力開発政策、これが重要な要因をなしていると私は思うのです。つまり、経済発展に役立つ一握りのパイタレントの育成をもたらす選別の教育、またこれは政府、文部省も進めてきた教育政策でもあったと思いますが、私は、そういう意味では源流は、今からさかのぼること昭和三十五年、あの所得倍増政策に始まる経済が優先し、物が優先するという、このことに国民が目の色を変えていったという、こういう一つのところに源流を求めざるを得ないような気がするのです。  大臣も御承知だと思いますが、一九六〇年、昭和三十五年、国民所得倍増計画、これは閣議の決定です。続いて、六二年には「日本の成長と教育」つまり教育白書、これは文部省が出したものです。これは時間がありませんから細かいことは言いません。つまり教育投資論です、この教育白書は。それから一九六三作、翌年、「経済発展における人的能力開発の課題と対策」というのであります。これは経済審議会が決めたものですね。マンパワーポリシーというものです。そこで一つの型をなしたわけでありますが、この一連の中で、私は、経済界あるいは財界と言ってもいいですけれども、それが教育界、教育に求めてきた教育のスタイルといいますか、その文教政策は何であったかといいますと、私は今申し上げましたけれども、経済発展に役立つ一握りの有能な人材を教育するんだということなんです。これはマンパワーポリシーの中にはっきり書いていますからね。パイタレントは大体三%ぐらいでしょう。それを頂点にした教育のシステムだと思うのです。これが財界、経済界が教育に求めた教育のシステムだと思うのです。当然、そのことから出てくるのは、早くハイタレントを見つけることなんです。これは早期の能力による選別です。そして選ばれた者に高等教育をするのです。高等教育をされて社会に出たならば、それは経済界にとって有能な人材として役に立ってもらうというこのシステムだと思うのです。  それが学校の教育の中でどうなってくるか。これは、早く有能な者と選ばれるために、つまりそれを具体的に収容する有名校に向かって殺到するわけでしょう。そこから今度は一流大学へと行くわけです。一流大学があれば二流、三流の大学ができる。格差ができる。そして、社会に出るときには、特に大企業などは特定の大学、有名校指定になるんですよ。父兄から見れば、早く有名な学校に入り、一流大学に行って、一流企業の有名校指定の学校に入って一流企業に入っていくという、このコースを選ぶのは当たり前だと思うんですよ。そのレールを敷いたのは、ほかならぬ、財界の要請を得て進めてきたところの過去の文教政策も大きくその任務を担ってきたのではないか。したがって、そこから出てくるものは、当然有名校、一流大学そして一流企業という、今日で言う学歴社会じゃないですか。つまり、学歴社会は偶然に出てきたのではないと私は思うのです。  今のような一つのプロセスを経て、大きく現在までの文部省文教政策が加担してきたと言わざるを得ないのです。しかも、それはその学歴社会のレールに乗るためには、少なくとも二つある。  一つは、能力がすぐれているという評価を受けなければならない。これは具体的にはぺーパーテストですよ。そこに殺到するわけです。つまり能力を磨き、よりすぐれるために殺到する。これが学歴社会を背景にした過熱した受験競争ではないでしょうか。そこから、それじゃその能力を何で選別するか、一番選別しているのは、今日で言えばコンピューターだ。つまり偏差値で序列化することでしょう。ですから、学歴社会、過熱な受験競争、そして偏差値教育、それが続いてくれば、落ちこぼれ、そして非行というものにもつながっていくのではないか。その先の議論はいろいろあるでしょう。ですから、私はそういう意味で、国民が求める学歴社会、過熱した受験教育、偏差値教育の改善という、これは大臣も首相も指摘しております。この原因は基本的にそこにあると私は思う。ここにメスを入れないで、幾ら制度の枝葉の部分を改善したって、できっこないと私は思う。  ですから今回、この臨教審の中に土俵をつくって国民の期待にこたえる教育改革をやろうとするならば、今国民が最も改革を望んでいる、今申し上げた五〇%、学歴社会を背景にしたこの部分を政府はどう改善しようとしていくのか、ここに明確なる処方せんというものを与えなければ、私は、国民は本当の意味で納得しないと思うんですね。この部分を今申し上げたように私は考えるわけです。  特に先ほど申し上げました一九六三年、マンパワーポリシー、これが経済審議会から出た年に能力開発研究所がうまれているのです。そして、能研テストを全国一斉にやったわけです。しかし結果は、数年にしてだめになりましたけれども、つまりこれはいみじくもあらわしているのじゃないでしょうか。能力を持った者を一斉にテストして、全国レベルですぐれた者を選んで、ハイタレントとして有名校、有名大学、一流企業のルートに乗せて、経済に役立つ人間をつくる、こういう形を象徴的にあらわしたのが、同じ年の一九六三年、昭和三十八年の能力開発研究所なんです。能研テストなんです。これは今申し上げたようにつぶれてしまったわけですけれどもね。  そういう点で、いろいろ要因はありますけれども、学歴社会を背景にした過熱した受験競争、そして今日、非人間的として問題になっている偏差値教育、その主たる源流は経済成長政策にあり、しかも、それは具体的にはマンパワーポリシーにあり、もっと端的に言うならば、経済発展に役立つ人間をつくる、つまり教育投資論が教育政策の前面に出てきた。このことが今日の教育のひずみ、ゆがみを起こした大きな社会的背景であり、原因だと思う。その社会的な構造の問題まで突き刺さっていかなければ、本当の意味の国民が期待する教育の改革にならぬのではないかというふうに私は思うのです。大臣、どうですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 佐藤先生がいろいろな要因を御指摘なさいました。先生のお考えとして、また私どもも素直にそのことには耳を傾けなければならぬと思っております。  ただ、私は、生意気なことを申し上げて恐縮でありますが、戦後の日本の教育というのは、必ずしもそういうハイタレントのみを養成してきたものだとは思っておりません。仮にハイタレントだけをもし養成をしてきたと思うなら、さっき木島さんがたまたま御質問の中でおっしゃいました、ハイタレントだけで日本の国はよくなっているわけじゃない。やはり平準化した人の和、そして高度に均衡ある社会というものがある程度でき上がってきた。私は、これはやはり国民の大きなエネルギーの成果だろう、こう思っております。したがいまして、やはり私ども日本の教育が目指したものは、人を生かす教育であったというふうに判断をいたしております。  財界志向のとおっしゃいますが、私は別に財界の立場に立つわけでも何でもございません。しかし、日本の産業が大きく伸長したということは、単にパイタレントだけではないわけで、一般的に勤勉な労働者もあったでありましょうし、国民がいろいろな角度から協力したということでございまして、高度に平準化した社会をつくり上げてきたという意味では、先生に反論するわけではありませんが、戦後の教育は大変大きな成果をおさめている、そういう気持ちを私は持っております。  ただ、今幾つか先生が御指摘をなさいました中に、たまたま五〇%ぐらいのいわゆる共通一次あるいは偏差値問題がある。この五〇%のところに手をつけなければとおっしゃいますことについては、文部省も今改善に最大の努力をいたしております。また先生は、学歴社会を生んだその構造にまで手をつけなければだめじゃないかとおっしゃいました。私は、まさしくそこのところをこの臨時教育審議会で検討しなければならぬと思います。一時的な改善だけをやっておっても、入試改善のところだけに幾ら手を入れても、やはりこの仕組み全体を変えていかないと、結果的には共通一次もおかしなものになってしまったというふうに私は考えておりますから、そういう意味でこれも改善していくことが大事でございます。まさしく今先生がおっしゃった、構造までしっかり直さなければならぬということを受けて、臨時教再審議会はやはり学歴社会全般を含めてということになりますから、文部省そして関連した行政各都に及ぶ問題でございますというふうに申し上げているわけでございます。  先生に御指摘いただきました点も十分踏まえて私ども教育改革に取りかかっていかなければならぬ、こういうふうに考えております。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 今の大臣の答弁は私も共鳴できる中身がありますから、すべて否定するようなことはありません。  ただ、私の言ったことで、とらえ方としてちょっと不十分だなと思われる点がありますので言っておきたいと思うのですが、それは、ハイタレントがすべてであって、日本の経済の繁栄なりすべてがハイタレントでやってきたということを私は言っているわけではないのです。言うならば、中級、初級、これらが所を得てやってきたんだと思うのです。ただ、政策として、ハイタレントをいかに早く選んでその人をエリートコースに乗せて勉強させて社会に役立たせるか、ここに傾斜した、光を当てた政策というものが一流、二流、三流という格差を生み、そして当然国民のあるいは父兄の人情として、自分の子供は、ということになりますからそこに殺到するわけです。これを生み出していったところが学歴社会を下敷きにした加熱なる受験戦争を生み、そしてそれから偏差値という一つの手段が見つけ出されてきたのではないか。このことを言っているのであって、ハイタレントがすべて云々ということを言っているのではないのです。その点はひとつ誤解のないように受けとめていただきたい。それがいろいろな意味で過熱現象を起こしてきた、私はこのことに思いをいたし、文部省なりしかるべき戦後の文教政策を扱ってきた人が、それも一つの分野として反省しなければならぬじゃないかということをあえて指摘しているわけであります。  それから同時に、私は、今申し上げた中に入っていますけれども、教育の改革、しかも今申し上げたような受験競争なり偏差値教育、これを変えていかなければならぬ。変えていく場合に大切なことは視点だということを主張したい。  今までの教育は、戦前はもちろんそうですが、どちらかというと、何々に役立つ人間をつくるということであったが、戦後の場合も、例えば経済発展に役立つ人間をつくるということに主眼が置かれてきた。これは教育の考え方として問題があるのではないか。そういう点からいえば、教育は手段じゃなくてそのものが目的である。このことを明確に示しているのが教育基本法だと思う。この教育基本法に基づいて、本当に教育の本質から問い直していかなければ改革はできないのではないかと私は思っています。  例えば、私の今述べたことを教育基本法との対比で言うならば、教育基本法で述べる教育は、つまり人格の完成を目指すということで、人間の能力の開発ではないのです。ここが違うと私は思うのですね。それから、どんな人間をつくるかということでは、皆さん釈迦に説法ですけれども、教育基本法では「平和的な国家及び社会の形成者」となっているでしょう。このことについては、あの育英会法案で議論しましたが、例えば育英会法案の中で、いみじくも政府が、どういう人間をつくるかということについて指摘があるわけです。これは第一条を見るとおわかりですけれども、「日本育英会は、優れた学生及び生徒であって」、「優れた」とあるのです。そして、「国家及び社会に有為な人材の有成に資する」とあるのです。これは一つの政府の考え方があらわれていると思うのです。すぐれた人材を選んで国家及び社会に有為な、つまり、ためになる、役立つということでしょう、そういう人材をつくる、ためになる人間をつくるという、これがいみじくも出ているのです。しかし、教育基本法で言っているのは、「平和的な」という言葉がつきますね。国家、社会の形成者なのです。役立つのではないのです、形成者なのです。ここが基本的に違うということです。  それから、教育基本法の目的の中には、「真理と正義を愛し、」以下ずっとありますね。これは知徳体という全面発達を言っているわけです。ところが今の教育は、御承知のとおり知育偏重の教育でしょう。頭でっかちの教育だ。ですから私は、今の教育のいろいろな問題は、教育基本法と逐一目的を照らすならば非常に異質なものである。したがって、私は教育改革をする、教育の本質、ベースはどこに置かなければならぬかといえば、もう一度じっくり教育基本法に戻って、そこから発想の転換を図っていかなければならないのではないかというのが、私の教育改革に対する基本的な視点なのです。このことを私は述べておきたいと思います。  ついては、今日の学校というのはどうなっているか。私が思うには、今の学校は子供にとって極めて苦痛なところになっていると思う。本来は楽しいものであるはずなんだ。それはつまり子供のときから、おまえは頭がいい、悪いということで選別される。学校の中でも管理される。そういう意味で、一口に言うと、選別と管理の中に置かれていると言っても過言でない状況にあるんじゃないだろうか。つまりそれは差別の増幅であって、そこから落ちこぼれなり非行というものも生まれる温床があるんじゃないか。ここを一つ私は考えてみる必要があると思う。  私たちは、学校というのは子供にとって楽しいところでなければならぬし、思い出になるところでなければならぬと思うのです、私たちの子供のころを思い出してみますと。そういうことからいうと、今のことに対比するならば、学校というのはまさに自由と創造が生き生きとしていなければならぬと思うのです。そういう意味では、御承知のとおり教育というのは人格の完成、個性を伸ばすことでしょう。子供の持っているそのものを引き出して、エデュケートして開花させていくことでしょう。つまり創造というのは営みなんだ。エデュケーション、教育というものはそのことでしょう。エデュケーション、教育、引き出して、伸ばしていくことでしょう。創造的でなければならぬのです。それが私から言わせると、学校が、選別と管理のウエートが非常に強くなっているのじゃないか。このことを私たちは、この際教育改革をすると言うならば考えなければならぬのではないかというふうに私は思います。その点について大臣、どうですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 私も大臣に就任をいたしましてから、またこの教育改革をお願いしておりますあらゆる場面で、まず学校は楽しいところであってほしい、そしてもう一つは、先生との触れ合い、それが最も感動的であってほしい。今先生も、背のことを思い出すと、といろいろなことをおっしゃいました。まさに学校が楽しくて、そして先生と触れ合う、友人と触れ合ったことが一番のよき思い出となるということだろうというふうに考えます。  選別、管理というような御指摘もございましたが、私は必ずしもそういう方向だとは思いませんが、先ほど第一番目の御質問のところで先生がおっしゃいましたように、日本の国は高度経済成長の中で急テンポな発達を遂げる、そのテンポの速さが教育の中にもどうしても織り込まれていった。国民の判断というのは、そこに、その速いテンポの中にどうしても自分を、自分というよりはむしろお父さんやお母さんが子供を乗せようとしたところに弊害があるだろう。そういう意味で、社会全体が子供たちをどう評価していくのか、そういう評価。  もう一つは、手間暇をもう少しかけて、先ほど先生からいろいろ御指摘がございましたような、教育基本法のうたっているところにかんがみてじっくりと教育をしていく、そういう環境をつくり出すことがこれからの日本にとって大事だろう。こういう角度で臨時教育審議会等で教育全体の見直しをするということが今国民の要請にこたえることである、こういうふうに私どもは判断をいたしておるところでございます。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 討論してまいりますと、文部大臣の答弁は私はそれなりに理解できる点があるのです。だけれども、どうもその元締めになっている総理大臣の発想というのはいただけないところがありますので、この点に対してはさらに私は総理大臣の教育改革の基本姿勢に若干触れて、この部分についての質問を終わりたいと思います。  御承知のとおり、この法案というのは教育改革を進めるための入れ物あるいは土俵づくり、こう言われていますね。確かに国民から見れば、土俵づくりもそれはそれなりに事によっては必要でしょうけれども、土俵の内でどういう相撲がとられるのか、このところがはっきり出てこないものですから、私は今までの質問の中ではややその点触れてきたわけですけれども、どうも総理との関係で言いますと、土俵づくりのことは主張し、若干相撲のちょんまげぐらいまでは、だれがどんなちょんまげするかぐらいまでは出てきて、どんな教育のものを対象にしてやるかということは出てきているけれども、どういう姿勢でどういう改革をやるかとなると判然ともしないし、我々がどうも賛成しかねる部分が非常に多いわけです。  例えばよく言われるのが、この教育改革の基本的な姿勢のバックグラウンドになっているのは何かというと、戦後政治の総決算の一こまということでどうも教育のことを考えているようだと思うのです。それは、憲法改正を射程の中に入れた中での教育改革ではないか。これはよくいろんなところに引き合いに出されますので大臣もよく知っていると思いますが、例の新聞に出たことですね。「まず、行政改革を断行しよう。」「この大きな仕事が失敗したならば、教育の改革もできなくなる。防衛の問題もダメになります。 いわんや憲法を作る力はダメになってしまうのであります。 したがって、行政改革で大そうじをして、お座敷をきれいにして、そして立派な憲法を安置する。」云々とありますね。これは、あるところであいさつをしたのを新聞で報道した限りでありますから、すべて信憑性を持つとは断言できませんけれども、これがそれなりに信用できるものであるとするならば、まさに首相が考えるところの教育改革は、行政改革、教育改革、その先には憲法改正があるんだよということを示唆しているわけです。それを全部包んでいるのが戦後政治の総決算、こういう発想に立つ教育改革というものであるならば、私たちは賛成しかねるということが言えるんじゃないかと思う。  それからもう一つは、さっき言ったような、どういう教育の改革をしようとするかということについては、先ほど日本育英会法の改正の中に、この第一条にどういう目的を定めているかということで、大体アウトラインはわかる。これは先ほど言ったとおり。それから教免法については、私は本会議で質問いたしましたけれども、どうしたって戦前回帰のにおいがとれない。それからもう一つは、今の教科書検定を見れば、これは二年前でしたか、例の是正問題で、一年検定を早めてやりましたね。新聞で報道されているように、むしろ検定が強化されているという方向にある。それから、もし本当に教育改革をやろうとするならば、先ほども質問されましたような四十人学級をどうして積極的にやろうとしないのか。なぜ非行の温床であるマンモス学校の解消をやろうとしないのか。このことに対する意欲もあらわれないで、改革する、改革すると言って、しかも改革の姿勢が憲法改正まで射程の中に入れたような改革の姿勢であるならば、これは賛成しかねるというのが大方の国民の考え方であり、非常に大きく危惧と不安を持っているのは、私はその辺にあるんじゃないかと思うのです。特に四十人学級の実現については坂田元文部大臣ですか、あの新聞の論説の中で主張しておりますね、私は傾聴するものとして読ましていただきましたけれども。  なぜこういうところから、本当にやろうとするならばやらないのか、この辺のところが私は皆さんが非常に疑問に思っているところではないかというふうに思いますので、これは文部大臣に聞くのはなんでしょうけれども、所管の大臣ですから、その辺、感想等がありましたらひとつ。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 感想と言われますと、大変御無礼になりますから……。  ただ、総理が総理になられる前にいろいろなところで演説をされておられたと思いますが、総理御自身は、政治家としていろいろなお立場で物をおっしゃっておられたと思いますが、総理大臣になられましてからの姿勢は明確にされておると思いますし、そしてまた当内閣委員会においでをいただきました際も、また本会議、予算委員会等を通じまして、いわゆる憲法改正等々についての政治的な日程は全く考えていない、こういうふうに明確に述べておられるわけでございます。そして今度の教育改革につきましても、教育基本法を大事に、このことを守ってやっていきたい、こう言っておりますので、また私自身も、そのことをこの内閣委員会、文教委員会、予算委員会等を通じて明確に申し上げてまいりましたので、今佐藤さんがおっしゃいますように、国民の危惧と不安ということは私はかなり解消をしていただいておるのではないか。そして、先ほど佐藤さんが幾つか御質問なさいましたことなどをむしろ改革をしていかなければならない。そこを改善をしていかなければならぬからこそこの臨時教育審議会が必要だということも、国民の皆さんの大方の理解をちょうだいしているのではないか、こう思います。  感想ということにつきましてはまことに失礼でございましたが、四十人学級等につきましては、先ほどから申し上げておりますように、私自身も大事に大事にいたしております定数改善でございますので、最大限の努力をいたしてまいりたいと思います。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 いろいろ質問の中で私の主張もしてまいりましたが、今の総理大臣のことにかかわって最後に私なりの考えを述べて、この質問を終わりたいと思います。  私は、総理大臣が教育改革をうたいとげていることはわかります。また国民もそれなりに期待をしていると思うのです。しかし私は、先ほど申し上げあるいは指摘しましたように、どうも発想と内容は戦前回帰を含む危険な要素を中にはらんでいるのではないかという気がしてならないのです。同時に、何をどうするのかという、この点も極めて不透明である。あえてそういうことを言えば、だから土俵をつくるんだということを言われるかもしらぬけれども、土俵をつくるということと同時に、どういう視点でやるかということを明るかにしなければ、土俵をつくることについて賛否を決められないと思うのです。そういう問題が基本的にある。  だからこの際、国民の求める教育改革をやろうとするならば、先ほど指摘しましたような今日の教育の荒廃の原因は何か、そのことを深く探りながら今日の教育を、教育基本法を下敷きにしてそのあるべき姿から見直していかなければならぬ、このことを基本姿勢としてきっちりする必要がある。ここの軸足が間違っちゃうと、土俵はつくった、中身はごちゃごちゃだ、ああ、開いてみたら国民はがっかりしたとか、期待に反するものが出てきたということになりはしないかということを考えるわけであります。この辺のところは極めて危惧の念が多いし、極めて不信の念が多いということだけを私はこの際申し上げ、次の質問に移りたいと思います。  次は、法案に関連して一、二質問したいと思います。時間も限られておりますから、すべてやり尽くせないと思います。ただ、このことについてはたくさんの方々が質問され、指摘されておりますから、若干重複する点もあると思いますが、私は今までの討論を議事録等で見まして、この点ははっきりしておかなければならぬという点に絞ったつもりで質問し、私の方の意見も述べたいと思うのです。  それは、まず第一に何かというと、この法案に関連して教育の中立性ということです。今までも質問がありましたが、すなわち、審議会は、権力の中枢にある首相直属の諮問機関として位置づけられる、これが問題なわけです。そういう点からいうと、このようなシステムでも教育の中立性が侵害されることはないという保証はどこにあるのですか。あかしはどこにあるのですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 たびたびお答えをしておるわけでございますが、今回は教育及びこれに関連する分野について検討していただく。そういう意味で総合調整機能を持つ総理府に設置をするということでございまして、何ら教育の政治的中立あるいは教育基本法十条の規定に抵触するものではないというふうに考えておるわけでございます。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 抵触するかどうかと育っているのじゃなくて、そういう危険性をはらんでいるシステムではないかということなんです。教育基本法十条に抵触するとは言っていない。そんなものは、抵触したらできない。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 今もお答えしたとおりでございますが、そういう権限に基づいて行うものでございまして、そのような御心配はないと考えております。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 御心配がないとするならば、何条によってそれが侵害されないという保証がありますか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 具体的には、一条の中に「教育基本法の精神にのっとりこという明文の規定もございますし、制度の趣旨からいってもそのことは保証されておるということでございます。     〔愛野委員長退席、片岡委員長着席〕

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 ちょっと角度を変えながら少し質問をしていきます。  私はなぜそういう質問をするかというと、単なる条文の規定のやりとりの問題ではなくて、本来教育というのは、簡単に言えば、何をどのように教えでどのような人間をつくるかという、まさに価値の選択であり、価値の伝達でしょう。価値が入るわけです。価値の伝達であり、価値の選択なんですよ。そういう点からいうと、公教育というのは支配者あるいは権力者の価値の選択行為によって教育の中立性が侵されるという、そういう側面を持っているわけです。中立性が侵されるというだけじゃなくて、実際、我々は歴史的に見ると、その権力の地位にある者がその地位を利用して価値の選択をし、押しつけることによって教育の中立性が侵され、むしろ教育の権力支配がなされてきたという苦い過去の歴史的な教訓があるでしょう。戦前の教育がそうではなかったですか。だからこそ、教育基本法は基本的な考え方として、「不当な支配に服することなくこというこのことを戒めとして一般論の規定を入れているわけです。「不当な支配に服することなくこというのは、当然これは権力云々という行政行為も入ってくることは論をまちません。  この法案を見ると、先ほどから言っているように、まず一つは、その地位が権力中枢にある首相の直属になっている諮問機関。そうすると、その直属にあるこの審議会の委員はどうして選ばれるか、先ほどからたくさんの人が言っているように。これは「文部大臣の意見を聴いてことありますけれども、結局のところは総理大臣が任命するのでしょう。そして、そのかなめとなり、まとめ役である会長は総理大臣が指名するのでしょう。指名するなんて、まず、いまだないのですよ。そうして、言うならば非公開の中で議論して、答申なり意見なりが出されてくる。これはだれが考えたって、教育の中立性を守るために広く意見を聞くという、その意見を開く相手を自分が選んで、会長も自分が指名して、そして答申を受けるとなれば、大体委員の選び方が、だれが考えたって、自分の思想信条なり教育的な識見と反する人を選ぶとは普通考えられませんよ。当然自分の意にある人を選んで、そうしてその人に自分が諮問して、自分の選択した価値にふさわしい答申が返ってくることは当然ですよ。そしてそれを自分が行うわけですから。簡単に言うと、諮問機関というものがあるけれども、審議会はあるけれども、今のような地位と選び方と審議の仕方を見るならば、その支配者、権力の地位にある人が、自分の価値判断で教育が自由にできるという、そういうシステムになっているのじゃないかということを私は指摘したいわけです。  したがって、こういうような教育の中立性が侵されるようなシステムはとるべきではない、これがむしろ教育基本法でいうところの規定ではないか。やるというものじゃないですよ、そういう危険があるならばそういうシステムはとるべきでないというのが教育基本法十条に基づいた制度の趣旨だと私は思っています。よく言われるように、教育は一省庁だけでやれないので、全省庁まとめる首相の直属のところに置くんだ、これは一つの考え方です。しかし、私は、そういうことにすることによって、最も重要な問題点である教育の中立性というのが逆に侵され、場合によっては教育の権力支配というものが行われる可能性のシステムをつくり上げることになりはしまいか、こういうように心配するわけです。その点は大臣、どうですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 不当な支配、そのことが中立性を侵すという佐藤さんの御指摘でありますが、内閣全体の総合調整権を持っております総理大臣の諮問でございますので、これは法律的には「不当な支配」に該当しないというふうに私どもは考えております。  そしてもう一つは、どういう人選、まあ文部大臣の意見を聞くが総理が指名するのだという御指摘でございますが、法律にもうたってありますように、人間的に幅広い、そして識見を持っておるということが大事でございます。したがいまして、そうした方々を、先ほど江田さんの際に私の私案で申し上げましたけれども、そういう分野からお選びを申し上げるわけでございますから、どういう御発言があり、どういう方を選んだかということは国民が見ていらっしゃるわけです。総理大臣として国民の皆さんの信頼を得て教育改革を進めよう、その御論議をいただく委員に、少なくとも人々から非難、指摘を受けるような方々を選ぶということは、総理大臣としてできるわけでもございません。また、私どもとしては、そういう十二分に幅広い識見を有する方、広い人格を持つ方という形でお選びをしなかったら、これは国民にむしろ相済まないということになるのではないでしょうか。政治家として当然そのことを配慮していかなければならぬということは言うまでもないことだと思います。そしてその上に、これも法律に明記いたしておりますし、総理も私も申し上げておりますように、教育基本法の精神にしっかり乗って改革をしたい、こういう期待をいたしておるところでございます。  また、この諮問機関におきまして調査審議が進められる場合も、それからその結果に基づいて具体案が実施される場合も、教育基本法の精神に基づいて行われることは当然でございますし、政策として進めていく場合には国会で御論議をまたいただくという、幾つかのいろいろな担保というものがあるわけでございますので、先生が御心配をなさるようなそういう方向には進まない、そのように申し上げておきたいと思います。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 私は、この規定が即教育の中立性を侵し、そしてそれが即教育の権力支配につながっていくということを言っているわけじゃないのです。それは今いみじくも文部大臣が言ったように、そういうことにはなっているけれども、広く教育の意見を聞き、恣意にわたるような人選をしないで広く意見を聞いてそして中立性を保つような、言うなれば教育施策を改革としてやっていくのだ、こういうことを言われていると思う。私もそれを信用したいのです。  しかし問題は、その法律上から出てくるシステムということが、選択の範囲として左もあれば左もある。しかし、今決意としては右の方の選択を主張されているというシステムでは不十分だと私は思う。常にこうでなければならぬ、場合によっては左の方に行く可能性もあるという、そういう選択の余地を残した制度は、事少なくとも教育の中立性に関しては苦い体験があるだけに、やはり避けなければならぬ、このことを私たちは、国民も不安に思っているし、また終始、この法案が出てから議論されてきたことです。ですから、少なくともこの法案が状況と情勢と選択によっては教育の中立性が侵されることもあり得るし、教育の権力支配もあるかもしれぬという、こういうシステムはとるべきではないということを私は主張しているのです。これがイコールになるということを言っているので、このことが大いに議論されなければならぬし、識者である国民の皆さんは、その分を非常に心配されていると思うのですね。その点を私はあえて私の意見として申し上げておきたいと思うのです。  その次に、今、教育基本法に乗っているから大丈夫だということを言われました。確かにそれは第一条に書いてあります。ただ問題は、「教育基本法にのっとりことありますけれども、審議会の所掌事務の中にある、求めに応じて答申をし、また意見を述べることができる。もしその答申及び意見が教育基本法から逸脱する内容であった場合にどうなりますか。大臣、どうですか。というのは、大臣は、審議としては教育基本法に余りとらわれなくたっていいのじゃないかという意見をたびたび言われておりますので、それとの関連でどうですか。

森喜朗自由民主党・新自由国民連合文部大臣

○森国務大臣 たびたび申し上げておりますように、教育基本法を改正するという考えは私どもは持っておりません。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 いや、改正するということを言っているのじゃないのですよ。教育基本法にのっとりとあるわけでしょう。ですから、当然我々としては、教育基本法にのっとった形で審議会の所掌事務としての答申なり意見が出てくれば問題がない。しかし、状況によっては逸脱した意見なり答申が出てくることだってあり得るわけです。その場合にどうなるかということです。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 大臣もたびたび御答弁申し上げておりますように、審議会が調査審議する場合には教育基本法の精神にのっとって行うことを期待いたしておるわけでございます。したがいまして、教育基本法に反するような答申等が出されることは予想をいたしておらないわけでございますが、先生御指摘のように、仮に答申等の一部に教育基本法の精神に反する内容が含まれる、そういう場合にどうなのか、法律上解釈はどうなっておるのか、こういうお尋ねでございますが、抵触する部分につきましては、法第一条の規定から政府がこれを施策として実施することができないわけでございます。したがいまして、第三条の尊重義務の規定は、その部分については法律上働かないというふうに解釈しております。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 第一条に基づいて第三条の尊重義務は働かない、第一条でチェックする、こういうことですね。そうすると、それが教育基本法に逸脱しているか沿っているかというのはだれが判断するのですか。

齊藤尚夫文部省大臣官房総務審議官

○齊藤(尚)政府委員 これは政府として判断するということでございますが、具体に法案等で国会の御審議を受けるといういろいろな担保があると思っております。

佐藤誼日本社会党・護憲共同

○佐藤(誼)委員 ちょうど時間になりました。まだ若干法案の内容について質問をしたいわけでありますが、時間が来ましたからやめます。  先ほどからいろいろ申し述べてまいりましたが、私は、土俵づくりもさることながら、教育の中身を国民は期待しているそのときに、冒頭述べたように、当面する課題は何なのか、そのことを十分心して、しかもそれは基本的に本質に触れたところの改革でなければならぬし、その基本的な下敷きになるのは教育基本法であり、そのもとになる憲法だ、このことを十分踏まえた形でやっていかなければならぬのである。そうでなければ、幾ら教育改革をうたいとげても国民の期待する教育改革の方には進まないのではないか、このことを最後に主張いたしまして、私の質問を終わります。

片岡清一自由民主党・新自由国民連合

○片岡委員長 以上で本連合審査会は終了いたしました。  これにて散会いたします。     午後五時十三分散会

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