内閣委員会 第16号
- 発言数
- 194 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1984/06/26
会議録
○片岡委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、臨時教育審議会設置法案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。元信堯君。
○元信委員 教育改革につきましては、今日まで本会議、予算委員会、文教委員会等でるる審議されてきたところでもございますし、本委員会におきましても既に各党一巡の質問が終了したところでございます。したがいまして、きょうまでの論議と重複しないように質問をいたしたいと思うのですが、その前提として、きょうまでの議論の中でどうしても理解ができにくかった点がございます。まずこの点についてお聞きをしておきたいと思います。 それは、臨教審設置法では教育基本法にのっとり審議をする、こういうことになっておりますし、また、総理や文部大臣も繰り返し教育基本法の改正はしない、こう述べておいでになるわけです。ところが、その一方で文部大臣は、委員には教育基本法にとらわれないで自由な論議をお願いしたい、こういうふうにも述べておられますし、またさらに、臨教審の設置法第三条には答申は尊重されねばならぬと規定をされているわけであります。臨教審の論議は、今までの論議の中からも当然教育基本法の枠、例えば義務教育九年に触れるものが出てくるであろう、こういうことは予測をされているわけでございますが、実際そういう議論になれば、答申にもそういうことが反映してくるだろうと思われます。この答申を政府が尊重するというのであれば、どうしてもさきの教育基本法を改正しないという答弁については矛盾が生ずる、これは避けられないと思うのです。 そこで、まず最初に端的に伺いますけれども、繰り返し答弁されておりますところの教育基本法の改正はしないとおっしゃっているところは、一体どの時点までの有効性を持った答弁なのか、未来永劫に改正をしないのか、あるいは今次教育改革に関してはこれを改正しないというのか、あるいは中曽根内閣が続いている限りか、文部大臣が文部大臣としての責任ある間ということなのか、そこの点からまず伺いたいと思います。
○森国務大臣 一般的には、法律は未来永劫に改正しないものであるというようなことは申し上げるべきことではない、法律はやはりその時代の変化、またそれぞれ国会の御審議、いろいろな御意見の中でより改善をされていく、改正をされていくというケースはあることだろう、こう考えております。しかし、今元信さんから御指摘がございましたように、この今お願いを申し上げております臨時教育審議会、そしてそれに伴います教育改革に関しましては教育基本法を変える考えは全く持っておりませんし、そのことにつきましては、総理も私もこの国会を通じましてたびたび申し上げておるところでございます。
○元信委員 そうしますと、確認をいたしておきますけれども、義務教育九年というのは明文で書いてございますね。それについてはその枠組みは崩さない、どういう答申が出たとしても、政府としてはこの教育改革の中でこの九年の義務教育を崩さない、こういうことでよろしゅうございますね。
○森国務大臣 そのとおりでございます。
○元信委員 次に、教育改革の基本理念についても整理しておきたいと思います。 過日の当委員会において総理は委員の質問に答えて、教育改革は憲法問題の処理につながる、こういう質問があったわけでございますが、それについて、教育改革が憲法の弊害と言われる問題も処理できる、こういう認識を示されました。これは受け取りようにふりますと、中曽根首相のかねてからの発言とあわせて、いわゆる戦後政治の総決算を教育改革の中でやろう、こういうふうに聞こえるわけであります。教育基本法では、教育は不当な支配に服してはならぬ、こういうふうにされているわけでございますが、憲法問題のように非常に政治性の高いものをストレートに教育改革の中で解決しよう、処理しようというのは非常に問題があると考えるわけです。 文部大臣、この総理の答弁を聞かれて、総理の言われた憲法の弊害というものは一体具体的にはどういうものを指しておって、そうしてその処理というものは、どういうふうにすれば教育改革の中で今言う憲法の弊害が処理できるとお考えなのか、文部大臣のお考えを伺いたいと思います。
○森国務大臣 総理の御発言は、六月十九日、当内閣委員会、市川委員の御質問に対してお答えをされたところであろうと記憶をいたしておりますが、総理の答弁の趣旨は、教育改革により自主自立、連帯、友情等の徳目を教育において培い、これにより憲法にまつわるいわゆる弊害も解消される、こういうふうに総理が御答弁を申し上げております、そのことであろうかと理解をいたしております。 このことについて総理に直接伺ったわけではございませんが、総理のそのときの発言の趣旨は、憲法の精神にのっとって我が国の教育の基本を定めた教育基本法について、国民としての基本的な徳目が十分教えられていないのではないかとの意見が一部にあることを踏まえて、これらの徳目を身につけさせることの必要性を改めて述べたものである、このように私は理解をいたしております。 私は、今度の教育改革は、憲法、教育基本法の精神にのっとって、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を育成する、そのための社会の変化や文化の進行に対応でき得る教育の実現を期すために行うものである、こういうふうに私どもは申し上げておるわけでございまして、その意味で、国民としての基本的な徳目をどのように身につけさせるかということを考えていくべき課題であると私は解釈をいたしておるところでございます。
○元信委員 現憲法並びに教育基本法の中では徳目を身につけることについて十分でない、こう言われるわけですね。具体的にどういう徳目であるか、おっしゃっていただきたいと思います。
○森国務大臣 そういう御発言、声が一部に見られる。現に昭和三十一年、私どもはそれを記録にしか承知することはできないわけでありますが、当時清瀬文部大臣も、議事録によりますと、新しい教育基本法では愛国心や親孝行などというものは教えられないというようなことを御発言されておるのです。 元信さんも私も大体同世代でございますから、私どもはそうは思わないのでありますが、やはり戦後の歴史的な経過あるいはまたその当時の社会環境、背景などいろいろ考えますと、まだ今のような成熟した民主主義というものも完成されてなかったのかもしれません、その辺は定かではございませんが、いろいろな人々の考えがございます。しかし、教育基本法においては愛国心も徳目教育もきちっとできる、文部省としてはそういう対応をとっておるわけでございますが、戦前生きてこられた方、また昔の教育を受けられた方にすると、今の道徳教育などについては何となく物足りなさを感じておられる方もあるだろう。私どもは、足りないというよりも、要は教え方の問題だろうと、現実の問題として理解をいたしております。 これは予算委員会でも私は申し上げたのでありますが、明治の生まれの方もいますし、大正の方もいらっしゃるし、昭和の世代もいらっしゃる。その昭和の世代も、私どものように昔の教育勅語のころに幼児教育を受けて今日に来ている者もおりますし、恐らく元信さんだと、今三十九歳と伺っておりますから全く戦後教育でございましょう。ですから、さまざまな考え方があると私は思うのです。 先ほど申し上げたように、一部には、権利だけがどうも前に出ておって義務が弱いのではないか、責任を果たすということの教えが弱いのではないか、そういう声が確かに世上あるのじゃないでしょうか。総理はそういうことに対するお考えを言われたということでありまして、今私は文部省の行政の責任ある者といたしまして、教え方さえしっかりやれば、現在の憲法あるいは教育基本法の中で徳目教育などはしっかりやれる、私どもはこういう理解と考え方でおるわけでございます。
○元信委員 清瀬一郎さんまで出てまいりますと、相当のアンシャンレジームということになるわけでございます。確かに意見としてはいろいろな意見があるだろう、そのことは否定をできないと思うのです。ただ問題は、今度の教育改革でいろいろな意見のある中で、文部大臣、総理大臣とちょっと意見が違うところがあるのじゃないかと思うのですけれども、総理大臣がおっしゃっているようなものが前に出て、その問題を教育改革の中で何とかしようということになりますと、議論そのものが相当前にさかのぼる。特に清瀬さんが愛国心は教えられないとかいうようなことをおっしゃったのは、教育基本法そのものを否定する立場に立って言われたわけですね。 そうしますと、前段文部大臣が言われたような、総理大臣が念頭に置いているとそんたくされているのでしょうが、そういうものについては文部大臣としては今度の教育改革の中でとらない、こういうふうに理解してよろしいか、ひとつ明確にお願いします。
○森国務大臣 先般の内閣委員会でも御議論が出たところでございますし、予算委員会等を通じましても、この問題はよく御意見として私どもの考え方をただされるわけであります。端的に申し上げて、教育基本法というものを改正する意図があるのではないか、そのおそれがあるのではないか、それは中曽根さんのいわゆる戦前回帰思想につながるのではないか、今元信さんもおっしゃったように、昔のものに、もとに戻そうとしているのではないかというような危惧をお持ちになる方もかなりいらっしゃるだろうと私は思うのです。 ですから、私も総理も、そういう考え方の基調に立っておるのではないのです。教育の議論というのは、そのあたりのところで戦前の教育はよかったんだ、今のこの制度はよくないんだ、そういう前提に立っていつも議論をして、教育の制度全体のことについてお話し合いをするということが、あるいはまた国会の御議論になるということが、私の短い経験ではございますが、角屋先生のように表彰されるほどの経験はまだありませんが、十五年ばかり国会議員をやっておりまして、本当の中身の議論でなくて、外の話ばかりになってしまう。ですから、そういう心配があるという国民の危惧が、代弁者としての先生方のお立場で御質問に出てくるわけでありますから、そういう意味で教育基本法を変える意思は全くない、私どもはこう申し上げております。 例えば義務教育年限みたいなところですと、これは主義や主張とは違うと思うのですね。本当によりすばらしい、いい案が出たら、元信さんでも、場合によっては八年にしてもいいかもしれない、十年にしてもいいという議論があっても私はおかしくないと思うのですね。しかし、そのことを一つの口実にして、先ほどから議論しております教育基本法のところをそのためにいじるのではないか、突破口にするのではないかという危機感みたいなものを恐らく皆さんは持っていらっしゃるのではないかというふうに愚考を私はしているのです。私の方が愚なんですよ。ですから、そういう意味で教育基本法を変える気持ちは全くございません、こう申し上げているわけでございます。 ですから、その点は教育の制度全般の中身について、九年は全くさわっちゃいかぬのだということでありますならば、そういう考え方で審議会が御議論いただくということも一つの行き方だろうと思いますけれども、ざっくばらんに申し上げて、制度上の年限のことなどについてはいろいろな御意見があってもいいのではないかと私は思うのです。要は、それをそんたくするかどうかは会長が御判断されることであるし、私どもとしても教育基本法をしっかり大事にして、その精神にのっとって御議論をいただきたいということを期待申し上げているわけであります。 仮にそういう制度を云々ということになれば、当然国会での議論になり、あるいはまた法律改正という問題になってくるわけでございますから、そういうおそれがあるということであるならば、私どもはそこのところは余りさわらないで、誤解を生まないようにしてほしいなという気持ちはもちろんございます。しかし、日本の教育制度全般に対して皆さんで幅広く御検討いただくということになるのなら、余りそういうところにまでこだわらない方がむしろいい御意見が出てくるのではないだろうか、こういうふうに私は考えているわけでございます。
○元信委員 文部大臣は繰り返しそういう御答弁でございますね。私も総理も戦前回帰の気持ちはないとおっしゃるのですが、どうもそこは吹っ切れないところがある。文部大臣は、私は戦後派だ、こうおっしゃるわけですが、総理大臣はそうでもないですね。なかなか戦前派でございまして、例えば憲法の弊害だなんということが、彼氏の今までの言動、著作、そういうものから見ていますと、どうも戦前回帰という心配があってたまらぬ。そのところは文部大臣を幾ら責めても仕方がございませんから、ぜひ教育基本法の精神を守るということでお願いしたいと思います。 先に行きたいと思います。 この最大の問題は、私どもが思いますには、中曽根内閣が臨教審に対してどんな答申を期待しているか、ここにあるだろうと思います。そういうふうに聞きますと、いや、そんなことはございません、全く白紙でお願いをいたしまして、それはもう出てきたものを尊重するだけでございます、こういう答弁で、これはもう水かけ論に入っていますから、余り触れたくはないのです。 ただ、諮問案とか人事とか人選、こういうものについても、従来の答弁の中では、すべて国会での審議が終わって法律が成立してから、こういうふうにおっしゃっていましたね。ところが、最近新聞によりますと、臨教審の会長には慶応義塾の石川忠雄塾長が有力である、新聞にこういう大きな記事が出ておりまして、そのほか日経連の教育特別委員会の有田一寿さんですか、元文部事務次官や須之部前外務事務次官、その他何人かの名前が出ておるわけでございます。国会では全く白紙だと言っておきながら、こういうのが首相周辺からということで、恐らくこんなものはリークだと思うのですが、こういうやり方というものは甚だ国会議員としては遺憾に思うわけでございますけれども、委員の人選が今どんなふうになされているのか、お答えをいただきたいと思います。
○森国務大臣 たびたび委員会でお答えをさせていただいておりますが、ただいま臨時教育審議会を国会で皆様で御議論をいただいておるところでございますので、皆さんの御審議を経て幸いにして速やかに御成立をちょうだいでき得たというふうに考えますと、その時点で目的や所掌事務等も明確になるわけでございますので、その時点から作業を開始するということになります。 しかしながら、準備をいたしましてから今日までかなりの経過を経ております。準備といいますのは、法案を準備いたしまして国会提出させていただいてからということでございますが、したがいまして、もちろん具体的な人選をどなたにということは、私どもは全くいたしておりません。ただ、この間国会で御質問をちょうだいをいたしましたので、もしお選びをするとするならどのような角度から選ぶのかということについて、基本的にはこのような考え方ができるのではないだろうかということで、七つぐらいの分野を私はここで申し上げたわけでございます。したがいまして、そういう考え方でお選びをすることになるであろうという考え方を一応示し、そういう対応もこれからしていかなければならぬと思っておりますが、決して旦体的にどなたにお願いをしたというようなこと、あるいは人選を具体的に検討したということは全くございません。また、総理もそのような姿勢でございまして、法案が通った時点で文部大臣の意見を聞いて考えるということでございます。 なお、会長につきましては、新聞等で先週週末少しにぎやかに出ておりますが、私どもとして考えたことはございませんし、総理にも念のために私は何回も念押しをいたしておりますが、あくまでも法案の成立を待ってから、総理の言葉をかりると、ひらめきでやはりそういうものは出てくるものだということだから、いろいろな案を君自身は考えておいてもいいがということでございました。 新聞記者さんにとっては、私もちょっと経験がございますが、それは命をかけておやりになっておられるわけでございますから、いろいろなところ、政府のどういう筋が、どういう方がお話しされたかわかりません。今先生がリークとおっしゃいましたが、こういうことを考えているよと言って政府の筋がそういうふうな話をするわけじゃありません。歩き話、立ち話で記者さんから、こういう方もいいんじゃないですか、こう言えば、そんなのはだめだと言えば検討したことになってしまうし、いい方ですねと言えば、ややそういう方向へ行ったのかなとも書けますし、これは記者、報道関係の皆さんのお考えであろうというふうに思いますので、私どもから今具体的にどうこうしたというわけではございません。 したがって、私ども非常にその点は身を慎んでおりまして、文部大臣でございますので教育関係者の皆さんとも話をしなければならぬこともたくさんございますが、うっかりちょっとお話し合いでもすると、また何か就任のお願いをしたのではないのかと記者さんに追及されることもございますが、今私どもも総理も、この問題についてはあくまでも国会の御審議、御成立をお願いをしたいということだけが、頭の真ん中というよりも頭の中全部がそのことでいっぱいでございますので、どうぞ何とぞ速やかな御審議をいただきまして、ぜひ御成立をさせていただきたいということをお願いを申し上げておきます。
○元信委員 どうも新聞を見ておりますと、なかなかそうすぐ素直には受け取れぬところもありますが、これも時間ばかり費やして仕方がございませんから、先へ行きたいというふうに思います。 中曽根内閣の臨教審の審議に対する態度に、今大臣も言われたのですが、もう少しフランクに新聞記者に言うぐらいのぶちまけたところがあってもいいと思うのですが、どうも率直さが欠けているように思います。しかし、答弁できないものをやれやれと追及しても時間のむだでございますから、中曽根内閣の考えている教育改革というのはこういうものじゃないかとちょっと思われる事例がございますので、取り上げて、教育改革の将来像というようなものについて質問をしていきたいというふうに思います。 総理大臣は、ことし二月の予算委員会において、放牧教育ということを言い出されました。これは三年ぐらい前に出された著書の中にもそういうことが書いてあって、牛も半年くらい山の中にほうっておけば牛らしくなる、人間も山の中に入れておけば人間らしくなる、こういういささか乱暴な議論だろうと思いますが、そういう考えに基づいて放牧教育ということを言い出されました。 それを受けて文部省では、今年度から自然教室というものを、全国千校と聞き及んでおりますけれども、小中学校を指定して実施することになったというふうに聞いております。今行われております自然教室というものは、この中曽根首相の言う放牧教育を受けたものである、こう新聞も伝えておりますが、その点について、そうしてこの自然教室というものがどういうふうに実施をされているかについて、文部省の御答弁を賜りたいと思います。
○高石政府委員 自然教室の構想は、従来公害地域の学童のためのグリーンスクールというのを文部省の体育局で所管していまして、都市の子供たちを自然環境の恵まれたところで教育をしようというのが、従来から予算としてあったわけでございます。これを受けまして、もっと子供たちを自然に親しませるというような発想からこの事業を拡大していきたいというのが前々から検討されておりまして、その内容が、御指摘のような形で自然教室というような予算要求をして認められたわけでございます。 発想といたしまして、放牧教育で言われているような内容の一部も当然中に入るわけでございまして、総理がおっしゃったからそれをすぐ受けてというよりも、もう少し長い従来からのプランがあって、それが花が開いたというような形の予算でございます。
○元信委員 最初、グリーンスクールの拡大だ、こういうふうに言われました。コウガイ云々と言われました。ちょっとその辺意味がわかりません。もう一遍意味を説明してください。
○高石政府委員 公害地域の小中学校の子供たちに対して……(元信委員「コウガイというのはどういう意味ですか」と呼ぶ)煙とかそういうもので、そういう地域の小中学校の子供たちに、自然環境の豊かなところで教育をさしていこうというような事業があったわけです。これを従来からグリーンスクールというような構想で呼んでいたわけでございます。(「発言が悪い」と呼ぶ者あり)
○元信委員 コウガイというのは学校の外も校外だし、町の外も郊外だし、コウガイ(公害)と言うのがいいと思うが……。 それで、この自然教室というものをことし各県の教育委員会におろしたと思います。いつおろしましたか。
○高石政府委員 具体的な執行につきましては、五十九年二月二十三日に、この内容について十分理解してもらう必要があるということで、通達を各都道府県の委員会に出しているわけでございます。その内容で具体的な準備をしていただきたいということで仕事をやっておりまして、現在各県から具体的な事業計画の集約をやっておりまして、近く整理の上、その最終決定をしていくというような段取りになっております。
○元信委員 予算委員会が二月二十一日で、通達が出たのは二月二十三日、ばかにタイミングよく出たものではありますけれども、いずれにしても、新しい学年の直前にこういうことを出したことによって、実際実施する学校では大変な混乱といいますか、これは後から詳しく申し上げますが、生じているわけでございます。 今政府委員の答弁の中に集約中というふうなお言葉がございましたが、既に実施しているところがあるのじゃないですか。
○高石政府委員 この種の事業は、青年の家とか少年自然の家がかなり前から整備されておりますので、各都道府県、市町村の段階で独自に従来から実施されているケースが多いわけでございます。したがいまして、国の補助事業として実施するに至りましたのは五十九年度からでございますので、その補助事業の対象事業として認定することを今作業を進めているという状況でございます。
○元信委員 五十九年度といったら、ことしの年度のことですね。ことしの年度にやるのを、今承認をしているところだというのですか。
○高石政府委員 一般的な予算執行につきまして、例えば五十九年度小中学校の補助金を出す場合でも、具体的な事業計画を決めて六月の中旬に補助事業の内定、決定をする。同じように、この種の事業についてもそういう形での補助事業としての認定を行うわけでございます。したがいまして、事業の実施自体につきましては、早いところは四月から実施されている、ないしは五月から実施されているというケースはあるわけでございます。
○元信委員 補助事業としての認定をやる前から事業を実施している、こういう理解でいいのですか。――わかりました。 それで、既に実施をしている学校がございまして、そのおおよそのカリキュラム等をちょっと調べてきたわけでございますが、急にと学校側では受けとめているわけですね。年度末ぎりぎりになってこんなことを言ってきて、これを教育課程にはめ込むことについて大変な混乱を生じている、こういうふうに言われています。 まず第一にどこが困るかといえば、この自然教室というのは五泊六日の野外訓練を中心にするわけでありますが、五泊六日というと丸々一週間ですね。丸々一週間、時間でいいますと、中学校で三十時間分の授業時間が吹っ飛んでしまう。全国一千校だけ研究指定校に指定されたところは、三十時間のカリキュラムがなくなってしまう。そうでなくても詰め込み教育だと言われて教科がぎっしりある中で、この学校についてはその分の授業時間が吹っ飛んでしまうわけですけれども、その分について文部省ではどういうふうに措置するように指導していますか。
○高石政府委員 これはあくまで正規の学校教育活動の一環として実施するわけでございます。したがいまして、少年自然の家等で実施される児童生徒に対する教育活動は、正規の授業時間にカウントできるわけでございます。もちろん、そういう施設でやるわけでございますから、教室で行うような算数教育とかそういう授業は展開できませんけれども、勤労体験であるとか体育であるとか音楽であるとか、それから社会であるとか植物の観察であるとか、そういうものは他の理科教育、社会教育で当然にカウントできる内容でございます。したがいまして、そういうものは正規の授業時間としてカウントいたしますので、実際上学校でやっているのとその施設でやっているのとは何ら差がないというふうに見ているわけでございます。
○元信委員 それは勘定すればそういうことかもしれませんが、実際に学校では英語は何時間、数学は何時間、理科は何時間というふうに時間割りを決めて、それに教科書を割り振ってちゃんと一年分のカリキュラムができているわけですね。それをそんなに急になってどかんと入ってくる。その一週間分の授業時間はみんな吹き飛ぶわけですから、その分については幾ら文部省がカウントはできる――カウントはできるでしょう。ですけれども、その分のおくれはどうしても出てくるわけです。それをどう取り返すかということを申し上げているわけです。
○高石政府委員 これは先ほど申し上げましたように、市町村段階では自発的に前々から実施していた県ないしは市町村がかなりあるわけでございます。そういうような実際上の行われている実績、そして先ほど申し上げましたグリーンスクールの実績、そういうものを踏まえまして、もっと子供たちを自然環境の中で教育をしていくということが必要であると言われておりまして、その構想にのっとって実施をしたのが自然教室でございます。したがいまして、学校内、教室における座学だけでは十分でなく、もっと子供たちを自然の中で教育していく、そしてそれを評価していくということを教育の手法として積極的に取り上げていく必要があろうという発想でやっているわけでございます。 なお、この構想は、去年の夏概算要求をした際に、既に文部省としては各府県に対して、こういう構想の予算要求をしたということをかなり前からいろいろな形でPRをしているわけでございまして、熱心なところは相当前からその計画をつくって実施に移しているというふうに理解しているわけでございます。
○元信委員 前々からやっているとか、そういう関係のないことを言ってもらっちゃ困るのです。実際こういうことがあるのです。例えばこれは静岡県の教職員組合が静岡県教委に対して、自然教室推進事業に対する要求、こういうものをした。それをちょっと読んでみますと、要求は、「教育課程は、教職員の総意で主体的に編成されるべきであるが、強制される」、これはつまり文部省からそういう割り当てが来たから強制をした、こういう認識ですね。「強制されることによって、年間計画に無理や矛盾が生じているが、どのように考えているのか。」という質問に対して、静岡県の教育委員会は、「五十九年度は、教育課程編成と相前後したがこういうふうに言っているのです。つまり、教育課程が編成をされてから文部省からそれがおりてきた。そのことによって今まで編成した分が、その学校だけはとにかく変えなければならぬ。今までやっていたなんということはないわけなんです。それは、数多い中にはそういうのは幾つかはあると思うのですが、こういう事態が生じているわけですね。 編成したものに割り込んだ、そのことによって生じたそれをどういうふうに解消するかということについて措置をしているかということです、言っているのは。カウントすればいいということを聞いているのではない。
○高石政府委員 あらかじめ年度当初にいろいろな事業計画を学校ではつくるのは、御指摘のとおりだと思います。そこで、こういう具体的な事業を展開したいという場合には、そういう計画を練り直して学校では教育計画をつくっていくわけでございます。その練り直す際に、一般的に学校で全体の職員の意向も聞きながら、最終的に校長が判断をしていくという形で決めていくわけでございます。したがいまして、その中で教育活動の一環としてそういう形態の授業を展開するということで実施されるわけでございますから、特にそういう調整を行って実施してもらえば、十分に授業時間との調整は可能になっているわけでございます。
○元信委員 我が国の教育の荒廃というのは、文部省のこういうことを言って平然としている体質にまさに根があると私は思うわけであります。実際に学校では、あなたが言っているように概算要求の段階からこんなものが行っていたわけじゃない。二月二十三日、ぎりぎりになって押しつけておいて、それは押しつけられれば仕方がありません。組みかえますよ。しかし、組みかえの段階で大きな混乱が出ている。あえて言えば、こういう思いつきをどんどんやることが学校にマイナスの効果を及ぼしていることも、また以下ちょっと触れていきたいと思います。 まず、五泊六日の野外教育ということでありますけれども、こういう校外における学校行事の引率教員の配置基準というのは、生徒に対してどういう割合になりますか。それをまず伺います。
○高石政府委員 こうした校外野外活動において具体的にどういう形で教育活動を展開するかというのは、一律の基準を設けることは非常に難しいわけでございます。したがいまして、あくまでその学校の教職員の責任の持ち得る範囲内でそういう事業を展開していって実施をするということが必要であろうと思います。したがいまして、現に修学旅行を実施しておりますが、修学旅行もかなり二泊三日とかそういう期間で実施するわけですが、その場合に、学校の先生方のいらっしゃる範囲内でいろいろ工夫をして実施するということが通例でございます。まさに修学旅行と似たような、それよりも、ある意味では行き先にそれを指導する人がいる、ないしはそのために非常勤の人を採用できるというような形になっておりますので、そういう面の対応をしながら実施してもらうようにしているわけでございます。
○元信委員 非常勤の人を雇うことができると言いますが、そんな引率の非常勤の職員を雇う人件費なんか、文部省は措置しましたか。
○高石政府委員 非常勤の、例えば二クラスの人たちが行く際に、現地で指導をしていただく特別な技能を持っている人を採用して指導してもらいたい、そういう場合の講師謝金というのをこの補助金の補助対象に組んでいるわけでございます。そういう意味で、この補助事業の一環としてそういう措置を講じているわけでございます。
○元信委員 そういううそを言っちゃいかぬよ。さっきあなたが言ったのは、引率については非常勤の人を連れていって引率してもらうと言ったんですね。今あなたがおっしゃったのは、いいですか、技術指導謝金ということを言っているのでしょう。それはカリキュラムの中に見ると、例えば向こうへ行って、昔、僕らもやったことはないが、わらじを編むだとか竹トンボをつくるだとか、そういう今はなくなったような技術を年寄りに来てもらって教わる。そのことは否定しませんよ。そういうことはやらなければいかぬと思う。そういう謝金は措置をした。それはそうですね。引率なんかじゃないじゃないですか。
○高石政府委員 答弁が不十分でございましたが、指導補助員といたしまして予算措置を講じております。それからもう一つは、技術指導員等の講師としての予算措置を講じているわけでございます。
○元信委員 これは文部省の初等中等教育局、あなたが局長をしている局ですな、これから出ている「自然教室推進事業の概要」というものの「実施方法」の最後に「補助対象経費」というのがあって、「技術指導謝金、バス借上料、施設使用料等」と書いてあるわけですけれども、今あなたがおっしゃったようなことは書いてないじゃないですか。
○高石政府委員 「技術指導謝金」、それから二番目に「指導補助員謝金」というのがございます。先ほど申し上げましたのは二番目の項目でございます。
○元信委員 何だって。「技術指導謝金」の次に何が書いてある。委員長、ちょっとこれを見てください。
○片岡委員長 速記をとめて。 〔速記中止〕
○片岡委員長 速記を始めて。 局長、正確に返事をしてくださいよ。
○元信委員 最初からそう言えば何もこんなことはなかったんだよ。 それで、そういうものを実際に雇っているかどうかということがまた問題になるわけですが、これはまた文部省、実施したところの実態というのは把握していますか。
○高石政府委員 まだ今年度の事業でございますので、最終的な集約は全然やっておりませんで、これから事業を始めてどういう成果になるかということは、年度末になって集約をする予定でございます。 それからなお、先ほど話の行き違いがございましたが、「自然教室推進事業の概要」ということで簡単なパンフレットをつくっておるわけですが、その中に今御指摘の正確な記述がなかったわけでございまして、今お手元に差し上げました通知によりましては、そこのところを明確に記入しているわけでございます。
○元信委員 引率教員の数は一律でないというふうに言いますが、今一クラスは四十五人ですね。四十人学級をサボっているから四十五人だ。四十五人に一人の先生で行けますか。
○高石政府委員 これは一般的にバスを利用されると思います。したがいまして、学校でバスを借り上げてその目的地まで行くというわけでございますから、担任の先生、そのほかになお先ほど申し上げました指導補助員等を利用していけば、十分安全な方法で目的地まで輸送ができると思います。
○元信委員 その指導補助員というのは、何人に一人の割合の予算を措置していますか。
○高石政府委員 学級数掛けの〇・五ですから、二クラスあれば一人の人を日数分雇うことができる積算になっております。
○元信委員 既に実施したところの実態に即して言えば、大体二十五人に一人、こういう割合で先生がついていっています。しかも、あなたが言うような指導補助員、そんな便利なものは見つからなかったせいでしょうか、そういうのじゃなくて、学校内の先生が行っているわけですね。今あなたがおっしゃったように、二クラスに〇・五人というようなことでは、結局四十五掛ける二割る三で、一人で三十人見なければならぬわけですね。そういうことになりますね。これは間違いないですな。何人に一人になるのか。
○高石政府委員 実施をする市町村で、学級数ないしは学級の児童生徒数は変わっていると思うのです。まあ二十五人のところもございましょうし、四十五人のところもございましょう。だから最高の計算でいきますと、四十五人編制の学級でございますと、その二クラスで三人ということでございますから、御指摘のような数になろうかと思います。
○元信委員 つくづく嫌になるね。都会の子供を自然に親しませるというのに、都会の大規模校に二十五人学級なんかあるわけはない。それをあるかのごとき答弁をするというのは、もうごまかし以外の何物でもないんだよ。 それで、今実態を申しますと、そうやって大体二十五、六人に一人の割合で先生が行くということになりますと、一学年そっくり行くわけですね。この学校の場合は四クラスだ。四クラス行きますと、二人か三人の先生は余分に行かなければならない。そうしますと、その先生が抽出されたクラスは、結局、いろいろ埋め合わせをするけれども、授業ができなくなるのです。もっとちゃんと人の手配をすべきじゃないですか。そんなもので足りると思いますか。二クラスならいいけれども、三クラスならどうなるのですか。
○高石政府委員 今年度初めて実施した事業でございまして、ここで予定するような内容の予算がどういう形で執行されるか、それぞれ地域によって相当違ってくると思います。したがいまして、我々といたしましては、今年度の実施状況を見た上で、改善すべき点があれば改善していかなければならないと思いますし、初年度のことでございますので、大体この程度の対応をしておけば十分な対応ができるのではないかというふうに思っている次第でございます。
○元信委員 それでは、その引率をしていった教職員の労働時間についての認識を承りたいと思いますが、何時から何時まで働くと思いますか。
○高石政府委員 宿泊団体訓練を伴う行為でございますから、当然子供は二十四時間その施設に入るわけでございます。したがいまして、二十四時間施設に入っている子供に対する管理の形態をどう考えるかというのを工夫していかなければならないわけでございます。一般的に学校の先生の勤務時間は一日八時間というのが標準であるわけでございます。そういうことから、具体的にそこにいる施設の職員による指導、ないしは先ほど申し上げました特別な技能講習をやるための指導の講師、そういうものによって授業を展開していくというようなことで、その勤務時間の範囲内で対応していくというのが原則的なやり方であろうと思います。 ただ問題は、修学旅行や臨海学校に行くような場合には、なかなか勤務時間が特定しにくいということから、教職員に対しては特殊勤務手当という制度をつくっているわけでございます。したがいまして、そういう施設を利用される場合には、一般的に八時間を超えて勤務されることが予想されますので、特殊勤務手当の支給をしていくというような具体的な仕事になろうかと思います。
○元信委員 カリキュラムによると、朝の六時から夜の十時まで一日十六時間の勤務、こういうことになるわけです。この勤務を超えた分は、今の局長の答弁ですと、特殊勤務手当が支給されているからそれはもう全部それで包含されるべきだ、そんなふうに聞こえるのですが、そうですか。
○高石政府委員 教職員については超勤問題というのは非常に難しい問題がありまして、それを基本的に解決するというようなことで、給与体系の中で特殊勤務手当というものを制度上創設したわけでございます。したがいまして、その運用によって処理していきたいと思います。
○元信委員 それに行った先生は大変なんですよ。朝六時から夜十時。十時になったら寝られるかといったら、あなたが今おっしゃったとおり、うちの子供は夜中に起こしてくれなければおしっこが近いというような手紙がお母さんから来れば、その時間に起こしてやらねばならぬ。文字どおり不眠不休で五日間働かなければならぬわけです。それに対して、今みたいに特殊勤務手当を払ってあるからそれでいいということにはならぬのじゃないですか。代時間その他の処置をしなければならぬのじゃないですか。
○高石政府委員 これは修学旅行の場合も同様でございますが、基本的にはそういう勤務上のいろいろな問題があるので、教職員の給与体系を全体的に見直しまして、その一環として特殊勤務手当の制度をつくりまして運用していくということになっておりますので、その範囲内で対応していきたいと思います。
○元信委員 今おっしゃったのは、修学旅行三泊四日という限定つきでそういう理解をされているのではないですか。
○高石政府委員 小学校、中学校、高等学校いろいろありまして、高等学校は五泊六日程度やるところがあるわけでございます。したがいまして、教職員の全体的な勤務の形態からいえば、林間学校を利用するとか修学旅行に行くというような場合には、払う手当についてはそういうような対応で処理しようということで運用しているわけでございます。
○元信委員 これに参加した先生の意見を聞いてみますと、もう大変だ、くたくたである。特に女の先生は、女子の深夜労働というのは労基法で禁止されているところですけれども、実質的には深夜労働に踏み込まざるを得ないと言っているのです。そういうことについて何か配慮していますか。
○高石政府委員 教職員の勤務形態については、通常の職務と違ってなかなか時間で測定しにくい面があるということで、教職員についての給与体系を改めまして、本俸を格上げする、そして特殊勤務手当制度を創設するということで、かなり給与水準としては一般の行政職に比べて高い給与の保障をやっているわけでございます。したがいまして、そういう運用の中で、問題は子供たちの教育をどう展開していくかということを考えていかなければなりませんので、子供の教育にとって、子供をより立派に健全に育てる上にとって立派な教育活動であれば、それは学校が積極的に取り組んでいくという基本姿勢を一方において持たなければならないと思うのです。しかし、一方において教職員の勤務条件の問題がありますので、その調整をとりながら対応していくということが、教育行政の現場として必要なことであろうと思っております。
○元信委員 女子のことを聞いているのだから、ちょっとそのことについて返事をなさい。
○高石政府委員 女子についても、深夜業の禁止があるわけでございますから、夜間の監視その他については男子職員が勤務時間の割り振りで対応してもらう、そういう運用をしているのが修学旅行等における現実の姿でございます。
○元信委員 修学旅行のことを聞いているのではない。このことについて何か指示をしたかどうかということを聞いている。はっきりしてください。
○高石政府委員 そういう施設の場合には、施設に職員がおりますし、先ほど言ったような職員も雇えますし、修学旅行の場合以上に配慮しているつもりでございます。
○元信委員 くたびれるのは引率教師だけではありませんね。子供もなれない環境に行って非常に疲れる、こういうふうに言っています。医師等の手配についてはどんなふうに配慮されますか。
○高石政府委員 一つは、そういう施設を利用される場合に、専門の医者を常駐させるということは非常に難しいのですが、いろいろな病気等が発生した場合には、近くの病院に常に連携がとれるようにしているのが、青年の家、少年自然の家の実態でございます。したがいまして、子供たちがそういう施設を利用して、病気になっていろいろな事故が起きたというケースは、今までも数年間運用しているわけですが、ほとんどないわけでございます。今回の場合も、そういう施設の利用に当たっては十分な配慮を加えながら、子供たちの病気、そういうものに対応する対応措置が的確にとれるような配慮をして実施してもらいたいと思っております。
○元信委員 そういう施設というのは大体遠くにあって、医者に連絡をするといったって、連絡をしただけでどうにもならぬところが多いわけです。ですから、今まで事故がないというのは、ことし初めてやる事業のことですから、今までのことなんてそんなに参考になりっこないのです。初年度だからやってみなければわからぬということでは、教育は皆さんにお任せできない。ちゃんとそれに対して必要にして十分な注意というのはしておくべきだろうというふうに思うのです。答弁が非常に関係のないことで長くて前に行きませんので、この辺で切り上げたいと思います。 こうやって見たとおり、こういう事業というのは急に思いついて学校に押しつける、そのために十分な配慮がされているかといえば、されていない。実際やっているところを見れば、教員もほかのクラスの先生を連れていくから、残った子は自習になる。それから、代時間措置という制度がありますね。代時間を、超勤相当の部分をほかの日に休暇を取らせるわけです。おっしゃるように特殊勤務手当が出ているからいいということなんかには、現場ではなっていないのです。そうすると、なるべく直近のところで代時間の休暇を取るようにしますと、結局そこでまた授業に穴があいていくわけです。そうでなくても一週間三十時間分の穴があいたところへ、ここから先また先生が休むから自習だよということで、ずっと自習がしばらく続く。こういうことになっているのが今の学校の現場であります。 これは集約していないということなら、今度この事業が一わたりしたところでぜひ集約をして報告をしてもらいたいと思いますけれども、そういう実態にならざるを得ない。あなた方が思っているようなわけにいかないということをはっきり申し上げて、そうしてこの教育改革というものは、本来四十人学級であるとか大規模校の解消であるとか、やるべきことをちゃんとやる、それをしないで、思いついたように放牧だなんというのは、随分僕は乱暴な考えだと思います。牛や馬は山へ行ってえさもくれずに放牧しておくという手がありますが、子供に飯もくれないで山へ好きなように一週間行っていろなんということはできっこない。実際にはこういうふうにいろいろにやらなければならぬ、手を加えなければならぬ、そのための条件整備をせずに、こういう人気とり、思いつき、それに対する文部省のごますり、こういうことからこういう事態が発生していることを極めて遺憾だと思っている、このことを申し上げておきたいと思います。(「失礼だ、答弁をさせる」と呼ぶ者あり)何が失礼だ、答弁要求してないのに、人の時間を邪魔するな。 次に、ちょっと順序を入れかえて、障害者教育について伺いたいと思います。 私が障害者教育について質問を申し上げます観点は、今日の教育の目的が、人格の形成という大目標から離れて、単に知識の詰め込みになって、そしてそれが人生出世競争の道具とされていると考えるからにほかなりません。こういう誤った教育観から最も遠いところにあって、教育のあるべき姿を示しているのが障害児教育であろうと思うのです。すなわち、障害児教育は教育の本来の姿を映す鏡だろうと思うのです。 まず、文部大臣、ややこしいことになりますが、障害者の生涯にわたるという意味での生涯教育の目的というものをどういうふうに御理解されますか。
○森国務大臣 心身に障害を持ちます児童生徒に対しましては、その障害の種類や程度に応じまして適切な教育を行うことは本人のためでもございますし、我が国の社会にとっても極めて大事なことであろうと考えております。また、人間尊重の精神、それから教育の機会均等等の理念を具現いたします上からも極めて重要なことだと考えております。このため、文部省におきましても、かねてから特殊教育の振興を重点施策の一つとして各種の施策を進めてきているところでございます。 具体的な事例、また進め方につきましては、政府委員から御答弁をさせたいと思います。
○元信委員 具体的な事例を聞いておりますとまた長くなりますから、それは結構でございます。 私が伺いたいのは、教育というのは本人、社会のため、これは障害者、健常者を問わずさようでございますね。しかし、私がそこで申し上げたいのは、障害者の生存には生涯教育が欠かせない手段であろうと思うのです。健常者の教育と心身障害者の生涯教育を比較して特殊の意義があるかどうか、その点の認識を伺いたいと思います。
○高石政府委員 障害者の方にとっても普通の方にとっても、生涯教育の持つ意味は同じであると思います。
○元信委員 同じじゃないと思うのです。すなわち、生涯にわたって障害者は教育をされ続けていなければ、人格の完成というものは非常に遅いのですね。例えば義務教育九年間、それに続く後期中等教育、高等学校に相当するもの、こういうものに対しては非常に反応が遅いといいますか、例えば重度の重複障害を持っている子供たちは、九年間でやっとにっこり笑えるようになった、しかし、それも教育が終わればまたもとのもくあみということなんです。そういう意味で、この人たちの人格の完成を追求するためには、生涯にわたる教育というものが必要になると思います。そういう意味で、健常者と障害者の教育というものは観点が違わなければならぬと思います。 この障害者の生涯教育の権利をどういうふうに保障すべきか、保障する責任の所在については文部省はどういうふうにお考えでしょうか。
○高石政府委員 文部省の所管しております学校教育という範囲でとらえますと、学校ではそれぞれ修業年限がございまして、その一定の修業年限を終えれば学校から卒業していくということになるわけでございます。そうしますと、学校を卒業した後の取り扱いは、一般の方々でございますと、生涯教育として社会教育その他の機会を提供し、それを利用して自己学習をしていくというような教育展開になろうと思うのです。 障害者の方については、それよりももっときめの細かい対応が必要であろうという御指摘はそのとおりだと思います。したがいまして、生涯教育を展開する場合、それを学校教育としてとらえていくか、社会教育の分野としてとらえていくかといういろいろなとらえ方があろうと思うのです。現行制度でいいますと、学校を卒業した後のとらえ方は社会教育のとらえ方になろうかと思います。したがいまして、社会教育の場で障害者に対してどういう教育展開をしていくかという点については、今日の実態は十分配慮されているとは言いがたいという点はあろうかと思います。
○元信委員 答弁の冒頭で、文部省で所管する学校教育、こういうふうに言われましたが、どういう意味ですか。
○高石政府委員 各省の縄張りじゃございませんけれども、職業訓練施設というような形で、労働省で職業訓練を与えるような機関があるわけでございます。一条で言う学校が文部省所管で、その他それぞれの省庁でそういう特別の目的のために学校に類するような教育がいろいろございますので、そう申し上げたわけでございます。
○元信委員 問題は社会教育の方にあると思うのですね。文部省で所管する学校教育におきましてはといいますと、何か社会教育は所管せぬように聞こえますが、そんなことはないですね。もちろん社会教育も含めて文部省の責任である、こういう理解でよろしゅうございますね。 今初等中等局長もおっしゃいましたように、この社会教育の面においてやはり非常におくれている。普通の社会教育のように学校教育を終えた人がまた自分の意欲に応じて教育をするというのと、障害者の教育というのはここのところで認識が違いますね。ですから、先ほどおっしゃった同じである、こういう認識では困ると思うのです。そういう同じであるというような認識があるからどうしても施策がおくれる、こういうふうに思わざるを得ない。こういう重度の障害を持った人たちを教育していくというその責任をだれが負うべきだと文部大臣はお考えですか。
○森国務大臣 先ほども申し上げましたように、心身の発達程度、それに応じてそれぞれ学校教育、そしてまた、今局長からも答弁申し上げましたように、社会に出ましてからは社会教育の中で心身障害者に対します教育を手厚く制度として施策を講じていくということが大切だと考えております。 そういう意味で、教育はゼロ歳から生涯までというふうに私どもも考えておるわけでございますが、社会教育全体は、もちろん国が責任を持つものもございますし、地方自治体が責任を持っていくものもございますし、国民全体の理解を得なければ、障害者に対する社会教育というのはなかなか充実しないものだろうというふうに考えます。責任全体から考えてまいりますと、国全体が責任を持っていかなければならぬものだ、こういうふうに理解をいたしております。
○元信委員 国全体が責任を持つということは、やはりここではこの障害児・者その人本人に押しつけたり、家庭に押しつけたり、地域に押しつけたりすることなく、重度の障害を持った人も一生学び続けられる、そういう制度を国が責任を持ってやる、こういう決意と受け取ってよろしいですか。
○森国務大臣 国全体でそうした皆さんに対する教育のいろいろな施策は講じていかなければならぬというふうに申し上げているわけでございます。先ほど局長からも、社会教育全体を通じまして、あるいはまた高等教育などにつきましての障害者に対する教育は、必ずしも十分だというふうには言えないということも申し上げました。学校教育におきましても、いわゆる義務教育というような形でいたしましたのもごく五十年代に入ってからでございまして、日本にとりましても、そうした面についての施策がまだまだおくれておるということは、これは私ども自体反省もしなければならぬと考えておりますが、今後ともやはり社会全体、国民全体の御理解をいただく、あるいはまた御協力をいただく、そういう形で施策を講じていかなければならぬというふうに考えております。
○元信委員 おくれておるという認識ですね。これを教育改革の中で前進をさせていく、こういう気持ちというのはありますか。
○森国務大臣 おくれておるというふうに私もあえて申し上げさせていただきましたが、施策の面でおくれているという点については十分政治の立場でも考えていかなければなりませんが、やはり日本の今日までのいろいろな物の考え方から見て、心身障害者に対して国民全体がみんなで手厚くしてあげなければならぬという気風が出てきた、そういうのは歴史的に見てもまだ浅かったというような感じが私はするのです。例えば、子供たちにとっても、家庭ではどちらかというと余り外に出さないようにしたいという、そういう親御さんもあったことも、私は自分の経験から見て事実だと思うのです。そういう中で、そういう障害を持つ子供たちも本当に一般の子供たちと同じように社会に出て、あるいは学校に出て勉強もする、皆さんとともに遊びもする、そういう気持ちになってきたというのは、私はやはりここ近年になってからだというふうに考えます。そういう意味で、私は施策の面でもおくれておったという面も、一面あるような感じがいたすわけでございます。 ただ、これから生涯全体を通じて特殊教育、障害児・者教育というものを、教育制度全体に対して、例えば新しい教育改革の中にどのように取り入れていくかということについての先生の御指摘でございますが、常々答弁申し上げておりますように、審議会がスタートいたしませんと、どのような教育の項目について御論議をいただくかということは、私から具体的なことを申し上げる立場ではございません。しかし、幅広く教育全体に対する考え方、そしてまた二十一世紀を担う青少年に対してどのような教育を展開していくのかというようなことを御論議をいただきました場合には、当然、幾つかの項目の中にこうした障害者に対する教育をどのように国全体が進めていったらいいのかというような御論議もあるのではないかということも私は予測いたしますし、また先生から御指摘をいただきましたように、いろいろと施策としておくれをとっておるとするならば、日本全体の教育の中でどのように位置づけていくのか、どのような方向を生涯教育の中にも取り入れていくのかというようなことをむしろ御論議をしていただき、各界のいろいろな御経験を持つ方々からの意見をちょうだいできるということも私は期待をいたしたい、こう思うわけでございます。
○元信委員 今まで教育改革に関して、財界でありますとか首相の私的諮問機関でございますとか、そういうところからいろいろな提言と申しますか、意見が出ておりますね。こういう中で、私の見た限りで申しますと、障害者教育に触れているものはないというふうに言わざるを得ない状況にあるわけです。したがって、今の教育改革というのは、あるいは非行であるとか落ちこぼれであるとか画一主義であるとか、そっちの方に目が向いておって、こういう人たちの問題にどうもまだ目が向いていないのではないかというふうに思わざるを得ません。教育というのは、いかに知力を上げるか、学力をつけるかということではなくて、人格の形成ということであれば、どうしてもこの問題は落とせないですね。諮問案もこれから考えるとおっしゃるのですが、僕は、これはほっておけば教育改革の論議の中から落ちちゃうのではないかと思うのです。ぜひ諮問案の中にもこれが全体の問題として討議されるようにお願いをしておきたい。 それで、今おくれがあるということはお認めになっているわけですが、そのおくれの具体的な現状についてちょっと指摘をして、文部省の見解を承っておきたいと思うのです。 まず、特殊学校への教諭の配置なんですが、盲学校、聾学校、養護学校、それぞれ資格というものがございますね。盲学校教諭、聾学校教諭、養護学校教諭、こういう資格を持っていない人がたくさんその学校に配置をされているわけです。私は、統合教育を進める上でも、特殊教育に対する一定の知識なり理解なりというものはこれからの全教員が持つべきではないかと思うのです。その観点から、大学の教員の養成課程の中で、特殊教育のせめて概論でも必修化しておくべきではないかという意見がございます。 それからさらに、具体的に聾学校とか盲学校、養護学校へ配置をされる方は、それぞれの科目を修めた人を優先的に配置をする、あるいは今まで配置された人で持ってない人について、現状ではその人たちが必要な資格を取るためには自費でやらねばならぬということですが、当然これは国費で援助をすべきであると思うのですが、いかがでしょう。
○宮地政府委員 教員養成課程で特殊教育概論ぐらいは必修にすべきではないかというお尋ねでございますけれども、教員を志望する者に対しまして特殊教育概論等の授業科目を履修させて障害児教育に対しての理解を深めさせるということ、そのこと自身は有意義なことでございますが、問題は、これを必修科目として明示をするということになりますと、現在の免許法の仕組みで申し上げますと、基本的には大学における教員養成は、御存じのとおり、戦後、開放制の原則に立っているわけでございます。そして、免許状取得に必要な最低修得単位数を決めるというような考え方でございますので、必修ということを法律上明示をするということは困難ではないかというぐあいに考えております。 ちなみに、国立の教員養成大学・学部、全体で四十九大学・学部あるわけでございますけれども、その中で教職専門科目として特殊教育に関する科目を開設しております大学・学部は、全体では三十一というような状況になっておるわけでございます。したがって相当数の大学では、もちろん必修の場合もございますし、選択の場合もあるわけでございますけれども、そういう科目を開設いたしまして、特殊学校の教員でない場合であっても、教員を志す者についてそういう講義をできるだけとらせるような態勢は努力はいたしておる点でございますが、ただいまお話しの必修という観点では、困難ではないかというぐあいに感じております。 それから、自費で特殊教育教員の資格を取っている者もある、公費での措置を考えるべきでないかという御質問があったわけでございますが、特殊教育諸学校の教員の資質向上を図るという観点から、特殊教育諸学校の教員で特殊教育諸学校の教諭の免許状を持っていない者を対象といたしまして、昭和四十七年から特殊教育諸学校教諭資格付与講習というものを実施をいたしております。これは文部省と都道府県教育委員会ないしは大学との共催で計画的に実施をしているものでございまして、文部省と都道府県教育委員会の共催のものは、五十八年度で二十六会場実施をいたしております。また、大学との共催のものは一会場実施をしておるわけでございます。それによりまして特殊教育諸学校の教諭の普通免許状を取得をさせているわけでございますが、年間約五千人前後の受講者がいるわけでございます。この認定講習については、もちろん受講料を徴収しておりませんし、国からも必要な講師謝金等についての予算措置を講じているところでございます。
○高石政府委員 そういう資格を持っている人を優先的に配置するという基本原則は、人事をやる場合に尊重していかなければならない姿勢だと思います。ただ、現実的にそれだけ全部免許状を持っている人がいないので、小中学校の免許状を有している人がそういう特殊教育諸学校へ配置されている場合もございますし、特殊教育学級を担当している場合があるわけでございます。
○元信委員 特殊教育と一口に言いましても、内容は極めて多様ですね。ところが、最近、特殊学校の間で人事交流をするということが非常に多く行われるようになりました。例えば、長年盲学校に勤めておった人が聾学校に転校する、その逆もある。こういうことについてどう思われますか。
○高石政府委員 それぞれの人事は、県の教育委員会が責任を持って、最も効率を上げるような形の人事行政をどうやるかという観点から人事をやられていると思います。したがいまして、どういう事情で、どういう考え方でやっているかというのは各県の事情があろうと思いますので、一概には申し上げにくいわけでございますが、そういう学校に配属されれば終身そういう学校に勤務した方がその先生の教育者としての生きがいになるのか、もっと多くの教育の分野を経験させる方が先生のために、また子供のためにいいことになるのかという、いろいろなことを考えて人事行政がやられていると思いますので、一概にいいとか悪いとかというのをこの場では申し上げにくいわけでございます。
○元信委員 私どもの身の回りで幾つも例がございます。盲学校の先生を三十年やられた方が、もうかなりお年を召してから養護学校に急に配転になる。体がもたないわけですね、養護学校は生徒の体が重いですから。結局、二年で退職されたという方もあります。聾学校で私どもの静岡県で一番経験を積んだ権威のある先生が盲学校に転出になって、これはもう直ちに退職されました。本人の希望なんか全然無視してやっているんですね。 私が今伺いましたのは一般論としてですよ。例えば、盲学校においては視覚が使えないから、結局聴覚に多くを依存するということになりますね。いかに聴覚を鍛えるかということになる。聾学校ではその逆です。聴覚が不自由ですから、手話でありますとか口話でありますとか、視覚をいかに鍛えるかということになる。長年聴覚のために研さんを積んできた先生を、いきなり引っ外して視覚の方へ移すというようなことがいいわけないじゃないですか。専門家として育てていくというのを原則にすべきじゃないかと思うのですが、あなたが言うように、それは教育委員会のやることですよと言えば、それはそのとおりだけれども、そういう原則、一般的な原則、こういう特殊教育はそれこそ特殊なんですから専門家としてやっていくべきではないかと思うのですが、大臣、どうですか。
○森国務大臣 先ほど局長が申し上げましたように、先生の特性、これは大事にしなければならぬと思いますし、特に心身障害児に対します手厚い教育というのは、やはり先生があってこそ初めて教育が展開をされるわけでございます。 私も、大臣に就任をいたしましてから、一番先に中野区の養護学校に行ってまいりました。そして、私は本当に勉強不足でもあったわけでありますが、改めてこの学校を見て、先生方の御苦労というのは大変なものだなと思いましたし、同時に、先生が繰り返し繰り返し子供たちに教えられる、それぞれ小さな小学校から、年齢的に言えば高等学校ぐらいまであったわけですが、大変な御努力だな、この子供たちにとって、この先生とずっと一緒にやっていかれたらそれはいいんだろうなという感じ方もいたしましたし、また、この先生がこの世界で、この専門のお仕事でずっと進めることも、先生にとっての喜び、生きがいかもしれないし、場合によったら、また一般の学校にかわって、そしてそこでまた教師としての勉強もされていく、またそれによってほかの部門にかかわっていかれるということも、先生の大きな分野を広げていくということによって、またこれも私はすばらしいことだと思うし、いろいろな考え方ができると私は思いますので、先ほど局長が申し上げたように、すべてこのことだけを専門にずっとやるんだということが果たしていいのかどうか、これは私どもの立場では非常に言いにくいものだと思うのです。 たまたま中野区の養護学校の校長先生がおられまして、私が先生の御苦労大変ですねというふうにお尋ね申し上げたら、校長先生も、いろいろな教職の場でいろいろな仕事をしてきましたけれども、自分がいよいよここが最後の仕事だと思ったら、やっと自分の教育者としての最後の仕事はここに一番の喜びを感じた、もう自分は退職まで生涯かけてこの仕事をやっていきたいというふうなお話をしておられました。いろいろな教育を展開し、いろいろな教育の場面に遭ってこられた校長先生も、養護学校で初めて教育者とは何なのかということを私は実感としてわかることができたと言って大変喜んでおられました。また、逆の場合もあるかと思います。 そういう意味で、先ほど局長が申し上げましたように、一概にどれだけやって、あるいは例えば今先生から御指摘のように、盲から聾へ、聾から盲へというような形がいけないとかいいというようなことは言いにくいことでありますが、要は、ちょっと先生の御質問の中にありましたように、ある程度御本人のお気持ちというものも教育委員会等で十分熟知しておくということも、やはり適正な人事を進めていく上において大事なことではないか。とりわけ、こうした特殊教育あるいは障害者に対する気持ちをまず第一に考えてまいりました考え方の配置というのもとても大事なことだというふうに、私は今先生のお話を承りながらそういう感じを持った次第でございます。
○元信委員 時間がありませんから、いろいろ資料も準備はしてきたのですが、今大臣も言われましたように、本人の希望というのは大事だと思うのですね。本人の意に反した異動というのがこのごろ非常に多く行われているということについて、まず注意を喚起しておきたいと思います。後ほど資料を差し上げます。 それともう一つは、特殊教育の見方というものが、どうも、これはだれも言葉に出して認めませんけれども、やはり普通教育より一段低いものとして位置づけられているのじゃないか。例えば高校の教員を採用すると、まず一番最初に若い人を養護学校に入れて、それから普通学校に出していくというような人事もございますし、早い話が、養護学校に転勤すれば、三年間そこにいれば一号アップということになっているから養護学校に行くんだと言う人もいるわけです。なるべく早く出たいなという思いで養護学校に勤めていたのでは、特殊教育はうまくいくはずがない。いろいろあります。一々申し上げるわけにはいきませんけれども、やはり文部省として、ここは本人の希望ですね。教育は先生が宝なんです。特に特殊教育に情熱を注いでくださる先生というのは、私どもは宝だというふうに思いますから、この人たちのやる気を奪ってどんどんやめていくという現状が今あるということについて、改めて注意を喚起しておきたいと思います。 いろいろ飛ばさなければいかぬのですが、次に、障害児・者の自立ということについてちょっと伺いたいと思うのです。 障害児・者の福祉と教育、こういう問題を考えますときに、自立を目指している、こういうことが言われるわけでございますが、障害者の自立というのは一体どういうものであるとお考えか。特に重度障害者にとっての自立というのはどういう概念であるか、まず文部大臣に伺いたいと思います。
○高石政府委員 いろいろな見方があると思いますが、心身に障害を有する者の自立は、一般的に社会の一員として種々の分野で活動するとともに、自分で生活を営むことができるようになるというのが自立の考え方であろうと思います。
○元信委員 重度障害者にとって、自立ということはあり得ますか。
○高石政府委員 重度障害者にとっては、自分が生活していく上に必要なことを自分で処理できるということまで求められない重度の方もいらっしゃると思います。
○元信委員 そういう人には自立はあり得ない、こういうことですか。
○高石政府委員 その人が全くだれの援助もなくしてやるというのは、事実上無理だと思います。
○元信委員 ここのところに私どもと文部省のお考え方にどうも決定的な溝があるように思うのですね。と申しますのは、社会の一員として、こうさっきおっしゃったわけでございますけれども、だれでも、これは私なんかでも、皆そうだと思いますが、社会から孤立して人間は生きることができません。お互いに支え合って生きていくということですね。その度合いが相対的に多いか少ないか。身の回りのことだって必ずしも全部自分でできるわけじゃありませんね。そういう概念を含めて自立ということは考えなければならぬのじゃないか。経済的な自立、身の回りの自立、それだけじゃいかぬのじゃないかと思うのです。つまり、人としての尊厳は、障害者といえども全く変わるところはありませんね。社会の一員として尊重されるというところも変わりはないと思うのです。したがって、重度障害者の自立は、一定程度の社会の介助というものがあって、それを含めてその人たちが社会の中で役割を果たしていく、そういう状態をとらえて自立というふうに見なければならぬと思うのです。どうでしょう。
○高石政府委員 一般論としてはそのとおりだと思います。
○元信委員 自立はあり得ないと言っておきながら、一般論としてはそのとおりと言うのは、障害者の自立というものに対する考え方の言うならばお粗末さ、こういうふうに思うのですが、その中で、経済的自立というのはやはり大きな要素になります。その経済的自立のためには職業が必須条件になりますが、例えば盲人の職業を例にとれば、はり、きゅう、あんま、この三療の分野にも随分晴眼者の進出が著しくて、特に最近理学療法士という資格がございますが、これが晴眼者によってどんどん資格を取られて、その結果マッサージをやっている人たちが、例えば病院なんかにいたマッサージの人が追い出されていく、病院に勤められなくなっていく、こういう事情がございます。盲人のこういう分野における教育にもっと力を注ぐべきだと思いますが、こういう実態にかんがみて何か考えておられますか。
○高石政府委員 御指摘のように、はり、きゅう、あんま、こういう分野に晴眼者の方がかなり進出をされている実態があります。これは憲法上の問題があって、職業の制限を特定の人にするということは非常に難しいわけでございますが、問題は、そういう職業人が、そういう人たちよりもより高い技能、技術、そういうものを身につけて仕事をしていくということが必要であろうと思います。そういう意味で、盲学校においては職業教育という面で一層力を注いでいかなければならないというふうに思って、そういう努力をしているわけでございます。
○元信委員 盲学校においては視覚障害者のために一層の職業訓練、職業教育をしなければならぬ、こういう御答弁ですね。 そこで伺いますけれども、徳島県立徳島盲学校の高等部専攻科理学療法科において、長年、十数年にわたって晴眼者、視力に何の障害もない人、これを視覚障害者と偽って入学、卒業させ、理学療法士としての資格を取らせていたという事実がございますが、文部省、承知していますか。
○高石政府委員 御指摘の徳島県立盲学校の理学療法科において現在四十五名の生徒が在籍しているそうでございますが、いずれの子供も盲学校教育の対象となる盲者、〇・三未満の弱視者または視力以外の視覚の障害者というようなことを対象にしている、こういうふうな報告でございますので、それ以上のことをつまびらかにしておりません。
○元信委員 この学校では、二年前までは、盲学校でありながら、募集要項にも視覚障害者について何らの条件も付していない。そうして、結果として正常な視力を持つ者ばかりを入学させて卒業させていたという事実があるのです。御存じですか。
○高石政府委員 承知しておりませんでした。
○元信委員 これは重大な問題だと思うのです。学校の内部でこのことは問題になりまして、一九八二年度からは矯正視力が〇・三以下の者と制限をして募集をしたわけですけれども、今局長は矯正視力が〇・三以下と言われたにもかかわらず、大半の者は矯正視力が一・二前後はある単なる近視、普通の眼鏡をかけていれば晴眼者と何も変わりがない、こういう者であって、診断書を偽って書いて入学をした、こういうことなんです。事実、内申書に視力が一・二と書かれている生徒についても、〇・三以下という診断書が出ているわけです。しかも、なぜこんなことになったかと言えば、徳島盲学校の方から、視力なんか幾らでもいいから〇・三以下という診断書をもらってこい、こういう指導をして、結果として入学している、こういう事実があるわけです。いかがですか、全く御存知ないですか。
○高石政府委員 御指摘のような事情を承知しておりませんので、調べてみたいと思います。
○元信委員 私は、きのうちゃんと質問通告をしておいたのです。そのことについて調査しましたか。
○高石政府委員 県教委に問い合わせた答えは先ほど私が申し上げたようなことで、それ以外の者は入れてないという返事でございまして、重ねてのそういう御質問でございますので、もう少し内容を調べる必要があろうと思います。
○元信委員 この学校を過去に卒業して理学療法士の資格を取った人は、随分たくさんいるわけです。もし私が今申しましたようなことであるとすれば、不正入学というふうになると思いますが、いかがでしょうか。
○高石政府委員 正規の手続で入学した者であれば、不正入学というわけにまいりませんが、ただ、この学校の設置目的から考えて、そういう子供を入れて教育することが適当かどうかというような判断をしなければならないと思います。したがいまして、そこに入学してそこを卒業した者は資格が取れないとか、卒業したことにならないとか、そういうことにはならないと思います。
○元信委員 それはおかしいのじゃないですか。盲学校の資格というのは、どこの盲学校でもそうですが、矯正視力〇・三以上の人は入れないということになっているわけですね。それを偽って入っていて、どうして不正入学じゃないのです。
○高石政府委員 判定基準によりますと、「〇・三未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち」というようなことで、〇・三というだけじゃなくして、その他の理由によって視覚障害があるというふうな認定をすれば入学させることが可能になっておりますので、その付近の運用がどういうふうに行われているかをもう少しつまびらかにする必要があろうと思います。
○元信委員 仮に矯正視力が〇・三以上、そうして今局長がおっしゃったようなことも何もない、全く健常であるというようなことであった場合のことを聞いているのです。どうなんです。不正入学になるのじゃないですか。
○高石政府委員 よく状況を調べた上で判断しなければならない問題だと思います。
○元信委員 状況を調べるかどうかということを言っているのじゃないのです。そうだとすればどうかというふうに聞いているのですから、それはちゃんと規則に照らして答弁できるでしょうが。
○高石政府委員 運用としてこの障害の程度をどう認定したかということにかかるわけですから、全くこれに該当しないというようなものであったかどうかという……(元信委員「あった場合はどうかと言っているのです」と呼ぶ)極めて重要な問題でございますので、事実を確認した上で答弁させていただきます。
○元信委員 それは答弁になっておらぬのだよ。あった場合はどう考えるかということを聞いているのです。それはちゃんと規則があって、それに照らせば当然答弁できるでしょう。
○高石政府委員 いろんなケースがあると思うのです。途中で障害の程度がよくなるといったような場合もございましょうし、いろんな実態を考えて判断しなければなりませんので、そのものについて今ここで私が一方的な判定をするのは非常に重大な影響がありますので、よく調べた上で見解を述べさせていただきたいと思います。
○元信委員 途中で障害がよくなるというようなばかなことを言ってもらっては困るし、私は一人や二人のことを問題にしているのではないのです。一人や二人なら、そういうことは当然あるのかもしれません。ボーダーラインというのはある。しかし、私が言っているのは、みんなと言っているのですよ。しかも、晴眼者がいっぱいだからということで、本来入れなければいけない視覚障害者の入学を拒否しているということなんです。極めて重大な問題だと思うのですね。 しかも、こうやって視覚障害者と偽って入学しますと、各種の補助金ですとか、汽車に乗るときにも補助が出たりしますね。それから〇・三以下だと障害年金も出るのかな。そういうものまで全部もらっているわけです。寄宿舎に入って、視覚障害者が受けるべき福祉施策を全部受けて、それで卒業して試験に合格して、その人たちが結果として視覚障害者の職場を狭めている、こういうことなんです。わからぬというのなら仕方がないと思いますけれども、ぜひこの問題については調査をして、明確な答弁をお願いいたしておきたいと思います。 このことは保留をいたしまして、これ以上先へ進めませんから、きょうはこれで終わりますが、私は三時間お願いしてございます。後の機会に必ず御答弁いただきますようにお願いいたします。 以上で終わります。
○片岡委員長 この際、暫時休憩いたします。 午後零時十三分休憩 ――――◇――――― 午後三時十五分開議
○片岡委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。山田英介君。
○山田委員 私は、公明党・国民会議を代表いたしまして、臨時教育審議会設置法並びにそれに関連をする教育上の諸問題につきまして、文部大臣に若干の質疑をさせていただきたいと存じます。 いきなりで恐縮でございますけれども、臨時教育審議会が総理の直属の諮問機関ということで、教育基本法第十条の教育の政治的中立を侵すことにならないか、あるいは政権政党による教育への介入にはならないのかというような点がこの法案の最大の争点であると私は理解をいたしているわけでございます。これまでの質疑応答の中で、総理もまた文部大臣も憲法、教育基本法は変えないと繰り返し言明をされております。また、設置法案にも、第一条に「教育基本法の精神にのっとりこと明記をしてございます。したがって、中立を侵しあるいはまた介入することにはならないのだ、このようにされているわけでございますが、本当に政府が教育の政治的中立を守るあるいはまた介入しないということを決意されておるのであれば、委員の選任については国会の同意人事として法案を修正すべきであると私も考えるものでございます。 この点につきましては、特に、総理や政府に都合のよい人たちが任命されるのではないかという懸念を多くの国民が抱いているわけでございまして、政府としてはあるいは文部大臣としては、この国民の抱いている懸念に明確にお答えをなさる責任があると私は考えておるわけでございます。御所見を伺いたいと存じます。
○森国務大臣 今先生から、国民の皆さんの中からいろいろとそうしたことについての御懸念がある、こういう御指摘でございます。再三申し上げてまいりましたように、この臨時教育審議会の設置をお願いいたしましたのは、憲法、教育基本法の精神をしっかり守って、必要な教育の改革をしていきたい、こういう考え方が基本的にまずスタンスとしてあるわけでございます。 また、先生から御指摘をいただきましたように、ならばどうして国会で委員の同意を得ないのかということになるわけでありますが、その方法が、やはり先生のおっしゃるように一つには国民合意になる手段だろう、こう思いますが、しかしながら、委員の皆さん方のお考えが、お一人お一人について国会の皆さんの御同意をいただくということになりますと、先生方自身のお立場もいろいろあるだろうというふうに、その先生方に自由濶達な御論議をいただけるようになることの方がより好ましいというふうに私どもは考えて、決してその方法を無視するとかという意味ではなくて、その委員の先生方のお立場というものをある程度考えて私たちは今度の法案をこういう形でお願いしたわけでございます。私どもとしましては、私どもが提出をいたしましたこの原案がベストであるという考え方でお願いをいたしているわけでございますが、先生も、そしてまたほとんどの先生方からもそういう御意見がございましたし、先般鈴切先生からもそういう御質問もございました。その御意見は御意見として十分受けとめておきたい、私どもはこう考えております。 なお、前後いたしましたけれども、人選に当たりましても、この国会での御審議で各先生方のいろいろな御意見があったわけでございますので、そういう先生方の御意見を十分踏まえて人選をいたしたいというふうに考えているわけでございます。
○山田委員 もう一点、この審議会の審議期間は三年間ということになっておるわけでございます。この三年間、臨教審で何がどういう方向で審議をされているのか国民にはわからないということであってはならないと思うわけでございます。しかも、その答申尊重義務を盾にとりまして改革案の強行ということも理屈の上ではあり得ることだ。そうであっては密室での審議ということになりまして、そういう教育改革ということでは国民の幅広い合意というものを得ることは難しい、支持を得ることは困難である、このように思います。したがいまして、審議の経過は可能な限り国民の前に公表して、審議により公開性を持たせていくということがやはり必要であるというように私は思っております。 すなわち、その審議会の答申や意見を国会に報合することを条文上明記すべきである、私もそのように思う一人でございますが、文部大臣の御所見をこの点につきましても改めて伺っておきたいと存じます。
○森国務大臣 先生の御指摘も、御意見は御意見として私ども十分理解をいたしております。しかし、審議会でその答申を国会へ報告するというのは極めて限られたものでございますし、教育の問題に関しましてはもう国会で、もちろん文教委員会もございますしその他いろいろな委員会で常に議論を交わしているところでございますので、私どもは国会への報告義務というものをあえてこの法律の中に条文として書き込まなかったわけでございます。しかし、先生からお話がございましたように、臨時教育審議会がスタートいたしましたならば、当然その議論の概要は、どういう方法をとりますかは審議会の先生方にお任せしなければなりませんけれども、概要、経過などは国民に常に理解を求められるように報告するというそのやり方は、私はいろいろな形で工夫ができるのではないかというふうに考えております。 先生からも御指摘をいただきましたように、どういう事柄をどういうふうに改革しようか、どういう意見があったかというようなことについては、やはりできる限り国民の前に問題提起として出していただき、そしてまた国民のいろいろな考え方、意見等をできるだけ吸い上げるといいましょうか、審議会の議論の一助にしていくということが、私どもも願っております、また先生からも御指摘がありましたように、本当に幅の広い、すそ野の広い国民の意見をまとめていく教育改革にふさわしいやり方であろうというふうに私どもも考慮していかなければならぬ、こう考えております。
○山田委員 私は、今ここに朝日新聞の五月十三日付のコピーを持っております。今私たちは、文部大臣とか、先日は総理大臣もこの席にお見えになりましたが、国会の同意大事にすべきだ、あるいはまた、答申や意見は国会に報告をすべきではないか、いやどうだという論議をやっております。一方においては、政府の方では特に以上の二点につきまして修正案を用意されている、こういう報道でございます。これは大臣、御承知なんでしょうか、また、どういうことなんでございましょうか、その辺ちょっとお伺いしておきたいと思います。
○森国務大臣 たびたび申し上げておりますように、国会に提出をさせていただきました法案は、私どもといたしましてはベストのものであるという気持ちで提案をさせていただいておりますし、また、いろいろな事柄、いろいろな角度から十分検討をいたしまして、そして今の法案がベストであるというふうな自信も私どもは持っているわけでございます。報道ではいろいろと、先ほどの会長の人事予想と同じようなもので、やはり担当される記者の皆さんによられては、国会の動き方だとかあるいはいろいろな推測でそういうお考えをお書きになることがあろうかと思いますが、私どもといたしましては、今御審議をいただいておる法案は最重要であり最大のものであると考えておりますから、今私どもでどういう修正をあれしようかなんて、そんな案を考えているはずもないわけでございます。
○山田委員 会長起用につきましては後ほどちょっと伺おうと思ったのですが、今大臣から答弁がありましたその報道とこの報道とはちょっと性質が違うように思います。極めて精密に条文なども検討なされた跡がよくうかがえますし、非常に法案として一つの形が整っておるわけでございまして、こういうことでいいのかなという気がするわけでございますけれども、これは文部省の方から出ているわけでございますか、どういうことでございますか、重ねてお伺いいたします。
○森国務大臣 文部省からそんなものは出るはずがありません。しかし、やはり経験の深い新聞記者の皆さんは、もし変えるとするならば条文をこのようにしようとか、こういうところを変えようなんていうぐらいのことは、もうそこにいらっしゃる記者の方々は当然考えてお書きになるのだろうと思いますから、私は、そういうものが新聞に条文もきちっと、なるほどと、もういかにも役所がつくったように書いてあるといいましても、役所がつくるということは考えられないことでございます。
○山田委員 共通一次試験に関連をいたしまして何問か質問をいたします。 六月二十一日、当内閣委員会で文部大臣は、共通一次試験の改革は文部省固有の問題である、こういう趣旨の発言をなされておるわけでございますが、これは、臨時教育審議会の審議にかかわりなく、この共通一次試験については文部省が独自に進めるんだということを意味しておられるのでございますか、どういうことなのか、もう少し詳しく御説明いただきたいと思います。
○森国務大臣 共通一次を含めまして入試の改善という問題は、教育改革をしようとしまいと、やはりこれは文部省として十分考えていかなければならぬことでございます。とりわけ、教育改革の中にもそうしたことも考えられるかもしれませんけれども、現実の問題として、恐らく先生もそうであろうと思いますが、選挙区などにお帰りになっていろいろな方々にお会いになっても、やはり試験制度についていろいろな御意見が国民の中にあるし、試験本位といいましょうか、受験本位の教育制度になってしまっているような感がする、そういうことについて政治家として何らかの形で打開しなければならぬ、これはどなたも考えていらっしゃることだろうと思います。 そういう意味で、文部省といたしましても、従来からこの入試選抜方法についてはより改善をしていかなければならぬということは常々考えてきたところでございます。そういう意味で、従来の継続の意味でも共通一次を含めて入試の改善をしていかなければならぬと申し上げたわけでございます。入試の改善もすべて臨時教育審議会にお任せして、ゆだねてしまうのだ、そちらで制度を考えてください、こういう態度は文部省としてはとるべきではない、こういう意味でございます。 ただ、臨時教育審議会でこれから御審議をいただくことでございますから、その委員の皆さんがこれからどういう事柄を項目的にお考えになるかは私も知る由もないわけでございます。しかし、そうした審議会の中で、またこういう試験制度のことについて、あるいは選抜方法について御検討があるかもしれないと思います。しかし、それはその時点の問題だろうというふうに考えております。私どもは、あろうとなかろうと、入試の改善を進めていくということは文部省固有の大事な仕事でもございますから、そういう意味で、一つ一つやり得るところから改善をしていきたい、こういうふうな考え方を申し上げたわけでございます。
○山田委員 そういう意味では、共通一次とか大学入試にかかわらず、六・三・三制の学制の問題にしたって、あるいは中学校教育のあり方にしても、これは全部文部省固有の問題でございまして、そういう意味では私はもう一つ釈然としない部分が残るわけでございますが、大臣の御答弁でございますので、それはそれとしまして、それでは、臨教審を設置して教育改革を進める上で、文部省固有の問題が共通一次という入試制度以外にまだあるのだとすれば、明らかにしていただきたいと思います。
○森国務大臣 文部省は、文部省の固有の事務所掌でございます教育、そして学術あるいは文化、そうしたことについて常に改善を図っていかなければなりません。よりよき制度も求めていかなければなりませんし、また、よりよき内容に改善をしていくように常に工夫をしていかなければなりません。とりわけ入試選抜方法等につきましては国民の大変深い関心と、そして何とか現状を改善してほしいという声が非常に多い、そういうふうに私どもは受けとめておりますから、そういう意味で積極的に進めていかなければならぬというふうに先ほど申し上げたわけでございます。もちろん文部省の中にはいろいろな仕事がたくさんございまして、文部省の固有のものについてはでき得るものはどんどん教育行政として進めていかなければならぬことでございます。 臨時教育審議会はあくまでも二十一世紀を担う青少年のためにどのような教育制度が本来あるべきか、各行政のいろいろな各部とも関連があるわけでございますから、内閣全体でいま一度改めて教育全体のテーマをあるいは制度を御議論をいただこうということでございます。したがいまして、先ほども共通一次の際に申し上げましたけれども、審議会の審議委員の皆様方がどういうような事柄を改革の俎上にのせていこうか、どういうことを議論していこうかということをお決めになるわけでございますから、その中には当然文部省が今やっておりますものも入ってくることもあり得ますし、また逆に、私どもが進めていくことによって臨時教育審議会はそのことについてさわらないということも出てくるかもしれません。そう明確にこれは文部省のもの、これは臨教審のものだというふうに区分けすべきものでもないというふうに私は考えております。
○山田委員 区分けすべきものではないとおっしゃいますけれども、実際に今までの論議の経緯からすると、臨教審設置の審議の過程で文部大臣が初めて文部省固有の問題だというような言い方をなされたわけです。私は、それが臨教審の、審議会の自主性を拘束することにならないのか。言葉じりをつかまえるようで恐縮なんですけれども、大臣が再三にわたって御答弁なさっておられます、例えば臨教審の審議のやり方、諮問に関して最初に委員の皆さんにフリートーキングでやっていただく、その中から幾つかの問題点が浮き上がってくるだろう、それを整理してそのテーマに沿って御答申をいただく、そういう諮問のあり方ということについて大臣が問われたときに、そういう御答弁を再三なさっておられたものですから、そうであれば、文部大臣が文部大臣の立場で共通一次は要するに文部省固有の研究課題ですよと今発言なさることは、逆の意味といいますか、臨時教育審議会にこの部分については皆さん審議しないでも結構ですよ、そういうように受け取られやしまいか、影響が出てくるのじゃないか、その辺の食い違いみたいなものを私は感じたものですから、そういうふうに今伺ったわけでございます。 その点どうなんでしょうか。例えば法案の二条の所掌事務のところを見ても、「教育及びこれに関連する分野に係る諸施策に関し、広く、かつ、総合的に」ということですから、あえて共通一次は文部省固有の課題だというような言い方を何で文部大臣がされなければならないのかなというのがまだわからないのですが、大臣、もう一度わかりやすく御答弁をいただきたいと思います。
○森国務大臣 共通一次の改善については、既に私が大臣に就任をいたしましてから、国立大学協会の入試改善懇談会ですか、その委員の皆様方ともできるだけ改善をしていただきたいということでお話し合いをいたしております。総理も一度お目にかかっていろいろ御意見も交わされております。したがって、私どものそうした意見もありましたし、あるいはまた高等学校校長会なども要望しておりましたように、例えば入試の日にちを少し延ばしてもらえないかという意見もございました。具体的には来年は一週間延ばすことになったわけでございます。そのように、日々そうしたことはできるだけ我々は改善の努力をしていかなければならぬわけでございますから、そういう努力を続けておる。そのために共通一次についても国立大学協会を中心に、あるいはまた私立大学関係者も入試全体についていろいろ検討を加えておるということでございます。 そのことが、教育審議会があるのに今そんなことやらなくてもいいではないか、そういう御意見がたしかあのとき御質問であったから、私は、臨時教育審議会に何もかも全部お願いをして、それがあるまで一切こちらは開店休業でございますということでは教育行政の責任がとれないわけです。また、臨時教育審議会がそういうことを議論するかどうかも私どもはわからないわけでございます。ですから、私どもといたしましては、共通一次を初めといたしまして入試の改善、例えば数日前に新聞等に発表されましたが、高校の選抜の検討会議も意見を出しております。これもやはり同じような意味でございまして、そうした改善策は私どもどんどん進めていかなければならぬ、こういうことを申し上げているわけでございます。固有のものでございますから臨時教育審議会でそれをやらなくていいということを私は申し上げているわけではないわけです。 むしろ、こういうことを申し上げるといけないのかもしれませんけれども、共通一次も、御承知のとおり、当時の気持ちで私どもがぜひこういう方法がいいのではないかということで制度としてしいたものとは、やはりやや違った方向に行っていることは事実です。当時といたしましては、共通一次は、まずまず高等学校でサークル活動や文化活動あるいはまたスポーツ活動もやりながら高等学校の勉強を進めて、ある程度の学力に到達をしてくれる、その程度のものの状況を見ながら、そして当時難問奇問なんと言われて大学独自でとても難しい問題を出しておりましたから、倍率も非常に激しく、ある大学では十倍も十五倍にもなるかと思えば少ないところもございました、したがって、勢い問題も非常に難しい方になってくるということもございましたから、できるだけ高等学校の教育が子供たちにとってそんな大きな負担にならないようなものにしてほしいという願いから共通一次制度というものが設けられたわけです。そして、できれば二次試験ではできるだけ人物本位で選抜をしてもらえないだろうか、こういう気持ちを私どもは持っておりました。 特にそのころは、私は自民党の文教政策の責任を持つ一人でございましたから、文部省に対しましてもまた国大協を初めとして大学当局に対しましても、そうした方法でぜひ選抜してあげてほしいということでございましたが、結果的には、当時はある意味では倍率も非常になだらかになりましたし、それから難問奇問というような難しい問題が余り出ないような形にもなりました。しかし、二次試験などがやはり非常に厳しくなりまして、高校生にとっては一次試験のハードルを越えるとまた二次試験の厳しいハードルを越えなければならぬという負担が大変大きい、今そういう問題も確かに受験をする皆さんからは声として出てきているわけでございます。ですから、そういう制度は日々より改善をしていくということが文部省にとって当然大事なことでございますという意味のことを、長くなりましたけれども私は申し上げたわけでございます。 しかし、一時的に制度として取り上げましても、なかなかうまくいかない面もございます。そういう意味で、場合によれば臨時教育審議会の皆さんが試験制度のあり方、入試の選抜はかくあるべしというようなお考えを当然なさる、そういうことも出てくるかもしれません。それについて、これはおれたちがやっていることだからさわりなさんなと言うべきことではない。そういう点で、そんなに線を引っ張って、やるな、やらないという問題ではない。臨時教育審議会はまだスタートさせていただいてないわけでございます。また、御論議が始まりますと三年という期間の間に御論議をいただくことでございます。もちろん短い間にまとまる意見も出てくるのかもしれませんけれども、これはあくまでも我々の予測でございますから、文部省としてはやはりできるだけ早く、少しでも入試の改善をできるところからは手をつけていきたい、こういう考え方を私は申し上げたわけでございます。
○山田委員 偏差値の問題をちょっと聞いてみたいと思うのです。 六月二十一日付の朝日新聞の「レポート 教育改革 この人に聞く」という欄に、文部大臣のインタビュー記事が掲載されておりまして、私も大変興味深く拝見させていただきました。その中で大臣は、「偏差値問題を改めるのなんか簡単だ」こうおっしゃっておられます。どう簡単なのかなと思いまして読み進みますと、「入試で、学力試験で入学させるのは三〇%、あとは百メートル十三秒で走るとか、水泳は、跳び箱はと多くの能力に見合って入学させたらいい。だれも偏差値なんていわなくなる。」こうありました。 私は、大臣の本当に強調したいところは「多くの能力に見合って入学させたらいい。」というところだと理解をいたします。それでも、何となくわかるようでわからないという印象もあるわけでございますが、文部大臣の理想論かもしれません。国公立大学が、体育系の大学ならともかく、このような改革案を実際に実施する大学は出てこないだろうと私は思っております。いずれにしても、実施する大学があらわれなければどういう改革案であってもこれはどうしようもないのであって、この案で偏差値の追放をやろうとするのは無理なんだろうというふうに私は思います。大臣はこういう案で大学側にのませる自信がおありでございますか。
○森国務大臣 先般も当委員会で、たしか三浦先生だったと思いますが、朝日新聞で私が答えをいたしましたものをお取り上げいただきまして御指摘をいただいたときも申し上げたのでありますが、一問一答形式でこう言ってこう言ってこう言ってという形ではございませんで、いろいろなお話を進めながら記者の方がある程度おまとめになった。前段もございますし、引用もございますし、いろいろあったわけでございます。しかし、今御指摘をいただきました点は私は別に否定をするものではございません。 私は、もう絶えず自分の政治哲学として持っておるのですが、人間の評価というものを学力だけではかるというのは私は嫌いです。文部省自身も、知徳体、こう言っているのです。私は体徳知にしろと言う方でありますが、三位一体ということになればやはり健康な体。健康な体の中に初めてすばらしい頭も生きてくるわけだし、すばらしい情操教育もできるわけでしょう。私はそういうふうに考えております。 ところが、これは教育ということになりますから、教育ということはやはり学問を深め、そして学問をさらに追求していくということになればやはり知育なのかなというふうに思いますが、しかし教育というのは社会教育もあれば体育もあれば学校教育も、みんなあるんだ。知徳体、三位一体と文部省もずっと言い続けてきているわけでございます。しかし現実の問題としては、やはり知育偏重になると私は思うのです。学校は、もっと遊びなさい、勉強しなくていいんですとは言い切れるものではないわけですね。ですから、私は多少意識的にでも、体徳知、体徳知、こう言い続けているわけでございますが、そういう意味からいえば、学力で人間をはかるというのは、これは学問を進める上ではやむを得ないことだと思います。 しかし、最近は学力の面だけで評価するということがどうも前面に出過ぎていることによっていろいろな弊害が出てくる。文部省といたしましても従来から、進路指導というものは生徒の能力、適性に応じて、希望等に十分基づいて行うべきものである、こういうふうに指導をずっといたしております。したがいまして、偏差値のみで進路指導をしてはいけませんよということは通達ではいたしておりますけれども、学校の先生だって限界があると思うのです。仮に中学校からでございますと、A、B、C、DのAという中学校の十番のところとDの学校の十番目のところは一体どうなのか、それが高等学校に実際に入るときどうなのか。先生にとっては、できるだけその子を浪人させないで希望する高等学校に入れてあげたいと考えるわけですから、ほかの学校との能力の比較をするのに、業者がつくった偏差値というのがあるわけですから、ついそれを利用せざるを得なくなってくる。 この利用すること自体は全くいけないとは私どもは言い切れないものがある。先生の立場に立ってあげれば先生も大変なことだろうと思うのです。自分の学校で十五番ならこの高等学校は大丈夫だと自分が自信を持っても、B中学、C中学の方がはるかにレベルが上であったかもしれないということも常に頭に置きながら考えなければならない。それはまた、毎年毎年同じレベルだとも考えられない。常に、毎年人によって変わってくるから、やはり他の中学校の状況や子供たちの勉強の程度というものを知りたい。そのために、嫌なことですけれども、業者がそういうつらいところにうまく取り入って偏差値なんてつくったわけですから、それを利用すること自体は絶対だめですよとは私ども言い切れないと思います。私はやるべきでないと思いますが、教師の立場になるとそうも言い切れないものがあるだろうと思う。やはり子供のために何とかしてあげたいという、子供に対する愛情から来ていることだというふうに私どもは理解をしなければならない。 そういうことを申し上げておりますと、一種の一般論になってしまいます。ですから、偏差値をもし使わなくていいものなら案外簡単なんで、最初から評価するときに三分の一は学力テストで見ますよ、三分の一は体力で見ますよ、これは体力といっても、何もかも選手ですばらしいものを記録せいというのじゃない、ある程度の、跳び箱ぐらいは跳べる、プールだったら百メートルぐらいは泳げるというぐらいのことも見てあげましょう、それからもう一つは、徳育の面で、面接をして人物テストを十分にしてあげるというような形、仮にそういう制度になれば、幾ら偏差値を使おうと思ったって、学力で百点とったって三〇%の評価にしかならないわけですから、勉強できる子は大いにそれをやったらいいと思います。しかし、自分がそんなに勉強できないなという判断だったら、思い切ってスポーツや文化面やそういう面で一生懸命やって、それをぜひ先生方に評価をしてもらいたいというようなことがあってもいいのじゃないだろうか。そういう意味で、多様な人物の評価をしてあげることが、子供たちにより手厚くて、そして個々の能力に応じた進路指導というのができるのじゃないか、そういう制度になった方がいいなという私の願望なんです。 しかし、現実の問題としては、先生が今御指摘のように、学校はそんなことをやってくれないだろうと私も思います。しかし、でき得ればそういう評価の仕方をしてあげていただいたら、少なくともサッカーであるいはピンポンでハンドボールで一生懸命に三年間中学校でやる、その努力、忍耐というのは、ある意味では学問を一生懸命やって勉強する人の評価と人間的に見てどちらに差があるというものではないだろう。やはり今の世の中全体はどうも学問中心に評価をしていくようなことが当たり前のようになってしまった。そういう意味からいうと私は、文部大臣としては少し遠慮して発言をしなければいかぬのかもしれませんが、むしろある意味では強めながら体徳のところをもっともっと強調したいな、そしてそういう形で子供たちの進路指導に当たってあげたら学校生活がみんなどんなに楽しいだろうか、そんな希望も含めて申し上げたことでございますので、いささか踏み外した点もあるのかもしれませんが、先生ならそのことは一番わかってくださるのじゃないか、こう私は思うわけでございます。
○山田委員 大臣のお考え方、私もわかるような気がいたします。 現行の共通一次試験のあり方の中でいま一つ問題になっておりますのは、三学年の第三学期の授業が成り立たないという深刻な現状がございます。これは私から言うまでもありませんけれども、一月の中旬、これを来年については下旬におくらせたわけですけれども、そこで五教科七科目やります。今度は、三月初旬のいわゆる第二次試験までの間は、第二次試験で平均で大体二・八科目ぐらい検定科目を出されているわけですけれども、その二・八科目以外の科目は、一次と二次試験の間では勉強を実質的にできないというか成立しないという問題があります。 私は、いわゆる高校時代の三学年の三学期というのは極めて大事な時期だろうと思うのですけれども、現行の共通一次試験のあり方に規制されて授業が成り立たないということは問題だと思います。速やかに何らかの措置をしなければならないのではないかと思っておりますが、大臣はどのようにお考えでございますか。
○森国務大臣 私も、高校は石川県でございまして受験のときに東京に出てきましたものですから、三学期は全然学校に行きませんでした。早く入試が決まっておればうれしそうにすぐに田舎へ帰れたのですけれども、最後までなかなか決まらぬものですから、あっちこっち受け歩いたことを記憶いたします。卒業式の後の記念撮影か何かに集合写真があって、私はその中におりませんで、今はどういうふうにしておるのか知りませんが、昔は集合写真のときに欠席したのは横の方の別の楕円形みたいなところに顔を入れる写真がありますが、私もその写真の一人でございます。 つくづく私は、小学校はそういうことはないのですが、中学や高校、三学期はちょっと短いだけに一番大事なときのような気がしてならないのですね。せっかく三年間学校で培ってきて、生徒、先輩後輩あるいはまた先生方と最後の一番大事なところを仕上げるのが三学期だろうと私は思うのですが、現実の問題としては、ほとんどお正月のお雑煮を食べるや否や受験に飛び込んでしまう。三学期の学園生活なんて全くない。いろいろなことを改良いたそうといたしましても、私は根本的な問題を考えないと無理なような気がします。 先ほど先生からも御指摘がありましたように、六十年度は共通一次は校長会等の要望もございましたので一週間繰り下げることにいたしました。それにいたしましても、もう少し延ばしたらどうかという意見もございますが、次の新学期との関係もございますし、あるいは私学の試験との間があくとか短くなるとか、またいろいろな理屈も出てくるわけでございますし、また、今先生の御質問にもございました二次試験との絡みもございます。そういう意味でぎりぎりのところが二十六、二十七ということに一応来年はお決めをいただいたのですが、私はそんな程度の改良ではこの問題は解決しないような気がするのです。 そこで、私も予算委員会の際も申し上げたように記憶いたしておりますが、さっき私は偏差値の御質問のところでちょっと申し上げた、手間暇をもう少しかけて試験選抜方法というのはやれないものだろうか。そういうようなことを考えますと、どうも三月三十一日に終わって、四月一日にすぐ始まる、実質的には一日じゃございませんけれども、どうもそういうところに問題があって、一遍にどかっと来る、それを選ぶ、やむを得ずもうテストで点数でぱっと選ぶというやり方しかないのだろうと思うのです。 私は学生時代にちょっとアルバイトをいたしておりまして、自分の母校の教務の仕事をアルバイトいたしておりましたが、受験のときなんか大変です。受験票の整理、検定、内申書の整理。こんなことを言っていいのかどうかわかりませんが、大学は内申書なんて実際見てないですよ。見れるはずないですもの、何十万枚も上がっているのですから。恐らく最終的に、学力で同じようなレベルで、さあどなたを選抜しても問題はないというときに初めて内申書を見るのじゃないかなと、私はそのころ学生アルバイトですから中身のことはわかりません、しかし現実の問題として、内申書を一々開いて何十万というものを見れるはずがないですね。ですから、私はそういうことも、本当は成績表などもゆっくり見たり、その横にいろいろ書いてある学生時代の行動記録なども十分に見て人物を評価していくというやり方を考えると、どうもわずかの期間でそれをやることは人為的に無理だ。ですから、できればこの際に入学期などは少しこれを先に延ばして、九月入学みたいな制度に一遍ならないものなんだろうか。 既に諸外国はほとんどそういうことになっておるわけでありますし、三月卒、四月入学というのは日本とごく一、二しかないというふうにちょっと記憶いたしておりますが、国際社会というふうに日本とアメリカもヨーロッパも一体で動いておるわけですから、そういうことも考えたり、あるいは海外勤務の子女のこともございましょうし、そういう意味で、入試の検討などは少し思い切って――もちろん、そういうことまで延ばせばまたそれなりに事務当局は、それはいけません、大臣と、いろいろ意見はあるのです。そんなことをすると九月ごろまでの間はどういう身分になるのか、どういう地位になるのか、そこからまた苦しみを長く延長させるだけになるという意見もあるし、その間に、逆に言えば塾や予備校へどんどん行ってしまうという意見もあるし、いろいろありますが、それは言っていたら切りがないことでありまして、やるという方向ならば私はいろいろな制度が考えられるのじゃないかと思います。 いずれにしても、先生から御指摘ありましたように、三学期を、楽しい、そして学生生活にピリオドを打つように、心に銘記できるようなそういう学園生活であるということが日本の教育にとってとても大事なことだというように私は考えます。そういう意味で、思い切って入学期などの改善も一つの考え方として私は持っておるわけでございます。 しかし、このことを臨時教育審議会で御議論をいただくということをまだ決めておるわけでもございませんし、私がそういうことを申し上げることはまた適当でないのかもしれません。ただ、恐らくそういうことなども含めて、幅広くそして長期的な展望に立ってというふうにこの教育改革の御審議をいただくわけでございますから、そうした事柄なども御検討をいただけるのではないかなというふうに私は期待を持っておるわけでございます。
○山田委員 ちょっと角度が変わりますけれども、昨年十二月の衆議院総選挙、このさなかに、さきの当委員会における市川委員の質疑にもございましたけれども、総理が、六十年度から偏差値追放、共通一次試験の改革に着手をする、これは選挙公約でございます。現在五十九年度、来年度、六十年度からという年度がもう来るわけでございますが、この総理が公約をなされた偏差値追放とそれから共通一次の改革、この二点につきましては、来年度どういう形でどの程度実現の見通しがあるのか、文部大臣として御答弁いただければと思います。
○森国務大臣 偏差値につきましては、先ほど申し上げましたように、常に偏差値のみに偏ることのないように、児童生徒の進路指導については、その適性や希望やいろいろな条件というものがたくさんあるわけでございますから、そういう中で進路指導をしてあげてほしいということは、いろいろな機会を通じながら、次官通達を初めといたしまして、都道府県教育委員会を通じましてそういう指導はいたして今日まで来ておるわけでございます。 しかし実際には、偏差値そのものを使いなさんなとか、偏差値に偏った進路指導をしないように、こう申し上げておりましても、要は学校の先生方がそれをどう理解するかということでございましょうし、先ほども一つの見方として、ある程度偏差値を利用される人は将来のことをおもんぱかって考えてくださる先生の愛情から来ておるわけでございますから、面倒くさいからこれに頼ったという先生は恐らくいないだろう、そういうふうに私は希望いたしておりますし、そういう意味で、偏差値教育の是正についてはいろいろな角度からいろいろな機会を通じながら是正ができますように一層の努力をいたしております。具体的にどういうふうにやったのかということが必要でございましたら、政府委員から答弁させていただきたいと思います。 それから共通一次につきましては、先ほども申し上げましたように、これは大変危険なところがございまして、共通一次をこのように改善いたしますよというようなことがぼっと仮に新聞やテレビで取り上げられますと、今受験している子供たちが大変大きな影響を受けるわけですね。新聞の見出しだけでこういうふうに教科が変わりますよと出ただけで、子供たちは、現状は五教科七科目であるべしと考えて勉強しているわけですからどきっとするということになる。もちろん、少なくなることについてハンディはないと思いますけれども、この辺の制度についての外向けに対するアナウンスメントというのは非常に慎重にしなければならない。したがって、現実に今高等学校に入っている生徒さんたちは、既に今の制度、今の共通一次試験がそのままあるであろうという想定で勉強しておられるだろう、こう思うのですね。もちろん受験のためだけで勉強しておるわけじゃないと言えばそのとおりでございますが、本音を言えばやはりそうだろうと思います。ですから、そこに急激に、六十年度からこう変えますというようなことはすぐ簡単には申し上げられないということでございますから、今まずはとりあえず国大協の入試改善に関する懇談会の先生方に私どもとしては幾つかの要望をお願いいたしておるわけでございますので、十分にお考えをいただいて、その作業をしていただいているものだろう、こう思うわけでございます。 ただ、日にちにつきましては先ほど申し上げたように、これはもう既に御議論を経まして、そして改定をいたしまして、二十六、二十七日というふうに一週間延ばすということは発表いたしましたから、具体的に変わったとすれば、その日取りのところは変わりましたけれども、しかし、いろいろと指摘されましたような事柄についての具体的なことは、文部省でこれを変えるわけではございませんで、あくまでも試験は国立大学を中心とした大学の皆さんがお考えになることでございますから、私どもとしては、できるだけ今国民の皆さんが期待しておられるように、そしていろいろと指摘があるところについては十分に改善をしていただけるのではないか、そういう期待を今いたしておるわけでございます。
○山田委員 事務方の皆様からの御答弁はこの際要らないだろうと思います。といいますのは、六十年度から偏差値追放、共通一次の改革を始めたい、こうおっしゃったわけでございまして、行政改革が軌道に乗った、今度はしたがって教育改革をスタートさせるというので、今の臨教審を頂点にぐっと盛り上がってきた一連の教育改革の盛り上げというのは、まさに昨年の総選挙の総理大臣のいわゆる大きな公約がスタートであったと私は理解をしておるわけでございます。したがいまして、これは公約の問題ですから、今までのことを事務方から御答弁いただいてもこれは話にならないので、六十年度からどういう形で偏差値が追放され始めるのか、あるいはまた共通一次がどういうふうに変わるのか。今大臣のお話でございますと、目に見えて変わってくるのは、一月の中旬が一月の下旬に共通一次の実施の日取りがおくれる、ずらす、この点ぐらいかなというふうに私も理解しておるわけでございます。そうすると、六十年度から偏差値追放、共通一次の改革に着手するということが、中旬から下旬にずらしただけというようなことで、釈然としない部分があるわけでございます。 それはそれとして、御案内のとおり八十年度の共通一次の実施の日にちは一月の二十八日と二十七日。今度は国語、数学、英語を二十八日に持ってきて、二日目の二十七日に理科、社五を持ってくる。三月の三、四日が第二次試験。こういう御予定のようでございます。そういう中で、総理大臣の公約でもございます六十年度から偏差値追放というのが要するに具体的にどう成果が上がってくるのか、また上げられるのかということは、当時から子供を持つ父母あるいは国民の極めて大きな関心を呼びましたし、あるいはまたそれだけ期待も大きかったということが言えるわけでございまして、中旬から下旬に一次試験の期日をずらしたからこれでというわけにはいかないのだろうと私は思うわけです。 そういう中で、これは大臣も御存じかと思いますけれども、私は先日、きょうの臨教審の質疑に立つということで自分なりにいろいろ勉強しておったわけでございますが、その中で共通一次試験の二期分離案という共通一次の方法ですが、ちょっと大臣にお話を聞いてもらいたいと思っているわけでございます。 この共通一次試験の二期分離案という方法は、偏差値教育追放に極めて有効であるという専門家の方々からの御指摘もなされているわけでございます。それはどういうことか簡単に申しますと、まず国語と数学と英語、外国語は一月二十六日の第一日目に既定方針どおりやるわけです。それで二十七日の理科、社会を、三月の三、四日が二次試験でございますからその前日の二日にセットする、それでもって試験をやるということですね。この共通一次二期分離方式というのは、申し上げましたように六十年度からの偏差値追放の決め球とか決め手だというふうにも考えられるわけでございます。 この二期分離案につきまして、文部大臣、目にとまったことがありますでしょうか。御検討されたことございますでしょうか。
○森国務大臣 今先生からお示しをいただきました二期分離案というのは、ちょっと私も詳細に承知いたしておりません。いろいろやり方は、恐らく御専門の方々がそれなりにお考えになっている御意見がたくさんあるだろうと思います。私どもといたしまして今国大協の入試改善委員会に幾つかのお願いも含めながら御検討をいただいておるわけでございます。したがいまして、そうした考え方も恐らくそうした委員の皆さん方には目にとまっている面もあるのかもしれません。いずれにいたしましても、改善をぜひお願いしたいというふうに考えて御検討いただいておるわけでございますので、国大協の皆さんの御意見のおまとめを私どもは期待しておる、こう申し上げることが適切かというふうに思っております。 ただ、ちょっとお言葉を返して恐縮でございますが、昨年の十二月十日に総理が示しました自民党としての「教育改革七つの構想」を今ちょっと読んでみましたけれども、共通一次のところについては六十年度云々というふうには具体的には書いてございません。高等学校入試制度の改善については、昭和六十年度の入試以降逐次所要の改善措置をとられるように指導していきたいというふうな考え方を私ども持っておったわけでございます。共通一次につきましては六十年度云々と書いてございません。それは、そういう希望はもちろんありますけれども、先ほど申し上げましたように、受験生に心理的に非常に影響を与える事柄でございますから、何年にどうというようなことはやはりできるだけ慎んでおく方がいいというふうに私どもも考えて、でき得る限り早く改善をすることにはこしたことはないわけでございますが、常にそういう気持ちを持っておるものだというふうに考えます。 なお、先ほど答弁漏れといいますか、ちょっと補足をいたしますと、じゃ日にちが二十六日、二十七日に一週間下がっただけで、現実には何もやらないのかというような御指摘も先生から御発言がございましたけれども、当然国大協を初め私立大学側にも入試の改善については十分私どもからお願いをいたしておるところでございますから、例えば二次試験などに大学として十分いろいろな配慮をしていただけるのではないか、こういう点もお願いしているわけです。共通一次の五教科七科目については少し過重であるという意見もございます、それについてどうするのかという意見もありますし、あるいはメニュー方式、アラカルト方式というふうによく言われますように選択制度にしたらどうかという意見もございます。そういうことも検討いただいております。 もう一つは、二次試験が負担だ。一次試験が先ほど申し上げましたようにいわゆる難問奇問、そして深い入試の問題にならないで、高等学校のある程度のところの学問の状態を見るということになっておりますけれども、二次試験がまた二次試験で大学固有でとても難しい試験をやるところもあるわけでございますから、そういうところにはぜひ改善を加えてほしい、二次試験に十分の配慮をして子供たちの負担が過重にならないように考えてほしい、こういうこともお願いをしておるわけでございますので、それぞれの大学でいろいろと御検討いただけるのではないかというふうにも期待をいたしております。 そのほか推薦制度でございますとか、いろいろな制度を大学は大学なりに、こうした国会の論議やらあるいは国民の多くの声、そのことを大学関係者も十分承知をいたして、それぞれ大学が独自で入試の改善策を今考えていただいておるようでございますので、全く日を一週間延ばしただけだ、それだけしかなかったのかということにはならないだろう、私はこう思うわけでございます。
○山田委員 ちょっと話を整理しなければならないと思うのですけれども、まず一つは、総理の発言ですけれども、偏差値追放六十年度から、それからあわせて共通一次試験の改革もしっかりやっていきたい、その意味では大臣おっしゃるとおりかもしれません、読み方はありますので。それはそれでいいと思いますが、しかし偏差値追放という中には、高校入試もあれば、あるいは学力テストというのかしれませんけれども大学入試、共通一次の問題だって当然含まれてくるわけでございますので、私はそういう立場から申し上げたわけでございまして、決して六十年度共通一次にこだわっているつもりはないのです。一つはそういうこと。 それからもう一つは、子供たち、受験生に対する思いやりといいますか、動揺や不安を与えてはならないということは、私も全く大臣と同じ気持ちでございます。しかし、この共通一次試験を二期に分けて実施するというやり方は、受験生に不安を与えたりあるいはまた動揺させたり負担をさらにかけていくというものでは決してないだろうというふうに思えるものですから、私はあえて委員会の場で取り上げているわけでございます。ですから、大臣に、それはいい案だ、山田君、六十年度からひとつやってみようじゃないか、こんなことは僭越でございますから、そんなことを期待して私は質問しているわけじゃ全然ありません。ただしかし、文部行政の最高責任者として文部大臣の御意見を伺っておきたいということでございます。 この共通一次試験二期分離方式のいいところは、私、今少なくとも二つ挙げることができるのです。一つは、先ほど大臣から御答弁をいただきましたように、三学年の三学期の授業が正常化できるという大きな利点がございます。といいますのは、来年でいえば一月二十六日に英、国、数が終わります。理科、社会は二次試験の前日にセットされます。二次試験というのは、御存じのとおり英、国、数が重ねて出題される大学が多いわけでございますから、そこに理科、社会がセットされるわけですので、五教科七科目というか、五教科五科目が高校三学年の三学期で勉強ができるのです、授業ができるのです。さっき大臣がおっしゃったように、一緒になって楽しい充実した三学期を送ることができる一つの有効な方法であるということが一点です。 それからもう一つは、先ほどから申し上げております、いわゆる偏差値追放に非常に大きな効力を発揮するということが考えられます。といいますのは、現在の共通一次のシステムでいきますと、千点満点の配点、要するに一次試験のウエートと二次試験のウエートとどっちがということになりますと、現行では五教科七科目、一月二十六、二十七日でなされるわけですから、七対三くらいの配点の比重が共通一次試験へ集中するわけです。ですから、それを理科、社会を二次試験のところへセッティングすれば、後の方、三月に受験をする方の配点が今度は高くなるわけです、重くなるわけですね。現行では、端的に言えば七対三の配点の比重であったのが、この共通一次二期分離方式をやった場合には配点の割合が三対七ぐらいになってくる。その分だけ共通一次による偏差値教育が是正されるということが言えるわけでございます。 そういう極めて示唆に富んだといいますか、受験生に負担やあるいは動揺やそういうものを与えずに、来年度からでもやろうと思えば、これは来年の一月まで見てもまだ七カ月あるわけですから、十二分に六十年度から偏差値追放という実を上げる、あるいはまた将来アラカルト方式に持っていく一つの有効なつなぎといいますか橋渡しといいますか、自然に移行していける極めて注目すべき一つの方式である、案であると私は思っております。 したがいまして、大臣、これはお約束いただきたいのですけれども、先ほどの御答弁でございますと初めてというようなニュアンスのお話をいただきましたけれども、一度大臣みずからひとつこの一次試験二期分離方式というものをぜひ御研究いただくことをお願いしたいと思っております。できれば、先ほどから申しておりますように総理大臣が六十年度から偏差値追放をしようというふうにおっしゃったわけでございますから、総理大臣とも文部大臣としてぜひ一次試験を二期に分けて実施をするというこういうやり方を一回御相談なすっていただきたいと私は思うのでございますが、その点についてちょっとお答えいただきたいと思います。
○森国務大臣 今先生がお示しをいただきました案は、それはそれなりに一つの制度といいましょうか、仕組みとしては、言葉はよくありませんけれども、いい意味でおもしろい仕組みだなというふうに私は今伺いました。しかし、御承知のようにこの入試制度のやり方といいますか仕組みは、私どもが関与するものでもございませんし、そしてまた文部省が独自でつくるということにも制度上なっていないわけでございまして、そういう意味でやはり国立大学協会で具体案を検討するということが正しいわけでございまして、また、今その検討をいただいておる最中でございます。したがいまして、今お示しをいただきましたような案なども、そうした国立大学協会の関係される先生方もある程度承知をしておられるかもしれません。その先生方がいろいろ御議論もまたされておられるかもしれません。ですから、その中でお取り上げをいただくということが大事なことではないだろうか。 もちろん、そういうお考えもあるということは私は私なりに承知もいたし、ここに大学局長以下皆それを拝聴いたしておったわけでございまして、仮に総理に申し上げて総理と相談をしても、総理がこれをやれと言ってできることでもありませんし、総理大臣が大学の入試のやり方をこういうふうにやれ、こういうことを総理がやって、それを受けて国大協がやれるというそういう仕組みには今なっていないわけでございまして、私どもはどちらかというともどかしさを感ずるのです。入学試験のやり方くらい文部大臣に決めさせてくれないかな、だったらさっき言ったように私は三分の一方式をやってもいいがなくらいのことを思うのでありますが、これはやはり大学で学生を入学させる、進学させる、卒業させる、あるいは退学させる、これはもう大学の学長の権限でございまして、だれもがさわってはいけないところで、もちろん学長一人でやれるわけではありませんので、内規によって教授会等々の議を経るということは当然のことでございます。 したがいまして、そうした御議論が国会を通じてあるということ、また先生がこうして具体的なお考えを示されたということ、こうしたことは当然国大協のそうした御関係の先生方も十分また耳にされることでありましょうし、それはそれなりにまたお考えあるべしだろうというふうに考えます。したがいまして、大変示唆に富みました御意見として十分私どもは拝聴をさせていただきます。しかし、私が今それを総理に申し上げて、そして総理と相談をして、これを国大協にこういうやり方はいかがかというふうに示すということは私はとるべきことではないというふうに考えるわけでございます。 しかしながら、いろいろな角度で、国大協の先生方もまた私立大学の方も、私立大学は共通一次に今直接は関係ございませんけれども、私立大学がこの共通一次に入らないために逆に言えば私立大学の問題が非常に難しくなっている面がございまして、まあ偏差値を頼ってはいけませんが、偏差値の数字のバロメーターからいいましても、東京や大阪などの特定の大学と言われるようなところはもう国立大学の東大よりはるかに偏差値が高いという数字も出ているようなこともございまして、そういう意味で私立大学だけをこのままほっておいていいのかという意見もかなりあるわけでありまして、私大の関係者にも入試の改善については十分検討してもらいたい、できれば私大の皆さんにもこの共通一次を改善して共通一次に加わるようにしてもらえないだろうかというようなことも私どもは検討課題として私大側にお示しをしているわけでございまして、皆さんがそろってこの入試の問題について今検討しておるところでございます。そうした考え方をそれぞれの識見ある皆さん方で御議論をいただいておるところでございますから、まあ来年からすぐということでは先ほどから申し上げましたように受験生に対する心理的なことも考えなければなりませんが、ある程度の改善案というのは私は必ず期待ができるのではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
○山田委員 ある意味でもどかしさを感じる部分があるという意味の大臣のお話がございました。私もその意味では、大学の入試とか高校の入試とか、こういう部分については文部省というか文部大臣がもうちょっとリーダーシップを発揮なされてしかるべきなのではないか、そういう意見なんです。今の文部大臣の御答弁にもにじみ出ているわけです。国大協の先生方がこれは決めることだとか、文部省が越権だとか、あるいは大学の自治があるとか、まあそういう言葉は今は出ませんでしたけれども、それでいいのだろうかという気がしてならないわけです。 私どもがそれを変えられないというふうに大臣はおっしゃいましたけれども、御存じのとおり五十二年に海部俊樹当時の文部大臣は、五十四年度の共通一次試験を十二月にやると決まっていたのを、職権でといいますか、文部大臣の決断で一月十三、十四にずらしたという、こういうことだって七年前に現実にあるわけですね。それで今回森文部大臣が――森文部大臣かと言ったら当たってないかしれませんが、国大協が中旬を下旬にしたということなのかもしれませんけれども、まあそういうことは関連性はないのだろうと思いますけれども、海部文部大臣は五十二年に現実に文部大臣の決断で十二月実施の共通一次を一月にずらしたという、そういう歴史を持った、そういうことをなすった大臣だというふうに私は認識をいたしております。森文部大臣もぜひひとつそういう点につきましては、特に共通一次だとか入試という部分についてはもうちょっとリーダーシップを発揮されて頑張っていただきたいというふうに私は思っております。ですから、私はある意味では、国大協と文部大臣の関係というのはどういうことになっているのかな、それは県の教育委員会とか市町村の教育委員会との関係と比べてえらい違いがあるのじゃないかな、そういう気がしてならないわけでございます。したがいまして、大臣にはぜひそういう意味ではもう少し強力なリーダーシップを発揮をしていただきたいと御要望申し上げておきます。 この件につきましては、最後にもう一点だけ御所見を伺っておきたいのですけれども、十九日にこの委員会で市川委員が総理に質問をいたしました。共通一次の件でございますけれども、試験日をずらすことになったようだけれども内容の方は間に合うかどうかわからない、善は急げ、できるだけ早い方がよい、しかし受験生の立場も考えて対処しなければならない、これが総理の御答弁でございました。 それで私は、先ほどから出ております、校長会の要望とかという事情を述べられましたけれども、本当のところはどうなんでしょうか。共通一次試験を従来一月の中旬に試験日をセッティングしておいたのをなぜ下旬にずらしたのでございますか。これ、ちょっとどういう理由でずらされたのか、簡単で結構でございますので。これは受験生にとってはこの部分だけでもまさに大臣おっしゃるとおり大きな動揺といいますか、影響が大きいものですから。
○宮地政府委員 六十年度の実施に当たりまして試験期日をずらしました件につきましては、これは主として高校長協会における高等学校における三学期の授業の確保というような観点から今の試験期日をぜひずらしてほしいという御意見が強くございまして、ただ、校長会からは相当二月の初めというような御意見もございましたけれども、全体の、例えば私立大学の入学試験との関連の問題でございますとか、その期日をどうするかということについては関係者、それぞれ高等学校側、大学側関係者に十分御議論をいただきまして、ただいま申し上げましたような結論をいただいて下旬に実施をするということについて国大協で方針を決めていただいたわけでございます。 このことについての周知徹底と申しますか、それらについては、私どもとしても十分関係機関に周知徹底をするための通知を出すなど、対応し得る形としては十分とっておるわけでございまして、もちろん御指摘のように、受験生にとって受験期日がいつになるかということ自体でも大変影響の大きい点でございます。それらの点については十分慎重に対応しているつもりでございます。 お話のございました科目数の対応についても、もちろん国立大学協会の入試改善特別委員会等で御検討いただいておるわけでございまして、それらの検討についても先般国立大学協会の総会等がございまして、さらに具体的な取り組みについても積極的な対応を私どももお願いをし、また国立大学協会でもそのために積極的に取り組んでいるところでございます。 私どもとしても十分関係者の意見を伺いながら、全体に試験制度の改善について、特に受験生の立場というものを頭に置いた改善策ということについて今後とも積極的に取り組んでまいる、かように考えております。
○山田委員 ぜひそうしていただきたいのですけれども、現実には中旬を下旬にずらしたからといって高校三学年の三学期の授業が正常化できるということにはならないわけですよ。現在の共通一次制度のあり方そのものが授業を成立させがたい原因になっているわけですから、中旬を下旬に延ばしたからそれで高校三学年三学期の授業が成り立つようになるんだということにはならないわけでございます。今局長が答弁なさいましたように、子供たちが、受験生がどうしたら一番健やかにというか伸び伸びというか、少しでもそういう方向で受験ができるかという配慮をしていきますというその姿勢、結構だと思うのですけれども、ぜひこれからもそういう方向でやってもらいたいのですが、私は、中旬から下旬に延ばしただけで、ずらしただけでどれだけ影響が出ているかということについて一、二ちょっと指摘をしておきたいのです。 当然のこと、共通一次と二次試験のこの間隔が狭まるわけですから、それだけ二次試験に対する準備が困難になるわけですね。しかも、御承知のとおり共通一次試験というのはマークシート方式ですが、それが今度は各大学が行う二次試験というのははるかにレベルの高い論述式、記述式、これが中心の試験になってくるわけですよ。この間隔が、中旬から下旬にずらされたら狭まるわけですから、受験生にとってはその切りかえだって大変なわけでございますね。そういう点が一つあります。 それからもう一つは、明らかに指摘できるのは、国公立大学志望の学生が私立の大学へ志望を変更することが非常に困難になるわけでしょう。というのは、大体二月の中旬から下旬に私立大学の試験というのは集中してくるわけですから、そこと非常にまた近くなってくる。 大臣もおっしゃっていましたけれども、一月の下旬とか二月の上旬というのは年間でも一番降雪の多い時期だという。全国一律のそういう試験日設定には非常になじまない、そういう気象上の問題もある。 文部省が、共通一次試験は固有の問題である、私ども真剣に頑張っていくのだというその決意は結構でございますけれども、そういう言葉だけしやなくて、やはり本当に受験生の気持ちになって細かいところまで目を通してあげなければ、大臣、これは生徒がかわいそうですよ。中旬から下旬にと高校長会の意見があったからとおっしゃいますけれども、そんなことだけじゃ済まない部分があるのじゃないでしょうか。もう一度その姿勢につきまして伺っておきたいと思います。
○森国務大臣 私も率直に言いまして、一週間延ばすことにどういう意味があるのかなと、随分そのときにいろいろ考えました。しかし、それぞれ、例えば共通一次試験を受ける人が三十万を超えるのです、先生。みんながこれが一番いい案だというのはあるはずがないと思います。ある程度最大公約数を考えて、たった一週間延ばすことですら随分長く議論をやっているわけですね。そしてプラス・マイナス、いろいろなことを考えて研究されるのだろうと思いますが、その結果そういう形になりました。 私は海部さんほど力がありませんから、何もかも一遍に改革するということはなかなかできませんけれども、海部さんの問題も、十二月から一月に延ばしたというだけでございまして、延ばすというのは案外簡単なんですね。先にやるというのは、これは大変なことになるのです、準備状況が狂ってきますから。若干延ばすということは、これはやろうと思えばやれないことはないと思います。 私も、就任をいたしましてから間もなく、入試センターというのを初めて見ました。びっくりしました。日本人だからやれるのだろうと思います。三十五、六万の人が同時刻に一斉に同じ問題でやる。これは一つでもどこかで問題が起きたら、全部御破算でしょう。それだけのことをきめ細かくやるこのプロセスを、ずっと問題をつくる検討会、その選ばれる先生方というのは、自分の親戚やもちろん家族にはそういう受験的の条件を持っているのがいないということから調べて、先生方の氏素性というと変ですが、ある程度家庭環境まで調べてメンバーにお選びするところから始まるわけですね。そして、時々問題になって出てきますけれども、去年あった問題だったとかどこかの私大で出た問題だったとか、よく指摘されるわけですが、大変な努力をしてあの問題をつくって、そして準備をされて、そして一斉にその問題を、どこかで一箱でも一枚でも抜かれたらこれは全部だめになるのですから、たった一つの事故で三十五、六万人は全部どうしていいかわからなくなるというくらいの重大な問題です。これを私は文部大臣という立場でなくて政治家の立場で、よく鮮やかにやるものだなと、実際見ておって感じました。 そして、マークシート方式なんてあんなのはよくないなとか、総理も言っております、私もいいとは思いませんが、短期間で三十何万の人の集計をするというのはあのやり方しかないのだろうと思います。したがって共通一次全体は、こんなものは意味がないじゃないかという意見があればこれはまた別の問題の議論でありますが、改善というのはなかなか難しいものだと私は考えております。そういう意味で私は、今ある制度を改善していくというやり方、その仕組みの中でいろいろ検討してもらうということは、これは私どもとしては常に日々怠らずに関係者にお願いをして、また督促もし指導もしていくということだと思うのです。 もう一つ、話が長くなって恐縮なんですが、今先生は受験する高校生の気持ちも十分考えてとおっしゃいました。そのとおりなんです。ただ、私はこの間ちょっとがっかりしたことがあるのです。これだけ共通一次の問題が大きな関心を寄せているのに、高等学校校長会の研修大会というのがこの間東京でございまして、三千人ばかりの方が出てこられたのです。そこで私は御祝辞を申し上げに行ったのですが、たまたまその日の朝、たしか朝日新聞だったと記憶いたしますが、校長会の共通一次に対するアンケートのまとめが出ておりました。それを見てちょっとびっくりしたのですが、五教科七科目はだめだけれども五教科六科目ならいいという数字が五五%と出ているのです。わからないのですよ、五教科七科目がだめで六科目がどうしていいのか。そんな程度のことしか校長会は考えていないのかと思って、私は非常に残念でした。もう一つは、アラカルト方式、メニュー方式に賛成だという数字がたしか一六%か一七%なんです。与野党の先生方を初め我々が、共通一次を改善して子供たちをこの苦しい受験戦争から何とか、助けるという言葉はよくないかもしれませんが、解決を見出さなければならぬと議論をしているのに、高等学校の校長先生方のアンケートがその程度のものだというのには、正直言って、私も本当にがっかりいたしました。 私は祝辞を言うのもついつい忘れて、そのことを校長会で提言してきました。それが本当に校長会のあなた方の考えなんですか、それが本当に受験生のみんなの気持ち、あるいは校長さんである限りは教職員さんの皆さんの考えがあるだろう、その皆さんの考えが全部まとまってそういう御意見だったとするなら、共通一次の改革なんということはやらない方がいいということになると思うのです。たかだか、五教科七科目が、六科目ならいいけれども七科目が悪いという議論が一体どこから出てくるのか。こんなにいろいろな形で、アラカルト方式やメニュー方式の形で子供たちの個性を伸ばすやり方の方がいいのじゃないかという議論が随分各党の皆さんから出てくるが、実質的にはそれをやると、進路指導が面倒くさいとは書いてなかったけれども、進路指導ができないとか高等学校の教科が非常にやりにくくなるとかいう理由もあるようでございますが、一六%ぐらいの人しか実はメニュー方式を支持していないという数字が出ておって、高等学校の先生方というのは一体何を求めているのか、正直言って私もちょっと疑問に思いました。 そういう意味で、そういう考え方が総体的な意見だということになってしまいますと、国大協の皆さんも、政治家はいろいろなことを言っているけれども、大臣もいろいろなことを言っているけれども、校長会の人たちはそんなことを要望していないじゃないか、こう言われたのでは、恐らく改善なんというのはできてこないだろうというふうに心配をするのです。ですから、制度といたしましてはより改善をして、そして、でき得る限りいろいろな方策を見出して、工夫もして、あるいはまた二次試験などに十分な改良をして、少しでも子供たちの負担をなくするように考えてあげてほしいなというふうに考えております。そこが先ほど先生との導入のところですが、しかし、それでもより改善策が出てこないということになれば、やはり臨時教育審議会などで受験制度について当然御論議があるかもしれない。また、現状のものとして本当にいいものができてこないということであるならば、新たなる審議会でそうしたことを御議論いただくことあるいは御提案をいただくことは、決して悪いことでも何でもないわけでございます。 そういう意味で、この受験の問題というのは非常に難しい。三十何万の人たちみんながなるほどこれがいいということはなかなか得にくいものだということも踏まえながら、それでも究極的には、高等学校が何となく暗い、中学校も受験本位の考え方で暗くなってきて、受験、受験、受験のために世の中にいろいろな社会的な病理現象が出てくるというようなことだけは、いかなる事情があっても我々政治家として、これは先生もそうだと思いますが、看過できることではない。そういう中で一層努力をしてみたい、こう私は思っておるわけでございまして、もっと決断力を持って、もっと文部大臣が主導権を持っておやりなさいという励ましは大変ありがたいわけでありますが、私も私なりにいろいろなことを考えつつ、何とか現状の中で改善をでき得るものはやっていく、どうしても難しいものであるということであり、どうしてもいい制度が生み出せないということならば、しかるべき方策もまた御検討をいただくようなことになるのかもしれない、こういう期待を持ちつつ、なお一層努力をしていきたい、こう思っております。 先生から数々御指摘をいただきましたことにつきましては、私どもは御意見として十分に承って、いろいろな意味での参考にさせていただきたい、こういうふうにお答えをさせていただきたいと思います。
○山田委員 海部元大臣のお名前を引用いたしましたのは、決して森大臣に安っぽい仕掛けをしようなんという、そんな僭越な気持ちで出したわけではございませんで、それは失礼がございましたらおわびをいたします。 ちょっとテーマは変わりますが、文部大臣は六十年度の予算案の概算要求枠決定前に日教組の委員長と会談をなさる意向を表明されたという報道に接しておりますけれども、大臣と日教組委員長との会談は過去において何回か持たれているわけでございますが、今回それが実現をいたします場合には、教育改革を国民的規模で推進しようという中での会談でございますから、特に国民の関心も大きなものがあろうかと思っております。 そこで、大変大事な会談になろうかと思いますので、文部大臣としてはこの会談にどのような姿勢で臨まれるのか、あるいはまたどんな点を中心テーマとして委員長とお話をなされようとしているのか、差しさわりがなければお話しをいただきたいと思います。
○森国務大臣 先般の日教組大会の後に、田中委員長の記者会見の中で、私というよりも文部大臣という公職の立場で会見を求めたいというふうにありましたことは承知をいたしておりますが、まだ正式に申し入れがあるわけではございませんので、会見の申し入れがありましてから検討しなければならぬ、こう思っております。 私は、個人的にもそうだと思いますし、従来も文部省といたしましては、文教予算の予算編成に着手をいたします。その過程あるいはその段階で、日教組を初めとして各種のそれぞれの関係団体と予算の関係につきまして会見をいたすのは恒例になっておりますので、ちょうど概算要求が間もなく作業が始まることにもかんがみまして、日教組のみならず別の団体からも既にお申し出がございますので、そういう団体とも同じような考え方で、日教組からもそういう申し入れがあればお目にかかるというふうに考えたいと思っておるわけでございます。そして、文教予算についてということでございますならば、当然、予算としてのお考え方あるいは御意見、御要望等を十分承っていきたいというふうに考えておるわけでございますが、どういう内容で、どのようにして、いつというようなことがまだ正式にございませんので、私から申し上げることは適切ではないかと思います。 ただ、こういう臨時教育審議会について大会でも大変御議論があったようでございますし、私といたしましても、臨時教育審議会について話題になるようなことになるならば、日教組の皆さんも教員の大半を占める教育団体、やはり大きな力を持った先生方の団体でございますので、ぜひ大局的な見地に立って良識ある対応をお願いしたい、求めたいというふうに私は考えておるわけでございます。 〔委員長退席、戸塚委員長代理着席〕
○山田委員 国民的な規模で教育改革を推進しようというこの状況の中で、文部大臣としては今回の教育改革の推進に当たって日教組にどんな役割を期待されておるのか。簡単で結構でございますので、もう一度御答弁いただきたいと思います。
○森国務大臣 日教組は日本の教職員の組合といいますか、団体でございますから、教育者の皆さんのお集まりの団体であるというふうに私は理解をいたしたいと考えております。 国会で御審議をいただいて御採択いただいたという前提でしか申し上げられませんが、臨時教育審議会のスタートということになりますれば、今先生から御指摘がありましたように、幅広く国民的な合意を得るように進めていかなければなりません。教育者のお集まりであります日教組としても、いろいろなお考えもあるでございましょう。先ほど申し上げましたような意味で、日本の将来、二十一世紀を担ってくれる子供たちのために教育がいかにあるべきかという御議論を審議会の皆さんにいただくわけでございますので、大局的なお立場で教育に対するいろいろなお考え方をぜひ御検討いただくことも大事なことだと思います。私といたしましても、やはり良識ある、何といっても子供たちをお預かりしている、また子供たちにとってとても影響力のあるのは先生ですから、そういう国民の期待に日教組がぜひこたえていただく、そういう行動をとっていただきたいなというふうに希望をいたしておるところでございます。 今回の大会におきましても、教育の現場に対する関心というのは非常に高まってきているようでございますし、そういう意味で教育の現場あるいはまた将来の教育制度かくあるべしというようなお考え方、見地に立っていろんなお考えをしてくださるということを私どもも期待をいたしたい、こういうふうに思っておるわけでございます。
○山田委員 二月十五日、衆議院の予算委員会で総理大臣は、現場の教師の声を教育改革に反映させることは非常に重要なことである、こう答弁されております。また、当内閣委員会でも質問に答えて、教師のみおらず現場は重要だと重ねて述べておられます。二十一日、鈴切委員の質問に答えて文部大臣は初めて臨教審の委員の選考について基準を七つ明らかにされたわけでございます。 その第一番目に父母、教師の代表が挙げられた、これは私もどう質問したらいいかなと思って迷った点でありまして、特に教師の代表ということについて、全国で何十万人あるいは百何十万人かもわかりません、そういう先生方がおいでになるわけであります。そういう大勢の先生方の中から今度はどんな基準や方法でその教師の代表を選任なさるのか。単純な質問で恐縮ですが、何と申し上げていいのでしょうか、たくさんいらっしゃるわけでありまして、その二十五人の中の一名とか二名ということであろうと思いますが、こういう大勢の中からどういうふうに教師の代表を選ばれるのか。その基準だとか考え方なんかが恐らくあるのだろうと思いますが、よろしかったら明らかにしていただきたいと思います。
○森国務大臣 この前鈴切さんからの御質問に、どういう分野の方々をお選びするのかということについて、基本的にはまだ正式に決めているわけではございません、またかと言っておしかりをいただくかもしれませんが、あくまでもこれはやはり国会で成立をさせていただいてそれから考えるものでございますし、十分国会の御審議というものも踏まえなければなりませんが、いつまでもそんなことを申し上げておってもお答えにならないので、その時点でどのような分野から考えるかという判断をするならばということで、七つくらい申し上げたわけであります。それだけで七つの基準というふうにどうもひとり歩きをしてしまいまして、それですべてというわけではないわけでありますし、まだ検討課題としてはいろんな角度から考えられるわけでございまして、そういう意味からいえば十二も十三も分野はあるわけでございまして、そのときに私はたまたますぐ七つくらい頭の中に出てきたものですから考えてお話を申し上げた。ですから、今その七つをまた言えと言われてもちょっと出てこないのですね、後で議事録を見てみませんと。やはりその中で、事は教育に関することでございますので、教育に携わった現場の教師あるいは現場の経験をなさった教師の方、そういう広い意味で申し上げているわけでございますし、当然子供を預ける親の立場ということも大事でございますから、これはやはり現在子供を持つあるいは子供の教育をいたされておられます父親、母親というのが一番いろんな考え方を持っておられるのじゃないかというふうにも私は考えます。 ただ、具体的にどのような基準でどのように選ぶかということはまだこれからの段階でございまして、先生方の代表ですからそれではどこどこの団体の代表を選ぶのかとかというようなことではなくて、少なくとも私のこれは個人的な希望の意見といたしましてそういうふうに事務当局にも指導をいたしておるところでございますが、小学校長会代表であるとか中学校長会代表であるとか、それなら高等学校長会代表だとか、いや、それなら教頭会代表も出せとか、それじゃ教職員団体なら、日教組代表ならもう一つの方のグループからもだとか、そういうことになってしまったのでは、それはそれなりの議論というものはあるだろうと思いますが、私は本当に教育を新しく見直していこうという意見にはならないのじゃないかという考えを持っておるわけでございます。 したがって、今御質問の中でどういう基準で選ぶのかということは、今はなかなか申し上げられるものでもございませんし、例えば先生や親の分野からお選びをするということに対してどういうような選び方をしたらいいのかということは、事務当局でこれから十分考えてもらおうというふうに私は思っているところでございます。
○山田委員 団体の代表は委員に参加していただくにふさわしくないという趣旨の、今まで総理もずっとそういう答弁がございましたし、ただいまも大臣のお話にもありました。 端的に伺いますけれども、特定の団体の代表は委員に選任することは適当でないというその場合の特定の団体という中に、日教組は含まれておるのですか。
○森国務大臣 先ほどもちょっと言葉が足りなかったかもしれませんが、それぞれ教育に一家言持った方ということをいろいろな基準でお願いするということになれば、結果的に、これは日教組じゃありませんよ、どこかの組織に入っていらっしゃったり何かの役職をなさっておられる、とてもすばらしい考え方でこの人はいいだろうということでお選びしたけれども、この方が小学校長会の会長さんだった、ではだめだよ、こうなってはいかぬと私は思うのですね。結果的にそうであったとしてもこれはやむを得ない、こう思いますが、そういう組織団体を順番に選ぶというやり方をしますと、言葉はよくありませんが、団体のお顔を立てるみたいなことになって、お顔を立てるだけでいっぱいになってしまうということになる。そういう意味で団体の代表をお選びするということは適当ではないだろうというふうに考えておるわけでございます。先生の場合もなるほどいい方だなという方がいろいろなところからいっぱい御推薦があるだろうと考えますから、そうした方々の御意見を十分に踏まえながら現場の先生のお声が聞けるような工夫はぜひしてみたいというふうに思っているわけでございまして、それでは日教組から選ぶのか選ばないのかというようなことを今ここで申し上げるような段階ではない、こういうことでお許しを賜りたいと私は思います。
○山田委員 ちょっとくどいようで恐縮でございますが、団体ということに関して言えば、教育改革でございますので、日教組という団体を他の団体と全く同列に扱う、あるいはその代表は委員として迎えないということで果たしていいのだろうかなという気持ちが私は実はあるものですから、教育現場に責任を持つ我が国最大の教師の皆さんの集団ということになれば、同じその場合の団体といってもその意味合いだとか評価というのはやはり違ってくるのじゃないかなという気がしてならないわけでございますけれども、もう一度大臣の御所見を伺いたいと思います。
○森国務大臣 そうした御意見もございますが、したがって、団体から何人とか、団体から出すというような考え方をいたすという考え方は持っていない、こういうふうに申し上げております。
○山田委員 私は、日教組を抜きにして行われるこの教育改革というものが本当に国民各界各層にわたる幅広い合意を踏まえた教育改革になるのかどうかという部分で今御質問させていただいているわけでございますが、振り返ってみますと、戦後教育の歴史の中で、例えば文部省と日教組の関係のあり方が今日の教育の荒廃をもたらしたという見方が一方にあるわけでございます。しかし他方、文部省と日教組の両者が存在した中で、戦後の我が国の教育が飛躍的な発展を遂げてきたということもまた否めない事実だろうと私は思っておるわけでございます。 〔戸塚委員長代理退席、委員長着席〕 新しい時代を展望して、また次代を担う子供たちの成長を願って、批判すべきは批判する、あるいは共通点は共通点としてともにその拡大に文部省、日教組が努力をしていく、こういう非常に発展的、建設的な両者のかかわりを築き上げていくことが、よく使われます二十一世紀を目指しての新しい教育を改革をしていく、築き上げていくということに基本的に大事なことじゃないんだろうかと私は思うのです。そういう中で、審議会の委員に参加をしてくださいと言った場合に、日教組の方々が受けるか受けないかということは私はわかりませんし、また別の次元の問題になるんだろうと思うのですけれども、いずれにしても未曾有の教育改革ということであれば、日教組に対して正式に参加を求めていくこともよろしいのじゃないか、またそのくらいの度量をお持ちになられてもよろしいのじゃないかなと私は思っておるわけでございますが、大臣、いかがですか。
○森国務大臣 御意見としては承っておきますが、先ほどから申し上げておりますように、まだどういう方々をお選びするというようなことは基本的には考えておりません。今そうした先生の御意見もありましたように、国会のそうした御議論にも十分耳を傾けていかなければならぬ、私は基本的にはそういう考え方を持っております。しかしながら、先生のそうしたお考えでの日教組に対する見方もおありでございましょうし、今日までの一貫した日教組の団体としての行動というもの、それに対する御批判というのもやはりまた別の面ではあるわけでございます。また、日教組自身もこれに参加するとかしないとかということについての大会でのいろんな議論があったように新聞等でも承知をいたしておりますし、まだその辺についても結論が出たという形も私は承知をいたしておりません。 いずれにしましても、教育にかかわり合いを持つ多くの皆さんの御意見を十分踏まえていかなければならぬという考え方には私は賛成でございますが、具体的にどういう方向をとるかというようなことについては今申し上げる段階ではない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
○山田委員 大臣、私の考え方として聞いていてください。 昔の観念のみで、昔の姿を頭に置いて物を処してはいけない、それは、日教組についても、文部省についても言える問題ではないかと思います、これは御存じのとおり二月十五日、予算委員会での矢野委員の質問に答えた総理の言葉でございます。私が心配しておりますのは、単純と言われればそれまででございますけれども、これは私なりの気持ち、考え方でございますからお許しいただいて、人物を中心に審議会の委員を選任をする、二十五人なら二十五人で審議して、出された答申とか意見、それをまた国会などで論議をして、そして合意を得たものが教育改革のレールの上に乗っかって進められていく、こういう形になるのだろうと思います。そういう中で、現場教師、我が国最大の教師集団である日教組、あるいはその周辺の方々と言ったら失礼な言い方になるかもしれませんが、全く抜きにして改革を進めていった場合に、またそこで反対といいますか協力を得られないといいますか、そういうものが起きてきやしないかという心配があるわけでございまして、できるだけそういう展開は避けられる努力をした方がよろしいのだろう。そうしないと、どこまでも対立対立ということでずっと行きかねない。これは決して幸せなことではないだろうと私は思っております。 したがって、教育改革を進める上で、現場教師の多数を占める日教組の皆さんの基本的な協力ということはある意味では不可欠だ。少なくとも日教組の立場や存在に理解を持つ学識経験者の委員の選任、参加は、やはり文部大臣は御推薦なさるわけでございますから、ぜひ考慮すべきじゃないかなと私は思っておるわけでございますが、簡単で結構でございますから御答弁をお願いしたいと思います。
○森国務大臣 先ほど私が申し上げましたように、大局的な立場に立って、教育改革に対しましてもいろいろと国民に信頼をされるお立場をぜひとってもらいたいというふうに私は望んでおります。しかし、現実の問題といたしまして、今度の日教組の大会では、臨時教育審議会に参加するかしないかということについてかなりの議論があったというふうに私どもは承知をいたしておるわけです。そして、結果的にはそのことについてはもう少し情勢を見るということでございましたし、するしないということもお決めになったわけでもございません。当然そういう中に入るからぜひ加えろというお声があるわけでもないわけです。これはあくまでも新聞等の情報でございますが、臨時教育審議会を国会で通すなら、場合によれば我々はストを構えてでもというような意見もあったわけです。それだと、今山田さんがせっかく好意ある御見識でお話をされているのとは全く違った意見も内部にはあるということでございましょう、外ではなくて。 そういうふうに日教組の内部にもいろいろな意見があると思うのです。しかし、みんな教育を大事にして、そして日本の教育に本当に御関心を持っておられる教職員であろうというふうに私は信じたい。そういう意味で、お考えもまだおまとまりになっていないというふうに承知をいたしておりますから、そういう段階で私から今、日教組について入れる入れない、参加を求める求めないというようなことの見解を申し上げることは適当ではない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
○山田委員 この関係につきましては最後の一問になりますが、特定の団体の代表を入れることは適当ではない、しかし、現場教師が委員として参加する場合は、学識経験者として尊重したい、こういう総理の御答弁もあるわけでございます。これは今月の十九日、この委員会ですね。 先ほどの大臣の御答弁の確認ということになろうかと思いますけれども、人格、識見ともにすぐれた個人としての教師を委員に選任しようとした場合に、その先生が日教組の組合員の方であった、そういうことは十分あり得ることかなというふうに私は思うわけでございます。その場合、私は別に何ら問題はないのではないか、学識経験者として尊重されていくのだろうというふうに理解をいたしますけれども、大臣、いかがでしょうか。
○森国務大臣 そうした仮定でお答えを申し上げることは私は適当ではないと思います。大変御無礼ですが、逆に、いい方であった、その結果日教組に加わっておられた先生だ、だからその場合はだめなのか、そういう御質問にもなるわけですね。先ほどもちょっと触れましたように、日教組自身も、参加するかしないかということについてはもう少しその対応を見ようということでございましょう。日教組自身がどういう組織決定をするかわかりませんが、逆に言えばそれによってお困りになることだってあるわけです。ですから、お互いに政治家ですから、そこのところを今ここで、その場合は外すのか外さないのかとか、こちらから求めるとか求めないとかということを申し上げること自体が適当でないと私は思うのです、日教組の皆さんが四日間、大会で御議論をされても、その結果、するしないということもお決めにならなかったわけですから。しかし一方においては、ストを構えてでも対抗するのだという意見も現実には各支部で出てきているわけですね。そういう状況というものはやはり私どもも見ておかなければならないというふうにも思うわけでございます。 日教組は教職員団体ということは、これは私は認めます。しかし、今日までの間に、どちらかというと政府のやることはすべて反対なんだと言ってストを構えてきた歴史もあるわけです。また現実の問題として、この間の大会でも、ストをやるんだということを強硬に出された意見もあったわけでしょう。そういうことも国民は十分見ているわけでありますから、そういう国民の期待にこたえられる教職員の団体であってほしい、労働団体というよりも教職員の団体であってほしい、私は文部大臣としてそういう期待を持っているわけでございます。 いろいろ日教組内部のお立場もあるでありましょう。そういうことも私ども十分胸の中に置きながら、そういうことをいろいろ考えますと、今の段階でそこまで具体的なことを申し上げることは適当ではない、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
○山田委員 政治家の場合であっても、相手の出方がわからなければこっちの対応もできないというだけではないと思います。相手の出方がどうであろうと、こちらとしてはこうですよという姿勢を示す、そういうやり方だって当然あるわけでございます。私は何度か重ねて、しつこいような御印象を持たれているかもしれませんが、申し上げている本当の気持ちは、せっかくの教育改革でございますから、総理大臣あるいは文部大臣が頑張って今日まで来ているという経緯もあるわけでございまして、国民の各界各層の幅広い合意をできるだけ得て、そうして成功させていきたいものだなという気持ちがあるものですから、そういう立場からあるいは角度からこの問題を論議させていただいたと御理解いただければと思っております。 質問のテーマをちょっと変えさせていただきまして、四十人学級の凍結問題をやらせていただきます。 十九日の当内閣委員会で、文部大臣はこう答弁されているわけです。四十人学級は六十六年度を到達年度とする全体計画は変えない、少しずつでもよいから実現をしてまいりたい、前向きな姿勢の答弁だと私は思っております。しかし、四十人学級の凍結を決めた行革特例法が今年度で切れるわけです。それでは来年度は凍結を解除されるのかという質問に対しましては、来年度予算は概算要求についての財政当局の全体的な考えが出ていないので明確に示せない、明言を避けておられる。 実は、この問題は大変いろいろな影響が出ておりまして、来年の春の教員採用についてもいろいろな影響が出ているわけでございます。四十人学級という一つの仕事を進めていく主管省庁の大臣として、概算要求の全体の考えが出てないので何とも言えない、明確に示せないということではなくて、文部大臣として、四十人学級はぜひ進めていきたいということでございますので、もう少し強い決意なり姿勢なりを私は期待しておるわけでございますけれども、この点いかがでございましょうか。
○森国務大臣 私は、四十人学級を含む第五次定数の改善計画を、つくったというと大げさですが、当時自民党の文教部会長という立場でこの考え方を私どもも協力をして文部省におつくりをいただいたわけでございます。当時十二年なんというとてつもない長いことでございましたけれども、スタートすることが意義あると私どもは判断してスタートいたしたわけでございます。したがって、四十人学級を何とか実現したいという気持ちは今でも私は強く持っております。しかし、財政の基本方針が決まらなければ、行政府としてそれを勝手にどんどん進めるというわけにはいかないわけであります。まして六十年の予算編成の概算要求が間もなく、八月を目標にして進められるわけでございますから、大蔵省、財政当局から来年の財政の考え方の基本を示してくれるであろうと思いますから、それがあるまでは、個人の希望、願望とこうやるのだということとはおのずと違うと思いますので、そのことを今ここで、やる、やらないというようなことの明言をすべきではないと私は思っております。 ただ、たびたび申し上げておりますように、個人的にも、そしてまた文部大臣といたしましても、できるだけ四十人学級に近づけるように努力したいと思っていますし、その願いは私は持っております。具体的に示さないではないか――示さないのではなくて、今は示せないと申し上げた方が私はいいと思うのです。そういうふうにぜひ御理解をいただきたいと思います。
○山田委員 共通一次のときの設問とちょっと関連するかと思いますけれども、大臣覚えていらっしゃるかどうか、四月二十七日、教育専門紙の共同インタビューに答えられて、文部大臣は「小・中学校の四十人学級凍結の問題は、文部省固有のものとしてやっていきたい。」これまたここで「文部省固有のもの」という発言をなされておるわけでございますが、これはどういう意味でございましょうか。
○森国務大臣 いわゆる定数の改善というのは、文部省として大事に今日まで法律に基づいて進めてきておるわけでございますから、これは着実に実行していきたい、こういうふうに申し上げているわけでございまして、その前のイントロ、導入部分がどういうものであったか、ちょっと今記憶がございませんけれども、教職員の定数のことまで臨時教育審議会にかけるという意味でそういう設問があったのか、ちょっとわかりませんが、文部省は先ほど申し上げたように、五十五年から第五次に入ったわけでございますから、それは従来のとおりこの方向を少しでも実現をしていきたいということで申し上げたわけでございます。
○山田委員 大臣は、またほかのインタビューに答えて、四十人学級は早くやった方がいい、それも議論していただいて、結果的に金が必要だとなったら、内閣を挙げて各省庁が責任を持とうということだから、総理にもぜひその場合は考えてもらう。これはいわゆる四十人学級も臨教審でぜひ議論してもらって、やった方がいいということになれば内閣挙げて各省庁が、こういう趣旨でございますね。大臣がおっしゃっているのはこういうことだろうと思うのです。 今回臨教審を設置した大きな意味の一つもこういうところにあるだろうと思っておりまして、したがって、総理大臣が、できるだけ早く、二カ月ぐらいの審議の中で出せるものだったら緊急答申を出していただいて六十年度予算に盛り込みたい、異常な熱意を示されておられると伺っておりますけれども、私は答申を求めるための諮問の中身がどうなっているかわかりませんけれども、文部大臣としては、このようにお話しになっておられるとおり、臨教審発足後の問題でございますけれども、緊急答申の大きな諮問の柱の一つとして、この四十人学級を入れて諮問をされることを総理大臣に具体的に申し上げていくことも必要なことじゃないのだろうかと思うわけでございます。 要するに、大臣のお考えといいますか、述べてきておられることと、緊急答申で一体何の意見、答申を求めるのかといった場合に、四十人学級についてはぜひ臨教審で審議いただいて早期にやるべきだというような答申を得て各省庁が内閣挙げて一生懸命やる、そういう形は臨教審を設置する大きな意味の一つだと私は思っておるものでございますから、四十人学級については緊急答申に盛り込んでいただくように、大臣いかがですか、総理大臣にちょっと意見具申をされたら。
○森国務大臣 四十人学級は、先ほども申し上げましたように、子供たちが一クラスに一番どの数字が適正であろうか、いろいろな角度から検討されたものでございます。先進諸外国の例もいろいろあります。四十人よりも三十五人がいいという意見もあるでしょうし、二十五人の方が子供たちを掌握して行き届いた教育ができるという考え方もありますし、当時、予算編成の際に大蔵大臣と議論をいたしまして、冗談もあったのだと思いますが、いや大部屋の方がいい力士が出るぞなんて竹下大臣に冗談で言われたことも思い出すわけでありますが、これは何が絶対でいいというものではないわけでありまして、ただ従来のいろいろな経緯から、四十人学級が今の段階では教育を進める上において一番いい状況ではないかということからこの四十人学級という政策が打ち出され、そしてまたこれは与野党を通じて大変大きな関心事になってきたわけでございます。したがって、国会でも予算委員会あるいは文教委員会でもたびたび申し上げてまいりましたが、全体計画というものは変えない、そして六十六年度の最終年度というものも変えないということでこれを着実にやっていきたいと私どもは考えているわけです。したがいまして、このことを臨時教育審議会におかけをして、お願いをして、それで答申を出してやってもらうということとはちょっと事の性質が違うと私は思っているのです。 たまたまいわゆる行革関連法で三年間の凍結を余儀なくされた。しかし、されましたけれども、全体計画と六十六年の最終目標はやっていけるのだという自信を文部省は持っておるわけでございます。ただ問題は、六十年度がどうなるかということを非常に心配もいたしておるわけでございまして、何とか六十年からもでき得る限り着実に、少しでもいいから進めたいという気持ちを私は持っておるわけでございまして、したがって、そのことを臨時教育審議会にお願いして、そこで議論をして結論を出してもらうということではない。そんなことをしたらまた逆行するということも予想しなければならぬかもしれない。あくまでもこれは文部省として、そして国会でも御審議をいただいて現実の問題としてスタートをいたしておるわけでございますから、これは私どもとして、少しずつでもいいですから具体的に着手して着実に歩ませていきたい、こう考えているわけでございます。 ただ、いろいろ新聞なんかのインタビューなどに私がお答えを申し上げた中には、どうしてもこれは――今の衆議院の文教委員会でも育英奨学制度などの議論も出ておりますが、そこにいらっしゃる中西先生からも随分厳しく御指摘をいただいておりますが、しかし、いわゆる教育の公の負担すべきところは何なのか、そして個人が負担するところはどこなのか、そういう教育費の公費に対する問題というのはかなりいろいろな角度で国会でも論議を呼んでおるわけです。もちろん国会のみならず新聞論調、いろいろな学者さんの意見等も踏まえても、教育はどこまで国がかかわりを持った経費として持つべきなのかということは、大変検討していかなければならぬ大事な問題になっていることは事実だと私は思うのです。あるいは予算全体を常に、例えばシーリングがかかれば全体を同じようにすべきことなのか。私は、教育にはぜいたくがあっていいのだという考えは私個人としては持っておりますけれども、では教育を聖域にすべきなのかという議論も当然いろいろな角度でなされているわけでございますが、そういう中で、教育に対する国の投資というものはどうあるべきか、個人としてどこまでの費用を負担するのかということなどは、場合によっては臨時教育審議会などで議論の一つになることもあるのではないかということは、私はいろいろな方々に意見を求められますと申し上げてきたこともございます。ただ、くどいようでございますが、四十人学級をどうするか、こう審議会にかけるということは、今の段階で私どもはそういう期待はいたしていない、こう申し上げておきたいと思います。
○山田委員 大臣、筋が違うとか、それはちょっと違うじゃないかというふうにおっしゃいましたけれども、それはまさに大臣がおっしゃっているので、もう一回申し上げておきます。六月二十一日付の朝日新聞の「レポート 教育改革 この人に聞く」というところに大臣はこうおっしゃっているわけですよ。「四十人学級などは早くやった方がいい。それも議論してもらって結果的にカネが必要だとなったら、内閣あげて各省庁が責任を持とうということだから、総理にも考えてもらう。」これはまさに森大臣のおっしゃっていることで、筋が違うとか、それはおかしいじゃないかというのは御自分のお考え方を否定をするということになるわけでございまして、ですから私は、臨教審のいわゆる緊急答申というものが求められるのであれば、ではそこに諮問の柱として入れたらどうですかということを申し上げたので、山田君それは筋が違うよと言われる筋合いはないわけでございます。 最後に、時間が参りましたので一問だけ伺って終わりたいと思っておりますが、総理の十九日の内閣委員会の御答弁、いわゆる行政改革と教育改革との関係でございます。 基本的には臨調答申は尊重していく。しかし、具体的に来年度予算のシーリングをどうするか、行革審に意見を求めているところである。行革審の意見を踏まえて、当内閣でよく相談していく、こういう御答弁です。この行革審の意見が二十五日をめどにとなっていたのですけれども、まだ出ていないようでございます。伺いましたら、何か月末ごろ公表されるのじゃないかというお話でございますが、今までの経緯からして、あるいは状況からして、この行革審小委員会の報告は間もなく出されるわけですけれども、この報告には文教予算の削減が盛り込まれることは確実だろうと言われているわけでございます。 私は、総理の内政の二枚看板といいますか、行政改革と教育改革、これはどちらを優先するのか、いわゆる臨調設置法にしても臨教審の設置法にしても答申尊重義務というのは両方あるわけでございまして、今度は答申が別々に出てきた場合にどちらを優先するのかという極めて大変な問題が出てくるのだろうと思いますけれども、それはそれとして、私は、この総理の御答弁の中にあります行革審に意見を求めている、その意見を踏まえて当内閣でよく相談していくというのを聞いていますと、行革に従属せられるものが教育改革なのかな、こういう疑念を抱くわけでございます。時間が参りましたので一言で結構でございますが、大臣、教育改革というのは行政改革に従属させられる、そういう位置づけにあるのでございますか、そうじゃないのでしょうか、それを伺って、質疑を終わりたいと思います。
○森国務大臣 今審議をしていただいております行革審の意見はまだまとまっておりませんので、それについて私から見解を述べることは差し控えたいと思います。ただ、教育改革は新たに二十一世紀を担う青少年のためにどのような教育制度があるべきかということを御議論をいただくということでございまして、行政改革の一環としてこの教育改革があるということではないというふうに私は申し上げておきます。
○山田委員 以上で終わります。ありがとうございました。
○片岡委員長 松浦利尚君。
○松浦委員 本委員会で教育臨調問題が議論をされて、いろいろな角度から質問がありました。私は角度を変えて、非行、暴力、落ちこぼれ、共通一次、たくさんの問題がありますが、それと同時に、今日の家計に及ぼす、あるいは物価に及ぼす教育費というのがどれだけ過重になっておるのかという事実を、政府の出した統計数字の中からぜひお答えをいただきたい、そういう意味で経済企画庁長官の河本大臣においでをいただいたわけです。大変お忙しい日程を割いて御出席をいただきましたことをお礼を申し上げて、与えられた時間が二十分ぐらいしか余裕がないそうですから、数字的なものをまず事務当局とすり合わせをいたしまして、その後大臣からお答えをいただきたいと存じます。 まず、五十九年の三月に、御案内のとおりに昭和五十八年度の十大費日中の分類指数というのが報告になりました。これを見ますと、昭和五十八年度の総合平均指数は一一〇・三、物価の上昇率は一・九。これに対して昭和五十八年度の教育費関係は一二一、上昇率は四・六という極めて高い数字を示しておるわけでありますが、この数字に間違いはありませんか。
○大来説明員 ただいま先生のおっしゃられました数字はそのとおりでございます。五十八年度の水準といたしましては教育が一二一というふうになっておりまして、これは総合よりも高い水準にございます。 ただ、五十八年度の上昇率でございますが、十大費目の中で教育は四・六%、これは先生がおっしゃったとおりでございますけれども、諸雑費という項目がございまして、これは四・八%とやや高くなっております。 水準が高いことからもわかりますように、最近の数年間の傾向といたしましては教育費が最も高い伸び率になっていると思います。
○松浦委員 さらに、昭和五十八年度「消費者物価指数年報」、事前に御連絡を申し上げておきましたから数字が出て確認をしておられると思うのでありますが、もう少し長い目で見まして、昭和五十五年を一〇〇とした場合に、現実に授業料あるいは教育関係費は二けた上昇をずっと続けて、五十六、五十七年度にやっと一けた台に落ちましたけれども、依然として高い数値を示しておる。これを昭和五十年度を一〇〇とした場合に指数で見ますと、教育は二一五・八、授業料は二五〇・〇。高い順に並べてみますと、教育費、水道料、そして交通費というふうに、ワーストワンの状況になってきております。 さらに、もっと長い目で昭和三十五年を一〇〇と見ました場合に、昭和五十八年度で、分類指数で一番高いのが生鮮魚介類で一一五四・二、その次に授業料でありまして一〇五三・四。ですから、単年度で見ても長期的に見ても消費者物価指数に占める教育費の割合がワーストワンである、端的にこう言えると思うのでありますが、意見は別として、私の申し上げた数字に間違いありませんか。
○大来説明員 数字はそのとおりになっております。
○松浦委員 教育費が消費者物価にどれほど大きなウエートを占めておったかというのは、今私の指摘した数字のとおりであります。 それでは、今度は各家庭の消費、家計簿の中からこれを見たら一体どうなるのか。昭和五十九年三月分速報が出ておりますが、これは恐らく再掲の調査をなさったと思うのでありますけれども、物価上昇が一・九であるのに対して教育関係費は全世帯で二・二%。全世帯ということは子供さんがおる、おらぬに関係なしで二・二%。勤労者世帯は四・三%の上昇になっておる。消費支出、可処分所得に占める割合というのは全世帯で六・四九%、勤労者世帯で六・五七%。これまた大変高い数字になっておる「家計調査報告」が出ておるのですが、この数字も間違いありませんか。
○及川政府委員 数字はそのとおりでございます。
○松浦委員 さらに、昭和五十四年「全国消費実態調査報告」、これは総理府統計局が行うのでありますが、その調査結果は五年ごとに一回発表することになっておりますから、恐らく今年度は間もなく総理府統計局から五年分が公表されると思うのであります。 この昭和五十四年度の「全国消費実態調査報告」を見ますと、全世帯、要するに大学生のいない家庭も含めて教育関係費を計算してみますと、構成比は消費支出一〇〇に対して六・八、国公立大学生のいる世帯は一二・八、私立大学生のいる世帯は一五・七、こういうふうになっておりますが、間違いありませんか。
○及川政府委員 そのとおりでございます。
○松浦委員 この実態調は五年前の古いものだという認識が文部省にあると困りますから、ここに経済企画庁の物価局が出しました「物価レポート価」というのがあります。この四十七ページを見ますと、確かに実収入、名目収入はふえておるのでありますが、可処分所得は、昭和五十二年から五十七年と、ほとんど平均化されておる、そういう状況のグラフが出ております。 さらに五十五ページを見ますと、「進学に伴う家計費の増加」という項目で、五十六年度に例えば公立高校に皆さん方の子供さんが入学をしたと仮定をいたしますと途端に一一%家計費が増加をする、高校に入学しただけで一一%家計費が増加するというグラフが出ておるわけであります。「進学による家計費の増加(試算)」を見ますと、私立幼稚園から公立小学校に入った場合にはマイナス五万二千円、これは下がる。公立幼稚園から公立小学校に入っただけで五万七千円支出がふえる。公立小学校から公立中学校に行きますと三万七千円ふえる。公立中学校から公立高校へ行きますと十一万五千円、公立中学校から私立高校に行きますと、何と五十一万一千円増加するという数字が明確に書いてあるのです。この数字も間違いありませんね。
○大来説明員 ただいまおっしゃられました数字に間違いございませんが、「物価レポート」で計算をいたしましたときの考え方といたしましては、個々の家庭がライフステージと申しますか、だんだんと世帯主の年齢が上昇していくという過程におきまして、一方で所得がふえるわけでありますけれども、そういうライフステージの上昇によりまして生活内容が変化をする、生活が高度化をする、そのことによって支出がふえていく。これが一方では消費者物価の上昇の実感と統計の違いということに反映されているということで、いわば実感についての説明ということで、所得の増加、生活水準の向上という文脈の中で取り上げたものでございます。 ただし、教育費に関します物価が先ほど来先生がおっしゃっておりますように非常に高い伸びで、十大分類で見ますと長期的に見て最高であるという点は、そのとおりだと思います。
○松浦委員 ここで、物価担当大臣であり、経済企画庁長官であります大臣にお尋ねをいたします。 二十一世紀に向かって現実に高学歴社会が来ておる。しかも、あらゆる親御さんたちは消費支出を抑えて子供さんの教育というものに投資をする。極めて苦しい家計の中でやりくりしておる姿がこういう状況に出てきておるのです。私は教育荒廃という問題を取り上げると同時に、これほど家計に重大な影響を与えておる教育費のあり方というものについて、基本的に政府の考え方がない。今文教委員会で育英会法案というのが議論されておりますが、これはまさしく、改正でも前向きの改正ではなくて後ろ向きであります、貸し付けて利子を取るというのでありますから。しかも、対象は百二十万人の新入大学生に対して一割の十二万人であります。こういう状況ではますます家計は教育のために苦しめられていくという状況が続きます。 この際、経済企画庁長官としての大臣のお考え方を明確にお聞かせいただきたいと思うのであります。
○河本国務大臣 最近の経済には幾つかの特徴がありますが、その一つの特徴は、大勢として経済はいい方向に向かってきたと思うのですけれども、国民の所得の伸びが非常に小さいということであります。特に実質所得の伸びが非常に小さい。そこで、消費動向なども一進一退を続けておる。こういう流れの中におきまして、今お話しのように教育費の負担というものが非常にふえております。今御指摘がございましたが、昨年は消費者物価が一・九%上昇いたしましたが、実にそのうち〇・三%は教育費の上昇によってそれがもたらされておる、こういうことでございまして、特に四十歳台、五十歳台の家庭は非常に負担が重くなっております。 そこで、この問題に対して一体どう考えるかということでありますが、一つは、やはりもう少し所得が伸びないものだろうか。貿易に依存するだけの経済発展では大変不安でありますから、もう少し所得が伸びる中において内需の拡大、こういうことも経済政策として必要でございますが、同時に、経済発展の将来を担う人材の育成、こういう面からもこの教育費の問題をよく検討しなければならぬ、こういう感じがいたします。
○松浦委員 今の後段の問題で、将来の二十一世紀の日本を担う子供の教育、そういう問題について、家計費に対する教育費の重圧というのは極めて大きな影響を与えると私は思うのです。 今大臣が御答弁なさいましたが、育英会法の改正案を出しておられる担当大臣である森大臣にお尋ねをいたしますが、今経済企画庁長官が言われたように、私も指摘したように、大変に家計に負担を与えておる状況の枠組みの中でなぜ後ろ向きのあのような法案を出さざるを得なかったのか。結局、教育改革ということよりも、先ほどの委員からも質問がありましたけれども、臨調というものが優先しておるのじゃありませんか。行政改革というものが優先しておるのじゃありませんか。教育というものについても予算その他についてはどんどん切り詰めていく、そのことに文部行政というのが追随をしているのじゃないですか。その結果が育英会法案じゃないのですか。消費に与える影響、物価に与える影響は今担当大臣が言ったとおりなんです。そういう状況の中でなぜああいう法案を出すんでしょう。そういう皆さん方が今度臨時教育審議会設置法というものをつくってみたって、何を期待できるんでしょう。現実にそういう状況で後ろ向きの法案を出して、一体金のかかる四十人学級の凍結解除とかマンモス校の解消とか、そういった問題が現実的にできるんですか。大臣の決意を聞かせてください。
○森国務大臣 先ほど山田さんの御質問の際にも申し上げましたけれども、文部省は教育の現場あるいは環境条件等々をできるだけ改善をしたい、そういう努力を今日までも続けてきたわけでございます。 教育は財政、予算全体から見ると全く聖域で、別問題であるという考え方をするかしないかということはまた別の角度の問題でございまして、現実の問題といたしましては、予算は財政当局の基本的な方針、そのもとに我々行政各部が予算を考えていくわけでございます。したがいまして、第二臨調がいろいろ指摘をしておる意見もございますけれども、それはそうした育英制度を改善する云々ということよりも、全体的の予算が現実の問題として窮屈になっていることは事実でございます。 しかし、一方におきましては、私どもとしては、育英奨学の制度はできるだけ機会均等ということ、もう一つはできるだけ量的な拡大をしていきたいということ、この二つを常に念願として今日までその策を求め、改善もしてきたわけであります。そういう見地に立ちまして、いわゆる無利子の貸与という従来やってまいりました制度は根幹として残しますけれども、なお一層、先ほど経企庁の政府委員からもございましたように、いわゆる経済の実感という考え方もございます、そういう中でそれぞれ、おのおの教育の負担ということに対しましてもいろいろな考え方があるわけでございますが、今日の経済情勢あるいは国民の所得の向上等々考えまして、一部で利子を負担していただくという制度も編み出して、それを併用させることによって逆に量的な拡大をねらった、こういうのが今度お願いしておる育英会法のねらいでございます。 いずれにいたしましても、教育に対します経費は、先生御指摘どおり、確かにいろいろな意味で親の負担になっていることは事実でございますが、個々の問題を臨調と教育改革に絡ませるということではございませんが、いずれにいたしましても、教育というものに対しましてのいわゆる公的な負担、それから個人の負担というものは、これから御論議をいただく非常に大事な問題であろうというふうに考えます。そういう意味で、臨時教育審議会では、そうした教育経費といいましょうか個人の負担といいましょうか、そういうことについての基本的な考え方は御論議をされるのではないかと予想はいたしておりますが、私どもといたしましては、今日の財政状況の中でできる限り量的な拡大もして、そして育英奨学の恩恵にあずかる学生さんをふやしてあげたいという気持ちからこうした制度を考えたわけでございます。
○松浦委員 先ほど経済企画庁からお話がありましたように、家計に与える影響はワーストワンなんですよ。物価に与える影響も大きい。そういう状況がわかっておって、なおかつ文部省がそれに対応できない。教育改革というのは現実になされておらない、後退をしておる、その現実が今はっきり教育費の負担という形の中であらわれてきておると私は思うのです。そのことをまず指摘をしておきたいと存じます。 長官、お約束の時間が来ましたから、大変御迷惑をかけました。たったこれだけのことでおいでをいただいて申しわけありませんでした。ありがとうございました。 次に、今度の教育臨調の第一条の「目的及び設置」のところに「教育基本法の精神にのっとりこという文言が入っております。ところが、現実に今教育基本法を中心にして教育行政というのが行われているのでありましょうか。それはどうですか。
○森国務大臣 教育の行政は、教育基本法、そして憲法の精神を大事にして行政を進めております。
○松浦委員 二年前、思い出すのですが、教科書検定のときに中国、韓国からクレームがついて、外交上の問題として修正をした。恐らく今の検定過程で修正して教科書というのができ上がっていくと思うのでありますが、しかし、この中で実は大変なことが行われておる。この前、初等中等局長は公明党の方の質問に対して、いやそれは現在進行中の問題だから、出版労連その他が出した内容は過大な面もある、改めてまとめます、こういう話でした。 しかし、実は私の手元に、東京都杉並区成田西四の八の二十五、村田直文さん、昭和三十年以来一貫して「中学社会」公民的分野の編集委員の一人として教科書づくりに参加をしてきておられる。この人がたまりかねて証言をしてくれた。 昭和五十八年二月二十一日、ですから去年、ことしでありませんよ、去年事実あったことなんです。その中で、白表紙の教科書と修正された教科書の字句のあらわれ方はそう大きな違いはない。しかしその修正させる過程が問題。 教科書検定について一定のルールがあるにもかかわらず、そのルールの枠を外して、これは具体的に文部省入江調査官という方がやられたそうでありますが、「自衛隊の軍事力に関する記述について――軍事力の強弱は予算や装備だけで論ずべきものではなく、軍事力対決の勝敗を決するものは隊員の士気であるが、その士気については「やってみなければわからない」」「現自衛隊を「アジアで最も有力な軍事力のひとつ」とするのは誤りであるから修正せよ。」 どことやるの、自衛隊は。こういう形で、あなた修正しなければこの検定は通さない、そういうやり方を現実にしているんだね。これはほかにもたくさんある。家永先生も私の手元に今年度のものを持ってきておられる。これを大臣にお見せする。これは写しです。 大体検定官がそういうことを言って教科書の修正を求めるということが許されることなのか。教育基本法にのっとってやっていることなのか。こんなことは言いたくありませんけれども、狭い範囲の人が閉鎖的な官僚主義で教育制度というものを統制しようとすれば、自然にそういう姿になるということが現実に言われておるのだ。一体、これは政府の見解なんですか。自衛隊はやってみなければわからぬのですか。防衛庁長官を呼んで聞いてみなければいかぬ。一歩下がって、専守防衛の日本の自衛隊、それがどこの国とやるの。こんなばかげた検定をしておって、臨教審にどういうことをかけようというのですか。納得できません。はっきりさしてください。
○高石政府委員 御指摘の事案は昨年のことだそうでございまして、個々の教科書調査官がどういうことについてどういうやりとりをしたかということについて、今突然のお尋ねでございますので、その内容について掌握しかねるわけでございますが、少なくとも教科書検定に当たりましては、子供たちの教科書として公平にしてかつ中正な内容の記述を求めるという原則に立ってそれぞれの教科書検定調査官は努力をしていると思います。その過程で改善意見を述べることもございましょうし、修正意見を述べるということもあろうかと思うわけでございます。
○松浦委員 今のような答弁では納得できません。何か、文部省は関係ないんだ、調査官それぞれがそれぞれの立場で良識に従ってやっておるような、そういういいかげんな答弁では承服できません。今度の教育臨調で教科書問題などは当然議論されていくでしょう。こういう問題は今はっきりさしておかなければ大変なことになる。明確にしてください。 これ、どうする。自衛隊がやってみなければわからないんだから、どうしますか、やらせますか。納得できませんよ、今のような答弁では。――もうあなた、いいよ。あなた答弁したってしょうがないじゃないの。あなた、自衛隊やらす方だろう。だめだよ。――それじゃどうぞ、これありますから、理事さんたちに上げてください。
○片岡委員長 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○片岡委員長 速記を始めて。 この際 暫時休憩いたします。 午後六時二分休憩 ――――◇――――― 午後七時九分開議
○片岡委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後七時十分散会