予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 75 件
- 登壇者
- 23 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1982/03/23
会議録
○委員長(植木光教君) 予算委員会公聴会を開会いたします。 昭和五十七年度一般会計予算、昭和五十七年度特別会計予算、昭和五十七年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。 本日は、昭和五十七年度総予算三案について、お手元の名簿の七名の公述人の方からそれぞれの項目について御意見を拝聴いたします。 一言ごあいさつを申し上げます。 長谷川公述人、伊木公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重な時間をお割きいただき本委員会のために御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。本日は、忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。 それでは、順次御意見を承ります。 まず、社会保障につきまして、長谷川公述人にお願いをいたします。社会福祉法人聖隷福祉事業団会長長谷川保君。
○公述人(長谷川保君) 御紹介いただきました長谷川でございます。 きょうは社会保障関係の予算について意見を申し上げることにいたします。 厚生省所管分と失業対策費の合計は九兆八百四十八億円でございまして、前年度に比しまして二・八%の増額ということになっておりますけれども、人件費、物価の値上がりを考えますと、実質的にはかなりの落ち込みであるというように考えられます。民生の安定は政治の眼目でございます。国家財政の現状はやむを得ないといたしましても、国民の福祉にはまだまだ行き風がないところがたくさんあるのでおりまして、社会保障、社会福祉への積極的な政策をやめるべきではないと思うのでございます。 次に、各論に入りまして、まず老人対策について申し上げます。 最近、在宅ケアということが非常にやかましく言われてまいっておるのでございますけれども、しかし、この在宅老人対策にはおのずから限界がございまして、これに対してはヘルパーの養成というものをよほどしっかりやりませんと、あるいは看護婦の活用ということをしっかりやりませんと非常な危険が存在するということを申し上げなければなりません。これがもし、在宅老人ケアということが本当によく行われますならば、それにこしたことはないと思います。しかし、私どもの国の総世帯数は、御承知のように三千六百十二万一千世帯ということになっております。それで、その中で三世代世帯というのはわずかに一六%しかないのであります。したがいまして、これに対しまして、在宅ケアということは三世代世帯だけのことではありませんけれども、しかしこれに対して高齢者世帯が二百五十万世帯ある。一人暮らしの老人が百万人いる。しかも高齢者世帯が年十一万三千世帯ずつ増加していくという事実は、これは在宅老人対策の限界を示すものでありまして、戦後、国民の核家族志向と個人主義的な傾向は、老人の若者との同居が必ずしも快適なものではないということを示しているわけであります。 昨年発表されました東京都の監察医の調査でも、三世代の同居老人の自殺が最も多いと、これは三世代同居の老人一万人当たり五・五人ということであります。これに対しまして老夫婦だけの場合には一・七人になっておる。一人暮らしの老人においても三・三人ということになっているのでございまして、三世代同居というものが非常な困難を一方で持っているということを考えなければならないのでございます。また、毎日の新聞が報じておりまする老人の焼死あるいは孤独死事件というようなものは、在宅ケアの危険と限界をおのずから示しているものでございます。 この在宅老人ケアの危険と限界を解決する道は、訪問看護婦やヘルパーの増強であるのでありますけれども、世界じゅうでわが国ほど看護婦を病院にくぎづけにしている国は他にございません。看護婦がもっと地域において十分活動しているというのが世界の実情でございます。また欧米では、ホームヘルパーを資格職種といたしまして、一年程度の教育や訓練をする学校ができておりますが、そして養成をたくさんしているのでございますけれども、わが国にはそれがただ一つしかございません。国も速やかに六ヵ月ないし一ヵ年程度の養成機関を多数設置する必要がございます。ヘルパーを養成するのに一週間や十日の講習では危険きわまりないのでございまして、ヘルパーすなわちわが国は家庭奉仕員という名前で呼ばれていますけれども、このホームヘルパーの総数が心身障害者家庭奉仕員を全部合わせてわずか一万六千六百人、この予算案におきまして三千三百人ほどふやしてそれだけでございまして、これでは在宅のケアということの危険を取り去ることはできないのでございます。 次に、憲法第二十五条から第十三条へわが国の社会福祉や社会保障の考え方を変えていかなければならない時代に来ていると思うのでございます。御承知のように、憲法第二十五条は最低生活の保障ということを目的といたしておりますが、今日のように経済発展による国民生活水準が向上した時代におきましては、むしろ憲法第十三条の、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」というこの条項に社会保障、社会福祉の標準を置いて施策をすべきであると思うのでありますが、本予算案においては必ずしも十分ではないのでございまして、こういう憲法十三条の立場に立って今後の老人施策をしっかりとやっていかなければならないのでございまして、そこらが速やかに改善されなければならぬ点だと思うのでございます。 次に、老人対策としての予防とリハビリテーションの関係について申し上げます。 最近の調査によると、静岡県下で発生いたしました脳卒中患者二万五千人中、CTスキャナーを設備して脳外科のできまする病院が静岡県下に十七病院あるのでございますが、その十七病院に入院できた患者はわずかに十分の一です。患者の十分の一しか入院できなかったのであります。その他はおおむね開業医の往診によって医療を受けたのでございますが、十七病院に入院してCTスキャナーの診断を受けた者の五分の一が手術可能でありまして手術をしたのでございますけれども、助かった患者は、脳出血患者におきまして六四・二%、脳動脈破裂患者におきまして七一・七%、脳梗塞患者におきまして八九%であるのであります。これらの処置を受けられなかった患者の大部分は不幸な死の転帰をし、あるいは不幸な半身不随の者となってしまっているわけであります。半身不随や寝たきりになるほど人生の不幸はございません。これを予防するあらゆる方法を常に前進させるとともに、進歩した医学を常に応用することによって、直接、寝たきりになり、あるいは死の転帰をいたします者を救い、あるいは予防の道を重視しなければなりません。しかるに今日のCTスキャナーの診療報酬は、一台一日に十二時間以上動かして一日に二十例以上やらなければこれは勘定に合わない。そうでなければ、使えば使うほど損をするということになっているのでありまして、こういうようなことでは困るのであります。また、リハビリテーションも、収入一〇〇に対しまして費用は一五〇となっておるのでありまして、これでは理学療法を、ちゃんとリハビリテーションをやれば救われる患者たちも、老人たちもそれができないというのが今日の現状でございまして、先般のリハビリテーションの診療報酬の改定で大分よくなってはおるのでありますが、改定されていまなおそういうことでございまして、これでは大変困るのでございまして、同時にまた、理学療法士等の大量の養成をしなければだめだ、いまそれがなくてできないのであります。今年度の予算案におきましても、それはある程度の理学療法士の養成のことをやっておりますけれども、そんなことでは足らないのであります。もっと十分な大量養成をしなければこの老人たちを救うことはできないのでございます。 次に、有料老人ホームの活用と市街化調整区域について申し上げてみたいと思うのであります。 最近建築されつつありますいわゆる老人世話ホームというものがございますが、先ごろ厚生大臣に答申されました、これからの有料老人ホームはいかにあるべきかというのは、実はこの有料老人世話ホームがモデルとなったものでありまして、いわばこれはマンションとホテルと医療機関が重なったようなもの、合わせたようなものでございまして、いわば施設と在宅ケアの双方のよいところを結び合わせた施設でございます。お手元に多分お届けしたと思いますが、別紙に浜名湖エデンの園というのがございますが、浜名湖エデンの園のごときは入園老人に大変喜ばれているのでございますけれども、問題は、建設費実費を入園者が終身入園金として入園時に支払わなければならないのでありますが、今日のように地価が非常に高騰をしております。そうすると、入園金が実費でやってまいりますから、大変高くなってまいります。いま有料老人ホームは法律上御承知のように市街化調整区域には建築することができないということでございます。老人施設は緑が多く交通が安全で、しかも交通の便利がよくて静かなところに建設するのが理想であります。速やかに法律を改正していただきまして、有料老人世話ホームを市街化調整区域内に建設することができるようにしていただきますれば、老人にとって好ましい環境の中で、一世帯当たり二百万円ないし六百万円ぐらいで安価に提供することができるわけでございまして、勤労大衆の老人にも十分利用できるのでございます。しかも、先ほど申し上げましたこの別紙の方をごらんいただきますと、現実の有料老人世話ホームのエデンの園というのと、軽費老人ホームのもくせいの星との比較表が出ておりますけれども、それに出ておりますように、これを、もし有料老人世話ホームというものを営利目的でしないのでございますれば、入園後の老人の負担は、所得のある老人にとりましては、有料老人世話ホームの方が軽費老人ホームよりも安く生活できるのでございます。その上建設費は軽費老人ホームが御承知のように建設費の四分の三が国、県の補助でございます。また、四分の一は自己負担、土地は自己負担ということになるのでございますけれども、有料老人世話ホームの方は、老人の持っておりまする資産を活用して建設いたしますので、国、県等の補助金はない。今日のような国、県等が歳入欠陥の時代、こういうときに全然補助金を要せずして憲法十三条による高度の老人福祉を提供し得るのでございまして、政府は速やかに法改正をして有料老人世話ホームが市街化調整区域に建設し得るようにしていただきまして、急速に重大化しつつありまする老人問題解決の一助とすべきであると思うのでございます。最善の方策は、私は、地価高騰の元凶でありまする線引きをやめるということだと思うのでございますが、そういうようにして老人に、憲法十三条にありますような豊かな老後を生活さしていただきたいと思うのでございます。これものことについては本予算案にはもちろん何もございません。 次に、医療費の適正化の問題について申し上げます。 政府は、昨年六月、三年四ヵ月ぶりに診療報酬の改正をし、八%アップしたと公表したのでありますが、事実は二%ないし八%——これは病院によって違います。値下げとなりまして、多数の病院や診療所が閉鎖、廃業のやむなぎに至りました。三年四ヵ月の間に薬価が一八%値下がりをしたとしても、薬価は診療原価の三分の一を占めるにすぎません。過去四年間におきまする人件費、物価の値上がりの累積は一七・五%ぐらいの診療報酬のアップをなすべきであったのでありますが、前述のCTスキャナーやリハビリテーションの赤字はもとより、私が主宰しておりまする聖隷浜松病院が天下に誇っておりまする未熟児センター、この未熟児センターはその新生児集中管理システムによって、静岡県西部地域人口百万人を管理し、全国平均新生児の死亡率千人に対して五・八五というのを三・一にいたしました。また、地元浜松市においては一・八という世界最高水準にいたしました。さらに、未熟児から出まする障害児をほとんどゼロにするという大きな功績を上げているのでありますけれども、五十五年度一年間に二千四百万円の赤字を出してしまったのであります。病院は営利事業ではありません。しかし、常に人件費、物価のアップ分、減価償却費、医学の進歩を吸収し得る費用を賄い得るよう適切な診療報酬の引き上げをしなければ、福祉の根源でありまする国民の健康を守ることは不可能となるのであります。 ある人々は申しております。今回の診療報酬の実質引き下げ措置は、政府が、日本の病院のベッド数が多過ぎるので病院、診療所をつぶしてベッドを減らして、年間十三兆円に達しまする医療費の増高を阻止しようという苦肉の策である、こういうようにある人たちは申しております。すなわち、米国の病床数は百四十万床に対し、人口が約二分の一である日本は百四十五万床で、はなはだしく多過ぎるというのであります。しかし、米国には別にナーシングホームの病床が百万床あるのでありまして、これにいわゆるホスピス四百施設があることを思いますれば、大体今日、日米の人口数対病床数はほぼつり合いがとれているのであります。 医療費の総額を減額する方法は他にあります。たとえば、製薬会社は年々莫大な利潤を上げているのに、これに手をつけないのはなぜでしょうか。開業医の不正請求を厳重にチェックするということはきわめて大事でありますが、これに対してはコンピューターを十分使うことによって直ちにその問題を解決していくことができると思うのでございます。また、がんの末期患者や老人末期患者等にICU等、つまり重症患者治療強化システムによって無理やりに命を引き延ばしておるのでございますが、これをやめて、むしろホスピスによる生命の尊厳と自然死に移行させるということ。厚生省はホスピスについての態度がきわめてあいまいでありますけれども、速やかにその態度を明確にいたしまして、むしろ補助奨励の決断をいたしましてこれらの諸方策を実行することによって、恐らく年間、兆円単位の医療費の節約をなすことができるわけであります。また今月、日本の病院の病床をナーシングホームに転用することによって年間恐らく七千億円ぐらいの節約はできるのであります。そういうような方策をとるべきだと思います。 次に、年金のスライド制と老齢年金給付年齢の引き上げについて簡単に申し上げます。 年金の物価スライド制は必ず実施していかなければなりません。今度の予算のように時期を一ヵ月おくらせるということは、これはやっぱり年金を掛けておりまする、ことに勤労階級の方々に非常に迷惑をかけることでありまして、これは行うべきでないと思います。同様に、老齢年金の給付年齢の引き上げは必ず定年制の引き上げに伴って行うべきでありまして、それを無視してもし年齢の引き上げをしますならば、これは勤労階級に対して、国民に対して大変な損害を与えることになると思うのであります。 次に、保育園の偏在と高過ぎる保育料と児童手当について申し上げます。 近年、青少年の道徳的荒廃は実に憂うべきものがあります。しかしこの青少年の道徳的荒廃は、いわば大人の、人間よりも経済を第一とするという道徳的荒廃の影であります。解決の第一の道は、乳幼児を持つ母親を職場から家庭に帰し、愛情を持って子供を育てることから始めなければなりません。そのためには児童手当を格段に増額をしなければなりません。これは莫大な額になり直すが、非行少年や犯罪人をつくらない、将来日本社会を滅亡から救うということを考えれば、必ずやらなければならぬ政策だと思います。非行少年のために用いておりまする警察費や裁判所費、少年院、刑務所費あるいは非行少年対策費、失業対策費等をもって充当していくことによって、何としてでもこれをやっていただきたいと思うのでございます。さればといって、三歳児以上の児童には集団生活その他の訓練、教育を家庭教育とともに行うことはきわめて重要なことでございまして、ここに保育園、幼稚園の意義があります。さらに、現在保育園児の二〇%が欠損家庭の児童であるということはきわめて重大なことでありまして、これを思いますと保育園の意義というものはきわめて大事であります。今日、厚生省は保育園の新設をしないという方針をとっているが、これは大きな間違いであります。保育料が高いことと保育園が偏在しているために入園できない乳幼児が多数あることを考え、必要な地域には新設を許可すべきである。また、かぎっ子対策、学童保育の施策を推進することもきわめて緊要なことでありますが、本予算案にはそれらのことについてほとんど盛られておらないことを残念に思う次第でございます。 以上、公述を申し上げます。(拍手)
○委員長(植木光教君) どうもありがとうございました。 次に、景気動向について、伊木公述人にお願いいたします。国学院大学教授伊木誠君。
○公述人(伊木誠君) 御紹介をいただきました伊木でございます。 私は、五十七年度におきまして、公共投資の増額あるいは所得税減税等、財政面から相当大胆な施策を講じていただきませんと、ごく近い将来日本経済は大変な困難な状況に陥るという立場から意見を申し上げたいと存じます。 今月の中旬に昭和五十六年十−十二月期の国民所得統計速報が発表されたわけでございますけれども、私も含めて大変大きなショックを受けました。と申しますのは、実質で申しまして前期比〇・九%、年率に換算いたしますと三・五%という大変大幅な実質GNPのマイナスが生じたわけでございます。実は第一次石油危機の直後、昭和四十八年の第四・四半期から四十九年にかけてでございますが、この場合には、オイルショックが起こりますと直ちに実質GNPは先行ピークを下回りまして、約六・四半期間——一年半にわたって水面下を漂う、つまりマイナス成長をやりました。その後、プラスになるということでございましたけれども、今回の場合には第一次石油危機に比べますと比較的順調に推移してきたわけでございますが、ここのところへ来て、第二次石油危機以後初めて大幅な実質GNPのマイナスを経験するということになったのでございます。この結果、政府の経済見通しの達成というのが事実上不可能と断定していいほど見込みが狂ってまいったと私は考えそおります。昭和五十六年度につきまして政府は実質成長率を四・一%というふうに見通されておるわけでございますが、もし仮にこの四・一%を達成するためにはことしの一−三月期、五十七年一−三月期の実質GNPは対前期比六・七%、年率にいたしまして何と二九・六%ふえないと政府見通しが達成できない、こういう計算が出てまいります。私ども素直に計算いたしまして、今年度の実質成長率は二・五%程度にとどまるのではないだろうか、下手をすると二・二、三%になる可能性もなしとしないというふうに考えておるわけでございます。つまり、五十六年度の国民所得統計ベースで見て、実質で見て政府見通しよりも実績値が約三兆円強、三・四兆円ぐらい、名目で四・三兆円程度、政府見通しと実績の間のギャップが発生するというふうな感じがいたします。また、もし五十七年度の政府経済見通し五・二%という成長率を達成するためには、恐らくことしの四−六月期から年率七%以上の成長を達成しませんと政府見通しになりません。前期比で大体二%程度の成長というのが必要になってくるということになるわけでございます。したがいまして、今日の産業界、経済界は政府経済見通しに対する信頼感を全く失っておりまして、場合によっては景気の再下降の危険すらあるという、そういう悲観的なムードすら出てまいっております。こういった状況、産業界のムードはこの十日間ばかりの東京証券取引所のダウの落ち込み方等にもはっきりとあらわれていると言えるかと思います。 こうした最近の経済の落ち込みがなぜ起こっているのか、その中身は何かというところに実はポイントを置いて分析する必要があるわけでございますが、今回の第二次石油危機以降の経済調整の場合と第一次石油危機の場合の経済調整を比較してみますと、非常に大きな違いが出てまいります。いわば石油危機のツケをだれが払ったのかという点において決定的な差があるわけでございます。第一次石油危機の場合には、総じて申しますと、石油危機のツケを民間企業が払った。もちろん後でお話しいたしますとおり家計部門でもツケを払わされたわけでありますが、主としてそのツケを払ったのは民間企業部門でございました。ところが、今回の場合にはそのツケの払い手はもっぱら家計部門でございます。ここに大きな違いがあり、景気変動の変動の仕方の違いが出てまいっておるわけでございます。 まず、第一次石油危機の場合と今回の第二次石油危機の場合の不況を比較してみますと、前回の方がはるかに大きなマイナスのショックがございました。これは狂乱インフレというような異常なインフレーションがあったということとも関係するわけでございますが、ともかくも先ほど申し上げたとおり、石油危機が起こりますや否や実質GNPは約一年半にわたって水面下を推移する、戦後初めてマイナス成長を経験するということになったわけでございますが、今回の場合には、第二次石油危機が起こったにもかかわりませず、実質GNPは一回もマイナスを経験することなく推移いたしました。今回のマイナスは八・四半期目でございます。つまり、まる二年たって初めて実質GNPがマイナスになったということでございますから、この点だけを見ますと、今回の第二次石油危機の場合の方が石油危機のマイナスの影響が小さかったという評価もできるかと思います。同様のことは鉱工業生産についても言えるわけでございまして、第一次石油危機の場合には、四十八年十一月から約十六ヵ月間にわたりまして二〇%も生産が落ち込みました。今回の場合には、五十五年二月をピークにいたしましてわずか六ヵ月間、落ち込み幅も六%強にすぎません。したがって一般的には、第二次石油危機の場合の方がマイナスの影響は小さかったという評価でございました。事実いまから一年ぐらい前、あるいは昨年いっぱいを通じて日本経済は第二次石油危機を乗り切った、こういう判断が広がったのでございます。昨年度の政府経済白書におきましても、なぜ今回の石油危機の方がマイナスのダメージが小さかったのか、その原因は何だったのかというのを主たる分析の問題意識として設定しておるのは御承知のとおりでございます。つまり、一見今回の万が不況の打撃が小さかったというふうに考えられておったのでありますが、ここのところへ来て、その評価がまるっきり変わってまいりました。 やや俗っぽい比喩を引かしていただきますが、ボクシングにおきまして、まず第一回の石油危機の場合には、第一ラウンドで思いっ切りアッパーカットを食ったようなものであって、頭がふらふらしてしばらくの間は何が何だかわからなかった。しかしようやくしばらくたって立ち直ることができて、第十五回戦まで何とかいった。ところが今回の場合には、余り大きなアッパーカットは食いませんでしたけれども、連続ジャブをボデーに受けまして、第五ラウンド、第六ラウンド、第七ラウンドと時間が経過するとともにその打撃が効いてきた。こういう比喩で比較されております。事実、この比喩は一面状況を正しく説明しているものだと思います。 その最大の問題は、先ほどからも申し上げておりますとおり、不況の二年目に大きなマイナスが出てきたということでございます。とりわけ、昨年の年末に入りまして、家計部門と政府部門とそして海外部門、この三部門に大きなマイナスが発生いたしました。先ほど私は、今回の石油危機のツケを主として家計部門が負担したというふうに申しましたけれども、この問題はどういうところにあらわれているのかと申しますと、労働分配率の面にあらわれております。第一次石油危機の場合には労働分配率は次のように推移いたしました。これは日本銀行の主要企業経営分析ベースで調べました労働分配率でございますけれども、昭和四十八年には四三・七%、それが四十九年には四九・四%に上がり、五十年度には五三・四%と、第一次石油危機の場合には二年間に約一〇ポイント労働分配率は上昇いたしました。つまり、企業収益はその分だけマイナスになったということでございます。ところが今回の場合どういう推移をしたかと申しますと、昭和五十四年度の労働分配率四七・五%に対しまして、五十五年度の労働分配率は四六・〇%、それから五十六年度は、これは私の推計でございますが四七%程度ではないか。つまり、五十五年度、五十六年度の労働分配率は、第一次石油危機の直前の昭和四十五年、四十六年の水準に比較的近い、低い水準であるということでございます。つまり、第二次石油危機の場合はそれだけ企業収益の打撃が相対的に小さかったということであろうかと思います。 また、その証拠に、第二次石油危機以降の民間企業設備投資の盛り上がりは異常なほどでございます。特に大企業におきましては、かつての高度成長期を上回るような、三〇%、四〇%というような設備投資の伸び率をいたしました。前回の不況が非常に深刻な影響を受けたと私先ほど申し上げましたけれども、その場合に一番最大の落ち込みをしましたのは企業部門の需要でございました。民間設備投資と民間在庫投資を合わせた企業投資額は何と五・四半期で一九%マイナスになり、それから昭和五十四年までまる五年間、先行ピークの水準を超えることができませんでした。ところが今回の場合、民間設備投資と民間在庫投資を合わせました企業部門の需要は一度も先行ピークを下回ることはございませんで、いわば民間設備投資主導型、あるいは民間設備投資と輸出主導型の経済成長と言われたのは、皆様方の記憶に新しいところかと存じます。 つまり、今回の場合には民間企業はさしたるダメージを受けずに推移いたしました。ところが反対に、先ほどからも申し上げてまいっておりますように、家計部門が相当ダメージを受けておるのでございます。特に、企業規模別にその動向を調べてみますと、中小零細企業及び農家のダメージが非常に大きいというのが今回の大きな特徴かと存じます。企業規模別に賃金の所得上昇率を比較してまいりますと、昨五十六年の春闘ベア率では、従業員数五人から二十九人の中小零細企業の場合におきましても、三十人以上の企業規模におきましても、春闘ベア率は七・八%、七・九%と、さしたる差はないのでございますが、定期給与、つまり万々決まって支給される所得になりますと大変大きな開きが出てまいります。中小零細企業の方が伸び率が小さい、しかも時間の経過とともにその伸び率は下がってまいりました。ちなみに、昨年十−十二月期の従業員数五人から二十九人の中小零細企業の所得の伸び率はわずか三・八%でございます。一方、三十人以上の規模の所得の伸び率は六・〇%ということで、その間の開きは相当大きい。また、業種別に見ました場合、製造業とか卸小売業の所得の伸び率は二%台というような低い伸びにしかなっていないのでございます。 振り返って見ますと、この中小零細企業という分野は、個人消費支出に依存している分野でございます。産業連関表等を分析いたしますと、大企業分野は個人消費支出に依存する割合はわずか一八%で二割を割り込んでおりますけれども、中小零細企業の場合は個人消費に依存する割合は約六割でございます。したがいまして、消費が停滞すれば中小零細企業の労働者の所得の伸びを抑える、中小零細企業の勤労者の所得の伸びが抑えられるから消費が伸びない。つまり、消費停滞と中小零細企業の勤労者の所得の伸び率の低下、停滞というのが悪循環をしているというのが昨年後半の目立った特徴かと思われます。したがいまして、この悪連鎖、まああえて悪循環という言葉を使わしていただいても結構かと思いますが、この連鎖を断ち切ることが当面わが国の景気立ち直りの最大のポイントになるわけでございます。 当然、こういった消費不況を改善させるためにはいろんな手段がございます。当面挙げるだけでも四つございます。一つは、ことし五十七年度の春闘ベア率を相当大幅に高いものにする。第二番目に、この夏及び年末のボーナスを相当大幅にプラスとする。三番目に、所定外労働時間の回復に従って残業手当をふやしていく。そして第四番目には、租税負担、社会保険負担を軽減するというこの四つの方式かと思います。 ところが、先ほど挙げた四つのうち、前三つにつきましては当面大した期待が持てないのが実態でございます。ことしの春闘ベア率はどう見ましても六%台でございまして、昨年の八%程度という伸び率から見ますと著しく低下することはどうも確実のようでございますし、ボーナスにつきましても、この三月期決算が若干の増益になったとしても、その効果があらわれるのはこの夏、七、八月以降でございます。所定外労働時間は、この一月の生産指数が、先行ピークでございます五十五年二月のピークをわずか三%しか上回っていないという状況から見て、これもまた当面期待が薄い。そうであれば、最後に残る手段は減税ということにならざるを得ない。まあ一兆円減税は一・五%程度の春闘ベア率に相当すると一般に推計されておるわけでございますが、最低限その程度の思い切った措置をとりませんと、消費は恐らく停滞状況をいましばらく続けざるを得ないと思います。 特に減税を私は主張します最大のポイントは、先ほどからも強調いたしましたとおり、中小零細企業の所得の伸びを高めるということに力点がございます。減税はこういった比較的低額所得者層に恩恵を相対的に大きく与えるというものでございますから、その点からも減税というものが必要とされておりますし、またその効果が期待されているということかと存じます。 また、そのことがございませんと、政府はことし、五十七年度につきまして民間住宅建設百三十万戸を目標とされていろんな施策をとられようとしておりますけれども、この達成も困難ではないかというのが私の状況判断でございます。 私の意をおくみ取りくださって、何らかの財政面からの措置を講じていただければ大変ありがたいと存じます。(拍手)
○委員長(植木光教君) どうもありがとうございました。 それでは、これより質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○関口恵造君 本日は、長谷川先生におかれましては大変お忙しいところをお出まし賜りまして貴重なお話をいただきまして、本当にありがとう存じます。「夜と昼のように輝く」という御本を拝見しておりまして先生のプロフィールを伺っておりますが、実践活動で大変御活躍ということに敬意を表しておるものでございます。先生のお話の中で、一番私ども医療担当者の一人として意識を強くいたしましたことは、先生が、リハビリ等におきまして一〇〇の収入を得るのに支出が一五〇、このためには正しい技術料の評価というものをしなければならないということをおっしゃったことにいたく感銘を受けておるものでございます。 実は、高齢化社会の急速な到来を控えまして老人福祉対策をどのように進めていくかということが一番大きな命題になっておりますが、実践的な立場からお考えをお聞かせいただければありがたいと思うわけでございます。ことに、いま日本においてボランティアということがいろいろ言われてはおりますが、マンパワーの確保ということが一番大きな命題になっておると思うわけでございますが、この点につきまして先生の御見識を例えればありがたいと思う次第でございます。 それからもう一点、先生は本邦におきましてホスピスという問題につきまして非常に御関心を持ってその端緒につかれておられるわけでございますが、われわれの立場からまいりまして、生命というものを最後まで希望を捨てることなく、どうしてもこの問題に対しまして最後の最後まで手を尽くしたいという考え方が一つ医療担当者の側にはあるわけでございますが、同時に、ホスピスの問題といたしまして、苦痛の除去という問題、最近のようにこの点に関しましては薬剤の開発等が行われまして、プロンプトンカクテルのような非常に有効な薬剤もできておるというような状況でございますが、その問題に関しまして、副作用の問題がどうであろうかというような心配も一つあるわけでございます。なお、一番の問題点は、精神的な苦痛の除去という面につきまして、チームワークをとりまして、牧師さん初めケースワーカーの方も加わってということでございますが、がんの問題といたしまして、死の宣告をするということは非常に大きな苦痛を伴うものではないかと思うわけでございますが、日本におきましては諸外国と違いまして宗教観あるいは生命観も大分違ってまいっておるわけでございますが、この点につきまして、先生実践的なお立場で、わが国におきましていかようにお考えでございますか、お伺いを申し上げたいわけでございます。 なお、私、実は歯科医でございまして、老人福祉対策等におきまして、とかく大きな生命の面におきましては歯科という問題がわりあいに取り上げられておらないのでございますが、先生のところにおきましては、御本を拝見しておりますと、浜松市の歯科医師会等におきましても御協力を申し上げているようでございますが、老人保健の問題あるいは重度心身障害児の問題等に対します、在宅また入所を問わず、この歯科対策等につきまして先生の一つのお考えがございましたらお聞かせを賜りたいと思うわけでございます。 お聞きしたいことがたくさんあるわけでございますが、以上三点についてひとつお伺いを申し上げたいと思うわけでございます。よろしくどうぞお願い申し上げます。
○公述人(長谷川保君) お答えを申し上げます。 第一は、高齢化社会の老人福祉対策について、ボランティア活動等についてでございますが、これは日本国民の中にもこのボランティアに対する情熱というものは非常に盛んになってまいりました。御承知のように、家庭が非常に機械化し電気化してまいりまして、御主人がお勤めに出る、あともう奥さんたちが非常に夕方まで暇であるということが出てまいりました。こういうことから、また同時に社会的な認識も大分強まってまいりまして、ボランティアになろうという意識が十分盛り上がってきております。ただ、日本では、ちょっと受け入れ体制が十分できてないというように思います。アメリカに参りますと、社会福祉施設や、あるいは病院の一番いい正面の玄関へ入ったところに皆ボランティアの更衣室が全部できております。こういうような受け入れ体制が十分できてない。こういう点は考えていかなければいけませんが、しかしこれからたとえばホスピス等をしてまいりますと、一つのホスピスに対して、ある人は二百人ぐらいのボランティアの方がいてくれないと十分のことができないと申しておりまして、これからもそういう社会的な意識の高揚は大いにしていく必要があると存じております。 それから第二のホスピスの問題でございますが、これは先ほどもちょっと触れたのでございますけれども、いま近代病院というものは、先ほど申しましたような重症患者の強化システムという、ICUというようなものを近代病院は皆持っておりまして、それによって心臓がとまってくればまた心臓を動かしていく、肺がとまってくれば、呼吸がとまってくれば肺臓を動かしていく、あるいはパイプを入れて無理やり食糧をつぎ込んでいくというような非常な対策をしておるのでありますが、これらは交通事故とか非常災害等によって急に命が危険になったときにはこれは十分やらなければなりません。あるいは心臓が急に不調になってきたというようなときにはCCU等でも十分これをやらなければなりませんけれども、しかし現状は、もはや本人の意思あるいは遺族の意思等を無視いたしまして、命がある限りは何でも引き延ばしていくというこういうことで、そのために非常に大きな医療費を使っているのでございます。これはアメリカでもそうでございます。イギリスでもそうでございますが、がんの末期あるいは老人の末期であって、だれが見ても医学の現段階ではもうこれは終わりであるという人たちを、無理やりそういうことをして引きずっていくということは、人道的にもいかがかと思います。その点ホスピスは、人間の尊厳ということを考えまして、本人の意思あるいは御遺族の意思等があれば、そういうことをしないで最後は痛みをまずとる。たとえば先ほどのがん患者でありますが、日本ではいま十六万五、六千人が一年間にがんで死にますが、その三分の一ぐらいが非常なひどい痛みがくるわけです。それは実にひどい痛みでございます。それは先ほども申しましたようなプロンプトンカクテルというようなモルヒネもしくはヘロインを主剤にいたしましたものを注射ではなく飲ませるということで、四時間置きに飲ませる、あるいは座薬にいたしますと一日に三回ぐらいで済むのでございますが、それによって痛みをとるということはほとんど完全に行われるようになりました。これをいたしまして痛みをとってあげて、後は呼吸の困難を安らかにするために酸素吸入等をする程度のことで自然に死に至らしめる、天寿を合うさせるということをするのがホスピスでございます。こういうことによって人間の尊厳を保ちながら、無理やり引き延ばして診療報酬のめちゃくちゃな収入をさせるというようなことはやめるべきでありまして、むしろホスピスにはこれはプロンプトンカクテルを持たして家庭にやるということによって在宅ケアもできるわけでございます。ことに小児がんなどはその在宅ケアをしていくという形になります。そういう方針をとることによって、一方では人間を大事にしていくという、その本人の人格を尊重していくということとともに、同時に診療報酬を一方ではむだなことをしないで済むと。最後のそういうケアをいたしますと、一人一ヵ月最低七十万円以上の診療報酬を必要とするので、そういうことをしないでいくという、そういう意味で、ひとつホスピスについて厚生省は態度をはっきりしてもらいたいということを思っているわけでございます。ホスピスにはもちろんチームワークをいたしまして、ことに在宅のケアの場合には看護婦や心理学者や、あるいはコンサルタントやケースワーカー、医師、看護婦、ボランティアというのがチームを組みまして在宅ケアをするのでございますが、しかし残念なことに、こういうケアに対する報酬が何ら今日はないのでございます。こういうことについても配慮をすることによって、診療報酬をはるかに低くすることができる。また、末期患者を本当に人間として扱うことができるというふうになると思うのでございます。いまのがんの死の宣告は重大な問題でございますが、この点は原則としては、アメリカの全州でいまがん患者に対してはがんの宣告をする形になっておりますが、日本ではなかなかむずかしい点もございますけれども、原則としてはやっぱりがんの宣告——と申しますのは、今日は進んだ医学、がんセンター等におきましては大体がん患者の半分は助かっているのでございまして、がん即死という迷信をぶち壊さなきゃならぬという時代になっているのでございます。したがいまして、私はこれは慎重を要しますけれども、がんの宣告を原則論としてはすべきであると思います。 それから、ホスピス等における宗教の問題でございますが、日本人も非常に多く皆宗教を実際持っておるのでございますが、しかし、無宗教の方方に対してはこういう方針をとっております。決して宗教を押しつけることはホスピスではすべきではないのでございまして、無宗教の方々に対しましては死ということは再び覚めない眠りにつくことである。決して死への最後は苦痛でいくものではないので、たとえばプロンプトンカクテル等を利用いたしますと、そうすると苦痛で死ぬということではないと。死にます間の苦痛が一つは非常な恐怖でございまして、そうではなくして死というものはそういうものではないと。ことに痛みさえとっておけば、最後は再び覚めない眠りにつくものであるから安心していらっしゃいということを、そういうこれはホスピスと申しますのは施設本位でもございませんし、あるいは医者や看護婦等そういうものを本位にするものじゃなくて、あくまで患者を本位にしていこうというのがホスピスの特徴でございます。だから家に帰りたい者は家に帰す、そこにいたい者はそこにいるというように全部を患者本位にしてやらなきゃならない。したがいまして、それぞれの患者を本位にいたしましての対策をとってまいりますので、その心配は、本来のホスピスを理解しているものではございませんと思います。 それから最後に歯科の問題でございますが、老人は皆歯が悪くなっていく、あるいは目が悪くなってまいります、あるいは整形が非常に粗になってまいりまして、ことに歯科が老人に対して非常に大事なことであるということは申し上げるまでもございませんで、老人や心身障害者、ことに私どものところは重症心身障害児、重度精薄児もやっておりますが、大体これらは皆てんかんを持っておりますから歯ぎしりをいたしまして歯はめちゃくちゃでございます。いま浜松市医師会の皆さんがそれをボランティアで皆来てやってくださいます。歯科医が治療してくださいます。その施設さえ用意すれば、皆さんが実によくやってくださいましてうまくいくのですが、今後も歯科の先生たちの非常な御尽力をいただかなければ老人や心身障害児、重度精薄児等の施設はうまくいくものではございませんで、これから御尽力をお願いしたい次第でございます。
○委員長(植木光教君) 勝手でございますが、きわめて限られた時間でございますので、質問及び答弁は簡明にお願いをいたします。
○藏内修治君 伊木先生に数点の御質問をさしていただきたいと思います。 伊木先生は、大変失礼な御質問になるかもしれませんが、国民経済研究協会に加盟していらっしゃると思います。国民経済研究協会の年間の実質成長率の見通しは、民間の調査あるいは研究団体、機関、こういうものの中では比較的高い成長率を見込んでいらっしゃいました。たしか四・二%ぐらいの実質成長率を見込んでおられたと思います。政府よりはもちろん低いわけでございますが、それにもかかわらず、いまの先生のお話では著しくそれを下回って、二・五%あるいはひょっとすると二・二、三%ということになるのではないかと。その原因も先生の御説明で大体納得のできるところではございますが、一番これだけ大きな見通しの違いが出たのはどこにその原因があったのか、この点についてもう一度ひとつ御説明をいただきたいと思います。 それから第二点といたしましては、私は先生がいまお話の中で、減税というものが景気動向、不況の対策として最も効果的である、あとの春闘のベア率を大幅に上げること、それからボーナスあるいは残業手当、こういうものは現状でははなはだしく期待薄である、したがって減税ということであるというぐあいにおっしゃいましたのでありますが、税制というものは私は本質的には景気対策として扱うべきものではないような気がいたします。税制というものは本質的にはそういうものではないような気がする。ただ、こういう緊急という非常の事態の際には、税制をいじるということも私は確かにやむを得ないかもしれませんが、景気対策としての効果あるいは個人消費をどの程度刺激する効果があるのか、この点をもう少しひとつ御説明をいただければありがたいと思います。 それから第三点の御質問は、個人消費支出、こういうものが非常に落ち込んでおる、それには物をみんな買わなくなった、買わなくなった理由の中の一つに、やはり家計の問題はあるが、商品自体、商品というのは単に日常の生鮮食料品、衣料あるいは家具、そういうものばかりでなく、たとえばすべて建設関係の経費等々の現在のコストが、物価というものは消費者物価も非常に落ちついて安定しているとはいうものの、果たして適正な価格なのであるかどうか。私は生鮮食料品などに一例をとってみましても、その流通過程等々を考えてみますると、もっと政策的に、何といいますか、価格を下げることが現実には可能ではないか、行政機構改革の中に私はそういう点が見落とされておる点がありはしないか。たとえば談合問題などで非常に問題になっておるように、談合があるがゆえに、全く安いとは言いませんがある程度軽減された経費でできるものが、談合という一つのいままでの慣習というもののために非常に高い価格で落札をされていっておる、そういうものをできるだけ軽減していかなきゃならない、これも政治としてのなすべきことではないかという気がいたします。そういうことで、すべての価格が適正価格であるかどうか、こういうものについて先生の御意見を聞かしていただければありがたいと思います。 時間がございませんので大変問題点をしぼってしまいましたが、以上三点の先生の御意見を聞かしていただきたいと思います。
○公述人(伊木誠君) お答え申し上げます。 まず、私も所属しております国民経済研究協会の見通し、実はこれは昨年の暮れに、十二月に発表さしていただいたものでございますが、それときょう私が申し上げたのでは相当大幅な違いがあるのではないかという御指摘でございますが、事実そうでございます。ただ一点申し上げたいのは、私、先ほど二・五%になる可能性があると申しましたのは、今年度、五十六年度についてでございまして、五十六年度につきましては私ども昨年暮れの時点では三・七%というふうに見込んでおりました。それが二%台になる可能性が出てきたということでございまして、四・二%を基準にお考えいただくのはちょっと比較の数字が違うかと思います。 どこに違いがあったのかということでございますが、二番大きかったのはやはり輸出の見方が相当大きく違ったということかと思います。実は、申し上げますけれども、今回十−十二月期の輸出の落ち込みは大変大幅でございました。これだけで実はGNPをマイナス〇・九%、これだけで〇・九%下げておりますので、実は昨年十−十二月期の需要の落ち込みは輸出の落ち込みだけで説明がついてしまうぐらい大幅なものでございました。これが、だからしたがって長期的にどうなるかということについては、またそこから新しい議論が発生するかと思いますが、これが一つ。 それから、輸入につきまして、もうしばらく停滞するかなと思っておりましたところが、これが実質ベースで見た輸入が少しふえてきた。この輸入の増加も実は成長率に対してはマイナス要因でございまして、海外部門の需要要因が相当大きく食い違ったというのがございます。しかし、実は海外部門には違いましたけれども、二番大きかったのは住宅と公共投資、つまり公的固定資本形成、ここが私どもの見方よりもマイナスであった。特に公共投資につきましては、私ども五十六年度、年度上期に集中的に支出を繰り上げてくる、そのために年度末には息切れが来るぞということを一応考えてはおりましたけれども、十−十二月期にこれほど大幅に息切れ現象が出てくるとは思っておりませんでした。したがって、この点が一−三月にはもう少し出てくるとは考えておりましたけれども、少し早日に、しかも考えておりましたよりも大幅に公共投資の息切れ現象がGNPベースに出てきた、これが見込み違いの一つ。それから、住宅が多少底が入るかと思っておりましたところが、やはり依然としてマイナスを続けた、この点の見込み違いが五十六年度についての見込み違いの大きなポイントでございます。 それから第二の、景気対策に税制を使うのは問題ではないかというふうにおっしゃる御意見でございますが、私は必ずしもいまの御意見に理論的に見て賛同するわけじゃございませんで、税制も使ってよろしかろうと。それは公共支出、つまり公共投資をふやすことによって景気をコントロールする、これが唯一の方法であるというふうには考えませんで、やはり支出とそれから租税収入、この両面で景気政策というのはその局面局面の必要性に応じて使い分けるといいますか、その一つの政策のバランスをとってやるということが一番重要なのではないか。どちらか一本ではなくて、その局面に応じた支出の違いが必要だと。 私は、先ほどから申しますとおり、今回の場合には名目所得が伸び悩んでおる、しかも実質の可処分所得がマイナスになっておるということに最大のポイントがあるわけでございまして、何とかしてその可処分所得をふやしてあげなければ国民生活に効果を及ぼさない、実質の可処分所得がマイナスのときに幾ら公共投資で東北新幹線をつくっていただいても、これはやはり財政政策としては余りいい政策とは言えないのではないかというふうに私は考えておりますので、そこは若干御意見が異なるかと思います。 それから三番目の、すべての商品の価格が適正であるのかどうかという御質問でございますが、これはお説のとおりでございまして、私は適切であるというふうには考えません。やはりいろんな意味での、単なる公共料金等々だけではなくて、民間部門におきます価格につきましても、もっと下げ得る余地は十分あろうかと思います。ただし、これは私は景気政策としてこの価格のコントロールをするというのは大変むずかしゅうございまして、多くの問題はやはり構造政策として考えていただかなければならないのではないだろうか。そういう意味では、やはりいま問題になっております行政改革の問題もすべてこういう問題と直結するでございましょうし、それからいわゆる独禁政策と言われるようなもの、産業政策ですね、こういうものの運用につきましても、やはりもっともっと適切に運用され、むだを排し適正な価格で、つまり生産者にとってもそれから需要者側にとってももっとリーズナブルと申しますか、合理的な価格で需要供給ができるようなものをつくっていただきたいと思います。そういう意味では、いまの価格が適正かどうかとおっしゃいますと、それは不適正なものが多々ある。しかし、これはいまの景気対策の緊急性から見ますと、それを絡めて議論いたしますと大変議論が混乱するだけで、必ずしも有益な議論にはならないのではないかというのが私の意見でございます。
○片山甚市君 長谷川公述人には、本日は御多用のところありがとうございました。 先ほどの御公述を聞きながら感じたことでありますが、二つの点について御質問いたします。 最近、行財政改革の風潮の中で、特に社会福祉について、安上が力の福祉が強調され過ぎておるのではないかと恐れておるものであります。たとえば老人や身体障害者について、在宅重視の方向の名のもとに従来の施策の方向を転換しようとしておりますが、一歩突っ込んで何が在宅重視の施策であるかというふうに考えてみますと、とりたてて目新しいものはなく、わずかに家庭奉仕員の増員と対象を拡大した有料制度の導入が見られるにすぎません。こういった在宅重視のかけ声、風潮などに対し、先生はどのような問題意識を持っておられるか、端的にお話しを願いたいと思います。 二つ目には、先生にかかわりのあることでありますが、有料老人ホームの強化ということであります。 高齢化社会の到来で老人の絶対数の増加や核家族化が進み国民の老後の居住環境の整備が急務となっておりますが、その際、有料老人ホームの果たす役割りもきわめて大きいのでありますけれども、政府は利用者保護のための事業、有料老人ホーム健全育成のための事業、老人福祉思想の啓蒙普及のための事業を行わせるとして、公益法人全国有料老人ホーム協会を去る二月の八日に認可しました。その構成メンバーを見ますと、公益法人、社会福祉法人あるいは株式会社形態の営利法人がありまして、種々雑多の経営形態をとっております。その集まりであります。その事業目的の一つである老人福祉思想の啓蒙普及という視点からも、公益法人も営利法人も同じ目的にある事業と言えるかどうか、どうも矛盾があると思います。長谷川先生のところも有力メンバーの一つであると報道されておりますので、これについてどのようにお考えを持っておられるかお尋ねいたします。 以上二点。
○公述人(長谷川保君) お答えを申し上げます。 まず在宅福祉ということでございますが、やはり私は社会福祉の安上がりということを第一の目的にしては困ると思うのでございます。そうではなくて、対象者の老人あるいはその他の障害者等の幸せを第一に考えていく、その福祉の充実を十分考えていくことが第一になりまして、そのあと経済のバランスをとっていくというような形を考えてくれませんと、事の本質を全く失うということになると思うのでございます。だから、在宅福祉もそのため老人や障害者、病人等が幸せになる、より幸せになるということでいってくださらないと、本質を間違うというように思っております。たとえば、今度出ております老人保健法案等でございますが、あの保健法案等を見ましても、あれを実行するには少なくとも医師、看護婦、保健婦、あるいはホームヘルパー等の十分な準備をいたしましてからでなければ、ああいう目的にはならないと思うのでございます。そうでなくて、ただ安上がりということでは困るのでございまして、そこらの点を私は十分本院におかれましてもお考えをいただきたいと思うわけでございます。 それから、いまの有料老人ホーム協会のことでございますが、これも先ほどお話しのとおり、認可をなさいましたけれども、率直に申しまして十分な準備ができておりません。たとえば、日本老人福祉財団という、この有料老人ホームの最も有力な団体がございますけれども、ここなども、理事長は郷司浩平さんでございますけれども、一度も呼ばれたことはないのでございまして、書類では出てきたように書いてありますようでありますが、そこらに非常に不十分な、いわば率直に言うと厚生省の国会対策のために無理やり大急ぎでつくったというような感じがしております。これはいい仕事であります。いい仕事でありまして、ことに入園者、利用者の保護をするという点では、これはぜひやってもらわなければなりませんが、もっとこれに対して腰を入れてしっかりやっていただきたいと思うわけでございますが、いまお話しのとおり、この構成メンバーが株式会社があり、公益法人があり、社会福祉法人があるということでございまして、あくまでやはり老人の福祉を考えていくということでなければならないのでございまして、もし、このようなものでいいというならば、むしろ病院を株式会社にすればいいわけで、そうではなくて、実際また見ましても、有力商社が幾つかのそういう施設をつくりました。全部失敗いたしました。名前を挙げるのは差し控えますけれども、全部失敗した。先般、東京都羽村で倒産いたしましたあのサンメディックというのも、全く金もうけを目標にした。それで失敗したのです。老人は利口でございますから、一日見ればこれが金もうけであるか、いつでも本当に老人の福祉を見ているかわかる。これは、最近できておりまする、この有料老人ホームがいろいろ最近新設したものは株式会社が多いのでございます。それはなぜかというと、厚生省の態度がよくないと思います。厚生省が公益法人もしくは社会福祉法人で、これを許しませんものですから、それでこれを実現していくには株式会社でやるなら簡単にできるというので株式会社。株式会社でやっていくのは営利を目標にするのは当然のことであります。でございますから、そういうことで全部の構造、施設、設備関係が全部金もうけということになってまいりました。いま老人にとりましては非常に空気のいいことと、老人の健康を保つに一番いいのは散歩でございます。朝早くみんな散歩に出かける、そういうことのできないような地域、たとえば伊東市である商社がつくりましたようなものは、もう自分の屋敷いっぱいに、いわば東京にあるようなマンションをつくっておるのでございまして、それで散歩などできない。自分の屋敷の中で緑が一本もない。隣の屋敷の緑を当てにしているというようなことでございまして、ちょっと外に出れば、もう自動車が走り回っておりまして危なくて老人は出られないというような状況のものをつくりました。でございますから、ここには、ある優良な商社がつくったのでございますが、全然入りません。やはり私はこの有料老人ホームというものは株式会社でなしに、厚生省みずから進んで老人の福祉のために公益法人でどんどんやっていただく、あるいは社会福祉法人でやっていくというようにしていただかないと老人が不幸になってしまう、このように考えているわけでございます。 以上でございます。
○丸谷金保君 伊木先生、大変御苦労さんでございました。三点ほどお伺いいたします。 まず一点は、ただいまのお話の中で農家のダメージが大変大きかった。これは私たちも第二次オイルショックの一番大きな打撃を受けたのは農村でないかと。たとえば牛乳一つとっても、五十四年度の消費者物価を一〇〇にしますと、えさは一二七、乳価の方は九七で逆に下がっています。この点を、全体的な角度でもう少し農家のダメージの中身について御説明をいただきたいと思うのです。 それから、春闘その他労働賃金がなかなかむずかしいような状態の中では、租税負担ということ、大変それなりに私たちも共鳴いたします。ただ、政府の方はすりかえて公共投資の前倒しをことしもまた言っておりますが、いま先生のおっしゃったように、昨年もやったけれども効果が上がらなかったと。これは、効果が上がらないのは、私は地方にいて実際見ていますと、請け負った人たちがみんな仕事を秋まで全部ならします、後の見通しがないのですから。それから、自治体などでも、どんどん急いでやらしてしまうと最後の失業問題その他は自治体が抱えなきゃならぬものですから、発注する側も長引かせて発注する。これじゃことしも同じことになるのでないかと。もちろん業者も機械その他先行きありませんから無理して買いません。どうしても補正予算を五十七年度しないと前倒しによる景気の効果というのは出てこないというふうに私たちは感じているのですが、その点について御解明をいただきたいと思うのです。 それからもう一点。先日から日銀総裁は非常に慎重な言葉で、マネーサプライはまだ限度内だと、しかし上限ぎりぎりですということを言っております。というと、公定歩合の引き下げということはいまの段階で考えられないのでないか。そうすると、先生のただいまおっしゃったような可処分所得を上げていくということ以外に景気を回復する道はないのではないかと思うのですが、政府は緩やかな回復基調だというふうなことを言っております。また、日銀の表を見ましても、少なくとも、製造業の中でも石油精製を除いては緩やかに回復してきているというのですが、これは大体五百二十四社の上下の状況で見ておりますけれども、地方銀行などのを見ますと、地域によっても非常に落ち込んだ格差が多く出てきておりますから、いま先生の言われたような中小企業、零細企業というところでは全然回復のめどというのは現況でも立ってないのでないかというふうに判断いたします。 以上の三点についてお願いいたします。
○公述人(伊木誠君) お答え、いたします。 まず、第一番目の農家のダメージということでございますが、本当の具体的な詳細の数字につきましては、農林水産省等の集計等がまだでございますのでよくわかりませんが、おっしゃるとおり、第一次石油危機の場合と第二次石油危機の場合の違いの一つのポイントはそこにあろうかと思います。 そこで、農家は二つの角度でダメージを受けました。一つは天然災害に伴います特に主要な作物でございます米の収穫量の減でございます。一昨年の場合には、御承知のとおり異常冷夏、長雨冷夏ということで米の作柄が悪かった。作柄指数がたしか九六だったというふうに記憶しております。昨年の場合は、特に東北、北海道を中心としまして水台風の影響が七月、八月に集中的にあらわれて、この影響でやはり作柄指数が一昨年と同じ水準にとどまったかと思います。と同時に、三Kの問題との絡みで生産者米価の抑えが響いたということでございまして、これは最近の税制論議との絡みで農家所得の租税捕捉率がどうかというようなこともあって、クロヨンとかトーゴーサンとかという中で、農家所得の正確な捕捉が問題じゃないか、もう少し農家の所得は実態よりも上、統計にあらわれるよりも上じゃないかという議論がございますけれども、少なくとも主要作物でございます米について従来とは違った状況があらわれたということは否定しがたいことだと思いますし、また、そのことが御承知のとおり農業機械等の購入に著しい減退を見せたわけでありますから、そういう観点から推察してみましても、正確な統計はまだもう少し検討を要するといたしましても、やはり一昨年、昨年と、農家の方々がかなり大きなダメージを受けられたということは想像にかたくないわけでございまして、この点は何かのかっこうで政策的な考慮をしていかなければならない課題ではないかと思います。 それから、第二番目につきましてはお説のとおりかと思います。つまり、公共投資を前倒しにしてみても、実際工事段階では契約が先へ来ても工事は後ろへ延びるというような問題があるとか、あるいは先ほどおっしゃいませんでしたけれども、前倒しをすればするほど年度末の息切れの懸念が出てくる、これは全くそのとおりでございます。 補正予算の必要があるのではないかというふうにおっしゃるわけでございますが、私は全くそのとおり、できれば補正予算でなくて本予算で組んでいただきたいというぐらいでありますけれども、本予算で仮に無理であるとするならば、補正予算で公共投資の上乗せということが必要ではないかという感じを持っておるのでございます。その規模等につきましては、いろいろ御議論がございましょうけれども、私はやはり一兆円というような大台での議論が必要、数千億円というようなオーダーではなくて、一兆円というような次元での議論が必要かというふうに考えております。 それから、三番目の企業の回復が非常に緩やかではないかとおっしゃるわけでございますが、実は私は企業につきましては、先ほども冒頭のところで申し上げたとおり、今回の不況の中では企業部門というのは相対的にダメージが小さかったというのが特徴ではなかったかと思います。したがいまして、実は昨年十−十二月期のGNP統計で見ましても、民間法人部門は需要をかなり大きく伸ばしておるのでございます。設備投資につきましても民間在庫投資につきましても、かなり大幅なプラスを示している。それに引きかえ、財政部門と輸出、海外部門が落ち込み個人部門が伸び悩んだと、これが最大の特徴でございます。私の基本認識は、民間企業部門では何だかんだとでこぼこはあります、地域別にでこぼこがございますし、アルミ精錬のような特殊な産業もございますけれども、おしなべて申しますと、企業部門は最悪期を脱しておるという認識でございます。去年の秋の時点で最悪期を脱して回復過程に入っておる。そういう意味では日銀のおっしゃる認識とそれほど大きく食い違いはない。したがって問題は、いま企業部門の回復力を問題にすることも確かに重要でございますけれども、そうでない部門、いま腰が弱っております家計部門についてどう考えるか。あるいは非常に頭打ちに伸び悩んでおります財政部門についてどう考えるか。それから海外部門については、これ海外等の問題もございますけれども、海外部門をどう見通していくかと、ポイントはそちらに来ておる。だから、企業部門の回復については緩やかな回復過程に入っているという基本認識は、それほど私は問題ではないと思います。むしろそこに問題があるんじゃなくて、それ以外のところに問題がある。そこに私どもの景気論議の議論を集中させなければならぬのではないかというのが私の認識でございます。
○田代富士男君 最初に、伊木先生にお尋ねをしたいと思いますが、五十七年度の政府見通しは五・二%と、民間機関のそれに比較して高いと思われますが、先ほども同僚議員からも関連した質疑が出ておりましたが、先生のお考えをもう一度お尋ねをしたいと思います。そして、GNPの五十七年度の見通しは政府見通しとどれくらいのギャップが生じるとお考えになっていらっしゃるのか。 また、そうなりますと、租税収入への影響が大きいものと思われますけれども、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。 第二点は、ただいま伊木先生のお話の中にも、第一次オイルショックと第二次オイルショックとの違う点をお話しいただいた中に、現在は中小零細企業の勤労者へのしわ寄せというものが出てきている、そのようなお話を承りましたが、その内容ですね。それと今後の方策があれば、また先生がお考えになっていらっしゃることがあるならばお聞かせいただきたいと思います。 第三点の問題でございますが、景気回復のための一つの措置でございますし、当予算委員会の総括質問で私もこの問題を質疑いたしましたが、民間住宅建設についてでございます。 政府は百三十万戸と言っておりますけれども、これについては私もむずかしいということは総括質問において指摘をしておきましたのですが、先生はこの見通しをどのようにお持ちになっていらっしゃるのか、お伺いいたします。 第四番目の質問でございますが、ただいま同僚議員から一兆円減税というような税制は景気対策として扱うべきではないのではないか、こういうような御発言もございましたけれども、私はまた別の立場で、やはりいまこの一兆円減税はやるべきである、こういう考えを持っておりますが、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。私どもは経済及び財政に相当の効果があると確信しておりますが、いかがでございましょうか。 次に、長谷川先生にお尋ねをしたいと思いますが、来年度の予算は総額六・二%の増加の中で社会保障費は二・八%しかふえなかったことは一つの特徴点ではないかと思うわけでございますが、福祉元年と言われた年から十年目の五十七年度、この十年間で最大の落ち込みであります。福祉事業に携わっていらっしゃるお方といたしまして、この予算にどんな所感をお持ちであるか、お尋ねをいたします。 第二番目には、高齢者の医療保健ということになりますと、お年寄りは生活の中で保健体制を打ち立てるということが大変困難な人々が多かろうと思うわけでございます。それだけに医師、保健婦など、チームを組みながら家族関係を調整し、日常的な生活相談になる医療ソシアルワーカーの存在は不可欠ではないかと思うわけでございます。そういうことから考えますと、長谷川先生の施設では医療ソシアルワーカーの業務はどのように実施されていらっしゃるのか、また医療ソシアルワーカーの制度化についてはどのようにお考えになっていらっしゃるのか、お尋ねをいたします。 三番目の質問でございますが、現在、配偶者のいる婦人の就労率はだんだんふえつつあります。先生も御存じのとおりでございます。ということは、保育や老人の介護という面では、場所的にも離れているし時間的にも拘束されるという点から両立しにくくなると思うわけでございます。将来を見通して老人の介護の体制はどんなふうに考えていったらよいのか、啓蒙としての社会福祉教育についてどのように考えていらっしゃるか、お教えいただきたいと思います。 以上でございます。
○公述人(伊木誠君) お答えいたします。 まず第一番目の御質問でございます五十七年度において政府が出しております政府経済見通しと実体経済の間にどのくらいのギャップが予想されるかという御質問でございますが、政府は御承知のとおり実質成長率で五・二%、名目で八・四%というふうに見通しております。ところが、民間各機関はおしなべて政府見通しよりも低く、六%台から——名目成長率でございますが、六%台から五%台という見通しを出しているのが特徴でございます。 ちょっと時間を拝借して強調しておきたいことは、経済論議は実は実質成長率で論議されることが多いのでございますが、私は特に五十七年度は名目成長率の論議も同時に、それ以上、それと並んで重要であるということを強調したいのでございます。と申しますのは、民間機関は実質成長率において政府よりも低く見ておりますけれども、同時に名目成長率を非常に低く見ておるわけでございます。一番低い見通しては、これは三菱総合研究所、大和証券の見通してございますが、五・三%と見ております。政府見通しよりも三ポイント以上下なんでございますが、この五・三%という名目成長率は昭和三十三年、つまり神武景気と岩戸景気の間に挟まれました例の不況の昭和三十三年の四・八%、それから例の財政デフレと言われました昭和二十九年の四%に次ぐ低さなんでございます。 つまり、日本経済が昭和三十年代以降二十年間にわたる高度成長期を経験したわけでございますけれども、その前に戻る、しかもその前の不況期の名目成長率にことしの名目成長率が接近するというふうに民間見通しは出しておる、ここに大きな問題を感ずるのでございます。もしも民間機関の見通しのうち比較的高い六・〇%程度の見通しが仮に実績値で当たるといたしましても、政府見通しとでは二・四%の開きが出てまいります。先ほど申し上げたとおり、すでに昭和五十六年度、今年度で名目GNPが政府見通しと実績値との間で約四兆三千億円ぐらいの開きが出そうであります。さらに来年度仮に二・四%名目成長率において見込みが違いますとこれで六兆円違います。今年度分と合算しますと十兆円の狂いが出る。名目において十兆円の狂いが出てくるということでございます。これは無視できない開きではないか。 租税につきましては、私、財政の専門家ではございませんので非常に細かい計算のやり方は省かしていただきまして、マクロ経済屋としての非常に荒っぽい乱暴な見方をさしていただきますが、すでにことし一兆円を若干超える歳入欠陥が発生するということはほぼ確実視されておりますが、私の計算では、来年はさらにそれに乗っけてかなり大きな歳入欠陥が出る。恐らく三兆円という数字を出しても決しておかしくないような歳入欠陥が発生することになりはしないだろうか。そうなりますと、何らかのかっこうで、この財政赤字のときに財政をもっててこ入れをするというのは一見矛盾するように思われますけれども、やはりそれをやりませんと政府の財政計画は根底から狂ってくる危険性ありというふうに考えております。これが第一点でございます。 それから第二点は、中小企業のダメージでございますが、先ほど、余り時間もございませんでしたので、数字を細かく申し上げることなく駆け足で通ってしまいましたけれども、労働省が発表しております毎月勤労統計で企業規模別の給与の伸び率を見てまいりますと、昨年後半期、従業員数五人から二十九人の中小企業の定期給与、つまりこれは本俸それから家族手当等の手当類それから残業手当ということになりますけれども、この伸び率が二%から三%台に前年同月比で落ち込んでおるのでございます。しかも、これはもちろん税込みでございますから、税及び社会保険負担を差し引いてやりますとマイナスになるのはもう火を見るよりも明らかであります。一方、三十人以上の企業では六%を上回っております。しかもこれは時間の経過とともに逆に少ししり上がりに上がってくる傾向すら見せておるのでございます。 そうなりますと、やはり問題は中小零細企業にありということになるわけであります。中小零細企業がなぜ悪いかということは、先ほども強調したことの繰り返しになるかと存じますけれども、消費が停滞していることに原因がある。だから、消費を立て直してやりませんと、この中小零細企業のところの所得の伸びは回復しないし、ここが回復しないと消費が回復しないという、ここに一つの大きな問題が出てきているということでございまして、しかも産業別に申しますと、中小零細企業の中でも不動産だとか電気、ガスとかという分野は比較的よろしいのでございますが、比較的ウエートの、比重の大きい製造工業及び卸小売業の分野でむしろ伸び率が落ち込んでいる。ですから、どうしてもやはり消費の回復をまず起爆剤にしませんと現在の経済停滞は脱却できないという、そういう判断を持つのでございます。 それから、三番目の民間住宅建設についてでございますが、政府は百三十万戸と申しておりますが、私は結論的に申しますと百二十万戸にまでいかないかもしれない、五十七年度、という感じを持っております。と申しますのは、昨年の暮れの推計では、実は私ども今年度、五十六年度が大体百十六万戸ぐらい、五十七年度は多少回復をいたしまして百二十万戸すれすれに乗っかるかと、百二十一万戸程度になるかなという計算を実はしておったのでございますが、足もとの五十六年度の実績が百十六万戸よりもう少し下回りそうでございますので、五十六年度よりも五十七年度が戸数で三、四%の回復をすることは確かだと思いますけれども、どうもいまのままで申しますと、百二十万戸には乗らない可能性があると思います。 実は住宅につきましては、構造要因と言われております要因と、それから一時的要因と言われている要因の二つが絡み合っております。構造要因と申しますのは、これは供給側にも需要側にもございます。まず供給側で申しますと、すでに空き家率が昨年すでにもう一〇%を超えておりまして、日本では量で申します限り、住宅は供給過剰状態に入ってきている。したがって条件の悪いところは売れないし、アパートも入らない。公団住宅においては閑古鳥が鳴いておる、こういう状況が発生しておる。それから供給業者が効率のいい住宅供給をしようとしても、いまの制度を前提にしますとなかなか効率的な土地取得ができない。三百坪——一千平米ぐらいのまとまった土地がなかなか入手できないという問題があって、その供給をしたくてもできないというブレーキがかかっている。それから需要の方から申しましても、新世帯形成率、つまり新婚なり労働力の社会的移動、地域移動というものが非常に減ってきておるというようなこととか、そういう構造要因がございますが、やはりさらに加えて住宅供給価格と、それからその購入層の所得のギャップが非常に大きい。しかもいまの所得の伸び率は金利の伸び率よりも下回っておるわけであります。住宅金融公庫の公的融資の利子率よりも、いまの所得の伸び率の方が下回っておるわけでありますから、とてもこういう状況では、幾ら金利を下げてやっても金を借りて住宅を建てようという気が起こらないわけでございます。 したがって、その構造要因がブレーキになっていることに加えて、まだ一時的な要因が解けていない、これを解いてやる一つの方法はやはり所得を伸ばすことだと、住宅価格の方も少しずつ下がってはきているようでありますし、実際マンション等も投げ売り等が出てきているということは耳にはしております。したがって、実質的な価格ダウンがすでに発生しているとは私考えますけれども、所得の方の回復感が出てまいりませんと積極的な需要回復にはつながらない。したがって、最悪期は脱するとは思いますが、またある程度の政府の施策が効くとは思いますけれども、まあ、いいところ百二十万戸、なお政府見通し、政府の考えられるよりも十万戸程度のギャップが発生する危険性ありと考えております。 それから、一兆円減税の問題でございますが、一般には減税をやっても貯蓄に回るだけであって、消費に回ってこないという議論がございます。ところが、実はお考えいただきたいことは、前回第一次石油危機の場合と今回の場合とで、同じ消費停滞が発生しておりますけれども、消費停滞の原因とその波及ルートが違うということでございます。 前回の第一次石油危機の場合には、確かに実質消費が落ち込みました。耐久消費財の需要も落ち込みましたし、住宅需要も落ち込みましたけれども、その最大の原因は何だったかと申しますと、所得の落ち込みではなかったのでございます。名目所得は、むしろ逆に春闘ベア率が三二・九%になったことからわかりますように、名目所得はめちゃくちゃに伸びた。しかし、それを上回るような、あるいはそれと匹敵するような狂乱インフレが発生したために実質所得が落ちたということと、実質貯蓄が目減りしたわけであります。実質貯蓄の目減りを埋めるために一番大きな目立った現象として起こりましたのは、消費性向の低下、貯蓄性向の上昇ということであります。しかも悲しいことに、低所得者層ほど消費性向を落として貯蓄性向を引き上げた。つまり目減りした分の貯蓄を穴埋めをしなきゃならぬという悲しい行動をとったわけでございます。 今回の場合にはどうかと申しますと、名目所得の伸び悩みが消費に響いているのです。消費性向は下がっていないのです。消費性向はむしろ変化なしというより、どちらかというと、上がってきている。ところが、所得が伸びないから消費ができないという状況。前回の場合とここが基本的に違うわけであります。したがって、所得を伸ばしてやれば、貯蓄性向、消費性向は少し上がりぎみのことで来ているわけでありますから、可処分所得がふえればそれだけ消費に回る。前回の場合には狂乱インフレということがありましたから、所得が伸びても消費に回らなかった、回せなかった。その違いが今回あらわれますので、一般的に、減税をしても消費に回るあるいは消費に回らないという議論、前回の経験をそのまま機械的に適用することは間違いで、今回の場合の方が明らかに消費につながる可能性を濃厚に持っておるということを御承知いただきたいのでございます。 以上でございます。
○公述人(長谷川保君) お答えを申し上げます。 お答え申し上げる第一の点は、来年度の予算の福祉の、社会保障費の伸び率が二・八%という最大の落ち込みをいたしたという点でございますが、先ほども公述の方で申し上げましたように、まだ日本の社会保障、社会福祉の点では行き届かない点がたくさんございまして、一つの例を申し上げたわけでございますけれども、脳卒中患者の十分の一しか適正な医療を受けられない、それでたくさんの者が本来回復すべきものを回復しないで死んでいったり、あるいは寝たきり老人になってしまっているという一つの例を申し上げたのでございますが、そういう点がたくさんございますので、まだまだ今日日本の社会保障制度、社会福祉、社会保険の予算というものは落ち込むべき状況ではない、まだまだこれを熱心にやっていただかなければならぬ。ところが、このごろは政治家の皆さんも余り福祉ということを口にしなくなってきておりますけれども、これはぜひ、本来最大の政治の目的は、これは国民の生活を本当に幸せなものにするということでございますから、この点どうぞさらに御尽力をいただきたいと心から念願しているものであります。 第二の点のケースワーカー——医師、保健婦、ケースワーカー等の存在の問題でございますが、私どもの病院ではどういうふうにやっているかというお話でございます。 私どもの病院には、二つ病院をいたしておりますが、両方とも三人以上のケースワーカーがおりまして、一般の方々は法律、制度のことをよく御存じありませんから、日本のせっかく今日まで皆様の御尽力でここまで伸びてまいりました社会保障、社会福祉、医療の問題を適切に国民の皆さんが利用できるようにあらゆる御指導をいたしておるわけでございます。今後ともこういうことに対する、診療報酬の中ではこういう費用が見込まれていないのでございますけれども、これはやはりケースワー力、コンサルタントというような人たちの、あるいは心理学者というような人たちの費用というものを診療報酬の中に入れていただきまして、十分に活動ができ、それによって国民がむだなところで困り抜いて自殺するというようなことがないようにしていただきたいと心から念願する次第でございます。 それから第三点の、配偶者の婦人が非常に多く職場についておりますので保育やあるいは老人の介護等ができない、これに対して社会的な啓蒙をどうするかという御質問でございますが、御承知のように、戦後の教育でございますが、大変いい個人主義、民主主義の教育をしていただいたのでございますが、同時に、これが権利を主張することに——戦争の反省もございまして、無理もないのでございますけれども、その方に偏りまして、義務とか奉仕とか、あるいはことに親孝行なんということは教えなかった。でございますから、私ども実際現場におりまして驚くべきことが起こってまいります。 ある相当日本でも有数な工場の工場長をしている家庭でございますけれども、いまは老人を私がお預かりしているのでございますが、長男がやはり大きな会社の総務部長などをしておったのですが、若年がんで死にました。そうしますと、当然お母さんが一人残されましたから、次男の家庭でめんどうを見ることになりました。ところが、次男のお嫁さんの方は大学教育を受けた婦人でございますけれども、私は親を見ないでいいと言うから次男のところへ嫁に来た、いま親を見せられたのではたまらない、こう言って、もう食事を持ってきてくれるのだけれども、部屋の入り口に置いたまま一日じゅう物も言わないというような驚くべきことがあります。 これは、しかし驚くべきことではないのでございまして、世の中ではそういうことがいっぱいいまできておるのでございます。でございますから、私はやはり教育の根本を考え直さなければいけない。やはり私どもは、社会人としてあるいは家庭人としまして親孝行もしなければいけないのだ、きょうだいのめんどうも見なければいけないのだ、それが人間なんだという教育を十分にしていただかなければならぬ。教育の根本を変えることがまず第一である。 それから、何といっても物理的にも時間的にもなかなか親やきょうだいのめんどうを見るということが困難な時代になってきておるわけでございまして、やはり先ほどもちょっと申し上げましたように、乳幼児を持っている職業婦人はできるだけ家庭に帰すというために児童手当を出していただく、もっと張り切って出していただく、そういうことによって子供たちがまず愛情のある子供に変わっていく。私のところの、先ほども申し上げました未熟児センターでございますが、そこで、厚生省の審議会の委員長もしております小川次郎という教授が私のところで中心になって働いているのでございますけれども、その人は、未熟児におっぱいをくれるのに看護婦に必ず抱いてやらなきゃいかぬということを教えている。何もわからないような未熟児、乳児が、抱いておっぱいをくれることによってお母さんの愛情が移ってくるのだと、そして初めて愛情のある子供にできてくるのだと、絶対看護婦に単に保育器の中で乳をくれるということをさせない。その乳児期におきまする子供の心理というものを愛情あるものに育てていかなければならないのでございまして、それからさらに、もう学童になっていくというときには、本当に保育園で社会生活が十分できるというような社会的な愛情のある子供をつくっていかなければこれはできない。まして小学校、中学校におきましては、いまのような権利意識だけでなしに、義務または奉仕ということを社会生活をしていく上で十分しなければならぬのだという、そのことをも権利意識とともに教育していただきませんと方法はつかなくなってくると思うのでございます。 同様に、老人にいたしましても確かにいま困り抜いておりまして、さしあたってはやはり施設と在宅と両方を兼ね備えまして老人の養護ということ、介護ということに万遺憾なきを期していただきたい。老人の自殺の第一は病苦でございますけれども、第二は、家庭の不和ということが老人自殺の第二の原因になっているということ、これは十分施策においてそれを補うものをつくっていただかないと、老人の福祉は実現をしないと思っているわけでございます。 以上お答えを申し上げます。
○沓脱タケ子君 長谷川公述人、伊木公述人、どうも御苦労様でございます。大変限られた時間でございますので、長谷川公述人にお伺いをしたいと思います。 御承知のように、政府はしばしばわが国の社会保障の水準は高いということを表明しております。具体的に申し上げなくてもおわかりかと思いますけれども、大蔵省が発表いたしましたあの有名な「歳出百科」では、わが国の社会保障制度の水準について、たとえば厚生年金の給付水準で見ますと、五十五年度の改定後は標準で十三・六万円に達しておるから、これは欧米諸国の年金水準よりもむしろ高いものになっているというふうなことが記述をされております。長谷川公述人が総合的な社会福祉施策に長年御苦労をいただいておりますのでお聞きをしたいと思っておるわけでございますが、対応されておられます老人たちの生涯あるいは生活実態から見まして、あるいは老人ホームに対する国の財政援助の実態等からも見まして、果たして一口に言いましてわが国の社会保障や社会福祉が先進的と言えるかどうかという点を率直にお伺いをしておきたいと思っております。 それからもう一つは医療の側面でございますが、公述をされました点につきまして私も非常によくわかるわけでございます。特に老人対策、ケアの中で必要になっております訪問看護というのが診療報酬の対象になっていないという問題等がございますが、そういう細かいことは別といたしまして、新しい試みとして欧米でやられておりますホスピスを発足させておられますが、今日の厚生省の対応の中での隘路等については具体的にどういう点かというところをお伺いさしていただきたいと思います。
○委員長(植木光教君) まことに勝手でございますが、時間がございませんので答弁は簡明にお願いいたします。
○公述人(長谷川保君) お答えを申し上げます。 もう皆さんの非常な御尽力によって日本の社会保障制度が相当進んできたことは確かでございます。これは、私はいろいろな点でほぼ満足すべき状況の中に入ってきた、入りつつある、細かい点ではいろいろ問題がございますけれども、水準としては大体出てきたということが言えると思います。ただ、先ほど来申しましたような人員の確保その他について非常におくれております。保健婦、ホームヘルパー、医師、看護婦等のまた利用の仕方が非常におくれておる。その点を考えなきゃならぬと思います。 医療の水準、ことに老人の訪問看護の問題等でございますが、これは先ほど来申しましたように、こういう非常に必要なこと、ことにホスピスになりまして、いまアメリカのホスピス等はがんのホスピスだけでなしに老人のホスピスがあわせて行われてきた。これをやっぱり先ほど申しましたプロンプトンカクテルというようなものができてまいりましたので、これを飲ませるためにどんどん外来のようにして持たして帰しまして、家庭で在宅のケアをしていくというようなことをいたしてまいりますが、ずいぶん在宅ケアが患者の意思を尊重してできるわけでございます。それらに対する、先ほど来申しましたチームワークを組みましてどんどん訪問をしなければならぬのでございます。こういう費用が全然出ていないというようなことでございまして、ぜひともこれらの点について御尽力いただきたいと思います。 お答えになりましたかどうか、以上お答え申し上げます。
○柳澤錬造君 時間が余りございませんので——長谷川公述人には大変感銘深いお話を聞かせていただきましたので、本当にお礼を申し上げたいと思います。 私思うのですが、よく新聞で、お年寄りが亡くなって一週間も十日も発見されないでいたというふうなそういう状態というか、そういう社会でもって福祉社会とかそんなことが言えるかというのが私の気持ちなんて、そういう点で本当にお礼を申し上げて、それで伊木公述人に一つだけお聞きしたいのですが、これだけもう景気が冷え込んでしまうと、少々なことではどうにもならないと思うのです。一兆円減税のお話も出ていますが、私は二兆五千億円から三兆円ぐらいの減税でもしないと、先生が言われた可処分所得も効果をあらわさないんじゃないかなと思うので、仮のお話でお聞きをしたいのですが、いまの一兆円減税は、あれは税率といいますか、あれですから別で、いわゆる前に一度やりました戻し減税で一兆円をいきなり全部国民に戻して、それを消費に使わしたとするならば、それが連鎖反応を起こしてどのくらいのお金が動くようになっていくのか。それで、そうなれば多少は景気の刺激もされると思うのですが、どのぐらいのお金が動くようになって、そうすれば今度は税金の方も少し入ってくるようになると思うのですが、その辺の一つの予測といいますか、先生のお考えで結構ですからお聞かせいただきたいと思います。
○公述人(伊木誠君) いま二兆五千億円程度の減税ということで減税をすべておっしゃいましたけれども、私の個人的意見は、公共投資の支出と減税を合わせて二兆円から、おっしゃった二兆五千億円ぐらいというふうに考えておるわけでございます。もしも一〇〇%減税が消費に回りますと、つまり二兆五千億円の追加需要がございますと、これは誘発係数が大体二とお考えいただければいいわけでございます。一・八から二とお考えいただけばいいわけでございますから、大体五兆円ぐらいの需要が出てくるというふうに言えるかと思います。ただ減税の場合は、議論になっておりますとおり若干貯蓄に回る分を計算しなきゃなりませんが、仮に半分その分が行くと仮定いたしますと、その分だけディスカウントしていただかなきゃならぬということだと思います。 先ほど申し上げたとおり、政府見通しから比べて十兆円ぐらい、まあ望ましい水準から見てどのくらいのギャップということになりますとこれまたむずかしい議論になりますけれども、仮に十兆円ございますと、いまおっしゃいますとおり、私は減税と公共投資との組み合わせがベターなやり方ではないかというふうに考えておりますけれども、おっしゃるとおり二兆円から三兆円ぐらいの財政面からの刺激がございませんと十兆円を穴埋めするのにはほど遠い。したがって、数千億円程度の公共投資の追加とかなんとかということじゃない大胆な措置をお願いしたいと申し上げたのはそういうことでございます。お答えになったかどうかわかりませんが。
○委員長(植木光教君) 一言お礼を申し上げます。長谷川公述人、伊木公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいましてありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後の当委員会の審査に十分役立つものと確信してやみません。ここに委員会を代表して重ねてお礼を申し上げます。 午後一時から公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。 午後零時三分休憩 —————・————— 午後一時四分開会
○委員長(植木光教君) 予算委員会公聴会を再開いたします。 一言ごあいさつを申し上げます。 古田公述人、池間公述人、名東公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重な時間をお割きいただき本委員会のために御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして。厚くお礼を申し上げます。本日は、忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと思います。 それでは、順次御意見を承ります。 まず、財政について、古田公述人にお願いをいたします。慶應義塾大学教授古田精司君。
○公述人(古田精司君) ただいま御紹介をいただきました古田でございます。 初めに、参議院予算委員会公聴会におきまして、昭和五十七年度予算案につきまして意見を述べる機会をお与えいただきました、大変名誉と存じております。 私の意見を申し上げる前に、簡単に私がとる立場につきまして御説明申し上げたいと存じます。 私は、研究対象は財政学でございまして、それを研究する手法は経済学でございます。有名な経済学者でありますボールディングは、「経済政策の原理は経済学の原理にほかならない」、そういう含蓄のある言葉を述べておりますが、これを敷衍いたしますと、財政政策の原理は経済学の原理にほかならないということになると存じます。したがいまして、経済学の原理により予算にあらわされました財政政策を検討しようという立場をとりますと、それは、与えられた資源と技術の制約のもとで予算に盛り込まれた政策目的を最大に実現するにはどうすればよいかというすべての経済問題に共通した問題に還元できると存じます。 予算は、あらゆるイデオロギーの紛飾をかなぐり捨てた国家の骨組みをあらわすと言われておりますけれども、国家予算という最も強力な政策手段を通じて実現が意図されている政策目的、この手段と目的との間にあるべき効率性の達成が、すべての経済活動がそうであるように、予算を通する財政活動でもその目標とすべきであると考えております。つまりエコノミー、効率性という観点からの評価を常に念頭に置くべきことは、経済学を研究する者としましては当然考慮すべき事柄と申せます。そして、この点につきましては改めて御説明申し上げるまでもないと存じます。けれども、政策目的と政策手段との間の関係につきましては、あり得べき誤解を避けるという意味から若干の説明を加えさせていただきます。 まず、一般に政策目的とは、究極的には広義における国民的福祉の向上にあると言われておりますが、この点に関しましては大方の意見が一致すると思われます。しかし、国民的福祉の向上の中身となりますと、コンセンサスが得られるとは限らないわけであります。また、国家予算という政策手段と国民的福祉の向上という政策目的とを直接的に結びつけるというわけにもまいりません。むしろ経済学者の間では、国家予算という政策手段を通じて最も効率的に達成できる政策目的は何か。 御存じのとおり、第一にこれは社会的ニーズの充足、第二に、所得と富の分配の改善、そして三番目は、ケインズ革命以来御承知のとおり経済の望ましい安定と成長であります。けれども、国家予算に与えられました政策目的につきましては、この三つよりも次元の低い目的がございます。同様にまた、政策手段も細かく分かれております。政策目的と政策手段の間には一対一の対応関係は必ずしもあるわけではございません。そこで、目的と手段の間の効率性、そしてまたコンシステンシー、それが国家予算を通ずる財政政策の有効性を問う場合の無視できない重要なメルクマールである、そう考えております。このような立場から、現在言われております増税なき財政再建、これを目的とする昭和五十七年度予算案につきまして触れてみたいと思います。 あらかじめ誤解のないように申し上げますと、私はこの増税なき財政再建に反対するものではございません。 かつて、このようなスローガンが掲げられる以前では、御承知のように財政再建の達成は一般消費税の導入によるか、歳出削減に頼るべきかというふうに問題が立てられておりましたけれども、そこでは大量の国債累積を減らすことが政策目的であって、一般消費税による増税なりあるいは歳出削減が政策手段とみなされていたと考えられます。したがいまして、今回のように増税なき財政再建という道が選ばれた以上は、財政再建という政策目標を達成するために、歳出削減という政策手段が選ばれたように一般には理解されているようであります。けれども、増税なき財政再建の趣旨をよく吟味してみますと、実は、財政再建と歳出削減との間の関係は逆転するのではないだろうか、つまり、財政再建が政策手段でありまして、歳出削減はむしろ政策目的ではないだろうかというふうに考えるわけであります。 たとえて申しますと、大量の国債残高に象徴されるような巨額の赤字は、五十七年度で約九十三兆円に達すると見積もられております。これは体温計で体温をはかったら九度三分あった。そういう高熱があったというに等しいと思います。九度三分という熱がなぜ出たのかというと、それは病気に冒されたためでございまして、病気を治すということが先決のはずであります。高熱の原因である病気を根本的に治しておけば熱もまた下がるはずであります。熱冷まして熱を下げただけではこれは根本的な治療とは申せません。 それと同じように、九十三兆円もの国債残高をゼロにするために、歳出削減という根本的治療を怠って増税という熱冷ましだけに頼りますと、将来再び財政赤字が累積してくることは避けられません。したがいまして、増税なき財政再建とは、増税という熱冷ましを使わないで、現在の歳出構造を徹底して再検討し効率化を図るという、そういうふうに理解すべきでありまして、そのため歳出の効率化と削減が財政再建の政策目的にむしろなるのだというふうに私は理解いたしております。 ここで、歳出の削減、効率化と申しますと、いわゆる三K問題がございますが、ここではその中でも社会保険財政を中心に社会保障の効率化について申し上げたいと存じます。 社会保障を取り上げる理由でございますが、ここ十年間で一番増大を示しました歳出は、国債費とエネルギー対策費を除きますと社会保障関係費でございます。昭和四十七年で歳出総額の一四・三%でしたが、今回の予算ですと一八・三%、四%ウエートを高めているわけでございます。十一年前の昭和四十六年度では、国民総支出に占める一般会計歳出の割合が一一・六%でしたが、五十七年度では一七・七%、六・一%財政は膨張してまいったわけであります。歳出の削減と効率化を図るというときに、社会保障だけは聖域であって、歳出の削減と効率化の対象外に置くべきだという主張が時折見受けられますが、冒頭に申し上げました私の立場から申しますと、これは認めかたいわけでございます。 また、社会保障の中でもここでは社会保険財政を取り上げたいと存じますが、その理由も社会保障関係費、これが五つの費目に分かれております。社会保険費が最も著しい増大を示しております。昭和三十年では社会保障に占める社会保険費はわずか一一・九%でした。ところが、五十七年度では六〇・七%、これは驚くべき数字だと私は考えます。 で、社会保険財政がなぜこのように急激にふくれ上がったかという点につきまして、御承知のとおり高齢化社会、低成長経済という要因がございますが、そのほかに、社会保険それ自体の性格から社会保険財政が肥大化の方向に向かっている、そういうふうに考えられます。 御承知のように、社会保険は民間保険と同様に、保険により加入者に発生するリスクをプールいたしまして、加入者全員にかぶせて平均化するという機能、つまりリスクプーリング機能を持っております。ところが、社会保険は民間保険と異なりまして、拠出とそれから給付との間に厳密な形での個別的な均等性がございませんので、個人の拠出額とは関係なしに支払われる給付が多く見られます。これは社会保険の福祉機能ないし扶助機能と呼ばれております。同じことですが、所得再分配機能と呼ぶ場合もございます。 なぜ社会保険財政が急激に増大して財政赤字を出すようになったかにつきましては、一つには、この福祉機能ないし所得再分配機能が効率的に働いていないところに原因があるのではないだろうかと考えます。 健康保険を例にとります。御承知のとおり、病院での受診率は低所得階層の人ほど高いわけです。これは病気と貧困との悪循環によるものですから、もしも病気が貧困の原因でしたならば、民間保険に任せておけばよろしいわけですが、現実には貧困がむしろ病気の原因でありますから、公的な保険に頼らざるを得ません。 そうなりますと、公的健康保険では保険料の方は低所得階層の支払い能力を基準として決めざるを得ませんが、給付の方は必ずしも保険料収入との厳密な対応関係をとっているわけではありません。ですから、どうしても引き上げられることになります。その結果、申すまでもなく、健保財政の赤字の拡大につながるわけでございます。この赤字が、低所得階層の人々が重病を思ったときに医療費による家計の崩壊を防止しているかというと、必ずしもそうではございません。差額ベッドを初めとします保険外負担の重圧に悩まされているケースが多々見られます。その反面、低所得階層よりも豊かな人々がかぜや二日酔いになりますと、薬がただでもらえるという資源の非効率的な配分、あるいは過剰再分配あるいはまた水漏れバケツと呼ばれる現象が生じております。 老人医療無料化にしましても、すべての老人が貧困ないし低所得階層に属しているわけではございませんから、これも全額国庫負担を続ける限り、所得分配の公平という面だけでなく、資源配分の効率性の面でも問題を残すことになると考えられます。要するに、医療扶助を必要としない所得階層まで一般財源が投入されていないかどうか、これを常にチェックする必要があるかと存じます。 いま一つ、健康保険につきましては、保険により医療サービスの価格が大幅に低下いたしますから、医療需要をふやすという効果、いわゆるモラルハザードが生じます。せっかく保険に入っているのだから医者に診てもらわなければ損だというわけで、その結果、御承知のとおり待ち時間が三時間、診察時間三分、そういった医療機関の混雑現象、また薬づけ、検査づけといった御承知の濃厚診療、さらに診療所が老人ホームがわりといった現象が全国に見られるようになりました。その上、高額医療機器の開発によりまして、医療費単価の値上がりも健康保険財政の赤字傾向に拍車をかけているわけでございます。 したがいまして、このようなモラルハザードを最小限に抑制するような装置を健康保険制度の中に組み込むことが必要ではないか。たとえば、かぜのような軽い医療に対しては自己負担の大幅な増加が望ましいわけでありまして、一定額までは全額負担で、それを超えてさらに一定額までは比例負担というふうな、そういうシステムに改めませんことには、モラルハザードに歯どめをかけることはむずかしいのではないか。 時間がございませんので、あと年金保険は省略いたしまして、ただいま問題となっております一兆円減税について簡単に触れたいと存じます。 一兆円減税の中身は、新聞によりますと所得税減税が七千億円、住民税減税が三千億円、これを課税最低限の引き上げによりまして今回の予算で実現させるのが課題となっているというふうに承知いたしております。また、そのための財源も所得税減税の財源としては、補助貨幣回収準備資金や外為資金特別会計から一般会計への繰り入れが三千億円、給与所得控除の頭打ち復活が六百億円、行政経費の節減が二千億円など。また、住民税減税の財源としましては、法人住民税均等割の引き上げで二百二十億円、地方公共団体の行政経費節減で二千億円などが挙げられております。 今回の一兆円減税の論議に関しまして、外部から拝見する限りでは理解に困難な点が幾つかございます。そのような問題点が出てくる最も根本的な疑問は、一体、一兆円減税という政策手段を用いていかなる政策目的を達成しようとされているのか。そしてまた、そういった目的と手段の間にどの程度までコンシステンシーが認められるのでありましょうか、その点が問題になるかと存じます。 一兆円減税の目的につきましては、新聞報道によりますと、一つは、五十二年度以降五年間にわたり物価調整減税が行われておりませんので、物価上昇による名目所得の増加に対応しまして、ふくらんだ実質増税分を減税すべきである。また、五年にわたり据え置かれた課税最低限を引き上げることにより、給与所得者の負担を軽減し、税制の不公平を是正し、あわせて直間比率を引き下げて国民の税負担感の軽減を図るべきだとするところにあるようでございます。 いま一つは、景気対策という観点からの一兆円減税でありまして、所得税減税により個人消費を喚起し、国内需要を生み出すことによりまして内需主導型の成長路線に乗り、これまでの輸出主導型の経済成長のパターンから脱出を図るというところにあるようでございます。果たして一兆円減税の目的がこの二つで尽くされているのか、また、この二つにしばられて一石二鳥をねらっているのか、あるいは所得税の負担軽減を通ずる税制の不公平是正なのか、あるいは景気政策が主たる目的なのか、まず、減税という手段を通じていかなる目的を達成されようとしているのか明確にされるべきだと考えております。 確かに、五年連続の減税見送りのため、サラリーマンの税負担は重くなり、それだけ私たちの生活が圧迫されておりますから、減税それ団体歓迎しない国民はいないと思います。しかし、先ほどの減税のための財源対策を見ますと、給与所得控除の頭打ち復活が挙げられておりますが、現実には所得税減税の見送りで、これまで最も税負担の増加に苦しんできたのは、恐らく年収五百万円以上の給与所得者ではないでしょうか。もしそうだとしますと、この財源対策は税制の不公平是正という方向とは逆行するのではないでしょうか。もし不公平税制の是正が目的とされるならば、所得税制度の全般的見直しを優先すべきではないでしょうか。それは給与所得者、自営業者、農業所得者、それぞれの所得の捕捉率をできるだけ同率にそろえるという、そういう努力だけではなくして、事業所得の場合、所得を家族にも分割して実効税率を低めることができる、そういった所得税制それ自体が持つゆがみを見直す、そういった所得税制自体の徹底した再検討を優先すべきではないか、そのように考えております。 最後に、一兆円減税という政策手段によって達成が意図されております第二の目的は景気対策でありますが、これも財源対策として法人・住民税均等割の引き上げが含まれておりますから、この分だけ景気対策のマイナス要因として計算に入れなければならないと存じます。そして景気対策としての所得税減税というとき、その方法がまず問題になると存じます。新聞によりますと、課税最低限の引き上げという方法がとられるそうでありますが、減税によりまして消費増加をねらうとしますならば、限界消費性向の高い階層の人々を主としてその対象に選ぶべきではないでしょうか。そうすれば、乗数的波及効果が最も高く、国民所得水準も有効に引き上げられると存じます。しかし、そうだとしますと、景気対策上は課税最低限以下の人々、たとえば生活保護費をふやすような措置をとるのが筋ではないかということになります。また、仮に現在、最も緊急な課題は景気対策であるといたしますれば、減税よりもむしろ政府支出の増加の方が効果が強いのではないか。しかし、最初に申し上げましたように、政府支出増加という手段は、歳出削減という今回の予算の目的とは逆行するわけでございます。したがいまして、今回の一兆円減税に関しましては、初めに申し上げましたように、どのような政策目的を持っているのか、また、その目的を達成するために果たして最もふさわしい手段なのであるのがどうか、どうか国会という国民の総意を代表する場におきまして慎重な吟味と検討をお加えいただきたいと、そう希望いたします。 公述を終わります。
○委員長(植木光教君) ありがとうございました。 次に、国際経済について池間公述人にお願いをいたします。一橋大学教授池間誠君。
○公述人(池間誠君) ただいま御紹介にあずかりました一橋大学教授の池間です。 どうも最近は国際経済についていろいろと新聞紙上をにぎわしておるわけですが、ここではできるだけ原則的なことを申し上げたいと思います。 御承知のように、一九五〇年から七三年にかけまして、世界経済というのは黄金時代を享受してきたわけでありますが、残念ながら一九七三年以降、つまり第一次石油ショックですが、世界経済というのは停滞と混迷の局面に突入し、特に、日米欧の経済関係はぎくしゃくしている、これは御承知のとおりの相互主義とかいろいろなことが言われておりますが、そういうことです。もっと具体的に申し上げますと、一九七三年以前の二十年間には、世界生産量は年平均六%で伸びてまいりました。しかし、一九七三年以降はその半分の三%であります。同じように、世界貿易の伸び率も八%から四%へと低下しております。いずれも半分になっております。それだけではなく、失業も一九三〇年代以来の水準に達し、さらに上昇を続けております。また、インフレ率は鈍化しつつあるとは言いながらも、依然として高いという状況であります。 きょうここで、限られた時間内で私が申し上げたいことは、このような状況の中での日米欧の経済関係につきまして、次の五つの視点から申し上げたいと思います。 第一点は、先進国経済の転換能力が減退したこと。第二点は、政府介入が増大したこと。第三点は、国際分業には限界があるということであります。第四点は、発展途上国への影響というのが一体どういうものであろうかということを簡単に触れたいと思います。第五点は、それでは日本の対応策はどうあるべきかということについて、これら五つの点について申し上げたいと思います。 結論を先に申し上げますと、第一点から第三点はいずれも保護主義への動きを示すものであります。しかし、第四点すなわち発展途上国を考慮した世界的な視野を考えますと、自由貿易を推進すべきだということになります。そして、日本自身がその推進の中心になるべきだろうというふうに考えております。 まず、最初の経済の転換能力の減退でありますが、前に申し上げましたように、世界経済は現在、混迷と停滞の局面にある。ある経済学者、これはアーサー・ルイスと申しますが、ノーベル賞をもらった学者でありますけれども、彼によりますと、一九五〇年から七三年の繁栄は特殊であり、再び繰り返せるものではないというふうに言っております。その理由として、次の六つの要因が列挙できるかと思います。第一に、第二次世界大戦後のヨーロッパの急成長というのは、それまでに蓄積されたイノベーションの在庫を使用できだからであり、いまやその在庫は枯渇してしまったということであります。第二に、経済を新しい軌道に乗せるほどの新しいイノベーションの登場がしばらく期待できない。第三に、農業やその他の分野においても過剰労働力はもはや存在しなくなったと。労働力不足ですね。第四に、新鉱山の開発の困難性または資源保存政策のために原材料が不足がちであると。第五に、特に高所得国においては、消費者は、工業品よりもサービスを好む傾向が強い。工業品の生産性というのは、サービスよりも高いわけですから、その結果として生産性の低下ということが起こるであろうということであります。第六に、高い税金が労働意欲と投資意欲を減殺していると。もちろん、以上六つの要因について異議を唱えることもできますが、しかし一般的、基本的傾向としては承認できるであろうと思います。そうだとしますと、これからも、こういう六つの成長制約要因のために今後とも世界経済は停滞するであろう。少なくともわれわれは、成長や拡大が余り望めない状況にあると考えられます。これが私の基本的前提であり、また日米欧の経済摩擦を考える上での一つの基本的視点であろうと思います。 さて、経済の成長率は、経済が新しい変化に適応し、順応し、克服する能力によって決定されると、まあ抽象的ですが、そういうぐあいに言えるかと思います。これが経済の転換能力と呼ばれるものであります。そして、この能力の根本的決定要因というのは、労働や資本が産業から産業へ、地域から地域へ、あるいは職業から職業へと移動する程度、すなわち生産要素の移動可能性というものに依存するわけであります。しかしながら、このような生産要素の移動可能性というのは、上述のいろいろな要因のため、また特に欧米においては、少なくとも次の六つの要因によって著しく阻害されているだろうと思います。第一に、技術が高度に専門化しているため、産業間または職業間の移動が困難である。第二に、個人または家計というのが住居その他の固定資産を保有するようになり、ほかの地域への移動や転勤が阻害される傾向がある。第三に、夫婦共働きが増加しておりますが、夫婦が共に働ける地域や産業というのは限定されている。第四に、これが最も重要であると思いますけれども、現代の企業は規模が大きく、資本と労働が集中化されがちである。巨額の投下資本と大量の雇用者を抱えている企業は、採算が悪くなったからといって直ちに閉鎖、または他分野への転換を図ることは容易ではない。これは地域についても同様であります。すなわち、特定産業または企業が特定地域に集中的に立地し、地域と産業が一種の運命共同体を形成している場合には、その産業の撤退とか転換は困難であろうということです。第五に、政府介入の増大であります。これは後に詳しく述べますが、失業保険その他の社会保障制度が整備されているために、職業間または産業間の移動が阻止されがちであります。また、すでに申し上げました高い税金というのも、高い所得を求めて移動しようとする意欲を失わせ、また高い収益率を求めて投資しようとする意欲をも失わせるということになりかねません。第六に、往々にして転換を求められるいわゆる成熟産業というのは、高賃金が支払われる傾向があります。この場合には、労働がその高い所得を求めて他の分野へ移動するということは、もはやないわけですから、それだけ移動への意欲というのは減殺されざるを得ない。 以上のことを考慮すれば、先進国経済の転換能力の減退が、かなり根深い原因に基づいている。そして、これは決して一時的ではなく長期的なものであることが理解できるかと思います。ここに保護主義、したがってまた、貿易摩擦の温床があるのではないかと思います。 次に、第二点につきまして、政府介入の増大であります。しかし、産業の転換能力の減退というのは、貿易摩擦の潜在的要因ではありますが、それを顕在化させる要因ではないと思います。顕在化させるのは政府の介入であろう。周知のように一九三〇年代、または第二次世界大戦以降、経済活動への政府介入は増大してまいりました。また、経済の発展段階が高くなるにつれて、つまり先進国になればなるほどさまざまな分野への政府介入の度合いも多くなる傾向が見られます。もちろん経済活動に対する政府介入の増大には、それなりの理由があります。つまり、両大戦間及び一九三〇年代の大不況を通じて市場機構——マーケットメカニズムにすべてをゆだねる自由放任主義は侵食されてまいりました。特に失業と所得分配の問題は、市場機構では解決できないという信念が生まれてきたわけであります。市場機構は本質的に不安定で不完全であり、また競争は、人間の性質の卑俗で破壊的な面を助長すると考えられるようになったという嫌いがあります。 いずれにしましても、政府が市場を管理し、支配できるという見方が普遍化したのであります。一たびそのような観念が一般化すれば、すべての経済的社会的情報が政府に集中し、政府が経済を望む方向に導くことができると信じられるようになります。そこで、さまざまに相反し衝突する個人や集団の要求が政治的な重要性を帯びてくることになるわけです。ともかく政府は、こうしてほしいと望む人々の意思に沿って何かをなすべきだと主張されるようになってくるわけです。このような状況にあっては、生産者や労働者の声が政策に大きく反映される可能性が高まるだろう。なぜなら、生産者や労働者はそれぞれ結束しやすく、何らかの被害を直接にこうむるからであります。あるいは、ある特定産業が特定地域に集中している場合には、この産業の衰退は、すなわち地域の衰退と荒廃であります。このときには、産業保護イコール労働者保護イコール地域保護という重層が形成され、不平、不満の声も増幅されがちであります。 生産者にしろ地域住民にしろ、彼らは輸入競争に直面する当事者であります。したがってまた、直接的な括弧つきの被害者であります。被害者の声は特に大きくなりがちであります。これに引きかえまして、輸入から利益を得る消費者は国内の各地域に分散して生活しており、このような消費者を組織化し、その声を一つとすることは、不可能ではないにしてもきわめてむずかしいことであります。かくして輸入からの利益を得る者、または逆に輸入規制によって損失をこうむる者の声というのは小さくならざるを得ないということになります。要するに生産者や労働者の声が大きく政策に反映され、消費者の声は余り反映されなくなるという傾向が見られます。貿易摩擦が顕在化してくるゆえんはここにあるのではないかという気がいたします。 次に第三点に入りまして、国際分業の限界ということに、移ります。 これまで転換能力の減退と政府介入の増大について述べてきましたけれども、これらはもちろん相互に関連しており、転換能力の減退が政府介入を増大させ、また逆に、政府介入の増大が転換能力を減退させるという場合が往々にして見られます。しかし、なぜ保護主義であり、また貿易摩擦になるのかということが問題になります。それは結局、国際貿易が国境を越えて行われる経済取引だからにほかなりません。言いかえれば、異なった政府のもとに住む人々、すなわち異なった国民の間の経済取引が国際貿易であります。生産諸条件の基盤が異なる国民経済で生産された財、サービスの交換が国際貿易であります。その意味で、同一の政府のもとで、共通の生産基盤の上で生産された財、サービスの交換、すなわち国内取引とは異なっているのであります。この相違点が実は重要であります。外国との貿易を行わない閉鎖経済と、それから外国と貿易を行う開放経済とでは、産業調整はおのずから違った様相を呈するはずです。端的に申し上げれば、閉鎖経済にあっては、たとえば失業している人々があれば、その人人が再雇用されるまでは、労働節約的な技術進歩とかいろいろな改善をストップさせることが可能かもしれません。しかし、開放的で競争的な世界では、外国の競争者が新しい発明や改善を行ってしまった場合、自国企業もこれに追随するか、さもなければ企業を閉鎖せざるを得なくなります。しかし、先に述べたように、経済の転換能力が減退している状況にあっては、外国からの競争に対応して新しい分野に転換することは容易ではない。さらに、欧米のように所得水準の高い国においては、貿易を規制することによってたとえ貿易の利益が失われたとしても、その低くなった所得水準でも十分に生活できます。つまり、保護のコストを十分に負担できるわけです。先進国経済においては、国内的にも経済効率性の追求は緊急必須の課題ではなくなり、むしろ所得の平等と雇用が優先課題となっています。同様に、国際貿易に対しても効率性の追求が是が非でも望まれるわけではありません。 さて、日米欧の先進国は、いまやほぼ同一の発展段階に、あります。工業品はいかなる種類であれ、日本でもアメリカでもヨーロッパでも生産できます。工業力は同質化したわけであります。日米欧は競合関係にあるわけです。自国で生産している工業品は他国でも生産しています。したがって、貿易からの利益は少なくなったように目に映るわけです。市場が停滞している時期にあっては、それゆえに日本品の販売増は、他国品の販売減を意味するというぐあいになってくる可能性があります。他方、経済の転換能力は減退し、また生産者と労働者の不平、不満の声は大きく、消費者の声は小さいが所得水準は高い、こういう状況になりますと、貿易規制が導入されやすくなってまいります。いずれにしろ、国際分業は国家の行動によって制約されます。われわれの生活は経済活動に依存してはいますけれども、われわれの幸福というものは経済活動のみに依存するわけではありません。貿易に対する規制は、生産物を増加させなくとも、社会の独自性とか国内秩序を維持することができるかもしれません。そのために貢献するかもしれません。これがまず、先進国についてです。 次の発展途上国への影響でありますが、これまで述べたように、現在の先進国経済、少なくとも欧米経済には保護主義的な要因が内在しており、貿易摩擦はいつでも起こり得る状況にあります。これは成熟した経済にまつわる宿命のようにも思えてなりません。日米欧という先進国それ自体を考えるならば、保護のコストを負担しても、その所得水準は依然として十二分な生活水準を保証するであろう。しかし、世界全体を考えれば、決してそうではありません。先進工業国には六億七千万人の人々が住み、各人は年間九千五百ドルの所得を得ています。他方、二十二億六千万人の人々は、一人当たり年間二百三十ドルを得ているにすぎません。世界的には所得は極端に不平等であります。したがいまして、世界的視野からすれば、生産資源の効率的利用は依然として重要な課題であると言わざるを得ないわけです。先進国の人々が保護のコストを甘受できたとしても、グローバルに見れば、いまだ人類は生産資源を浪費するほど裕福ではないと思います。発展途上国の経済発展は、先進国の経済成長に大きく依存しています。先進国の人々はこのことを十分に認識し、世界的視野からの転換能力の増進を考えるべきであろうかと思います。特に、相対的に地位が低下したとはいえ、アメリカは依然として強力な経済力を持っていますので、アメリカの人々は特に自己の利益、便益のみを考えるべきではないということです。 最後に、日本の対応策でありますが、欧米が成熟工業国、マチュア・インダストリアル・カントリーと言いますが、成熟工業国だとしても、日本は成熟途上国であると考えた方がよろしいのではないかと思います。経済の転換能力は、日本ではいまだ減退していません。これはいろいろな主要な経済指標を見れば、パフォーマンスを見ればおわかりいただけるかと思います。その意味で、世界経済の停滞を阻止し、飛躍へと反転させ、貿易摩擦を解消させる立場に日本はあるであろうと考えられます。 では、日本は何をなすべきか。少なくとも域下の五項目が考えられるのではないかと思います。 まず第一に、何よりも急務なことは、欧米経済の抱えている困難性を正確に実感として理解することであります。相手国産業の弱みや努力不足を批判することは、これは容易であります。そしてまた、相手国政府の政策や要求を批判することも、これも容易であります。しかし、われわれにとって肝心なことは、なぜ産業の転換が円滑に進展していないのか、なぜ政府は特定のタイプの政策をとらざるを得ないのか、その理由と原因を正確に理解することが重要であります。 第二に、日本はあくまでも自由貿易体制を堅持すべきであろうと思います。日本経済は、海外からの天然資源の輸入なくしては存立し得ないということは御承知のとおりであります。工業品を海外に輸出するのは、輸出して金をもうけるためではなくて、必要不可欠の天然資源を輸入するためであります。そのためには、世界貿易が全体として自由貿易の環境にあった方が日本にとっては望ましいわけです。したがいまして、日本は相手国からの要求がなくとも、率先して市場開放、その他の自由貿易体制を整備すべきであります。もっとも、市場開放といっても、現在、アメリカからいろいろ要求されておりますが、国内秩序を維持する範囲内においての市場開放でなければならない。もっと極端に申しますと、日本間に土足で上がってくることを許すような市場開放であってはならないと思います。 第三に、特に日本企業は新商品の開発に邁進し、高度異質化の貿易へ飛躍すべきであると考えられます。新商品が出現せず、先進国間同士が同一商品の差別化、ちょっとした違いだけでいろいろな努力をするということが今日の貿易摩擦の根本原因であろう。新商品の出現は貿易摩擦をかなりの程度解消するであろうから、政府はその開発に積極的に援助すべきではないかと考えられます。現在の貿易摩擦解消のための交渉に費やされているその有能な官僚、いろいろな人々の労力と時間のコストを考えれば、新商品開発への援助は、国民に現在以上の負担をかけないであろうと考えられます。 第四に、第一点とも関連しますが、相手国の経済の困難性を理解したならば、それに基づいてその困難性の除去に協力すべきである。これは現在推進されている産業協力などの考え方が、その一つであろうと思います。 最後に第五として、日本政府は、現在の欧米諸国が陥りがちな消費者無視、または不在の政策を極力回避すべきであろう。自由貿易政策を遂行するためにも、消費者の利益を重視することが不可欠であります。もちろん自由貿易政策の遂行はじみなものであり、決して受けるものではありません。それだけに忍耐強く行わなければなりません。しかし、各国が互いに必要な物を交換するという相互依存の関係が保証されてこそ、言葉と人種の対立は除去されるであろうというふうに考えられます。 以上で公述を終わります。
○委員長(植木光教君) どうもありがとうございました。 次に、名東公述人にお願いをいたします。日本大学教授名東孝二君。
○公述人(名東孝二君) 公述させていただいてありがとうございます。 所得減税の必要性は、内需のてこ入れと不公平税制の是正であります。 まず、内需のてこ入れから申し上げますと、世界経済が行き詰まっておるわけであります。五十年を周期とする長期波動はすでにこの七〇年、昭和四十五年ごろを頂点としましてだんだんと下り坂になっております。ニューヨーク証券取引所の調べでございますが、一九六〇年から十三年間における先進八ヵ国における経済実力という指標を発表しておりますが、これは実質成長率を失業率とインフレ率を足したもので割ったものであります。この平均が八〇%から、次の七四年から八〇年にかけまして、現在一八%にまで暴落しております。日本は一四六%から三八%、約四分の一に暴落しておる状態であります。今後も波を打ちながら少なくとも十年間は下落傾向にあると思います。この大きな波の中に出てくる十年周期の波は、戦後、昭和三十年、四十年、五十年、かっちり十年ごとに底を打ったのであります。したがって恐らくこの次の底は六十年であろうと思われます。波の上がりは弱くて下がりがきついという特徴がありまして、失速するおそれも私はあると考えております。したがって歳入欠陥は必ず起こる。したがって建設国債と赤字国債の増発に踏み切らざるを得なくなると私は見ております。したがって財政再建期間は、少なくとも六十五年までは延期となるでありましょう。さらに増税の強化となる。民間活力の低下となって、スタグネーションとインフレーションが一緒になったスタグフレーションが本格化するのじゃないか。そうなると所得減税のみならず、雇用促進の減税も必要になってくるのではないかと見ております。したがって内需喚起のために雇用の促進がどうしても必要でありまして、現在政府は二・三%というような発表をしておりますが、アメリカ式に計算をし直してみると四・二%ぐらいに上がってくる。この失業率が私はかなり上がってくるというふうに見ております。したがって賃上げは、昨年の春闘七・七%以上が好ましいとえております。大川政三という一橋大学の教授が衆議院の公述をこの間されたのでありますが、その中で減税は非効率的だということを言われたのである。しかしながら、これは五十六年版の経済白書の中にすでにうたわれておるわけてありますが、製造業における生産誘発依存度というものがありまして、これは消費支出が設備投資と建設の効果を足したものよりも大きいのです、数字は省略しますが。食料品、繊維、化学はもちろんのこと、精密機械ですら一三・〇の方が二四・九%よりも高いのであります。いわんやサービス業では所得創出効果が相当にあると考えていいと思うのであります。 問題の公共事業、特に住宅投資は、これは政府は非常に御熱心でありますが、景気の浮揚方は非常にダウンしてまいった。たとえば、せっかくの資材を外国から買わざるを得ない、その方が安いと、こういうようなことのためにかなりマイナスになっておると思うのであります。それから土地問題がネックになっておると思われます。しかし最大の問題点はどこにあるかといいますと、これは現在の不況の素材産業、たとえばいろいろな材料の産業でありますが、そういうものはもちろんのこと、好況と言われている自動車とかメカトロニクスのような産業は大体いままだら模様でありまして、小さくて、薄くて、細かい、そういうものがいますぐれておるといいますか、景気がいいわけでありますが、このようなメカトロニクス——簡単に言えばコンピューターのような産業でありますが、こういったような産業ですら大量生産方式だということですね。この大量生産方式の産業構造は過剰生産になりやすいということであります。こういうような大量生産型の産業構造というものは、一たび市場を失うと非常にもろいのじゃないかというふうに思われるわけであります。したがって抜本的な構造改革を必要とするのであります。 次は、所得減税の内容でございますが、所得減税がなくなったこの五年間、すなわち昭和五十三年度から五十七年度における自然増収において占める物価上昇分だけでも返してくださいということを申し上げたい。あとは消費者物価にスライドして上げていただくと、こういうわけであります。それを計算してみますと、自然増収十一兆五千億の中で所得税の分は六〇%として六兆九千億、それに控え目に一・二六で割るわけでありますが、そうすると一兆四千億の財源が必要だということが出てまいります。 この一兆四千億をどういうふうにして使うかということは、まず第一に考えられることは、いわゆる皆さん方おっしゃっておられるように課税最低限を引き上げるわけでありますが、私の計算の場合は、所得の三控除だけを引き上げる計算をしてみました。そうすると、四人家族で二百一万五千円が二百七十七万円にアップされます。たまたまこの二百七十七万円というのは総理府統計局が発表しております家計調査報告の中に出てくるところの昭和五十五年の平均消費支出、これは全世帯でありますが、これがたまたま二百七十七万円であります。だから五十五年ではあっても、ここまで上げればこれは平均生活費をカバーすることができるのじゃないかと、こういうふうに思うのであります。 この一兆四千億というものをどういうふうにしてひねり出すかでありますが、その前に一言、いま古田さんおっしゃったように内需のてこ入れ、いま申し上げている内需のてこ入れという点では、負の所得税——ネガティブ・インカム・タックスをやった方が即効性といいますか、効果が高いのじゃないか。御存じのように、課税最低限と低所得との間の差額に対して一定の比率を掛けて、そしてそれを刺激的なふうに生活補助をしていくというやり方であります。このやり方は、現在御存じのようにイギリスで検討中でありますが、西ベルリン市ではもうすでに実施しておるわけであります。こういったような消費性向が非常に高い場合には、現在の社会保障費の問題がありますから簡単に取ってかわるというわけにはいきませんが、まず保護世帯などからアップしていくと、こういうふうにすればかなりの効果は出てくるのじゃないかというふうに思われます。 ちなみに、課税最低限のことを一言申し上げておきたいと思うのでありますが、大蔵省は事あるごとに日本の課税最低限は非常に高いということを御自慢なさっておられるようでありますが、私はそう考えてない。すなわち、一ドルを二百二十円とかで換算すればそうなるけれども、日本のこの円というものは外面は最近悪くなりつつあるけれども、それでもまだその外面よりも内面の方が悪いのです。これは私の計算では一ドル三百円の値打ちしかない。その証拠は、たとえば住宅費が非常に高い。それでまた日本の消費者物価の中には土地代を含めた住宅購入費を入れてない。住宅ローンの金利も含めてない。そういうようなわけで、日本のこの消費者物価自体が問題があるわけでありますが、やはり住宅費の高いことは間違いない。それからまた、肉を初めとした食料品も高い。そういうわけで、日本の円を考えた場合は、やはりその外面のよさだけじゃなくて、内面の国内購買力がいかに悪いかということも考える。そうすると、私の計算では一ドル三百円にしかならない。三百円で計算してみると、御存じのように六千七百十七ドルであって、アメリカの所得税課税最低限七千四百ドルよりもかなり低いと、こういうふうにならざるを得ないわけであります。 ついでに一言。また、日本は非常に「小さい政府」だということを御自慢なさっておられるようでありますが、私はそうは思わない。すなわち、国の一般会計、特別会計、政府関係機関の予算プラス地方財政の分まで含めまして、重複分を除きますと百二十九兆円、五十七年度GNP見通しの二百六十六兆円で割りますと、四八・五%ですね。すなわち、われわれの国民の経済活動の総決算である国民総生産の半分近くがお役人の手によって成っておるということですね。これは私は驚くべき事実じゃないかと思っております。 それから、昭和四十六年度から現在までの十年間に国債発行残高は四兆円から八十二兆円、すなわち二十・五倍。こういうふうに日本人というのは必ずのめり込んでいく。ここに、いわゆる直間比率などというようなかっこうのいいことを言いましても、フィフティー・フィフティーなんというようなことを言ったって、そんなうまくとどまらないんですよ、現実問題としては。必ずやのめり込んでいって、十年もしないうちに先輩のEC諸国をしのいでしまう。これが日本人の性格じゃないかと私は思うわけであります。 そういったような問題と同時に、じゃどういうふうにしてこの財源を出してぐるかといいますと、いわゆるマスコミ有名教授というのが何人がおりまして、それで、その人たちの議論によりますと、大型間接税によってクロヨンの不公平を正すと、こういうことをおっしゃっておられるのであります。堂々として専門誌に書いておられるのでありますが、私はそういうことは上塗りにすぎない、上塗りであるから矛盾を広げて、将来その税の虫食いが致命傷になりますよということを警告しておるのであります。したがって、不公平な税の虫食いそのものを直すということが先決じゃないかと思うのであります。 たとえばいま御存じのような貿易摩擦が起こっておる、中小企業並みの課税しか受けていない大企業がある、そういうものに対して過剰資本蓄積じゃないか、いますでにもう生産過剰に陥っているんですよ。大量生産的なことばかりやってきましたから。したがって、その過剰な資本蓄積なり過剰な物的生産力を抑える必要がある。そういう意味において、私はまずこの法人税については比例税率から累進税率にしたらどうかということを御提案申し上げたいと思うのであります。すなわち、何回も申し上げるその大量生産方式から脱却しなければいけないということを言いたいのであります。 次は、現行の所得課税から総収入課税、そして記帳を義務づける。したがって、赤字会社といえども、公益法人といえども何らかの恩典を国か地域社会から受けているはずなんです。そういう意味においては、金額は少なくとも、赤字会社も私はフランス式に赤字法人税を納めるべきだと思うし、公益法人といえども公益法人税ぐらいは納めた方がいいのじゃないかと思う。 それから、個人の大物——大物という意味は、アングラ経済のことは、まあもしも御質問があればお答え申し上げますが、二十三万二千もある公益法人の中にはこの地下経済の大物だと言われている団体が幾つもあるのじゃないかと思われるわけであります。個人の大物は、年間所得二千万円以上が七万七千人おるわけであります。この二〇%が財産調書を提出していないのです。したがって、これを中心に洗い直しをやれば、罰則を設ければ私はかなり効果があると見ておるわけであります。 それで、法人と個人に対する実地調査率は一〇%以下、法人は数%にすぎないと言われております。したがって、たとえば各省庁間における配置転換によって国税職員を補強する、そういうふうにしていけば、私は法人税を含めて一兆八千億から二兆五千億くらいは出てくると、こういうふうに見ております。 要するに応能原則、能力に応じた原則による総合申告制というものが、いまりっぱな原則があって、それが虫食いに侵されてもう危うくなっているわけです。したがって、その虫食いを改めて総合申告制というりっぱな大本をもう一回立て直すということが私は大事だと思います。そのためには、現在やられているような、金持ちとか大企業を優遇するというような税の虫食いをやめていただきたいということを申し上げたい。多少の苦痛とか努力というものは、やはり相当努力しなければぜい肉は落ちないのです。悪く言うならば、麻薬中毒患者というものはやっぱり禁断症状という苦しみをある程度通過しないと治らないのです。 そういう意味において。私は現在のこの「大きな政府」が、まあ高齢化社会に入っていって、ますますこれが肥大化するということを恐れているわけでありますが、しかし、もしも自助、互助、それから公助のうち最低生活を確保するための公助の財政的基礎がどうしても必要だとおっしゃるのならば、私は土地税制を根本的に立て直す以外にはないと考えております。やはりそのためには、大前提として百坪以内の居住用の免税、中小企業向けなどのきめの細かい配慮、農家ばかりを目のかたきにする宅地並み課税をやめる、大地主の方々に対しては国家的な褒賞をする。少なくとも土地利用権の制限と活用をすると、こういう前提の上で、私は大口地主の方々に吐き出していただく。そのためには、大口に限定したところの土地増価税を創設する、不動産譲渡所得税を強化すると、こういうことを提案申し上げたいと考えております。 時間がなくなりましたが、あとは大型間接税、特に付加価値税というものがいかに有害であるかということを二言だけ申し上げて終わりにしたいと思います。 これはいままでの税制というのは、失礼ながら大魚を逸する。大魚を逸し、強きを助けて弱きをくじく、雑魚ばかりをつかまえる。そういうような税の虫食いがわりあいに目立ってきたのじゃないかということを心配しているわけです。したがって、それが行き詰まったわけです。その行き詰まりをカバーするために税の虫食いを直せということを言っているわけです。ところがそうでない有力な学者先生からいろいろな国会議員の方々もおられるようでありますが、要するにいまのようなますますゆがめていくような方向に、線上にある。すなわち不公平なアンバランスをますます激化するような方向にある。金持ちなどは浪費をしていく、片っ方では庶民は消費を断念せざるを得なくなる、こういうような矛盾が出てくるわけであります。 その実例を一つだけ申し上げさしていただきますと、仮に五十七年度からこの大型間接税と所得減税とが行われると仮定して私計算してみたわけでありますが、一兆円、両方とも一兆円少してあります。そうすると結論的にはどうなるかというと、課税最低限、二百一万五千円の課税最低限以下の場合には、三万一千円が新しくこれが付加される。所得税がかかっていないのに三万一千円が新しくつけ加わるということです。それから課税最低限が上がります。課税最低限が二百五十八万円まで上がる。そうするとここで約四万円の所得税がなくなってそのかわりに三万一千円がつけ加わりますから、やや有利である。それからさらに一千八十万円の場合には、約十二万円の所得税がなくなる、そうして新しい税金が三万一千円加わる。したがって、上に行くほど有利です。しかし、私の計算は所得の三控除だけを、基礎控除と配偶者控除と扶養控除だけをアップした計算でありますから、大蔵省は必ずや税率を緩和するでありましょうし、それからまた給与所得控除の刻みを、それからまたこの給与控除率そのものを必ずや手直しするでありましょうから、所得が高いほど有利になるということは間違いないと思うのであります。もし御質問いただければ私は後でもう少し大型間接税の弊害を申し上げたいと思います。 どうもありがとうございました。
○委員長(植木光教君) ありがとうございました。 それでは、これより質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。 なお、時間の関係上質問及び答弁は簡明にお願いをいたします。
○井上吉夫君 三人の公述人の皆さんどうもありがとうございました。時間がありませんので、大変端的にお伺いをいたしたいと思います。 まず、古田公述人にお伺いをいたしますが、先ほど、いま必要であり、いまとっている政策というのは、増税なき財政再建ということにしぼって、そのためにとりわけ効率性ということを一番中心に置いて各面の施策を考えていく、したがって中身としては歳出の削減ということにしぼった形で物を考えていくというような御説明だったと思います。そしてその場合に社会保障関係も決して聖域ではない、それもまたより効率性を求めなければならぬ。その事例として保険財政のことにお触れいただきましたが、ほかに具体的な事例として社会保障関係の効率性の点について適当な事例がございましたらお聞かせをいただきたい。 それからもう一つは、最後に言われました減税関係の一兆円減税のことに触れられまして、国税における七千億、地方税における三千億、それぞれの政策目的なり政策手段としてどう分析しどう対応すべきかということにもお触れをいただきました。話の中でずばりの結論という形ではおっしゃいませんでしたけれども、全体の流れから感じますことは、この際減税というのは、よほどその政策目的なり手段というものをしっかりと見きわめてやらなければならぬということが大前提になり、そのことから延長いたしますと、いまの九十三兆もたまっております国債を、この高熱から脱却する、しかも体質的に、一時的解熱剤ではなくて体力を将来にわたってしっかりつくっていくというそういうことからだということからあわせ考えますと、なかなかこの際は無理ではないかという御見解のように私はお話の一連の流れから推察をしたわけでございますが、そのことについてのずばりの結論という形でお答えいただけば大変ありがたいと思います。 もう一つは池間公述人にお伺いをしたいのですが、全体の話の中で、発展途上国、グローバルに考える世界全体という立場から見ればまた話は別である、それにそういう立場から見る日本の対応策についても御説明をちょうだいいたしましたが、いわゆるいま日本が端的に言うなれば貿易摩擦、経済の摩擦という形で対象になりますのは、まさに欧米諸国であり、同じ先進国であり、競合関係にある国である。そういう国々は必ずしも日本ほど自由貿易ということを、言うなれば、表現は違いますが、必要としないというそういう立場がある。したがって貿易摩擦という問題はかなり根深く内在しているもので、いつさらに大きく、今回の事象が改善されても噴き出すかわからぬというようなお話だったとお伺いするわけでございまして、かなり厄介な、これから先も何回も起こるであろうという感じがいたしました。日本の対応について、幾つかの新商品の開発なり、相手国の抱えている経済の悩みというものをもっと理解するというそういう二つのことを私は非常に強く印象づけられましたけれども、ここで申し上げたいのは、大変厄介でいつ噴き出すかわからぬという大変な状態の中に、この国際的なとりわけ貿易上の摩擦関係というものは偏重し、それに積極的に日本がみずから対応するということのむずかしさを非常に強く感じたわけでございますが、こういう懸念についてなお分析していただけばありがたいと思います。 以上です。
○公述人(古田精司君) お答え申し上げます。 第一点は、社会保障関係についての非効率性の事例というのは、健康保険だけではなくまた他の分野にも見られるのではないかという、そういう御質問であったかと思います。先ほど私は年金保険にも触れる予定でありましたが、時間がございませんので触れることができませんでした。似たような事例につきましてはここで二、三申し上げたいと思いますが、たとえば老齢福祉年金、これは全額国庫負担でありますが、もし、今回の予算でもそうですが、今後とも給付金額が引き上げられますと、公的扶助としての生活保護給付との調整は避けられないと思います。また、生活に余裕のある比較的豊かな老人に対しましても、老齢福祉年金を支給する必要がないと判断される場合でも、受給者本人それから配偶者、そして扶養義務者の所得についての所得制限がございますが、これは最近かなり限度額の引き下げが実施されて、確かに有効に働くようになったというふうに認めてもよろしいかと存じますが、ここでもやはり国庫負担の導入につきまして、一つは分配上の公平の問題と、それからもう一つは資源配分の効率性という点で、一層の御配慮をしていただく必要があるというふうに考えております。 先ほど医療保険の場合に、保険の原理でございます収支均等の法則というのが比較的無視されやすいということを申し上げましたが、やはり年金保険の場合でも同じような傾向が見受けられます。したがいまして、現実に一般会計から国庫支出金の形で巨額の補助が常に行われているわけでありますが、やはりこの分野でも保険原理を尊重するというそういったたてまえはおとりいただきたいと考えているわけであります。 もう少し個別に申し上げますと、たとえば厚生年金でございますけれども、保険料と給付が確かに所得水準にリンクしているわけでありまして、国庫負担は大体給付費の二割ぐらいでございましょうか。ところがこれはその所得水準のいかんを問わず平等の率で行われております。そうしますと、低所得階層の人には薄く高所得階層の人には厚くというふうな、これはおかしな結果の補助金ではないかというふうに私どもは見ております。同じように国民年金の場合でも、やはり所得水準のいかんにかかわらず保険給付の大体三分の一が平等に補助されております。 御承知のとおり、国民年金財政というのはいろいろな問題をはらんでおりますけれども、そしてまた国民年金審議会でただいま検討されておりますが、その審議会でも一つ出ている意見でございますが、私もそう思います。現在国民年金は、これは定額保険料でございます。何とか所得比例に持っていけないものかというふうに私は考えます。技術的に無理だという御意見も私伺っておりますが、しかし所得税の場合、やはりこれは御承知のとおりのシステムがとれているわけでありますから、不可能ということはないというふうに考えております。 それから、第二点がたしか減税の問題だったと思います。もう少し具体的におまえの意見を述べよ、どちらをとるのだというふうな御指摘だったと思うのですが、私はあくまでも一介の経済学者でございまして、目的と手段の間のコンシステンシーということを厳密に見きわめるのが使命じゃないかというふうに考えております。むしろ目的それ自体について、たとえば景気の浮揚が、これが重要なんだというふうに与えられるといたしますと、これは民主主義体制では皆様のお決めになることであり、国民がそれを尊重すべきだ、私どもがそれを尊重すべきだと、そういうふうに考えております。もしそうだとすれば、では減税がいいのか、あるいは歳出の増加がいいのかと、そういうふうに問題が大ざっぱな確率でいくと立てられるわけです。 私はかつて五十三年のこの場でしたでしょうか、公共事業はどうなんだ、おまえはどういうふうに思うというふうに御下問がありまして、私は当時、所得水準引き上げ効果から考えますと減税よりも公共投資を支持すると申し上げたと思うのです。当然その場合いわゆるまだら模様が出てきまして、公共事業関連の産業は潤うわけですが、そうでない産業は日陰に置かれるわけです。そういう結果がまた事実生まれたのは皆様御存じのとおりだと思います。その意味では、減税によって消費を喚起しそして投資を誘発してといった効果の方が産業全体、国民生活にはもっと広く好ましい効果があらわれるのじゃないか、そのように考えております。 御質問に果たして答えられたかどうか、申しわけありません。
○公述人(池間誠君) 自由貿易ということを目標にはいたしますが、ただし私が指摘したかったのは、要するに先進国であればあるほどどうも保護主義の傾向は強い、それは宿命のような気がする。それと同時に、また一方では、国の規模が大きければ大きいほど——国の規模と申しますのは、ここではGNPではかろうがあるいは人口ではかろうが、面積ではかってもそうなんです、地理的面積ですね。国の規模が大きければ大きいほどまた保護主義的な傾向が出てまいります。それは国の規模が大きければ大きいほど、それほど貿易を必要としない、つまり貿易依存度が小さくなる傾向があるわけで、そういう意味でいまのアメリカというのは、あるいはヨーロッパというのは先進国である、そしてまた国の規模も大きい、ECとか。そうしますと、やっぱり潜在的に保護主義にいつでもいけるような状況にある。それはちょうど十九世紀中葉を考えていたたけは結構なんですが、イギリスが世界をリードしていた。それは国は小さいわけですね、面積で小さい。そうしますと、そのときに世界経済の一番自由貿易の黄金時代というのは満喫したわけです。ただし、その後アメリカがリーダーシップを握りまして、どうも——六〇年代は依然としてまだアメリカはきわめて経済力がずば抜けていたということもありまして自由貿易が標榜されたわけですが、いまのような同質化した時点、そしてまた潜在的に保護主義を常に持っているような国ということでありますので、どうしても保護主義というのはこれは常に根深く存在し、したがってまたそれから発生してくるいろいろな摩擦というのは避けられないだろう。 さらにそこで重要になってまいりますのは——もちろん一九六〇年代、七〇年代を通じてケネディ・ラウンドあるいは東京ラウンドを通じて関税というのは完全にもうなくなったと考えて結構だと思います。つまり、関税の非武装化とわれわれ言いますが、そういうことを行う。次に問題になってきましたのは、東京ラウンドは特にそうですが、非関税障壁、NTBですね、それが問題になってきた。ところが、この非関税障壁というのは実は日に見えないものなんです。関税のように何%とわかるわけではありません。目に見えないその障壁を相手にして今度議論をしてかしているわけです。そうしますと、この目に見えないものをいろいろとやって、したがってNTBがあるからどうのこうのという場合、NTBがおまえのところにあるから市場が閉鎖的である、こう言われましても実はこれはわからないわけです。本当にNTBというのがあってそしてそれがどの程度貿易を阻害しているかということは、いまだ計測はされておりません。 さらに、市場の開放度というのをどうはかるか、日本市場は閉鎖的である、こう言われますが、そして実際そういうことが新聞紙上をにぎわしていますが、しかし本当に日本市場は閉鎖的であるか。それを数字的に示すということはいまだされておりません。たまたまこれはフランスのジョベール海外貿易大臣ですか、あの方が、日本市場は閉鎖的だと言う場合に、日本市場はGDP、国内総生産に占める輸入比率がほかの国に比べて低いということで日本市場は閉鎖的だと、こういうぐあいに言っているわけですね。ただし、これもさっき申し上げましたように、国の規模が大きければ大きいほど輸入依存度というのは低くなる、こういうことですから、決して閉鎖性をはかる目安にはならない。どうも輸入依存度が低いということで日本市場が閉鎖的であると言うことは、これは実はナンセンスな議論になるわけです。同じようなことは、実はこれはきわめて重要なんですが、USTRのマクドナルド次席代表も、日本はGNPに占める、これは工業品の輸入割合だと思いますが、それが低過ぎると、アメリカがたとえば過去二十年間一%から五%に上昇し、西欧諸国も同様であるけれども、日本だけは二%のままでとどまっているということで、日本市場は閉鎖的だと言っておりますけれども、これは多分GNPに占める工業品の割合だと思いますが、しかし、これも経済の背後にあるいろいろな要因によって決定されるのであって、決してNTBという非関税障壁によってのみ決定される事柄ではない。したがいまして、結局市場の開放度というのは何かということは実は全然われわれわからないわけです。市場が閉鎖的であると言われても、これはわかりません。実際、これはきわめて穏健な意見だと思いますが、これはフォーレイという方、民主党の院内副総務らしいのですが、彼の場合は、日本市場はそれほど開放的でないという感情が米国で強い、感情的な問題。それと同時に、これはブロックUSTRの代表ですが、彼の言い分も、日本市場の現在の開放度について感じとしては一五から二〇%程度だということで、決して具体的にはわからないんです。したがって何か目に見えないものに日本市場に相互主義的なものを、その市場の開放ということを要求してきてもこれは議論のしようが実はないわけで、場合によっては貿易摩擦というのが経済学の対象たり得るかという疑問すら私は持つわけです。 もう一つ、日本が自由貿易を堅持すべきであるという場合に、やっぱり国際機関、ガットを利用していかなければいけないだろう、ガットの活用ですね。これは発展途上国とも関連しますが、いまのように相互主義的なあるいは二国間での解決の仕方が蔓延してまいりますと、実は発展途上国が今後新しくその市場に参入しようとした場合にまたバイラテラルなアグリーメントが要求されてくる。ところが日本とアメリカあるいは日本とヨーロッパであるならば、バーゲニングパワーが同じ程度である、したがってこちらの言い分も通る可能性はある。ただし、発展途上国が一つの小さな国として出てきた場合に、果たしてそのバイラテラルアグリーメント、自分たちの要求を受け入れさせることができるかどうかという疑問が残ります。その意味でもこの解決の仕方はやっぱりマルチラテラルな形で解決していった方がいいのじゃないかということです。
○岩崎純三君 時間がございませんので端的にお尋ねをいたします。 まず、財政問題でございますけれども、いま大変な不況感が漂っております。こうした現実を踏まえまして多くの方々から、五十九年度に特例公債をゼロとする、そういう目標を立てておるわけでございますが、それを一方では緩和すべきではないだろうか、そういう意見が一つあります。また、財政再建も必要であるけれども、建設公債の増発をして経済の活性化を求めたらいかがであろうか、こういう声を私どもしばしば耳にするわけでございますけれども、この件についての公述人の御見解を承りたいと思います。 また、財政再建は手段であって、支出の削減が経済の論理からすればそれが目的なんだ。そして、その目的を達成するためにただいま社会保障の問題やらあるいは同僚質問の内容となったわけでございますが、しからばグローバルに補助金の役割りですね、これは歳出削減の中でどのように位置づげたらよろしいのか、この二点をお尋ねいたしたいと思います。 次に国際経済の面でございますが、ただいま国際経済のたどった道、さらにはその現状、そしてそれを踏まえながら今後の対応策、そしてまた幾つかの問題点についてお話があったわけでございますが、政治は現実でございますので、いま私どもが当面しておる幾つかの問題を率直にお尋ねをいたしたいと思います。 第一点は、アメリカの高金利の見通しについてであります。この高金利に関連いたしましてわが国の円レートの行方が一体どうあるべきなのか、この点についてお話を承りたいと思います。 あと名東公述人にもお尋ねをいたしたかったのでございますけれども、時間がございませんのでこれで質問を終わらせていただきます。
○公述人(古田精司君) 私に対する御質問は二点ほどだったかと存じます。 第一点は、昭和五十九年度までに特例公債をゼロにしようと、そういう現内閣の方針に対して、現在の日本経済の不況にかんがみ、ここで緩和をすべきではないか、そしてそれを通じて日本経済の活性化を図るべきだと、そういう意見がある、それに対して公述人はどういうふうに考えるかというお尋ねだったかと存じます。 確かにただいまのお尋ねのように、短期的に日本経済を活性化しようというそういう観点からはさまざまな政策手段を選ぶことができるのではないかと思います。その一つが御指摘のように特例公債をゼロにするという方針をここで一時棚上げにして何らかの経済拡張政策、減税にせよあるいは公共支出の増大にせよとるべきではないかと、そういうお考えを御指摘になったのではないかと思います。 お言葉を返すようでございますけれども、経済の活性化という点につきまして承りたいと思う点が一つございます。それは短期的な観点からの御指摘に限定なさっていらっしゃるのか、あるいは長期的あるいは中期的な次元においてもやはりその次元を含めてお考えになっていらっしゃるのか、そこで議論が分かれるのではないか。と申しますのは、もしここで経済の活性化を図るということで何らかの措置をとる、たとえば減税をとるとしまして、その財源を公債発行に頼る、あるいは政府支出の増大を図る、そのときにまたやはり公債の発行に頼るというときに、これは中期的にも長期的にも当然大きい政府への道を第一歩踏み出すわけでございます。その大きい政府への道と申しますのは、これはここで申し上げるまでもなく欧米諸国がたどってきた道でございまして、ただいま欧米諸国がまたその方向を逆戻りさせようとしまして、どこの政府でも必死になって財政の引き締めにかかっているわけであります。そうすることによって経済の活性化を図ろうと、壮大な実験をたとえばレーガン政権も続けておりますし、サッチャー政権も続けております。したがいまして、問題を短期でつかまえるのかあるいは中期あるいは長期でつかまえるのか。私は、現在の行政改革そしてまた財政再建という現政府の努力というものは、やはり中期そして長期という次元をいつもお考えになってプログラムを組んでいらっしゃるのではないか。もしそういったプログラムを国民が支持しているとすれば、また私は現在の時点では支持しているというふうに信じておりますが、そうだとすれば、ここで減税という方策が一体どれくらいの活性化の道を切り開いていくのかやはり疑問と言わざるを得ないわけでございます。 それから第二点は、補助金の役割りの位置づけということでございました。大変むずかしい御質問でございます。 私は、現在の日本の財政だけではなくして諸外国の財政を見ますというと、補助金のウエートというものが今世紀に入りまして現在に至るまで拡大のほぼ一途をたどってまいっておるという事実を決して無視するものではございません。補助金がそれなりの役割りを日本のみならず諸外国でも果たしてきたということをやはり否定するものではございません。しかし、補助金というもののただいま位置づけをどういうふうにするのかという御質問がございましたように、どこの国でもそして学者の間でも補助金の位置づけということについては議論が紛糾いたしております。 たとえば日本の例をとりますというと、御承知のとおりまず三K問題のうちの国鉄を例にとりますというと、国鉄にどれだけ国家財政から補助金が出ているか、その巨額な補助金がそれでは国鉄の赤字体質をどれだけ脱却せしめるのに役に立ったかということになると、皆様は首をかしげられるのではないかと思います。日本の農業にしても同様だと思います。食管の赤字、これもはなはだしい累積、御承知のとおりだと思います。果たしてこの補助金が国民生活のための補助金なのか、あるいは農業者のための補助金なのか、そしてこの補助金が日本農業を復活し発展させるための補助金として果たして働いているというふうにお考えになっていらっしゃるのかどうか。そしてまた、社会保障関係の補助金につきましても、これは先ほど効率化という観点から私は二、三触れたとおりでございます。 一口に補助金と申しましても、ただいま申し上げましたようにかなり幅広い補助金がございまして、個々に検討いたしますというとかえって、たとえば農業関係の補助金を見ますというと、日本農業の足を引っ張っているんじゃないかなと思われるような補助金が多々ございます。私はかつて十年ほど、もっと前です、農業経済学者の間にまじりまして食管問題の共同研究会を開きまして、二年近く勉強させられた経験がございます。そこでしみじみと私が学んだことは、現在日本の財政から、農業に対して多額の補助金が年々支出されているけれども、これはかえって日本の農業の発展するのをむしろ妨げる方に働いているんじゃないか、そういったむしろ疑問を強く持ったことをいまでも思い返すわけであります。何か、お答えになっていない答えをさっきから申し上げているようでございますが、やはり補助金につきまして、これからどういった効率化を図っていくかというのが日本財政の中の私は最も重要な課題ではないかと思います。 同時に、補助金の、先ほど申し上げました補助金という政策手段を使って一体どのような目標を達成なさろうとなすっているのか。食管の赤字というのが国民全般に安いお米を提供するということで、低所得階層も高所得階層も同じような安いお米を食べるということで、果たして補助金の役割りを果たしているというふうに判断してよろしいのかどうか。私としてはやはり、目的と手段というのが経済政策原理の中で常に重視されなければいけない基本線ではないかということを考えておりますので申し上げたわけでございます。 失礼しました。
○公述人(池間誠君) 私は国際金融の専門家でないのでちょっとまずいのですが、政治は現実的であるということで、その現実というのがあしたの問題あるいは一、二年の問題ということであるならば、確かにアメリカの高金利が円レートにどう影響を及ぼすかということはこれは大変な問題だと思います。実際、アメリカの高金利が円レートに影響を及ぼすようになったということも実はある意味で喜ぶべきことなんですが、それはそれだけ日本が裕福になった、つまり日本がそれだけある資本を持つようになった、基金も持って自分の運用ができるようになったということの一つの証拠なので、その意味では日本が裕福になった証拠は、アメリカの高金利、つまり向こう側に資金を運用させて円売りドル買いというふうなことができない限り円レートに影響を及ぼさないということでありますので、その意味では、したがって短期資本移動ということがきわめて動いているわけですが、これは私は予測というのは余りできないわけなんですが、要するに長期的にどう動くかということを私は見きわめるのがむしろ重要だということなんです。 それは長期的にどうなるかということでわれわれは考えていかざるを得ないわけですが、ただアメリカの高金利政策ということでやっている場合に、その金準備というのが廃止されて、それから金融当局が自分なりの政策運用できるようになったということがまた一つの大きな要因になっただろうと。したがって、いまレーガンあたりは、この財政というのを、できるだけ財政政策をもっと強力にしたいというところがどうも見られるのではないかという気がいたします。ただ、長期的にはやはりわれわれは、私がさっき申し上げましたように、いろいろな国際競争力というところで円レートは決まってくるだろうということで、常識的に二百円から二百二十円ぐらいじゃないかというふうなところなんです。
○竹田四郎君 時間が余りありませんので、詳しくお聞きするわけにはいきませんし、名東先生には後ほど安恒君の方から御質問があると思いますので、私は割愛させていただきたいと思います。 そこで、まず第一問は両先生にお聞きしたいんですが、今日の世界の不況といいますか、世界的に経済の発展が停滞しているということ、このことは私は少なくとも今日の軍事経済というものが大きな負担になっている、それがソ連圏にしてもあるいはアメリカにしても生産性の向上というものの大きな妨げになっているような気がいたします。その辺に今日の国際経済の問題点があるのではないだろうかというふうに思うわけでありますが、古田先生のお話、非常に基本的なことについてはよくわかったわけでありますけれども、今後の財政再建という立場で社会保障関係についてのむだを排除しろという意味はこれはよくわかりますし、個別的にはそうした面で解決をしていかなくちゃならない面のあることはわかるのですが、私は同時にもう一つ、これから大きくなっていきそうな問題が、第一問と関連して日本の防衛費の問題、これをことしは抜きにして考えるのはちょっと問題があるのではないだろうか。とりあえずは防衛計画の大綱というものをやるにいたしましても、まあ来年度に少なくとも一兆七千五百億くらいの後年度負担、さらにその次はもっとこれはふえていく可能性がある。しかも、再生産を伴わないという点ではますます日本の財政を硬直化させていく大きな原因になっていくのじゃないだろうか。この点と赤字国債をどう解消していくかという問題が、大きな問題に将来なっていくのではないだろうかという気がいたしますが、その辺に対する御見解を承りたいと思います。 それから、池間先生が先ほどバイラテラルな経済関係よりもマルチラテラルという点をおっしゃられていた点、私も同感なんですが、しかし、どうも世の中ますますバイラテラルな関係になっていってしまう。これは日本として私はずいぶん気をつけなくちゃいけないことだろうと思うわけでありますけれども、できたらそういう方向というものをどう位置づけていくべきか、最近のレーガン政権の動向から見ますと大変むつかしい問題のような気がいたしますけれども、やっぱり非常に重要なことじゃないだろうかというふうに思います。 それから、最近の国際的な危機との観点で、東西貿易の問題というものを裏側からもう一回見直すべきじゃないだろうかという感じを私は深くいたします。特に去年からのヨーロッパにおけるいろいろな反核運動等を見ましても、やっぱりそういう東西の経済的な交流というようなものがかなり基礎にある。アメリカのレーガンが統制しようとしてもなかなか統制し切れないところにもそんな問題があると思うのですけれども、こういうようなことが、これからの日本の国際経済に対応する立場でもかなり重要なポイントだというふうに私は考えておりますけれども、先生の御意見を承りたいと思います。 それからもう一つ、これは池間先生にお伺いしたいと思うのですが、ことし私どもがいろいろ議論いたしますと、OECDの見通しを政府が非常に引用する場合が多いわけであります。後半になればよくなるということでありますけれども、確かにOECDの経済見通しというのはかなり時期的には早いころの数字であろうというふうに私は思うんですけれども、最近の情勢というのはやっぱりOECDの見通しが月本経済にも影響してくるような情勢なのかどうなのか。どうも私もちょっと弱くなってきたように思いますが、その辺を教えていただきたい。 以上であります。
○公述人(古田精司君) お答え申し上げます。 ただいま大変広い視野からの御質問をいただきまして、私にはお答えする資格がないなというふうにいま反省いたしているところでございます。 御指摘のとおり、財政再建に当たってできるだけ歳出面でのむだを排除する。その場合に、なぜ一般会計がこれほどまで国民経済の中でウエートをこの十年間の間に急激にふやしたか。これは統計数値を見ますと非常に驚くわけでありますが、その中で顕著な増大ぶりを示しておりますのが社会保障関係費だということを先ほど申し上げましたので、ここで繰り返しません。 軍事費の場合はどうかと申しますと、一番の問題は、増加を顕著に示してないことが一つございますが、もう一つは情報の欠如ということがございます。私たちの手元に届く情報、特に防衛関係費につきまして届く情報というのは非常に限られております。そして、ここで強調しておきたいことは、社会保障が聖域でないと同じように、防衛費も聖域ではございません。しばしば強調されておりますコスト・ベネフィット分析とか、あるいはPPB分析というものをかつて十年ほど前にわが国でもしきりに議論されておりました。国会の場でそれが取り上げられていたのだと思いますが、私どもは外から見ておりますというと、取り上げられないままで捨てられたように受け取られております。いま一度そういった分析、武器につきまして国会の場でお取り上げいただいて、真剣に御協議いただければというふうに私は考えております。
○公述人(池間誠君) いろいろな問題が出てまいりましたが、その世界経済云々というところで軍事費の負担とかありましたけれども、これは私は、日本が自由貿易を推進するという場合には、自由貿易はあくまでも世界平和が大前提になっているわけですから……。それだけをお答えをいたします。 それからバイラテラルとマルチラテラルの問題ですけれども、バイラテラルは、何か短期的にすぐ解決を余りにも早急にそうしたいというふうな気持ちがお互いに強い場合に、物すごくプレッシャーがかかってきてそこへ走り出すわけですね。だから、もうちょっと冷静になって考えるような方向というのがお互いに必要ではないだろうかということです。その場合には、常にマルチラテラルあるいはガットということを基本にして、それでできるだけ考えていこうという姿勢が大切ではないだろうかということです。 特に日本の場合は、ガットの事務局長のダンケルも日本に、来て講演したときそうだったのですが、要するにガットという体制のもとで最も恩恵を受けたのは日本である。ガットがいま危機に瀕している。その意味で日本が今度は強力にガットをサポートすべきではないだろうか。実際その方が日本のためにもなるだろうということです。 第三番日の点ですが、東西貿易というのは、われわれは市場経済圏だけを対象にする傾向がありますが、いま僕の教え子は向こうへ行っておりまして、そしてできるだけ東西貿易をやりたいということで研究中なんですけれども、一つの貿易の空白にはなっていますね、ほかのあれと比べて。したがいまして、東西貿易は確かに、もう一つ考えて、経済発展の拠点にはなり得るかもしれないという気はいたします。 OECDの経済見通しはどうなんですか、そこらあたりはちょっとわかりませんが、要するにどの程度政策当局者がOECDを信頼しているかということになるのではないだろうかということで、ちょっとそこらあたりは私にはわかりません。
○安恒良一君 私は、名東先生に質問を限らさしていただきたいんですが、往復十三分しかございませんので簡略に質問します。私は、名東先生の減税の必要論、興味深く聞かしていただきました。そこで、少し突っ込みまして、減税の必要性について私どもは、現在政府は公共投資の前倒しを言っておりますが、政府支出が経済成長に占める割合は二〇%しかないわけでありますから、個人消費が約五五%、そういう意味からも、私はきわめて減税の必要性が今日の景気動向ではあるだろうと思いますが、一つはその財源を何に求めるかというところに問題があります。いま先生から法人税を初めいろんな財源の提起がありました。大変注意深く聞かしていただいたのですが、その中で個人の大物ということを言われました。フランスのミッテラン政権が富裕税を今度つくったわけですが、それらを含めて個人に対する問題、それから公益法人等にも言及されましたが、いま少しその点を述べていただきたいと思います。お聞かせ願いたいと思います。 〔委員長退席、理事井上吉夫君着席〕 それからどうも減税をやるのかやらぬのかということで、私ども今年度からと、こう言っているのでありますが、政府は減税をやるときに間接税もしくは大型の一般消費税、こういうものを一方において増税をしながら、一方においては所得税減税をやりそうな傾向にいまあるわけてあります。その点についても先生がいろいろ間接税の問題点ということで逆累進ということで例を挙げられましたが、私は逆累進になると同時に、こういうものはやはり税の財源としてはかなり不安定なものがありはしないか、こういうふうに思いますから、この二点について名東先生のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
○公述人(名東孝二君) 安恒先生おっしゃったとおりでございまして、所得税を中心にする国ですから、これはやはり徹底的にこれを守っていく、それが虫食いができたからすぐ飛躍して消費課税にいくというようなことは非常に危険だ。どうしてもやむを得ない場合には資産課税にいく、これは順序だろうと思うんですね。だから、所得課税を徹底的にやっぱり虫食いを直す、そうしてその後に万やむを得ないときは資産課税にいかざるを得ない、こういうふうに思うわけであります。 いま御指摘のようにかなり富裕な方々、いわゆるアングラ経済と言われておる方々が、公益法人を初めとして、個人としても七万七千人と言われておりまして、これは推定でございますが、五十年の末に三百三十兆円ある個人金融資産の約二〇%、七十兆円近くの金があるんじゃないか。具体的には現金預金が二百七兆円ございますが、その三分の一が隠し金ではないか。 他方、この隠し所得の方から言うと、GNPの一三%相当が五十五年にある。これが三十兆八千億くらいあるのじゃないか。大体持ち主世大会社から公益法人になるわけですが、お医者さんを含めた事業所得者、それから資産所得者、特に土地持ち、それから失礼でございますが、やっぱり政治家の一部の方々かもしれないということが言われております。だから、こういったような虫食いなり脱漏ですね、合法的な。そういったようなもの、それからまた脱法もあるでしょうから、こういうものをやっぱり徹底的に抑えていくことが順序じゃないかと思うのであります。 付加価値税と言われておる一般消費税というのは、これはヨーロッパでは非常に不吉な、戦争の大体前後に起こっているものでありまして、結論的に申し上げれば、やはり先進国をむしばんでいく、腐らしていく、そういうメカニズムではないか、こういうふうに思われるわけであります。それで、不公平を直すどころか、消費課税は資本蓄積に役立つというのが、これが専門家の大体定説になっております。 それから、いま御指摘の補助金を中心にした利益圧力集団、プレッシャーグループが補助金を中心にして殺到しているわけですね。そういったような圧力は大きな甘い汁ができたらさらに殺到していく。そうすると私は、赤字国債をなくするなんていうことはとうていできないと考えるわけであります。それから、現在進行中の不況に対して決定的なダメージを与える、最悪な場合は恐慌の誘因になるのじゃないかと考えます。少なくとも経済成長力をダウンさせる。同時に、韓国を私はかなり詳細に見て回ったわけでありますが、韓国の場合は、税率一三%の二倍の卸売物価、消費者物価の上昇を経験しておるわけであります。 それから、税収が落ち込んできますから、どうしても税務の取り立てが非常に厳しくなってくる。一番悪いことは、税痛がないんですね。痛みというものは、これは警戒信号なんです。ところが間接税というのは痛みがない。知らぬ間にのめり込んでしまって致命傷になる。これが非常に危ないわけであります。 それから、大不況になってまいりますと、防衛産業、いま御指摘の武器輸出産業、こういったようなものを育成強化しようとするでしょうね。そうすると、これの大動脈としての資金源になるのじゃないか。 それからまた、社会福祉と見合いとか直結とかいうことがよくうたわれておりますが、そういったようなうたい文句はいつの間にか消えていくのじゃないか。したがって、平和運動というものは、戦争準備のためのこのような資金源を切断するということが私は一番大事だと考えております。要するに、はっきり言うならば、税金を高くして栄えた国はないということを与党の方々もよく御記憶願いたいと思っております。したがって、国を憂える者は、こういったような国民をスポイルする、虚弱にする、甘えの構造をますます甘えにする、そういったような甘い汁の税金ばかりを取っていけば、これは私は国の滅亡以外にない。ローマ帝国はパンとサーカス、食い物から遊ぶことまで世話したのがローマ帝国の滅亡と言われているわけですが、日本は怠け者じゃありませんから、非常に勤勉でありますから、恐らくいま御指摘のような軍事大国になっていく。経済大国でありながら軍事大国にならなかった国はないと言われておるくらいでありますから、私はこういったような甘い大税源をつくるということは、これをパイプとして軍事国家の方へ急速度にのめり込んでいくのではないかということを最も恐れておるわけであります。 どうも失礼しました。
○田代富士男君 最初に古田先生にお尋ねをいたします。 五十六年度の実質経済成長率は政府の経済見通しの四・一%に及ばないということは、これはもう明らかではないかと思います。政府は五十七年度の実質成長率を五・二%と、民間機関より相当高目に見通しをしておりますけれども、国民消費や設備投資の動向、また住宅不振などによりまして実現はむずかしいと思われております。 そうした中で、金融政策にも有効策を見出すことができませんし、それだけに財政政策に頼らざるを得ないのではないかと思うのでございますが、公共事業につきましては、先生御承知のとおりに三年連続横ばいでございますが、政府は五十七年度の上期の契約率七五%といたしまして、下期には建設国債の増発で対応しようということがいま考えられております。これらの方針が内需の喚起と景気浮揚にどのような効果を及ぼすとお考えになっているのか、まずお尋ねをしたいと思います。 第二点は、衆議院の予算審議の段階で、国民の声を背景といたしました野党の一兆円減税要求が大きな焦点となりまして、議長見解に沿って衆議院大蔵委員会の小委員会で引き続き審議が行われることになったのは御承知のとおりだと思います。この要求には、五十三年以来の所得税減税見送りの結果をもたらされました可処分所得の目減り分を取り返そうと、民間最終消費に刺激を与えるという大きな効果が期待できると思います。参議院の予算委員会におきましても、私も総括質問を通じましてこの問題を取り上げてまいりましたが、先生の御所見を伺いたいと思います。 第三点の問題は、五十七年度の建設公債の減額二千六百九十億円は、揮発油税、石油ガス税、航空機燃料税、石油税による収入が伸びたためであることは御承知のとおりだと思いますが、これらの公共投資のための特定財源のうち、この二千六百九十億円を一般財源に充当すれば、特例公債一兆五千六百十億円を中期展望で計画いたしました一兆八千三百五十億円減額にほぼ近づけることができるはずでございます。 〔理事井上吉夫君退席、委員長着席〕 しかも、来年度下期の公共事業のいわゆる息切れに対して建設国債の増発が言われていることから考えて、政府の施策についてどういう見解をお持ちであるかお聞かせいただきたいと思います。 国内問題でございますから名東先生にお尋ねします。五十六年度までは大型新税の導入はないということが言われておりますが、時折ただいまもいろいろお話が出ておりますけれども、大型の間接税の構想が見え隠れをしております。特に、負担の公平というのは税の生命であるとされておりますし、われわれも先生もともに理解は同じであると思いますが、そこで直接税、間接税のそれぞれの特性を踏まえて、また国民の所得構成といったような経済的条件あるいは高齢化社会の到来といった社会的条件にも配慮した場合、中長期的視点に立って税制体系のあり方はどんな形になるのが望ましいか、先生の御見解を承りたいと思います。 次に、池間先生にお尋ねをいたしますが、「先進国経済の相互依存と対立」という先生の論文、原稿をこちらへ持ってきておりまして、先生のお話とあわせてその論文を読ましていただきました。その論文の中で、日米欧の貿易摩擦を、一つは経済の転換能力の減退。二つ目には政府介入の増大。三つ目に国際分業の限界。という視点から検討されております。 そこでまず第一に、先生は貿易摩擦が顕在化する要因の一つに政府介入の増大があるというお考えのようでございますが、この点についての先生の御見解を承りたいと思うのでございます。 二つ目には、貿易摩擦は成熟した経済にまつわる宿命のようなものであり、それは世界経済の不安定要因であるために、かかる不安定要因は除去しなければならないというお考えに対しましては、私も理解できるわけでございます。これまでの貿易摩擦が個別産業ごとの摩擦でありましたが、今回の日米貿易摩擦は、日本の文化、伝統などを含んだ全体的な摩擦に変わってきていると考えられるのでございますが、先生は今回の日米貿易摩擦発生の背景をどのようにおとらえになっていらっしゃるのか、御所見を伺いたいと思うのでございます。 第三番目の質問は、そのような背景から発生いたしました貿易摩擦を解消するために、何かよい名案があるか、あるいは先生はどのようにお考えになっていらっしゃるのかですね。もしあるとしたら、どの点どのようにすればよいか、そこらあたりをお聞かせいただきたいと思います。 最後に、池間先生は、重商主義的政策は採用すべきでないということを論文の中でも言っていらっしゃいます。いま米国側からわが国に対しまして、農畜産物、特に牛肉、オレンジにつきまして輸入制限を撤廃することを強硬に主張しておりますけれども、この輸入制限品目の撤廃問題についてどのような御意見をお持ちであるかお聞かせいただきたいと思います。よろしくお願いします。
○公述人(古田精司君) お答え申し上げます。 三点ほど御質問いただいたかと存じます。 その前に、大学での講義の持ち時間が九十分でございまして、どうしても答弁が長くなりまして申しわけありません。できるだけ簡潔に申し上げたいと思います。 第一点でございますが、御説のとおり、私も今年度の経済見通し、成長率五・二%というのはむずかしいのではないかと考えております。大体五・五%から六%は確保したい。これは完全展用という観点からでございます。しかし、それでは減税がどれだけ効果があるか、一兆円の減税がどれだけ効果があるか、恐らく乗数効果を含めまして一千億円そこそこをだけ所得水準を上げるにすぎないんではないか。そのように考えますというと、財政が亭主であって、金融が女房である。押し売りが来たときに、まず女房が出ていって押し売りを追っ払う。そういう伝でいきますと、金融が出なければならぬ局面よりも、むしろ亭主が出なければならない局面だと思います。しかし、それでも出方によりまして、亭主が出ていった効果というのがかえって薄いのではないか、そういうふうに考えております。 第二点の、一兆円減税が焦点である、その点について今後の問題をどういうふうに考えるかという御質問だったと思うのですが、これは先ほど私は、目的と手段との関係でもって申し上げたとおりでございますので、省略さしていただきます。 第三点は、たしか前倒しの効果をどのように考えるか、そしてその後建設公債の発行が予定されているが、その点についてコメントをせよという、そういう御質問だったと思います。 私は、この前倒し、そしてまた建設国債の発行につきましては、前者の方は切り札でございますけれども、後者の方は、あたかも景気見通しと申しますのは、ちょうど地震の予測と天気予報の予測の中間ぐらいというふうに私は考えておりますので、現在の段階では、わりあい私は楽天的というふうに批判されるかもしれませんが、そこまではいかないんじゃないかというふうに予測いたしております。
○公述人(名東孝二君) 現在世界の税制の国を見た場合に、直接税中心の国ですね、これは大体英米系でありますが、アメリカ、日本が大体その主たるものであります。それから間接税主体の国ですね、これは大体ラテン系です。特にフランスあたりが中心になっておると思うのであります。ところが、いわゆる福祉国家ですね、これから高齢化社会になるということは、これは間違いないと思うんです。その場合に福祉国家の形、たとえばECとか、特にイギリスなんかはそうですから、ああいう福祉国家になった場合に、果たして現在の福祉国家が、ヨーロッパ、北欧のこれが成功しているかという問題です。恐らく、ここまで来ると、成功しているとは断言できないんじゃないんでしょうか。そうすると、日本の行く方は恐らくヨーロッパ、北欧型のまねをすることじゃないんじゃないかと思うのです。ところが、高齢化社会という名前によって、仮に大型間接税なり付加価値税を導入してみたらわかると思うのですけれど、これはどんどんどんどん、恐らくEC諸国をしのいでいくのじゃないでしょうか。そのときに、福祉はお粗末で、ほかのことがふっと突出してくるというようなことがないとどうして断言できるかということを私は心配しているわけです。 したがって、税金というものはやはり苦痛がある方がいいんですね。たとえばサラリーマンは、私らが幾ら声をからして街頭で叫んでも、先生方だったら聞いてくださる話を聞いてくれない。これはなぜかというと、サラリーマンは、天引きされていれば全然税金の重みがわからない。私みたいに確定申告を毎年やっていると、私は大体四分の一ですね、地方税を含めると四分の一税金を取られるわけですよ。そうすると身にこたえるわけですね、実際納めてみると。サラリーマンの方々は全然税金のことなんか知らないんですよ。したがって私は、やっぱり失礼だけれど、源泉徴収だとか税金の痛みがないということは、人間をスポイルすると思うんです。やはり税痛を感ずると、私みたいに、ワイフなんかは、あなたもういいかけんに、アメリカへ行くんだから公述なんかやめておけと、私はワイフに怒られたのだけれど、私としては一種の義憤のつもりで出てきているわけなんですよ、はっきり言うと国家に奉ずるつもりで。そういうわけで、こんなに税金高くていいかという気持ちが出てくるんですよ。 そういう意味で、私は高齢化社会は必ず来ますよ。そのとき私は一番大事なことは、何も間接税やら付加価値税を高めて、税金の金をどんどんどんどんばらまいてやることじゃないと思う、やっぱり一番大事なことは、お年寄りに雇用を、働く口、これはボランティアでもいいんじゃないかと思うんですよ。ボランティアを含めて、広い意味の人間の生きがいとか働きがいのあるそういう場を与えるということが私一番大事じゃないかと思うんです。それは、単なる税金を高くするとかいうこととは違うんですよ。もっと私はやり方があると思うのです。 そういう意味において、少なくともいま言われていることは、西ドイツみたいにフィフティー・フィフティーでとめたらいいとおっしゃっておられますね。そういうことをおっしゃる学者が多いんですよ。しかし私は、日本人の性格からして、フィフティー・フィフティーにはとまらぬと見ているのです。必ずやどこかにのめり込む。直接税で税金の苦痛があるからこそ、いまわれわれが所得税減税などということを叫んでおりますけれど、もしこれが税金の苦痛がなかった場合には、間接税だったらどんどんどんどん私は行くだろうと思うのです。それを一番心配しているわけです。 したがって、やはり単なる直間比率をフィフティー・フィフティーにすればいいなんというそんな簡単なことじゃなくて、私はやはり遠い将来を考えた場合に、どうしても苦痛を、それだけのいいことをする場合には苦痛を伴うようにした方がいいと思っている。そのためには、やはり富裕税とか資産課税ですね、特に私は、現在の土地問題というものは、これは政府に対して申しわけないけれど、土地政策というものは全然だめだと思うのです。しかし、この土地政策の欠陥が将来私は重大な結果になってあらわれてくるというふうに見ているわけです。だから、この土地政策に対してもっと断固たる処置をとらないと、日本の産業構造がいまでもゆがんでおるわけです、その産業構造のゆがみがどうにも国際競争力を失った場合に、いまはまだ一部のメカトロニクスなどが自動車とかでやっていけますけど、大量生産で。市場が閉鎖された場合には大量生産方式の現在の産業構造なんて早いですよ、崩れ始めるのは。これがきめの細かい中小企業を中心にしたものであれば持ちこたえられますけれども。いまの産業構造というのはもう大企業生産でしょう。だから市場を失った場合にはもろいと思うのです。そういう意味において、私は現在のこの税制は確かにおかしく、虫食いがはびこっているわけですから、そのことを直すということは苦痛であろうけれども、苦痛だけれども、そのことがやはりわれわれの体を健全に守ってくれると思うし、今後も高齢化社会になれば恐らく相当な福祉も必要でしょう。そのときの財源というものは易々簡単に税金もないような金からどんどんどんどん与えるのじゃなくて、本当に血の出るような税金から与えた方が私は国民のためになると思っているわけです。はっきり言えば、いま申し上げたように、税金を高くして栄えた国はないと思っているのですよね。そういう意味でひとつ御理解いただきたいと思います。
○公述人(池間誠君) どうもつたない論文を読んでいただきましてありがとうございました。 四点ほどだったのですが、政府介入の増大というのは確かに貿易摩擦の原因であろうということは十分考えられます。それはもし政府が介入せず民間に任しておくということであるならば、そしてそれで解決されるならばそれはそれで結構です。ただし現在の情勢ではどうもそうはいかないということなんです。その意味では市場機構をいかに利用するかということが重要なのですけれども、市場というのは競争を通じて成長への新しい可能性を探る場でもあるわけですね。したがって、市場機構というのはそういうぐあいに新しい機会を発見していくメカニズムも持っているはずなんです。ところがここに介入しますと、果たして政府介入というのがそういう成長への新しい機会の発見というのを可能にするかどうかということは僕はわかりません。 第二点ですね。貿易摩擦は、あるいは保護貿易主義というのは先進国の宿命的なものであろうということで、したがって全体的に考えなければいけないというのが私の主張でもあります。ただ、ここでどうもこの場合に問題になってきますのは、全体的なものとして今度とらえてきた場合に、恐ろしいことは、あるいは懸念することは世界全体を何か画一化してとらえようという動きが出てきている。これは端的にあらわれてまいりましたのが東京ラウンドのいろんな協定というのがありますね。世界でいろんなものを共通にしようという動きでもあったわけですね。あらゆる規格を同一化しようと。あるいはもっと卑俗的な言葉を使えば、世界を何かコンクリート文化的なものにして、そういうあれが出てまいります。としますと、もともと国際貿易というのはそれぞれ異なった生産基盤のもとで生産された財を取引しているからこそ利益があるのです。それが全く共通になってきますと果たして国際貿易というのは成り立つかどうかということは疑問として残ります。それではどういうぐあいに解消するかということなんですが、一番いいのは新商品を開発して最も新しい分野へ乗り出してということが最も有効なものなんですが、ただ、現在のところ私が貿易摩擦はどうも恒久化しがちであるということを前提にしますと、その意味の何らかの機関というのは、政府内における機関というのはまた恒久的なもので一つの責任を持った体制が必要ではないだろうかという気がいたします。 最後の農産物の問題なんですが、農産物というのはどうも地域保護と関連しておりますので、決して一つのその生産物ということで、ある品物だけを取り出してきて、品種だけを取り出してきてこれだ、これを保護しているのだということではないわけですね。そこには地域というのが密着しておりますので、その地域をどう考えるかということで私はこれは決まるのじゃないかという気がいたします。したがって、工業保護も地域的な保護色彩はありますが、工業保護よりはもっと複雑な問題を抱えているということしか言えません。
○立木洋君 公述人お三方の御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。 時間が六分しかございませんのですべての先生にお聞きすることはできませんので、池間先生に貿易摩擦の点についてお尋ねをしたいと思います。 先生がお書きになった「日米貿易摩擦−自動車の場合」というのを読ましていただいたのですが、あれはすでにもう二年近く前になっておりますから、今日は先ほど来指摘されておりますように、日米貿易摩擦の点が全般的な問題になってきております。 それでお尋ねしたいことは、最近の状況を見ていますと、どうも一方的に非は日本にあるとするようなアメリカ的なアプローチが濃厚になってききいるように思われるわけですね。同時に日本の政府の動向を見てみますと、この貿易摩擦の対応については一口に言ってやはりアメリカ的アプローチに乗りかかっていくというようなどうも感じがするわけです。こういうことになりますと、日本経済にとってもいろいろ問題を起こすのではないかと思いますので、この点についての御見解をひとつお尋ねしたいことと、それから次に貿易摩擦の要因の問題に関連してですが、日本側の要因としては、たとえば消費不況、これに直結した中小企業の経営不振などからくる内需不振の問題があります。また大企業の合理化、下請中小企業へのしわ寄せ等々を基盤にした国際競争力を強めてきたというふうな問題が考えられるのではないだろうか。だとすれば内需の問題や国民購買力を高めていくというふうな問題について必要な施策ではないかと思いますが、その点について。 それからアメリカのいろいろな、レーガンの高金利政策など問題がありますが、アメリカの大企業が多国籍企業化して海外に生産拠点を移しているというふうな状況から、アメリカが本国からの輸出が減少して貿易収支に赤字を招くというふうなことにもなっているのではないかと思いますので、こうした多国籍企業との関連についてどのようにお考えになっておられるのか。 最後に、いまも述べられたわけですが、この貿易摩擦の点についてやっぱり経済論理からどう対応していくかということが基本的になければならないと思うのですが、見ていますとどうも政治論理でこの問題を対応していこうというふうな点がありますが、これは経済学者のお立場から、こういうふうなことが果たして将来順調に問題妥結の道に導くことになるかどうか、その点についての御見解をお聞きしたいと思います。
○公述人(池間誠君) どうもまた二年ほど前の論文を読んでいただいてありがとうございました。あれも大分苦労して、当時騒がれておりましたので、実は私は純粋理論の方が得意なんですが、たまにああいうのを書かざるを得ないようなのが私の立場でもあるわけです。 日本に非があるというふうな言われ方がよく言われますが、実際はわれわれは、これはちょっと時間的に余裕がありませんので比喩的に答えるだけで勘弁していただきたいんですが、たとえばアメリカのプレーヤーが日本に来てゴルフをやる、それに対して自分が余りいい成績でないとそのゴルフコースに対して文句を言うというふうなのが現在の状況ではないかという気がいたします。 第二は、確かに貿易摩擦は国内問題も持っております。つまり、ある特定の企業がきわめて強い国際競争力を持ちますと、そしてその輸出が伸びますと、その結果として円が高くなっていくわけですね。それがどういう影響を国内的に及ぼすかというと、その限界的な輸出産業といいますか、その産業というのはいまや輸出できなくなるはずです。したがいまして、ある特定の企業あるいは余りにもずば抜けた国際競争力を持っているような企業が集中的になってまいりますと、それは中小企業への影響、あるいは私が申し上げているのはきわめて限界的なところであって、ちょっとでも円が変動すると輸出できなくなるというふうな企業というのは確かに影響を受けるということです。したがって、国内問題も、国内の調整問題も考慮しなければいけないだろうということであります。 第三番目のアメリカと、それから多国籍企業の問題ですが、実はおかしなことが起こっているのは、海外へ直接投資を打っている産業ほど、アメリカのですよ、産業ほど今度海外からの輸入の増加率は高いということになっております。テレビにしろ自動車にしろそういうことです。これはアメリカの体質もありますが、つまりアメリカは何か自分のところがちょっとでも労働コストが高くなる、あるいは変な制約があるということになれば直ちにそういう制約のないところへ移動していく。つまり海外へ進出していくというふうな傾向がありますので、いま言ったような形で——したがいまして、またアメリカが多国籍企業化してくればくるほど、それだけ貿易摩擦も起こる可能性がまた出てくるだろうということであります。 第四番目の経済——私自身も経済論理で考えるべきだということで主張しているのですが、ただ、そこでどうも余りにも経済だけで考えていくということでわれわれはやっぱりその筋は通した方が、物の見方として自分の職務が全うできるんじゃないかという気もいたします。ただし、それがどうも今度政治化されがちだということもまた見落としてはいけないだろうということです。 以上です。
○柳澤錬造君 公述人の三人の先生方には本当に御苦労さまでございます。 私も持ち時間が少ないですから池間公述人だけに若干お聞きをしたいと思います。 先ほど、一九五〇年から七三年にかけて世界経済は黄金時代であった、同時に、このような繁栄というものはもう二度と繰り返すことはないだろう、そういうお話があったわけなんです。これは世界経済として見た場合だと思いますが、世界の中の日本として日本も存在しているのですが、日本経済だけ眺めたときもその言葉が当てはまるかどうかということが一つです。 それから二つ目には、日本として発展途上国に対してどういう考え方を持って対処しなくてはいけないかという点。それからもう一つは、日本の対策として、お話の中にありました、日本の企業は新製品の開発にもっと努力しなさいと、そういう新しい商品の開発というものが貿易摩擦の解消に役に立つのだということがお話がありましたのですが、その貿易摩擦の解消に役立つという理由ということは、どういう点からお考えになってのことなのかという、以上でございます。
○公述人(池間誠君) 御質問は三点あったわけなんですが、一九五〇年から七三年にかけての世界経済というのは黄金時代であった。これは実は十九世紀の末あるいは一八七〇年代から考えても黄金時代だということは言えるかと思います。そしてしかも、世界全体が相互依存度を高めた。つまり貿易の成長率が生産の成長率よりも高い。したがって世界全体として貿易依存度というのがきわめて急激になった時期でもあります。問題は、簡単に五〇年代、六〇年代といいますが、その時期を正常だと見て、これから判断するのがよろしいかどうかということであります。つまり、あれは場合によって黄金時代で異常な時期だった。現在の方が正常な時期であるかもしれない。したがって、余りにも五〇年代、六〇年代という視点からだけ考えるということは果たしてよろしいかということが問題になります。アメリカのいまの貿易構造というのもいまやむしろ——アメリカの学者の人なんですが、むしろ貿易パターンというのは正常なパターンになったというふうな表現の仕方をしているところもあります。したがって、日本経済自体も高度成長というのを常に念頭に置きながら判断されては困るのじゃないかという意味で、日本経済もあのときは世界経済につられて黄金時代だったというふうなことであります。しかし、これはまたいつ上に上がっていくかわかりませんから、長期的な波動でですね。 第二点は、発展途上国への日本の対応なんですが、日本は御承知のとおりアジアの中の唯一の先進国、そしてまたそのアジアの四人組と言われるNICS、韓国、台湾、香港、シンガポールというのがまた追いかけてきているというふうな状況にあります。しかも、世界全体を、自由主義圏を考えてみますと、ヨーロッパ圏とそれから日本圏とアメリカ圏と、つまりECと南アフリカ、それから日本と東南アジア、そして北アメリカ、合衆国と南アメリカと、こういうことは実態として——実態と申しますのは、貿易にしろ、直接投資にしろ、援助にしろ、そういう三つのグループに分かれているということは、これは数字から見て言えるかと思います。その点で特に日本の対応ということになりますと、東南アジアへの対応ということになるのですが、幸いにして東南アジアはさっき申しましたようなアジアの新興工業国があります。そしてまた、ASEANも発展しつつあります。むしろ二十一世紀における世界経済の発展拠点というのはそこにあるのではないだろうかというふうなことも言われておりますので、日本がそういう新興国からのキャッチアップに対してうまく対応していかなければいけないという立場はきわめて身近なものとしてあるだろうという気がいたします。 第三点なんですが、日本企業が新商品を開発するということは、つまり現在のような貿易パターンというのは、相手国でつくれるものはまた自分の国でもつくれる。テレビはどこでもつくっている。ただ違うのは品質が違う、ちょっとしたテザインが違うとか、そういうところでの競争になっているわけです。ところが、新商品をつくって、何かわかりませんが、全く新しいのが出てくるならば、つまり相手国で生産できないような新しい商品が出てくるならば、それは自国で生産されませんから輸入せざるを得ない。こういう状況が出てくるわけです。そういう場合には、自国でも生産できるようなものとは違って貿易摩擦というのは少なくなるだろうということが私の考えです。 以上です。
○委員長(植木光教君) 以上で、財政、国際経済及び一般公募の公述人からの意見聴取は終了いたしました。 一言お礼を申し上げます。古田公述人、池間公述人、名東公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後の当委員会の審査に十分役立つものと確信してやみません。ここに委員会を代表して重ねてお礼を申し上げます。 —————————————
○委員長(植木光教君) 一言ごあいさつを申し上げます。 細田公述人、佐伯公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重なお時間をお割きいただきまして本委員会のため御出席を賜り、ありがとうございます。本委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず。お一人二十分程度の御意見を順次拝聴いたしまして、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと思います。 それでは、順次御意見を承ります。 まず、外交について畑田公述人にお願いいたします。東京文科アカデミー学務理事、労働者教育協会副会長畑田重夫君。
○公述人(畑田重夫君) 国際政治学、その中でも特に現代日朝関係論を専攻しております畑田でございます。お求めに応じまして、本年度予算案を手がかりに、日本外交に関しまして若干の私見を述べさせていただきたいと思います。 周知のように、本年度予算案の最大の特徴の一つは、防衛費の突出ということだと思います。一九六〇年以降、日本の防衛費は急激に増加してきましたけれども、それでも軍事費の増大に対する国民の反対を考慮して、軍事費は文教及び科学振興費と社会保障関係費との伸び率を上回らないことが事実上の前提となっていました。ところが、それが一昨八〇年度には文教関係費の伸び率を上回りまして、昨八一年度には社会保障関係費のそれを上回りました。つまり日本の防衛力増強における予算面からの制約の一つが失われたわけであります。 本年度の予算案を見まして、このように防衛費の伸び率が相対的に高いということ自体も問題ではありますけれども、外交との関連でアメリカからの対日軍事責任分担の増大を求める圧力に対して、日本の外交に自主性があるのかどうかという点が問題にされるべきだと考えます。 そもそもアメリカは、一九七五年四月のベトナム戦争での敗退を契機にしまして、その反省として、日本やNATO諸国など一流の同盟国の参戦が得られなかったこと、及びインドシナ半島で戦術核兵器を使用するチャンスを持ち得なかったこと、この二つの克服に努めてまいりました。その具体的なあらわれの一つが、国際政治面ではその年の秋からの先進国首脳会議、つまりサミット体制の開始であり、同時に国別の外交面では、日本を含む先進資本主義国に対する役割り分担増の要求を強めることでしたし、同時に中性子爆弾のような実戦で使用できる核兵器の開発に力を注ぐことでありました。その結果、今日では日本を含む極東アジアがアメリカの核戦略体制の中に完全に組み込まれていると言わなければなりません。 日本との関係でそれが公然と表現されましたのは、いわゆるガイドライン及び昨年五月の鈴木・レーガン会談での日米共同声明であります。そのガイドラインにははっきりと、「米国は、核抑止力を保持するとともに、即応部隊を前方展開し、及び来援し得るその他の兵力を保持する。」というふうに明記されておりますし、この共同声明では、日米関係につきまして初めて「同盟関係」という表現が使われました。それまでは日米パートナーシップといったような用語でありましたが、「同盟関係」という用語が登場したところに一つの特徴がございました。 アメリカの議会あるいは政府筋、マスコミ界を覆う対日軍事責任分担増を求める声のすさまじさにつきましてはいまさら言うまでもございません。日本の鈴木総理を初めとする各閣僚も、対米自主性は貫いているとおっしゃるのでしょうけれども、結果としての事態を客観的に見る限り、日本外交はアメリカの圧力に屈していると見ないわけにはまいりません。それは何よりも予算面にあらわれておりますし、レーガン大統領あるいはロストウ軍備管理・軍縮局長らによる限定核戦争もあり得るとか、日本、中国を含むアジア地域に戦域核ミサイルの配備の計画があるといった発言と、それに対する日本政府の黙認による事実上のアメリカの戦域核戦争構想の容認ということにあらわれていると思います。そして今日では、ガイドラインのもとで、去る一月八日の日米安保協議委員会を契機に、極東有事に関する研究が具体的に進められているのであります。 日本外交におきましては、「自由陣営の一員」とか「西側の結束」といった用語がしばしば用いられるのでありますけれども、その結果として、たとえば日本は、昨年の第三十六回国連総会において、核兵器の不使用と核戦争の防止、あるいは中性子核兵器の禁止などに関する決議案に反対投票をしているのであります。前者につきましては、賛成が百二十一ヵ国、反対がアメリカ、日本を含む十九ヵ国、棄権が六ヵ国という結果でありましたし、後者につきましては、賛成が六十八ヵ国、反対がやはりアメリカ、日本を含む十四ヵ国、棄権が、NATO諸国のうちデンマーク、ギリシャ、アイスランド、オランダ、ノルウェーなどの五ヵ国を含む五十七ヵ国でありました。NATO加盟国でもこのように棄権をしているのであります。日米安保条約によって日本はアメリカと同盟関係にあるからといって、このような決議案に賛成ないし棄権できないという理屈は成り立ち得ないと思います。 広島、長崎、ビキニの被爆体験を持つ日本として、しかも憲法で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と宣言している日本外交としては、矛盾もはなはだしいと言わなければなりません。 その上、憲法は同じく前文で主権在民の原則を明らかにすると同時に、それが「人類普遍の原理」であると述べているのであります。つまり、政策次元の問題ではなくて「人類普遍の原理」であると言っているのであります。主権者である日本国民の立場よりもアメリカや自由陣営の利益に忠実であるとしか考えちれない日本外交のあり方を、私は現行憲法擁護の立場に立つ一人の日本国民として、また一人の研究者として、憂慮せざるを得ないのであります。 総理は、ことしの第二回国連軍縮特別総会に出席をされ、核軍縮を全世界に訴えられる予定と聞いております。それだけに日本政府が昨年の国連総会で反対投票をしました核兵器使用禁止決議の第二項目の中の次の部分は注目に値するものと思われます。そこには次のように書かれております。 第二回国連軍縮特別総会に対し、核兵器の不使用と核戦争の防止に関する国際条約、あるいはこの問題に関する他の何らかの国際協定を、これに関する各国の提案や見解を考慮に入れて、検討するよう要請する。とあるのであります。 このように、国連軍縮特別総会で核不使用協定の締結をするよう求めた決議にさえ反対しておきながら、軍縮特別総会に出席してどのような核軍縮を訴えるとおっしゃるのでしょうか。ここにも自主性を欠き、国民主権の立場に立たない外交が陥る避けがたい矛盾が露呈していると言わなければなりません。 矛盾は核問題にあらわれておるだけではございません。いま検討されております極東有事が朝鮮有事のことであることはすでに常識化していると言ってもよいと思いますけれども、それ自体政府の言う専守防衛のたてまえに反する性質のものでありますし、自衛隊の海外派兵に通ずるという意味でも平和憲法の原理原則に違反することは明らかであります。 青年学生時代に、学徒動員で第二次世界大戦に参加を強いられまして同期の友人を多数失いました苦い体験を持ちます私は、自衛隊の増強を中心とする日本の防衛力増強の現状についても、憂慮を禁じ得ない一人であります。 そもそも安保条約自体が日本の自主性を欠く状態で締結されたものでありました。と申しますのは、安保条約はサンフランシスコ平和条約の第六条(a)項ただし書きに基づいて締結されたものであります。ところが、そのサンフランシスコ平和条約つまり対日講和条約自体が、日本が主体的に締結した条約ではありませんでした。たとえば同条約の調印に際しまして日本側の吉田茂首席全権が読み上げました受諾演説の草稿は事前にアメリカ側の点検を受けて、ダレス米国務長官顧問らが半分ぐらいは書き直したものであります。アメリカ代表のシーボルト——この人は元GHQ外交局長、対日理事会議長あるいは対日アメリカ政治顧問などの肩書きを持つ人ですけれども、その間の事情をここにございます「日本占領外交の回想」この本の中で次のように書いております。「私の同僚の数人が草稿の原文に大急ぎで手を入れた。必要なところには手を加え、開き手を怒らせそうなところは削り、全体として言葉を洗練したものに変え、どうやらいい演説といえるところまで仕上げ、さらに吉田の発言に権威を持たせるような調子に直した。」こうはっきり書かれているのであります。条約締結に際して演説の草稿を相手側に検閲を受け、手を入れてもらうという、こういう独立国がどこにあるでしょうか。日本国憲法は、すでに述べましたように、その前文と第一条で国家主権と国民主権を明らかにしておりますけれども、この点から見ても、安保を含むサンフランシスコ体制がいかに憲法に違反するものであるかがおわかりいただけると思います。しかも、主権者である日本国民が全面講和の実現を求めて闘っていたことを考えますと、安保の違憲性はいよいよはっきりすると言わざるを得ません。 安保条約を肯定する人々は、憲法第九十八条第二項の「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」この部分を援用されるのでありますけれども、同条第一項は、憲法の最高法規性に触れた上で、「その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とはっきり規定しているのであります。つまり、もともと憲法に違反する条約は締結してはならないのでありまして、もし締結されてもそれは無効であるというのが多くの誠実な憲法学者たちの学説なのであります。合憲的に締結された条約を守るのは、これは国際信義の上からも当然のことであります。そういういわくつきの現行安保条約の第三条で、日本の防衛力増強が義務づけられていることは御承知のとおりであります。 戦後、アメリカは二度にわたる教育使節団をわが国に送り込んできましたし、一九五三年には池田・ロバートソン会談で、青少年に愛国心を植えつける旨の合意がなされました。一九六一年のアメリカ陸軍省のパンフレット、これは「合衆国陸軍地域別ハンドブック日本編」でありますけれども、これによりましても日本の人的資源にアメリカが注目をし、期待をしていることが明らかになっております。 本日は、ここにアメリカで一九七四年に発行されました一冊の本を持参いたしました。この本は「多国籍企業の力」という副題を持ちます「グローバル・リーチ」というタイトルの研究書でありますが、この本の九十九ページにはっきりと次のように書かれております。「ペンタゴン(国防総省)の統計によれば、アジアの兵隊を使うならばアメリカ兵のわずか十五分の一のコストで済む。しかも、アジア人の兵士や彼らの両親はアメリカの選挙における投票権を持っていない。そこで、現地の人々による軍隊を利用して世界の秩序を保つことは、アメリカにとって財政的にも政治的にも重要な意味がある。」、こういうふうに述べているのであります。これは日本を含むアジア諸国の青年を兵隊として戦争に使えば、ドルの節約にもなるし、同時にアメリカ大統領の政治的地位の安定化にも役立つというわけであります。 実は、アメリカの青年が朝鮮やベトナムでたくさん死んだために、彼らの両親を初めとするアメリカ国民の多くが、大統領に対しまして深い憎しみを抱いているのであります。ベトナム戦争後アメリカのマスコミでは「ベトナム・シンドローム」とかあるいはスロー・アウェイ・プレジデンシー、「大統領使い捨て」という二つの言葉が流行いたしました。ケネディ、それからジョンソン、それからニクソン、フォード、それからカーター、そしていまのレーガン、六人の大統領が二十年間に登場いたしましたけれども、この六人のうち二期八年という任期を全うした大統領は一人もございません。アメリカでは大統領の三選は禁じられているわけですけれども、一度当選すれば、現職の強みということで二期目も当選するのがアメリカの歴史上これは常識化しているわけであります。そういうところから、今後はアメリカの青年を戦争ではできるだけ使いたくないというわけなのであります。 さて、今日の日本でありますが、子供や高校生を対象とする自衛隊の浸透、勧誘、募集活動の巧妙さと熾烈さが社会問題化しつつあるわけですけれども、安保体制下の日本の自衛隊増強ぶりは改めて注目せざるを得ません。 以上、主として防衛外交に重点を置いて見解を述べましたけれども、いわゆる日米経済摩擦、日欧経済矛盾などが問題となっている折でもありますので、経済外交の面でも自主性を貫いていただきたいという願望を表明しておきたいというふうに思います。 結論として私が申し上げたいことは、国務大臣、国会議員その他の公務員に、憲法の尊重、擁護を義務づけました第九十九条の規定もあることでございますし、総理、外相はもとより、すべての為政者の皆さんが日本外交推進に際して憲法に忠実であってほしいと願いますと同時に、今日非同盟中立諸国が国際社会における多数派を形成しているという世界の大勢に思いをいたされ、日米軍事同盟を離脱し、非同盟中立日本の実現の方向へわが国の外交路線を根本的に転換することをそろそろ本格的にお考えいただく段階に来ているのではないか、こういうことを提言させていただきたいのであります。時間の関係もございますので、以上で私の発言を終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(植木光教君) ありがとうございました。 最後に、防衛について佐伯公述人にお願いいたします。野村総合研究所会長佐伯喜一君。
○公述人(佐伯喜一君) 皆さんにどういうことを申し上げていいのかわかりませんけれども、一応総合安全保障の中で防衛努力をどう位置づけるかというようなことを中心にしてお話をしてみたいと思います。 最近、総合安全保障という言葉が盛んに使われるわけでありますが、安全保障のための努力が総合的でなければならないということは自明のことだと思うのであります。つまり、脅威の種類が多様であるし、脅威の段階が多様であるので、これに対応する手段も多様でなければならない。そういう意味で総合的な安全保障努力が必要だと言えると思いますし、また、現在のように国際的な相互依存の関係が非常に密接な時代において、あるいは核兵器というものが出現しておる時代において、一国単独の安全保障努力では不十分である、集団的な努力が必要である。そういう意味においても安全保障のための努力が総合的でなければならないということが言えるのでありますが、特に、わが国の場合には憲法で戦力の保持が禁止されておるわけでありますから、自衛のために必要最小限度の実力が持てるとしても、日本はそのための努力というものを常に必要最小限度に抑えていかなければならない。そうだとするとやはり防衛努力以外のいろいろな安全保障努力をほかの国以上に重視しなければならないし、また、単独の防衛努力では不十分であって、集団的な努力が必要である。 こういう意味で、総合的な安全保障努力が必要であるということは自明のことでありますが、問題は、その総合的な安全保障努力の中で防衛努力をどう位置づけるかあるいは日本がやらなければならない必要最小限度の防衛努力は何かということがこれまで必ずしも明確に議論されなかった、あるいは防衛努力以外の総合安全保障努力において日本は外交的にあるいは経済援助の面においてどういうことをやる用意があるのか、あるいは総合的な安全保障努力の点において日本はアメリカと役割りと負担をどのように分から合う用意があるのかというようなことが必ずしも明確でなかったというところに問題があると思うのであります。この点を明確にするためには、最近の国際環境の変化というものを一応頭に入れて考えてみる必要があると思うのであります。 その一つは、アメリカとソ連の軍事力のバランスが不安定になってきておるという問題であります。これは、幾つかの側面に分けて議論することができるわけでありますが、基本的な問題は、過去十五ヵ年にわたって、特にキューバ危機以降、ソ連がアメリカの軍事力に追いつくために防衛費を急速にふやしてきたと。つまり、過去十五カ年にわたってソ連は三ないし五%の割合で防衛費をふやしてきた。それに対して、アメリカは過去十年間にわたって、特に七八年ごろまでの過去十年間において、ほとんど防衛費は横ばいであったわけであります。そういうことの結果、現在の傾向がそのまま続けば、ソ連がアメリカよりも大きな防衛力を築き上げる可能性があるわけであります。一九八〇年の実績において、ソ連はアメリカの国防費の約五割増し、アメリカの軍事的投資の約八割増しを使っておるということが言われておりますし、また一九七三年以降、NATOプラス日本の防衛費とワルシャワ体制のソ連及び東ヨーロッパの各国の防衛費と比較いたしますと、その中の軍事的投資だけをとってみますと、七三年以降においてこのバランスが覆って、東側に非常に大きな軍事的投資が出てきて、現状においては、その東側の軍事的投資が西側の軍事的投資より一割以上上回る、こういう情勢になっておるということも言われておるわけであります。いずれにいたしましても、現在、米ソの軍事力のバランス、あるいは東西の軍事力のバランスがどうなっておるかということを客観的な正確さで評価するということは非常に困難かと思うのでありますが、現在の状況が続けば、将来ソ連がアメリカより大きな強い軍事力を築き上げる可能性がある。これに対して何らかの対策をとる必要がある。あるいは、ソ連の軍事介入能力が過去十年間において非常に強化された。この軍事介入能力の強化が中東に対して働いてきた場合に、中東に対するソ連の軍事的な影響力に対して、アメリカが何らかの牽制能力を持たなければ、中東における政治的な安定が確保できない、こういうような問題も出てきておるわけであります。さらに、ヨーロッパにおいては、ソ連のSS20という戦域核ミサイルの展開によって、従来ほぼバランスされておると考えられておった地域的な軍事力のバランスが崩れて、ソ連側に有利に、西側に不利に傾いたと、こういうふうに考えられるようになってきておるわけであります。こういう米ソの軍事力のバランスが不安定になったということが一つの大きな問題であります。 それから第二の問題は、ソ連及び東ヨーロッパにおいて社会主義体制が行き詰まってきた。その結果、経済的な停滞あるいは政治的、社会面にいろいろな困難が生じておるわけでありますが、それを解決する効果的な方法がない場合に、軍事力にますます依存するという傾向がソ連において見られるという問題があるわけであります。つまり軍事的な圧力によって問題を抑えつける、あるいは軍事力を背景にしてその政治的影響力を外に拡大していく、こういう傾向が出てくるのではないかということが強く心配されるようになってきておるわけでありまして、ソ連のアフガンに対する軍事的な侵攻というものはそういうことの一つの例証として心配されておるわけであります。もちろんソ連及び東ヨーロッパには内部にいろいろな弱点があるわけでありますから、その内部の弱点というものを全く無視することはできないはずでありまして、西側の出方いかんによっては、内部に弱点を抱えておるがゆえに、ソ連がその政策をある程度変えてくると、そういう可能性もありますし、ソ連の軍事力の増強に対して西側が何らかの対策を講じなければ、ソ連が力に依存する姿勢というものをますます強める可能性もあるわけであります。 それから第三の問題は、第三世界における政治的不安定の問題でありまして、中東においてもアフリカにおいても中南米においても、いろいろの政治的不安定がいま見られるわけであります。こういう傾向が相当長期にわたって継続する可能性があるわけであります。そうして、そういう政治的な不安定というものが、東西の安全保障のバランスあるいは石油の供給の不安定を通じて世界経済にいろいろ困難な影響をもたらす可能性があるわけであります。 それから第四の問題は、日本とアメリカの経済力の接近という問題であります。一九六〇年当時においてアメリカのGNPは世界のGNPの約三四%、日本のGNPはアメリカのGNPの約九%で、世界のGNPの約三%弱であったわけであります。一九七八年においてアメリカのGNPは世界のGNPの二二%、日本は世界のGNPの約一〇%、つまりアメリカのGNPの約半分に近く接近したわけであります。日本は人口がアメリカの半分でありますから、大体日本の一人当たりのGNPがアメリカの一人当たりのGNPにほぼ接近したと、こういうことになるわけであります。そういう状況のもとにおいて、日本がその経済的な能力にふさわしい国際的な役割りを果たしておるのかどうかということが世界的に問われるようになるわけであります。特に一九七〇年代において世界の経済は、インフレの高進と石油価格の高騰、労働の生産性の低下、さらには失業の増大という、いろいろな困難を累積してきたわけでありますが、これを解決する方向には向かわなかったわけてあります。これに対して、一九八〇年代においてこれらの困難を世界経済が吸収する、あるいは解決する方向に向かっていった場合に、当然世界の経済の成長率は七〇年代より低下する方向に進む可能性があるわけであります。そういう状況の中において、日本の経済だけは、アメリカの経済やヨーロッパの経済よりは高いダイナミズムを発揮する可能性が十分あるわけであります。それは、基本的には、日本においては賃金の上昇率と労働生産性の上昇率をパラレルに持っていくということについて社会的なコンセンサスが形成しやすいわけでありますが、ヨーロッパやアメリカにおいてはそれがきわめて困難である。そういう一点を見ただけでも、日本はアメリカやヨーロッパよりは高い経済の成長率を達成できる可能性があるわけであります。当然そういう状況のもとにおいて経済摩擦が増大する、あるいは日本の果たすべき国際的な役割りと負担の再調整について国際的な論議が起こってくる可能性があるわけであります。 それからもう一つの問題は、アジア・太平洋地域におけるソ連の軍事力の増強の問題であります。このアジア・太平洋地域においてソ連が軍事力を増強した結果、いまやソ連はヨーロッパと東アジアと、二つの正面において同時に戦争を遂行する能力を持つようになったと、こういうふうに言われておるわけでありますが、もちろんこれはもう少し詳しく考えてみる必要があるわけでありまして、ソ連の軍事力の増強の主たる目標がアメリカの軍事力のこの地域における能力にフォローアップする、追いつくということを主眼としておったということは明らかであります。——ちょっとやかましいんですがね。非常にしゃべりにくいんですけれども、そこで話しておられると。
○委員長(植木光教君) 公述人に対して委員長から申し上げます。 せっかくの御公述中、委員の中に私語する者がございまして、大変御迷惑をおかけいたしましたことをおわび申し上げます。 公述をお続け願いたいと存じます。
○公述人(佐伯喜一君) どこからしゃべるのか、ちょっと忘れてしまった。 要するに、ここではっきり言えることは、ソ連の軍事力の増強の主たる目標がアメリカのこの地域における軍事力のレベルに追随することである、またソ連の軍事力の増強の結果、現状においてソ連の軍事力がアメリカ及びその同盟国の軍事力のレベルを追い越したということは言えないのではないかということ。あるいはソ連の戦略的な関心の主たる正面がヨーロッパにあるし、またソ連の勢力膨張の主要なフロントが南側面にある、必ずしも東側面にあるわけではないということ。あるいはソ連の通常軍備の東側に展開しておる通常軍備の大部分は中国に向けられており、日本に向け得るものは非常に限られておるということ。そういう幾つかの点を考えてみた場合に、ソ連のアジア・太平洋地域における軍事力の増強の結果、ソ連が効果的な軍事的攻撃を日本にいま加える立場にあるのかどうかということになりますと、情勢がそれほど差し迫っておるものであるというふうに考える必要はないのではないかと思うのです。 ただ問題は、このような傾向を続けていった場合に、東アジアにおける軍事力のバランスが崩れる危険性というものが一応考えられる、それに対して何らかの対策というものを講ずる必要があるという問題と、より基本的には、中東の情勢に関連して、太平洋に展開しておる第七艦隊の一部がインド洋、ペルシャ湾に相当頻繁に出向かなければならないというようなことになった場合に、日本の本土の直接防衛に関連して日本が防衛すべき海上の範囲というものが従来と同じ考え方でいいのかどうかと、そういう問題が出てくるということだと思うのであります。 以上のような最近の国際情勢についての変化というものを頭に入れて日本の総合的な安全保障のあり方というものを考えてみますと、第一に頭に入れておかなければならないことは、アメリカによる平和、つまりアメリカの絶対的な軍事力と絶対的に強い経済力による世界平和の維持、パックスアメリカーナの時代が終わった、そしてアメリカの経済を活性化しようとする努力、あるいは軍事力を増強しようとする努力にもかかわらず、再びアメリカの力にだけ頼って平和が維持できるという時代はもはや来ないということをわれわれは念頭に置いて問題に対処する必要があると思うのであります。つまり、過去においては安全保障の問題、外交の問題、いろいろ困難な問題をアメリカに押しつけて日本は経済の問題に専念することができたわけでありますが、もはやそういう時代は過ぎてしまって、再びそういう時期は来ないであろうということをしっかり頭に入れて考える必要があると思うのであります。 それから第二の問題は、今後予想される世界経済の困難あるいは危機、あるいは東西関係の困難あるいは危機、あるいは第三世界における政治的な不安定あるいはクライシス、そういうものを乗り切るためには、アメリカ単独でも日本単独でもあるいはヨーロッパ単独でもこれは対応できないのであって、価値観を共通にする日米欧の協力の姿勢が必要である。それにもかかわらず、日米欧の間にはいろいろなやはり利害の矛盾があって、この間の利害を調整し協力を進めるためにはそれ相応のメカニズムがそこに考えられなければならないという問題が第三の問題であります。 それからさらに、日本はアジア・太平洋地域に位置しておるわけでありますから、アジア・太平洋地域において日本に隣接する諸国の経済的繁栄と政治的安定、これを促進することによってそれらの国の強靱性を強化する、そういう形でこの地域の経済の安定と政治の安定を図る。その場合にASEANの強靱性の強化、レジリアソスの強化を特に重視する必要がある。 五番目に、中国との関係については、中国が経済の近代化に重点を置き、自由世界の諸国に門戸を開放しようとする姿勢をとっておるということをエンカレッジすることが日本にとって利益であるし、中国に対する日本の協力態勢というものをこれまで以上に強化する必要があるわけでありますが、いわゆる連合戦線戦略をとることは考えるべきではない。つまり、ソ連の脅威に対抗するためにアメリカと日本と中国が連合戦線を形成するという考え方はソ連をコーナーに追い込むことになるわけであって、ソ連が、包囲されておるという考え方に基づいて過剰な反応をする危険性があるのでそういう政策はとるべきではない。ソ連との関係については、領土問題を解決してソ連との関係の安定化を図るということが日本の利益になるわけであります。 そういう態勢をとるためには五つぐらいの条件が必要であると思うのであります。一つは、ソ連のおどしに屈しない態勢をとるということ。一つは、日米の協力関係を確固としたものにするということ。一つは、日本の国内のソ連に対する姿勢がばらばらにならないようにするということ。それから一つは、日本の経済がソ連にとって魅力のあるものにするということ。さらには、日本がアジアの諸国に対して非常に大きな影響力を行使し得る立場にあるということをデモンストレートできるような政策をとるということ。こういうことが必要だろうと思うのです。 しかし、最後に基本的に残る重要なことは、日本にとってやはり一番大事なことはアメリカとの協力関係である。アメリカと緊密な協力関係を維持するということが日本にとって非常に重要な問題であるということであります。つまり、日本とアメリカが広い意味の同盟関係にあるということを日本ははっきりと確認する必要があるわけであります。その場合の日米関係をマネージする原則として三つの原則が必要だと思うのであります。一つは、現在の国際秩序の維持について日米が共同責任を持つということ。それから一つは、日本がより積極的な国際的役割りを果たす用意を持つということ。アメリカはいまやドミナントな軍事力、ドミナントな経済力を持つ国ではなくなったわけでありますから、重要な政策については十分同盟国と緊密に協議するということ、この姿勢が必要だろうと思うのであります。そうして、狭い意味の防衛力の問題については、結局日本がやらなければならないことは、これまでの日本の防衛政策を大きく基本的にここに変えることではなくて、現在の情勢に合うようにある程度これを加速していく、そういうことだろうと思うのであります。つまり、憲法は変えない、専守防衛の姿勢も変えない、非核三原則も変えない、その範囲において日本の防衛努力を強化していくということだろうと思うのであります。 具体的には、日本が昭和五十一年に決定した防衛計画大綱をできる限り早く実現する、そういう方向に努力することであり、そのためにはGNPの一%以内に防衛費を抑えるという方針は、やがてはこれを外すという用意を持つ必要があると思うのであります。 ただ、防衛計画の大綱のねらっていることは、規模の拡大よりも近代化を通じて、質的改善を通じて日本の防衛力を強化するということであるし、また、日本の防衛態勢における抗堪性とか継戦能力であるとか、あるいは即応性、そういうことを強化することであるので、当面防衛庁が努力を傾注することは、近代化に重点を置くということでいいのではないかと考えるわけであります。 問題は、その場合に、日本の本土の直接防衛との関連において、一千マイルの航路帯の防衛努力の改善をどの程度まで日本がやるかということになると思うのであります。私は、防衛計画大綱の枠の中で一千マイルの航路帯の防衛態勢を完璧なものにするということは不可能だと考えるわけでありますが、それを一千マイルの航路帯の防衛能力を改善するということは、あるいは一千マイルの航路帯に対するコントロール能力を概成するということは可能なのではないか。したがって、当面、防衛計画大綱を修正するということを考えるのではなくて、防衛計画大綱の基本的な考え方を生かしながら五六中業においてその実現を図る、シーレーンの防衛能力の改善を図る、こういう方向がいいのではないかと考えるわけであります。ただそのためには、日本の国民のコンセンサスの形成、さらにはシビリアンコントロールの体制の確立、この二つが必要だと考えるわけであります。この国民のコンセンサスの形成ということは、結局これは政治家のリーダーシップにまつよりほかはないわけでありますが、シビリアンコントロールの体制を本当に確立するためには、国民が防衛問題を国民的課題として受けとめる、そういう姿勢がなければ、一握りの防衛関係者がどんなに努力してもこのシビリアンコントロールの確立はできないわけであります。つまり、国民の理解と支持と関心を背景にして初めてシビリアンコントロールは確立できるものだと考えるわけであります。 予算の問題にほとんど言及いたしませんでしたけれども、私は、予算の問題については、基本的には日本とアメリカがどのような防衛上の役割り分担を果たすか、日本が最小限どのような防衛能力を持つかということが決まれば、おのずからそこから結論が出る問題だと考えます。ただし、私自身は、さしあたり日本の防衛費が一%を近い将来に超したとしても、それがすぐに二%を起さなければならないというような情勢には当分ならないと、こういうふうに考えるわけであります。 やや時間が超過いたしましたが、御清聴感謝します。
○委員長(植木光教君) ありがとうございました。 それでは、これより質疑を行いますが、多数の質問者が予定されておりますので、時間の関係上、質問及び御答弁は簡明にお願いいたします。
○板垣正君 ただいまいろいろ有益なお話承りましてありがとうございました。 私は、外交の問題について畑田公述人に一点だけお伺いいたしたいと思います。 遺憾ながら、畑田公述人のお立場と私は百八十度立場を異にするわけであります。しかし、私はやはり基本的に、相対的に力は弱ったといいながら、米ソの対話と妥協によって平和を維持する、戦争を回避する、こうした世界秩序の基本的な構図は、八〇年代といえどもまだ変わらないのではないか。このそれぞれの国の力によって平和を昔のように維持するということは困難としても、しかし、いま迫りつつあるいわゆる第三次世界大戦の危機と言われておるこれを回避するためには、この両国の対話と妥協、この道、つまり東西関係の安定化の道をいかに開いていくかということがやはり日本の外交の基本に置かれるべきではないか。そういう点についての御見解を承りたいということが第一点であります。 そうした場合に、実は畑田公述人のお話の中には、ソ連について一言の言及もなかった。これは決して偶然ではないような気もするわけであります。今日の世界の危機をもたらしている、これを分析するならばいろいろ言えるとしても、客観的に、やはりベトナム戦争以後の特にソ連が一貫して、一貫して軍事力の強化を図ってきた。このことはもう隠れもない事実であります。しかも、それを背景として周辺諸国、第三世界への勢力を侵食させてきた。特に、アフガニスタンに対する直接軍事介入、ポーランドへのいろんな関係、あるいは極東方面におけるこれまた目覚ましい軍事力の増強、こうしたことが世界の平和に対して、あるいは平和を愛する、あるいは自由を愛する人々にとって大きな不安と脅威を与えていることは歴然たる事実ではないか。こういうことについて畑田公述人はどういう御見解を持たれるか。特にアフガニスタンにつきましては、すでに国連においても三回にわたって百を超す国が軍事力の撤兵を要求しているにかかわらず、きわめて残酷な、皆殺し的な作戦が行われていると伝えられておる。こういうことについて、われわれやはり歴然たる事実として取り上げて、これを大きな外交の基軸としてわれわれの求めている国民的コンセンサスに結集していく、こういう姿勢がやっぱりこれからの日本の外交にとっても必要ではないか。 レーガン政権が——これはレーガンに始まったわけではない、カーター政権の末期からあえて強いアメリカというこうした姿勢をとってきているということも、やはりそうした中で米ソの力のバランスを回復し、そのもとで何としても第三次戦争は回避しなければならない、こうした基本のあらわれであろうと思います。 そういうところで、ソ連は確かに声高に軍縮を叫び平和を言うけれども、実際にやっているところは、軍事力の増強であり、それの直接の行使であり、またそれを背景とした力の政策である。こういうことについて畑田公述人の率直な御見解を承りたい。 以上であります。
○公述人(畑田重夫君) お答えいたします。 いまおっしゃいましたように、実は米ソ、これ核保有超大国ですね、二つの国は、これまで、たとえば戦略核兵器の制限交渉であるとか、あるいは部分核停ですね、禁止協定である、そういうさまざまの協定を結んでもきました。しかし、実際にはますます、ワルトハイム前国連事務総長の報告でも明らかなように、核の保有量もどんどんふえておりますし、いまおっしゃいましたように国際的な緊張はいよいよ強まっているわけであります。それだけに私が結論で申し上げましたように、非同盟中立という意味は、これはソ連やアメリカに対する激しい批判や抵抗を含んでいるわけであります。つまりこれは、二ついま御質問をいただきましたけれども、たとえばこの二つ目の問題も、これは関連がありますので一緒に答えさしていただきたいと思うのですけれども、この国際的な社会における民主主義というのは、これはいわゆる民族自決権の擁護と、つまり大国も小国も、あるいは黒人の国も白人の国も、あるいはたとえば戦争で勝った国も負けた国もとか、もうそういうのを区別なくすべてたとえば国連では一票であります。つまり各国のいわゆる民族主権、国家主権の尊重というのは、これは国際社会における民主主義という観点から見た場合の大原則であります。そこでたとえばアフガニスタンに対してソ連が、これは七九年の暮れですけれども、アミン政権を倒しましてカルマル政権の実現と、これはもう許しがたいソ連のアフガニスタンに対する軍事介入であります。これは国際社会における民主主義の観点から厳しく批判されなければならないところであります。これはポーランドにつきましてもそうでありますが、つまり私が申し上げましたのは、たまたま日本の外交がアメリカとの関係、これを基軸とするということになっているわけであります、日米関係、しかも安保もそうでありますが。したがって、もう少し国際政治的な観点からの意見を求められるとすれば、これはもう当然大国主義的な考え方、これに対する批判的な見地を私は貫いているわけであります。したがって、日本が、たとえばアメリカの基地が日本にあると、そして米兵が駐留をしております。しかし、それをじゃ排除して今度はソ連の基地とかソ連の軍隊、これは決して非同盟中立の状況ではないわけであります。非同盟中立というのは、たとえば国連軍縮特別総会が第一回が七八年に開かれました。このイニシアチブをとったのは非同盟グループであります。つまり今日の国際社会におきましては、非同盟諸国が数の上で多数派を形成しているわけであります。これはゲスト参加とオブザーバーを加えますと、今日の国連加盟国の四分の三を占めております。したがって、あの国連軍縮特別総会そのものをソ連やアメリカという核保有大国は決して歓迎しなかったのであります。ところが、非同盟諸国のイニシアによってあれの実現を見たのであります。この第二回目がことし開かれます。その意味で私は民主主義的な考え方、これは内政、外交、つまり同じ根っこから、たとえば日本の場合も日本の対外政策と対内政策と、これは同じ根っこから出ているものでありますけれども、そのいずれの場合も私どもは憲法の原則に従って民主主義的な観点を貫くことを要求しているのであります。これは私どもが学問的な見地からまた当然のことでもありますし、第二次世界大戦後の今月、いわゆる国際的にもこれはすでに多くの分野の専門家その他によっても承認されている多数の見解でもあります。その意味でパックスアメリカーナはもちろんのこと、アメリカによる平和はもちろんのこと、米ソのような大国主義的な考え方に立っての国際平和の維持、国際秩序の維持ということは、もはやこれは私のまあ見解としては時代おくれもはなはだしいところである。つまりまさに今日では非同盟中立諸国が世界の大勢をリードしている、そういう時代である。その意味で日本が大国アメリカですね、これはソ連じゃなくて、大国アメリカとのいわゆる同盟関係、安保条約を基礎とした同盟関係にあるという事態、この状況を、これから脱却することが、つまり日本の非同盟中立状態を実現することでありますがゆえに、その点に焦点をしぼって私の見解を申し上げたわけでありまして、私自身はたまたま先ほどの公述におきましてソ連に触れなかったと。これは決してソ連擁護の立場にあるわけでもありませんし、はっきりと主権者である日本国民の一人としての私の研究者の立場を一貫して貫いているつもりであります。 十分なお答えにならなかったと思いますけれども、一応私のその問題についての見解は以上のとおりでございます。
○堀江正夫君 佐伯先生、ただいまはきわめて明快で有益なお話を承りましてありがとうございました。 私は佐伯先生に二つの点で御質問をいたしたいと、こう思います。私の持ち時間は往復十二分間でございます。私、最初に御質問を申し上げますので、時間の範囲内でお答えいただきますとありがたいと思います。 一つは平和の維持、抑止力、こういったような問題であります。二番目の問題は自主防衛と、こういったものの考え方でございます。 第一の問題につきましては、戦後の平和は軍事面。経済面、政治外交面の総合された仕組みが有効に機能したことによって確保されてきたと、このように私は思っております。そしてこの三つの作用はどれが欠けても緊張を激化させるし、それぞれが独自の役割りを果たすものであって、どれもほかの作用で代替することはできないのじゃないか。したがって、抑止効果を期待をする、平和の維持を図るためにはこの整合こそが大変に必要なのじゃないか、こう実は私は思うわけでありまして、特にこの中にあって平和維持の中核は軍事力である。そして軍事力は戦略核戦力、戦域核戦力、戦術核を含んだ局地戦力の三つの力の整合された組み合わせによって全体的トータルな抑止力を形成をしておるのだと。言いかえれば、これらの三つの力が相互に干渉し合うといいますか、補完し合うことが大変に必要なんだと、このように思っておるわけであります。こういう中で、日本の国際的責任なり、役割り、軍事面におきますところのこういったようなものが生じてくるのじゃないか。その役割りというのは、先ほど先生がおっしゃったような方向にいくのじゃないかと、こう実は思っておるわけでありますがいかがでございますか。これが一つでございます。 第二番月の自主防衛の問題につきましては、米国の防衛対日要請、これが圧力であるとかいろいろと言われておるわけでありますが、これに関連して日立防衛ということが強調されておることは御承知のとおりであります。私は、元来自主防衛というのは、自分の位置、国力、地位、国情といいますか、こういった座標を十分に踏まえて、そして取り巻く環境を見きわめる。その上に立ってみずから自主的に判断をして国の進路なり国のあり方を選択することである、こういうことじゃないかと基本的には思うわけであります。そして戦略、兵備、生産などのすべての選択を自主的に決めることだ。このことは当然、特に日米同盟、このことと、いま言う自主防衛というものとは決して相対立するものではないんだ、両立し補完し合う性格のものだ、こう実は思っておるわけでありまして、この二点につきまして、先生の御意見を承らしていただきたいと、どのように思います。
○公述人(佐伯喜一君) 最初の質問の意味が私には正確に理解できていないかもしれませんけれども、平和を維持する場合に軍事力のバランスというものが非常に重要であるということは、このネーションステートにおける平和維持のシステムとして、これは非常に基本的な問題だと思うのですね。したがいまして、平和の維持のために軍事力の均衡が必要である、非常に重要であるということはきわめて明らかなことだと思うのです。ただ、過去の例においては軍事力の均衡さえあれば平和が維持できたかというと、そうでないケースもあるわけですね。したがって、軍事力の均衡による平和の維持というものがまず必要な条件だけれども、それだけで十分かどうかというと、それ以外の条件も考える必要があるということが一つ言えると思うのです。 それから、抑止の問題については、戦略核の問題、戦域核の問題あるいは戦術核あるいは通常軍備、そういうものの抑止効果というものが総合されたものでなければならないということは、これは言うまでもないことだと思うのです。ただ、抑止の議論がいま非常に混乱しておりますのは、抑止が破れた場合に一体どうするのかということについて問題があるわけですね。つまり、抑止が破れた場合に、その軍事力を行使する用意があるということを強調しなければ抑止の効果は強く出てきませんし、抑止が破れた場合に、軍事力を行使して戦争するのだということを言えば非常に戦禍に巻き込まれるということを心配して、そういう政策に反対する。そういうことから、いまヨーロッパにおいては反核運動というものが起こってきておると思うのです。これは抑止の理論が本来含んでおる非常にむずかしい問題でありまして、そういう意味においては核による抑止というものが非常にむずかしい問題を含んでおるということだけは一応頭に入れておく必要があると思うのですね。 ただ、核の問題が出てきたのは、通常軍備においてバランスをとることがむずかしいということから核が導入されてきておるわけでありますから、この核を全部外してしまった場合に、それじゃ通常軍備でバランスがとれるような事態に簡単になれるかどうかということになると、そうはならないので、これを両方総合して常に考えていかなければならないという御意見はそのとおり正しい御意見だと思います。 それから、自主防衛という問題については、自主防衛ということと単独防衛というものを切り離して考えれば結論は明らかであって、私は現在のような国際的相互依存の時代、また、核兵器が出現しておる時代において単独防衛は成り立たない。いずれにせよ集団的な防衛努力が必要である。ただ、防衛政策を決定する場合に、相手が決定した防衛政策に日本が追随するということではなくて、その政策の決定について両方が協議して決めていくという方針さえ貫けば、日本の自主的な立場というものはそこで維持できておるのだと思うのです。 現在、日米間における防衛上の役割りの分担をめぐるいろいろな専門家レベルの話し合いが行われておりますが、これはそういう性格の会議として専門家レベルの話し合いが行われ、その上で政治家レベルの話し合いが行われることによって政策が決定されていく、こういう仕組みになっておると思うので、現状において日本が防衛政策の決定において全く自主性を失っておるということは言えないと思うのです。
○片岡勝治君 両先生にお伺いをいたします。 まず第一番目に、いわゆる脅威論というのが盛んにいま言われております。しかし、これは両方に第三者的立場に立ては、アメリカはソ連に対して軍事力は絶対優位でなければならない、そうでなければ世界の平和は保たれない。アメリカの論理はそうだろうと思うのですね。 〔委員長退席、理事土屋義彦君着席〕同時にソ連もそう言うと思うのですよ。つまり、社会主義国は資本主義国よりも軍備が劣勢であっていいのだという論理は生まれてこないと思うのですね、彼らは。やっぱり彼らは資本主義の、つまりアメリカを頂点とする国よりも劣っていてはいけない。ソ連はバランス、バランスという言葉を使っておりますけれども、しかし本当の腹はアメリカよりも優位でなければ世界の平和は保たれない。これは水かけ論だと思うのですよ。ソ連が言えばアメリカも言う、アメリカが言えばソ連も言うということですから、この脅威論というのは、私は果てしなき軍備拡大論だと思うのですね。 そういう中で、軍備拡大していけばそれだけ非常に危険な様相が出てくるわけでありますから、さて日本の場合に一体どういう行動を起こしたら、そうした国際緊張を高めず、少なくとも緩和していくようにするには、日本は何をなすべきかということが国会では絶えず論議をされているところなのです。それぞれの立場はありますけれども、大まかに言って私はそういう論議だと思うのです。 一つには、アメリカにしてもソ連にしても、実は軍事拡大というのは率直に言って、一番苦痛だと思うのです。アメリカが、今日経済的に非常に苦況に立たされているのも、莫大な軍事力を使ってきたということは否定できないと思いますね。ソ連においても経済成長が非常に停滞をしている。ソ連国民の生活水準は決して高くない。そういうことを考えますと、ソ連にしてもアメリカにしても、この軍事力拡大というのは非常に苦痛である。それは、経済発展、国民生活向上に率直に言って一番大きな負担になっているということができるわけでありますから、私は、米ソ両国にしても、この軍事力を何とか抑えたい、そういう自己コントロールという意識はあると思うのですね。そういうものに対して、私たち日本は訴えていく必要があるのではないか。 それからもう一つ、これは畑田先生もおっしゃいましたけれども、私はやっぱり米ソのそうした軍拡競争の枠内に入るのではなくして、それから外に出て、非同盟とか、あるいは特にいま反核運動が世界的に巻き起こっていますけれども、私は、この前予算委員会で、核を持ってない国が団結をして米ソに対して核軍縮を訴えていく、こういう運動を世界的に起こす必要があろう、そうでなければこの核軍縮というものは成功しないということを訴えたのですが、そういう道が一つあろうと思うのです。 それから、総合安全保障の場合、これは特に佐伯先生にお伺いしたいのですが、総合安保という言葉を盛んにいま日本でも使われておりますけれども、そのために食糧を自給しておかなければいけない、そのためにシーレーンをつくらなければいけない。つまり、ずばり言って、日本だけが平和であれば、そうした紛争に巻き込まれなければというような発想があるような気がするわけですね。私は、総合安保というのはやっぱり世界平和だと思うのです。国際平和を達成する、そういう意味の総合安全保障という視点がなければ、一たび世界に大国同士の紛争があれば、これはもう日本だけが枠外にいるということは避けられないわけでありますから、そういう意味で総合安保というのは、いわば世界平和の政策だ、そういう視点がなければならないような気がするわけであります。 以上、私の気がついた点、二、三についてお伺いをいたしたいと思います。
○公述人(畑田重夫君) お答えいたします。 ただいま前半で大変重要なことをおっしゃいました。それは今日、いわゆる脅威論であるとか、さらにまた核均衡論、こういった議論や思想の体系というものが具体的に大国の政策の中でもちらほら顔を出すわけであります。それはおっしゃいます均衡論、核均衡論というのは特にそうでありますけれども、そもそも核を中心とする軍事力というものはいかなる国でもこれは軍事機密に付されているわけでありますので、もしも相手方よりも上回りたいとか相手方はこれくらい持っているであろうという推察に基づいて軍事力増強を図りますと、これこそいまおっしゃいましたように、とめどもなく軍事力拡大、核拡大の方向を走るわけであります。現に今日の世界の情勢を見ますと、まさに核貯蔵量だけ見ましてもこれは膨大な量に上っているわけです。これは今日まで長い間核開発競争が事実上米ソ両大国を中心として展開されてきた結果そのものであります。したがって、もしも日本が、そこでお尋ねのようになし得るという、こういう状況のもとで、それに歯どめをかけて世界の平和に貢献するという道は何かということになるわけですけれども、まさに日本は広島や長崎での被爆体験を持った特殊な国だということ、しかもそういった経験を通して日本国憲法——これまた世界に誇り得る憲法だと私どもは確信しているわけでありますけれども、 〔理事土屋義彦君退席、委員長着席〕領土的に小さな日本がいまさら国際舞台でどう発言し、どう行動してもこれは大した意味がないのではないかという考え方もあろうかと思いますけれども、そうではなくて、経済大国でもあることでありますし、そういう特殊な国である日本がもしもそういう発言を国際舞台で、とりわけ国連ですね、これは先ほども申し上げたとおりでありますが、せっかくの国連総会あるいは特に今度は国連軍縮特別総会という四年に一度のチャンスでもあるわけですけれども、そういう舞台で堂々と、たとえば同盟関係であるアメリカに対する気がねとか遠慮ではなくて、日本の国民の立場に立ったいわゆる自主的な国民外交を展開する、こういう勇気や決断が必要なのだろう、そのことが実は小さな国にですけれども、今日の具体的な国際的諸条件のもとでは非常に大きな影響力を持つだろう。これは先ほど申し上げた非同盟中立諸国その他あるいは核を持っていない国々を大きく激励することでしょうし、そのことがその結束を促進する、団結を促進する要素にもなると思いますし、そういう意味で平和に役立つことはもう何でも行う、しかもいかなる場所においても積極的に行う、しかし戦争に通ずる可能性のあることは、これはもう厳格な意味において一切行わない。どういったことが日本外交の一つの新たな段階における今後の、八〇年代の特に後半から、いわば二十一世紀へかけての一つの基調としてどっしり打ち立てられなければならないのではないか、こういうふうに私は考えるものであります。 以上でございます。
○公述人(佐伯喜一君) ソ連脅威論なりあるいは軍事力のバランスをめぐっての問題で非常にむずかしい問題が幾つかあると思うのでありますが、一つは、現在のように軍事技術がソフィスティケート、非常に狡知になりますと軍事力の客観的な評価が非常にむずかしくなるという問題があると思うのです。 私はアメリカの専門家やヨーロッパの専門家とも話し合いましたし、ソ連の学者とも話し合ったわけでありますが、その話し合った結果、発見したことは、米ソの軍事力のバランスあるいは東西の軍事力のバランスについてアメリカやヨーロッパの専門家の考えておることとソ連の専門家の考えておることとが非常に大きく食い違っておるということだと思うのです。つまりアメリカは、ソ連がアメリカを軍事的に凌駕した、あるいは凌駕しつつある、そういう評価をしておるわけでありますが、ソ連は、アメリカに追いついたということは大体認めておるようでありますが、アメリカを追い越しつつあるとか追い越したというふうには考えていないわけであります。その一番いい例がヨーロッパにおける戦域核ミサイルの問題であって、ソ連はSS20を展開することによってやっとヨーロッパにおける軍事力のバランスがとれておる、こういうふうに考えるわけでありますし、アメリカやヨーロッパはソ連のSS20の展開によっていままで維持されておった軍事力のバランスが崩れた、こういうふうに考えるわけであります。 この点についてどちらの見方が正しいのかということについては、私はいろいろな入手する情報から考えてみて、アメリカ寄りの見方をとっておるわけでありますが、正確に言って、これをいま正しく判断できる人がおるのかどうかということは疑問に思うわけであります。言えることは、軍事力増強のトレンドがどうなっておるか、傾向がどうなっておるかということについてははっきり言えるわけでありますが、現状がどうなっておるかということは戦争をしてみないとわからない、そういうところに一つのむずかしい問題があるわけであります。つまり、現在の軍事力のバランスの評価についてお互いが違う立場から物を考えておるということ、それからもう一つは、その場合に軍事力がバランスすれば平和が維持できるというふうに本当に考えておるのか、自分の方が相手より優越した軍事力を持った場合に本当に安心できるというふうに考えておるのかということになりますと、お互いに相手に対して不信感を持っておる者相互間においては、相手より多少でも自分の軍事力が優越しておる場合に安心感を持つといいますか、そういう可能性があるわけであります。したがって、表の議論としては軍事力のバランスによる平和を維持するというふうに発言するとしても、内心、お互いに相手より自分の方が軍事的に優越しておる場合の方が安心感が持てる、そういう心理作用が働く可能性もあるわけであります。そういう点において、軍事力のバランスをめぐる議論あるいは脅威についての議論というのが非常に複雑な様相を呈するわけであります。 それからもう一つの問題は、これまでの軍縮によって達成された成果の問題であります。つまり、軍縮交渉に携わった人たちの意見を聞きますと、現実にでき上がった軍事力のバランスを交渉によって追認するということはできるけれども、交渉によって新しい軍事力のバランスをつくり上げる、つまり現在ある軍事力のバランスをより低い軍事力のバランスに持っていく、あるいは現在のバランスを変える、自己に不利なバランスを自己に有利なバランスに変える、あるいは相手にそれをのませるというようなことは、つまり交渉を通じて新しい軍事力のバランスをつくり上げるということは不可能であって、交渉によってできることは、すでにでき上がった軍事力のバランスというものを認めるか、あるいは自己の優越した軍事力を背景にして自分の方も軍事力をカットするから、相手も軍事力をカットしろと、こういう交渉に持っていくか、いずれにせよ交渉を通じて、話し合いだけで、自己の軍備増強の努力なしに、望ましい軍事力のバランスを実現するということは非常にむずかしい、こういう問題が軍縮の問題を非常にむずかしくしておると思うのであります。したがいまして、私は結論的に言って、話し合いだけで望ましい軍備の均衡を実現するということは不可能であろう。それでは軍拡をやればどうなるか。これは果てしない、軍備増強の悪循環を繰り返すことになるわけでありまして、結局、二重のアプローチが必要になってくる。軍備増強の姿勢と、交渉の姿勢をうまくかみ合わせることによって軍縮を実現していく、理論的にはそういうことになるわけであります。ただ、それを進める過程において、ともかく軍備増強が行われるということがいろいろ危険な影響をもたらすということはこれは否定できない問題であります。われわれはそういういま世界に生きておるということを前提にして、このことを議論せざるを得ない。 日本の立場は、日本自身はもうこれ以上軍縮しようがないぐらいに軍縮をみずからやっておる、一方的にやっておるわけでありますが、その一方的に日本がやった軍縮努力というものが、相手に軍備の縮小を要求するだけの説得力を持たないというのが、遺憾ながら現在の世界の現実であります。つまり、日本はこんなに防衛費の負担が少なくて、こんなに軍備が少ないために経済的に繁栄しておる、だからあなたも日本のまねをしなさいと言って、その説得に応ずるような国はいま世界じゅうにどこもないわけであります。したがって、軍縮が望ましいということは、だれが考えてみてもあたりまえのことでありますが、どうやってその軍縮を実現するか、どうやればその望ましい軍縮を交渉によって実現するかということになりますと、残念ながらだれもそのための名案をいままでのところは提供しておらない。したがって、非常に危険な方法ではありますが、軍備増強の努力と交渉というものを二本立てでうまく組み合わせて、結局は望ましい軍縮を実現するという努力しかどうもいまのところ残されておらないのではないか。これは非常に残念なことでありますが、世界の現実はどうもそのように思えるわけであります。 ただいまアメリカがやろうとしておること、あるいはソ連がやりつつあることは、いずれにせよ経済的な基礎をある程度弱めながら国防力を増強するという結果になる危険性を持っておるわけでありますから、こういう政策を長く続けるということは非常にむずかしいと思うのです。特にソ連の場合にそういうことが言えると思うのであります。そういうことを双方が正確に認識すれば、特にソ連がこの問題を正確に認識すれば、そこに新しい展開の方法があるいはあるかもしれない、こう考えるわけであります。 それから総合安保の問題は、要するに日本だけの安全保障を考えるのではなくて、世界の安全保障を考えなければ成り立たないのではないかという御意見はごもっともで、そのとおりだと思います。つまり、現在のような国際的相互依存の関係が非常に進んでおる世界においては、世界の平和というものは分割不可能であるし、世界の安全保障というものは分割不可能なものになってきておるということだと思うのであります。
○田代富士男君 佐伯公述人にお尋ねをいたします。 ただいま総合安全保障の中で防衛力をどう位置づけしていくかということは大事なことであると、こういうお話を承ったわけでございます。佐伯公述人のお説によりますと、防衛努力と他の安全保障努力との間には補完関係、一部代替関係はあるが、完全な代替関係はあり得ないということでございますが、鈴木総理の言われる総合安全保障というものをどのようにごらんになっていらっしゃるのかお尋ねをしたいと思います。 また、そのために設置された総合安全保障関係閣僚会議とは別に、御承知のとおりに国防会議がすでにございますが、この二本立ての運営方法についての御意見を承りたいと思うのでございます。 第二点の御質問は、自民党の一部議員が、いわゆる百人委員会に参加しているということが明確庭なりまして、私は先日の本予算委員会の総括質問におきましてこのことを取り上げました。そのときに、鈴木総理もこの私の質問に対しまして、この席で不快感を示されまして、また百人委員会が考えている日米安保改定についてもきっぱりと否定をされたのでございます。このことはもうすでに御承知のとおりだと思います。 きょう佐伯公述人はいろいろるるうんちくのあるお話を聞かしていただきました中で、今後大事なことは何か、根本はアメリカとの協力関係にあること、重要である、このようにお話をされました。佐伯公述人は日米の賢人会議のメンバーのお一人でもいらっしゃいますし、そういう関係から、安保条約及び日米関係の将来について、いまもお話になりましたけれども、そういう賢人会議のメンバーであるという立場も踏まえて、お考えをお聞かせいただきたいと思うのでございます。また、アメリカ側で云々されております。ただ乗り論についての御意見もあわせてお聞かせいただきたいと思うのでございます。 次の質問は、防衛の観点から現行の防衛計画の大綱の前提となりました昭和五十年、五十一年当時と現在とでは、国際情勢に相当の変化があったというように、ただいまもいろいろお話になりましたけれども、お考えになっていらっしゃるかと思いますが、もう一度ここらあたりもお話しいただけたらと思います。国際情勢に大きな変化が党もれる以上、防衛計画の大綱も当然改定すべきとの議論がいま出ておりますけれども、佐伯公述人のお考えをお聞かせいただきたいと思うのでございます。 最後のお尋ねしたいことは、ただいまもお話しなさっておりましなが、六月に第二回の国連軍縮総会が開かれるわけでございます。このことにつきましても私は本予算委員会の総括質問で総理に質疑をしたわけでございますが、ただいまお話をお聞きいたしますと、軍縮は話し合いだけではこれは無理であるというお話でございまして、日本の立場を考えれば、一方的に現在軍縮のために努力をしているけれども、相手に軍備縮小を要求する説得方が日本にそれだけの力がない。どうやって実現できるか、それは交渉によって実現できる名案はいまのところだれもないと。だから軍備増強どこの軍縮との二本立ての組み合わせで臨む以外にないと、こういう意味のお話をされたわけでございます。米ソの二大国がお互いにこのような防衛力のために多額の予算を使ってやっていることは、経済的にもこれは安定したものではないという御指摘がございましたけれども、日米賢人会議のお一人でございますから、そういう解決策はないということをおっしゃらずに、賢人会議の名にふさわしいひとつ名案を出していただきたいと同時に、私はこの席で、国連総会に臨む総理に対しましても三つの提案をして総理に臨む態度を求めたわけでございますが、佐伯公述人といたしまして、総理が訪米されるに当たりまして、こういう態度で臨むべきであるというお考えがありましたならば教えていただきたいと思います。 以上でございます。
○公述人(佐伯喜一君) 非常にたくさんの質問がおって、ちょっと私書いておらなかったりで全部を覚えておらないんですが、一の問題は、総合安保についての総理の考え方で、二の問題は何でしたか。
○田代富士男君 二の問題は百人委員会の問題です。
○公述人(佐伯喜一君) 安保改定の問題ですね。
○田代富士男君 そうです。それから安保日米関係の将来について、それからただ乗り論について。
○公述人(佐伯喜一君) 大平総理も鈴木総理も総合安全保障という言葉を使われたわけでありますが、さっき私が申し上げましたような、必ずしも総合安全保障の中で最小限必要な防衛努力は何かということは明らかにされなかったと思うのであります。この点について鈴木総理はその考え方を最近予算を通じて明らかにされつつある、こういうふうに私は考えるわけでありますが、それが一応それで十分であるかどうかということになりますと、たとえばGNPの一%以下に防衛費を抑え続けるというような方針を堅持しながら、日本が必要最小限度の防衛努力ができるのかどうかということについては、私はこれまでの総理の議会における発言に対して非常な疑問を感ずるわけであります。つまり、そこにこだわるということは必ずしも十分な理由がない。というのは、防衛費のGNPに対する比率というのは、そのときの日本の経済。成長率によって非常に影響されるわけですね。だから、政府が予定しておるとおり経済が成長しなければ、予算においてGNPの〇・九に防衛費を抑えたとしても、結果的には一%を上回るという可能性だって私はあると思うのです。 それから、過去の自衛隊の予算を見ますと、昭和二十七年ごろの安全保障関係の費用の総額というものは、GNPの三%近かったわけですね。これは安全保障諸費というリザーブをとっておったためにそうなったわけです。それがその後だんだん落ちてきているわけであって、GNPの三%近い防衛費を予算に計上するということ、あるいはGNPの一%以上の防衛費を予算に計上するということが、自衛隊の軍事的な影響方の拡大、あるいは自衛隊。暴走という方向につながったという過去の実績は何にもないわけですね。したがってGNPの一%以下に抑えなければどういう不都合が出てくるのかという点については、必ずしも納得のいく理由はなくて、ただ、あの当時GNPの一%以下で済んでおった、いまのような情勢を前提にすれば、それでやっていけるではないかという程度の私は議論だったと思うのです。その当時と比べると、国際情勢も変わりましたし、日本の経済の成長率もはるかに低くなったわけですね。そういうことを前提にして、一体必要な防衛費をどれぐらいに計上するかということは、さっき申し上げましたように、日本が果たすべき防衛上の役割りというものを明確にすれば、そこからおのずから出てくるのではないか。それは恐らく私はGNPの一%以下では済まないだろう、それが来年の防衛予算でそうなるのか、再来年でそうなるのかわかりませんが、そういうふうに考えます。 それから、防衛努力以外の総合的な安全保障努力において、防衛努力を現在より縮小することを可能にするような外交的な努力なり、あるいは経済的な努力がなされておれば、防衛努力というものは一%以下に抑えつけても、これは私は構わないと思うのですが、防衛費をGNPの一%以下に抑えても、日本の安全保障に心配がないと思わせるような外交的な努力、あるいは経済的な努力、それを日本はいましておるとは思えないし、将来それができるとは考えられないわけです。 さらに問題としては、日本とアメリカとの役割りの分担とか、負担の公平化ということを考えた場合に、現在日本がやれる防衛努力以外に、日本がやらなければならない、総合安全保障という見地においてやらなければならない経済的な努力なり、外交的な努力は一体何だということを、もう少し国際的に説得力のある形で総理は表明すべきだと思うのであります。たとえば経済援助費を五年間で倍増したとしても、これはGNPに対する政府開発援助の比率は現在とほとんど変わらないのですね。そういう状況であれば、日本は防衛費はこり程度出します、それ以外に経済援助をこんなにやるんですと言ってみても、アメリカやヨーロッパの人たちは日本が十分な国際的な役割りを果たしつつあるというふうには評価しないわけです。だから、それをもっとアメリカやヨーロッパの連中にわかるように、どうやって説明するかということが必要だろうと思うのです。 それから、安保改定の問題については、現実の問題として日本は安保改定をすべきかどうかということを考える前に、やらなければならないこと、あるいはやれることがたくさんあるのではないか。それをやらないで安保改定ということにいきなり飛びつく必要はない。それから、現在アメリカ政府は安保改定を日本に強要しようとしておるわけでは全くないわけでありますから、アメリカが日本の安保改定を非常に願望しておるというふうに考えてこの問題を取り上げる必要もないと思うのです。問題は、現在のような国際的緊張が、米ソの間の緊張が将来五年も十年も続くというような情勢を考えるのか、どこかに一つの転換点が来るというふうに考えるのかによって、日本のとるべき態度は違ってくると思うのであります。私は、現在アメリカやソ連がとっておる政策というのは、どこかで一つの転換点が来るのではないか、来るか来ないか十分情勢を見通した上で日本の政策を決定すればいい、当面その必要はないということだと思うのです。もし、米ソの間で軍縮について、ある和解的な方向が出てこない、しかもソ連は果てしなく軍事力を増強し続ける、そういうような情勢になった場合にそれは一体どうなるのだということになると、これはまた別な問題になると思うのです。私は、いまのところそういう情勢を予想する必要はないし、予想しておらないので、安保改定の必要性というものもそれほど切迫したものとしては考えておらないということです。 それから、安保ただ乗り論については、結局アメリカが日本に対して持っておる不満というものの根底にあるものは、アメリカの経済がなかなかうまく再活性化できない、またアメリカの社会にはいろいろな混乱が出てきておる、それにもかかわらずアメリカは世界的に大きな責任を背負わされておる、そういうことに対する不満だと思うのです。また、日米関係について言えば、日本はアメリカに対して十分な国際的な競争力を持っておる、のみならずアメリカ経済をひっかき回すぐらいの力を日本は身につけておる、しかし防衛の問題についてはアメリカが日本を防衛しなければならない立場に立たされておる、そういうことに対するいら立ちだと思うのです。したがいまして、一方においてアメリカの経済がこれからますます悪くなるということであれば、日本が今後防衛の面においてあるいは経済の面においてどんなに努力してもこのアメリカのフラストレーションは解消しないと思うのです。 しかし同時に、これまで日本はその防衛の面においてあるいは経済の面において十分な国際的な責任を果たしてきたか、国際的な役割りを果たしてきたかというと、やはりそういうことは言えないのではないか。日本の防衛努力は確かにこれまで不十分であったし、また市場開放の努力についてもまだまだやる余地はある。ただ、それは長い歴史の経過を経てそうなったのであって、情勢が変わったからこの際一挙に防衛努力を強化しろとかあるいは経済摩擦を解消するための市場開放をやれと言っても、それは一遍にはできないわけですね。ドラマチックな政策を短期的にやれと言われてもそういうことは私はできないと思うのです。短期的にやれることと長期的にやらなければならないことをはっきり分けて考えて、長期的にはこういう対策をとる、短期的にはさしあたりこういうことを考えてきたが、さらにもう一つこういうこと、こういうことを日本は考える用意がある、そういう姿勢を示せばいまのアメリカはまだ十分日本の立場を理解できる状態にあると思うのです。しかし、アメリカ経済がさらにおかしくなる、世界経済がもっとおかしくなる、失業者が二けたになるといったような事態になりますと、これはなかなか手がない。そういう点は、レーガン大統領の経済再活性化の政策が完全に成功しないまでも、現状のアメリカをさらに活力あるものにするだけの効果をもたらしてくれるということがやはり非常に重要な条件になるんじゃないかと思うのです。 それから軍縮の問題については、私は、さっきお話しした以外の、総理に対してコメントあるいはリコメンドすべき特別の名案はございません。つまり、この問題については、日本が変な発言をしますと、日本が十分な、日本として当然やるべき最小限必要な防衛努力をやらないで問題を軍縮の方に転嫁する、こういうふうにとられる危険性があるし、せっかく日本がやりつつある防衛努力というものを非常に小さく印象づける危険性も一方にはあるわけですね。しかし、おっしゃるように、一方においては、やはり軍縮ということは世界の平和にとって非常に必要なことであり、総理が大所高所に立ってこれについてりっぱな意見を述べられるということは、私はきわめて重要だと思うのでありますが、それでは、こういうことを言えば非常に説得力がありますと総理に申し上げるだけの知恵はいまのところ私にはございません。
○沓脱タケ子君 お二方の公述人の先生方御苦労さまでございます。 私の持ち時間は大変短うございますので、畑田先生にお伺いをしたいと思います。畑田先生は、国際政治学、特に朝鮮問題を中心に研究をしておられるわけでございますので、そこで、ひとつお聞きをしたいと思っております。 ことしの一月の八日の第十八回日米安保協議委員会におきまして極東有事の共同作戦研究会議が合意をされましたが、極東有事というのは事実上朝鮮有事というふうに考えられるわけでございます。そこで、わが国の対朝鮮外交について今日何を重視しなければならないかという点について御説明、御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(畑田重夫君) お答えいたします。 先ほども極東有事研究のことについて触れたわけですけれども、朝鮮は地理的にも歴史的にもあるいは文化的にも非常に日本と深い関係にあるわけですので、特に対朝鮮外交というのは日本にとってはきわめて重要であるというふうに考えております。これは私が何も現代朝鮮問題を専攻しているから申し上げるわけではなくて、日本の外交のテーマとして非常に重要だろうと思います。 そこで、私が先ほどから申し上げていることとの一貫性においてでありますけれども、たとえばたまたまいま私、私のパスポートをきょう持ってまいりました。これは御承知のとおり、日本国民が発給を受けますパスポートは第三面ではっきりと、このパスポートは北朝鮮、括弧して朝鮮民主主義人民共和国、これを除く世界のあらゆる国と地域に対して有効であるというふうに、これは英文でありますけれども、書いております。つまり日本は朝鮮民主主義人民共和国とは外交関係持っていないわけであります。ところが、私の記憶では、これは調べていただければわかりますけれども、これはきょう現在、私が七九年に発給を受けました数次旅券であります。ところが、この前に私も何回かパスポートを受け取って、これは返してしまっているのですけれども、それによりますと、同じ三面が単なる北朝鮮と書いてあります。ノースコリアとはっきり書いてありますね。ところが、いつしか括弧して、デモクラチック ピープルズ リパブリック オブ コリア、朝鮮民主主義人民共和国と英文で明記してあります。 ところが、これはどういうことかと言いますと、私自身の記憶では一九七二年に、これはニクソン政権時代ですけれども、当時のロジャーズ国務長官がこういうことを言ったわけであります。これは北朝鮮を含む各国との関係改善の用意があると、これを記者会見で七二年の三月に述べたわけです。そして、その六月にSEATO会議というのがキャンベラで開かれておりますが、ここで初めて、いままでは単に地理的な概念としてのノースコリア、北朝鮮とアメリカは言っていましたが、初めて朝鮮民主主義人民共和国という国名を使いました。したがって、いつの間にか日本の外務省もこのパスポートで、括弧つきではありますけれども、正式国名を使うようになっています。 というのは、アメリカ追随外交ということを私先ほどから、つまり自主性の関係で申し上げたのですけれども、アメリカがこのように変えますとすぐに日本もパスポートの表記が変わりました。というのは、アメリカの場合には二つの朝鮮政策に移行した段階であります。つまりキッシンジャー外交が、たとえば大韓民国つまり韓国と朝鮮民主主義人民共和国、この二つの国を国連に同時加盟する、例のクロス承認その他の問題を伴いながら初めて国際的舞台で提起した段階でありますが、そういうように、これは一例でありますけれども、完全にアメリカの外交政策をそのまま模倣する、あるいは追随をするという形になっております。したがって、この立場から見まして、今日の朝鮮外交というのは大問題を抱えている。というのは、実は韓国の全斗煥大統領が昨年の初めにアメリカに渡りまして、レーガン大統領と会談をいたしました。いろいろなコミットをアメリカはしたわけでありますけれども、その後、いわゆる韓国から日本に対する五年間六十億ドルの経済援助の要請も来ているわけですが、よく言われますように、米日韓の核軍事一体化構想の推進、これは確かに具体的に進んでいるわけであります。ちょうど六九年のこれは十一月だったと思いますが、佐藤・ニクソン共同声明の中で、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」といういわゆる有名な韓国条項ですね、これが明記されているわけでありますが、つまり運命共同体という見地であります。 そこで、私がいま極東有事研究との関係であえて申し上げたいと思いますのは、アメリカがいま開発して、来年はNATO諸国に配備しようとしている中性子爆弾ですね。この中性子爆弾の生みの親とも言われておりますコーエンというアメリカの核物理学者が——この本、きょう持ってまいりましたけれども、「ザ・ニュートロン・ボム」というのですね、中性子爆弾、「ポリティカル テクノロジカル アンド ミリタリー イシューズ」という政治的、技術的それから軍事的諸問題、こういうサブタイトルを持ちます本でありますが、この本の四十二ページの脚注ではっきりと、中性子爆弾はヨーロッパよりもアジア、なかんずく南朝鮮ですね、つまり韓国に置くのが最もふさわしい、これは適当なんだと、こういうふうに述べております。ということは、すでに、チームスピリットと申しまして七七年以降米韓合同演習が行われておりますけれども、日本の横田基地その他を経由しましてランスミサイルが韓国に運ばれているわけであります、日本経由で。したがって日本は中継基地になっているわけですけれども、このランスミサイルというのは中性子爆弾をつけることのできる地対地ミサイルであります。その意味で、いまのようなアメリカとの関係を基礎とする対朝鮮外交、これを進めておりますと、完全にアジアの限定核戦争に日本が国ぐるみ巻き込まれるという危険性、これにさらされているというふうに言わなければならないと思います。 その意味で、日本が朝鮮外交の根本的転換、つまり朝鮮の統一を願うならば、その統一の妨げになることはしない。つまり六五年の日韓条約、これを締結しているわけでありますけれども、これは廃棄すべきである。そして朝鮮の統一に役立つことならばあらゆることをすると同時に、統一を妨げるようなこと、たとえば韓国とだけの固定した外交関係を持っていますと、これはつまり朝鮮民主主義人民共和国の国家承認をしないということは、これは統一に対する貢献できる立場ではないわけですね。あるいはする姿勢ではないわけです。その意味で、アメリカとの関係ももちろんでありますが、朝鮮との外交についても日本独自の自主的な立場に立った外交に転換することがいま差し迫って必要なのではないかと、こういうふうに考えているわけであります。
○柳澤錬造君 時間がなくなっちゃいましたので、佐伯公述人に少しだけお聞きをいたしますので、コメントしていただければおりがたいと思うのです。 これからの日本の役割りが大変重要になるということを先ほどのお話から受け取りましたのです。今後予想される世界経済の困難さや危機を乗り切るためには、日本だけでもだめだし、アメリカだけでもだめ、ヨーロッパだけでもだめなんだ、日米欧が協力する必要があると言われました。具体的にどういう点でという点のコメントをお聞きしたいのです。 それからもう一つの点は、日本はアジア・大洋州の中にあって、これらの地域諸国との経済的繁栄、同時に政治的な安定ということに役割りを果たさなきゃならないんだよということもおっしゃられたんですが、その点も、具体的にこういう点でと言って何かコメントをお聞かせいただければ大変ありがたいと思います。時間がございませんので簡潔で結構ですから、どうぞよろしくお願いします。
○公述人(佐伯喜一君) さしあたり日米欧が緊密に協力しなければならない問題は、経済の問題だと思います。いかにして現在の世界の経済を再活性化するかということが焦眉の急だと思います。ある意味においては、これは国防、安全保障の問題よりもっと重要な問題になっておると思います。従来、これを協議する場合には、OECDにおけるいろんな話し合いとかあるいはサミットにおける話し合いがこのために非常に有効な役割りを果たすわけであります。いずれにせよ、役割りといいますか、効果は限定されたものであって、日米欧の緊密な協議を推進するためには不十分だと思われます。それをもっと効果的な方法を考える必要があるし、早くこの点について世界経済を再活性化するための協議の仕組みをつくり上げる必要があるし、あるいは協議を進める必要があると思います。 それから、近接したアジア・太平洋地域の諸国に対する日本の政策としては、現在中南米とアメリカとの関係を見た場合に非常にはっきりすると思うのですが、私は、これらの国に対して日本がこれまで非常に多くのコストを払ったとは思わないわけです。しかし、これまでの経過を考える限りにおいて、日本の周辺には政治的に安定し経済的に繁栄している国が、ほかの地域と比べると相対的に多いわけですね。これはやはり日本が、ある意味においては不必要な干渉をしなかったといいますか、そういう、非常に何かコストを払って大きな成果を上げたというよりは、よけいなことをしなかったために非常にプラスになったという面が一方にあると思うのです。さらに積極的に日本がやらないとならないということは、やはり経済面を通じての協力ということに帰着すると思います。
○委員長(植木光教君) 一言お礼を申し上げます。 畑田公述人、佐伯公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいまして、まことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後の当委員会の審査に十分役立つものと確信してやみません。ここに、委員会を代表して重ねてお礼を申し上げます。 明日は午前十時に委員会を開会することとし、予算委員会公聴会を終わります。 午後五陣三十八分散会